偽・さよなら糸色亡月王先生 (ポロロッカ星人)
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公園の満開の桜の下、親子が仲睦まじく遊んでいるのを見ていると書きたくなりました。
後悔しかないけど人生で後悔しなかったことってあんまりない。


自分の前世を思い出したのは、幼馴染みの首を絞めている時だった。

 

「ぐっ……ぇ……」

 

普段は愛嬌のある顔立ちを苦痛に歪め、何かを絞り出すかのようなか細いかすれた声。

それでいてこちらを見つめる瞳には非難の色は無く、むしろ自分の首を絞めている雄に対しての情欲を宿しているようにも見えた。

抵抗する素振りも見せず、されるがまま。苦しげに開いた唇の隙間から唾液が垂れる。

 

「かっ……っは……」

 

彼女の顎をつたい垂れてきた雫が、首を絞めていた手に触れて我に帰った。

 

「す、すみません!!」

 

慌てて手を離すと、彼女は咳き込みながらその場に崩れ落ちるようにして床に座り込んだ。

 

「げほっ! ごほっ!……ぜぇ、ひゅー……ごほっ!」

 

急に窒息状態から解放されたために噎せて咳き込んだのだろう。

先程とは違う種の苦しみが彼女を襲う。

息を荒げ、目尻に涙を浮かべている彼女の細い首には、くっきりと自分の両の手指の跡が残されていた。危うくこの少女を殺してしまう所であった。

大丈夫だろうかと心配して謝罪し、彼女の背を擦った。

 

「うん。大丈夫……」

 

赤木杏。私の幼馴染み。

生まれた病院が同じで、誕生日も1日違い。おまけにご近所さんだったことから両親が仲良くなり、そのまま子供である私達も付き合いが長くなっていったという経緯がある。

幼い頃は男子であった私よりも腕白で男の子のようであった彼女が、第二次性徴期になり女性的な体つきになるにつれ、性格にも淑やかさが生まれてきた。周囲の人間が私達がまるで付き合っているどころか、婚約でもしているかのように扱うものだから、満更でもない私は彼女を異性として意識していたように思う。

彼女の明るさと何物にも前向きな考え方は、私に足りないものを補ってくれるようだった。

後に知った話では、当人に知らせなかっただけで中学卒業と共に婚約者とする取り決めまで両家の間であったらしいのだが、この時はまだ教えられてはいなかった。

何にせよ、私は杏がこちらに心配させまいと気丈に振る舞おうとしつつ、私を見上げる瞳に雄に媚びる雌の本能を宿しているようにも見えた。それが私の中に見えない情欲の火を灯し、じりじりと内側から焦がすようだった。

この場が衆人環視の中になければ、中学二年生という思春期の盛りの情動に身を任せて彼女を押し倒していただろう。

おそらく杏は受け入れただろうし、子作りを推奨しているこの世の中においては、非難ではなくむしろ推奨されそうではあるが、理性が、何より唐突に思い出した前世との解離から来る違和感が私を抑制させてくれた。

パチパチパチ……と拍手の音がする。

教室中央で『女子の首を絞める実習授業』の実演を指名された私達に送られたものだ。

 

「素晴らしいわ」

「あんなに絞められたのに気持ち良さそう」

 

教師が誉め、周囲の女生徒が羨ましそうに私達を見ている。

この教室には、男は私一人であった。

共学にも関わらずこの男女比。戦後から続く少子化と歪な男女比の出生率からくるものである。

何でも、男女の営みにおいて絞首行為が男児の出生率を上げるという妙な統計があるそうで、実際に成果をあげているために、義務教育で男子は女子の首の絞めかたを授業で学ぶのである。

この世界は何もかもがおかしいはずなのに、それを普通の事と認識していた自分。

何かがおかしい。おかしいが、私は無言のまま主張しようとする股間の半身を落ち着けるのが精一杯だった。

他の生徒達には気づかれなかったと思いたい。

杏は私の股間の位置を一瞥し、にこりと笑った。

おそらく気づかれたのだ。私がすました顔で、適当な事を考えつつ海綿体へ血流が送り込まれようとするのを、気合いで抑えようとしていることに気づかれたのだ。

然り気無く周囲の視線を遮る位置に移動した彼女のお陰で、私の未熟な羞恥心が暴走することは避けられた。

私は、必ずやこの娘を嫁にしようと決意した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前世では何者であったか。私は正直、人に誇れぬ恥さらしな人間であったと思う。世間に顔向けできぬ愚かな人生を送った。

思い返せば優しい両親に友人、器量が良いわけではないが仲の良かった幼馴染みの女の子と人間関係にも恵まれていたはず。

しかし若く愚かな私は田舎暮らしが嫌で、都会に行けば美人なお姉さまときゃっきゃっうふふと刺激的な生活ができるのだと何の根拠もなく上京した。

顔は人並みで垢抜けてもおらず、裕福なわけでもなく、巧みな話術を持っているわけでもない。当然上手くいくはずもなかった。

せめてお近づきになろうと一念発起し、桃色な映画を撮影している会社の門戸を叩けば、「女の裸が見てえのか? ならいい仕事紹介してやるよ」と連れていかれた先はヒヨコの雄雌を仕分ける作業場。

それからはヒヨコの仕分け、たまに色を塗り、またヒヨコの仕分け。

根気の無かった私は逃げ出したがすぐに捕まり、再び作業場に送り返された。

六度目の脱走でようやく逃げ切ることができたものの、逃げ出した先で出会った美女に格好をつけようと口先だけの嘘を重ねれば、何故か隣の国のスパイと怪しまれて公安に追われる始末。私は日本人だと声高く主張するも誰も信じてくれなかった。長い尋問を終え、解放されたが行き場も無い。

 

途方にくれ、心身共に疲弊していた私は、故郷ならば温かく迎え入れてくれるのではと淡い期待を胸に帰郷するも、実家に家族の姿は無かった。

代わりにいたのは両親や親戚の名前を語る謎の韓◯人集団。これは背のりというやつでは?と怪しんでいるとそこに現れたのはかつて幼少の頃に結婚の約束をするほどに仲の良かった幼馴染み。

「背のりじゃないよ、イメチェンだよ」と明らかに無理のある事を言う彼女は妊婦になり、両の手では抱ききれぬ程の数の子供を持った母親になっていた。自分の捨てた人生に絶望した私は自決しようとするも一人で死にきれず、同じような境遇の人間を探した。

その縁で出会った女性と傷をなめあい依存しあうような関係となり、心中を図った。

「タカヒロ」……共に海に沈み行く彼女が口にしたのは、私とは一文字もあっていない別の男の名前。

私は暗い海の底に沈みながら絶望した。

そこで記憶が途切れている。

 

かつてを思い出し、脆弱な精神を打ちのめされた私は枕を涙で塗らしつつ、昼間誓ったように今生ではきっと幼馴染みと獣のように子供を作るのだと決意し憤る半身を寝床で鎮めた。

何度か溜まった鬱憤やらなにやらを吐き出し、部屋が臭くなる頃には精神的にも落ち着いた。換気のため窓をあけつつ、賢者のように冷静になった所で現状を整理しよう。

この世界は前世と歴史や価値観など様々な事が異なっている。

戦後まもなく、ポロロッカ星人を名乗る宇宙人が地球を侵略しにきた。地球一丸となって迎え撃つことにより撃退に成功。後にも先にも世界中の国々が一つになったのはその戦争だけだろう。

日本としても太平洋戦争の敗戦国という立場からいち早く対星人戦争における同盟国として大国の仲間入りを果たし、前世以上に世界的地位を確立させている。

しかし、宇宙人が使った兵器の影響か。もしくは宇宙船を攻撃する際に大量に撃ち込まれた核の影響かは解らないが、男子の出生率が激減した。

ただでさえ若い年頃の男子は先の戦争で亡くなって数を減らしていたというのに、追い討ちの状態である。このままではいずれ人類は絶滅すると考えられ、世界中で様々な研究がなされた。

そこで発表されたのが性行為の際の絞首である。

肉体に死の危険を感じさせるストレスを与えると受精率があがり、更には男児が産まれる割合が増えるというものだった。

前世の知識からすれば眉唾物であるが、これが一定の効果を出しているために、今では世界中で首絞めが推奨されている。しかし力加減を誤れば死の危険もあるため義務教育中に男子はその加減を学ぶのである。

戦争から半世紀以上経過した今では、男女間での首絞めは接吻以上の愛の形、ディープラブの象徴でもあるとされ、婦女子の憧れとなっている。

巷に溢れる少女向けの書には顎クイ、壁ドンと呼ばれる行為に並ぶシチュエーションとして扱われている。

相手のいない女性が疑似的に自身の首を絞めて誤って死亡する事故や、子供が真似して事故に繋がる案件が年に何回か新聞の記事に載ることが問題視されてはいるようだ。だからこその昼間の授業であるのだが……

私は数少ない男子として、将来的に複数の女性と関係を持つことを国から、そして家からも義務付けられてはいるが、正妻を選ぶ権利は持っている。

そうだ。私は彼女を正妻に迎え入れたいのだ。

ここまで誰かを求めたのは、前世を含めてこれが初めてかも知れない。

私の二度の人生で初めての恋───この初恋を赤木杏に捧げよう。

今までその場の勢いで行動して良かった試しは無かったが、あれだけの女性である。期を逃して別の男に靡かれる前に、彼女の周囲に男が私だけしかいない今のうちに告白するほうが良いに違いない。

朝になり、さっそく私はなけなしの勇気を振り絞って、この町で一番美しい桜並木が眺められるベンチへと彼女を呼び出した。

春の清々しい陽光。満開の桜並木が、私達を祝福してくれているようだ。

彼女もこの後のことを理解しているのか、ほんのりと頬を桜色に染めて、じっと私の言葉を待ってくれている。

 

「赤木杏さん! 私と結婚を前提にお付き合いください!」

 

未だ中学二年生の身分で、結婚を前提にするのは重いと感じられるだろうかと一晩悩んだ。

しかし、彼女が受け入れてくれれば離れる気は無かったので、やはりこれが嘘偽り無い私の本心だ。

朝の散歩をしていたお年寄りが、桜の樹にとまる雀が、犬が温かく見守る中。

 

「ぎっ!」

「…………え?」

 

彼女は私への返事を口にしようとしたが、唐突に車が視界の左から右へと彼女を押し流すように消し去った。減速することなく車は遠ざかっていく。大きな衝突音の後に、小さく鈍い音が聞こえた。

それは、風に舞う桜の花弁のように軽々と飛ばされた赤木杏が、地面へと墜落した音だった。

まるで人形使いが操ることを放棄したマリオネットのように、間接が曲がってはいけない方向に曲がっている。

不自然に首が捻れた彼女の双眸には、私の恋い焦がれたあの光が宿っていない。

 

「あぁ、ああぁ……ああああああああああ!?」

 

一目で理解した。即死だ。

私は、彼女が告白に何と答えようとしていたのかを永久に知ることはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの出来事から数年が過ぎた。

絶望した私は何もかもに嫌気がさし、部屋に閉じ籠ろうとするも周囲がそれを許さない。

貴重な男手。しかも実家は元禄から続く名家であり、衆議院議員である父には息子の最終学歴が中学だなどと認められなかったらしい。

受験した覚えもない高校に放り込まれた私は、流されるままに惰性な日々を過ごした。

無駄に肥大した自我だけはあるものの、さしたる主張もない私に左翼ゲリラの大人達が近寄ってきては耳障りの良い言葉を投げ掛け、流されるままに活動していた。気がつけば大学に上がる頃には周囲の学生達と共に火炎瓶を手にしていた。

さぞ私達は操りやすかっただろう。気持ちの沈んだ若者に、世界を改変するだの、君の使命だの、真の平和だのなんだのと、気持ちを高揚させる言葉を投げ掛ける。

父への反発もあったのだろう。見事に引っ掛かった私は、受け売りで中身のない言葉を口にしながら

暴れる操り人形になっていた。

しかし、平等なる世界を掲げる大人達が、自分達の利権のために動いていただけだと知った時、操り糸が切れた。

深く考えなくとも良かった日々は終わり、虚無感が私を襲った。私の事を扱いやすい財布や女学生を集める客寄せパンダとでも思っていた大人達は憤慨したが、私は最早何かをするきにもなれず。

運動をやめようとする私に逆上し、襲いかかる左翼ゲリラ。このまま殺されるのもありかと考えていたが、幼くも剣の達人であった妹の倫が刀の錆びにしていた。

実家の鯉達が、特別な餌で丸々と太っていくのを見て色々と察した私は、実家の闇に絶望した。きっと長男の縁兄さんはこの闇の部分に反発して絶縁したのだろう。

 

「ふふ、情けないお兄様。かわいい」

 

震える私を見下ろして、幼い異母兄妹である倫が恍惚とした表情を見せる。

年の離れた妹に手を汚させてしまったことへの申し訳なさ。人を手にかけて気にしていない猟奇性への恐怖。

 

「あんな馬鹿な事をしていたのは、家への反発ですか? それともこれが時田の言っていた思春期というやつかしら。もしくは……あぁ、あの女をまだ忘れられずに癇癪でも起こしていたのですね」

 

つい数年前まで子供向けのアニメに影響されて、「ケツだけ星人」の真似をしてはしたないと怒られていた妹が、未だ齡10かそこらの娘がこちらの内面を見透かして嘲笑してくることに、何よりも恐怖した。

 

「おいたわしやお兄様」

 

その場から逃げ出したくて、私は実家を飛び出した。

頼れるようなまともな友人の一人もいなかった私は、身内で唯一の常識人である命兄さんを頼ることにした。

私達は全員が異母兄弟だが、命兄さんは私と瓜二つといって良い程には容姿が似ている。にも関わらず、私とは比べ物にならないくらいの善性の人間で、人柄も良い。人の命を救うという使命感のもと本当に医者になったほど。兄と比較すれば所詮四男の私など出涸らしのようなものと認識している。

きっと閉経した女性でなければ性的対象として見られない性癖が無ければ、この兄が糸色家の跡取りに指名されていたに違いない。

この面倒な弟を、兄は快く迎え入れ、大学に通う間の面倒を見てくれた。今でも私は他でもないこの兄には頭が上がらない。

 

「お前、教師をしてみないか」

 

大学を卒業する時期になるも、社会に出るのを恐れて何ら就職活動をしていなかった私に、兄が提案してきた。

確かに特に深い考えもなく教員免許は取得しているが、別段教育者になるような志も持っていなかった。誰かを教え育むことなど自分には不向きであろうことは明らかであった。

しかし、私はこの兄には取り敢えず従うべしと決めていたので、渋々頷いたのだった。

この選択が私の運命を変えた。

 




あ~あ、可愛い妹に首を絞められたい。
妹いないけど。
同士のみんな、来世に期待しよう。


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原作が糸色片反していることを知り、時の流れに絶望した。



春。それは出会いと別れの季節。

入学、卒業、就職、退職。様々な人生の節目が重なる時期であるものの、世間一般的にはプラスの意味で捉えられることが多い。

気候も温かくなり、色とりどりの花が咲き始める事からも心地の良い季節と言える。

しかし、一部の人々にとっては春というものはマイナスイメージでしかない場合もあるのだ。

桜の咲かなかった浪人生。内定が一つも決まっていないのに学生の身分を失うフリーター一年生。

窓際に左遷される人事異動。引っ越し先での隣人トラブル。

私自身の思い出も、幼馴染みを喪ったのは今日のよう暖かな春の陽射しを感じる日であった。

満開の桜を見ると、あの日を思い出して気持ちが沈んでいく。何故にこのような状態で仕事をしなければいけないのか?

人付き合いの苦手な私にとって、今日から始まる生徒達とのやり取りも、考えるだけで胃が痛い。

もういっそ、今死んでしまえば再び赤木杏に会えるのではないか? 前世では一人で自決できなかったが、今ならばできるのではないか?

思い立ったが吉日。

私は目の前の見事な桜で首を吊ろうと思い立ち、近くのコンビニで購入したビニール紐を用意した。手頃な枝に引っ掻けて、固定されているのを確認すると、丁度いい凹凸が噛み合ってくれている。

いざ首に紐を通して台座から飛び降りようとした所で、背後から誰かに抱きつかれた。

 

「いけません!」

「ぐぇ!?」

 

強く抱きつかれた衝撃で枝が折れたようで、地面に縺れ合うようにして倒れこんだ。

 

「あぁ、また死ねなかっ……た……」

「命を粗末にしてはいけません……あれ、男の人?」

 

倒れこむ私に被さるようにして抱きついていたのは、セーラー服を着た美少女だった。✕の形の髪留めをしており、素朴ではあるものの、薄く色づいたリップクリームを塗っていたり、仄かに甘い香りがしていたりと年相応に容姿にも手入れをしているのだろう。制服越しに感じる柔らかさから、発育も年相応の女性らしさがあった。

しかし、それらとは関係なく私はこの少女を見てぎくりと身体が硬直した。

似ているのだ───かつて死んだ、赤木杏に。

顔が似ているわけではないと思う。確かに彼女も目の前の少女も端正な顔立ちではあるが、はっきりと別人だと思えた。

なんといえばいいのか、雰囲気とでもいうべきか。

纏う空気、口調、仕草など、そういったものが一目で解るほどに出来の良すぎる物真似のようだ。

あたかも、赤木杏が生まれ変わったかのように……

 

「こんな素晴らしい春の日に自ら命を絶とうなんて。春は始まりの季節なんですよ?」

 

つい黙ってしまった私を心配してか、彼女が大袈裟に手を広げて話す。

あぁ、その仕草も言葉もまるで焼き直しのようで……気がつけば、私は無意識の内にこの少女の首に手を伸ばしていた。

 

「え?」

「……っ」

 

慌てて首に伸ばそうとした手の向きを変え、咄嗟に彼女の背に回してしまった。

どのような顔をすればいいのか……違うな。

今の自分の顔が彼女の瞳に映るのが嫌で、自分の顔も彼女の顔も見なくてもいいように、そのか細い体を力一杯抱き締めていた。

 

「い、痛いですよぉ」

「すみません」

 

戸惑ったような少女の声が聞こえるが、私に彼女を離す余裕はなかった。端から見れば事案もいいところだが、人が良いのか拒絶はされなかった。

 

「もぅ、よしよし」

 

それどころか、大人に対して子供をあやすようにぽんぽんと背中を軽く叩かれる。

そしてそっと、柔らかく抱き締め返してくれた。

あぁ、あぁ、やはり。

この娘はあの幼馴染みにそっくりだ。

私の弱く醜い心の隙間を埋めて、いつの間にか安らぎを与えてくれる。

 

「……すみません」

「ふふ、簡単には死のうとしてはいけませんよ?」

 

どれくらいそうしていただろうか。

道端で女学生と抱き合い、あまつさえあやされる成人男性な私。誰が見ても教育者の姿ではない。

 

「ありがとうございました。少し落ち着きました」

「それは何よりです。人生つらい事もありますが、素晴らしい事もたくさんあるんですから」

 

多少の落ち着きを取り戻したように思う。

これ以上、この場で無様な姿をさらし続けるのもよくない。

笑顔は無理でも、表情を少しは取り繕えると判断した私は、彼女を解放した。

ありきたりな言葉ではあるが、にこやかに笑いながら励まされると素直に「ですね」と肯定することができた。

いつまでも座り込んだままではいけないので、立ち上がって袴についた汚れをはらう。

そこでふと、彼女の膝に少し血が滲んでいるのが見えた。おそらくは私と倒れこんだ時にでも怪我したのだろう。

 

「大丈夫ですか? 私のせいですね」

「あはは、こんなの大したことありませんよ」

「いえ、せめてこれを」

 

鞄の中に入っていた絆創膏を渡す。普段から用心しておいて良かった。

 

「ありがとうございます。それじゃ私は学校があるのでここで!」

「あっ……」

 

手を振りながら元気に駆け出す少女に、名前を聞くのを忘れていた私は後悔した。

大人の男に対して随分と物怖じしない娘だった。

私に大人としての威厳等が皆無なだけかもしれないが……やめよう、虚しくなる。

しかしあの制服は私が赴任する高校のものだったはず。また会えるだろうか。

少しだけ、これからの教師生活に楽しみができた。

この時、私は直ぐにでも再会出来るとは思ってもみなかったし、彼女が色々な意味で特別に問題のある存在だとは知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2のへ学級。私の担当することになるクラス。

男子四名女子二十七名。

圧倒的に女子が多いが、これでも比率は改善された方である。他の生徒達は新校舎なのに、何故かこの学級だけ旧校舎に隔離されている。

何でも、命兄さん曰く特別な問題を抱える生徒を集めた学級だそうだが、私に勧めてくる以上は、喧嘩に明け暮れる世紀末的な意味での問題児とかではないのだろう。

それはそれで問題の根が深そうではあるが、餅は餅屋と言うように、前世を含めて問題しかない私が適任ということか。

いや……これはむしろ毒は毒をもって制す的なやつなのでは?

しかし、深く考えてはいなかったが、高校教師の職を医者である兄が紹介してくるとは、どういう繋がりであろうか?

男の数が少ない昨今、生徒に限らず男の教師だって人数は少ない。いるとすれば、大抵は私立の学校が厚待遇で雇っていそうだが、公立の学校ではあまり聞かない。

今朝渡された学級名簿には生徒達の名前と入学時に作られた顔写真が載っている。ざっと目を通した限りでは、一目で問題児という写真の子は少ない。

いるとすれば、何か事故にでもあって怪我したように包帯を巻いた『小節あびる』と、顔写真の代わりに✕印が書かれた『風浦可符香(P.N)』という生徒。

そして、名前も顔も塗りつぶされた生徒。

一人目はまだ理解できるが、風浦さんはなんなのだろう。名簿でふざける必要は無さそうであるが、何故に写真がないのか。しかもP.Nとはペンネームとかだろうか、本名かどうかすら怪しい。

三人目に関しては、まさかお亡くなりになったのだろうか。もしくは退学で学籍が消されたのか。あまり関わらない方がよさそうだ。

木造の廊下を進むと、目的の教室に到着する。

この学級以外は、他学年も含めて全てが隣の新校舎で授業を行うため静かなものである。

唯一、人の気配のする教室である2のへからは、HR前の浮わついた生徒達の話し声が聞こえてきた。

扉を確認するも、教師を拒む黒板消しの罠などはないので、少なくとも新任の教師をいきなり虐める気風にはないらしい。

多少は安心して扉を開いた。

教師の登場に静かになる生徒達。数秒してから女子生徒を中心にひそひそとこちらを見て「男」「男だ」「男教師」「やだイケメン眼鏡」「えー、もっとマッチョじゃないとやだ」「眼鏡つけた暦」「なんで袴?」「見た目からして受け」「掘られながらアッー!て言いそう」と囁いている。

時折意味の解らない言葉が聞こえてくるも、第一印象は概ね好意的なようだ。

 

「初めまして。担任の糸色望です」

 

教壇に立ち、黒板に名前を書きつつ自己紹介をする。

こうして見るとやはり女子生徒ばかりではあるが、三人の男子生徒がいるために、私の時よりも肩身の狭い想いはしなくともよいだろう。

 

「あ」

「今朝の……」

 

見渡すと、中央付近の席に✕形の髪留めと膝に絆創膏を張った生徒がいた。今朝の彼女だ。

 

「ここの生徒さんだったんですね」

「はい。そういう先生は先生だったんですねぇ」

 

不思議な縁もあるものだ。

かつての想い人に似た娘が私の生徒だなんて。

 

「二人とも知り合いなんですか?」

「いえ、知り合いというほどでもないのですが」

 

私達のやり取りが意味深に映ったのだろう。

一人の生徒が当然の質問をしてくるも、さてなんと答えるべきか。

 

「えっとね、今朝初めて会って……」

「会って?」

 

級友の質問に彼女が答えた。

 

「抱かれた」

「「「えええええ!?」」」

「言い方ぁ!?」

 

教室が阿鼻叫喚に包まれる。

間違ってはいないけど、語弊を招くに違いない。

 

「先生! 初対面の女の子を抱いたんですか!」

「誤解です!」

「そうなの風浦さん?」

「私の初めてだったんだけどなぁ…(男の人にぎゅってされるの

「大事なところが小声ですから! 貴女わざとですね!?」

 

風浦と呼ばれた彼女の目を見ると、顔はこちらに向けたまま半笑いで視線だけ反らされる。明らかにわざと言っていた。

聖母のような娘だと思っていたのに、なんて悪魔。

しかも風浦という姓は先ほどの名簿で見た問題児候補ではなかったか。

あぁ、でもこの感覚も久しぶりか……思えば彼女もたまにこうして私をからかってくることがあった。

だからといって唐突すぎる。

 

「抱いたんですか? 抱いてないんですか? はっきりしなさいよ!」

「抱いてません!」

「そうだよ千里ちゃん。ただ抱き締められただけだよ」

「抱いてるじゃねぇか!」

「あああああ」

 

私のなかで美しい思い出として記録されていた今朝の出来事が、こんなにもややこしくなるだなどと誰が思おうか。

世間的には仮に男があちらこちらで女性に性的に手を出していたとしても、合意の上であれば称賛されるのだが、さすがに初対面の女子生徒を抱いたというレッテルは不味い。

しかも就任初日から。

高校生といえば思春期であり、恋に恋する乙女は特に情のない肉体関係を忌避する傾向にある。

援助交際なんて、この世界では女子高校生はしないのが普通だ。忌避しないのは非処女だけだ(偏見)

それはそうだろう。男は数が少なく引く手数多であり、男というだけで選ぶ側なのだから。

むしろ性欲をもて余した女性に男子生徒が買われる方がたまに新聞に載ったりする。

まぁ、景兄さんのように誰も選ばないどころか無機物と結婚するとか言い出すおかしい人もいるから、一夫多妻といえどあぶれる女性の方が多数派である。

話を戻そう。大人になれば相手に妥協できるようにもなるが、思春期の女の子というのはある種の潔癖症でもあるのだ。素敵な恋をし、その相手に抱かれることがあこがれでありステータスなのだ。

考え、機転を利かせ、よく考えるのだ!

 

「フ、フリーハグ……」

「は?」

「フリーハグです。先生は愛とか世界平和とか願ってますから。皆仲良くラヴ&ピースなんです」

「……はぁ」

 

機転、利かせられなかった。

所詮自分なんてこんなもの。何が愛とか世界平和とかだ。思ってもいないことを口にしたところで、説得力など皆無の苦しい言い訳でしかない。

 

「どう考えても嘘ですが……」

「いいじゃない。偏見をもたず、どんな人とも平等に愛を育める。誰にでもできることじゃありません」

 

それまで私をからかう側にいた風浦さんが、援護してくれた。もしかしたら満足して、そろそろ事態の収拾をかけるべきと判断したのやもしれない。

 

「まぁ、本人がいいっていうなら……」

「誰とでもって事は、勿論男同士でも!」

「晴美はちょっと黙ってて」

「待って! 大事な事なの! リアルの男同士がセックs」

「寝てなさい」

 

晴美と呼ばれた生徒が急にテンションをあげてきたが、隣にいた生徒に物理的に黙らされていた。

それを行ったのは私を詰問していた風紀委員らしき生徒。

 

「先生も、平等というのであればここにいる全員ときっちりハグしてください」

「はぁ、それは今しないといけないのですか?」

「勿論です。生徒で扱いに差が出るのは感心しません。それも初日から」

「……そうですね、解りました」

 

何故か流れで、全員と抱き合うことになった。

正確には休んでいる生徒が五名いたため、それ以外の生徒とではあるが。

先ほどまで私を詰問していた生徒達も騒いではいたものの嫌悪感までは無かったようで、満更でもない様子で頬を軽く染めて抱き締めあった。

こうして腕の中に女子生徒を抱き締めると、個人差はあるもののもう子供を産める女性なのだなと理解する。

中には小学生にしか見えない娘もいたりしたが、それもまぁ、個性ということでコンプレックスを刺激しそうなことは言わないでおく。

 

「先生はもう結婚したりしているんですか?」

「いいえ、まだですよ」

 

一人の女子が私に質問する。

それに答えると、「きゃーっ!」という黄色い悲鳴があがった。

 

「先生は、もうペットはいるんですか?」

「……いませんよ」

 

一人の男子生徒、久藤准という生徒が私に質問する。

それに答えると、「きゃーっ!」という黄色い悲鳴が、眼鏡をかけた女子生徒からあがった。

ちなみに、このペットというのは犬や猫のことではなく、籍を入れずに肉体関係を結んでいる状態の男性から見た相手のことを指す隠語である。

世の中にはペットが男性な場合のおぞましい物語を記した書物も存在するらしい。

あっ、何故か寒気が……

 

「糸色かぁ、変わった姓だよね」

「久藤君が先生と結婚したら糸色准ね!」

「いや、なんで男同士で結婚すんのよ」

 

何やら背後で、カツカツと黒板に書いている音がする。

まずい、この流れは!

 

「ちょっ、待っ!」

「あぁ、絶望……絶望先生!?」

「くっつけて書くな!」

 

せっかくここまで話題にならなければ、もう言われないと思っていたのに。

横書きで『糸色』を『絶』と合体させ、『望』と合わせれば、人の名前としては印象最悪の絶望になるのだ。

このまま気がつかれないようにと思っていたのに。

あれだけ話がそれれば、読者も「あの原作の流れは無しかぁ」とか思っていたかもしれないのに。

 

「風浦さん、また貴女ですか」

「すみません。離して書きますね」

 

先ほどの抱いた抱いてないのくだりよりも随分と罪悪感を感じている顔で、黒板の左端に『糸』、右端に『色』と書く風浦さん。

 

「逆に気を使われすぎで気まずい!?」

 

あれだけやんややんやと盛り上がっていた他の生徒も、憐れむような目で私を見ている。

初対面の大勢の高校生に憐れまれることに絶望した。

 

 

 

 

 




風浦可符香(P.N)
CV常月まとい

本日の欠席生徒
■■■
小森霧
関内太郎
常月まとい
日塔奈美──以上五名


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春の早朝。
堤防で犬の散歩をしていたら、大人の玩具が落ちていました。
周囲には他に人影はない。
きっと春の風物詩な変態さんも、コロナ禍で密にならぬような時間に遊んでいたに違いない。
皆さんもコロナがおさまるまで、もう少しの間だけでもTPOを弁えましょう。


恥の多い人生を送ってきた自覚はある。

むしろ今生に限った話であっても、何か人に誇れるものなど思い付かず、他人に話すのも憚れる愚かな間違いばかり。

人格破綻している両親の間に生まれたのが間違い。

幼い頃に度胸試しに河童と相撲をして、尻子玉を抜かれる間違い。

小学生の頃に担任の先生を「お母さん」と呼んでしまったのも間違いであれば、間違って呼んだことを認めると恥ずかしかったので、そのまま先生のことを「お母さん」と呼び続けたら何故か母が学校に乗り込んできて担任と喧嘩になった間違い。

しばらくして先生が不自然に転勤になったことに、実家の圧力があったと知らなければ良かった。

精通した時に妄想した相手が義母(景兄さんの母)だったり、その事をあろうことか幼馴染みの女の子に知られた事も間違い。

幼馴染みを好きになった事も間違いだし、告白しようとあの日あの時あの場所に彼女を呼び出した事が人生最大の過ち。

彼女に操を立てると誓ったのに、別の女性にたまに性欲を掻き立てられる事も、自分が節操無しに思えて虚しくなる。

 

「やはり私は死んだ方がいいのでしょうか」

「はぁ……私は確かにカウンセラーですけど、生徒達のためのスクールカウンセラーなんですが」

 

私は、目の前に座る新井智恵という女性に相談していた。ショートカットの髪型に、切れ長の瞳。

女性らしい凹凸のある体。

常に冷静沈着で物静かではあるが、カウンセラーらしく相手に真摯に向き合って会話してくれる女性である。声はなんだか妹の倫とそっくりであり、未だに独身なのが信じられない美女でもある。

命兄さん経由で知り合ったので、もしかしたら兄の婚約者候補だったのかもしれない。

あぁ、兄が熟女マニアでなければ新井先生も今頃は結婚できていたやもしれず……申し訳ない。

 

「また何か変な事を考えていそうですね」

「あぁ、いえ……すみません」

「私としては、貴方が適任と思ってへ組の担任に推薦したので、簡単に死なれては困りますが」

「困ってくれるのですか?」

「多少は」

 

そう言って、傍らの机におかれたコーヒーを手に取る新井先生。

足を組み、コーヒーカップに口をつける。

それだけの動作で充分に絵になる女性に、自分が必要であると言われるのには嬉しくもあるが、何故か同時にリップサービスというか、困るには困るが代替のきかない人間ではない的なニュアンスの言葉が、本来なら後に続いていそうだとも思えた。

これは深掘りしないほうが自分の精神衛生上よろしかろう。

 

「しかし、何故私に教師を?」

「教員免許を持っていたからでは駄目ですか?」

 

質問に質問で返される。

睨まれているわけではないのだが、新井先生は目力が強いので、つい視線を反らしてしまう。

今はまだ、正直には話してはくれないのだろうと理解してしまった。

 

「……じゃあもうそれで」

 

ここで強く尋ねられないあたり、私はやはり気が弱い男である。

 

「糸色先生はバタフライエフェクトをご存知ですか?」

「蝶の羽ばたきが、大きな台風やハリケーンにとかいうあれですね」

 

日本ではバタフライ効果という呼び名の方が有名だろう。そのまま蝶々効果と直訳する場合もある。

些末な事象が切っ掛けで、やがて大きな事象が起こることだ。

 

「そうです。もしかしたら貴方が間違いだったと思う行動のなにがしかが切っ掛けで、巡りめぐって大勢の人をを助けていたかもしれませんよ? 」

 

彼女達が救いを求めていたかは別として。

 

「それは随分とあれな考えでは……でも、そうですね」

 

かなり傲慢というか、都合の良すぎる考えではあるが、私の精神は救われる。

はぐらかそうと出た話かもしれないが、私は重なりあう罪の意識が多少は軽くなった気がした。

 

「私のせいで彼女を死なせてしまった負い目が柔いだ気がします」

「他人の私から言わせれば、先生の幼馴染みを殺したのは車を運転していた人間であって、先生が手をくだしたわけではないのだから、ちょっとは前向きになってもいいんですよ」

 

彼女を車で轢いた人間は逮捕されている。

赤木杏の事を忘れるわけではないが、あまりに罪の意識が重ければ、彼女の魂を現世に繋ぎ続けることとなるだろう。

 

「少なくとも、彼女には……彼女達には貴方が必要でしょうから。今のあの子達を見てあげてください」

「はい。あまり教師としての自信はありませんがやるだけやってみます」

「教師として寄り添うのが無理なら、男として寄り添ってあげてもいいんですよ?」

「はは、またまた御冗談を」

「冗談ではありませんよ。糸色家と生徒達の保護者とも話し合いは終わっています。同意の上であればどんどんどうぞ」

「……は?」

 

初耳である。

それではまるで、成人しても嫁の一人も決めない私に、嫁をあてがうための見合いではないか。

というか、美女が無表情で指で作った円に、別の手の人差し指を抜き差しするのはちょっとくるものがあるのでやめてほしい。

 

「ちなみに私は対象外です」

「……はぁ」

 

こんな時にはどういった反応をすればいいのだろうか。あとはやはりこの件にも実家が関わっていたのかと再認識した。

 

「ま、まぁ生徒達にも選ぶ権利はありますから」

 

玉虫色な言葉でお茶を濁そうとしてみる。

 

「今はそれで充分です。ただ、その時が来たら受け入れてあげてください。時に先生……2のへに長らく不登校な生徒がいるのをご存知ですか?」

 

これ以上は話を詰めても私が逃げると思ったのだろう。新井先生は話題を変えてきた。

不登校──確かに、初日である昨日の時点で欠席だったのが五名。内四名は今日も引き続き欠席のままだった。

関内太郎、小森霧、日塔奈美──そして■■■。

常月まといという少女は出席していたのだが、何故か昨日は風浦可符香を名乗っていた女子であった。

絆創膏も膝につけていたし、声も昨日と一緒。腰の形も一緒。ただ、人格が変わったかのように仕草や口調も別のものになっていたし、昨日は風邪で休んだと言い張っていた。髪型も違っていたし、髪留めもしていない。

代わりに今日は何故か委員長の木津千里という少女が風浦可符香を名乗っていた。そのまた代わりに木津さん自身は休みだと言う。

外側である肉体が木津さんなのに、中身がまるで人格が変わったかのように風浦さんだった。

赤木杏に似た仕草をする風浦可符香になって、✕形の髪留めをしていた。声は木津さんのものなのに、風浦さんの口調なのだ。

生徒の悪戯にしては度が過ぎているし、他の生徒達も彼女を風浦可符香と認識していて、あの教室の中では私こそが異端であった。

正直訳が解らなかったが、私の危機感知のセンサーが深入りすれば致命傷になると囁くために、話を合わせた。

いつかこの事も、命兄さんや新井先生から聞き出せるのだろうか。

 

「その中の小森さんは一年生の半ばから一度も登校していないのです」

「長いですね」

 

普通に考えれば出席日数が足りないだろうに、よく進級できたものである。

不登校よりも明らかに何か問題がありそうな生徒もいるので、特殊な事情も絡んでいるのかもしれない。

 

「放課後、家庭訪問して様子を見に行っていただけませんか?」

「解りました」

 

行って解決できるとも思わないが、先程思い直したばかりである。

今回ばかりは新井先生の言葉に素直に頷いた。

相談室を出て、ふと気づく。

はて、新井先生は何故に私の幼馴染みの死因を知っていたのだろうか?

彼女には、幼馴染みが死んだことは話しても、車に轢かれた事は話していないというのに……

 

「糸色先生でなければ駄目なんですよ。彼女達にとっても、貴方にとっても」

 

扉を閉めてから新井先生が何か一人言を口にしていたが、何を言っていたのかは私には聞き取れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放課後、小森さんのお宅へと向かう。

電車にして学校の最寄り駅から一駅という距離であった。

駅から出て、踏み切りの先の住宅街にあるらしく、私は遮断機が開くのを待っていた。

カンカンカンカン───と独特の音と、赤く点滅する信号。それらを眺めていると、なんだか唐突に線路に飛び込もうとする人の気持ちも解らないでもない。

 

「危なーい!!」

 

急に背後から力強く押された私は、電車の迫るなか遮断機の向こう側へと倒れこんでしまった。

 

「ひぃ!?」

 

なんとか体を捻り、電車に接触することは免れたが、危うく死ぬところであった。

 

「死んだらどうする!?」

 

振り返ると、危ないと言いつつ私を思い切り押した風浦さん(木津さん)がいた。

彼女は全く深刻そうな様子を見せないまま、軽くごめんなさいと私に謝る。

 

「もし先生が死んじゃっても一人で逝かせません。私も一緒に逝きますよ」

「貴方と心中するつもりはないのですが」

 

昨日命を粗末にしてはいけないとか言ってなかっただろうか?

もしくは、昨日は常月さんで今日は木津さんが演じているので知らないのか。

 

「その時は冥府で夫婦となりましょう。もしくは来世」

「はぁ」

 

これは遠回しに女子生徒からの告白と受け取って良いのか。

違うか。この子はその場のノリで言ってそうだ。

 

「で、何してるんですかこんな所で」

「ウチ、近所なんですよ。先生こそ何してんですか?」

「それが家庭訪問なんですよ」

 

特に隠すことでもないので説明した。

何故か風浦さんが隣を歩いてついてくるが、まさか小森さんのお宅まで同行する気だろうか?

しかし好都合でもあるのか。

小森霧のひきこもった原因が何かを私は知らない。

内容如何によっては教師の言葉よりも同級生の言葉のほうが反応がいいかもしれない。

多生の打算もあり、私は彼女の同行を許可した。

 

「ここですね」

「ええ、小森さんのお宅です」

 

たどり着いたのは、外観としては可もなく不可もない中流階級の家そのもの木造二階建ての一軒家。

インターフォンを鳴らせば出迎えてくれたのは、疲れた表情をした女性だった。

小森霧の母親で、話を聞くに母子家庭らしい。

母子家庭それ自体は珍しくもないし、金銭的に困っているわけではないようだが、娘がひきこもりのために精神的に追い込まれて余裕もないのだろう。

 

「先生、あの子をよろしくお願いします」

「はい。できる限りのことは」

「いっそ外に出せたらそのままあの子をもらってやってくださいな」

「え、いや、あの……」

「今でこそあんなですが器量は良いので。娘は外に出しても、アレは中に出していいんで」

「その手やめてください」

 

人差し指と中指の間に親指を挟んで握りこぶしを作っている小森母。

前言撤回、この人結構余裕ありそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

案内されたのは二階の奥の部屋。

母親が扉をノックするも、中に気配は感じるが無視しているようで反応がない。

ノブには鍵がついていないようだが、小森母が扉を開けると数センチしか動かない。

どうやら内側からチェーンをかけているらしい。

それも自分で追加したのか、複数のチェーンが見えた。

 

「霧、ここ開けなさい」

「来んなよ! 帰れよ!」

 

部屋の主が扉の隙間から顔を除かせ、こちらに向かって怒鳴ってきた。

自分の領域に侵入しようとする人間へ威嚇しているのだ。髪も長い間切っていなかったのか伸び放題で、口許以外は髪で隠れてしまっている。

 

「いい加減にしなさい!」

「五月蝿い!」

「先生も来てくださってるのよ!?」

「知るかバカ!」

「お友達の風浦さんも来てくれてるのよ!」

「もっと知るかバカ!」

 

これは中々の本格的なひきこもり。

しかし母親相手でも口汚く罵るあたり相当ではあるが、口が悪くとも罵倒の言葉がバカくらいしか出てこないあたり元の性格はいいのかもしれない。

親相手でも平気で「死ね」と言ってしまうとアウト判定である。

 

「どうしますかね。私もたまに趣味でひきこもりますが、ここまで本格的なひきこもりを外に出す方法が思いつきません」

「やだなぁ先生、そんなテレビや新聞でしか見たことのないひきこもりが身近にいるわけないじゃないですか」

 

またこの娘が何か言い出した。

 

「じゃあ、あれはひきこもりではないと?」

「そうです。座敷童子です」

 

座敷童子───日本の妖怪。子供の姿をしていて家に憑き、その家は座敷童子のいる間は繁栄をもたらされるとされている。反面、出ていかれるとたちまち衰退するとも言われている。

 

「あの座敷童子ですか」

「ええ、あの座敷童子です」

 

だからむしろ出してはいけない。ひきこもりではなく座敷童子なのだから、好む物を置いて居心地が良くして長くいついてもらわなければいけない……とのことらしい。

ひどくポジティブな考え方である。

だが、押して駄目なら引いてみろともよく言われるのであながち間違いともいえないのか。

天岩戸にお隠れになった天照大御神も、押して駄目なら引いてみろの成功例ともいえるだろう。

日本の神話で証明されている。

今でこそ内側からしかチェーンがかかっていないため、本人が出たければトイレなり風呂なりのために出ているのだろう。

それすらしないようなレベルのひきこもりもいるだろうが。

逆に本人が出たいという状況に持ち込むわけだ。

周囲の人間が声をかけるなんてことはやりつくしているだろうし、やってみる価値はあるだろう。

 

「それは?」

「座敷童子用のトイレ(小)です」

 

いつのまにやら風浦さんが、空の2リットルサイズのペットボトルを手にしていた。

そのボトルを扉の隙間から放り込む。

 

「それは?」

「ろ過装置です。これで水分に関しては自己完結できます」

 

いつのまにやら風浦さんが、漏斗とビーカーやアルコールランプなどを再び部屋の中に放り込んだ。中でビーカーの割れる音がする。「変なもん入れんな!」と小森さんが怒っていた。さもありなん。

 

「……それは?」

「座敷童子用のトイレ(大)とコンポスターです」

「どこから出してきたんですか?」

「企業秘密です」

「さすがにそれは乙女の尊厳が死ぬでしょうからやめてあげなさい」

「先生がそうおっしゃるなら、では次にお友達です」

 

アヒルのデザインのおまると、直方体の箱を入れようとするのを阻止する。

すると代わりに風浦さんは、次に鞄から藁人形を数体取り出して部屋に放り込んだ。

日本人なら誰もが知る丑の刻参りに使われるものである。さすがに小森さんも知っていたのだろう。部屋からは先程までの怒りと違い困惑の声が。

雲行きが怪しくなってきたのを感じたかもしれない。

 

「いつも持ち歩いているんですか? 藁人形」

「さあ、あとは封印するだけですよ」

 

無視された。

本当にするのかと確認する間もなく、扉が開かぬよう板を打ち付けていく風浦さん。

何故か金槌の代わりにスコップを使って釘打ちしているが、むしろ職人並に速い。

 

「そのスコップはどこから?」

「……ふぅ、乙女の秘密です」

 

あっという間に作業を終えた風浦さんが、額の汗を拭うと華やかな笑顔でそう答えた。

背後の扉では、出られなくなったことを悟った小森さんが、バンバンと扉を叩いて抗議している。

 

「おい、何してんだ開けろ! 勝手なことすんな! ひぃ、なんかこの藁人形動いてる!? 怖い!」

「あぁ、小森さんがパニックで幻覚を」

「あの藁人形にはヒロシ君とサナエちゃんと水木しげるの魂が入っていますから、そりゃ動きもしますよ」

「なんですかそれは!」

 

貴方そんなもの入れたんですか?

部屋の中で小森さんが錯乱しているのか、悲鳴と一緒に物が壊れる音が聞こえる。

さすがにこれば不味いと思い直し、扉に打ち付けていた板を外そうと試みる。

しかし私が扉を解放する前に、小森さんは中からテレビや家具を叩きつけて自力で扉を破壊した。

 

「おぉ!」

「さすがは座敷童子。日本を代表する妖怪のはしくれ、簡易な結界では封印できませんか」

「ひぃい!?」

 

心霊現象のように、まだ日も暮れていないのに急に真っ暗になる。

 

「どうか座敷童子様、お部屋へお戻りください」

 

風浦さんを中心に何処からともなく現れた蝋燭の灯りがずらりと並び、廊下を照らし出す。

たかだか数メートル程だった廊下は何処までも伸び、天井には無数の注連縄。壁一面に札がはってあり、床全てを埋め尽くす数の半透明な子供達。

子供達はそれぞれが皆、日本人形を抱いている。

半透明の子供達と、抱かれた人形。

その全ての目が小森霧を凝視していた。

 

「ほら、こんなにお友達がいっぱい」

 

恐怖が臨界点に達したのか、小森さんはその場にくずおれた。

最早悲鳴もなく、毛布で身を守るように包みながら、部屋の角でぐすぐすと泣きじゃくっている。

さすがにやりすぎである。

いつのまにか半透明の子供達や人形は消え、元の廊下に戻っていた。

 

「では先生、あとはまかせました」

「あっ、ちょっと」

 

ここまで追い詰めた元凶は、小森さんが泣き出したとたんに逃げ出した。

泣いている少女を、それも原因の一端をになったような状態の少女を放置して逃げられるほど、私は図太くなれない。

最早扉もないので、そっと部屋に入ってみる。

色々と散らかってはいるが、それは先程の錯乱状態の時に扉を開けようとして散乱したものだろう。

その証拠に、ゴミの類いは落ちていない。

想定していたよりもずっと綺麗で、無臭ではないが、臭いも気になるほどのものではなかった。

 

「怖がらせてしまいましたね」

「ぐず、ひっく……?」

 

小森さんに目線の高さを近づけるために、隣にしゃがみこんだ。

年頃の少女の慰めかたなど知らないので、取り敢えずは幼子をあやすように頭を撫でてみる。

少なくとも触れることに対して拒絶はされてはいないようだ。

 

「貴方の新しい担任ですよ。初めまして、糸色望といいます」

 

名乗ると顔をこちらに向けてくれたが、髪が邪魔で顔は見えない。

あれだけ視界が塞がれて、小森さんからは見えているのだろうか。

 

「えっ、……あ……えっと……」

 

おそらくは他人とまともに会話するのが久しぶりなのだろう。先程の怒鳴り声や泣き声と違い、小さな口から出てきた素の声は可愛らしい声だった。

しかし久々すぎて、声の出し方が解らずにかすれてしまっている。趣味で一週間ほどひきこもっただけで、私でも声が咄嗟に出なかった覚えがある。

半年以上なら尚更だろう。

 

「こ、もり……きり……です」

「はい。よろしくお願いします」

 

私は我の強かったり、無駄に陽気で落ち着きのない人は苦手ですが、彼女のようなおとなしい人間は好ましく感じる。自分自身が根暗な性格だからだ。

 

「なんだ。ちゃんと自己紹介できるいいこじゃないですか」

「わたし……いいこ?」

「そうですね」

 

長らく引きこもっていても、やはり根はいいこなのだ。

撫でる手を止め、隣に座る。

いきなりひきこもりの原因までは、初対面の私には話してくれないかもしれない。

むしろ、よく知らない生徒の闇の根幹を初っ端から聞き出す勇気が私にはなかった。

 

「思っていたより綺麗ですね」

「えっ?」

「私の部屋よりも綺麗なんじゃないですかね」

「あっ……そっち」

 

私自身あまり会話の弾む性格ではない。

ただ、普段は何をしているのか。趣味はなんなのか。犬派か猫派か。おすぎ派かピー子派か。赤いきつね派か緑のたぬき派か。茸か筍か。

そんな他愛もない会話をぽつりぽつりと続けた。

気がつけば外は暗くなっており、窓から入る月明かりと、破壊されたままの扉から入る廊下の電気しかない薄暗い状況だった。

なんとなく、前髪で隠れていてはさぞや暗いだろうと思った。

 

「失礼」

「あっ……」

 

一言断り、小森さんの前髪を指で開く。

そこから覗いたのは、未だに幼さが残るも二重に長い睫、すっと通った形の良い鼻、かさついた様子のない潤った唇。

そして陽にあたらないせいか染み一つない白い肌。

 

「美人だ、しかも色白」

 

つい口から出た言葉はしっかりと彼女に聞こえていたらしく、薄明かりの中でも解るくらいに頬があかくなっていた。

肌の色素が薄いとこうもはっきりと表情に出るものなのだな、と思いつつ、何かが私を惹き付けた。

後から思い返せば、容姿としては似ていないはずなのに、初めて風浦可符香に出会った時のように小森霧の中に赤木杏の面影を見たのだ。

行動に移してしまった時点で、初対面の彼女にこんなことをする気はなかったと語っても説得力はないだろう。

しかし、私の意志に反してこの手は彼女の頬に触れ

、なめらかな肌の上を滑り顎に触れ、そして彼女の華奢な細い首筋に到達した。

 

「……ん」

 

意識外の行動とはいえ、私もさすがに、彼女が抵抗すればやめていただろう。

だが、初対面であるはずの男にここまで触られても、彼女は嫌がる素振りも見せない。

別に彼女が男に慣れているわけではないだろう。

この男性が極端に少ない世界では、男性遍歴のある女性はまれである。

現に彼女のそれまでの反応は、2のへの同級生達と比べても初心なものであったし、そもそもひきこもりをしていたのだから男どころか女との会話すら無かったはず。

しかし小森さんの潤んだ瞳は私を捉えたまま、嫌悪は見られない。

初めて会った男……しかも同意を得ずに首を絞めるという、前世では無理やりキスをするような乱暴を働いている男へ向けるものではない。

むしろ長年、それこそ前世から望んでいたものが目の前にあるかのようで……

 

「あ……がっ……」

 

私の両の手は、彼女の首を絞めていた。

小森霧を通して、かつての幼馴染みの首を。

一瞬、私の手に小森さんの手が触れるも、それは外そうと抵抗するものではなく、愛おしげに撫でるだけ。

苦しげに表情を歪め、酸欠で顔は青白く、それでいて瞳は恋い焦がれた雄に媚びる情欲を宿した雌のもので……

 

「い……ぃ……よ……?」

 

彼女は纏っていた毛布を床に落とすと、両手を広げて私を受け入れた。

その後は、情動に流されるまま。

 

日付が変わる頃には互いに一糸纏わぬ姿であった。

小森さんは満たされた様子で、穏やかに寝息をたてている。

情事が行われた臭いが充満していたため、窓を開けて換気する。

見事な満月が、私を嘲るように夜空に輝いていた。

あぁ、手を出してしまった。

しかも小森さんはやはり初めてだったらしく、布団に小さく染みを作った乙女だった証しを見て理解する。やっちまった……と。

あぁでもあの小森母ならば笑って許してくれるかもしれないと、さすがに報告しないわけにもいかないため一階に降りた。

あれだけしていれば、絶対に気づいていないわけがないので、逃げるという選択肢は取れない。

 

「先生、ありがとうございました」

 

私が一階に降りると、老齢の女性が待っていた。

数時間前に会った小森母はおらず、そこにいたのは祖母を名乗る女性。

傍らには、先程確かに会ったはずの小森母が写る遺影と位牌があった。

昨年亡くなっていたらしい。

では、私を小森さんの部屋まで案内してくれた女性は一体……いや、野暮な事は考えるのはやめよう。

御婆さんは虚空をみつめ、一筋の涙を流した。

 

「先生、どうか孫をお願いします」

 

これで娘も成仏できる、と泣いていた。

私は小森さんに書き置きを残して帰宅した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、朝のHRに小森さんの姿はなかった。

しかし、職員室で他の先生に小森霧が久々に登校してきたと聞いた。だが、授業には出ていない。

さすがに大勢の前に出るのはまだ難しいらしく、空き教室に籠っているとのことだった。

 

「小森さん、こんにちは」

「あ、せんせー♡」

 

空き時間に様子を見に行くと、毛布にくるまれ、何処からか運び込んだらしい一畳の畳みに座る彼女がいた。

昨日よりも声に明るさも出ているし、他の教師と会った時も挨拶ができていたようなので、一歩前進といった所か。

ただ問題が二つ。

一つは、この日を境に旧校舎にひきこもり、下校しないようになってしまったこと。

不登校から不下校になってしまった。

そしてもう一つは……

 

「せーんせ♡」

 

彼女の華奢な首に、サイズのあっていないぶかぶかな物ではあるが、最近流行りの婚約首輪がつけられていたこと。

その首輪のおかげで、首についた指の痕が隠されている。

 

「ふふ」

 

それを時折指で触れてみせ、私は貴方のペットなのだと主張するようになった。

 

 

 

 




風浦可符香
CV木津千里

本日の欠席生徒
■■■
木津千里
小森霧
関内太郎
日塔奈美───以上五名。


生徒紹介
小森霧──ひきこもり少女。チョロインその1。
長いひきこもり生活が影響してかかなり髪が長いが、綺麗好きではあるらしく髪型がぼさぼさだったり汚れていたりという描写は特にない、むしろ綺麗なストレートである。
ひきこもりでも家事は得意で世話焼きな駄目男製造機。
背は低いが発育は良い。よく漫画カバー裏でサービスしてくれるために多くのファンを虜にした。
ひきこもり設定のため、野外が舞台の話では出番がないが、アニメでは何故か知恵先生との百合描写などが追加されて優遇されている。やっぱスタッフも好きなんよな。
中の人はアジア一の声優が「たまんねぇ」と言って鼻の下伸ばすほどの声が出せるよ。
原作では父親が出たが、こちらでは元母子家庭というか、今は祖母と二人暮らしだった。


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かくしごとが映画になるぞー!
絶望先生も3分とはいえ映画になってたけど、今回はちゃんとした尺がもらえる映画!
でも絶望先生四期はないんだよ、藤吉さんの人がお亡くなりになってるから、きっと先生もゴーサイン出さないんだろうね……
私も松来さん大好きだったから解る。あの人じゃないと藤吉さんじゃない。
絶望少女が一人かけたら駄目なんだよ、全員でないと卒業させられない。
そういう意味で続編出ないことに嬉しくもあり、泣きたくもあり。
ふんがー。



新学期が始まって四日。

小森さんを抱いてしまった以外は、癖の強い生徒が多いもののなんとか授業を回せていた。未だに欠席のものもいるが……

■■■と、名前も顔も解らない生徒は未だに正体も解らぬまま。関内太郎、日塔奈美も来ていない。

今日の風浦さんも相変わらず別の人間だと思われる。初日は常月さん、二日目は木津さん、昨日はおそらく藤吉さん。

しかし今日はその誰でもない。明らかに別の女子である。常月さんの欠席は風邪か何かだろう。

やはり✕形の髪留めをして、口調も仕草も風浦さんだが腰回りというか、ほんの少しこう、非常にデリケートな差ではあるが、年頃の少女がダイエットとか言い出すような微妙なふっくら加減。

けして太っているわけではないが、あれは常月さんの腰付きではない。

他に欠席がない以上、もしかしたらあれが本当の風浦さんなのかもしれない。

小森さんに関しては、もう出席扱いで構わないと学校側でも判断された。

空き教室にひきこもってはいるが、勉学に関してはやる気がないわけではないらしく、一人で自習しているようだ。俗にいう保健室登校などと同じで、これならば出席扱いにしてもよいだろう。

 

『糸色先生、糸色先生、至急職員室まで来てください』

 

一限目の授業中、校内放送で呼び出された。

小森さんの件であれば、彼女が首輪をしている時点で教職員にはばれた。

ばれたのだが、お咎めはなく何故か誉められる始末。むしろ「この調子で頼みますよ」と校長に言われるあたり、子供を作る努力義務だの云々よりも、何か別の思惑が感じられた。

納得がいくかは別として、少なくともそれで決着したために今更授業中にその件で呼び出されるとは考えにくい。

 

「何の用でしょう? 先生は職員室にいってきますので、皆さんは自習でお願いします」

 

「はい」「やったー」と生徒が少しざわつく。そのままでも、この旧校舎にはこの学級しかないため迷惑はかけないだろうがそれはそれ。

 

「遊ぶ時間じゃないので、教室からは出ないように」

 

私は教室を出て、隣の新校舎にある職員室に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ストーカー?」

 

職員室で待っていたのは、うちの女子生徒である常月まといであった。

なんでも、付き合っていた男性にしつこくつきまとい勝手に合鍵を作ったり、不法侵入、盗聴、盗撮をして、今回ついに警察の御厄介になったようだ。

 

「ひきこもりの次はストーカーですか……」

 

やはり癖のある生徒ばかりが集められているのだろうか。

男性が少ないこの現代では、女性としては競争率も高いだろうし、惚れた相手に対して独占欲なり執着心なりが強く働いても多少は仕方のない面もあるかもしれない。

だがそれで実際の行為に発展するかといわれれば、自制するのが普通ではある。

まぁ、自制できないからこそのストーカーなのかもしれないが。そういった愛の重い女性が一定数いるため、ストーカー規制法も主に女性側に厳しい措置が取られる事が多い。最悪は収監されてしまう。

男性の場合子供を作ってもらわなければならないので、明確に法を犯していない限りは注意程度だ。

しかし、付き合っていた男性がいた割には婚約首輪もしていなければ、結婚しているわけでもないため指輪もつけていない。

 

「私、恋をすると駄目なんです」

 

伏し目がちに、常月さんは語りだした。

誰かを好きになると、その人の事ばかり考えてしまうこと。

今何を考えているのか、見ているのか、誰といるのか、何をしているか気になって仕方がない。

その人の事は何でも知りたいし、いつでも見ていたいし、いつでも声が聞きたくなるし、いつでも匂いを嗅ぎたくなるし、いつでも一緒にいると思えないと不安になる。

だから、恋をすると駄目。

現在の女子高生としては珍しく、男性遍歴のある娘だった。

容姿も整っているため、告白されても男性側も最初は断らなかったのだろう。

しかし毎度付き合う内に度か過ぎたストーカー行為に及んで振られたり、接近禁止命令が出されたりで関係を終えるしかなかったわけだ。

 

「どうしても好きになると駄目なんです。気になって5分ごとに電話したり、電話と同時にFAXしたり」

「ストーカー行為はさすがに相手に迷惑をかけますから、我慢しましょう」

「ストーカー……」

「何でいるんですか?」

 

いつのまにか風浦さんが背後にいた。

 

「教室で自習しているように言ったはずですが」

「面白そうだからついて来ちゃいました」

 

面白半分で場をかき回すのは本当にやめてほしい。

 

「でも先生、まといちゃんはストーカーなんかじゃありませんよ」

「いや、盗聴とかはどう考えてもストーカーでしょう」

 

それで警察の御厄介になっているわけで。

残念だが、自分の生徒をストーカー呼ばわりしたくなくとも現実逃避はできない。

事件一歩手前というか、有罪に腰まで浸かりそうな案件であり、このままでは担任の私の責任も問われてしまう。

 

「違いますよ。まといちゃんのは愛が深いだけです。いわばディープラヴ」

「女子高生にディープラヴを説かれても。深い愛というのはそれなりの人生経験を重ねて、本人に深みが出てこそですよ?」

「いえ、私のは風浦さんのいうとおり愛です! ただのディープラヴなんです!……ああ、タカシが今何をしているか気になる!?」

 

あぁ、また何か感化されてしまっている。

常月さんは立ち上がると、周囲の制止の声も聞かずに飛び出していった。

どうしよう、やはり担任としては追わなければいけないのだろうか。

昨日の今日で、今度こそ警察沙汰になれば逮捕案件間違いなしです。

 

「糸色先生、追ってください!」

「は、はい!」

 

結局、新井先生の言葉に反射で答えてしまった私は、常月さんの跡を追った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追いかけた先、彼女が誰かと言い争う声が聞こえてきた。

場所は普通のアパートの一室。どうやらここが常月さんの言っていたタカシという男の家だろう。

インターフォンを鳴らせば、半開きの扉から顔を見せたのは妙齢の女性だった。

 

「どちらさん? 今取り込み中だから後にしてほしいんだけど……」

「失礼、うちの生徒がご迷惑をおかけしていませんでしょうか?常月まといの担任です」

 

女性は不審者を見る様子だったが、私が常月さんの担任であると解ると、扉を開けてくれた。

女性の左手薬指には指輪があり、常月さんには無かった。

 

「良かった。あの子しつこいんですよね。連れて帰っていただけます?」

「解りました」

 

お邪魔します、と一言断り中に入る。

リビングと思われる場所から、男女の争う声、というよりも突き放す男とすがる女の構図そのままほ形だ。

 

「いい加減にしろよ。お前とは終わったんだよ!? 何度言ったら解るんだ!」

「そんなことない! だってあんなに愛しあっていたじゃない!」

「重いんだよ! ずっと言ってきただろ!?」

 

私が来たことにも気がつかず、先程から同じ問答を繰り返しているようだ。

 

「愛しあっていた、ですか……常月さん、貴女も本当は気がついているんでしょう?」

「先生……」

 

私に気がついた二人がこちらを見やる。

常月さんは罰の悪そうな様子で顔を伏せ、タカシと呼ばれた男は怪訝な視線をこちらに寄越してきた。

 

「誰だあんた」

「お邪魔しております。そこの常月まといさんの担任です」

 

部屋の主に軽く頭を下げると、私は常月さんの正面に立った。

 

「これ以上ご迷惑をおかけしてはいけません。帰りますよ」

「嫌です……」

 

面を上げ、こちらを睨む常月さんの顔は恋路を邪魔する不届きものへの敵意に満ちていた。

いくらまだ高校生といえど、美人が睨めば迫力もある。しかしそれは見た目だけ。

 

「常月さん、貴女とこちらの彼との関係は終わったんです。だからこそ貴女も過去形で言っていたではないですか……愛しあって『いた』と」

「ち、ちが……」

「自分自身でも答えが出ているのに、それを認めたくないだけなんです」

 

そもそも大人になればこのような過ちを犯さないというわけでもない。

人生は認めたくないことばかり。

誰しもが、主観的に物事を見たときには理不尽に感じる事を経験して、人生を歩んでいくのだ。

 

「私にも認めたくないことなどたくさん覚えがありますよ。むしろ、人生において胸はって認められることのほうが覚えがありません」

「……」

「それに、愛しあっていたとの事ですが、本当ですか?」

「どういう意味です? 私の愛が偽物だと?」

「いいえ、常月さん。貴女は確かに彼を愛していたのかもしれません。ですが、それは一方通行だったのではありませんか?」

 

私は彼女を見る。

形の良い耳には、かつて別の男に合わせてつけていたであろうピアスの穴が開いている。

今でこそピアスをつけていないし、その穴も塞がってきているようだが、それは彼女のこれまでの名残といえる。

私は彼女の首筋を見る。

数日前、風浦可符香として私の前に現れた時に、どうしようもなく惹き付けたあの首だ。そこに絞首の痕はない。男女の関係であっても、誰しもが頻繁にそういった行為をするわけではない。

二日もすれば痕など消えるし、関係が破綻していれば行為に及ばないのは尚更だろう。

だが、それだけだろうか?

常月まといという少女は魅力的な娘である。

そして健康的で女を知っている男が相手である。手を握るだけで照れるような中学生のカップルでもあるまいし、肉体関係もあったに違いない。

それでも、このタカシという男は常月さんの首を絞めた事すらないのではないかと疑問に思った。

いや、疑念ではなく予感というか。

私はトントンと指で首を示す。

 

「首を絞めていただけましたか?」

「それは……」

「別に絞首以外でも構いませんよ。他に類する事は……してないようですね。ただセックスするだけの、肉欲を鎮めるだけの相手だったのでは?」

「ば、馬鹿じゃないのかあんた。首絞めたら死ぬかもしれないんだぞ」

 

タカシが私の言葉に狼狽する。

身体だけが目当てだったかのような言葉に憤ったのもあるだろうが、絞首行為をしていないことを責めていると思われたのだろう。

ふむ、だがこの反応はトラウマ持ちか。

世の中に行為中の絞首が推奨され、義務教育でも教わるが、実際に行い相手を死なせかけたりでトラウマになってしまう男も一定数いたりする。

もしかしたらこのタカシという男もその類いか。

 

「相手になら殺されても構わない。そう思うから女性は愛した男に首を差し出してくれるのです。もし死なせてしまったその時は、男が責任を取ればいい。自害するのです」

 

命をかけた行為だからこそ、感じられる愛がある。

 

「それじゃ心中じゃないか!?」

「そう、相手といざとなったら心中できるかどうか……それこそ愛の深さ、ディープラヴなのです」

「ディープラヴ……」

 

願わくば、私の言葉が少しでも彼女の心に響いていれば良いのだが。

呆けている常月さんに再び向き直る。

 

「あっ……」

 

彼女の顎に触れて顔を上向かせる。

小森さんのいっそ病的なまでの白さとは違い、健康的な10代の少女の肌。滑らかな肌にそって視線を下げると、セーラー服の襟元から鎖骨の窪みが見えた。

あの時、無意識での行動に抵抗せずに、この少女の首を絞めていたのなら。

初恋の少女と重なって見えたあの時に、この手指を柔肌に食い込ませていたのなら。

私は、あの時の赤木杏の瞳にもう一度出会えていたのだろうか?

 

「私で良ければいつでも───」

 

───その後の言葉はあえて口にしなかった。

 

「……かえる」

 

常月さんは小さく一言、そう言って帰っていった。

彼女が帰宅したことでこの場は落ち着いたので、私も長居をする意味はない。

 

「お騒がせしました」

 

玄関を出たところで、タカシさんの奥さんだろう女性に声をかけられた。

 

「あ、あの!」

「はい、なんでしょう」

「お名前をお聞かせ願えますか?」

 

あぁ、常月さんがまた迷惑をかけた時には連絡が必要だからか。

 

「糸色望といいます。また常月さんの件で何かありましたら私宛に学校までお願いします」

「イトシキ先生……」

 

今度こそ、私はその場を去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学校に戻った私は、今日の事を報告した。

既に授業は全て終わっており、放課後のため、学校内には部活動に励む生徒以外はいなかった。

新井先生に、常月さんのこの一年の変遷を知る写真を見せられた。先生が把握しているだけで四人と付き合っていたらしい。

一人目が所謂アニメオタクだったが、私よりも年上の中年男。写真の中で彼氏とツーショットで映る常月さんは猫耳宇宙人の格好をしていた。

二人目は女性と付き合っていたらしく、ゴスロリ服を着ている。

三人目はパンクロッカーな女性とで、パンクファッションのドぎづいメイクに。おそらくこの時にピアスの穴を開けたのだろう。

そして四人目が先ほどのタカシという男性。先の三人と比べて普通なため、常月さんも普通な格好になったのか。

ただ、やはり一年で最低四人だと、彼女の恋はどれも長続きしていないのだな。

願わくば、生徒の次の恋こそは成就されることを密かに願っていよう。

 

「せーんせ♡」

 

帰宅するために荷物を取ろうとロッカーを開けると、そこに小森さんが入っていた。

どうやら私が戻ってくるのを待っていたらしく、ここなら必ず戻ってきた私と会えると踏んだのだろう。

 

「お昼休み来なかったから、心配したよ」

「それはすみませんでした。急な用だったもので」

 

昨日、昼食を一緒に食べようと言っていたことを思い出した。

どうやら新井先生がわざわざ説明しにきてくれたようで、怒ってはいなかった。

 

「うぅん。こうして会えたからいいよ」

 

えへへ、とはにかみながら嬉しそうに寄ってくる。

まだ出会って三日目だというのに、随分と甘えてくれる。

まぁ、あれだけの事をしたのだし、最早単なる教師と生徒ではないのだから当然ではあった。

 

「先生、今日はもう帰るの?」

 

待たせてしまっていた手前、このまま挨拶だけで解れるのも忍びない。

 

「そうですね、せっかくですし少し話しましょうか」

「……うん!」

 

適当な空き教室に入り、他愛もない話をした。

30分程で話を終えるつもりが、何故か小森さんに誘われた教室には布団が準備されており、学校を出たのはそれから2時間後の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、朝のHRに常月さんが遅れてやってきた。

 

「おはやうございます」

 

その姿は昨日までのセーラー服ではなく、私と同じく着物に袴、足元はブーツという大正を意識したものだった。

 

「ほほう、艶やかでいいですね。何かお祝いごとでも?」

「えぇ、とってもいいことが」

 

私が尋ねると、彼女はにこりと静かに微笑んだ。

 

「あの、先生……ご自分のピンチ解ってます?」

「何がです?」

 

何やら教室中の生徒が顔を青ざめさせているが、どうしたのだろうか。

この時は、まさか昨日の今日で彼女の想い人が変わるなど思ってもいなかった。

さすがに、ずっと視線を感じて、振り向けば必ず目が合うのですぐに気がついた。

教室を出ても視線は途切れず、私の数メートル後をずっとついてくる。

職員室に行っても、トイレに行っても、昼休みに小森さんと会っていた時も。

小森さんも視線に気がついたのか何かは知らないが、昼間の内から私に首を絞めろとねだってきた。

見られながらの行為に戸惑ったものの、彼女に対して責任があるので、乞われるままに首を絞めた。

放課後、業務を終えて帰宅途中、商店街での買い物中、近所の方と世間話中。

いつも視線を感じ、振り向けば電柱の影などに彼女の姿があった。

家に帰れば電話が鳴り、出てみれば「先生、お慕いしております」と一言だけ。それが数分おきにかかってくる。

電話が止んだと思ったら、先日ロール紙を換えたばかりのFAXが、「好きです」の四文字だけをひたすら繰り返してながし続ける。

30メートルの紙を使い終わって、物理的に止まるまで続いた。

これは、私が昨日した説教のようなもので常月さんが私に惚れたということでいいのだろう。

さすがにここまできて、考えすぎなどと頓珍漢なことは言うまい。

教師と生徒といっても、つい先日に前例を作ったばかりに、その言い訳は使えない。

まぁ、美少女に惚れられるのは男冥利につきるとして、タカシさんに迷惑をかけていないだけマシと割りきろう。

おそらくこれが他の生徒であれば簡単には割りきれないだろう。常月さんにどこか赤木杏の繋りを求めてしまっているというのは、なんとなく理解している。小森さんもそうだ。

彼女達の事情を、自分の都合のいいように解釈しているだけなのだ。

特例とするのに都合の良いと。我ながら屑である。

 

「……先生」

 

辺りの寝静まった頃、風呂を終えて寝間着に着替えた私は布団で寝ていたのだが、小さく聞こえた声と、布団を盛り上げる気配に目を覚ました。

恐る恐る布団を捲ると、闇のなかに光る双眸が。

 

「うひぃ!?……なんだ常月さんでしたか」

 

我ながら、情けない悲鳴をあげてしまった。

その正体は、ストーカー少女である常月まといであった。薄い藍色の寝間着を着て、布団の中で私の胸に抱きついていた。

 

「……どうやって中に入ったんですか?」

 

しっかりと鍵は二重に掛けていたはずだが。

 

「愛の力です」

 

愛があれば何をしても許されるというわけではない。その辺をもう少し理解させなければいけないらしい。

 

「夜分にすみません。どうしても私、我慢ができなくって……」

「いいですよ。いつでも、と言ったのは他でもない私ですし」

 

まぁ、常識的にせめて時間くらいは選んでほしいところだが、そうか、我慢ができなかったかぁ。

謝っているので、彼女自身もさすがにこの時間は非常識なのは理解しているらしい。

 

「それで、こんな夜更けにどうしたんです」

「あの……私にも小森さんのようにしていただけませんか? 解ってはいるんです。先生が他の女といることを咎めることなんてできないし、私はまだ先生のことを好きになったばかり。でも、小森さんのあの苦しそうなのに幸せそうな、先生との二人だけの世界を見せつけられると、私も先生に告白していただいた身ですが、まだキスしてもらったことはおろか、こうして身を重ねることも手を繋ぐこともしたことなかったわけですし……」

 

……あれ、私はこの子に告白したのだろうか?

私で良ければいつでも、とは確かに言った。しかし、それで告白したことになるのか。なるのだろうなぁ。

 

「不安になってしまった、と」

「……はい。先生が言ってくれた言葉は、その場凌ぎの嘘なんじゃないかって。淫らな女と笑っていただいてもかまいません。ですのでどうか私にも愛を教えていただけないでしょうか」

「そこまで卑下しなくとも良いですよ。それより、いいんですね?」

「あっ……はい」

 

彼女からそれを望んでくれるなら是非も無し。

私はそっと、彼女の首に両手を向けた。

 

「あ♡……ぎ、かはっ……♡」

 

ゆっくり、ゆっくりと力を徐々に込めていく。

恋い焦がれていた行為に、恍惚とした表情を浮かべる常月さん。

目尻に涙が浮かぶが、それは苦しさからではなく嬉しさからのもの。

瞳の中には私だけが映り込み、彼女から見た私の瞳にも、今は常月まといという存在しか映っていない。

彼女の両手がそっと伸びて、私の頬を愛おしげになでさする。

 

「い、と……し……き……せ……がはっ!?……はぁ、ごほっ! おぇ!?」

 

目を細め、意識が遠退きそうな予感から手の力を緩めた。

咳き込み、涙を流しながら悶える少女の柔肌は快感でさくら色に染まる。体勢を崩したせいで寝間着が乱れてはだけ、艶かしい生足と、官能的な胸元が露出する。

彼女は下着をつけていなかった。

 

「ぜぇ、ひゅー、ぜぇ……これが、愛」

 

息も絶え絶えでありながら、全身を小刻みに震えさせ、うっとりと蕩けた雌の顔を見せる。

 

「あぁ、愛しております。私の先生、私の愛し君(いとしきみ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その頃、糸色望の家の前の街灯の下に一人の女性がいた。彼女は先日、常月まといの件で顔を会わせたタカシという男性の妻であった。

 

「あぁ、糸色先生……なんて情熱的なの」

 

彼女が隠れている街灯から数メートル。

隣の街灯に隠れるようにして、タカシが妻を見張っていた。

 

「なんだアイツ、俺を放ってあんなモヤシみたいな男に夢中になりやがって……」

 

その更に隣の街灯には、タカシの姉が隠れてタカシを見張っていた。

 

「タカシちゃん、だからそんな尻軽そうな女と結婚なんてやめとけば良かったのに……」

 

その更に隣の街灯には────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日の学校にて。

小森さんの時は教室に来なかったために騒ぎにはならなかったが、常月さんは普通に教室に登校してきたために騒然となった。

堂々と私と同じような袴姿で、婚約首輪をし、肌は艶々としており、逆に私は色々と限界まで搾り取られて、自分では気がつかなかったのだが首筋にキスマークまでされていた。

先輩教師の甚六先生に「若いうちから無理しちゃいかんよ」と腰に貼る湿布薬を渡された。

 

 




風浦可符香
cv日塔奈美

本日の欠席生徒
■■■
関内太郎
常月まとい
日塔奈美───以上四名。

生徒紹介
常月まとい───惚れた相手に常につきまといたいストーカー少女。チョロインその2。
愛した相手に合わせてキャラが変わる。愛が重く、いつもそれが原因でふられている。
髪はショートカット。常に絶望先生といるために、途中からは案内役だったり説明役だったりと便利な舞台装置的役割も担う。きっと絶望先生を見ているうちに染まったんだろう。
当初はセーラー服で、あとは基本着物と女袴にブーツといった大正浪漫系に。
中の人は12人の妹の末っ子だったり、魔女見習いだったり、猫耳宇宙人だったりの人。ギャグからシリアス、童女から大人な女性や少年まで演じ分ける技巧派。
ポロロッカ星人の大学時代、この人のとある写真が原因でファンだった先輩が彼女と大喧嘩して別れる事になるほどの魅力的な方。


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祝、「さよなら絶望先生」原作カテゴリ内総評ランキング1位!……って作品4つしかないじゃないか。
総合のランキング、ウマ娘だらけで草。
面白いからね、そうなるわな。


2のへ学級の担任になってから最初の日曜日。

休みを満喫すべきであり、特にこれといって部活の顧問にでも任じられているわけでもない私は、仕事もないので家で本でも読もうと考えていた。

しかし今は、使われなくなっていた旧校舎の宿直室にいる。

釣った魚に餌をやらねば刺される。そういった男性を前世でいろいろ見てきた。

なので、自己保身的な意味合いもあったが、そもそも私のいないところで鉢合わせてトラブルになっても敵わぬと、小森さんと常月さんを互いに紹介することにした。

話は昨日、土曜日の半日授業を終えた放課後に遡る。

 

 

 

「そっか……」

 

小森さんは、私が常月さんと関係を持ったことを説明すると一瞬悲しそうに下を向いた。

だが、その事を責めたりはしないようで、こういった所が一夫多妻であることの違いかと再認識したのだった。

 

「仕方ないよね、男の甲斐性だし」

「これからよろしくね小森さん。先生の同じペットとして」

「一番は私だけどね」

「「…………」」

 

そこからは、どちらが私の一番かを競い、二人でマウントの取り合いであった。

しかし一時間もすれば互いを認めてはいるようで、少なくとも表立って争いはしなくなった。

 

「先生のことだから、多分来週にはどうせ女の子増えてるだろうし」

「この場の二人で優劣つけても、どうせ後で序列考え直さないといけなくなりますし」

 

そういう考えのもとの仲直り。

言外に節操がないとも揶揄されている。

誰でもいいわけではないのだが、この数日で二人となると反論できる要素がない。

 

「別に先生の手が早いってだけじゃないよ」

「ええ、私達と同じように、きっと先生でなければいけない娘が必ずいる。そんな予感がするんです」

 

彼女達と同じように。

彼女達の共通点、容姿も声も性格も嗜好も違う。

二人から見た共通点は、私を愛したこと。

それも、出会いからさして時間のかかっていない状況であっても、躊躇いもなく私に生死を委ねられる程に深い愛。

では私から見た共通点は?───首だ。

本来面影のないはずの、赤木杏に似た何かを感じ取って、気づけば狂おしいほどに絞首の欲が溢れた。他の女性を見ても、今までこのようなことは無かったというのに。

二人ともが同じく私の担当生徒。

もしかしたら、まだあの2のへにいるのだろうか。彼女達の共通点が。

 

「せんせー」

「先生、二人で考えたのですが……」

 

そういうわけで、土曜の夜から学校で、三人で過ごしていたのだった。

あとは、他の生徒の目のない所では名前で呼んでほしいとも頼まれた。これは私の考えが至らなかったのが悪い。将来的に籍を入れる予定なのに、そのまま姓で呼び続けるのも味気なかった。

夜はまぁ、当然のことながらやることはやったわけだが、思っていたよりも激しいものにならず、お陰で無事に腰を守れている。

意外だったのは、まといが女性の悦ばせ方を知っていたこと。過去の恋愛遍歴の中に女性と付き合っていることもあったようなので、その時に覚えたのだろう。あとは、まといを自由にさせると限界まで私が搾られるので、思い付きで拘束してみた所、彼女も私に束縛される行為をいたく気に入ったようで、私の体力的にも、互いにとって良い結果となった。

朝と呼ぶには遅めの時間に起き出し、霧の作った朝昼兼用の食事を三人で食べた。

後はのんびりと読書を楽しんだ。

30分おきに交代でどちらかが私の膝の上を、どちらかが背中にぴとりと寄り添っていたので、桜の咲く今の季節には心なしか暑くも感じたが、拒絶する気にもなれず、二人のしたいようにさせていた。

この一週間で最も穏やかに過ごせた1日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小節あびる───私の担任する生徒の一人である。

10代の若者らしく姦しい生徒達の中において、どこか大人びた印象をうける。物静かで人と話さないのではなく、あまり物事に動じず冷静に見ているところなどが、精神的に他の生徒よりも成熟している。

身長も同級生の女子の中で一番高く、相応に女性的な凹凸のある発育をしているため、より大人びた雰囲気を醸し出している。

髪型も左右におさげを作って垂らす、昔ながらの女学生らしいもので、最近流行りのものとは無縁であった。

しかし、彼女を一目見れば、誰しもが最初に注目するところは別にある。

 

「家庭内暴力の疑いですか」

「ええ、糸色先生にはご家庭を訪問していただいて、確認していただきたいのです」

 

新井先生が、新たに私に提案してきたことは、今朝の職員会議で議題にあがった小節さんの事だった。

普段から眼帯をしているが、毎日どこかしらに包帯や絆創膏、ガーゼといった治療痕がある。

初日に全員を抱き締めた時、他の女子達は、中には薄くコロンをつけている娘もいるのに、彼女からは湿布のような薬品臭がした。

特にここ最近で事故にあったわけでもないのに、あまりにも生傷が絶えない様子に、以前から家庭内暴力を疑われていたらしい。

そして今日は新たに左腕を折ってきたらしく、ギプスで固定したそれを首から吊っていた。

勿論、思春期特有の心の病などではなく、正真正銘の怪我である。

 

「しかし、本当にDVなんですかね」

 

それにしては本人に悲観した様子が見受けられないのだが。

小節さんの家庭は、珍しいことに父子家庭とのこと。

数ヶ月前に母親が離婚し、他の義母達はそれぞれの子供達と一緒に住んでおり、小節さんとは別居している。

父親がどこの女性とも一緒に住まず、年頃の娘一人と一緒に住んでいるというのは、かなり変わった家庭である。

特殊な家庭環境なりの問題もあるのかもしれない。

例えば別居の理由に、父親が家族に暴力を振るうなど……だとすれば、他の女性達が自分の子供を連れて逃げたとしても不思議ではない。

 

「写真を見る限りでは普通ですが」

「人は外見だけでは判断できませんしね」

「いたんですか?」

「ええ、ずっと」

 

新井先生に渡された小節父の写真を見ていると、背後からぬるりと覗き込んだまといが、私の独り言に反応した。

なんだか先程から、周囲の視線を感じると思えば、学校からずっと背後をついてきたようだ。

自分でいうのも何だが、最近は袴を普段着として着る人間は少ない。それも私のような男が。

そんな袴を着た男が、同じく袴を着て婚約首輪をつけているうら若き乙女を連れ歩いていれば目立つ。

何故か、まといは私の隣を歩かず、数歩離れた位置を付かず離れずついてくる。隣に来させようと立ち止まれば、彼女も足を止めた。

 

「隣を歩かないのですか?」

「大和撫子たるもの、男の三歩後ろを歩きませんと……」

 

男を立てるというやつか。

 

「それに私、ずっと先生を見ていたいので」

 

隣を歩くと、前を向かないと危ないから───と、私のペットになった今もストーカー気質は治っていないようだ。

最早校内に私が手の早い男だと広まってしまったので、周囲の目を気にしても仕方がない。

影で桃色教師とかヤ○チン先生とか滑稽な渾名で呼ばれているに違いない。

仕方がないのだが、その事に軽い絶望を覚えた。

 

「貴女は小節さんの事について知ってますか?」

「そうですね、私はあまり彼女と交流もないので詳しくは……ただ、一年の頃から怪我は絶えなかったようですが」

「ふむ……ん?」

 

商店街に差し掛かった所で、写真と同じ人物を見掛けた。小節さんの父親だ。

仕事帰りなのか、スーツを着た中年男性で、眼鏡をしている。見た限りではどこもおかしくはない。

まぁ、えてして家庭で暴力的な人程、外面は善人にしか見えなかったりするのかもしれない。

小節父は、まっすぐ家に帰ることなく、一件の金物屋に入っていった。

 

「普通、スーツを着たまま、仕事帰りに金物屋寄りますかね」

「さぁ」

 

小節父は店に入ると、買うものを決めていたのかフライパンを手に取った。

手に馴染むかを確認するようにひっくり返し、底をこんこんと指で軽く叩いている。

一見調理道具の具合を確かめているようだが、果たして、本当にそうだろうか?

家庭の調理場は、女子力をアピールするための女性の戦場であり、一人暮らしや料理人でもない限り、普通は家庭を持つ男が料理などしない。

あの動きは炒め物でもした時の動きを確かめたのではなく、テニスラケットのようにして娘を殴打する動きなのでは?

思えば、小節さんの腕や足には打撲傷の痕もあったはず。

 

「そのフライパンを何に使う気ですか!?」

「……え?」

「店主!」

 

急に大声を出した私に、戸惑っている小節父。

その間に、店主に駆け寄り耳打ちする。

 

「何ぃ!? 熱したフライパンで娘の尻を叩くだと!? そんなやつに売る商品なんかない! 帰れ!」

 

店主、私はそこまで言ってないが……

塩を撒かれた小節父は、何故ばれたのか解らなくて戸惑っているのだろう。困惑した顔で退散した。

次に彼が入っていったのは自転車屋。

空気入れを手にとって値段を確認している。

 

「さすがに空気入れは普通の買い物でしょう」

「いいえ先生、そうとも限りません」

 

私の後ろを歩くまといには、何か思いあたることでもあるのだろうか。

 

「もしかしたら、口から空気を送り込んで虐待する気やもしれません……店主!」

 

まといは素早く店主のもとへ駆け寄ると、そっと耳打ちした。

 

「……何ですってえ!? 娘のし、し、し、下の口から空気を送り込んで虐待する!?」

 

店主は鬼の形相で、小節父に塩を叩きつけた。

再び、彼は困惑した顔で退散していく。

 

「何て危険な奴かしら。緊急の連絡網で商店街の皆に知らせなきゃ」

「よろしくお願いします」

 

FAXで拡大コピーした彼の写真が、各店舗に流れていく。

その後、様々な店舗を回るも全てで塩を撒かれて追い返され、小節父のスーツは塩で白くなっていた。

 

「凄まじいですね。日常に溢れる物を何でも虐待のための道具にしてしまうとは」

「えぇ、まさかここまで恐ろしい相手とは」

 

私とまといが戦々恐々していると、一通の電話がかかってきた。

私の携帯は学校支給のもので、番号は家族と学校関係者しか知らないため、必然的に内容が限られる。表示されている番号は新井先生の業務端末だった。

 

「どうされました?」

『糸色先生、緊急事態です! すぐに来てください! 風浦さんが!?』

 

どうやら、家庭訪問は後回しになりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

急いで駆け付けたのは、隣の市にある動物園の猛獣ゾーン。

高い塀で出られないように囲まれた場所は、ベンガルトラの展示場所。

数メートルの高さの塀など、虎の身体能力では越えてきそうだが、何故に檻で囲っていないのか?

その塀の中をたん瘤を作った風浦さんが、目尻に涙を溜めながら、くの一のような身のこなしで虎から逃げ回っていた。

何でも、ぼうっとしていて落ちたらしい。

だから塀ではなく檻でなければならないのに。

確か今日の彼女は、左目の下に泣き黒子のある加賀さんだっはず。

近い場所にいたとはいえ、タクシーで飛ばしてもらっても到着に15分はかかっている。その間、ずっと逃げ回っていたらしい。

 

「すごい身体能力ですね。今なんてちょっとだけ壁走りましたよあの子」

「あら忍者みたい」

 

それでもさすがに、この高い塀を昇りきることはできそうにない。

 

「二人とも感心してる場合ですか!?」

 

いけない。一瞬現実逃避してしまった。

状況が状況なので、新井先生が珍しく狼狽えている。

 

「係の人には?」

「もう既に連絡していますが、虎が興奮しすぎで飼育員の人でも危ないそうで」

 

それで客に被害が出ては駄目だろう。

ついに、隅の方に追い詰められた風浦さん。

このままでは襲われてしまう。

 

「わ、私なら大丈夫です!」

「風浦さん!?」

 

泣きながら逃げていた風浦さんは、どうやら覚悟を決めたようだ……食べられる方向に。

その表情は聖母のようで、自分に今にも食らいつかんとする猛獣を慈しんでいた。

 

「金光明経という仏教の本に『捨身品』という章があります」

 

釈迦が、前世で空腹の虎に自らの体を食べさせて、徳を積んだ結果、来世でお釈迦様として敬われるようになったというものだ。

 

「だから虎に食べられても大丈夫! 来世で私神だなら!!」

「こんな時にまでなんてポジティブな意見」

「さすが風浦さん」

「ポジティブなんかじゃありません!!」

 

虎が飛びかかろうとし、見守っていた誰もがもう駄目だと思った時───「ラインバック!」と大きく響く声がした。

そこにいたのは、Tシャツとツナギ姿の小節あびるであった。

教室では見せたことのない満面の笑顔で、明るい声で、体中ボロボロなのに怪我を感じさせない姿で虎を呼ぶ。

 

「グルル」

「おいでーラインバック! いいこいいこ!」

 

小節さんの声に反応した虎は、まるで大きな猫が甘えてじゃれつくように彼女に飛び付いた。

自身よりも大きな虎を抱き留めきれず、そのまま背後に倒れる小節さん。

ゴチッという、頭をぶつけたらしき音が塀の上にいる私の所まで聞こえてきた。

しかし、気にする素振りも見せずに、彼女は虎と戯れている。

 

「いいこにちてまちたか~? よ~ちよちよち!」

「グルグル」

「今日も元気いっぱいでちゅね~、わしゃしゃしゃしゃ!」

「ゴロゴロ」

 

どこぞのムツゴ○ウさんのように、文字通り猫可愛がりする。

その、猫を買い始めた独身女性を彷彿とさせる、普段からは想像もできない声の高いトーンと赤ちゃん言葉に、小節あびるを知る周囲の人間は軽くひいてしまっていた。

しかし、きゃっきゃと満面の笑顔ではしゃいでいた彼女が急に真顔になった。

 

「あっ……」

 

軽い声を出して固まる小節さん。

何かを言っているが、ここからでは声が小さくて聞こえない。

 

「今、あの子『折れた』って言いましたよ」

「この距離で聞こえたんですか?」

「いえ、読唇術です」

「……すごいですね」

「先生のお役に立てて何よりですわ」

 

……これは迂闊な独り言も言えない。

ストーキングで培ってきたであろう、無駄に高いまといのスキルに戦慄した。

ラインバックという虎と小節さんが戯れている間に、風浦さんは他の飼育員に無事回収されていた。

虎には新しい餌が与えられ、負傷したらしい小節さんも出てきた。

 

「大丈夫でしたか、小節さん?」

「あら先生、と常月さん……動物園デート?」

「そうよ」

「違います」

 

私は、小節さんの仕事が一段落するのを待って話しかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふむ。つまりDVではなくて、動物と戯れていた結果、怪我をしてしまっていたと?」

「ええ、私動物が大好きで、一緒にいるとすっごく癒されるんです。だからここでバイトを」

 

将来は、趣味と実益をかねて動物に携わる仕事をしたいらしい。随分としっかりとした考えを持った子である。

父親からの暴力は完全な杞憂だったようだ。

小節父には悪いことをした。今時しっかりとした娘さんを育てたいいお父さんではないか。

私が子供を育てたらこうはいくまい。もし仮に、私が男手一つで育てようものなら、きっと父に似て根性無しの、他人に後ろ指刺されるような子供に育つに違いない。

背後で、私の考えを読んだまといが、「私、私」と自己主張しているが、ストーカー気質な彼女では、男に尽くすいい女にはなりえても、良き母になるかと問われれば、まぁ、変な教えとかしそう。

 

「私、本当に動物が大好きで……正確には動物のしっぽが好きなんです」

「尻尾ですか?」

「先生、尻尾じゃありません。しっぽです。漢字使わないでください」

「どちらも一緒では……?」

「違います。しっぽの方が可愛いんです」

「はぁ……」

 

何か、並々ならぬ拘りがあるようだ。

教室ではいつも疲れた目をしていたが、今は見たことがない程に爛々と目に活力が漲っている。

 

「あんまり可愛いから、いつしかしっぽを引っ張る癖がついてしまって……あのぴょこっとしたものを見ると引っ張らずにはいられないんです! でも、動物って基本しっぽを引っ張ると嫌がるから、その時に反撃されたりで、怪我をするのはそういう時が一番多いかな?」

「それはある意味、貴女が動物を虐待しているのでは……」

 

呆れている私に、風浦さんの件を学校に電話で報告していた新井先生が声をかけてくる。

 

「何にせよ、糸色先生は改めて彼女の家に行って、父親と話をしてきてください」

「まぁ、結果的に勘違いでご迷惑をおかけしたわけですしね」

 

行くしかないか、と嘆息する。

家庭内暴力の疑いは晴れたと思うが、このまま帰ってめでたしめでたし、とはいかないだろう。

今頃、小節父は商店街をまともに歩けなくなっているかもしれないのだから、せめて謝罪せねばなるまい。

それに、娘の怪我ばかりするバイト(趣味)をどう考えているのかは聞かねばなるまい。

普段、駅から少し離れている動物園へはバスで通っているとの事だったが、今日は私も同行するので、タクシーを使うことにした。

さすがに余所様のお宅を訪問するので、付きまとってきたまといはここで別行動に。

彼女は新井先生と一緒に学校方面へと帰っていった。

謝罪も含めた訪問なのに、首輪付きの女子同伴は誠意がないと見られかねないからだ。

まといは私から離れまいと抵抗していたが、結局のところ新井先生に首輪を捕まれて連行された。

 

「ここです」

 

小節さんの案内のもと、タクシーが止まったのは普通の一軒家。

 

「あっ、お父さん……どうしたのそれ」

「どうしたんだろうな、俺にも解らん」

 

丁度父親の方も帰ってきたらしく、玄関前で鉢合わせた。

先程見たよりもボロボロで、スーツも塩がついて所々白くなっている。

おそらく、あれからも商店街の店主達に塩を撒かれたのだろう。申し訳ない。

 

「お父さん、この人担任の先生」

「どうも、初めまして。糸色望といいます。突然の訪問で申し訳ありません」

「おぉこれはこれは、担任の先生でしたか。てっきり娘が彼氏を連れてきたのかと……こちらこそ初めまして。小節あびるの父です」

「では、汚い所ですけどどうぞ」

「お邪魔します…………え、何これ?」

 

家のなかに案内される。

汚いとはいったが、社交辞令的なものであって、本当にゴミが散乱していたり散らかっているわけではない。

ないのだが、玄関に入って正面の壁に、何かのしっぽが一本生えている、

 

「それはイリオモテヤマネコのしっぽ」

「……何故、玄関入ってすぐにそれが?」

「なんかいいでしょ」

 

自信満々に答える小節さん。

振り替えれば、背後にいる小節父は何か諦観のこもった表情をしていた。

 

「ここがリビング、今お茶出すから先生は座ってて」

「ありがとうございます……何でしょう、所々の壁にしっぽが」

「いや、お恥ずかしい限りで」

 

スーツの上着を脱いだ小節父は、はにかみながら後頭部をかいている。

壁に動物の頭の剥製を飾るのは見たことがあるが、しっぽのみ、それも場所を考えずに無造作に壁につけたような印象のため、何か余計に奇妙に見える。

しかも促されて座った椅子の背後には、背もたれの腰のあたりにしっぽが生えている。

 

「いつからか、娘が動物のしっぽにはまってしまい、自分の部屋にはもう飾るところがないからと、あの子の母親……今は離婚していないのですが、元妻の部屋もしっぽだらけにしてしまいまして。ついには飾るところがないからと、リビングや玄関にまで……」

「それはなんとも……」

 

家族のパーソナルスペースまで侵食するほどの蒐集癖に戦慄していると、小節さんがグラスに入ったお茶を持ってきてくれた。

 

「あびる、私は先生と話しているから、お前も着替えてきなさい」

「わかった」

 

小節さんが自室に向かい、リビングに二人きりとなる。そこで私は謝罪することにした。

 

「お父さん、この度は大変申し訳ありません」

「何か謝られることでも?」

「はい」

「はっ! まさかあびると関係を!?」

「いえ、違います」

「……そうですか」

 

何故、残念そうなのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はこれまでの経緯から説明した。

学校側で虐待疑惑が持ち上がっていたこと。

その確認のため、家庭訪問することになったこと。向かう過程で商店街の各店舗の店主達に誤った情報を伝えてしまったこと。

しかし、その後たまたま娘さんと出会い、怪我の理由が判明し、虐待が誤解だったと知ったこと。

話を聞いている間、小節父は苦い顔をしていた。

最悪は怒鳴り散らされ殴られるかもしれぬと覚悟はしてきたが、幸いにして彼が感情にまかせて怒りだすことはなかった。

 

「それで商店街のあの反応ですか」

「誠に申し訳ない」

「いえ、誤解が解けたのであればもういいですから。それに、後で商店街の方々には説明していただけるんですよね?」

「それは勿論。ウチが責任をもって誤解を解いて参ります」

「まぁ、こちらも誤解されそうだなとは思っていたのですが……実際、以前にも一度疑われたことがありました。それでも、そのまま録に対策もしないでいた訳ですから」

 

怒りよりも諦観が感じられたのは、前にもあったことだからか。

娘が怪我ばかりであれば、そういった疑いがかけられるのを解っていながら、何故に今のバイトを許容しているのか。

 

「……あの娘は、中学に上がった頃に自殺未遂をしていまして」

 

着替え終わったのだろう。

廊下に小節さんの気配を感じたが、リビングに入ってくることはなかった。話を止めようとはしてこないので、彼女的にも私には聞かせても構わないのだろう。ただ、自殺未遂をして、死にきれずに生き残ってしまったというのは、今はその意志があるかどうかに関わらず、気不味いはずだ。

私も前世で入水自殺で心中した身としては、自殺を試みる人間を非難はできない。

例えその先が絶望的なものであっても、絶望すら救いと思える人間はいるのだ。

事情は人それぞれであるし、当人でなければ解らない苦しみというのは確かに存在する。

 

「今はふっきれておりますが、暫くは人間不信もひどく、そこから動物を好きになったようで」

 

人間は平気で裏切るが、動物なら裏切らない。愛情を持って接すれば自分を受け入れてくれる。

つまりは、そういったことなのだろう。

世の中にはアニマルセラピーというものがある。愛するものを喪った悲しみだったり、戦場で兵士が発症したPTSDなどを、動物と接するうちに緩和してくれることだ。

 

「確かに、そういうことであれば、彼女から動物と接する機会を奪うのはいけませんね」

「……先生は、危険なバイトだと辞めさせようとしないのですね」

 

小節あびるの両親が離婚する程に仲違いした直接の原因は、そこにあるらしい。

母親は、怪我ばかりする娘のバイトを快く思わなかったらしく、何度も辞めさせようとした。

父親は、娘が怪我するよりも本人の意志を優先させた。

 

「動物園で娘さんの見せた笑顔、私は教室では見たことがありませんでした。担任になってまだ一週間しか経っていませんが、あの子が自分を出せる場所なのだということくらい解ります」

「……あびるは良い先生に恵まれましたね」

「よしてください。私はそんな立派な人間でもないんです。ただ……私も誰かに裏切られたり、自分の居場所を無くしたことがあって……その時には本当に死にたくなって……何の因果か今は教師なんてものになりましたが、今でも色々なものから逃げてばかりです」

 

だから、誰かに逃げるななんていえない。

だから、誰かに立ち向かえなんていえない。

だから、逃げればいい。

だから、立ち向かわなくていい。

人生の道は一本道ではなく、複雑怪奇に枝分かれしている。

大事なのは進むこと。嫌な道からは外れていい。

外れた先で自分の居場所が見つかったなら万々歳ではないか。

まぁ、それすらも実践できていない自分が言ったところで何の説得力もないのだが。

 

「私は教育者として、誰かを教え導くことはできません。ですが、せめてありのままの彼女を受け止めるくらいならいたしましょう」

 

しっかりものの小節さんなら、なにがしかの道を見つけてこれからも進めるだろう。

自殺未遂するほどの人間不信だった少女が、ここまで人と話をできるだけの社交性を持てたのだ。

動物に逃げたのではなく、きっとそれは回り道だったのだ。

これからも怪我をする? 心の怪我よりはよほど良い。幸いにして私の兄は優秀な医者だ。きっと大概の怪我なら治してくれるだろう。

 

「しっぽ好きはどう思います?」

「まぁ、世の中には様々な蒐集物を集めるコレクターがいますし、法を犯したわけでもないのだから、趣味としては問題ないですよ」

 

他人に迷惑をかけたわけでもなし……町内の猫を筆頭とする動物達には迷惑かもしれないが。

それを除けば、オタクがエッチな美少女フィギュアを集めて悦に浸るのと、しっぽを眺めて悦に浸っている小節さんは大差ないとも言える。

……やめよう、この例えは乙女には酷だ。

何故か小節父が、『法を犯したわけでもない』のところであからさまに目を反らしたのだが……え、まさか法とか条例とかに違反しているのだろうか?

 

「そうですな。他者に迷惑をかけなければ」

「ええ、迷惑をかけなければ」

 

それが、一番大事。

 

「……」

「……」

「……」

「……人に迷惑をかけないですよね?」

 

動物にとってはあれでも、しっぽを触ったり集めるだけだ。

 

「自分の気に入った相手には、しっぽをつけようとする性癖が……」

「駄目じゃないですか」

「他の妻子は、あの子のしっぽから逃げて出ていってしまって……」

「もっと駄目じゃないですか」

 

他の奥さん達と別居しているのは娘のせいか。

ただ、一度つけてみるくらいならともかく、出ていくくらいなので相当にしつこかったのだろう。

 

「先生は、娘のありのままを受け入れてくださるんですよね?」

 

これは断れない流れだろう。

解ってて向こうも切り出したのだ。

この父親、中々にいい性格をしている。

だから、ここはあえての明言を避ける方向で。

私の中の、当初の大人びていて怪我以外は優等生な小節あびる像は砕け散っていた。

ひきこもりとストーカーと並べても遜色ない面倒くささだ。

 

「時に先生、ご結婚はされているのでしょうか?」

「あぁ、この流れでそれ聞いてくるんだ……」

「してるんですか?」

 

私にはわかる。

いませんと正直に答えたら、ぜひにうちの娘をと勧めてくるし、いると嘘を言っても、二人目三人目でいいですからと娘を娶らせようとしてくる。

経験則からわかる。私は詳しいのだ。

余所様に嫁に出すには難を抱えている女性の親というのは、娘の将来の旦那を確保しようと、適齢期の男を見るとやれ見合いだなんだと申し込んでくる。

 

「まだならうちの娘なんてどうですか。お恥ずかしながら、あの子の趣味を受け入れてくれるいい人なんて先生以外にはこの先出てこないでしょうし」

「駄目よお父さん。先生はもう婚約者いるんだし」

 

小節さんがリビングに入ってきた。

先ほどまでのツナギ姿ではなく、ジーンズにTシャツという普段着姿になっている。

 

「なんと」

「一週間で二人も作ったんだよね?」

「ほぅ、お盛んですなぁ」

 

あー、この話題は分が悪い。

私もこの一週間で、自分の性欲の強さを実感はしたものの、誰でも良いというわけではない。

 

「あー……それよりも小節さん。先程の怪我は大丈夫でしたか?」

 

露骨な話題転換。

何かを小節父が無言で訴えかけてくるが、眼鏡の下の目は、角度のせいか光って見えない。

 

「……うん。折れたと思ったけど、そこまではいってないみたい」

「そ、そうですか……それは良かった」

「うん。心配してくれたんだ? 優しいね」

 

やんわりと口角があがり微笑んでいるが、小節さんの目は笑っていない。

何だろう、底冷えするような不穏な気配を彼女から感じる。逃げようとする私に怒りを感じているわけではなさそうなのだが。

 

「……先生、私のコレクション見る? ここじゃお父さんしつこくてうざいし」

「あぁ、いえ、そんな事は「見よ?」……み、見せてもらおうかな?」

 

目を泳がせながらなんとか逃げる算段をしようとするも、食いぎみに言われて押しきられた。

 

「こっち」

 

ゆらゆらと歩く小節さんの後を無言でついていく。

彼女の部屋は二階にあるらしく、先行して階段を一段ずつゆっくりと進む小節さんの尻が目の前にあった。

健康的で張りのある尻肉の柔らかさや丸みが、固いジーンズ生地に包まれているために、生地にできた皺から視覚的にもよくわかる。

二度あることは三度ある、と諺にもある。私は意識しないように、可能な限り前を見ないようにした。

扉の前につくと、彼女は首だけを捻らせてこちらを流し目で見やりながら、「ここだよ」と小さく呟いた。

知らず、ごくりと喉を鳴らしてしまう。

キィィィ───と蝶番が軋む音をたてながら、ゆっくりと開いていく扉。

そこにあったのは、元は六畳程の何の変哲もない部屋だったのだろうが、壁一面どころか天井にまで、様々な動物のしっぽが所狭しと生えている異様な空間。

家具は二つのみで、部屋の中央に鎮座しているベッドと、唯一の女子らしいデザインの姿見のみ。

 

「さぁ、先生……入って」

「これはまた、凄いですね」

 

興味の無いものでも、これだけの数が陳列されているのを見れば、それがまるで芸術品のように錯覚してしまいそうになる。

いや、無理だな。普通に怖い。異様でしかない。

小節家の他の妻子達が出ていってしまったのも無理からぬ事だろう。

 

「私、お父さん以外の男の人を部屋に入れるの初めて」

「……そ、そうですか」

 

部屋の前で頬がほんのりと朱に染まる姿を見れば、ただ単に異性を部屋に招く事に照れているだけのように見える。

何故だろう。そんなはずはないのに、彼女の部屋には見えない蜘蛛の糸が張り巡らされているような、なんともいえない危機感を感じる。

彼女に手を引かれ、部屋の中へと誘われた。

 

「たくさんあるでしょ。集めるのに苦労したんですよ」

「凄いですね」

「先生はどれが好き?」

「え?……ええっと、そうですね……これなんかいいですね」

 

実際は良し悪しなど、とんと解らぬ代物ではあるが、近い壁の無難そうなものを選んだ。

 

「それはクロシロエリマキキツネザルですね。うん、先生に似合うかも……でも普通にキツネとかタヌキとかでも似合いそう」

「そ、そうですかね?」

「……先生は私の趣味、気持ち悪い?」

「人それぞれですから、気持ち悪くなんてないですよ」

「うん。ありのままの私を受け入れてくれるって言ってたものね」

 

やはり、先程の会話を聞いていたらしい。

小節さんは壁から生えている一本のしっぽを選ぶと、ずるりと抜き取った。壁に埋まっていた部分は小さな玉が一列に数珠繋ぎになっていた。

あぁ、そういう用途にも使える玩具でもあるのか、と感心するわけもなく、健全な女子高生が所持して良いものではないために動揺が勝る。

 

「これなんて、先生似合うかも………なんで?」

「え?」

「今、足が少し下がったよね? なんで?」

 

先程までの嬉しそうな照れ笑いから一変。

私が無意識に足が逃げる方へほんの少し動いてしまったのに対し、小節さんの顔からは表情が消えた。

 

「いえ、これは体勢を崩しただけで」

「先生も逃げるの? ありのままの私を受け入れてくれるって、嘘なの?」

「け、けして嘘では……」

「嘘、嘘嘘嘘嘘。逃げた人はみんなそう言ったけど、先生みたいに目が泳いでた」

 

思春期の女子高生というのは、大概が情緒不安定なものであるが、それにしてもこの子のは飛び抜けている気がする。

テンションの落差が激しすぎる。

扉の前では、初めて男を部屋に入れるという行為に、恥ずかしそうに、それでいて嬉しそうに照れていた。

その数分後には、無表情になったかと思えば、今は私を見る彼女の瞳、眼帯に隠れていない右目には、憎悪にも似た感情が宿っている。

 

「お父さん以外の男の人で、初めてだったのに。私のままでいいって言ってくれたの、嬉しかったのに……お父さんだってそう、本当は私のこと面倒臭いって思ってる。みんな、みんな嘘つきばかり」

「こ、小節さ……うひぃ!?」

 

彼女の左腕に巻かれていた包帯が独りでにほどけ、生き物のような動きで伸びてきて、私の右腕に蛇のように絡み付いた。

思わず情けない悲鳴が口から漏れた。

気がつけば、何処からか現れた無数の白い包帯の群れが、彼女の背後で、鎌首をもたげた蛇のようにぐねぐねと踊っている。

なんだこれは、どういうことだ。

彼女は超能力でもあるのか、それとも心霊現象の類いか、どちらにせよ尋常ではない。

 

「逃げちゃ駄目逃げちゃ駄目逃げちゃ駄目逃げちゃ駄目逃げちゃ駄目逃げちゃ駄目逃げちゃ駄目逃げちゃ駄目逃げちゃ駄目逃げちゃ駄目逃げちゃ駄目逃げちゃ駄目逃げちゃ駄目逃げちゃ駄目逃げちゃ駄目逃げちゃ駄目逃げちゃ駄目……私から逃げないで」

 

しゅるしゅる、しゅるしゅると、包帯の擦れる小さな音が聞こえる。

私の肉体は、まるで金縛りにあったかのように動くことは叶わなかった。

腕を、足を、胴を、包帯がゆっくりと拘束し、締め上げてくる。

その度に、彼女の傷を塞ぐ役目をしていたはずの包帯がほどけていく。

 

「私を好きって言ったじゃない! 結婚してくれって言ったじゃない!! 私を見てよ、逃げないで」

「何を……ぐっ……」

 

包帯が、私の首を締め上げる。

小節あびるに告白した過去など、勿論ない。

二人きりになったのも今日が初めての事だ。

しかし、反論しようにも気道を塞がれていて声が出ない。

ほどけた包帯の奥から見えた彼女の腕。そこには動物との触れ合いによる傷だけでなく、手首を切ろうとして躊躇したであろう古傷が見えた。

眼帯の上から額を覆っていた包帯がほどけると、まるでひどい事故にでもあったかのような大きな傷痕が額にあった。

事故か、はたまた投身自殺でもして助かってしまった跡なのか。

 

「私は受け入れてくれたじゃない。愛してくれたじゃない……私の事も受け入れてくれた! なのに、なんで私からは逃げるの!? ……私と私の何が違うの……全部受け入れてくれなきゃ私になれない……」

 

支離滅裂な事を口にする彼女に、何をすればいいのか。視界が霞む中、小節さんの眼帯が外れ、隠されていた瞳が露になった。

その瞬間、心臓が止まるかと思った。

左右で瞳の色が違う、虹彩異色症の瞳。

 

「あ……あぁ……」

 

小節あびるの右目には、踠く今の私の姿が。

彼女の左目には、かつての私の姿が映っている。

それを見て、頭部に雷が落ちたかのような感覚を覚えた。

あぁ、あぁ、理解した───この子も彼女だ。

彼女達は、私が求めていた赤木杏であり、私の事を彼女もまた求めていてくれるのだ。

傷だらけの両手が、私の首へと伸びる。

 

「この世で一つになれないなら、来世で結ばれるしかないよ……愛してるの。愛してる」

 

愛している、愛していると繰り返す。

何度も、何度も、何度も。

小節あびるの肉体で、小節あびるの声で。

しかしてそれは、彼女の私への返答だった。

ついに、私は答えを聞けたのだ。彼女の声ではなかったけれど、彼女の気持ちを聞けたのだ。

こんなに嬉しい事はない。

私の愛は永遠に。

死が二人を分かつまで、否、死してなお分かつこと許さず。

私の使命を理解する。

私の愛を、過去、現在、未来の全ての赤木杏に捧げるのだ。

彼女の魂を満たし、楔を解かなければ輪廻に戻ることができぬ。

戻らねば、未来永劫来世での邂逅は果たされぬ。

 

「やっと、私を見てくれた」

「ええ、お待たせしました」

 

いつのまにか、拘束していた包帯の力が弛み、肉体の自由を取り戻していた。

非力な力で私の首を絞めているだけで、話すことに支障がないほどに両手には力が籠っていない。

 

「もう逃げない?」

「ええ、逃げませんよ」

「……先生(望君)、大好き」

 

私は、首を絞められたまま、彼女の唇に口付けた。

 

 

 

 

 

 

 




風浦可符香
CV加賀愛

本日の欠席生徒
■■■
加賀愛
関内太郎
日搭奈美───以上4名。


絶望少女紹介
小節あびる───被DV疑惑少女。
実際は父親に虐待などされていないし、むしろ父親にたまに理不尽な暴力を振るうこともある。
お色気担当の一人で、あまり羞恥心はないのか下だけ水着になったり、全裸に包帯だけになったりする。見た目に反して運動音痴。
途中から包帯を自在に操ったりする謎の技を持つようになる。鼻先を舐められるほど舌が長い。
この作品では、トラウマスイッチが入ると本人と取り憑いている人の人格が混ざって不安定になる情緒不安定さん。普段は冷静ないいこ。
幼い頃に角膜の移植手術をして、それ以降時々望の告白シーンを夢で見るようになった。初恋は夢の中の望で、そっくりな絶望先生を初めて見たときからポーカーフェイスの下で舞い上がっていた。
中の人を私が知ったのは「禁則事項です」の人。
空鍋の人でも有名。
ポンコツキャラの声を出させたら天下一。故にシリアスなキャラとのギャップでご飯三杯はいける。


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今回は短めです。
感想でマリアの出番が近いとの声もありましたが、すみませんまだです。




目を覚ますと、未だ小節さんの……否、あびるの部屋だった。

ふだんから怪我ばかりしているせいか、変に痛みに慣れていたあびるは、初めてでもかなり乱れていた。

理性を無くした動きのせいで、一部の傷口から血が滲んでしまっていたが、あびる自身は気にした素振りもなく、代わりに私が加減に気をつけなければならなかった。

痛みも、生きているからこそ。

破瓜の痛みも、体の傷の痛みも、あびると彼女の内に眠る魂にとっては生を実感する悦びでしかなく、なんら躊躇うことなく動き続けていた。

今は、眠ってこそいないものの、穏やかな様子で目を閉じ、ベッドに座る私にしなだれかかっていた。

彼女の左目には、赤木杏が宿っている。

その影響で、行為の最中は小節あびると赤木杏の人格が混じりあっていたのか、私の事を「先生」と呼んだり「望君」と呼んだりバラバラで、小節あびるとしては知り得る筈のない、小森霧や常月まといとの情事の内容まで知っている素振りだった。

しかし、何度か抱いた霧やまといにはその様な事はなかった筈だが、この違いはなんなのか。

確かめねばなるまい。

知っているとすれば兄の命か、新井先生か。

 

「先生……?」

 

考えていると、あびるが小さく呟いた。

落ち着いた今は、しっかりとあびるの人格が確立されている。

あの時の支離滅裂な言動を、本人は覚えていないようだった。

 

「どうしました、あびる」

「私、たぶん、けっこう面倒臭い女だけど……本当にいいの?」

「婚約者になることが不安なんですね」

「うん」

「心配せずとも良いですよ」

「……うん」

 

頭をぽんぽんとあやすようにしてやると、幼子がむずがるように、私の胸に顔を擦り付けてきた。

 

「先生……?」

「……どうしました?」

「明日の放課後、買いにいこうね」

「……そうですね」

 

私を見上げながら、彼女は自身の首を指でなぞって主張していた。

何を買ってほしいのかは、すぐに解った。

この部屋の姿見を見ると、そこに映っているのは生まれたままの姿で寄り添う男女。

彼女の首には、私の首と同じ絞首跡がくっきりと残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、火曜日の朝。

学校にて再び教室内が騒がしくなった。

あびるが登校してきた際に、また怪我が増えていただけでなく、首に残る絞首跡を隠そうともせず、本人に至っては「まだ入ってる気がする」と処女を喪った事を隠そうともせずに公言し、ひょこひょこと不器用に歩いていた。

そして、あの教室内では無表情だった小節あびるが潤んだ瞳で私を見ては、静かに微笑んでいる。

誰がどう見てもそういう関係と解るだろう。

男子生徒の一人である臼井君は、その様子を見て血涙を流しながら「この淫行教師!」と私を大声で罵倒してきた。

もしかしたら、彼はあびるに惚れていたのかもしれない。

先にペットになったまといが、あびるに対抗してか教壇の下に隠れて授業中の私から離れようとせず、隙あらば私の股間を刺激しようとするので本当にやめてほしい。

今は授業中である。

視線があえば、まといはにこりと妖艶に微笑んだあと、親指と人差し指で作った丸の中に舌をれろれろと出し入れして見せる。

教壇の影で誰にも見えていないからって、そういうことは止めなさい、とおでこを指で弾いた。

すると彼女は、私の指を捕まえて舐めしゃぶろうとしてきた。

もう一度言うが、今は授業中である。

 

「先生のお手つきがまた増えましたね」

 

と微笑んでいるのは、風浦可符香の格好をした霧であった。

何気に毛布を羽織っていない状態での、セーラー服姿の霧を見るのは初めてだった。

髪の長さが肩口になるように、余った分は邪魔にならぬように結わえていた。

普段は長い髪に隠されている白い首筋が、こうして露出しているのは新鮮だった。

陽に当たらないせいか、周囲の生徒達よりも色白なのが顕著だ。

首輪はしておらず、うっすらと白い肌に絞首跡が残っているが、誰もその事を指摘しない。

その瞳には慈愛が満ちていた。私に対しても、あびるに対しても。

 

「もう、死のうなんて思いませんか?」

「えぇ、今は」

 

生きなければならない。

私はまだ、君の全てを愛せていない。

きっと、まだまだいるはずなのだ。

 

「うふふ」

 

何故、彼女は風浦可符香なのか?

名前の後ろのP.Nとは何か?

何故、複数の少女で入れ替わるのか?

答えを急げば消えてしまいそうで、私は彼女自身へは問い掛けられなかった。

今はただ、夢幻であろうとそこにいる。

私の生徒としてここにいるということは、これも彼女の願いの一つなのだろうか?

それとも、形は違えど、共に学校に通いたかったのだろうか?

きっと生きていたならば、中学を卒業して、同じ高校に通って、共に青春を謳歌していたに違いないのだ。

私も、貴女とそういう事を夢見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

授業の終わった放課後。

特に業務も無かったために、そのまま学校を出ることにした。

あびると首輪を買いに行く約束をしていた私は、その前に一度、霧とあびると、同じペットとしての顔合わせをしようと考えた。

しかし、結局霧は朝から風浦さんのままで、私以外は誰も小森霧だと認識できていないようであったため、今回は諦めた。

命兄さんに確認もできていないうちに、無闇に薮蛇になる行為を避けたのだった。

 

「今まであまり話したことなかったよね?」

「よろしく」

 

まといは先日、霧とも話し合った結果で新しくペットが増えるだろうと予見していたこともあり、あびるが新しく私の婚約者(ペット)となることに反対はしなかった。

ただ、ペット内序列を競うかのように、二人の間に見えない火花が散っているような気配がある。

さすがに他の学生の目の多い学校内では大人しくしていたが、校門から出てからは左にまといが、右にあびるがぴったりと寄り添ってきた。

 

「先生」

 

普段は後ろをついて歩くまといが、今日はあびるに対抗してか、大和撫子を気取るのは止めているようだ……教壇の下でセックスアピールしてくるのは大和撫子とは到底言えないので、朝からそうだったともいえる。

私の左手と指を絡ませ、腕を絡ませ、俗にいう恋人繋ぎをした状態で、更に離すまいと念を入れたのかは知らないが、何処からか取り出した手錠を互いの手首にかけてしまった。

 

「先生」

 

あびるも、自分もペットであると主張するかのようにまといに対抗してか、同様に左手の指を絡ませ、腕を絡ませてきた。

手錠の代わりに、彼女の怪我を包んでいた包帯をほどき、二人の手首をそれで固定してしまう。

 

「両手に華……ですか」

 

華は華でも、絡み付く蔦を持った薔薇のような華なのだろう。

扱いを間違えば、棘で傷ついてしまう。

しかし、これはお互い様の話で、彼女達からすれば私こそが蔦で絡んでしまう薔薇なのかもしれない。

そして達の悪いことに、互いに相手になら傷つけられても構わないと、半ば本気で思っている。

 

「……見られてますねぇ」

 

そして現在進行形で、ご町内の皆様にじろじろと見られているわけで。

私の社会的立場とか、そういった物は二人の存在によりガリガリと傷つけられていた。

前世なら通報されているだろう。

現に、通報はされずとも警戒でもされているのか、先程から複数の人間が跡をつけてきている気がするのだ。

以前の私なら絶望していただろう状況だったが、ここ数日でふっきれたのか、あまり気持ちが沈むことはなかった。

実際、まだ関係を持ったのは3人。おそらくはもっといるはず。

彼女の全てを愛すのであれば、後々人数は増えるに違いないのだ。

 

「ここですよ」

 

三人がたどり着いたのは一件のアクセサリーショップ。私はこういった店に詳しくは無かったのだが、さすがは女子なだけあって、まといとあびるは知っているようだった。

なんでも、婚約首輪を専門に扱っている店で、様々なデザインのものが多いらしい。

霧とまといの首輪は私が用意したものではなく、彼女達が自分で用意したものだったので、せっかくなら二人の分も一緒に買おうと思う。

入ってしまえば、それまでの街中の好奇の視線は無くなった。

私達以外にも、ペット同伴の男性が一組おり、客層からして不思議でもないからだろう。

店内には様々なデザインの首輪が展示されていた。

マネキンも全てが首輪を装着している。

シンプルなものからチョーカーのようにスリムな物、逆にごてごてと装飾がなされた物。

話の通りに、首輪がメインの商材なのだろうが、中には首輪というより、両手とセットでギロチンのように拘束する拘束具まであった。

他にもボールギャグや、竹製の口枷、鞭に蝋燭といったSMプレイにそのまま使えそうな物まで陳列している。

穴に入れたり震えたりするような大人の玩具こそ無いが、どう見てもアダルトグッズの店である。

店の入り口に18禁のマークとかは無かったが良いのだろうか?

 

「ただのコスプレグッズだから全年齢です」

 

店員の女性に聞いてみると、営業スマイルでそう答えられた。

 

「ふふ、糸色さん。こちらに越してきてまだ日も浅いのに、もう二人もペットを作られたんですね」

「……すみません。三人です」

「あらあら。女子はみんな格好いい先生との恋を一度は夢見るものですし、羨ましいです」

 

まさか初めて入った店で知人が働いているとは、少し照れ臭い。

 

「……先生、こちらの店員さんとお知り合いなんですか?」

「ええ、こちら私の家のお隣さんなんですよ」

「隣の尾吐菜梨です」

 

まだ数回、会った時に挨拶した程度の仲であるが、礼儀正しい女性である。

日本人好みのタヌキ顔の美人さんで、スタイルも良い。長めの髪を巫女のような垂髪にしており、清楚な印象を受ける。

近くの短大に通う学生と言っていたので、この店でアルバイトをしているのだろう。

せっかくなので、首輪を選ぶ際の助言を戴いた。

 

「そうですねぇ、一人一人の好きなデザインを選ぶのもいいですが、どうしても同じものでない限り、値段や質の差は出てきます。複数のペットを平等に愛せる方なら、あえて全員同じデザインにするのがいいかもしれません」

 

成る程、一理ある。

人の好みはバラバラで、そこで優劣をつけるのは避けたいところだ。

ならば、一目で私のペットだと解るようにデザインを統一する方が理にかなってもいる。

 

「解りました。その方向で考えましょう」

「今ならこちらの首輪を10個セットで一割引にしますよ? 引いた分でもう一個買えてしまいますね」

 

薦められたのは、深紅の落ち着いた色合いの物で、金具の造りもしっかりとしていて、一目で良い品と解る。手に取ってみれば見た目に反して軽く、裏の生地も肌触りが良いし、縫合のほつれもない。

今、霧とまといが着けている物よりも、確かに良い品な分、値段も相応にお高めである。

 

「取り敢えず今いる人数の分で……」

「「セットで」」

「…………」

 

私の言葉に被せるようにして、左右の二人が割り込んだ。

先程までの火花散るような関係はどこへやら、知らぬ間に息の合ったことをする。

 

「おそらくは3つでは足りません」

「うん。それに次きたときに同じデザインがあるとは限らないし。先生なら10人はきっといくよ」

 

私自身が、まだ他にも娶るべき女性が現れるだろうと考えているだけに、反論できない。

 

「……解りました。あの、カードって使えます?」

「お買い上げありがとうございます」

 

あぁ、一気に懐が寂しくなってしまった。

本当であれば預金残高を確認したかったが、こういう時に見栄を切ることを求められるのが、男の辛いところである。

実家には頼るまいと思ってはいるが、想像の中の両親と妹が、イヤらしい笑みを浮かべて手招きしていることに軽く絶望した。

 

「ありがとうございましたー」

 

尾吐さんに見送られ、店を後にした。

手錠と包帯は、荷物が持ちづらいために外してもらい、さっそく新しい首輪をつけた二人と帰路を歩いているのだが、二人共に上機嫌である。

あびるなどは鼻歌でも歌っているようだ。

みっくるんるんとは、何か子供向けのアニメの曲だろうか?……子供っぽいところもあるのだな。

 

「先生、少し疲れませんか?」

「そうですね、どこかでお茶でもしていきましょうか……」

「あっ、じゃあ私、先生と行ってみたい所があるの」

「あら、私もよ」

「行きたい場所があるなら、そこに行ってみましょうか。私はこの辺に詳しくはないのですが、場所は解りますか?」

「うん大丈夫。入ったことないけど場所は解る」

 

おそらくは私の事を気遣ってくれたまといの言葉に、あびるが何処かを思い付いたらしい。

二人共、その場所でいいとの事から案内は任せてしまった。

高校生には敷居の高い、純喫茶とかだろうか?

 

「……ここは」

「お城です」

「ええ、お城ね」

「いえ、まだ日も沈まぬ内からは……」

「先生……?」

「女の子は、一度はお姫様に憧れるんですよ?」

 

周囲の雑居ビルとは外観を逸した西洋風の城を模倣した建物。

入り口は、幕で隠されて内部が見えないようになっている。

正面には外観の雰囲気度外視した、安っぽいネオン灯で♡HOTELと書かれていた。

ぐいぐいと疲れを感じさせない力で手を引かれ、幕をくぐると、ガラスの開き扉があった。

そこには、二人の風浦可符香に……否、二人の赤木杏に手を引かれる私が映っていた。

気がつけば、私は抵抗をやめ、むしろ積極的に二人の首を締め上げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二時間ほど休憩した。

体を休めるための休憩場所を求めていたはずなのに、逆に疲労が増しているのはこれいかに。

私の腰の疲労と引き換えに、二人の肌は艶めき、女として満足させられたのが解る。

首輪で隠している下には、先程ついたばかりの絞首痕が残っていた。

既に日は沈み、19時となっていた。

二人共私の家に泊まりたいと主張したものの、霧にもできれば今晩中に首輪を渡してやりたい。

そう伝えると、納得してくれた。

二人をそれぞれの家に送り届けて、夜の学校に戻る。既に20時となっていた。

新校舎の方ではすでに職員室くらいにしか灯りがついておらず、間もなくそれも消えるだろう。

反対に、旧校舎の一室では明々と光が灯されているのが解る。

霧が寝床としている空き教室だ。

他の人の気配もないからか、向かっている途中の足音でも聞こえたのだろう。

扉にたどり着く前に、霧が廊下に顔を出した。

 

「あっ、せんせー♡」

「こんばんは」

 

既に風浦さんを演じるのをやめて、本人に戻っていた霧は、私の顔を見るや目を輝かせ、そのすぐ後には思い出したかのように頬を膨れてみせた。

 

「もう、今日はお昼も来ないし、来てくれないのかと思った」

「心配させたみたいですね、すみません」

「……うぅん。いいよ、今来てくれたし」

 

昼間、風浦さんとなっていた霧とも会話をしていたのだが、霧としてはその記憶はなく、あくまでも今日は私が彼女に会いに来る約束をすっぽかしたという事になっているらしい。

風浦可符香になっていた意識はなく、その間はこの空き教室で一人、自習をしていた記憶に置き変わっているようだ。

私は、小節あびるが新しくペットになってからの話をした。

どういう娘なのか。まといとの顔合わせ。

霧にも会わせようと連れてきたが会えなかったことや、その後に首輪を買いに行ったこと。

ホテルのことは言わなくても匂いでバレた。

 

「二人だけいいな。私もデートしてみたい」

 

ひきこもりだから無理だけど───とどこか寂しそうな霧に、私は何をしてやれるだろうか?

彼女は校舎から出られない。

昼間は他の生徒達が怖いのか、トイレ以外は自分の教室にひきこもっている。

しかし、この夜間であれば他の人間はいない。

 

「いや、校舎から出なければいいのか」

「せんせー?」

「霧、良ければ私とデートしてみましょうか」

 

ほんの、お遊び程度のものではあるが。

夜の誰もいなくなった校舎を、二人占めといこう。

 

「うん、うん!」

 

せっかくなので、毛布の下の服をジャージからセーラー服に着替えた霧と、旧校舎内を散策した。

ただでさえ、灯りのない夜の校舎というのは気味悪く映り、ちょっとした胆試しのようでもある。

 

「じゃあ出席とります。小森霧さん」

「はい」

 

普段はしていない出席確認とかをしてみたり。

 

「見て、相合傘」

「あぁ、落書きの定番ですよね」

 

黒板に落書きしたり。

 

「先生はピアノ弾ける?」

「私、猫踏んじゃったしかできませんね」

 

音楽室に忍び込んで、ピアノを出鱈目に弾いてみたり。

 

「本がいっぱい」

「でも暗くて読めませんね」

「……せーんせ♡」

「おや?」

 

図書室で、抜き取った本の隙間から、本棚越しに見つめあってみたり。

 

「ぐーりーこ!」

「むぅ、今度こそ」

「先生じゃんけん弱いねー……あっ、スカートの中覗いたでしょ。先生のエッチ」

 

階段でジャンケンして遊んだり。

 

普段からひきこもりをしている霧には、どれも新鮮で楽しんでくれているらしく、月光に照らされた彼女の笑みはとても美しかった。

彼女もこのように笑ってくれていたのだろうか?

どれも、赤木杏が生きていたならば、私がしてみたいとかつて思っていたものだった。

得るはずの無かった青春を、私は今体験しているのかもしれなかった。

 

「……先生、泣いてるの?」

「えっ、あれ?……これは、その……」

 

いつの間にか、無意識に涙が流れていた。

止めようとしても、後から溢れてくる。

 

「はは、何なんでしょうね……涙が……」

「大丈夫だよ、私はここにいるから」

「……はい」

「うん。何も悲しまなくていいんだよ」

 

私よりもずっと小柄な霧は、それでも包み込むようにして、ぎゅっと私を抱き締めてくれた。

 

「何処にも行かないから。私は、先生のものだから、安心していいよ」

「……はい」

「ずっと、ずっと、ず~っと……先生と一緒だよ」

 

彼女は、何故私が泣いているのかを深く聞いてくることはなく、ただずっと、私の涙が止まるまでの間を聖母のような表情で慈しみ、抱き締めてくれたのだった。

 

「……泣いてる先生も可愛くていいね」

「もう、茶化さないでくださいよ」

「うふふ」

 

暫くして、涙が止まってからも霧は私に寄り添ってくれた。

冗談を言って笑いあう。

そしてどちらともなく無言になり、手を繋いだまま、窓の外に見える月を眺めていた。

こういう穏やかな時間も良いものである。

 

「……」

「……」

「ねぇ、せんせー?」

「どうしました?」

 

霧は、甘えていると私を呼ぶ声が伸びる。

意図してやっているのか、自然とそうなったのかは解らない。

ただ、彼女も今のこの空気を心地よく思ってくれている事はわかった。

 

「ふふ、呼んでみただけー」

 

結局、私達は夕飯を食べるのも忘れて、日付が変わるまで、手を繋いだままでいるのだった。

 

 




風浦可符香
CV小森霧


絶望少女(ではないけど)紹介
尾吐菜梨───望の家のお隣さん。大学生。
望に手作りカレーをお裾分けしたり、望も生徒達よりも年齢が近く美人な事もあり満更でもない描写がある。48系胡散臭いアイドルグループの一人で人気トップなど、後から要素も追加された。
正体は風浦可符香の変装した姿で、カレーにも一服盛られていたりする疑惑あり。
しかし、風浦可符香が演じられた存在である以上、更にそのキャラが演じているということは、彼女もP.N人格の一人なのか、もしくは描写もないしクラスメートでもないが、彼女も本当は絶望少女の一人だったのか、謎多きキャラである。
少なくとも、アイドルをして大勢のファンが彼女を認識していた以上は、風浦可符香のように複数の人間が演じていたのではなく、確固とした個人がいるはずである。
この作品では男が少ないため、女性アイドル業はもうからないので、普通にアルバイトをしている。


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本来であれば、カエレとメルが先ですが、作者の趣味で千里にしました。

途中、執筆中にお隣さんにイチャモンつけられて対応してたら、なんか保存が上手くいってなかったのか、戻ってくると2000文字くらい消えててファーってなりました。
でもなんとか書いたんだ、出来は勘弁してください。


「……二週間足らずで三人か。若いな」

「うぐっ」

 

兄の糸色命に話を聞くべく、私は一人、彼の営む診療所に訪れた。

医者として腕も良く、数年前までは大学病院で先進医療にも携わっていた程であるが、上司との折り合いが悪かった。

否、本人は誘惑したわけでもないらしいのだが、彼の好みの年代の女性に特に優しく接するあまりに、その女性が彼に傾倒してしまったわけだ。

問題は、その女性が理事長の奥方であった事。

兄は、怒り狂う上司に病院を追い出されたわけである。近隣の大手の病院には根回しされ、新たに雇って貰うこともできない。

しかし、医者という仕事に使命感を持っている兄は、実家の金で診療所を建て、そこの長になってしまった。

惜しむらくは、名前のせいで患者が少ないことと、両親のテコ入れのせいで、結婚適齢期の看護師ばかり雇い入れるはめになったことか。

本人は引退前でも経験豊富なベテランを、厚待遇で他の病院から引き抜きたかったらしいのだが、そこに私欲は一切無いと断言していた。

私は怪しいと思いつつも、この兄の事を信頼しているために、彼の言葉には取り敢えず頷いてみせる主義なのである。

 

「責めてはいない。むしろこちらとしては順調といえるな」

「……前から聞きたかったのです。何故、私があのクラスの担任に選ばれたのか。偶然ではないのでしょう?」

「……さすがに気がつくか」

 

ギシリ、と椅子を軋ませて、兄が軽く背を反らせるようにして伸ばすと、ポキポキと音が聞こえてきた。

どうやら疲労がたまっているようである。

眼鏡の奥、私を見やる目には憐憫の情が浮かんでいるように感じる。

 

「話せば長いぞ」

 

そのために、今日は久々に一人で行動しているのである。予想している内容だけに、生徒達に聞かれるのはまだ避けていた方が良いだろう。

まぁ、私だけが知らされていないという可能性もあるのだが……

 

「場所を変えるぞ」

「ここで話せないので?」

 

他人に聞き耳をたてられると困る内容なのか。

兄は苦笑すると、机の引き出しから煙草の箱とライターを取り出した。

 

「ここは禁煙でな……裏に喫煙所があるんだ。それに今日は患者も来てない。診察室に居なくとも、診療所に居さえすればいいさ」

「命兄さんって煙草吸うんですか? 見たことないので吸わないものかと……」

「あまり吸わないよ。年に数回程度だ」

 

その数回が今日。

煙草でも吸いながらでないと、話をするのも辛いということだろうか。

私は兄の後を追い、診療所の裏手にあるスペースへとやってきた。

そこは、簡易なベンチと灰皿のある喫煙スペースとなっていて、他にあるのは室外機のみ。他人の目も無い静かな場所だった。

煙草を咥え、ライターで火をつける。

その動作を見て初めて、彼が喫煙者であるのだと納得した。

健康にうるさい医者であっても、否、医者だからこそのストレスなどもあるのだろう。

たっぷりと吸い込んだ煙を、重い溜息のように吐き出した。

 

「お前が聞きたい事の目星はつくが、順をもって説明するぞ」

「……解りました」

「先に言っとくが、俺は医者だ。だがこの内容は専門分野でないことも含むし、オカルト染みたこともある。だから、これは医者としての立場だけで話をするわけじゃない。それは弁えてくれ」

「……ええ」

 

兄は、煙草を咥えて空を見上げた。

診療所と隣の建物との間、狭い空の中を飛行機が飛んでいる。

青空に、一筋の飛行機雲が白い線を描いていた。

 

「自殺未遂をしているんだ」

「……誰がですか」

「女子生徒全員だよ。お前の所の生徒さん」

 

それは、霧もまといもあびるも、かつて自殺しようとしたことがあるということか。

自殺未遂者が集まっているからこそ、メンタル面での危うさから旧校舎に隔離されているわけだ。

私が教師に選ばれたのは、おそらく私も自殺未遂の経験があるからだろう。

 

「死にたいと思っていた娘達と、学校に通いたくも死んでしまい叶わなかった霊とが出会ってしまったわけだ」

「霊……」

 

生きたかった霊、そこに赤木杏も含まれているのだろうか?

しかしその言い方だと、まるで彼女達がその霊に取り憑かれているかのようだ。

 

「取り憑いている、というと語弊があるかもしれないな。彼女達は依代なんだよ」

「依代?」

「恐山のイタコなんて有名だろう。自分の肉体を依代として、死者の想いを語る。彼女達は依代としてそれに近い……一種のシャーマンさ」

「では、あの子達の中身は死者だと……?」

 

私の問いに兄は自嘲ぎみに笑うと、吸い終わった煙草を灰皿にこすりつけ、二本目の煙草を口に咥える。「お前も吸うか」と差し出されたので、普段は吸わないが、彼に合わせて吸ってみる。

 

「別に修行を積んでたわけでもないし、彼女達は彼女達だよ。ただ、依代として死者の代わりに学生を演じることで供養になるんだと。縁兄さんの受け売りだけどな」

「縁兄さんも関わっていたのですか? しかし、縁兄さんは弁護士でしょう。このようなオカルト染みた話に関わっているとは……」

「始まりは縁兄さんだよ。兄さんは離婚を主に携わる弁護士だが、それだけじゃない。離縁を行うのも仕事なんだそうだ」

 

離縁───本来は婚姻関係や義親との関係を解消することだが、おそらくはこの場合、霊が成仏できるように未練を解消し、現世との縁を断ち切ってやることも指すのだろう。

糸色縁。糸色家次男にして、絶縁を宿命付けられた私の兄である。実家とも絶縁している。

子供の交が生まれた時に会って以来、もう数年は会っていない。

父に勘当されているため、実家にも近寄らぬ以上は私ともあまり顔を会わす機会も無かったのだが、命兄さんは秘かに連絡を取り合っていたようである。

 

「死者を弔うというのは、死者のためであると同時に、生き残った生者のためのものでもあるそうだ。実際、遺族のためだけでなく、生きることを諦めていたあの子達にとっての取り敢えずの生きる理由にはなった」

 

それが、命兄さんが縁兄さんの話に乗った理由。

生きている人のために、人の命を救うことを宿命付けられたと思っている命兄さんにとっては、科学的に医療で救うことを生業とする医者として相容れぬオカルト染みた話であろうと、生きる意味となるのであればと許容したのだ。

 

「何故助けたのか、と助けた患者に罵倒されることもあった。助けてすぐにまた自殺しようとする娘もいた。そんな子達に生きる理由が作れるのであれば、霊ってのも信じてみようと思った」

「……そうですか」

 

医者としての使命感から、命を助けるため全力を尽くした結果、助けた患者から罵倒されるというのは一体どんな心境だろうか。

再び深く煙を吐き出すと、兄は眉根を寄せた苦い表情で「すまない」と私に謝罪した。

それは私に説明もなく教師役をさせた事だろうか。

これまでの話から、確かに最初に説明が欲しかったが、必要な事ではあったのだろうと思う。

 

「説明してたらお前、絶対逃げただろ」

「まぁ、でしょうね」

「望……お前の仕事は単に教師をするだけじゃないよ。あの子達に、弔いが終わっても生きる理由を作ってやらなければならない。そうでなくても、死にたいと思わないようにしてやらなきゃならん」

「うわぁ……胃が痛い」

 

思っていたよりも重い使命に絶望しそうだ。

後ろ向きな思考傾向にある私が、彼女達にプラスになる教えなどできるのだろうか。

 

「そういう意味では、お前が女子生徒と関係を持ったのも歓迎だよ。失恋は自殺の理由にもなるが、結ばれるなら立派な生きる理由になる」

「……まぁ、そう、そうですねぇ」

「学校に通いながら恋してみたかった、なんてのも年頃の女の子の霊の未練としてはよくありそうだろ。これからもお前を求める娘が出てきてら、受け入れてやってくれるとありがたい」

「女子次第ですがね。誰もがそうなるとは限らないでしょう?」

「別に手当たり次第なんてしなくてもいいが、あと何人かは確実にそうなるさ」

 

兄は確信しているようだった。

そして、その確信に至る理由こそが、私が兄に聞きたかった本題でもある。

 

「彼女達には共通点があっただろう」

「何故、そう思うのですか?」

「お前が誰彼構わず女に手を出す奴とは思っちゃいないさ。赤木杏の面影を見たんだろ」

 

小森霧。

常月まとい。

小節あびる。

その他にも、複数の女子に自殺未遂以外での共通する点があるという。

おそらくは風浦可符香を演じていることに関係があると思っていたのだが、兄の口から幼馴染みの名前が出てきてどきりとした。

 

「望は赤木杏を覚えているだろう」

「……忘れたことなどありませんよ」

「……まぁ、忘れられないよな。でも、あの後どうなったかは知らないだろう」

「あの後?」

 

確かに、あの後は私は塞ぎこんでしまい、彼女の葬儀の後はどうなったかを知らない。

 

「赤木杏は臓器提供意思表示をしていた」

「……え?」

「心臓、肺、肝臓、腎臓、膵臓、小腸、眼球といった、死後に移植できると一般的に言われている物に限らず、ありとあらゆる臓器が赤木杏から提供された」

 

小森霧には肺を。

常月まといには腎臓を。

小節あびるには角膜を。

その他にも、2のへの生徒は全員ではないものの、複数の生徒が赤木杏をドナーとする臓器移植の受容者(レシピエント)であった。

 

「どの、他はどの生徒がそうなのですか!?」

「既にお前が気づいた子に関してはともかく、他に関しては、俺にも守秘義務というものがある」

「……そこを、そこをなんとか」

「……今日はここまでにするか」

「兄さん!?」

 

私は兄に詰め寄ろうとするも、彼は無言で私の背後を指差してきた。

そこには、扉からこちらを覗く看護師の姿があり、申し訳なさそうに「取り込み中すみません」と断られた。

 

「先生、患者さんが来られました」

「解った。すぐ行く……望、今日はここまでだ。いいな?」

「……解りました」

 

私には頷くしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2のへ学級出席番号17番、木津千里。

彼女はとかく几帳面であり、粘着質な性格である。

何でもきっちりとしていないと気が済まない質であり、容姿もだらしのないものを嫌い、正面から見てシンメトリーになるよう前髪も真ん中分け。

丹念に手入れをした髪を真っ直ぐストレートに伸ばしている。きりりと整えられた眉は、意思の強さを感じさせた。

同年代の女子に比べて、女性的な丸みに欠けるのがコンプレックスではあるものの、すらりとしてスタイルは良い。

 

「良し」

 

早朝、誰よりも早く登校した彼女は、机の列の乱れをきっちりと等間隔に並ぶよう整えた。

教室内の整頓された様子を見て、うっとりと満足していたところ、他の生徒が登校してきたようだ。

 

「あっ、委員長さん早いんですね」

 

扉を開けて顔を見せたのは、彼女のクラスメートである風浦可符香(P.N)であった。

トレードマークの✕の形の髪留めをして、朗らかに笑顔を浮かべて挨拶をしてくる。

その出で立ちを見て、千里は血相を変える。

 

「風浦さん! 貴女身嗜みって言葉知ってる!?」

「な、なんですかぁ?」

 

セーラー服の襟が捲れていたり、スカートのチャックが開いたままでパンツが見えていたり、靴下の裾の高さがずれて左右で違ったりと、木津にとっては女学生の身嗜みとしてあり得ないものだった。

すぐに可符香に近づくと、襟を正し、スカートのチャックを閉め、常備している靴下の滑り止めを使って左右の裾の高さをきっちりと合わせた。

見違えるように身嗜みのきちんとした可符香の様子を見て、千里は自分の仕事に満足げに頷いた。

 

「私、ズレてたり、揃ってなかったりするものに、すごくイライラするの」

「さすが委員長、几帳面なんですね」

 

几帳面、それは千里にとって最も喜ばしい誉め言葉である。

その後も、だらしない格好のものや、扉を閉めなかったり、きちんと挨拶に返事をしないものを叱りながらHRを待つのが、いつもの日常だ。

しかし、誰にでも強く叱れる千里にも、僅かではあるが苦手意識のある相手もいた。

 

「おはやうございます」

 

今日は糸色望の後を付きまとっていないのか、一人で登校してきた常月まといである。

何でも、今日は先生に大事な用があるために別行動を求められたそうな。

他の生徒がセーラー服や学ランの中、担任の教師に影響されてか、大正時代の女学生を彷彿とさせる袴を着ていた。

制服はあるものの、学校自体は私服も可としているために、別段問題があるわけではない。

勿論、婚約首輪も社会的に認められ、数年前に学校側でも認可が下りていることから問題ではない。

問題に思っているのは、彼女が担任である糸色望の婚約者(ペット)になった事である。

首筋に残る絞首の後を隠そうともせず、まるで他の女を牽制するかのように見せびらかしてすらいるように見える。

若く、妊娠適齢期の女性と男性が関係を持つのは、国も推奨していることであり、その社会構造に否やはない。

ただ自分はまだなのに、自分よりもいい加減に見える奴が女の幸せを噛み締めている事に僻んでいるだけである。

普段の授業中も先生の周りにいて、自分の席に座ろうともしない。それでいて、ちゃんと授業を聞くように注意しても、これがきっちりと授業内容を把握しているために質が悪い。

何を言っても暖簾に腕押し、糠に釘であった。

 

「おはよう」

 

どこか気の抜けた声で挨拶しながら教室に入ってきたのは小節あびる。

大人しい性格だが、女子生徒の中では最も背が高く、女性的な凹凸に恵まれた自己主張の激しい体型をしている。

特に胸部の膨らみは、木津のコンプレックスを大いに刺激する。

家庭内でDVにあっているという噂で、あちこちに痛々しそうな包帯やガーゼをしているが、特に親しくもないために深く聞くことを躊躇ってしまう。

しかし最近はまといと同じく、先生の婚約者(ペット)になりそれまでの陰鬱そうなものと違い、幸せオーラを滲ませている。

DVも改善してきたのか、新しい怪我は増えてはいないようだと木津は少しは良かったと感じてもいるが、単にバイトが減って怪我の機会が少なくなったという事をまだ知らない。

彼女はまといと違い、授業態度は模範生のため、注意すべき所がないだけに、余計に千里のコンプレックスを刺激する。

 

更に、教室にいないものの、空き教室に引きこもっている小森霧も先生の婚約者(ペット)であると聞いている。

引きこもるだけの理由があるのだろうと推測でき、世の中には様々な事情でトラウマを持つ者がいるため、学校に来るようになった分は改善したと言えなくもないので、そこを指摘するつもりも千里にはなかった。

しかし、理解と納得できるかは別の話である。

どのような容姿をしているのか気になった千里は、霧を一目見ようと彼女の姿を覗き見たことがある。

毛布に包まれ、体型は解らなかったが、長く艶のある綺麗な黒髪に、白磁のような肌の儚げな美人であった。

なんだそれは、と妬んだ。

一日中引きこもり、毛布に包まれているような人間が身嗜みに気を遣っているとも思えない。

勿論、髪の手入れやスキンケアなど最低限すらしているか怪しい。

なのに、自分は癖毛を直すために毎朝一時間近くかけて髪をセットしているし、就寝前にも気を遣っている自慢の髪と、霧の髪は遜色が無いように見えた。

自分を絶世の美女などと言うつもりもないし、上には上がいるだろうとも思ってはいる。

ただ、ナルシストではないが、千里とて自分の容姿を整ってはいる方だと自負しているし、将来殿方と恋仲になった時のために努力はかかしていないつもりだった。

日々を真面目に、健康にも気を遣い、礼儀正しい淑女であれと自身を戒めてきた。

そんな自分よりも、引きこもりの方が男に愛されることを知っているのだ。

霧も、あびるも、まといも女として魅力的だとは理解は出来るが、千里は自身が劣っているとは思えない。むしろ自分の方がしっかりしていると思っているだけに、その事を考えると惨めであった。

 

「イライラする」

 

世の中、きっちりはっきりしていない事が多すぎる。きっちりとしている方が良い筈なのに、いい加減な方が受け入れられたりしている事が多い。

立っているのか、倒れるのか、はっきりしない斜塔のやつ。

きちんと10時きっかりに始まらないテレビ番組。

面白いのか、面白くないのか、はっきりしない芸風の芸人。

返還されるのか、しないのか、はっきりしない北方領土。

反日だったり、用日だったり、はっきりしない隣の国。

 

「あーイライラする!」

 

そして一番イライラするのは、自分の気持ちだった。

恐らくは、自分よりも女として幸せそうな人間がいたとしても、普段ならここまで僻んだりしない。

ここまで気持ちが揺さぶられるのは、相手の男性が身近な担任教師だからだろう。

相手が糸色望だからだ。

幼い頃は、明るく活発な男性が好みであった筈なのに、いつから千里は望のようなタイプに好みが変わったのかは解らない。

口を開けば、教師らしからぬネガティブな発言をよくする望は、本来であれば、千里にとって魅力的に映るそれではない。

しかし、初めて教壇に彼が立った時に、千里には電流が流れたかのような感覚がしたのだった。

一目惚れ、というものを信じてはいなかったし、何よりも初めて会ったとは思えなかった。

ただ、心臓が締め付けられるように、千里の中の何かが訴えていた。

そんな男性が、会ったばかりの可符香を抱いたという。後に抱きしめただけでセックスをしたわけではないと判明したが、その時は「平等に抱け」と迫ってしまった。

男性の腕のなかで、ぎゅっと抱き締められる事は乙女であれば何度も夢に見るシチュエーションではあるだろう。

当然、千里も初めてであったが、何度も想像していたこともあり、キス程までは心揺さぶられるものではないだろうと、多少軽く考えてもいた。

しかし、男性としては細身であっても、女性と比べて固い腕に包まれ、腰を抱き寄せるようにしてすっぽりと納まると、千里の鼓動は爆発しそうな程にドクドクと血流を速めた。

男性の平均身長よりも望の背は高く、女子平均しかない千里など、彼の顔を見ようとすれば見上げなければならない。

もし顔の位置が近ければ、勢いに任せて、彼に口づけしていたかもしれない。

衆目の中で、女子の側から初対面の男の唇を奪うなどという破廉恥な行為など、本来であれば千里がするはずもないのだが、あの時ばかりは本当にしていたかもしれないと、今になっても思う。

顔を真っ赤にし、満たされた思いで体を離す。

しかし、自分が提案してしまったために、反対もできず、その後は他の女子生徒が順々に彼に抱き締められるのを見ているという地獄の時間であった。

ほとんどの娘は、千里と同じく男慣れなどしていない。

更に相手は容姿の整った年頃の男性である。

恋の始まりを予感させる乙女の顔になっている者が複数いた。

瞳に♡が宿っている。

嫌な予感は的中し、立て続けに彼は女子生徒と肉体関係を築き、婚約者となった。

まだ学生のため、すぐには籍を入れない判断なのだろうが、少なくともやり捨てせずに婚約しているので、そこは男としての甲斐性はあるようだ。

千里としては、だからどうしたという想いである。

男の甲斐性? 大いに結構。

男と女のことなので、理解はしている。

しかし、そこに自分が含まれていないのだ。

千里は望に選ばれていない。

私と彼女達に、何の違いがあるの?───と、千里は誰に打ち明けることもなく、ここ数日悶々とした日々を過ごしていた。

もしかしたら、今日こそは自分が選ばれるかもしれないと、淡い期待を抱けば、まさかの「糸色先生は用事があるらしく休み」との連絡。

 

「あああぁ……」

 

どんどん気持ちが不安定になる。

そこへ、どこから入手したのか、千里の家族写真を手に可符香が話しかけてきた。

 

「これ、委員長の家族写真ですね?」

「そうだけど……えっ、何で貴女そんなもの持ってるの? ちょっ、待って」

 

可符香が手にする写真には、母と姉と千里、そしてもう何年も会っていない父親の四人が写っていた。

 

「……お父様ともお母様とも似てませんね」

「た……たしかに……ああ、不安になる!?」

 

新たな不安の種子を投下された千里は、未だ授業が残っているにも関わらず、学校を飛び出した。

普段であれば、このような授業をサボる真似などしなかったが、この時の彼女の心理状態は、常とは違い苛立ちと猜疑心、様々な負の感情で揺れ動いていた。

 

「誰が誰の子か、はっきりしてください!」

「ええ……いや、あんたは私の子だけれど……」

 

家に帰るなり母を問い詰めるも、真実自分の子であるとの証言だけで、結局明確な証拠は出てこなかった。

母親は、まだ授業中の筈の時間に娘が帰ってくるなりの詰問に戸惑うばかり。

はっきりしない事にイライラが募る。

そんな千里を可符香が励ます。

 

「大丈夫ですよ、ご両親に似ていなくとも、人はみな神の子ですから」

「何か貴女、最近変な方向にいってない!?」

「まぁ、神と言っても八百万の神と言うくらいですから、それだけいれば誰かしらに似てるはずです」

「人の話聞いて」

 

可符香は妙に光る、奇妙な絵を取り出した。

そこには三白眼に太い眉、のっぺりとした黒髪に、ふっくらとした中年男性らしき人が何かに拝み、背後にはUFOとミステリーサークルに落下する隕石らしきものが描かれていた。

 

「ちなみに委員長が似ているのはこちら、おこぼれを司る神のバルボラ三世です」

「似てないわよ! そもそもどの辺におこぼれ要素があるのよ!?」

「え~、似てるよ」

「嫌よそんな神様」

「え~、じゃあもう私の子供ってことでどうです?」

「いや、意味わかんないわよ」

「大丈夫、私来世で神だから!」

「……駄目、何だか不安定な気持ちになってきた」

「じゃあ保健室で休むといいよ」

 

可符香の提案に乗り、千里は保健室で休ませて貰うことにした。

何故か保険医の常駐する新校舎の方の保健室ではなく、彼女は旧校舎の保健室を強く勧めてきた。

確かに、旧校舎側の保健室は薬等が常備されているだけで保険医はいないが、今はただベッドで休みたいだけなので、人がいない方がゆっくりできるだろうと考えた千里は素直に言うことをきいた。

 

「ここで休ませてもらおう」

 

空いているベットに横になると、考えることに疲れていたせいか、直ぐに夢の中へと旅立っていった。

カーテンで仕切られた向こう側、隣のベッドに誰かが寝ていることには気がつかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学校に戻ってきた私は、誰もいないのをいいことに、保健室のベッドで横になりながら、命兄さんの話を反芻していた。

まだ全ての謎が解ったわけではないが、色々と教えてもらえた。

2のへ組は自殺未遂者の集まりであること。

彼女達は、若くして亡くなった霊の現世への未練を解消するために、依代として学生生活を送り、弔う事が本当の役目であること。

私も自殺未遂者であることから、生徒達の担任役として指名されたこと。

私の使命は、生徒達の学生生活を導き、弔いを成功させ、生徒自身の生きる理由・意味を見出だしてやること。

生徒達の中に、赤木杏から臓器提供された受容者(レシピエント)がいること。

兄が、私の婚約者となった霧、まとい、あびるは受容者であると言っていた。

だから、容姿が似ているわけでもないのに、彼女達に赤木杏の面影を見たのか。

私が求め、また、彼女達も私を求めた。

出会って間もない私を受け入れたのは、その身に赤木杏を宿しているからかもしれない。

やはり、彼女は私を受け入れてくれていたのだ。

人の記憶というものは、本来であれば脳に宿るとされているが、その他の臓器に宿ることなどあるのだろうか、と疑問にも思った。

科学的にはあり得ないが、霊を信じるのであれば不思議なことでもない。

実際に調べてみれば、受容者(レシピエント)がドナーしか知らない記憶を語ったり、趣味・嗜好が変化したりといった実際の事例が、世界中で多数報告されていることがわかった。

人の細胞は一年ほどで全て入れ替わるという。

術後数年が経過していれば、他人のものだった臓器の細胞も、本人の細胞に適応して入れ替わるのではという疑問もある。

しかし、それでは何故、今も私は彼女達に面影を見て愛おしく思うのか?

あびるがいい例だ。

初めて抱いた時、あの娘は私を普段呼んでいる「先生」と、赤木杏が呼んでいた「望君」と、混ざりあうようにして呼んでいた。

あびる自身の人格と、赤木杏の人格が混じりあったかのように、支離滅裂なことを口にしていたが、あびるが知りえないことも話していた。

彼女は昔、角膜を移植手術したと言っていた。

それがきっと赤木杏の角膜。

そこには私が彼女に告白したことが焼き付いていたのだ。

もし細胞が全て入れ替わり、小節あびるのものだけとなっていれば、覚えているのはおかしい。

つまり、細胞が入れ替わる際に、あびるの細胞は赤木杏の細胞に適応し、二人が混ざった細胞になったのではないか。

 

「最早、それは彼女(赤木杏)であると同義なのでは?」

 

その理屈で言えば、受容者達は皆、赤木杏の本人であり、子供でもあり、生まれ変わりでもあるのではないか?

彼女達と愛し合うことは、即ち赤木杏を愛するということ。

これはきっと、あの娘が私を導いたのだ。

そして、全ての赤木杏を愛した時、産まれてくる子供を依代として、赤木杏は現世へと再び受肉するのだろう。

過去、現在、未来の全てで彼女が私を愛してくれるのだ。

 

「……ん?」

 

そこで初めて、私はカーテンで仕切られた向こう側のベッドに、誰かが寝ていることに気がついた。

保健室に誰かが入ってきていたことにすら気がつかなかった。

考えに深く没頭していたようだ。

どうやら少し魘されているのか、寝苦しそうな寝息と、もぞもぞと細かい寝返りを繰り返しているようだ。

ここは旧校舎側の保健室であり、利用するとしたら2のへの生徒しかいないので、誰だろうかと気になった。

今はまだ授業中の時間のため、サボりでもなければ体調不良だろうと推測できる。

カーテン越しのシルエットから、数少ない男子生徒ではないと思うのだが……

 

「……んん」

 

寝返りの末、カーテンを越えてこちら側に転がってきたのは、木津千里であった。

丁度伸ばしていた私の腕を枕にするようにして納まる彼女は、綺麗に整えられた眉を八の字に歪め、眉間に皺を寄せていた。

溺れる者が何かにしがみつくかのように、私の体に手足をしがみつかせてきた。

悪夢でも見ているのか、うんうんと魘されている。

むずかる赤子をあやすように、ポンポンと軽く背中を叩いてやると、スッと眉間の皺が消え去り、穏やかな寝顔に変わる。

静かに、規則正しい寝息に変わった彼女を起こさぬよう、じっとその顔を眺めた。

几帳面な性格を反映してか、真ん中分けされた前髪は、寝ている今でもしっかりと保たれていた。

整えられた眉毛に、長い睫毛。

スッと通った小鼻と、ぷるりと潤いのある唇。

パッと見ただけではあるが、髪の手入れもしっかりとしているのだろう、傷んだ様子はない。

女性的な丸みには乏しいが、スラリとした括れのある腰付きのモデル体型で、寝返りで乱れたスカートから伸びる太ももには健康的な色気があった。

生真面目な性格をしていると記憶しているので、やはりサボりではなく体調不良だろう。

彼女もおそらく受容者である。

以前に風浦さんになっていたので間違いはないと考えている。

俗に言う据膳状態であるが、どうするか。

 

「……ん……え?」

 

目を覚ました木津さんは、私と目が会うと、ベッドの上で抱き合う形であることに気がついたらしく、頬を朱に染め、口許を手で隠した。

上半身を起こして座れば、腕枕から解放された私も向き合う形で体を起こした。

 

「ま、まぁ、男と女のことですから、こうなってしまった以上、仕方ありません。仕方ないのです」

 

乱れた制服を見て、何を思ったのか。

何故か少し嬉しそうな表情で、木津さんは宣った。

 

「きちんとしてください」

「へ?」

「きちんと籍を入れてください。きちんと親に挨拶に来てください」

「いや、貴女唐突にどうしたんですか?」

 

私の返答に、不思議そうに首を傾げる木津さん。

何か勘違いをしているようだ。

 

「先生は私と寝たんじゃないんですか? ちゃんと責任とって婚約するのが筋でしょう。実際に先生は三人も婚約者がいるじゃないですか」

「その意見には賛成ですが、貴女とは別にまだ寝たわけじゃありませんよ?」

「……え?」

「貴女が寝返りをうってこちらに来たんですよ。それより、体調は大丈夫ですか?」

「……え?」

 

木津さんは、信じられないと言いたげに目を見開き私を見た。

 

「……え? 寝て……ない?」

「ええ」

 

自分の手を見て、スカートの中を確認して、おそらくは下着に乱れがないことを確認したのだろう。

確認、出来てしまったのだろう。

それが、彼女の中の何かのスイッチを押してしまったようである。

 

「え? 待って、そんなことってある?……私、手を出されてないの?……こんな、据膳みたいな状態で?……私ってそんなに……ええ? 嘘嘘嘘、本当に?……そこまで私って魅力無いの? 女として見てもらえないほどブスってこと? 待って、待って待って。えっ、何これ……ええ? だって先生よ? もう三人もペットにした人が、触れもしてないってどういうこと?」

「あ、あの……木津さん? 手を出さなかったのと貴女の魅力には関係は無いのでは……」

 

私の声は彼女には聞こえていないようだった。

先程までの、頬を染めて嬉しそうな雰囲気は鳴りを潜め、今や真っ青な顔をした木津さんは、ブルブルとまるで雪山に放り込まれたかのように震えだした。

 

「先生に選んで貰えないなら、私って何? 今までの努力って何? あんなに頑張ったのに……やっぱり魅力無いんだ……誰よりもきっちりしてきたのに……所詮ブスなんだ……寒い……痛い……嫌だ。嫌だやだやだまた……あぁ、聞こえない。心臓の音が、鼓動が聞こえてこない……寒い……気持ち悪いよ……」

 

俯き、前髪で表情が隠れてしまった彼女は、寒さを堪えるように自身を抱き締めると、ガチガチと歯を鳴らしながら、ぶつぶつと呟いている。

次第に体の震えは大きくなり、今やベッドまでもがガタガタと震えていた。

 

「ああぁあぁあぁああ!?……ひぃ、うっ……さむい……わたしは……あれ?……わたしってなに?」

 

あれだけきっちりと真ん中分けされていた前髪も、真っ直ぐに伸びていた髪も、彼女の今の不安定さを象徴するように乱れていく。

このままでは不味いと感じた。

このような時、どのようにすれば正解なのかは、正しいことかは私には解りかねる。

私に出来ることは、彼女を愛してやること。

それしかないのである。

 

「木津さん……いえ、千里!」

「さむいさむいさむ……あっ……」

 

私は彼女の顎を上向かせると、その顔を覗き込んだ。目の焦点が合わず、瞳孔が開きかけていた。

顔は青を通り越して土気色であり、あと少しで死にそうであった。

血色のよかった唇も、青紫色に変色してしまっていて……私は接吻した。

開いた唇から、彼女の口内へと体温を分け与えるかのように舌をねじ込み、唾液を送る。

 

「……っ!?」

 

寒さからカチカチと歯を鳴らせていた所に、無理に舌を捩じ込んだせいで、舌先を少し噛まれてしまった。つい、痛みで舌を引っ込めてしまったが、再度彼女の口腔内へと侵入を試みる。

 

「ん……ふっ……」

「……んん……ふぅ……」

 

震える彼女の腰に腕を回し、抱き寄せる。

徐々に震えが治まってきた。

 

「……んぅ、んちゅ……はっ!?」

「んぐっ!?」

 

血色が戻ってくると共に、私と接吻していることに気がついた彼女は正気を取り戻したようだ。

しかし、その際に驚いたのか、私の下唇を噛まれてしまった。

鋭い一瞬の痛みの後に、口のなかに鉄の味がした。

どうやら少し切れてしまったようだ。

 

「せ、先生……」

「大丈夫、大丈夫です。貴女はちゃんと魅力的ですよ」

 

先程までと違い生気を取り戻した彼女には、現状への戸惑いと、初めてのキスへの羞恥、求められたという歓喜、傷つけてしまったという罪悪感が見てとれた。

しかし、私への嫌悪感は見られない。

どうやら正しいかはともかく、危ない所は脱したらしかった。

 

「千里、貴女を愛してもいいですか?」

「……はい」

 

私は、下唇から流れた血を小指で掬い、紅を塗るようにして千里の唇に紅い線を引く。

 

「綺麗ですよ、千里」

「先生……」

 

恋する乙女の表情になった千里の顔は、元々が美人であったが、より一層美しく見えた。

雄の求めに雌が応じたならば、するべくことはただ一つ。

私の両手は、彼女の細い首筋を捕らえ、ゆっくりと締め上げた。

 

「あは♡……ぐっ、ぎっ……あっ♡……」

「美しい……」

 

彼女の瞳には、私だけが映っている。

私の瞳にも、彼女だけが映っている。

これこそが愛。

やがて、千里の顔と、かつての杏の顔とが同化する。

 

「愛していますよ」

 

その言葉は、木津千里へと贈る言葉であり、即ち、赤木杏への言葉でもあった。

言葉に応えるように、彼女の細腕が私の背中に回され、愛おしそうに抱き締めてくる。

彼女の心臓の鼓動がドクドクと激しく脈打っているのが解る。

あぁ、そこにいたのですね……

 

「ぜ、んぜ……あい、じっ……」

 

私と彼女は再び、接吻を交わした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




風浦可符香
CV大浦可奈子

本日の欠席
■■■
大浦可奈子
関内太郎
日塔奈美───以上四名


生徒紹介
木津千里───几帳面・粘着質少女。
何でもきっちりしていないと気が済まない神経質な少女だったが、徐々に猟奇的な面が出始め、絶望少女の中でも嫉妬深く、何度も他者を殺害する描写がある。でもギャグ漫画なので次週で何事もなく復活しているので問題なし。
よくオチに使われる(オチてないけど)
スコップの使い手で戦闘力は高く、その強さを見込まれて鬼武者かなんかの世界で武将になる。
気合いで第三の目を開くことから、三只眼吽迦羅の生き残りではないかと作者は考えている。
きっと違う。
カラオケはまぁ、上手くもなく、下手でもない点数らしいが、中の人は滅茶苦茶歌上手いよ。絵も上手いよ。美人さんだよ。なんで声優選んだんだろってくらい芸達者。でも演技の幅も広いし、役者として凄いから合ってたんだろうね。


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