SLAYER'S CREED 継承 (EGO)
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Episode1 狼の道
Memory01 始まりの海原


SLAYER'S CREEDアンケート企画第三段。

第一章のプロローグです。



 一言で言えば、青かった。

 見上げてみても青い空が広がり、回りを見渡しても水平線の彼方まで青い海が広がっている。

 足元にあるのが木の板であることは残念ではあるが、船の上にいるのだから仕方がない。

 舵を取る操舵手。

 彼に指示を出す航海士。

 巨大な船の上を右往左往しながらも自分の役目を果たす船員たち。

 潮風に押されて揺れる、商会の紋様が織られた帆。

 その全てに無駄がなく、船そのものが一つの生き物のように白波を立てながら海を突き進む。

 その船を預かる船長は潮風に当てられて粘つく髪を掻きながら、僅かに疲労の色が滲む溜め息を吐き出す。

 

「お客さん、そこにいられたら邪魔なんだが!」

 

 そして何の脈絡もなく怒鳴り声を出したのは、仕方がないことだろう。

 そんな完璧とも言える甲板に、何もしていない異物がいるのだ。

 甲板を囲う柵に寄りかかり、ぼんやりと空を見上げ、いつの間にか船に追いついてきた鷲を見つめている一人の男。

 上等な、けれど使い込まれているのか傷が目立つ革鎧に、多くの裁縫の跡が残る外套。

 銀色の短髪に夜空を思わせる蒼い瞳の、まだ顔に幼さが残る青年。

 目立つには目立つのだが、視界に納まっているのになぜか存在が希薄なその青年は、運ぶ荷物の一覧にいつの間にか名が載せられていた。

 貴族か、商会か、ともかくどちらかの力が働いたのだろう。おかげで無駄な仕事が増えてしまった。

 船長の声に反応して視線を落とした青年は、辺りを見渡し、『俺か?』と言わんばかりに自分を指差した。

 船長はその反応に額に青筋を浮かべて再び怒鳴ろうとするが、突然鳴り響いた鐘の音に言葉を詰まらせた。

 

「船長、海賊だ!」

 

 船員の一人が単眼鏡を覗きながら悲痛な声で叫び、額に汗を滲ませながら船長へと目を向けた。

 彼の声に反応して単眼鏡を覗いた船長は、「ぐぅ……!」と苦虫を噛み潰したような表情になりながら唸った。

 どこかの国の紋様でも、商会の紋様でもない、黒く染められた帆を誇らしげに揺らすのは、海賊以外にいるわけがない。

 

「面舵だ!逃げるぞ、お前ら!」

 

『アイアイサー!』

 

 船長の即断に船員たちが応じ、甲板上を巣をつつかれた蜂のように駆け回る。

 その様子をどこか他人事のように眺めていた銀髪の青年に向けて、船長が吼えた。

 

「だー、くそ!邪魔になるから船倉に引っ込んでろ!」

 

 再びの怒号をぶつけられた青年は気にした風もなく、せっせと甲板を降りて船倉へと続く扉を潜っていった。

 

「……なんか言えよ!?」

 

 そんな青年の背中に再び吼えるが、今はそれどころではないと意識を海賊船へと戻した。

 そして、その直後に船の真横で水柱があがった。

 吹き上げられた海水が雨のように降り注ぎ、甲板と船員たちを濡らしていく。

 そして何より、それが問題なのだ。

 

「もう射程に入ったのか?!どんだけ速いんだよ、くそ!」

 

 本来ならもう少し時間がかかってもいいものだが、今の

 見れば海賊船の射程に入ったことは確実。

 

 ──どうする、逃げ切れるか。

 

 相手の船の速さ、砲手の練度を加味し、こちらがただの商船であること──武装はあれど威嚇でしかない──も考えれば、もはや考えるまでもない。

 

 ──無理だ。

 

 船長は項垂れながら「くそ……っ」と悪態をつき、その場に(うずくま)った。

 悔しさに任せて甲板を叩き、その姿に船員たちの中にも諦めの雰囲気が出始める。

 彼らの動きが止まれば船も止まり、船が止まれば海賊船に追い付かれる。

 数分もしないうちに商船の脇についた海賊船は、次々と鍵縄を投じて互いの位置を固定すると、続々と海賊たちが船に乗り込んできた。

 数は十人。全員が只人(ヒューム)

 

「素直な連中は好きだ。仕事が楽に終わる」

 

 その中の一人。海賊たちを押し分けて現れたのは、一人の美丈夫。

 腰には曲剣(カトラス)拳銃嚢(ホルスター)には短筒(ピストル)が二挺。

 整った顔立ちをしているものの、その瞳はこの状況に興奮しているのか見開いており、僅かに血走っているようにも見える。

 おそらく彼が頭目なのだろう。彼が「縛れ」と呟いた途端に海賊たちが動きだし、船長を含め、船員たちを縛り上げ、甲板に並べていく。

 

「さて、さてさて。積み荷は何かな」

 

 頭目は愉しそうにニヤニヤと嗤いながら船倉へと続く扉に目を向け、海賊数人に目を向けながら顎で示した。

 その指示に頷いた海賊たちが扉へと、念のためと武器を構えながら近づいていく。

 

「お、おい!そっちに行くんじゃねぇ!」

 

 縛られたまま叫んだ船長の脳裏にあるのは、先程の青年の姿だ。

 彼が何者なのかもわからないし、言い方が悪いが彼も荷物なのだ。

 荷物を守るのは運び手の、今回は自分たちの役目に他ならない。

 

「おう、必死だな。何があるのか楽しみ──」

 

 頭目がニヤリと口を三日月状に歪めた瞬間、船倉へと続く扉が凄まじい破砕音をたてて吹き飛んだ。

 

「え?」

 

 そう声を漏らしたのは、船長か、船員か、頭目か、海賊の誰かか、あるいはその全員か。

 全員の視界に映るのは、吹き飛んだ扉と、それに巻き込まれ海へと落ちていく海賊一人と、扉の残骸が頭にめり込んで絶命した海賊の一人。

 そして扉の向こうにいるのは、蹴りを放った姿勢になっている銀髪の青年だ。

 先程までなかった剣を腰に帯び、背中には長筒(ライフル)

 振り上げた足をゆっくりと降ろした彼は、蒼い瞳を巡らせて相手の人数を確認。

 頭目と見られる相手を含め、八人。相手の船にももっといるとなると、さて何人の相手をしなければならないのか。

 銀髪の青年は首を鳴らすと、腰の剣を抜き払った。

 陽の光を反射して鋭い銀光が放たれ、青年に目を向けていた海賊たちの視界を一瞬だけ潰す。

 その瞬間、銀髪の青年が消えた。

 船が揺れる程の衝撃と共にその場を飛び出し、すれ違い様に海賊二人の首を撫で切る。

 一刀の元に首の骨が斬れ、繋ぐものを失った頭部が噴き出す血の勢いのままに吹き飛び、海へと落ちていった。

 どぼんと頭が海面に叩きつけられる音を聞き流しながら、青年は更に加速。

 甲板に罅を入れながら即反転し、再びの強襲。

 仲間の死に狼狽える暇を与えずに、一つ、二つ、三つと首を刈る。

 一刀一殺。もはや美しいとまで言えるその技は、殺された相手に必要以上の苦痛を与えない。

 

「いい。いい。いいぞ!」

 

 次々と海賊の首が刈られていく中で、頭目は心底愉しそうに笑いながら、降り注ぐ血潮を浴びるように両手を広げる。

 血の温もりがあり、死の気配があり、事実死が支配している。

 

「だが、足りない」

 

 海賊船からは助けようと海賊たちが乗り込もうとしているが、それを手で制した頭目は、第一陣の抹殺を終えた銀髪の青年に向けて言う。

 

「血の臭いがあり、死の気配があり、実際に死が撒き散らされている。だが、足りない!足りないんだよ!」

 

 頭目は地団駄を踏みながら曲剣を振り回し、その切っ先を銀髪の青年へと向ける。

 

「悲鳴が、恐怖が、死に対する敬意と、生に対する冒涜が、足りない!!」

 

 頭目は天に向かって吼えると、曲剣の刃を手頃な船員に向けた。

 

「見せてやる、若いの!これが──」

 

 曲剣を振り上げ、感情に任せて叫んだ瞬間、ブツン!と肉が断たれる鈍い音が鼓膜を揺らした。

 直後に感じるのは、異様なまでの熱さと、軽さだ。

 腕に熱が溜まっていく感覚と、身体が腕一本分軽く感じる。

 頭目は振り上げた腕を見上げ、ぎょっと目を見開いた。

 肘から先がなくなり、手にしていた曲剣は甲板に突き刺さっている。

 それをしたのであろう銀髪の青年は剣に血払いくれながら、ゆっくりとこちらに振り向く。

 腕を断ち切られた事を視認し、認識すれば、次に来るのは激痛だ。

 熱せられた鉄の塊を絶えず押し付けられるような、形容のしようがない激痛が頭目の腕を支配する。

 

「あぁぁあああああ!がっ!?」

 

 そしてその痛みに脳が焼かれるよりも速く、頭目の胸に剣が生えた。

 瞬時に彼の背後に回り込んだ銀髪の青年が、剣を突き立てて心臓を貫いたのだ。

 がぼがぼと血の泡を噴き、それに溺れながら、頭目はどこかに向けて手を伸ばす。

 

「我が御霊も、御身の下へ……」

 

 穏やかな表情を浮かべながら呟いた言葉が、頭目の最後の言葉だった。

 剣に突き刺さったまま彼の命は潰え、事切れた。

 

「……」

 

 銀髪の青年はゆっくりと剣を引き抜くと、倒れかけた頭目の身体を支え、その場に寝かせてやった。

 穏やかではあるものの、目を見開いたままでは気味が悪い。

 青年はそっと頭目の目を閉じてやると、念のためと身体を改めた。

 拳銃嚢ごと短筒を引き剥がすと自分の腰帯に固定し、懐に入っていた手のひら程の大きさの硬貨(コイン)を引っ張り出す。

 丁寧に彫刻された紋様に見覚えはない。どこかの国の通貨というわけでもなさそうなそれは、名も知らぬ何かに属していることの証だろうか。

 まあ考えても仕方がないかと、思考を投げ捨てると同時に頭目を一息で肩に担ぎ上げ、甲板の端へ。

 そして頭目を海へと落とし、沈んでいくその姿を見下ろしながら静かに呟いた。

 

「安らかに眠れ。仲間たちと同じ、この海で」

 

 死に行く者には敬意を払え。

 それは尊敬する父からの教えであり、顔を知らぬ祖父の、それまた祖父以上の頃から続く教えであるらしい。

 

「祈ってるところ悪いんだが……!」

 

 そうやって父の教えを思い出していた銀髪の青年に向けて、船長が声をかけた。

「どうした」と呟きながら振り向けば、他の海賊が続々と乗り込み、こちらに殺意を剥き出しにしている。

 

「縄を解いてくれないか!?」

 

 そんな海賊たちに、縄で縛られたまま対峙することになった船長たちは、顔を真っ青にしながら銀髪の青年に助けを求めた。

 

「……」

 

 青年はその声に小さく頷くと、再び音を置き去りにして動き出す。

 船長たちは、ただ見ているだけだ。

 見えもしない速度で走り回る何かが甲板を暴れまわり、数十人といる海賊たちを蹂躙していく様を。

 そして海賊たちもまた、残像すらも見えない何かに蹂躙される恐怖の中で、絶命していった──。

 

 

 

 

 

 そんな不運な遭遇から幾日か。

 真昼時の船長室。

 

「それで、あんたはどうしてこの船に乗ってきた」

 

 船長用の座席に座り、執務机の上に秘蔵のワインを置いた船長が、対面に座る銀髪の青年に問いかけた。

 仕事だからと運んでいるわけだが、先日のあれを見せられたら彼が只者ではないことは確実。

 そんな彼が、なぜこんな商船に乗っているのかと問うのは、至極当然の結果だろう。

 問われた青年は懐を探ると、一枚の小さな板を差し出した。

 船長は一目でわかったが、それは国の冒険者たちが身につける認識票だ。しかも、銀色の認識票。

 それを受け取った船長は執務机の端に置いた角灯(ランタン)の側に持っていき、彫られた文字を確認する。

 名前から身体的特徴、種族、と、最低限のことしか書かれてはいないが、この青年のものではないことは確かだ。

 

 ──三十代には、見えないからな……。

 

 認識票に書かれている内容を要約すれば、只人(ヒューム)の男性。髪は白。瞳は蒼。年は三十となっている。

 気になる所と言えば、出身地が船の目的地なことだが……。

 船長はそれを銀髪の青年に返しながら、「これが、なんだ?」と首を傾げる。

 

「父のものだ」

 

 銀髪の青年は大事そうにそれを受け取り、確かに懐に押し込むと、そう告げた。

 そして小さく溜め息を吐くと、気まずそうに頬を掻きながら言葉を続ける。

 

「成人したから冒険者になったんだが、思いの外早く行くところまでは行ってしまった。それで、まあ、父の故郷が気になったから、飛び出してきた」

 

「……子供か」

 

「好奇心の赴くまま。冒険者らしいだろう?」

 

 船長が半目になりながら告げた言葉に、銀髪の青年は笑いながら返した。

 確かに冒険者とは、ギルドがなければ無頼の輩と相違ない。

 だが自ら死地に飛び込む彼らがいなければ、世界は幾度となく滅びているだろう。

 故に冒険者というのは必要で、国民の血税の一部でギルドが運営されているのだ。

 そこでふと、船長は銀髪の青年に問うた。

 

「行くところまで行ったと言ったが、等級はなんだ。まだ二十歳にもなっていないだろうに」

 

 こうして面と向かいあえばわかる。

 あの海賊数十人を屠殺した人物も、自分よりも遥かに年下なのだ。自分の半分すらも生きてはいまい。

 冒険者になれるのは成人してからだ。

 白磁、黒曜、鋼鉄、青玉、翠玉、紅玉、銅、銀、金、白金とある十段階──と言っても大半は銀止まりだ──で、行くところまで行ったとなると、銀等級は固いだろうか。

「ああ」と頷いた青年は、「今年で十八だ」と苦笑混じりに答え、首から下げていた自分の認識票を引っ張り出した。

 銀色の輝きを放つそれは、在野最高の冒険者たる証明に他ならない。

 只人の成人が十五だから、僅か三年足らずでそこまで駆け上がったということなのだが……。

 

「なんだ、金じゃあないのか」

 

 と、相手が子供と分かれば僅かな悪戯心が生まれ、弄るようにそう告げた。

 ついでにワインを一口呷り、「飲んでみるか?」ともう一つ杯を取り出し、それを差し出した。

 対する銀髪の青年は溜め息を吐き、「金には、()()()()()()」と肩を竦めた。

 そして杯を困り顔で受け取りはしたものの、「止めておく」と返して執務机の上に置いた。

 

「……ならなかった?」

 

 そんな彼の行動を他所に、船長はどうにも可笑しい一言に噛みついた。

「ああ」と頷いた銀髪の青年は、銀色の認識票を撫でながら懐かしむように言う。

 

「金等級になるように打診されたが、断ってここにいる。まあ、国に戻れば上げられるかもしれないが……」

 

「き、金等級への昇級を断ったって、お前、何を考えてる?」

 

「出来る限り、自由に生きたいだけだ。父もそう言って断ったそうだが、そんなに可笑しいんだろうか?」

 

 困惑する船長を他所に、銀髪の青年はさも当然のようにそう告げて、心底不思議そうに首を傾げた。

 守るべき人々と共に生きろと、冒険者になり街を出ると決めた自分に、父はそう教えてくれた。

 金等級とは、すなわち国の命運を握るほどの力を持った冒険者のことだ。

 国から手厚く庇護される、無頼漢だった者たちからすれば、冒険者としての成功を納めた証だと言っても過言ではない。

 国の未来を、世界の命運を懸けて戦いに身を投じるのは確かに誇らしいことだろう。

 その分身分に拘束され、行きたい場所に行きたい時に行けず、救えたかもしれない人たちを見捨てることになるかもしれない。

 世界の命運は我らが勇者(姉さん)に任せて、自分は街を守れればそれでいい。

 

「……」

 

 彼の言葉を理解できず、ぽかんと口を開けて間の抜けた表情をしていた船長は、とりあえずワインを呷って意識を戻す。

 金等級への壁は、それまでの銀等級昇格に比べれば異様なまでに高いのだが、目の前の青年はそれを越えても金等級にならず、その父親もまたそれを断ったということだが……。

 

「……馬鹿なのか?」

 

 どうにか絞り出した言葉は、相手によっては殴られても仕方がない無礼も良いところなもの。

 だが銀髪の青年は気にした素振りを見せずに笑うと、「だろうな」と肩を竦めた。

 

「そのくらいが丁度いいさ。冒険者に模範も何もないだろう」

 

「そうは言うがな」

 

 あっけらかんと笑う銀髪の青年に、船長は神妙な面持ちで告げた。

 

「目的の国には冒険者ギルドなんてないぞ。冒険者業休止してまで行ってどうする?」

 

 冒険者ギルドがどの国にもあるわけではない。

 冒険者が必要のない国──凄まじい軍事力を持つ国や、住民が下手な冒険者以上に強い国──の方が数多く、目的地もその一つに数えられる国だ。

 つまりは先程の認識票はただの首飾り(アクセサリー)に他ならず、持ってきたとしても意味はあるまい。

 

「?さっきも言った筈だが……」

 

 それでも銀髪の青年は不思議そうに首を傾げ、自分の胸に手を当てた。

 いや、触れているのは胸ではなく、懐に仕舞われた父の認識票だ。

 

「父の故郷に行ってみたいだけだ」

 

 父親譲りの蒼い瞳に好奇心の光を灯し、母親譲りの銀色の髪が窓から入り込む潮風に揺れる。

 

「それはそれとして、まだ付かないのか?船に乗ってそろそろ一月になると思うんだが」

 

「ああ?もうすぐだよ。多少の問題(トラブル)はあったが、おおよそ予定通りだ」

 

「そうか」

 

 船長の言葉に銀髪の青年が嬉しそうに笑いながら頷くと、外から『陸が見えたぞー!』と見張りの声が届いた。

 その声にいち早く反応した銀髪の青年は、興奮のまま椅子から立ち上がると部屋を飛び出していった。

 それでも足音一つたてない青年に、船長は僅かに恐怖の念を抱きながらもその後を追いかけた。

 幼い頃から何度も通った廊下を進み、階段をあがり、甲板に顔を出す。

 

「おう、見えたか」

 

「はい、前方に!」

 

 先程の青年を探して辺りを見渡しながら問えば、見張りが単眼鏡片手に駆け寄ってくる。

 それを受け取った船長は操舵手の隣に行くと、単眼鏡を覗いて件の陸地を見つめる。

 火が灯っていないが灯台も見え、遠目からでも活気に満ちている港町が見える。

 

「おし!入港準備だ、お前ら!」

 

『了解、船長!』

 

 船長の指示に船員たちは一斉に応じ、やれ錨の用意だ、渡し板の用意だと、海賊が襲来した時ほどではないが慌ただしく走り回る。

 港の次は甲板に意識を向けた船長は、相変わらず見当たらない銀髪の青年を探して視線を巡らせた。

 だが、いない。あの身なりではそれなりに目立ちそうなものではあるが、いくら探してもいないのだ。

 

「あのお客さんはどこ行った!」

 

「上です、船長」

 

 舵を握る操舵手が帆柱の先を指差しながらそう言うと、船長は陽の眩しさに目を細めながら見上げた。

 そして、いた。

 帆柱の頂上付近。旗の付け替え用に取り付けた小さな足場の上に、外套を揺らしている銀髪の青年の影が見える。

 

「いつの間に、あんな所に……」

 

「ひとっ跳びでいきましたよ、あそこまで」

 

 操舵手は少々気味が悪そうにそう言いながら、「冒険者は違うな~」と愉快そうに笑う。

 海賊を屠殺した時もそうだったが、あの青年は只者ではないと、船に乗る全員が口を揃えるほどだ。

 今さらあの程度では驚かないのは、慣れてしまったからか、あるいは諦めてしまったからか。

 

「まあ、楽しそうならそれでいいか」

 

 いや、諦めてしまったのだ。彼と自分たちとでは、身体の作りも、見えているものさえも違うのだと。

 そんな船長からの視線を感じながら、銀髪の青年は相棒たる鷲を腕に止め、蒼い瞳に新天地を映していた。

 好奇心に突き動かされ、

 

「あれが父さんの故郷。どんな場所なんだろうな?」

 

「キィ!」

 

 銀髪の青年に鷲は先に行っていると言わんばかりに鳴くと、その言葉の通りに新天地を目指して飛び立った。

 段々と小さくなっていく鷲の影を見つめながら、銀髪の青年は帆柱に寄りかかりながら腕を組む。

 あまり過去の事を語ろうとしない父が、産まれたとされる場所。

 あの大地はきっと、この『眼』の起源(ルーツ)を探る手掛かりにもなるだろう。

 見えないものを見る力。

 消えた痕跡をたどる力。

 真実の、あるいはその先を見据える力。

 幼い頃から付きまとう、人とは違う不思議な『感覚』。

 父は『タカの眼』と呼んでいたこれが何なのか、あの地に何かしらの手掛かりはあるのだろうか。

 母が教えてくれなかったものを、知る為に。

 父が教えてくれなかったものを、この『眼』で見る為に。

 そして、尊敬する両親の背を越えていく為に。

 

「俺はもっと強くなりますよ、ならず者殺し(父さん)

 

 

 

 

 

 ──SLAYER'S CREED 継承──

 

 ──Episode1 狼の道──

 

 

 

 

 

 




というわけで、始まりました『SLAYER'S CREED 継承』。
私生活も忙しくなるので、今のうちに一話だけでも投げさせてもらいました。

感想等ありましたら、よろしくお願いします。





ここからは私事。興味ない方はスルーして構いません。





ようやくゴブスレ14巻を読んだのですが、その中にあったゴブスレさんの台詞が気になって調べたら、まさかのダンまちコラボネタ……。

この作品、R-18版、私生活では仕事と、やることが増えていく中で、やりたいことがまた一つ。
でもダンまちの原作はないんだよなと、悶々としております。
まあ、コラボ自体はだいぶ前らしいので今更感もありますしね……。





ついでにTRPGの本も買えました。
そしてようやく理解するログハンのヤバさ。
常時『察知(センスリスク)』発動に、任意発動の『敵意(センスエネミー)』(気づかれるデメリットなし)。
それが回数、時間制限なし。
更にエピローグ後なら、いくつかの魔術が熟練クラスで扱える。

……ヤバくね?バランスブレイカーとか、そんなレベルじゃなかったよ。
そりゃ神様たちも頭抱えるよ。


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Memory02 新天地

 一月かけて大海原を縦断した商船。

 その一室にいる銀髪の青年は、黙々と装備を整えていた。

 腰には直剣(ロングソード)を帯び、左腕には円盾を括り、背中には帯を通した長筒(ライフル)を背負う。

 革鎧の具合を確かめて肩を回し、腰帯にら海賊から奪い、腰に取り付けた拳銃嚢(ホルスター)と、雑嚢とは別にこれまた拝借した弾丸鞄を固定する。

 父は大半の道具を雑嚢に放り込み、その全てを必要の時に迷うことなく取り出したというが、やはり多少かさ張っても分けておいた方がいざという時に迷わずに済む。

 そういう意味では父の背は遠いが、出来ないことを出来ないと割り切るのは大事だと、銃の扱いと共に教えてくれたのは父だ。

 おかげで自称姉である上の森人から、彼ら式の弓術──只人であれをするのは無茶だ──を教えられずに済んだ。

 それを残念と思うか、良かったと思うかは人それぞれではあるが。

 

「……とにかく、急ぐか」

 

 そんな事はどうでもいいのか、銀髪の青年は頭を振って装備に意識を戻した。

 籠手の具合を確かめながら手の甲に銅貨を仕込み、手の動きの邪魔になっていないかを数度手を回すことで確認。

 鉄板の仕込まれた革の長靴も、爪先で床を叩いて心地を確かめ、いつも通りなら一安心。

 知り合いの冒険者たちはもっとらしい格好をしろと言うのだが、やはり多少格好が悪くとも使い慣れたものが一番だ。

 

「よし」

 

 最後に籠手とは別に手首に巻かれたものの具合を確かめて、彼は小さく頷いた。

 上の甲板では船員たちが慌ただしく走り回っており、そろそろ荷降ろしが始まる頃だろう。

 鎧の上から外套を羽織り、試しに頭巾を被って解れがないかを確かめる。

 あれば縫うだけだが、とりあえずは問題なさそうだ。

「さて……」と声を漏らした銀髪の青年は頭巾を脱ぎ、船員に何かしてやろうかと考えながら部屋を出る。

 何か物を渡しても、賄賂だのと思われれば彼らも面倒だろう。

 ならばやはり、仕事を手伝ってやる程度が無難だろうか。

 船内を進みながら、あれでもないこれでもないと思慮をし、最終的に何かを思い付く前に甲板へとたどり着いてしまった。

 照りつける陽の光に目を細め、脱いだばかりの頭巾を被ろうかと手を伸ばすが、

 

「おう、あんた!余裕があるならあっちを手伝ってくれ!」

 

 二人かがりで長持を運んでいた船員が、顎で甲板の端を示しながら前を通りすぎた。

 その先を見てみれば、まだ年若い船員──成人して間もないか、成人前の見習いだろう──が一人で長持をあげようと躍起になっており、ずるずると音をたてて引きずっている始末。

 あれでは長持にも、甲板にも傷がついてしまうだろうに。

 銀髪の青年は小さく肩を竦めると、左腕の円盾を外して背中に回し、両手を自由にした。

 そのまま足音をたてずに件の長持に近づき、それと格闘している若い船員の反対側につく。

 

「手伝うぞ」

 

「え!?あ、あの、でも、お客さんですよね……?」

 

 若い船員はそう言って遠慮するが、銀髪の青年は微笑み混じりに告げる。

 

「ここまで運んでくれた礼だ。何も言うな」

 

 同時に片目を閉じ(ウィンクし)てやれば、若い船員はぱっと表情を明るくしながら「お願いします!」と頭を下げた。

 二人で息を合わせて長持を持ち上げて、甲板と桟橋を繋ぐ渡し板を通り、ようやく上陸。

 樽の上からあれやこれやと指示を出す船長を横目に、長持が並ぶ場所へと運び、中身をひっくり返さないように優しく置いてやる。

 

「……中身はなんだ」

 

 冒険者として鍛えてはいるし、何なら一人でも行けそうではあったが、存外に重かったそれを見下ろしながら首を傾げる。

 中身を見てやろうかとも思ったが、そんな事をすれば船長たちにも迷惑をかけてしまう。

 隣で俯きながら膝に両手を置き、ぜえぜえと荒れた呼吸をしている若い船員は、「武器、だったと思います」とぼそりと呟く。

 

「武器。大きさからして、剣の類いか?」

 

「それはわかりません。えっと、ありがとうございました」

 

 銀髪の青年の問いかけに若い船員は首を振ると、姿勢を正して頭を下げた。

 銀髪の青年は「気にするな」と笑い、船長に呼ばれて船へと戻っていった若い船員を見送ると、改めて辺りを見渡した。

 高波に備えてか高い石垣状の堤防が海岸と陸を分断し、要所要所にある検問代わりの大門は、商人から漁師、旅行客まで、街に入ろうとしている人々でごった返している。

 何度か顔を出した故郷の王都も、入る際はあんな感じだったなと、懐かしく思いながらも息を吐く。

 そんな懐かしむほど昔でもないのに、何をやっているんだと自分が可笑しく思えてきたのはその直後。

 

「あ、あの……!」

 

 その背中に声をかけたのは、戻ってきた若い船員だ。

「どうした」と問いながら振り向いてみれば、彼の手には何やら書類が握られている。

 

「船長が、街に入るなら必要だろうって」

 

「ああ。そういえば、まだだったな」

 

 書類には故郷の商会ギルドの紋様の判子が押され、そこには銀髪の青年に関するあれこれが書かれている。

 まあつまり、『彼の身分は我々が保証するから、入国させてやってくれ』といった旨の、商会ギルドが扱う通行証代わりの書類だ。

 これがなければ、下手をすれば密入国者扱い。そのまま牢獄まで直行の可能性さえもあるのだ。

 それを忘れるとは、母にも言われ、否定はしたのだが、変なところで抜けているのは事実かもしれない。

 差し出された書類を受け取り、ざっと目を通した銀髪の青年は「助かる」と一言だけ告げた。

 書類もある。装備も整えた。ならば、後は進むのみ。

 ちらりと船長に目を向けてみれば、早く行けと言わんばかりにしっしっと指を振られた。

 一応感謝の意を込めて一礼し、賑やかな港に背を向けて門を目指して歩き出す。

 律儀に順番待ちの列の最後尾に並び、少しずつ捌けていく流れに身を任せる。

 数分してたどり着いたのは、上等な金属鎧に身を包み、これまた上等な剣や槍も帯びた兵士の前だ。

 その見事な装備はどれも陽の光を反射して鋭く輝き、その立ち姿は物語から飛び出してきたかのようだ。

 故郷の騎士を思わせる格好だが、帯びる雰囲気は彼らの比ではない。

 なんと言えばいいのか、兵士になったばかりの若者に、騎士らしい格好をさせて立たせているだけ。

 

 ──案山子(かかし)だな……。

 

 畑に三叉を持たせた藁人形を置き、鳥を追い払う。彼らの格好はそれと同じことだ。

 見せかけだけの、技量が伴っていない雑兵。

 少々辛辣ではあるが、そうとしか言いようがないのが現状だろう。

 けれど彼らがいなければ、ここは混乱の極みになるだろう。どんな格好であれ、形だけでも番兵は必要だ。

 潮風に晒されて、あの高そうな鎧が役目を果たす前に錆びないのだろうかと心配にもなるが、毎日しっかりと手入れしているのだろう。

 国の軍なのだから、それくらいは当然の筈。

 

「通行証を」

 

 騎士は緊張しているのか上擦った声を漏らし、震える手を出して書類を要求。

 商人だの漁師だのの相手をしていたら、突然完全武装の男が出てきたのだ。緊張するのは当選のことだろう。

 彼らは銀髪の青年の予想した通りに新人で、訓練でも着ないような鎧を着させられて、ここにいるのだ。

 動きつらい事を除けば、ほとんど立っているだけでも給料が貰える。これほどいい仕事はあるまい。

 

「つ、通行証を……」

 

 だが、目の前の男の相手ははっきり言って参る。

 蒼い瞳がまっすぐこちらを見つめ、相手は立っているだけなのにこちらが息苦しくなるような圧力を感じる。

 

「ほら」

 

 銀髪の青年は手に持っていた書類を差し出し、騎士へと手渡す。

 受け取った騎士は書類に目を通し、不備がないかを確認。

 外見情報の正確さ。持ち込む武具。それら、彼の身を保証する商会ギルドの印。

 

「問題ありません。どうぞ、中へ」

 

 書類を返しながら告げた言葉に、銀髪の青年は「助かる」と笑み混じりに頷いて書類を受け取った。

 

 ──笑えるのなら、最初からそうしてくれよ……。

 

 騎士は兜の下で冷や汗を流しながら、「ど、どうも」と声を出して小さく一礼。

 その脇を抜けていった銀髪の青年は「頑張れよ」と一応の声援を送り、その肩を叩いた。

 それだけで大きく体勢を崩すのだから、この若者は騎士見習いもいいところだろう。

 銀髪の青年は苦笑しながら門を潜り、念願の港街へと足を進めた。

 暗い堤防の中を抜け、再び陽の光の下に出れば、そこはもう街の中。

 まるで王都のような活気に溢れ、行き交う人々は笑顔を浮かべ、子供たちがきゃっきゃっと楽しそうに声を出しながら走り回る。

 大通りには露店が並び、野菜や果物、片手で食べられる料理など、見ているだけでも退屈しない品揃え。

 それを売らんと店主たちは声を張り上げ、哀れにも立ち止まってしまった客は仕方がないと言わんばかりに財布を取り出す。

 誘惑に負けずに大通りを抜けていった人たちは、結果的に酒場や賭博場に消えていく辺り、金を落とすという結果は変わらない。

 だがしかし、それはどんな街だって違いはあるまい。

 金が回らなければ国は動けず、国が動けなければ人は死ぬ。

 少なくとも、そんな飢餓だの疫病だのの影が見えないというのは。

 

 ──平和だ。

 

 つまりはその一言に尽きた。

 港から続く大門の脇で、それを噛み締めた銀髪の青年は微笑み混じりに息を吐き、ようやく手に汗を滲ませていたことに気付く始末。

 存外に緊張していたのかと苦笑して、外套の端で軽く拭う。

 寂れて、静かな街というわけではなさそうだし、警羅する兵士たちもやる気に満ち、市民も彼らを頼っているのか、尊敬にも似た念を抱いている。

 少なくとも、治安が悪いというわけではあるまい。宿屋を見つけて、とりあえずの拠点を見つけるのにはいい場所だろう。

 そして、初めて来た街で最初にやることはただ一つ。

 

「……高台はどこだ」

 

 街を一望できる場所(ビューポイント)を見つけ、地形を頭に叩き込む(シンクロする)こと。

 母は何とも言えない顔をしていたが、父は自慢げな顔でそう教えてくれた。

 言葉の意味は今でもわからないが、地形を覚えることはとても重要なことだ。

 道に迷って宿に帰れず、一晩路地裏で過ごすなど、物乞いに荷物と有り金をを全て差し出すようなものだ。出来るなら避けたい。

 最悪干し草の山に入ればいい。あれはあれで居心地はいいのだ。

 だが、ベッドがあるのならそこで眠りたい。一応の長旅で疲れているのだ。しっかり寝て、明日に備えて身体を休めておきたい。

 銀髪の青年は小さく肩を竦め、口笛を吹いた。

 ピィーと甲高い音が微かに響き、音に誘われた鷲が頭の上に止まる。

 

「キィ」

 

「……とりあえず、目を貸してくれ」

 

「キィ!」

 

 彼の声に応じると、鷲は翼を広げて飛び立っていった。

 今や街を守る外壁となった堤防に背を預け、ゆっくりと目を閉じて意識を集中。

 視界が真っ暗に暗転し、瞳が見えない何かと繋がった感覚を得た瞬間、目は開けずに『眼』を(ひら)く。

 人と同じ視線で街を見渡すのではなく、空から街を俯瞰する視線へと切り替わる。

 耳元では翼が羽ばたく音が聞こえ、それに合わせて視界が揺れる。

 相棒である鷲と呼吸を合わせ、心を通わせ、その瞳を借り受ける。

 父があることを切っ掛けに使えるようになったと言うこれは、何の因果か自分も使えるのだ。

 道を行き交う人たちを見下ろし、時には見上げてくる人々と視線を合わせながら、高台(ビューポイント)をさがして辺りを見渡す。

 街の随所にある櫓を思わせる高台には、やはりと言うべきか弓兵たちがいるし、そもそも潮風を嫌ってか高い建物というものがない。

 銀髪の青年は溜め息を吐き、鷲も困ったように項垂れた。

 そして気を取り直して辺りを見渡し、あるものを見つけて「キィ!」と鋭く一声鳴いた。

 鷲の視界の先にいるのは、街の端にある寂れた神殿だ。

 今でも使われている街中の神殿とは別に、かつて使われていたであろう、見るからにぼろぼろな木造建築。

 手入れをすれば長持し、海ではなく街を照らし、人々を集める象徴にも出来ただろうに。

 それをしなかったのはこの国の王が怠惰だったからか、あるいはそれに回す金がなかったからか。

 

 ──まあ、助かるが……。

 

 今はそれに感謝しつつ、銀髪の青年は目を開けた。

 視界が本来の自分のものになり、行き交う人々と視線があう。

 

「行くか」

 

 銀髪の青年は静かに告げると、目深く頭巾(フード)を被った。

 これも父に言われたことだが、余所者というのは嫌に目立つそうだ。本人が隠れていたり、普通に過ごしていたりしているつもりでも、端から見ればわかるという。

 随意と今更な気もするが、忘れ去るよりはいいではないか。

 

 ──数分とはいえ忘れるほどに浮き足たつとは、子供と言われても言い返せないな……。

 

 まだまだ未熟と言い聞かせ、鷲が自分の頭上に戻ってきた事を合図に歩き出す。

 とりあえず街を見ながらゆっくりと進めばいい。

 道に迷えば、最悪屋根に登って真っ直ぐ走ればいいだけなのだから。

 

 

 

 

 

「いやー、いい街だ」

 

 銀髪の青年はぼろぼろの神殿の屋根の上にいた。

 今にも折れてしまいそうな、風車を模した飾りの上に、恐れることなく仁王立ち。

 風車は交易神の印だ。ここは交易神の神殿だったのだろうか。

 その疑問を脇に置いて、黙々と真っ赤な林檎を齧りながら、ここまでの道中を思い出す。

 持ち金をこの国のものにする換金所の店主は、口こそ悪かったが根はいい人なのはわかった。

 根っこから腐っている人間(ヒューム)が、あんな来る人来る人に好かれ、それに爽やかな笑みで応じられる訳がない。

 その後に寄った果物屋の女主人も、こちらが旅行客と見るや林檎をおまけしてくれた。

 ぼったくらずに余分にくれるとは、あの(ヒューム)もまたいい人なのだろう。

 行く先々で人びとの笑顔が見られたし、何なら笑顔を分けてもらえたし、今のところは来られて良かったという思いが強い。

 だが、疑問もある。

 

 ──只人(ヒューム)しか見なかったな……。

 

『どこにでもいる。故に只人(ヒューム)なのだ』と師の一人が言っていたが、流石にいすぎてはなかろうか。

 いや、只人(ヒューム)が多いのではなく、全くと言って良いほどに亜人(デミ)がいないのだ。

 故郷でも滅多に見なかった──と言っても家に入り浸る人がいたが──蜥蜴人(リザードマン)はともかく、森人(エルフ)も、鉱人(ドワーフ)も、圃人(レーア)もいないとは。

 顎に手をやりながらそこまで思慮した銀髪の青年は、不意に母の言葉が思い出した。

 

 ──お父さんが森人(エルフ)とか鉱人(ドワーフ)とかに会ったのって、この国に来てからなんだって。

 

 その言葉を聞いた頃は、まさか有り得ないだろうと笑ったものだ。

 この広い世界で彼らに出会わずに生きるなど、まず不可能だ。

 街を歩けばすれ違うだろうし、店に訪ねれば鉢合わせることもあるだろう。

 父が貴族でないことは口を酸っぱくして言われたし、あの父が実は箱入りで、屋敷に引きこもっていたということもあるまい。

 だが幼い頃からの疑問も、ここに来てすぐに晴れた。

 こうして街を軽く歩いてみただけでも、一度たりとも亜人(デミ)とすれ違うことがなかったのだ。

 

「さて──」

 

 一つの疑問を解決し、ちょうどよく林檎を芯まで齧った彼は、本来の目的である地形の把握(シンクロ)に意識を傾けた。

 ここから見える範囲の道順。店の場所。兵士の詰所。エトセトラ、エトセトラ──。

 覚えるべき事を、確実に覚えていく。

 それが明日の自分を救うかもしれないし、誰かを助けることになるかもしれない。

 そう思えば、多少の苦労も水に流せるというものだ。

 数秒して辺りを見渡し終えた彼はホッと息を吐き、足元へと目を向けた。

 別に飛び降りられる高さだが、父曰く「干し草だの、着地出来そうなものに飛び込むまでが一礼の流れだ」そうだし、母も「その方がいいよ」と僅かに顔を青ざめさせて言っていた。

 まあ確かに、何の命綱もなくここから飛び降りるのを見られれば、見た相手に相当の心配をさせるだろう。

 おそらくだが、父は母の前で何度もやっていたのだ。その度に、母に心配させていた。

 父は尊敬しているが、ふとした拍子に相手への思いやりがあるのかないのかわからなくなる所は、明確な欠点の一つのように思える。

 我を通すというべきか、変なところで頑固というべきか、そこは父も母も同じの事だが……。

 

 ──俺も、そうなのだろうか……。

 

 その両親の子である自分はどうだと、銀髪の青年は頭を抱えた。

 ほぼ自分の都合で金等級への昇格を蹴ったり、何も考えずにこの国に来ている時点で、もはや悩む必要もないのだが。

 

「……どうなんだろうな」

 

 銀髪の青年は額に手をやったまま低く唸り、意見を求めるように鷲へと目を向けた。

 肝心の彼──彼女か?──は悠々と空を飛んでおり、こちらの視線に気付いた様子はない。

 

「……仕方ないか」

 

 鷲が言葉を話せる訳もない。

 動物との意志疎通ができる『獣心(ビーストマインド)』という術もあるが、それは嗜んでもいない。

 覚えた術はあくまで戦闘向けのものばかり。師たちも、そう言ったものしか教えてはくれなかった。

 いざという時の自衛の為か、あるいは自分が冒険者になることを見越してか、ともかく師たちは様々なことを教えてくれた。

 それを生かす機会があればそれでいいが、ないならないで腐ることもない。

 知識や知恵は、多いに越したことはないのだ。

 

「いや、今はそれどころじゃないな」

 

 そう、今探すべきは着地点だ。着地点。藁の山でも、干し草の山でも、この際小さな池でもいい。

 別にその場なら適当に飛び降りたり、本物の蜥蜴よろしく壁を這って降りてもいいが、やはり跳ぶのならしっかりと跳びたいと思うのは、父の教え故か。

 

「むぅ……」

 

 それも見当たらずに唸った銀髪の青年は、乱暴に頭を掻いた。

 

 ──ないのなら仕方がない。飛び降りるか。

 

 父ほどの拘りはないのだから、別に跳んでしまっても構うまい。

 そして両足を踏ん張り、その身を宙に投げ出そうとした瞬間だった。

 彼の耳に、馬のいななき声と、蹄が地面を蹴る力強い音が届いた。

 何事だと辺りを見渡せば、この襤褸神殿に続く道を、街から馬が駆けてくるではないか。

 意識を集中して鷲の視界を借り受け、改めてその馬を観察。

 先頭を走る馬に乗っているのは、二人の人物。

 身長差からして、一人は大人で一人は子供。外套を被っているため種族はわからないが、大人の方は衣装の胸元が膨らんでいる為、おそらく女性。

 その馬を追いかけているのは、五頭の馬。その背には街でも見かけた兵士たち。

 剣や槍を掲げながら走るその姿は、さながら犯罪者を追いたてる番兵の如く。

 いや、番兵の如くではなく事実彼らは番兵なのだが、遠目からでもわかる鬼気迫る迫力は、少々異質なようにも感じる。

 前の馬に向かって何やら吼えているが、流石に何を言っているかまではわからない。

 どうせ「止まれ!」だのなんだのと、お決まりの台詞(テンプレート)を言っているに違いないのだ。

 それでも止まる気配のない様子に痺れを切らせたのか、兵士の一人が剣を納め、背負っていた弩砲(アーバレスト)を両手で構えた。

 走る馬を操りながら、走る馬を撃ち抜くなど、熟練の冒険者とて難しいと思うのだが。

 銀髪の青年は静かに事を見ることにして、寂れた風車の上にしゃがみこむ。

 バネが跳ねる奇っ怪な音と共に太矢(ボルト)が放たれ、一直線に飛んだそれは前を走る馬の臀部を撃ち抜いた。

 

「~~!?!」

 

 聞くに耐えない悲痛な叫びと共に馬は倒れ、乗っていた二人は宙に投げ出される。

 だが流石というべきか、大人の方が空中で子供を抱え、その子を守るように胸に抱きながら地面を転がった。

 その際に外套が剥がれ、ようやくその顔が露になる。

 只人のそれとは次元が違う、神が創りたもうた顔立ちはまさしく絶世の美女。

 傾きかけた陽に当てられて輝く長髪は深緑の輝きを放ち、耳は笹の葉のように鋭く、森人に比べても長い。

 

 ──森人(エルフ)。しかも、あれは上の森人(ハイエルフ)じゃないか……。

 

 銀髪の青年は口の端を引きつらせた。

 ようやく亜人(デミ)を見つけたかと思えば、まさか上の森人(ハイエルフ)とは。

 その女上の森人は苦虫を噛み潰したような表情でその美貌を歪めると、倒れた馬から大弓と矢筒を剥ぎ取った。

 矢筒を腰に、大弓を構えた彼女は、矢筒から矢を引き抜く。

 森人は矢に鉄を使わないのは、多くの者が知ることだ。

 彼らは矢は、木の枝が自然とその形となったもの。鏃は芽、矢羽は葉だ。

 そして、大弓もまた同じ。イチイの枝に蜘蛛糸を弦として張ったそれは、果たして只人(ヒューム)が引くには何人が必要か。

 それを彼女は一人で矢を番え、ぎりりと音をたてて引き絞る。

 森人は、生まれ落ちたその時から生粋の野伏(レンジャー)とまで言われている。

 弓術に関して言えば森人に勝る種族は世界になく、只人(ヒューム)の身で勝とうと思えば、生涯をかけた研鑽でもなお足りぬ。

 そんな森人の王族──上の森人の一矢となれば、それは必中に他ならない。

 弦楽器を弾いたような清らかな音と共に、音を置き去りにする矢が放たれる。

 さながら天の火石のように一直線に飛んだそれは、馬の頭を抉り、乗り手の右腕を吹き飛ばした。

 断末魔の叫びと共に、馬から転げ落ちた兵士は、後続の馬に頭を潰されて死ぬが、仲間たちは気にする素振りも見せはしない。

 いや、それよりも気になることと言えば、先程の一矢だ。

 馬の頭を抉り、鎧越しに兵士の腕を飛ばしたのは流石の一言。だが、あれは……。

 

 ──外した、ように見えたが……。

 

 銀髪の青年は首を傾げ、知り合いの上の森人──あの二千歳にも思えない無邪気な友人を思い出す。

 ふたつや三つもある的を一品の矢で射抜き、自慢げに金床とまで言われる平らな胸を逸らしていたが、その腕は父や母の折り紙つき。

 だが彼女の身体は上の森人である事を抜きにしても華奢であるし、力で言えば視界に映る上の森人が上を行く。

 だがまるで力任せに放ったような先の一矢は、森人らしくないといえばその通りだ。

 馬の頭を射抜き、乗り手の頭も射抜く。

 上の森人であるのなら、できて当然のようにも思えるが。

 仲間を失っても──もっともトドメを刺したのは彼らだが──止まる気配のない兵士たちを憎々しげに睨んだ女上の森人は、大弓を背に回すと、背に隠していた子供を抱きあげた。

 そのまま森に入るのだろうかとも思ったが、怪我でもしているのか足を引きずりながら銀髪の青年がいる襤褸神殿へと駆け込んだ。

 兵士たちもその後を追いかけるが、入り口で馬を止めて降馬。

 各々の得物を構え、警戒しながら神殿へと入り込む。

 

「……」

 

 それを自分の目で見下ろしていた銀髪の青年は、ぽりぽりと頬を掻いた。

 面倒事が起こっているのは見ればわかるが、これを見過ごすというのは自分の矜持(プライド)が許さない。

 

 ──それに、気になるからな。

 

 かの上の森人は、一体何をしてあんなことになったのか。

 兵士たちも、仲間を踏み潰してまであの森人に何の用があるのか。

 何より、上の森人が怪我をしてまで守ろうとしているあの子供は誰なのか。

 好奇心の赴くまま、興味が引かれたまま、問題が起こりそうでも首を突っ込むしかないだろう。

 

 ──なんせ俺は冒険者。じゃなくて、今はただの宿無し放浪者(ワンダラー)だからな。

 

 銀髪の青年はただ楽しそうに笑うと、頭巾を被り直してその身を投げた。

 襤褸神殿の今にも落ちてしまいそうな屋根に向けて、蹴りを叩き込んだ──。

 

 

 

 

 

 かつて交易神の神殿として、多くの人々が往来していたその場所は、いまや見る影もない。

 壁には穴が開き、窓は全て破れ、かろうじて形を保っている天井は今にも落ちてしまいそうだ。

 礼拝の為に並べられた長椅子はあるものの、肝心の祭壇は完膚なきまでに破壊され、ここは神の意志を離れたのだと見ればわかる。

 そんな誰も寄り付かず、ならず者やゴブリンの住処(すみか)にでもされそうなそこに飛び込んだのは、一人の上の森人。

 額に汗を滲ませ、息を絶え絶えにしながら、馬に乗る直前に矢が掠めた足を引きずりながら、抱き抱えていた少女を祭壇の影に隠した。

 その場で片膝をつき、腰に帯びていた黒曜石の短剣を取り出す。

 矢は射ち切ってしまった。残る武器はこれと己の肉体だけで、五人の兵士を倒さなければならない。

 万全の状態ならともかくと、女上の森人は眉を寄せ、狩人装束に隠された自分の身体を見る。

 白を通り越して透けて見える程の肌には、切り傷に痣、擦り傷と、痛々しい傷がつけられ、垂れた血で装束が汚れている。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 加えて、武器のいずれかに毒でも塗られていたのか、頭が揺れて、視界が歪む。

 女上の森人は力が抜けていく手に喝を入れ、短剣を落とすまいと意識を保つ。

 そしてキッと鋭い目付きで入り口を睨んだと同時に、兵士たちが神殿へと入り込んできた。

 入り口を塞ぐように二人が位置しながら(クロスボウ)を構え、残り三人が剣や槍を構えながらにじり寄る。

 

「くっ……!」

 

 身体中が痛み、意識も霞む中で、それでも寄らば斬るという迫力のみはそのままに、短剣を構える。

 兵士たちは時機(タイミング)を合わせるように顔を見合せ、兜の下で下卑た笑みを浮かべた。

 面倒事を起こしてくれた目の前の上の森人に、その分の楽しみを提供してもらっても問題はあるまい。

 こちらは五人。相手は負傷した女と、力を持たないであろう子供が一人ずつ。

 子供を連れ帰るのが目的だが、女に関しては何も言われていない。

 どうせ殺すのなら、少しばかり楽しんでも構わないだろう。

 そして、女上の森人は兵士たちの意図を察したのだろう。

 僅かに身体を強張らせ、瞳に恐怖が宿る。

 負ける訳にはいかないが、負ければどうなるか、彼らの欲望にぎらつく瞳を見ればわかる。

 

 ──負ける、わけには……っ!

 

 それでも身体と、折れかけた心を奮い立たせ、痛む身体に鞭を打って立ち上がる。

 短剣をしっかりと握り、ありったけの闘志を絞り出す。

 前衛を務める兵士たちは退くに退けない哀れな女上の森人を笑いながら、それぞれの武器を片手に前に出た。

 女上の森人が雄叫びをあげながら、迎え撃たんとした瞬間、凄まじい破砕音の共に神殿の天井が破壊され、何かが両陣営の間に降り立った。

 床の木材が砕ける乾いた音が神殿内に木霊し、舞い上がった埃が煙幕のように彼らの視界を塞ぐ。

 兵士たちは突然の事態と舞う粉塵に咳き込み、元の位置に下がるが、女上の森人は違う。

 煙幕の中にいる何かを見つけようと、星の光を宿す瞳を細めた。

 だが、見えない。暗がりに潜む怪物であろうと、点にしか見えない敵であろうとその正体を見据える瞳を持ってしても、煙の向こうまでは見えないのだ。

 そして煙幕の中にいる何かが、ゆっくりと立ち上がる。

 立ち上がった何かが勢いよく腕を振るうと、煙幕が切り裂かれた壁の穴や窓から外へと抜けていく。

 そして現れたのは、黒い外套を纏った何者か。

 彼は首を巡らせ、身構える兵士たちと女上の森人。そして祭壇の影から、心配そうにこちらを見ている子供へと目を向けた。

 

「貴様、何者だ!?」

 

 兵士の一人が困惑しながらも問いかけると、その人物──黒外套の青年は肩を竦めた。

 

「ただの旅行客だ。宿がないんでここに一泊しようとしたんだが、何やら騒がしくてな」

 

 黒外套の青年は「宿を紹介してくれないか?」と兵士たちに問いかけるが、兵士たちは敵意を剥き出しにして武器を構える。

「駄目か」と肩を落とした青年は、ちらりと背後にいる女上の森人に目を向け、問いかけた。

 

「あんたはいい宿を知らないか?今しがた天井に穴を開けてしまってな」

 

 自分で開けた天井の穴を指差しながら告げた黒外套の青年に向けて、女上の森人はなぜか驚いたように目を見開きながら、首を横に振った。

「こっちも駄目か」と項垂れた黒外套の青年は、彼女の背後。祭壇に身を隠す子供へと目を向けた。

 

「キミは何か知らないか。友達が宿を経営している、とか」

 

 僅かに声色を柔らかく、微かに見える口元に優しげな笑みを浮かべながらの問いかけ。

 だがその子供はぎゅっと胸元を握りながら、首を横に振った。

「そうか……」と見るからに覇気が失せた黒外套の青年に向け、兵士の一人が告げた。

 

「そこを退け!我らには王からの勅命があるのだぞ!」

 

「あー、ここに入り込む流れは上から見ていたとも。多分、この森人が犯罪者か何かで、それを追いかけているんだろ?」

 

 兵士の鬼気迫る声に気にした素振りも見せず、黒外套の青年は女上の森人を指差しながらそう問うた。

 問われた兵士は「そうだ」と頷き、「わかっているのなら、退け!」と声を荒げる。

 祭壇に隠れる子供は小さく悲鳴をあげるが、黒外套の青年は怯まない。

 僅かに位置をずれて、(クロスボウ)持ち兵士の射線に入り込みながらさらに問う。

 

「で、こいつらは何をやらかしたんだ。俺だって犯罪者を庇いたくはない」

 

「……?貴様、わからないのか?」

 

 黒外套の青年の言葉に、兵士の一人が口を開いた間の抜けた表情で問い返した。

 黒外套の青年が「言ったろ、旅行客だ」と返すと、兵士はやれやれと言わんばかりに溜め息を吐いた。

 

「後ろの森人の罪状は、商品の窃盗。番兵数人の殺傷。馬の強奪もそうだが──」

 

「この子は貴様らの商品などではない!」

 

 冷静に、淡々と罪状を読み上げていた兵士の言葉を遮ったのは、女上の森人だ。

 その美貌を憤怒に歪めながら、額の汗を拭うことも忘れて声を張り上げる。

 

「この子は、私たちの希望だ!前王が残した、忘れ形見だ!それを、商品などと、この裏切り者が!」

 

「……」

 

 静かな神殿に響く、悲痛なまでの彼女の声。

 黒外套の青年は腕を組みながら息を吐き、兵士は表情に怒りを滲ませながら、それでも冷静を装って彼へと告げた。

 

「何よりも重罪なのは、()()()()()()()()()()()だ」

 

「……なに?」

 

 兵士の言葉が信じられず、黒外套の青年は眉を寄せながら首を傾げた。

 亜人として産まれたことの、何が罪なのだろうか。

 

「我々只人こそが、この世界における至高の存在なのだ。我らの発展を阻害するにも関わらず、王の寛大な慈悲によって()()()()()()()()()()()()()()というのに」

 

 兵士は困り顔で額に手をやりながら頭を振ると、「わかったかね、青年」と黒外套の青年に問うた。

 いや、それは問いかけではなく警告。

 (クロスボウ)の照準は既に黒外套の青年に向けられ、兵士たちの武器もまた彼へと向いている。

 

「さあ、そこを退け!」

 

 そして最後の言葉は、ただの脅迫。

 退かねば、諸ともに殺すという強烈な念が込められたその声は、僅かに神殿を揺らすほど。

 それを受けた黒外套の青年は僅かに俯くと、背後にいる女上の森人と、彼女が守らんとしている子供に目を向けた。

 

 ──父や母なら、どうするだろうか。

 

 いいや、この質問に意味はない。

 両親はここにいないし、何より答えは決まっている。

 

亜人(デミ)を迫害し、その上に成り立つ平和など、糞食らえだ……っ!」

 

 蒼い瞳に殺意を滾らせながらの言葉に、兵士は「そうか!」と短く告げて、背後の仲間へと目を向けた。

 (クロスボウ)を構えていた二人の兵士は、頷くと同時に狙いを定め、引鉄(ひきがね)を引いた。

 バネが弾ける異音と共に太矢(ボルト)が放たれ、黒外套の青年を貫かんとするが、

 

「舐めるなっ!」

 

 黒外套の青年が鋼の剣を鞘から引き抜くと同時に一閃。

 放たれた太矢(ボルト)を二本とも一刀の下で弾き、空いている片手で印を結ぶ。

 

「《トニトルス(雷電)……》」

 

 紡ぐは真に力ある言葉(トゥルーワード)

 世界の理を改竄し、超自然の事象を引き起こす業。

 だが一つでは小さな事象を起こすのみ。

 真に力ある言葉に、本当の意味で力を与える為には、もっと言葉が必要だ。

 

「《オリエンス(発生)……》」

 

 彼の片手に小さな雷が宿り、バチバチと音をたてる。

 静かな神殿に雷電龍の唸り声が響き、その光が薄暗い神殿を照らす。

 危険を察知した兵士たちは逃げようと入り口に向けて駆け出すが、それが狙いである黒外套の青年は小さく笑んだ。

 紡ぐ言葉は三つ。一つでも、二つでも、それは術足り得ない何かでしかない。

 

「《ヤクタ(投射)……》!」

 

 そして、放たれるは師の得意技(十八番)

 雷電龍が唸りをあげ、その(あぎと)が兵士たちを飲み込まんと放たれる。

 これこそは『稲妻(ライトニング)』の術に他ならない。

 そして、兵士たちにそれを止められる術はなく、悲鳴と断末魔のあげながら雷電龍の牙に噛み砕かれた。

 だが雷電龍の勢いはそれだけに留まらず、入り口とその脇に止められていた馬を巻き込み、射線上の木々さえも薙ぎ倒す。

 背後で女上の森人と子供が息を飲む音を聞きながら、けれど油断なく掃射を続けること十数秒。

 ようやく『稲妻』の術が終わり、残ったのは一角が吹き飛んだ神殿と、生物と木々が焼け焦げた臭い。

 フッと短く息を吐いた黒外套の青年は突き出した手をゆっくりと降ろし、頭巾を取った。

 天井から降り注ぐ陽の光を浴びながら、銀色の短髪が僅かに揺れる。

 彼は振り返り、女上の森人と子供へと目を向けた。

 足音もなく一歩を踏み出すと、女上の森人がハッとして短剣を握り直し、背後の子供を守らんと身構える。

 

「安心しろ、敵じゃない」

 

 当の銀髪の青年は剣を鞘に叩き込むと、「な?」と言いながら両手を頭の上に持ち上げた。

 

「そんな言葉、信じられる……わけ……が──……」

 

 女上の森人はそれでも彼に切りかからんとしたが、足を踏み出した瞬間に瞳から光が消え、踏み出した勢いのままに床に倒れた。

 

「あ、おい!」

 

 銀髪の青年が慌てて駆け寄ると、祭壇に隠れていた子供もパタパタと足音をたてながら駆け寄ってくる。

 その途中で外套が翻り、すっぽりと隠れていた顔がお目見えとなった。

 子供は十歳になったばかりに見える、少女であった。

 人懐こそうな丸い瞳に、幼さを全面に残すが、将来が楽しみな整った顔立ち。

 黒い髪に、炎のように揺れている緋色の瞳が目を引くが、それよりも気になるのは彼女の耳だ。

 只人のそれに比べて長く、けれど森人の物に比べれば短い耳。

 

「……半森人(ハーフエルフ)?」

 

 銀髪の青年が困惑混じりに声を漏らすと、半森人の少女はビクン!と肩を跳ねさせて、恐る恐る彼へと目を向けた。

 怖がっているのか肩が震え、女上の森人の外套を掴む手も小刻みに震えている。

 銀髪の青年はそれに気づくと、「ああ、悪い」と言って笑みを浮かべた。

 そうして優しく頭を撫でてやれば、強張っていた表情が微かに緩む。

 夜に雷電龍を怖がり眠れなかった妹も、こうしてやれば不思議と眠りについたのだ。

 そうやって妹にそうするように半森人の少女の頭を撫でてやりながら、女上の森人に目を向けた。

 顔色も悪く、呼吸も荒く、汗を拭ってやろうと触れてみれば、目を見開く程に熱も酷い。

 

 ──この娘の為に、どれだけの無茶を……。

 

 精霊に近しいとまで言われる上の森人が、何より森人の王族がこんなになるまで、それそこ死ぬ気で守ろうとしたのは、半森人(混血児)

 先の言葉といい、兵士たちの狙いといい、この娘が騒動の中心であることは確かなようだが。

 銀髪の青年は目を閉じ、僅かに熱くなってきた頭を冷やそうと小さく深呼吸を一度。

 ゆっくりと目を開くと、半森人の少女に目を向けた。

 

「とりあえず逃げるぞ。こいつも連れていく」

 

「……っ!」

 

 彼の言葉に半森人の少女はコクコクと何度も頷き、何か運ぶものを探してか辺りを見渡すと、ピクリと長耳が揺れた。

 弾かれるようにそちらに目を向ければ、幸運にも先の『稲妻』を避けられた馬がいるではないか。

 ぐいぐいと銀髪の青年の外套を引き、馬を指差す。

 

「ああ。いい作戦だ」

 

 よく見つけたなと、笑顔と共に褒めてやりながら半森人の少女の頭を撫でてやると、女上の森人を乱暴に横抱きにして持ち上げた。

 

「もう少し辛抱しろ。治療してやる」

 

「うぅ……」

 

 銀髪の青年はそう言うが、彼女からの返事は覇気のない呻き声のみ。

 頑張ってと言わんばかりに半森人の少女が跳ねると、女上の森人は微かに笑んだ。

 

「笑う余裕があるのなら重畳。行くぞ」

 

「っ!」

 

 銀髪の青年が表情を引き締めながら言うと、半森人の少女はこくりと頷いた。

 逃げようとしていた馬は、半森人の少女が何やら口を動かす──だが音はない──と抵抗を止め、乗れと言わんばかりに「ぶるる!」といななく。

 

「よくわからんが、助かる!」

 

 銀髪の青年は女上の森人を乗せた鞍に固定すると、まず半森人の少女を乗せてやり、最後に自分が跨がった。

 半森人の少女は背もたれのように彼に寄りかかり、力なく馬に乗っけられている女上の森人は呻くばかり。

 

「ハッ!」

 

 それら全てを無視して、銀髪の青年は掛け声と共に軽く腹を蹴り、馬を走らせた。

 目指す場所はわからないが、ともかく街から離れるべきだ。

 銀髪の青年はその直感のまま、港街から離れていった。

 

 

 

 

 

 空は暗くなり、双子の月と星々が輝き始めた頃。

 銀髪の青年らが立ち去った神殿に、幾人かの人影があった。

 辺りの惨状を目の当たりにしても何の反応もなく、淡々と街から遠ざかっていく馬の蹄の後を見つめている。

 

「……逃が……さ……ない……」

 

 虫の羽音のような、とても小さな囁き声。

 そこには何の感情もなく、ただ目的を告げたのみ。

 故に彼は動き出した。

 王の治世を安泰とするため、王の威光を轟かせるため。

 

「逃がさ……ない……」

 

「にが、逃がさ……ない……」

 

「逃が……すな……追え……」

 

「追い……詰め……殺……す……」

 

 影たちは口々にそう呟きながら、痕跡を探って神殿内を徘徊する。

 だがあるのは壊れた神殿のみで、行き先に関する手掛かりはない。

 

「逃がさない。逃がさない。逃がさない、逃がさない、逃がさない逃がさない逃がさない逃がさない逃がさない逃がさない」

 

 だが、何の問題もない。我ら(・・)には王と、あのお方の加護があるのだ。

 

 ──全ては王と、あのお方のために……。

 

「……逃がさ……ない……」

 

 影は走り出す。

 獲物を求め、血を求め、なにより王からの慈悲に報いるために。

 

 ──影は、獲物を、逃がさない──

 

 




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Memory03 暗剣

 ぱちり、ぱちりと、手拍子を思わせる焚き火が燃える音で、女上の森人は目を覚ました。

 鉛のように身体は重く、首を傾けることさえも億劫ではあるけれど。

 

「……生きて、いるのか」

 

 ぼんやりとした表情のまま呟き、どっと溜め息を吐いた。

 包帯が巻かれた両腕を見つめ、長耳を揺らして辺りの音を探る。

 焚き火が燃える音と、小川が流れる音に、誰かの呼吸音。そして馬が草を咀嚼する音。

 ゆっくりと深呼吸をすれば森の空気が肺を満たし、疲労が溜まった身体に僅かだが活力が戻る。

 

「とりあえず、目が覚めたみたいだな」

 

「っ!?」

 

 そんな時に投げられた聞き覚えのない声に、女上の森人は弾かれるように身体を起こし、腰の短剣の鞘に手を伸ばすが、

 

「ぅ……ぐ……っ!」

 

 身体を駆け抜けた激痛に呻き、膝をついた。

 呆れたような声音で「いきなり動くなよ……」先程と同じ声が投げ掛けられるが、それは今の彼女にとってどうでもいいことだ。

 歯を食い縛って痛みに耐えながら、ゆっくりを辺りを見渡す。

 馬がいる。小川もある。焚き火もある。そして最重要たる半森人の少女も、いる。

 焚き火によく当たるように最前線で、毛布にくるまって丸くなりながら、穏やかな寝息をたてている。

 女上の森人はようやく表情を和らげるが、すぐに真剣な面持ちとなって短剣を抜く。

 双子の月に照らされて黒曜石の短剣が鋭く輝くが、銀髪の青年は怯む様子もなく肩を竦めた。

 

「警戒するのもわかるが、一応助けたんだがな……」

 

 苦笑混じりにそう告げて、焚き火を棒でつついて掻き回す。

 舞い上がった火の粉を挟み、女上の森人と銀髪の青年の視線が交錯した。

 朝の空を閉じ込めた碧い瞳と、夜の空を閉じ込めた蒼い瞳は、お互いにぶれることなく見つめあい、先に視線を外したのは蒼い瞳の方だった。

 銀髪の青年は溜め息を吐くと顔を逸らし、半森人の少女に目を向けた。

 もごもごと口を動かし、音にはならない寝言を漏らしているが、表情は穏やかだ。

 

「夢見は良さそうだな」

 

 銀髪の青年もまた穏やかな笑みを浮かべると、「いいことだ」と呟いて再び女上の森人に目を向けた。

 

「それで、なぜ追われていたかを聞いても?」

 

「……」

 

 彼の問いに彼女は応じることはなく、短剣を握る手に力を入れるのみ。

「駄目か」と肩を落とした彼は、脇に置いていた雑嚢に手を入れると、中から林檎を取り出した。

 

「とりあえず食べろ。腹が減っているんだろ?」

 

 真っ赤な果実を(てのひら)で転がしながら、もう片方の手に短剣を持つ。

 きらりと光った銀光に女上の森人は身構えるが、銀髪の青年は林檎に刃を添えた。

 

「皮を剥いてやろうか?」

 

 少しでも気を解そうとしたのか、まるで神殿に寝かせている友人に言うように言うが、女上の森人はむしろ不快そうに眉を寄せて「……結構だ」と冷たく一言だけ告げるのみ。

 

「そうか」

 

 残念そうに返した銀髪の青年は「ほら」と林檎を投げ、短剣を手元でくるくる回して弄ぶ。

 視界の端でそれを見ながら、女上の森人は危なげもなくそれを受け取り、自分が映るほどに見事な林檎を見つめた。

 

「これは、あの街で買ったのか?」

 

「そうだが、何か問題か?」

 

 そして何やら神妙な面持ちを浮かべながらの問いに、銀髪の青年は首を傾げた。

 

「……いいや」

 

 女上の森人は低く唸りながら首を振ると短剣をしまい、大事そうに両手で持ちながら一口頬張った。

 真っ白な歯が皮を破り、溢れる果汁が舌を舐める。

 酸味と甘味の程よい塩梅は、よほどいい土地で育てられたのだろうとわかるほどだ。

 

「……」

 

 黙々と食べ進める彼女を見つめる銀髪の青年は、その姿に失礼を承知で小さく可笑しそうに笑った。

 言動こそ高圧的とまで思えたが、林檎を両手で持ち、栗鼠(りす)のように小さく、細かく咀嚼する様は、何とも子供っぽい。

 

 ──あるいは、林檎の丸齧りに慣れていないか、だな。

 

 上の森人は森人にとっては王族だ。林檎を食べる機会はあれど、出てくるのは皮を剥かれたものか、調理されたものだろう。

 意外に箱入りなのかと疑問を抱くが、それを訊けるほど彼女との信頼関係を築けてはいない。

 じっと見てくる挙げ句に笑っている銀髪の青年を睨むのは、仕方がないことだ。

 

「何か文句でもあるのか」

 

「いいや。いい食べっぷりだと思っただけだ」

 

 問われた銀髪の青年は肩を竦めるが、女上の森人の反応はよろしくない。

 相変わらず焚き火越しにこちらを見つめているが、人が食べている姿を観察するとは……。

 

「いいご身分なことだ」

 

「……上の森人に言われたくないんだが」

 

 女上の森人が無意識の内に呟いた言葉に、銀髪の青年は僅かに狼狽えながらも切り返す。

 それでも申し訳なさそうに身体を背ける辺り、言いたいことは伝わったようだ。

 女上の森人は小さく鼻を鳴らし、その後は無言のまま林檎を食した。

 しゃりしゃりと音をたてて、慣れない丸齧りに悪戦苦闘しつつも、それを悟られないように一口を小さめに。

 

「……」

 

 そうやって銀髪の青年を警戒していると、視界の端で毛布の塊が動いたことに気付き、そちらに目を向けた。

 相変わらず寝ている半森人の少女が寝返りを打ったのか、毛布がはだけて背中が見えてしまっている。

 女上の森人は微笑みながら毛布を整えてやり、彼女が起こさなかったとわかると小さく息を吐いた。

 あの子を助けに向かい、どうにか助け出し、そのまま休む間もなく逃走。

 まともに食事をする暇も、こうして身体を休める暇もなく、ほぼ二日ぶっ通しの強行。

 そこまですればいくら上の森人とて疲労は感じるし、疲労すれば技の精度も落ちると言うもの。

 

 ──情けない限りだ。

 

 その結果こうして只人に助けられたのだから、本当に情けない限りだ。

 

 ──この国にいる只人の多くが、敵だというのに。

 

 彼女は銀髪の青年に気付かれないように溜め息を吐くと、芯だけになった林檎を指で摘まんで弄ぶ。

 只人ならそこで終わりなのだが、そこは流石は上の森人。

 彼女は僅かに躊躇いながらも芯を齧り、さらに細くしていった。

 しゃりしゃりと咀嚼する音とは違う、こりこりと何か固いものを噛み砕く音が聞こえ始める。

 

 ──芯まで食べるつもりなのか……?

 

 銀髪の青年は故郷にいた上の森人の姿を思い浮かべ、彼女ならどうしたろうかと僅かに思案。

 そして彼女の場合、林檎よりも手製の菓子を食べていそうだなと判断を下すのに、あまり時間は掛からなかった。

 

 ──そう言えば母も好きだったな。

 

 むしろあれが好きなのは母だけに限った話ではない。あの菓子は中々に美味だ。

 母の友人たちの何人かも食べたそうだし、一度だけだが自分も食べたことがある。

 まあ毎日食べれば飽きがくるから、たまに食べるからこそ美味いと感じるのだろう。

 

「……っ」

 

 がじがじと、小さな口で必死に骨を齧る小犬のようになっているが、女上の森人は気にする素振りを見せやしない。

 いくらなんでもそれはないだろうと、銀髪の青年は僅かに目を細めるが、まあ上の森人だからと割りきった。

 森と共に生き、森と共に育つ彼らにとって、果実の一つとっても無駄にはしたくないのだろう。

 

 ──あるいは、どこまで食べるべきかわかっていない。……わけはないか……。

 

 森人なのだから、果実の食べ頃や食べ方に至るまで、一から百を理解しているだろう。

 

 ──いや、虫が多いんだったか……?

 

 父から聞いた話では、森人は肉の代わりに虫を食べるそうだし、彼女はそちらが好きで、林檎に馴染みがないという可能性も。

 

「……むぅ」

 

 銀髪の青年は悩ましげに唸ると、考えても仕方がないかと項垂れた。

 相手は森人。その中でも精霊の末裔とまで言われる上の森人だ。

 文字通り只人である自分の物差しで測れるような、そんな階位(クラス)の存在ではないのだ。

 

「……どこまで食べるつもりだ」

 

「っ!?……こ、このくらい、普通、だろう……?」

 

 銀髪の青年の溜め息混じりの言葉に、女上の森人は狼狽えながらも切り返した。

 その言葉に銀髪の青年は肩を竦め、「普通は芯までで終わりだ」と呟いた。

 短剣を焚き火にかざし、暖かな橙色の明かりが短剣を染める。

 

「それで、いい加減話をしてくれないか」

 

「……断ったら」

 

 木の枝のように細くなった林檎の芯を、どうしたものかと迷っていた女上の森人は、彼の言葉に目を細めた。

 瞳に微かな殺気が宿り、林檎を持っていた手がゆっくりと黒曜石の短剣へと伸びていく。

 対する銀髪の青年は「別に」と呟き、短剣を鞘に納めた。

 

「俺はさっさとここから離れて、この国を見て回るさ」

 

 そして何てことのないように笑いながらそう告げて、木に繋いでいる馬へと目を向けた。

 

「幸い、足は確保できたからな」

 

 嬉しい誤算だと笑う彼を睨みながら、女上の森人はちらりとその馬へと目を向けた。

 すらりと伸びた筋骨隆々な四肢に、力強く前を向く瞳。

 兵士から奪ったのであろうそれは、手に入れるのに果たしてどれだけの金貨が必要か。

 

「……助けてもらった身で悪いが」

 

 女上の森人は冷たい声音で言うと、短剣を引き抜いた。

 瞳に殺気を宿し、負傷しているにも関わらず覇気が衰えることはない。

 むしろ怪我をし、追い詰められた獣のように、研ぎ澄まされていると言っても過言ではないだろう。

 鳥肌が立つほどのその迫力に、思わず後退りそうになるが、銀髪の青年は笑って見せた。

 

「そんな怖い顔をするなよ。折角の美貌が台無しだぞ」

 

「貴様、馬鹿にしているのかッ!」

 

 だが、その一言は逆効果だったようだ。

 女上の森人は額に青筋を浮かべながら立ち上がり、怒号混じりに銀髪の青年に飛びかからんとした。

 銀髪の青年も素早く立ち上がりながら短剣を抜き、迎撃せんと身構える。

 焚き火を挟んだ睨みあいが始まり、二人の圧に押されて炎が大きく揺れる。

 舞い散る火の粉が夜の森に消えていき、ぱちぱちと手拍子にも似た音をこぼす。

 摺り足で足場とまあいを確かめながら相手の呼吸を読み、隙を探り、懐に飛び込む時機(タイミング)を探る。

 そうして瞬きすることもなく睨みあっていると、二人の視界の端で毛布の塊がもぞもぞと動き始めた。

 

「……っ。……?」

 

 布擦れの音と共に半森人の少女は起き上がり、くぁ~と大きく口を開けて欠伸を漏らすと、ぐしぐしと涙が浮かんだ目を擦る。

 そして霞む視界に、武器を構えたまま驚いたような表情でこちらを見つめる二人の姿を見つめ、不思議そうに首を傾げた。

 

「起きたようだな。よく眠れたか?」

 

 そして真っ先に声をかけたのは銀髪の青年だ。

 戦闘体勢を解除しながら短剣を納め、朗らかに笑う。

 寝惚け眼のままこくこくと頷いた半森人の少女は、ぼんやりとした表情のまま女上の森人へと目を向けた。

 

「あ、ああ。おはよう。あー、ちゃんと眠れたか?」

 

 そして女上の森人は、何を言おうかと迷い、結局しどろもどろになりながらそう問うた。

 半森人の少女は『またそれ』と言わんばかりに首を傾げ、とりあえず一度だけ頷いた。

 

「なら、良いんだ」

 

 女上の森人は憤怒の表情と、構えた短剣を誤魔化すように笑いながら、ゆっくりと鞘に納める。

 それを見ていた緋色の瞳が細まり、眠たそうに欠伸を漏らした。

 一応逃亡犯なのだが、それでも二度寝をしようと毛布にくるまる辺り、半森人の少女も中々に呑気だろう。

「ああ、寝るな」と女上の森人が慌てて抱き上げるが、肝心の少女は船を漕いでかくかくと首が揺れている。

 その様はどこか親子のように思えるが、二人が親子ではないのは見ればわかる。

 顔や雰囲気が似ていないこともそうだが、女上の森人の態度がどこかよそよそしいように見える。

 少女の方は気にもせずに踏み込もうとしているが、それを女上の森人が許さないといった感じだろうか。

 ともかく、二人の間には信頼はあれど親愛の情はないように見えるのだ。

 

「……」

 

 銀髪の青年はそんな二人の様子を、どこか冷めた目で見つめながら腕を組んだ。

 別に子供から親愛の類いは受け取っても害はあるまいに、それから意識して目を背けるとは、大人としてどうなのだ。

 

 ──その内離れ離れになるとわかっているのなら、話は別になるが……。

 

 少女の様子や年齢からして、そんなすぐに離れるようには見えないし、彼女もそれを望むまいに。

「むぅ……」と小さく唸った銀髪の青年はちらりと馬へと目を向けた。

「ぶるる!」と威嚇するようにいななき、蹄で地面に叩いて威圧してくる。

 

「……別に危害は加えないんだがな」

 

 幼い頃からどうにも動物に好かれない。

 妹や弟たちは大丈夫なのに、自分だけは駄目なのだ。

 どうにかしようにも理由がわからず、かといって近づこうものなら攻撃される。

 

 ──馬に蹴られて死んだなど、父や母に知られたら……。

 

 銀髪の青年は背筋に冷たいものを感じ、身体をすくませた。

 あの二人の場合、魂が天に還ったとしても説教しに来そうなのだ。二人は生きたまま、どうやってかは知らないが。

 銀髪の青年は鳥肌が立った腕を擦りながら、いまだに威嚇してくる馬から視線を外した。

 

「ああ、こら!今から移動するんだ、寝るんじゃない」

 

 女上の森人は自分にぎゅっと抱きついたまま眠ろうとする半森人の少女の肩を揺らしながら、僅かに語気を強めた。

 

「……。……」

 

 肝心の少女は眠たげに閉じていた緋色の瞳を開き、批難するようにゆっくりと細めた。

 それでも一応は起きたのか、欠伸を噛み殺して女上の森人の腕から降りる。

 そのまま馬の鵬に歩き出し、パクパクと口を動かした。

 相変わらず音はなく、何を言っているのかはわからないけれど。

 今にも蹴り殺さんばかりに殺気立っていた馬が大人しくなり、半森人の少女が伸ばした手を受け入れるように頭を垂れた。

 彼女の小さな手が馬の額を撫で、もっととせがむように蹄で地面を蹴る。

 

「……不思議なものだ」

 

 銀髪の青年は便乗して馬の首を撫でてやりながら言うと、半森人の少女が彼に顔を向けてにこりと微笑んだ。

 

「まあ、助かった。これで──」

 

 笑みを返してやりながら、彼女の頭を撫でてやろうと伸ばした手が、不意に止まった。

 不思議そうに首を傾げる半森人の少女を他所に、銀髪の青年と女上の森人は鋭い目付きで辺りを見渡す。

 ぴくりと長耳を揺らした女上の森人が、傍らに置いてあった大弓を手に取り、矢をつがえる。

 

「何か、来る」

 

 彼女の耳にはがさがさと葉と小枝が揺れる音が届き、そちらに向けて弓を構える。

 馬の手綱を握っていた銀髪の青年は片目を閉じ、夜中でも空を飛んでくれていた鷲と意識を共有する。

 鷲の視界を一時借り受け、空から森を俯瞰する視線へと切り替わる。

 そのまま更に意識を集中し、タカの眼を発動。

 暗くなった視界に、森の暗がりを突き進む赤い影を視認した。

 数はおよそ十。人型ではあるが、本当に人なのかはわからないほどに速い。

 

「……」

 

 緩んでいた意識を引き締めるように、緩めていた鎧の留め具を閉め直し、円盾を左腕に括りつけ、長筒(ライフル)を背中に。

 あえて焚き火を放置し、まだ気付かれていないと相手に思い込ませる。

 鋼の剣をいつでも抜けるように身構えながら、女上の森人と、半森人の少女に告げた。

 

「馬に乗れ。移動するぞ」

 

「三人を乗せたまま、振り切れると思うか」

 

 女上の森人は目を細め、神妙な面持ちになりながら問うた。

 半森人の少女と誰か一人ならともかく、三人を乗せて走らせた所で、その速さはたかが知れている。

 銀髪の青年は彼女の言葉に不思議そうに首を傾げ、「だから、さっさと乗れ」と改めて告げた。

 

殿(しんがり)は俺がやる。お前らは行け」

 

「なっ!?お前は、何がしたいんだ!?」

 

 彼からの進言に驚きを露にした女上の森人は、彼の胸ぐらを掴みながら更に言葉を荒げる。

 

「今日あったばかりの、事情も知らない相手を理由もなく助けるのか!?貴様、ふざけているのか!?」

 

 鬼気迫る迫力と共に告げられた言葉に、銀髪の青年は肩を竦めた。

 

「困っている人を見ると、居ても立ってもいられない性格でな。自分でも難儀している」

 

 そしてさも当然のようにそう告げて、彼女の剣幕に怯えている半森人の少女を見つめると、「それに」と言葉を続けてふっと頬を緩めた。

 

「こんな小さな子供を助けようとしている奴が、悪い奴には思えん」

 

「……っ!?きさ、まは……!」

 

 小さく肩を竦めながら告げられた言葉に、怒りの出鼻を挫かれた女上の森人は言葉をしている詰まらせた。

 胸ぐらを掴む手にだけ力が入り、革鎧が軋む音が鼓膜を揺らす。

 

「こんなことをしている時間はない。早くしろ」

 

 そして彼女の手を掴んだ銀髪の青年は目を伏しながら彼女を急かし、その手を振り払った。

 それなりに力を入れていた筈なのに、それこそ虫を払うように簡単に退けられるとはと、女上の森人は僅かに目を見開く。

 只人の知り合いが多いとは言えないが、他の男たちもこうなのだろうかと、小さな疑問が脳裏を過った。

 

 ──いや、そんな事はどうでもいい。

 

 そもそも只人と触れあう機会が滅多にないのだから、そんな疑問を抱く余裕があるのなら他のことを考えるべきだろう。

 女上の森人は表情を消しながら、「わかった」と低い声音で告げて、小さく頷いた。

 向こうから利用されてくれるのなら、利用してやるのが彼のためにもなるだろうと、心の冷たい部分で語りかけてくる。

 その声に従うがまま馬に跨がり、僅かに尻をずらして具合を確かめる。

 その間に銀髪の青年は嫌がるように馬の影に隠れていた半森人の少女を持ち上げ、「ほら」と女上の森人に差し出した。

 逃げようとじたばたと暴れているが、大人の膂力から逃れるにはあまりにも非力で、あっさりと馬の上へと乗せられた。

 

「本当にいいんだな」

 

 女上の森人は瞳に冷たい輝きを灯しながら、さながら試すように問いかけた。

 問われた銀髪の青年はこくりと頷き、「男に二言はない」と苦笑混じりに肩を竦めた。

 半森人の少女は離れたくないのか、涙目になりながらパクパクと口を動かしているが、肝心の声は誰にも届かない。

 ようやく打ち解けあえた、年の離れた友人と、一日も経たずに別れてしまうのは、幼心には辛いことだろう。

 銀髪の青年は彼女を安心させようと、優しく彼女の頬を撫でた。

 触れれば柔らかく、温かいそれは、妹のそれと似ているが確かに違うものだ。

 

「大丈夫、また会えるさ」

 

 にっと白い歯を見せながら、芝居がかっているようにも思える笑みを浮かべた。

 半森人の少女は頬に触れる彼の手に自分の手を重ね、涙を堪えているのかぷるぷると肩を震わせる。

 

「……武運を祈る」

 

 その様子を冷たい視線のまま見ていた女上の森人は、相変わらず淡々とした声音でそう言うと、銀髪の青年は小さく鼻を鳴らした。

 

「──運は自分で掴むもの」

 

 そして不意にそう呟き、「父からの受け売りだ」と付け加えた。

「そうか」と多少驚きながらも頷いた女上の森人は、もはや言葉は不要と言わんばかりに馬の腹を蹴り、走らせた。

 森の木々の隙間を全力でもって駆けていく馬と、それに跨がる女上の森人の背を見送った銀髪の青年は、頭を掻きながら腰の剣を抜刀。振り向き様に真一文字に振り抜いた。

 瞬間、キン!と甲高い金属音と共に火花が散り、彼の背後から斬りかかった刺客が夜の闇へと消えていく。

 それを見送った銀髪の青年は、腰の拳銃嚢(ホルスター)から短筒(ピストル)を引き抜き、発砲。

 火の秘薬が炸裂する乾いた音が夜の森に響き渡り、闇の奥からどさりと何かが倒れる音が聞こえる。

 

「無視は困るな……」

 

 挑発するように短筒をぐるりと回し、鮫のように獰猛な笑みを浮かべる。

 直後、ざわざわと闇がざわめきだし、余多の視線が彼へと殺到した。

 いや、視線という曖昧模糊なものを感じ取れるほど、銀髪の青年の能力(ステータス)も極まっているわけではない。

 だが、その代わりに感じるものが一つ。

 

『──』

 

『~~~~』

 

『……っ。……!』

 

「……ここまで多いと、喧しいな」

 

 殺意が声となった、罵詈雑言の数々。

 街中を歩いていて、すれ違う相手全てが敵だとすれば、こういうこともあるのだろうかと僅かに苦笑。

 

 ──どこから、どの程度の距離で、何人が自分を狙っているのかを、把握する。

 

 父から教えられたというよりも、父との鍛練の中で使えるようになったこの感覚は、果たして何と呼ぶべきだろうか。

察知(センスリスク)』だとか『敵意(センスエネミー)』とかの魔術や奇跡の類いに似ているが、決定的なまでに違うこれは、何なのだろうか。

 

 ──この国に、父さんの故郷に来ればわかると思ったんだがな……。

 

 まさか初日から本来の目的から外れ、番兵を吹き飛ばすことになるなど、誰が思うだろうか。

 そして、苦笑混じりに彼は叫んだ。

 

くそったれが(ガイギャクス)!!」

 

 その叫びを合図に、闇の中にいる者たちが動き出す。

 闇に溶け込む黒い衣装は特殊な術が織り込まれているのか、夜目が利く種族であっても影さえも見えず、けれど仲間同士の位置は確実に把握しあう、彼らにのみ着用を許された特殊な逸品。

 闇に溶け込む、刃から柄、鞘に至るまで暗い色をした武器には特殊な毒が染み込み、掠り傷さえも致命傷へと昇華させる、これまた逸品。

 一人一人で刃渡りや、そもそもの武器種が違うなど、衣装意外で彼らの共通点は意外にも少ない。

 だが、それこそが彼ら──王直属の暗殺部隊『暗剣』を、その名たらしめる要因だった。

 闇から飛び出してくる得物は、短剣なのか、斧なのか、槍なのか、鎌なのか、それは振るわれる瞬間にならなければわからない。

 

 ──だが世の中には、例外(イレギュラー)があるのだ。

 

 銀髪の青年の蒼い瞳に星の輝きが宿り、その視界に闇に隠れた者たちの姿を無慈悲に映し出す。

 ぐるりと辺りを見渡してみれば、赤い影が自分を囲むようにおよそ十。

 先ほど一人減らしたものの、総数が減っていないのは最初の偵察が甘かったからか。

 

 ──まあ、どうでもいいか。

 

 ごきごきと首を鳴らし、左腕の円盾を構えながら、右手首をぐるりと回して身構える。

 全方位を警戒しつつ、彼らを撃滅しなければならないのは骨が折れるが……。

 

「成ればなる。俺は只人(ヒューム)の男の子っ!」

 

 銀髪の青年は『暗剣』たちに向かって吼え、自ら闇の中へと飛び込んだ。

 虎穴に入らんば虎児を得ず。

 獲物を狩るために、自ら狩り場に飛び込むのは、勇敢なのか、蛮勇なのか。

『暗剣』たちはそんな思考さえもせず、自らの領域(テリトリー)に入り込んだ銀髪の青年(ターゲット)に踊りかかる。

 静かな夜の森で、男の意地と暗殺者たちの誇り(プライド)をかけた死闘が、幕を開けた。

 

 

 

 




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Memory04 剣砕き(ソードブレイカー)

 ()が、自分の身体が、少しばかり他人からずれていると自覚し始めたのは、五歳になったばかりの頃だ。

 妹の面倒を見る母の笑い声を聞きながら、ふと空高くを飛んでいた鷲を見上げた時だった。

 じっと目を細め、今思えば不思議なまでに集中していたように思う。

 父に懐き、母と並んで相棒とまで称されたかの鷲の羽ばたきを、この目に焼き付けたかったんだと思う。

 そして目が乾いて瞬きをした直後だ。

 じっと青空を見上げていた筈なのに、視界から色が消え、空を流れていく雲や、視界の端に映る木々の輪郭(ワイヤーフレーム)のみが浮き上がった。

 視界に納めていた鷲だけは青く輝き、さながら流れ星のようではあったけれど、その頃の()はひたすらに怖がってしまった。

 急に視界が暗くなり、母や妹を見ても青く光って見えるのだ。

 ようやく物心ついて、兄としての自覚を持ち始めたばかりの幼児が怖がるのは、当然のことだ。

 ()は泣きながら母に助けを求めたし、その泣き声で眠ったばかりの妹が起きると共に泣き始め、家は阿鼻叫喚となったのも、まあ覚えている。

 休日だからと部屋で寝ていた父がいなければ、きっとより悲惨なことになっていた筈だ。

 欠伸をしながら起きてきた父は、すぐに事態を察して()を抱き上げて、優しく語り掛けてくれた。

 

『お父さんも昔はよく振り回されたからな。落ち着いて、ゆっくり力を抜いて、深呼吸だ』

 

 よしよしと背中を叩かれている内に涙も止まって、視界も元に戻っていた。

 不思議に思って目を擦る()に、父は楽しそうに目を細めながら笑った。

 

『その内使い方を教えてやるさ』

 

 その言葉が実行されたのは、()が十歳を過ぎた頃。

 夜の庭でお互いに面と向かいあいながら、父は真剣な面持ちと声音で告げた。

 

『意識を集中して、感覚を研ぎ澄ませ、闇を抜け、音を越え、物質を覗きこむ。すると、微かに音が聞こえ、光が見える』

 

『……お父さん、わかんない』

 

 と言っても、父が何を伝えようとしていたのかさっぱりわからず、一応考えてはみたがすぐに根をあげた。

 父は『そうだよな』と可笑しそうに笑いながら、がしがしと頭を撫でてくる。

 

『教えられた俺だって、よく分からないからな。一応、この言葉だけでも覚えておいてくれ』

 

『ん……』

 

 乱暴ではあるが、確かな優しさが込められた手付きに、多少の恥じらいと心地よさを覚えながら頷くと、父はごほんと咳払いをした。

 

『五感の全てを働かせる。音を見て、形を聞く』

 

『──音を見て、形を聞く』

 

 父の言葉におうむ返ししながら、()は目を閉じた。

 父に言われた通りに集中して、ゆっくりと深呼吸。

 夜の庭で冷たい空気が肺を満たし、父の息遣いが僅かに聞こえる。

 目の前に居てくれている安心感からか、夜に外に出ているのにも関わらず、心は不思議と落ち着いていた。

 木々のざわめきがすぐ近くに聞こえ、風に乗ってどこかの家の料理の臭いが鼻腔をくすぐる。

 家にいる筈なのにそこにはおらず、森の中や街の中にいるような、不思議な感覚。

 そして瞼の裏を映す視界が、湖の水面のように揺れた瞬間を見計らい、『眼』を開けた。

 同時に視界に飛び込んできたのは、夜の闇とは別に暗くなった世界と、そこに浮かび上がる青い人影。

 その人影は満足そうに頷くと、また頭を撫でてきた。

 

『そう、その感覚だ。忘れるなよ』

 

 ご機嫌そうな、跳ねるような声音。

 きっと笑っていたのだろうに、その時の()は『眼』を戻すことを忘れ、肝心の笑顔を見ることが出来なかった。

 それに気付いて慌てて『眼』を解除したけれど、その頃には父は立ち上がっており、『さあ、寝るぞ』と告げて家へと戻ってしまった。

 

『あ、待って!』

 

 ()は慌ててその後を追いかけ、家へと入る。

 結局この『眼』が何なのかは、冒険者になっても教えてはくれなかった──。

 

 

 

 

 

 夜の森中。

 生い茂る木々に遮られ、月明かりさえも届かない闇の中を、幾重もの影が駆けていた。

 微かに枝や葉が揺れる音を漏らすのみで、彼らの気配は希薄であり、森を生きる森人(エルフ)であったとしても見逃すに違いない。

 

「っ!」

 

 その影の中の一人。手に黒塗りの短剣を握るその男は、獲物を見つめていた。

 右手には鋼の剣。左腕には円盾。背中に筒状の何か(ライフル)を背負った、黒い外套の青年。

 右、左、背後、頭上と世話しなく視界を巡らせながら警戒しているようだが、彼らにとっては問題ないと血走った目を細める。

 どんなに警戒しようとも、どんなに身構えようとも、『暗剣』から逃れる術がないことは、その『暗剣』である彼らが誰よりも知っているからだ。

 短剣を構える彼は青年の背後に回り込み、そして飛びかかった。

 毒が染み込んだ暗い刃は掠めただけでも致命傷となり、何より奇襲してしまえば回避さえもままならない。

『暗剣』たちは念のための二撃目に備えながら、短剣遣いの動向を見守る。

 もっとも斬ってしまえば、それで終わりだ。

 目の前の青年を抹殺し、本命である森人二人を追う。

 任務には何の支障もなく、多少の時間稼ぎをされた程度。

 夜の内に追い付き、終わらせると、彼らの意志は統一される。

 そして短剣遣いが、青年を間合いに捉えてその得物を振るった瞬間。

 ギン!と甲高い金属音が、夜の森に響き渡る。

 

『──っ!』

 

 同時に『暗剣』たちは一様に目を剥き、警戒を強めた。

 背後から斬りかかった短剣遣いの不意討ち(バックスタブ)は、確かに見事なものであった。

 

「甘いッ!」

 

 けれど黒外套の青年を仕留めるには、足りないのだ。

 彼は短剣遣いが刃を振るった瞬間に、振り向き様にこちらからも刃を振るい、相手の一撃を迎撃。

 腕力と、振り向きの遠心力にものを言わせて短剣を弾きあげ(パリィ)、返す刃で短剣遣いの胴を袈裟懸けに切り裂く。

 肉と骨を断ち、命を奪う感覚もろともに刃を振り抜き、短剣遣いの身体を斜めに両断。

 ずるりと音をたてて上半身が地面に転がり、下半身は崩れ落ちた。

 断末魔の声もなく『暗剣』の一振りが、その命を落としたのは、もはや火を見るよりも明らかだ。

 それを認識すると合図に、闇がざわめき始めた。

 枝葉が揺れる音が激しくなり、僅かに感じていた殺気が遥かに強まる。

 短剣遣いを撫で斬った黒外套の青年は、鋼の剣に血払いをくれて、その剣を肩に担いだ。

『暗剣』たちは彼の意識を反らし、決定的な隙を晒そうと闇の中を走り回り、お互いの得物、あるいは己の得物を打ち付ける異音を織り混ぜて、位置と人数をはぐらかす。

 並の相手なら混乱したまま身動き一つ出来ず、抹殺されるのだろうが、彼らを睨む蒼い双眸の前には何もかもが無意味だ。

 それもそうだろう。黒外套の青年の『眼』が見ているのは、生命の光。

 今を生きる者たちの、力に満ちた輝き。

 あるいは過去を生きた者たちの、今にも消えてしまいそうな残滓。

 現在と過去を見通すその『眼』からは、例えその道の玄人(プロ)であっても、逃れる術はない。

 魔力を意味する緑色の──闇を見通す禁制の魔眼の輝きが闇の中を尾を引き、縦横無尽に動き回る赤い影を動きをより克明に浮かび上がらせる。

 黒外套の青年はその一つ一つに気を配りながら、四方八方から聞こえてくる、危険を知らせる囁き声にも意識を配り、小さく肩を竦めた。

 時間稼ぎという意味なら充分に思えるが、彼らを見逃してあの二人を追わせれば、信用を勝ちとれはすまい。

 

 ──なら、やるしかない。

 

 黒外套の青年は深く息を吐くと、肩に担いでいた剣を改めて構えた。

 相手の人数はわからないが、とりあえず殺せることはわかったのだ。ならば、問題はない。

 息をゆっくり吸い込み、ゆっくり吐き出す。

 瞬間、闇が動き出した。

 黒く塗り潰され、一切の光を持たない刃が、青年の首を取らんと音もなく振るわれる。

 だが森に響くのは、甲高く鋭い金属音だ。

 暗い直剣を受け止めたのは、青年の円盾だ。

 丁寧に手入れされ、何よりも金属の盾にも関わらず、黒い刃が深くめり込み、滑らかな曲面を歪ませる。

 黒外套の青年は眼前にある血走った瞳を真っ直ぐに睨み返し、鮫のように獰猛な笑みを浮かべた。

 右手の剣を逆手に持ちかえ、一切振り向くことなく自身背後へと突き出した。

 直後ずぶりと肉が貫かれる鈍い音を漏れ、「ごぼ……っ」と血を吐く音が聞こえてくる。

 一瞥もくれずに貫かれたのは、両手で二本の短剣を構えていた男。

 鋼の冷たさと、出血の熱に当てられた彼は、それでも短剣を突き立てんとするが、黒外套の青年の方が速い。

 盾で受け止めた直剣遣いを、左腕ごと振るった円盾で弾き飛ばし、腕を振り抜いた勢いで身体をうねる。

 剣で貫いたままの二刀短剣遣いの胸ぐらを掴み、剣をそのままに投げ飛ばす。

 地面に叩きつけられると共に吐血した彼の、誰かに邪魔(カット)される前に顔面を踏み砕く。

 脳髄と頭蓋を踏み潰す鈍い感覚に目を細めながら、けれどそれをすぐに振り払う。

 冒険者時代、武闘家としてその身を武器にした母にも言われたことだ。

 殴る、蹴る、潰すは、相手の命を奪う感覚を直に感じる嫌なものだと。

 それでも殺らなければ殺られるのはこちらで、慣れてはいけないが、慣れなければならない。

 

 ──難しいものだな……。

 

 一応、冒険者になることを皮切りに割りきったつもりなのだが、やはりあまり気持ちがいいものではない。

 弾き飛ばした直剣遣いが闇へと溶けていく様子を横目に、目を細める。

 

「これで二つ」

 

 小さく呟きながら、二刀短剣遣いに突き立てた鋼の剣を引き抜き、血払いをくれながら辺りを見渡す。

 暗い視界に浮かび上がるのは、木々の輪郭(ワイヤーフレーム)と、その間を駆け抜ける赤い人影、緑に輝く双眸。

 おかげで見逃す必要はないが、やはり減らせたという実感がわかないのは気が滅入る。

 

 ──だが、減ってはいるのは確かだ。

 

 二人減らした。どちらにせよ、残りは十人近く。

 

小鬼(ゴブリン)の方が、面倒ではあるか……」

 

 いくらゴブリンが湧いてくるのかわからない巣に飛び込むよりは、いくらかはましだろう。

 相手の上限もたかが知れていて、何より相手はおそらく人間(ヒューム)だ。

 巣穴の奥に虜囚がいるわけでも、子供がいるわけでもない。

 気が楽でいいと黒外套の青年は苦笑を漏らし、闇の奥を睨み付ける。

 闇夜を踊る『暗剣』たちは、秘められた戦意と殺意を滾らせ、それぞれの得物を手に縫い付けんばかりの握力を込めて握りこむ。

 彼らは群にして個。個にして群。

 彼らに折れる心はない。彼らに揺らぐ感情はない。

 仲間が死したところで、それは彼が未熟だった結果。

 仲間を殺した相手が、仲間以上に上手だった結果。

 個で勝らぬなら群で。群でも勝らぬなら、命を捨て。

 

『抹殺せよ』

 

 王の御言葉に従い、己が使命を(まっと)うする。

 全ては王のため、あの御方の加護に殉ずるため。

 

 ──『暗剣』。いまだ、折れず。

 

 

 

 

 

 遥か後方で行われる影の中の死闘。

 その音を笹のように尖る長耳で聞き取っていた女上の森人は、唇を噛みしめた。

 前に座らせた半森人の少女は、声もなく涙を流しているが、今は宥めている場合ではない。

 馬の蹄が地を蹴る音に混ざり聞こえる、甲高い金属音と誰かの肉が裂ける音。

 彼はいまだに戦い続け、かの刺客──おそらく王直属の暗殺集団『暗剣』を、その身ひとつで、迎え撃っている証拠に他ならない。

 我々を破り、多くの同胞の命を奪い、目の前にいる半森人の少女を奪った怨敵を前に、自分はただ背を向けて逃げているだけ。

 それが堪らなく悔しいが、それでも今は逃げの一手を打つ他にない。

 夜目がきく筈の我らの目を持ってしても、夜の闇に潜む彼らの動きを見通せず、見えたとしてもあの得物を掻い潜り続けられるかも、わからない。

 夜は彼らの土俵であり、そこでの勝負は不利でしかない。

 そう、不利でしかない筈なのに、戦闘の音はいまだに止まず、かの青年のものとは違う断末魔の声が響き続ける。

 

 ──なぜ、戦える……っ。

 

 見るからに彼は只人(ヒューム)だ。

 どこにでもいる、そして気が付けばいなくなっている、只の人だ。

 なのに、どうしてあそこまで戦えるのか。

 自分たちのように夜目はきかず、只人の身であるなら素の身体能力(ステータス)も高くはない筈なのに。

 何より、彼に戦う理由もない筈なのに。

 

 ──どうして、あそこで戦っているのは、私ではないのだ……っ!

 

 自分が行けば、すぐに殺される言葉にわかっている。

 自分が行ったところで、彼の邪魔になることもわかっている。

 自分が行けば、この少女を危険にさらすことにもなる。

 それでも、こちらの事情を知らない、見ず知らずの只人(ヒューム)に、二度も助けられたのは屈辱でしかない。

 永い一生において、この恥はやがて自分のみが知るものになるだろうが、それでも恥であることに違いはあるまい。

 だが、逃げねばならない。この子を、希望を守りきり、隠れ家に戻らねば、ここに来るまでに死んでいった同胞(はらから)たちに顔向け出来ない。

 女上の森人は馬の腹を蹴り、さらに加速。

 森の中にも関わらず、木々は彼女に道を開けているのか、不思議とぶつかることはない。

 むしろ気木が避けているようにも思えるが、馬が真っ直ぐに走れる状況は何よりも好都合。

「はっ!」と声を出せば、馬はいななき声をあげて足を速め、森の出口に向かって走り抜ける。

 そして、月明かりに照らされる森の外に飛び出そうとした瞬間だった。

 

「──っ!!」

 

 半森人の少女が突然声もなく叫び、森の中を突風が駆け抜けた。

 思わぬ事態に女上の森人が腕で顔を庇うと、馬が足を止め、乗り手の表情を確かめるように振り向く。

 

「ど、どうした、早く進め」

 

 女上の森人は困惑しながらも馬の(たてがみ)を撫でてやるが、肝心の馬は何も反応を示さない。

 ただじっと瞳を半森人の少女に向け、尾を振るのみだ。

 

「──。──っ!」

 

 そして少女は深呼吸をすると、馬の瞳を覗きながら音にならない声を発した。

 それが何を意味するのかは、女上の森人にはわからないけれど、馬には通じたようだ。

「ひひーん!」と力強くいななくと、前足をあげて後ろ足だけで立ち上がると、そのまま反転。

 蹄で地面を蹴りつけ、森の中へと戻り始めた。

 

「な、なにを……!?」

 

 手綱を握りながらも制御(コントロール)を失った女上の森人は大きく狼狽え、半森人の少女を見下ろすが、

 

「──!」

 

 少女は涙目になりながらぎゅっと両手を握りしめ、肩を震わせていた。

 それは恐怖からか、あるいは涙を我慢しているのか、定かではないが、少女が何をしたいのかは嫌でもわかる。

 

「……助けたい、のか」

 

 女上の森人の問いに、少女は小さく頷くのみで応じた。

 行ったところで何ができると、彼が何のために残ったのだと、言葉を荒げて言ってやるのは簡単だ。

 

 ──だが、それでいいのか。

 

 この少女が、自分の意志で、彼を助けたいと望んだのだ。

 彼には不思議な何かがあるのか、単に恩人を見捨てられないという我が儘か、だが理由なぞどうでもいい。

 

 ──もう、戻れないからな。

 

 馬の制御を握っているのはこの少女で、それに乗っているのは自分。

 自分一人だけなら飛び降りてもいいが、生憎と少女を見捨てるわけにはいかないのだ。

 二人の森人は、再び森の闇の中へと突き進んだ。

 戦いの音は、いまだに鳴り続けている。

 

 

 

 

 

 彼らにとって、これは由々しき事態であった。

 王の勅命に従い亜人(デミ)どもの拠点を襲い、半森人の少女を拐ったまではいい。

 それを奪い返され、それを追跡することになったのも、まあ仕方があるまい。誰にでも失敗(ミス)というものはある。

 だが、これはなんだと、形式上は『暗剣』の頭目をしている男は、目を剥いていた。

 暗い闇の中。夜目か、闇を見通す禁制の魔眼なくば、一寸先も見えず、見えたとしても闇に溶け込む呪いが込められたローブを纏う我々を、視認することなど不可能なのだ。

 そう、不可能な筈なのに。

 槍を携えた男が背後から突けば、黒外套の青年は素早く身体を反転。

 迫る穂先をぎりぎりで避け、長柄の先端を踏み締めて地面に叩きつける。

 槍を手放せなかった槍遣いは、凄まじい力により体勢を崩し、それを整える間もなく鋼の剣に首を刈られる。

 相手が体勢を整える前にと、直剣遣い二人が左右から挑めば、青年は剣から手を離して右の『暗剣』の懐に飛び込み、その顔面に盾を叩き込む。

 鼻とも顔面がひしゃげた彼は悲鳴をあげる余裕もなく怯むと、背後から振るわれた刃に盾代わりに差し出される。

 ブツン!と肉の断たれる音はすれど、それは仲間の身体を裂いた結果に過ぎず、肝心の青年には掠りもしていない。

 青年は盾にした『暗剣』から黒塗りの剣を奪うと、死体となった盾を蹴り飛ばし、再び刃を振るわんとしていた『暗剣』にぶつけて追撃を阻止。

 蹴りの勢いで後ろに転がり、黒塗りの刃の具合を確かめるように軽く一振り。

 納得がいいのか、握り心地がいいのか、彼は満足そうに笑いながら頷いた。

 

「っ!」

 

 その直後。木上に控えていた短剣遣いが音もなく飛び降り、彼の頭上から奇襲をかけるが、

 

「フン!」

 

 青年は気合いの声と共に剣を真上に突き出した。

 そのまま落下の勢いのままに短剣遣いは串刺しになり、がぼりと血の塊を吐いた。

 それを浴びた青年は頭巾の下で表情をしかめるが、すぐに真剣な表情に戻る。

 大きく一歩を踏みこみ、掲げている剣を勢いよく振り下ろす。

 串刺しにされていた短剣遣いが、遠心力に引かれて刃から抜け、闇に身を潜めていた仲間を巻き込んで吹き飛ばされる。

 

「っ!!」

 

 もはや奇襲は不可能と判断した『暗剣』の一人が、じゃらりと音をたてて鎖を取り出し、分銅振り回して勢いをつけてから、黒外套の青年に放った。

 だが音がした以上、それはただの攻撃以外の何物でもない。

 黒外套の青年はそれを半身ずれるだけで避けると、その鎖を片手で掴み、力の限り引いた。

 

「っ!?」

 

 もはや只人(ヒューム)なのかも疑う凄まじい力に引かれ、さながら釣り上げられた魚のように闇から引きずり出された鎖遣いは、黒外套の青年の目の前に倒れた。

 そして起き上がる間もなく、頭蓋を踏み砕かれて絶命。

 その手から鎖を奪った黒外套の青年は、それを回して勢いをつけ始める。

 ひゅんひゅんと音をたて、回転を目で追えたものが、だんだんと残像のみになり、やがて見えない速度にまで達した。

 身構える『暗剣』たちを向け、それは何の予備動作もなく放たれた。

 じゃらりと音をたてて放たれたそれは、矢の如き勢いで夜の闇へと消えていき、パン!と快音を響かせて誰かの頭を弾ける。

 さてこれで何人目だったかと胸中で呟きながら、辺りを見渡す。

 ざっと見て、確認できるのは五人。

 

 ──いかなる状況でも、やれるとは思うな、だったな……。

 

 父をはじめ、多くいる師匠からは、最後の瞬間まで気を抜くなと耳にたこができるほどに言われている。

 神々が振るう骰子(さいころ)の目は、誰にも予測はできず、その結果に抗うのは困難だ。

 最後の最後で気を抜き、致命的失敗(ファンブル)を招くなど愚の骨頂。

『タカの眼』の長時間使用で頭が痛くなってきたが、ここで解けばそれこそ致命的な隙を晒してしまう。

 ゆっくりと息を吸い、ゆっくりと吐く。

 身体から無駄な力を抜き、全身に血を巡らせる。

『暗剣』たちもまた最終攻勢に出んと身構え、じりじりと摺り足で間合いを測る。

 奇襲が無意味であり、技量も相手が勝る以上、こちらが唯一勝っている数で押し潰すしかない。

 この人数で本来の目的を遂げられるかはわからないが、目の前の男を道連れにしなければ、おそらく大変な事態が起こる。

『暗剣』たちはほぼ同時に同じ事を思い、同時に飛び出さんとした瞬間。

 静寂に包まれた森の中に、馬の蹄が地を蹴る音と、馬のいななき声が響いた。

 黒外套の青年がまさかと目を見開き、僅かにそちらに視線を向けた直後、『暗剣』たちが動き出した。

 直剣と曲剣、手斧を携えた三人が僅かに速く、短剣を握る頭目と残りの一人が、その後ろに。

 三人が肉壁となって黒外套の青年の攻撃を止め、残りの二人で刺し違えてでも殺す。

 自分たちは所詮使い捨ての道具。変わりなら、いくらでも用意できるのだ。

 

「っ!構えろ!」

 

 黒外套の青年は誰かに向けてそう叫ぶと、ざっ!と音をたてて右足を引き、地面に踵を沈ませる。

 鋼の剣を両手で握り、身体を捻って力を溜める。

『暗剣』たちが間合いに入る。だがまだだ。

『暗剣』たちが武器を振り上げる。だが早い。

『暗剣』たちが武器を振り下ろ──。

 

「イィィィィィィィイイイイイヤ!!」

 

 その直前。黒外套の青年は怪鳥音をあげながら鋼の剣を一閃し、前衛を務めていた三人の『暗剣』を纏めて両断。

 噴き上がる血飛沫に隠れる残りの二人は、仲間の死体を飛び越えて黒外套の青年を狙うが、

 

「《ルーメン()……オリエンス(発生)……セクィトゥル(従属)》!!」

 

 刹那的に紡がれた真に力ある言葉(トゥルーワード)は、世界の理を改竄する。

 突如として光球が空中に現れ、夜の森の一画を白く染め上げる程の光を放った。

 まさに『光明(ライト)』の術が、超自然の閃光を放って夜の闇を照らしたのだ。

 闇を見通す魔眼でも、突然の光には対応できずに視界が白く塗り潰された『暗剣』たちは、それでも得物を振るって青年を殺めんとしたが、彼は既にそこにはいない。

 それぞれの得物が空を斬った直後、二人の耳にギリリと弦が引き絞られる音が届く。

 どんなに優れた弓の名手でも、相手が見えなければ当たりはしない。

 どんなに優れた弓の名手でも、闇の中を蠢き、こちらが気付くよりも前に接近されては、その弓は飾りにしかならない。

 だが、今は。

 

 ──彼の魔術のおかげで、憎むべき『暗剣』の姿が視界に映っている。

 

 ──彼の働きのおかげで、憎むべき『暗剣』との距離が十分に離れている。

 

 馬上で大弓を構える女上の森人は、胸の内に渦巻く感情を抑えることなく吼えた。

 

「同胞たちの無念、ここで晴らす……っ!」

 

 精霊の末裔たる彼女の怒りに、ざわりと木々が戦慄いた。

 その怒りの込められた一矢は、感情に任せたとはいえ上の森人の一矢に他ならない。

 魔術士が魔術を使う時のように、神官が奇跡を嘆願する時のように、真摯なる想いと魂の込められたそれは、まさに必中。

 音もなく放たれた矢は、大気を切り裂き、その圧力で木々を揺らしながら、狙った標的を穿った。

『暗剣』の一人の心臓を穿って即死させ、もう一人の『暗剣』の胸を穿つ。

 ごぼりと血を吐いた頭目は、それでも青年だけでもと回復した視界に彼を映すが、

 

「……ああ。そこに、いらしたのですね……」

 

 彼はどこか安堵の表情を浮かべ、振り下ろされた鋼の刃を受け入れた。

 肩から心臓にかけてを叩き斬られた勢いのままに膝をつき、とどめの膝蹴りで頭を潰される。

 ぐちゃりと湿った破裂音を伴って、彼の頭は石榴(ざくろ)のように弾け、赤黒い肉片を辺りにぶちまけた。

 ふっと短く息を吐いた黒外套の青年はおもむろに頭巾を脱ぐと、辺りを見渡した。

 動きに合わせて闇の中に関わらず微かに輝く銀色の髪が揺れ、彼の所在を明らかにする。

 そして彼は小さく溜め息を吐き、足元の男に目を向けた。

『タカの眼』を使わなければ見えないが、ここには彼をはじめとして多くの死が転がっている。

 小さく唸った銀髪の青年はゆっくりと瞑目し、自分の胸に手を当てた。

 

「汝らの眠りを妨げる者はなし。眠れ、ここで、安らかに」

 

 静かに紡ぐは祈りの言葉。

 どんな極悪人とて、聖人とて、死に行く時は平等に訪れればのだ。

 その瞬間に敬意を示さぬ者は、きっと人々が忌み嫌う祈らぬ者と違いはない。

 故に祈る。彼らの冥福を、次なる生の平穏を。

 彼が、祈る者(プレイヤー)である故に。

 

 

 

 

 

 そんな夜の死闘から数時間後。

 放棄されて久しいとある街道。

 かつては舗装されていたであろうその道も、今や自然の力に押され、雑草やら花やらが生え、かろうじて道だと言える程度の代物。

 そこを歩いているのは、陽を光を嫌って頭巾を被った銀髪の青年と、その隣で馬に乗っている女上の森人と半森人の少女だ。

 

「……不思議な紋様だ」

 

 ようやく山から顔を出した陽に、『暗剣』から拝借した硬貨(メダル)を重ねて目を細めていた。

 いつぞやの海賊から奪った硬貨にも似たような紋様が刻まれているのは、彼らが同一の何かに属していたという証だろうか。

 むぅ、むぅ、と唸りながら二枚の硬貨を見比べていた銀髪の青年に、女上の森人が声をかけた。

 

「余所見をするな、転ぶぞ」

 

 そんな事をいう彼女も余所見をしているのだが、彼女は馬上。ずり落ちることさえなければ、転ぶことはあるまい。

 肝心の青年は「だがな~」と気の抜けた声を漏らすが、女上の森人の額には汗が浮かんでいた。

 

 ──まさか、『運び手』が殺されていたとは……。

 

 目下の目標として定めていた、この国の海を支配していた私掠船──王に忠誠を誓いし海賊たち──の船長が、もよや死んでいたとは。

 

「せっかく父の故郷に来られたと思ったんだがな……」

 

 当の彼はまた別のことで溜め息を吐いており、その歩調にはあの夜のような迫力はない。

 

「だが、良いのか」

 

 そんな彼に向けて、女上の森人は溜め息混じりに声をかけた。

 銀髪の青年は問いの意味がわからずに首を傾げると、彼女は言葉を付け加えながら問い直した。

 

「大事な目的があるのに、私達に着いてきてよかったのか」

 

「ああ、それか」

 

 銀髪の青年は小さく肩を竦めると、「気にするな」と呟いた。

 

「困っている人を見たら、助けずにはいられない性格でな。それなりに損している自覚はある」

 

「なら、どうして」

 

 彼の言葉に、女上の森人は更に問いを重ねた。

 損をする性格と知っていて、確実に問題になるとわかっていて、番兵殺しまでしたのだ。

 ならもっと深い理由がある筈だと、彼女の頭はそう考えていた。

 だが銀髪の青年はただ笑いながら、こう告げるのみだ。

 

「俺は宿無し放浪者(ワンダラー)だからな。宿のためならどこへでも、だ」

 

 それが真意なのか、嘘なのか、生憎と至高神の神官ではない女上の森人にはわからないけれど。

 

 ──こんな奴に同行を依頼した私も私か……。

 

 そんな彼を一応は信用し、ここまで護衛させたのは自分なのだから、もはや弁護のしようがあるまい。

 前に座る半森人の少女は、ようやくできた友人と一緒にいられて嬉しいのか、幼い顔は上機嫌そうに笑っている。

 この子が笑っている内は、まだ希望が潰えたわけではない。

 

 ──我らと、我らの子供たちの未来のために、この子は必要だ。

 

 女上の森人はそっと半森人の少女の頭を撫で、髪の間を指がするりと抜けていく感覚に微笑んだ。

 少女もまた嬉しそうに身体を揺らし、銀髪の青年はその様子に可笑しそうに笑う。

 陽はやがて天頂にいたり、大地をあまねく照らすことだろう。

 それまでに隠れ家には着けそうだと、女上の森人は口許を笑ませた。

 これなら仲間たちによい報告ができると、むしろ誇らしくもある。

 

 ──だが、まあ、なんだ。

 

 ちらりと銀髪の青年に目を向けて、間違いなく起こるであろう問題の重さに溜め息を吐いた。

 自分とこの子はいいが、果たして仲間たちが彼を認めるかどうか、それが問題なのだ。

 そんな彼女の神妙な様子に気付いた様子もなく、銀髪の青年は呑気に欠伸を漏らしていた。

 ほぼ徹夜で戦い通したのだから、眠くなるのも当然なのだが、今は足を止めるわけにもいかない。

 目的地まで、もうすぐなのだから。

 

 

 




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Memory05 刃を交えて

 港から遠く離れた山岳部。

 国の南東に位置するそこは、何人も近づかぬ霊峰と呼ばれている場所でもある。

 なんでもそこに踏み込んだが最後、まず帰ってこられないからだという。

 おかげで凶悪な魔物でも住み着いているだとか、死した者たちの怨念が溜まっているだとか、ろくでもない噂が国中に広がっているのだとか。

 そんな山岳部に突如として現れるのは、巨人が山を叩き割ったのではとさえ思える、深い谷。

 真昼までも暗いその谷底には細い川が流れ、その脇には申し訳程度に整えられた道が伸びる。

 人どころか生物の気配すらないそこを進むのは、一人の男に引かれた馬。

 背には女上の森人と半森人の少女を乗せ、鞍につけられた籠には『暗剣』から拝借した武器が押し込められている。

 その馬を引く銀髪の青年は、目深く被った頭巾の影から谷を見上げ、本日何度めかの溜め息をこぼす。

 谷底故に暗く、吹き抜ける風も強烈なのだが、彼はそんなものを気にした様子もなく再び息を吐く。

 目を凝らせばわかる、山の断面に残る幾重にも分かれた層。

 長い年月をかけて降り積もった塵が、やがて山となるまでの軌跡。

 父や母も似たようなものを見たそうだが、きっと同じ事を思っていた筈。

 

 ──すごい。

 

 そう、その一言に尽きるのだ。

 更地から山が出来るまでは、定命(モータル)な自分では見ることは叶うまい。

 自分の血が欠片も残らないほど遠くの子孫が、ようやく見られればきっと幸運とさえ思える。

 

「……いつまでそうしているつもりだ」

 

 ただじっと上を見ながら歩く彼に、女上の森人が溜め息混じりに告げた。

 半森人の少女も彼を真似て谷を見上げているのだから、その言葉は彼女にも向けられているのだろう。

 女上の森人が「なあ?」と苦笑混じりに見下ろしてみれば、緋色の瞳と視線が合い、半森人の少女はにこりと微笑んだ。

 

「別にいいだろう。珍しいものを見て何が悪い」

 

 銀髪の青年は肩を竦めてそう言うが、流石に首が疲れたのか正面へと向き直った。

 暗い谷の奥に何があるのかはわからないが、彼女が示した目的地なのは確かだ。

 

「それで、あとどれくらいだ」

 

 夜に『暗剣』を迎え撃ち、そのまま寝ずに逃亡を開始。

 森人二人は一晩中馬に揺られていて、それもそれで疲れるかもしれないが、銀髪の青年も一晩中歩き通し。

 つまり途中で仮眠を取った半森人の少女を抜きにした二人は、それなりに限界が近づいていた。

 銀髪の青年はまだ余裕そうではあるが、負傷した女上の森人に関しては強がっているだけで、倒れてしまっても不思議はない。

 彼女は二人に気付かれないように深呼吸をして、額に浮かぶ汗を拭う。

 

「ああ、もうすぐの──」

 

 そして彼の問いに答えようとした間際のこと。

 不意に銀髪の青年が足を止め、腰に帯びる剣へと手を伸ばした。

「どうした」と辺りを警戒する女上の森人の声は、果たして彼には聞こえているだろうか。

 今の彼に聞こえているのは、四方八方から聞こえる囁き声だけだ。

『暗剣』との戦いで嫌になるほど聞いたそれが、再び彼の脳に叩きつけられる。

 彼は溜め息混じりにタカの眼を発動し、周囲に潜む敵を探して辺りを見渡した。

 岩の影や、谷の壁に隠された穴、あるいは背後の隠し通路から、幾人かの赤い人影がこちらの様子を探っている。

 

「何か恨まれることをしたか……?」

 

 銀髪の青年は頭巾の下で目を細めながら、ぼそりと呟いた。

 隣の女上の森人には聞こえたのだろう。笹葉のように長く鋭い耳を揺らし、「昨晩の大立ち回りを忘れたか」と返して後方を警戒し始めた。

 昨晩に生き残りがいて、ここまで尾行してきたとなると、何がなんでも抹殺せねばならないと、彼女はそう思っているのだろう。

 背の大弓に手を伸ばし、それを構えんとすると、銀髪の青年は「そっちじゃない」と肩を竦めた。

 

「なんだと」

 

 女上の森人は彼の言葉に眉を寄せ、「ならばどこだ」と重ねて問うた。

 銀髪の青年は『なぜ気付かない』と言わんばかりの視線を彼女に向けるが、半森人の少女が訳もわからずに辺りを見渡していることに気付き、苦笑を漏らす。

 いきなり足を止めたのだから、不思議がるのは当然のこと。

 ならば幼子の疑問を解消してやるのも、年上の責務というものだ。

 

「いい加減出てこい!こそこそ見られるのは好きじゃない!」

 

 腹に力を入れて発した言葉は、谷間であることも合わさって思いの外大きな音となり辺りに響いた。

 その声量に女上の森人と半森人の少女は耳を塞ぎ、発した本人でさえ耳鳴りに眉を寄せるほど。

 やがて岩影からも苦しそうな呻き声が漏れ始め、幾人かの森人が我慢できずに姿を現した。

 正面奥の岩に三人。背後に二人。頭上にも二人。それぞれが弓を構え、既に矢は番えられている。

 それでもまだ何人かは隠れているから、それは森人ではないのかもしれない。

 

 ──あるいは、こういった事に慣れているだけか。

 

 銀髪の青年は表情を真剣な面持ちを崩さず、警戒を緩めることもない。

 耐えられずに飛び出してきたのは、森人からすれば未熟者だとして、出てこなかったのは森人以外か一人前の森人。

 相手するのも億劫になる相手が複数いて、こちらは隣の馬を守りながらの戦闘を強いられる。

 彼らは敵意剥き出しで、何なら上も背後も取られて形勢は不利。相手には地の利もある。

 ここで勝負するのは勇敢と無謀の違いも知らぬ阿呆か、己の力を過信している阿呆のいずれか。

 そのどちらにもならないように努めている青年にとって、今こそが我慢の瞬間だった。

 無意識に浮き上がる手汗をそのままに、剣の柄を握る手にそっと力を入れる。

 相手に気取られずに、いつでも抜けるように身構えた。

 相手が森人なら警戒すべきは弓だ。相手の膂力にもよるが、掠めただけで腕がもげることもあるのだ。

 

 ──博打を打って完璧に受け流す(クリティカル)か、無難に避ける(和マンチ)か。その二択だな……。

 

 父や母なら有無を言わずに避けるだろうし、師匠たちも一部を除いて避けるだろうが、まずは()ってくるかが問題だ。避ける以前に攻撃が来なければ意味はない。

 今は矢を番えられただけ。まだ警戒体勢(黄色信号)といったところ。

 さてどうしたものかと思慮し、敵ではないことを説明することが最優先だなと決めた銀髪の青年が、口を開こうとした矢先のこと。

 

「待て、この者は敵ではない」

 

 彼よりも一瞬早く、女上の森人が口を開いた。

 馬に乗ったままではあるが真剣な面持ちで、その声には森人を統べる王族としての迫力というものをひしひしと感じられる。

 台詞を取られた銀髪の青年は小さく肩を竦め、とりあえず彼女に一任。

 視界の端でそれを捉えた女上の森人は、前に座る半森人の少女の髪を撫でた。

 少女はくすぐったそうに身動ぎするものの、嫌ではないのか抵抗する素振りは見せず、むしろ心地よさそうに目を細めているほど。

 そんな少女の表情を見下ろしながら、女上の森人が告げる。

 

「この者はこの子の奪還に協力し、その後の追撃さえも退けてくれた。彼が我々の協力者であることは、我が真名(まな)に懸けて誓おう」

 

 凛とした彼女の声が、緊張と静寂に包まれている谷間に静かに響く。

 不思議と頭の奥底まで届くそれは、緊張した面持ちで弓を構えていた森人たちの表情を和らげ、僅かに弓が下がる。

 大丈夫そうだなと、銀髪の青年が安堵混じりに溜め息を吐き、剣から手を離した時のことだ。

 びゅうと空気が唸る音と共に、一迅の風が谷間を吹き抜けた。

 強烈な谷間風はそこにいる者たち全員の衣装を揺らし、驚いた馬がいななくほど。

 その瞬間、ひとつの不運(ファンブル)が青年に振りかかった。

 

 ──風に巻き込まれた頭巾がするりと脱げ、青年の顔を森人たちに露にしたのだ。

 

 ぎょっと目を見開いたのは、森人たちも女上の森人も同じ事。

 彼らは和らいでいた表情に憤怒の面持ちを貼りつけ、再び矢を構えた。

 

「……なにか恨まれることをしたか?」

 

 銀髪の青年が身構えながらの問いかけに誰も応じてくれる様子はなく、一人の女森人が声を張り上げた。

 

「姫様、離れてください!その男は只人(ヒューム)です!」

 

「そんなものは見ればわかる!待ってくれ、いま説明を──」

 

 そして今にも矢を射らんとする森人たちに、女上の森人は焦りのままに声を張り上げるが、流石の彼らもこの状況では聞く気はないようだ。

 敬愛する姫君の隣に、憎むべき只人が並び立っているこの状況が、何より彼らの怒りを買っている。

 銀髪の青年は辺りを解決策を探して頭を働かせるが、彼らは話を聞いてはくれないだろう。

 

 ──だが、話さない訳にはいかないか。

 

 銀髪の青年はここを力ずくで突破するよりも、流血なしで切り抜ける選択を取った。

 下手に戦闘をすれば、まだ身を潜めている彼らに横槍を入れられて殺られる可能性が高い。

 何より今後のことを考えれば、この訳もわからない誤解は解いておかねばなるまい。

 

「俺は──」

 

 そして簡単な自己紹介でもと口を開いた瞬間、弓の弦が弾ける音が鼓膜を揺らした。

 それを感じたと同時。瞬き一つにも満たない刹那的な時間で、矢が青年へと到達した。

 だが、青年も形だけ身構えていたわけではない。

 

「ッ!」

 

 剣を握った勢いで抜刀一閃。

 暗い谷間を一条の銀光が駆け抜け、放たれた矢を空中で撫で切った。

 キン!と鋭い金属音と、ばきっ!と枝が折れる乾いた音が谷に木霊した。

「なっ」と驚愕の声を漏らした女森人は、すぐさま次を番えるが、彼女が矢を放つよりも速く動いた人物がいた。

 

「待て、射つな!」

 

 馬から飛び降りた女上の森人だ。

 彼女は銀髪の青年と正面の森人らの間に割って入り、その身を盾に差し出したのだ。

 

「そこを退いてください!どこの誰かも知らぬ者を、その先に通すわけにはいきません!それが、只人であるのなら尚更です!」

 

 けれど女森人は退く様子を見せず、矢を番えたまま吼えた。

 銀髪の青年は弦が引かれる音が微かに聞こえ、四方八方から向けられる殺意に嘆息。

 只人だからとこんなに殺意を向けられるとなると、言葉を交わした程度で武器を下げてはくれないだろう。

 正面は彼女に任せるとして、背後や頭上の彼らは果たしてどうしたものか。

 この際、背後の二人を蹴散らして逃げてしまおうかと頭の片隅で思い始めた頃、正面の森人たちの背後から近付いてくる人影を見つけ、目を細めた。

 森人や只人にしては小さいが、鉱人(ドワーフ)のように恰幅がいいわけでもない。

 

「いい加減、落ち着いたたらどうだ。中まで響いているぞ」

 

 ぺたぺたと素足が岩を踏む音と共に聞こえてきたのは、幼さを感じる男の声だ。

 銀髪の青年が身体を傾け、女上の森人の影から声の主へと目を向けた。

 そこにいたのは金色の髪と、血のように赤い瞳の子供。

 身の丈の倍はありそうな薙刀(グレイブ)を肩に担ぎ、最低限しか整えられていない砂利道を、素足のままで歩いてくる。

 

 ──圃人(レーア)か……。

 

 銀髪の青年は数度瞬きすると、小さく溜め息を漏らした。

 背丈も自分の胸ほどで、顔こそは凛としているものなどこか幼く、声も声変わり前のそれのように高い。

 だが、あの瞳はなんだ。血のように赤い瞳には冷たい輝きが宿り、全てに対して無関心なようにさえ見える。

 基本的に温厚で、畑仕事をしながら一日のほほんとしている圃人が、あんな冷たい目をするなど、何があったのか。

 そんな疑問を抱きながら、けれどそれを口と表情に出すことはなく、銀髪の青年はじっと金髪の圃人を見つめた。

 彼も青年からの視線に気付いてか、僅かに目を細めて睨み返す。

 

「それで、これはどういう状況だ?」

 

 薙刀をくるりと回し、石突きで地面を叩いた彼は、辺りを見渡して肩を竦める。

 彼の登場は女上の森人にとっても想定外だったのか、狼狽えたように僅かに後退る。

 金髪の圃人に説明しようと、森人の一人が口を開こうとするが、「いや、言われなくてもわかる」と告げて槍の切っ先を女上の森人と、その背後の銀髪の青年に向けた。

 

「敵を招き入れたわけか。森人の王族も堕ちたものだな」

 

「っ!待て、私の話を」

 

「話を聞いてくれ?何度もそう言っているみたいだが、多数派はこちらのようだが」

 

 女上の森人の言葉を遮った彼は僅かに重心を落とし、薙刀を両手で握った。

 そして両足の指を地面にめり込ませて力を溜め、解放。

 爆音を響かせて地面を割りながら、その場から飛び出した。

 彼と銀髪の青年の間に入っていた森人たちは慌ててその場から飛び退くが、女上の森人は避ける素振りを見せない。

 

「姫様?!」

 

 先程まで睨みあっていた女森人が、悲痛なまでの声音で叫んだ。

 あの人ならば避けると、避けられると、信じていたのだろう。

 だが事実彼女は避ける素振りを見せず、肉壁として立ちはだかったままだ。

 

「……」

 

 突貫した金髪の圃人は僅かに目を伏せるが、止まるどころか減速することなく、背後の青年諸とも貫かんと、女上の森人に向けて槍を突き出した。

 彼なら止まってくれると信じていたのか、女上の森人の表情もまた驚愕に染まっている。

 馬上に留まっていた半森人の少女は音にならない悲鳴をあげ、森人たちも止めようと走り出すが、もう遅い。

 槍は既に放たれ、後は彼女諸ともに銀髪の青年を貫くのみ。

 女上の森人は来る痛みに備えて、身体を強張らせた直後、背後から首根っこを捕まれ、凄まじい力に引かれて投げ飛ばされた。

 

「へ……」

 

 突然の浮遊感に間の抜けた声を漏らした直後、どぼんと川に落ちる音と、金属同士がぶつかり合う甲高い音が、谷に響き渡った。

 

「へぇ……。止めるのか……」

 

 金髪の圃人は感嘆にも似た声を漏らし、女上の森人を投げ飛ばした挙げ句、剣で自身の薙刀を受け止めた銀髪の青年を睨み付けた。

 銀髪の青年は槍を弾かず、かと言って押し込まれずの絶妙な力加減で競り合いながら告げる。

 

「出来れば槍を納めて欲しいんだが。戦う理由もないだろう」

 

「戦う理由、か。確かにキミにはないだろう」

 

 いくら押してもびくともしない状況に嫌気が差してか、金髪の圃人は薙刀を引いて後ろに飛び退くと、それを肩に担ぎながら告げた。

 

「だが、俺にはある。同胞たちの命がかかっているんだ」

 

 ぐっと長柄を握り直した彼は再び構え、射殺さんばかりの眼光を銀髪の青年へと向ける。

 まるで追い詰められた獣か、あるいは子を守らんとする獣の親のような、鬼気迫る重圧が、小柄な彼を大きく見せる。

 並の戦士なら萎縮し、戦意が折れるほどの重圧を受けてなお、銀髪の青年は怯まない。

 鋼の剣を構えたまま、蒼い瞳に金髪の圃人を映し、同時に四方八方から向けられる殺意に対しても警戒を緩めない。

 ただ立っているだけでも神経をすり減らす状況ではあるが、銀髪の青年にとってこの状況はひどく懐かしいとさえ思える状況だ。

 

 ──父さんとの訓練を思い出す……。

 

 夜の森の中、本気で身を隠(スニーク)した父からの奇襲(暗殺)を防ぎ続ける。

 あれに比べれば、どこから来るのかがわかる以上楽なのだ。

 

 ──だが、いい状況でもないな。

 

 目の前には強敵。退路なし、進路なし。

 壁を登ろうにも高すぎるし、目の前の圃人に背を向ける訳にはいかない。間違いなく殺られる。

 

 ──なら、どうする。

 

 銀髪の青年は無言で、構えをそのままに打開策を探り、頭を働かせた。

 説得は無理。突破も出来なくはないだろうが、お互いに無事では済まない。

 

「ひ、姫様!姫様?!ご無事ですか!?」

 

 幾人かの森人が、川に投げ込まれた女上の森人を助けようと集まっているが、それでも後方の二人は動かない辺り、やるべきことを把握しているのだろう。

 仕事熱心な父ですら、家族を最優先にして訳もわからない──けれど後に意味をなす──ことをしでかすというのに。

 その父も言っていたが、私情に振り回されない者を相手にするのは、かなり面倒だ。

 成すべきことを成すために全力を懸ける相手ほど、倒れないのだとか。

 深々と溜め息を吐いた銀髪の青年は、金髪の圃人に問うた。

 

「それで、なぜ殺意を向けられていて、話さえも聞いてくれないんだ?」

 

 青年は小さく肩を竦めると、自分の身体を見ながら「只人だからか?」と付け加えた。

 その問いに「わかっているじゃないか」と笑った金髪の圃人は、ぶん!と勢いをつけて薙刀を振り、空気を切り裂きながら構えを変える。

 姿勢を低く、同時に薙刀も低く、さながら牙を剥き出しにした獣が、獲物に飛びかかる直前のように、隙もなく。

 銀髪の青年はまともに話も出来んと舌打ちを漏らし、剣を構えた。

 彼の薙刀の高さに合わせて、切っ先を下に向けた下段構え。

 何をしてこようが真正面から叩き斬れとは、果たしてどの師匠の言葉だったか。

 だが今は叩き斬るのではなく、どうにか無力化するのが最優先。

 先の一手のみの手合わせで、殺す気で行くのがちょうどいいことはわかったものの。

 

 ──本当に殺してしまえば、終わりだな……。

 

 彼を殺してしまえば、彼らとの和解はなし得まい。

 殺す気でなければ勝てない相手に、殺さないように勝たねばならぬとは、自分で言っておいて矛盾だらけだと僅かに苦笑。

 

「この状況でも、笑えるか」

 

「どうにもならない気がしてな……」

 

 金髪の圃人の責めるように目を細めながら投げられた言葉に、銀髪の青年は溜め息混じりに肩を竦めた。

 

「あんたらの拠点とやらの、大体とは言え位置を知った以上、逃がしてはくれないんだろう?」

 

「当然」

 

「かと言って、俺はあんたと戦いたくはない」

 

 どうしたものかなと呟きながら首を傾げた途端、金髪の圃人が視界から消えた。

 いや、その表現では語弊があるか。彼はその小さな体躯を生かし、銀髪の青年の死角となる近くの岩影に飛び込んだのだ。

「む……」と小さく唸った銀髪の青年を中心に、無秩序に並ぶ岩石の影を、小さな影が疾走する。

 正面からのぶつかり合いを避けるのは、先の打ち合いによる判断だろう。

 純粋な力比べで圃人と只人、どちらが上かなぞ火を見るよりも明らかだ。

 素の筋肉量の差。

 骨格の差。

 手足の長さにより、致命的なまでの間合いの差。

 圃人として産まれた以上、努力だけではどうにもならないものを、肉体的な悪影響(ハンデ)を埋めるには、どうするのか。

 

 ──まずは今の身体を限界まで鍛えること。

 

 届かないとわかっていても、それはやらない事の言い訳にはならない。

 届かないからこそ、その差を僅かでも埋める努力を怠ってはいけないのだ。

 

 ──地の利を生かすこと。

 

 生物の目は大体が二つだ。

 首の稼働域の都合上、見ることのできる範囲は限られ、どこかを見れば違う何かを見逃すのは当然なのだから。

 この体躯だからこそ、隠れる事ができる場所を探せ。

 足の速さを生かし、そこに飛び込め。

 

 ──走り続けろ。

 

 的を絞らせないよう、動き続けろ。

 相手の隙を探り、意表を突け。

 赤い軌跡を残しながら疾走する金髪の圃人の動きを観察する銀髪の青年は、果たしてどこまで目で終えているのだろうか。

 決して背を向けないよう、忙しなく軸を合わせ、頭を巡らせ、常に軌跡の先端を視界に納める。

 裸足で岩を蹴る不思議な音を聞きながら、けれど森人たちへの警戒を緩めているわけではない。

 視界では赤い軌跡を納め、『眼』では他の敵意を感知し、常に剣を振れるように意識をしつつ。

 

「……」

 

 銀髪の青年は額に流れる汗を拭う暇もなく、ふっと小さく息を吐いた。

 直後、赤い線が突然点へと変わり、銀髪の青年は反射的に刃を振るった。

 胴を貫かんと放たれた刃を、耳障りな金属が擦れる音と、激しい火花を散らしながら鋼の剣の刃で受け流す。

「へぇ」と金属の圃人の感嘆の声が耳元を掠め、赤い軌跡は岩に当たると共に、その岩を砕きながら跳ね返ってくる。

 くるりと薙刀を回転させ、大上段から振り下ろす。

 

「っ!」

 

 銀髪の青年はその速度に目を見張るものの、すぐに半歩左に避けて刃を避ける。

 相手を失った薄い刃は、さながら戦鎚を振り下ろしたように容易く地面を砕き、舞い上がる砂塵と礫が二人に小さな傷をつけた。

 だが、まだ金髪の圃人の行動(アクション)は終わっていない。

 振り降ろした薙刀をそのままに、腰に帯びていた短剣を引き抜き、長柄を足場に踏み込み。

 半月の軌跡を描く銀閃と共に刃が振るわれ、銀髪の青年は剣を縦に構えてそれを受け止めた。

 ガギャン!と重々しい音と共に、銀髪の青年は両足を地面に擦りながら数歩分後退。

 空中で短剣を納めた金髪の圃人は、着地と同時に地面にめり込んだ薙刀を引き抜いた。

 その勢いを乗せて頭上で回転させ、発生した遠心力に乗って身体を回転。

 長柄を身体に巻き付けるように中段構えへと移行し、真一文字に一閃。

 圃人にとっては腰の高さでも、只人からすればそれはおよそ太腿から膝の辺り。

 

「……!」

 

 屈んで避けるにも低く過ぎるし、跳んで避ければ最後、追撃で死ぬことになるだろう。

 故に選択肢は防御一択。

 銀髪の青年は剣の切っ先を地面に突き立て、足を両断せんとした刃を受け止めた。

 甲高い金属音が谷に木霊し、睨み合う蒼と赤の瞳がゆっくりと細まる。

 互いの刃が同時に引かれ、そこから始まるは金髪の圃人による一方的な連撃だった。

 縦横無尽。小さな体躯の全てを使い、足の指で地面を掴み、腰の動きから腕の動き、全てを使って薙刀を振るい、振り抜いた勢いのままに更に一閃。

 一閃が次の一閃を呼び、その勢いは振るわれるごとに増していく。

 その全てが必殺(クリティカル)。本来であれば、三手もいらずに相手を両断している筈の、必殺の連撃を前にしても、それでもなお銀髪の青年は倒れない。

 ただの鋼の剣でもって、大岩を砕くほどの一撃を防ぎ、あるいは受け流し、けれど反撃することはなく。

 断続的に続くのは金属音のみで、肉が裂け、骨が断たれる異音が混ざることはない。

 

「……」

 

 そしてそれを見る彼らもまた、横槍を入れることはない。

 さながら演舞のような二人のやり取り(命の奪い合い)を、魅入られたようにその場から動かずに見つめるのみだ。

 それが数分続いても、二人の呼吸は乱れる様子もなく、むしろ応酬の速度が増していくほど。

 舞い散る火花が谷の暗闇を照らし、闇に塗りつぶされた二人の戦士の戦いに、橙の色を加える。

 力任せにぶつかり合っていた金属音が、段々と楽器を鳴らしたような澄んだ音へと変わり始め、二人の立ち回りからも段々と無駄がなくなっていく。

 それ故だろうか。二人は一切の疲労を見せず、かと言って力を抜いているわけでもない、本人たちにとっても不思議な状態へと至っていた。

 二人の打ち合いは終わる気配を見せず、このまま日が沈むまで続くかと思われたその戦いも、突然終わりを告げた。

 

 ──打ち合っていた銀髪の青年の剣が、無惨にも砕け散ったのだ。

 

「っ!?」

 

 歯こぼれした形跡も、折れるような素振りもなかったというのに、突然の限界。

『暗剣』と戦ってからというもの、まともな手入れもなしにこの打ち合いだ。ただの鋼の剣で、耐えられるわけもない。

 ぎょっと目を見開いた銀髪の青年は、振り下ろされる薙刀を見つめながら、力の抜けた──ある意味では間の抜けたようにも見える──笑みをこぼした。

 もはや意味をなさない剣の柄を落とし、振り下ろされる刃に向けて、両手を差し出す。

 盾変わりにしたところで意味はない。あの刃であれば、腕の二本程度、雑作もなく両断する事だろう。

 

 ──そう、人の腕であれば。

 

 女上の森人と、半森人の少女が声にならない悲鳴をあげた直後、響いたのは肉の断つ音ではなく、甲高く澄んだ金属音だった。

 次に目を見開いたのは金髪の圃人。いいや、彼だけではない。

 その場にいる半森人の少女を除いた全員が一様に驚き、声を失っていた。

 銀髪の青年の籠手の内側から、細い刃が飛び出し、ばつ字に重ねて薙刀を受け止めているのだ。

 

「づ……っ、うぅ……!」

 

 だがその衝撃は凄まじいものだったのか、彼は骨が軋む痛みに唸りながら、地面にめり込んだ両足を踏ん張って倒れないように気合いを入れる。

 彼の両足を中心とした蜘蛛の巣状の罅が広がり、先の一撃にどれ程の力が込められていたのかを顕著に示す。

 

「それを、どこで……」

 

 だが、そんなものはどうでもいいのだろう。

 金髪の圃人は困惑の表情をそのままに、もはや敵とは関係なしと言わんばかりに問うた。

 ゆっくりと薙刀を引いた彼は、「どこで、それを手にいれた!」と僅かに興奮しながらも彼へと詰め寄った。

 銀髪の青年は突然の変わりっぷりに困惑しながら、痺れる小指に喝を入れ、無理矢理に動かした。

 シャ!と微かに刃と鞘が擦れる音と共に納刀した彼は、「これか……?」と呟いて籠手越しに鞘を撫でた。

 

「父から、成人祝いに渡されたものだ。これがどうかしたのか?」

 

 彼は何て事のないように、けれどどこか誇らしげに語った言葉に、金髪の圃人をはじめ、亜人(デミ)たちは顔を見合わせた。

「あれは、まさか」だの「いや。そんな、しかし……」だのと、明らかに困惑しているのがわかる。

 

「……」

 

 無言で首を傾げる銀髪の青年を他所に、彼らは数人の見張りを残して一ヶ所に集まり、何やら囁きあっている。

 

「っ!……っ!」

 

 一人残された銀髪の青年が頭上や背後にいる見張りの森人に警戒していると、ぱたぱたと足音をたてて半森人の少女が駆け寄ってきた。

 彼女はぺたぺたと彼の身体に触れて、『大丈夫?』と言わんばかりに顔を見上げてくる。

 小さく微笑んだ銀髪の青年は汗で張り付く肌着の感触を気持ち悪く思いながら片膝をつき、「大丈夫だ」と告げて少女の頭を撫でた。

 声もなく、けれど嬉しそうに笑う彼女の表情に、多少ながら癒されながら、銀髪の青年はホッと一息。

 そして後頭部に突きつけられた薙刀の切っ先をそのままに、振り向くことなく「俺の処分はどうなった」と問いかけた。

 

「とにかく、話を聞かせてもらう。その子が懐いているのなら、少なくとも今は(・・)敵ではないだろう」

 

 一部を嫌に強調しながら、けれど先程よりかは敵意を抑えられた言葉。

「そうか」と相変わらず振り向かずに頷いた彼は、ちらりと女上の森人に視線を向けた。

 ずぶ濡れになった彼女は恨めしそうにこちらを睨んでいるが、助けてやったのだから恨みっこはなしにして欲しい。

 銀髪の青年は小さく肩を竦めると、少女を撫でるのを止め、その場から立ち上がった。

 敵意なしの証明のために両手を挙げながら、ゆっくりと振り向く。

 鼻先に置かれた薙刀の切っ先を睨みながら、苦笑。

 

「それで、一応は敵ではなくなったか?」

 

「敵ではないが味方でもない。というのが、キミのたち位置になるかな」

 

 対する金髪の圃人も形だけの笑みを浮かべ、肩を竦めた。

 それと同時に薙刀を振り上げ、その勢いのままに肩に担ぐ。

 

「着いて来てくれ。怪しい行動をすれば、斬る」

 

 貼り付けた笑顔をそのままに、なんとも恐ろしいことを告げた彼に、銀髪の青年は「おお、怖い」とわざとらしく震えながら返した。

 森人たちに守られるように囲まれた女上の森人は、額に手をやりながら天を仰いだ。

 青空に黒い点となっているのは、彼について回る鷲だろうか。

 

 ──呑気なものだな……。

 

 鳥に愚痴をこぼしたところで意味もないのだが、女上の森人は胸中で愚痴らずにはいられなかった。

 

 

 

 

 




ここまで読んでいただき、ありがとうございます。EGOです。

ここからは割りと重要なお知らせ。

今後の展開はそれなりに決まっているのですが、如何せん情報、及び資料不足感が否めないのが現状です。
やりたいことがあっても、出来ないもやもや感。
あるかもわからない魔術や、奇跡ありきでのストーリー進行は、流石に危険な気がして足踏み状態。

なので、誠に勝手ながら、五月中旬頃に発売される『ゴブスレTRPGサプリメント』を購入してから、次回を更新していこうと思っております。

それまではR-18版を中心に、ダイ・カタナ編にも手を出す予定です。

こちらの更新がだいぶ先になってしまいますが、ご了承ください。


感想等ありましたら、よろしくお願いします。



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Memory06 状況確認

 金髪の圃人に先導されて通された洞穴。

 高さは只人である銀髪の青年が直立してもまだ余裕があるものの、横幅は三人も並べば埋まってしまうほどに狭い。

 簡単に道を舗装する板や、壁や天井を補強の木材などは剥き出し。

 けれどどの木材も朽ちたり、痛んでいたりする様子はなく、頻繁に点検や交換をしているのが見て取れる。

 それでも足場が不安定で、道も狭いとなると、少人数が駆け抜けるだけなら良さそうだが、怪我人を担いで駆け込む時は難儀しそうなものだ。

 自然にできたものではなく、誰かが乱暴に放り抜いたのだろう。

 ただ通れるようにだけ用意されたここは、洞穴ではなく隠し通路の類いだ。

 

「……」

 

 その中を進む銀髪の青年は、周囲を囲む森人や、鼻先に突きつけられた薙刀の切っ先を見つめながら溜め息を漏らす。

 一応敵意は薄まったとはいえ、ここまで露骨に警戒されると言うのは初めてのことだ。

 依頼で赴いた村でさえも、ここまで酷い扱いはされない。

 冒険者制度のない国というのは、まことに面倒くさい。

 相手がこちらを怪訝に思い、敵意を剥き出しにしているとなれば尚更だ。

 切っ先をずらしてもいいのだろうが、そんな事をすれば戦闘が再開されるのは目に見えている。

 今回は至近距離で包囲され、全員が武器を構えているこの状況での再開は、文字通り死に直結するだろう。

 

 ──何事も我慢が大事、か。

 

 時と場合によるが、一晩中その場から動かずに相手を監視するということもあるのだ、このくらいがなんだ。

 銀髪の青年は僅かに動きかけた手を律し、その変わりに再びの溜め息。

 ちらりと背後に目を向ければ、馬を引いている女上の森人と、彼女と手を繋いでいる半森人の少女の姿がある。

 他の森人も近くにいる為か、少女はご機嫌そうにスキップしている姿は、こうして見ている分には微笑ましい。

 

 ──武器と殺意を向けられていなければ、だが……。

 

 その微笑ましさも辺りを囲む武具の煌めきにより、相殺されるどころか完全に無くなっているのだが、何かしらで気をそらさなければ嫌になる。

 

「何をしている」

 

 そうしてほんの数秒だけ後ろを向いていた為か、真後ろにいた森人が瞳を鋭く細め、冷たい声色で問うてきた。

 返答次第では斬ると言わんばかりの迫力だが、銀髪の青年は怯む様子もなく肩を竦める。

 

「首の運動だ」

 

 彼はそう言うと首を曲げ、ごきごきを音を鳴らした。

 その返答が正解だったのかはわからないが、当の森人はふんと鼻を鳴らし、後方を歩く女上の森人と半森人の少女へと意識を向けた。

 その隙に前に向き直った銀髪の青年は、目の前で揺れる切っ先を無視して金髪の圃人の小さな背中に問うた。

 

「あと、どれくらいだ」

 

「もうすぐだ。前が見えないのか?」

 

 背中越しに促されるがまま、彼から視線をずらして暗闇の奥へと目を向けて見れば、小さな光がこぼれているのが見えた。

 それなりに歩いているから、既に山の一つや二つを越えているように思う。

 歩いている感じと、目的地の感じからして、地下に潜っていることはないとは思うが……。

 その疑問に小さく唸った彼はその光へと意識を向けた。

 形が曖昧だった光が四角形となり、その明るさもだんだんと強くなっていく。

 

「さあ、ここだ」

 

 不意に立ち止まった金髪の圃人は、身体ごと振り向きながらそう告げた。

 そして改めて銀髪の青年の顔を見上げ、暗い洞穴の中でも仄かに輝く蒼い瞳をじっと睨む。

 

「この先が俺たちの拠点だ。ここに入れば最後、この国での安泰はないと覚えておいてくれ」

 

「もう安泰も何もないと思うんだがな」

 

 彼の言葉に銀髪の青年は肩を竦めた。

 衛兵殺し。

 おそらく違法である亜人(デミ)の擁護。

 そして、これまた憶測だがこの国の、それもかなり上の立場の何者かに属する暗部組織との衝突。

 自分で自覚があるだけでも、この国に来て半日ほどでやらかした犯罪はこの程度。

 この国独自の法があるとすれば、さらに増えていくこともあり得る。

 一応顔がばれていないのだけが救いだか、それも時間の問題だろう。

 どこからか情報は漏れるだろうし、あの暗殺者に生存者がいればまず間違いない。

 全滅させた筈ではあるが、自分や父のように何かと視覚を共有する力を持つものがいないとも限らない。

 

「だから、大丈夫だ」

 

 その言葉に込められたものは、覚悟と言うよりは後ろ向きで、あまり好ましいものではない。

 諦め、と言う方が正確で、もう引くには何もかもが遅すぎると、割りきってしまったのだろう。

 後悔はない。自分が正しいと思ったことを、国が変わっても貫いただけのこと。

 金髪の圃人は「そうか」と頷くと、「なら、こっちだ」と光の向こうへと歩き出す。

 それに続いて銀髪の青年も歩きだし、その後方に森人や女上の森人、半森人の少女、馬が続く。

 暗い洞穴から、光に溢れるその先へと、全員が足を踏み出した。

 それと同時に(まばゆ)いばかりの光に視界を封じられ、手で目を庇った銀髪の青年を他所に、慣れているのか気にした風もない森人らは、改めて彼を囲んだ。

 女上の森人は改めて半森人の少女を馬に乗せると、優しく微笑みながら「疲れていないか?」と問うた。

 銀髪の青年同様に目をやられている半森人の少女は、目をぎゅっと閉じ、どうにかしぱしぱと瞬きしながら、こくりと頷く。

 そしてどうにか視界が回復した銀髪の青年が手を降ろし、ゆっくりと目を開けた。

 同時に目を見開き、思わず感嘆の息を漏らす。

 さながら山の中身をくり貫いたようにも見えるそこは、どうやら古い遺跡のようだった。

 大きめの街ほどはありそうな遺跡には石作りの建物や、支えるものを失った柱が点在し、苔が生え、蔦が巻き付いている。

 天井の岩肌は各所に穴が開いて吹き抜けになっていることでそこから陽の光が差し込み、地下水が川となって流れているため、ある程度植物が育つ環境が整っていたのだろう。

 そしてそんな陽の光に照らされる遺跡は、一度は失われた筈の活気に満ちているのだ。

 右を見れば建物を補修する鉱人の姿があり、左を見れば吹き抜けの一角を利用した畑を耕す圃人の姿がある。

 じっと目を細めて遠くを見れば複数人の蜥蜴人が訓練に励んでいたり、森人が集まってくる子供を相手に何かを歌っていたりと、それなりに活気があるようだ。

 何より目を引くのは、正面奥に鎮座する一際大きな建物。

 遺跡となったこの街で、かつては(まつりごと)の中心だった場所だろうか。

 かつては何の種族が住んでいたのかは知るよしもないが、どこを見ても港町とは対照的に只人の姿はなく、むしろ銀髪の青年に気付いた幾人かがぎょっと目を見開いて驚きを露にしているほど。

 それもすぐに好奇や軽蔑の視線へと変わり、大人たちからは隠す気もない敵意を向け、子供たちを物影や自分の影へと隠してしまう。

 その場に立ち尽くしていた銀髪の青年が居心地悪そうに身動ぎすると、「早く歩け」とその肩を森人が押した。

 押されるがまま前に出た青年を他所に、女上の森人はホッと安堵の息を吐き、半森人の少女は馬の上で好奇心に動かされるがまま辺りを見渡している。

 今にも飛び出してしまいそうだが、そこは女上の森人に迷惑がかかるからとどうにか我慢。

 その分濡羽色の髪を揺らしながら辺りを見渡し、その光景を目に焼き付けていた。

 

「姫様。一度お部屋にお戻りになりますか?」

 

 側に控えていた女森人が問うと、女上の森人は首を横に振り「大丈夫だ」と微笑んだ。

 

「彼の処遇が決まるまでは、休むに休めん。彼を招いたのは私だ」

 

 だがすぐに凛とした表情に戻ると、金髪の圃人と複数人の森人に連れられて歩く銀髪の青年の背を見つめた。

 端から見れば捕虜や虜囚のようであるが、一応は恩人なのだ。彼がいなければ、自分もあの子もここにはいない。

 

「……久しく会った、まともな只人だ。無下にはできんさ」

 

 その感謝と共に、酷く懐かしいようにも、昨日の日のようにも思う過去の日々を──只人と亜人が手を取り合って生きていた日々を思いだし、儚げな笑みをこぼす。

 

「姫様……」

 

 その笑みを受けた女森人は何と声をかけるべきかわからず、ただ彼女のことを案じることしか出来ない。

 自分の無力さに苦虫を噛み潰したような表情になりながら、それでも自分を律してすぐに表情を整える。

 爪が食い込み、血が滲むほどに拳を握りながら、表情にはその痛みも苦しみも出さず、女上の森人に問う。

 

「あの只人は何者なのでしょう」

 

「それはわからん。それを知るために、連れてきたのだ」

 

 彼女の問いに神妙な面持ちで答えた女上の森人は、半森人の少女に視線を向けた。

 好奇心も落ち着いき、退屈になってきたのか、今度は馬のたてがみを撫でてやりながら欠伸を噛み殺している。

 その呑気な姿に緊張が解れたのか、女上の森人は苦笑を漏らしながら女森人に告げた。

 

「さあ、行こうか」

 

「はい」

 

 彼女は凛とした表情のままに頷き、馬を引いて歩く女上の森人の後に続く。

 目指すは最奥。この棄てられた街を治める者が住んだ、王城跡地。

 彼ら亜人の、代表者が集まる場所だ。

 

 

 

 

 

 

 彼らが足を踏み入れた王城は、只人が通ることを考慮されてはいなかった。

 つまり薄暗く、光源らしいものは壁の燭台に取り付けられた蝋燭の程度で、夜目がきかなければどこを歩いているのかもわからなくなる。

 蝋燭はある程度置かれているとはいえ、距離を置かれて設置されるとなると、城内は嫌でも暗くはなるだろう。

 加えて廊下の幅も大人四人が並んでも余裕がある程度に広い。おかげで余計に暗い。

 亜人たちは夜目がきくため問題ないが、只人にとっての居心地は最悪といっていいだろう。

 

 ──ここを拠点としていた種族が気になって仕方がないな。

 

 冒険者の(さが)なのか、こうした遺跡に来てしまうと妙にあちこちが気になってしまう。

 燭台一つとっても古い筈なのに真新しく、壁や床、天井の石材も磨きあげられて輝いて見える。

 おそらく鉱人の職人の手がかかっているのだろうが、彼らの都だったという雰囲気ではない。

 只人の自分が直立してなお、天井が余っているのだ。鉱人の城ならば、まず間違いなく屈んで歩くことになる。

 となると、闇人(ダークエルフ)の仮住まいだったのか。それにしては造りが武骨にすぎる気もするが……。

 

「むぅ……」

 

 銀髪の青年が顎に手をやって唸ると、隣を歩いていた森人が「どうかしたか」と鬱陶しそうな声音で問うた。

 問われた青年は顔をそちらに向け、「ここの前の主が気になってな」と肩を竦めた。

 

「お前は知らなくていいことだ」

 

「違いない」

 

 鋭い目付きで睨まれながらの一言に、銀髪の青年は早々に意味がないと見切りを着けて頷くと、瞬きと共にタカの眼を発動した。

 薄暗い廊下の輪郭(ワイヤーフレーム)が浮かび上がり、壁に刻まれた文字や彫刻画、引っ掻いたような跡が白く輝く。

 それをじっくりと観察したいところだが、生憎と回りを囲む森人たちや金髪の圃人が止まってくれる様子はなく、出来るのは黙々と歩く程度。

 そして数分ほど歩き、階段を数階分登った頃。

 

「ここだ」

 

 金髪の圃人がとある部屋の前で足を止め、そう告げると共に扉を開いた。

 促されるがままその部屋に入った銀髪の青年は、再びの眩しさに目を細めた。

 王城の最上階なのか、崩れた天井の一部から陽の光が差し込み、部屋の中を照らしているのだ。

 部屋の中央に置かれた石造りの長卓と、その上に置かれた大きな地図には短剣が突き刺さり、他の場所には鉱人(ドワーフ)女戦士(アマゾネス)獣人(パットフット)鳥人(ハルピュイア)蟲人(ミュルミドン)をそれぞれ模した駒が置かれ、地図の中央には王冠を被った只人の駒が置かれている。

 手慣れた様子で彼にも見やすいようにと設置された足場に飛び乗った金髪の圃人は長卓に薙刀を立て掛けると、「キミも来てくれ」と銀髪の青年を呼んだ。

 呼ばれるがまま彼と対面する位置に足を進めた銀髪の青年は、地図を見下ろしながら「これは?」と問うた。

 

「言ってしまえば勢力図かな。これを見せながら話した方がわかりやすいだろう」

 

 ちょこちょこと部屋の中を走り回り、椅子を引っ張ってきてそこに飛び乗った半森人の少女は勢力図を覗きこんだ。

 適当に駒に触れようと手を伸ばすが、結局届かずに諦めてしまう。

 その様を見つめて苦笑した女上の森人はその椅子の背後に立つと、わしゃわしゃと彼女の濡れ羽色の髪を撫でた。

 先ほどまで着いてきていた森人たちは、部屋の外に控えているのか、鋭い敵意が扉の向こうから感じられる。

 やれやれと溜め息混じりに肩を竦めた銀髪の青年は、改めて勢力図へと視線を落とした。

 国の南東の端──つまり、現在地には短剣。

 国の西端の山岳部には鉱人の駒。

 ここから程近い、国の北東部を占める森林には女戦士の駒。

 国を縦断する大河の一部を跨がるように置かれた獣人の駒。

 北西の国境沿いには鳥人の駒。

 南西の、あまり詳細がわかっていない区画には蟲人の駒。

 そして、王都と思われる場所には只人の駒。

 地図の上にそれぞれの根城を示した、文字通りの勢力図。

 住む場所もバラバラで、その距離からして連絡を取り合うつもりもないのが目に見える。

 まあそもそもとして、それぞれが独自の文化の中で暮らす種族なのだから、相容れないのも当然のように思うのだが……。

 

「昔はそれぞれの集落と繋がりがあり、国そのものが一つとなり、近隣諸国や魔神(デーモン)の脅威と立ち向かっていたのだ」

 

 じっと勢力図を睨んでいた銀髪の青年の耳に届けられたのは、女上の森人の懐かしむような声だった。

 そちらに目を向ければ、半森人の少女を撫でるのを止めた彼女が、愛おしそうに何も描かれていない地図の区画を細指で撫でた。

 

「この国自体が大きくはないからな。そうでもしなければ、一月(ひとつき)足らずで滅びてしまう。只人の始め、ここに示された種族や、今は行方もわからない種族の族長らが集まり、未来の為に奮闘していた」

 

 懐かしむように、それと同時に誇らしげに、まるで父のことを自慢する娘のように、彼女はそう告げた。

 

「今は、違うようだが」

 

 銀髪の青年は腕を組みながら無礼を承知で口を挟むと、女上の森人は力なく頷き、金髪の圃人もそれに続いた。

 彼は憎々しげに王の駒を睨むと、吐き捨てるように言う。

 

「始まりは二十年前。突然只人の王が倒れ、その後を誰も名前も知らない宰相が継いだ。そして、その日を境に何もかもが変わった」

 

 ──曰く、亜人に対する風当たりが強まっていった。

 

 ──曰く、国全体が故も知らぬ神を信奉し始め、多くの神殿や寺院が取り壊された。

 

 ──曰く、宰相が召集した先鋭を中心として、兵士たちが亜人狩り、異教徒狩りを始めた。

 

 ぽつり、ぽつりと紡がれる言葉には悲痛なまでの哀しみと怒りが滲み、卓上に置かれた拳からは血が滴っているほど。

 

「亜人は世界の異物に他ならず。故に殺すべし」

 

「昨今世界に広まる神々の名は偽りなり。故に棄て、真の神の名を復唱すべし」

 

「それをせず、偽りの名を語る者は異教徒なり。故に殺すべし」

 

「彼らを滅す兵士、戦士たちは英雄なり。故に讃え、彼らを模範とすべし」

 

 言葉を詰まらせる彼に変わり、そう口にしたのは今しがた入室して蜥蜴人だ。

 彼にとっては狭いのであろう扉を、身体を縮こませて潜った彼は、しゅるりと鼻先を舐め、ぎょりと回した瞳で銀髪の青年を捉えた。

 

「只人を連れ込んだと聞いたが、ふぅむ……」

 

 赤い鱗で全身を包み、それを押し上げる筋肉からして戦士なのは間違いない。

 多くの人が想像する蜥蜴人を、そのまま頭から引っ張り出したような出で立ちだ。

 そんな彼は顎を擦りながら唸ると、じっと目を細めて銀髪の青年を舐めるように見る。

 鎧越しだが彼の身体つきを確かめ、武器を持つことによる重心のずれの有無を確かめ、その蒼い瞳を見つめ、彼の心中を測らんとする。

 対する銀髪の青年もそれをある程度察したのか、彼の瞳をじっと見つめ返し、お互いの視線を交錯させる。

 一応、物心ついた頃から蜥蜴人とは面識があるのだ。怯える理由も、逃げる理由もない。

 知り合いの彼は、戦士と言うよりは僧侶や術者としての側面が強いのは、気にする必要もあるまい。

 蜥蜴人に対して強さを示すことは、どんな言葉よりも雄弁に彼らと語り合う手段だ。

 

「……まあ、最近会った中じゃましな方だろうよ」

 

 そして数分ほど見つめあうと、赤い鱗の蜥蜴人はそう告げて、長卓を覗ける位置についた。

 しゅるりと喉の奥を鳴らすと、椅子に乗って卓上を見下ろす半森人の少女に視線を映す。

 不意に彼と視線が合った少女は首を傾げるが、当の赤い鱗の蜥蜴人は興味なさげに視線を女上の森人に向けた。

 

「ったく。一人でしゃばった結果、満身創痍で逃げ帰ってくると思ったんだがな」

 

「……死を覚悟したが、生きてはいる」

 

 言われた女上の森人は無表情になりながらそう言うと、ちらりと銀髪の青年に目を向けた。

 

「彼がいなければ、きっと死んでいただろうな」

 

「……その感謝は受けとるが、さっきの言葉はなんだ。その、異物だの、異教徒だの、殺すだの」

 

 銀髪の青年は僅かに照れたように顔を背けるが、ようやく知れそうなこの国の実状に対しての言葉に食いついた。

「あ?」と心底不思議そうに声を漏らした赤い鱗の蜥蜴人は、「只人なのに、知らないのか?」と小馬鹿にしたような声音で問うた。

 

「生憎と、俺は宿なし放浪者(ワンダラー)でな。この国にも来たばかりだ」

 

「来て早々に、この森人助けて追われてんのか」

 

「ああ」

 

 赤い鱗の蜥蜴人の憐れむような言葉に、銀髪の青年は間髪いれずに頷いた。

 その反省も後悔もしていない様子に、赤い鱗の蜥蜴人は心底愉快そうに目を細め、牙を剥いて笑みを浮かべた。

 

「気に入った。少なくとも、同じ戦場には立たせてやる」

 

「……背中を斬られそうだな」

 

「斬られたら、お前が未熟だったってことだ」

 

 銀髪の青年が肩を竦めながら放った言葉に、赤い鱗の蜥蜴人はご機嫌そうに尾で床を叩いた。

 ベチン!と鞭で打たれたような打撃音に、半森人の少女は驚いてビクンと身体を跳ねさせるが、他の大人たちが一切気にしていないとわかるや否や姿勢を正しさ。

 

「それで、さっきの言葉に関してだね」

 

 ──と、かなり脱線し始めた話を、振り出しに戻したのは金髪の圃人だ。

 困り顔で頬を掻いた彼は、一度咳払いをして銀髪の青年へと目を向けた。

 

「さっき彼が言ったのは、現国王が国民に向けて発した法だ。彼は只人を、正確にはとある神(・・・・)を奉じる只人を至上とし、それ以外を排除にかかっている」

 

「……あの交易神の神殿。道理で」

 

 彼の言葉に銀髪の青年は女上の森人と半森人の少女と出会った場所を思い出し、同時に納得した。

 神を、信仰を棄てろと言われ、神官たちが納得するわけもない。彼らなりに抵抗したのだろうが、結局は敗れて神殿も棄てられたのだろう。

 壁と玄関がなくなったが、誰も訪れないのなら気にはすまい。

 

「ちなみにその神とは?」

 

「英知の父、知識の母、聖なる声。これらいずれかか、あるいは全てか。ともかく神の名とは思えないこの三つが、今や神として崇められている」

 

「……本当に神の名なのか。覚知神(叡智の父)ならともかく、他の二つは聞いたこともないんだが」

 

「叡智の父は、おそらく覚知神を示す言葉ではない」

 

「……?」

 

 女上の森人が目を閉じ、眉を寄せながら告げた言葉に銀髪の青年は困惑気味に彼女に目を向けた。

 信じられないと言わんばかりに目を見開き、言葉が出ずに固まってしまうほど。

 

「国中を走り回っても、緑の瞳の印は見つけられなかった」

 

「ああ、そういうことか。なら、通称ではなく真名(まな)が英知の父なのか……?」

 

 むぅと唸る彼を他所に、「話を続けてもいいかな?」と金髪の圃人が再び話の修正にかかった。

 

「ああ、すまん。それで、それなら只人をここまで敵視する理由もないだろう。異教徒(・・・)と手を組めば、どうにかなる筈だ」

 

 戦力にもなるだろうと告げると、「そうなんだがな」と赤い鱗の蜥蜴人は苛立ちを露にしながら告げた。

 

「単刀直入に言えば裏切られた。その異教徒(・・・)の中に、内通者が潜り込んでいてな」

 

「前の拠点は軍の強襲を受けて壊滅。俺たち『反乱軍』は散り散りになり、今は国中に潜伏している状態だ」

 

 金髪の圃人がそう言うと、ちらりと半森人の少女に目を向けた。

 僅かに怯えたように身体を縮こませながら、ぎゅっと女上の森人の服の袖を掴んでいる。

 彼女もそれに気付いているようで、少女を慰めようとそっと頭を撫でていた。

 

「ただですら大きかった只人に対する不信感は、それを境に一気に高まった。むしろ、只人は敵であるという認識が、俺を含めて根強くなっている」

 

 金髪の圃人は自分の拳を握りながらそう言うと、銀髪の青年を睨み付けた。

 血のように赤い瞳に鋭い輝きが宿り、何かあれば問答無用で斬ると言わんばかりだ。

 銀髪の青年はその視線を軽く受け流すと、半森人の少女へと視線を向けた。

 

「で、この子は何なんだ。前王の忘れ形見というのは聞いたが」

 

「その言葉の通りだ。二十年前に亡くなった前王が、生涯唯一愛した森人との間に産まれた、たった一人の嫡女」

 

「……前王は二十年前に死んだんだよな。この子、いくつだ」

 

「今年で十になる」

 

 銀髪の青年の問いに女上の森人が間髪入れずに答えると、彼は余計に首を捻った。

 妊娠から出産まで、只人では一年足らずと言ったところだが……。

 

「……森人と只人では妊娠期間が違うか」

 

 彼はそう決めつけて頷くが、女上の森人は何とも言えない表情を浮かべ、深々と溜め息を吐いた。

 

「そういうことにしておいてくれ。複雑──という程でもないが、事情がある」

 

「それを教えてはくれないのか」

 

「……すまん。この子の母親との約束なんだ」

 

 神妙な面持ちで告げられた言葉に、銀髪の青年は「わかった」とさも気にした風もなく頷いた。

 

「機会があれば、その時教えてくれ」

 

「機会があればな」

 

 そして念のためと約束を取りつけるが、それもやんわりと断られてしまう。

 やはり信用が足りないかと、銀髪の青年は内心で苦笑を漏らした。

 だがすぐに意識を引き締め、三人に向けて問う。

 

「それで、俺をここに呼んだ理由は?話すだけなら牢屋に入れるだけでも構わないだろう?」

 

「そうだね。ここからが、本題だ」

 

 金髪の圃人が待っていましたとばかりに頷くと、彼の手首を見つめた。

 正確にはそこに仕込まれた小さな刃を見ているのだろうが、銀髪の青年はどちらでもいいと言わんばかりに腕を組んで鼻を鳴らした。

 

「これはやらんぞ。父から貰った、大事なものだ」

 

「……何か隠しているのか?」

 

 一人だけ何を示しているのか把握できていない赤い鱗の蜥蜴人が問うと、銀髪の青年は無言のまま手を挙げ、小指を動かした。

 シャッ!と僅かに鞘と刃が擦れる音と共に仕込み刀(アサシンブレード)が飛び出す。

 

「……ああ、なるほど」

 

 赤い鱗の蜥蜴人は目を細めて数度頷くと、ぎょろりと目玉を回して金髪の圃人へと目を向けた。

 

「こいつが、そうなのか?」

 

「わからない。だが、懸ける価値はあるだろう」

 

「確かにな」

 

 二人は互いに顔を向けながら二三言葉を交わすと、改めて銀髪の青年へと顔を向けた。

 それを合図に仕込み刀(アサシンブレード)を納刀した銀髪の青年は、「なんだ」と先んじて声をかけ、相手に話を切り出す切っ掛けを与えた。

 それがあろうがなかろうが話し始めるのだろうが、金髪の圃人は「すまない」と一言礼を言ってから彼に問うた。

 

「キミは、隠れし者を知っているかい?」

 

 

 




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Memory07 仕事の話をしよう

 ──隠れし者。

 

 古い時代。上流階級による圧制と支配が横行し、民から笑顔が消えたこの国の暗黒期に、突如として現れた彼ら(・・)はそう呼ばれている。

 

 白い装束に身を包み、様々な人々と共に巨悪へと挑んだ戦士。

 

 言われなき抑圧を砕き、人々に自由を与えんがために、闇夜を走り続けた英雄。

 

 罪のない者を傷つけないという、確かな信条を胸に殺しを行う、顔のない暗殺者。

 

 闇を駆ける者。闇を討つ者。光を灯す者。断罪者。エトセトラ、エトセトラ──。

 

 種族により様々な呼び名で語られ、文献にもその名を示される何者かたち。

 実在したという話はあれど、彼らの個人名は伝わっていない。

 当時共闘したという各種族に代々伝わっている伝承でさえも曖昧な記述のみで、当時接触したであろう長命種たる森人や鉱人も記憶の内に留め、滅多なことでは口にもしないほど。

 同時の文献もあまり残されておらず、まるで歴史から意図して抹消されたような彼らだが、共通している情報がある。

 

 ──左腕に仕込まれた刃を振るい、闇を見通す瞳を持っている。

 

 それは各種族の伝承。国の書庫に残された様々な文献の記述から、彼らが何か不思議な武器を扱っていたのは確かなのだろう。

 ただ彼らがいて、無辜の人々を守り続けたという伝承のみが伝わり、今でも彼らの存在を信じている者も多い。

 突如として現れ、突如として消えた彼らを、神の遣いだと言う話さえもある。

 それと同時にこの国に混乱が起きた時、彼らは戻ってくるとも信じられており、この状況に耐える者たちも微かな希望を抱いているほど。

 

「──そして今日、キミが来た」

 

 長々と隠れし者について語っていた金髪の圃人は、銀髪の青年を見つめながらそう締めくくった。

 その話を黙して聞いていた青年は溜め息を吐くと、ちらりと自分の手首に目を向けた。

 父から贈られた珍妙な武器程度にしか思っていなかったが、実はかなり重要な意味が込められた物だったようだ。

 なぜこれを贈ったのか。

 なぜこれを父が知っていたのか。

 父は尊敬に値する人物だし、時折だらしのない部分も多々ある人ではあったが……。

 

 ──実はその隠れし者の末裔だった……?

 

 そうだとしたら自分もそうなるのだがと内心苦笑し、あり得るわけがないと断じた。

 父はただの冒険者兼指導者。

 母もただの元冒険者。

 そんな隠れし者だったとかいう話は、話題にもなったことはない。

 父が過去のことを語らないのは気になるが、よく船に乗っていた程度の話をしていたから、船乗りか用心棒でもしていたのだろう。

 ついでに少しばかり特殊な眼を持っているが、父のみならず父方の祖父や、父の師匠にあたる人たちも使えたというのだから、父の故郷における何かしらの技能のようなものに違いない。

 

 ──こうして見ると、本当に謎が多いな……。

 

 過去よりも未来が大事とよく言っていたし、未来は自分で決めるものだと事あるごとに言っていたが、それは冒険者ならではの言葉だろう。

 きっと、そんな特別な出自はないはずだ。あったとすれば、父の性格からして話してくれる可能性も高い筈。

 

「……とにかく、隠れし者とかいう連中に関しては置いておく」

 

 肩を竦め、溜め息混じりに思慮を切り上げた銀髪の青年は、女上の森人、金髪の圃人、赤い鱗の蜥蜴人を順々に目をやった。

 

「俺に何をさせるつもりだ?」

 

 明らかに面倒なことになると察してか、蒼い瞳を細め、僅かな威圧感さえも感じる迫力を放ちながら告げる。

 だが赤い鱗の蜥蜴人は怯んだ様子もなく、むしろ重畳と言わんばかりにちろりと鼻先を舐めた。

 

「まあ、あれだ。俺たちには英雄が必要なのさ」

 

 俺たちじゃあ役不足らしいと不満そうに牙を剥いた彼は、改めて銀髪の青年に告げる。

 

「過去に実在したらしいその頭巾野郎と、同じ武器を扱う只人。まあ、バラバラになってる俺たちにとっちゃ、いい旗印になるだろうよ。英雄が舞い戻ったってな」

 

「……俺は客寄せの景品じゃないぞ」

 

 彼の言葉に銀髪の青年は腕を組みながらぼそりと呟くが、「気にすんな。むしろ誇らしいだろう」と赤い鱗の蜥蜴人は豪快に笑った。

 戦に誉れを見出だす彼らにとって、己の声ひとつで数多の戦士が集うのはさぞ名誉なことなのだろう。

 だがそれは蜥蜴人だからこその反応だ。

 産まれながらの只人で、それでいて冒険者として自由に生きてきた銀髪の青年には、縁遠い感覚に他ならない。

 何より彼は二十年も生きていない若輩者だ。大きな戦に関わったことすらない。

 事実彼は反応に困ったように項垂れながら額を押さえ、低く唸り声を漏らした。

 同様に困り顔になっていた金髪の圃人が頬を掻くと、勢力図に目を落とした。

 

「亜人に嫌われ者の只人が、国中を走り回って同志を募る。過去の英雄譚の再現には、怖いほどに条件が揃っている」

 

「……国中を走り回る?」

 

 すんなりと告げられた言葉に顔をあげた銀髪の青年は、今度は神妙そうに眉を寄せた。

 金髪の圃人の言葉に明らかに不穏な一言があったからに他ならないが、当の彼は気にする素振りを見せない。

 赤い瞳を彼に向けて、とりあえず最後まで聞いてくれと告げているようにさえ見えるほど。

 

「……」

 

 ならば、聞くしかない。

 銀髪の青年は出そうになった言葉を飲み込むと、続きを促すように手で示した。

 それに頷いた金髪の圃人は、忌々しそうに王を示す駒を睨み付けながら言葉を続けた。

 

「国民──只人たちだって、この状況を喜ばしいと思ってはいない筈だ。訳のわからない神を信じるように強制され、どこからか向けられる監視の目に怯えて過ごしている。彼らと歩み寄れれば、再び反抗作戦を行うこともできる」

 

「だが、今のままでは駄目なんだ。俺たち亜人は只人を憎み、それを受ける只人からの風当たりも日増しに増えている。このままいけば、間違いなくこの国は瓦解してしまう」

 

「そうなれば、他国からの侵略を受け、この国は文字通り地図から消えてしまう。それだけは避けなければならない」

 

 金髪の圃人はそう言うと腰に帯びた短剣を抜き、王の駒へと突き立てた。

 ダン!と音をたて、石作りの長卓に突き刺さった短剣は見事に王の駒の脳天を貫き、地図と駒を縫い付ける。

 

「バラバラになったこの国を再び纏めあげるには、かの王を討つ他にない。そうすれば、この国に希望を残せる」

 

「刺し違えてでも、例え誰も続かなくとも、俺はやる。

 ほんの僅かでもいい。希望の欠片をこの地に──愛する故郷に残すために」

 

 彼はそう言うと、闘志をみなぎらせる赤い瞳を銀髪の青年に向けた。

 視線に込められた覚悟と、その迫力に狼狽える銀髪の青年を見つめながら、金髪の圃人は言う。

 

「只人であるキミが、亜人である俺たちと共にこの国の未来のために動いたと知れば、ほんの僅かでも只人への印象を変えられるかもしれない。彼らへの態度を変えられれば、息を潜めている只人側の反乱軍とも手を結べるかもしれない」

 

「旅人で、もっと言えば昨日この国に来たばかりのキミに頼むのは、お門違いもいいところだ。この国の命運など、キミには関係のないことなのだから」

 

「だが、どうか、俺たちに力を貸してはくれないか」

 

 彼はまるで祈るような声音でそう告げながら、「頼む」と深々と頭を下げた。

 今日出会ったばかりの相手に、この国の命運を託そうなどと知れればそれこそ嘲笑われるだろうに、目の前の圃人は矜持も何もかもを捨て、敵視している只人に頭を下げる。

 藁にもすがるとは、まさにこの事を言うのだろう。

 銀髪の青年は顎に手をやって思慮する様子を見せると、ちらりと女上の森人と半森人の少女へと目を向けた。

 女上の森人もまた小さく頭を下げ、半森人の少女は祈るように両手を握っている。

 

「……」

 

「別に嫌なら構わん。牢屋に放り込むだけだからな」

 

 そっと赤い鱗の蜥蜴人に目を向けてみれば、彼は好戦的に笑みながらシュゥッと鋭い吐息を漏らす。

 ゴキゴキと指を鳴らし、爪を立たせているのは明らかに臨戦体勢へと入った証だ。

 否を突きつければすぐさま戦いが始まり、どちらかが血に沈むまで終わることはないだろう。

 

 ──選択肢があるようでないのは、それなりになれているが……。

 

 ぼりぼりと乱暴に頭を掻いた銀髪の青年は溜め息を吐くと、細めた瞳に勢力図を映す。

 短剣が突き刺さった王の駒は無視するとして、残り五つの駒に関しての対処をこれから行うのだろう。

 そして、それをさせられるのは自分になる。

 断れば流血を免れず、この国の探索にもかなりの影響が出るだろう。

 むしろ彼らに協力しながら、国中を回れるというのはいいことではなかろうか。

 その後に大きな戦いが待っているのに目を瞑れば、だが。

 むぅと唸った彼は天井を見上げながら腕を組んだ。

 衛兵殺しをしてしまった以上、まともに街を歩くのは不可能。

 彼らの提案を蹴ればさらに行動範囲は狭まり、探索など出来よう筈もない。

 その隠れし者という単語も気になって仕方がないのだし……。

 

「──条件がある」

 

 そしてまず彼が発した言葉はそれだった。

 いきなり飛び出した不穏な一言に眉を寄せる金髪の圃人を他所に、銀髪の青年は懐から二枚のメダルを取り出し、それを卓に放った。

 カランカランと澄んだ音と共に卓上を転がったそれは、この国に到着する直前と、入国した日の晩に手に入れたもの。

 

「出しそびれたが、『運び手』と『暗剣』とかいう奴が持っていたものだ。とりあえず受け取ってくれ」

 

「……っ!これを、どこで?」

 

 突然告げられた吉報に驚く金髪の圃人はそれを掴むと、じっと目を細めて紋様を確認。

 独特な紋様が刻まれたそれは、王直属の討伐隊らが、その証として身につける事を許されたものに他ならない。

 

「二人──と言っていいのかはわからないが、仕留めた。その分の報酬を貰いたい」

 

 得意気に笑いながら腕を組み、まっすぐに金髪の圃人を見つめる瞳は、それを払えなければ話はなしだと告げているようだ。

 

「報酬を求めるということは、俺たちの提案を受けてくれるのかい?」

 

 そのメダルを懐に仕舞いながらの問いに、銀髪の青年は肩を竦めた。

 

「俺は冒険者だからな。仕事には、それ相応の報酬を貰いたい」

 

 そうして告げた言葉に、三人は面食らったような表情を浮かべ、顔を見合わせた。

 この国には冒険者という制度はない。その分軍の力が強く、この国のあまねく全ての村落にも派出所が設けられているほど。

 

「……その冒険者というのは、よくわからないが」

 

 真っ先に口を開いたのは女上の森人だ。

 彼女は彼の言葉に戸惑いつつも、眉間に寄った皺を伸ばしながら問うた。

 ほんの半日とはいえ、生死を共にしたのだ。今さら彼が敵に降る可能性もないだろうが、念のための確認だ。

 

「報酬を用意できれば、私たちの味方をしてくれるのか?」

 

「ああ。そちらが依頼を反故にしなければ」

 

「報酬を用意できなければ、お前はあちらにつくのか?」

 

「それはない。上手く隠れて、頃合いを見て他国(よそ)にいく船に乗り込むさ」

 

 銀髪の青年が問いに間髪いれずに答えると、女上の森人は「わかった」と頷いた。

 彼の前に歩を進めた。

 お互いが向き合う形で立ち、身長の都合で僅かに見上げる形となりながら、目の前にある彼の顔を見つめる。

 対する彼も、神の造形とまで言われる上の森人の美貌に照れる様子もなく見つめ返し、僅かに鼻孔をくすぐる森の臭いに頬を緩めた。

 

「それで、どうする依頼人(クライアント)

 

 そして最終確認をするようにそう問うて、彼女からの返答を待つ。

 彼女は一度深呼吸をすると、ちらりと金髪の圃人と赤い鱗の蜥蜴人に目を向けた。

 二人は任せると言わんばかりに頷き、半森人の少女はご機嫌そうに笑っている。

 フッと微笑んだ彼女は銀髪の青年に視線を戻し、右手を差し出した。

 

「なら、お前を雇うとしよう。冒険者」

 

「決まりだな。それじゃ、報酬の話といこう」

 

 順番が逆かもしれないがと苦笑混じりに彼女の手を握った彼は、金髪の圃人に目を向けた。

 彼の視線を受けた彼はとりあえず前向きに検討されたからか安堵の息を吐きながらも、僅かに表情を強張らせた。

 無茶な要求をされると覚悟しての事だろうが、銀髪の青年は浮かべた笑みをそのままに告げる。

 

「とりあえず、衣食住の提供。それと、武器を一振り」

 

「……以上かい?」

 

「……何を要求されると思ったんだ?」

 

 要求が意外だったのか、それを理解するまでにほんの一瞬時間を要した彼の問いに、銀髪の青年は小首を傾げて問い返す。

 

「ようやく宿無し状態から脱却できると思ったんだが、まさかそれも出来ないほどに困窮しているわけでもないだろう?」

 

「ああ、それは問題ない。部屋は手配しよう。武器に関しては……」

 

「あの『暗剣』とかいう連中の戦利品から貰えないか?」

 

「それは構わないが、本当にそれでいいのかい?報酬というには、あまりに安すぎると思うんだけど」

 

 金髪の圃人は心底不思議そうな声音でそう問うと、銀髪の青年は小さく頷く。

 

「最低限の衣食住があれば、とりあえず幸せだからな。それさえもなく、路頭に迷いそうになったが……」

 

 彼は項垂れ、自分の計画性のなさに低く唸りながらそう呟いた。

 先程までの覇気はどこに行ったのか、今放っているのは気の抜けた後ろ暗い迫力だ。

 

「それに関しては同情するが、にしても欲のない奴だな」

 

 赤い鱗の蜥蜴人がそんな彼を見つめながら言うと、銀髪の青年は「そうか?」と首を傾げる。

 幼い頃から節制をするように言われていたし、何なら服や雑嚢の補修、補強なんかも出来るように仕込まれてはいるが……。

 

「あまり欲しいと思うものがなくてな……」

 

「欲のない奴は、途中で道を見失うぞ?」

 

 彼の言葉に赤い鱗の蜥蜴人はどこか憐れむように目を細めた。

 彼ら蜥蜴人は、ほぼ全ての者が竜となるべく日々を生きている。なんの目的もなく進み続ける苦痛とは無縁な彼にとって、銀髪の青年が酷く憐れに思えたのだろう。

 だがそれは自分には関係のない話と割りきった彼は、ぎょろりと目玉を回して「話は終わりだな?」と金髪の圃人に問うた。

 

「ああ、解散だ。──と言いたいところだけど、彼に次の仕事を頼まないとね」

 

「どっかの集落に送り込むのか?まあ、手始めにどこから行くかは大事だが」

 

「やれやれ仕方ない」「頼むよ」と再び勢力図に目を落とした二人を他所に、女上の森人は安心したように息を吐いた。

 

「これで、お前に矢を向けずに済む」

 

「信頼してくれているのは嬉しいんだが」

 

 そんな彼女の言葉に、銀髪の青年はちらりと扉の方へと目を向けた。

 僅かに開いた隙間からいくつもの視線が注がれ、敵意さえも向けられている始末。

 

「同胞にはあんたから説明してくれ。殺されたくない」

 

「ああ、それは任せてくれ。言って聞かせれば、落ち着いてくれるだろう」

 

 女上の森人が額に手をやりながら溜め息を吐くのを他所に、半森人の少女がとことこと銀髪の青年に駆け寄り、にこーと太陽を思わせる笑顔を浮かべた。

 

「改めてよろしくな」

 

 彼もまた釣られて笑みを浮かべると彼女の頭を乱暴に撫で、少女は髪をくしゃくしゃにされながらも嬉しそうに目を細めている。

「呑気だな」と苦笑するが、少女は構わずに彼にされるがままに頭を撫でられ、女上の森人は強張った表情を緩めた。

 そのまま彼女は金髪の圃人と赤い鱗の蜥蜴人が進めている会議に参加し、残された二人は顔を見合わせた。

 とにかく、次の指示を待とうと銀髪の青年は近場の椅子に腰を下ろし、その隣の椅子に半森人の少女が飛び乗る。

 これで晴れてこの国での拠点を確保できた。後は彼らが抱える問題を取り除きつつ、自分の目的を果たすのみ。

 

 ──手掛かりがなにもないけどな。

 

 銀髪の青年は想像もつかない程に遠い道筋を思い、天井を見上げながら目を閉じ、溜め息を漏らす。

 ようやくたどり着いた新天地に、ようやく舞い込んだ初仕事。ならば、やれるだけの事をやらねばならない。

 依頼を受けた冒険者として、それは当然の責任なのだから。

 

 

 

 

 

「よし、決まりだな」

 

 不意に呟かれた言葉に、銀髪の青年はハッとして顔をあげた。

 どうやらあのまま眠ってしまったようで、会議を終えた三人を見れば、どこか驚いたような顔で青年を見つめている。

 先程まで敵意剥き出しで、何の比喩でもなく殺そうとしてきた相手を前にして堂々と眠る相手というものを、彼らは知らないのだろう。

 逆に言えば、彼は彼らのことをそれなりに信頼しているという意味にもなるのだが、会ってたかが数時間でそこまで他人(ひと)を信じられるものなのだろうか。

 銀髪の青年はそんな三人の疑惑の視線を気にした様子もなく、寝ぼけ眼のまま片手を挙げて起きたことを伝えながら、深々と息を吐いて背もたれに寄りかかる。

 

「……すまん。この国に来てから、まともに寝ていなくてな」

 

 くぉぉと情けのない声を漏らしながら顔を両手で覆い、ぐにぐにと頬を押して軽く解してやる。

 そしてそのまま立ち上がろうとするが、自分に寄りかかっている重さに気付き、そちらに目を向けた。

 

「くぅ……くぅ……」

 

 そこには銀髪の青年に寄りかかりながら寝ている半森人の少女がおり、規則正しい寝息を漏らしている。

 

「……」

 

 動くに動けなくなったと困る彼は、助けを求めるように女上の森人に目を向けた。

 彼女は溜め息を吐くと足音をたてずに二人に近づき、そっと半森人の少女の身体を支え、彼から離した。

 その隙に立ち上がった銀髪の青年は雑嚢から毛布を取り出すと、女上の森人が少女を横並びになった椅子の上に寝かせた。

 起きる気配がないことを確かめた銀髪の青年は、そっと毛布を被せた。

 僅かに唸るような声が聞こえはしたが、毛布にくるまった少女は気の抜けた寝顔を浮かべ、再び寝息をたてはじめる。

 その反応に顔を見合わせた銀髪の青年と女上の森人は頷きあうと、再び足音をたてずに勢力図の前へと戻る。

 

「それで、何が決まったんだ」

 

 欠伸を噛み殺し、眠気覚ましに頬を叩きながらそう問うと、金髪の圃人が「ここだ」と地図の西部を示した。

 鉱人の駒が置かれたそこは地図上で山岳部となっており、彼らの集落があると言われればなるほどと頷くことができる。

 鉱人は地下に住む筈だが、まさか潜れと言うのだろうか。

 

「……円匙(スコップ)がいるな」

 

 銀髪の青年は顎に手をやりながらそう呟くと、赤い鱗の蜥蜴人は「いらないぞ」と間髪いれずに告げた。

 しゅるりと鼻先を舐めた彼は神妙な面持ちのまま、短剣のように鋭い爪で鉱人の駒をつつく。

 

「ここはこの国一番の鉱山でな。鉱人の連中はそこを根城にして、武器や装飾品を作っていたんだが」

 

「今は軍により占拠され。逃げ遅れた鉱人や、罪人たちが労働させられている」

 

 彼の言葉を女上の森人が引き継ぐと、溜め息混じりに額を押さえた。

 元より森人と鉱人は不仲なのだから、彼らに対して何か思うことがあるのだろう。

 

「……鉱人の族長が、そこに捕らえられている。この国一番の鍛冶師だ。彼を味方に出来れば、我々にも上等な武具を揃えられる」

 

 彼女はなぜそこを優先するのかを、腕を組んで情報を待っていた銀髪の青年に目を向けた。

 

「ここは『鉱夫』、『鶴嘴(つるはし)』と呼ばれる男たちが取り仕切る採石場だ。彼らを見つけ出し殺害。囚われている鉱人たち、罪人たちを解放する」

 

「それが最初の依頼でいいんだな?」

 

 最後に締めくくるように告げられた言葉に、銀髪の青年はそう問うた。

 その問いかけに女上の森人が頷き、金髪の圃人と赤い鱗の蜥蜴人がそれぞれの言葉で応じた。

 三人の承認を受けた彼は頷き返すと鉱人の駒を退かし、そこに短剣を突き立てた。

 

「なら、行動開始だ」

 

 彼はそう告げて、外套を翻しながら部屋を後にしようとするが、不意に足を止めて三人の方へと振り向いた。

 

「……明日からでも問題ないか?」

 

 数分とはいえ仮眠をとったが、おそらく長時間の移動と戦闘を繰り返す事になるだろう。

 万全に限りなく近いが、万全ではない。未知の大地を進むのに、疲労が溜まっていては不安にもなる。

 格好をつけておいての一言に金髪の圃人は苦笑を漏らすが、すぐに真剣な面持ちとなって彼に告げた。

 

「ああ、わかった。とりあえず、キミの拠点にできそうな場所を案内させよう」

 

 頼めるかい?と告げた彼の視線は、女上の森人へと向けられた。

 彼女は多少驚くような素振りを見せるが、すぐに「わかった」と頷いた。

 ここではとりあえず契約を結んだとはいえ、それはまだこの部屋にいる者でなければ把握していない。

 この話が全体に広がるまでは、誰かがついて歩かねばなるまい。

 一応、彼との付き合い自体は長いのだから、彼女が頼まれるのはある意味で当然の事。

 

「では、行こうか」

 

「ああ。……あの子はいいのか?」

 

 そして歩き出そうとする女上の森人の背に、銀髪の青年はそう問うた。

 彼が示した先には半森人の少女が寝ており、いまだに起きてくる気配はない。

 

「彼女なら任せてくれ。と言うよりも、外に控えている森人たちが何とかするさ」

 

 その問いに答えたのは金髪の圃人だ。

 視線を感じる扉の方に目を向けながら「そうだろう?」と問いかければ、同意を示すようにがたがたと扉が揺れる。

 

「なら、いいんだ。それじゃ、案内を頼む」

 

「と言っても、空き家に案内するだけだが」

 

 彼の言葉に女上の森人は優雅に肩を竦め、「こっちだ」と呟いてから歩き出す。

 その後ろに続いて歩き出し、部屋を出ると同時に向けられる敵意と殺意混ざりの視線を受け流す。

 

 ──これから、忙しくなりそうだな。

 

 銀髪の青年はこれから巻き起こる戦いと出会いに胸を踊らせ、一人笑みを浮かべた。

 

 ──世に冒険者の種は尽きまじ、だな。

 

 彼は国の命運を左右する物語(シナリオ)に、自ら首を突っ込んだのだった。

 

 

 

 

 

 女上の森人、銀髪の青年、森人たち、半森人の少女がいなくなった会議室。

 そこに残る金髪の圃人に向けて、赤い鱗の蜥蜴人が問うた。

 

「で、あいつはどうなんだ。骨はありそうだが」

 

「わからないさ。これから彼が何をするのか、それを見てからでないとね」

 

 話題はもちろん銀髪の青年についてだ。

 他所の国から来た冒険者という、経歴もよくわからない相手ではあるが、敵幹部二人を打倒したとなれば、腕は立つのだろう。

 事実自分と打ち合えたのだから、それに関しては絶対の信頼がある。

 

「だが、もし彼が不穏な動きを見せれば」

 

 金髪の圃人は血のように赤い瞳を揺らしながら、薙刀を力強く握りしめた。

「皆までいうな」と赤い鱗の蜥蜴人は彼の言葉を制すると、にやりと歯を剥き出しにして獰猛な笑みを浮かべた。

 

「──その時は俺がやる」

 

 これも竜に至るため。

 より強き者との戦いは望むところであり、彼は強き者であることに違いはない。

 

「そうならないことを、祈るよ」

 

 対する金髪の圃人は薙刀を掴む力を弱めながら、深々と溜め息を吐いた。

 この国の、部族の未来のためならば、何もかもを投げ出す覚悟をしていたが。

 

 ──まさか、只人に頭を下げる日が来るなんてね……。

 

 父や兄が見たら何を思うだろうかと思慮をするが、すぐにそれを捨てた。

 もういない人たちに意見を求めて何になる。

 今必要なのは生きた情報、生きた言葉、生きた戦友だ。

 

「とにかく、俺たちでもやれるだけの事をしよう」

 

「そうだな。とりあえず、蟲人の集落()がどこにあるのか探ってくるか」

 

「頼むよ。こっちは任せてくれ」

 

「おうよ。それじゃあな」

 

 赤い鱗の蜥蜴人はそう言うと、金髪の圃人に背を向けて部屋を後にした。

 蜥蜴人の巨体を通ることを想定していない扉を通るのに四苦八苦しつつ、数分もしない内にたてば尻尾が廊下の向こうに消えていく。

 一人残った金髪の圃人は、天井を見上げて溜め息を吐いた。

 銀髪の青年の登場で、計らずも歯車は回り始めた。あとはそれらを噛み合わせ、仕掛けを完成させるだけだ。

 

「見ていてくれ。必ず、王を討ってみせる」

 

 天上で見守る家族に向けて、彼は一人誓いを立てた。

 

 

 

 




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Memory08 褥を共に

 青空見下ろす四方世界のどこか。

 北側を霊峰で守られ、他三方を霊峰、海をはじめとした自然の砦に守られたこの国は、外に漏れる情報というのが極端に少ない。

 曰く、職人の作る飾り物は一級品。

 曰く、鍛治師の打つ武具もまた一級品。

 それらは国外に輸出され、高値で取引されるほど。

 この国の財源と一つであり、この国の名声を轟かせる名産品。

 そして、それらが作られているのは国の西方辺境。

 いったいいつ頃からあるのだろうか、霊峰の麓に立ち並ぶ建物群。

 鎖に繋がれ、痩せ細った鉱人をはじめとした、様々な種族の者たちが霊峰に開けられた穴へと踏み入れる。

 それと入れ違いに掘り出された岩石で一杯になった荷車を押しているのもまた、痩せ細った鉱人。

 樽とまで称される彼らが、一見只人にさえ見えるほどに痩せ細り、それでも発揮される力でもって人の何倍の重さをもつであろうそれを押していく。

 けれど彼らの目に光はなく、砕いた岩石の砂塵や埃で身体も真っ黒に汚れている。

 そんな彼らに嬉々として鞭を叩く只人は、おそらく監視役。

 十人前後いる労働者の一団に対して、それぞれ二人ずつ。

 見える範囲でも十人はいるが、おそらくそれの倍はいると考えるべきだろう。

 

「……さて、どこから崩す」

 

 それらを冷たく見下ろすのは、黒い外套を纏った銀髪の青年。

 鉱山街を見下ろせる崖の上にいる彼は顎を擦り、「どう見る」と隣で街を見下ろしている人物へと目を向けた。

 

「なぜ、私まで……」

 

 だがその問いかけは隣の人物──女上の森人の笹葉のように鋭く長い耳には届かなかったようで、彼女は項垂れている。

「おい」と声をかけて肩に手を置けば、ビクリとその肩が揺れ、頭巾の影に隠れた美貌が青年の方を向く。

 

「お目付け役がボケッとしてどうする」

 

 同時に青年が告げた言葉に溜め息を吐いた彼女は、「それが不満なのだ」と目を細めた。

 

「なぜ私がお前に同行せねばならん。あの娘の面倒を見なければならないのに……」

 

「そこはお前の同胞を信じるしかないだろう?問題は目の前のこれだ」

 

 銀髪の青年に出された依頼(クエスト)

 眼下に広がる鉱山街を解放し、囚われた鉱人を味方につける。

 それの達成のため、受注した翌日から動き出した訳だが、問題というのはいつ、何が起こるのかがわからないもの。

 今回で言えば、彼の監視役として女上の森人の同行が決定していたことだろう。

 彼女は渋々と言った様子で応じたものの、二日かけてここまで来ても愚痴は出る。

 大丈夫だろうかと不安がる銀髪の青年を他所に、女上の森人は眉間に寄っていた皺を指で伸ばす。

 

「そうだな。いい加減、諦めるか……」

 

 所作全てに気品溢れる森人らしくもない、どこか適当な言葉。

 普通の人であれば、これがこの国の森人を統べる上の森人なのかと不安になるが、銀髪の青年はどこ吹く風。

 自由奔放、好奇心の赴くままに行動する上の森人を知っているのだから、当然だろう。

 むしろ物心ついた頃から家に入り浸られたおかげで、世界中の森人がああなのではと思い、不安になっていたほどだ。

 彼女の奔放ぶりを知っていれば、余程のことがなければ相手に悪態はつかない。

 

「それじゃ、話を戻すとするか」

 

 ポンと手を叩いた彼はそう言うと、再び鉱山街へと視線を落とした。

 労働者の群れ。横暴な監視役。それらはどこを見てもいるのだが、肝心のまとめ役が見当たらない。

『鉱夫』と『鶴嘴』なる人物は、果たしてどこにいるのか。

 

「見張り台に射手がいるな。弓ではなく、(クロスボウ)持ちなのは癪だが」

 

 女上の森人は細めた瞳で鉱山街を俯瞰しながら、街の各所に設置された櫓を示した。

 軽鎧に身を包み、額当てを被った兵士が、それぞれの場所に一人ずつ。

 見つかれば、狙い撃ちにされるのは確実。

 弓のように技量を必要としない、弩を構えているのは余計にたちが悪いと言わざるを得ない。

 それはある意味、弓を得物としている

 

「番兵の姿はないが、監視役が全員剣を帯びている。油断はできないな」

 

 銀髪の青年は鞭を振り回し、鉱人に折檻を入れている監視役を睨み、その腰にぶら下がる剣にも目を向けた。

 帯剣している以上、最低限の戦闘能力は持っているのだろう。

 監視役兼番兵と言ったところなのだろうが、鞭というのは十分な凶器だ。

 卓越した者が振れば、音よりも速くなるとまで言われているし、何なら見たこともあるし、自分でも上手く触れれば音を越える。

 

「囚人たちはどこに集められている?鉱山内はともかく、牢屋やなりあばら屋なりがある筈だ」

 

「あいつら、と言うよりは鉱人の族長に会っておきたいのか?」

 

 女上の森人が鉱山街を見渡しながらの言葉に、銀髪の青年はその意図を確かめるように問うた。

 彼女は「会うつもりはないが」と前振りをしてから、鉱山街のある一点を見つめながら呟く。

 

「もう死んでいれば、この作戦の意味も変わってしまうからな」

 

「……森人と鉱人の不仲は知っているが、そこまでか?」

 

「奴を好かんだけだ」

 

 彼女はそう言うと「あれを見ろ」と告げて、見ていた区画を手で示す。

 そこには見せつけのように首を吊るされた鉱人の遺体が放置され、烏にたかられていた。

 かつては筋骨隆々だったのだろうが、肉を啄まれ、目玉をくり貫かれたその姿は、無惨としか言いようがない。

 

「……あれが、そうなのか?」

 

「おそらく違うな。奴があの程度で死にはしない」

 

 別に今さら遺体を見た程度で狼狽えない銀髪の青年はそう問うと、女上の森人は謎の自信を溢れさせながらそう断じた。

 森人と鉱人は確かに不仲ではあるが、その分面と向かい合って喧嘩をする時間も多かった筈だ。

 喧嘩をするほど仲がいいとは違うだろうが、何か通じるものがあるのだろう。

 

「忍び込んでみるか?」

 

「見つかれば殺されるぞ」

 

 銀髪の青年は鷲と視界を共有し、監視役の配置を探りながらそう問いかけるが、返事はあまり前向きではないもの。

 ここで捕まってしまえば文字通り詰むわけなのだから、慎重になるのは仕方がない。

 溜め息を吐いた銀髪の青年はフードを深く被り直しながら、鷲の視界に意識を傾ける。

 捕虜たちは山の中にも相当数いるが、外にもそれなりにいる。

 十人単位で鎖で繋がれ、同じ行動を強制されているようだが、端々には繋がれておらず、ある程度の自由を許されている者もいるようだ。

 まあそんな彼らも仕事をさせられているから、単純に繋いでいない方が効率的なのだろう。

 この際、彼らの服を拝借してしまえば上手く紛れ込めるのではなかろうか。

「むぅ」と小さく唸った彼は、女上の森人に目を向けた。

 

「それで『鉱夫』と『鶴嘴』は見つかったか?」

 

「私自身、その二人の顔は知らん」

 

 この作戦において最重要な問いかけに、女上の森人は即答で否を叩きつけた。

「は?」と声を漏らした銀髪の青年を他所に、女上の森人は言う。

 

「鉱人を助け出せば、すぐにわかるだろう」

 

「できればもっと早めに言って欲しかったんだが」

 

「……?だから、いま言っただろう」

 

 彼の苦言もどこ吹く風、女上の森人は作戦開始直前という大事な時機(タイミング)に特大の爆弾を放り込んだのだ。

 深刻な問題にぶち当たった銀髪の青年は「そうか」と頷くと、再び鉱山街に意識を向ける。

 抹殺する相手が誰かもわからない状態での突撃とは、冒険者では中々体験できない状況だ。

 額に手をやり、深々と溜め息を吐きながら改めて確認。

 

「鉱人の族長を捜索、救出。そして『鉱夫』と『鶴嘴』の抹殺。順番はこうでいいんだな」

 

「ああ。問題はどう助けるか、だが……」

 

 そうして話し合いを続けていると、不意に女上の森人が鉱山へと入り口へと目を向け、じっと目を細めた。

「どうした」と問うた銀髪の青年も、鷲を僅かに低空飛行にさせながらその場所を凝視し、出てきた一団に注目する。

 辺りを見ればいくらでもいる鉱人の一団なのだが、その一団だけが妙なのだ。

 他は労働者十人なのに対し、その一団は鉱人一人しかおらず、監視役も三人。

 他は十人に対して一人なのに対し、彼らだけは一人に対して三人という、厳重を通り越してやり過ぎな警備。

 見るからに重要人物なような彼は、他の囚人とは違い瞳には覇気が満ちており、何なら機会さえあれば勝手に逃げ出しそうな雰囲気さえある。

 

「いたぞ、あれだ。痩せているが、間違いない」

 

 目標を補足して表情を引き締める銀髪の青年を他所に、女上の森人は連れていかれる鉱人の族長を見下ろしながら「ふむ」と声を漏らす。

 

「まずは見つけたが、後はどこに連れていかれるかが問題だな。そこまで分かれば、どうとでもなるだろう?」

 

「そうだな」

 

 彼女の問いに、頭の中で鉱人の族長に印をつけた(マーキングした)銀髪の青年はさも当然のように頷いた。

 父親や師匠からは、潜入(スニーキング)追跡(トラッキング)の訓練を受けたし、冒険者として邪教徒が跋扈する遺跡や砦に忍び込むこともあった。

 見つかったことはないが、その初めてが今日来るかもしれないのだから、油断はできない。

 祈るように胸に手を当て、深呼吸を一度。

 蛇の目(ファンブル)が出ないように行動することが先決だが、一応は祈っておけと言われたのも記憶している。

 問題はその蛇の目(ファンブル)は身構えているほど来ず、ふとした拍子に襲ってくることだ。

 目を細め、真剣な面持ちのまま連行される鉱人の族長を観察し、鉱山街でも一際大きな建物に連れ込まれるまでを確認。

 これで目的地と定まり、あとは行動を起こすのみ。

 

「夜を待って仕掛ける。闇に紛れるのが基本らしい」

 

「それで黒い鎧か?」

 

「まあ、そうだな」

 

 こつこつと革鎧の肩を叩きながらの問いかけに、銀髪の青年は苦笑混じりに応じ、自分の格好へと目を向けた。

 父が黒い格好を好んでいたような気がするが、それは父が己に科した役割(ロール)を全うするためだったらしい。

 今回の自分の役割(ロール)はどちらかと言えば影走る者(ランナー)だが、問題はない。

 

「援護は任せる」

 

「私も同行を──」

 

「喧嘩されても困る」

 

「む……」

 

 あくまで単独行動をしようとする銀髪の青年に、女上の森人は否を入れそうとするが、彼の一言で黙らされる。

「喧嘩はせんぞ」と不満げに言うが、「駄目だ」と再び切り捨てられる。

 

「何故だ」

 

「信用できる相手に背中を任せたい。それと、万が一俺が捕まったら、その時は頼む」

 

 そして投げ掛けた問いに、銀髪の青年はそう返した。

 出会って一週間も経っていないが、少なくとも信じられる人物ではあると判断したのだろう。

 それを言われてはと黙りむ彼女に対し、彼は彼女の美貌に面と向かい合いながら「頼めるか」と改めて問う。

 

「これの成功か否かで今後がだいぶ変わるんだろう?失敗はできない」

 

「私は保険だな」

 

「出番がない事を祈る」

 

 

 

 

 

 双子の月も雲に隠れ、薄暗い闇が鉱山街を包む。

 労働者たちも牢屋に押し込められ、仕事を終えた監視役たちも一日の疲れを癒そうとそれぞれの部屋へと戻っていく。

 

「……ああ、くそ」

 

 だが、見張りがいないかと問われればそれは否。

 不運にも遅番を任せられた彼は、言ってしまえば気を抜いていた。

 前王を玉座から引きずり下ろし、亜人により腐りかけた国を立て直した現王は、確かに尊敬に値する人物ではある。

 あるのだが、こんな僻地の鉱山を攻め入る相手はいるのだろうかと、いつも疑問には思う。

 亜人を中心とした反乱軍は既に討たれ、それを扇動した森人の森は焼き払われ、その王族も根絶やしにされたと聞く。

 噂では一人だけ生き延びたというが、一人では純血の子孫も残せないのだから、どうせ滅びる定めだ。

 残党も王直属の先鋭たちが追っていると言うし、ここを攻めこむ余力もない筈。

 

「なのに、俺は見張りをしている」

 

 はぁと深々と溜め息を吐き、ちらりと近場の櫓へと目を向ける。

 知り合いの射手がいるその場所には角灯(らんたん)の明かりが揺れており、生真面目な彼らしく悪態もつかずに見張っているのが見える。

 ならばサボるわけにはいかない。見つかれば最後、連帯責任として彼まで怒られるのだ。

 この数年でようやく築き上げた信頼関係が、そんなあっさり崩れてしまうのも癪ではある。

 だが、そうは思っても眠気に勝つのは難しい。

 大口を開けて欠伸を漏らしながら、「ああ、くそ」と再びの悪態。

 普段ならその声は誰にも聞こえないのだが、今晩はその限りではない。

 見張りの頭上、垂直に聳える岩肌を動く影が一つ。

 黒い外套を羽織り、その隙間から漏れる鎧具足もこれまた黒い。

 夜闇に紛れて岩肌に貼り付いているのは、銀髪の青年だ。

 両手足を存分に使い、僅かな突起や窪みに指先や爪先を引っ掛け、音をたてないように慎重に、けれど迅速に降りていく。

 音をたてていいのならもっと大胆に跳ぶのだが、見つかるわけにはいかない都合上、速度が落ちるのは仕方がないこと。

 命綱もないのだから、落ちようものなら即死は免れまい。

 一応真下に緩衝材(クッション)代わりの兵士はいれど、凄まじい音が響くのは確実。

 見つかれば最後、近くの櫓から狙撃されてしまう。

 こんな暗がりの中での狙撃など、易々とは当たらないと思うが、不要な危険(リスク)を背負うべきではない。

 そんな危険だらけの状況の中でも、彼の表情に緊張の色はない。

 むしろどこか楽しんでいる節もあるのか、生き生きとしているほど。

 そのまま誰にも気付かれることなく崖を降っていった彼は、ある程度の高さで一時停止。

 飛び降りても負傷せず、かつ兵士たちにも見つからないギリギリの高さ。

 タカの眼を発動しながら辺りを見渡し、兵士たちが近くにいないのを確認。

 敵を示す赤い人影はどれも遠く、数も疎ら。

 その配置や気配を頭に叩き込み(マーキングし)、それが済めば準備は完了。

 銀髪の青年は瞬きと共にタカの眼を解除すると、そこから飛び降り、眼下にあった茂みの中に着地。

 がさりと茂みが揺れるものの、それを気にする人物はいない。

 茂みの中でホッと息を吐いた彼は、屈んだ状態のまま歩き出す。

 音をたてずに茂みを掻き分け、時折感じる兵士の気配を機敏に察知しながら、少しずつ前へ。

 

「月や星も見えないとなると、退屈だな」

 

「星見をして暇を潰せるのはお前だけだよ」

 

 途中で聞こえる兵士たちの雑談を小耳に挟みつつ、建物の影から影へと走り抜ける。

 先の会話の通り月が出ておらず、暗すぎるが故に隠れられる場所も多い。

 厚い雲が月に覆い被さり、一際暗くなった時機(タイミング)を見計らって大通りを渡り、無理やり詰め込まれるように乱立する建物の隙間を速度を落とさずに突っ切っていく。

 

「どうしてあの方々は、鉱人の族長なんぞ生かしておくんだ?他の鉱人は単純に労働力になるのはいいが……」

 

「忌々しいことに、奴の技を越えられる職人がいないんだよ。どうにかしてその秘密を吐かせようと躍起らしいぜ?」

 

「尋問でも拷問でもやればいいのによ」

 

「それで腕が使えなくなったら、それこそ大惨事だからな」

 

 窓の隙間からこぼれる雑談に耳を立て、件の族長がまだ存命であるという確信を得る。

 女上の森人を信じていなかったわけではないが、何事も予感を確信に変えるのは大切だ。

 そして、それがわかってしまえば後は早い。

 闇の中を疾走し、誰にも気付かれることなく、鉱山街を縦断。

 鉱人の族長がいると思われる屋敷の近くまで駆け抜けた彼は、手頃な茂みに飛び込む。

 僅かに乱れた呼吸をすぐさま整え、じっと細めた瞳で屋敷を睨み、入り込む隙を探る。

 正面玄関には兵士が二人。倒せなくはないだろうが、却下。死体が見つかれば騒ぎになる。

 屋上から侵入。出来なくはないが、近くに櫓があるから出切れば避けたい。

 屋根の上は下からの視線には強いが、上からの視線には滅法弱い。

 

「……む」

 

 そうして屋敷を探っていた銀髪の青年は、ふと二階の窓が空いていることに気付く。

 中に見張りがいるかもしれないが、それに関しては処理していくしかあるまい。

 覚悟を決めた──と言うよりは、とっくの昔に決めていた覚悟を、ここで改めて決める。

 何かを成すためには、何かを切り捨てなければならない。

 誰かの味方をすることは、誰かの敵となること。

 今回で言えば自分は反乱軍側で、相手は国。

 言ってしまえば正義は向こうにあり、こちらが悪者だ。

 だが、そんな事はどうでもいい。

 

 ──許されぬことはない、だろ。

 

 独り立ちする前に父が教えてくれた、とある言葉。

 父方の祖父から、もっと言えばさらに先祖に至る人物から伝えられた言葉らしいが、その意味までは教えてくれなかった。

 好き勝手にやれと言う、そんな無責任な言葉ではないと思うが……。

 

「やるか」

 

 どんな意味であれ、これからやる事は自分の正義を信じてのこと。

 それが免罪符足り得るかは神のみぞ知るところだが、構うまい。

 神は人の道を見守るだけで、そこに口出しをしてこないからこそ、この世界は成り立っているのだから。

 彼は苦笑混じりに瞳に静かな殺意を宿し、音もなく茂みから飛び出した。

 そのまま誰にも気付かれることなく屋敷の壁に貼り付き、窓枠や排水用の管を伝ってよじ登っていく。

 瞬く間に二階まで登った彼は開いていた窓から中を覗きこみ、誰もいないことを確認。

 するりと音もなく屋敷に侵入した彼はそっと扉を開き、その隙間から廊下を探る。

 燭台の蝋燭には火がつけられ、外に比べて嫌に明るい。

 タカの眼を発動し鉱人の族長の痕跡を探るが、やはりと言うべきか見つからない。

 地下に監禁されているとすれば、一階を重点的に探らねばなるまい。

 運が良ければすぐに見つかることもあるだろうが、

 

「運は自分で掴むもの」

 

 彼は座右の銘とも言える言葉を口にし、部屋を飛び出した。

 

 

 

 

 

 屋敷の中は明るいが、見張りの兵士の姿はなかった。

 仕事中の給仕係──全員が女だ──とすれ違いそうにはなるが、時には天井に貼り付き、時には空き部屋、時には誰かのいる部屋に忍び込み、それらを回避していく。

 見られてはいないが、どうにもその給仕係も怪しいものだ。

 誰も彼も只人ではあるのだが、全員目が死んでいるというべきか、足取りに生気を感じなかったと言うべきか。

 

 ──問題ありだよな。

 

『鉱夫』のせいか『鶴嘴』のせいかはわからないが、彼女らは苦しんでいるようにも見えて仕方がないのだ。

 博打覚悟で誰かに話を聞いてもいいかもしれないが、悲鳴をあげられればほぼ詰みだ。

 だが、話を聞かなければならない状況でもあるのは確か。

 そして、あまり時間もかけられない状況なのも確かなのだ。

 彼女らも心配ではあるが、最優先は鉱人の族長。

 それを違えてはならない。ならないのだが、さてどうしたものか。

 忍び込んだ部屋で壁に寄りかかり、一人考え込む彼は、果たして外から近づいてくる足音に気付いたろうか。

 がちゃりと音をたてて扉が開き、開いた扉と壁の隙間に彼の体がすっぽりと納まる。

 

「……」

 

 やっちまったと頭を抱える彼を他所に、入ってきた人物は二人。

 軽い足音からして一人は女のようだが、もう一つの重い足音からして、連れは男のようだ。

 先に入室した女は怯えたように身体を震わせながら、ベッドの前に立った。

「ふふふ」と気色の悪い笑い声を漏らしながら、舐めるように女の身体を見つめる。

 給仕用のメイド服の上からでもわかる、豊かな胸や括れた腰、肉付きのいい安産型の臀部。

 じゅるりとわざとらしく音をたてて舌舐めずりした男は、「服を脱ぎなさい」と命令口調。

 恐怖に怯え、恥辱に震えながら服に手をかけた彼女は、ぎゅっと目を閉じながら深呼吸を一度。

 そして振り向いた彼女は扉が開きっぱなしな事に気付くが、どうせ声を響かせて回りの部屋にも知れ渡らせるつもりなのだから、閉めてはくれないのだろう。

 

「さあ、早く」

 

 目の前の男はあくまで紳士的な口調でそう言うと、我慢ならないのか自ら女給の服に手をかけた。

 次々と服を脱がされていく中で、女給は身体の震えを押さえようと拳を握りしめる。

 一晩とは言わない、いつも通りにたかが数刻耐えれば終わるのだ。

 

「美しい。まさに神の造形だ」

 

 彼女の柔らかな肢体に触れ、暗がりでも輝いて見える金色の髪を撫で、その香りを楽しむように顔を寄せた。

 僅かに香る香油の甘い香りは、自分が渡したものと同じもの。

 上機嫌そうに笑った男は女給をベッドに押し倒し、自らの服に手をかけた。

 見るからに上等で、それなりの地位にいることを知らしめるそれは、国の上層部に属するのは確実。

 

「これは光栄なことなのですよ。薄汚いあなたが、私の寵愛を受けられるのですから」

 

 上着を脱ぎ、中肉中背と言える特に特徴のない身体をさらけ出しながら、男は女給に覆い被さった。

 そっと彼女の肌を撫で、柔らかな胸に手を触れた瞬間、女給の手が閃いた。

 パチン!と乾いた音が部屋に響き、男は赤くなった頬を押さえ、「そうですか」と不気味に笑んだ。

 

「これがあなたの答えですか」

 

「あ、いや、これは……」

 

 女給もまたこの行動は予想外だったのか、自らの行動に困惑しながら弁明しようとするが、男は浮かべた笑みをそのままに女給の首に手をかけた。

 万力のような力を込めて彼女の首を締め上げ、頭に血が溜まり顔が赤くなっていく。

 

「旧王家の付き人たち。通常であれば死刑なところを、私の懇意で生かされているとご存知の筈です」

 

「もうし……わけ……ありまぜん……っ」

 

 首を絞められ、まともに呼吸も出来ていないのに、許しを求めて声を絞り出す。

 だが男は首を横に振り、「いい機会です」と笑みを深める。

 

「あなたの首を晒して、他の皆に見せつけてやりましょう。そうすればきっと、反乱する意志も砕ける筈」

 

 あなたは見せしめですよと最後に告げて、そのまま首を折らんと力を込めた瞬間、

 

「安らかに眠れ。その死に、意味がなかろうとも」

 

 突如として発せられた祈りの言葉。

 男が「は?」と声を漏らした直後、彼の喉を極細の刃が貫き、振り抜かれた。

 一撃で首の肉を断ち切られ、吹き出した血がベッドと女給の汚していく。

 

「……?あ゛……な……ぜ……」

 

 男は反射的に首を押さえるが、溢れる血は止まることなく、彼の身体は床に倒れこんだ。

 げほげほとむせる女給は訳もわからずに身体を起こすと、すぐさま毛布を被せられる。

 

「……!?な、なに……?!」

 

 驚愕混じりに放った言葉に返事はないが、ごそごそと何かを探る音が微かに聞こえる。

 毛布を退かして顔だけを出した彼女は、今しがた殺された男の衣服を探る不審者の姿を見つけ、思わず悲鳴を漏らしそうになるが、

 

「声を出したらお前も気絶させなきゃならなくなる。怪我をさせたくない」

 

 優しげな声音で告げられた言葉に悲鳴が引っ込み、変わりに出てきたのは「あなたは?」という問いかけ。

 問われた彼は立ち上がり、籠手の内側から飛び出していた血濡れの刃を納刀し、彼女の方へと向き直った。

 

「反乱軍に雇われた傭兵ってところだ。こいつがここの元締め──『鉱夫』とか言う奴か?」

 

 男から拝借したコインを手元で弄びながらの問いかけに女給は頷くと、彼は「よし」と頷いて彼女の服を手に取り、それを彼女に投じた。

 

「これから騒ぎになる。隠れてろ」

 

 彼はただそう告げて部屋を後にしようとするが、そこに女給が「待ってください」と声をかけた。

 律儀を足を止めた彼は「なんだ」と返しながら振り返り、今にも泣き出しそうな彼女を見つめながら肩を竦める。

 

「で、なんだ」

 

 痺れを切らしたかのように乱暴にかけた問いに、彼女は震えながらも返す。

 

「反乱軍ということか、まさか、ここを……」

 

「解放しに来た。まあ、人員は俺一人だが」

 

 ここで銀髪の青年は一つ嘘をついた。

 馬鹿正直に見張りが一人いると言って、彼女が敵側だった場合、外の女上の森人にまで危険が及ぶ。

 銀髪の青年が「もう行っても?」と問うと、女給は毛布にくるまったまま衣装を身に纏い、ベッドから降りた。

 頬や髪が血で赤く染まっているが、それを込みにしても美しく整った顔立ちは、見るものを魅了する。

 だがそれがなんだと言わんばかりに腕を組んだ銀髪の青年は、「他になにかあるのか」と更に問う。

 図らずも『鉱夫』を討ったのだ。目的はあと二つなのだから、手早く済ませてしまいたい。

 

「あなたに協力いたします。お話は、聞いて要らしたのでしょう?」

 

「偶然にも。こればかりは骰の目に感謝だ」

 

「私たちも、ここから出なければなりません」

 

「それはそうだろうな。元締めが死んだ以上、騒ぎになる。それに乗じて逃げろ」

 

 銀髪の青年はあくまで彼女の安全を優先するが、とうの彼女が引く意志を見せず、「お断りいたします」とただ一言。

 眉を寄せ、面倒臭そうに溜め息を吐いた彼は「何故」と問うと、女給は真剣な面持ちで彼に告げた。

 

「私だけが逃げても意味はありません。皆で逃げなくては、また苦しむものが出てしまいます」

 

 それにと呟いた女給はじっと彼を見つめ、彼の手に握られたコインに目を向ける。

 

「ここに来た最大の目的は、鉱人の族長様の救出と『鶴嘴』様の抹殺、ですね」

 

「それが済めば実際解放できたようなものだからな」

 

「私はそれぞれの場所を知っています。鉱人の族長とは、顔馴染みでもあります」

 

 女給はそう言うと「どうしますか?」と重ねて問うた。

 手懸かりもなしに族長や『鶴嘴』を探して鉱山街を駆け回り、無用な危険(リスク)を背負うのか、とりあえず彼女の話を聞き、ある程度の指針を決めるか。

 銀髪の青年は悩んでいるのか黙りこみ、顎を撫でながら溜め息を吐くと、部屋に残ったまま扉を閉めた。

 窓もカーテンも締め切られている為、酷く暗い部屋にいるのは銀髪の青年と女給のみ。

 

「話を聞こう。情報は」

 

「ありがとうございます。では、族長様の所在から」

 

 二人は顔を付き合わせ、だいぶ抑えた声で互いの情報の交換をしていく。

 ここに冒険者と給仕という、世界広しと言えど珍妙と呼べる協力関係が築かれたのだった。

 

 

 

 

 




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Memory09 鉱山街攻略戦

 鉱山街に置かれた、『鉱夫』の屋敷。

 その主が殺された事も知るよしもない外の兵士たちは、屋敷内が慌ただしいことにも気付かない。

 

「良いですか、外の人たちに気付かれてはなりません。普段通りを装いつつ、脱出の用意を」

 

 屋敷の大広間。銀髪の青年が助けた女給──侍女長だそうだ──の声かけにより集められた給仕たちは、その言葉を信じられないと言わんばかりの表情を浮かべた。

 ここにいるのは旧王家に仕えていた一族の人たちらしく、殺されない代わりにこの街に死ぬまで尽くすことを強制された奴隷たち。

 ざわざわと騒がしくなる彼女らを見つめながら、侍女長の背後に控えるように立っていた銀髪の青年は一度咳払い。

 

「俺はこれから外で騒ぎを起こす。勝てればそれで構わないが、負ければ間違いなくお前らも殺される」

 

 単刀直入に告げられた言葉に、給仕たちは顔色を青くし始める。

 恐怖に涙を流す者。

 親しい者同士で身を寄せ会う者。

 震えてその場にへたり込む者。

 反応こそ人それぞれであるものの、彼の勝利を信じる者は誰一人としていない様子。

 だが予想通りではあったのか、彼は気にした様子もなく肩を竦めた。

 

「勝手で悪いが、もう事は起こっているし、何なら『鉱夫』は殺してしまったし」

 

 そう言いながら懐から『鉱夫』が持っていたコインを取り出し、照明に照らされて輝くそれを掲げた。

 給仕たちはそれを見上げるが、表情や反応に変わりはない。

 

「一緒に戦ってくれとも、信じてくれとも言わない。だが祈ってくれ。蛇の目(ファンブル)が出ないように」

 

 彼は話をそう締め括るとコインを懐にしまうと、侍女長に目を向けた。

 頷いた彼女がパンと手を叩くと、給仕たちの視線が一斉に彼女に向いた。

 

「部の悪い賭けなのは百も承知です。彼を信じられない気持ちも、死にたくない気持ちも、全てわかります」

 

 侍女長は給仕らの心の声を代弁しながら、祈るように豊満な胸に手を当てた。

 嫌にうるさい心臓の音を聞きながら、深呼吸をして自分を落ち着かせる。

 王家が滅ぼされ、あの炎の中死に損ない、『鉱夫』に拾われ、道具同然に扱われる日々。

 それに耐えながら待ち望み、だが決して来ないと諦めていた反乱の日が、突然に訪れた。

 覚悟を決めるには時間が足りないが、早くせねば時間を無駄にしてしまう。

 ぎゅっと握った拳を開き、不安げに見つめてくる友らに向けて言う。

 

「ですが、今が動く時です。皆でこの地獄を耐え忍んだのは、今日の為だったのでしょう。取り決め通りに動き、また皆でお茶を飲みましょう」

 

 そして儚げな笑み浮かべながら告げた言葉に給仕たちは顔を見合わせ、確かにと頷きあった。

『鉱夫』や兵士らに見つからないように、少しずつ進めていた物資の収集や、手筈の割り振り。

 それらがどこまで生かせるかはわからないが、何もせずに震えているよりは良いだろう。

 悲観的だった給仕らの表情に活力が戻り、涙を拭う者や立ち上がる者が出始める。

 大丈夫そうだなと頷いた銀髪の青年は、ふとした疑問を侍女長にぶつけた。

 

「……お前は、王家の誰に仕えていたんだ?」

 

「王女様です。もう、亡くなられていますが……」

 

 侍女長は目を伏し、顔に影を作りながらそう返した。

『鉱夫』やその他幹部らに告げられた、王家断絶という信じたくはない言葉。

 彼女を始めここの給仕らもそれを聞かされ、その話を信じているのか、皆が一様に黙祷するように小さく俯いた。

「王女、ね……」と顎に手をやりながら呟いた銀髪の青年は、侍女長に更に問うた。

 

「その王女は、黒髪赤目の半森人か?」

 

「……?その通り、ですが……」

 

 彼の問いに不思議そうに首を傾げ、困惑に言葉を詰まらせながら肯定すると、「なぜご存知なのですか」と問いを返す。

 

「本物かどうかは知らないが、それらしい少女を保護した。今は反乱軍の拠点にいる筈だ」

 

 彼は腕を組み、何故だか久しく会っていないように思えてきた半森人の少女の姿を思い浮かべ、苦笑を漏らした。

 

「人懐こすぎて、見ているこっちが心配で堪らなくなる」

 

 そして付け加えた言葉に、侍女長が弾かれるように反応した。

 胸ぐらを掴むほどの勢いで彼に詰め寄り、「どうしてそれを早く言わないのです!?」と鬼気迫る表情で告げた。

 ガクンガクンと身体を前後に揺らされながら、銀髪の青年は「生きているのが共通認識かと」と苦し紛れの言い訳を放つ。

『お前らが味方の保証がない』と言ってしまえば、ようやく持ち直した彼女らの空気がまた悪い方向に流れてしまうと判断してのことだ。

 

「私たちに逃がす動機を与えるようなことを、あの方々がするわけないでしょう?!」

 

「声を抑えてくれ。騒ぎになる」

 

「……っ!──!!」

 

 どんどんと強まっていく侍女長の声色に、銀髪の青年はあくまで冷静に切り返した。

 結果的に静かになったが、行き場を失った怒号が拳となって彼の胸に打ち込まれる。

 もっとも、年上と思われる相手とはいえ、対して鍛えていない女性の拳だ。

 彼の革鎧を貫くことはなく、僅かな衝撃を感じる程度。

 

「……なんか、すまん」

 

 むしろ拳を痛めて涙目になり始めた彼女に、銀髪の青年は心底申し訳なさそうに謝った。

 

「もう、知りません!姫様がご無事である以上、ここに長居する必要もありません!皆、手筈通りにいきますよ!」

 

 侍女長が放ったその宣言が、行動開始の合図となった。

 

 

 

 

 

 屋敷の地下室。

 上等な絨毯や装飾類に飾られた上とは違い、苔やカビの生えた石材が剥き出しのそこは、陰湿な雰囲気を醸し出していた。

 光源らしいものは何一つとしてなく、頼りになるのは手にしている松明のみ。

 タカの眼を使えば松明も不要かもしれないが、光源なしの暗闇では流石に限界がある。

 父ならどうにかなるかもしれないが、まだあれほど極まっているわけでもないのだ。

 念のためと壁に手を着きながら階段を降り、松明なしでは自分の姿さえも視認できない暗闇の中を、松明の明かりとタカの眼を併用しながら黙々と進むこと数分。

 突然目の前に現れた鉄格子と、その奥に鎮座する金色に輝く人影。

 タカの眼を解除すれば、闇の奥からギラギラと燃えるように揺らめく瞳がこちらを睨んでくる。

 それをタカの眼光でもって睨み返した銀髪の青年は、ふむと唸って鉄格子の鍵を開けた。

 そのまま押し開けば錆びた鉄が擦れる耳障りな音が地下に木霊し、暗闇の中で銀髪の青年は眉を寄せる。

 

「生きてるか」

 

 そのまま入室した彼は、松明で件の鉱人の族長を照らしながら声をかけた。

 

「……何者じゃ。奴の仲間ではないな」

 

 そして返されたのは、憔悴しているのか、あるいは喉が乾いているのか、酷く掠れた声での問いかけだった。

「ああ、仲間じゃない」と真剣な面持ちで返した銀髪の青年はその場に膝をつくと、松明に照らされる鉱人の族長の顔を見つめた。

 酷く窶れ、恰幅のいい鉱人とは思えぬ程に痩せ細ってはいるが、強制労働のお陰か手足の筋肉は凄まじいの一言。

 痩せているのに筋肉質なのは、見ていて不気味なようにも思えるが……。

 

「あんたの知り合いかどうかは知らないが、金髪の圃人に頼まれた」

 

「あの気に食わんチビか。奴に貸しを作るのは癪じゃが、仕方があるまい」

 

 銀髪の青年が告げた言葉に、鉱人の族長はにがむしを噛み潰したような表情でそう吐き捨てた。

 二人の間にある個人的なわだかまりはどうでもいいが、合流して即殺しあいに発展されてもことだ。

 

「上に食事も用意してある。酒はないが、我慢してくれ」

 

 銀髪の青年は構わずにそう言うと、鉱人の族長ははっ!と鼻を鳴らし、「構うものか」と青年を睨む。

 

「この際食えるのなら何でもよいわ!」

 

 身体が痺れる程の迫力が込められた咆哮を真正面から受けた銀髪の青年は、「まあ、そうだよな」と肩を竦めた。

 自分がこの族長と同じ状態で、似たような事を言われたら、彼と全く同じ事を言うに決まっている。

 

「とにかく、こんなカビ臭い場所からはさっさと出るか」

 

「そう思っておるのなら、早くせんか。儂と同じで、鼻が利かなくなってしまうぞ」

 

 鉱人の族長の脅しに「それは怖い」とわざとらしく笑みながら返し、彼の手首に填められた手錠を外しにかかる。

 松明なしでは何も見えない暗闇の中で、小さな鍵を小さな鍵穴にどうにか填めようとする音が、嫌に地下室に響く。

「まだか」と急かしてくる鉱人の族長の言葉に、銀髪の青年は「見えにくいんだ、察してくれ」と額に汗を滲ませる。

 鉱人の族長に当たらないように松明を固定しつつ、小さな鍵を操っているのだ。想像している以上に緻密な動きを強いられる。

 だが、それも一瞬のこと。

 ガチャリと音をたてて手錠が外れ、手錠が石に落ちた甲高く乾いた音が部屋に響く。

 手錠の痕が残ってしまった手首を擦りながら立ち上がった鉱人の族長は、顎髭を扱きながら背筋を逸らした。

 パキパキと音をたてて固まった骨が解れ、彼の口からも呻き声が漏れる。

 

「ぬぅ。枷なしで動くのは、いつぶりじゃろうな」

 

「それは知らないが、ともかくさっさと行くぞ。外の連中に見つかれば面倒だ」

 

 肩を回し、腰を回し、首を捻り、手首を回し、その度に鉱人の族長の身体からはバキバキと音が鳴る。

 流石に心配になった銀髪の青年が「大丈夫か?」と問うと、当の彼は「気にするでない」とゴキッと指を鳴らした。

 

「それにしても只人嫌いのあやつらが、只人を助けに寄越すとわな」

 

「あいつらなりに考えてのことだ。俺は報酬さえ貰えれば、それで構わない」

 

「傭兵みたいな事を言うんじゃな」

 

傭兵(マーセナリー)ってよりは、冒険者(アドベンチャラー)呼びの方が嬉しいんだが」

 

「冒険者?あまり聞かん言葉じゃが、そう呼ばれたいのなら呼んでやるわい」

 

 鼻を鳴らしてそう告げた鉱人の族長は「先導せい」と銀髪の青年の肩を叩く。

 彼としては軽く叩いたつもりなのだろうが、思いの外強かった衝撃に怯んだ銀髪の青年は、叩かれた肩を回しながら「了解」と返して歩き出す。

 一寸先も見えないほどに暗く、空気も肌に貼り付くようで気持ちが悪い。

 当然と言えば当然だが、居心地最悪な地下室を脱出し、屋敷のとある部屋へと顔を出す。

 本棚の裏に隠されていた階段は、銀髪の青年のタカの眼なしで気付くのはまず不可能。

 はぁと溜め息を吐き、絨毯の踏み心地が気持ち悪いよか身じろぎした鉱人の族長は髭を扱くと銀髪の青年に問いかける。

 

「それで、次はどうする。飯があるとか言っておったが」

 

「ああ、それは問題ない」

 

 その問いかけに微笑み混じりに返した銀髪の青年は、ドンドンと部屋の扉をノック。

 すると外側から扉が開けられ、「お待ちしておりました」の一言と共に侍女長が部屋に入ってくる。

 鉱人の族長に目を向けた彼女は微笑むと、「ご無事で、何よりです」と僅かに目に涙を浮かべながら一礼。

 それだけで彼女が鉱人の族長に向ける想いがそれなり以上なのはわかるが、それに対する族長はだいぶ素っ気ない。

 

「腹が減って仕方がないこと以外は、問題なしじゃ」

 

 ヒラヒラと手を振りながら返した彼は、乱暴に頭を掻いた。

 ボリボリと音をたてて髪を掻く度にフケが絨毯に落ちるが、別にここに住むわけでもないのだからと三人は気にしない。

 銀髪の青年はポンと手を叩くと、二人に向けて不敵な笑みを向けた。

 

「それじゃ、食事を挟んだら行動開始だな」

 

 彼の言葉に二人は同時に頷くと、銀髪の青年は念のためと地下室へと扉を改めて隠した。

 それを合図に侍女長の先導で屋敷を歩き始める。

 廊下ですれ違う給仕らの、怪訝に思いながらも期待の色も濃い視線を受け流しつつ、鉱人の族長は髭に隠された口を歪ませる。

 

「ストレスが溜まりに溜まっておるでな、全て吐き出させてもらうぞ」

 

 食事の後に始まる闘争を前に、静けさを保っていた彼の血が騒ぎ始めていた。

 

 

 

 

 

「始めるとするか」

 

 肉臭いげっぷをした鉱人の族長の言葉に、銀髪の青年は頷いた。

 侍女長らは既に脱出──と言うよりは籠城か──の用意を終え、鉱人の族長も屋敷にあった武具をかき集めて武装もさせた。

 何を持っても軽いだの脆いだのと言っていたが、屋敷には只人用の装備しかないのだから、彼に合わないのは当然のこと。

 彼自身が調整を加えたとはいえ、籠手や脚絆の留め具は今にもはち切れてしまいそうだ。

 だが彼はやる気十分のようで、肩を回すとパキパキと首を鳴らした。

「よし、やるか」と言って深呼吸をした銀髪の青年は、目の前にある屋敷の表玄関に触れる。

 見ればわかる高価なそれは、果たしてどこの森の木を切り出してきたのだろうか。

 触れれば僅かに森の気配を感じ、鼻に意識を向ければ僅かに香る森の匂いが鼻孔をくすぐる。

 おそらく森人の里の、それも神木を使ったのだろう。罰当たりにも程がある。

 只人至上主義の連中のたちの悪さは知っているが、国単位でそれが行われた時の被害の大きさに眉を寄せつつ、彼はふと反乱軍の森人らを思い浮かべた。

 壊さずに彼女に渡せば、多少なりとも信用してくれるのではないかと思ってのことなのだが、それはあくまで彼が思っただけのこと。

 横で拳を構えた鉱人の族長はそれを知るよしはなく、腰を捻って力を溜める。

 腕には血管が浮かび、作られた拳はさながら岩のよう。

 

「──派手に行くぞ!!」

 

 宣言と共に放たれた拳はたやすく扉を破壊し、盛大な破砕音が鉱山街に木霊した。

「あ……」と声を漏らす銀髪の青年を他所に鉱人の族長は雄叫びをあげ、突撃を開始。

 玄関前を固めていた兵士二人が振り向いた瞬間、その視界を拳が埋め尽くした。

 直後、パァン!!と乾いた快音が響き渡り、顔面を拳状のへこませた兵士二人が、頭の穴という穴から血を噴き出しながら崩れ落ちる。

 

「ハッハッ!『鶴嘴』よ、儂はここにいるぞ!!」

 

 そして獰猛な笑みを浮かべながら空に向けて叫んだ。

 憎き相手を、一族をここに閉じ込める怨敵を戦場に引きずり出さんと、彼へと宣戦布告を吼えた。

 だが返答代わりに迫るのは、ガチャガチャと金属が揺れる音。

 深々と溜め息を吐きながら屋敷を出た銀髪の青年はバラバラになった玄関を見下ろし、再びの溜め息。

 背負っていた円盾を左腕に括りつけ、ついでに長筒(ライフル)を右手でふん掴む。

 

「派手にやるとは聞いていたが、ここまでするのか」

 

 こちらに集まってくる兵士たちを睨み付けた銀髪の青年はそう言うと、鉱人の族長の隣に立った。

「当然よ」と髭を扱いた族長は「まさか、怖いわけではあるまい」と挑発的な笑みを彼に向けた。

「まさか」と肩を竦めた彼は不敵な笑みで返し、ちらりと近くの櫓へと目を向ける。

 

「脱走だ!あと、隣のあいつは誰だ?!」

 

「知らん!見張りは何をしていた!?」

 

 弓兵の片方が敵襲を知らせる角笛を鳴らし、もう一人が弩を構える。

 

「影の中を行こうと思ったんだがな……」

 

「儂を助けた時点でそれは諦めることじゃ!さあ、行くぞ!」

 

 長筒を構えた銀髪の青年を他所に、鉱人の族長は正面から迫る兵士たちに向けて突撃を開始。

 

「どけ、雑兵どもがぁああああ!!!」

 

 盾を並べて受け止めようとした兵士たちの隊列を、真正面から純粋な力でもって食い破り、何の比喩でもなく千切っては投げを繰り返す。

 痩せ細っているのに、さながら食人鬼(オーガ)の如き力は、果たしてどこから出しているのか。

 そんな疑問はつきないが、やることな変わるまい。

 銀髪の青年は鉱人の族長を狙う弓兵に向けて銃口を向け、何の躊躇いもなく引鉄を引いた。

 間近で放たれた火の秘薬が爆ぜる音が鼓膜を叩き、凄まじい速度をもって放たれた弾丸が弓兵の頭を撃ち抜く。

 断末魔をあげることもできずに即死した弓兵が櫓から転がり落ちると、銀髪の青年は次弾を装填。

 そのまま近場の家屋に向けて走りだし、窓枠を足掛かりに屋根の上へと駆け上がる。

 たどり着くと同時に長筒を構え、照準器越しに隣の同僚が殺られても冷静にこちらを狙っている弓兵と睨みあった。

 その時間はまさに刹那。端から見れば睨みあった事にも気づくまい。

 だが確かに、その瞬間二人の視線は交錯したのだ。

 

「っ!」

 

 先に動いたのは弓兵だった。

 絶殺の殺意を込め、引鉄を引く。

 発条(バネ)が弾ける異音と共に太矢(ボルト)が放たれ、銀髪の青年の眉間を貫かんと一直線に飛ぶが。

 カン!と甲高い金属音と共に、折られた太矢が宙を舞った。

 弓兵が「は?」と間の抜けた声を漏らすのは当然のこと。

 放てば最後、相手は死ぬと言っても過言ではない弩を、こちらが先に放ったのだ。

 なのに相手は倒れず、銃口は変わらずこちらを向いている。

 簡単なことだ。銀髪の青年は左腕に括った円盾でもって、迫る太矢を弾き飛ばしただけ。

 言葉にすれば確かに簡単ではあるが、実践するとなれば人並外れた反応速度が必要となる。

 だが、彼を並の只人と考える時点で間違いなのだ。

 成人して三年足らずで、在野最高の銀等級冒険者に登り詰めた彼が、凡夫であるわけがない。

 弓兵はそれを理解する間もなく、放たれた弾丸に眉間を撃ち抜かれ、その命を奪われた。

 そのまま櫓から転がり落ちると、ぐちゃりと肉の潰れる微かな音が、銀髪の青年の耳に届いた。

 頭から落ちたのだ、痛みがないにしても、その遺体は悲惨なことになっているに違いない。

 フーッと息を吐いた銀髪の青年が長筒を背中に戻し、屋敷の正面に視線を戻すと、相変わらず暴れまわっている鉱人の族長の姿が視界に入った。

 雄叫びをあげながら拳を振るい、兵士の兜を、鎧を砕き、相手の刃は掠めることもない。

 援護もいらなそうではあるが、まだ兵士がこちらに集まって来ているのだ。

 やれやれと首を振った銀髪の青年はちょうど真下に兵士がいることに気付く。

 好都合と言わんばかりに腰に帯びていた暗い刃の剣を引き抜くと、逆手に持ち替えながら跳躍。

 落下の勢いに任せ、特殊な毒を仕込まれた刃を、真下にいた不幸な兵士の肩に突き立てた。

 鎧の肩当ての避け、鎖骨をはじめとした骨さえも掻い潜った一突き(スティング)は、相手の心臓を貫く。

 ごぼりと血を吐いた兵士から剣を抜きながら蹴り倒し、異常を察知して振り向いた兵士の首を一閃。

 骨さえも容易く断ち切られた瞬間を、果たしてその兵士は認識できたのだろうか。

 彼はそのまま声をあげることなく地面に倒れ、泣き別れしたごろごろと生首が転がっていく。

 その表情は驚愕に染まり、死への恐怖を感じている様子はない。

 

「ぬぅらぁぁああああああ!!!」

 

 生首に一瞥くれた銀髪の青年を他所に、鉱人の族長は止まらない。

 頭を叩き潰した兵士の足を掴み、棍棒よろしく振り回す。

 鎧を纏った成人男性の重量を、万全には程遠い状態で振り回せるのは、素の能力に恵まれたお陰か。

 

「でりゃぁあああああああ!!!」

 

 周囲を囲んでいた兵士を蹴散らした鉱人の族長は、これで締めだと言わんばかりに近くの櫓に向けて兵士を放り投げた。

 さながら投石機で放たれた岩石のように飛んだ兵士は、その身体を四散させながら櫓を倒壊させる。

 

「がはは!儂を止めたくば、これの三倍は連れてこい!」

 

 返り血で全身を赤く染めながら興奮に目を見開き、心底楽しそうに爆笑している様はさながら化け物(モンスター)のよう。

 

「……こっちが悪役に思えてきたな」

 

 銀髪の青年は肩を竦めながらそう言うと、まだ息のあった兵士に刃を突き立ててトドメを刺してやる。

 助ける手立ても、理由もないのだから、無駄に苦しませる理由もない。

 無駄に痛め付けず人思いに殺してやるのも、殺す側の責任のようなもの。

 殺した後の亡骸を弄ぶのも、余程のことがない限りしてもいけない。

 父に言われたそれを遵守するのはいいことだろうが、縛られ過ぎてもいけないとは母の言葉。

 その匙加減が難しいのだが、上手いこと折衷させることは出来ないだろうか。

 むぅと悩ましそうに唸ると、鉱人の族長が「どうかしたんか?」とその肩を叩いた。

 ドンと身体の芯に響くそれは、殺す気はなくとも多少なりとも痛痒(ダメージ)を受けるほど。

 拳骨でもされたような鈍い痛みが肩から広がり、銀髪の青年は小さく眉を寄せた。

 その反応にハッとした鉱人の族長は手を離す。

 

「すまん、痛かったか?」

 

「いや。思いの外、重かっただけだ」

 

 肩を回して具合を確かめながら返した銀髪の青年は、「怪我は?」と鉱人の族長に問うた。

「問題ない」と髭を扱いた彼は、「じゃが火酒が飲みたくて堪らんわ」と深々と溜め息を吐いた。

 

「麦酒では酔えないか」

 

「あんなもん、水や茶と変わらん」

 

「なら、終わるまで我慢しろ」

 

 鉱人の族長の愚痴にそう返した銀髪の青年は、剣の切っ先を大通りの奥へと向けた。

 そこには隊列を組んだ兵士らが待ち構えており、殺意に満ちた視線が二人に向けられている。

 

「大人気だな」

 

「はっ!三倍は必要だと申したであろうが!」

 

 二人はその声かけと共に走りだし、隊列を真正面から食い破らんとした瞬間、隊列が左右に割れた。

「む」「おぅ?」と声を漏らして警戒を強めた瞬間、奥に控えていた神官と思われる男が錫杖を掲げた。

 

「《英知の父、知識の母、聖なる声よ。我らが敵に、その威光を示したまえ》」

 

 そして何かを詠唱すると、錫杖の先に超自然の雷が産み出される。

 その雷と、肌に感じる迫力に覚えがある銀髪の青年は、盾を構えながら冷や汗を流す。

 

「『聖撃(ホーリースマイト)』?!聞いたことがない詠唱だが……っ!」

 

「奴らが信じる神への嘆願じゃ!って、お主、なぜそれを知らん!?」

 

 二人が言い合っている内に雷が収束していき、眩い閃光が夜の闇を照らす。

 それが他の無名神の奇跡なら、ある程度割り切れるものもあるのだが、相手が奉じているのは謂われも知らない謎の神だ。

 その奇跡に殺られては、魂がどうなるのかもわからない。

 二人が回避せんと動いた瞬間、鉱石街の三方を囲む断崖絶壁の上から、無数の矢が降り注いだ。

 その矢は奇跡の嘆願者の頭を貫き、他の兵士らの頭も次々と撃ち抜いていく。

 

「今度はなんじゃ!」

 

 突然バタバタと兵士たちが倒れていく光景に狼狽える鉱人の族長だが、足元に突き立った矢を見つめてぎょっと目を見開いた。

 矢だと思っていたそれは、イチイという植物の枝だ。

 鏃には芽、矢羽には葉が使われ、鉄を一切使っていない。

 そしてそんな矢を使う種族は、世界広しと言えど一種のみ。

 

「く、屈辱じゃ……っ!」

 

「……あとで礼を言わないとな」

 

 鉱人の族長は憎たらしい森人に助けられた現実に打ちのめされ、銀髪の青年は半分存在を忘れていた彼女の事をようやく思い出す。

 鉱人と森人が犬猿の仲なのは、もはや世界にとっての常識だ。なぜ不仲なのかは、誰も知らないが。

 

「とにかく、このまま三人で(・・・)ここを落とす。いいな」

 

「ぐ、ぬぅぅ!!背に腹は変えられん!」

 

 彼の言葉に鉱人の族長は苦虫を噛み潰したような表情で応じると、銀髪の青年は「よし」と頷いて崖の上に目を向けた。

 タカの眼を使っても遠すぎるそこは見えないが、きっと彼女はこちらを見てくれている筈。

 世界屈指の弓術を誇る森人の中でも、その王族たる彼女の腕前は広い世界でも指折りだろう。

 

 ──なら、怖いものはないな。

 

 彼は不敵な笑みを浮かべ、腹いせに生き残りを殴り倒した鉱人の族長に続き、他の兵士たちの相手を始める。

 この国の未来を決める戦いの初戦は、こうして幕を開けた。

 忌み嫌われる只人。

 故郷を灰へと変えられた森人。

 罪人として幽閉されていた鉱人。

 この三人により、国の片隅の小さな鉱山から、始まったのだ。

 

 

 




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Memory10 鶴嘴

「『鶴嘴』よ!儂はここにいるぞ、かかってこぬかぁぁあああああああああああ!!!!」

 

 兵士たちの骸が転がる鉱山街中央広場。

 街の端にあった屋敷から始まった銀髪の青年と鉱人の族長による進撃は止まらず、ついに街の中央にいたるまでとなった。

 崖上から女上の森人の援護があったとはいえ、それぞれ数十人の兵士を相手取りながら前進し続け、それでも息を切らした様子も見せないのは異常とも言える。

 暗い刃の片手剣に血払いくれた銀髪の青年は、「どこじゃ臆病者!」と『鶴嘴』を煽る鉱人の族長の見つめて肩を竦めた。

 

「そんな挑発に乗ってくる相手なのか?」

 

「乗るとも!奴は単純な癖して自尊心が強い。虚仮(こけ)にしてやれば向こうから来るわい!」

 

「そうなのか」

 

 彼の言葉に意外そうな反応をした銀髪の青年は、ふむと声を漏らして顎に手をやった。

『鶴嘴』という奴が何者かは知らないが、少なくともここ数年で『鶴嘴』を見てきた鉱人の族長が言うのならそうなのだろう。

 

「……まあ、街中を探し回れば見つけられるか」

 

 銀髪の青年が片目を閉じて鷲と視界を共有しようとすると、鉱人の族長がその提案を鼻で笑った。

 

「はっ!そんなことせずとも、呼べばくると言うとるじゃろうが!」

 

 どこじゃ卑怯者!と再び叫んだ彼は、どこから湧いてきたのか敵の増援を睨み付ける。

 

「自分で手を下すつもりはないということか。この程度の雑兵で、儂らを倒せると思とるんか、間抜けめ!」

 

 口に拡声器(メガホン)でも着けているのかと言いたくなる怒号に、銀髪の青年は思わず片耳を押さえた。

 

「叫びすぎだ。耳が痛くなってきたぞ」

 

 彼はそう苦言を呈するが、鉱人の族長は聞き入れる様子を見せない。

 邪魔じゃ邪魔じゃ!と相変わらずの雄叫びをあげながら、現れた増援に向けて突撃していく。

 その背中を溜め息と共に見送った銀髪の青年は、仕方がないと言わんばかりに頭を掻くと、その背を追って走り出す。

 

「でぇぇぇぇりゃぁあああああ!!」

 

 雄叫びと共に振るわれた豪腕が兵士たちの身体を吹き飛ばし、銀髪の青年は降り注ぐ兵士の合間を縫って疾走。

 

「シッ!」

 

 鋭く息を吐く音と共に剣を一閃し、すれ違い様に兵士二人の首を切り裂く。

 そのまま反転ついでに左腕の円盾を振り抜き、背を狙っていた兵士の顔面を殴打。

 ぐちゃりと骨と肉を潰す感覚に眉を寄せるが、すぐに振り切って追撃に剣を振り下ろす。

 左肩にまっすぐ振り下ろされた一閃は、兵士の鎧と骨を容易く両断し、そのまま心臓を切り裂く。

 がぼがぼと血の泡を噴く兵士を蹴り倒し、左に一歩踏み込む(ワンステップ)

 突然の接近にたじろぐ兵士の表情を見つめながら、剣を真一文字に振り抜く。

 鎧ごと腹を裂き、ぶちまけられる(はらわた)に一瞥くれて、左手を雑嚢に突っ込む。

 

「フッ!」

 

 そして短く息を吐きながら左手を振り抜き、先に捕縛用のフックが取り付けられたロープ──ロープダートを飛ばす。

 放たれたロープダートは兵士の喉笛を捉え、巻き取ると同時にフックが喉を切り裂く。

 声もなく裂かれた首を押さえながら崩れ落ちる兵士を他所に、拳銃嚢(ホルスター)に手を伸ばす。

 乱暴に引っ張り出した短筒(ピストル)で正面から向かってきた兵士の顔面を打ち据えて怯ませ、その口に銃口を捩じ込む。

 そのまま短筒を咥えさせたまま銃口を他の兵士に向け、引鉄を引いた。

 くぐもった炸裂音と共に弾丸が放たれ、短筒を咥えていた兵士の頭を四散させながら、奥で構えていた兵士の腹を撃ち抜く。

 頭を吹き飛ばされた兵士を踏み台に跳躍し、腹を撃たれて膝をついた兵士の脳天に剣を振り下ろした。

 暗い刃の一閃は紙を切るように兵士の身体を縦に両断し、臓物と共に溢れた大量の血が地面を汚す。

 剣を振って血払いをくれた銀髪の青年がちらりと鉱人の族長に目を向ければ、兵士の頭を殴り潰した彼が恐怖を煽るように豪快な笑みを浮かべた。

 

「はっはっ!どうした、もっと本気で来んか!」

 

「本気で来ても、この程度なら問題ないが」

 

 そして彼に合わせるように呟いた銀髪の青年は、たじろぐ兵士たちを睨みつけた。

 鉱人の族長が放つ圧倒的強者の迫力と、銀髪の青年が放つ冷たい殺意に当てられた兵士らは、流石に義務感より恐怖の感情が勝り始めたのか、じりじりと摺り足で下がり始める。

 その様子にとりあえずの勝ちを確信し始めた鉱人の族長は、はっ!と鼻で笑って兵士らを馬鹿にすると、腹が膨らむほどに息を吸い込んだ。

 

「『鶴嘴』よ、何度も言わせるでない!いい加減、儂らの前に顔を見せぬかぁぁぁあああああああ!!!!」

 

 間近で太鼓を鳴らされたような、腹の奥底に響く重い声に、銀髪の青年は堪らず耳を押さえた。

 兵士たちも同様に耳を押さえる者もいれば、その迫力に腰が抜けて尻餅をつく者、涙ながらに逃げようとする者と、反応は様々ではあるが、まともに戦えそうなのはもう片手で数えきれる程度。

 

「──びーびーびーびー、うるせぇんだよ!カビ臭ぇ鉱人風情が!」

 

 そんな怯える彼らの耳に、ようやく希望を感じる声が届いた。

 兵士たちは一様に顔をあげてそちらに目を向け、つられる形で銀髪の青年と鉱人の族長も兵士の隊列の奥を睨む。

 

「俺の手を煩らせるなって、言っただろうが!何を苦戦してやがる」

 

 兵士たちが左右に別れて道をつくり、そこを堂々と歩くのは上半身裸の只人の男。

 筋骨隆々で二メートル越えの体躯。

 髪の毛は全て刈っているのかスキンヘッドだが、その代わりにどこか幾何学的な紋様の入れ墨が入れられている。

 いや、頭だけではなくその入れ墨は全身にまで及び、一見神々しいが、酷く不気味な気味の悪さも併せ持つ。

 そして肩に担ぐのは斧でも剣でもなく、巨大な戦嘴(ウォーピック)

 その戦嘴は一見ただの数打ちのものに見えるが、身体の入れ墨とよく似た柄の紋様が雑な作業で掘りこまれている。

 

「……あの入れ墨の紋様、どこかで見た気がする」

 

「あの紋様はいつ頃からか奴らが使い始めたものじゃ。兵士か、あるいはどこかの建物に使われていても不思議ではない」

 

 目を細め、神妙な面持ちで首を傾げた銀髪の青年に、鉱人の族長は親切にそう説明した。

 そう言われた銀髪の青年は余計に首を傾げ、「いや、もっと──」と何かを言いあけると、『鶴嘴』がゴキゴキと首を鳴らし、兵士らを一瞥。

 

「ったく、痩せこけた鉱人の一人も殺せんのか、お前らは」

 

「し、しかし、『鶴嘴』様……っ」

 

 言葉に怒気を込め、明らかに不機嫌な様子の『鶴嘴』に兵士の一人が弁明しようとするが、「あ゛?」とどすの利いた低い声だけで黙らさられた。

 立場としては上司と部下なのだろうが、やはりと言うべきか下からの意見は聞く気はないらしい。

 

「そういった手合いは、ふとした拍子に背中を刺されると相場が決まっているが……」

 

 今回は例外みたいだなと肩を竦めた銀髪の青年は、すっと細めた蒼い瞳に殺意を滲ませた。

 それを感じ取ったのか、『鶴嘴』は不機嫌そうに鼻を鳴らしながら、意外なものを見たかのように目を見開く。

 

只人(ヒューム)なのに亜人とつるんでやがんのか。へぇ、その馬鹿を逃がしたのはあんたか」

 

「誰が馬鹿じゃ、この愚か者めが!」

 

『鶴嘴』に煽られた鉱人の族長が憤怒の表情を浮かべながら煽り返すが、当の本人は額に青筋を浮かべているが返すつもりはないらしい。

 彼は銀髪の青年に目を向けながら、にかりとどこか友好的とも言える笑みを浮かべる。

 

「なあ小僧。今からこっちに鞍替えしないか?あんたなら、近衛騎士なんてすぐだぜ?」

 

「……近衛騎士?」

 

『鶴嘴』の言葉に銀髪の青年は眉を寄せ、気になる単語をおうむ返し。

 近衛騎士と言われれば、まず間違いなく王の護衛などの業務を行う騎士中でもより上位のものを示すものが思い浮かぶが。

 彼の返答を好意的と受け取ったのか、『鶴嘴』は「おうとも」と返しながら身体を見せつけるように両腕を広げた。

 

「俺のように王から二つ名を賜り、亜人狩りやこういった施設の運用の指揮をする。楽な割に給料払いのいい仕事だぜ?」

 

「どうせなけなしの金で雇われてんだろ?それよりも何倍の金が入るのは間違いねぇ。どうする、小僧」

 

「……」

 

 銀髪の青年は『鶴嘴』の甘言(かんげん)に顎に手をやり考える素振りをすると、「むぅ」と小さく唸った。

 その反応に攻め時と見た『鶴嘴』は満面の笑みを浮かべた。

 

「隣のそのカビ臭ぇやつを殺して、その首を俺に寄越しな。そしたら、王に推薦してやるよ」

 

 さあ、どうする!と煽る『鶴嘴』に、銀髪の青年は悩むように頬を掻いた。

 隣の鉱人の族長は「まさか、お主……っ!」と信じられないものを見せられたように驚きながら、素早く身構えた。

 銀髪の青年が頷けば最後、その頭を叩き潰さんと豪腕が振るわれることだろう。

 だが彼がこちらに来ると確信したのか、『鶴嘴』はニッと歯を見せて笑った。

 多くの兵士が無駄死にになるが、そんな彼らが束になっても勝てない一個人がこちら側につくとなれば安いものだ。

 時と場合によっては量よりも質が大事なのだ。そして、兵士においては質が何よりも重視される。

 その点、銀髪の青年は満点と言えるだろう。まだ若くて将来もあり、教育一つで何色にも変わる。

 そして彼を推薦することで自分の評価も上がり、あのお方の慈悲に報いることができる。

 亜人の首一つで、将来の近衛騎士と更なる武勲。まさに一石二鳥。

 ふふと不気味に笑う『鶴嘴』だが、銀髪の青年は「下らないな」と心底馬鹿にしたような声音で彼に告げた。

 

「……あ゛?」

 

 それを聞いた『鶴嘴』は、その言葉を文字通りの侮辱して受け取り、額の青筋を更に濃くした。

 肩に担いだ戦嘴を振りかぶり、力任せに地面に振り下ろす。

 鳥の嘴にも似た穂先が容易く地面を砕き、近くにいた兵士たちがその衝撃で転倒するほど。

 同時に強烈な殺意を放ちながら、「もう一回言ってみろ」と銀髪の青年を睨み付ける。

 相手が素人なら失禁してもおかしくはないが、銀髪の青年は怯んだ様子を見せない。

 

「俺がこっちにいるのは、金払いがいいからとかそんな理由じゃない」

 

 静かに、けれど力強く呟いた彼は、そのまま鉱山街を囲む崖の上に目を向けた。

 そこにいるかはわからないが、女上の森人がどこからか見ているのは間違いない。

 自分がここにいるのは彼女と出会ったことが原因で、彼女と共に逃げたのは自分が選んだ選択だ。

 何より、あの半森人の少女と出会ってしまったというのが大きいだろう。

 右手に握った暗い刃の剣を胸の前まで持ち上げ、ぎゅっと握り直す。

 そしてゆっくりと半身になりながら左腕に括った円盾を前に構えた彼は、不敵な笑みを浮かべる。

 

「そっちのやり方が気に食わなくてな。関わるなら、亜人側(こっち)物語(シナリオ)がいい」

 

「それは俺の、ひいてはこの国に対する侮辱と受けとるが」

 

「馬鹿にしてるのがわからないのか?」

 

 鶴嘴の最終確認に、むしろあおるように返した銀髪の青年は、ちらりと隣の鉱人の族長に目を向けた。

 彼は一瞬でも銀髪の青年を疑ったことを悔いてか、「すまん」と短く謝る。

 

「気にするな。そういう言動をしたのは俺だ」

 

「むぅ。だが、仮にも恩人を疑うなど……」

 

「そう思うなら、あんたの同胞をさっさと助けるぞ」

 

 申し訳なさそうにする鉱人の族長にそう返すと、鶴嘴が嘲るように鼻を鳴らした。

 

「同胞を助ける?あんたら二人はここで死ぬんだよ!」

 

 二人に向けてそう吼えた鶴嘴は戦嘴を両手で握り、爪部分を地面に打ち付ける。

 

「《英知の父、知識の母、聖なる声よ。愚かな我が身に、どうか一時のご加護をお与えください》」

 

 同時に先程までの怒号をどこにやったのか、真摯なる想いが込められた力強い嘆願。

 何か来ると身構える二人だが、何かが起きたのは『鶴嘴』の身体の方だった。

 身体中に彫られた入れ墨を沿うように金色の光が走り、ただですら常人の倍はある筋肉が更に膨張。

 その輝きが戦嘴の紋様にまで伝達し、武骨な戦嘴が神々しいまでの輝きを放ち始める。

 瞳が血に餓えた獣のように爛々と輝き、筋肉が膨れ上がり、異形のようにさえ見える身体にバチバチと金色の雷が走る。

 

「……『祝福(ブレス)』か何かのように見えるが、全身にできるものなのか?」

 

「気をつけぇ。あれはそこらの雑兵とはわけが違うぞ」

 

 警戒を強め、相手の一挙一動に目を配る二人だが、『鶴嘴』は鮫のように獰猛な笑みを浮かべた。

 

「あのお方の加護を受けた今、俺は無敵だ」

 

 そう言った直後、彼は雷鳴と共にその姿を消した。

 銀髪の青年と鉱人の族長がぎょっと目を見開いたと同時、『鶴嘴』が二人の間に現れる。

 

「「っ!」」

 

 二人が反射的にそれぞれの得物を振り抜く。

 だが直後に弾けた稲妻により、二人が左右それぞれに弾き飛ばされる。

 

「っ……!」

 

「ぬぅ!?」

 

 突然の反撃に銀髪の青年が声もなく目を剥き、鉱人の族長が思わぬ痛痒(ダメージ)に唸ると、『鶴嘴』が笑う。

 

「どっちから先に殺るか。カビ臭い鉱人か、俺を馬鹿にしやがった糞餓鬼か」

 

 戦嘴をそれぞれに向けながらそう言った彼は、すぐに「決めた」と唇を三日月状に歪めて不気味な笑みを浮かべた。

 

「お前からだ、糞餓鬼!」

 

 そして『鶴嘴』は戦嘴を銀髪の青年に向け、直後雷鳴と共にその姿を消した。

 不可視の即効という初見殺しにもほどがあるそれは、純粋な速度動体視力や反射神経でどうにかなるものではない。

 雷鳴が天を駆け、地を駆け、銀髪の青年に直撃する瞬間、雷鳴が『鶴嘴』の身体を形作り、戦嘴が振り下ろされる。

 それでも反応した銀髪の青年は素早く円盾を構え、戦嘴の爪部分に当たらないように半歩前進。

 結果的に振り下ろされた戦嘴の爪が円盾の縁を深々と抉り取るが、盾を括る左腕には当たらず、長柄部分と円盾が激突した。

 凄まじい衝撃に銀髪の青年を中心に蜘蛛の巣状の罅が地面を走る。

 勢いのままに爪が彼の革鎧の肩当てにめり込むが、寸での所で爪が止まったおかげか、穂先が肩を貫くことはない。

 

「づぅぅ……っ!」

 

 それでも衝撃自体は伝わり、肩が外されかけた鈍い痛みに獣じみた唸り声をあげる。

 そのまま力任せに戦嘴を弾こうとするが、『鶴嘴』の腕力に勝てず、むしろ段々と押し込まれていくほど。

 腕力勝負で負けている事実を突きつけられた銀髪の青年は僅かに驚くように目を剥き、少しずつ爪が食い込む痛みに歯を食い縛るが、すぐに好戦的な笑みを浮かべた。

 

「なにが可笑しい!」

 

『鶴嘴』のぎょろりと見開かれた瞳で睨まれ、唾混じりにそう問われた彼は、「なにも可笑しくはない」と浮かべた笑みをそのままにそう返す。

 

「だが、背後注意だ」

 

 そして彼がそう告げた直後、『鶴嘴』の背後からは「ぬりゃぁああああ!!」と鉱人の族長の雄叫びが響いた。

 ぶぉん!と空気が唸る音と共に豪腕が振るわれるが、『鶴嘴』は雷鳴と共に姿を消す。

 途端に押さえるものがなくなった銀髪の青年は体勢を崩すが、すぐさま地面に手をついて倒れかけた身体を支え、すぐさま体勢を整える。

 拳で空を打った鉱人の族長もそれは同じで、拳を振り抜いた勢いで反転し、そのまま地面に足をめり込ませて無理やり停止。

 

「むぅ。やはり厄介じゃの」

 

 そして髭を扱きながら目を向けた先には、戦嘴を肩に担ぐ『鶴嘴』の姿がある。

 余裕綽々といった表情で二人を睨み、かかってこいと言わんばかりに手招きを数度。

 だが馬鹿正直に挑めば負けることを痛感させられた二人は、その挑発には乗らずに息を整える。

 

「奴の速度と力のものが、先の付与(エンチャント)から来るものなら、時間の限り逃げ回れば勝ちではあるが」

 

「それをさせてはくれないだろう。速度で負けている時点で逃げは悪手だ」

 

 二人は手短にそうやり取りすると、銀髪の青年は深く息を吐いた。

 同時に稽古をつけてくれた母の教えを脳裏に過り、それこそが今だなと覚悟を決める。

 母曰く只人というのは馬鹿で、やろうと思えば自分の身体が壊れるほどの力を出せるのに、意図せずにそれを封じてしまっている。

 だがその枷というのは酷く曖昧で脆く、やろうと思えば簡単に壊せてしまうという。

 現にそう言った母は、自分の目の前で大木とも言える木を蹴りの一撃で折って見せた。

 いつもの人懐こく優しげな笑みとは違う、凛々しく、万人を魅力する美しい笑みを浮かべながら、母は自分の名を呼びながら教えてくれた。

 

『──大丈夫。私たちの子供だもん、何だってできるよ』

 

 そう言って出来るだろうかと不安に震えていた自分の頭を撫で、優しく抱き締めてくれた。

 その時の優しさも、力強さも、そして後に覚えた枷を外す感覚も、何もかも覚えている。

 

「ふぅぅぅぅ──……」

 

 剣と円盾を構えながらゆっくりと息を吐き、一度止める。

 ガチャリと頭の奥の何かが外れる音が聞こえ、どくんと心臓が跳ねた。

 それを合図に体温が一気に上がり始め、途端に身体が軽くなる。

 纏う雰囲気も変わり、放つ殺意は先程よりも研ぎ澄まされ、蒼い眼光もまた鋭い。

 本気になったと見ればわかるほどの変化に、それでも『鶴嘴』は余裕の表情を崩さない。

 

「只人だろうが、鉱人だろうが関係ねぇ。あのお方の慈愛を受けた俺が、負けるわけねぇんだよ!」

 

 直後己を鼓舞するように吼えた彼は、再び雷鳴と共に姿を消した。

 中央広場を縦横無尽に走り回る雷光に鉱人の族長は右に左に目を向けて警戒するが、銀髪の青年は違う。

 剣を鞘に叩き込み、壊れかけの円盾を投げ捨てる。

 

 ──兜は息苦しく、盾は重かった、だったか……。

 

 かつて母が読み聞かせてくれた英雄譚の一節を思い浮かべながら、自分は兜を被っていないなと僅かに自嘲。

 自由になった左手で鞘を掴み、右手で柄を握りこむ。

 タカの眼を発動し、暗くなった視界内を走り回る雷光の軌跡を追いかける。

 

「お主、死ぬ気か!?」

 

 背後から投げられる鉱人の族長の声を無視し、銀髪の青年は意識を集中。

 音もなくなり、臭いもなくなり、感じるのは殺意と視界内を駆け回る敵意に満ちた赤い雷光の輝き。

 時折身体を掠めていくそれは、的確に鎧の表面を焦がし、時には鎧を越えて薄皮一枚を切っていく。

 

「なんだ、殺される覚悟ができたのか!」

 

 一旦空中で姿を現した『鶴嘴』がそう言うと、銀髪の青年は更に深呼吸をひとつ。

 沈黙を返答と受け取った『鶴嘴』は歯を剥き出しにして笑むと、「望み通り、バラバラにやるよ!」と再び雷鳴と共に姿を消す。

 次は掠めるだけに止まらず、稲妻が銀髪の青年の鎧を吹き飛ばし、その身体を焦がしていくが、それでも彼は動かない。

 三次元的に縦横無尽に動き回る『鶴嘴』の姿を目で追いながら、僅かに腰を落として柄が形を歪めるほどに握りこむ。

 全身に叩きつけられる焼けるような痛みにも(ひる)まず、迫り来る死の気配にさえも(おび)えず、来る一瞬に備えて構え続ける。

 

 ──多少痛いのは我慢する。その先に勝機がある。

 

 故郷で剣聖とまで呼ばれている師からの教えは、技術というよりは心構え的な面が多かった。

 極東には『肉を切らせて骨を断つ』という言葉があるそうだし、それを実戦で試すには申し分ない。

 彼が覚悟を決めたのと同時、稲妻が一直線に銀髪の青年に向けて直進した。

 

「死に腐れ……っ!」

 

『鶴嘴』は吼えながら彼の目の前に姿を現し、戦嘴を振り下ろす。

 稲妻から実体となり、攻撃を行うまでは瞬きひとつにも満たない刹那的な時間。

 勝利を確信して醜く笑みを浮かべた『鶴嘴』は、果たしてその直後に起こったことを理解できたのだろうか。

 戦嘴を振り下ろすよりも速く銀髪の青年が抜刀。居合い切りの要領で、彼の両腕を切り飛ばしたのだ。

 

「……へ……?」

 

 暗い軌跡を残して振り抜かれた一閃は、『鶴嘴』に痛みを与えるのに一瞬の時間を与えた。

 銀髪の青年の頭を潰すつもりで振るった戦嘴は両腕もろともに宙を舞い、噴き出した鮮血が銀髪の青年の顔を汚す。

 そして両腕から脳を揺らして焼けるような激痛に悲鳴をあげる寸前、その喉に矢が突き立った。

 

「ご……っ!?」

 

 悲鳴の変わりに血を吐いた彼は、ぎょろりと崖の上に目を向ければ、そこには大弓を構える女上の森人の姿があった。

 彼女がトドメを指さんと矢を放ってきたのは、まず間違いない。

 

「お……っ、ぉぉおおおおおお!!」

 

 思わぬ伏兵と、それが王が抹殺指令を出した上の森人だと気づいて目を見開いた『鶴嘴』は、せめて一人だけでも道連れにせんと足を踏ん張るが、

 

「でぇぇぇりゃぁぁぁああああああああああああ!!!!」

 

 ここが決め時と見た鉱人の族長が踏み込み、無防備な腹に岩をも砕く拳を叩き込んだ。

 全身の骨を砕き、内臓を破壊するそれは、文字通り死を与える(クリティカル)一撃(ヒット)

 ごぼりと血の塊を吐いた『鶴嘴』の身体から金色に輝いていた紋様が消え、迫力も一気に衰えていく。

 それでも、それでもともがく彼に、銀髪の青年は静かに告げた。

 

「──その忠誠が、魂に安らぎ与えんことを」

 

 銀髪の青年はその言葉と共に、すれ違い様に『鶴嘴』の首を一閃。

 赤く染まった暗い刃に血払いくれて、音をたてずに鞘に納める。

 

「──安らかに、眠れ」

 

 そのまま背中越しに祈りの言葉を告げた直後、ごとりと音をたてて『鶴嘴』の首が地面に落ちた。

 一拍開けて彼の身体も膝から崩れ落ち、首と両腕から噴き出した血が辺りを染め、強烈な鉄臭さが鼻孔を刺激する。

 血溜まりの中を転がった『鶴嘴』の生首は、最期の意地として銀髪の青年の背を睨み付けるが、

 

「──っ」

 

 彼の背後に立つ、金髪を風になびかせる麗しい乙女の姿に幻視し、その表情を緩めた。

 王から教えられた、彼らが信じ、敬愛してやまない女神の姿によく似ているそれは、彼を魅了するには十分。

 

「──―、────────」

 

 振り向いてもらおうとパクパクと口を動かして何かを言うが、それが音となることなく、何を言ったかを知るのは『鶴嘴』ただ一人。

 やがて表情から力が抜けていき、白眼を剥いてそ最期の灯火も消え失せる。

『鶴嘴』の視線も、彼の言葉も知るよしもない銀髪の青年と鉱人の族長は、ざわざわと騒がしい辺りを見渡しながら顔を見合わせ、頷きあった。

 そして銀髪の青年が何かを譲るように手で示すと、鉱人の族長はごほんと咳払いをした。

 そして胸が膨らむほどに息を吸い込み、そして天上の神々にも聞こえるように声を張り上げる。

 

「──儂らの、勝ちじゃぁぁああああああああああああああ!!!!」

 

 反乱軍、大規模作戦第一幕。

 鉱山街解放戦は、彼の勝鬨により幕を下ろした。

 同時に囚人たちにもその興奮は伝わったのか、街のそこらじゅうから歓声があがり、街全体を震わせる。

 ホッと安堵の息を吐いた銀髪の青年は、幸か不幸か生き残った残党に目を向けた。

『鶴嘴』の死で心が折れたのか、一様に俯き、報復に怯えて震えている彼らに、一瞬言葉に迷うような素振りを見せると、一言告げた。

 

「命の保証はする。おとなしく投降しろ」

 

 

 

 

 




感想等ありましたら、よろしくお願いします。


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Memory11 次の依頼

 鉱山街解放作戦が終わり、囚人の解放や彼らへの食事の提供、捕らえた捕虜の収監など、諸々の問題が一段落がついた頃。

 

「私たちは一旦戻る」

 

「おうとも。こっちは任せておけい」

 

 少しずつ修繕が進む街の入り口に、女上の森人と鉱人の族長がいた。

 一応命懸けの戦場を共に生き残ったとはいえ、二人の間に流れる空気はどこか険悪なもの。

 自分たちでも理由がわからず、だがいつからか不仲となったそれぞれの種族の長だ。相手に善い印象はあるまい。

 だがそんな空気も飽き飽きしてか、鉱人の族長は髭を扱きながら溜め息を吐いた。

 

「あーもう止めじゃ、面倒臭い。今回は助かったぞ、耳長」

 

「……これからの戦いに、お前たちの力も必要になると判断しただけだ。それに、それも私の判断ではない」

 

 彼が恥を忍んで告げた礼の言葉に、女上の森人は言葉に迷うような素振りを見せてからそう返した。

 事実彼女がここに赴き、先の戦闘に介入する原因となったのは、ここにはいない銀髪の青年がいてこそだ。

 更に辿れば彼を雇った反乱軍参謀の圃人の判断であり、それを多少だが後押しした程度。

「礼くらい受けとらんか」と不満そうに鼻を鳴らす鉱人の族長に、彼女は僅かに微笑みながら言う。

 

「私にではなく彼に言ってくれ。私は様々な偶然が重なった結果、ここにいるだけだ」

 

「儂らの行く末は『宿命(フェイト)』と『偶然(チャンス)』の骰子(さいころ)が決めるのみじゃ。それならば、お主がここに来たのも神々の思し召しじゃろうて」

 

 筋骨隆々な腕を組み、さながら生徒に知恵を授ける師の如く真剣な面持ちでそう告げると、女上の森人はそっと目を細めて顎に手を当てた。

 

「……鉱人の癖に知的なことを言う」

 

 そしてどこか感心したような、むしろ受け手によっては侮辱とも取れる言葉を投げ掛けた。

 彼女からすれば鉱人は手先が器用な脳筋程度にしか思っていなかったのだろう。

 

「なんじゃと耳長風情がぁ!?」

 

 くわっと目を見開き、額に青筋を浮かばせながら鉱人の族長が吼えるが、当の彼女は気にした風もない。

 所詮は鉱人の激昂だと蔑んでいるのか、こういったやり取りに慣れてしまったのか。

 ともかく彼女からすれば、たたが数百年生きただけの子供と大差ないのだ。

 定命(モータル)不死(イモータル)である二人では、やはり物の測り方が違う。

 鉱人の族長にとっては今までの経験から打ち出された言葉であっても、女上の森人にとっては多少興味を引かれる程度なのだ。

 そして経験上、彼女の反応が鈍いのはわかりきっていた鉱人の族長は鼻を鳴らすと、肩を竦めた。

 

「……まあ、よい。耳長と話すだけ無駄じゃ」

 

「私としては無意味でもないのだが……。それより、あいつはどこだ」

 

 はぁと僅かに酒の臭いがする溜め息を吐く鉱人の族長を他所に、女上の森人は辺りを見渡して待ち人──出発直前に鉱人らに連れ去られた銀髪の青年を探した。

 鉱人の族長曰く「恩返しをするだけじゃ」ということで見送ったのだが、こうも遅いとなると多少は心配になる。

 ただですら只人に抑圧されていた彼らが、只人である銀髪の青年を連れていったのだ。

 恩返しという名の仕返しをする可能性も、零とは言えない。

 

「キィ!!」

 

 そんな後ろ向きな思慮をしていると、彼らの頭上を一羽の鷲が通過していった。

 彼の動きを追うように視線を巡らせれば、鉱山街の片隅にある、一際高い櫓へとたどり着く。

 ばたばたと音をたてて羽ばたき、その屋根の上に仁王立つ人物が差し出した腕に停まった。

 その人物は微笑みながら嘴で羽を弄る鷲を優しく撫でてやり、そのまま彼を空に放つと屋根の上から鉱山街を見渡した。

 本来なら街に入ってすぐにやるべきだったのだが、流石にあの状況ではやる余裕もなかった。

 その人物──銀髪の青年は深呼吸と共に鉱山街を見渡し、改めてその地形を頭に叩き込んだ(シンクロした)

 ようやく動き出した鍛冶場の場所を、活気が戻りつつある酒場の場所を、捕虜になった兵士たちが詰め込まれたあばら屋の場所を。

 それら全てを鷲が櫓の周りを一周する間に頭に叩き込んだ彼は「よし」と頷くと共に、足元に藁が詰められた荷車がある事を確認し、翼のように両腕を広げて身を投げた(イーグルダイブ)

 空中でゆっくりと回転し、背中から藁が詰められた荷車へと落下。

 荷車の木材が軋む音と、藁が揺れる音が同時に聞こえ、なんだなんだと辺りを先日解放され、街を歩き回っていた囚人だった人たちが集まってくる。

 

「「……」」

 

 遠目からそれを眺めていた女上の森人と鉱人の族長は顔を見合わせ、どちらが先にというわけでもなく歩き出した。

 鉱人の族長にとっても、女上の森人にとっても、自分の、そして一族の恩人である人物が、いきなり櫓から身を投げたとなれば、種族のしがらみを抜きにしてその身を案じるのは当然だ。

 小走りでそこを目指して走るわけだが、長身の森人と寸胴の鉱人では同じ一歩でもその歩幅はだいぶ違う。

 走れば走るほど女上の森人が前を行き、彼女も彼女で容赦なく置いていくものだから、鉱人の族長との距離は段々と開いていく。

 

「ぐ……ぬぅ……っ」

 

 そうなるとはわかっていても、やはり森人に負けるというのは屈辱なのか、鉱人の族長は走りながらも苦虫を噛み潰した表情になるが、彼女は既に人混みの中に入っている。

 

「これだから耳長は好かんのじゃ!!」

 

 そんな彼女の背に、わざと回りの野次馬にも聞こえるようにそう怒鳴り付けるが、自慢の長耳には届いていないのか彼女は気にした風もない。

「ええい、まったく!」と悪態混じりに人混みに突入した鉱人の族長は、人体を容易く引き裂く豪腕で前に立つ野次馬たちを退かしながら、ようやく件の荷車へとたどり着いた。

 

「少しは待とうとせぬか。お前さんはもう少し聡い奴だと思っとったんじゃがな」

 

 彼の苦言に「む……」と声を漏らした女上の森人は彼を見下ろすと、フッと小馬鹿にしたように笑いながら「遅れていたのか、気付かなかったよ」と告げた。

 先の怒号を聴力に優れる森人が聞き逃す筈もなく、彼女の言葉は『看破(センスライ)』の奇跡なしでも嘘だとわかる。

 ぴきりと音をたてて額に青筋を浮かべた鉱人の族長から視線を外した女上の森人は、「真面目な話だが」と前置きしてから彼に言う。

 

「敵は全て牢に入れ、伏兵もいないことを確かめた。無理に足並みを揃える必要もないだろう。それに、たかが兵士に不意討ちされた程度で遅れも取るまい」

 

 どこか説教するような口調で告げられた言葉は、無慈悲な程に正論であり、彼女なりの信頼の色が伺えた。

 多くの兵士は銀髪の青年と鉱人の族長の手で屠られ、逃げようとしていた兵士も彼女の手でその全てが射抜かれた。

 街から逃走した者もおらず、反撃の機をうかがうために街に潜伏している者も現状は確認できていない。

 王都には陥落したという情報も届いていないだろうから、奪還のための派兵もされてはいまい。

 もし兵士が不意討ちをせんと潜んでいても、たかが数人程度。鉱人の族長からすれば烏合の衆に他ならない。

 

「ぐぅ……っ!その通りなのが癪じゃが、お主にそう言われると身体が痒くなるわい」

 

 彼は森人に誉められるという特異な状況と、その気持ち悪さに表情を歪めながら背中や腕を掻き始める。

 一応水浴びはしただろうが、それでも落ちなかった垢が身体を掻く度にぽろぽろと落ち、それがかかるのを嫌った周囲の人たちが半歩下がり、彼を中心とした空間が生まれた。

 

「なんじゃい、お主らも似たようなものじゃろうて」

 

 そんな彼らを半目になりながら一瞥した鉱人の族長がそう言うと、言われてみればと野次馬たちも自分らの身体を見つめ、その汚さに顔をしかめた。

 そんな人混みの中にいても、神々が創りし美貌と高貴さを纏い、衣装にも素肌にも汚れひとつない女上の森人は、額に手をやりながらやれやれと首を左右に振り、溜め息をひとつ。

 

「あとで水を浴びてこい。どうせまた土に潜って汚れるのだろうが……」

 

「儂らは土竜(もぐら)か何かかと思っとるんか?全く、大地の広さを知らぬ耳長どもはこれだから嫌なのじゃ」

 

「森の美しさを知らん奴に言われたくはない」

 

「なんじゃと!」

 

 そして始まるのはお互いへの罵倒の応酬だった。

 やれ野菜しか食わぬひょろ長だの、やれ寸胴の樽だのと、お互いがお互いに、思い付いた罵倒の言葉をすぐさま放つ。

 また始まったと野次馬たちも困り顔になるものの、囚人らの比率で言えば鉱人が圧倒的に多い。

 それを証明するように野次馬の中にも鉱人が多く、族長に負けるなやっちまえと煽るのだが、

 

「……せめて亜人同士は仲良くして欲しいんだが……」

 

 そんな彼らの耳に、彼らの声とは違うものが届いた。

 騒がしかった野次馬たちも、鉱人の族長も、女上の森人も一斉に口を閉じ、なんだなんだと辺りを見渡すが声の主は見当たらない。

 そして空耳かと何人かが諦めかけた時、がさりと脇にあった干し草の山が揺れ、そこから人影が飛び出した。

 一切の音もなく地面に降り立ったその人影は、「鉱人と森人の不仲は知っているが」と苦笑混じりにそう告げて、族長と女上の森人に目を向ける。

 

「これからは背中を預けあう戦友だ。喧嘩をするなとは言わないが、程々に頼む」

 

 そしてこの中でも一番の若者でありながら、どこか説教じみた声音でそう告げたのは、二人が探していた銀髪の青年に他ならない。

 相変わらず黒い外套を羽織ってはいるが、その下に隠された鎧が先日の物とだいぶ違う。

『鶴嘴』の手で破壊された円盾が、磨きあげられた上等な物へと変わり、同じく修繕不可能な程に破壊された革鎧も、艶消しに黒く塗られた金属鎧に新調されている。

 かろうじて無事だった籠手や脚絆には鉄板を、無防備な二の腕には鎖帷子などを取り付け、防御力も底上げされている。

 その分重量が嵩みそうではあるが、流石は鉱人の技と言うべきか、見た目の割には軽く、大した違いは感じぬほど。

 

「間に合ったようで何よりじゃ」

 

 そんな有り合わせの素材だが、全霊を込めて作り上げた手製の鎧を纏う恩人の姿に族長が安堵の息を漏らすと、銀髪の青年は微笑み混じりに頷いた。

 

「感謝してもしきれない。あの鎧も気に入っていたんだが、この鎧もいい心地だ」

 

 着心地を見せつけるように肩を回し、身体を伸ばすと、「本当に金はいらないのか?」と問うた。

 彼の気遣いとも取れる問いかけを「いらん」と一言で断じた鉱人の族長は、にかりと豪快に笑いながら彼の肩を叩いた。

 

「これから頑張ってもらうんじゃ。報酬は何もかもが終わってから貰うわい」

 

「俺が死んでいなければ、な」

 

 彼の言葉に、銀髪の青年は肩を竦めながら少々皮肉めいた声音で返した。

『鶴嘴』との戦いで実感したことだが、今後の相手はあれと同じかそれ以上の強者との戦いが増えていく筈。

 それらに勝てるかどうかもわからず、何なら次の戦いで負ける可能性もあるのだ。

 冒険者として、そういった契約や約束事は重んじるべきではあるが、命がなくては守る守らないの話ではなくなる。

 鉱人の族長もそれを理解してはいるのか、真剣な面持ちになりながら「ま、それは儂も同じじゃが」と返し、女上の森人に目を向けた。

 

「さて、待ち人も来たんじゃ。出発するんじゃろ?」

 

「ああ。世話になったな」

 

「いや、礼を言うのはこっちじゃ」

 

 彼女の礼の言葉に鉱人の族長はそう返し、右手を差し出した。

 土に汚れ、指もごつく節くれ立っているけれど、その手に込められた信頼の強さは変わるまい。

 

「儂ら一族はお主らに助けられた。森人だろうがなんだろうが、礼を言わねば先代に顔向けできん」

 

 ──ありがとう。

 

 鉱人の族長は照れ臭そうにそっぽを向きながらそう告げると、女上の森人は苦笑混じりに彼の手を取った。

 

「鉱人に面と向かって感謝される日が来るとはな。わからないものだ」

 

「ええい、喧しい!自分が馬鹿らしく思えてきたわい」

 

 真剣そうに、けれどどこか愉快そうに告げられた言葉に鉱人の族長は彼女の手を払いながらそう返し、銀髪の青年に目を向けた。

 律儀に二人のやり取りが終わるまで口を閉じていた彼と、ついでに払われた手を見つめて額に青筋を浮かべる女上の森人を一瞥すると言う。

 

「儂らは奴らが馬鹿みたいに開けまくった穴を塞ぐなり、支えるなりをせねばならん。それが済んだらお主らの本拠地とやらに顔を出すわい」

 

「そうか。なら、再会はしばらく先になりそうだな」

 

「侍女の連中もしばらくは儂らの手伝いをしてくれるそうじゃから、姫さんにもそう伝えておいてくれ」

 

「わかった。まあ、下手に団体で行動して敵に見つかれば元も子もないからな……」

 

 鉱人の族長の言葉に銀髪の青年はそう返し、僅かに残念そうに溜め息を漏らした。

 自分と女上の森人だけなら、最悪敵に遭遇しても切り抜けることは容易い。

 だがそこに馬での移動や戦闘に不慣れな侍女の一団が加われば、その結果も変わってくる。

 一人でも囚われの身になればこちらの事情が相手に伝わり、ただですら少ない勝ちの目が更に減ってしまう。それは避けねばなるまい。

 それと同時に、あの娘にはもうしばらく寂しい思いをさせることになりそうだと、妹を心配する兄のような事を思慮してしまう。

 一緒にいた時間こそ短い──と言うよりは二日程度だ──が、彼女に対して情が湧いてしまうのは仕方があるまい。

 

「それじゃ、戻るとするか」

 

 ともかく、戻れば彼女の様子も探れるとわかっているのだから、彼の行動は速い。

 女上の森人に一方的にそう告げ、頷いた彼女を伴う形で馬小屋へと向かう。

 

「やれやれ、嵐のような連中じゃな」

 

 鉱人の族長は既に見送りは済んだと言わんばかりに二人を追わず、その場で髭を扱き始めた。

 そして野次馬たちに「ほれ、仕事に戻るぞ」と告げれば、様々な返事と共に野次馬たちも散っていった。

 

「族長様。ここにいらしたのですね」

 

 そんな彼らの背を見送った鉱人の族長に、ぱたぱたと騒がしい足音をたてながら侍女長が駆け寄ってくる。

 長いこと街を走り回っていたのか、額に汗をにじませ、呼吸も乱れて豊かな胸が上下に揺れている。

 

「なんじゃ、喧嘩でも起きたか」

 

 だが鉱人の族長がそんなもの構いもせずに問うと、彼女は「喧嘩ではありませんが……」と彼の言葉を否定しつつ問うた。

 

「捕虜の扱いに関してですが、いかがされますか?」

 

 そして聞いた相手が悪寒を覚え、その迫力に全身に鳥肌を立てんばかりに冷たい声音での問いかけ。

 彼女からすれば忌々しい『鉱夫』らの手下だ。殺したいほどに恨み、許可さえあれば今からでと抹殺してもおかしくはない。

 それを肌で感じた鉱人の族長は溜め息を吐くと、「閉じ込めておくだけでよい」と告げた。

 

「儂らと同じ扱いをすれば、儂らと奴らが同じになってしまうじゃろうが。それだけは避けねばならん」

 

「……かしこまりました。他の者にもそう伝えます」

 

 彼の言葉に侍女長はどこか残念そうに目を俯かせ、けれど己の感情を圧し殺しながらそう返すと、鉱人の族長は溜め息を吐きながら更に続けた。

 

「ついでに、捕虜に何かした者には儂が自ら手を下すとも言いふらしておけ。よいな?」

 

「承知しました……」

 

 最後に付け加えた脅しの言葉に侍女長は驚きつつ、相変わらずな彼の様子に表情を綻ばせた。

 そんな彼女の様子を気味悪がりながら、彼は彼女の背を叩いた。

 

「ほれ、いくぞ。やることが山積みじゃ」

 

「……はい!」

 

 そして微笑み混じりにそう告げてやれば、彼女の陰っていた表情も明るくなり、瞳にも覇気が戻る。

 

 ──女というのは、恐ろしい生き物じゃな……。

 

 ころころと変わる表情と、途端に失せた強烈な殺意との格差(ギャップ)に、鉱人の族長は胸の内でそんな事を呟いた。

 従者のように背後に控える侍女長にそれは聞こえてはいまいが、何となく嫌な印象を与えてしまったかと僅かに反省。

 同時に敬愛する王女に出会う時機(タイミング)が離れてしまったが、彼女を危険に晒すわけにはいかないと自分に言い聞かせる。

 そして前を歩く鉱人の族長の背に目を向け、観察するようにすっと目を細めた。

 大岩と見紛うほどに鍛えられた拳に、大木を思わせる豪腕。短いながらも大地を踏みしめ、その重い体躯を支える太い脚。

 それらに魅力されながら、僅かに艶っぽい笑みを浮かべた。

 

「しばらくはご一緒できますね、族長様」

 

 その一言にびくりと身体を跳ねさせ、全身に鳥肌を立てた鉱人の族長は「お、おう……」と額に脂汗を滲ませながら頷いた。

 

 ──女というのは、恐ろしい生き物じゃな……。

 

 

 

 

 

 帰りも馬で幾日か。念のため街道を避け、森の中の獣道を利用して、ようやくたどり着いた反乱軍の本拠地。

 

「──というわけで、終わらせてきたぞ」

 

 だん!と音をたてて勢力図の上に『鉱夫』と『鶴嘴』が持っていた硬貨を叩きつけ、金髪の圃人にただ一言そう告げた。

 

「いきなり『終わらせてきたぞ』だけ言われても困るのだけど……」

 

 それを言われた彼も困り顔になり、とりあえずと件の硬貨二枚を回収した。

 そんな彼らを、部屋の片隅で長椅子に腰掛けて見つめていた女上の森人は、構ってと言わんばかりに膝に乗ってくる半森人の少女を構いつつ溜め息を漏らした。

 

「鉱人の族長は無事。今は街の復興の為に残っているが、近い内に合流もできる筈だ」

 

「そうか。できればここにいて欲しかったけれど、仕方がないね」

 

 女上の森人が付け加えた情報に、金髪の圃人は苦笑混じりにそう返すと鉱人の駒を手に取り、鉱山街の位置に印をつけた。

「まずは一ヶ所目か」と顎に手をやると、銀髪の青年に告げた。

 

「協力に感謝するよ。今はとりあえず、休んで──」

 

 そして彼に感謝の言葉を投げると共に、一時の休息を与えようとするが、

 

「おう、戻ったぞ」

 

 そんな彼の言葉を遮る形で、赤い鱗の蜥蜴人が会議室に入ってきた。

 しゅるりと舌で鼻先を舐めた彼は、先に戻っていた銀髪の青年に目を向け、「なんだ、お前が先か」と不満げに目を細める。

 蜥蜴人もそういったことをするのかと、僅かに驚いた銀髪の青年だが、すぐに笑みを浮かべて「お互い無事で何よりだ」とお互いの健闘と無事を天上の神々に感謝した。

 

「それで、どうだった」

 

 そして彼がそれをしたからか、金髪の圃人は早速本題へと入らんと赤い鱗の蜥蜴人にそう問うた。

「おうよ」と返事をした彼は蟲人の駒を鋭い爪でつつくと、彼の現状を「だいぶまずいな」とただ一言で評した。

 

「元から戦向けの種族じゃねぇのはそうだし、力が強いってわけでもねぇ。あんまりほっとくと全滅するぞ」

 

「なら、次の目的地はそこだな」

 

 彼の言葉に銀髪の青年が間髪入れずに応じると、金髪の圃人も頷いた。

 

「蟲人──正確には蚕人(ボンビクス)。彼ら自身戦いを嫌い、反乱軍にも加わらず、只人の領域にも触れないように距離を置いていた一族だ」

 

 彼はそう言いながら蟲人の駒を持ち上げ、どこか切なげな視線をそれに向けた。

 

「けれど、武力を持たないからこそ侵略されてしまった。難しいものだね」

 

 血気盛ん──とまではいかなくとも、蟲人というのはその大体が只人に比べて屈強な種族だ。

 元より小さな虫ですら脅威となりえるのに、それが只人のそれよりも巨大な体躯をしているのだ。

 大木を掴んで離さぬ鉤爪は容易く人を引き裂くだろうし、相手を怯ませる針の一刺しは容易く身体に風穴を開ける一撃へと変える。

 だが、蚕人は違う。只人とよく似た姿に、蟲を思わせる触手や、飛べぬ羽を持つ彼らは、生涯をかけて絹と向き合い、至高の衣を織り上げるのを使命としている穏和な種族だ。

 そんな彼らからすれば、戦をしている時間さえも惜しいのだ。

 ぎょろりと目玉を回し、鱗に包まれた腕を組んだ蜥蜴人はしゅーっと鋭く息を吐く。

 

「逆に言えば、抵抗する力がないからこそ、今まで生き長らえたってわけだ。まあ、奴らの女王がうまく立ち回った結果だな」

 

 その結果こそ悲惨とも言えるものだが、彼の言葉には嘲りや侮辱の色はない。

 蜥蜴人にとって強さとは正義であり、正義こそが強さなのだ。

 腕力でも、美しさでも、歌声でも、何でもいい。相手より優れていることを証明することが、彼等と向き合う第一歩だ。

 だが逆に、弱いからこそできること、弱者なりの強さを示せれば、弱いこともまた正義となりえる。

 何とも矛盾していることではあるが、彼らの事を推し量るには、産まれ落ちた瞬間から彼らと共に生きる他にない。

 少なくとも銀髪の青年にはよく分からない考え方だし、それを理解しようと努力はすれど、理解できるとは思っていない。

 彼は只人で相手は蜥蜴人。文化の違いがあるのは当然なのだから、深く考えるだけ時間の無駄だ。

 

「──それで、なぜ全滅寸前になっている。女王が何か失敗したか」

 

 それを考えるよりも、目の前の惨劇を止めんと頭を捻る方が何倍も有益な時間の使い方だろう。

 銀髪の青年がそう問うが、赤い鱗の蜥蜴人の返答は「わからん」の一言。

 

「遠目から見ただけだが、兵士どもが必死になって何かを探し回っていたが……」

 

「その何かが鍵か」

 

 彼の言葉に銀髪の青年が神妙な面持ちで呟くと、金髪の圃人が赤い鱗の蜥蜴人に問う。

 

「近衛騎士の姿はあったかい?」

 

「わからんが、近しい奴はいるだろうな。兵士どもに指示を飛ばす女がいたが」

 

「女の近衛騎士、ね。まあ、敵なら容赦せん」

 

 銀髪の青年は蒼い瞳を細めると腕を組み、どこか好戦的な笑みを浮かべた。

 次なる冒険の舞台と、そこに待ち受ける近衛騎士(ボスキャラ)がわかったのだから、やる気になるのは当然のこと。

 

「案内役は俺がやる。お前は嬢ちゃんと仲良くやってろ」

 

 そんな彼に当てられてか、赤い鱗の蜥蜴人もまた牙を剥いて獰猛な笑みを浮かべ、女上の森人にそう告げた。

 当の彼女はその言葉が意外だったのか、「なに?」と声を漏らして眉を寄せる。

 だが、赤い鱗の蜥蜴人と金髪の圃人にとってはそれが意外であり、「は?」だの「え?」だのと間の抜けた声が漏れる。

 

「いや、彼の監視が私の任務だろう?」

 

 そして女上の森人がさも当然のようにそう言うと、赤い鱗の蜥蜴人が「俺がやりゃいいだろうが」と切り返す。

 その一言にハッとした女上の森人は、「それもそうだな」と得心した様子。

 

「……森人でも変なことを言うんだな」

 

「まあ、祈る者(プレイヤー)と大きく括れば、只人も森人も変わらないからな」

 

 赤い鱗の蜥蜴人がじとりと彼女を睨み、銀髪の青年が何とか助けようと口を開くが、説得力には大きく欠ける。

 場の空気が妙な方向に傾き始めたからか、金髪の圃人が一度大きめの咳払いをすると、三人の視線が彼に集まった。

 半森人の少女は相変わらず女上の森人の膝の上でくつろいでいるが、長耳が揺れているから聞いてはいるのだろう。

 

「とにかく、今回の作戦は君たち二人に任せる。そろそろ獣人の集落にも使者を出さないと……」

 

 赤い鱗の蜥蜴人と銀髪の青年に手短に、けれど明確な指示を出した彼は、そのまま顎に手をやって次の手を思案し始めた。

 そういったことは彼に一任している二人は顔を合わせると、行動開始だと言わんばかりに頷きあった。

 久しく手持ち無沙汰となった女上の森人は、とりあえず半森人の少女を愛でることにして、気持ちを落ち着かせ始める。

 そう、ようやくの休み。それなりに待ち望んでいた休息の時だ。

 

「……お前は休まないのか」

 

 そしてふと、自分と同じどころか自分よりも激務をこなした彼の身を案じるが、当の彼は気にした素振りもなく、赤い鱗の蜥蜴人と共に部屋を出ていってしまった。

 

「……」

 

 話を無視された挙げ句、任務からも外された彼女は言いえぬ気持ちを胸に抱き、小さく首を傾げた。

 そんな彼女を真似て半森人の少女もまた首を傾げ、へにゃりと気の抜けた笑みを浮かべた。

 その笑顔を見下ろした彼女は、同じく笑みを浮かべながら少女の髪を撫でた。

 

 ──とにかく今はこの娘と共に。

 

 母の変わりなど罰当たりなことは言わないが、せめて健やかに育つように。

 女上の森人はただただ優しく、慈愛のこもった手つきで少女を撫で回した。

 

 

 

 

 

 国の南西。蚕人の領域。

 本来であれば彼らが織った絹の衣を王都や近隣の村に売り、細やかながらも暖かな日々が流れていたその場所には、その名残さえもない。

 あるのは恐怖と諦観のみで、黙々と絹を織る蚕人の目にも覇気はない。

 そんな集落の中でも一人、異様な雰囲気を放つ只人の女がいた。

 肉感的な腿や豊満な胸元を見せびらかす、妙に露出の多い衣装を纏い、軍帽からは可憐な金色の髪が溢れている。

 手には怪しげな紋様が描かれた鞭を握られ、既に何度も使われたのか、大量の血がこびりついて強烈な鉄の臭いを纏っていた。

 加えて油断なく屈強な兵士二人を侍らせ、もう絹も織れぬほどに疲弊した蚕人の足蹴にした彼女は、「それで、お姫様はどこに行ったの?」と手短に問う。

 彼女が知りたいのは、最近行方不明になった蚕人の姫君の行方だ。

 蚕人は絹を織ることに生涯をかけるが、世代を経ることにその絹はより美しさを増していく。

 王族となればそれは顕著で、現女王が先日死んだ以上、至高の絹を織れるのはその娘たる姫君しかいない。

 故に女たちは彼女を探しているのだが、蚕人は「知らない」の一点張りで、彼女が望むことを口にしない。

 只人の病人よりも更に白い肌を血で赤く染め、白い髪を焼かれて黒く焦がされながらも、彼は決して口を割らない。

 彼の覚悟と相当なものだが、対する彼女も引く気はないらしい。

「そう」と頷いてぺろりと唇を舐めた彼女は、呪詛の込められた鞭を振るい、蚕人の身体を叩いた。

 スパン!と鋭い音と蚕人の悲鳴があがり、舞い散る鮮血は傷口から染み込んだ呪詛に当てられてか暗く濁っていた。

 

「っ……!──!!」

 

 傷口から血管を沿うように全身に呪詛が広がり、身体を生きたまま焼かれるような痛みに蚕人は声にもならない悲鳴をあげ、羽をもがれた蛾のように地面をのたうち回る。

 そんな無様な姿を見下ろした女は恍惚の表情を浮かべると、再び鞭を振るって蚕人に打ち付ける。

 悲鳴をあげる力さえも失い、瞳からも生気が失われていく中で、女は愉快そうに笑った。

 

「ふふ。言うのなら早くなさい。次はあんたの妹でも痛め付けてやりますから」

 

「──っ!」

 

 その一言に蚕人はぎょっと目を見開くが、それでも口を継ぐんで何も言わない。

 だが彼は最後の力を振り絞り、天上の神々に祈りを捧げる。

 

 ──誰でもいい。どうか、我らをお救いください。どうか、姫様をお救いください……っ!

 

 その祈りを最後に、蚕人は事切れた。

 糸の切れた人形のように動かなくなり、ピクリともしないその亡骸を踏みつけた女は「どいつもこいつも口かま固いわね」と嬉しそうに呟き、口を三日月状に歪めた。

 そしてその笑みをそのままに護衛二人に向け、告げる。

 

「もっと楽しみましょう?なにせ、蟲どもはまだまだいるのだから」

 

 その悪意の矛先が姫君に届くのが先か、あるいは銀の一閃でもって切られるが先か。

 それは神々にもわからず、『宿命(フェイト)』と『偶然(チャンス)』の骰の目次第。

 そして、既に骰は投げられたのだ。

 

 

 

 

 

 




感想等ありましたら、よろしくお願いします。


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Memory12 蚕人の里

 鉱山街を解放し、依頼が更新された銀髪の青年は、休むことなく移動を開始していた。

 

「国の端から端まで移動して、また端まで移動。忙しい限りだな、おい」

 

 馬の蹄が地を蹴る音に耳を傾けていた彼に、背後で窮屈そうに馬に跨がる赤い鱗の蜥蜴人が声をかけた。

 銀髪の青年は苦笑混じりに肩を竦め、厚い雲に覆われた空を見上げた。

 

「こういうのには慣れている。冒険者だからな」

 

 日差しがないだけありがたいと付け加え、肩越しに振り向きながら赤い鱗の蜥蜴人に問いかける。

 

「乗馬は初めてなのか?あまり手慣れていないように見えるが」

 

「乗る機会は少ないな。戦場は己の足で駆けてこそだし、氏族での移動は皆で荷物を担げばそれで済む」

 

「そうなのか」

 

 彼の返答に銀髪の青年は意外そうな声音で返し、ふぅんと興味深そうに小さく声を漏らしながら前に向き直った。

 銀髪の青年の知る蜥蜴人は肉よりもチーズを好み、乗馬にもかなり慣れている様子でもあった。

 集落を飛び出し冒険者となった者と、集落に残り、氏族を守らんとする戦士では、同じ年月を生きたとしても価値観は全く違ってくるのだろう。

 只人とて村生まれか街生まれかでだいぶ変わるのだ、蜥蜴人となればその違いは尚更だろう。

 

「蚕人に会うのは初めてだな」

 

 そうして僅かではあるが故郷を思い出したからか、ふと気付いた事を口に出した。

 只人、森人、鉱人、蜥蜴人、獣人と、二十年も生きていないがそれなりの種族とは会ってきた自覚はあったが、蟲人とは会った記憶がない。

 

「まあ、そもそも蟲人自体が一つの集落(コロニー)だけで全部済ませる奴らだからな。街ですれ違うだけでも幸運だろうさ」

 

 そんな彼の背にしゅるりと鼻先を舐めてから赤い鱗の蜥蜴人が返し、「それに」とどこか懐かしむように目を細めながら告げる。

 

「俺も会ったのは片手で足りるくらいだ。時々集落を出た奴が服を売りに来てな」

 

「どんな連中なのか、は聞かない方がいいか?」

 

「ああ。戦嫌いの連中なんざ、興味ねぇ」

 

 銀髪の青年は更なる情報を求めたが、赤い鱗の蜥蜴人はあっさりと彼の頼みを断り、「だがいい仕事をしやがる」と蚕人をそう評した。

 

「あいつらが織る服は、この国の腕っこきの職人でも作れねぇ代物ばかりだ。昔は王族とか、一部の貴族連中が取引して取り寄せていたらしいが……」

 

「今は無理やり作らせたものを、敬愛なる国王様へってことか。だが、その関係が崩れ始めた」

 

 彼の言葉を銀髪の青年が引き継ぐと、赤い鱗の蜥蜴人は鼻からしゅーっと鋭い音をたてて溜め息を漏らした。

 

「そういうこった。あと一日も走れば蚕人(あいつら)の縄張りだ。気を引き締めろよ」

 

 大事な締めの台詞を取られたからか、どこか不満げな声にも聞こえるが、そこは産まれながらの戦士たる蜥蜴人。

 自分に言い聞かせるように告げた最後の一言と共に表情を引き締め、前を走る銀髪の青年の背に目を向けた。

 彼が「勿論」の一言と共に軽く右手を挙げると、赤い鱗の蜥蜴人は「ならいい」と返し、先を急ぎたいのか軽く馬の腹を蹴った。

 けたたましい声と共に彼が乗った馬は加速し、前を走っていた銀髪の青年と彼が乗る馬を容易く追い抜く。

 突撃の加速に驚く銀髪の青年だが、馬の方は負けん気が刺激されたのか、彼が何かをする前に加速していく。

 

「お……おお……!?」

 

 横を流れていた景色が急に速くなり、さながら野を駆ける風となった彼は珍しく間の抜けた声を漏らした。

 だが手綱を離すことなく、十秒ほどで速度に慣れてしまえばむしろ馬に合わせて声を張り上げ始めるほど。

 

「キィ……」

 

 そんな二人を見下ろしていた一羽の鷲が、只人であれば心底嫌そうな顔をしながら出すだろう声で鳴くと、仕方がないと言わんばかりに羽ばたいて馬に追い付かんと加速。

 地上を駆ける二つの影と、空からそれを追う小さな影。

 三つの影たちが目指すは一つ。

 滅亡の危機に瀕する優しき蚕人らを救う。それのみだ。

 

 

 

 

 

 一度の夜営を挟み、全力で駆けつけたものの、それでも夜になってようやくたどり着いた件の蚕人の集落。

 うっそうと茂る森の中に突然現れるそこは、まさに軍の野営地と化していた。

 戦を好まないらしい彼らでは用意しないであろう、丸太を削り出して拵えたと思われる集落の四方を四角く囲む高い塀。

 塀の角にそれぞれ設置された櫓には、それぞれ持ち運びを考慮したのか簡易型のバリスタが置かれ、そこには砲撃手と観測手が一名ずつ。

 観測手が角明(ランタン)を掲げて闇夜を警戒し、砲撃手は合図があればいつでも撃てるとバリスタについている。

 簡易的な要塞とも言えるそこが、本来ならこの国一番の織物の名産地など、誰が思うだろうか。

 とある木の枝に止まって野営地を俯瞰する鷲の視界を借り受けた銀髪の青年は、思わず頭を抱えて溜め息を漏らした。

 夜の闇に紛れる黒い外套を羽織り、そもそも光が届かぬ距離を保っているからこその行動なのだが、隣の赤い鱗の蜥蜴人は「おい」と彼を小突いた。

 蜥蜴人特有の巨体を、本物の蜥蜴さながらに四肢を地面について這いつくばる赤い鱗の蜥蜴人は、視線の高さの都合上野営地を見ることもできない。

 

「で、状況は」

 

「見張りが沢山。四方は壁。ぱっと見た限り隙間なし」

 

「正面から食い破るか?」

 

「バリスタの砲火を掻い潜っても、蚕人を人質にされて詰みだろ」

 

 彼の問いかけに小さく唸りながら返す銀髪の青年は、顎に手をやって本格的に何かを考え始める始末。

 瞑目して野営地を俯瞰し、見張りの兵士や彼らに連れられていく蚕人──只人に蛾を思わせる触覚や羽を持つ人たちだ──を観察するが、何かあったのか少々慌ただしい。

 何より蜥蜴人が言っていた近衛騎士と思われる女がいない。どこか屋内にいるのか、拠点を離れているのか……。

 

「俺なら木を登れるが、お前じゃ無理だろうな」

 

 そしていつまで経っても何も言わず、低く唸りながら考え込む彼に、赤い鱗の蜥蜴人が溜め息混じりにそう呟いた。

 前の偵察は、戦士としてかの拠点を破らんとする己を必死に抑え込み、木をよじ登って中の様子を探ったのだ。

 ようやく暴れられると思っていたのに、それさえもお預けとなった彼からすれば、この時間はまさに不服の時だった。

 

「木を登る……」

 

 不満そうにしゅーっと鋭く鼻から息を吐く彼を他所に、銀髪の青年は不意に頭上を見上げ、月明かりも差さぬほどに折り重なった枝へと目を向けた。

 人一人なら余裕で支えられそうな太く、長い枝がさながら天井のようにはなっているものの──。

 

「……行けそうだな」

 

 明かりを確保するためか野営地の直上に枝はないが、そこに至るまでは大量の季が立ち並んでいるのだ。

 銀髪の青年は一言そう断じると、僅かに助走をつけてから木の幹に突撃。

 そのまま幹を垂直に数歩駆けあがり、手頃な枝を掴むお身体を引き上げ、その枝の上に乗った。

 

「……お前、只人なんだよな」

 

 一切の淀みなくそれを行った彼を見上げた赤い鱗の蜥蜴人は、蜥蜴人にあるまじき無防備にポカンと口を開けながらそう呟いた。

 当の銀髪の青年は「やろうと思えば誰でもできる」とどこ吹く風であり、蜥蜴人を見下ろしながら枝の上でしゃがんだ。

 

「バリスタを破壊してから門を開ける。そしたら、突っ込んでこい」

 

「バリスタを壊すって、簡単に言うな。あそこに登ればすぐにバレるぞ」

 

 銀髪の青年は赤い鱗の蜥蜴人に作戦とも呼べない──だが今できる最良と思われる策を説明するが、肝心の彼から待ったがかかった。

 確かに銀髪の青年が壊すと言ったバリスタは、拠点の四隅に設置されている。

 一つでも壊せば相手に侵入を気取られ、そもそも壊すためには櫓を登らねばならない。

 彼が見つかれば蚕人たちに危険が及び、何より彼自身も大きなリスクを背負わねばならない。

 赤い鱗の蜥蜴人は戦友たる銀髪の青年を心配しての言葉だが、当の彼は気にする様子もなく得意気に笑った。

 

「いや、櫓には登らない」

 

 獲物を狙う鷲のように鋭く、けれどどこか悪戯を思いついた子供のように目を細めながらそう告げた。

 赤い鱗の蜥蜴人は不思議そうに首を傾げ、彼にどうするのかと問おうとするが、彼はそれを待たずに駆け出してしまう。

 枝の上をひた走り、次から次へと枝を飛び移る様は森人のよう。

 

「……本当に只人かよ」

 

 彼の背を見送った赤い鱗の蜥蜴人は嘆息混じりにそう呟き、合図と共に行動(アクション)を起こせるように待機場所を変えんと地を這い始めた。

 枝の上を行く銀髪の青年、地を這う赤い鱗の蜥蜴人。

 上下から迫る脅威を知らず、兵士たちはいつも通りの静かな夜を過ごしていた。

 

 

 

 

 

「なるほど、これは中々」

 

 野営地を見下ろせる位置についた銀髪の青年は、内情を探りながら神妙な面持ちとなっていた。

 何かを探しているのか、かつてあったであろう蚕人らの住居は完膚なきまでに破壊され、かつては見事だったであろう姿は見る影もない。

 タカの眼越しに見てやれば、寝る間も惜しんで絹を織る蚕人らの姿や、彼らを監視する兵士らの姿も見えるのだが……。

 

 ──蚕人の数に対して、兵士の数が少ないないか?

 

 戦う力を持たないからと舐めているのか、あるいはそれどころではない何かがあったのか、それは定かではないのだが、どちらにせよ好都合だ。

 銀髪の青年は思いのほか簡単に終わりそうだと思いながら、けれど油断なく野営地を観察していると、ふとあるものに気付いた。

 野営地中央の広場には見せしめのように殺害された幾人かの蚕人の遺体が磔にされているのだ。

 尋問か、拷問をされたのか、一方的に痛め付けた相手を、ああして戦利品のように飾っているのだろう。

 銀髪の青年は目深く被った頭巾の下で額に青筋を浮かべ、込み上げる怒りのままに拳を握りこんだ。

 だがすぐに深呼吸と共に手から力を抜き、熱くなった自分を落ち着かせる。

 常に冷静に、常に万全に、冒険者ならばそれができねば死んでしまう。

 装備は万全、体調も万全、あとは心を落ち着かせていつも通りのことをするだけだ。

 ごきごきと首を鳴らし、肩を回して鎧の具合を確かめた彼は、身を預けていた枝から身を投げた。

 綺麗な弧を描いて跳んだ彼は見事に塀の上を飛び越え、塀の内側に積まれていた干し草の山に落下した。

 ばさりと干し草が揺れる音だけが微かに漏れるが、幸いなことに近くに兵士はいない。

 干し草の山の中からタカの眼を通して辺りを偵察した彼は、がさりと音をたてて干し草の山から飛び出す。

 内側に入ってしまえばこちらのもの、あとはやるだけやれば勝ちが見えてくる。

 銀髪の青年は建物の影に隠れ、近場の櫓を睨みつけた。

 辺りを警戒しながらも、建物の影から影、時には茂みの中を掻き分けて突き進む。

 そして誰にも気付かれることなく櫓の下にたどり着いた彼は左手のアサシンブレードを抜刀すると、柱の一本にバツ印を着けた。

 それが済めばすぐさま次の櫓に向けて移動を開始し、夜を駆ける影となって野営地内を疾走。

 音もなく、光も通らない場所を駆ける彼を見つけられる者は誰一人としておらず、兵士たちは各々の持ち場を巡回し、動きが鈍った蚕人に気付けと称して暴力を振るう。

 あちこちから聞こえる彼らの悲鳴に、今すぐにでも助けたいと動きかけた身体を無理やり止め、今すべきことを最短最速で行うように意識する。

 まずは混乱を生む。そして相手の意識がそれへの対処に向いた瞬間を見計らい、全員殺す。

 

 ──そう、それでいい。それでいいのだ。

 

 自分は一から十までの全てを同時にこなせるわけでない。

 一を終えれば二に、二を終えれば三に、一つ一つ確実にこなしていくしかできない不器用な男なのだ。

 少なくとも彼は自分のことをそう思っているのだが、極論言えば彼はそれを極めていると言っても過言ではない。

 一つずつしかできない変わりに、その一つをこなす速度をあげていく。

 常人なら一日をかけて行うことを、半日をかけずに終われるように、彼は常に全力で動き続けている。

 影の中を走り抜け、櫓に印をつけ、すぐに駆け出して次の櫓に。

 それを櫓の数──つまり合計四度繰り返すためには、文字通り野営地内を縦横無尽に駆け回るほかにない。

 馬もなく、持久力はともかく瞬間的な速度も他の種族に劣る只人の身でありながら、全てをこなすのに十分足らず。

 最後の櫓にバツ印を着けた彼は無言で頷いて印を指で撫でると、次の目的地に向けて走り出す。

 幸いなことにまだ気づかれてはいないが、今から派手なことをするのだ、まず間違いなく気づかれる。

 

 ──だが、問題ない。

 

 野営地に駐留中の兵士はあらかたマーキングを済ませ、蚕人たちの位置もだいたい把握した。

 騒ぎを起こし、蚕人らを救出しつつ門を開け、蜥蜴人を中に入れる。

 それらを同時進行というのは、どこかでぼろを出しそうで恐ろしいものがあるが、やらねばならぬ時もある。

 そんな思慮をしている内にたどり着いたのは、野営地中央広場。

 戦果を自慢するように蚕人を磔にする柱の先端に一跳びで乗った彼は、片手で印を組みながら真に力ある言葉を口にする。

 

「《サジタ()》」

 

 紡がれた真に力ある言葉により彼の頭上に超自然の力が集まり、辺りを照らしていく。

 辺りから兵士たちの警戒を促す声や、ここに駆け付けるために揺れる金属音が聞こえてくるが、彼は構うことなく更に詠唱。

 

「《ケルタ(必中)》」

 

 兵士たちが柱の上に仁王立ちする敵の姿を認め、各々が武器を構えて彼を包囲していく中、櫓の方からはバリスタが台座ごと回転し、こちらを狙う音が聞こえてくる。

 そして砲撃手が引き金を引こうとした瞬間、銀髪の青年は静に最後の一節を口にした。

 

「《ラディウス(射出)》!!」

 

 その直後、彼の頭上に集まった超自然の力が爆発し、四本の矢となって先ほど着けた印に向けて放たれた。

 魔術の基礎にして真髄──『力矢(マジックアロー)』は、本来なら威力は低いが必ず当たるという特性を持つ。

 だが幼少の頃から鍛えられ、下手な魔術師よりも魔術に通じている銀髪の青年のそれは、威力も他の魔術師の比ではない。

 本来なら上手く当てても人体を貫通する程度の威力しかないそれも、簡単な櫓を崩すだけなら造作ない。

 青い軌跡のみを残す不可視の矢は寸分狂わず櫓の根元に突き刺さり、盛大な破砕音をあげて根元から櫓を打ち壊した。

 もちろん上に乗っていたバリスタも、砲撃手と観測手もその崩壊に巻き込まれ、使い物にならなくなる。

 文字通り守備の要を失った兵士たちは驚愕と困惑の声をあげるが、それでもと武器を構えて銀髪の青年を見上げた。

 当の彼はゆっくりと暗剣を鞘から引き抜き、兵士たちに見せつけるように高々と掲げながら、再び片手で印を組んだ。

 

「《ルーメン()……オリエンス(発生)……セクィトゥル(従属)》!」

 

 そして紡がれる三節の真に力ある言葉(トゥルーワード)

 直後、暗剣を超自然の光が包み込み、弾けた。

 昼間の太陽の如き光が夜の野営地と、彼を見上げていた兵士たちの視界を白く塗り潰した。

 あちこちからあがる悲鳴を他所に、銀髪の青年は今しがた浸かった魔術──『光明(ライト)』の効果を確かめながら、不敵に笑んだ。

 直後虚空に向けて一歩前に踏み出し、柱から落下。

 不運にも足元にいた兵士を緩衝材に落下の痛痒(ダメージ)を無くしつつ、念のためと押し潰した相手の顔面を踏み砕く。

 足の裏に感じる頭蓋と脳髄を踏み砕く気色の悪い感覚に僅かに目を細めるが、すぐさまそれを振り切って背に回していた円盾を左腕に括りつけた。

 そして始まるのは、まさに蹂躙だった。

『光明』の術により視界を潰され、まともに抵抗もできない兵士たちを一人ずつ確実に首を掻き斬り、円盾の顔面への殴打で砕く。

 そのまま兵士たちを蹴散らしながら向かうは、野営地の正面の門だ。

 加速の勢いを乗せ、渾身の力を込め、放つは母直伝の蹴り一閃。

 地に影を落とさず、残像さえも残さず、相手に蹴られたという感覚さえも与えず、一撃で絶命させる一撃。

 それを相手は兵士ではないどころか、生物でもない門に向けて放つというのは、母が聞けば笑うかもしれないが、技とは一重に何かを壊すものだ。

 そこに生物も非生物も関係はあるまい。

 

「イィィィィヤッ!!!」

 

 母譲りの怪鳥音を響かせながら、彼は固く閉ざされた門を蹴り着けた。

 直後、辺りの木々が揺れるほどの衝撃が森を駆け抜け、ただの蹴りでもって大人数人がかりであげる筈の門を破壊した。

 その拍子に飛び散った木材の破片が頬を掠め、一筋の赤い筋が刻まれるが、彼はそれを乱暴に拭って口笛を吹いた。

 夜の森に響く甲高い音は異質で、嫌に目立つ訳だが今回はそれでいい。

 

「貴様、そこを動くな……っ!」

 

 ようやく視界が回復した兵士たちがばたばたと慌ただしい足音と共に銀髪の青年を囲むが、彼は振り向き様に不敵な笑みを兵士たちに向けた。

 

「ああ、動かないとも。俺はな(・・・)

 

 そして挑発するように両腕を広げると、彼の頭上を異形の影が飛び越え、兵士たちに踊りかかった。

 

「おお、大いなる父祖よ!我が戦働きをご照覧あれ!!」

 

 赤い鱗の蜥蜴人は蜥蜴人特有の祝詞と共に、まずは手近な兵士を鎧ごとその鋭い爪で切り裂き、振るった尾で身体を打ち据える。

 ただの尾の一撃と侮るなかれ、容易く鎧をへこませ、生身であれば身体が千切れるそれを受けて、一介の兵士が無事である筈がない。

 

「まず二人!まだまだ行くぞ、おい!!」

 

 そして、蜥蜴人の攻撃というのはそれに止まらない。

 爪、爪、牙、尾の四連撃こそ、蜥蜴人の一呼吸(ワンターン)行動(アクション)に他ならないのだ。

 故に、爪、尾と使った彼が続けて放つのは、更なる爪の一閃とその(あぎと)による一撃だ。

 鎧を容易く切り裂く一閃が兵士を穿ち、岩をも噛み砕く牙は兜諸とも兵士の頭を噛み千切る。

 途端、口内を包み込んだ鉄の味と、肉を噛む心地よい感触に目を剥いた彼は、右拳を握ったかと思うと鱗を押し上げる筋肉を肥大化させ、渾身の右ストレート。

 パン!と風船が弾ける音がしたかと思えば、それを真正面から受けた兵士の身体が風船のように弾け跳んだ。

 辺りに飛び散った臓物と骨の破片を踏み締めながら、赤い鱗の蜥蜴人はぺっ!と先ほど咀嚼した脳の欠片を吐き出した。

 

「次はどいつだ……!」

 

 そして久しぶりの血肉の味と、それが転じた戦への興奮に表情を歪ませ、嬉々と牙を剥いた赤い鱗の蜥蜴人は兵士らを睨み付けた。

 

「ひっ……」

 

 瞬く間に五人の仲間を肉塊にされ、そして次は自分だと錯覚した兵士の一人が上擦った悲鳴を漏らし、思わず半歩下がってしまった。

 そんな彼を誰も責めることはできず、むしろどうにか間合いを開けようと他の兵士らも下がり始めるが、彼らは失念していた。

 

 ──そう、相手は蜥蜴人だけではないのだ。

 

「無視は困るんだが……」

 

『っ!?』

 

 その声が聞こえたのは、彼らの背後。

 弾かれるように振り向いた兵士らの視線の先にいたのは、先ほどまで蜥蜴人の後ろにいた筈の銀髪の青年だった。

 頭巾の下で困り顔を浮かべた彼は「馬鹿ばかりだな」と兵士らを嘲るような声音でそう告げて、勢いよく彼らの背後を指差した。

 慌てて正面に向き直った彼らだが、その直後に後悔することとなった。

 

「無視は困るのは、俺の方なんだがな……!」

 

 そこには戦闘中に無視される──しかも、己以外の人物に注目したため──という、戦場における最大の侮辱とも言えるそれをされた憤怒の表情を浮かべる蜥蜴人の姿があった。

「あ……」と諦めにも似た声を漏らしたのは、果たしてどの兵士だろうか。

 前には蜥蜴人。後ろには只人の戦士。

 どちらも自分たちが束になっても勝てる相手ではなく、活路はどちらにもない。

 

「さあ、来い。相手してやるぞ」

 

「せめて楽に逝かせてやる。来るなら来い」

 

 そして、二人の態度からして投降も許されないだろう。

 兵士たちは顔を見合わせ策を練るが、今考えられるのは誰かを犠牲にしてその隙に誰かを逃がすという、最悪な手のみ。

 ならば誰がという話になるのだが、誰も死にたくはないし、できるのなら生きて明日を迎えたいのだ。

 幸いにも櫓を壊された音や、門を破る音は、野営地の外に出ていた近衛騎士と、彼女直属の騎士たちにも聞こえた筈。

 彼らが戻るまで粘れば、自分たちの──。

 

「来ないならこちらから行くぞ。合わせろ、冒険者!」

 

「任せろ。一撃一殺(ワンターン・ワンキル)……!」

 

 そんな彼らを嘲笑うかのように、赤い鱗の蜥蜴人と銀髪の青年の方から仕掛けた。

 不意討ち気味に始まったそれを兵士らがどうにかできる訳もなく、一人、また一人と屍に変えられていく。

 静かな森に余多の悲鳴が木霊し、それが起こる度に一つの命が世界から消えていく。

 そして最後の一人が蜥蜴人の爪で頭を穿たれ、悲鳴もなくその命を落とすと、強烈な鉄の臭いと血の温もりだけが、野営地の門の周辺にこびりつく。

 

「よし。これで一歩、竜に近づいたな」

 

「眠れ、安らかに」

 

 赤い鱗の蜥蜴人は爪や尾に血払いくれて勝利の余韻に浸る中、銀髪の青年は静かに祈りの言葉を口にした。

 ここの兵士らがやった諸行は許されないが、善人も悪人も、死んでしまえば等しく死人だ。

 天上に戻った魂が、いずれ廻って再び命を宿すというのなら、せめて一時の安らぎを。

 

「蚕人を探すか。この騒ぎでも出てこねぇって、どんだけ臆病なんだよ」

 

 そんな銀髪の青年の脇を通り抜けた赤い鱗の蜥蜴人が不満そうに言うが、銀髪の青年は「そう言うな」と彼の肩を叩いた。

 

「誰もがお前のように強くはない。むしろ弱い奴の方が多い筈だ」

 

「そうかもしれんが、弱者なら弱者なりに吼えてもらいたかったね」

 

 銀髪の青年の言葉に赤い鱗の蜥蜴人は彼なりの矜持を口にし、ぎょろりと回した目玉を銀髪の青年に向けた。

 当の彼は僅かに非難するような視線を向けており、赤い鱗の蜥蜴人の言葉を理解しかねる様子だ。

 冒険者がなら、確かにどんな状況になろうとも挑む気骨は大切ではあるが、ここに住む蚕人らは冒険者どころか、おそらく剣を握ったことさえないだろう。

 そんな彼らに戦って欲しかったなどと思うのは、少々残酷ではあるまいか。

 

「ま、理解はできんだろ。俺とお前じゃ、根本が違いすぎる」

 

「只人と蜥蜴人だ。そこは弁えているとも」

 

 赤い鱗の蜥蜴人のどこか諦観めいた表情と共に告げられた言葉に、銀髪の青年は僅かに俯きながらそう返した。

 自分は只人、彼は蜥蜴人。文化が根元から──蜥蜴人から言わせれば進化の系譜からして──違うのだ、理解しあえない事柄もあろう。

 

「だが、やるべきことはお互いに決まっているだろう?」

 

 それでも銀髪の青年は赤い鱗の蜥蜴人の腕を叩き、本来の目的である蚕人らの元を目指して歩き出す。

 

「そうだな。その通りだろうよ」

 

 彼の背を見つめた赤い鱗の蜥蜴人はそう呟き、今一度鼻から空気を取り込み、久しぶりの血の香りで肺を満たした。

 敵を蹂躙し戦に勝ち、自分はいまだここに立っている。

 ならば目指すは次なる戦。いずれ竜に至るか、あるいは屍となるその日まで、進み続けるのみだ。

 

 

 




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Memory13 黒縄と白姫

 軍の拠点へと改造されてしまった蚕人の里。

 そこに駐留していた兵士らを一掃した銀髪の青年と赤い鱗の蜥蜴人は、揃って困惑の表情を浮かべていた。

 

「あー……。とりあえず、説明を頼めるか……?」

 

 そして銀髪の青年は首を傾げ、目の前で両手両膝をつき、額を地面に擦り付けている──極東でいう土下座をしている蚕人らに問いかけた。

 兵士らを一掃して安全を確保したので、拠点のあちこちで鎖に繋がれて作業を強制されていた蚕人らを助けて周り、怪我人を運び出したり、兵士の遺体を退かしたりとしていると、突然頭を下げられたのだ。

 様々な危機的状況や、未知の事態には慣れていると自覚していた銀髪の青年ですら、その光景には思わず思考が止まるというもの。

 彼の問いかけに応じたのは、彼らの中でおそらく最年長と思える高齢の女の蚕人だ。

 身体中に刻まれた生々しい傷や、青痣をはじめとした内出血の痕が痛々しいが、皺が目立つ顔をあげ、じっと銀髪の青年と赤い鱗の蜥蜴人を見つめながら告げた。

 

「──どうか、姫様をお救いください。どうか……っ!」

 

 そう一言だけ言うと、再び地面に額を擦り付ける程に頭を下げた。

 それを合図に後ろで土下座をしたまま黙っていた蚕人たちの間からも先の言葉と似た内容の言葉が飛び交い始め、それを受け止める事になった銀髪の青年は困惑を深めた。

 その姫様というのが誰かは知らないが、連れて行かれたか、あるいは行方知らずになったのか、ともかくどこかに行ってしまったらしい。

 

「一族置いて逃げ出したのか?そんな奴、ほっとけ」

 

 赤い鱗の蜥蜴人は一方的にそう決めつけ、不満そうにふん!と鼻を鳴らしながら腕を組んだ。

 戦に生きる彼からすれば、逃げの一手を打つ前にせめて抵抗する気概を見せて欲しかったのかもしれない。

 彼の一言に対して反論はないが、幾人かの蚕人が不満そうに拳を握り、爪を土に汚している。

 細めた瞳でそれを見た銀髪の青年はその場で片膝をつくと、年長の女蚕人に「顔を上げてくれ」とできるだけ優しい声音でそう告げた。

 恐る恐ると言った様子で顔を上げた年長の女蚕人は、言われた通りにじっと見下ろしてくる蒼い瞳を見上げるように顔を持ち上げ、視線を合わせるように身体を起こす。

 

「とにかく、説明してくれ。その、姫様?とかいうからには女だというのはわかるが……」

 

 そして白い瞳と蒼い瞳の視線が交錯し、片やこれ以上ない程の不安が孕み、片やこれ以上ない程の自信に満ちた瞳。

 年長の女蚕人は乾いた喉を潤すように唾液を飲み、ゆっくりと口を開いた。

 

「本来であれば、我が一族に何の関わりを持たないあなたに頼むのはお門違いだとは思います。けれど、全ては姫様と、彼女を遺し逝かれた我らの女王のため──」

 

 彼女はさながら国王に意見具申するような重々しく、凛とした声音でそう前振りすると、本題に入った。

 

「この里が国軍に抑えられ、ここ数年は女王が我らの盾となり、とりあえずの平穏は約束されておりました。我らはこの国の貴族や王族のために衣を織り続けておりました」

 

「そこら辺はこっちの予想通りだな」

 

 後ろで腕を組んでいた赤い鱗の蜥蜴人がしゅるりと鋭い音を立てて鼻先を舐めながら言うと、銀髪の青年は黙れと言わんばかりに彼を睨んだ。

「すまん」と赤い鱗の蜥蜴人は申し訳なさそうに謝ると、続きを促すように年長の女蚕人に手で示す。

 

「ですが女王は無理がたかったためか病に罹り、そのまま亡くなってしまったのです。ですが、女王は我らに最期の言葉を遺しておりました」

 

 ──どうか我が子を、囲いの外へ……。

 

「軍に抑えられてからというもの、この数年我が一族は子宝に恵まれず、唯一成人していなかったのは姫様のみ。我らの成人の儀は、ご存知でしょうか?」

 

「いいや。蟲人と接する機会がなくてな」

 

 彼女の問いに銀髪の青年が首を横に振ると、年長の女蚕人は「左様ですか」と頷いた。

 そもそもとして蟲人は独自の集落(コロニー)を作り、大半はそこから出ることなく一生を過ごすのだ。

 こうして他の種族の侵略を受けることも稀であろうし、さらに他の種族がそこを襲撃してくるなど、蟲人である彼らであっても滅多には聞く話ではない。

 

「我らは成人が間近となると自らの絹で繭を作り、そこに籠るのです。そしてその中で成人となれれば繭から孵り、その繭で神々に捧げる衣を織るのです。ですが、この囲いの中でそれを行おうとすれば間違いなく繭は奪われ、姫様はその務めを果たすことができなくなってしまう。それだけは、防がねばなりませんでした」

 

「だから、隙を見てその姫様を流したと」

 

 銀髪の青年の確認に年長の女蚕人は頷き、背後に並んでいる同胞たちに目を向けた。

 

「ここを取り仕切る騎士が他所に行き、僅かに警備が緩んだ隙を狙ったのですが、やはり姫様一人を逃すだけで精一杯。兵士らは残った我らから話を聞き出そうとしましたが、誰も口を割ってはおりません」

 

「だから、兵士が出払って……。おかげでこっちは楽だったが、むぅ……」

 

 顎に手をやり、神妙な面持ちでそう告げた銀髪の青年は、その脱走の時期の悪さに思わず低い唸り声を漏らした。

 もう数日待てば自分たちが来たのだが言えばそうだが、彼らはそれを知る由もないのだ。その脱走は間違いではないし、むしろ女王の望みを叶える為には最適解であったとも言える。

 

「我ら蚕人の身体は、そこの蜥蜴人様とは比にならない程に弱く、脆いものです。目も悪く、こうして間近で見なければ、あなたの顔立ちすらわからず、少し走るだけですぐに息が切れ、羽はあれど飛ぶことはできません」

 

「……虚弱にもほどがあるだろうに」

 

「それでもどうにか逃した姫様が、無事に繭に入ることができたかも、我らにはわかりませぬ」

 

 銀髪の青年が思わず入れてしまった横槍に構うことなく、年長の女蚕人はそう告げて僅かに俯いた。

 彼らの全力をもってしても逃すだけでも精一杯だが、姫様も姫様で長距離を走れるほど体力があるわけでもなく、そもそも種として頑丈ではない。

 囲いから逃げたとしても、森から出られるほどの体力を持ち合わせていないのだ。

 

「その姫様を探して、連れ戻せばいいのか?」

 

 そして大体の話を理解した銀髪の青年がそう問うと、年長の女蚕人は小さく頷いた。

 返答はそれだけで十分。そして、これ以上話していても時間の無駄だ。

 今こうしている間にも、その姫様の身に危険が迫っているかもしれない。

 

「了解だ」

 

 銀髪の青年はただ一言そう言うと、赤い鱗の蜥蜴人に目を向けた。

 

「ここは任せたぞ。俺は追加の依頼をこなす」

 

 一切の音を立てずに立ち上がり、軽く膝の汚れを払いながらそう言うと、相手の返事を待たずに踵を返して歩き出した。

 

「あ、おい。森の中といえばそうだが、この森がどれだけ広いと──」

 

 赤い鱗の蜥蜴人はそんな彼を呼び止めるが、肝心の彼は頭巾を被り直し、背中越しに軽く右手を振るだけで返答はない。

 銀髪の青年は軽くその場で力を溜めると、爆発にも似た音と共にその場を跳躍し、そのまま野営地を囲む塀を飛び越え、森の闇へと消えていった。

 

「……どうなっても知らんぞ」

 

 そんな彼を見送った赤い鱗の蜥蜴人は溜め息を漏らし、どかりとその場に胡座をかいた。

 不満げに太い尾で地面を叩きながら、頬杖をついた。

 お前は行かないのかというどこか批難するような視線が集まるが、そんなものお構いなしだ。

 

「あいつが一人でやれるってんなら大丈夫だろうよ」

 

 しゅるしゅると退屈そうに舌を口の周りに這わせながら、彼への信頼を感じさせる声音でそう告げる。

 蚕人らはひそひそと何かを話しているが、おおよそ本当に大丈夫なのか不安なのだろう。

 そんな彼らを安心させようとしたのか、赤い鱗の蜥蜴人は不器用に牙を剥いて笑みを浮かべ、彼らに告げた。

 

「ま、難しいことは冒険者(アドベンチャラー)に任せるさ」

 

 

 

 

 

 月明かりも差さない暗い森の中。

 銀髪の青年は瞳に蒼い輝きを放ちながら、何にも目もくれずに駆け続けていた。

 父から受け継ぎ、そして体得するに至った『タカの眼』は、如何なる闇さえも見通し、様々な物の輪郭(ワイヤーフレーム)を浮かび上がらせ、その上に更なる情報を映し出してくれる。

 具体的に言うなれば、件の姫様を追う兵士たちの痕跡が赤色に、さながら蛇が通った跡のように地面をかちこちに向けて這い回っている。

 そしてそれに紛れ、今にも消えてしまいそうな姫様が残した金色に輝く痕跡を、銀髪の青年は追いかける。

 無駄な思考はいらない。ただ示された道を、示されるがまま進むのみなのだから、余計なことを考える必要もない。

 

「む……」

 

 だが、目の前に敵を示す赤い人影が現れたとなれば話は別だ。

 彼は小さく声を漏らすと、減速することなく逆に加速。

 

「っ!?貴様、何者だ!」

 

「なぜ拠点の方から?!」

 

 兵士二人は慌てて身構え、彼を迎撃せんとするが、それではもう遅い。

 銀髪の青年は両手の小指を僅かに動かし、微かに漏れた鞘と刃が擦れる音と共にそこに仕込まれた極小の刃──アサシンブレードを抜刀。

 二人の間に半ば強引に割り込む形で飛び込むと、左右それぞれのアサシンブレードをそれぞれの喉仏に叩き込んだ。

 

「げ……っ」

 

「ぇ……」

 

 二人の兵士の口から漏れた微かな断末魔の声には一切耳を貸さず、力任せに二人を地面に叩きつけ、駆け抜ける勢いのままにアサシンブレードを引き抜き、納刀。

 ほんの数秒。たかが数秒の減速に舌打ちを漏らしながら、先を急ぐべく両足に力を込めて地面を蹴った。

 彼が足を付けた地面が捲れ、その下に隠れていた木々の根が顔を出すが、彼はそんなものお構いなしだ。

 一歩を踏み出す度に加速を繰り返し、一迅の風となりながら森の中を駆けていく。

 兵士らは獣に襲われ死んだ痕跡を飛び越え、壁のように立ちはだかる木の根を乗り越え、障害物は多い筈なのにそれを感じさせない全力疾走(フリーラン)

 父に仕込まれ、父の手で磨き上げられたそれは、本職のアサシンと比べても遜色ない。

 冒険者には不要と思われるだろうが、目的の場所に素早く確実に辿り着くというのは何であっても大切なことだ。

 そうやって全力で駆けること数分。少し周りを囲む木々が疎になり、少しずつ月明かりが差し始める。

 タカの眼を扱っている都合上、常に薄暗くなっている視界にも明るさが戻り始め、銀髪の青年は僅かに目を細めた。

 明るくなるということは、こちらにとってのアドバンテージが無くなるのとほぼ同義。

 タカの眼のお陰で闇夜の中でも問題なかったが、ここからは相手からの視界にも注意しなければならない。

 銀髪の青年は警戒を強めつつ先を急ぎ、タカの眼に映る痕跡にも注視する。

 痕跡の色は段々と濃くなってきている。つまり、件の姫様に近づいてきている証拠だ。

 だが彼女を追いかける兵士らの痕跡もまた多く、彼女が既に見つかっている可能性もかなり高い。

 そして、兵士がいるとすれば近衛騎士とその側近とも言える輩だろう。

 銀髪の青年は走りながら小さく溜め息を漏らし、目の前に起立する大木を避けた瞬間、タカの眼の薄暗い視界に敵を示す赤い人影と、それに囲まれた金色に輝く繭が映り込んだ。

 

 

 

 

 

 胸元や臍、太腿などを見せつける妙に露出の多い軍服に、見るものを魅了する美貌と、月明かりに照らされて幻想的に輝く金色の髪。

 蚕人の里を蹂躙し、そのまま拠点と定めた彼女こそ、そこを取り仕切る近衛騎士──『黒縄』に他ならない。

 彼女はぺろりと舌舐めずりをすると、見惚れるように繭をじっと見つめた。

 

「ああ。ああ……!やっと、見つけたわ……っ!」

 

 蚕人の姫が生み出したであろう繭を前にして、その女は歓喜の声をあげた。

 蚕人はこうして成人を迎える時に生み出す繭は、彼らの命を削っていると言われるまでに上質な絹で織られており、それを加工した衣服となればその価値は計り知れない。

 それを敬愛する王と、この国を導く聖なる声、英知の父、知識の母の三柱に供えることができるのだ。その歓喜たるや、思わず絶頂を迎えてしまいそうなほど。

 月明かりに照らされ、神秘的な輝きを放つ繭の中で眠りについている蚕人の姫君。

 繭といえどかなり薄いのか、光に当てられて輪郭が薄らと透けているが、どうせ殺すのだから相手がどうなっていようと構うまい。

 周りを囲む兵士らに警戒するように指示を出し、女は腰に下げた鞭に手をかけた。

 不気味な呪詛が込められたそれは怪しげな光を放ち、月明かりとは別の光が辺りを照らす。

 

「出来るだけ繭に傷をつけたくないから、残念だけど一撃で楽にしてあげるわ、感謝なさい」

 

 女は興奮で朱色に染まった頬をそのままに冷徹な瞳でそう告げて、ヒュンヒュンと風を切る音を立てて鞭を頭上で振り回した。

 鞭の先端が一周する度に速度が上がり、かろうじて見えていたものが残像のみに変わり、やがて音を残して見えなくなる。

 余程の達人でもなければ出来ぬであろう、光を置き去りにする程の速度。

 ほんの数秒でそれに達した彼女の技量に周りの兵士は感嘆の声を漏らし、彼女に魅入るように間の抜けた表情を浮かべた。

 そしてそんな彼らに骰子を振ったとて、それは致命的な失敗(ファンブル)以外の結果にはなるまい。

 がさりと僅かに葉が揺れる音に気付けたのは、果たして何人いたのだろうか。

 そして気付いた所で反応できるのさ、果たして何人いるのだろうか。

 

「ぬぅら……っ!!」

 

 近くの茂みから飛び出した人影は、雄叫びをあげながら近場の兵士を切り伏せ、その勢いを殺すことなく次の兵士へと踊りかかった。

 

「げっ!?」

 

「ぉあ"……?!」

 

「ぎゃ?!」

 

 木々の間を全速力のまま走り抜け、すれ違い様に首を刈る。

 次々と噴き出す血飛沫と、それを全身に浴びながら走り続ける曲者を、『黒縄』はその目でしっかりと捉えていた。

 残像を残す程の速度を叩き出すとは、相手は只者ではない。

 

 ──でも、まだまだね……!

 

 彼女は好戦的な笑みを浮かべ、眼光をギラつかせながら鞭を振るった。

 本来なら怪しげな輝きを宿すそれも、彼女の技量をもってすれば視認はできない。

 

「っ?!」

 

 だが、幼少の頃からの鍛錬と、数年間の冒険者としての経験が、彼の身を救った。

 取り巻きの兵士、その最後の一人を仕留めた曲者は頭巾の下でぎょっと目を見開き、慌ててその場を飛び退いた。

 直後振り下ろされた鞭の一撃が兵士の遺体を打ち据えた。

 直後鎧が砕け、肉が爆ぜ、金属混じりの肉片が辺りにぶち撒けられる。

 その表示に鎧の欠片が掠めたのか、頬に赤い筋が刻まれ、頭巾が脱げてしまう。

 

「へぇ……。結構いい顔してるじゃない」

 

 そして曲者──銀髪の青年の顔立ちをそう評すると、極上の得物を見つけた肉食獣のように瞳をギラつかせ、歯を剥いて獰猛な笑みを浮かべる。

 対する銀髪の青年は背に回していた円盾を左腕に括り、右手に構えていた暗剣に血払いをくれた。

 そしてその剣に見覚えがある『黒縄』は僅かに目を見開いて驚愕を露わにすると、どこか悲哀に満ちた表情を浮かべた。

 

「そう。『暗剣』の得物を持っているってことは、そういうことなのね」

 

 最近、連絡がないから心配していたのだけどと、どこか芝居じみた声音でそう言うと、ちらりと繭へと目を向けた。

 相変わらずそこにあるだけだが、中の姫様がいつ出てくるかわからないのだ、片付けるのなら素早く済ませるのが最優先事項だ。

 

 ──なら、最初から全力全開ね♪

 

「《英知の父、知識の母、聖なる声よ。愚かな我が身に、どうか一時のご加護をお与えください》!」

 

『黒縄』は跳ねるような声音で天に向けてそう叫ぶと、その肉感的な肉体に金色に輝く幾何学模様が浮かび上がり、それが鞭にまで及んだ。

『鶴嘴』が見せた『祝福(ブレス)』の奇跡にも似たそれを彼女が使ったことを合図に、銀髪の青年は警戒を強めた。

 円盾を上半身を守るように前に出し、暗剣は刺突、斬撃双方が行えるように切っ先を相手に向ける。

 飛び道具の有無、鞭の間合い、鞭の速度。先の一撃でどうにか反応できるとわかったそれも、奇跡による能力向上(バフ)の後では全てが無意味だろう。

 そして『黒縄』が軽く腕を振るった瞬間、銀髪の青年は全身に鳥肌をたて、背筋を撫でた悪寒に任せて横に跳んだ。

 直後、彼がいた場所が突如爆ぜ、火の秘薬が炸裂した時と似た音が森に響き渡った。

 

「今のを避けるのね。ふふ、ならもっと楽しみましょう!!」

 

 彼女は歓喜にも似た声をあげると、先程以上の速度をもって腕を振るった。

 上下、左右、袈裟懸け、逆袈裟。

 周りに気遣うべき仲間はいないのだから、広く開けた場所を最大限利用して縦横無尽に鞭を振るう。

 

「チッ!」

 

 対する銀髪の青年は思わず舌打ちを漏らすと、その我武者羅とも言える鞭の乱打を避け続け、どうにか間合いを詰めようとするが、そんな余裕は全くない。

 文字通り見えないものを避け続けなければならないのだ、彼の反射神経をもってしても回避に全てを捧げなければならない。

 前進に思考割く余裕はなく、防御しようにも盾を合わせるがままならない。

 速度とは即ち重さだ。受け止めようにも弾き飛ばされ、下手をすれば盾ごと腕を砕かれるだろう。

 鉱人特製の鎧具足といえど、下手な一手はそのまま即死にまで繋がりかねない。

 かろうじて聞こえる風切り音も役に立たず、空を打つ鋭い打撃音のみが続くばかり。

 

「ほらほらほら!もっと踊らないと、バラバラになっちゃうわよ!!」

 

 体捌き、地面を転がっての回避、飛び退いての回避。

 迫る攻撃を思いついた限りの方法で避け続けるものの、その様は彼女が言うように踊っているようにも見えるだろう。

 だが、それでは彼女を殺めることができない。刃が届かねば、相手の命を断つこともできない。

 

 ──それにしたって、鞭と剣とじゃ間合いが違いすぎる……っ!

 

 銀髪の青年は覆しようのない事実に再び舌打ちを漏らしすと上体を後ろに逸らし、間髪入れずに彼の頭があった場所を鞭が通り過ぎた。

 その勢いのまま彼の横にあった木の幹に鞭が打ち据えられ、そのまま抉り取るように幹を砕いた。

 当たれば即死は免れないのは分かりきっている。だがこうしてその威力を見せつけられると、背中に嫌な悪寒を感じてしまう。

 カラカラと骰子が転がる乾いた音と、駒をひっきりなしに動かす神々の笑い声の幻聴を聞きながら、だが銀髪の青年の瞳から活力が消えることはない。

 木を折るのがなんだと言うのだ。母はただの蹴りで大木を折ったのだ。

 それに比べれば、鞭を使わねば同じことができぬ相手など恐るるに足らず。

 何を恐れているのだ。相手は只人で、自分も只人。武器や性別など違いはあれど、種族という括りで見れば違いはない。

 銀髪の青年は不敵に笑むと左腕の円盾を取り外し、振りかぶってそれを投じた。

 

「っ?!」

 

 一見自棄を起こしたかのようにも見える突然の反撃。

 だが彼女の虚を着くには十分であり、現に彼女は盾の迎撃のため余分に一度鞭を振うことになった。

 カン!と甲高い金属音と共に盾を弾いた『黒縄』は、その直後に目を見開いて驚愕を露わにした。

 

「あら……?」

 

 彼がいないのだ。先程まで踊り狂っていた銀髪の青年が、視界から姿を消したのだ。

『黒縄』は辺りを見渡し彼を探すが、やはり姿は見えず、気配も感じない。

 先の奇跡の使用で聴覚と視覚、嗅覚は只人のそれを遥かに超えているのだが、それらを駆使しても見つけられない。

 

「逃げた?まさか、この繭を置いて逃げるわけが……」

 

『黒縄』は首を傾げながらも警戒を強め、頭上で鞭を振るって音を超える最高速度を保ち続けるが、いい加減繭を壊してしまおうかと溜め息を漏らした。

 楽しい時間はすぐに過ぎてしまうと言うけれど、まさか向こうから切り上げられるなど思うまい。

 

「繭から引っ張り出したら、彼の分まで楽しませてもらいましょうか。その分、怪我をしないように丁寧に引き摺り出してあげるわ」

 

『黒縄』はすっと細めた瞳を繭に目を向け、強い愉悦に表情を歪めながら鞭を振るおうとした瞬間、彼女の全身に影が差した。

 月に雲でもかかったかと、不意に空を見上げた瞬間、頭上から迫る蒼い瞳の死神と視線が合った。

『黒縄』が素早く手首を返して鞭の軌道を修正した直後、彼女の頭上から急襲した蒼い瞳の死神──銀髪の青年は、両手で振りかぶった暗剣を振り下ろす。

 振るわれた鞭が彼の肩と、跳ねた先端で頬を打ち据えた直後、彼は身体が砕け散らんばかりの衝撃に歯を食いしばりながら、振り抜いた刃を『黒縄』の左肩に叩きつけた。

 研ぎ澄まされた一閃は彼女の骨を、肉を断ち、その勢いのまま彼女の心臓を叩き斬り、噴き出した鮮血が銀髪の青年の痛みに歪んだ顔と、『黒縄』の美貌、金色の髪に赤い斑模様を残していく。

 

「あ……ははっ……上からなんて、ずるいじゃない……」

 

 彼女は自分の血に濡れた銀髪の青年の頬を撫でると、乾いた笑みを浮かべながらもどこか勝ち誇るような瞳で彼の蒼い瞳を見つめた。

 不意打ちに強引に反応したため、頭を吹き飛ばすことはできなかったが、確かにその肌に鞭の一撃を与えたのだ。

 銀髪の青年は彼女の手を不快そうに唸りながら払うと、そのまま腹に蹴りを入れて暗剣を引き抜いた。

 ずりゅりと湿った音を立てて地面に倒れた『黒縄』は掠れた視界の中、銀髪の青年の背後に立ち、こちらを見下ろしてくる金髪の乙女の姿を幻視し、最後の力を振り絞って優しげな笑みを浮かべた。

 

「ああ、全く。最高の、終わり方ね……」

 

 そしてぽつりと呟いたのが、彼女の最期の言葉だった。

 満足げな表情で逝った彼女を見下ろしながら、銀髪の青年はその場に片膝をつき、そっと彼女の瞼を下ろしてやった。

 

「汝、死を受け入れよ。それが最後の(はなむけ)故に」

 

 そしてささやかな祈りの言葉を口にすると、彼女の懐を探り始め、いつもの硬貨を探し始めるが──。

 

「……持っていない?」

 

 見るからに他の兵士とは違う露出多めの格好故に、彼女がそれなりに特殊な立場だと判断し、一対一の状況を生み出したのだが……。

 格好が格好だから硬貨を忍ばせる場所はかなり限られているのだが、どこを探しても見つからない。

 まさか影武者、あるいは人違いかと自分の手違いを疑い始めるが、ふと師匠の言葉を思い出して『黒縄』の胸元を凝視した。

 

『女ってのは、意外な場所に意外なもんを隠してるもんだぜ?』

 

 あの槍を担いだ美丈夫はそんな事を言っていたし、聞いた時はそんな事があり得るのかと疑ったものだが、試す価値はあるだろうり

 死体を必要以上に弄ぶ趣味はないが、これは必要なことなのだと自分に言い聞かせ、彼女の豊満な胸に手を伸ばし、それが生み出す谷間に手を突っ込んだ。

 もう死んでいるが故に冷たいが柔らかい、なんとも形容し難い感覚に眉を寄せるが、彼は指先に金属の冷たさを感じ、思わず笑みをこぼした。

 そのまま指先でそれを挟んで引っ張り出せば、そこから近衛騎士の証たる硬貨が顔を出した。

 なぜここに仕舞い込んだのかと、彼女の問いただしたい所だが、生憎と死んでしまったのだからどうしようもない。

 硬貨を指で弾きあげ、立ち上がり様にそれをキャッチし、懐に突っ込んだ。

 そして繭に近づこうと足を向けた瞬間、彼の身体に異変が起きた。

 ドクン!と心臓が跳ね上がったかと思えば、先ほど打たれた頬が異様に熱を持ち、肉を抉られるような痛みが広がっていく。

 

「がっ……!ああああああああああ?!」

 

 突然の激痛に声を耐えきれずに悲鳴をあげ、頬を押さえながら片膝をつく。

 痛みを堪えようと深呼吸を繰り返し、水薬(ポーション)を飲もうと雑嚢に手を伸ばすが、それどころではない痛みに襲われて有らん限りに目を見開いた。

 彼からは見えないが頬を中心に顔の血管が浮かび上がり、虫が這っているかのように脈動を繰り返している。

 

「なん……だ……っ、これ……っ!!」

 

 彼は訳もわからずに困惑し、原因を探ろうとタカの眼で辺りを見渡すが、激痛に喘ぐ状態ではまともに扱うことができず、視界が点滅を繰り返す。

 それでも歯を食い縛って気合いでタカの眼を継続し、そして原因を見つけた。

『黒縄』の手に握りれた鞭。それには魔術の力を示す緑色の輝きが宿り、何かはわからないが何かしらの術が込められているのは確かなようだ。

 大丈夫だろうと油断してしまったが、どうやらその一撃が致命傷となったようだ。

 

「──っ。ふぅ……!ふぅ……!クソ……ッ!」

 

 銀髪の青年は悪態混じりに地面に拳を打ち付けるが、視界の左半分が赤く染まり始め、ぽつぽつと地面に赤い水滴が垂れていく。

 それが自分の目から溢れたものだとわかるのに数秒費やした彼は慌てて目元を拭うが、籠手に大量の血が付着しているのを見て思わず笑みをこぼした。

 

「これは、流石にまずいか……?」

 

 ハハハと乾いた笑みをこぼすと、そんな彼の耳にがさがさと草木が揺れる音が届いた。

 後ろからだけではない。前からも、左右からも、様々な方向から聞こえてくる。

 先程まであんなに騒がしくしていたのだ。周りの兵士が集まって来るのは仕方があるまい。

 左目から血涙を流しながら、彼は幽鬼のようにふらふらと立ち上がり、暗剣を杖かわりに身体を支えた。

 迫り来る兵士たちの数は多くなり、茂みが揺れる音だけでなく武具が揺れる音、彼らの息遣いまで聞こえ始める。

 

「どこからでも来いっ!こいつには、指一本触れさせん……!!」

 

 そしてどこか狂気的な笑みを浮かべながら、銀髪の青年は吼えた。

 そんな彼に兵士たちが殺到してきたのは、その直後であった。

 

 

 

 

 

 彼女にとって、あの日から全てが変わってしまった。

 笑顔が溢れていた故郷から笑顔が消え、団欒の時が消え、絹の質さえも落ちていく一方だった。

 全てはあの日、攻め込んできた只人の軍勢のせい。

 武器や持たない自分たちは瞬く間に蹂躙され、まともに絹を織ることも許されない。

 それでも仲間達と励ましあいながら日々を懸命に生きていたが、民のために絹を織り続けていた母が死に、仲間たちはその跡取りたる自分を逃すだけでも精一杯。

 だが所詮は時間稼ぎ。皆には悪いが、自分の足では遠くまで逃げられず、森から出られたとしても獣に襲われて死んでしまう可能性も高い。

 全てを半ば諦めて、せめてここで──生まれ育った森で成人となり、それが駄目でもせめて森に還れるようにと、ここに繭を織った。

 

 ──そうである、筈なのに。

 

『こいつには、指一本触れさせん……!!』

 

 繭の向こうで戦ってくれている誰かは、そんな自分の事を知る由もなく、向かって来る誰かを片っ端から切り伏せていく。

 右に、左に、上に、下に、木々を足場に駆け回り、その度に誰かの断末魔の声が聞こえて来る。

 聖なる儀式の場が血に汚されていくのは不快極まりないが、それでも誰かが自分を守ってくれているのだ。

 全てを諦めて、ここで死のうとしていた自分を、死力を賭して守らんとしているのだ。

 そんな誰かに報いらず、このまま何もせずにいるなど、それこそ母の名に泥を塗ってしまう。

 彼女は豊かな胸元に手を当て、ゆっくりと深呼吸をすると、意を決して繭に手を当てた。

 自分で千切れるかもわからない程に強く織り込んだ繭を、どうにかこうにか解きつつ、少しずつ前へ。

 数分か、あるいは数十分か。彼女にとって、その重労働は永劫続くかのようにも思えたが、少しずつ繭が薄くなり、月明かりが彼女を優しく照らし始める。

 もう少し、もう少しで出られる。外の誰かに会うことができる。

 彼女は無意識の内に笑みを浮かべていた。何もできず、ただ朽ち果てていくだけと思っていた自分を、命を懸けて守ってくれる人がいるのだ。

 その人に早く会いたいという思いが彼女に活力を与え、非力な指先にも力が宿る。

 そして一番外側の糸。一際強く、頑丈な糸を掴むが、千切れずに四苦八苦。

 だがそんなもので辞めるわけもなく、彼女は渾身の力をもって最後の幕を引き裂き、ついに繭から身を出した。

 何色にも染まっていない白い髪に、同色の瞳。

 額の辺りからは蛾を思わせる触覚が伸び、背にもまた蛾を思わせる羽が二対。

 すらりと伸びた長身と、豊かな胸、括れた腰、安産型の臀部と、見るものを魅力する美しい肢体。

 それを神々に見せつけながら双子の月を見上げた彼女は、すぐに視線を落として辺りを見渡した。

 蚕人の視力では遠くが見えず、近くでも輪郭がぼんやりと見える程度なのだが、それでも彼女──蚕人の王女は確かに見た。

 月明かりに照らされて銀色の髪を煌めかせながら、けれど影のように存在感が希薄な、不思議な存在感を放つ青年。

 彼はぜえぜえと息を絶え絶えにしながらも、辺りに散らばる数十にもなる屍を一瞥し、蚕人の王女に笑みを向けた。

 

「遅れてすまない。助けにきたぞ」

 

 彼の一言に彼女は目から大粒の涙を流しながら、恭しく頭を下げた。

 

「ありがとう……。ありがとうございます……っ!」

 

 必死に声の震えを抑えようと力が入っている為か、変に力み、上擦ってしまっているその声は、僅かに幼さを残している為か泣きじゃくる子供のよう。

 だが銀髪の青年はそれに何か言うことはなく「無事でよかった」とただ一言返し、彼女に歩み寄った。

 蚕人の里の解放。そして姫の救出。

 二つの依頼はほぼ終えたが、行って帰るまでが冒険者の務めだ。

 

「一緒に帰るぞ、お前の家に」

 

 そして騎士のように恭しく彼女の前に跪いた彼は、一応返り血を拭ってから彼女の手を取りながら、そう告げた。

 その言葉に頬を朱色に染め、嬉しそうに微笑みながら、彼の手を握り返す。

 

「──はい。貴方となら、どこへでも」

 

 その言葉に深い意味はない。

 ただその言葉の通りの意味が、込められているだけだ。

 

 

 

 

 




感想等ありましたら、よろしくお願いします。


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Memory14 羽休め

「父さんは、何で母さんと結婚したの?」

 

 昼下がりの訓練終わり。

 その青年は父であり、そして師でもある男にそんな問いを投げかけた。

 こちらを殺す気なのでは思うほど苛烈な攻撃を防ぎきり、溜まった疲労を吐息と共に吐き出しながら地面に寝転んだ青年は、汗で額に貼り付いた母譲りの銀色の髪を退かし、隣で胡座をかいている父に目を向けた。

 

「……なんだ、藪から棒に」

 

 自分にも受け継がれた蒼い瞳をまん丸に見開き、使い古された手拭いで汗を拭っていた父はそう返すと、思慮するように顎に手をやった。

 そのまま雲一つない青空を見上げ、頭上で旋回している二羽の鷲を目で追いながら、どう言ったものかと考え込んでいるようだ。

 

「いや、無理に聞き出すつもりはないんだけど……」

 

 そんな本気で考え始めた父に助け舟を出すが、父は苦笑混じりに頬を掻くと、「理由なんてないさ」と肩を竦め、青年の額を指で小突いた。

 ペチンと額を弾かれる軽い音と、そんな音の割に感じた鋭い痛みに「痛っ」と悲鳴をあげる青年の声が重なる中、父はただ優しげに笑みを浮かべた。

 

「ただあいつの事が好きになった。一生を共にしたい程、どうしようもなく」

 

 そして途中から真剣な面持ちになりながらそう締めくくると、その返答に青年はコテンと首を傾げた。

 いまだ生まれて十年と少し。家族以外の誰かを好きになったり、好きになられたりを経験していない彼は、父の言う事がいまいちわからないのだ。

 そんな特大の疑問符を浮かべる息子の姿を見つめた父は彼の頭を乱暴に撫でると、強い期待が孕んだ笑みを浮かべた。

 

「まあ、お前もその内誰かを好きになったり、逆に惚れられたりするさ」

 

「そうなの?」

 

「ああ。俺でもそうだったんだ、お前もそうなるだろうよ」

 

 父はそう言うと誰かが近づいてくる気配を感じたのか、その気配の主たちの方向に目を向け、そしてその人たちを呼ぶように大きく手を振った。

 寝転んだまま頭だけでそちらに目を向けた青年は、陽の光を反射して星のように輝く銀色の髪を風に靡かせる女性と、彼女にお供するように続く三人の少年少女の姿を視界に捉えた。

 

「さて、昼にするか」

 

 父はそう言いながら立ち上がると、青年を立ち上がらせようとほれと声を出しながら手を差し出す。

 その手を掴んだと共に凄まじい力で引き上げられた青年に、父は言い忘れを思い出したようにハッとした表情を浮かべ、青年に告げた。

 

「相手が自分を好いているからって、自分が相手を好く理由にはならないからな」

 

「……どういうこと?」

 

「女は怖いってことだ」

 

 父の言葉に首を傾げると、父は苦笑混じりにそんな事を言って息子の背を叩いた。

 叩かれた彼は鈍い痛みと衝撃に「うっ」と呻くと、父は可笑しそうに笑いながら歩き出す。

 遠くからは手を振りながら「お〜い!」とこちらを呼ぶ母の声と、それを真似てこちらに手を振ってくる妹弟たちに手を振りかえしながら、彼は父の背中に目を向けた。

 手を伸ばせば届きそうなのに、とんでもなく遠く、そして見た目以上に大きく感じる背中。

 そんな父に近づく為には、先程の人を好きになる云々を本当の意味で理解しなければならないのだろう。

 一体いつになればわかるのか、それも定かではないのだが……。

 

 

 

 

 

 ──随分、懐かしい夢を見た……。

 

 窓から差し込む日差しに目を細めながら、銀髪の青年は溜め息を吐いた。

 身体が鉛のように重く、上体を起こすのも酷く億劫だ。

 頭にも絶えず針で刺されるような痛みがあるし、目に熱がこもっているような熱く、視界も霞んで仕方がない。

 あの蚕人を救わんと近衛騎士を打ち倒し、その後騒ぎを聞きつけて殺到してきた兵士らも蹴散らし、彼女を抱えて拠点まで戻ってきたのだが、門を潜った辺りからの記憶が曖昧だ。

 

 ──ここはどこだ。

 

 だが、それでも考える事を放棄してはいけない。想像力は武器だと、師から教えられている。

 そうして銀髪の青年は寝転んだまま深呼吸をすると、改めてじっと天井に目を向け、背中に感じる柔らかな感触を確認。

 豪華な天蓋付きのベッドは高価な綿でも詰まっているのか柔らかく、許されるのならこのまま寝ていたい気分でもあるのだが、

 

「随分と物騒なものがあるな」

 

 ベッドには拘束用の鎖付きの手錠や、ベッドの脇には焼きごてと思われる火に当てられ、赤熱している鉄の棒。果てには先が枝分かれした薔薇鞭と、それらを含めた碌でもない物も転がっている。

 

 ──多分だが、あの女の自室だよな。

 

 そしてその中に先日撃破した女近衛騎士──『黒縄』の武器でもあった呪いの印が描かれた鞭が置かれているのを確認し、とりあえずそうなのだろうと目星を付けた。

 ついでに自分の鎧と武器一式も置かれている辺り、鞭は戦利品扱いなのか、逆に自分が戦利品なのか。

 ともかくなぜ自分がここに寝かされているのかはわからないが、こんな部屋からは素早く移動するべきなのは間違いあるまい。

 銀髪の青年は自分の装備を回収するべく、ベッドから降りようとした瞬間だった。

 

「んぅ……?」

 

 間の抜けた呻き声が彼の耳に届き、彼はビクリと肩を跳ねさせて驚きを露わにした。

 弾かれるように体に上体を起こし、そのまま転がり落ちる形でベッドから降りた彼は、とりあえず自分の装備の山から暗剣をふん掴み、柄に手を置いていつでも抜刀できるように身構える。

 そして今更になって気付いたのは、ベッドのシーツを盛り上げる膨らみがもう一つ──つまり、誰かもう一人がこのベッドで寝ていたこと。

 自分の未熟さに内心で舌打ちをしつつ、もぞもぞと布擦れの音と共に動くその何者かを注視する。

 すると何かを探すようにシーツからすぐに折れてしまいそうな細い腕が飛び出し、ベッドの上を右往左往し始めた。

 数十秒かけてもその何かが見つからないからか、段々と動きが大きくなっていく。

 銀髪の青年はそれを観察しながらすっと目を細めてタカの眼を発動。

 シーツ越しに青い光を放つ人影は、とりあえず敵ではないようだ。

 その事実に小さく安堵の息を漏らす彼を他所に、その腕の主は「あれ?」と僅かに上擦った声を漏らし、だいぶ焦っているのか慌ててシーツを蹴散らしながら身を起こした。

 そして窓から差し込む日差しに曝け出されたのは、まさに白い乙女だった。

 何色にも染まっていない白い髪に、同色の瞳。

 額の辺りからは蛾を思わせる触覚が伸び、背にもまた蛾を思わせる羽が二対。

 すらりと伸びた長身と、豊かな胸、括れた腰、安産型の臀部と、見るものを魅力する美しい肢体。

 その人はまさに、先日助け出すべく命を賭けた蚕人の女王に他ならない。

 問題があるとすれば彼女が裸であることと、ちょうどよく銀髪の青年を身体の正面に捉えていた事だろう。

 本来なら隠すべきもの全てを曝け出し、むしろ見せつけるように身体を起こした彼女の姿に、銀髪の青年は頬を朱色に染めながらそっと目を背けた。

 異性の裸体など、まだ幼い頃に母と水浴びをした頃に見た程度。

 冒険者として独立しても娼館に行くこともなく、淡々と成すべき事を成し続けた彼にとって、そういったものへの耐性は極めて低い。

 対する蚕人の女王は、傍から見ればベッド脇に転げ落ちたようにも見える彼に目を向け、安堵したように柔らかな笑みを浮かべた。

 

「あら、そこにいらしたのですね」

 

 その声はまさに鳥の囀りのように美しく、不思議と相手を安心させるもの。

 銀髪の青年が「ああ」ととりあえず返事をすると、彼女はベッドの上を這うように四つん這いで進み、そっと彼の頬に触れた。

 蚕人の視力では、触れ合うほどの距離でもぼんやりとしか見る事が出来ないが、それでもわかる銀色の髪と、夜空の如き蒼い瞳はわかるというもの。

 

「腫れは引いたようですね。他にお怪我は……?」

 

「いや、大丈夫だ。当たったのは、あの鞭だけだ」

 

 彼女の問いかけに銀髪の青年は恥いるような声音で返し、憎たらしそうに件の鞭を睨みつけた。

 あれに打たれただけで血の涙が溢れ出たのだ。当たりどころが悪ければ──それこそ眼窩に直撃でもしようものなら、そのまま瞳が弾けていたかもしれない。

 一撃なら大丈夫だろうと油断してすぐにこれだ。やはり多少無理な体勢でも、盾で受けておくべきだった。

 そんな思慮をして蚕人の女王に視線を戻した彼は、彼女が白い瞳を見開いて驚きを露わにしていることに気づいた。

 

「……どうかしたのか?」

 

「い、いいえ。ただ、あの鞭には打った者に苦しみを与え、そのまま肉を腐らせて殺すという、呪殺の呪いが込められていたそうですから……」

 

 それに打たれて腫れただけだとは。彼女はそう言いながら改めて彼の頬を撫で、軽く指でつついて具合を確かめた。

 豪拳を振るい、鋭き刃を振るう筋肉質な腕に比べ、押せば柔らかく沈むのは流石に鍛えようがないからか。

 ぷにぷにと頬を突く彼女を見つめながら、銀髪の青年は驚愕の表情を浮かべていた。

 聞いた限り、あの鞭の一撃はまさに必殺だったようだ。

 それを何故耐えられたのか。両親譲りの異様な耐久力(タスネス)がその呪いを耐え切り、どうにか癒せる致命傷程度に抑えてくれたのか。

 真剣な面持ちで思慮を深める彼だが、その間も絶えず頬を突いてくる彼女に溜め息を漏らし、困り顔で告げた。

 

「あ〜、そろそろいいか?」

 

「っ?!こ、これはとんだ御無礼を……っ!」

 

 彼の一言にハッとした蚕人の女王は慌てて彼の頬から手を離し、慌てて彼に謝罪の言葉を投げた。

 裸のまま綺麗な土下座をする辺り、彼女にとっては服を着るよりも彼に謝る方が優先されるようだ。

 

「……せめて服を着てくれ」

 

 ほぼ初対面の女性に、裸で土下座されるという謎の状況に放り込まれた銀髪の青年は困惑の表情のままにそう告げて、深々と溜め息を吐いた。

 彼の言葉に「はいっ!すぐに!」と何故か嬉々とした表情でベッドから降り、ベッドの下に仕舞われていた衣装を纏っていく。

 純白のワンピースを思わせるそれは、おそらく彼女ら蚕人の王家に代々伝わるものなのだろう。

 目を凝らしてよく見れば、純白の下地に複雑な紋様が織り込まれ、陽の光を浴びて不思議な輝きを放っている。

 妙に胸元が開き豊満な胸の谷間が強調されているのは、彼女が纏ったせいなのか、元からそうなるように作られているのか。

 ともかく、銀髪の青年がその衣装の美しさに魅了されたようにボケっと彼女を見つめていると、蚕人の女王もそれに気付いたのか頬を朱色に染めた。

 

「あの、そんなに見つめられると、照れてしまいます……」

 

 赤くなった頬を手で隠し、もじもじと身を捩らせながらそう言うと、銀髪の青年は「すまん!」と謝りながら慌てて顔を背けた。

 先日会ったばかりの女性の着替えを観察など、問答無用で衛兵に突き出されても文句は言えない。

 緊張で縮こまる彼を他所に彼女は気にした様子もなく微笑むと、いまだに着替える素振りさえ見せない銀髪の青年に困り顔となると、ペタペタと裸足で床を踏む音と共に彼に近づいていった。

 

「お手伝いいたします。ささ、こちらに」

 

 そして彼より先に彼の装備を手に取り、それを恭しく持ち上げるが、

 

「お、重い……」

 

 言葉の通り、彼女からすれば重すぎるのか持ち上げた両手がプルプルと震え、そのまま放っておけば落としてしまいそうだ。

 どこか小動物めいた彼女の姿に変な保護欲を覚えつつ、銀髪の青年は彼女が差し出した鎧を受け取った。

 

「着替えくらいなら、自分でできる」

 

 そう言ってそのまま着替えようとするのだが、何か譲れないものがあるのか「お手伝いいたします!」と語気を強めながら彼に詰め寄った。

 鼻先が触れ合いそうになるほどに近づいた彼女の顔を見つめ返しつつ、銀髪の青年は額に嫌な汗を滲ませた。

 自分や妹弟たちが幼い頃、両親と一緒に世話をしようと余計なお節介を焼いてきた父の弟子たちの姿が、今の彼女に重なって見えるのだ。

 つまり、嫌な予感がする。冒険者として培われてきた直感が、彼の脳裏に警鐘を鳴らしている。

 

「ささ、まずは御手を。大丈夫です、鎧の着付けも、服の着付けも大差ありません」

 

 彼が内心で焦っているのを露知らず、蚕人の女王は興奮しているように鼻息を荒くしながら、彼の手を取った。

 筋肉質でたこも多く、皮膚も固くて節立ってはいるけれど、とても暖かく、力強い彼の手だ。

 彼の手を握ったまま、頬を朱色に染めた彼女は「えへへ」と楽しそうに笑うと、今度は両手で彼の手を包み込んだ。

 

「この手で、私たちをお救いくださったのですね」

 

 そして銀髪の青年からすればつい先程のことを、何年も前のことを思い出すような声音。

 彼女はそのまま彼の手を自分の頬に触れさせると、自分の体温と臭いを刷り込むように頬擦りし始めた。

 心の底から安堵し、彼に全幅の信頼を寄せる無防備な笑顔。

 それに当てられた銀髪の青年もまた思わず笑みを浮かべるが、すぐに表情を引き締めると彼女に告げた。

 

「……いい加減、着替えたいんだが」

 

「っ!は、はい!すぐに!!」

 

 着替えようと思い立ち早数分。

 いまだに鎧に手を触れていないことに溜め息を漏らし、慌てて彼の手に籠手を填めんとする蚕人の女王を見つめながら、彼女を気遣ってか今度は胸の中で溜め息を漏らした。

 

 ──まあ、たまにはいいか。

 

 何でもかんでも一人でやるのもいいが、少しは人に頼るのも必要だ。

 少しでも役に立ちたいと思う相手を尊重するのは、決して悪いことではあるまい。

 

「えっと、この紐はどこにどう通せば……っ」

 

 籠手の留め紐を相手に四苦八苦するほど、戦とは縁遠い相手であったとしても──。

 

 

 

 

 

 いつもの倍近い時間をかけて鎧を着込んだ銀髪の青年は、蚕人の女王を三歩分後ろに控えさせながら建物から姿を出した。

 容赦なく降り注ぐ朝日に目を細め、思わず腕で目を庇うと、何やら騒がしい声が耳に届いた。

 

「馬車は十分に用意してある。各々荷物を纏めたら、さっさと乗り込め」

 

「道中は私たちが護衛する。命を懸けて必ず守る、安心してくれ」

 

 赤い鱗の蜥蜴人の声と、あまり聞き馴染みのない男の声。

 ぐりぐりと目を掻いてすぐに視力を回復させた彼が腕を退かすと、飛び込んできた景色に驚愕を露わにした。

 塀の一部が取り壊されて門が拡張され、そこに横並びに複数台の馬車が並び、そこに蚕人たちが乗り込み、彼らの作業道具が次々と運び込まれている。

 

「……何がどうなってる」

 

 そして銀髪の青年は状況が飲み込めずに額に手をやると、そんな彼に気づいた赤い鱗の蜥蜴人が「おう、目を覚ましたか」と右手を挙げながら彼に近づいた。

 

「ここに戻るなりぶっ倒れて、そのまま丸三日寝てたんだぞ。つきっきりで看病した後ろの嬢ちゃんに礼は言ったか?」

 

「三日……!?それは、心配をかけたな」

 

 彼の言葉に驚愕が隠しきれずに声をあげた彼は、赤い鱗の蜥蜴人に示されたがまま蚕人の女王に目を向けた。

 

「お前にも面倒をかけた。申し訳ない」

 

「そ、そんな!顔をあげてください……!当然のことをしたまでです!」

 

 そして直角九十度に綺麗に腰を曲げながら頭を下げると、蚕人の女王は慌てて彼にそう返した。

 銀髪の青年は「だが」と食い下がろうとするが、流石に場所と声量の都合で目立ってしまった為か、辺りの蚕人たちが「姫様、姫様」と騒ぎ始める。

 その騒ぎがすぐに伝播していき、馬車に乗っていた蚕人たちも顔を出し、遠目から見ても馬車の乗り合いに支障が出始めている。

「だー、いちいち騒ぐな!」と赤い鱗の蜥蜴人は怒鳴るが、彼らとしては三日も部屋から出てこなかった女王がようやく出てきたのだ。心配もしよう。

 彼らの様子に見兼ねた蚕人の女王がパン!と鋭く手を鳴らすと、蚕人らの喧騒が一瞬にして静まり返った。

 

「騒がずに皆様の指示に従ってください。私には彼がいますから、心配なさらずに」

 

 そして不意に銀髪の青年の腕に抱き着き、豊満な胸を押し付けながらどこか艶っぽい表情でそう言うと、蚕人たちは安堵したように胸を撫で下ろし、再びせっせと馬車に乗り込み始めた。

 

「……」

 

 だが銀髪の青年は突然抱き着いてきた蚕人の女王に目を向け、強い困惑の表情を浮かべた。

 確かに彼女には指一本触れさせんと言ったし、彼女に危険が迫るならそれら全て切り捨てる覚悟はあるが、先の発言はどういう意味なのだろうか。

 

「ああ、お前は知らないんだよな」

 

 そんな一人困惑する銀髪の青年に、赤い鱗の蜥蜴人が愉快そうに目を細め、にやにやと楽しそうに笑いながら顎を摩った。

「なんだ」と銀髪の青年が聞き返すと、赤い鱗の蜥蜴人はそっと蚕人の女王の表情を伺い、言っていいものなのかと僅かに思慮した様子。

 彼の視線に気付いた蚕人の女王は顔を耳まで赤く染めながら俯くが、説明せねばならないことはわかっているのか、こくりと小さく頷いた。

 

「蚕人の成人の儀には、終わった後にもすることがあるそうなんだが」

 

「……。俺が命懸けで時間を稼いだのに、『まだ終わっていませんでした』はなしだぞ」

 

「儀式自体が終わってんのは見ればわかる。だから、その後の話だ」

 

 銀髪の青年が心底面倒臭そうな声音で返すと、赤い鱗の蜥蜴人は蚕人の女王を一瞥しながらそう告げた。

 蚕人は成人となる儀を終えれば、その身に触覚と使い物にならない翼を持つことになる。

 彼女にそれらがある以上、儀式自体は無事に終わっているのはわかる。

 そして、蚕人らにとってはその次の段階もまた大事なのだ。

 

「儀式を終えた蚕人は繭を糸に戻して、旅に出るんだと。自分を守ってくれる伴侶(つがい)を探しに」

 

「は……?」

 

「だから成人した蚕人はそのまま旅に出て、生涯を共にする伴侶(つがい)を探すんだよ。で、後はわかるな?」

 

 赤い鱗の蜥蜴人はどこか煽るような声音でそう告げ、あとは任せたと言わんばかりに銀髪の青年の肩を叩いて馬車の方に戻っていった。

 その背を見送った銀髪の青年は叩かれた肩を押さえながら、ちらりといまだに腕に絡みついてくる蚕人の女王に目を向けた。

 

「……何も言わないでください」

 

 そして頭から煙を噴きながら、消え入りそうな声で彼女はそう言うと、彼に抱き着く力を僅かばかり強めた。

 その分余計に胸が押し付けられるのだが、幸い鎧越し故にその柔らかさや温もりを感じることはない。

 感じていたとしても、彼はそれを無視しただろう。あくまで表面上は。

 

「その話はとりあえず置いておく。それで、あの状況はなんだ」

 

 蚕人の女王から気を逸らすように問いかけた言葉だが、やはり返すのは彼女の他にいない。

 彼女は「ご説明します」と前振りしてから、蚕人らが乗り込む馬車を手で示した。

 

「私と連れて帰還したのち、あなたが倒れたという話は先程しましたね」

 

「ああ。その後三日も寝ていたそうだが……」

 

「その間に、あの蜥蜴人様が策を練って下さったんです。先日解放したという鉱人の里は、彼ら自身で守れるそうですが、私たちはそうはいきません。なので、一時的に彼らの本拠地に移住することになったのです」

 

「それであの馬車と、護衛、ね」

 

 銀髪の青年は腕を組み、小さく肩を竦めながら片目を閉じて馬車群に目を向けた。

 蚕人らは言われるがまま馬車に乗り込んでいくが、幾人かは大事そうに何かの箱を抱えている。

 

「あれは皆それぞれが閉じ籠った繭の糸です。ほとんどは衣服に変わり、今や王家や貴族が身に纏っておりますが、一束でも残っていれば十分なのです。それを織り、神に捧げるものを織れれば、それで……」

 

 彼女は切なげで、けれど前向きにも聞こえる不思議な声音でそう言うと、今にも泣き出しそうな表情で祈るように両手を合わせて指を組んだ。

 

「ええ、それでいいのです。何の希望もなかった我々に、明日を生きる意味が与えられたのですから」

 

 顔をくしゃくしゃに歪めながらそう言うと、ついに耐えきれずに白い瞳から大粒の涙を溢れさせた。

 それを必死に拭いながら「申し訳ありません。すぐに止めますから」と言うのだが、涙は止まる気配もなく溢れ続け、頬を伝って地面に落ちていく。

 銀髪の青年は何も言わずに彼女の涙を拭うと、そっと彼女を抱き寄せた。

 

「あ、あの……?」

 

「泣きたければ泣け。俺はここにいる」

 

 力強く、けれどあまりにも脆い彼女を壊さないように優しく、抱き締めながら、彼女にだけ聞こえるように小さな声でそう告げた。

 その言葉に驚いたように肩を揺らした彼女は、何も言わずに彼の背に両手を回して彼を抱き寄せる。

 周りの喧騒にかき消されるほどか弱い彼女の嗚咽を聞きながら、銀髪の青年は天を仰いだ。

 相棒の悩みを知る由もなく呑気に天高く舞う鷲が、いつも通りに鋭い視線を銀髪の青年と、彼に抱き締められる蚕人の女王に向けられていた。

 

 

 

 




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Memory15 炎の向こうに

 蚕人の集落解放作戦から幾日か。

 無事だった蚕人らを連れての帰還という、難題を終えて本拠地へと帰還した銀髪の青年は、久しぶりにも思える休養の時を迎えていた。

 次の目的である獣人らは軍に取り押されられているわけでもなく、単に同盟が組めていないだけの状態だ。先の作戦と同時に使者を送ったと言うし、話し合いだけで済むのなら彼の出番はない。

 それ故か、この国に来てからまともに休めていなかった銀髪の青年は、自身に充てがわれた石造りの一階建てのあばら家の屋上に寝転び、本拠地を覆う岩の天井の隙間から差し込む陽射しを浴びていた。

 

「くぁ〜」

 

 自分以外に誰もいないからと大口を開けて間の抜けた欠伸を漏らし、滲んだ涙を乱暴に拭う。

 家を充てがわれたはいいものの、ここに泊まる機会もあまりなく、愛着と言えるものもないのだが、こうしてくつろぐ分には問題はあるまい。

 

「──?」

 

「……?」

 

「──ッ!──っ!!」

 

「……ッ!!」

 

 辺りから、おそらく自分に向けられた嫌味の声がなければ、尚良しなのだが。

 まあそれは仕方があるまい。自分は彼らにとっての怨敵である只人だ。その只人が、割と逼迫した状況にも関わらず呑気に寛いでいるのだ。嫌味の一つも言いたくもなるだろう。

 銀髪の青年はやれやれと言うように溜め息を漏らし、足を振り上げて勢いをつけてから一息で立ち上がった。

 彼がいきなり動いた為か、彼に嫌味を飛ばしていた亜人たちは一斉に警戒心を露わにするが、銀髪の青年はそんな彼らにひらひらと手を振ってやった。

 彼らからは敵意剥き出しで睨み返されるのだが、攻撃が飛んでこないのは反乱軍幹部らの言葉のおかげか。

 取りつく島もないと肩を竦めた銀髪の青年は、不意に視界の端に映った人物に気付き、僅かに目を見開いて驚きを露わにした。

 彼が滞在しているあばら家に続く通りの曲がり角に、見覚えのある白い人影が見えたのだ。

 

「あの、あのお方の住まいはどちらでしょう?」

 

「すまない。『あのお方』と言われてもわからないのだが……」

 

「ああ、申し訳ございません。銀色の髪をした、只人の冒険者様ですわ」

 

「……あいつか。あそこにいるぞ」

 

 彼の視線の先には先日の一件から何かと面倒を見ようとしてくる蚕人の女王が、何かが入った籠を片手に通りすがりの森人に何かを聞いているのだ。

 森人は露骨に嫌そうな顔になりつつ、彼女がここにくる経緯──彼女の一族にとって、銀髪の青年が英雄扱いである──を事前に聞いていたからか、彼女が求めている情報を包み隠さず教え、ついでと言わんばかりに銀髪の青年の方を指差した。

 指を刺された青年が手を振ってやれば、蚕人の女王の表情がパッと明るくなり、彼女の感情を反映してか、触覚もピンと伸びた。

 そして道を教えてくれた森人に礼を言うと、駆け足であばら家に向かってくる。

 だが視力が弱いからかその足取りはどこか危なっかしく、銀髪の青年は苦笑混じりに頭を掻くと屋上から飛び降りた。

 音もなく着地を決めた彼が蚕人の女王へと歩み寄れば、彼女は嬉しそうに白い瞳を輝かせると、空の目の前でゆっくり停止。

 そして恭しく頭を下げると、「お待たせしました」と何故か申し訳なさそうな声音で告げた。

 

「……?別に呼んだ記憶も、待たされた記憶もないんだが」

 

 そんな彼女の言葉に銀髪の青年は首を傾げてそう言うが、彼女は首を横に振って神妙な面持ちで言う。

 

「いいえ。一族の皆が落ち着くまでとはいえ、貴方の側にいられませんでした」

 

「いや。そっちの都合を優先してくれていいんだが……」

 

「そうはいきません。私は貴方の、その──」

 

 ごにょごにょと肝心な部分はだいぶ濁し、白い顔をさながらトマトのように赤面させてしまうのだが、銀髪の青年は深く切り込む事をしない。

 彼は相手が言おうとしない事を無理やり聞き出し、結果関係が悪化して後に大惨事(ファンブル)を招くなら、この微妙な距離感で過ごすのも仕方がない。

 そして彼女がそれを口に出来るほどこちらを信用するか、あるいは吹っ切れてくれるまでは、じっと耐えるのが正解だろう。

 少なくとも父ならそうするし、自分もそうやって冒険者としてそれなりに大成したのだ。とりあえず間違いはあるまい。

 

「それで、その籠はなんだ?」

 

 そして話は終わりだと言わんばかりに籠を見ながら問いかけると、蚕人の女王はそれを差し出しながら神妙な表情を崩して微笑んだ。

 

「はい!朝食を持ってきました!」

 

 先程までの照れていた様子はどこにやったのか、途端に元気になりながらそう言うと、籠の蓋を開けて中身を彼に見せた。

 野菜が挟まったサンドイッチ数個と、林檎がいくつか。狙ったのか定かではないが、彼の好物があるのはいい。

 

「助かる。そろそろ用意しようと思っていた所だ」

 

「それなら良かったのです」

 

 銀髪の青年が笑みを浮かべて礼を言うと蚕人の女王もまた嬉しそうに笑い、そのまま彼に籠を渡そうとするのだが、その直後にくぅと気の抜けた音がどこからか二人の耳に届いた。

 

「「……」」

 

 突然の異音に銀髪の青年は驚いたように目をまん丸く見開くが、蚕人の女王は再び顔を真っ赤にさせて恥いるように顔を俯けた。

 額から伸びる触覚が途端に萎えていくが、再びくぅと気の抜けた音が──彼女の腹の虫の音が鼓膜を揺らす。

 

「一緒に食べるか。パンくらいならすぐに出せるぞ」

 

「……はい。その、ご同伴させていただきます」

 

 苦笑混じりに投げられた彼の提案に、蚕人の女王が恥ずかしさ半分嬉しさ半分の複雑な表情で応じると、彼は彼女の手を取って「こっちだ」と先導してあばら家に入っていく。

 彼の手の温もりと力強さに蚕人の女王は心地良さそうに笑うと、そっと彼の手を握り返した。

 彼に比べればだいぶ非力で、小さく、頼りのない手ではあるけれど。

 彼が優しく握り返してくれた事が、蚕人の女王に細やかな幸せを与えるのには十分なことだった。

 

 

 

 

 

 それなら数十分。二人がのんびりとした朝食を終え、蚕人の女王がその片付けに勤しんでいると、不意に玄関が叩かれた。

 玄関の木材が軋む音と、今にも壊れそうな留め具の揺れる頼りのない音が聞こえるが、もう慣れたものだと割り切った銀髪の青年は気にしない。

 皿洗いをして手が離せない蚕人の女王にはそのまま作業をしてもらうように指示を飛ばし、念のため口元を拭ってから席を立つ。

 だが中の様子を知り由もない来客は乱暴にドンドンと玄関を叩き続け、このまま放置すれば蹴破ってきそうなほど。

 

「今開ける」

 

 それでは敵わんと溜め息を吐いた銀髪の青年が返事をすると、ようやく玄関を叩く手が止まり、「すまない、緊急事態だ!」と切羽詰まった声が発せられた。

 凛としているが、どこか幼さを感じる声音。それで訪問者はだいたいわかったが、緊急事態というのは聞き捨てならない。

 銀髪の青年は緩んでいた表情を一瞬で引き締めると、すぐに玄関を開けた。

 その直後に視界に飛び込んできたのは、声の主の切羽詰まった表情──ではなく、布に包まれた彼の得物である薙刀の刃だった。

 銀髪の青年は思わぬ物の登場に驚くがすぐに視線を足下に向け、身長が自分の腹ほどしかない人物──金髪の圃人を見下ろした。

 

「それで何があった」

 

 緊急事態だからと何の前振りなく本題に入ると、金髪の圃人は血のように紅い瞳を細めた。

 余程のことがあったのだろう。普段の落ち着き払った様子が崩れ、かなり焦っているのが付き合いの短い銀髪の青年ですらわかる。

 とりあえず立ち話も何だと居間に通し、先程まで食事に使っていた卓に向かい合う形で腰を降ろすと、金髪の圃人がすぐに話題に入った。

 

「前に獣人の集落に使者を送ったという話をしたのは、覚えてるな?」

 

「ああ。おかけでしばらく休めると思ったんだが、それは返上か?」

 

 彼の問いかけに銀髪の青年は間髪入れずに応じると、わざとらしく肩を竦めておちゃらけた様子で問い返した。

 緊張し過ぎている相手に力を抜かせる。緊張したままで最大限の能力を発揮できないのは、只人だろうと圃人だろうと変わりはあるまい。

 そんな彼の気遣いを知ったか知らずか、金髪の圃人は「すまない、また君に動いてもらう」と謝罪混じりに次の指示を出した。

 

「気にするな。冒険者は依頼を受けてなんぼだ」

 

 冒険者の相手に慣れていない金髪の圃人の態度を解してやろうと、銀髪の青年は不敵に笑みながらグッとサムズアップして応じた。

 この国では周知されていない冒険者とて、言い方を変えれば傭兵や便利屋のようなもの。依頼があり、報酬の用意があるのなら、全力を尽くすのは当然のこと。

 彼の返答に「ありがとう」と感謝の言葉を投げた金髪の圃人は、早速本格的な説明を始めた。

 

「獣人の集落に送った使者が戻ってきたんだが、詳細を省けば『集落の辺りから火の手が上がり、人の悲鳴や怒号を確認したので、報告の為に戻った』という事だ。まず間違いなく、軍に先を越されたと判断している」

 

「下手に助けに行かず、報告に戻ってきたのはいい判断だな。そいつが策もなく突っ込んで死んだら、俺たちは何が起きてるのかも知らずにいたし、万が一捕まっていたら、ここの場所が見つかっていた可能性もある」

 

 金髪の圃人の言葉に銀髪の青年は顎に手をやりながら返し、むぅと小さく唸った。

 獣人の集落への襲撃。ここ最近活発になった反乱軍に対し、今までの報復として獣人を狙ったのか、あるいは単なる偶然か。

 どちらにしても助けに向かうしかないのだが、前者だった場合はまず間違いなく罠だ。

 

「──罠なら踏み潰すだけだな」

 

 だが、それが何だと言わんばかりに彼は不敵に笑みながらそう言うと、「準備する。ちょっと待て」と返して踵を返した。

 そのまま足速に装備を置いてある寝室に向かい、ガチャガチャと金属音が聞こえてくる。

 二人の話の邪魔をしないように黙々と皿洗いをしていた蚕人の女王は、それが終わると共に彼の手伝いをしようと寝室に向かおうとするが、

 

「すまない、待たせた」

 

 それよりも早く、鎧を着込んだ銀髪の青年が居間に戻ってくると、彼女は心底残念そうに肩を落とした。

 愛する人の出陣の手伝いもできぬとは、亡き母に見られたら何と言うか。……とりあえずあれこれと小言を言われるのは間違いあるまい。

 そんな見るからに落ち込んでいる彼女に気付いた銀髪の青年は、苦笑しながら彼女の白い髪をそっと撫でた。

 

「留守を頼む。すぐに帰るさ」

 

「っ!はい、お任せください……っ!」

 

 そして告げられた彼からの信頼の言葉とも取れる一言に、蚕人の女王は胸の前でぐっと拳を握ってやる気十分と言った様子で応じると、銀髪の青年は「任せた」と微笑みながら彼女の肩を叩いた。

 そのまま彼女の脇を抜け、足音一つなくあばら家を後に。

 

「──ご武運をお祈りいたします」

 

 そんな彼の背中に恭しく礼をしながら蚕人の女王が祈りの言葉を投げかけるが、不意に銀髪の青年は立ち止まり、肩越しに振り向いてどこか申し訳なさそうに、けれど自信に溢れた笑みを浮かべた。

 

「祈ってくれるのは嬉しいが、我が家の家訓は『運は自分で掴むもの』なんでな。勝ち負けよりも、早く帰って来るように祈っておいてくれ」

 

 手をひらひらと振りながら正面に向き直り、馬屋を目指して駆け出してしまう。

 そんな彼に金髪の圃人がすぐに追いかけていけば、取り残されるのは蚕人の女王のみ。

 彼女は先程の彼の言葉を受け止めつつ、それでもと胸の前で両手を組んだ。

 彼はああ言っていたが、やはりと言うべきかやっておかねばこちらとしても不安になるというもの。

 

「どうか、無事の帰還を」

 

 

 

 

 

「それで、作戦は」

 

 一足先に馬屋に辿り着き、この国に来てからというもの世話になりっぱなしの馬に跨った銀髪の青年は、追い付いてきた金髪の圃人にそう問うた。

 

「君の前に先遣隊を送ってある。今から出ればすぐに合流出来るはずだから、彼らと事態の収拾を図ってくれ」

 

「了解。あいつにはすぐに戻ると言ったからな、手早くやるさ」

 

 彼からの指示に銀髪の青年は応じ、まだかまだかと勇む馬を手綱を操ってどうにか宥める。

 動物の相手は苦手だと胸の内で舌打ちを漏らし、そう言えばと金髪の圃人に問いかけた。

 

「で、その先遣隊の隊員は?まあ、森人が中心なのは何となくわかるが」

 

「その通りだよ。正確に言うなら、報告を受けた彼女が飛び出して行ってしまったんだけど……」

 

「彼女?」

 

 彼が苦笑混じりに口にした言葉に銀髪の青年は首を傾げるが、ふと視界の端で森人らに囲まれる小さな人影──半森人の少女が不安そうに泣いている事に気付く。

 それだけで誰がいの一番に出発したのかは、説明を受けるまでもない。

 

「仮にも森人の王族だろうが。止めなかったのか」

 

「彼女がそのくらいで止まるなら、俺たちは出会っていないよ」

 

 銀髪の青年が思わず漏らした悪態に、金髪の圃人はどこか困った様子で返すと、銀髪の青年は確かにと頷いた。

 話を聞いた限りでは、あの半森人の少女を助ける為に独断で動く程の人物だし、何なら前回の蚕人の集落解放作戦に参加しようとした程だ。言ってしまえば、行動力が他の比ではない。

 そんな彼女が亜人の危機に動かない道理はないだろう。

 銀髪の青年は「全員、無事に連れ戻すさ」と言うと、金髪の圃人は「そうでないと困る」と神妙な面持ちで返した。

 

「獣人の協力がなければ、鳥人との友好関係が築くのが難しくなる。彼らの、特に頭目の救出は絶対条件だ」

 

 次の一手を見据えたが故に、今回の不意打ちとも取れる敵の攻勢が毒のようにじわじわとこちらの余力を削ってくる。

 それでも動かねばならない状況で、けれど大規模な戦力を動かす訳にはいかない。

 だからこそ少数先鋭──六人で世界を救った英雄のような、冒険者こそが必要なのだ。

 

「──獣人の救出と、先遣隊の援護だな。依頼了解。ついでに狙えそうなら襲撃者も殲滅する。行ってくるぞ」

 

 そして依頼の内容を確かめるように繰り返すと頭巾を被り、拠点の出口に目を向けた。

 もう何度も潜った洞穴ではあるが、これを潜る度にロクな事が起きないのだ。気を引き締めなければいけない。

 

「任せたぞ、冒険者!」

 

 僅かな緩んでいた表情が途端に引き締まり、手綱を握り直した瞬間、金髪の圃人が馬の尻を叩いた。

 直後馬は前足を持ち上げて力強くいななくと、前足が着地したと同時に全速力で駆け出した。

 蹄が地を蹴る音を聞きながら、銀髪の青年は金髪の圃人に恨み言の一つでも言おうとするが、流石は軍馬の全力疾走。既に彼の姿は遠くの影になってしまっている。

 

くそったれが(ガイギャクス)!!」

 

 だからという訳ではないが、彼は誰に言うわけでもなく悪態をつくと、その声が洞窟の中を反響して奇妙な音へと変わる。

 その音を置き去りにして、銀髪の青年は反乱軍本拠地を後にしたのだった。

 

 

 

 

 

 それから走りやすい街道をほぼ一日中走り通した頃。

 件の獣人の集落はすぐに見つける事ができた。

 広い草原の真ん中から、火の手があがっているのだ。嫌でも見つけられる。

 風向きのせいかまだ遠い丘の上でも生物の焼ける嫌な臭いが鼻につき、吸い込む空気が気持ち悪い。

 火責めや漁の事を考慮してか、大きな川の岸に面する場所に置かれていたのであろうそれも、油を撒かれたのか川の水面にも火が広がり、今でも燃え続けている。

 火を嫌って近づこうとしない馬から降りた銀髪の青年は口元を布で覆って簡易的なマスクにするとそこに駆け込み、無惨に焼け落ちた正門の跡らしき場所を超えて集落の中へ。

 

「……っ」

 

 それと同時に視界に飛び込んできた惨状に目を見開き、目を伏せた。

 逃げようとした所を切られたのか。背中に大きな切り傷がある遺体。

 子供を庇ったのか、その子供ごと槍で貫かれた遺体。

 見せしめのように身体を串刺しにされ、そのまま放置されている遺体。

 生きたまま四肢をバラバラにされたのか、表情を痛みと恐怖に染めた遺体。

 毛皮を剥がれ、筋肉や血管、骨を剥き出しにされた遺体。

 どこを見てもそこには遺体が転がり、その全てが獣人のもの。只人の兵士や近衛騎士と思われる遺体はどこにもない。

 

「……」

 

 その光景を無感動に見つめた銀髪の青年は一気に冷静に意識を集中させ、タカの眼を発動。

 本来なら味方を、この状況から生存者を示す青い人影はどこにもなく、あるのは嬉々として集落に火を放ち、獣人らを虐殺していく兵士らの幻影ばかり。

 それを見るたびに蒼い瞳に殺意を宿し、同じ只人として罪悪感を覚えながら、せめてもの償いとして獣人らの遺体の見開かれた瞳を優しく閉ざしていく。

 

「……」

 

 だが祈りの言葉が口にできない。彼らに安らかな眠りを与えるには、祈るのではなく彼らの無念を果たしてやらねば。

 同じ只人として、そして反乱軍所属の冒険者として、やらねばならぬ事がある。

 一人一人の目を閉ざしていく中、彼の覚悟はより強固な物へと変わり、瞳に宿る絶殺の意志が研ぎ澄まされていく。

 そして正門の反対側、おそらく襲撃開始地点と思われる場所にたどり着いた彼は、タカの眼を解除すると共にその場にしゃがみ、辺りに撒き散らされた木片を摘み上げた。

 火の秘薬を詰めた樽でも使ったのか、その周辺だけは焼け落ちたというよりは吹き飛ばされたとも言える状態になり、事実その周囲の遺体は特に損傷が酷い。

 頭がないものや、手足のいずれかが欠損したものが大半で、おそらく即死したものがほとんどだろう。

 そして、そんな爆心地とも言えるここからどこかに向かう馬車の車輪の跡と、多数の馬の足跡があるとすれば、先遣隊もこの痕跡に気づいて追跡に出ていったのだろう。

 だが気になるのは、只人のそれとは違う形をした大量の足跡もまた、その馬車の痕跡に向けて残されているのだ。

 その正体を確かめるようにタカの眼を発動すると、やはりかと顎に手を当てて低く唸った。

 鎖に繋がれた獣人らが、馬車に押し込まれていく幻影と、馬車に乗った森人らがその後を追いかけていく幻影が、続けて視界に投影された。

 まだ生存者がいるという確証がほんの僅かに彼の肩を軽くさせ、瞳に覇気を取り戻させるが、宿す殺意に変化はない。

 生存者がいるということは、おそらく彼らも凄惨な拷問を受けている可能性がある。まず間違いなく、この襲撃の指揮をとった相手はまともではない。

 確かな手であるとは言えど、祈る者(プレイヤー)の集落に火を放つなど、残虐な祈らぬ者(ノンプレイヤー)でも早々やることはない。

 それこそゴブリン畜生のような、知性の欠片もない連中がやるのならともかく、今回の犯人は自分と同じ只人だ。

 彼は血が滲む程に拳を握りながら、馬を回収しようと踵を返して走り出す。

 ともかく今は先遣隊と合流しなければならない。彼女ら森人なら、まず間違いなく相手を見失うことはないだろう。斥候、野伏の技能において、彼ら種族に勝てる者は数少ない。

 彼女らに追いつければ状況がより鮮明化し、やるべき事がわかりやすくなる。

 急いては事をし損じる。万全の準備をしてから勝負に挑むのは、冒険者の基本中の基本。

 やる気があっても準備を怠っては意味はない。師からも耳にタコができるほど言われている。

 だからまず、味方を探すのだ。情報は武器であり、時には剣以上に心強いものになる。

 馬の元に戻った彼は勢いのままに跨ると、「ハッ!」と勢いよく声を出して馬の腹を蹴った。

 馬は威勢よくいななくと再び駆け出し、集落を大きく迂回して件の馬車の痕跡と、それを追う先遣隊の痕跡の後を追う。

 そして残るのは集落が燃える音と、炎と煙に巻かれていく獣人らの遺体のみ。

 彼らの遺体は炎が消えれば辺りを住処にする獣たちの餌となり、彼らの糧となるのだろうが、彼らの無念が消えることはないだろう。

 彼らの痛みの代弁者、報復者として、銀髪の青年は野原を駆ける。

 天高く舞う一羽の鷲が、どこか不安そうに彼の事を見下ろしていた。

 

 

 

 




感想等ありましたら、よろしくお願いします。


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Memory16 獣か、人か

書きたいネタは思いつけど、書く時間が確保できないのが悩み。
仕事忙しいし、休日はエルデンリングに時間盗まれるし、これ以上の作品並走はスケジュール管理的に無理そうだし、けど書きたいしでヤバい。


 獣人の集落から、国軍と反乱軍の痕跡を追うこと十数分。

 

「派手にやったものだな」

 

 銀髪の青年は目の前の惨状を馬上から見下ろしながら、神妙な面持ちでそう呟いた。

 横転した馬車や、それを引いていたであろう馬には大量の矢が突き刺さり、その周りには矢で射抜かれた兵士たちの死体や、ぶちまけられたまま放置されている物資が大量に転がっている。

 彼はタカの眼で辺りを見渡し、他の痕跡を探りながら不意に馬の死体に突き刺さった矢を引き抜いた。

 鉄の類いが一切使われていない。木の枝を矢として、芽と葉がそのまま鏃と矢羽になっている、森人らが使う──正確には彼らにしか扱えないもの。

 つまり襲撃犯は森人でほぼ確定であり、周りに彼らの遺体がないということは襲撃が成功した事を意味している。

 

 ──なら、いいんだが。

 

 銀髪の青年は顎にてをやりながら神妙な面持ちとなり、ざっとではあるが使われた矢の本数を確認。

 おおよほ三十本。倒れている兵士は十人足らず、馬は数頭。少々無駄撃ちしすぎなようにも思えるが、彼らとて必死だったのだから何も言うまい。

 だが、それらを回収せずに追撃に動いたのはいただけない。

 見た限り獣人らを乗せているであろう荷馬車は見当たらず、彼らの遺体があるというわけでもない。おそらく本命であるそれを逃した為、すぐさま追撃をかけたのだろう。

 

「……急ぐか」

 

 はぁと溜め息を吐いた銀髪の青年は馬の鬣を撫でると、「もう一踏ん張りだ」と告げてパンパンと軽く首を叩いてやった。

 馬は不満そうに唸り、興奮した様子で尾を振るが、すぐに意を汲んで地面を蹴って走り出してくれる。

 血を吸って湿り気を帯びた地面を蹴り上げ、蹄の跡を刻みながらの全力疾走。

 街道に点々と続く兵士らの死体を目印に突き進み、一刻も早い合流を目指す。

 風に乗った戦闘の音が、微かに青年の耳に届いていた。

 

 

 

 

 

「何をしておる!もっと飛ばさぬか!!」

 

 格子状の荷車に獣人を満載に詰め込んだ馬車の御者台で喚き散らすのは、奴隷商人の一人にして近衛騎士が一角『皮剥ぎ』と渾名された中年の男であった。

 騎士らしからな贅肉の多い身体を上等な貴族服で包んではいるものの、肝心のサイズが合っていないのは留め具やボタンが今にも弾け飛びそうになっており、身体を動かす度に悲鳴を上げている。

 顔に滝のような汗を垂らし、緊張でガチガチと歯を鳴らし呼吸を荒げる『皮剥ぎ』の隣、手綱を握っている彼の私兵は切羽詰まった声音で言う。

 

「これ以上は無理ですっ!荷が重過ぎます!」

 

「ぐぬぅ〜!!森人風情が、我らの邪魔をするなど……っ」

 

 私兵の言葉に『皮剥ぎ』は苦虫を噛み潰したような表情になると、慌てて振り向いて追跡者たちを睨んだ。

 憤怒の表情で馬を操り、少しずつだが確実に距離を詰めてくる森人たち。

 起用にも馬上で弓を構え、矢継ぎ早に矢を放ってくる。

 その矢は護衛の私兵や馬を射抜き、こちらの戦力を削ってからのだから堪らない。

 私兵一人を雇うのにも金はかかるし、死んだら死んだでその処理の為にも金がかかる。

 

「奴がいれば、こんな事には……!」

 

 獣人の集落襲撃に際して雇った先鋭を、帰りの分の報酬をケチったのがこんな結果になろうとは。

 と言うより、終わったら転移の巻物で即時帰宅するとは誰が思うだろうか。

 まあ、多忙な彼に無理を言って付いてきてもらっていたのだから、ここで愚痴を言っても仕方があるまい。今ある手でどうにかするしかないのだ。

 

「命あっての物種か、畜生!」

 

『皮剥ぎ』チッと大きく舌打ちを漏らすと、傍に置いていた(クロスボウ)を持つと、御者台から身を乗り出して構えるが、そこを狙い澄ましたかのように矢が放たれ、一般のそれよりも大きな頬を抉り取り、ついでに右耳を根本から吹き飛ばした。

 

「ぎゃあ!?」

 

 突然の激痛に悲鳴をあげた『皮剥ぎ』は悲鳴をあげてもんどりうち、御者台に倒れた。

 右頬の肉が抉られ、歯茎と妙に並びのいい白い歯が剥き出しになり、痛みに血走った瞳がぎょろりと揺れる。

 そんな彼の顔を目の当たりにした手綱を握る私兵は声にもならない悲鳴をあげると、隣を走っていた馬が後ろ足を射抜かれて転倒した。

 吹き飛ばされる形で落馬した私兵は頭から地面に叩きつけられ、頸椎が折れる乾いた音が風に乗って耳に届く。

 その音にハッとした御者台の私兵は手綱を握り直し、馬に鞭を打って無理矢理にでも加速させるが、やはりと言うべきか思うように速度があがらず、追手との距離は縮まらない。

 迫り来る殺意に満ちた森人の迫力に気圧され、無意識の内に膝が震え、カチカチと歯を鳴らしてしまう。

 顔からも生気が失せて青くなっていき、手綱を握る手からも力が抜けていく。

 

「ええい、何を恐れている!」

 

 だがそんな彼に、他の誰でもない『皮剥ぎ』が喝を入れた。

 懐から取り出した包帯で乱暴に右頬から右耳にかけてを覆い、きつく縛ってどうにか止血した『皮剥ぎ』は私兵から手綱を奪い取ると、心底残念そうに深い溜め息を吐いた。

 

「残念だが商売は失敗だな。荷を捨てて逃げるとするか」

 

 王には何と言い訳するかと思慮しながら、『皮剥ぎ』は御者台で何もせずに座っている私兵に向けて告げた。

 

「何をしている。さっさと荷を落とせ」

 

「……っ!は、はい!」

 

 凄まじいまでの痛みで逆に冷静さを取り戻した『皮剥ぎ』は冷たさすら感じる声音で指示をすると、私兵は慌てて御者台から荷車に飛び移り、獣人が満載の格子の前に出た。

 同時に数多の殺意が彼に向けられるが、既に恐怖の底にいる彼にそれを気にする余裕はなく、格子の間からせめて腕を千切らんと伸ばされる爪を立てた手を躱しつつ、荷車と格子を繋ぐ鎖を一つずつ外していく。

 そして最後の一つを外した私兵は途端に気が抜けたのか、ホッと安堵の息を吐いて御者台で馬を操る『皮剥ぎ』に向けて叫ぶ。

 

「よ、よし。外せましたっ!」

 

「なら戻ってこい。このまま馬に移るぞ」

 

 私兵の言葉に『皮剥ぎ』は鋭い声音でそう返し、私兵もすぐに応じて御者台に戻ろうとするが、不意にその腕を掴まれた。

 ぎょっと目を見開いた私兵は、恐る恐る何者かに掴まれた自分の腕に目を向けた。

 自分を掴んでいるのは、毛に覆われた細い腕。だがその力強さは只人のそれの比ではなく、文字通り腕を千切らんばかりの力が込められていく。

 

「俺の家族を傷つけておいて、逃すと思うのかよ……っ!」

 

 地の底から響くような絶対零度の殺意が込められた声に私兵が息を飲むと、その声の主──顔に大きな火傷のしたままの灰色の毛並みの狼の獣人が鋭い牙を剥き出しに唸り声を上げた。

 ひっと喉の奥からか細い悲鳴を漏らした私兵を睨んだ狼人(ルプス)は、獣じみた咆哮と共に腕に一気に力を入れ、ブチリ!と繊維が千切れる音共に腕が引きちぎられ、溢れ出した鮮血が辺りにぶち撒けられた。

 

「ぎっ、ああああああああああああ!!!?」

 

 腕が千切れた勢いのまま倒れた私兵は悲鳴をあげながら腕を押さえ悶える中、御者台の方からは「あ〜あ」と気の抜けた『皮剥ぎ』の声が聞こえてくる。

 

「手負いの獣が一番怖いってことだよな。まあ、俺は逃げるぞっと」

 

 後ろの惨劇と私兵の悲鳴を他人事のように聞き流した彼は御者台から馬に飛び移ると、馬と御者台を繋ぐ縄を短剣で斬った。

 

「時間稼ぎ、よろしく」

 

 もはや機械的とも言える淡々とした声音でそう告げて、おまけと言わんばかりに鏃に火をつけた太矢(ボルト)を装填した弩を御者台と荷馬車に向け、無慈悲にそれを放った。

 放たれたそれは狙い通りに御者台に突き刺さると、何か細工が施されていたのか瞬く間に火が燃え広がり、御者台と荷車を炎が包んでいく。

 腕を千切られた私兵が炎に巻かれたのか悲鳴が聞こえなくなり、代わりに慌てふためく獣人らの声が聞こえてくる。

 追手の森人たちも彼らの救出の為に攻撃の手を止め、『皮剥ぎ』は彼らの攻撃を耐え抜いた私兵たちを引き連れてその場を離れていく。

 その背を睨む獣の眼光と、冷たく見下ろしてくる鷲の視線に、気付く事もなく。

 

 

 

 

 

「出番なしか。まあ、それに越したことはないが……」

 

 生物と木材が焼ける臭いに眉を寄せながら、銀髪の青年は辺りを見渡した。

 女上の森人は戦闘が終わってからやってきた増援に額を押さえて溜め息を漏らし、「遅かったな」と悪態を一つ。

 

「それはすまない。急いではいたんだが」

 

 そんな彼女の言葉に謝罪の言葉を投げた銀髪の青年は馬から降りると、「こいつにも無理をさせた」と息を乱している馬を撫でてやった。

 掌に感じる湿り気にかなり汗をかいている事もわかり、余計に罪悪感を感じてしまう。

 たっぷり休まさねばと彼の頑張りをどうにか労う方法を考えつつ、森人らに治療されている獣人──正確に言えば狼人──たちに目を向けた。

 全員が共通しているのは酷い火傷をしていることだが、その中には片目を潰されていたり、狼を思わせる尖った耳の片方が削がれていたりする者もいるなど、はっきり言えば負傷者しかいない。

 

 ──戦力になるにしても、時間がかかりそうだな……。

 

 素早さや嗅覚など、只人と彼らの素の身体能力は比べるまでもない。

 彼らの集落をそのまま戦力として取り込めれば、少なくとも頭数は揃える事もできただろうに、これではそれも叶うまい。

 誰にも気付かれないように小さく溜め息を吐いた銀髪の青年は、保護できただけでもマシかと肩を竦めた。

 それでも集落全体の人数と比較すれば少ない方であり、助けられなかった人数の方が多いだろう。

 もっと早く動ければ、もっと早く同盟の話を伝えにいっていれば、こんな事にはならなかったのかもしれない。

 

 ──まあ、俺が考えても仕方ないか。

 

 自分はあくまで冒険者。依頼を受けてから動くのが基本であり、ある意味で事が起こらなければ対応できないという致命的な欠陥もある。

 お人好しで、困っている人を見つければ反射的に動くあの両親でさえ、冒険者時代は報酬なし(ボランティア)だけはしなかったというし。

 事が起こり、被害が報告され、報酬が約束されて始めて冒険者は動くのだ。自分の都合だけで好き勝手に動く訳にはいかない。

 

「俺に触んじゃねぇ!このくらい、怪我のうちにも入んねぇんだよ!!」

 

 一人ボケっと突っ立っていた銀髪の青年の耳に、掠れながらも力強い声が届いた。

 何事だと声の主の方に目を向けてみれば、そこには灰色の毛並みをした男の狼人──灰狼と、女上の森人が睨み合っていた。

 二人の横には薬草を染み込ませでもしたのか、真緑に染まった包帯を持ってオロオロと困惑している森人がおり、彼女が包帯を巻こうとした所を怒鳴ったのだろう。

 周りの狼人が一様に暗い表情のまま項垂れ、涙する者までいる中で、彼だけはまだ折れていないようだ。

 そんな彼の態度から彼が族長かと断定した銀髪の青年は、嘆息混じりに彼に近づいていった。

 

「その怪我で無理はしない方がいい。病気になって死ぬぞ」

 

 怪我とは恐ろしいものだ。適切な処置をしなければ傷口から肉が腐り、最悪その部位を落とさねばならなくなる。

 実際、一介の冒険者だった頃に擦り傷だと強がった同期が次の季節になる頃には隻腕になっていた事だってあったのだ。怪我をなめてはいけない。

 そんな過去の経験からくる警告を狼人に投げたのだが、肝心の彼からは「あ"?」と地の底から響いてくるような唸り声と、殺意に満ちた眼光を向けられた。

 犬歯を剥き出しに隙を見せれば飛び付き、喉笛を噛みちぎらんと構えるその様は、さながら本物の狼のようだ。

 

「なんで只人がここにいやがんだ!テメェらのせいで、俺の家族が……っ!!」

 

 バキバキと指の骨を鳴らし、鋭い爪を立てながら吼える彼に、銀髪の青年は敵意はないと伝えようと両手をあげた。

 

「まあ待て。味方だ」

 

「そんなん信じられっか!何者だ、テメェ!!」

 

 そして単刀直入に告げられた、悪く言えば全くの説明不足の言葉で灰狼が銀髪の青年を信じる訳もなく、むしろ余計に警戒されてしまう始末。

 銀髪の青年が失敗したかと内心で舌打ちを漏らすと、そんな二人の間に女上の森人が割って入った。

 

「彼は我々が雇った傭兵だ。信頼してくれていい」

 

「傭兵?はっ!亜人の傭兵ならまだしも、只人の傭兵なんざ信じられっか!」

 

「傭兵じゃない。冒険者だ」

 

 彼女の言葉を灰狼は嘲笑い、銀髪の青年は訂正を求める。

 それぞれの反応に額を押さえて溜め息を吐いた女上の森人は、少々面倒そうにしながらも灰狼に向けて言う。

 

「貴様が信じようと信じまいと、我々は彼を頼りにしている。少なくとも、彼の協力で五人の近衛騎士を討伐した」

 

「……っ!マジか」

 

 彼女の言葉にようやく灰狼の態度が変わり、敵意剥き出しだった表情がどこか試すような色になり、改めて観察するように爪先から顔までをじっと見る。

 顔に僅かな幼さを感じるが、夜を閉じ込めた蒼い瞳にはよく見れば星のように銀色の輝きが散っている。

 革の上から鉄板や鎖帷子を縫い合わせた鎧は真新しいものの、所々には傷跡がある辺り、既に死戦を潜り抜けてきた証拠か。

 灰狼はふぅんと感心したように声を漏らすと、毛と同色の灰色の瞳を銀髪の青年に向けた。

 瞳の奥には敵意や殺意、疑いの感情が渦巻いているが、とりあえずは認めてくれているのだろうか、とりあえず襲いかかってくる様子はない。

 それでも念のためと手を挙げたままなのは、一応のアピールのためだ。

 

「まあ、んなことはどうでもいい。俺は行くぞ」

 

 ペッと血の混ざった痰を吐いた灰狼は、治療の途中にも関わらず踵を返してどこかに行こうとしてしまう。

 

「追撃か?なら、俺も同行する」

 

 そんな彼を他の狼人や森人は止めようとするが、他の誰でもない銀髪の青年が同行するように進言した。

 女上の森人は「おい」と二人を蔑むような視線を向けながら待ったをかけ、包帯を差し出しながら「治療が先だ」と灰狼に告げる。

 

「だから、そんなもんいらねぇんだよ!今はあいつらを追いかけんのが先だ!!」

 

 だが灰狼はそれをすぐさま拒否すると、彼らを振り切らんとその場を駆け出してしまった。

 只人や他の種族では不可能な、圧倒的なまでの俊敏さで街道を駆け抜けていき、『皮剥ぎ』の痕跡を辿ってどこかに行ってしまう。

 

「……流石狼人、速いな」

 

 銀髪の青年はその速度に舌を巻き、困り顔で頰を掻いた。

 あれを追いかけるのか?と小さくなっていく灰狼の背中を指差しながら女上の森人に問うと、彼女も額に手をやって溜め息を吐いた。

 

「追うしかあるまい。彼が目的の人物だ、死なれたら困る」

 

「ああ、くそ……っ!たまには簡単に終わる仕事がやりたいんだがな」

 

 あいつも心配しているしと蚕人の女王を引き合いに出しながら、彼にしては珍しく悪態を一つ。

 だが依頼を途中で投げるのは冒険者の矜持が許さないのか、彼はせっせと馬に向けて小走りすると、その勢いのままに跨った。

 

「私も同行する。皆は彼らを連れて拠点に戻れ」

 

 彼の隣の馬に飛び乗った女上の森人は他の森人らにそう言うと、一斉に威勢のいい返事があちこちから返され、狼人の数人が怯えてしまう始末。

 そんな様子に苦笑を漏らした銀髪の青年は「さっさと行くぞ」と告げると共に馬を走らせ、女上の森人を置いていってしまう。

 

「おい待て!まったく、どうしていつもあいつのペースになるのだ」

 

 出会ってからというもの、何をしても振り回されている気がしてならない女上の森人は馬上で悪態を漏らすが、そんな姿も絵になるのは森人の王族だからこそか。

 

 

 

 

 

「まあ、流石のお前でも馬には追いつけないだろうな」

 

 灰狼を追うこと数分。道端で息を乱して休憩中だった灰狼を拾った銀髪の青年は、どこか煽るような声音で不貞腐れたようにそっぽを向いている灰狼に向けてそう告げた。

 

「るっせ。あいつらの馬、中々速ぇぞ」

 

「だが消耗も多いだろう。どこかで休息するはずだ」

 

 そんな男二人を乗せて走る銀髪の青年と並走しながら、女上の森人は敵の情報を口にした。

 彼らの馬も疲れてはいるが、先ほどの狼人らの治療の際に休息を挟む事ができた。

 その分距離が離れたと考えられるが、相手とて休みなしに走ることは不可能だ。どこかで休ませたのなら話は別だが、それならどこかに痕跡が残っている筈。

 だがそれもないとなると、相手は走り続けている可能性が高い。

 

「休むっても、ここいらの森の動物はあれだぞ、かなり凶暴だぞ」

 

 馬の上で器用に胡座をかき、呑気に頬杖をつきながら告げられた灰狼からの言葉に、銀髪の青年は興味深そうに目を細めた。

 

「なら、俺たちも気を付けないとな。生きたまま食われたくはない」

 

「弱ぇ奴が食われて、糞になって地に還るのは当然だろうが。死にたくねぇなら気張れ」

 

「気張るだけではどうにもならん時もあるぞ」

 

 銀髪の青年が芝居ががった動作で肩を震わせて怖がり、灰狼はそんな彼に己の一族の教えを解き、女上の森人は現実的な意見を漏らす。

 誰が間違いで、誰が正しいかなぞ、種族も違えば、生まれ場所も立場も違う彼らには判断しかねるもの。

 だが銀髪の青年は不敵に笑い、天高く飛ぶ鷲に目を向けた。

 

「神々は俺たちに味方してくれたみたいだな。見つけたぞ」

 

「は?臭いもしねぇぞ、適当なこと言うんじゃねぇ」

 

「まあ、待て。彼にしか見えないものもあるのだ」

 

 それが何なのかはよくわからないがと、彼を真似て鷲を見上げながらの言葉に、灰狼は余計に困惑するばかり。

 だが見つけたというのなら、それは本当なのだろう。

 

「なら、さっさと狩るぞ」

 

「言われなくても」

 

 灰狼が吐き捨てるような声音での指示に銀髪の青年はすぐに応じ、馬の腹を蹴って多少の無理をさせて更に加速。

 女上の森人も彼らを追って馬を加速させると、前を走る銀髪の青年は途中で街道から外れて森の中へと入っていく。

 

「おい、この先マジで狼の縄張りだぞ!俺たちでも一人じゃ入らねぇようにしてる!」

 

「だが、あいつらはこっちに行った。それにここを突っ切った方が早い」

 

 後ろで慌てる灰狼を他所に、銀髪の青年は「ハッ!」と声を張り上げて馬を更に加速させる。

 その直後灰狼は鼻を引くつかせ、獰猛な笑みを浮かべた。

 忘れる訳がない。集落を襲い、家族を殺し、自分たちの生き方を獣同然と愚弄した、許し難い奴の臭いが、風に乗って鼻に届いたのだ。

 

「俺が殺る。邪魔すんじゃねぇぞ」

 

「取り巻きは任せろ。好きにやれ」

 

「作戦はそれでいいな。よし、行くぞ……っ!」

 

 そして即興で作戦とも言えない作戦を組み立てた三人は案外近場で休んでいた『皮剥ぎ』一行の野営地に向けて、馬を走らせた。

 

 

 

 

 

 鬱蒼としげる森の中。小さな谷のようになっている場所をとりあえずの拠点とした『皮剥ぎ』は、生き残った私兵に周辺を警戒させていた。

 ようやく一息つけると手頃な岩の上に腰を下ろし、近くの池で馬には水を飲ませてやる。

 少し休憩させれば、後は都まで走り続けなければならない。反乱軍が本格的な行動を再開したことを、どうにか王に伝えなければならないのだ。

 

「その情報で報酬を貰うにしても、やはり赤字だな。くそっ!やはり一人や二人、連れてくるべきだったが……」

 

 頭の中で算盤を弾いて損得をざっくりと計算しつつ、どう考えても損しか生まれないことを嘆き、空を仰いだ。

 燃やしてしまった馬車を補填し、私兵を補充し、遺族にも慰謝料を。

 全く収入がないというのに、支出ばかりが増えていく。どうすれば最低限の損出のみで耐えられるか。

 うんうんと唸り、あーでもないこーでもないと考えていると、不意に誰かの悲鳴のようなものが耳に届いた。

 

「何事だ!敵襲か!?」

 

『皮剥ぎ』は慌てて立ち上がりつつ弩を構えて辺りを見渡すが、木に寄りかかって休んでいた私兵は「何事です!?」と慌てているのを見るに、彼には聞こえていなかったのだろう。

 

 ──気のせいか?むぅ、疲れているからな……。

 

 色々ありすぎて少々敏感になりすぎたかと溜め息を吐き、再び岩に腰を降ろすと、やはりどこからか悲鳴が聞こえた。

 

「何だ!私を揶揄(からか)っているのか!!」

 

『皮剥ぎ』は唾を飛ばしながら怒鳴り散らし、先ほど木に寄りかかっていた私兵の方に目を向け、

 

「は……?」

 

 ポカンと口を開けて間の抜けた声を漏らした。

 木に寄りかかりながらも確かに辺りを警戒していた筈なのに、いつの間に木の枝から伸びる細い縄で首を吊られ、声も出さずにじたばたと手足を振り回していたのだ。

 だがそれもすぐに止まり、ぐるりと白眼を剥きながら絶命した。

 

「な、ななな、て、敵しゅ──」

 

『皮剥ぎ』が慌てて周囲を固める私兵らに警告せんと声を張り上げたが、すぐに辺りの事態を察して目を見開いた。

 矢に射抜かれて木に磔にされた遺体や、首を吊られた遺体、喉を噛みちぎられた遺体や、喉を掻き切られた遺体など、様々な方法で殺された私兵たちが、さながらゴミのようにそのままの姿で放置されている。

 

「な、何が、起きた……?!」

 

 あまりの状態に喉が締まり、酷く掠れた消えいりそうな声での問いかけに答えたのは、森の闇の奥で大弓を構える女上の森人と、枝の上でフック付きの縄(ロープダート)を構える銀髪の青年の無言の殺気だった。

 それに当てられた『皮剥ぎ』は額に冷や汗を流し、一番手近な銀髪の青年に弩を向けた瞬間、

 

「るぉおおお!!」

 

 獣の唸り声にも似た雄叫びと共に、茂みから口元を血に濡らして灰狼が飛び出した。

 

「っ!?」

 

『皮剥ぎ』は反射的に弩をそちらに向け、その勢いのままに引き金を引いた。

 発条が弾ける奇怪な音と共に太矢が放たれ、灰狼の眉間を撃ち抜かんとするが、

 

「遅ぇんだよっ!!」

 

 迫る太矢を爪の一閃でもって弾き、装填の間も与えずに更にもう一閃。

 弩を構える『皮剥ぎ』の右腕の肉を容易く切り裂き、彼の絶叫と共に鮮血と弩が宙を舞った。

 

「痛ぇか?痛ぇよなぁ!!俺の家族は、もっと痛ぇ目に遭ったんだぞ!!」

 

 腕を押さえながら無様に転げ回る『皮剥ぎ』を冷たく見下ろしながらそう言うと、『皮剥ぎ』は彼を睨みながら叫んだ。

 

「獣畜生が、よくも……っ!俺は近衛騎士だぞっ!貴様らのような野蛮で低俗な犬畜生とは、生きる世界が違うのだ!」

 

 そして無様に命乞いでもしてくるかと思っていた三人は、まさかの挑発とも取れる言葉に驚き、思わず顔を見合わせた。

 

「金か?金が欲しいんだろう!そこの木の上にいる只人、いくら貰っているかは知らないが、その五倍は出す!俺を助けろ!!」

 

 木の上で待機していた銀髪の青年が同じ只人である事に気付いたのか、『皮剥ぎ』は彼を買収しようと声をかけた。

 五倍という言葉に女上の森人は「な!?」と困惑の声を漏らし、僅かに不安そうに銀髪の青年に目を向けた。

 今さら大金で彼が鞍替えするとは思えないが、五倍ともなると話は変わってくる。そもそも報酬は衣食住の提供なのだ。金銭面を言われてしまえばこちらは太刀打ちできない。

 

「五倍、ね」

 

 対する銀髪の青年は枝に腰掛けながら顎に手を当てて僅かに思慮すると、何かを思いついたのかハッとして『皮剥ぎ』に告げた。

 

「近衛騎士に渡される硬貨があるだろう、それをくれ。そうしたら、お前は死んだって事にしておいてやる。俺たちはこれ以上何もせず、ここから立ち去るさ」

 

「は?何言ってんだ、テメェ!!」

 

 突然血迷ったかのような事を宣う彼に灰狼は食ってかかるが、すぐに辺りを囲む何かの唸り声を聞いて「なるほどな」と残虐なまでの笑みを浮かべながら頷いた。

 女上の森人も意図を察したのだろう。構えを解いて馬を目指して森の奥へと消えていった。

 

「こ、これか?これを渡せば助かるのか?」

 

 彼らがそんなやり取りをしていると『皮剥ぎ』は懐から近衛騎士の証たる硬貨を取り出し、それを銀髪の青年から見える位置に掲げた。

 銀髪の青年が「それだ」と返すと木から飛び降り、それをぶん取ると女上の森人に合流しようと馬の元を目指す。

 取り残された灰狼は「約束は守るさ。祈る者だしな」と犬歯を剥き出しにした獰猛な笑みを浮かべ、『皮剥ぎ』に告げた。

『皮剥ぎ』はホッと安堵の息を漏らすが、そんな彼の胸倉を掴んで立ち上がらせると、絶対零度の殺意を込めた灰色の瞳で睨みながら告げた。

 

「俺たちは何もしねぇ。せいぜい頑張れ」

 

 彼はたったそれだけを言うと彼から手を離し、二人に合流しようとその場を駆け出した。

 一人残された『皮剥ぎ』は咄嗟に弩を掴み、そんな三人の背に向けて構えるが、

 

「──っ」

 

 不意に銀髪の青年の隣を金髪の乙女が連れ添う姿を幻視し、途端に戦意を奪われてしまう。

 構えた弩を撃つこともできず、とにかく逃げようと自分たちの馬の方を目指して這っていくが、不意に茂みが揺れた事を合図に動きを止めた。

 それと同時に自分を囲むように布陣した獣たちの唸り声が聞こえ始め、暗がりの向こうから爛々と輝く飢えた眼光が向けられる。

 

「あ、ああ……」

 

 そんな状況になってようやく、彼は自分が置かれた状況を理解し、なぜ彼らが自分を見逃したかを理解してしまった。

 

 ──森の中に放置された、手負いの生物。

 

 爪や牙という武器もなく、身を守る毛皮さえもない。文字通り無防備な、人間が一人だけ。

 

「やめろ、やめろ!来るな、来るなぁああああああああああ!!!」

 

『皮剥ぎ』の悲痛なまでの叫びが森に響き渡り、その声はやがて悲鳴へと変わり、命乞いへと変わり、ついには興奮した獣の声のみが残る。

 相手を殺す手段は一つではない。相手がこちらを獣と思うなら、こちらも相応の方法で葬ってやろう。

 他の動物では考えつかないような方法で、思いついても決して実行しないような方法で、何の躊躇いもなく相手の心と身体を殺す。

 

 ──それこそが人間。故に我らは獣にあらず。

 

 銀髪の青年が行動で示したそれこそが『皮剥ぎ』への返答。

 安らぎは与えない。地獄の苦しみの中で、せいぜい罪を噛みしめろ。

 

 ──誰にも知られず、死に腐れ。

 

 死にゆく者に敬意を払えと教えられても、それを実践するかは本人次第。

 銀髪の青年は覚えている限り初めて、何の祈りもなく、死を見送ることもなくその場を離れた。

 ただ獣が獲物を喰らう音だけが、嫌に耳に残っていた。

 

 

 

 

 




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Memory17 何でもない一日

 反乱軍、本拠点。

 国の南東の端に聳える霊峰の内側、自然の力と、遥か過去に去った何者かたちにより抉り取られた大空洞。

 そこをそのまま利用する形で造られた街並みには、久しい活気が戻っていた。

 圃人、森人、鉱人、蚕人、狼人。国軍により蹂躙され、国中に散らばっていた亜人たちが集い、疎に使われる程度だった廃屋にも人が入り、窓からは明かりが漏れている。

 そんな街を見下ろせる見張り台の上に、銀髪の青年はいた。

 そこかしこから聞こえる談笑の声や、たまに混じる喧嘩の声や、怒号、悲鳴、歓声。

 まあ、文字通り文化が根本から違う種族が集まっているのだ。意見の相違もあるだろうし、異文化の衝撃(カルチャーショック)を受けての混乱というのもあるだろう。

 だが、それは仕方のないことだ。長年をかけて歩み寄ったのならともかく、彼らはこの一ヶ月程で集まっただけの集団なのだから。

 

「オメェはこんなとこで何してやがる」

 

 そんな彼らの生活を微笑み混じりに見下ろしていた平服姿の銀髪の青年の耳に、どこか苛立ちの色が強い声がかけられた。

 声に誘われて振り向いた銀髪の青年は、見張り台の梯子から顔を出している灰狼に視線を合わせた。

 

「別に、ただ街を観察していた」

 

 そして浮かべた微笑をそのままにそう呟いた銀髪の青年は、再び街を見下ろしながら息を吐いた。

 幼い頃、父に連れられて街の冒険者ギルドの屋根の上に登った時を思い出す。

 静かではあるが遠くに喧騒があり、活気に溢れた街並みが一望できる。そんな場所(ビューポイント)からの眺めが好きなのだ。……地形を把握するという意味もあるが、それはそれ、これはこれだ。

 そんな彼の解答が気に食わないのか、見張り台を登り終えて彼の隣に立った灰狼はハッ!と鼻で笑いながら、「能天気な奴だな」と隠す気もない怒気を込め、真剣な面持ちでそう告げた。

 言われた銀髪の青年は肩を竦め、先日ここに移住してきた狼人らの区画に目を向ける。

 一族焼き討ちにあい、生き残った者たちも危うく奴隷や、あるいは革製品にされかけたが、彼らの中にここに来たばかりの暗い雰囲気はなく、包帯姿の子供たちが駆け回り、その親や、兄弟姉妹らが微笑ましいものを見るように見守っている。

 その笑みには僅かに陰りがあるが、笑えないでいるよりは幾分かマシだろう。

 

「元気そうで何よりだ」

 

 銀髪の青年はぼそりと本音を漏らし、灰狼はそれに関しては同意しているのか不満そうに腕を組みながらも「ああ」と首肯して目を細めた。

 

「ここに連れてきてくれたのは感謝してる。あいつらも安心してガキの面倒を見られるし、ガキどももああやって遊ばせられる。だが、あれから何の行動もなしじゃねぇか!何が反乱軍だよ、これじゃただの隠れ家じゃねぇか!」

 

 そしてついに本題に入る気になったのか、地団駄を踏みながらそう怒鳴る。

 彼が地団駄する度に見張り台のあちこちから木材が軋む音が聞こえてくるが、それを気にする二人ではない。崩れたら崩れたで脱出し、これを建てた輩を見つけ出してぶん殴るだけだ。

 

「まあ落ち着け。何にも準備が必要だ」

 

「俺の怪我も治った。お前は別に怪我もしてねぇ。なら、いいじゃねぇか」

 

 行動を急かしてくる灰狼をとりあえず落ち着かせようとするが、当の本人はやる気に溢れ、灰色の瞳の奥には闘志の炎が揺れている。

 だがその闘志の奥には獲物を狙う獣のように冷たい殺意が宿り、次の獲物を待ち望んでいるようにも見える。

 狩りに飢え、血に飢えてはいるものの、それを理性が抑えつけているのだろう。好き勝手に動いて、恩人たる銀髪の青年ら、反乱軍に迷惑をかけたくはないのだ。

 それでも武者震いか、苛立ちからか、立ったまま貧乏揺揺すりをしつつ、尻尾が小刻みに揺れてしまうのは仕方がないことだ。

 そんな灰狼の様子を横目に見ながら、銀髪の青年は両手を広げて武装解除状態の自分を見せつけながら言う。

 

「身体は万全でも武器、装備の点検もしないと駄目だ。お前はその牙や爪があるんだろうが、生憎と俺は非力な(・・・)只人だからな」

 

「非力な只人だぁ?冗談も言えんだな、テメェ」

 

「……冗談でもないんだが」

 

「は?」

 

 そして彼が本心から告げた言葉に、灰狼は間の抜けた表情になりながら声を漏らし、改めて銀髪の青年の爪先から頭の天辺までを観察。

 引き締まり、贅肉とは無縁の肉体は既に完成され、獣人として生まれてから野山を駆けていた自分でも惚れ惚れするもの。

 自分も日夜鍛えているし、彼にも負けず劣らずの肉体を維持しているのだが、それな自分が獣人として、狩りを中心とした普段の行動の結果、自然と出来上がるものだ。

 だがそういったものとは縁遠い只人がここまで鍛えたとなると、生半可な努力では足りまい。

 

「……冗談も休み休むに言えよ」

 

「むぅ。か弱い只人なのがわからないか」

 

 それを踏まえて銀髪の青年の言葉を否定すると、彼は唇を尖らせて不貞腐れたようにそう漏らすが、すぐに破顔してグッと拳を握り、力瘤を作った。

 

「まあ、そこらのごろつきや兵士程度に負けるほど柔じゃないが」

 

「それを非力とは言わねぇんだよ」

 

 そして告げた言葉に灰狼を溜め息混じりにそう返すと、乱暴に頭を掻きながら梯子に足をかけた。

 

「テメェと話してると調子狂う。また後でな」

 

「ああ。きっとすぐに出発することになるだろうが……」

 

 ひらひらと手を振りながら彼を見送った銀髪の青年は、優しげな輝きを放つ蒼い瞳を細め、冷たい殺意を滲ませた。

 先の近衛騎士──と言うよりかは有力な商人だろうか?──は、手応えもなく、若干ながら報酬泥棒な気分さえもしている程だが、次の相手は果たしてどんなものなのか。

 

 ──楽に終わるなら、それに越したことはない筈なんだがな……。

 

 両親もかつては冒険者だ。二人がどんな冒険をし、どんなものを見聞きしたのかは断片的にしか教えてもらってはいないが、楽に終わるのならそれでいいというのが共通していた意見だ。

 だが、しかし、自分より強い相手と戦い、それを超えていくというのも乙なもの。昇給間近の高難度の依頼など来た日には、緊張せずにむしろ興奮してしまうというものだ。

 先日の戦いは拍子抜けしてしまったが、とりあえず目の前の問題を排除し、報酬を貰い、衣食住の確保。その道中に自分よりも強い相手がいるのなら、どんな手を使おうとも勝利をもぎ取る。

 そうすれば、きっと両親が見てきたものの欠片が見られるかもしれない。

 いつの日か、両親を超えられる日が来るかもしれない。

 その背中は遠く、とても高いものだが、同じ只人で、その二人の血を継いでいるのだ、出来ない訳があるまい。

 

「そろそろ取りに行くか」

 

 そんな思慮をしていた為か、灰狼の闘気に当てられたか、銀髪の青年は沸々と胸の奥で滾る熱いものを感じ、居ても立っても居られずに立ち上がった。

 鉱山街とは別口の、元からこの隠れ家に身を寄せていた職人気質の鉱人。

 装備の点検を頼んだ時は只人だからと突っぱねられるかとも思ったが、彼からすれば相手はどうでもいいらしい。

 曰く、誰がどう使おうが知ったことじゃない。自分は自分が満足いく仕事をするだけだ、とのこと。

 先程降りていった灰狼が子供の狼人たちに絡まれ、鬱陶しそうにしながらも楽しそうに笑う姿を見下ろし、ついでに見張り台の下に荷車に積まれた藁の山があることを確認。

 ふーっと深く息を吐き、父がそうしていたように両手を広げて身を投げた(イーグルダイブ)

 ほんの一瞬の浮遊感と共に身体を回転させ、背中から藁の山に落下。

 ばさりと藁が揺れ、荷車が軋む音を辺りに振り撒きながら、銀髪の青年は勢いよく藁の山から飛び出した。

 服や髪に刺さった藁を適当に払い、それでも身体のあちこちに感じる柔らかい物で刺される擽ったさに身動ぎしつつ、街の方に足を向けた。

 少し前までであれば、まず間違い無くあちこちから殺気を向けられ、何か粗相をすればすれ違い様に刺される可能性も脳裏を過ぎった程だが、今はそこまででもない。

 笑顔で、とはいかないが挨拶をされたり、会釈されたりする程度には、銀髪の青年を受け入れ始めている。

 本人はそう思っているし、事実蚕人を中心に狼人や鉱人など、彼に恩のある種族は彼が近くを通っても気にも留めないし、基本的に温厚な圃人なんかも時々ではあるが向こうから声をかけてくれる。

 だが、やはりと言うべきか森人からの印象は悪い。と言うよりかは、理由はわからないが妙に殺気立っているのだ。

 前回の狼人救出を終えた後、彼らからの事情聴取が終わった辺りからだ。何か重大な情報を知ったのか、彼らの目付きが変わり、言葉にも普段よりも棘が多い。

 

 ──何があったのかは知る由もないんだが……。

 

「む……」

 

 肩を竦めてどうしたものかと思慮をしていると、不意に人混みに見覚えのある小さな影が見え隠れしている事に気づき、小さく声を漏らした。

 雑踏の中でも不思議と目立つ濡れ羽色の髪と、焔を思わせる緋色の瞳。

 誰かを探しているのか道の中央であちこちに目を向けており、目には大粒の涙が浮かんでいる。

 すれ違う人たちはどうするべきかと顔を見合わせたり、逆に触るべきではないかと距離を置いたりと反応は様々だが、彼女──半森人の少女を助けようとする気配はない。

 一応は人畜無害な少女ではあるが、かつての国王の忘れ形見。相手が相手だ。触らぬ神に祟りなし、ということなのだろう。

 銀髪の青年もまたどうしたものかと困り顔で頰を掻き、辺りを確認。普段ならいる筈の付き人や、女上の森人を探すが、見当たらない。

 いや、彼女の様子からして、彼女らを探して街に繰り出してしまったのだろう。

 はぁと溜め息を吐きなぎら俯いた銀髪の青年は、別に依頼が入ってから取りに行けばいいかと適当な事を思いながら人混みを掻き分け、件の少女に近づいた。

 そこで発した声が彼女にも届いていたのか、銀髪の青年を見つけた半森人の少女はパッと表情を明るくすると、小走りで彼の元へ。

 

「どうした、迷子か?」

 

 地面に片膝をつき、駆け寄ってきた彼女を迎え入れた銀髪の青年はそう問いながら、頬を伝う涙を拭ってやる。

 

「付き人はどうした。あいつも、いないようだが」

 

 いない事はわかっているが、少々芝居じみた動作できょろきょろと辺りを見渡し、改めてそう問うと、半森人の少女は困り顔になりながら口を動かすが、やはりと言うべきか音にはなっていない。

 原因はわからないが、そういう病なのか呪いなのか、とにかく彼女は言葉を発しているつもりかもしれないが、それがこちらに伝わってこないのだ。

 

「……迷子でいいんだよな?」

 

 銀髪の青年は困り顔になりながら問うと、半森人の少女はこくりと一度頷いた。

「それがわかればいい」と返した銀髪の青年は、彼女の手を取るとにこりと微笑んだ。

 

「なら、探すぞ。ここだってそこまで広くない。歩いていれば見つかるさ」

 

 そして浮かべた笑みをそのままにそう告げると、少女は嬉しそうに笑いながらこくこくと何度も頷く。

 彼女からの許可も貰ったことだしと息を吐いた銀髪の青年は、タカの眼を発動して辺りを見渡した。

 視界から色が消えて黒く塗りつぶされ、輪郭(ワイヤフレーム)の白い線が浮き彫りとなり、無害な人物が背景と同じ黒く染まり、友好的な戦闘員が青く輝き、重要人物である半森人の少女が金色に輝いた。

 そして街のあちこちに目的の人物──女上の森人の痕跡を示す金色の軌跡が輝き始め、彼女がどこにいるのかを浮き彫りにする。

 普段は作戦会議に使われ、あまり使われないが幹部用の部屋なんかも備えている王城跡地。今はそこにいるようだが、ならばなぜ、普段からそこにいるこの少女に見つけられなかったのか。

 

 ──灯台もと暗し、か。

 

 近くにいない、つまり遠くにいると勝手に思って城を飛び出してしまったのだろう。彼女が普段使わない他の階、他の部屋にいる事を考慮できなかったのだ。

 自分も幼い頃、迷子になったと知るや街中を駆け回ってしまい、両親を困らせたこともあったのだ。この少女の気持ちは痛いほどわかる。

 

「さ、行くぞ」

 

 だから叱ったり、責めたりすることはなく、彼女が探す人の場所に連れて行ってやる。それが最善だ。

 銀髪の青年は彼女の手を引いて歩き出し、少女もまた嬉しそうに笑いながら引かれるがまま、彼の後ろに着いていく。

 その姿を遠巻きに眺めていた通行人たちは、まるで親子か兄妹のようだと思いながら彼らを見送り、すぐにいつもの喧騒を取り戻して行った。

 

 

 

 

 

 そうして拠点内を歩き回ること数分。

 銀髪の青年は現状を俯瞰しながら、どうしてこうなったと頭を抱えて天を仰いでいた。

 

「先ほど飴を貰ったのですが、食べますか?」

 

「っ!」

 

「ふふ。そんなに急かさないでくださいな。飴も、私も、逃げませんから」

 

 反乱軍の拠点と言っても、古い都をそのまま改築して拠点として使っているだけだ。歩き回ればかつては公園だった場所や、ちょっとした広場というのが割と見受けられる。

 そんな広場の一つで、銀髪の青年は石造りの椅子に座って足をぷらぷらと振りながらご機嫌そうに飴を舐めている半森人の少女と、彼女に飴を与えた人物──先ほどばったりと出くわした蚕人の女王を見つめながら、小さく溜め息を吐いた。

 任務続きの自分の為、何か精がつくものをとあちこちの商店を回って食材や水薬(ポーション)を買い込んでいたそうなのだが。

 目も不自由で、身体も弱いだろうに、律儀に自分の為に尽くしてくれるのは嬉しいような、かえって心配なような、何とも複雑な気持ちになるが、それが彼女の意志ならば何も言うまい。

 だが、彼女の脇に置かれた大きめの袋を抱えて、ここから自宅まで戻るとなると、彼女の体力では無理があるだろう。

 袋は自分が持つとして、少女を連れて王城に行って森人らに引き渡し、そのまま二人で帰宅。これしかあるまい。

 問題があるとすれば──。

 

「待ってくださいな。それは私が持ちますわ」

 

 荷物を持とうと手を伸ばせば、それを蚕人の女王に制され、持たせてくれなさそうな事だろう。

 彼女にとって銀髪の青年は未来の旦那であり、彼女らの教えに従えば、伴侶に尽くすことが尊いこととされている。

 自分がすべき事を、その伴侶にやらせるというのに、ひどい抵抗を感じてしまうのだろう。

 銀髪の青年はさてどうしたものかと思慮するが、この際彼女の言葉を無視して袋を抱え上げた。

 

「ああ、ですから私が──」

 

「お前はこの子を頼む。また迷子になられると洒落にならないからな」

 

 そして荷物を受け取ろうと手を伸ばしてきた蚕人の女王に、銀髪の青年は半森人の少女を見つめながらそう告げた。

 蚕人の女王は言われるがまま半森人の少女に目を向けると、少女は飴を舐めてその甘みを楽しんでいたが、彼の意を汲んだのか、あるいはちょっとした我儘なのか、彼女の手を取ってぎゅっと握り締めた。

 幼い少女の懇願するような視線に蚕人の女王も毒気が抜かれたのか、銀髪の青年に伸ばしていた手を引っ込め、小さく息を吐いて「仕方ないですね」と微笑んだ。

 

「貴方からの頼みなのですから、お断りする理由もありませんわ」

 

 そして少女の手を優しく握り返しながらそう言うと「行きましょうか」と告げて、銀髪の青年に目を向けた。

 

「それで、どちらに向かえばいいのでしょう……?」

 

 声音こそ普段通りの、女王として凛とした雰囲気を放つものではあるが、その表情は不安に溢れていた。

 それはそうだろう。朝から姿が見えない想い人に出会えたと安堵したのに、そこから流れのままに迷子の面倒を見ることになったのだ。

 この少女をどこに連れていくべきなのか、そしてこの少女と彼はどんな関係なのか、知らない事が多すぎる。

 そんな蚕人の女王の胸中を察してか、銀髪の青年は「こっちだ」と彼女の手を引いて先導を開始。

 片手を彼に、もう片方の手を半森人の少女に掴まれた蚕人の女王は、ふと幼き日の事を思い出していた。

 両親に連れられて歩く時、視力が弱い事も相まって三人で手を繋ぎ、こうして挟まれて歩いていたわけだが。

 

 ──これでは私が子供のようではないですか……っ!?

 

 そんな思考が過った瞬間、彼女の頬が朱色に染まり、力が抜けていた触覚がピンと伸び、彼女の緊張をわかりやすく露わにさせた。

 

「あ、あの、位置を変えましょう!これでは、その……っ!」

 

「どうかしたのか?」

 

「……?」

 

 傍から見れば急に彼女が焦り出した風に見える事も相まり、銀髪の青年と半森人の少女は揃って疑問符を浮かべると、顔を見合わせて首を傾げた。

 その姿はさながら親子のようであり、視力の弱い彼女でも二人の間にある確かな絆のようなものは感じられる。

 相手は子供といえどどこか面白くなく、胸の奥では嫉妬の感情が渦巻いてしまう程だが、それを表に出してしまえばそれこそ彼に嫌われてしまう。

 大人として、何より一族の長として、余裕を持った態度が必要だ。

 

「いえ、ただ、これだとこの子が危ないのではと思いまして」

 

 半森人の少女の手を握った手を挙げながらそう言うと、銀髪の青年はハッとして「それもそうだな」と首肯して蚕人の女王の手を離した。

 途端になくなった彼の温もりに名残惜しそうに声を漏らすが、ここは我慢だと自分に言い聞かせてぐっと堪える。

 そんな彼女の僅かな表情の変化に気づいた銀髪の青年は、何かあったのかと聞こうとするが、それよりも早く半森人の少女が彼の手を取った。

 両手でそれぞれ異なる温もりと力強さを感じ、優しく握り返される。それだけでも堪らなく嬉しいのか、彼女の雰囲気もいつにも増して明るくなっている。

 ただ手を繋いだだけでここまで嬉しそうにされると、それはそれでどうなんだと、普段はどんな生活をしているのだと問いたくなる銀髪の青年であったが、その疑問は呑み込んで目的の森人らとの合流を目指す。

 

 ──たまには会いに行ってやるか……。

 

 基本的に依頼で忙しいとはいえ、たまにではあるが休暇はあるのだ。それを利用してこの少女に会いに行く程度から問題あるまい。

 森人たちが許してくれるかは別問題だが、上手く彼らの警戒網をすり抜ければいいのだ。

 はぁと小さく溜め息を吐くと、少女の手を引いて歩き出す。

 それに合わせて蚕人の女王も歩き出し、二人に引かれて半森人の少女も歩を進めた。

 

 

 

 

 

 森人の間でのみ行われた会議を終えた女上の森人は、内心大いに焦りながら王城内を右往左往していた。

 保護した狼人らから聞き出した情報。それは森人たちの中に少なからず衝撃を与え、それに対する会議が開いたのだが、その間に半森人の少女がいなくなってしまったのだ、焦りもしよう。

 

「くそっ。どこに行ったんだ……」

 

 廊下を小走りで進みながら思わず溢した悪態は誰にも聞こえてはいないが、その静寂が嫌に彼女を追い詰める。

 かつかつと石畳を踏む音だけが廊下に響き、急ぐ彼女を煽るように壁の蝋燭の炎が揺れ、影を不気味に踊らせた。

 

 ──目先の問題ばかりに注視して、最も大切なものを見落としてしまう。

 

 兄がまだ存命だった頃、狩りの途中でそんな忠告をしてくれた事を、今更になって思い出す。

 そして、いつも思い出した頃には手遅れなことが多い事も思い出してしまった。

 自分ではなく兄や父が生き残っていれば、もっと上手く一族を動かし、今よりも状況をかなり善いまま攻勢に出られていた筈だ。

 

 ──なのに、なぜ私が生き残ったのだ。

 

 目を閉じる度、瞼の裏に映るのはあの日の光景。

 国軍の侵攻を止められず、炎に包まれた故郷の森と、次々と囚われ、生きたまま炎に投げ込まれていく同胞たち、

 それを嬉々として指示し、炎を纏う大剣を振るう鎧を纏った大男と、自分や生き残りの同胞たちを逃すべく、国軍に挑んだ両親と兄の背中。

 三人を止めようと手を伸ばす自分と、そんな聞き分けのない小娘を引きずる形で森から連れ出した従者たちの悲痛な表情。

 何もかもが瞼の裏にこびりつき、いくら擦ろうがそれが消えることはない。

 そしてその光景を生み出した輩が、先の狼人の集落の襲撃時に姿を現したそうなのだ。

 家族が命をかけて行った突貫も無意味であり、森人にとっての仇とも言える相手がのうのうと生きている。

 

「くそっ!」

 

 そんな最悪な現実からから逃げるように壁を殴りつけた女上の森人は、何もしていないというのに乱れた呼吸を繰り返し、肩を揺らしていた。

 拳から広がる痛みも無視し、外套を翻して再び歩き出そうとしたその時だった。

 

「ああ、いたいた。ほら、見つけたぞ」

 

 不意にここにはいないと思っていた相手の声が聞こえ、弾かれるようにそちらに目を向けた。

「探し人はこいつか?」と苦笑混じりに告げた銀髪の青年は、手を繋いでいた半森人の少女から手を離すと、そっとその背を押した。

 それに合わせて蚕人の女王も少女を差し出し、二人に押される形で飛び出した半森人の少女は押された勢いのままに走り出し、女上の森人の足に抱きついた。

 どこにいたの、寂しかったと言わんばかりに大粒の涙を流しながら彼女を見上げ、ぎゅっと彼女を抱きしめる。

 その顔に申し訳なさそうにしながら一旦彼女を剥がした女上の森人はその場にしゃがみ、「すまなかった」と謝りながら改めて少女を抱きしめ、銀髪の青年と蚕人の少女に「ありがとう」と礼を言った。

 泣きながら彼女に抱きしめ返した半森人の少女の背中を見つめながら、銀髪の青年はふと女上の森人の手に目を向け、怪訝そうに眉を寄せた。

 いつもは透ける程に透き通っている白磁の肌が赤く染まり、僅かに血が滲んでいるのだ。

 彼の視線に気づいたのか、女上の森人が「どうかしたか?」と彼に問うと、彼は抱えていた袋を床に置き、腕を突っ込んで何かを探り始める。

 そして引っ張り出したのは包帯と水薬(ポーション)の小瓶だ。

 彼は女上の森人に近づくと片膝をついてしゃがみ、血が滲む彼女の手を取り、乱暴に水薬を彼女の手にぶっかた。

 

「〜っ!!」

 

 できたての傷口に薬をかけられるという、突如として与えられた激痛に彼女は音もなく悲鳴をあげるが、少女を抱きしめている手前逃げることも、怒鳴る事もできずに歯を食い縛るばかり。

 そんな彼女を睨みつつ、キツめに包帯を巻いた銀髪の青年は「これでいい」と立ち上がった。

 

「何があったのかは知らないが、お前はもっと自分を大事にしろ。森人を纏められるのはお前しかいないんだぞ」

 

 同時にどこか忠言じみた言葉を投げると、ようやく泣き止んだ半森人の少女の頭をポンポンと優しく叩き、「この子にとっては、母親みたいなものだろう?」と慈愛に溢れた柔らかな表情で告げた。

 その声が聞こえていたのか、半森人の少女は涙を拭うとどこか様子を伺うように女上の森人を見た。

 対する彼女の表情は複雑そのもので、何と答えるべきかを迷っている様子。

 いらん事を言ったなと表情には出さずとも内心で焦る銀髪の青年だが、そんな彼に蚕人の女王が助け舟を出した。

 

「森人の女王よ。貴方が何を躊躇っているのかは知りませんが、その子は貴方を慕い、想っているのは確かな事です。その想いを受け取るのか、拒むのか、決めるのは貴方です」

 

 普段の優しさに溢れた声音とは違う、凛とした一族を率いる女王然とした声音。

 それを隣で聞いていた銀髪の青年は思わず面を喰らうが、女上の森人もまた似たような反応をしていた。

 彼女にとって避け続けていた事を、面と向かって告げられたのだ。残酷なまでに、蚕人の女王は彼女の逃げ道を塞ぎ、彼女に解答を求めている。

 流石に急かしすぎではと目を細めた銀髪の青年は、袋を担ぎ直すと共に蚕人の女王の手を取った。

 

「どちらにせよ、俺たちがどうこう言うものじゃないさ。部外者はお暇させてもらう」

 

「そうですわね。では、森人の女王よ、ご機嫌よう」

 

 そして銀髪の青年はあくまで傍観者になる事を決め、蚕人の女王もまた彼に同調。

 彼と手を繋いだまま恭しく一礼をすると、彼に引かれるがまま王城を後にした。

 取り残される形となった女上の森人は半森人の少女に顔を合わさると、ただ愛おしそうに彼女の髪を撫でた。

 

「私がお前の母親など、名乗れるわけがないだろうに……」

 

 だが口から漏れた言葉は酷く後ろ向きで、それを聞いた半森人の少女の表情も切なげなものに変わる。

 それでも女上の森人は彼女を強く抱きしめ、耳元で囁くように告げた。

 

「私があの娘に変わってお前を守る。そう、約束したのだ」

 

 母としてではなく、本当の母の親友として、彼女の忘れ形見を、王家の血を継ぐこの子を守らねばならない。

 それが子供たちより良い未来を残すための布石であり、彼女への手向けにもなろう。

 そうして女上の森人は覚悟を決めるが、半森人の少女はただ哀しそうに彼女の胸に顔を寄せた。

 

 

 

 

 

「お二人は大丈夫でしょうか?」

 

 王城から外に出て開口一番に投げられた問いかけに、銀髪の青年は肩を竦める他なかった。

 先程も言ったがあれは二人の問題であり、自分達が深く踏み込んでいい問題でもない。

 つまり銀髪の青年は「わからん」と返すしかなく、「あいつら次第だ」と溜め息を漏らすばかり。

 

「結果がどうであれ、俺がやることは変わらん。依頼の通り、作戦を進めるだけだ」

 

「そうですわね。私ができるのは、食事の用意をしたり、褥を共にしたり、貴方の無事を祈るだけです」

 

 そして話題を変えようと依頼の話に振ると、思わぬ所からボロが出た。

 精がつく物を作ると言っていたが、まさかそういう意味での精が出る物を用意するつもりだったのか。

 

「……部屋に忍び込んでくるつもりだったのか?」

 

「……っ!?あ、いえ、そんなつもりは、ないです……わ……?」

 

 そんな隙を見逃さずに軽く突いてみると、蚕人の女王は白磁の頬を赤く染めながらそっぽを向き、尻すぼみになりながらそう告げた。

「本当か?」怪訝そうに、けれどどこか楽しそうに笑いながら問い詰めると、「知りません!」と今度は勢いよく背中を向けられた。

 だが耳が真っ赤になり、触角も忙しなく揺れているのだから、相当に焦っているのだろう。

 やれやれと困り顔で肩を竦めた銀髪の青年は、いい加減フォローしてやるかと口を開こうとすると、自宅の玄関前に人影があることに気づく。

 只人のそれに比べてだいぶ小柄で、一見子供のようにも見えるのだが、纏う雰囲気は強者のそれ。

 風に揺れる金色の髪と、血のように赤い瞳が特徴の圃人。

 地面に突き立てた薙刀に寄り掛かりながら、銀髪の青年の帰宅を待っていた金髪の圃人は、彼の登場に腕を組みながら告げた。

 

「いきなりですまない。次の作戦について、話がしたい」

 

 その言葉に銀髪の青年は表情を引き締め、蚕人の女王は縋るように彼の腕に抱きついた。

 冒険者に休む暇はない。世界に冒険の種が尽きることがないのだから、当然だ。

 混迷を極める国が舞台となれば、尚更に──。

 

 




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Memory18 黒き翼の根城へ

 反乱軍の拠点から馬で数日。銀髪の青年ほ、国の北西の国境沿いにあるとある山間部にいた。

 かろうじて馬が通れる崖の細道をゆっくりと進む中、手綱を引く手には緊張の汗が滲み、普段はどこか余裕を感じさせる表情も強張っている。

 どうしてこんな所をと悪態を吐きたるなるが、そんな余裕さえもないのが現状だ。

 ちらりと崖の下に目を向ければ剣のように尖った岩の切っ先が立ち並び、それから目を背けてもあるのは金床が如く平らで大きな一枚岩だ。

 今滑落すれば岩に貫かれ、ここを抜けて滑落すれば金床の染みになる。下に藁だの枯れ草だのの山があれば話は違うだろうが、生憎とそれらはない。落ちれば最後、降着と共にぶち撒けた臓物が岩を彩ることになる。

 どうしてこうなったと再び自分に問うが、依頼を受けた冒険者故にとしか返されることはなく、思わず漏らした溜め息により手綱がずれてしまったのか、馬が足の踏み場を間違えて道の端が音を立てて崩れた。

 突然の事態に慌てた馬がいななきながら踏み外した脚を素早く戻し、四肢を踏ん張ってどうにか落下することは免れるが、銀髪の青年はあらん限りに目を見開いたまま、謝罪の感情を込めて馬の首を撫でた。

 すまない。本当にすまないと言い聞かせるようにさすさすと馬の首を撫でる彼だが、その表情はかつてない程に死んでいる。今まさに死にかけたのだ、それも己よりも強い相手に敗れたとか、壮絶な冒険の果ての討ち死にとかではなく、馬もろとも崖からの滑落という、両親や師匠が聞いたら呆れて天を仰ぐような死に方で。

 

「ゆっくり、落ち着いていけばそれでいい。そうだろ、な?」

 

 強がるように笑いながら、怯える馬を励ますように告げた。

 その言葉の意味を知ってか知らずか、ぶるると鼻を鳴らした馬は先程よりも慎重な足取りで脚を進め、ゆっくりとだが確実に道を進んでいる。

 

「おい!何やったんだ、置いてっちまうぞ!」

 

 だがのろのろと進む彼を急かすのは、遥か先を進んでいる灰狼だ。

 自分と同じで馬を引いて細道を進んでいる筈なのに、獣人故か馬との阿吽の呼吸を発揮してすいすいと進んでいく彼は、苛立ちを隠そうともしない。

 ただですら時間がないのだ。夜になるまでにここを抜けなければ、文字通り一寸先も見えない状態でこの崖の道を進むことになる。

 種族や立場は違えど、お互いにそれだけはごめんだという認識は変わらないようで、急かすだけ急かした彼は再び前を向いて馬を先へと進ませた。

 容赦ないなと彼の背を見つめながら肩を竦めた銀髪の青年は、少しだけ、本当に少しだけ馬を急かすように軽く手綱を引いた。

 引っ張られた馬は不満そうに鼻を鳴らすが、行くしかないというのはわかっている為か、先を目指して歩き出す。

 そんな彼らを見守るように、一羽の鷲が頭上を旋回していた。

 

 

 

 

 

「次は鴉人(コルバス)の集落を目指してもらう。場所は北西の国境だ」

 

 反乱軍本拠地。銀髪の青年にあてがわれたあばら家に、金髪の圃人の凛とした声が静かに響いた。

「鴉人」とオウム返しした銀髪の青年が卓につくと、彼と対面する位置に金髪の圃人も卓につき、蚕人の女王が飲み物を出そうと台所に消えていった。

 そんな彼女を見送った銀髪の青年は卓に頬杖をつきながら小さく唸る。

 

「話には聞いたことがあるが、会ったことはないな」

 

 この国に来てから多くの亜人と関わることになっていたが、ここに来て更に初見の種族を相手になるとは。

 鴉人。凶兆の象徴だとか、逆に神聖なものだとかと言われている鳥人の一種。カラスの相が強く、黒い羽毛が特徴だという。

 戦場では類稀な偵察役として重宝され、どこかの国には鴉人(レイブン)の傭兵団があるとかないとか。

 そんな鴉人に直に会う事が叶うのだ。この国は冒険に満ちていると不敵な笑みを浮かべる彼を他所に、金髪の圃人は神妙な面持ちで彼に言う。

 

「彼ら自身、前王の頃からある程度の距離を保ってはいたんだが、やはり亜人狩りの対象にはなっていた。前回の反乱の際も、戦列には加わってくれた」

 

 だが、結果はこの通りさと自嘲するように笑った金髪の圃人は、ちらりと窓の外──活気はあれど未来はない同胞たちの姿に目を向けた。

 前回の反乱の事は簡単にしか説明されていない。亜人や前王派の人々が結託し、王を討たんと剣を掲げたが、何者かの裏切りにより敗走。その戦いに参加した者たちはそれぞれの集落に戻り、それぞれのやり方で身を守り、時には敗れて服従を強いられる。

 この場にはいないが鉱山街の鉱人たちや、蚕人たちも、そういった事情であの惨状を引き起こしてしまったわけだが、彼らも彼らなりに頑張ってはいたのだ。

 だが今回の相手である鴉人は、他の種族とは違う。

 

「鴉人たちの集落は国境沿いの山脈の中腹にある。場所が場所だからか、国軍も大規模な討伐隊を派遣することもせず、ただ様子を見ているだけ。今までの亜人(どうほう)たちに比べれば、致命的な被害は被ってはいない筈だ」

 

 金髪の圃人は頭の中で地図を描き、彼らの拠点のだいたいの場所を思い出しながらそう告げて、「今回は交渉が中心になるだろうね」とどこか試すような視線を銀髪の青年に向けた。

 

「俺は切った張ったが専門なんだが……」

 

 当の彼は困り顔で肩を竦めながらそう返し、「失敗しても文句言うなよ?」と念を押すように告げた。

 彼は冒険者だ。冒険者は依頼に沿って危険な遺跡や洞窟に飛び込み、それらを潜り抜け、時には障害を斬り伏せ、奥に眠る戦利品を手に入れる。それが冒険者だ。たまにある用心棒や決闘裁判の代行ならまだしも、言葉のみの交渉事に引っ張り出される職業ではない。

 実際問題、銀髪の青年はそういったものが苦手だ。交渉して落とし所を見つけるのは大事だが、時には暴力が問題を解決する最善の手である事もある。

 だが言葉のみでどうにかしろと言うのなら、依頼主の希望に沿うのもまた冒険者だ。多少専門外な事を頼まれても、最善を尽くす他ない。

 

「その心配はねぇよ」

 

 さてどうしたものかと悩む銀髪の青年の耳に、不意に聞き馴染んだ声が届いた。

 む、と小さく唸りながらあばら家の玄関に目を向ければ、そこには腕を組みながら不敵に笑う灰狼の姿があった。

 銀髪の青年が「いつの間に」と驚くと、「今来たとこだ」と返してどかりと卓に腰を降ろす。

 

「行儀が悪いぞ」

 

 そんな彼を睨みながら金髪の圃人は苦言を呈するが、灰狼はそれを気にする様子もなくハッと鼻を鳴らした。

 

「俺からすりゃ、そんな椅子に座ってんのがわかんねぇんだがな。そこら辺に胡座かいて集まりゃ、そこがその日の食卓だ」

 

「狼人の食事風景をあれこれ考えるのもいいが、さっきの心配はいらないというのはどういう意味だ」

 

 異文化への関心はそれなりにあるが、今知るべきは次の依頼についてだ。灰狼は心配ないと言ったが、その言葉の意味を知らねば仕事に取り掛からない。

 

「ああ、そりゃ──」

 

「お水をお持ちしまし──ふ、増えていらっしゃるのなら声をかけてくださいまし……」

 

 そして彼が説明しようと口を開いた瞬間、間が悪く蚕人の女王が台所から戻ってきた。

 両手で持つ盆の上には、並々と水が注がれた小さな杯が三つ。おそらく自分の分も用意していたのだろうが、灰狼がきたせいで個数が合わなくなってしまい、それに狼狽えている様子だ。

 

「すまない、助かる」

 

「ありがとう」

 

「おう、悪ぃ」

 

 だがそうしている隙に三人はそれぞれ感謝の言葉を口にしながら杯を受け取り、それを呷った。

 ごくごくと喉を鳴らして飲んだそれは、井戸から汲んできてくれたものなのか痛いほどに冷たく、喉を潤すと共に更に意識を研ぎ澄ませてくれる。

 自分の分がなくなったと見るからに落ち込む蚕人の女王だが、それに気づいた銀髪の青年は半分も飲まない内に杯を彼女に差し出した。

 それを受け取った彼女は「へ?」と声を漏らすが、彼が「飲まないのか?」と問うて首を傾げた。

 飲みたそうにしていたから差し出したというだけなのだが、彼女の胸中にあるのは別の感情だ。

 

 ──こ、これは間接とはいえ接吻(キス)というものにあたるのでは……っ!?

 

 彼を憎からず思っているとはいえ、正式な婚姻はまだだ。それなのに間接的にとはいえ彼との初めての接吻となると、この水を飲むという行為だけでも彼女にとっては計り知れない事だ。

 

「い、いただきます!」

 

 顔を耳まで赤くしながらも、意を決した彼女は勢いよく応じ、残りの分を呷り、こくりと喉を鳴らして嚥下した。

 ただ水を飲んだだけなのに、はふとどこか恍惚の表情を浮かべるその姿は不気味なものではあるが、三人はすぐに仕事の話に戻ろうと視線を合わせた。

 

「で、今回はこいつが同行者か?」

 

 隣の灰狼を顎で示しながら問うと、金髪の圃人は「その通りだよ」と応じて灰狼に視線を向けた。

 

「彼ら狼人と鴉人は、それなりに交流があったそうだからね」

 

「ああ。俺がガキの頃は、親父らの指示で鴉人のガキどもと狩りに行ってたからな。今のあいつらの頭目も、まあ多分顔馴染みだ」

 

「多分って、そこは嘘でも断言して欲しいんだが」

 

 銀髪の青年はどこか曖昧な言葉を告げられた事に不安を口にすると、灰狼は「仕方ねぇだろ」と舌打ち混じりに言う。

 

「前に関わったのは只人どもの王が生きてた頃だ。二十年も前だぞ。知り合い全員が亜人狩りに殺られてても不思議じゃねぇ」

 

 その知り合いたちの顔を思い出したのか、彼は苦虫を噛み潰したような表情になりながら「まあ、あいつらなら殺しても死なねぇだろうが」と強い信頼を感じされる声音でぼそりと呟いた。

 

「俺が産まれるよりも前から繋がりがあるのか、なら刃傷沙汰にはならないか」

 

 銀髪の青年がその呟きに得心しながら頷くと、灰狼と金髪の圃人、蚕人の女王の三人が何故か驚いた様子を見せながら彼に目を向けた。

 一斉に視線を向けられた銀髪の青年は「なんだ」と怪訝の表情を浮かべながら問うと、代表するように灰狼が告げた。

 

「お前、歳はいくつだ」

 

「十八だが、それがなんだ」

 

 彼の問いに銀髪の青年はなんて事のないように返すと、三人は信じられないと言わんばかりに言葉を失い、青年にとっては謎の静寂があばら家を支配した。

 

「冒険者様、と、年下だったのですね」

 

「少なくとも二十五は超えてると思ってたんだが」

 

「そういえば、年齢は聞いていなかったな」

 

 そして蚕人の女王が意外そうにしながら、灰狼が遠回しに老けていると馬鹿にしながら、金髪の圃人が今さら気づいた事実に苦笑しながら、三者三様の反応をもって彼の年齢問題を受け止めた。

 彼らの反応にじとりと半目になりながら睨んだ銀髪の青年は、自分の顔に触れながら「そこまで老けこんでいるか?」と隣の蚕人の女王に確認。

 彼女は困り顔になりながら微笑むと、「老けているのではなく、大人びて見えるのですわ」とフォローを入れた。

 

「……なら、いいんだが」

 

 どこか遠くを見つめながらぼそりと呟いた彼は、わざとらしく溜め息を吐きながら項垂れた。

 仕事中、基本的にフードを被っているものだから歳を間違われるのは慣れていたつもりだが、今になってそれは一期一会の相手だったからだと気づいたのだ。

 それなりに長い期間──金髪圃人に関しては二ヶ月は一緒にいる筈なのに間違われるのは、それなりのショックは受ける。

 意外と繊細だったんだなと自分の新たな一面に気づきつつ、咳払いと共に顔をあげて「で、出発はいつだ」と金髪の圃人、灰狼に問いかけた。

 

「今、馬の準備を進めているところだ。険しい山岳部に行く事になるから、蹄鉄を変えてやらないと」

 

「俺はいつでも問題ねぇ。馬と、テメェの準備が終わったらすぐに出るぞ」

 

 金髪の圃人、灰狼はそれぞれの立ち場から言える事を言うと、銀髪の青年は「了解だ」と返して顎に手を当てた。

 国境沿いの山岳部。滑落防止の縄や、その縄をかける楔も必要だろう。あとは武器を落とさないように留め具をいつも以上に絞めておくべきかもしれない。

 

「ついでに予備の武器でも見繕うか」

 

「倉庫に『暗剣』の武器がまだ余っていた筈だ。必要なら持っていくといい。俺が一緒なら見張りも入れてくれる筈だ」

 

「そうか。なら、他の準備が終わったら声をかける」

 

「わかった。俺はいつもの指示所にいる、できれば早めにきてくれ。こう見えて忙しいんだ」

 

 銀髪の青年の呟きを発端に、金髪の圃人が次の行動を指示を出し、銀髪の青年はそれに応じて首肯した。

 いいのがないのならそれでいい。交渉が中心だとしても、この国に来てから今日に至るまでの経験からして、万事予定通りに終わることはないだろう。万が一に備え、少しでも手札を増やしておくのは無駄ではない筈。

 

「んじゃ、俺は行くぞ。ガキどもにしばらくいねぇのを説明しなきゃならねぇ」

 

 そんな二人のやり取りが終わった頃を見計らい、灰狼が嘆息混じりに面倒くさそうな声音でそう告げ、「あばよ」と背中越しに手を振りながら足速にあばら家を後にした。

 壊滅寸前まで追い込まれた狼人らにとって、この灰狼こそが最後の希望であり、一族復興の象徴だ。そんな彼がしばらく不在となるのだ、狼人らにかなりの不安を植え付ける事だろう。子供となれば、なおさらに。

 何も言わずに行くわけではなく、きちんと説明してから行こうとするあたり、口調こそ荒っぽいが、言動の節々に感じる性根にある優しさが感じられて、銀髪の青年は微笑ましいものを見るように彼を見送った。

 

「俺もここで失礼しよう。さっきも言ったが、意外と忙しくてね。そろそろ女戦士(アマゾネス)の集落に遣いを送らないといけないし、まだ生きているのなら、前回の反乱の生き残りを見つけなければ」

 

 金髪の圃人がそう言いながら椅子から飛び降り、立てかけた薙刀を回収してあばら家を後にしようとするが、彼が告げた言葉に銀髪の青年は疑問符を浮かべた。

 

「生き残りがいるのか?話を聞いた限りだと、かなりの痛手を被ったそうだが」

 

「俺たちはあくまで亜人の反乱軍だ。只人の反乱軍──旧王家に仕えた騎士たちがまだどこかにいる筈。彼らと連絡が取れれば、もう一度立ち上がってくれる。……かもしれない」

 

 金髪の圃人からの返答はどこかにいる筈、かもしれないと、普段であればきっぱりと言い切る金髪の圃人にしては珍しい、ひどく曖昧で希望的観測が多大に含まれた内容だった。

 彼としても戦力が欲しい。アマゾネスたちに頼るのは決定事項だとしても、旧王家の騎士たちが生きているという根拠も、どこを根城にしているかの情報もない。

 言ってしまえばいない可能性の方が高く、見つけたとしてもどれだけの戦力になるのかも未知数。下手に人員を割いて探すよりも、その時間で訓練をさせた方が肝心の本番(クライマックス)での失敗(ファンブル)も減らせる。

 

「まあ、こっちは派手に暴れているんだ。噂が広まれば、向こうから声をかけてくるかもしれないぞ」

 

 そんな内心での思慮を他所に、銀髪の青年は楽観的に笑いながらそう告げて、反乱軍のを背負って立つ小さな背中を叩いた。

 

「とりあえず、目の前の事からこなしていくしかない。俺も、お前もな」

 

「……ああ。そうだな」

 

 彼の励ましとも言える言葉に金髪の圃人は苦笑混じりに応じると、「それじゃ、待っているよ」と告げてあばら家を後にした。

 玄関を抜けて段々と小さくなっていく背中を見送りながら、銀髪の青年は黙って待っていてくれた蚕人の女王の方に振り向いた。

 

「というわけだ。今から準備をするから──」

 

「お手伝いいたしますわ!」

 

「そう言うと思った。頼む」

 

 そして彼の留守の隙に鎧の着付けを学んできたらしい蚕人の女王は勢いよく応じ、銀髪の青年もまた微笑み混じりに頷いた。

 彼女も彼女なりに出来ることを探し、それを完璧にできるように日夜努力しているのだ。それを生かす機会があるのなら生かしてやるべきだし、万が一があった時、このやり取りが彼女との最後の思い出になる可能性もあるのだ。

 

 ──なら、せめて少しでもいい思い出になるように。

 

 出会ったばかりの頃の着付けは不安しかなかったが、今なら大丈夫。

 

「冒険者様。さあ、こちらに」

 

 優しく笑みながら装備を押し込んである部屋を手で示し、銀髪の青年は「ああ」と応じて部屋に入る。

 それからしばらくは静かなものだったが、「あれ?」「ここを、こうしまして」「えっと……」とどこか緊張し、上擦った蚕人の女王の声が聞こえ始め、銀髪の青年の嘆息の音がその後に続く。

 やはりまだ完璧にはいかないようだ。

 

 

 

 

 

 そんなやり取りから幾日か。崖からの滑落により、彼女との思い出が本当に最後になりかけたのも、つい十数分前。

 

「やっと抜けられたな」

 

「ああ。ったく、こんな道しかねぇとか冗談だろ」

 

 ようやく崖の細道を越え、ある程度道幅も広まって余裕ができたのを合図に、銀髪の青年はほっと胸を撫で下ろし、灰狼は悪態混じりに足元の小石を蹴った。

 カツンカツンと乾いた音と共に転げ落ちていき、近くの岩に当たって砕け散ったそれは、下手をすれば自分たちがそうなっていたと感じさせて背筋に冷たいものが駆け抜けた。

 だが、とにかく難所は超えたのだ。あとは比較的簡単に行けるだろう。

 

「だが、肝心の集落はどこだ?もっと上なのはわかるが」

 

 鷲と視覚を共有し、山肌を俯瞰しながら偵察しつつそう呟くと、灰狼は「まだまだ上だろうな」と岩肌を見上げながら舌打ちを漏らした。

 鴉人はその名の通り、カラスの相を持つ種族だ。空を飛べる彼らからすれば、陸路が多少不便でも気にはすまい。只人の軍から攻め込まれる可能性が高いのならなおさらだ。

 

「そろそろ馬じゃ無理か」

 

「そうだなぁ。ここら辺に置いていくか」

 

 灰狼にならって岩肌を見上げた銀髪の青年は馬が通れそうな道を探すが、やはりと言うべきか中々見つからない。

 今通っている道ももう少し上まで続いているが、そこで終点。肝心の集落には繋がっていない。

 銀髪の青年はどうしたものかと唸りながら溜め息を吐くと、彼の耳にばさりと何かが羽ばたく音が届いた。

 

「今の、聞こえたか」

 

 彼は緩んでいた意識を瞬間的に引き締め、腰に下げる暗剣の柄に手をかけながら問うと、灰狼は目を細めて音の主人を探しながら言う。

 

「狼人舐めんな、聞こえてる。テメェの鷲じゃねぇよな?」

 

 そしていつも連れている鷲ではないかと問うてくるが、肝心の鷲は馬の鞍に乗って羽休めをしており、犯人からは即刻除外された。

 二人に見つめられた鷲は不思議そうに瞬きを繰り返すが、すぐに気にしなくなったのか羽をいじり始めた。

 そんな中でもばさり、ばさりと羽ばたく音が二人の耳には届いており、その音が段々と大きくなってきているのだ。

 直後、銀髪の青年の耳に羽ばたきとは違う、明確にこちらを狙い、殺さんとしているが、何を言っているかはわからない『囁き声』が頭の中に響き始めた。

 父に課せられた修行の中で身につけた、曰く『第六感からの警告』を感じた彼は素早くタカの眼を発動し、殺意の方向を探ろうと辺りを見渡すが、後ろは断崖絶壁崖、前は壁、左右は道。相手が只人なら左右を警戒するが、羽ばたきの音も聞こえてくるのだ。警戒すべきは全方位。

 いや、タカの眼が教えてくれる。警戒すべきは、

 

「上か!」

 

 銀髪の青年が殺意の主人の位置を特定し、迎撃せんと勢いよく顔をあげた瞬間、彼の視界を凄まじい光が塗りつぶした。

 今はまさに真昼間だ。大地をあまねく照らす太陽は彼らの直上にあり、銀髪の青年は間抜けにもそれを直視する結果となってしまった。

 太陽による目潰しに声もなく悲鳴をあげる銀髪の青年だが、灰狼は「馬鹿か、テメェは!」と間抜けを晒す彼に怒鳴りながら目を手で庇いながら頭上を警戒。

 太陽を背にする黒い点が、段々とこちらに近づいてくるのを視認し、同時にどこか嬉しそうに笑いながら「向こうから来やがったぞ」と悶える銀髪の青年に告げた。

 

「来たって、何がだ」

 

「俺たちが探してた奴がだよ!」

 

 目を擦りながら頭上を警戒する銀髪の青年からの問いかけに、灰狼はもはや喜びを隠すつもりもなく牙を剥き出しにして笑いながらそう告げた。

 直後、一際力強く羽ばたく音がしたかと思えば、黒い影が二人の前に降り立った。

 

「灰色の。久しいな、幼き日に共に狩りをして以来か」

 

 同時に二人の鼓膜を揺らしたのは、凛としていながらも透き通る程に美しい女の声だった。

 ようやく視力が回復した銀髪の青年は慌ててその声の主に目を向け、同時に言葉を失った。

 鳥人というからどんな相手かと身構えていたが、彼の視界に真っ先に飛び込んできたのは整った顔立ちだった。只人のそれに近い顔立ちではあるが、只人と比べて目が大きく、鼻と唇が僅かに尖っている程度は気にもならない。

 蚕人の女王とは真逆の、四肢を包む艶やかな濡羽色の羽毛。同色の髪。それらを着飾る美しい装飾品も、その美しさが褪せて見えてしまう。

 こちらを見つめる澄んだ瞳。纏う鎧は見事な曲線を描く奇怪な形をしているが、その上からでもわかるほど簡単に折れてしまいそうな華奢な身体に対し、胸の辺りが膨らんでいるのはそこの豊かさを示しているからだろう。

 何より目を引くのは、両の手足だろう。顔や身体は只人のそれに近しいが、両腕はそのまま翼となり、地面を踏み締める脚は鳥を思わせる爪が鋭く伸びている。

 だが、それが何の問題があろうか。銀髪の青年は十八年生きてきた中で、久しく忘れていた感覚を思い出していた。

 

「そちらの青年は見た限り只人のようだが、蹴り倒しても構わんか?」

 

「あ?駄目だ。俺の連れだ」

 

「そうか。お前の連れだというのなら、敵ではあるまい」

 

 鴉人の女戦士──鴉羽は灰狼の言葉にとりあえず警戒を解くが、いつまでも黙り込んで微動だにしない彼を見つめながら、小首を傾げた。

 

「どうかしたのか?何か言いたいことでもあるか?」

 

 そして神妙な面持ちでそう問いかけると、銀髪の青年はハッとして「いや、大丈夫だ」と返して深呼吸を一度。

 

「……?ならいいんだが」

 

 彼の何か隠しているような声音を感じてか、彼女は怪訝な表情のままとりあえず応じると、灰狼が銀髪の青年の脇を肘で小突いた。

 

「おい。どうしちまったんだよ、いきなり」

 

「いや、本当、なんでもない」

 

 彼の心配とも取れる言葉に銀髪の青年は気丈に笑いながら返すと、パンパンと頬を叩いて気合いを入れ直した。

 今は仕事中だ。目の前の物事に集中しなければ、それこそ本当に屍を晒すことになる。

 ……だが、しかし。先程のあれは言い訳ができまい。

 

 ──異性に見惚れるとは、俺もまだまだだな……。

 

 蚕人の女王の時は全てが終わった時であったが、今は違う。正確にはここからが本番であり、気を引き締めなければならないのだ。

 銀髪の青年はいまだ未熟な部分を突きつけられた嫌な気分を振り払い、鴉羽の先導に続いて馬を引いて山道を進み始める。

 山を吹き抜ける風の音に耳を澄ませば、かすかに誰かの談笑の声や、羽ばたきの音が聞こえてくる。

 目的地は意外に近かったようだ。銀髪の青年はその事実に苦笑しつつ、先ほどの不甲斐なさがぶり返し、深い溜め息を漏らした。

 とにかく仕事だ、仕事と自分に言い聞かせ、意識を前と一歩を踏み出す足場に集中する。

 何度も言うようだが、冒険者が何でもない所で滑落死など笑えない。

 

 ──せめて死ぬなら壮絶な冒険の中で。

 

 銀髪の青年はそう思いながら、慎重に足を進めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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Memory19 砲火の中で

 鴉羽の案内で鴉人の集落にたどり着いた銀髪の青年と灰狼。

 集落と言っても小さな拠点のようなものであり、居住用のテントや、工房と思われる石造りの小屋、食糧用の家畜たちがいる囲いなど、見る限り彼らの中での平穏は保たれているように見える。

 馬を草が生えている場所に繋ぎ、僅かばかりの警戒をしながら鴉羽の後ろに続き、集落の中を横断。

 周りから向けられる怪訝や好奇の視線を受け流しながら、ちらりと隣を歩く灰狼に目を向けた。

 

「んだよ。堂々としてりゃいいだろうが」

 

 そんな彼の行動を不安になっている、あるいは怯えていると思った灰狼は鼻で笑いながらそう告げて、銀髪の青年の背を叩いた。

 割と思いきり叩かれた筈だが、やはりと言うべきか銀髪の青年は怯まない。この程度で怯んでいたら、師匠たちの訓練なぞやっていられない。

 だが、灰狼が不器用ながらに気遣ってくれたのは事実だ。

 

「そうだな。胸を張って歩くとするか」

 

 銀髪の青年は微笑み混じりにそう告げて、ただですら良い姿勢をさらに正す。その様は胸を張りすぎて滑稽にも見えるが、その足取りは勇ましく、力と自信に満ち満ちていた。

 

「それでいいが、胸を張らなくていいだろうが」

 

 そんな彼をジト目で睨んだ灰狼がそう言うと、はぁと深々と溜め息を吐いた。真面目な奴ではあるのだが、時々訳の分からない行動を取るのは、どうにかならないものか。

 

「だが、意外だったな」

 

 後ろの二人のやり取りを聞いていたのか、鴉羽は不意に灰狼に問いを投げた。

 驚きながらも「あ?」と返し、「何がだ」と質問を意図を問う。

 鴉羽は銀髪の青年に視線を向け、黒曜石を思わせる瞳でじっと彼を見つめた。

 

「お前がこの時勢に只人を連れてくるなど、想像もできまい。かつてのお前なら、只人を見ただけで喉笛を噛みちぎっただろうに」

 

 すっも細めた瞳に宿るのは疑念だった。幼き日に共に狩りをした仲であるからこそ、灰狼の人となりはそれなりに理解しているつもりではあったのだろう。

 かつて反乱軍に合流し、彼らの戦列に加わった時など、狼人らの纏う殺意は、王族皆殺しにされた森人のそれよりは弱いものの、凄まじいものだった。

 灰狼は溜め息を漏らすと、苦虫を噛み潰したような表情になり、隠しきれない後悔と悔しさの念を滲ませながら言う。

 

「あれから色々あったんだよ。こいつには、一族の仇取るのを手伝ってもらった」

 

「ということは、そちらの集落は落とされたのか?すまない、気付いていれば助けに行ったものを」

 

 彼の表情と言葉から彼の一族に降りかかった惨劇を察したのか、鴉羽は僅かに俯き、悲しさを感じさせる声音でそう呟いた。

 最近では交流がなかったにしろ、灰狼の一族には顔馴染みが多い。幼き日に共に狩りをした親友も、幾人かいたほどだ。

 一人静かに悲しみに暮れる鴉羽だが、灰狼はそんな彼女を安心させるように不敵に笑みながら告げた。

 

「気にすんな。ありゃ、テメェらがいても、そっちにまで余計に被害が出てたかもしれねぇ。そういう意味じゃ、俺らだけがボロクソにやられただけで済んだのは、ラッキーかもしれねぇな」

 

 彼の強がりとも言える言葉に鴉羽は「そうか」と手短に返すと、天を仰いで小さく息を吐いた。

 彼らが何人生き残ったのかも定かではないが、せめて墓参りくらいには行ってやろう。幼き日に、ほんの数日ではあるが、寝食を共にした人たちだ。しばらく会っていないとはいえ、関係性でいえば遠い親戚のようなもの。

 目を閉じればあの時の日々が瞼の裏側に映り、そんな彼らの大半が殺されてしまったという事実が重くのしかかってくる。

 

「それで、話というのはその襲撃関連か」

 

 だが、そんな感傷をすぐに振り払った彼女は凛とした声音で二人に問いかけた。

 黒い瞳には憎悪の色が見え隠れし、もはや二人が何のためにここに来たのかを見透かしているようだが、やはり直接言葉として聞きたいのだろう。

 彼女の問いに灰狼が「ああ」と返し、銀髪の青年と肩を組みながら不敵に笑った。

 

「まあ、簡単に言っちまえば、二十年前の雪辱を果たすから手を貸せってことだ」

 

 そして灰狼が単刀直入にそう言うと、肩を組まれていた銀髪の青年は流石に困惑したような顔になりながら小さく息を吐いた。

 

「お前、今まで何があって、どうしてここに来たのかの説明くらいは──」

 

「そうか。別に私は構わんぞ」

 

 銀髪の青年が事細かく説明をしろと灰狼を説得しようとした間際、鴉羽がなんて事のないようにそう返し、周囲で聞き耳を立てていた鴉人ら──彼女の物と似た奇妙な鎧を着込んでいる──を一瞥した。

 

「皆も構わないな、どうだ!」

 

『おう!』

 

 彼女の問いかけに帰ってきたのは、山を揺らすほどの気迫に満ちた返答であった。彼らの黒い瞳には鋭い闘志と殺意が宿り、この日を待っていたと言わんばかりだ。

 そんな彼らの視線を一身に受けた鴉羽は「その意気やよし」と首肯するが、すぐにどこか冷たい視線を銀髪の青年と灰狼に向けた。

 

「それで、報酬はなんだ。反逆の英雄という名誉だけでは腹は膨れんし、皆を食わすことはできん」

 

 そう、彼らはあくまで傭兵だ。手を貸せと要求されれば報酬を求めるのは当然のこと。何の報酬もなく、命を賭けろなどど言われて頷けるのは、己を顧みない阿呆か、余程のお人好しだろう。そのお人好しの部類に入る銀髪の青年とて、物資不足の反乱軍相手に衣食住の保証を求めたのだから。

 当の銀髪の青年はそう言えばと、今更ながら最も大事な話をされていなかったと、自分達を送り出した金髪の圃人を恨めしく思う。

 だが灰狼の方には説明がされていたのか、「問題ねぇ」と返して雑嚢から書類を取り出した。

 銀髪の青年はその内容を見ようと身を乗り出し、鴉羽も両腕が翼の都合上受け取れず、灰狼が広げた書類を顔を揃えて見る形となった。

 その様が可笑しいのか、灰狼は笑いを堪えるように口を継ぐんでいるが、尻尾がパタパタと音を立てて左右に揺れており、口角も引き攣っている。

 そんな彼の変化を二人とも気付いてはいるのだが、自分たちでもかなり滑稽な姿をしているという自覚もあるから止めることもない。

 僅かに湧いた羞恥心を押し殺し、ざっとではあるが目を通す。

 

 ──第一に、鴉人の傭兵たちが反乱軍の指揮下に入ること。

 

 まあ当然だ。そのためにここに来たのだから。そしてそれに関しては了承を得られている、何の問題もない。

 そして問題となるのは、彼女が求める報酬に関してだ。

 

 ──第二に、報酬は勝利した暁にその働きに応じて支払うものとする。戦死した者がいたならば、その遺族に充分な補償を行うことをここに確約する。

 

 冒険者の自分とは違う、一つの仕事に対して事前に決めた固定額を払うのではなく、働きに応じた歩合制。死んでも遺族の面倒は見てやるとまで言ってのける辺り、言外に『命をくれ』と『未来のために死んでくれ』と頼んでいるようなもの。

 

 ──第三に、万が一我らが敗れる事態となれば、

 

「──鴉人だけでも生き残ってくれ、か。死んで欲しいのか、生きて欲しいのか、相変わらずあの圃人の考えていることはわからんな」

 

 最後に書かれた第三の契約を口にした鴉羽は、心底可笑そうに鈴を転がしたように笑い始めた。

 先程まで浮かべていた凛とした表情とは違う、柔らかな笑顔を間近で見た銀髪の青年はそのあまりの美しさに一瞬見惚れてしまうが、咳払いと共に意識を研ぎ澄ませて表情を引き締めた。

 灰狼はそんな銀髪の青年の様子を知ったか知らずか、灰狼は「で、どうすんだ」と鴉羽に問うた。

 

「報酬欲しけりゃ死ぬ気になってやれ。途中で逃げても文句は言わねぇ。ただそれだけだ」

 

 そして彼が書類の内容をたったそれだけの言葉に纏めると、鴉羽は「その程度理解できる」と返すと、馬鹿にするなと言わんばかりに鼻を鳴らした。

 同時に内容に不満はないのか、すっと細めた瞳で再び書類を一言一句違わずに確認し、最後の締めに反乱軍の旗印でもある旧王家の紋章の印がある事を確認。

 これが反乱軍と彼女を筆頭とする鴉人の傭兵団との正式な契約書であることの証明。お互いに反故はできない。

 それこそが彼女にとって最重要だ。契約とはお互いに決して違えてはならない決め事だ。騙して悪いが、となって大損害を被るのはごめんだ。

 だがそれを恐れて逃げてばかりでは、この国は遠からず滅びることになるだろう。国の三方を囲む山脈のおかげで他国からの侵攻は防がれてはいるが、それもいつまで保つか。

 国中の兵士や騎士が亜人狩りをするばかりで国境警備を疎かにしている節がある。内側の問題ばかりに気を遣いすぎて、外側に目を向けられていないのだ。

 そうなれば只人も、亜人も関係なく滅ぼされる。あるいは、隷属を強いられることになる。それだけは避けねばならない。

 多少の危険を(リスク)を背負ってでも、動かねばならない時機(タイミング)が来た、ということなのだろう。

 このまま内外から壊死していくこの国と心中するくらいなら、内側の憂いだけでも解消しておくべきだ。そうすれば、もしかしたらこの国の未来が開けるかもしれない。

 

「わかった、受けよう。我ら傭兵団は反乱軍に加わろう」

 

 鴉羽はその僅かな可能性にかけ、そう判断を下した。

 しかし、やはり腑に落ちないことがあるのか怪訝な表情を浮かべ、二人に問いかけた。

 

「だが、なぜ今なのだ?前の王が斃れ、反乱軍が蹴散らされて早二十年。二十年かけて立て直したと言われればその通りだが……」

 

「その王様の娘が見つかったんだよ。ガキだがな」

 

 不満そうに腕を組み、深い溜め息と共にそう返した灰狼は、「あいつに国を纏められるわけねぇのに」と本拠地ではまず言えない不満を口にした。

 だがその一言は鴉羽にとっても意外だったのか、彼女は困惑を隠そうともせずに首を傾げた。

 

「何を馬鹿なことを。あの娘が生きていれば、私と大差ない年齢だぞ?森人とはいえ、半分は只人なのだから容姿が多少幼いのはわかるが、ガキというほどか?」

 

 そうして告げられた言葉に、今度は銀髪の青年と灰狼が困惑する番だった。二人は揃って「は?」と間の抜けた声を漏らし、顔を見合わせる。

 あの甘えん坊の半森人の少女が、鴉羽と同年代だということが全く信じられず、銀髪の青年は思わず「嘘を言うな」と語気を強めてしまう。

 

「俺の目には十にも満たない少女にしか見えなかったぞ。あれで、二十数年生きているのか?」

 

 その困惑は落ち着く間も無く吐き出した問いに、鴉羽は「私がわかるわけないだろう」と当然の返答。

 半分とはいえ森人の血が入っているからか極端に肉体の成熟が遅いだろうか。

 

 ──だが、そんな話聞いたことがない。

 

 銀髪の青年は顎に手をやりながらそんな思慮をするが、小さく唸って額に手を当てた。

 冒険者として興味が赴くまま国中を駆け回ったが、半森人の友人や知人はいない。考えようにも材料がなければどうにもならない。

 それが考えないことの理由にはならないが、考えようがないのも事実。

 

「まあ、その話は帰ってから──」

 

 腰に手を当て、詳しい話は帰ってから森人たちに聞けばいいと判断した銀髪の青年がそう言おうとすると、不意に灰狼の獣耳がピクリと揺れた。

「あ?」と声を漏らした彼は周囲を見渡し、耳を揺らしながら警戒を強めていく。

 つられて銀髪の青年も耳を傾けるが、やはり只人と狼人の聴覚には雲泥の差がある。彼には聞こえて、銀髪の青年には聞こえないこともあろう。

 だが、その差を埋める手立てが銀髪の青年にはある。

 彼が目を閉じ、意識を集中して天を舞う鷲と視界を共有しようとした瞬間だった。

 

「やべぇ、なんか来るぞッ!」

 

 そして灰狼が周囲の鴉人たちにも聞こえるように声を張り上げた瞬間、凄まじい爆発音と共に建物の一つが吹き飛んだ。

 辺りに建物の破片が飛び散り、そこに混ざる肉片や骨片は、おそらくその住居に住んでいたものの残骸だろう。

 鴉人たちは驚き、狼狽え、悲鳴をあげる者もいるが、

 

「皆、取り決め通りだ!すぐに避難所に向かえ!!」

 

 集落に響いた鴉羽の号令が、彼らの意識をこちらに引き戻した。彼らはすぐさま意識を戦場に飛び込む際のそれに切り替え、各々が素早く動き出した。

 鎧を纏う者、その手伝いをする者、避難の指示を出す者、それぞれがそれぞれの役目を果たすべく、集落を駆け回った。

 それと同時に鷲の視界を借りて上空から周囲を俯瞰していた銀髪の青年は「見つけた」と小さく呟き、苦虫を噛み潰したような表情となる。

 集落に程近い、岩肌をくり抜き作られた踊り場を思わせるほんの少しの空き空間。そこにいくつもの大砲が押し込まれ、兵士たちが押し込まれ、一際派手や格好をした男──おそらく近衛騎士の指示に合わせ、次々と砲弾が放たれているのだ。

 灰狼が真っ先に気付いたのは、火の秘薬が炸裂する轟音だったのだろう。

 銀髪の青年と鴉人たちに聞こえるのは、砲弾が飛翔する甲高い音、そして着弾と共に生じる衝撃だ。

 

「まさか、尾行されていたか?」

 

 だが、銀髪の青年は怯まない。当たれば即死の砲弾が飛び交う中でも、彼は神妙な面持ちでそう考えるが、それはないなとすぐに自分の考えを否定した。

 尾行されていれば、自分か灰狼のどちらかが気付いた筈だ。だがそうなると、偶然にもこの集落への攻撃と訪問の時期が重なってしまったという事になる。

 

「疫病神か、俺は」

 

 どうにも、自分がこの国に足を踏み入れたことを合図に、軍による亜人たちへの攻撃が激化したような印象がある。あるいは、あの半森人の少女が逃げ出したことが切っ掛けだろうか。

 どちらにしても、今やるべきことは変わらない。

 こちらから攻撃を仕掛けたいところだが、相手の陣取っている場所が悪すぎる。下から行こうにも時間がかかりすぎるし、踊り場に続く道は遮蔽物が何もないため、見つかれば砲撃されて死ぬ事になる。

 ならまずは、目の前にいる人たちの安全を確保が最優先だ。

 銀髪の青年は鴉羽に声をかけ、「避難所(シェルター)はどこだ?」と手短に問うた。

 

「奥に他の隠れ家に出られる洞穴がある。皆そこを目指している筈だ」

 

「わかった。俺は逃げ遅れた人がいないから見てくる。反撃はその後だ!」

 

 銀髪の青年はそう言い切るが早いか、すぐさま行動を開始した。

 次々と集落やその周辺に降り注ぐ砲弾に怯みもせず、集落内を奔走。

 怪我人がいれば担いで避難所まで運び、下敷きになった物がいれば他の鴉人に手伝いをしてもらうことで引っ張り出し、避難所の移動を他の鴉人に任せてすぐさま次へ。

 女を、子供を、老人を、怪我人を、彼一人で果たして何人を救っただろうか。

 

「ったく。死んでも知らねぇぞ!」

 

 そうして何人もの鴉人を助けて回る彼を手伝いながら、灰狼がそんな言葉を吐いた。

 銀髪の青年は「確かにそうだが」と彼の言葉を肯定するが、すぐに不敵な笑みと共に「だが自分だけ助かっても具合が悪いだろう?」と灰狼に問うた。

 

「はっ!違いねぇ……ッ!」

 

 そんな彼の言葉に灰狼もまた不敵な笑みでそう返すと、集落の入り口で幸運にも生き残っていた馬に飛び乗り、避難所に向けて走らせる。

 途中でタカの眼を使用して取りこぼしがいないかを確認し、念の為と「誰かいないか!」と声を張り上げることも忘れない。

 隣を走る灰狼は「もう誰もいねぇよ!」と怒鳴りつけ、同時に馬の腹を蹴って加速させるが、銀髪の青年はもしもに備えてあまり加速させることはない。

 だからこそ、神々は彼に骰を振った。

 カラカラコロコロと骰子が転がる乾いた音が聞こえた気がした銀髪の青年は、その音に耳を傾けた直後、「助けて……」と今にも消えてしまいそうな声を確かに聞いた。

 弾かれたようにそちらに目を向けた銀髪の青年は、足を瓦礫に挟まれて動けなくなっている鴉人の少年を発見。

 馬をそのまま避難所の方に走らせながらも自分だけは飛び降り、すぐさまその少年の元に滑り込む。

 

「大丈夫だ、よく頑張ったな!」

 

 銀髪の青年は大粒の涙を流す鴉人の少年を励ましながら頭を撫でてやると、剣を地面と瓦礫の隙間に差し込み、テコの原理と渾身の力を持って瓦礫を持ち上げた。

 

「今だ、這い出て来い!」

 

 銀髪の青年は歯を食い縛り、容易く人を押し潰す質量を持つ瓦礫を支えながらそう言うが、鴉人の少年は腕代わりの翼で地面を打って進もうとするが、恐怖と痛みで思うように身体が動かないのか、その進みは遅い。

 

「落ち着け、大丈夫だ。俺が側にいる」

 

「もっと言えば、私もいるぞ」

 

 そんな少年を励まそうと声を出した直後、二人の耳に透き通るほどに美しく、凛とした声が届いた。

 何だと声の主に目を向ければ、そこには避難所にいる筈の鴉羽の姿があった。

「お前、何してる!?」と困惑しつつ、鴉人たちの指示を放棄したとも言える彼女を責めるように怒鳴りつけるが、当の彼女は気にする素振りと見せずに鴉人の少年を脚爪を巧みに使って引っ張り出す。

 

「あ、ありがと──」

 

「感謝は助かってからだ、行くぞ」

 

 そして少年が発した感謝の言葉を遮り、「運んでもらえるか」と銀髪の青年に告げた。

 今は助かることが最優先。感謝の言葉も、報酬も、命がなければやり取りもできまい。

 銀髪の青年は「任せろ」の一言で返すと瓦礫を支えるのを止めた。ガラガラと音を立てて崩れる瓦礫の山を尻目に鴉人の少年を担ぎ上げ、走り出す。

 まだ幼いとはいえ、人一人を担いでの全力疾走だが、その速度たるや並走する鴉羽よりも遥かに速い。

 飛んでしまえば彼女の方が遥かに速いのだろうが、この状況での飛翔は命を捨てる行為に他ならない。撃ってみろと挑発しているようなものではないか。

 故に駆ける。多少不慣れで、格好が悪いかもしれないが、今は走るしかないのだ。

 

「もう少しだ、早く来い!」

 

 そんな二人が駆けてくる姿を見ながら二頭の馬を避難所に押し込んだ灰狼が二人を急かすと、銀髪の青年は小さく頷くのみで返答し、速度を上げようとするが、再び骰子が転がる乾いた音が耳に届いた。

 銀髪の青年はああ、全く天上の神々は見逃してはくれないようだと苦笑するが、構うものかと更に一歩を踏み出し、加速せんとした。

 だがその直後、脳裏を過り、背筋を駆け抜けた嫌な予感に従い、彼は小さく振り向いた。

 彼の視界に映ったのは、高速で、確実に、こちらに迫る黒い点──つまりは一発の砲弾であった。

 それを視認した瞬間、彼の身体は意志を離れて行動を起こしていた。

 担いでいた鴉人の少年を渾身の力でもって避難所の方に──正確にはそこで待っていてくれている灰狼の方向に向けて投げ飛ばし、隣を走っていた鴉羽を突き飛ばした。

 灰狼が「うお!?」と声を漏らしながら少年を受け止めた事を視界の端に捉え、彼の行動に驚愕して目を見開く鴉羽を見つめ、さてどうしたものかと頭を働かせるが、生憎ともう時間(ターン)がない。

 

「──くそったれが(ガイギャックス)

 

 彼がせめてもの抵抗に悪態をついた直後、彼の真横に砲弾が着弾し、その速度と重量により発せられた衝撃が、彼の全身を打ち付けた。

 弾かれるがまま吹き飛ばされた銀髪の青年は空中で数度回転すると、背中から地面に叩きつけられ、かはっ!と肺の空気と共に血の混ざった唾液を吐き出した。

 全身の骨が軋み、耳鳴りが酷くて何も聞こえない。だが身体中を駆け巡る痛みがまだ生きている事を証明し、点滅を繰り返す視界がまだ視力が無事である事を教えてくれる。

 だが、身体が動かない。腕を挙げようとしても、足を動かそうとしても、言う事を聞いてくれないのだ。

 

 ──これは、流石に無茶だったか……?

 

 薄汚れた鎧を纏い、両角の折れた兜を被っていた師匠からは『無理や無茶をして勝てるのなら、苦労しない』とは教えられたが、多少の危険を犯さねば勝利をもぎ取れないのもまた事実。

 だが、これは、流石に無茶のしすぎかと自嘲するが、すぐに誰かに鎧の留め具を掴まれ、引き摺られ始める。

 何だ、誰だとどうにか首を動かすと、そこには必死になって自分を引きずる灰狼の姿があり、耳鳴りのせいで何を言っているのかはわからないが、口の動きからして『死ぬんじゃねぇ!』と励ましているのか、あるいは『何やったんだよ、テメェは!?』と怒ってくれているのか。

 だが、どちらにしても……、

 

 ──絶対に死なない。まだ、やるべきことが多すぎる……っ!

 

 まだ死んでいない。死ぬつもりもない。なら、まだやれる。

 銀髪の青年は引き摺られながらも拳を握り、いまだに砲弾を撃ち続けてくる近衛騎士がいるだろう方角を睨みつけた。

 

 

 

 




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Memory20 狩人

 ドォォン……。ドォォン……。

 

 遠くから響いてくる着弾音と微かに感じる振動に、銀髪の青年は目を覚ました。

 鉛のように重く、軋むように痛む身体、霞む視界、口も思うように動かない。

 

「目を覚ましたか、銀髪の」

 

 そんな彼の視界に入り込んできた鴉羽は、ホッと安堵の息を吐くと共に翼を手の代わりにして彼の頭を撫でた。

 撫でる、というよりかは擽られるような感覚がむず痒いのか、青年が小さく呻く中、灰狼が「目ぇ覚ましたか」と石を削り出しただけの簡素な卓と、そこに広げられた地図を睨みながら声をかける。

 

「ああ、何とか……」

 

 銀髪の青年は掠れた声で灰狼に応じ、寝かされている場所──避難所の会議室の片隅から視線を巡らせた。

 こちらを心配そうに覗き込んでくる鴉羽のおかげでほとんど見えたものではないが、部屋の入り口には逆転の打開策を待ち望む子供たちが顔を覗かせ、彼らの期待を背負い、卓に向かう戦士たちの表情も真剣そのもの。

 張り詰めているが、どこか心地よい。この場にいる誰もが諦めを知らず、生き残ることを信じて揺るがない、そんな覚悟が部屋のあちこちから感じられる。

 

「状況は……?」

 

 無礼を承知で寝転んだまま投げかけた問いに、地図を睨んでいた男の鴉人が答えた。

 

「善いか悪いかで言えば、悪いな。いまだ砲撃は止まず、下手に飛び出せば撃ち落とされる。今は他の出入り口の安全を確認して回っている段階だ」

 

「……そう、か。むぅ、どうしたものか……」

 

 彼の報告に思慮を巡らせ始めた銀髪の青年は、痛みを無視して身体を起こし、自分の身体を見つめながらどっと息を吐いた。

 治療の為か鎧を脱がされ、身体のあちこちに包帯を巻き付けられた姿には滑稽で、だが包帯を剥がすことができないほどに手が震え、立ちあがろうにも足に力が入らない。今の状態で戦えるかと問われれば、答えは否。文字通り死にに行くようなものだ。

 だが、怪我人だろうが一人でも戦力が必要な状況なのもまた、間違いあるまい。

 彼は部屋を見渡して自分の装備が置かれている箱を見つけ、ふらふらと覚束ない足取りでその箱を目指した。

 半ば倒れかかる形で箱にたどり着いた彼はそれを覗き込み、同時に困り顔になって小さく溜め息を漏らした。

 

「まあ、砲弾がほぼ直撃したわけだからな……」

 

 震える手を動かして鎧だった物を掴み上げ、角度を変えたり軽く叩いてみたりしてみるが、やはりというべきかそれはただの鉄屑でしかない。

 彼が見ているそれは、ほんの数分前まで彼を守っていた鎧と盾の残骸だ。歪に歪み、ひび割れ、砕け散ってはいるが、最期の瞬間まで持ち主を守らんと踏ん張ったのだ。なら、青年も不満はないし、これを錬えてくれた鉱人らも本望だろう。

 がちゃがちゃと金属同士がぶつかる音を立てながら箱を探り、辛うじて無事だったアサシンブレードと、暗剣を見つけてホッと一息。とりあえず、これさえあれば戦うことはできる。

「よし」と頷いて腰帯を取り付け、両手首にアサシンブレード、腰に暗剣をぶら下げた青年は、そのまま箱を漁って装備を確認。

 短筒(ピストル)は片方が無事。長筒(ライフル)も無事だが、弾丸袋が破けてしまったのか、どちらも残弾があまりない。こうしてみると、火の秘薬が暴発しなかったことは、運が良かったというべきか。

 ともかく、反乱軍本拠で貰った予備の短剣も大丈夫そうだと笑みを浮かべ、やはり壊れたのは鎧が中心のようだ。自分だけでなく装備まで守ってくれるとは、あの鎧はやはり優秀だったようだ。

 それをここで壊してしまったのがあまりにも惜しいが、鎧だけ無事で持ち主死亡という、何とも情けない結果になるよりかは幾分もマシだろう。

 

「あー、大丈夫なのか?」

 

 一人で表情をころころ変えながら黙々と準備を進める青年の姿に灰狼が困惑気味に問いかけると、青年はぼろぼろの雑嚢から水薬(ポーション)強壮の水薬(スタミナポーション)を取り出し、順番に一気に呷った。

 飲むと同時に痛みが無くなる──とはいかないが、幾分は痛みがマシになり、身体の芯から温まると共に手や足の震えもだいぶ落ち着くのは、流石強壮の水薬(スタミナポーション)といったところ。

 

「とりあえず、これならいけそうだ」

 

 彼は不敵に笑みながらそう言うが、よく見ればまだ足が震えているし、目の焦点もどこかずれているようにも見える。

 灰狼は「無理すんなよ」と苦言を呈するが、肝心の銀髪の青年は怯まない。

 

「無理や無茶をして勝てるなら、苦労しない。だろ?何より今はするべき時機(タイミング)だ」

 

 箱に寄りかかりながら腕を組み、まだ使えそうなものはないかと視線のみで探りを入れる彼を見ながら、鴉羽が咳払いをした。

 それを合図に部屋に集まっていた面々の視線が一気に彼女に集まり、銀髪の青年を含めて皆が一斉に口を閉じた。

 遠くから聞こえる着弾音や地響きのみと、微かな呼吸音だけが聞こえてくる室内に、鴉羽の透き通るような声が響く。

 

「脱出するにせよ、反撃するにせよ、そもそもの頭数が足りん。彼が無理だと言われても引き摺り出す他あるまい」

 

 そして黒い瞳を銀髪の青年に向け、彼への信頼を滲ませる声音でそう告げると、灰狼は仕方がないと言うように乱暴に頭を掻き、溜め息を吐いた。

 

「どうしてこう、こいつは簡単に信用だのを勝ち取れるんだ?」

 

 だが同時に皮肉めいた口調で問うと、鴉羽はそんな彼を小馬鹿にするように返した。

 

「命を懸けて助けてくれた相手を信じないのか?随分と捻くれたものだな、灰色の」

 

「るっせ!俺だってこいつには借りがあんだ、その分は働いてやらねぇと気が済まねぇんだよ!」

 

 だん!と卓を叩きながら吼えた彼の姿に微笑みを浮かべた鴉羽は「やはり変わらないな」と呟き、ちらりと銀髪の青年に目を向けた。

 二種類の水薬(ポーション)による賦活も済み、顔色もだいぶ善くなっている。後方支援くらいならやらせても問題あるまい。

 

「だいぶ話がそれたが、作戦は?」

 

 銀髪の青年は足首を回して具合を確かめながら問うと、灰狼は「やるなら奇襲するってのは決まった」と大まかにも程がある事を口にし、再び地図を睨み、大体の距離を把握。

 

「馬も無事だからな。鴉どもに上から、俺で下から、一気に攻める」

 

「そうは言っても、いかんせんここから顔を出せば撃たれて終いなのでな。攻勢に出るにしても、出口の確認が済んでからだ」

 

 鴉羽が翼で地図の一点を示しながらそう言うと、ようやく足取りがしっかりしてきた銀髪の青年もその地図を覗き込み、ふむと小さく声を漏らした。

 鷲との視覚の共有で得た情報と、彼女らが推察した位置情報に大差はない。流石は玄人(ベテラン)の傭兵集団。斥候としての能力も高いのだろう。

 

「砲弾も無限じゃないだろうし、仰角も大して上には向けられないだろう。上から行く分には、問題ないのか」

 

 顎に手を当てて思慮していた銀髪の青年が鴉羽を始めとした鴉人らを見ながら言うと、彼らは自信に満ちた表情で応じた。

 空中からの奇襲、殲滅は彼らの専売特許だろう。彼らが混乱を引き起こしてしまえば、後は飛び込んで大砲を無力化、残党を殲滅すれば済む。

 状況は悪いが一発逆転は可能。勝てる可能性は高い。だが多くの血が出るのは間違いない。敵も、味方も。

 

「なに、心配するな。矢避けの護符の用意もある。弓や短筒の対空迎撃も大きな問題にはなるまい」

 

 たたですら大きな被害を被った鴉人らに、さらなる出血を強いる状況に神妙な面持ちとなっていた銀髪の青年に、鴉羽の声が届いた。

「だが」と言い返そうとそちらに顔を向けた瞬間、鼻先が触れ合うほどの距離にいた彼女の顔に驚いて仰け反るが、鍛え抜かれた体幹により倒れることはなく、賦活した足がしっかりと身体を支えてくれる。

 

「私含め、多くの者が助けられたのだ。恩は忘れない内に返しておくものだろう?」

 

「そ、それはそうだな。陽動は任せた」

 

 ずいっとさらに前にくる鴉羽をそっと押し返しながら言うと、彼女はようやく諦めたのか、あるいは満足したのか、姿勢を正しながらちらりと部屋の出入り口に目を向けた。

 それと同時に騒がしい足音と共に汗だくの鴉人が駆け込み、こくりと一度頷く。

 

「拠点三番、異常なしです!いつでも行けます!!」

 

 そして叫ぶように告げられた報告に鴉人たちが小さくも確かな歓喜の声を漏らす中、鴉羽が男の鴉人──只人に翼を生やしたような見た目だ──に目を向け、次いで銀髪の青年に視線を向けた。

 

「適当に鎧を見繕ってやれ。我ら用の鎧とはいえ、留め具を調整すれば只人でも着られる筈だ」

 

「了解です。さあ、銀髪の旦那、こっちです」

 

 男の鴉人は素早く彼女の指示に応じると、銀髪の青年を招いて部屋を出て行ってしまう。

「ああ、わかった」と銀髪の青年は返事をすると、灰狼に「また後でな」と告げて部屋を後に。

 残された灰狼は彼の背を見送ると、腕を組みながら小さく鼻を鳴らした。

 

「随分と気に入ってるじゃねぇか。テメェらが鎧を貸してやるなんて話、初めて聞いたぞ」

 

 野次馬根性丸出しの、好奇心のままに吐かれた言葉に、鴉羽は優雅に肩を竦めながら「当然だろう」と返した。

 

「彼に死なれては困る。命の恩人を次の瞬間に死なせたとなれば、末代までの恥だ」

 

 凛とした声音で告げられた言葉に、灰狼は溜め息を吐いた。

 妙なところで義理堅く、普段ならしないようなことを平然として行う。それが鴉羽の生き方であり、彼女の美点ではあるだろう。お節介と言われればそうだが、彼女が赤の他人の陰口を気にする程、器量が狭いわけでもない。

 

 ──それにしたって、入れ込み過ぎじゃねぇか……?

 

 灰狼はそんな疑問を胸に抱くが、今はそんな事を考えている場合じゃないと意識を切り替えた。とにかく彼女らは味方になってくれるのだ、ここで全滅させるわけにはいかない。

 そして灰狼が何か言いたげに見つめてくることに気づいてか、鴉羽は何かを隠すように咳払いをしてから告げた。

 

「とにかく、作戦開始だ。抜かるなよ」

 

 

 

 

 

「退屈だ。本当に退屈だ」

 

 度重なる砲声で馬鹿になり始めた耳をほじりながら、近衛騎士──『狩人』は溜め息混じりにそう呟いた。

 王から仲介役を通さず、直々に下された御下命と気合いを入れてきたというのに、視線の先にあるのは砲撃により無惨に破壊された鴉人の集落と、やり過ぎと言っていいまでに砲撃を続ける部下たちの姿。

 普段なら生捕りし、そのまま『皮剥ぎ』に引き渡して王や貴族向けの趣向品にしてもらうのだが、先日からその『皮剥ぎ』と連絡がつかない。屋敷に行っても従者や侍女しかおらず、本人不在。

 曰く狼人の集落の襲撃に駆り出され、それから音沙汰がないらしい。

 

「あの馬鹿に死なれたら、俺の稼ぎも半減だってのに」

 

 おそらく返り討ちにあったのだろう。そもそも戦闘向けの役職でもないのに、亜人狩りの最前線に送られるとは、不運極まりない。

 王に捨て駒にされたのか、あるいは『皮剥ぎ』が獣人如きに負ける筈がないと相手を舐めてかかったのか、どちらにしても──。

 

「俺は失敗しない。王に価値を示し続ければ、捨てられはしない。油断もなく、過剰なまでの戦力をもって、相手を根絶やしにする。ここまでやってんだ、負けるかよ」

 

 ぐっと拳を握って殺気を宿した冷たい視線を鴉人の集落に向ける。

 あそこにいる忌々しい鴉どもを手始めとして、他の亜人どもを狩り尽くす。そうすれば、近衛騎士筆頭の座を奪うことも容易い筈だ。

 

「『狩人』様!砲弾が減ってきました、これからはどうしましょう?」

 

 そんな思慮をしていた『狩人』の耳に、部下からの質問が届いた。

 ここ十数分、絶え間なく砲弾を浴びせているのだ。数台の馬車一杯に詰め込んできた砲弾も、流石に底が見え始めたようだ。

 

「さっきから悲鳴も聞こえない。全滅したか、生き残りが声もなく震えているか。まあ、どちらにせよ狩りにいくぞ。準備しろ!」

 

『了解!!』

 

『狩人』の号令に部下たちが一斉に応じた瞬間、彼らの遥か頭上をいくつもの影が通り過ぎて行った。

「ん?」と声を漏らしながら顔をあげた『狩人』は、ニヤリと歯を剥き出しにして鮫のように獰猛な笑みを浮かべた。

 

「上空警戒!お客さんだ、お前ら!!」

 

 そして声を張り上げながら、背中に背負っていた身の丈ほどありそうな(クロスボウ)を取り出し、素早く照準を合わせて引き金を引いた。

 弩の大きさ故に、特注された専用の太矢(ボルト)が重力に逆らって天に向けて飛んでいくが、影たちはひらりと躱して当たることはない。

 ばさりと翼をはばたかせる音が幾重にも重なり、遅れて反応した部下たちも弩や弓を構え、太矢や矢の弾幕をもって迎撃せんとするが、やはり影たちには当たらない。

 上空を旋回し、兵士たちを撹乱する鴉人たちは、無駄な抵抗とも言える弾幕をゆらりゆらりと躱しながら、相手の兵力を確認。

 数はこちらより多い。だが空を舞う自分たちに当てられる練度はないようだ。

 まあ、そもそもとして──、

 

「矢避けの加護があるから当たりはしないのだがな……っ!」

 

『狩人』が定期的に放つ、正確にこちらを捉えている必殺とも言える一矢も、矢避けの加護により逸れて当たることなく、天高く飛んで何処かに消えていく。

 それに一瞥もくれずに『狩人』を見下ろした鴉羽は、好戦的な笑みをそのままに見上げてくる彼の姿に不快そうに眉を寄せると、周りを旋回する仲間たちに指示を飛ばす。

 

「まずは砲台を潰す。行くぞ……ッ!」

 

 そしてそれを言い切るや否や、彼女は翼を閉じて身体を一直線にすると共に急加速、急降下。仲間たちも彼女に続き、流星群となって兵士たちに向けて降り注ぐ。

 一条の矢、あるいは漆黒の流星の如く迫る彼女に兵士たちは焦りを見せ、迎撃せんと矢を放っていくが、矢避けの加護により意味をなさず、減速させることさえもできない。

 

「ふん!」

 

 十分な加速をした鴉羽は、降下の勢いのままに放った脚爪の一閃をもって砲台を切り裂き、ついでに砲撃手の首を蹴り砕くことも忘れない。

 仲間たちも次々と砲台を破壊、兵士を蹴散らしていく中で、素早く身を翻して素早く上昇。矢避けの加護は強力だが、剣の一撃には無力なのだ、無理はできない。

 十分な高度を確保し、仲間たちも続々と高度をとる中で次の一手を模索する鴉羽は、『狩人』が妙な動きをしていることに気づき、警戒を強めた。

 部下たちに用意させた身の丈を優に越える長い槍を掲げた彼は、身体を引き絞って力を溜め、血管が浮かぶほどに槍を握り込むと、

 

「……っ!回避だ、当たるなよ!」

 

 鴉羽が反射的に警告を発し、仲間たちが一気に複雑な軌道をもって動き始めるが、『狩人』はそれさえも見切って槍を投げた。

 ドン!と音を立てて大気を突き破ったその一投は、容易く鎧を貫いて鴉羽の隣を飛んでいた男の鴉人の胴を貫き、鴉人を連れたまま勢いのままに空の向こうに消えて行った。

 

「投擲は只人最大の武器だ。何より槍だからな、矢避けだろうが貫く……ッ!」

 

 ニッと歯を剥き出しに笑みを浮かべた『狩人』が吼えると、金色に輝く双眸を細めた。

 彼らが信じる英知の父、知恵の母、聖なる声の加護により与えられる、常人離れした膂力。それが生み出す投槍の威力たるや、まさに必殺。

 

「次です、どうぞ」

 

「小蝿どもが、逃すものかよ」

 

 部下が差し出した槍を受け取った『狩人』は、その長柄にめり込むほどに握り込み、次の標的を定めんと構え、すぐさま放つ。

 上空から断末魔の声が聞こえるが、あまりの勢いに血が降り注いでくるわけでもなく、遺体が落ちてくるわけでもない。

 

「次だ。寄越せ」

 

 そして命中さえも確認せずに次を受け取ろうと手を差し出せば、すぐに槍が渡されて装填は完了。

 

「そろそろ頭目を狙うか。あの女、だよな……?」

 

 すっと細めた瞳に鴉羽を捉え、彼女の動きの癖を捉えるべく数秒の観察。

 そうしてすぐさま癖を見抜いた彼は槍を掲げ、彼女を射落とさんと構えを取った瞬間だった。

 

「敵襲!集落の方から馬が来ます!!」

 

 部下の誰かが切羽詰まった声で報告をあげ、それに集中を乱された『狩人』は「あ?」と声を漏らして攻撃を一旦中断。

 声を出した部下が示した方に目を向ければ、岩肌に伸びる細い道を疾走する二頭の馬と、それに跨る何者かを睨みつけた。

 

「さっさと止めろ。上の連中を落とすのに──」

 

 そして『狩人』が指示を飛ばさんとした間際に、彼の隣にいた部下の眉間に穴が開き、声をあげることもなく崩れ落ちた。

 

「……あ?」

 

 斃れる部下を冷たく見下ろした狩人は声を漏らすと、じっと目を細めて件の馬に跨る何者か──長筒(ライフル)を構える銀髪の青年を発見し、睨みつけた。

 

「馬上からの狙撃……!?いい腕の奴がいるな」

 

 そして青年がやった事を把握し、驚嘆混じりの声を漏らして乾いた笑みを浮かべた。

 上の鴉人も危険ではあるが、迫り来る馬の二人も危険度に違いはない。鴉人への対処は自分くらいにしかできないが、馬で迫る二人の練度も相当なもの。だが、後者は数で殴ればどうにかなろう。

 

「馬の連中を止めろ。上の連中を全部落とすまで耐えればそれでいい」

 

「りょ、了解です!」

 

 故に『狩人』は部下たちを馬の方にあてがう事を決めた。鴉人にまともな対応ができるのが自分しかいない以上、それしかないというのが本音ではあるが。

 部下たちが配置を変え、迫る馬とその手綱を握る二人を迎撃せんとしていくが、それをさせまいと鴉人たちが一斉に降下を始め、隊列を組もうとする兵士たちを蹴散らしていく。

 無論、その間にも『狩人』の手で鴉人は迎撃されていくのだが、焼石に水と言うべきか、兵士たちの損耗は減らず、むしろ減った分を生き残った鴉人たちが埋めようと、余計に暴れていくのだ。減らしているのに被害が増えるとはどうなっている。

 

「これだから有象無象は」

 

『狩人』はあまりにも弱い部下たちの姿に溜め息を吐き、上空に舞い上がっていく血塗れの鴉人たちを睨んだ。

 部下たちの血に濡れ、それでも濡羽色の光沢を放つその姿はいっそ神々しさまで感じるが、『狩人』はそれに一切魅せられた様子を見せず、黙々と槍を構えて投じていく。

 投じる度に確実に鴉人を撃ち落とし、その数を削っていくのだが、残り十人が中々減らない。頭目たる鴉羽をはじめ、少しずつ彼の投槍に慣れ始めているのか、回避運動がより複雑なものに変わり、癖を見抜くにも時間を要してしまう。

 隠そうともせず舌打ちをした『狩人』は、それでも正確な一投をもって鴉人を撃退していくが、鴉人たちも怯まない。残存戦力が一桁になったとしても、撤退する様子すら見せないのだ。

 驚くべき執念と蛮勇さに舌打ちを漏らした『狩人』は、一度だけ深呼吸をして冷静さを取り戻し、再び槍を投じようとするが、

 

「しゃらくせぇんだよ、雑魚どもが!!」

 

(シャ)ッ!!」

 

 怒りに震える咆哮と、鋭く吐かれた一声をもって、意識をそちらに向けた。

 そこには馬から飛び降り、その勢いのままに兵士たちを蹴散らす灰狼と銀髪の青年の姿があり、二人の視線は兵士たちを無視して『狩人』にのみ注がれている。

 兵士たちなど眼中にないのだ。誰を討ち取ればこの勝負が終わるのか、こちらが行った今までの行動や、陣形から見抜いたのだろう。

 

 ──最初の狙撃で決めるつもりだったな、あの野郎……っ!

 

 それと同時に真っ先に自分を狙ったであろう狙撃の意図に気付いた『狩人』は苦虫を噛み潰したような表情になると、ふとならばなぜ外したと疑問が湧いた。

 先ほどの狙撃の腕ならば、不安定な馬上からでもまず間違いなく外すことはあるまい。だが、外した。つまり相手の腕が自分の想定よりも低いか、あるいは、万全ではないかの二択。

『狩人』として獲物の能力を見間違えることはないと自負する彼は、すぐさま相手が自分と同等かそれ以上と想定し、僅かに目を細めて銀髪の青年を観察。

 鋭く息を吐きながら刃を振るい、吹き出した血を紅蓮の旗の如く振り回すその様は、まさに一騎当千の英雄のよう。

 だがその動きが僅かに陰る時機(タイミング)があることを、大きく動けば動いた分だが、一呼吸分の休止があることに気づいた。

 普段からある隙ではあるまい。一定の力量(レベル)に達していさえすれば、誰でも気づくような隙を、誰でもないその域に達している己が気づかない訳がない。

 理由はわからない。だが動きの精彩を欠いているのは事実だ。

 ならばと槍を構えた『狩人』は上空を十分に警戒しつつ、照準を銀髪の青年に向けた。

 兵士たちを次々と切り伏せ、少しずつ前進してくる様はさながら大型の獣の如くだが、よく見なくとも相手は人だ。首を刎ねれば死ぬし、心臓を貫けばそれでも死ぬ。

 

 ──そもそもとして、血が出るのならどんな怪物でも殺せる筈だ。

 

 深く息を吐き、止め、大きく踏み込み、身体の捻りを加えて勢いをつけ、全身の力を乗せた一投を放つ。

 人の身体とは、骨と筋肉で動く絡繰細工だとは、果たして誰の言葉であったろうか。

 ドン!と大気を貫く音と共に放たれたそれは兵士たちの背中を次々と貫きながら銀髪の青年に迫り、兵士を斬り倒してほんの一瞬息を吐き、痛む身体を休ませたその隙を見事についた。

 だが、銀髪の青年も只者ではない。素早く臨戦態勢に入った彼は壊れかけの盾を括り付けた左腕を差し出し、森人の一矢が如く迫る槍を防御。

 

「〜〜ッ!?」

 

 しかし、その衝撃たるやさながら砲弾を直撃した時のよう。

 筋肉質で、まさに戦士の手本とも言える青年の身体は容易く吹き飛ばされ、壊れかけの盾が完全に砕け散り、破片が彼の精悍な顔にいくつもの切り傷をつけるが、今の彼はそれどころではない。

 今の衝撃で全身の痛みがぶり返し、途端に強張った身体が言うことを聞かない。

 歯を食い縛り、地面を殴りつけることで気合いを入れて立ち上がると、彼はぎょっと目を見開いて身構えた。

 彼の視線の先には、兵士たちが邪魔をしないようにと射線を開け、その奥で槍を構える『狩人』の姿があった。

 回避しようにも身体がうまく動かない。周囲の死体を盾にしようにも、先ほどの投槍の様子からして防御は意味を成すまい。

 

「──させん!!」

 

 そしてまさに『狩人』が槍を放たんとした瞬間、鴉羽が上空から一直線に彼に迫った。

 急降下の勢いのままに脚爪により一閃を放つが、『狩人』は構えていた槍で彼女の一閃を受け止め、舌打ちを漏らした。

 

「鴉風情が、邪魔をするな……っ!」

 

 瞳に宿る金色の輝きを強めながら吼えると、只人のそれを優に越える膂力で彼女を弾き飛ばし、目にも止まらぬ連続突きで彼女の身体に傷をつけていく。

 対する彼女は辛うじて残像が見えるそれらを、身体を包むように構えた両翼でもって受け止めるが、やはりその程度で止まるわけもなく、鎧の隙間や手足の付け根を掠める度、鮮血が舞い散る。

 

「くっ……!」

 

 次々と身体を切り刻まれる鴉羽はその美貌を歪ませるが、それでも一瞬の隙をついて脚爪による反撃を挟むが、

 

「遅い……ッ!」

 

『狩人』は冷静に槍を手繰り寄せて迫る爪を弾き、お返しと言わんばかりに石突きで鴉羽の脇を殴打。

 甲高い金属音に混じり、かはっ!と肺の空気を吐き出す鴉羽の声が漏れ、子供に蹴られた革のボールのように弾き飛ばされた。

 凄まじい衝突音と共に岩肌に叩きつけられた彼女はぐったりと弛緩しながらその場に倒れるが、彼女が作り出した時間はまさに彼が欲していたものだった。

 ふーっと深く息を吐き、意識を集中。頭の中にカチリと何かが嵌まる音がしたかと思えば、あれだけ重かった身体が途端に軽くなる。

 母親直伝の限界突破(オーバードライブ)。一時的に限界を超え、本来ならできない事も可能になる状態ではあるが、今回は使う前から消耗が大きいのだ。あまり長時間外すことはできない。

 いつにも増して鋭くなった視線を『狩人』に向け、爆発にも似た音を響かせながら走り出す。

 

「ッ!」

 

 その音に釣られて彼に目を向けた『狩人』は鴉羽の血に濡れた槍を構え、一直線に迫ってくる青年に照準を定め、全身全霊をかけた一投を彼に放った。

 再び大気が唸りをあげ、音を置き去りにして放たれた槍は一直線に銀髪の青年に迫るが、青年はどこまでも冷静で、同時に冷酷だった。

 彼は疾走する勢いをそのままに身体を捻り、すれ違う形で槍を回避。

 そしてそれだけに留まらず、すれ違い様に槍を掴んで腕力に物を言わせて静止させると、くるりと回して穂先を『狩人』に向け、

 

(シャ)……ッ!!」

 

 鋭く声を漏らすと共に『狩人』のそれとは比にならない速度でもって、投げ返した。

 ドン!と大気の壁を破壊する音が山肌に響き渡り、瞬きする間もなく槍が『狩人』の胴を貫き、遥か先の岩に突き刺さることでようやく停止。

 ごぼりと血を吐いて膝をついた『狩人』は銀髪の青年を睨むが、その傍らに立つ絹のように美しく、柔らかな金色の髪を揺らす女性の姿を幻視し、柔らかな笑みを浮かべた。

 

「ああ。女神よ、我が魂を──」

 

 そして最期の言葉を吐こうとした瞬間、その顔面に銀髪の青年の膝蹴りが突き刺さった。

 頭蓋が砕け散る快音と共に、頭の穴という穴から血と頭の中身をぶちまけた彼はついに倒れ、絶命したなおビクビクと痙攣を繰り返す。

 

「安らかに眠れ。汝の魂に平穏があらんことを……」

 

 顔面を潰され、無様に痙攣を繰り返す『狩人』の遺体を見下ろしながら冥福を祈る言葉を口にした銀髪の青年は、『狩人』の懐を探って騎士の徽章でもある硬貨を引っ張り出した。

 それを大事そうに雑嚢に押し込んだ彼は、辺りを見渡しながら『狩人』の死に打ちひしがれる兵士たちに告げた。

 

「お前らの頭目は死んだ!投降しろ、命までは……とらないよな?」

 

 そしていつものように投降を呼びかけるが、途中で不安になったのか、あるいは自分が言ってしまっていいのかと疑問が湧いたのか、兵士を蹴り倒していた灰狼に目を向けた。

 

「俺に聞くな。ここの頭はそいつだ」

 

 不機嫌そうに鼻を鳴らし、まだ抵抗を試みる兵士たちを一睨みで黙らせながら鴉羽を指差した。

「それもそうだな」と頷いた銀髪の青年は倒れる鴉羽に近づくと、片膝をついて彼女の様子を伺った。

 

「それで、立てそうか?」

 

「……いや、流石に痛むな」

 

 彼の言葉にゆっくりと顔を上げた鴉羽は、痛みに耐えながら気丈な笑みを浮かべた。

 だが流石に言葉で嘘はつけないのか殴られた脇腹を撫でながら言うと、銀髪の青年は「失礼する」と告げてから彼女を横抱きにして持ち上げた。

 

「……っ!?」

 

「どうした、別に初めてでもないだろう?」

 

 途端にボッと音を立てて顔を赤くした鴉羽の様子に首を傾げると、彼女は「いや、それは……」と言いづらそうに口籠った。

 そんな彼女の様子に青年が余計に疑問符を浮かべることになるのだが、今はそれどころではないと彼女を運びながら問いかけた。

 

「それで、捕虜の扱いに関しては色々と考えてくれるんだろう?」

 

「まあ、そうだな。拠点も壊されてしまったし、復興の手伝いくらいはしてもらうか」

 

「できればだが、殺すなよ?」

 

「ああ、わかった」

 

 手短に行われたやり取りが終わると、鴉羽はひどくリラックスした様子で銀髪の青年に身を寄せると、「実は初めてだ」と呟いて彼を見上げた。

 突然の言葉に面を喰らう銀髪の青年を見つめた鴉羽は、誰もが魅力される美しい微笑みを浮かべながら両翼を揺らした。

 

「私の両親含め、里の大半がこんな腕なのでな。お互いに抱きつくことはできても、抱き上げるのも一苦労だからな」

 

「ああ……、なるほど」

 

 灰狼や、只人に近い腕を持つ鴉人たちの手で縛られていく兵士たちを横目に、銀髪の青年は小さく息を吐いた。

 

「とりあえず、これでそっちの傭兵団と反乱軍は同盟を結べたということでいいのか?」

 

「同盟、と言うよりかは傭兵なのだから雇われるだけだがな。まあなに、報酬が貰えるのなら構わんさ」

 

「それは我らが司令官に聞いてくれ」

 

 彼女の冗談とも言える言葉に銀髪の青年は苦笑混じりにそう返し、「さっさと戻るぞ」と告げると口笛を吹いて馬を呼んだ。

 そんな自分の腕の中で、鴉羽がどこか熱のこもった視線を自分に向け、捕食者のような笑みを浮かべていることなど、気づく様子もない。

 鳥人の中でも特に鴉人が顕著な特徴といえるものがある。それは彼ら、彼女らが決して恩は忘れないこと。そして恩は必ず恩で返すというもの。

 自分の命だけでなく、多くの一族の命を救った相手に報いるためには、それこそこちらが持つ全てを差し出さねばなるまい。仲間たちも跡取りを、跡取りをとうるさかったのだ、いい機会だろう。

 

 ──別に報酬に何を求めても文句はあるまい?

 

 どこかで報告を待つ反乱軍司令──金髪の圃人の姿を思い描きながら、鴉羽は不敵に笑んだ。

 似たような事を考えている蚕人が、遥か先を走っていることを、知る由もなく。

 

 

 




感想等ありましたら、よろしくお願いします。


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Memory21 夜に揺れて

『狩人』と、その一団を撃破した鴉人たちと灰狼、銀髪の青年。

 拠点の引越しや捕虜の輸送、怪我人の手当て、死者の供養など、様々な事後処理が終わったのは、日を跨いだ更に夜だった。

 双子の月に照らされる廃墟となった旧拠点に鴉羽の姿があった。

 腕の代わりの翼でそっと瓦礫の山を撫で、懐かしむように、同時に込み上げる悲しみを堪えるように笑みを浮かべながら、月光を浴びるように翼を広げる。

 濡羽色の羽が月光を浴びて磨き上げられた黒曜石さながらの神秘的な輝きを放ち、普段着飾ることのない彼女の美しさを際立たせる。

 岩も、風も、星々も、そして神々も、その美しさにほんの一瞬呼吸を忘れ、静寂をもって彼女の想いに応えた。

 彼女は感謝するように微笑むと、すぐに表情を引き締め、瞑目しながらひれ伏すように翼を地に付けた。

 微かに聞こえる彼女の吐息の音だけが、静寂に包まれる廃墟に染み込んでいく。

 やがて吐息さえも静寂の闇に消えていくと、途端に彼女は動き出した。

 濡羽色の翼を大きく羽ばたかせ、始まるは鎮魂の舞であった。

 月光を一身に浴び、ここは自分だけの舞台だと知らしめるように、彼女は廃墟の中央で、可憐で、儚げな舞を踏み続ける。

 伴奏者はいない。だが彼女の舞に合わせて風が揺れ、廃墟を駆ける風音が伴奏となる。

 見物人はいない。だが双子の月が、岩が、星々が、彼女の舞をただ静かに楽しみ、同時に彼女の傷が癒んことを祈る。

 その舞は、彼女の一族に伝わる伝統のものだ。大きな戦が起きた時、その戦の中で死んでいった同胞と、敵味方問わずに死した者たちの冥福を祈るため、先祖代々から続く、誰にも見せることのない孤独な演舞。

 微かな息遣い、揺れる羽の音だけが、彼女がここにいると周囲に知らせ、それでも目を凝らさねば闇の中を亡霊が舞っていると錯覚してしまうほど、今の彼女は希薄だ。

 冥福を祈るため、己もまた亡霊となって舞う。踊っているにも関わらず呼吸が止まり、吹き出していた汗も止まり、白磁の肌が青ざめていく。

 それでも彼女は舞い踊る。己の不覚を呪ってくれ。己の未熟を呪ってくれ。だが殺した相手は呪わずにいてくれ。そして何も背負わずに、安らかに逝ってくれ。

 彼女の全霊を込めた願いは言葉にはならない。代わりに舞は激しさを増し、かろうじて肌に貼り付いていた汗が飛び、月光を浴びて宝石のように煌めいている。

 その舞は、果たしてどれだけ続いたろうか。彼女の気が済むまで続いたそれは果てなく続くと思われていたが、地平線が白んできたのを合図に彼女の動きが緩慢となっていった。

 霊がいられるのは夜の闇の中だけだ。新たな一日が始まり、双子の月がその輝きを失ったとなれば、彼女もまたその舞を終える。

 翼を限界まで広げて大きく回り、月光の残影を浴びながらゆっくりと地面に伏した。

 青ざめていた肌に血色が戻り、熱がこもった身体を冷やそうと全身から大量の汗が吹きます。

 はぁ……!はぁ……!と力んだ呼吸をしながら大きく肩が揺れ、疼くまる彼女は一向に動こうともしない。いや、動くことができない。

 一晩中踊り続けていたのだ。立ち上がる体力なぞ残ってはいない。できるのは同胞たちが拾いに来てくれるのを待つことだけだ。

 だが、せめてどこかに座ろうとまともに動かない身体を無理やり起こし、顔を上げた瞬間、

 

「──」

 

 自分の視線の先、瓦礫に腰をかけている銀髪の青年と目があった。

 彼は申し訳なさそうに目を逸らし、誤魔化すように乾いた笑みを浮かべた。

 

「〜〜〜!?」

 

 その瞬間、真っ赤になった頭からボン!と音を立てて煙を吹き出した鴉羽は、あわあわと慌てた様子で無意味に口を動かすと、体力も限界だろうに彼に向けて走り出し、翼爪で彼の胸ぐらを掴んだ。

 

「き、貴様、いつだ、いつから見ていた!?」

 

「……割と最初の方から」

 

「ッ!?な、なぜ声をかけなんだ!だ、だだ、誰かに見られているとわかっていれば……っ!」

 

 そのまま彼に詰め寄り、器用に彼の身体を前後に揺らしながら言葉を荒げる鴉羽に、銀髪の青年は申し訳なさそうにしながらもにこりと笑んだ。

 

「とにかく、綺麗だった。声をかけるのも忘れるくらいに、どうしようもなく綺麗だったんだ」

 

 彼の口から放たれたのは、惜しまない賞賛の言葉だった。

 両親の思い出話で断片的に聞かされた冒険譚の中でも、鳥人の舞というのはあった。あの時も母親が言葉に迷いながら語ってくれたが、こうして直に見てしまうとあの時の母親の迷いもわかる。言葉では表現のしようがないものも、世界にはあるのだ。

 だからこそ、彼は思ったことを思ったままに、着飾ることも、誇張することもなく、彼女に告げた。

 その結果、彼女は顔を真っ赤にしながらプルプルと震え始め、開き直ったように堂々としながら彼を睨みつけた。

 

「あの舞を見たのだ、責任は取ってもらうぞ」

 

「……?見ては不味かったのか?」

 

「いや、別に不味くはない。ただ、その、なんだ……」

 

 彼の問いかけに鴉羽は言葉を濁しながら顔を背けると、ちらりと彼の顔色を伺った。

 おそらく言葉の意味を理解していない、見た目の割に中身は幼いこの青年は、きっと鴉人に限らず鳥人の踊りを見ることへの意味を理解してはいまい。

 だから、今の内に約束を取り付けてしまおう。邪魔が入らない内に。

 

「また、私の踊りを見てくれればそれでいい。その時は、死者にではなくお前に捧げる舞を見せてやる」

 

「……っ。わかった、楽しみにしてる」

 

 彼女の言葉に銀髪の青年は心底嬉しそうに笑った。

 鳥人の舞を、一度ならず二度までも、特等席で見ることができるのだ。その機会を逃す手はあるまい。

 

「……わかっていないな、貴様」

 

 にこにことご機嫌そうに笑う銀髪の青年を他所に、鴉羽は消え入りそうな声でぼそりと呟き、小さく溜め息を吐いた。

 鴉人に限らず、鳥人にとって歌や踊りは大変大きな意味を持つ。己の存在価値の証明や、自分がいかに優れているかの証明など、氏族によって変わるところはあるだろうが、決して変わらないものがただ一つ。

 愛する人のため、そのただ一人に捧げる舞の意味は、たったの一つ。

 

 ──それはまさに、求婚の舞に他ならないのだ。

 

 彼女からすれば一世一代の大勝負ともいてる約束に、単に友人に遊びに誘われた時のそれと大差ない対応で返した銀髪の青年は、その意味を理解していない。

 その約束に対する想いの違いがわかるのは、もっと時が流れてから。もう後に引けなくなったその瞬間に、彼は己の無知を呪うのだ。

 

 

 

 

 

 その日の昼頃。陽が天頂に至る少し前。

 銀髪の青年と灰狼は、惜しまれながらも鴉人の集落を後にした。

 

「──にしてもテメェ。あいつと何かあったのか?」

 

 険しい山岳部を越え、走りやすい平野に出た途端全力疾走を始める馬に困り顔になりつつ、突然投げかけられた問いに疑問符を浮かべる。

 

「何か、とかなんだ」

 

 馬に揺られながら小首を傾げ、失礼ながら灰狼に質問を返す。質問の意図がわからないのだろう。

 彼の返事に唸った灰狼は、不機嫌そうに尻尾を揺らしながら言う。集落を出る直前まで、鴉羽は銀髪の青年から離れようともしなかった。二人の間に何か大きな出来事があったのだろう。

 あの仕事と同胞最優先の堅物鴉人が、ほぼ初対面の相手に甘えるように寄り添うなど、それなりに付き合いがある灰狼にとっても意外なことだ。その原因を探ろうとするのも仕方があるまい。

 問題は、探りを入れても当の銀髪の青年が質問の意味を理解していないことだ。これでは会話にならない。

 

「だから、何かあったんだろ?あいつがあんなにだらしない顔してんの、初めて見た」

 

「別に何もない」

 

 更に探りを入れた灰狼に、銀髪の青年は顎に手をやって思慮を深めた。彼女と自分の間に特別なことはあったが、あの舞を見たことは他言するなと厳命されている。

 

「ただ大きな戦いを共に潜り抜けただけだ」

 

「それは俺だってそうだろうが!まあいい。あいつの人生に首突っ込むのも野暮か」

 

 灰狼はこれ以上掘っても何もでないと判断したのか、諦めたように溜め息を吐きながら話を締めくくった。

 何があろうと鴉羽の人生だ。銀髪の青年との間に何があろうが、一人の友人として応援してやりたい気持ちはある。不幸になろうが構うまい。

 

「──まあ、一晩中一緒にいただけだ」

 

「それを早く言いやがれ……ッ!」

 

 割と大事なことをなんて事のないように言い出すのだから、灰狼は彼が苦手なのだ。

 

 

 

 

 

 そんなやり取りから数日。ようやく反乱軍の本拠地にたどり着いたのだが、

 

「焦げ臭ぇな」

 

「何があった」

 

 本拠地に続く渓谷の奥底で、灰狼と銀髪の青年は表情を顰めていた。

 二人の目の前にあるのはいくつにも折り重なった王国軍の兵士の死体と、目印のように大量に置かれた篝火。篝火の燃料には何か生き物の死体──おそらく兵士たちだろう──が使われているようだ。生き物が焼ける臭いが渓谷に充満している。

 銀髪の青年と灰狼は顔を見合わせると、嫌がる馬の腹を蹴って無理やり前に進ませた。

 篝火からはパチパチと手拍子にも似た音を聞きながら、それに混ざる人の呻き声を聞き流し、数人の蜥蜴人が守る本拠地に続く最終関門とも言える洞穴を潜り、ようやくの帰還を果たした。

 同時に二人の耳に飛び込んでくるのは、反乱軍の喧騒だった。怪我人を運ぶ狼人の怒号や、治療の痛みに喘ぐ森人の声が聞こえてくる。

 視界に巡らせれば死んでしまった森人の遺体、鉱人の遺体が並べられ、他にも蚕人や狼人、圃人の遺体まである。それらは地母神と神官らによって手厚く弔われているようだが、遺体の数を見る限りかなりの被害が出たようだ。

 

「何があった……ッ!」

 

 苦虫を噛み潰したような表情になりながら隣人たちの遺体を見つめた銀髪の青年は、ハッとして鷲と視界共有をしながらタカの眼を発動した。

 怪我人が集められている居住区の一区画に、世話しなく駆け回る蚕人の女王の金色に輝く影を確認し、その次に奥の遺跡に集まる女上の森人と半森人の少女の影を確認する。

 とりあえず三人は無事かと安堵したものの、安心するにはあまりにも状況が悪い。

 

「俺はあいつらの無事を確かめに行く!テメェは好きにしろ!」

 

 灰狼は馬から飛び降りると生き残った仲間たちを探す為に走り出し、曲がり角の向こうに消えていく。

 取り残された銀髪の青年も馬を降り、灰狼が乗り捨てていった馬を壊れかけの馬小屋の脇に待たせ、蚕人の女王の元を目指して走り出す。

 崩れた住居の瓦礫を乗り越え、燃える通りを迂回し、可能な限り最短の経路で彼女の下へ。

 滑り込むように怪我人が集められた場所にたどり着いた銀髪の青年は辺りを見渡し、怪我人に覚束ない手取りで怪我をした蚕人に包帯を巻こうとしている蚕人の女王を見つけた。

 包帯の束や水桶を抱えて走り回る治癒師たちの隙間を縫い、誰の邪魔をすることなく彼女の下にたどり着いた彼は、必死に包帯を結ぼうとしている血に汚れた手を取った。

 今にも泣き出しそうな顔を上げた彼女は、目の前に映る銀髪の青年に気づき、「冒険者様……」と消え入りそうな声で彼を呼び、堪えていた涙が溢れ出した。

 無言のままゆっくりと頷いた銀髪の青年は彼女の代わりに包帯を巻いてやり、「何があった」と蚕人の女王に問うた。

 彼女は溢れる涙を拭うが、手にへばりついていた血を擦り付ける結果となり、透き通る程に白い肌が赤く汚れてしまう。

 銀髪の青年はそんな彼女の顔を拭ってやるが、彼女は彼の手を取って頰を摺り寄せた。

 

「ご無事で、何よりです……」

 

「お前が無事じゃないだろう。何があったんだ」

 

 彼女は声を震わせながら強がりでしかない言葉を彼に投げるが、銀髪の青年は彼女の求めるがまま頰を撫でてやりながら、この惨状についての情報を求めた。

 襲撃があったのは間違いない。だが、なぜここが見つかったのか、それがわからない。

 蚕人の女王も「襲われた、としか言えません」と呟き、白い瞳に彼の顔を映した。

 彼女の視力では間近にあっても朧げにしか見えないのだが、それでも彼がこの現状を嘆き、怒り、殺意に満ちているのはわかる。

 今すぐにでも、たった一人でも報復せんと遠くに行ってしまいそうな彼の手を離すことなく、蚕人の女王はぎゅっと彼女なりの精一杯の力で彼の手を握った。

 それに彼も気づいたのだろう。彼は僅かに表情を緩めると、深呼吸をして熱くなった頭を落ち着かせる。

 父にも教えられたではないか。頭に血がのぼった状態で何かしても、大抵は上手くいかないと。

 逆に言えば、冷静さを取り戻しさせすれば多くの事柄が上手くいくのだ。冷静さは大事だ。時と場合によっては、大胆にやる方がいいそうだが。

 

「……すまない。落ち着いた、もう大丈夫だ」

 

 ふーっと深く息を吐いた彼は微笑みながらそう言うと、蚕人の女王は微笑みを返しながらそっと彼の手を離した。

 銀髪の青年はそのまま手を引くと、雑嚢から取り出した手拭いで改めて彼女の顔を拭ってやり、赤黒く染まったそれを、止血に使ったのであろう血染めの布が付けられている水桶に突っ込んだ。

 

「とにかく、話をしに行かないと。一人で大丈夫か」

 

「私は大丈夫です。皆も居ますから」

 

 銀髪の青年の心配の声に彼女は治療区画の隅で必死に包帯の準備を進めたり、非力故に数人がかりで大きめの救急箱を運んだりしている蚕人らを示した。何人かは女王のことを気にかけているようで、心配そうに彼女の方に視線を向けている。

 先程は一人と言ったが、そんな事はないようだ。彼女には頼れる同胞たちがいる。

 

「わかった。治療が終わったら血を落とせ、病気になるぞ」

 

「わかっています。さあ、お早く」

 

 それでも彼女が心配なのか口酸っぱく注意を促すと、蚕人の女王は苦笑混じりにそう返し、急かすように言葉を投げかけた。

 彼女の言葉に背を押され、銀髪の青年は走り出した。それでも誰ともぶつからないのは、彼の技量によるものか。

 朧げに見える彼の背を見送った彼女は、意識を切り替えて治療のための従事に集中する。自分は戦うことができないのだ、それ以外で出来ることをやらねば、彼の力になれない。

 少し嗅いだだけでも吐き気を覚えたというのに、とうに慣れてしまった血の臭いも気にせずに深呼吸をして、頬を叩いて気合いを入れる。

 自分にできることをありったけ。彼女は黙々と手を動かしていく。

 

 

 

 

 

 周囲から向けられる只人に対する憎悪の視線を受け流し、彼は反乱軍の指示所ともいえる遺跡の一室にたどり着いた。

「入るぞ」と言うや否や入室し、部屋の隅の椅子に腰をかけ、怯えたように震えている半森人の少女と、彼女に寄り添っている女上の森人に目を向けた彼は、ホッと安堵の息を吐いた。

 反乱軍にとって、半森人の少女は文字通りの希望だ。そして、彼女にとって女上の森人が希望だ。どちらかが欠けてしまえば、文字通りこの軍隊は瓦解するだろう。

 

「二人も無事だな。他の二人は」

 

 とにかく今は状況確認をと二人に声をかけると、女上の森人は額に手をやりながら溜め息を吐いた。

 

「奇襲を受けた。あの二人は捕らえた兵士に事情を聞いている」

 

 そして紡がれた言葉には疲労と、凄まじい怒りの感情がこもっていた。

 それはそうだろう。ただですら余裕のない反乱軍の、しかも本拠地が攻撃されたなど、いいことなど一つもない。安全だと思っていたこの場所も、もう安全ではないのだ。

 

「どこから情報が漏れた?やはり派手にやりすぎたか?だが、もう(みな)限界だ。もう大人しくしている時間はない」

 

 ぶつぶつと今の状況と反省を口にするが、今すべきことはそれではないだろう。

 銀髪の青年はおもむろに半森人の少女の隣に腰をおろすと、震えている彼女の頭を撫でてやった。

 

「怖かったよな、もう大丈夫だ。悪い奴が来ても、俺が守ってやる」

 

 艶のある黒い髪を手櫛で撫でてやりながら、できるだけ優しい声音になるように心掛けながら彼女に言う。

 こくこくと頷く少女の姿に微笑みながら、「場所を変えるにしても急がないとな」と今度は神妙な面持ちで呟いた。一度目の攻撃があったのだ、すぐにでも二度目、三度目がくるだろう。

 だが、逃げるにしてもどこへ?反乱軍はそれなりに大所帯だ。移動するだけでも目立つだろうし、何より収容しきれる場所も多くはあるまい。

 

「その事なんだけど、相談がある」

 

 一人悩む銀髪の青年に、状況に反して明るい声音が届いた。

 少女から視線を外して部屋の入り口に目を向けると、そこには金髪の圃人が立っていた。顔や服に真新しい返り血が付いているが、それを気にしないのはその余裕もないためか。

 

「捕虜から色々と話を聞いてね。どうやら短期間の内に派手にやり過ぎたようだ。救助した亜人の輸送や、密偵たちの移動の痕跡を元に怪しい場所を目星をつけ、後は数に任せた虱潰し。今回は運が悪かった(ファンブル)といったところかな、相手からしたら大当たり(クリティカル)だ」

 

「今回の奴らが偵察か、襲撃本隊かは別として、次が来るのは時間の問題だろう。移動させるにしても、怪我人が多すぎる」

 

「応急処置だけでもすれば、馬車で運べる。無事な馬車が多いわけではないから、往復することになるだろうけど……」

 

「運ぶにしてもどこにだ。ここの奴らを詰め込めるほど広い場所は──」

 

「あるだろう。君が真っ先に解放した街が」

 

 そしてお互いに間髪入れずに続いたやり取りは、金髪の圃人の言葉で終わりを告げた。

 銀髪の青年は彼の言葉に目を剥き、信じられないと言わんばかりに地図に目を向けた。

 彼の反乱軍所属の冒険者としての初仕事。鉱山街の解放は、つい昨日のように思えるし、遠い過去のようにも思える。

 解放した時期はともかく、かなり大規模であったことは確かだ。あそこならここの人たちも入ることができるだろう。

 

「次は輸送団の護衛か。それとも次の同盟相手に会いにいくか?」

 

「その話は後で詰めていくとして、鴉人との同盟はどうなったんだい?」

 

 銀髪の青年は善は急げと言わんばかりに次の依頼に対して口にするが、金髪の圃人はあくまで冷静に依頼に関しての話を切り出した。

 銀髪の青年は「問題ない」と手短に返し、鴉羽から受け取った契約書と『狩人』から奪った硬貨を金髪の圃人に手渡した。

 それを受け取り、契約書の中身を確認した圃人は「よし」と首肯すると、それを大事そうに懐にしまい、硬貨は憎たらしそうに睨んでから懐にいれた。

 

「それで、次の任務だったね。とりあえずは最低限街の復興を手伝ってもらうことかな。移動の準備はするけど、それが終わるまではここにいないとならないし」

 

 金髪の圃人は苦笑混じりにそう言うと「急がないと」と神妙な面持ちで呟き、ここにはいない赤い鱗の蜥蜴人の名前を出した。

 

「彼には馬車の用意と護衛団の編成をやってもらっている。何かあれば彼に声をかけてくれ、きっと仕事を見繕ってくれる」

 

「わかった。女戦士(アマゾネス)との同盟は伝令が戻り次第、か」

 

「そうなるね。しばらくはここにいてくれ、防御を固めないとならないから」

 

 銀髪の青年と金髪の圃人のやり取りは、やはりと言うべきか仕事に関することばかり。これから何かが起こることを察してはいるのか、不安そうに青年の外套の裾を掴むと、彼は彼女を安心させようと床に膝をついて目線の高さを合わせつつ、笑みを浮かべた。

 

「聞いた通り、引っ越しまでしばらく俺はここにいる。さっきも言っただろう?俺が守ってやる」

 

 くしゃくしゃと彼女を頭を撫でてやりながらそう言うと、少女はくすぐったそうに笑い、緊張していた顔からも少しだけ力が抜ける。

 隣の女上の森人は相変わらず仏頂面をしているが、ようやく先が見え始めたからか表情に微かな余裕が生まれ始め、彼を真似るわけではないがそっと少女の背を撫でた。

 

「私がしっかりしなければな。すまない、お前にはいつも面倒をかける」

 

「なに、子供の相手には慣れてる。これくらいなんて事ないさ」

 

 同じ森人として、少女の母親の友として、頑張らねばと気張る女上の森人だが、やはり子育ての経験が皆無の彼女には難しいのだろう。彼女の中にある一線を自分から越えず、少女にも越えさせず、ギリギリの関係を保っているようだが、それに対して少女は不満そうだ。

 だがそれが何だと言わんばかりに踏み込む銀髪の青年は、二人にとってある種の緩衝材になっているに違いない。

 二人から撫で回される少女は流石に鬱陶しくなったのか、二人の手を払おうとするが、それよりも早く銀髪の青年が手を離した。

 

「さて。依頼人の無事は確認できたことだし、俺はいくぞ。やる事は多そうだ」

 

 何かあれば呼べよと言葉だけを残し、銀髪の青年は部屋を後にした。

 自分から払うのと、いきなり手を引っ込められるでは意味が違うのか、半森人の少女は物寂しそうに彼の背を見つめるが、それに気づかず青年は行ってしまう。

 しゅんと見るからに落ち込んだ少女を慰めるように、女上の森人は彼女の小さな身体を自分に寄りかからせた。

 

「大丈夫。彼はしばらくいると言っただろう?時機を見て、会いに行けばいい」

 

 彼女の気遣いの言葉に半森人の少女はこくりと頷くと、彼女に甘えるように胸に顔を埋めた。

 少女からの好意を受け止めた女上の森人は、僅かに迷う素振りを見せながら、そっと彼女を抱き寄せた。

 金髪の圃人は、二人の邪魔をしないようにも物音を立てずに部屋を後にし、他の情報を仕入れなければと捕虜の下に向かう。

 数時間して帰ってきた彼に返り血が増えていることを、誰一人として指摘することは出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




感想等ありましたら、よろしくお願いします。


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Memory22 女戦士(アマゾネス)の集落へ

新年一発目の投稿です。
細々と更新していきますので、今年も一年よろしくお願い致します。


 国軍による反乱軍襲撃から幾日か。

 フードを目深く被った銀髪の青年は、夜の森に身を潜めていた。

 夜空を閉じ込めた蒼い瞳を細め、暗闇に閉ざされた森の奥に煌々と燃える篝火の炎を睨み、それに照らされて踊り狂う兵士たちの影の数を確認。およそ五。

 伏兵を警戒してタカの眼を発動すれば、ただですら視界が黒く染められ、木々の輪郭(ワイヤフレーム)と、敵を示す赤い人影だけが浮かび上がった。その数、六。やはり篝火脇の茂みに隠れている輩がいた。

 危なかったと安堵の息を吐きつつ、すぐに表情を引き締めた銀髪の青年は手首を回して両手首に仕込まれたアサシンブレードの抜刀、納刀に不備がないかを確認。

 成人し、独り立ちの手向けとして父から贈られたこれも、三年経っても折れず曲がらずにいてくれるとは。

 今日も頼むと鞘を撫でた銀髪の青年は音もなく茂みの中を進み始め、森の闇の中に溶けて消えていく。

 その後、静寂の中で制圧された野営地には六人分の死体が転がり、襲撃者は一切の痕跡を残さずに霞のように消え失せる。

 銀髪の青年の手で壊滅した野営地は、これで三つ目だ。

 

 

 

 

 

 夜も明け、山の輪郭が白んできた頃。

 とある森の中に隠すように設置された反乱軍の野営地に、銀髪の青年の姿があった。

 切り株に腰掛けながら黙々とアサシンブレードの刃を研ぐその姿は真剣そのものであり、敵ではない筈なのに話しかけるのも億劫になるほどの迫力を放っている。

 そもそもとして、只人の彼に話しかける物好きが反乱軍にどれほどいるのかという話にもなるが……。

 砥石と刃が擦れる高い音を聞きながら、この野営地の責任者である蜥蜴人の僧侶がしゅるりと鼻先を舐めた。

 

「我らでで潰した軍の野営地は十五。我らが総大将に指示された最低限の目標(ノルマ)は超えましたな」

 

 そのまま彼は奇妙な手つきで合掌し「よき戦働きだった」と仲間たちを称賛しつつ、討ち取った兵士たちの健闘と冥福を祈った。

 敵とはいえ、兵士たちも王の都合に振り回された哀れな被害者の可能性もあるのだ。多少の同情をしてやる程度には、この蜥蜴人の僧侶は只人を恨んでいるわけではなかった。

 それはそれとして、こちらより弱かった己の非力を恨めという程度には蜥蜴人らしく野蛮でもあるのだが。

 そんな彼の言葉を聞いた森人の戦士は不満そうに鼻を鳴らし、腕を組みながら「冥福など祈ってやるものか」と舌打ち混じりに告げた。

 故郷の森を焼いた軍の連中だ。惨たらしく死のうが、潔く死のうが、死んだのならどうでもいいのだ。その魂が円環(サークル)を巡って再び生を受けようが、魂が消失(ロスト)しようが、彼には預かり知らぬ事なのだから。

 

「とにかく、すべき事はした。ならば手早く撤収するだけだろう」

 

 眉を寄せ、彫刻のように美しい貌を歪めながら告げた言葉に蜥蜴人の僧侶が「そうですな」と首肯すると、森人の戦士は黙々とアサシンブレードを研いでいる銀髪の青年に目を向けた。

 

「貴様も、いつまでやっているつもりだ!撤収するぞ!」

 

 刃が研がれる音が不快なのか、単に只人である彼が気に食わないのか、語気を強めてそう言うと、銀髪の青年はアサシンブレードの刃を睨むように見つめ、刃毀れや歪みがない事を確認。

 結果に満足いったのか、アサシンブレードを手首に装着した彼はちらりと森人に目を向け、肩を竦めた。

 

「あまり怒らないでくれ。何事にも万全を期したい性格なんだ」

 

 彼としては悪気のない、けれどどこか煽りとも取れる言葉に森人の戦士は額に青筋を浮かべ、腰に帯びた剣に手をかけた。

 森人語で悪態を吐きながら銀髪の青年を射殺さんばかりの視線を向けるが、そんな彼を蜥蜴人の僧侶が制した。

 

「彼の言うことに一理ある。本拠地を襲撃された我らには後がないのだ。慎重に慎重を重ねなければ」

 

「それは理解している……ッ!すまん、少し熱くなってしまった」

 

 彼の忠言に森人の戦士は深く息を吐くと、銀髪の青年に謝罪の言葉を投げて眉の皺を伸ばすように指を当てた。

 ぐにぐにと眉間を揉みほぐしている彼を横目に、銀髪の青年が緩めていた鎧の留め具を締めると立ち上がる。

 

「それで、撤収の経路は。出来るだけ街道は避けないとならないが」

 

 足音一つなく蜥蜴人と森人の戦士が囲んでいた地図を覗き込んだ彼は、小さく息を吐いて目を細めた。

 先の襲撃はこうして軍に対しての牽制や、妨害を行った部隊の痕跡を辿られた結果だ。本拠地の場所は知られてしまい、この地域の警邏の部隊がいつにも増して増えてきている。自分たちが潰して回ったのも、その内のいくつかの部隊の拠点なのだ。

 本拠地を移すため、その移動の経路を悟らせないようにする陽動を兼ねての間引き。今回、銀髪の青年への依頼はその作戦への参加であった。

 

「こちらの森はどうだ。いくらか敵がいたとしても、ついでに潰してしまえばいい」

 

 森人の戦士が地図を指でなぞりながら提案すると、蜥蜴人の僧侶は「うむ」と小さく声を漏らして僅かに思慮し、頷いた。

 

「そうですな。こちらの森から、ついでにこの街道の様子も探ることにしよう。検問があれば、破壊せねば」

 

 ぎょろりと目玉を回し、シューと鋭く息を吐きながら蜥蜴人の僧侶が言うと、森人の戦士も無言の首肯で応じ、銀髪の青年も「それでいこう」と頷いた。

 先の襲撃で多くの馬を失い、生き残った馬たちも襲撃の第二陣や、緊急時の脱出に備えての準備に使われているため、余裕はない。つまり移動は徒歩になるが、一日二日歩き通すなど、この場にいる三人なら造作もない。

 とりあえず設置した簡易的な天幕を取り払った銀髪の青年は、それを雑嚢に突っ込んだ。

 

「もう一踏ん張りってところだな。油断するなよ」

 

 

 

 

 

 そんなやり取りから数時間。野営地を片付け終えた頃には山から顔を出したばかりだった陽の光が天頂から降り注ぐ中、銀髪の青年を先頭に反乱軍本拠地に戻ってきた三人は、どっと出た疲れを吐き出した。

 常に警戒しながら森を横断し、途中で発見した検問の位置を地図に印をつけ(マークし)、小規模なら破壊、大規模なら更に迂回を繰り返したため、遠回りを強いられたのだ。

 おかげで本拠地を包囲せんとする敵陣を食い散らかせたと思えば、その苦労も無駄ではないのだろうが……。

 

 ──引越しを終わらせるには、もうしばらくかかりそうか。

 

 本拠地の大通りを歩きながら、横目で荷物と人──非戦闘員や怪我人だ──を満載にした馬車が通り過ぎるのを見やり、森人や蜥蜴人を中心とした護衛の部隊と合流するのを見送る。

 高山街と本拠地を何度も往復し、人の行き来を守る彼らの苦労に比べれば、単に本拠地の周りを走り回るだけの自分は何と楽なことか。

 銀髪の青年は洞窟の天井を見上げながら溜め息を吐き、いつにも増して鋭く睨んでくる反乱軍兵士たちの視線を受け流す。

 本拠地の治安維持だけでなく、襲撃を警戒、拠点移動の護衛と、ただですら少ない人員を様々な仕事に割り振り、一人一人がほぼ休みなく仕事に従事しているのだ。流石の森人だとて、不眠不休で働けるわけでもない。

 疲労と苛立ちと、只人に向けている憎悪の感情が入り混じり、暇そうにしている只人である彼に、敵意が集まっているのだろうか。

 だが、そんな彼らの苦労の甲斐あってか少しずつ人は流れているのだ。ここが無人となり、もぬけの殻となるまでここを守り続けることが、彼らの役目(ロール)なのだ。それに殉じる他にない。

 しかし、先の襲撃や引越しの護衛による人員の分割、疲労の蓄積と、様々な原因はあれど本拠地の防衛能力が下がっているのも事実。再び先日と同規模の襲撃があれば、全滅する可能性も高い。

 

「ままならないな」

 

 人を逃さなければならない。だがその配分を間違えれば、自分たちの首を絞めかねない。その絶妙な調整を行なっているのが、あの金髪の圃人らしいが。

 銀髪の青年は顎に手をやり、小さく唸った。

 予断を許さない状況ではあるが、卓を睨んで顰め面になっている金髪の圃人の姿を予想して神妙な面持ちになりながら、それでも自分では力になれないと溜め息を吐いた。

 自分は身体を動かすのが得意であって、あれこれと考えるのはあまり得意ではない。出来ることを、ありったけの力でやるだけが性分なのだ。自分にできないことをやってくれる人がいるのなら、その誰かを信じる他にない。

 彼は己への不満を誤魔化すようにいつもの足取りで自身にあてがわれたあばら家に向かう。

 すれ違う亜人たちの強い敵意と、それに混ざるほんの僅かな信頼を込められた視線をまとめて受け流し、足音一つなく通りを進む。

 途中で人と物資の往来が激しい大通りをそれ、喧騒から逃げるように僅かに早歩き。

 視線の先に見え始めたあばら屋はいつも通りの襤褸具合ではあるが、少しずつ内装が整ってはきているのだ。一応、衣食住の確保が報酬の一部ではあるのだし。

 彼はいつも通りに足音一つなく玄関の前に立つと、彼女がいるかもしれない可能性を考慮して扉を叩こうと手を挙げた。

 それとほぼ同時。ぎぃと古い木材が軋む音と共に玄関が独りでに開き、中からひょこりと真白い触角が顔を出した。

 そのままゆっくりと玄関が開いたかと思えば、蚕人の女王が恭しく頭を下げた。

 

「お帰りなさいませ、冒険者様」

 

「ああ。ただいま」

 

 そんな彼女の態度に思わず苦笑した銀髪の青年は返事をすると、「そんなに畏まらなくてもいいんだが」と告げる。

 彼女との同棲もそれなりに長い期間になってきた。女王として、あるいは自称伴侶としての一線があるのだろうか。

 蚕人の女王は困り顔を浮かべ、「善処いたします」と一応は返事をするけれど、おそらく直すつもりはあるまい。

 銀髪の青年はそれも彼女の決めたことならと無理強いはせず、玄関を潜ろうとすると、ばさりと何かが羽ばたく音が耳に届いた。

 鷲が降りてきたかと無警戒で振り向く彼の視界の外では、蚕人の女王が露骨に不満そうに目を細め、白い瞳でこちらに向かって降りてくる大きな翼のついた人影を睨んだ。

 その直後だ。凄まじい勢いで下降してきた何かが二人の前に着地し、舞い上がった砂塵が視界を隠す。

 けほけほと咽せる蚕人の女王を庇いながら、砂が入った為か刺すように痛む瞳を気合いで開き続け、降りてきたその何者かを見やると、その人物はゆっくりと銀髪の青年に歩み寄り、腕代わりの翼で彼の頰を撫でた。

 闇より暗い濡れ羽色の翼が頰に触れた途端、その柔らかさに馴染みのある銀髪の青年はすぐに客人の存在に気づき、僅かに表情を和らげた。

 そっと頰に添えられた翼に手を重ねながら「久しぶり、でいいのか?」と客人に問いかける。

 

「たかが数日。されど数日。私からすれば、十分に久しぶりと言える」

 

 そうして返された声は跳ねるようでいて、けれど凜としていて鋭く響く。

 翼と同じ濡れ羽色の瞳に銀髪の青年を映し、ふわりと柔らかく笑みを浮かべた客人──鴉羽は、「無事で何よりだ」と彼の帰還を喜んだ。

「ああ」と頷きながら彼女の言葉を受け取った銀髪の青年は、「いつからこっちに?」と彼女と、彼女が率いる傭兵団についての質問を投げた。

 彼らと同盟を組んで早数日。拠点の移動や、捕虜の扱いに関して、やるべきことは多いだろうに、彼女はここにいる。それが疑問なのだろう。

 彼の問いかけが意外だったのか、鴉羽は鋭い瞳を僅かに見開いて驚愕を顕にすると、その美貌に微笑みを浮かべて彼に言う。

 

「正式に雇われたのだから、合流するのは当然だろう。もっとも、全員が来たわけではないが……」

 

 彼女はそう言うと「捕虜の世話をするのは面倒だな」と大きく溜め息を吐いた。

 

「『狩人』との戦いで生き残った手勢の一部と、我々とは別に動いていた部隊を連れてきた。残留組は捕虜と共に件の鉱山街に向けて移動しているだろうさ」

 

 それでもやるべきことはやっているようで、生き残りや別働隊を連れてこちらに来てくれてようだ。

 ただですら手勢が足りていない反乱軍の現状からすれば、十人であろうと五人であろうと、人手が増えるのはいいことだ。

 

「なら、よかった。それで、お前はなんでここに?部下への指示出しはいいのか?」

 

「ん?ああ、問題ない。素人は連れてきていない、最低限の情報をやれば、あとは自分達でやれるさ」

 

 銀髪の青年はいつまで経っても離れる気配のない彼女の翼の感覚にむず痒くなりながら投げかけた問いに、鴉羽はなんて事のないように言う。

 彼らは一人一人が凄腕の傭兵だ。彼女の言う通り、素人など一人もいない。ならば、心配の必要はあるまい。

 

「冒険者様はあなたがなぜここに、正確にはこの家を訪ねて来たのかを聞いているのです。答えなさい、鴉人の長よ」

 

「そう怖い顔をするな、蚕人の女王よ。戦友が視界に入ったのだから、挨拶をしようと思ってな」

 

 そして、いつまで経っても銀髪の青年から離れる様子を見せない鴉羽に我慢の限界を迎えたのか、蚕人の女王が語気を強めに問いかけると、鴉羽はそれを受け流すように微笑みながら理由を口にした。

 だが蚕人の女王は納得する様子を見せず、じとっと鴉羽を睨みながらそっと銀髪の青年の腕に抱きついた。

 むと小さく唸り、僅かに眉を寄せる鴉羽の様子にも気付かず、蚕人の女王は言う。

 

「貴女がこちらに来てから、毎日のようにここに顔を出しているではないですか。戦友に会いたいがために、同胞たちを放っておくのですか」

 

「生憎、蚕人と違い我々は一人一人が精強でな。一人では何もできない貴様らとは違うのだ」

 

「我々を侮辱するのですか……っ!」

 

「事実だろう?」

 

「〜〜〜!!!」

 

 そのまま始まるのは、それぞれの部族を束ねる者同士の口論であった。

 蚕人の女王が指摘すれば、鴉羽はそれを軽く受け流しながら反撃を挟み、返す言葉が思いつかない蚕人の女王はただぎゅっと銀髪の青年の腕を掴むばかり。

 今でこそ蚕人の女王として振る舞っているが、実際にそうなったのはつい数週間前だ。成人して間もない少女が、長年同胞と共に戦場に立ち、生き残ってきた鴉羽の口喧嘩でも勝てるわけがないのだ。

 二人に挟まれる銀髪の青年は、俺が留守の間に何がと困惑するが、その問いを投げる前に鴉羽が言う。

 

「いつ帰ってくるかもわからない相手に会おうというのだ。別に毎日顔を出すくらい許せ」

 

「戦友に会うのなら、戦場でいいではないですか」

 

「出会えず、そのままどちらかが死んでしまえば二度と会えんのだぞ?平和な一時を使い、こうして顔を合わせ、言葉を交わす。それが何よりも尊いのだ」

 

 戦場で生きる者と、待つことしかできぬ者。それぞれの言葉はある意味では正解であろうが、問題はお互いにそれが理解できないことだ。

 同じ種族ですら分り合うことが難しいというのに、種族も、生き方も違う二人が通じ合うなど、それこそ何年も時間をかけてようやくだろう。

 二人の話は更に続きそうになるが、銀髪の青年が咳払いをした事を合図に二人は揃って口を閉じた。

 

「まあ、仕事をしてくれるなら会いに来てくれても構わないさ。ただ、喧嘩はなしだ、いいな」

 

 そして目を細め、子供に言い含めるように優しい声音で二人にそう告げた。

 それぞれに、それぞれの事情があり、思想があるのだ。それが言葉でぶつかり合い、互いの理解を深めていく分には横からとやかく言うつもりはないが、力で訴えることはないように鍵を刺す。力で殴り合えば、片方が死ぬまで終わることはない。少なくとも、この国はもうその段階に──どちらかを殲滅するまで終わらない状況になりかけている。

 本当にままならんなと額に手をやりながら溜め息を漏らす彼を他所に、蚕人の女王と鴉羽はほんの一瞬視線を合わせ、女王は青年の腕を抱き締め、鴉羽は翼で彼の頰を撫でる力を強めた。

 先ほどの口論が無意味とは言わないし、彼が辞めろというのなら話はそこまでだ。

 

 ──ですが、この方の隣を譲るつもりはありません……っ!

 

 ──だが、こいつの隣を譲るつもりはない。

 

 二人が静かに火花を散らす中、銀髪の青年は通りからこちらに向かってくる栗色の髪の圃人の姿を認め、表情を引き締めるのだった。

 

 

 

 

 

 蚕人の女王と鴉羽の睨み合いは、栗色の髪の圃人の来訪を合図に終わりを告げた。

 彼が開口一番に告げた『大将が待っている』という言葉だけで、今から何をすべきかは理解できる。

 二人とのやり取りで緩んでいた意識を研ぎ澄まし、蚕人の女王にまた留守にする旨を伝え、司令室へ。

 仕事に戻ると飛び去った鴉羽の姿を見送り、彼は駆け足で司令室を目指した。

 人混みを避けるべく立ち並ぶ家屋の屋根の上を疾走し、遺跡の階段を数段飛ばしで駆け上がる。

 そうして五分もしないうちにたどり着いた司令部には、やはり予想通りの人物がいた。

 金髪の圃人は卓に向かってはいるが、疲労のせいか額に汗を滲ませ、顔色も悪い。側から見ても不調となっているにも関わらず、それでもやらねばならないという意志の力でもって行動し続けているのを肌で感じる。

 銀髪の青年はやはり無理をしているなと、彼の手伝いもできない己の未熟を呪いながら「何か問題か」と単刀直入に話題に入った。

 卓に貼り付けられた地図と、馬車の在庫や人員に関してがまとめられた羊皮紙を睨んでいた金髪の圃人は顔をあげ、銀髪の青年の顔を一瞥した。

 

女戦士(アマゾネス)の集落に送った伝令が戻らない。彼女らに捕まってしまったのか、あるいはたどり着けなかったのか、それは定かではないけど、何か問題が起きたのは確かなようだ」

 

「そうか。なら、次の依頼はそれだな?」

 

 彼が重々しく告げた言葉に銀髪の青年が問うと、金髪の圃人は小さく頷いた。

 雇われの身とはいえ、一応は反乱軍の主戦力の一人だ。出来ることなら、物資や人員の移動の護衛に回したいが、今は戦力を増やすことも急務。

 今までの功績と実力からして、強さを掟とする女戦士(アマゾネス)たちの相手には申し分ない。伝令として送った人員も、弱いわけではなかったのだが……。

 

「頼めるかい」

 

 彼という戦力を失う危険性(デメリット)と、女戦士(アマゾネス)たちを引き込む利点(メリット)を天秤にかけ、今回は後者の選択を取る。

 金髪の圃人は苦虫を噛み潰したような表情で問うと、銀髪の青年は不敵に笑みながら言う。

 

「任せろ。駄目でも無事に帰ってくるさ」

 

 彼はそう言うと「馬を借りていくぞ」とだけ告げて、部屋を後にしようと踵を返すが、部屋の入り口からこちらを覗きこんでくる人物に気づいた。

 鴉羽のそれとは違う、宝石を思わせる澄んだ黒い髪と燃えるように輝く緋色の瞳。無邪気な子供のように目を輝かせ、銀髪の青年を見つめいるのは半森人の少女だ。

 構って欲しいのか、あるいは単に顔を見に来ただけなのか、いつもいる筈の女上の森人の姿もない。彼女も何か仕事をしているのだろうか。

 銀髪の青年はちらりと金髪の圃人に目を向けると、彼は「馬の準備にも時間がかかるよ」とまだ多少の余裕があることを教えてくれる。

 彼なりの、少女への気遣いなのだろう。銀髪の青年は「そうか」と頷くと、そっと半森人の少女の前に片膝をつくと、彼女の頭を撫でてやった。

 絹のように柔らかく、櫛も不要なほどに髪が指の間をすり抜けていく感覚が心地よい。

 少女も彼に撫でられて気持ちがいいのか、目を細めながら甘える猫のようにぐりぐりと彼の手に頭を擦り付ける。

 その姿に多少なりとも癒しを感じた銀髪の青年は、微笑みながら彼女に言う。

 

「遊んでやりたいが、俺も仕事なんだ。ごめんな」

 

 ぽんぽんと優しく頭を叩いてやりながら謝罪すると、少女は見るからに落ち込み始め、鋭く尖った耳が力なく垂れていく。

 

「大丈夫だ、すぐに帰ってくる。仲間を増やして、ここの皆が無事に引っ越せるように」

 

 そんな彼女を励ますために、何一つ確定していないというのに既に成功するのが確定していると言わんばかりの声音で言うと、少女は頭に置かれた彼の手に自分の手を重ねながらこくりと頷いた。

 

「帰ってきて、引っ越しも終わったら、お前の世話役のあいつも呼んで、あと他の子供たちも呼んで、何かしよう。ままごとか、かくれんぼでもいい。お前がやりたいことを、できるだけ叶えてやる」

 

 銀髪の青年がそう言うと、半森人の少女はぱっと表情を明るくしてこくこくと何度も頷いた。

 やはり、子供には娯楽が必要だ。大人たちが気を張り、予断を許さない状況だとしても、子供たちを縛り付ける理由にはなるまい。

 まあ、この拠点に子供が何人いるのかという話にもなるが……。

 

「だから、何をするか考えておいてくれ」

 

 銀髪の青年はその疑問は口にはせず、半森人の少女にそう依頼した。

 少女は満面の笑みを浮かべて頷くと小走りで廊下の向こうに消えていき、そちらから聞き馴染んだ女上の森人の声も聞こえてくる。

 今頃、何故かご機嫌な少女に困惑し、どうしたものかと悩んでいるのだろう。

 その姿を想像して苦笑を漏らした銀髪の青年は「それじゃ、行ってくる」と金髪の圃人に告げて、今度こそ部屋を後にした。

 その背を見送った金髪の圃人は溜め息を漏らし、囁くようにぼそりと漏らす。

 

「──無事に戻ってくれ」

 

 他の皆は認めないかもしれないが、銀髪の青年は反乱軍にとって欠かせない人物になっている。

 彼を欠いては、一部の種族の士気にも大いに関わることだろう。

 いつかくる決戦まで、この軍の士気を下げるわけにはいないのだ。

 故に、祈る。彼の無事を、彼の帰還を。

 

 

 

 




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Memory23 女戦士(アマゾネス)式の歓迎

 ──さて、どうしたものか。

 

 金髪の圃人の依頼で、女戦士(アマゾネス)の集落を目指して早数日。

 銀髪の青年は小さく溜め息を漏らしながら、意見を求めるように馬の鬣を撫でた。

 馬も撫でられる感覚に心地良さそうにしながらも、その瞳はじっと目の前の物に注がれている。

 銀髪の青年と馬が見ているのは、女戦士(アマゾネス)の集落があるとされる国の北東に広がる森林地帯の入り口。そこに吊るされた哀れな死体だ。

 生きたままか、死んでからか、両手足の腱を削がれ、両眼を抉られたそれは、銅を穿たれた上等な鎧を着込んでいる。おそらく国軍の兵士──それも近衛騎士に近しい身分のものだろう。

 もっとも獣に食い荒らされた挙句、長いこと放置されていたのか腐敗も酷く、性別も分からなくなっており、見る限りでは生前の武勇も、栄光も知る由もない。

 その死体の首には何か生物の革で作ったであろう貼り紙が下げられており、そこには血で乱雑な文字が書かれている。

 

『──この先、何者も立ち入る事なかれ』

 

「と、言われてもな……」

 

 只人の言語で書かれたそれは、銀髪の青年にとっては馴染み深いものだ。

 おそらく書いたのは女戦士(アマゾネス)の何者かで、文字通り侵入者への警告としてこの死体を晒しているのだろう。

 これ以上この森に踏み入ればこうなると、これ以上ない程に簡単で、効果的な脅しだ。

 

 ──『この森に入るな』は森人(エルフ)の常套句だと思っていたんだが……。

 

 銀髪の青年は言葉もなく苦笑を漏らし、身近な森人──今回は女上の森人だ──を思い出し、同時に浮かべていた笑みを消した。

 彼女から故郷の森に関する話をされたことはない。他の森人たちからだって、いや、そもそも親しい森人がそもそも多くはないのだが……。

 だが、確かに言えることが一つ。

 

 ──あいつらの故郷は、無事では済まなかったんだろうな……。

 

 彼らの森が無事であるのなら、そもそも反乱軍には加わらないだろう。今の女戦士(アマゾネス)たちのように、森に引きこもって自分達の領地を守ろうとする筈だ。

 それをしていないということは、つまりそういうことなのだろう。

 小さく溜め息を漏らした銀髪の青年は、馬の腹を蹴って前進を指示。

 馬は不満そうに鼻を鳴らしつつ、主人の命を遂行するべく脚を動かし始めた。

 蹄が地を蹴る音と共に走り出し、森の風景が高速で後ろに流れていく。

 舗装されているとは言えないが、それでも女戦士(アマゾネス)たちが踏み均したであろう道を、全力でもって走らせる。

 

「伝令は無事だといいんだが……」

 

 金髪の圃人が送り込んだという伝令が、先の兵士の二の舞になっていないとも限らない。最悪死体だけでも確認が取れればいいが、それすらもないとなればどうしたものか。

 

 ──とにかく女戦士(アマゾネス)と接触しないと、だな。

 

 だが、どちらにせよ件の集落にたどり着かねば話にならない。

 鬱蒼と茂る森を駆け抜け、時折道端に吊るされている警告付きの兵士たちの死体を無視しながら、走ること数分。

 視界の端に、古い遺跡のようなものが映った。

 馬を止め、木々の隙間から目を細めてそれに注視してみれば、天高く伸びるピラミッドが鎮座し、星見台と思われるその頂上には昼過ぎだというのに火が焚かれ、黒い煙が印のように天へと伸びている。

 目的地はあれだろう。遺跡をそのまま拠点としているという話だし、地図の座標もだいたい合っている。他に人が住めそうな場所も見当たらない。

 駄目でも、とりあえずあそこから周囲を見渡せば何かわかるだろう。高い場所(ビューポイント)は好きだ。

 雑嚢から水袋を取り出し、一口呷る。森の湿気で額に貼りついた前髪を剥がし、濡れた口元を拭う。あと半日も走れば、遺跡にはたどり着けそうではあるが、最悪どこかで夜営をせねばなるまい。焚き火を焚けば、向こうから見つけてくれる可能性もある。

 

「どちらにせよ、今は前進あるのみだな。もう少し頑張って──」

 

 反乱軍本拠地から走り通しだった馬を労うように首を撫でながら、さらなる無茶を要求。

 馬は不満そうに唸り、抗議の視線を銀髪の青年に向けるが、肝心の彼はどこ吹く風だ。

 馬は仕方ないと言わんばかりに前を向くと、走り出そうと脚を前に出した瞬間だった。

 

「────」

 

 木々の隙間から、何かの囁き声が一人と一頭の耳に届いた。

 それぞれが揃って声がした方向に目を向けるが、そこにあるのは鬱蒼と茂る木々ばかり。

 鷲から情報を拾おうにも、こうも木が多いと上からでは何も見えまい。

 銀髪の青年は僅かに目を細めながらタカの眼を発動し、改めて森の奥を睨みつけた。

 浮かび上がる木々の輪郭(ワイヤフレーム)に隠れる金色の人影を認め、彼は腰に帯びる剣に手をかけた。

 金色ということは何かしら重要なことを知っている証拠だ。女戦士(アマゾネス)ならばそれでいいが、相手が彼女らであるという確信はない。

 もしかすれば、ここまで入り込んできた国軍の斥候という可能性もあるのだ。そうだとすれば、殺さねばならない。

 

「そこにいるのは誰だ!姿を見せろ!」

 

 声に僅かな敵意を込めて、相手に向けて声をかける。

 相手は動かない。ただじっとこちらを見つめてきている。

 

「……?おい、聞こえているんだろ?」

 

 その反応は、銀髪の青年にとっては予想外であった。

 隠れているつもりの相手に声をかければ、まず間違いなく相手は何かしらの反応を示す。僅かに身体が動いたり、呼吸の間隔(リズム)が乱れたり、その場から逃げ出したり、今までの相手は大抵がそうだった。

 だが、今回は違う。当てずっぽうに声をかけたと思われているのか、あるいは見つかっていないと思い込んでいるのか、単に言葉が通じていないのか。

 銀髪の青年は小さく溜め息を吐くといつでも戦闘できるように馬を降り、人影を指差しながら言う。

 

「そこにいるお前だ。出てきてくれるとありがたいんだが……」

 

 先のやりとりのせいか、僅かに気後れしながら言うと、件の敵影がようやく反応を示し、がさがさと茂みを掻き分ける音と共にこちらに近づいてくる。

 さてどう出ると身構える彼を他所に、人影は何をするわけでもなく茂みから姿を現した。

 血に染まった褐色の肌に、踊り子を思わせる露出の多い服装。どろりと濁った瞳が銀髪の青年を気だるげに見やる。

 

 ──女戦士(アマゾネス)!とりあえず、話を聞くべきだよな。

 

 銀髪の青年は姿を現した女戦士(アマゾネス)を見やりながら、言葉を発そうと口を動かした瞬間、彼女が何かを引き摺っていることに気付き、そちらに目を向けた。

 それは、死体だった。殺されて間もないのか、両手足の腱と目玉を抉られた眼窩から血が溢れ出し、緑の葉を赤く汚していた。

 そして、その首には『引き返せ』と書かれた張り紙が下げられている。

 おそらく、この女性がここに来る道中にあった警告文を設置していたのだ。そして、それを無視した侵入者が、彼女の目の前にいる。

 

「あ〜。とりあえず、話を聞いてもらっていいか……?」

 

 銀髪の青年はそっと両手を挙げて敵意がないことをアピールするが、女戦士(アマゾネス)はその濁った瞳を彼に向けたまま、引き摺っていた死体から手を離した。

 

「────」

 

 同時に彼女の口から紡がれたのは、銀髪の青年では聞き取れない言葉の羅列だった。

「は?」と間の抜けた声を漏らす彼を他所に、女戦士(アマゾネス)は矢継ぎ早に言葉を紡ぎ、彼を捲し立てていく。

 

「俺でもわかる言葉で話して欲しいんだが、言葉わかるか?」

 

「……?」

 

 銀髪の青年は無礼を承知で彼女の言葉を遮ってそう言うと、|女戦士はこてんと小首を傾げた。

 違う種族ならまだしも、大きな枠組みで言えば同じ只人である筈の彼女に言葉が通じず、銀髪の青年は露骨に肩を落とした。

 部族全体がこうではないと思う。金髪の圃人からは昔はそれなりに交流があったと説明されている。自分の言葉がわかる外交官のようなものがいる筈だ。

 集落に着いたら、まずはそいつを探すと決めながら、銀髪の青年がどうにかコミニュケーションを取ろうと頭を捻ると、女戦士(アマゾネス)は何かに気付いたのかハッとして、銀髪の青年の背後の森を指差した。

 何かを伝えようとしているのか、必死になってあっちを向けと手振りで伝えてくる様は、側からみれば滑稽ではあるが、冒険者として生きてきた銀髪の青年に取ってはその警告を無視するという選択肢はなかった。

 

「なんだ、何かいる──」

 

 そうして振り向いた瞬間、無防備に晒された後頭部を女戦士(アマゾネス)が無慈悲に殴りつけた。

 凄まじい鈍痛を感じたのも束の間、一気に視界が歪む。身体から力が抜け、踏ん張ることも出来ずに膝から崩れ落ちた。

 

「い、いきなり何を……っ」

 

 銀髪の青年は地面に拳を叩きつけ、僅かに身体を起こしながら|女戦士「アマゾネス》を睨みつけるが、彼女は無表情のまますっと脚を持ち上げ、

 

「──」

 

 何かをぼそりと呟くと、彼の顔面を踏みつけた。

 悲鳴をあげる暇もなく、今度こそ意識を刈り取られた銀髪の青年は地面に伸び、後頭部から滲んだ血と、噴き出した鼻血で地面を赤く汚してしまう。

 突然の事態に固まる馬を他所に、女戦士(アマゾネス)は冷たく彼を見下ろすと彼の両手足を縛り上げ、乱暴に馬の上に乗せた。

 抗議するように嘶く馬を無視し、女戦士(アマゾネス)もその背に飛び乗ると、その腹を蹴って無理やり走らせた。

 彼女の犯行を知るのは放置された死体と、天高くから監視していた鷲だけである。

 

 

 

 

 

 ──さて、どうしたものか……?

 

 森に入る直前と同じ事を思いつつ、銀髪の青年は溜め息を漏らした。

 頭に麻袋を被せられているようで何も見えず、両手は後ろ手で縛られている状態のようだ。それにどこか人目のつく場所に座らされているようで、麻袋越しにいくつもの視線を感じる。

 そして何よりも、普段感じている肌に触れ合う布の感覚がない。辛うじてズボンは履いているようだが、上半身は裸。気絶している内に、服も装備も剥がされたのだろう。

 

『──?』

 

『──?──!?』

 

 麻袋の下で困惑する彼の耳に聞こえてくるのは、おそらくこの国の女戦士(アマゾネス)特有の言語だ。

 何を言っているのかはわからないが、おそらく話題は自分に関するものだろう。現に時折小突かれたり、蹴られたり、身体を触られたりを繰り返している。

 全く、どうしたものか。銀髪の青年は状況もわからないままに溜め息を吐くと、不意に肩に触れられた。

 

「目を覚ましたのだろう?いつまでそうしているつもりだ」

 

「……っ!なら、これを外して欲しいんだが」

 

 耳元で囁かれた頭が痺れるほどに甘い声に僅かに身悶えしながら、銀髪の青年は努めて冷静な声音で返す。

 フッとこちらへの嘲りを含んだ鼻で笑う声が聞こえたかと思えば、勢いよく頭に被さっていた麻袋が外された。

 途端に視界に飛び込んでくるのは視界を白く焼く強烈な陽の光だった。

 手で庇おうにも縛り上げられているため下手に動かすことができず、辛うじて顔を背ける事でそれから逃れるが、今度は敵意に満ちた女戦士(アマゾネス)たちの視線とかち合い、銀髪の青年は気まずそうに視線を正面に戻した。

 そこにあったのは玉座だった。何か生物──おそらく、飛竜の類いだろう──の骨で作られたそれはえも言えぬ威圧感を放ち、座る者にその資格を問うているようにさえ見える。

 

「話には聞いていたが、若いな」

 

 じっと玉座を見つめていた銀髪の青年の耳に、先程と同じ痺れるように甘い声が鼓膜を揺らした。

 声につられてそちらに目を向ければ、そこにいるのはやはり踊り子を思わせる露出過多な格好をした女戦士(アマゾネス)であった。

 砂を思わせる色素の薄い髪を揺らしながら、口元を隠すヴェールの下で冷たく笑うその美貌たるや、まさに女神の如し。

 年は銀髪の青年よりも少し上程度だろうか。筋肉質でありながらしなやかな肢体を揺らして銀髪の青年から離れると、彼女は慣れた様子で玉座に腰掛け、見せつけるように足を組んだ。

 頬杖を着いて嘲りを込めた視線で銀髪の青年を見下ろし、蛇を思わせる鋭い双眸を若い女戦士(アマゾネス)に向けた。

 銀髪の青年もそちらに目を向ければ、そこにいたのは自分を気絶させた女戦士(アマゾネス)だった。

 相変わらず濁った瞳で銀髪の青年を睨んだ彼女は、玉座に腰を下ろす彼女らの王──戦王に恭しく頭を下げた。

 女戦士(アマゾネス)の言語で労いの言葉を投げた戦王は、銀髪の青年に視線を戻した。

 若いながらも鍛え抜かれ、肉体そのものが凶器とさえなり得るまでに研ぎ澄まされている。そんな肉体を持つ者など、精強な女戦士(アマゾネス)とて三人もいまい。

 ぺろりと舌舐めずりした戦王は、戦士として、そして王として威厳を放ちながら問いかけた。

 

「招かれざる客人よ。其方は何を求めてここに来た」

 

「皆を虐げる悪しき王を討つための助勢を頼みに。鉱人も、蚕人も、狼人も、鴉人も、皆立ち上がってくれた。あとはあんたらだ」

 

「知ったことか。我らには、我らの戦がある」

 

「……まあ、そうだよな」

 

 銀髪の青年はそれらしい言葉を並べて交渉を持ちかけてみるが、それをあっさりと却下された。

 ここよりも大所帯と思われる反乱軍とて余裕はないのだ。兵士の死体をそのまま警告に使う程度には国軍と激突している彼女らにとっても、戦力を反乱軍に回す余裕はあるまい。

 深い溜め息を吐いた銀髪の青年を見下ろしながら、戦王は細めた瞳に彼を映した。

 

「我々が近衛騎士の『戦鎚』なる者を討ち取ってからというもの、軍の連中はその仇を討たんと躍起になっていてな。時折私の首を取ろうと刺客を放ってくるのだ」

 

 銀髪の青年を射殺さんばかりに鋭い視線を向けながら、彼女は不意に指を鳴らした。

 同時に彼を囲むように控えていた女戦士(アマゾネス)たちが一斉に武器を取り、その矛先を彼に向けた。

 突然放たれた殺意に驚き、目を泳がせて僅かに慌てる様子を見せた彼に向け、戦王は絶対零度の声音でもって告げた。

 

「貴様がその刺客でないという証拠がない。先日、貴様と同じ事を宣う輩が来たが、その者は私の腹心数名を道連れにして逝きおったぞ」

 

「っ!?ちょっと待て、それはどういう事だ……!」

 

「言葉の通りだ。あの薄汚れた只人(ヒューム)めが、やはり口が上手い輩は好かん」

 

「只人、だと……」

 

 そうして次々と告げられた言葉に銀髪の青年は困惑した。

 金髪の圃人から聞いていた伝令は彼と同じ圃人だ。足の早さと小賢しさが自慢と聞いていたのだが……。

 

「戻ってこないわけだ。ああ、くそ」

 

 その伝令はどこかで殺され、戦王への刺客とすり替わっていた。今回の騒動は、つまりそういう事だろう。

 反乱軍と女戦士(アマゾネス)たちが手を組まないよう、先んじて手を打たれていたということだ。

 伝令が戻らなければ次の使者が送り込まれる。反乱軍からすれば代わりの使者であっても、彼女らからすれば次の刺客だ。そして、その刺客はまず間違いなく殺される。

 それを知らない反乱軍がどうにか彼女らと接触しようと人員を割けば割くほど、彼女らから警戒され、知らずのうちに敵対関係が深まる。

 このままでは反乱軍と国軍と戦いに、女戦士(アマゾネス)が助勢してくれないだけでなく、自分たちの背中を刺してくる可能性とてあるのだ。

 今回ばかりは相手の思う壺の行動を取ってしまった。自分は来るべきではなかったか、もっと慎重な行動を取るべきだった。

 だが、その後悔はもう遅い。既に行動は起こり、引き返せない場所まで来てしまっているのだ。

 あの森で出会った女戦士(アマゾネス)がいきなり手を出してこなかったのはある種の慈悲か、あるいはこうなる事を予期して警告してくれていたのか。

 銀髪の青年はちらりとその女戦士(アマゾネス)に目を向けてみるが、濁った瞳に殺意を宿し、こちらに槍を向けている。王の意志は絶対、ということなのだろうか。

 

「ま、待ってくれ。話を──」

 

 銀髪の青年はそれでもどうにか話を聞いてもらおうとするが、その言葉を遮って戦王が口を開いた。

 

「──」

 

 その言葉の意味を、銀髪の青年が知るよしもない。

 だが彼を囲んでいた女戦士(アマゾネス)たちが一斉に動き出し、縛られて動けない彼の身体を打ち据えた。

 肉が潰れ、骨が砕け、血が噴き出す湿った音に混じり、彼の断末魔の声が玉座の間に響く。

 だが、それでもその合間に「話を聞いてくれ!」と、「俺を信じてくれ!」と彼の声が混ざっているのだから、彼の忍耐も相当のものだろう。

 それに不快そうに眉を寄せた戦王が手を挙げると、女戦士(アマゾネス)たちが攻撃を止め、恭しく一礼しながら下がっていく。

 部屋の中央、血溜まりに沈みながら、月光を思わせる銀色の髪を自分の血で赤く染めた青年を見下ろしながら、戦王は問いかけた。

 

「其方は自らを殺そうとした者に助けを求めるのか。其方は自らを殺そうとした者を信じられるのか。其方は、亜人や異教徒と弾圧される者らの為に何を成すのだ」

 

「……決まっ、てる……っ!」

 

 どうせ返答はないだろうと決めつけていたのか、矢継ぎ早に投げられた問いかけに、彼女も来るとは思っていなかった返答があった。

 女戦士(アマゾネス)たちもざわつく中、先の攻撃で拘束が解けた銀髪の青年は立ち上がり、顔の血を拭うついでに髪をかきあげながら戦王に戦意が迸る双眸を向けた。

 

「自分を殺そうとした奴に助けを求めるか?当然、求めるさ。俺は弱い只人だからな。誰かに助けてもらわないと生きていけない」

 

「自分を殺そうとした奴を信じられるのか?当然、信じるさ。相手に信じて欲しいなら、まずは相手を信じなきゃだからな」

 

「何をするのか?知るか、そんなもの。俺は俺ができるありったけをするだけだ」

 

 文字通りの満身創痍。身体中から血を噴き出し、右腕が歪に曲がっていながらも、放つ覇気に衰えはない。

 それに当てられてか、ざわついていた女戦士(アマゾネス)たちが静まり返り、指示を求めるように戦王に視線を集めた。

 彼女らの視線を一身に受け止めた戦王は頬杖を着いたまま溜め息を吐き、「其方、何者だ?」と彼を見定めるような視線と声音で問いかけた。

 その問いを鼻で笑った銀髪の青年は、得意げに笑いながら告げた。

 

「反乱軍に雇われた、異邦の冒険者(アドベンチャラー)だ。以後、お見知り置きを……」

 

 そして女戦士(アマゾネス)たちのそれよりも優雅に、けれど恭しく頭を下げると、その勢いのままに頭から床に崩れ落ちた。

 べちゃりと湿った音と共に血溜まりに倒れた彼に、女戦士(アマゾネス)たちはトドメを刺すように口々に言うが、戦王はそれを手で制した。

 

『──皆、心して聞け』

 

 彼女らだけに伝わる言語で、お互いに幼き日から知る戦士たちに向け、戦王は言う。

 

『私はこの男に興味が湧いた。すぐには殺すな、試練を受けてもらう』

 

 彼女の言葉に女戦士(アマゾネス)たちは色めき立ち、普段なら口にしないであろう罵詈雑言が飛び交うが、戦王が手を叩くと共にそれも静まる。

 女戦士(アマゾネス)の性か、戦王を含めた彼女らは、すぐに感情が爆発し、熱くなってしまうきらいがある。

 それを止めよとも、直せとも言うつもりはないが、こうして合図を出せばすぐに落ち着きを取り戻せるように、幼少から訓練を積んではいるのだ。

 やれやれと額に手をやって首を振った戦王は、銀髪の青年を指差しながら『牢に入れておけ』と指示を出し、何人かの女戦士(アマゾネス)たちが面倒そうにしながらも彼を担ぎ、引き摺る形で玉座の間を後にした。

 

『ああ、治療も忘れるなよ。死んでもらっては困る』

 

 そして彼が部屋から連れ出される間際に、言い忘れていた指示を出す。

 銀髪の青年を引き摺る二人がその指示に対して頷くと、手持ち無沙汰な友人に神官を呼ぶように指示を出し、連行を再開。

 

「──さて、冒険者よ。其方の力、見せてくれ」

 

 血痕を残して去りゆく彼の背に、戦王は呟き声を投げかけた。

 その声に返事はなく、再びざわめき出した女戦士(アマゾネス)たちの喧騒に包まれ、消えていった。

 

 

 

 

 




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