諦めはウマ娘を殺しうるか? (通りすがる傭兵)
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第1章 一番星に集うもの『チーム スピカ』
プロローグ 夢のゲートをもう一度


うまぴょいから逃げられなかったよ......

とりあえずアニメ1期と2期をおさらいしてたらかけました。
本当はタキオン怪文書の予定でしたが別物になってました、不思議ですね。


 

 

 

 

 

「さて」

 

昔の癖で、つま先で2、3度地面にカンカンと地面を叩く。

あの頃のように甲高い音は帰ってこない。聞こえるのは、鈍いスニーカー特有のゴム底の音だけだ。

 

「なーんにも変わってないなあ」

 

煉瓦造りの青屋根の校舎。

三女神像を模った噴水。

綺麗に生えそろった芝生。

生徒たちが行き交う石畳の道。

 

私がこの学園を去ってから、何も変わっていない。

 

「おはようございまーす」

 

 たったかと駆けていく制服姿の生徒達も、

 

「おはようございます!」

 

ランニングに勤しむジャージ姿の生徒たちも。

私がここにいた時となんら変わりはないのだ。

 

「いや、むしろ変わったのは私か」

 

私が着ている服は白と淡い紫を基調にしたセーラーでもなく、中央トレセン学園指定の赤と白の練習着でもない。

そこらの量販店で買える、黒の無地のランニングウエアの上下だ。本来ならスーツあたりでバシッと正装するべきだったのだろうが、

 

「いくら気が立ってたからと言って普段使いのジャージを着てくるかね、私」

「変わらないな、君は。いつも物事をはやり過ぎる」

 

もう一つ変わらないものがあった。

礼儀折り目正しく、目の前で出迎えてくれる生徒会長だ。

 

「げえーっ!? ルドルフ!」

「そんなに驚くことはないだろう。幽霊じゃないんだ、私は」

「今日は入学式だろう? こんな所に居ていいのかい?」

「問題ない。エアグルーヴに任せてきた」

「あのねえ」

 

 やれやれ、と肩をすくめる女帝の姿がありありと目に浮かぶようだ。折目正しい生徒会長とは言えども、こうたまに無茶苦茶な迷惑をかけるところはいかがなものか。

 彼女はいつものマジメ腐った顔を崩して、少し笑った。

 

「君のことだから、随分と先に来ていると思ったんだ。昔から気が早かったじゃないか」

「そんな昔のことよく覚えてる。入学式の時のことじゃないか」

「つい最近のように思い出せるよ。それほどまでに、君達と鎬を削ったあの頃は鮮烈だった」

「よく言う。先頭はずっと譲ってくれなかった癖に」

「今も軽々に譲るつもりはないさ。何故ここに?」

「可愛い後輩たちが心配でね。それに、世話になったトレーナーが数年前にチームを立ち上げたって言うから先輩風を吹かせてやろうとね」

「『チーム・スピカ』だったか」

「どお、みんな元気してる? 会長なら知ってるでしょう?」

「......」

「なんだよ、突然黙り込むなよ」

 

 昔のように肘で脇腹をつつく。いつもだったら小寒いジョークも交えて返してくれる所だが、今日だけは違った。歩き始めていた足を止めて、こちらに向き直る。その顔はいつものように笑ってくれもせず、真面目な顔でもない。

 まるで大怪我でも伝える医者のような、そんな顔だ。

 

「チーム結成の規則は、知っているな?」

「トレーナー1人以上にウマ娘が5人以上だっけ」

「ああそうだ。これはトレセン学園が設立されてから変わらない掟の一つでもある。切磋琢磨すること、仲間と友情を育むこと、どちらも大切なことだ」

「私は周りくどいことは嫌いなんだ、本題を頼むよ」

「では、単刀直入に言おう」

 

 

「このままでは、『チーム・スピカ』は解散する」

 

 

その言葉を飲み込むのに、少し時間がかかった。

 

「はい?」

「このままではスピカは解散する。具体的にはあと2週間だ」

「ちょちょちょ、待ってくれ! 私のトレーナーが作ったチームなんだ、実績は申し分ない!

たしかにあのトレーナーは初対面のウマ娘のトモを触るような変態。まさか、トレーナーが更迭されたとか」

「トレセン学園の校風は『自由』。多少の事には目を瞑る」

「じゃあなにが原因さ」

「所属ウマ娘が1人だけだからだ。卒業式を前に、何人ものウマ娘がチーム脱退届けを提出している。

 学園側からも、今季の選抜レースで十分な人数をスカウトしなかったないしできなかったのならチームは解散させると通達した」

「うちのトレーナーがそんなに捕まえられるわけないじゃないか!」

 

 彼はメイクデビュー戦の成績如何ではなくそのウマ娘のポテンシャルを、可能性を見る。資質がなければ世代エースと謳われるウマ娘も見向きせず、無名で負けばかりのウマ娘に目をつけ、スカウトをかける。

 

デビュー前、騒がれもしなかった私を見初めた。

それを置いて彼は語れない。

彼は常々言う。

 

『お前達に、夢はあるか』と。

 

彼はウマ娘に夢を見て、夢を託す。

逆説的に言えば、夢を見られないウマ娘に興味はない。

 

だからこそ一流とは言い難い。

 

彼は『一流しか育てられない』。

彼に『才能のないウマ娘』は育てられない。

 

 彼の目に叶うウマ娘は年に1人か2人というところだろう。才能を見抜いたとしても、チームに入ってくれるかどうかは別問題だ。

 

「そんな......そんな......」

 

彼を説得して無理矢理チームに何人かを入れる?

 

ダメ。同じ事の繰り返しだ。

 何人もの脱退者をすぐに出すようではトレーナーの経歴に傷がつく。成績が残せないウマ娘もトレーナーと衝突を繰り返すようになればチームの雰囲気は最悪だ。多少の延命措置にはなれど、チームが空中分解して誰も幸せにはなれない。

 

他のチームと合併する?

 

 ダメ。彼の指導が他のチームと噛み合うはずもない。現役時代に自分の練習方法を周りに話したら驚かれたくらいだ。トレーナーの目的が食い違う状況でトレーニングがうまくいくはずもない。

 

 

このままチームを解散する?

 

ありえない。『チーム・スピカ』はトレーナーの夢だ。

私に語ってくれたあの話を、忘れることなど出来ない。

 

「みんなの夢に輝く一等星を。そう言ってたじゃないか、トレーナーッ!」

「待て待て、君は気が早いと常々言っているじゃないか」

 

 優しく肩に置かれた手が、私を現実に引き戻す。

ルドルフが昔のように苦笑いを浮かべながら、一枚の書類を差し出していた。

 

「......君は幸運だよ。1年遅かったら、君の愛するチームは無くなっていた。だが、今ここに君がいる。

 

戻ってこないか、()()()()()()()

また、一緒に走ろう」

 

私の目の前に突き出された書類にはチーム入部届とあった。

これを書けばトレーナーの助けにはなるかもしれない。

4人と3人の重みの違いは火を見るより明らかな上に気心の知れた誰かがいるだけでかなり楽になるだろう。

しかし、私は首を縦にはふらなかった。

 

「私はダメだ、ルドルフ。私はもうあの(ターフ)で競うことはできないよ」

 

 私は優しく書類を破り捨てた。

春風に吹かれて空に舞う入部届を見ることもせず、私はルドルフに語りかける。

 

「もう、レースは走らない。そう決めたんだ」

「何故。怪我なんてしていないじゃないか。トレーニングだって欠かさずしているのはその格好から見ればわかる。

急に学園から君が姿を消してから、私は」

「身体が悪いんじゃない。私が悪いんだ。それに」

 

首に下げていた入校証を見せる。

私の名前の下には、こんな文字が書き添えられていた。

 

「トレー、ナー......」

「もう、私はウマ娘じゃない」

 

 決別の意も込めて、ポケットにねじ込んでいたスポーツキャップをかぶる。

 

耳を帽子の裏に押し込め、尻尾をズボンに隠す。少し窮屈だが、それくらいが私には相応しい。ターフから逃げ出した負けウマには、この場所は少しばかり広過ぎる。

 

「だが、諦めるつもりもない」

 

 キュッと帽子の鍔を後ろに回し、もう一度足を鳴らす。

現役時代と同じルーティーン。レース前はこうしてターフを踏みしめるのが常だった。

 

「私を勝たせてくれた恩師のためだ。現役時代は苦渋を舐めさせてもらったが、次は私の教え子があんたに土をつけてやる。皇帝伝説も今年のうちに終わらせてやるさ」

「フッ。闘志は消えてはないか」

「当たり前だ。一度去った舞台のターフを踏めるウマ娘なんていない。つまり、ここにいるのは正気じゃないか愚か者なウマ娘に違いない」

「君はどっちだ?」

「正気を失った愚か者に決まってるじゃないか。もとより正気で皇帝には勝てない。だったら正気は不要だともさ」

「......ならば見せてみろ。君の導くものとしての力を」

「いやと言うほど味合わせるさ。WDTは、チームスピカのものだって思い知らせてやる。リギルの時代はもう終わらせてやるんだ、アーッハッハッハッハッハ!」

 

決意をあらわにするように、天高く笑う。

これは決意表明だ、2人だけの約束だ。

いつか必ずお前を超えてみせる。王者として、首を洗って待っていろと。

 

「......本当なら、君と競い合いたかった」

「なんか言ったか、ルドルフ」

「いや、なんでもない。案内しようか新米トレーナー。新入生の名簿くらいは見たいだろう」

「そいつは是非に頼むところ! と、言いたいところだが、まずは恩師とチームメンバーに挨拶をしてくるよ。1人だけの後輩にもね」

「そうか。ではまた後ほどになる。携帯番号は昔のままだ、用事が終わったら連絡してくれ。ではな」

 

 シンボリルドルフはそう言って、校舎の方へ戻っていった。当たり前のように私が電話番号を覚えていると思い込んでいるが、実際覚えているのが腹立たしい。同期の絆、とでも言えば良いのだろうか。

 

「さて、チーム棟のある場所は」

 

確かこっちだったかな。と脇道に歩を進める。

 昔からプレハブの戸建てだったソレの名前を指を差しながらひとつひとつ確認していき、数分とかからずに目的のソレを見つけた。

 

「シェリアク、シリウス、スピカ......ここか」

 

 入学式だというのに部屋の電気はついている。トレーナーは隠れて熱心に仕事をするのが好きだったな。

 

「たのもーっ!」

 

ノックもなく扉を開ける予想通り鍵はかかっていなかったから、思い切り開けてやった。

 何も連絡していないから、さぞトレーナーの驚く顔が楽しみだ、と笑いながら部屋に目をやって。

 

「ハイ四隅取ったー! どうした、こんなんじゃゴルシちゃんには勝てねえぞう?」

「待った待った! 今のなし! というかお前2枚置いたろ!」

「これはゴルシオセロだから2枚置いて良いんだぞ?」

「そんなこと知らねーよっ!」

 

「なーにチーム解散の危機なのに呑気に遊んどるかぁっ!」

「そげふっ!」

 

 間髪入れずに、私はそのいけすかない髪の男の腹を蹴り上げた。

 

「こんの、バカトレーナーっ!」

 




とりあえずトレーナーを蹴っ飛ばすところから


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第1話 夜明け前

毎秒投稿しろって言われちゃったので


2021/04/17 ゴルシちゃんがシニアとクラシック2クラスを走る不具合を修正しました。


「なんでお前がここにいるんだ?」

 

 開口一番、この男が私に言ってのけたのは気の抜けた言葉だった。私は無言で胸から下げた入校証を見せてやる。

 

「あなたと同じ道を歩く事にしたわけ。まだ仮だけど」

「中央トレーナー実習生......マジかよ」

「1ヶ月の実習期間が過ぎるまでどこかのチームにて経験を積む事。というわけでまたヨロシク、トレーナー」

「マジかよ」

 

 事実を端的に告げると、驚いたと目を見開く。その様子が2人きりだった昔と変わらなくて、少し微笑ましいくらいだった。

 だが、昔と違うところがあるとすれば。

 

「なあトレーナー、誰だこいつ?」

 

 椅子に座って不思議そうにこちらを観ている芦毛のウマ娘がいることだ。恵まれた体格に整った顔立ち、ジャージの上からでもわかるトモの筋肉のつき方も悪くない。

 それもそうだ、新聞の一面を飾った事もある顔を仮にトレーナーの端くれでもある私が忘れようはずもない。

 

「ああ、こいつは......」

「わけあって名乗りは控えさせてほしいね、()()()()()()()

「へぇ、あたしのこと知ってるんだ」

「デビュー戦はコースレコード勝ち。その後も順調に勝ちを上げ皐月と菊花の二冠達成。全く、有名人の自覚を持ってほしいところだって」

「そうなの?」

「あのなあ......」

 

 やれやれ、と頭を抱える仕草を見せたトレーナー。普通ウマ娘だったら大喜びして一生忘れないようなことだと思うんだけれどどうもゴールドシップは無頓着らしい。

 

 なにせ彼女は学園史上稀に見る『癖ウマ娘』。

 

 圧倒的な追い上げを見せる末脚と引き換えに、非常識と自由と無秩序もまとめて獲得してしまったわけだ。最初のウイニングライブでは曲に似合わぬ見事なブレイクダンスを披露して見せた、と新聞の一面に躍るほどに世間を騒がせたのだから、その奔放さは筋金入りも良いところ。

 阪神大賞典も順当に勝ち上がり、春の天皇賞に備えるだろう時期にどうしてこのウマ娘はオセロに興じあまつさえそれを正すべきトレーナーは付き合っているのか。

 

「最近の後輩はこうも不真面目なのか? トレーナーも何か言ってやってください」

「なんだよ、お前も将棋やるのか? やろうぜ?」

 

 不真面目な態度を悪びれる様子もなくロッカーから立派な将棋盤を取り出したところで私の堪忍袋の限界値はもうとうの昔に振り切れた。

 

 こうなったら卍固めでも四の字固めでもなんでもして特訓させてやろうじゃないの、とジャージの袖を捲りあげて詰め寄ろうとしたところで誰かが私の方を掴んだ。

 

「ゴルシはこれで良いんだ。そうだ、折角だしどこかで飯奢ってやるよ。昼、まだなんだろ?ゴルシもこいつの話聞きたいだろ」

「よっしゃ! トレーナーの奢りならいく!」

「わーったよ。すまんな、付き合ってくれるか?」

「いつもの場所なら」

 

 トレーナーがご飯に誘ってくれる時は、大抵話し合いたいときと相場が決まっている。それも、あまり聞かれたくないような、少しばかり熱が入ったか後ろめたい話。

 

「ところで折角の入学式に勧誘なんかしなくても良いのか? それどころか悠長にサボって」

「勧誘は模擬レースを見てからだ。走りをみてトモを触って見ない事には何とも言えない。入学式サボりについては出ようとしたんだが、ゴルシがな」

 

 彼が指差すのは椅子にかけていた黒いジャケット。形式ばったもので、下のスーツと今着ているベストに合わせれば正装姿と言えなくもないだろう。髪型は大胆に側頭部を刈り上げたおかげで真面目さはないが、トレーナーの服装など個性的なものばかりなので何も言えまい。

 さてことの元凶はこの問題児、というわけでどうしてだと無言で返答を促せばあっさりと返事が返ってきた。

 

「クソ長いつまらん話より虹色に光るニンジンを探す方が楽しいからな。命短し楽しめゴルシちゃん! あとダジャレつまらん」

「それ本人の前で絶対に言わないでよね!」

「? わかった!」

 

 本人はいつも愉快そうに笑っているが、巻き込まれた方は良い迷惑である。

 

「......と、話が逸れたじゃない。ご飯、行くんでしょ?」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「いらっしゃい! って、トレーナーとウマ娘さんじゃないの! 久しぶり!」

「久しぶりおやっさん。いつもの2つね。おまえは?」

「いつもの」

「あいよカツ丼3つ! お新香でも食ってゆっくり待ってな!」

「......なんだココ?」

「何ってそりゃ、カツ丼屋だが」

 

 トレセン学園から歩いて15分。近場の商店街の奥まった路地の中にある、狭っ苦しく古臭い店。

赤いテーブルが3つにカウンター席がいくつかあり、テレビではひっきりなしにニュースを垂れ流している。記憶と同じ昭和くさい内装とこれまた変わらない店長の元気な返事が懐かしい。

 

「入学前にふらっと見つけて以来、レースが近くなるたびに験担ぎで食べに来てたんだ」

「嬢ちゃんが来なくなってから随分と寂しくなったもんさ。トレーナーさんとやらは最近来なくなっちまったしな」

「さ、財布がな......」

「冗談だ冗談、がはははは」

「それで、だ」

 

 ジュージューとカツが揚げる音をBGMに、私はバ群に割って入る差しウマのようにトレーナーに切り込んだ。

 

「どうしてああも不人気なチームになったわけ、ウチは?」

「なんというか、なるべくしてなっちまったというか」

 

 色付きプラのグラスに入った水を飲みながら、トレーナーは静かに語り出した。

 

「俺の指導方法はお前が一番よくわかってるだろ?」

「『まずは自分でやってみろ。困った時には俺を頼れ』だったっけ」

「そうだ。よく言えば自由、悪く言えば放任。おハナさんにはなってないって言われたっけか」

「だけど私は十分やれた。だから『チーム・スピカ』立ち上げの時、みんな集まってくれたんじゃないか」

「うまくいったのはお前とゴルシだけだ」

 

はあ、と彼は深々とため息をつく。

 

「何のためにトレーナーがいるのか再確認させられたよ」

「つまるところ、ちゃんとやらないとダメって訳だったということ? 手取り足取り、一から十まで」

「俺には向いてなさ過ぎる」

「そうなのか? トレーナー本気出せばもっと色々言えることたくさんあるのに」

 

 キョトンとした顔で私にそう言ったのはゴルシだった。私とトレーナーが驚きに目を開く中、何がおかしいと首を傾げるゴルシは続ける。

 

「その辺スキップしてるだけで調子を言いあてるし、ずーっと他チームのウマ娘にあーでもないこーでもないってボヤいてるし、デビュー戦の時はうるさくて何も覚えられなかったけどいっぱいアドバイスくれたじゃねえか。

たまに夜遅くまで資料見てるのだって知ってるぞ? よく老眼にならないな。ゴルシデータベースには目にはメザシが良いらしいぜ!」

「......すごいな」

「仮にもトレーナーなんだぞ? それくらいは見てるよ」

 

にしし、とイタズラが成功した顔で言われてしまえば2人で思わず顔を見合わせるばかりだ。ただのちゃらんぽらんだと思っていたが、もしかして頭が良いのか?

 

「お前、レースの時以外も頭いいんだな」

「ばっきゃろうえい! ゴルシちゃんのIQは53万だぞう!」

 

 トレーナーの呟きにツッコミを返すゴールドシップを見ながら、にんじんの漬物をつまむ。なるほど、だからゴールドシップはこのチームこのトレーナーの下に流れ着いたわけだ。

 

 ウマ娘の育成のセオリー、戦術、作戦というのはかなり定石が詰められてしまっている。だからこそ『あてはめて』しまえばある程度の才能さえあれば形にはなる。その『ある程度の形』をはみ出すほどの実力や才能を持ったウマ娘が鎬を削るのが今のトゥインクル。

 だが、ゴールドシップはそれが気に入らないんだろう。型にハマらず、自分の長所と才能を磨きたい。それ以外興味がない。もしかしたら、他にも。

疑問に思って、その答えを求めて口を開いた。

 

「ゴールドシップは差しが好きなのか?」

「なんだ藪から棒に? 釣りがしたいなら今すぐ駿河湾に行こうぜーっ!」

「そうじゃない。戦術のこと」

「あー、うん。後ろからガーっていくやつだろ?」

「最初っから飛ばすのは嫌いか?」

「やだよ、疲れるじゃん」

「疲れるから、って、そんな理由で?」

「あとゲートって嫌いなんだよ。いつ開くかわからないから面白くない。自分で蹴破っていいならいくらでもゴルシ拳法が火を吹くぜ、シュシュっ」

「あっはっは、友達にもそんな奴いなかったぞ! やっぱ学園一の変ウマ娘って噂は本物か」

 

スウェーをしてみせるゴルシがおかしくて思わず笑った。こんなに『頭のおかしい』ウマ娘は初めて、こんな変わり者がもし周囲にいたら、学校生活はきっと楽しくなる。

 

「前のトレーナーには『アホ言うな』って怒られたけど。けど一回やってみたら気持ちーだろうなーって思ってるわけ」

「そりゃそうだ! 蹴破ったら始末書ものにきまってる!」

「マジ? その程度で済むんなら今度やってみるか。

なあトレーナー! 次のレースっていつだ!」

「天皇賞。だけど、出すかどうかは五分ってところだ」

「なんで迷う必要があるわけ?」

 

 私の質問にトレーナーは俯いたままだ。

 

「迷ってるんだ......天皇賞に出そうと思うと、俺とゴルシはメンバー集めは難しい。チーム存続のためには、ゴルシには天皇賞を諦めてもらうことになるかもしれない」

「けど、天皇賞を出走辞退はおかしいでしょう? 阪神大賞典は良いレースだったのに!」

「そうだ。あの走りが本番でまたできれば、一位も十分射程圏内だ」

 

 彼はそこで一旦口を閉じた。何かを思い出すようにぎゅっと目を閉じて、それでも言わなければならないと私たちの方へしっかりと向き直った。

 

「......俺はウマ娘に『夢』を見てる。

コイツはどこまで走れるんだろう、どこまで行けるだろう。ウマ娘の可能性の果てを、俺は見たい。何かを成し遂げたいと言うんなら、どんなに不可能でも俺は全力でそれを叶えてやりたい。

勝ちたいなら、勝たせてやる。

走りたいなら、走らせてやる。

ココにいたいなら、ずっとココにいて良い。

 

俺には決められそうにはない。

なあ......ゴールドシップ、お前はどうしたい? 勝ちたいか?」

「そりゃ勝ちてーよ、勝った方が楽しいだろ」

「だよな......」

「だけど、あたしにとっちゃチームがなくなっちまう方がやだな。あたしの面倒を見てくれるトレーナーなんてアンタだけなんだからさ」

「......すまんな、ゴルシ」

「良いってことよ!」

「お、話はまとまったみてえだな、ヘイおまちっ!」

「おおっ、うまそーっ!」

「嬢ちゃん達にはにんじんのかき揚げのサービスだ! 次も来てくれよなっ」

「悪いね大将」

「良いってことよ。せっかく戻ってきてくれたんだ。昔、あんたのレースをテレビで見てた頃が懐かしいよ」

「へえ、あんたウマ娘だったんだ?」

 

 大将がしみじみと昔を思い出していると、ニタニタと割り箸でこちらを指さすゴールドシップのしたり顔が目に入る。

 

「そういえばトレーナー、新顔のコトは飯を食いながらってえ話だったよな。聞かせてくれよ〜」

「そうだったか?」

「そんなことないが」

「名探偵ゴルシちゃんの耳と目にかかればマルっとお見通しだ! じっちゃんの名にかけて!」

「なんか色々混ざってるんだが、まあ、いっか。

他言無用で頼むぞ。あんまり、人に話したくない。大将もそれで頼むよ」

 

 上手いこといい話で誤魔化せたと思ったんだが、ゴールドシップは流されてはくれなかった様子。あまり話す事でもないが、ずっと突っかかられてもイライラするだけだ。

 本当なら話すつもりはないが、秘密を2人で抱え込むにも限界があるだろう。改めてゴールドシップに釘を刺した上で、私は自分の経歴を軽く語った。

 

「察しの通り私は元トレセン学園生で、『チーム・スピカ』を立ち上げたメンバーでもある。

名前は......鏑木とでも呼んでくれ。当時の名前はあんまり名乗りたくないんだ、成績良くなかったし悪目立ちしても困るだけだしね」

「わかった!」

「わかったのか......?」

「大丈夫、ゴルシちゃんの口はちり紙くらいは固い」

「全然大丈夫じゃないじゃないか」

「まー、なんとかなるだろ」

「トレーナーも笑ってないで嗜めてくださいよ!」



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第2話 黒い新風

マジックカード発動!


 

 

 

「ナウイあなたもチームスピカに入ればバッチグー、と。

どうだ? いけるだろ?」

「却下」

「なーっ!」

 

私はトレーナーが書いた手書きのチラシをビリビリと破り捨てた。センスが昭和かマルゼンスキーかっちゅーの、こんな古臭いつまらんポスターで誰がやって来てくれるか。

 

「じゃあお前書いてみろよ」

「任せときなさいよ」

 

 文句ありげなトレーナーからマーカーを受け取り、まっさらなA4用紙にペンを走らせる。

 

「ヤングな君たちもスピカにくれば万事オッケーモーマンタイ、っと。これでパーペキというわけよ」

「却下」

「なんでえゴールドシップ!」

「いや何書いてあるかわかんねーぞ」

「「マジで?!」」

「じゃあこれは没だなー。お前は風になるのだー」

 

 私とトレーナーはゴールドシップが適当に折って飛ばしたポスターの成れの果てを見ながら膝をついた。

 

「これが若さか......」

「いや、お前らセンス古いだけだと思うぞ。ゴルシちゃんが一筆書いてやっから任しとけって」

「絶対にダメ」

「なんでだよサブトレーナー!」

「なんて書くつもりか言ってみな」

「そりゃ『スピカに来なかったらダートコースに埋めてやる』って」

「脅迫文じゃないダメダメダメダメ!」

「ちぇー」

 

 手で大きくばつ印を作ると、つまらなさそうに回転椅子でクルクルと回り始めたゴールドシップ。だが、トレーナーは仕方ないかと言わんばかりにため息をついた。

 

「結局スカウトに頼るしかない。今日の放課後から選抜レースだ、偵察に行くぞ」

「わかりました」

「へーい」

 

 

そして放課後。

 

「いやあ今年の新入生は豊作ですよ」

「エルコンドルパサー、グラスワンダーの2人は特にずば抜けたセンスの持ち主と聞いています」

「いやはや、セイウンスカイも負けてはいないそうですよ」

「中等部の方では......」

 

 練習コースのスタンド前に集まるトレーナーの人だかりを抜け、なんとか1番いい席であるレース場全体を見渡せる高台の席を確保。トレーナーは別コースのデビュー戦を覗きに行くといってココにはいないし、ゴールドシップはどこにいるかわからずじまいだ。

 

さて、と独り言を呟きつつ双眼鏡を取り出す。レースを待つウマ娘を見渡せば、目的の娘はすぐに見つかった。

 

「今年の目玉は留学生のエルコンドルパサーにグラスワンダー。

エルコンドルパサーは先行策を得意とする好位差し型。ビッグマウスではあるが、それに見合った実力を持っていると聞く。

グラスワンダーは差し型。熱意はないおしとやかな性格の持ち主とあるがトレセンに来るウマ娘がそんな筈もない。

少々体が弱いとあるのがネックだが、最終直線のスパートは目を見張るものがあるという、か。

 

まー、この2人はウチには来ないだろうな」

 

 なにせ話題になるほどの有望株だ。他のトレーナーや強豪チームが目をつけないはずもない。後日には学園最強と名高い『チームリギル』の選抜レースもある。レースは希望制だというが、環境を求めるウマ娘ならば必ず申し込む事だろう。

同年代に、彼女らを超えられるウマ娘がいるのかどうか。

彼女ら2強の牙城を崩しうる才能あるウマ娘は。こればかりは、まずクラシック戦線を走ってみないことにはわからない。勝負に絶対はない、ハズなのだから。

 

「ま、トレーナーに見てもらわないとわからないか」

「さあ、各バゲートに入りまして......スタートしました!」

 

後でじっくり観察できるようにと渡されたビデオカメラの録画をスタートさせつつ、目線を発バ機の方へ向ける。

 

学園生のアナウンスを合図に、ゲートが開いた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「前評判通りというかなんというか」

 

 エルコンドルパサー、グラスワンダー、2人の実力はずば抜けていた。どちらも2位に差をつける形で一着を獲得し、今はトレーナーたちに囲まれている。

 レース勘もデビュー戦前とするならばかなり優秀だ。スタートも悪くなく、スタミナ、スピードも頭ひとつ抜けているのは確かだ。

 

だが、収穫もあった。

 

セイウンスカイ。水色の髪が目立つウマ娘だ。

 2000mをしっかりと逃げ切るスタミナとペース配分が初戦からできるウマ娘はそうそういない上、最後はまだ余裕があった。おそらく中距離より長距離向き。

ペースを上げ下げして後続を混乱させるような走り方は後方からのレースでも遺憾無く発揮できるだろう。いい意味で『読めない』、そんな印象を受けた。

 

キングヘイロー。栗毛に青い耳のカバーをつけたウマ娘。

 有名な学園卒業生の娘とあって前評判は悪くなかった。留学生2人の話題性に喰われる形にはなったが、彼女らがいなければ今年の新入生の目玉になったに違いない。

 先行策を取り、なおかつ大外を回っても問題ないくらいの切れ味を持つ末脚は将来性を感じる。ただ、ペース配分やレース運びはまだまだ粗く、勉強が必要だろう。

 

レースで圧倒的な力を見せたのはこの4人だ。

 

 他に目に止まったウマ娘といえば......ぶっちぎり最下位でゴールしていた桜色の髪のウマ娘だろうか。ハッキリ言って悪目立ちしてたから目に止まったんだが、レース後も楽しそうに他のウマ娘に話しかけに行く様子はなかなか見られない。チームのムードメーカーとしては少し欲しくなるが、中央では戦える実力はなさそうだ。

それに騒がしいウマ娘はチームに1人で十分だと思うね。

 

「にしても」

 

 トレーナーに囲まれて高笑いして見せているキングヘイローに目が止まる。

 

「なんか、噛み合わないんだよなぁ」

 

 彼女のレースが、頭から離れない。

というのも彼女のレース、特に最終直線に何か違和感を感じていたからだ。たしかに最終コーナー、膨らみすぎて外を回る形にはなったが末脚で捲っていく様は見事だった。だが、最後の末脚は明らかに仕掛けが早かった。2000mだったらともかく、2400mならば2バ身から半バ身ほどの僅差で決着がついていたはずだ。

2000mを選ぶ以上クラシック戦線を選ぶのは明らかだが、彼女の適正は......

 

「マイル以下かよ、クソッタレ。コイツもハズレだ」

 

 私の疑問に答えたのは、観覧席の端に腰掛けてパソコンをいじっていた生徒だった。

 

 黒い短髪をワックスで尖らせ、耳には大きなピアス。顔にもいつくかピアスが埋め込んであり、目の下の黒いクマが近寄り難い雰囲気を醸し出している。パソコンで見ているのは先ほどのレース映像か、何か違う別のものか。

 ブツブツと爪を噛みながら呟きをやめない彼女の背後にこっそりと回り込んで画面を覗き込んでみる。私は、それを1秒とかからずに後悔することになった。

 

「ぜんぜんわからん」

 

 日本語と数字の羅列なのはかろうじて理解できるがあとはそこまでだ。ぐちゃぐちゃに混ざって書きつけてあるよくわからん文字の羅列。普段パソコンを使わないし、液晶画面に慣れてないおかげで目がクラクラするくらいだ。

 

「オイ」

「......あら、申し訳ないね」

 

パタン、と軽い音を立てて画面が閉じられた事で私は意味不明なカオスから解放された。そのかわりこのあからさまのファンキーなウマ娘にじっと睨みつけられている。

さて、こういう時にトレーナーのやることは?

決まっている。

 

「......名前は?」

「答える必要性があるか?」

「少なくとも、トレーナーがいなくて、チームにも所属していないなら、問いかける必要性は私にはあるね」

「はん。エアシャカールだ。聞いたことあるか?」

「エアシャカール、エアシャカール......知らない名前だね」

「そういうこった。時間を無駄にするより有効活用する方がいいんじゃないか? 気になるウマ娘の1人や2人いるだろう」

「目の前にいるね」

「ああん?」

 

 何を言ってんだコイツ、と言わんばかりの表情で私の方を見ているエアシャカール。彼女は頭をかき少しだけ考える素振りだけ見せて、立ち上がった。

 

「選抜レースを走ったウマ娘より隅でパソコンいじってた私に興味があるだあ? アホか」

「アホでもバカでも結構。あなたは走らないのかい?」

「もう走ってる。こんな不良もどき誰もスカウトにきたがらねえってさ。第一、ココのトレーナーは不勉強が過ぎる」

「へーえ」

 

 エアシャカールの言葉に私は引っかかった。というより最初に浮かんだ感想が「舐めているのか」だ。

 

「トレーナーだってライセンスを必要とする職業だ。筆記に実技、面接、そんじょそこらの誰しもが就ける職じゃない事を知っていて、それを言う?」

「ああ言うぜ。根拠に欠ける不確定な根性論を振りかざす能無しだ。散々ロジカルじゃねえって噛みついてやったら、めでたく放り出された」

 

 今思い出しても腹が立つのか舌打ちをかましつつゲートなんかを片付けるレース場を眺めているエアシャカール。なるほど、相当な好き嫌いがあるウマ娘と見た。だけど、こういう個性あるウマ娘こそスピカの水が合うハズだ。

 

「じゃ、ウチに来ないか?」

「ハァ?」

「ゴールドシップしかウチにいないが、ウチのトレーナーは」

「はいよ!」

 

 掛け声一閃、どこからか飛んできた投げ縄がエアシャカールをぐるぐる巻きにした。お互い信じられない状況に言葉が出ない中、芦毛の不沈艦が植え込みから姿を表して一言。

 

「だいたいわかった! ようこそチームスピカへ!」

「「そうじゃねえだろ!」」

 



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第3話 スカウト 

アニメベースにしたスピカをさらに騒がしくするとどうなるか


なんかこれn番煎じな気がします


 

 

今日も今日とて偵察任務。

選抜レースは何も1日だけの開催じゃない。年4回、レース相手や距離を変えつつ何回も走ることになるため、1週間中央模擬レース場はトレーナーやウマ娘で溢れかえる事だろう。

 

「というわけで中等部の方にやってきたわけですが」

 

双眼鏡を覗き込みつつ、あたりをぐるっと見渡してみる。

高等部より落ち着きがないゲート前は騒がしく、友達同士で話をするウマ娘もいれば忙しなく体を動かしているウマ娘もいる。

 

「懐かしいなあ」

「ノスタルジックに浸りにきたわけじゃ無エだろ?」

「失礼失礼」

「ラップタイムに狂いがあれば計算が狂う。絶対にミスは許さねえからな」

「トレーナー試験にラップタイ厶計測があるのご存知?」

 

 隣でビデオカメラを構えているのは、先日ゴールドシップが簀巻きにしたエアシャカール。私とゴルシの説得も虚しくチーム加入は先送りになってしまったものの、前のトレーナーよりは興味深いとしばらくは仮加入としてチームにいることとなった。

 

「さて、この学年注目株は」

「ウオッカ、ダイワスカーレット、カワカミプリンセス、スイープトウショウって所だ。学内レースじゃ結果を残してるのは主にこの4人、他にも名前は出せるが?」

「流石にそれ以上は見極められないからパス」

「元学園生の割には眼が悪いんだな」

「トレーナーとしては新米なんですー」

 

 ただしこの歯に衣着せぬ言葉ばかりは気に入らない、先輩なんだから少しは敬意を持って接して欲しいものだ。ゴールドシップは何を言っても聞いてくれない以上、1人くらいは素直になって欲しい。

 

「ところで彼女らどんな娘なの? トレーナーと何か話してたろうし、私が知る以上の資料はどうせ握ってるでしょう?」

「察しが良いトレーナーは良い、無駄な会話が要らないな。だが、トレーナーはお前に『見せるな』ってさ」

「見せるなって......もー、自分の目で見極めろってか!」

「そういうことだろ。ロジカルじゃないが......」

「トレーナーは教え子に考えさせるのが好きなだけなんだよ。出走表ちょうだい」

「はいよ」

「注目株のレースは......って、どういうこと?」

「どうした?」

「ダイワスカーレットとウオッカが一緒に走ることになってる。有力ウマ娘はある程度バラけさせてレースを編成するってのに、学園側のミスか?」

「トレーナーの頼みで私が書き換えたからそうなってる」

「ハァ?!」

 

 棒付きの飴を咥える様はトレーナーと瓜二つ。私は彼女の奥にいたずらっぽく笑うトレーナーの姿を幻視した。

 

「2人は確実にこの学年の目玉になる。だったらいっそ競り合わせて実力を測りたい、だとさ」

「んな無茶苦茶な」

「それに、こうも言ってたぜ」

「あん?」

「『ウマ娘は一皮剥けば負けず嫌いの集まりだ。負けたくない相手(ライバル)がいるなら、どこまでだって本気になれる』てな。寮の部屋分けも同じで受験番号1番違い。受験から今までずっと隣だ、意識しないはずはねえ」

「ライバルねえ」

 

一着なんかより、ライバルに勝つために走る。

 そう思ってレースに臨むウマ娘も少なくはないが、その誰かに勝った後、燃え尽きてしまうことも少なくない。

もし担当ウマ娘がなってしまっているのであればそれとなく次の目標を見据えさせるべきだ、と教本にはある。レースをいくつも走らせ勝たせるには、常に新しい目標を掲げ続けることが重要で、セオリーだ。

圧倒的な実力差は時に心を折る。

ライバルなんて、作るべきではない。

 

「お、はじまるぞ。準備はいいか?」

「そっちの方がトレーナーらしくなってどうするのよ」

 

1800m芝、右回り。馬場状態、良。

決着は2分も経てば明らかになることだ。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「現役の時と何も変わっていないとは」

 

日も沈みだす夕方。

私は学園裏山近くにある神社を訪れていた。

山の頂上まで長い長い石階段が伸びるソコは格好のトレーニングスポットでもあり、困った時やどうしようもない時に学園生が祈りに来るパワースポットでもある。

 

 何を祀っているか定かではない神社とその境内は、信心深い誰かがいつも掃き清めているらしく落ち葉ひとつない。

年末年始は騒がしくなるここも、春だけあってまだ静か。山の上で空気も澄んでいて、考え事をするにはとっておきだろうと思っていたのだが......

 

「ほにゃらかはにゃらかふんぬらば〜」

「なんかおる」

 

本堂に向かって深々と頭を下げ両手を擦り合わせる明るい栗毛のウマ娘。何やら願い事をしているようだが、今年のクラシックのことか勉強関連か。

 

「運命の人が見つかりますように〜シラオキ様〜」

 

うん、違う恋愛関係だわアレ。

厄介ごとに巻き込まれそうなのでそそくさと物陰に隠れつつ時間を潰す。学園も放課後の自主練の時間。もし、彼女が来るとするならそろそろのはずだ。

 

「はっ......はっ......」

 

階段を踏む規則正しい音と、呼吸音。

あの長い石階段を駆け上るには、足を上げ続けることができるパワーとスタミナ、最後まで息を切らさない肺活量が必要だ。

ここで鍛えられるのはスタミナと根性、トップスピードで先頭を走り続ける先行・逃げ策をとるウマ娘はまずスタミナを鍛えるのが鉄則だ。

 

「だから来ると思った。おつかれ、()()()()()()()()()

 

 汗を拭くタオルを投げてやると、無言でそれを受け取り顔を拭き始めた赤いツインテールのウマ娘。勝ち気そうな鋭い目をこちらに向け、半ば睨みつけるのと変わらない目線を此方にぶつけてくる。

 

「タオルありがとうございます。ですが自主トレーニング中です。お引き取り願えますか?」

「休憩にはいい時間だろう? 水分補給は大事だよ」

「......いえ、大丈夫です。休憩なんて取っていられるほど、私に実力はありませんから」

「休むのも練習だ。座りなよ」

 

 境内のベンチを指さすと、彼女は渋々といった様子で私についてきた。タオルを受け取る代わりにスポドリを手渡し、先に座って自分の隣に座る様に促す。

 

「スカウトのつもりですか? トレーナーさん」

「まーね。入学前から騒がれてて、私みたいな新米でも注目してたくらいだしね。選抜レースも見てたよ」

「......っ!」

「立派じゃないか。ウオッカに最後まで競り合って2()()なんてさ」

「2着じゃダメなのっ! アタシは、1番じゃなきゃ!」

 

 鋭い叫びが境内にこだまし、彼女が拳でベンチを叩く鈍い音がした。思わず耳が総立ちそうになるところを、人間の耳を押さえ込むふりして帽子をしっかり掴んで誤魔化した。死ぬほど痛い。

 

「っ、す、すみません」

「気にしないで。誰も好き好んで負けたくないのはわかるさ」

 

 耳をしょんぼりと丸めて、此方に律儀に頭を下げてくるダイワスカーレット。気にしないでと手を振ると、彼女は飲みかけのスポドリを私に手渡した。

 

「では私はこれで。自主練がありますので。スポドリ、ありがとうございました」

「いいってことよ。ウマ娘をサポートするのは、トレーナーの仕事だ」

 

私の言葉を聞くこともなく彼女は階段を駆け降りていった。

 

「1着、ではなく『1番』に拘る。不思議な感性の持ち主だこと」

 

 あの口ぶりからすればレースだけではなく、学校生活も、些細な事でも『1番』でありたいということだろうか。なんとも自分に厳しい性格をしている様だ、礼儀正しいとの前評判だったが一皮剥けばじゃじゃウマ娘。

 自分を厳しく律しすぎてパンクしかねない危うさもあるが、それだけ努力を怠らないのはトレーナーとしては有難い限り。それにゴールドシップはそこらの息抜きが上手いからオンオフの切り替えも彼女から勉強してくれるだろう。根は真面目なダイワスカーレットとゴールドシップのちゃらんぽらんな性格との相性はあんまり良くないかもしれないが......

 

「見つけましたッ!」

「わっつ?」

「見つけました、運命の人っ!」

 

 さっきお参りしていたはずの栗毛のウマ娘が、その目をキラキラと輝かせて此方を指差していた。

 

 



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第4話 幸運を運ぶウマ娘?

題名変えました

インパクトって大事じゃん?


 

「ムフフ、やっと、やっと出会えました!」

 

 ハイテンションに私の周りをぴょんぴょんと飛び回る栗毛のウマ娘。何を見つけたか説明もなしに跳ね回るお陰でこっちは置いていかれるばかりだ。

 

「やった、やった! これもシラオキ様のお導きのおかげです!」

「説明を要求する」

「ほえ?」

「何をどう見て私が運命の人なのか説明してくれ!」

「ムフフ......よくぞ聞いてくれました」

 

 理解不能だと白旗をあげた私に対して待ってましたと言わんばかりに耳と指を立てる栗毛のウマ娘。彼女は胸を張り誇らしいことの様に、ことのあらましを語ってくれた。

 

「トレーナーさんが実家の神社を継ぐことになり、学園をさってからはや半月。私は新しいトレーナーを探して日々学園を彷徨っていました。しかし頼み込んでも忙しい、考えておくと断られてばかり。

 しかし! 失せ物探しには神頼みが1番ですっ! それに気がついてから、毎日ここに放課後のたびお祈りに来ていたのです。そこに奇跡の様に現れた貴方っ! 自分をトレーナーだと名乗り、あまつさえ、ウマ娘をスカウトしていると来ました!

コレを天命と呼ばずしてなんと呼びましょう!

まさに貴方は運命の人、私のトレーナーになるべくして現れた、神からの御使い! かもしれない!」

「確信持ってるわけじゃないのね......」

「シラオキ様は気紛れですので!」

 

 嬉しいのか身体を左右に揺らしながらもこちらをジッと見つめる目はキラキラと輝いていて、言葉の割には私をその『運命の人』とやらと信じて疑わないのは明らかだ。

 私をトレーナーとして認めてくれるには嬉しい限りだが、実力で認めてはくれない様子だ。それを見て改めてその心境を聞こう。

 

「私はトレーナーとしてまだ新米。軽率に物事を焦るのは良くないよ」

「一目惚れとも言うじゃないですか! 前のトレーナーさんはそうでしたっ」

「私は自分にそこまで自信はないからね。それで、前のトレーナーさんはどんなことを教えてくれたの?」

「神社をきれいにすることです!」

「......はあ?」

 

 私の疑問に答えるべく彼女がどこからともなく取り出したるは、なんの変哲もない竹箒。それをバトンの様にクルクルと回しながら、ダイワスカーレットが残していった土や葉っぱを払い除ける。

 

「心の乱れはレースの乱れ、との事でしたので、毎日朝昼夕晩の4回、掃除用具を背負って石段を駆け上がり、時間をかけて綺麗にしていました、ずっと!」

「そ、それ以外は?」

「精神統一だったり、社の補修だったり。なんでもまだ実績がないとのことだったので、場所を借りるのにも苦労しました。ですので、常在これトレーニングと銘打ち、荷運びや言伝などをそれはもうたくさん!」

 

 体のいい雑用じゃないかな、という言葉を喉元で飲み込みつつどう彼女を宥めすかすかと言葉を探していると、ふとある言葉が引っかかった。

 

『毎日朝昼晩の4回、掃除用具を背負って石段を駆け上り』

......そういえばさっき、似たようなトレーニングをしていたようなウマ娘がいたような。

 

「それだっ!」

「なんと!?」

「そこなウマ娘、トレーナーになって欲しいと言うのなら少し手伝って欲しいことがあります!」

「はいっ、なんなりと!」

「あとはルドルフあたりに話を通しておけば誰かいい人材に話が回ることでしょう!」

「おおう目が輝いています、シラオキ様は正しかったんですね!」

 

 

 

◇◇◇

 

 

「スカーレット。少しいいだろうか」

「エアグルーヴ先輩......?」

「昨日、何時に寝た」

 

 放課後、下校する彼女を引き止めたのは生徒会副会長のエアグルーヴだった。女帝と言わしめる圧倒的実力からなる威圧感と少し硬い雰囲気が特徴的なウマ娘だ。何故私に、と首を傾げつつ彼女は質問に慌てて答えた。

 

「12時、位ですけど」

「嘘だな。目の下のクマが隠せていないぞ」

「っ!」

「図星、か。それにフジキセキからも聞いている。ダイワスカーレット。毎晩、寮を抜け出しているようだな?」

「そ、それ......は......」

「届け出もなしの夜間外出は校則違反だ。優等生ならばわかっているはずだろう」

「......はい、すみません」

 

 消え入りそうな声で返事を返すダイワスカーレット。実際言い訳することも不可能な......もし、デビュー後であればしばらくの出走禁止も言い渡されかねないことだ。しかしエアグルーヴはため息をつくと、こう続けた。

 

「おおかた、トレーニングといったところか?」

「ど、どうしてわかるんですか?!」

「その顔、歩き方。見ればすぐにわかる。それほどに疲れているということを自覚した方がいい。これ以上無茶をすれば、取り返しのつかないことになりかねないぞ」

「......」

「まだデビュー前だ。いくら選抜レース時期とはいえ、焦る必要はない。ゆっくりと強くなっていけばいい」

「駄目なんです」

「......」

「1番じゃ、なかったから......」

 

 ゆっくりと話を始めたダイワスカーレット。エアグルーヴはそれを見て聞き手に徹することを決めたらしい。彼女に任せるまま、続きを無言で待った。

 

「アタシ......レースで、2着だったんです。目指してたのは『1番』だったのに。『1番』じゃなきゃ、いけなかったのに」

「......ターフに膝をつく瞬間は、あらゆるウマ娘に訪れる。

無敗の皇帝と謳われるシンボリルドルフ会長であっても、敗北したことがある。

挫折は悪いことではない。挫折からいかに立ち上がるかが重要だ。敗北を恐れるな」

「だけど、だけど、違ったんですっ!」

 

 ダイワスカーレットが突然声を荒げた。

 

「アタシはずっと『1番』だった。そうあるために全力を尽くして、『1番』になってきたんです!

でも、違ったんです。ここは本当に『速い』ウマ娘がいるんです。アタシのように地元で少しだけ早くて、調子に乗ってるウマ娘じゃなくて、あいつの......ウオッカのように、本当に速い子が。

ここで、1番になろうって、アタシには」

「スカーレットっ!!」

「っ!」

 

エアグルーヴが肩を掴む。そして俯きがちだった彼女の目をじっと見て、静かに告げた。

 

「言うな」

 

「......それ以上、言うな」

 

「戻れなくなるぞ」

 

エアグルーヴは、ダイワスカーレットに何を重ねているのか。

いつか競い合った......そして、折れてしまった、学園を去ってしまったウマ娘の仲間たちを重ねているのだろうか。

 

「アタシは......アタシはっ!」

 

 彼女はそれでもエアグルーヴの手を払いのけ、どこかへ走り去ってしまった。その姿を追うこともなく、エアグルーヴはその場で立ち尽くすばかり。

 背中も見えなくなったところで、彼女がこちらに振り向いた。

 

「コレでいいのか?」

「いやあ、助かりました。私じゃ警戒されてますし、一度腹を割って話す機会が欲しかったんですよね」

 

 にゅ、と茂みから顔を出す。ここの植木は校門前の広場を覗き見するにはうってつけの広さと角度であり、よく友達を冷やかすネタを掴むのに利用したものだった。一度もここの存在を話した相手はいなかったが綺麗になっている辺り、誰かが自力で見つけて使っているらしい。

 

「......彼女、かなり重症ですね。家族からも期待されているでしょうが、それ以上に自分で自分を追い込みすぎです。どうにかしたいのですが」

「いやあれは無理でしょう。どうしようもないくらいの信念の硬さです。ゆっくりと『次の1番は譲らない』なんて言える心の強さを獲得すべきだと思いますね」

「......それを自分で伝えるべきでは?」

「私には無理ですよ」

 

 木の葉を払い、立ち上がる。

私にはできない。なんせ私も彼女と同じで1番になれなくて。

そして、膝をついて、立ち上がる事が出来なかった。

 

「言ってしまいましたから」

「そうですか。では、私は仕事に戻りますので」

「すまないね」

「いえ、会長からの指名でしたから。『君なら彼女のことをよく見ているだろう?』と」

「相変わらずおっそろしい視野の広さだことで」

「それと、言付けも頼まれています」

「あら」

「『まだ、折れたままでいるつもりか』と」

 

それだけ言って、彼女は走っていった。

ウマ娘たるもの、学園内でも走るべしという校訓は昔から変わらずのままらしい。

 

「さて、最後はセッティングだけだ」

 

 

 携帯を取り出し、トレーナーさんにかける。

 

 確かに彼女の走り込みはオーバーワーク気味だ。ただ走り込みという基礎トレーニングは自分を絶対に裏切らない。万策尽きてどうしようもなくなった時に助けてくれるのは、走り込みや筋トレなどの日々の努力だ。

たった数日であれ、彼女はしっかりとそれを行なってきた。

 それを行うだけの行動力と負けん気がある。そして挫折から立ち上がったなら......それを踏み越えただけの、根性も。

なら、それを見せてやろう。

リベンジマッチと洒落込もうじゃないか。

 

「あ、トレーナーさん? ちょっとばかり話があるんだよ。

 

少しばかりレースのセッティングをお願いしたいんだ。

芝2000mで右回り。

対戦するのは、ダイワスカーレットと、ウオッカだ」



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第5話 再起するもののために

このポンコツは1話入れ忘れました

1番大事なところやぞ!!!!!!!!!!!!!!!2021/04/13


 

 

「ふん、せいせいしたわ! 余計なギャラリーもいないし、これでトレーニングに集中できるもの」

「だな」

「頑張りましょう!」

「......ハァ」

「って、なんでこんなに人がいるのよ!」

「トレーニング」

「それは見てわかるわよ!」

 

 模擬レースから数日。初日は沢山のトレーナーが素質を見込んでスカウトに来ていたが、今となっては寂しいものだ。他の注目株に散り散りになって今彼女をスカウトしようとしているトレーナーは私だけ。コースでは自主練するウマ娘が2、3人いるばかりのほとんど貸切状態。

 2人でしっかり腹を割って話すには悪くない。

 

「とにかくはじめよう。それで、今日の練習はどうしよっか」

「ああ? それくらい練習前に詰めとけっての」

「占いによれば併走が吉らしいですよ。スカーレットさんはもっと実戦経験を積むべきですし丁度いいかと!」

「んじゃあそれで」

「もしかして、私もやる流れになってる? 一緒に?」

「そのつもりだけど?  ウチに来てほしいんだったら、チームの雰囲気を少しでもわかってほしくてね。ちょっとばかし癖の強いメンツが多いが、楽しくやろうよ」

 

 あのゴールドシップがいるからちょっととは言い難いが、他のメンバーはそうでもないはずだ。反論上等で見た目が怖いエアシャカールとか......トンチキな事ばかり言ってるマチカネフクキタルとか......おやぁ?

 もしかしてこのままだとイロモノしかいないんじゃない?

 

「......あのねえ、私のこと、まだ優等生だと勘違いしてるわけ? なんだかんだで練習やってくれる真面目な子だって、そう信じてるの?」

「うん?」

 

 私の思考が他所へ飛んでいたところに彼女が静かな声で、そう疑問を投げかける。どうにも質問の意図が読めなかったので生返事で返すと、彼女はその目尻をきっと釣り上げ、こちらに指を指した。

 

「アタシはねえ......あんたが思ってるような優等生じゃないのよ。今のアタシが、本当のアタシなの。

頑固で、ワガママで、気性難。トレーナーのいうことなんか素直に聞かない、1番に拘るどうしようもないウマ娘。

それがアタシ。自分が優秀なんてとても思った事ないわ。

幻滅したでしょ、失望したでしょ。

早く、他の娘をスカウトに行った方がいいと思うわ。

とっとと、いなくなって頂戴?」

 

 最後は自嘲するように、軽く笑って目を逸らしながら彼女は私に言った。それを聞いて、私は......

愉しそうに、口角を釣り上げた。

 

「......ますます、スカウトしたくなったよ」

「はぁ?! あんた、アタシの話これっぽっちも聞いちゃいないわけ? いい加減現実を見たらどうなの?

トレセン学園は速い子ばっかりで。そんな中で無駄に虚勢はって、でかい態度とって、意地を張って、みっともなく負けた。

それが今のダイワスカーレットなの! 慰めなんて要らないのよ!」

「じゃあ言い方を変えよう。『1番』になれなかった君が欲しい。でかい態度で、意地張った、みっともなく負けた君をスカウトにきた」

 

 表面上は諦めかけて、それでも心の奥で燻る意地に困惑しているよう。諦めかけてはいるが、まだ折れてはいない。むしろ諦めかけて立ち上がった彼女が、私の目には輝いて見える。

ウオッカよりも、誰よりも。私にはなし得なかった事だから。

 

「うるさいのよ! 1番になる、1番が欲しいって空っぽな決意繰り返してばっかで、空回りしてるウマ娘をスカウト? 頭おかしいってば! 

 一度くらいウオッカに負けたくらいで拗ねて塞ぎ込んで自棄になって、無茶な走り込みして。自分でもこれがバカだってことくらいはわかるわよ!」

「じゃあなんでそんなことするのさ」

 

 やり場のない怒りをどこかにぶつけるように、両の拳を握りしめ、駄々っ子のように振り回す。

 

「しょうがないじゃない! そうじゃないと、アタシがアタシを許せないの! 

1番速い、1番強い、1番かわいい、1番認められる、1番注目されるアタシじゃないと、嫌なの! そうじゃなきゃ満足できない! そういうふうに、なったんだから仕方ないじゃない!」

 

 気がつけば、彼女は泣いていた。

 

「アタシは、アタシのために、アタシだけの1番が欲しいの。

1番を、ずっと取り続けなきゃいけないの!

そうじゃなきゃ、アタシでいられないのよっ......!」

「それが君の走る理由か、ダイワスカーレット」

「そうよ! 失望したでしょ! つまらないでしょ! こんなのしょうもないでしょ! わかったなら、どっかに消えて、アタシの目の前から居なくなって!」

「断る」

「どうしてよ!」

「君が、諦めてないからだ!」

「っ......!」

 

 元学園生を舐めるなよ。引退したとはいえ踏んできた場数も、ライブも、度胸も違うんだ。駄々をこねる中等部生にどやされてハイそうですかと立ち去れるんならレースで一度だって勝てるもんか。努力は報われて然るべきだ。

自虐する必要はない、その貪欲なトップへの執着心は、醜くみっともないものなんかとは言わせてなるものか。

 

「諦めてるウマ娘ならお望み通り目の前から消えてやるともさ。でも、君は違う。石段でのスタミナトレーニング、坂路の練習、コーナーどりを学ぶための併走トレーニング、ダートコース走り込み。君は毎日、練習の手を休めていないことは知ってる。それも、弱音を吐かずに毎日きっちりと。

 

それを諦めてないと言わずしてなんとする?

それを、認めずしてはトレーナーと名乗る資格はない!

諦めないものに勝利の女神は手を差し伸べてくれる。

たとえ1度や2度の失敗でめげずとも、立ち上がろうとする君には。そうあって然るべきだ、君は、そうなるべきだ!

 私は新米で、捕まえた担当ウマ娘もちょっと個性的で、気が合わない奴もいるかもしれない。

勝利に女神には届かないかもしれない。けど、君をその手が掴めるところまで押し上げてはやれるつもりだ。

 

私と来い、ダイワスカーレット!」

 

思わず、手を差し伸べていた。

それを彼女は目を伏せ、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。

 

「アタシ、頑固よ。1番しか認めないわよ」

「わかったところだ」

「新米トレーナーのいうことなんて簡単に聞かないから」

「いい勉強になる」

「納得行くまでトレーニングメニューに口出ししてやるんだから」

「かかってきなさい!」

「......ほんとうに、アタシでいいの?」

「そういう君だからスカウトに来たんだ」

 

 彼女は裾で涙を拭い、面を上げた。

目元を赤く腫らした彼女は私の差し伸べる手をガッチリと掴んで、挑戦状を叩きつけるように、笑ってみせる。

 

「なら、覚悟しときなさいよね......!」

「もっちろん。まずは......休もうか」

「はぁ?! そこは練習の流れでしょ!」

「自分がオーバーワークだってことを理解していらっしゃらない?」

「軽い練習くらいなら大丈夫よ」

「ダメでしょうが」

「なんでよー!」

 

ああ言えばこう言う。こう言えばああ言う。

なるほど、宣言した通りの頑固でどうしようもない気性難は宣言通り、これは別方面で骨が折れそうだ。

だから今日は素直に休みなさいっての。

 

「トレーナーさん、楽しそうですね」

「あぁ? 確かにな」

「......今日は自主練のほうがいいですかね?」

「だろうな。あの様子じゃ、陽が沈むまで喧嘩してるだろうさ」

「青春、ですねぇ......」

 

 

「いいから休みなさいよ!」

「きつい時こそ自分を追い込むのよ!」

「追い込みすぎなんだってば! もう、スポーツ医学授業で真面目にやってるでしょうに!」

「教科書が古臭いから自分で調べたほうが正確なんだから!」

「おいおい言ったな時代遅れなんて私の地雷を踏んだな新人だからって遠慮するわけないだろ覚悟しときな!」

 



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第6話 勝利への渇望

 

 

 

 

「......最近、張り合いがねえんだよなあ」

 

 黒っぽい栗毛に雷のような形の白いメッシュを前髪に入れたウマ娘『ウオッカ』はカフェテリアで独り考え事に耽っていた。この間からトレーナーたちに追いかけ回されて疲れていると言うのもあるが、それ以上の頭痛の種がある。自室で考え込むのも塞ぎ込むようでかっこよくないがために、こうしてカフェテリアの窓際の席で何をするでもなく空を眺めていた。

 そんな折り、誰かが彼女の隣に腰を下ろした。彼女はポニーテールと小柄な身体をくるりと横に向けて、空色の目でじっと彼女、隣のクラスであるがそれなりに仲のいい、どういうわけか最近考え事ばかりしている友人を見た。

 

「ウオッカ、どうしたの?」

「ああ、なんだテイオーか。いや、最近スカーレットがな」

「スカーレットって、同じ部屋のダイワスカーレットのこと?」

「ああ」

 

 はむ、と菓子パンを頬張りつつ質問するトウカイテイオーに対し、半ば上の空のような形で答える。

 

「ここんところずっとだ。つまんねー顔ばっかりで、部屋に帰ってきてはすぐ寝て。夜中には窓から抜け出して走り込みなんてやってやがる」

「ウオッカもみんなでやる自主練サボってるじゃん」

「アレはちげーよ、俺のやりたいトレーニングやってるんだ。スカーレットのよくわかんねえのとは違うよ」

「へー、心配してるんだ、にしし」

「べ、別にそんなんじゃねーし!」

「でも、心配だよね。最近疲れた顔してることが多いしだいぶ落ち込んでるんじゃない? 選抜レースでウオッカに負けたのがよっぽどショックだったとか」

「それで沈んだままになっちまうようなヤツじゃ、ないと思ってたんだがな」

「......ウオッカ?」

「ただ、今のあいつには負ける気がしねーな。最初に会った時の方が張り合いがあったぜ」

「それはどうかな?」

「うおっ?!」

「よっと」

 

 掛け声を出しつつテイオーの隣に座ったのは、黄色いワイシャツにベストをつけた男性。襟元のトレーナーバッジから身元はすぐわかる。先日の猛攻を思い出し、ウオッカは思わず身構えた。

 

「......なんだよ、担当になろうってんならお断りだ」

「いや、お前を探してた。伝言だよ。スカーレットからだ」

「スカーレットから!? ねえねえウオッカ早く読んでよ!」

「そう急かすなって」

 

 トレーナーと名乗る彼がウオッカに手渡した宛名もない封筒。その中に入っていたのはたった数行の短い文言だった。

 

「『2週間後。前と同じ場所で、同じ条件。

 2000m、芝、右回り。今度はアンタとアタシの2人だけよ。

今度は絶対にアタシが『1番』になるんだから』」

「おおお、果たし状だ! すごーい!」

「だとさ。どうする?」

「......ったは! 俺も負けてらんねえ!そこのトレーナー、2週間だけでいいから俺にトレーニングつけてくれ!」

「お、おおう?」

「今度も負けねえ! もう1度、やる気のスカーレットとは勝負がしたくてたまらなかったんだ!」

 

 

◇◇◇

 

 

 

「......と、いうわけでウオッカとのレースをセッティングしたよ! リベンジマッチだ!」

「そうこなくっちゃね!」

「うるせえ!」

「むふふ、トレーナーさんらしくなって来たじゃないですか」

 

 ここはスピカのサークル室、ではなく何人かのトレーナーがひとまとめに割り当てられる学内のトレーナー室。日中は他の仕事で出払っていることも多い同期のおかげで、割と自由にこの部屋を使えるってわけ。

 

「でも、どうやって勝つの? 脚をためるなんて付け焼き刃もいいところな作戦は言わないでしょうね」

「流石にそれは言わないよ。フクキタルみたいな差し足もないし、シャカールみたいな強烈な追い込みタイプでもなさそうってのは併走でわかったことだからね」

「じゃあ今まで通りの先行策でいくってこと?」

「そうなるな。君の適性は先行型、それもペースを作るタイプの逃げよりのだな」

 

 腕を組み、あまり納得していないという不満げな表情でこちらを見るダイワスカーレット。たしかに、レースを見る限りスカーレットの先行策でも、ウオッカの末脚はそれをかわして見せた。

 

「いっそのこと逃げてしまうのはどうでしょう?」

「レース経験が足りなさすぎる。ラップタイムも心の中で正確に刻めないんじゃ無理だ。デビュー前の娘にそこまで高度な作戦をやらせたら調子が崩れる」

「おお、たしかに」

「逃げたとしても、最終直線でへばったところをウオッカに捕まるだけだ。逃げて2000mなんて、データが少なすぎるし勝ち数も多くねえ。それに、2人きりとなれば話は別だ」

 

 シャカールがパソコンを叩き、プロジェクターを映し出す。

そこにはレース場の2000mコースに幾つかの矢印が書き込まれていた。

 

「普段なら少なくとも8人立てだ。選抜レースでもダイワスカーレット以外の7人は差しよりの戦略で、4コーナーあたりではへばってバ群すら作ってた。

それをまとめて外から差し切ったのがウオッカだ。

バ群の風除けがないとはいえ、インをつけるこのレースじゃトントン。スカーレットの最終直線のスピードが微増だとしても......1バ身差、ってところだな」

 

 スタート地点から伸びる青い矢印と黒い矢印。青い矢印が最終直線で黒い矢印に追い抜かれたところでパッと矢印が消えた。

 

「アイツもトレーニングしてるってわけね」

「そりゃそオだろ。立ち止まるウマ娘がどこにいる」

「これはもう神頼みしかないのですか......?」

「いや、こちらには圧倒的アドバンテージがある」

「アドバンテージ......?」

 

 絶望して何かを拝み出したフクキタルを咎める。先行策というのは何も前めにつけるだけの単純な作戦じゃない。

 

「ペースメークだ」

「ペースメーク......?」

「なるほど、ウオッカのスタミナ配分を崩すってワケか」

「その通り。相手も同じデビュー前のペーペー。自分の差し足でどこまで追いつけるか正確に把握しちゃいないよ。

1ハロン先に仕掛れば相手が焦って自滅する」

「はぁ?!」

「......なるほど、そこでかからせれば自慢の末脚も鈍るってわけだ」

「勝機はそこにある」

「でもでも、1ハロン先でスパートを仕掛けたらへばってしまうのではないでしょうか?」

「そうよ、ペース配分もへったくれもないじゃない! ゴール前にへばってこっちが先に潰れるわよ!」

「よりにもよって君ら2人がそれを言うのかい?」

 

 わざとらしく大きなため息をついた。全くがっかりだ。自分の努力の量を疑ってかかるなんて。

 

「何のために君はあのクッソ長い石段を夜遅くまで駆け上がってたわけさ。何のために夜遅くまで走り込みしてたわけさ。

 オーバーワークだろうと何だろうと、結果は確実についてるはず。努力は方向性を間違えてようが、力はつくんだから。確実に君のスタミナは伸びてる。

私を信じてみなさい。騙されたと思って」

「あ、アンタがそういうならやってみるわよ。勝てるんでしょうね?」

「ああ、勝てる......たぶん」

「たぶん?! そこは絶対とかいっときなさいよ!」

「いでででで頬引っ張らないでよ!」

「仲良きことは羨ましきことかな......」

「体幹もデータより良くなってるな。修正しとくか」

「2人も見てないで咎めなさいよ!」

「あのー......」

 

いつのまにか自信なさげな瞳がこちらを覗き込んでいた。すぐにスカーレットをひっぺがし、身体についた埃をはらう。

 

「あ、桐生院さん。騒がしくて申し訳ない」

「いえいえ。いいじゃないですか。楽しくて」

 

 桐生院トレーナーは私のトレーナー養成学校の同期だ。私の秘密を知る友でもある。名門トレーナー家の1人娘とだけあって、身だしなみもかっちりしたもの。礼儀正しく、物腰も丁寧で、彼女の前ではなんとなく姿勢を正したくなる。

 

「3人ももうスカウトしたんですか! 素晴らしいですね!」

「いえいえ、1人は勝手についてきただけですし」

「それだけ人望があるってことじゃないですか、誇ってくださいよ」

「照れますねえ!」

「なんでオマエが誇ってんだフクキタル」

「それで桐生院トレーナーは誰かスカウトできたんです?」

「私は1人だけですよ。おいで、ミーク」

「......どうも」

 

 小柄な彼女の身体を影にして、白い耳がのぞく。それから桜色の目と、クリーム色がかった白いロングヘア。自信なさげにあたりを彷徨う目線からして、彼女がそうなのだろう。

 

「白毛とは、珍しい娘をスカウトしたもんだね」

「よく、言われます」

「それだけじゃないんです。この娘、頭の回転が早くてですね! 短距離だって、長距離だってなんでもこなせる逸材になるかもしれません!」

 

 腕をブンブンと振りながら彼女、ことハッピーミーク がいかに素晴らしい素質の持ち主であるか語ろうとしたところでエアシャカールが待ったをかけた。

 

「でも、『()()()()()()()』。統計データ的にURA発足以来、白い毛のウマ娘が成績を残した試しは無え。元来病弱な傾向が多いらしいウマ娘だ。トレーニングに耐えられるか怪しいモンだ」

 

 通説ではよく言う。白毛は走らない。

そもそも白毛のウマ娘が十数年に1度門を叩くか叩かないかという頻度なのだ。近年重賞を何回か勝ったらしいウマ娘がいた記憶があるが、G1勝利を飾った白毛のウマ娘はいない。至極当然の一般論を口にするシャカールに対し、彼女は問題ありませんと高らかに宣言した。

 

「かつて『芦毛ははしらない』と言われてきました。ですが、それはもう迷信と変わりません。白毛が走らないなんてもっともな迷信も、私とミークで終わらせますよ!」

「おわらせる......!」

 

 むん、と2人で静かにガッツポーツをして気合を入れる。身長が近しいこともあるが、桐生院がとにかく童顔なので思わず彼女の頭に手が伸びて。

 

「えらいね桐生院は......」

「同期なんですから頭撫でないでくださいよっ! この間も通りすがりのスーパークリークさんに甘やかされたばかりなんですから!」

「......えらい......えらい?」

「ミークまで?!」

 

 

 

 




書いてたらソダシが優勝したので皐月賞は賭けてみようかと思います


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第7話 決戦バトル

 

「......ついに来てしまった」

「アンタ目の下にバッチリ隈作ってどうしたの?」

「昨日一睡もできなくて......」

「バカじゃないの?」

「厳しい」

 

 相変わらず冷たいようなお節介なようなスカーレットの言葉を聞きたくないと耳を塞ぎつつ、空を見やる。

 絶好の青空だ、そして昨日も晴れていた。つまるところ絶好の良バ場になるということになろう。流石に重バ場までは手に届かなかったからありがたい限り......なんてことを考えてたら、朝だったわけだ。

 

「ところで、なんでこんなにギャラリーがいるわけ? 選抜レースほどじゃないけれど、結構来てるじゃない。宣伝でもしたの?」

「してないしてない。大方噂がどっかから漏れたんでしょ」

 

 あてがあるとすれば、観覧席の端っこで法被を着て焼きそばを売ってる芦毛のトラブルメイカーだろう。というか十中八九アイツだ。

 

「エアシャカールさんとマチカネフクキタル先輩はどうしたのかしら? 同じチームになるんだから、応援に来てくれたっていいのに」

「朝から見てはないが、多分......」

 

 まず芦毛を探して、次にその周囲に黒鹿毛と栗毛のウマ娘を探す。と、すぐに見つかった。

 

「はいはいはいはいはいはいはいはい! 今日のラッキーアイテムがコテだった理由はそういうことだったんですねシラオキ様! いっちょお待ちい!」

「活動資金が足りねえからって大丈夫なのか......? 一個200円ね。はあ? 10人前寄越せだぁ?!」

「頼む」

 

 観覧席のすぐ下、芝になっている立見スペースの一角で祭りで見かけような焼きそば屋台が立っていた。店に並ぶ芦毛のウマ娘の影でわかりにくいが、その騒がしい声で売り子を察することができたらしくスカーレットの頬が若干ピクつく。

 

「自由が過ぎると思うんだけど!」

「なんだってうちのウリは自由度だからな」

「そういう方向性なの......?」

「今はレースに集中だ。作戦はしっかり覚えてるな?」

「ええ、打ち合わせ通りにやるわよ」

「焦らなければきっと勝てる。ラップタイムは正確に刻むこと。あとは、気合と根性だ」

「ええ!」

「んじゃ、あとは勝つだけだ。それだけの努力を積み重ねられてるんだ。負けやしないさ」

 

 私はスタート役として控えなければならないのでここで彼女とはお別れだ。ゴール地点にはうちのトレーナーが姿勢を崩してだが立って待機しているところだ。ラップタイム計測はトレーナーの方にもお願いしてあるので、データ収集もバッチリだ。このレースの勝ち負けに価値はない。デビュー前だから成績に残ることもない、ただの練習の一環にすぎない。

 だとしても、ダイワスカーレットというウマ娘にとっては、それこそ有記念より大切なレースになるだろう。

 

「......勝てよ、スカーレット」

 

ゲートはない。私の手に持つ旗が、スタートの合図だ。

 

「これより、ダイワスカーレット対ウオッカの模擬レースを始める。位置について、よーい!」

 

 旗を高く掲げる。誰よりも2人のそばに立つ私には、彼女達の発する刺すような雰囲気が伝わってくる。お前を倒してやるぞと、言外に伝えてくる、あの空気が。

ああ、レースってのはこんなだったな。模擬レースだろうが、G1だろうが、誰も好き好んで負けたくはないのだから。勝つためには相手を叩き落とす。これがレースの本質。圧倒的なまでに暴力的なエンターテイメントなんだ。

 はやくレースがしたいよな。

なら、合図を出さなきゃレースは始まらないよな!

 

「スタートっ!」

 

私は旗を思いっきり振り下ろし、2人は駆け出していった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

「ああもう始まってる!」

「まだ始まったばかりだから大丈夫さ」

「エアグルーヴ! 見に来てたんだ」

「気になる後輩が走るからな」

 

 観客席の2階。レース場を一目で見渡せる場所でレースを見るエアグルーヴ。その目には、レース早々前に持ち出すダイワスカーレットの様子が映っていた。

 

「スカーレットが前に出てる! やっぱり先行策みたい。でもこれじゃ選抜レースと同じ展開になっちゃうよね?また最後の直線でウオッカに差されちゃうよ」

「彼女が同じ過ちを犯すとは思えないが......なるほど、そう来るか」

「うええ?!」

 

 中間地点の向こう正面に差し掛かったところでスカーレットの身体がクン、と低く沈みウオッカをさらに突き放す。遅れてウオッカも離されまいと速度を上げる様を見てトウカイテイオーは思わず驚きの声を上げた。

 

「あんなにはやく仕掛けるなんて! 前だってギリギリだったのに、あんなに早く仕掛けたら持つわけないよ!」

「ああ、暴走に見えるな。だが......」

 

 対象的に、エアグルーヴは笑った。

 

「暴走ではないんだろう? スカーレット」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 ウオッカがジリジリと詰め寄る。最終コーナーを回って、前回は追い抜かされた最終直線へと差し掛かった。

 杞憂の通りスカーレットは段々とスピードが落ちてきて、ウオッカとの差がジリジリと縮む。だが、じれたようにウオッカが伸びない。当然だ。そうするように、スカーレットが彼女を焦らせた。1ハロンだけ先に仕掛けて、彼女に離されまいとするウオッカの焦りを誘い、スパート分のスタミナを奪ったのだ。

 

「......勝て。勝て。勝て!」

 

やるべき事は全部は出来なかった。でも、彼女なら......きっと勝てるはずだから。

私が、そう信じたいから。彼女が望んだユメだから!

 

「はあああああああああああああああっ!」

「うおおおおおおおおおおおおおおあっ!」

 

両者が吠える。ラスト100m。

ウオッカがさらに伸びる。3バ身、2バ身と差が詰まる。

だが、もう遅い。

赤いツインテールが風のようにターフを駆け抜けていく。

 

「アタシが──」

「お前が──」

 

「「イチバンなんだから!」」

 

 勝者が腕を掲げる。汗だくで、力なく。だが、それはこのレースの勝敗を伝えるものだった。

 

「おめでとうスカーレットっ!」

「勝った......勝ったわよね、トレーナーっ!」

「お前の勝ちだ、胴上げだぞ野郎ども!」

「待ってたぜ、この時をよう!」

「おめでとうございますっ!」

「......ま、いいか」

 

 観客席と柵を飛び越えてやってきたチームメンバーの3人と一緒に、2度、3度とダイワスカーレットを高々と胴上げする。

 

「わーっしょい! わーっしょい!」

「わーっしょい! わーっしょい!」

「ちょ、恥ずかしいわよっ!」

「初勝利なんだ! いいじゃないか別に!」

「せめてメイクデビューからにしてよ!」

「祭りだ祭りだー!」

 

 怒ったふりを見せる彼女の目には、少しだけ涙が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

「......悔しいか? ウオッカ」

「トレーナー......ああ、なんで負けたんだろうな。ってのは、言わなくてもわかる」

 

 レース場の端に佇むウオッカに、黄色いジャケットのトレーナーが声をかける。しかしウオッカは彼の方を振り返りもせず胴上げされるダイワスカーレットを見ていた。

 

「......負けるってこんなに辛えんだな。俺、知らなかった。

真剣勝負で、負けるって、悔しいんだな。スカーレットがあんなに塞ぎ込んだ理由がわかったよ。あいつは、俺に負けてこんなに悔しかったんだな」

「ああ。真剣勝負であればあるほど、勝った時は嬉しくて、負けた時は悔しいもんさ」

「悔しい、悔しい......でも、嬉しい。

あんなに喜ぶスカーレット、初めてみた。俺もあんな風になりたい。だからトレーナーっ!」

「お?」

「俺にレースを教えてくれ! 強くなる方法を教えてくれ! あいつに、スカーレットに勝つ方法を教えてくれ!」

「うちのチームに入るって事だな」

「ああ!」

「よし。なら、明日からみっちり鍛えてやる。明日の放課後、サークル棟で『スピカ』を探せ。俺はそこで待ってる」

 

 

 

 

 

翌日。

 

「ふふふんふんふんふん。ふふふふーふんふんふん、かがやくみらーいをー、ふふーふーふーふーふふー」

 

 まだうろ覚えな鼻歌を歌いつつ、ダイワスカーレットは道を歩いていた。目指す場所はサークル棟のある方向、というのも、先日の勝利ののち正式にチーム『スピカ』入部を決めた彼女は諸々の手続きのために来て欲しいとトレーナーである彼女に呼び出されていたのだ。

 そんな彼女の目の前に、ちょうど同じ方向へと向かおうとしていたウオッカが現れる。

 

「あれ、スカーレットじゃねえか」

「ウオッカ? もしかして、チームに入ること決めたの?」

「ああ、痺れるトレーナーを見つけたからな」

「アタシも。次も負けないから」

「今度は俺が勝つ。ライバルに2度も負けてられねえぜ」

「ふふ、ライバルかぁ」

 

 あの後、強く当たったり夜のトレーニングのために寮を抜け出したりと、迷惑をかけたことを正式に謝罪し仲直りした2人は前よりちょっとだけ仲良くなった。お互いをライバルと認め合い、次は負けないと言い合えるほどに。

 

「......いつまで張り付いてんのよ」

「いや、なかなか見つかんねえなって。シェリアク、シリウス......」

「あった!」

「「スピカ!」」

 

「「えっ?」」

 

 同じサークル室でピッタリと立ち止まり、お互いに顔を見合わせる2人。

 

「アンタ間違えてない?」

「お前こそ間違えてるだろ」

「いいや、アタシトレーナーさんからしっかり聞いたから」

「俺だってちゃんとそうやって言われたんだ」

「開けてみればわかるわよ。ごめんくださーい!」

 

 プレハブの軽い金属扉を開け放つ。するとそこにいたのは。

 

「あ、スカーレット。ようこそ、チームスピカへ!」

「よう。来たなウオッカ」

 

 黒いジャージにスポーツキャップの女性と、黄色のジャケットに黒いベストを着た男性。彼女らが師事したトレーナー2人が仲良くパイプ椅子に座って待っていた。

 

「「......は?」」

「よーっす。トレーナーにサブトレーナー」

「おはようございます、トレーナーさん達!」

「沖野、昨日トレーナーとまとめたマッチレースのデータについてなんだが」

 

 続いてゴールドシップやマチカネフクキタル、エアシャカールが入ってくるが何事もなかったかのように荷物を置き始める。

 

「ど、どういうこと?」

「あれ、知らなかったの? 私はチーム『スピカ』のサブトレーナーの鏑木。んでこっちが」

「トレーナーの沖野だ。よろしく、お二方」

 

ダイワスカーレットはその時理解した。

つまりコイツとは部屋も同じで、クラスも同じで、そして走るレースも同じで。チームまで、全く同じ。入学から卒業までずっと、隣のこいつと走り続けることになるだろうという未来を。

 おそらく隣であんぐりと口を開けているウオッカも、同じことを考えていることだろう。

 

「......アタシみたいな1番なウマ娘はチームに1人で十分だと思うの」

「奇遇だな。俺もかっこいいウマ娘は1人で十分じゃねえかって思うんだ」

「「......」」

 

そして、彼女らは叫ぶ。

 

「「トレーナー! もう一回勝負!」」

「「ダメに決まってるでしょーが!」」

 

 



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第2章 禍福を占う『マチカネフクキタル』
第8話 ターンポイント/スタートライン


UA10000とかウッソだろお前!


ありがとうございます......


 

 

「と、いうわけで。まず、チームに入ってくれてありがとう諸君。改めてお礼を言わせてもらうよ。特にフクキタル」

「むふー」

 

 胸を張って当然のことだ、と勝ち誇るフクキタル。邪険にしてはいたが、まさかトレーナーがウオッカを捕まえてくるとは思わなかったのだ。だが、おかげでこれで5人になった。

 

ゴールドシップ。

エアシャカール。

マチカネフクキタル。

ダイワスカーレット。

そして、ウオッカ。

 

書類は受理され、この5名のウマ娘が晴れてチーム『スピカ』の所属になったおかげで何が起きたと思う?

 チーム解体が無くなったのだ。これには私もトレーナーも胸を撫で下ろし、チーム存続を祝ったものだ。しかも早期に揃ったおかげでトレーナーがゴルシの天皇賞に心置きなく注力できるってもの。

 

「と、いうわけで今は4月も頭。ゴールドシップのローテーションは?」

「5月には天皇賞、6月には宝塚記念だ、気張って行けよ」

「あたぼうよ!」

「んで、フクキタルは......皐月賞申し込みにはちょっと間に合わなかったね」

「いえ、素敵な仲間に出会えたことこそ幸運なのです!」

 

 両手を上げて喜んでくれているのは良いが、なにせ一生に一度のクラシックレースを逃してしまうのは少しショックだろう。というのも、彼女のデビュー戦が昨年11月末。そこからトレーナー代わりのゴタゴタで出走どころではなかったらしく、最後になんとか3月の未勝利戦を勝ったはいいが、皐月賞に出走するには時間も実績も足りなかった。

こちらの不手際では無いとはいえども、影響が出ないか心配なところではある。だが、まだレースは残ってる。

 

「ともかく次の目標はダービー! そして菊花賞だ!」

「ふおお、クラシック路線の王道ですね!」

「来月には日本ダービーのトライアルレースもあるからな。そこを見据えて、頑張っていこう」

「はいっ!」

「で、私らはどうする? 今年からデビューか?」

「それは俺から答えよう。デビューは来年以降だ」

「「ハァ?!」」

「だろォな」

 

 スカーレットとウオッカは納得いかない様子だが、シャカールは納得しているようだ。とりあえずその真意をと無言で続きを促す。

 

「選抜レースに昨日のマッチレース。たしかに素晴らしいものだったさ。だけどな、まだ純粋に身体が出来てない。

スカーレット。コーナー含めて無駄が多すぎる。もっと短いコースどりが出来れば最終直線でへばることはなかったはずだ。

ウオッカ、ペース配分を乱されすぎ。それにスタミナ不足だ。

シャカールはもっと社交的になれ。あと右によれるくせを直さないとロスが多すぎる。他にも3人とも走るフォームや身体の使い方も良いとはいえない。確かに素質はあるのは認めるが磨かなければただの宝の持ち腐れだ。

この1年で自分の持ち味と弱点を理解して、デビューに備えること、いいな?」

「わかりました」

「はーい」

「当然だな」

 

 納得してくれたようで何より、とうなづいているとトレーナーがこんな言葉を。

 

「んじゃ、フクキタルのことはお前に一任する。頑張れよ」

「一緒に頑張りましょう、トレーナーさん!」

「え、一緒にやってくれるんじゃないんですか?」

「お前も新米とはいえいっぱしのトレーナーだろ。1人くらい担当して見せろ。相談には乗ってやるから」

「あの、養成期間とか」

「ねーよんなもん」

「ハイ......」

 

すげなく断られてしまった。

 

 クラシック戦線。三冠路線ともいうこれは半数以上のウマ娘が目指すレース目標のことだ。クラス分けによって少し違うが、フクキタルのクラスはAクラス。

つまり皐月賞、日本優駿(ダービー)、菊花賞。

ウオッカとスカーレットはBクラスなので、

桜花賞、日本優駿牝馬(オークス)、秋華賞。

 基本的には中距離〜長距離の適性を求められるレースだが、問題なのはこのレースは『挑めるのは一度だけ』。デビューして2年目の4月から始まる人生で一度きりのレースなのだから。

記念や天皇賞、宝塚にジャパンC(カップ)

成績さえ残せば挑める大舞台とは違う、一度きりの舞台。

あそこには独特の緊張感がある。一度きりの、勝つならばミスは許されない、ノーミスでなければならないという緊張感と初めて大勢の歓声を受けながら走る経験は後にも先にもあそこだけだ。

 私はそのプレッシャーに負けて散々だったし、同期に化け物がいたおかげで本調子でどうにかなったかは怪しいところだけれど。

 

「......ダービーの2400mってのは意外と長いよ。まずは走り込みからいこうか」

「わっかりました! 今日のラッキーナンバーは48なので48周してきます!」

「そこまでしなくともいい!」

 

 トレーナーになくて私にあるもの。それは経験だ。ターフを実際にかけた肌で感じたレース勘。伝えられる全部をフクキタルに伝えていこう。

 

「それはそれとして毎回担いでるパンパンのカバンの中身はなんなの?」

「開運グッズですっ!」

「......そんなに?」

「大丈夫です、1割くらいはこの部屋に置くように持ってきたものですから!」

 

いそいそとトレーナー室の机やロッカーの上によくわからない置物や手のひらサイズの招き猫を置き始めたフクキタル。

トレーナーって私生活の指導もしたほうがいいのかな......?

 

 

 

 

 

 

 

 

「シラオキ......シラオキ......ダメだ。何も出てこない」

 

 フクキタルがよく言っている「シラオキ様」とやら。神社で拝むから実在する神様かと思い、練習後に資料を漁ったりインターネットで検索をかけたが何も出てこない。私の記憶にも無い以上、多分フクキタルか前のトレーナーが自力で編み出したテキトーな宗教なんじゃなかろうか。

 

その割には敬虔すぎるきらいがあると思う。前のトレーナーが神社の後継ぎ、というから無いわけでは無いが、それだったら実在の神様を信仰させるのが筋ってもんだろう。賀茂神社とか、ウマ娘を守護する神様を祀る神社も少なく無いわけだし。

 

それに関連してか、フクキタルはよく占いをする。

不安がある時は朝の星座占いを見たり、年末年始におみくじを引いたり、ちょっぴり迷信やジンクスを信じたりすることは私にもある。だがフクキタルのそれは異常なまでに信心深い。やることなすこと全部に水晶玉を眺めたり鉛筆を転がしてお伺いを立てるのは流石にいかがなものか。

 それとなく注意をするのは簡単だが、それが彼女のモチベーションになるのであれば咎めないほうが吉だろう、か。

 

わからない。

 

レースってのは誰かに頼りきりで勝てるものでも無い。

確固たる心の強さ、根性、負けん気。実力が同じならそう言ったものが勝敗を分けるのだ。先日のウオッカとスカーレットのように。彼女は一度敗北し、そこから這い上がる負けん気、1番を求める自分への直向きさがあったから頑張れていた。

それを『シラオキ様』なんて外部に求めるのはいかがなものかと思う。彼女は自分で勝ちたいと真に思っているのか、それがわからない。

 

 わからないままクラシックに臨むのは嫌だが、ダービーはすぐそこだ。それまでの2ヶ月と特訓合宿。そこで仲良くなって、いつか問いただせるようになれば良いのだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第9話 主役(プリンシパル)は誰の手に

OP特別『プリンシバルS(ステークス)
東京競バ場、芝2200m。
クラシック級のみが参加できる『東京優駿』選考レースのひとつ。
2着以上のウマ娘にはダービーへの優先出走権が与えられる。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4月もはや1ヶ月が過ぎようとしており、ゴールドシップの天皇賞(春)まであと数日と迫っていた。のだが、相変わらずゴールドシップはまじめにトレーニングをしているというわけでもなくトレーナーもまたそれを咎めるわけでもなく、ここ1ヶ月同じようなゆるゆるとした空気が流れていた。

私を除いて。

 

「ああ緊張する......緊張する......」

「どうしたんですか?」

「フクキタルのレースがあと1週間ちょっとで来るんだよ、何かやり残しが無いかなって思うと不安で不安で」

「心配性だなあサブトレーナーは」

「一生に一回のクラシックレースなんだ、勝たせてやりたいからさ、何かやらないとって思うとなんかやり残したことがないかと思って思って」

「心労でぶっ倒れるぞ。フクキタル先輩を心配させんなよ」

「かといってもだぞ?」

 

 出走表を広げる。まず皐月賞で成績を残した有力ウマ娘は出走しないのでありがたいが、問題はそれ以外のメンツだ。

 

「弥生賞1着ウマ娘ランニングゲイルにホープフルS1着ウマ娘のエアガッツ! さらにはチーム『リギル』秘蔵っこサイレンススズカまで! どうすればいいんだよもう!」

「サイレンススズカ?」

「......まあ、色んな意味で有名だよな」

「トレーナー! アレあたしもやりたい!」

「ダメだ」

 

 サイレンススズカ。最近トップチームにスカウトされたという先行よりの走りをするウマ娘。ポケポケと能天気なことしか考えていないようだが、足のスピードはなかなか光るものを持っている。

 

のだが、最近はこっちの方が有名だろう。

 

『寂しくてゲート潜っちゃった事件』

 

 人見知りだという彼女、どうにも弥生賞の大歓声の中で心細くなってしまったらしく、ゲートを潜って付き添いに来ていたエアグルーヴにフラフラと寄っていってしまったとか。お陰でゲート周りが大混乱し観客席の方はなんだかほっこりすることとなった事件だ。

 

事件のせいもあってか弥生賞は8着と振るわなかったものの、直近の2000m走は1着を確保。ノっているであろう警戒すべきウマ娘の1人だ。

 

「しかも逃げ戦法を取るウマ娘が2人いるもんだからハイペースになるのは必至。どう戦略を教えたものかまだわからん」

「んなもんフツーにやればいいじゃんかよ」

「フツーにやったら君のように先頭バにスタミナ削られて負けるが?」

「うぐ」

 

 そういえば、と頭を抱えるウオッカ。スカーレットのレースのように、逃げ先行バがレースを作ることによるハイペースな競バが後続待機の差しウマを潰し、逃げ切ってしまうことはよくある展開だ。舞台が直線の長い東京競バ場ということもあり逃げウマは不利と言われる展開でもあるが。

 

「セオリー通り前寄りの好位差しでいいのか、でも差し足の切れ味を生かそうと思うと後方待機も捨てきれない。どうしたらいいと思う?」

「んな事俺に言ったってよお......」

「フクキタルはどう思う?」

 

 先ほどから無言で腕を組んで私の話を聞いていたフクキタルはカバンからいそいそと水晶玉を出していた。

 

「占ってしんぜましょう!」

「真面目に考えろっつってんの」

 

ウマ娘の弱点である耳を引っ掴んでグニグニと揉みしだく。

 

「ひゃあ! あわわわやめてくださいよう!」

「なんでもかんでも占おうとするんじゃ無い」

「私のアイデンティティなんですから、それにシラオキ様の意見だって参考にすればいいじゃ無いですかサブトレーナーさん」

「それじゃシラオキ様にお伺いを立ててみようじゃないの」

「では行きますよ......むむむむむ」

 

 はんにゃらかおんにゃらか、と適当な祝詞を言いながら机の上の水晶玉の前で手をふわふわと動かすフクキタル。神妙に目を瞑り、耳を立てたりぴこぴこと忙しなくうごかす様が手のひらに伝わってくる。

 皆が無言で見守る中しばらく経った頃、耳が力強くピンと立ち上がった。

 

「きましたきましたきました! シラオキ様のお告げが!」

「んで、何て?」

「サイレンススズカから目を離すな、と」

「......」

「......」

「......そんだけ?」

「はい」

 

毒にも薬にもなりはしなさそうな意見だった。パチパチと無言でエアシャカールがキーボードを叩く音が場を支配する。

 

「......とりあえず先行策で行こっか」

「わっかりました!」

 

 なんかもうどうでも良くなったので、セオリー通りの好位差しの作戦を取らせることにした。

 

「よーし、練習頑張るぞー」

「おー!」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 気がつけばレース当日。当時は一日一日カレンダーにバツを書きながらワクワクして待ったものだが、トレーナーの身になってみるとあっという間に本番当日である。

 

「がんばれフクキタル!」

「頑張りますっ!」

 

 むん、と両手でガッツポーズするフクキタル。相変わらず目はキラキラと輝いているが、少しだけ瞳が震えていた。

 

「緊張しているのか?」

「あんまり今朝の星座占いが良くなくてですね......」

「また占いか」

「いいじゃないですかっ!」

 

 全くもう、と呆れた様子を見せるフクキタルは相変わらずとして気になるのは本人の調子だ。

 

「確認するが痛いところとか、妙に固い関節とかはないな?」

「バッチリです!」

「ならよし。あとなんだが」

「スズカさんには気をつける、ですね」

「シラオキ様とやらに従えばだけれど、注目すべきウマ娘の1人であることに変わりはない。最後の最後までしっかり食らいついて、差す。いいね」

「ハイ! 今日の星座占いは6位でしたが、それよりは順位を上げてきますとも」

「もうちっとあげてくれないとダービー出られないけど?!」

「わかってますよう」

 

では行ってまいります、と控室を飛び出していったフクキタル。私もそろそろ向かうとするかと観客席の方へ行く事にした。

 

 OP特別レースとだけあって人はまばらだが、次の日本ダービーの趨勢が気になるのか通っぽい人々の姿を多く見かける。他にはまばらにトレセン学生服の面々が目立つくらいだろうか。

 

「サブトレーナーさーん! こっちこっち!」

「焼きにんじんもあるわよ!」

「買い食いはほどほどにだぞ? ウオダスコンビ」

「「略すな(さないでよ)!」」

「ゴルシは天皇賞惜しかったね」

「あん時は歯についた乾燥わかめが気になっててなー」

「気分屋だからな......」

 

 ため息をつくトレーナーの態度が示す通り、ゴールドシップ春の天皇賞は5着という結果に終わった。最後方から追い込みをかけるゴールドシップのいつものやり方で行ったものの、最終直線で前が塞がりやる気を無くしたらしく、なんとか最後にトレーナーにどやされて5着に滑り込むと言った有り様だ。

 深々とトレーナーがため息をつく有り様が目に浮かぶ。一緒に観戦したエアシャカール曰く「最終直線でチーム室の掃除を頼んだ時と同じ顔をしていた」とのこと。全くこいつは。

 だが終わったことは過ぎたこと。宝塚は真面目に走ってくれよと念押ししたところ「気が向いたら」と返されたが本番ではきっと本気で走ってくれるはずだ......たぶん。

 スカーレットに渡された焼きにんじんをかじりつつ、ゲートに向かい出すウマ娘を眺める。OP戦とはいえダービーへの登竜門、気合の入りようが他のレースとは違うようだ。フクキタルといえば緊張しているが、それよりも隣のサイレンススズカが気になる様子でチラチラと横を見ている。

 

「さて、どうなることやら」

 

ゲートが開いた。

 

 先頭は逃げ宣言の2人とサイレンススズカの競り合い。スズカの少し後ろをとる感じでフクキタルが4、5番手あたりの位置についた。バ群にも囲まれていない上に内側でコースロスも少ない、いい位置どりだ。

そのままコーナーを回り向こう正面。予想通りのハイペースな展開になりバ群がかなり伸びている。全体で10バ身から15バ身ってところだろう。前評判の高いエアガッツやランニングゲイルは後方待機の構えを取るようだ。

 

「スズカはハナ(先頭)を進むわけじゃないのか。あのスピードなら3コーナー前には取れたろうに」

「抑えたって感じだな。十中八九おハナさんの指示だろうが逃げさせてもいいんじゃないか?」

「トレーナーだったらもちろん逃げさせる?」

「走りたいなら好きにやらせるさ」

 

 それはどこのゴルシに言っているのやら。

 さてレースも終盤、目印の第3コーナー付近の大欅を駆け抜けて第4コーナーへ。ここで後続に控えていたウマ娘たちがペースを上げて差しにかかってくる。

 

「おい、フクキタル先輩バ群に埋まっちまうぞ!」

「やばいんじゃないの!? フクキタル先輩、頑張ってー!」

「問題無エ。前は狭く無い」

「後は届くかどうか、か」

 

 3番手につけていたサイレンススズカがカーブの遠心力を使って少し外に抜けたかと思うと、猛然とスパートをかけ先頭だったウマ娘をあっという間に突き放す。しかし他も譲らない。大外に持ち出したランニングゲイルが猛然と迫ってくる。スズカの後方につけていた先行策のウマ娘も伸びてくる。

 

それ以上に目を見張るのが、バ群を突き抜けてきた明るい栗毛......マチカネフクキタル。

 

「嘘だろ?!」

「やった!」

「......ダメかぁ」

 

今まさに前を走るスズカの背中を捉え、並ぶ。だが、追い抜かすにはスズカが速すぎた。

 

『ゴール! 1着はサイレンススズカ! 2着はクビ差でマチカネフクキタル、3着もクビ差ランニングゲイルとなりました!』

「......すげえ」

「これが本物のレース!」

「なんとか2着か、良かったぁ......」

 

 足の力が抜けて、へにょっとその場に座り込む。1着はくれてやれなかったが日本ダービーにはなんとか出走できそうだ。

これでひとつ肩の荷が降りたというもの......

 

「みなさーん! とれーなーさーん! やりましたよー!」

「おめでとうございますっ先輩!」

「すごかったっす先輩のレース!」

 

 こちらに気が付いたのか、てててとこちらに手を振りながら走ってくるフクキタル。負けたという悔しさは見かけはなく、2着を誇るような満面の笑顔だった。

 

「どうでしたか、私のレース!」

「す、すごかったっす! あの、最後のスパートで2人3人とかわすところが!」

 

 子供のように目をキラキラとさせながらフクキタルに声をかけるウオッカ。同じ差し戦法が得意なので何か通じるものがあるんだろう。へたり込んでると、スカーレットが手を貸して立ち上がらせてくれた。目の前には、ニコニコと笑うフクキタルがいる。

 

「トレーナーもほら、声をかけてあげないと」

「とりあえず......おめ、おめでとう」

「はいっ!」

「勝たせて、やれんくて、ごめんなああ......」

「あ、わわ、泣かないでくださいよう!」

「もっどやれるごどあっだどおもゔんだあ......」

「いえいえ、今日の運勢良くなかったですし! これでも及第点の花まるです! シラオキ様の言葉の本当の意味も分かりましたからね」

「......なんだって?」

「またその話は後ほど」

 

 フクキタルの言葉に悔しさの涙が引っ込んだ。だが彼女はこの話をすぐに切り上げていそいそと地下の控え室の方へと消えていく。

 

「これからウイニングライブがありますので!」

 

 それではー、という声を残して消えて行くフクキタルを見て思い出したことが一つある。

 

「......だんす、おしえて、ない」

「あっ」

「えっ」

「それって不味いんじゃあ」

「とても、まずい」

「ライブは次のレースが終わって30分後だ。疲れてるし休ませるのが吉だと思うが? どうする、トレーナー」

「そ、それまでにフクキタルにダンスを叩き込むしかない! OP戦の曲はええと」

 

 

 

 




実際のレース動画と睨めっこしながら書きました。レース描写難しいね。



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第10話 初レースを終えて、それから

 

 

 

 

 

 

「ふう、ライブも気持ちいいものですね」

「君踊れたのね......」

「ダンスはみっちり仕込まれましたから!」

 

 チームスピカで控え室にすっ飛んでダンスを教えようとしたところ「え、私踊れますけど」とキョトンとした表情のフクキタルが待っているだけだった。不安を抱きつつその場を後にしたが、その後のウイニングライブでは完璧なダンスを披露していた。

 これを教訓に未デビューの後輩諸君はレースだけじゃなくてライブの練習もしておこうね。トレーナーとの約束だ!

 

 

 さて今はライブ諸々も終わり、荷物をまとめて帰路につこうという時。応援に来ていたチームメンバーは門限があるので先に帰り、トレーナーはその付き添いに一緒に学園に戻っているだろうところ。

 今は私とフクキタルの2人っきりだ。私が現役の時はトレーナーさんとレースの振り返りや他の子をみての感想、次はどうするかなんてのを話し合っていたっけか。

 

だが、今回ばかりは気になることがある。

 

「それで......そうだな。レースの振り返りについては後々やるとして、聞きたいことがある。

レース後のあの言葉、覚えているよね?」

「もちろん。勝敗よりも大切なことでしたのでばっちりと」

「勝敗も気にして......じゃなかった。じゃあ、聞かせてもらおうかな。シラオキ様のありがたいお告げの真意。シラオキ様の言葉の真意ってやつを、君の口から聞かせて欲しい」

シラオキ様の言葉の真意ってやつを、君の口から聞かせて欲しい」

「はい。お節介かもしれないですけど」

 

少し間を置いて、彼女が口を開いた。

 

「観客席から見てスズカさんのレースはどうでしたか?」

「......良い末脚の持ち主だった。レース展開についてはまだ慣れてないから、っていうのもあるだろうけど彼女は強い、そう思わせるレースをしてた」

「そうじゃなくてですね......! ああ、伝え忘れていた私のほうも悪いですけど!」

「じゃあ、どう答えれば良いの?」

「端的に言います、スズカさんは()()()()()()()()()()()()()()

「楽しそうに......?」

 

 フクキタルの問いかけに思わず考え込む。

 たしかに直線で抜け出した時、ゴール前だけあって顔はしっかりと見ることができた。集中しているような、無表情のような判別の難しい表情だったことは覚えている。

 

ただ、無表情であっても仕草は顔に出るものだ。

OP特別だからさして重要なレースじゃないかもしれない。だとしても、あの日本ダービーに出走できる喜びがあるはずだ。

ただポーカーフェイスな彼女の表情や仕草からはそういった感情は読み取ることはできなかった。ウイニングライブでは笑顔だったが、それは外して考えるべきだろう。となると、今答えるべきことは......質問には正直に答えよう。

 

「わからなかった。ただ、嬉しそうじゃなくてもあまり感情を表に出さないタイプなだけじゃなくて?」

「よく言われますが、結構雄弁ですよ。耳とか尻尾とか、左回りのクセとかですね。」

 

 悩ましい事がある時は大抵左に回ってますからね、とは彼女の弁だ。

 

「最近教室で左に回ることも増えてきましたし、尻尾も耳もしょげてました。レース前なんか特にですよ!」

「それはクラスメイトの君にしかわからないんじゃないか?」

「......そう言われるとそうでしたっ!?」

 

 なんと言う見落としを! と頭を抱えて耳や尻尾を逆立てるフクキタルは置いておいて、ひとつそれに引っかかりそうなことを思い出した。

 

「そういえば、トレーナーが気になることを言ってたんだ。フクキタルは第3コーナー手前を覚えてるかい?」

「ええ! 大きな欅があるところですよね!」

「そのもうちょっと手前かな。2番手のウマ娘が先頭に並びかけて、その後ろにサイレンススズカがピッタリついてた時」

「それがどうかしましたか?」

「トレーナーとも同じ意見だったんだが、明らかに先頭の2人は若干へばり気味で一瞬スピードが落ちてた。スズカは余裕のありそうな走り方してたし、あそこで先頭を取って逃げに移れたんじゃないかなんて思ったんだけど。どう思う?」

「確かに、スズカさんは余力があったと思います。ですがあのタイミングでは先頭に立つにしては早すぎますよ」

「あそこから抜け出して勝てるスタミナがあることはあの末脚が証明してる。加速力はあるが君と違ってスピードが乗るまで若干長いからロングスパートか逃げよりの脚質だと思うんだよ。現にトレーナーだったら『逃げさせる』って言ってたし『彼女の好きなように走らせてみたい』って」

「......じゃあ何でスズカさんはトレーナーさんに提案しないんでしょう?」

「さあ。ただリギルのトレーナーは頭が硬いわけじゃない。何か理由があると思うんだけれど」

「「うーん」」

 

2人で揃って腕を組んで考え込むばかり。サイレンススズカに注目はしたが、それが誰かのためになるのかはさっぱりわからない。ただ単純に『サイレンススズカは所属チームのトレーナーと折り合いが合わないのではないか』、こうした推察しか浮かばないわけだ。

 

「この問題はこの場ではどうこうできないね。トレーナーさんと共有しておくとして......せっかくの2着なんだしご飯奢るよ。何か希望はある?」

「実は今日のラッキーアイテムがアジだったのでお魚で!」

「じゃあ回転寿司にでも行こうか」

「はいっ!」

 

ま、これはトレーナー側の問題だろう。彼女らに心配させる必要もあるまいて。とにかく今はフクキタルのダービー出走決定を祝ってあげないと。人生に一度っきりの晴れ舞台。それにフクキタルにとっての初めてのG1だ。全力で勝たせにいってやらなきゃ。

 

「ダービー、絶対勝とう!」

「......はいっ!」

 

拳を握りしめ決意を新たに。

私たちのクラシック戦線は、今ここから始まった。

 

 




「......それはそれとして気になるんだよなぁ」


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第11話 明日を見るもの、現在を見るもの


誤字報告毎度毎度親切な読者さんには頭が上がりません。スマホで書いてるのでどうしても多くなってしまって......感謝感激雨あられ! あなたの運勢はきっと今日も大吉でしょう!


 

 

 

「タイキさんタイキさん、ちょっと相談事が」

「オウ! フクキタルがヒソヒソするのは珍しいネー」

 

 レースから数日。教室にてフクキタルはとあるウマ娘に相談を持ちかけていた。その名はタイキシャトル。

青い目とカタコトの日本語が特徴的なこのウマ娘はサイレンススズカとマチカネフクキタルの同級生。海外生まれもあってか若干スキンシップがオーバーだったりするが、持ち前のフレンドリーさと怖いもの知らずの強心臓っぷりからかなにかと愛されているウマ娘だ。

 またスズカと同じチーム『リギル』であるため、彼女なら何か知っている事があるんじゃないか、とフクキタルはトレーナーにお願いされ声をかけたのだ。

 

「実はスズカさんについて色々とお話が聞きたいので、放課後私のトレーナーさんに会ってもらえませんか?」

「OK! 今日は練習お休みなので良いですヨ!」

「本当ですか! やっぱり今日はツイてますっ!」

「デモ、本人から聞かないのはどうしてデス? あなたのトレーナーさんはナーバスなのデスか?」

「スズカさんに隠したいからじゃないですか?」

「ソーリー! スズカへのサプライズなら、ワタシもお口にチャックしないとデスネ!」

 

 何か勘違いしているみたいですけど来てくれるならよし!と前向きに捉えたフクキタル。ちょうどそんなタイミングでスズカが教室にやってきた。

 

「グッモーニン、スズカ! この前のレース凄かったネー!」

「ありがとう。でも、もう少しでフクキタルちゃんに追い抜かされるところだったし、運が良かっただけだから」

「いやいや、謙遜されると立つ瀬がありませんよぉ」

 

 

 

◇◇◇

 

 

「エクスキューズミー!」

「......どちら様ですか?」

「タイキシャトルデース! フクキタルに来て欲しいと頼まれて来ましたー!」

「せめてノックしてくださいな」

「ウップス! ごめんなソーリー!」

 

 チーム室で書類をまとめているとタイキシャトルが押しかけて来た。言伝通りに彼女を呼ぶことに成功したらしい。

 

「すまないわね、私生活について見る余裕が無くて」

「いえいえまあまあ......」

「しかし、わざわざ呼びつけた客人の顔も見ないのも失礼だと思うわね」

 

 タイキとは違う、聞き覚えのある大人の女性の声。急いで書類から目をはなし面をあげる。

 

「それで、わたしのチームの子に何か用かしら?」

 

灰色のパンツスーツに、白縁のアンダーリム眼鏡。手に持つタブレットをカンカンと軽く叩いてこちらを急かすのは、現役時代散々お世話になった女傑。

 

どうしてリギルのトレーナーのおハナさんがいるんですか?

 

「ワタシが呼んできましタ。スズカの話なら欠かせマセン!」

「久しぶりね」

「どどどっどどどうも......お久しぶりです......」

「オウ、おふたりは知り合いなのデスカ?」

「腐れ縁といえばそれまでよ」

 

 あの時の話を出すとおハナさんは少しだけ不機嫌になる。うちのトレーナーと仲がいいが、あの2人の確執を作る原因になったのは他でもない私の行動だった。それを後悔してはいないけれど、私があんなことしなければどうなっていたかと思わないほどではない。

 

「昔学園でお世話になった、それだけ」

「そうなんですネー」

「それで、タイキシャトルに聞きたい事があるってことだったわね。サイレンススズカについて、だったかしら」

「ええ。ウチのフクキタルがどうしても気になるからと。

最近、クラスでスズカの調子が悪そうとか悩んでいそうとか、そういった話は知っていますか」

「確かに最近スズカは騒がしくないデスネー。前はもっとオハナシしてくれましタ」

「そうね、確かに最近のスズカは調子が良くないわ」

「あれで調子が悪いとは」

「スズカの本気の走りはもっと凄いわよ」

「マジですか......」

 

あれより速いとなれば手のつけようがない。今回はステップレースだからマークもされなかったというのはあるが、あの抜け出した後の末脚はフクキタルでも捉え切れるか難しい。

 

「......すごいウマ娘をスカウトしたもんですね」

「ええ。私では扱いきれないくらいの才能。大成すれば世界にも手が届くわ。でも」

「でも?」

「才能は時にウマ娘を潰すのよ」

 

おハナさんぱぽつりとそんな事を言った。

 

「スズカはハイペースでレースを作った後でもスパートをかけられるスタミナがあるわ。彼なら気が付いているでしょうけど、彼女の適性は『逃げ』それも『大逃げ』。最後まで先頭をあの速度で駆け抜けられるポテンシャルがあるわ」

「あの体格では逆に競り合わせればパワー負けしますか」

「ええ。それに、彼女は1人で走ることが好きだから前に誰も居させたくないのよ」

「じゃあ何でやらせないんです。好きに走らせれば今からでも彼女のクラシック2冠だって夢じゃありません」

「耐えられる脚があれば、の話よ」

「脚......」

「あなたならわかっているでしょう? 逃げがどれだけ身体に負担を強いることになるか。何故逃げ戦略を選ぶウマ娘が多くないのか」

 

 明文化されてはいないが、逃げ馬は身体に負担をかけるのではないかと言われている。1秒から2秒も通常ラップタイムより早く走り続けるのは意外と難しい上に、追われ続けるストレスというのはバカにならない。また、先頭を走ることによる風の影響を受け続けることも身体にダメージを与える。

 

逃げを主戦とするウマ娘は、得てして競技生活が短い。

あれだけの苦痛を多ければ十何回、模擬レースや練習の併走を含めれば100を越す。それだけの傷を身体に負わせれば数年と立たず足や肺が悲鳴をあげ、そして壊れる。生き残れるのはよほど身体が頑丈なものだけだ。

 

「確かにサイレンススズカは身体が出来上がっているわけじゃありません。ですが、彼女たちウマ娘の目標は『勝つこと』。それを優先してもいいのではないですか?」

「貴方スズカを殺す気? レース中の事故くらいなりたてのあなたなら資料映像と一緒に勉強しているはずでしょう?」

「数十年前までは何度かそういった事件はあります。ですが今の勝負服の素材も強化されてますし、私たちが走っていた時からそんな事故なんてないじゃないですか!」

「それはトレーナーたちの努力の結果よ。ウマ娘が変わったわけじゃない」

 

現役の経験があるとはいえ、そもそもトレーナー歴が半月と十年単位では勝負にもならない。だから私はズルい手を使う。

 

「......だとしても、彼女に全てを話すべきです。彼女が長く走る事を望むか、勝利を望むか。

それを選ぶのは私たちじゃなく、本人です」

「ますます彼に似て来たわね貴方。そうまでして()()()()()()()()()()()

「っ......!」

「what? どうしてルドルフの名前が出てくるンデス?」

「話は終わりよ。帰るわよタイキ」

「デスガ......」

 

 席を立ち有無を言わさぬ態度でタイキシャトルを連れて出て行くおハナさん。彼女が最後に告げた言葉が耳にこびりついて離れなかった。

 

「誰かに夢を託すのはいい。けれど夢を押し付けてはいけないわ。

 

トレーナーは主役にはなれないのよ」

 

 

 

 

 

 



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第12話 皐月賞バ『サニーブライアン』

誤字脱字確認してるハズなのに偉く出てくるのはどうして......???


いつもお世話になってます。誤字報告だけじゃなくて感想もよろしくね!(感想乞食


 

 

「皐月賞バサニーブライアン、大逃げ宣言、か」

 

 トゥインクルシリーズ専門のスポーツ紙の一面には、ガッツポーズをする小柄な黒鹿毛のウマ娘がゴールする瞬間と大見出しでさっき言ったようなことが書かれていた。

 

「おや、サニーさんじゃないですか。G1バはやっぱりすごいですねぇ」

「世間ではフロック(まぐれ)扱いだけど」

 

 サニーブライアン。逃げを主戦とするウマ娘で、ジュニア級からレースに精力的に出場していた。ただ、逃げウマの宿命かメイクデビュー戦では逃げ切り勝ちを収めたものの、次のレースでは5着7着と沈む。しかし次に挑戦したオープン戦ではペースを握って逃げ切りがち。弥生賞では前めにつけるレースで4着、皐月賞の優先出走権を滑り込みで確保。

 

ここまで見れば泣かず飛ばず。重賞には勝てるが皐月賞には絡んでこないだろうという評価だった。私も含めて。

 

 大外18番に配置されたという幸運も手伝い、一時は先頭を譲ったものの、先頭を握ってなんと超スローペースなレース展開に自分以外を錯覚させ堂々と逃げ切ってしまった。実力者が揃いも揃って差し型、追い込み型で後方で牽制合戦をしているうちに悠々と逃げ勝ってしまったなかなか食わせ者なやつ。

ただ幸運だっただけとも言われ評価自体は高くない。

有力バが全員揃って後方待機だったこと。

スローペースに気が付かれなかったこと。

大外枠の配置でハナを取りやすかったこと。

そして言われる「皐月賞は最も『はやい』ウマ娘が勝つ」というジンクス。

 

 先行策を使うであろう有力ウマ娘「サイレンススズカ」が現れたこともあって彼女の人気は高くはない。普通なら皐月賞を勝っているなら3冠の期待もあって人気投票の順位は高くて然るべきなのに、現時点は7位。フクキタルはあれだけ僅差だったスズカが4位にも関わらず、なんと下から数えた方が早い11位。納得いかないがデビューが遅かった影響だろう。

 

「サニーブライアンは調整不足でプリンシパルSに出る噂もあったっけか、戦えるなら戦っておきたかったな」

「私としては戦わなくて幸運でしたよう。はっ、これもレース前の夜に買ったラッキーアイテムの招き猫のおかげ......?」

「ないない」

 

 ダービーのレース展開は皐月賞と同じ後続の潰し合いにはならないだろう。なるとすれば、サニーブライアンやサイレンススズカがレースを引っ張るような若干ハイテンポなレースになるはず。

となると気をつけるべきは後続に続く有力バが気になる。

 プリンシパルSで矛を交えたランニングゲイルにエアガッツ、名門メジロ出身メジロブライトに、直近3レースを勝ち上がって調子に乗っているシルクジャスティス。

 今回も前目につけるレースになるだろう。末脚勝負の段階に持ち込んでも、スズカとサニーが潰れなければ逃げ切られてしまう恐れがある。スズカはそれほどまでに警戒しとかないとまずいのはフクキタル自身がそれをよく知っているはずだ。逃げ切りが上手くいかずにもし2人が潰れたら差しウマ娘同士の殴り合い。最終直線に向いた時前が空いているかどうか、もしくは空けられるかどうか、末脚勝負できるだけのスタミナが残っているかどうか。

 スピードは問題ない、あとはバ群を割るパワーや脚を残せるスタミナや経験だろう。その中で1番期間が短くても詰め込めるのは、レース経験だ。

 

「トレーナーさん、それで、今日は何を練習しましょう」

「バ群の抜け出し方の座学だな。授業でやるよりもちっとばかし複雑になるよ」

「うええ!? 授業が終わったのにまた勉強ですか」

「レースに勝つためには勉強しないとな。今回のレースは差しウマ娘がゴール前でもつれる展開になるかもしれない。そうなった時フクキタルの末脚は頼りになる。だから、それをいかに殺さずにコースどりするかって話」

「ほほう! わっかりました! 走ってもいいですか?」

「今日のラッキーアイテムは参考書です今決めました」

「わかりました! 勉強がんばりましょう!」

「ちょろすぎない?あと今私がテキトーに考えたラッキーアイテムに縋りすぎじゃないかな」

「トレーナーさんは運命の人なんです、きっと神様と同じくらいのご利益があります。なんたって私をダービーの舞台まで運んでくれたじゃないですかっ。これを幸運と呼ばずしてなんと呼びましょう!」

「......やる気出してくれてるならなんでもいいや」

 

 これだけみんなが素直だといいんだけれど。そう心の中でぼやいたところでひとつ忘れていたことを思い出した。

 

「そういえば勝負服のデザイン届いたよフクキタル」

「なんと朗報ですっあいたあ!」

 

 がつん、と勢いよく立ち上がったところで脛を強かに打ったらしく転げ回るフクキタル。とりあえず机を邪魔にならないところにずらして、学園支給のタブレットに画像を表示させる。

 

「お望み通りシンプルなセーラー服っぽいデザイン。陰陽の模様も刻んで、走りやすいようにスカートは短め。靴は?」

「セーラー服にブーツは似合いませんよ。ローファーっぽいデザインのがあったのでそれで行きますっ!」

「腰の太い革ベルトはなんでなんだ? それこそセーラー服には似合わないでしょ」

「それはもう決まってますよ!」

 

 フクキタルがゴソゴソとカバンの中身を漁り出したところで私は止めるべきだったのかもしれない。

 彼女が取り出したるは『必勝』『大吉』が墨痕たくましく書かれた木製の絵馬と、リュックサイズの大きな招き猫。

 

「これをつけるためです!」

「......絵馬はともかく、このでかい置物をつけるって?」

「失礼な、ぬいぐるみですよ。中は小物入れになってます。触ってみますか?」

「うお、これはなかなかもふもふな良き触り心地」

 

 抱え込むほどの大きさだが、受け取ってみると確かにフクキタルの部屋にある陶器製の立派なやつではないらしい。良い綿を使っているのか、見た目とは裏腹に重量は軽くもちもちとした手触りでクセになりそうだ。

 

「背負い紐付き。もしかして背負うの、コレ?」

「この中にラッキーアイテムを詰め込めばレース中も運気をブーストできるということです!」

 

 我ながら良い考え、とはなの下を誇らしげに擦るフクキタルの指を引っ掴んで逆に曲げてやった。

 

「いだだだだだだだ地味に痛いことをやめてください!」

「だめ」

「なんでダメなんですかあ!」

「ドーピングとか不審物持ち込みでレース違反とかなんやらで審議になったらどうすんの!」

「いくらトレーナーさんとはいえどもここだけは譲れません! 係員の人に中のもの全部見せれば問題ないじゃないですか」

「こういうところだけ賢くなっちゃって......! ダメなものはダメ! レース中に落っこちたら危ないんだから!」

「鍵付きジッパーにしますから!」

「どうしても背負わなきゃいけないこれ?」

「ここだけは譲れません。幸運を手放す訳にはいきませんから」

「......しょうがない。いいよ、ただし汚れたり壊れたりしても文句を言わないこと。あとレースで落とさないようにするのと、会社に連絡」

「? どうしてですか?」

「決まってんでしょ。レース中にソレ背負うんだったらそれも含めて似合うような衣装にしてもらわないと」

「さっすがトレーナーさん、話がわかるぅ!」

「結果出せなかったらソレなしで走って貰うことになるけど」

「大吉がついてるんだったらレースなんて全戦全勝ですよっ」

 

ほんにゃらか、とよくわからない事を言いつつ両手を広げて身体をふわふわと揺らすフクキタルを見て、私は苦笑いせずにはいられなかった。

 

まったく、どこまで能天気なんだか。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 生徒会副会長エアグルーヴ。自他に厳しいと言われる彼女の趣味は、意外にもガーデニングだったりする。今日も水やりをとジョウロ片手に花壇を訪れてみれば、先客が花壇の前にしゃがんで楽しそうに尻尾を振っていた。

 

「今日もここの花壇のお花は綺麗ですねぇ」

「そう言ってもらえるとは、嬉しいな」

「ふええええええっ!?」

「そんなに驚かなくともいいだろう」

 

 飛び上がるウマ娘をたしなめるエアグルーヴ、彼女の耳についている花の耳飾りに目が止まった。それは彼女の黒毛のコントラストと相まって名前が表すような太陽のように輝いていた。

 

向日葵(ひまわり)が好きなんだな」

「え、あ、はい! トレーナーさんと一緒に買いました!」

「そうか」

「へへ、ライブで踊る時も、ファンの皆さんに言われました。耳飾り綺麗だねって」

「いいな、それは。次のレースは?」

「本当はもう一回レースに出たかったんですけど、疲れが取れないからってトレーナーさんに止められてしまって。次の日本ダービーも頑張ります!」

 

 ティアラ路線を歩む彼女には日本ダービーにあまり憧れはないが、自分がオークスにかける熱意と同等だとすれば共感はできる。つまらない風邪の発熱で桜花賞をフイにしたのもあって熱意は人一倍だと思っているが、目の前の彼女のそれは自分にも勝るとも劣らない。

 楽しみに笑う彼女の目の奥底には、あふれんばかりの渇望があった。勝利を求める貪欲なものではない。ただ走りたいというだけの、ウマ娘の原始の渇望が。

 

「だが、サイレンススズカ......彼女は強いぞ」

「スズちゃんには負けませんよ! 1番は例え同室でも譲りません」

「ふふ、手加減するつもりはないか」

「当然ですよ、でも叶うならずっと隣で走っていたんですけど」

「隣で?」

「ええ。青い空に、緑のターフ。それをずっと2人で眺めて、走るんです! ずっとずっと!」

 

両手をひろげて、彼女は目を瞑る。サイレンススズカと一緒にターフを走る姿を想像しているのか少し頬を緩ませながらゆらゆらと身体を揺らしていた。

 

「そうか。所属チームの都合上スズカには勝ってほしいが......いいレースを期待しているぞ、サニー」

「ふふん、いいレースじゃなくて、私が1番のレースですよ」

 

自信満々に胸を張るそのウマ娘の名。

彼女は、サニーブライアンという。

 



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第13話 それぞれの決戦前夜

言い忘れてましたがオリジナルウマ娘注意でありんす


 

 

「おっはよースズちゃん!」

「サニー、おもい......」

「朝だよ朝だよ朝だよー! ダービーの朝だよー!」

「あとごふぅん......」

「おーきーてーよー!」

 

 朝に弱いサイレンススズカの緑の布団をひっぺがしたのは同室のサニーブライアン。窓を開け、カーテンをとっぱらい部屋に飛び込む朝日を小柄な身体全身に浴びてぴょんぴょんと狭い部屋を跳ね回る。

 

「......おはよう、サニー」

「朝だよ朝だよ朝だよー! 気持ちいい朝! レース日和!」

 

 寝ぼけ眼を擦りつつ、最近買い換えたデジタル式の目覚まし時計を見て日付を確認したのちスズカは剥がされた布団をもう一度被った。

 

「今日は5月31日。ダービーは明日よ......」

「あれ? 30日の後ろって1日じゃなかった?」

「5月は違うわ」

「......うー、まいっか。折角の朝だしはしろーよー!」

「トレーナーさんに今日は軽めにしないとって言われてるから......昼までぐっすり......」

「はーしーろーうーよー!」

「もう少しだけ......」

「んもー!」

 

逃げウマ少女の朝は、ちょっとだけ遅い。

 

 

 

◇◇◇

 

 

「......朝っぱらから騒がしいね」

 

 ダービーの作戦を練ろうと朝からチーム室に行くとやたら騒がしい。朝の自主練を咎めるつもりはないが、寮を抜け出して遊びにきているというなら流石に怒る。レースに熱心なメンバーばっかりだしないとは思うが、と一抹の不安を抱きつつも笑顔でドアを開けた。

 

「拙者親方と申すは、お立合いの中うちにご存知のお方もござりましょうが、お江戸を発って二十里上方、相州小田原一色町を......おや?」

「ゔぁっ」

「よ、サブトレ」

 

 机の上に座布団を敷き、紺色の着流しを着て今からさも一席語ろうかという格好で何か言ってるフクキタルがいた。後ついでにゴルシも。

 

「滑舌トレーニングか。格好から入るのは悪くないんじゃないの、フクキタル?」

「あいやお姉さん、わっちは格好だけじゃなくて本職ってもんさぁ。これでも見習いなんで」

「はははこやつめ。今日のラッキーアイテムが扇子とかそんなだろ? 1ヶ月も付き合ってれば流石に......」

「あのっ!」

「うん?」

 

 振り向くと、ちょっとだけ申し訳ないように耳を畳んだフクキタルが......おや、こっちにもフクキタル。あっちにも......むう、フクキタルが2人?

 

「フクキタルが2人、来るぞサブトレ!」

「何が来るんだよゴルシ......」

「こちらは私の幼馴染の『マチカネワラウカド』です。応援に来てくれたんですよ」

「紛らわしい名前たあ言われるが、顔まで間違えられたのは初めてのことよ! ほれ、ばっちりわっちには流星が入ってるじゃんね!」

 

 マチカネワラウカドが額を指さすと、前髪に中央に目立つ白色の毛、俗に言われる流星というやつがばっちりと入っていた。むしろ、これを認識できてないってことは相当アホか疲れてるってことになる。私はレース映像の見過ぎで最近疲れてるだろう目を労るように目尻を揉んだ。

 

「......疲れてんのかねえ」

「明日はレースなんですから、今日は軽いトレーニングだけですしゆっくりしましょうよ。ラッキーアイテムのキャンドルどうぞどうぞ」

「チーム室は火気厳禁だ」

「あうー」

「かっかっか、面白いお師匠についてるじゃないの」

「む、そう言うワラウカドはトレーナー見つかったんですか?」

「走る方と話す方、両方見つかったんでね。いやあ忙しいったらありゃせんよ」

 

ペチン、と扇子で軽く頭を叩いて舌を出したワラウカド。見てくれは似ているが、性格の方は朗々として悩みなんてなさそうだ、フクキタルは少しでも見習って欲しい。

 

「そいで、ウチのおフクちゃんは勝てそうかい。あんた、競バを始めてすぐって聞いたんだがな」

「競バなんて古い言い方をするね」

「お師匠が古いのが好きなのサ。はぐらかさないで答えてくれよ。勝てるのか勝てないのか」

「......正直厳しいな。今回ばかりは」

「オット、そりゃ困る」

 

 す、とワラウカドの目が細められる。彼女が値踏みするような視線でこちらを数瞬だけみて、フクキタルそっくりの十字のハイライトの目に戻る。

 

「なんせ昔っからの顔馴染みの一世一代の大勝負だ。そこはハッタリでも『勝つに決まってる』なんて気概がなくちゃあ勝てるもんも勝ちやせん。応援する側としちゃあ煮え切らん」

「展開次第で勝つとは言うが、どれもこれもわからないとしか言えない。でも残りの勝負を決める要素はフクキタルがよく知ってるさ」

「ほえ?」

「言うじゃないか。日本ダービーは最も『幸運な』ウマ娘が勝つってさ」

「......それをおフクの前で言うかい? ちっちゃい頃から不幸だ不幸だと嘆いてたあの子に」

「今は2日に1回くらいは嘆いてる。その日が明日じゃなきゃいいだけさ」

「......なーっはっはっは! お天道様だけが知ってるたあ、無責任なお師匠がついてるじゃないのよ」

「菊花や皐月だったら言わないさ。だがこいつばかりは、運が向いたウマ娘が勝つ」

 

東京レース場、左回り、2400m。

 

日本全てのホースマンが望む最高の栄誉と言われてきた。皆その日のために努力を重ね、全力を尽くし、最高の状態へ仕上げた上でレース場に現れる。出場するウマ娘の熱意は等しく高く、実力は誤差の範囲。

 

勝敗を分けるとするならば、天運しかない。

だから言われるのだ。最も『幸運な』ウマ娘が勝者になると。

 

「1番運を引き寄せるのが上手いのはフクキタル以外に誰がいるよ」

「はいっ、今日もラッキーアイテムとカラー揃えてきましたからっ!」

「たっは、こいつは一本取られたね。んじゃ、お邪魔なようだしあっしはここらでお暇させて貰おうかね。

おフク、頑張りな! あっしは砂を走る方が性に合うから無縁だが、せっかくの機会だ。ひとつくらいは取ってやんな!」

「ひとつどころか2つ取りますとも!」

「なら重畳。明日は応援に行くからきばれや!ワラウカドには?」

「フクキタル!」

 

 大丈夫です、とサムズアップするフクキタルの背中をぶっ叩き、カラカラと笑いながら去っていったワラウカド。

 

「なんかおもしれーやつだったな」

「それ君が言うかい......?」

 

 

 

◇◇◇

 

 

「ヤッホー、ブライト調子どう?」

「......パーマーですか。可もなく不可もなくと言ったところですかね」

 

 メジロブライトは自分の編み込んだ長髪を弄りつつため息をついた。彼女の机の上に無造作に置かれた新聞には、先週行われたオークスのレース結果が一面を飾っていた。

 

『メジロドーベルオークス勝利! 名門の意地見せる』

「凄かったよね、ドーベルのレース」

「一緒に応援に行ったでしょう?」

「そうだったそうだった。いやあ、G1かぁ、すごいよね」

 

この癖毛の同門は、よく笑う。

期待されず、メジロの末席に追いやられて諦めたように。

 

「ブライトもダービー出るんでしょ?」

「ええ。目の前の栄光を無碍にするなどあり得ません」

「んもう、そこまで肩肘張らなくてもいいのに。アタシらはあんまり期待されてないんだからさ」

「そのようなこと言わないでください」

 

 デビュー戦での1800m勝ちタイム、2分1秒。自分の勝ちタイムであり、自身の汚点。初戦初勝利の興奮冷めやらぬウィナーズサークルで誰かが言っていた言葉を聞いてしまったばかりに。

 

『1800mで2分かかるようじゃな、メジロも終わりか』

 

デビュー戦だと慰められたとしても心には劣等感が染み付いた。そんなことはないと否定したくて、そんな暗い気持ちでレースに臨むのは間違いだとわかっていたとしても、それを抱えたまま走るのはやめなかった。

 

デビュー2戦目で化けの皮が剥がされて。

短距離には自分の場所はないと思い知らされて。

ホープフルSではなんとか勝って。

皐月賞でまた思い知らされた。

 

私の苦悩を裏返すように、ずっと人気投票は1番だった。

私を知らない誰かが期待を込めて票を送る。

 

勝ちきれない私にはそれが苦痛で仕方なかった。

 

でも、明日。

私が強いと証明できればこんな重圧からも解放されるはずだ。

メジロ家の重圧を受け止め、答えられるウマ娘になれる。

 

勝てば、それが叶う。

 

「勝ちます。応援してくれる皆さまのためにも」

「うんうん、明日はみんな来るって言うし、頑張ってね! マックイーンもライアンも応援に来るって言うしさ!」

「そうですか。では、期待に応える走りをして見せましょう」

 

負けられない。負けていいはずがない。

 

勝てなければ......自分を保てる気がしない。

 




たずなさんのワンポイント解説

『メジロブライト』
肩まである長髪を編み込んだ鹿毛が特徴的なウマ娘。メジロドーベルの姉妹で、外見もよく似ている。
デビュー直後から戦績を積み重ねるドーベルとは違い、微妙に勝ちきれない戦績とレースタイムからメジロ家の中でもあまり期待されていないらしい。
その劣等感を胸に、彼女はレースを走る。同室は同じメジロ家のメジロパーマー。


原作の方は97年世代のメジロ家出身ウマ。父親はドーベルと同じメジロライアン。
編み込んだ立髪が特徴的。生涯戦績は25戦8勝。主な勝ち鞍は天皇賞(春)。


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閑話 桐生院葵と光速の素粒子

言われないけど相性良さげな2人だと思うんです


 

 

 

「......! ......!」

 

 日本ダービーに向けての対策を練っていたある日、いつものようにチーム室の薄っぺらい扉を蹴破って誰かがやってきた。

 

「ゴールーシー、いい加減にしてくれ、フクキタルも私もダービーに向けて忙しいんだ」

「......ごるしじゃない」

「なんだ、桐生院のところのミークちゃんじゃないの。どうしたの?」

 

 いつも扉を蹴破ってくる芦毛のアイツかと思えば、毛色は似ているが性格が真反対のハッピーミークだった。肩で息をして珍しく急いでいるらしいが、無表情の顔から感情を読み取るのは少し難しい。桐生院曰く『かなり雄弁』らしいって言っていたがさっぱりわからない。

 

「トレーナーさん、見つからない」

「調べ物でもしてるんじゃないの?」

「図書室、いない」

「......じゃあ選別レースに偵察」

「ことしはわたしだけって言ってた」

「じゃあ外出中とか?」

「今からトレーニングなのに来ない」

「それは一大事」

 

桐生院の良いところとして病的なまでの真面目さがある。ことウマ娘に対する熱意だけは人の数倍はあるから、ウマ娘関連、とりわけ初めてスカウトしたハッピーミークに関連することで練習をすっぽかすなんてことまずありえないだろう。何かあれば連絡の一つや二つはするし、それがないならトラブルに巻き込まれたに違いない。

 

「わかった、この事件チームスピカに任せたまえ。今日はトレーニングのつもりだったが人手は多い方がいい」

「お疲れ様でーす、ってあら?ハッピーミークさんじゃない」

「ちわーっすトレーナー、っと、どちら様?」

「よお」

「おうデビュー前の新米トリオ、ちょうど良いところに来た。今日の練習時間ちっと削って人探しするから手伝って」

「ええー、練習したいんだけど」

「トレーナーさんの私用に付き合うってこと? 別に良いけれど、すぐ終わるんでしょうね」

「......っち、何をすれば良い? といっても、白毛がいる以上それ関連か?」

「察しがいいねエアシャカール。桐生院葵っていたでしょ、うちの同期のトレーナー」

「あの人がどうかしたの?」

「なんか行方不明らしくてなあ。ちょっと捜索を手伝って欲しいんだ。高級スイーツ奢ってやるからさ......桐生院が」

「「「乗った!」」」

 

やっぱ今頃のウマ娘はスイーツで簡単に釣れるねえ、トレーナーとしては操縦が楽で助かるけど......

 

「とりあえず学園内から片っ端に探すぞ。写真はウマホに回しとくから」

「あれ、トレーナーはスマホ使わないんだな」

「......し、知り合いから安く譲って貰ってね」

 

 危うく口を滑らせかけるところだった。人間用のスマホに買い替えとくべきだったかもしれないけど、新人トレーナーのお給料で買い替えなんて難しいし、いっか。

 

「誘拐とかされてないといいんだけど」

 

 あんまり言わないけど桐生院の実家はおっきいし身代金せしめられそうなくらいには大きいからねえ。学園内の揉め事にはルドルフに手伝ってもらうのが早いけど、借りなんて作りたくもないので黙っとくのが1番。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「......ぅう」

「おや、起きたようだね」

 

 誰かが灯を照らして、眩しいと思ったわたしは思わず目を閉じたが、その目の前の誰かは私のまぶたを無理矢理に開けたかと思うと、光を消した。

 

「うんうん。瞳孔の反応は正常、しかし意識に若干の混濁が見られる、か。多少は混乱しているだろうが、君はさっきまで気絶していたんだ、あまり無理をしない方がいい。リラックスしたまえ」

 

言われるまま、背中を預ける。わたしは椅子に座っているらしく、ゆったりとした背もたれがわたしを受け止めてくれた。

 

「さて......意識もおおかた戻ってきたことだろう。自分がなぜここにいるかは、思い出せそうかい?」

 

 消毒液のアルコール臭や湿布独特のハッカのような香り、学校案内で回ったトレセン学園の保健室特有のもので間違いはない。彼女の座る丸椅子の後ろにあるベッドからも、間違いはないと証明してくれている。

 

「ちなみに、気を失った君を運搬したのは私だよ。故に君が思い出すべきは『何故(Why)』『いかにして(How)』の2点だ」

 

鈍い痛みが治らない頭を使って、覚えているときまでの記憶を思い出そう。確か、今日の放課後の初めだ。トレーナー室に資料を撮りに行こうとして、廊下を歩いていたとき......

 

 

『バクシンバクシンバクシィィィィィィィン! 教室での黒煙騒ぎ、お天道様が許してもこの学級委員長が許しませんよお!』

『アッハッハッハ、バクシンオー君は仕事熱心だなぁ!』

『む、そこのトレーナーさん! タキオンさんを通せんぼしてくださーーーい!』

『ん......? おっと』

 

「あなたがぶつかってきたからでは?」

「ふぅン、ことの経緯はしっかり思い出せたようだね。よかったよかった」

「あと、黒煙騒ぎ、という言葉もです。あなた、教室で何をやっていたんです?」

「不思議なことを尋ねるね君は。『研究の一環』さ」

「研究?」

「ああ、研究さ。わたしの求める可能性の到達点。限界のその先、果てしない未来にすら辿り着けないかもしれぬ極地!」

 

 彼女のどこか焦点の合わない目つきがギョロリとこちらを見据える様は不気味だ。まるで物語に登場するマッドサイエンティストのような狂気を孕んだ目つきと表現すれば良いのだろうか。関わったらマズイ人種、もといウマ種な気がしてきました。彼女には悪いですがここは一旦お暇させて貰いましょう、と一言断りを入れつつ立ち上がろうとして、

 

「じゃあ私はここであれぇ!?」

「君、考え事に没頭すると周りが見えなくなる癖があるだろう。私も同類だからわからないでもないがね」

 

 わたしを一般的なキャスターに縛り付けているのは梱包用によく使われる白いビニール紐。よく見れば机の上に私を縛りつけたであろうビニール紐のロールと鋏が無造作に放置されていた。縛り方も適当に縛りつけたではなく、しっかりと身体が動けない縛り方を知っているものの縛り方。

 

「親切心から忠告しておくとすると、自分自身の状態は常に気を配ることをお勧めしておくよ。でないと──」

「でないと?」

「心身ともに健康で元気な成人女性、という格好の被検体を求めてやまない研究者といつどこで巡り合ってしまうか、わからないだろう?」

 

忠告する言葉とは裏腹な恍惚としたとろけ顔。まるでうまそうな獲物を見つけた時の虎のような、舌なめずりの音すら聞こえてきそうなソレは不気味な目つきも相まってひどく恐怖を誘う。

 

「尤も、私にとっては幸運が自ら歩いてやってきてくれたというべきか、巡り合ったというべきか。いつもは存在を否定するが、三女神とやらにも感謝しておくとしよう。学園に来た時は兎も角、今となっては噂がすっかり知れ渡ってしまったおかげで、被検体を頼もうと思えば逃げられ、物を拾ってあげれば叫ばれ、目を合わせれば脱兎の如く。

しかし、しかし。ハーッハッハッハ! 目の前には噂も何も知らない優良健康な新人が現れてくれるとは! なんたる幸運か!」

「何も知らない、とは失礼ですね。あなたの名前くらいは知っていますとも、()()()()()()()()

「ほう......」

 

 感嘆した様子で腕を組む栗毛のウマ娘、もといアグネスタキオン。名門アグネス家の異端児とも言われる彼女を私が知らないはずはない。

 

「素質は一流と囁かれつつ、今までその脚の真価を見たものはいません。授業態度も悪く、生徒会でも要注意生徒として話題になるくらいには......これくらい知っていましたよ」

 

 ただ顔までは覚えていませんでした、というとさも楽しそうに彼女、アグネスタキオンは笑う。

 

「ハーッハッハ! 何も知らないと思えばとんだおっちょこちょい! 新人らしいといえばらしい、微笑ましいことだとも。

という訳でモルモッ............新人トレーナー君」

「モルモットって言おうとしましたね?!」

「気のせいだよ。一般的実験動物とトレーナーを間違えるなんて、まさか目の前の人物を実験動物としか思ってないようじゃないか! 否定はしない」

「しないんですか?!」

「大の大人が些末な事を気にするな」

「気にしますよ!」

「打てば響くな君は。ともかくだ。体格からして、ふむ、1本とは言わず3本ほど薬を飲み干してもらおうかな」

「なんの薬を......?」

「治験では薬の効能を伝えることはしないんだ。

なあに大丈夫さ、最悪の結果だとしても精々が数時間、両腿が黄緑色の蛍光色に発光するだけ。愉快な副作用だろう?」

 

 君もそう思わないかい、と途中から笑い出すアグネスタキオン。そんな怪しい薬を飲んだらと思うと逃げ出したくなるが縛られていては諦めるしかない。

 

「そんなことよりも重要なのはデータだ。この薬によって観測される、大腿四頭筋の筋肉収縮。ウマ娘と人間の身体構造はほぼ同一であることは知られているが、そのデータを比較することによって新たな」

「待ってください」

 

見慣れた言葉、聞きなれた単語。ウマ娘の知識なら誰にも負ける覚えはないと自負しています。たかが一生徒の脚には負けても、知識量には負けを認めるつもりはありません。

 

「おや? 君に実験の拒否権はないが何か意見でも?」

「科学的な知見からのウマ娘の研究は古来より進歩がありません。ですが、ここ10年科学技術の進歩によりその限りではありません。それに、人間の研究データは揃っているんですよ、わざわざ、取り直す必要はないでしょう」

「ああ、過去文献など漁り尽くした。研究と実験の前には、先行研究を隅から隅まで調査しなければ話にならないからね。その上で、わたしは必要なデータを求めるために実験を」

「本当にそうですか? 積み重った100年以上もの、延べ1万人もを超えるウマ娘の育成記録にそれらの記述がないと思いますか?」

「......ふぅン? その話、詳しく聞こうじゃないか」

 

 彼女が椅子を寄せ、怪しく光る瞳で覗き込んでくる。

狂人の真似をすれば狂人ともいう。だが、わたしもウマ娘に狂っていると言われれば否定するつもりは微塵もない。ここからは我慢比べ。彼女の探究心からなる狂気か私の信念からなる狂気、どちらがより狂っているか比べ合いといこうじゃありませんか。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「......どこにもいないわね」

「電話にも出やしない。一体全体どこへ行ったんだ?」

「おや、君じゃないか。ちょうど良いところに」

「すみません、少しいいですか?」

 

十字路でスカーレットと頭を悩ませていると、左右から声をかけられた。

 

「うげ、ルドルフじゃないか」

「あら、マンハッタンカフェ先輩。どうかされましたか?」

「......生徒会長から、どうぞ」

「気を遣わせたね。わたしはとあるウマ娘を探しているんだ。ここら辺の教室にいると聞いていたのだが、ついさっきトレーナーらしき人物を担いでどこかに消えてしまったと聞いてね」

「いつからトレセン学園はそんな物騒になったんだい?」

「目撃者曰く、トレーナーと彼女が正面衝突したようでね。事故の予防のため、当事者に話を聞こうと思って探し回っているのだが、どうにも見当たらない」

「私も同じです。逃げ出したタキオンさんを捕まえろと先生から言われていまして、あの子とバクシンオーさんと一緒に探しているのですが」

「おや奇遇だな。私も探しているウマ娘の名前をタキオンというのだが」

「......またやらかしてるんですか」

 

 はあ、とため息をついたのはマンハッタンカフェと呼ばれていた小柄な少女。黒髪に、何か遠くを見ているような目線の合わない目つきが怖い......いや時々話してるとき人の顔見てないの怖すぎない?

 

「......で、タキオンってどなた?」

「高等部のアグネスタキオン先輩のこと。アタシ親戚なの」

「へー」

「とっても研究が好きで、いつも白衣を着てるの。図書室の本で名前を見ないことはないくらいに読書家でテストもいつも学年1位なの! アタシの憧れ」

「話を聞く限り優等生とは思わないんだけど」

「その通りだ。成績は良いが授業態度でいい評価は聞かない上、トレーニングの出席率も悪い。学園からは退学勧告まで出ているほどだ」

「退学勧告ですって!?」

「今回の選抜レース期間内にせめてトレーナーを見つけてくれればと思っていたんだ。その話もしようと思って探しているのだが、どうにも見つからなくてな」

「手伝いますっ!」

「スカーレット、気持ちはわからないでもないが......」

「タキオンさんが中央で走れないままっておかしいです! あんなに速いのに!」

「......話が変わった、手伝おう」

「人手は多い方がいい。しかし、急に心変わりしたな」

「スカーレットが速いというウマ娘がフリーとくれば、スカウトしない手立てはないさ」

「はっはっは、随分とトレーナーらしくなってきたじゃないか」

「うるさいやい」

 

ルドルフの脇を肘で突いておいて、本題に戻ろう。桐生院には悪いがこれもまたスピカの為犠牲になってもらおう。桐生院、君はいい友人だったが君のお父様がいけないのだよ、なんつって。

 

「......というかふと思ったんだが、そこのトレーナーとタキオンは正面衝突したんだよな」

「そう聞き及んでいる」

「怪我をしたら保健室にいくんじゃないか?」

 

皆それもそうだ、と驚いて目を見開くのはやめてほしい。しかしこうも簡単なことに気がつかないかね全くもう。灯台下暗しとはよく言ったものだが、身近な物事ほど簡単に考えられるのに見落とす。

 

『ヒビケファンファーレ トドケゴールマデカガヤクミラーイヲー』

「おや電話。相手は......ミークちゃんか、もしもし?」

 

スカーレットにも聞こえるようにスピーカーで電話に出ると、ミークの若干呆れたような声が聞こえてきた。

 

『トレーナーさん、見つかりました』

「おお、良かったじゃない! で、どこに?」

『......保健室です』

「「「保健室」」」

 

いま保健室には桐生院がいる。

いま保健室にはアグネスタキオンがいる可能性が高い。

トレーナーとウマ娘が正面衝突事故を起こした。

 

そして今ハッピーミークが呆れるようなことが起こっている。

 

「......逃した魚はでかいなぁ」

 

そこから導き出される結論に、私はため息をついた。

似たもの同士は惹かれ合うというが何も三女神よ、そうも強引に引き合わせる必要がどこにあるのか。

 

 

◇◇◇

 

「......」

「なあ、これどうすればいいんだ?」

「ほっとけ」

 

 保健室へと向かうと、扉の隙間からじっと向こうを見つめてる様子のハッピーミークと困惑気味らしくキョロキョロとあたりを見渡しては考え込んでいるウオッカ、そして耳をペッタリと伏せてどうでもいいとそっぽを向いたエアシャカールの3人がいた。

 

「やーやー、見つかった?」

「あ、サブトレ! 見つかったはいいんですけど、どうしましょう?」

「ミークちゃんちょいと失礼」

 

 ミークに頭を少しだけ下げてもらい、同じように隙間から室内を覗き込むと。

 

「......うわあ」

 

先ほど写真で見たウマ娘と見覚えのある小さいポニーテールをつけたトレーナーが思わず引く程に騒がしくしていた。背筋がどうだ腹筋がどうだ、腱がどうだ神経がどうだ。とてつもなく生物学的な話をするのはわかっているが、見習いトレーナーの私には理解できないレベルの高度な話題だ、それこそ研究者に匹敵する知識量なのかもしれない。

 

だとしてどうして桐生院は椅子に縛られているのやら。とりあえず2人の話を止めないことにはどうしようもないので遠慮なしに扉を開けて、気持ち大きめに扉を叩いてノックしてから声をかけた。

 

「お二方、熱中してるようで悪いけど」

「つまりこの理論は......って、鏑木さん」

「おや、お客さんのようだね」

「さがした」

「ミーク! ああ、ごめんね、トレーニングのことすっかり忘れて......ミーク?」

 

 寂しかったのか、縄を取るでもなくひしと彼女に抱きついたミーク。そしていー、と歯をむき出しにしてタキオンに対し威嚇のような何かをしていた。それを見たタキオンはというと腹を抱えて笑っていた。

 

「ハーッハッハ! 随分と担当ウマ娘に愛されてるようだねモルモット君」

「初めての担当の子ですから。それにこの子人見知りで」

「しかし白毛、ふうん。貴重な研究サンプルになりそうだ」

「ちゃんとミークの納得する形でやってくださいね」

「もちろんともさ」

 

 妙に打ち解けた様子の2人に対し、ミークとはいえば耳を後ろに倒してプルプルと震えていた。タキオンの光の薄い不気味な目が怖かったんだろう。値踏みするような無機質な目はそうそう他人に向けるものではないが彼女は遠慮というものを知らないらしい。

 

「では早速......といきたいところだが、スカーレット君にウオッカ君にシャカール、生徒会長とは随分と賑やかな事態になっているねえ。なんだい、誰か事件でも起こしたのかい?」

「トレーナーを椅子に縛りつけることは犯罪に等しいと思うけど。桐生院何かされなかった?」

「有意義なお話ができました!」

「この箱入り娘め」

 

 はあ、とルドルフと揃ってため息をついた。被害者本人がそういうのではタキオンを怒るに怒れない。というか、もう担当になるつもりで双方話が進んでいるようだから手出しもできない。

 

「ああそうだ。君に伝えておくことがあるが」

「トレーナーの件なら問題ない。彼女に決めたよ。デビュー時期はもう少しだけ後になるが会長の期待を裏切りはしないさ」

「......君の道行に栄光が在らんことを」

 

ルドルフは桐生院に一礼すると、その場を後にした。残すはスピカの面々とマンハッタンカフェ、椅子に縛られたままの桐生院と抱きついて離さないミーク、そしてアグネスタキオンの8人か。

 

「よし。今日は桐生院の奢りでスイーツ食べ放題な。

桐生院に新しい担当ウマ娘がついたことを祝って! ついでだマンハッタンカフェ、君も来るといい」

「......いいんですか?」

「どうせ私の金じゃないからね」

「............わたしが奢るって話になってません?」

「人を心配させた迷惑料だ」

「......おなかへらしに走ってきます」

「ミーク!?」

「じゃあアタシも」

「俺も走ろっと」

「皆さん!?」

「ハッハッハ、愉快な面々だね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第14回 6月1日 日本優駿

本当は第N回とか書きたかったんですけど時系列がこんがらがるのでやめました


 

 

 

「おはようございますトレーナーさん!」

「おはよう、よく眠れた?」

「はいっ、占いも大安吉日、バッチリですとも!」

 

 オープン戦ともなれば発走が9時とかになることもあるが、大きなG1レースってのは1番盛り上がる時間帯であろう昼過ぎあたりに開催されることが多く、今回のダービーは15時に発走だ。また開催場所がトレセン学園と同じ府中の東京レース場ということもある。千葉の中山レース場や兵庫の阪神レース場、京都の京都レース場や他の地方レース場になると3日前から移動を始めなきゃいけなくなるけれど、今回はその移動も必要ない。はじめてのG1デビューに余計な疲れもなく行けるのは正直ありがたい。

 

「んじゃ行くか」

「はいっ!」

 

 とはいえレース当日の朝は早い。ドーピング検査に体重計量、勝負服の最終チェックに蹄鉄スパイクのチェックと、やる事の量だけは多い。その前にチーム室でやることが一つだけある。

 

「朝の占いは見た?」

「はい、今日のラッキーアイテムは鉢植えだったのでサボテンの鉢植えをクラスメイトから借りてきました!」

「置いてきなさい重量オーバーだしよりによって危ないサボテンはダメ」

「なんとー! じゃあトレーナーさんが持ってて下さいよう」

「......しょうがないなぁ」

 

 彼女がカバンから取り出したるは重量感のある、というより窓際どころか机の主になれそうな大きさのサボテンの鉢植え。

見かけに違わずずっしりと重く、何より棘が刺さりそうで持つことも怖いくらい。なんでこんなもの学生が寮で育ててるかね、そこらへんの庭に生えてるレベルだぞこの大きさは。

 

「......もうちっと小さいやつにしてくれたら良かったのに」

「その子が『この子にダービー見せたげてよ、わたしは無理だからさ』と言うもんだから断れず。それに大は小を兼ねると言いますから」

「そういう問題じゃないと思う」

「大きい方が運気アップ......な気がしません?」

 

 こてん、と首を傾げつついうあたり本人も疑っているようだが、占いに固執するフクキタルの提案を無碍にするのもモチベーションが下がる原因になりかねない、さてどうしたものか。

 

「うぃーっす、おはようサブトレ」

「やあゴルシ、これ東京レース場にデリバリーして。お金は出す」

「ウーマーイーツじゃん! やるやる!」

「......ヨシ!」

 

問題は解決した。

 

 

 

◇◇◇

 

 

「それで結局作戦の方はどうするんですか?」

「じゃあ逆に聞くけれど、フクキタルはどうすればいいと思う?」

「そうですね」

 

 まずは占ってから、とタロットカードを広げ出したのは無視して手元にあるメモ帳に視線を落とす。ここには皐月賞のレース展開をはじめ、今回出走するウマ娘とレース結果を集めたデータが書いてある。一部はトレーナーやシャカールに協力してもらったがほとんど自分の足で集めたものだ。

 ダービー前哨戦でありフクキタルも出場したプリンシパルSや、前哨戦の一つ京都クラシック特別のレースも入っている。

 

 その結果を鑑みるに、私の予想では大逃げするサニーブライアンとサイレンススズカを後続が捕まえに行く立ち上がりになるだろう。走りたがりのサイレンススズカが同じ逃げ馬のサニーブライアンに影響を受けないはずがない。

 有力ウマ娘はほとんど皐月賞に出走している以上、前回の二の舞は避けたい筈。だからこそ大逃げを許すとは考えにくく、ハイペースなレース展開になる。フクキタルの強靭な差し足を活かすにはスローペースな展開が望ましいが、大逃げ宣言のサニーブライアンがいる以上難しいだろう。

 

 私がもし出走するならスローペースになるなら後方待機、そうならないなら前めにつけて逃げウマ2人を捕らえる。こういう作戦を取るだろう。

 

「......結果はでたかい?」

「あとはめくるだけですね。むむむむむ......」

 

 控室の机に無造作に広げられたカードの中から力を込めつつ、ややっと念を込めてから一枚をめくり上げたフクキタル。そこに書かれていたのは古臭い男女が描かれたカードだった。

 

「それは?」

「恋人の逆位置とはなんたる不運! 意味は優柔不断に選択の失敗......あわわわわ、ど、どうしましょ」

「落ち着いて。選択の失敗なら、フクキタルが考えてたことがシラオキ様的には良くなかったのかも。それを聞いて対策を考えよう」

「わ、私としては後方待機にしようかと。今回はサニーさんを警戒して先行策を取る人も多いでしょうし、皐月賞みたいに後方待機同士で牽制合戦をすることはないと見ました!」

「んー、悪くないと思うけど」

「けれど?」

「サニーがハイペースで逃げたら後方待機じゃ間に合わない。ラップタイムを正確に刻むのは難しい以上、私としては前めにつけておくべきだと思う」

「シラオキ様も選択の失敗と言っていましたしトレーナーさんのいう通り先行策を取りましょう、即断即決です!」

 

 ぶい、とサムズアップしてみせるフクキタル。その手が細かく震えているのを見て、私は彼女の手を優しく握り込んだ。

 

「負けてもいいとは言わない。でも、負けたら全部私の、トレーナーのせいにしていいから。そう言えるだけのベストを尽くして」

「ベストを......尽くす?」

「失策したって、よろけたって構わない。走り終わった後にターフに頭からぶっ倒れるくらいの全力を出してくれれば私は何も言わない。あとはフクキタルの幸運を信じるだけ」

「幸運を......信じる」

「うん。普段通りに。いつもやっているでしょう?」

「信じる......わかりました! 信じます、シラオキ様とトレーナーさん、そして私の大吉を!」

「よし、行ってこいっ!」

「はいっ!」

 

 それでは行って参ります、とにゃーさん(招き猫のカバンの名前らしい)を背負いドアを開けて地下道へ飛び出していった。

 

「フクキタル、パドックはあっち!」

「間違えましたーっ!?」

 

大丈夫かなぁ。

 

 

 

◇◇◇

 

 

『お知らせします。1枠1番、シルクライトニングは脚の怪我のため発走除外とさせて戴きます。繰り返します』

「お待たせ。悪いねトレーナー、席とって貰って」

「お前の担当なんだからお前がみるのは当然だろう? しっかり応援してやれよ」

 

 なんとか人混みを割って最前列へ抜け出すと、黄色いシャツのトレーナーがなんとか場所を確保してくれていた。その隣には制服姿のスピカが勢揃いで、レース開始を今か今かと待っていた。

 

「ねえトレーナー、発走除外って?」

「レースに出られないって事。直前に怪我したりとか、身体検査で引っ掛かったりしたらなる」

「ええっ! 酷えじゃねえかよサブトレ! こんなスンゲー舞台なのに走れねえって」

「ウマ娘が怪我を押し通して走ることは絶対に避けるべきこと。片足を怪我しても成績を残してたトキノミノルとかは例外だけど、怪我をしてタイムは刻めないし、何より死ぬ」

「し、死んじゃう? 脅かさないでよ!」

「脅しじゃ無え。レース中での死亡事故は何例か報告がある。そうでなくとも、レースで怪我を悪化させたのを理由にターフをさるウマ娘は多い」

「シャカール先輩......」

「その通り。お前らの夢を叶えるのが俺たちトレーナーの仕事だ。でもそれ以上にお前らが無事に卒業できるようにする事が、俺たちの責任なんだ。どんな記録がかかっていても、俺は怪我を押してレースには出させないし、出ようとするなら止めるからな」

 

 あまり見せない真剣なトレーナーの顔に驚いてる2人の頭に手を置いてワサワサと掻き回す。

 

「ウチの担当のレース前に硬い空気にさせないで。フクキタルの身体に異常はなかったし、一着取れるように応援しに来たんでしょ。トレーナー、変な話に持ってくの悪い癖だよ直してよ」

「悪い悪い」

 

ひと段落ついたところで、ターフに目を向ける。今はスタート地点前で思い思いにストレッチをしている時間なのだが......

 

「トレーナーさああああああああん!」

「あのバカ......」

 

 スタート地点からゲートを飛び越してゴール前の私たちの方へ向かってかっ飛んでくる栗毛のウマ娘。あのダミ声っぽい声と情けない叫び声で見なくともわかる。

 

「......どうしましょうどうしましょうさっき占いをしたら大凶になってしまいましたもう終わりですううう!」

「シラオキ様がレース直前に変なことしないって怒ってるの。ほら戻った戻った」

「あうー、で、ですけどお」

「そこまでイレ込まなくてもいいから。普段通りやればいいの。練習は裏切らないから」

「む、むむう」

「ラッキーアイテムの鉢植えも......ゴルシ、あれどうした?」

「私の頭の上の飾りになったぜ」

「は?」

 

 ゴールドシップの頭の上に目をやるといつもの髪飾りの頭の上に乗ってる帽子が同じくらいのサイズの鉢植えになっていた。風に吹かれて咲いた白い花が揺れる様を無言で眺める時間が続く。

 

「......鉢植えだし変わらないですね」

「そういうことだと思えばいいんじゃないかな?」

「マチカネフクキタルさん早くスタート位置についてください」

「はーい!」

 

それぞれの想いを抱えて、東京優駿が今、始まる。

 

「ところで預けたやつは?」

「エアグルーヴにあげちまった」

 

 

 



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第15話 その手に輝く栄冠は

東京優駿 出バ表

1枠 1番シルクライトニング(負傷のため発走除外)
   2番セイリューオー
2枠 3番ゴッドスピード
   4番ショウナンナンバー
3枠 5番シルクジャスティス
   6番エアガッツ
4枠 7番エリモダンディー
   8枠サイレンススズカ
5枠 9番ビッグサンデー
   10番マイネルマックス
6枠 11番スリーファイト
   12番ランニングゲイル
7枠 13番フジヤマビザン
   14番マチカネフクキタル
   15番メジロブライト
8枠 16番テイエムトップダン
   17番トキオエクセレント
   18番サニーブライアン




 

 

 

 

 

『さあ、始まりました日本ダービー! 今年も粒揃いの優駿たちが揃いました! 実況はわたくし赤坂、解説は茂木さんでお送りします。茂木さん、よろしくお願いしますね』

『よろしくお願いします!』

『さて出走ウマ娘を見ていきましょう。

 1番人気は7枠14番メジロブライト! 名門メジロ家出身のこのウマ娘が堂々の1番人気です。皐月賞では惜しくも4着でしたが、この大舞台で栄光を掴めるか!

 2番人気は6枠12番ランニングゲイル、弥生賞1位でしたが皐月賞では6着、今度こそ大舞台での一位が欲しい!』

『3番人気は5番のシルクジャスティス、直近2レースで2連勝と波に乗っているウマ娘ですよ。他には個人的には14番マチカネフクキタルを推したいところです。前走のプリンシパルSでは4番人気のサイレンススズカに僅差の2位でした。不気味な存在になるかもしれません』

『なるほど。そして外せないのは大外18番、前回皐月賞と同じ枠番になりましたサニーブライアン!7番人気と投票数は伸ばせませんでしたが、1番はいらない1着が欲しいと陣営は意にも介さず! 宣言通りの大逃げはこの舞台でも決まるのか、フロックの座を返上できるか! 真の実力が試されます』

 

 歓声にも負けない実況解説を聞きつつ、4コーナー奥のスタートゲートに目をこらす。何かを祈るように手を合わせるフクキタルに、私も心の中で祈りを捧げた。誰でもいいから彼女に幸運(しょうり)を運んでくれ。

 

『すべてのホースマンの夢を載せて。さあ、日本ダービーのゲートが今......開きました!』

 

 

日本ダービーが、はじまった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 ゲートが開いてレーススタート。勝負服ということでいつものジャージとは少し感触は違いますが、むしろそれが元気をくれるくらい私は今絶好調、なんせ、シラオキ様とにゃーさんが近くで見てくれてますからね!

 

 外寄りの枠ということで、内側の様子がよく見えますね。コース取りが不利になる欠点はありますが、他の子を把握しやすい利点もあります。中央あたりから飛び出して先頭を取ろうとしたスズカさんを、大外枠から飛ばしてきたサニーさんが邪魔するようにするすると先頭に立ってしまいました。っと、いけないいけない、トレーナーさんはサニーさんを逃げさせるとマズイっていってました。序盤はしっかりとサニーさんをマークして、そうですね......先行集団の前の方につけてもいいですね。芝の状況も最高、ければ飛ぶように走れる、ちょうどいい硬さ。これも日頃の行いと幸運の賜物、やっぱりトレーナーさんは運命の人ですっ!

 

フジヤマビザンさんがサニーさんのピッタリと後ろについてますね。スズカさんは......なんというか、行ったり来たりでよくわからないですね。時々隣に行きかけたり、戻ったり。

 おや、そろそろ直線ですか。ここは少し抑えて5、6番手あたりにつけて様子を伺いましょう。スタミナ温存は大事です。

うーん、スズカさんは何やら不思議な走りをしてますね。前に行くのか行かないのか、ふらふらと走られると気になってしょうがないですう。

 やっぱりメジロブライトさんは後方より。皆さん警戒しているようですが、足音が変わりましたからそろそろ上がってくる頃合いでしょう。3コーナーあたりが勝負どころですね。

 

 っと、そろそろ3コーナー。ハイペースな展開になるとはいっていますけれど、私の足は絶好調なのでまだまだいけますよ!

 後方待機の皆さんの走るルートを塞ぐのも兼ねてちょっと前に出ていい内側のコースを確保したいですね。まだ仕掛けは先でしょうが、一足お先に前に出ておきましょうっ!

 

さあさあさあ4コーナー! 視界良好、ビザンさんとスズカさんには悪いですけど、お先に失礼させてもらいますっ! ここでスピードをほんの少しだけ落としてインコースを走るのが今日の私っ! 先行集団の先頭に出ましたら後は末脚勝負、私の独、壇、場なのはトレーナーさんのお墨付きっ!

 

 へばったサニーさんを、私の開運ダッシュで捉えてみせますよっ! 東京の長い直線だって、この絶好調で大吉な私なら走り切ってみせますとも! ぶいんぶいん!

 

......あ、あれ? サニーさんの背中がどうやっても縮まらない? どうして? というか......ちょっと離されてる気がするくらいにっ?

 そして横からすごい足音ってみなさんいつの間にっ! ああっ、抜かされてしまいましたっ!

 

あわわわわ! 待ってください! まって、あれ、あれ? あれれれ? あれれれれーっ!? あれーーー!? にゃああああーーーーっ?!

 

『サニーブライアンだサニーブライアン! これはもう、フロックでもなんでもないっ! 2冠達成ーーーーーッ!』

 

け、掲示板に14番は......な、ない? ですね。

 

あ、あとの順位は......14番、14番......あ、ありましたっ!

 

なんと......なななな、な、ななちゃく? 7着? せぶん?

 

らっきーせぶん! これはえんぎがたいへんよろしい! わけ、では、ない、ですぅ......あう、あうあうあう......わたしのこうふくはいったいどこへ......

 

 

 

 

 

 




東京優駿 順位表

1着 サニーブライアン 2:25.9
2着 シルクジャスティス 1バ身
3着 メジロブライト 1/2バ身
4着 エリモダンディー クビ差
5着 ランニングゲイル クビ差
6着 エアガッツ クビ差
7着 マチカネフクキタル アタマ差
8着 トキオエキセレント 2と1/2バ身
9着 サイレンススズカ 1と1/2バ身
10着 セイリューオー ハナ差
11着 スリーファイト クビ差
12着 ショウナンナンバー クビ差
13着 テイエムトップダン 2バ身
14着 ビッグサンデー アタマ差
15着 マイネルマックス 1と1/4バ身
16着 フジヤマビザン 1と1/4バ身
17着 ゴッドスピード 2バ身


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第16話 ダービー、それから

 

 

 

 

トレセン学園校門前の葉桜も今は昔。植え込みに植えられた紫陽花に花が生える6月頃は、同時に春レースシーズンの集大成たるG1レース『宝塚記念』が主なG1レースになる。それに向けて身体を仕上げていく生徒や、季節柄多い雨を使った重バ場の練習にと雨の中でも走り込みをする生徒もいる。

 スピカのチームエースたるゴールドシップも同様に不真面目ではあるが今はトレーナーとマンツーマンのトレーニング中。それ以外の所属生はサブトレーナーの指示に従うこととの連絡を受け、さて今日はどんな練習をするのかとダイワスカーレットは傘をさしてチーム室の方へと向かっていた。

 

「......あ、シャカール先輩お疲れ様ですって、なんで入らないんですか? 鍵は空いてるはずですよね」

「朝からずっとこうだ。入りにくいったらありゃしねえ」

 

 ハァ、と頭をぐしゃぐしゃと書きながらチーム室の横へ来るようにジェスチャーするエアシャカールに促されるまま、窓の外から室内を覗きこむ。

 

「......」

「......あう、あうあう......あう......あう......」

 

 机に突っ伏してうわごとを漏らすマチカネフクキタルと、その対面にパイプ椅子ですわって宙を仰いで動かない鏑木サブトレーナーの姿が目に入った。

 

「く、空気が重い......」

「もう3日も経つんだぞ? 流石に立ち直れって話だ。これじゃ資料も取りにいけねえ。ったく」

「だったら私が提供してあげようかい? その代わり実験につきあってもらうけれどね!」

「「タキオン(先輩)?!」」

「やあ、久しぶり」

「てめえ、なんでいやがる」

「剣呑なことを言うのはやめたまえよシャカール君。別に私がどこを歩こうが私の勝手だろう?」

 

 2人の間に割って入ってさも親しげなように手を振るのは、栗毛のウマ娘アグネスタキオン。得意ではないのか露骨に距離を取るエアシャカールにやれやれとオーバーな仕草で肩をすくめながら、彼女は自分の目的を話し出した。

 

「モルモット君とミーク君と一緒にあのレースは見ていてね。心配して送った励ましのメールに返信も来ない、というわけだからひとつ様子を見てくれないかと頼まれたわけだが、君たちから見て彼女たちの様子はどうなんだい?」

「......なんというか、覇気がないと言いますか」

「心ここに在らず、だな。ミスしたんならさっさと反省すればいいのに、後悔している時間が勿体ねえ」

「フゥン。2人とも自分のミスで頭がいっぱいといったところだね」

「そんなところだろォな」

「じゃあこれとこれと......ふむ、これも使ってみようか」

 

 そんな彼女が懐から取り出したるは、明らかに怪しい蛍光色の液体が入った試験管が数本。今までの実験の被害者のなれはてを思い出して(例:この前練習グラウンドにいた光る桐生院トレーナー)、シャカールが顔を顰めた。

 

「まさか光らせれば解決すると思ってンのか? バカか?」

「そんなことは思わないよ。しかし、後悔を吹っ飛ばすには鮮烈な体験が必要だというトレーナーからのアイデアさ。もし落ち込んでいるようなら蹴っ飛ばしてでも立ち直らせて欲しいと言われたんだ」

「......それで、薬を使うってこと?」

「私の足の価値はそんなに安くはないよ。フゥン、こんな色になるんだねえ」

 

 タキオンは何本かの試験管の中身を混ぜ合わせ、蛍光色の液体を色とりどりな7色に光るネオン色の液体に進化させた。自分の知る知識では絶対にあり得ない物理現象にドン引きする2人を置いて、タキオンは鼻歌混じりにチーム室の扉を開けた。

 

「うまくいくのかしら......」

「さァな」

「やあやあモルモット君たち! 今日の気分は曇天だがいい実験日和だ! というわけで君たちには実験台になってもらう。返事をしないなら肯定とみなすがよろしいかね?」

「「......」」

「よろしい! 従順なモルモットは大好きだ! というわけで君にはコレを飲んでもらうよ」

「......」

「口開けているしちょうどいいか。えーい」

 

 まずはサブトレーナーの口の中に試験管の中身を半分流し込み、もう半分は無理矢理起こしたフクキタルの口に試験管ごと放り込んだ。

 3人が息をのんで見守る中、彼女たちは......

 

「「まっっっっっっっっっっっっず!」」

「まあ、味は最悪だろうね。考慮していないから。それにしたって貴重な薬品を噴き出さずともいいだろうに」

 

マーライオンよろしく、七色の噴水を口から吐き出すことになった。

 

 

◇◇◇

 

 

 反省会と若干角ばった文字でホワイトボードに書き込み、シャカールがペンを置き2人へ向き直った。

 

「それで、ダービーの敗因は」

「私がミスしたからです......」

「私がやらかしたせいです......」

 

 ペカペカと脚を光らせながらしょげて項垂れる2人。先ほどから進歩も前進もない2人にシャカールのボルテージが上がる。

 

「ああん? 手前はそれしか喋れねえのか? 今時デビュー前のスカーレットの方が反省会でも言葉が出る。

論理的(ロジカル)な分析をしろって言ってんだバカ!

 ただ負けたでは次に生かすも減ったくれもありはしねエだろうが、無駄に時間を潰すことは現役トレーナーとクラシック級の必須技能なのか!? 答えろトレーナー!」

「......今回のレース、タイムは」

「2分25秒9。ここ10年の勝ち時計は平均26秒台、統計的にいえば平均ペースだ。世代の実力が図抜けてたという言い訳はでき無エな」

「サニーブライアンのあがり3ハロンのタイムは」

「35秒2。4ハロンは47秒1、5ハロンは59秒3」

「それって......速いのかしら?」

「速すぎる」

 

 むくり、とサブトレーナーが顔を起こした。目元にはくっきりと黒い隈がぼこり、肌は風呂にも入っていないのかガサガサ。目は若干虚なままだが、しっかりとシャカールのことを見ていた。

 

「日本ダービーを逃げ切ったウマ娘はここ数年だと『アイネスフウジン』がいる。その勝ちタイムとあがりの3ハロンは」

「2分25秒3、あがり3ハロンは36秒6」

「今回のトップ3人とフクキタルのあがり3ハロン」

「2位シルクジャスティス のタイムが34秒2。3位のメジロブライトは34秒5。フクキタル先輩のは35秒2。

さて、ここから導き出される結論は」

「......レースをずっとサニーブライアンが支配していた。大逃げしてハイペースなレース展開を作るようで、実際はスローテンポなレースだった」

 

 膝の上で組んだ手を震わせながら、彼女は続ける。

 

「あがり3ハロンのタイムがそれを証明している。アイネスフウジンのレースではハイペースな展開で、軒並み上がり3ハロンは36秒台だった、違う?」

「最速で35秒4。今回のタイムより1秒も遅い」

「......サニーブライアンはラストスパートのための脚をしっかりと残していた。後方で皐月賞のような牽制合戦が繰り広げることを予想し、かつ大逃げ宣言をすることで自分がハイペースなレース運びをすると参加者全員に意識させた。

 

その逆をついて『スローペースに』逃げた。

自分に追いつくようではペースが速すぎると錯覚させ、ハイペースなレース展開だからこそ前が潰れることで後方からの勝負展開になるはずだと思い込ませた。

 

 先行策のウマ娘はスピードの緩急で若干疲れさせる。向こう正面はスローペースなのに対し、スタートから1、2コーナーへと向ける際はわざとペースを上げてた。それに、この大舞台で緊張してスタミナの減りが早くなることを予想するのは簡単。そもそも先行策は神経を使わせる。前も後ろも見なくちゃいけないのは、クラシック級のウマ娘に求めるのは酷、経験値が足りなさすぎる。

 

 だからこそ先行策を取るウマ娘は『潰れる』。垂れさせてインコースを完全に塞ぎ、後続の余力を残した後方待機のウマ娘たちに距離の長いアウトコースを走らせるために。

 

 フクキタルはそれに引っかかった。ペースに緩急をつけてスタミナを無意識に削り、スローペースなレースに気がつかせず、仕掛けタイミングをミスする様に『仕向けた』。

 

最内はフクキタルとスズカとビザンで塞いだ、内で最短コースを走れるウマ娘は追いつけない。

 

 問題は外、後方待機のウマ娘を東京の長い直線で振り切るには相当の脚がいる。けど、サニーブライアンにとってそれは一切問題がなかった。

 

 彼女はゴールドシップと同じ脚をしてる。短距離の切れ味は若干鈍いけど加速力は並以上。

 

 長い直線は逃げ戦法には不利、けれど長い直線を使わないと加速できないサニーブライアンにとっては最高の場所。

 

全部が全部、サニーブライアンの掌の上。

それを警戒しなかった私たちが負けるべくして負けた。

 

けど、フクキタルなら捉え切れるポテンシャルがあった。

フクキタルの末脚なら後方から大外一気でも刺し切れる切れ味がある。スローペースなら外から差し切る脚も残ってるし、内でも問題なくブチ抜けるパワーがある。

 

 フクキタルの言う通りに得意な後方策にしていれば、こんなことにはならなかった」

「そんなことありませんよう......」

 

 鼻声で、くぐもった声が聞こえた。相変わらず机に突っ伏して耳をぺたんと倒したままだが、フクキタルもまた口を開いていた。

 

「......うすうす、勘づいてました。スローペースな展開だって。練習でスタミナがついたって自分を過大評価せずに冷静に自分と周りの状況を把握できていれば......位置を下げるか、サニーさんのすぐ後ろをマークできていました。仕掛けタイミングもです。

 

レースは、最後に1番じゃなきゃダメなんです。レース途中にいくら1位の背中が見えたからって......それで、油断しちゃいけなかったんです。上の順位を取って安心しちゃいけなかったんです。

 

安心したくて、スパートをかけてしまった私は......それでもう、負けていたんです。

 

ベストを尽くしたとはいえません......トレーナーのミスを気をつけるのも、ウマ娘の仕事なんです......前のトレーナーさんが言っていました......間違いを起こさない生き物なんていないって......

ああシラオキ様......選択の失敗ってコレだったんですねぇ......私ではなかったんです。トレーナーさんも間違うんです......それを私は......考えもしなかったんです......」

 

えぐえぐ、と小さな声がして。

 

「だからトレーナーさんはわるくないんですゔぁだじのぜいなんでずううううううう!!!!」

 

 堰を切ったように泣き喚きだした。そのままちょうど目の前にいたサブトレーナーのジャージの裾を引っ掴んで顔を隠すように服に顔を埋めてわんわんと泣き続けた。

 

「ゔぁあああああああああああああんトレーナーざああああああああああん! ごめんなざああああああい!」

「ふくきたるぅ......」

 

 フクキタルの頭を優しく抱き、つられて涙ぐんだトレーナーが優しく彼女の頭を撫でた。

 

「.......ありがとう」

「トレーナーざあああああああさあん!」

 

そのまま泣き続ける彼女を、優しくずっと抱きとめていた。

 

 

 

「いい雰囲気なんだけど、なんというか」

「ハッハッハ、光ってるせいで色々と台無しだねえ」

「ちなみにどんな薬品を調合したんだ?」

「ホルモンに作用して感情を昂らせる薬だよ。気分もコンディションに影響するというモルモット君の意見を参考に作ったんだけど......どうやら涙もろくなるだけみたいだねえ」

 

 

 



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第17話 雨が降って夏来たる


前書きに気の利いたセリフが思いつかなかったのでファル子のガチャ結果でも書こうと思います。

40連でブルボンとタイシンが来てくれました。


そうじゃない。


 

 

 

 

「ごめん、迷惑かけたけどもう大丈夫だから!」

「ご心配をおかけしましたッ!」

 

 フクキタルが泣き止み、私もなんとか気が晴れたところでこちらを優しそうに見ているスカーレットとパソコンと向き合うシャカールを見つけ、いの一番に頭を下げた。

スカーレットはかける言葉を選んでいるようで手を所在なさげに動かしているが、シャカールがいつものようなぶっきらぼうな口調で端的に告げた。

 

「で? 今日の練習はどうする」

「......今日はオフにしてもらっていいかな? 折角だしトレーナーさんから伝えると思うけれど、これからの予定について話そうか」

 

 これからの予定。そう、恐らくあるであろうあのイベントについてしっかり伝えておかないといけない。準備とか色々大変だし学生の時は楽しみの一つでもあったからね。

 

「トレセン学園は7月と8月の2ヶ月間が夏休み。それを使って、我々チームスピカは『夏合宿』をすることになる......と、思います」

「「「夏合宿」」」

「夏場は中央だと目立ったレースないしね」

 

 というのも、夏場はウマ娘にとって休養シーズンだからだ。

まずウマ娘は人間より暑がりで体調を崩しやすく、夏バテにも弱い。

 次に主な中央G1レースがその選考レースも含めて9月まで無いこと。秋のシニア路線やクラシック最後の菊花賞、秋華賞は10月から本格始動する上、そうでなくとも春はレース間隔が短く疲れが取れにくい。

 そして最後に、学園がそもそも夏休みだということ。寮制ともあって流石に寮や最低限の設備は開放しているのもの、どうしてもカフェテリアや半分以上のトレーニング施設が閉鎖してしまう。

 

 だからこそトレーナーが数人で集まったり、チーム主導で全国各地の施設を借り受けて『合宿』の形でトレーニングを行う。そのほか、夏の間は地方遠征に行くものもあれば、海外のレースを学びに留学するもの、半分以上を休養に当てるものと過ごし方は様々。うちのトレーナーがまだチームを持ってないころは、数人のトレーナーたちで合宿をしていたからきっとあるだろうて。

 

「補助金なんかも学園からはしっかりと出る制度があるし、ゴルシの成績を見れば多少の追加予算は降ってくるはず」

「トレーナー質問! 夏合宿はどこに行くのかしら!」

「海ですか、山ですか、両方ですかぁっ?!」

「ンフフ......それは知らない。安くて予約空いてるところ探すからね」

「世知辛エことで」

「ウチは弱小とは行かないけどどうしても現役で走ってる子が少ないから肩身が狭いんだわ」

 

 未勝利戦だけが勝利のフクキタルはともかく、G1で複数回勝ってるゴルシは間違いなくトップクラスのウマ娘だ。だがチーム全体で見れば未デビューが3人にOP戦にやっとこさ2位だったウマ娘が1人にトップエースが1人。例え現役生の戦績がパッとしなくとも、現役生が少ないチームがいい場所を占領するのはいただけないから、いい場所は少し使いにくい。

 

「合宿の件はまたトレーナーから正式な話があると思うから......ハイ?」

「失礼します、カノープスの南坂です」

「南坂先輩!? どうぞどうぞ!」

 

 ノックされたと思えば、養成学校時代にお世話になったあの先輩の声がするじゃないか! 皆に中央と椅子を空けるようにジェスチャーして招き入れる。

 扉を開けて入って来たのは、軽く髪にパーマをかけた、優しそうな顔の青年といったいでたちの男性。スーツがよく似合っているのは昔から変わらない。

 

「失礼します。やっぱり、聞いた声だと思えば鏑木さんじゃないですか」

「いえいえ! こちらこそ、どうぞ座ってくださいよ。ところで何か用事ですか?」

「ええ。沖野トレーナーと合宿の件について、決まった事があるので連絡をしようと思ったんですけど、連絡がつかなくて」

「今は少し忙しいですからね。それで、決まったこととは」

「日程と場所です。資料はこちらに」

 

ぴらり、とA4の紙を手渡された。それを一斉に覗き込む私とメンバー。その1番上にはこう書いてあった。

 

チーム『スピカ』『カノープス(仮)』の合同夏合宿について。

 

「チーム『カノープス』? 聞いたことないですね」

「お恥ずかしながらまだ人数不足なんです。あと1人ですし、名乗ってもいいかな、なんて」

「南坂さんもチームを......素晴らしいですっ!」

「あはは......難しいことばかりです。沖野トレーナーからも何か学べることがあればと思ってこちらから持ちかけたんですよ。まだ仮段階ですけど」

「いえいえ是非是非! トレーナーにはプロレス技かけたって首を縦に振らせて見せますとも!」

「強引なのは相変わらずですね、悪い癖ですよ......?」

「ピエッ」

 

 一瞬だけ昔に戻ったような殺気を感じたので思わず変な声が出てしまった。それを見てすまなさそうに南坂さんが頭をかく、やっぱり昔と変わってないじゃないのよ。

 

 軽く話をして、部屋を後にしたのと入れ違いにトレーナーとゴルシ、ウオッカがやって来た。

 

「お、みんな揃ってるな。ちょうど話があるんだ。夏合宿についてなんだが......」

「海! 海ですねよねトレーナーっ!?」

「ど、どこから聞いたんだスカーレット......?」

「さっき南坂とかいうのが来たからな」

「入れ違いだったのか。なら、話は早い。千葉の海で夏合宿だ。他のウマ娘と練習できるいい機会になる、学べることは全部学べ、いいな」

「「「「はいっ!」」」」

「あ、そうそうフクキタル」

「はいっ、なんでしょう?」

「お前、福島でレース走ってもらうからな。7月いっぱい福島にいてくれ」

「えっ」

「鏑木、お前も一緒だ」

「えっ......えっ?」

 

 

◇◇◇

 

 

 

「えっ」

 

『さあ、夏の福島レースシーズン。本日第10Rは、芝1700m右回りさくらんぼS。実況はわたくし......』

 

 視界にはこじんまりとしたレース場と、青々と葉を茂らす木々が眩しい山裾。

 

「ターボターボターボ〜」

 

隣には青髪の騒がしいちんまいウマ娘。

 

「......あれ?」

 

 何故か発走機に収まる、きっと私も似たような顔でキョトンとしてるフクキタル。

 

そもそも、何故適正外のマイルレース。

そもそも、何故7月の今に走るのか。

そもそも、隣にいるこのウマ娘は誰なのか。

 

疑問は尽きず、されどレースの幕は開く。

 

発走機の扉が開き反射的に飛び出すウマ娘たちとフクキタル。

そうして、私の夏が始まった。

 

「どうしてこうなった」

 

波乱の夏が、始まる。

 

「マチフクがんばれー!」

「ケッタイな名前つけないでくれるかな......」




感想くるとモチベが上がります。感想よろしくね!


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第3章 燃えよ根性、滾れ情熱『チーム カノープス』
第18話 エンジンのような情熱を連れて


というわけで夏合宿の時間だゴルァ!

はい。ここも原作(アニメ)にガンガン追加要素を放り込んでだな......?


 

 

 

 

「快勝快勝! やっぱり私、神に愛されてる......?」

「いや普通に地力が強いだけだからね」

「すごかったマチフク!」

「でへへー......どちら様?」

「南坂さんが目をつけてる子。来年から学園に来るんだって」

「おお〜、後輩になるというわけですね、ヨシヨシ」

「ターボ子供じゃないもん!」

 

 割り箸を割りながら答えると、フクキタルがキラキラとした目をいつも以上に輝かせてちっこいウマ娘の頭を撫でていた。彼女の名前はツインターボ。人一倍小柄な体格と目を引く青い髪、人一倍の負けず嫌いとレースが大好きな、そんなどこにでもいるウマ娘。

 

「そんでダブルターボさんでしたっけ」

「ツインターボ! 間違えないでよ!」

「わざとですよあいだだだだだだ!」

「ガブガブガブガブ!」

「2人とも、ラーメン伸びるぞ」

 

 ......ちょっと性格に難ありと言えなくもない。

 注意するとターボが噛み付いていたフクキタルの手を離して、いただきまーすと元気な掛け声をかけてラーメンを啜りだす。フクキタルはといえば噛みつかれた手を振りつつ、同じようにラーメンを啜り出した。

 

「すごいレースだった! 隣のおっちゃんが『強いレース運び』って言ってたけど、どういうこと?」

「最終直線だけで3バ身のブッチギリ。これができるのは強い末脚と的確なペース配分ができるってこと」

「正直な話、楽勝でした。占う必要も無いくらいにレベル違いでしたよう」

「きょうしゃのよゆーってやつだな!」

「ターボ、箸を人に向けない」

「はーい......」

 

 実際問題、フクキタルの地力はG1は勝てないとは言わないが、G3〜G2くらいを勝てる実力がある。もちろんG1クラスのウマ娘が出走していなければのただし書きはつくが、展開次第ではG1勝てるポテンシャルも無いことはない。それをわかっていてなんでトレーナーは重賞でも無いレースを走らせたのか。出走していた他の子には悪いけれど『勝って当然』なレースだったと思わずにはいられない。

 

「フクキタル、今日はどうだった?」

「いやあ、しばらく見放されていましたがようやく先頭の景色を見ることができました。沖野トレーナーには感謝です。次も簡単に勝てるレースだと有り難いんですけどねぇ」

 

 ため息をつきながらチャーシューを齧っているフクキタルに対して同意するようにツインターボがブンブンと首を縦に振っていた。

 

「やっぱりレースは勝つのが楽しいもん! でもマチフク、どうして最後しか1番前を走らなかったの?」

「最初っから最後まで走るのは難しいんですよ、ね、トレーナーさん」

「ん、ああ、そうだね」

「そんなわけないじゃん! だってターボ見たもん、1番前でずっと楽しそうに走ってるの見たもん! えーと、ダービー!」

「楽しそうに?」

「うん! 1番前でずっと笑って、最後までとっても! だから、ターボもやりたい!」

「ずっと、笑って......か」

 

 楽しく走る。昔はそう思っていても、いざ真面目に取り組むとなるとそれを見失うウマ娘も多い。こう言った純粋な輝きを持ったままレース生を終えることのできるウマ娘はどれだけいるか。

 私にはもう、思い出せない想い出だ。

 

「ツインターボは走るの好きか?」

「うん! 1番前で走るのが好き!」

「そっか。でも、中央はターボより速い子が沢山いるけど?」

「ターボ負けないもん!」

「その心意気だ」

「大将さんおかわりください!」

「速くない?!」

「た、ターボ負けないもん!」

「あー、無理しないで、ね?」

「ふぁふぁふぉいっふぁいふぁふぇふふぉん!」

「口の中の食べ物はちゃんと噛んでから喋る」

 

 フクキタルがレース後で腹ペコだったらしく3人前も食べてしまったが、それに張り合ったツインターボが2杯目の半分を食べたところで目を回してしまった。フクキタルに彼女を背負わせ、お会計をとレジに足を運んだところで店の大将がこんな事を言ってきた。

 

「あんた、あの様子を見るにトレーナーさんだろう? フクキタルさんのダービー惜しかったな」

「応援ありがとうございます。直接言ってくだされば良かったのに」

「いやあ気恥ずかしっくて言えやしねえよ。次は何に出るんだい?」

「それはまだ秘密ですよ」

「だろうな。そんで......ツインちゃんも中央に、ってところか」

「ツインターボのことですか?」

「ああ。いつも騒がしいから忘れねえよ。しょっちゅうレース場とかに入り浸ってて、よくうちの店にも来てたんだ。一緒にあそこのテレビでレースを観てたりしてなあ。ぎゃんぎゃん常連と騒いでたよ」

「へーえ」

「あの子のこと、よろしく頼むよ」

 

 まいどありー、という声を背中に受けつつ店を後にする。すやすやと寝息を立てるツインターボを背負ったフクキタルが心配そうにこちらを覗き込んでいた。

 

「トレーナーさん長かったですね。何かあったんですか?」

「......いや、そういえばフクキタルのこと何にも知らないな、って思って」

「おや、そういえば話してませんでしたね?」

「前のトレーナーさんの話とかも聞かせてよ」

「いいですよ。あの運命の出会いは衝撃的でした、あれは私が──」

 

 そうだ、まずは楽しく走らせてあげよう。そのためには、彼女がどんなことが好きなのか、どんな走りが好きなのか。それを知るためにいっぱい話そう。フクキタルと。

 

「ところでターボさんのおうちはどちらでしょう?」

「......ターボ起きて」

「すやあ」

「......どうしよっか?」

「もう深夜バスの時間まであまり時間が、はっ、こういう時こそ占いの出番! シラオキ様タなむほーれんそう」

「道端でこっくりさんを始めるんじゃないよ」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「で、この有様というわけですよ」

「とれーにんぐ!」

「いやどうしてそうなるんだよ」

 

 ウオッカのツッコミが冴え渡るここは千葉県の海沿いにあるトレーニング施設の一つ。そして私の隣にいるのはツインターボ。そう、ついて来ちゃったのである。というか成り行きでバスに乗せちゃったのである。

 

「いや本当にどうしてこうなっちゃったの......?」

「ターボも水着着替えてくる!」

「あ、うん、いってらっしゃい......ってあるの?」

「ありますよ」

「あるんですか?! 南坂先輩流石です!」

「そもそも、見学のつもりで連れて来る予定でしたしね」

「......えっ?」

「あれ、言い忘れてましたっけ?」

「フクキタル、ホウレンソウは大事だよって言ってるよね」

「にぎゃーっ!」

 

 すっとぼけ顔で首を傾げるフクキタルの頬を引っ張る。そもそも連れて行こうって言い出したのはあなただしあの態度は途中まですっかり忘れてた態度だからね。

 

「こんな様子で大丈夫なのかしら......?」

「いつもこんな感じでしょ。カリカリしてると眉間に皺が増えるよ〜」

「あはは、気合満点で良いじゃないですか!」

 

今年の春の注目株、母親はアメリカで成績を残した名ウマ娘。資質は十分『キングヘイロー』

学内レースでは高順位をキープし続けるが、どうにも勝てないブロンズコレクター『ナイスネイチャ』

名門メジロ家出身。惜敗が続いていたが宝塚でゴルシを下し初のG1制覇『メジロライアン』

 

そしてもうひとり。

 

「テメエどこから入ってきたチビ助ェ!?」

「ぴぎゃーっ!?」

 

 草むらからツインターボの首を捕まえてて引きずってきた、血気盛んな黒毛のウマ娘。フクキタルとは同世代かつ同じ中距離路線。ダービーこそ間に合わなかったものの、勝ちタイム自体はトライアル青葉賞をコンマ8秒も上回る好タイムを叩き出していた。

 

彼女がいればダービーもどう転んだかわからない。

そして菊花賞では矛を交えることになるだろう。

 

『ステイゴールド』

 

「ああん!? 見せモンじゃねえぞ!」

 

問題児と聞いていたが、これ程までとは......!

 

「サブトレ、フクキタルの後ろに隠れんのは流石にカッコ悪いだろ」

「コワイ」

「ちょっと、ウチのトレーナー怖がってるじゃない!」

「勝手に怖がってる手前が悪いんだろうが!」

「まあまあまあまあ......」

 

夏合宿、大丈夫かな。そう思わずにはいられない。




この世界ではもうちょっとだけ騒がしいカノープスです。まだ仮だけどね!

ネイチャとターボ以外影も形もありましませんので追加しました。
リャイアンについてはかんんんんんぜんに趣味です。ついでにゴルシちゃんの宝塚が爆発しました。許して


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第19話 海と砂と筋肉と

運営は今すぐトレセン学園の学事日程表を発行すべきそうすべき(秋の学園祭のシーズンがよくわからない)


 

 

 

 

「ゴルシは休養も兼ねて7月いっぱいはサポートに回すんでいいよね、トレーナー」

「ああ、春シニアはしっかり走ってもらったし、秋に備えてゆっくり前半は休んでもらう。秋天は出ないがジャパンカップと有記念には出て欲しいからな」

「ライアンさんも同じように夏には休養してもらう予定ですし、お手伝いできると思いますよ」

「お、それはいい」

「むむむ、トレーナーさんは難しいことを言いますね......スポドリ持ってきましたよ」

「ありがとフクキタル」

 

 貰ったスポドリを喉に流し込みつつ、砂浜の木陰で作戦会議。ただ練習内容は事前に詰め切っていたので最終確認といったところ。双方のチームエースであるゴルシとメジロライアンは7月いっぱいはサポートに回り、デビューを待つ面々とツインターボのトレーニングが今回の合宿のメインになる。フクキタルは1週間ほどはレースの疲れを取るためにしっかり休んでもらうことになっているので、彼女もサポートだ。

 

「オラオラ声出せ! ウマ娘は気合と根性だ!」

「砂浜では正しい走行姿勢を意識してくださいね」

 

 ゴルシが音頭を取りライアンが技術的な指導の声を飛ばす、即席教官ペアとはいえなかなか相性は良さそうだ。

 

「スカーレットさんとウオッカさんは綺麗な走りをしますね。お手本みたいな走り方で参考になりますよ」

「元からしっかりと鍛えてたみたいだし、こっちからはなんにも手を加える必要もないくらいだよ。ただ、シャカールの斜行癖はどうするんだ?」

「アレばかりはどうしようもないですトレーナー」

 

 砂浜に足を取られて若干右によろめくシャカールを見ながらぼやく。彼女の斜行癖は生まれつきのものらしく、矯正しようと色々なトレーニングを考えてはいるものの元の走りが狂ってしまうことを考えると手を出しにくい問題だ。

 

「原因は調べてはいるんですけど斜行の原因は本人もわからないようで。南坂先輩はどう思います?」

「だったら、体幹を鍛えてみるのはどうでしょうか? ライアンがそういったトレーニングには詳しいので、彼女に教えてもらうといいでしょう。

ライアンさんとシャカールさん、少し来てもらえますか?」

「はい!」

「なんだよったく......?」

 

 そのまま別メニューについて話し出した。簡単な説明ののち、器具は必要ないのでライアンが砂浜に徐に寝転がり実演してみせると、シャカールも少し首を傾げつつではあるが同様に砂浜に寝っ転がって真似をし出した。

 

「シャカールさんは少し成長を急ぎ過ぎな傾向にあると思います。自分で自主練メニューを組んでいたりするようではありますが、少し理論が先行している部分も見受けられましたからね。基礎練からの方がいいかと思いますよ」

「ほんとですか? 割と理想的なトレーニングメニューだと思ってたんですけど」

「ええ、僕もそう思います。それを踏まえて少し気になる部分を見つけただけですよ」

 

 やさしく目を細める南坂先輩は簡単そうに言っているが、誰でもできる事じゃない。現にうちのトレーナーも驚いてるところな上に私も驚きを隠せないところなんだから。

 

「どうかしましたか?」

「誰でもできるような口調でそんなこと言わないでくださいます? 先輩は天才なんですからもっと自分の才能を鼻にかけたような自慢げな言い回しをして貰わないと。でないとこちらが惨めになりますよう」

「そう言われましても」

「ほらそうやって困り顔しないでください!」

「そうですよトレーナー、もっと胸を張ってください!」

「ライアンさんまで......」

「なんたってあなたはG1トレーナーなんですから」

「実感はないのですけれどね。ランニングもそろそろ切り上げましょうか。ゴールドシップさん、そろそろ切り上げてください」

 

 変わらず控えめに笑う南坂先輩だったが、照れくさいのか立ち上がってゴールドシップに声をかける。自分を立てるのを好まず、他人とウマ娘を思いやる姿勢を教えてくれた私の先輩は数年ぶりの再会でもやっぱり何も変わらない。

 

「......とはいえ、ウマ娘のことを肯定しすぎるのも考えものなんだと思うんですよねえ」

 

 被害者とは行かないが、その影響をしっかり受けたせいで酷い目に遭ってるに違いない桐生院ちゃんがいるんだから。あれはアグネスタキオンが悪いといえばそれまでなんだろうけど。

 

「あ、そうだ南坂先輩。桐生院ちゃんがどこで合宿やってるか知ってます?」

「おや聞いていませんでしたか? 同じ合宿所ですよ?」

「えっ」

 

 なんだか、嫌な予感がした。

 

「フクキタル、このスポドリどこから持ってきた?」

「合宿所の玄関ですよう。誰が持ってきたのかは知りませんけど、スピカと書いてありましたし間違いはないかと思いますけど、違いましたか?」

「ウチが持ってきたのは水に溶かすタイプで、ペットボトルのものじゃないぞ?」

「......そういえばこれ封が妙に軽かった気がする」

 

 自販機で見かけるような世間でも一般的なスポーツドリンク。白に近い透明に見える中身の液体は、外装の色も相まって薄い水色に見える事も多いのだが......試しに蓋を開けてひっくり返して出てきた液体の色はといえば。

 

「これ水色じゃないのよ中身が違う!」

「騙されましたね!」

「それはスポーツドリンクに見せかけた私の薬品だ!」

「どんまい」

「ミークちゃん?!」

「タキオン流石にやっていいことと悪いことがってなんだか全身が痺れっ?!」

 

 背後の草むらから姿を現してカメラを回し始めた桐生院トレーナーにメモを取る手が止まらないアグネスタキオン。絶妙な位置どりの2人を蹴っ飛ばそうと立ち上がった時、全身を妙な痺れと疲労感が襲う。例えるならレースの次の日の朝のような全身筋肉痛と同じ感覚、その様子を見て説明してあげよう、とタキオンが口を開いた。

 

「君は全身疲労と筋肉痛に似た痛みを感じていることだろう。その通り、君に飲ませた薬品は『筋肉痛を発生させる薬』だ。

 筋肉痛とは運動により損傷した筋肉が修復される時に発生するとされる痛み、痺れのこと。つまりコレを意図的に起こすことは筋肉の超回復を意図的に使うことができるってことなんだよ被検体君!」

「ミークのトレーニングに使えると思ったのでまず貴方で試す事にしました」

「自分で試しなさいよおバカ!」

「「得体の知れない薬を自分で試すのはちょっと」」

「よーしそこに直れ熱々の砂浜で正座させて説教させてやる」

 

 朱に染まれば赤くなるとはよく言ったもので、マッドサイエンティストのトレーナーになるともれなく倫理観がパージされるようだ。こっちを憐れみの目で見るミークちゃんは我が道を貫きそのままでいてほしい。

 

「と言うわけでトレーナー君後は任せた」

「ふふ、どちらが先に捕まるか競争です!」

 

片方(タキオン)は砂浜を全速力でかけて行き、

片方(桐生院)は野生児の如く山中に消えた。

 

最後の1人(ミークちゃん)といえば、空を見ていた。

 

「あ、暫く逃げ回っている予定なのでその間のミークのトレーニングメニューを」

「確保、正座、説教」

「しまった!」

 

 忘れ物をしたとのこのこと別方向から戻ってきた桐生院をゴルシがいつも使っているズタ袋を使って引っ捕まえる。家訓か何かでウマ娘かくもやの運動神経を持ってる桐生院だが、オツムの方はまだまだ練習が足りないようである。

 

「頭の筋トレには数独がおすすめですよ!」

「何言ってんだセンパイ」

「頭の筋肉の練習がなんとかと言われている気がしまして」

「脳の半分以上はコレステロールなどの脂肪分だ。あと筋肉は殆どないぞ」

「じゃあ絞りがいがありそうです!」

「脳みそに筋肉詰まってンのか?」

 

 

 

 

 

 

 



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第20話 資格と才覚


しばらく説明回が続きそうで申し訳ない。こういうのをしっかり読ませられるのが上手い人はすごいですよね......


 

 

「それでは、菊花賞について説明していこうと思います。講師の鏑木サブトレーナーです」

「助手のゴルシちゃんだぜーい!」

 

 炎天下の中合宿所から借りてきたホワイトボードを砂浜に突き立て椅子を並べるという意味不明な作業をしたのち、私は伊達メガネをクイっと指で押さえながら、もう一方の手でボードを叩く。そこには京都競馬場のトラックを上から見た衛星写真が磁石で貼ってある。

 

「......なんでこんな炎天下でやる必要があるんだ?」

「暑さで慣れてきたところに室内でクーラー効かせたら逆に参っちゃうからね。あと合宿所狭いし」

「わざわざ機材を運ぶ方が非効率で論理的(ロジカル)じゃ無エんだが」

「さて、菊花賞の舞台といえば京都競馬場、外の右回りなんですが、フクキタルは走ったことあるんだっけか?」

「無視すんな」

 

 エアシャカールの不満げな声は右から左へ聞き流しつつ、フクキタルの方へ話を振ると、少しだけ思い出すように空を眺めてからフクキタルは答えてくれた。

 

「ハイ! 1800mのレースでしたが走った事はありますよ」

「ふむふむ。後は未デビューだし走った事はないよね。行ったことある人は?」

 

 そう聞けば誰も手をあげなかった。シャカールやキングヘイロー、ナイスネイチャも行ったことは無いらしい。

 

「オイ」

「はい。ステイゴールド君」

「俺は2400走ったことあるぞ」

「......感想は?」

「とにかく坂がキツかった」

「そう。菊花賞、もとい京都レース場の難所は向こう正面〜4コーナーにかけての丘だ。こいつは東京のゴール前の坂の比じゃないほど高いうえにコーナーにかかっている。

さて、これが実際のレースではどうなると思う?」

「3、4コーナーといえば戦法によっては上げ始める頃合いになりますよね? そこで坂があると、すごくキツく無いですか?」

「4コーナーが下り坂なのも考えモノだ。お陰でスパートをかけすぎると身体が外にすっ飛んでくぞ」

「最終直線は328m。東京よりは短えが、中山よりは長い。そこでスパートをかければ間に合うだろ」

「話が逸れてるよシャカール君。

 正解は君たちの言った通り。スパートをかけ始める3コーナーが丘になっていて4コーナーは下り坂の終わり口。スピードを飛ばしすぎると外ラチ方向に身体がすっ飛んでくし、抑えようとすれば無駄に体力を使う。とくに、このカーブを2回越えなきゃいけない菊花賞は特に対策しなきゃならない」

 

 京都の急坂、この坂の対策無くして菊花賞の勝利はない。いくら平地でタイムがよかろうが、高低差のある実戦のレース場でタイムを刻めないことに意味はなし、と養成学校では教えられたモノだ。

 

「というわけで学ぶのはコーナリングとスピードの抑え方、息の入れ方です。特に長帳場のレースになる以上、スタミナ管理もしっかりとしていかないとね」

「別にぶっ飛ばして勝てばいいんだよ勝てば。アタシはできたしいけるいける!」

「うん。やるなって言った事全部やって勝ったゴルシを助手にしたのが間違いだった。それに、3、4コーナーのカーブ全速力でかっ飛ばしてたわけじゃないでしょ?」

「まーな。アタシがやった時は......どんなだったっけなぁ」

 

 マーカーを手渡せば、当時のことを思い出しつつあーでもないこーでもないと言いながら何かを写真に書き込んでいくゴルシ。数分もせずに、ゴルシが写真の前から離れた。

 

「まず2週目の向こう正面でケツについてたから、そろそろ捲らねえとなーって追いあげたわけよ。そんでみんな坂でスピードが落ちたから、アタシは速度を落とさずにかっ飛ばして外につける。で、坂のカーブが緩くなったところで一息ついて、最後坂を速度上げつつ外にぶっ飛ばして、あとはウチに入りつつ走るだけ。な、簡単だろ?」

「普通できないから」

 

 ゴルシの大柄なガタイとストライド、そして天性のスタミナとコーナーセンスがなせる『ゴルシだけの』勝ち方だ。1人知り合いで似たようなことをしたウマ娘がいるが、どれもこれも参考にならないだろう。

 

「ゴルシの例は脇に投げといて、これを踏まえて菊花賞の勝ち方はどんなだと思う?」

「「「直線勝負」」」

「そうだね。ほとんどの勝負は直線で決まると言ってもおかしくはない。多少の例外があると言っても、幸か不幸かそれができるウマ娘はフクキタルの世代にはいないよ」

 

 京都レース場の直線300mでどれだけ全力を振り絞れるかの末脚勝負になるだろう。技も駆け引きもない、原初のレース。

 

「おや? サイレンススズカさんのことは考えないんですね」

「彼女に3000は無理でしょう。適性がない」

「適性?」

「そういえばその話もしないとね」

 

適性、とホワイトボードに書き加える。

その下に一本線を引き、4等分になるように線を引いて、短距離、マイル、中距離、長距離と書きこむ。

 

「さてスカーレット君。これらレースの区分を分ける4つの指標だが、それらの区切り方は?」

「短距離が1000〜1500m、マイルが1600〜1800m、中距離が2000〜2400、長距離が2500m以上、ですよね」

「正解だ。だが、今回は古い言い方をさせてもらうと」

 

と、中距離と長距離との間に線を引き『中長距離』と書き加えてからその下に2400〜2500mと数字も書き込んでおく。

 

「これも含めて5つだ。では、適性の話に移ろう。ゴルシ」

「ああん?」

「1400m走れる?」

「それくらいヨユーよ」

「じゃあも一つ質問。1400mのレースで走れる? メイクデビュー戦でだ」

「無理だな」

「理由は?」

「アタシの足が短距離に向いてる訳ねーだろ。マイルだって間に合うか怪しいんだぞ?」

「......と、クラシック2冠ウマ娘だろうが勝てるレースじゃないと言う。これが適正だ」

 

 スプリンターの走り、マイラーの走り、中距離の走り、長距離の走り。どれも別の才能、持ち味を求められる。それを努力で埋めることも不可能ではないが、決定づけるのは残酷なまでの『天性の才能』だ。

 

「特にフクキタル、ナイスネイチャ。クラス分け上、君ら2人は菊花賞を目指す事にはなると思う。だが菊花賞は才能がなくちゃ勝てない、と言わなきゃいけない。夏合宿ではそれを見極めるトレーニングもする」

「才能、ねえ」

「うーん、たった5,600mでそんなに変わるモノなのでしょうか?」

「3000mはそう言う距離なの。2500m負けなしでも3000mになればズタボロ、そんなウマ娘は沢山いる。

それにフクキタル、500mってのは東京レース上の直線と同じ長さだけど、アレの長さを思い出せない?」

「それでもペース配分とか、スタミナをつけるとかすればいいじゃないですか」

「長距離の才能がある同じレースに参加したウマ娘は同じ時間を使ってスピードを上げるトレーニングをする。3000mを走り切ることを求めてるんじゃない、3000mのレースで勝つことを求められるの」

 

 フクキタルの中ば屁理屈めいた疑問を切り捨てる。この才能はとても残酷なのは、私自身がよく知っている。あの京都の坂の苦しみも、最終直線の遥か先で歓声を受けるウマ娘の背中を追いかける辛さも知っている。それがどれだけ心に傷を残し、自分の非才を恨む事になるかということも。

 

 夢を阻むなと、才能を覆すためのトレーニングを提示するトレーナーもいるだろうが、私はそうはさせたくない。どんなウマ娘だろうと自分の才能を磨けば光り輝くものは必ずある。

 

 「厳しい言い方をすると、このレースは出走しなくてもいい。同じ時期には2000mの天皇賞秋だってある。その両方に出せるような出走レースの登録だってできる。無理にこのレースを出走する必要はないし、こちらも強制はしない」

 

とはいうものの、目の前にいるウマ娘に「できない」「諦めろ」といって素直に諦めるバカなんているはずもなかろう。

 

「と、いうわけで要するに7月いっぱいスタミナ強化月間ということで、死ぬほど砂浜を走ったり泳いだりしてもらう事になるよってこと。クラシック組は特に頑張ろうね」

「......ちっ」

「南坂先輩この子どうやって制御してるんです?!」

「根はいい子ですから」

 



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第21話 夏の夜には怪キタル


オークスではゴルシの娘さんが勝ったようで。ソダシの三冠も見たかったですが......ま、これも歴史ですわね。


 

 

 

「お前ら、肝試しに行くぞーっ!」

「「「「おーっ!」」」

 

 夏の日ざしでこんがりと焼けたウマ娘、ヒシアマゾンの号令の元ジャージ姿のウマ娘達が拳を突き上げる。同じ合宿所に来ていたリギルのヒシアマゾンを筆頭に、ゴールドシップは勿論の事その他数名の騒がしいもの好きのウマ娘が企画していたらしい。本音を言えばさっさか寝て疲れを取ってほしいが息抜きも悪くない。

 

「しかし、おハナさんが企画を通すとはね」

「彼女らの息抜きをする事も大事でしょう? それに、慣れない場所で寝起きするのは意外とストレスなのよ」

「てっきり、さっさと寝ろとか言うと思ってましたよ」

「そこまで厳しいわけじゃないわよ」

「私らのころは却下したくせにー、ぶーぶー」

「......昔は昔、今は今よ」

 

 夏のおかげか、いつものスーツ姿よりは幾分ラフなハーフパンツやパーカー姿のおハナさん。私はバレないために四六時中長袖長ズボンのジャージでクソ暑いというのに羨ましい限り。

 

「だったら脱げばいいじゃない」

「エスパーか何かです......?」

「元担当なんだから考えてることくらいわかるわよ」

「もう何年前の話なんですか、律儀ですねえ」

「忘れないわよ。一度担当したウマ娘のことなんて、いやでも忘れられないもの。貴方もすぐにわかるわ」

「よくわからない事を言いますね」

「貴方と駆け抜けた1年間は、鮮烈だったもの」

「そうですか? ひどい成績ばっかだったと思いますけど」

「それでも、よ」

 

 負けた時のことなんて、すぐに忘れてしまいたいものなのに。私なんかクラシック級のことなんかもう断片的にしか思い出せない。なんで嫌なことは全部忘れたいタチだし実際忘れられるならそうしている。

 

「貴方負けるたびにわんわん喚いてたじゃない」

「記憶にありませんねえ」

「そっけないわね」

「もう担当ってわけでもないですし他人のようなもんでしょう。今はただのトレーナー同士、そういうことで」

「......変に大人になったわね」

「大人になることの何が悪いんです?」

 

 私の疑問におハナさんは答えることはなかった。それっきり黙り込んでキャイキャイと組分けと順番わけのくじ引きで盛り上がるウマ娘の方を見やっていた。

 

「うおーし、お前ら決まったなー! それじゃ1番から行くぞ! レッツ肝試し!」

「でもヒシアマ先輩、人数が奇数だから1人余ってしまいませんか?」

「しまった! どうしよう!」

「あ、トレーナーさん、ちょうどいいところに!」

「ん? どしたのフクキタル?」

「肝試し人数が余ってしまうので参加してもらえませんか?」

「ゔぇっ」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「それで、ペアは君か」

「よろしくお願いします」

 

 キラキラした目を向けられると断れないのは私の悪いくせだ。流されるまま数合わせとして参加することになった私のペアになったのは、アグネスタキオンの件で知り合ったマンハッタンカフェ。コーヒーが好きだと聞いている、黒鹿毛のウマ娘だ。低身長と黒い髪も相待ってふとした拍子に見失ってしまいそうになるから気を配れて一回り大人なトレーナーの私をペアにといったところだろう。

 

「しかし、肝試しとは。またアグネスタキオンだったら『科学的には存在しない』とか言うんだろうねえ」

「幽霊は信じませんか?」

「少なくとも見えないものを信じるつもりはないよ」

 

 懐中電灯の小さな光を頼りに林道を歩く。夜の林というのは静かで、風の音や木の葉が擦れる音ばかり。鳴く虫の羽音もしないというのもまたおどろおどろしく恐怖感を掻き立てる。カツカツと硬い乾いた地面を歩く音だけが、妙に響くのが不気味で仕方がない。

 

「そういう君は信じるのかい?」

「私も幽霊は信じているつもりはありません。ただ、私にだけ見えるものがあるのは理解しています」

「へえ」

「......私の隣にいる『あの子』とか、学校の切り株の中にいる『あの子』。他にも何人か学園内で歩いたりしてる様子は見たことがあります。マチカネフクキタルさんにも」

「フクキタルにも?」

 

 聞き逃せない言葉が彼女の口から出てきた。別に霊を信じるわけじゃないが彼女の話となれば気になる。続きを促すように疑問を投げかけると答えが帰ってきた。

 

「同じ髪色の、双子のようにそっくりなウマ娘が彼女の隣や後ろによく立っているのを見かけています。水晶玉を一緒に覗き込んでいたりしていましたね」

「双子そっくりな......うーん、似たような親戚がいるのは知ってるけれど、双子は知らないな。もし居るなら聞いた事くらいはあるし、履歴書にも記載があった覚えはないね。間違えてないかい? ほら、和装とか着流しを着ていたりとか」

「マチカネワラウカドさんのことは知っていますよ」

「なら違うか」

 

 思い当たる節があるとすれば件の『シラオキ様』。占いや夢を通じフクキタルに助言を与えてくれる超常的なナニカ、なんてのはまさしくそれに近いものではなかろうか。

 

「その子、シラオキ様とか名乗ってないかい?」

「流石に会話内容までは」

「だよねー。流石に無理か」

「あの、シラオキ様、とは?」

「占い好きのフクキタルがよく言ってるカミサマのこと。なんでも彼女自身だけが信じてるようなもので、占いで助言をくれたり夢の中でお告げをくれる、らしい。他人にはわからない事を信じているってんなら君と似たようなものかもしれないね」

「そうでしょうか?」

 

 首を傾げるあたり、マンハッタンカフェにとってはちょっと的外れな言葉だったようだ。だが、何か肩を叩かれたように私と反対方向を向いて相槌をうちはじめた。

 

「......ああ、はい、なるほど、そうですか」

「虚空に向けて話しかけないでくれるかな急に?!」

「彼女が貴方のいう『シラオキ様』で確定だと彼女が」

「彼女?!」

「はい。あとそれと」

 

 こちらを覗き込む琥珀色の瞳には嘘はなく、情報源はさておきフクキタルにいるという背後霊はシラオキ様で確定らしい。もっとも、それを知れたところでどうしろという話だが......

 

「おばけだぞー!」

「ぎゃあああああああああ!?」

「そこにハルウララさんが隠れていると......」

 



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第22話 合宿は鍛えるだけじゃない


ちょっとだけホラー。それとお勉強のお話。


 

 

「うう......難しいよう......ターボわかんない」

「じゃあ最初っからこのキングがゆっくり説明してあげるわ!」

「さっすがキング!」

「キングはやっぱり優しいですね!」

「「「キング! キング! キング!」」」

「今は勉強の時間ですわよお静かに!」

「キングヘイローっていいところのお嬢さんって聞いてたけど、あれで結構面倒見がいいのね」

「蓋を開けてみればただのお節介焼きだもの。お嬢様っていう割には庶民派なのよ、アレで」

「あらネイチャ」

 

 ここは合宿所の勉強部屋。といっても備え付けの机をくっつけただけなのだが、そういうことになっている。練習も終わり、夕飯もたっぷりと腹に入れ、温泉でしっかり汗を流した後にはこの勉強の時間だ。

 

「んで? ネイチャ君は勉強しなくてもええんかい?」

「あたしは合宿前に進めてたから余裕あるし、今日は疲れてるからいいかなーって。この後は軽くランニングの予定」

「んじゃウオッカあたりを誘ってくるといい。スカーレットもおまけでついてくると思うけど」

「あの騒がしい2人かぁ......ま、その案には乗っておきましょうかね」

 

 といってもネイチャが自主練でもするように強制でもない。この時間は要するに自由時間であるのだが、合宿にかこつけて勉強を投げ出すあんぽんたんが宿題を残さないために作った時間でもある。

 

 まずスカーレット、彼女は優等生で通っているゆえ宿題も日割りでやっている賢い子だからこんな時間を設ける必要もない。ただ、教師役には向いているのでたまにきてもらっている。

 次にウォッカには『宿題を残すなんてカッコ悪いよな』なんてトレーナーが焚き付けていたから大丈夫だろう。しかも隣にいるのは勤勉なスカーレットだ。勉強で1番を煽られるのも癪に触る事だろう。真面目にやってくれるはずだ。

 ゴルシは意外なことに成績は良好だ。というのも、地頭の回転が良く合宿前には課題を終わらせてきたと豪語するんだからこちらからは何もいうことはない、と長い付き合いのトレーナーが言うんだから間違いなかろう。間違ってても気にしないだろうしな。

 

次にカノープスだ。

 ナイスネイチャ、成績は上位をキープする彼女はスカーレットほどではないが勤勉らしい。休養日の昼や朝にコツコツと机に向かう姿を見た覚えがあるし、勉強については問題なかろう。

 キングヘイローは『キングは一流だから問題ないのだわ!』と言っていた。大丈夫なのかさっぱりわからないが、面倒見良くツインターボに教鞭を振るうあたり成績の心配は不要だろう。

 メジロライアンは勉強ができないなりに頑張っている、とは彼女自身の弁だ。反復を忘れず、新しい知識を覚える事も忘れず、間違いは根本まで正す。正確な形での反復練習は筋トレにも通ずる故だろうか?

さて、ここまでが勉強を真面目にやってくれる面々。学生の本分は勉学であるし、勉強は頭の回転を早める。頭の回転はレース展開の判断や奇跡のような逆転劇に力を貸してくれる最高の相棒になる。それを鍛えないのは愚か者だ。

 

 まずはツインターボについてだ。彼女は小柄でそれに比例するように子供っぽく飽きっぽいためか、あまり机に向かうことが得意ではないようだ。だが、今のキングのように話しながら勉強できれば、問題に取り組んでくれる。しっかりと勉強して知識を身につければまだ間に合うはずだ。

 

エアシャカール。彼女は頭が良い。というより()()()()。普段の資料収集や分析力からして、数学においては学園で習う範囲は抑えているに違いない。ただこんなくだらない数学の問題集やら英語の文法だとか歴史だとかをテキストに書き込む暇があったらイメージトレーニングしてた方がマシだ、とか考えてるからやらないだけだ。やってくれ。

 

マチカネフクキタル。夏休み前にあった試験のマークシートでは鉛筆を転がしていたらしく、ひどい有様だった。勉強はできるらしいが、迷った瞬間に占い始めるのはやめて思い出す努力を数秒でもして欲しいという話だ。

 

ステイゴールド。彼女なんだが......

 

「クソほどわかんねえクソが!」

 

この間窓の外に参考書を投げているのをみた。

どうやって学園に入ってきたかわからない。

勉強するやる気はあるらしいが......

 

 

 まあ、迷っていても仕方はない。休み明けのテストで赤点にでもなれば放課後の時間が補習や再テストになって練習時間が無くなっていく。フクキタルは9月10月とレースに出てもらうことになるからこそ、頑張って欲しいのだが......

 

「......フクキタル見なかった?」

「窓から脱走してました」

「まったく、もう!」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「まっさか寝落ちしてるとはね......」

 

 部屋にノックしたら、2人とも敷いた布団に突っ伏して「もう食べられないよ」なんてベタな寝言呟いてんだもの。ああなったらもう布団かけて電気消す以外にやる事もないでしょうが。

 

「いやあ、海の風が涼しくて、夜はやっぱり走りやすそう。それに誰も走ってないしねえ」

「おや、ナイスネイチャさんじゃないですか。こんな深夜にランニングですか?」

「? ああ、はい、まあ。って勉強時間のはずじゃなかったでしたっけ」

「逃げてきちゃいました」

「逃げてきちゃいましたって......」

 

 いざ走ろうと準備運動をしていたら、後ろから声をかけてきたのはスピカのフクキタルさんだった。ニコニコと目を細めてはいるが、鏑木トレーナーさんがカンカンに怒らないだろうか。まあ、ここで突き返すってことを思いつかないあたしもあたしか。

 

「見逃したネイチャさんも同罪ってことで」

「うわー、エスパーですか?」

「エスパーではなくとも、優秀な占い師ではありますので」

 

 水晶玉を覗き込むような仕草をしていたかと思えば、先に行きますよと走り出した。びっくりして少し出遅れたが、かけ足程度の速さだからすぐに横につけられる。

 

「どれくらい走るつもりですか?」

「軽く30分くらいですかね。あまり長いとトレーナーさんがカンカンになってしまいますから。息抜き程度に」

「あたしもそれくらいにしますか......って、アレ? こんなところに分かれ道なんてありましたっけ?」

 

 目の前にはまっすぐ伸びる道と右に分かれる道があった。どちらも同じくらい踏みしめられていて、脇道が判別できない。懐中電灯で照らしてみても真っ暗、どちらが正しい道なのかなんて分かりもしない程の闇。一瞬引き返そうか、なんて思った時に誰かが私の肩に手を置いた。

 

「ネイチャさんには早いよ。こっちに来る運命じゃない」

「え?」

「......まさか、あの子の趣味が役に立つなんてことがあるなんてね」

 

 私の前に出たフクキタルさんが取り出したのは安っぽい紙切れ。実家の神棚に飾ってあるような墨で何かかが書かれた、お札? それを指先で挟み、何か文字を空中で描くような仕草をするように指を切った。

 

「天照大御神よ、力を授けたまへ。祓え給い、清め給え、(かむ)ながら守り給い、(さきわ)え給え。

 迷いしものよ、遺されしものよ、彼女らは其方でなく、其方は彼女らでない。その無念、その慚愧、私が昇華する」

「い、いったい何を......」

「我が祖先、名代シラオキの名に於いて」

「う、わっ?!」

 

 彼女が言い終わった途端、猛烈な突風が吹いた。真夏なのに冬のように冷え切った風に思わず目を瞑って手で顔を覆う。こんな非常識な出来事はあたしの仕事じゃないでしょ!

 

「な、なんなのよもう!?」

「もう大丈夫ですよ」

「ふえ?」

 

 気がつけば、知っている通りの一本道に戻っていた。言葉が出ない私に対し、フクキタルさんが目を細めたまま説明してくれるように言った。

 

「......なんだかよくないものが溜まっていたようですね、右に行ったら何が起きていたことやら」

「へ、あ、どうも」

「世は事もなし。これもまた御導きというものでしょう」

「その、あ、あれ、なんなんですか? 幽霊とかそういうやつですか?」

「さあ?」

「さあ?!」

「この世ならざるもの、幽霊かもしれませんし、怨霊かもしれない、はたまた私の勘違いかもしれないし、夏の暑さが見せた幻覚かもしれません。もしくはウマ娘の悔恨、とか」

 

 彼女が目を開く。そこにあったのはいつものしいたけめいた不思議な瞳じゃなくて、底無しのような、ぐるぐると何かが渦巻くような黒い瞳。

 

フクキタルさんではない誰かは、私に続けた。

 

「このことは、内密に。特に、()()()には」

 

 有無を言わさぬ態度に、わたしは首を縦に何度も振った。

 

「ではランニングを続けましょう。今日は走りやすいですからね」

 

 気がついたら布団の上だった。服はランニングの時のジャージ姿で、合宿所で同じ部屋のヘイローには『いつ帰ってきたのよ』と驚かれた。

 

朝ごはんを食べるために食堂に向かう。

 

昨日のことは悪い夢だと思うことにした。

 

フクキタルさんはあんなに優しく話すことはないし、もうちょっと耳に残る個性的な喋り方で話すし、何より胡散臭いし。

 

「ゔぁーっ! それは私のお稲荷さんですよ!」

「腹減ってンだよ」

「だからってそんなご無体な! ああっ、もう口の中に! シャカールさん酷いですう!」

「ん、やっぱり悪い夢だね」

「何か言ったかしら?」

「なんでもないですよ」

 

 ひらひらと手を振ってヘイローさんをあしらう。私のような凡人は妙な問題に首を突っ込まないに限るね。



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第23話 走れど根性


今回もトレーニング回ですってよ......話の進みが遅い? 気の所為ですよ。


 

 

「やってしまった」

 

 体重計に乗りながら思わずつぶやいた。レトロな体重計の表示板が指している数字は私の記憶する体重より6キロは多い。つまり結論はひとつだ。

 

「肥えてしまった......それなりに」

 

思い当たる節はある。練習ではらぺこな現役ウマ娘と同じような量の飯を食うと体重が増える事は当たり前。しかもカロリーを消費する彼女らと違って、私はそこまで運動するわけじゃないから余剰カロリーは当然、お腹に行くわけだ。勝負服で肌を晒したりする以上、見栄えもあるからさわればわかるというほどだがしっかり鍛えていた。だが今はどうだ、つっついてみればぷにぷにと可愛らしい感触が返ってくるばかりで、鍛えられているとは絶対に言えない。

 

自分がウマ娘だとバレる危険性はあるが背に腹は代えられない、か。

 

 

 

◇◇◇

 

 

「と、いうわけで今日から私も参加する事になったから」

「人間に負けんじゃねーぞお前ら」

 

 トレーナーに事情をぶっちゃけたところ呆れ顔ながらも認めてくれたので、いつもの格好で大手を振って参加する事にした。

 

「正気か?」

「だって太ったんだもん」

「アッハッハッハッハッハッハ!」

 

 シャカールの言葉に正直に返すと、ゴルシが案の定大爆笑。

 

「まーまー、いいんじゃねーの? 置いてかれないように気をつければさ」

「大丈夫大丈夫、鍛えてっからさ!」

「本当に大丈夫なの沖野トレーナー、悪いけど、トレーナーさんじゃあ追いつけないと思うんだけど」

「それについては問題ない。鏑木は人間辞めてるくらいだから」

「そんじょそこらの人間じゃないってよ。それに今日の予定は長距離ラン、持久戦ならなんとかなるなる」

「うええ......?」

「何故疑問符なんだいフクキタル」

「その向上心は認めますけども」

「ままま、やってみればいいのよ」

「んじゃ出発だーい!」

 

 ゴルシの号令の元みんなが走り出す。目指すは山頂、舗装道路とはいえ高低差ありきの15kmのマラソン、それもウマ娘基準の人間と比較すれば超ハイペースなものが始まるわけだ。

 ペースメーク役のゴルシを先頭に、メジロライアン、ステイゴールド、フクキタルとシニア、クラシック級の現役面子が並ぶ。その下はナイスネイチャを筆頭に未デビュー組、そして最後尾に私とサポート兼救護班として原付に乗ったトレーナーがいた。

 ツインターボはまだ身体も仕上がっていないので桐生院に預けることにした。今頃砂浜でアグネスタキオンやミークとうまいことやっている事だろう。

 

「誰が1番最初にへばると思う?」

「せーので言う。多分おんなじこと思ってるよ。せーの」

「「ウオッカ」」

「俺はそんな簡単にへばんねーから!」

「元気そうで何より」

 

 後ろで喋ってたら耳聡く前からウオッカの声が聞こえてきたが、実際問題へばるのが1番早そうなのはウォッカになる。

 

「力を出し切るのは上手いんだけど、長距離ともなるとスタミナが流石に足りない。あの子マイラーだもの」

「これを通してペース配分をスカーレットから勉強するといいさ。次点で誰が落ちると思う?」

「そりゃスカーレットでしょ。スタミナ面だったらスカーレットの方がちょっと強い。その次はキングヘイローと見た」

「ヘイローのお嬢さんか、その理由は?」

「本人には言いたかないけど彼女はマイル、短距離向き。ウオッカと似たタイプだけど脚の爆発力は彼女の方が良いもの持ってる、距離を伸ばすと持ち味を失うよ」

 

 エアシャカールの分析の受け売りなので胸を張って言えるわけでも無いが、彼女の末脚は魅力的だが、欠点はスタミナ面。前にレースで見た時よりスパート時の爆発力に磨きがかかっているのは事実だが、距離適性、そして同期に阻まれることになるだろう。エルコンドルパサーとグラスワンダーさえいなければ......と。

 

「昔を思い出すか?」

「だからスカウトしなかったんですよ。変に入れ込んじゃうし、彼女の夢と私の指針は噛み合いません。トレーナーさんだったら上手くいったかと思いますけど」

「よしてくれ、もう手一杯だ」

「1人増えたところでもう変わりゃしませんよ、昔も大概だったでしょうに」

「お前が1番やんちゃだっただろうが」

「そうでしたっけ?」

「すっとぼけんな」

「なにも聞こえませんわ〜」

「全くお前は、もう!」

 

 ペースが若干落ちてきたウオッカとスカーレットと入れ替わるように前に。次の背中は赤みがかった髪の存在感を放つツインテール、ナイスネイチャ。

 

「さて、どこまでいけることやら」

 

 

そして──

 

 

 

 山頂の広場に備え付けのベンチに腰掛けつつスポドリを飲む。タイム的には現役時代とは及ぶべくもなく、スタミナ自慢のゴルシやメジロライアンには最後まで追いつけなかった。

 

「だというのに、君たちは人間にも負けるのかい? だらしないぞクラシック組」

「ぜひゅー、ぜひゅー......」

「ど、どういうことですか......」

 

 肩で息をするステイゴールド、地面に倒れるマチカネフクキタルを見下ろし挑発するようにない胸を張って見せる。自分で言っていて少しだけ悲しくなったが重いと走りにくいのは知っているから実質アドバンテージだ。

それに、彼女らと違って10回以上はこのコースを走っている。高低差や残り距離を感覚的に理解するしていないは明確にこちらが有利なんだけど、実際のレースでもそんなことはあるから言い訳を聞くつもりはない。

 

「この練習で本当に鍛えるのはスタミナじゃないんだけれどな」

「あ、お疲れ様です」

 

 途中でへばったらしいウオダスカコンビを回収しつつやってきたトレーナーが原付から降りてきた。その後ろにはふらつきながらもナイスネイチャとエアシャカールがいて、最後にはキングヘイローが地面に突っ伏した。ふむふむ、タイム的にこの時期ごろとしては及第点以上はあげられるね。

 トレーナーがヘルメットを置き、全員がまともに話が聞けるくらいには回復したところで、集合と手を叩いた。

 

「タイムの発表の前に、俺からいくつか伝えることがある。まずステイゴールド、不合格」

「......ハァ?」

「フクキタル、不合格」

「......かい?」

「キングヘイロー、合格」

「......」

「ナイスネイチャ、一応合格だ」

「あ、どうも」

「シャカールは......不合格だな」

「......ああ」

「スカーレット、ウオッカ。合格点はやるがレース途中では絶対にやるなよ」

「「なんでコイツとまとめるんですか!」」

「そう思ったからだ」

「喧嘩しないの、まだ話の続きはあるんだから」

 

 仲良く喧嘩を始めそうになった2人の頭を叩いて正気に戻しつつ、続きを促す。

 

「今の練習、もといランニングは現時点のスタミナを見るのもあるが、それ以上に俺が見たのは勝ち気、根性......要は気持ち的なものだ。限界まで追い込まれた時に、体力を絞り出せるかどうか、それを見た」

「......んで、テメェのお眼鏡にかかれば合格ってか?」

「その通りだ。ステイゴールド、お前最後サボったろバレてるからな。あと2秒はタイムを縮められたはずだ」

「チッ」

「フクキタルは粘り強さが足りないな。ステイゴールドに並ばれた時にもう少し競り合いができるようになってくれ」

「はいぃ」

「シャカールなんだが......お前のやり方に口を出すつもりはない。だが、最後の気持ちも計算に入れてくれ。レースは確定要素で出来ているわけじゃない」

「一考はする」

「ナイスネイチャ、抜かされた後少し経ってやる気出せるなら最初っから出してくれ」

「あははー」

「合格者はその気持ちを忘れるな。自分に負けない、誰かに負けない。その気持ちは、最後のラストスパートの時必ず助けになるはずだからな」

「というわけでもう一周頑張りましょう。次は下りですよ」

「「「「「......は?」」」」」

 

あれほど息の揃った疑問符を生まれて初めて耳にしたよね。初参加のみんながみんな私の方を見て「正気か?」って言いたげな顔してるけど正気なんだ。うんうん、これ下りも含めてワンセットなんだ。そういう練習なんだ。昔と何にも変わらないんだ、諦めて走るよ。

 

「というわけで、頑張りましょう」

「お前らさっさと準備しろ、合図かけちまうぞ」

「ちなみに、下りで私より遅かったら皿洗いとトイレ掃除だから......って並ぶの早いね、んじゃスタート」

 

 いきなり手を叩いて、同時に私はスタート。レースさながらに綺麗に飛び出せた私を追いかけるようにいくつもの足音と気配が追ってくる、この緊張感がたまらない。

 

「いやー、逃げるの楽しいわ。お先に失礼っと」

「ちょ、ペース速すぎだろサブトレ!?」

「トイレ掃除は嫌だトイレ掃除は嫌だトイレ掃除は嫌だ」

「はやく追いつくわよ!」

「言われなくたってわかってるっての」

「ハァ? あんたに言ったんじゃないんですけど!」

「ンだとテメー!」

 

 

......喋る余裕があるならペース上げとこ。

 

 



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第24話 打ち上げクライマックス

夏合宿おわり!


 

 

 

「......皆、よく、よくこの夏合宿についてきてくれた」

「御託はいいから飯を食え! 祭りだーッ!」

 

「「「「「わーっ!」」」」」

 

「お前折角俺がかっこよく締めようとしてるってのにってもう食ってるのか?!」

「ハムハム......だって腹減ってんだもの」

「また太るぞ」

「焼いたらカロリーゼロだから!」

 

 折角の合宿最終日なんだ、ハメ外しちゃっても良いじゃないのと焼きにんじんと牛串を頬張る。炭火で表面が少し焦げるくらいに焼けたにんじんは甘くて、牛串は塩味が効いて噛み締めるたびに肉の旨みがたまらない。とはいえトレーナーの言う通りリバウンドは勘弁だから控えめ控えめ、カロリーゼロ理論なんてインチキ理論は冗談だけにしときますってよ。

 にんじん串をかじりつつ、ウオッカとなにやら話してるらしいスカーレットの方へ。

 

「初めての夏合宿、どうだったかいスカーレット、あとウオッカも」

「海に行ったことあんまりなかったし新鮮だったわ!」

「子供っぽいこと言うなスカーレット。けど俺も楽しかったぜ!」

「あんたも楽しそうにしてたじゃないのよ、変にカッコつけてもあたし知ってるんだからね」

「んなーっ!」

「楽しそうで何より。全寮制だからこういう息抜きもしないとね」

 

 さて次はエアシャカールに声をかけに行こうかな。食べ終わった串を火の中に放り込んで薪にしつつ、追加の串を指に挟んであのエキセントリックガールを探した。といっても、近くに刺さってるパラソルの日陰で寛いでたのですぐに見つかった。

 

「今日はもうデータはいいのかい?」

「全部打ち込んださ。今は休養の時間だ」

「だったら混ざりに行けばいいのに」

「群れるのは性に合わねエよ」

「適度な会話はストレス値を低下させるデータもあるがねシャカール君」

「......チッ」

「おや、タキオンじゃないの」

「やあ」

 

 その隣で同じようにダラダラしていたタキオンがサングラスをあげて挨拶をした。彼女もまた野菜を焼いた串を頬張り、この時間を満喫しているようだ。

 

「私としても実に有意義な合宿だったよ。まさかデータを取らせてくれるとは思わなかったからね」

「別にデータくらいだったら拒否する理由もないよ。実験は断固拒否するけどね」

「そこだけが無念だね」

「やらせるわけ無いだろがクソが」

「......シャカール、ステイゴールドに影響されないでくれる?」

「されてねえよクソが」

「されてるじゃん!」

「冗談だ」

「あー良かった。ところでタキオン、君のトレーナーは?」

「ああ、合宿所で何か追加のご飯を作ってくるといっていたが」

「ばっ、桐生院は常識のネジを締め忘れたポンコツなんだぞ、なんで放置した!」

「その方が面白いデータが取れると思ったからさ!」

「このおたんこなす!」

 

 即断即決、お仕置きがわりにタキオンも頬をつまんで伸ばして締め上げるが本人は楽しそうに笑うばかり。くそ、ここら辺の近所の山には動物が生息してたか調べてないから何をやらかすか。

 

「みなさーん、鹿を狩ってきましたよー」

「遅かったか......」

 

 首が180度後ろに回った立派な鹿を担いで山を降りてくる桐生院を見てその場の全員が固まったのは言うまでもないだろう。

 

 狩猟ライセンスはどうしたって? あいつ持ってるし、何より申請出した上でやってるから法律的にはなんの問題もないんだよクソが。

 

「......テメエが感染(うつ)ってるじゃねえか」

 

シャカールの呟きは聞かなかったことにして、急いで桐生院の首根っこを掴んで物陰に引きずりこんだ。最終日に悪夢みたいな光景を見せるわけにはいかない、せっかくの思い出を汚さないでくれ。

 

 

 

「......全く、酷い目にあった」

「みんな美味しそうに食べてたじゃないですか、もー」

「そういう問題じゃないの!」

 

 血がついたジャージを外の洗い場で洗いつつぼやく。あの後正装姿の桐生院に捌かせるばかりにもいかないので、彼女が振り上げた包丁を引っ掴んで代わりに解体する羽目になった。桐生院といるといっつもこんな役割ばかりだ。

 うっかり動脈に傷をつけたせいで血が吹き出し、一瞬でスプラッター映画の登場人物のように全身が血塗れ。上着もダメ、ズボンもダメ、ついでに帽子も真っ赤っか。

 

 血抜きもちゃんとやれってあれ程教えたってのにとぼやくが桐生院は首を傾げるばかり。詰めが甘いというか、斜め読みする癖があるというか、肝心なところを見落とすというか。

じゃぶじゃぶとジャージを水につけ、まだ香ってくる鉄臭い匂いに顔を顰めて思わず耳が立つ。

 

「やっぱり、ウマ娘なんですよねぇ」

「耳触らないでよ」

「むー」

 

 作業中に頭の上に手を伸ばしてきたので、耳をピッタリと畳んで髪の中に隠すと頬をふくれさせる桐生院。

 

「今はまだご飯中だからいいけど早くしないと誰か来るでしょ。頼むよ隠してるんだから」

「別に隠す必要ないのに。あなたの名前を知れば誰だって......」

「あの名前は使いたくない。色眼鏡でしか見られないし」

「気持ちはわかりますが隠し事はしない方がいいですよ。ウマ娘との間に隠し事はないほうがいい、と家訓にもあります」

「私の気持ちの問題なの」

 

 ズボンも脱いでるので尻尾もフリーだ。パンいちTシャツ姿なんてトレーナーにでも見られたら蹴っ飛ばすつもりだがそれはキツく言い含めておいたので問題はない、ハズ。

 

「だいたい、養成学校にはしっかり報告するのに学校ではしっかりと隠して、同室だったからいいものの最後まで隠し通すつもりでしたよね」

「勿論」

「抱え込むのは良くないですよ」

「うるさいうるさい」

「ちゃんと話を聞いてください!」

「きこえませーん」

「......もう、強情なんですから」

 

 追撃を諦めたのか、彼女は私のジャージに洗剤をぶちまけ泡立たせ始めた。食器用のやつだけど匂いがとれるんならもうなんでもいいやと指摘はしない。短い期間とはいえ密度で言えば長い付き合いになるからこそ譲れないものも互いに知っている。親しき中にも礼儀あり、お互いに仲がいいからこそ踏み込まない線引きはしっかりとできている。

 

「......それにしてもその礼服姿は暑くないかい?」

「黒ジャージ上下のあなたがそれを言いますか?」

「んなモンクソ暑いに決まってるでしょうが。トレーナーの半袖短パンが羨ましいですよ。そっちはどうせ家訓とかでしょ?」

「これ以外に服がなくて」

「学生時代にいっぱい買ってあげたやつはどこへ!?」

「こないだ服に困ってると言っていたウマ娘の皆さんにあげちゃいましたよ」

「怒るに怒りにくいなあ」

 

 

なんやかんやありつつも、夏合宿は終わりを告げた。

 

 

 

時は流れて秋。

9月から始まるは秋のレース戦線。

クラシック最後の1冠を勝ちとる最後のレースが始まる。

 

 

 

 

 



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第4章 最後の一冠は誰の手に『菊花賞』
第25話 秋のG1予報/大荒れの曇り空


97年クラシックにおいて、絶対にやらなければいけない事。

妄想したくなるんですよ。スペちゃんの前にいた、ルームメイトって誰だったんだろうなって。
なんでいなくなったんだろうなって。

こういうことだと、自分は思ったんですよ。


 

 

 

 

 

「と、いうわけで夏合宿お疲れ様。お盆休みはゆっくり休めたかい、宿題は終わらせたかい、休み明けのテストは赤点は回避したかい?」

「48点でした! 末吉です!」

「平均点以下で胸を張るない!」

「あいただだだだだだ!」

「全く、成績取らないと後々苦労するんだからな」

「トレーナーがお母さんみたいなこと言ってる......」

 

 赤点でなかっただけ良しとするが、同じように構えていた自分も学生時代苦労する羽目になったので勉強してほしいのが本音だ。これじゃ期末テストも先が思いやられる。

 まあいい。まずは目先のレースの方が大事なんだ、目の前のものをこなしていこう。

 

「今年の菊花賞は11月2日。それに向けてフクキタルは別に優先出走権利もなければレーティングが足りてるわけじゃないから、いくつかレースに出てもらうことになる。

シャカール、菊花賞のトライアルレース2つ挙げて」

「セントライト記念、神戸新聞杯の2つだ」

「正解。距離と場所まで言える?」

「中山2200m、阪神2200m」

「正解だ。頼りになるね」

「逆にフクキタル先輩がなんで知らないのかって話だがな」

「ぐさり」

「まあフクキタルだし」

「はぐぅ!?」

「傷つける要素あったかい今の言葉」

「この見透かされているという感じ嫌なんですよ......」

「何を訳のわからんことを。まあいいとして。

とりあえずフクキタルにはどちらかを勝ち上がってもらう」

 

 目指せトライアル制覇、とホワイトボートに書き込んだ。

 

「い、一位じゃないと駄目ということですかっ?」

「ダメとは言わないけど、菊花賞を諦めてもらうほかない」

「そんな、大凶のような......」

「仕方ないよ。レースで勝ちがつかないんだからレーティング足らなくなるんだもん」

「ひぐぅ!?」

 

 フクキタルがダメージを受けているが、その責任の一端は私にもある。ダービーを狙った高望みの結果として、フクキタルのレーティングは低いままなのだから。

 レーティングというのはウマ娘の強さを表す一種の指標だ。各レース掲示板内、5着までのウマ娘にレースごとに得点として付けられる点数のようなもので、勿論だけどG1のレートは高く、オープン戦のレートは低い。

 

そして、菊花賞などのG1レースではレーティングによって『足切り』が行われる。

 

「菊花賞は最大18人が出走できるけど、優先出走権の枠も多いからね。まずトライアル3着以内、2レースあるから6人かそれ以下。あとの12人にも留学生特待枠もあれば、地方枠なんてのもある。こればかりは読めないけど例年通りなら残りは7枠か9枠くらいかな。

 

その残りはレーティングの高さで決まる。そうなるとG2、G3の出走が少ないフクキタルは圧倒的に不利になる。

過酷なレース日程を避けるためには一発勝負でやるしかない」

「おお、3着以内となれば一気に気が楽になりますよ! 運気がむいてきました」

「出走するのはダービーでフクキタルを抜いたウマ娘たちばかりだからね。スズカもステイゴールドも出走する。みんながみんな夏合宿で成長してることも考えると、ダービーで3着以内より難易度は上かもしれない」

「やっぱり大凶ですっ! そんなー!」

 

 がーん、と頭を抱え出したフクキタル。私にとっても頭を抱えたくなるような問題だ。何より、ダービーで完全に吹っ切れた『逃げる』サイレンススズカと戦うことが求められる。距離不安もあるだろうけれど狙いはするはずだ。他にもステイヤー気質だろうメジロ家のご令嬢やダービーでフクキタルを下した面々もいる。

 

「ともかく。腹括ってもらうからね。まずは2週間後の神戸新聞杯。それを勝つと見込んで10月の京都新聞杯も出走登録したから」

「......へ、2週間後?」

「出走ウマ娘一覧も出てるよ」

「へえっ?!」

 

 変な鳴き声を上げながら画面を見せたウマホをぶんどるように取って画面を覗き込むフクキタル。帽子の中で耳をしっかりと畳んでおけば予想通り、次の瞬間にはぎゃーっと潰れるような声で悲鳴をあげ、頭をまた抱えた。

 

「す、スズカさんがいるじゃないですかぁ!?」

「うん。そうだね」

「あとはあとは......あとは? おや? おやややや?」

 

しかし、その声は尻切れトンボのように萎んでいく。

 

「そう。サイレンススズカが出走するけど、それ以外めぼしいウマ娘は出ない。フクキタルに運がむいてきたよ!」

「ほんとですねえ!」

「でも油断するとダービーみたいになるからね」

「大丈夫ですよトレーナーさん。これだけ運が向いているなら、これは天運が私に勝てと言っているとも同然!」

「調子乗らない」

「あいたっ」

 

取り上げたスマホで頭を軽く小突きつつフクキタルを嗜める。調子に乗るとすぐとちるから、トレーナーとしてしっかりと舵取りしていかねば。

 

と決意をひとり新たにしていると、なぜか指を折っていたウオッカが首を傾げてこんな事を言った。

 

「なあ、計算おかしくねえか?」

「何が?」

「何がってほら、出走人数だよ。菊花賞は18人出られるから、まずトライアルで6人だろ? そのあとトレーナーは残り12枠って言ったじゃねえか。でも、残りは12枠じゃないはずだぜ?」

「バカね、18から6を引いたら12じゃない。そんな計算もできないの?」

「ば、バカにするなよスカーレット! それくらいはできるけど......でも、おかしいだろ? だって俺はこう習ったんだから。菊花賞の優先出走枠は()()()()()()()()()()()1()()()()()、そしてトライアル競走3着以内だぜ?」

「全く頭が硬いんだから。今年のクラシックはサニーブライアン先輩が2冠達成したんだから、1人しか......あれ?」

「な? 合わねえだろ?」

「......それでも19になっちゃう。ねえトレーナー、忘れてる訳じゃないわよね?」

「そうでした! サニーブライアンさんがいるんじゃないですか! もしかして......京都新聞杯の方には出走するとか!」

「ない。サニーブライアンはトライアルにも出ないし、なんなら菊花賞にも出走しない」

「......それはとっても幸運ですが、では天皇賞秋に?」

 

私は無言で首を横に振った。

 

「サニーブライアンは秋シーズンには出てこない。それどころか、もう一緒に走ることもないかもしれない」

 

そして新聞を広げる。

紙面には大見出しでこう書かれていた。

 

『2冠ウマ娘サニーブライアン骨折! 菊花賞は絶望か!』

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「すっかり遅くなっちゃった......ただいま、サニー」

 

 合宿から帰省を経てやっと学園に帰ってきたサイレンススズカが寮の部屋の扉を開ける。返事はなく電気もついていないから、同室のサニーブライアンは寝ているのかと壁の電気の電源を入れた。

 

「......サニー?」

 

だが彼女の目に飛び込んできたのは妙に小綺麗で殺風景な部屋の景色。右半分は自分のパーソナルスペースで何も変わらない。では左側、同室のウマ娘のスペースには?

 

何もない。

 

備え付けの机と、フレームだけになったベッド。机の本棚に教科書もなければ、ひまわりの花畑の写真を引き伸ばしたポスターも、目覚まし時計も、何も。まるで、入寮した時のように真っさらだった。

 

いや、ひとつだけあった。

手紙が一通。ひまわりのシールが貼られて、可愛らしい文字で、自分宛に書かれた手紙が机の上にある。

 

何もわからないまま、彼女はそれを開いた。

 

その手紙の内容は、簡素なものだった。

ダービーの後、怪我をしてしまった事。

もう走れないかもしれないと言う事。

だからこそ、学園を休学すると言う事。

 

そして最後に、彼女はサイレンススズカに対して謝っていた。

 

『ごめんなさい』

『一緒に走れなくて』

『いつかまた、必ず戻ってくるから』

『その時は、一緒に』

『どこまでも、誰もいない先頭の景色を』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




というわけで史実ではダービー直後でしたが、ここでサニーブライアンは舞台から消えます。

史実では怪我ののち屈腱炎を発症、結果的にダービーを最後に引退し種牡馬入りとなりました。

三冠馬の難しいところですよね......あの過密ローテも怪我なく走り抜けなくちゃいけない。だからこそ三冠馬が讃えられる理由なんですけどね。


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第26話 秋のG1戦線:対策会議


作者は感想をもらわないと死ぬ生き物なので感想を書こうね!!!!!!!!!!!!!


 

 

 

 

「ところでトレーナーさん。ファン感謝祭はどうするんですか?」

「休む」

「御無体なっ!?」

「私だって休ませたくはないけど、レース本番と被っちゃどうしようもないとしか、ねえ」

 

 学園生活メインイベントの一つ、ファン感謝祭は春秋2回に分けて開催されるイベントだ。4月9月と2回に分けて開催されるそれはどういうわけかレースシーズンとダダ被りしている。息抜きということでこの時期に実施してるんだろうがその当日にレースは関係なく行われるし、出走登録するということはつまり学園祭に行けないということだ。フクキタルが出走予定の神戸新聞杯は9月14日。学園祭の日程と全く同じである。

 

「今年は無縁ということで諦めてちょうだいな」

「しょ、しょんにゃあ〜」

 

 こういうこともあるのでどうしようもない。私の時は確か10月末だったからレースも終わって満喫できたんだけど、フクキタルには運がむいてなかったようだ。

 

「んじゃ、神戸新聞杯のレース対策するからノート開いて」

「はい......」

「どっかで埋め合わせはするから元気だしなよ」

「うにゅう......」

 

 机の上でだらりと伸びてしまったフクキタル、よっぽど感謝祭が楽しみだったようだ。

 

「ワラウカドの寄席行きたかったのに!」

「友達に動画撮ってもらいな」

「撮影禁止って言われましたよっ!」

「あらま」

「彼女のお師匠さんがカメラが嫌いだとかなんとかで」

「昔気質の落語家の人なんだね」

「レースの練習より厳しいやい、って愚痴ってますよ」

「大変だねえ」

「それでこの間ですね、ワラウカドと買い物に行った時の話なんですけど」

「うん。私は一切意志は曲げるつもりはないよ、移動日含めてファン感謝祭は1日も行けないし、行かせないから」

「鬼! 悪魔! 皇帝シンボリルドルフ!」

「シンボリルドルフなんてそんな、照れちゃうな」

「照れる要素が一体どこに?!」

 

 

 

「というわけで、サイレンススズカ及び逃げウマ娘を倒すにはどうするべきか対策会議を始めます」

 

 対策会議、と銘打ったホワイトボードを指さす。前にもやった記憶があるけど今日は2人っきりだ。

 

「逃げウマが勝つためには何をするか、何をしないのか、何をしてくるのか。身に染みてわかってるだろうけどね」

「敵を知り己を識れば百戦危うからず、ですね!」

「まず初めに。逃げウマ娘は()()()()()実力者じゃない。学校ではやらないけど、逃げは戦法としては弱い」

「さんざん言ってましたもんねトレーナーさん。逃げは邪道だとかなんとか。恨みでもあるんですかってくらいに」

「あるからそう言ってるの。それくらい逃げは大博打、ハマれば大勝、ハマらなければ大爆死。安定しない戦法はトレーナーとしては選ばせにくいもの」

「確かにハマれば強いのは身をもって知っています。ですが、戦法としては弱いというのは一体どうして?」

「......辛いんだよ、逃げのレースは」

 

 思い返すのは現役時代の頃秘策としてトレーナーから提案された戦法が逃げだった。その時に言われた言葉をよく覚えている。

 

『1人でレースを戦う覚悟をしろ』

 

「まず周りに誰もいない孤独感をずっと味わうことになる。

 もし近くに誰かいてもそいつは後ろで顔も見れない。

 戦う相手は常に自分。負けても言い訳できないくらいに追い込まれるしプレッシャーが半端じゃあないんだよ。

 

想像できるか? 後ろから地鳴りのような足音がして、他のみんなが迫ってくる。その恐怖感に負けて脚を前に進めたらアウト、怖気付いて緩めてもアウト。誰も寄せ付けずに、皆の勝利への渇望を最終直線で背中に浴び続けて、その全部を潰して押し切れる覚悟と心の強さがいる。普通のウマ娘じゃできない」

「......想像しただけで寒気がしますね」

「寒気どころじゃない。胃に穴が開くウマ娘だっているんだ。どれだけのストレスを抱えるのか想像なんてできないよ」

 

 実際有のレース後にお腹痛くて医者に診てもらったら胃潰瘍って言われたっけ。懐かしいな、じゃなくてだな。

 

「次にストライドが広くなりすぎること。ストライドとピッチ走法くらいはわかるよね」

「それはもちろんですとも、歩幅が大きいほうがピッチ走法で、狭い方がストライドです!」

「逆だからそれ」

 

 せめてレース知識は真面目に勉強してくれとツッコミを入れつつ咳払いをして話を仕切り直す。

 

「こほん。ストライド走法の特徴は加速力が少ない代わりに、最高速度をキープしやすい走り方。ゴルシのロングスパートがわかりやすいよね。

ピッチ走法はその逆、加速力が高いけどスピードを長い時間キープするのに向いてない。フクキタルもスパートの時はピッチ寄りの走り方になってるね」

「おお〜、そうだったんですね〜」

「本人が感覚的に走りやすい方を選んでるし自覚ないことがほとんどだからね」

「それで、ストライドが広くなりすぎると何が悪いんです?

というか走ってる時の歩幅なんてレースに関係あるんですか?」

「ある」

 

 ここはしっかりと断言する。なにせトレーナーさんと積み上げた大事な理論の一つ、これを意識するしないで最後の一歩が変わる。

 

「フクキタル。普通に歩くのと大股で歩くのと、どっちが疲れる?」

「大股で歩く方が疲れますよ」

「そりゃまたなんで?」

「それは......うーん、言われてみると感覚的にとしか」

「ま、そんなもんでいいよ。逃げで走るわけじゃないし大雑把で。そんで、大股になると疲れやすくなる。

 これをスピードとスタミナ消費を天秤にかけてバランスよく両立しているのが、ストライド走法のベスト。だから焦って踏み出す足が1、2センチ前に行くだけでそれはもうベストじゃない。スピードは伸びず、スタミナを無駄に消費するダメな走りだ。それに前に壁もない。いくらでも脚は前に踏み出せる。意識的にか無意識的にかはともかく、そうしてしまうだけで終わりなんだ。

 逆にいえば先行、差し策を取るウマ娘が多い理由もここにあるんだよ。前にウマ娘がいれば脚は前に出にくくなって歩幅が広くならないんだ。走ることに意識を向けずレースに集中できる。前が開いた最終直線はその押し込められてた足の分、末脚も爆発的になる。

 

 だから逃げは『難しい』。確かに自分の走りを維持すれば、先頭で走り続ければ誰にも邪魔されず周りを見る駆け引きのいらない、理論上は最高の戦略だ。

理論値を達成すれば、自分の走りを完璧にできれば勝てる」

「ほほう、わかりましたよトレーナーさんの言いたいことが」

 

 私の言いたいことが伝わったか、したり顔のフクキタルがこちらに向かって宣言した。

 

「逃げるウマ娘を負かすには『自分の走りをさせなければ』いいんですね?」

「正解だ。先頭を走っているのはサイレンススズカ、フクキタルはどうする?」

「後ろにピッタリとくっ付きます」

「その理由は?」

「プレッシャーをかけ続けます。自分が後ろにいると足音で聞かせて、早く前に行かないと追いつかれちゃいますよって言い続けますね」

「うん、そういう方法もあるね」

 

 私が現役の頃はあることないこと囁いたりだとか露骨に喋ったものだが今じゃ好まれないだろう。フクキタルくらい軽くてやりやすいのがベストかな。

 

「じゃあ大逃げしてたらどうする?」

「大逃げ、ですか?」

「そう、大逃げ。5バ身も6バ身も離されてたらどうする。その後ろにピッタリとついてくわけには行かない。そんな時は?」

「ど、どうしましょう?」

「難しいところなんだよね。大逃げってほとんど失敗するから無視すべきって意見のトレーナーも多い。成績を残したウマ娘もいるにはいるけど、圧勝か惨敗かの2択だし」

「ターボさんを思い出しますねえ」

「あの子もたぶん大逃げするタイプだろうね」

 

 夏合宿にいたツインターボ、人懐っこいが先頭が大好きな彼女はランニングで先頭を突っ走ってはオーバーペースになりヘロヘロになっていた。

 

「大逃げとは戦略もへったくれもないスタミナ勝負。最初っから全力疾走してゴールまでに追いつかれるかどうかの運試しみたいなものなんだけど、ついていけば損するけど誰かついていかないとのうのうと逃げられる」

「......日本ダービーのようにですか?」

「アレは普通の逃げだけどよく似てるかもね。後方で牽制合戦してるうちにサニーブライアンを誰も警戒しなかった、そのお陰でしっかりと逃げ切らせてしまったわけだ」

「あの時は警戒はしてたんですけど捉えきれませんでした」

「あはは、対策がっつりしてたわけじゃないしね。今回はそんなことはないようにってちゃんと勉強してるんだから」

「そうですよね! 天は私をまだ見捨ててはいないのです、次なる舞台は見ていてくださいシラオキ様ーッ!」

「まあ、うん、やる気出してんならなんでもいいや」

「では早速」

「勉強の時間は占わない」

「あたっ!? ち、違いますよう」

 

 気を取り直したかやる気ありげに耳を立て何やら捲し立てるフクキタル。流れるようにカバンから水晶玉を取り出して拝み出そうとしたのをチョップで咎めるが、彼女が鞄から取り出したのは、いつもの占い道具ではなく大学ノートだった。

 

「ノート?」

「人事尽くして天命を待つ、と言うじゃないですか。スズカさんと戦うことになってから、逃げの事はいっぱい調べましたよ。昔の逃げウマ娘とかもそれはもうバッチリと」

「そ、そうかい......」

「持つべき友はエアシャカールさんですね。それで、大逃げされた時はどうするんですか?」

「大逃げ?」

「はい。スズカさんが大逃げしてきたらどうしますか」

「してくると思う? そんな博打戦法リギルがさせてくれるかな。私としては無いと思う」

「スズカさんはレースともなれば人の話は聞かないタイプですよ。それに、ダービーでわかってるじゃないですか。先行策じゃ勝てない、トレーナーさんの言葉に従っても自分には合わないって」

「......それを言われると厳しいな」

「でしょう?」

 

 目を細めてニコニコとしたり顔で笑ってくる。なんだかムカつく顔してるので後で頬は引っ張るとして、大逃げの対策か。

 

「対策はないわけじゃないかな。ピッタリ後ろにつくのも一つの選択肢だけど、フクキタルの脚質なら追いつける差をキープし続ける。スパートをかけても追いつけないようなセーフティリードをさせないことを心がけるんだ」

「私の脚で追いつける距離を見極めると言うことですね」

「スカーレットが代役になるとは言えないけど、おおよその感覚は掴める。明日からやろう」

「今日からはやらないんですか、トレーナーさん」

「だって今日ほんとは休養日だし」

「......えっ?」

「えっ? 言ってなかったっけ?」

 

 そういうと細かく震え出すフクキタル。

 確か非番でやることないし朝からずっと対策を練りつつ、一応形になったからフクキタルに声をかけて。

 

非番でやることなかったから、って、もしかして?

 

「トレーナーさん? きょうは、なんようび、ですか?」

「に、日曜日、だけどって......ヴァ」

「休みの日に呼び出したかと思えば! これ明日でも良かったじゃあないですかせっかくの遊びの約束断ってきたのにそれはないでしょう! うわーん!」

「わわわ悪かった悪かったからちょ、胸元掴むな揺らすな帽子が落ちる!」

「許しません許しません、天と地とシラオキ様が許してもこの私は許しませんとも、ブラックチーム反対ッ!」

「わかったわかった、わかったから落ち着いてーッ!」

 

学校近くのカフェにある高級パフェを奢ることで一応落ち着きは見せてもらえたが、あのパフェの値段はしばらくもやし生活になりそうなくらいには高いことはよく知っている。

 

「月初ってのに、こんな臨時出費があるとは、トホホ......」

「休養日はしっかり守ってください、モウッ!」



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第27話 覚醒の予兆

 

 

 

「7バ身も問題なしか。次8バ身いってみよう」

「む、無理ぃ......」

 

 パタリ、とコースに倒れてしまったスカーレット。私の予想ではあと1、2回はいけると思ったんだがダメだったか。

 

「......にしてもやっぱり、フクキタルの末脚は才能だな。距離適性も考えないといけないけど歴代を見てもそうそういないんじゃないかってくらいの加速力、堪らんね」

「照れますねぇ!」

「余裕あるねフクキタル。んじゃ坂路走っといで。1本でいいよ」

「ギャーッ蛇足でしたーッ!」

「いってらっしゃい」

「やーだー!」

 

 口では拒否しつつも、しっかりと坂路の方に向かってかけていくフクキタル。ああいうがやる気充分と言ったところ、期待が持てそうだ。

 振り返ればふらふらとしているが、なんとか立てたらしいスカーレットにスポドリとタオルを渡すと、スカーレットがこんな事を言う。

 

「フクキタル先輩を怖いと思ったの初めてです......」

「たしかに普段はあんなだけど、後ろから追われたらそりゃ怖いよね」

「追われるのはウォッカで慣れてますけど、なんかこう、違うというか、なんというか?」

 

 首を傾げるスカーレット。たしかに傍目で見る分にはわからないけれど走ってみるとわかることもある、か。

 

(......一回くらい走ってみたいな)

 

 うず、と脚が疼いて、頭を振って考え直す。

 

 いやいやいやいやもう現役は引退したし、何より私はトレーナーで人間を名乗ってる。ランニングの時は誤魔化せたけど、並走トレーニングやレース形式となれば流石に、ねぇ?

 

「......あ、わかったかも!」

「何が?」

「フクキタル先輩が怖い理由ですよ!」

「あんまり本人の前で言うと凹むから言わないでね。んで、その理由は?」

「ウオッカはほら、なんというか強い走りじゃないですか。バ群があっても突っ切って、こう、ギューンと!」

「ゴルシも似たような走りをするね。自分のスタイルを押し付けるというか、存在感のある走りをする」

「そうそう! だからこう、前にいても『居ること』がわかるんですよ! 後ろから迫ってくる感じで背中がひりつくというか!」

「わかるわかる」

 

 頭の詰まりがすっきりしたのか尻尾と腕をブンブン振って嬉しそうに語るスカーレット。彼女のいう通りたしかにスカーレットにウオッカは自分を押し付ける走り方をするイメージがある。普段の言動もそうだが、自分の芯をしっかり持っている性格だからこそ走りにも反映される。

 フクキタルは占いに頼ったり私に縋ったりするあたり真反対なタイプだろうか。芯がないといえばそれまでだが、状況に合わせて柔軟に対応できるタイプとも言える。

 

「けど、フクキタル先輩はそれがないというか、存在感が無いというか......」

「ん? それ怖いかい?」

「アタシもそう『思ってた』のよ」

「なんで過去形なのさ」

「いやほんと、途中まで怖くなかったの。だけど......今日は向こう正面からの練習だったでしょ? 3コーナー回って、最終直線で」

「うんうん」

「さっきの時だけ、3コーナーどころか、最終直線あたりまで背中で気配を感じなくて。でも振り向くわけにもいかないし、どこに居るんだろう、どこまで迫ってきてるんだろうって考えてたら。

 

もう前にいるの、怖いでしょ?!」

「足音で気がつかないものなの?」

「わかんないわよ。走ってみれば......って、トレーナーさんが走るわけにもいかないか」

 

 スカーレットのいうことがさっぱりわからない。現役時代でもそんなウマ娘など体験したことも聞いたこともないから分析しようもないし、今でも見たことがない。

 スカーレットの将来のためにも、何よりフクキタル自身のためにも謎は解いておきたい。さて、どうしたものか。

 

 

 

「それで相談、何か案ないかなトレーナー、ゴルシ」

「何言ってんだか......」

 

 三人寄れば文殊の知恵、ちょっとウマ娘が混じっていてもそれは変わらないだろう。というわけで時と場所を移した私はチーム室に鍵をかけ、事情を知る2人にぶっちゃけると露骨に呆れられた。

 

「素直に名前を公開すれば走ってくれるだろうに。お前の足は現役時代そのままなんだぞ? いい機会じゃねえか」

「嫌です墓の下まで持っていきますよーだ」

「頑固なのは変わらねえなぁ......」

「気性ですから」

「いいこと思いついたぞ!」

 

 トレーナー呆れ顔は変わらずだが、ゴルシが何か閃いたように指を鳴らす。そしてチーム室に放置されていたゴミやらありがたい置物やらの雑貨の中から抱え込むくらいの段ボール箱を引っ張り出して、何やら工作を始めた。

 

「目の穴を開けて、耳を作って。できた!」

 

彼女が自信満々に取り出したのは......段ボールに目を書いて耳を張り付けた、ウマ娘っぽい被り物。

 

「出来たぜ、ハリボテエレジーが!」

「なにこれ」

「こいつを被ればどんなレースに乱入してもバレない優れものって奴! 昔試したらすぐバレたけどな!」

「バレてんじゃねーか」

「トレーナーみたいなちょっと見えたところで黒鹿毛だったらバレねえって。あたしは芦毛だしすぐとっちめられたけどまあなんとかなるなる!」

「服はどうする? 私のジャージじゃバレちまうぞ」

「誰かの借りれば?」

 

 そう言われても、長身の私じゃウオッカもフクキタルの服も袖が短いし、タッパのあるやつのジャージが欲しい。

 

「よし、ゴルシ。脱げ。それ着る」

「ぱっぱらぱー! これでハリボエレジー完全体の完成だぜ......なんて?」

「お前の着ている服が欲しい。トレーナー、ちょっと外出てて」

「はいはい」

「ちょっ、は、はぁっ?!」

「目潰しをブスッとな」

「ぎゃあああああああああああああああああああ!」

 

 

 

◇◇◇

 

 

「今日のトレーニングは模擬レースだ。お前らのために、OBの先輩ウマ娘が協力してくれることになったぞ!」

「OB?」

「引退した先輩方ってことだろ」

「......そんな話ついさっきまで無かっただろうが」

「急な申し出があってな、サプライズって訳。ハリボテエレジー、挨拶してくれ」

 

 トレーナーの言葉に合わせてペコリと頭を下げる。

段ボールに穴を開けた狭い視界の中からでもヒソヒソと話すことくらいは伺える。しかし、私とはバレてはないようだ。

 

「今日はトレーナーさんは居ないのですね。珍しいこともあるものです」

「アイツなら風邪を引いて休みだ。この時期夜は冷えるから、あいつみたいに体調管理を疎かにするなよ。特にレースを控えてるフクキタルはな」

「わかってますってば」

 

ぶいぶい、とジェスチャーするフクキタル。こっちも完全にバレてない、よしよし、ゴルシなかなかやるじゃないか。

 

「だりぃ......」

 

当の本人はこないだ服を追い剥ぎされたせいで気乗りしないらしいが些細な問題。ゴルシのやる気がなかろうが関係ない、なんたって今日はフクキタルのためのレースだからね。

 

「と、いうわけで準備体操しっかり済ませてるな?

未デビュー組の3人も含めて、6人でレースだ。2000mの右回り、芝コース。ウォーミングアップしっかりしとけよ!」

「「「「はーい」」」」

「エレジーもしっかりやってくれ。手加減は要らないからな」

 

 グッ、とサムズアップを返しておく。

 しかしマークされて逃げるなんて久しぶりだ、あれほどの圧力が来ることはまずないし、リハビリには丁度いい。

23度飛んで、芝の状態と脚の蹄鉄の状態を確かめる。緩みもなし、芝もいい感じに固い良バ場って感じだ。ちゃんと身体もあっためてきたしあとは走るだけ。

今回は仮想スズカって事で大逃げ寄りに逃げるが、被り物のせいで視界が狭くてたまらん。ラチにぶつかるのもなかなか怖いくらいだな......

 

「よーし、準備できたな?」

 

 トレーナーの掛け声の元ライン上に脚を合わせる。今回はハンデの意味も込めて大外、あとは内からスカーレット、フクキタル、ウオッカ、シャカール、ゴルシ、んで私。

 

 

 

さて、さて、久方のレースだ、楽しまなくっちゃ損だよね。

 

 

 

「位置について、よーい、ドン!」

 

手が振り下ろされるのと同時に踏み込んでスパート。

 

全力全開、ぶつからないくらいに距離をとって2コーナーまでぶっ飛ばす! 全力疾走なんていつぶりだろうか、この風を切る感覚、もう今すぐにでも被り物を取っ払って最高って叫びたいくらい!

 

いかんいかん、今はレース中、今はレース中。やっぱ模擬レースだと緊張感が、ね、うんうん。

 

 そろそろ第2コーナーも終わりがけ。足音を聞くにスカーレットが一バ身後ろで、あとは団子気味。うーん、1番前がフクキタルあたりか? 最後尾はゴルシなのは確定で、その前はシャカールだろう、となれば後ろから3番目がウオッカで決まりだ。

 

 向こう正面なので若干ペースを落としつつ様子を伺う。振り向いちゃうと被り物が落ちるかもしれないし、スピードがガクッと落ちるしいいことなんてなんにもない。逃げウマは耳と気配で後ろを探るものだ。さてさて。

 うーん、このままだと最後までトップなんじゃない私?

 だってほら、もうすぐ最終直線、300mで10バ身はデビュー前の面子には酷というもの。スカーレットは余力が足りないだろうし、ウオッカもシャカールもキツかろうて。

 

「速すぎンだろォ?!」

「「む、むーりー!」」

 

あらま。言っちゃったか。

 

 トップ争いは残り2人。しっかり後ろにつけてきてるフクキタルに外からスパートをかけ始めたゴルシ。

 

「オラオラオラ! この前の恨みいま晴らしてやんぜ!」

 

 ゴルシ特有のロングスパート、ロングストライドの重く間隔の長い足音。地響きのように身体に響くソレ、この恐怖に負けてはいけない、自分のできる全力でやれば届かないことはよく知っているはずだ。ここはもう、ゴルシの射程外だ。

 

(......あれ?)

 

何か忘れてはいないだろうか。

もう1人いたはずだ。

 

足音はゴルシの重いそれと、へばり始めた後続3人のもの。

 

1人足りない、1人。

 

 

(フクキタルは、どこに行った?)

 

 

「はしゃぎ過ぎですよ、()()()()()

 

 

誰かが耳元で囁いて、白い炎がきらめいて。

 

明るい栗毛のウマ娘がゴールを駆け抜けていった。

 

「ぶ、へっ!? や、やりましたよぉ〜......」

「はぁ、はぁ、おい、大丈夫か?」

「にゃ、にゃんとか......へへ」

 

 ゴールしてから唖然として地面にへばって倒れたフクキタルを見る。確かに途中までは確実に後ろにいたのを肌で、気配で感じていたはずだ。ゴールドシップがスパートをかけて一瞬注意が逸れたからといっても......見落とすはずがない、この私が? レース中に後ろの気配を感じられないと?

 

「オイオイ、最後手加減したのか? それとも鈍ったか?」

「......ちょっと、こっち」

 

 冷やかしてくるトレーナーの首根っこを引っ掴み物陰に引き摺り込み小声で問いただす。

 

「最終直線、フクキタルはどこにいた?」

「どこって、お前、普通に後ろにいたぞ。若干外側で最後お前が速度を緩めたところにスパートをかけて抜かしてっただけだ。一バ身差ってところだな」

「......なにをされたかわからなかった」

「なに?」

「最終直線、手加減した覚えも、スピードを緩めた覚えも、勝たせるつもりも一切なかった。なのに......フクキタルはいったい私になにをしたってわけ?」

 

 手を抜いたつもりもない、今できる全力を私は発揮したはずだ。だがあれは、もしかすれば皇帝とも比肩して恐ろしい何かかもしれない。

 

「最終直線に耳元で囁かれた、おかしいと思わない。全力疾走中に囁いて、抜かしていくなんて」

「オイオイ、それは不可能ってもんだろ。ただの聞き間違いか思い違いさ」

「思い違いなんてもんじゃない。確かに聞いた」

 

 

マチカネフクキタル。

 

......底が知れない。

貴女は一体、なにを持ってるってわけ?

 

 

 

 



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第28話 パドック

レースが始まると思ったんですよ。なんとはじまらないんですよ。


アルェ......?


 

「うう、口からおみくじが出そうです」

「それどういう状況?」

「とても緊張してるってことですよ、モウ!」

「相変わらず個性的な表現をするね」

 

 セーラー服めいた勝負服......と、いうわけでもなく、今回はGⅡレースということで赤地に白字のゼッケンに体操服である。どうしてこう、私が現役の頃からレトロな体操服でしか走らないんだろうか。ルドルフの体操着姿なんて似合わなすぎて同期の間じゃ笑いの種だったなぁ......違う違う。

 

「さてフクキタル、今日の運勢はなんだった?」

「ムッフッフ、なんと本日は大安吉日、星座占いとシラオキ様の託宣によればなななんと大吉でございます!」

「およ、だったらレース勝てるんじゃないの?」

「いえいえ、人事を尽くして天命を待つとも言います。

トレーナーさんと積み上げてきた努力とスズカさんへの対策案、この二つを活用することこそ勝利と開運への道と考えています」

 

目を瞑り、腕を組んで頷くフクキタル。運だけに頼るのは卒業出来たようで、成長を感じる。

 

「この舞台はその集大成、文字通り菊花賞への階段(ステップ)なんですから。しっかり3着以内に入って見せますとも!」

「そこは1着と言って欲しかった。相変わらず変に卑屈なんだからもー」

 

 でも前向きになっているのは良いこと、ウマ娘の意見はしっかり尊重しないとね。

さて、と言いつつ懐からノートを取り出して作戦会議。日本ダービーよろしく資料はバッチリ集めてきたが、何人ものデータに目を通すのはいらないかもしれない。

 

「逃げるスズカを捉えることだけを考えるとして、どうする?」

「実力はずば抜けていますから前半からマークしたい......ですけど、少し試したいことが」

「ん?」

「最後尾から抜いてみようと思うんですよ。全員を」

「......じゃあ、今日は先行策ってことで」

「わああ待ってくださいトレーナーさん、これにはちゃんとした理由があるんですよう!」

「話だけなら聞くけど」

 

 確かにフクキタルなら出来んこともないが、スズカの逃げを捕らえることがか出来るかというと少し確証はない。私個人としては前につけて差す好位差しがベストだと思う。

 

「実は夢枕にシラオキ様がたちまして......」

「却下」

「最後まで聞いてって言ったじゃないですか! モウ!」

「はいはい、それでシラオキ様のお告げで最後尾からの全員を抜く作戦を貰ったと」

「なんと! トレーナーさんの夢枕にもシラオキ様が!」

「予想しただけよ。んで、やるの、それ?」

「勿論です、私なりにもできるかどうか考えてきたので!」

 

 今までなら言わないような台詞に思わず驚いた。今までだったらシラオキ様の言うことには盲信的に従ってきたであろうフクキタルが、ワンクッション置くことができるようになってるとは。

 

「その理由を聞かせて」

「はい! 

  やはりこのレースで1番実力がある、マークされやすいのは私とスズカさんの2人です。ダービーに登録していたシルクジャスティスさんもいますが、直近レースでしっかり一位を取っている私の方がより警戒されることでしょう。

 レースが開始します、先頭ではスズカさんが逃げている。放置していれば6バ身7バ身、下手をすれば10バ身と伸び伸びと走ってしまうことでしょう。となれば離されてはいけない、自然とハイペースなレースになります。スズカさんの後ろを走る(マークをする)ようで、スズカさんのペースに巻き込まれて破滅するレースが。

バ群の内ではおそらく壁が多すぎてダメなのでしょう。

前にいればハイペースに潰されてしまうのでしょう。

捕まえるならスタミナを温存し、バ群なんて関係ない大外を走れる」

 

「「最終直線」」

 

フクキタルと私の声が揃った。

 

「今までの練習はこの為にあったのですね! シラオキ様の託宣もありますが、トレーナーさんは素晴らしい慧眼の持ち主! やはり運命の人で間違いはなかったのです!」

 

嬉しさで跳ね回るフクキタルは無視して、彼女の意見を自分なりに噛み砕く。

 

予想される展開はフクキタルの言う通りで間違いない。

 スズカの逃げと追従する面々。11人立てのレースだがGⅡ以上の経験がある面々は多くない。GⅠレースを走ったともとなればスズカとフクキタルのみ、レース経験数の差はあれど経験値は遜色ない。

 スズカの平均スピードは世代トップ、練習と対策なしでかち合えば破滅まっしぐらだ。最終直線、バ群はそっくりそのまま高密度の壁になる。器用じゃないフクキタルにバ群はすり抜けられない。

 

だったら、長距離用に鍛えたスタミナで大外からぶち抜けば何も関係がない。後方待機し風を避けスタミナを温存し、最終直線に全てを賭ける。

 

ハイリスク、ハイリターン。

 

スズカの逃げが勝つか、フクキタルの末脚が勝つか。

 

「それで行こう。シラオキ様の意見、信じてみようか」

 

神頼みするのも悪くはない。

 

 

 

◇◇◇

 

 

「トレーナーっ、こっちこっち」

「いやーすまんね、兵庫くんだりまで来て貰ってさ」

「先輩の応援ですから!」

「データは生で取れるに越したことはねエからな」

 

 レース場のゴール前のベストポジションで手を振ってくれたスカーレットとシャカール。スピカ揃ってというわけにはどうしても行かなかったが2人が付いてきてくれた。

 

「ありがとう、あがり症っぽいフクキタルの緊張も少しは解れるよ」

「別に、チームメイトとして当然のことですから」

「まァな。明石焼き食うか?」

「食べる食べる」

 

 シャカールから差し出された、スチロールパックに6個並んだたこ焼きのようでそうでないものを口に入れつつ、空を見上げる。白く曇った空は少し寒く手のひらには雨粒。バ場状態は良で変わらないが、やや小雨気味といったところだろうか。

 

「バ場状態は良、天気は小雨。どう見る」

「ンー、スピードは2〜3%下がる、良発表だろォが摩擦係数低下は否めねエ。芝が手入れされて雨も小雨だろォがな」

「半バ身?」

「クビ差だな」

「なら問題ない」

「......なんの話してるの?」

「「そりゃ、今日のタイムの話よ」」

「こんな小雨だったら変わらないじゃない? 滑りやすいタイルの上を走るわけじゃないのに」

「お前それダート専のウマ娘に言ってみな、蹴っ飛ばされるぞ」

「優等生が聞いて呆れラァ」

「そこまで言われます?!」

「君はバ場気にするほど繊細なタチじゃなかろうけども......」

 

 バ場状態で露骨に成績が変化する繊細なウマ娘もいる。スピカの面々はその例外ばかりが集まったようなものだが、レースともなれば話は別だ。手帳に挟んでた赤ペンをクルクルと回しつつ、シャカールのパソコンデータと見比べる。

 

「スズカの雨中レースは一回だけか。タイムは刻めてないし、並クラスには苦手とみた」

「それは重バ場だからろうがよォ。平均タイムをみりゃわかンだろ」

「でも例年よりかは時計が落ちてるんじゃないかい」

「あァ?」

「......トレーナーさん一昔前にレース場に入り浸ってたっていうオジサンみたいじゃない。明石焼き食べてるし尚更」

 

『GⅡ神戸新聞杯、出走ウマ娘たちがパドックに姿を......』

 

 アナウンスと共にレース場中央の液晶にパドックの様子が映し出された。枠番順に準備体操をしたり、手を振ってアピールしたりする様子が映し出される中、フクキタルといえば......水晶玉に手を当ててなにがしかを祈っていた。

 

『エコエコアザラシ......エコエコオットセイ......』

 

「先輩はいつも通りですね」

「何祈ってんだよ、神なんて居ねえってのに」

「シャカール君は無神論者なのかい? 神様が数値化出来ないからって」

「たりめーだろ、見たものしか信じられねえんでな」

「んーリアリスト」

 

GⅡ神戸新聞杯、バ場状態良、天気は小雨。

 

「......約束、果たすから。見ててね、サニー」

「勝つ、勝つ、勝つ! ダービーの失態はここで晴らす!」

「ムッフッフ、今日の私は無敵ですよぉ〜」

 

三者三様それぞれの想いを乗せて、レースが今、始まる。

 

 

 

 

 

 



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第29話 9月14日 神戸新聞杯

1枠 1番 シルクジャスティス
2枠 2番 スノーエンデバー
3枠 3番 ビンラシットビン
4枠 4番 マチカネフクキタル
5枠 5番 ナムラキントンウン
6枠 6番 テイエムトップダン
   7番 トウジントルネード
7枠 8番 サイレンススズカ
   9番 ムーンライトソング
8枠 10番 トウカンイーグル
   11番 ルールファスト



 

 

 

 

 

「それで、枠番の方はどうなのかしら?」

「良い。阪神じゃ有利なウチ側を貰ったし単枠指定で余裕がある。後方に下げるレースをすると決めた以上、ウチラチ側に素早くつけられるのはありがたい。変にバ群に飲まれることだけが心配ってところかな」

「サイレンススズカは外か、逃げるなら不利な枠順だが先行有利なレース場だからなァ」

「色々考えてるわけね、勉強になるわ!」

「デビューしたら嫌でも覚えてもらうことになるよ」

 

 レース場によっては枠番でどうしても有利不利が出来てしまう。例えば東京レース場は最終直線が長いため差し追い込み型に有利、逆に中山は短いため逃げ先行が有利になる。

 こればかりはくじ運で決まるからどうしようもない。負けて枠番にケチをつけても結果は変わらない、ただ運が悪かったのだ。その面で言えば、フクキタルの大安吉日の運勢通りに枠番は勝ち上がり率の高い2〜4枠、1番のライバルであるスズカも7枠の外側と風はこちら側に吹いてる。

 

『さあ菊花賞トライアル、最後の一冠の挑戦権を手に入れるのは誰だ。GⅡ神戸新聞杯......レース開始です! 各ウマ娘、綺麗なスタート』

 

 明るい栗毛のウマ娘がレース開始早々バ群から突き抜け、スッと先頭を取った。

 

ゼッケン8番、サイレンススズカだ。

 

「予想通り、だな」

「綺麗なスタートと加速! すごい!」

「ああ、やっぱり彼女は逃げウマ娘、スタートとスピードの乗せ方が上手い」

 

 そのまま2番手、GⅢ毎日杯覇者のテイエムトップダンに3バ身ほどつけトップ、3番人気シルクジャスティスはバ群の最後方につけ、フクキタルはバ群の中央あたりで最内につけ様子を伺っている。

 

 そのまま直線から1コーナー、2コーナーを抜け折り返しの向こう正面へ。今回は露骨にかかったウマ娘もいるというわけもなく、牽制こそあれ殆どが伸び伸びと自分の走りができていることだろう。目の前ではフクキタルが位置を下げ、最後方付近につけようとしているところだ。その向こう正面、目印のハロン棒が見えたあたりで隣でストップウオッチをにぎるシャカールに声をかける。

 

「1000mは?」

「59秒3。逃げウマがいりゃあ平均より若干上だが、超ハイペースって訳でもない。平均よりは速いが」

「だいぶ速い方だと思うけど」

 

 サイレンススズカは先頭につけ後続とは3バ身前後。バ群は中段あたりがごっちゃになり、先行集団が若干壁になりつつあるか。3コーナーに差し掛かろうというところその中で、誰かが露骨にペースを上げていく。

 

「誰か仕掛けたわよ!」

「ゼッケン1番......シルクジャスティスか」

「焦っちまったな。あれじゃ最終直線に脚が残らねえよ。あと200は先で仕掛けてりゃ8%の勝率はフイになっていなかったたってのに」

 

呆れ声を漏らすシャカールだが、シルクジャスティスの気持ちもわからないでもない。

 

 後ろから数えればスズカとの差は10バ身以上、さらに前にはバ群の壁、早めに仕掛けないと厳しいと判断したんだろうさ。コーナーでうまく抜けられる自信があるなら、ロングスパートをかけることも難しくない。そんな器用なウマ娘私はゴルシともう1人くらいしか知らないんだけど。

 

『最終コーナーを抜けて最終直線、依然先頭はサイレンススズカ、2番手テイエムトップダンとは1.5バ身差!』

「来た、来たわよ!」

「365.5m、さて、捲れるか......?」

「フクキタルはしっかり外に持ち出してる。あとは信じるしかない」

 

 実況にも熱が入る。最終コーナー直線を抜けた瞬間だった。

サイレンススズカの身体が、沈む。

 

「まさか、あれはっ!?」

 

「疾く、もっと、疾く──」

『サイレンススズカ強い強い! あっという間に後続を突き放した! 2番手との差は3、いや4バ身!』

 

「スパート!?」

「オイオイ、冗談だろう......?」

「冗談もへったくれもない、コイツは」

 

沈黙(サイレンス)

名は身体を表す通り、彼女の走りはレース場を沈黙させた。

埒外の2段スパート。最終直線でなお加速するスタミナと才能。ハイペースな展開に食らい付いてきた後続のスタミナを喰いつぶし、希望をへし折る、圧倒的なレース運び。

 

「......コイツは......無理だ......!」

 

 思わず鉄柵を握りしめる。2段スパート対策なんてやってない。8バ身を捲る練習はしたが、それは4コーナーからを想定した600mからを想定したものだ。

 

最終直線残り250m。

 

先頭とのその差は、なんと6、7バ身はゆうにあろうか。

 

「クソ......!」

 

 対策のそのさらに上を力技にて轢き潰す。才能で何もかもを圧殺していくその走りは、現役時代の怪物達を彷彿とさせるかのようで、

 

「また、勝てないのか、才能には......!」

 

絶望に目を、伏せてしまった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「背中が、遠いです、ねェっー!」

 

そう呟かずにはいられませんでした。

 

ダービーのサニーさんよりも遥か遠く、速い背中。一度届きかけたあの時とは違って、手も届かないとバッサリと切り捨てるような、圧倒的な差が立ち塞がりました。

 

「ハッ、ハッ、ハッ──」

 

周りがスローモーションに見えました。色を失い、ゆっくりと動く世界。私も、他のみんなも、灰色で止まっているようでした。

 

 

その中で、スズカさんだけが輝いて見えました。

 

白と鮮やかな緑の勝負服、栗色の髪と尻尾。

 

それはとても眩しく、儚く見えました。

このままでは、目の前から消えてしまいそうで。

 

しかし、なにより。

 

 

彼女が()()()()()()()()

 

私は、負けたくはありません。

 

当然です、好き好んで負けるウマ娘はいません。

それに......色んな人に、力を貸してもらいました。

 

トレーナーさん、スカーレットさん、シャカールさん。

沖野トレーナーさん、ウオッカさん、ゴルシさんにも。

そして何より、応援してくれる人がいます。

 

その為にも欲しいんです。

 

好き嫌いは減らします。

勉強も前より真面目に頑張ります。

練習はもっと頑張ります。

 

私のためじゃなくて。

 

私のために頑張っている、トレーナーさんに、勝利を!

 

 

 

『いいよ。日頃の行いと......いつものお供物に免じて、ちょっとだけ。ちょっとだけ、力を貸してあげる。全く、手のかかるーーーーなんだから』

 

 

◇◇◇

 

 

『大外からマチカネフクキタルも上がってきたぞ!

あと200m、ドンドンと差を詰めてきている!』

 

「「来た!」」

「来たわよ、見てよ、トレーナーっ!」

「......え?」

 

スカーレットに肩を叩かれ、指を差した方を見る。

 

そこに居たのは。

 

「ふんぎゃろ、ふんぎゃろ、ふんぎゃろーっ!」

 

必死に脚を動かして、目を見開いて、追いつこうと叫ぶフクキタル。

そうだ、諦めちゃいけない。私が先に諦めてどうするっての。

柵から身を乗り出して精一杯叫ぶ。声がフクキタルに届くように。

 

「行け、行け、行けーっ!」

 

『どんどん差を詰める。あっという間だ!

その差は3バ身、2バ身、半バ身! 並んだ! 躱した! そして今、ゴールインっ!

 

マチカネフクキタルが勝ちました! 神戸の舞台に福が来た! 2着はサイレンススズカ、3着にはトウジントルネードが入りました。

3コーナーまでシンガリだったマチカネフクキタルでしたが、4コーナーで一気に差を詰め、最終直線抜け出しました。さてー』

 

 

 

「おめでとうフクキタル! 重賞初制覇! 菊花賞にも出られる! 最ッ高! 今ならシラオキ様信じられる!」

「へへへ......ありがとうございます。アハハ......」

「もうちょっと喜びなさいよこのこの〜!」

「先輩を胴上げしましょ、胴上げ!」

「3人じゃ無理じゃねェか?」

「や、る、の!」

「チッ。しょうがねえな」

「ええ〜?」

 

地下道に先回りして、わっしょいわっしょいと一通り胴上げ。力を使い果たしたかふらふらと歩いてきた身にはちょっぴり手荒い歓迎だけど今日ばかりは許して欲しい。なんせGⅡの勝利だ! 

 

「......実感湧きませんねえ」

「まあまあ、そういうもんさ。とりあえずライブの準備をして、終わったらパーっとね!」

「トレーナー随分とキャラが違うような、本当に同じ人?」

「ハメを外せばこんなもんよ私。なに、もうちょっとおカタイ人だと思ってたクチ? うりうりー」

「端的にいうとその......なんというか......」

「世間一般から見れば『熱苦しいうざってえ飲み屋の酔っ払い』だろうが」

「......辛辣すぎない?」

「事実を述べて何が悪い」

 

 スカーレットのほっぺをつついてたらシャカールのなんて言いようだか。ま、普段よりかはテンション高めなのは認めるけどもね。これでしばらくのストレスから解放される......

 

「28日後には京都新聞杯だろうがヨォ。1番人気は成績と勝ち方見れば確定だ。マークされる上、菊花賞で競るだろうウマ娘ばかりだ。ステイゴールドもいる、さァ対策考えなきゃなぁ?」

「考えたくないそういえばそうだった。頑張ろうねフクキタル」

「それよりトレーナー。ここ1週間以上フクキタル先輩のダンス練習見たことないんだけど......大丈夫なの?」

「......あっ」

「あっ」

「「あっ?!」」

 

「またやらかしてるじゃないの、もー!」

 

 

 

 

 

 

 

 




くぅ疲れました、これにて1戦目です。あと2回、がんばるぞい!


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第30話 それぞれの進む道

今日は短め


 

 

「......の、割にノーミスで踊ってるのはどういうこっちゃねん?」

「私にもわかりません?」

「なぜ疑問系」

「それが記憶がとんでいまして、で気がついたら控室にいたといいますかなんといいますか」

「はぁ」

 

 つつがなくウイニングライブを終えた帰り道、新幹線の中で何が何だかと2人して顔を見合わせていた。

 

「最終直線もうろ覚えですし、どうしたもんかと棒立ちになってたらいつのまにかライブも終わってますし、今日は厄日です」

領域(ゾーン)、てやつかねぇ」

「ゾーンですか?」

「一流アスリートならたまになるらしい『究極の集中状態』てやつだよ、聞いたことない?」

「全く聞かないですねえ」

「一種のオカルトみたいなものだからかな。都市伝説というかなんというか」

 

 実際、私は現役時代に一度だけそれを体験したことがある。といっても私ができたわけじゃなく、目撃しただけだ。レース直後に目の前にぶっ倒れたウマ娘の肩を叩いたら、ガバッと跳ね起きて最初に言った言葉が『寝坊したレースに遅れる!』ときたもんだからさ。

 なんでも朝っぱらから記憶がすっぱりないんだという。フクキタルも時間は短いけども似たようなことになっていた。

 

「......意図して入れるものじゃないことだけは確かなんだよね。それだけレースに集中できたってことだろうし、あの豪快な捲り方も納得がいくかな」

「動画見ましたよ! 我ながら凄まじい豪脚、まさに神懸かり的といっても過言ではないかと!」

 

 我ながら鼻が高々ですよとドヤ顔を披露するフクキタル、その伸び切った鼻をつまんで左右に揺らしながら眉間に皺を寄せて、

 

「油断しない。次はもっと強いウマ娘が出てくる京都新聞杯。マークされるし、注意するウマ娘もたくさんいるんだからね」

「ふがふが......」

「でも、今日のレースができれば勝てる。そこは自信持っていいから、練習と対策会議頑張るよ」

「ふぁい!」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「負けて、しまいました......」

「そう」

 

 1 1/4バ身。

 同じく同期で燻り続け、一度は下したマチカネフクキタルとはどこで差がついてしまったのだろうか。それはトレーナーの差や彼女達の才能ではない。

 

相性、だろう。

サイレンススズカと私、東条ハナの育成理論は合わない。そう結論つけざるを得ない。スズカを育てられそうなトレーナーと言えばあのいけすかない2人の顔しか思いつかないけど、これほどの才能は私の手で埋もれさせるのにはあまりにも惜しい。

スズカには少しばかり辛い思いをさせることになるけれど、ウマ娘の幸福な未来を。

ルドルフの受け売りじゃないけど、スズカには気持ちよく走ってもらいたいもの。

 

「スズカ、2ヶ月後にレースに出てもらうわ」

「秋の天皇賞ですよね」

「......それについては、見送ろうと思うの」

 

 そう告げると寝ていた彼女の耳が立ち、信じられないと後ろに耳を倒す。正直に伝えるべきだろう。

 

「どうして、ですか」

「......スズカ。私はあなたの才能に惚れ込んでスカウトした。けど私ではあなたの才能を扱えない。悔しいけれど」

「......」

 

 彼女はあまり多くを語らない。だけど、耳や尻尾に表情はよく出る。申し訳なさと、自分に対する不甲斐なさ。気にしないで、と肩を叩いて声をかける。

 

「この時期はじっくり身体を作ってほしいのだけれどその前に11月末、あなたにはタウラスS(ステークス)に出て貰うわ。府中2000m、オープン戦よ」

「......はい」

()()()()()()()()()()()

「......!」

 

 驚いたように目を見開くスズカ。

 

「いつも煩く言っていたものね。でも今回は何も言わないわ。あなたの好きなように、望むように走りなさい」

「いいん、ですか」

「ええ。これからは思うように走りなさい。けど、身体には気をつけるようにね」

「......はい!」

 

 さて、あとは仕込みをするだけ。あの男とあの子に連絡をしておけばいいでしょうね。

 そういえば、レースの日には北海道から転入生が来るんだったわね。ちょうどレースが見れる頃合いかしら......

 

 

 

 

 



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第30話 決意

夏競馬に突入、かの七夕賞など色々地方レースもあるので楽しみですね。


お金はかけませんが......


 

 

 

『外からメジロブライト、一気に飛んできている!

さあ、シルクジャスティス見ているかメジロブライト先頭に立った!

 おおステイゴールドも来た! ステイゴールド来た! そしてパルスビート!

内からマチカネフクキタル、また内からマチカネフクキタル!

マチカネフクキタル先頭!パルスビートが2着~!

マチカネフクキタルだ! 神戸に次いで京都も制す、京都にも

まさしく福が来た!』

「やりましたーっ!」

 

 最終直線で突き抜け、後続を寄せ付けない切れ味抜群の末脚で勝ち上がる強いレースを見せたフクキタルは京都新聞杯も制した。

 

『夏の上がりウマ娘』

 

 夏シーズンのレースと合宿で力をつけ、OPクラスから一気にG1戦線に駆け上がったウマ娘を指す言葉。トゥインクルシリーズを特集するスポーツ雑誌で、その言葉とともにフクキタルのゼッケン姿が表紙を飾る日も増えていった。

 

なのだが。

 

「菊花賞1番人気じゃないんですねぇ......」

「人気投票だ、気にすんない」

 

 へにょり、と耳を萎ませるフクキタルが手に持っている新聞の表には、『3番人気 マチカネフクキタル』の文字があった。

 

「1番人気シルクジャスティスさん、2番人気はメジロブライトさん! 神戸新聞杯私が勝ったのにどうしてなんですかー! もぎゃー!」

「ダービー2着。シニアクラシック混合の京都大賞典勝ったから」

「むー」

「実際問題、フクキタルが2400以上を走ったのはダービーだけ、3000m走れるかと言われると判断できないんだよね」

 

 練習ではしっかりとタイムは刻めているが、本番は何かあるかわからない。そのための実戦形式の並走トレーニングを重ねるのが最適な練習方法なのだけれど、

 

「練習しようにもデビュー前の面子に3000mなんか走らせられない。

 ゴルシの追い込み型は例外スタイルすぎて参考にならないし、ダメ元でライアンに頼んでも『同門のライバルに手は貸せないかな』なんて断られちゃお手上げ」

「トレーナーさん経由でリギルとかに頼み込んでみてはどうですか? トレーナーは東条トレーナーと仲がいいとタイキさんから聞きました!」

「そうかそうか。皇帝と走りたいなんてなんて向上心の塊なんだフクキタルは!」

「そういえばそうなりますよねーっ!?」

「冗談冗談」

 

 せっかく上がり調子のフクキタルの自信を粉々にされてたまるかっての。レース巧者のルドルフとの経験は身になるだろうけど、今のフクキタルにはまだ圧倒的な実力差しか感じ取れないだろうしね。 

 

「と、いうわけでビデオをみよう。皇帝シンボリルドルフのレース運び、参考にしなきゃね」

「おおっ! かの有名なルドルフさんのレースですか!」

「フクキタルとは違うけどキレる末脚を使うタイプ。学園最強の名前は伊達じゃないよ、しっかり勉強しようか」

「ハイ!」

「同じ菊花賞のレースだ。勝負服は今と同じ緑と赤、よく見ていて」

 

 動画を再生する。最近は公式非公式問わずに色んな角度からのレース動画が見えるのでありがたい。数年前のルドルフのレースですら、高画質で見られるってんだから時代の進化というのははやいものだ。

 

「バ群中段につけて、最終4コーナーで先行集団が外にバラけた隙間を縫って先頭に......すごい抜け出し方です」

「最内につけられれば同じ勝ち方は出来ないこともないかな。キツい下り坂と荒れた内ラチで普通は避けるから当然前が開く。あとは末脚で差し切るだけ、ってわけ」

「こないだ走りましたけどあんなことできるんですか?!」

「2200mと3000mじゃペースが違うけど、普通は振られるよね」

 

 第3から第4コーナー前後にまたがる淀の坂。他のレース場で見ないコーナーでかつきつい下り坂のおかげもあってか、最終直線で外に放り出されるようなきつい遠心力が掛かる。ほとんどのウマ娘は最終直線、半ば持ち出されるように客席側に散らばっていくものだ。

 

「だけど入着してるウマ娘は振られない。距離ロスと身体への負担のバランスを考えた最短ラインをなぞるように走ってる。これがまず最内か4角先頭を取った時の必勝法だと思う」

「では大外に持ち出してしまったら?」

「速さそのままで大外ぶん回して末脚をどこまでキープできるかお祈りってところだね。9割負けるから」

「お祈りしてもいいんですか?!」

「ダメ」

 

 御無体な! と騒ぐいつも通りのフクキタルを見ながらどうでもいいことを思い出していた。

 

今では三冠ウマ娘として名高いシンボリルドルフだが、距離不安か対戦相手の格の違いだかで同月のジャパンカップに出走する予定だった。しかし世間の三冠ウマ娘誕生の期待に応えるため出走を決定し、勝利。中一週で出走する羽目になったジャパンカップは下痢で体調を崩していた......というのにあの走り、当時の上がり3ハロン自己最速をつけ、世界の強豪が集う中3着、全く恐ろしいもんだ。

 

天才はまさにああいったものを言うんだろうさ。

レースセンス、生まれ持った脚、そして回る頭と強い心。どれもこれも常人より恵まれたものをもって生まれ、努力することも怠った事はない。

 

『皇帝の神威』と恐れられた強烈な末脚と天性のレース感、それが彼女を皇帝たらしめた要素だ。その2つをあの世代のウマ娘はついぞ越えられなかった。

 

だが、今やウマ娘は1人で走る時代じゃない。

 

フクキタルは『神威』に手が届く末脚がある。

天性のレース感は私が学び備えたものがある。

 

二人三脚でなら、皇帝を超えられる。

 

菊花賞、ひいては有記念。

 

フクキタルと私とで、それを証明する。

 

 

 



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閑話 桐生院葵による菊花賞寸評

というわけで決戦前のお茶濁し会です

97年当時の予想なんかを頑張って掘り当ててきました。


 

 

「モルモット君精が出るねェ、紅茶いるかい?」

「角砂糖たくさんで!」

「虫歯になっちゃいますよ?」

「歯を磨けば大丈夫です」

 

 ぽいぽいと角砂糖をカップに3、4個入れつつ、ティースプーンで数回ほどかきまぜればいつもの甘々な紅茶の完成だ。ほどほどに冷まされた紅茶を一口。実家の方から送ってもらった高級茶葉、専門の使用人が入れたものとは香りも味も劣るが美味しいことに変わりはない。

 

「......フゥン、耳が生えるだけか」

「トレーナーに酷いことしないで」

「同意の上だよ」

 

 私の頭の上に生えたらしい何かを繁々と眺めながらふむふむと唸っているタキオン。だがすぐに飽きたらしく、その興味は私が文章を打ち込んでいるパソコンへと向かった。

 

「硬い文章だね、お得意の『トレーナー白書』かい?」

「いえ、菊花賞の結果を予想してるんです。トレーナーとしての相バ眼と観察眼を磨く練習のようなものですよ。やってみますか?」

「面白い」

「......やる」

 

データはタキオンさんなら問題なく入っているでしょうと前置きした上で、参考にした競バ新聞やデータ表を見せる。数分して。最初に口を開いたのは意外にもミークだった。

 

「強いていうなら......メジロブライトさん、でしょうか?」

「理由は?」

「今まで最低でも4着、強いということだと思います。同じレースに出場していた人も多くいて、対策もできると思います。それに、『メジロ』は有名ですし」

「名門ですからね」

 

 ウマ娘にも私の桐生院家のような名門、血統主義のようなものがあります。メジロはその中でも特に有名で、春の盾を得ることを目標とし、実際に3000m前後の長距離レースを得意とするステイヤーが多く在籍していました。今年オークス、秋華賞1着などティアラ戦線で活躍したメジロドーベルさんが記憶に新しいですが、長距離戦である障害レースを選び、連勝を重ねたメジロファラオさんや天皇賞春を2着などのメジロライアンさんを見れば得意であることは間違いありません。

 その評判に則るなら3000mの菊花賞はまさに彼女の舞台とも言えるでしょう。

 

ただ、と注釈を付け加える必要があります。

 

「ここ半年以上勝ちがありません。それにトップとは半バ身の差だったりと惜敗が続くレースが多い。つまるところ、トップには迫れても勝ちきれない......典型的なシルバーコレクターに甘んじがちなウマ娘でもあります。何か大きなきっかけでもない限り、菊花賞は難しいでしょう」

「キッカケがあったら?」

「京都新聞杯で1着だったらそう思えましたね」

 

 ミークには厳しいけどこれが『トレーナー白書』、積み重ねてきた伝統と経験から導き出される私の解答だ。

 

「タキオンはどう思いますか?」

「ん? 私にも聞くのかい?」

「頭の体操ですよ。また夜遅くまで実験してたのでしょう、同室のデジタルさんからは聞いていますからね」

「彼女まで買収したか、全くやりにくいね」

「買収ではありません! もっと身体に気をつけてください!」

「善処するよ、フム......やっぱりフクキタル君かな」

「理由は?」

「身近でみたというのもあるが、彼女の資質は目を見張るものがある。贔屓目で見ずとも、G2レースを2連勝している事実は無視できない、そうだろう?」

 

 マチカネフクキタル。最近躍進目覚ましい彼女が担当している、明るい栗毛と不思議な言動ばかりが思い出されるウマ娘、実力は直近2レースを見れば申し分ないでしょう。

 

「ですが彼女をステイヤーと評価することは難しいですね」

「フゥン......?」

 

 怪しげな目を光らせてこちらを見定めてくるタキオンさん。試されている、というのであれば答えてやらないといけないだろう。

 

「ステイヤーの特徴は色々ありますが、『優れた心肺機能を持つ』ウマ娘が殆どです。レース中ハイペースで飛ばしても問題がない体力を持っていると言い換えてもいいでしょう。

 総じてステイヤーには自身でペースを作れるようなレースをする逃げ先行策でレースをするウマ娘が多く、比較的ストライド走法を取るウマ娘が多いですね」

「フクキタル君には須く当てはまらない、だからこそ彼女は違うと?」

「彼女の適性は長くて2500mだと思いますよ」

「......じゃあ、フクキタルさんは勝てないんですか?」

「ここ数年、ダービーで2着を取ったウマ娘は総じて菊花賞では良い成績を残しています。私としてはシルクジャスティスさんが一着ではないかと思います。ただ、サニーブライアンさんが出走しないことや、躍進目覚ましいサイレンススズカさんの不在。フクキタルさん、ジャスティスさんをはじめとした実力者が差し追い込み策に固まっていることでペースメイクできる人がいません。

 

今年はスローペースなレースになるでしょう。となると予想がつきませんね」

 

 もし担当するウマ娘、仮にミークが参加するとしたらどのような作戦を考えるでしょうか。彼女はどの位置でもレースがこなせますし、この場合だったら逃げてペースを荒らしてしまうのが良いでしょうか。となればメジロブライトさんに有利な状況を作ってしまいますね。

やはり二の脚を使って逃げ切るスロー逃げ、後続の末脚に耐え切れるようなレース操作を行うとなれば、ミークには少し難しいですか。

 

「......んむむむ」

「ぴこぴこ、可愛い......」

「おや、感情に応じて動くのか。半分は成功したようだが、使い道があるかと言われると難しいねぇ」

 

 サワサワと頭の上の何かを撫でられるような感覚にむず痒さを覚えつつも、悩まずにはいられない。

 

「これ、いつになったら終わるんですかタキオンさん!」

「1週間はそのままだとも。実験のために一度タイム計測をしてもらうし......折角だし我々と同じ生活を送ってもらおうかなモルモットくん」

「......いっぱい、食べる?」

「食べませんよ......」

 

 ふわふわとして掴みどころのないミークと、ストッパーの外れたタキオン。私にはもう手がつけられません、誰かこう、ストッパーになれるようなウマ娘が誰か歩いていないものでしょうか。

 

 

 

 

 

「いっぷし!」

「どうしたアマゾン、風邪か?」

「タイマン?! タイマンかブライアン!」

「何をどう聞き間違えたらそうなるんだ......」

 

 

 

 

 




参考にした記事とかサイトとかって貼った方がいいんでしょうか......?


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第31話 来たる決戦の日

今回は短めです。次回は菊花賞だ!


 

 

 

「ゴクリ......」

「なんで君らが緊張するのさ」

「ききき緊張なんてしてないわよ!」

「スカーレット、嘘が下手だぜ」

「アンタにだけは言われたくないわよ!」

「仲がいいねえ」

「「仲良くなんてない!」」

「ハッハッハ」

 

 天気は若干雲の多い晴れ空、バ場状態は良の発表。

 京都レース場2日目、第5R。

 G1レース『菊花賞』。

 

 コンディションとしてはバ場はウチが少し荒れている以外は完璧な、よくある最高のコンディション状態。

 15時35分の発走まであと10分を切ったところだ。

 

「そういえばトレーナー、珍しく早いわね。いつもだったら直前までフクキタル先輩のところにいたのに」

「G1だから逆に長居するつもりはないし、1人にしてって言われちゃってね。

 トレーナーとしても一生に一度の晴れ舞台とはいえ踏み台にしてほしいG1のひとつでもある。この緊張感に慣れてもらおうってことよ。ダービーだとあんなだったけど、ちゃんと成長してるからさ」

「......なぁ、あれ、大丈夫か?」

 

ゴルシが指さす方を見てみればパドックではフクキタルがパフォーマンスをかけらも見せる様子もなく、淡々と名前を呼ばれては半ば無視するような形で規定通りパドックを周るだけだった。

 緊張しすぎて愛想をどこかに置いてきたのか、はたまた忘れてるだけなのか。実況も困惑している様子だ。

 

「声かけてきたほうがいいですかね」

「ほっとけほっとけ」

「沖野さんはスパルタな事を毎度毎度」

「別にお前が行ったってかける言葉もないだろうが。集中してるのは逆にいいことだろう」

「そうですけども」

「そんで? 調子の方はどうなんだ?」

「無視しないでくださいよ......大丈夫に決まってるじゃないですか。足を気にしたりなんて不穏なこともありませんし、体調も気力も万全です」

「なら勝つだろうさ。飴いるか?」

「もらいます。最近碌な飯食ってないもんで」

「お前が体調崩してどうすんだよ。終わったら飯屋に直行するからな」

「え、トレーナーメシ奢ってくれるってマジかよ!」

「フクキタルが勝ったらな」

「シャ! 頑張ってくださいセンパーイ!」

「アンタ現金よね、カッコ悪いわよ」

「んがっ?!」

 

 ウオッカとスカーレットの掴み合いが始まるだろう流れになってきたので、被害を避けるためにスマホをいじるシャカールの方へ寄ったついでに話しかけた。

 

「フクキタルは勝てると思う?」

「勝てる確率は高ェよ。京都の内枠有利は統計データから見て明らか。人気順も3番人気、神戸新聞杯の勝ちウマ娘がそのまま勝ってる記録もまた多い。先行有利のレースだからこそフクキタルに前につけてレースするよう言ったのはテメェだろうが」

「そうだけど不安で堪らんのよ。何やっても不安で不安で」

「難儀な性格してんなァ。割り切れよ、レースなんてのはトレーナーには手出しできねえんだからな。出来ることといえば、トレーニングとお勉強の2つ。ソイツについては充分できてると思うぜ」

「そんなもんかな」

「そんなもんだロォ」

 

 確かに策は講じた、応じたトレーニングも積ませた。それでも、不安なものは不安だ。

 

「南坂先輩のところのステイゴールドもいるしメジロの御令嬢もいるし、心配してもし足りないくらい。いっそのこと並走しながらアドバイスでもしてあげたいくらいには心配」

「それは色々とアウトだろうがよ」

「ダヨネー。ダートだけどウチラチ側は走れないこともなさそうだし。頑張れば......」

「免許持ってんのか?」

 

 うっかり失言するところだった。シャカールはいい感じに勘違いしてくれてるようだし、ここはそれに乗っかっておこう。

 

「......ペーパー免許、初心者マークだってまだ外せない」

「そうかよ」

 

『ウマ娘達の枠入りが始まります!』

「お、はじまったか」

 

 アナウンスが言うように、目の前では向正面のスタート地点へとウマ娘達が動いていた。

 それぞれ小走りしたり、ストレッチするように大股で歩いているものもいれば、腕を動かしたりしながらと様々だ。フクキタルのように何をするでもなく、ゆっくりと歩くものもいるのだけれど、あそこまで落ち着いていられるだろうか。

 

私の知る限りでは、1人(皇帝)しかいない。そして同時に、フクキタルとその1人は似ても似つかない。纏う雰囲気というか、オーラというか、そんなものがまるで別人のようだった。

集中しているからこそ別人に見えるということだろうけれど、果たしてフクキタルにそれほどのやる気があっただろうか......

 

「......やっぱり、おかしいよな」

 

一抹の不安をはらみつつ、大外シャコーテスコのゲートインが完了する。

 

『さあ今年もやってきました菊花賞、いざ、戦わん!』

 

 

 

 

 

 

 



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第32話 ラスト1ハロンの奇跡

1枠 1番 ステイゴールド
  2番 トウジントルネード
2枠 3番 テイエムトップダン 
  4番 マチカネフクキタル
3枠 5番 ノーザンウェー
  6番 パルスピード
4枠 7番 ダイワオーシュウ
  8番 ヒダカブライアン
5枠 9番 エリモダンディー
  10番 ルールファスト
6枠 11番 ショウナンアクティ
  12番 ニケスピリット
7枠 13番 サードサンスリル
  14番 メジロブライト
  15番 トキオエクセレント
8枠 16番 シルクジャスティス
  17番 シルクライトニング
  18番 シャコーテスコ



 

 

 

 レースは序盤は波乱なく澱みなく進んだ。向こう正面からスタートする長丁場、スタート直後は横に広がるけれども、コーナー入口から3、4コーナーにかけてそれぞれが立ち位置を決めていく。バ群は縦に広がりながら正面スタンドへと差し掛かった。

 

 先頭逃げを打つ3番テイエムトップダンに続く形で2番トウジントルネード、その後ろにフクキタルがいた。メジロブライトとステイゴールドは中段で様子を伺い、シルクジャスティスは後方待機で追い込み態勢を見せている。

 

「せんぱーい! 頑張ってくださーい!」

「がんばれって下さい!」

「気楽に行けよ気楽にー」

 

 スタンド前は応援の声に盛り上がりウオスカコンビと沖野さんが軽くフクキタルに声をかける中、私とゴルシくらいだろう、浮かない顔をして腕を組んでいるのは。

 

「やっぱり様子がおかしい。真剣なのは伝わるけど、なんというか違う」

「言語化できない『感覚』か? それは理解を放棄してるのと同じだ、向き合えよトレーナー」

「......もっとフクキタルは横を見るよ。自分が弱いと信じてうたがわないクチだったんだ、その性根は直っちゃいない。

中段に控えてるなら尚更位置取りには気を使うハズなんだ」

「それだぜそれ! あいつが前だけ見てるなんて珍しーンだよ! 今日あいつ大吉だったか?」

 

 ゴルシの言葉にハッとした。

 

「今日、あいつとは当たり障りのない会話しかしてない。バ場状態、ウチの荒れ具合に作戦の最終確認、調子良さそうなウマ娘のピックアップ。

素直に話を聞いてくれていたから何も思わなかったが......

 

()()()()()()()()()()()()()()()

「......!」

「オイオイ、ソイツは」

「そりゃスカーレットが3着に拘るくらいにはヤベーぞサブトレ。なんか思い当たる節はねーのか、もう1コーナーにいっちまうぞ!」

「緊張なんてもんじゃない、何かおかしい、何か......」

 

 フクキタルは緊張すればするほど騒がしくなるタイプなのはダービーでよく知っている。あんなに落ち着いてるくらいの口調で応対したのはリラックスした証拠とは思ってたけども、今思い返せば別人のようだ。

 

「あんな別人みたいなフクキタル初めてだ」

 

そう口にしたところで、バカバカしい仮説を思いついてしまった。

 

『シラオキ様』

 

 夏合宿の時、マンハッタンカフェがフクキタルに憑いているという幽霊について語ってくれた。フクキタルと瓜二つだという外見と、時折語られる『シラオキ様』の的確なお告げ。そして神戸新聞杯でのレース中の『領域』と習いもしないダンスが踊れた謎。

バカバカしいにも程があるが、説明はつく。

もしかしてだが、『シラオキ様』とフクキタルが入れ替わっているとしたら?

 

「冗談......とも、言い切れないかもしれない」

 

 目の前でフクキタルがバ群に埋まり、1コーナーを駆け抜けていった。

 

 スローペースな展開、有力な先行バがいない上に3000mという長距離を走り慣れないクラシック級ではままあることだ。この展開では長距離戦ではなくある種のマイル、スプリント戦とも言われる展開になりがちだ。予想していた通り、最終直線での瞬発力勝負になるだろう。

 中盤のメジロブライトのスパート距離次第ではそうはならないだろう、スタミナ自慢がペースを途中から握り、周りを潰すような展開にならなれば状況は一変する。しかし、それをできるスタミナは彼女にはないだろう。悪いが彼女が名門育ちであろうが今はまだ『並以上』のウマ娘に過ぎず、規格外でなければそんなレースメイクはできない。

 

 となれば、レースのターニングポイントはどこだ。

 

「どうするんだ?」

「......祈るしかない」

 

 バ群は向こう正面へ。先頭は以前テイエムトップダン、しかしその差は3バ身ほどで、あとはバ群が切れずにまとまって続き全体では10馬身と少しほどだろうか。

フクキタルは先行集団の前方、4、5番手、理想的。

このままいけば、勝てる可能性は大いにある。

 

勝てるなら文句は言わない。

誰が走ろうが勝者に文句はつけられない。

 

だとしても、だ。

 

「フクキタルの気持ちはどうなる」

 

 気がついたら栄光が転がり込んでいたとして、しかしその記憶はないとして。

 

 自分のものではない勝利を、素直に喜べるウマ娘でいるだろうか。フクキタルはそんなに図々しくはない。占いに頼りきりだったのは自信のなさの表れだ。けど、最近は占いの質が変わってきていたはずだ。

 レースに対する自信、自分の実力に対する自信。それがあるからこそ、彼女は占いに対して真剣だった。

『人事を尽くして天命を待つ』とはまさにこのこと。自分の身でやれることは全てやった。それ以上の干渉は不要だと。

 

 

カミサマだか何だか知らないが、レースにでしゃばって貰っちゃ困る。

 

何より......私が気に入らん。

 

 フクキタルにはそんなもん要らない。背中を押してもらわなくても『マチカネフクキタル』は勝てる。

 

私を舐めるな、何よりフクキタルを舐めるな。

 

菊花賞に天運など要らない。

 

このレースは1番『強い』ウマ娘の舞台だ。

 

運を排した、実力の世界だ。

 

さあ、第3コーナーを抜け第4コーナーへ。

 

 

「マチカネフクキタルッ!」

 

 私は柵から身を乗り出して4コーナーを回ってくるフクキタルに届けと、思いっきり叫んだ。

 

 虚な目でふらふらと走るフクキタル。今すぐにでもウチラチにぶつかってしまいそうで、バ群に埋まって見えなくなってしまいそうな限界の彼女にかける言葉などそう多くはない。

 

なら、その想いの丈を叫べ。

 

◇◇◇

 

 

 

「く、ぅっ......」

 

苦しい。

吸う息が鉄臭くて、視界は朦朧とし始めている。

脚先からビリビリとした感覚が伝わって、ふくらはぎはパンパンで、太ももは痺れるような疲れが伝わってくる。

 

腕なんて自分で振っているのか慣性で振らされているだけなのか。

 

どうでも良い。

 

私が苦しいと感じるならあの子はそれ以上だ。

私の苦痛はどうでもいい、コレが終われば全て終わる。

あの子には申し訳ないけど忘れて欲しいから。

 

私を終わらせるためには、あの子(わたし)が勝つしかない。

 

勝てばあの子は私をもう背負うことはなくなる。

勝てば誰も私のことを気にしなくなる。

勝てばあの子をみんながしっかり見てくれる。

 

 

 背中を押しすぎて入れ替わってしまったなんて、本当に最後まで迷惑をかけてしまった。天才だ神童だと讃えられて、行き着く先がこんなものだなんて。

 

私では限界だ。偽物で借り物の私には、本物(みんな)には届かない。

 

これ以上背負わせたくない。

これ以上後ろを向いて欲しくない。

なのに、なのに。

 

「マチカネフクキタル!」

 

誰かが叫んだ。

 

「コレは、お前のレースだろうがっ!」

 

誰かの声が聞こえた。

身体が震えて、胸が熱くなる。

 

「......今までありがとうございました、シラオキ様。いいえ......お姉ちゃん」

 

マチカネフクキタルが突き抜ける。

 

私を置いて、誰よりも速く加速していく。

 

私の手助けなんてもう必要ない。

知らないうちに、フクは大人になってたんだね。

 

行け。行け。行っちゃえ。

 

誰よりも速く、時間さえ止まってしまいそうな速さ(スピード)で。

 

 

◇◇◇

 

 

 

 最終直線は後方から外側を通って追い上げてきた後方集団の激しい捲り合い勝負。先行集団は伸びを欠き、逃げていたテイエムトップダンをはじめ苦しい顔をしたウマ娘が群れに飲み込まれていった。

 

「フクキタルッ......」

 

 私の叫びは届かなかったのか。フクキタルはバ群に埋もれてもう見えない。あそこで伸びないのなら、フクキタルに脚は残っていない。

 

『外からメジロブライトが伸びる! その外からエリモダンディーも伸びてくる、おおっとダイワオーシュウも突き抜けてくる、コレはわからないぞ!』

 

 実況も差し合いの先頭に目を向けていた。

 

 大外を突っ切ってきたメジロブライトが苦しげに歯を食いしばる。ダイワオーシュウが在らん限りを振り絞るように叫ぶ。

 誰が抜きん出るかわからない。だがフクキタルはその勝負の場に参加しているとは言い難かった。

 

「......駄目だな、コリャ」

「おい、あたしらが諦めてどうすんだゴラ」

「伸びてこねェよ。あそこで伸びなきゃ、勝ち目は0%だ」

 

エアシャカールが諦めたように首を振った。

ゴールドシップが突っかかるが彼女のいう通りだ。

差し合い勝負にもデッドラインはある。1ハロンが限界だ。神戸で見た神がかり的な末脚でも瞬間移動なわけじゃない。

 

「......なんて言い訳をするな」

 

頭を下げるな、諦めるな。私が諦めてなんとするか。顔を上げろ。諦めるな、道がないなら切り開いて見せろ、主役は勝者だ。なら、勝者は誰だ!

 

「コレは、お前のレースだろうがっ!」

「ええ、そうですとも」

 

バ群の中に、金色の焔が立ち上るのを幻視した。

 

 

 

誰かがバ群を切り裂いて上がってくる。

白いセーラー、青のスカート。トレードマークは招き猫。

 

「「来た!」」

「......へぇ」

「よっしゃ!」

「はァ?!」

「行け、行け、いっけーーーーーーーっ!」

 

『マチカネが突き抜ける! フクキタルが来た! またまた福が来た、神戸、京都に続き、菊の舞台にも福来たる!

 

 

一着はマチカネフクキタルです!』

 

 

菊の舞台に福来たる(フクキタル)

クラシック最後の一冠。

彼女は見事自分の元に幸運を運んで見せたのだった。

 

 

 

 

 




疲れました。


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第33話 栄光の代償


ここ数話を書き上げてしまいたくて小説を書き始めたという。
もう1箇所やりたいこともあるので、ガンガン突っ走って行きますよう!


 

 

 

「やりました〜トレーナーさーん!」

「良かったよー、いいダンスだった」

 

 汗だくになって、勝負服姿でステージ脇で待っていた私の胸元に飛び込んできたフクキタル。ウイニングライブでしっかりと歌もステージもこなし、満足そうな顔で自信満々に尻尾を振っている。

 

「よし、ちゃっちゃか着替えて反省会と祝勝会だ! 早くしないと風邪ひいちゃうからな」

「わかりました! おっとと......」

 

 いざ離れようとすると、脚に力が入らないのかふらついた様子のフクキタル。しょうがないな、と私は彼女に背中を向けてしゃがみ込んだ。

 

「乗ってきな」

「あはは......お言葉に甘えて」

 

 私に身を預けたフクキタル。ジャージ越しに伝わってくる熱気と汗の香り、現役時代を思い出すようで少し昔を思い出した。センターなんて滅多に踊れるもんじゃなかったしなぁ。とくに、クラシックのライブなんて私は端からずっと見てるだけだったし、羨ましいや。

 

「センターのライブ、どうだった」

「すごかったですねぇ」

 

 控室までの通路を歩く中、まるで小さな子供みたいに彼女は話してくれた。

 

「サイリウムがキラキラと輝いて、星空みたいでした。私が中央に出てきた時の歓声といったら、耳が震えるくらいでしたもの。たくさんの人たちが私の勝利を喜んでくれる、それだけでもう、私は嬉しかったです」

「うんうん」

「思い残すことはあり......ありますね」

「うんうん......」

「フクキタルのこれからのレース人生はまだ続く訳ですし、それからの余生もありますからね」

「......うん、うん?」

 

 ゆっくりと振り向く。そこにいたのは、目を細めてニコニコとこちらを見ているフクキタルだった。なにもおかしなところはないな。

 

「トレーナーさんが男性だったら既成事実でも作ったのに」

「そんな強引なこと言わんでくれよ『シラオキ様』」

「あら、バレてました?」

「バレバレだよ」

 

 ふふ、とニコニコと笑うフクキタルもとい『シラオキ様』。

表情豊かにではなく、お淑やかに、物静かに笑う様子はふと見ればわからないかもしれないが、私にとっちゃ一目瞭然よ。

 

「......それで、どうして今日はこんな事したんだい」

「私の夢が叶えば、成仏できるかな、と思いまして」

「夢って?」

「『フクキタルの幸福』です。G1という晴れ舞台、私が果たすことができなかった偉業。

 何より、あなたのような『運命の人』に逢える事。

 学園は厳しいというのはわかっていました。だからこそ、あの子のことがどうしても放っておけなくて」

「お節介だねえ」

「ええ、家族ですから。今回私がちょっと頑張りすぎたせいであんなことになってはしまいましたが」

「頑張りすぎだよ。それに、そんな事しなくてもフクキタルは勝てた、そうでしょ?」

「......ええ、そうですね」

 

 最終直線。彼女から立ち昇る黄金色のオーラはまさしく『領域(ゾーン)』のそれだった。選ばれた才能の持ち主が、その全てを振り絞り、最高を発揮するときに見えるという現象。学園では都市伝説とまことしやかに囁かれるそれはかの『皇帝』や『魔術師』、『芦毛の怪物』らが見せたとも言われるものだ。

 フクキタルは彼女たちの背中に届きうる。

それは、あなたもわかってるはずだろう。

 

「もう余計なことせんといて下さいよ? 今度やったら塩かけますからね。たっぷりと」

「しませんよ。するとしても、ちょっぴり占いの時に手助けしてあげるくらいです。それに私がいなくてもあの子の占いはピカイチですから。迷った時に背中さえ押してあげれば、道を見つけ出すこともできます。

あの子のことを、これからもどうぞよろしくお願いします」

 

 フ、と首元に風が吹く。

 

「ん......あわわ寝てしまっていました! 大丈夫ですかトレーナーさん!」

「耳元で大声出さないの。もう、眠いんだったら祝勝会は明日にするかい?」

「いえ、みなさんが勝利を祝ってくれるのならばそれに応えなければ! 先延ばしにすると幸運が逃げてしまいそうな気がしますもの」

 

 お腹ぺこぺこですし、と彼女が言ったところで可愛らしい腹の音が。耳を真っ赤にしていることだし、こっちが本音らしい。

 

「きゅ、きゅう〜」

「アハハハハハ! そうかいそうかいお腹減ってるもんね!」

「しょうがないなぁフクキタルは」

「大声で言わないでくださいよ、モウッ!」

 

控室の扉を開けて、椅子に優しく彼女を下ろす。

 

「まず靴から脱ごっか。自分で脱げそう?」

「ちょっぴり足が痛いのでお願いできますか? 優しくお願いしますよ?」

「はいはい。わかりましたよお姫さま」

 

 フクキタルの勝負服の靴はローファーのようなデザインだ。靴紐はデザイン重視で隠れるようになっているので少しばかり複雑な構造をしている。こういう時ブーツデザインの靴だとどんなに楽なんだろうか......あれはあれで面倒か。

 

「ん? なんか妙に鉄臭い気が......?」

「蹄鉄の匂いじゃないんですか」

「もっとこう生臭いというかなんというか......」

 

 不安になってフクキタルの方を見上げる。どこも怪我はしていない。脚の方も汗でじっとりと濡れてはいるけど、怪我や傷はどこにも見当たらない。

 

「気のせいか」

 

かぽ、とはめていたパーツを取るように靴を脱がせて。

 

「URA京都レース場救護チームに繋いでください救急班をお願いします!」

 

靴を放り投げ、部屋の内線に飛び付いで叫んだ。

 

「あわ、あわわ、あわわわわ......」

「フクキタル落ち着け、死ぬ訳じゃない。ただちょっとかなり血が出てるだけだ。ゆっくり深呼吸して」

「あう、あうあう、トレーナーさん......」

 

 靴を脱がせようとした体勢のまま固まり、ガチガチと歯を震わせて青い顔のフクキタル。顔が白いのは恐怖からか血が抜けているせいなのか。

 

震える彼女を抱きしめる。

 

「大丈夫、大丈夫。大丈夫だから......」

「あうあう、あうあう......」

「大丈夫だ、大丈夫。大丈夫」

 

 怪我の具合も何もわからない。脚先から血が出るなんてのは私は知らない。靴の中はぐっしょりと血で濡れていた。足首から下に酷い傷があるのか。怪我はいつ? レース中? ライブ中、それともレース前から?

 

 変な事ばかりを考える。競争能力にはどれだけ影響を受けることになるのか。そもそもどんな怪我なのか、どれだけの時間で治るのか、リハビリの必要性は。

 有る事無い事ばかりが頭の中を駆け巡る。

 

何も考えるな。今はただ、フクキタルの不安を取り除いてやる事がやるべきこと。

 

「大丈夫、大丈夫だから......」

 

 彼女の身体を抱きしめる。

 ライブのセンターではあれだけ輝いて見えていたフクキタルなのに、今はとても細く、冷たく、頼りなかった。

 

 

禍福は糾える縄の如し。

 

福がくれば、(わざわい)もまた訪れる。

それはより合わせて一本になった縄のように。

コインの裏と表のように。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「裂脚ですね」

 

 担ぎ込まれた京都のウマ娘も見ることができるという総合病院の医師は私にそう告げた。

 

「裂脚、ですか?」

「人間だと裂足病という生まれつき指が多かったり関節が深く裂けて生まれてくる子供のことを指す例がありますが、これはウマ娘固有の『症例』です。

 

簡潔にいうと、脚が『裂けて』います」

「脚が裂けるってんなアホな!」

「人間では絶対にありえないことですが、なにせウマ娘ですからね。かかる力というのは遥かに大きい。だからこそ、筋肉が『裂ける』事がままあります」

「......」

「全治1ヶ月。その間は絶対に歩かせてはいけませんよ」

「それじゃ、有記念には......」

 

 医師は無言で首を横に振った。

 クラシック最後の一冠と派手な捲り。ファン人気投票で選ばれる夢の祭典に、今のフクキタルなら選ばれる可能性もあったというのに。

 

「カルテは渡しておきます。トレセン学園の生徒ということであれば府中にある総合病院がいいでしょう、紹介状を書いておきます。そちらで治療を継続してください」

「......わかりました」

 

部屋を後にする。

どうすれば良かったのだろうかと考えずには言われない。

練習メニューがいけなかったのか。

休養が不十分だったのか。

 

もしあの時だったら......私は彼女の勝利を願うべきでは、いけなかったのだろうか。

 

弱気な考えを、自分の頬を叩いて追い出した。

勝利しなければ良かったとかアホなことは考えるな。

 

ウマ娘の勝利を喜ばないなんてそんなことあってたまるか。

 

「あ、トレーナーさん!」

「フクキタル......」

「いやはやいやはや、気がついたら手術って終わっているんですね! ボケっと天井眺めてたらあっという間でした!

これはむしろ貴重な体験、災い転じて福となすとはこのことなのかもしれません! 今日は大吉と大凶が一度にやってきてむしろめでたい日ですね!」 

 

 看護師さんに車椅子を押されてやってきたフクキタル。彼女は勝負服のままだったが、菊の勝利を掴んだ脚先は痛々しいくらい真っ白な包帯が巻かれていた。

 

「元気出してください、トレーナーさん! ほらほら、笑顔です! 笑う門には福きたるですよ!」

 

ニコニコと口角に指を当てて笑うフクキタル。いつもと変わらない満面の笑みに思わず私も頬が緩んでしまった。

 

「......そうだね。改めて、おめでとう」

「ハイッ!」

 

資料を鞄に収め、看護師さんと場所を交代する。

車椅子を押して、出口へと向かった。元々有記念に出られなければ休養期間にするつもりだったし、春レースの3月までじっくりと身体と心を休めてもらおう。

 

「京都観光はお預けだけどもうすぐ年末、沖野トレーナーのお金でご馳走をたくさん食べようじゃないか」

「ええーっ! 食べすぎたら太ってしまいますよう!」

「ウマ娘はちょっとくらい太い方が可愛げがあるじゃないか。それとモチモチしてた方がしごきがいがある」

「後半が本音じゃないですかー! ヤダー!」

 

冬の空に、騒がしい声が溶けていく。

 

 

 

そして新しい風が吹かんとしていた。

 

「わぁ! ここが都会......! すごい!」

 

 

 

 

 

 





競走馬マチカネフクキタルはこれ以降、裂蹄や球節炎など蹄周りの病気に悩まされることとなります。
その後2年ほど競走馬を続けるものの屈腱炎を発症し引退。

......かくも頑丈な競走馬とはいないものです。というか人間が頑丈すぎる説があります。


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第5章 覚醒した最速『サイレンススズカ』
第34話 新風の予感


アニメ1期シーズンはーじまーるよー


 

 

 

「今日はどこにいくんですか?」

「府中。なんでもスズカが出るみたいだし、沖野さんが偵察に行くからそのついで」

「ほほーう、せっかくですしグルメも満喫しましょうか!」

「太るよ」

「今日は屋台がラッキーアイテムなのでセーフです!」

「そっかー」

「ハロー、フクキタルにトレーナーさーん!」

「タイキさんどうも! 今日はオフですか?」

「ノンノン、スズカの応援ネー!」

「おや、私達も行く予定だったんだ。なんだったら一緒に行かないか?」

「イェース! 大人数の方がスズカも喜ぶネー!」

 

 ちょうど寮の廊下ですれ違ったタイキシャトルと目的地は同じらしい。これも何かの縁だと誘ってみると快く快諾してくれた。

 

 さてトレーナーたる私がこっそりトレーナー立ち入り禁止の寮に潜り込んでいるわけだが、これにはちょっとした訳がある。というよりフクキタルのヘルパー役として寮に入らせて欲しいと生徒会の扉を蹴破ったのち、エアグルーヴと1時間にもわたる交渉とちょっとしたジョーク談義の末に立ち入る権利を獲得したわけ。

 生徒会には私の正体の話は通っているので一般トレーナーよりは立ち入っても問題ないという判断だろう。実際のところ数年前まであそこで寝起きしてたわけなんだし、勝手知ったる庭だもの。

 

「はー、重い重い」

「ワオ! トレーナーさんはパワフルデスネー」

「そりゃ鍛えてますから」

 

 残念ながらトレーニングの一環と称した経費削減案により寮にエレベーターなんてあるはずもなく、フクキタルと車椅子を担いで階段を降りなきゃいけないのだけが難点だけど。寮長のフジキセキとはどうにか部屋を1階に持ってこれないかと交渉しているが、難航しているらしい。

 

『転入生も来るからね。彼女の希望もあるだろうししばらくは無理かな』

 

とのこと。この時期の転入生も珍しいが、地方からだろうか。

そんな噂はトレーナー間でも聞いたことはないが、実に楽しみだ。

 

「んじゃ最寄りまでゆっくり行かせてもらおうかね。目的のレースは午後なんだし、ゆっくり行こうや」

「はい!」

「食べアルーキー! 楽しみデース!」

「食べ過ぎで怒られるのは私になるんだからね? セーブしてよ」

「ンー、OK!」

「大丈夫なのか......?」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「やっぱり食べた方が大きくなるんですかね?」

「ンー?」

「羨むな羨むな。フクキタルもそこそこある方だろうに」

 

 フランクフルトやら牛串やら、ジャンキーな屋台らしいグルメを嗜みつつレース場の方へと足を運ぶ。

 出バ表によれば、スズカが走る11レースはあと30分ほど。今日はG1やG2の大きいレースがない事もあってか、人はいつもよりまばらなせいもあり、家族連れや個性的な人が目立つ。

例えばそう、目の前で食べ物を山ほど抱えてあっちこっちする人影とか。

 

「は〜! あれは! ほえ〜! はぁ〜!」

「......目立つなあ、あの子」

「我々と同じくらいですかね?」

「田舎から来たなら案内してあげまショー!」

「ま、暇だしね。フクキタルもそれでいい?」

「ええ、構いませんよ」

「んじゃ。おーい、そこのはしゃいでるお嬢ちゃん」

「んひゃあっ?!」

 

 声をかけられたのにびっくりして手に持ったたこ焼きやらたい焼きやらを取り落としそうになったその『ウマ娘』。なんとか落とさずに済んだようで深々と安堵の息を吐きながら、こちらに振り向いた途端、尻尾をピンと立てて叫んだ。

 

「う、ウマ娘さんだ!」

「はい、ウマ娘ですが?」

「す、すごい!」

「そんなに珍しいかい?」

「実は、自分以外のウマ娘って見たことがなくて......」

「どんだけ田舎にいたんだい君は?」

 

 えへえへ、と恥ずかしそうに頭をかくそのウマ娘。格好は落ち着いたような、安っぽいブランドで固められた服装に年季の入った実用的な鞄やリュックサック、そして頑丈そうなスニーカー。やはり田舎育ちに見える。この時期にとは珍しいが、学生か就職か......この様子だと転校生といったところか。

 

「その様子ならここには初めて来るんだろう。折角だからレース場を案内してあげようか? 広いからねここは」

「いいんですか?」

「私たちも観戦にきたわけだからね」

「わぁ〜! やった!」

 

ぴょんぴょんと跳ねて喜びをあらわにするウマ娘。まずはどこに向かったものかと考えようとしたところで、大きな歓声が奥の方から聞こえて来る。時間的にはもうそろそろか。

 

「まずはパドックだな」

「パドック?」

「次に走るレースに出場するウマ娘を教えてくれるのさ。ついてきて」

「ハイ!」

 

 フクキタルの車椅子を押し、パドックの方向へ。パドック観覧席の空いていたところから見下ろせば、やはり歓声の中心にいるのは彼女だった。

 

『東京第11レース。続いてパドックに登場するのはこのウマ娘。8枠12番、サイレンススズカです!』

 

パドック中央のお立ち台でジャージの上着を脱ぎ捨てるサイレンススズカ。同時に吹いた冬の風が彼女の髪を美しくなびかせる。

 

『ファン投票1番人気です!』

「綺麗......」

「バッチグーデース! 今日もカワイイネー!」

「スズカーさん、頑張ってくださーい!」

 

 2人がそれぞれに応援の声をかける中、彼女はスズカに見惚れたのか口を大きく開けて目をキラキラと輝かせている。すると、後ろに見知ったような人の気配を感じた。

 

「ちょいと失礼......」

 

 その気配はウマ娘の後ろにしゃがみ込むと、両手で彼女の太腿をベタベタと触り、撫で始めた。

 

「ほぉ〜、トモの作りも良いじゃないか。まさに『肥えウマ娘に難なし』という」

「キャアアああああああっ!」

「ふげっ!?」

 

 ウマ娘の脚力は人間のそれを遥かに凌駕する。つまり、なんのことはない後ろ蹴りも人間を数メートル吹っ飛ばすには訳はないわけで、コンクリートに叩きつけられた男性は力無く手足を伸ばしてしまっていた。

 

「ななななんてことするんですか! って、あれ?」

 

 ピクリとも動かない男性を心配してか、ジリジリとにじり寄り顔を覗き込んだウマ娘。

 

「あの......大丈夫ですか? 生きてますか?」

「ああ大丈夫大丈夫、ヘーキヘーキ。慣れてるから」

「慣れてる?!」

 

 飛び起きたかと思えば、赤く腫らした顔と鼻血も厭わずに顔をぐいっと寄せ、にじり寄る。

 

「ところで君どこの出身? 年齢は、出身は、体重は?」

「わわわっ!」

 

 普段だったら私もいたいけなウマ娘にこんなセクハラ行為をする奴を蹴っ飛ばすのになんの良心の呵責もないのだが、今回ばかりはちょっとだけ訳が違う。

 

「止めなくて良いんですカ?」

「ウチのトレーナーの悪い癖だよ。蹴っても治らないし放っておいて」

「なんだか私が入ってきてすぐの頃を思い出しますね」

「Oh、クレイジー......」

「それに、沖野さんの目利きに狂いはない。あの子はきっと大成する」

「フーム......」

 

 興味ありげに腕を組み、彼女を見つめるタイキシャトル。その彼女といえば、失礼しますと啖呵を切ってこの場を後にしようとしていた。彼女の背中を見送りつつ、フラれた沖野さんにポケットティッシュを手渡す。

 

「沖野さん、鼻血出てるよ。冷たい飲み物もいる?」

「おおすまねえな。つい興奮しちまってよ。あんだけ素質があるウマ娘は学園にもそういない」

 

 ティッシュを割いて鼻に詰める様子はなかなかに間抜けだが、私もああやってスカウトされた以上なんとも言えない。というより一言一句同じ台詞を吐いた上に後ろ蹴りまで決めたからね、まさに昔の私そのまんまだ。

 

「そんで沖野さん、今日はスズカを見に来たんでしょ?」

「ああ、近々うちに移籍するからな。直近の走りは生で見ておかねえと」

「ええっ?! スズカさんがスピカにもがっ」

「シーッ、声が大きい。まだ秘密なんだよ。ね、沖野さん」

「神戸新聞杯の後におハナさんから連絡が来てな。ウチの方が伸ばせるって判断したそうだ。今月一杯はリギルらしいが、12月からはウチのチームだ」

「プハーッ! な、成る程......ところでタイキさんは知ってたんですか?」

「Of course! 相談もされたネー」

「私だけ蚊帳の外ということじゃないですかー!」

「別に伝える必要もないだろ? そんじゃ、レース場の方に向かうとするか。ついでにあの子の名前も聞いとかねえと」

 

 掘り出し物を見つけて足取りが軽い沖野さんについていく。しかし私もスズカについては気になるところだ。中距離路線を走るなら、スズカは必ずフクキタルのライバルになる。金鯱賞、大阪杯、宝塚記念、そして秋の天皇賞。全て走ることはないだろうが、ひとつくらいは必ず対決する事になろう。

 

「さて、9月と比べてどれだけ伸びてる事やら......」

 

99%逃げ策を取るだろうが、リギル所属の逃げウマ娘といえば『マルゼンスキー』。しかし彼女のトゥインクル時代は「出力が高すぎるだけで結果的に逃げている」とまで言わしめるポテンシャルだった。今でこそドリームシリーズで本領発揮しているが、彼女の本来の脚質は先行好位差し型。本格的な逃げ戦法はハナさんにはまだ未開拓な分野になるわけか。

 

「確かにリギルじゃ難しいというわけか」

「着いたぞ。じゃ、俺は最前列に行くから」

 

 考え事をしているうちにレース場に着いたらしい。普段の柵近くの最前列ではなく、広くレース場を見渡せる観客席。フクキタルが見やすいようにいつのまにか沖野さんが気を利かせてくれたようだ。

 

場内にファンファーレが鳴り響く。

 

ゲート前では準備体操を終えたウマ娘たちが次々にゲート入りし、実況と解説の声が場内のボルテージをさらに高めていく。

 

「お、始まるか。誰が勝つと思う?」

「「スズカさん(デース!)」」

「だろうね」

 

OP特別、クラシック、シニア混合『タウラスS(ステークス)』、条件は東京、芝2000m、左回り。天候晴、バ場状態は良好。

 

 出バ表を見ても、スズカに敵いそうなウマ娘は見当たらない。彼女らには悪いが今日のレースはスズカと後続が何バ身離れるかの勝負になるだろう。

 

「さて、ラップタイムを測ってと」

 

ストップウオッチを取り出し、ゲートが開くのを待つ。

 

その瞬間は、すぐに訪れた。そして──

 

 

 

 

 

「門限ギリギリだよ、キミたち。スズカの応援に行ってたのはわかるけど、時間にも気を配ってくれよ」

「はい〜」

「ソ、ソーリー」

「それに、そこのトレーナー君もだ。トレーナーならこういう事にも気を配るのが役目だろう?」

「す、すみませんでした」

「全くもう。転入生も時間通りにやってこないし、おおかたスズカのウイニングライブに見惚れてるんだろう。全くもう......」

 

 寮の門限ギリギリに帰ってきたおかげで、寮長フジキセキにコッテリ絞られるハメになった。寮の門限をぶっちぎった転入生にはお悔やみ申し上げる。彼女、なかなか怒ると怖いじゃないか......



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第35話 スカウト その2(非合法)

というわけでアニメじゃーいじゃーい。
オリジナルウマ娘も出るよ......


 

 

「あれ、みんなは? 今日は練習でしょうに?」

「ちょっと野暮用でな」

「今日のトレーナーさんの運勢は......中吉、新たな出会いがあるかも!」

「新たな出会いとな」

 

 フクキタルが水晶玉を膝に乗せてそう宣言するが、どうも疑わしいものだ。結局フジキセキが言っていた転入生の件についてもわからずじまい。放課後にフクキタルのつきそいで病院に行っている間に『リギル』冬の入部テストがあったらしいが、冬の入部テストは通年でも特に不作なのはよく知ってるのでみなくても構わないだろう。実力者であれば秋までにスカウトがかかっているだろうし、殆どが他チームからリギルに移籍を狙ってのテストになるからだ。

 

 そんなことより今はスカーレットのデビューも間近、デビュー戦の時期やどこに出走するかなどしっかり話を詰めたかったんだが、チーム室には影も形もない。

 というよりチーム室にウマ娘がいない。今ここに居るのは私、フクキタル、沖野さんと客が一人居るくらいだ。

 

「「「えっほ、えっほ、えっほ......」」」

「たのもーっ!」

 

 するといつものごとくゴルシが扉を蹴破って現れた。何故かマスクにサングラスと不審者然とした格好をした上同じ格好のウオッカにスカーレットにシャカールをひき連れてだが。

 彼女らが担ぐ肩の上にはちょうど人間サイズのズタ袋、しかも抵抗するように中身がモゾモゾと動いている。

 

「コイツで良いんだよなトレーナー。

 ボブカットに編み込みハチマキみたいなやつに白いメッシュ。んで田舎者のおのぼりさんっぽいやつ」

「沖野さん何やってんだいやこら拉致だよ!」

「助けておかーちゃーん!」

「......とりあえず話をしたいから下ろしてやれ」

「あいよー」

 

 ズタ袋を脱がせると、中身は何の変哲のないウマ娘だった。というより、レース場で出くわした田舎ウマ娘じゃないの。

彼女はぎゅっと瞑っていた目を恐る恐る開くと、ちょうど目の前にいた沖野さんを見つけ飛びのいた。

 

「あーっ! 痴漢の人!」

「「「痴漢?!」」」

「沖野さんのいつものだよ」

「「「あー」」」

「みなさんもここに染まってきましたねー」

「ああっ! レース場にいた車椅子の人!」

 

 フクキタルがのほほんと呟くと、声に気がついたのか指をさしてまた声を張り上げる。

 

「さ、お前ら自己紹介だ」

「「「「ようこそ、チームスピカへ!」」」」

「スピカ......? ああっ、表の怪しい看板!」

「いつの間にそんなものを......」

 

 大方ゴルシと沖野さんが結託したんだろう。あいも変わらず常識はずれというかなんというか、って怪しい看板ってなんだそりゃ。

 

「今日からお前は俺のチームのメンバーだ。ちなみに俺がトレーナーで、そこのジャージがサブトレーナーだ」

「か、勝手に決めないでくださいよう!」

「勝手に決める。お前は俺が磨く」

「ゔぇええええ!?」

 

 どうにも沖野さんのお眼鏡にかかって拉致紛いのスカウトとなったようだ。しかしこの決定に既存メンバーは不満げ。

 

「さっきのレース2着だったのにかよ」

「ああ、そうだぜトレーナー」

「上がり3ハロン33秒8はこの時期じゃ平均以上だろォがよ。そりゃ才能があるってことだ、ナァ?」

「シャカールの言う通りだ。それに走った後の息の入り方も良い。心肺機能も評価できる」

「ふぅん?」

「むむむむむ......」

「まあまあ落ち着いてください、皆さん悪い人ではありませんよ」

「あ、えっと......」

「マチカネフクキタルです。今後ともよろしくお願いします」

「あ、どうも。スペシャルウィークと言います」

 

 ぺこり、と律儀に頭を下げ名乗るスペシャルウィーク。やんややんやと騒ぎ始めた本人達が自己紹介を始めるまでにも時間がかるだろうと、フクキタルは自己紹介の続きを勝手に始めた。

 

「1番背が高い芦毛さんがゴールドシップさん。赤い髪のツインテールがダイワスカーレットさん。茶髪に白いメッシュがウオッカさんで、黒髪がエアシャカールさんです。

そして、今日から貴方と同じようにこのチームにやってきたのが」

「すすっす、スズカさん?!」

「おや、そういえばレース一緒に見ていましたっけ。なら名前と顔を知っていて当然ですか」

「どうしてここにいるんですか?! リギルの所属だったんじゃぁ!」

「今日付けでウチに移籍だよ」

「うええええええええええええええええ?! どうしてなんですか?!」

「あのチームはスズカさんの走りをわかってないのよ」

 

 同じ逃げウマの苦悩がわかるのかふふんと胸を張るスカーレット。不思議そうにスズカさんが首を傾げるが、やっと事態を飲み込めたと見た沖野さんがスペシャルウィークに声をかけた。

 

「お前、『日本一のウマ娘』になるのが目標だと言ってたな?」

「い、言いましたけど」

「じゃあ聞こう。『日本一のウマ娘』ってなんだ」

「そ、それは......」

 

 言い淀むスペシャルウィーク。たしかに日本一というのはとてつもなくアバウトな目標だ。それを再確認させるため、か。

 

「そりゃG1で勝つことだろ!」

「俺はダービーだな!」

「バカね、有記念だって!」

「三冠に決まってるだろォがよ」

「宝塚記念でしょう!」

「スズカは何だと思う?」

 

それぞれが即答する中。彼女は少し考えて短く呟いた。

 

「夢」

「夢、ですか?」

「見ている人に夢を与えられるような、そんなウマ娘」

 

息を呑むスペシャルウィーク。燻っていたスズカが自分に言い聞かせるようなセリフだったが、彼女はそれに深く感銘を受けたらしい。

 

「なぁ、お母ちゃんと約束した日本一。俺と、俺たちと一緒に、叶えないか?」

 

トレーナーが優しく問いかけると、彼女は呟くように返した。

 

「トレーナーさん、私の夢、笑わないんですね」

「笑う奴がどこにいる? ここは『夢を叶える場所』なんだよ、スペシャルウィーク」

 

 私はそう言って笑って返した。私のバカバカしい夢もここで叶えてもらった。なら、後輩の夢も叶えてやるのが道理というものだろう。

 

「私......私、ここで頑張りたいです!」

「よしゃ、新入部員ゲット!」

「早速、来週からトゥインクルシリーズに乗り込んでいくぞう!」

「おうおう!」

「お前、スペシャルウィークだったな。登録しておくから、来週頑張れよ」

「来週? 登録?」

「沖野さん、まさか......」

「来週デビュー戦だ!」

「ちょっと待ったーッ! アタシのことを忘れてもらったら困るぜ!」

「......うん?」

 

 またしてもドアを蹴破る阿呆が一人。

 

「アタシも入れてくんな!」

 

ドアを蹴破ってきたのは、黒髪に赤いメッシュを入れたウマ娘。彼女は自分を指差し、そして目の前にいる沖野さんではなく......私を見てそう言ったのだ。

 

「なんだ、新しいメンバーか? スカウトしてんだったらそう言ってくれよ」

 

やれやれと沖野さんが私に向かってそう言う中、私はこう答えるしかない。

 

「ど、どちらさまですか?」

「えっ?」

「えっ?」

 

「「「......えっ?」」」

 

「新たな出会い......成る程、そういうことでしたか」

「誰か説明しろってンだよぉ!」

 

シャカールの突っ込みが冴え渡る。

 

チームスピカは、今日も今日とて騒がしい。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

場所は阪神レース場。時間はスペシャルウィークの入部から1週間後。

 

 赤メッシュのウマ娘を含めた全員で、スペシャルウィークの応援に来ているというわけなのだが。

 

「んで......君の名前は」

「レットキングダムと言います、ヨロシク!」

「なんでウチに来たの?」

「フク先輩の走りがスンゲーカッコ良かったからです! 神戸新聞杯の時なんかは──」

「......なんか子供のウオッカを相手してる気分だよ」

「なんか言ったかサブトレ」

「なんにも」

 

 両拳を震わせ、いかにフクキタルがカッコ良かったかを熱弁する彼女、レッドキングダム。なんでもフクキタルに憧れ、私のことを一日中探し回った挙句、やっと見つけたとのことでスピカの扉を蹴破ったと先程語ってくれた。

 

「......とりあえず君の熱意は買おう。ようこそスピカへ」

「ははーっ! ありがたきしあわせーっ!」

 

 というより自力で阪神まで引っ付いてきて入れろ入れろと騒がしければ折れるしかないだろうに。とはいえ熱意があることも才能だ、これだけやる気があるなら練習に真面目に取り組んでくれるだろうし、いい影響を与えてくれるかもしれない。

 

「ところで、スペシャルウィークにパドックのパフォーマンス教えました? 我々(トレーナー)の仕事ですよね」

「やべ」

「フクキタルの時から何も学ばなかったですか沖野さん?!」

「まあなんとかなるだろ」

 

 目の前のパドックでは、両手両足を一緒に出して歩いているスペシャルウィークの姿が。思わず頭を抱える。

 

「あいつ緊張しすぎだろ! どーすんだ!」

「上着カッコよく脱ごうとしてますが......あの掛け方では上手くいきませんよ」

 

 フクキタルの心配どおり、彼女はバランスを崩し漫画よろしくズッコけた。張り詰めたパドック内にちょっと和やかな空気が流れる。

 

「オイオイ大丈夫なのか......?」

「あー、しまった。ゼッケン渡し忘れてた。これ、誰か行ってくれないかなー」

 

 ぽりぽりと頭をかきながら、白々しい演技も交えつつゼッケンを取り出した沖野さん。その視線の先にいたのは、言うまでもないだろう。

 

「スズカ、頼めるか?」

「......はい」

 

 

 十数分後、憧れのスズカと何か話して吹っ切れたのか、緊張がほぐれ堂々とした立ち振る舞いを見せるスペシャルウィーク。そのまま行われたデビュー戦では順当に先行策を取り、後方から追い上げてきた芦毛のウマ娘を直線で差し返す見事なレースを見せて、その才能を証明した。

 

した、のだが......

 

 

「ダンス教えてないのは知ってるのでちょっと身体乗っ取ってきます。トレーナーさん何とかして私ごと控室に潜り込んでください」

「しょうがないなぁ。じゃあちょっと行ってくるよ」

 

 もはや隠す気もないのか、一瞬で入れ替わったシラオキさまが闇深そうな目でにっこりと笑って睨みつけてくる。瞳孔まで真っ黒なのは流石にホラーなんよ。

 

「というわけでスペシャルウィークよ。後ろ向いてちょうだい」

「? 別に構いませんけど。そ、それよりウイニングライブの練習なんて全くしてないんです助けてくださいぃ!」

「大丈夫です、シラオキさまを信じなさい......当て身」

「はぐぅ?! ......ふぅ、これでよしと」

 

 フクキタルの手刀で見事にダウンを取り、目を回したかと思えば一瞬で乗っ取りを完了させていた。喜怒哀楽が激しいスペシャルウィークがニコニコと目を細めるさまはなかなかに異質だ。

 

「あ、皆さま。このことはどうかご内密に......もしうっかりバラしてしまったりしたら、その身に不幸が降りかかる事、覚悟してくださいね?」

 

彼女の異様な雰囲気と態度に恐れをなしたか、ブンブンと首を振る2人のウマ娘。その後つつがなくウイニングライブは終了し、スペシャルウィークの思い出を犠牲にしてスピカが恥をかくことはなくなった。

 

だが、これを機に学園の中で不思議な噂が流れることとなる。

 

 

 ウイニングライブを疎かにするものは、舞台に立てず亡くなってしまったというウマ娘の幽霊に呪われてしまう......という。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第36話 皇帝の渇望

 

 

 

 

 

「死ぬほど疲れた......疲れた......」

「おーう、お疲れさん。どうにもダンスは専門外で助かるわ」

「勉強してくださいよ沖野さんッ!」

「悪い悪い」

 

スペシャルウィークのデビューからひと月ほど。そろそろ年の瀬も暮れようかという頃、私はひいひい言いながら学園ダンススタジオで倒れていた。

 

 というのもまず沖野さんはダンスを教えるのが下手くそだ。というか私の現役時代も学園の同級生やらダンス講師やらチームメイトに頼っていたくらいで、てんでだめだったのだ。ウマ娘を見初める能力は一級品でトレーナーとして教えるのは上手いが、こればかりはどうにもならんらしい。おハナさんはというとキレキレに踊れるからリギル脱退後ですらおハナさんにダンスの教えを請うたものだった。

 

スペシャルウィークのデビュー戦から程なくして、チームの問題に浮かび上がったのがダンスの下手くそさだ。

 

スズカは元リギルとだけあって及第点以上には踊れるし、フクキタルもたまに間違えることもあるが基礎基本はしっかりこなせる。しかし問題はそれ以外の面子だ。

 ゴルシはまずやる気がない、いくら練習で上手く踊ろうが本番にやる気出しすぎてブレイクダンスを踊っていた前科がある。

 スカーレットは空回りすることが多くてすっ転ぶことがしばしばで、ウオッカは人前でかわいい仕草を見せるのが小っ恥ずかしく、シャカールは踊れはするが嫌そうな顔で笑顔のひとつも見せられないし、スペシャルウィークはまず基礎がてんでなってない。

 

 ちなみにだが、1番の新人のレッドキングダム。彼女はしっかり授業で習った基礎基本ができており1番手がかからないが、アレンジが多すぎて逆に矯正するのに時間がかかりそうだ。アレンジが下手の横好きクラスであればよかったのだが、サマになっているだけなおたちが悪い。

 

「先輩方、こうっスよ! こう!」

「こ、こうかしら?」

「こうだろ」

「ちーがーいーまーすー!」

「正確に説明しねえテメェが悪いだろうがよォ」

「先輩は鏡に向かってもう少し笑顔の練習をですね......」

「こォかよ」

「食い殺さんばかりの表情なんですが?!」

 

 ......馴染んでいるようで何よりだ。

 

「ところで彼女、見込みの方はどうですか?」

「わからん。ただ......うちの中じゃちっとばかり見劣りするな」

「デスヨネー」

 

 スペシャルウィークと同様にすぐにデビュー戦となったレッドキングダムだが1着に1/2バ身離される4着、スペシャルウィークのように順当に勝ち進むとはいかなかった。

 

「とはいえ熱意は人一倍だ。クヨクヨしないで練習にも出てくるし、態度も真面目。ダンスも上手いしな......まあ、教え方が上手いというわけでは無さそうだが」

「沖野さんよかマシですけどね」

 

小さい身体を振り回して身振り手振りをするレッドキングダム。必死に何かを支えようとしているようだが、幾分語彙が足りないようだ。

 

「だからもうガッとやってビャッとしてババーンと!」

「「「全然伝わらない(わよ)!」」」

「うわーん!」

「......助っ人呼んだほうがいいかなぁ」

 

その時ウマホの通知が鳴った。その連絡した人物の名前を見て、ため息を吐かずにはいられない。

 

だが、さりとて無視するわけにもいかない。

 

「このまま自主練続けてて、私は少し外すから」

「「「はーい」」」

「助けてくださいようトレーナーさぁん!」

「......ファイト!」

「うわーーーーーん!」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「と、いうわけでダンスに強い新人いないかな?」

「私に聞くのか......」

「全校生徒のデータ頭に入ってるのはルドルフだけでしょうに。いい奴なんかいないのかい?」

「買ってくれているのは嬉しいが、私とて全能でもないよ」

 

 場所を移して生徒会室。無駄に立派なこの部屋は今日はやけに静かだった。ふかふかのソファーで茶菓子をポリポリと齧りつつ、書類にペンを走らせるルドルフに声をかける。

 

「ブライアンにエアグルーヴは?」

「エアグルーヴは練習だ。リギルには有望株が2人も入ったからな。彼女たちの教導役としてしばらく面倒を見るそうだ」

「律儀だねぇ。んでブライアンは?」

「姉が最近口煩くて逃げ回っているそうだ」

「大丈夫なのか生徒会は」

「なに、彼女は広報役のようなものさ。別段仕事は多くないよ」

「嘘つけ。彼女の分の仕事を勝手にやってるだけでしょ?」

「......鋭いな」

「同じチームの仲間だったもの。それで、私を呼びつけた理由は?」

 

 本題はそれだ。要件もなくただ『生徒会室に来い』と言われれば警戒したくもなろう。彼女が世間話をするためだけに人を呼びつけるんなら皇帝とは呼ばれまい。

 

「本来ならば彼女も一緒に呼ぶつもりではあったが、忙しそうだったのでね。彼女のトレーナーたる君に単刀直入に聞こう。

 

()()()()()()()()()はこれから全力で走れるか?」

 

「......わからない」

 

 私はルドルフの問いかけに首を横に振った。

 

 普段の様子は少し沈みがちになり、占いにまた傾倒するようになったフクキタル。占いについては後輩も増えたことだし、相談されることも多くなっている以上悪いこととは思わないが、1人でいる時にため息をつく回数は明らかに増えている。

 

「怪我の療養中というのは私はどんな心境かは理解できない。けど、走れないという焦燥感と、走ったらまた同じ痛みを味わうことになるかという恐怖は耐え難い。

 脚にいつ爆発するかわからない爆弾がある以上、トレーナーとして全力を出せとは言い難い。脚を縫い合わせた影響も傷が完全に塞がってみないことにはわからない。

 けど同時に、彼女の全力を出してくれれば勝てないわけじゃない。フクキタルの末脚はあんたにだって届く。それは確信してるよ」

「ああ。彼女の末脚、並びかけて味わってみたいものだ。

だが......それは叶わないだろう。前と同じだ」

「彼女のことかい?」

「ああ。出来ることならもう一度先輩と、ミスターシービーともっと競い合いたかった。あの人ほど真正面から私に迫り続けたウマ娘は後にも先にもいなかった。もう少し、競い合えると思ったんだがな」

「負けたいなら素直にいえばいいのに」

「だから君には戻ってきて欲しかったんだぞ。いつの間にトレーナー資格なんて取ったんだ」

 

 ぷく、と子供っぽく頬を膨れさせる皇帝がかわいくて思わず笑ってしまった。この冷静に見えて子供っぽいレースジャンキー性分は相変わらずらしい。WDT4連覇、トゥインクル引退から負けなしの皇帝は相変わらず後輩の中じゃ背伸びが好きなちびっ子のままだ。

 

「ウチに移籍したサイレンススズカもお前に届くさ。心配するな、2400以下だったら勝負できるよ」

「......とはいうものの、彼女はここまで来れるかな」

「無理かなー! スズカはまともに競い合うつもりがない!

スペシャルウィークの世代で誰かが届くかなって感じだねぇ」

 

 私は彼女のことを笑い飛ばすのと同時に、スズカの可能性を否定した。スズカが全力で戦える世代に、おそらく2000前後なら敵はいない。フクキタルが一度届いたが、本格化する彼女と怪我したフクキタルでは勝負にならない。上の世代ではエアグルーヴなどもいるが、おそらく力不足だろう。

 それだけの潜在能力を秘めていただけに、競い合う相手が不在なのが悲しいところだ。それがあれば彼女はきっと『領域』に手が届いたことだろう。

 

「......つくづく、恵まれないねぇ」

 

 彼女はいずれ破滅する。WDTの舞台にあがることもないだろう。もし、競い合う相手、サニーブライアンがいたのならば彼女は変われたんだろうかとも思ってしまう。

 

「私も同じだとは言わないよ。君やシービー先輩、数々の同輩たちとも鎬を削った。世界の名ウマ娘達と少しの間戦うこともできた。彼女らを私は弱いと思わない、等しく強者だった。

恵まれているが......私がもう1人いたらな」

「ブライアンはいけそうだろう? あと4年はかかるだろうけど」

「そこまで学校に居残るつもりはないさ。流石に私もそろそろ卒業を考えてるんだ。とはいえ、成長を見届けたい相手が1人だけいるからな。それまでいるつもりだ」

 

 いるんだろう、テイオー。彼女がそう声をどこかにかけると、彼女の手元からぴょっこりと栗毛の耳が覗く。

 

「バレてないと思ったのにー!」

「テイオーならそこにいると思ってな」

「むー」

 

 机の下に潜り込んでいたらしいその小柄なウマ娘が不満げに尻尾を振る。中等部くらいだろうか、言動や所作がかなり子供っぽい。

 彼女は私を見つけると、うわあっと驚いたように声を上げた。もしかして私のファンとか? 名前バレはしたくなかったが褒められるなら悪い気はしない。さあ褒めるんだったら美辞麗句で褒め讃えてくれてもいいのよ?

 

「うわっ、いんちきやろーだ!」

「んだとこのクソガキ」

「ぴえーっ!」

 

初対面に向かってインチキやろうとはなんだ貴様蹴り飛ばすぞ。

 

「すまない、テイオーはまだ人付き合いが得意ではなくてな」

「カイチョー怖いよー!」

「いつもはこうではないんだ。テイオーも初対面の人にそんなこと言っちゃいけないよ」

「でもインチキでもしないとカイチョーが負けるわけないじゃん!」

「おっと、君はルドルフのファンなのか」

「むー......」

 

 むくれ面がその答えだろう。なるほど、彼女に憧れてこの学園を志したと。となると例のあのレースも見てたってわけになるし、私の正体に行き着くのも無理はないか。

それはそれとしてどれくらいポテンシャルがあるのかは気になるな。

 

「ルドルフ、ちょっと押さえ込んどいてくれる?」

「ふむ、こうだろうか」

「え、カイチョー?」

「ちょっと脚を触らしてもらうね......」

 

がっちりとルドルフが彼女を拘束したのを見計らい、わきわきと指を軽くほぐしながらテイオーに近づく。

 

「ちょっと、何してるのさ!」

「脚を触るだけ」

「へ、ヘンタイじゃないか!」

「無断でさわれば変態、だからちゃんと確認は取るさ。

ルドルフ、この子の脚触っていいかな?」

「かまわない」

「カイチョー!? もうどうなってるんだよー!」

「では失礼して」

「ワケワカンナイヨー!」

 

もみもみ、ぷにぷに、ふむふむ、ふむ。彼女の脚はかなりしなやかで軟らかい。物理的にではなく、可動域が広い。

 それに、程よく硬い。元来筋肉というものは速度を出すためには重く硬く、長く走るには軽く柔らかくある必要がある。三冠を目指すのであればその中間、程よく剛柔併せ持つ必要があるわけだ。

 それを彼女は持っているということになる。小柄な体格が少しだけネックだが、それは長い距離を走るには困らないということだ。彼女の適性は2400m前後、クラシック路線を走るには理想的な適性の持ち主だ。

 

「......三冠狙えるな」

「君がいうなら間違いはないだろう。よかったな、テイオー」

「トーゼンでしょ! だってボクは無敵のテイオーなんだから!」

「あっそう。じゃあ口調も改めてから無敵の帝王とやらを名乗ってくれ」

「イダダダダ!!!」

 

 フフンとこっちを見下されたのでふくらはぎ付近のツボを思いっきり押し込んでやった。

 

 しばらく押し込んでから解放してやると、彼女はルドルフではなく出口の扉の方へ飛ぶように走っていった。そして彼女は扉を乱雑に開けると、顔だけ出してこっちに向かって舌を出した。

 

「ぜっっっっっっっったいお前のチームなんかに入ってやるもんか! あっかんべー! ボクはスペちゃんのチームに入るんだい!」

「あっそ」

「あーほあーほ、おたんこなす! ばいばーい! あ、カイチョー、カラオケの割引券貰っとくね! あとスピカの人に駅前のカラオケに集まるように連絡しといてー!」

 

彼女は早口で捲し立ててすぐに駆け出していった。やれやれ、とかぶりを振るルドルフ。どうにも苦労しているのが見てわかる。

 

「見ての通りワガママな子なんだが、実力は確かなんだ。早くチームを決めて年上のウマ娘と交流をして立ち振る舞いを身につけて欲しかったんだが、どうにも上手くいかなくてな」

「見ての通りマナーがなってないお子様だね全く」

「というわけで君に......いや、スピカに任せてみようと考えているんだ。トレーナーは自由な気風でテイオーにも合う、それに、いろんな面白いウマ娘達がいるからな。いい刺激になる、切磋琢磨して私のところまで早く来てくれないものだろうか」

「期待しすぎるとこっちが折れちゃうからやめて欲しいんだけど」

「君が期待に応えなかったことはないだろう?」

「ルドルフさぁ......しょうがないなぁ」

 

 

 

 

 

「でね、そのヘンタイが......」

「それ多分うちのトレーナーじゃない?」

「えっ?」

「初対面で脚揉んでくるのはうちのトレーナーくらいだもの。ねえ?」

「おう」

「......えっ?」

「まァ、頑張れよ、トレーナー」

「............ええっ?」

「まずは敬語の使い方から勉強しようねぇテイオー。目上の人には敬意を払うことを身体にわからせてやる」

「......ピエッ。イマカラデスカ?」

「ちょっと借りるね、いいよねスペシャルウィーク」

「えっと、その」

「スペチャン、タスケテ......」

「い い よ ね ?」

「......はい」

「スペちゃあああああああああん!」

 

 

 




詳細は省くがテイオーは死んだ。自分の言葉がブーメランになって帰ってきたのだ。
ついでにマックイーンの体重は増加した。


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第37話 占い師の選択

 

 

 

「......んー、レース日程をどうしたものか」

「おや、考え事ですかトレーナー」

「やあフクキタル。いや、脚も良くなったことだしフクキタルの復帰時期とか、レッドキングダムの次のレースとか色々考えていて」

「おおっ、ついに復帰ですか! ワクワク!」

 

 身体を揺らして喜びをあらわにしたフクキタル。足元にテーピングがわりのバンテージがまだ巻かれているが、抜糸もすみ傷も塞がり、リハビリももうすぐ終わりかけ。となれば、復帰レースを組んでもいい頃合いだし、時期もちょうどいい。

なにせ今は2月末、そろそろ春のG1前哨戦が始まる季節だ。

フクキタルは菊花賞、G1レースを勝っているからG1レースの枠は優先して取れる。とはいえ、怪我の影響が判らない以上ぶっつけ本番ではなく、ステップレースをいくつかこなしたいところだ。

 

「G3、いやG2......」

 

本来ならOP戦くらいでもいいんだけど、G1ウマ娘がそんな格下レースに出走となるとスピカが干されかねない。G2、G3のレース、かつ怪我の具合も相談しつつじっくり次のレースの対策も取れるレースとなると数は多くない。G1を目指すことは前提としてそのステップレースを考えるとすると、大阪杯、天皇賞、宝塚記念の3つか。

 

大阪杯を目指せば期間が短い。それにステップレースの中山記念は1800m、フクキタルには距離が足りない。

 

天皇賞春は怪我明けには厳しい。京都大賞典も含めて3000mを2回も走らせるのはさすがに身体がもたないだろう。

 

となると、うーむ。宝塚は人気投票という特殊な選出条件。直近のG3以上で距離も適性なのは3月末の日経賞、5月半ばの新潟大賞典、5月末の金鯱賞、6月半ばの目黒記念。宝塚まで十分休養期間を確保したい事を考えると目黒記念は選びにくいし、新潟大賞典の開催場所は新潟、データがない。

となると、自ずと選択肢は限られる。

 

「日経賞、金鯱賞踏んで宝塚記念か」

「おお......でも日経賞は申し込みが終わっているのでは? 確かこの間出バ表を見た覚えが」

「なんですとっ?!」

 

 パソコンを立ち上げ日経賞で検索をかけると、フクキタルの言った通りだった。思わず椅子にもたれかかってしまい天を仰ぐ、学生時代の宿題の締め切りを破るよりひどくタチが悪い。

 

「やらかしたなぁ......」

「調整にじっくり時間をかけられると思えばいいじゃないですか。それに、スペシャルウィークさんの弥生賞と、スズカさんの中山記念もあります。レッドキングダムさんの未勝利戦もまだ期間は十分ありますしね」

 

 ニコニコと人懐っこい笑みを浮かべるフクキタル。出会った時とは何も変わらないその様に思わず笑ってしまった。

 

「な、なんで笑っちゃうんですか! 何もおかしなことは言っていませんよ!」

「なーんかフクキタルを見てるとうじうじ考えてることがアホらしくなっちゃって」

「おお〜、まさに皆目その通り。笑う門には福来る、悩んだら笑うことが大切ですとも! 気分が良くなるなら気にしませぬ!」

 

ふふん、と胸を張るフクキタル。

から元気か、励ましてくれているのかは判らないが、沈んだ顔をしてしょぼくれているよりはよっぽどいい。

 

「ついでに今日の運勢を占ってしんぜましょう!

タロットに水晶玉、ルーン文字占いに筮竹(ぜいちく)、姓名判断に人相占い、入院期間中どうせ暇だったのでたくさん覚えましたよう!」

「そのジャラジャラする竹の棒そんな名前だったんだねぇ......」

 

 

 

◇◇◇

 

 

「と、トレーナーさんには胸を張ったものの、不安で仕方ありませんので今日のラッキーパーソンに化学に強い人と出たのでこちらを訪れた次第なのです」

「それでタキオンさんを頼りにきたと。しかしタキオンさんを頼るとその、愉快なことになりますよ?」

「見れば十分わかりますとも」

「なんだいなんだい、ちょっとばかり髪の毛が光ることのどこが愉快なんだい」

「ペカペカして面白い。この前行った歌舞伎町みたい」

「ひとりでなんてところに行ってたんですかミーク!」

 

 また考え事してたら迷い込んでしまったのか。しっかり注意しとかないと心にメモしつつ、目の前のぺたんと耳を畳んでしょんぼりとしているウマ娘に目を向ける。

 

 マチカネフクキタル。鏑木さんが担当しているウマ娘で、今年からシニア級になる。彼女がG1を取った時にはトレーナーを経由して祝福のメールを送ったし、彼女の怪我が公になった時はお見舞いの花束を持っていった。とはいえ私は彼女のことをG1含む4勝を成し遂げたウマ娘という情報でしか知らない、パーソナルデータはまた別の話だ。

 

「フンフン、それで君は何故私のところにやってきたのかな? もしかして実験体の志願かな?」

「そんなところですかね」

「......フゥン」

 

 興味深そうに彼女を覗き込んでいたが、回答が意外だったのか意味ありげにいつものうなり声とも取れる返事をするタキオンさん。彼女はフクキタルさんに歩み寄りこんな事を言った。

 

「君、私の研究内容を知っているかな? 」

「確か『ウマ娘の可能性の果て』でしたっけ。学校新聞で見たことがあります」

「ああ。ウマ娘というのは時速60km前後のが最高速度だと言われている、君が走った中長距離のレースならばもっと遅いだろう。

 だが、理論上ウマ娘は70km以上で走ることは可能だという研究成果がある。不可能なことは私は追求するつもりはないが、そこの一%でも叶う可能性があるのならば、追いかけずにはいられないのさ。だからこの身で可能性の果てを、ウマ娘の最速を叶えたいと思っているのだよ」

「ということはタキオンさんはスプリンターなのですね。私はお恥ずかしながらマイル以下は少し苦手で......」

「いや、私は君と同じ三冠路線を走るつもりさ。主戦場は2000m前後になるだろうね」

「ええっ?」

 

 フクキタルさんは驚いたように耳をピンと立てた。

 

「最速を目指しているなら、てっきりスプリンターなのかと」

「勿論そうしたかったさ。私はこれでも将来を期待された身だが、最速を目指す才能には恵まれなかったのさ」

 

 彼女はぶかぶかの白衣の裾で自分の脚を2、3度叩きさもなんでもないように言い放った。

 

「私の脚がレースに耐えられないのだよ」

「......えっ」

「生まれつき脚が弱いんだ。トレーニングも細心の注意を払わねばならない。何度もレースを走れば、そのうち足の腱や筋肉が断裂し全力を出すことは叶わなくなるだろう。君のように血が噴き出すかもしれないな。こればかりは壊れてみないことには分からない」

 

 サラッと述べたが、彼女のいうことは本当だ。自分で測定した精密検査のデータを私の知識、そして彼女が知る限りの知識を組み合わせ導き出した結論、彼女の脚はいずれ壊れる。

 

「多くのウマ娘の夢を絶ってきたクッケン炎かもしれないし、君のような裂脚症か、はたまた骨折か。私の脚はウマ娘でありながら人間クラスの強度の脚なんだ。だからこそ克服し、可能であればより強靭にしたい。そうでなくては可能性の果ては目指せないのだからね」

 

偶然か奇跡か、私を頼ることは限りなく正解に近いだろうと彼女はまた付け加えた。

 

「だからこそ、私は君の脚が欲しい」

「あ、あげませんしあげられませんよ?!」

「データという意味でだよ勿論。君は貴重なサンプルだ。普通足にかかわる怪我をしたウマ娘は転科するか退学してしまうからねぇ、貴重なんだよ。それにG1ウマ娘ともなればさらに貴重だ。

 なぁに、こちらとて君に与えられるものはある。ケガの復帰サポートをしようじゃないか。どうせ私のデビューはまだ先だからね」

 

彼女はそのいつもほの暗い虹彩の目で彼女の顔を覗き、下手くそで不気味な笑みを浮かべてこう言った。

 

「取引と行こうじゃないか。もう一度、全力を出して走ってみたくはないかい?」

「......もとよりそのつもりで来ましたよ。ですが、ひとつお願いしたいことがあります」

「なんだい?」

「トレーナーさんには、黙っておいて下さい」

 

彼女はそう言った。

 

「今でこそ迷惑をおかけしています。怪我をしてしまったことが悪だとは思いませんが、トレーナーさんに負担を強いることは良くないと思います」

「そんなことはありません。トレーナーとウマ娘は持ちつ持たれつ、互いに寄り添っていくものです、そう悲観することはありませんよ」

「......例えもう勝つ気がなくとも、ですか?」

「それは......」

 

 ウマ娘の意思を尊重する。それが桐生院家1番のモットーだった。どんなに突飛な夢を、どんなに非現実的な目標を、彼女たちが望むなら可能な限り叶えること。私はそう教えられてきたのだから、彼女の言葉に返す言葉がない。

見ればわかる。もう既に彼女は燃え尽きてしまっているのだ。

 

「G2、G1という大舞台で勝つことができました。例え1勝でも学園の中では一握り。多くの人たち叶えられない夢を叶えてもらったんです。それに」

 

 彼女は優しく脚を撫でる。まだ真っ白で痛々しい包帯とサポーターが巻かれた両脚はレース場で見たものより幾分か細く見えた。

 

「踏み込むことが、恐怖でしかありません。レース中は幸か不幸か痛みを感じる事はありませんでした。だからこそ、よく覚えているんです。

トレーナーのあんなに苦しそうな顔はもう見たくありません。怪我が再発したらと思うと、あの時のように」

「......それ以上は言わなくとも大丈夫です」

「桐生院さん?」

「言いたいことはわかりました。データの提供についてはこちらからも是非お願いします。鏑木トレーナーにはこちらから合同練習ということで時間を作るよう話をつけておきましょう」

「ありがとうございます。えへへ、レースでは勝てなくとも、それ以外で何かお力になれるなら頼ってください。

 トレーナーさんは『スピカ』を夢を叶える場所だと言っていました。であれば、私は夢を叶えるための道を敷きましょう。

 占い師とはそもそも道に迷っている人に手を差し伸べ、道を示す存在なのですからね」

 

恥ずかしそうに頬をかいたマチカネフクキタル。

 

競走人生を諦めたウマ娘とは、こうもつまらない存在になってしまうのか。

 

そう思わずには、いられなかった。

 

 

 



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第39話 分水嶺

マーベラスきのこ様主催のお題シャッフル短編合作に寄稿させてもらいましてん。
面白い作品揃いなのでぜひぜひ

https://syosetu.org/novel/264988/


 

 

 

『1番人気は今をときめく逃げウマ娘、サイレンススズカ。これまでの中山記念、小倉大賞典と2着に3バ身と差をつけて1着と圧倒的な成績を残しています。

2番人気は菊花賞バマチカネフクキタル。同距離で1度サイレンススズカの逃げ足を差したこともあるウマ娘です。怪我明け初戦となりますが、期待しましょう!

さて3番人気には──』

 

 場内に響く実況の声を聞きながら、発走の時を待つばかりである中京レース場。ローカルレースの開催も多いためか平坦で坂の傾斜はなく、それだけに地力とスピードがものを言うレース場になりがちだ。それはまさにサイレンススズカにとっては絶好の条件が揃い踏み、しかも得意の左回りときたら向かう所敵なしだろう。

 前走の小倉大賞典でも走り終わったあとまだ余裕そうだったところから見て、たった1ハロンで劇的に走りが変わることもない、それはフクキタルもしっかりと伝えてある。

 

とはいえ、だ。大逃げなんて付き合うだけ無駄というのはセオリー、しかしどうにもスズカはそれに当てはまらないから背中をしっかり距離を離されないように追いたい、かといって怪我明けのフクキタルにあれこれやらせれば負担になるだけ。

 

「......はぁ、難しいっすね対スズカ戦略。朝まで粘りましたがサッパリです、沖野さんならどうします?」

「ゴルシなら勝手になんとかするだろうさ。せいぜい追いつけない距離の見極めとそれを伝えるだけであいつはどうとでもなる」

ゴールドシップ(アレ)は反則でしょう?!」

「まーな。というかそれくらいしか思いつかん。特にココじゃあな。東京とか長い直線があるレース場なら差し切られる展開がひとつやふたつあってもおかしくないが」

 

 沖野さんは舐め終わったらしい飴の棒を折ってポッケにしまい、新しいものの封を切って口に咥えた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()くらいにはスズカの調子がいいんだ。むしろ他のやつが勝てるビジョンが浮かばねえくらいさ。それで結局フクキタルにはなんて?」

「足の調子を見つつ、自分のレースをと。先行策か差し追い込み型にするかは任せたよ」

「おいおい、秋の気合いっぷりはどうしたんだ。いつもギリギリまで話し合ってたじゃねえか、随分と弱気になったもんだな」

「......弱気にもなりますよ。練習試走じゃ秋の走りは見る影もありません。スペとやって気迫負けしてたくらいですよ」

「おいおい、皐月賞負けてやる気がみなぎってるスペと比較すんのかよ。そいつは酷ってもんだろ」

「それくらいの気持ちでないとスズカの影すら踏めませんよ」

 

 ため息を吐かずにはいられなかった。

 

 レッドキングダムもいまだに未勝利戦を抜けられてないのも頭痛の種だ。5月頭の芝2400mでは4着と掲示板だったが続く4日前のレースじゃ11着だ。本人の希望もあって過密日程だったけど、これを見るにしっかり休養期間を取れないとダメだということしかわからなかった。

 彼女は芝の中距離に拘っているが、どこかで距離を短くしたりダートを走らせてみたりすることも考えなければ、となれば戦略の組み方や走り方も変えなければいけない。考えることが多すぎるが、フクキタルの秋戦線と違って勝てる希望がないまま考え込むのは辛い。

 まるで終わりのないレースだ。ゴールラインはわからないのに、周りはどんどん彼女と私を追い越していく。私でこうなのだから、本人に至っては推して知るべし、だろうか。今はスピカの騒がしいメンツに囲まれてるからケアにはなってるだろうけど、いつ爆発するか。

 

......メイクデビュー、未勝利戦を勝ち抜けるウマ娘は2割といない。それはよく言い聞かされてきたことではあるがいざ担当してみれば、その理由がよくわかった。

 

例外を除いて誰しも同じだけの才能を持ち、同じだけの努力をし、同じだけ対策を積む。故に、差が生まれない。つまり......トレーナーのワンミス、ウマ娘のワンミスが勝敗を分ける。ウマ娘のミスはトレーナーの責任だ。

ウマ娘の一生に一度の競技人生、その3年間をひとえに背負う事になるのだ、心中覚悟でやってもらわねばウマ娘として困るが、トレーナーとしては重すぎる。

 

 トレーナーは世間から花形職だとよく言われるが、成り手は驚くほど少ないのはこれが理由だ。まともな人間なら1年と精神がもたない。重責で押しつぶされて学園をさることも多いので回転率も高い。

 

沖野さんのように長年と続けられるトレーナーは、ごく少数だ。

 

「......持つかねぇ」

 

 最近胃が痛む。そろそろシャカール経由でタキオンあたりに胃薬を作ってもらおうか。

 

そう私が上の空になっているウチに枠入りが済んだようだ。ファンファーレがなり旗が振られ、レースは今か今かと場内が静まり返っている。

単枠指定5枠5番がスズカ、大外8枠9番フクキタル。

さて、勝つのはどっちだ。

 

ゲートが開いた。

 

ゴール前の一週目ホームストレッチ、位置取りと牽制合戦が見える中、サイレンススズカがスッと前に出て先頭を取った。フクキタルは後ろに下げ先行争いには加わらず後方3番手へ。

 

「予定通り、だな」

「喧嘩を売りにいくウマ娘はなしか」

 

先行策を取るウマ娘が若干スズカを気にしたが、位置はキープする様子。そのまま1コーナーまでには3バ身の差をつけて、コーナーを抜ける頃には5バ身差とさらに差が開く。

 

そのまま逃げるスズカ、距離をキープする先行バが2人、それ以外は後方策にて自分の得意位置をキープという形だろうか。後方3番手、すぐ前を走るウマ娘を捉えようと若干ペースを上げ始めたフクキタルとスズカの差は15バ身、先行しているウマ娘からも7、8バ身は離れている。

 向こう正面を表情も変えずに爆進するスズカに対してフクキタルの顔はかなり苦しそうだ、いつもだったらもっと周りを見渡す余裕綽々なのだが、今日は歯を食いしばって前ばかりを見つめていて余裕がないように見える。そのまま3コーナーまで独走体制のスズカ。後続はペースを上げてスズカを捲れると信じる位置まで上げてきている。そのまま平坦なカーブで速度が下がったように見えるスズカに一気に集団が詰め寄った。

 

4コーナーを回って残り約400m。マチカネフクキタルが若干ふらつきながらも外に出してまくる体勢へ。

 

「フクキタル、いけ、そこだっ! お前なら行けるだろうっ!」

 

 コーナーに向かって声を張り上げるのと殆ど時を同じくして巻き起こった場内のざわめきが私の目をスズカへと否応無しに注目させ......その理由はすぐに分かった。スズカはまだ後続と5バ身差のまま最終直線へ差し掛かり、あっという間に200m標識を通過した。

 

そして、ここでスズカは()()()()

 

懸命に追いすがる後続を嘲笑うかのように突き放す。

 

『サイレンススズカこれはもう4連勝は間違いなし、大差がついております! サイレンススズカだサイレンススズカ!』

 

ゴール前1ハロンで実況すらもう1着はスズカで間違いないと断言するほどの『大差』。そのままスズカは2着以下を10バ身以上引き離す大差勝ちを収め、1分57秒8のレコードタイムを記録した。

 

最終直線、フクキタルは伸びきらず掲示板外に沈む6着。

 

タイムは2分とコンマ5秒。あがり3ハロンは37秒ちょうど。

スズカを差し切ったあの神戸新聞杯よりコンマ5秒も遅く、傾斜の有無を考えればあの時のコンディションであれば1分58秒は切っていただろう。

 

「......脚は、大丈夫なのか」

「問題ありませんが、入院生活でだいぶ鈍ってしまっているようで、これは夏合宿で鍛え直しですかね」

 

悔しいという素振りを見せるでもなく、申し訳ないと頭をかくフクキタル。

 

トレーナーの言葉はなるほど、そういうことらしい。

『これもトレーナーなら、いつかは通る道だ』。

 

......いや、まだフクキタルは頑張れるはずだ。

足に負担のかからない走り。フクキタルのポテンシャルをフルに使い切って、せめてもう一勝だけでも勝たしてやんないと。

 

怪我に負けたなんて、そんな悲しい競技人生で終わらせてたまるか。せめて、悔いのないレースを最後にして欲しい。

私のように、未練がましい最後になっちゃいけない。

 

「ああ。今年の夏合宿は去年の倍はビシバシ鍛えてやるさ」

「藪蛇でしたなんと不幸な! にぎゃーっ!」

「あっはっはっは。そんだけ声が出るなら行けるな」

「そ、そんなことありませんよう!」

 



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第40話 ハリボテエレジー、再び

 

 

 

「坂対策、ねぇ」

「皐月賞スペが失速した理由は多分そこだ。坂の走り方を知らないから加速がうまく行かずにセイウンスカイやキングヘイローに追いつけなかった。中山ほどじゃないが、府中でも坂対策はしないといけないからな」

「足捌きが上手くないからか、なるほど我流じゃ限界ということね」

「んで、お前かタイキシャトルに模擬レースを頼もうと思ってるんだがこれ以上おハナさんに貸しを作るのは頂けなくてなぁ」

 

 金鯱賞が終わり、夏合宿の練習予定を組んでいる頃の話、スペのダービー出走登録とスズカの宝塚記念選出が決まった頃、沖野さんがこう持ちかけてきた。なんでも、皐月賞でスペが最後伸びきらなかった理由がわかったらしく、その対策だそうだ。

 

「タイキシャトルはお前より坂が上手いんだが、なにせ距離適性もあってなぁ......なるべく条件は合わせたいんだ」

「彼女、マイラーですからね。2000m前後、芝ですか?」

「いや、ウッドチップの坂が長い練習コースを使う。あとスリップストリームの使い方も覚えてもらいたい。先行でスペがついていけるくらいに加減してくれ」

「注文が多いですね。いいですよ。ゴルシにも話を通してくださいね、彼女の手伝いがないと変装できませんし。

それはそれとしてスズカの宝塚の対策はしなくていいんですか?」

「ほっといても勝つさ」

 

 そう言う沖野さんを見て思い出した。基本的に沖野さんは放任主義、求めなければ助言は与えないタイプ。スペの件は勝ちたいと面と向かって宣言したらしいのでどうするかと考えているようだが、スズカには何も言われてないらしい。

 

「......了解です。じゃあしばらく時間を貰いたいので1週間後で」

「よしきた」

 

 

◇◇◇

 

 

「あの。この方は......」

『サイキョウムテキノテイオー様だぞ』

「それボクのセリフ!」

『冗談。チームOGのハリボテエレジーだ。今は会社員してる。今日はよろしく頼む』

「スペに経験を積んでもらいたくてな。無理言ってきてもらったんだ、すまんなエレジー」

『いえいえ、お気になさらず』

 

 商店街で買ったスケッチブックにマーカーで文字を書き込んでいく。声を出すと流石にバレてしまうが、黙り込むのも限界があるということだ。それにトレセン学園の従業員なので実質会社員、嘘は言ってない。

 

『......それでトレーナー、この観客の数は一体』

「誰かが嗅ぎつけたらしくてなぁ」

「人がたくさん......!」

 

 見上げれば、普段は数人ばかりが座っていたり休憩している観覧席はウマ娘でごった返していた。短距離マイル世代最強と名高いタイキシャトルなら納得だがなんで経歴が怪しい私とスペシャルウィークの対決でこうも人が集まるかと疑問に思わざるを得ない......十中八九ゴルシの仕業だろうけども。

 

「うーん、立会人としてリギルに頼んだのが不味かったか? やるって口滑らせたら一枚噛ませろっておハナさんが珍しく乗り気だったから二つ返事で受け入れたけど」

「おいスピカのトレーナー、スタートラインはここでいいのだな?」

「ああ。んでゴールラインはこっちだ」

「サンキューな。あー、めんどくせぇ......」

 

 スタート、ゴールとそれぞれ書かれた看板と旗を持っているのはリギルに所属するエアグルーヴにヒシアマゾン。かたや生徒会役員、かたや寮長とやる気の面では別として公平性という面では人選としてはこの上ないくらいだ。ついでにタイム計測はスカーレット、レース映像の録画はシャカールに任せて準備体操をする。とは言っても軽く足の腱を伸ばしたり、身体の軸を解したりするだけの簡単なものだ。あとはこのクソ狭い視界の走り方を思いださなきゃならないことだし。

 

「スピカ特製焼きそば、いらんーかねー?」

「ひとつ2百円から、どうぞどうぞ〜!」

 

......それはそれとして焼きそばを売っているゴルシと手伝うウオッカ。時間帯は放課後と育ち盛りのウマ娘にとっては小腹が空いてくる時間帯ゆえなかなかに稼いでいるようで、計算尽くなゴルシの仕込みと思わずにはいられない。レース場じゃ無断で屋台は立てられないがこと学園ではそんな校則はないし、代替わりした子供っぽい理事長はそんな自由さが好みだと聞く。それを織り込み済みだろうが、スタート位置にいるエアグルーヴの顔が怖いあたり......無許可なんだろうなぁ。また怒られる羽目になりそうだ。

 

「きょ、今日はよろしくお願いします!」

 

 こわばった顔で挨拶してくるスペシャルウィークに気にしなさんなという意を込めてひらひらと手を振ると、エアグルーヴもそれを察したかこちらに声をかけた。

 

「双方準備は良いか?」

「は、はい、大丈夫です!」

「そちらは?」

 

グッ、と親指を立てる。了解の意と受け取ったか、彼女は沖野トレーナーの方を一瞥してから、旗を水平に構えた。

 

「これより、模擬レースを開催する! 旗が上がった瞬間にスタートだ、位置について」

 

 今回はハンデなし。

 内側に私、外にスペシャルウィークが構えている。

 

息を止め、スタートの合図を待つ。

 

「用意、スタートッ!」

 

スタートの良さは現役の時からの誇りだ。スタートダッシュでついた差は1バ身。

差しと先行両方こなせるスペシャルウィークは私の後ろで様子を伺うことだろうが......逃げで突き放せないのがもどかしいが今回私は当てウマだ、先行策でじっくりといこう。

 

 コーナーを抜け向こう正面へ。差は若干スペが落ちて2〜3バ身か。ここのコースは向こう正面入り口から3コーナーにかけて登り、4コーナーから下がる変則的な坂路を持つコース。坂を学ばせるならそこになるだろう。

 

息遣いはやはり整っているが、風が苦しいようだな。だったら、息を入れて背中にピッタリとつけさせる。

スリップストリームってコマテクのような物だけど、覚えておいて損はない。スペシャルウィークはこれも知らないんだからね。

 

さて、そろそろ坂の入り口。脚の歩幅を若干狭めて、ストライドからピッチ、細かく刻んだほうが性質上登り坂は強い。何より、私は刻んだほうが速度が出しやすい。

 

「う、わっ」

 

スペシャルウィークの驚くような声と一瞬乱れた足音。うまく突き放せたようだが、沖野さんが見込んだだけはある。

 

たったの数秒。聞こえてくる音が変わった。

刻む足音の間隔は短く、吐く息が少し鋭くなった。

あの数秒でピッチ走法を覚えてスパートをかけてきたってこと、なるほど勝負根性も満点、闘志はメラメラに燃えてるってことだ、皐月賞3着で拗ねてる訳でもない。

 

「はっ、はっ、はっ......」

 

何より。

 

「はっ、はっ、はっ、はっ......!」

 

圧倒的実力者を前に競走を楽しむ、それも才能だ!

 

「さあ、ついておいで......!」

「えっ?」

 

 だったら、最後まで私を楽しませてよね。

脚を回し、姿勢を低く、手を振って推力に変えて、1秒でも早く、前に。それでも食らい付いてくるように、ピッタリとついてくる気配は変わらないまま、いやむしろその存在感は増して私を追い抜かんと並びかけてくる!

 

楽しい。

 

やっぱり、レースってのはこうでなくちゃな!

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「で、ランナーズハイでゴール前4バ身ぶっちぎったと」

「申し訳ない......」

「手加減しろって言ったよなぁ!?」

 

 流石に、ちょっとやりすぎたか......

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「むぅ......」

「あら、どうしたのスペちゃん?」

「どこかで聞いた声だったと思うんですけど、ってスズカさんいつの前に!?」

「さっきからいたわよ? ずーっと考え事してて気が付かないんだもの、何かあったの?」

「実は、今日のレースのこと考えていて」

「あれは惜しかったわね。もう少しで勝てそうだったのに」

「だいぶ離されちゃいましたしまだまだですよ。ですけど、ハリボテエレジーさんの声をどこかで聞いたことがあったんですよ。レース中に独り言のように言ってただけなんですけど、なんだったか......昔聞いたような......」

「OGだそうだから、昔見ていたレースにいたんじゃないかしら?」

「多分そうなんですけど......どこで見たんだったっけなぁ......?」

「今日は早く寝ましょう? もしかしたら、夢の中で思い出せるかもしれないわ」

「そうですね、お休みなさいスズカさん!」

 

 

 

 

 

 

 



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第41話 春の終わり、夏の足音

というわけでこの章も締めくくりです。


毎回誤字報告してくださる皆様には頭が上がりません。いつもありがとうございます......


 

 

「おお、始まりましたか、やっぱり宝塚は人が凄いですねぇ。さすが春レースの締めくくり」

「だ、ダービーよりも人が多い......!」

「それはそうですとも。なにせ人気投票ですからね。去年の活躍、春レースの戦績。それを見てファンの人が走るウマ娘を決める、現役版ドリームトロフィーなんですから」

「そうなんですか! それに選ばれて1番人気のスズカさんは」

「とっても凄いということですね! 我ながら鼻高々ですよ。やはりこの前贈った幸運の鯛の置物のおかげ......!」

「テレビの前ではしゃぐない」

「あた!」

 

 データ用のタブレットでフクキタルの頭をどつきつつ、椅子を引き出して座る。今日は7月の頭、春レースの締めくくりたる宝塚記念だ。本当なら現地応援したがったが、中山記念に小倉、6月末のフクキタルの鳴尾記念と遠征しすぎてお金がない。鳴尾記念も雨降りだったのもあるが8着と振るわなかったが、たまたま桐生院とミークにタキオンまでいるのはビックリしたなぁ......

さて、と。知らないウマ娘だって顔してるスペシャルウィークのために解説もしてあげないとね。

 

「今年も豪華な面子揃いだ。春の天皇賞を勝ったメジロブライト、昨年のティアラ2冠ウマ娘メジロドーベル、去年有覇者シルクジャスティスに女帝エアグルーヴ、勝利は少なくても掲示板を常に外さないステイゴールド。他にも重賞で戦績を残した実力者揃いときたもの」

「錚々たるメンツですね。しかも私の同級生も多いですし、私の世代ってばなかなか実力者揃いということなのでは?!」

「一つ下のスペシャルウィークの方が騒がれてるけどね」

「そういえばそうでした......」

「えへへ」

 

 黄金世代。元々前評判が高いのに加え、流れ星のように現れたスペシャルウィークを加えた彼女の世代はそう呼ばれ始めていた。その声が大きくなったのは日本ダービー同着1位を成し遂げたスペシャルウィーク、エルコンドルパサーの熱戦からだろう。秋戦線にもクラシック級ながら出場することも考えられる。菊花賞も楽しみだがシニア級とも矛を交える秋天、JC、有......楽しみだ。

 

「始まりますわよ皆さん」

「悪いねメジロマックイーンさん」

「おきになさらず。しかしこのモニター小さいですわね」

「悪いねちんまいテレビしかなくて」

 

 メジロマックイーン。名ステイヤーを輩出するメジロ家の御令嬢でスペシャルウィークのダービー前に加入した新人だ。どうしてこんな変人ばかりのチームに来たのかといえばなんでもゴールドシップの2ヶ月にわたる付き纏いに等しいくらいの熱烈な勧誘があったらしい。本人に理由を訊けば「実家の畳の匂いがするから」と言っていた。たまにある『なんとなく気が合う』類の、ウマソウルの悪戯だろう。

 トレーナーが目をつけてなかったといえばそれまでだが、ステイヤーとしての実力は確かだ。まだ仕上がる前からスタミナは群を抜いており本格化すればそれは言わずもがな、3000m以上になれば向かう所敵なし、少なく見積もってもゴールドシップとほぼ同格かそれ以上の才能がある。

 形式ばったことばかり言ったが本質は喧しい中等部に変わりないし何か裏があると見た、ダービーの時なんか応援の時の掛け声が年季入ってんのよ彼女。阪神だか甲子園だかでよく見る類の声の出し方だよアレ。

 

さて。

 

「トレーナーさん、誰が勝つと思います?」

「まー、スズカが勝つだろうなぁ」

「ですね!」

「そう言い切られると、不満を覚えずにはいられませんが。我々メジロのウマ娘を舐めていると?」

「貶してるわけじゃないが、相手が悪い。あの2人は数年に一度の天才である事は認めるけど対抗するには20年に1人の天才がいるんだよ。恨むならスズカがいることを恨むんだな。

まあ今回は苦戦するだろうけど」

「その理由は一体......?」

「カノープスのステイゴールドがやばい目をしてるから。大分仕上がってる、ただ最初っから真面目にやれば勝てるってのに勿体ない」

「ゴールドさんは省エネがモットーと常日頃言ってますしね。あと生徒会のエアグルーヴさんもいます、負けてほしくはないですが勝てるんですか?」

「勝てる。今月の給料かけたっていい。それくらいスズカは今絶好調なんだ。今回も逃げ切るさ」

 

 目の前ではスタートを切ったウマ娘たち、その先頭にはもう既に緑の勝負服を着たサイレンススズカがいた。そのまま1コーナーに差し掛かる頃には後続に3バ身をつけて気持ちよく逃げはじめた。後続はスズカを捉えられそうなベストポジションをキープといった構え。

 

「あーあ、スズカを気持ちよく逃げさせたらもう捕まえられないよ。スズカを抑え込むには自分が先頭になってスズカを競り合いに付き合わせるしかないってのに。ま、それをやって勝てるウマ娘がどれだけいるかって話だけど」

「我々ではどうしようもないですかねぇ。付け焼き刃の逃げでは負けてしまいますし、私が勝った時はこの走り方を身につけてはいなかったですしね」

「正直背中に張り付くしか対策案がないんだな。スペシャルウィーク、もしかしたら戦うことになる相手だ、よーく見とけよ」

「はい!」

「聞きしに勝る速さですわね。『現役最速』の渾名は伊達ではないですか」

「我ながらどうやって勝ったんだかという話ですよ。まさに運が向いていたとしか思えませんね」

「それ」

 

 一度は破った相手とはいえあの頃のスズカは片手落ちもいいところ。フクキタルの怪我がなくても捉えられたか、勝負はやってみなくてはわからないけどイメージでは厳しいものがあるね。

 

「気持ちよく走るね、スズカは」

「とても楽しそうですね。走りからすでに楽しさが伝わってきますよ」

「ですね!」

 

 尻尾をブンブンと振って同意するスペシャルウィーク。同室ということもあり、小鴨のようにスズカの後ろをついて回る光景ももう見慣れたものだ。日本ダービーを勝った後はスズカと走りたい、と燃え尽きることなく新しい目標を立てて頑張っている。日本ダービーを勝って燃え尽きるウマ娘も多い中、モチベーションの保ち方が上手い。大成するウマ娘は総じて自分のモチベを保つのが上手いから、きっとスペもうまくいくだろう。

 

「っと、もう最終直線か。エアグルーヴは......2400なら届いたな」

 

 最終直線、内から突っ込んでくるステイゴールドを追い越さんばかりに大外から追い上げてくるエアグルーヴ。流石女帝と恐ろしい末脚で迫るがしかしその間合いはスズカを捉えるには遅すぎた。

 

『サイレンススズカ1着で今ゴールイン! 2着にはステイゴールド、女帝エアグルーヴは届かず3着!』

 

ほんと、恐ろしいウマ娘だこと。

 

「はい、練習行くよ。今日はストレッチメニューと体幹トレーニング、着替えてトレーニングルームに10分後に集合。飲み物も忘れないでね」

「「はーい」」

「わかりましたわ」

「そこの2人はこの真面目な返事を見習うように。トレーナーにはもう少し敬意を持って接して欲しいもんだよ」

「こないだ扇風機に向かってあーってずっと言っててそれは難しいですよトレーナーさん」

「ウッソあれ見てたのフクキタル!」

「いえ、ゴルシさんが動画を撮ってグループに投稿してましたので」

「ゴルシィ!」

 



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第6章 不屈の緋色『レッドキングダム』
第42話 いつか訪れるもの


 

 

「トレーナー、レース出してくれや! 1ヶ月も休んじゃなまっちまう!」

 

 7月も始まった頃、いつもの如くチーム室の扉を蹴破って一番乗りして来たのはレットキングダム。未勝利戦3回を5着、4着、11着と戦績は振るわないものの、腐ることもなく練習に励みハッスルしている。同期たるスペシャルウィークのダービー勝利に触発されたかそのハッスル度合いにも磨きがかかり、熱血キャラ程度がどこぞの熱血元テニスプロプレイヤーを彷彿とさせるほどに燃え上がっていた、なんだが......

 

「しばらくはレース出させないよ」

「ヴェ?! 斜行も審議も何もくらっちゃいないのにどーゆーことですトレーナーさぁん! テストだって順位は上から数えたほうが早いんですよ!」

「だって張り切りすぎなんだもん」

「なんと!」

 

 そう、ハッスルし過ぎなのである。身体付きを見る限り小柄ではあるが筋肉は十分、スペさながらに怪我には強いと見ていいだろう。しかし、短いスパンの出走が重なれば当然怪我をしやすくなる。5月は過密スケジュールだったし、何より今は自分を見つめ直す時だ。それに数撃ちゃ当たると言いながら沢山のレースに出すのは御法度だし、実力不相応の勝利になってしまう。

 

「次は8月頭の小倉未勝利戦かな。7月いっぱいはゆっくり身体と頭を鍛える! 合宿もあるしね」

「むむむ......トレーナーさんがいうなら間違いはないや! んで今日の練習は!」

「みんなが来てからだよ」

「ガッテン承知!」

 

 フンスフンスと鼻息荒く椅子に座ったはいいものの、ソワソワと落ち着きなく当たりを見渡したり背を伸ばしたり。見ているだけで疲れてしまうほど身体を動かしたくてたまらないらしい。

 

「......軽くランニングするくらいならいいよ。時間までに戻ってくれば何にも言わないから」

「いやっほう!」

 

 見かねて指示を出すと空いた窓から飛び出していきおった。うーん、やる気はあるんだが実力は伴わんねぇ......

 

「キングダムがすごい勢いで走って行ったけど」

「ああトレーナー。アイツソワソワし過ぎて見てらんないから走ってこいって言ったらあの様子なんだよ」

「はっはっは、気合は十分ってことだな」

 

 いつものように棒付きキャンディーを加えて笑ってたトレーナー、しかしその後すぐに真剣な表情になり、ひとつ、こう問いかけて来た。

 

「9月までだからな。伝えたのか?」

「授業でもやること。とはいえ、間に合うかどうか......」

 

 クラシック級の9月末といえばセントライト記念や神戸新聞杯、新潟記念に京成杯などのG2G3が目白押しだが、それより優先されるべき死活問題がある。

 

未勝利戦の期限、だ。

 

 ジュニア級6月からクラシック級8月末から9月頭までが未勝利戦を開催する期間と決まっている。要はこれまでに一勝すればレーディングを確保でき、それに則ったレースに出走できるようになるというわけだ。

 

......では勝てなかったらどうなるか、という話だ。

 

 G1に勝てる才能の持ち主は遅くとも2〜3戦で未勝利戦を抜ける。遅咲きと世間では言われるタマモクロスもメイクデビューは足踏みしたが未勝利戦は1戦で突破しているように、才能があれば片鱗さえ見せれば未勝利戦は抜けられるのだ。未勝利戦を抜けられないのは才能が足りない、それでも諦めきれないタチの悪いウマ娘達でその実力差は殆どない。皆同じだけ努力し、同じだけ結果がついてこないだけで知識やレース運びは重賞ウマ娘に劣らない。

 

未勝利戦を抜けられなかった場合、どの道に進むかについては大きく分けて3パターンある。

 

格上挑戦。1勝以上のレースに飛び込む。

よっぽど遅咲きの才能の持ち主か、怪我に泣いたウマ娘が選ぶ道だ。しかし、一歩間違えば茨の道、そもそも格が違うレースに挑むのだから、不利は否めない。

 

地方転籍。ローカールシリーズに場所を移す。

大井などの関東圏ローカールシリーズでは帝王賞などのURA主催重賞が開催されたり、中央との交流戦があったりと日が当たることもあるが、多くのローカルは環境も悪く、観客も少ないと聞く。

 

引退。レースの道を諦める。

退学し地元に戻る、普通科、サポート科に転科するなどでレースウマ娘としての道を断つ。学園に所属した生徒の多くはこの道を選ぶという。

 

 

 他にも色々ないことはないが、学校から多く示されるのはこの3つだ。諦めないか、場所を移すか、諦めるか。

 

 私は経緯は違うが3つ目の引退を選んだ。そんでもって今でも選択を後悔してるし、後悔してるからここにいる。だとしても、私は彼女に3つ目の選択肢を提示するだろう。彼女の実力でレースを続けることは地獄以外の何者でもない。トゥインクルシリーズは確かに花形だ。有記念ともなれば詰め掛ける人は15万人を超え、他のG1レースも最低でも7〜8万人を動員する一大エンターテイメント。G2、G3などの重賞でも出走ウマ娘によって動員人数はばらけるがそれでも3万人ほどが平均値といったところだ。

 

それ以下はどうだ。

オープン戦、条件戦、未勝利戦。

物好きや重度のオタクくらいしか足を運ばないこのレースの観客は日によっては1000人を下回る。それも殆どが次に控える重賞レースの観客で、モノのついでだ。

 

 レッドの実力なら主戦場はおそらくここになる。日の当たらない暗い陰で勝利を掴めず走り続けることの苦痛と恐怖は、想像を絶するものがある。

しかも同期にスペがいる。押しも押されぬ『最強世代』。

その下にもテイオー、マックイーン、スカーレットにウオッカにシャカール。彼女らの才能はG1勝利に絶対手が届くし、テイオー、シャカールに至っては三冠にも手が届くだろう。

 

それを間近に見続けて根が曲がらないわけがない。

心に影が差さないハズがない。

 

「あの明るい子には、明るいままでいて欲しいんですよ。悪いですけどこのチームは眩しすぎる」

「......伝えるんならちゃんと伝えろよ」

 

 ため息をついてそう答えたトレーナー。そういう時は大抵言いたいことがあるけど黙ってた方がいいだろうと思ってる。悪い癖だけど、いざ同じ立場になってみれば言えないことが多すぎるから何もいえない。

 

「トレーナーってしんどいっすね」

「そうか? 楽しいだろ」

「私は辛いことばっかりですよ」

「おはようございまーす!」

「戻りましたー! ふぃ、ざっと5キロは走ってきましたよう!」

 

 そのタイミングでスズカを連れたスペシャルウィークがドアを開け、汗だくのレッドキングダムが窓から戻ってきた。

 

「......お前なぁ」

「えへへ」

「お疲れ様ですトレーナーさん、今日の練習は!」

「今日は坂路、坂の練習だ。ダービーだけでモノにできてるわけじゃないからな、しっかり鍛えるぞ!」

「はいっ! 一緒に頑張ろうねレッドちゃん!」

「ガッテン承知!」

 

 打てば響くと言わんばかりに気合を入れればお互いおんなじようにグッと握り拳に力入れて気合を入れ直す。妬み嫉みとは無縁そうなバ鹿2人だことで......そのまま綺麗な君達でいてくれよ。

 

「シャカールから連絡だ。データ収集のために練習を休みます、ってまたか! はぁ、最近多いねぇ」

「シャカールは理論を組み立てないと走れないタイプだ。大目に見てやれ」

「それはそれ、これはこれですよ。内容をおしえてもらおうにもはぐらかされてばかりですし、信頼されてないんですかねぇ」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「いっくし!」

「おや、誰か噂してるのかい?」

「テメェの部屋が埃っぽいだけだろうが、換気しろ」

「掃除は苦手でねェ」

 

 同時刻、トレセン学園の空き教室の一室、もといアグネスタキオンが桐生院トレーナーの名声と権利を振りかざし合法的に占拠している研究室にエアシャカールはいた。薄暗い部屋で器具やら資料やらが積もりに積もったデスクの上で、部屋の主人と共にモニターひとつに顔を寄せ合っている。

 

「しかし、フンフン。君の行動力には舌を巻かざるを得ない。ただの思いつきをここまで具体的な行動に昇華出来るとは」

「疑問は解決するべきだと思っただけだ。ッチ、こいつもハズレだ」

「フゥン、年齢的にはそろそろアタリだと思うんだがね。20代〜30代の間、そう睨んでいるんだろう?」

「アァ、少なくとも沖野トレーナーの教え子だ。10年以内いや、もっと短ェのか?」

「なら卒業5年以内だな。となると......」

「これ?」

「ああ。ありがとうミーク君」

 

 資料の山からいくつかの冊子を抜き出してタキオンに手渡したハッピーミーク。目にクマを作りながら画面にかじりつく2人の共通の友人ではあるが、やっていることは知らされていない。

 

「何してるの?」

「ちょっと鏑木トレーナーの本名を突き止めようと思ってね?」

「トレーナーはトレーナーだよ?」

「どうにもウチのトレーナーはただの人間じゃ無ェと思ってな。使えるものはなんでも使う主義だ」

「これもハズレだね」

「チッ......」

 

 積み上がっているのは資料室から持ち出した卒業文集の山、卒業生の顔と名前が載っているそれを片っ端からスキャナにかけて鏑木トレーナーの顔写真と照合するという古き良きローラー戦法にてその名前をあらためようという作戦だ。そもそも卒業していなければ文集にも載らないために穴が多い、というのは2徹している彼女らの頭には無い。

 

「地方トレセン出身の可能性はあるかもしれないな」

「ああクソ、こんなだったらトレーナーの財布を改めておくんだった!」

「......」

 

 変なことしてるなぁ、なんて他人事のように思いながらもさりとてオフの日なので練習をしようとも思わないので、暇つぶしにハッピーミークは適当に積み上がっていた資料の上にあった本を開いていた。

 それはこの部屋に入り浸っていたエアシャカールがたまたま置いていった彼女の収集したデータが集まったスクラップブック。その中でも数々の三冠ウマ娘が走ったレースのデータをまとめたそれには、ミスターシービー、シンボリルドルフをはじめとする三冠ウマ娘のデータではなく同じレースに出走した面々の記録が残っている。とはいえダート路線に進むことになりそうな自分には無縁な話、と適当にページをめくっていて......

 

「......!」

 

 驚きのあまり耳と尻尾をピンと立たせたまんま椅子から転げ落ち、そのままノートを握りしめたまま部屋から飛び出していった。

 

その向かう先は自分のトレーナー、件の鏑木トレーナーと仲がいい、桐生院葵のところへ。



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第43話 勝利は何処

というわけでこの小説も40話突破ですよ。

先は長いねぇ


 

 

「......ダメかぁ」

 

小倉レース場第2R、クラシック級未勝利戦、ダート1700m。

天候曇、バ場状態不良。

レッドキングダム、16人中の10着。

後方待機策を取るも先行バ群を抜けられず、先行集団に追いつくどころか垂れてきた先行バに追いつきクビ差が精一杯。トップのウマ娘とは2秒半も離される屈辱的な2桁順位だった。

 位置取りは悪くない。コース取りはそれなり、レース運びは及第点か。不良バ場で脚が前に進まずタイムは刻みにくかった......としても、あがり39秒の末脚では追いつけるものは何もない。平均値だとしても、ここで求められるのはそれ以上だ。

 泥まみれ汗まみれで、若干アレンジの入って人一倍高く飛んでるキングダムがバックで踊るライブ風景を見ながら、私はいつ退学すべきだと伝えるか考えていた。現在学園も夏休みでスピカも合宿中。皆がいるところでは伝えにくいが遠征に1人出ている今は、絶好の機会のはずだ。

 

このレースが終わったら、伝えよう。

 

 ライブ終了後の控室。ノックしてから入ると、顔の汗をゴシゴシと拭うレッドがタオルを投げ捨ててこっちに駆け寄って笑った。

 

「トレーナー、ダメだった!」

「ダメだったねぇ......あとタオルは投げない。ものは大切に」

「はーい!」

 

 人一倍子供っぽく、人一倍騒がしい。威勢よく返事を返してタオルを拾いに戻る赤いメッシュのウマ娘にこれから酷いことをすると思うとやるせない。

 

「レッド......次のレースなんだけど」

「次が決まったんですか、いやっほう!」

 

 嬉しいのかぴょんぴょんと跳ね回るレッド。レースもライブもやったというのに元気なことだ。これだったらステイヤーにでもすれば良かったかもしれない。ま、3000mの未勝利戦なんてないので出すことは叶わないんだけどね。

 

「いやぁ違うんだ、実は」

「次は芝っすか、ダートっすか? なんでもいけますよ!

なんだったら中1週でもかまいやしません! じゃんじゃか走らせてください!」

 

ぶんぶんと腕を振り回して元気良さをアピールするレッドキングダム。だが、言わなくちゃならない、言わなくちゃ......

 

「未勝利戦に出るのはこれで終わり。日程はあるけど、休養の関係で出走登録はしない」

「なーんだそんなことっすか! で、次は?」

「次、次は......」

「9月っすか? 10月っすか? 決まってないなら正直に言ってくださいよもう!」

「......ああそうなんだ。ちょっと日程が組めてなくてな。暫くかかると思う、ごめんね」

「もったいぶった言い方するからもっと深刻なことかと思いましたよう! 今からならみんなの夏合宿にも間に合いますよね? よーし、頑張るぞー!」

 

 次こそかーつ! と勝利宣言をして拳を掲げる彼女をみて、私は乾いた笑いでこの場の空気を誤魔化すばかりだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「とまぁ、言えなかったわけで」

『アッハッハッハッハ!』

「笑うなよ!」

『ひー! こんなに愉快なことがあるかな、笑わずには言われないよ現役時代はあれほど他人に厳しかった君が甘々じゃあないかぁ!』

「ぐぬ......」

 

 後日、あの日の出来事を現役時代の同期に電話で漏らしたがまあ大笑いされた。電話先で笑い転げているらしくドタバタと物音がするくらい腹を抱えて転げ回っているらしい。

 

「大学生満喫してるアンタは社会人の辛さなんてわからないですよーだ」

『私だってバイトはしたさ。人が来すぎてすぐ辞めさせられるんだけどね、全く人気者ってのは辛いねぇ』

「自覚があるんなら手品師でもなったらどうさ」

『エンターテイナーになるのは否定しないよ』

「というか自分で稼いだ賞金だけで学費賄ってる化け物が何おバイトだなんてしてるわけさ。嫌味か?」

『暇だからだよ』

「こちとら汗水垂らして給料貰ってんのにくそがよぉ......」

『言葉遣いが汚い』

「だってトレーナーがクソとかバカとかアホとかいうわけにもいかないじゃん。ぶちまけられんのはアンタやルドルフくらいなもんなのさ」

『それは......褒めてるのかな?』

「貶したいけど褒めてるんだよ!」

『素直じゃないねぇ』

「うるさいやい」

 

 同級生で同時期にデビューしたもの同士、親友とまでは呼べないが心内を明かすには充分な仲だ。秘密を抱えて肩肘張ってる学園の立ち振る舞いは肩が凝るし、学園に来てから近況報告がてら愚痴を聞いてもらっている。

 

『それで、()()()()()()()()()()()()()

「......察しがいいのは嫌いだよ」

『なんとなく想像したまでさ』

 

 ふふんと自慢げに鼻を鳴らすのは相変わらずだ。もう少し心の準備をしたかったが、あと時のように言い出せないよりは幾分かマシだ。

 

「頼みがある。地方トレセンのツテは?」

『......フゥン、都落ちかい?』

「5戦0勝。でも本人は走りたがってる」

『適性は?』

「ダート芝は問わない。距離は1600以上、できれば1800は欲しい」

『......ならひとついいツテを知ってる。少し面白いことになると思うから先にキミを紹介しておくよ』

 

そして、アイツはこう言った。

 

『メイセイオペラ。彼女に会いに行くと良い』

「メイセイオペラ......名前からしてウマ娘だけど、どこの所属?」

『それは自分で探しなよ。じゃあね〜』

「あ、ちょっと!」

 

それだけ言って電話を切られた。

 

「......昔っからこうなんだから、もう」

 

気まぐれで気分屋、察しが良いがお人好しではない。友人にしておくにはやっぱりもう少し付き合いやすいヤツを選ぶべきかもしれない。

 

「メイセイオペラ、か」

 

 ウマホを適当に放ってベットに寝転び、天井を眺めながら口に出しても心当たりはない、見たことも聞いたこともない名前だ。地方から中央に来たウマ娘か、その逆の道を取った同級生か。いやでもクラスにそんな名前の子はいなかった。となると......ネットで調べてみるか。

 

「メイセイオペラ、検索っと......6月末の帝王賞に出てるのか」

 

 昔と比べて今は便利になったもので、レース動画が合法非合法に関わらずすぐに見られるようになったし、誰がどのレースに出走したかったのもわかる。現役時代にこれがあれば対戦相手調べるのにも苦労しなかったろうに。JCの時は海外ウマ娘のレースなんて見るのにしこたま手間がかかったんだからなまったくもう。

じゃなくて今は違う違う。メイセイオペラだメイセイオペラ。

 

パドックの動画を再生すると、画面に彼女の情報を表示しながら実況が説明をしてくれる。あー便利便利。

 

栗色の毛に大きな白い流星。目つきはスカーレットのような吊り目じゃなく、どちらかといえば人懐っこいスペシャルウィークに似ていた。しかし、その赤い目に宿る闘志は荒い画質からでも見えるほどに昂っていた。黄色いビビットカラーを基調とした着流しの上にカーキ色のマント姿と、簡素な勝負服がローカルらしいと言えばローカルらしい。

 

『4枠4番メイセイオペラ、岩手、水沢レース場所属。本日は7番人気です。主な勝ち鞍に東北ダービー、不来方(こずかた)賞......』

 

「岩手ローカルか。そんなところにもあるんだな」

 

 知識だけでは知っていたが、いざ言われてみないと実在を疑ってしまう。芝専門だったから私が行ったことがあるローカルレース場はカサマツくらいなものだし。

 

「レースの方は逃げ先行型。けどここじゃ差されて3着止まりか......ってインのつき方エグッ!? 内ラチギリギリも良いところじゃないかよくすり抜けたな!」

 

 顔を血塗れにしながらもニヒルに笑う1着ウマ娘は『南関東のエース』アブクマボーロ。2着はURA所属のバルトラインか。ローカルは荒っぽいレースが多いなぁ......

 

「まあ、アイツが言うんだしなぁ」

 

ろくでなしだが人を見る目は確かだ。

僻地まで行っても会いに行く価値は、ある。

 

 

 

 

 

 



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第44話 北の国から

 

 

 

 

 

『暫くよろしくお願いしますだなんて不穏な置き手紙を残すな!』

「トレーナーウマホ見ないから手紙の方が伝わるのが早いし。あ、レッドの出走登録お願いしますね。9月2週目のレート500下のやつです」

『わかったわかった。んで、今どこにいるんだ? みんな心配してるんだ、どこに居るかだけ教えてくれ』

「ああ、今盛岡駅です。そこからバスの乗り継ぎで」

『盛岡ァ?!』

「......色々ありまして。これから乗り継ぎですから切りますよ」

『わかった。んで、どこに行くんだ?』

「盛岡レース場へ」

 

 府中から電車を乗り継ぎ、新幹線に乗り換え、電車に揺られること3時間ほど。

都会の喧騒から遠く離れた東北の山奥。

そこに岩手ローカルシリーズ、盛岡レース場はある。

 

 

「中央とは大違いだ......」

 

 地方ではここ唯一だと言うダート、芝コース両方がある見慣れた風景だが、その背後や周囲に広がるのは建造物ではなく一面緑の山ばかり。周囲でかわされる言葉も訛りがひどくて聞き取りにくいし、焼き鳥も何故かやたらデカい。

 しかし、客入りについては今日ばかりは中央にも引けを取らないほどに熱気が立ち込めている。なにせ今日のメインレースはなんといっても名高いG1レース。それも話題のウマ娘が出走するとなれば尚更だ。

南部杯。正式名称を『マイルチャンピオンシップ南部杯』と言い、中央、地方の交流を目的に設置された地方G1のうちの一つであり、1着になったウマ娘には中央G1への出走権も与えられる格式あるレースだ。

 

そしてもう一つ。

『南関の帝王』アブクマポーロ『岩手の英雄』メイセイオペラ。この2人が出走することだ。

 第二のオグリキャップを発掘するために設置された今回の南部杯のような交流重賞。しかし現実を言えば上澄みと落ちこぼれ。オグリキャップのような奇跡はそう起きることもなく、開始当初は地の利を活かしたローカルらしい戦い方で何回か勝ちを拾うことがあれど、年が経てば研究が進み今では殆どがURA所属バが勝利を総なめにして()()。それに待ったをかけたのがこの2人と言うわけだ。昨年ごろから交流重賞に勝ち、そうでなくとも掲示板には残り地方の底力を見せつけたのがこの2人だ。地方中央の格差がだんだんと大きくなる中、地方所属ウマ娘として意地と根性を持ってして立ち向かい、勝鬨をあげた。

 

その2人の直接対決は何度かあった。

帝王賞とその前哨戦たる川崎記念ではアブクマポーロの勝利、場所はアブクマポーロのホームグラウンドたる大井と川崎での開催だった。しかし今度の対決はメイセイオペラのホームである盛岡レース場になる。

 

三度目の正直が叶うか、王者が実力を知らしめるか。

ローカルファンには堪らないことであると。

中央の『黄金世代』なんて比でもないほどに。

 

......と、言うのが移動中にローカルの記事を読みつつ自分なりに分析した結果だ。驚いたのは、デビュー年がちょうどフクキタルと全く同じことだった。何か良い話聞けるかもな。

 

「さて、そろそろ出走か」

 

3枠3番メイセイオペラ。

8枠12番アブクマポーロ。

 

『スタートしました、ハナを切ったのはトウヨウシアトル......』

 

 機材が古いのか、実況担当の喉の調子が悪いのか掠れた声で実況が始まった。

ゲートが開き出遅れはなく全員が一斉に飛び出した。バ群はまとまって長い向こう正面のストレートを進むが、内からいつのまにかメイセイオペラがひとり抜け出しハナを進んでいた。

 

「......」

 

そのまま3コーナーを回り最終コーナー。中央所属タイキシャーロックが競りかける中、一度も先頭を譲ることなく最終直線に入る。

 

驚くべきはその勝負勘と冷静さ。脚質は先行から逃げ、最終直線で突き放すタイプ。こういったタイプは先頭付近で競りかけられてしまうと焦ってペースを乱してしまうことが多々ある。また、後続を焦らせようとして自分がかえってペースを崩すこともしばしばだ。

しかし動じず、かと言って先頭を譲らない勝負根性と勘。

 

圧倒的ではなく、すぐにどこが優れているかと分かるものではないが、強い。彼女はそのまま後続を寄せ付けず、3バ身と突き放し1番にゴール板を駆け抜けた。

 

『メイセイオペラ。彼女に会いに行くと良い』

 

「......彼女に聞けと、言うことだろうか」

 

中央所属のトレーナーバッジ。

あまり悪用したくはないが、使えるものは使わせてもらおう。

 

「すみません、良いですか?」

「はぁ、どうなされたんです?」

 

 近くにいた初老かと思われるレース場係員に胸のバッジを見せ、こう言った。

 

「私、中央所属のトレーナーなのですが......メイセイオペラに会うことは可能でしょうか?」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ウイニングライブも終わりひと段落したところで、案内された控室の前に来た。なんだか緊張するな。なんてことはないただのウマ娘なんだからそこまで肩肘張らず気楽に気楽に。

 

「あどうも初めまして中央の方から来ました鏑木と言いますよろしくお願いしまへぶぅ?!」

「だ、大丈夫ですか?」

「なんたる失態......」

 

痛む鼻を抑えつつ差し伸べられた手を借りて立ち上がる。大の大人なのに緊張しちゃってもう。いつもと違うちゃんとした格好なのでしっかりと服についた汚れを払い帽子を直して、と。

 

「改めてご挨拶。中央所属トレーナーの鏑木です。よろしく」

「メイセイオペラです」

 

失礼だと思うが、握手をしながら彼女を観察する。中央で言えば今年でシニア級、と考えると成る程、身体付きは引けを取らないほどに仕上がっているか。トレーナーの腕がいいのか、彼女の生まれ持った才能か、おそらく後者だろう。中等部か高等部かと言われたら体格的に高等部か......?

 

「っと、トレーナーさんは?」

「取材中、すぐ来るって言ってました」

「じゃあ待たせてもらいましょうか。椅子お借りしますね」

 

よくあるパイプ椅子があったのでそれを出して座った。地方だけあってか控室といえばそこまで広くないし、鏡や荷物置き場の数からして何人かで共同で使っているのだろうか。またダート競争が多いからか、床も若干砂っぽい。

 

「......」

「......」

 

 というより、そんなことでも考えてないと沈黙が痛い。なにせこちらから『知り合いに会いに行けと言われて』といっても見ず知らずの他人だろうし、何よりずっとコッチを凝視するもんだからなんというか怖いんですよ。

 

「いやあすいません遅くなりましたぁ! と、何か......?」

「た、助かりました」

「何が......とは?」

「いえこちらの話ですなんでもありません!」

 

それはさておき。

 

「中央から来ました鏑木です」

「これはどうも、水沢所属の佐々木部です」

「いえいえそんな畏まらなくとも、私はまだトレーナー歴2年の新人ですから遠慮なさらず!」

 

深々と頭を下げられると困ってしまう、というか佐々木部?

確かトレーナーの名前は別だったはず、私のようにサブトレなのかな。

 

「あの、申し訳ないんですけど。彼女のメインのトレーナーは確か小寺さんという方とお聞きしてるんですがどちらにいらっしゃるのでしょうか。そちらからもいろいろと話を伺いたいのですけれど」

「小寺はいない」

「いない、今日はここにはいらっしゃらないと?」

「いえ、亡くなっているんです」

「それは、すみません」

 

辛いことを聞いてしまったと慌てて頭を下げると、佐々木部さんが慌てたように、

 

「いえ、もう1年以上前のことですし気にしないでください。それに東京の方からわざわざ観戦にいらしてくださったのでしょう、ありがとうございます」

「いえいえいえいえただ友人に勧められて! ローカルにすごいウマ娘がいると! 今回初めて直に観させてもらって実感しましたよ!」

「そうですか、それは良かったです」

 

それを言った途端に俯いてしまった佐々木部さん。とてつもなく深刻な顔をしているが、まさか。

 

「私スカウトじゃないですよ。メイセイオペラさんをどうこうというわけじゃなく本当に個人的な用事で」

「それは良かった......」

 

 安心したように胸を撫で下ろす佐々木部さん。やはりこれだけの戦績を残したウマ娘、中央移籍の声がいつかかるかと不安だったのだろう。オグリキャップの時は急な引き抜きだとか中央の暴挙だとか新聞で散々叩かれたし、そのイメージが強いのだろうて。あれは口下手だったルドルフが全部悪いし......

 

さて、本題だ。

 

「個人的というか、相談事があってという話なんです。

私の担当するウマ娘を地方に移籍させなければならないという状況にありまして、何かいい情報はないかと友人に聞いたところ『メイセイオペラ』彼女に会いに行けと、ということなんです」

「なるほど、つまり担当ウマ娘をこちらに移籍させて欲しいと言うことでしょうか?」

「まだ岩手トレセンの方は詳しくないのですが、ゆくゆくは」

 

 アイツは地方トレセンの例としてここを挙げたという可能性は絶対にない。交通の利便性だけでいえば南関東のどこかに移籍を勧めるはずだ。あそこは中央移籍を多く受け入れてるし、距離も近い。元クラスメイトと会いやすいということもありメンタルケアの面からも優れている。

 それを差し引いても、勧めた理由があるはずだ。アイツの言葉に間違いはない。昔のように頼ることにはなるのは癪だが、言葉は信じられる。

 

 「......いえ、彼女1人の担当で手一杯ということであれば他のトレーナーさんを紹介していただければ大丈夫ですので、何もそこまで悩まずとも」

 

 

 

 

「鏑木さん。それは少し難しいかもしれません」

 

 



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第45話 格差

感想99件。流行りの力ってスゲー......


 

 

「難しいってそんな、受け入れ自体は問題なくできるはずでしょう」

「ええ、受け入れることは簡単です。規則ですから......ですが、あまりお勧めはしません」

「それは一体なぜなんです?」

「......ユキノビジン、と言うウマ娘をご存知でしょうか?」

「ユキノビジン。数年前に騒がれた、確か岩手出身の」

「ええ。実は私の担当だったんですよ」

 

 あまり聞かない名前だが、新聞で騒がれたことは覚えている。デビューからジュニア級を岩手で過ごしクラシックから中央転籍。桜花賞、オークスでは2着に食い下がった重賞ウマ娘として......結局どうなったんだかは知らない。

 

「学園祭のたびに岩手の名物を売るからって張り切っていて、たまに連絡も来ています」

「そうなんですか。それで、彼女が何か?」

「......長い間、怪我で療養中なんです。レース後に骨折が判明して以来、1度も出走登録も行えていないと今の彼女の担当トレーナーから聞いています」

「は、はぁ」

 

相槌をうってはいるものの全くもって話が見えてこない。ユキノビジンと受け入れを勧めない理由になんの関連性があるのかさっぱりだ。

 

「元々頑丈な脚でないことは共有していましたし、中央で勝つのであればそれなりに代償を支払うことは覚悟していました。彼女も納得していますしもうすぐレースに復帰できると聞いています。

 

ですが、周りはそうは思いませんでした」

「......」

「中央では過酷なトレーニングがなされていると。その結果私達のユキノビジンは()()()()のだと」

「そんなことありません!」

「ですがここではそう思われているのです」

「っ......」

「中央の試験に落ちたウマ娘も少なからずいます。それはトレーナーも同じです。だからこそ中央に対する負の感情というのは少なからずありました。その結果ユキノビジンの怪我療養以降それが悪い方向に作用してしまい」

「今の現状があると」

「お恥ずかしながら」

 

 申し訳なさそうに頭を下げられてもどうしようもない。訳がわからない。中央も地方も同じくレースの舞台には変わりない。なのに、どうしてこうも......

 

「最近から行われている交流重賞の影響もあるかもしれません。中央所属のウマ娘たちが、今までは我々のものだったレースで勝利している......中央との実力格差に奮起するウマ娘も多いですが、ほとんどはあまり良い感情を持ってはいません。

我々の領域に土足で踏み込んでくるような行為だと、私自身思ったことはあります。

 

今はオペラや大井のアブクマポーロが活躍して収まりを見せてはいますが、そこに油を注ぎ込むような行為はやめておいた方がいいかと」

 

 中央と地方との格差というのは理解していたつもりだった。しかし、そこに薄暗い感情が付随しないはずがないというのは流石に私の想像力が足りなさすぎだ。

 

「......せめて、せめてウチの子の走りを見ては貰えませんか?」

 

 スマホを取り出し、この一言を絞り出すだけで、精一杯だった。

 

 折角だからという事で、山裾にあると言う盛岡トレセン学園の方に案内してもらうことになった。ここは水沢トレセン学園とも提携しており、お互い所属が違うとしても施設を利用できるそうだ。

 

「地方ですから、お互い助け合いです」

 

とは佐々木部トレーナーの言葉だ。

......どうして中央だけ学校がひとつなんだろうか。折角だから関東と関西で分ければ良いのにと思ってしまったが、トレーナー養成学校の方が関西だったな。色々あるんだろう。

 

「視聴覚室はこちらです。AV機器などはありますので、DVDなどがあればプロジェクターで見られますよ」

「すみませんウマホの映像なんですけど」

「あら、じゃあ対応してませんね」

「そろそろ賞金で新しいの寄付しようかな......」

 

 メイセイオペラが不満げにぼやくように、校内は年季が入っていて機材もまた同様に古臭い。来る途中に眺めていた練習風景も機材が古かったりサビの目立つ練習用発バ機は油の差しが悪いのか動きも悪かった。

 

「言い方は悪いですけど、設備かなりボロボロですね」

「買い換えるお金もないですからね。地方はどこも似たようなものですよ」

「は、はぁ......」

「映せないという事でしたら、大人しくウマホでみましょうか」

 

 諦めたように笑う佐々木部さんの言葉に従う事になりそうだ。ウマホの画面を横になるようにして佐々木部さんに見せようとすると。

 

「君も見るのかい?」

「中央のレースは見たことがない。楽しみだ」

「ええ......?」

 

 なんつー無頓着な。帝王賞だって中央勢の対策をするなら見るはずだし、そもそも中央開催のレースなんだぞ。向上心がないはずないのに中央のレースを見ないなんておかしい、という疑問は胸の内に秘めつつ画面を操作していく。

 

「とりあえず先日の未勝利戦。あとは5月のが2本ですね。先日のはダート1700。その前のが芝2200、2400です」

「両方走れるのか、すごいな。私は芝は苦手だ」

「バ場を苦にしないのはある種才能なんですけどね。中央でも芝専門のウマ娘は多いですから。あ、そろそろ流しますよ」

 

お互いほぼ何もいうこともなく、3本のレース動画を見終えた。時折ゼッケン何番が担当しているウマ娘である、とか3ハロンのタイムなどは伝えたが、佐々木部さんは何も言うこともなくジッとレース動画を見ていた。

 

「確かに実力としてはあまり目を見張るものはありませんね。ただ楽しそうに走るのは良いところです」

「でしょう? 終わった後も次のレースはいつだと催促してくれるかわいい子なんです。自慢の担当っ子ですよ」

「......そうですか」

 

 悩んでいる佐々木部さん。もしレッドが地方で走るとしたらどれくらいの位置にいるのか考えているのだろうか。私としては今日の南部杯は出走条件を満たしても出走するかは五分だな。メイセイオペラや中央勢に届く実力はない。

 

「佐々木部、取ろう」

「オペラが言うなら取ろうか」

「......はい?」

「レッドキングダムちゃん、ウチで預からせてください」

「はいい?!」

 

急転直下、天地鳴動。

 

シンボリルドルフがいたのならそんなこと言うんだろうなあ、なんて意味不明なことしか思い浮かばなかった。



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第46話 ターニングポイント

 

 

 

「話が二転三転としすぎです佐々木部さん。来るなと言われたり来てくれと言われたり、結局どっちなんですか」

「こちらも態度をコロコロと変えてしまっているようで申し訳ないです。ですが、オペラが言うなら間違いはありませんよ」

「メイセイオペラが?」

「ええ」

「スゴイだろう」

 

 ふふんと少し自慢げに胸を張るオペラの頭を撫でながら、佐々木部さんは話し始めた。

 

「彼女にはトレーナーとしての才能があるんです。我々のように何をどう鍛えたらいいか、と言うのは別ですがね」

「才能、ですか」

「ええ。わかりやすく言えば『観察眼』、それが非常に優れているらしいんです。先代が彼女を見出したのもその目を見抜いたからなんですよ」

「観察眼......」

「何か?」

「今日のレース運びが上手かったので。これで腑に落ちました」

 

 観察眼がどれほどのものというわけでもないが、ウマ娘の観察眼といえば同じレースを走るウマ娘の様子からその力量、スタミナ残量やクセを推し量ることができることを指す。トレーナーもウマ娘の走りを見てその癖やスタイル、スタミナ量を見極めるわけだから確かに才能があると言ってもいい。優秀なウマ娘が優秀なトレーナーになるとは限らないが、優秀なトレーナーであれば優秀なウマ娘にはなれるだろう。メイセイオペラはトレーナーの資質があり──それ以上に幸運な事に競走バとしての才能がある。

 

「といっても、この子の場合才能のあるなしはわかるんですけどどこにどんなものがあるのか伝えるのが苦手でして」

「才能はあるぞ、ぴょんぴょんするところだ」

「確かに普段ぴょんぴょんしてますけど」

「たくさんとぶといい」

「たくさん......?」

 

ダンサーか何かになれというのだろうか。確かにダンスは上手いが、言いたいことがさっぱりとわからない。

 

「オペラの言うことはともかく、盛岡の方は地方では珍しく芝コースもありますし、他所と比べて砂も深いですからパワーもつきます。高低差も高い方ですから、レースで身体を鍛えるにはもってこいですよ」

「確かに、地方レース場の殆どが高低差が低い若しくはほぼ無いと聞きます。砂についてはダートは聞き齧ったくらいですから分かりませんが、所属するトレーナーがそう仰るなら間違いはありません」

 

佐々木部さんの言葉に頷いた。

本当なら勝つ方が望ましい。トレーナーなら、勝って欲しいと願うのが正しいんだろう。

けど、レッドの将来を考えるなら、ここがいい。

負けてもあの子が諦めないなら、勝利のための転機は必ずここにある。

ここに決めよう。

 

「うちの子を、レッドキングダムを、よろしくお願いします」

「......お力になれたようで何よりです」

 

佐々木部さんの差し出した手を、握り返す。

この握手はレッドのトレセン学園での終わりを意味している。次走は決まっているが、それに関わらず私はレッドを地方に送るつもりだ。残酷だと言われてしまうかもしれない。けど、これが最善の選択だったと胸を張るのがトレーナーとしての役目だ。

 

そう、そうであるべきなのに。

 

「......本当なら、本当なら地方に、行かせたくはなかったんです。ずっと、最後まで一緒に走っていたかったんです」

 

胸が締め付けられる。

フクキタルに憧れて、彼女を育てた私を信じてついてきたあの子になんて残酷なことをしているのか。そんなことをさせてしまう自分が、情けない。G1を2つも勝って、トレーナーとしてもG1を獲得して栄光を手に入れたのに。

 

担当ウマ娘を怪我で将来を棒に振らせて、もうひとりは地方転籍を強いることになった。

 

「何より、スターに、勝利に憧れていたあの子に、1着を一度も取らせてやれなかった自分が、情けないです......!」

 

私はトレーナー失格だ。

 

それでも。

 

それでも前を向くことの大切さを、私は知っている。

 

唇を噛み締め、もう一方の手を握りしめる。

 

「お願いが、あります。あの子に1着を、取らせてあげてください。トレーナー失格の、情けない私の代わりに......!」

「トレーナー失格じゃないぞ、鏑木。私たちの事をこんなに想ってくれるトレーナーはいない。小野には劣るけど、いいトレーナーになれる」

「特にその思いを本人にちゃんと言えないあたりが駄目ですかね」

「......精進、します!」

 

涙は流れなかった。不器用なウマ娘が、不器用なりに私の背中を叩いてくれたから。

 

「......ありがとう、メイセイオペラ。それに佐々木部トレーナーも、ありがとうございます。

中央所属の新米トレーナーですが、何かあったら力になります」

「トレーナーは助け合いですよ」

「ウマ娘も、だぞ。ところで......」

 

 メイセイオペラは私の方、ちょうどお尻をあたり指さしてこう言った。

 

「尻尾が出ているが、隠さなくてもいいのか?」

「あ」

 

 お尻を触り、ふさふさでサラサラな毛がある事をしっかりと目視でも確認して、ゆっくりと振り向く。

......もしかして、最初っから全部?

 

「そうだぞ。ついでにいうとレース終わりからずっとだ」

「や、やらかしたっ!!!!!!!こっここのことは他言無用でお願いしますなんでもしますから!」

「アッハッハ、そこまで隠さなくても」

「私にとっては死活問題というか隠し通したいことなんですっ!」

「ウマ娘でもトレーナーになれるんだな」

「試験に通れば誰だってなれるよっ!」

「それはいい事を聞いた」

 

フンフンとうろ覚えの歌を口ずさむメイセイオペラ。やっぱり強いウマ娘というのは、どこかぬけているものなのだろうか......

 

 

「へぷちっ」

「会長、どうされました?」

「すまない、少しクシャミが......」

「えー! 会長風邪ひいたの!?」

「テイオー貴様どこに隠れているんだッ! そこは天井裏だぞ!」

「だって机の下だとすぐつまみ出されるんだもん。ここなら追いつかれないもんねー」

「この、貴様っ! ブライアン脚立を持ってこい!」

「放っておけばいいだろう」

「そういう問題ではないのだっ!」

 

 

 




と、言うわけで岩手編始まるよ


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第47話 前夜祭

 

 

 

 9月といえば秋のレースシーズンの始まる時期ではあるが、それとは別に学園は浮かれ気分でソワソワし出す生徒が増える。主要なG1レースはないが、とっておきのビッグイベント......ファン感謝祭、もとい学園祭があるんだから当然だ。年に2回の羽目を大外しできるハレの日ともなればそれはもう大いに盛り上がる。

 昔といえば学生身分ではお化け屋敷や簡単なカフェやらの模擬店舗くらいが精一杯だったが、理事長の代替わりから大きく様変わりしたようで、ライブだったり寄席だったりと学生主導のイベントごとも増えているらしい。去年がフクキタルのレースで忙しくすっぽかしてしまったもんだから私としては学園に来てから実質初参加。レッドのレースを抱えてはいるが日程には余裕があるため、息抜きにはちょうどいい。

 

と、思っていたんだが、トレーナーはトレーナーで学園職員としてこき使われるようで、学生よろしく一日中遊び倒すことは叶わないらしい。それも学祭の準備期間も含めて、だ。

 

「占い屋台......?」

「はい、占い小屋を開こうと思いまして!」

「ふーん」

 

 フクキタルからこのような申請書を受け取った。書類としてはトレーナーがいなければ担任、いるのであればその担当トレーナーに申請書を書くらしい。

 

占い小屋。要は道ゆく人を占うということ。申請書曰くお金は取らないが差し入れは大歓迎、お菓子や屋台ご飯程度なら違法な金策にも引っかかることはあるまい、規約の許容範囲だろう。小屋についてはよく使われる木製フレームの組み立て式。組み立ては学園貸し出しの機材を借りる予定でもう手元にあるらしい。

 

「んで、助手役にはメイショウドトウさん......中等部の子なのか。親戚か何か?」

「この間駅で犬のリードにぐるぐる巻きになっているところを見かけまして、制服姿でしたし何かの縁と思って助けたのです。それ以来何かと仲良くさせてもらっているのですよ」

「犬のリードにぐるぐる巻き」

 

 どうしたらそうなる、と思わずツッコミを入れたくなった。というかそんなに鈍臭い子がレースとは、全くもって先が思いやられる。

 

「んで、助手役に彼女を指名したと」

「シャカールさんやスカーレットさんに助手を頼もうかと思ったのですけど、あの様子では頼むに頼めませんよ」

「シャカールはオカルト否定派だし、スカーレットはウオッカと勝負するだろうしなぁ......」

 

『ああん? ンなもん興味無ェよ。占いなんてオカルトあり得ないな』

『スカーレット! どっちが全部の出店回るの速いか勝負しようぜ!』

『やってやろうじゃないの!』

 

 断られる光景が容易に想像できる。うーん、うちのチームにお淑やかとか親切さを求めるのは酷だったか。

 

「ん? マックイーンやテイオー、スペはダメなのかい?」

「彼女たちは学祭は初めてでしょう?なら、存分に遊ばせてあげましょうよ。それくらいの気遣いはできます」

 

 特にスペシャルウィークさんはレース(京都新聞杯)も控えてますしね、と付け加えた。となると思い当たるのはあと1人。

 

「レッドは?」

「ブレイクダンス選手権に出るからって断られちゃいましたよ」

「ブレイクダンス選手権か、見に行くとするか」

「おうサブトレ味見してくんな! フクも食えよ!」

「あいよー。んー、かなり濃いな、もう少し薄味でもいい気がするが」

「そうですか? かなり薄味ですけど」

「さてはしっかり混ざってないな?」

「がーん! やっぱいつもの鉄板と勝手が違うか、あんがとな!」

 

 両手にコテを持って風のように去ってしまったゴールドシップ。彼女も出店するらしいな。焼きそばといえば祭りでは鉄板なだけに競合が多いだろうが、果たしてどうなることやら。

 

 

そして学園祭当日の朝。

 

「ゴルシ、キャベツ3箱、にんじん10箱、もやし5箱でいいな?」

「そこ置いといてくれ!」

「次は......おーい、そこのイカとにんじん焼屋台の責任者は」

「はーい!」

 

 私は台車を押しながら、野菜を配り歩いていた。学園側に発注した野菜を屋台ごとに振り分ける大事なお仕事。前日仕込みが普通だろうが、寮生活ではなかなか難しく、朝7時頃には仕込み開始とだけあってこの忙しさだ。これ人間のトレーナーだったらしこたま大変だろうなぁ。私は往復数も少なくて済むけど、数百キロ分の野菜なんて簡単に運べるとは思えない。

 

「んでこの紅生姜とソースと鰹節ははたこ焼き屋台と。置いとくよ」

「おおきに! 今日は売り捌くデェ!」

 

 凄い勢いでネギの微塵切りを披露する芦毛のウマ娘のいる屋台には紅生姜を置いてゆき、

 

「カノープスは手堅く焼き鳥か。ネギ2箱お待ち」

「楽しさ最優先ってことで」

「一流の焼き鳥を焼いてあげるわ!」

「じゃあ昼ごろに来ることにしようかな、期待してるよ」

 

ナイスネイチャとキングヘイローにいる屋台にはネギを手渡し。

 

「なんかひとつだけ屋台の方向性が違うねぇ。これ動かすタイプじゃん」

「屋台って全部がこうじゃないんですか?」

「世間知らずのお嬢様なんだよ。もやし2箱、キクラゲ1箱、紅生姜は4パック」

「あいよ......ふむ、スープの香りから察するに豚骨か」

「こっちの方が回転率がいいからな」

「お疲れでしょうしご馳走しますよ!」

 

 ふんす、と胸を張っているのはシャカールと同室のファインモーション。前掛けと手ぬぐいと黒いTシャツがよく似合うが、シャカールがつけるとチャラチャラしたバイトに見える。

 

「アアン? 真面目にやるよ。手ェ抜いて非効率なのは気持ち悪りィからな」

「あら、バレてた?」

「顔に出てるぜ、トレーナーって熱ゥ!」

 

 手伝いだろうシャカールに湯切りで思いっきり熱湯を引っ掛けたあたり、一人で運営してたら見てる分にも不安になろう。 不注意を問いただすお説教タイムに入ったシャカールには手を振ってその場を後にした。仲良きことは羨ましかな。

 

「これで配達物は全部と。あとは暇だな」

 

折角だし、トレーナー室で昼過ぎまで仮眠と洒落込むか。ブレイクダンス選手権は午後からだし、トレーナー室でゆっくりとしたいところだ。と蹴伸びをしていたら、誰かの気配を背中に感じた。振り向いてみれば、予想通りの人物だったわけだが。

 

「朝から精が出るな」

「仕事振っておいてそれ言う? ってなにそのカッコ」

「執事喫茶というやつだ。どう見えるかな、お嬢様」

「......怖気がする」

「酷い言い草だな」

 

 眉尻を下げて笑うシンボリルドルフ。その格好はタキシードと見慣れないもので、思わず皮肉混じりに答えたくなるほどには似合っていた。そもそも凛々しい顔立ちのルドルフは女性人気が高く男装姿がよく似合うだろうとは思っていた。いつもは流している髪をしっかりと纏めてしまえば宝塚で見るような男装の麗人の出来上がりだ。

 

「執事喫茶ねぇ。ウチはテンでバラバラ、チームでは何もするつもりはないらしいよ」

「スピカの特徴は自由奔放。君の所属するチームらしいよ」

「問題児集団の集まりって言いたい訳?」

「ははっ、そう言い換えることも不可能ではないな」

 

 軽く笑ってから彼女はあたりを見渡した。朝だというのに多くのウマ娘が走り回っている。中には眠そうに目を擦っているウマ娘もいるが誰も彼も。

 

「わくわくしてるな」

「ああ。願わくばこの時間がずっと続けばと願わずにはいられない」

「......案外、子供っぽい事を言うんだな」

「大人になり過ぎると疲れるんだ」

「だろうな」

 

 理想を語るときは実現可能かどうかをまず考え、小難しい理論を並べて現実的かどうかを悲観し、立ちはだかる障害は突破できるかどうかを恐れて立ち向かう事をしない。

 

大人になってしまうと、ひどくレースに向かない。

 

「昔の頭がイカれたくらいにギラギラした方が好きだったよ。SDTのあのヘニャヘニャした走りっぷりはなにさ」

「今の全力を尽くしたつもりだったのだがな。しかしあれほどレースに熱中できた時期はない。皆には悪いが、あの時の君の方が強かったと思うくらいだ」

「かの皇帝様が酷い言い草だねえ。先輩方もいたってのに」

「タイム的には比較して遅かったのは認めるところだ、だがあの気迫を忘れることなど出来ない」

「ボコボコにしたくせによく言う」

「実力伯仲のレースだったと記憶している」

「褒め方が下手だねぇ。トレーナー向いてないよ」

「お互い様だろう?」

「んだとこの」

「自覚がないからタチが悪いな、ハッハッハ」

 

 高笑いするルドルフに思わずため息が出る。いつも達観している様はあいつとそっくりだがルドルフのは可愛げがないし笑いのツボがよくわからん。

 

「独りよがりは君の悪い癖じゃないか。直した方がいいと思うぞ、ではな」

 

 ルドルフは言うだけ言って私に背中を向けた。遠くからは焦ったようにかけてくるエアグルーヴの姿が見える。オイオイ、こんな話をするためだけに抜け出してきたってわけなのかい。

 

「よくわからんねぇ......」

 

さて、あと3時間もすれば開場だ。朝早かったし、トレーナー室で仮眠でも取るとするかね。

 

 

 

 



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第48話 貴方に名誉を

今日は少しだけ長いです。


 

 

 

「スズカさんスズカさん、一緒にまわりましょう!」

「そうね。でも先にこっちからいった方が効率がいいわ」

「行くわよウオッカ!」

「おう、どっちが速く回れるか勝負だぜ!」

「んじゃマックイーンは借りてくからな」

「ちょっと、わたくしはチームの皆さんと一緒に回るんですのよ〜!」

「じゃあ僕はカイチョーのところに行こうっと」

「ハメ外しすぎんなよ〜」

 

 三者三様、予想通りというべきかなんというか。手を取り合い、いがみ合い、連行されたりとテンでバラバラに学園祭の舞台へ散っていくスピカの面々。

 

「さあて、私はどうしようかな」

 

 リギルの執事喫茶を冷やかしに行くのもいいし、屋台に行って腹ごしらえをするのも悪くない、始まってすぐはイベントも少ないしそれまでは展示を回って時間を潰すのもいいだろうか。と、歩き出そうとしたところで、

 

「さあ、どこに行くっすかトレーナー!」

「おやぁ?」

 

レッドがフンスフンスと鼻息荒く、財布を握りしめてこちらを見ていた。

 

「焼きそばにお好み焼き、たこ焼きイカ焼きにんじん焼き、スイーツにはたい焼きにカステラにクレープも、よりどりみどりっすよ! 何を食べましょう!」

「スペちゃんとかと回らなくていいのかい?」

「トレーナーさんと回りたいっす!」

「......しょうがないなぁ」

 

 キラキラとした目で、ワクワクしたようの両手と財布を握りしめ、嬉しそうに尻尾を振って耳をピコピコと動かして。そこまでいうなら仕方ない。学生に戻ったみたいに、私も祭りを楽しんでみるとするか。

 

『あそこの屋台に飛び入りで参加しようよ、ーーー』

『何故作る側に......?』

『作りたい気分なのさ』

『あ、ちょっと!』

 

「いい焼き鳥の屋台があるよ。カノープスがやってるんだ」

「じゃあまずはそこに行きましょう!」

 

 ひさしぶりの学園祭は騒がしい奴と2人で、なるほど昔に戻ったようで退屈することはなさそうだ。

 

「やあネイチャ、オススメは」

「おやスピカの。お客さんソイツはタダじゃあ教えられないねぇ」

「ふむ、じゃあねぎま4本で手を打とうじゃあないか」

「毎度あり。実はとり軟骨のいいのが手に入りまして。トレセン最寄り商店街精肉店のお墨付きってやつなんですよ」

「じゃあソイツを2本......塩で」

「毎度あり」

「「へっへっへっへ」」

「何してるんだろ」

「さぁ? 庶民のやりとりはよくわからないわ。とりあえずねぎま4本、軟骨が2本で......700円かしら」

「はーい」

 

 ちょっと焦げたネギと、こんがりと焼けた鳥もも肉。そして程よく効いた塩味とコリコリとした軟骨の食感を楽しみ、

 

「ヘイヘイ大盛況だねぇ。たこ焼き1つ」

「おお、今朝のトレーナーはんやんけ、ひとつとは言わず2つ買うてくれや!」

「うーん、そこまでいうなら仕方ないなぁ。もうひとつ」

「毎度! 無茶聞いてくれたし、そこの腹ぺこウマ娘に免じてオマケつけといたるわ!」

「やったぁ!」

 

 葦毛のウマ娘が焼いた外はこんがり、中はトロッと半熟で大ぶりなタコが入ったアツアツの関西風なたこ焼きに舌鼓を打ち、

 

「ヘイおきゃくさーん、どうしましょう!」

「ファイン先輩ちっす麺固め大盛りチャーシューマシマシ紅生姜抜きで!」

「忙しい時に面倒な注文を......!」

「じゃあ私も同じやつで。紅生姜は抜かなくていいよ」

「ふざけんなよクソトレーナーっ!」

「お客さんにそんなこと言わないの、めっ」

 

 昔ながらの移動式屋台で、趣味でラーメンを極め始めた異国のお嬢様(ファインモーション)こだわりの豚骨ラーメンをお行儀悪くスープの一滴まで飲み干し、

 

「ここまで会ったが100年目、今日が年貢の納め時ぞゴルシ大名、このトレーナーバッジが目に入らぬカァ!」

「そうは問屋が下さねぇ! 啖呵が切れるんならこのゴルシ屋の焼きそばを食ってからにしなぁ!」

「じゃあ焼きそば2つ!」

「あいよぉ800円!」

「千円からぁ!」

「テンション高いねトレーナーさん」

「訳の分からないノリが伝染してますわ......」

「マックイーン、早くお釣り出せよ」

「急に正気に戻らないでくれます?!」

 

 ゴルシのところに行って無駄な寸劇を披露しつつ焼きそばを食べた。助っ人の手伝いもあってかソースもムラにならず、具と麺にしっかりとソースが染み込んだ食べ応えのある古風な焼きそばに仕上がっていた。学祭では滅多にお目にかかれないぐらいの仕上がり具合だが、日頃から焼きそばを焼いてるゴルシには朝飯前ってか? 確かに。

そこからいくつかの屋台をめぐりって甘味やジャンクフードを食べ、高知と岩手で張り合うよくわからない地方物産展を冷やかしに行ったり、大食い選手権を見て葦毛の怪物の本気を見て恐れ慄いた。どこにあんなに入るんだマジで。

 そうこうしているうちにお昼ごろ、一般の人たちも増えてきたところで時計を見たレッドがいそいそと手に持っていた食べ物を片し始めた。ぽいぽいと持っていたスチロール容器の中身を流し込み、買っていたお茶で一気に飲み込む。

 

「ダンス大会の準備とかあるんでここで!」

「応援に行くからね」

「だったら百万バリキっすよ! 目指せテッペン!」

 

 デザートのチュロスを齧りながら器用に人の間を抜けて走っていってしまった。レースでやってくれれば、勝てたかもしれないというのは悪い癖かな。

 

「さて、フクキタルの占い部屋でも寄ってくか」

 

確か近所だし。

マップを思い浮かべつつ歩けばすぐだった。

 

『表はあっても占い』と書かれた手書き看板。怪しげな濃紺の垂れ幕で仕切られた小屋と布で仕切られた出入り口から漏れ出す仄かにオレンジ色を帯びた光。なんともセンスが古いというかおどろおどろしいというか、私なら進んで踏み入ったりはしない。

 

......その割には、ちょっと繁盛しているらしい。何人かの生徒やお客さんがが嬉しそうに話したりしながら小屋から出てくるのをみかけた。

 

「次の方どうぞ」

 

自信がなくて少し小さな声が小屋の中から聞こえた。フクキタルの声じゃないから件のメイショウドトウさんだろう。

 

「じゃ、お邪魔するよ」

「ようこそ、マチカネフクキタルの占い小屋へもぎゃーっ!?」

「ど、どうしました?」

「久しぶりに聞いたな、フクキタルのとんちきな悲鳴」

「うう、来るなら言ってくださいよう......」

 

 驚いてどんがらがっしゃんと椅子ごとひっくり返ったフクキタルが立ち上がって座り直した。机には蝋燭を模したランプとチーム室でよく見た水晶玉やカードなどの占い道具が並んでいる。

 

「どうも、メイショウドトウさん」

「紹介しましょう、私のトレーナーさんですっ!」

「ど、どうも〜。メイショウドトウです〜」

 

 猫背で自信なく腕を身体の前で抱いているウマ娘。中等部の割には体つきはがっしりしているが、体格と走れるかどうかはアテにならないのはよく知っている。......にしてもでかいなぁ、スカーレットといい年齢詐称な中等部め。

 

「と、ご用件はなんでしょう? 差し入れは大歓迎ですよ」

「占い以外にある?」

「......何を占いましょう」

「将来について。それと、今後の運勢も頼むよ」

「では、こちらですね。占ってしんぜましょう」

 

フクキタルはタロットカードを手に取り、裏向きのまま無造作に広げた。

 

「しっかりと混ぜてください。カードの上下もしっかりと入れ替わるように、手に念を込めながら」

 

いう通りにゆっくりとカードを混ぜる。しばらくしたところでやめると、フクキタルがカードを揃えて山札にした。

 

「では、占いましょう。トレーナーさんの将来と運勢。絞った方が正確になります。どれくらいの期間を?」

「じゃあ、ここ1年で」

「わかりました」

 

では、とフクキタルがタロットカードを捲った。

 

(ストレングス)の正位置」

(タワー)の逆位置」

隠者(ハーミット)の逆位置」

正義(ジャスティス)の逆位置」

 

「そして──運命の輪(ホイールオブフォーチュン)、正位置」

 

意味はわからないが、フクキタルの表情を察するにあまり良い運勢ではなさそうだ。

 

「力の正位置。これは有言実行を求められる、強い決断を迫られるという意味になります。

 大きな決断をする時が来るでしょう。

 

塔の逆位置。何かがダメになる、という予感があるならそれは現実になるでしょう。緊張感を保たなければいけない日々が続きます。

 これには崩壊という意味も含まれていますから、何かが砕け散ってしまう、のかもしれません。

 

隠者の逆位置。誰かと胸の内を共有したい、感情を分かち合いたいと思っていますが、それよりも孤独を選ぼうとするでしょう。また好きだという気持ちを認められないかもしれません。

......独りよがりにならず、誰かを頼るべきでしょう。

 

正義の逆位置。客観的に状況を見られなくなってしまう時が来るでしょう。だからといって真剣に向き合えば余裕を失います。

二兎追うものは一兎も得ず。選択を中途半端にしてはいけません。

 

そして、最後の一枚。

これは今までのものを総括した、あなたの運命を示します。

 

運命の輪の正位置。これは大きな変化を表すものです。問題を抱えているなら、それを解決する大きなチャンスとなります。

しかし、それは一度きりです。機会は逃さぬように。

 

 

総括すると、何か大きな決断を迫られると思います。

それは貴方自身の決断であり周囲もまた同じです。

ゆめゆめ間違えることないように。後悔のない選択を」

「す、救いは〜? 救いはないんですか〜?」

「ありません。こればかりは、貴方自身が決断すべきことです」

 

いつのまにか伏せていた顔がゆらりとこちらを向いた。

光ない瞳が、こちらを覗き込んでくる。

 

「悔いなき選択を。貴方の過去とも、向き合ってください」

 

彼女が一枚引いて見せたのは『皇帝(エンペラー)』のカード。それが意味するもの、その誰かは私が一番よくわかっている。

 

「そうかい」

「っと、すみません。少し眠くなってしまって......おや、占いはしっかり出来ていたようですね!」

 

そう言ったがげ、と思わずカエルが潰れたような声。

 

「前向きなものが全くありません! お祓いにいきましょうトレーナーさん!」

「いや、大丈夫」

「とりあえずこの塩味フライドポテトでも!」

「もが」

 

 机の下からフライドポテトを引っ張り出し私の口に押し込んできた。塩が振ってあるから塩撒いているのと一緒とでも思っているんだろうか。

 

「もがもが......食べ物を粗末にしない。あと、占い結果については私がよくわかってるよ」

「で、ですがこのような占い結果を見た事は初めてです。悪いようなことを予感するカードばかりですが、関連づけてしまうと幸運なものとは......」

「心当たりしかないね。元から予想できてたことだし、腹がくくれたよ」

 

 私はジャージについた食べカスを払い、立ち上がろうと机に手をついた。

 

「じゃ」

「待ってくださいトレーナーさん!」

 

その手を、フクキタルががっちりと掴む。

 

「......私を置いてどこかに行ったりなんか、しませんよね?」

 

星のような形の虹彩がこちらをじっと見つめて、揺れていた。

 

『君も私を置いていくのか、私を独りにするのか!』

 

その瞳は、昔の誰かとよく似ていて。

 

『......すまない』

「そんなことは絶対にしない」

 

後悔は、もう沢山だ。

 

「最後まで見届ける。必ず」

 

見届けるのも、見送るのも。最後までやり遂げてみせる。

それがどんな結末になっても。

 

「それが、トレーナーってもんさ」

 

私は決意を示すように、帽子を深く被り直した。

 

「んじゃ、レッドの応援行ってくるよ。ゆっくり行っても間に合うけど、どうする?」

「可愛い後輩の晴れ舞台です、是非行きましょう! ドトウも行きますか?」

「お、お供しますぅ〜」

「いいね。じゃ、せっかくだし奢ってあげよう」

「おお、思わぬ幸運が転がり込んできました! これもシラオキ様のおかげ?」

「だといいですねぇ〜」

 

 

 

屋台で時間を潰しつつ、特設ステージへ足を運んだ。

 

 ウイニングライブ会場は狭いが、大きな舞台でブレイクダンスを披露するレッドキングダム。キレキレのダンスを披露しながら、楽しそうに飛び跳ねる彼女の姿はレースの時よりも輝いて見えた。

 

 審査員(リギルのオペラオーやフジキセキ)による厳正な審査の結果、優勝ということで安っぽいトロフィーを貰っていた。それを抱えて涙を流して喜ぶ姿を見て思わずにはいられない。

 

 もし、これがレース場であったのならば。

 あれが重賞トロフィーだったならば。

 

......結局、この夢が叶うことは無かった。

 

少なくとも、私の手では。

 

 

 



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第49話 去りゆくものに贈り物を

 

 

 

『成績通知書 競走Aクラス レッドキングダム

 

 1/23 メイクデビュー戦     京都 芝2000m 4着

 2/19 クラシック級未勝利戦   同  芝2000m 5着

 5/5 同            同  芝2400m 4着

 5/26 同            同  芝2200m 11着

 8/11 同            小倉 ダ1700m 10着

 9/23 クラシック級以上1勝クラス 阪神 芝1700m 3着

 9/27 同            阪神 芝2400m 8着

 中央成績 7戦0勝

 

成績不振によりレッドキングダムを競走クラスから除籍。

岩手ウマ娘盛岡トレーニングセンター学園に転校とする。

 

トレセン学園 理事長 秋川やよい

       担当トレーナー 鏑木 (ハジメ)

       生徒会長 シンボリルドルフ』

 

 

 

 

「残念至極この上ない。君が育てたウマ娘が卒業を待たずこのような形で学園を去ることになってしまうとは」

「こんな書類にも目を通しているとは思わなかった、随分と仕事熱心なんだな」

「半ば義務感のようなものだ」

 

 華やかな女子校らしい香りとウマ娘らしい汗臭さと芝と土の香りが同居する学園ではほとんど縁のないであろう、生徒会室独特の革とインクの香り。華美な装飾とは無縁なこの部屋で私はシンボリルドルフと2人きりで向き合っていた。珍しく眼鏡なんてかけながら、彼女はペンを動かしている。

 

「全てのウマ娘が幸福になる世界を。それを掲げて私は生徒会長となった。だからこそ道行半ばで学園を去るウマ娘の背中を見届けることは義務であると思っている」

「無駄に背負いすぎだよ。9割勝てない残酷な世界なのに」

「だとしても、だ。物事には光と影がある。私は、光として歩み続けているが為に影を知らなすぎた。1人が勝者となれば、そのほか全員が敗者となる。

Eclipse first, the rest nowhere.(唯一抜きん出て並ぶ者なし)。トレセン学園の校訓に、私は目が眩みすぎた」

「他の匹儔(ひっちゅう)を許すな。我々の目指すべきは常に頂点である、か。堅苦しいね。こんなのただの理想論、エクリプスなんて18世紀のウマ娘、今とは何もかも違うってのに」

「夢想は掲げなければ叶わぬ願いと散る。夢を抱く事を正しいと示すために、私は無敗の三冠バになった」

「たまには好き勝手走ればいいのに。野良レースは意外と楽しいもんだよ?」

「私はそれを楽しむ立場にいないよ」

 

彼女は寂しげに笑った。立場と理想で雁字搦めになった自分を受け入れる様はある種の修行僧に近い。自分のことを後進に道を示す生贄と勘違いしているらしい。つまんないな。

 

「私は栄光を掴んだ光側の存在であり、闇には触れてこなかった。それを正す為でもある。影に消えていったものにも道は続くのだから。全てのウマ娘の幸福を願うなら、彼女たちが歩む道を知らなければならない」

「......レースに絶対はないが、シンボリルドルフには絶対がある」

 

 悲しげに俯いて悲観的にモノを語る生徒会長に対して、私は机を叩いて顔を上げさせ口角を釣り上げて見せつけた。

 

「この言葉は知ってるよな? 耳にタコが出来るほど聞いた言葉、覚えてないはずがない。

だから証明してやったのさ。レースに絶対はない、ってな。

 

証明する。ウマ娘にも絶対はない事を。

私と、彼女で」

 

「期待しよう」

 

彼女は短く笑うと、ペンを置いた。

 

「私のレースに絶対がない事を証明した、君がそう言うのだから」

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「転籍ですか」

「ああ。そういうことだ」

 

ちょうどスピカのチーム室に全員が揃っていた。

だから、呼びつける必要もなかった。

説明もウマ娘であるならば知っていることだ。

覚悟は出来ていたかどうかは、本人が1番知っている。

 

「レッドは今日の練習には来なくていい。フジキセキ寮長には話は通してあるから荷物をまとめてくれ。ゴルシ、手伝ってやれるか」

「おう」

「レッド。明後日から岩手だ。新幹線のチケットはもう取ってあるから確認しといてくれ。盛岡駅まで行ったらあちらさんが案内してくれる。荷物は後で送られてくるから心配しなくていい。2、3日分の着替えと日用品だけ持てるようにしてくれ」

「......っす」

「え、え、どういうことですか......?」

 

 唯一転校して半年ばかりのスペシャルウィークが情報を飲み込めないらしく、オロオロとあたりを見渡していた。それを見かねたシャカールが気を利かせていつものぶっきらぼうな口調で告げる。

 

「レッドはもう中央(ココ)に居られ無ェってことだ。紙に書かれた通り、1勝も出来ないウマ娘は転校か退学だ」

「も、もう少し、もう少し頑張ってみましょうよサブトレーナーさん! もしかしたら、もう少しで勝てるかも」

「......それは無理っすよ、スペ先輩」

「そういう決まりなんです。こればかりは......」

「なんとかならないんですか、トレーナーさぁん!」

「なんともならない」

 

縋りつこうとしたスペを、トレーナーが突き放す。

 

「お前がここにいるのも、枠が一つ空いたからだ。スペシャルウィーク」

「えっ......?」

「なんでスズカと相部屋になれたと思う? 競争が激しいこのトレセン学園で」

「そ、それはたまたまスズカさんの部屋が1人部屋で」

「それはありえない。編入組のスペはあまりわからないだろうが、トレセン学園は試験で入ろうとすれば倍率は10を超える。

 欠員があるなんて、入学の時はありえないんだ」

「じゃ、じゃあ、私は......」

「誰かが去って、枠が一つ空いた」

 

 レースの残酷さを能天気で朗らかなスペには本来ならば伝える気はなかったんだろう。トレーナーも苦しそうな顔をしていた。だからこそ悪役は、私でないとね。

 トレーナーの前に一歩出て、スペの正面に立つ。

 

「この学校のモットーは言えるね、スズカ?」

「......唯一抜きん出て並ぶもの無し」

「そう。この学園で求められるのは『レースに勝つこと』だ。君のように日本一を目指すにも、最速を目指すにも、夢を叶えるにも、何よりも。勝たなければ、意味はない」

「勝たなければ......」

「別に入着することが悪いわけじゃない。負けることが悪とは言わない。だけど、舞台に立つためには、まず勝たないとダメなんだ。ライバルと競い合うにも勝たなければレースに出る資格さえ与えられない場所。レッドは勝てなかった。それだけの話なんだ」

「じゃあ、じゃあ勝つまで、勝つまで走ればいいじゃないですか! 諦めなければ夢は叶うって」

「残念だが、現実はそうはいかない。その言葉の正しい意味は『諦めたやつに夢は叶えられない』だ。

諦めなければ夢は叶う、確かにその通り。私は諦めなかったからトレーナーになれたし、フクキタルも諦めなかったからG1に勝てた。

 

だけど、私は諦めなくても()()()()()()()()()()人達を知っている。諦めないことは大切だ、努力することも大切だ。

 

だけど、それが報われるかどうかは、わからない」

「報われるかどうか......」

「日本一のウマ娘という夢、諦めるなよ」

 

 今まで感じたことのない感情が湧いたのだろう、怒りと悲しみがないまぜになったような顔を一瞬見せて、どうしたらいいのか分からないのか彼女は私のことをポカポカと叩き出しだ。

 

「おかしいじゃ、ないですか。人一倍早く練習に来て、人一倍遅く練習を切り上げて、私よりたくさん努力して、いっぱいレースに出てたレッドさんが、どうして報われないんですか」

「......運命ってのは残酷だからだよ」

 

 私だって同じだ。三冠バ2人に挟まれ、クラシックもシニアも泣かず飛ばずで勝ったレースもケチが付いた。あの2人さえいなければもっと私は勝てたかもしれない。ダービーウマ娘だって夢じゃなかった。

......私だって三冠は取りたかった。それがG1勝利になって、そして勝つことになっていった。大きな夢を諦めていって、それでも食らいついたから結果を残すことができた。わたしは運がいい方だ。なんせ最後の最後に夢が叶ったから。だけどレッドは多分そうではないだろう。わたしがねじ伏せてきたような名前も覚えていないウマ娘のように、学園から去っていくのだろう。

 

「スペさん、いいんすよ」

「レッドさん......」

「実力不足なのはわかってたっす。デビューも遅かったですし、スペさんには遠く及ばないのはわかってたっす」

「そんなことありません! レッドちゃんは速くて、凄くて、えっと」

「速かったら、一緒にダービーを走ってますよ」

「っ......」

「だから、いいんすよ」

 

 優しく肩に手を置いたレッドに気持ちが切れたか、レッドの胸でスペは泣いた。

 

「今日は練習は休みでいいですか、トレーナー」

「......これじゃ身も入らんだろう。今日は自主練にする。やったメニューはしっかり報告しとけよ」

 

気を遣ってか、トレーナーはそう言ってその場を後にした。

 

だけど、私は最後にひとつやるべきことがある。

私はレッドに向き合った。泣いているスペを抱き抱える彼女の赤い瞳が真っ直ぐにこちらを捉えていた。

 

「......悔しいか?」

「......はい」

「自分が弱いと思う?」

「......はい」

「情けないと思う?」

「はい」

「才能がないと思う?」

「はい」

「それでも。それでも、勝ちたい?」

「はい!」

 

この子は、まだ折れていない。ならば道を示そう。

 

「その前向きさと諦めの悪さは他にはない才能だね。貴方をこのチームに入れられてよかった。

 

......1年以内に2勝すれば、中央に戻る権利が与えられる」

「!」

 

ぴん。と驚くように耳が立った。

諦めなければ夢は叶うというが、それは誰でもじゃない。

でも諦めた誰かは、諦めないことの大切さを知っている。だから、夢への道を敷く。

諦めなければ夢が叶うと信じている。この制度はそんな誰かの願いだ。

 

「戻っても戻らなくてもいい。統計的には、この制度で戻ってきたウマ娘はほぼ勝てずに地方に戻ってしまう。

けど、この部屋のロッカーは空けておく」

 

何か言いたいのかわかったのだろう。彼女は泣いていた。

 

「待ってるからね」

「......はい!」

 

この日、レッドキングダムはトレセン学園を退学した。

 

 

......けど、少しの別れさ。寂しくは無かった。



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第7章 沈黙の日曜日『天皇賞 秋』
第50話 秋空は曇り空


新章開幕です。


 

 

「そろそろスズカの毎日王冠か」

 

 秋も深まる9月末。トレセン学園周りの樹木も紅く色付いてきた頃行われるレースといえば、スペの菊花賞と共にスズカが出走するG1『天皇賞秋』。その選考レースがG2毎日王冠だ。

 この季節といえば、菊花賞に出るか天皇賞秋にでるか悩ましいクラシック級の岐路でもある。三冠に見切りをつけ自分の適正にあった道を選ぶか、適正外だろうと三冠の夢と名誉を追い求めるか。

 スペの方は長距離適性もバッチリ、2冠を目指してとのことで三冠路線へ進むとのことだ。

 

スズカの方は天皇賞秋、のちJCへ。スペの方は菊花賞の後はJC、投票の結果次第で有記念を目指すようだ。絶賛休養中のフクキタルも有には出るつもりだが、人気投票で選ばれる確率は低いだろうて。今年は黄金世代をシニア世代が迎え撃つ形になるだろうし、最近調子の悪いフクキタルより成績を残してる面々が選ばれるはずだ。ステイゴールドとか。

 

「スペシャルウィークさん、調整お手伝いしますよ。長丁場のレースは今のタイムを自分の中でしっかり刻むことが勝つ秘訣です。私もレース感を取り戻さないといけないですし」

「はい!」

「だったらゴルシも連れてけ」

「やだよ。今ベーゴマ磨きで忙しいんだ」

「行け」

「今日のラッキーカラーは白なので一緒に行きましょうゴールドシップさん」

「引き摺るなよぉ〜。サブトレに似てきたなお前〜」

 

 とはいえ本人も後ろ向きってわけでもなさそうだ。併せウマを買って出るくらいには調子も戻ってきてる。2500m以上のレースは少ないし、私も出走を打診されたら断るつもりはない。

 2人きりになったことを確認したところで、私は姿勢を崩して背を伸ばした。

 

「でもスペJC行くんですかぁ沖野さん? 流石に出走スパンが短すぎです、クラシック級じゃ身体壊しちゃいますよ」

「あいつの頑丈さと回復能力は並以上だ。それに、『日本一のウマ娘』ともなれば、JCは外せない。それに、順調にいけばスズカとのレース初対決になる。楽しみだ」

「日本総大将、ですか」

「ああ。世界相手に戦う、まさに日本一のウマ娘だろう?」

「私の時はなーーーーんにも言われませんでしたけどね」

「あれはなぁ」

 

 普段は大歓声で盛り上がるG1の観客席がしんと静まり返ったのは初めてだった。私が手を振ってやっとこさ誰かが喜んでくれたが、あんな事しなかったらずっと静かなままだったかもわからん。一面もルドルフの新聞少なく無かったし。あー嫌になりそうなこと思い出して気分がムカムカする。

 

「シャカールの仕上がり具合は順調そのもの。あとは本格化を待つばかり、もどかしいですね」

「ウオッカとスカーレットもそうだろうな。最近は成長も打ち止め、1番の耐えどきだ」

 

本格化。ウマ娘としてのある種の才能開花であり、デビュー目安でもある。

 スペは本格化したのを拾ってきたしスズカ、フクキタルは他所のデビュー。実質、トレーナーとして向き合うのはこれが初めてになる。ゴルシ? あれはもう知らん。

 

「でもシャカール、最近はデータを分析するのに忙しいってトレーナー室やらタキオンの研究室やらに入り浸ってるんですよ。練習に声をかければ来ますが、あんまり乗り気ではなさそうですね」

「じゃあほっとけ。アイツは自分でしっかり練習して、しっかりレースを学べるタイプだ。好きにやらせて、出走レースだけ決めてやればいいさ」

「相変わらず放任主義ですねぇ」

「トレーナーの仕事はレースの時の名義貸しとレース日程を組むことだけ。あとはウマ娘達をよく見てその不足を補う。簡単だろ?」

「そこまでの観察眼とセンスがないから苦労してるんですよ」

 

見て触るだけで脚質言い当てられる変態に勝てるかっての。

 

「スズカの仕上がり具合は?」

「今が本格化ってくらいだ。測るたびにタイムが伸びてる。恐ろしいウマ娘だよ」

「心底同期にいなくてよかったって思います」

 

嬉しそうに笑うトレーナー。ただ、急激な成長には少しばかりの不安がつきまとう。

 

「......食事量は?」

「伸びてないんだ。体重も横ばい気味」

「うーむ、少食は変わらずですか」

「スペくらい食って欲しいんだがな」

「ステイヤーかってくらい細いですからね彼女。マイラーならもうちっと太って欲しいんですけど」

「増やしすぎてもパワーが追いつかないしな。これからのために体重は増やすように言うが、秋戦線はこのまま走る」

 

 ウマ娘の体格というのはアテにならないが、体重と見た目はアテにしていい。ここ最近の不安材料はスズカの食事量が標準少し下をこのところずっとキープしているところだ。

 マックイーンのように太りやすいから節制しないといけないならともかくスズカの太りやすさはおハナさんのデータによれば標準少し下、なおさらもう少し食べて欲しいところなのだ。

 

「......怪我が怖いですねぇ」

「ポッキリ折れちまいそうだよ。アレだけの才能、練習中にでも怪我させたら俺の首が飛ぶ」

「やめてくださいよそんな不安なこと言うの!」

「冗談だよ。しっかり休むように指示すれば大丈夫だ。軽いと言っても体重は許容範囲ではあるし、春までにゆっくりと増やせばいい」

 

 トレーナーが笑い飛ばしている中、窓の外ではスズカが相変わらず先頭を追い抜かすようにハイペースなランニングをしていた。アレほどの先頭ジャンキーっぷりはオーバーワークを誘発しかねない。スペたちとのランニングでその欲を消費しているようだが、校内を黙々と1人でランニングしてる時に追い越そうとしてくるのは恐怖すら感じる。

トレーナーがいうには先頭というか誰もいない景色を見るのが好きなんだそうだが、もう本能レベルまで染み付いてるらしい。

 

「にしてもスズカの走りたがりは異常ですよね。矯正はできませんし、なんだかんだ問題児ですよねぇ」

「本当なら秋天には直行する予定だったんだが、レースに出せとせがまれちまってなぁ......」

「無言でしばらくずっと後ろをついて回ってたアレですか」

「甘え方が下手なんだよなぁ。そこも可愛らしいといえばそうなんだが」

「手ェ出したら出るとこ出ますからね」

「俺の好みはもうちょっとオトナな女だよ」

「どこ見て言ってるんですか蹴っ飛ばしますよ。顔じゃなくて股座でどうでしょう」

「死ぬわ! 男として!」

 

トレーナーを少しからかったところで、私はスポドリの入った箱を持ち上げる。

 

「んじゃ、スペたちの様子見てきますわ。アドバイスは?」

「任せる」

「らじゃ」

 

 

◇◇◇

 

 

 

「毎日王冠の出走者が決まったか」

「どうしたんですか?」

「ああスズカ。次のレースの相手が決まったぞ、見てけ見てけ」

「はい」

 

ちょいちょいと靴紐を結んでいたスズカを呼び止め、パソコンの画面を一緒に見るようなジェスチャーを送る。素直に指示に従ってくれたようで、画面を覗き込んだ。

 

「エルコンドルパサーにグラスワンダーと来た。リギルも本気でスズカとやりに来たようだな」

「人数が少ないですね。私も入れて8人だけ」

「負けるとわかってて出るやつはそう多くない。逆にいえばこのレースに勝ちにきてる8人しかいないんだ、厳しくなるぞ」

「......?」

「......うーん、この」

 

 私が勝つから別に、と言いたいようなまるで興味ありませんという顔。この子に闘争心や根性を求めるのはお門違いなのだろうか。競り合えそうな面子は見つからないし、タイキシャトルも海外遠征帰り前後は短距離路線、フクキタルも適性は2400前後な上怪我持ちでダメ、2000mで強いシニア世代も多くない上パッとしない。宝塚で格付けも済んでしまったし、スズカに挑戦権があるのは下の世代になる。

 

「エルコンドルパサー、スペちゃんとよく一緒にいる子。スペちゃんと同じくらい早い......」

「ダービーは同着だしな。中距離戦ならどっちが勝ってもおかしくないだろうて」

「......ふふ」

「なに?」

「楽しみです」

 

思わず目を見開いた。ああまで他人に興味がないと言わんばかりのスズカが、ほかのウマ娘の名前を意識してるのである。

 

「スズカどこか悪いんじゃないか? 頭が痛むとか足が痒いとか関節が硬いとか、何か不調はないよな?」

「な、何でしょう......?」

「バカタレ」

「あだっ!?」

 

スパコーンとトレーナーさんに頭を叩かれたがこう思ってしまうのも無理はない、ハズ......

 

「ともかく、怪我のないように。何か違和感があったらレース直前だろうと私かトレーナーに言うんだぞ」

「......はい」

 



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第51話 10月11日 毎日王冠

G2 毎日王冠 東京レース場 1800m 芝・左 晴 良
出バ表
1枠 1番 プレストシンボリ
2枠 2番 サイレンススズカ
3枠 3番 テイエムオオアラシ
4枠 4番 エルコンドルパサー
5枠 5番 ランニングゲイル
6枠 6番 グラスワンダー
7枠 7番 サンライズフラッグ
8枠 8番 ワイルドバッハ
  9番 ビッグサンデー



 

秋の中距離、マイル戦線を占う前哨戦G2『毎日王冠』。

 

 普段ならば調子を見たりするために最大枠数12人、例年でも少なくても10人以上が出走を選ぶ中今年は異例の9人でのレース。しかし、レースに出場する面々は例年以上に豪華だ。

 

宝塚記念を勝ったサイレンススズカはもちろんのこと、

NHKマイルカップを圧勝、ダービーでスペと同着1位の熱戦を演じたエルコンドルパサー、朝日杯FS(フューチュリティステークス)をレコード勝利しその後に怪我はしたものの未だ無敗なグラスワンダー、

この三強がレースを引っ張る事になるだろう。

 

6月の鳴尾記念でエアグルーヴの3バ身差の圧勝を見せたサンライズフラッグも侮り難いし、スズカの同期で弥生賞を勝ったランニングゲイルも忘れてはいけない。そもそも9人中8人が重賞勝ちの経験があり、G2の中ではハイレベルな出走メンバーになる。

 

「私的には京都大賞典の方が気になるんだが致し方なし。金がない!」

「最近遠征に行ってないから溜まっているはずでは?」

「出費が待ってるから節約なんだ......シルクジャスティスにステイゴールド、シニア戦線を占うならあっちを見たかったんだがどうして出走時間まで丸かぶりなんだ!」

「運が悪かったな」

「恨むぞURA......!」

「そこまで言うかヨォ?」

「言う。最近レースが面白すぎるのが悪い! ファンとしては嬉しい限りだがトレーナーとしては腹立たしい!」

 

柵前で拳を震わせ不満をぶちまける。ええい、せめて土曜日にずらしてくれればいいものを!

 

「今日はスズカさんの応援ですよ!」

「まぁまぁ、落ち着いて下さいな」

「ごめんごめん」

「むー」

『今日の東京レース場、G2毎日王冠は大観衆で溢れかえっております!』

 

 スペとフクキタルに嗜められたので大人しく従っておく。にしたってただのG2のはずなのに、G1レベルの観客の量で観覧席がごった返していた。レース実況もG1でよく見る赤坂アナウンサーとなれば、URAの注目度も高いことは明らかだ。

 

『やはり注目はチームスピカのサイレンススズカ。彼女をはじめとしてチームスピカは絶好調!

王者であるチームリギルはどのように立ち向かうのか、そのリギルからはエルコンドルパサーとグラスワンダーの2名が出場しています!』

「スズカ先輩はどういう作戦を渡したんだ?」

「特にない」

「またそれ」

「いーのいーの、何も言わなくても」

「あいつは好きな方に走らせるのが1番なんだよ」

 

ウオッカが不満げにトレーナーの方を見上げているが、走りのスタイルが確立してるやつにとやかく言ってもブレるだけだ。そうこうしている内に出走ファンファーレが場内に鳴り響くのと同時に、ウマ娘のゲートインが始まる。

 

『さぁ、展開は分かりきっております。リギルの2人がサイレンススズカについていけるかどうか!

 6枠6番にはグラスワンダーが入ります。

無敗のジュニアチャンピオン、10ヶ月ぶりの復活はなるか。

4枠4番、これまで全戦全勝、エルコンドルパサー!

目指す世界を前に、国内で負けるわけにはいきません

 

そして、2枠2番にはサイレンススズカ、1番人気です!

今日も華麗なる逃走劇を見せてくれるのでしょうか!』

『以前より闘志にあふれているように見えますね。非常に楽しみです』

 

実況の声に、会場のボルテージも最高潮へ。

 

『さぁ、何が起きるがわからないのが真剣勝負。G2毎日王冠! 今、スタートしました!』

 

 

出だしはスムーズ。いや、1人出遅れたか?

 

『グラスワンダーやや出遅れたか、しかし落ち着いています! そのままペースを上げて集団に追いつきました。サンライズフラッグは最後方へ控えるようです』

「グラスちゃん......」

「呑まれたな」

「呑まれる?」

「怪我明けとか久しぶりのレースの雰囲気に浮き足立つというか、気持ちが作れないウマ娘も少なくないんだ。そういう時は大抵出遅れる。ただ、すぐ立て直せるあたり冷静だったな」

 

 ただマイルでこの出遅れは少し痛い。スズカをマークできる先行集団につける作戦で追いついたはいいが、ここで使った脚は後々響いてくる。冷静だったが、控えるレースにしても良かったはずだ。

 

「いや、スズカのハイペースでは後方からは追いつけないか」

『サイレンススズカは当然のように先頭。しかしその問題はペースです。

2番手集団最内にはエルコンドルパサー、外に続いてランニングゲイル、ビッグサンデーと続いています。おそらくは人気の2人をマークする形。集団の背後にはテイエムオオアラシその外にはグラスワンダーが虎視眈々とサイレンススズカを狙う!』

「あまり離しませんねぇ。いつもの大逃げじゃあありません」

「後続がスズカを捕まえてるんだ。普段ならもう2バ身は離すペースなんだが......っと?」

 

 スズカの足運びが微妙に変わった。いやギアを変えてきたみたいだな。緩やかな下り坂を利用してペースアップし3コーナー差し掛かろうとするときには後続と4、5バ身はついた頃だろうか。しかし好位差し型ならコーナー、直線の長いこのレース場ならまだ飛ばす必要もない。

 

『それほど後続と離れていませんが800m通過タイムは45秒後半から46秒、かなり速いペースでレースは進行しております。先頭はやはりサイレンススズカ、そろそろ仕掛けどころかもしれないぞ。さぁ、バ群が東京レース場名物の大けやきの向こう側へと消えてゆきますがおおっとグラスワンダーはここで仕掛けるのか、前に上がってきています!』

 

2番手集団の後ろにつけていた4番ゼッケン、グラスワンダーが外をまくってペースを上げてくる。ここからでも必死な表情が窺えるグラスワンダー。だがしかしエルはピッタリと後続2番手をマーク。ここで仕掛けどきは早すぎると判断したか。東京レース場の直線は長いからな。

 

「......スズカのプレッシャーってすごいんだな」

「どうしたんですかサブトレーナーさん」

「グラスはあと100mは先で仕掛けるつもりだったのに仕掛けさせられたな。外側を回らされてるし、仕掛けが早すぎるから末脚が足りないのはわかってる、だがここで仕掛けないと勝てないって思わせたんだ。実際はどうかはさておいて」

「なるほど」

「作戦が違っても、他人のレースに無駄なもんなんてないからな。全部盗んで自分のものにしろ」

「盗みは犯罪ですよ?!」

「......頭が固いな田舎娘。勉強しろってことだよ」

 

戦局は最終局面。

最後のコーナーを抜けて、長い坂のある500mの直線勝負。

 

『残り600mのハロン棒を通過していきましたタイムは1分と10秒、さぁ、真っ向勝負! サイレンススズカと後続の差は3バ身、追いつくのか、追い越せるのか後続は!』

「サイレンススズカの真骨頂だな。ここでタイムが落ちてねェ」

「......マジ?」

「後続より刻みがいいぜトレーナー。このペースでいけば3ハロン35ジャストだ」

「おっそろしいことで」

『ここで府中の坂に差し掛かるがおおっとエルコンドルパサー外に少しよれたか、グラスワンダーは伸びが苦しいか!?』

 

 エルコンドルパサーが一瞬よろめき、グラスワンダーが苦しそうに下がっていく。その間隙をついて後続ウマ娘も差を詰めるが、エルコンドルパサーとサイレンススズカの頭ひとつ抜けての一騎打ちだ。

 

「絶ッ対に、勝ァつ!」

『エルコンドルパサーのラストスパート! まだ伸びる、まだ伸びる、しかし──』

 

......訂正する。一騎打ちにもならなかった。

 

『差は縮まらない、縮まらない! サイレンススズカが逃げて差す、なんというウマ娘か!』

 

ん、スズカが一瞬こちらを見て......? いや、これはスペを見てるのか。普段はよそ見厳禁と言うところなんだが、今回はいいだろう。

 

『異次元の逃亡者サイレンススズカ、今1着でゴールイン!』

 

 

 

 




1着 サイレンススズカ  1:44.9 ー    あがり3ハロン 35.1でタイム2位。
2着 エルコンドルパサー 1:45.3 2.1/2 バ身
3着 サンライズフラッグ 1:46.2 5 バ身
────────────
5着 グラスワンダー   1:46.4


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第52話 未来の話をしよう

 

 

「着替えとタオルはこれでヨシ、と」

「すまんなぁ。流石に下着とかは俺は触るわけには行かないからな」

「トレーナーとは言えども男性ですからね。こればかりは仕方ないですよっと」

 

 借りてきたミニバスの荷物入れに詰め込んだ着替えやらタオルやらを放り込み、額の汗を拭って一息つく。日帰りで荷物が少ないといえど、数が多いとやはり疲れるもの。最近は忙しくて自主トレもサボってるし、体力のなさを実感するよ。

 しかしこの時期に旅館で慰労会とは、トレーナーはやっぱり息の抜き所をわかっている。行きは走らせる事でついでにランニングもできてトレーニングにもなって一石二鳥、距離はあるけど途中で軽いランニング程度のペースで走れば間に合うこともわかるいい設定距離だ。

 

「今は緊張を切らさない方がいいと思うんですけどいいんですか? この時期に遊んでるのはウチくらいなもんですよ」

「天皇賞秋に菊花賞、JC有。今年は中長距離G1に出ずっぱりだ。サポートやら応援やらでフラストレーションが溜まってるだろうし、ここで息抜きしとかねえどっかで爆発しかねる」

「なるほど......そういえば中型(バス)免許持ってたんですね。意外でした」

「こんなにメンバーが増えると思ってなかったから新しく取ったんだよ。ったく、嬉しいやら悲しいやら」

 

 所属ウマ娘は9人、トレーナー2人の11人。その中で現役かつG1勝利を飾ったウマ娘が4人、そう考えれば1年前の春は人数不足で廃部寸前だったチームがなんと強くなったことだろうか。成績を見ても一流、強豪チームと言っても過言ではないうえ、しかもそのうち1つは私の功績。少し鼻が高いが、トレーナーの手腕を見ているとまだまだだと実感したくもなる。

 

 準備も終わったし後は授業終わりのチームメンバーを待つばかりというところで、トレーナーがこんな事を言った。

 

「本当に来なくていいのか?」

「? ああ、温泉旅館だと帽子の被りっぱなしは流石に不審に思われちゃいますからね。秘密のためには行けません。でも羨ましいので同期と別の温泉に行きますよ」

「同期というと、あの桐生院家の御令嬢か。同期とはしっかり情報交換しとけよ、ツテはあると便利だからな」

「おハナさんのこと有効活用してますからね。たまに酒代たかってることも知ってますよ」

 

 私がたまに建て替えてるんですからねと付け加えると、トレーナーさんはあははと誤魔化すように笑った。全く昔から世話のかかる人だが、何も変わっていない。どこか抜けてたり、自分のお金を惜しむ事なくチームにつぎ込んで見るたびに金欠だったり。G1勝利や入着するたびに機材や靴も良くなるのは、トレーナーの財布からって事だろうね。言ってないけど。

 

「んで、慰労ついでにスズカの海外遠征(アメリカ行き)のことを伝えるんですか」

「......俺の口から言うつもりだったが、なんでも本人から伝えたいらしい。だったら俺はスズカの意思を尊重するさ」

「しかしアメリカから声がかかるとは。スズカの走りが認められたってことですかねぇ?」

「スズカの親御さんがアメリカのレース関係者に縁があって、レースを見せたら是非来てくれと言われたんだらしくてな。正直国内じゃ敵なしだと思っているし、もっと大きい場所で走らせるべきだろうと思ったんだ。本人とも相談して了承はとったしな」

「スズカならひとりで大丈夫でしょうしね」

「ほっといても走るだろうけど、トレセン学園でも初めての試みになる。そこで、お前に頼みたいことがあるんだ。海外に行くつもりはないか?」

「行きませんが?」

「だよなぁ......」

 

 深々とため息をつくトレーナー。そのあんまりにも落胆したような様子に疑問を持った私は質問をした。

 

「なんで私なんです?」

「お前の方が話しやすいから」

「雑ですねぇ」

「担当でもないウマ娘と海外に行ってとやかく言わずにレース日程だけ組んでこい、ついでに相手方の交渉もよろしくなんて赤の他人に言えるか?」

「それこそおハナさんに投げればいいじゃないですか。スズカは元リギルですし、なにかと融通効きますよ?」

「これ以上おハナさんに貸しを作りたくないんだよ〜。エルコンドルパサーの欧州遠征もあるから乗ってくるだろうけどさぁ〜」

「ダメな大人ですねぇ」

「お前時々キツい物言いするよな」

「正直に胸の内を話しているだけなのですが?」

「自覚は無しか......」

 

 がっくり項垂れるトレーナーを見て首を傾げずにはいられなかった。正直に話すことはトレーナーとして資格の一つだと思うんだけど、何か隠し事するよりは100倍いいでしょうに。

 

「それに、お前とスズカは相性がいいだろうと思ってな。お互いレースの走り方は違ったが考え方はよく似てるからいいコンビになれるはずだ。スズカに惚れ込んでなきゃ、お前に任せるつもりでいたくらいには合うと思ってるんだよ」

「買い被りすぎです。まだまだ2年目のペーペーですよ? 才能を潰すだけでしたよ。トレーナーの力あってこその快進撃です」

「そうでもないさ」

 

 海外遠征のこと、もし気が変わったら教えてくれよとだけ最後に言ってトレーナーは荷物を取りに行ってしまった。

 

 凱旋門や香港、ドバイ、アメリカ。数々の入着実績はあれども未だに海外の地で日本出身のウマ娘が1着になった試しはない。あの『皇帝』シンボリルドルフでさえアメリカ遠征では散々かつ怪我までして帰ってきたというのだから、その壁の高さが窺える。だが、もしその先駆けになることができたらと思うと興奮する自分を抑えきれない。

 スズカとのコンビなら、慣れさえすればアメリカのG1のひとつやふたつ取れる自信がある。なにせスズカはまだ伸びしろを残している。例え海外の強豪とのレースだろうとフィールドが合わないであろうとも、彼女は先頭を走り続けるだろう。

 

それだけに、この提案は魅力的だ。栄光が約束されているようなものな上に、初めてという免罪符がある。この遠征が成功か失敗かにかかわらずその後の人生は順風満帆に違いない。

 

でも、それは不義理が過ぎる。

 

1番を取らせることを約束したダイワスカーレット。

夢に真っ直ぐな姿勢に惚れ込んでスカウトしたエアシャカール。

偶然か奇跡かはともかく私を信じて、応えてくれたマチカネフクキタル。

 

......彼女たちは私をトレーナーとして認めてくれた。

なら、精一杯応えるのが筋ってものだろうて。

何より、仕事を放り出すのは私の性に合わない。

 

「さて、今日がオフ日なのは知ってるし連絡しとくか。今日温泉にでも行きませんか、っと」

 

 

 

「なんでミークがいるの?」

「断れなくて......」

「おんせん」

「しょうがないなぁ。余裕あるしいいよ」

 

 スピカの面々が元気に旅立っていったのを見送ったのち、学園正門近くに集合と言って時間に集まれば何故か白毛のウマ娘が桐生院の隣にいた。ついてきてしまったものは仕方ない。1人くらいだったら回避し切れるだろうと腹を括って、それはそれとしてだ、

 

「ちょいちょい桐生院ちゃん」

「なんでしょう?」

「なんでミークがいるわけ?」

 

 小声で本人には聞こえないように話すと、桐生院は諦めたようなため息を漏らしてから、話し出した。

 

「話せば長くなります。とりあえず、温泉に行けば全部わかりますよ」

「?」

 

 いつもハキハキとした彼女には珍しいどもった物言い、何か裏があるな。ミークの様子といえば......植木の花を見ていていつものごとく掴みどころがないというかなんというか。聞き出す機会はまたご飯でも食べている時にだな。

 

「んじゃあ車用意してるから乗った乗った、すぐ着くよ」

「ありがとうございます」

 

 行くのは今日うちのスピカが行ってるような予約必須のそこそこ豪華な温泉宿ではなくスーパー銭湯。一応天然温泉で、軽くでもガッツリ(人間基準)でもご飯が食べられるというなかなか穴場なスポットだ。

 

「温泉なんて久しぶりですね。特に家族以外で行くのは」

「そうなの?」

「学生時代は勉強ばかりで、鏑木さんとは変なことしてばかりでしたから」

「変なこととは失礼な。カラオケで童謡しか歌ってなかった時ドン引きしたから色々教えたんだよ」

「あの頃は歌なんて知らなかったんですよう!」

「今はウマ娘の楽曲以外の持ち歌は増えた?」

「最近は......最近は、ひ、光G◯NJIとか!」

「最新のアイドルソングを聴きなさいよ!」

「......えーけーびー?」

「それも若干古いかなぁ。欅とか乃木とか、色々ない?」

「知らない名前ですね......勉強しないと」

 

 相変わらず優等生ぶりは変わらずだが、こう言い回しが俗っぽいあたりだいぶ染まってきた様にも見える。ただチョイスが古いのは何故だろうか、マルゼンスキーあたりの入れ知恵か?

 

「この角を曲がれば直ぐだね。駐車場に車を停めとくから、2人は先に降りちゃいな」

「わかりました。行きますよミーク」

「ん」

 

 ハッピーミークがちょこちょことトレーナーについてく様子は小ガモに似ていた。とはいえ、慕われてる証拠でもある。と、なぜか踵を返してミークがこちらに駆け寄ってきた。

 

「お、どうした。忘れ物か?」

「ん」

 

 助手席のドアを開けたミーク。おかしいな、そこには私の荷物しか無いはずだが......?

 

「ん」

「あ、ちょ、帽子はダメだって!」

「ん!」

「んぎぎぎぎ力強いな!」

 

 急に帽子のツバを引っ掴んで引っぺがそうとするミーク。反射的に帽子を抑えるのに成功したが私はパワータイプじゃないんだぞう!

 

「桐生院ちょっとミーク引っぺがして! 君のでしょ!」

「えっと......その、ごめんなさい!」

「は?」

 

彼女は一言謝ると、私に加勢するどころか反対側の扉を開けて私を羽交締めにした。

 

「ちょ、やめ、やめろ、やめろーっ!?」

「んーーーーー!」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「......実は先日、現役時代のあなたを見つけられまして。やっぱり無理があったんですよあんな簡単な変装で」

「今までバレてないが?」

「多分バレてると思いますよ......」

 

 風呂から上がってしばらく、食事どころでそれぞれの頼んだ料理を待っているところ。唯一特筆すべきところがあるとすれば、ハッピーミークに私の帽子を取られてしまったところだろうか、頭がスースーして落ち着かない。

すると彼女が一冊のノートを取り出し、ページをめくってからこちらに見せてきた。スクラップのように写真が貼られ、数字が羅列されたノート。

 

「この文字はシャカールか。しっかり写り込んじゃってまぁ」

「そっくり。すぐわかった」

 

写真はミスターシービーのダービーのゴール時の写真だ。中央でガッツポーズするシービー。その影で粘り損ねた私が悔しそうに走っている姿が小さく映り込んでいた。

 

「良く見つけたもんでまぁ......」

「それで、これからどうするんですか?」

 

 帽子を直そうとした指が空を切ったところで、帽子をかぶっていないことを思い出す。癖になるほど被っていた帽子だったが、案外最後はあっけない。

 気を取り直して、まずは本人に聞いてみたいことがある。

 

「ハッピーミーク、なんで私の正体を調べようと思ったわけ?」

「こうきしん?」

「そっかー」

 

なんも考えてないのかよちくせう。予想外なところからなんでもない秘密ってバレるもんだとはよく言われるが、身をもって知る事になろうとはね。

 

「でも、タキオンさんとシャカールさんは知りたがってた」

「詳しく」

「つかえるものは、なんでもつかう? って」

「タキオンは実験材料、シャカールは......三冠の目撃者としてか」

「あの世代はもう学校に在籍していませんからね」

「まだ走ってるのはルドルフだけ、私も籍だけは置いてるけど他はみんないなくなっちゃったよ」

「せき?」

「実は私まだ生徒なんだ。休学中」

「の割にはトレーナーなんてやってますけどね」

「一言多い」

「思ったことを正直にいったまでですよ」

「コイツ......」

 

するとミークがひとつ、首を傾げた。

 

「なんで、はしらないの?」

 

 ウマ娘は100%が走りたがりだ。だが、走りに対する理由は千差万別。レースが好き、ライブが好き、ライバルと走るのが好き、タイムと勝負するのが好き。色々ある。

 

「私は勝つのが好きなんだ」

 

 誰にも追い抜かれることなくゴール番を駆け抜けて、掲示板の1番上に自分の数字が光っていることが好きだった。そして、その喜びを誰かと分かち合う事が。

 

「だから、勝てないレースはしない主義なんでね」

 

負け続けるのはひどく辛い。だから私は勝負の舞台を降りた。

 

「まぁ......金輪際、ターフを走る予定はないかなぁ」

 

舞台を降りた負け犬には、二度目のチャンスは存在しない。




最近1期7話をマラソンしています。

つらい。


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第53話 ある日の出来事

というわけでどうぞ。

菊花賞は手堅く200円勝ちました。複勝に甘えていけ。


 

 

 

 

『聞いてくださいっすトレーナーさん岩手県は蕎麦よりうどんの方が美味いっすよ!』

「そうかそうか。んで、地方のレースはどうだったよ」

『いつもより人が多くて楽しかったですよ!』

「そりゃよかった。で、何着だっけ」

『2着っすよ2着今までの最高順位です! 次は必ず勝って見せますよ、見ててくださいねトレーナーっ!』

「あはははは......風邪ひかないように」

『わかっていますとも!』

「その声はレッドさんですか?」

「ん? ああ、元気だってさ。たまに電話してるんだ。レッド、スペが来てるよ」

『なんと!』

 

 声に反応して振り返れば、ランニングを終えて来たのであろう汗ばんだスペシャルウィークがこちらを見ていた。せっかくなのでとスピーカーモードのままレッドに声をかけ、スペにも話すように促すと彼女は意外そうな顔をした。

 

「......サブトレーナーさんってもっと薄情だと思ってました」

「急にぐさっと来る言葉を。経緯はともあれ、私がスカウトしたんだもの。引退するまでは面倒見るつもりでいるよ」

『こう見えて情には厚いですからね。そうそうこっちに来てから佐々木部さんにイロイロと聞きましたよトレーナーさん!』

「あの人も口が軽い......」

「おつかれさまです」

「おや、スズカも一緒か」

「はい、一緒に軽くランニングをしていました」

『スズカ先輩もいるようですね! 聞きましたよ春の破竹の勢いでの連勝に毎日王冠の激戦! 凄いです!』

「ありがとう」

『秋の天皇賞はテレビから応援させてもらいます、頑張ってくださいね! スペ先輩も菊花賞、頑張ってください!』

「ええ」

「うん!」

『ではトレーナーさんが呼んでいますので、これで!』

 

 そう言ってレッドは電話を切った。から元気かもしれないが、いつも通りの明るいムードメーカーは変わらないようだ。

 

「元気そうでよかったですね!」

「最近はトレーニングの時間が減って雪かきの時間が増えたってボヤいてたけどね」

「北海道はもう冬ですね。おかあちゃん元気かな」

「手紙は書いてるんだろう?」

「はい!」

「夜遅くまで悩んでいることもあって。かわいいんですよ」

「ちょ、スズカさん!?」

 

 スペの微笑ましい一面も見られたところで、水分補給する2人に座るように促した。

 

「お二人さん、ちょいと脚を触らせてもらってもいいかな?」

「トレーナーさんみたいなこと言わないでください!」

「......私のはストレッチとか怪我を見る奴だよ」

「だったらいいですけど」

「ええ」

「んじゃ座って。靴下はそのままでいいけど靴は脱いでね」

 

 スペシャルウィークの脚をモミモミと。うーむ、柔らかさと硬さのバランスを見るにやはり2400m前後が適正か。反応を見る限り前回のレースの疲労はしっかりと抜けてるし、菊花賞はほぼ万全の態勢で臨めるかな。

 

「やっぱり若い子の脚は美しいねぇ......」

「トレーナーさんみたいなこと言わないでくださいよう!?」

「ごめんごめん。でも不思議だよねー」

「不思議?」

「常々思ってるんだけどさ。人間とウマ娘の脚の太さってそう変わらないのよ。体格や体重も似たり寄ったりで、走る速度だけが段違い」

 

 ウマ娘の身体の基本構造は、人間のソレと大きく変わらない。ウマ娘についての研究が進まなかった理由の一つでもあるが、多くの人間医学はウマ娘に転用できる。その観点から見れば、フクキタルの脚はほぼ万全に近い診断結果が出ている。その筈なのに、あの日の末脚には遠く及ばないタイムしか刻めない。

 

「羨ましいね、全く」

「......トレーナーさん?」

「ああごめん考え事してた。痛むとか違和感あるところはないね?」

「元気バッチリです!」

「それは良かった。んじゃ次はスズカ、脚見せて」

「わかりました」

 

 スズカの脚はスペと比べて少しだけ細い。その分締まっているとも言えるが、マイラー気質なウマ娘と比較すると少し細すぎでもある。あの速度とスタミナを両立するにはこれがベストなのかもしれないが、トレーナーとしては不安材料だ。だが、今更太くしろと言われてもどうにでもなるものでもあるまい。

 足首の力を抜くように言って、いろいろな角度にゆっくりと動かしてみる。あの走り方は脚にダメージが大きそうだししっかり調べとかないと。

 

「痛みや違和感は? 走った後に最近何か変わったことは?」

「全く」

「じゃあ左脚も見るよ。なんかあったら言うように」

 

 同じような作業と質問をすれば返ってくる答えも同じく違和感なし。怪我の予兆もなく健康体と見ていいだろう。

 

「よし。ただ、これから冷えることが増えるから準備体操と身体のあっためはしっかりやるように。いきなり全力疾走はもってのほか、ランニングも軽めに。いいね?」

「もっと走りたいですよトレーナーさん!」

「ダーメ。スペはJCがあるし、有もあるかもしれないんだから秋レース期間は無茶をしないで大人しくすること。スズカもだからね、JCはダービー以来の2400m。走りたい気分はわかるけどもまずは目先のレースから、いいね」

「そんなぁ」

「........................わかりました」

 

 2人に釘を刺すがこんな正論効果があるとは思っていない。2人のやる気を上げつつしっかりと走りを抑制できる一言はこっちだ。

 

「JC、全力で戦いたいでしょう? だったら、怪我なんてしてらんないよね」

「ですねっ!」

「ええ!」

 

 完璧。我ながらこの天然コンビの操縦法もわかってきたな。

 

「ところでスズカ、秋天の出走メンバーが決まったけど......対策案聞く?」

「いりません」

「デスヨネー。とはいえ、登録ギリギリで何名かが登録してるのが気になるんだ。そこだけでも聞いといてくれないかな、トレーナーさんに頼まれてるんだよ」

「......トレーナーさんが言うなら」

 

 実際は言ってない。けど、バレなきゃセーフ。耳が出てるならともかくこの状態の時についたウソはバレた試しがないんでね。可愛げなポニーちゃんをだまくらかすのはお茶の子さいさいってわけよ。

 

「要注意としてはシニア3年目のオフサイドトラップや中距離重賞で結果を出してるローゼンカバリー。それと毎日王冠にも出走してたサンライズフラッグも侮れないしメジロブライト、ステイゴールドは言わずもがな。

だが、それ以上に追加メンバーが怪しいんだな。

リギルからエルコンドルパサーとヒシアマゾン、カノープスからはメジロライアン、いずれもG1勝利経験者になる。

 特に2000mという距離。毎日王冠はスズカの舞台だったかもしれんがエルコンドルパサーの適性はおそらくこっちの方が高い。ヒシアマゾンの追い込みも短距離マイル中距離問わずによくキレるから決して侮らないことって聞いてない!」

「?」

「? じゃなくて。なに考えてるのさもー」

「逃げる人がいないからいいかな、と」

 

 髪の毛をいじってたので問いただしてみれば案の定だ。しかし細かい作戦を弄すれば自滅するタイプでもあるし、ある意味無駄な情報を入れて混乱させるよりなにも聞かせない方がいいのかもしれない。

 

 というか大逃げするにも息を入れるタイミングとか追い付かせるようなペースの落とし方とかそこら辺は展開と出走メンツで変わるんだし夜なべして一人で作戦案を練っていた私の学生時代をナメくさっているのかこの天才スットコドッコイと言いたくなるが、

 

私は、大人なので、何も言わない。

 

「心の声全部漏れてますよトレーナーさん」

「私は、大人なので、何も、言ってない。いいね?」

「え、でも」

「い、い、ね?」

「あ、はい。ごめんなさい」

「なればよし」

 

 

 

 



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第54話 沈黙の日曜日(Silence Sunday)


アニメウマ娘√を語る上では欠かせないレースが来てしまいました。


閲覧注意......かなぁ?


 

 

 

11月1日、天皇賞(秋)。

 中距離G1の最高峰のひとつであり、勝者にはトロフィーではなく名誉ある盾が授与される。ダービーを至高と考える者もいれば、メジロ家のような天皇賞の勝利を目標とする名家もあるようにこのレースを目標に頑張るウマ娘も少なくはない。

 

「凄まじい人ですねぇ」

「ああ。なんせ今回のレースはドリームトロフィー入り待ったなしのウマ娘が4人も出てる。何より、サイレンススズカ......10年、いや30年に一度の大逃げで安定して勝てるウマ娘だ。これを生で見られるなんて幸運だからな」

「そうなんですか? てっきりスズカさんみたいなことをする人は毎年いると思ってたんですけど」

「あんなん毎年やられたら胃に穴が開くわ。対策できん」

 

 大逃げはついてくだけアホらしく、無視すれば2回に1回くらいは負けるという、戦略を考えるトレーナー側からすれば目の上のたんこぶ以上に厄介な何かだ。しかもスズカという最後までへばらない逃げウマと来ればどうすれば勝てるかいまだにイメージが湧かない。あの毎日王冠も上がり3ハロンは全体で2位であり、最終直線で捕まえることは不可能に近いだろう。

 同じチームでトレーナーとウマ娘という立場でもなければ、コンプレックスで爆発しているところだ。これと戦えるとウキウキしているスペシャルウィークの無神経さを疑いたくなる。

 

「スズカさんも絶好調だし、レコードタイムなんて出ちゃうかもね!」

「オイオイ、そこまではねぇだろスカーレット......」

「なによ、先輩のことが信じられないっての?」

「ハァ?! 負けるとは言ってねーし!」

「うるせェ」

「お、スズカが出てきたぞ!」

 

 バ道から白と緑の勝負服を着たウマ娘が姿を現した途端、観客席から大歓声が上がった。先程とは比べ物にならないくらいの声に思わず頭を抑えた。

 

「す、すごい歓声......耳がおかしくなりそう」

「あ、スズカさーん!」

 

 芝の感触を踏み締めるように軽く走るスズカだったが手を振ったスペを見つけたのか、こちらに駆け寄ってきた。

 

「みんな、応援に来てくれたんだ」

「当然ですとも。同じレースを走った仲間じゃないですか」

「大舞台での活躍、拝見させてもらいますわ」

「スズカさん、これ、持っていってください!」

「コレは......?」

 

 スペが懐から取り出したのは、四つ葉のクローバーを挟んだ栞。スペのダービーの時に作ったやつだったか?

 

「確か、スペちゃんのダービーの」

「何か御利益があると思いますから!」

「御利益といえば今日のラッキーアイテムのお守りも持っていってくださいな! ラッキーカラーの緑をあしらった健康御守りですよ!」

「レース前の物品受け渡しは禁止だよお二方......まぁ見逃すけど」

「ありがとう。みんな、期待していて」

「スズカ」

 

 トレーナーが無言で手を挙げると、スズカがハイタッチするように柔らかくその手に重ねた。

 

「楽しんで来ます」

「ああ。行ってこい」

 

そして彼女はターフへと戻っていった。

トレーナーが飴の封を破りながら聞こえるように呟く。

 

「今のスズカを支えているのは、レースを楽しむという心だろうな」

「そういえばレース前は必ず『楽しんできて』って」

「レースは勝つことが大事だが、まずは楽しく。あいつのことを見習っていかないとな」

「......むむむ」

「どったのフクキタル? この舞台に立てないのが悔しい?」

 

 皆が期待を胸に楽しそうにしている中、1人だけ眉間に皺を寄せていたフクキタルに思わず声をかけた。

 

「確かにこの舞台に勝てないことは悔しいですが、なんというか嫌な気配が抜けないんです」

「もしかしてスズカの牡牛座が最下位だったからと言わないだろうね?」

「朝のニュース全部で牡牛座が悉く最下位ともなれば不安にもなりますよ。足元に注意、怪我するかも、理不尽なことが起きると。レース中に何か起きなければ良いのですが」

「取り越し苦労だよ。どうせフクキタルの占いなんて3割も当たらないんだし」

「むむむっ! 失礼な、25%は当たりますよ!」

「自覚はあるのか」

「当たるも八卦当たらぬも八卦と言いますからね。悉く当たったらそれはそれで恐ろしい限りですが」

 

 なむほうれん草......と不吉にも手を合わせ出したフクキタルの頭を軽く小突きながら、昔のことを思い出した。

 

『あなたならわかっているでしょう? 逃げがどれだけ身体に負担を強いることになるか。何故逃げ戦略を選ぶウマ娘が多くないのか』

 

 おハナさんの言っていた言葉が何故か引っかかった。スズカの限界、彼女が目指す先頭の更にその先。もしかすれば夢の代償にいつか彼女もフクキタルのように怪我で走れなくなる日が来るというのだろうか。

 

......私は、それを見たくはない。

 

G1特有のファンファーレが鳴り響く。

出走の時は、もう目の前にまで迫っていた。

 

 

 

 

 荘厳なファンファーレの元枠入りが進みスズカは最内枠の1枠1番に収まった。他の有力バは中段、外枠にバラけている。

 

 今回の出走メンバーでは先行は多くても逃げ策を主戦にするのはスズカを除いては1人だけだ。前後自在のヒシアマゾンが序盤競りかけてくるかもしれないが、おそらくスズカの一人旅になるか、スズカに集団が追いすがるハイペースなレースになるだろう。

 

どちらにせよスズカがレースメイクをするのは明らか。

そこに誰が喰らいつけるか、実に楽しみだ。

 

『さあ、スタートしました! やはり行きますサイレンススズカ! ハナを切って先頭に立ちます!』

「とは言ったものの、東京は逃げには不利なレース場だからなぁ」

「そうなんですか?」

「なんたって最終直線が長いですからね! 後ろからスパートをかけるにはもってこいです」

「なるほど」

「スペ、君ダービーの時直線で後続ぶっちぎってたよね?」

「そうでしたっけ? 必死で何も覚えてなくて」

「あのなぁ......」

「でも、東京2000mは内枠有利ですからトントンでは?」

「逃げに限ってはそんな事はないかな」

「???」

「ということでお勉強タイムですよ諸君。

 東京2000mはスタート地点が特殊でコース外の行き止まりからスタート。スタートから130mで緩やかながら大きな2コーナーがありスピードが出しにくい。そのため東京2000mはスタート位置取りが難しくハナを切らなければいけない逃げはコーナーを大きく回り距離をロスしがちなので不利、かつ外枠配置は外を走る時間が他条件よりも長くなるため不利なんです分かりましたか?」

「な、なんとか......?」

「スズカとか規格外には通じない話だけどね」

 

 セオリーをガン無視する奴は専用の対策案をしなければ勝てないし、そもそもそういう天才は逆立ちしたって勝てないからどうしようもない。一回しか走ったことないけど、あれはどうしろと言うんだろうか。

 

 ストップウォッチを握っていたエアシャカールが驚き声を上げ、釣られて覗き込んだフクキタルが叫ぶ。

 

「このままいけば1000m57秒ペース、レコードが出るぞオイ!」

「こないだの毎日王冠より早いじゃあないですか?!」

「誰もついていかない、いえ、ついていけていないのですか」

「スンゲー......」

 

 向正面では2番手集団の逃げウマのはずのサイレントハンターとスズカをマークするはずだったエルコンドルパサーを10バ身をゆうにぶっちぎり、3番手は更にその6、7バ身離して本来の先行バ集団が続く。中継してるであろうカメラも望遠目一杯に画角を広くしなければ全員が映らない異常事態。

 

『出ました、1000m通過タイムは......ご、57秒4!』

「57秒4?!」

「っは、マジかよぉ!」

 

 例年より1秒、いやそれ以上は早いであろうタイムに場内がどよめき、沸き立った。

 

『もう何バ身離しているのか! 会場の盛り上がりは最っ高潮に達しております!』

 

風を切って先頭をひた走るサイレンススズカ。

もう1着はどうあがいてもスズカで決まり、注目すべきは記録するタイムがレコードかどうか、後続をどれだけ突き放すか、そう、全員が胸に期待を膨らませていたことだろう。

 

「スズカさんは......やっぱり、すごいですぅ!」

 

ただ、1人を除いて。

 

「......けませんいけませんいけません! スズカさん、止まってくださぁい!」

「フクキタル?」

「こ、これ以上は、これ以上はぁっ!」

 

 頭を抱えて、身体を震わせ始めたフクキタル。その尋常ならざる様子にスピカと近くにいたファンが静まり返った。落ち着けと肩に手を当てようとしたが、彼女が逆に私を押し倒すばかりの勢いで私の肩を掴んだ。

 

「トレーナーさん何とかしてスズカさんを止めてくださいっ!  3コーナーを越えさせては行けません!」

「レース中は誰だってターフに入れないんだ。それにレース中のウマ娘を止めるなんて無理だよ、まぁまぁ落ち着いて」

「そこを何とか! このままではスズカさんがスズカさんでなくなってしまいます!」

「スズカがスズカでなくなってしまう?」

「スズカさんとスズカさんが混ざってしまいます!」

「......何が言いたんだ? まるで意味が......」

 

 要領を得ないフクキタルの言葉に返そうとするが、こちらを覗き込んでくるフクキタルの瞳は闇のように真っ暗だった。

 

「......フクキタルのいう事は本当です、急いでください。25%を引いてしまいました」

「おい、何してるんだお前ら、スズカの応援を」

「トレーナー。これから起きることも、私がすることも。......全部、私の責任ですので」

 

 トレーナーの言葉を途中でかぶせ、覚悟を決めるように帽子を取った。

 

スズカから立ち昇る白い焔。ソニックブームのように彼女の周りを渦巻いて流れるソレは『領域』のそれに間違いない。だがそれが諸刃の剣だと言うことを、私は知っている。他ならぬそれで、フクキタルは脚を壊したんだから。

 

あれは勝利の代償に脚を喰う魔物だ。あれを御し切れる勝利の執念があればこそ『領域』の使い手足りうる資格がある。皇帝(ルドルフ)芦毛の怪物(オグリキャップ)、そして白い稲妻(タマモクロス)のようにあれを御し切った怪物もいれば、スーパーカー(マルゼンスキー)のように喰われたものもいる。

 

スズカにはその怪物をねじ伏せる執念はない。

ただ真っ直ぐに先頭を、という信念のみが彼女を走らせる。いやそれ以上に、スズカは。

 

「サブトレーナーさん、それって!」

「......ごめんね、スペ」

「え?」

「シャカール、それにスカーレット。何があってもスペをターフに上げないで」

 

スペシャルウィークに、ただ己の走りを見せたいのだろう。

それを焚き付けたのは唯ならぬ私だ。全ての原因は、私にある。

 

スペに帽子を押し付け、柵を掴む。

 

『まだまだ加速していくサイレンススズカ! そして先頭で大欅を通過して──』

 

これはきっと幻聴だろうが、私は確かに聞いた。

 

何かが砕けてしまうような音。

サイレンススズカの、全てを打ち砕く音だ。

 

「スズカァ!」

 

そして私は、観客席とターフを隔てる柵を飛び越えた。

 

 



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第55話 流れ星は燃え墜ちて

 

 

「嫌な気配はしていたんです。スズカさんもトレーナーさんも最近の占いは悉く最悪を示すものばかりでした」

 

 ぽつり、ぽつりと漏らすように、フクキタルさんが話し始めました。さっきからずっとカードの束を混ぜていましたが、下を向いて、ずっと黙っていたんです。

 フクキタルさんが1番上のカードを表向きにします。そこには黒い服と鎌を持ったガイコツ頭の人絵が描かれていました。

 

「死神の正位置。意味は破滅、そして死の前兆です」

 

 フクキタルさんはそう言うとカードを裏向きにして戻し、またカードを混ぜ始めました。そして無造作にカードを切り1番上のものを捲りました。

しかし何故か、表向きのカードの模様と向きは変わらないままでした。それを何度も繰り返しても、同じカードで同じ向き。

 

「どうして、死神ばかり」

「フクキタルさん......」

「スズカさんも、トレーナーさんも、こんな、こんなことになるなんて」

「......」

「占いは何も救えないんですか。どうして、私の大切な友達とトレーナーさんを奪ってしまうんですか。教えてくださいシラオキ様......」

 

遂には泣き出してしまったフクキタルさん。

見上げても手術室のランプは、まだ灯ったまま。

 

わたしは、あのときのことを思い出していました。

 

 

レース場が静まり返った時、1人だけが動いていました。

ラチと柵の僅かな隙間を縫うように走る、()()()がたった1人だけ。

 

 長く伸びた黒鹿毛が風に舞う様子は、私が昔、北海道にいたときにテレビで見たものとそっくりでした。そのウマ娘は全力で走りながら、3コーナー向こう側のスズカに届く大きな声で叫んでいました。

 

「スズカぁ! 止まるな、真っ直ぐ外に出すんだ! 」

「スズカさん! 私も行きます!」

「そう言うことかよクソッタレ!」

「ダメですスペ先輩っ!」

 

 飛び出そうとした私を、シャカールさんとスカーレットさんがしがみついて離そうとしません。振り払おうとしても、特にシャカールさんが必死の表情で私をコースに出すまいと脚を踏ん張っていました。

 

「行かせてくださいっ!」

「スペ先輩だけは、出すわけには行かねェンですよ!」

「どうしてですか!」

「レース中にコースには立ち入ったらいけないんです、大問題になってしまいます!」

「先輩この後の菊花賞やジャパンカップも走れなくなるかもしれないンですよ!」

「それでも構いません、スズカさんのところに行かせてください!」

「駄目と何度言ッたら理解できるンすか!?」

「絶対に行っちゃダメなんですよ!」

「うう、ううううううっ!」

 

抑え込まれながらも必死に手を伸ばしました。

スズカさんのピンチなのに、1番に助けたい、寄り添いたいのは私のはずなのに、どうして。

 

「どうしていかせてくれないんですか、サブトレーナーさん!!!」

 

『なんということでしょう、サイレンススズカは大丈夫でしょうか。大欅の向こう側で何が起こったのか、場内は騒然としています。そして先頭は代わってサイレントハンター、エルコンドルパサーの2名に変わりした。オフサイドトラップら後方集団もここで上がっていきますが、サイレンススズカは大丈夫なのでしょうか。そしてコースの外側、誰か侵入しています。サイレンススズカを助けようとしているのでしょうか!』

 

「スズカさああああああああああああん!」

「止まれェェェェェェェェェェェェエッ!」

 

3コーナーの向こう側。受け止めようと手を広げたサブトレーナーさんとスズカさんがぶつかって、そして......

 

そこから先はあまり覚えていません。

ターフを踏み締めて走ったこと。

トレーナーさんが叫んでいたこと。

 

スズカさんがコースに倒れていたこと。

サブトレーナーさんが頭から血を流していたこと。

 

それで、それで、それで。

 

『ありが、とう』

『すまない』

 

「スズカさん、スズカさん、スズカさん......」

「スペ。大丈夫か?」

「トレーナーさん」

「スズカはたぶん大丈夫だ。アイツが身体を張ってスズカの左足を守ってくれた」

「そうですか、よかったです」

 

 何がいいのか悪いのか、よくわからない。ぐるぐると言葉にならないよくわからない気持ちが胸の中にずっと渦巻いている。

 

「私のトレーナーさんは、どうなんですか......?」

「フクキタル。実はあいつなんだが」

「ま、まさか!」

「元気だよ。スズカを受け止めた時に派手に転んだせいで頭を切っただけ、見た目ほど重傷じゃない」

 

だが、とトレーナーさんは悔しそうに手を握りしめました。

 

「問題は、それ以外だ」

「それ以外?」

「競走中には何人たりとも立ち入るべからず。このルールはレースを公平に行うためでもあるが、安全のためでもある。いかなる事情があるとしても、アイツの行いは正しいとは言えない。本人が1番それをわかってるだろう」

「それってつまり......」

「アイツはトレーナーとして、戻ってくるかどうか」

 

 

◇◇◇

 

 

 

「掠っただけなのに派手に包帯巻いて。あのヤブ医者め」

「悪態をつけるほど元気そうで何よりだ」

「こんなの1人寄越してうちのチームは誰も見舞いに来ないとは......酷いと思わない?」

「スズカの方が心配なんだろう。まだ意識は戻らないようだし、察してやってくれないか」

 

 頭はまだ痛むしターフに叩きつけられた衝撃はまだ身体から抜けていないが、スズカと比べれば健康そのものだ。ジャージは転んだせいで芝と土と、ついでにスズカの勝負服に何処か引っ掛けたおかげで切ったのか、噴き出た私の血で酷い有様になった。お陰で病院着を着ているけど尻尾と耳が出る服装を人前でするなんて久しぶりだ。

 

「んでルドルフ、私の処分は?」

「友人として見舞いに来ただけだ。私からは何も言わないよ」

「ふーん。それより上か」

 

 いくら人命救助の名目があってもレース中にターフに侵入するなんて許されるはずがない。それがウマ娘とくれば前代未聞だ、どう処分したものか1日2日で決まるはずもない。なんにせよトレーナーライセンスが取り消しになることは間違いないだろう。となれば大人しく自主退学して実家に帰ってしまおうか、それとも用務員でも何でもいいからどうにかして学園に居続けようか。そう考えていると椅子を出してベットの隣に座ったルドルフが喋り出した。

 

「しかし、よくあの瞬間に飛び出したものだな」

「ん?」

「あの瞬間に動いていたのは君だけだよ。あんな事があって、15万人の観衆誰もが動けなかったというのに」

「私だって事前に教えてもらわなかったら動けなかったさ。運が良かったんだよ」

「事前に? 誰かがこの事態を予見していたと、そういうことか」

「フクキタルの占いさ。ここだけの話フクキタルには愉快な神様がついてるから当たるんだ。これは他言無用で頼むよ。本当に大事な時しか当たらない」

「なるほど。それは興味深い」

「彼女が嫌な予感がするって言われたから、腹括って飛び出しただけさ。スタートだけには自信がある」

「確かに。昔と何も変わらない走りだったよ。だけど......」

「だけど?」

「なぜ、飛び出したんだい?」

「なぜ、飛び出した......?」

 

 質問の意図がわからずおうむ返しに言葉を返した。よくよく思い返してみれば、なんで飛び出したんだかわからない。フクキタルの占いなんて7割当たらないんだし、帽子を脱ぐ必要もなかったし、残り700mくらいなんだからゴールするまでのたった4、50秒を耐えればなんのお咎めもなくことは済んだはずだ。

 何もなかった、か......?

いや、ひとつあった。なんで忘れてたんだか。

 

「こっち側に来て欲しくなかったからじゃないかな」

「......ほう」

 

ルドルフの目が細められる。

 あのときルドルフにも見えていたはずだ。今代の怪物、誰にも影を踏ませない孤高の逃亡者が誕生した瞬間きっと彼女はそれを歓迎したに違いない。やっと自分を倒せそうな挑戦者の存在をずっと待ちわびていたんだから。

それを歓迎しないといったら不愉快にもなるだろう。

お前はずっとひとりで居ろと言っているようなものだ。

だがな、怪物の誕生を望まないでいる誰かもいる。

 

「スズカの次走はジャパンカップ。それは同じチームのスペシャルウィークが菊花賞の次に出走する予定だったレースでもある。スズカはスペの挑戦を心待ちにしていた、同時にスペもスズカとの対戦を心待ちにしていたんだ」

「彼女に不足していた『競い合える友』か」

「そ。それにスズカは来年はアメリカに長期遠征の予定。そうなると戦える機会は今年のジャパンカップが最後かもしれない。彼女はライバルと戦える『たった1レース』を待ってた。

 怪物は全てをねじ伏せる孤高の存在。怪物を倒すには同じ怪物になるか、数人で化けの皮を剥がすしかない。

 私はね、純粋にスズカにレースを楽しんで欲しかったんだ。やっとできた競い合える友達とのレースを。

 

それが怪物になるでもなく、まさか怪我をするとは思わなかったけどね。フクキタルみたく栄光を勝ち取ってからじゃなく手に届きそうになった瞬間に奪うなんて。運命ってのは実に残酷だ」

 

本当に、無念でたまらない。

 

私の脚(こんなもの)ならいくら折っても構わなかったのに、私はいくらでも走れなくなっても良かったのに、何故私の夢ばかりが奪われるんだよ。フクキタルもスズカもまだ輝かしい未来があったのに」

「そんなことを言わないでくれ」

 

 ルドルフが私の肩に手を置いた。私に言葉をこれ以上何も言わせまいとでも言うように力を込めながら、そしていつもより少しだけゆっくりと言い聞かせるように喋り出した。

 

「自分の脚を、走りを卑下しないでくれ。君まで走るのをやめてしまったら私は誰と走ればいいんだい?」

「シービーのバ鹿を呼び戻せばいいじゃないか、お節介のエアグルーヴでもいい。マルゼンスキー先輩の怪我は治ったから勝負できるし、他にもドリームトロフィーで皇帝に勝とうとするチャレンジャーは山ほどいるんだぞ。私なんか」

「君ほど強いウマ娘はいないよ」

「冗談キツいよ」

「私はいつだって真剣だよ」

 

 現役さながらのいつもは柔和なはずのまなじりが細められ、ともすれば人を殺さんとするばかりの三白眼が私の瞳をじっと見つめていた。

 

「戻ってこい。君はここで終わるべきではない」

 

 どちらに彼女は声をかけたのか。トレーナーとしての私になのか、競走ウマ娘としての私になのか。

私はどちらももうやるつもりはなかった。

 

「......流石に今日のは堪えたんだ。夢が目の前で壊れていくのを見るのは辛いね」

 

フクキタルの怪我の発覚が1度目。

キングダムの未勝利地方行きが2度目。

そして今回のスズカの競走中止、これで3度目だ。

 

「少し、考えさせてほしい」

「......そうか。怪我が早く治り、君が1日でも早く学園に戻ってくれる日を待っている」

 

 それではな、と短く挨拶をすると彼女は席を立った。いつもは広く存在感のあるルドルフの背中は今日は少しだけ小さく見えた。彼女の背中を見送っていると廊下に出たところでその影に赤いツインテールが揺れている。

 

しっかりと扉が閉まったところで、彼女はドアを叩いた。

 

「ダイワスカーレットです」

 

礼儀正しく2回扉をノックして、私からの返事を待っているらしい。

 

 正直私はスピカの面々と顔を合わせたくなかった。2年も騙して置いて、どの口が「お見舞いに来てくれてありがとう」などと言えるだろうか。それに、スズカの怪我を覚悟を承知で引き入れたトレーナーにも、だ。怪我リスクを考え、何度もローテーションを組み直し、練習トレーニングだって組み上げた。その綱渡りのバランスで保っていたスズカの背中を何気なく押して奈落の底に叩き落としたのは、他ならぬ私だ。

 

今回の事件は全面的とは言わないが9割が私の責任だろう。皆に合わせる顔などない。

 なので今のうちに私は病院から脱走することにした。この病室もちょうど1階、さらに駅も近いから目立つことに目を瞑れば寮に行くことも簡単だし、夜だから走る分にはもっといい。

 音を最小限にとどめるようにゆっくりと身を起こし、掛け布団を外し備え付けの靴を履く。そして広い窓の鍵を開け身を乗り出し、逃げ出そうと窓枠に足をかけてあたりを見渡して、なぜか窓枠の隣に立っていたシービーと目があった。彼女はさも今来たよ、とケーキらしき袋を見せながら手を挙げた。

 

「やぁ、元気そうで何より。受付はこっちだっけ?」

「おわーっ!?」

 



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第56話 素顔のわたし

難産でした


 

 

 

 一般病室の扉は本当ならできないことなのだが、備え付けの椅子とリボンと、あとなんやらでなんやかんやすると外側から開けられなくなるという。そのなんやかんやを成し遂げた侵入者、もとい私の同期の3冠ウマ娘『ミスターシービー』は残っていた椅子に座りニコニコとコチラを見ていた。

 

「元気そうで何より」

「ルドルフの差し金か?」

「そう邪険にしないでよ。戦友の見舞いに来ただけさ」

「怪しい」

「しょうがないなぁ。ルドルフに聞いたのは事実だよ。でも来いとは言われなかったから勝手に来たんだ」

 

 相変わらず考えが読めない親友をじっと睨みつけると、やれやれと肩をすくめてネタバラシをした。とりあえず紅茶でも淹れるよ、と気まずい空気を変えようとするようにシービーは席を立った。何を買ってきたのかとテーブルに置いた箱を開けて、思わず笑ってしまった。

 

「ガトーショコラとは」

「チョコ、好きだったろう?」

「よく覚えてたね。同じチームでもなかったのに」

「なんとなくさ」

 

 適当なティーパックをコップに放り込みお湯を注いだだけの紅茶をお供に、紙皿に乗った飾り気のないケーキをプラスチックフォークで食べる。

 甘さを抑えることで生地に練り込まれたビターチョコレートの苦味を引き立てるバランスの良さ。どっしりとした生地はしっとりともして口触りも良かった。サッパリとした苦味をまだ薄い紅茶でも流し込んで一息つくと、じーっとシービーがこっちを見ているんだからとりあえず返事を返す。

 

「美味しいよ」

「それは良かった」

「どこで買ったんだ?」

「作ったのんだよ。今時レシピも材料もすぐ買えるしね」

「作ったの? シービーが?」

「そうだよ」

「驚いた。てっきり料理とは無縁だと思ってたんだが」

「年月を経れば人は変わるものさ。一人暮らしは料理ができないといけないからね。それに、なかなか楽しかった」

 

 ルドルフの言葉を借りれば日進月歩とはこの事だ。人は日々進歩し、知らない間に大きく変化している。私が現役の頃のトレーニング法が効率が悪いと駆逐されたように、シービーもターフで一緒に走っていた頃とは別人のようだった。

 

「料理に興味ないと言ってたシービーがまさかケーキを作ってくるとは。変わったもんだね」

「学生時代だってやろうと思えばできたよ? 興味なかっただけで」

「どうだか」

 

 鼻で笑うように答えると、シービーはコップを置いて少し詰め寄るように顔を近づけて言った。

 

「君はどうなのかな? 何か変わった?」

「なんにも」

 

 朝同じ時間に起きて、同じだけ朝にランニングや軽いトレーニングをして、同じように朝ごはんを食べて、同じ時間から同じだけレースについて学び、同じように練習時間になればチーム室へ足を運び、終われば同じだけ汗を流し、今日の練習を振り返ってからぐっすりと寝る。仲のいいやつがレースに出ると聞けば応援に出かけて声を枯らし、ライバルが出走するレースになれば偵察に行き対策を練る。レースが決まれば全力を尽くして勝てるように努力し、終われば反省会をして次の目標を考える。

 自分が走るのか自分の担当ウマ娘が走るのか、そんな些細な違いを除けば何もやることは変わらない。成長するためとかしたからとかではなく、私は夢をトレセン学園で叶えにきただけだ。

 

「やる事も変わらないし、中身も性格も変わんないままだよ。案外私は頑固で融通がきかないらしい」

「アハハハハハハハ!」

「何がおかしいのさ!」

「まさか今の君がそれをいうなんて! これが面白くなくて何が面白いんだってば! あーおっかしい!」

 

 ひー、とらしくなく腹を抱えて大笑いするシービー。脚をばたつかせて笑い転げるシービーを睨み付けると笑いながらその理由を話してくれた。

 

「昔だったらターフに飛び出してないだろう? 少なくとも、ほとんどのウマ娘は飛び出せないさ」

「そうか? 私はだれか飛び出すと思ってたよ」

「無理だね。レース中のターフに飛び出すなんてのはウマ娘には到底できない。例外はキミと、スペシャルウィークくらいじゃないかな?」

「チームメイトが怪我をしたとなれば飛び出すだろう普通。レース中でも外ラチギリギリ、かつコーナー大外なら競争に影響なんてほとんどない」

「大体のウマ娘は自分の後先を思い浮かべてしまうよ、レースの規則破りは2度とターフを走れなくなるのと同義だからね。少なくとも私にはあの時飛び出す勇気はない。キミだって次に自分が出るジャパンカップが控えていたのなら飛び出さないだろう?」

「それは──」

 

 そんなことはないとは言えなかった。あの時照準に定めていたジャパンカップ、10番人気だろうとなんだろうと私は勝つ気でいた。そのための秘策も用意していたし、それはトレーナーと2人で捻り出した渾身の一矢だ。あの時に出走取り消しリスクを背負ってまでスズカを助けに行ったかと改めて問われれば、そうなってみなければわからなかった。

 

 黙り込んでいるとシービーがさらに踏み込んでくる。

 

「キミがサイレンススズカとどんな関わりがあったかは知らない。けど彼女に自分の走りを重ねたわけじゃないよね?」

「違う」

 

 彼女のように影さえ踏ませないほど圧倒的だったわけじゃない。私は弱くて、シンボリルドルフのようなレースセンスと勝負感があるわけじゃかったし、ミスターシービーのように並外れたスタミナも桁外れのパワーもなかった。だから1mでも短い距離を1cmでも先に走るために、それでも足りない部分を相手のミスで補う......その選択肢として選んだのが大逃げ。

 

私の大逃げと彼女の大逃げは違う。

私は計算づくの泥臭く、必死な作戦であり。

彼女のそれは誇り高く、望むままに走った結果だ。

 

「違うんだ、だけど」

 

言えば終わりだ。

届かない夢ほど残酷なものはない。

叶わない願いほど自分を苦しめるものはない。

ウマ娘というのは本能で競いたい、走りたいって本能がある。それをやっと捻じ伏せて外からレースを見られるようになったところなんだ。

 

「......これ以上は、言わせないでくれ」

「どうだか」

 

 彼女は鞄からあるものを取り出し私の目の前に置いた。それは私が捨てたはずの勝負服のひとつ、星型の刺繍が入った白いサンバイザー。

 

「これって」

「部屋から()()()()()

「捨てた筈じゃ」

「その時にくすねてきたんだよ」

 

 シービーは笑いながらそれを自分で被った。毛先が跳ねた彼女にはあまりにも似合わないようなソレを見せつけるように鍔を指先で跳ね上げて聞いてきた。

 

「どう? 似合う?」

「......バカみたいに似合わないけど」

「だと思った」

 

 クスクスと笑うシービー。何がしたいのか、何を考えているのか、相変わらずわからない女だ。そして私のサンバイザーをつけたまま、彼女はなんでもないことのようにこう質問してきた。

 

「久しぶりのターフは、楽しかった?」

「......楽しかったよ」

 

 青い芝の香り、熱気立ち込めるレース場の雰囲気、秋の乾いた風を切って走る高揚感。久しく味わっていなかった、レース場で観客を背に全力疾走することの楽しさ。そればかりは否定はしないし、できない。

 

「戻ってこれば、また楽しめるよ」

「......でも、キミがいない。ルドルフもだ」

「いるじゃないか」

「私はドリームトロフィーには進めないからだよ!

 G1を2つじゃ2人には並ぶことすら叶わない!」

 

 ドリームトロフィーに在籍するためにはG1級レースを3勝以上か同等と認められる成績を取る必要がある。レコードタイムの記録、同一G1レース連覇、URA特別表彰、海外遠征での入着などがあるが私はそのどれも成し遂げていない。

 

「今現役に戻ったところでスペ達と潰し合いになる! かといってドリームトロフィーには進めない! それに今回の騒動だ! 私はもうターフで走ることは叶わないんだ夢見せんなよ!」

「......」

「もうやめてくれ、ここが私の居場所なんだ、ここに居させてくれ、私を引き摺り出すな! 叶わない夢を見るほど残酷なことはない、だったら夢を見ないままがいいんだ!」

 

耳を畳んで手で覆い隠し目を瞑る。

もう何も見たくないし、何も聞きたくはなかった。

 

「放っておいてくれ......」

 

息を吐く音がして、そして誰もいなくなった。

 

これでいい、これでいいんだ。

競走ウマ娘としての私は要らない。

私はただのトレーナーだ。そうであるべきだ。

そうでありたいと、私は願ったんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第57話 幕引きの準備

 

 

 

 シービーの訪問から一夜が明けた時のこと。私は看護師さんに持ってきてもらった新聞を読み思わず顔を顰めていた。

 

「沈黙の日曜日、ねぇ......」

 

 紙面には秋天の勝者を讃える記事ではなく、おおきくサイレンススズカが足並みを崩した時の写真と共にそんな見出しが踊っていた。

 レースの顛末は人気が高かったエルコンドルパサー、ヒシアマゾン、メジロライアンらでもなく、実力者と見込まれていたメジロブライトやローゼンカバリーでもなく、その影に隠れていたオフサイドトラップというウマ娘だった。彼女はウマ娘にとっては死神とさえ呼ばれる『クッケン炎』を3度克服しターフに戻ってみせた。そして七夕賞、新潟記念と夏レースで調子を上げ伏兵のように隙を伺っていた彼女は、最終直線で先頭に立っていたエルコンドルパサーらを交わして1着を取ったという。怪我と付き合いながら5年。どういう心持ちで学園生活を過ごしたのか、一度話を伺ってみたいものだ。

 

 そして2着といえばその更に後ろから突っ込んできたステイゴールドだったらしいのだが......

 

『ふざけんなこんなレース認められっかもう1回やらせろ! あいつの背中は私が1番先に追い越すんだ!』

 

 とインタビューの席で荒れに荒れたようだ。南坂先輩の困り顔と報道陣に向かって堂々とスズカに再戦を申し込む啖呵を切っている様子が短く乗せられていた。相変わらずの狂犬ぶりというか、喧嘩っ早い性格は変わらずのようだが、良い方向に昇華され始めたらしい。

 そしてもうひとつ、角度的に顔が写るカメラが無かったおかげか私の正体はいちウマ娘というだけに収まるだけだった。ジャージ姿からおおよそ学園関係者だろうか、と言われるくらいで、正体については何もわからないとまで書かれている。

 だが世間的にもレース中のターフに踏み入るのは大問題であり、記事を書いたウマ娘記者からは『レース場という神聖な場所を汚した事実は糾弾されて然るべき、しかしサイレンススズカの命を救ったのもまた彼女である』と煮え切らない一文が乗っていた。テレビをつければ専門家やウマ娘達がニュースで喧々轟々と私の行為の是非を議論してることだろう。

 

「あの、昨日の夜のことなんですけど」

「ん?」

「すごい騒がしかったんですけど、誰か来てたんですか?」

 

 黙々とりんごを剥いていたダイワスカーレットが、突然そう聞いてきた。

 

「昔の同期がなんて事してくれたんだと怒鳴り込んできて大喧嘩よ。自分の身体は大事にしろとか、なんとか」

「ヒトだったら死んでたかもしれないんですよ」

「見ての通りウマ娘なもんで」

「んもー! 屁理屈はやめてください!」

 

 ぴこぴこと耳を動かしてからかってやると、いつものように頬を膨らましてぷりぷりと怒りをあらわにするスカーレット。昨日のことを一から十まで伝えるつもりはないし、伝える義理もない。

 

「昔の同期、って、トレセン学園のことですか?」

「ん? ああ、そうだね。実は重賞に勝ったことがあってね、クラシック級では実は3冠にも出たことがあるんだ」

「すごいじゃないですか!」

「掲示板外だよ。ボコボコにされた。彼女はその時一緒に走ってたクラスメイトで、同期さ」

「珍しいですね、同級生で同じ年にデビューなんて」

「よく言われるよ」

 

 ウマ娘の本格化というのは本当に突然訪れる。その殆どが12歳ごろ〜16歳ごろに集中するが、例外として小学生高学年ごろだったり、18歳に本格化を迎えるウマ娘もいる。だから同級生であってもデビュー年も違うし適性もバラバラ、同級生で同じレースを走ることは稀で、クラスメイトとなればさらに珍しい。私とシービーとの腐れ縁は本当に奇跡としか言いようのない偶然だった。しかしスペ達黄金世代はそれが5人もいるんだからあの奇跡というか不運には霞むね。

 

「ところで、なんで私がトレセン学園の卒業生って?」

「トレーナーさんと仲良さそうでしたし、あの段ボール被って走ってたのって今思い返せばトレーナーさんでしたよ。尻尾と背中がよく似ていましたから」

「流石にバレたか」

「今まで気が付かなかったアタシが恥ずかしいですよ」

「変装上手くいってたと思ったんだけどな」

「アレでですかぁ?」

「ゴルシのおふざけに乗っかった形だったんだけど」

「ですよね! あんなこと思いつくのゴルシ先輩くらいだと思ってたんですよ!」

「まぁそういうことよ。んで、スズカの様子は?」

 

 すると悲痛感あふれる様子で耳を畳んでしまったスカーレット、それだけでスズカがどんな様子かは大体わかった。

 

「まだスズカは目を覚まさないんだね」

「スペ先輩が来れる時はつきっきりで、スズカさんの同級生の先輩方も来て声をかけてくれるんですけど、全く」

「アレほどの怪我、1日2日目を覚まさなくてもおかしくない。トレーニングの方はどう、進んでる?」

「どうって、できませんよ。トレーナーさんだってまだ入院中ですし、沖野トレーナーも元気ないんですから」

「......無理もないか」

 

 ゴルシやシャカールのようにある程度自立した、それこそ高等部の面子は割り切ってくれるだろう。だがスペやフクキタルはスズカと距離が近かっただけに、そう簡単に気持ちを切り替えることはできるかと言われるとそうではないはずだ。それは沖野トレーナーも例外じゃない。喧嘩別れはあっても競走中止は初めての経験だろうし何があってもおかしくない。

 

「しばらくは自主トレをするときは桐生院に見てもらうようお願いするよ。顔は知ってるね」

「あのポニーテールのヒトですよね」

「そうだね。スペのレースも近いし、沖野トレーナーが復活するまでは代理を頼むつもりだ。エルやエアグルーヴ担当のおハナさんには流石に声はかけれない」

 

 それはそれとしてスペのレースだ。菊花賞にジャパンカップ、どれも強敵揃いで適当な自主調整では絶対に勝てない。だが3000mから2400mの強行ローテ、心身共に万全ならともかく今のスペではオーバーワークにでもなれば怪我を誘発する可能性もある。たとえ新人だろうとなんだろうと第三者の目がないと問題があった時に手遅れになりかねない。いくらスペが丈夫な身体を持っているとはいえ万が一がないわけじゃない、スズカの二の舞だけにするわけにはいかないんだ。

 

「菊花賞まであと1週間もない。スペには悪いがグラウンドには来てもらうように言ってくれるか」

「......素直に来てくれるでしょうか」

「来てもらうしかない。出走回避させてもいいんだがクラシックとなれば話は別、クラシックに限って次はない」

「でも大丈夫なんでしょうか? もし、レースの日までスズカさんが目を覚まさなかったら」

「覚ますさ。頭だけは打ち付けないようにしたんだから」

「そうですか」

 

 話すこともなくなり、スカーレットがりんごを剥くシャリシャリという音が病室を支配する。私としては面会時間が終わるまでこのままでもよかったんだが、耐え切れなくなったスカーレットが私に質問をしてきた。

 

「あの、興味本意なんですけど」

「なんだい?」

「名前、なんていうんですか?」

「鏑木ハジメ、女の人なのにハジメって珍しいとはよく言われるよ」

「そうじゃなくて学生だった頃の、競走ウマ娘の時に使ってた名前はなんていうんですか」

「......」

 

 触れたくないことによく切り込んでくる。私は無理やりにっこりと笑ってこう伝えた。

 

「ないしょ」

「教えてくれたっていいじゃないですか」

「重賞勝ったら教えてあげようかな〜」

「んもー!」

 

 さっきよりも怒りをあらわにするが、剥いたリンゴはしっかりとくれるスカーレット。丁寧にウサギさんに剥かれたりんごを口に入れながら、私はこれからのことを考えていた。

 

「......そろそろかな」

「何か言いました?」

「いや、なんにも」

 

 その日の夜、私はチームの誰にも伝えずに病室を引き払った。

 

 病院を出てすぐにウマホで桐生院に電話をかけると夜遅くにも関わらずにワンコールですぐに出てくれた。

 

『もう、何ですかこんな時間に』

「頼みがある」

『なんです?』

「ケジメをつけてくる。秋川理事長の連絡先持ってたよね」

『......確かに持ってますけど』

「ちょうだい」

 

 そろそろ腹のくくりごろだろう。学園とURAは私の素性を理解しているから今回の事件で動かないはずもない。遅かれ早かれ、私の実名と立場は公開される。なら先にこちらからやることはやっておくのがいい。立つ鳥跡を濁さず。余計なものをフクやスカーレットやシャカール、ひいては『スピカ』に背負わせる必要は何もない。

 

「ついでにスペの菊花賞の調整も見てやって、入れ込み過ぎないように、万全とは言わなくても最大限仕上げて。あと次走のジャパンカップの対策もよろしく、多分今回は日本勢が強いからそこ重点的に。あと有の予想出走者表も作って対策案と対策の対策もよろしく。スペは多分選ばれるし本人も多分でたがるから」

『ついでで言う内容ではないですよね?!』

「どーせ予想表と仮想対策案くらい練ってるでしょ、ほら隠さずキリキリ吐きなさいな」

『確かにやってますけど!』

 

 会話の後ろでガサガサと紙を漁る音が聞こえるあたり本当に予想表と対策案は出来ていたらしい。桐生院は昔っから生真面目で几帳面だからウマ娘一人一人としっかりと向き合える良いトレーナーになれるだろう。ちょっと人数が増えるとパンクしてしまわないか不安だが、安心して任せられる。

 

『それで、これからどうするんです? まさかトレセン学園から居なくなるとは言わないですよね』

 

 不快感を隠さないような、怒りの篭った口調で問いかけてくる。おそらく私のやろうとしていることにある程度勘づいているんだろう。その上でどう答えるのかと桐生院は聞いているのだ。

 

『本当に、居なくなるつもりですか』

「私の担当を頼むよ」

 

彼女の返答を聞く前に私は通話を切った。

 

「結局、逃げ癖がついちゃったままだ」

 

夜空に息を吐くと、白くなって煙のように空を登っていく。

都会特有の星空の見えない、ただ一面が黒い空にに向かって私はつぶやいた。

また大切な事を言えなかった。むかしも、今もだ。トレーナーと担当ウマ娘は一心同体であるべきだ。沖野さんもそうだしおハナさんだって、南坂先輩だって、桐生院だってそれを知っている。言えない事があれば言えない、ダメなものはダメだ。そう線引きし決断する力もトレーナーに求められる資質なのに、私はどうしてもそれが出来ない。

1人で何もかも巻き込んで自滅する、やっぱり、昔と何も変わってない。

それが最良の道だと、昔から今までずっと思っているから。私が私である限り、それは変わることはないんだろう。

 

「私は、ダメなウマ娘だなぁ」

 

やっぱり私はトレーナーには向いていない。

 



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第58話 夢の先にはなにもなく

 

 

 

 

 どの中学校、高等学校にも多かれ少なかれ怪談話があるようにトレセン学園にも七不思議というものがある。

ひとつ、西校舎のトイレには幽霊が出る。

ひとつ、第7ダンスルームの鏡を合わせ鏡にしてはいけない。

ひとつ、第2グラウンドでは夜の2時にトラックを2周すると怪物が追いかけてくる、などなど。

 私が現役の時にもあったし、シャカールなんかに聞いたら内容が殆どが変わっていたが7つしっかりと揃っていた。変わらなかった一部というものはこうだ。

 ひとつ、学園本館の最上階には開かずの扉がある。そこを開けたものは誰も帰ってくることはないという。

 

 なんてことはない。トレーナー(まだ研修中だが)になった時にネタバラシされたがその『開かずの扉』のある部屋は学園理事長室だ。生徒が滅多に立ち入るものでもないし人目につきにくい。さらに理事長というのは忙しいらしく日本どころか海外まで出張することもあるという、だから先代理事長も含め理事長というのは理事長室に篭るか出張しているかのどちらかで扉から人が出入りするなんてことは滅多になく、それを目撃することは奇跡に近い。

 そしてもうひとつ。学園長が直々に生徒と面会するのは大抵がろくでもないことがおきたときで、本人はその内容を語りたがらないからだ。

 意を決し、ひとつ深呼吸をしてからその壮麗な蹄鉄の意匠が彫られた木製扉を2度叩く。

 

「失礼します。トレーナー鏑木です」

「了承! 入りたまえっ!」

 

そのろくでもないことといえば、たいてい退学か退職だ。

 

 椅子に座って待つでもなく、彼女は堂々と扉の前に立ち扇子を広げて待っていた。薄青色とレース模様のあしらいがされた特注だという扇子には墨痕逞しい文字で『歓迎』と書かれていた。

 理事長の前ということもあり今日の私はジャージではなくスーツの正装姿。いつものスポーツキャップは手放すわけにはいかなかったが、被っていたそれを取って深々と頭を下げる。

 

「お久しぶりです、秋川理事長」

「うむ、久しいな鏑木トレーナー。そこまでしなくとも良いぞ。今日は秋川やよいという人物と話すのだろう?」

「......そういえばそうでしたね、やよいさん」

「うむ」

 

 機嫌良さそうにパタパタと扇子で自分を仰ぐ理事長。この人と対面するのはいつぶりだろうか。式典を除けば、確か......

 

「最終面接以来ですか」

「そうだな。あれからもう2年は経つとなると、年月の経つ速さを実感するところであるな。たづながいれば茶を出させるところだが今日は不在ゆえ勘弁してもらいたい!」

「......彼女忙しいんですか」

「私が今ここにいられるのもたづなが仕事を請け負ってくれたおかげだ」

 

 まぁ座ると良い、と中学生だという小さな小さな理事長は接待用ソファーに座るよう私に求めた。断るわけにもいかないので座ると、彼女は自分の高座の椅子に座るでもなく私の対面側に腰を下ろした。

 

「たづなさんの仕事というのは、秋の天皇賞のことですか」

「否定っ! 特待生やスカウトの最終選抜である。本来なら私が同席することになっていたが無理を言ってこちらにきさせてもらった。急に君から連絡が来た時は驚いたのだぞ?」

「その節は申し訳ないです」

「しかぁし、私も物事の重要度はわかっている。今回ばかりは君の方を優先するべきだと直感した、それだけのことだ」

 

 緊急、と書かれた扇子を広げてみせた秋川理事長。たしかに1トレーナーから急に連絡が来れば何事だろうと思うだろうし、実際のところそうなのだから直感は当たっている。

 

「しかし、天皇賞秋のトラブルの対処も彼女を忙しくさせている理由の一つである。南坂トレーナーにも問いただすが、彼女......ステイゴールドのレース後の物言いはいささか問題があると認めざるを得ない!」

「......はぁ」

「あのような暴言に近い発言はトレセン学園生徒としての自覚に欠けた振る舞いである! 有り余る闘志は当人との間でぶつけ合う、レースで昇華すべきなのだが、それを口にし人々を不快にさせるのは甚だしいことである! 学園側としてはそれを注意し、トレーナー側にもそういった振る舞いを正すよう心がける事を通達してゆくつもりである」

 

 礼儀! といつのまにか書きかわった扇子を見せながら彼女はそう語った。なんだか話が脇道に逸れているような。

 

「最近の若者は礼儀に欠けると聞く! トレセン学園はレースウマ娘を育成する場所とはいえども、社会に出たのちのことも考えて共同生活を送り、互いに礼節を持って接する事で将来のためにも」

「本題はそうじゃないでしょう」

「失礼! つい熱くなってしまった。君が私を呼んだ以上、君から話があるのだったな鏑木トレーナー」

「本日はこれを渡しに来ました」

 

 私は懐から封筒を取り出し両の手で持ってそれを理事長に差し出すと、理事長は信じられないというように目を見開いてこちらを見上げた。

 

「......驚愕。これは退職届ではないか」

「はい。今日はこれを渡しに来ました」

「提出する意味をわかっているのか」

「分かっています」

「熟考! 考えなおすべきだ! サブトレーナーとはいえども初年度から担当したマチカネフクキタルをG1勝利へと導いた。この実績は評価に値することである! 自己の才能を客観視した上でこれを私に手渡そうと言うのか鏑木トレーナー!」

「その上で、です。秋川理事長。レース中にウマ娘がターフに侵入した前例を許すわけにはいきません」

「むぅ、その件は理事会でも問題になっているが人命救助の為なら不可抗力、私自身は君の行為を不問とするところではある。気にする必要は全くない」

「理事長が許しても、世間や後輩に示しがつきません。それに、私は特例で学生でありながらトレーナー実習生になることができてるんです。問題を起こした以上、取る責任は通常より重くなくては」

「む、むぅ......」

「それに自分にはトレーナーは不向きだとわかりましたから」

「いや、しかしだな」

 

 ブツブツとしばらく何かをつぶやきながらも、彼女は顔をあげ両の手で私の退職届を持ち、問いかけてくる。

 

「門戸を叩くものあれば、そこから去るものもある。才能があっても、それを活かすことを拒むと言うのなら、私は引き止めはしない」

「......ありがとうございます」

「が、後悔しているのであれば引き止める義務がある! 改めて聞く、この学園を去ることに後悔はないのだな!」

「ありません。これっぽっちも」

 

そしてそのまま私は回れ右をして、理事長室を去った。

 

 

 トレーナー室の荷物は纏めてあるし寮はもう引き払ったところだ。あとは......

 

「チーム室の荷物、取りに行かないと」

 

最後の最後に、1番足が遠のく場所が残っている。

 だけど今の時間ならちょうど授業中、さらに沖野さんもトレーナー室にいるだろうし行くなら今しかない。誰も知らないままにどこかに行くことができる。

 

「でも置き手紙くらいはしておかないと」

 

 探さないでください、とかなんとか言っておかないと地の果てまで追いかけてきそうなんだもの。シャカールあたりは割り切ってくれそうだが、スカーレットは諦めが悪い。マックイーンを抱き込ませれば名門メジロの力で全国隈無く探されてもおかしくはない。普通に生活してたらある日ウマ娘がやってきて麻袋に詰められて学園に逆戻りなんてまっぴらごめんだ。その憂いを立つためにもスピカの面々が納得する終わりかたを模索しないとならない。もし仮にシラオキ様のオカルトパワーで呪われたりしたらどうにもならないしどうしようもない、最悪それだけは避けないと。

 

「だとしてどう書くものか。最近手紙なんて書いた試しがないしなぁ。メールで全部済ませちゃうし」

「別に形式ばらずに思ったことを書けばいいんじゃないかな?」

「それが1番なのかな。この際封筒もないし、メモ用紙に鉛筆とかで許してもらおう」

「それで許されるとは思わないけどね。行為じゃなくて内容の方でだけど」

「私にできることはそんなものだよ......ん?」

 

 ちょっと待て、私は今誰と話してるんだ? 声のする真後ろを振り向くと見知った顔で見知った姿の人物が小さく手を振っていた。

 

「なんでいるのさ」

「来たかったからに決まっているだろう。学園の外周柵を飛び越えてね」

 

 突飛なことをさも当然のように言い放ったのは、私のよく知る常識外れのバ鹿ウマ娘。

 

「や、こないだぶり」

 

ミスターシービーがどういうわけが私の目の前に立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第8章 夢を彩る『ウィンタードリームトロフィー』
第59話 あなたのために


 

 

 

 

「辞めるんだって?」

「耳聡いね。誰から聞いたのさ」

「桐生院ちゃんから」

 

 私の脳裏に何故かピースするボブカットもどきの顔が思い浮かんだ。私との仲だから漏らすことはまずないと踏んでいたんだがよりにもよってこいつに伝えてしまったか。スピカメンバーに伝えられるより100倍マシだが、次点でマシなだけで最悪の部類に尽きる。

 

「......無様な負け犬を冷やかしにきたわけ?」

「まさか。引っ越しの手伝いに来ただけさ、お代は昼ごはんだけで構わないよ?」

「いらないお世話だよ。部外者なんだから帰った帰った」

「つれないねぇ」

 

 睨みつけようが追い払う仕草を見せようがケラケラと笑うばかりでいっこうに離れる気はないらしい。諦めてまた歩き出すがその真意だけは知りたいと口を開いた。

 

「また引き止めに来たわけ? ルドルフあたりにお願いされたんだろうけれど、出すものは出したし撤回するつもりはこれっぽっちもないんだからね」

「私から引き止めるつもりはないよ。ただ最後にトレーナーとしての立場の君と話したかっただけさ。まぁ、負けず嫌いの君はまた戻ってくると思うけど」

「絶対にないね。今回ばかりは絶対だ」

「......ふぅん?」

 

 タッ、と短く地を蹴る音。その一歩だけで私の前に回り込んでみせたシービーを見てトレーニングは怠っていないようだね、なんてどうでもいいことを思ってしまった。

 

「人間に()()()()()たんじゃない? レースに絶望するなんてらしくないよ。昔はあんなに楽しそうだったのに」

「自分で走るのと、他人を走らせるのは訳が違う。一緒にしないで」

「立派にトレーナーやってたと思うよ? 自信持ちなよ」

「何も出来なかった」

「何も? 君のおかげでスズカは死ななかった。怪我の重症化だって避けられた。それでいいじゃないか」

「よくない」

 

 フクキタルの怪我の時もスズカの秋天の時も何もできなかった。対処療法なんて慰めの言葉はいらない。アレは最低限のやるべき義務で行動のうちになんて入らない。

 

「あの事故は、私が未然に防ぐべきだった。防げたものを防げなかったのは、私の罪だ」

 

 シービーが立ち止まりかがんで、それで? と続きを促すようにこちらの顔を見上げてくる。シービーに隠し事は通用しない。なら、2人だけのうちに話してしまった方が気が楽になるだろうか。そう思うと、自然と口を開いていた。

 

「あの大怪我じゃスズカはもう走れない。競走バ『サイレンススズカ』はあの大欅の向こう側に消えて二度と帰ってこない。

 勝ち続けるウマ娘はいない。どんなに強いウマ娘だろうといつかはレース(だれか)に負け、身体(ケガ)に負け、現実(おとろえ)に負ける。

 勝ち負けがあってのレース、負けて当然。大事なのはそこから何を学び、何を得て次に繋いでいくかなんだ。

 それが見えなくなっちゃった。負けたことだけで、もう心が潰れちゃうようになっちゃった。勝ち続けることなんて出来ないのに、たった一度の、決定的な敗北を迎えるのが、私は、怖くて怖くてたまらない。

スカーレットが1番になれない時を迎えるのが、

シャカールが三冠の夢を叶えられない時を迎えるのが、

スペシャルウィークの、日本一のウマ娘になれないことがわかる時が来るのが」

「ルドルフに屈した時のように?」

「......そうだよ。君だって同じだ、いや、それ以上なはずなんだ」

 

 三冠ウマ娘といえば、『初代三冠』セントライト、『神が讃える』シンザン、『皇帝』シンボリルドルフが挙げられる。

三冠とは絶対的王者の証左であり、名誉である。そこに抜けはあってはいけないのに、もう1人の三冠バを知らない人も一定数いるのだ。『最弱の三冠バ』。ミスターシービーはそう揶揄されることもある。その所以はシンプルなたった一つの理由。

 ミスターシービーというウマ娘は、シンボリルドルフに先着したことはただの一度もない。レース中ですら先を行ったことは数度もなくシービーはルドルフの後塵を拝し続けている。

 ライバルと呼ぶにも烏滸がましいほどの実力差だった。

 

「脚の怪我でシニアからは本気を出すことも叶わなかった。秋天は勝ったけれどジャパンカップは10着、あの有だって3着だけどまるで届かなかった。その翌年の春天なんて、足蹴にされて、相手にすらならない無残なレースの後にターフを去ったじゃないか」

 

 シービーは勝利の栄光を人一倍知り、その喜びを人一倍享受し、人一倍レースを楽しんでいたウマ娘であり、人一倍の敗北感と、人一倍の失望をその身に受け、人一倍レースに苦痛を受けたウマ娘。

 

私と同じようにターフを捨て、学園を去ったウマ娘。

 

「私と同じじゃないか、なんでわからないんだよ」

 

そんな言葉が、不意に口をついて出た。

 

「絶対に勝てないことを心に刻み込まれて、完膚なきまでに叩きのめされたのにどうしてわからないんだ!」

 

 胸元を掴み、自分の手に爪を立てるくらいに握りしめてシービーの顔を引き寄せる。彼女の凛々しい表情は相変わらずで、これほどまでに怒りをぶつけているというのになんの変化もなくただこちらを見つめるばかりだった。

 

気に入らない、気に入らない、気に入らない。その飄々とした顔も、何もかもわかったような態度も、全部、全部が気に入らない!

 

「自分は何もかもわかったようなふりをして飄々として楽しい楽しいだのいっつも言ってたね。私はそんな態度のシービーが大っ嫌いだったんだよ!

 勝負事で悔しいと思わないような素振りが、私たち凡なウマ娘とは違うって言ってるみたいでさ!あの時の有だって『楽しかったね』だなんてさぁ!

 叩きのめされて、心を折られて、絶望的で絶対的な差を見せつけられて、どうしてそう笑っていられるのさ!

 私と同じように苦しめよ! ヘラヘラしないでよ! 笑わないでよ! 同じように悔しがって、後悔して、また頑張ろうってお互い肩を叩いてさ......」

 

 桐生院ではコイツのようになれなかった。腹を割って話し合い、胸の内を曝け出すことはできても同じ苦しみを理解できるはずもなかった。彼女は人間で、私がウマ娘だ本質的に別の生き物だ、合わなくて当然なんだ。

 

だから、シービーには私と同じでいて欲しかった。

 私と同じように苦しんで、泣いて、下手くそに笑って......お互いに励まし合って、一緒に頑張っていきたかった。

 

「......なのにどうして、『諦めろ』『よくやった』って、言ってくれないの?」

 

私の決断を、後押ししてくれよ

私の痛みを1番理解している君なら、できるはずなのに。

どうして、背中を押して前を向かせようとしてるのさ。

 

「私を終わらせてよ。もう嫌なんだ、何もかも!」

「それは本気で言っているのかい?」

「そうに決まってるじゃないか」

「私はそうは思わない。そもそも、私は()()()()()()()()()()()()()()

 

 私の言葉を完全に否定するように、彼女は私の手を乱暴に振り解いた。尻餅をついて見上げる私に覆いかぶさるようにして、彼女は私の目を見てこう言った。

 気分はまるで、死刑宣告を受けているような気分だった。

 

「『諦めるな』『まだやれる』。君の終わりはここじゃない。私と同じように、どこまでだって駆けて行ける」

「......無理だ」

「無理じゃない。なんならルドルフに勝ってやろうか?」

「できるわけがない」

「できる。今なら、()()()()

 

一緒にやろう、そう差し伸べられた手。

これを振り払えば、私は完全に終わることができる。

振り払ってしまえ、払い退けてしまえ、どうせもう終わりたいなら、早く否定してしまえばいい。

 

そう誰か()が囁く。なのにどうして、やっぱり。

 

「......夢の続きを、見ても良いの?」

「ああ、一緒に夢を見ようよ」

「叶わないなら見る意味はない」

「だったら、死んでも叶えるだけさ」

 

 

「君の為だけに、走らせてくれ」

 

 

 ああ、なんてずるいことを言うんだろう。まるでプロポーズじゃないか。

 

「......私は夢を見られない。夢を見ようとしない。

だから見せて。私に、夢を」

 

言葉が、口を突いて出た。

 

「仰せのままに。最高のショーを見せてあげる」

 

 

 

 

 

 



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第60話 また会う日まで

 

 

 

「お疲れ様でーす! おや、鍵が空いているから誰かいるかと思ったのですが」

 

 電気もつき、鍵も開いていたのだから誰かいると思ったのですが、誰もいませんでした。ただ違和感を感じるところがあるとすれば、部屋が少し整頓されているように見える、ことですかね?

 きっと誰かが掃除をして、今ゴミ出しに行っているところなのでしょう。多分几帳面なスカーレットさんか、整頓好きなシャカールさんでしょう。いやあ、物が片付いているとなかなか広々としていますね! 私の持ち込んだラッキーアイテムも一纏めになっていて安心です!

 

「おや、手紙......?」

 

 ふと、机の上に紙が何枚か置かれていることに気がつきました。ルーズリーフを三つ折りにした物が何枚かあって、それを真新しいもので挟み込んでいます。その一番上にある宛先は『スピカのみんなへ』、差出人は......字から察するに、トレーナーさんですか。無事に退院していたんですね!

 まったく、少し用事があるなら連絡アプリでもメールでも構わないと言うのにここまで形式ばったことはしなくてもいいでしょう。勝手に岩手に行って怒られた時から勉強したんでしょうけれど、流石に律儀過ぎますよう!

 もしかしたら、ラッキーアイテムが手紙だっただけかもしれませんが、それはそれで万々歳! やっと占いを信じてくれるようになりましたか......っと。せっかくなので開けちゃいましょう!

 

......そんな軽率な判断をすべきではなかったのです。

 

そういえば、今日の占いでも『思いつきで行動すると凶!』なんて言っていました。すっかり部屋が綺麗なことに気分を良くしてしまって、まさか、こんな事になるとは思わなかったんです。

 

 

 

◇◇◇

 

 

ゴールドシップ。

 君の奇行には何度驚かされたことか。だが、あの支離滅裂な言動の中にも、優しさや思いやりがあることを知っている。

 自分を貫き、忘れることなかれ......と言ってもそんなことはよく知ってるだろうから、残す言葉はひとつだけだ。

 焼きそばのソースはもう少し甘めの方が売れると思うぜ。

 

ウオッカ。

 スカーレットとよく張り合っている姿を見かけたよ。ただ、気を張りすぎると倒れる時もきっとあるだろう。だから、たまには隣の騒がしいライバルを頼っても良いと思う。人を頼るのはけっして『カッコ悪い』ことじゃない。時に泥臭く、時にカッコ悪くても......最後にカッコよければ、それで良いんだ。

 

トウカイテイオー。

 私のことを勘づいてる君が私を嫌いなのはよーーーーーくわかる。とはいえ、今までそのことについて言いふらさなかったことについては礼を言いたい。ありがとう。それと『無敗の三冠バ』の夢応援してる。けど、それが叶うことがなくなった日が来ても決して折れたり腐ったりしないでくれ。というより、こう言った方がわかると思う。私のようにはなるなよ。

 

メジロマックイーン。

 あんまり関わりがなかったが、ゴルシに振り回されてること見逃してごめんね。アレは災害みたいなものだから諦めた方がいいと思う。けど、アレはアレで彼女なりの思いやりだ。家名やプライドなんかで固まってる君の緊張を柔らかくしようとしてるだけなんだ......と、思う。

 怪我にだけは気をつけて。メジロの夢、応援してるから。

 

エアシャカール。

 データ収集やら使いっ走りやら、お使いばかり頼んで担当らしいことは何一つできなかったね。ごめん。

 三冠の夢、君が自分で言うように叶えるのはとても難しいことだ。私の予想でも三冠は叶わない。だから予想の先を行け。自分の、トレーナーの、ライバルの、みんなの予想を飛び越えて行け。君の信念とやり方は、間違いじゃない。

 

スペシャルウィーク。

 次会った時殴りつけても構わない。弁明はしない。ただ私は間違ったことをしたとは絶対に言わない。あの事件の責任は、全て私が持ってくから背負い込まないでね。

 君に言うことはない。ただ前を向いて走り続けてほしい。君の夢に向かって、ただ真っ直ぐに、一直線に。ブレなければ、君の夢は必ず叶う。君の走りは必ず誰かに勇気と夢を与えてくれるはずだから。

 

ダイワスカーレット。

 道半ばで去ることをどうか許してほしい。君の1番になるための助力が叶わなかったこと、謝らせてほしい。私は1番にこだわり続けられるほど、根性が無いんだ。

 だけど、君ならそれは叶う。少し頑張りすぎるところがあるけれど頑張れるのは才能だ。自分に厳しく、努力を惜しまないその姿に私は惚れ込んだんだからね。

 先頭を譲るな、1着を譲るな、1番を諦めるな。

もし、もし仮に心が折れそうになったら......きっと君のライバルが、力を貸してくれるはずだ。

 

サイレンススズカ。

 君の脚がどうなったのか、今の私にはわからない。走れるのか、走れないのか、全盛期の走りを取り戻せるのか、そうでないのか。すまない。故障の原因は、多分私のせいだ。いくら恨んだっていい、罵声を浴びせてくれたって構わない。それだけのことをした自覚はある。

 

......それでも、レースだけは嫌いにならんでくれよ。あの秋天を一緒に走ったライバルたちを、目の前で自由に走るチームメイトたちを絶対に羨んだりしないでくれよ。あの走りに憧れて背中を追いかけたみんなを裏切るようなことだけはしないでくれよ。

 

君の走りは今もなお誰かの憧れで夢なんだから。

 

 

沖野さん。

今だけは昔のようにトレーナーちゃんって呼ばせてもらうね。急にいなくなって、急に戻ってきて、散々迷惑をかけたと思う。私もこんな形でここを去ることになるとは思わなかった。

だけど、トレーナーちゃんは何にも悪くないよ。悪いのは全部、私だ。

 『スピカ』は良いチームになったね。きっと、私がいなくても、トレーナーちゃんならうまいことまとめ上げられるはずだから。だって私みたいな変なウマと3年間駆け抜けてきたんだよ? 自信持ちなって。

 

 

マチカネフクキタル。

 不甲斐ない私についてきてくれて、不甲斐ない私にG1の栄光を届けてくれて、どうもありがとう。君の後ろにいる『シラオキ様』にもお礼を言わせてくれ。貴方がいなければ、フクキタルがG1を取ることは決してなかった。

 フクキタルと過ごした日々は、とっても楽しかったよ。トラブルメーカーなところも、変に自分に自信がないところも、占いが好きなことも、実はおっちょこちょいなところも、他人を思いやる優しい心を持っているところも、好きだったよ。

 怪我を強いてしまった事だけが、唯一の心残り。菊の名誉と引き換えに私は貴方の脚と未来を奪ってしまった。そのことを恨んでくれても構わない。勝てずとも長く走る道はあった。でも、それを選ばなかったのは私だ。だから、私のせいなんだって思ってくれて良い。

 

引退するのか、まだ走るのか、結局聞けなかったね。

 

どちらを選んでもきっと後悔する日が来る。だからその時だけは、後悔しない方を選んで。

 

 

 

さようなら。

貴方のトレーナーだったカツラギエースより。

貴方の走りを遠くからずっと見守っています。

 

 

 

 




「心変わりはしないかい?」
「しない。99%シービーがルドルフに勝つと思ってないし」
「酷い言い草だねぇ。でも100%じゃないんだ?」
「レースに絶対はない。だから、もしかしたら勝てるかもしれない、そう思う時もある」
「素直じゃないねぇ。じゃあ、絶対がないことをまた証明しないと。君のようにね」
「JCならともかくWDTじゃあキツいと思うけど? 絶対にマークされるし、レース巧者の集まりのあそこじゃ追い込みはキツいよ」
「我に秘策あり、ってね」
「?」
「ともかく参加申請はルドルフにごねて取り付けたからあとは当日までに仕上げるだけ。私のトレーナーは引退しちゃってるし、面倒みてよね」
「......無計画というか図々しいな。さて、着いたよ」
「うーん、一面真っ白。さっすが東北」

降り立つは東北、岩手県。

「トレーナーさーーん! 久しぶりっス!」

一面が真白の雪国、中央から遠く離れた地方の片隅で、

「......っと、こっちは誰っスか? 知り合いですか?」
「私を知らない? なら教えてあげようか」

皇帝を倒すための逆襲の花火が上がる。

「私の名前はミスターシービー」

最高のレース(ショー)をご覧あれ。

皇帝(シンボリルドルフ)を倒しにきた、おおバカ者さ」


「シンボリルドルフって誰っスか? ......あ、足元滑るから気をつけた方がいいっスよ。凍った地面には足を垂直に入れるようにすると転びにくいから、次からそうした方がいいっス!」
「レッド、そういうことで転んだんじゃない」


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第61話 東北の片隅から

 

 

 

『強い強い! 最終直線で突き抜け3番レッドキングダムが今ゴールイン! 地方転籍から2戦目で中央、地方キャリア通しての初勝利となります!』

「いやあっっほおおおおう!」

 

 ゴール板を駆け抜けた瞬間、レッドが大きく拳を突きあげ、まばらな観客席から暖かい拍手が沸き起こった。それを意に介すこともなく彼女は両手をぐるぐると回して高らかに宣言する。

 

「見ましたか見ましたよね見たっスよね!? ここから私の快・進・撃が始まるっスよ〜!」

「よくやったレッド、胴上げじゃー!」

「胴上げ?」

「なんやなんや」

「初勝利ならめでたいしやっぺ」

「やっぺやっぺ」

「「「わーっしょい、わーっしょい!」」

「いやっほー!」

 

『なんとレースが終わったところでなぜか胴上げが始まっております! 観客席から飛び込んできたのはレッドキングダムの元トレーナーというらしい情報が入ってきました。いやぁ......大丈夫なんですか?』

『いいじゃないですか、楽しくて』

「......私も混ざりに行こうっと」

 

11月4日。私たちが岩手に来てからすぐのことであった。

 

あれから、少しだけの時が過ぎた。

 

「うーん寒い!」

「それは東北だからね。はいあと20分」

 

 ジャケットにネックウォーマーに手袋、厚手靴下にインナー上下の完全装備。中央の冬なら薄手インナーくらいで体はあったまるから問題ないと言うのに、北の冬はジャージの下にも上にも分厚いものを着ないとおちおち朝にランニングもできないくらいに寒い。

 

「しかしもっと楽しい練習はないのかい? 併走してよ〜」

「してるじゃないの」

「ただのロードワークじゃつまんないー」

「ワガママめ。あと転ぶぞ」

「大丈夫、覚えた」

 

 綺麗にくるりと回れ右をして後ろ向きにランニングしながらぼやく器用なシービーを注意しつつ、これまでのメニューを振り返る。

 聞かされた『とっておき』をするには、1にも2にもスタミナが必要だ。まずは衰えた身体を現役の頃に戻して、その上で更に積み重ねていく。2ヶ月弱ではできることもそう多くないが、基礎基本はしっかりと固めていかないといけない。にしても相変わらず綺麗な走りだ。惚れ惚れするほどにブレがなく、教科書に載るほど理想的なフォームはやはり美しい。私がとにかく鏡と睨めっこして身につけたそれを、こいつは『なんとなく』でこなしてるんだから天才というのは誠に腹立たしい。今でも腹が立つ、三女神様は不平等にウマ娘を作りすぎた。

 

それでも、ルドルフに勝てるヴィジョンが浮かばない。

それほどまでに『皇帝』は絶対だ。

 

「自主練でどこまで行けることやら。いくらまともなレースをするつもりはないと言えども、ルドルフのポテンシャルは今でもトップクラスなんだぞ」

「レースの駆け引きでは逆立ちしたって勝てないよ。100%勝てるけどつまんないほうと、9割負けるけど楽しいほう、どっちをする?」

「100勝てる方」

「私は楽しい方。だから勝てない」

「快楽主義者やめちまえ」

「やめられないから困ってる。今だっていつものように走ろうか、なーんて考えてるところさ」

「だろうな」

 

 シービーが笑いながら吐く息は真っ白。もうすぐ昼過ぎとはいえ息が白いとなるとやはり東北は寒いな。調整に影響があるとも思えないが、ストレッチはいつもの倍にして走る前にはしっかりランニングして身体を温めんとな。

 

 冬場はストレッチをしっかりというのはフクキタルには言ってあるがスペはどうだろうか。トレーナーちゃんがいい含めてるだろうけど、桐生院は気がつけるかどうか。今頃はスペの菊花賞やらジャパンカップの対策で忙しいだろうし、対策ばかり考えてるせいでそれ以外が疎かになってはいないだろうか。

 スペは気落ちしてても菊花賞は勝てるだろう。問題といえば伏兵の存在やセイウンスカイのレースメイクに乗ってしまわないかどうかだ。スペは確実に気持ちが先行しすぎてイれ込みすぎるだろうし、あればかりは言うだけでは伝わらない。流されれば負けるのが長距離だ。私はそもそも適性不足で走ることもままならなかったがスペは長距離も十分走れる脚がある。ダービーと菊の2冠も夢じゃないが......どうだろうな。

ワンセグでも使って応援でも、と考えたところでそういえば携帯はつけたら面倒になることを思い出した。ネットに繋ぐのは無論NGだ、位置がバレかねん。あれからずっと電源を切りっぱなしのウマホは、当然のことだがうんともすんとも言わない。使わないなら雪山にでも埋めてしまおうか、その方は足がつかなくていいかもしれないと思う時もある。ただ、どういうわけか捨てる気も壊す気も起きない。ただ電源を切ってカバンの底に放り込んであるだけだ。

 

「はっ......なんだかなぁ」

「どうしたの?」

「別に。さ、声出してくぞー。トレセーン、ファイ」

「オー!」

「ファイ」

「オー!」

 

そうして、時は過ぎていくことだろう。

 

「......ところでWDT出走枠に自分をどう捩じ込むつもり?」

「大外18番指定のワイルドカードを使うのさ。ルドルフに捕まると面倒だし、トレーナーさん経由で上に回してもらうつもり、引退したけどもうひと働きしてもらうよ」

「いい判断だ。どうせあいつのことだ下手にバラすと居場所突き止めてやってくるぞあんな風に」

 

 なーんちゃって、なんて言いながら適当に目について人影を指差して笑った。確かに縁があるとはいえまず当たるとすれば福島の方の私の実家だろう。岩手に行っていたことは沖野さんが知っていてもWDTが終わるまでは逃げられる自信も脚もある。岩手はメジロの回しものやら中央出身もそう多くないし、せいぜいがユキノビジンの出身てだけくらいで中央となんら関わりのない僻地で......

 

「わ、スピカんところのトレーナーさんでねえですか? オペラさんからお話を伺った事があります〜」

「うそん」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「もうレースもねえですし、休養もかねて早めの冬休みはどうですかってことで帰ってきたんですよ。授業はもう終わってますから早めの冬休みみたいなもんで」

「へ、へぇ......」

 

 岩手トレセンに戻ってきた3人は共用スペースでお茶を啜りながら話をしていた。というより、顔を見たことがあるということでユキノビジンが声をかけてきたのが正しいのだが今はそれは問題じゃあない。オペラ経由で私の事を知ったらしいが、私がそれ以上に興味があるのは別のことだ。

 

「ところで、う、ウチのゴールドシップが何かやらかしてなかい? いつも色々やってるから不安だけど」

「ゴールドシップさんですか? そういえばここ数日は見ていませんねぇ」

「よかったぁ」

「見つかるといけないんですか?」

「ベーリング海で鮭を釣りに行かされるからな。ちょうどサーモンのシーズンだし」

「なんて?」

 

 全くの出まかせだが捕まったら厄介なことになるのは事実だ。その上ゴルシの気分次第では本当に漁船に乗らされるハメになるから嘘は言ってない。獲物がカニか鮭か、はたまたネッシーのどれかになるだけ、大して変わらないだろう。

 

「って、オペラっていうとテイエムオペラオーから聞いたのかい? 仲良いの?」

「テイエム? いえメイセイオペラさんのことですよ。最近よく話してますし、その時に何度か話題に出てましたから。随分とお世話になったって」

「お世話になったのはこっちだよ。私の担当が地方転籍する時に相談に乗ってもらったんだ」

「なるほど。それで盛岡に来たんですか?」

「恩返しと......そうだね。あと面白い子がいたら中央に引っ張ってみようかって下見」

「熱心なんですねぇ」

 

 これは嘘だ。返す恩はあるが、ここからスカウトするつもりはない。私はダートは齧っているとはいえ専門外で良し悪しなんてさっぱりわかんないし興味がない。それに、地方の格にしても盛岡や水沢のレースは若干低い。

 

「引っ張るとしたら、1人いなくはないんだけどね......」

 

 メイセイオペラ、彼女はおそらく中央の舞台でも一着が叶う実力者だ。だが、彼女を中央に連れて行くほど私は酷じゃあない。トレーナーと担当ウマ娘を引き裂くなんて残酷なことをしてやることなんてできないからだ。残酷な痛みは今十分に私が味わっているところで、他人にも同じ痛みを味合わせようというケチな考えは持っちゃいない。

そこまで考えたところで、自分の思考回路のおかしさに思わず笑ってしまった。

 

「......はは」

「どうしました?」

「いや、なんでもない」

 

 これで2回めじゃあないか。このバカが居なくなるのは。

一度は勝手にトレーナーの前から居なくなって、次は担当ウマ娘から逃げている。大切なパートナーを失う痛みを味合わせる罪を、自分もそうだからと言って他人に背負わせる理由にはならんだろう。

 

......全く、まったくもって。ままならん、なぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第62話 カツラギエースの追憶/ジャパンカップの思い出

 

 

『セイウンスカイ逃げ切り! なななんと掲示板にはレコードの赤い文字! これはなんと、世界レコードだーっ!』

「レコードで逃げ切られちゃしゃーねーや」

「ラーメン啜りながらラジオなんておじさんみたいだね」

「昼飯食いそびれたんだもん」

 

 来る菊花賞当日。ラジオでその実況を聞いていたが、スローペースなセイウンスカイのレース運びにまんまと乗せられてしまった。フクキタルの時のような牽制合戦で結果的に超スローになったのではなく、先頭セイウンスカイの意図して作られたスローペース。彼女は最終直線で二の足を使い後続を振り切り、3バ身差の圧倒的な勝利を演出して見せた。

 スペのタイムも通年なら一着間違いなしの好タイム、あがり3ハロンもおそらく悪くない。『負けて悔いなし』と言うべきレースだ、今回ばかりは誰も責められん。強いて言うなら、レコード勝利のセイウンスカイに拍手を送るべきだろう。

 

 ただスズカに勝利をと意気込んでいるなら背追い込んでしまいそうだな。なんてことを思っていると、対面に座って片耳で同じくラジオをイヤホンで聴いてたシービーがリンゴを齧りながら興味深そうにふむふむと唸っていた。

 

「なるほど。彼女面白いレースをするね」

「セイウンスカイのこと? 皐月賞の時も坂を使って上手いこと後続をかわしてる。噂の黄金世代の中じゃレースメイクのセンスが1番あるのは彼女だな。ありゃ努力型だろうけど」

「というと?」

「体内時計の正確さ、レースメイクに必要なのは時計に尽きるんだよ。こればかりは練習に尽きる。お前も覚えてもらうからな。プラマイコンマ3秒が最低限だから」

「うわぁめんどくさい」

「ただ仕掛けどきだと思って感覚で走る追い込みとわけが違うんだよ。それが簡単にできたら苦労しない」

「じゃあ天才型もいるわけだ。いるんでしょ、そういうの」

 

 シービーの発言に箸が止まる。天才型、圧倒的センスで逃げて行くウマ娘と言われて私はすぐに名前を出せる。センスで逃げているウマ娘といえば真っ先に思いつくのは彼女だ。

 

「サイレンススズカがそうだよ。自分の身体と才能を100活かす方法でレースをしていた。本物の天才は気ままに走るだけで結果が後についてくる」

「いいね、それ」

「本人はまっさらなターフを走るのが、誰もいないレースを走るのが好きなんだとさ。後ろのことなんかなんもみちゃいないよ。羨ましい」

「君はじゃあ天才型じゃなかったわけだ」

「だから教えられるんだよ。トレーナーになってラッキーだったのは自分が天才型じゃないことだ」

 

 名選手は名コーチにあらずとはどのスポーツの言葉だったか。いくらそのスポーツがうまくとも、そのノウハウを全て教えられるというわけではない。常人ができないことを『なんとなく』できる人がプロになる。その中でさらにセンスがあるやつが一流になれる。一流であればあるほど、明文化できないものが増える。目の前の三冠バがいい例だろう。こいつがもしトレーナーになったとして、1週間で三行半叩きつけてやめてやる自信があるほどにレース理論も説明もへたくそだ。『気持ちよくなる走りをすれば良いだけさ!』で勝てるんだったら今頃トレセンはG1ウマ娘で溢れかえっている。

 自分が二流の凡人で良かった。二流は二流のレースしかできないが、自分に足りないものを列挙すれば誰かを一流にできる。

 

「問題は次のジャパンカップ。有直行となるときついローテになるがトレーナーちゃんは何考えてるわけ? スペが頑丈だからってあのメンタルだし出走取り消しても許されるっしょ」

「本人が出たいからじゃない。あの人は本人の意思の方を尊重する人間だもの。チャーシューもらい」

「あ、こら! 無駄な脂肪を取るんじゃない!」

「怒るところがつくづくトレーナーだねぇ」

 

 一口でチャーシューを平らげた彼女が指を舐めているところすら絵になるのはなんともずるい。借りた岩手トレセンの芋ジャージにも関わらず写真集にしてもお釣りが来るくらいには整い綺麗な顔と佇まいだ、全くもって腹が立つ。

 

「んで、ねじ込めた?」

「もちろん。大外18枠は当日までのお楽しみさ」

「大外枠で逃げは不利だが仕方ない。走れるだけ御の字だ」

 

 今回のWDTの舞台は府中2400m、偶然か奇跡かあのジャパンカップと同じ設定になる。府中の長い直線に坂は先行不利かつさらに大外枠とくれば運はどん底最悪と嘆きたくもなる。これが2000mか中山2500mだったらどうとでもなったんだけど、たらればの話はしてられない。

 

「そこまで悲観してないけどね。要は君がやったようにすればいいだけでしょう? 簡単じゃん」

「真似っこで勝てるほどレースは甘くないよ。あの時は誰も私をみてなかったしルドルフも絶不調。海外バも日本の芝に不慣れだったし実質ハンデマッチのようなものだったの。

 シービーは潰した後続で完全にブロッキングしてたし、我ながら完璧な出来だったけどあれを二度もできるかと言われたら無理よ。同じ展開になると思う?

 三冠バが警戒薄で見向きもされず、ルドルフが運良く絶不調で、他のウマ娘があなたに見向きもしない奇跡(偶然)が来ると思う?」

「うーん無理だ! 絶対にないね!」

「でしょ。それに『とっておき』は絶対に注目される。だけどそれ1発で崩せるほどの頭でっかちはDTにはいないから必ずマークは飛ばされる。特にルドルフからね」

「ああ。君の有はそれでやられたんだったね」

「背中にずっと張り付かれたからね。ああされるとペースが操作できないんだよ。けどセイウンスカイはそれが上手いんだよね。マークの外し方が上手い上にマークしてくるウマ娘でペースメイクまでしてくる。食えない子だよ」

「それを真似すればいいのかい?」

「んー、ダメだな。ルドルフは引っかからない」

 

 ルドルフの長所は末脚やその威圧感にあると言われるが、走った経験から言わせてもらうとレースの流れを見ることに尽きる。

 

 揺らがない、かからない、嵌められない。

 

 気持ち悪いまでに自分とレースを客観視し、待つところで待ち、仕掛けるどころで仕掛け、致命的なミスを誘発させる罠を仕掛ける。1番人気が常だったからこそ注目されることと、無難かつ支配的なレース運びからシンボリルドルフは『皇帝』の2つ名を与えられた。

 

「ネガティブな意見しか出ないねぇ」

「勝てると思ってないからな」

「トレーナーとしてそれはどうなのさ」

「客観的事実を述べてるだけだよ。あの時だって勝つ気はあったけど、勝てるとは思っていなかった。今でもなんで勝てたのかわからない」

「ふぅん?」

 

 あの時のことは今でも思い出せる。トレーナーと対策を積み上げ、寝る間も惜しんで時間感覚を頭に刻み、数センチの感覚でストライドすら調整して挑んだあのジャパンカップのことは。

 

『次はジャパンカップに出るぞ』

 

 きっかけは、いたずらめいた楽しげな笑みを浮かべたトレーナーちゃんの言葉だったっけなぁ。あの時は勝つのが楽しくて、負けるのが悔しくて、とにかくレースが大好きだった。

 

「じゃあキミはどうやってジャパンカップを勝つに至ったのか、その顛末(てんまつ)を聞かせておくれよ」

「いいよ。たしか、秋の天皇賞が終わってすぐの頃だったかな......」

 

 

 



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第63話 カツラギエースのJC:前哨戦

お ま た せ 

チャンミはBリーク決勝勝てました


 

 

 

 

 

 

 天皇賞秋。毎日王冠を勝ち上がり、万全の仕上げで挑んだ今回のレース。その結果は、掲示板の1番下の5着だった。

 落ち目と言われていたシービーを一度は完全に出し抜いたというのに、本番では無駄に(かか)って自滅だ。G1入着がすごいという慰めはいらない。今回のレースは勝てるレース、勝つべきレースだった。

 何度か来たことがある東京レース場の地下バ道、ついこの間一位を取ってガッツポーズしながら歩いた控室までのこの道が今日は暗く、長く見えた。

 

勝負服が重い。宝塚以来の大好きだったスポーツユニフォームモチーフの上着も、硬い生地の青いジャンパーも、蹄鉄を打ち込んだシューズも何もかもが嫌になるほどずっしりと重みを伝えてくる。

 ライブまでこの衣装なんて嫌だった。早く着替えてしまいたい。自分が5着でよかったと少しだけ思った。勝負服をこれ以上着なくていいから、注目されずに済むから。

......誰かの足音がする。顔を上げればトレーナーが待っていた。いつものように飴を咥えて、軽々とした雰囲気で挨拶でもするように手をあげている。

 

「おつかれ。G1の雰囲気に呑まれちまったな」

「全然ダメだったよトレーナー」

「こういうこともあるさ、次がある」

 

 レースが終わった後独特の、熱っぽく回らない頭で次を思い浮かべた。11月以降の中距離重賞はアルゼンチン共和国杯か福島記念だろうか。

 G1に出走なんて、考えたくもない。宝塚で勝ったという自信はたった今打ち砕かれた。宝塚にはシービーがいなかった。シービーがいればこうなる。前哨戦では手を抜いていたから本番では勝てる。G1に出れば、もう一度アレとぶつかる事になる。そしてついて回るんだ。運がいいだけのフロックだったって。ただG1を取れたのはシービーが出走を見送っただけだからと。

 

......頭が痛い。考えるだけでもう嫌になる。

 

「次は福島、それともアルゼンチン?」

「いや、ジャパンカップだ」

「そう」

「......驚かないんだな」

 

 ジャパンカップ。2400m、芝、東京。2000でダメだったのに2400かぁ。トレーナーさんは見る目がなさすぎる。私は結局のところマイラーだったんだ、だったらマイルCSの方に行きたい。そう自分の意思を伝えようと口を開いて......なんて? 次のレース何に出るって言った?

 

「......ジャパンカップ」

「おう。勝つぞ」

「......ジャパンカップ?」

「レーティングは足りてるから大丈夫だ。枠は取れる」

「......ジャパンカップぅ!?」

「とりあえずちゃっちゃと着替えてライブ行ってこい。あとは帰りに話すから」

 

 

◇◇◇

 

「あの時は次走は来年春かG2、仮にG1に行くならマイルCSに行くつもりだったんだよいやほんと。バケモノとやり合いたくなかったんだ」

「マイルにもピロウイナーがいたと思うけど?」

「三冠バ2人よりマシだよ。その時ルドルフはまだ2冠だったけれど」

「なるほど!」

 

◇◇◇

 

「いやいやいやいや、それはおかしいってもんよトレーナーちゃんよう! 2000で散々だったのに2400は無理だって!」

「いいやいける。大丈夫だ」

「2400m以上なんて3月の鳴尾記念以来だし勝ったやつで1番長いのは宝塚の2200! 無理だって!」

「いーや行ける、大丈夫だ、俺を信じてみろ」

「むぅ」

 

 トレーナーの言うことに間違いはない、とはいいきれない。菊花賞どころかダービーは散々だった。何がいけるだこの。でもマイル路線に本格的に移ろうか悩んでいた時に2000mのレース路線進むよう言ったのは間違いなくトレーナーのおかげだ。そのおかげで宝塚記念まで勝たせてもらった恩義と実績は否定できない。自信のない私をここまで引っ張ってきたのはトレーナーだ。なら、せめて最後までそれに徹しよう。

 

 「だ、と、し、て、も、距離と適性があってるだけでジャパンカップに行けるかフツー! まだ海外勢にボコボコにされてばっかりじゃないか! 私の劣等感の強さを自覚して言ってるつもり!?」

「俺は勝てないレースはしない主義だ。例年だったら無理かもしれんが今年はいける。今年だけはな」

「はぁ?」

 

 この後のクラシック路線を見ていればわかるさという意味深な言葉を残して今日のところはお開きとなった。クラシック路線。たしか無敗の二冠ウマ娘がどうとか言ってたっけかな、春は忙しくてそれでどころじゃあなかったけれど調べてみようかな。

 

 

◇◇◇

 

「君ってこんなに卑屈だったっけ?」

「アンタの前で空元気でも威勢張ってなきゃやってらんねーのよ。あれが私の素なの」

 

 

◇◇◇

 

 

 しばらく疲れを抜くのがメインだ、万全の体調と頭を使って勝つぞとの言伝をもらって数日。本格的な走り込みはせず、軽く2時間ほどのランニングでお茶を濁す。作戦もなにも指示されないから走っていないと不安でしょうがないが、全力疾走はご法度とは面倒この上ない。

 

「全く、トレーナーちゃんの奔放癖には嫌気がさすね。っと」

 

 いつもの学園周りでランニングしていると、公園ベンチで物思いに耽るウマ娘がいた。競走の激しいトレセンじゃ自分の成績に思い悩むウマ娘がこうして考え事をしているのは珍しくはなく何度か見かけたことがある。普段なら声もかけずに走り去ってしまうところだが、それが最近話題の『無敗の2冠ウマ娘』ともなれば話は別だ。

 公的なインタビューでも理論整然と答え、生徒会の末席に名を連ねる彼女が俯いて何か深刻な表情で考え事をしている様子がどうにも放っておけなくて、気がついた時には声をかけていた。

 

「どうしたんだい後輩ちゃんよ」

「貴方は?」

「考え事なら私が相談にでも乗ってやろうじゃないの。二流だけど君よりは長生きしてるから、人生経験は豊富なつもりさ」

「......いえ、これは個人的な事ですし、気にすることでも」

「いーや気になるね。隠し事は暴きたくなるタチでね」

 

 近くの自販機でコーヒーを買って投げ渡す。こういう時は大抵微糖とブラックを渡しておけば確実にどちらかは飲めるから安パイなんだよね。コーヒー飲めない中等部なら......って、ルドルフは今どっちだったっけか。

 

「では、微糖の方を」

 

 投げ返されたブラック缶を開けながら隣に座る。冷えるってのに制服姿で居座るのは風邪をひく原因になりかねないが、今はこの場所がベストだ。誰も入ってこないこの場所は、内緒話にちょうどいい。

 

「んで、お悩みってのは?」

「......実は、次走について迷っているんです」

「次走? 三冠路線の菊花賞じゃないのかい? それとも叩きで神戸新聞杯あたりに出走するかどうかってこと?」

「いえ」

「長距離は不安? よくあることだよ気にしない気にしない! そもそも長距離G1なんて2つしかないんだし中距離走れるだけでも偉いさ元気だしなよ」

「......」

「それとも長距離レースがわかんないって? それについては相談に乗ってあげられないけど、先輩の誰か......うーん長距離が強いやつは誰がいたっけなぁ」

「URAの方からジャパンカップに出走してくれ、と」

「......なるほど。って、菊花賞のすぐ後じゃないの!」

 

 菊花賞が11日でジャパンカップは25日、たったの2週間しかない。3週間開くならともかく2週間しかも先に3000mともなれば強行日程が過ぎる。並みのウマ娘なら潰れかねない。

 

「無茶だどっちかにしたほうがいい。怪我をしたら元も子もないんだよ」

「......シンザン先輩に続く無敗三冠の夢、ジャパンカップ日本勢の初勝利。皆は、それを願っているんです」

 

 ウマ娘は誰かの夢を背負って走るものだ。だとしてもこの2つの夢は1人の背中には重過ぎて、このままじゃ彼女は潰れかねない、いや、潰れる。

 1年間しっかりG1路線を駆け抜け場馴れしたシービーならいなし方を知ってる。私は片方だけだったら胃に穴が開くかもしれないが背負い切れる。だが、クラシック級半ばの彼女に2つは無理だ。

 

そして何より。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()情けないくらいに腹が立つ。

 

「三冠の夢は君だけにしか叶えられない。何より、あなたのトレーナーがその夢を叶えたいと思っているならその夢は背負うべきだ。だけど、ジャパンカップ優勝が目指せるのは君だけじゃない。今年勝てなくても来年がある、私たちもいる」

「ですが」

「どっちつかずは気に入らないね」

 

 思ったより冷えた、低い声が出た。

 

 クラシック路線をよく見ておけとはこういうことか。生意気な年下のウマ娘を叩きのめしてこいと。シニア級を舐めるなと言ってこいと。そういうことだねトレーナーちゃん、なかなか厳しいことを言うじゃあないか。

 

「負けたことの無い君にはわからんかもしれんが、全力を尽くしても私たちは負ける。そうした時次にすべきことはなんだと思う?()()()()()()()()()()()

 

どうして負けたのかいやになるほど負けたレースを見て、自分に足りないものは練習で補い、判断ミスは悔い次はどうすればいいのかと考え、その上で相手はどうしてくるのか、勝つためにはどう動けばいいのか脳みそを振り絞る。

 凡人はね。1レースにしか全力を尽くせないんだよ。なのに2レース両方に出て優勝して欲しいってファンの皆様が言うけどどっちも頑張れません?

ったりめーよ、どっちも頑張る必要なんてない。目の前のレースに向き合ってこそ競走ウマ娘。ウダウダ悩んでる暇があったら京都の坂の攻略方法でも考えとけばいいんだよ。

 それとジャパンカップを勝つのはシービーでもなければ君でもない、ましてや海外勢でもない。私だ。私が勝つ。

 

ジャパンカップ優勝できるかウジウジ考えんな三冠取ってから考えてこいこの未熟者。勝てるかなんて考えない、勝つと思って走るから勝てるんだよ。

もし仮にジャパンカップにくるとしても私ってば三冠相手に先着したこともありますし、それがもう1人増えたところで軽く捻ってやりますとも」

 

 我ながらビッグマウスがすぎるところだが、言葉自体に嘘をついたつもりは一切ない。自分が思う以上に私の勝負根性は消えちゃあいなかったわけだ、こんな後輩ちゃんの言葉にムキになるほどにはカッカしやすいほどに負けず嫌いだったわけ。

 何を悩む必要がある。前回は勝てなかった。次は勝つ。そんなシンプルな答えじゃないか。悩むほどのことじゃなかった。努力すれば結果はついてくると教えててくれたのは他ならぬ私自身だ。

 

G2とはいえ毎日王冠でシービーを下した。

宝塚記念でシニア実力者に勝利した。

私はG1ウマ娘だ、ならば誇らしく胸を張れ。

 

「......ははっ」

「やば、言いすぎた?」

「はは、はははっ」

「おや、もしもーし」

「はははははははっ!」

 

 胸を張っていると、黙り込んでいたというのにどういうわけかシンボリルドルフが笑い出した。それも腹を抱えるくらいの大爆笑だ。何が面白いのやらさっぱりわからないが、なにか吹っ切れたように笑ってくれているらしい。

 

「あのールドルフさん?」

「いや失礼。つい自分が可笑しくて、笑ってしまった」

「自分が......?」

「レースに絶対はないという金言を知っていますか?」

「ん? まぁ。有名なやつだよね」

「私はそれを忘れ自分が絶対に勝てると驕っていたのですから。なんと尊大な自尊心であったかと自分を恥じているところです。初心を思い出せましたよ。トレーナーでは気づかなかったかもしれない」

「確かに。おハナさんはこういう事苦手だからなぁ。データ重視でメンタルとか根性論について少し否定的なのが」

「そうですね。昭和に流行した根性論や走り込みによる練習は現代では否定的に捉えられます。より効率的なトレーニングをすることが現代の流行で──」

「効率だけじゃレースには勝てない、どうにもならなかった時に頼れるのは結局気持ちだ。全ての根性論や走り込みを肯定するわけでもないけど非効率で自身を追い込むような──」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「そっから好かれちゃってねぇ。なんでもレース理論を語り合おうとすると、トレーナーか私ぐらいしかついてこれないらしいのよ。それも話してる内容が高度なもんでさ、トレーナー検定模試でルドルフが言ってた問題が出てきた時は驚いたね」

「いつ仲良くなったかと思えば、夜の公園とはなかなか面白い出会いから君たちの縁は始まったんだねぇ」

「アレから変に懐かれちゃったんだよね。次の日食堂で飯食いながらジャパンカップの出バ表見てたら、相席いいだろうかって言われたもんで生返事したらルドルフだったんだもの。天下の2冠バ様が目の前でお上品に飯食ってさぁ......」

「そん時君は何食べてたわけ?」

「カレーうどん。びっくりしたから腹いせにおつゆ制服に飛ばしてやったよ」

「みみっちいことするねぇ」

「じゃあかしい!」

 



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第64回 カツラギエースのJC:作戦会議

 

 

「やっぱり新聞は三冠とルドルフのJC出走ばっかりだなぁもう。他の記事がいつもより小さくて読み辛い」

「文句言うなよ」

「しかも中間発表は10番人気! こちとら今年の宝塚記念勝ってるってのに納得いかない!」

「それだけ今回のレースがハイレベルってこった」

「でもモンテファストにスズカコバンが回避だってさ。ミサキネバアーはアルゼンチン共和国杯出走を表明、あとテュデナムキングも怪我発覚で見送り」

「......マジ?」

「マジ。新聞に書いてあるよ」

 

 春天覇者モンテファスト、2着ミサキネバアーが揃って回避。スズカコバンは京都大賞典3着を最後に秋レースを全休、秋天2着のテュデナムキングも怪我発覚で休養入り。大井ローカル三冠バのサンオーイは毎日王冠3着、秋天6着の成績から出走を選ばないだろうとなれば私の同期、ライバルがことごとく全滅だ。となると、誰が出るんだ?

 

「日本勢が私と、シービーと、今表明したルドルフで3人しかいないじゃん。大丈夫かな」

「URAだったらもう1人か2人声かけるんじゃねえの。これじゃ日本のメンツが持たねえとかなんとかで」

「......ありそー」

「だとしてもお前の敵じゃねえだろうな。シニア有力バが(ことごと)くいないんじゃ呼ばれるのはクラシック級の誰かだ。となると日程のキツくないティアラ路線の誰かが呼ばれるだろうが2400じゃ敵じゃあない」

三冠路線(クラシック)組は中1週ローテを組む道理はないか」

「ルドルフに先着できた試しもないしな。格付けが済んじまってるよ」

「んじゃあんまり考えなくていいか」

 

 府中2400の経験があるルドルフとシービーへの対策はマストだとして、招待選手の対策が重要になりそうだ。

 

「招待出走枠は10枠だよね。それも決まりだってさ」

「ああ、聞いてる。豪華な面子だが今年はラッキーなことに粒揃いで済んでる」

「はぁ」

「俺たちに運が向いてるってこった、これを見てみろ」

 

 トレーナーさんがパソコン画面を覗き込むように手招きすると、英語のニュース記事が表示されていた。英語はスラスラと読めるわけじゃあないけど読める単語を拾っていけばある程度は読める、どうにも海の向こうのレース記事らしい。

 

「アメリカ、ブリーダーズカップ今年から開催......? うわ、賞金とレート高っか。有よりすごいや」

「今年から同時期にアメリカで開催されるレースだ。レートと賞金も段違いで、招待されたウマ娘の中では何人かがこっちを選んでジャパンカップ出走を回避してる」

「ということは?」

「シービークラスの化け物が何人かは出走取り消ししてるってことだ。少しは楽になるが、代役も凱旋門5着やらイギリスでG2を総なめにしてきた化け物がいる。油断はできない」

「気持ちが楽になった気がしないね」

「シービーが5人から1人になったと考えれば楽にならないか?」

『やあ、今日もいい雨だね』

『一緒に走らないかい?』

『そんなことより宿題を手伝っておくれよ』

『えー、私と一緒にデートじゃないのかい?』

『授業をサボって出かけよう!』

『『『『それだ』』』』

 

「うーん、1人でも辛いのに5人になったら胃潰瘍になりそう」

 

 普段の騒がしさと破天荒っぷりを5倍にした風景を思い浮かべて思わず身振いする。あれが5倍にもなれば胃に穴が開いて医務室でのたうち回る未来が見えるよ。レースでも後ろから怖いのが5人となれば胃どころか腹に穴が開きそう。

 

「それでどう勝つの? マイルCSじゃあなくてジャパンカップを選んだということは勝算があるからだよね?」

「ああ。歴史に残る三冠バ2人の直接対決、招待選手も粒揃いの実力者ばかり。双方一流揃いの大舞台だ。そこに、抜け穴はある」

 

 ニンマリと笑ってみせたトレーナーに対して、私はどうにも首をかしげることしかできなかった。

 

「で、誰を対策すればいいわけ? ベッドタイム? ストロベリーロード? それともマジェスティープリンス?」

「しなくていい」

「はーい......はい?」

「しなくていい。個別の対策なんていらない。俺の作戦がハマれば、そんなものは関係なく勝てる」

 

 さて頑張りましょうとメガネと自分なりにデータをまとめた対策ノートを並べて質問した一言目にこれだ。全く訳がわからないと思わず声を荒げてしまった。

 

「ちょ、今までしっかり対策練ってやってきたじゃん。やけっぱちになって出たとこ勝負なんていまさら出来ないってば」

「確かにそうだな。今までやってきた戦法は先行集団(まえ)につけての好位差しだ」

「仕掛けどころを見計らうには対策しないと。末脚がどこまで切れるか、ペース配分とスタミナ残量、雰囲気と動き。それでやった初めて仕掛けタイミングがわかるんだよ、しかもルドルフは好位差しなら私より上手いのに」

「だからだ。コイツらとまともにやり合ってレースして勝てるか、コイツらとまともにレースで渡り合えるか。残念だが、俺の意見は『ノー』だ」

 

 トレーナーは断言した。確かにトレーナーのいうことは正鵠をいている。私がこの中で格落ちしているのは事実だ。だとしても少しは渡り合える実力があると言ってほしかった。

 

「経験も、力量も、勘も、努力も、才能も、何もかもが足りない。だが──運はある」

「運?」

「シービーとは何度もやって負けた。ルドルフは強い。海外ウマ娘もそれに負けず劣らずの実力者ばかりだ。

お前、その中で誰が1番強いと思う?」

「い、いちばん?」

「考えてみろ」

 

 シービーはどうだろうか、あの切れ味なら大外一気で全て抜けるがバ群が横並びになれば抜け出せないから安定しない。ルドルフは強いレースができるが中1週、疲労は抜け切らないはずだ。ベッドタイム? 最近のレースは4連勝だがG1出走はない。ストロベリーロード? 海外遠征のプロでレース巧者とあるが最近勝ちきれない展開が続く。最近有名とはいえトレーナーが変わったのも不安材料だ。マジェスティープリンスはルドルフと同じ中1週で移動も含まれるから調整も難しいはず。あとは......

 と考えこんでいるとトレーナーが手を叩いて私の思考を強制的に切った。

 

「パッと誰が強いなんて出ないだろう? 今年の人気は割れてる。誰が考えても1着はバラけるのさ」

「考えることが多いんですよ、海外のレースなんで見るの難しいですし、誰も彼も不安材料がありますから」

「いつものようにやるなら、どう走る?」

「......前目にはつけますが、逃げウマがいても後方の動向に気を配りますよ。あとは自分のタイミングで仕掛けるシービーや差しウマが動きそうになるまでじっとしますかね」

「その間逃げてるウマ娘がいたらどうする?」

「どうもこうも()()()()()()()()()()()()。先行集団で誰が1番最初に抜け出すか見ておかないと動くに動けません。スローになったらそれこそ瞬発力勝負、刈り込まれた硬い芝の日本じゃ速度も出やすいですし」

「答えはもう出てるじゃねえか」

「......はい?」

「エースは頭がカタイのが悪い癖だな」

 

 ダメだなぁ、と新しい飴を咥えながら私をこづいたトレーナーはこともなさげに言い放った。

 

「逃げウマを意識するのは難しい。なら、意識されない逃げウマはどうなる?」

「まんまと逃げ切られてしまいますよ」

「じゃあ、逃げれば勝てるってことじゃないか」

「そんな簡単に行きますかね?」

「自分の言ったことを思い返してみろ。レース展開はどうなる」

「先行集団で抜け出すのは難しい、スローペースになれば瞬発力勝負」

「逃げるのにもってこいの環境じゃあねえか」

「......あ」

「だろう?」

 

 どうしてこうも簡単なことに気が付かなかったのか。スロー展開ヨーイドンの最終直線の末脚勝負の弱点は、先行されすぎるか前で足を溜められると追いつけないこと。

 

「お前の脚はキレは劣るが長くいい脚が使える。先行押し切りの普段のレースもいいが、逃げ粘る根性勝負ならお前は負けない、こと今回においては絶対にハイペースな潰し合いにはならないから好き勝手やり放題だ。新戦法お披露目にはもってこいだろう?」

「最高だよトレーナーちゃんやっぱりあんたは天才だ!」

「逃げるならもっと派手に行こう。ただ逃げるんじゃ捕まるし意識される。なら意識もできない、捕まらないくらい先を走ってみろ。大逃げだ」

「っ〜、派手に行くじゃないか」

「せっかく世界が見てるレースだ、ならド派手にやってやれエース」

「こうと決まればトレーニングだーい!」

 

 

◇◇◇

 

 

「その日の夜は興奮しすぎて寝られなくて次の日大変だったんだけど」

「ああ、やたらふらついてたのはそういう」

「あの日は食堂ですっ転んで大変だった。シービーのパフェひっくり返したのは本当に申し訳ないけどこういう事情があってね」

「悩んでるかと思ってあの時は咎めなかったけどワクワクして眠れなかった遠足の前の日の小学生みたいなしょーもない理由じゃないか。弁償して」

「......時効ってことにならない?」

「ならないよ」

「んじゃ1万円でいい? トレーナーは高給取りだから学生と使える金が違うのだよ」

「一緒に食べてくれるってことじゃないのかい?!」

「やだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第65回 カツラギエースのJC:パドック

 

 

 

「作戦は頭にしっかり入ってるな」

「しっかりと。逃げて溜めて、差す」

 

 作戦の最終確認を口頭で軽く済ませて、勝負服のシューズのつま先をしっかりと叩いて整え、ひとつふたつと深呼吸。

 昨日は9時に寝た8時間しっかりと寝た。栄養補給も消化のいいうどんとバナナ、糖分もタンパク質もバッチリ、水分も申し分なし。

 他人のデータを入れるなとは言われたけど、三ハロンのベストタイムは全員分頭に入れてきた。目指すべきタイムはこれと同じか少し下で構わないと考えると気が楽になるしね。あとは、あとは、あとはなんだ? 他にやるべきことは、やり残したことはないかと鏡の前でくるくると回る。靴紐は解けないほどしっかり結んだ。蹄鉄も5回走って靴に慣らしたし、打ち込みも100回走っても取れないくらいにはしっかりと打ち込んだ。勝負服もほつれも汚れもない。爪もしっかり手入れしたし、お肌もしっかりと保湿した。あとは、何かないだろうか。

 ソワソワと控室を歩き回っていたらしく、進路を塞ぐように立っていたトレーナーにぶつかってやっと意識を取り戻した。またかよと言わんばかりの呆れ顔を隠さないまま、やれやれと肩をすくめるトレーナーが言う。

 

「相変わらず悪い癖だな。また考え事か?」

「不安で不安で仕方なくて。何か見落としがないかと思うとどうにも落ち着くなんてできませんよ」

「考えすぎだよ。っと、ひとつ忘れものがるにはあるな」

 

 ほれ、とトレーナーちゃんから手渡されたのは真っ白な耳カバーと白地のサンバイザー。周りを気にしすぎるウマ娘がつけるような矯正用の衣装をなんで今?

 

「周りが見えるのはお前のいいところだが周りを気にしすぎて集中力が削がれちゃ本末転倒だ。今回は大逃げ、後ろを気にする必要はあんまりねえしな」

「そ、そうですかね?」

「一回つけてみろ、手伝ってやるから」

「トレーナーちゃんがいうならつけるけども」

 

 厚地で音が届きにくくなる耳カバーに、視界を狭め周囲へ注意が散るのを防ぐサンバイザー。普段着けていないものをつけるとやはり違和感は否めない。耳も動かしにくいし、周りも少し見辛い。強いて言うなら前はしっかりと見えるが、大逃げでどれだけ効果があることやら。

 

「どうだ?」

「やっぱり、ちょっと違和感あります」

「......走れそうか? 気になるならとってもいいぞ」

「そこまでは」

「ならよし」

「だとしても色をせめて青一色とか黒とかピンクとか白以外になかったんです?」

「直前で用意したんだから文句言うな!」

 

 

◇◇◇

 

 

「よっ」

「よっ」

 

 手を上げればあげ返して挨拶するツーカーの仲、それが私とシービーの関係性だ。特に今回はジャパンカップ、パドックでも外国語や通訳スタッフなどがいて普段よりも肩身が狭い。だから同じ日本語が通じるというだけでありがたいくらい。

 

「壮観かな壮観かな、楽しそうな人ばっかり」

「調子は?」

「正直あんまり。呼ばれなきゃ走るつもりもなかったしね」

「三冠バ様は大変だな。1番人気だし」

「好き勝手にやってるだけなんだけどへんに祭り上げられちゃって。騒がしいのも好きなんだけれどね」

「騒がれるだけ羨ましいってもんよ」

 

 周りを見渡してもシービーシービーと、私には見向きもされてない。パドックに登場したところだって実況にはカバーもサンバイザーもノータッチだし、覚悟はしていたし経験もあるけど人気薄は辛いね。

 

「あれ、帽子。つけてなかったよね」

「サンバイザー。ついさっき1番のファンからもらった、的な?」

「1番のファン? フゥン? へーえ、ほーう」

「トレーナーだけど」

「全く色恋沙汰に関係なさそうでつまんないなと思っただけ」

「しょーじきウチのトレーナーちゃんはトレーナーとしては一生ついていきたいけど人としてはダメ一歩手前だから結婚は無理だね全くもって」

「あの人すぐ(トモ)撫で回してくるからねぇ。うっかり蹴っ飛ばした時は大変だったんだよ」

「それなんだけど最近蹴っ飛ばされても復帰が早いから耐性ついてきたんだと思うよ。二重の意味で面の皮が厚くなってる」

「じゃあ今度蹴飛ばしにいくよ」

「やめてよ」

「冗談冗談」

 

 本当に冗談で済むんだろうか。トレーナーちゃんの今後の冥福を先に祈っておこう。

 

「さて、本調子じゃないんだけど」

「あ、もう行くの?」

「静かな方が集中できるからね。今日は調子でないし念入りにやっとかないと」

 

 瞑想めいた彼女独特のルーティーンだろう。聞けばイメージの中でレースを走っているようで、要はレースのシュミレーションをしているらしい。んー、と手を組んで身体を伸ばす様はいつも朝方に見るような光景だけど今この場じゃ意味合いは違う。これは彼女のスイッチ切り替えの合図だ。

 

ただの同級生から、競争相手へ。

愛すべき友人から、倒すべき敵へ。

 

「勝ちに行くから」

 

 何気ない言葉にすら乗った怖気すら伴う威圧感。同じレースを走るたびに背中に感じて、追い抜かれてきた恐怖感そのものに彼女の存在が作り変わっていく。地面を抉り、弾むように走る力溢れる走法に私は何度屈してきたことだろう。いつもは震えて萎縮するばかりだったが、今日だけは一歩も引かず堂々と胸を張って見せて言い放った。

 

「私が勝つ。今日はとっておきのやつがあるんだ」

「ふふ、期待してる」

 

 挨拶した時と同じように彼女は軽く手を振ってそれだけ。1人になる場所を探すようにそのままフラフラと行ってしまった。

 あと顔見知りはもう1人いる。場慣れしてるだろうけどこの状況はほとんどアウェイなんだし声くらいはかけておくべきだろう。深い緑の軍服モチーフデザインの勝負服と3つの勲章のようなペンダント、その特徴的な勝負服はそういないからはすぐに見つかった。

 

「やっほルドルフ」

「君か」

「三冠達成おめっとさん。まさかあんなのが一つ下からも出てくるとは凄いばかりだ」

「努力と研鑽(けんさん)の結果だ」

 

 ひとつ下であるにもかかわらず堂々とした佇まいは威厳を感じさせる。クラシック級は彼女と数合わせのもう1人だというのに他の出走ウマ娘にも体格も雰囲気も劣らない。

 彼女は私に向き直ると、どういうわけか軽く頭を下げた。

 

「あの時、相談に乗ってくれてありがとうございました」

「後輩の相談に乗ってやるのは先輩の務めだからね」

「お陰で随分と気が楽になりました、ですが」

 

 ふわりと冬の風が彼女の髪を靡かせる。静電気か、幻覚か、私はそこに稲妻が走るのを見た。

 

「ですが日本総大将として、無敗の三冠ウマ娘として、全て背負わせてもらいます」

「......修羅の道だね」

「私の夢のためには軽いものです」

「なるほど。初めて黒星を味わった感想は後で聞かせてもらうからね」

 

 シービーと同じかそれ以上の迫力。彼女もまたきっと歴史に名を刻むことになる名バになるに違いない。誰にも屈せず、負けず、王としてターフに君臨することだろう。けど今だけ、まだクラシックで経験不足の今だけは出し抜ける。

 

 

私は黙って走るだけだ。

最初っから最後まで、先頭を駆け抜けてみせる。

 

 

 

 

 




好きなものを書き散らしてたら年を越してしまいました。

これからもどうぞよろしくお願いします


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第66回 ジャパンカップ:一世一代の逃走劇

 

 

 

『さあ今、シンボリルドルフが収まりました。2週間前に菊を制覇したとは思えない仕上がりです。好走を期待しましょう。さて。全バ収まって係員が散っていきます。さあ、第-回......』

 

 場内に響き渡る実況のアナウンス。ウォーミングアップの返しウマも終わり、あとはゲートインして発走を待つばかり。身体はしっかりとあったまってるし狭い視界にもやっと慣れた。枠番は6枠10番と中盤につけているから悪くない。スタートセンスには自信があるから大外さえ引かなければ絶対に抜け出せる。

 

 あとはシービーの枠入りを待ってスタート。1番人気が仕上がったタイミングでレースは始まるいつもの慣習、こういった細かいところでも下位順位は不利だが今日だけは感謝するよ神様。薄茶の枯れた芝はいつものターフより固く滑るが問題ない。府中は天皇賞ついこの間走ったばかりで感触はよく覚えている。特にどこは走りやすいのか、走りにくいのかは脚と頭が忘れるはずもない。開催レースが進み多少バ場が荒れても荒れやすい場所、荒れにくい場所なんてほとんど変わらない。

 

『今、スタートしました!』

 

 スタートダッシュは完璧、いつもより姿勢を低く脚を使って一歩抜け出すように速度を乗せていく。隣にも後ろにも気配はないから予想通り逃げは私以外不在、ハナを単独で取れたのは上場の滑り出しだ。

 場内のアナウンスはいつもより耳をすまさないと聞こえないが、大方予想通りだろう。ルドルフは中段、アイツ(シービー)は最後方ポツン。アメリカとフランスの有力バが先行集団にいる。

 

 向正面まではとにかく飛ばす事を心がける。距離をとって中段有力バ警戒のスローペースにならないよう無意識にスタミナを削り、それでいて2番手に距離をつけること。

 

『カツラギエースがハナを切って逃げる逃げる! 追走するのはウィン、緑の勝負服シンボリルドルフがその後ろにつけています。ミスターシービーはいつもの様に最後方、おそろしい末脚はいつ炸裂するのか!』

 

考えるな、考えるな、考えるな。

 

後ろはどうでも良いんだ。

最終直線まで私の相手は時計と自分の脚。

 

どれだけ走れるかを見紛うな。

そして、どれだけ相手を幻惑できるかを考えろ。

 

 2コーナーにさしかかったところで軽く足を捌いた。普段ならスパート時にやることが多い手前かえをして、足の回転を遅く広くから遅く狭く切り替える。

 

隣には誰もいない。背後にも、前にもいない。一人きりの世界で風を切って走り続ける。

誰も見なくていいし、誰の様子を窺わなくてもいい。

 

(誰の様子も見なくてもいい、楽といえば楽だけど)

 

 自分の息遣い、踏み締める蹄鉄の重み、高速で流れていくターフの景色、遠い歓声と狭い視界。

 

レースとはこんなにも孤独だったものだろうか。

 

 沢山人がいるはずなのに、まるで誰もいない様な世界。

聞こえてくるのは短く息を吐く音と衣擦れの音だけで、それすらもどんどんと遠くなっていった。

 感覚が研ぎ澄まされていく。踏み締める(ターフ)の感触、地面を抉って捉える蹄鉄の重みと鋭さ、風を巻いてたなびく衣装、スタンド前の歓声すら誰がなんて言っているのかも聞き分けられる。

 

「......ける」

 

 誰か(わたし)が呟いた。胸に何かが燃えている。その炎は、胸から腕へ、脚先へ、頭へ、全身へと燃え広がっていく。

 

炎は言っている。私を見ろ、私が主役だ。

このレースの先頭は、このレースの支配者は私だと。

 

「圧しきれ」

「ねじ伏せろ」

「世界だろうと」

「三冠バだろうと」

「何もかも」

 

(誰か)が私の背中を押す。

お前()の努力は、これまでは、その全ては無駄じゃなかった、この瞬間のためにあったのだと。

 

「私こそが──日本総大将(ACE)だ」

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

『さあ残り600m、カツラギエースの逃げが鈍ってきた! 世界の強豪たちが追い込んでくる!』

 

 カツラギエースの脚が最終直線入口で止まった、後続先行集団が彼女に追いつき、追い越さんと虎視眈々と狙っている。

 懸命に誰も彼もが身体に鞭打って走っていた。最後の体力の一絞り、根性の一欠片まで使い果たそうと全力を出していた。

 

 観客席に詰めかけた誰しもがそれぞれに夢を重ねた。中段で控えたシンボリルドルフが直線バ群の中から抜け出してくれる、最後方のミスターシービーが全員を撫で切りにしてくれる。海外の強豪に届かずとも2着3着に手が届くと誰しもが祈っていた。

 

「エースっ......!」

 

彼女の担当トレーナーも、観客席後方で祈っていた。

愛バに想いを託し、最終直線の彼女の勝負根性を信じていた。

 

『ルドルフだルドルフだ、ルドルフが抜け出してくる、ミスターシービーはまだ中段! 先頭はまだカツラギエースが粘っているぞ! 府中の直線は長いぞ!』

 

 緑の勝負服(シンボリルドルフ)が追い上げる。水色の勝負服(ベッドタイム)が食らいつく。白と緑の勝負服(ミスターシービー)はまだ中段。

 

『ルドルフが来ている! ルドルフ頑張れ!』

 

 実況も声を張り上げる。シービーはもう届かない位置で足踏みをしている、日本の希望はシンボリルドルフとカツラギエースに託された。

 

『カツラギエース粘る! カツラギエースが頑張った! カツラギを追ってルドルフ! ベッドタイム、カツラギも来ている! 外からマジェスティーズ!』

 

 海外のウマ娘たちが追い上げる。ルドルフの外からマジェスティーズプリンスが必死に首を伸ばして追い上げ、内からはベットタイムが粘る。ベッドタイム、シンボリルドルフ、マジェスティーズプリンスが横に並んでわからない。

 

しかしカツラギエースは、未だ先頭。

 

『カツラギエースが勝ちましたっ!』

 

 実況がそう言い切った瞬間に、カツラギエースが府中のゴール板を一番に飛び込んでいた。

 

勝ちタイム2分26秒3。

時計自体はレコードには遠く及ばない凡庸なもの。

それでも、日本が世界に届いた瞬間だった。

 

 

◇◇◇

 

 

ざわめく府中の観客席。勝ったのは10番人気の期待されてなかったウマ娘。海外の強豪でも2人の三冠ウマ娘に決着がついたわけもなく、ノーマークの凡な逃げウマ娘がハナを切ってそのまま逃げ切った。

 

『2番手はシンボリルドルフかベッドタイムかマジェスティーズか判定を待ちます。しかし、勝ったのはカツラギエース! 日本トレセン生徒で初、ジャパンカップを制しました!』

 

 実況の声に一拍遅れて、最初はまばらに、そしてだんだんと拍手の音が大きくなっていく。

 

「......た」

「やった、やった、やった......!」

「みーたか見たか! やってやった! やってやった!」

 

 汗だくで少しふらつく足元ながら、彼女が観客席を振り返り拳を震わせる。そしてターフに目当ての人物を見て駆け寄った。

 

「見たかシービー! 完ッッッッ然に完膚なきまでに叩きのめしてやったぜ、ハッハッハーッ!」

「見てたよ。いやあ、やられたね」

「んー? もーっと悔しがってもいいんだよ? にゃっはっは、なんたって世界レベル? ですから私! 挑まれる側は気分がいいねぇ!」

「いい性格してるよ」

「どーも! やっぱり勝つのは最ッ高だね! 有マどうするよ!」

「出るに決まってるだろうて。君は」

「もっちのローンよ! 挑戦者として受けてたってやろーうじゃなーいの!」

「痛い痛い」

「わっはっはっはっは!」

「痛いってば」

「イダダダダギブゴブギブ!?」

 

 試合(レース)が終われば勝者なし(ノーサイド)。別れた勝者と敗者も、一度レースが終われば互いに健闘を讃えあう、とはならないのがターフでのルール。

 10着の三冠ウマ娘の周りをぐるぐると回り、挙句の果てに組み伏せられる10番人気の1着の光景を目に焼き付ける1人のウマ娘。

 

「私を見てくれないのですか」

 

敗北を知ることでウマ娘は強くなる。

ウマ娘というのは、誰も彼も負けず嫌いなのだから。

 

 

◇◇◇

 

 

「それ領域(ゾーン)だったんじゃないかな」

 

 パフェのスプーンで行儀悪くこっちを指しながら、シービーはそう言った。私はブレンドコーヒーを啜りながら今までに言ったことを振り返る。

 

「ランナーズハイでなーんも覚えてないだけかと思ってたけどそうなの?」

「領域なんてカッコいい言い方してるだけどランナーズハイでかつ集中力が極限まで高まった状態、でしょ?」

「確か、に?」

「私あれ嫌いなんだよね。だってなーんも思い出せないもん。レースの楽しいことが思い出せないなんてつまんないでしょ?」

「シービーらしい考え方だよ。その言い分じゃ領域に入れてた(真面目にやってた)らルドルフにも勝てたろうに」

「どうだろうね。あ、おかわりくださーい」

「私もコーヒー同じのを」

「畏まりました」

 

 質問の答えをはぐらかすように通った店員さんに手をあげて図々しくおかわりを頼むバカを見ながら、私もまたコーヒーのおかわりを頼む。

 

「JCのことを話した理由として、今度のレースでもシービーにこれやってもらう......わけにはいかない」

「なんでまた」

「だって逃げの駆け引きの面白さ一切わかんないじゃん。楽しくないことやらせても凡走するだけってのは知ってるしね」

「なるほどね」

「だから逃げの駆け引きとか、やり方とかは一切教えない。最低限は覚えてもらうけど、それ以上は求めない」

 

 届いたコーヒーに砂糖を入れながら、シービーの目を見て伝える。

 

「シービーにやってもらうのは破滅逃げ。中盤まではラップを刻んで、あとは好きに走ってもらう策も下策も良いところ。

 後続が潰れるのが先か自分が潰れるのが先かを祈る、トレーナーとしちゃやらせたくない作戦だよ」

「なるほど、それはそれは」

 

 鼻についた生クリームをなめ取って、彼女は愉快そうに口角を吊り上げた。

 

「とおっても、楽しそうじゃないか」

 

 

 

「ところで学園の近所のカフェにパフェが置いてあるのはなんでだろうね」

「定食屋らしいよ」

「やたら料理が充実した喫茶店じゃないの?!」

「ウチは洋食屋ですよ。お待たせしました、モカチョコレートパフェです」

「あ、どうもどうも」

 

 



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第67回 それぞれの想い

 

 

「今年もこの季節がやってきましたなぁ」

「だね」

 

 12月末の年の瀬、世間はクリスマスで忙しく街はイルミネーション一色だろうが我々ウマ娘にとっては少しだけ話が違う。それなり以上に高級と記憶しているホテルの1室にベッドに座りながら私たちはテレビを見ていた。

 

 有記念、中山レース場2500mのこのレースは一年を締め括る。厳正な人気投票によって選ばれる出場者は、さまざまな想いを持ってしてあのターフに足を踏み入れるのだ。あの独特な雰囲気は何にも変え難い。当事者であろうと外野であろうとそれは何も変わらない。

 

 今ちょうど有記念直前というわけで出走者全員の特集をしている番組が流れていた。

 

『1番人気はセイウンスカイ。クラシック二冠バの成績を残し今期『黄金世代』のトップと言っても差し支えないでしょう。今日も彼女の幻惑逃げは炸裂するのか。6枠11番に入ります』

『2番人気にはエアグルーヴ。今レースをもってトゥインクルシリーズを引退することが発表されています。前走ジャパンカップではエルコンドルパサーに続く2着。女帝最後の道程を応援しましょう。2枠3番に入ります』

 

「1番人気にセイウンスカイか。シニア級の誰かが来ると思ったんだけど、秋天もJCもあの有様じゃ当然だね」

「情けないと思うかい?」

「怪我が多いのは仕方ない。メジロブライトあたりがもっと勝ち切れたんなら1、2番にいるんだけどね」

 

 世代で強弱がないといえば嘘になる、しかし今期のシニア級の層が薄いのは怪我が多いからだ。シニア世代といえばクラシック二冠のサニーブライアンは長期療養、フクキタルは怪我からは勝ちがなく、サイレンススズカが秋天での競走中止で離脱し、春天を勝ったメジロブライトも秋は成績に伸び悩む。

 勝ち切れないながらもG1掲示板常連のステイゴールド、クラシックながら勝利した昨年有覇者シルクジャスティスなど強者がいないわけじゃない、いないわけじゃないが。

 

「勝てるウマ娘が怪我してばっかりでそれ以外がパッとしないのよね」

「そうなんスか?」

「マイルあたりだとタイキシャトルが元気なんだけど、中長距離はパッとしないね」

 

 秋のG2、G3戦線ががその証拠。オールカマー、セントライト記念、京都新聞杯などの中距離レース、これらのG1前哨戦にも使われるレースを制したシニア1年目がいない。G1に主戦場を寄せているとも取れるが、それ以下のレースを下の世代に取られるようでは強いとはいえまい。

 

『4番人気にはグラスワンダー。前々走毎日王冠はサイレンススズカと競り合うも破れ、前走アルゼンチン共和国杯は掲示板外も朝日杯を制したウマ娘です。復活なるか、その期待の後押しもあって4番人気となっております』

「だとしてもグラスワンダーは来ないだろうなぁー。私は復活あるとしたらキングヘイローだと思うね」

「おお、トレーナーらしいこと言うね」

「そりゃトレーナーッスからね!」

「グラスワンダー、あの子にゃ長距離は無理だよ。あの朝日杯で見せたキレる脚はマイラーよりで中長では未知数。その点で言えばキングヘイローも同じキレすぎてロングスパートが効かないマイラーだが、中長距離を走り切れる実績と経験があるからスローペースになれば十分差し切れる。何より南坂先輩の教え子となれば“仕上げて”くるとすればここなんよな。マイルCSにはギリギリで滑り込めたはずだけど行かなかったってのは有に照準を定めてるはず──」

 

『5番人気にはマチカネフクキタル』

 

「でえええええええええっ!?」

「先輩ッス! って画面に齧り付かれちゃ見えないっすよ」

「あ、君んところの教え子じゃん」

 

うそ、フクキタル、何がどうして?!

 

『昨年は怪我に泣かされて出走を断念。今年の春は怪我の影響で不調が続くも、あの重賞三連勝、菊花賞を制した走りに嘘はありません。復活は叶うか、1枠1番に入ります』

 

「あ、君んところのトレーナーからだ。もしもし」

「はぁ!?」

「いるよー。スピーカーにするね」

「ちょ、シービー!」

 

 シービーが机の上に携帯を置く。そこからはあまり聞きたくなかった懐かしい声が聞こえてきた。耳をたたんでしまおうかと思ったが、フクキタルが有に出る真相も知りたい。

 恐怖半分、あと半分は好奇心、そして少しの申し訳なさ。そんな気持ちで私は観念してその携帯から声が出るのをじっと待った。

 

『よう。元気か』

「トレーナーちゃん」

「お久しぶりッス!」

『レッドもいるのか、元気そうで何よりだ』

「それで、なんで私がここにいるってわかったんです?」

 

まず返ってきたのは長々とした溜息だった。

 

『あのなぁ、トレーナーが担当のことをまずわかってやらないでどうするんだ。それにお前のことはいやでも忘れないさ』

「っはは、らしいねぇ」

『ま、お前とシービーが仲がいいのは知っていたからな。それに、シービーがWDTに出走するって聞いたから、そのトレーナー役を買って出るとすればお前しかいないと思った』

「流石の慧眼ですね、何もかもお見通しですか」

『心の内までは読めんさ。それで、有は来るのか?』

 

 顔を見せに来い、というニュアンスではないだろう。トレーナーちゃんはウマ娘が望まないことはやらせない、はずだ。

 

「レッドは行かせるつもりです。今年の春からは中央復帰が決まりましたからね。スピカの皆も応援でしょう?」

『んでお前はくるのかって聞いてんだよ?』

「それは......その......検討中です」

『回りくどいのはお前の悪い癖だぞ』

「うぐ」

『ちゃんと向き合うのか、それともキッパリとやめるのかはっきりしないとダメだぞ?』

「いけたら、いきます」

『決めかねている、ってか?』 

「どの面下げて会いに行けばいいんですか、本当は中央には金輪際帰るつもりなんて無かったんですよ」

「そうなんスか?」

「......私の居場所ないし」

 

 レッドの首を傾げた問いかけに、小さく漏らす。未だに理事長から正式な通知もなく、あの時にライセンスは返上したが失効したかはわからない。私がまだトレーナーなのかそうでないのかは宙にういて誰もわからないのだ。

 

「何よりスペやスズカに申し訳が立ちません。当然、フクキタルにも、スカーレットにも、シャカールにも」

『それなんだがあいつらはカンカンだったぞ? 特にスカーレットが』

「でしょうね」

『お陰で首も腰も痛えよ。湿布代請求するからな』

「なんでプロレス技かけられてるんですか......?」

 

 おおかたゴルシの仕業だろう。ああいうのは大抵あいつが発端だ。

 

『ま、近況報告はこれまでだ。電話したのはフクキタルから伝言を預かっているからだよ』

「フクキタルから、ですか」

『ああ。お前がいなくなってから随分と静かになったもんだよ。練習は張り切ってたけど』

「ですが、彼女は」

『......まだ本調子には程遠い。多分勝てないだろうな』

 

 トレーナーは担当ウマ娘が勝てると思ってるし、勝つためにトレーニングをする。例え確率がないに等しいとしても最後までウマ娘のことを信じてやれるのは担当トレーナーただ1人だ。

 しかし残酷なまでに勝てる確率を弾き出せるのもまた、トレーナーという生き物だ。

 

『怪我の影響もあるし、体重も少し調整が上手くいってない』

「......ダメ、でしょうね」

『ああ。そのことは俺の口から伝えた。聞かれたからな』

 

なんと残酷なことをするのか。私だったらから元気であろうと勝てると背中を押すというのに。

 

そんなひどいことをという言葉が喉元から出かけて思い直した。それは私の役目であるはずだったのだ。

 

トレーナーちゃんはあくまでチームリーディングトレーナーであって、フクキタルのトレーナーじゃない。同じチームであるが本質はただ2人のトレーナーが情報共有をしながら練習しているだけであって、なんの関係のないただの他人と変わらない。

 

 格上挑戦なら負けて然るべきだと。何かひとつでもきっかけを掴んでこいと背中を叩くこともできた。フクキタルにはそんな逃げ道がもうない。G1を制した彼女にその上はないからだ。

 

そんな残酷なことを伝えるのは私でなければなからなかった。

喜びも悲しみも怒りも分かち合った、担当たる私でなければお互い心に余計な傷を負ってしまう。

 

それをわかっていてトレーナーは、フクキタルの質問に答えたのだろう。

 

お前は勝てない。それでもいいんだな、と。

いなくなってしまった私の代わりにだ。

 

「......それで、それで彼女は、なんと」

 

震える声で、質問をした。

トレーナーはひとつ息を吸って、端的に答えてくれた。

 

『構わない、とさ』

「かまわない......?」

『勝てないのは私が一番よくわかっています。だから、トレーナーにこう伝えてください。今の私の走りを見てください、とな』

 

私の走りを見ろ。

ウマ娘に余計な言葉はいらない。

走りで、全てを感じろ。そういうことらしい。

 

「......わかりました。現地には行けません。

ですが、フクキタルの勇姿を見届けさせてもらいます」

『お前は諦めが悪いからそんなことだろうと思ったよ』

「諦めが悪い? 冗談よしてくださいよ」

 

私が諦めが悪いと思ったことは一度だってない。すぐに折れて、負けて、逃げ出してしまうような私が諦めが悪いはずがないだろうと自嘲した。

だがトレーナーはそうは思わないらしい。笑って私の台詞にこう返した。

 

『いいや、お前以上に諦めの悪いウマ娘はそういないよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第68回 皇帝の想い

 

 

私はホテルでWDT決勝出バ票を読んでいた。

いつものようにフルゲート18人。新顔としてメジロライアンが入っているが、大抵はどこかで見たような顔ばかりだ。

 

『皇帝』シンボリルドルフは勿論のこと、『スーパーカー』マルゼンスキー『シャドーロールの怪物』ナリタブライアン『女傑』ヒシアマゾン『2段ロケット』フジキセキ『地方から来た怪物』オグリキャップ『白い稲妻』タマモクロス『大井からきた豪傑』イナリワン。

 

 聞くだけで身震いするような面々ばかりだ。誰も彼も逆境を食い破り、不利を跳ね除け、勝利を掴み取ってきた一流揃いである。

 

(先頭はマルゼンスキー。2番手には誰がつく? 多分フジキセキだろうか。ルドルフは押し出されなければ真ん中あたりにつく、オグリはDTリーグからは先行策が多く、タマモクロスも前を行く傾向が強い。後ろにはイナリワン、ブライアン、アマゾンが中心になりライアンもここ、追い込みは今回はいない。東京2400のハイペースは前残り気味のレースになりがち、多分先行集団の中から2400に有利になりそうなのが)

 

「......ここまで無意識にペンが動いてると怖いねえ」

「おわっ!?」

 

 振り返るとシャワーを浴びたのか、タオルをかぶって湿っぽい髪を拭いているシービーがいた。ふと手元に目線を戻せば出バ票に走り書きで思っていたことが書き殴ってある。せっかくプリントアウトしたのにこれでは台無しだ。

 

「ふむふむ、予想はルドルフ、マルゼンスキー、オグリキャップ。人気順だね」

「普通のレースをするならこうなるかな。後方有利な東京レース場だから、ルドルフだったらハイペースにして先行有利(まえのこり)にさせる」

 

 マルゼンはハナをきるからペースを操作できる。あの人は気ままに走るタイプだからそんなこと考えないだろうけど、後続が勝手に振り回されるだろう。もしマルゼンさんが気にする人がいるとすればシンボリルドルフただ1人だ。オグリキャップはまずタマモクロスを意識するだろうが、来ないとわかればどうするのかは読めない。

 

「他にも先行する人はいると思うけど、どうなの?」

「フジキセキは距離が長い。走り切れるがハイペースになれば適性差が出るから最後には伸び悩む。タマモクロスはDTリーグからはパッとしない。多分気持ちの糸が切れたんだと思う。オグリがいるから多少はやる気出すだろうけど、入着が関の山から気にしなくていい。ライアンは前も行けるけど多分慣れた後ろを走るし初舞台だからこれも除外。大舞台だと上がるタイプだからちょっとね」

爆逃げする前提(今回の作戦)ならどうなるの?」

「スタミナと頭があるやつを上から。ルドルフ、ブライアンあたり。スーパークリークが出走見送りで助かった」

 

 ブライアンも現役時代の怪我のイメージが先行するが、多分そろそろ調子を上げてくるだろう。ルドルフは言わずもがな。ヒシアマゾンもリストに上がってくるが彼女の真骨頂は勝負根性、逃げ勝負で競り合いを避ければ怖くない。こんな状況で力量を発揮できるスーパークリークの辞退は正直言って幸運だった。

 ひとつ気掛かりなのはスローペース。そうなれば逃げやすいが、先行集団に気がつかれればセーフティリードを食い潰された挙句差されて終わる。

 

「スローペースになれば勝てるんだけど厳しいか」

「私が追い込みで走ればなるんじゃないかな。ほらこう、わざとらしく目立って走れば気になるでしょ?」

「昔やってた威圧感(プレス)のこと?」

「あの時は無意識だったけど、今だと自由自在に出せるしね」

 

 ほいとシービーが呟けば尻尾が逆立つほどの悪寒が背中を伝うが、それはすぐに収まった。相変わらず涼しい顔で怖いことをするやつめ。現役時代と変わらない圧と恐怖感だが、それをもってしても──

 

「意識されるかハイペースになるかは賭けだね。現役のころと変わらないのは反則でしょ」

「褒められちゃった。嬉しいね」

「ちなみにどうやって練習したの?」

「コンビニの深夜バイトはクレームつけてくる客が多かったからね」

「三冠バ様がバイトすな」

「なんで?」

「なんでもだバカ。早く寝て明日もトレーニングだよ」

「はーい」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 朝30分の屋外ランニングはよっぽどのことがない限り欠かしたことはない。人間くらいのスローペースを15分、ウマ娘平均くらいの強度の高いペースのを15分。

 そろそろ履き潰せそうなボロボロのランニングシューズの爪先を叩いて直して、大きくケノビをひとつ。シービーはいまだに夢の中だが、ジャージ姿のランナーや学生は多い。府中は学生が多く毎日こんなふうだが、学園生だったら学園周りをぐるぐる回るだろうし万に一つでも遭遇する可能性などない。

 あるとすれば我々の宿泊場所がわかっていて、そんでもって私のランニング習慣を知っていて、コースに山を張れるようなトレーナーちゃんくらいだろうね。

 

そう思いながら靴紐を固めに結び直し顔を上げたところで回れ右。見たくない顔が仁王立ちしていれば誰だってそうなる。今日はホテルのランニングマシンにしようそうしよう。

 

「壮健で何より」

「用事を思い出したので帰るね」

「朝5時にかい? 随分と出世したようだね」

「ふぐぅ」

 

がっしりと首根っこを掴まれてはどうしようもない。渋々振り返ってにこやかに挨拶をしてみるが、引きつった笑顔であることは間違いないだろう。

 

「や、やぁルドルフ、2ヶ月ぶり」

「積もる話は走りながらでどうかな?」

 

 顔は微笑を浮かべるいつもの様子、だが目が笑ってないし耳もかなり絞られているし尻尾も何か不満げがあるように鋭く上下している。こんなに端的に怒りをあらわにするルドルフを見たのは一度もないだろう。私は首を縦に振って、彼女が私の日課に付き合うことを許可するしかなかった。

 

 ランニングを始めて数分、ルドルフは黙ったまま私のことをピッタリとマークするように横につけて並走を続けていた。もしかしなくとも、私の方から話しかけているのを待っているのだろうか。

 しかし軽いランニングでもわかる、やっぱり惚れ惚れするほど美しいフォームだ。個性的で印象に残るとか華々しさがあるとかは一切ない。ただ純粋に基礎基本を突き詰めた極限まで無駄のない効率化された走りは、理由などなく人を魅了する。特に彼女を目標とし追いかけるだろう後輩たちにとっては完成形の一つであり明確に見えるゴールライン。

 

背中を追いかけるには近く並び立つには果てしなく遠い姿だ。

私にはもう背中どころか影も見えない。

 

「危ないぞ」

「おっと、すまないね」

 

 電柱をステップを刻んでかわす。気分は最終直線で垂れた逃げウマを一息でかわすイメージ。先行策なんてまともにやったのはいつぶりかな、クラシックの頃を思い出すよ。

 

「......なぜ、中央から居なくなったんです」

「居るのが辛くなると思ったからね」

 

 痺れを切らしたか声かけを皮切りに向こうから切り出してきてくれた。言葉を探していたみたいで、ルドルフには珍しく区切りを多くしながらも会話が続く。

 

「秋天の、あの不法侵入ですか」

「そうだね。レース違反は一定期間の免許停止、レース中のコース侵入に逆走となれば一発返納。ウマ娘だからって軽くなる理由もないよね」

「世論は、あなたの行動を否定することはありませんでした。理事長も、責は軽いもので済む、と」

「それはそれこれはこれ。自分なりのケジメってやつだよ。あそこにこれ以上いたら頭がおかしくなる」

「頭が......?」

「ウマ娘ってのは不便だよね。

 人より力が強いからうっかり物を壊すし、食費は無意識に嵩張るし、すぐにお腹も減る。夜ふかしは天敵で、無駄に負けず嫌いになるし、怪我もしやすいし治りにくい」

 

 どれもこれもトレーナー養成校に通っていた時の話だ。人間同士の共同生活、授業とそのあと少しだけの時間でも私は人と生活し続けた。話し方も、年齢も、性別も千差万別。そして何より常識が違った。言葉で理解されども心で共感されることがなかった。

 

「そして、青芝に引き込まれそうになる」

 

レース映像を見るたび。

ランニングコースを走るたび。

指導するために練習コースに来るたび。

あのコースを踏み締めてしまいたいと感じるのだ。

 

「誰かと走りたい誰かと競いたい。模擬レースでも野良レースでも、100mでも10000mでも、芝でもダートでもアスファルトでもなんでもいい。今はもし教え子と真剣勝負したらどうなるんだって少しでも考えればワクワクが止まらない」

 

「だから、ウマ娘にトレーナーがいないんだ」

 

最近自分がそうなって納得した。

 

芝に呼ばれてしまうから。

レースに引き込まれてしまうから。

何より誰かと勝負したくなってしまうから。

ウマ娘とはそういう生き物なのだから。

 

「仕方なかったんだ。こんなふわついた気持ちを抱えて真剣な指導なんてできない。だから怪我なんてさせたんだよ。今回の件で完全に身を引く」

 

金は少しある。海外への片道切符を買うには充分なくらい。

 

「シービーは私に夢を見せてくれると約束してくれた。

けど、私は夢に目が眩みすぎてもう前を向けない。

これが終わったらウマ娘のレースのない国へ行くよ」

「......何も、見ようとしないままですか」

「見ようとしない? ああ、レースはちゃんと見るよ。スピカの面子は来ないって聞いてるし最後のレース観戦なんだから」

 

どんな走りを見せてくれるんだろう。

どんなレース展開になるんだろう。

今思うだけでワクワクが止まらない。

あんなに豪華なレースメンバーを肌で感じたい。

そう思えば思うほど、自分の仕事が間違ってたと思うのだ。

 

「そういうことよ。つまんない近況報告ですまんね」

「......また、見てくれないのですね」

「何言ってるのさちゃあんと見るよ。関係者になってるからチケットはねじ込めたし、席もなんとゴール前よゴール前。一番レースが盛り上がる特等席から眺めさせてもらうよ」

 

 何が不満なんだか。シービーの「そういうところ」って声がしそうだけど気のせい気のせい。人の気持ちくらい理解できるさ。できてるよね。

とはいえ、心残りがないわけじゃあない。

 

「結局再会した時に切った啖呵も叶わずじまいか。そんだけは心残りだね」

「......いえ、そうはなりませんよ」

「?」

「必ず一着を取って見せます。その暁には『リギル』サブトレーナーとしてあなたをトレセンに繋ぎ止める。どんな手段を使ってでも」

「......はい?」

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 ぱち、と何かが弾けるような音。沿道の枝を誰かが踏みつけた音でも水滴が落ちた音でもない、乾いた静電気が弾ける音。

 

「必ず振り向かせます。レースに於ける『皇帝』を理解させてみせますよ。──『絶対』は、私です」

 

朝の冬風を受け逆立つ髪。ジャージに偶然走った静電気の弾ける音と、朝特有の静寂。私は確かにそこに勝負服姿で玉座の前に立つ皇帝の姿を幻視した。

 

「......では、これで」

 

 彼女はそう言って交差点の向こう側へと消えていった。

 

「どう答えればよかったのさ」

 

腹いせに小石を蹴っ飛ばす。

それが分かれば、何にも苦労はしなかった。

 

 



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第69話 夢の祭典

勝利に向かって突っ走れ!


 

『さあ今年もやってまいりました。一年の締めくくり、夢の祭典! ウィンタードリームトロフィー!』

 

「......お祭りだね」

 

 見渡す限りの人、人、人。ともすればあの時の有マよりもギチギチに人が詰まっているのかもしれない東京レース場に私はいた。もちろん変装くらいはして、だけど。

 新しいスポーツキャップにサングラスとマスクのフル装備。ウマ耳もしっかりしまい込んでるしこれでバレることはないはず。

 

『今年の舞台は東京、2400m。それでは出走者を枠順にあらためてご紹介していきましょう。

1枠1番 オグリキャップ

1枠2番 ナリタブライアン

2枠3番 ヒシアマゾン

3枠4番 オーバーテーゼ

4枠5番 マックスフォント

4枠6番 シンボリルドルフ

5枠7番 フジキセキ

5枠8番 マルゼンスキー

6枠9番 タマモクロス

6枠10番 ブライトリーヘブン

7枠11番 メジロアルダン

7枠12番 ロングゲーム

8枠13番 メジロライアン

8枠14番 アイネスフウジン

8枠15番 イナリワン

9枠16番 マーベラスサンデー

9枠17番 セイントトレイル

 

そしてシークレット9枠18番』

 

 名前を呼ばれるたびに歓声が上がっていた場内が静まり返る。そうだろう。それだけの存在感をバ道の奥から彼女は放っているのだ、居並ぶ歴戦の出場者すらたじろぐ威圧感、一般人なら気圧されて当然。

 

「......調子万全」

 

 それくらいの圧が放てるなら絶好調以外に何がある。

 

『みなさん。ついに、ついに、彼女がターフに戻ってきました。沈黙の時を経て、三冠バの対決が今再び!9枠18番には、ミスターシービー!』

「みんな、お待たせ!」

 

 バク転5回からの3回捻り半で着地し、両手で大きく広げて見せたシービーに大きな歓声と拍手が与えられた。

 

「マーベラス☆ すごい人が来ちゃった!」

「やっと来たか......!」

「うそ、すごい」

 

 驚き、渇望、困惑。それぞれに表情を浮かべる一堂を一目見て、シービーはウンウンと頷きながら言った。

 

「揃いも揃って優駿ばかり、も少し先に来ておけばよかったね。ルドルフなんかにビビってないでさ」

「それは一体どういう意味か」

「見ての通りさ。勝ちにきたんだよ」

(......なんて、会話が容易に想像できるよ)

 

 ルドルフの様子を言えば『凄味がある』。入れ込んでいるとも、かかっているとも言わず冷静なのはわかるが、顔の硬さが否めないからこそ何かあるんだろうことはわかる。

......察するに怒っているのだろうか。シービーと話してる時露骨に圧が増してるし目つきも厳しい。シービーはのらりくらりと交わしてるけど目が全く笑ってもない。お互い積もる話があるんだろう。同じ三冠であっても、片方は市井に降りもう片方が学園に残った。そこに何かしらの感情が発生してもおかしくはない。

 

「とはいえ、驚くだろうなぁ」

 

私が考えた渾身の乾坤一擲爆逃げ(ばかのやるような)戦法、目ん玉見開いて震えるが良い!

 

 

◇◇◇

 

 

 やあ、と唯一の顔見知りに声をかける。本当に見ない顔ばかりであの時から随分と時が経っていることを遅まきながら実感した。けどせっかくの再会なのにルドルフは不機嫌な様子を隠さない。ルドルフの悩み事といえば、やっぱりあれか。

 

「エースにあしらわれたってところかな」

「ええ。あの人は自分の凄さが全くわからないんです」

「わかる」

 

 明るく振る舞ってるけどエースの自己肯定力はかなり低い。データを集めて客観的視点を積み重ねてやっと上回っているとわかれば、自分の実力がどれくらいかわかるくらいに低い。一回走れば感覚で分かりそうなものを『運が良かった』『展開が向いていた』『たまたま』で片付けすぎるんだよ。

 しかも自分の実力のことを低く見積りすぎてるきらいがあるんだよね。私ができるんだからシービーもいけるよなんて無理難題押し付けてくれちゃって。君ほどレース運びの上手いウマ娘なんてそうはいないし、スタートセンスは私にない天性の才能だ。それと自分では卑下するけど、君の黒髪は綺麗なんだよ?

 

「今日だけは負けられないんだよね。あの子に夢を見せてあげないといけないんだ。退いてくれるよね?」

「あの人を振り向かせ、繋ぎ止めるには勝利が必要なのです。今回も譲りませんよ」

 

 ルドルフが凄んでるのはそういうわけか。全くエースってば罪作りな女の子、誘惑するだけしといてお預けなんて無自覚だからこそタチが悪い。

 

「ほんと、分からず屋にしっかりとわからせてあげないと」

 

ルドルフにもエースにも観客席のみんなにも。

 

「最高の舞台劇(ショー)を見せてあげる」

 

 私のその言葉を待っていたかのようにファンファーレが鳴り響いた。それを合図にゲート前で気持ちを落ち着けていたウマ娘たちが続々とゲートインしていく。最後にアタシが収まったところで、実況のアナウンスが場内に響き渡る。

 

『誰が勝ってもおかしくない真剣勝負! 今年最後の栄光を勝ち取るのは一体誰なのか!』

 

 ガシャ、と金属の擦れる音と共にゲートが開いた。その瞬間のこれ以上ないタイミングで踏ん張ろうとする脚に逆らって、私はわざと踏み込みを()()()()()()()()()()

 

『各バ一斉にスタート、っと! ミスターシービー出遅れたか!?』

「何してんのおおおおおおおお!?」

 

 ショッキングに両頬を押さえて大袈裟に叫ぶ最前列のエースにウインク一つしてから私はスタートした。

こうしなくちゃ示せない。カツラギエースはなにも天才じゃないということ。ミスターシービーにもミスがあるということ。全盛期を超え、古傷を抱えて衰えてもなお、不可能はないということ。

 

そして何より。

 

「走るなら楽しく走らないと!」

 

私が伝えたいのは楽しく走ることの大切さ。

そしてどれだけ実力が足りなくて、どれだけミスをしたって、どれだけ間違って、寄り道したって、不可能はないって前を向く、諦めないことの大切さ。

キミだけが気がついていないキミの最高の才能だよ、エース。

 

『先頭はやはりマルゼンスキーが行きます! その背後にはアイネスフウジン、予選会1位のセイントトレイルは3番手。

 3バ身離れた先行集団はタマモクロスが引っ張ります。続いてメジロアルダン、内にロングゲーム、マーベラスサンデー、外にはフジキセキ、オグリキャップはこの位置です。

その後ろにシンボリルドルフがつけて、後方集団に入ります。

マックスフォントのうちにヒシアマゾン、外にナリタブライアン、ドリームトロフィー初挑戦メジロライアンは後ろについています。その外にはイナリワン、マックスフォントが続きます。後方にブライトリーヘブン、最後方ポツンと一人ミスターシービー、以下18名がコーナーを抜けて向こう正面に差し掛かります』

 

 有の中山、春天の阪神とルドルフとは2回の対戦があったけど、私には不利な最終直線の短いレース場で舞台にすら上がれなかった。たった一度のチャンスだったジャパンカップはエースがしてやってくれたおかげで勝負にならなかった。

リベンジマッチにはもってこいの舞台。これまでずっと負け続きだったんだ、負けっぱなしじゃいられないのは当たり前だよね。

 

そして何より。

 

カツラギエース(キミ)の背中に私はまだ追いつけていない。

レースの道を一度諦めた私を再び戻してくれたのは君だ。

 

私たちの同期は誰もいなくなって、レースとは別々の道を歩んだ。進学を控える最上級生、卒業した面々。その誰もがレースに関わらないと知って、つまらないから私もやめた。友達のいないレースなんてひどくつまらないじゃないか。けど、ふらっと学校からいなくなってレースの舞台から1番先に降りた君が、一番長くレースの世界に諦めずにしがみついてる姿を見て私はまた走る気になれたのさ。

 

 3コーナーの入口に青と桃色の勝負服をきた誰かがマルゼンスキーの先を走る誰かがいる。表情を苦しく歪め、それでも口角を吊り上げて笑いながら走るキミがいる。

 

「今度こそ追い抜かせてもらうよっ!」

 

それでこそ我が好敵手、追うべき背中。

キミはミーティングで言っていた。後半はスタミナ勝負だ。何も考えず、自分のスタミナが尽きるまで走れと。

そうだね。そうでなきゃ、キミに背中を見せられない!

 

『3コーナーからミスターシービーが仕掛けます! ぐんぐんと速度を上げて先行集団に並びかけ、いや追い抜かした!』

 

 レースのセオリーとか、走る時のコツとか、コースの取り方とか、芝の荒れ具合なんてもうどうでもいい。気持ちいい走りを気がすむまで、心のうちにある闘志を絞り尽くすまで。

 

夢を背負い駆け抜けろ。

不可能なんて、アタシたちには存在しない!

 

『最終直線に差し掛かって先頭はマルゼンスキー! 2番手にはミスターシービーが上がってきている! 3番手にはシンボリルドルフが伸びてくる、ほかの後続は苦しいか?!』

「勝負だ!」

「負けませんッ!」

『シンボリルドルフが伸びる! マルゼンスキーはズルズルと後退、先頭争いは3冠バ2人の一騎討ちだ!』

 

 ルドルフが後ろから駆け上がってくる。背中に走る恐怖感は久しく味わったことのないもの。思わず脚がすくむ。勝てないと本能が叫んでいる。スタミナはもう空っぽで、頭はおかしなこと考えるくらいに酸欠で、脚は頼りないほどふらふらで古傷も痛む。

 それがどうした。それくらいで諦めないよ。諦めの悪さだったらエースから学んだんだ。キミにそれを思い出させようってんなら、キミよりも諦め悪く勝ちに食らいついていかなきゃ!

そうでなくちゃ目の前のキミの影にだって勝てやしない!

 

『シンボリルドルフが伸びる! ミスターシービー粘る! シンボリルドルフが並ぶか、ミスターシービーが粘るか! あと100m坂を登る!』

 

芝を蹴り抉り、弾むように。

姿勢を低く歩幅を広く。地面を走るのではなく蹴って飛ぶ。

 

『ミスターシービー抜け出した! 大地が弾んで、大地が弾んでミスターシービー! 今一着で──』

 

驚く顔のエースと目が重なる。

やっと、自分の走りを思い出せたよ。

 

『ご、ゴーーーール! 一着はなんとミスターシービー!

2着は僅差シンボリルドルフ、3着はマルゼンスキー、っとミスターシービー顔から転倒?! 大丈夫でしょうか? 遅れて4着には──』

「シービー先輩!?」

「シービーっ!」

 

 ゴロゴロと何周か転がって、ちょうど視界に真っ青な空がうつるばかりのところで止まった。うーん、身体中が痛い。

 

「......ビー! シービー! 生きてんなら返事して!」

 

頭上では誰かが怒鳴っている。頭を打ったせいかうまいこと声が拾えないな。誰だろう。黒い瞳に黒い髪、似合わない帽子ってのは確か.....キミのために走っていたんだっけね、エース。

 

「勝ったよ、へへ」

「......の、バカ! アホ! 能天気! 人の話を聞かない愚か者! なんで勝ってんだよちくしょおおおおおお!」

「なんで勝って怒られないといけないのさ」

 

 思わず笑ってしまう。時々褒める時に羨むような言葉を言う癖は奇妙で相変わらずだ。

 

アタシのすべきことは全て終わった。伝えるべき言葉は走りで伝えた。諦めなかった努力の結果は今目の前で応えてみせた。

 

「聞きたいことはひとつだけ」

 

 涙すら浮かべてこっちを浮かべるキミに聞きたいことは一つだけ。ほんとうに簡単な質問だよ。

 

「同着1位ってのは納得いかないからもう一戦どうかな?」

「......っ当然!」

 

ウィンタードリーム・トロフィー。

1着 ミスターシービー 2分26秒3。

 

ジャパンカップの幻影には並ぶだけに留まった。あの時の(ジャパンカップ)勝ちタイムと全く同じってのは神様は勝負がやっぱり大好きなんだね。

 

いいよ。これがもし神様から送られて奇跡って言うなら縋ってでも掴み取る。

 

冬風が熱った身体を冷やしてくれる感覚がたまらない。

 

「レースってのは勝てなくても、勝っても楽しいねえ!」

「勝っといてそれ言う? このこの〜」

「脇腹つつかないでちょっと痛いんだけど」

「救護はーん!」

「過保護じゃない!?」

「冗談。けど、検査は受けるように!」

「はいはい」

 

 ザクザクと芝を踏み締める足音。見上げた先にはシンボリルドルフがいた。

 

「完敗です」

「いんや、これで1勝3敗。やっとまともに勝負ができた! 次は3人でやろうね!」

「3人で? 一体誰と」

「エースと」

 

目が大きく見開いて、隣のエースに勢いよく振り向き肩を掴んだルドルフ。そのまま揺さぶらんばかりの勢いで彼女を引き寄せ問いかける。

 

「ほ、本当ですか!?」

「あのレースを見といて、走りたくないウマ娘はいないよ。なんだったらここで今宣言したって構わないくらいには乗り気なんだよね」

 

フッフッフ、と指を振って勿体ぶるように言うエース。すぐ調子に乗る癖もあの頃と変わらないまま。アタシはつい嬉しくなって、立ち上がってエースの腕を掴み高々と掲げて宣言する。

 

「......あ、やば」

 

気がついた時にはもう遅い。私はそのままエースの変装を取っ払い、サングラスとマスクを遠くへ放り投げる。

 

「今この会場にいる皆さん! アタシたちのレースはまだ終わりではありません! 

アタシたちはまだ、勝負の土俵に上がったばかりなのです!」

 

観客がざわめく。アタシの隣の人物は誰か分からず混乱している人も少なくないのだろう。

だからこの場で証明しようと思う。

キミの栄光はアタシたちと走るにふさわしいものだと!

 

「みなさん! みなさんは覚えているでしょうか!

三冠バ2人の初めての決戦のジャパンカップを!

世界の強豪が揃い日本の誇りとプライドをかけたあのレース!

そして見事、全てをねじ伏せ、逃げ切った彼女のことを!」

 

ざわめきがひときわ大きくなる。キミの声や顔は覚えていないかもしれないけれど、キミの走りはみんなが覚えている。

 

「彼女の名はカツラギエース!

 アタシはカツラギエースに挑戦したい!

 一度はレースの世界を去り、再びターフに戻ってトレーナーになったカツラギエースにもう一度挑み勝つ!」

「な、なんかすごく話が大きくなっているんですけど?」

「大きくしたんだよ」

「なんで?!」

「キミは弱者なんかじゃないからさ」

「どういうことなの!」

 

キミと競い合う舞台までの道をアタシが敷く。

道案内はルドルフがしてくれる。

なんの心配もいらない。

 

「......改めて、アタシは宣言します。来年のサマードリームトロフィーでは、シンボリルドルフ、ミスターシービーの再戦を約束します。そしてこの2人に唯一勝利したカツラギエースともう一度雌雄を決する機会を。

今日よりも白熱した、最高のレースをお約束します!」

 

 

 

 

 

 

 

一緒に走ろう。

 

 

 

 

 

 



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第9章 未来への水先案内人『カツラギエース』
第70話 はじめの一歩


 

 

かぽーん、と擬音がすれば温泉にいるとは誰が決めたのか。

 

「あったまるぅ......」

「私は納得しないからね。納得しないからね!」

「けど理事会はそう決めたんだってさ」

「相変わらず耳が早い。どこから」

「私からだ」

「もうやだこの三冠バ共」

 

 あれからどうなったかといえばそれはもう大変なことになった。

 まずWDTのターフにまたしても無断突入したのを秋川理事長直々にこっぴどく叱られた上で退職届が目の前でビリビリに破かれた。

 

『白状! そもそもあそこに居たのは秋川やよいという一人物であったゆえにそもそもこれは私以外誰にも見せていない! わっはっは!』

 

 結果私はただライセンスあるトレーナーとして11月ごろから岩手に出向し、WDTに急遽出場が決まったシービーのトレーニングを受け持ち見事結果を出した名トレーナーに。

 次にマスコミには秋天の事件とスピカの活躍から鏑木トレーナー=カツラギエースという事があっさりとバレ、勝利者インタビューから話題は持ちきり。シービーが途中で切り上げてくれなければ質問の山で目を回していたに違いない。マスコミは私の英断を飾り立てるように書きネットも同調して世間も私の話題で持ちきりとなれば、URAもなし崩し的に来夏開催のサマードリームリーグ決勝名簿に私の名前が書き加えざるを得ない。シービーの大見得通り三冠バ2人との再戦が来年7月末にあっさりと決まってしまった、というわけだ。

 

何より1番の問題は世間から秋天のことを許されてしまったことだ。これで大手をふってトレセン学園に復帰できる。しかも復学届を勝手にルドルフが受理したせいで生徒としてだ!

 

「いや大の大人の制服姿ってもうコスプレだろ!」

「私は似合うと思うぞ」

「ルドルフには聞いてないから! 中等部の頃の可愛げのあるルドルフより今のルドルフの方が100倍嫌いだ!」

「アハハハ」

「笑い事じゃあないんだぞ!」

 

酒もタバコもパチンコもやらないけどもうできる年齢。こんな大の大人が高校生に混じって授業を受けるなんて本当に想像しただけで恥ずかしさとやるせなさで頭がおかしくなる!

 

「しかも高卒認定取ってるから授業受ける価値ないのにどうして学校に通わないといけないんだよ。ああもう恥ずかしくてたまらん」

「あ、そこいやなんだ」

「いやだよ! というか私もうトレセンにいたくない!」

「そういえばスピカの面々が毎日君を探しているぞ。注意しているが、構内中キミの手配書ばかりだ」

「スピカならやりかねんか、あの阿呆共め」

 

 目下最大の課題はスピカの面々とどう顔を合わせたものか。あれだけのことをした以上、彼女らもいい顔はしないだろう。チーム内の雰囲気がギクシャクすれば解散もありうる。とはいえトレーナーは私の脱退届を受理していないはずだろうし、私の籍は未だにスピカにあるだろう。

 続けるにせよ、やめるにせよ、あそこには行かないと。

 

「でも合わせる顔がなにもない」

「逆境を跳ね除けるのって楽しいじゃん。評価はどん底からやり直す奇跡のサクセスストーリー、ってね。それにちゃんと言ったはずだよ。諦めなければ夢は叶うって」

「......苦しいのならリギルに来ないか。折を見てスピカに戻ればいいさ」

「じゃあお言葉に甘えて......」

「やーい逃げウマ娘」

「リハビリですぅー!」

 

 

◇◇◇

 

「と、いうわけで本日からお世話になります。選手兼任トレーナー、高等部2年のカツラギエースです。よろしくお願いします」

「New year早々BigなNewsですね!」

「スピカさんのトレーナーさん?」

「すごい人が来ちゃったデース!」

 

うわあ。

うわあ。

うわあ。

十数人のチームメンバーが整列するグラウンドの中、もちろん重賞G1勝利バばかりなのでネームバリューは計り知れないが、それ以上に存在感を放つウマ娘が1人。

 

端的に言うとなんかやべえのがいる。

 

「ボクに見惚れてどうしたんだい?」

「......この子どこで拾ってきたんですかおハナさん」

「一般入試よ」

「マジで言ってます?!」

 

 頭に王冠の髪飾りをした栗毛のウマ娘を見て私は思わず叫んでしまった。輝いて見るくらいの才能の持ち主じゃないかこの子、身体つきは凡も凡だけど雰囲気がいい。立ち振る舞いにぶれもないし、案外こういうタイプは勝負根性が強い。

これが推薦組でなくて一般入試から拾われてきたとは。

 

「在野の怪物はまだいるもんですねぇ」

「ちょっと真面目すぎるのが玉に瑕だけれどね」

「......もらっていいですか?」

「ダメよ。この子はウチのサブトレーナーに任せるつもり」

「チェー」

 

この才能の塊、是非育て上げて見たいものだ。

 

「ふぅん、やはり罪作りなボク! またこうして恋に落ちる哀れなレディを作ってしまった! 無念!」

 

......前言撤回、やっぱいいわ。バレエだかミュージカルだかよろしく鏡に向かって踊りはじめたので彼女のことを忘れることにした。あんなのはお金を積まれても断る。まともにコミュニケーションできないのはお断りだ。

 

「それで、なぜスピカのトレーナーさんがリギルに来たのでしょう?」

「私の推薦もあるが、彼女の古巣はここなのだ。だからスピカより気心の知れたこの場所で復帰する事とした、そうだろう?」

「そうなのよ。スピカOBなんだけどスズカよろしく途中で移ったもんでして。おハナさんとは気心の知れた仲というわけですよ」

「彼女の能力は私が保証します。彼女の指示も疑問があれば質問し、なければ従うように。よろしいか!」

「「「「はい!」」」」

「昨年デビューの面々は未勝利戦へのミーティングを行うのでチームルームに、和田くんもこちらに来なさい。

それ以外の面々はエースの指示に従って頂戴」

 

おハナさんの号令に綺麗に揃って答えるリギルメンバー。

 

 後ろにいたイケメンくんと数名のウマ娘がおハナさんの背中を追って行ったところで、残ったのは。

 

(海外挑戦視野のエルコンドルパサーに有覇者のグラスワンダーにタイキシャトル、それと......)

 

「シービー、なんでいるん?」

「拾ってくれるチームここしかないんだもん。顔見知りがいると気が楽でいいね」

「どうりでみんな緊張するわけだよ」

「彼女とて先輩になるがただのウマ娘には変わりない。気楽に構えてくれ」

「構えられたら苦労しないと思うぞ」

 

三冠バ2人もいればそりゃ綺麗に整列するわな。約1名は賑やかし気分で並んでたんだろうけど。

 

「んじゃー、新年3が日で鈍った体をほぐす意味合いも兼ねて軽くランニングから。体重増えたやつは特にがんばんなさいよ」

「「「「はい!」」」」

「いい返事だ」

 

真面目で素直な子ばかりで助かる。騒ぎ立てたり文句言ったり明後日の方向に走り出すスピカとは大違いだよ......

 

「トレセーン、ファイ、オー。ファイ、オー」

「何してるんデス?」

「......今は掛け声ないのかぁ」

 

 ジェネレーションギャップを感じる。私のころはもう少し昭和育ちのトレーナーが多かったからやけくそ声の掛け声が聞こえてきたものだったんだがなぁ。スピカはやってたしリギルもなんだかんだ続けているものかと思ったんだが。

 

「声を出すことになんの意味があるのでしょう?」

「気合い? 慣習? 言われてみるとなんだろう」

 

 モフモフとした芦毛の子の質問に思わず首を傾げる。答えが出ないまま唸っていると彼女が続けて言った。

 

「はっきりいって非効率な行為では?」

「非効率、か。でもああいうのは取り入れとかないといけないんだ、私の持論にはなるけれどね」

「では説明をお願いします」

「おハナさんは意味のない練習はやらないよね。極端な例で言えば、ゲート得意な子をゲートに縛り付けたりしないし、スプリンターにスタミナをつける長距離ランはさせないし、ステイヤーにトップスピードを鍛える練習はさせない」

「当たり前デース! 時間が有限デスから効果的な練習をした方がいいに決まってイマス!」

()()()()()()()()()()()()

「ケ?」

「なに?」

「......」

 

 驚いたような声をあげる2人。他のメンバーもわからないのか首を傾げたり、相談するのかコソコソと話し声が聞こえてくる。

 

「急がば回れというわけじゃない。ただ目標に一直線過ぎるのはリスキーなんだ。

じゃあ例を出そう。皐月賞の開催場所と距離は?」

「中山、2000mです」

「オーケー。キミが走るかはわからないけどどんな技術が必要かね?」

「中山の直線は短く前が有利です。トップスピードに一気に持っていく直線加速力が必要かと」

「じゃあスタミナと競り合い技術は不必要かな?」

「優先順位は低いです」

「なるほど。じゃあ条件を変えよう。

 開催初日から天気は荒れ模様。内枠が踏み荒らされて荒れており、当日のバ場はかなり重い。

 内枠を通るのは不可能に近い。さて、どうする?」

「......それは」

「必要なのは荒れた内枠を通っても失速しない重バ場を走る技術とパワー、または距離ロスを押し切れるスタミナとロングスパート技術。キミの事前練習じゃ鍛えなかった部位だから惨敗待ったなし」

「なっ......!?」

「想像力が足りんね、レースは何が起きるかわからんのだよ」

 

番狂わせは起こすのはいつだって偶然だ。番狂わせの中心を演じられるのは、その偶然を掴む練習をしてきたものだ。

 

「すぐ役に立つ練習をした方がモチベーションになるのは当たり前、99%実際役に立つしイメージもしやすい。けど100レースに一回起きるか起きないかって状況を練習するのは難しい。99%役に立たないしイメージもしにくい。モチベーションも出ない。けどクラシックに次はない。一度きりのレースなんだ」

「......っ」

 

 グラスワンダーが短く息を漏らしたのを聞き逃さなかった。彼女が抱えたわだかまりは少ないもんじゃない、ここで少しでも向き合いたいんだ。

 

「だから、怪我をしたウマ娘は幸運だと思う」

「ケ?!」

「そうかな? 怪我をしてターフに立てないのは不幸なんじゃないかい?」

「フジキセキのいうことももっともだけど、経験は財産だ。

一度怪我をしたのなら、二度と怪我をしないよう気をつけられる。不測の事態で一度負けたなら、二度目はないように練習できる。それを目の前で見られる後輩たちに、経験と気持ちを伝えていくことができる。

怪我をすることも悪くない。

回り道も大いに上等。

起きた事に必ず価値はある。それを胸に今後も無駄な努力を恐れないように、ってね」

「うわー、ほんとにトレーナーっぽいこと言うんだねえ」

「本職のトレーナーだからだよ! 茶々いれんなかっこよさがなくなるでしょう! あっちだと尊敬されなかったからこっちでは真面目に尊敬されたいの!」

「あ、こんなのだから尊敬しなくていいよ。気軽に『エース先輩❤︎』で構わないってさ!」

「やめんかぁ!」

 

 

 

 




感想、高評価、どうかよろしくお願いします。

くれよ......


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第71話 再起のために

毎度のごとく誤字報告ありがとうございます。自分でも確認しているはずなんですけどねえ......?


 

 

「エースさん、此処教えてもらえますか?」

「構わんよ、見せてみなさいな」

 

 4限終わりの昼休み、授業が手早く終わって食堂に一足先に向かう生徒もいるなか何人かのクラスメイトはノート片手に私に質問にくるようになった。

 

「......と、ここはこの公式を使っていけばわかるはずだよ。あとこういう問題は数をこなすのがコツなんじゃないか?」

「ありがとうございます」

「次は私! この問題がどーしても解けなくて!」

「ああ、これはまず化学式を思い出すところからで」

 

 最初こそ敬遠されてたものの、大学受験を控えるウマ娘も多い最上級クラス。誰かが勇気を出して私に質問に来たのを皮切りに先生ではなく私に質問する生徒が増えてきた。走ることを教える学校でもあるし、教師の質は高いんだがいかんせん生徒の多さから手が回らないらしく、だからこちらからも頼むよと先生方に頼まれては断れない。

 

「エース先輩の教え方分かりやすくて助かります!」

「そろそろセンター、じゃなくて今は共通テストか、頑張ってね」

「あ、チャイムなりましたね」

「んじゃそこの窓開けといてもらえる?」

「またですか」

「しばらくは迷惑かけるね」

 

 チャイムがなった途端に響き渡る騒がしい足音、廊下から聞こえる驚くか怒るような声を聞きながら、私は机の上をしっかりと片付け教科書をしまう。このストライドと地響きから察するに高身長でパワータイプとなればたった1人だ。

 

「今日はゴルシかな、ドアから離れた方がいいかも」

「オラツラ出せやーッ!」

「アディオスアミーゴーっ!」

 

 ゴルシがドアを勢いよく開けたタイミングで、クラスメイトが開けてくれた窓から飛び降り前転して衝撃を減らしてからダッシュ&ラン。

 

「もうしばらく顔出すつもりないんで〜!」

「こらー逃げるなよーっ!」

 

 学園に復帰してからというものの、予想通り私はスピカの面々から狙われ続けている。

 

 ジグザクに走ることを意識しながら逃げ場所のリストアップ。リギルチームルーム、私のトレーナー室はもう使えない。昨日はスカーレットがいたし、一昨日はウオッカが張り込んでいた。体育倉庫は危うくダクトを見つけられなければ詰んでたし掃除に来た用務員さんにはこっぴどく叱られたのでダメ、合鍵のある空きチームルームはタキオンが占領したせいで別の意味で危険地帯だ。

 

 指を折って隠れられそうな場所をいくつか挙げていくが、どれも今ひとつとなればあそこしかあるまい。寮をグルリを回って、正面から見えにくい奥まった建造物、その階段を4段飛ばしで駆け上がり3階を左に曲がった6号室。

 

「桐生院匿ってくれ!」

「え、あ、ちょっと!」

 

今の最善の逃げ場所は、親友の私室くらいしか思い浮かばん。

 

「ついでにメシも食わせてくれ」

「えー、ウマ娘沢山食べるから困りますよう。備蓄のカップ麺だけですけど、いいですか?」

「良家のお嬢様がカップ麺なんか食べるなよ」

「カップ麺も居酒屋のつまみも同じでしょう。ジャンクフードを食べてもトレーナー側だけならとやかくは言われませんよ」

 

 ブツブツと文句を言いながら水を張った鍋を火にかけ、戸棚を漁り始めた桐生院。持つべきものは便利な親友に限るね。

 

「......私のこと便利グッズ扱いしてるきらいありません?」

「ソンナコトナイヨ」

 

 

◇◇◇

 

 

「いやー、昼ごはん食べられないから助かったよ」

「......やっぱりあなたウマ娘なんですよね。備蓄が空っぽです」

「リギルの面々と走ってたらお腹空くようになっちゃって。現役時代を思い出すねえ」

「今がまさにその時でしょうけどね」

「そうとも言う」

 

 4杯目のカップ焼きそばを腹に収めて付属スープまで啜っているところで、桐生院が呆れたようにため息をついた。

 

「また問題ごと持ち込んで。養成学校時代の時もじゃないですか」

「同期に絡んでたヤクザ突き飛ばしたらまさかあそこまで飛んでしまうとは思わなくて。でも切り返した時の桐生院ちゃんの方がすごかったよね」

「その話はもうやめにしましょう」

 

 組で殴り込んできたヤクザに対し広島弁で『おんどれは桐生院家を知らんのか!』逆にメンチを切り返したことは記憶に新しい限りである。裏話として研究ビデオの中にこっそりお薦めしてた任侠ドラマが混ざっていたから我ながらファインプレーだったと自負している。

 

「それで、次はなんですか?」

「スピカの面子と顔を合わせるのが気まずくて」

「律儀なあなたですしちゃんとお別れを言って出てきたから顔を合わせづらいってところですか?」

「最後だからって面と向かって言えないことまで置き手紙に書いちゃってもう。嫌われてるだろうし失望されてるよ」

「そんなことないんじゃないんですか? ね、ミーク」

「だいじょう、ぶい」

「ベッドの下から?! 授業は?」

「トレーニングであしがはやくなった」

「もう、ミークは頑張り屋さんですねぇ〜」

 

 猫よろしく大人しく膝枕されたミークの頭を撫で回しとろけ顔の桐生院。入学当初の仏頂面を見ているのなら想像もできない表情だろう。ミークもまんざらでもないようで、無表情ながら耳と尻尾は気持ちよさそうにぴこぴこと左右に揺れている。

 思えばベッドや本棚、机の上には実用的なものの他にお土産らしいイルカのオブジェ、安っぽいアクセサリーや調度品が幅を利かせ、極め付けにくらげ写真の水族館ポスターがデカデカと壁を占拠している。

 

「お前も随分と変わったなぁ。娯楽のごの字も知らなかったお嬢様が今やこんな部屋に住んでるとは」

「別にお給料何に使ったっていいじゃないですか」

「年パス、買ってる」

「入れ込んでるねえ」

「いいじゃないですか、心が安らぐんですから!」

「イルカのぬいぐるみを抱きしめながらむくれられても何も怖さがないね。ってぬいぐるみ投げんな!」

「むー!」

「その怒り方まで担当に似て。入れ込みすぎるとあとは大変だってのは習ったでしょうに」

「お互い様では?」

「うぐ」

 

 桐生院の鋭い一言に返す言葉もない。自覚はしていた。入れ込みすぎていなければこんな事にならなかっただろう。

 

「とはいえ、白書の受け売りではないですけど担当ウマ娘に寄り添うことは必ずしも悪とは思いません」

 

 本棚の上に鎮座する古ぼけた分厚い古本。代々桐生院家の後継に受け継がれるそれを彼女は見上げて笑った。

 

「戻っても、きっと許してくれますよ」

「そうかな」

「自分を許すかどうかは、それからでも遅くないんじゃあないですか?」

「......やっぱりここにきて正解だった。駆け込むなら桐生院の部屋に限る」

「相談所でも避難所でもないのですけれど?」

「じゃああれだ。同居してることにすればいいんじゃない?」

「「あっはっはっは!」」

「早いとこ出ていってください。これからタキオンさんのところに行くので鍵閉めるんです」

 

 一瞬で真顔に戻った桐生院にぽい、と文字通り襟首を持ってつまみ出されてしまった。このフィジカルゴリラめ。

 

「筋肉バカとか思ってます?」

「オモッテマセン」

 

この女、人間なのにウマ娘を制圧できるのマジで頭おかしい。

 

 

 




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第72話 それぞれの現在(いま)

 

 

「とは言ったものの、まだ勇気が出ないわけで」

 

はぁ、とベンチに座ってため息をついた。

 トレセン校舎の影になるように作られた喫煙スペースはトレーナーしか寄り付かず、鼻のいいウマ娘は尚更寄り付くことはないほぼ人間専用の場所。私はそこでウマ娘の追跡はほぼない逃げ場所候補の一つに逃げ込んで缶コーヒーを啜っていた。

 

「どう謝ったもんか」

 

 どう謝ってもまずスカーレットは怒り狂うだろう。彼女は責任感のあるタイプ、担当をほっぽり出した上で逃げたとなれば1にも2にも私を糾弾し自分の心中をストレートにぶつけてくることだろう。

どうしようもない、次。

 

 フクキタルはどうするだろう。というかシラオキ様が怖い。予想できないものほど恐怖感を煽るものはない。フクキタル自身はいつもの3倍は泣き喚いて怒るだろうが、あの不思議な声が今となっては恋しいのだから不思議なものだ。

呪われなきゃいいけど、次。

 

スペシャルウィーク。彼女の様子は怖くて見ていない。リギルの同期2人の会話を盗み聞きする限り、スズカさんに過保護気味なようだかそれ以外は普段となんら変わらないらしい。

わからない。そもそも自分に対してどんな思いを抱えているのか、今考えて見ても予想できるはずもないだろう。

 

スズカ。

......何もかも予想できない。自分のことをありのままに伝え素直に許しを乞う。これは決めていることだ。

 

「そういえばシャカールはどう思ってるんだろう?」

 

 チーム内で他人に噛み付くことはあれど、案外物静かな彼女は私のことをどう思っているんだろうか。考えてみても明確な答えはついぞ思い浮かばなかった。

 

「案外、何にも知らないんだな」

 

予想できないのは、その人となりを理解していないからだ。

私は真剣にスピカの皆と向き合えていたのだろうかといえば、そうは言えないだろう。

 

「......けど、シャカールに一番会いたいんだよな」

 

 冷静に物事を客観視できるのがシャカールの利点だ。レースであっても人間関係であっても、良い方向に転がすには状況を客観視し適切な手を打つことが大切。

 

 だけど、こう望み通りに物事が運ぶわけもないだろう。その建物の影からシャカールが歩いてくるなんてことが。

 

「......ッぱり喫煙コーナーかよ。鼻が曲がりそうだ」

「あるやんけ!」

「アアン?」

 

 大声と煙草の匂いに不快そうに目をしかめたシャカールがなぜか目の前にいる。これが幸運なのか不幸なのかはわからないが、ピンチでありチャンスだ。携帯を取り出しスピカの面々に連絡しようとしているであろうシャカールに駆け寄って腕を掴んで頼み込む。

 

「少しだけ、待ってくれないか?」

「話でもあんのかよ」

「今のスピカを知りたいんだ」

「......イイぜ。場所は移させてもらうけどな」

 

 

◇◇◇

 

 

 

場所を使われていない空き教室に移し、椅子に座る。シャカールがいつものようにステッカーをベタベタに貼ったパソコンをカバンから取り出し電源をつけるのを確認してから口を開いた。

 

「スピカの皆の様子は、どうなんだ?」

「オイオイ、そんなアバウトな質問じゃあ答えられねェ。的確かつ具体的に質問しろや」

「......サイレンススズカの脚はどうなんだ」

「最初にそこかよ。いいぜ」

 

 何やら打ち込んでからパソコンを回して画面を見せてくれた。そこにはレントゲン写真やカルテなどが数枚重ねて表示してある。おそらくスズカの脚の病状だ。

 

「再建手術は無事に成功した。今はまだ車椅子だが4月にはギプスも外してリハビリが始まる見込みになってる。順当に行けば来年1月あたりに復帰レースになるだろォな」

「走りに対する影響は」

「綺麗に折れてた。主治医の話を借りれば、前より硬くなるだろォってな」

「......走れるのか?」

「脚が治っても走れるかは別問題だ。そォだろう?」

「そうだな」

 

 怪我が完治したとても万全に走れるかはわからない。怪我に対する無自覚な恐怖と不安にこれから彼女はいつまでも立ち向かわなくてはならない。フクキタルのように、だ。

 

「彼女は、何か言ってたか?」

「オマエにか?」

「なんでもいい。答えてくれ」

「オレは聞いてねェし知らねえ。本人の口から聞きやがれ」

 

けんもほろろ、とりつく島もないといった有様だ。

だが聞きたいことは山のようにある。

 

「フクキタルの様子は最近どうなんだ?」

「普段通りだぜ」

「普段通り?」

「練習メニューの強度は以前より軽くなっているが、特にこれといって変わった様子はないな。次走は2月の京都記念だな」

「2200m、適性範囲のG3か。練習タイムは?」

「誤差の範囲」

「伸びず、か。厳しいね」

「あとは脚を気にする仕草は平均20回増加してる。古傷が痛むんだろうさ」

「そっか」

 

 有の後遺症はそこまでないが怪我はよくもなっていない。これからの行動指針を担当として考えるのであればG3、G2をめどに1勝を目指していくことになる。一度はG1に届いたんだが、きっとそれまでの幸運のツケなんだろうか。

......幸運と不運は紙一重、どうしようもない現実を見た上で、彼女がこれからどうするか。シラオキ様はそこん所どう考えているのやら。

 

「その、フクキタルがよく虚空に話しかけてるとか急に雰囲気が変わったりとか、ラッキーアイテムが増えたとかそういうのはないのか?」

「2、3個小物が増えただけだ。初詣の学業守りやらレース守りだよ」

「いつものごとくか」

「アア」

「スペはどうなんだ?」

「それなンだがな......」

 

今まで淀みなく答えていたシャカールの手が止まる。異変に不安を感じて、思わず唾を飲み込んだ。

 

「なんかあったのか?」

「俺には判断しかねる事態になってるだけだ。沖野トレーナーは静観するみてェだが、いつかは対処しないといけねェ事になるだろうな」

「詳しく」

 

シャカールが無言で何枚かの写真を表示した。どれもこれも車椅子や病衣姿のスズカをスペが気遣う微笑ましいものばかりで、一般の人が見れば彼女の優しさに胸を打たれるだろう。

 

「......何やってんだよスペシャルウィーク」

 

 だがここはターフの上で、彼女達はシニア級でやっと矛を交える機会を得たライバル。

 タッチパネルを操作し、スペシャルウィークの写真ファイルを漁る。普段の練習風景や休憩風景などさまざま背景で同期の黄金世代やスピカの皆と映る中、一時期からぱったりその姿を消しスペとスズカのツーショット写真ばかりで、その日付は12月の終わりからだ。これはスズカの退院めどが経ってからずっとなのか?

 

「その通りだよ」

「エスパー?」

「オマエの考えてることの70%くらいは予想できる」

 

シャカールはさも当然と首をコキと一度鳴らして、それからじっと私の目を見つめて言った。

 

「......良くねェ傾向じゃねェのかこれは。たしかに私生活の物事や家族の有無で成績向上したデータは例がないわけじゃねえ。だとしても、自分の時間を大幅に削って介護するのは同室のよしみを越えてる。同じチームメイトとして見過ごせねえぞ」

「良くないね。非常に良くない」

 

 トゥインクルシリーズは仲良しこよしの運動会じゃない。スペシャルウィークの生まれが特殊で、同級ウマ娘なんて見たのがこの学園にきてから初めての事情があったとしてももう彼女はクラシック戦線を駆け抜けたあとだ。

 

そんな甘えなど許すほど、私は優しいトレーナーじゃない。

 

「どォする?」

理解(わから)せる」

「どォやって?」

「ンなもんレース以外にないでしょうが。ウマ娘の言葉はレースで語れ。こないだやっと思い出せたことをスペにも思い出してもらう」

 

 予定変更だ。ウジウジスピカに戻るかどうかなんぞ知ったことか。自分のことよりまずスぺを叩きのめして性根を正す必要がある。

 

「今月中にスピカに戻るつもりだったけど夏合宿まではリギルに残るわ。トレーナーちゃんにはそう伝えといて」

「アァ? ンな無茶苦茶な。オレ達はどうすりゃ良いんだよ」

「トレーナーちゃんには話通して頑張ってもらう。そもそも君ら自分で練習できるタイプだし、デビュー前の段階なら私なしでもどうにかなる」

「レッドのことも放置じゃねェだろうな?! 戻ってきて負け続きじゃまた地方行きだぞ!」

「アイツこそ心配不要だ、やること山積みで忙しくてたまんない。それに、私に指導ライセンスがないんだなこれが」

「ライセンス......ってことは」

「いい師匠のもとで頑張ってる頃だろうさ」

 

 

 

トレセンの外れにあるサブグラウンドにハードルを飛び続けるウマ娘が1人。身体中に絆創膏を貼って傷だらけで転んだりしながら、それでも彼女は飛び続ける。

 

「いい調子だな」

「なんとなくコツは掴んできましたッス!」

「大丈夫か?」

「ハイっす佐々木部トレーナー! やっと感覚がわかってきた頃合いっすよ!」

「オペラの人を見るセンスは脱帽モンだな......」

 

芝、ダートに次ぐ第3の舞台、障害レース。競技人口も少なく花形とは決して言えない日陰舞台。ハードルや竹柵などの障害を飛んで走る過酷極まる長距離ランの舞台にレッドキングダムは踏み込もうとしていた。

 

「先輩が遊んでる間に見せてやるッスよ。ッフッフッフ!」

「遊んでないんだ、ちょっとお腹が痛いだけで......!」

「そ、そっちの先輩じゃなくてスペ先輩の事っす!」

 

 佐々木部トレーナーの隣では、メイセイオペラがお腹を抱えて横になっていた。

 

「まさか東京の水がここまで合わないとは......! だが、勝ってみせる。フェブラリーSだけは」

 

 岩手の星『メイセイオペラ』、中央挑戦。

 

「G1の栄光を、岩手に持ち帰っておうっ!?」

「ちょ、それはまずいッス!!!」

「うわっ! 吐くな吐くな!」

 

......果たして、結果は。

 

 

 

 

 



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第73話 諦めた者、諦めなかった者

バレンタインにはシャケを食え


「おハナさん相談があります」

「なにかしら」

「宝塚までグラスを借りたい」

「理由は?」

「スペシャルウィークを完膚なきまでに叩きのめすために」

「しょうがないわね、いいわよ」

「デスヨネー」

 

 シャカールとの話をした日の夜、時間を見計らっておハナさんを飲みに誘い居酒屋で話を振ったがすげなく断られてしまった。ほかに当てはないし......ん?

 

「良いんですか?!」

「私も本意ではないのだけれどエルコンドルパサー、彼女の海外遠征のサポートをしないといけないのよ」

「会見で言ってたアレですか」

「長期遠征ともなるとタイキのようについていくわけにもいかないの。それに今回は日本でもはじめての海外長期遠征、全力でバックアップしてあげたいのよ」

 

 ため息をつきながら焼き鳥をかじるおハナさん。彼女には申し訳ないがこれは私に運が向いているとしか言いようがない。

 

「じゃ、任せてもらっても良いんですね?」

「出走プランとレースはこちらで選ばせてもらうわ。けど宝塚に出走することは約束する。これで良いかしら」

「是非!」

「けど、グラスに許可を取ってからよ。彼女の承諾がなければ、今の話は無かったことにする、良いわね」

「大丈夫です。私、人を丸め込むのはうまいので」

「子供だからって舐めてると痛い目見るわよ。高等部はもう大人なんだから」

「は、はぁ」

「話はこれで終わりかしら。じゃあ遠慮なく飲ませてもらうわよ、貴方の奢りで」

「......えっ? 私の?」

「沖野君に貸してる分があるのよ。本人は返すつもりがないだろうし貴方から返してもらうことにするわ」

 

 同じスピカでしょう? とさも当然のように言い放ちながら店員さんを呼びつけ、そこそこ値が張りそうな銘柄のお酒を注文し始めたおハナさん。今まで居酒屋とは無縁だったが、かくも酒盛りは財布に優しくないことを身をもって知る羽目になった。あとおハナさんが世間一般に言われるウワバミということも。

 

「請求書はトレセン学園、チームスピカで」

「はーい」

「......抜け目ないわね」

「私のツケじゃないんで」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「お断りします」

「デスヨネー」

 

 翌日、リギルチームルームでおハナさんを挟む形で会うことになったグラスワンダーはキッパリと言い放った。

 

「彼女を信頼できないかもしれない気持ちはわかるわ。けど」

「いえ、鏑木トレーナーが素晴らしいトレーナーであることはここ数日のトレーニングで身をもって実感しています」

「じゃあなぜなの?」

「彼女のことが信頼できないからです」

 

 言わんとすることは理解できる。ついこの間まで他所のチームにいたトレーナーが我が物顔でやってきて家主が居ないうちにチームに取り入ろうとしてるんだ、拒否反応を示すのも無理はない。

 

だが、こっちもこっちで担当したい理由がある。

 

「契約期間は宝塚記念まで。条件を達成できなければなんでも言うことを聞く」

「条件は」

「宝塚記念で1着を取ることだ。スペシャルウィークを下して」

「それは貴方に言われるまでもありません」

 

 不機嫌そうに耳を寝かせてしまったグラスワンダー。どうにもこの言葉は琴線に触れなかったようだ。

 とはいえ、とはいえ、だ。

 

「トレーナーの充分なサポートなしにその脚で走り続けるつもりか。トレーナーとしてそれは認められないぞ」

「自分の身体のことは自分がよく理解しています」

「ンなわけないでしょう。一度怪我したらそれは常態化するし、庇って別のところに負担をかける。自分だけでそれに気がつくのは無理だ」

 

 ひとつ息を吐いて自分を落ち着かせる。ここでああだこうだと理屈を捏ねても意思を曲げなさそうな彼女にはおそらく逆効果になる。ならどうするべきかはひとつ。

 

「理由は?」

 

なにか彼女をそうさせるのかを、知るべきなのだ。

 

「私のことが気に入らない理由を教えて」

 

彼女は少し間を置いて口を開いた。

 

「私をスカウトしてくれたのは東条トレーナーです。

 私にはじめてのG1勝利に導き、私がジュニア級最優秀ウマ娘に表彰されたのは東条トレーナーのおかげです。

 私が怪我をしてからも病院に付き添い、怪我の様子を毎日確認し、リハビリメニューから復帰レースまで、全て東条トレーナーがやってくれました。そして有記念での勝利も、トレーナーのために走ったからです。

 

外様の貴方に割って入る余地はありません。

私は東条トレーナーの担当ウマ娘です」

 

絞られた耳は不満を隠さず、一文字に結ばれた口元はこれ以上話すことはないと、目つきは若干細められ怒りを露わにしている。

 

「......それだけじゃないだろう」

 

だが、それは彼女の心持ちの底じゃない。彼女が私を信頼しないのはそれ以上の訳があっていいはずだ。

 

「私は東条トレーナーから直々に指名されて臨時に担当を代行してほしいと頼まれた。君の気持ちもわからないでもない。だが、他のトレーナーなら納得するよね、君は」

「......」

「君、私のこと個人的に嫌いだろう?」

「ええ。私は貴方のことが好きではありません」

 

グラスワンダーは即答した。驚いたように目を少し開いたおハナさんの方を一瞥することもなく、彼女は怒りを露わにしてじっと私を睨みつけた。

 

「貴方は自身の担当ウマ娘の元を離れ、なぜライバルがいるチームにいるのですか? 貴方は怪我をしたフクキタル先輩に寄り添ってあげるべきなんじゃないんですか。

 有記念控室で1人だったのは、フクキタル先輩だけだったんですよ!」

「そうだ。私は彼女に寄り添ってやるべきだった」

「貴方はトレーナー失格です」

「そうだ」

「否定しないのですね」

「事実を受け入れて何が悪い」

 

何もかも彼女の言う通りだ。

だが、私はこんな回りくどいことしかできない。

 

「私は2度も諦めた。自分の脚に(選手として)絶望し、自分の才能に(トレーナーとして)絶望した。諦めずに努力を積み重ねて復活したグラスワンダー、君とは違う。

 

だが、君は知らないはずだ。

ウマ娘が、ウマ娘にどれだけの言葉をレースで語れるか」

「レースで、語る?」

「私はそれを、シンボリルドルフとミスターシービーから教えてもらった」

 

今なら理解できる。

あのジャパンカップでシンボリルドルフは言っていた。

『私を見ろ。あなたの後輩を見ろ。私は、ここまで強くなったんだ』

あの有記念で、フクキタルがカメラを見上げた理由はなんだったのかもわかる。彼女が伝えたかった、本当の真意も。

 

「フクキタルはまだ諦めきってはいない。自分の復活も、サイレンススズカの復活もだ!」

「スズカ先輩の......?」

「彼女があの時見上げてたのはカメラじゃない。カメラ近くのサイレンススズカだったんだ。選手生命を断つような大怪我も、乗り越えられると」

 

 これは私の勝手な妄想だ。本当なら戻ってきてほしいのかもしれない。言葉はお互い伝えなければなんの意味もない、相手がそう思っているかなんて誰も100%理解できるわけじゃない。

けど彼女の走りを見て私はこう感じた。同じウマ娘同士ならその想いに殉じてもいいはずだ。

 

「だがスペシャルウィークは違う。彼女はサイレンススズカが1人で立ち上がることができないと。その分自分が頑張ってあげないとって彼女の復活を諦めているんだ」

「......」

「その心を晴らせるのは、君の走りだけだ。

 選手生命を断つような怪我から復帰した、諦めなかった君だからこそ伝えられるんだ。その思いを、その姿を、スペに勝つことで見せつけるんだ。

君の走りでスペとスズカの横っ面をぶっ叩くしかないんだ、このままじゃあの2人は昔の私とおんなじかそれ以下になっちまう」

 

 あのままじゃスズカはたとえ復帰しても勝てずじまいで終わる。互いの傷を舐め合いよくやったと褒め称え合うことだろうがそこに成長も未来もない。ただ負け続け、凡百のウマ娘とおんなじにトレセン学園を失意のまま去ることになる。

 

 私と同じだ。目の前でフクキタルにそんなザマを見せつければ、彼女も今度こそ耐えきれずに折れてしまうだろう。彼女のこれからの道を繋ぐためにはサイレンススズカの復活は欠かせない。

 

「なにより私の次のレースはこんな心配事抱えてたら勝てないんだよね」

 

 最後にわざとらしく肩をすくめて付け加えたが、これも事実だ。WDT、あの冬の舞台で化け物どもが私を待っている。しかも今年の舞台は中山2500、あの時と同じ最高の舞台で挑戦者として私を向い入れ、殺しにかかってくることだろう。

 こんな最高のレースに異物を挟んでたら楽しめるものも楽しめない。

 

レースは楽しまなくちゃな。

 

「ライバルとはお互いに火花を散らし合うような本気のレースをしたい。そうは思わない? グラスワンダー」

「......少し、時間をもらえますか」

「返事はいつでもいい。君の思いを聞かせてくれ」

 

 私は席を立ちチームルームを後にした。これ以上は彼女とおハナさんの問題だ。外様の私が関わることじゃあない。

 あとは、彼女が決めることだ。

 

 

 

「あの、鏑木トレーナーさん窓から出ていったのですけれど」

「彼女、スピカを勝手に抜け出したもんだから目の敵にされてるのよ。毎日追いかけっこしてるわ」

「は、はぁ......」

 

 

「オラマチヤガレトレーナー!」

「マテトイワレテマツバカガイルカ!」

 



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閑話 グラスワンダーから見た『鏑木トレーナー』という人物評

 

 

 

 

「やることが多い!」

「あっはっはっはっは、大変だねえ」

「お前の調整分もあるんだぞこんにゃろう! 自分の調整だって満足にできないが?!」

「それは困るなあ。ちょっと仕事かしてよ、やっとく」

「あーたに出来るわけないでしょうが」

 

 私の練習風景を見るでもなく、隣にいるシービー先輩と口喧嘩を始めた鏑木トレーナー代理。

 

「新しいトレーナーサンは面白いヒトですネー」

「ええ、全く」

 

エルの言葉に頷く。トレーナーを期限付きとはいえ交代させるのは初めてで不安だ。トレーナーは彼女は優秀だと言ってくれたが、私からも見定めたい。

私の新しいトレーナーは私に対して誠実なのでしょうか。

 

「なるほど、ここをこうして」

「やめないか!」

「欲しかったら捕まえてみなさいよ〜」

「スタート勝負で私に勝てるわけないでしょうがゲート下手!」

 

 ついに口喧嘩から取っ組み合いに発展したトレーナー代理を見て、不安を感じずにはいられない。トレーナー、本当に彼女に任せてよかったのでしょうか。彼女が三冠ウマ娘から一本背負いされる様子を見ながらため息をついてしまわずにはいられなかった。

 

 

「えー、こほん。では、ウォーミングアップはすんだかな?」

「はい」

「んじゃ、おハナさんにレース日程をもらったからその説明から。7月の宝塚記念をめどに逆算して組んである。勝敗次第では多少変わるが、日程自体はそう変わらない筈だ」

 

 全身擦り傷と砂だらけになったトレーナーが咳払いをひとつしてから私に紙の資料を手渡しました。

 

『3/14 中山記念        中山 1800m

 4/4 大阪杯         阪神 2000m

 5/15 京王杯スプリングカップ 東京 1400m

 6/13 安田記念        東京 1600m

 7/11 宝塚記念        阪神 2200m』

 

「順当な日程組みってところだね。得意距離のマイルで復帰戦。G1の舞台を2回踏みつつ阪神も走って、しっかり1ヶ月時間をとって本番だ」

「ええ、いいと思います」

「ただ、1400を一本挟んでるのが気になるのよね。

5月の中距離は半ばの新潟大賞典に月末の金鯱賞がある。6月の安田記念をスルーしても構わないならイロイロ選択肢はあるんだよね。無理にレースに出すくらいなら休養させたいんだけど......どう思う?」

「どう思う、とは」

「そりゃ、キミの意見を聞かせて欲しいからね」

 

 当然だろう、というように首を傾げる鏑木トレーナー。トレーナーであれば全てのことに対して堂々と振る舞い、トレーナーとは武士のように不動の心構えを持つべきというのに。そう思いながらも、今までされたことのない類の質問に驚いてしまいました。

 顔に出ていたのか、トレーナー代理が眉を顰めます。

 

「不満そうだねえ」

「いえ、そのようなことは」

「取り繕わなくていいよ。私はトレーナーとして未熟もいいところでおハナさんの足元にも及ばない腕前だ、不安になる気持ちはよくわかる。だとしても私には私なりのやり方がある。

キミの意見を聞きたいんだ。私1人では限界があるけど2人ならなんとかなるさ」

「......では」

 

 ひとつ咳払いをして、私は口を開いた。

 

「レース慣れさせるためではないでしょうか」

「ふむ、聞かせて?」

「私は他の皆さんと比べて走ったレースが少ないです。よってレース経験値というものが非常に少ない。ですからどんな形であれレースに出るべきと思ったのではないでしょうか」

「ふむふむ」

 

 何度か鏑木トレーナーはうなづいて少し考える素振りを見せた後もうひとつ疑問があると言った。

 

「じゃあなんで1400mの短距離レースを選んだのかな。次の日には新潟開催だけど2000m重賞の新潟記念がある。中距離での経験を積ませるとなるとそっちでもいいじゃない」

「1400mはジュニア級に一度走った事があります。問題なく勝てます」

「そうじゃなくて。やっぱやり方が違うと難しいな」

 

 鏑木トレーナーは頭に手をやって眉間に皺を寄せる。あからさまに私の今の答えに失望したと言わんばかりの態度で、その理由を問いただしたくなったのは自然の流れでした。

 

「そうではないというのは。何か私はおかしなことを申しましたでしょうか?」

「いや、うん。間違ったことは言ってないんだ。ただレースに出走する意味を聞いてるんだよ。私と君とで質問の捉え方が違うんだな。んじゃこう言い直そう、このレースに出走する理由は何だと思う?」

「出走する理由ですか」

「ああ、そのレースに出走して得られるものは何かを考えて欲しかったんだ」

「得られるものは、それは経験では?」

「もっと深く」

 

私の答えに彼女はもう少しだというように指を鳴らした。

 

「このレースはおハナさんが『君が宝塚に勝つためにはどうすればいいか』を考えて設定したレース日程だ。そこに無意味なものは何ひとつないし、全部を経験値なんてひとまとめにしていいもんじゃない。それを言葉にしてみてくれないか」

「気持ちを、言葉に?」

 

 彼女の発言に同じような言葉で返した。気持ちを言葉にするとはいったいどういうことなのでしょう。昔の人が感動したことを歌に詠んだように、私もひとつ句を作ってみてはどうでしょうかという問いかけなのでしょうか。

 

勝つためにどうすればいいのか。

その言葉を反芻する。

 

「レースに勝つには誰よりも速くゴール板を駆け抜ければいい。トレーナーのために、私はそれを成し遂げてきました。

朝日杯でG1初勝利と最優秀ジュニア級ウマ娘の栄冠を、有記念では1年ぶりの復活と、年1番の名誉をトレーナーに」

 

その次。次は......

 

「次、は?」

 

目の前に、峡谷の上に架かる橋を幻視した。

底すら見えない深い谷の向こう側にはスペちゃんやエル、リギルの先輩方が待っている。私もそこに行こうとして一歩目を踏み出そうとして気がつく。

 

私の足元には、何も無かった。

 

後ろを振り返っても誰もいない。谷底と同じように暗い闇が広がり、私をそこに誘おうとしている。谷は飛び越そうと思えば飛び越せるかもしれず、しかし失敗すれば2度と這い上がれないかもしれない深さ。

 

私は......

 

「私が危惧してるのは『燃え尽き症候群』だ」

「燃え尽き症候群......?」

 

トレーナー代理の声で幻覚から目が覚める。聞きなれない単語に思わずそのまま返すと丁寧に彼女は答えてくれました。

 

「特に大きな目標、例としてG1勝利を挙げたウマ娘が陥る事がある。大きな目標を達成した後にモチベーションが上がらない、やる気が出ない。君はあの渋りようからして結構義理堅い性格だと思ってる。だから『トレーナーのために』走ってるんじゃないかと思ってたんだ。朝日杯から1年をかけての復帰。毎日王冠では惨敗ながらも復帰戦を無事完走し、年末の有記念では無事に1着を取った。怪我からの恩返しもこれでひと段落だ。では聞こう、君の()()()()()()()()()()

「次の目標......?」

「有記念連覇でも目標にでも頑張るかい? それで頑張れるってんなら止めはしないけど、本当に頑張れる?」

 

次の目標。

トレーナーに見初められたウマ娘として貴方の目は間違いじゃ無かったと証明する事ができた。貴方の取り組んできた日々は間違いでは無かったと示すことはできたのです。

 

それから先はトレーナーのために何ができるか、そのようなことは決まっていますよ。私がトレーナーに恩返しはとにかく勝利すること、チームリギルの一員として為すべき事をするだけです。

 

「G1を取ります」

「ふむ、その心は?」

「チームリギルの一員として最強を証明するために」

「はぁ〜、まったく可愛げのない」

 

 トレーナー代理は今まで聞いたこともないような大きなため息をつきあからさまに落胆していました。

 

「もっと自分のために、独りよがりに走っていいのよ?」

「いえ、私の趣味ではありませんので」

「そっか。今の子は違うんだねぇ」

「......違う、とは」

 

 バカにしたような、嘲るような、落胆するような、様々な意図が入り混じったであろう発言に私は明確な悪意を感じ取り思わず、聞き返していました。

 

「それは、一体どういった意図なのでしょう?」

「ん、まあ、子供っぽいことだよ。昔はバカばっかりしか周りにいなかったから、当たり前になってた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()

「ライバル、に?」

「エルコンドルパサーは難しいけど、二冠バのセイウンスカイ、ダービーを取ったスペに素質十分のキングヘイロー。君が走らなかった『クラシック』で先にやり合ってたライバルさ!

私だったら『私がクラシックを走ったら勝ってた』と言われるくらいにはけちょんけちょんにしてやるつもりだったね!

と、思うんだけど今は違うんだねぇ......難しいなぁ......ゆとり世代......?」

 

 時代が違うのか、と()()()()()が呟やく。

 

「いいえ、違いません」

「ん?」

 

何故忘れていたのだろう。

毎日王冠の敗北の悔しさの理由、有記念の勝利の喜び。

 

サイレンススズカに追いつけなかった自分の不甲斐なさを。

セイウンスカイを捉え、キングヘイローを置き去りにした中山の直線とそこで抱いた気持ちに嘘などない。

エルは、海の向こうで高い壁に挑戦することを決めた。

ならば私も挑むべきだ。ライバルという高い壁に。

 

「私の目標は、スペちゃん......スペシャルウィークに勝つことです」

「決まったな。じゃあ、そのために頑張ろう」

 

 してやったりという満足げな顔をされているのは不満ですが、トレーナーは私の目に叶う人物のようです。

 

「と、いうわけで仮想スペシャルウィーク私と模擬レースな。私もトレーニングしないといけないしついでついで」

「......はい?」

「え、レースやんの? やるやる!」

「シービーがいたら練習にならんでしょーが! 渡した練習メニューは」

「終わったー。練習ってつまんなーい」

「じゃあサッサと桐生院でも引っ掛けてミークとタキオンをしばき倒して来なさいよ」

「やだーあのこら本格化前だし歯応えないんだもん。リギルの子たちと遊びたい〜」

「こっちだって半分くらいは本格化前だよ!」

「じゃあそこのオペラオーと遊んでくる」

「今やっとこさ上がり調子なのにプライドへし折られてたまるか! こうなったらサシ勝負で勝ったらなんでも言うこと聞く、それでいいねシービー」

「話がわかるね」

「ゴールは昇降口ヨーイドン!」

「ああっ、ズルい!」

 

早口で言うだけ言って、砂を巻き上げまたしてもグラウンドを飛び出してしまったトレーナー。

 

「今の決意は果たして正解だったのでしょうか?」

 

 




グラスちゃん難しいネ......


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第74話 退路を薙ぐ一刀

 

 

 

 

3月に入りめでたく私の卒業式の準備もつつがなく進みと、なればよかったのだが担任の先生から告げられた言葉は実に衝撃的な一言だった。

 

「単位足りないね」

「へあっ?!」

「補習頑張ろうか」

 

カツラギエース留年、とはならずとも優等生にはなれなかった。成績表を見るのが怖い。

 

「という事があってねグラスワンダーちゃーん、慰めておくれよう。せっかくの春シーズンなのに授業がたくさん!」

「自業自得では?」

「辛辣」

 

 と軽口をかわしながらグラウンドで準備体操をして身体を暖めていく。週末に控える中山記念にて春レースが始動。そしてレースでは黄金世代の一角キングヘイローとの対決になる。実績のあるマイルで感覚を取り戻しつつ、宝塚に向け中距離専用に身体も心もチューンナップしていかなければ。

 そんな決意を心の中で宣言しながらグラスワンダーのランニングを見ているところで少し気になるところを見つけた。少し右脚を庇うようなバランスの悪い走り方で、足が痛むのを気にするような仕草をしている。パッと見わからないほどだが、よく見れば身体の軸が若干おかしいんだ。

 

「どうしたの、足のどこか痛めた?」

「いえ、ただの筋肉痛だと思うんです。ですが2日前から治らなくて」

「ふむ、ちょっと見せてみなさいな」

 

 彼女を斜面に座らせ気にしていた右脚を触ってみる。流石にズボンを脱がせて目視でとはこの場でやったらまずいので触診くらいしかできないが、やらないよりマシだ。

 

「痛いのはふくらはぎ、それとも関節、それとも太腿?」

「付け根あたり、太腿でしょうか」

「ふむふむ。痛いならちゃんと言ってね」

 

太ももに手を伸ばし、軽く押したり揉んだりしてみる。うーん、もちもちだが引き締まってるいい筋肉だなんて余計なことを考えつつ、マッサージも兼ねて揉みしだく。

 

「少し......痛いです......」

「太腿の裏......うーん?」

 

 グラスワンダーが痛いと言った太腿の裏、そこの感触がいつもと少し違って硬いような気がする。自分の脚の同じ部位を揉みつつ比べてみると、ほんの些細な違いを感じるほどだが周りと比べて明らかに硬い部位がある。十中八九筋肉の炎症、軽度であれば筋肉痛と言われるモノだろう。別に日常生活に影響のある怪我でもないし、充分レースにもケガを押して出場できるくらいのものだ。

 

「よし、中山記念の出走はやめよう」

「えっ」

 

 驚くグラスワンダーに諭すようにゆっくりと話すように心がけながら話す。

 

「気持ちはわかるが怪我なく宝塚記念に出場する事が今の目標だ。クラシックのステップレースでもなし、これに出られなかったといって宝塚記念出走ができなくなるわけじゃない。君には怪我歴もあるし、中山記念は見送ろうと思う」

「そ、う、ですか」

 

 不満げであるが、一応納得してくれた......と言えるだろうが、私だったら納得はしない。グラスワンダーの経験不足は致命的な弱点でそれは私もグラスワンダーもよくわかっている。  人によっては勝てなくても構わないと怪我を押して強硬出走やむなしと判断するトレーナーもいるだろう。

 

「出場しても構わないと思ってる?」

「いえ、そんなことは」

「正直に」

「......軽度なものですし、出たいです」

「だよねえ。私だって出たいって言うさ」

 

 他のライバルたちはもう動き出してるなら、自分も遅れをとるわけにはいかないと思うのは当然だ。スペシャルウィークは1月末のアメリカンジョッキークラブ(AJC)C1着、セイウンスカイは日経賞1着、キングヘイローは東京新聞杯1着と重賞で結果も出してきている。

 

「みんな成績残してるし焦る気持ちもよくわかる。だから頑張りすぎちゃうんじゃないかなって思っちゃうと、無理はさせられんのよ」

「......」

「決戦は宝塚記念、そこに向けてじっくり仕上げていけばいいさ。誰かと勝負したいなら、私と並走すればいい。いつでも付き合うよ」 

「......はい」

「長く待つことの辛さはよくわかる。だが、堪えてくれ。

 今日は着替えてミーティングだね。1週間は座学にしよう」

「わかりました」

 

 立ち上がり更衣室に向かう、明らかに落ち込んでいるグラスワンダーの背中を見送った。今度は間違えない。フクキタルの二の舞に、彼女をさせてなるものか。

 

 

 

『1着はキングヘイロー! 三冠路線では惜しくも届かなかった1位をマイルで掴み取って見せました!』

『おーっほっほっほ! キングはどんな場所でも走れるんだから!』

「これはなかなか仕上げてきてるな。まさかキングにそっちの方の才能があったとは、シャカールの目は正しかったわけだ」

 

 それから数日後の中山記念当日、テレビ越しに私たちは出走するはずだったレースを観戦していた。展開は逃げるサイレントハンターを前につけていたキングヘイローが捉えきって1着、坂をものともしないパワーとキレる末脚を見せつけ当然の結果だったと言えるだろう。

 

「このままマイル路線となれば安田記念はあたるかもな」

「そうですね。ですが彼女も宝塚記念を目指すと思います」

「ふぅん?」

「キングさんは、何よりG1が欲しいと言っていましたから」

「なるほど」

 

 キングヘイローの対策案を作るタスクを頭に入れておく。例年であれば皐月は取れたであろう素質を持つキングヘイロー、こればかりは時代が悪かったと言い訳すればそれまでだ。しかし腐らず、距離変更にも柔軟に対応できる才能と根性には脱帽する。それを提案して対応する南坂先輩も大概だが、ついて来れる方も大概だ。

 

「......さて」

 

目標を書いた紙に一本線を引いて、中山記念を消す。

 

「次は4月4日大阪杯、G1だ。メンバーは誰かな、っと」

「トレーナーさん?」

 

 まだ仮登録になっているメンバー表を見て思わず顔を顰める。それを不思議に思ったかグラスワンダーが覗き込んできてつぶやいた。

 

「何かあったんですか?」

「あんまり、見たくない名前がね」

 

 いつかは向き合わなければならない問題、だけど心の準備が出来ているわけじゃない。

 

「サイレントハンター先輩に、マチカネフクキタル先輩? 10人いないのはG1にしては少ないですね」

「スペシャルウィーク、セイウンスカイは春天調整で阪神大賞典、日経賞に出てるから大阪杯には来ないだろう。キングヘイローはマイルレース1挟むかして安田記念に行くらしいしライバルは少ない。出走すれば多分勝つのはそこまで難しくはないはずなんだけど」

「だけど?」

「......フクキタルに顔を合わせたくなくてなぁ」

「それは自分の行いのせいでは」

「辛辣だねえ、前も言わなかった?」

「直さない方が悪いのではないでしょうか」

 

 にっこりと目を細めて軽く笑うおとしやかな大和撫子。よく見れば目がうっすらと開いてるし、口角はほんのり上がっているが笑っているとは到底言えない雰囲気をしている。

 もしまだ逃げ回るつもりなら、わかっていますよね? 彼女の背後に薙刀を振りかざす般若面の女武者を幻視した私にできることは首を縦に振ることだけだ。

 

「どっかで向き合わんといかんかぁ」

「ええ、そうするべきかと。スピカのトレーナーにはもう連絡しておいたので」

「......し、仕事が早いねぇ?」

「鉄は熱いうちに打て、ですよ」

 

 逃げるなと言わんばかりの行動力の高さと迅速さはまさしく逃げを牽制するにはもってこいの性格、というより他人を思うように動かさせないことに長けているというべきか。この他ウマ娘との距離感覚と末脚、組み合わせればなるほど彼女にはアレが使えるかもしれないな。

 

「マーク戦法思いついてみたんだけど、次の大阪杯で試して」

「明日の18時、トレーニング予定時間で他の予定はありませんね?」

「......あ、はい」

 

にこやかな顔をしたまま、彼女はそう言った。

本当に君高等部の生徒かい? 20歳くらい年齢上積みして社会の荒波に揉まれて生きてましたって言われた方が納得できるくらいの立ち回りなんだけど。

 

「そんなことありませんよ。私はただ、目標達成のために行動しているだけですから」

「サラッと心読まないでもらえます?」

 

 

 




感想、高評価、よろしくお願いします。泣いて喜びますし鏑木さんの単位も出ます


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第76話 道をわかつとも

 

 

 

「ぐ、偶然ッスねトレーナー、って元気ないッスけどどうしました?」

「ああうん、この後の用事がね。昨日は怖くて眠れなくて」

「眠れないときはホットミルクを飲むといいっスよ!」

 

 

 グラスの宣言から1日後、昨日は一睡もできなかった。午前一杯の授業という名の補習はなんとか寝ずに終わらせたが、この後にはフクキタルとの再会という最大のイベントが待ち兼ねている。

 廊下でばったり出会ったレッドがそばでちょこちょこと走り回りながら励ましてくれているのだが、この程度で今からの心労が晴れようはずもない。先延ばしにしてきたツケが急に目の前に降ってきたんだ、気持ちいいものじゃあない。

 

「バックれたい......サボりたい......」

「じゃ、サボっちゃいましょうよ!」

「?」

「トレーナーさんだってたまには、いいんじゃないスか?」

 

 だらしなく弱音を漏らしているとレッドが名案を思いついたと手を叩いた。そしてどこからくすねてきたのかハンコ付きの外出許可証を鞄から引っ張り出し廊下の壁を使って名前を書きはじめた。

 

「でも、私はもう逃げ出すわけにはいかないよ」

「寄り道くらいいいんじゃないですか?」

「うんー、でもなあ」

「今日はレース前でせっかくのオフなんです! これから忙しくなるトレーナーさんと次いつ遊べるかわからないんですよう!。今年で卒業なんでしょう?!」

「......じゃあ、行こうか」

「合点承知! いざゆかんめくるめく大海原! 具体的にいうとまずは駅前のショッピングモールから!」

 

 やんわりと断ろうとはしたが、彼女のあの特徴的な赤いキラキラとした目で見つめられてしまったらもう断れない。答えるやすぐに現役ウマ娘特有のバリキ十分なパワーに手を引かれて私は走り出した。こういう押しの弱さが私の欠点なんだけど、今回ばかりは責めないでほしい。

 

「テイオー先輩オススメのハチミー屋台が出てるのは5時までッスから急ぐっスよ!」

 

 私の制服の袖を掴んで年相応にはしゃぐレッド。一度は奪ってしまった彼女の笑顔がまた見れるというのなら、なにを犠牲にしても十分だったと思えてしまうから。

 

「メールしてもいいかな?」

「構わないッスけど、誰にするんスか」

「グラスワンダー。時間があればって話だったけど、たった今なくなっちゃったからさ。急用ができたのでまた後日に、と」

「終わったッスね? んじゃレッツゴーっす!」

 

......グラスワンダーからくるであろう小言は、考えないことにしよう。事情を話せば理解してくれるはずだ。おそらく、きっと、たぶん。

 

 

◇◇◇

 

 

「......どうしてこうもスピカのみなさんはいい加減な人達ばかりなのでしょうか」

 

 

◇◇◇

 

 

 

「店員さん、ハチミーいつものひとつ、いや2つッス!」

「はーい、やわめ薄め少なめですね?」

「それで頼むッス!」

「2000円になりまーす」

 

 学校近くのショッピングモール、その入り口に停まっていたキッチンカーに駆け寄っていつものと手慣れた様子で注文したレッド。店員さんもこれまた慣れているのか笑顔でテキパキと対応している。いつもので通せるあたりよほど通い詰めているらしい。

 周りにいるトレセン学園の藍と白色の制服を着たウマ娘や大学生達は一様にどこかでみた容器を片手に話しているのを見るに、なかなかの人気らしい。ウズウズと体を揺らして待つレッドの尻尾がぐるぐると回るのを観察すること数十秒、プラスチック製の容器に並々と注がれた淡い黄色の液体を見て目を輝かせながらレッドがこちらに駆け寄ってきて、

 

「はい、トレーナーさんの分ッス!」

「ありがとう。お金は後で払うよ」

「今日はアタシのおごりですよ、どうぞどうぞ!」

 

 そこまで言われると断っても気分を悪くするだけだろう。大人しく差し出されたハチミーを受け取りストローに口をつけて一口。ハチミーと言うくらいなのだからはちみつドリンクのようなはちみつの強い甘みを感じると思っていたが、レモンの清涼感とほんのりとしか感じない甘みに驚いて目を開いた。

 

「美味しい」

「でしょう! テイオーは硬め濃いめマシマシとか頼んでますけど、これくらいで丁度いいんスよ」

 

 嬉しそうに尻尾を回しながら自分のハチミーを勢いよく飲みはじめたレッド。彼女の言う通り確かにこくらいがちょうどいい。甘いものを好む子たちには酸味が効きすぎているかもしれないが、それほど甘いのが好みじゃないなら甘すぎもせず酸っぱすぎもしない、まさに絶妙なラインをついている。

 

「そういえばハチミツはスポドリに入れると良いって聞いたんだよな」

「テイオーの入れ知恵ですかぁ? 練習の時まではちみつ漬けは嫌ですよアタシ」

「んにゃ、確かシャカールさ。彼女よくラムネをかじってるでしょう? アレは吸収の速い糖分、要は直ぐに体や頭を動かすエネルギーでできてるんだ。はちみつも同じ直ぐにエネルギーになるものを含んでいるから、マラソン選手の中には水分補給ドリンクにはちみつを入れてる人もいるらしい」

「じゃあ練習後にもってこいじゃないですか。だからテイオーはあんなに筋がいいんですかね?」

「それとこれとは話が別だ。体に良い成分もあるけれど、取り過ぎれば当然太る。あと虫歯にもなりやすくなるしね。週に1、2回ならいいけど毎日はダメだよ。地道な練習が大切さ」

「了解っス!」

 

 そんな取り止めのない話を交えつつ時間を潰し、私が半分ほど飲んだところで一足先にハチミーを飲み干していたレッドが容器をゴミ箱に投げ入れて元気よく立ち上がった。

 

「さ、次はどこに行くっスか?」

「んー、せっかくだし買い物に行ってもいいかな? スポーツショップでジャージと靴の替えを買わないといけないんだ」

「あ、アタシもジャージ買わないと! 練習着がすぐボロボロになってしまって、もう部屋中穴だらけの服ばかりなんです」

「買い換えるんじゃなくて縫ったら?」

「指に針を刺してからやめたッス!」

「そっかぁ。そうそうレッド」

「なんです?」

「......ちゃんとゴミはゴミ箱に入れるように。大外れだよ」

「なーっ!?」

 

 待たせるわけにも行かないので蓋を開けて残りを一気に飲み干し、ゴミ箱に捨てに行くついでにレッドの分も回収してゴミ箱に入れてひとつ手をはたく。

 

「んじゃ、行こうか」

「はい!」

 

 ショッピングモールの3階、目立たない角に大きく構えるスポーツショップ。スポーツ関連なら大抵揃うこの店の半分を占領しているのが蹄鉄やシューズなどの『ウマ娘専用』売り場。

 選手でなくても走ることが好きなウマ娘なもんだから、平日休日問わずにここはウマ娘で賑わっている。

 

「何かお探しですか?」

「ジャージを探してるんです。練習用と、あとあまり知らないんですけど障害飛越用のってあります?」

「ありますよ。ご案内します」

 

 声をかけてくれた店員さんに案内されるままに売り場を右左に歩き回って、売り場の中でも端の方にあるジャージ売り場にたどり着いた。

 

「練習用はこちらを、障害飛越をやる方は」

「アタシです!」

「でしたら、こちらですね」

 

 普通のジャージの直ぐ隣に並ぶ障害用のジャージは一般のそれとはぱっと見変わらないが、触ったり引っ張ったりすれば違いは直ぐにわかった。

 

「随分と重くて分厚いですね」

「ええ、竹柵なんかを飛び越えますから普通の布地だと直ぐに穴だらけになってしまうんですよ。ですので、頑丈な素材を使っているんです」

「これなら穴も開きそうにないッスね!」

「ええ。3年間はしっかり保つかと思います」

「値段の方は......やはり張りますね」

「勝負服の素材を一部使っていますから、どうしても値段は高くなってしまうんです。その分強度は保証できますよ。

 お客様のサイズだと、ここら辺でしょうか?」

 

 店員さんが提示するジャージの値段はなかなか高い。ジャージがそこらのシューズと同じくらいなのは納得はいかないが、逆にいえばそれだけ破ける心配もなさそうだ。しばらく唸っていたレッドだったが、ひとつのジャージを手に取り高らかに宣言した。

 

「これ! この赤いの欲しいッス!」

「じゃあそれください。他にも買い物するので会計は後で」

「かしこまりました、ごゆっくり」

 

 重いジャージを買い物カゴに投げ込んで、後は私の靴とジャージだ。学園生に戻ったおかげで新しく学園指定ジャージも支給されてはいるが、トレーナーが学園指定ジャージを着るのは威厳に欠ける。それに普通のジャージを着てる期間も長かったからこっちの方が慣れている。

 

 春にはなるがまだ朝晩は冷え込むし、厚手のやつにしておこうかな。私がジャージを吟味しているとやることもなくなり手持ち無沙汰なレッドが話しかけてきた。

 

「そういえば、色は何にするんスか?」

「色?」

「せっかく選べるんなら好きな色にした方がいいッス!」

「ああ、レッドは赤が好きだったね。だからジャージも赤にしたわけだ」

「はい! トレーナーさんは黒が好きだから黒色にしてたんですか?」

「目立ちたくなかったからかな」

 

 トレセンに来たばかりの頃はまだ名前も身分も隠していただからなるべく目立たないような、ありふれた黒色のジャージを選んで着ていた。実際、黒いジャージのトレーナーは少なくなかったわけだし溶け込むにはちょうどよかった。

 

「だったらもう好きな色を選べるッスね! もうトレーナーの正体を隠す必要もないわけですし!」

「確かに。じゃあ、これかな?」

 

 一度手に取りかけていた黒のジャージをラックに戻して、色違いのジャージを一つ選んだ。ピンクと青、少し子供っぽいと言われるかもしれない配色のジャージだ。

 

「青、好きなんですか?」

「ああ。私の勝負服の色だったんだ」

「へー」

「あともう一つ買わないといけないものがあるんだ。付き合ってくれるかな」

「?」

 

 ジャージ売り場の直ぐ隣、ラックにかかった商品をひとつ手に取って被ってみせる。ウマ娘用の、耳穴が空いたスポーツキャップ。色は青で、ツバとラインはピンク色。

まず前に深く被ってから、指で軽く唾を弾いて決めポーズ。

 

「やっぱり、帽子がなくっちゃね」

「なんだか昔に戻ったみたいっス」

「ふふ、昔に戻った、か」

 

 帽子をカゴにしまってシューズコーナーへ足を進める。

 

「こうやって遊ぶのも、いつぶりだっけなあ」

「......こんなことありましたっけ?」

「私も学生時代ぶりさ。案内頼むよ」

「ハイっす!」

 

 それから、レッドといろんなところを回って遊んだ。

 ゲームセンターでクレーンゲームに挑戦して500円を無駄にして、レースゲームではレッドに競り負けたけどエアホッケーできっちりリベンジして、ダンスゲームでは最高難易度を総なめにしている『ワガハイちゃん』とやらのハイスコアに挑んで2人揃って途中でゲームオーバーした。その後に入ったカラオケで一度もできなかった『Winning the soul』のセンター振り付けを踊って見せたり、せっかくだからといって『Make debut!』を2人で歌い、レッドが覚えたという岩手の民謡をのんびり聞いて癒された。

 通った商店街で店を冷やかしたり、揚げたてのコロッケを一緒に頬張って一緒に火傷して大笑いしたり、公園ではせっかくだからと100m一本勝負もして、私が勝った。

 

 他にも、たくさん思い出に残ることをして......あっという間に夕方になってしまった。

 

「たはー、いっぱい遊んだ」

「楽しかったッスね!」

「ありがとう。最近外出もろくにできてないからいい気分転換になったよ」

「それはよかったッス。こっちこそお礼を言わせてください」

 

 学園への帰り道、程よい疲れと充足感を噛み締めながら話していると、急にレッドがかしこまったような口調になってしまった。大股で私の前に立つと律儀にペコリと頭を下げて言う。

 

「前も言ったと思うっスけど、佐々木部さんからは全部聞いてるっス。夏休みに盛岡にいて私の紹介をしてくれたことも、私の振り分け先に対して学園に頭を下げたことも、全部ッス」

「トレーナーとして当然のことをしただけだよ」

「それでもお礼を言わせてください。そして今までありがとうございました」

 

ゆっくりと面をあげた彼女は涙を堪え、身体を震わせていた。

 

なんとなくは理解していた。ここ3ヶ月の間ずっと彼女は障害転向のために練習を重ね、やっと試験を突破して晴れて『障害ウマ娘』になった。しかしデビュー戦に向けてまだ練習が必要な時。その間を縫った休憩の1日をたまたま校内を散策して私に出くわし、偶然に外出許可証を2枚持っていたはずがない。彼女は今日の放課後をこれを伝えるために使いたかったんだ。

 

「今日付けで私はチームスピカから脱退するッス。沖野トレーナーも、トレーナーも、障害ライセンスがないから障害レースには出られないっス」

「そう、だね」

「だから、もう一緒にはいられないっス」

 

 ダートと芝は免許は同じだが、障害だけは別免許が必要だ。

そしてレースに出走するにはライセンス持ちの担当トレーナーが必要になる。指導するだけならどっちかのトレーナーライセンスがあれば良いが、レースとなると誤魔化しは効かない。

 

レッドキングダムは『チームスピカ』にはいられない。

彼女はまた、私たちの前からいなくなる。

だけど今回の移籍は悲しいものじゃない。

彼女が前を向くために必要なことなんだ。

 

被っていた帽子のツバを、少し抑えて下げた。

 

「この移籍はアタシの脚と意志で選んだものっス。そこに後悔も、悔しさもありません」

「それならいいんだ」

「けど『チームスピカ』にいたことは、トレーナーに教えてもらったことは、絶対に忘れないっス」

 

 彼女は握りしめていた拳を握り直して、決意を露わにするように天高く掲げ、そして指を一本立てる。

 

「アタシを育ててくれたトレーナーのために、障害レースの頂点に立ってやるっス。そして高らかに宣言してやるッス。私を育ててくれたトレーナーと、私を導いてくれたトレーナーがいたって」

 

今にも泣きそうな彼女は、必死に口角を上げて笑っていた。

 

「これが、アタシにできる、トレーナーの担当ウマ娘として最後の仕事っス。前の時は、笑えなかったっス。だったら次は笑顔で別れたいっス」

 

じゃあ、私も笑顔で、お別れを言ってやらないと。

 

「鏑木トレーナーッ!」

「はい!」

「レッドキングダム、今までおせわになりましたっ!」

 

 彼女は深々と、顔を隠すように頭を下げた。

 

「頑張れよ」

 

その肩を軽く叩いて、私は彼女の脇を抜けて寮に戻った。

 

 

彼女に、福と勝利があらんことを。

帽子を目深に被り直して、夕暮れに染まる空を見上げながら私はそう呟いた。

 

 

 

 




そろそろやっとこさ終わりが見えてきました


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第77話 夢は続いてく

長らくお待たせいたしまして


 

 

 

 誰もいなくなったと思ったところで私はやっと帽子のツバをあげることができた。ハンカチなんて持ち歩くほど気を遣ってるわけでもないからジャージの袖口で目を擦って頬をはたく。

 

気持ちを切り替えないといけない。私にはまだやるべきことがもう一つある。

 

 トレーナー寮の入り口、壁に寄りかかって誰かを待っている制服姿の人物を認めたが私は声をかけなかった。そうでなくとも足音から私のことを察してくれているだろう。

 

「お待ちしていましたよ。トレーナーさん」

 

 耳が2、3度動いたかと思うと今まで目を瞑り腕を組んで待っていた彼女が右目だけを開く。彼女の夕焼けに似た琥珀色の瞳の中にいつもの星型の虹彩はなく、あるのは渦を巻く何も映さぬ漆黒の目。

となればそこにいるのは彼女ではない。

彼女と会ったのはもう1年以上も前の話だがよく覚えている。

それだけ鮮烈に記憶に残る、オカルティックな出来事だった。

 

「お久しぶりですね、『シラオキ様』」

「ええ。あの時以来でしょうか」

 

 彼女は未だ片目を閉じたままこちらを向くでもなく淡々と答えた。彼女は身を揺すって壁に預けていた身体を立たせると、私の方へと歩みよって、目の前で立ち止まる。

 

「弁明、釈明を聞く前に私からひとつ言いたいことがあるの」

「なんでしょう」

 

 返事を言い切る間も無く視界が揺れ、遅れて走った頬の痛みを自覚してから一発頬を張られたらしいということを理解した。

 

「まずはこれだけ。あとの話は人に聞かれない場所にしましょうか」

 

 彼女は振り向き、私を待つでもなく寮の方へと向かっていく。迷いのなさから私の部屋は知っているだろうが間違えてはことだ。痛む頬を少し気にしながら私は彼女の後を追った。

 

 階段付近で案内のために前に出てからは無言が続く。お互いが互いの距離を測っているのだろう、初対面同士の他人がやるような空気感を感じる。私はそのまま彼女を部屋に案内し備え付けのテーブルの反対側に正座し彼女が反対側に座るのを待つ。彼女がゆっくりと背筋を伸ばして正座をして座ったところで、なにからどう話したものかと思案する暇もなく先手を切ったのは彼女だった。

 

「じゃああなたがなぜ中央を離れたのか、理由を聞かせてもらえるかしら」

「......そこから?」

「そこから、です」

「不祥事にスピカの面子を巻き込みたくなかったんだ。

 あの秋天スズカの負傷だけならまだいいけどレース上不法侵入はこと、とりわけG1、さらには天皇賞ともなれば事態が重すぎる。そうなる前に自分から離れるべきだと思ったんだよ」

「随分と身勝手ですね」

「私はみんなのことを思いやって離れた。そこに後悔はもちろんあるけど、間違ったことはしていない」

「......思いやって、間違った事はしていない。

 冗談を。間違っていますよ、あなたは」

 

 彼女がテーブルをたたいて怒りを露わにするように語気を強めた。怒鳴ったり耳を絞って怒りを全面に見せる様子はないが、言葉の端々から怒りが伝わってくる。

 

「フクキタルのことを、見捨てるようなことをして間違っていないはずがないでしょう。あの子が、どれだけ、どれだけのことを思ったなどと想像もできないでしょうに」

「確かにフクキタルのそばから離れたのは事実。けど、私が居続けるわけにはいかなかった。槍玉に上がるとすれば私の他じゃフクキタルか沖野トレーナーだ。トレーナーは私の恩人、フクキタルも大切な担当。どっちにも迷惑はかけられない」

「そう言って逃げているだけではありませんか、臆病者」

 

 彼女はそう言い切った。

 片目を未だ閉じたまま、不気味な瞳が問いかける。

 

「責務から、他人から逃げ出しているだけではありませんか」

「逃げているつもりはない」

「サイレンススズカを正視できなかったからでしょう。悲しむスペシャルウィークにどのような言葉をかければいいのかわからなかったなのでしょう。わからないことから逃げないでください。人の心はわからずとも、理解する努力はできるはずです」

「私は問題解決のためのベストを取っただけ。一番傷つかないのは、あの方法だった」

()()()()()()()()()ですって?」

 

 怒りを露わにするようにまた耳を絞る。

 彼女は私の胸元を掴み叫んだ。

 

「あなたが居なくなってから、フクキタルが心の底から笑顔になったことなどないというのに!」

「......」

「ずっと寂しがって、悲しんでいるんですよ、あの子は! 私にはわかる! アレからずっと作り笑顔で気を張って、空元気を見ていて痛々しいんですよ! それがあなたが望んだ結末ですか、トレーナー! あなたがのぞんだ一番傷つかない結果ですか! だとしたらあなたは最悪のトレーナーですよ!」

 

 ギリギリと手に力を込め私を釣り上げると、壁に叩きつけるように私のことを突きとばした。肩で息をする彼女の表情をここからは窺い知る事は難しいがその怒りは当然のものだ。

 

「......ああ。最低だよ。私は最低のトレーナーだ。それは認めたことだ」

 

 悪いけどもう私の中じゃ済んだ話、私は次に行くことを決めている。過去をウジウジ掘り返して気分を落とすのはもうやめだ。私は今自分にできることをし続ける。

 

「私と契約解除するかい?」

「また逃げるつもりですか!」

「最低なトレーナーと付き合う覚悟があるかと聞いているんだ、()()()()()()

「っ!」

「アンタの出る幕じゃない。私は担当ウマ娘とサシで話に来たんだ、帰ってくれ」

「......そうですか」

 

 負け惜しみのように吐き捨てて目を閉じたフクキタル。そして再び彼女が目を開けると、十字星のハイライトが戻ってきていた。少し伸びをするように深呼吸したあと、彼女が口を開く。

 

「......あはは、心配かけましたね。お久しぶりです、トレーナーさん」

「うん、久しぶり」

 

 恥ずかしそうに頬をかく様がなんだか昔に戻ったようで、こちらも思わず表情も綻んだ。

 

「有記念見てたよ。良い走りだった」

「なんとっ! いやあお恥ずかしい走りを見せてしまいました。ない頭を絞ってなんとか導いた作戦でしたが、内ラチが思ったより荒れていたもので」

「できるベストだったさ。3年間の集大成、しっかり見させて貰ったよ」

「あはは......」

 

そう、3年間。

一般的な競争ウマ娘がトゥインクルシリーズの所属する年数。 3年間の一区切りは、昨年の有マ記念で終わった筈だ。だがそれでも彼女はまだ走ることを辞めずに2月、3月と重賞レースを走り、大阪杯にも登録している。

 

つまるところまだ勝てると、勝ちたいと思っている。

私にはできなかったことを彼女はやっているんだ。

その理由がわからなかった。だから聞きたかった。

 

「......なんでまだ走るんだ?」

「それは、まだ私に出来ることがあるからですよ!」

「出来ること?」

「後輩たちへ夢を託すことです! 実はメイショウドトウさん、学園祭でお手伝いしてくれた子が今年の冬にメイクデビューしまして!」

「ほう?」

「けど彼女がとかく卑屈で健気で自分に自信がないのです。同期にテイエムオペラオーさんやアドマイヤベガさんなどがいるのが理由なのですが、私の目と占いによればオペラオーさんにも負けず劣らずの素質と才能がある! はずなのです。彼女のトレーナーさんに話をお伺いする機会があったのですが、なにぶんそのトレーナーさんも困っているようで。

『もっと自分に自信があれば』と言っていました」

 

 確か猫背で前髪に流星があった子だな、と記憶を掘り返す。フクキタルの言う彼女、メイショウドトウの気持ちもよくわかる。同期に輝かしい才能と実績のある者がいればいやでも卑屈にもなるし、自分の実力を下に見てしまうものだ。

 

「私は彼女に自信を持って欲しいんですよ。なんたって可愛い後輩ですからね。学園祭の時だけでなく、最近私生活でもお世話になることもありました。仲が良ければ情も深まっていくものです」

「んで、結局何が言いたいのさ。前置きが長いよ」

「彼女には、私を超えて自信を持って欲しいのです。それまでは走り続けますよ」

「......越えるべき壁になりたい、と」

「最近とみに勝ちには見放されていますが、まだ私は勝ちを諦めるつもりはありませんよ。後輩に恥ずかしい姿を見せるわけにもいかないですし、例え負けても誰かに勇気を与える事は不可能ではないと信じていますから。

実際、勇気貰ったでしょう?」

「いや別に」

「なんとっ!?」

「冗談。いっぱい貰った。だからここに戻って来られた。あなたに大切なことを私は教えてもらった」

 

 からかってアワアワしていたフクキタルの身体を私は無言で抱きしめた。

 

「トレーナーさん?」

「......また、一緒に走ってもいいかな」

「勿論。一度挫折したもの同士、もう一度はじめから」

「うん。けど、もう少しだけ待っててね。先約があるんだ」

「ええ、グラスワンダーさんでしょう?」

「知ってたか」

「当然。この間乗り込んで釘を刺しに来ましたからね。『私のトレーナーに何かしたら、無事では済ませませんから』と」

「おおこわ、通りで最近来ないわけだ」

「そういうことでした。スペシャルウィークさんに大切なことを教えるのでしょう?」

「ああ」

「そのあとで。チームスピカで、待っていますよ」

「ああ」

 

彼女がゆっくりと私の身体を押し退けて一歩後ろへ下がる。

 

「大阪杯グラスワンダーさんには負けませんからね!」

「グラスは強敵だぞ、勝てるかねぇ〜?」

「むむっ、言いましたね! その鼻明かして見せましょう!」

「出来るもんならやってみなさいな! はっはっは!」

「それでは! 次はレース場で!」

「大阪杯のパドックで」

「では!っと左右が逆でしたーっ!?」

 

宣戦布告を笑い飛ばして、お互い笑顔で手を振った。

部屋をドタバタといつもの調子で慌ただしくフクキタルが部屋を後にしたところで、やっと息をつくことができた。

 

......後輩のために、か。

 

「私も走り続けていれば、そんな道もあったのかもしれないね」

 

 例えばルドルフやルドルフに挑んだ誰か、ルドルフの次の世代の誰かの目標になれたのかもしれないが、今考えてもどうにもならない話か。

 道を示す、か。ルドルフがそんなようなことを言ってたっけか。彼女も後輩のためにまだ走り続けてるってことなのか、それとも......

 

「次はルドルフに会わないとな」

 

 また会わなきゃいけないのができた。トレーナー業ってのは忙しいもんだけど、走れるようになるともっと大変だ。

 

「んじゃ早速電話すっか。もしもしルドルフ?」

『生徒会直通電話を私用に使うなたわけ! 会長は今不在だ!』

「......SDT終わったらでいっか」

 




シラオキ様「そうやって先延ばしにするところがダメなのでは?」


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第78話 彼女の見たかった景色

 

 

「ついにきたか、身震いするね」

「トレーナーが武者震いしてどうするんですか」

「いいじゃないのよ武者震いくらいしたってさあ」

 

 4月4日、阪神レース場メインレース『G1大阪杯』。11人とG1にしては比較的少数での出走となった本レースの観客席に私とグラスワンダーはいた。といってもたこ焼きのパックとペットボトルのお茶を持ちながらの私服姿と、おおよそ出走するものの格好ではない格好なんだけど。

 

「やっぱり本場のたこ焼きはうまいね。紅生姜がバッチリ効いてるしタコが大きくて食いでがある。これ食っちゃうと中山の売店のがしょぼく見えるね」

「悪口はやめましょう。失礼ですよ」

「はいはい」

 

 最後の一つを爪楊枝で口の中に放り込んで、空容器をすぐそばのゴミ箱へ放り込む。そして人混みをかき分けつつ、ラチの近いスタンド最前列へ。

 

「やっぱ人はそこまで多くないなぁ。普段よか楽だね」

「い、いつもこのようなことをしているのですか?」

「レースは最前列で応援するものさ。スピカはずっとここが定位置だよ」

 

 慣れない人混みに戸惑うグラスの手を引いて隣に抱き寄せる。リギルは昔からここよりずっと後方のレースコースを俯瞰できるポジションに座ってるからスタンド最前列なんて滅多に来ないんだろう。あそこはレースのお勉強にはなるけど、観客席としては60点、せっかく現地に来てるんだもの、生きたレースを感じるなら最前列が相応しい。

 

「しかしあんだけの啖呵切ったというのに、まさか怪我してしまうとはついてないね」

「申し訳ありません。私の不注意で」

「いーのいーの、車に石を跳ね飛ばされたんじゃ仕方ないさ」

 

 申し訳そうに俯くグラスの右目には白い眼帯がつけられていた。つい先日に彼女は登校中に車が跳ねた小石が目の上に直撃する怪我を負ってしまったのだ。幸い眼球に傷はなく、失明やら視力の低下など生活に影響の出るものではなかったが傷が塞がるまではレースはドクターストップ。当然、大阪杯も出走を見送り怪我を治すことに集中する。

 

 最近どうにも不幸が続くとは思わないが、運命があるとすれば随分とグラスに当たりが強いもんだ。ジュニア最優秀を取らせるだけしておいてクラシック半期を怪我で棒に降らせ大レースの前には不運な怪我、作為的だったら悪意がすぎるし、偶然だったら間が悪いにもほどがある。

 不満をどこぞの三女神に心中でぶちまけながら顔を顰めていると、心配そうな声でグラスワンダーが見上げつついう。

 

「悩んでいるようですが、今日はスピカの皆さんは大丈夫なのでしょうか。追われているのでしょう?」

「シャカールからのタレ込みで今日はスピカの面々は来ないそうだ。なんでも、遠征費がなくて応援に行くならスペの春天と宝塚に。と、フクキタルが断ったらしい。引率でトレーナーはついてきてるだろうけど、他はいないよ」

 

 グラスワンダーの言葉に適当に返す。おおかたこの件はフクキタルが気を遣ってくれてるんだろうけど、ウチは万年お金がないってのも事実だ。

 

「スペちゃんも結果を残していますし、スピカはそれなりに活動費を貰っているはずです。それでもお金が足りないのですか?」

「数年に渡って継続的に結果出さないと予算は降りてこないんだ。うちは他にも用具の買い替えと慰労会やらで派手に使うのが原因だけどね。お陰でチーム財布は常に空っぽだ」

 

 主に担当ウマ娘(スペシャルウィーク)の食事、メジロマックイーンのスイーツ、ゴルシの奇行に用いられる小道具の数々(なんとあれはチームの財布で買っていることになっている!)ともしおハナさんが見れば卒倒するくらいの無駄金を使っている我らがスピカ。トレーナーの担当を尊重する気持ちも十分に理解できるけど、ポケットマネーまで空っぽにするのは流石に真似できないよ。

 

 そんなことを話しているうちに発走時間になったようで、ざわめきが静まっていくと同時に響くファンファーレ。春のうららかな日差しも相まって眠くなりそうだけどあのファンファーレを聞けば反射的に身が引き締まる。

 

「今日やることはレースを見ること。っても宝塚記念に出走するような面子は多くはないから、グラスにとっては無駄足かもしれないんだけど」

「トレーナーさんがケジメをつけにきた、そちらが重要なのでしょう?」

「......ついてこなくてもよかったのに」

「期間限定とはいえ、二人三脚で歩むのがトレーナーと担当ウマ娘ですよ」

「なるほどね」

 

『さあ始まります春のG1『大阪杯』。注目のグラスワンダーの負傷欠場も相まって出走は11名と例年より少ない人数での開催となりますが気迫は負けず劣らずでしょう。

天候は晴れ、バ場状態は良。

 

 1番人気にはサイレントハンター、直近3レースで2着、3着、4着と掲示板を確保した実力者、今度こそ1着がほしいところです。昨年のG1レースでは数々の涙を飲みました。今年は雌伏の時から目覚めるか、3枠3番です。

 2番人気にはマチカネフクキタル。言わずと知れた一昨年菊花賞ウマ娘、今レース唯一のG1バとなります。昨年は怪我により不調でしたが、今年は得意の中距離で2着と復活の兆しアリ、期待しましょう。5枠6番です。

 3番人気にはミッドナイトベット。昨年末の香港遠征では見事結果を残しました。得意のマイルから距離を伸ばした2000mで見事結果を残すことはできるのでしょうか、彼女の追い込みに期待しましょう。8枠11番に──』

 

 ゲート前、思い思いに身体を伸ばす中、フクキタルはさっさと係員に背中を押されてゲート入りしていた。ウォーミングアップを見る限りここ最近じゃだいぶ仕上がっているほうだろう。前回のマイル戦では11着と惨敗したが原因は距離不適性によるもの、2000の中距離なら十分に1着も狙える実力はきっとある。地の才能、実力じゃフクキタルが頭一つ抜けているとはいえ怪我の影響がどこまであるか。

 

走ってみないことには、わからない。

 

 

『さあ、全員がゲートに収まって──スタートしました!』

「はじまりましたね」

『さあ行くのはやはりサイレントハンターじわっとあがって先頭に立ちます。ランフォザドリームが2番手、マチカネフクキタルは4番手に収まって中団が続きます。以下──』

「先行か。やっぱり手堅いレースをしてくるね」

「なにか不満でも?」

「いや、定石通りの王道策だ。私だって同じ事をさせる」

 

 あっという間に1〜2コーナーを抜けていくバ群。レース場中央の大型液晶には3、4番手をキープして先頭逃げウマを伺うフクキタルの姿が映っている。

 

「だが」

「ですが?」

「そんな策を使わんでもブチ抜いて勝てる脚が魅力だったんだよ、フクキタルは」

 

向こう正面をすぎ、1000mをあっという間に通過する。

......フクキタルの懸命に走る姿をずっとみていたい。だけどレースは必ず終わりが必要で、ゴールがなくちゃいけない。

 

『残り600mを通過、先頭は依然サイレントハンターですが中団からマチカネフクキタルが押し上げて先頭に立つかと言ったところ』

 

最終コーナーでフクキタルがアタックをかけた。位置をじわりじわりと押し上げ、先頭の背中を捕らえんとチャンスを窺う。歯を食いしばって走る賢明なその姿は有のそれと劣らぬ覚悟を含んでいることは明らかだ。

 

「......」

 

 芝と土を蹴り上げる他ウマ娘と比べておとなしいフクキタルの走りは、土を無駄に蹴り上げて力をロスする事なく伝える技術を持っているということ。やはり経験の成せる技か、速度があるためにコーナーを若干膨らみながらも2番手で最終直線に突っ込んだフクキタル。しかし前後共に差は1バ身に満たないほどでほとんどない。

 

ならば末脚のキレるウマ娘が勝つ。

菊花賞と同じスローペースの直線勝負だ。

 

『サイレントハンターが粘っている、ランフォザドリームもきているかミッドナイトベッド追い込んでくるサイレントハンターに続きました間からマチカネフクキタルが伸びてくるか残り200を切りました』

「いけ、いけ、フクキタルっ、勝て、勝つんだっ!」

 

単独2番手、先頭まであと2バ身が届くかどうか。

懸命に首を下げて走るフクキタルは、あの頃と変わらない。

 だがあの秋の輝くような恐ろしい末脚だけが、フクキタルの走りから居なくなってしまっていた。それでも柵を握りしめて、あらん限りの声を張り上げる。

 

『さあ先頭は逃げるサイレントハンター! 追いかけるはマチカネフクキタル! ミッドナイトベッド、後方突っ込んでくる7番ですが先頭はサイレントハンターかマチカネフクキタルか今ゴールイン!』

 

「いけ、いけ、いけ......」

 

先頭の背中には、彼女はついぞ届かなかった。

 

「3着いや、2着でしょうか」

「......2着だね。200m先だったらわからなかったが」

『2番手争いは僅かにマチカネフクキタルか、ですが押し切りましたサイレントハンターG1にやっと手が届きました!』

「よっしゃーっ!」

 

 中世狩人のようなフードの勝負服を着たウマ娘が拳を突き上げ高らかな勝利を宣言するそばを、セーラー服の少女が通り抜けていく。ほどなくして確定の文字と共に掲示板に表示された着差は『クビ』。6番マチカネフクキタルの大阪杯は1位とクビ差2着で終わったのだ。

 

「最後、一杯になっていたように見えましたね」

「先行策は難しいんだ。そもそもフクキタルは差しの方が得意、多少はこなせるとはいえ先行策をやってきたウマ娘にはどうしても一歩劣る。もし一か八かにかけて後方待機を選んでいたら......どうだったろうな」

 

 たらればを考えるのは人間の常だが、そのたらればが叶うのは物語だけの話であって現実は物語のように何もかもうまくいくとは限らない。教え子との再戦の約束は叶わないし、ライバルのいないレースで勝利し相手に対して自分の実力を見せつけるよくある展開にはならない。

 怪我からの奇跡の復活なんてできないんだろう。だとしても前を向くことはできる。負けても、次に向かって努力することは誰にでも許されること。そのために誰かの背中を押すことだって誰でも持っている権利だ。

 

私は、フクキタルに向かって拍手を送った。

 

 大きく勝者を讃える歓声が聞こえるスタンドでこの拍手が彼女の耳に届いたのかどうかはわからないことだが、それでも私はするべきだと思った。

 

「......!」

 

 一度何かに気がついたようにピンと耳を立ててから、そしてゆっくりと観客席の方を向いて、彼女はいつものように笑顔を見せて指を指す。次こそは勝負ですからね、そう言っている気がした。

 漫画のように次の機会が都合よくあるかはわからない。でも、私はまたフクキタルと戦いたい。心の中でいつものように皮肉っぽく笑って返すのだ、『私が勝つさ』と。それはまた彼女も同じらしい。グラスもまた胸に手をあててこちらを見てひとつ呟いた。

 

「......負けられませんね」

「荷物は軽い方が楽なのにどうも背負い込みたくなるね。とりあえず5月の復帰戦。勝ちに行くぞ」

「はい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




そういえば、連載開始から1年経ちました。

82を12で割ると平均月7話くらいのペースで連載してるってことですよ。優秀ですねぇ!

最近の連載ペース、あの、その......

評価くれたらあがりますよ? ワタシウソツカナイ


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第10章 一番星に集ったもの『新生チーム・スピカ』
第79話 皇帝のはじまり


 

 

「やあ、待たせたかな」

「全然まってないよ。というか窓とか植木とかショートカットしてきたんじゃないだろうね?」

「君の真似をするのは楽しいね」

「したんだな?!」

 

 数分後に走ってきて落ち葉を頭から払うルドルフを見て私は胃を痛めずにはいられなかった。息ひとつ切れてないながらもかなり乱れた着衣でローファーをボロボロにしているあたり何も隠せてはいないんだよ今更取り繕っても無理でしょうに。

 

それほどまでに、ルドルフは私と積もる話がしたいらしい。

 

「それで──あの、有の話だったかな?」

「ああ。グラスにあの時の話をしてほしい」

「後輩に道を示すのは先達の務めだ。それに、同じチームメンバーともなれば協力するのも当然のことだろう?」

「むしろ協力的すぎて気持ち悪いくらいなんだけど」

「そうですか。では、()()()()()()()()()()()()

 

 言葉をスイッチに、彼女の気配が入れ替わる。

 

『トレセン学園生徒会長』として演じてきた『理想のウマ娘』の殻を捨て、当時の『シンボリルドルフ』という『等身大のウマ娘』、あの時みたいに重苦しい空気と他を圧倒する気配を隠さないまさに『皇帝』に相応しい雰囲気をところ構わず撒き散らす傍迷惑で暴力的なウマ娘に入れ替わる。

 

「っ......!?」

「おうおう、後輩をいじめてやるなよルドルフ」

「そう、でしたね。すまなかった、グラスワンダー」

 

 グラスがいることをすっかり忘れていたらしい。一瞬でその威圧感をうちに押し込めたルドルフは、申し訳なかったと軽く頭を下げた。あまりの変わりように目を白黒させるグラスの肩を軽く叩いて正気に戻す。

 

「んじゃ、あの時のジャパンカップのあとから状況を振り返るところかな? 背景まで説明した方がわかりやすいでしょ。軽くことの顛末は知ってるだろうしね」

「はい、ジャパンカップではトレーナーが、有記念ではルドルフ会長がそれぞれ勝利したと」

「うん。その通り。んで、私のジャパンカップの後なんだけど当然、次の有はどうしようかなって話になるよね」

「その時に話したことは、今でも覚えています」

「あんまり覚えててほしくないんだけどなぁ......」

「それで、どんな話をしたんです?」

「いやまあ。普通の話でね」

 

 あの時は本当にどうかしていた。初めてG1の大舞台でシービーを出し抜いてやった達成感で頭がおかしくなってたんだ。本当に正気を疑う話なんだけど、あの時は漠然とそう思っていたんだ。

 

「ジャパンカップで引退しようかなー、って話をしただけなのよ」

「......まあ」

「ええ。ジャパンカップを機に引退をしたい、と、私が会いに行った時に話されたんです」

「有に出るつもりはなかったんだよね最初は。レースのあとはハイになってたから有も勝つ! なんて言ってたけど、いざ時が経ってみると出なくていいかなぁって思ってたんだよね。適性外で特に熱意もなかったし」

 

 私は2000前後しか走れないから2400以上走るレースは避けてきた。そして2500mの有記念は適性の外にあるレース、勝てる見込みはあまりないから、本当に最初は出るつもりなかった。

 理由は他にもある。

 

「だって私の目標ってそこで達成されてたんだよね。

 私の目標はG1に、シービーのいるG1レースに勝つこと。

 散々苦渋を舐めさせられてきて、前哨戦では勝てるのに本番になるとずっと負け続けてきた相手に2年間使ってやっと1勝できた。私の目標で一方的にライバル視してきたのは良くも悪くもシービーだけだったんだ」

「良くも悪くも......?」

「お陰でいつのまにかライバル視される側になってるとは当時全く思わなかったんだ」

「ええ、本当に。私のことなど眼中になかったでしょう?」

「そうだね、その通りだ」

 

 当時のことを思い出したのか瞳孔の開き始めたルドルフの圧が現役時代に戻りつつある。正直怖くてたまらないがちゃんと向き合いたいと決めたんだ。唾を飲み込み、少し心を落ち着かせる。大丈夫だ、自分の過去から逃げない。ちゃんと向き合う。あの当時の自分を思い出せ。

 

「......実は秋天の後、ルドルフの菊花賞の前に悩みを聞いてやったことがあったんだ。当時ルドルフも難しい立場に立たされて、具体的にいうと菊花のすぐ後にあるジャパンカップの出走要請が来てたんだよね」

「はい。無敗三冠を狙える私なら、海外勢にも勝つことができる、とURAから直々に」

「あの時はジャパンカップで日本勢も未だ勝利なし。去年だとシービーは体調不良で菊花賞からまるっと休養して出てないから当然として、もう1人くらいは勝てそうなウマ娘を招集したかったのだろうさ。んで、ルドルフに白羽の矢が立ったわけ」

「今では考えられないようなことですね」

「全くだよ。だが、それほどまでにジャパンカップの勝利を日本は望んでたってこともある。それをこのルドルフがなんでも背負い込もうとしていたんだからつい張り切っちゃって......本番はなんとか勝てたんだ。

 

 

問題はそこからだったわけ、でしょう?」

「はい」

 

 私が語るべきことはここまでだ。これからはルドルフが思っていたこと、私に伝えたかったことを語る番。

 

彼女の思いを、受け止めなくてはならない。

 

「あれはジャパンカップも終わり、有記念の出走登録が始まった頃でした」

 

 

 

◇◇◇

 

 

「ルドルフ、有記念はどうするのかしら」

「もちろん出走します。身体のどこにも不調はありません。ジャパンカップのような遅れを取ることもないはずです」

「そう。なら、出走登録をしておくわ」

「ありがとうございます。もし他に現時点で出走しているウマ娘がわかっていれば聞きたいのですが」

「......残念だけど現状では何もいえないわね。それにしてもルドルフがそんなことを聞くなんて珍しいわね。負けてから何か色々変わったのかしら」

「ええ。思う所はいくつかあります。わかったら知らせてください。では」

 

 リギルのトレーニングルームの扉を後ろ手で閉めながら、私は天井を見上げた。

 

はじめて、ゴール板を踏み越える前に誰かがいた。

はじめて、私の先に誰かがいた。

はじめて、わたしは敗北した。

 

私は生まれた感情を、まず困惑をもって受け入れた。

 

 今までの経験の中で敗北がなかったわけではない。幼い頃は同級生や一つ上の先輩ウマ娘にレースで負けたことはいくつかある。その度に努力して雪辱を果たしてきたが......当時感じていた義務感はまるでなかった。

 

負けたから、次は勝たなければならない。

 

 幼いながらにレースを学んできた私は、勝負とは勝者ではならなければならないと思ってきた。

 私の夢を果たすためには発言力が必要だ。私は政治家の娘でもなければ、権力者、大金持ちの家に生まれたわけではない。『シンボリ家』という名門家に生まれたことを否定はしないが、あくまで名門ウマ娘を多く輩出する家系であるのみだ。ウマ娘の組織の中で発言力はあるかもしれないが、人間全体で見れば微々たるものに過ぎない。

 多くの人に注目されるにはどうすれば良いのか、多くの人に自分を見てもらえるにはどうすれば良いのか。

 

 その問いに私は『前人未到の記録を樹立する』ことで答えようとした。多くのウマ娘と人が挑み、倒れてきた不朽の記録......『無敗の三冠ウマ娘』。

これを獲得すれば、私の名は皆に届くようになる。信じて駆け抜けた栄光の先には名誉があった。

 

目標を達成し、私は次の目標を見失った。無敗であり続ける......その曖昧な目標を携えた不安定な足場のままで、私は舞台に上がりレースでの敗北というものを初めて知ることになったのだ。

 

「わからない」

 

 胸に沸き立つこの感情をどう表現すればいいのか、適切な語彙を見出せなかった。また、私は道に迷ってしまったのか。

 

「......先輩に会いに行こう」

 

この気持ちを誰かに吐き出したくなった。自然、一度道を示してくれた相手にもう一度縋ろうとした。放課後の今ならまだ教室にいるかもしれない。

 私は足早に廊下を駆けた。何度も角を曲がり、階段を登って、すぐに辿り着いた。扉越しの話し声の中に聞き慣れた声があるのはすぐにわかった。

 

先輩が居る。はやる気持ちに任せて私は扉に手をかけて──

 

「そういえばエース、次はどうするの?」

「んートレーナーさんとは相談してるけど、もう引退しようかなと思ってる」

 

彼女の一言に、凍りついた。

 

何故、どうして。

記念は走らないのか。

あの舞台でもう一度私と勝負したいと思わないのか。質問の答えに同じように驚きをあらわにする誰かが、私の代わりに疑問を彼女にぶつけていた。

 

「えーもったいない! 有記念も走ればいいのに!」

「だってシービーに勝てただけでお腹いっぱいなんだもの。レースでのやりたいことは終わっちゃったんだ」

「ルドルフに慕われてるじゃん。目標になんなくていいの?」

「そこはシービーに任せるよ。同じ三冠でしょ」

「私とルドルフじゃあタイプが違うよ。キミの方がきっと波長が合う」

「そうかなぁ。私はあんな堅物じゃない。それに、あんなに何もかもに真剣にもなりきれないさ」

「それはどうだろうね」

 

 他にも何か言っていたことは覚えているが内容までは思い出せない。返事を待つ前に、私はその場から走り去ったからだ。

 

無敗の三冠ですら、あの人には価値がない。

ウマ娘1人を振り向かせられない称号など不要だ。

 

必要なものは勝利。

私が勝てば、きっとあの人は私を見てくれる。

 

「そうか、この感情が──」

 

 

勝利への渇望(わたしをみろ)

 

 

◇◇◇

 

 

 

「一瞥さえされなかった当時の経験がこの領域(ちから)を形作ったと言っても過言ではない。この話をするたびに私らしくないと言われるが、当時まだ若輩者だった私はウマ娘の本能に逆らうことはなかったんだ。

 キミの競争相手(スペシャルウィーク)に一顧もされない状況は、当時の私とよく似ている。

 領域とは、自身の心の奥底にある力を引き出すことだ。キッカケに必要なのは練習や偶然ではなくレースに対する強い感情だ。勝利への渇望、ライバルに対して抱く競争心......レースに対して向ける感情を強くかき立てることで、この力をものにすることができる」

「だが、同時に危険を伴うものでもある」

 

 ルドルフの言葉に私はあえて横から口を挟んだ。領域とはそんな簡単に入れてノーリスクなゲームの強化アイテムみたいなものじゃあない。話を遮られたルドルフは少し口をつぐんで、悲しそうな目で私を見て呟いた。

 

「そうか、キミの教え子はそちら側だったな」

「グラスワンダーもこっち側だ。心より先に、身体の限界が来るだろう」

「身体の限界、ですか」

「領域は科学的に見れば脳のリミッターを意図的に外して、肉体パフォーマンスを上げる行為だ。当然普段の走りより身体にかかる負担は大きく、精神もまた同じ。

 グラスの身体は決して頑丈とはいえない。領域を使い続けるなら、いつか間違いなく身体を壊す。いやたった一度使うだけでも怪我をするかもしれない」

 

 領域とは諸刃の剣。極度の集中状態で身体操作の精度が高まっていたり、周囲に意識を割けるようになる人間のゾーンと同じようでまるで違う。身体と筋力がアンバランスなウマ娘にとってフルに力を発揮し続けることは身体を徐々に壊していると等しい行為だ。ウマ娘が一般にトゥインクルシリーズで走る期間の目安を3年間にするのは、ただ3年間走るだけで身体がボロボロになるからでもある。長く走るには領域など使えない方がいい。怪我なく、後悔なくレース生を終えるなら縁がない方がいい劇薬だ。

 

しかし彼女は、即答した。

 

「使います。使わなくてはスペちゃんには勝てません」

「......わかった。ルドルフ、頼めるかな」

「私もあまり助言を出来る方ではないよ。だが、君が思いを募らせるほど本番に領域に入れる確率は高まるとは言っておこう。自分の思いを曖昧模糊なものに留めるのではなく明文化することをすすめる。例えば紙に書いたり、口に出すだけでいい」

「わかりました」

「んじゃ、今日はここまで。勉強の方もちゃんとやってね」

「文武両道。走りも勉学も怠ることのないようにな」

「はい、それでは失礼します」

「気をつけてね」

 

 すぐに助言を実行に移そうとしているのか、少し考え事をしながらその場を後にしたグラスワンダーを見えなくなるまで見送った。

 

本題を切り出すのは、彼女のいないところでないと。

 

「ところで助言って実際にやってたこと?」

「その通りだが」

「......引くわ」

「何故!?」

 

 

 



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第80話 ラストランの理由

 

 

 

 

 

「私を呼び出した理由は、これだけではないでしょう」

「そうだね、その通りだ」

「遂に、聞かせてくれるのですね」

「......ああ」

 

何故、JCで引退しようとしたのか。

何故、有記念に出走することを選んだのか。

何故、学園を去ったのか。

 

 グラスワンダーがいなくなった今、隠すべき感情も見られたくない相手も誰もいなくなった。だからやっと向き合える。

 

「つってもまあしょうもないことなんだけどね」

 

ただ、真実というのは案外しょうもない。

 

「実際のところあの時は有はともかく来年こそ安田然りマイルCS然り、本格的なマイル転向も考えていたんだ。ただ、そこに別の事情が重なってきたともなれば話は別だ」

「別の事情、というと『スピカ』立ち上げですか」

「そう。私がG1を勝ってから何人かうちのトレーナーのところへ来て担当になってください、ってやってきたんだ。くるもの拒まずってほどでもないけど、そのなかでトレーナーが見出す才能の持ち主は少なからずいた。

ちょうど引退が重なって担当が私1人になってたトレーナーに都合5人の希望者、担当ウマ娘が5人以上ともなればチームの設立ができる」

 

 担当届けを5人から突き出された時のトレーナーの驚いた顔と、嬉しそうに夜遅くまで書類仕事をしていた姿を覚えている。

 

「チームになればできることが増える。学園で使える予算や合宿のしやすさも違う。切磋琢磨しあえる仲間がそばにいる心強さや高め合えるライバルが近くにいることはウマ娘にとってプラスだ」

 

 担当一人でパンクしてしまうような経験のない新人はともかく、トレーナーはいつかはチームを持たなければならない。それを学園からあてがわれた生徒ではなく、自発的に自分を慕ってきてくれたウマ娘でチームメンバーを揃えられるのはそれだけトレーナーの実力があると言うことなのだ。

 

「そしてチーム結成の原動力になったのは間違いなく私だ。彼女たちの背中を押したのは三冠バ2人から逃げ切ったあのジャパンカップで見せた私の背中だ。だったら、背中は偉大なままでなくちゃ」

「......まさか」

 

 驚いて、まさかそんなことあり得ないと言いたげな顔でルドルフは叫んだ。

 

「まさか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()いうのですか!」

「そう、ルドルフのいう通りだ」

「何故?!」

「.....昔は負けるのなんて怖くなかった。()()()()()だったから。クラシックなんてG1をたったひとりに独占されたんだ。負けてもへこたれない気持ちだけは一人前以上だったさ。けどシニアに入って私は勝った。シービーには相変わらず負け続けたけどジャパンカップで1勝した。だから負けても次にはきっと勝てると信じられた」

 

2勝4敗。シービーとやって勝ったのは全部G2で、負けたのは全部G1だった。ジャパンカップで1勝して、3勝4敗になった。

 

「シービーの三冠の背中は果てしなく遠かった。けど、やっとそれに手が届いたのがあのジャパンカップだった。私の目標は叶うものだった、あの背中に手が届く脚を私は持っていた。ジャパンカップに勝った時真っ先にそう思ったよ。私の今までは間違っちゃいなかった、努力すれば夢は叶う、って。

 偶然じゃない、勝つべくして私が勝ったと有マ記念でもう一度証明したかった。2500という適性ギリギリの距離をトレーニングで埋められるのか。私のことを追いかけてくる10人と、シービーと戦う実力があるのか。

 証明されたのは、努力しても届かない存在はいるっていう現実だけさ。私はあの時、シンボリルドルフという届かない存在に絶望したんだ」

「私に.....」

「天才だって思ったね」

 

 シンボリルドルフは身体においては特に優れたところはない。実力は推し並べて平均以上ではあるが、抜きん出て優れた部分と言われると他のウマ娘より劣る。

だがシンボリルドルフは勝ち続けた。それは何故か。

 

「並外れたレースセンス、状況を見極める観察眼、場をコントロールする支配力。場を支配する君の走りはまさしく皇帝の二つ名に違わぬものだったよ。一括りにするのは気に食わないが、当時の私は君のことを天才と言うしかなかった。

 観察眼、支配力、レースセンス。これらは身体と同じように鍛えることで伸ばしていける。私はそれで勝ってきたし、君も、多くのウマ娘も同じように勝ってきた。もし私が現役を続けていたのなら、君と同じ観察眼を身につけることもできた。レースセンスも、支配力も同じくらいに磨くことはできた。だけど私がそれを磨く間に君はもう一歩先に行ってしまう。

 

私が一歩進めば、君も一歩進む。だから追いつけない」

「......おかしいですよ」

 

 私があの頃思っていたことを全て吐き出すと、ルドルフが小さな声で呟いた。

 

「先輩は、シービー先輩のことをずっと追いかけてきたんじゃないですか。だったら、だったら私のことも、追い続けてはくれないんですか」

「それをしてあげれば良かった」

「私の走りが、先輩を挫折させてしまったのですか」

「私が勝手に折れただけさ」

「私は.....」

 

目を伏せたままルドルフは続けた。

 

「私は、先輩を幸せには出来ていなかったのですか......?」

 

 続けてぐずぐずと、鼻を啜る音だけが響いた。ルドルフは常々、全てのウマ娘を幸せにすることが夢だと言っていた。夢を叶えるためにしてきた努力は、並大抵のものではないだろう。そのために歩んできた道で、誰かを不幸にしてしまったと知ってしまったのならきっと、まともではいられない。だがルドルフの選んだ道はそういうものだ。ルドルフの夢を叶えるには、敗者という屍を積み上げ続けるしかない。

 

「全く、世話の焼ける後輩だこと」

「せ、せんぱい?」

 

 メソメソ泣いてるルドルフの頬に手を当てると、無理矢理に顔を上げさせた。目元は少し赤く目が潤んでいるがただまあ、ルドルフの情けなく思い悩む顔を見るのは2回目でありがたくもなんともない。

 

「確かにルドルフは私の心を折って、私の叶えたい夢を奪って、私がそれで不幸になったというのは事実。

だけど、一回くらい折れた程度でへこたれる私じゃない。

現に、目の前に舞い戻ってもう一度君に挑もうとしているじゃあないか。私のことを舐めんじゃないよ」

 

 大仰で大袈裟な言い回しをわざとらしくして見せる。虚勢を張ってでも後輩に背中を見せるのが先輩の仕事ってもんよ。

 

「ルドルフは私を不幸にして、誰かを不幸にしてきたかもしれない。けど、それ以上に夢と希望を与え続けてきたんじゃないか。ウチのトウカイテイオーなんか四六時中カイチョーカイチョーってうるさいんだぞ。

みんなが三冠を目指すようになったのは何故だ? 

生徒会の面々が君を慕うのは何故だ? 

トウカイテイオーが君を尊敬するのは何故だ? 

君が、その背中を後輩に示し続けてきたからだ。

君の実力と夢が後輩たちに夢を与え続けてきたからだ! 

それに私がついてる、シービーがついてる。おハナさんも、リギルのチームメイトもついてる。君を慕う学園生も君の背中を押してくれる。ルドルフの取りこぼしは私たちで拾い上げるさ。だから思う存分やんなさいな! 

 そこまで信頼がないんならお望み通り私が不幸せから復活したってSDTで証明すればいいでしょ? やあってやろうじゃないの!」

「......私は、ひとりじゃないのですね」

「当たり前さ。先輩として言わせてもらうと、もう少し周りを見ると楽だぞ?」

「それは、先輩もでは?」

「.....」

 

いざ言われると私ってば一人で抱え込みすぎでは? 

少し考えこんで、私はルドルフの肩を軽く叩いて親指を立てた。

 

「ま、お互い様ってことで」

「いい話風に纏められても困ります.....」

「いい話だったじゃないのよ!」

 



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第81話 神威を継ぐもの

たいへんおそくなりもうした


GWは呉で艦これのリアイベに参加したりグンマーに旅行に行ったり合作SS書いたり艦これ復帰したり艦これSS書いたり本読み直してたもんで、はい。


 

 

7月11日、宝塚記念。

 春レース人気投票上位ウマ娘が出走するお祭りレースでもあり、前半期を締めくくる大切なG1レースでもあり、私に取っては思い出深いG1初勝利の舞台でもある。改装後なので当時の風景とは大きく変わっているのだがそれはそれ、これはこれ。

 

「......で、お前はなんで控室の前に立ってるわけ?」

「グラスワンダーが瞑想中なもんで。こないだ瞑想中に入ったら薙刀で真っ二つになるところでした」

「彼女の和風趣味を知ってると冗談とも言えねえなあ」

 

 控室の前で腕を組んで考え事をしていると誰かの足音がしたのだが、歩幅と歩数のクセを私はよく知っている。彼の方を見ることもなく通りがかったトレーナーちゃんと2、3つ社交辞令的に言葉を交わしたのち、疑問に思っていたことに切り込むとトレーナーちゃんは疲れたようにため息をついた。

 

「あいも変わらずスペは足元がおぼつかない感じですか?」

「春天を勝てば他に目を向けてくれると思ってたが、うまくはいかないもんだな」

「負けて理解させないとどうしようもないですよ」

「本当ならこうなる前に俺が正さなきゃならないんだが、どうにもスズカが絡むと強く言えなくてなぁ」

「スズカにだけ甘くしちゃダメでしょう。いくら惚れ込んでるからって、特別扱いは良くないですよ」

「自覚はないんだがなあ」

 

 惚れ込んだウマ娘にはとことん甘くなってしまうのがトレーナーちゃんの悪い癖だ。私は小言と大言と口喧嘩しかした覚えがないが、いつぞやの時期に一言たりとも注意をすることなく甘やかしていたウマ娘がいたっけか。そのオチはトレーナーの自主練重視こと別名放任主義に晒された結果あんまりな指導の歯応えのなさに不満を持って他所に引っ越して行った。ちなみに彼女は後にG1を取っていたので目利きは正解だったわけだ、ガッデム。

 

「時には厳しくしないと、ウマ娘ってのはダメになりますよ」

「直すとこなきゃ注意のしようがないだろう?」

「私生活の一つや二つ突っつけばいいでしょう。叩いても埃が出ないのはシンボリ......そう、シリウスシンボリくらいなもんですよ!」

「ああん?」

 

 シンボリルドルフくらいなもんですよ、と言おうとして彼女のダジャレ好きを思い出し咄嗟に誤魔化した。本人に直接いうことはないけどルドルフのシャレはかなりベタで寒いんだよね。

 

「まあそろそろいいでしょう。これから最後にいくつか打ち合わせるんで、失礼しますよ」

「そうか。んでいつ戻ってくるんだ?」

「いつ、ですか。決まってますよ」

 

どこに、とはいうまでもない。

 

「レースが終わったら打ち上げでご飯、そうでしょう? 今日の残念会はどこでやりますか?」

「よく言うようになったもんだな」

 

 

◇◇◇

 

 

『ことしもまた、あなたの、私の夢が走ります。あなたの夢はスペシャルウィークか、グラスワンダーか。私の夢は、サイレンススズカです。

 もし、もし叶うのであれば、彼女がこの舞台でダービーウマ娘やグランプリ覇者たちと走る姿を見てみたかった。

さあ、始まります。春のG1集大成『宝塚記念』──』

 

「ん、始まったか」

 

 妙に湿っぽい語り口から始まったアナウンスに気がつき、いつものようにゴール板のよく見える正面ラチ最前線......から10mほど離れたラチ沿いの柵についていた手を離して背を伸ばした。もうこの放送が始まった時点として私たちトレーナーのやれることはもうない。その30分前の最後の打ち合わせに、やれることはもう全て置いてきた。

 

「さて、うまくハマるといいけど」

 

 果たして預けた策は吉と出るか凶と出るか。私はその最後の打ち合わせで話した内容を思い浮かべつつ、最後の出走ウマ娘紹介に耳を傾けた。

 

『3番人気をご紹介しましょう。なんと今年はクラシック級からの挑戦者が参上! その名はオースミブライト!

 皐月賞2着、ダービーでは4着、あの激走で届かなかったG1を手に入れるべくなんとクラシック級から殴り込み。名前に恥じない輝きのような走りを観客に見せることができるでしょうか! 3枠3番に入ります。

 

 2番人気はこのウマ娘、不屈の闘志を胸に2つ目のグランプリの頂へ、グラスワンダー! 前走安田記念は惜しくも2着ですが負けてなお強しのレース内容。敗北を糧に今日にかける思いは十分、その気迫が熱となってこの実況席、観客席にも伝わってきそうです。5枠5番に入ります』

 

 ふむふむ、気迫が熱となってとは珍しい言い回しをするが夏だからだろうか。ふとトラック中央の大型液晶で見ていた彼女からゲート近くで精神統一をしているらしくまっすぐと自然体で立っている彼女の方に目をやってみると、

 

「......っぱ、この世代は稀に見る化け物揃いか」

 

グラスワンダーが燃えていた。

全身から青い焔をめらめらと立ち昇らせていた。

 もちろん本当に燃えているわけじゃなくただ彼女の気迫と立ち姿が我々に幻覚を見せているだけだ。科学的か非科学的といえば非科学的、オカルトの領分だが領域(ゾーン)にはいっていると形容するほかない。レースの勝負どころではなくもうスタート前から漏れ出しているあたり制御がうまくいっているとは言い難いが、領域に入れていることは確かだ。

 世代に1人いれば上出来な、なんなら5年スパンで1人いるかいないかの領域に入れるウマ娘。見込みがあるスペの他にもう1人いるとは『黄金世代』の看板に偽りなしか。

 

『そしてやはり1番人気はこのウマ娘スペシャルウィーク! 春はG1含む重賞を三連勝、とりわけ春天で名門メジロすら屈せさせた実力は本物でしょう。無敗でG1二連覇へ! 7枠9番です!』

 

 紹介されたスペの様子だがすこし上の空のように見える。空を見上げて気持ちを落ち着かせている様子といえばそう見えるが、どこか心ここにあらずというか、なにか別のものに思いを馳せている感じだ。

 

『宝塚記念といえば、昨年のサイレンススズカの強い走りが印象に残っていますね』

『そうですね解説の細江さん! あのレースはまさにサイレンススズカのためにあるようなレースでした! 今年もそんな圧倒的なレースが見られるのか、はたまた混戦になるのか!』

 

 サイレンススズカ、その名前が話題に出た途端スペの耳がピクリと動いた。彼女が見ているのは昨年のサイレンススズカだけということなのか。

 

「あの子、今までにないくらい本気の目をしてる」

「当然、ライバルとの初対決だもの、燃えるさ」

「見せてみろ」

「......ってリギルの面々じゃあないですか、珍しいね」

「私の提案だ。たまには最前列で見るのも悪くないだろう」

「声かけてくれてもいいのに」

「はは、集中していたようで声をかけづらかったんだ」

「あっそ、3人だけ?」

「予定が合わなくてな」

 

 ちょっと隣に揃ってるおハナさんと、ルドルフと、マルゼンスキーだけという少し珍しい布陣のリギルが揃い踏み。いつもは冷静でなんでもお見通しなおハナさんが、双眼鏡をマルゼンスキーから借りてグラスの方をじっと見ているのはなかなかに珍しい。

 

「どーです、いい仕上がりでしょう?」

「あんなグラスワンダーを初めてみたわ」

「過去一の仕上がりですよ。いや、グラスをあれ以上に仕上げるのは無理でしょうね」

「何を教えたの?」

「昔話を少し。私がターフを去ったあの有の話をルドルフと一緒に」

「......そう」

 

『すべてのウマ娘がゲートイン、宝塚記念、今、スタートしました!』

 

 そこからの展開は私が事前に思い描いていた通りいや、私が考える最悪の状況にスペが陥っていただけだった。

 阪神ではスタンド正面の直線から2コーナーにかけて位置どりが決まる。逃げウマ娘1人がレースを引っ張り、ステイゴールド、キングヘイローらが3バ身ほどあけて先行集団の先頭をきる。予想通りにスペはその後ろ、先行集団につけグラスワンダーはその斜め後ろにピッタリと張り付く。

 

「向こう正面から3コーナーに向けては大きく動かないだろう。もし仮にこのレースをサイレンススズカが走っているのなら──」

「仕掛けるところは、4コーナー」

 

 控室でグラスと検討したシミュレーションと、状況が重なっていく。

 

「その前に途中、グラスを意識して位置を確認しようとするかもしれないが、それは絶対に終盤、スパート前を置いて他にない。ライバルを意識するとすれば、必ず仕掛けどころだ」

「ではスペちゃんが私を見ようとした時には、背中に貼り付けばいいのですね?」

「その通り。余計な情報を与える必要はない。息を殺し、足音を殺して、紛れるんだ」

 

 スペが何かに気がついたか、キョロキョロと辺りを見渡す光景がターフビジョンに映っているがもう遅い。グラスワンダーが背後にいることなんて、予想していなければわからないだろう?

 

諦めたスペシャルウィークが前を向いた。

身体が沈み、強く踏み込んで駆け出してゆく。何人もの先行バを追い縋ることを許さない、圧倒的な加速力。

やはり君には才能がある、他の追随を許さないその末脚は間違いなく世代を代表するに足る才能だ。何も考えなくとも、誰も見なくとも、夢を追いかけるに十分すぎるほどの脚だ。

 

だが、今この場においては不十分だ。

 

『おおっとスペシャルウィークがここで仕掛けた! 1人また1人と抜き去って先頭に立つ! 最終直線は彼女の独走に──』

 

甘い、甘いよスペシャルウィーク。

その背後にいるのは普段のクラスメイトじゃあない。

君が片手間で勝てるような挑戦者じゃあないんだ。

ちゃんとみなければ怪物に喰われるぞ。

 

『ならない! 外からグラスワンダーものすごい脚だ! スペシャルウィークとの差をものすごい勢いで詰めているぞ!』

 

君の敗因はたったひとつだ。

レースは目の前の相手と走るもの。

グラスはスペシャルウィークを見て、君はグラスワンダーを見なかった。

 

「なら、結末は決まっているさ」

 

 青い焔を纏った栗毛が突き抜ける。先行して抜け出したスペに、幻影のサイレンススズカを追いかけた彼女にグラスを追う脚など残っていようはずもない。

 

『あっという間に抜き去って並ばない! グラスワンダー! グラスワンダーだ! 一騎打ちにはならない、1バ身、2バ身、3バ身とスペシャルウィークを突き放してグラスワンダー! やはり怖かったグラスワンダーチームリギル!』

 

グラスワンダーが、1番にゴール板を駆け抜けた。

 

 走り終えて膝をついて倒れ込むようにターフに手をついたスペシャルウィークにグラスワンダーが短くかけた言葉が、この結果を物語っているだろう。

 

「私は、スペちゃんだからこそ全力になれました。スペちゃんは、私に全力で来てくれましたか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第82話 約束

そろそろ終わりが見えてきました

100話でキリ良く終われたらいいですね。


 

 

 

 

「んーやっと終わった!」

「トレーナー姿も板についてきたようで何よりです」

「うげ、見てたのかルドルフ。おハナさんが隣にいたからなんとかできただけだよあんなの。1人だったら目を回してたさ」

 

 リギルの用意した新幹線の指定席に相乗りさせてもらい、当日中には学園に戻ることができた。降りて身体を伸ばしていると肩をたたいてきたルドルフに言葉を返しつつ凝り固まった身体を伸ばす。

 不意にルドルフが立ち止まる。不思議に思った私が振り返れば、ルドルフは笑顔で質問をひとつしてきた。

 

「それで、目的は達成できたんですか?」

「バッチリ。グラスに壁になってもらって明確にスペの足りないものを示してもらった。あとはスペがしっかり向き合って乗り越えられるかどうかだよ。今頃切り株で叫んでいれば見込みありってコトくらいかね?」

「だから中庭に向かうのですね。切り株ですか」

「ルドルフはあんまり縁がなかったと思うけれど私はよく使ったんだよね」

「私も使ったことはありますよ。あなたに負けた時と、秋天で負けた時に」

 

 トレセン学園名物のひとつ、中庭にある大きな切り株。切り株は中身が腐り落ちて、1mほどの穴になっている。誰かが始めたのか、気がつけば誰かが穴の中に悔しさや失敗を叫んでいるのだ。いつしかそこは名物になり、先輩から教えてもらって私もクラシック期は何度かシービーへのやっかみと自分の走りの悔しさを叫んだものだった。

 

「もし、スペに見込みがあるなら多分あそこで泣いてる。そうでなくちゃ別のプランを考えないと」

「なるほど、ついて行っても?」

「聞かれなくとも行く気満々のクセに。別に構わないけど、面白くはないよ? っと、先客がいるみたいだ」

 

 人の気配を感じて足を止めると話し声が聞こえてくる。この声はもしかせずともトレーナーちゃんだ。ルドルフに静かにするように、とジェスチャーしてから物陰に隠れ恐る恐る切り株の方を覗き込むと、予想通りの人物が2人いた。トレーナーちゃんと、スペだ。数mほどの距離を置きお互いの顔が少しぼんやりと見えるくらいの距離感で向き合っている。少しの沈黙を挟んで話し出したのは、トレーナーちゃんの方からだった。

 

「レースは甘くない。その中でもメンタルは重要な要素のひとつだ」

「......はい」

「スペ、今日なに考えて走ってた」

「......スズカさんの、ことです」

「お前は誰だ?」

「スペシャル、ウィークです」

「今日の競争相手は誰だった?」

「グラスちゃん、です」

 

 スペの絞り出すような声はまさに今日のレースを悔いているからだろう。いつも笑顔で元気で明るいスペがこうも俯いている姿は胸が痛む。だが、その挫折と失敗を乗り越えてもらわなくちゃならない。頼むよスペ、私のようになってはいけないんだからね。責められているのを自覚したのか声のトーンがどんどんと低くなっているスペを見てトレーナーは雰囲気を崩すように少しだけ優しい口調になった。

 

「なあスペ、お前の目標って、夢って何だ?」

「スズカさんと一緒に走る、約束」

 

 スズカとのやりとりを思い出したのかスペの目が緩み、肩を震わせる。今日はターフの上で見せていなかった涙を彼女は流していた。

 

「約束......スズカさんとの真剣勝負、でももうスズカさんは元のようには走れないんですよね。だったらスズカさんの走ったレースで、スズカさんの背中を追いかけるしかないじゃないですか」

「......」

「わたしは、わたしは、どうすればよかったんですか」

 

 あの時のサイレンススズカの怪我はまさしく『死んでもおかしくなかった』ものだ。実際レースの展開次第では誰かが倒れたスズカにつまずき、転倒に巻き込まれていたかもしれないし、競争ウマ娘としての彼女はあの天皇賞で一度死んだも同然だ。調整は進んでいるらしいがまだ全力疾走できるかも怪しいと聞いている。スペがもう走れないと思い込んでしまうのも無理はない。だがそれはあまりにも悲しすぎる。スペがスズカのことを諦めているのなら間違いだと言ってやらないといけない。スズカはまだ諦めていない。なによりいちばん諦めていない人が目の前にいるんだぞ、スペよ。

 

「スズカを信じて待つんだ。お前がいちばんに諦めてどうするんだ、スペ。スズカと一緒に走るってずっと言ってきたんだろう、約束したんだろう? なら夢が叶うことを信じてやるのはまず約束したお前じゃないのか?」

「っ!」

「スズカの脚は必ず良くなる。それまでにお前がやるべきことは......もう一つの夢を叶えて、最高の舞台でスズカを待ってやることじゃないのか!?」

「もう一つの、夢」

「思い出せ。お前には、もう一つの夢があった筈だ! 最初にみんなの前で行った目標はなんだったんだ!」

「もくひょう、夢......日本一の、ウマ娘......」

 

 またぐずぐずと泣き出したスペ。しかしその涙は虚しさとかどうしようもなさってから来る涙ではなくきっと悔し涙だ。

今度は人目も憚らずに泣き出したスペの声でちょうど聞こえにくくなったろうしルドルフに声をかける。

 

「帰ろうか」

「最後まで見届けないのかい?」

「ありゃもう立ち直るよ。夏の間はしっかり充電してもらって、秋に本調子ならそれでいい」

「随分と薄情になったな」

「違う、信頼してるのさ」

 

 トレーナーだからこそすべてに口を出して良いはずがない。ウマ娘だって悩んで、考えて、結論くらいはしっかり出せる。

決断が正解だったか間違いだったかは重要じゃない、できるかそうでないかが重要なだけ。

 一歩踏み出せたのなら、ウマ娘は走り出せる。

 

「それに──私達にだって、約束があるでしょ?」

「そう、か。そうだったな、すっかり失念していた」

「忘れないでよ。あのバカの勝手に取り付けた約束でも叶えてやらなきゃ」

 

『来年のサマードリームトロフィーでは、シンボリルドルフ、ミスターシービーの再戦を約束します。そしてこの2人に唯一勝利したカツラギエースともう一度雌雄を決する機会を。

今日よりも白熱した、最高のレースをお約束します!』

 

冬にシービーが15万の観衆の前で宣言した大啖呵。

あの宣言はただの言葉じゃなく、私達の約束だ。

 

「なにより約束はしっかり守らなくてはならないって先輩として規範を見せてやらなきゃ、チームの後輩に示しがつかないじゃないか」

「背中を見せる立場というのはこういうことだったな」

「そゆこと。肩の荷も降りたしトレーニング頑張れるよ。夏は楽しみにしておけよ、ルドルフ!」

「挑戦、受けてたとう」

「あとは、スピカに復帰するだけだ」

 

 揃い踏みのメンバーの前に立ちただいまと言おう。彼女らはどんな言葉を返してくれるだろう、どう私のことを受け止めているだろう。彼女達の顔を見るのが楽しみでそれでいて恐ろしい。

 いや喧嘩っ早いスピカの面々だしまず口より手や脚が出るかもわからない。飛んできそうなのは、メジロバスター(マックイーン)靴底(ゴールドシップ)アッパーカット(スカーレット)か......

 

想像するたびになんだかイヤな予感がする。

 

「......やっぱもう少し先送りにしたくなってきちゃった」

「転部書類は明日付でもうサインしてしまったのだが」

「マジかよルドルフ」

「いけなかったか?」

「いや大丈夫だ、大丈夫なはずだ、うん」

 

保険証はいつも持ち歩く用の財布に入れ替えておこう......念のためだ、念のため。

 

 

 

 

 



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第83話 ただいまと言える場所



にゃーん


 

 

「おつかれさまでーす」

「お疲れ」

 

 いつものように扉を開けて、いつものようにロッカーに荷物をしまいながらジャージに着替える。今日はウオッカは日直があるから少し練習に遅れるとの連絡をトレーナーさんに伝えないといけない。

 

「トレーナーさん。今日ウオッカは日直で遅くなるって。15分くらいかしら」

「となると、こうすればいいか。うん、わかった。ありがとうスカーレット」

「いえ」

 

 制服を脱ぐ前に髪を結んでいた青いシュシュを外し、長い髪を一度ポニーテールにまとめ直す。せっかく毎朝気合を入れて髪型を決めているのに練習のたびに解いてしまうのが少しだけ惜しい。ロッカーに制服を掛け、カバンから体操服を取り出して頭を通してからジャージの長袖を羽織る。スカートも脱いでズボンに足を通して、最後に少し長くてダサい裾を折返せば準備はバッチリ。

 

「今日もイチバン! ふふっ♪」

「お疲れ様ですわ」

「お疲れーっ!」

「うぇーい!」

「早く着替えるんだぞー」

 

 いつものメンバーの声を聞きながら鏡の前に立って改めてツインテールを縛り直す。心持ちは身嗜みから、ママが教えてくれた大切なことだ、譲り受けたティアラに誓って身嗜みに手を抜くことはあり得ない。最後にくるりと一回転しておしまい。これであたしはいつだってパーフェクトってわけ。

 

「ねえ、早く退いてよ。ボクだってポニーテールを整えたいのさ!」

「すみません」

 

 すぐさま着替えていたテイオーさんにせっつかれて鏡の前からズレる。マックイーンさんやゴールドシップ先輩はあまり鏡を使わないから、いつもせっついてくるのはテイオーさんだけだ。小さな身体で少しだけ背伸びをして髪型を整えるテイオーさんを見ていると、小動物的な雰囲気がしてちょっぴり頭を撫で回したくなる。

 

「遅くなりましたぁ!」

「来たぞ」

「遅いぞ君たち、早く着替えなさい。今日はこれで全員なんだから」

 

 そうこうしていると時間ギリギリにバタバタとフクキタル先輩とシャカール先輩がやってきて、これでいつものメンバーが勢揃い、ではなくて、何人かがたりていない。同じことを思っていたのか、マックイーンさんも首を傾げて質問をする。

 

「スペシャルウィークさんやスズカ先輩がいらっしゃらないようですが、始めていいんですの?」

「スペはオフ日でスズカは病院だよ。ウオッカを除けばこれで全員だ」

「あら、そうでしたの」

「今日の練習なんだっけスカーレット?」

「今日は軽く10分くらい走ってから個別練習だったと思いますよ」

「そっか、アリガト!」

「いえ、当然のことです」

 

 テイオーさんの質問に澱みなく答える。フフン、1週間のトレーニング予定は聞いているわ、勉強もトレーニングの予習もバッチリよ!

 

「というわけで校内一周ランやるよー。みんな着いてきて」

「シャキッとバシッと案内してやっぜ!」

「うんその看板しまおうかゴルシ。ブラジルは行かない」

 

 いつもの黒いジャージ姿のトレーナーさんが帽子を被り直して、トントンと靴先で数回地面を叩いてから立ち上がった。

 

「ストレッチはした? 手足はしっかりと伸ばせたかい? それじゃあランニング行くぞー。スピカファイトー!」

「「「「「オー!」」」」」

 

 

◇◇◇

 

 

 

「はい、んじゃあとは各自の練習になります。今日はウッドチップコースを借りているので......って言わなくても行ってるか」

「どうかされました?」

「ウチってこういうチームだったなあ。スカーレットはじゃあ軽く一周してから、何本か200mダッシュだね。スパートのトレーニングだ」

「わかりました」

「フクキタルは、どうしようか」

「今日は併走が吉と出ていますよ、トレーナーさん!」

「じゃあシャカールと併走かな。6割くらいで2000m流して来てくれるかな、2本でいいよ。終わったら声かけて」

「あいよ」

「わかりました!」

「テイオーはフクとシャカールの併走についていって、マックイーンはスタート練習だ」

「はーい!」

「わかりましたわ」

「ゴルシは......まあ、好きにやっといて」

「おう」

 

 コースのど真ん中で麻雀牌を磨き出したゴールドシップは放置することにして、トレーナーちゃんから貰っていた育成方針を踏まえつつスピカの面々に指示を出していく。すると息を切らして誰かが走ってくる足音がした。きっと練習日を間違えたうっかりウマ娘か、もしくは遅れて合流するウオッカに違いない。予想通り息を切らして走ってきたのは黒髪短髪のウマ娘、ウオッカだった。

 

「遅くなってすんませんした!」

「いいよいいよ。10分くらい外ラチ沿いをランニングして身体をあっためておいてくれるかな」

「わかりまし......た?」

 

 すでにジャージ姿で準備体操にとりかかっていたウオッカがなぜか身体を伸ばす手を止め私の顔をまじまじと、まるで信じられないようなものを見るような目で見てくるのだ。何か見られるようなことがあったかと考えてみると、そういえば最近寝不足でひどい隈ができていたのを思い出した。

 

「大丈夫、昨日はバッチリ8時間寝たから」

「そうじゃないっすよ! なななななんで鏑木トレがここに居るんですかっ!?」

「あ、そういえば」

「そのうち戻ると聞いてたし今更だよなァ」

「ちょっと皆さま冷静すぎませんこと?!」

 

 飛び上がるほど驚いているウオッカと今更気がついたように手を叩いたフクキタル。シャカールには事前に伝えていたからいつも通りの冷たい突き放す言葉をかけられたし、マックイーンは混乱しているしゴルシは我関せずと燕返しの練習を始めていた。

 

あれ、スカーレットは?

 

 いちばんの懸念でありいちばん騒ぎそうなものなのだけれどと首を傾げると、優しく肩に手が置かれた。振り向くと目を細めたスカーレットがにっこりと微笑を浮かべて......いや、すっっっっっげえうっすら目が開いててめっちゃ怖いわ。

 

「なにか言うことはないのかしら?」

「......なんだろうね」

「なにか、言うことは、ないのかしら?」

「あの、その、なんと言いますか」

「なにか、言う、ことは、ないの、かしら?」

 

 私が言葉に詰まるたびにギリギリと肩に置かれた手に力が入る、というかもう肩の筋肉がそっくりもげそうなくらいに痛い。腹括って覚悟をきめてなんとか言葉を捻り出そうとして出てきた言葉はスカーレットのお眼鏡に叶うとはいかなかったらしい。

 

「......ただいま?」

「それはまず最初に言う言葉でしょうこのおたんこにんじん!」

「ちょ待っ、あだっ、みぎゃあああああああああああああ!」

「わたしが、どれだけ、心配したと思ってるのよ!」

「ギブ! ギブだよスカーレット! キマってるキマってるトレーナー腕折れちゃう! レースあるから怪我だけは! マジやばいって!」

 

 返事は厳しい言葉とアームロックで帰ってきた。怪我したらまずいし何より痛いので必死で決めている腕をタップしてギブアップを何度も伝えていると、少し力が緩んだ。

 

「あんなの見せられて、心配しないわけないじゃない! ばか! ばかよ、大ばか!」

「スカーレット......」

「しかもスペ先輩のライバルのトレーナーになってて、本当に違うチームに行ったかと思ったじゃない裏切り者!」

「それはやむに止まれぬ事情があってあだだいだだ!」

「もう、勝手にいなくならないでよ......わたしと一緒に1番になるって、1番最初に約束したことじゃないの!」

 

 最後の方はぐずぐずと湿っぽい声だった。そうか。わたしが最初に、求めて、走りに惚れ込んだのはスカーレットだったなぁ。それを、スカーレットは覚えていてくれて、大切にしてくれていたんだ。

 

 いや、私がすっかり忘れていただけだったんだ。

 

「本当に、居なくなって寂しかったんだから......」

 

いつのまにか腕は自由になっていて背中を誰かがポカポカと叩いている。トレーナーとウマ娘は一心同体、どちらかが居なくなっては成り立たないアンバランスな存在ということを身をもって知っていたはずなのに、ただ自分が壊れるのを恐れて私は見ないフリをしたんだ。

 

「......ごめん」

「謝ったって、許さないんだから」

「じゃあ。一緒に勝とう。勝って勝って、1番になろう」

「......ええ、ええ。一緒に、1番になりましょう......!」

「アー、湿っぽいとこ悪いがジャマだ。どけ」

「感動の再会の空気を読むこともできないのかいシャカールくぅん?!」

「その言い方ヤメロ。ロマンチスト(アグネスタキオン)が感染る」

「酷い言種だねぇ。せっかく面白いものを持ってきたというのに」

「ウゲ、噂をすれば」

「タキオンさん......?」

「やぁ、スカーレット君にシャカール君、それとフクキタル君をはじめとするチームスピカの人たち」

「実験には付き合わねェぞ。こっちは練習中だ」

「ツれないねぇ。朗報だというのに」

 

 何故かゴルシちゃん号(セグウェイ)に乗ってやってきたアグネスタキオンが上で不敵に笑っている。タキオンとて他所のチームの練習中に実験をしないデリカシーくらいは弁えてるから何か他の用事だろう。彼女は手に持った書類を指で弾いた。ふわりと風に乗った紙が風に流され、狙ったようにわたしの手元に届く。

 

1番上に乗っている名前は聞きなじみのあるものだった。

 

「......月刊トゥインクル?」

「取材依頼。いや、合同取材と言うべきだろうね」

 

 よいしょ、とセグウェイから降りたタキオンが仰々しく両手を広げた。資料の内容は最近活躍する黄金世代、彼女たちを支えたチームに迫る、と。どうも雑誌記事の企画書のようだ。期間はちょうど夏合宿の頃、ある程度の資金を負担するので練習も合同でしてほしいとの旨が書かれている。

 

「これは最近活躍するチームスピカ・リギルの合同取材にかこつけて私たちのチームも含めて、合同合宿をしないかという提案なのだよ!」

「言いたいことは分かったけど、桐生院が言いにくるべきだよね。なんで君なんかが使いっ走りに?」

「話せば長くなるんだが、ハッピーミーク君で実験をしたら四足歩行のよくわからない動物になってしまってねぇ......」

「後輩に何してンだよ」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

「ひひーん」

「ミーク! これどうなってああっ! 芝を食べないでください! ぺっしなさいミーク! ミーーーク!」

「ぶるるるる......」

「舐めないでください助けてタキオンさぁあああああん!?」

 

 

 

 

 

 

 



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第84話 背中は遠くとも

 

 

「......っああ! 遠い、遠すぎるって!」

「やっぱり鈍ってるね」

「これどうにか仕上がるかね?!」

「それをどうにかするのが君の仕事じゃないのかい?」

「確かに!」

 

 ターフに倒れ込んで、ゼーハーと大口を開けて肩で息を吸って吐く。こうでもしないと酸素が足りないくらいわたしは疲れ切っていた。今年夏のドリームトロフィーの舞台は中山2500mというあの有記念と同じセッティング。8月末の本番に向けて夏合宿が現役さながらの追い込み期間になり、その一環として合宿前にシービーと一対一で模擬レースを行うことになったのだが、見ての通りボロ負けだ。

 何回もレースを走っていれば背中の遠さで距離もわかるくらいになる。さっきの背中の大きさからしてひいふうみい......

 

「4バ身、かぁ」

「中山だと2.5〜3てところかな。トレセンのカーブは緩やかだから速く走れる」

「やっぱりヒラ勝負じゃ勝てないや。シービーは強いな」

 

 勝てない。尽く勝てない。タイムも現役と比べれば見る影もないしレース勘も鈍っている。現に追い込んでくるシービーの距離を測り損ねて最後の仕掛けをミスしてしまった。ミスしなければ外を少し多く回せて、距離ロスで1バ身稼げた筈だ。

いざ勝とうと思えば、特に頭の方も鍛え直さねばるまい。これからのことを考え込んでいるとシービーが励ますように背中を叩いて言った。

 

「エースってフィジカルだけだったらそもそも凡だしね」

「そこの三冠(あんた)が異常なだけなんだけど? というか無自覚に煽ってる? ん? なにこの? 自慢か?」

「あはは、煽るなんて。思ったことを言ってるだけだよ」

「天才には人の心がわからんのか」

「そうかな、そうかも」

「あのなぁ」

「けど凡な身体能力でアタシに勝ってるんだよね。だったら──それは、君の頭がいいってことじゃないかな?」

 

 指を鳴らしながらシービーはキメ顔でそう言った。何か言いたいことがあるのだろうがこいつのいうことはいまいちよくわからない。ひとつ言えることがあるとすれば私の記憶ではシービーは大学受験を通れるほど頭がいいわけじゃなくて、未だにシービーが大学生をやってることが信じられないことくらいだ。

 

「頭が良いってなにさ、成績がいいってこと?」

「そうじゃなくてレース中のことさ。アタシは走ることで精一杯だから考える余裕とかはなくてね、本能に導かれるまま、楽しい方、面白い方へ感覚で走るだけなんだ。

 けど、君は違う。ゴール板を駆け抜ける最後の一瞬まで、身体だけじゃなく頭も勝利のために振り絞っている。現に『ヒラ勝負じゃ勝てない』なんて言ってさ。もしヒラ勝負じゃなかったら勝算があるように言うじゃないか」

「多人数となればセオリーもやれることも増える。それを使ってなんとか五分にはできるけど、みんなやってることでしょ?」

 

 何を当たり前のことを言っているんだか、と肩をすくめた。

 私がやっていることは簡単だ。みんながやっていることを愚直に追い続けて、みんながやってないことをやっている奴から借り受けているだけだ。天才的なセンスとか、飛び抜けた才能とか、レース中に成立した偶然とか、不確定で自分のできないことをとことん削ぎ落として『誰でもできること』を詰め込んで、みんながただやろうとしていないことをやっているだけだ。不思議と誰も全部やらなかった、だから私は全部やった。それでやっとひとつ勝てるだけなんだから、才能はどうしようもないね。

 

 そう言うとシービーは少し驚いたような顔をした。そしてイタズラを思いついた子供のように少し笑って問いかける。

 

「それって、誰にでもできることなのかな?」

「誰にだってできることだよ」

「私にはできないよ」

「じゃあシービー以外の誰だってできることだ」

「......天才には、人の心がわからない、か」

「なにさ。自分は天才じゃないとでも言うつもり?」

「お互い様ってことだよ」

「はぁ?」

「アタシはもちろん天才だけど、君も実は天才なんじゃないか、ってね」

「まさか! 私は凡人だよ」

「努力することも才能さ。マルチタスクをこなすことも、レースの時に周りの状況を把握できることも」

 

 まだ倒れたままでやっと身体を起こしたところに、シービーが手を差し伸べてく、その手を私ががっちりと掴み引いて立ち上がる。いつのまにか落としていた私の帽子の汚れを払って手渡そうとしてくれたところに、シービーは一言付け加えた。

 

「そして何より、負けず嫌いなこともね」

「?」

「んじゃもう一本行こうか!」

「はぁ?! こっちはもうヘトヘトなんだけれど」

「アタシは君と走るだけで楽しいんだよ。このままいつまでだって走れちゃうんだ! それとも、負けっぱなしで終わるつもり?」

「......っし、もう一本」

「そうこなくっちゃ!」

 

そう言われると私は弱い。震える脚に気合を入れるよう叩いてスタート態勢を取る。シービーは有無を言わさずポッケに入れてあったコインを取り出し、指で弾いた。あんまりなスタートに文句のひとつも言いたくなるが、頭はもうレース前に切り替わってる。

 

 

パサ、とコインが芝の上に落ちる音。それを合図に、私はもう一度はじめの一歩を蹴り出した。

 

 

◇◇◇

 

 

「......珍しいな、休憩中に窓の外を見ているなんて」

「いたのか、ブライアン。気がつかなかったよ」

「ノックもしたんだがな」

 

 珍しく窓の外をずっと見ていたルドルフに声をかけると、いつもは物事に対し冷静に構えるルドルフが驚いていた。

 

 視線の先を思わず追うと、誰かが模擬レースをしているらしく2人のウマ娘がターフを走っている。今あの場所を使っているのは確かミスターシービーと、彼女の同期のカツラギエース、だったか。いつぞや冬のWDT関連のニュースで口煩くやっていたから、私にしては珍しく覚えていた名前だ。確か次のレースはルドルフも一緒に走るのだったか、そういった内容も流れていたような気がする。

 

「羨ましいのか?」

「羨ましい? 私が、か?」

「そう思っただけだ」

「そんなつもりはなかったのだけれど」

 

 今日はもう仕事が手につかないな、と早めにペンを置いたルドルフ。いつもは夜遅くまで文句一つ言わずに仕事をしているというのにやはり今日のルドルフは少し様子が変だ。何度か迷ったような仕草を見せながら質問をするさまも、自信が溢れ『皇帝』らしい普段の様とは大違いだ。

 

「......ブライアン君はまだデビュー前だったか」

「ん、そうだが、それがどうした」

「きっと理解できないこともあると思うが、少し、相談に乗ってもらえないだろうか」

「相談? 会長がか?」

「私とてただのウマ娘だよ。他人に相談したい時くらいある」

「そうか」

 

 今日はエアグルーヴは練習で生徒会室には来ない。当然同じチームリギルのルドルフと私はエアグルーヴの予定を把握している。あのテイオーが遊びに来るのでもなければ、生徒会室は2人きりの空間になることを知っている。

 エアグルーヴはルドルフを信じ()()()。彼女が信じるルドルフ像は『皇帝のシンボリルドルフ』であり、生徒会長として上に立つもののルドルフの姿だ。故にルドルフの弱音と向き合うことはできないだろう。私がそう考えるなら、ルドルフはそれ以上を考えている。私の思想、価値観、関係性、それを鑑みた上で私に向けて弱みを見せても構わないと判断したのだ。ならば、答えてやるというのが役目だろう。

 

「聞こう」

「......君は、並び立つものの存在をどう思う?」

「並び立つもの?」

「ライバル、あるいは好敵手。そう言い換えてもいいだろう」

「好敵手、か」

 

 もとより好敵手(それ)を求めて学園にきた身だ。しかし私も高等部にもなろうという年だが姉貴以外そう呼べる人物は見つかっていない。姉貴とはまだ五分と五分の成績だ。学園では私は早々にチームリギルにスカウトされているが姉貴はまだスカウトを待つ身だ。お互いにデビューはまだ先になる。

 

「......早く、早く走りたいと思うだろう」

 

 模擬レースはもう飽き飽きした。何度も走り、何度も勝ち、何度も負けた。だがまだ足りない。

 

「私の実力以上を持つ存在が私に牙を剥く様を感じたい」

 

私を突き動かすのはウマ娘の本能だ。

 

「立ち塞がるものを、ことごとく打ち砕きたい」

 

競い合うこと。自分の実力を知らしめること。

 

「何より夢想した光景が実現する事がたまらなく楽しみだと、私はそう思う」

 

 観客に溢れた観覧席。私たちを出迎える歓声。勝負服に袖を通し、お互いに相手を上回るという敵意を芝の上でぶつけ合うこと。大舞台で姉貴と走る光景を何度夢見た事だろう。

 

「シンボリルドルフ。コレはウマ娘の本能だ。恐れるな。

しがらみを忘れて、ただのウマ娘のように思うまま走ればいい。エアグルーヴがいたららしくないと言うだろうが」

「......彼女ならそう言うだろうね」

「アンタが目標にする相手は一度負けた相手なんだろう。生徒会は任せろ、少しくらいは持たせてみせる」

「フフ、君からそのような言葉を聞くことになるとはね」

「今度のレースはエアグルーヴも出場すると聞いている。生徒会は私だけになるが、自分が選んだヤツを信じなくてどうする」

 

いつか倒すべき相手。その本領を感じたい。

そのために手を貸すことを面倒だとは思わない。

ルドルフは大きく息を吐くと、席を立った。その顔は迷いの吹っ切れた探し物を見つけた子供のようにキラキラと光って見えた。

 

「何処に行くんだ」

「トレーナーと話してくる。練習メニューをもっと密に組み直してほしいとね」

「そうか」

「あとは()()()よ」

 

 そう言って、生徒会室は自分1人だけになった。

 

「任せる、か」

 

 そんな言葉を聞いたのは初めてだ。それを言わせるほど三冠ウマ娘と三冠2人を捩じ伏せたあのウマ娘は強いのか。

 私はそうは思わなかった。私の脚なら全部倒せると思っていたがどうやら、そうではない。私の知らない一面を彼女は知っている。同じレースを走ったからこそ知る事ができたものを知っているんだろう。

 

「......楽しみだ」

 

 一人きりだが、思わず声を出さずにはいられなかった。

 

「衰えてくれるなよ」

 

シンボリルドルフも、ミスターシービーも、カツラギエースとやらも、私の倒すべき『強者』だ。

 

「私の、獲物だ」

 

私が全て、喰い(つぶ)すんだからな?

 

 

 

 

 

 



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第85話 そして最後の夏が来る

 

 

 

 

「流石高いバス、快適だぁ」

 

 ふかふかな座席に暑すぎず寒すぎない快適な空調、足を伸ばす事ができる広いスペース。いつものミニバスとは大違いで、気持ち座席を深く後ろに倒しながら思わずつぶやいてしまった。

 

「スピカはこうではないのかい?」

「ま、人数も少ないしねえ。ウチは中古レンタルバスさ。弱小チームはバスなんて買うわけにはいかないからね。お陰で合宿期間も例年より長く取れる」

「......チームによっては夏合宿期間に差異があると?」

「そうだね。同期から今年は3日だけとか、来年に向けて今年はやめるとかは聞くけど」

「それは由々しき事態だな。理事長に一律夏合宿の予算を配布できないか検討するよう提案するよ」

「そんな金のかかることを軽々しく言わんといてくれる?!」

「余剰予算は足りている。全チームの夏合宿の予算を負担しても赤字になる事はないはずだ。確認しているからな」

 

 サラッとトレセン学園と学園の全チームの予算を把握しているルドルフに若干の恐怖を感じながら、身体の力を抜いて座席に身を任せると、ふかふかで柔らかい座席が私の身体を余すところなく支えてくれて、思わず声が漏れる。

 

「おおう、フカフカ......」

 

 私が今乗り込んでいるのは高級バスだが、これは私がリギルに籍を移したままだからというわけではない。書類上でもちゃんとスピカ所属に戻っている。現に後ろでは神経質そうにパチパチとキーボードを叩く音がするし、ふんぎゃろはんぎゃろと聞き慣れた妙ちきりんな祝詞がするし、誰かと1番を言い争う声がする。

 じゃあトレーナーちゃんが頑張りすぎたのかというと、そうでもない。現に我々の宿泊先は前の年も使ったオンボロの代わりにご飯の量と質に特化したいつもの宿だ。

 

まあ、簡単に言うと。

 

「ちょっと! あんたズルしたでしょ!」

「してねえし!」

「なんでこうもただのババ抜きで熱くなるんですかねー。あ、アタシいちぬけ」

「いつものことですので。わたくしもあがりですね」

「なあああっ!?」

「こぉらぁスカーレットにウォッカ、騒ぎすぎだよアンタたち! 周りの人の迷惑を考えないかい!」

「「ご、ごめんなさい!」」

 

 スカーレットとウォッカが喧嘩して、ナイスネイチャが呆れ、メジロマックイーンがため息を吐き、ヒシアマゾンが立ち上がって怒鳴りつけ2人が息をそろえて謝る。

 

「今年は騒がしいね、いいことだ」

「いいことなのか......」

「楽しい夏になりそうだ」

 

 今年の夏合宿はスピカ・リギル・カノープス合同。ネタバラシをするとメディア公開練習と取材にかこつけておハナさんの脛をかじっているだけだ。この高級バスも、宿も、練習機材もリギルがいつも使っているものを今回頼み込んで使わせてもらっているというわけ。他にもメディアから取材費としてある程度予算をもらっているので、例年よりお金を使った練習もできるというわけ。

 

「ま、頼れる財布は頼っておかないと。練習機材のレンタルもつけといていいですかねトレーナーちゃん」

「ん? いいんじゃねえの?」

「聞こえてるわよ。それくらい自腹切りなさい」

「うげ、聞いてたのかよ」

「おハナさんのケチ! ちょっとくらい融通してくれたっていいじゃないですか!」

「そこの男のツケを今請求してもいいのよ」

「すみませんでした」

「トレーナーちゃんおハナさんにいくら借りてるんですか」

「......給料3ヶ月分」

「マジで言ってます? 情けない大人ですねぇ」

 

 いつの間にか森を抜け、空のように青い海が窓の外に広がっていた。

 

 

もうすぐ、私にとっての最後の夏が始まる。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「調子はあまり良くはなさそうだな。怪我は治っているんだろう?」

「スズカのことかい? カルテ上は万全さ」

 

 砂浜の端で別メニューをこなすスズカを見ながらその様子を書き留めていると、ルドルフが寄ってきて声をかけてきた。わざわざ振り向くほどでもないからノートに書き込む手を止めずに答える。

 

「骨もつながった、腱も完治、カルテ上は健康そのものでコンディションは良好だ。なんなら今から重賞を走らせたって構わないくらい万全」

「しかし、本調子でないように見えるのだが」

「どうにも全力疾走ができないらしんだ。気持ちの問題だけど、あんな怪我をしたんだから無理もないよ」

 

 全力疾走をしようとして2、3歩で行き足が止まってしまうのを繰り返すスズカを見て私は肩をすくめた。スズカはあの秋天でフクキタルと同じかそれ以上のトラウマを持ってしまった。フクキタルはまだ走れるからいいものの、スズカは一時期生死の境を彷徨い歩くことすら出来ないのではないかと言われたほどの怪我を負った。

 一朝一夕でそのトラウマが払拭されようはずもなく心療内科にも通院しているらしいが、改善の兆しは見られない。

 

「フクキタルも相談には乗ってあげているんだがいかんせんどうしようもないんだ。怪我も原因不明ともなればなんとも言えん。準備不足だったり過酷なローテか、古傷だったり、何か言い訳がつく理由があればマシだったのにさ」

「......そうか」

「ま、トレーナーは何か考えているらしいけどね。でなきゃこんなことはしないよ」

 

 ノートをめくって見せる。そこにはいくつかのレースがピックアップされていたがどれも同じ条件のレースだ。

 

「調べておいてと頼まれたんだ。同じ場所、同じ条件のレースをね」

「っ、これは」

「そう」

「東京、2000m......秋の天皇賞と同じか」

「そう。あの時と同じレースを、もう一度走らせる。出来ることならもう一度秋天にしたいんだけれど流石に復帰戦を重賞にするわけにはいかないからね。OP以下だけにしてる」

「レースは1番早いものはジャパンカップ前日か」

「そう。よりによって、ジャパンカップなんだよなあ」

 

 日本一のウマ娘という彼女の目標を叶えるためには外せないレースが、そのジャパンカップ。スピカも全面的にバックアップするがこの間の悪さはスペにとっては不幸というしかないだろう。出来ることなら肩の荷を下ろした上でスズカの復活を見届けさせてやりたかったのだが、レース日程は変えられない。1800〜2200まで幅を広げればもう少し選択肢もあるんだがトレーナーが譲らなかった。スズカのために必要なことなんだ、と言い張っているし、何より。

 

『乗り越えさせなきゃ、アイツはいつまで経っても立ち止まったままだ』

 

そう、言っていた。

 

......ところでなんでルドルフは私にわざわざ話しかけにきたんだろうか。

 

「レースにも出ないウマ娘に目移りするのは余裕の表れかね? 皇帝サマ」

「いいや、気分転換さ。これでも練習で忙しい身でね」

「ああん?」

 

 皮肉まじりに言うと自信ありげな声色で返事が返ってきた。横を向くとルドルフが腕を組んで立っている。わかっていたことだが、格好は学園指定の練習着ではなく明らかに自前で購入したであろう高級スポーツインナーに緑を基調としたスポーツウエア。形から入るとは言わないが、彼女の本気具合がそれだけでうかがえるというものだ。

 

「気合い入っているねルドルフ」

「当然だとも。君こそトレーナー業の片手間で大丈夫か?」

 

 私も羽織っていたジャージを脱いで見せるとルドルフが思わず吹き出し、私も釣られて吹き出した。

 

「なんというか、似た者同士というべきかな?」

「考えることがここまで一緒とは思わなかったよ」

 

 私が下に着ているのもルドルフと同じ高級スポーツインナー。貯金を少し崩して、この合宿のためにわざわざ買い込んだのだがまさか同じものをルドルフが買っているとは思わなかった。

 

「......シービーも同じ服買ってたりして」

「シービー先輩は合宿に来てないんだろう? まさかな」

「その筈だけど、アレはなぁ」

 

 どこかしらに潜り込んで『来ちゃった』とでも言いながら物陰から飛び出してきそうな気がする。というか一度昔合宿の時の『やっと調子が出てきたんだよね』と言いながら海中から派手に登場したのが忘れられないんだよねぇ。前科一犯な訳だから、もう一度やってきてもおかしくはない。

 

「......後ろにいたりしない?」

「流石に警戒しすぎというものではないだろうか」

 

思わず振り向いてしまい、ルドルフに笑われてしまったが油断はしない。周囲全部の物影を睨みつけて誰もいないことを確認してやっと息がつけるというもの。

 

「やっぱないよね! まさかまた合宿に潜り組んでくるなんて「呼んだ?」いるじゃねーか!?」

 

 パワートレーニング用の大型タイヤの中から顔を出したシービーを見つけて飛び上がる。案の定、シービーの服装は案の定私とルドルフと同じスポーツインナーだった。どうしてこうも被るかねぇ......

 

 



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第86話 立ち止まる少女たち

 

 

 

 

「もがいてるねえ」

「青春ですねぇ」

「君はまだ現役だからもすこし頑張りなさいよ」

「ほっぺがガムみたいになってしまいますよぅ!?」

「スペと併走してこい」

「よろこんでー!」

 

 隣でなぜかふてぶてしく休憩してるフクキタルの頬を引っ張ってからケツを蹴っとばして走らせながらため息をつく。トレーナーちゃんの示した指針『馴れ合い禁止』をフクはほとんど聞き流していたに違いない。チームメイト同士はもちろんトレーナーの私とて例外ではないんだぞ、全く。

 併走しましょう、と声をかけてフクと一緒にスパート練習に入ったスペシャルウィークの調子は......外からひと目見て悪いとわかるほどに最悪だ。それは怪我をして何処かを庇っているからとか、体調不良で本調子でないというわけでもない。集中力に欠ける、モチベーションがあがりきらない、なんとも煮え切らない様子なのだ。

走れば頭がスッキリするのがウマ娘の常だがそうは行かないようで、夏合宿の前から調子が上がっていない。よほど宝塚の敗戦がこたえたのかあるいはスズカとの向き合い方に悩んでいるのだろう。聞くに彼女は北海道の田舎で育ったせいか、ほとんど同学年の人を見ずに育ったという。今どき義務教育を通信で終わらせたという奴がいるのかと驚いたものだが、その対人経験値のなさが今の状況を招いたということになる。彼女の生まれを否定したいわけじゃあないけど、どうしたものかと頭を抱えたくはなる。トレーナーちゃんに助け舟を出してほしいところだけれどあっちはあっちでスズカの復帰のため試行錯誤しているところ、期待はできない。

 

さて、スペの立場になって考えてみよう。

 宝塚記念ではスペはもう一緒に走ることの叶わないスズカに勝つためのレースをした。これは言い換えれば「もしスズカさんが宝塚記念で走っていたら」というスペと誰かの夢を背負っていたことになる。自分がスズカさんと走りたいからという思いが理由の大多数を占めるだろうけど、彼女には誰よりもどこまでも先頭を走る緑の勝負服のサイレンススズカのことが見えていたはずだ。あのレース結果が誰かに勇気を与えるかと言われるとそれはもちろんスズカを置いて他にない。あのレースにあの調子で勝っていたらスペはきっと取材の場面で宝塚記念の勝利宣言と同時に形だけでもスズカとの再戦の約束を交わしただろうことは想像に難くない。

 

スペもそのために走ったはずだ。

スズカと一緒に走るレースをスズカのために勝利を約束し、スズカに勝利する走りをした。

 

だが現実にはグラスに敗北し、そのグラスはスズカのための走りを真っ向から否定した。だから迷うとすれば、「人の思いを背負って走ることは正しいのか」だろうか。

 

他人のために走るという感覚は、実のところ私にはよくわからない。私の行動原理は、とにかくシービーに勝ちたかったということだけ。あいつを見返すためならなんでもやった3年間だった。

 

うーむ、となるとこっちの面では見当違いな助言をしてしまいそうだからアドバイスはしないほうがいいだろうか。スペに対して「自分のためだけに走れ」と言っても納得もしないだろう。あの子は自分本位なタイプでもない。

 

 私が悩んでいる間もひとり重石をつけたように重い動きのスペシャルウィークを見てため息をつかずにはいられなかった。

 

「どしたの、悩み事?」

「後輩の悩みを考えてるところ」

「ふぅん、大変だね」

「あんたと違ってトレーナーは忙しいの」

「ツレないなあ」

「んひっ?! 何するんだよバカ! 変態!」

「あはは、叩かないでよ」

 

 後ろから脇腹をつついてきたシービーの頭を強めに叩きつつ、時計を見て一旦休憩とすることとした。薄めに作ったスポドリを飲みつつ塩タブレットを配りながら自分もひとつ口の中に放り込んでモゴモゴと口の中で転がす。地べたに座ってこれからの練習の確認をしているとシービーが隣に座ったもんだから、タブレットを噛み砕いてスポドリで流し込んで口を開けた。

 

「なんの用?」

「なんでも? 後輩の様子を見にきただけさ」

「様子見っていうより味見でしょ。これから私たちのところに来る子の、さ」

「バレたか」

「付き合い長いんだからわかるよ」

 

 夏合宿の間私が担当するのはスペシャルウィーク、フクキタル、ウオッカ、テイオーにマックイーンの5人。残りのゴルシ、スズカ、スカーレットとシャカールは別の場所でトレーナーちゃんと別メニューをこなしているはずだ。隣のこいつは知らんが、合宿前のメニューは手元にあるから調整メニューを組むことくらいわけなかったからなし崩し的に面倒を見ている。

各々に休憩するスピカのメンバーを観察するシービーに釘を刺す意味でも話を聞いてやったんだ。

 

「気になるのはやっぱりスペシャルウィーク?」

「だね。今は頭ひとつ抜けてるよ」

「そうだね。G1を2勝、重賞でも結果も出てる」

「けど、面白くない子になっちゃったな」

 

 見上げると、シービーはひどくつまらなさそうな表情でスペを見ていた。

 

「まるで迷子の子供みたいだ。日本ダービーの時のあの子はもっとキラキラしていて、面白そうだったのに」

「あの時は迷う理由もなかったからね。今はすごく悩んでる」

「理由は、聴かせてよ」

「これは珍しいことを言う」

 

 シービーが興味を示したことにおもわず声が出た。興味のあることや好きなことに一本筋は通すがとんとつまらないことには興味がなく移り気な彼女が『つまらない』と言った子に興味を持つとは思えなかったのだ。

 

「アタシだって大人になったってこと。待てるかはわからないけれど彼女とはいずれ戦いたいからね」

「相変わらず脳内を読むな。話すけれども」

 

 かくかくしかじか、とスペとスズカとの関係性や約束、彼女が抱いていたであろう思いや宝塚記念の敗北、そして私が思う現状を伝えた。シービーはふむふむと相槌を打ち、話を聞き終わってしばらくしてから晴れやかな顔で言った。

 

「慣れないことはするもんじゃないね。全然わかんないや」

「この役立たずの駄バ」

「そこまで言わないでよ」

「休憩終わり、アンタも当てウマとして頑張って貰うからね」

「同級生の扱いがキツイねぇ」

「さあみんな、頑張っていくよ、集合!」

 

 シービーのケツを蹴っ飛ばし手を叩いて声を張り上げる。夏はまだ始まったばかり、考える時間も十分にある。

 

 

 

 

 スペの調子は底をついているところだが、スズカの走りもまた良くない。オレンジ色の西陽に照らされながら800m走をするスズカの走りと、あの毎日王冠の頃の走りを思い出すと比較してしまいため息が出てしまう。平均より広く回転の速いストライドと、前へ前へと進もうとする意志が込められた前傾姿勢。そこから生み出される平均ペース以上をぶっちぎる『逃げて差す』とまで言わしめた彼女の速さは、今は見る影もない。

 

 今のタイム計測だってそうだ。本格化を迎え秋にデビューを見据えるシャカールやドリームトロフィーに移籍しているゴールドシップに負けるのはわからんでもない。けれど、デビューもしていないはずのスカーレットに負けるというのはいただけない。

 原因は簡単で、スズカの身体が前に倒れないからだ。スズカの走り、特にトップスピードにおいては極端な前傾姿勢からあの速さが産まれている。今のスズカは倒そうとして、速度を出そうとしても無意識にどこかで拒否してしまっているのだ。だから彼女にとって慣れない走り方になって使わなかった場所の筋肉を使い結果として窮屈な走りになり、さらには速度を出そうとしても無意識にセーブしてしまい脚の回転が一定以上は上がらない。現に短距離でペース配分を間違えているはずはないのにゴール近くで膝に手をついてしまうほど疲れている様は彼女がいかに無駄な走りをしているかの証明になりうるだろう。

 

膝に手をつくほど疲れているスズカに歩み寄り声をかける。

 

「スズカ」

「なんでしょう」

「脚の痛みとかはないか? どこか他にも痛むところは」

「っ......痛みは、どこにもないです。大丈夫です」

「そうか。じゃあ全員今日は上がりだ、宿に戻ってしっかり身体を休めてくれ。ストレッチは忘れるなよ」

「「「はーい」」」

「あの、もう少し走ってもいいですか」

「ダメ。ちゃんと帰って休むことも練習のうち」

 

 まだ走ろうとするスズカを手で制して帰らせる。彼女はこうした時自由に走るのが解決法だったんだろう。現に彼女が自主練でランニングしているのをよく見かけたし、クラシック期の不調を抜け出したのはトレーナーちゃんと出会って気持ちよく走っていいことを肯定されたからだ。だが今は走れば走るほどドツボにはまっていく。走るほど自分の前の走りを思い出せなくなって、理想との乖離に苦しんでいくことになる。

 

 必要なのはとにかく鮮烈なキッカケだ。誰かの言葉、誰かの行動、誰かの走り、なんなら暴力でもいい。走りへの恐怖を吹き飛ばす何かがないと彼女は前に進めない。

 

「それを与えてみせるのがトレーナーの仕事、なんだけど」

 

 誰かと話すでもなくひとりで荷物を持って宿への帰り道を歩くスズカの背中を見ながら、そう言わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第87話 皇帝の示す道

大変長らくお待たせいたしました


 

 

「トライアスロン、すか」

「ああ、と言っても本式ほどじゃない。水泳3キロ自転車10キロ、ランを5キロだ」

「それでも結構ハードですね」

 

 練習で今頃ウマ娘全員が布団に突っ伏している頃、我々トレーナーは別部屋で頭を突き合わせ明日のことを考える。実質練習最終日になる明日の予定の確認、決まりきっていなかったメニュー決めでトレーナーちゃんから提案されたのは超ハードトレーニングになるトライアスロンだった。水泳、自転車、長距離ランの3つを同時にやるのは身体にかなり負荷をかけ怪我のリスクも低くはない。しかしそれ相応の成果は得られるが他に同じ負荷をかけられるメニューもある。移動やら準備を鑑見れば他のメニューの方が効率的だ。

 

「非効率ですけどなんでまたこれを?」

「レース形式だからな」

「はぁ」

 

 トレーナーちゃんの端的な解答に私は気の抜けた声を返した。意図が全く読み取れないからこんな生返事しか返せず、トレーナーちゃんは私のことなんかお構いなしに言葉を続けた。

 

「あの2人を再起させるには厳しい言葉をかけるしかない。必要なのは優しく寄り添うんじゃなくて、力強く背中を押してやる必要がある」

「して、何でレース形式に?」

「......アイツらが情を持ちすぎたからだ」

「情?」

「お前、シービーが怪我した後一緒にレースを走ることになった時に何を思ってた?」

「何ってなんとも。勝つことしか」

 

 怪我をしたと聞いてよくはないが正直嬉しかった。それでも(私のミスありきとはいえ)秋天は負けたから「怪我なんて嘘じゃねーか!」と思ってキレていたところまである。

 

「もし仮に、お前がシービーと同じチームだったとしても」

「勝ちに行く。勝負は勝負、ライバルなんだからたとえ相手がいなかろうが勝ちに行くに決まってる。ウマ娘ってそういうもんじゃないの?」

「そうだよな、普通はそうだ」

 

 旅館の低い机に肘を組んで手を組みながらトレーナーちゃんは言った。

 

「だが、アイツらがそう思ってるとは限らない。

 

ライバルってのは目標、競い合う相手だ。相手が先を行くなら自分はそのさらに前に進もうとして高め合える存在だ」

「ウチだとスカーレットとウオッカがそうですね」

「ああ。アイツらは多分ずっとあのままだ。だがスペとスズカはそうはなれなかった。お互いに()()()()()()()()()()んだ」

「思いやりすぎる、ですか」

「相手に気を遣って一緒に歩こうとするのは悪いことじゃない。でもアイツらはお互いライバルって認識を忘れている。同じチームメイトで助け合うのは大事だが、それ以上に同じレースを走るはずだった競争相手だ。アイツらはそれを忘れちまってる」

「それを思い出させるには、レースしかないと」

「そうだ、ウマ娘の競争本能に俺は賭ける」

 

 上手くいきますかね、という言葉を寸前で飲み込んだ。トレーナーちゃんの顔が全てを物語っていたからだ。少し泣きそうで真剣な表情を見て何もいえなくなってしまった。もう上手く行くか行かないかじゃない、上手く行かなかったらあの2人はそれで終わりということなんだ。

 

スペは夢を叶えられないまま負け続けて引退し、スズカは復帰戦を走り切ることも叶わず同じく引退する。わかっているからこそ、現状では絶対にそうなってしまうからこそなんだろう。

 言葉の出なかった私に気を遣ってか、先に沈黙を解いたのはトレーナー側の方だった。

 

「声をかけるのは俺がやろう。明日は先導役を任せる」

「わかり、ました」

 

 私だって2人の面倒を見てきた身だが何もいえなかった。トレーナーとしての覚悟、自分の担当に対してぶつけたい想いが天と地ほどの差がある。その覚悟の前にこれはもう私が何かできる問題じゃないと実感させられてしまった。もう俺は寝るから出てけ、と言って資料を片付けるトレーナーちゃんの言葉に甘えて私は部屋を後にした。襖をとじ、薄い入口の扉も閉めたところで天井を仰いだ。ここなら誰にも聞こえることもないだろう。

 

「......悔しいな」

 

 自分の無力さに泣きそうになる。未熟な自分にも、頼られなかった不甲斐なさも情けない。何より夏合宿のこの場で蹴りをつけようとししていることが、私の復帰戦のレースが彼女の目を覚まさせてやれないということを暗に告げられていたことがとにかく悔しくてたまらなかった。

 

 

こんなので寝られるはずもない。気持ちの整理を付けたくて、部屋に戻った私はランニングシューズに履き替えて外に飛び出した。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 セットしておいたウマホのアラームが鳴り、直ぐに止めて私はあらかじめ用意しておいたジャージに袖を通し、スリッパから砂浜トレーニング用の靴に履き替える。もちろん、ソックスもトレーニング用のものにするのを忘れてはいない。最後に学園から持ってきた蛍光リストバンドを幾つかと懐中電灯をウエストポーチに入れ、部屋を出て直ぐの階段を駆け降りて1階のロビーを目指す。普段ならばエレベーターを使うところだが細かいところでも差をつけるわけにもいかない。先輩たちはいまでも私の追いつけない場所にいるのだから少しでも差を詰めなければならない。

 

ホテル従業員もいないロビーから出て裏手の砂浜を目指す。

 

 遠くからでも波の打ち寄せる音に混じるザクザクと濡れた砂浜を踏み締めて走る音を聞き分けるのは簡単だった。誰かがこんな夜中にもトレーニングに励んでいるようだ。自主的に夜間見回りをするようにして正解だったな、合宿だからとはいえ休息をおろそかに良いはずもないだろう。

 

「練習熱心なのはいけないがオーバーワークになってはいけないよ。早く部屋に戻りたまえ」

 

 自分の存在を知らせるように声を張り懐中電灯の電源をつける。丸い光に照らされたのはもちろんウマ娘だが、誰が、というのはわかっていなかった。だからこそランニングをしていたウマ娘が少し意外で驚いてしまった。彼女はライトの光に眩しそうに目を細めたのち、私の正体が直ぐわかったようで飛び上がって言った。

 

「ルドルフ会長、さん?!」

「君はスペシャルウィークか。夜も遅いのにどうしたんだい?」

「眠れなくて、少し走っていました」

「そうか」

 

 後ろめたいように頬をかくスペシャルウィークは、光の加減もあるがあまり調子がいいとは言えないように見える。例年ならば優しくいい含めて宿に追い返すところだが、放っておくべきではないだろう。

 

「ふむ、なら私の部屋にでも来るといい」

「え、でもルドルフさんが寝れないんじゃ」

「明日は休養日だ。少しばかり夜更かししても問題ないよ」

 

 ついてきたまえ、と自分の後を追うように言うと、渋々とではあるがスペシャルウィークは従ってくれた。そのままホテルに入り、エレベーターを使って自分の部屋の階層へ。

 ソワソワと落ち着いていないのは、どうやら私だけが原因でもないらしい。ホテルが物珍しいのか、キョロキョロと部屋中を見渡すスペシャルウィーク。その間に私は電気ポッドに水を入れて電源をつけると、ベッドに腰掛けスペシャルウィークに隣に同じように座るよう促した。

 

「夜中に走っているウマ娘というものは、総じて何か悩み事があるものだ。よければ、聞かせてくれないか?」

「あ、はい。でも、私でもよくわからなくて」

「わからなくとも構わないが、わからないものを理解しようとする努力は必要だ。胸中を少しずつでもいいから噛み砕いて、教えてはくれないだろうか」

「い、いや、でも」

 

 言い淀み萎縮するスペシャルウィークを見て自分の失態に思い当たった。私はスペシャルウィークとはそこまで話した記憶はない。転入時の面接、転校時の挨拶など数度ばかりでスペシャルウィークとっても同じ。私には生徒会長という肩書きもあり、何より上級生と一対一となれば緊張するのも致し方ない。

 

......仕方ない。少しばかり貴女の力を借りよう。

 

「実はもし君達に何かあれば力になってほしいとカツラギ先輩、いや、鏑木トレーナーと言った方がいいな。彼女に頼まれていたんだ」

「鏑木トレーナーさんに?」

「あの人は私の一つ上の先輩で返しそびれた恩がある。あの人はそんなもの返さなくていいって断ってしまうから、君に返そうと思う。君の胸中は話したくなければそれでも構わない。ただ、無茶な練習で怪我をするようなことだけはしていけないと約束してくれないだろうか」

「無茶だなんて、私は別にそんなつもりじゃ」

「私にはそう見えた、カツラギ先輩もそう思うだろう」

 

 ちょうどポッドがお湯が沸いたことを知らせる音で会話が一旦途切れた。私は立ち上がると備え付けの飲料を確認して質問する。

 

「コーヒー、緑茶、紅茶とカフェオレとあるが、どうする?」

「じゃあ、カフェオレでお願いします」

「わかった」

 

 インスタントの封を切り、2つのカップにそれぞれ粉を入れ少なめに湯を注ぎ入れる。マドラーで軽くかき混ぜてからスペシャルウィークに手渡した。

 彼女は一口飲んで少し熱そうに舌を出してから、注意深く息を吹きかけてからゆっくりと二口目を飲み始める。

 

 彼女の抱えるものは一体なんだろうか。推測はあえて控えて彼女の言葉で胸中を聞くべきなのだろうか。カツラギ先輩はその上で自分の胸の内をぶつけることだろう、あの人はそんな人だ。

 では自分ならどうするかと考える前に、口が先に動いていた。

 

「自分のために走ることは苦手かな?」

「?」

「いや、こちらの話だ。君がどうにもスランプの原因を私なりの考えてみてはいたんだよ。だからそうなのかな、と思ってね」

「わかりません」

「違ったのならそれでも構わない。だが少し聞いて欲しいことがあるんだ」

 

 沈んだままのスペシャルウィークに語りかけ続ける。

 

「誰かと走ることを夢想するのは悪いことでは決してない。あのシンザンさんやセントライトさんのように私だってなりたかったし、同じレースで走ることを何度夢見たことだろう」

 

 幼い頃のまだ理想ばかりを胸に抱いていた頃。敗北を知らず、傲慢で増長し、理想の実現を目指しトゥインクルシリーズの門戸を叩いた時、私はスペシャルウィークのように純粋だった。

 

「トゥインクルに来てからも同じだった。私は勝ち続けた。私に叶う相手はクラシックではいなかったよ......あの時までは」

「あの時?」

「ジャパンカップ。私が初めて負けた時だ。

 今とは違ってあの時は海外と日本との実力差は隔絶していて、勝つどころか入着することすら奇跡のようなものだった。前年はシービー先輩が出走を見送りキョウエイプロミス先輩が2着となったが、激走の反動でそのまま引退となってしまったんだ。

 私とてURAの要請で菊花賞ではなくジャパンカップ出走を優先しようかと考えるほど、勝利を望まれていた。日本史上初めての三冠バ2人の直接対決、世界の強豪との対決、日本ウマ娘の名誉と称号を賭けた一大決戦。それが私が臨んだ『ジャパンカップ』だった。

 

 あの時の重圧と言わなかったら、人生で何度も味わいたいようなものではなかったよ。それだけ全国のファンは私に期待を、ともすれば無敗三冠の懸かった菊花賞以上にかけられていた。

 ファンの期待も、無敗の重圧も、海外勢の実力も理解して戦場に臨んだつもりだった。だが結果はカツラギ先輩が悠々と逃げ切り勝ってしまって私といえば3着を守るのに精一杯だった。敗北した瞬間には本当に茫然自失としてしまったよ。

そして恐怖した。願いも叶えられなかったことにね」

「願い......」

「そう、願いだ。ウマ娘は多かれ少なかれ願いを叶えるために走る。誰が願ったかは重要ではなく願われたかどうかが大切だ。私は自分自身の願いを叶えることが出来なかった。君も同じように悔いているのではないのかな?」

「願い、願い......」

「夢、そう言い換える事も出来るだろう」

 

 誰しもが他人の願いを真に理解することはできない。苦悩とは自身だけで自身の悩みに折り合いをつけることでしか出来ない。だが、切欠を与えることは外からでもできる。

 息を整え、仕事をするときの威厳ある『皇帝(シンボリルドルフ)』に意識を切り替えて言った。

 

「夢を背負う事も背負われた願いを叶えるために走る事も大切なことだが、1番大切なのは、自分の願いを見失ってはいけないことだ。

 自分がしたいと思うもの、為すべきだと決めた事、叶えたいと思った将来、勝ちたいという本能。欲望に従い、したいことをする。

 もう一度原点へ立ち返るんだスペシャルウィーク。

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

私の雰囲気の変化によるものか、言葉によるものかはわからなかった。しかし動揺するように目を泳がせるスペシャルウィークをみて楔を打ち込むことはできたことは容易にわかった。

 

「......長話が過ぎたな、送っていこう」

 

ぬるくなったコップの中身を飲み干し、スペシャルウィークの手を引いて席を立つ。

 

あとは然るべき人物に任せよう。

ね、先輩。

 

 

 

 

 




感想、高評価の方どうかよろしく!


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第88話 求める覚悟

 

 

「こんなことだろうと思ったよ」

「と、トレーナーさん、これは」

「......一緒に走るよ、こっちも走り足りないんだよね」

 

 砂浜に出て懐中電灯をつけてみれば予想通りスズカはランニングをしていた。スズカは慌てて手を振っているが、私はもとより咎めるつもりはないと肩をすくめて走り出した。

 

 タッタッタ、サクサク、乾き始めた砂をテンポ良く踏んで走るのはやっぱり気分がいい。ウマ娘の本能に走ることが含まれるとはよく言うが、走ると理由もなく気分が晴れて肩の荷が降りた気分になるからやっぱりそうなんだろう。トレーナー養成学校にいるときも毎朝のランニングは欠かさなかったし、台風やら試験期間などでどうしてもランニングができないとき非常に腹立たしかったし、ストレスの溜まる1日だった。

 そう考えるとスズカの苦悩とストレスは如何程だったか想像もつかない。ベッドに寝たきりがほぼ半年ほど、リハビリ期間で歩くことしかできなかったのが3ヶ月、レース基準の最高速はいまだに出せないまま。スズカの立場にもし私がなったとしたら脚が疼いてところ構わず全力疾走してしまいそうだ。

 

「なんで、スズカは走れないんだ?」

 

 ふと、そういう疑問が浮かんだ。

 

 先頭ジャンキー、走りたがりとまで言われ目を離せば走っているとまで言われているスズカが「一度の怪我」をそこまで恐怖してしまうものなのだろうか。「怪我をする恐怖」よりも「走りたい本能」が勝るものではないのか。私は怪我とは無縁だったからわからないと言えばそれまで、だがここまでとなると他の原因があるように思えてならない。

 彼女が恐れるものはなんだ。本能より恐れるものがあるとすればそれは一体なんだ。

 

......もしかして彼女も。

 

「私と同じか」

「どうかしましたか?」

 

 なら試してみる価値はある。ゆっくりと速度を落とし足を止めると、スズカも従うように足を止めた。外せば責任問題になりかねないけどもとよりトレーナーとウマ娘は一心同体。担当違いは多めに見てくれよな三女神様。粘着くような蒸し暑い夏の空気を吸い込み意を決して、言った。

 

「明日の練習なんだがスズカ、レース形式のトライアスロンをやろうと思うんだが、

 

 

──1着でなかったら、引退した方がいい」

「..................え」

 

 スズカが私の言葉を理解するのに数秒はかかっただろう。そしてそれを噛み砕くことはできなかったのか、どもった困惑の声を漏らす。

 

「な、え、え、ど、どういう、こと、ですか」

「言葉通りの意味だ。スズカはターフから去るべきだ」

「わけが、わからないです」

「私だって同じことを言われればそうなる、でもさ」

 

 深く息を吐いて気持ちを整える。私が今からスズカにしようとするのはとてもひどいことだ。ともすればスピカを2つに割るようなことになるがそろそろ独立したって文句は言われないさ。それに......今のスズカには、私はもうむしゃくしゃしてしょうがない。

 

「伝説は伝説のままにしておくべき、そう思わない?」

「でん、せつ?」

「そう、伝説。数少ない大逃げで成績を残した伝説のウマ娘『サイレンススズカ』。金鯱賞の圧勝劇、宝塚記念の芸術的逃げ切り、毎日王冠で後のG1ウマ娘含むクラシック級の有望株2人をちぎった実力、そして大欅の向こう側に消えた衝撃。

スピードに魅入られ、先頭に魅入られた彼女は神話のイカロスが翼を焼かれたように脚を失いました。実に泣ける悲劇的な結末じゃあないか。

その後彼女が走って惨敗したなんて、蛇足だろう?」

「......あなたは、なにが言いたいんですか」

 

 精一杯に目を釣り上げて睨みつけてくるスズカ。おおよそ怒ったことのない彼女が今彼女なりにキレていることを伝えようとする様は少し微笑ましさすら覚える。そうだそれでいい、取り繕うようば言葉も行動もいらない。私はスズカの本音が聞きたいんだ。

 

「『闘志無きものは去れ』と先人は言った。スズカ、今日最後の練習で私に言ったことを覚えているかな?」

「もうすこし、走りたいと言いました」

「そう、そうだ。スズカの走りに対する情熱は多分消えてない、そこは評価に値するけどスズカはこう言うべきだった、こう言わなくちゃならなかったんだ。『今の練習をもう一回やります、みなさん併走よろしくお願いします』ってね。なんで言わなかったん?」

「それは......」

「もう一回走っても先頭は取れないと思ってしまったんだろう?」

 

 怪我したウマ娘が本来のパフォーマンスを発揮できず思うような走りができないまま引退してしまうことはよくある。トレーナー研修でも担当ウマ娘が怪我をした場合、トレーナーとして重要視するのは怪我をした後の身体との付き合い方、メンタルケアに重点を置く。

 だが今回の場合スズカは当てはまらない。ウマ娘の怪我の多くは筋肉や腱の損傷、関節の炎症、爪や脚そのものへのダメージと取り返しのつかないものが多いがスズカは骨折だ。骨折は取り返しがつく怪我だ。しっかり治れば、パフォーマンス低下はほぼなく復帰できる。だからスズカの不調は心理的な恐れ由来に違いない。怪我の再発に対する恐怖、最高速を出した時またああはならないかという不安。

......気持ちはわかる。

理由は違えど、私も勝つ未来を見ることができなくなり、だから一度は学園を去った。

 

「勝てないと思う奴が、走るな」

 

 私がそれでもまた走りたいと思ったのは、もう一度だけルドルフと戦う勇気をシービーからもらったからだ。

 恐怖を上回る未知への挑戦、自分の実力を試したいというワクワク感、誰も彼も捻じ伏せたいという勝利への執念、もっと疾く走りたいという()()()()()()すら恐怖に捻じ伏せられているのなら、それは死んでいるのと変わりない。

......レッドの、勝てなくて私の前を去ることとなった彼女の顔が目に浮かぶ。あの子は最後まで中央じゃ勝てなかった。だが最後まで希望を捨てずに『次こそは勝ってみせると』吠える気概と根性があった。あの子は最後の最後まで勝利を諦めなかったからこそもう一度戻ってくることができた。手段も、努力も、才能も、できることをすべてして今までの走りを捨ててまでも勝利に齧り付き、また挑戦する資格を得て戻ってきたんだ。

 

「諦めた奴が、走るな」

 

私は勝利、1着が全てだと思わない。だが勝利を目指してこそ競争ウマ娘なのだとは思っている。

遊びの走りの敗北になんの意味がある。楽しく走れて満足という結果にどこが満足できる。走り全てに意味があり、走りから生まれる感情の根源は勝敗。そうだよ。

走りたいだけで一位をとるようなお前が私は大っ嫌いなんだ。

 

勝利への努力も、1着への渇望もなく、どうやっても勝てないかもしれないライバルへの敗北感も、何もない。

ただ本能の向くまま、欲望に従うままに走る姿。

 

全部が全部、私と違う。

 

「諦めたい理由が欲しいなら私が理由になる。心も身体も、なんなら脚ももう一回へし折ってやってもいい」

 

お前の在り方は、ミスターシービーとよく似ている。

 

「腹括れ。私は明日、殺す気で走るぞ」

 

どうしても私はそこには行けないから、私はサイレンススズカというウマ娘が大っ嫌いで、羨ましいんだ。

 

「死ぬ気でかかってこい」

 

だからこそこんなところで消えてくれるな。

私の前からいなくならないでくれ。

 

「まだ走りたいなら、私を超えてみろ!」

 

お前の走りを、私はまだ見ていたいんだ。

 

「......しばらく走ってはいいけど30分だけだからな。

ちゃんとクールダウンしてから戻ってくるんだぞ」

 

走り過ぎないようにと釘だけ刺してからその場を後にした。1人で考えるにせよ誰かに相談するにせよ私は邪魔になるからね。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 夜中、帰ってこないスズカさんを待つのが良いと占いで出たのでウマホだったりタキオンさんに送る資料を作って夜更かししていると、日付が変わる頃くらいに帰ってきました。

疲れているのか静かな足音の方へ向かうと、少し暗いですがやはりスズカさんが廊下に立っていまので、廊下の電気のスイッチを押しながら声をかけました。

 

「おかえりなさいスズカさん。みんな寝てしまっていますがシャワー室くらいは使えますよ。冷えるといけないので早く着替えてしまいましょう。明日も早いですよ」

「フクキタル......」

「って顔色が悪いじゃないですか、急に走り過ぎですよモウッ! もう少し段階を踏んで距離を伸ばしていかないと!」

「ねえ、フクキタル」

「トレーナーさんに怒られるなら一緒に怒られますから。もうストレッチは済ませていますか?」

「......少し、聞いてくれないかしら」

「わわっ」

 

 あんまりにも顔色が悪かったので慌てているとスズカさんがぽて、と私に倒れかかるように胸元に顔を埋めてきました。耳はしょんぼりと畳まれてしまって、何か嫌なことがあったのでしょうか。

 するとスズカさんは呟くような問いかけをしてきました。

 

「フクキタルは、怪我をした後の走りのことを覚えている?」

「?」

「怖くは、なかったの」

「怖さ、ですか」

 

 スズカさんの質問で、1年前のことを思い返そうと首を傾げていざ思い返せばそんなに怖かった気がしませんねぇ。なんというか「やることやったしまあいっか」感がそれなりにあったような気がします。ましてや今は勝つ事はもちろんですが走ること自体が目的になってる節がありますし......

 

「ああ、勝てなくなる事についてですか? まあ、それはそれで恐ろしかったですねぇ。でもいざ負けてみればそんなに、て感じでもありました」

「そんな、に?」

「スズカさんとは走りに向ける情熱も何も同じとは言いませんよ? 走り方は人それぞれ、スズカさんが逃げに特化するように抱く心情や想いもそれぞれです。

 

私のトレーナーさんの話になりますけど」

 

 そう言った途端にスズカさんが私を抱きしめる力がほんの少しだけ強くなる。

 

「......なにか、私のトレーナーさんとあったんですか?」

 

スズカさんは少しの間だけ黙って、言いました。

 

「走るなって、言われた」

「それはスズカさんが走りすぎなのでは......無いのでしょうね、引退するべきとでも?」

 

 返事はありませんでしたがそれが正解だということなのでしょう。一息置いて、私は口を開きました。

 

「スズカさんは、勝ちたいですか? これまでも、これからもずっと」

「......先頭の景色は、譲りたくない」

「勝ちたいということですね」

 

なら、勝てばいいじゃありませんか。

 

そんなシンプルな答えを、私はスズカさんに提示しました。

 




もうすぐ終わってしまいますなぁ、と思いながら書いてます。
終わったら何しようかな。


ついでに某サーバーで企画を立てた合作企画の作品ができました
https://syosetu.org/novel/294056/
よければ感想、評価よろしくお願いします。ミテネ


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第89話 勝利とは何か

 

 

 

「勝、つ......?」

「ええ。勝てばいいんです。そうすれば悩みもなくなるというものですよ」

「でも、私は」

 

 何か言いかけたあとちらり、とスズカさんは左脚を見ました。表情は伺うことは出来ませんが怪我の恐怖と苦悩、私と同じ状況に直面しているであろうことはすぐに理解できました。

怪我で思うような走りができなくなってしまったのではないだろうか、元のように走ってまた怪我をしてしまわないのか、今度怪我したら、もう二度と走ることは、と、そう考えていることでしょう。

ですが物事は単純に考えた方が良いこともありますよ。

 

「走ってみたんですか?」

「え?」

「レースをしてみたのかと、そう聞いているのですよ。スズカさんの運勢はこのところずっと上向き。あとは、踏み出す勇気が一歩あればいいのです」

 

 誰かの悩みを聞くときは笑顔で、そう占いの本で読んだつもりだったのですが今回ばかりはあまりいい意味で捉えてはくれなさそうでしょうか。私は自分のミスを誤魔化すように、スズカさんをより強く抱きしめました。

 私のトレーナーさんは不器用で、とってもネガティブで、ついでに私の占いも全く信用してはくれません。でも目の前の人が悩んでいるなら隣に座って一緒に悩みに向き合ってくれる、優しい人です。

 

「私のトレーナーさんに何か言われて迷っているなら、その迷いと真剣に向き合うべきです。トレーナーさんはとても真面目な人で、スズカさんがレースに勝ちたいというならトレーナーさんは真摯に向き合ってくれます。トレーナーさんが走るなとスズカさんに言ったのは、スズカさんがレースにうまく向き合えていないことを察したのでしょう。

 あの人は『勝ちたい』と思う限り手を差し伸べ、一緒に考え悩み、歩みを合わせてくれる。そういう人なのですから。

走ることが怖いのか、負けることが怖いのか。今のスズカさんは、どちらなのですか?」

「走ることが、怖い......?」

「私は怪我をしてからずっと、走ることが怖かったです」

 

 私が怪我をして、トレーナーさんが消えてしまって、私は私の脚と一人で向き合いざるをえませんでした。リハビリはすぐに終わりましたが、この怪我は再発しまた爪や脚に怪我をしてもおかしくはないと、そうも言われていました。

 

それが問題ではなかったのです。

 

「走ることで、自分の価値がなくなってしまったことがトレーナーさんにわかってしまうのが、トレーナーさんに見捨てられることが怖くてたまらなかったのです」

「見捨て、られる」

「トレーナーさんが勝つことに意味を見出すタイプだと思ってましたから。勝てなければ、意味がないと思ってしまったのですよ、私は」

 

 だからタキオンさんのところにも行きましたし、占いだってたくさんしたんです。けど、結局私の脚はどうにもならなかったのは変わりませんでした。

 

「それに、もう勝てないだろうとも自分ではわかっていました。自分の身体のことは自分が1番わかっているもので、私の脚は2度と元には戻らないしトレーニングにも影響が出ましたもので体重調整も難しくなってしまって。迷惑をかけぬよう引退してスピカを脱退しようと考えたことも一度や二度ではありません」

「そんなの、知らなかった」

「言いませんでしたからね。恥ずかしいじゃあないですか、そんな理由でやめてしまうなんて」

「......相談してくれたって、よかったのに」

「そうですね。でもそんな情けない私でもトレーナーさんは勝つためにどうすればいいかを模索し続けてくれました。トレーナーさんは、レッドさんも、私も、そしてスズカさんも見捨てはしませんでした。レッドさんは今中央に戻って新しい道を進んでいますし、私だって合宿前の練習とレース日程は全部トレーナーさんが残してくれていたものを少しアレンジしたものです。お陰でG1で2着と大健闘出来ましたしね。ぶいぶい」

「でも、勝てなかったのでしょう?」

「んぐ、それを言われると耳が痛いですが」

 

 スズカさんのキツイ一言に思わず耳を絞ってしまいました。現に菊花賞以来勝てていないのも事実ですし、先頭は誰かに譲り続けて、多分走ることを止めるまでそのままでしょう。でも、私は奇跡を信じることを諦めません。努力すれば、勝利することがたとえ大大大大吉くらいの幸運が必要な確率でも勝てるというのなら、私は走ることを選びます。だって、その隣にはトレーナーさんが居てくれるんですから。

 

「でもいつかは勝てるかもしれないじゃあないですか。わたし以外の全員がうっかりミスをして最終直線でバテバテになって、私だけスタミナがたくさんあったら勝てますよう。他にももしかしたらがあります。勝負に絶対はありませんとも!」

「けど、それは勝ったって言えるの?」

「随分と自分の脚で勝つことに拘るんですね。頭使って走るのもなかなか悪くないですよ。試してみたらどうです?」

「......バカにしてる」

「してないですよう!?」

 

 こほん、と気を取り直すように咳払いをします。スズカさんに必要なものは支え合う仲間ではなく、背中を押してくれる誰かでした。トレーナーさんは随分と乱暴でしたが、私も違う形でまた背中を押してあげましょう。それが私のやるべきこと、やりたいことなのですから。

 

「明日の練習、私と勝負をしてくれませんか?」

「勝負? フクキタルと?」

「何を今更、ライバルなんですから当然でしょう。お互いにG1をひとつ勝ち、直接対決は1勝1敗1分けの五分じゃないですか!」

「......ふふっ」

「あーっバカにしていますね! たしかに金鯱賞の時は大差で負けてしまいましたがそれはそれこれはこれです! 明日は私の大吉開運スーパーパワーで圧倒してしまいますよ!」

「......ふふふっ」

「笑いましたね! 首を洗って待っていてください! それと明日は早いですから早く寝てくださいね、もうっ!」

「おやすみ、フクキタル」

「はいっ、おやすみなさいスズカさん」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「......あー、しんどい」

「どうした、酷い顔だぞ。寝不足かぁ?」

「ああいえ、ちょっと少し考え込んでしまって眠れなくて」

 

 結局寝たのは4時間ほどで、アスリートとしては赤点を貰うレベルでしか身体を休められなかった。あれからずっと自分の判断が間違っていたか、言葉選びが間違ってはいないかとぐるぐると後悔ばかりが頭の中を走り回っているところだ。

 特にここ最近は目の疲れが酷くてたまらない、普段より乾いているような気がしてならない目の目頭を押してはいるが気休めにもならない。4時間睡眠だって学生時代はザラだったんだけど、どうしてこうも老いというものは早すぎるのか。

 

「んで、お前、なんでそんな格好してるの?」

「走るからですよ」

「走るって言ってたか?」

「言ってないですもの。昨日決めたんで」

「お前なぁ......大丈夫なのか?」

 

 トレーナーちゃんが呆れ顔をしているのは私が着ているのがアスリート用の半袖ウエットスーツだからだからだろう。私の今日の仕事はペースメーカー兼道案内役で、水着は一応着るがジェットスキーから落ちた時の安全上の為、自転車もランも車で先導するはずだったから上着の一枚でも羽織って構えてればいいはずだった。

 それが生徒と揃いの格好で準備体操もしているとなれば呆れ顔の一つ二つ出るのも当然と言える。

 私は何かあるんだなと言いたげなトレーナーちゃんに笑いかけてた。

 

「最終調整ですよ最終調整。レース前にいっぱつ長めに走っときたかったんで、ちょうどもってこいでしょう」

「にしたってお前分の仕事はどーすんだ」

「誘導役くらいできますよ。最初っから最後まで先頭走ってりゃいいんでしょう?」

「スズカみたいなこと言いやがって」

「現役生どもに負けるつもりはありませんよっと、みんな着替え終わったみたいですよ」

 

 トレーナーちゃんともいえど本当のことを言うつもりはない。言えばどやされるくらいで済むだろうが、結局のところウマ娘にしかわからない事だろうし、言ってこの問題が解決するなら苦労はしなかった。女と女、ウマ娘とウマ娘、同じターフを走るものとしてのケジメみたいなものだ。

 そうこうしているうちに着替えたメンバーがゾロゾロと砂浜に現れてくる。説明もしていないんだから何をするんだと不思議そうな顔をしてるのがほとんどだが、スズカの様子といえば、

 

「......なるほど、やる気だね」

 

 思わず笑ってしまうほど、気迫が漲っている。

 

「よぅし! みんな揃ったな?」

 

トレーナーが声を張り上げ、ざわつくメンバーの注目を自分に集めた。

 

「合宿最後のトレーニングはレース形式のトライアスロンだ。まず海をあの島まで泳ぎ、自転車でぐるっと島を一周、そのあと山の上から走って、反対側の砂浜がゴールだ」

「楽しかったねー合宿」

「早く帰って荷造りしましょ」

「お前らーっ!?」

 

 一斉に背を向けて宿の方に戻ろうとする面々に思わずツッコミを入れるトレーナーちゃん。さんざっぱらキツい練習の最終日にどぎつい練習が来たのなら帰りたくもなる気持ちはわかる。だが、拒否権など君らにはないんだよね。

 

「私に勝ったらスイーツバイキングを奢ってやろう」

 

 私の一言に、去ろうとしなかったスズカを除く全員の足が止まる。

 

「リギルが泊まっている高級リゾートの系列店、あそこのスイーツバイキングは低カロリー低糖質がウリで沢山食べても太りにくいのが特徴、それでいて『絶品』だ。私も昔に食べたけどあれは美味い。それをタダで食わせてやろうと言っている。私に先着したやつ全員に、だ。もちろん私より後ろのやつにはやらん」

 

もとより全員分の予約は先にルドルフ経由で頼んであるが、ま、こう言った方が釣れるだろうし闘争心も煽れることだろう。

 

「では、位置についてヨーイドン!」

 

若干早口で言うやいなや、私は真っ先に海に飛び込んだ。

 

「ああっ、ズルじゃん!」

「アタシが1番なのよっ!」

「しぇーいやったるぞーい! いぇー!」

「ちょ、おま、うわああっ!?」

「ごめんあそばせ」

「くわばらくわばら......」

 

 息継ぎのために顔を上げ他時にトレーナーちゃんが踏み潰されるような音と悲鳴を聞いたような気がするが必要な犠牲だしあの人は頑丈だから大丈夫だろう......たぶん。

 

 

 

 

 

 



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第90話 求めた先頭の景色

 

 

 

自分に才能がないと思ったことは無い。脚だって一角の才能があるからG1に手が届いたと思っているし、この偏屈な負けず嫌いと諦めの悪さは自分の長所たりうる才能だ。

だが、それ以上に思うのは。

 

「つくづく天才というものは理不尽だ、なっ......!」

「お先っ!」

 

 にししとしてやったりと言わんばかりの笑みを浮かべて私を抜き去ってゆくテイオーを見て、歯噛みせずにはいられなかった。

 今は水泳を終え自転車に乗り、山頂を目指してアップダウンの激しいサイクリングコースを走っている。ランは山頂から駆け降りるため殆どが登り坂で急な箇所も少なくない。レースコースでは絶対ありえない起伏とアップダウンの回数だが、心肺機能と足を十分に追い込めると思ったから選定したと言っていた。

 

「キッツィ!」

 

 思わず口で思い切り息をしながら声が漏れるほどだ。

 スタミナがものをいうコースだけあって長距離適性とスタミナに優れるメンツから順当に私の前を走っている。先頭は仕上がった身体を持ってるゴルシ、続けて現役組が続きその後ろにシャカール、マックイーン、スカーレットとテイオーの順。少し離れて私、背後にウオッカ。そして、そこから4、5秒ほど離れてスペとスズカといった並び順。先頭から最後尾まではおおよそ3〜40バ身といったところで、長距離の割にはまだ大きく離れているわけじゃない。

 

「スリップストリームでサボろうとすんなウオッカー、抜いて先にいきな」

「やべ、バレた」

「スカーレットの背中でも追っかけてきな」

 

 スズカの様子が気になるから背中に張り付いてたウオッカにわざと先を譲るついでに釘を刺しておく。レース形式とはいえトレーニングだ、目につくサボりは許さないからね。

 様子を見やすいように若干位置を下げ、スズカやスペの方に寄った。一定の間隔を置いて聞こえる自転車のギアとチェーンが噛む音から察するにスズカの方は一定の速度でしっかり漕いでいるようだが、意図的に速度を出していないと見るべきだろう。スピカの中で長距離適性に1番欠けているのはスズカであり、スタミナもウオッカについで少ない、それをわかっていてスピードを落としているとしても、ランに重点を置けば十分捲れると考えているのだろう。ただ先頭から少し離れすぎているのは追いつけるリードを見誤っているのか、追い込んでいるのか、追いつけないのかはわからないな。

 スペの方は普段自転車に乗らないのかあまりいい姿勢で漕いでいるとはいえずふらつきがちだ。調子が悪いからそれが反映されてるのかわからないが、それでも最後尾を走る理由にはなってはいけないはずだ。

 

「そろそろランコースに入るぞ! 自転車は乗り捨てて構わないからな!」

 

 海の見える開けた視界から森の中に入る。先頭はそろそろコースの変わり目に差し掛かる頃だろうか。最後少し下り坂とはいえ手は抜かずにしっかりと足を動かす。

 指定ポイントが見えてきた。もう前にいる全員は走ったらしく、乱雑に自転車が積まれるようにしていた。そこに自転車を乗り捨てて走ろうとしたところでガシャガシャンと金属の擦れる大きな音がした。

 

「スズカさんっ!」

 

 思わず振り向くとスズカがバランスを崩して倒れ混んでいる姿、そこに助け起こそうと駆け寄るスペ。助けるべきか否か、一瞬迷ったところで鋭い声が背後からスペに突き刺さる。

 

「スペ、お前今何しようとしてる」

「それは、スズカさんを助けようと」

「お前はレース中に立ち止まるのか!?」

「トレーナーちゃん......」

 

 また振り返れば、一度も見たことのないような真剣な表情をしたトレーナーちゃんが立っていた。そばの原付から察するに先頭から引き返してきたのだろうが、いったい何故。

 

「スズカっ、お前の本気はこんなもんなのか、スペとの約束はなんだったんだっ!」

「っ......!」

 

 絞り出すような怒鳴り声。普段は滅多に怒りを露わにせず、声を荒らげることすらしないトレーナーが怒っている。いや、違うんだ。

 

「俺はお前たちがレースに出て先頭争いをしているところが見たい、それが今の俺の夢なんだ!」

 

 トレーナーちゃんも同じ、いや、それ以上だ。チームのためでもなく、自分のためでもなく、そのウマ娘のために夢を託し、夢を叶える手助けがしたいんだ。

 

「お前たちはお互いのためになりたいんだろう。だったら、互いをライバルだと思って高め合え!

スペ、スズカにレースに出てほしいんだろう、だったらまず、お前が本気を見せるなきゃダメだ! もうお前は背中を追いかける番じゃなく、背中を見せる番だ、スズカに追いついてみろと、走りで見せなくちゃいけないんだ!」

「はい!」

「スズカ、レースに出たいならいつまでも怖がってちゃだめなんだ! 背中を追いかけることを怖がるな!」

「はい!」

 

スペは振り向かなかった。ただひとつ息を吸って涙を拭って、一言呟いただけ。

 

「......スズカさん、先に行きますっ!」

 

スペが走り出した。あとはスズカだけだ。

 

「勝負は無効になってない。私の背中に追いついて見せろよ!」

「先頭は、私だけのものですっ!」

 

 同じタイミングに踏み込み、ゲートが開いた時のようなロケットスタートで同時に走り出した。

 

ここからは緩やかな上り坂を経て急な下り坂が長く続き、そこから少しくねった道を行くコース。行程5kmだが体感は3kmもないだろう。

レース以上のスピード、やっぱり、今の一言だけでスズカの調子は元に戻った、いやそれ以上かもしれない。あっという間に坂の頂点を抜けて、先頭が見えてくるくらいの速さだ。アスファルトってこともあるが、レースの時と同じがそれ以上の速さ!

 

「私は、まだいけるっ!」

 

 一段どころか数段ギアをすっ飛ばして、スズカがトップギアに入った。私を軽々と追い越し、スペも抜かし、他の全員も追い抜かしてあっという間に先頭に立った!

 

「ああああああああああああっ!!!!!」

「アレが、アレがスズカだ。俺が惚れ込んだ、最速のっ......!」

 

 そこで私は緩やかにブレーキをかけるようにスピードを落とし始め、集団から遅れ出す。原付のトレーナーが寄せて私に焦った顔で呼びかける。

 

「ど、どうした、怪我か?」

「いや、だってこの先は......急カーブじゃなかったでしたっけ?」

「と、とまれ、とまれ、なーーーーいっ!?」

「「「「こっちも無理ぃーっ!?」」」」

「......あら?」

 

 そのまま曲がり角を無視して直線で森の中に突っ込んでいく皆。初めて聞いたスズカの情けない声に思わず立ち止まってしまったが、

 

「お前らだ、大丈夫かー?」

「......まぁ、大丈夫じゃないですかね。この先砂浜ですし」

 

 数秒としないうちに、誰かが水に突っ込んだらしい大きな水音が響いた。森を抜けた先は、確か砂浜のはずだったか。

 

「なんというか、締まらない終わり方ですこと」

「早くいくぞ、エース!」

「おっと」

 

 それからの顛末から話すとまず怪我人はいなかった。ただ某ホラーな映画よろしくひっくり返って水面から足だけ突き出した揃いの姿勢で倒れてたことに笑いを抑えきれなかった。

 

「お前ら、ぶぁっかじゃねーのっ!?」

「写真撮っとこ、あははは、はっ?!」

「トレーナーさんだけずるいですよう!」

「フクキタルちょ、のわーっ!?」

「トレーナーもですっ!」

「俺もかよーっ!?」

 

 その後復帰が1番早かったフクキタルに捕まえられて海に放り投げられたというのが、オチになるだろうか。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

「結局全員棄権だったのにスイーツバイキング奢ってくれるなんて、トレーナーと違って太っ腹だぜ!」

「あのなぁ、これトレーナーちゃんも半額出してるから」

「マジ? サンキュートレーナー!」

「お礼はちゃんと言いなさいよウオッカ!」

「んだと!」

「そういえばあんなスズカの声初めて聞いたよ、『とまれなーい!』なんてさ、あははっ!」

「トレーナーさん、私スズカさんと絶対走ってみせますっ!」

「ちゃんと食べてから喋ッたらどうだ、行儀悪ィ」

「もぐ、もぐぐっ!?」

「フクは欲張りすぎ!」

 

 終始無言なトレーナーちゃんはスイーツに手もつけず肩を震わせるばかり。

 

「トレーナーちゃん? どったの、お腹痛いの?」

「感動したっ!」

「のわっ!」

 

 心配そうに声をかけたテイオーのことなんてお構いなしにバン、とテーブルを叩いて立ち上がったトレーナーは笑っていた。

 

「新しい夢ができたぞ、みんな!」

「夢!」

「俺は、お前ら全員が参加するレースが見たいっ! 

そう、今日みたいなワクワクするようなレースをだ!

これからはお互いをライバルとし、助け合い、駆け抜ける!

チームスピカはここからが本番だーっ!」

「「「「「「「はいっ!」」」」」」

「......うし、じゃあまずは私から頑張らんとな! トレーナーちゃん、次のレースはまかしとけい!」

「おう、期待してるぞっ!」

「よしゃーい! 新生スピカ、ここからがスタートだ!」

 

拳を突き上げ、決意を露わに。

私は背中を見せることをもう恐れない。どれだけ泥臭く、情けなく、小さな背中であっても、もう私は恐れない。

 

「秋のレース全部勝つ! 私も、スペも、スズカもだ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回より最終章です。本当の本当にラストスパートですよ!


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最終章 諦めはウマ娘を殺すのか『サマードリームトロフィー』
第91話 ドリームトロフィーへ向けて


 

 

 

「トレーナーさんってSDT(サマードリームトロフィー)でたらどうするんですか?」

「ん?」

 

 合宿も終わり、全員がトレセンに戻ってしばらく。自分の部屋ではウオッカがうるさくて捗らないから、と夏休みの宿題をチームルームに持ってきて勉強していたスカーレットの質問に、思わず作業の手が止まる。首を傾げていると、スカーレットが続けた。

 

「選手に戻るのかトレーナーを続けるのかって話よ。ルドルフ会長やブライアン先輩、エアグルーヴ先輩みたいにドリームトロフィー選手になりたいのかって聞いてるの」

「なんだ、私にトレーナーやめて欲しいのかスカーレット」

「そんなわけないじゃない。けど、トレーナーがそう言うなら止めはしないわよ。引き止めたら申し訳ないじゃない」

「スカーレットは真面目だなぁ」

「なによ」

 

 自分のことより他人の心配が先に立つ、なんだかんだ気配りができるいい子だ。その気配りの1割でもウオッカに向けてやればああも時々険悪な仲になったりすることもないんだけどライバル視してる以上無理な話か。

 

「して、選手に戻りたいか、か」

 

 質問を改めて口に出してみるが、

 

「ないない。レースが終わったらトレーナーに戻るよ」

 

思ったよりあっさりと否定の言葉が口をついた。

 

「ターフに未練はないわけ?」

「ないわけないさ。今からでもすぐに走ってみたいくらいにはやる気だってある」

「じゃあなんで?」

「これでいいのさ。未練があるくらいでちょうどいい」

「意味わかんない」

「きっとスカーレットには一生かかってもわからんさ」

「バカにしてるようでムカつくんですけど」

 

 不満そうに頬を膨らませるスカーレットを見て私は思わず笑っていた。負けず嫌いを凝縮したようなスカーレットのことだから最後の最後自分が納得できるまで走り続けるんだろう。だが私は納得しない方がいい。未練と諦めを残しておいたほうが多分トレーナーとして長続きできる気がするんだ。私の原点は現役最後の敗北にこそ詰まっている、だからあそこの結果は変えない。リターンマッチは1度きりで十分だ。

 

「それにこんくらいの覚悟がなきゃルドルフの足元にも齧り付けない。わざと自分を追い込んでるんだよ。これでやっと勝負の土俵に上がれる」

「勝てるの?」

「勝ちたいが、勝てるかどうかはわからない」

「そうなの?」

「現役時代よりは周りも衰えてるけどそれ以上に私が弱すぎるんだ。2日前には2000m計ったら現役時代から3秒くらいタイム落ちてる」

「3秒って......大差以上じゃない」

「そうなんだよ。本調子じゃなかったとはいえ酷すぎる。しかもレース時のベストと比較してなんだからこれが本番になったら目も当てられないよ」

 

 勝つ負けるの話でもなく、私の衰えが酷すぎて最初から最後までしんがりを走って終わるような事態になりかねないのだ。夏合宿の時にスペとスズカをこき下ろしておいて自分の走りも人のことは言えないくらいにお粗末極まりない。

 

「でも私ってのは本番に強いタイプだし、やるだけ策を練るしかないね」

「楽観的すぎない? もっと深刻そうに悩みなさいよ」

「たまには私だって楽観的にはなりたいのさ。悲観的すぎても勝てないからね」

 

 距離はギリギリ適性の2500m、そして前有利になりやすい中山開催。距離は向かい風だが場所はこちらに風が吹いている。

 

「一度走っているコースで、タイムの刻みも理想的なものは身体でわかってる。あとは他人がどう出るかに重点を置けばなんとかいける、ハズ」

 

 シービーは現役終盤には先行策を何度か試しているけど、本来は追い込み、なら追い込みだろう。ルドルフは逃げたり差したり自在だが、基本的にはおハナさんが好む好位抜け出しをとることが多いし得意だ。前有利な中山なら、先行集団につけるってのはわかってる。現に2回出ている有記念をはじめとして日経賞を除けば中山開催レースは先行策。抜け出す位置はバラバラだが、4コーナーが多く、展開的に強い。

 

「お得意のデータ分析でどうにかならないの? いつも熱心にやってるじゃない」

「今回ばかりはデータも分析時間もないんだ。できないよ」

「大逃げは?」

「ルドルフに潰されるのがオチ」

「先行策」

「ルドルフの方がうまいし強い」

「普通に逃げれば?」

「シービーがカッ飛んできて終わる気がする」

 

 スカーレットの提案ををひとつひとつ潰していく。というか前門のルドルフ、後門のシービーって感じで何してもあの2人に差されて抜かされるビジョンが消えないのは現役時代のトラウマがバッチリ身体にまで刻まれている証拠だ、まったくもって嬉しくない。

 

「勝つ気あるの?」

「それを言われると耳が痛い」

 

 スカーレットの耳が痛くなる言葉に思わず帽子を深く被り直した。勝ちたいけど勝ち方がどうしても想像できないのは自分が心の底では勝てるはずがないと思い込んでいるからだ。こればかりはどうしようもない、なんせ現役時代からもそれに目を背けて逃げ出したんだから今更どう向き合えばいいのか。

 深刻そうな悩みが顔に出ていたのか、フンとスカーレットが鼻を鳴らして言った。

 

「バカねトレーナー、1人で考えてもどうしようもないなら自分以外を頼りなさいよ」

 

 スカーレットの言葉に思わず目を見開く。まさかスカーレットから他人を頼るなんて言葉が出てくるとは思わなかったんだ。1番の負けず嫌いで独りよがりだった、昔の自分とよく似たスカーレットから、だ。

 

「アタシだって成長するんだから」

「あ、よかった。スカーレットだ」

「なによ!」

「痛いって」

 

 胸を張ってフフンと鼻を鳴らすいつもの仕草で安心したら、照れ隠しなのかノートが飛んで顔面に突き刺さった。背表紙が思いの外痛かったそれを返そうとそばによると立ち上がって私の目に指を突きささんばかりに指差してスカーレットは言った。その表情は怒っているようだが、どこか優しげに目元は下がっている。

 

「アタシのトレーナーなんだから1番をとって当、然、でしょ。やってもらわないとこっちから契約解除するわよ」

「そいつは手厳しいな。うん、元気が出たよ、ありがとう」

「バカね。1人じゃどうしようもないってアタシに最初に教えてくれたのはトレーナーじゃない。ちゃんと思い出せた?」

「うん。そうだね、じゃあちょっと行ってくるかな」

「どこに?」

「トレーナーに会いに」

「そ、行ってらっしゃい。今日はトレーナー室の方にいるわよ」

 

 荷物をあらかた鞄に放り込んで走ってチームルームを後にして向かうは本館、3階のトレーナー室。

 ウマ娘の脚力をフルに飛ばして植木や生垣をまたぎ跳び、階段なんかは5段も飛ばして、廊下はもちろん全力疾走。

 

「うわっと!?」

「おおっとごめんよう! あと初勝利おめっとレッド!」

「ありがとうございまって、トレーナーさんッスか?!」

「今急いでるから後で!」

「な、なんなんスか! いくら元担当だからってつっけんどんすぎッスよ!」

 

 すれ違った懐かしい顔には軽く声をかける。レッドはあれから障害で少しだけ足踏みをしたけれど無事に勝ち上がり障害オープンウマ娘になったという。今年度末にはG1に挑むことだろう、頑張ってね。

 

「って、なんで追っかけてくるのさ?!」

「せめて挨拶はちゃんとして欲しいッスよ、っていうか次のレース出るんだったら力になりたいッス!」

「今それやってるからちょっと待っててもらっていい?」

「今暇なんで今がいいっす!」

「なーに器用な事やってんだアイツら......」

「シャカールどうしたの?」

「ンでもねえ」

 

 廊下の荷物を蹴り越え飛び越え、通るウマ娘にぶつかりそうになればくるりとターンしてかわし、階段を5段飛ばしで登り降りる時には全段飛ばし、そうして辿り着いた頃には綺麗に隣に並ばれていた。

 

「......強くなったね」

「障害で足腰だけは鍛えられたんで!」

「元気そうで何より」

「もっと褒めてもいいんですよ」

 

 ムフー、と子供っぽく胸を張る様は記憶とそこまで差異はない。赤いメッシュに子供っぽい顔付き、黒っぽい髪色は同じだが私の記憶より体つき、特に下半身ががっしりとふとましくなっていた。思わずしゃがみ込んで脚、特にトモではなく太もも部分を触りながら呟く。

 

「ゴツくなったな」

「そうでしょうそうでしょう。筋トレの成果ッス!」

「あと、すごい絆創膏が貼ってあるけど大丈夫なの?」

「名誉の負傷です! 打ち身擦り傷切り傷はどうしてもできちゃうんスけど先輩は少ないんで私はまだまだ精進が足りないッス!」

「......して、なんで全身鍛えなきゃいけないの? 3,4000mあるんだからこうガッチリと鍛えたら逆効果だと思うんけど。ステイヤーは筋力を必要以上につけずに体を絞るが鉄則なのに」

「飛越に必要なのは1にも2にもフィジカルってトレーナーが言ってました。障害を飛ぶのに必要なのはパワーっす!飛ぶにも、突っ込むにも、着地するにも必要なのは脚力ッスからね。障害に突っ込んだはいいものの出られずに何度笑われたか思い出せないくらいッス」

 

 たははと笑うレッド。なるほど、あちらにはあちらの流儀があるという事らしい。せっかくならシャカールのレースがひと段落したところで障害ライセンスの勉強もしてみようか。

 

「ところでトレーナーは鍛えてないんスか? マッスルは大事ですよ、マッスル!」

「もちのろん。お腹はそれなりに割ってんだから、ほーれ」

 

 ジャージの裾を捲り上げれば2つに割れた綺麗な腹筋がお目見えだ。レース前だからきっちり仕上げてきたんだ。6つに割るのは見栄えもあるがそこまで筋トレすると筋肉のつけすぎで走りに影響が出かねない、割れ目がうっすら見えるくらいでいいのだ。

 

「おおっ、指が沈むっス、でもしっかり奥は硬いっすね」

「現役時代より絞るのが大変だったよ。若いと筋肉も脂肪もつきやすいけど、もう筋肉のつき方が悪くなっててさ」

「トレーナーも苦労してるッスね」

 

 モチモチと私の腹筋をレッドが撫で回したし押したりしてると、トレーナー室の扉が開いた。

 

「あ、お久しぶりッス沖野トレーナー!」

「トレーナーちゃんちょっと話あるんだけど時間あります?」

「......何してんだお前ら」

「レッドと再会したのでちょっと」

 

 半ば顔を引き攣らせたトレーナーと目が合う。元とは言えチームメイトと親交を深めるのの何がいけないのか。トレーナーちゃんだって飛び上がるほど嬉しかろうに。

 

「とりあえずその腹をしまえ。話があるならそれからだ」

「あー、ごめんレッド。これからは個人的な話だからさ」

「わかったっす。レース、頑張ってください!」

「おう、任せい」

「応援行きますから!」

 

 拳を付き合わせると、レッドは嬉しげにまた跳ね回るように走ってその場を後にした。ここしばらくバタついてたからな、レッドとの再会でやっと一つケジメをつけられたような達成感がある。

 

「んで、話ってのは」

「次のレース、勝ちに行きたいです。なんかいいアイデアありません?」

「......ま、とりあえず中に入れ。長くなりそうだからな」

 

 

 

 

 



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第92話 SDT:夢のゲートが開くまで

 

 

 

「んで結局なーーーーーんにも思いつかなかったワケですよ。無策でレースに挑むのって初めてで一周回ってハイテンションになってきました」

「そうはならんだろ」

「なってるんだよねぇ」

 

 トレーナーちゃんと私、2人のため息がシンクロする。そう1週間ではなんも思いつかなかった、結論としてそれに尽きるのである。

 

「トレーナーちゃんはスペのレースとかスズカの復帰プランにかかりっきりだからしょうがないけど、私は向き合って無策(これ)なんだからさ」

「いんや、これもトレーナーの責任てやつだよ。何もできてなくても俺はお前のトレーナーなんだからさ」

「背負いすぎじゃない?」

「背中の荷物を減らしてやらんと夢は背負わせられんだろう」

「なるほど確かに?」

「走りに集中させることもトレーナーの仕事だよ」

 

 とはいうものの限度もある。こればかりはレースに出るメンバーと用意できる準備期間が不釣り合いすぎたから致し方ないといえばそれまでだ。

 公式で配られた番組表より詳しいでおなじみ月間トゥインクル号外編を開いてみれば、私の置かれておる現状を再確認できるというもの。

 二強対決という煽り文句が躍るが、これを書いたのはあの乙名史記者だ。ウマ娘とトレーナーに対して過大評価しがちな乙名史記者ではあるがことレース評価においてはあれほど信頼できる外部の人間はいない。

 タマモクロスが去り、かの『三強世代』と呼ばれるオグリキャップ、スーパークリーク、イナリワンの3人が調子を落としており、ナリタブライアンも現役時代の影響かここ最近は力をセーブせざるをえないのか凡走が続く。

 その中で一位を独占し続ける、つまるところ圧倒的走りを見せつけてきたルドルフだが、先のWDTでルドルフから粘り切ったシービーもまた評価が高い。マルゼンスキーも善戦してはいるが、前レースを鑑みれば2強対決となるだろう。今季から参加のエアグルーヴやカツラギエースがレジェンド達とどう走るのか注目したいが、距離の壁に対しどう立ち向かうか期待という文言で締めくくられていた。

 

そう、距離の壁。私に取っては頭の痛い言葉だ。

 

「よりにもよって、中山2500mなのがなあ」

 

 今日のレースで最悪なのが、2500mという距離かつ中山開催なことだ。私はもとよりマイルも走れる中距離ランナー。速い展開を好み、スタミナ勝負や瞬発力には他と比べて若干劣るタイプのウマ娘だ。

 コーナーが多く転じてスピードを落とさなければならない場所が多いこの場所はスロー勝負が多く展開的にも適正的にも正直得意じゃない。いくら中山の直線が短かろうがそれをぶち抜いて勝ってきたウマ娘は今回はごまんといる。

 

「走れなくはない、走れなくはないんだ。それが悪い」

「なんか見たことあるようなやりとりしてんなぁ」

「デジャブ?」

「それ」

 

 トレーナーちゃんの妄言は聞き流すとして、展開はどうなるか。

逃げといえばマルゼンスキーとアイネスフウジンの2強、あと予選上がりのハードパンチャーだかが先頭争いをするだろう。お互いスタミナ自慢ってわけではないから後ろがせっつかない限り普通〜微速くらいのペースになるだろう。

 んで先行集団がルドルフをはじめとするイカれた奴らの集まりだ。普通に走るなら私もココ。逃げてもいいが戦略が立てられんなら私は逃げたくないし長距離ともなればスリップストリームを活用していかないと乗り越えるのが難しい。

 差し、エアグルーヴでもナリタブライアンでもマーベラスサンデーでもなんでもいいが、ポジション争いはしたくないな。というかここにいたら負ける。

 追い込み策を取るウマ娘、シービー以外でいの一番に思いついたゴルシは『見せ場を潰すほど野暮じゃねーよ!』と言ってできたはずの出場を蹴り、他は不在で本当にシービーだけ。

 行った行ったの前有利になりがちな中山でシービー自体も中山はそこまで得意じゃあない。ま、気楽に走るならシービーと並んでここで走るのも悪くない。負けるが。

 

「改めて振り返るとどこ走ってもどーにもならん、誰も彼も強すぎる、んがー!」

 

 バリバリと頭をかいて状況が好転するなら苦労しないが、こうでもしないとやってられないくらいにはやけっぱちな気分なんだ。

 

「もういっそ大逃げしちまえ」

「そう簡単に言わんでよ。大逃げなんて最近は練習してないし、だいたいこんな大舞台でズブズブに沈んで負けたくないやい」

「昔の自分は信じられないか?」

「綺麗に負けたわけですし同じ轍は踏めませんし踏みません。もっと正攻法のもう少し誰も彼も出し抜ける方法があるはず」

「ねえよそんな都合のいいもん。トレーナー何年やってんだよ」

「......そうですよそうですよ」

 

 私は雑誌を放り投げた。もうトレーナーちゃんの質問は「腹の方は決まってんだろ」と言ってるようなもんだ。私だって気がついてはいるよ、勝算を見出すならもうこの走りしかないってさ。

 

「もう一度自分を信じろ。お前なら行けるさ」

「うー、確かにそうですけど」

「あの時は上手くいかなかった。でも今度はうまくいくさ。うちにはスズカがいた。あの走り見ただろう。先頭を駆け抜けていく、あいつの姿をさ」

「あれは彼女だけの到達点です。私には無理ですよ」

「いいや行ける。終着点が違うだけさ。お前も『先頭の景色の先』を拝んでみろ。JCの時だってあれは失敗だった」

「ハァ?」

「おおう、冷たい目すんなよ。別にバカにしてないさ」

 

 どうどうとトレーナーちゃんは抑えるような仕草を見せるが、納得いくわけない。あの運と実力双方がなければ叶わなかったあの渾身の走りが『失敗』だったと言われて腹が立たないわけがない。トレーナーちゃんでなければ脚が出ていたところだし、生徒時代なら尚更だが今はお互いに大人だ。ゆっくりと一度深呼吸して気持ちを落ち着かせて、続きを促す。

 

「それで?」

「ん、なんというかお前の走りはいっつも窮屈そうでな。いや、お前にできる最適解で走ってるのはわかってるし。お前の努力で勝ってきたレースがないわけじゃねえ、お前の努力は無駄じゃなかった、そこは否定しない。

でもこのレースは『勝たなければいけない』レースじゃねえ。G2だかG1だか堅苦しい格もなければ、1ヶ月後にある次のレースのことを考える必要もねえ、真剣勝負だがお祭り騒ぎだ。だったらそんなしょぼくれた顔せず、なーんも考えずどーんと構えてゲートに入って、なーんも考えずに走っちまえ! どうせ2度目はないと思ってたレースなんだろう? 楽しめよ」

「あのさぁ」

 

 思わず気張っていた肩の力が抜けていく。そうだ、ウチのトレーナーは肝心なところが適当で当人任せなこういう人だった。

 

「もっとこう、勝て! とか、頑張れ! とかじゃなくてさ、楽しめ! なのはなんでさ。そういう言葉をかけて奮起するわけでもないウマ娘ってのはわかってるでしょ、もう5年以上は付き合いあるんだから」

「だからさ。お前は頭が硬すぎるんだよ。理論が先行して、心が追っ付いてないんだ。たまには理性で走らず、心で走れ」

「心で、ねぇ?」

「心だ。お前の心の強さは三冠ウマ娘にだって引けをとらねえ。ねじ伏せろとも圧倒しろとも言わねえ。華麗に勝てとも求めねえ。泥くさく、汗に塗れて、不恰好でも、先にゴール板を越えちまえばいいんだからよ」

 

 なんだったら負けても誰もお前なんて責めねえしよ、なーんて最後に軽く言っちゃうあたりがこの人なのだ。続けてトレーナーちゃんは言う。

 

「負けても次があるのを1番知ってるのはお前だ。なら、このレース負けても次に勝つために何ができるかくらい拾ってこい」

「次なんてないよ。私はこれがラストランで引退届だって出したんだから出し切ってくる」

「ああ、握り潰しといたからそれ。べつにやらんでもいいぞ」

「なんて?」

「冬も来年も走れるってことだよ。第一、お前が引退したら俺の夢が叶わねえじゃねえか」

「勝手が過ぎるよ! トレーナー業に集中できなくて負担かけちゃうじゃん!」

「トレーナーの前にお前は俺の担当ウマ娘だ、トレーナーのお節介をありがたく受け取っとけ」

「ぐぬぬ」

 

 勝手に出走登録したり取り消されたりと連絡不行き届きなのはいつものことだ。今更どうにもならないことで喧嘩をする時間もないし、そんなんで体力を使いたくはない。にしても夢が叶わなくなるから、というのは夏合宿の時にトレーナーちゃんが宣言したアレか。

 

「スピカ全員でひりつく勝負がしたいって私も入れてってこと? ロマンチストがすぎない?」

「夢を見るのが俺たちの仕事だ、頼むぞ」

「努力はしますよ」

「らしいことを言うな。そろそろ時間だ、行ってこい」

「ん」

「ん」

 

 軽い合図ののち拳を突き合わせるのは昔からのルーティーン。これがあるのとないので案外やる気ってのも変わってくる。いわばスイッチの切り替えのような、腹を括る合図というか。

 

「行ってきます」

「おう、待ってるぞ」

 

最後に多くは語らない。あとはレースで語るだけだ。

 

 



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第93話 SDT:賽は投げられた

 

 

 

 

『続いて4枠8番。12番人気、カツラギエースです』

 

 パドックに通じる地下通路を渡り階段を登り、アナウンスに合わせてお立ち台に立つ。決めポーズってわけでもないが、見せるのも大事と言うことでカッコつけて軽く一回くるっとターンしてみせると観客席からは小さくない歓声が聞こえて、少しだけ嬉しくなった。

 にしても悪くない位置を引けたのは自分のくじ運を褒めたい。4枠の位置は中段、下げるのにも困らず、抜け出すのにも苦労はいらない何でもできる場所なのはよく知っている。前重視だからもう少しばかり距離ロスのない内枠でも構わないくらいだったが、外枠で距離ロスの多いハズレくじを引くよりはマシだ。

 

「やっ」

「お前が先かよ......つくづくやんなるね」

 

 パドックの台から降りてスペースで準備体操しようとするとシービーが手を上げて、廊下でたまたま知り合いとすれ違ったような気軽さで待ち構えていた。そのシービーは3枠5番。内枠でロスなく下げて後方内側が取れる、追い込みをするには良い場所だ。

 

「全くいい場所引きやがって、三冠バはくじ運もいいのか?」

「別に場所なんて関係なくない? 今回は隣にも人がいて楽しそうだしね」

「そういうところが嫌いなんだよ」

 

 皮肉も意に介さないどころか大真面目にあさっての方向から答えられてしまっては毒気も出せないというもの。強者の言うことは違うね、とひとりため息をついていると観客席から自分の時より数倍もの大きな歓声が上がる。

 

『5枠9番、1番人気、シンボリルドルフです』

 

 パドックのお立ち台に立つ、見慣れた鹿毛に白い三日月のような流星。このために用意されているドレスのような共通の勝負服は白と勝負服のメインカラーである深緑色。誰もが知ったり無敗三冠、シンボリルドルフの登場だ。

 熱烈なファンが彼女の名前を叫んだり、今日も勝ってくれよと声援を受けるさまを見ながらまたため息をつく。

 今朝から気が重い理由の一つがこれ。よりにもよって私が引きあてた場所はルドルフの真隣。何をするにしても目を付けられてマークされればもう最後の1番引きたくなかったウマ番だ。引いたのが最内か大外枠でルドルフがその反対の枠を引いてくれたのならどれほど気が楽になったかと思わずにはいられないが、現実逃避やたらればの話をするのはもうやめだ。腹を括れカツラギエース、決まっちまったものはしょうがない、切り替えるんだ。

 

「調子良さそうじゃないの」

「ああ、先輩。今日はよろしくお願いしますね?」

「うん、よろしく! 楽しいレースにしようね!」

 

 私の返事に和やかに返すルドルフの目は全くもって笑っていない。今すぐにでもバシッと電光が走りそうなくらいに鋭いナニカを感じるってものだ。シービーの方はふふふ、と滅多に出さないような声に出して笑っているあたり本当に心の底から楽しそうに笑っているに違いない。

 そう。アイツらは楽しそうに、強者との戦いを待っている。自分と同じかそれ以上の走りを肌で感じたい、自分を倒す猛者の出現が現れるかもしれないという期待。何より現役時代のリターンマッチ、この間のWDTのリベンジマッチが2人の間にはある。その実現を待ち望み、その上であの2人は自分が勝つことを疑わない。

 あー、胃が痛い。こちとら走るだけで精一杯なんだ。楽しむ余裕なんてないってのに隔絶した実力差を感じてしまって全く本当に嫌になる。あの2人にはレースを楽しむ余裕があることも、2人が求めるであろう強者に私がしっかりカウントされてるであろうこともサイアクだ。

 2人の間でバチバチと無言ではあるがとんでもないレベルの殺気めいた何かを飛ばし始めたのを見て、仕方ないと間に割って入った。

 

「御二方、にこやかに交流するのはいいけど手でも振ってファンサしないと。アンタら三冠ウマ娘でしょ、人気なんだからもっと愛想良くしなさいよ」

「......君からファンサービスについて小言を言われるとは思わなかったな」

「スピカのメイクデビューのやらかしが忘れられなくてさ。あれ以来ダンスとファンサービスに手抜きはしないって決めてるんだから」

「そんなこともあったな。もうずいぶん昔のように思うよ」

「つーかあれ以来エアグルーヴがしつこいの何の。あのシロイアレ(ゴールドシップ)はどうしようもないって何度も言ってるのに毎度問題があるたびに怒鳴り込んでくる。あの世話焼きの手綱もう少しキツめに握っときなさいな、諦めってものを知らんのかね」

「......だ、そうだが?」

「ゴールドシップはあなたが思うより数倍は校則違反をしているんです。そちらにこそ手綱をつけるべきでは」

「うげ、エアグルーヴ」

 

 私の後ろに現れたエアグルーヴに驚く。そういえば内枠に彼女もいたことも思い出しながら、取り繕うような言葉を言おうとしてやめた。最後になるとは言わないが、会う機会ももう少なくなっていく。卒業なんてすればもう会うこともなかろう、なら多少ぶっちゃけても本人からしか文句は来ない。

 

「あれはあれで後輩思いなんだ、多めに見てやってくれないかな」

「全く......注意はしておいてくださいよ」

「すみませんね」

「もっと堂々としてください。倒し甲斐のない相手を倒しても嬉しくもないですからね」

 

 それではと言ってくるりと反転したかと思えば、自分の世界に没頭するように腕を組んでいってしまった。どこに差し伸べる訳でもない私の手は行く当てもなくふわふわと浮いている。

 

「よかったじゃん。追いかけられる後輩ができて」

「もしかしてさ、私って案外挑戦者って立場でもない?」

「先輩は日本出身で初めてジャパンカップを制したウマ娘ですよ? 貴方を目標に学園の門戸を叩いたウマ娘も少なからずいます」

「まっさかぁ!」

 

 ルドルフの言葉に思わず大声を出してしまったが、ルドルフの目は冗談を言っているようには見えなかった。笑い飛ばそうと大声で笑っていたが徐々にトーンダウンしてしまい、思わず、声を小さくして聞き返す。

 

「私よりも三冠ウマ娘2人を目標にするでしょ。そんな物好きいないってルドルフ」

「リギルの選抜レースで見たことありますよ?」

「......マジ?」

「あっはっは、だから言ったでしょルドルフ。エースは自分の凄さ()()なーーーーんにもわからないのさ!」

「先輩。そもそもG1を2勝しているのだからもっと自信を持ってください」

「あ、はい。なんかごめんなさい」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「夏の中山ってこうなってるのか、新鮮だな」

「あれ、走ったことないの?」

「お互い様でしょ」

「バレたか」

 

 シービーのちょっかいを適当にあしらいつつ、しゃがみ込んで軽く芝を撫でたり、ちぎったりしてみる。もうレースの本バ場入場が始まりパドックから歩いてコース、そしてスタートゲートへ向かっているところだ。コースを隅から隅まで下見できるスクリーニングほどは調べられないが、この時間に軽く調べておきたかった。

 今日の中山芝コースのバ場状態は良の発表。前に走った短距離マイル組のレースで若干踏み荒らされてはいるものの、芝はきっちり短めに刈り込まれ、ほとんど踏み荒らした跡も芝のはげもない綺麗なコースだ。

 こうも綺麗だと意識的に落としても思うよりハイペースになりそうな予感がする。こんな状態が良すぎる芝はわたしは走ったことない。こんな芝のいい状態で走れるレースは基本的にメイクデビュー、未勝利戦が殆ど。私はメイクデビュー辺りはトレーナーちゃんの提案で足への負担を減らすために短距離マイルの距離で走ったもんだから長くても1600m、しかも阪神が主戦場だった。だからこんな軽い芝で2500の長距離を走った経験はないし、中山なんて走ったのは3回くらいだ。

 重賞街道に乗れば当然G1、G2と荒れた芝を走る経験は積めるがその逆はできない。未知のレースになるかもしれないな。

 

 ここまで地面も固く芝も短いとなれば外を回そうがインをつこうが同じだけ芝は応えてくれるはず。こうなると強いウマ娘が策いらずで勝ててしまう、私泣かせの展開になりそうだ。無理やりに外を振らせてもあまり影響はないかもしれないからやめておくべきだろうか。稍重くらいの方が頭が使いようがあったもんなのに、どうして景気良く日本晴れになっちゃうかね?

 

「いいじゃん、青空だってキモチイイのに」

「しれっと考えてることを読むんじゃないよ」

「上向いて難しい顔してたら誰だってそう思うよ。最後のレースなんだし気持ちよく走る、そうでしょう?」

「......そうだね」

 

 ルドルフには伝えていないがシービーだけには隠したくはなかったからこそ、私の引退レースがこれだということは早々に伝えてある。トレーナーちゃんはなにやら画策してるっぽいけど、これで全部出し切るつもりで走るつもりだとね。

 そうしてもなんともシービーは表情を変えなかった。ただ少しだけ驚いたように目を開いていた気もするが、「じゃあ、いいレースにしよう」とだけ言って握手をしてといつものシービーだった。すぐにそのまま別の話題になってしまったことで不思議と何も思わなかったが、何か思うところがあるのやら。

最終コーナーの方をじっと見て何かの思い出に浸っているらしいシービーを眺めながらため息をついた。思い浮かべているのは皐月賞か菊花賞か、はたまた有記念か。

少なくとも私はその中にはいないだろう。まあ、私はその程度のウマ娘だろうて。

 

「細工は足りず準備もイマイチ、あとは仕上げでどうにかするか......」

 

 バッチリ9時間寝たことくらいしか誇れないが、虚勢だって気合いのうちに入るだろうか。

堂々と胸を張ってゲートに入る。あとはどうとでもなれだ。

 

 

 

 

 

1枠   1番 ヒシアマゾン

    2番 エアグルーヴ

2枠  3番 ハードパンチャー

    4番 フジキセキ

3枠  5番 ミスターシービー

    6番 ナリタブライアン

4枠  7番 ゴールドシチー

    8番 カツラギエース

5枠  9番 シンボリルドルフ

   10番 ライトザライト

6枠  11番 マヤノトップガン

   12番 メジロライアン

7枠  13番 オグリキャップ

   14番 セイントトレイル

   15番 マーベラスサンデー

8枠  16番 アイネスフウジン

   17番 オーバースカイ

   18番 マルゼンスキー





『さあ各ウマ娘がゲートに収まりまりました。伝説のウマ娘が揃えども、栄光の1着はただひとりのもの。サマードリームトロフィー:中距離部門。今───』


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第94話 SDT:願いを乗せて

 

 

 

「いつもと雰囲気が違いますね、トレーナーさん」

「なんだ、スペはドリームトロフィーは初めてか?」

「いえ、テレビでは何度も見てきたはずなんです。でも、皐月賞とも、ダービーとも、天皇賞とも、宝塚記念とも、なんだか雰囲気が違います。みんな楽しそうというか、空気がふわふわしています」

「お祭りだからな。普段のレースとはだいぶ違う」

「お祭り?」

「ああ、お祭り。今日はそういう場所なのさ」

 

 いつものように観客席最前列に陣取っていたスピカメンバー。パドックに誰1人として顔を出さなかったのは、ひとえに観客が多すぎる上に身動きが取れなかったためだ。

 

「ドリームトロフィーってのは、幻の対戦カードが叶う場所なんだ。活躍する時代の違い、運命のいたずら、古い制度、怪我。どうしても現役時代には叶わなかった夢がこの場所では叶う」

「つまり生徒会長(シンボリルドルフ)さんとサブトレーナー(カツラギエース)さんが戦えるのもここだから、ってことですか?」

「その通りだ」

 

 首を傾げるスペの疑問に答えたのち、観客席で1番わかりやすいであろうはずのジャージ姿の集団(スピカ)を一瞥することもなくゲートに向かうカツラギエースのほうを見やる。

 髪の毛にもツヤがあり、トモも充分に張っている。パドックのアイツはまさに走れるウマ娘だった。控え室での態度はちとやる気がなさすぎるが、アイツは走ってるうちにやる気を出すタイプだから問題ねぇ。

 

「トレーナー、勝てるのかしら」

「んだよスカーレット。自信ねえのか?」

「会長が勝つに決まってるもんに!」

「チームメンバーなのだから少しは応援する姿勢を見せるべきではなくて?」

「ボクあの人嫌いだもん」

「テイオー、貴方というひとは」

 

 テイオーは当然自分の憧れかつ目標とするルドルフの応援、マックイーンはそれに呆れて頭を抱えてたが最初の珍しく自信のないスカーレットの言葉が気がかりだ。

 

「なんだ、自分のトレーナーが信じらないのかスカーレット」

「ずっと勝てる気がしないって言ってるんだもの。不安にもなるわよ」

「心配すんな、スカーレット。エースは昔っからそういう奴だよ。負けるかもしれない勝てないかもしれないってずっとうるせーのに、勝ったら勝ったで浮かれすぎて次のレースは惨敗する。浮き沈みの激しい気分屋で地力があるってわけじゃねえ。潜在ポテンシャルで言うならお前らの方がハッキリ言って上だ」

 

 アイツの課題はメンタル面だった。走りはスタートセンスと高い先行力、最低限あたり負けしねえ身体と人一倍回るオツムがあったが、どうにも前に行きたがる癖があり、バ群に飲まれたり長距離のレースともなると身体と心がチグハグになってうまくいかない。

 

「けどあいつの気持ちは上向けば誰よりも強い。自分と向き合い、自分がしっかり強いことを理解して、それでも敵わないかもしれない相手がいるとわかっている時のアイツは強いんだ」

「それがハマッた時がジャパンカップか」

「だからこそあいつの気持ちが上向いているかどうかが試される。もう一度だ、エース。もう一度皇帝に勝って見せろ。最後の晴れ舞台、教え子にいいカッコみせる場所だぜ?」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

『スタートしました! 全員出遅れなくいいスタートを切りました。先頭争いはまずアイネスフウジンが行きます、その後ろをピッタリつけてマルゼンスキーとハードパンチャーでしょうか』

 

 スタートは悪くない。今回私が選んだのは『先行策』。そも逃げウマ娘が3人いる時点での大逃げは成功しない。単騎逃げこそ大逃げの独壇場、それが出来ないならいつものやり方で勝ちに行くしかないだろう。無策な以上レースの後半からは全部アドリブで対応しなくちゃならないし、全体をコントロールしやすい先行が1番だ。

 ルドルフは私の左後ろから動かない。内枠に誰かいる気配は感じるんだがそれは......誰だ? 私の内側にいるのはエアグルーヴかフジキセキだと予想してはいるが2人はやや後ろ。もとよりあの2人はティアラ級育ちとジュニア級で怪我引退してんだから2500m以上の経験は皆無。スタミナ温存策で少し後ろにつけることを選んだらしく、これであの2人は位置取りを向正面までは気にしなくていい。これで狡く私を風除けにしてくるんだったら非常にやばかった。

 せりあい筆頭候補のあの2人が下がり競りかける奴がいなかったからポジションは悪くなく、するりと先行集団の先頭につけられた。あとはこのまま、3コーナーまでこの位置を渡さない事が最善、ベストは4角先頭から残り300mで先頭を捉えたい。

 

『バ群を形成しつつ1周目のスタンド前を通過して行きます。

先頭はアイネスフウジン。マルゼンスキーは2番手これは意外。3番手にはハードパンチャー。ここまでが逃げウマ娘か。

 先行集団の先頭は初挑戦カツラギエース、勝ちレースにジャパンカップと宝塚記念があります。その背後にはおおっとこれもまた予想外の位置に三冠ウマ娘ミスターシービーがいます。その後方には女帝エアグルーヴか、並んでフジキセキがここ、1番人気皇帝シンボリルドルフは先ほどから少し下がったこの位置を──』

「ダニィ!?」

 

 実況に驚き顔を振って後ろを見ればあのシービーが私の背後にいた。しかも目のあったことを見てかにっこりと笑顔まで浮かべて見せるシービー。なんで、お前そこにいる、これじゃもうなにが起きるのかわからんぞ!?

 

「キミの走りを近くで感じたくてね」

「一足で並びかけてくんな、クソ!」

「そんなこと言わないでよ」

 

 拗ねてるっぽい言い方をするシービーは余裕そうだが私に余裕はない。最内に陣取られた。ここから最内を取ろうと思うと進路妨害になりかねないし、少し飛ばしてしまえばいいが3番手のハードパンチャーに近すぎる。先を譲ってもシービーは前に行かないだろう。ルドルフも同じくだ。勝ちに行くのであれば今の位置をキープするしかない。スタミナはもつかどうかは五分って感じか。

 

「ねえ」

「なにさ」

「楽しい?」

「全く」

「えー、なんでさ」

「なんで、って?」

 

 喋りかけてきたシービーに対して、正直今自分は凄まじく嫌なヤツな顔をしてるだろう。それくらいイライラしている。

 

「なんもかんも思い通りにならないからだよ。大逃げしたかったけど逃げウマ娘3人もいるし、追い込み予想のシービーは隣にいるし、背中に感じるルドルフの目線と足音で悪寒がする。

体調だって良くない。身体だって仕上げきれなかった。作戦だって実はなにも考えられなかった。全くもってクソだ」

「あはっ、キミらしいや」

「......それでも、だ」

 

『バ群は向こう正面へ差し掛かります。先頭変わらずアイネスフウジンは少し苦しいか。マルゼンスキーは不気味に息を潜めます。1000mの通過は平均ペースか、ハードパンチャーはかなり苦しそうだがどうか?

 中段バ群はミスターシービーとカツラギエースが横並びで先頭、その背後に1番人気シンボリルドルフ、フジキセキは若干遅れ出しているか? エアグルーブは虎視眈々と皇帝の背中を狙っている。後続はメジロライアンが前に進出を始めています、マーベラスサンデーはこの位置です。隣ゴールドシチーが落ち着きなく周囲を見回しているようですがどうしたのでしょうかナリタブライアンはバ群の中央、最後方には脚質自在のトップガンが控えます。さあ、先頭は第3コーナーに差し掛からんとしています、残り1000m、後続の速度が上がり出しました!』

 

「私は背負って楽しむなんて出来やしない。期待なんぞ背負って走るのなんて大っ嫌いだ。

 誰かの想いなんて背負わず身軽にして、頭と身体と根性を最後の一欠片に至るまで全部捻り出して、やっと勝負の舞台に上がれるんだよ」

 

 私は夢を背負うほど器は大きくはない。数人、十数人が関の山。何千、何万人ものファンの期待を背負って戦うなんて到底そんなことはできない。

 

「......だから、ついて来い」

 

だから、私にできるのは魅せることだけだ。

辿る道を、レースを、想いを。勝手に託させて貰うだけだ。

 

「私の背中を、追いかけて来いよ、後輩どもっ!」

 

ゲートから飛び出す時以上の集中力で、身体を少し沈めてスパートをかけた。3コーナー、残り1000mからのスパートなんて上手くいきっこない。その盲点をついて、このレースをめちゃくちゃにしてやるだけだ。

 

 シービーは私の無茶苦茶な走りに絶対についてくる。アイツは勝ち負けなんて二の次なんだし、どんな展開だろうと自分は勝てると思っているし実際勝てる。

 あとはルドルフだ。私は文字通り『なんでもやる』。奇策上等、半ば玉砕のような走りでもマークして上がってきてくれるかもしれない。そうなれば上位ワンツーの実力者を動かせる。1番2番人気が動き出せば、レースも動き出すってのがセオリーだ。たとえそれが勝利のためのベストから外れるとしても、心理的に動きたくなるもの。

 

 シービーはピッタリついてくる。この弾くような重い足音はきっとルドルフだ。後続の足音は一瞬揃わなかったけどペースは上がったのは確かだ。その中でもほとんどペースが変わらないやつも何人かいる。誰までかはわからないが、抜け目のないやつもいるらしい。

 

『さあ先頭が直線を向いた! アイネスフウジンはここまでか、ここで先頭はマルゼンスキーに変わったか! ハードパンチャーはバ群に沈んでゆく!』

「む、むーりーなのぉ〜」

「くそ、くそぉっ!」

 

 顔を上げてズルズルと位置を下げていく私と同じサンバイザーをつけたウマ娘と、何度も悪態をつきながらそれでも前を見ることをやめなかったタンクトップのウマ娘を追い越した。

 そして未だ先頭に立つ赤い勝負服を着た怪物の背中に、手が届いた。

 

「......ここまでね」

『ここで先頭が、マルゼンスキーからカツラギエースに変わるか! 変わるか! 変わったぁ! かつての日本総大将が先頭に立ちましたっ!』

 

坂の頂点を踏み切って、跳ね飛びそうになる体を無理やりに沈めて押さえつけたときガクン、と身体が思う以上に沈んで一瞬だけ意識が飛ぶ。バチッと火花が飛んだように一瞬だけ目の前が真っ白になった。

 

シービーがなんか言ってら。なんだろう、何かぶつかったのかな、頭が痛くて、熱い。大丈夫、今度は最後まで諦めない、折れない。というかお前がずっと隣にいるレースなんて初めてじゃないか。せっかくの機会だ、楽しまなきゃ損だろ、シービー? だからさ、そんな泣きそうな顔するなよ。もっといつもみたいに笑えばいいじゃないか。

 

『シンボリルドルフがカツラギエースを抜き去った、やはり強いのは強い、絶対はやはりここにあるか! ミスターシービーはやはり伸びない、後方からナリタブライアンが迫ってくるが中山の直線では届かないか!』

 

どうやら、トップ争いというのは我々に絞られているらしい。

 

1番に抜け出し逃げウマ3人を早々に捕まえた私。

私に並走し最内に滑り込んだシービー。

私を後方でピッタリとマークして、たった今ギアを上げ抜き去っていったルドルフ。

 

 後方集団はもう届かない。ゴールドシップなら届いたかもしれないけれど、実況の言う距離では並のウマ娘はもう届かないのだろう。後ろを振り返る暇もないからもう見ない。横槍を入れられたらそこまでだ。

 

大丈夫、よく見えている。

 

少しずつ遠ざかっていくルドルフの背中を見てああ、これはもう届かないな。と直感した。視界の端を通り過ぎて行ったのこり200mのハロン棒、もうすぐレースが終わってしまう。ルドルフの背中まで数mもないはずなのに果てしなく遠く感じる。

 

あの時と同じだ。あの私が折れた有記念と同じ。

この場所で、このタイミングだ。

ちょうど今、過去のルドルフは過去の私を追い抜いて行った。

 

でも今は違う。孤独じゃない。

 

 

大丈夫、よく見えている。

 

 

トレーナーちゃんが声を張り上げる姿。

フクキタルの拳を突き上げる姿。

スカーレットが私に向かって何か言っている姿。

シャカールが短くハッキリと告げる姿。

ウオッカが叫ぶ姿、ゴールドシップが意味不明に錨を振り回す姿、マックイーンが柵を叩いて大きな声を上げる姿、スペが吠える姿、スズカが胸元で拳を握りしめて呟く姿。

 

大丈夫、よく見えている。

 

スピカのみんなの声が、よく見える。

 

「行けェェェェェェェェェェェェ! エースゥゥゥゥ!」

「トレーナーさん、やっちゃってください!」

「トレーナー諦めないで!」

「......行けるぜ」

「いっけー!!!!!」

「ウオオオオオオオオッ! やっちまえーーーッ!」

「いける、いけますわ!」

「サブトレーナーさん、頑張ってください!」

「......頑張って」

 

大丈夫、よく見えている。

 

最大のライバル、最大の壁。

立ち塞がる三冠ウマ娘2人の声も確かに見えた。

 

『アタシについておいで! エース!』

『先輩なら来れるはずだ。我々と同じ、高みへ!』

 

「ついて来い、って?」

 

大丈夫、見えている。感じている。

今日はもう、折れない。

私はまだ、諦めていない。

 

「お前らが、私についてくるんだよ!」

 

『なんとなんとまたしてもカツラギエースが差し返す、皇帝破り再びか! いや、ミスターシービーも遅れない! ピッタリと横一線! シンボリルドルフも抜かせない! カツラギエースが粘る、ミスターシービーがまた伸びる! 三者がまだ入れ替わる! 先頭はこれはもうわからないぞ! あと100m!』

 

坂はもう登り切った。アイツはまだ隣にいるのか、きっといるだろう。

 

見えていたはずのものがもう見えない。

視界がどんどん狭くなる。

 

自分がつけているサンバイザーのツバすらもう見えなくなり始めていた。アドレナリンが打ち止め、か。

 

キレすぎたな。ちょっとばかり調子が良すぎたのかもしれない。

もう息が上がりそうで、気が抜けたら、もう顔が上がって一杯になってしまいそうだ。

3着でも十分じゃないか? このメンバーで3着だって誇れるはずだろ。そう、弱い自分が顔を出す。

 

そうかもしれない。もうやれることは全部やった。

行けるところまで、行けたように思う。

最後の最後まで負けるのも私らしくてイイじゃないか。

けど、最後の最後まで頑張ってみよう。

気概だけでも、負けないように。最後の一瞬まで。

 

「負けるなぁああああああああああ! トレーナーーーーーーーっ!」

 

いつのまにか俯いていた。顔を上げて声の主を観客席に探す。

 

赤いメッシュが揺れる。

栗毛の、小柄な、傷だらけのウマ娘が叫んでいた。

かつての教え子が、叫んでいた。

自分の実力を知り、それでも足掻き、苦しみ、今までの経験を捨てて新しい道を選ぶことを決めた、

とびっきり諦めの悪い教え子が、さけんでいた。

 

「最後までっ、諦めるなぁあああああああっ!」

「......は」

 

そうだった。

 

最後まで諦めるなと教えてきたのは誰だったか。

諦めの悪いのが取り柄だと、言ってきたのは誰だったか。

 

一歩を、踏み締める。

 

ヨレる暇すら惜しい。ロスなく、只一直線に。

 

前へ。

 

前へ、前へ、前へ、前へ、前へ!

 

「二度もっ......」

 

闘志を奮い立たせろ根性を出し切れ。凡人は全てを使い切らねば天才には追いつけない。なら、使い切るしかないだろう。

 

劣るならば振り絞れ。足りないのなら掻き集めろ。

 

一度は、届いた領域だろうっ......!

もう一度だ。もう一度、あの高みへ!

 

「同じ相手に、負けられ、ないんだァッ!」

 

一歩前で私を待つ2人は笑っていた。

一歩追いかける私も多分笑っていた。

やだなぁ、本当に嫌だ。

お前らと走るのが悔しいけどやっぱり楽しい。

この時間が終わることが本当に嫌だ。

いつまでも走っていたいし、早く終わって欲しくもある。

苦しい、けど楽しい。楽しい、けど苦しい。

もう、きっとこれ以上の同世代の仲間を得ることは出来ないだろう。そう実感するほど、私が一度振り切ったはずの青春は輝いていたんだ。

 

『過去の有記念の再演いやそれ以上だ! これはもうわからない! 三人がもつれるようにゴール板を飛び越える! 今、ゴールイーン!!!!!!!!!!!!』

 

 ゴール板を走り抜けた。

 

 バタバタと格好悪く転びそうになりながら走って、膝に手をついてやっと止まれた。もしこれがレースじゃなきゃすぐに倒れ込んでしまいそうで、今すぐに顔から遠慮なく倒れ込みそうなほどに全力だった。全身が痺れて足先の感覚がない。視界は酸欠でフラフラするし、サンバイザーもへんに斜めにズレてるせいで格好がつかない。

 顔に伝う汗を拭うと、手の甲についてきたのは赤い血だった。道理で息がしにくいわけだ。頭に血が上りすぎて鼻のどこかが切れてしまったらしく、鼻水が出てるような鼻詰まりの感覚と口の中の鉄臭さで最悪の気分だ。

シービーが驚いたのはこれか。レース中に頭に血が上りすぎて鼻血が出るなんて、全く頑張りすぎだよ。

 

「......ひどい顔だね」

「お互い様」

「......」

 

シービーの言葉に顔を上げられなかった。上げられないほどに私は疲れていた。

シービーも顔を上げない。ターフに仰向けでぶっ倒れたから、上げる必要はなかった。

ルドルフは何も言わなかった。多分何もいえないほど息が上がってるんだろう。

 

もう何分も経ったかわからないくらいに長い時間を使って息を整えて、1番先にシービーに手を差し伸べたのはルドルフだった。遅れて、私も手を差し伸べた。

シービーがその片手ずつを掴んで、ゆっくりと立ち上がった。

 

歓声が、場内を包み込む。

 

「やっぱり」

 

熱気立ち込める観客席が揺れている。レース場中央のターフヴィジョンはここ(ゴール板すぎ)からは見えない。

 

「最悪だ。やっぱり最悪だ」

「最悪ぅ? 最高だったじゃない!」

「最悪か。私もそんな気分です」

「ルドルフまで?」

 

ゆっくりと、お互いに肩を貸し合いながら、歩みをすすめる。

 

おめでとう、と祝福する声がする。

惜しい、と同じように悔やむ声がする。

次は勝てよ、と背中を押す声がする。

 

その歓声ひとつひとつを背にうけ、一歩一歩を踏み締める。

 

「こんなレース二度とやらん。鼻血が出た。頭も痛い。足も痛い。明日は筋肉痛で仕事ができなくなる」

「私も、明日は休養日だな」

「そうだね、たまには休まないとね」

「お前はいっつも休んでるだろ」

 

シービーに軽口を吐き、言い回しの固いルドルフに苦笑いして。そしてターフビジョンを見上げる。

 

空白の1、2、3着の液晶にやっと数字が灯った。それを見た場内からはどよめきと歓声があがる。

 

「......本当に、二度とやりたくない」

「まだ言いますか」

「あたりまえだ。こんなこと何度もやったら頭も身体もおかしくなる。だから」

 

 ああ。だから、だからだ。結果を噛み締める。項垂れそうになる絶望を前にして、それでも前を向くのが、私だから。

 

「だからもう一回だ。しっかり勝ってケジメがつくまでやる。私が勝つまで、2人とも待っててくれるよね」

「エースは負けず嫌いなんだから。あーあ、有終の美を飾ろうと思ったのに、引退できなくなっちゃった」

「ええ、ええ、ええ。何度でも、何度でも走りましょう。何度でも、勝っても、負けても、ずっと......!」

「ああ。勝つまで、何度でも挑戦してやるさ」

 

 

『写真判定の結果はシンボリルドルフの1着! 皇帝の復活です! しかし2位争いはわずか数センチの大激戦! 4位以下に大きく差をつけるレースになりました! 2着にはハナ差で先輩三冠ウマ娘ミスターシービー! その同着にはなんと現役時代にその2人と鎬を削りあったカツラギエースが入りました!』

 

1着 シンボリルドルフ

2着 ミスターシービー ハナ差

3着 カツラギエース   同着

 

 

 

 

「......絶対に、諦めんからな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第95話 旅路の続きへ

 

 

あのレースからもうすぐ1年が経とうとしている。

アレからのスピカは、少しだけ、いや、大きく変わった。

あの激動の秋の思い残すために、少しだけ思い出に浸ろうと思う。

 

サイレンススズカ。

 OPクラスとはいえ、彼女が最後尾からあの秋を思い出すスピードで先頭まで駆け抜けていったことは記憶に新しい。そのまま彼女は海の向こう、アメリカの地へ駆け抜けていった。今ではアメリカですら『音速のプリンセス』と彼女を呼ぶ。現在は実績作りのためにG3、G2から挑戦しているがいずれにせよ彼女がアメリカのG1を取る日もそう遠くはないだろう。

 スペシャルウィークもまた完全復活を遂げた。秋初戦の京都大賞典の惨敗からスズカの悪夢を振り払うような秋天勝利、エルコンドルパサーを下した凱旋門賞覇者モンジューを倒して日本総大将の名を轟かせたジャパンカップ、グラスワンダーと死闘を演じハナ差決着となった有記念。勝利と敗北を味わい、ファンを愛し、ファンに愛され、ライバルとの死闘を演じた彼女は間違いなく伝説になった。もう既にDT移籍書を提出しており、私は夏からはスペと矛を交えていくことになる。

 

メジロマックイーンは出遅れるも無事にデビュー日も決定、トウカイテイオーも来年のデビューを見据えているという。ウオッカとダイワスカーレットもデビューは近い。

 

そして喜ばしい話だが、少しずつ入部希望者も増えている。今は断ってはいるが、そのうちトレーナーが新しいウマ娘をスカウトしてくる事だろう。

 

だが、明るいニュースばかりでもない。

エアシャカールは三冠ウマ娘の夢が絶たれる計算結果を上回れなかった。デビュー戦が5着と足踏みしたものの、続くレースを1着、2着と好成績をマーク。年末ホープフルS1着ではチームG1獲得最速を記録したものの彼女の計算した結果そのままだと喜びの表情を浮かべることはなかった。

 そして皐月賞を予定通り勝利し迎えた日本ダービー。

最終直線、彼女らしくない計算できない「感情」に身を任せ、非科学的だと批判してきた勝負根性に任せて最終直線、彼女の隣を走るウマ娘に身体を寄せる。

 その結果彼女は、6cmのハナ差で敗北した。彼女の計算結果、予測を1cmだけ上回るその結果に敗北という突きつけられた予定調和通りになったとしても......彼女は呆然として、そして涙を流すほどに笑っていた。

 

でもまだ彼女のレースは終わらない。菊花賞、ジャパンカップ、有記念。彼女の証明の場でもあるレースをまだ積み残している。それに彼女には新しい夢ができたという。夏は海外で走ると聞いた時は驚いたが何かやりたいことができたらしく、少しだけ吹っ切れたように爽やかで、晴れやかな表情をしていた。

 最近よくつるむようになったアイルランドからの留学生がその原因だろうか。

 

 

そして今日。今日は春の集大成、『宝塚記念』。

 

そして、あの子の。

マチカネフクキタルの、引退する日だ。

 

『内ラスカルスズカ外からテイエムオペラオー。テイエムオペラオーとジョービックバンが上がってくる、グラスワンダーは伸びない現在3番手集団の中だ!

 テイエムオペラオーだテイエムオペラオー! 内からメイショウドトウ、内ジョービックバン、ステイゴールド追い込んでくるが! テイエムオペラオーですテイエムオペラオーゴールイン! わずかにテイエムオペラオー、2番手争いは接戦ですがわずかにメイショウドトウでしょうか?!』

 

 見せ場であるはずの最終直線で実況に名前も呼ばれず、ずるずるとバ群の中に沈んでいったフクキタル。グラスワンダーもまた後方に沈み何故か4着に突っ込んできていたステイゴールドを除けば時代の移り変わり、世代交代を暗に示しているようなレースだった。

 

「あはは、有終の美を飾るとは行きませんでしたね」

「そんなことないさ。いい走りだったよフクキタル」

「そんなことありませんよう。中盤しっかりとオペラオーさんの後につけて隙を窺ったのは良かったのですが、最後4コーナーで突き放されてしまいましたし」

「フクキタル」

「はいっ、なんでしょうトレーナー?」

 

 地下バ道、いつもの調子て照れ臭そうに笑って控え室に引っ込もうとするフクキタルを引き止めた。いつもの調子と変わらない感じだが、私に遠慮して気を張っているだけなんだろう?

担当ウマ娘の背中を押すのは、トレーナーの仕事だ。

 

「これで、最後だったんだぞ」

「ええ。そう、決めていましたね。もう少し走れますけど、もう脚が限界な気がするんです」

「無理しなくてもいいんだぞ? いつもの調子なら騒がしくしてるだろうに、私の前だからって気張るな」

「無理なんてそんな、ここ2年負け続きで慣れてしまいましたよ。涙なんて残念ですけど少しも......」

 

 ぽたり、と水滴が地面に落ちる。

 

「あれ、あれ、おかしいですね?」

 

 何度も何度も、涙を手で拭う。その度に溢れて、ポタポタと水滴が地面に落ちていく。

 

「悲しくなんか、ないはずなんですけどね。勝てないと思っていたはずなのに、なんでなんでしょうね?」

「......すまない」

 

 フクキタルを抱きしめる。優しく、覆い隠すように彼女を胸元に抱き寄せた。私もフクキタルに顔なんて見せられない。なんせ、みっともなく泣いているのは私も同じだ。

 

「最後、勝たせてやれなくて、すまない......!」

「......うう、勝ちたかった。勝ちたかったのに! 最後だけでも、トレーナーに勝利を、幸運を、プレゼントしたかったのに!」

 

 うわああああん、とみっともなく、きっと顔面をぐずぐずに崩して泣いているフクキタルを一層強く抱きしめた。もう彼女にはこの悔しさを糧にして挑める次なんてないのだ。彼女の競走ウマ娘の道はここで終わったんだ。

 

「お疲れ様。いいレースだったよ、フク」

 

私の最初にレースに挑んだウマ娘のレースはここで終わった。

でもトレーナーとしての私の道はまだ長く果てしなく続いていく。涙ははやく拭いて前を向いて歩き出さなくてはいけないはずなんだ。

 

でもせめて、今だけは。

この時だけはフクキタルのそばにいるべきだと思ったんだ。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「いままで、お世話になりました」

 

 それから私は、チーム退部届を改めてトレーナーちゃんに提出した。前のは破いてゴルシが焼きにんじんの焚き付けに使ったらしいから改めて書いたやつだ。両手でしっかりと頭を下げながら出したそれを、トレーナーちゃんは今度は受け取ってくれた。

 

「ん、たしかに受け取った」

「いいのかよ。今度は引き止めなくて」

「ああ? 気にするなよゴルシ。今度は引き止めなくても大丈夫なんだよ。私とスカーレットとシャカールが抜けてもチーム存続するだけの人数はいるんだしさ!」

「そうは言ってもよぉ、寂しいじゃねえか」

「......」

「な、なんだよぉ」

 

 寂しいなんて言葉が出るのがゴルシからなんて、と思って思わず目を見開いたまま固まってしまう。ゴルシは少しだけ恥ずかしいのか顔を赤くして、プイと後ろを向いてしまった。

 

「チームメイトがいなくなるのが寂しいのさ」

「い、言うなよ!」

「だっはっは、悪い悪い」

 

 忘れていた、とでも言うようにわざとらしく笑うトレーナーちゃんとポカポカとトレーナーちゃんを叩くゴルシ。なんだかんだこの2人がスピカの中では1番付き合った時間は長いことになる。

 

未熟な私を支えてくれた経験豊富なトレーナーと、チームの仲を取り持ち、影からチームを支えたチームリーダー。

その2人の助けなしで新しい場所でやっていけるのだろうか。

だが諦めなければどうとでもなる。そう言って前を向いていいことを私は知っている。

 

「では、次からはライバルですから」

「おう。期待してるぜ。()()()()()()()()

「......ええ。リーディングの座はいずれ貰いますよ、()()()()()()()

 

 どちらが言うでもなしにお互いが差し出した手を握り合う。

元トレーナーと担当ウマ娘、チームのトレーナーとサブトレーナーの関係はもうこれでおしまい。これからはお互いが鎬を削るライバル、互いの教え子がどちらが優れているかを競わせる競争相手だ。

 

「......チームは変わっても、俺の夢は変わらないからな?」

「わかっていますよ。夢の舞台で、会いましょう」

 

しかし、チームは違えどスピカの名簿から私たちの名前は消えないのだろう。一度は同じ星に集った仲間たちを沖野トレーナーが忘れられないように、私もまたスピカで過ごした日々を忘れられないように、

 

「チームスピカは、不滅だ!」

「はいっ!」

 

今度は握手ではなく、昔のように拳を突き合わせる。

一番星(スピカ)は不滅。道標のようにいつまでも輝き続ける星。そこに集った仲間たちの絆は永遠なのだから。



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最終話 諦めはウマ娘を殺しうるか

 

 

 

「さて、と」

 

 せっかくの夏休みだが、今日は我がチームの練習はお休み。どうして貴重な夏休みに合宿にも行かずトレセンに残っているのかというとめでたく設立が認められて貰い受けたチームルームを使える状態にしなければならないからだ。古いロッカーや機材を新しいものと入れ替え、棚に並んだ本や置物を整理し、溜まりに溜まった埃と泥と砂を箒で掃き出し雑巾で拭けばおしまい。

 

「んふふ、ふふふふふ」

「口元、弛みまくってますね」

「デレデレしちゃって」

「......」

 

 かつては伝統あるチームが使っていたせいもあって、少しだけ古びたチームルーム。だが、今日からここが我らの城だ。一国一城の主というわけでもないがチームを持つというのはトレーナーとして目標のひとつだった。トレーナーちゃんに追いつき、背中を追い越していくための第一歩が今から始まる。

 

「ナァ」

「なあにシャカール? 今日の私は気分がいいからPCパーツのひとつやふたつ買ってあげても構わないよ、んふふ」

「3人しかいないけどチームとして成り立ってンのか?」

「..............................あ」

「どォせ会長サマに目溢ししてもらったやつかコイツは」

「夏の選抜レースで新入生を拾うので合宿はありません。いま決めました」

「ふざけンな計算が狂うだろうが! 俺の海外遠征は!」

「そこらへんで予算ないから今年はトレセンメインで高負荷トレーニングを中心にやるつもりだったし予定調和というかなんというか。ただ1泊2日のリフレッシュ休暇がなくなるだけであって」

「死活問題、じゃ、ないのっ!」

「ギブギブギブギブギブ!」

 

 流れるように脚を蹴り倒されていつか以来の腕ひしぎをスカーレットにキメられる羽目になったのは、なんというか。

 

「幸先不安ですねぇ......」

 

フクキタルの一言が、グサリと心に突き刺さる1日だった。

 

 それから数日、帰省や休暇や合宿で人も少なくなったトレセン学園。トレーニングに使う生徒が減ったこの時期に夏の選抜レースが行われる。朝イチで練習コースのスタンドの最上段に陣取り機材を広げていく。カメラ撮影にスカーレット、タイム計測にフクキタル、データ化にシャカール、分析に私と万全の体制で挑む我らが新生チーム。

 私ももちろん卒業生ではあるがれっきとしたドリームトロフィー選手ではあるので特例で名簿に入れていいのはルドルフに確認済み。となればチーム設立のためのあと1人、フクキタルの卒業を考えれば2人を目処に新メンバーをとっつかまえたい。

 

「......とはいうものの」

「目立ったヤツはいねェな」

「やっぱりアタシがイチバンね」

「それは違うと思いますが」

 

 選抜レースで基本1番規模が大きいのは春、次いで秋だ。春は入学直後とうわついた雰囲気で大きく盛り上がり秋は夏休みの特訓の成果を見せようと張り切るウマ娘が多く盛り上がる。共通していうならレースシーズンの始まりでモチベーションの高さにもつなっているということだ。

 対して夏と冬は長期休み期間に行われることが多いのだが、この時期というのは天候が暑さや寒さなどであまり良くはないことが多い。サマーレースや有記念と仮定するならベストな状況なのだが、次の選抜レースを見越して練習に重点を置き出走を避けるウマ娘も多い。つまるところコンディションをうまく作れないウマ娘が多く参考にならなず、そもそもの話不作というわけだ。

 というかG1レベルの才能ばかりに囲まれたせいで私の目が肥えすぎているせいもあるな。重賞クラスならしっかり目指せる才能持ちもいるはずだ。思い込みと偏見は頭から外してかないと、と目を擦る。

 朝からいるがそろそろ最終レースも近いな、と更新された出バ表をタブレットで見ると不思議なことに見覚えのある名前を見つけた。この名前、見覚えがある気がするな。今日のレース番組表を遡ると、第一レースとはいえ同じ名前があった。

 

「......空き枠に出てるヤツ、第一レースで走ってるぞ」

「1日2レース走るつもりか、バカだな」

「無茶するわね」

「大丈夫なのでしょうか?」

「ンなわけあるかい。ちょっと止めてくるわ」

 

 ルールの抜け穴をついたかそれとも係員のミスか、ともかく1日に2回も本気でレースをするなんて前代未聞だし何より危ない。運営本部のテントの下に急いで駆け込み、係員に声をかける。

 

「すみませんいいですか、今から走るレースで当日登録枠で出るレースの子なんですけど、1レースで走った子じゃないですか」

「え、あ、本当です! 出走を取り消しますか?」

「お願いします。私は本人止めてきますんで」

「わかりました。アナウンスの準備しといてください。そのレース出走5分遅らせてください! トラブルです!」

 

 ゲートインが始まるギリギリのタイミングだが間に合った。係員の指示でゲートから出されて不満を漏らすような声を出すウマ娘を押し退け、最内で出走を待っていた鹿毛のウマ娘をとっ捕まえた。

 

「......なんデスか?」

「ちょいとお前ついて来い。話があるから」

「今カラ走ルので、無理デス」

「朝っぱらに走ってるヤツに枠なんか挙げられるわけないでしょう。バ場も距離も姑息に変えて誤魔化そうったってそうは行かないんだからね。自分の身体をもっと省みないといかんでしょう。説教だよ説教!」

「待って欲しいデス!」

「言い訳無用!」

 

 若干イントネーションの違うそのウマ娘の襟首を掴んで練習コースの外へ引っ張り出した。人間なら抵抗できたかもしれんがこちとら同じウマ娘、それにウマ娘の扱いは散々技かけられてきたからどうすれば動けないかはよく知ってる。抵抗しようとする手を適度に払い除けながら、柵を越えて階段を登り観客席の隅っこ、私たちの根城のすぐそばまで連行してきた。

 

「.......なんなんデスカ?」

「なんでと言われても無茶を止めるのはトレーナーの仕事だよ。1日2レース走るなんて怪我するから止めたまで」

「私は大丈夫デスかラ、気にしナイで下サイ」

「それでもだ」

 

 留学生なのか、日本人離れした青い目と彫の深い顔つきをしたそのウマ娘は私の発言に無言で不満を露わにするように睨みつけてきた。彼女がそこまでして選抜レースに出走したかったのか、横紙破りまでして誰かの目にとまりたい理由にはおおよそ心当たりがつく。

 

「春にスカウトされなかったろ」

「っ!」

「なるほど、アタリだな」

 

 返事はないが、俯いてしまったあたり正解か。トレーナーの絶対数が少ない以上、このように選抜レースであぶれたり、トレーナーにスカウトされなかったウマ娘がいるのは珍しくない。こういうのは大方自分の本格化の時期を見間違えてるというのが通例だ。落ちこぼれで入れるほどトレセンの敷居は低くない、ないのだが。

 

(時期が悪いな)

 

 合格が決まるのは1月から2月にかけて。だが合格から入学までに大きく身体が変化するウマ娘の伸び代を把握するのは難しい。たったの1ヶ月でおおきく成長してしまうウマ娘もいるがそうでないウマ娘も少なくはないのだ。

 

「データあったぜ、トレーナー」

「ありがとうシャカール。今春の選抜は......8着、か」

「バカにしテいるんデスか」

「........................」

 

 シャカールが持ってきたのはレース映像や通過タイム、出走メンバーとその現在とを軽くまとめてあるデータだ。レースは9人立ての8着、ブービーの子は距離を変えてさっきレースに出てたし、この子より上の子はほとんどスカウトされてる。レベルはかなり高いところに放り込まれてしまっただけだな。

 何より、バタつくような走り方が自分の走りに伸び代があると教えてくれている。春はダート、夏の1レースは芝。2つ走って平均レベルに好走してるのはいい材料だ。

 

「君、目標は?」

「勝てればなんでもイイ。故郷に帰らナイタメには勝たないトいけない。アソコには、帰りたくナイ」

「......訳あり、か」

 

 口振りから察するによほど実家が苦手と見える。だがそれだけの原動力があるということだ。私の好みと少し違うが困ったやつに手を差し伸べるのも仕事のひとつ、だが、これはあまりよろしくない。

 

「その目標だとスカウトしてやりたくないな」

「何故デス?」

「目標ってのは具体的でないといけない。勝てればなんでもいいと言ったが、それはメイクデビューなの? 勝ちたいだけなら地方のほうが勝てるけど、なんで中央に来たわけ?」

「ココはターフがあるカラ。アメリカでターフに価値はナイ。でも、私がターフの方ガ走レル。日本はターフに価値があって、ダートに価値がナイ」

「それは穿ち過ぎた意見すぎるし、君の脚はそうじゃない」

 

 膝を折り、がっしりとトモを掴んだ。撫で回すと流石に蹴っ飛ばされるからやらない。しゃがみはするが、目線は絶対に外さない、外したほうが負けな気がする。

 

「筋肉質の良いトモだ。体重も順当に増えてるし伸び代も絶対にある。走りの幅はまだわからんが、いい末脚のウマ娘になれる。ターフとダート、両方取りに行ける才能がある」

「......勝テルならどっちでもイイ」

「どっちでもいいじゃないどっちもだ。なんでもいいどっちでもいいとか言ってると気持ちも切れるのが早いぞ。あとサポート科にいる方が日本には長く居ることができるのに、何故やらないんだ?」

「ソレハ」

「知らなかった、は聞きたくないぞ」

「......走ルコトは、捨てらレナカッタ」

 

 少しの沈黙の後、彼女は言った。

 

「走ることガ好きだッタ。走ってイルとみんなに褒めてもラエタ。デモ今ハそうじゃナイ。勝タナイと褒めテくれナイ。ダカラ......」

「......だから?」

「ダカラ逃げタ。先生が日本へ行クコト進めてくれた。デモ、結果残さナイト帰らないトいけナイ。ダカラ結果残さないと、イケナイのに」

 

 彼女は、俯いたままこう言った。

 

「ワタシは、弱い......強ク、なりたいノニ」

 

 彼女の敵は故郷なのだろう。幼い頃、多分小学校の頃の苦い思い出が彼女を故郷から追いやった。その原因が家族か友人か、周りの声かはわからないがもっと心を開いてもらわないとわからない。

 わかることは彼女は自分の弱さを認めさせられたウマ娘だ。けど彼女は本番のレースで打ちのめされた訳じゃない。彼女はまだ自分の強さってのをわかっていない。

 

「ならウチに来い。自分の弱さを認めてそれでも前に進みたいヤツを、まさしく君のような存在を。

()()()()()()()()()()()()()待ってたんだ」

「バ、バカ?」

「そう、バカさ! 走るのを捨てられず、かといって故郷のレースには勝てないから新天地を自分で選択したんだろう? まったく、どこまでも走りたいってことじゃないか! うんうん、実に最高だよ君は!」

「エ、エ?」

 

 かなり好みのウマ娘が出てきてテンションが上がる。困惑したように彼女は周りに助けを求めるように目を合わせるが、すまんがどいつもこいつもそんな奴ばかりなんだ。

 

「相変わらず無根拠なスカウトしやがって、論理性の欠片もねえな」

「そう? 情熱があってこそのウマ娘じゃない」

「チームが賑やかになりますねっ! これで存続ですよっ!」

「エ、アノ、エッ?」

「是非君をチームに迎え入れたい!」

「アノ、エッ、え、エエエッ?」

「こういう逸材が夏に落ちてるなんて最高だ! こうまでされると今年こそはルドルフに勝てる気がする、テンション上がってきたぁ!」

「アババババ」

「トレーナーさん泡吹いてますよ?!」

「おっと失礼。テンション上げすぎた。大丈夫?」

「アババ......」

 

 いつのまにか肩を掴んで揺すっていたらしく目を回していたその子を落ち着くように座らせてしばらく。私たちの目の前では、彼女が出走するはずだった最終レースが始まっていた。

 

「ごめんね、さっきは舞い上がり過ぎちゃって」

「イエ、大丈夫デス」

「ならよかった。それはそうとして君をスカウトしたいのは本気だ。さっきのは冗談でも、舞い上がっただけでもない」

「......私ヨリ強イウマ娘は沢山いるのニ?」

「そうだね。それでも君がいいかな」

「ナゼ?」

「実力だけが全てじゃない事を知ってるからね」

 

 実力だけでレース結果が決まるのならトゥインクルシリーズはもっと殺伐として、面白くないものになっているだろう。運や偶然を排除するのであれば日本ダービーに対する憧れはもっと小さくなり、スーパークリークなどの繰り上げてG1の舞台に偶然上がり、なおかつ栄光を掴むようなエンターテイメントは発生し得ない。人気薄のウマ娘がレースに勝つ大番狂わせもなくなってしまう。何より実力不足を頭と作戦でどうにかする私の走り方が否定されてしまうじゃないか。

 

「大事なのは心だ」

「ココロ?」

「気持ちだ。根性とか負けん気とか、要はハートさ」

「ハート......」

「まぁ見てなさいよ私が走るところを、そうすればわかる。

 ちょうどここにチケットもある。来な」

「Summer Dream Trophy ?」

「なんだ、知らないのか。ま、留学生だもんな。構わんさ。

今年のは1枠1番。まあ見てな、驚かせてやるよ」

 

 

 

◇◇◇

 

それから数日後。

彼女はフクキタル達と阪神レース場にいた。

 

「待っていましたよ、コチラです!」

「ヒトゴミで前に進めナクテ、ゴメンなさい」

「いえ、気にしないでくださいな。いつも混み合うんですよ」

 

 人でごった返す中をかき分け、最前列にもみくちゃにされながらたどり着いたそのウマ娘の制服はぐちゃぐちゃになっていた。その隣にいる先輩達も同じようなものだ。

 

「......1枠1番」

 

 アメリカから渡ってきた彼女には、日本のどのウマ娘がすごいかなんてわからない。ただアメリカと同じように『3冠ウマ娘』が優れていることや、G1をたくさん勝ったウマ娘は強いことは知っている。

 そのウマ娘は22戦10勝、うちG1を2勝していた。素晴らしい成績であることは間違いないがやはり他のウマ娘と比べると少し見劣りする成績だった。トゥインクル・シリーズを引退した伝説のウマ娘達が揃うオールスターレース。彼女は数日のうちにドリームトロフィーが大まかにどういうものなのかを理解していた。その上で1枠1番に注目しろ、とは一体なんなのかを考えていた。ただ実績におとるウマ娘が勝つ姿を見て自信を持てというのは無理がすぎる。ほかに何か理由があって然るべきだと。

 それを言ってきたトレーナーといえば、不在だった。見回しても全身黒ジャージで帽子を被ったあの女性はいない。自然、チームメンバーなら誰か知っているだろうという結論に達する。

 

「私ヲ焚きつケたトレーナーはどこにいるんデス?」

「およ? 聞いてないのですか?」

「聞イテイナイ、とは?」

「......もしかして気付いてないってこと?」

「あん時は他所行きの格好だったから仕方ねェ。すぐわかる」

 

『昨年皇帝を追い詰めたウマ娘でありながら()()()()()()()の異色の経歴の持ち主、今夏からは自分のチームを持つそうです。本日もその熱い走りに期待しましょう!

1枠1番、カツラギエースです!』

「今年こそルドルフに勝ってやるからなぁーっ!」

 

 はじまったバ場入場のアナウンス。ハナを切って最初に現れた、ターフビジョンに映ったのは揃いの白基調の勝負服にピンクと青の帽子を被った、先日自分をスカウトしていたはずのトレーナーだった。

 

「......な、な、な! ナゼ?!」

「うちのトレーナーはウマ娘だ。普段は隠してンだよ」

「見ておけってのはそういう事。まずは自分の走りを、ってね」

「ドリームトロフィーが近くてラッキーでしたね」

「ん、あ、いたいた、おーい!」

 

 教え子たちを見つけたのか、手を振ってかけてきたそのトレーナーはそのウマ娘の顔を見つけると、嬉しそうにさらに大きく手を振ってから彼女の手を取った。

 

「君来てくれたのか! 嬉しいよ、ありがとう!」

「イエ、日本最高峰のレースヲ見に来タダケデス」

「つれないねぇ。ま、私の走りを見ればそうも言えなくなるさ。全員ぶっちぎって驚かせてあげるよ。

あ、そうそう名前、聞き忘れてたんだよね。君、名前は?」

「今更デスカ?」

「あの時はちょっとハイテンションでさ。で、教えてくれないの?」

「イーグルカフェ、デス」

「イーグル、鷲かぁ。いい名前だ。私はカツラギエース。ここにいるってことはチームに入るかどうかは私の走りを見て決めてくれるってことだよね! そんじゃ、次はライブ会場で会おう!」

「......サワガシイ人」

「普段はもっと落ち着いてるんですよ。でも、最近はずっと楽しそうなんです。いろいろ吹っ切れて、本当に」

 

 そう言ってどこか遠くを見るフクキタルの横顔を見るイーグルカフェ。その顔は今まで見たことのないほど晴れやかなもので、きっと彼女がいい思い出をカツラギエースと作ってきたのだろう事を感じさせた。

 

(レースを見テ決めるコト、ダシ)

 

その顔をさせてくれる人はどんなトレーナーなのだろう、と胸をときめかせてしまったことが恥ずかしくて、目を逸らすように彼女は目の前のターフビジョンに目をやった。

 

発走時刻まで、もう少し。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

「今日は随分と楽しそうですね。何かいい事でもありましたか?」

「ああルドルフ聞いてくれよ! 今日こそはルドルフとの因縁に決着がつけられそうな気分なんだ。なにせチームに新しいメンバーが入るかもしれない!」

「それは、いい事ではないですか」

「まだ決め兼ねてるらしいが、ま、私の走りで決めてくれるってんなら無様な走りはできんよ。今日こそは勝つからね」

「いつまでも負けるつもりはありませんよ」

「ちょっと、アタシのこと忘れないでよ!」

「私がシービーのことを忘れられるかよ」

「お、それって告白?」

「悪夢的な意味でだアホ。こないだの冬は負けたけど今日は勝つからな!」

「私もです」

「イイね、やっぱり君たちと走れる私はなんて最高なんだろう!」

「だーかーら最悪って言ってんでしょ!? 笑ってんじゃないよ!」

「フフッ、仲は相変わらずですね」

「ルドルフまで? 全く、今日は恥ずかしいとこ見せられなってのにさぁ」

 

 

今回の設定は阪神2200m、『宝塚記念』

 

 私がG1を初めてとった舞台だが、そこにシービーはいなかったし、ルドルフだって勝ったことがないレース。

もしかしたらトゥインクルの舞台で叶うはずだった夢。

ま、もう関係ない。別の舞台とはいえ走ることが叶ったんだ。

 

 

 

諦めなくて、本当に良かった。

 

 

 

『全ウマ娘枠入りが完了! 今年は阪神2200m、宝塚記念を舞台に伝説のウマ娘が走ります。この舞台で栄光を獲得したウマ娘も、苦渋を味わったウマ娘も、走ることすら叶わなかったウマ娘もいるでしょう。ですがそれが叶うのがこの舞台。幾多の夢を乗せて、ゲートが今、開きました!

 

さあスタートダッシュから大きく飛び出したウマ娘が1人いるぞ! 1枠1番、カツラギエースだっ!』

 

 

「さぁ、私の背中について来いっ!」

 

 

 

 

 

 




2年間、ありがとうございました


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第Ex章 ありえたかもしれない、そんな夢
第Ex/2-13話 奇跡の可能性


蛇足、あるいはありえたかもしれない一幕。


アニメ ウマ娘2 最終話の視聴を前提としています。


 

 

「レガシーワールドとウイニングチケットも来るか。マチカネタンホイザといい、メジロパーマーといい、今年の有は豪華すぎるな」

 

またしても誌面に踊るのは有出走の報道。この時期はもうでかいG1も有と東京大賞典くらいなもので、また今年の有は例年稀に見る豪華メンバーだとマスコミもファンも盛り上がっているせいかメディアも力を入れている。

 現に今組まれているのはJCで伏兵から抜け出したレガシーワールドの取材と彼女の有記念出走表明の記事。こないだうちのビワハヤヒデがウイニングチケットの有出走に関してコメントを要求する取材もあったもんだから、熱の入り用も段違いってものだ。

 

「しかし過密ローテがすぎるなウイニングチケット。怪我しなきゃいいんだけど」

 

 現役時代ほどでもないが、担当のライバルの動向は、なんとなしに気になってしまうものだ。彼女は10月頭の京都新聞杯から菊花賞、ジャパンカップ、有と月1回のペースを、それもクラシック級に走っている。距離も2200、3000、2400とハードなレースばかり。夢を叶えたはいいが、そのあとはもう少しのんびりしてもバチは当たらんだろうに。怪我でもしたらなんとするかと思わずにはいられない。

 怪我引退ってのは悔いが残る終わり方だ。まだ走れるはず、もっと早く走れたはずと出しきれずにいたフラストレーションを発散する場はもうない。何せドリームトロフィーですら怪我なら治してトレーニングして、もう何年もかかる。その間に衰え切ってしまって、予選会すら突破できないウマ娘は何人もいるのだ。

 

 まあ、今のウイニングチケットはうちのハヤヒデの敵じゃあないがライバルの1人だ。彼女の疲労が抜けきれないのならライバルが減っていいことじゃないか。そう思うことにしよう。

 

「ねぇ」

「んお? なんだ、トウカイテイオーじゃないか。今お茶でも入れてやるよ」

 

レース新聞を閉じて、突然やってきた来場者を出迎える。近場ということもあってかスピカの誰か(特にスカーレットにつっかけに来るウオッカ)がうちのチームルームに来ることは珍しくないが、テイオーが1人で来ることは今までなかった。

 とりあえず茶でも出してゆっくり話そうか、と腰を浮かせたところでテイオーがそれを制するように言った。

 

「お茶はいいや。話があるんだ。すごく大切な話」

「テイオーから話しかけてくるってことは相当なんだろう。ここじゃダメか?」

「邪魔されたくない。ついてきて」

 

 連れられるままにテイオーの後をついていく。しばらく歩き、校舎内にまで入って案内された先は人気のない教室だった。テイオーが開けたしっかりと扉を閉め、彼女の希望通り邪魔の入らないように鍵をかける。テイオーが空いた椅子の一つに座るのを見計らって、その前の椅子を引いて向かい合うように座った。普段はピーピーとことあるごとに騒がしいテイオー、だが彼女は私が見ない間に随分と大人になっていた。騒がず、揺れず、ただまっすぐ背筋を伸ばしてこちらの目をじっと見つめている。

 その様子が、まるでアイツにそっくりで思わず少しだけ笑ってしまった。

 

「ルドルフに似てきたな」

「そぉ?」

「でも今のテイオーの方が好きだね、私は」

「カツラギに好きって言われても嬉しくない」

「生意気さは変わらずか」

「カイチョーを負かしたやつなんて大っ嫌いだもん」

「そりゃどうも」

 

 スピカ時代に何度もやったもはやお約束とも言えるくらいのやり取りもかわらないけれど、もう篭ってる嫌悪感は薄らいで形だけの応酬になってしまっていた。もしくは、嫌悪感を隠せるくらいに大人になったということだろうか。

 

「それで、お望みは?」

「有記念。絶対に勝たなくちゃいけない。勝てる方法を教えて」

 

 まっすぐ背筋を伸ばしてテイオーはそう言った。予想はついていたが直球でその質問を投げてくるとは思わなかったな。

 

「復帰は秋天じゃなかったのか? 出バ表を見て驚いたんだぞ、なんでやめた」

「有記念一本に絞ったんだ。絶対に勝たなくちゃいけなくなったからね」

「......マックイーンの件はトレーナーちゃん、じゃなかった、沖野トレーナーから聞いてる。そうイれこむことも無理はないのはわかる。だが怪我の前歴があるから無理をするようなことはさせないでくれとも頼まれてるんだ」

「でも、勝ちたいんだ」

 

 マックイーンの怪我の件で周りが見えなくなっているだけだ、考え直した方がいい、という言葉を寸前で飲み込んだ。

彼女の青い目が、じっとこちらを射抜いていたから。

この目、この目だ。今のテイオーは私にとって毒がすぎる。

デビューしたての驕り高ぶるジュニア級ウマ娘でも、実力を内外に知らしめたクラシック級ウマ娘でも、ライバルに敗れ、夢破れたシニア級ウマ娘でもない。

格上に対して万に一つしかない勝ち筋を求める挑戦者。一世一代の大勝負。次のレースに燃え尽きてもいい、全てを賭けても勝ちたいんだという覚悟が決まっている、ジャパンカップの時の私と同じ目をしたウマ娘がそこにいる。

ほんと、若さってのはいいよねぇ。

 

「このレースの後怪我してもいいんだな?」

「うん」

「引退することになっても責任はとらないよ」

「わかってる」

「惨敗しても、私は知らないからね」

「そんなことにはならないよ」

「私は担当が勝つために全力を尽くすからね。あの子を、ハヤヒデの夢を叶えるために。そのための障害は叩き潰す覚悟はできてる。たとえテイオーでも」

「それでいいよ」

「本気か?」

「うん、本気。それにトレーナー言ってたもん。『アイツは今のお前にだけは嘘はつけないから』って」

 

 にしし、といつもの調子で笑みを浮かべたテイオー。全く、独立して何年も経ってるってのにいつまでも担当とトレーナー気分でさ、何もかもわかったつもり? 

 全くもって見透かされてその通りなんだけど、思わずため息が出る。トレーナーちゃんは何もかもお見通しだ。ただ私が何を教えるかすらもなんとなく予想もついてるだろう。私の代わりに教えることだっててきたはずだけど、わざわざテイオーを寄越したのには理由がある。

 

トレーナーの言葉に実感はなくて、私の言葉にはそれがある。私の言葉にしかない何かを感じ取って欲しかったんだろう。

なら、こうだね。

 

「誰のために、その勝利を捧げるつもり?」

「誰のため?」

「そうだ。その勝利は誰のために捧げる? マックイーン? ルドルフ? それともスピカのみんな? それとも」

「自分のために?」

「そうかもね。その返答次第で、教えるかどうか決めさせてもらうよ」

「決まってる。ボクは」

 

 返答次第では話は断るつもりだった。マックイーンのため、チームのため、みんなのため、応援してくれるファンのため、そんな優しいナメた答えを出すようなら何も言うつもりなんてなかった。

けど、トウカイテイオーは言い切った。

 

「ボクのために。ボクが勝ちたいからだ」

「マックイーンの為じゃなくていいのか」

「ボクが勝てば、マックイーンがまた立ち上がってまたボクと同じ場所に立ってくれる。ボクが勝てばマックイーンはまた走れるようになるんだ、大丈夫。マックイーンは強いんだ」

 

 テイオーはそう言うがマックイーンの怪我は不治の病と呼ばれる屈腱炎だ。完治することはほとんどなくたとえ復帰しても常に引退の危険が付きまとう。日常生活、練習、レース、競走ウマ娘としての全てに再発の危険性が付き纏うストレスは他の病気の比じゃない。それにマックイーンは悪くいえば全盛期をとうにすぎた落ち目のウマ娘でもう引退の区切りにしてもいい怪我、周囲は引退を勧めるだろうし、本人だってもう走らなくてもいいと諦めているかもしれない。

だと言うのに、トウカイテイオーは信じている。

 

自分の勝利を見せれば、メジロマックイーンは復活すると。

屈腱炎を克服し、どんなレースにせよライバルとまた勝負ができると思っている。なんと傲慢でわがままな思い込みだろうか。

 

「本当に勝てばマックイーンが戻ってくると思ってるわけか」

「当たり前じゃん」

「なるほど、トレーナーちゃんにはわからん価値観だな」

「でしょ? にひひ」

 

 その傲慢さはきっとルドルフの背を見て育ったからだろう。欲しいものを手放さない。勝利もライバルも夢も栄光も、アイツはいつだって掴み取ってきた。でも、テイオーはそれを取りこぼして来た。菊花賞は脚の怪我、天皇賞春は長距離適正。宝塚記念を3度目の骨折。天皇賞秋のマックイーンとの再戦の機会を、マックイーンの怪我で。

ならばその夢を叶えようと伸ばす手は、ルドルフよりも執念深いだろう。

 

「京都の3200じゃマックイーンが勝った。でも、3000も、2500も、2400も、2200も、2000mもレースがまだなんだ。きっちり勝負で決着をつけなきゃ引退なんて出来ないよ。ぼくたちはまだまだこれからなんだからさ。だからなんでもいい」

 

 やはりと言うべきか場の空気が研ぎ澄まされていく。一定以上の実力のウマ娘は領域を持つというが、私はもうテイオーは領域を発揮することができないと思っていた。心技体、全て揃って発動するのがこの力だ。もうテイオーには心技が揃っても体が足りない。3度目の骨折、軽度であれ脚の怪我はウマ娘にとっては致命傷なはずなのに、

 

奇跡を起こす(勝つための)方法を、教えて」

 

 彼女の後ろに、抜けるような青空を幻視する。今のテイオーはデビュー以来おそらくダービーの時よりも仕上がっていると直感してしまう。

賭ける思いは私のよりも遥かに重く、向ける願いはたった1人のライバル(しんゆう)のために。

 

「すまんなぁハヤヒデ。やっぱり1%の敗因を作るのは私だ」

 

 シャカールと、私と、ハヤヒデ。私たちが新しく立ち上げたチームにリギルから移籍してまで勝利を追い求め、チームで作り上げた彼女だけの『勝利の方程式』。やっと菊花賞に間に合ったそれは、次の舞台のお披露目に有記念を選択していた。出走メンバーもほぼ決まった段階で導き出された勝率は『99%』、絶対に勝てると普段なら言える確率。だが今もうその数字を安心できると言えなくなっている自分がいる。敗北の可能性残り1%はきっとテイオーが持っているんだと直感した。

 彼女がもし負けるとしたら、トウカイテイオーだけだ。

 

「マックイーンに約束したんだ。奇跡を起こして見せるって」

「そんなものないよ」

「......え」

「言い方は悪いな。奇跡なんて()()()()だけ。必要なのは回る頭とその心だけでいい」

 

 呆気に取られるテイオーの胸を小突く。そんな奇跡に縋るほど、私は残念ながらロマンチストじゃいられなかった。手にウマ娘特有の力強い跳ねるような心臓の鼓動を感じながら、言葉を考え選び、どうすれば伝えられるかと頭を回す。

 

「うちのハヤヒデは最強だ。先行抜け出し、直線4角先頭から押し切る必勝ムーブを破れたのはBNWのあの2人だけだ。けど奇跡は2度は起こらない。3000m押し切れるスタミナと2000mを突き抜けるスピードに並ばせないほどの勝負根性、どれをとっても現役最強だ。今なら春天、マックイーンをかわしたライスシャワーだって並ばせない自信がある。だが、それを打ち破るつもりがあるなら。現役最強に挑む覚悟があるなら、ハヤヒデの背中を追ってこい。

 奇跡は起こすものじゃない。絶望的な実力差をひっくり返すジャイアントキリングが奇跡と呼ばれるだけで、だから奇跡なんて必要ない。奇跡を起こしたいなら勝つしかないんだトウカイテイオー。ハヤヒデは4角先頭最終直線で押し切る先行策、これ以上は教えない。私にも立場ってものもある」

「......わかった」

「それとこっちだって負けられないんだ。ハヤヒデはライバルとクラシックの舞台じゃ1勝ずつ。この舞台で走れなかったナリタタイシンの強さの証明の為にも、ウイニングチケットとの勝負にケリをつける為にも、妹に背中を見せるためにもハヤヒデは勝ちに行く。カノープスのメンバーも同じだ。特に今年はG1勝利の重みを理解しているメンバーが多いんだ、気持ちだけで他人を気圧せると思うなよ。勝ちたいならそれ以上の力かそれ以上の想いを持ってこい」

「......優しいね。ボクのこと、嫌いじゃなかった?」

「嫌いだよ。昔は調子乗ってルドルフの背中を追おうとするクソガキだったもの」

「今は?」

「大っ嫌いさ。なんせ私よりずっと強い」

「強い? やったね」

「調子乗るなよ。今だったらちゃんと私の方が強い。だけど、昔の同じくらいの自分と比べれば、今のお前はずっと強い」

 

 彼女は最後まで折れなかった。三度の骨折も、距離の壁も、ライバルとの離別も、どうしようもない自分に対する不甲斐なさも全て飲み込んでそれでも前を向けた。たった一度の強大な壁にぶち当たって折れた私とは随分違う。それに走った期間の長さで言えばテイオーの方が私よりもう随分と長いから経験値でも私よりずっと多い。

 

「それと、もひとつアドバイス。昔の勝負服を着てったらどうだ? クラシックでつかってたアレ」

「白と青のやつ?」

「そ。皇帝を超えるなら、奇跡を起こすってんならあの服がいい。アレ、ルドルフのパクリだろ?」

「パクリじゃないもん! ちょっと似るようにお願いしただけだし」

「ま、そういうことにしといてやるよ」

 

 私の質問でいくらか空気が軽くなったらしくテイオーの雰囲気も少しだけ柔らかくなっている。それに相応しく、私も少し座った姿勢を崩し、テイオーに笑いかけながら言った。

 

「ルドルフのことを少し語らせてもらうならルドルフが奇跡を起こすことなんてできないのさ。怪我もなく、常に安定した走りで、ほんの数歩の後先で決まる勝負ばかりしてる『絶対』で、常に王足りえる実力がある。奇跡ってのは、強者には起こせないのさ。

 でも、お前は違う。お前はもう日本ダービーまで持ってた『絶対』じゃない。天才であっても『皇帝』にはなれない。だが憧れは超えられる。せっかくの晴れ舞台きっとルドルフも観にくるさ。なら、なら」

 

憧れ(皇帝)くらい越えて見せるよ」

 

 私の言おうとした言葉を、先に言われてしまった。やっぱり随分と見ないうちに大人になってら。本当に、ウマ娘の成長ってのは早い。

 

「ああ、越えてこい。あの横っ面を蹴り飛ばしてやんな」

「ありがとう。この恩は返さないから」

「薄情者め。んじゃ取り立てに行くよ、レースでな。ついでにマックイーンにも借りを返してもらうかな。スピカで散々関節技かけられた借りがある。一緒に同じレースできる時を待ってるからな」

「うん。じゃあ、また」

「おう、また」

「「中山レース場で」」

 

 

 




あったらいいなって、思う話でした。


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第Ex話 変わらないもの(前編)

公式に追いつかれました。なので公式と取っ組み合いをしようと思います。


 

 

 

「......朝か」

 

 冷たい机の上で目を覚ましたことを自覚しながら、軽く毛伸びをする。ここ最近は忙しかったし、最近ろくすっぽベッドで寝られていない気がする。担当のレースがひと段落でもすれば温泉旅行にでも行ってリフレッシュでもできるんだけど、いつになることやら。

 

 深呼吸をしようとした私はむせかえるような埃っぽい空気を吸い込んで思わず咳き込んだ。

 

「ゔえっほっ!? えっふ、うええ! 換気換気!」

 

 チームルームのプレハブ小屋の空気を入れ替えようと窓枠に手を伸ばす。妙に錆びついてガタつく窓を開け切ってひとつ大きな息を吐いたところで、せっかくのおろしたての一張羅が埃まみれになってしまった事実に思わず悪態をつきたくなる。せっかくのスーツがクリーニングに出したばかりだというのにこれじゃあ台無しだ。

 

「昨日はそんなに空気悪くなかったはずなんだけどな。誰だ、ダートコースから帰ってくる前に砂を落とさなかったのは」

 

 あたりを見渡しながらぼやきたくもなる。確か昨日の練習メニューは、と思い出そうとしたところで、何かチームルームの内装に違和感を感じた。

 

 棚の上にあったはずのトロフィーがない。本やらグッズやら何やらで埋まっていた棚が空っぽ。机の上には埃がびっりしと積もっていて、ロッカーの名札が消えている。

 

まるで、何年もこの場所が使われていないような──

 

「なにかが、おかしい」

 

とりあえず外にでなければ、と私はこの場所から飛び出した。

 

 そして知り合いを探してしばらく学園を走り回った結果、一つの結論に辿り着いた。

 

「......なにもおかしくないな」

 

学園内の風景は、至って私の知るものと変わりなかった。

 

 友人と会話に花を咲かせる学生達や、何か問題を起こしたのかすごい速度で逃げていく生徒と、それを追いかける生徒会らしきウマ娘。時折変わり者が変なことをしていて、大半の生徒が青春を満喫し、練習に精を出すいつもの放課後の光景だった。知り合いに会うことができなかったのは残念だが、2000人もいる以上走り回って会えるはずもないことを今更ながらに思い出す始末だ。

 

 少しばかり学生たちがこちらを見てなにやらヒソヒソと話していることは多いものの、埃まみれのスーツで出歩いていれば注目の一つや二つくらいは買うものだろう、と気にしなかった。

 

時間を確認しようと時計を見たところで、ふと首を傾げる。

 

「夜の2時? 妙だな」

 

 デジタル時計がこうも狂うことがあるだろうか。しかもこれは耐水仕様の頑丈な時計で落としたりぶつけるだけじゃびくともしないようなものだ。

 

「じゃあ、ウマホは?」

 

 こちらも取り出して電源をつけてみれば、時計は同じように2時を示している。どうにも壊れているわけではないらしい。

 

「どうしたことやら」

「見つけました、こっちです駿川さん!」

「あら、たづなさんじゃないですか、ご無沙汰です」

 

 悩んでいると向こうから解決策が歩いてきた。何か私を指差す黒鹿毛の生徒に腕を引かれながらバタバタと駆け寄ってくる緑色の制服姿は、この学園の頼れる理事長秘書のたづなさんだ。チーム運営関連でも何かとお世話になっている。

 

「実は時計が壊れちゃいまして、何か電波障害でも起きてるんですか?」

「あなたですね! 不法侵入した不審ウマ娘というのは!」

「はい?」

「何度も生徒から報告が上がっています! 校内中をそんな格好で練り歩いて、見つからないとでも思ったんですか!」

「あの、たづなさん?」

 

 まるで部外者と話しているような口ぶりに思わず聞き返す。

 

 話がまるで噛み合わない。まるで私のことを知らない誰かだと思い込んでいるようだ。もしかしたら徹夜明けの酷い顔に汚れでもついていて人相がわからないのかもしれない。一回チームルームで寝てたら不審者と間違われたこともあるから、きっと今回もそうだろう。あの時の慌てふためく大騒動はとても大変だった。

 

 私はいつも持ち歩く財布から、更新したばかりのトレーナーライセンスを取り出して見せる。

 

「あー、すみません。私鏑木、じゃなかった、カツラギエースなんですけど。酷い顔ですみませんね、徹夜明けでして」

「カツラギエース?」

「あー、鏑木の方がよかったですか? それだったらこっちに運転免許証が......」

「コイツ偽物だ!」

「おわっと、危ないでしょ、ふぅ」

 

 生徒に払い除けられたライセンスカードをギリギリでキャッチして胸を撫で下ろす。これはないことには私は身分証明不可能な無職の不審者だ、無くしでもしたら一大事なんだぞ。

 ライセンスをしっかりとしまってから、私とちょうど同じくらいのその身長のウマ娘を睨みつけた。

 

「ライセンスはトレーナーにとっちゃ命の次に大切なもんなの。だからもうちょっと大切に扱ってほしいね」

「ライセンスだか何だかを偽造するにしたって下手が過ぎるだろ、なんだカツラギエースって、ふざけたことしやがって」

「人の名前にケチつけないでよ」

「あたしの名前だよ!」

「なんだって?」

「だーかーらー! あたしが()()()()()()()だ!」

 

 睨み返す私と同じ名前を名乗るウマ娘。喧嘩腰の態度からしてまともな話し合いは望めそうにない。何より同じ名前のウマ娘がいるなんてわけのわからない感覚に頭がおかしくなりそうだ。

 

「とにかく、一緒に来てもらえますか」

「洗いざらいキリキリ吐いてもらうぜ」

 

 そうでなくともこの状況は不味い。2人がジリジリと詰め寄る中、私は咄嗟に2人の後ろに生えている木の上を見上げて叫んだ。

 

「おいシービー! 木の上で昼寝すると落ちるぞ!」

「えっ」

「あのバカっ!」

「......まじか」

「ってああっ、待ちなさい!」

 

 驚いた顔で振り向く2人、現役時代ちょくちょく使った手に綺麗に引っかかってくれるのかと驚きながら私はその隙をついてスタコラサッサと逃げ出した。

 

「おいシービー! どこで寝てんだ、起きろバカ!」

「アタシがどうかした?」

「......木の上で寝てたんじゃないのか?」

「さっきまで散歩してたけど」

「なななんなーっ! あのヤロー! 騙しやがったな! とっちめてやるからなぁ!」

「なんか面白そうだね、混ぜてよ」

「おういいぜ、さっきふとどきにもカツラギエースの名前を騙った不届なヤツがいてだな」

「どんな顔してたの?」

「黒鹿毛でスーツでやつれてて、あーっ、思い出すほどムカつく! しかもトレーナーなんて言ってたぜ!」

「なるほど、それで?」

「そんでなんかよぉって、シービーが化粧でもしてるなんて珍しいな。トレーナーとデートかよ?」

「大人になればわかるよ」

「あたし達は同い年だよ!」

「?」

 

 

 

◇◇◇

 

 

『おかけになった電話番号は、現在使われておりません』

「一体全体どーなってんだ」

 

 携帯の電源を落としながら、私がガックリと肩を落とした。

 

 たづなさんを首尾よく撒いて行き着いたのは校舎の屋上。だいたい空いているここは隠れ場所にはぴったりなのは昔から変わらない。給水塔の影ならなおいい。

 

 ここでチームメイトや沖野トレーナーあたりにどうにか連絡を、と電話をかけているがどれもつながらない。しまいのはてには110番すら番号がないと突き返される始末で、本格的に私の頭がおかしくなった方を疑わざるを得ない。

 

「タイムスリップ? にしては110番は繋がらないのはおかしいだろ。というか知り合いを探すにしたってなぁ、あんなふうになったら洒落にもならん、どうしたらいいんだ」

 

 普段の日常風景なのに感じる気味悪さは悪夢と同じだ。全く徹夜なんてするんじゃなかった。

 

「どうしたの?」

「ああシービーか、聞いてくれよ......お?」

「アタシがどうかした?」

 

 後ろからかけられた親友の声に思わず振り向くと、そこにはミスターシービーがいた。

 

 彼女はすこし垢抜けて、背がすこしだけ低くて、そして、トレセン学園の制服を着ていた。

 

つまるところ私の知るミスターシービーではない。

 

「アタシの知る限り、アタシにそう気軽に声をかけてくるトレーナーはいないんだけれど」

 

まずい。

 

「君は──」

 

まずいまずいまずいまずいまずい! このままだと非常にまずい!

 

「もしかして──」

 

 何がまずいってミスターシービーなことだ。あの気分屋の欠点は何をしてくるかわからないところ。気まぐれかと思いきや急に素面に戻ることだってある、特に学生時代はネジの外れ方は尋常ではない、とにかくどうにか、どうにかしないと!

 

「私をスカウトにきたの?」

「金輪際チームになんか入れねえよ胃に穴が空いて死ぬんだよだいたい練習メニュー守らねえわ練習前に併走でヘロヘロになってるわ何も言わんで練習はふけるわいい年こいた大人が気が乗らないからで予定に穴を開けんじゃねーっ!」

 

 中指を突き立てながら一通り捲し立ててしまったところで、正気に戻った。

 

 日頃から積もるものはあったとはいえちょいと言い過ぎだ。

思わず帽子の鍔を下げて目を合わせないようにしようとして、指が空を切る。この格好にしてから帽子はかぶってないんだった。スーツに合うスポーツキャップやサンバイザーがどこを探しても見つからんのが悪いのだ。

 

 シービーはぽかんとした表情をしばらくしていたと思えば、私のポカを見てゲラゲラと腹を抱えて笑い出した。

 

「あっははは! へんなの! 面白いね、というか、なんで私のこと知ってるの?」

「色々。ところで今西暦でいくつ?」

「ん? 20XX年だけど」

「マジかよ」

 

 20XX年は今年なのは間違いないんだが、それが問題だ。

 

 なんでもうすぐアラサーになろうとしてるはずなのに、シービーは学生をしてるのか。そして私と同じで顔が違うウマ娘が学生やってるのか。

 

 なんとなく予想がついた。突拍子のないことだが、大体のことは納得がいく仮説がひとつだけある。

 

 まさか、アニメやドラマみたいなことが自分の身に起きるとは思わなかった。

 

「あー、バカな話だと思うが聞いてくれ」

「聞くよ?」

「私の名前はカツラギエース。ミスターシービーとは同期のウマ娘で、親友で、多分ライバルだ。

......私は多分、別の世界からやってきたらしい」

「なにそれ詳しく!」

「あーうん。お前はそういう奴だった」

 

 

 

 

 

 

 

 



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第Ex話 変わらないもの(中編)

 

 

 

 

「別の世界って漫画みたいなことを言うね」

「信じられないと思うけどシービーだしどうせ信じるでしょ?」

「あはは、信頼されてるね」

「そゆこと。あと、ひとつ聞いときたいんだけどいいかな?」

「いいけど何?」

「シービー、トゥインクルシリーズはまだ?」

「トレーナーは秋にはデビューって言ってたかな?」

「となるとレースについては言わないでおくね。ネタバレ聞きたくないでしょ?」

「もちろん!」

 

 目の前の親友は頷いた。元気のいい返事はやっぱり私の知るシービーと同じだ、学生時代に戻ったようで懐かしくなる。

 

「ところでさ、本当に貴女がカツラギエースって言うなら、私のことを教えてよ。そっちの私はどんなウマ娘なの?」

「先に自分のことなのか?」

「全くの別人だったら面白いじゃない、そうでしょう? で、どうなの?」

 

そう言いながらこちらにグイグイと距離を詰めてくるシービー、考えていることは相変わらず読めなくて少し笑ってしまった。

 

「残念だけど、多分今の君とほぼ変わらないかな」

 

 まあ座りなよ、と私は壁に背を預け腰を下ろすとシービーもそれに倣って制服の汚れも厭わずに砂だらけの床に腰を下ろした。それを見てから、私は口を開いた。

 

「私の知るシービーは、トゥインクル・シリーズを走った後のシービーだ。だからレースの喜びも挫折も味わって大人になった感じがするね。その辺は今の君とは違うかな」

「そっちの私は大人になったんだ」

「大人になるのは嫌かい?」

「大人になるって折り合いをつけることでしょ? そんなのつまらないじゃない」

 

 口を尖らせるシービー。確かに、大人は自分がやりたいことが全部できるとは限らないし、全部が全部レース勝負で解決できるほど単純じゃなくなってしまう。

 全くシービーがいいそうなことだ、と思いながら、私はいつかのあいつのセリフをそっくりそのまま言ってやった。

 

「つまんないどころか最高さ、だってよ」

「最高?」

「おんなじことを疑問に思って、聞いたことがあったんだ。大人ってのは制約も多いけど、どうなんだってさ。

 あいつは、確かにそうだけどできることも多いって返したよ。そして何よりあいつは、やりたいことを通すためになんでもやるヤツだった。

 

 しがらみも、折り合いも、問題も全部全部吹っ飛ばして、やりたいことを押し通し続けているのさ。本当にバカだよ、バカ、大バカだ」

 

 私を引き戻すために引退した自分のトレーナーを引っ張り出し、私にトレーニングをつけさせ、三冠ウマ娘の縁と名誉、自分の使えるものを全て使ってあいつは私をターフに引き戻した。

 

 ただ私とあの時のリベンジマッチをするためだけ、自分のやりたいことを叶えるためにだ。本当にわがままは変わらない。今も昔も、いつだってあいつはまさに天衣無縫だ。

 

「変わらないよ、ずっと」

「そうなんだ。じゃあ君は?」

「私?」

「カツラギエースというウマ娘も変わらない?」

「私はダメだったな。いっかいポッキリ折れて、走るのもやめた。だから今トレーナーなんてやってるんだよね」

「......そう、なんだ」

 

 少しだけ声のトーンが落ちたのを見て、彼女の抱える悩みになんとなく当たりがついた。

 

 圧倒的強者が対面する問題、それは『周囲の心が折れていくこと』。昔の私がルドルフに対して抱いた絶対的な恐怖、勝てないと無意識に思い込んでしまうような、そんな隔絶した実力差をシービーは持っている。

 

 いかに周囲を気にしない性格だろうが、どれだけ人の心を折ってきたのか無意識に感じ取っているのだろう、彼女はすこしだけがっかりしていた。

 

 ま、私がそうはならんかった以上あれも随分と『諦め悪い』性格だろうさ。

 

「けど私は最後までお前に勝つことを諦めきれなかった。お前が走れば私は、いや、こう言うべきだな?」

 

『カツラギエース』は、お前の背中を追い続けるさ。

 

 驚いたように顔を上げるシービーに、私はニヤリと学生時代の時のようにキザでムカつく笑顔を浮かべて見せた。

 

「理由なんてのは単純だ。お前はミスターシービーで、カツラギエースの永遠の目標でライバルだから、絶対に大丈夫。

 何回でもボコボコに沈めて、びりっけつにしてやれ。立てた作戦も役に立たないくらいに気まぐれに走って勝て。

いくらまかしても、勝つためになら何度だって立ち上がるさ。

 

なんせカツラギエースは、ウマ娘の中で1番諦めが悪いんだからさ」

「いい自己紹介だね、参考にするよ」

「そいつはどーも」

 

 いつもの飄々とした表情に戻ったあたり暗い気分を吹っ飛ばす助けの一つにはなったらしい。

 

 にしたって、やっぱり昔と比べてもこっちのシービーとは違うな。こっちのは随分と年相応に高校生だけど、アイツは『まあなんとかなるでしょ、折ってから考えよ』とかシラフで言っちゃう無神経タイプだし、実際そうなったわけだし。

 

 なんか思い出すだけでムカッ腹が立つな。同じ顔の別人だけどボコボコにしないと気が収まらなくなってきた。

 

「シービー、今どんな靴履いてる?」

「蹄鉄」

「最高。併走に一本付き合ってくれる?」

「いいね、私もそんな気分だったんだ。気が合うね」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「で、散歩してたらここに来ちゃったってわけ。多分人違いじゃない?」

 

 あんぐり、と口を開けて固まったエース(らしいウマ娘)をみて私は思わず笑ってしまった。

 

 さっき『君の名前知らないや』なんていったら『親友の顔も忘れたのか!』って突っかかってくるもんだからかくかくしかじかって説明したらこうだもん。こう理屈っぽいところ、ほんとにそっくり。

 

「そんな顔の似た他人がいるわけあるかい!」

 

 しばらくして戻ってきたら、思いっきり想像通りのことを叫ぶからまた笑っちゃった。

 

「アハハハ! 顔は違うのにそっくり!」

「知らん他人と似てるって言われても嬉しくねえよ」

「全く同じこと言ってそう、いやもっとこうかな、『そんなバカに似てるって言われたら不愉快だ』っていうね!」

「お、おう。ひでぇこと言うな、その誰かはよ」

「エースのことだよ」

「アタシ?」

「名前は同じかな。けど君より真面目だ。なんせ今私をふんじばって風紀委員に突き出してないからね」

「そっちのあたしは随分と乱暴なんだな」

「三冠ウマ娘ってエライって聞いたんだけど知るかバカって返されちゃったなぁ。懐かしいや。授業を抜け出してハンバーガーを食べに行った時の話だったんだけどさ」

「三冠?」

「そ、あたし三冠ウマ娘なんだってさ」

「三冠てぇとクラシック三冠のことか?」

「そうだよ! 全部一緒に走った仲なのに忘れるなんて酷いなぁあんなに楽しかったのに。毎回この話をするとエースって怒るんだよね。『こっちが負けたレースばっかり混ぜっ返すな』ってさ。前哨戦じゃずっとこてんぱんなのに、お互い様だよね、そうは思うよね?」

「まあ、うん。そうだな」

 

 さっきから歯切れの悪い答えばかりが返ってくるばかり。もっとサバサバした割り切った子だと思ってたのだけれど、これは妙だ。毎回『もうちっと他人の気持ち考えろ』ってエースには怒られてるし、そうだね、なんで元気に返してくれないんだろうって考えてみると。

 

「もしかして負けレースの結果を思い出すのは嫌?」

「知らないレースの話をされても、なんとも思わねえよ」

「あそうなんだ。じゃあ続き話しても」

「お前は本当に、そういう、だああ、もう!」

 

 エースは頭をぐしゃぐしゃとかきむしると、結局肩をガックリと落としてため息をついた。

 

「そっくりさんだからって、性格まで似てるのかよ」

「無神経とはよく言われるけどね」

「そういうところ、嫌いじゃねえけどよ」

 

 ただなぁ、とたくさん言いたげな事があるような感じでエースはまた頭をかいて、

 

「友達いなくなるだろそういうの」

 

 予想外の一言にまた面白おかしくなって思わず笑ってしまった。

 

「アハハハ! やっぱり、そういうところだよ!」

「な、なんだよ心配しちゃいけないってのかよ。だいたいなお前が自由にああだこうだするせいでこっちは先生からもたづなさんからも『シービーさんのことよろしく』なんて言われてんだからなぁ! もっと他を頼れ、他を!」

「君じゃなきゃダメなんだ」

「ああ?」

「ちょっと違う君だけどおんなじだよ。私のこと憧れだなんて思ったことないでしょ、親友」

「しんゆうぅ~?」

「ヤナ顔までそっくりだね、君ら」

 

 厄介ごとに巻き込んでくるなと言わんばかりの目でこっちを見るエース。咳払いをしてそのヤナ顔を元に戻してから続きを語った。

 

「みんな私に憧れて夢を抱く。私のようになりたいと、私のようでありたいと。私に魅せられるばかりで、私を越えたいとは誰も言わなかった。それがすごくつまらなくてさ。

 

 私は別にそれでも良かった。期待を背負うことは別に苦じゃない。勝手に背負わせるだけ、勝手に夢を抱くだけ。私にとってなんの負担にもならなかった。

 ただ私にとって退屈なのは『競い合う相手がいないこと』。誰も私を夢にするばかりだった。誰も隣に立ってくれなかった。誰も私に挑もうとはしてくれなかった。

 

そこに君が現れたんだ、エース!」

 

 思わず踊り出しそうなくらいあの時の胸のときめきは今でも忘れられない。レースが終わった後、次は負けないからとこっちに向かって啖呵を切ってきた君をどうして忘れられるだろう。

 

『あんな走りに2度も負けてたまるかってんだ、覚えてろー!!!!!! バーーーーカ!』

 

 「あんなことを言われたのは久しぶりだった。次は負けないなんて言われなくなって、もう長い。しかも涙目で、覚えてろーなんて次に言われた時はもう涙が出るほど嬉しかった。

 

君が勝った時に飛んで喜んで走り回す姿、

君が負けた時に地面に突っ伏して悔しがる姿、

勝つために頭の隅から隅まで私のことを考えてる姿。

君のどんな姿を見るだけでも、アタシの胸は恋をしたみたいに高鳴ったんだ!」

 

友達なんていらなかった。ひとりで何もかもできた。

友達なんてできなかった。ひとりで何も困らなかった。

 

そこにキミ(カツラギエース)が現れるまでは!

 

「そして私たちはライバルに、そして親友になったんだ!」

「......すげえな、別世界のあたしは変わってんな」

「ま、最初はこっちから追っかけ回してたんだけど」

「最後で全部台無しじゃねーか!」

 

 おかげでエースのかくれんぼは学園一上手い。学園でかくれんぼをしたら右に出る者がいないくらい隠れ上手だ。まあ、私の見つける力の方が上だったけどね。

 

「キミはどう? ミスターシービーとは友達?」

「違う」

「そっか」

「けどライバルだ」

「それはいいね!」

 

 ライバルと言った時のエースの目はギラギラとしていた。ライバルなんだと、勝ってやるんだと言わんばかりの目だ。

 名前は同じで顔や性格は違っても、根っこは同じらしい。きっと(ウマソウル)がそうさせるのかな?

 

「ねえ!」

「なんだよ」

「レース、しない?」

 

 自然とこの言葉が口をついた。

 その目の輝きが昔のキミとそっくりだったから、私も学生時代に戻った時みたいで懐かしくなってつい、言ってしまった。

 

「昔みたいにさ!」

「いや、それは人違いだろ」

「あ、そうだった」

 

 



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第Ex話 変わらないもの(後編)

 

 

 

「似たもの同士ってわけ?」

「だって走りたくなっちゃったんだし」

「エースの誘いは断れないよねっ」

「そっちから誘われたの? いいなぁ」

「おんなじ声で喋るな混乱する! 今ジャージだから服装まで一緒なんだぞ!」

「「別にどうでも良くない?」」

「お、ま、え、らーっ!」

「こっちまで頭が痛え」

「キミらも大概似たもの同士じゃないか」

 

 シービーの案内で開いてるコースに行ったら、なぜかシービーと最初に私を追いかけ回したあのウマ娘がいましたとさ。かくかくしかじかとお互いに事情の把握はしたが、それはそれとしてレースが始まるらしい。どいつもこいつもレースバカだ。

 

 流石のスーツと私服じゃ勝負にならんのでそっちのエースの好意でジャージを借りて着替えた後、今念入りに身体を温めながらレースに備えているところだ。あとは手首を軽くほぐして、と。流石に体調も身体の具合も急拵えだが現状のベストはこんなもんだろ。

 

 空の雲を眺めていたシービー(私の知っている方だ)に声をかける。万が一というのもあるが、いつもの習慣は抜けないからね。

 

「シービー、いつものスクリーニングすっぞ」

「はーい」

「スクリーニング?」

「知らんのか?」

「聞いたこともねえ。なんだそれ」

「んじゃついて来い。どうせ通る道だ」

 

 そう言って私はコースの最内に向けて歩き出した。シービーもその隣でゆっくりと歩き出し、遅れて2人も私たちの後について歩き出した。

 

「スクリーニングってのはレースコースの下見だ。基本的にはイメージトレーニングに近い。あとは会場の雰囲気とか、芝の状態とかを知る。例えば雨が降ってたらどれくらい滑るのか、どれくらい芝が荒れているとか、なんてことを調べるんだ」

「返しウマで良くないか?」

「やれること全部やらんと勝てないもんでね。私は人並みの才能しかなかったんだ。相変わらず芝はカリッカリに刈り込まれてるなぁ。こっちの理事長も熱心なことで」

 

 しゃがみこんで綺麗に刈りそろえられてた芝をなぞりながら思わず呟く。理事長があらゆる部分にやたら気を使うのは変わらないらしく、練習コースのはずなのにここはさながら東京レース場といったところだ。直線の長さで言えば中山くらい短いが、あいにくとここに坂はない。

 となれば、あとはコースの荒れ具合だが見渡す限り芝のはげも少ない。特に内枠は練習で使われるだけに荒れがちなんだが大外と同じくらい綺麗。ただちょいとばかり湿っていて重くなりそうだ。これは使えるかもな。

 

それを伝えると、シービーはさも分け知り顔でこんなことを言いだした。

 

「となるとエースが有利じゃない? 前だし」

「油断させるつもりじゃないだろうな」

「まさか。それでも私の方が速いよ」

「ん、にしてもちょっと土が湿っぽい気がするんだ。昨日かおとつい雨でも降ったか」

「どっちだと思う?」

「当たってたら奢れよ。昨日だ」

「うーん、私は3日前かな?」

「言ったな? そっちのシービー、雨が降ったのはいつだ?」

「一昨日だったかな?」

「......だせえ」

「やかましい!」

「残念、今度はワリカンだね」

「とか言ってしこたま飲むんだろどーせ」

「うん」

 

 雑談でもしていれば案外一周なんてすぐだ。一周が約1600m、最終直線は実質300mもないくらいの短さ。全く私たちが知るトレセン学園の練習用芝トラックと一寸たりとも変わらない、全く恐ろしいくらいに同じコースだった。

 

 とはいえシービーがこのコースを走るのは久しぶりだろう、コーナーの大きさのことやら最終直線の長さやら知る限りの情報を伝えていると、もう1人の私は不満げに呟いたのを耳にしてしまった。

 

「こんなのやる意味あったか?」

「オイオイもう1人の私よ、シービーにはコレくらいやらんと勝てないのさ。使える手はなんでも使わんと、さもなきゃコレに差されてばっかりになっちまうぞ」

「差しちゃうぞー」

「説得力のあるセリフをどうも」

 

 肩をすくめてエースは私の左隣に入った。枠順は道中のじゃんけんで決めてある。内からエース、私、こっちのシービー、そしてシービーだ。名前がそっくり同じなだけに自分で整理してても紛らわしい。

 

「なぁ、最内はいらねえのかよ?」

「今日はいらん。いつもだったら欲しいけどね、大人の余裕ってやつさ」

「それで負けても、負け惜しみは聞いてやんねえぞ」

「はいはい」

「ねえ、早いところ始めちゃおうよ!」

「はいはい、昔っからせっかちなんだから。んでそこの2人。スタート合図は私のカウントでいいかい?」

「いいんじゃない?」

「トレーナーに頼むわけにもいかねえしな」

「はやく始めちゃおうよ!」

「待ってろって」

 

 急かすシービーに思わずらしいと笑いながら、腕時計をいじってタイマーをセットする。時間は5秒もあれば十分だろう。

 

「カウント5でいくよ。5、4、3」

 

2、1はカウントしない。息を短く、少しだけ吸って。

 

「ゼロっ!」

 

 電子音を合図に身体を沈ませ足を踏み込む。見慣れたゲートの扉が開く様子を幻視しながら、わたしはその扉を突き破るくらいの勢いで飛び出した。

 

 現役時代さながらの絶好のスタートだった。当然、私が先頭だ。その後ろにおそらくカツラギエース。少し、いやかなり離れてシービーが2人。どっちかどっちなのか足音では見分けがつけられん。少なくとも左右並びではないくらいだろうか。つかあんにゃろうどもいつも通りに出遅れよったな。

 

 1、2コーナーを抜けながらこれからのレース展開を考える。カツラギエースはともかく、シービー2人展開が読めない。シービーの隣で追い込んでシービーに突っかける阿呆は歴史上ゴールドシップくらいなもんで、それも数度もないくらいだ。この世界のシービーは冷や汗のひとつもかいているかもしれないがあのバカはウッキウキだろう。自分と対戦する機会なんて普通は存在しないわけだからそれが楽しくて仕方ないんだろうことは簡単に予想はつく。

 

そんでもって、アイツは楽しすぎると何をしでかすかわからない。

 

 勝つつもりは充分にあるだろう、負けるつもりは毛頭ないだろう。意図的にミスはしないし勝つためのベストを尽くすだろう。

 

 それはそれとして自分の楽しいと思うトンチキな走りをするのがアイツだ。しかも少人数レースで前に壁はできないときた。あの追い込みと最終直線は真っ向勝負になるだろう。正攻法じゃあちょっと厳しい。

 

「......ははっ」

 

 どうするか、なんてのはもう決まってるじゃないの。んじゃ後輩にひとつ先輩の背中ってやつを拝ませてやろうじゃないの。ねえ、シービー?

 

バックストレッチに入った瞬間、私は脚のギアを一段切り替えた。

 

さあ、どこまでついてこられる?

 

 

 

◇◇◇

 

 

 3バ身、4バ身と離れていく背中を見ながら、アタシはひとつ笑みを浮かべた。明らかにエースのギアがひとつ上がった、ここで突き放したいってことは、やりたいことはきっとアレだ。

 

 大逃げウマ娘についていくな、共倒れになるから。逃げウマ娘は潰せ、ハイペースになればスタミナの多い方が勝つから。

そんなつまんない言葉は知らない。

 

エースはアタシによく言うんだ。お前は自由に走ればいいって。

 

だったら自由に走るよ。

いつも通りにキミの背中を追いかけて、追い越すために。

 

「それが、ライバルでしょ、エースっ!」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 今までレース中に感じたことのないような恐怖感、威圧感、言語化できないような頭の裏にちりつくような何か、それを大人の私は持っていた。背格好や走りは変わらなくてもアタシには無い何かだ。それは、これからの私が持つものになるのか、はたまた無縁なものなのだろうかはわからない。きっともう1人のアタシだけがたどり着いたものなんだろう。

 

そこに興味はない。アタシはアタシ、もう1人のアタシはもう1人のアタシだ。

 

全く同じものを目指そうなんて自由じゃない。そんな縛られたような未来は真っ平ごめん。

 

我が道を行くというわけじゃないけれど、未来を決められるのはアタシ自身だけがいい。誰の真似っこでもない、アタシだけが思うものになりたい。

 

もう1人のアタシのようにはなれないし、なりたくもない。

 

けれど。

 

アタシが憧れるような目で誰かを見るのは初めてだった。アタシを憧れさせるような、そんな面白いことが目の前のもう1人のエースにはあるのかと驚きが勝るくらいだった。

 

「教えてよ」

「うん?」

「どうしてそこまであなたは彼女に憧れるの」

 

質問すると、もう1人のアタシは少しも考えないで言った。

 

「アタシの知らない道を歩む人だからさ!」

 

とびっきりの笑顔だけでもお釣りが来る答えだった。

 

「それはいいね!」

「そうでしょう! エースは最高のライバルで、親友さ!」

 

 あっちのエースもまたエースとは違う。アタシがアタシにならないように、エースだってあっちのエースには成れない。

 

けれどアタシとは違う道を行く。

 

「......ははっ! はははっ!」

 

それをレースで語り合うのは、きっと。

知らないことを、知ることは。

わからないことを、ぶつけられるのは!

 

「たのしい、たのしいね! 最高に、たまらない!」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

ピークを過ぎたロートルと侮ってたわけじゃない。

ただのベテランだとみくびっていたわけじゃない。

 

ただ自分より少し多くレースを走り、多く経験を積んできただけ、そう見ていたのが間違いだった。

 

ただ純粋にフィジカルは確実にこっちが上なはずだった。

 

悔しさに()()強く歯を噛み締める。

 

 驚くほどに前のジャージの背中の差がつまらないのは、舐めていた足元のコンディションの差だけじゃない。

 

 細かく減速したり加速する厄介なペース配分、背中に目がついていると言わんばかりにこちらのやりたい動きを潰してくる横移動のそぶり。

 

細かいミスの積み重ねが脚から力とスタミナを奪っていた。

 

『大人の余裕ってやつさ』

 

 思わせぶりなあの顔に思わずつっこみたくもなる。どこが大人の余裕だ、どこが! 罠に嵌めておいて何を言う!

 

 そもそもスタートから進路被せてこっちのこと減速させて後ろに押し込ませたくせに! ふざけんなよ!

 

 だけどそんな程度で音を上げていちゃシービーに勝てるはずがねえ。勝とうとしてるんなら、これくらいの逆境や振りの一つや二つ、策の三つや四つ、跳ね返せなけりゃあの規格外に勝てるもんかよ、ええ?!

 

「負けられないだろうが、よっ!」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

「ぶはっ!? レースは! 勝負はあいたあっ!?」

 

椅子を弾き飛ばして転げ落ちた肘の痛みで目が覚めた。

 

 ゴールライン頃にはいつものように半分くらい酸欠の頭の中、確かに頭からいちばんにゴールラインに飛び込んだはずなのだが......目の前にあるのはプレハブの壁と半開きの窓。

 

......倒れるにしたって、運ぶところはもっと保健室とかねえのかよ、オイオイ。

 

 ガチャガチャと鍵穴に何かを差し込む音がして、馴染みの教え子の顔がひょいと扉から顔を覗かせる。

 

「おはようございますトレーナー。その格好似合ってますよ。ぷぷぷ、もしかして太りました?」

「今日のメニューはキツめにしとくな」

「職権濫用!」

 

 いつもの冗談めいたいじりに軽く返しながらまだ眠い目を擦る。どうにも夢だったようだ。最近疲れて気絶するように寝ることが多かったから夢の内容を覚えているとは珍しい。

 

 机の上の電話がブルブルと震えている。画面を見るにどうやらシービーかららしいが、彼女からかけてくるのは珍しい。何があったのやら。

 

「もしもし、シービー、朝からなんだよ?」

『楽しいレースだったね! 今度は白黒はっきりつけよう! んじゃ!』

「あ、おい」

 

 どうにもあっちでも夢の中でレースしていたらしい。勝敗がどっちつかずでも夢の中のレースにケチをつけられてもなぁ、といつもの奔放さに呆れるやら懐かしいやら。

 

「ところでトレーナー、それ誰のジャージです?」

「どのジャージ?」

「いや、トレーナーが今着てる泥のついたそれですけど」

 

 教え子に指さされるままに視線を下げれば、そこには学生時代に、というかついさっき夢の中で来ていたはずの学園指定の赤いジャージが目に入る。

 

 裾には跳ねた芝と泥がつき、シューズは今まさに稍重のバ場を走ってきたばかりくらいの湿り気と汚れがついていた。

 

「あー、これはだな」

「私のだったら怒りますよ」

「大丈夫。昔の自分からもらったヤツだ」

「昔のトレーナーから? もしかして荷物の下にでも埋まってて、つい懐かしくなってってヤツですか」

「ま、そんなところだ」

「似合いませんよ」

「よーしわかった、学園の外周を10追加な。ベスト更新できるまで走らせてやろう感謝しろよ」

「スプリンターの私に無茶言わんといてくださいよ!」

「はやく着替えて準備しろ、体あっためてすぐ行けるようにしとけよ」

「マジでやるんですか! ひーん!」

 

 ......ま、勝敗は預けとくか。私のスーツと一緒にな。

 

 

 

 

 



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