魔王の娘であることに気づいた時にはもう手遅れだった件について (naonakki)
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第一話

 ……母さんと父さん遅いな。

 

 両親が買い物に行くと言ってからそろそろ3時間近くが経過しようとしている。近所のスーパーに食材と日用品を買いに行っただけにしては遅すぎる。少し心配になり、勉強を中断しスマホを確認するも特に連絡はない。

 

 ……あれ? なんで圏外になってるんだ?

 

 特にこの家は通信環境が悪いというわけではないはずだが……。再起動してみるも電波が入ることはない。

 通信障害でも起きているんだろうか? それともスマホが故障したのだろうか? まだ新品なんだけどな……。

 一旦スマホは机に置き、椅子から立ち上がる。長い時間椅子に座っていた為、凝り固まった体を軽く伸ばす。

 とりあえずスーパーまで行ってみよう。事故にでも遭ってなければいいけど……。

 そう思いながら、なんとなく窓の方へと視線を向ける。そこにはなんとも気持ちの良さそうな優しい陽の光が差し込んでいた。日向ぼっこにはちょうどいいだろう。

 

 ……ん?  

 

 すぐに異変に気付いた。時刻はそろそろ17時を回ろうとしている。夏ならまだしも春のこの時期にしてはあまりに明るすぎる。不思議に思い窓に近づき、外の景色を覗いてみる。

 わっ、眩しい。

 部屋内の明るさに慣れた僕の目には陽の光はいささか強かったらしく思わず目を閉じてしまう。あまり光が目に入らないように細めて改めて窓の外へ視線を向ける。

 そこには見慣れた向かいの家はなく、代わりにそよ風に揺れる青々とした木々が生えていた。整備されたアスファルトの道路は影も形もなく、こげ茶の地面とまばらに生えた草に成り代わっていた。少し離れたところには小川が流れているのが見える。水面に反射した太陽光がキラキラと輝いている様子がどこか幻想的だった。

 

 

 

 ……どこ?

 

 

 

 いつの間にか眩しさも忘れて目をまん丸に見開いていた。僕の家は街中にあり、このようなどこぞの田舎ではなかったはずだ。

 夢でも見てるのかと思い、頬をつねってみるが鈍い痛みを感じるだけに終わった。

 

 こうして僕はただ一人で自宅ごと謎の場所に転移してしまったのだった。

 

 

 

  

 

 

 

 

 

   

 あれからしばらくして分かったことがいくつかある。

 まず最も重要なことだが、ここが異世界であるということだ。その確証に至ったのは、空に浮かぶ月の存在だ。流石に月が三つもあったら地球上でないと認めざるを得なかった。地球の月より随分大きく見えたしね。勿論、なぜ異世界に来たかについては分からずじまいだ。

 次に僕と共に異世界に送り込まれたマイホームにはなぜか電気、水道、ガスが通っていることだ。しかしネット環境からは隔絶されているらしく外界との連絡手段は何もない。

 そして何より残念なことが、よくある異世界転移特典であるチート能力や特典がないことだ。自分で気づいていないだけで実はあるのかもしれないが、今のところそれらしいものが身に付いた様子はない。この家が異世界転移特典と言われればそれまでだが……。

 最後に、僕が転生されたこの場所は森の中のどこかであるということだ。家を中心に半径30メートルほどは開けた土地になっているが、その周りはすべて鬱蒼とした木々に覆われているのだ。ちなみにその森へはまだ一歩も踏み入れていない。理由は単純、怖そうだからだ。

 

 ここに飛ばされてすぐはパニック状態だった。異世界に行くという展開は漫画、アニメ作品は見たことがあるが、まさか自分がそんな状況に陥るなんてどうして想像できようか。

 誰も頼ることのできない状況で最初の一日はずっと布団にくるまり、震えていた。何か得体の知れないものに襲われる可能性だって0%じゃないのだ。とてもじゃないが、アニメ主人公のように異世界に対して期待に胸を膨らませる、なんて気分にはなれなかった。

 しかし一日何も起きなかったことと、空腹と喉の渇きから布団から出ることはできた。それがきっかけとなり、家の中でなら自由に動ける程度には精神も安定した。買い出し前ということもあり、新鮮な食材はあまりなかったが、いくらかの米や保存食、そして幸いなことに父親が大のカップ麺好きということもあり、家には大量のカップ麺があったため、食事には困らなかった。栄養面は心配だけどね。

 さらに次の日には、家の外にも出てみた。未知の世界に対して不安はあったがこのまま家の中にいた場合の未来を想像したときの方がよほど恐ろしかった。今は食料もあるが無限ではない。水だけは水道からいくらでも飲めるがそれだっていつまで続くか分からない。このまま家に閉じこもったままでは野垂死ぬことは明白だった。

 というわけで勇気を出して踏み出した外の世界だったが、結果から言えば何もなかった。窓から見えた小川に魚でもいないかと期待したが魚の影も形もなかった。というより家の周辺には草木以外の生き物の気配がなかった。その為、たまに吹く風により草木がザアザアと擦れる音以外は何も聞こえない静かな空間が広がっていた。しかし不思議なことに不気味な印象はなく、むしろ心地よいとさえ思える雰囲気であった。こんなことを言うのは柄じゃないが何か神聖なものを感じた。

 

 

 

 

 

 そして、今。

 僕は家の周りを覆っている森の中へ踏み入れようとしていた。

 森の奥はここからだと5メートル以上奥は見えないくらい深々とした木々に覆われており、不気味な雰囲気を感じさせている。明らかに今僕がいる空間とは異質であることが直感的に分かった。

 ここに入ると決心するにはしばらく時間がかかったが、この状況を打開するには森への探索しかないというのが結論だった。

 服装は動きやすいようにジャージを着こんでいる。懐中電灯、救急キット、水、食料など役にたちそうなものをリュックに詰め込み、片手には護身用に金属バットを持つというスタイルだ。かつてこのような恰好で異世界に挑んだ地球人がいただろうか?

 ゴクリと唾を飲み込み、滴る冷や汗を感じつつもその足を森へと踏み入れた。

 森の中へ踏み入れた瞬間、ずっと感じていた神聖な雰囲気も消え失せてしまった。その感覚に一抹の不安を覚えるも、それでも構わず、しかし慎重に歩を進めていった。森の中で迷わないように10メートル間隔くらいで包丁で木に印をつけることも忘れない。こんなところで迷ったら終わりだからね。

 森の中からは生き物の気配が漂ってきた。聞いたこともないような生き物の鳴き声やなどが聞こえるたびにビクリと反応してしまう。正直すぐに引き返したかったが、ここで逃げては何も起こらないと自身を鼓舞していく。

 そして運が良かったのかトラブルもなく30分ほど歩いたくらいだろうか。少し先に開けた空間があるのが見えた。

 

 ……やった! 

 

 森の中というのは360度自身の背丈を大きく上回る木々に覆われている為、圧迫感が凄いのだ。体力もそうだが、閉塞された空間にいるような感覚に陥り精神的にもかなりすり減っていた。その為、早くこの状況から逃れたいという一心で視界に映った空間めがけて歩む速度を上げ、突き進んでいく。

 そして開けた空間にたどり着く。そこは、ほんの半径5ートルほどの開けた空間であること以外は特筆すべき点はなかった。しかし、そこに明らかに異質な存在が一つ。

 

「……え、猫? というかこれは……」

 

 開けた空間のど真ん中に真っ黒な毛並みの猫がいたのだ。しかし、その全身には目を背けたくなるようなおびただしい傷があり、今もその傷口から血がドクドクと流れ、地面に染み込んでいく。その様子から怪我をしてからそう時間は経っていないのだろう。猫はぐったりとしており、ピクリとさえ動かない。

 

 死んでいるのか? なんて酷いことを……。

 

 僕はどちらかというと犬派であるが猫も大好きだ。そんな僕にとって目の前の光景はあまりに惨くショックを受けるには十分なものだった。

 

 ……せめて埋めてあげよう。

 

 そう思い、猫へと近づいていく。このまま猫を放置するほど僕も腐っていない。するとその瞬間、猫が僅かにだが苦しそうに呻いた。

 

 生きてるっ!? 

 

 死んだと思っていたが、ギリギリ生きていたようだ。幸い救急キットはある。これなら。

 ……。

 猫の応急処置法とか知らないんだけど。

 一瞬途方に暮れてしまうが、そんなことも言ってられない。とりあえず止血をしないとだ。血がなければ生きられない。それは人間も猫も同じはずだ。

 

「……痛いだろうが我慢してくれよ」

 

 一応そう言いながら、猫に極力刺激を与えないように傷口に包帯を巻いていく。本当は傷口も清潔にして菌が入らないようにした方がいいのだろうがそれは家に戻ってからだ。

 

 ……それにしてもどうしてこんな怪我をしてしまったのだろうか?

 医療には疎いので詳しくは分からないが、猫の傷口は刃物で切り裂かれたようなものや打撲、さらには火傷跡のようなものまで様々なものがあった。

 まさか魔物にやられたとか? 

 異世界には必ずと言っていいほど登場してくる魔物という架空の存在が脳裏によぎる。

 ……何にせよ、この傷をつけた奴がこの近くにいる可能性は高い。早くこの場を離れないとな。

 しかしこの猫はどこから来たのだろうか? これだけ血が滴るほどの傷がつけられているが周りには血の跡は一つもない。この場で襲われたのだろうか? 周りには争った形跡はないが……。

 

 そんなことを考えつつ何とか止血に成功することができた。包帯の巻き方なんて知らないので、適当に巻いた為いささか不格好だがまあいいだろう。

 その後急いで自宅へと帰り、その日は猫の手当てに1日中費やした。運よくこの猫を襲ったであろう何者かには遭遇せずに済んだ。

 

 

 

 そしてその手当てが功を奏したのか、2日後に目を覚ましたのだった。……’美少女’として。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつては自分の部下だった者たちが皆、一様に自身に殺意ある目を向け、攻撃モーションに入っている。ある者は魔法を唱え、ある者は強烈なブレスを吐きつけてきて、ある者は斬撃を放ってくる。

 私はそれに抵抗することもできず、自らの体にそれらの攻撃を食らっていく。

 

 やめて、どうしてこんなことするの?

 

 こちらに敵意がないことをいくら叫んでも誰の耳に届くことはなく、返事の代わりに無慈悲な攻撃が飛んできた。結局私は逃げることしかできず、変身魔法を駆使し、その場から逃れようとする。そして……

 

 

 

 ……はっ!?

 

 

 

 そこで意識が覚醒し目を覚ます。

 全身が汗まみれであり不快感に包まれるも気にせず、急いで状況把握に映る。

 

 ……ここは?

 

 周りを見渡すとどこかの屋内であることが分かったが、部屋内のあらゆるものが見慣れないものばかりであった。自身はベッドの上に寝かされているようだが、これほどフカフカのベッドは城にもないだろう。そして全身には包帯がぐるぐると巻かれていた。しかし、それはあまりに無造作で止血するために無理やり巻いたような不格好なものだった。明らかに素人のものだ。異常な空間にいるというのに、それを見てどこかおかしくなり、少し笑いがこみ上げてきた。これを苦労しながら必死に巻いている何者かの姿を想像すればおかしくなってしまったのだ。

 

 ……でも私を助けてくれた者には感謝ね。この治療がなければ恐らく私は死んでいたのだから。

 魔力は多少回復してるわね、よかった。

 

 全身に流れる魔力の存在を確認し、すぐに回復魔法を自身にかけ、全身の傷を跡形もなく癒していく。

 変身魔法も解こうとした時、何者かの気配が近づいて来るのが分かった。

 

 ……っ!

 

 私を助けてくれた者なのだろうが、何者か分からない為一気に警戒モードへと移行し、寝たふりをして相手の出方を窺うことにする。

 

 そして部屋のドアがガチャリと開く。

 

 「……うーん、まだ寝たままか。でも呼吸は安定してきてるから回復してるんだよな、多分。というかあれ? 傷が治ってる? え、なんで急に? 異世界の猫は急に治るんだろうか? ……まあいいか。悪いことじゃないしね。」

 

 ……人間っ!?

 薄目で確認した予想だにしない存在に驚愕を隠し切れない。

 なぜ人間が私を……?

 ……いや、今の私は猫だから正体に気付いていないだけよね。落ち着くのよ私。

 

 改めてこの事態にどう対応していくか考えていく。

 正直、この人間の強さは紙切れ同然だ。ただの一般人だろう。魔力量も大したことないし、肉体を鍛えている様子も見受けられない。

 

 ……であれば、この人間には悪いけどここで殺してここを隠れ家にさせてもらおうかしら。助けてもらった手前罪悪感はあるけれど、どうせこの人間も私の正体を知れば憎悪と敵意に満ちた目で私を見るものね。それか恐れおののき、助けを乞うかしら。まあ、どちらでも私にとっては同じことね。

 

「……はぁ、この猫が目覚めてくれたら多少は寂しさも紛れるかな。何度か森には行ったけど成果はないし……。カップ麵も飽きたなぁ……。おっと、そろそろ3分経つかな? じゃあね、猫ちゃん。また様子を見に来るよ」

 

 人間はそう言うと、部屋から出て行ってしまった。

 

 ……森? そう言えば私はどこに転移したのかしら? 急いでいたから座標調整をかなり適当にしたけれど。

 後、かっぷめん? とは何かしら?

 

 聞き慣れない単語と状況の把握に思考を巡らせているときだった。

 何とも芳ばしい香りが私の鼻腔を擽ってくる。食欲を刺激し、思わず口内に唾液がこみ上げてくる。

 

 ……そういえばお腹すいたわね。

 

 何日寝ていたのか知らないが、自分がかなりの空腹であることに気付く。

 ……ちょうどいいし、私の正体をばらしてから人間を殺し、食事を横取りさせてもらおうかしら。

 私は立ち上がり、変身魔法を解除する。全身が光に包まれ、巻かれていた包帯も自然に解け、足元へと落ちていく。

 

 光が収まったそこには、腰まで伸びた真っ黒な艶のある髪と緋色の瞳が特徴的な幼さが残る少女がいた。黒を基調とした一目で高級と分かるローブに身を包む彼女は、すれ違えば誰もが振り返るほどの美貌を持っていた。その少女は屋内を満たす匂いをもとにフラフラと部屋を出ていくのだった。

 



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第二話

 14年前、私は魔王の娘としてこの世に生を授かった。

 当時、魔界で最強を誇り、絶大なカリスマ性を持っていた魔王の子ということで周りからの期待もまた大きなものだった。

 しかし私が周りから歓迎されることはなかった。

 理由はただ一つ。

 私の見た目が人間そのものだったからだ。魔物特有の緋色の目を有している以外は魔物の要素が一つもなかったのだ。ただこれだけの理由で父であるはずの魔王も含めた全ての魔物から受け入れられることはなかった。

 せめてもの情けなのか、赤ん坊の私が殺されることはなかった。しかし、幼少の頃から魔王城内の膨大な雑務を押し付けられ、食事も残飯のみ、寝所も掃除道具などを仕舞う小屋同然の部屋だった。酷い時にはストレスが溜まった魔物の憂さ晴らしに利用されることもあった。全身が痣と傷だらけになり涙を流しても救いの手を差し伸ばしてくれる者はいなかった。まさに奴隷のような扱いを受けていた。

 

 しかし幸いなことに魔物の世界は弱肉強食の考えが根強く、強い者こそが正しいという考えがあった。それが私に僅かな生きる希望を持たせてくれた。強くなれば周りも認めてくれるだろうと考えたからだ。私は自分の全てを出し切り努力した。皮肉なことだが魔王の子ということで、武術・魔術の両方において天賦の才があったようで、自身の努力も相まって同世代の魔物とは比較にならないほどの勢いで強くなっていった。それを疎ましく思った周りの魔物達からは人間との戦争時に捨て駒として扱われたりと碌な扱いを受けなかったが、私はそれらを全てこなした。

 そして僅か14歳にして魔王の幹部クラスにも匹敵するほど強くなることができた。その頃になると私を馬鹿にする魔物も皆無となっていた。

 このまま魔王となり、私という存在をすべての魔物に認めさせる。そう考えていた。

 

 しかし、私の快進撃はここで幕を閉じることになった。

 強くなり続ける私に危機感を覚えた幹部達が謂われのない裏切りの罪を私に着せてきたのだ。そしてそれは、よりによって私が人間側に寝返ろうとしているというものだった。

 あり得ないことだった。

 というのも幼少の頃、一度だけ人間界に救いの手を求めたこともあった。見た目が人間ならば無理して魔物と共に生きる必要はないと考えたのだ。しかし、私は人間界からも歓迎されることはなかった。理由は緋色の目だ。魔物の目を持つ私は受け入れられるどころか討伐対象と認識され、冒険者たちから命からがら逃げる羽目になった。こちらに敵意がないことをいくら叫んでも、それは人間たちの私を愚弄する叫び、或いは恐怖の叫びでかき消された。今でも人間たちが私をゴミを見るような目で見た光景は忘れられない。魔物達ですら子供の私を殺すことまではしなかったのに人間は躊躇いもなく私を殺すことを選んだ。魔物側が優しいなんてことは思いもしないが、人間が魔物以上に愚かな生き物であると認識するには十分だった。その後は魔物として人間を殺しまくった。自分を殺そうとした相手だ、躊躇はなかった。今では私は魔王の娘として人間側から特級討伐対象として認識されている。

 

 結局私は、血反吐を吐くような努力の果てに人間側からも魔物側からも追われる身となってしまった。これからどう動けばいいのか、何を目標に生きていけばいいのかも分からない迷子状態の猫になってしまったのだ。

 

 そんな人生における分岐点に追いやられていた私の意識はある一点に集中していた。

 

 ……何、あの美味しそうなものは?

 

 立ち上がる湯気に包まれた見たこともない料理からこれまで嗅いだことのない芳醇な香りが漂ってきており私の脳内を支配してくる。何の食べ物か知らないがそれがとても美味であることが直感的に分かった。

 先ほどの人間がテーブルにつきながら、目をまん丸に見開きこちらを見つめているがそんなことはどうでもよかった。

 

「……あの、食べる?」

 

 人間が急いで立ち上がるとそんなことを言ってきた。私がその料理をずっと見ていたからだろうか。この瞬間だけ人間に対する恨みが食欲に負けた。引き寄せられるように料理への元へと歩み寄っていく。

 ……人間は後で殺せばいいわ。

 そんな言い訳を頭の中で並べながら人間から器を受け取った。

 器の中を覗き込んでみると、最早暴力的かと思うほどの良い香りがブアッと鼻腔いっぱいに満たされる。改めて器の中を観察するとスープが一杯に入れらておりその中に細長いものが沢山あるのが見える。唾液が際限なくこみ上げてきて、早く食べろと全身が訴えかけてくる。

 

「……はい、お箸。……使いにくそうだったらフォークもあるから」

 

 人間が私にこの料理を食すための道具を寄こしてくる。はしとやらは使い方がよく分からなかったので、フォークを受け取る。早速受け取ったフォークで細長い何かを掬い、恐る恐る口に運ぶ。ちゅるちゅると口の中へ吸い込み、咀嚼する。

 

 ……っ!?!?

 

 全身が雷に打たれたようだった。

 それはこれまで食べたどんなものより美味であった。癖になりそうな触感と濃縮された味が全身に広がっていくようだ。次いで器に口をつけスープを流し込む。こちらもよく出汁がきいており、素晴らしい味付けであった。

 その後は無我夢中だった。気づいた時には器の中は空になっていた。その事実に気付いた瞬間、物足りないという不満と悲しさに襲われた。

 そんな私の想いが表情に出ていたのか、人間がおずおずといった感じに

 

「……あのー、もっとあるけどいる?」

 

 私は迷わず頷いた。力強く。

 

 

 

 目の前でせっせと料理の準備をする人間は不思議そのものだった。

 今やこの世で私のことを知らない人間はいないはずだ。

 それなのに怯える様子は一切なく寧ろこちらを歓迎しているようにさえ見える。念のため魔法で人間の感情を読み取るが、僅かな戸惑いはあったものの、大部分が喜びと期待というものだった。敵意は全く感じなかった。

 これまでこんな人間と出会ったことはなく逆にこちらが混乱してきた。

 

「はい、3分経ったら食べてね」

 

 今度は人間が先ほどの器を二つ持ってきてくれた。一つでは足りないと判断してくれたのだろうか。人間にしては気が利いている。しかし3分待たないといけないというのはなぜか。目の前で待ち続けるなど生殺しにも程がある。

 

「……なぜ待たないといけないの?」

「じゃないと美味しく食べれないよ?」

「……むぅ」

 

 そう言われてしまっては従うしかない、とでも言うと思ったか。舐めるな人間。

 

「要はこの料理が3分経った状態にしてしまえばいいってこと?」

「……え? まあそうだけど」

「なら話は簡単。……ん」

 

 私はこの世でも最も難しい魔法の一つと言われている時間魔法を発動させる。魔力の消費は激しいが早くこの素晴らしい料理が食べられるならば安い犠牲だ。

 発動と共に複雑な魔法陣が複数宙に浮かびあがり、目の前の二つの器へと吸い込まれていく。その瞬間、器の中の時間加速を最大現にし、一瞬のうちに3分経った状態にする。

 

「……ふぅ、よし。これで問題ないわね」

 

 迷うことなく器に付けられていた蓋をはがし、食事を始める。

 相変わらず素晴らしい味が口いっぱいに広がっていく。

 しかし、そんな私の至福の時間を邪魔してくる存在がいた。

 

「え、え? 凄い! 何今の!? もしかして魔法?」

 

 ……煩いわね、やはり殺した方がいいかしら。

 

 そんなことを思いながらチラリと視線を向ける。

 その瞬間、思考が止まってしまった。目の前の人間が満面の笑みをを浮かべ、期待感満載といった感じに目をキラキラさせこちらを見ていたからだ。これまで一度たりとも自分に向けらたことのないものだった。

 だからなのだろうか、気づけば私は手を止めこう返事していた。

 

「……そうだけど」

「や、やっぱり! 凄い! じゃ、じゃあもしかして手の平から火を出したりとかもできるの?」

 

 ……舐めているのだろうか? 火を出す、つまり炎魔法は魔法使いなら初めて習得する初級中の初級の魔法だ。時間魔法まで使った私が使えないわけがないだろう。しかし、人間が私をからかっているわけでないのは魔法で感情を読み取らずとも明白だった。それに内容はどうあれ生まれて初めて褒められたこともあり、悪くない気持ちになっている自分がいた。

 

 ……何なのよ、この人間は?

 

 頭がザワザワとする。こんなことは初めてだ。無視してしまえばいいと頭のどこかでは分かっている。しかし、またもや私の意志とは裏腹にこんなことを口走ってしまっていた。

 

「……ちょっと待って。これ食べたらね」

 

 言ってからハッとなったが不思議と訂正する気にはならなかった。

 



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第三話

 僕は椅子に力なく座りながら、お湯を注ぎこんでから間もなく3分が経過しようとしているカップ麺をただ茫然と見つめていた。

 

 初めて森へと踏み出した時から七日が経った。その間、収穫と言えることは何一つなかった。どこまで行っても森が続くのみで、例の猫以外の生き物と出会うこともなかった。森の中からは他の生命体の気配はするのにおかしな話だった。

 

「……ここで死ぬのかなぁ」

 

 誰にも頼ることができず八方塞がりのこの状況に僕の精神は徐々に追い詰められていた。最近はネガティブな独り言が多くなり、一日の多くを未だに目を覚まさない猫の隣で座り込むことが多くなっていた。猫が早く目を覚ましてくれることを願いながらただぼうっと過ごす日々。猫が目覚めたところで現状の打破に繋がらないことは百も承知だったが、今は気休めでもいいから自分以外の何者かと触れ合いたかった。

 しかし、そんな僕にもようやく嬉しいことが先ほど起こった。先ほど猫の様子を見に行くと傷が完治しているということが起きたのだ。なぜいきなり傷が完治したのかは謎だが、もうすぐ猫が目覚めるという兆候の可能性は大いにあった。

 

 ……これを食べたらまた猫の様子を見に行こう。

 

 3分経ったことを確認し、カップ麺の蓋を捲る。容器の中からモワッと湯気が立ち上がってくる。ここ最近ずっと同じものを食べていることもあり、正直進んで食べたいとは思わないが、食べないわけにもいかない。もうこれ以外にまともな食料はほとんど残っていないのだ。

 麺を箸で掬い口元に運ぼうとしたその時だった。

 視線を感じた。

 気のせいだろうと思いつつも、顔を視線もとに向けるとそこには美少女がいた。

 もう一度言う。美少女がいた。

 

 ……え?

 

 向けた視線の先には幻でなく確かに女の子がいた。

 漆黒のローブに身を包み、真っ黒な髪とパッチリとした紅い瞳が特徴的なその子は幼さなさは残るものの端正な顔立ちであり、今でも十分可愛いが将来誰もが振り返る美女になる姿を想像するのは容易だった。年齢は僕の一、二歳ほど下だろうと予想する。

 とはいえ急に家の中に現れた謎の人物に対し警戒をしよう……としたところでやめた。その女の子がキラキラさせた目を僕が手に持っているカップ麺に向けていたからだ。口端に僅かに涎が垂れているがそのことに本人が気づいている様子はなさそうだ。そんな様子を見ていると警戒するのも馬鹿らしくなる。

 

「……あの、食べる?」

 

 そう言うと、女の子は吸い寄せられるようにこちらに寄ってくる。その姿は愛嬌を感じさせ、どこか餌をあげたときの猫の様子を彷彿させた。思わず頭を撫でたい欲求にかられるがぐっと堪える。流石に怒られるだろう。

 カップ麺を受け取った女の子は、こちらが差し出したフォークでラーメンをちゅるちゅると啜る。次の瞬間、女の子の顔が驚愕に包まれ、そしてすぐに満面の笑みへと変わった。とても可愛かったが、あまりにも無邪気な笑顔だった為、見た目以上にさらに幼く見えてしまい、少し可笑しくなり笑いそうになってしまった。ともあれ、カップ麵を大層気に入ってくれたようで良かった。そう言えば僕も初めてカップ麺を食べたときは美味しいと感動したような気がする。今じゃ食べるのが苦痛になってきたレベルだけど……。

 その後、あっという間にカップ麺を食べた女の子の物足りなさそうな雰囲気を察し、急いでおかわり用にお湯を再度沸かす。

 

 ……それにしてもあの女の子どこから来たんだろうか? 

 

 ようやく落ち着いたところで改めて考える。しかしすぐにやめた。何にせよようやく待ちに待った自分以外の語り合える存在が現れたのだ。先ほどの様子を見ていると悪い人でもなさそうだし、警戒する必要もないだろう。今は精いっぱいの歓迎をしてあげよう。この世界のことを色々教えてもらえるかもだしね。

 その後、自分と女の子用に二つのカップ麺にお湯を注いだのだが、二つとも女の子にとられてしまった。どうもまだまだお腹が空いてたようだ。その様子を見て気に入ったおもちゃを取られまいとしている子供を見ているようでほっこりとしてしまった。むしろそこまでカップ麺を気にってくれて嬉しいとさえ思ってしまった。

 僕に妹がいればこんなこんな感じだったんだろうか? そんなことを思いながら、口角が僅かに上がるのを感じつつ女の子がキラキラした目でカップ麺を見つめる様子を見ていた。

 

 しかしここで今度は僕が驚愕する番になった。

 この世界に来て、複数ある月以外に初めて異世界と実感させてくれる存在を目にしたからだ。

 魔法だ。空中に浮かんだ見たこともない文字が刻まれた光輝く魔法陣が僕の目の前に現れ、それがカップ麺に吸い込まれていった。カップ麺ができるまでに三分かかることを告げ、不満そうな様子を見せた女の子が唱えたものだった。驚くことに時間を操る魔法だったようでたった今お湯を入れたばかりだと言うのに、カップ麺が完成していのだ。

 魔法を使った目的としては馬鹿らしいの一言だったが、初めて見る魔法という存在に流石の僕も興奮を隠せなかった。いつの間にか、ここ最近の鬱な気持ちが吹き飛んでいた。魔法と言えば定番の火を出せるのか聞いてみると、女の子は面倒そうな目をこちらに向けぶっきらぼうながらも

 

「……ちょっと待って。これ食べたらね」

 

 そう言ってくれるのだった。

 やはりこの子はいい子だ。そう確信した。

 

 

 

 

  

 その後、約束通り魔法を見せてくれるとのことで家の外にやってきた。家の中で火の魔法を使い火事になると困るからね。

 

 「……ここは? 外の世界が感知できないわね……。この結界のせいね。こんな強力で複雑な結界一体だれが……。でもこの結界のおかげで向こうからも私を……」

 

 女の子は家の外に出るなり戸惑った様子を見せ、ブツブツと呟いていたが何を喋っているかは聞き取れなかった。それよりも早く魔法を見せてほしいものだ。

 

 「ね、ね、早く魔法を見せてよ」

 「……あーもー、うるさいわね。ほら、これが念願の火魔法よ!」

 

 急かす僕に対し若干怒りつつも、手の平にしっかりと小さな魔法陣を浮かび上がらせ、そこから火を出してくれた。

 目の前でゆらゆらと揺れる火を見て、またもや僕のテンションが急上昇していく。先ほどまで女の子のことを子供っぽいと思っていたことも忘れ、小さな子供のようにはしゃいでしまう。

 

「す、凄い! かっこよすぎる!」

「……たかが火魔法で何言ってるのよ? こんなこと誰でもできるわよ」

 

 僕とは対照的にどこか冷めたようにこちらを見つめてくる女の子。しかし、言葉とは裏腹に嬉しそうにしているように見える。褒めらるのが好きなのかもしれない。

 

「いやいや、本当に凄いと思っているよ!」

「……ふん、あっそ。……でもせめてもっと凄い魔法で驚きなさいよ。……ほら、これなんてどうよ?」

 

 こちらが褒め続けたことに気をよくしたらしい女の子が、そう言いつつ両手を天に向ける。その手の平から巨大な魔法陣が現れ、そのまま天高く上昇していく。何が起きるのかとワクワクしながらなるべく瞬きをしないように見つめていると魔法陣が上昇を止める。それから魔法陣からバチバチと小さな放電が漏れ出たかと思うと、爆音とともに目の前が真っ白になった。

 何が起きたか分からなかった。キーンと耳鳴りを感じつつ、徐々に光を取り戻した目で確認すると、女の子の前に半径10メートルほどの巨大なクレーターが出来上がっていた。小川の一部が決壊し、そこから漏れ出た水がクレータに流れ込む中、腰を抜かしている僕に女の子が得意げな表情を浮かべながら

 

「今のが雷属性最強の攻撃呪文よ。ま、威力はかなり抑えたけどね」

 

 エヘンとそう言い放ってきた。自慢げに振舞う幼いその姿と、目の前の惨状にギャップがありまくりであった。

 

「……ごめん、凄すぎて腰が抜けて立てなくなった」

「……情けないわね」

 

 思った反応が返ってこなかったことを不満に思っているのか、若干口を尖らせる女の子を見て思わず可愛いと思ってしまった。

 ……しかし、女の子がこんな凄い魔法を使えるなんて異世界って凄いな。女の子でこれなら大人の人は一体どれほどなのか……。というか僕でも魔法使えたりしないだろうか? もし使えたらこれほど嬉しくワクワクすることはないだろう。そう考えを巡らせ目の前の女の子をジッと見つめ、ダメもとでこうお願いしてみた。

 

「……ねえねえ、もしよかったら僕に魔法を教えてよ」

 

 その申し出が意外だったのか、きょとんとした目をこちらに向けてくる。すると、なぜかキッとこちらを睨みつけてくると

 

「これまでお前の様子を見ていたけど、やっぱり変ね。こんな強力な結界の中にいるのもそうだし、魔法を生まれて初めて見たような反応をするし、見たことのないものを沢山もっていたようだし。何より私を前にしてほとんど動じないなんて……お前、何者?」

 

 と質問を飛ばしてくる。まあ、異世界の人から見たら僕なんて違和感ありまくりだろうから警戒するのは当然だろう。色々気になることを言っていた気はするけど、今はどう答えるかのみを考える。

 

「……異世界人、かな」

 

 少し悩んだ結果、正直に話すことにした。別に嘘をつく必要もないと判断した。

 

「異世界人?」

 

 帰ってきた回答が予想だにしなかったのか、目をパチクリとし、そう聞き返してくる。

 

「うん。気づいたら別の世界、地球という星からこの場所に来ていたんだ。ここで会った人も君が初めてなんだ。魔法も初めて見たし、この世界のことは全然知らないんだ」

「……異世界、ね。信じがたい話だけど嘘は言っていないようね。なるほどね、それで……」

 

 女の子はそう言うと、なぜか俯いてしまった。何かを考えているようだが、それが何かまでは分からない。何となくそっとしておいた方がいいだろうと思い、じっと女の子の反応を待つ。

 

 

 

 数十秒後、思考がまとまったのか、ゆっくりと顔を上げこちらを見つめてくると。

 

「……うん、お前が異世界人ってことは理解したわ。……魔法ね。いいわよ? この私、アリア様があなたに魔法を教えてあげるわ!」

 

 最高の出会いを果たしたかのように、カップ麺を食べたとき以上の太陽のような笑みを浮かべながら、嬉しそうにそう言ってくれるのだった。

 



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第四話

 豪華絢爛な大広間の奥、そこに座る一人の男の表情はこの場所とは対照的にどこまでも暗かった。かつては威厳に満ちたその佇まいも今や見る影もなくなっていた。

 この男こそ、世界でも最大の国、アルスの国王である。彼が治める国は世界の七割以上の国の貿易の中心国であり、高い文明と経済力を誇っている。加えて、熟練の兵士や魔法使いを多数抱える最大の軍事国家としてもその名を世界に轟かせている。

 

 しかし、それも少し前までの話だ。

 

 ここ数年の間に魔物との戦争が激化の一途を辿ってきた。魔王の直属の配下、四体の幹部が率いる強力な魔物の大群を前にまずは小国家が為すすべもなく滅ぼされていった。魔物達の勢いは止まらず、次第に力のある国がどんどんと滅ぼされていった。当然、アルス国を含め、他の大国もその惨状をただ指をくわえて見ていたわけではない。それぞれの国で英雄と呼ばれるだけの強大な力を持つ人間が選出され、それぞれの魔物の大群の指揮である4体の幹部の討伐を目論んだ。アルス国も数人の英雄に加え、さらに聖女という切り札の一つを切って作戦に挑んだ。

 しかし、その作戦は完全な失敗に終わった。

 

 すべての英雄が魔王の娘アリアによって殺された為だ。

 

 アリアと英雄たちの戦いを見ていた者たちの話によると、アリアは英雄たちの前にフラリと単独で現れ、襲い掛かってきたそうだ。その戦いは大地を海をそして空をも切り裂くこの世ならざる激しいものだったらしい。最初は英雄たちの優勢だったそうだ。しかし、どれだけ強力な打撃や魔法を打ち込んでも、闇よりも深い執念によって立ち上がってくるその姿に徐々に英雄たちが飲まれていった。そのまま形勢がひっくり返され、英雄たちは一人残らず殺されてしまった。

 人間の少女の姿をし、緋色の目を持つそれはまさに悪魔そのものであったという。

 ここ数年で頭角を現したアリアは、武術と魔法の両方で化け物級の強さを誇っており、他の幹部達は勿論、父である魔王とさえ近い実力を持っているのではとのうわさだ。

 結局、人間側が持っている最高戦力を用いた決死の作戦はアリアという悪魔によって阻まれ、魔物の大群の進行の足止めすら叶わないという最悪な結果へと終わった。

 

 そしてこれが決定打となった。英雄の全滅によって士気がガタ落ちした人間側は、大国すらも魔物の進行に侵食されていった。

 僅か数か月経過した今では、世界の人口は六割ほどまでに減少し、世界の領土に至っては、半分までが魔物によって浸食されてしまっている。もはや世界中のほとんどの人間がまともな衣食住すら確保できないというまさに地獄絵図となっていた。

 

「国王様。ただいま戻りました」

 

 カチャリという鎧の音と共に聞き慣れた凛とした透き通る声に、ゆっくりと顔を上げる。

 

「……おお、戻ったか。カロラよ」

「はっ!」

 

 目の前には、膝を折り首を垂れている美しい女性騎士がいた。兜のみ脱ぎ去り傍に置かれていた。肩上で切り揃えられた銀色の絹のような髪と雪原を彷彿させるような白い肌が眩しい。

 

「顔を上げてくれカロラよ。……それで、どうであった?」

「……はい、正直に申し上げますと状況はかなり深刻かと。この国まで魔物が迫るのはそう遠くない未来かと予想されます」

 

 転移魔法を使いこなせるカロラに、周辺国家の視察を依頼していたのだ。予想していた答えとはいえ、改めて突きつけられた現実に目の前が真っ暗になっていく。こちらには最後の希望であるカロラがいるとはいえ、それでも四体の幹部、さらにはアリアに魔王、これらを一気に相手にして勝てるわけもない。

 

「ここまでなのか……」

 

 天を仰ぎながらつぶやいたその言葉は一国の王が決して口にしてはならない諦めの言葉だった。その言葉を聞いたカロラはというと、そんな自らの主をじっと見つめ、

 

「……国王様、諦めるのはまだ早いかと。これから二点良い報告があります」

 

 ……良い報告?

 この八方ふさがりの状態で良いことなどあるのだろうか?

 しかし、カロラが冗談を言うような人間でないことは知っている。

 ゆっくりと視線をカロラに向け、続きを促す。

 

「まず一点目ですが、魔物側で内部抗争があったようで、アリアが幹部達の手によって滅ぼされたようです」

「なにっ!? それは本当か!?」

「はい。複数体の魔物を尋問し、得た情報です。まず間違いないかと」

「そ、それが本当なら、人間側にとっても大きな希望の種となる。……アリア亡き今なら、カロラと残った実力者たちで協力すれば或いは……。そうなってくると先の戦いで聖女を失ったのが悔やまれるな……。だが、希望はゼロではなくなった」 

 

 活力が戻った主の姿を見て、嬉しそうに振舞うカロラは、さらに良い報告ができることに喜びを感じていた。

 

「うむ、久しぶりに良い気分だ。それで、二点目の報告とはなんだ?」 

 

 国王は、興奮を隠し切れないように、そう促してくる。

 カロラは小さく息を吸い、言葉を紡いでいく。

 

「二点目ですが、この世界に’勇者’が誕生しました」

「……な、なん、だと? それは真か?」

 

 国王の目が大きく見開く。その表情は嬉しさというよりは信じられないといった風だ。

 

「はい。伝承によりますと世界の危機に勇者が精霊の森のどこかで誕生し、精霊たちの加護の元、悪を滅するための力を身に着け、この世にその姿を現すとされています。精霊の森は、その名の通り多くの精霊が住まう巨大な森ですが、普段はほとんどの精霊が眠っています。しかし10日ほど前から森中の精霊が目覚め、活発に活動していることが分かりました。私も実際に精霊の森へ行きましたが、確かに精霊のほとんどが活動しておりました。その様子はまさに伝承通りでしたので、勇者が誕生したのはまず間違いないかと」

「……お、おぉ、伝説は本当だったのか。勇者の姿は確認できんかったのか?」

「申し訳ありません、勇者の姿は確認できませんでした。精霊たちによって徹底的に守られているせいか、魔力感知も何もかもが無効化され、影も形も分かりませんでした」

「そうだったか……。まあそれでも十分な報告だ、感謝するぞ」

 

 主のその言葉に全身が喜びに打ち震える。自らが仕える存在に褒められる、これに勝る快感はない。

 

「……もったいなきお言葉です」

「そう言うな。……確か、勇者は魔王に対抗するための力を身に付けているのだったな」

「はい。これも伝承ですが、その時々の勇者に合った最適な環境を用意され、強くなっていくそうです。ある者は、実力を研鑽し合えるライバルの存在を用意され、ある者は、あらゆる知識が詰め込まれた大書庫で、またある者は、敢えて過酷な環境下におかれ、そこで生き抜いていくことで力を身につけていったとされています。今の勇者がどんな環境にいるかは想像もできませんが……」

「……ふむ、なるほどな。して、その勇者がこの世に現れるまでどれくらいかかるものなのだ?」

「きっかり半年後でございます。不思議なことですが、これはどの時代の勇者も皆例外なくこの世に誕生してから半年後にこの世界にその姿を現しています」

「……半年か。また長い半年となりそうだ」

「はい、この事実は魔物側も当然把握しているかと。この半年間が勝負です。勇者さえ味方になればこちらの勝利は確実でございます」

「……望むところだ。よし、カロラよ、今すぐ各国の王を呼び寄せるのだ! 急ぎこれからの方針を決定する!」

 

 その国王の声には、先程までの絶望はなく、確かな力強さが込められていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高い天井に趣向が凝らされた彫刻が飾られたこの大広間は今、かつてない緊張感に包まれていてた。中心に備え付けられた、巨大な楕円型のテーブルには、四体の巨大な力を持つ魔物と、さらに一際その存在感を放つ存在が席についていた。

 

「……それで、カルラよ。とうとう勇者が誕生したと?」

 

 その存在が言葉を発した、それだけで空気がビリビリと震える。並みの存在なら意識を保つことすらできないだろう。その中、四体のうちの一体、細い体に巨大な翼と頭から角を生やした魔物、カルラがそれに答える。

 

「はっ、魔王様。精霊の森にて精霊の活動を確認しました。間違いございません。半年後にはこの世に勇者が姿を現すものだと思われます」

 

 魔王と呼ばれた存在は、不快そうにチッと舌打ちをする。

 

「……勇者、忌々しい存在だ。」

「魔王様、勇者が現れる前に人間どもを皆殺しにしてしまえばいいだけなのでは?」

 

 魔王の苛立ちを隠せない呟きに、四体の魔物のうち、一際大きな肉体と鍛え上げられた筋肉が特徴の魔物が大きな野太い声でそう言う。

 

「……ゴーラ、お前は馬鹿か。半年後に勇者が現れるという事実が人間どもに士気を与えてしまうんだ。特にあのアルス国の国王の軍事統率力とカリスマ性は魔王様にも匹敵するほどだ。これまでのように簡単に人間界を侵略できるとは考えないことだ。それに向こうにはまだ人類最強の聖騎士カロラも控えているのだ」

「……む、なるほどな」

 

 そこから一瞬、無言の時間が流れる。それを気まずく感じたのか、頭まで含めて全身が頑強な鎧に包まれた一体の魔物――キールが話題を変えるように口を開く。

 

「そう言えばアリアの件はどうなった? 我々の総攻撃で瀕死のダメージは与えたが、結局死体は確認できたのか?」

「そう、今回集まってもらった議題のもう一つはそれだ」

「どういうことだ?」

 

 カルラは改めて、一息をつきあたりを見渡したのち説明を始める。

 

「転移魔法を使い逃亡したアリアだが、魔力残滓から後を辿ると、その先が精霊の森へとなっていた」

「なにっ!? なぜそんなところに!?」

「それは分からない。だが重要なのはここからだ。……魔王様、勇者とアリアが接触した可能性がある」

 

 ザワッ

 

 カルラの発言に対し、他の魔物に動揺が走る。魔王でさえその顔を僅かに歪めている。

 

「……待て、そもそもアリアは生きていたということか?」

「落ち着け。……順を追って説明する」

 

 キールの問いにそう答えたカルラは、改めて主の方へ向き説明を続ける。

 

 

「まず精霊の森でアリアの流した血の跡らしきものを発見しました。しかし、そこにアリアの姿はありませんでした。そしてその近くの木にはナイフで切りつけたような真新しい傷がつけらており、10メートルほど離れたところに同じように傷がつけられていました、その後も10メートルごとにその傷が続いていました。現場から推測すると、何者かが森を迷わないように進んでいると、アリアを発見し、匿い治療をした可能性があります。そしてそれは勇者誕生のタイミングと奇妙なほど一致します。さらには、木の傷の跡を追っていると、明らかに何かを隠すかのように精霊の邪魔を受け追跡が不可能になりました。そして精霊がそこまで必死になって守ろうとする存在は勇者だけです。以上からアリアと勇者が接触した可能性があると推測しました」

 

 カルラが説明し終わると、あたりがシンと静まり返る。しかしすぐにゴーラがはっと、我に帰るや否や

 

「そ、それはまずいのではないのか? 今アリアは我々に強い憎しみを抱いているはずだ。もし、奴が人間側に味方するようなことがあれば、カロラにアリア、そして勇者をも敵にしなくてはならないことになる……」

「そうだ、そういうことになる可能性がある。……そこで魔王様。仮にそうなった場合、現状の戦力だけでも勝てる見込みは十分にあると踏まえていますが、より我々の勝利を確実にするためにある作戦の実行の許可を頂きたく」

「……言ってみよ」

「はっ、歴代の勇者はいずれも魔法に特化した者、剣技に特化したものなど様々ですが共通しているのは、心が透き通った青年であるということです。そこを利用します。この人間を利用して……おい連れてこい」

 

 カルラの一言に、大広間の扉が開き、外から魔物に連れられてトボトボと入ってくる人間が一人。一糸まとわぬその肉体には思わず目を背けたくなるほどの無数の傷がつけられており、手首には重厚な手錠がつけられている。腰まで伸びた金色の髪はぼさぼさであり、その表情は死んでおり、目の焦点はあっておらず光を失っている。

 この人間、女性はかつて聖女と呼ばれ、その美貌と神の領域にまで達した回復と信仰魔法の使い手であり、世界中の人間に愛されていた。しかし、アリアとの戦いで瀕死の重傷を負い、魔物側に捕らわれてしまったのだ。

 それから毎日辱めを受け、拷問を繰り返された結果、心を失い、生きているだけの人形へと変貌していた。

 

「この女を利用して勇者の心を揺さぶります」

 

 ここにきて初めてカルラの表情に嗜虐心に満ちた笑みが浮かんだ。

 



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第五話

 目を閉じ、ゆっくりと深呼吸する。そのまま身動き一つ取らず精神を集中させていく。体中を巡っているらしい魔力をイメージし手の平に集めていく。そしてその魔力を炎に変換するイメージを行う。アリアの言うとおりであれば、これで初級の魔法である炎魔法が発動するはずである。しかし、目をゆっくり開き自分の手を見るもそこには炎のほの字もないわけで。

 

「……だ、だめだぁっ!」

 

 どれだけイメージを膨らませても思い通りの結果にならず、思わずその場に大の字になって倒れ伏す。集中力が完全に切れてしまった。

 アリアから魔法の修行をつけてもらって二日目。僕は、未だ初級魔法すら習得できずに苦労していた。アリア曰く、普通は一、二時間もあれば習得できるはずとのことだが、どうも僕には魔法の才能があまりないらしい。

 

「……はぁ、どうしてできないのかしらね」

 

 そんな僕をため息交じりに呆れた表情を浮かべ覗き込んでくる。

 自らをアリアと名乗った彼女は、ぶっきらぼうな態度を取り続けながらも僕の魔法の修行につきっきりで見てくれている。これだけ教えてくれているのに何の成果も出せず、申し訳なさと共に悔しいと感じてしまう。

 

「ごめんね……、もう一回挑戦してみるよ」

 

 疲労を感じている自身の肉体を半ば強制的に立ち上がらせ再び意識を集中させていく。

 

「……あ、その、別に無理しなくてもいいんじゃない?」

 

 そんな言葉にふとアリアを見ると、心配そうにこちらを見つめているアリアが目に映る。魔法を教えてくれているときは少しばかり厳しい口調であるが、この表情を見ればこちらのことを気にかけてくれていることが分かる。本当にアリアは心優しい子だと思う。

 

「僕も魔法を早く使ってみたいし、もうちょっと頑張ってみるよ」

「……そう」

「ううん。アリアこそ、つきっきりでありがとうね」

「……別に」

 

 照れくさそうに顔を背けるアリアを見て、ほっこりとした気持ちになり、少し元気が出てきた。

 

 ……よしっ、もうひと頑張り!

 

 昨日アリアと出会ってから色々と分かったことがある。

 まず衝撃的だったのが、僕が助けた猫が魔法で変身したアリアであったことだろう。どうして酷い怪我をしていたのかなど気になる部分はあったが、そこには触れていない。何でもかんでも踏み込んで聞くのはよくないからね。ちなみに怪我は回復魔法で治したというのだから魔法が凄いと改めて思い知らされた。

 そしてこの世界には人間は勿論として、やはりと言うべきか異世界特有の存在、魔物が存在するようだ。人間と魔物は頻繁に争いを起こしているらしいが、これについてはアリアがあまり語りたがらなかったので詳しくは聞いていない。

 ここがどこなのかも聞いてみたがアリアにも分からないとのことだった。

 事件があったといえば、気づけば家の周りを囲っている結界から外へ出ることができなくなっていた。アリア曰く見たことがないくらいの強力な結界らしく、僕に魔法を教えることと並行してその結界を解くために色々解析してくれているらしい。

 最後に嬉しいことがあったとすれば、食糧問題が解決したことだろうか。残り少なっていくカップ麺に焦りを感じていたが、アリアが唱えた複製魔法というものでカップ麺を錬成できたのだ。ついでにカップ麺以外に残っていた僅かなレトルト食料やお菓子なども複製してもらった。これのおかげで食事にもレパートリーが増え、純粋に食事を楽しめるようになった。しつこいようだけど本当に魔法は凄い。

 

 アリアのおかげで少しだけこの世界のことを知り、かつアリアという語り合える存在ができたこともあり一気に元気を取りもどした。その勢いのままに意気揚々と魔法の習得に力を入れたわけだが、この有様だ。

 

 しかしここでようやく努力に実が結んだ。

 ボッと、小さく、しかし確かな炎が僕の手の平の上に生まれた。とても薄いが魔法陣が浮かんでいることも確認できる。 

 しばらく何が起きているか理解できなかった。しかし、手の平に感じるほのかな温かさが、僕自身が魔法を発動させたのだという事実を伝えてくれる。だんだんと驚きから喜びへと変換されていくのを感じる。

 

「ようやくできたわね? でもこんなの当たりm」

「やったよ、アリア!」

「……え?」

 

 気づけば僕は興奮のあまりアリアの手を取っていた。アリアは何が起きているのか理解できないようで、きょとんとした目をこちらに向けてくる。

 

「アリアのおかげで僕も魔法を使えることができたよ! 見てよこれ、僕の魔法だよ! ほらっ! こんなに嬉しいのは久しぶりだよ!」

 

 年甲斐もなくアリアの手をぶんぶんとし、キラキラとした目でもってアリアへの感謝の言葉を何度も伝える。アリアは相変わらず何がどうなっているのか分からないようだが、だんだんと状況を理解できてきたのか、その白い顔を徐々に朱色に染めていく。

 

「……わ、わかったから!」

 

 アリアは手を無理やりほどいてくると、ぷいっと完全に顔を背けてしまった。恥ずかしがっているのだと普段の僕なら分かっただろうが、如何せん興奮状態だった。僕はアリアとの距離を詰め、顔を近づけると

 

「本当にありがとうアリア!」

 

 と、改めて感謝の言葉を投げかけた。

 

「……う、うん」

 

アリアは、恥ずかしさと嬉しさが混じったような表情を浮かべると、僕の視線から逃れるように俯いてしまった。そこまで来てようやくやりすぎたのだと気付く。

 

「あっ、ご、ごめんアリア。……嬉し過ぎてつい」

「……うん」

 

 その後、何となく気まずさを感じつつも魔法の修行を続行した。僕は、炎魔法を習得した勢いのまま次々に魔法を習得、と都合よくはいかず結局炎魔法以外は習得できなかった。しかし、今日は魔法を一つ習得できたということで個人的には大満足だ。アリアもそんな僕を見て嬉しそうにしていたように見えた。

 

 その夜、食事を済ませた後、お風呂に入った僕がリビングで休憩していると、お姉ちゃんが持っていたアリアには少しサイズが大きめのピンク色のパジャマに身を包んだアリアがリビングに入ってきた。そのまま僕の隣にぴょんと飛び乗るように座ってきた。

 

「この家のお風呂、本当に最高ね。あれならいくらでも入っていられるわ」

 

 全身がほのかに熱を帯び、濡れた髪がなんとも言えない大人な雰囲気を醸しだいている。そう意識すると、少し気恥ずかしくなった僕は極力アリアの方を見ないようにしながら話しかける。

 

「お風呂、気に入ってくれて良かったよ」

「それにしても、あのお風呂もだけど、この家はどういう仕組みなの? 魔法を使っている様子もないし。この部屋を照らしている光もどうやって生み出されているかわからないし」

「うーん、難しいけど、僕たちの世界では魔法の代わりに科学技術が発達していて……って言っても分からないか」

「ふーん? 異世界って不思議なことができるものなのね」

「僕からしてみたら魔法の方が凄いけどね」

 

 昼間の気まずさもなくなり、こうやって打ち解けて話し合うことができている。一昨日までの一人で過ごしていた夜が嘘のようだ。アリアも僕にちょっとずつ心を開いてくれているようで、初日に比べて口数もどんどんと多くなってくる。僕としても嬉しい限りだ。

 

「ねえねえ、それは何なの?」

 

 アリアが指さした方向にはテレビがあった。父さんが無理をして購入した有機ELで六十インチのそれなりに高価なものだ。

 

「テレビっていって、別の場所の色々な景色とかを映しだせるんだよ」

「へー、ちょっと見せてみてよ」

「うーん、何かあるかな。あっ、じゃあこれでも見ようか」

 

 電波がないのだから放送している番組があるわけもなく、何か録画してあったものがないか確認していると、ちょうどよさそうなものがあった。

 それは、ちょっと前に放送されていた大ヒットの映画作品が地上波で放送されたものだった。

 平和な家族愛に包まれた主人公の少女がある日突然母親を交通事故で失ってしまうシーンから始まる。少女自身、悲しみに暮れ、父親もショックのあまり鬱になり、平和だった日常が壊されてしまう。しかし周りの色々な人達の助けを借りながらも最後には父親と二人で生きていくことを決心していくという流れだ。物語としてはシンプルなのかもしれないが要所要所の人の温もりを感じるシーンで涙を流すこと必須の作品となっている。僕も初めて見たときには思わず泣いてしまったものだ。

 

「二時間くらいあるけど、とてもいい作品だから是非見てほしい」

「ふーん、まあよくわからないけど分かったわ」

 

 その後、再生ボタンを押し、映画が始まる。最初は、「凄い」、「どうなってるの」など可愛い反応を見せていたアリアだったが、話が進んでいくにつれ、静かになり、やがてじっとテレビの画面を見つめるようになった。僕もいつの間にか食い入るように映画に夢中になっていった。

 

 そして、二時間はあっという間に経ってしまい、映画にエンディングのテーマ曲が流れだす。僕は二回目だというのに涙がボロボロと溢れてきてしまっていた。

 ……うん、本当にいい作品だと思う。

 アリアはどうだろうと、ふと横を見てみる。アリアは何を思ってか俯いていた。表情が窺えないが、感動しているのだろうか?

 そんなことを思っているとアリアはスクッと立ち上がると

 

「……私寝るね」

 

 短くそう言うと、こちらの返事を待たずしてリビングを出て行ってしまった。アリアには、お姉ちゃんの部屋を使ってもらっているので、そこへ向かったのだろう。

 

 ……どうしたのだろう? 気に入らなかったのだろうか。異世界の人には響かなかったのかな?

 

 映画鑑賞後、僕はアリアの様子が気になり、ベッドの上で寝付けないでいた。

 その時、シンとしていた室内に外からの物音が響いた。

 ……アリアかな?

 気になって、ベッドから立ち上がり窓から外の様子を覗いてみる。

 そこには確かにアリアがいた。かつてアリアが強力な雷魔法で作ったクレータに小川の水が流れ込み今や池となっている淵に座り込み、ぼうっと虚空を見つめていた。

 そんな様子のアリアを放って眠れるわけもなく、急いで上着をはおり、外へと出ていく。

 

「……アリア、どうしたの?」

 

 声をかけながら、少しだけ距離を開けてアリアの隣に腰掛ける。アリアはそんな僕には振り向かず、小さな声で

 

「ねえ、家族って普通はああいうものなの?」

 

 それが映画の主人公の少女の家族をさしていることはすぐに分かった。

 

「……うーん、一概には言えないかな。でもあれだけ親の愛を注がれている子は凄い恵まれていると思う、かな。勿論、母親が死んでしまったのはとても悲しいことだけど」

「あなたの家族はどうなの?」

「え、僕? ……そうだなあ、父親も母親も優しくて僕のことを大事に育ててくれていたかな。お姉ちゃんもやんちゃだったけど僕の事よく守ってくれたし。……そう思うと僕は恵まれていたのかなあ」

 

 今や離れ離れになってしまった家族のことを思い、寂しいという感情に満たされる。普段意識していないけど、なんだかんだ家族って大事な存在だったんだと痛感してしまう。

 

「……そう、なんだ」

「……アリア?」

 

 黙ってしまったアリアにそう声をかけるも返事はない。どうしたものかと、何となく池の水面に映った三つの月をぼうっと見つめていると、アリアがポツポツと喋って聞かせてくれた。

 

「……私ね、母親は知らないけど、父親がいるの」

「……うん」

「でも生まれてから一度も言葉は交わしていないし、それどころか邪魔者として扱われていたの」

「……うん」

「……それでも認められたくて頑張ってきたの。でも結局認められることはなかったわ。……私にもあんな家族が欲しかった」

「……」

 

 何となくアリアが複雑な事情を抱えているとは察していたが想像以上に重く複雑な重荷がこの一人の可憐な少女にのしかかっていたようだ。もしかしたら、初めて会った時の怪我も何か関係しているのかもしれない。今のアリアはとても小さく、そよ風にさえ攫われてしまいそうだった。

 

「……アリア」

 

 僕の呼びかけに初めてこちらを見つめてくるアリア。その表情は絶望しつつも何かに期待し縋っているように見えた。

 

「……僕はアリアの父親や母親にはなれない。でもアリアの寂しさを紛らわすことくらいはできる、と思う。だから元気を出してくれてたら嬉しい。……それに僕も独りぼっちだしね、あはは」

 

 場を明るくする意味も込めて最後には笑顔でそう言った。気軽に立ち入っていいことではないのかもしれない。それでもこの心優しい少女アリアの力になってあげたいと思った。

 

「……本当に私の寂しさを紛らわしてくれる?」

「……そうだね、完全に紛らわすことができるか分からないけど、僕にできることならなんでもするよ」

 

 その僕の言葉を聞いたアリアは、また俯むくとこちらに表情を見せることなく立ち上がった。

 

「……ありがとう。……やっと分かったわ」

「何が?」

「……ふふ、何でもないわ。じゃあ、おやすみ」

 

 最後にこちらに見せたアリアの表情は、いつか見たとき以上の笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 やっとわかった。

 私の生きる意味。

 それは、あの人間の青年と共にあることだったのだ。

 初めて一緒にいたいと思い、愛しいと思えた。

 これまで一人きりで生きてきた私は周りとの接し方を知らない。実際、魔法を教えているときの私の態度は酷いものだっただろう。しかし、そんな私にも悪意の一つも感じることなく、接してくれた。さらには、こんな私に感謝の言葉を投げてくれもした。「ありがとう」、この言葉を聞いた時、心の中が陽の光で満たされたように温かい気持ちになれた。

 正直、あの人間は魔法の才能はなく、肉体的にも恵まれているとは言えない。しかし、だからこそ、もっと、もっと、力になってあげたいと思った。私が守るのだ。私の取り柄といえば、この強さだけなのだから。

 

 生まれて初めて幸せな感情に心を満たされているときだった。

 

 自らが生み出した思念体から、結界魔法の解析の一部が終了したと連絡が入った。確認すると、結界の外を覗き見ることができるようになったらしい。すぐに結界の外を確認する。まずは、状況の把握が最優先だ。もしかしたらこの結界も魔王一派の仕業かもしれないのだから。

 しかし、結界の外の様子を見て驚愕する。

 

 何っ、この大量の精霊は!?

 

 外の森には何もないと聞いていたが、とんでもない。見たことのない量の精霊が森中を覆っていた。精霊は存在そのものが魔力に近く、ある程度魔法に通じていないと見えないため、あの人間には何も見えなかっただろう。

 

 でも、どうしてこんなに大量の精霊が……はっ。

 

 すぐに勇者の存在に結び付いた。魔法の勉強の為、色々な文献を読んでいた時に勇者の誕生についても頭に入れておいたからだ。

 

 そ、そんな、じゃ、じゃあここは勇者を育てるための……? 

 じゃああの人間が……勇者?

 

 色々なことが頭の中をぐるぐるとするが、すぐに致命的な事実にたどり着く。

 勇者は半年の修行の後、世界に姿を現し、悪の権化である魔王に立ち向かってきたとされている。しかし歴史書を紐解くと、毎回必ず勇者が勝利するというわけではないのだ。勇者が勝利する時代がある一方、勇者と魔王が相打ちで共に死んでしまう時、魔王に敗北し、しばらく魔物の支配が続いた過去もあるのだ。

 そして、今のあの人間が魔王、そしてその配下である幹部に勝てる見込みはゼロだ。これから半年修行したとしても、魔王たちに対抗できるだけの力が身に着くとは到底思えない。

 とはいえ、勇者は魔王に立ち向かう宿命からは逃れることができない。勇者が生まれていることは、人間側も魔物側も把握しているだろう。そんな状況の中、世界が勇者をその宿命から逃がすことを許さないだろう。

 

 

 

つまり結論としてはこのままでは、半年後、確実にあの人間が殺されてしまうことを意味する。

 




おびただしい数の誤字報告……
すみません、チェックしているつもりなのですが……
報告していただいた方ありがとうございます。


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第六話

 目の前がぐにゃりと歪んでいくような錯覚に襲われる。

 

 人間達には殺されかけて魔王の座までもう一歩のところで魔物側からも裏切られてしまった。

 ……そして、ようやく自分のことを見てくれる存在と出会うことができた。しかしその存在も後、半年の命であることが判明してしまった。

 

 あまりに残酷な自分自身の運命を呪わざるを得ない。運命に翻弄され続ける力のない自分自身に経験したことのない怒りがこみ上げてくる。ギリリと歯ぎしりの音が響き、強く握りすぎた拳から血が滴り、地面に吸われていく。

 

 ……また私はようやく見つけた光を失うの?

 

 天を仰ぎ、そこにいる何かに問いかけるように心の中で呟く。

 

 ……いやだ

 

 嫌だ嫌だ嫌だ!

 ふざけるなっ!

 私が何をした?

 ただ、私は私のことを誰かに認めてほしいだけなのに!

 

 しかしその想いに答えてくれる者はいない。夜空に浮かんだ三つの月が静かに私を見下ろしてくるだけだ。その決して届かない存在に今突きつけられている運命を重ね合わせ、睨みつける。

 

 

 

 どれだけそうしていただろうか。時間の経過によって頭から血が引いていき、冷静さが戻ってくる。

 

 ……違う。考えるのよ私。

 まだ『半年』もあるわ。私ならさらに……。

 

 視線を天から下ろし、目の前に広がる森、さらにそこを漂う精霊達、そしてその遥か奥。

 そこに待ち構えているであろう魔王とその配下の存在を見据える。

 

 ……私が全てを殺せばいい。

  

 四人の幹部達も。そして父親である魔王諸共。勇者の敵になり得る存在は全て排除する。今私にそれだけの力はない。なら手に入れるまでだ。これまでそうしてきたように。

 ……私にならできる。いや、私にしかできない。あのカロラですら不可能だろう。

 あの人間を守れる存在は私しかいないのだ。

 

 ……そうよ、ふふ。すべてを殺した後にゆっくり二人で過ごせばいいわ。ついでに魔王軍を壊滅させた後は、人間界を滅ぼしてもいいかもしれないわね。そうすれば私たち二人を邪魔する存在は皆無なのだから。

 

「あ、ここにいたのアリア。どうしたのこんなところで?」

 

 振り返るとそこには、あの人間がいた。心配そうな表情を浮かべ、こちらを気遣ってくれている。その事実に心が満たされていく。

 私は心からの笑顔を浮かべる。

 

「ううん。ちょっと風に当たってたの」

「そう? でもあんまり外にいると風邪引いちゃうよ?」

「そうねもう戻るわ。……でもその前に二つだけ聞いてもいい?」

「うん? 勿論答えられることなら」

「あなたの元の世界での人の寿命はどれくらいなのかしら?」

「……え? 寿命? え、ええと、そうだな。大体八十から九十歳くらいかな?」

 

 ここの世界の人間の寿命に比べると随分長寿であることが分かり、少し驚く。勿論、人間にしてはだが。魔族の寿命はその十倍を上回る千年ほどと言われている。つまり十四歳である私も普通に生きていけば、後千年ほど生きることになるはずだ。昔はその無駄に長い寿命を呪ったものだが、今はその長さに感謝だ。

 私の切り札の一つである時間魔法。消費魔力が他の魔法の比でない為、実戦で使えるのはせいぜい二、三回程度だ。しかし、それは魔力を消費した時の話。魔法とは魔力の代替になるものを捧げることでも発動させることができるのだ。

 そう、例えば自分の残りの命であったりだ。

 

「どうしたの急に?」

「ううん、別になんでもないの」

「そう? ちなみにここの世界の人たちはどれくらいの寿命なの?」

「……ほとんど『同じ』位よ」

「へー、そうなんだ。異世界でもそこは変わらないんだね。……そういえば後もう一つは?」

 

 そう促され、改めてこの人間の顔を見る。覇気のないひ弱な見た目、しかしその優しそうな表情を。出会った頃は何の変哲もない見た目をした人間だと思っていたけど、今はそれがむしろ愛らしく見えてしまう。

 

「あなたの名前を教えて頂戴」

 

 この質問を聞いた人間は目をまん丸に見開いていく。そして嬉しそうな表情を浮かべた人間は自身の名を口にしていく。

 その名前は異世界ではよくある一般的なものらしいが、あまりにこの世界のものとはかけ離れていた。

 しかし不思議とすぐにその名前を好きになれる自信があった。

 

「……いい名前ね」

 

 そう呟き、私はある魔法を発動させる。それは契約魔法。魔物と人間の間に強固なつながりを実現させる魔法だ。

 この魔法はかつて一体の魔物が一人の人間に恋をし、その魔物が人間を守る為に生みだした魔法だと言われている。その話は物語にもなっており、現世に伝えられている。一度読んだ気がするが結末は忘れてしまった。

 人間から名前を教えてもらうことをトリガーとして発動するこの魔法の効果は様々だ。単純な損得勘定で言えば、魔物側にメリットは一つもない。本当に人間を守ることのみに特化した魔法なのだ。

 人間の魔力が尽きれば、自動的に魔物側から魔力を供給し、ダメージを与えられたらこの魔法を通じて代わりに魔物にダメージがそのまま伝搬する。他にも色々あるが、この二点が何よりも重要なのだ。

 

 これで、私が死なない限り……。

 

 そう思いながら私は再度天を仰ぎ、三つの月を見つめた。その月はやはり静かに私を見下ろしてくるだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、言い忘れていたけど、あなた勇者よ」

 

 次の日の朝、朝食を摂っているとアリアからそんなことを言われた。あまりに唐突に、何事でもないように。

 

 ……ゆう……しゃ?

 

 頭の中でその言葉を反芻させるも飲み込めない。

 

「半年後、あなたは魔王軍と戦うことになるわ。だから今日から本格的に魔法と追加で武術の訓練も行ってもらうわ。私も一緒に戦うから安心してね」

 

 矢継ぎ早に繰り出される言葉の全てが理解できない。

 

「ちょ、ちょっと待って!? え、僕が勇者だって!? それに一緒に戦うって!?」

 

 勇者。アニメやRPGでは聞き慣れたフレーズ。しかしそれは自分が住む世界とはかけ離れたものであり、架空の存在であった。

 その後、アリアから詳しく説明は聞いたが、やはり現実味がなくしばらく呆然としてしまった。疑問が山積みだった。

 

 ……僕が、勇者? 

 そしてアリア、君は一体……?

 

「ほらっ! ぼうっとしている暇はないわよ! 早速訓練よ!」

 

 そんな僕に喝をいれてくるアリア。その表情を窺うと、言葉の勢いとは裏腹に安心しなさいと言わんばかりの優しい表情に満ちていた。聖母のようなその姿に思わず見惚れてしまった。僕は無意識に「……うん」と答えてしまう。

 

 その日から、半年に渡って厳しい修行の日々が始まった。

 来るべき魔王軍との戦いに備えて。

 



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第七話

 体内を巡っている魔力を操作し、前方に突き出した手の平へと集めていく。そのまま集めた魔力を保持しつつ炎球を想像し、魔法を発動させる。その瞬間、手の平から半径一メートルほどの炎球が誕生する。そこから放たれる強烈な光が辺りを眩く照らしていく。全神経を注ぎ込み、暴走しそうになる魔力を必死に抑えつつ、なんとか炎球を射出することに成功する。炎球は地面を焦がしながらまっすぐに突き進んでいく。やがてアリアが用意した巨大な岩にぶつかり、小爆発を起こし、あたり一面に砕け散った岩の欠片が飛び散る。その中でも一際大きな岩の欠片がこちらに向かって飛んで来る。すぐさま腰に帯びた剣を抜刀し、その岩の欠片を薙ぎ払う。真っ二つに切れたそれはそれぞれが僕の左右に軌道をずらし飛んでいった。

 

 爆煙が収まり、再び静かな空間が戻ってくる。

 

 ……や、やった。遂に、上級の炎球魔法を習得できた!

 

「やったよ、アリア!」

 

 勢いよく振り返ったそこには、僕と同じように嬉しそうな表情を浮かべているアリアの姿があった。

 

「……ふふ、ちゃんと見てたわよ。やったわね」

 

 出会った時の幼さはこの五カ月間でほとんど消え去り、今では大人の女性特有の落ち着いた雰囲気を漂わせている。身長も以前より伸び、全体的にスラリとしたスタイルへと変貌している。以前は可愛いという表現がよく似合っていたが、今は綺麗という言葉がよく似合う。出会った当初は妹のように見えていたアリアも今では僕と同じくらいの年齢の女性に見えてしまう。

 まるでこの五カ月の間にアリアだけ二、三歳くらい多く年を取っているようであった。実に不思議なことだが、アリア曰く異世界ではアリアくらいの年から急成長するらしい。

 

 

 

 

 

「この五カ月間でかなり強くなったわね」

 

その日の夕食の席で、アリアが僕の方をまじまじと見つめながらそんなことを言ってきた。

 

「アリアのおかげだよ。丁寧に教えてくれるし、魔力をいくらでも使っていい環境を作ってくれたからね」

「……どういたしまして。でも折角この私が褒めてあげたんだから素直に受け取りなさいよね」

 

 アリアは柔和な笑みを浮かべながらも困ったようにそう言ってくる。以前のアリアなら、ふふんと自慢げにしていたのだろう。しかしここ最近はずっとこんな様子なのだ。これも異世界効果なのかもしれないが、見た目のみならず精神年齢的にも飛躍的に成長しているように見える。

 

 そしてこれが原因で最近僕を悩ましていることがある。

 ……こういうのを一種のギャップ萌えというのだろうか? 大人としての魅力を備えつつあるアリアを見ているとやたらと緊張してしまい、まともに顔を見れなくなってきているのだ。そして日に日にその頻度は増えていく始末だ。

 今もまたその波が来ててしまい思わずアリアから目を逸らしてしまう。気を紛らわそうと会話を振ることにする。

 

「そういえば僕に魔力が供給されてるのってどういう仕組みなの? 魔法にも多少詳しくなってきたけど、あれだけ未だにさっぱり分からないんだよね」

「……もう少ししたら教えてあげる。今はまだ早いからね」

 

 アリアはそう言うと、「……というか」と付け加え、ガタッと椅子から立ち上がりこちらに歩いてくる。こちらが何か反応する前にアリアは座っている僕の前に立つとそのまま顔をグイッと近づけてくる。アリアの整った顔を何の心構えもせずにいきなり近づけてくるものだから心臓が跳ね上がってしまう。

 

「……ねえ。ちょっと前から思ってたけど、どうして私から顔を逸らすの?」

 

 アリアの表情を見ると怒っているようだった。しかし、その質問に正直に答えることはできない。それはそうだろう、アリアが綺麗に見えるからだなんて答えられるわけないだろう。

 

「……べ、別になんでもないよ」

 

 アリアを視界に入れないようにそう答える。しかしその返答に対するアリアからの反応はない。気になってアリアの方にちらりと視線を向けると、思考が止まってしまった。てっきり怒りのボルテージをさらに上げてくるのかと思いきや、その逆だったからだ。

 アリアはショックを受けたようにその整った顔をくしゃりと崩し、宝石のような紅い瞳がどんどんと潤んでいくのだ。そして、アリアは震える口を開いてくる。

 

「ど、どうして? 何もないわけないじゃない。私何かしたかしら? もし気に食わなかったことがあるなら言って?」

 

 必死になってそう迫ってくるアリアを見て、経験したことのない罪悪感がのしかかってくる。

 それはそうだ。アリアから見たら急に態度を悪くされたように見えているよね……。

 一瞬、自分自身の中で、男としてのプライドを取るかどうか天秤にかけるも結果は決まっていた。

 

「……その、違うんだよ」

「……違うって何が?」

「……くっ。……だから、アリアが最近、大人びてきて綺麗になったから近くにいるとドキドキするんだよ! だから別にアリアのことが嫌いになったとかじゃないんだよ! むしろその逆というか……。あぁっ、もう僕は寝るからっ!」

 

 僕は何を言っているんだ!? 勢いあまって余計なことまで行ってしまった。

 

 アリアの反応を見る前に部屋を出て、自分の寝室へとドタドタと騒がしい音を立てながら急ぎ向かっていく。その後は、自室の部屋の布団にくるまりひたすら悶える結果となってしまった。

 

 最悪だ。明日どんな顔してアリアに会えばいいんだよ……。

 

 

 

 しかし一時間後。未だに悶々としていた僕の元へアリアの方からやって来た。控えめなノック音に一瞬寝たふりをしようか迷った。しかしこのままでも寝ることができないだろうと考えた。もういっそのこと会ってしまおうと決め、「どうぞ」と答える。どうせ明日会うことになるしね。

 ガチャリと扉が開き、アリアが部屋に入ってくる。僕は布団から出てベッドに腰掛ける形でアリアを出迎える。ちなみに未だに熱がこもった顔を見られるのは嫌だったので部屋の電気は消したままだ。窓から入ってくる淡い月明かりのみが室内を優しく包んでいた。

 

「……あの、さっきはその勘違いしていてごめんね」

 

 アリアの表情は暗がりのせいでよく見えなかったがその声色は恥ずかしさと申し訳なさを含んでいた。

 

「……いいよ、こっちこそごめん。色々心配させちゃって」

「……うん」

 

 そこで会話が途切れ、室内が静寂に包まれる。

 

 ……こ、こういう時どうすればいいんだ?

 

 悲しいかな、女性経験が皆無な僕にはこの状況に対してどう行動すべきか分からない。だが、僕が何かをする前にアリアがゆっくりと僕のベットに腰掛けてくる。僕との距離は近すぎず遠すぎずといった感じに。

 

「……いよいよ、後一カ月ね」

 

 ドキマギしている僕に対してそんな言葉が投げかけられる。アリアが放った言葉の意味が何を指すのかは明らかだった。

 僕が勇者として世界に旅立つ日のことだ。

 

「……そうだね。色々あった五カ月だったよ」

「……本当にね」

 

 再び室内に静寂が訪れるが、今度は気まずさはない。僕と同様にアリアがこの五カ月間を振り返っていると分かるからだ。

 本当にアリアには感謝してもしきれないほど助けられた。

 勇者という世界の運命を担う重大な存在にのしかかる重荷につぶされそうになった時もアリアが支えてくれた。

 僕が魔法と武術の訓練中に根を上げそうになった時もずっと傍にいてくれた。そして、たまの休養日には、一緒に映画を見たりゲームをしたりと共に笑い合い、楽しい時間を過ごした。

 

 そしてこの五カ月の間にここを出てから必ずすると決めたことが二つある。そのうちの一つは今ここで言う事にする。

 

「……僕さ。魔王を討伐して世界を平和にできたら世界を旅しようと思うんだ」

「旅?」

「うん。そこで、元の世界に戻るための方法を探そうと思う」

「……そう」

「……それでさ、もし元の世界に戻る方法が見つかれば、アリアも一緒に僕の住む世界に来てくれないかな?」

「……いいの? 本当に?」

「勿論。……アリアが望むならだけど」

「行くわ。……必ず」

「なら約束だね。絶対に僕の世界に一緒に行こう」

「……うん」

 

 

 

 そしてもう一つ。

 

 アリアをなんとしても守るということだ。

 

 アリアはこの頃、無理をしている。僕の前では元気よく笑顔を浮かべてくれているが、その奥底に隠し切れない疲労が見え隠れしている。

 一度アリアに聞いてみたことがあるが、そんなことはないとはっきり答えられてしまった。

 だがそれは嘘だ。確たる証拠なんてない、ただの勘だ。だが、僕が名乗ったあの夜からアリアの考えていることが何となく分かるようになっていた。アリアが僕のために自分を犠牲にしているということは間違いないと確信している。

 アリアが色々なことを隠していることは分かっている。だがそれを暴くつもりもないしとやかく言うつもりもない。しかし、それが僕の為にとあれば話は別だ。

 勿論、アリアの方が僕よりもずっと強いし、守るなんて言っても笑われるかもしれない。だが、そんな僕でもアリアを守る方法の一つがあるはずだ。もう一つのすることは、その方法を探すことだ。

 

 ……何より、愛する女性を守るのは男の役割だからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから一カ月、最後の追い込みを終えた僕とアリアは、とうとう世界に旅立つ時が来た。

 



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第八話

 目の前に広がる大量の精霊が渦巻いている鬱蒼とした大森林を見つめ、いよいよかと柄にもなく心がざわついてしまう。

 

 勇者が誕生してから今日でようやく半年となる。

 半年前まで魔王軍によって侵攻され続けていた人類だったが、勇者という希望の光が現れてからの人類の抵抗は凄まじいものであった。我が主であるアルス国王及び各国の王の指揮の元、戦意がどん底から最高潮に達した人類によって、それまでの魔王軍の進軍が嘘であったかのように停滞させることに成功。国によっては、逆に魔王軍を後退させるまで至った例もあるほどだ。

 半年持ちこたえれば勇者が人類の勝利を導いてくれる。そんな共通認識が人類を今日ここまで生き長らえさせてきた。

 

 ……勇者、一体どんな者なのでしょうか。

 

 人類最強と言われている自分ですらここまでの影響力はない。自分ですら成しえないことをやってのけた勇者という存在に興味を惹かれるのは必然であった。

 

「カロラ様、報告させて頂きます。全部隊の精霊の森の包囲を完了したとの確認が取れました。現状、勇者様の姿は確認できておりません。また魔王軍の姿も確認できておりません」

「わかりました、報告ご苦労様です。しかし魔王軍が何もせずに静観することは考えにくいです。引き続き警戒態勢を崩さないように」

「はっ!」

 

 この日、人類は精霊の森に1万という大軍を率いて勇者を迎えに来ていた。勇者は強くなるための修行は行っているはずだが、外界と隔絶された空間にいるため、世の中のことには無知なはずだ。最悪、森を出た直後に何も事情が分からぬまま魔王軍に襲撃されるなんて可能性もある。その為、各国の守りが薄くなることを承知で私を含め精兵で構成された軍が派遣された。それほどまでに勇者という存在は重要なのだ。

 

 ……それにしても、やはりセーラが気になりますね。

 ちらりと横目で隣に佇む者へ視線を向ける。

 

「……ふふふ、ようやく私の勇者様と会えるのですね。あぁ、神様。一度は魔物に捕らわれた身ですがこの日を迎えられたことに深い感謝を」

 

 群青色の刺繡が施された純白のヴェールと修道服に身を包み、絹のような美しい金色の髪がさらりと風に舞う姿は、まさに神の使いである。彼女は青碧の瞳でここにはいない勇者の姿を捉え、祈りを捧げるように両手を組みそんなことを呟いている。

 セーラは自分と同格の存在であり聖女と呼ばれており、人類の切り札の一つとされている最重要人物である。その最たる所以は人類が歴史上一度も成功させたことのない蘇生魔法を使いこなすという回復魔法について神の領域にまで踏み込んだ偉人とされているからだ。

 アリアとの戦いで魔王軍に捕らわれたセーラだったが、監視の隙を突き、隠し持っていた転移魔法が封じ込められた水晶によって魔王城を逃れられてきたらしい。

 当然、最初は魔王軍の罠でないか警戒した。聖女という人類にとっての切り札を簡単に逃すとは考えにくかったからだ。しかし様々な魔法解析を通じて検査されたが結果は白だった。それでもセーラを人類に迎え入れるか入れないかは議論が繰り返された。罠の可能性が1%でも残っている以上、危険とする意見とリスクを承知でもセーラを戦力として加えたときのメリットの方が大きいとする意見がぶつかりあっていたのだ。結局、セーラは常にある程度実力がある者の監視の元、受け入れることになった。

 

 しかし、こちらに戻って来てからセーラは勇者に異常な執着を見せていることが、個人的には気になっている。本人曰く、捕らわれている時に、『そこから脱し、勇者と共にありなさい』と神のお告げがあり、神によって自分が逃げれるだけの隙を作ってくれたということらしい。

 力のある修道女が神のお告げを聞くことは稀にあることなので、あり得ない話ではないが、何となく胡散臭いと感じてしまう。

 今回も本来ならば、私だけが勇者の迎えにでるはずであったが、セーラの強い希望によって半ば無理やり今回の作戦に参加してきた。

 

 ……まあ、今は私が監視しておくしかありませんね。

 

 そんなことを心の中で呟いた瞬間だった。その時は急に訪れた。

 

「……っ! ……いよいよですか!」

「ええ! とうとう勇者様がおいでなさります!」

 

 森中の精霊たちに大きな動きがあったのだ。その動きは大量の魔力の奔流となり、大海の嵐を彷彿させるほどだ。ここにいるだけで、そのあまりの魔力量に肌がびりびりとする。周りに控える兵士や魔法使いたちもその様子に息を吞み、その様子を見守っている。

 精霊は一つの道を作り出すような動きを見せ、自分が立つ目の前にその道の出口を作り出す。聖騎士である私と聖女の元へ勇者を導いてくるのは恐らく偶然ではないだろう。

 

 そしてどれだけ待っただろうか、とうとう勇者がその姿を現した。

 伝承にあった通りのまだ十代後半と思われる青年である。バトラーが着用するような衣服に似たフォーマルな衣服に身を包んだ彼は、人の良さそうな優しそうな表情をしていた。とてもではないが争いが得意そうな人物には見えない。

 

 ……しかし、あの魔力量は?

 

 勇者から感じられる魔力量は小さくはないが、大きくもない。とてもではないが世界を救うだけのものであるとは思えない。精々が半年以上前に殺されてしまった英雄クラスだろう。かといって武術が得意そうにも見えない。

 しかし、そんな疑問もすぐに吹っ飛ぶ。それだけの巨大な魔力を持つ存在を感じたからだ。その正体は、青年の斜め後ろを歩く黒い毛皮に覆われた猫だ。その猫からとてつもない魔力量を感じる。

 

「おい……あれ猫じゃないか? なんで猫が?」

「ああ……、いや、目が赤いぞっ!? 化け猫だ!?」

「な、なんなんだ!? このあり得ない魔力量は!?」 

 

 周りの兵士たちからそんな声が上がり、騒ぎになっていく。かくいう私も目の前の衝撃的事実に驚きを隠せない。

 世界に蔓延る魔物は基本的に魔王の支配を受けている。しかし、限られた二種族はその限りではない。一つは竜族、そしてもう一つが瞳が赤い猫、一般的に化け猫と呼ばれる種族だ。それらは、その強大な力ゆえに魔王の力を持ってしても支配されない種族として知られている。

 化け猫は肉体的な力はないものの、魔法については他種族と比較しても頭二つほど抜けているとされている。かつて化け猫の怒りを買った大国がたった一匹の化け猫によって一夜のうちに焼け野原にされたという伝説があるほどだ。

 魔王軍の今は亡きアリアや幹部のカルラも本気を出すときは変身魔法で竜族や化け猫に変身し戦っていたほどだ。

 

 化け猫の登場に驚いたが、さらに驚くべきはその化け猫が勇者に懐いていることだ。化け猫は、勇者の肩に飛び乗り心を許しているように見える。さらに勇者と共に現れたということは、化け猫は精霊によって隠蔽されていた空間でこれまで勇者と共に修行を行っていたことになる。

 以上からあの化け猫が人類の敵である可能性は限りなく低いと考えられる。

 

 ということは……テイマーですかね?

 

 テイマー、魔物を味方として使役し敵と戦う者をそう言う。勿論、化け猫を使役している者など歴史を振り返ってもいないはずだが。どうやって化け猫とあそこまでの良好な関係を築けたのかは謎だが、これが勇者の力ということなのだろうか。

 

「あぁ、ようやくその凛々しいお姿を見ることができました。今すぐそちらに行きます」

 

 セーラはこちらの呼び止める声も聞かずに駆け出していってしまった。仕方がないのでこちらも急ぎ後を追う。

 

 ……まあ、いいです。私は我が主の命令通り、勇者を無事我が国に送り届けるだけですね。

 

 この重要任務を無事に完遂させればまたお褒めのお言葉を頂けるだろう。それを想像するだけで全身がゾクゾクするような感覚に陥る。

 

 

 

 勇者の目の前に立ち、改めてその姿をじっくりと見つめる。

 

 ……本当にその辺の町にいそうな青年ですね。

 

 そして化け猫に視線を移す。近くにいるだけでどれほどの力を隠し持っているのか伝わってくるようだ。しかし化け猫はこちらに興味はないようで、勇者に言い寄っているセーラの方をシャーッと威嚇している。

 

「……お待ちしておりました、勇者様。私はカロラと申します。あなたを我がアルス国まで送り届ける為、迎えに参上致しました。……セーラ、少し落ち着きなさい。勇者様が困っています」

 

 出会うや否や、勇者に言い寄ったセーラは勇者の手を取り、切なげに潤いを含んだ瞳で勇者に次々と言葉を投げかけていた。

 

「初めまして。私は、セーラと申します。この数カ月ずっとお会いしたかったです。勇者様……あぁ、この出会いの場を作り頂いた神に感謝を……」

 

 一方、勇者は「あ、あの、こ、困ります。」と、あまり女性に免疫がないのか、顔を真っ赤にし、ほとほとに困り果てていた。仕方がないので無理やりセーラを勇者から引きはがすも、セーラの目には勇者しか映っていないようだ。 

 どうしたものかと思っている時、後方からの大声が思考をかき消した。

 

「敵襲っ!! 魔王軍が来たぞぉ!!」

 

 やはり来ましたか、魔王軍……。

 

 腰に帯びた剣に手を添え、一気に戦闘モードへ移行していく。

 



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