王子との婚約を破棄され追放された転生聖女は庶民に“酔いどれ”と笑われている (若年寄)
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第壱章 見参! “酔いどれ”のゲルダ

 春先と云えども夜の風は冷たい。

 朧気な月灯りを頼りに大通りから一本逸れた路地裏を一人の少女ゲルダがふらふらと覚束無い足取りで歩いている。

 この街の治安はお世辞にも良いとは云い難く、人気の無い場所をのこのこ歩けば襲われたとしても文句は云えない。

 況してや少女が身に纏っているドレスは高級ではないが安物でもなく身綺麗であり、腰に上品な黒鞘の剣を差している様は如何にも小金を持っていそうな雰囲気だ。

 事実、ゲルダはこの街一番の豪商フォルコメン商会に請われてさる舞踏会に同行し、同商会会長フォルコメンの護衛を終えた後、日当を貰って懐が温かかった。

 舞踏会が終わり、会長を屋敷まで届けると、ゲルダはドレス姿のまま酒場へと繰り出した次第である。

 

「あれだけ高級な酒を呑んだのにまだ呑み足りませぬか」

 

 そう呆れるフォルコメン会長に少女はニッカリと笑う。

 

「御歴々が一堂に会されている場で呑んで酔えるものか。それに高い酒はワシの口には合わん。安酒場で安酒を呑んでおる方が性に合っておるのよ」

 

 用心召されよ、との忠告を聞き流しながらゲルダは手を振って別れたのだ。

 現に少女の懐を、或いは瑞々しいその肢体を狙った掏摸、掻っ払い、強盗、痴漢、或いは唯の酔漢が少女の通り過ぎた後を追うように倒れているのが見える。

 倒れている――相手は千鳥足の冴えない黒髪の地味な少女だ。ワケもないと思って襲いかかったのが運の尽きだった。

 掏摸見習いの少年コルボは擦れ違いざまに自慢の指を少女の懐に差し入れて財布を掴んだと思ったその刹那、世界が回ったと感じた。

 気が付いた時には強かに背を地面に打ち付けられて悶絶していたのである。

 薄れゆく意識の中で駆け出しの掏摸はあっちにふらふら、こっちにふらふらと危なっかしい歩調で去っていく少女の背中を見た。

 

(チキショウ! 恰好で騙された! ありゃ“酔いどれ”のお嬢じゃねぇか!!)

 

 己の記憶にある見窄らしい瓶底眼鏡の少女がペロッと子供のように舌を出すのを思い浮かべた直後にコルボは気を失った。

 ゲルダはチラリと顔だけ振り返り、母者に温かい物でも買ってやれ、と笑って闇の中へと姿を消していく。

 程なくして目を覚ましたコルボは手に銀貨を握らされている事に気付き、掏摸としての矜持を傷つけられたと憤る反面、かっちけねぇと心の中で感謝した。

 さて、少女はあれから強盗やチンピラをあしらいながら鼻唄混じりにずんずんと進んでいく。足の運びこそ見ていてハラハラさせられるが、道に迷っているようには見えなかった。

 気前の良いフォルコメン会長から色を付けた日当を貰い、久々に懐が温かくなっていた少女は何件も酒場を梯子して漸く帰路につこうとした矢先に、

 

尾行(つけ)られている)

 

 と察して折角酒で温まった体を態々寒風に晒しながら人気の無い道を歩いていたのである。

 しかし、わざと隙を見せているのに襲って来るのはつまらない小悪党ばかりなのだからいい加減嫌になろうと云うものだ。

 先程など友達の兄である自称掏摸名人が懐に手を突っ込んできた時など、苛立ちからつい投げ飛ばしてしまったくらいだ。

 一年前の自分ならコルボの腕を掴んで、莫迦め、とからかって仕舞いにしていたはずだが近頃は少し短気になってきたのかも知れぬ。

 今や少女は袋小路に入り込んでいた。

 

「いい加減に姿を見せい。折角の酔いがすっかり醒めてしもうたではないか」

 

 ゲルダは振り返り、路地の先にある闇へと声をかける。

 彼女は十五、六歳にしか見えないが、その口調は壮年の男のようだ。

 しばらく待ってみたが、相手は姿を見せる様子は見せない。

 しかし、未だに気配が残っているので立ち去った訳ではなさそうである。

 

「そっちがその気ならお前の相手はこいつ(・・・)に代わって貰うぞ?」

 

「お、お待ちを」

 

 黒塗りの鞘をポンポンと叩くと闇に身を潜めていた人物が姿を現す。

 その正体を見て少女の顔に少なからぬ驚きが見て取れた。

 

「おいおい、こんな辺境の街に聖女様(・・・)ともあろう御方が何用でいなさる?」

 

「もう二度と会わないという約束を反故にしてしまった事はお詫び致します」

 

 聖女と呼ばれた相手もまた年若い少女であった。

 聖女は少女の前に進み出ると膝をついて頭を下げる。

 

「しかし、今はゲルダ様にお縋りするより手は無いのです」

 

「む、見れば服は破れ、怪我もしているではないか。何があった?」

 

 少女ゲルダは聖女に近寄ると手を翳した。

 するとゲルダの手に仄かな光が宿り、その光に照らされた傷が瞬く間もなく癒やされていく。それどころか半裸になるまで破れていた服までも修復され、豪奢な刺繍やレースで彩られた純白のドレスが蘇った。

 

「さ、流石はゲルダ様、私めのような名ばかりの聖女とは違い服まで直して仕舞われるとは……」

 

「それより何があった? お主は今一人か? 王子はどこにおる?」

 

 ゲルダの質問に聖女は答えず顔を手で覆って泣き出してしまう。

 女子供の涙に弱いところがあるゲルダは面喰らい、困惑する。

 

「ええい、泣いていては何も分からぬ。一体、何があったのだ?」

 

 しかし聖女は泣くばかりで答えない。否、答えられずにいた。

 いい加減、どうしたものかと思案していたゲルダであったが、不意に聖女を背にして先程、彼女が出てきた闇に誰何(すいか)する。

 

「何者だ? ここ最近、ワシの動向を探っている者の気配は察していたが、お主らか? このワシに用があるのなら堂々と姿を見せい」

 

「ヒッ?!」

 

 聖女の短い悲鳴を合図にした訳ではないだろうが、闇から現れたのは三人の僧侶だ。しかも法衣の上から防具を纏い、槍を手にしている。

 

「ふん、近頃、僧侶の身でありながら武装して王侯貴族を相手に強訴したり農民を扇動して一揆を起こす僧兵なる者がいると耳にしておったが、お主らがそうか」

 

 僧兵達はゲルダの問いには答えず槍を構えた。

 一人は穂先をゲルダの眉間に定め、二人目が心臓を狙い、三人目はゲルダではなく聖女に穂先を向ける。

 ゲルダが三人のいずれかに斬りかかっても残る二人が確実にゲルダ或いは聖女を突き殺すだろう。見事な連携である。しかも三人とも手練れであり、隙というものが全く無かった。

 今まで無表情だった三人の内、ゲルダの眉間を捉えている僧兵が不敵に笑った。

 

「今までこの『火血刀之陣』を破った者はおらぬ。大人しくしておるのが身の為ぞ」

 

 火血刀とは、罪人が死した後に堕とされる地獄を示す火途、獣にされ弱肉強食の過酷な世界を生きる畜生道を指す血途、餓えと乾きに苦しむ餓鬼道を指し、刀で追われる事から刀途と呼ばれる所謂(いわゆる)三途の事である。

 

「お主らの目的は何だ? この御方がカイム王子の奥方と知っての狼藉か?」

 

 ゲルダの鋭い声に僧兵達が笑った。

 

「その偽者(・・)がか? 要らざる猿芝居はやめい。カイム王子の妻は貴様であろうが? そして本物の聖女も貴様よな?」

 

「ワシが? 何を抜かすか。ワシは唯の日雇い用心棒よ」

 

「猿芝居はやめろと云ったはずだ」

 

 僧兵達は笑みを引っ込めるとジリジリと間合いを詰めてくる。

 ゲルダは視界の端で、ある家の屋根の上で影が動いているのを認めるや、ふっと笑った。

 

「ふん、確かにワシはカイム王子の婚約者であったが、それも一年前の話ぞ。深酒が祟ってな。国を挙げての神聖な儀式を失敗したせいで婚約を破棄された挙げ句に城からも追放された。今では聖女の資格も無くした大酒喰らいの穀潰しよ。人呼んで“酔いどれ”のゲルダとはワシの事だ」

 

「お嬢!」

 

 ゲルダと僧兵の中間で爆発が起こり、辺りは黒い煙に包まれる。

 

「ようやってのけた! 後でもう一枚銀貨をやろう!」

 

「助けてやったのに吝いな?!」

 

 頭上からのコルボの抗議を無視してゲルダは剣を抜き付けながら眉間を狙う穂先を斬り飛ばした。

 いや、それだけでは終わらない。

 剣が完全に抜けたと同時に刃を返して聖女を貫かんとしている槍を截断し、更には心臓に向けられた穂先を搔い潜りつつ正面の僧兵の腹を薙いだ。

 致命の傷ではないが、迅速に処置をしなければ失血により命を失いかねないだけの血が流れている。

 抜刀から攻撃の終了まで流れるような連続技であった。

 

「走れ!」

 

 ゲルダは聖女の手を掴むと三人の内の誰かは分からぬまま正面の敵に体当たりを喰らわせてその場から逃走することに成功する。

 二人は普段ゲルダが寝起きしているフォルコメン家が所有する寮に落ち着いた。

 コルボも何故か執拗に同席を望んだが帰らせている。

 銀貨五枚を握らせ、先の礼を丁重に述べた後、母者が心配して待っているぞと諭せば、渋々ながら帰っていった。

 

「さて、何があったのか、話してくれるな?」

 

 聖女は頷くとぽつりぽつりと話し始める。

 それはゲルダが想像していたよりも深刻な状況であった。

 現王の寿命が尽きようとしているのは占星術にて察してはいたが、崩御を前にしてカイム王子と弟クノスベ王子の間で後継者争いが起こったというではないか。

 

「順当にカイム王子が継げば善かろうではないか。カイム王子は賢君と呼ぶに相応しい才の持ち主。それはクノスベ王子も認めていたであろう」

 

「はい、そうなるはずでした。しかし……」

 

 なんとクノスベ王子の母が異議を唱えたのだとか。

 それを聞いてゲルダの顔に苦いものが浮かんだ。

 

「シュランゲ殿か。側室の子であるカイム王子より正室の子であるクノスベ王子こそが正当な後継者であると叫んだか」

 

 ゲルダの脳裏に蛇のように執念深い王妃の顔が浮かぶ。

 五十路を越えてはいるが、まだ三十代半ばのような瑞々しさのある女性である。

 もっとも元は公爵家の娘であったからか気位が高く、他者を見下す悪癖があった。

 それだけならまだ我慢ができたが、身分の低い者を苛む事に悦びを覚える性分の人で、僅かでも気に障ろうものなら罵声を浴びせるなど当たり前で、ヘソでも曲げようものなら常に手にしている馬上鞭が飛んでくる事も珍しくない。

 しかも二目と見られない醜女(しこめ)で、異様に長い顎に話す事も困難なほどに飛び出した出っ歯、絵本の魔女のような鷲鼻の上に酷薄そうな細い目をしていた。

 政略結婚とはいえ、このような女と人生を共にし、抱かなければならなかった若き日の現王にゲルダは同情したものである。

 これで歳を取って丸くなってくれれば良かったのだが、どうやら若い頃よりも烈女っぷりに磨きがかかってしまったらしい。

 

「それでどう捩じ込んできたのだ? ただ喚くだけなら、いくら病を得たとはいえ王も突っぱねる事は出来よう。しかし、こうしてお主がここにいるという事はカイム王子に只事ならぬ事態が起こったのではないのか?」

 

「はい、実は即位を前にカイム王子は王家に代々伝わる聖剣を継承していたのです」

 

「ドンナーシュヴェルト、雷神の力を宿す聖剣だな。まだ早いと思っていたが、継承したという事は持ち主として認められたということか」

 

 血反吐を吐くまで扱き抜いた弟子にしてかつての婚約者の成長を感じられて嬉しくもあり、我が手から完全に離れてしまったのだなという寂しさを覚える。

 

「ええ、その大切な聖剣を盗まれてしまいまして」

 

「何だと?」

 

 流石にゲルダも色を失う。

 ドンナーシュヴェルトとは、かつて嵐を司る邪神を調伏した騎士が、後に改心して雷神となった元邪神から授かった聖剣である。

 これは雷神と騎士が友誼を結んだ証であり、騎士の子孫、即ち後の王家が代々引き継いできた秘宝だ。

 

「盗まれたとしてもどうやって? 彼の聖剣は持ち主と認めた者以外の者が手にすれば立ち所に神鳴(かみなり)が落ちて滅ぼされてしまうであろう」

 

「分かりません。しかしその尊き聖剣が何者かに盗まれたのは確かなのです。そしてその責めを負ってカイム様はお(はら)を召す事に……」

 

 聖女は再び泣き崩れてしまう。

 それを横目にゲルダは思案する。

 これは由々しき事になったと思う反面、まだカイム王子の切腹は行われていないと考えている。でなければ箱入りで、蝶よ花よと育てられ、長じてからは修道院に入って外界に一切触れる事無く生きてきた聖女が態々自分に救いを求めて命懸けの旅をするまい。

 

「ゲルダ様に縋る資格が無いのは分かっています。しかし今は貴方様だけが頼りなのです。どうかカイム王子をお助け下さい」

 

 化粧を崩すまでに涙と鼻水に濡れた顔を上げて聖女はゲルダに懇願する。

 

「助けろとはワシに聖剣を取り戻せと云うのか? 引き受けても良いが、それで一度下された切腹の沙汰が取り下げられるとも思えぬがな」

 

 何せ国の宝を紛失しているのだ。

 返ってきたところで責めを免れるとも思えなかった。

 

「実は失った聖剣をクノスベ王子様が賊から奪還して国に帰還されるという報せが入ったのです。その功績を持ってクノスベ王子様が正規の王位継承者になられるとお沙汰がありまして」

 

「ではどうにもならぬではないか。盗まれた聖剣が返ってくるのならワシの出る幕など無いわ。早々に帰ってクノスベ王子に縋りカイム王子の命乞いをせい。国を出ると云えば情けくらいはかけてくれよう」

 

「それがレーヴェ様がおっしゃるには、これはクノスベ王子、いえ、シュランゲ様の策謀ではないかと。ならば命乞いをしても聞き入れては頂けないだろうと」

 

 レーヴェとはカイム王子の母親であり、かつては国内最強を誇っていた騎士であったが、現王の手がつき、懐妊した事で側室となった謂れがある。

 実直を絵に描いたような清廉の騎士で、ゲルダが剣士としても優秀であった事から剣友として親交があり、カイムとの婚約もレーヴェの進言があればこそであった。

 美形ではあるが中性的というよりは男顔であり、その精悍さはカイム王子にも引き継がれている。

 

「それでは益々ワシの出る幕が無いではないか。お主は、いや、レーヴェ殿はワシに何をさせたいと申すのだ?」

 

「はい、実はクノスベ王子はまだご帰還あそばれてはいないのです。シュランゲ様がおっしゃるには、善き機会であるので世間というものを勉強して来るようにとの事です。ですがレーヴェ様によると、出来る限り帰還を遅らせてカイム様に長く死の恐怖を味わわせようとしているのではと仰せなのです」

 

 あの執念深いシュランゲ殿ならやりかねんなと思いつつ、ゲルダは漸く全てを呑み込む事ができた。

 

「つまりワシにクノスベ王子から聖剣を奪えと云うのか。或いは聖剣が偽物だと証明しろと云う事かな」

 

 カイム王子と同じ失態を犯せばクノスベ王子にも責めが生じる。

 王家に二人しかいない王子を二人とも切腹させる訳にはいくまい。

 つまりそこを落とし所にして、王位継承権は別として命を救う取っ掛かりにしたいという事なのだろう。

 もし聖剣が本物でも神に認められた聖女であったゲルダなら神罰が降る恐れはないし、大酒喰らいの悪癖に目をつむれば、偉大な功績の数々を残しているゲルダが“その聖剣は偽物”であると断じればクノスベ王子は面目を失うという事か。

 

「随分とつまらぬ事に巻き込んでくれたものだな」

 

「も、申し訳ありません。しかし、もう私達がお縋りできるのはゲルダ様をおいて他にはおりませぬ。何卒、カイム王子様のお命をお救いくださいませ」

 

 ゲルダは腕を組んで長く沈考していたが、しばらくして立ち上がった。

 

「遣り方をワシに任せてくれるというのであれば引き受けても良いぞ」

 

「ほ、本当ですか?!」

 

「ああ、本当だとも」

 

 ただし――ゲルダは聖女を睥睨する。

 

「これがワシを貶める策であったなら、お主は勿論、レーヴェ殿やカイム王子の命は無いものと心得い。その事はレーヴェ殿にも釘を刺せ。しかと申し付けたぞ」

 

 そこにいるのは“酔いどれ”ではない。況してや聖女でもない。

 国内最強と謳われたレーヴェをも打ち負かした不世出の剣客がそこに立っている。

 その威風に聖女は、畏まりましたと平伏するのであった。




 追放物の小説を最近よく見かけるのでチャレンジをしてみたものの生来の臍曲がりゆえかなんだか可笑しな流れになってしまいました(汗)
 本来であればパーティーを追放された主人公が実は有能で、別パーティーで活躍して幸せになったり、或いは復讐する事で追放した側が零落れていくのが醍醐味なんでしょうけど、何故かうちの聖女ゲルダは大酒喰らって周りから“酔いどれ”呼ばわりだし、追放した王子を助けに行く流れだし、おっかしいなぁ…
 他の小説との差別化を狙い過ぎたかしら?

 さて、次回からは、ゲルダが転生するところから王子との出会い、そして追放から今に至るまでを二話か三話に分けて展開して、聖剣奪還へと繋げていく予定です。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第弍章 聖剣頂戴仕る

「これは何の騒ぎだね?」

 

「お前さん、知らないのかい? 王宮から先祖代々受け継がれてきた家宝が盗まれたそうなんだよ」

 

「ほう、ではこの物々しい騎士様達の行列は家宝の探索かね?」

 

「違う、違う。盗まれたお宝をクノスベ王子様が奪還に成功して今は凱旋の途中なのさ。ほら、中央の白い仮面をつけた立派な騎士様がそうだよ」

 

「これはまた見事な騎士ぶりだ。純白の甲冑と相俟って美しい。高貴な御方とは我ら平民とは全く違うものだね」

 

「それはそうさ。この国の次代の王様はカイム王子様だと云われていたけど、ひょっとするとクノスベ王子に代わる事も有り得るぞ」

 

「そうなのかい? いくら家宝を取り返したと云ってもそれだけでかね?」

 

「何でもその家宝を管理していたのは他ならぬカイム王子様だったという噂さ。それを盗まれた挙げ句に弟君に取り返されたんじゃ立つ瀬がないだろう」

 

「家宝が盗まれるって、立つ瀬どころか命もないのではないかね?」

 

「シッ! 声が大きい! 騎士様がいる前でそんな事を云うヤツがあるかい」

 

「おっと、これは失言。しかもカイム王子様といったら聖女ゲルダ様を追放したというではないか。この国に攻め込んできた魔王を対話のみで退けただの、地獄の瘴気で穢された湖を一瞬にして浄化しただの、素晴らしい功績を残しているのに非道い事をするものだ。これはきっと罰が当たったに違いない」

 

「だから声が大きいって! でも、その通りかもな。若い娘に入れ上げて、ゲルダ様を追い出しちまったって噂だからな。神様は善く見ていなさるよ」

 

「ああ、それに引き替えクノスベ王子様を見てみろ。なんとご立派な事か。こういう御方にこそ王様を継いで貰いたいものだな」

 

「まったくだ」

 

 バオム王国第二王子クノスベは庶民の噂に上機嫌だった。

 長年、目の上のたん瘤であった兄カイム王子の失脚も彼を喜ばせたものだ。

 まさかこうも上手く事が運ぶとは思ってもみなかったのである。

 聖剣ドンナーシュヴェルトを手にする覚悟を定めるのに一月かかったが、実際に我が手に収めても神鳴(かみなり)が襲ってくる事はなかった。

 神ならぬ一介の僧侶が作った護符というのも莫迦に出来ないものだ。

 母が連れてきた徳の高い僧(・・・・・)とやらをもっと早く信じてやれば良かったとすら思う。

 首尾良く自分が王を継げたのなら約束通り布教を許してやろうではないか。

 いや、雷神の怒りすら封じる護符を作る事が出来る男だ。

 望めば家臣として重用してやっても良い。

 美しい仮面の下でクノスベ王子は、クククと低く笑った。

 

「頼も~~~~~~~~~う!!」

 

 胴間声に馬が足を止め、クノスベ王子は前につんのめる。

 折角の良い気分を台無しにされて、キッと睨めば汚らしい男がいた。

 

「頼もう! バオム王国第二王子クノスベ殿と御見受け致す!!」

 

 奇妙な男だった。

 紺の着流しを着た初老の男は木剣を肩に担いでいる。

 不精髭がまばらに伸びた顎を擦りながらニヤニヤと笑っている様はクノスベ王子を不愉快にさせるには十分だった。

 

「何者だ? 私をバオム王国王子クノスベと知っての事か?」

 

「だからクノスベ王子かと誰何(すいか)したではないか」

 

 男は更に小莫迦にしたような笑みを深める。

 周囲から忍び笑いが聞こえてきてクノスベ王子の顔に熱が宿った。

 

「どうれ。我が君に何用か?」

 

 クノスベ王子がボロを出す前にと思ったのか、護衛騎士の一人が前に進み出た。

 

「おうよ。拙者、武芸を磨く為に諸国を旅している者。名をゴロージロと申す」

 

 話の分かりそうな御仁が出てきて安心したわい、と男は自らの頭を撫でる。

 前頭部から頭頂部まで見事に頭皮が見えており、後ろ髪を結って何故か頭頂部に乗せる奇妙な髪形だった。

 

「たまさかこの国を訪れた際、盗まれた家宝を取り戻した豪傑がいると聞き及んでな。一手ご指南頂きたく罷り越た次第でござる。我が願い、御聞き届け頂けますかな、クノスベ王子様?」

 

 面倒な事になった、とクノスベ王子は頭を抱えたくなった。

 それというのもバオム王国は開祖が騎士という事もあり武芸を尊ぶお国柄である。

 それゆえ、バオム王家の人間は如何なる相手であっても挑戦されたらそれを拒む事を許されていない。拒否すれば“士道不覚悟”と父王から罵られるだけでなく、下手をすれば折角手に入れた王位継承権を失いかねないのだ。

 

「何、御多忙であらせられるクノスベ殿のお手を煩わせるのだ。こちらも手ぶらではない。金貨百枚、指南料として持参致した。これで我が願いを御聞き届け下され」

 

 クノスベ王子は思わず喉を鳴らした。

 それというのも、武芸の国というだけあって王家には清廉を求められるからだ。

 国の豊かさを誇示する為に月に一回は舞踏会を開くが、それとて遊興費としてきちんと国家予算の中から割り当てられているし、どこの国もそうだろう。

 王子という立場ではあるものの自由に出来る金は皆無に等しく、有っても母の実家から送られてくる小遣いくらいなものである。

 それが金貨百枚だと? その瞬間、クノスベ王子の脳裏に浮かんだのは、一度だけ遊んだ高級娼館での想い出であった。

 小遣いを遣り繰りして漸く貯めた金貨十枚であったが、いざ支払いになると全然足りず、しかも王子という身分を隠していたので小さな窓のある巨大な桶を被せられ花街の大通りにて晒されたという。どうにか王家に連絡をつけて花代を支払って貰えたが、父王に叱責を受けて大いに面目を失う事となったのである。

 

(これだけあれば堂々と遊ぶ事が出来る。私を好きと云ってくれたあの娘の為にも、もう一度あの娼館に行きたい!)

 

 リップサービスも娼婦の手練手管の一つなのだが、真に受けてしまったクノスベ王子は是が非でもその日相手になった娼婦と会いたかったのだ。

 そして幼い頃から春をひさいでいたという少女を救うのだと意気込んでいた。

 もっとも身請けをするのに金貨百枚程度では全く足りずにまた恥を掻くだけだと嗤うのは世間知らずの王子様には酷であろう。

 余談だがクノスベ王子がたった一度の逢瀬で入れ込んでいる娼婦は若く見えるが既に三十路手前である。更にクノスベ王子には気の毒な事だが、彼女はとっくの昔にさるお大尽に身請けされて妻の座を射止めていた。

 

「ゴロージロと申したな。そなたの願い、聞き届けてやろう」

 

 クノスベ王子が高らかに答えると周囲から歓声が上がった。

 武芸を尊ぶとは云えども届けもなく決闘をすれば罪になる。

 しかし王族が挑戦を受けるとなれば話は別だ。

 日頃の鬱憤もあって庶民は突如起こった決闘を歓迎した。

 

「おお、ありがたい。老い先短い無骨者に良き冥土の土産ができ申した」

 

「ただし、私と立ち合う前に弟子二人と立ち合って貰おうか」

 

「勿論ですとも。我が剣がクノスベ王子殿の眼鏡にかなうか、見て頂こう」

 

 弟子などいないのだが護衛騎士の内、二人が進み出た。

 主が“行け”と云えば行くのが忠義である。

 

「我が名はクロクス! まずは私が御相手致そう!」

 

「ゴロージロと申す。いざ」

 

 騎士達はこうした野試合に備えて木剣を用意している。

 ゴロージロとクロクスは互いに礼をすると木剣を構えた。

 しかし構えたは良いものの二人は暫く動く気配を見せない。

 

(出来るな。この場にてクノスベ王子に挑戦するからには腕に覚えがあるであろうと見ていたが、打ち込む隙が無い)

 

 長期戦になるかと思ったが、ゴロージロに僅かな隙が出来た。

 手が震えている。よもや恐怖ではあるまい。武者震いでもなさそうだ。

 ゴロージロの呼吸が乱れ始めたのを見てクロクスは“老い”ゆえかと見抜いた。

 この老人はもう構えを長時間維持するだけの体力が無いのだろう。

 ならばゴロージロが馬脚を露わす前に勝負を決めてやるのが情けというものだ。

 

「いやぁ!!」

 

 裂帛の気迫でクロクスは木剣を振り上げつつ老人に迫った。

 クロクスの木剣はゴロージロの肩口を叩いたが倒れたのはクロクスである。

 ゴロージロの剣の方が早くクロクスの胴を薙いでいたのだ。

 甲冑を着ていたが老人の一撃は衝撃を甲冑の中にまで通していた。

 

「ふふふ、秘剣『鎧通し』でござる」

 

 自身も肩を打たれたが、それでもゴロージロは不敵に笑った。

 

「では次はこのキーファーが御相手しよう」

 

 最初に対応した騎士が名乗った。

 

「お願い申す」

 

 やはり打たれた肩は無傷では無かったのか、老人は右肩を手で押さえている。

 

「む、ご老人、怪我をされたか? 日を改める事も出来るが」

 

「否、戦場では傷を負ったとしても敵は手心を加えてはくれまい。むしろ標的にされるであろう。傷を負ったも我が未熟の結果、そのまま御相手願います」

 

「それほどの覚悟を召されているのであれば、止めるのは無礼か。ではこちらも全力で御相手致す」

 

 二人は笑い合うと一礼をして木剣を構えた。

 ゴロージロが正眼の構えであるのに対してキーファーは顔の横に剣を立てている。

 

「ちぇえええええええええすとぉ!!」

 

 クロクスと同じ結論に達したキーファーが全力を一剣に込めて振り下ろす。

 ニの太刀を考えていない一撃を防ぎ切れず木剣を取り落として、今度は左肩を打たれてしまう。しかし、どうと倒れたのはキーファーの方であった。

 なんと老人は木剣を捨て、キーファーの腕を取って背負うように投げたのである。

 

「武芸百般。拙者の技は剣のみにあらず…でござるよ」

 

 では、御相手願おうと笑うゴロージロにクノスベ王子は戦慄する。

 バオム王国が誇る騎士達の中でも特に抜きん出ていたクロクスとキーファーの両名があっさりと負けてしまったのだから無理もない。

 しかし、すぐに気を持ち直し仮面の下で舌嘗めずりをする。

 確かにあの二人に勝ったこの老人は恐るべき達人ではあるが無傷の勝利ではない。

 両肩に痛手を負って木剣を持つのもやっとという有り様であるに加えて今や完全に息切れをしてまともに戦える状態ではないだろう。

 これなら武道の心得の無い自分(・・・・・・・・・・)でも勝てる。

 

「相手をするのは構わぬがご老人、今は傷を癒やされよ。後日、使者を送り王宮へ招待致すゆえ、そこで雌雄を決しようではないか」

 

 先の試合前での遣り取りを見るに老人はこの申し出を断るに違いない。

 言質を取った上で戦えば誰も“卑怯者”と云いはしないだろう。

 

「左様か。寄る年波には勝てぬのか、実はもう限界でしてな。その申し出はありがたい。それに死ぬまでに一度は王宮に行ってみたいという夢もあり申した。これは思い掛けず良き冥土の土産が手に入ったというもの。死後、地獄の獄卒達への自慢話と致し申す」

 

「へっ?」

 

 思わずクノスベ王子は間抜けな反応を見せてしまう。

 いやいや、ここは断るところではないか。

 しかも王宮に得体の知れぬ老人を招待してしまっただけでも問題なのに、これでは正式な試合を組まれてしまうだろう。

 皆が見ている前で無様な負け方をすればそれこそ唯では済まない。

 父王にも見限られる可能性もあるし、何より、その様でどうやって聖剣を取り戻したのだと追求されればお仕舞いだ。

 兄カイム王子を失脚させる事ばかりに頭がいって、カバーストーリーなど全く考えていなかった。苦しい云い訳しか出てこないだろう。

 

「いやぁ…その…」

 

「んん? 如何なされた? まさか男子が一度口にした事を反故されまいな?」

 

 ゴロージロはニヤニヤ嗤っている。

 この老人、まさか私の心の内を読んでいるのか?

 クノスベ王子の背筋に冷たいものが走ると同時に怒りもふつふつと涌いてきた。

 自分は次期国王だぞ。それが何故このような素性の知れぬ薄汚れた老人に追い詰められなければならないのだ。

 

「この詐欺師め! 危うく騙されるところであったぞ」

 

 いきなりのこの発言に周囲はざわつく。

 虚を衝かれたのはゴロージロも同様で訝しげな表情を見せた。

 

「何を申される。拙者が詐欺師ですと?」

 

「そうだ! お前のような男に金貨百枚など用意出来る訳がない。怪しからぬ奴。引っ捕らえてくれよう」

 

「何を云い出すかと思えば、それほどお疑いであれば……ほうれ、この通り」

 

 ゴロージロが懐から革袋を取り出して口を開ける。

 その中には金貨がぎっしりと詰まっていた。

 しかしクノスベ王子は逆上したように声を張り上げたのである。

 

「これではっきりしたな。貴様、どこでこのような大金を盗んできた?! 捕らえた後、私自らじっくりと訊問してくれよう」

 

「これはしたり。この金は旅の途中でありついた日雇いの稼ぎ、冒険者の助太刀料、人助けの謝礼などをこつこつ貯めたものでござる。決して人様の物に手を付けた訳ではござらん」

 

「黙れ! 日雇いに金貨を支払う莫迦がどこにいる? もっとマシな云い訳をしろ」

 

「クノスベ王子は両替という言葉を知らぬのか? 王族に銀貨や銅貨で指南料を支払うのは失礼と思い態々金貨に替えたまでの事でござるよ」

 

 ゴロージロは噛んで含めるように諭すが、場を誤魔化す事しか頭に無いクノスベ王子は聞く耳を持たない様子だ。

 

「黙れと云った! 騎士達よ。この怪しい男を捕らえるのだ!」

 

 しかし騎士達は誰一人動かない。

 キーファー達を介抱していた騎士の一人が呆れた様子を隠さずに云う。

 

「クノスベ王子、主の命令とはいえ聞けるものと聞けぬものがございます。ゴロージロ殿こそは真の武人です。でなければキーファー隊長とクロクスの両名に勝つ事はできますまい。貴方はゴロージロ殿との決闘を自らお受けになったのです。バオム王国の王子である前に一人の武人として男らしく筋を通しなされ」

 

 仮面の下から聞き苦しい歯軋りが聞こえてくる。

 野次馬達からも戸惑いのざわめきが広がりつつあった。

 

「何だ。立派なのは見かけだけか」

 

「今云ったのは誰だ?!」

 

 クノスベ王子が叫ぶが群衆は知らん顔だ。

 庶民から呆れられ、騎士から叱責されたクノスベ王子は追い詰められていく。

 しかし、そこへ救いの手を差し延べたのは意外にもゴロージロであった。

 

「ふむ、確かに拙者のような汚い無骨者を王宮に入れたくはなかろう。では、こうしよう。指南は日を改めずに今この場で受けて下され。さすれば丸く収まりましょう」

 

 クノスベ王子としては願ってもない言葉であるが、腑に落ちない。

 それではゴロージロに旨味が無いではないか。

 

「拙者は初めからクノスベ王子から一手指南を受けられれば良いと申しておるのです。面倒事を起こすつもりは毛頭ござらん」

 

「そ、そうか、な、ならばまずは指南料を頂こうか」

 

「ほう、盗まれたという疑惑のある金を御所望かね」

 

 ゴロージロの指摘にクノスベ王子はたじろぐ。

 

「ゴロージロ殿、そもそも指南料を差し出す義務は無いのです。王家は誰からの挑戦も拒まずが鉄則。その金は貴公が必死に貯めたものでしょう。大事に使われよ」

 

 意識を取り戻したキーファーが優しく諭す。

 その顔にはゴロージロへの敬意と友愛があった。

 

「左様か。金、金、金の世の中を渡ってきたからか、すっかり擦れた考えになっておったようです。では、失礼して……」

 

 ゴロージロがあっさりと革袋を懐に入れてしまったのを見てクノスベ王子は思わず手を前に出してしまう。

 その未練がましい手つきにキーファーから叱責が飛ぶ。

 

「騎士たる者がなんと無様な! ゴロージロ殿は近頃見なくなって久しい真の武人、良い機会なのでその性根を叩き直して頂きなされ!」

 

 クノスベ王子はキーファーを睨むが、その程度で怯むような柔な騎士ではない。

 ジャリッという土を踏む音に目を向ければゴロージロが木剣を肩に担いで目の前に立っていた。

 

「お陰で傷も疲労も癒え申した。ぐだぐだやっていなければまだ良い勝負が出来たものをな。回復の時間はしっかりと取れた。手心は期待せぬことだな」

 

 ゴロージロの獰猛な笑みにクノスベ王子は悲鳴を上げてしまう。

 庶民には悲鳴の意味が分からなかったが、騎士達にはありありと理解出来た。

 間近で相対したクノスベ王子と武の心得のある騎士達にはゴロージロが巨人のように見えていたのである。実際に巨大化したのではない。ゴロージロから発せられる気迫が彼らに巨人を幻視させていたのだ。

 騎士に促されはしたがクノスベ王子は木剣を手にする事はできても構えることはなかった。いや、そもそも構えはおろか剣の握り方もろくに知らずにいたのである。

 

「どおおおおおりゃあああああああああああああああ!!」

 

 本人の宣言通り、肩の怪我が無い証明として木剣を背中に叩きつけるように振り上げて、その反動を利用して振り下ろす。

 

「ひいいいいいいいいっ?! ママぁ?!」

 

 有ろうことかクノスベ王子は木剣を取り落として棒立ちのままゴロージロの剣を受けてしまったのだ。

 しかし、想像していた衝撃も痛みも来ない。

 いつの間にか瞑ってしまっていた目を開くと、ゴロージロの姿は無かった。

 

「武人に非ずば斬る価値も有らず。これは宝の持ち腐れゆえ拙者が貰い受ける」

 

「えっ?」

 

 背後からの声に訝しむ間も無かった。

 キンと澄んだ音と共に甲冑に亀裂が入りバラバラに砕けてしまう。

 否、違う。甲冑の断面はまるで磨いたかのように美しかった。

 なんとゴロージロは木剣でもって甲冑を斬った(・・・)のである。

 

「偽の武人め。逆に指南料を頂いていくぞ」

 

「な、何を? って、それはダメぇ?!」

 

 振り返ったクノスベ王子はゴロージロの手に聖剣があるのを見た。

 慌てて追いかけようとするが無様に転んでしまう。

 何故なら甲冑のみならず、服まで斬り裂かれて足や腕に絡んできたからである。

 ほぼ裸になってしまった王子は絡む服を脱ごうとするが、もがけばもがくほど無様に絡まっていくだけの結果に終わった。

 

「指南料に聖剣ドンナーシュヴェルトを頂戴仕る」

 

 資格も護符も無い老剣客はそれでも神鳴に打たれることなく高笑いと共に駆け出して雑踏の中へとあっという間に姿を消してしまった。

 あまりの出来事に騎士達すら動く事もできずに見逃したのである。

 

「どうしよう……ママに怒られちゃう……」

 

 怒られるだけでは済まない失態を犯しているのだが、クノスベ王子は現実逃避でもしているのか、そのような暢気な事を呟いていた。

 次の瞬間、顔を覆っていた仮面が砕け、母親譲りの長い顎と出っ歯に極端な鷲鼻を晒してクノスベ王子はただ譫言のようの母親を呼び続けるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、無事に逃げきったゴロージロは街外れにある一件の廃屋に身を潜めていた。

 彼は鞘から聖剣を抜くとリビングの床に突き立てる。

 

「さあ、何があったか聞かせて貰おうか? 今のワシはすこぶる機嫌が悪い。黙秘も虚偽も許さぬからそう思えい。少しでもワシの気分を害すれば切っ先から寸刻みにしてやるからそう覚悟せよ」

 

『やれやれ一年振りに会うたというのに愛想のない事よ。カイムと会えなかった一年はそれほどストレスが溜まるものだったのか? 否、溜まったのは性欲かな?』

 

 ゴロージロが聖剣に話しかけた事も驚きだが、なんと聖剣が美しい女性の声を持って答えたではないか。

 

「秘剣……」

 

『ああ、待て、待て。揶揄(からか)ったのは悪かった。だからその技はよせ。鉄どころかミスリルやオリハルコンすら刻む『斬鉄』の異名を取る聖女(・・)に斬られてはかなわん』

 

「次は無いぞ?」

 

 ゴロージロの体が突如発光を始める。

 光が収まると、そこには老剣客の姿は無く、黒髪の少女が立っていた。

 少女ゲルダは機嫌が悪いのを隠そうともせずに聖剣の前でドカリと座る。

 

『パンツ姿とはいえ女があぐらか。色気も無いものだな』

 

「元より色気を振り撒くつもりは無いわいな」

 

 ゲルダはどこから出したのか、貧乏徳利を手にすると一気に煽る。

 

『聖女よ、何をそんなに苛立っておる?』

 

「クノスベ王子の事よ。曲がり形にも王子だぞ、王子。いざとなったら槍を手に民衆の元へ馳せ参じ、命を捨てて守らねばならぬ男があの様とはな」

 

『否、あれはあれで良い。武門の王家とはいえ皆が皆命を捨てて戦う訳にはいかぬ。血を遺す必要もあるのだ。極論になるが一人くらいは真っ先に逃げる者が要るのは分かっておろう?』

 

「あのような屁っ放り腰では逃げるにも逃げられぬわ。これに懲りて走り込みくらいはして欲しいものよ」

 

 それよりも――ゲルダは聖剣ドンナーシュヴェルトと向き直る。

 

「さて聞かせて貰おうか。何故、カイム王子の元から盗まれた? クノスベ王子は小賢しげに護符を持っておったが、あの程度の玩具(・・)で封じられる貴様ではあるまい? お陰でカイム王子は切腹、ワシも折角しがらみから解放されたというのに、つまらぬ政争に巻き込まれてしもうたわい」

 

『つまらなくはない』

 

「む? 貴様は骨肉相食(こつにくあいは)む争いが面白いと抜かすか?」

 

『そういう意味ではない。バオム王国に危機が迫っておるのだ』

 

 聖剣の云っている事が冗談ではないと察したゲルダは聞く体勢になる。

 もっとも貧乏徳利を手放すつもりは無いようだが。

 

『我がそなたをこの世界に転生させた(・・・・・・・・・・)理由もそこにあるのだ』

 

「あの迷惑極まりない転生か。まあ、報酬は既に受け取っちまったからな」

 

 ゲルダは灘酒が無限に出る貧乏徳利(・・・・・・・・・・・・)を撫でる。

 

『普通は“力が欲しい”とか“スキルが欲しい”とかが相場だというのにそなたは……』

 

「力も技も修行で手に入るわえ。自力で手に入るものを神に欲してなんとする」

 

 聖剣の呆れた声にゲルダはニッカリと笑う。

 

「では聞こうか。この仕明(しあけ)吾郎次郎(ごろうじろう)何故(なにゆえ)聖女ゲルダへと転生させたのかをな」

 

 ゲルダは聖剣を通して雷神ヴェーク=ヴァールハイトの言葉を静かに待った。

 半分は灘の生一本(きいっぽん)に添える酒肴(さかな)代わりにするつもりではあるが。




 当初の予定ではゲルダの過去を書いてから聖剣奪還を書くつもりでしたが、筆が乗ったというか一人歩きをしたというか、聖剣を奪うシーンが書けました。

 クノスベ王子はちょっと小物感が出過ぎてしまいましたが、まあ、後ろに控えている敵がいるのでこんなものでしょう。今後、彼が成長するかフェードアウトするかは筆の乗り次第でしょうね。云い換えればどっちに転んでもプロット的には影響は無いのですが。
 ゴロージロこと仕明吾郎次郎は髪形の説明通りチョンマゲのお侍です。
 いつの時代かは明かしてませんが、戦場での覚悟は持っています。
 武芸百般の達人で友人が運営していた私塾で講師を務めるほど頭も良かったりします。
 トラックならぬ暴れ馬に撥ねられそうになっていた子供を助けたものの自分が馬にやられて転生しました。

 さて次回こそ転生の経緯を書きたいと思います。
 それではまた次回にお会いしましょう。


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第参章 塵塚の人形は母となれたのか

 かつて仕明(しあけ)吾郎次郎(ごろうじろう)はさる大名に馬廻りとして仕えていた。

 馬廻りとは大名の護衛を務めるほどの武芸者で構成された謂わば親衛隊である。

 平時には側近として事務の取り次ぎも任されていたのだから官僚としてもエリートであると云えるだろう。

 吾郎次郎はその中でも二百石取りであった。

 二百石の知行とは米二百石が取れる土地と農民を支配する権利である。

 二百石の年貢収益は原則年貢米の三ッ五分物成渡し(知行高の35%)であり領主の取分は七十石となる。

 この七十石(一石=十斗=180リットル)をもって養えるのは精々が六~七人であり、馬上資格を与えられていた仕明家では、吾郎次郎自身を含め、妻、長男、次男、に加えて用人、足軽を養うのが精一杯であったという。

 吾郎次郎は五十五歳まで馬廻り役を務めていたが、長年の深酒が祟って痛風を患うと長男に家督を譲り郊外に庵を結んで隠居した。

 隠居後の吾郎次郎は気儘そのもので、幼馴染みにして碁敵の街医者に監視されながらも酒を愉しみつつ、知人の寺子屋で子供達に読み書きなどを教えていたという。

 そんな隠居生活を愉しんでいた吾郎次郎であったが、痛風に効く薬を購いに城下町へ訪れた際、一つの騒ぎが起こった。

 様子を見れば暴れ馬が出たらしい。その内に収まるだろうと軽く考えていたが、暴れ馬の行く先で子供が泣いているのを見てしまう。

 このままでは子供が暴れ馬に踏み殺されると思い吾郎次郎は両手を広げて行く手を塞いだ。しかし馬の勢いは止まらず吾郎次郎は撥ね飛ばされてしまったのである。

 

(ああ、これでワシの一生は終わりか。出来れば合戦場か立ち合いで死にたかったが、この老い先短い爺の命で未来ある子供の命を救えたのなら悪くはないかな)

 

 最期に取り抑えられる馬と母親に抱きしめられている子供を見て吾郎次郎は満足げに微笑みながら目を閉じる。

 享年六十ニ歳であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふと目を覚ます。

 馬に蹴られて死んだと思っていたが、意外と傷は浅かったのか?

 だが体を起こそうとしたものの動くことは叶わない。

 辛うじて腕は動くが力そのものは入らなかった。

 やはり傷自体は深かったのかと起き上がる事を諦める。

 

「あ……う……」

 

 人を呼ぼうと思ったが声が出ない。

 いかんな。一命を取り留めたは良いが、傷は深刻らしいぞ。

 するとガチャリという音と共に扉が開いて部屋に光が入る。

 その時点で漸く自分が闇の中にいた事に気が付いた。

 安堵したもの束の間、部屋に入ってきた者を見て戦慄する。

 それは黒を基調とするヒラヒラとした服を着た人形(・・)だったのだ。

 一度だけ見た事がある西洋人を模したビスクドールの如き質感の肌もそうであるが、人形の右目付近が大きく欠けており、眼球の代わりに青白い鬼火が浮かんでいるのも不気味である。

 中に人が入っていればまだ良かったのだが、欠けた部分には何も無く、代わりに黒いナニか(・・・)が蠢いていた。

 

『オ…オ…私ノ赤チャン……目ガ…覚メタ?』

 

 これは付喪神(つくもがみ)か?

 器物百年経てば魂宿るというが、西洋の物もそうであるのか。

 西洋人形が頭を小刻みに揺らして近づいてくる。

 悪夢でも見ているようだ。ありえない状況に加えて体が全く動かない。

 臍下丹田に気合を入れてみたが、それでも体は動いてくれなかった。

 

『カ、カワイイ…赤チャン……ワ、私ガ…マ、ママ』

 

 白い飾り布の付いた袖から出てきた腕もまた人形のそれであり、関節部は球体が埋め込まれている。その腕が伸ばされて自分を抱き上げようとしていた。

 

「お…おお……」

 

 おのれ、妖怪、と叫ぼうとしたが、意味のある言葉を紡ぐことは出来ないままだ。

 やがて人形の腕が慎重にゆっくりと持ち上げていく。

 

『ワ、私ノ赤チャン……私ノ…赤チャン…』

 

 見た目とは裏腹に柔らかく温かい腕に自分を抱く人形の表情は優しげである。

 自分を生んだ直後に亡くなってしまったが故に顔も知らないが、もし母者が生きておられればこのように微笑んでくれただろうか、と思ったがすぐに振り払う。

 いや、それよりも赤ちゃんとは自分の事か?

 こんな爺を捕まえて何を云い出すのだと呆れたものだったが、漸く自分の身に起こった異変に気付かされた。

 この小さな手は自分のか? 体が動かないのは、そしてこの少女を模した小柄な人形が自分を抱き上げる事が出来たのは自分が赤子になっていたからか?

 

『ワ、私ガママ……ア、貴方ノ名前ハ…ゲルダ……ママノ…オ友達ノ名前……ア、アゲル……キ、気ニ入ッテクレタ? イ、愛シイ…娘…』

 

 しかも女になってしまった事実に仕明吾郎次郎改め、後に聖女と呼ばれるゲルダは絶叫の代わりに元気な声で泣き出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『懐かしい。そんな事もあったな』

 

「ふん、何故、転生直後に捨てられたのか、理由を知ったワシの遣る瀬無い気持ちが分かるか? 『塵塚(ちりづか)』の母者に拾われなんだらワシは生後三日で死んでおったわ。もう少し転生先を考えい」

 

 聖剣ドンナーシュヴェルトを通して雷神ヴェーク=ヴァールハイトに苦言を呈するゲルダに対して、返って来たのは笑い混じりの謝罪であった。

 神に人の気持ちを考えろと云ったところで、人に蟻の気持ちを考えろと云うに等しい行為だと理解している。だが、それで納得がいくかといえば別の話だ。

 ゲルダの生母は妊娠中、雷神により“この子は聖女として勇者を導く運命にある。その時が来るまで大きく育てよ”との神託を受けたが、その身に余る使命に恐れおののいてしまい、夫と相談した結果、生まれたばかりの我が子を街から遠く離れた川で小舟に乗せて流してしまったのである。

 生家が貧しかった事もあるが、金髪の両親から生まれたのが黒髪の娘であった事から、夫の両親に浮気を疑われてしまった事も不幸であった。

 

 やがて赤ん坊を乗せた小舟は禁足地とされている恐ろしい場所へ着いてしまう。

 そこはかつて『水の都』と呼ばれた美しい国であったが、数百年前に魔王によって滅ぼされてしまい。以来、瘴気で汚染された水のせいで誰も足を踏み入れることが叶わないこの世の地獄と化していたのである。

 まだ名前もつけられていなかった赤ん坊は、そこに棲む魔物や怨霊を支配する『塵塚』のセイラに拾われたのだった。

 セイラは『水の都』の姫君に大事にされていた人形であったが、前述した魔王の侵攻に遭い、国も姫も滅ぼされてしまう。

 最期までセイラを抱いていた姫君であったが、魔王直属の将軍に槍で人形諸共貫かれるという非業の死を遂げたという。

 死の間際、何を思ったのか、姫は穴の開いたセイラの顔に自らの血を注ぎ、“いつか『水の都』を復興させて欲しい”と願いながら死んでいったそうな。

 その後、セイラは姫の清らかな願いを核にして、人々の怨念と魔界の瘴気を取り込み続けた結果、百年後に自らの意思を手に入れたのだった。

 しかし、その時のセイラはまだ動く事ができるだけの人形でしかなく、国の復興どころか、魔物を追い払う力など無かったのである。

 セイラは力を得るために瘴気を取り込み続け、武器を手に取った。

 初めは何度も魔物に返り討ちに遭っていたが、いつしか取り込んだ軍人の怨霊から戦術を得られるようになり、策を巡らして魔物を斃していくようになる。

 更に様々な怨霊から知恵だけでなく技術も学べるようになり、取り込んだ武器から自らの体を強化できる事を発見した。

 節操無く瘴気や武器を取り込んでいたセイラであったが、宮廷魔術士の遺した魔法の道具や魔道書を発見して何も考えず我が身に取り込んだ結果、魔法の知恵と技術も手に入り、更に進化していったのである。

 こうして自身を際限なく強化していったセイラの目の前に、主人の仇である魔界の将軍が再び現れた時には自我が芽生えて既に二百年が経過していた。

 強大な魔物が現れたと知り、何度も調査団を派遣していたのだが、誰一人戻って来なかったので、魔王は将軍に調査を命じたのだという。

 主人であり友達でもあった姫の仇は呆気無く死んだ。

 セイラは既に魔界の将校を一蹴するだけの力量を手にしていたのである。

 こうして『水の都』は人間からも魔界からも禁足地とされてしまう。

 ゲルダが流れ着いたのはそれから間も無い頃であった。

 

「『塵塚』の母者が何を思ってワシに『水の都』の姫君の名を与えたのかは当人のみぞ知るところではあるがな。思えば善き母、善き師であったわ」

 

 かつての吾郎次郎だった赤ん坊にゲルダという名を与えたセイラがまずした事は乳房を口に含ませる事だった。

 人形に乳が出るのかと思ったが、固そうな見た目の磁器の肌ではあるものの腕同様に触れた感触は柔らかく滑らかで、甘い液体が滲み出てきたのである。

 乳の匂いはしなかったが、急激に空腹感を覚えて夢中になって吸い付いた。

 後にセイラが取り込んだ姫の血が変化したものであると知ったが、栄養は母乳に匹敵していたようで、ゲルダはすくすくと成長していったそうな。

 それと同時にセイラが今まで体内に取り込んで浄化してきた瘴気、即ち魔王の魔力や怨念が癒やされた人間の魂も含まれていた為、離乳の時期になる頃にはゲルダの肉体は人間とは大きく懸け離れたものになってしまっていた。

 まず身体能力が常人のそれとは比べものにならず、三歳になった時点で『水の都』を徘徊する魔物など脅威ではなくなり、むしろ近寄れば逃げ出す始末である。

 また常人が触れれば腐り蕩ける危険な瘴気にも耐性があり、水や空気に含まれていようと養母と同じ様に体内で浄化し魔力を抽出して取り込む事が出来た。

 未だ彷徨う怨霊も同様で、荒れ狂う荒魂と化した『水の都』の住人だったモノはまるでゲルダを『水の都』の姫君であるように傅いたものである。

 これがゲルダの血が変化した母乳もどきを飲んだからなのか、与えられた名のお陰であるのか、この世に生まれて三百年経った今なお分かっていない。

 そう、そしてゲルダの寿命は恐ろしく伸びていたのである。

 

「もはや前世の五倍は生きておるのか。流石に冗長に過ぎるわ」

 

『だが死したところで今度は天界へ御招待だ。きっと今より退屈であろうよ』

 

「ワシからすれば地獄と変わらぬな。悪事は当たり前だが天に召されるまでの善行も積むものではないわ」

 

 どういう理屈だと呆れる雷神を無視してゲルダは貧乏徳利を傾けた。

 頬に赤みを帯びてはいるが、酔えてはいない。

 瓶底眼鏡に隠した猛禽のような目には憂いがあり、自覚の無い色香があった。

 肩で切り揃えた黒髪は艶やかで、見る角度によっては青みを帯びて見える。

 背丈は成人女性よりやや低めだが、その肢体は無駄な肉が無くしなやかで力と美の融合を実現させていた。

 乳房はやや小振りではあるが、形は整っており、張りと弾力がある。

 全体的にしゅっと締まっており、均整が取れている印象を受けた。

 前世からこの異世界に持ち込んだ直心影流(じきしんかげりゅう)が元々の才ある肉体をここまで磨いたのだ。

 

「ワシは『塵塚』の母者と静かに暮らせておれば良かったのだ。欲も無く、徳も無く、一剣を磨き、いつ終わるとも知れぬ『水の都』の浄化のみに明け暮れる人生で良かった。その意味ではワシはカイム王子を(・・・・・・)怨んでおる(・・・・・)

 

 血の繋がりが無く、それどころか人形ではあったが、ゲルダにとって『塵塚』のセイラは紛れもなく母であった。

 吾郎次郎であった頃も今世も生母の温もりを知らなかったが、セイラは確かに母の温もりを、そして優しさを与えてくれたのだ。

 セイラはゲルダが望む物を可能な限り与えてくれた。

 ゲルダが愛用している黒鞘の剣もその一つである。

 セイラの体内には『水の都』にある物なら何でも入っていた。

 取るに足らないゴミから剣、薬、防具、魔道書、赤ん坊の御包み、万年筆、そればかりか、勇者が遣ったとされる聖剣、世に出たら世界が滅ぶような聖遺物、魔王の体の一部、それらが渾然一体となって収まっている。

 ゴミ捨て場を意味する『塵塚』たる所以であった。

 セイラはゲルダが剣の修行をしている様子に違和感を覚えて理由を聞いてみると、『水の都』で主流だった幅広の両手剣では我が流派(・・・・)には向いていないと云う。

 セイラはゲルダが望む日本刀の構造を聞き出すと、体内の材料(・・)を使って彼女が“この上なし”と評するほどの刀を贈ったそうな。

 強度、斬れ味は今更述べるまでもないが、材料(・・)を聞けば人間はおろか、魔界の住人のみならず天界の神々も口を揃えて云うだろう。

 

「こんな出鱈目な剣があるか」と。

 

 何せ神々が勇者に下賜した聖剣をベースに魔王の角を混ぜ合わせ、有効とされる物(・・・・・・・)なら全てぶち込んでいるのだ。

 魔を屠る聖剣の性能をそのままに魔王の体の一部を混ぜた事で天界の神々や天使をも斬り捨てる事が可能な恐るべき剣が完成してしまったのである。

 しかも、この刀は生きており(・・・・・)ゲルダの思いのままに姿を変える事が可能という有り得ない機能も搭載されているという。

 太刀から脇差しにサイズを変えるのはまだ序の口であり、望めば薙刀や槍、鉄杖にまで変化し、木刀に擬態までする。柄から小柄を際限なく生み出す上に、宮本武蔵よろしく大小の二刀に分かれるというのだから恐ろしい。

 ゲルダはこの十六歳のバースデープレゼントを大いに喜び、神に会うては神を斬るという刀に『水都聖羅(すいとせいら)』と名付け、以来、愛用しているのだ。

 また愛刀と贈ってくれた母に恥じぬよう、より一層厳しく修行に打ち込むようになったという。

 余談だが、生きているというこの刀はどれだけ刃がこぼれようと回復魔法で容易に修復が可能であり、ゲルダとどれ程の距離が離れていようとも、ゲルダが呼べば一瞬にして手元に戻ってくるというまさに最良の相棒である。

 

「その幸福な日々もカイム王子が『水の都』に来るまでであったな」

 

『そなたには使命があったのだ。聖女としてのな。その意味では、そなたの二親が川に流したのは僥倖であったのかも知れぬな』

 

 当初の予定では人間社会の中で、記憶と力を継承したまま何度も転生を繰り返させ、勇者の導き手として成長させるつもりだったそうだ。

 しかし、『水の都』で予定の数倍も成長を続けるゲルダに神々は勇者となるカイム王子が誕生するまで放置する事に決めたという。

 そしてカイム王子が生まれると、ゲルダに会わせる為に導いたそうな。

 

「やはり貴様があの幼き頃のカイム王子を導いたのか」

 

 ゲルダは知らず『水都聖羅』の鯉口を切っていた。




 今回は吾郎次郎がゲルダへと転生した流れと母親となったセイラ、そして修行のお話でした。

 お侍の時代にトラックなんてありませんので、暴れ馬による死亡です。
 吾郎次郎の姿は変装の意味もありますが、武術取り分け剣術においてはゲルダの姿より強いので、状況によって使い分けています。

 養母のセイラは実はずっと前に某転生スライムや某転生蜘蛛に影響されて書いた小説の主人公でしたが、読み返してあまりの出来の拙さに恥ずかしくなって封印したものです(苦笑)
 性格も随分とお調子者で、それは表向きで裏では姫君の復讐のみに生きる救いの無いものでした。
 一応、仲間によって救われる流れを用意してましたが、陳腐でチープだなと思い、長らくネタ帳の肥やしになっていましたw

 さて、次回は修行を続けながら『水の都』の浄化を続けるゲルダの元にカイム王子がやって来ます。
 彼の目的は一体何なのでしょうか?

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第肆章 王子、聖女と邂逅する

 バオム王国第一王子カイムは不退転の決意と勇気をもって呪われた『水の都』へと足を踏み入れたはずだった。

 その為に父王や大臣にも告げずに、宝物庫から無断で呪いを防ぐマントを持ち出してまでたった一人でこの地へと趣いたのだが、早くも決意がにぶり始めている。

 見渡す限り水、水、水である。

 街の全体が入り組んだ水の迷路であり、その水路に沿って建物が建造されている様子はまさに『水の都』と呼ぶに相応しい。

 しかし水路の水は毒々しい緑に染まり、しかも異様に輝いている。

 水が魔王の瘴気で汚染されている証拠であり、触れる気にもならない。

 事実、あらゆる呪いを弾く秘薬を塗った小舟の底からは、瘴気と薬が反応して聞くに堪えない音と共に紫の煙を上げている。

 

「こ、ここに居るんだな?」

 

『うむ、どのような毒も浄化し、あらゆる病を癒やす魔法の遣い手である聖女は確かにこの『水の都』に棲んでおる。きっとそなたの力になってくれよう』

 

 マントに付いているフードを外したその顔はまだ幼い。

 歳の頃は十歳前後か、大きな緑の瞳に不安の色があった。

 柔らかい金色の髪を肩甲骨あたりまで伸ばし、首の後ろで束ねている。

 しかしカイム王子と対話している者の姿は見えない。

 

『さあ、気を引き締めよ。ここから先は何が起こるか分からぬ。いつ魔物が襲って来ても可笑しくはない。油断するでないぞ』

 

 否、カイム王子の腰にある短剣を飾るエメラルドが言葉に合わせて明滅している。

 その様はまるで短剣に意思があり、王子と会話をしているかのようだ。

 

「こ、このような魔物が徘徊する呪われた地に聖女殿は本当にいるのか?」

 

『呪われているからこそ聖女はこの地で一人、魔王の呪いを浄化し続けているのだ』

 

 “まるで”ではなく、事実、王子と短剣は言葉を交わしていた。

 

「そうか……不憫ではあるが、私が王国に連れて行くと云えば喜んでくれるだろう」

 

 カイム王子は朽ちていない桟橋を見つけると、不器用ながら漕ぎ寄せていく。

 やがて小舟がぶつかるように桟橋に到着し、王子はこれまた不器用に舫いだ。

 

「で、では行ってくる。頼んだぞ」

 

 カイム王子は魔物がいるというのに腰の短剣を小舟に置いていくようだ。

 

『離れていても我はそなたを視ている(・・・・)。それに、そのマントを纏っている限りは魔物や怨霊からはそなたは見えぬ。万が一の時はすぐにここへ転移させるゆえ、安心して聖女を捜すと良い』

 

「わ、分かった。信じているぞ」

 

 フードを目深に被ってカイム王子は小舟から桟橋へと飛び移った。

 途端に桟橋の板を踏み抜いて瘴気に満ちた水路へ落ちそうになってしまう。

 一見無事なようで少なからず腐っていたようである。

 

「ヒィッ?! あ、危なかった」

 

『前途多難であるな』

 

 短剣の声を聞いたか聞かずか、カイム王子は半べそになりながらも漸く『水の都』への上陸を果たしたのだった。

 

「では、行ってくる」

 

 カイム王子はフードを被り直すと、腰のサーベルを抜いて探索を開始した。

 何故、この十にもならぬ幼い王子が一人呪われた地に趣いたのかと問われれば、彼の生母レーヴェが原因不明の重い病に罹ってしまい病床の人となってしまったのだ。

 医者の見立てでは既存する病気のいずれにも当て嵌まらないそうで、或いは毒を盛られたのではという可能性も指摘した。

 しかし、仮に毒だとしてもその症状もまた未知のもので、下手な解毒剤を投与するのは逆に危険であるとまさしく匙を投げたのだ。

 このまま母が死にゆくのを黙って見ているしかないのかと唇を噛むカイム王子に優しげな女性の声が届いた。耳にではない。脳裏に直接響くような不思議な声だった。

 

『手はある。カイムよ。我が元に来れば母を救う方法を教えて進ぜよう』

 

 疑念は浮かばなかった。

 カイム王子が幼かったと云えばそれまでだが、母上が助かるのならと、藁にも縋る思いで素直に従ったのである。

 声に導かれるまま辿り着いたのは城の宝物庫であった。

 不思議と途中で誰にも会うことはなく、宝物庫を守る騎士の姿も見えない。

 そして厳重に施錠されているはずの扉が開いていたのだ。

 

『我を信じて、よくぞ参った』

 

「だ、誰だ? どこにいる?」

 

『ここだ。そなたの正面におる。さあ、こちらへおいで』

 

「ま、まさか、聖剣ドンナーシュヴェルトか?!」

 

 宝物庫の一番奥に据えられた台座に恭しく祀られている一振りの美しい白銀の剣にカイム王子は恐る恐る近づいていく。

 歴代の王達によって受け継がれてきた聖剣の伝説は知っている。

 特に持ち主に認められた者以外の者が触れようものなら、立ち所に神鳴(かみなり)によって罰が降されるという逸話がカイム王子の足を鈍らせた。

 

『畏れることはない。母を救いたければ我が元へ()よ』

 

「そ、そうだ。聖剣ドンナーシュヴェルトよ。母上を救う方法とは?」

 

『うむ、ここより北にある『水の都』の事は存じておるか?』

 

「数百年前に魔王に滅ぼされたという、あの?」

 

『そうだ。そなたが今からそこへ向かう勇気があれば母を救う事が出来るであろう』

 

 カイム王子の顔に困惑が浮かぶ。

 伝説では魔王に滅ぼされた後、瘴気に穢されて人が足を踏み入れる事が不可能な危険地帯になっているとあったからだ。

 

『瘴気は神々の祝福を受けたこの『魔封じのマント』を身に纏えば問題は無い』

 

 カイム王子の目の前に古びたフード付きのマントが飛んでくる。

 バオム王国の開祖である騎士が愛用していたマントは所々綻んでいたが、それゆえに歴史と威厳を感じさせたものだ。

 

『そのマントはフードを被れば魔物や怨霊の目からそなたを隠す効果もある。これで『水の都』を探索する事が可能となるであろう』

 

「探索? 聖剣よ。『水の都』で私は何を探せば良いのだ?」

 

『話の早い子は嫌いではないぞ。そなたは『水の都』に住む聖女と会うのだ。聖女の持つ『万能の治癒魔法』を用いればそなたの母はきっと救われるだろう』

 

「聖女とな? そのような恐ろしい場所に人がいるのか?」

 

『うむ、聖女の名はゲルダ。呪われた『水の都』で一人、瘴気の浄化をしている憐れな娘を救い出せば、その無限の慈悲をそなたの母へと向けてくれよう』

 

「そうか、そのような呪われた地に囚われている聖女を救うのもバオム王国の騎士たる者の務め、母上の件が無くとも行かねばなるまい」

 

 カイム王子の脳裏には、鎖で繋がれた純白の薄衣を纏う儚げな少女が懸命に『水の都』の呪いを解く為に祈るヴィジョンが浮かぶ。

 想像力が逞しいのか、聖女が母を救った後、何故か一緒に冒険をし、多くの仲間と共に魔王を斃すまでイメージが膨らみ、最後は成人した自分と聖女が仲間に祝福されながら結婚式を挙げていた。

 

『な、何やら不埒な事を考えているようだが、決意が定まったのなら早速出発しよう。カイム王子よ、これを持て』

 

 聖剣の束を飾る緑の宝石から一条の光が放たれてカイム王子の腰を照らすと、同じ装飾が施された短剣が現れたではないか。

 

「これは?」

 

『我が分身を与えた。その短剣にも我が意識が宿っておる。此度のカイム王子の初陣を我がサポートしてやろう』

 

 聖剣からの贈り物にカイム王子は感嘆の声をもらす。

 初陣という言葉の響きも王子の心をくすぐった。

 

「これは心強い! では行こう。私の、私だけの冒険を! 待っていてくれ、姫!」

 

 どうやらカイム王子の変換機能は“せいじょ”と書いて“姫”となるらしい。

 何はともあれ、こうしてカイム王子の初めての冒険が始まったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒッ?! 来るな!!」

 

 しかし現実とは非情なものだ。

 いくら相手から見えなくなってもこちらは相手の姿ははっきりと見える。

 おぞましい魔物や無惨な怨霊にまだ幼いカイム王子の心は恐怖で塗り潰された。

 聖剣からのアドバイスに従ってかつての王宮を目指していたのだが、途中に休憩を取ろうと大きな屋敷に入った途端、頭を割られた無惨な少女の怨霊と鉢合わせになってしまい幼い王子は悲鳴をあげてしまう。

 いくら見えなくても絶叫してしまっては怨霊もカイム王子の存在に気付き、襲いかかってきたのである。

 しかもその数は時間が経つにつれて増していき、怨霊だけではなく魔物まで引き寄せてしまう結果となった。

 フードを被り直すという発想は遙か彼方へと飛んでいき、手にしていたサーベルは既に手元には無い。

 もっとも実体を持たない怨霊にサーベルは効果が無く、王子の腕ではたとえサーベルがあったとしても魔王が直々に生み出した魔物には歯が立たなかったであろう。

 カイム王子は神に勇者となる運命と才を与えられてはいたが、それだけで強大な魔物に敵うはずがなかった。

 実戦経験など城下町付近で遭遇した最弱の魔物スライム数匹くらいである。

 ただ神に与えられた才能により、それだけで力量が大きく成長し、習ってもいない初期の魔法が自動的に修得できた事が彼の不幸であった。

 この勝利と成長に勢いづいた彼は一気に『水の都』を目指してしまい、冒頭に至ったわけである。

 勿論、短剣を通して雷神ヴェーク=ヴァールハイトも諫めはしたのだが、気分はすっかり勇者となっていたカイム王子は聞く耳を持たずに経験を積むことなく魔封じのマントの力を借りて安全(・・)に『水の都』へと到着してしまったのだ。

 雷神の計画では今回の冒険で聖女ゲルダと邂逅させると同時に未来の勇者を鍛えるはずだったのだが、着いてしまった以上は王子の隠密能力に賭けるしかなかった。

 

「あわわわわわ……こ、来ないで……」

 

 土地勘が無い上に迷路のように入り組んだ街という事もあって、カイム王子はとうとう袋小路に追い詰められてしまう。

 怨霊達は自らを殺した魔物達を畏れてか姿を消していたが、脅威度で云えば魔物の方が怨霊よりも上である。

 命乞いをしたところで魔物達の瞳に知性の光は皆無だ。

 それでもカイム王子は、来るなと繰り返す事しか出来ずにいた。

 ただ王家の意地か。涙を流してはいるものの、臍下丹田に力を入れて失禁だけはすまいと気を張っているこの一事だけは見上げたものである。

 その意気地が気に入らなかったのか、二足歩行をする狼の魔物が前に進み出て低く唸り声を上げる事でカイム王子を威嚇する。

 目を瞑ったり反らしたりしていない事も気に食わない。

 人間(エサ)はただ怯えていれば良いのだ。

 知性は無くとも魔物としての悪意がカイム王子に僅かながらも残されていた勇気に苛立っていた。

 ついにワーウルフと呼ばれる魔物がカイム王子に襲いかかる。

 生臭い口が王子の顔面を抉り取ろうとしたその瞬間、魔物は真横に吹き飛んだ。

 何事が起きたのか、カイム王子は理解出来なかった。

 異変はまだ終わらない。

 風を切る音が連続して起こり、そのたびに魔物が吹き飛び、また倒れていく。

 今度は魔物が怯える番であった。

 魔物達は恐慌状態に陥り四方に散って逃げ出すが、それは許されずに瞬く間に狩られ、カイム王子が戦闘の終了を悟った時には、二十は超えていたと思われる魔物達は全滅していたのである。

 

「一体、何が……」

 

 カイム王子が既に事切れているワーウルフに目を向けると、側頭部に銀に光る矢が刺さっていた。

 

「大丈夫か、坊主?」

 

 かけられた優しげな声に振り向くと、紺の着流し着た老人が銀の弓を手にして立っていた。

 

「勇者ごっこか肝試しか分からぬが、ここは本当に怨霊が出る危険な場所ぞ。入口まで送ってやるでな。日が高い内に家に帰る事よ」

 

 老人が莞爾として笑ってカイム王子の頭を撫でる。

 その大きく温かい手に“生きている”と自分の無事と相手が生身である事に二重の意味で安堵したもののタイミングが悪かった。

 

「あ…ああ……」

 

 同時に気も弛んでしまい、カイム王子の括約筋までもが弛んでしまったのだ。

 

「ま、無理もあるまい。()の神君・徳川家康公とて三方ケ原(みかたがはら)の合戦で武田信玄公に敗れて逃走した際に脱糞したとされておるからのぅ。味噌(・・)が出なかっただけ大したものよ」

 

 呵々と笑う老人にカイム王子は食ってかかった。

 

「ぶ、無礼者!! 何が可笑しい?! 私は、私は…あだっ?! 何をする?!」

 

 頭に走った衝撃にキッと睨めば、老人が鋭い目付きで睨んでおり、その迫力に気圧されてカイム王子はサッと目を反らした。

 先程は魔物相手になけなしの勇気が残っていたが、老人の目を見た途端にカイム王子の虚勢は砕け散ってしまう。この老人と比べたら先の魔物など赤子のようなものだった。

 

「無礼はどちらだ? 命を救われて出てくる言葉がまずソレか?」

 

 云われてカイム王子はたじろいだ。

 確かに笑われはしたが命の恩人には違いない。

 カイム王子は一旦怒りを引っ込めると、右手を胸に当てて頭を下げた。

 

「この命を救ってくれた事に礼を云う。訳あって名を名乗れぬが容赦願いたい」

 

「ま、良かろう。これ以上怒るのは大人気無いわえ。それより入口まで送ろう。外に出れば綺麗な水もあるであろうし、そこで股座(またぐら)と服を洗うが良い」

 

 『水の都』の外へ送ろうとする老人にカイム王子は待ったをかける。

 

「ご老人、私はこの『水の都』に用があって参ったのだ。このまま帰る訳にはいかぬ。ご老人はゲルダという聖女を知らぬか?」

 

 すると再びカイム王子の脳天を衝撃が襲う。

 

「ま、また殴ったな?! 今度は何だ?!」

 

「それが人に物を訊ねる態度か? ワシがその聖女であったら何とする?」

 

「いや、どう見てもご老人は聖女ではないであろう。歳はともかくご老人は男ではないか。いくらなんでも今のは理不尽だろう?!」

 

 頭を擦りながら苦言を呈するカイム王子に老人は睥睨して返す。

 

「可能性はあろうさ。近在の貴族やお大尽の子女からの求婚が煩わしくなり、こうして爺の姿に身をやつしておるとかのぅ。そもそも聖女でなくともワシが貴族の使者である可能性も無きにしも非ずだ。もし、そうであったらな使者に無礼を働いたとして後々の祟りが怖いぞ?」

 

 一理あるとカイム王子はたじろいだ。

 

「ではどうすれば?」

 

 命令する事に慣れている身分の王子は態度を改めろと云われて困惑する。

 流石に父王に接するような礼儀では可笑しいと分かっているのだ。

 

「まず片膝をつき、国、官、姓名を名乗る」

 

 云われてカイム王子は膝をついた。

 

「わ、私はバオム王国第一王子・カイム=ケルン=バオムと申します」

 

 老人に呑まれたのか、カイム王子はあっさりと身分を明かしてしまう。

 しかしカイム王子の勘が何故だかこの老人に逆らってはいけないと告げていた。

 

「口上はそうよな、これこれこうあって私は聖女を捜していると理由を述べ、そこで初めて誰何(すいか)をするべきであろうな」

 

「はっ、我が母が重い病に倒れたのですが、症状に不審な点があり、医者の見立てでは毒を盛られた可能性もあるとか。そこで万病を癒やす聖女ゲルダ殿に母を救って頂きたく罷り越しました。失礼ながら貴方様は聖女殿で在らせられますか?」

 

「いやいや、残念ながら人違い。拙者は聖女などではござらん。己の武を磨く為に諸国を巡る剣客でござる。本日、この『水の都』におったのは近在の人々に頼まれて、田畑や家畜を食い荒らす魔物を駆逐せんが為。おお、申し遅れたが、拙者の名はゴロージロと申す」

 

「なっ?!」

 

 無礼と拳骨をニ発も喰らい、膝までつかされたというのに、聖女ではないと云われたカイム王子は絶句してしてしまう。

 

「どこから聖女の噂が出たのかは知らぬがな。近在の街や村に良く効く万能薬を売り歩く少女なら存じておる。その薬売りの行動範囲がこの『水の都』を中心にしている事から、そのような噂が出たのであろうな」

 

「そ、そんな……」

 

「おお、そんなに落ち込むでない。代わりと云ってはなんだが、その万能薬を分けてやろう。トリカブトやテングタケ、カエンタケといった植物系の猛毒もさることながら砒素や水銀といった化学系の毒にも有効でな。流石に末期の癌は救えぬが万病に効くというのも本当だ。きっと母者も助かるであろう」

 

 老人はカイム王子に万能薬を持たせると、一方を指で指し示す。

 

「この街は一見、複雑そうではあるがな。まっすぐ外に出る道も少なからず存在する。ほうれ、この道を道なりに進めば南の城門まで一直線だ。あの辺りの魔物は既に駆逐済みよ。安全にここから出られよう」

 

「で、でも怨霊が……」

 

「なぁに、ワシが一言云えば大人しいものよ。既に坊主、いや、カイム王子には手出し無用と命じておる。まあ、遠巻きにお主を見ている分は我慢致せ。久々の生者ゆえに興味があるだけだからな」

 

「な、何故、怨霊がご老人の云う事を?」

 

 カイム王子の指摘に老人は一瞬だけ、虚を突かれた表情(かお)を見せた。

 

「な、長く旅を続けておるとな、その土地々々の霊と誼を結び、危難を避ける術が身に付いてくるものよ。では、さらばだ。暗くなる前に帰るのだぞ」

 

 老人は乾いた笑い声を上げた後、ジト目で見てくるカイム王子にシュタッと手を上げて足早に去っていった。

 何とも雑な誤魔化しにカイム王子が訝しんでいると、脳裏に女性の声が響いた。

 

『今のが聖女ゲルダだ。あやつめ、前世の姿に変化して世を欺くとは小癪な真似を』

 

 只者では無いとは感じてはいたが、まさか本当に聖女だったとは……

 カイム王子は驚きはしたものの納得は出来た。

 老人の放つ矢は銀製であったし、何より神聖な気配を宿していたのだ。

 しかも、そのような聖なる矢を惜しげもなく遣うのだから唯の旅の剣客ではないだろうとも思ってはいたのである。

 でなければ一国の王子である自分が場の空気に呑まれていたとはいえ、膝をつくなどあろうはずがない。

 

「しかし前世とは?」

 

『それは良い。今はゲルダを追うのだ』

 

 新たに湧いた疑問を一蹴されてしまうが、聖剣を相手に怒っても仕方が無い。

 代わりに別の問いをぶつける。

 

「聖女殿には逃げられたが万病に効く薬は手に入ったのだ。今は追うより母上の手当てが先決ではないのか?」

 

『そなたは聖女としてのゲルダに会わねばならぬのだ。折角掴んだ(えにし)、逃す訳にはいかぬ。聖女との繋がりを結ぶのがそなたの宿命であり使命と思うが良い』

 

「それは日を改めてはいかぬのか? 今は母上の事が大事であろう」

 

『日を置いてゲルダとの縁が薄れる事の方が一大事ぞ。ゲルダを捕まえる大儀の前ではレーヴェの如き騎士風情の命は些末な事と心得よ』

 

 あまりの言葉にカイム王子は言葉を失う。

 神からの授かり物とはいえ云って良い事と悪い事があるだろう。

 そして幼いカイム王子にも理解が出来た。

 きっと母の病は聖剣、否、神の仕業(・・・・)なのだろう、と。

 嗚呼、だから聖女殿は見窄らしい老人に身をやつしていたのだ。

 

「了解した。聖女殿を追おう」

 

『それで良い。だが、そなたにも悪い話では無い。聖女ゲルダは麗しい娘だ。きっとそなたも心奪われるだろう。そしてゲルダの夫となる幸運を神に感謝するのだ』

 

 雷神ヴェーク=ヴァールハイトは満足げに云ったものだ。

 だが神ゆえにカイム王子に僅かな反骨心が生まれた事に気付かない。

 仮に気付いたとしても、些末な事と放置したに違いない。

 確かに聖女ゲルダに惹かれるものはあった。

 だが容姿にではない。そもそも会ったのは老人の姿だったのだ。

 では何に惹かれたのかと云えば、あの恐ろしい魔物達を一瞬にして討伐、否、掃討した強さにであった。

 幼くともカイム王子もまた武門の名家、バオム王家の男である。

 神の望む通り、聖女ゲルダとの縁を結んでやろうではないか。

 だが、それは師弟としてだ。

 神が何故、彼女に拘るのかは分からないが、好きにさせてやるものか。

 カイム王子の中で聖女ゲルダが“姫”から“師”となった瞬間であった。




 後に聖女ゲルダを追放するカイム王子の登場でした。

 ゲルダと王子を結ばせる為に神は色々とやらかしています。
 ただ結ぶと云っても、それが男女の仲とは限らないというお話でした。
 登場時はちょっと情けないカイム王子でしたが、命を救われ、少しとはいえ対話をした事で彼の中で変化が起こったようです。
 ゲルダも相当人外ですが、カイム王子もまたポテンシャルは化け物だったりします。
 これから逃げた聖女ゲルダを追いかける事になりますが、カイム王子の真意はどこにあるのでしょうか。
 それはいずれ明かされるでしょう。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第伍章 水の都で生まれた絆

 聖剣ドンナーシュヴェルトに促される恰好で聖女ゲルダを追う事になったカイム王子であるが、彼自身もう一度会いたいという願望が強くなってきている。

 偉大なるバオム王国の開祖シュタムから数えて十五代になるが、武を尊ぶ気風は途絶える事はなく、カイム王子も幼いながらもスライムを斃すだけの力量を備えるまでに鍛えられていた。

 最弱の魔物といえども武の心得を持たぬ庶民にとっては脅威である。

 そのゲル状の体で獲物を包み込んで徐々に消化していく様は恐怖でしかない。

 剣で斬ろうが槍で突こうが効果はなく、勿論、鈍器の一撃も効かず、むしろ飛沫が体にかかり、そこから喰われる(・・・・)事になるのだ。

 ではカイム王子が如何なる手段を用いてスライムを斃したのかと云えば、隙をついてサーベルを突き刺し雷の魔力を流し込む事で滅ぼしたのである。

 バオム王家は雷神ヴェーク=ヴァールハイトを守護神に戴いているからか、当家の者は雷属性に適性があった。

 カイム王子にも雷を操る才は受け継がれており、刺突に魔力を乗せる事はバオム王家として当然の嗜みであるといえた。

 

「しかし、凄まじいものだな。聖女というものは」

 

 魔王が魔力によって生み出した魔物達は肉体が安定していなかったのか、絶命して暫くすると黒い塵と化し、そよ風で形を失って消えていった。

 落ちている銀の矢を手に取ると、まだ矢に聖女の魔力が残っており、手からカイム王子の肉体へと入っていく。

 途端に王子の全身に熱が宿り、力が漲ってくるではないか。

 スライムを斃した時と同じだ。力量が大幅に上がっているのが分かる。

 同時に理論すら学んだ事がない炎系初歩の攻撃魔法の知識が脳内に刷り込まれた。

 

「はぁっ! 『プロミネンススフィア』!!」

 

 試しに唱えて見れば、拳大の火球が現れて飛んでいく。

 魔法が遣えるようになったもののカイム王子の顔に喜びはない。

 学んでもいない理論が浮かんでくる事を不審に思わない方が可笑しいだろう。

 一体、私の体はどうなっているのか。幼い心に不安が募る一方である。

 

『ほう、魔力の残滓のみでここまで成長させるとは、流石は聖女よな。カイム王子よ。やはりそなたと聖女ゲルダは共にいるべきなのだ』

 

 他の矢も手に取れと急かす聖剣に云われるままに矢を拾い集め、その魔力を吸収した結果、カイム王子の力はもう常人の範疇を超えるに至った。

 あれほど疲弊していた体は回復を通り越して溢れんだかりの気力と魔力を持て余すまでになっていた。急激な成長にカイム王子の肉体が追い付いていないせいだ。

 そればかりか膨大な魔法理論とスキルの修得で頭が破裂しそうである。

 

『これで良い。これでそなたは歴代で最高の王となれるだろう』

 

 何が良いものか。

 骨という骨が軋み、筋肉と内臓が破裂と再生を繰り返している。

 頭が割れるように痛み、目から血の涙が溢れていた。

 

「た、助け……痛い……」

 

『泣き言を。強くなれるのだ。そのくらい耐えて見せろ』

 

 気が狂わんばかりの苦痛の中でふっと痛みが和らいだ。

 終わったのではない。『痛覚軽減』なるスキルを得たと知識の洪水の中で知った。

 それでも立つ気力を持てぬほどの痛みの中にいる事に変わりなく、依然、カイム王子は地獄の苦しみを味わっている。

 やがて『痛覚遮断』と得た事で苦しみから解放されたが、その時には彼の精神は崩壊寸前であった。

 肉体も人間とは大きく掛け離れてしまっている。

 眉間には金色の瞳を持つ第三の目が縦に開かれており、全身に何かが表皮の中を這っているような無惨な傷できていた。それは肩或いは腰から飛び出して四肢に絡まっている。木の根だ。それらが触手のように蠢いている。

 

『素晴らしい。木の精霊と人間の間に生まれたシュタムの再来だ。バオムは“木”を意味する。喜ぶが良い、カイム王子よ。そなたは開祖と同じ姿と力を得たのだぞ』

 

 成長(・・)が終わった頃には太陽が随分と西に傾いていた。

 聖剣は王子の成長を喜んでいるが、最早どうでも良い。

 カイム王子は『水の都』の王宮を目指して歩き始める。

 王宮に何があるんだっけ? でも行かなくちゃいけない気がする。

 何を捜してるんだっけ? 忘れちゃったけど行かないと。

 誰かと会うんだっけ? さっきのお爺さん……うん、きっとそうだ。

 どうするんだっけ? ゲルダ…ゴロージロ…ゲルダ…ゴロージロ…

 既に『魔封じのマント』どころか服すら失っているがカイム王子は歩を進める。

 まっすぐにひたすらに王宮を目指してただ歩く。

 途中で水路に落ちるが王子は何事も無かったように水面を歩いている。

 瘴気に触れても影響は無く、むしろ四肢の根が瘴気を吸い上げてすらいた。

 途中で大きな瓦礫が行く手を阻むが片手を薙いだだけで、粉々に砕ける。

 王子の右手から衝撃波が放たれるや、瓦礫はたやすく破壊されてしまったのだ。

 途中で魔物に襲われるがカイム王子は意に介さない。

 あのワーウルフが可愛く思えるほど醜悪で強大な魔物に根が刺さると干涸らびるまで養分と肉体を構築している魔王の魔力を吸い取られてしまったのだ。

 

『ふむ、自我が崩壊したか? だが問題は無いな。これだけ強くなったのだ。聖女に導かせれば勇者としての使命は全うできよう。後はゲルダと子を成す事が出来ればどうにでもなる。カイム王子は幸せ者だ。バオム王国の礎となれるのだからな』

 

 雷神ヴェーク=ヴァールハイトは魔王が直々に創造した魔物を駆逐するカイム王子に満足げに笑うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 カイム王子が王宮の中庭に辿り着いた時には既に日も落ち、空には無数の星が瞬いていた。

 

「きれい……」

 

 こうして星を見るのはいつ以来だったか。

 次代の王として幼い頃から厳しく教育されてきた為か、ゆっくりと星を眺めた事など無かったのかも知れない。

 父王と同様に母も厳しい人であり、五歳の誕生日に刃引とはいえ剣を贈られ、その日から剣の稽古に開け暮れたものである。

 稽古中に“母上”と呼ぼうものなら横っ面をはたかれ、常に“師匠(マスター)”と呼んでいた。そういえば久しぶりに“母上”と呼んだのは母が病に倒れた時であったか。

 

「……ん?」

 

 水の音がする。水路の音ではない。

 容器に水を汲んで何かにかける音だ。

 良く手入れがされている美しい庭園を進んでいくと開けた場所に出た。

 そこには花に囲まれた小さいプールがあって水が貯められている。

 しかも、その水は美しく澄んでおり、瘴気に穢されてはいないようだ。

 

「あ……」

 

 カイム王子は動きを止める。

 プールの中で一人の人物が水浴びをしていたからだ。

 木桶で水を汲んでは頭から被っている様は絵になっていた。

 その肢体は程良く引き締められているが出るところは出ている。

 その人物は白い布のみを纏った姿で何度も水を体にかけ、清潔な布で磨いていく。

 白い玉の肌は冷たい水を弾き、健康的な精気で満ち満ちていた。

 カイム王子は動こうにも動けずにいる。

 今すぐに駆け寄ってその手を取り、手の甲にキスをしたいという願望。

 聖女が水浴びをしているところに突撃してどうなるか分からぬのかという戒め。

 僅かな自我にある相反する二つの心に揺れ動いていたのだ。

 

「ふぅ…カイム王子か」

 

 カイム王子の心臓が早鐘を打つ。

 カイム、そうだ。私の名はカイムであった。

 我が名を思い出すと同時に聖女に名を呟かれただけで鼓動が早くなる。

 

「さて、どうしたものかのぅ。ありゃ良くないもの(・・・・・・)が取り憑いておるわ。いや、王子ではなくバオム王家と云った方が良いか」

 

 憂いを帯びた顔にカイム王子の胸が苦しくなる。

 我が身を案してくれる聖女に嬉しくもあるが、憂いの原因にもなっている事に心苦しくもあったのだ。

 

「ま、なるようになるしかないかのぅ。助けを求められた訳でなしに我から首を突っ込むのも考え物よ。しかし不幸になると分かっている者を見捨てるというのも苦い物であるな」

 

 カイム王子は自分の事で悩む聖女に心を打たれた。

 ああ、聖女よ。そなたは私の事をそんなにも思ってくれていたのか。

 

「それに母者も近頃はワシが『水の都』から出るのを許してはくれぬ。資金繰りに万能薬を売り歩いたせいで、よもや公爵の嫡男の目に止まって求婚されるとは思わなんだからな。加えて母者はワシが外で何をしているのか分かっておるらしい。でなければあのようなことは云うまいて」

 

 ああ、聖女よ。そのような悲しい顔をしないでおくれ。

 カイムは聖女が大きな腹をさすりながら嘆く様に心を痛める。

 カイム王子はもはや限界だった。

 おお、聖女よ。私は願わずにはいられない。

 どうか、どうか……その(かお)だけはやめておくれ。

 どこの世界に老爺(おやじ)の水浴びと出会(でくわ)す王子の物語があるのだ。

 下帯姿の吾郎次郎は養母である『塵塚』のセイラに居酒屋通いの禁止を云い渡される原因となった太鼓腹を哀しげに見詰めていた。

 

「しかしまあ何だ。そろそろ出てきてくれぬか? 年寄りに冷や水は堪えるでな」

 

 気付かれていたのか。

 カイム王子は僅かながら回復している自我で然もありなんと思った。

 聖女は武術の達人である。気配も隠さずにいればすぐに気付かれるだろう。

 根を引き摺りながらカイム王子は物陰から姿を見せる。

 

「期待を裏切って悪いがな。真の姿(・・・)で男に裸を見せようものなら母者にどのような仕置きを受けるか知れたものではなくてのぅ」

 

 布で水気を拭いながら吾郎次郎は呵々大笑する。

 

「んん? よう見れば先程の坊主、あいや、カイム王子ではないか。まだ帰っておらなんだか? 今頃、バオム城内は大騒ぎであろうな」

 

 新しい下帯を締め、白い着流しを纏った吾郎次郎はおぞましい変貌を遂げたカイム王子には意に介さずにこやかに近づいていく。

 カイム王子もまたゆっくりではあるが歩を進める。

 ああ、分かる。やはり聖女だ。

 どのような姿であってもこの人こそが私の半身(・・)なのだ。

 カイム王子は抱擁を求めるように両手を差し出す。

 王子の求めに呼応するように両腕の根が伸びて吾郎次郎に襲いかかる。

 しかし左右から伸びた根が合わさった時には吾郎次郎の姿はなかった。

 譫言のように聖女を求めるカイム王子の目前まで一気に距離を詰めたのだ。

 

「ああ、聖女殿。私の聖女…」

 

「せいっ!!」

 

 振り上げられた愛刀『水都聖羅(すいとせいら)』が月光を受けて煌めき、カイム王子の脳天目掛けて振り下ろされた。

 雷神ヴェーク=ヴァールハイトが脳天から股間まで縦に断ち切られたカイム王子を幻視するほどの気迫である。

 しかしニ尺六寸(約80センチメートル)の剛刀はカイム王子の第三の目ギリギリで止まっていた。

 

「バオム王国第一王子・カイム=ケルン=バオム!! しっかりせい!!」

 

 吾郎次郎の一喝に胡乱げであったカイム王子の瞳に再び理性が宿る。

 

「わ、私は……」

 

「悪霊に取り憑かれておったのよ。だが安心せい。もうすぐ出て行くでな」

 

「ぐがっ?!」

 

 カイム王子の口から自身の体の数倍はあろうかという質量の瘴気に汚染された水が吐き出される。

 それと同時に四肢の根が痩せ細り、やがて乾いた音を立てて崩れて抜け落ちた。

 既に第三の目は閉じられ、名残すら残っていない。

 体内を這う根もまた消えている。

 

「愚か者!! 子孫を取り殺す先祖がどこにおる?! 貴様は五百年前に死んでおるのだ。復活したところで居場所などない! 最早、過去の人間であると知れ!!」

 

『やめろ!!』

 

 雷神ヴェーク=ヴァールハイトの悲痛な叫びも虚しく、聖女ゲルダはカイム王子が吐き出した瘴気の水に『水都聖羅』を突き立て『浄化』の魔力を流し込む。

 途端におぞましい絶叫があがるが、それもすぐに収まり、水は浄化されて消えた。

 

『シュタム!!』

 

「誰かと思えば雷神殿か。神ともあろう者が五百年以上も前に泉下の客と成った者に執着するとはな」

 

 カイム王子には見えないが、麗しい黒髪の聖女には見えているのか、カイム王子の後ろ上方を呆れた表情も隠さずに見ている。

 

「愚かな。確かに愛する男の死は哀しかろう。だがその血は子孫に脈々と受け継がれておるではないか。それと同時に貴様の子孫(・・・・・)でもあろう。それを犠牲にしてまでシュタムを復活させたかったか?」

 

「我がバオム王家の守護神・雷神ヴェーク=ヴァールハイト様もまた我らのご祖先様なのですか?」

 

「下種の勘繰りになるがな。バオム王家の者に雷属性の資質がある事、雷もまた『木気』に通じる事、そしてシュタムが神である自分を斃している事、それらから考えれば自ずと答えは見えてこよう」

 

 自分に勝利した騎士に神が執着するのは有り得ない話ではない。

 似たような伝説はいくらでもあるだろう。

 そして属性の相性も良い事もあり、二人の子孫に雷を操る素質を持つ者が生まれやすいというのも頷ける話だ。

 

『おのれ……だが、希望が潰えた訳ではない。鍵はやはり聖女か』

 

「またその話か。ワシを転生させて母者と会わせてくれた事は感謝しているがな。悪いが聖女とやらになる気は無いぞ」

 

『だが運命は定められておる。時が来れば貴様も聖女として動かねばならぬと理解する事が出来るであろう』

 

「云うておれ。ま、報酬次第で引き受けてやっても良いがな。取り敢えず魔王が再び地上へ現れたのならまず一報を寄越せ。勇者などという生贄に頼らずともワシの手で斬り捨ててくれよう。『水の都』を滅ぼした報いをくれてやるわい」

 

『聖女と勇者が必要な状況が魔王出現とは限らぬがな。その時が来る事を楽しみにしておる事だ』

 

「お、おい! 待たんか!」

 

 急に慌て出すゲルダにカイム王子は訝しむが、理由はすぐに知れた。

 雷神ヴェーク=ヴァールハイトが天界に帰ってしまったらしい。

 

「まったく、神というのはどいつもこいつも勝手な奴らばかりだわえ」

 

 ぶつぶつと文句を云っているゲルダの前に進み出るとカイム王子は跪く。

 

「聖女、いや、ゲルダ殿、二度も救って頂き礼の言葉もありません。私に出来る事など些少ではありますが、恩返しができるのなら何でも申し付け下さい」

 

「そう鯱張(しゃっちょこば)るな。手が届く範囲に救える者がおったから手を差し延べたまでよ。それに礼を云うならこちらもだ。お陰で人に取り憑いた悪霊のみを斬る秘剣『鬼神斬り』の完成を確認できた。ならお互い様という事で手を打とうではないか」

 

「ゲルダ殿」

 

 二度も命を救っておきながら見返りを求めずに笑う様はまさに聖女だ。

 やはりこの御方こそが私が師と仰ぐべき人なのだ。

 カイム王子は感涙にむせぶのだった。

 

「莫迦。泣く奴があるか」

 

 女子供の涙に弱いゲルダは居心地が悪くなってきたのを誤魔化すように鼻の頭をポリポリと掻いたものだ。

 

「ゲルダ殿! いえ、ゲルダ先生!!」

 

「な、何だな? いや、それより先生だと?」

 

 泣いていたかと思えばいきなり顔を上げたカイム王子にゲルダは面喰らう。

 

「私を弟子にして下さい! バオム王国第一王子としてではなく、一人の男カイムとしてお願い申し上げます!!」

 

 カイム王子の目を見れば、ゲルダの強さに憧れた子供の言葉ではないと知れた。

 そこにいたのは一国の王子ではない。一人の武術家がゲルダの許しを待っている。

 答えは分かりきっていた。シュタムの悪霊を追い払ったといえ、神から与えられた才により無理矢理成長させられていたカイム王子はその力を持て余すに違いない。

 その幼い体に見合わぬ力を得てしまった以上、コントロールする術を学ばなければ力のみが暴走して身を滅ぼしてしまうだろう。

 ならば聖女云々を抜きにして導いてやらねばなるまい。

 それにゲルダは後世に自分の技を継承させていきたいという願望もあった。

 正当な流派のみならず、勇者にあるまじき合戦武術も含まれるが、どうせ喰らうのは魔界の住人、誰に遠慮がいるものか。

 

「許す。今日より貴様はワシの弟子だ。我が流派は直心影流(じきしんかげりゅう)という。覚えておけ」

 

「ジキシンカゲ流……ありがとうございます」

 

 王子である事を忘れるという宣言が嘘ではない証明としてカイム王子、否、ゲルダの弟子と成ったカイムは平伏した。

 

「貴様が今までどのような稽古をしてきたのかは知らぬがな。ワシの修行は厳しいぞ。血反吐を吐く事も覚悟致せ」

 

「ははっ!!」

 

「まず差し当たっては、である」

 

「はい、何でしょう?」

 

「着替えを持ってくるでな。それまでそこの水溜めで身を清めておれ」

 

「あっ?! いや、しょ、承知しました」

 

 漸く自分が裸になっている事を思い出したカイムは赤面して身を縮込ませた。




 ゲルダが追放される方向にいくプロットという名の屋台骨はブレてはいないのですが、カイム王子との関係性が思惑から相当離れて当初の想定を上回る絆が出来そうです(汗)
 師弟という骨太な絆から婚約に持っていくのに骨が折れそうですわいw

 雷神ヴェーク=ヴァールハイトは開祖シュタム・ガチ勢です(おい)
 嵐の邪神を斃したシュタムは、彼女を滅ぼすことはなく、貴方が恵んで下さる雨のお陰であらゆる命が救われているのです。とニッコリ。これには邪神もポッ。これが雷神となった経緯ですw
 まあ、今回の事を思えば本当に邪神じゃなくなったのか疑問ですが、神なんてそんなものでしょう。
 雨が降れば恵みの雨、神鳴が落ちれば神罰、嵐が起これば祟り、程度のものかと。

 さて、次回はカイムの母、レーヴェを救ったあと、カイムを弟子にしたと伝えます。
 レーヴェからすれば、助けてくれた事は感謝する。だがカイムの武を磨くのは私だ。といったところ。
 二人はここで手合わせをする事になります。
 勝敗は決まっていますが、どうやって面白い勝負にするかが問題です。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第陸章 第一次嫁姑戦争・前編

 バオム王国現国王ヴルツェルはキリキリ云い出した胃を押さえていた。

 何故なら目の前で二人の女性が火花を幻視するほどに睨み合っていたからだ。

 一人は今も尚バオム王国最強の騎士である側室のレーヴェ。

 もう一人は我が息子が『水の都』から連れて帰ってきた近頃、聖女との評判を取っている若い娘だ。名をゲルダという。

 

「もう一度申してみよ。私の聞き違いかも知れぬからな」

 

「ご所望であれば何度でも云うてやるわい。お主の稽古は痛いだけで実質は幇間稽古(ほうかんげいこ)と変わらぬと申したのだ。あれでは百ある才も五十、六十で伸び悩んで終わってしまうわ」

 

 伝説にある『水の都』最後の王族の名を持つ少女はレーヴェの気迫に真っ向から立ち向かっている。その気迫は現役の騎士でも震え上がるほどであり、侍女に至っては失神している者がちらほら見える。

 しかしゲルダにとってはそよ風にすらなっていないらしい。

 

「ほ、幇間?! 云うに事欠いて幇間稽古だと?!」

 

 レーヴェはその美しい顔を憤怒で歪めゲルダに迫る。

 騎士の名門であるシュヴェーレン家に生まれた。

 子宝に恵まれず、漸く授かった子が女子であった事に失望した当主は周囲の反対を押し切って、彼女を男として教育すると決めたという。

 レーヴェは厳しく教育され、すくすく(・・・・)というよりはめきめき(・・・・)と成長し、十五歳を過ぎた頃には当主の背丈はおろか剣の腕すら凌ぐようになっていた。

 当主の望み通りレーヴェは鍛え上げられた肉体と、鉄拳制裁も辞さない教育の賜物か当主の面影が強く残る男顔となり誰からも男扱いされていく。

 しかし、ヴルツェルは知っていた。彼女ほど女性らしい女性はいないと。

 ある舞踏会の事だ。レーヴェはいつもの如く女性達からダンスを誘われていた。

 男性のステップも仕込まれていたレーヴェはそつなく彼女達と踊る。

 しかし、夢見心地の貴婦人達と違ってレーヴェの顔には憂いがあった。

 勿論、相手には笑顔を見せてはいる。だが、ふとした瞬間に目を伏せるのである。

 まだ若かったヴルツェルは彼女の憂いの意味を察することが出来なかった。

 そんなレーヴェに興味を持ったヴルツェルは彼女をダンスに誘う。

 勿論、女性としてである。

 戸惑う彼女であったが、相手が王族である事もあって差し出された手を取る。

 意外と云っては失礼だが、レーヴェは女性のステップも完璧にこなせた。

 初めこそ固かった表情も、一曲、二曲と踊っていくにつれて柔らかくなっていき、三曲目には笑顔を見せるようになったそうな。

 ヴルツェルは不意に笑顔を見せたレーヴェに、彼女も本心では女性として生きたいと願っているのだと知る。

 それから数ヶ月後の事である。レーヴェは王室に召し出された。

 何か粗相でも仕出かしたのかと戦々恐々としていたレーヴェであったが、案内された部屋に用意された煌びやかなドレスに心を奪われる。

 さて、いよいよ持って召し出された理由が分からなくなったレーヴェであったが、数人の侍女が入室してきたと思えば、彼女の騎士服を手際良く脱がせていく。

 ドレスに気を取られていたレーヴェは抵抗する間も無く、ガーターやコルセットを装着され、いつの間にかドレスを着せられてる。

 このドレスは私が着る為のものかと、困惑するレーヴェはあれよあれよと化粧を施されて、気が付けば姿見の中に美しい貴婦人がいた。

 男顔の自分でもきちんと化粧をすれば化けるのか。

 今まで父に隠れて化粧をしてみたが、“お化け”になってしまうのが常であった。

 なるほど、“女は化ける”とは善く云ったものだ。

 感動しているとドアが開いてヴルツェルが現れた。

 プレゼントは気に入ってくれたかと微笑む彼にレーヴェは花が咲いたかのような笑顔で答えたものだ。

 その夜、開かれた舞踏会でヴルツェルとレーヴェの両名が主役となったのは云うまでもないだろう。

 その後、二人は逢瀬を重ねるようになり、距離を縮めていく。

 やがてレーヴェの懐妊が判明すると、ヴルツェルは喜び勇んでプロポーズをした。

 レーヴェは暫く思い悩んでいたが、父親が嫁入りの持参金を用意して、自分の好きに生きなさいと後押しをしてくれた事で意を決して側室になったそうな。

 初めこそ驚いていたレーヴェであったが、女性として生きたいという娘の本心を知った父親の涙ながらの謝罪に彼女もまた涙を流して父の手を取ったという。

 こうしてバオム王国第一王子カイムは誕生したのである。

 

「私はカイムが立派な騎士に、そして王になるように育ててきた! 時に“父親にされた事を子にしている”と揶揄され、時に“やはり男女に母は務まらぬ”と侮辱されてきたが、それもカイムの未来を思えばこそだ! それを幇間稽古だと?!」

 

「あれが幇間稽古でなければ何と云う? 血反吐を吐く我が子を打ち据える様は一見、厳しく指導しているようだが、打ち込んできた剣を受けて“もっと鋭く振れ”だの、“いいぞ、その調子だ”だの、相手の機嫌を取って稽古と呼べるのか?」

 

 分厚い瓶底眼鏡のせいでゲルダの表情は読めないが、レーヴェの方は分かりやすく顔を紅潮させて憤怒の相を見せている。

 そんなレーヴェにカイムも含めて周囲は怯えているが、やはりゲルダには些かの痛痒も与えてはいないようだ。

 

「ワシの目には“鋭く振れ”と窘めた一撃も、“その調子”と褒めた一撃も同じように見えたがな。つまりお主の指導はその気に(・・・・)させているだけ(・・・・・・・)で上達には繋がっておらんのだ。それなら千本素振りをさせていた方が余程良い稽古になるわい」

 

「云わせておけば! ならば貴様の剣を私に見せてみろ! カイムの師と名乗るからには私より強いという事を証明してみせよ!!」

 

「実戦が弱くても指導が巧い師はいくらでもいるわい。だが、そう云ったところでお主は納得するまい」

 

 ゲルダは袋竹刀(ふくろしない)を構える。

 

「かかって参れ。稽古(・・)というものが如何なるものかを教えて進ぜよう」

 

「望むところだ!!」

 

 ヴルツェルは思う。

 どうしてこうなった、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜半を過ぎてもカイムの行方が知れないバオム城は上を下への大騒ぎであった。

 既に捜索隊は派遣され、城下町は勿論、近在の村や街まで探索の手は伸び、夜が明けたら森や山にも人を遣る算段となっている。

 そんな中、当の本人がばつが悪い顔をして帰還したのだ。しかも母の病を治す事が出来るという聖女を伴ってである。

 ヴルツェルは安堵したが、その反動で怒りが込み上げ、皆に心配をかけた息子を叱ろうとした。

 しかし、ゲルダに止められてしまう。

 ただゲルダとしてはカイムを庇った訳ではない。

 皆の目がある中で叱るのは良くないと諭され、どうせなら奥方の病が癒えた後で共に叱ってやれと云われた事で、一応は矛を収めた訳である。

 ヴルツェルは不思議とゲルダに逆らう気は起きず、云われるままにレーヴェの寝所へと彼女を案内をする。

 ゲルダは病床の人を一目見るや、ご典医は籔以前の筍でござるな、と呆れた。

 レーヴェの症状は毒でも無ければ呪いでも無かった。況してや神の仕業でも無い。

 肺炎の一歩手前ではあったが、風邪を拗らせただけだという。

 レーヴェが今まで高熱を伴う風邪を引いた事が無かった事と、そのせいで本人が気弱になってしまっていた事で、普段の男勝りな彼女しか知らない医者が未知の病と思ってしまった事が真相らしい。

 ゲルダとしては、“酒でもかっくらって寝りゃ治る”と云いたい所ではあったが、折角出来た弟子をガッカリさせる事もあるまいと思い直してレーヴェに向けて手を翳す。

 

「おお、ゲルダ先生の手から光が」

 

 ゲルダの手に灯る淡い光がレーヴェを照らすと、先程まで大汗をかいて魘されていた彼女は次第に落ち着きを取り戻していった。

 ゲルダは赤ん坊の頃に『水の都』最後の姫君の血を母乳代わりに呑んでいた。

 養母、『塵塚』のセイラはどんなものでも無節操に体内に取り込む習性があり、その中には病死した人間や毒物も含まれていたという。

 それらの病原体や毒はセイラの体内で浄化されて彼女の体の一部となる。

 即ち取り込んだ病気や毒を攻撃手段に出来るようになり、また同時に病原菌やウイルスの抗体や解毒剤も精製可能となった。

 セイラはそれらもゲルダ姫の血と混ぜており、結果、ゲルダはあらゆる病気や毒を無効化する体質となっているのだ。

 その効果はゲルダの中でアンチスキルをも創造する程で、彼女は病気や毒を予防或は治療する魔法の遣い手となった。

 ゲルダにとって風邪の治癒などお手の物であり、あれだけ苦しんでいたレーヴェも数分もしない内に快癒したのである。

 ちなみにゲルダが売り歩いていた万能薬は薬草を練り込んだ丸薬に彼女の魔力を込めた物だ。しかも“良薬口に苦し”と説得力を持たせるために千振(せんぶり)を混ぜる徹底ぶりであった。

 

 さて、風邪が治り、回復魔法で体力も全快となったレーヴェは病後とは思えぬ程の健啖ぶりを見せて、ゲルダが作った卵粥を丼で三杯も食べたという。

 味噌で調えた優しい味と香りが食欲を刺激して、彼女の腹の虫を盛大に鳴らした。

 ゲルダとしては自分の朝食も兼ねて作ったのだが、病み上がりの回復を優先し、“一気に食べると胃が驚くぞ”と忠告して苦笑を浮かべたものだ。

 彼女が落ち着くと、ヴルツェル、レーヴェの夫婦はカイムの保護とレーヴェの治療への礼を丁寧に述べた。

 ゲルダは迷子を家に送り届けた程度の感覚であり、治療としても手段を持ち合わせていただけだと言葉だけを受け取って、褒賞は固辞する。

 ヴルツェルはゲルダは何者であるか気になったが、妻と子の恩人に対して不躾であるかと逡巡する。

 しかしカイムがゲルダを先生と呼び、稽古をつけて欲しいとせがむと、レーヴェの表情が険しいものとなって追求を始めてしまう。

 ゲルダは隠すつもりは無いのか、自分が『水の都』を住まいとしている事、そこで母や従者達と共に静かに暮らしている事、そしてバオム王国が守護神・雷神ヴェーク=ヴァールハイトの手により、なる気は無いが聖女として転生している事も告白した。

 数百年前に魔王の軍勢に滅ぼされた、呪われし伝説の都で暮らしている事に驚かされたが、ゲルダは何不自由無く過ごしているらしい。

 だがカイムがゲルダの母が『水の都』最後の姫君の人形が意思を得たものである事と従者とはセイラの作った人形に怨霊が宿ったものである事、そしてセイラを含めた人形達の体がガラスなどを材料にした珪素生命体に近い事を良くも分からぬままに云ってしまった事でレーヴェのゲルダを見る目が変わった。

 確かに病から救ってくれたゲルダは恩人であるが、このような怪しい者をこれ以上、我が子に近づけるのは良くないのではと考えてしまうのも無理は無い。

 しかもゲルダ本人も異世界から転生して、しかも元は男だと云うのだから、胡散臭く感じない方が可笑しいだろう。

 ただ、誤解が無いように述べるが、ゲルダも考え無しに告白したのではない。

 怪しまれる事を織り込んだ上で転生者であると明かしてしているのだ。

 これからカイムと師弟関係を続けていくに当たって、雷神の介入は避けられないであろう。ならば下手に秘密にして疑念を持たれるよりは自らの口で告白した方が誠実であると熟慮した結果である。

 これでカイムに近づくなと云われたなら潔く去るつもりでいた。

 そんなゲルダの気持ちを察したのか、カイムがゲルダの腕にすがり、心細げに見上げてくる。ゲルダは何も云わずにカイムの頭を撫でるだけだ。

 既にカイムの心はゲルダに囚われていると察したレーヴェが発した言葉は、

 

「私と勝負をしろ」

 

 というものだった。

 何でそうなるとヴルツェルは頭を抱えたくなった。

 騎士としてなら決闘こそが一番手っ取り早い解決策であるが、お前は妃だろう。

 しかも相手は王子を保護し、その上で王子に請われて妃の病を治しておきながら何の見返りも求めない正に聖女である。

 そっとゲルダの反応を窺ってみれば、聖女の口元がニィッと笑みを浮かべていた。

 側室となった今なお精強なるバオム騎士団を率いる最強の騎士を前にしてもゲルダは臆するどころか、顎をさすりながら笑うだけの胆力があるらしい。

 

「良かろう。たまには強そうなの(・・・・・)とやってみるのも面白いわさ」

 

「良い度胸だ! カイムを保護し、私を救ってくれた事には感謝しよう。しかし、カイムの武を磨いていくのはこの私だ! 今までも! そして、これからもだ!!」

 

 レーヴェはカイムに剣を構えろと命じた。

 まずは普段の稽古をゲルダに見せるつもりのようだ。

 恐らくは病床の中でなまった自身の体に活入れる為でもあるのだろう。

 その稽古は過酷という言葉が相応しい凄まじさであった。

 レーヴェはカイムが打ち込んでくる刃引を難なく捌いていく。

 一時間もする頃にはカイムの息が上がり、立てぬほどであった。

 しかしレーヴェはそれを許さず、打ち込みを続けさせる。

 

「もっと鋭く振るのだ!」

 

「は、はい!」

 

 ふらふらになりながらもカイムがレーヴェに向かって行く様は感動的に映るらしく、侍女達は涙を流して、王子様、頑張ってと声援を贈っている。

 だがゲルダに云わせれば無駄(・・)であるとしか云いようがない。

 あんな腰の入っていない打ち込みが稽古になるものかと内心呆れていた。

 しかし、レーヴェはカイムの剣を受け止めると、その調子だと褒めた。

 するとカイムは嬉しそうな顔をするではないか。

 何がその調子だ。さっきの打ち込みとどこが違うのか教えて欲しいものだ。

 まるで茶番だとゲルダはカイムの襟を掴んで止めた。

 

「何をする?!」

 

「見て分からぬか? 無意味な稽古を止めておる」

 

「なんだと?! カイムの顔を見よ。これが無意味な稽古を受けている者の顔か?」

 

「戯けた事を抜かすな。先程から拝見しておったが、お主の稽古はなっておらん。そのような幇間稽古ではカイムは強くなれぬわえ」

 

「何だと?!」

 

 そして冒頭に至るのであった。




 長くなったので前後編に分けました。
 カイム王子の師となったゲルダがバオム城へ乗り込み、母レーヴェを治療をしたまでは良いのですが、なにやら不穏な様子に。
 後編でゲルダとレーヴェが激突しますが、まあ、大体の予想通りかとw

 さて、ゲルダも相当人外ですが、それに輪を掛けてチートなのが養母のセイラです。
 最早、生き人形というより珪素生命体のようになってしまい、勇者だろうと魔王だろうと勝つことは不可能という出鱈目仕様になってしまいました。
 しかもゲルダ第一主義の親莫迦ですw
 けど、そんなセイラがゲルダを追放されて平気でいられるのかという疑問もあるかと思いますが、一年以上もセイラが動かない理由は今後明らかになっていくでしょう。

それではまた後編でお会いしましょう。


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第漆章 第一次嫁姑戦争・後編

 騎士服に着替え、動きやすいライトアーマーを着たレーヴェが稽古用の刃引を手にしているのに対し、ゲルダは厚手のボタンが無い白い上着を合わせただけの物(後に道着と聞いた)に下はスカートとズボンの中間のような物(袴というらしい)を穿いて、竹で作られ皮革の袋を被せた剣を持っている。

 袋竹刀と呼ぶ稽古用の剣は安全に打ち込み稽古が出来るように発明されたそうだ。

 レーヴェは早くも袋竹刀の有用性に気付き、感嘆の声を洩らしている。

 木剣や刃引による稽古は油断をすれば大怪我を負い、試合ともなれば命を落とす事故も少なくない。しかし、これなら怪我をする確率は格段に減り、寸止めが主流であった従来の稽古よりも思い切った打ち込みが出来るであろう。

 先程、カイムも弟子となった証として袋竹刀を与えられており、大事そうに胸に抱いて母と師の試合を見詰めている。

 

「カイム、寄れ」

 

 息子を呼び捨てにし、平然と呼び寄せるゲルダにレーヴェの頬が引き攣る。

 

「はい! ゲルダ先生!」

 

 しかもカイムもカイムで元気良く返事をして子犬のように駆け寄るものだからレーヴェの全身が怒りに震える。

 

「預かっておれ」

 

 ゲルダは瓶底眼鏡を外してカイムに手渡す。

 野暮ったい眼鏡に隠された目が露わになると周囲から感嘆の声が上がった。

 猛禽のように鋭すぎではあるが、金の瞳は神秘的であり、美しさは勿論あるが、小柄な少女に侵しがたい威厳を与えている。

 そしてカイムもまた頬を赤く染めてゲルダの美貌を見詰めていた。

 

「しっかりせい。壊すでないぞ? 縁はミスリル、レンズは龍の瞳で拵えておるから、そう簡単には壊れはせんがな。万が一壊れたらお主の首ひとつでは購えぬぞ」

 

「は、はいっ!」

 

「母者から虫除け(・・・)の為に贈られた物でな。何を思ったか、『望遠』の機能も搭載し、『熱の視覚化』、『暗視』、道具や人、魔物に限らぬ万能の『鑑定』、任意の『マーキング』、『地図』及び『自動地図作成』、母者或いは登録者との『念話補助』、『録音』、写真または動画の『撮影』などなど無駄に高性能ゆえ値がつけられん。決して粗略に扱うでないぞ」

 

「りょ、了解しました」

 

 カイムが眼鏡を大切に抱いて下がると、両者は各々の得物を手に向き合う。

 ゲルダが自然体で笑みさえ浮かべているのに対し、レーヴェは最早極まっていた。

 

「さあ、胸を貸してやる。存分に打ち込んで参れ」

 

「貴様ッ!!」

 

 更に強者の余裕を見せて構えらしい構えを取らずに、そちらから来いと宣うゲルダにレーヴェの堪忍袋は緒が切れるどころか、爆発霧散した。

 レーヴェは咆哮とも云える気合を発して突進し、右手突きを繰り出す。

 唯でさえ刃引は一歩間違えば大怪我に繋がるが、その一撃は殺気に満ちており、寸止めをする気配は無い。しかも突き技である。刃が無くとも十分に人を刺殺可能な技を敢えて遣う当たりレーヴェの怒りの程が知れよう。

 

「はて、カイムはお主がバオム王国最強の騎士であると自慢しておったがな?」

 

 レーヴェが必殺の意思を込めて放つ突きを見てゲルダは暢気に首を傾げている。

 誰もがゲルダが田楽刺しになるものと固唾を呑んだが、風を斬る凄まじい音と鋭い打撃の音が続けて起こってレーヴェの手から刃引が落ちた。

 なんと無造作な片手小手打ちがレーヴェの手首を打ったのである。

 しかもレーヴェが肉薄している間合いから打ってなおゲルダの剣が打ち勝つという神速にして強烈な一撃だった。

 

「ぐうううううう……」

 

 レーヴェの右手首は倍の太さにまで腫れあがり、痺れてまでいた。

 

「どうしたな? 早う剣を拾え。お主の剣はその程度のものか? バオム王国最強が聞いて呆れるわ」

 

「お、おのれ……」

 

 右手は利かなくなったが、まだ左手が残っている。

 レーヴェは刃引を拾い打ち掛かるが、今度は顔面を袋竹刀が容赦なく襲う。

 左目の瞼が腫れて視界が狭まってしまうが、ゲルダに遠慮は無かった。

 打ち掛かるたびに袋竹刀の一撃がレーヴェの体を打ち据えていく。

 ゲルダは口では厳しく指導しておきながら、幇間稽古で半端にカイムを甘やかしているレーヴェに同じ師匠として腹を立てていたのである。

 カイムの将来を思うのであれば、手加減など無用だ。

 忖度など入る余地も無く叩きのめし、工夫に繋がる手掛かりを言葉の端々に散りばめてやるだけで良かろう。

 その上で弟子が工夫を凝らして成長をした時に褒めてやれば良いのである。

 

「あぐぐぐぐぐ……」

 

 とうとうレーヴェは全身の激痛(いたみ)と疲労によって起き上がる事さえ出来なくなっていた。

 

「ワシの稽古は日々の反復と手加減要らずの荒稽古よ。カイム、ワシが怖くなったのなら弟子となる事を撤回するのだな。今ならば咎めはせぬ」

 

「いいえ!」

 

 即答であった。

 

「今こそ確信しました。私の師はゲルダ先生をおいて他にいないと」

 

「皆の前で引っ込みがつかないだけならやめておけ」

 

「違います! 『水の都』で魔物に襲われて何も出来ずにいた私を救い、シュタム様に取り憑かれ暴走していた私を再び救って下さったゲルダ先生こそ私が師と仰ぐべき御方だと思いました。そしてバオム王国最強の騎士であり、側室である母上を打つお姿に理想の師と確信したのです。きっと貴方なら私を王子ではなく一人の人間として見て下さると」

 

 改めて私を弟子と御認め下さいと頭を下げるカイムにゲルダは答える。

 相分かった、と。

 

「ありがとうございます」

 

「ゲルダ殿、余もそなたこそカイムの師に相応しいと確信した。至らぬ息子ではあるがよしなに頼むぞ」

 

 国王ヴルツェルからの言葉もあってこの日よりバオム王家の指南役となる。

 それは同時にゲルダの日常から平穏が消えた瞬間でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻。

 どことも知れぬ山の奥、朽ちかけた寺院があった。

 本堂と思しき空間で護摩を焚き一心に祈る集団がいる。

 全員とは云わぬが一様に頭髪を剃り落としており、僧の身形をしていた。

 この世界に存在するあらゆる宗教の教典とは異なる祈りである。

 もし、この場にゲルダが居たならば、こう指摘するであろう。

 

「これは法華経ではないか」と。

 

 やがて経が終わると、護摩の一番前に座していた男が背後にいる異形の僧侶達に向き直る。

 

「どうやら忌まわしき雷神ヴェーク=ヴァールハイトに導かれし聖女がバオム王国に入ったようだ」

 

 それは子供のように背は低いが法衣の袖から覗く腕は骨と皮ばかりだ。

 幾重にもシワが刻まれた顔は最早年齢を推し測ることが不可能なほどである。

 しかし眼光だけは鋭く光り精気に溢れていた。

 

「良いか、各々方。雷の勇者と水の聖女が結ばれる事があってはならぬ」

 

 僧侶達は一斉に気を吐いた。

 

「では、それがしが参りましょう」

 

 集団の中から進み出たのは一人の尼僧であった。

 剃髪をしているが、まだ歳は若い。

 そして大きく腹が膨れている。妊娠しているのだ。

 

「死してなお我が武を振るえる喜びをお与え下された大僧正様の恩に報いるは今と心得申した! それがしにお任せあれ!」

 

「許す。そなたが一番手となって聖女ゲルダと接触せよ」

 

「ありがたき幸せ!」

 

 なんと尼僧は護摩の中へと身を投じたではないか。

 紅蓮の業火は瞬く間に尼僧を燃やし尽くさんとするが、異変が起こる。

 灰となった尼僧の中から一人の赤子が無事な姿で現れたのだ。

 

「おおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

 赤子は産声の代わりに恐ろしげな胴間声で雄叫びをあげる。

 燃え尽きた母の灰、そして護摩の火が赤子の口の中へと入っていく。

 すると赤子の体が急激に成長を始め、護摩の火が尽きるとその場には十代半ばの少女が立っていた。

 その異常な光景に驚く者はおらず、少女の誕生を祝福している。

 否、彼らが祝福しているのは誕生ではない(・・・・・・)

 

「おお、これが『異世界転生』。選ばれし異世界の戦士のみが許される儀式!」

 

「良き面構えだ。正しく天下の豪傑に違いない」

 

 そう、彼らは少女の転生(・・)を祝福していたのだ。

 彼女は一見、普通の人間のようであるが、ところどころ異なる部分があった。

 長く尖った耳、鋭い牙と化した犬歯、何より人と懸け離れているのは目だ。

 強膜は黒く、瞳は赤い。そして瞳孔は山羊のように四角くなっていた。

 

「くははははははは! 聖女ゲルダ、何の事やあらん! それがしの鎖鎌を存分に堪能させてくれるわ!」

 

 少女は直心影流(じきしんかげりゅう)免許皆伝の強者、ゲルダとの対決を期待して高らかに哄笑するのだった。




 前半と比べて少し短いですが後編となります。

 激化する嫁姑戦争を制したのはゲルダでした。
 まあ、このシチュエーションで大番狂わせは無いですねw
 ゲルダはまだその気ではないのですが、レーヴェの目には二人がいちゃついているように見えて暴走してしまいました。
 後に剣友となる二人ですので、これから何度もぶつかって信頼関係を築いていくのでしょう。
 ただ三百年も生きるゲルダにとってレーヴェもカイムも変わらない可愛い剣術の後輩なので、纏めて面倒を見ている感じになってます。

 はい、ゲルダの眼鏡もまた出鱈目仕様ですw
 材料からして無茶苦茶ですが、ゲルダも良く分かってない機能はいくつもあります。
 紫外線の概念が無い吾郎次郎には敢えて説明してませんが、UVカット機能もあります。
 もっともゲルダの肌自体がUV無効なので意味は無いのですがw
 さて、熱の視覚化や暗視の概念を何でセイラが持っているんでしょうね?

 最後に登場した僧侶集団が現在におけるゲルダの敵です。
 初めは鎖鎌の遣い手は宍戸梅軒だったのですが、よくよく調べたら創作の人物であり、過去の武芸者を異世界に転生させてゲルダと戦わせるってアイデアがするする出るなと思ったら、魔界転生じゃないか、これはヤバいと、オリジナルの武芸者を異世界転生させる事に落ち着きました。
 いや、婚約破棄、聖女追放物を書いておきながら今更なんですけどね(汗)

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第捌章 聖女の晩酌

「ゲルダ様!」

 

 バオム王国城下町の片隅にある安酒場で怒号が響く。

 しかし客達は慣れたもので一瞬入口を見るや、“またか”と云って食事を再開した。

 第一側室レーヴェ付きの侍女カタリナは一人の人物を見つけると、足早に向かう。

 

「ゲルダ様! またこのような所で!」

 

「そうがならんでも聞こえておるわえ。ワシの耳は十町(約1090メートル)先で落ちた針の音も聞き取れるでな」

 

 バオム王室指南役となったゲルダはチョリソーを咀嚼してワインで流し込んだ。

 カイム王子の修行をつけた後は決まってこの酒場・沈黙の黒杖(こくじょう)亭で一杯やるのが日課である。

 ここの亭主は元々凄腕の魔法遣いとして名を馳せていたのだが、魔界の将軍との戦いで喉を斬られてしまったという。

 一命を取り留めたものの、魔法遣いの命である声を失ってしまう事態となった。

 呪文を詠唱出来なくなった彼女は引退を余儀なくされたが、幸い料理の腕がそこいらの料理人より上であり、これまでの冒険で培ってきた人脈で旨い酒を安く仕入れる事が出来たので酒場を開いたという経緯があった。

 それを酒肴(さかな)代わりに店員から聞いたゲルダは、“どうれ”という気持ちになり女亭主の傷を簡単に治してしまったのだ。

 この傷は魔王の呪いも込められており、傷が治せないばかりか、徐々に全身を蝕んで数年をかけて殺すという陰湿極まるものであったのだ。

 

「今回ばかりは魔王の陰険さに感謝する事よ。お陰で治療が間に合った」

 

 そう笑う黒髪の少女に女亭主『沈黙』のエヴァは感激のあまり抱きしめたという。

 元々エヴァは『沈黙』の二つ名の通り口数が少なく、呪文の詠唱も呪文を刻んだ護符を用いて省略していたのだが、最後に魔法の名を告げる事が出来なくなった事で魔法の発動が不可能になっていたそうな。

 それで仲間から半ば追い出される形で引退をしたという事情があったらしい。

 

「薄情な仲間もいたものだな。それでどうするね? 冒険者に戻るのか?」

 

 ゲルダの問いにエヴァは酒場を続けると答え、以来、ゲルダは常連となったのだ。

 エヴァは魔法遣いとして正統かつ高度な教育を受けていた事もあって、我流のセイラに育てられたゲルダでは知らない技術或いは常識をいくつも知っており、治療の報酬としてゲルダに正統魔法の伝授をしてくれるようになったそうな。

 またゲルダは用心棒としても頼りになり、五度、六度と酔客同士の喧嘩やトラブルを収めていく内に、ゲルダが顔を出している間は皆が大人しくなる事もあってか、五百年の時を生きるエヴァはゲルダを大変に可愛がった。

 そして半年経った今では恩人、師弟の垣根を越えた親友同士である。

 

「まったく、お主は何を怒っておるのだ? 況してや侍女のお主自らこのような所(・・・・・・)まで足を運ぶとはのぅ。召使いに命じれば良かろうに」

 

 侍女というのは暇なのか、と笑うゲルダにカタリナは銀縁眼鏡の位置を正しながら言葉を紡ぐ。猛りそうになる精神を落ち着かせようとするカタリナなりのルーティンなのだ。

 

「ゲルダ様は何故(なにゆえ)に国王様方との会食に同席なされないのですか?」

 

「逆に問うが、指南役が何故王族と会食をせねばならぬのだ?」

 

 ゲルダは不思議そうに首を傾げる。

 これでテーブルマナーがなっていないのならまだしもゲルダの食事作法は完璧であり、他の客達からは、どこかの令嬢が身をやつしているのではあるまいかと噂されるだけの品の良さがあった。

 その様子は王家や貴族の前に出しても恥ずかしくないどころか、社交界で一目置かれるだろうとも云われている。

 

「会食はただ食事をする場ではありません。“会”の文字通り、顔を向かい合わせ、食事や会話を通して親睦を深めて信頼関係を築いていく目的があります」

 

「莫迦にしておるのか? 会食の意味くらいは知っておるわ。これでも昔は城仕えをしておったのだぞ」

 

 ゲルダに睨まれてカタリナは怯んだが、それも一瞬のことであった。

 侯爵家に生まれ、侍女として側室レーヴェに仕えている彼女はゲルダの眼光に耐えうるだけの胆力を持ち合わせていたのだ。

 

「ならば何故、主家であるバオム王家との信頼を結ぼうとなさらぬのですか?」

 

「バオム王家が主家だと? 戯けた事を申すのも大概に致せ。指南役を引き受けはしたが、バオム王家そのものに仕えるつもりはさらさら無いぞ」

 

 そもそも雷神ヴェーク=ヴァールハイトに従って聖女になどなるつもりはない。

 雷神はカイムを勇者にするつもりであるらしいが、何を持って勇者なのだ。

 魔王とて色々と裏でこそこそ小賢しく動いているようだが、ゲルダからしてみれば、“堂々としておれ”と云ってやりたいくらいである。

 騎士にして勇者であるシュタムに負わされた傷が未だ癒えぬからこそ暗躍しているとも云えるのだが、ならば次代に魔王を譲って隠居せい、とも呆れているのだ。

 一度ならず魔界へと趣いて、魔王に引導を渡してやろうと試みた事があったのだが、天界と魔界の双方から“魔王なくして魔界に秩序は成り立たぬ”と懇願に近い形で止められるのが常であった。

 魔界の宰相が低姿勢で宥めるのは分からぬでもないが、天界が魔王を庇う理由が分からない。

 魔王を斃すのは勇者の役目と云われればそれまでだが、話を聞く限り現魔王は暗君であると云っても差し支えないとゲルダは思っている。

 だったら未練がましく生き恥を晒すより、いっそ素っ首を叩き斬って次代に継がせれば良かろう。それとも後継者にも碌な候補()がいないのか。

 悪巧みしか出来ぬ手負いの暗君を擁立せねば成り立たぬのであれば、いっその事、魔界なんぞ滅びてしまえ。

 この好機に天界が天敵である魔界を滅ぼさない理由が分からないゲルダは既に雷神のみならず天界そのものまで不審に思っているのだ。

 ゲルダは苛立ちからか、ついワインを一気に呑み干してしまう。

 おまけに連日のように目の前の侍女が、会食に参加しろと五月蠅いのも戴けない。

 大名に仕えていた頃の仕明(しあけ)吾郎次郎(ごろうじろう)もそうであったが、畏まった席での会食は酔うに酔えないので勘弁して欲しいところだ。

 痛風を理由に隠居したが、まだ脂の乗った五十半ばで家督を長男に譲ったのも、御歴々と呑む酒の不味さにこそ最大の理由があった。

 

「それに折角用意した寝室も使わずにどこで寝泊まりをされているのですか?」

 

 “折角”を強調するところもゲルダは気に入らないのであるが、カタリナはカタリナで自分が何故疎んじられているのか解っていない。

 態度も気に入らないが、初日に天井裏や隣室から見張られている事も見破っているので、信用ならないのである。

 護衛の意味もあるのは理解している。してはいるが、彼らの視線に警戒や不信の意思が込められているのもまた分かるのだ。

 これで会食に参加して王家と信頼を築けとは笑わせる。

 しかし、それを云ったところで、反省をしてこちらへの警戒を解く事は無いのは想像できる。むしろ隠密に長けた者(・・・・・・・)の気配を察した(・・・・・・・)ゲルダをより警戒するだろう。

 なので大人気ない云い方と分かっていても、こう返すよりない。

 

「知れた事。『水の都』にあるワシの私室へと『転移』しておる。云っておくが、貴様らが用意した部屋よりワシの部屋の方が広いし、寝具の寝心地も良いからな? それにワシはこう見えて綺麗好きでな。バオムでは風呂も二日に一遍になってしまうが、『水の都』では毎日風呂に入っておるぞ」

 

 近くに川が無く、水源を雨水か地下水に頼っているバオム王国では王族ですら入浴は二日に一度になってしまうが、『水の都』では浄化さえすれば水は無尽蔵に使えるので好きな時に入浴を楽しむ事が出来るのだ。

 では、ゲルダが流された川の近くに何故街を作らなかったのかと云えば、バオム王国は雷神が守護神である為か雨が降りやすく、しかもその降水量が尋常ではない為に川が氾濫しやすいのだ。堤防を築こうにも、それを嘲笑うかのように決壊するほどの大水が発生しやすい事もあって川の近くに街を建造する事は不可能であった。

 雨の恵みを齎す雷神を守護神を戴いておきながら、水不足に悩み、洪水に苦しめられるバオム王国を見るにつけゲルダは思うのだ。

 

雷神(あやつ)は守護神というより疫病神であるな」と。

 

 或いはバオム王国が雷神に依存するように仕向けているのかも知れんな、と()の国の民を憐れむゲルダであった。

 さて、夕餉も終わり、食後の梅酒(プラムワイン)を楽しんだ後、ゲルダはエヴァを呼んで勘定を済ませる。

 料理が旨く、酒も上物で勘定も安い。その上に女亭主が震い付きたくなるほどの美人という事もあって今夜も沈黙の黒杖亭は繁盛していた。

 

「今夜も旨かったよ。お陰で気持ち良く酔えたわい」

 

「ふふ、ありがとう。これで一晩で良いから泊まっていってくれると嬉しいんだけどね? 今日も『水の都』に帰るのかしら?」

 

 膝裏まで伸ばした薄紫色の髪を触手のようにゲルダの体に纏わせながらエヴァがゲルダの手を取って品を作る。しかも指までも絡ませているときた。

 酔客の奢りでエヴァ自身かなりの量の酒を呑んでいるので、頬が赤い。

 しかも、その垂れ気味の目は潤んでおり、得も云われぬ色香があった。

 

「お主にその趣味(・・)が無ければ喜んで遊びにいくのだがな。カタリナよ。このエヴァはのぅ、男よりも女が好みでな。一度、泊めてもらった事があったのだが、その時なんぞ、恐ろしく官能的な下着姿になって寝具に潜り込んできおったのよ。それで情け(・・)を求めるように“何もお嫁に行けない体にする気は無いの。ただ、女同士も乙なものだって試して欲しいのよ”って迫ってきおってなぁ」

 

「そんな事もあったわね。この娘ったら、“ひゃあ”って可愛い悲鳴を上げて荷物も服も放り出して裸で逃げ帰っちゃったのよ」

 

 妖艶に笑いながら絡むエヴァであるが、当のゲルダが口ほど厭がる素振りを見せていない事にカタリナは何とも云えなくなる。

 だが、このままゲルダがエヴァの虜になられては困るのだ(・・・・)

 それと云うのも、レーヴェから密かに命じられていた事があったからだ。

 その密命とはゲルダをバオム王家に(・・・・・・)取り込む事(・・・・・)である。

 レーヴェはゲルダに完膚無きまでに敗れた事で彼女を欲しいと思ったのだ。

 今はカイムの指南役となっているが、カイムに伝授すべき事を全て伝えたと判断して免許皆伝を許した後、ゲルダはどうするのかと考えた結果、彼女の性格からバオム王国を去る事は容易に想像が出来た。

 だが、ゲルダはそのまま帰すには余りにも危険である。

 圧倒的な強さもそうであるが、何より重度の病や呪いから人を救う事が可能な絶大な魔力持つ聖女を無策に手放す莫迦はいまい。

 何より弱者を強者へと鍛え上げる優れた指導力は、自分が匙を投げた才無き者と思っていた騎士を半年で同僚を追い越すレベルにまで引き上げたのだ。

 もしゲルダほどの指導者が他国に、それも我が国を狙う敵国に渡ったらと思うと寒気がする。

 しかし、拘束するにはゲルダは強すぎた。

 バオム王国最強のレーヴェを手も無く打ち据える武芸者を相手に発憤する騎士がどれだけいるであろうか。レーヴェとしては居てくれた方が嬉しいのだが、恐らくは全騎士団員の中で一割もいないだろう。

 仮にゲルダを捕らえる為に軍を差し向けようにも『水の都』へ進軍する事は有り得ない。莫迦正直に“『水の都』に潜伏している聖女を捕らえよ”と命じてみろ。

 瘴気に満ち、強大な魔物や怨霊が彷徨う呪われた都に行けるか、と反乱が起きても可笑しくはない。しかも、数百年も前に滅びているのだ。得られるものは皆無であり、襲って来るのは魔王が創り出した魔物と未だに怨みを遺す怨霊である。それで目的が聖女一人だ。自分が騎士で上官が同じ命令を下したのなら、レーヴェはその上官を殺しているに違いない。

 

 つまりゲルダを得るには初めから『水の都』に帰さない必要があるのだ。

 もっとも、その前提もゲルダが転移魔法を遣える時点で破綻をしているのだが。

 そこで考え出されたのが懐柔案なのであるが、話を聞くにゲルダは何不自由無い生活を送っているらしく、保護されたカイムの話では『水の都』で馳走になった夕餉は王子である自分でも目移りしてしまうほどの山海の珍味が並んでいたそうで、特に挽き肉を捏ねて焼いたハンバーグなる料理は絶品であったとか。

 バオム王家よりも豊かな食生活、服の素材もランクが上のゲルダを懐柔する案はもはや破綻どころか、こちらが惨めになるだけである。

 

 最後は政略結婚に発想が行き着くのだが、これが一番現実味が無い。

 ゲルダと結婚する事でバオム王国にもたらされる利益は絶大なものとなるが、ゲルダひいては『水の都』に殆どメリットが無いのである。

 現在、『水の都』を支配しているのは『塵塚』のセイラと呼ばれる人形の魔物であるらしいが、なんとゲルダを上回る実力者であり、その上、ゲルダの幸せの為ならどんな事でもするし、有り得ないが仮にゲルダを拘束しようものなら、バオム王国は守護神である雷神ヴェーク=ヴァールハイト諸共に滅ぼされてしまうだろう。

 バオム発展の為にゲルダを得ようとして、その遣り方を誤ったばかりに滅亡の道を歩んでしまっては本末転倒も良いところだ。

 では両者の恋愛感情ではどうであろうか。

 まずカイムだ。親の目で見てもカイムがゲルダに好意以上のものを抱いているのは明白であるのだが、肝心のゲルダがカイムを弟子としか見ていないのだ。

 では、ヴルツェルはどうであろう。

 人の機微に聡く、心優しい。貫禄を出す為に似合わない髭を生やしているが、剃って見れば人好きのする穏やかな童顔が現れるだろう。

 側室もレーヴェのみであり、男子がカイムとクノスベのニ名のみというのも王族としては心許ないというものだ。

 そこで“ゲルダを側室に迎えてはどうか”と水を向けてみるが、瞳のハイライトを無くしたカイムが腕から木の根のような触手を生やして、“父上、ゲルダ先生を取るのですか?”と夫婦揃って罪人よろしく首を縛られたので、全力をもって却下した。

 多分、あと数秒でも遅かったら夫婦仲良く縛り首となっていただろう。

 どうやらゲルダは剣術のみならず、先祖返りしたカイムが能力を使い熟せるように訓練を施しているらしい。

 教育方針はゲルダに一任しているが、彼女はカイムをどこに連れて行くつもりなのであろうか。触手を器用に操って空中を高速で移動するカイムを目撃した時は暫く大口を開けて固まったものである。

 

 結局、どの戦術を取るにせよ、まずはゲルダと仲良くなって信頼関係を結ぼうという案に落ち着いたのであった。

 しかし会食は拒否され、用意した部屋は一目見て出て行ってしまった。

 後でカタリナが潜ませていた隠密のせいであると知った時は遣り場の無い怒りを収めるのに苦慮したものだ。

 配慮は買うが、武道の達人に対して無礼にも程があるだろう。

 ゲルダにしてみれば余計なお世話であろうし、見張られているようなものだろう。

 しかも選抜された隠密が皆、男であった事もマイナスだ。

 はっきり云ってゲルダのバオム王家に対する心証は悪いだろう。

 いや、それを云ったらレーヴェとて初手の対応を間違っていたのであるが。

 今やゲルダとバオム王家を結んでいるのはカイムとの繋がりのみだ。

 最早、その一点のみに賭けるしかないのか。

 レーヴェとカタリナはゲルダ獲得に向けて頭を悩ませるのだった。




 晩酌とサブタイをつけたものの、実質は飲み屋とその主の紹介、そしてバオム王家(特にレーヴェ)がゲルダ獲得に動いているというお話でした。
 飲み屋の女亭主・『沈黙』のエヴァはよくあるパーティーの御荷物になった途端に追放された元冒険者です。
 普通なら(?)、元メンバーに復讐をするのでしょうが、ゲルダに救われた後はそのまま飲み屋を続けて、復讐どころか成り上がろうとはしません。
 そんな事をしている暇があったら、ゲルダが好きそうな酒を仕入れて、美味しいツマミを作って喜ばせてあげることの方が重要だったりします。
 エヴァは正統な魔法理論を学んでいるので、それを伝授する事でゲルダの魔法は効率化が進み、洗練されていくことでしょう。
 元の仲間は完全に忘れています。名前どころか、顔すら思い出せません。
 何故ならゲルダという至高の弟子にして友と過ごす毎日が幸せ過ぎて、薄情な仲間の事など綺麗さっぱり記憶の中から消去してしまったからですW

 バオム王家はゲルダの強大な力に触れたせいでテンパっているだけです。
 頭が冷えれば、何も囲い込んだり、政略目的で結婚しなくても、普通に友達になれば良かろうという結論に達するでしょう。
 そうなれば、バオム王家の人達は基本善良なのでゲルダも心を開いていくでしょう。

 さて、前回登場した敵ですが、ゲルダとの接触は次回或いはその次にしたいですね。
 異能の転生武芸者を相手にゲルダはどこまで戦えるのでしょうか。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第玖章 戦いの幕開け

 ある夜の事である。

 カイムの私室にて、彼の大きなベッドの上で正座するゲルダの膝を枕にカイムが寝ている。ゲルダはカイムの頭を優しく撫でながら物語を語って聞かせていた。

 

「こうして曾我兄弟は見事に仇の工藤祐経を討ち取り、父の無念を晴らしましたとさ。めでたし、めでたし……ん? 寝てしもうたか? 少しは成長したかと思ったが物語を聞いて寝てしまうとは、まだまだ子供だわい」

 

 ゲルダが毎夜『水の都』に帰るのは本当の事であるが、その前にカイムと語らっている事はヴルツェルもレーヴェも知らない。

 初めはカイムの“夜、一人で眠るのが怖い”という一言であったか。

 彼の名誉の為に云えば、これはカイムが軟弱なのではない。

 開祖シュタムに憑依されて以来、常に何者かの気配を間近に感じるという。

 ゲルダには、それがカイムの肉体を諦め切れていないシュタムの執念が具現化したものであると見抜いていた。

 雷神ヴェーク=ヴァールハイトがシュタムの残留思念を遣ってカイムの精神を乗っ取ろうと画策しているのは明白であった。

 そこまで一途に一人の男を愛する雷神に感服したものか、或いは死してなお愛する雷神と共にいようとするシュタムの妄念を呆れたものか。

 どの道、かつての清廉で相手の身分を問わず優しかった騎士にして勇者のシュタムは死んだ(・・・)という事だろう。

 ゲルダの人生に干渉し、愛弟子カイムの肉体を乗っ取らんとする雷神と亡霊とはいずれ何らかの形で決着をつけなければなるまい。

 バオム王国の守護神を我が手で滅ぼす事になろうともである。

 

「ま、一番は雷神殿が妄念を捨てて、真なる神となってくれる事であるがな」

 

 作製した養母の名と故郷から『水都聖羅(すいとせいら)』と名付けた愛刀から小柄を抜くと、ある一点に向けて手裏剣のように打つ。

 ベッドに座る不安定な状態ではあるが、その威力はバオム騎士の甲冑くらいは簡単に貫通するほどであった。

 カイムが訓練に用いている甲冑から絶叫があがり、中から黒い靄のようなものが這い出るように現れた。

 

「やかましい。折角寝付いたカイムが起きてしまうわ」

 

 新たな小柄が黒い靄を穿つと、それはあっさりと霧散する。

 悪霊を斬る秘剣『鬼神斬り』を応用した技はシュタムを退散させるに十分だった。

 それを察したのか、カイムの寝顔はどこか不安げであったのが穏やかなものに変わっている。

 

「ふふ、善く休むのだぞ。明日の稽古も厳しくいくでな」

 

 ゲルダはカイムの頭を優しく撫でた後、器用に膝と枕を入れ替え、カイムを起こさぬように『転移』の術式を展開しようとする。

 しかし、いつの間にかカイムがゲルダの腕を掴んでいた。

 ゲルダは苦笑しながらカイムへと身を寄せた。

 

「困った奴よ。仕方あるまい」

 

 ゲルダが掴まれた腕を捻りながらカイムの方へ押し出す。

 すると梃子の原理が働いて自然とカイムの手が外れるのだった。

 これが物語であるならばゲルダはカイムと共に眠る事になるのであろうが、武人として、また治療に携わる者として人体を知り尽くしているゲルダにとって掴まれた腕を外す事など造作もない事だ。

 

「ふむ、侍女や女中達を集めて、痴漢や王侯貴族の無体から身を守る術を教える道場を開けば新たな収入になるやも知れんな。差し詰め『水都流護身術』といったところか。試しにカタリナあたりを仕込んでみるもの面白いかも知れんわい」

 

 同時刻。

 悪寒がカタリナを襲ったとか襲わなかったとか。

 余談ではあるが、十数年後に女性を中心に護身術が流行る事になるのだが、その道場の中心人物にカタリナという名があったかどうかは定かではない。

 

「さて、そろそろ行くか。母者からの念話の間隔が短くなってきたからな。早く帰らねばそれこそ当分添い寝をせがまれよう」

 

 ゲルダはこめかみを指で掻きつつ、引っ切り無しに脳内に響く養母の声に苦笑を禁じ得なかった。

 

「しかし何故、母者は現在位置を態々伝えてくるのかのぅ? 王宮を出て、『水の都』を進み、先程は『水の都』を出たときた」

 

『私、セイラ……今、オ船ニ…乗ッテ…川ヲ…ノボッテイルノ』

 

「むっ? いかんな。このままでは行き違いになる」

 

 ゲルダは目を瞑り、セイラへと念話を繋げる。

 

「母者よ、母者。今、帰りますでな。城に戻ってお待ちあれ」

 

『私、セイラ……今、アナタノ…ベッドニ…イルノ』

 

 母からの返事にゲルダは頬を引き攣らせ、後頭部にデフォルメされた汗を垂らす事となった。

 

「こりゃ参った。母者は完全に添い寝する気でおるわ」

 

 添い寝するのは良い。良いのだが、寝入るまで口を吸われる事になるのだ。

 ゲルダとて酸いも甘いもかみ分けた武人ではある。

 今更口吸いくらいで恥ずかしがるようなねんね(・・・)では無いが、血は繋がっていなくとも母娘(おやこ)ではないかとも思うのだ。

 しかも唇を合わせている間、何かを注ぎ込まれているような感覚があり、心身共に作り替えられているような錯覚を覚えてしまう。

 実際、初めて口吸いをされた翌日には自然とレースやフリルで飾られた下着を着用していたものだ。前日までは前世の感覚から頑なに褌を締めていたものだったが。

 他人(ひと)は洗脳されているのではと云うが、少なくともゲルダに不快感やセイラへの不審を覚える事はない。洗脳されていない証拠として、ゲルダが前世の仕明(しあけ)吾郎次郎(ごろうじろう)の姿に変じる事は可能のままであるし、何より人生最大の愉しみである酒も好きなままであった。

 

 養母『塵塚』のセイラはゲルダとほぼ背恰好を同じくする人形であったが、近頃では肌の見た目が生身と変わらないほどに進化していた。しかしながら右目には槍で貫かれた無惨な穴が開いたままとなっており、その断面とそこから広がるヒビだけは磁器の質感のままである。

 以前、それとなく、その傷は()さぬのか、と訊ねた事があったが、どうやらセイラには穴を修復するつもりは無いらしい。

 蒼い左目が美しいだけに惜しいとゲルダは思うが、セイラにとっては主にして最愛の友と繋がった証(・・・・・)であるそうな。

 まさか共に魔界の将軍の槍に貫かれた意味では無いだろうが、一度だけ『水の都』のゲルダ姫の話をされた事があったが、“私ト姫ハ一体”とは如何なる意味があったのか、ゲルダには察する事は叶わない。

 母が多くを語りたがらないのを無理に聞き出すのも無粋であろう。

 ただセイラが自分とゲルダ姫を重ねている訳ではなく、一人の娘として愛してくれているのは理解しているので今はそれで十分だ。

 

『私、セイラ……今、ベビードールヲ…用意シテルノ』

 

「母者?! お、お待ちあれ! 流石にまだベビードールを着るのは恥ずかしゅうござる! 今、戻りますゆえ、くれぐれも早まった真似をなさらぬよう願いますぞ!」

 

 ゲルダは慌てて『転移』の術式を構築すると瞬時に姿を消した。

 

「げ、ゲルダ先生のベビードール…」

 

 後に残されたのは、珍しく慌てふためくゲルダに起きてしまい、彼女の口から出たベビードールという言葉に思わずそれを着たゲルダを想像して一人悶えるちょっとおませなカイム王子であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「むっ? ここは城の中庭か? 焦っておったとはいえ、ここまで座標指定にズレが生じるとは我ながら不甲斐無い」

 

 『転移』の精度の甘さに呆れつつ王宮へと足を進める。

 しかし数歩も行かぬ内に足を止めてしまう。

 

「ふむ、『転移』の制御に失敗したのではなく引き寄せられた(・・・・・・・)か?」

 

 ゲルダの四方を囲う薔薇の生け垣の後ろから、まるで鬼哭のように恐ろしげな風を切る音が複数響く。

 何者かが気合を発し、四方から唸るような音と共にゲルダ目掛けて飛来する。

 放たれた凶器を迎撃すべく『水都聖羅』を抜こうとして、咄嗟に身を伏せた。

 長年磨いてきた勝負の勘が、まともに受けては危ういと察したからだ。

 ゲルダは伏せながら周囲に氷の柱を複数展開して氷の林を作り出す。

 案の定、飛来物達は氷の柱を一本薙ぎ倒しただけでは止まらず、三本砕いて勢いを失い、四本目に絡んで止まった。しかし止まったと思いきや、近くにあった氷の柱が砕けたのである。

 

「これは…微塵(みじん)かな」

 

 氷の柱に絡む物を見てゲルダは少なからず驚いた。

 それは直系一寸強の鉄の輪に一尺ほどの三本の鎖が繋がっており、先端には八角に整えられた分銅がついていた。忍者が用いる暗器(隠し武器)である。

 

「敵は忍びか?!」

 

 ゲルダの声に呼応するかのように全身に黒装束を纏い、黒い頭巾で顔を隠した集団が踊り出た。

 

「おいおい、本当に忍者か。お主らは一体何者だ?」

 

 ゲルダの問いに答えず、黒尽くめの一人が微塵の鎖を一本持つと回し始めた。

 敵の数は四人、ゲルダの四方を囲んでいる。

 一人は風を切りながら微塵を振り回し、一人は十字手裏剣を大上段に構え、一人は鎖鎌を取り出し、一人は忍者が使う直刀を正眼に構えている。いずれも手練れだ。

 

「聖女ゲルダよな?」

 

 鎖鎌の忍者が誰何(すいか)する。

 四人の中でも小柄だと思っていたが、鈴を転がすような声にゲルダは、まだ年若い女かと察した。

 

「おうともよ。聖女を名乗るつもりは無いが、ゲルダとはワシの事よ。今一度問う。貴様達は何者か?」

 

「白虎」

 

 鎖鎌の少女が答える。

 続いて手裏剣遣いが「朱雀」、微塵遣いが「玄武」、直刀の忍者が「青龍」と名乗った。いずれも女の声である。

 

「畏れ多くも『四神』を名乗るか。不届きなやつばらめ」

 

「待たれよ」

 

 愛刀の鯉口を切るゲルダに青龍が押し止めるように右手を出した。

 

「青龍? 何のつもりだ?」

 

 どうやら青龍の動きは予定に無かったようで、白虎が困惑げな声をあげた。

 

「ゲルダ殿、我らの仲間にならぬか?」

 

「何を云い出すか、青龍?!」

 

 いきなりの勧誘に朱雀も驚きを隠せなかった。

 

「小手調べとはいえ、玄武の微塵から生き延びたゲルダ殿は殺すに惜しい。彼女の力は我らの元で生かすべきだと判断したのだ」

 

「今まで仕留め損ねた事のない微塵から逃れた事は私も驚かされたが、あの御方がお許しになるのか? 我らの使命は『聖女ゲルダの抹殺』であるぞ」

 

 玄武もゲルダの力量を認めながらも勧誘には同意しかねている。

 戸惑う仲間を無視して青龍は頭巾を外す。

 

「それに実を申せば知らぬ仲ではないのだ」

 

「何? ワシは貴様を知らぬぞ」

 

 青龍の素顔は予想通り女であったが、ゲルダの知己ではない。

 腰まで伸ばした黒髪を首の後ろで纏めている様は忍びとは思えぬほど品があり、顔立ちも瓜実顔(うりざねがお)のたおやかな美形であるが、やはりゲルダには見覚えがなかった。

 それよりこの違和感は何だ?

 ゲルダは笑いかける青龍の目を見て漸く気付いた。

 目だ。青龍に限らず彼女達の目は人の物とは思えなかったのだ。

 強膜は黒く、瞳が赤い上に瞳孔が四角となっていた。

 

「分からぬのも無理も無い。我らが知己を得たのは前世(・・)の事であるからな」

 

「なんと?!」

 

 青龍は刀を収めてゲルダに微笑みかけたものだ。

 

「お懐かしゅうござる。拙者、碁敵(ごがたき)であった風見(かざみ)六右衛門(ろくえもん)にござる」

 

「六右衛門?! あの町医者の風見六右衛門殿か?!」

 

「はい、まさか貴方ほどの人が暴れ馬に撥ねられて死すとは思いもしませんでしたぞ、仕明吾郎次郎殿」

 

「抜かせ。しかし、お主は何故転生し、あまつさえワシを襲撃した?」

 

 ゲルダの問いに青龍は直刀に代わって小太刀を鞘ごと腰から抜いて見せた。

 

「拙者には無念が一つだけあり申した」

 

「無念とな? 医者として多くの命を救い、貧乏人も分け隔てすることなく治療して、しかも有る時払いで良いと笑う人格者だったではないか。人からは“仏様”だ“生き神様”だと一身に尊敬を集めていたお主が何を悔いておるのだ?」

 

「確かに拙者は町医者として人々から賞賛されてきた。だが私にはもう一つの顔があったのです」

 

 青龍が小太刀を半分ほど抜く。刀身に彼女の悔恨に彩られた瞳が映る。

 

「拙者の家は代々冨田(とだ)流を継承してきたのです」

 

「おお、冨田流とは中条長秀様が念流を元に創意工夫をして小太刀の技を編み出された中条流の流れを汲む流派であるな。冨田勢源(せいげん)様を始め、冨田家に名人が多く輩出されたことでいつしか冨田流と呼ばれるようになったとか」

 

「拙者の家はその傍流にござるよ。しかしながら本流の冨田家では中条流を名乗っておられていると聞いてはいます。歴史の妙でござるな」

 

 青龍が笑った。

 

「して、お主の無念とは?」

 

「知れた事…拙者は冨田流の免許皆伝を許されながら、ただの一度も立ち合いをした事が無かった。父に稽古をつけられ、兄弟を相手に打ち合いをする以外に剣を交えた事が無かったのです。拙者の剣は兄弟の誰よりも強く速く、そして巧妙であった。最後は父に打ち勝った事で免許を得ましたが、それも家の中で全てが完結しており申した。我が剣はまさに“井の中の蛙”なのです」

 

「だが、医の道を進むと決めたのはお主であろう。それで剣の道に行きたかったと悔いるのは流石に同意しかねるぞ」

 

「ええ、拙者もそう思います。しかし七十五の夏に卒中で死に損ない、以来、寝たきりとなって死を待つばかりとなった時、猛烈なる後悔が我が心を蹂躙したのです。一度で良い。真剣による立ち合いをしてみたかったと」

 

 青龍は両の拳を握り締めて全身を震わせた。

 

「次第に衰えていく五感、糞尿を垂れ流すたび、それを処理する妻や嫁の迷惑そうな顔を見るだに湧き上がる屈辱と絶望の中で拙者にある誘いがあったのです」

 

「ある誘い?」

 

「そこまでだ! 喋りすぎだぞ、青龍! 我らの使命はあの御方から受けた恩に報いる事。それだけぞ」

 

 白虎がゲルダと青龍の間に入って会話を打ち切らせた。

 白虎は左手に鎌を持ち、右手で鎌と繋がった鎖分銅を回し始める。

 鎖が軋んで鳴ったが、そのうちに大気を裂く風音だけになった。

 ゲルダは半身の構えで『水都聖羅』を左手で顔の前で保持した。

 何故か右手を背に回している。

 

「心鏡流鎖鎌術……参るッ!!」

 

 分銅がゲルダの顔面目掛けてするすると伸びてきた。

 ゲルダが分銅を峰で叩くと鎖が刀身を絡め取る。

 

「今だ! 殺れッ!!」

 

「応ッ!!」

 

 頭を砕かんと微塵がゲルダを襲いかかる。

 

「仕明殿!」

 

 これがゲルダにとって長い戦いの幕開けであった。




 冒頭でゲルダが語って聞かせていたのは日本三大仇討ちの一つ、「曾我兄弟の仇討ち」です。
 最後は仇を討ったものの騒ぎをを聞きつけた武士に囲まれて兄の祐成が討たれ、弟の時致は取り押さえられて斬首にされるという悲劇で終わっているので、とても“めでたし、めでたし”にはならないのですが、子供であるカイムの為にアレンジしています。
 そもそも子供に「曾我兄弟」を聞かせるなという話ですがw
 ゲルダの頭は良くも悪くもお侍のままなんでしょうね。

 後半に出てきた白虎達は転生武芸者と呼ばれる敵です。
 才ある少女を妊娠させて、胎児に異世界から呼び寄せた武芸者の魂を植え付けた上で、母親を生贄にすることで前世よりも強く転生させる事ができます。母の灰は成長の糧に、魂は力の底上げに利用されてしまいます。
 皆、前世の無念を晴らす事しか頭に無いので、犠牲になった少女達に罪悪感を抱くどころか、憐憫も感謝もありません。“御苦労”と労えばまだマシな方で、果たして雷神とどっちが非情なんでしょうね。
 青龍こと六右衛門はゲルダの前世からの友人です。しかし剣を極めておきながら、それを披露することなく死ぬ事を後悔し、そこを付け入られて黒幕に転生させられたのでした。
 ゲルダを仲間にしたいのは本気ですが、転生の方法を知ったらゲルダは烈火の如く怒るでしょう。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第拾章 聖女対四神

「何ッ?!」 

 

 愛刀『水都聖羅(すいとせいら)』を躊躇う事なく手放したゲルダに白虎は驚嘆する。同時にニ尺六寸の剛刀が飛んだ。

 鎖分銅が白虎の手元に引き寄せられる間隙を縫ってゲルダが走り出し、直前まで彼女の頭部があった場所を微塵(みじん)が唸りをあげて通り過ぎる。

 しかし、今のゲルダに武器は無い。無手で組み付く気かと白虎がゲルダを迎え撃つ為に鎌を振り上げる。

 背に隠されていた右手には小刀が握られていた。『水都聖羅』の柄は上下に分離する事が可能であり、下部分には小刀が仕込まれていたのだ。並の刀でこのような仕掛けを施せば強度に問題が生じるが、『塵塚』のセイラ謹製の刀は素材も含めて規格外である為、何の支障も無い。

 

「南無八幡大菩薩!」

 

 ゲルダは転生して尚崇拝する武神に祈りながら小刀を地擦りに跳ね上げる。

 鎖分銅を遣う間合いを破られた白虎が鎌を振り下ろすがゲルダの方が一瞬早く脇腹を薙いだ。

 

「莫迦な……小刀が届く間合いでは……」

 

 白虎はゲルダの小刀がニ尺ほどまでに伸びているのを見て愕然とする。

 『水都聖羅』が意思を持つ刀であり、刀身が伸縮自在である事を知らなかったのが白虎の不運であり、命運を分けたのだ。

 

「くく…我が武運尽きるも…直心影流(じきしんかげりゅう)のゲルダ…愉しかったぞ」

 

 白虎は頭巾を外し、まだ幼い顔に壮絶な笑みを浮かべるや、まさに虎の如き咆哮をあげながら腰砕けに倒れて動かなくなった。

 ゲルダは青龍と同じく黒い強膜と赤い瞳を持つ目を閉じてやる。

 

「白虎を討ち取ったり! 次は(たれ)ぞ?」

 

 愛刀を拾い、小刀に戻った柄の下部分を納刀する。

 

「おのれ!」

 

 仲間の死に激昂した玄武が左右から同時に微塵を投げる。

 微塵の恐ろしさは下手に受けると鎖分銅に剣を絡め取られる上に、勢いが死んでいない残り二本の鎖分銅に頭などを打たれて多大な痛手をこうむる事にある。

 先程、微塵を止めた氷柱だけでなく、近くの氷柱が砕けたのもそのせいであった。

 しかし、相手の武器が微塵であると知れれば対処の方法などいくらでもある。

 ゲルダが飛来する微塵の分銅部分を打つと軌道が変わって明後日の方向へ飛んでいってしまったではないか。

 

「くっ! よもや、このような神業を見せられるとは思わなんだわ」

 

 玄武が懐から新たな微塵を出そうとするが、短い悲鳴があがり手を止める。

 なんと軌道を変えられた微塵の一つが朱雀を襲い、彼女の頭を砕いたのだ。

 

「朱雀ッ?! 貴様ァ!!」

 

「何を怒っておる? 朱雀を殺したのは貴様の微塵ぞ」

 

 そう云いつつゲルダはいつの間にか回収していた微塵を玄武に向かって投擲した。

 玄武は伏せる事で躱す事に成功するが、既に間合いを詰めていたゲルダに顎を蹴り上げられて昏倒する。

 速い。さながら獲物に襲いかかる餓狼の如き寄り身であった。

 

「斬らぬのですか?」

 

「聞きたい事があるでな。無論、お主にもだ」

 

 ゲルダは『水都聖羅』を下段に構える。

 対して青龍は小太刀を正眼に構えた。

 

「おお…おお…おおおお…」

 

 青龍の目から涙が滂沱のように溢れてくる。

 臆したのではない。前世を含めて初めての真剣勝負に感動しているのだ。

 

「この緊張感…敗北とは此即ち死という緊迫感…恐怖…昂揚…真剣勝負とは、立ち合いとは、このようなものでしたか」

 

「良いものではあるまい。ワシも仕明(しあけ)吾郎次郎(ごろうじろう)であった頃なら立ち合いで死すとも悔いは無かったが、今ではすっかり生き汚くなった。母者と暮らす穏やかな毎日は失い難き物よ。それを守る為ならワシは卑劣にも非情にもなろうよ」

 

「なんと?! それが藩随一の剣客、仕明吾郎次郎の言葉か!」

 

 青龍の顔に驚愕と落胆が入り雑じったものが浮かぶ。

 しかし、青龍の非難も何処吹く風のゲルダであった。

 

「今のワシはゲルダだ。世を眩ます為に前世の姿になる事はあるがな。六右衛門(ろくえもん)殿よ。今世に母はおらぬのか? 居るのなら大切に致せ。ワシは前世も今世も生母とは縁が無かったが、『塵塚』の母者こそはワシを大切に育ててくれた真に貴き御方よ。ワシのやりたいようにさせてくれたが、それでいて道を踏み間違わぬよう導いてくれた恩人だ。云わでもの事だが、ワシも母者を愛しておるぞ」

 

「拙者に今世の母はおり申さぬ」

 

 俯く青龍にゲルダは失言であったかと案じた。

 しかし、青龍の顔には哀しみではなく笑みがあった。

 

「まず我らが如何様にして転生したか説明せねばなりますまい」

 

 青龍は語る。

 文武に秀でた女子を妊娠させて胎児に選ばれた武芸者の魂を宿らせるのだと。

 武芸者の魂が新たな肉体に馴染むと“母”を操って護摩の中へと飛び込むという。

 

「待て。それでは死してしまうであろう」

 

「心配は無用です。灰になるのは“母”のみでござる。我らは燃え尽きた“母”から無事に生まれ申す。そして灰を喰らい肉体を最も力溢れる十代半ばへと成長させ、魂を取り込む事で前世を上回る力が手に入るのです。これぞ『異世界転生』の秘術。選ばれし者のみが許される再誕の儀式にござる」

 

 然しものゲルダも絶句させられた。

 この男、否、この女は自分が何を云っているのか判っているのか?

 未来ある若い娘を目的の為に孕ませるだけでも許し難い事ではあるが、あまつさえ母親を炎の中へ投じて転生するなどあってはならぬ蛮行である。

 しかしこやつ(・・・)はその事に罪の意識を抱くどころか、誇らしげ語っている始末だ。それも前世では多くの命を救ってきた医者がである。

 

「お主は今世の母者をどう思っておるのだ? 自分が転生する為に犠牲にした母の事である。ワシにはお主に罪の意識があるようには思えぬのだが?」

 

「罪とは? そもそも出産とは命懸けでござる。我ら(・・)が誕生の為に死ぬのは仕方なき事ではありませぬか。“子”の為に命を捨ててこそ“母”でありましょう」

 

 それに――青龍は嗤いながら続ける。

 

「“母”の死は無駄ではありませぬぞ。その体と魂は我ら『転生武芸者』の血肉となっており申す。むしろ“子”の糧となってこそ“母“の幸せではござらぬか。そうは思われませぬか、ゲルダ殿? いや、ここは敢えて吾郎次郎殿と呼びましょう」

 

「今のワシはゲルダであると申したはずだ。吾郎次郎は過去の人間よ。今のワシに取っては変装以外の意味は無い」

 

 ゲルダは改めて『水都聖羅』を正眼に構える。

 目の前に居るのは風見六右衛門(・・・・・・)ではない(・・・・)

 青龍の名を騙る外道である。生かしておいては世の為にならぬ化け物だ。

 

「貴様から聞きたい言葉は一つだけだ。母者、否、貴様の得手勝手な転生の犠牲になった娘御に詫びよ。そして再び死すが良い。せめてもの情けだ。ワシが死に水を取ってくれよう。かかって参れ」

 

 全身から濃厚な殺気を出すゲルダに青龍は身震いをする。

 前世(むかし)の自分であったなら腰を抜かしていたであろうが、今は明確に向けられている殺意と剣気が何とも心地良い。

 かつての友は転生して更に力を増したようだ。

 確かこの世界に転生して既に三百年も生きているらしい。

 その三百年(じかん)を無為に過ごしていた訳ではないようだ。

 否、自分の知る仕明吾郎次郎なら更なる研鑽を積んでいたに決まっている。

 たまらない。我が剣が三百年に渡る修行を無に帰すのだ。

 先程の言は撤回だ。これほどの剣客が仲間だなんてもったいない(・・・・・・)

 聖女ゲルダを斬って彼女の三百年をそっくり貰い受けてやろう。

 青龍は小太刀を頭の右横に立てて左足を前に出す八相の構えを取った。

 

「くかかかかかか、冨田流(とだりゅう)・風見六右衛門……参るッ!!」

 

 ゲルダの殺気に当てられて昂揚したのか、奇妙な笑い声をあげたものだ。

 

「化け物が我が友の名を騙るな。ましてや冨田流を名乗られては冨田家ひいては中条流も迷惑であろう。このゲルダの直心影流(じきしんかげりゅう)が邪剣を砕いてくれよう」

 

「じゃあッ!!」

 

 ゲルダの言葉に青龍が八相のまま走り出した。

 ゲルダに劣らぬ寄り身の速さだ。まさに小太刀術らしい戦法である。

 

「じぇいッ!!」

 

 奇声を発して小太刀が振り下ろされる。

 ゲルダはそれを愛刀で受け止めようとして、

 

(視線がおかしい?)

 

 と、察した。

 軌道はゲルダの脳天を捉えていたが、青龍の目が若干下を見ている気がしたのだ。

 違和感を覚えると同時に背中に氷塊を入れられたかのような悪寒が走って、ゲルダは後ろへ飛んだのである。

 ゲルダの左肩に鋭い痛みが走り、青いゴシック風のドレスを赤く染めた。

 青龍の小太刀がゲルダの左肩を掠めたのだ。

 

「ほう、流石は吾郎次郎殿。肩を捉えたと思いましたが勘のよろしい事で」

 

(あのまま受け止めようとしたら袈裟懸けに斬られていた)

 

 ゲルダの優れた観察眼と長年磨いてきた勝負勘が辛うじて致命傷を避けた。

 そして左肩を斬られた理由を察して、再び背筋を凍えさせる。

 

(斬撃の軌道を変えおった!)

 

 冨田流にはこのような恐るべき技があるのか。否、違うだろう。

 小回りの利く小太刀ゆえの兵法と転生で得た力を組み合わせて編んだ技か。

 そう指摘すると青龍は手柄を褒められた子供の様に顔を綻ばせた。

 

「ご明察にござる。小太刀術の技を怪力をもってより精巧に操る新たなる秘剣『飛龍』。天空を自在に舞う龍になぞらえて名付け申した」

 

 青龍は小太刀に付いたゲルダの血を舐める。

 途端に強い陶酔感に襲われた。

 

「おお…この芳醇な香りと甘み、転生してから数多の女を(・・・・・)喰らって(・・・・)参りましたが、これほど上質な血は味わえませなんだ。これは肉の方も期待できますな」

 

 青龍の告白にゲルダは答えない。

 だが内側では激しい感情が燃え上がっていた。

 

(愚かな…否、憐れな。力を得たところで人をやめて何になるのだ。やはり我が手で斬る事こそが情けか)

 

「青龍、いや、六右衛門殿よ。今一度、『飛龍』で参れ。玄妙なる技をもっとワシに見せてくれい。見事ワシを斬る事が出来たなら我が血肉を好きに致せ」

 

「おお、吾郎次郎殿にそう云って頂けるとは剣客冥利に尽きますぞ。では今一度、我が秘剣を存分に味わわれよ」

 

 自尊心を擽るゲルダの誘いに青龍が乗った。

 勝負の駆け引きにおいては、やはりゲルダに分があるようだ。

 青龍の不運はゲルダの血に酔ってしまった事、かつての憧れの存在であった吾郎次郎に秘剣を“玄妙”と賞賛されて舞い上がってしまった事だろう。

 ゲルダの意図に気付く事なく、青龍は再び八相に構える。

 

「参りますぞ! じゃあッ!!」

 

 奇声をあげ、烈風さながらに駆け出した。

 

「じぇいッ!!」

 

 ゲルダの脳天目掛けて小太刀が振り下ろされる。

 しかしゲルダは斬撃軌道が自在の剣を前に落ち着いていた。

 『飛龍』に弱点があるとすれば、狙った場所に青龍の視線が固定されてしまっている事だろう。もう少し研鑽を積めばそのような弱点を克服出来たであろうし、もしかしたら見当違いの場所に視点定めて相手を幻惑させる事も出来たのかも知れない。

 だが、既に技は発動し、現在の青龍の力量では一度の軌道変更が限界であった。

 ゲルダの首を狙った小太刀は『水都聖羅』に容易く受け止められたのだ。

 

「ぐっ?! 流石は吾郎次郎殿!」

 

「逃がさぬ!」

 

 退こうとした青龍であったが鍔迫り合いの恰好のまま離れる事が出来ない。

 青龍の動きに合わせてゲルダが押し込んできたからだ。

 

「は、離れぬ! これは面妖な」

 

 今度は逆に押し込めようとするが、ゲルダはそれに合わせて引く。

 まるで磁石のように両者の剣が絡んで動く事は叶わない。

 

「吾郎次郎殿?! 何をした?! 此は妖術か?!」

 

「無礼な。ワシは剣の勝負に魔法は用いぬ。少女を喰らって得た怪力を自慢する貴様と一緒にするでないわ」

 

「お、おのれ!!」

 

 青龍はそれこそ怪力でゲルダを押し潰そうとするが、巧みに力を逃がすゲルダの技術に翻弄されるばかりであった。

 

「な、何故? 何故、刀が離れぬのだ?! 引くも押すも出来ぬ!」

 

 押すと見せ掛けて引こうとするもゲルダはそれに合わせて『水都聖羅』を小太刀から離さない。また逆も同様の結果に終わった。

 秘密は呼吸にある。

 ゲルダは勝負が始まってから相手の呼吸と自分の呼吸を合わせていたのだ。

 相手と呼吸を合わせる事に加えて、相手の構え、視線の向きなど諸々の情報から技の意図、発動の間合いを推理していたのである。これは相手の未知の技を読む事にも遣え、先程の『飛龍』も掠らせはしたが見破ったのも、この秘剣のお陰であった。

 秘剣。そう、この呼吸もゲルダが編み出した秘剣の一つである。

 泰然と構え、敵の技を悉く見切る事で相手の心に焦燥が生まれるのだ。

 そして今のはその応用で鍔迫り合いに持ち込み、敵の剣を絡め取ってしまったという訳だ。

 こうなったが最後、敵は追い詰められ、ついには焦りから自滅してしまう。

 その隙を突いて敵を斬る。まさに恐るべき秘剣である。

 また泰然と佇むゲルダの姿に、如何なる風雨もしなやかに受け流して折れることのなく凜と咲いている花の姿を連想してセイラから秘剣『花一輪』の名を与えられたという。

 

「くっ…化け物か」

 

「貴様に云われとうないわ。ほれ、(せな)に気をつけい。薔薇の生け垣に突っ込むぞ。その薔薇は一度魔物に変じたのを戻した特別製でな。ソレの棘は鋭くて痛いぞ? おまけに毒もあるでな」

 

「何と?!」

 

 青龍は思わず後ろを見るが、生け垣どころか何も無かった。

 その事に拍子抜けし安堵するが、その為に僅かに隙を生んでしまう。

 

「ほれ」

 

 なんとゲルダが不意に『水都聖羅』を引いたので青龍の体が前に流れてしまう。

 

「しまっ?!」

 

「終わりだっ!」

 

 体勢を整えようとする青龍であったが、それを見逃すゲルダではない。

 自分の背中に叩きつけるように振り上げた『水都聖羅』を、その反動を利用して振り下ろす。その切っ先は青龍の脳天から股間まで真っ直ぐに斬り裂いた。

 

「お、恐るべきは吾郎次郎…否、聖女ゲルダ…我ら四神衆、悉く斃されたり…」

 

 青龍は左右に両断される壮絶な最期を迎えた。

 

「今度こそ安らかに眠れ、風見六右衛門。さらばだ」

 

 ゲルダは青龍の屍を修復すると目を閉じてやる。

 そして魔法で指先に水を作り出すと口元を潤す。

 宣言通りに死に水を取ったのだ。




 今回は難産でした。
 戦闘シーンに納得がいかずに、一行書いては考えて、一行書いては消してを繰り返していたら、いつの間にか前回から十日も経ってました(汗)

 一応、脳内で戦闘をシミュレーションして、あたかも見たように書くのが私の書き方なのですが、文才の無さの哀しさで、臨場感が出せているか分からないのですけど、皆様はどう感じられたのでしょうか?
 さて、白虎を斬り、青龍を斃しましたが、敵はまだ刺客を斃されただけなので痛くも痒くもありません。敵の目的は一体何であるのか、次第に明らかになっていくでしょう。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第拾壱章 勝利の褒美

「こ、()は何事?!」

 

「黙っておれ。今は弔いの最中よ」

 

 覚醒した玄武は氷で作られた唐丸籠で拘束されている事に困惑の声を上げた。

 しかしゲルダはそちらに見向きもせずに経を唱えている。

 ゲルダの前に先程の戦いで命を落とした白虎、朱雀、青龍の三名が横たわっていた。遺体はいずれも修復を施されて生前の美しさを取り戻している。

 流石に聖女と呼ばれるゲルダといえども蘇生などという奇跡は起こせぬが、損傷の激しい遺体を生前と変わらぬ姿に修復する『エンバーミング』という魔法の心得はあった。

 

「は、般若心経でござるか」

 

「法華経の方が好みか? だが生憎初めから最後まで正確に暗記している経はこれだけでな。後は南無阿弥陀仏と繰り返す事しか出来ぬぞ」

 

「いえ、バオム王国なら雷神信仰が主流かと思ったまででござる」

 

「戯け。『水の都』はバオム王国の領内ではないぞ。今でこそ、どこの地図にも記されておらぬ空白の地であるがな。過去は立派に独立した国家であった。それ以前にお主とてワシが異世界よりの転生者であると承知しておったのではないのか?」

 

 ゲルダは白虎らの遺体に一礼してから玄武へと向き直る。

 金色の瞳に射竦められて玄武は身を震わせた。

 

「時にお主の名は?」

 

「玄武と名乗ったが…」

 

「親から貰った名を聞いておる」

 

「今世ではベロニカ…前世の名をお訊ねであるならば仕明(しあけ)一郎太(いちろうた)にござる」

 

「仕明とな?」

 

 前世と同姓であった玄武にゲルダは少なからず驚いた。

 珍しい苗字ではあるが一族以外に居ない訳ではない。

 じっと玄武の顔を見ると彼女は気不味そうに目を逸らした。

 

「ふむ、どことなく孫娘の面影が有るような無いような…これ、一郎太、そなたの顔は前世と変わりは無いかのぅ?」

 

「生憎と前世は自宅警備員、ニートでござる。色々と資格は取ったものの生来のコミュ障ゆえに仕事が長続きせず、いつしか引き籠もるようになり…気付けばどこに出しても恥ずかしいメタボになって(そうろう)。今の顔とは似ても似つかぬでござるよ」

 

「にー…めかぶ?」

 

「要は仕事もせずに家に引き籠もっていたのでござるよ。我ながら恥ずかしい過去でござるがな。あと、めかぶではなくメタボでござる。早い話が健康を損ねるレベルで太っていたのですな」

 

 玄武、いや、ベロニカの説明にゲルダは痛ましそうに彼女を見る。

 

「浪人であったか。しかし、それで太るものか? 一体、お主は如何にして糧を得ておったのだ?」

 

「それは……親の脛を……」

 

「何とも情けない! 善くもまあ、それで六右衛門(ろくえもん)の云う『転生武芸者』に選ばれたものよ」

 

「あいや拙者は前世の記憶がありますが『転生武芸者』ではないですぞ。親の紹介である寺院に奉公に出たのでござる。前世で得た資格が今世になって漸く花開いたのか、色々と小器用に働く事が出来ましてな。ありがたい事にそれで重宝されて今に至っているのです」

 

 云われてみればベロニカの目は他の三人と違い常人のそれであった。

 歳は十五、六か。お世辞にも美人とは云えないが人好きのする愛嬌がある。

 大きな団栗眼は囚われの身となった不安が見え隠れするが、悪意は見えない。

 肩で揃えた金髪をオールバックにしている。ゲルダとしては折角綺麗な金髪を持っているのだから伸ばせば良いものをと思わぬでもないが、それを云ったら自分とて剣を振るのに邪魔だと短くしているので余計な事は云わない。

 万が一にも養母である『塵塚』のセイラの耳に入ろうものなら、一夜にしてゲルダの髪は腰或いは膝裏まで伸ばされてしまうだろう。

 以前など、うっかり“月代(さかやき)をしてさっぱりしたい”と口走った日には血の涙を流して無言の抗議をしてきたものである。

 あれは流石に怖かった。やはり母としては女らしく育って欲しいらしい。

 

「その小器用な奉公人が何故(なにゆえ)、刺客となったのだ?」

 

「場の勢いでござるな」

 

「場の勢いとな?」

 

 予想外の答えにゲルダの顔が弛緩したものとなった。

 敵は雰囲気で刺客を決めるいい加減な組織なのか?

 ゲルダの様子に呆れている事を察したベロニカが言葉を続けた。

 

「いや、元々他に玄武は(・・・・・)いたのです(・・・・・)。ただ拙者が何故か検分役を命じられましてな。まあ、刺客と同行する訳ですから命懸けでござる。しかしながら危険手当が美味しかったので二つ返事で引き受けた次第ごござるよ」

 

「お主の組織はいい加減なのか、しっかりしているのか、分からぬな。して、その検分役が何故?」

 

「単純に拙者が玄武(・・)より強かったから…としか云えませんな」

 

 ゲルダは思わず感嘆の声を漏らした。

 微塵(みじん)を操る様は確かに一端の武芸者と呼ぶに相応しい力量を備えていた。

 ベロニカは『転生武芸者』と肩を並べるだけの実力と認められていたらしい。

 

「初めは玄武に“検分役など邪魔だ”と云われましてな。足手纏いと思ったのでしょう。しかし、こちらも生活がかかってますので引くに引けず、そうこうしていると鬱陶しく思ったのか、朱雀が“適当に追い払ってしまえ”と云い出しましてな」

 

「それで力尽くにきた玄武を返り討ちにしたという訳か」

 

「拙者も乱暴にはしたくはありませんでしたが、どうやら今世は前世で習った事を十全に使い熟す事が出来るようでしてな。前世ではまともに出来なかったパルクールで攪乱して玄武の息が上がってきた所に、前世では子供にすら勝てなかった空手の正拳突き一発で伸してしまったのでござるよ。まあ、転生して得たチートのようなものかも知れませんな」

 

「ぱる…ちーと? お主の言葉はよう分からんのう。ともあれ、勝利したお主は玄武の名を譲り受けて刺客の一員となった訳か」

 

「譲り受けたというか、白虎に“今からお主が玄武(・・)だ”と云われ、あれよあれよという間に『水の都』に来てしまったのですな」

 

 確かにそれでは場の勢い(・・・・)だ。

 玄武のみを殺さずに捕らえたのは『転生武芸者』では無い事に加えて、ある意味においては憐れな境遇の少女を救わんと本能が見抜いていたのだろう。

 

「ちなみに本来の玄武は拙者に負けた事を恥じたのか、一剣のみを持って武者修行の旅に出てしまいましたぞ。確か田宮流居合の遣い手であったとか」

 

「なんと、田宮流とな」

 

 居合或いは抜刀術は林崎甚助重信が工夫して編み出した云われている。

 その甚助に師事した田宮平兵衛重正が居合の奥義を修得し、後の田宮流となった。

 ベロニカには悪いが、ゲルダとしては田宮流の名人と戦ってみたかったと残念に思ってしまったものだ。

 

「どうやら『転生武芸者』は定期的に若い娘の生き血を摂取する事で若さと力を維持しておるようです。嗜好的にも合っているようで、青龍などはどこぞで攫ってきた若い娘の腹を裂いて旨そうに内臓を生で喰らっていましたぞ」

 

「左様か。どうやら『転生武芸者』は情けをかけて良い相手ではなさそうだ。否、これ以上悪鬼の所業を繰り返させぬ為にも終わらせてやるのが情けであろうな」

 

 武者修行に出たという田宮流の者もいずれは見つけ出して始末せねばなるまい。

 ゲルダは厄介な存在を生み出した寺院とやらを憎まずにはおれなかった。

 

「それでお主が奉公している寺院とは何だ?」

 

「さあ、両親が帰依している関係で奉公に出ただけで詳しくは存じかねます。表向きはあらゆる貧者を救う回向寺でしたな。実家も含めて多くの貴族や商家が寄進しておりかなり潤っているように見受けられましたぞ」

 

「なるほど…糧を求めて多くの貧者が寺院に集まり、『転生武芸者』の母胎となる娘を得ていたという事か。想像に過ぎぬが(たね)の出所は出資者ではあるまいかな。寺院は懐が潤う上に『転生武芸者』を量産でき、出資者は若い娘を抱ける。巧い絡繰りを編み出したものよな」

 

 ご明察かと――ベロニカはゲルダの推測を肯定した。

 

「ちなみに女の出資者には若い男を宛がっていましたぞ」

 

「余計な事を云わんでも良い。いや待て、するとお主の親は」

 

「心配は要りません。両親は共に堅物ではありますが心優しい人達ですぞ。寺院への出資も貧しい者達へ糧を与え、更には仕事も周旋している寺院の活動に感心しての事でござる。拙者を奉公に出したのも寺院にて慈悲の心を学ばせる事が目的でござる。実際は裏で恐ろしい企みがあった訳ではありますが……」

 

 預かったベロニカが予想を超えて有用であった為に寺院の中で順当に出世していったのであろう。だからといって、このような若い娘を検分役に抜擢するのは如何なものかと思わぬでもないが。

 或いはベロニカも母胎にされていた可能性もある。

 ただベロニカ自身が『転生武芸者』に匹敵する実力まで備えていたのは流石に予想外であったに違いない。

 

「その寺院の正体は何なのだ? ワシを聖女として排除しようとしていた事から『雷神』か、バオム王国の敵であるのは明白であるがな」

 

「それは手前にも分かりかねます。拙者とて寺院の裏を見たのはつい三日前なのです。拙者に出来たのは四神衆に同調して刺客になりきり身を守る事だけでした」

 

 然もありなん――ゲルダはベロニカの置かれた状況を想像して責める気にはなれなくなっていた。

 

「放て」

 

 ゲルダの言葉をキーワードにして氷の唐丸籠が消滅した。

 自由になったベロニカはゲルダの真意が読めなかったのか、訝しんでいる。

 

「拙者を処さぬのですか?」

 

「お主を斬ったところで状況は変わらん。ならば無用な殺生はせぬよ」

 

 ゲルダは既にベロニカから悪意や害意が無い事を見抜いている。

 むしろ才ある少女を寺院から救いたいとすら思っていた。

 

「お主は今後どうするね。その気があるのならワシが保護してやっても良いぞ」

 

「その申し出は有り難いのですが、色々と迷惑をかける事になりますぞ。拙者は寺院の裏を知り、あまつさえ刺客の任務を失敗したのです。おそらく拙者を始末するか、捕らえる為の刺客が送り込まれてくるでしょう」

 

「それを申せば元々狙われていたのはワシぞ。ならば逃げたお主の身を案じておるより、生活を共にして協力した方が有益であろうさ。違うか?」

 

 つい先程まで命の遣り取りをしていた相手にゲルダはニコリと微笑んだ。

 ベロニカは一瞬だけ両親の顔が脳裏によぎったが、刺客となった時点で決別の手紙を送っていたからか、すぐに腹を決めた。

 

「お世話になりますぞ。取り敢えずこれは当面の生活費にござる」

 

「預かろう。これでお主は気兼ねする事なくこの城に滞在するができよう」

 

 ベロニカは手持ちの全財産を気持ち良く受け取ったゲルダに感心した。

 彼女の慈悲は本物だ。同情も遠慮も見せずにさっぱりと金を受け取るゲルダを心から信用すると決めたのだった。

 事実、後にこの二人はセイラ立ち合いの元、義兄弟の杯を交わす事になる。

 

「さあ、疲れておるだろうが白虎らを弔わなければな。埋葬を手伝ってくれ」

 

「はい、お任せあれ」

 

 念話で従者を呼んでも良いが、斬った者の責任として自ら葬るのがゲルダのポリシーであった。ただベロニカも四神衆の一人であったし、何より自分だけが作業して彼女を放置しては気不味い思いをさせるだけであろうと手伝って貰う事にしたのだ。

 

『お待ち下さい』

 

「む?」

 

 制止の声にゲルダは動きを止める。

 

「今の声は六右衛門殿か? まだ成仏しておらなんだか?」

 

『いいえ、私はセイリュウでもロクエモンでもありません。私の名はトレーネと申します。セイリュウの転生の為に灰となった者でございます』

 

「なんと」

 

 見れば青龍の遺体の上に半透明になった少女が浮かび上がった。

 その顔立ちは青龍そのものであったが、やや垢抜けた印象を受け、何より特徴的であった目が人のそれとなっていた。

 つまり告白通り青龍転生の犠牲となった少女の成れの果てと思って良いだろう。

 

『ゲルダ様がセイリュウらを斃して下さったお陰で私共の魂は解放されまして御座います。その感謝をお伝えしたく推参致しました』

 

「そなたらを救えたのは偶然よ。だからな、そんな事は気にせずに成仏する事だ。天国或いは新たな人生で今度こそ幸せを掴めるよう祈っておるぞ」

 

『もったいない事です』

 

 頭を下げるトレーネの両隣にやはり半透明の少女が二人現れた。

 いずれも白虎、朱雀と似た姿形である。

 

『就きましては我ら談合の末、ゲルダ様に感謝の証を贈りたいと存じまする』

 

「左様か」

 

 ゲルダにはもう遠慮する気は無い。

 あまりに固辞し過ぎて、それがトレーネ達の未練となっては本末転倒である。

 

『セイリュウが命を落とした際に彼らの魂から剥がれ落ちた物が御座いまして、どうやら転生で我らの魂を取り込んだ際に生じた特典(・・)とも云うべき力のようです。このような物をお礼に差し上げるのは如何なものかと迷いましたが、これから激化していく『転生武芸者』との戦いでゲルダ様の一助になればと愚考致した次第で御座います。お納め下さいませ』

 

 トレーネ達の胸から都合三個の光の球が現れてゲルダの体へと吸収されていった。

 その瞬間、ゲルダの体の奥から力が湧き上がるような感覚が起こる。

 同時に三つの技術が手に入った事を理解した。

 

「むんッ!」

 

 ゲルダの両腕から氷の鎖が現れる。その先端は球体となっていた。

 

「そりゃッ!」

 

 ゲルダは暫く氷の鎖を振り回していたが、不意に中庭の木へと鎖を伸ばした。

 枝に命中する直前に先端の球から鉤爪が生えて枝を掴む。

 途端に鎖が縮んでゲルダが宙へと引き上げられた。

 

「ほほう、思い付きでやってみたが出来るものよのう」

 

 ゲルダの身は木の枝の上にあった。

 この鎖は攻撃に遣うだけではなく、こうして高所への移動にも遣えるようだ。

 

「鎖分銅を自在に操る白虎の能力がワシの魔力の属性と合わさった事で氷の鎖を操れるようになったようだな。ふむ、この新たな力を『氷百足(ひむかで)』名付けるか」

 

 続いて氷の礫を周囲に展開すると城のあちこちに的が出現する。

 

「実際に見る事は無かったが、投擲物を自在に操る朱雀の能力は如何程のものか」

 

 ゲルダの周囲を浮遊していた礫達が一気に撃ち出されて的を次々と射抜いていく。

 今度は氷の鎖を操って凄まじい速さで移動しながらも正確に的を射抜いた。

 しかも中には軌道を大きく曲げながら的に当たる礫まである。

 早くも遣い熟している様子だ。

 

「相手は動かない的とはいえ命中率は申し分無いな。動く的を用いた訓練は日を改めるとして、実戦にも耐えうると見てよかろうよ。氷の冷たさと燕の如く敏捷に飛来する礫に相手は心胆寒からしめるであろうことをかけて『寒飛燕(かんひえん)』と名付けよう」

 

 最後に愛刀『水都聖羅(すいとせいら)』を小太刀に変えて振るう。

 その動きに無駄は無く、舞っているかのようなゲルダの姿にベロニカは暫し見惚れる事となった。

 

「六右衛門殿よ。そなたが遺した小太刀術の工夫、貰い受けるぞ」

 

 次いで『水都聖羅』を分離させ、更に大刀と小太刀の二刀を持って演武を続ける。

 力強さと繊細さ、そして美しさとは同居させる事が可能であったかとベロニカは知らず涙を流してゲルダの動きを見詰めていた。

 いや、ベロニカだけではない。トレーネ達ですら血が通っていないはずの頬を赤く染めてゲルダの演武を見ていたものだ。

 

『私、成仏やめてゲルダ様にお仕えしようかな』

 

『あ、ずるい。ならアタシだって!』

 

『貴方達、この空気でこの世に迷うつもりなの?』

 

 トレーネが二人を窘めるが、思わぬ反撃を受ける事になる。

 

『じゃあトレーネだけ成仏しなよ。私はゲルダ様にお願いするから』

 

『そうだね。アタシも頼んでみようっと。トレーネは天国で見守っていてね』

 

『ぐぬぬぬぬ……そ、そういえばゲルダ様に感謝の言葉をお伝えしたけど、お別れの挨拶はまだだったわね?』

 

 数時間後、人形の体を得た新たな従者が三体生まれる事となるが、それは別の話である。




 戦闘後の後始末のお話でした。
 玄武ことベロニカが新たな仲間となりました。
 前世の仕明一郎太は吾郎次郎の子孫です。
 ゲルダも何となく自分との繋がりを感じて斬るのを躊躇ったのでした。
 令和の時代から転生したニートでしたが、資格マニアの一面もあって取れるものは取っていました。
 幼い頃から凄まじい虐めにあったせいで人が怖くなってしまい、就職が出来ても長続き出来ずに就職と離職を繰り返している内に引き籠もりになってしまったという経緯があったりします。
 けど自分でもそんな自分を何とかしなければと資格を取ったり、自信をつける為に通信教育で格闘技を習ったりしていましたが、実を結ぶ事はなく、ついにはメタボから色々と病気を発症してしまい三十歳手前で命を落としてしまいました。
 何故か前世の記憶を持ったまま転生をしてしまい、厳しくも優しい両親に囲まれて比較的裕福な家で育ちました。
 後にゲルダと抗争する事になる寺院に奉公に出されましたが、そこで前世で学んだ事が花開いて大活躍する事となり、良い母胎になると暗部に引き込まれてしまいます。
 結果は辛かった前世の分だけ恵まれたのか、恐ろしく強くなっていたので、まだ転生して間も無い為に力を完全に取り戻せていなかった玄武との決闘で勝ってしまいました。
 その後は知っての通りですw
 ちなみに微塵を遣えるのも通信教育の『忍者入門』のお陰です(おい)
 今後も前世の通信教育のお陰で危機や困難を乗り越える事となるでしょう(爆)

 さて、後半のゲルダのパワーアップは結構悩みました。
 只でさえ強いのにチートを与えて良いものかと数日筆を止めてましたが、家族がゲームのロックマンをやっているのを見て、斃した敵の能力を奪うくらい普通かと結局開き直ってパワーアップさせました。

 トレーネ達も能力と一緒に『転生武芸者』の元になった女の子の魂も救ってハーレム作ろうと暴走した結果、従者となりました。ただ百合ハーレムを作るか迷いながらも、前段階で『水の都』の怨霊に人形の肉体を与えて従者とする伏線だけは張っていたんですけどね(苦笑)

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第拾弍章 兄と弟

 時間は一旦現在に戻る。

 純白にして荘厳なバオム城。

 しかし美しい地上部分とは裏腹に地下は罪人、特に政治犯や重罪人を収容した頑強なる牢獄が存在していた。

 その中でも罪を犯した王族や貴族の専用区域がある。

 牢獄でありながら衣食住は保証されており、調度品も揃っていた。

 独居房という体裁ではあるが客室と呼んでも差し支えはないであろう。

 囚人も拘束されている訳ではない。不便があるとすれば用足しや入浴に見張りがつく事であるが、実際には見張りと云うよりは世話役である。

 ただし脱獄を図ろうものなら、その世話役は忽ち刺客へと変わると明記しておく。

 さて、その貴人区域で一つの騒動が起こっていた。

 

「兄上! クノスベでございます! 兄上!」

 

「お待ちください! 王子ともあろう御方が足を運んで良い場所ではありませぬ」

 

 バオム王家第ニ王子クノスベが血相を変えて地下牢に姿を見せたのだ。

 その顔は蒼白であり、入口を見張っていた騎士は初めは幽霊でも現れたのかと胆を潰したものである。

 宥める騎士を振り払うようにクノスベ王子は兄カイム王子が収容されている独房へと歩を進めていた。

 ここに来るのは聖剣を紛失した咎により切腹を命じられた兄を嘲笑う為に来て以来であったし、その時は“もうお会いする事は無いでしょう”と冷たく云い放っていたものである。

 

「兄上!」

 

 相手が王子である為に触れる事が出来ず、ただ宥める事しか出来ない騎士に拘束力は皆無であった為に数分後にはクノスベ王子はカイム王子の独房へと辿り着いた。

 

「な、何だ、これは?!」

 

 カイム王子の独房の鉄格子は茨に覆われていて中を見る事は出来なかった。

 さながら童話で囚われの身となった姫のようである。

 

「あ、兄上はどうなっている?! 御身は御無事なのか?!」

 

 カイム王子の見張り役を問いただすが、見張りは曖昧に首を振るだけである。

 埒が明かぬと騎士達に茨を取り除くように命じた。

 不気味な茨に逡巡を見せていた騎士達であったが、同行していたクロクスが剣を抜いて瞬く間に茨を切り刻む。その手並みと勇猛さに周囲から感嘆の声があがった。

 クロクスは今でこそバオム騎士団の中でも抜きん出た存在であるが、数年前までは騎士の家系であったから騎士となっただけという落ち零れであった。

 本人も努力をしていたし、家族や同僚もそれだけは認めていた。だが中々上達が見えずに仲間から取り残されていってしまい、ついには側室にしてバオム騎士団の団長であるレーヴェからも匙を投げられてしまったのだ。

 しかしカイム王子の指南役として突如として現れたゲルダに師事するように云われ、畏れ多くもあったがカイム王子と共に稽古をする事となった。

 彼女の課す稽古は基礎の反復を只管に繰り返すだけであり、やる事と云えば朝から晩まで素振りや走り込みのみであったのだ。

 またゲルダの指導は厳しく、剣の振りがぶれると容赦無く袋竹刀で“肘が曲がっておる”だの“腰が流れておる”だの叩きながら矯正するのである。

 このような稽古で強くなれるのかと内心は不服であったが共に稽古をしているカイム王子が一言も文句を云わずに同じ、否、倍の数も素振りをこなしているので文句も云えず、逃げる事も出来ずにいた。

 地味と思える基礎鍛錬であったが始めて二ヶ月もすれば重いと思っていた木刀も軽くなり、体の動きも滑らかになっている事に気付かされる。

 その頃になると木剣の先端に鉄の輪をはめて更に負荷をかけてきたが、それでも素振りを千本こなすのは苦痛では無くなっていたのだ。

 稽古開始から三ヶ月過ぎると打ち込み稽古も導入されるようなる。

 そこでもゲルダは手心を加えてはくれず、カイム王子共々血反吐を吐く毎日だ。

 いくら木剣や刃引より安全といっても皮革を被せた竹の棒で叩かれてはやはり痛い事に変わりなく、傷が疼いて眠れぬ夜を何度も経験したものである。

 しかもゲルダは稽古中にアドバイスらしい事を伝える事はない。

 ただ只管に打ち据えられ圧倒的なまでの力量の差を見せ付けられるだけであった。

 いい加減にゲルダの稽古が嫌になってきたクロクスであったが、ある日の事、信じられない光景を目の当たりにする事になる。

 なんとカイム王子が凄まじい速さで振り下ろされる袋竹刀に臆する事無く素早く身を寄せてゲルダの胴に一撃を入れたのである。

 

「カイム、寄れ」

 

 カイム王子を呼び寄せるゲルダに、王子とはいえ弟子が師に一撃を入れたのはマズかったかとクロクスは内心気を揉む事になったが、ゲルダがカイム王子の頭を撫でて優しく微笑んだので拍子抜けした。

 

「ようやってのけた。今の『飛び込み胴打ち』は良かったぞ」

 

「ありがとうございます! これもゲルダ先生の“近くにこそ安全な場所はあるものだ”や“技を発動した直後にこそ最大の隙が有る”というヒントのお陰です!」

 

 莞爾として笑うカイム王子にクロクスは金槌で頭を殴られたような衝撃を覚えた。

 ゲルダは決して打ち据えるだけでは無かったのである。

 稽古の中でヒントとなる言葉を随所に散りばめていた事に漸く気付かされたのだ。

 そしてカイム王子はゲルダの言葉を一言一句聞き逃さずに手掛かりとしてゲルダの上段打ちを破るだけの成長を遂げたのであった。

 ああ、なんて不甲斐無い。自分は折角稽古をつけてくれているゲルダに不満を募らせるだけで彼女の言葉をどれだけ聞き流してしまっていたのだろう。

 クロクスは己の情け無さに涙を流してゲルダに、否、二人に平伏した。

 

「申し訳ありませんでした! 私は日々の稽古を不満に思うだけでゲルダ様の意図に気付く事が出来ませんでした。これからは心を入れ替えて精進致しますので、今後も御二方と共に稽古をさせて下さい!」

 

 クロクスとしては破門を云い渡されても仕方ないと思っていたが、その覚悟は無駄となった。

 

「顔を上げい。それに気付けずに道場から去っていった者も少なくない中でお主は気が付く事が出来た。そのような弟子を破門にする理由はない。これからもしっかりと精進せい」

 

「そうだぞ、クロクス。折角出来た兄弟弟子がいなくなるのは私も寂しい。今後も私と共に切磋琢磨していつか立派なバオム騎士となって我が王国を守ってくれ」

 

「ゲルダ様! カイム王子! ありがとうございます!」

 

 クロクスは泣いた。男泣きに泣いた。

 その後のクロクスは宣言通りに命懸けで稽古に打ち込むようになり、いつしかバオム騎士団の中でも頭角を現すようになっていったという。

 そんなクロクスによって茨は細切れとなるのは当然の事であった。

 

「あ、兄上!」

 

 茨を斬ったクロクスを押しのけてクノスベ王子は独房の中を覗く。

 しかし中にはカイム王子の姿は無かった。

 その代わり、他の独房よりも充実した調度品が数多く備えておりワインや寝心地の良さそうなベッドまである始末である。

 王子とはいえ至れり尽くせりにするにも程があるだろう。

 

「こ、これは…いや、それより兄上はどうした?!」

 

 問い詰められた牢番は云いづらそうに答えたものだ。

 

「いやあ、その…この時分だと“飲む”か“打つ”か…“買う”事は無いと思いますが…」

 

「待て! まさか兄上は自由に牢を出入りしておられるのか?!」

 

「拙者を責められても困りますぞ。これは国王様のご命令にござる。“悪を見て悪を知らねば悪を取り締まる事は出来ぬ”という教えを実践しておられるのです。今後、王を継ぐにしても悪を仕切る悪(・・・・・・)と誼を結ぶ事は悪い事ではありませんぞ。早い話が必要悪ですな。“浜の真砂(まさご)は尽きぬとも世に盗人の種は尽きまじ”と申します。清濁併せて呑み込む器量を持たねば務まらぬのですから王様になるというのも大変ですな」

 

 牢番は胸倉を掴まれながらものほほんと答えたものだ。

 これにはクノスベ王子も目が点となった。

 今、この牢番は“王を継ぐ”と云ったか?

 それは自分の事ではなく切腹を命じられた兄の事を指しているのは流石にクノスベ王子でも察する事ができた。

 

「騒がしいぞ。私の不在が周囲にバレたらどうする?」

 

 声のした方を見れば蜂蜜のように艶やかな金髪を背に流した美しい女性がいた。

 身の丈は恐ろしく高いが、細身である為か厳つい印象は受けない。

 いや、この声には聞き覚えがある。ましてや牢に入れられるまでは毎日のように見合わせていた顔がそこにあった。

 

「あ、兄上か?! そ、そのお姿は?!」

 

 母レーヴェの凜々しさと父王の柔和な目鼻を受け継いだ兄カイム王子がドレス姿で立っていたのだ。

 

「クノスベか。知れた事、牢内にいるはずの私が“王子で御座い”といった恰好そのままで街を歩く訳にはいかないだろう。変装だ、変装」

 

 逆にクノスベ王子が目の前にいる事に驚く事無く髪を首の後ろで括る。

 ドレスを脱いだカイム王子は下に騎士服を着ていた。

 この長身で女装をしたら逆に目立つのでは、とクロクスは訝しんだが、騎士として王子に恥を掻かせる事もあるまいと口を噤んだ。

 

「それでクノスベ、お前がここにいるという事は聖剣でも(・・・・)盗まれたか(・・・・・)?」

 

 いきなり核心に触れられてクノスベ王子は肛門から魂が抜けるほど仰天した。

 兄は自由に動けるようだが、それにしても情報が早過ぎる。

 聖剣をゴロージロなる怪人に奪われたのが午後であり、今は日の入りの時刻だ。

 いくら何でも馬を休ませずに一気に駆け抜けた我々より情報が先に届くなんてあり得ない話である。

 

「しかし世の中儘ならぬものだな。ゲルダが我が元から離れて約一年、漸く深い深い水底から大魚が動いたと思ったら釣れたのがクノスベ、お前だったとは…」

 

 牢番にドレスを手渡しながらカイム王子は憂い顔で溜め息をついたものだ。

 対してクノスベ王子はわなわなと震えて言葉が喉から出てこない。

 聞きたい事はいくらでもあったのに今や完全に頭が真っ白になっていた。

 そこへクロクスが挙手をする。

 

「発言をお許し頂けますか?」

 

「水臭い事を云わないでくれ、クロクス。君と私は同じ師の元で学んだ兄弟みたいなものだろう? 公式の場でなければ五分の付き合いをしたいのだよ、私は」

 

「畏れ多い事です。では、切腹のお沙汰は嘘という事ですかな?」

 

「沙汰自体は本物だ。だが、態々私の元から聖剣を盗むとしたら同じバオム王家であるクノスベしかおらぬ。だからこそ父上は敢えて私に切腹の沙汰を下して牢に入れられたのだ。そしてクノスベが聖剣を取り戻したという報せがくれば誰でも怪しいと思うであろう? 故にクノスベが帰還した際には“どこの誰が聖剣を盗み、どうやって取り戻したのか”をじっくりと訊問する手筈であったのだ」

 

 クノスベ王子は既に自分が詰んでいた事を知って愕然とする。

 いや、何故そこに考えが行き着かないのかとカイム王子は情けなく思う。

 

「しかしだ。まさかナルがゲルダを巻き込むとは思わなかった。ゲルダにはゲルダの役目(・・)があったと云うのに余計な事をしてくれたものだ」

 

 本当に儘ならないと、カイムは首を振った。

 ナルとはゲルダが去った後に後釜として聖女となった者で、辺境にいたゲルダにカイム王子の危機を報せに走った少女でもある。

 

「やはりゴロージロ老はゲルダ先生の手の者でしたか」

 

「ほほう、ゴロージロ老とは良いな。手の者も何も老人の姿はゲルダのもう一つの姿だよ。私の切腹の件をナルから聞いて救う為に動いてくれたのだろう。本当に私には勿体無い(ひと)だよ」

 

 カイム王子は愛おしげに腰に差した黒鞘の太刀に目を落とす。

 十四歳の誕生日プレゼントであり、数え年の十五歳即ち元服の祝いに贈られた三尺(約90センチメートル)の剛刀である。『水都聖羅(すいとせいら)』の兄弟刀で胴太貫をモデルにして作られた逸品だ。

 現在、十八歳となり身の丈もゲルダを遙かに超えて185センチメートルにまで成長したカイム王子に相応しい剣といえよう。

 また剣でありながら魔法を遣う際には杖の代わりとなり、魔法構築の補助、効果の増幅、あらゆる属性にも対応可能という世の魔法遣いが聞いたら嫉妬で地団駄を踏む事請け合いのとんでもない仕様も搭載されている。

 余談となってしまうが、『森王聖羅(しんおうせいら)』と名付けられた太刀はカイム王子が命を預ける愛刀となり、聖剣ドンナーシュヴェルトなどは、

 

『継承したにも拘わらず抜くどころか手に取ってすらくれぬ』

 

 と、溢しているとかいないとか。

 ともあれゲルダとカイム王子の絆はまだ断ち切れてはいなかったのである。

 むしろ遠く離れていても強固に結び付いていた。

 

「ところで、その様子だとゲルダと手合わせをしたのではないか? どうだった? いい勝負は出来たかな?」

 

「意地の悪い質問は無しです。ゴロージロ老がゲルダ先生であると見抜けなかったばかりか、たった一合で勝負が着きまして御座います。よもや甲冑の中に衝撃を貫通させる秘剣があるとは思いもしませんでした。いやはや直心影流(じきしんかげりゅう)、まだまだ奥が深う御座いますな」

 

「それはそうだろう。何せ、三百年を生きる師ゲルダでさえもまだまだ修行が足りぬと日々精進を重ねているのだからな。生涯これ全て修行と心得ねばならぬ。そうではないか?」

 

「おっしゃる通りかと」

 

 カイム王子とクロクスは爽やかに笑い合ったものだ。

 そこへ自失の状態から復帰したクノスベ王子が割って入る。

 

「お、お待ちを! 兄上はあの聖女を追放したのではないのですか?! 話を聞くにあの“酔いどれ”と兄上はまだ繋がりがあるように思えるのですが」

 

「“酔いどれ”? “様”を付けぬでもゲルダ殿と呼ばぬか、無礼者。我が妻への侮辱は弟といえども許さぬぞ」

 

 垂れ勝ちな柔和な目であるが、殺気を込めて睨めば迫力があるものだ。

 全身に怖気が走り、クノスベ王子は騎士や牢番の居る前でありながら平伏した。

 

「良いか。今のバオムはシュランゲ様が呼び寄せた僧侶達のせいで雷神信仰と新興宗教が入り交じり、誰が敵で誰が味方か分からぬ状態だ。そこで王家の威信をかけたと偽った儀式を行い、わざと失敗をする。そしてゲルダに責任を負わせて追放する形で王都から脱出させたのだ」

 

 諭すように云うカイム王子にクノスベ王子は顔を上げる。

 先程とは打って変わって兄は笑みさえ浮かべているが、逆にそれが不気味で恐ろしい。

 

「私が王都に残り、ゲルダが辺境へと流れる事で敵の目と戦力を分散させる事に成功した。相手が動くまで何年も待つつもりであったが、父上が病を得られた事で事態は大きく動いた…動いたのは良いが、クノスベ、お前が聖剣を盗むとは想像すらしていなかったぞ。最近では少々ぎこちなくなってきてはいたが、それでも兄弟の絆は不滅であると信じていたのだがな」

 

 クノスベ王子は反論したくても出来なかった。

 今となっては何故聖剣を盗んだのか、自分でも解らなくなっていたからだ。

 確かに側室の子である兄が次代の王となる事に不満が無かった訳ではないが、それも幼い頃より母シュランゲから自分の境遇が如何に不遇であるかを吹き込まれてきたからというのもあった。

 しかしながら、善く善く考えてみれば、自分は王になりたいという願望も無ければ、王を継承した後の展望も無かったのである。

 いや、展望というか夢はあったのだ。

 元々クノスベ王子には医者になりたいという願望があった。

 それというのも性病に苦しむ娼婦達を見て、彼女達を一人でも救いたかったのだ。

 それだけに終わらず、女性が身を売らずに暮らしの生計が立つようにするにはどうしたら良いのか、心ある貴族や騎士、商人の子息を集めて討論していたではないか。

 しかも聖女ゲルダに師事して医学の勉強をしていたはずであったのだが、いつから医の道から外れて身の丈に合わぬ願望を抱くようになったのであろうか。

 途端にクノスベ王子は自分自身が恐ろしくなったのである。

 

「あ、兄上…私はいつから志を見失っていたのでしょう?」

 

「その澄んだ目、正気に戻ったか? 元々お前は謀略とは無縁の優しい男、無垢ゆえにシュランゲ様と敵の言葉に惑わされていたのだろう」

 

「兄上、お許し下され。これまでの事の全てを父上に包み隠さず告白し、必ず切腹の沙汰を取り下げて頂きます。後は今回の聖剣騒動の責任を取って私が腹を切れば全てが丸く収まりまする」

 

「莫迦者! お前が死んで全てが終わる話ではないぞ。その後の事を考えよ。遺されたシュランゲ様はどうなる? あの御方はそれで大人しくなる方ではない。むしろ怒り狂って復讐に走りかねん。それにお前を操っていた敵との繋がりも消えてしまうであろう。そうなったら折角掴んだ尻尾を斬り落とされてしまうではないか。辛いかも知れぬがお前は汚名を背負い、生きて償いの道を歩んで貰わなければならぬのだ」

 

「兄上……分かりました。私に出来る事は何でも命じて下され」

 

 決意を込めてカイム王子を見れば、兄は優しく微笑んで頭を撫でてきた。

 こうして頭を撫でられるのは初めて梅毒に苦しむ娼婦を救う事に成功した時に師や兄に褒められて以来ではないだろうか。

 時間にして一年と少し前であったが、遠い昔のように感じられた。

 

「そう鯱張(しゃっちょこば)るな。我らは兄弟であろう。それにお前こそ世に必要な男だ。立派な医者となって多くの命を救え。それがお前の償い、否、生きる道ではないか。そうであろう?」

 

 かつて『水の都』で救われた時のように笑いかけるとクノスベ王子は感極まったのか、滂沱の涙を流したものだ。

 

「莫迦。泣く奴があるか」

 

 カイム王子はクノスベ王子を立たせると自らの独房の中へと導いた。

 

「今日は色々あって疲れたであろう。久しぶりに兄弟揃って夕餉を楽しもうではないか。たまには牢でする食事も乙なものだ。取って置きのワインもあるぞ」

 

「あ、兄上…私の記憶が正しければ、そのワインは父上秘蔵のビンテージワインではありませぬか?」

 

「固い事を云うな。そこにいるベロニカも云っていただろう? 王家は清濁併せて呑み込むものだと。つまり多少は悪い事を覚えねばならぬという事だ。飲むべし、飲むべし」

 

「あ、あははははは……」

 

「カイム王子も段々ゲルダの兄弟に似てきましたな」

 

 悪戯っぽくウインクをするカイム王子にクノスベ王子は乾いた笑い声を上げ、クロクスは苦笑し、牢番という形でカイム王子を護衛していたベロニカは呆れるという三者三様の反応を見せていた。

 その後、四人は身分を越えて食卓を共に囲んで夕餉を楽しんだ。

 彼らは大いに語り合い。将来へと思いを馳せるのであった。

 

「そういえば兄上とゲルダ先生は如何様な策を用いられたのですかな?」

 

「そうだな。丁度クロクスもいる事もある。良い機会だ。ゲルダ追放の真相を語って進ぜよう」

 

 カイム王子はワインで喉を潤すとゲルダが如何にして王都から出て行ったのかを静かに語り始めた。




 今回は時間が戻りましてカイム王子とクノスベ王子のお話です。

 少々強引ではありましたがクノスベ王子が正気に戻ってカイム王子の仲間になりました。
 元々心優しく素直な性格だったのですが、それゆえに敵に付け込まれてしまった訳です。
 極めて優秀な医者の卵であり、ジャンルこそ違いますがゲルダに師事して勉強をしていました。
 第弍章でゲルダがクノスベ王子に怒っていたのはそういった事情もあったのです。

 同じく第弍章で登場したクロクスもゲルダの弟子です。
 ただ家や騎士団の指導が合ってなかったのか、中々成長出来ずに燻っていました。
 しかしゲルダとの出会いによって才能が花開き、いつしか騎士団の中でも抜きん出た存在となります。
 ちなみにレーヴェと試合をした場合、袋竹刀なら三本中一本を取れるまでに腕を上げています。
 そう遠くない未来にレーヴェに確実に勝てるようになってバオム最強となっていくでしょう。

 前回から仲間になったベロニカもカイム王子の護衛として登場しています。
 美人ではありませんが、大きな団栗眼は愛嬌があって意外とバオム騎士団の中では人気があります。
 いずれは恋をして結婚するのでしょうが、私の中ではまだカイムの側室か、クノスベの正室か、クロクスとの職場婚か決めかねてます。ご意見がありましたらお聞かせ下さい。

 次回からは再び過去の話になります。
 ゲルダが如何にして追放されたかを語られる事になるでしょう。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第拾参章 一夜明けて

 アンケートご協力ありがとうございました。

 やはりゲルダの百合ハーレム入りが多く票を集めてましたねw
 ちなみに男性陣ではクロクスが多かったです。

 この結果は今後の展開に活用させて頂きます。


「今、何とおっしゃいましたか?」

 

「今日限りでお主の指南役を辞すると云ったのだ」

 

 物語は再び過去に戻る。

 突然ゲルダより告げられた稽古終了にカイム王子は狼狽した。

 見限られたり王家側に粗相があったのならまだしも、こちらに落ち度が無いというのに“今日で修行は終わりだ。二度と会う事はあるまい”と一方的に宣告されて納得出来ようはずがなかった。

 

「訳を、子細をお聞かせ下さい。いきなりそのような事を告げられて“畏まりました”と答えられる道理はありませぬ!」

 

「勿論、理由はあるし、今より聞かせるところである」

 

 ゲルダが語ったところによると、昨夜、刺客が現れたというではないか。

 撃退はしたものの敵は明らかに聖女ゲルダを名指しし、危険な怨霊や魔物が蔓延る『水の都』で待ち構えていたそうな。

 しかも刺客は養母である『塵塚』のセイラを始め、従者達にも侵入を悟らせなかったというのであるから恐るべき技量の持ち主である事は容易に推察出来た。

 

「ワシをゲルダと知っての襲撃だ。このまま指南を続けていれば、いずれはバオム王家に迷惑をかける事になるやも知れぬ。ならば縁の薄い今の内に離れるのが得策であると判断したまでの事。今よりお主の両親から許しを得て退去するつもりだ」

 

 師が恐ろしい刺客に狙われているのは理解出来た。

 だがカイム王子は師としてだけではなく特別な想いをゲルダに抱いてもいるのだ。

 このまま“はい、左様ですか”と別れる事など出来る訳が無い。

 

「し、失礼ながらゲルダ先生は我らバオム騎士を見縊っておいでだ。刺客共に遅れを取る者などおりません。仮にこのバオム王国にまで刺客が来ようとも先生を守り抜いてご覧にいれましょう」

 

「ワシより強い者がおらぬバオム騎士がどう守るというのだ。しかもワシ自身、刺客の一人に危うく袈裟懸けに斬られるところであったのだぞ。敵を一人斃すまでに死体の山が出来上がるのが目に浮かぶわえ。間尺に合わぬにも程があろう」

 

 それに貴様が騎士を名乗るには十年早い、と冷然に云われる始末であった。

 騎士からすれば侮辱以外の何物でもないが、他ならぬゲルダの言葉である。

 きっと誇張ではなく刺客に挑んだところで返り討ちに遭うのが関の山なのだろう。

 だからこそゲルダはバオム王国を巻き込む前に姿を消すつもりなのだ。

 ここで意地を張ったところで、ゲルダからすれば足手纏いをそばに置くに等しく逆に迷惑をかけるだけに違いない。

 

「私では力になれないという事ですか」

 

「理解が早くて助かる。敵はかなり巨大な組織であるとワシは睨んでおる。それはワシが不覚を取りかねぬ恐るべき武芸者を一度に四人も投入してきた事からも察せられよう。一騎当千の強者がひしめく敵が相手となれば武芸を尊ぶバオム王国といえども一溜まりもあるまい。無駄に命を捨てる事になろうさ」

 

 唇を噛み締めるカイム王子に対してゲルダはあくまで冷たい。

 その上で云うのだ。バオム王国では相手にすらならないと。

 

「敵は何者なのですか?」

 

「さてな。少なくともバオム王国内にはおるまいて。居れば今頃は母者の索敵に引っ掛かっておろう。従者や怨霊まで動員した捜索にも拘わらず何の音沙汰もないのはこの国に居ないか、或いは既に何年も前から()としてバオム王国に馴染んでおるかのどちらかであろうな。前者であれば仕方ないで済むが後者であったならば恐ろしい事ぞ。母者ですら敵と見破れぬ隠密が潜んでいる事を意味するのだからのぅ」

 

 戦争(いくさ)にすらならんぞ――ゲルダはそう付け加えた。

 カイム王子は想像する。長年王国に潜んでいた間諜によって内情は筒抜けとなっており、しかも、いざ戦争になった場合にはバオム騎士団ですら敵わぬ武芸者達によって蹂躙されるのは想像に難くない。

 否、そもそも情報戦でこれ程の遅れを取っているのだ。

 ゲルダの云う通り戦争にすらならないだろう。

 幼いながらも最悪の事態を想定してカイム王子は胆を冷やす事となる。

 

「バオム王国の北東部にヒュアツィンテ侯爵がおったな?」

 

「え、ええ、我が国の中でも特に優れた外交官でもありますが、その侯爵が何か?」

 

 いきなりの話題変換に戸惑いながらカイムは首肯する。

 

「後で父王に奴の内偵を献策せい。近頃、輸入品の種類が増えてはいないかの? 近在の国々から賄賂を受け取って色々と便宜を図っておうようだぞ。更には指名手配を受けておる犯罪者を国外に逃がしたり、逆に他国から不法に労働者を受け入れてもいるらしいな。当然、少なくない謝礼を受け取っておるようだ。ワシが何を云いたいのか分かるな?」

 

「まさかヒュアツィンテ侯爵がゲルダ先生を襲った刺客を引き入れていると?」

 

 表向きは清廉潔白であり、暮らし向きも質素を旨としていて贅沢といえば貴族としての体裁を取り繕うくらいで酒や色に惑う事はないという。

 また母レーヴェの実家であるシュヴェーレン家とは親類関係にあり、カイム王子も侯爵と何度も顔を合わせた事もあった。

 外交官であるからか、世界中の事情にも精通しており、彼から国外の話を聞くのが何よりの楽しみでもあったのだ。

 そのような男が裏で悪事に勤しんでいるとは信じたくない話であるが、ゲルダもまた証拠も無しに人を貶める人物ではないと信じているので反論の言葉を口にする事が出来ずにいた。

 

「可能性の話だ。だが国として家臣が怪しい動きをしておらぬか目を光らせるのも重要な事ぞ。臣を信じるのも主としての器量であるが、だからと云って丸っ切り信じきるのも如何なものであろうよ」

 

「承知しました。あまり気持ちの良い話ではありませんが、先生のお言葉は一々ごもっとも。早速、父上に進言致しまする」

 

「ワシの前世に家臣の非違を探索する『目付』という役職があった。それを組織する事も勧めておく。役職柄、腐敗しやすいので人選は厳しくするように」

 

「ゲルダ先生の助言、胆に銘じます」

 

 まだ幼いが利発な様子で答えたカイム王子にゲルダは満足げに頷いた。

 話は終わったと席を立つゲルダであったが、カイム王子に引き止められる。

 

「何だな? 話は終わったと思うが?」

 

「いえ、まだ敵の狙いがゲルダ先生のみとは断言出来ませぬ。敵は先生を聖女と呼んで攻撃してきたのですよね?」

 

「そうだな。ワシに聖女を名乗る気はさらさら無いが向こうはそう認識しておる」

 

「先生を聖女と呼ぶのは敵を除けば雷神ヴェーク=ヴァールハイト様と我らバオム王家、そして先生が起こした奇跡に触れた一部の人間のみです。況してやバオム王家は先生の意を慮って聖女ゲルダの名を喧伝してはおりませぬ。その名はバオム王国のみで完結しているのです。つまり…」

 

「こう云いたいのか? 敵の狙いはワシのみでなく、ワシを聖女と認識しておる雷神殿やバオム王家、場合によってはバオム王国そのものであると」

 

 或いは私かと――カイム王子は自分の胸に右手を当てた。

 確かに一理あるな、とゲルダは唸る。

 一度は敵の狙いはバオム王国かとも考えたが、態々『水の都』という住人以外の者からすれば危険地帯で待ち伏せをしていた事から、やはり狙いは自分かと思い直していた所であったのだ。

 一晩母や従者を交えて論じた結果、まずはバオム王国と距離を置いて敵の出方を見てみようとの結論を出したのである。

 しかしカイム王子を勇者にせんとする雷神の存在を失念していた。

 勇者もまた標的になり得たな、とゲルダはげんなりした顔になる。

 本当に面倒な神だ。いっその事、雷神を討った方がバオム王国の為になるのではないかという物騒な思考になりかけたものである。

 

「うむ、雷神殿はカイムを勇者にしようとしているきらいがあるからな。しかもワシを聖女に仕立てて貴様と(つがい)にしようと目論んでおる様子である」

 

「動物ではないのですから番はないでしょう。そもそもゲルダ先生は私と夫婦になるのはお嫌なのですか? 何度も告白していますが、子供の戯れ言といつも聞き流しておしまいになられています」

 

「事実、子供ではないか。確かに同年代の子供と比べれば利発であるし大人びておるがな。それでもワシからすれば幼い事に変わりはあるまいて」

 

 そう答えながら、やはり子供にするようにカイム王子の頭を撫でる。

 カイム王子はそれを不満に思いながらも質問を重ねた。

 

「或いは先生の前世の記憶が男性であるから私を受け入れられないのかとも考えましたが……」

 

「それは考え過ぎであるな。実を申せば前世のワシが前髪(元服前)であった頃は“女人(にょにん)の如し”と評判を取っておってのぅ。それで若様の目に留まり善く一夕(いっせき)を共にしたものよ。だからな、相手が男であろうと輿入れするのは吝かではないぞ」

 

「なんと?!」

 

 カイム王子も知るゲルダの前世の姿である仕明(しあけ)吾郎次郎(ごろうじろう)は老人ではあるが、善く善く見れば端整な目鼻立ちであり、ユーモアも解しているからか、酒場では中々の人気振りであるらしい。

 また心優しく、困っている者がいればさりげなく手助けをして礼も受け取らずに去っていくことから侍女達の間でも噂になっているという。

 しかし、だからと云って若君を虜にするほどの事であろうか。

 

「疑るか?」

 

「い、いえ…」

 

「顔に書いてあるわえ。どぅれ、ならばこれでどうだな?」

 

 ゲルダの全身が光り出すが、数秒もしない内に収まる。

 

「こ、これは?!」

 

 しかし現れたのはゲルダそのままの姿であった。

 否、善く見れば違う所が随所に見受けられる。

 肩で切り揃えられた髪は伸びてポニーテールにされており、裃姿となっていた。

 しかも小振りではあるが確かに存在していた乳房が無くなっていたのである。

 

「ふむ、こんなところであるか」

 

 暫く鏡の中の自分を見詰めていたゲルダ(?)であったが、ふと呆然としているカイム王子へ笑いかけたものだ。

 どうやら目の前にいるのは本当に若い、否、幼い頃の吾郎次郎であるらしい。

 歳の頃は十歳になるかならないかといった所か。

 恐らくはカイム王子の年齢に合わせた姿となったのだろう。

 

「どうだな? ワシも生まれた時から爺だった訳ではないと信じて貰えたかな?」

 

 カイム王子は答えない。否、答えられずにいた。

 幼い吾郎次郎の表情は妖艶な笑みを浮かべており、美しい顔立ちと相俟ってとても男子とは思えない。

 なるほど、これなら同性をも惹き付けてしまうのも頷ける話だ。

 カイム王子は思わず艶やかに濡れる唇を凝視して生唾を呑み込んでしまう。

 

「ま、お陰で同僚からは、若君を尻で誘惑した『蛍(やっこ)』などと不名誉な二つ名で呼ばれておったがな。事実、側用人へと出世のお声がかかったが断った。分不相応であったし、何より男としての意地があったからのぅ」

 

 莫迦であろう、と幼い吾郎次郎は先程まで見せていた妖艶さを吹き飛ばす様に呵々と笑ったものだ。

 

「い、いえ、先生らしいかと」

 

「そうか、ワシらしいか」

 

 幼い吾郎次郎はカラカラ笑いながらカイム王子の頭を乱暴に撫でた。

 

「おお、話がどこかに飛んでいってしもうたわい」

 

 カイム王子の頭を嵐が過ぎ去った草原のように散らかした後、はたと我に返り、話の軌道修正をした。

 

「今回は流石にワシも結論を出すのを急ぎすぎたか。何は扨置(さてお)き弟子を守らねばならぬと焦っておったようだ」

 

「そうですとも。“敵を知り己を知らば百戦危うからず”とは先生の教えではありませぬか。ここはじっくりと腰を据えて敵の狙いを探るのが肝要と存じます」

 

「云うようになったではないか。ならば今暫くバオム王国で厄介になるとするかの」

 

「そうなさいませ。そうなさいませ」

 

 一先ずゲルダがバオム王国を去る事だけは避けられたのでカイム王子は安堵する。

 それと同時にやはりゲルダを一人の女性として見ていると再認識したのであった。

 

「そうこうしている内に稽古の時間が近づいてきたか。では参ろうかの」

 

「はい、お出まし願います」

 

 カイム王子は幼い吾郎次郎の手を取ってエスコートをする。

 普段のゲルダが相手ならそんな事はしないのであるが今日に限って何故かつい手を握ってしまったのだ。

 

「ん? もしやカイムも衆道に興味を持ったか? お望みであるなら今夜にでも指南をしてやっても良いぞ?」

 

「い、いえ、そういうつもりは?!」

 

 顔を真っ赤にしてしどろもどろになるカイム王子に幼い吾郎次郎は思わず吹き出してしまう。

 

「真に受けるな。これはという騎士と絆を深める事に有効であるから覚えておいて損は無いがのぅ。だが、お主にはまだ早かろうて」

 

「わ、悪い冗談です! 私はそちらの道を行くつもりは毛頭ありませぬ!」

 

「左様か。ま、今の儘では稽古になるまい。気を鎮めてからゆるりと参れ」

 

 幼い吾郎次郎はカイム王子の手を離すと一人ですたすたと行ってしまう。

 カイム王子は火照る全身を持て余しながら小さな背中を見送った。

 そして態々変身を解かずに稽古場に向かうゲルダの意図に気付く。

 

「去り際のゲルダ先生、()い顔していたなぁ」

 

 恐らくは既に集結している騎士達に悪戯を仕掛けようとしているのだろう。

 師は来ず、代わりにいるのは彼女の面影を宿す幼い少年だ。

 戸惑う騎士達に幼い吾郎次郎はしれっとこう云うに違いない。

 

「申し訳ありません。ゲルダは急な病に臥せっております。故に()の名代で私が参りました。私も修行の身ではありますが、今日は皆様と共に稽古を致したいと存じまする。何卒よしなにお願いします」

 

 稽古場のある方角から聞こえてくる大勢の絶叫から、予想が概ね当たった事を察してこめかみを押さえる。

 出会いから半年、ゲルダの事が解り始めてきたカイム王子であった。




 遅くなりました(汗)
 理由は色々ありますが、知り合いに不幸がありまして、とても執筆出来る精神状態ではありませんでした。
 今回の投稿を機にこれから更新ペースを戻していきたいと思います。

 さて、長々と書きましたが、要約するとバオム王国を去ろうとしているゲルダをカイム王子が引き止めたというお話でした(汗)
 今は誰が敵で誰が味方か分からないので、一つ一つ怪しいところを潰していこうというのが今後の方針となっていきます。当然、怪しいところのいくつかは敵の息がかかっている訳で……

 実は昔の吾郎次郎は若殿の衆道の相手だったりします。
 女人の如しと云われる美貌を誇っていましたが、なんとその顔はゲルダと瓜二つでした。
 後に藩主となった若様は吾郎次郎に色々と便宜を図ろうとしますが、彼は固辞してしまいます。
 本人は分不相応としていますが、本心は馬廻りつまり護衛として殿様を守りたいと考えた結果です。
 老いてからも殿様とは平時では兄弟の様に付き合い、隠居後はのんびりと並んで釣り糸を垂れるような穏やかな毎日を過ごしてしました。
 吾郎次郎が馬に撥ねられて亡くなった時は三日三晩泣く程悲しみ、その後は一気に老け込んで後を追うように亡くなってしまいます。
 ちなみに若殿の手がついた時の吾郎次郎は十ニ歳、若殿は十五歳でした。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第拾肆章 王子に向ける聖女の想い

「婚約者とな?」

 

「はい、私も今朝、初めて聞かされました」

 

 稽古の休憩中、ゲルダとカイム王子は雑談をしていた。

 その話の流れでカイム王子に婚約者がいると告げられたのである。

 何でも相手は隣国の辺境伯家の姫君であるらしい。

 隣国との同盟強化の為の政略結婚だそうで、彼女が生まれた瞬間にカイム王子との婚姻を約束されていたそうな。

 

「めでたい話ではないか。隣国・ガイラント帝国は強大な軍事国家であり、豊富な鉄の産地であると聞くぞ。鉄砲や大砲などの兵器も整備が行き届いて世界最強の軍団との呼び声が高いそうな。まあ、兵器が強力な分、兵自体は弱兵であるらしいが、屈強なるバオム騎士団と比ぶればどこの国の兵士も弱くもなろうよ」

 

「ゲルダ先生の御指導の賜物です。しかしながら私としてはこの婚姻を喜ぶ事が出来ませぬ」

 

 相手はまだ十歳であるそうな。

 しかも傲慢な気質だそうで、バオム王国を“田舎”と蔑み、富を誇示する舞踏会も月に一回しか開催しない事も彼女の目には吝嗇(けち)に映るらしい。

 幼いながらも洗練された美貌を誇り、既に成人している男を幾人も虜にしているらしく、毎日のように贈り物が届くとの話だ。

 しかしバオム王国は誕生日や時節の贈り物はするものの、特にご機嫌を取るような真似をしてこない事も彼女としてはご不満である様子だとか。

 

「さよか」

 

「さよかって、他に言葉は無いのですか?」

 

「無いわえ。お主に婚約者がいて、それが我が侭だというだけの話ではないか。王家や貴族の結婚なんぞ相手を選べぬのは当たり前であろうよ。幼くとも美人であるだけありがたいと思え」

 

「ゲルダ先生に思う所は有りませぬのか、と訊ねているのですが」

 

 漸くゲルダはカイム王子の婚約に嫉妬の一つでもして欲しかったのかと悟る。

 嫉妬も何もゲルダにとってカイム王子は弟子の一人に過ぎない。

 確かにバオム騎士達と比べれば接する機会も多いし、幼い頃から指導している事もあって思い入れもあれば目も掛けてきたが、それで恋に発展するかは別物である。

 このところ一緒に食事をする事も増え、共に出掛ける事もあるが、それとてカイム王子に頼み込まれたからであって、自分から誘った事は無い。

 

「お主が何を期待しているのかは察しがつくわいな。だが生憎とワシに含むところは無いぞ。出会ってから四年になるがワシがお主に抱くのは弟子にとしての感情だけだ。むしろ身近になりすぎて息子や弟、時には孫と接しておるような気分だわい」

 

 それではダメかと問うゲルダに、当たり前ですとカイムは絶叫のように返した。

 出会いからずっと子供扱いされてきたが、弟とはあんまりではないか。

 あれだけ真剣に告白し贈り物もしているのだが、まるで靡いていなかったらしい。

 

「私には男としての魅力は無いのですか?」

 

「まあ、ワシが直々に鍛えてやっただけあって剣の腕だけなら既にレーヴェ殿を越え、ワシも袋竹刀を用いた打ち込み稽古なら五本中一本を取られるようになった。知恵も知識も下手な学者など相手にならぬであろう。その精悍さと柔和さが同居した顔立ちは幾人もの女子(おなご)を虜にしておると聞く。しかも王家の人間でまだまだ伸び代があるときた。これほどの男は金の鉦を鳴らして捜しても見つかるものではないわえ」

 

 意外な高評価に一瞬、虚を突かれたが、それなら何故と思うのだ。

 何度も袖にされているのに見苦しいと思われているかも知れないが、一度ならず我が半身であると確信を抱いた相手だ。諦められる訳がなかった。

 

「そうよな。では心して聞け。ワシがお主に靡かぬ理由の数々をな」

 

「か、数々…ですか」

 

「数々だ。まずはお主を弟子としてしか見られぬというのは本当の事よ。時が立てばいずれは…となるやも知れぬが、他の理由がお主を男と意識する事を許さぬのだ」

 

 ゲルダは腕組みをしてカイム王子を睥睨する。

 

「まずお主が王家であり、後年、王を継ぐ確率が高い事だな。ワシも前世で馬廻りとして城仕えをしていたが、まあ柵みが非道い。上役が“黒”と云えば白い雪も“黒”となる世界よ。反論など出来ようも無い。気に入られればまた違ったであろうが、生憎ワシはお上手(・・・)を云えるほど器用ではないでな。それに偉そうに踏ん反り返っておる上役と呑む酒がまた不味い。お主と結婚すれば王妃という立場となる。きっと貴族やお大尽との付き合いも出てこよう。ここ数年見てきたがバオム王国に限らず貴族は傲慢な人間が多い。胃が痛くなる付き合いは金輪際御免蒙るわえ」

 

 王子様と結婚してハッピーエンドで終わるのはお伽噺だけである。

 妃ともなれば嫌でも社交界に関わらなければならないだろう。

 また国の()として様々な式典にも出席せざるを得まい。

 隠居の気楽さを知り、転生後も過酷な環境ではあるが自由な『水の都』での生活に慣れた身の上としては雁字搦めの人生など真っ平である。

 

「ま、まあ、ゲルダ先生には何かと不自由を強いる事になるかと…」

 

「であろうが? 誰が好き好んで権謀術数渦巻く伏魔殿に入るものかよ。だったら『水の都』の瘴気をちまちま浄化しながら一剣を磨いている人生の方が良いに決まっておるわ。況してや拘束されているでも無し。ワシは転生してからの三百有余年、気が向けば世界中を気儘に旅をしておるぞ。その愉しみもまた失い難きものであるな」

 

 カイム王子もまたゲルダがバオム王国だけに収まる器では無いとは思っている。

 ゲルダから聞かされた数々の冒険譚には胸を踊らせたものだ。

 冒険者としても伝説的な存在であり、調べてみただけで凄まじい功績を残してた事が分かっている。フリーランスの回復役(ヒーラー)として、ともすれば軽んじられる傾向にある回復役の地位向上に多大な貢献をしていたそうな。

 その美貌は云うまでもないが、剣を始めとした武芸百般の達人である事からパーティの前衛も十分に務める事が出来る事、事故で分断されてしまい仕方なくダンジョンの最奥で置き去りにされても一人で、しかも目的を達成しつつパーティより先に生還している事から、有力なパーティから引っ張り凧だったそうで『前衛要らず』『置き去りし甲斐の無い女』といった訳の分からない二つ名も持っているという。

 余談ではあるが現状、冒険者にとって最も危険な探索場所の一つに『水の都』が挙げられているというのであるから笑えない。

 しかし魔王が直々に生み出した魔物は強力である分、見返りも多いそうだ。

 高位の冒険者であっても魔物を一匹斃すだけでかなりの経験を積む事が出来る上に、魔物の遺体から剥ぎ取った希少部位は高額で取り引きされているという。

 

「次にお主に勇者の資質がある事も戴けない。お主にどのような役割があるのかは知らんが、どうやらワシはお主と対になる聖女であるらしいな。ワシに聖女を名乗る気が無い以上、お主と結ばれる事はあるまいて」

 

「し、しかし、ゲルダ先生は剣のみならず私の肉体に宿る勇者の力を遣い熟せるよう稽古をして下さっているではありませぬか。それは取りも直さず先生も私を勇者にしようとされている事になるでは」

 

「莫迦者。ワシが訓練を施しているのは、そのまま放置すればお主の肉体が勇者の力に耐え切れずに自滅してしまうと分かっているからだ。お主を救おうと思いこそすれ、勇者にしようなどと夢にも思っておらぬわ」

 

 カイム王子が勇者の力に飲み込まれて先祖帰りを起こした時は全身に木の根を思わせる触手が這い回り、ゲルダが開祖シュタムの霊を追い出して処置をしなければ彼の肉体はズタズタになっていただろう。

 実際に治療を施した際には筋繊維の半分以上が断裂し、内臓も相当のダメージを負っていたものだ。

 しかし修行の甲斐もあってか、今では触手を自在に遣い熟し、肉体へのダメージもほぼ無いと云っても良いだろう。

 だが、影響が丸っ切り無い訳ではなく、祖先である木の精霊の力を行使し続けた影響からまだ十二歳という年齢にも拘わらず既に身長は百八十センチメートルを優に超えてしまっている。まさに植物の成長するが如しである。

 ちなみにゲルダの身長は百三十五センチメートルと女性としても小柄であり、随分と体格に差が出てしまったものだ。

 

「過去の記録を紐解けば確かに数多の厄災を勇者と聖女によって払われておるようだがな。そもそもにして現時点で勇者が必要な事案は無いではないか。魔王もいるにはいるが未だにシュタムから受けた傷が癒えてはおらぬ様子だ。仮に復活したとしてもワシに怯え、ご機嫌伺いに時候の挨拶を送って来るようなヤツが再び悪行を為すとも思えぬわえ」

 

「ま、魔王が怯えているって何をしたのですか?」

 

「なぁに、“近々傷が癒え、再び地上を攻める”旨の連絡を態々送ってきおってな。どうやら『水の都』を滅ぼしたは良いが、『塵塚』の母者を始めとしてワシや怨霊が居座っているせいで魔界の者共がそこに移り住めない事を業腹に思っておる様子だ」

 

 『水の都』が魔王の瘴気で汚染されているのも人間を拒絶する意味だけではなく、魔界に棲まう者達が地上で活動する為の処置であるそうだが、ゲルダ達が我が物顔で暮らしているせいで移住は困難を極めているという。

 魔界側も“『水の都(そこ)』は魔界が勝ち取った領土である”と主張しているそうだが、セイラもゲルダも“ならば奪い返すまで”と譲らない。

 その為、幾度か討伐軍(・・・)を送り込まれてはいるものの、その度に軍を滅ぼし、有能な将校を斬り捨てている。

 これまでの戦いの中でゲルダは首供養を二回も行っているというのだから戦闘の凄まじさが知れるというものだ。

 

「首供養とは如何なるものなのですか?」

 

「手柄首、つまり将校の首を三十三個取った者が許される供養よ。要は武勲の誉れよな。もっとも仕える主はおらぬからのぅ。武功にはならぬ。無念の死を遂げた者達への(はなむけ)にと催したまでだ」

 

「なるほど、名のある武官が六十六名も討たれたとなれば然しもの魔王も怖けるというものですね」

 

「いや、そればかりではない。『水の都』との戦いは魔界にとって消耗戦にすらならなかった。当然よな。こちらの兵は怨霊ゆえに死ぬ事は最早無いのだからのぅ。誤解をされても困るから云っておくが、これは復讐ではないぞ。怨霊と云っても魔界を攻め滅ぼすつもりは毛頭無い。荒御魂(あらみたま)和御魂(にぎみたま)になるまで穏やかに過ごしていたいのに魔界の方が攻めてくるゆえに迎え撃つしか無かったのだ」

 

 魔界の時代を担う若者達を殲滅させられ、あたら有能な将校達を誅戮された事で、ついに魔界は和平を申し入れて来たという。

 

「勝者の権利として『水の都』を諦めさせたのよ。瘴気の浄化は魔王であっても不可能だったのは残念であったがな。だが少なくとも新たな瘴気を『水の都』に送り込む事はしないと約束をさせた。その後、諸々の調印をしている時にまたぞろ魔王が懲りもせずに阿呆な事を云い出したのだ」

 

「阿呆な事とは?」

 

「和平の証としてワシを花嫁にするとほざいたのよ」

 

「先生を花嫁に?! そ、それで先生は何とお答えに?!」

 

 焦って縋りつくカイム王子の額に竹篦を喰らわせてからゲルダは答える。

 

「落ち着け。もう百年以上も前の話よ。それでだ。それがあまりに愉快な申し出だったのでな。魔界へと趣いた」

 

「ま、魔界へ……それは魔王の求婚を…」

 

 真っ赤になった額を抑えながら問うカイム王子にゲルダは呆れを隠さない。

 

「受け入れるか、戯け。天界より何故か魔王にトドメを刺す事を禁じられておったからな。代わりに二度と巫山戯た事を云えぬように刻印を施したのよ」

 

「刻印ですか」

 

「うむ、ワシが大抵の呪いや病を祓える事は知っていよう。だが“逆もまた真なり”と云ってな。治し方を知っているという事はである。壊し方も(・・・・)知っておる(・・・・・)という事よ」

 

 獰猛に嗤うゲルダに冒険者時代につけられた二つ名の一つ、『悪役(ヒール)回復役(ヒーラー)』なるものを思い出してカイム王子は戦慄させられた。

 

「魔王に祈りを捧げてな。尿路結石にしてやったわ。泡を吹いてのたうっておったから当分は地上を侵略するどころではなかろうさ」

 

 尿路結石とはそのまま尿路に結石ができる症状の事であり、結石が尿管を詰まらせ腎臓から送られてくる尿によって圧力が高まる事で痛みが発生するそうな。

 その痛みたるや尋常ではなく、立つ気力を奪い、失神する事さえあるという。

 群発頭痛と並ぶ激痛でしばしば『痛みの王様』と呼称されている。

 

「お、恐ろしい事をなさいます……」

 

「これまでしてきた所業を思えば温いわえ。本当は群発頭痛も起こしてやろうと思ったのだが、魔界の宰相が土下座をして慈悲を求めたので勘弁してやった。ほんに魔界の公爵とも思えぬ腰の低さと善良な心の持ち主よ。魔王とは血が近い王族公爵なのだから彼奴が魔王と成り代われば魔界もより良くなるであろうにな」

 

 ふとゲルダがぽんと手を打った。

 

「これでお主がトドメを刺せば、『聖女の祈りで弱体化した魔王を勇者が斃した』物語にならんかのぅ?」

 

「弱体化というより既に無力化(・・・)していると思われますが」

 

 魔王とはいえ流石に地獄の苦しみを味わっている者に追い打ちをかけるのは忍びないと思うカイム王子であった。

 

「ま、()たところ日頃の不摂生か、肝臓は肝硬変を起こしておるし、肺も煙草でボロボロよ。他の臓器も軽くない症状が出ておったわ。ありゃ相当苦しみながら死ぬ事になるぞ。いや、脳の萎縮も始まっとる。自分が誰なのか分からなくなるのが先やも知れぬわな。むしろ勇者に討たれる事こそ慈悲となろうて」

 

 魔王に毒や呪いが効いたという話は聞いた事はないが、病気は別物なのだろう。

 どうやら五百年前にシュタムから受けた傷が元で病気に弱くなっているらしい。

 開祖シュタムは魔王を斃し損ねたと評する歴史家もいるらしいが、ある意味においては残酷な仕打ちをしていたとも云える。

 

「もしお主が魔王と戦う事になったとしても安心せい。一方的な戦いにならぬよう片腕、片脚を落としておいてやるわい。ついでに魔法の詠唱も出来ぬよう口を破壊しておけば一騎討ちでも良い勝負が出来ようさ」

 

「物語では聖女の祈りで魔王の魔力を封じたり、防御結界を破るものでしょう。物理的に魔王を壊す(・・)聖女の物語なんて誰が喜ぶのですか」

 

「そんなもの後世の詩人が大衆に向けた都合の良い物語を勝手に創ってくれるわえ。要は勇者が魔王を(・・・・・・)斃した実績(・・・・・)があれば誰も文句は云わぬという事さ」

 

 カイム王子は釈然としないまま水で喉を潤す。

 ふとゲルダの言葉に引っ掛かりを覚えた。

 

「お待ちを。既に病に冒されている魔王の腕や足を破壊してやっと五分であると仰せなのですか?」

 

「莫迦を申せ。“強い者がこれ即ち偉い”という単純にして崇高な掟の中で生きる魔界の王がそんなものな訳あるまい。良い勝負と云ったが、それでも勝つ見込みは三割を切るわえ。お主と五分の勝負をさせるとすれば魔王の両目も潰さねばならぬわ。いや、耳や鼻も潰して漸く互角だな。それでも油断をすれば死ぬのはお主の方だと見ておる」

 

 鼻を鳴らしての言葉に絶句させられるが、他ならぬゲルダの分析だ。

 今の自分が戦いを挑んでも魔王には敵わないと認めるしかないだろう。

 先程まで魔王を小物と思ってしまっていたが、それはゲルダが魔王を相手取った場合であって、人間から見ればやはり恐ろしい存在である事に変わりは無いのだ。

 

「ワシの云い方が悪かったのは認めるが、だからといってお主まで魔王を侮って良い理由にはならぬ。そもそもお主は漸く基礎が固まってきたところだ。これから中伝の修行に入る者が相手を侮るなど百年早い。増長せぬように丁寧に指導してきたつもりであったが、どうやら甘かったらしい。午後の稽古の前に少し本気で打ち込み稽古をしてやろう。今の自分がどれだけ未熟であるか身を持って思い知るが良いわ」

 

 カイム王子は猛禽の如く鋭い黄金の瞳に射抜かれて言葉を失う。

 完膚無きまでに叩きのめされる数分後の自分を想像してカイム王子は絶望する。

 

「お、お手柔らかに……」

 

「魔王と戦う際も同じ台詞を云うつもりかえ?」

 

「あう……」

 

「その甘えた性根をお主に根付かせてしまった責任を取ってきっちりと叩き直してくれよう。喜ぶが良い。今までは基礎の基礎の技しか遣わなんだが、今日から直心影流(じきしんかげりゅう)の妙技の数々をお主の体に刻み付けてやるわえ。理論は後で教えてやるが、今は体で技を覚えるのだ。良いな?」

 

「は、ははぁっ! あ、有り難き幸せに御座いまする」

 

 後にカイム王子は語る。

 あの時の打ち込み稽古のお陰でこの世に怖い物が無くなったと。

 事実、カイム王子は後の人生でどのような強敵や難敵と出会おうとも決して恐怖する事も絶望する事も無かったという。

 また相手が如何なる身分であろうと如何に弱かろうと侮る事なく、敬意を持って戦ったそうである。




 聖女ゲルダがカイム王子に抱いている気持ちを吐露するお話でした。
 全く容赦というものがありません。
 勿論、カイム王子の事は好きですが、世に云う「like」と「love」の違いというものです。
 前世で大名に仕えていた事もあって城に入るなどゲルダからしたら言語道断だったりします。
 城の中を伏魔殿と云い切ってしまうほど城仕えは辛かったのでしょう(苦笑)

 さて、この作品にも魔王という明確な敵が出てきますが、今の所はゲルダの語りの中に出てくる如何にも小物のような扱いですが、作中でも述べているようにゲルダが相手をしているから評価が低いのであって、実際に地上を攻めたら災害どころではありません。五百年前に現れた時は人類の半数近くが命を奪われる大惨事となりました。その際に『水の都』も滅ぼされています。
 天界から魔王を滅ぼす事は許されてはいませんが、『塵塚』のセイラを始め、怨霊達はゲルダとの生活が楽しくて既に魔王に復讐しようという気持ちはありません。当然、許した訳ではなく、魔王という存在がどうでも良くなってしまっているのですね。
 魔界より強大な勢力となっている『水の都』の牙が自分に向いていない事に魔王は安堵する反面、取るに足らないと明言されている事に複雑な気持ちを抱いていたりします。
 一応、シュタムから受けた傷が癒えつつあって復活を宣言するのですが、つい“ゲルダを嫁にする”と余計な挑発をしてしまったが為にご覧の有り様ですw

 ちなみに序盤で存在が明らかになったカイム王子の婚約者ですが、近々ゲルダと顔を合わせる予定となっています。
 傲慢な性格ながらカイム王子の事は憎からず想っている彼女ですが、カイムの想いがゲルダに向いている事を察しているが為にゲルダに猛烈な敵意を抱いています。
 果たしてゲルダの運命は如何に?

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第拾伍章 運命の出会い

 久々にカイム王子を可愛がった(・・・・・)昼下がり、ぴくりとも動かなくなった彼に手当てを施したものの目を覚ます気配は無く、仕方無しに寝室へと放り込む次第となった。

 さあ、残った騎士共に稽古をつけてやろうかと張り切ったは良いが、何故か(・・・)一様に震えて使い物にならなかったので、たまには(・・・・)休ませるか(・・・・・)と解散を命じたのがつい先程の事である。

 バオム王国は完全なる士農分離を採用しているので騎士の仕事には当然訓練も含まれている。なので不甲斐無いと一喝するのは簡単だ。

 しかし、あまり根を詰めても良い結果は生まれないから休ませてやって欲しい、と騎士団長のレーヴェから頭を下げられては“左様か”と折れるしかない。

 そういった経緯もあって、ゲルダは騎士達に素振りニ千本を熟してから解散するよう命じて稽古場を後にしたのである。

 

「素振りを真剣にやったか、いい加減にやったかは明日、貴様達の体を見れば分かるからな」

 

 そう云い残して…

 

 さて、手が空いたは良いが、これからどうすべきかと悩む事となった。

 日課としては稽古の後は朋友エヴァが経営する酒場・沈黙の黒杖(こくじょう)亭で一杯やるところではあるのだが、流石に日が高い内から酒を呑むのは憚りがある。

 かと云って今更稽古場に戻って自身の稽古を始めては騎士達も気を遣おう。

 いよいよ困ったと思案しながらとあるカフェの前を通りかかったその時、鈴を転がすような声を掛けられたのである。

 

「貴方が噂の聖女様ね?」 

 

「おお、これは何とも可愛いらしい(わらべ)かな。お嬢さん方、ワシに何ぞ用かね?」

 

 声の主は(たれ)ぞと視線を巡らせれば、如何にも高級感漂うカフェの一角に華やかな一団がいた。

 恐らくは貴族の子女であろう。仕立ての良い服を身に纏う少女達である。

 途端にゲルダは相好を崩して話しかけた。前世から通じて子供が好きなのだ。

 

「ふふふ、御機嫌よう、聖女様。お初にお目にかかるわ。私の名前はヘルディン! ヘルディン=ナル=ビオグラフィー! 長年、ガイラント帝国を外敵から守り続けてきた誇り高き辺境伯ビオグラフィー家の娘よ! 特別にナルと呼ばせてあげるわ!」

 

 少女達の中でも中心にいた少女が名乗りを上げた。

 白を基調とし、ふんだんにフリルやレースに飾られたドレスを身に纏っている。

 不敵な笑みを浮かべているその顔は確かに高貴な血筋を想わせ、赤みを帯びた金髪の毛先を巻き毛にしていた。

 腕を組んでの堂々とした名乗りにゲルダは感心させられたものだ。

 

「ほほう、我が弟子カイムの婚約者殿か。はきはきとした善き名乗りである。では、こちらも名乗ろうぞ。ワシの名はゲルダ、姓は無い。人は“酔いどれ”のゲルダと呼ぶ。まあ、好きに呼ぶが良かろう」

 

「“酔いどれ”ですって? 韜晦は無用よ。ガイラント帝国の情報網をナメないで頂戴! 既に貴方がどれほどのものか分かっているのよ!」

 

 ナルはゲルダを指差しながら高笑いを上げたものだ。

 

「貴方はかつて魔王に、いえ、魔界軍相手に完全勝利を納めている。それがどういう意味を持つか分かっていて? 貴方は魔王を斃すのに(・・・・・・・)勇者はいらない(・・・・・・・)と証明してしまったのよ」

 

「ほう、大したものだ。“韜晦”なんて難しい言葉を善く存じておったな。偉いぞ」

 

 恵比須顔で頭を撫でるゲルダの手を払いのけてナルは立ち上がった。

 

「それはどうでも良いのよ! 問題は勇者の存在意義を失いかねなかったって事!」

 

 ナルの剣幕に苦笑しながらゲルダは宥めにかかる。

 

「その事はもう勘弁してくれ。三日三晩も天界から苦情が殺到して処理に苦慮した苦い想い出があるのだ。当時の勇者と名乗っておったアレ(・・)も随分といじけてしもうてな。異世界より無理矢理召喚され、無理難題を押し付けられつつも何とか気を張って魔王退治に乗り込んでみれば、相手は病床の人となり面会謝絶とくればワシでも自暴自棄になるわいな」

 

 その後、勇者はどう思案を巡らせたのか、誰ぞに何かを吹き込まれたのか、魔王を再起不能にしたゲルダを怨み戦いを挑む事となるのだが、魔界軍との戦いで大きな実戦経験を積んだゲルダに敵う訳もなく、手痛い敗北を喫するどころか神から賜った聖なる槍も輪切りにされた事で更に意気消沈する次第となったのだ。

 逆怨みで襲われたとはいえ、流石に気の毒に思ったゲルダは戦争の賠償として魔界からせしめた秘宝の中から魔王愛用の魔槍グロースシュトルツを渡したという。

 だが、魔王本人か魔王に打ち勝った事で魔槍に認められたゲルダならともかくイジケ根性に染まってしまった勇者が手に取るだけでも不快だと云わんばかりに質量を増していき、ついには勇者を押し潰してしまう事態となってしまったのだ。

 ゲルダとしては聖槍に代わる強力な武器を補填しようとしたつもりであったが、結果として勇者にトドメを刺した形となったのである。

 一命は取り留めたものの、“受けた傷を治療不能にする“魔槍の特性により、存在意義どころか利き腕と生殖機能を失った勇者は名誉を回復する事すら出来ずにいずこかへと去ってしまったという。

 

「可愛そうな事をしたと今でも思っておる。グロースのヤツも“何でも命じて下され”と云っておったから、“勇者を主とせよ”と命じたのだが、まさか拒否するとは思わなんだわ。しかも巨大化して押し潰すとは予想も出来んかったわえ」

 

「あ、貴方、魔槍の気持ちになってみなさいよ。魔王を超える新たな主を得たと思ったところへ、かつての主君の宿敵だった勇者の物になれと云われれば拒否するに決まっているじゃない。勇者も災難だったわね」

 

「う、うむ、あの後、『塵塚』の母者より“物にも持ち主を選ぶ権利がある”と叱られて、グロースが怒るのは無理も無いと大いに反省したものよ」

 

「そっち?! 勇者には何も思うところは無かったワケ?!」

 

 ナルの言葉にゲルダはきょとんとした表情を見せた。

 

「逆怨みで襲ってくるような者に何を思えと云うのだ? ワシを殺すつもりで槍を向けておいて命があるだけ有り難いと思えとしか思わぬわえ。ワシがあの喧嘩(・・)で罪悪感を抱くとすれば、苛立ちに任せて罪の無い槍を破壊した事よ。更に云わせて貰えば、ワシはアレ(・・)を勇者だと認めてはおらぬ。行く先々で仲間となった女子(おなご)達と乳繰り合うばかりで修行もせずに聖槍の力に頼って戦ってきたヤツよ。それ故に武人の思考を持つグロースに鍛え直して貰えという意味もあったのだが……善く善く考えれば誇り高いグロースが拒絶するのも当然よな。ワシもまだまだ修行が足りぬと恥じ入ったものだわえ」

 

 ゲルダは正直な気持ちを吐露した。

 子供相手に嘘を吐きたくは無かったし、何よりこのナルという少女目だ。

 傲慢な気質であると聞かされていた。確かに勝ち気そうな強い目をしているが、云い方を変えれば真っ直ぐな目の持ち主であるとも云えよう。

 下手に云い繕えば途端に見破ってしまうだろうとゲルダは見て取ったのだ。

 

 そしてナルもまたゲルダを理解した。

 ガイラント帝国の優秀な諜報機関によってゲルダが前世の記憶を持って転生しているらしいとの情報を得ていたが、『塵塚』のセイラなる生きた人形に育てられ、魔界軍に滅ぼされた『水の都』に巣くう怨霊達に囲まれて生きてきた彼女の思考は人間とは大きくズレてしまっているに違いない。況してや三百年以上も生きているとなれば尚更であろう。

 そして世間では“聖女様”と呼ばれているが、人間離れをした治療技術と解呪能力をもって人を救う事が出来るだけであって、聖女に祭り上げて(・・・・・・・・)都合良く操れる(・・・・・・・)ような甘い(・・・・・)存在ではない(・・・・・・)とはっきりと認識したのである。

 加えてナルは敏感にゲルダから血の匂い(・・・・)を感じ取っていた。

 彼女が多くの命を救ってきたのは間違いない事であろう。

 だが、同時に彼女は敵と認識した数多の者達を斬り捨て、屍山血河の中を生き抜いてきた事も確かであると悟ったのである。

 

(いけない…護身用に拳銃を持って来たのが仇になったか)

 

 ゲルダの分析をしている内に知らず汗をかいていたナルは、それによって太腿に装着したホルスターの感触を思い出してしまう。

 己を律しなければ殺気が漏れてしまいかねない。

 魔王と勇者を歯牙にも掛けない武人を目の前にして血が昂ぶっていくのが分かる。

 莫迦め。それでもお前は辺境伯ビオグラフィー家の一員か。

 自分を叱責するという屈辱的な行為までしてもこの気持ちを抑えきれない。

 幼く見えても既に二十歳を超えた(・・・・・・・)武官である(・・・・・)

 バオム王国に潜入する為に被った傲慢な箱入り娘の皮(・・・・・・・・・)を脱ぎ捨てて、帝国で培ってきた砲術があの(・・)ゲルダ相手ににどこまで通じるか試してみたいという欲求は今やはち切れんばかりに膨らんでいた。

 

(何やら殺気だっておるのぅ。表向きには“田舎”と蔑んでおっても、勇者の血筋であるバオム王国に嫁ぐだけあって、本当は勇者に憧れを持っておったか?)

 

 突如、殺気を醸し出したナルにゲルダはズレた推察をしていた。

 

(それにしても惨い事をする。子供かと思っていたが、ありゃ魔法薬で無理矢理成長を止められておるな。しかも相当鍛え込んでおる。実際の年齢は二十歳前後といったところかのぅ)

 

 だが、ナルの肉体に何が起こっているのかは正確に見抜いていた。

 

(ま、何にせよ。この娘との婚姻が成立してカイムの求婚が収まってくれれば云う事ないのだがのぅ)

 

 これが後に使命を果たす為なら“追放された酔いどれ”や“王子を寝取った偽聖女”といった汚名を被る事も辞さない二人の運命の出会いであった。

 後世の歴史家に、親兄弟でもここまでお互いを理解し合う事は出来ないだろうと評され、また互いの幸せを祈り合うほどの仲の良さから『一卵性義姉妹』という異名をつけられようとは出会ったばかりの二人が知る由もなかった。




 今回は少し短めですが、切りがいいのでここまでです。

 カイム王子の婚約者でゲルダが追放された後の後釜に聖女となるナルの登場です。
 実は我が侭娘を装っていた帝国からの間者で、ゲルダが見抜いた通りに魔法の薬で成長を止められていました。つまりナルが生まれてカイム王子との婚約が決まったのではなく、カイム王子が生まれてナルとの婚姻が定まったのでした。
 理由は勇者である運命を背負ったカイム王子と対となる聖女の獲得です。
 しかしカイム王子はゲルダに夢中だし、ゲルダはゲルダでカイム王子も聖女の役目も眼中になく、想定と大きく懸け離れてしまって帝国の計画は頓挫しつつありますw
 最悪、勇者無しで魔王を斃せるゲルダだけでも手に入れたいと考えてますが、召喚された際に『魅了』というチートを得ていた百年前の勇者にすら靡かなかったのでどうしようもありません。
 命令したところでゲルダは権力者に傅く事はないですし、軍を送ろうにも魔界軍さえ打ち破っている『水の都』が相手では脅しにもならないでしょうw
 ただ友達として付き合う分には寛大なので帝国はともかくナルとは友好な関係を築く事になるでしょう。
 いや、前回の後書きにあるように、最近までナルは我が侭でカイム王子がぞっこんになっているゲルダを敵視するはずだったのですが、書いていてもっと面白くするには・・・と無い頭を捻っているうちに今回の様なナルが出来上がってしまいました(おい)
 いやぁ、下手に予告を書くものではないですね(マテ)

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第拾陸章 主従共通の秘密

 ナルことヘルディン=ナル=ビオグラフィーはテーブルの対面に座り、静かにティーカップを傾けている聖女を改めて観察していた。

 女性としても小柄ながら、その身体から醸し出されている雰囲気は聖女というよりは武人のそれである。

 帯刀してはいないが、銃を抜いても勝利するヴィジョンが全く見えてこない。

 次の瞬間には脳天から真っ二つにされるか、首と胴が泣き別れとなった自分の未来しか思い浮かんでこないのだ。

 諜報部の報告によれば、一剣のみを頼りにしているのか、戦闘で攻撃魔法を用いた事は無いそうであるが、全く遣えない訳ではないようで、訓練時には氷の鎖を鞭のように振り回し、氷の礫を速射しているという。しかも、威力は甲冑を数発で粉々にし、その連射性能は毎分千発を超えるそうで、大軍相手でも驚異的なストッピングパワーを見込めるそうだ。

 ただゲルダ曰く、“楽に戦闘が終わるが剣客として如何なものかな”との事で、飽くまで魔法構築の精度向上及び魔力総量の底上げの訓練でしか使い所は無いらしい。

 他にも壁を走り、水上を駆け抜ける事も可能であるそうだが、そこに魔力の行使は見られず、全ては彼女の体術によるものだと云うのであるから恐ろしい。

 何でもゲルダの友人の中には身一つで壁や建物、塀などを跳躍及び登攀(とうはん)して素早く駆け抜けるパルクールなる競技の遣い手がいて、共に訓練をしている内に水面をも沈まずに走る事が可能になったそうな。

 ちなみにその友人はゲルダよりも一枚上手で甲冑を着込んだ状態で三階建ての家屋の外壁を駆け登る事が出来るそうだが、そこまでくればパルクールの熟練云々以前の話であろうと報告を聞いた際は頭が痛くなったものだ。

 

「どうしたな? ワシの顔に何かついておるのか?」

 

「いえ、ごめんなさい。少し考え事をね」

 

 左様か、と苺のショートケーキを食べる所作は美しく優雅であり、取り巻き役をさせている部下達からも感嘆の声が上がった。

 武人と云えば粗暴或いは無粋なイメージがあるが、ゲルダの立ち振る舞いは淑女としての品格が見える。そもそもゲルダはカイム王子の教育に所作の矯正も取り入れているそうで、曰く、“武に生きるからこそ礼節が必要である”のだそうだ。

 ゲルダが日頃、バオム王家と接している態度を見るに、どの口が礼節を、と思わなくもないが、ともするとゲルダを取り込もうとしてくるバオム王家を牽制していると考慮すれば分からなくもない。

 そもそもが三百年の長い年月を生きる人生の熟達者であり、王子を始めとする騎士達の指南役であり、更には病に苦しむ第一側室レーヴェを救われている恩を思えば礼を尽くすべきはバオム王家の方なのかも知れぬ。

 

(それにしても本当に綺麗だ。女の私が見惚れるくらいに…聖女である事を抜きにしても初心(うぶ)なカイム王子が夢中になるのは無理もない。その武に憧れ、その立ち振る舞いに見惚れ、その教養に感服し、それでいてこの美貌だ。大酒呑みであるという話は聞いているが、その程度の欠点はむしろこの人間離れをした彼女に人間味を持たせて更なる魅力となるのではあるまいか)

 

 加えて普段は虫除け(・・・)に分厚い瓶底眼鏡をかけているが、外してみれば神秘的な黄金色の瞳が顕れて心を奪われるのだ。

 少々目付きが鋭すぎる嫌いはあるものの、常に優しげな微笑みを浮かべているので意外とキツい印象は受けない。武に生きながらも笑う余裕が生まれるほど精神が本当の意味で鍛えられている証拠だ。

 ただ我武者羅に修行に明け暮れた結果、顔が険しくなってしまっている半端な武芸者、否、武術家とは違うという事だろう。

 まさに心・技・体の揃った真の武人、天下の豪傑と呼んでも云い過ぎではない。

 

(バオム王国にはもったいないとは云わない。けど、その武を我がガイラント帝国の為に生かして貰えないかと思うのは傲慢であろうか)

 

 ナルは小さく首を横に振る。

 バオム王国どころか、神や魔王にすら傅く事の無かったゲルダが皇帝陛下の前で跪く姿はとても想像できない。勿論、『水の都』が後ろ盾にあるからではない。

 彼女は自分の力が権力者の為に遣われるのではなく、手の届く範囲にいる救いを求める人の為にあるのだと理解しているのだ。

 それは彼女が過去に行ってきた事を紐解けば善く分かる。

 ゲルダは『水の都』を拠点としているが何も引き籠もっている訳ではない。

 二百年前からゲルダという名の冒険者が世界各地で様々な奇跡を起こしているというのだ。しかも、その全てはフリーランスの回復役(ヒーラー)としてである。目撃証言と相俟って同名の他人という事はないだろう。

 非力であり攻撃手段が乏しい回復役は得てして下に見られ勝ちであったが、ゲルダに関して云えば複数の有力パーティが勧誘合戦を行っていたという。

 まず普通は回復魔法を遣う際は相手に触れる、もしくは患部に手を翳すものという先入観がある中で、回復の魔力を光の球にして撃ち出すという技術は画期的であり、何らかの事故、或いは罠で分断されたとしても離れた仲間を回復させる事が出来たというのだ。しかもゲルダは怪我のみならず病気や呪いの解除までも全て同じ術式の魔法で治療を行っているというのだから恐れ入る。

 流石に末期の癌や老衰、既に死亡している場合はどうにもならないそうであるが、それでもパンデミックを起こすような伝染病すら治してしまう彼女は聖女と崇められ、パーティどころか様々な国が欲しがったという。

 しかし、彼女は頑なに宮仕えは真っ平御免と断り続け、代替として弟子となった回復役に恐ろしい伝染病の治療及び予防の技術を惜しげも無く伝授する事で義理を果たしたそうな。

 それは取りも直さず回復役の地位向上に繋がり、ゲルダが崇拝されていく流れとなっていくのも当然の事であった。

 それでも尚、権力者達は類い稀なる美貌のゲルダを逃してなるものかと、彼の手此の手で彼女を追い詰めていくが、それがゲルダの逆鱗に触れる事となる。

 有ろう事かゲルダと親しくしていた子供を人質にして結婚を迫った愚か者がいたそうであるが、ゲルダの怒りを買ってしまい、全身が腐り溶けていく病に罹り三日と持たずに命を落としたという。彼女は病を癒やすのみならず、逆に死病を感染させてしまうというおぞましい一面があったのだ。

 初めは病死とゲルダを関連づける者はいなかったが、決まって病に冒されるのはゲルダに無茶な求婚をする者であり、またその病が他人(ひと)に移らない事から次第にゲルダの仕業ではないかとの噂が立つようになり、いつしか彼女に結婚を申し込む者はいなくなっていったという。

 しかしながら、それでゲルダの悪評が立つ事はなく、むしろゲルダに無礼を働いてはならぬと益々信仰が深まるばかりだったという。祟りを畏れるが故に信仰される祟り神と似たような理屈であろう。

 中にはゲルダを“聖女を騙る魔女”として退治しようとする自称勇者も出てくるのだが、彼女の剣技に敵わず、こっぴどく返り討ちに遭うのが常であったそうな。或いは殺気を込めた目で睨まれただけで動けなくなってしまった者さえいたという。

 結果としてゲルダに害意を向ける事は不可能であるとされ、いつしか『近代回復術の母』と呼ばれるまでになっていったそうな。

 

(暴力に屈せず、財力に靡かず、権力にへつらわない事も庶民には小気味良く見えていたのだろう。高い実力に加えて教養もあり、何より反骨気質の持ち主だ。傭兵から成り上がり、先帝様の姫君を娶られた事で皇帝へとお成り遊ばれた現皇帝陛下とは馬が合うかも知れない。一度ガイラント帝国に足を運んで貰いたいものだ)

 

「おお、そうだ。お主に一つ聞きたい事があってのぅ」

 

「何かしら?」

 

「お主は此度の結婚、どう思っておるのだ?」

 

「“どう”とは?」

 

 質問の意図が分からず聞き返す。

 

「先程から話をしているが、お主の口から一向にカイムの名が出てこぬからな。事前に仕入れたお主の情報から予想するに、てっきり“カイムに近づくな”と噛み付いてくるものと見込んで身構えておったのだがのぅ」

 

 意外であった、と不思議そうにしているゲルダにナルは思わず苦笑する。

 確かに予定ではあった(・・・・・・・)のだが、こうも泰然と構えられては様子見にもならない。悋気から来る子供の癇癪と受け止められて終わりだろう。

 とどのつまりたかが(・・・)辺境伯令嬢では相手にすらならないと悟ったのである。

 

「私の負けね」

 

「負けとな?」

 

 両手を上げるナルにゲルダは益々不思議そうに首を傾げたものだ。

 

「つまり我が侭お嬢様の仮面を脱ぐと思って良いのだな?」

 

「もう驚きはしないわ。これからは帝国式砲術目録、帝国軍少佐としてお相手させて頂きます。聖女、いえ、伝説級の冒険者・『斬鉄』のゲルダ様」

 

 軍人としての本性を顕わにしたナルから威圧が波動のように押し寄せてくるが、ゲルダは眉一つ動かす事なくティーカップを傾ける。

 並の人間、否、鍛え上げられた兵士でさえ震え上がる覇気さえも受け流されては形無しだ。ついにナルはゲルダに心服させられてしまったのである。

 

「それで、先程の質問ですね。此度の結婚……私、否、ガイラント帝国の目的はバオム王国との同盟強化ではありませぬ。勇者としての運命及び資質を有するカイム王子と聖女ゲルダ様の獲得、それが真の目的であります」

 

「少佐?!」

 

 今まで二人の遣り取りを黙って見ていた少女達がナルを止めようとするが、手で制された途端に動きを止めた。善く訓練されている証拠である。

 

「勇者のぅ」

 

 ゲルダは帝国の目的が判明しても解せない様子だ。

 

「あれはまあ、確かに(つね)の人と比べれば遙かに高い才を持っておるが所詮は個の力ぞ? 木の精霊や雷神から受け継いだ力とて軍事利用するには心許ないと思うがな」

 

「さて、皇帝陛下に如何(いか)な思し召しがあるのかは私如きには計り知れません」

 

 ナルはとぼけて見せた。

 ゲルダが皇帝の真意を正しく汲めるか試してみるつもりになったのである。

 

「もしや大勢の婦女子にカイムの子を孕ませて勇者を量産しようとしておるのではあるまいな? ならば、ワシはあやつの師として守る為に動かねばならぬ。魔界軍を退けた『水の都』の力をガイラント帝国にひけらかさねばなるまいて」

 

 ゲルダは瓶底眼鏡を外してナルの目を覗き込む。

 彼女の瞳が金色から青みを帯びた銀色へと変化していた。

 聖女といっても色々ある。神の言葉によれば、有事には六人の聖女が世に顕現し、平和と秩序の為に働いているとされているそうな。

 彼女らはそれぞれ異なる力を有し、それは即ち、“火”と“生命”を司る『不死鳥』、“水”と“癒やし”を司る『亀』、“風”と“運気”を司る『龍』、“土”と“豊穣”を司る『虎』、“光”と“希望”を司る『獅子』、“闇”と“安息”を司る『狼』の六種である。

 ゲルダの魔力は水属性に特化しており、その影響で感情が昂ぶれば瞳が蒼銀へと変色していくのだ。故に神から『亀』の聖女と呼ばれ、雷、つまりは『木気』を司る勇者を導く運命を与えられているのだという。本人に名乗る気が無いにしてもである。

 

「ガイラント皇帝に伝えるがよかろう。魔王を仕置きしたこのゲルダの力を存分に味わうが良い、とな」

 

 ナルは自らの失態を悟らざるを得なかった。

 いけない。この手の武人に勿体振った云い回しは悪手であろうに。

 先程は自分の覇気を受け流されたが、ゲルダの威は自分のみならず、背後の部下達をも完全に金縛り状態にしてしまったのだ。

 それだけではない。身を切られるように寒い。血の気が引いただけではなく、実際に周囲の気温が下がっているのだ。見ればティーカップにはうっすらと霜が付き、紅茶の表面には氷が張ってすらいるではないか。

 早く誤解を解かなければ、最悪の場合、ガイラント帝国と『水の都』との全面戦争にまで発展しかねない。

 いや、それ以前に我々が凍りついてしまう!

 

「否、それには及ばず。貴様の首級を手土産に帝国へ捩じ込んでくりょうわい」

 

 剣呑な光を湛えた瞳による呪縛を破るようにナルは臍下丹田に力を込めて叫ぶ。

 自分のみならず部下の命も掛かっている。これ以上の失態は出来なかった。

 

「お待ち下さい! それは誤解で御座いまする! 陛下は勇者を軍事利用する目的で獲得を命じられたのではありませぬ。未だ役割の見えぬ勇者殿と繋がりを保ち、未来に訪れるであろう厄災が始まった際にすぐに動けるようにする事こそが肝要であると仰せになられたので御座います!」

 

「それは真か?」

 

「誓って!」

 

 そうか――ゲルダが目を閉じると同時に金縛りが解ける。

 気温も元に戻り、紅茶に至っては何事も無かったかのように湯気を立てていた。

 再び瞼を開くと瞳は金色に変じ、表情も呆れを含んだ笑みを浮かべていたものだ。

 

「身に染みたか?」

 

「えっ?」

 

「人を試すな。不敬である。次は無いぞ」

 

「ははあっ!! 申し訳ありませんでした!! 寛大なお心に感謝致します!!」

 

 許された、否、揶揄われたと知ってナルは安堵の溜め息を漏らすのだった。

 身の程を知らぬにも程があった。ゲルダは武人であるが、また同時に絶大な魔力を誇る魔法遣いでもあったのだ。

 本人が武に重きを置いているからこそ魔法を遣わないのであって、やろうと思えば一国の軍隊を容易く滅ぼす事が可能なのだと漸く理解したのである。

 

「ま、あのゼルドナルがそのようなおぞましい事を企てるとも思ってはおらなんだがな。最後に会った十年前、即位五十年の祝いをくれてやった時も若い頃と変わらず夢に向かって邁進しておったからのぅ。今更欲に駆られる事もあるまいて」

 

「なっ?! ゼ、ゼル…?!」

 

「何だな? 自分が暮らしている国の皇帝の名も知らなんだか?」

 

「そ、そうではなく、へ、陛下を呼び捨てにするなどっ!!」

 

 面白いくらい動揺するナル達にゲルダは呵々と笑う。

 

「何を云うか。ゼルドナルとワシは共に冒険をしてきた仲間であり友であるぞ。帝国の教科書にも載っておるであろう? 半世紀前にガイラントを襲ってきた邪悪なるドラゴンの王を斃したゼルドナルの伝説は? あの戦いにはワシも参加しておってな。謂わば戦友よ」

 

「戦友…勇者のみならず聖女ゲルダ様の獲得を厳命されていたのはそういった訳があったのですね」

 

「それもあるが、やはりワシの事を諦めきれていないのであろうよ。老いてはますます(さかん)なるべし、であるな」

 

「諦めきれていない、とおっしゃいますと?」

 

「何、元々ワシとゼルドナルは“邪龍を斃した後は冒険者を引退して結婚をしよう”と誓い合っておったのよ。しかしな、先帝に“娘と結婚して皇帝を継いでくれ”と熱望されてのぅ。当時、姫であった皇后も英雄ゼルドナルにそれは惚れ込んでおった。その上、当時は邪龍による侵略戦争のせいで秩序は崩壊し、群雄割拠の暗黒時代となりつつあったからな。ならば帝国の力を用いて世界を統一して平和へと導こう、と話し合った結果、ワシが身を引いたという経緯があったのだよ。ま、悋気の強い姫に半ば追い出される恰好であったがな」

 

「なんと……」

 

 想像すらしていなかったゲルダの過去にナルは言葉を失った。

 だが、同時に得心もしていたのである。

 先帝の代までのガイラント帝国は世界征服の覇を唱え、各地に侵攻して領土を拡大していたが、前述した魔界に棲む邪悪なるドラゴンに仕掛けられた侵略戦争によって多大な痛手を被ってしまうのだった。

 否、ガイラントのみならず各国もドラゴンの侵攻に遭い、疲弊していってしまう。

 しかし現皇帝ゼルドナルが帝位に就くとそれまでの侵略とは打って変わり、対話による同盟の交渉を始めたのである。

 初めは“世界の嫌われ者”のガイラントに誰が協力するものかという空気であったが、邪龍を斃した英雄である新皇帝の人柄と厖大な救援によって人々は絆されていき、支配ではなく同盟という事で受け入れられるようになっていく。

 同時に暗黒の世に己の野望を賭ける群雄達を相手取り、時には説得し、時には決闘に勝つ事で優秀な人材を取り込んでいき勢力を拡大させていったという。

 こうしてゼルドナルの理想に基づいた平和な世界は形になりつつあるのだ。

 残念ながら彼一代では完全なる世界統一は果たせないであろうが、次代を担う若者達も成長をしているので何も心配はしてないと当人は語っているそうである。

 心残りがあるとすれば、自分を皇帝の座に就かせる為に身を引いたゲルダの事だ。

 既に八十歳を超えているが、まだゲルダと過ごした時間を忘れられないらしい。

 

「未練がましい……まったく皇帝になっても老いても世話の焼ける男よな」

 

 口では厳しい云い方をしているが、口調そのものは優しく、表情を見れば慈愛に満ちた笑みを浮かべているではないか。

 その雰囲気は聖女というより聖母のようだとナルは思った。

 

「戯け。ワシに出産経験は無いわえ。ただでさえ聖女呼ばわりも迷惑であるのに聖母とは何事だ」

 

 そう窘めるゲルダの顔はどこまでも優しかった。

 ナルは悟る。この抱擁力こそが水を司る聖女の源泉であるのだと。

 病や呪いを払う清流の如き慈悲も逆に病を起こす濁流の如き呪いも併せてゲルダであると理解した。

 

(我、終生仕えるべき主を見つけたり)

 

 事実、ナルはその後、修道院に入り、聖女に仕えるに相応しい修道女となる為の修行に入る事となる。

 また同時にゲルダと肩を並べられるよう砲術にも磨きをかけていく。

 衆生を救う慈悲と敵を屠る非情さ、相反する二つを矛盾する事無く昇華していく事こそがゲルダと同じ世界を見る唯一の方法であるとナルは信仰する。

 

「ああ、今の話はカイムには内緒であるぞ? ワシに昔の男(・・・)がいると知ったら無駄に騒ぎ出すに決まっておるからな」

 

「御意」

 

 主従として初めて共有する秘密の愉快さにナルは笑った。




 ゲルダは承認していませんが、ナルは彼女を主と認識したようです。
 本来なら(?)恋敵となったり、王子に取り入って主役を追放する悪役ポジですが、拙作の場合はこういう形で着陸いたしました。
 今後はカイム王子と同様にセイラが作製したトンデモ性能の銃を貰ってゲルダの右腕として行動を共にするようになっていきます。
 こうなるとカイム王子は立つ瀬無いように思われるでしょうが、ちゃんと彼も二人からは愛されてますから御安心をw

 さて、ゲルダに昔の男がいて、しかもその相手が帝国の皇帝であると明かされて驚かれた方もいらっしゃるかと思います。
 でもゲルダも三百年生きてますし、聖人君子でもないので(聖女なのに)、男の一人や二人いてもおかしくはないでしょうw
 まあ、肉体関係の有無は物語に関係ありませんので、皆様の御想像にお任せします(おい)

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第拾㯃章 帝国宰相の憂鬱な一日

 アンケートにご協力頂きまして、ありがとうございました。

 ゲルダの初めての相手は誰なのか。
 最も票を伸ばしたのは皇帝でしたね。
 次点は『塵塚』の母者でした。
 意外にも票が伸びなかったのはカイム王子、貫禄の違いですかねw

 以上、面白い結果となりました。
 改めまして、ありがとうございました。

 いずれは外伝として書いてみようと考えています。

 では、引き続き本編をどうぞ。


「聖女ゲルダと接触したそうだな」

 

 ゲルダとの邂逅から数日後、ナルの身はガイラント帝国にあった。

 宰相から出頭命令が出され、皇帝のおわす居城へと馳せ参じたのである。

 彼女と接触した経緯をガイラント帝国宰相カンツラーに報告を命じられたのだ。

 五十絡みの神経質そうな男で、癖であるのか、頻りに眼鏡の位置を直している。

 

「はっ、流石は音に聞こえた『斬鉄』のゲルダ様、私が既に成人している事はすぐに見抜かれてしまいました。その上で私の体内に蓄積されていた成長阻害の魔法薬を完全に無毒化され、“今後はカイムと共に歳を取ってやれ”とのお言葉を賜りまして御座います」

 

「何と帝国が誇る治療術師と薬師が総掛りで解毒作業を行ったとしても数ヶ月は時を要し、それでも尚完全な排毒は不可能とされている強力な魔法薬を僅か一日でか」

 

「いえ、解毒は一瞬で終了しました。しかも私の他、部下全員もです」

 

 カンツラーは顎を擦りながらナルを観察する。

 その実験動物を見るかのような目にナルは妙な居心地の悪さを覚えたものだ。

 これで僅かでも好色の気配があれば反発心と相俟って真正面から視線を受け止めてやるところであるが、彼の目には性欲が全く見られなかった。

 聞くところによると妻はおらず、広大な屋敷に一人で暮らしているという。

 屋敷が国立大学のそばにあるからか、空いている部屋を学生に格安で間貸ししているそうである。しかも家賃を安くしてやる代わりに…という事も無いそうで、学生達、特に家が貧しい者や地方出身者には感謝されているという。

 酷薄そうな見た目に反して未来に向けて邁進している若者に援助を惜しまず、それでいて見返りを求めない事から性欲が無い、或いは戦場で負傷した際に不能者となったのではあるまいか、などの噂が立った事があるそうな。

 だからこそナルは宰相の空洞を思わせる黒い瞳が苦手なのである。

 

「うむ、骨格、筋肉、内臓、諸々後遺症が残っている気配は確かに無いな。しかも一瞬であるか。それ程の回復役(ヒーラー)を追放したというのだから、やはり救いようが無いな、あの皇后(あほ)は……」

 

「さ、宰相様? 今、誰の事を阿呆と…」

 

 言葉の衝撃にカンツラーもまた一瞬にしてナルの状態を看破するという凄技を見せていた事に気付くことが出来ず、ナルは頬を引き攣らせていた。

 

「それで聖女は取り込めそうかね?」

 

「いえ、その、あまりに衝撃的な言葉を聞かされて頭ぐあっ?!」

 

 ナルの首筋に冷たいものが走り、見れば巨大な鎌が首を捉えていた。

 さながら死神を想起させる大鎌を右手一本で支えながら左手で眼鏡の位置を直すカンツラーの膂力は如何程のものであろうか。

 

「これで少しは頭が冷えたであろう。貴様は何も聞いていなかった。そうだな?」

 

「そ、その通りであります、(サー)!」

 

 ナルが背筋を伸ばして敬礼をすると黒い柄の大鎌は霞の如く消え去る。

 この御方は治の人ではなかったのか。ナルの冷や汗は何時までも止まらなかった。

 

「私は見ての通り、如何にも悪徳政治家で御座いと云わんばかりの見た目をしているから善く間違われるのだが……誤解されても不愉快なので教えてやる」

 

 カンツラーは銀縁眼鏡を正しながらナルを見据える。

 

「私は武人上がりだ。こう見えて強いのだよ。ただ政治も出来るからと官僚の真似事をさせられているうちに気が付けば宰相カンツラーが出来上がっていた訳だ」

 

 そう云えば聞いた事があるとナルはカンツラーの経歴を思い出す。

 確か平民の出でありながら皇帝陛下の覚えがめでたく順当に出世していったとか。

 爵位を持たず、後ろ盾も無いにも拘わらず、彼の発言は必ず陛下のお耳に届き、採用されていったそうである。

 会議でも皇帝陛下は貴族や将校らに自由に討論させておいて、粗方意見が出尽くしたところで最後にカンツラーの意見を求め、最終的に彼の案を採用されていたというのだから宰相の知恵が如何に優れているかというものだ。

 

「平民が陛下の信頼を得るのも考え物であるのだぞ? お陰で周囲、特にお貴族様からのやっかみが非道い。知っているか? 一番厄介な刺客とは借金などで追い詰められた素人だという事を。遺された家族への借金の帳消しを条件に爆弾抱えて突っ込んで来るのだぞ。或いは逆に子供に毒を塗った刃物を持たせて差し向けてくるのだ」

 

 カンツラーの出世を妬んだ貴族から送られてくる刺客のえげつなさにナルは怒りを通り越して怖気が走ったものだ。

 

「そ、それで宰相様はその刺客達を如何されたのですか?」

 

「どうもせんさ。爆弾は導火線を切れば爆発せんし、子供に刺されるような私ではない。後は事情聴取をして、それが敵の罠であるなら家族諸共助けてやるし、借金が自業自得なら牢屋にぶち込むだけだ。家族を人質に取られていたケースでは救出に行ってやったっけなぁ。たーのしーいぞォ? 陛下に御墨付きを戴いてから大手を振って大貴族の屋敷にカチコミにいくのは」

 

「カチコミて……」

 

 あれ? 何故だろう? この獰猛な笑顔は見覚えがあるぞ?

 そう云えば、ガイラント帝国にはたった一人の暴漢に襲われて土地屋敷を更地にされた挙げ句に改易させられた貴族が大勢(・・)いると聞く。

 大抵は臣民を苦しめる悪徳の者であり、貴族、宗教家、無頼の区別無く、おおよその悪党はその財産を悉く奪われ、当人も殺されはしないらしいが、確実に相当な目に遭わされてしまうというのであるから恐ろしい。

 

「そうそう、大貴族で思い出した。本日、貴様を呼んだのは他でもない。そろそろ本題に入ろうか。大貴族・辺境伯ビオグラフィー家がご令嬢・ヘルディン様?」

 

「さ、様付けなど畏れ多い…と云いますか、ほ、本題でありますか。それはゲルダ様の事では無いのですか?」

 

 ナルはニッコリと微笑んだ宰相に気圧される。

 うん、何故か、カンツラー様は大変お怒りになられているわね。

 こめかみにて別個の生物のように脈動する青筋にナルは恐怖した。

 

「そんなもの、会話の糸口に過ぎん。さっきも云ったが本題は別だ」

 

 あれ? やっぱり既視感がある? このように笑顔が怖い人とどこかで会った事があるぞ? それもごく最近の事だ。

 兎に角、自分は何か重大な失態をやらかしてしまったのだろう。

 ここは大人しく宰相様が本題を切り出すのを待つべきである。

 

「まあ、聖女ゲルダを我が帝国に取り込めなんだのは残念であったが、彼女と誼みを通じた事はまず素直に褒めよう。でかしたぞ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 まずいな。お褒めの言葉でワンクッションおくのだ。相当なミスに違いない。

 しかしナルには心当たりが無いのである。

 果たして自分は何を仕出かしたのだろうか。

 

「帝国に相談もせず聖女と主従となった事は、まあ目を瞑ろう。それで成長阻害の魔法薬を解毒して貰い、浮かれてしまうのは無理もないとしようよ」

 

 おかしいなぁ…物理的に気温が下がるのはどこかで経験した記憶があるぞ?

 寛大なようで物凄く追い詰められている気がするのは気の所為ではないだろう。

 

「貴様、何の為にバオム王国へ行ってきたのだ?」

 

「あ……」

 

 思い出した。

 ゲルダ様との主従の契りを許されて舞い上がっていたけど、そもそもの用事は彼女ではなかったのである。

 

「そうだよな? 本来の目的はカイム王子(・・・・・)との見合い(・・・・・)だったはずだよな?」

 

「あは…あははははは……」

 

 人間、心底恐怖すると笑いが出ると云われているけど本当だ。

 ナルは顔を引き攣らせて笑いながら、やはりどこかで感じた恐怖だと思った。

 

「先方から“これがガイラント帝国の矜持ですかな”とメッセージが届いてなァ? それはそうだよな。見合いの為にスケジュールを調整して歓迎のパーティーまで準備していたのに、肝心の見合い相手がいつまで待っても来ないのでは、嫌味の一つも述べたくなるだろうさ。え? どう思うね?」

 

 宰相様の瞳は先程まで黒ではなかったか?

 無理矢理作った笑みを湛える瞳は何故か蒼銀へと変わっていた。

 

「今からバオム王国へ行くぞ。私が直接出向いて詫びを入れると伝えたら、“音に聞こえた宰相カンツラー殿がお出ましになるのであれば”と一応ではあるものの謝罪の言葉を聞く体勢になってくれたのだ」

 

「こ、これは何とお詫びをしたものか…申し訳ありません」

 

「詫びはいらん。その代わり、必ずカイム王子と結婚して貰う。何、心配は無用だ。先方は貴様を十歳の子供と信じている。カバーストーリーは無い。今の貴様そのままだ。憧れの聖女様と会って舞い上がってしまった阿呆餓鬼という筋書きでいく。良いな?」

 

「は、ははぁ……承知しました」

 

「取り敢えずはである」

 

「はい?」

 

 話が纏まりかけたと思いきや、カンツラーから威圧が増して身体が動かなくなってしまう。それはゲルダの比ではなく、金縛りを通り越して麻痺してきたのだ。

 

「先方に恥を掻かせた罪を少しでも(そそ)がねば示しがつくまい」

 

 風を切る音を立てて右腕を振り始めたカンツラーにナルは嫌な予感を覚えた。

 否、それ以前に右手の先端が鞭のように速くて見る事が出来ない。

 

「さあ、尻を出せ。こちらで不埒者の仕置きをしたとなれば心証はかなり違うだろうからな。これぞ『苦肉の計』なり、だ」

 

「あ、あの…手の先が見えないのですけど、どれ位の威力があるのですか?」

 

「一度だけ実戦で遣ってみたが、全身甲冑を着た騎士が三発で昏倒していたな」

 

「あ、あの…お尻の肉が削がれそうなのですが……」

 

「甲冑もひしゃげていたな。だが安心しろ。人間、そう簡単には壊れん」

 

「は、はい…お、お手柔らかに……」

 

 ナルはカンツラーに後ろを見せて前屈みの体勢となった。

 

「良い心掛けだ。では、いくぞ」

 

 カンツラーの右手が大きく振り上げられる。

 

「この……大莫迦者が!!」

 

「あっひいいいいいいいいいいいいっ?!」

 

 防音効果があるはずの宰相の執務室からナルの絶叫が城内に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「まったく、あの莫迦娘は……」

 

 カンツラーは日付が変わる頃に漸く我が家へと帰って来た。

 その後、ナルを伴いバオム城へと趣き、見合い当日の非礼を詫びてきたのだ。

 両国の関係は同盟である。国力の差はあれど、どちらが上という事はない。

 カンツラーは菓子折りを持参し、平身低頭謝罪してきたのである。

 これにはバオム王国・国王ヴルツェルも苦笑し、許しを得る事が出来た。

 カイム王子の母である第一側室レーヴェは何か云いたげではあったが、カンツラーが彼女に会釈をした途端に何故か顔色を青くして押し黙ったそうな。

 彼女にだけ睨みつけ、「あ゛?」と凄んだような気もしないでもなかったが、ヴルツェルは見なかった事にしたようだ。

 

「身近にこのような人物がいなかったか?」

 

 国王ヴルツェルは後に家臣にそうお訊ねになったとか、ならなかったとか。

 その後、放心状態となり、何故か尻から煙を出しているヘルディン嬢が引き出され、彼女からの謝罪も受け入れた事で先日の非礼は不問となったのであった。

 カイム王子との婚約も無事に成立し、二人は晴れて婚約者同士となる。

 何故か、カイム王子に額を突き合わせるように近づいて、「分を弁えろよ」と忠告というより凄んで見せたのは気になったが、ヴルツェルとレーヴェは何も見なかった事にした。むしろ見合いを忘れて帰国したヘルディン嬢より大問題であるのだが、あれは下手に関わると碌な事にならないと本能が悟ったのだ。

 

 カンツラーは屋敷を見上げながら伸びをする。

 ああ、もうすぐだ。愛しい万年床(まんねんどこ)に潜って今日はもう寝てしまおう。

 だが、そんな気分はすぐに吹き飛ばされた。

 カンツラーは屋敷の一室に灯りが灯っているのを見たのである。

 しかも選りに選ってそこはカンツラーの自室であった。

 カンツラーの屋敷に使用人はいない。夜遅く帰っても出迎える者はいないはずだ。

 間貸ししている学生達には格安で部屋を貸す代わりに身の回りの事は自分でするように云ってある。また逆に自分の世話も不要であるとも告げていた。

 自分の世話は自分で見られるし、何よりそんな暇があるならば学業に専念しろとどやしつけてさえいたのだ。

 

「さて、一体誰だ? 私の部屋は魔法で鍵を掛けてあるから泥棒など入れぬはずだ」

 

 考えていても埒が明かないのでカンツラーは自室へ突入する事にした。

 私は疲れているし眠たいのだ。賊だろうと刺客だろうと構わん。

 カンツラーの辞書に慎重という文字はない。敵なら捕らえれば良かろうなのだ。

 ガイラント帝国宰相カンツラーは仕事の外となれば案外脳筋である。

 カンツラーは屋敷に入ると音も立てずに自室へと向かう。

 こうして気配を消しての隠密行動も母に仕込ま(・・・・・)れている(・・・・)のだ。

 

「ちっ、まだいるな。誰だか知らんが泥棒稼業が割りに合わぬ事を教育してやろう」

 

 扉の前で中の気配を窺うと人の気配が感じられた。

 カンツラーは舌打ちをするとドアノブに手を掛ける。

 

「手を上げなくて宜しい! 今は機嫌が悪いのだ。犬にでも噛まれたと思って殴られてくれたまえ!!」

 

 そして中にいるであろう賊の不意を突く為に一気に扉を開け放つのだった。




 新キャラ、ガイラント帝国宰相の登場です。

 宰相といえば政務を司る最高の官であり、現代日本で云えば内閣総理大臣が近いですかね。
 ファンタジーとかではその役職からか悪役を与えられる事が間々あるようです。
 カンツラーはどちらかと云えば武闘派であり、たまに見かける“悪役かと思ったら主人公側”となります。
 何故かカイム王子やレーヴェに対して辛辣ですが、それにもちゃんとした理由があります。
 ちなみにカンツラーとは“首相”“総理大臣”を意味するドイツ語です。

 ナルはやっちゃいましたねw
 見た目が子供のままであり、バオム王国の面々も子供として扱っている事や宰相が自ら出向いて頭を下げた事が効を奏したようです。まあ、お仕置きされたナルへの同情もバオム王家の人々の怒りを殺いだというのもあるでしょうw(元々大して怒ってはいませんでしたが)

 さて、カンツラーの屋敷に入り込んだのは誰なのでしょうか。
 それは次回までのお楽しみにしていて下さい。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第拾捌章 帝国宰相の正体

「おお、遅かったな。余に相談してくれれば日を跨がずとも家に帰る事が出来たであろうに。本当にお前は何でも自分だけで抱え込んでしまうな」

 

 カンツラーを出迎えたのはカイゼル髭を生やした初老の男であった。

 初老と云っても身体つきはがっしりとしており、老いを感じさせない。

 筋骨隆々とまではいかないが、俗にいう細マッチョと呼ばれる体型である。

 その肉体は精気に満ち溢れており、白髪頭と合っていない。まるで出来の悪い合成写真のようだ。

 その顔立ちは多少シワが刻まれているものの若々しく、爽やかな笑顔が似合う好人物といった印象を受ける。

 また右目に装着された片眼鏡(モノクル)が威厳と貫禄も与えていた。

 

「な…な…何で貴方がここに?」

 

 朗らかに笑う老人を指差してカンツラーは愕然としている。

 

「うむ、たまには家族揃って過ごそうと誘われてな。こうして邪魔をさせて貰った」

 

「貴方までいたのか」

 

「これ、余はともかく母者(・・)に向かって“貴方”は無いであろう」

 

 老人の背後から現れた黒髪の麗人を見てカンツラーは顎が外れんばかりに大口を開けて固まった。

 父親に咎められるもカンツラーは呆気に取られたままだ。

 

「久しぶりに家族が集まるのだからと母者が腕に縒りをかけて余とお主の好物を沢山拵えてくれたぞ。いや、疲れておるであろうし、先に風呂に入るか?」

 

「いやいや、どうせなら内縁とはいえ夫婦水入らずで過ごせば宜しいのでは」

 

 何とか復活したカンツラーが遠慮気味に云うが、父は彼の背中を豪快に叩いて笑ったものだ。

 

「子供がそのような気遣いをするな。我らの姿を見れば察せられよう。夫婦だけの時間(・・・・・・・)は既に終えておる」

 

 云われて見れば二人ともバスローブ姿であり、髪もしっとりと濡れている。

 母に至っては顔が僅かに上気して肌艶も良く、瞳まで潤んで何とも云えぬ色香を感じさせられたものだ。

 ああ、なるほど。逢ったのは久々であろうし、どちらからでもなく抑えきれずに一戦(・・)かましていたに違いない。

 

「それよりも、である」

 

 母が笑いながら近づいてくる。

 普段は一切の隙を見せぬ氷の刃のような武人であるが、今は母として、妻として柔かな微笑みを浮かべてカンツラーの頬を撫でる。

 

「早う母にお前の可愛い顔を見せておくれ」

 

「あっ?!」

 

 母に銀縁眼鏡を奪われると当時にカンツラーの身体が光を放つ。

 人型の光と化したカンツラーは瞬く間にそのシルエットを縮小させていく。

 

「母者、お祖母様から頂いた眼鏡を返して下され」

 

「返したらお前はすぐに『擬態』をしてしまうであろう? 今夜はその姿のまま付き合ってくれい。滅多に会えぬ母からの頼みだ」

 

 両手を合わせ可愛らしく懇願する母親にカンツラーは呻く。

 偉大な武人にして師である母であるが、このように乞われると弱いのである。

 

「明日も仕事があります。朝までには返して下されよ」

 

「うむうむ、分かっておるわ」

 

「むぐっ?!」

 

 途端に満面の笑みを浮かべた母にカンツラーは力強く抱きしめられる。

 先程までは父親以上の長身であったが、今のカンツラーは小柄な母親の腕にすっぽりと収まるほど小さな姿となっていた。

 年の頃は五歳程か。母親譲りの黒髪と金色の瞳、父親から受け継いだ凜々しくも穏やかな目鼻立ちを持つ愛らしい少年となっていたのである。

 しかも頭には二本の立派な黒光りをしている角が生えており、背中には蝙蝠に似た翼が、尻にはエメラルドの如く鮮やかに輝く鱗に覆われた長い尻尾があった。

 更には身体の所々にも美しい鱗が見え隠れし、目は丈夫な膜に守られている。

 この幼い半人半龍の子供こそがガイラント帝国宰相カンツラーの正体であると誰が分かろうか。

 

「ずるいぞ、ゲルさん(・・・・)。俺にも抱かせてくれ」

 

 初老の男が片眼鏡を外すと光に包まれ、痩身の青年へと姿を変える。

 若返っただけではない。カンツラーと同様に頭には角、背には翼、尻尾があった。

 二人の眼鏡には人間同然に見せる『擬態』の魔法が込められているらしい。

 

「ダメだ。お主は仕事とはいえ毎日会っているのだからな。もう少し堪能させておくれ、ゼルさん(・・・・)

 

 のぅ、カンツ――ゲルさんことゲルダは我が子(・・・)を愛称で呼びつつ頬擦りをした。

 幸せそうにしているゲルダに水を差すようではあるが、彼女は出産経験は無いと前述していたではないかと疑念に思われている読者諸兄諸姉もおられる事だろう。

 種明かしをすれば先帝の娘、即ち現皇后に追い出される際、ゲルダは相手を病に冒す要領で、子宮から取り出した受精卵を皇后に移植していたのである。

 勿論、正真正銘ゼルドナルとの子だ。

 最愛の男と引き裂かれた意趣返しであったが、それが思わぬ悲劇を生んでしまう。

 それはゼルドナル・カンツラー親子の角や翼に関係があった。

 ゼルドナルは半世紀以上前に世界を襲ったドラゴンの王を斃した英雄だ。

 その時点では彼も他者より多少才がある程度の人間であった。

 しかし、その時に大量の返り血を浴びてしまったのが問題だったのである。

 ドラゴンという種族は不死に近い長命であり、それ故に子孫を残そうとする意思が希薄である為、その数を減少させてしまっていた。

 また縄張り意識も強く、同じ生活圏に違うドラゴンが棲まう事を嫌うあまり排除してしまう傾向にあり、結果として更に数を減らしていったのだ。

 このままでは滅亡するところまで追い詰められて漸くドラゴンは(つがい)を得ようとするのであるが、そこで今まで他者を排除してきたツケを払う事となった。

 極端に数が減ったせいで番となる相手が見つからなくなってしまったのである。

 長寿とはいえ、番を得る機会を数百年単位で待たねばならなくなったドラゴン達は生殖方法に新たな戦術を見出す必要に迫られたという。

 そこで考案されたのが他の生物に自らの血を与えてドラゴンに変えてしまおうというものだった。要は子、仲間が増えれば良いと考えたのだ。

 その新たな生殖アプローチを考え出したのがゼルドナルに斃された邪龍であり、先の大戦とはドラゴンの血を与えられて誕生した新たなドラゴン、否、ドラゴンと呼ぶに値しない“擬き”と化した様々な生物が暴走した結果であったのだ。つまり“王”と呼ばれていたのは無節操に増やした“擬き”の大元である事からの皮肉でしかない。

 所詮は英雄に斃されるべきただ(・・)の邪龍だったという事である。

 しかし、腐ってもドラゴンの末裔だ。死闘の末、ゼルドナルは邪龍を斃す事に成功するが、大量の返り血を浴びてしまい、更に今際の際に遺した呪いの言葉を掛けられた結果、半人半龍ともいうべき姿に変えられてしまったのだ。

 流石に人智の超えた先に存在するモノと云うべきか、ゲルダの力を持ってしてもゼルドナルを人間に戻す事は叶わなかったそうな。

 どの道、邪龍討伐後に冒険者を引退するつもりであったので、『水の都』でゆっくりと治療しながら悠々自適の生活を送ろうではないかという段となって、例の先帝からの要望が来たのであった。

 話し合いの結果、帝国の力を利用して平和な世を築いていこうとゼルドナルを皇帝にすると決め、ゲルダは権力争いの種になるからと身を引いたのだ。

 ゲルダにしてみれば結婚に拘りは無く、帝国内に庵を結んで子育てをしていこうと考えていたのだが、何事においても以心伝心で通じ合う二人に嫉妬した皇后により庵は破壊され、ゲルダも帝国内から追放される憂き目に遭った。

 その時に子宮内にあった受精卵を皇后に植え付けたのである。

 ゲルダとしては、“ワシの子を産むが良いわ”という気持ちであったが、それが思わぬ事態を引き起こしてしまったのだ。

 子供は半人半龍として皇后の胎内で育ち、彼女の精気を際限なく吸収するようになったという。

 成長と共に皇后の腹は膨らんでいく一方で身体そのものは干涸らびていき、カンツラーが産まれてくる頃には皇后は老婆のような姿となっていたそうな。

 これが生命力に溢れるドラゴンや『水の都』の瘴気から無尽蔵に魔力や精力を得られるゲルダであれば問題は無かったのであるが、常人でしかない皇后では闇雲に生命力を奪われてしまうだけであった。

 しかも難産の末に産まれてきたのは巨大な卵であったそうである。

 邪龍の祟りかと畏れた帝国は卵を捨ててしまう。破壊も検討されたが卵とはいえドラゴンはドラゴン。如何なる手段を用いても皹一つ入らなかったそうだ。

 さて、先程は卵を捨てたと表現したが、実はゼルドナルが川に流すと見せ掛けて『水の都』に戻ったゲルダに托したのである。

 孵化に数年掛かったが、子供は無事に産まれ、カンツラーと名付けられた。

 これがカンツラー出生の秘密なのだ。

 

「思えば皇后殿には(むご)い事をした。ワシが魔力を与えて若さを取り戻した事で感謝され友誼を結ぶ事となったのは良いが、内心は穏やかではなかったのぅ。俗にいうマッチポンプであるからな」

 

「良いんじゃないか? ゲルダを側室にする事を許さず、それどころか奥床しく郊外に庵を建てたというのに、それさえも壊して帝国領から追い出したんだからさ。若さと美貌を取り戻してやっただけ十分慈悲深いと思うよ」

 

 『擬態』を解いて青年となったゼルドナルは口調をも若いものに変えてゲルダの肩を抱き寄せて慰めたものだ。

 

「そ、それで本日は何故、集まろうと?」

 

 小振りながらも柔らかいゲルダの胸から漸く顔を抜け出す事ができたカンツラーは訪問の理由を問う。

 

「まあ、お前も知る通り、皇后(にょうぼう)殿が死んで三年、喪が明けたからな。俺がいなくても帝国は回るようになった事もあるし、そろそろ引退をようと思っていたんだ。それに俺も既に八十を超えている。いくら『擬態』していても限度があるというものだ。それをお前にも含んでおいて貰おうと思ってな」

 

「そうでしたか。六十年、お疲れ様で御座います。後の事はお任せ下され」

 

 カンツラーも肉体的には幼い子供でも長年宰相として帝国を支えてきた一廉(ひとかど)の人物である。父の引退宣言に動揺する事無く労った。

 既にカンツラーの頭の中では次期皇帝候補の顔が浮かんでいる。

 父の子は自分以外にいないが、正当な後継者は問題無く存在していた。

 皇后は父の前に夫がいて子も産んでいるのだ。

 前夫は帝国軍を束ねる将軍であったが、先の邪龍との戦いで命を落としている。

 まだ幼い子供を皇帝にするよりはと邪龍を斃した英雄に白羽の矢を立てたのだ。

 何とも迷惑な話であったが、結果的に自分は宰相になれたのだから良しとしよう。

 当時は幼かった次期皇帝も今では貫禄のある偉丈夫だ。

 賢くはないが横暴でもないので上手くやっていけるだろう。

 カンツラーはもう既に、父の死の『偽装』から葬儀、次期皇帝の即位の儀までの段取りまでを頭の中で組み立てていた。

 

「ありがとう。それで、この機会にゲルダと結婚をしようと思っているんだ」

 

 その言葉を受けてカンツラーは何とも云えない表情を見せたものだ。

 

「お二人の結婚は祝福させて頂きますが……いや、勿論、私としては望むところなのではありますがね」

 

「何だな?」

 

アレ(・・)はどうなさるのですか? 脈が無いのに未だアプローチを続けるバオムの小倅の事です」

 

 今回の婚約における主役の一人であり、同盟国の王子を恫喝してしまった理由がそこにあった。

 宰相としても一人の大人(・・)としても褒められた行動ではない。

 糾弾されて然る可きだと自覚しているが、あのような小僧が父を差し置いて母に粉をかけていると思うと、腹の虫を抑える事が出来なかったのである。

 仮に母がカイム王子の求婚を受け入れていたのならば祝福は出来ずとも認めてはいたであろうが、母は何度も断りを入れているのだ。

 だがあの小僧は勇者の力に目覚めかけているのを見過ごせぬ母の優しさをどう解釈しているのか、いずれは振り向いてくれるだろうとしつこく口説いている始末だ。

 確かに武人としての才覚はある。頭脳も明晰で学者と討論出来るレベルと聞く。

 母が徹底的に扱いた甲斐もあって人格面においても王族として何処に出しても恥ずかしくない品格を身に着けつつあるのだが、それとこれとは話は別である。

 許せぬどころではない。同盟国の王子でなければ八つ裂きにしていたであろうくらいにカンツラーの(はらわた)は煮えくり返っていたのである。

 

「うむ、それなのだが、一度結婚してやろうと思っている」

 

「はっ? お気は確かか、母者?」

 

 ゲルダの発言に思わず正気を疑ってしまうのは無理も無いだろう。

 父を見るが、その顔には怒りは無く、困った様な苦笑いを浮かべてすらいた。

 

「気持ちは分かるが落ち着け。まだ明かせぬが、ちと考えがあるのだ」

 

「何らかの策という事ですか? それは……いえ、まだ明かせぬのでしたな」

 

「すまんな。だが、安心せい。この身には指一本触れさせぬわ」

 

「私とてこのような姿ですが五十歳を過ぎております。策に必要であれば小僧の童貞を卒業させてやるくらいは目溢しする度量はありますぞ」

 

 愉快ではありませぬが――と付け加える息子に内縁の夫婦は揃って笑いを噛み殺すのに苦慮したものだ。

 そこでこの話は終わりとばかりにゼルドナルは手を叩いて話題を変換する。

 

「結婚と云えばカンツに良い人はいないのか?」

 

「生憎と…」

 

「まあ、煎餅布団を万年床(まんねんどこ)にしている時点で察せられるけどな」

 

 笑いながら頭を撫でる父親にカンツラーの顔が火のように熱くなった。

 宰相という多忙を極める職に就いている為に家事が疎かになっている事を親に知られてしまった気恥ずかしさから来るものだ。

 

「だから『塵塚』の母者も従者を送ると申しておるではないか」

 

「申し訳ない話ではあるのですが、私の角や翼は柔らかい布団を破いてしまいますので固い方が良いのですよ」

 

「それ理屈じゃ万年床の云い訳にはならないぞ。ゲルさん譲りの衛生魔法で黴やダニを防いでいるのは分かるが、たまには日に当てた方が良いのは分かっているよな?」

 

「つまり家事が行き届いておらぬ証拠だ。おお、勘違いするでないぞ。嫁を取って家事をさせよと申しておるのではない。従者を入れて風通しを良くせいと云っているのだ。魔法の風で埃を外に出して、はい、お終いでは学生達にも示しがつくまい?」

 

 両親の理屈も気遣いも理解してはいるのだが、カンツラーがこれだけ頑なに従者を招き入れる事を拒むのには訳があった。

 基本的に『水の都』の従者達は善良であり、祖母セイラや母ゲルダに絶対的な忠誠を誓っている。勿論、カンツラーにも同様に忠義を見せてくれるのだが、油断をするとドレスを着せようとしたり化粧をしようとしてくるのだ。

 見た目同様、心も幼かった頃、風呂から上がって着替えを手にすればフリルのついた女性用の下着が用意されていたのである。

 思わず母親を見上げると、“ワシも幼い頃に通った道だ”と遠い目をされたものだ。

 ゲルダの場合は前世の記憶に引き摺られて男物の服を好む感性を矯正するという正当な動機があったが、カンツラーに女装をさせようと目論むのは明らかに従者達の趣味であった。

 男女の特徴に差が少ない幼少期は何を着せても可愛いからか、男児にも女物を着せる大人もいるにはいる。況してやゲルダとゼルドナルという麗しい二人の間に生まれたカンツラーはそれは愛らしい顔立ちをしていたのだ。勿論、現在もであるが。

 怨霊と化し、後に人形の体を与えられたとはいえ侍女達も可愛いものに目が無い婦女子である。麗しの貴公子に夢中になり、思い思いにお(めか)ししていく内にエスカレートしてカンツラーに女装を勧めるようになっていったそうな。

 ドレスを手にカンツラーに迫る侍女達から逃げている内に彼の隠密スキルが磨かれていったのは幸であるのか不幸であるのかは当人の受け取り方次第であろう。

 結果としてカンツラーが『擬態』をする際に陰気な壮年を採用しているのは幼い頃の経験からきているのは云うまでもない。

 もっとも『加齢』はしていても顔の造作は元々悪いものではなく、学生達への援助や見かけによらぬ豪快な武勇伝の数々によって帝国内でもファンは意外と多い。

 彼を排除しようとする貴族達と繰り広げられる暗闘のせいで自分が人気者であると夢にも思っていないのであった。

 つまり『擬態』はしても侍女達はそれはそれで壮年カンツラーに似合うドレスと化粧を用意するだけの話だという訳である。

 むしろ幼児から少年、青年、中年と様々な姿に変わる事が出来るカンツラー、否、彼を含めた麗しのゲルダ家一家は美味しい存在(・・・・・・)なのだ。

 

「従者はもう懲り懲りでしてな。女装も言語道断ですが私の洗濯物に女物の下着が混ざっているのを学生に見られでもしたら私の人生は終わりでございます」

 

「では執事ならどうだい? 男同士ならカンツも気兼ねせずにすむだろう?」

 

「父上、相手は人形に取り憑いた幽霊でございます。彼らにとって体を換えるなど造作も無いはず。見た目は男でも中身が侍女である可能性も無きにしもあらずですぞ」

 

「そんなに女装は嫌かい。似合っているし可愛いから良いと思うけどなァ」

 

「父上!!」

 

「ゼルさん、揶揄うな。機嫌を損ねられては折角作った料理が不味くなるぞ」

 

「そうだな。すまなかったね、カンツ。けど君を莫迦にするつもりは無かった事は信じてくれないかい?」

 

 こうした時、素直に頭を下げられる父が誇らしくもあり苦手である。

 母に求婚するカイムやバオム王国に取り込もうと策を弄するレーヴェに辛辣な態度を取ってしまう自分の器が小さいものに感じられるからだ。

 母を取られまいという子供として正しい感情ではあるのだが、人間社会で荒波に揉まれてきた経験もあってか、そういった感情が幼稚に思えてしまうのだ。

 

「さて、カンツはどうする? 食事にするかい? 風呂も沸かしてあるぞ」

 

 カンツラーの表情から何を考えているのか正確に読み取った父は場の雰囲気を変える為に敢えておどけた調子で問い掛けたものだ。

 対してカンツラーの方は少し困った事態となっていた。

 本当は寝たいのだが、今の両親に下手な事を云うのは危険だ。

 普段は離れて暮らしているものの毎日欠かさずに念話で会話はしている。

 しかし実際に逢うとなればやはり違うのだろう。

 今の二人はさながら新婚夫婦のそれである。否、父が皇帝を引退すれば結婚をする予定なのだからまさに新婚なのだ。

 そんな二人に水を差すような真似をすれば何をされるか知れたものではない。

 怒らせてしまったかと自分の機嫌を取る為にあやしかねない(・・・・・・・)

 子供にするように二人しておんぶに抱っこをして子守唄を歌われでもしたらたまったものではない。流石に勘弁して欲しいところだ。

 だが考えてもみて欲しい。一国の宰相が謝罪の為とはいえ自ら出向いたのだ。

 バオム王国とて謝罪を受け入れて、さようならと云う訳にもいかないだろう。

 政務を司る最高官である宰相に相応しい饗応をするのは当然の事だ

 つまり早い話がカンツラーは満腹なのである。

 しかしテーブルの上に並べられた好物の数々と滅多に見られない母のニコニコとした顔を見てしまっては食べない訳にはいかないだろう。

 カンツラーは覚悟を決めて両親に答える。

 

「さ、先に風呂に入らせて頂きます。暫時、お待ちあれ」

 

「そうか。では、行っておいで」

 

「着替えは脱衣所に置いてあるでな。ゆるりと入って参れ。その間、父と母も着替えておくでな」

 

 良かった。流石に一緒に風呂に入ろうとは云われなかったか。

 後は入浴中にどれだけ消化できるかが勝負である。

 胃の中の物を吐き出すという選択肢はない。

 バオム王家の“心”を無にする訳にはいかないからだ。

 それがガイラント帝国宰相カンツラーの矜持であり心意気だからである。

 母の気持ちと料理を無駄にしないようカンツラーは悲愴な決意を持って風呂場へと向かうのであった。

 ただ運命とは残酷なものだ。

 カンツラーもまさか風呂場に侍女達が女物の浴衣を持って待機しているなど夢にも思っていなかったである。

 或いは久々に母と会って気が緩んでいたのかも知れない。

 邪な想いを抱く人形達の気配を察せられなかった時点でカンツラーの負けが確定したのであった。

 数分後、カンツラーの悲鳴が屋敷中に響き渡り、何事かと駆け付けた学生達に正体を見られる事になるのだが、その後の彼がどうなったのかは、読者諸兄諸姉のご想像にお任せする。




 帝国宰相カンツラーの正体はなんとゲルダと皇帝の子供でした。

 今回はある意味相当な冒険をしました。
 主人公の聖女が子持ちってどうなのか、発表した今でも不安でいっぱいです。
 今はどうか分かりませんが、昔はヒロインが非処女って嫌がられたような記憶がありましたからね。
 けど、もう賽は投げてしまったので、後は天命に委ねるのみです。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第拾玖章 裏切りと信頼

 ガイラント帝国宰相カンツラーの心境を一言で云い表せば、“どうしてこうなった”である。

 学生達に正体を見られたカンツラーはもう誤魔化すのは不可能だと悟り、自分が半人半龍である事や実際は幼い姿である事を告白した。

 流石に父が皇帝である事や母が聖女である事は伏せさせて貰っているが。

 ついでに真夜中ではあるが、今更ながら親睦を兼ねた食事会をしてしまおうを目論んだのだ。これなら母者の用意してくれた料理を無駄にする事は無く、学生達とも打ち解ける切っ掛けにはなるだろう。

 現在、彼は父ゼルドナルの膝の上に座らされ、女学生達にやいのやいのと弄られていた。いや、それは半ば覚悟はしてたが、仮にも宰相である。

 口元に食べ物を持って来て“はい、あーん”はないだろう。

 巨大なるガイラント帝国において随一の学府に通う学生と(いえど)も年頃の娘である事には変わりない。カンツラーの正体を知って驚きはしたものの、その愛くるしい姿は彼女達の琴線に触れたようで、構い倒しているのだ。

 彼が帝国宰相である事も半人半龍である事も問題ではなかった。

 しかも彼が身に纏っているのは淡い水色の生地に金魚を染め抜いた涼しげな女物の浴衣であり、幼い男児でありながら襟から覗くうなじ(・・・)や鎖骨が何とも云えぬ色香を醸し出しているのである。

 もっとも当のカンツラーが仏頂面をしているせいで妙な可笑しみもあるのだが。

 

「こーら、カンツ。折角、女学生のみんながお世話をしてくれているのに、その愛想の無さは頂けないぞ?」

 

 頬をぷにぷにとつつく父の指に、こめかみの血管が浮き上がって脈動するが、誰もがカンツラーの怒りを見て見ぬ振りをしていた。

 だが今更、幼児扱いをされたところで機嫌を損ねるカンツラーでは無い。

 では、何が彼を怒らせているのかと云えば、先程行った部下との念話である。

 

『ははぁ、とうとう学生達に正体がバレましたか。では、今頃は女学生に囲まれている事でしょうな。とうに盛りを過ぎた私には羨ましい限りです。ようがす。今日はそのままお休みなされませ。良い機会ですから溜まりに溜まった有休を消化してしまいましょう。貴方(あーた)が休まないから部下(した)が休暇を取りづらいんですわ。宰相殿がご自分で作った有給休暇の制度なのに自分で使わないなんて有り得んでしょうよ。はい、決まりです。今日、否、三日は登城しても入れぬよう門番にも申し付けておきますからね。勿論、裏門もです。忍び込もうとしても無駄ですぞ?』

 

 と、このように一方的に云われて念話を切られてしまったのである。

 あれから何度も念話を送っているのだが、どこで覚えたのか、“こちらの念話は現在出られません。ピーッという発信音の後に御名前とメッセージをどうぞ”と巫山戯た対応をされて遮断されてしまうのだ。いや、せめて入れさせろよ、メッセージ。

 カンツラーも昔は武人として武者修行の旅をしていた時期があり、その頃に多くの出会いを経験していた。その出会いの中にどこのパーティにも入れて貰えずにいる剣士の卵がいたのだが、それが後に一番弟子となり、政治の世界に身を置いてからは右腕として活躍する事になるとは出会ったばかりの頃は想像すらしていなかった。

 即ち、先程、念話をしていたガイラント帝国宰相補佐官ブリッツその人である。

 一度組んで冒険して以降、カンツラーの強さに感激したのか、押し掛け弟子のように纏わり付かれてしまってからの腐れ縁であるが、元々にしてカンツラーの下について修行をしなければならぬほど弱くはなかった。むしろそこいらの剣士では相手にならぬ程の腕前であったのだが、彼が先祖より受け継いできた剣術は足を薙ぐ兵法を得意としていた為か、卑怯(・・)とされて誰からも相手にされなくなっていったそうな。

 カンツラーに云わせれば、相手の機動力を確実に削ぐ、極めて合理的な剣法であり、足を斬られる方が間抜けなのである。それを“卑怯”と喚き立てる方が卑怯(・・)ではないか、という旨を伝えたところ、感涙に濡れた挙げ句に“弟子にして下され”と付き纏われるようになったという。

 そのあまりのしつこさに根負けして、“弟子は取らぬが相棒としてなら”と同行を許し、以来、互いに『カッつぁん』『ブリッつぁん』と呼び合う名剣客コンビとして名を馳せていく事となる。

 このブリッツという男であるが、組んでみるとなかなか便利な男であった。

 旅の支度を頼めば、必要な食糧や道具を調達する際は店主をどう丸め込んだか賺したか、格安で用意する事が出来、それが旅の終わりにピタリと使い切れるのだ。

 道中にハプニングが起ころうと、急に仲間が増えようと、それを見越していたかのように食糧が足りなくなる事はなかったのである。

 一度、“千里眼でも遣えるのかね”と訊ねた事があったが、“行程のペースや人数の増減に合わせて調節しているだけです”と、しれっと答えてカンツラーを呆れさせたものだ。

 またこの男、“旅のモチベーションを維持するには美味い食事が一番である”という信念を持っているそうで、オークやオーガを思わせる厳つい見た目に似合わず美味い料理を作る事が出来る。その腕前は貴族から“うちの専属シェフになってくれ”とオファーが来るほどであり、相手が相手だけに断り方に苦慮したほどであった。

 しかし、それだけでは生き馬の目を抜く政治の世界で出世する事は出来ない。

 ブリッツは裏に回れば探索(・・)を得意としていた。

 それは冒険者がダンジョンを探索するのとは意味が全く違うものだ。

 この男、怪しげな貴族や商家、或いは無頼の裏を探る事に長けていたのである。

 貴族なら噂好きの召使いに小金を握らせる。無頼の手下を手懐ける。時には屋敷に忍び込む等々手口は様々であるがカンツラーの求める情報を手に入れて来るのだ。

 勿論、情報を精査し、真贋を吟味した上である。

 カンツラーはブリッツの一族が間諜を担う一族であると見ていたが、改めて問い質した事もなければ警戒した事もない。

 それはブリッツ本人を気に入っている事もあるし、何より旅を通じて彼を信頼していたからだ。一度信じた以上、カンツラーは決してブリッツを疑う真似はしない。

 カンツラーは“保身の為に疑うのは友にあらず。信じて裏切られも本望”という信念を持って仲間と接しているのだ。

 たとえ裏切られたとしても、何か事情があるはずと最後まで信じ抜くのがカンツラーの心意気であり矜持であった。

 仮に金に目が眩んでの裏切りだったとしよう。それでもカンツラーは“それもまた人の弱さ”と許してしまうのだ。

 もっとも裏切りや罠を切り抜けるだけの力を持っているからこそである。

 これもゲルダやゼルドナル、そしてセイラの教育の賜物であろう。

 後ろ盾を持たぬカンツラーが宰相にまで登り詰めたのは力や知恵のみならず、このような信念を持って行動してきた結果、絆で結ばれた仲間を得てきたからである。

 特にブリッツはゲルダに紹介した際に、“得難き相棒(とも)を得たな。この縁を大切にするが良かろう”と歓迎されたものだ。

 ただ近頃はブリッツも随分とふてぶてしくなったものである。

 カンツラーは半分がドラゴンである為か、体力が無尽蔵に湧き出してくるので休憩はおろか睡眠や食事さえも極僅かで済むようだ。だからか、目を離すと二十四時間、三百六十五日、年中無休で働きかねないところがある。

 加えて大気や火や水、大地など森羅万象に宿る精気を吸収しているので生まれて此の方疲労というものを感じた事は無い。また空腹感や眠気も同様である。

 その為、冒険者時代に野営をすれば寝ずの番を我から引き受け、ブリッツと出会う以前、食糧不足に陥った時は自分の分を全て仲間に分け与えていたものだ。

 その人間離れしたバイタリティーに惹かれた者達が仲間となったのだが、引かれて離れていってしまうケースがあったのも当然の事である。

 その中でも初めから今まで一貫してブレる事なくカンツラーに従ってきたのがブリッツだった。彼が()の手()の手でカンツラーを休ませてきたからこそ、“体力お化け”程度の異名で済んだところもあったのだ。でなければ、化け物呼ばわりする者も出てきたであろうし、事実、彼の生命力を魅力に感じた魔導師がカンツラーを捕らえて研究しようと狙ってきた事があったのである。

 その為、ブリッツはカンツラーを守る為にまず人と同じ(・・・・・・)バイオリズムに(・・・・・・・)沿った生活を(・・・・・・)させている(・・・・・)ところなのだ。

 強大な力を持つカンツラーの生活に干渉するのだ。嫌でもふてぶてしくなろうと云うものである。

 ゲルダが“得難い相棒”と評するのも尤もだと云えよう。

 

「そうそう、忘れていたよ」

 

「何をでしょう?」

 

 思い出したようにカンツラーの顔を覗き込む父親に何故か嫌な予感を覚える。

 

「ブリッツ君から伝言だ。カンツに今日を含めて一週間の休暇をくれるそうだよ。“ご子息が仕事に戻らないよう親として監督して下され”とも云われてしまってね。久しぶりに思いっきり遊ぼうじゃないか」

 

 逃げられないように抱きしめて頬擦りをしてくる父親にされるがままになりながらカンツラーのこめかみは皮下に別個の生物が這っているかのように脈動する。

 ブリッつぁん! お前、皇帝に何を云ってくれているのだ。

 今更、八十過ぎの爺さんと五十半ばのオッサンが何を遊べば良いのか教えてくれ。

 見た目は青年と幼児だが中身は酸いも甘いもかみ分けた皇帝と宰相だぞ。

 

「俺が子供の頃は鬼ごっこやかくれんぼばかりだったけど今時の子の流行りは何だろうなァ。あ、旅行に行くのも悪くないぞ。カンツは何がしたい? これからは時間もいっぱい取れるし、これまで遊んでやれなかった分を取り戻そうな」

 

 勘弁してくれ。何で父上はこうも乗り気なんだ?

 助けを求めて母を探すとそちらはそちらで学生に囲まれていた。

 ゲルダは学生達に滔々と何やら語り聞かせている様子だ。

 

「さあ、鳥居強右衛門(すねえもん)様は磔台にかけられて味方の居る城へ向けて“援軍は来ない。潔く城を開け渡せ”と伝えるように強要されている。断れば命は無い。さて、諸君、強右衛門様はどうしたと思うね?」

 

 なんとゲルダは学生達に自らが最も尊敬する鳥居強右衛門の布教をしていた。

 簡単な説明になるが、鳥居強右衛門は奥平家の家臣(或いは陪臣とも)であり、長篠の戦いにおける活躍でその名を耳にする事だろう。

 長篠城を武田勝頼に攻め込まれ、数日で落城するところまで追い詰められていた。

 そこで岡崎城にいる徳川家康に援軍を要請する使者となったのが強右衛門である。

 強右衛門は武田勢の包囲を潜り抜け、岡崎城にいる家康と織田信長に援軍の確約を得るとすぐさま長篠城へと引き返した。味方に一刻も早く朗報を伝える為だ。

 しかし運悪く武田勢に捕まってしまい。織田・徳川連合軍が駆け付けると知った勝頼は手早く長篠城を落とす為に強右衛門に虚偽の報告をするように強要した。

 だが既に死を覚悟していた強右衛門は味方に“ニ、三日で援軍が来るから持ちこたえるように”と叫んだという。

 これに怒った勝頼は強右衛門を磔刑に処してしまうが、朗報と強右衛門の死に様に長篠城内の味方の士気は上がり、援軍到着まで凌ぎきる事に成功する。

 この強右衛門の功績と忠義は魔王と畏れられた織田信長すらも感動させ、彼の子孫は栄え、現代もその血を遺しているそうな。

 ゲルダのみならずゼルドナルやカンツラーも話を聞いて尊敬に値する人物だと思っているが、神よりも足軽に重きを置く聖女というのも如何なものだろうと思う。

 強右衛門の死のくだりで身を揉んで泣く学生達に手応えを感じているらしい母にカンツラーは何とも云えない表情を浮かべる事となったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、ガイラント帝国宰相補佐官ブリッツは怪しげな集団と対峙していた。

 

「思い掛けず良い口実が向こうから舞い込んできてくれたお陰で宰相殿を城から遠ざける事に成功した。暫くは登城すら出来ぬだろうよ。後はお前達の勝手次第だ」

 

「感謝する。貴方に御仏の加護があらん事を」

 

 剃髪している若い男がブリッツの机に木箱を乗せる。

 箱を開けると中には最中(もなか)が入っていた。

 だが箱の高さにしては底が浅い作りとなっている。

 

「遣り方が回りくどいな。これが日本(・・)でいうところの“お約束”というものかね?」

 

 苦笑しながらブリッツが最中の底を持ち上げる。

 やはりそれは二重底となっていたのだ。

 中から現れたのは金貨であった。

 

「くくく、折角の山吹色の菓子(・・・・・・)、有り難く頂戴しよう」

 

「そうそう、これも忘れており申した」

 

 男はほくそ笑むブリッツの前に怪しげな液体の入ったフラスコを置いた。

 

「この霊薬をお命を断つ(・・・・・)三日前に飲み、全身に行き渡らせて下され。さすれば貴方様をより強靱な肉体へと転生(・・)させる事ができ申す」

 

 男の説明にブリッツは狂気染みた哄笑をあげた。

 

「おお! これが噂に聞く『転生の儀』に必要な霊薬か!」

 

「御意に御座ります。既に補佐官殿の来世(・・)に相応しい肉体の仕込みは完了しております。後は貴方様の魂を待つばかり……」

 

「うむ、齢五十を過ぎて何かと自由が利かなくなってきている肉体を早く捨てたいものよ。いざ、自ら命を絶つとなると躊躇いが生じるものと思っていたが、思いの外、私はこの肉体に未練が無いらしい」

 

 ブリッツは先程以上の狂喜を見せる。

 

「これで私はカンツラーに勝つ事が出来る!! 武人として一度も勝てず何度枕を濡らしたか分からん。いくら修行をしようとも、これからは衰えるばかりの体では最早カンツラーに勝利する事は出来まい!! だが、その屈辱の日々ももう終わる!!」

 

 ブリッツは霊薬とやらが入っているフラスコを頭上にかざす。

 

「強大にして不老不死の肉体をもってカンツラーより勝利を得る!!」

 

 更には両手を広げ、天を仰ぎながら哄笑まで始めた。

 

「何よりこの醜い顔と何度比べられた事か!! カンツラー!! 私は何よりお前の美貌を何度も呪ってきたのだ!! 待っておれ!! 美と強さを兼ね備えた新たな肉体を得た私の前に跪かせてくれよう!!」

 

 華々しい未来を夢見て笑うブリッツを見て男達も笑う。否、嗤う。

 彼らに取ってブリッツは体の良い駒に過ぎなかった。

 ガイラント帝国において自由に行動できる権利を得たならばもう用は無い。

 本来なら異世界の優れた戦士のみに権利を与えられる『転生の儀』を施すのは、一応の報酬であるからだ。最低限の義理を見せねば、今後の布教活動において信用を得られぬからという現実的な理由である。

 

「精々頑張ってくれ。聖女を誘き出すにしても、その息子を斬るのも有効な手段であるからな。お前がカンツラーを斃す事が出来たならばめっけ物と云うものよ」

 

 男達の侮蔑の笑みを知ってか知らずか、ブリッツの哄笑はいつまでも続いていた。




 サブタイにもある通り、今回のテーマは「裏切りと信頼」です。

 カンツラーは政治家である事から裏切りは当たり前の世界にいましたが、意外な事にカンツラー自身が人を裏切る事はありません。友達を疑うくらいなら裏切られても本望と思うレベルで信頼する男気があります。
 まあ、作中でもありましたが、裏切りにあってもそれを打ち破るだけの力がありますし、一層の事、罠を楽しめる狂気すらはらんでいたりします。
 仮に宰相の地位を追いやられたとしても、釣りバカ日誌の浜ちゃんのように「おいら免職だい♪」と潔く去れるだけの度量というか脳天気さも持ち合わせているのですね。
 流石に処刑されるような事態になったら全力で逃げますし、刺客や討伐隊などを送り込まれたら斬り捨てるだけの非情さも持っています。

 鳥居強右衛門を出したのは、命を捨てて義を果たした彼を今回のテーマと対比させたかったからです。
 彼の名前を初めて知ったのは確か「水曜どうでしょう」だったと記憶しています。
 最近では色々な歴史番組やコミックなどでも名前が出てきてかなり有名になっているようですね。

 さて、いよいよゲルダに四神衆を送ってきた敵が動き始めました。
 その標的はなんとガイラント帝国であり、ゲルダの息子のカンツラーです。
 果たして敵の思惑とは? カンツラーとブリッツの友情はどうなるのか?

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第弍拾章 宰相補佐官の真実

「はぁ? 補佐官が死んだ?」

 

 孤月院延光(こげついんえんこう)は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

 ぽかんと大口を開けて呆けてしまったとしても誰が彼を責められようか。

 まさかガイラント帝国で布教活動をする為に取り入った宰相補佐官ブリッツが早々に命を落とすとは想像すらしていなかった事である。

 

「一体何故?」

 

「そ、それが酒に酔って井戸に落ちたとか。しかも“俺はもうすぐ不死身の肉体を手に入れる”と吹聴していたとか」

 

 あまりに愚かな死に様に延光は頭を抱えたくなった。

 ガイラント帝国に潜り込めたからにはもう用済みであるが、だからと云って死んでしまっても構わないと思うような非情の男では無い。

 下にこそ見てはいたものの、転生武芸者となった暁には仲間として迎え入れるつもりではいたのだが、よもや酔って井戸に落ちるとは誰が予想できようか。

 

「それで彼は霊薬を…」

 

「いえ、服用している様子は見受けられなかったようです」

 

 延光の問いに答えるのは既に()として長年ガイラント帝国に住み続けている隠密である。延光がガイラント入りしてから隠密達が入れ替わり立ち替わり報告にきているのだが、その中の一人が齎したブリッツの死の報告は延光を動揺させるに充分だった。

 

「確か彼には妻子がいた筈だがどのような様子であったか分かるか?」

 

「屋敷の門を閉め、厳戒態勢をしいている様で中は伺えませなんだが、妻らしき女性(にょしょう)の泣き声が外まで聞こえてくる事から相当の悲しみようかと」

 

「左様か。御苦労だったな」

 

 隠密が部屋から出ると延光は両手を合わせて経を唱える。

 僧侶の身形は伊達ではなく、彼なりにブリッツを弔っているのだ。

 

「無念であったろう。だが、そなたの手引きによりガイラント帝国への入国できた事への恩は忘れぬ。転生武芸者にこそなれなんだが来世の幸福を祈っておるぞ」

 

 そこで延光ははたと思い至る。

 ブリッツが霊薬を飲んでいないのであれば、それは回収しなければならない。

 世に知られれば寺院にとって大きな痛手となる事は間違いないだろう。

 延光は懐から水晶玉を取り出して手を翳した。

 

「厄介な事態となった。天狐(てんこ)地狐(ちこ)の兄弟をこちらに寄越して欲しい。宰相補佐官の屋敷から霊薬を回収せねばならぬのだ」

 

 どうやら水晶玉は仲間との念話を補助する機能があるようだ。

 延光にしか聞こえない相手の声を聞き、彼は顔を綻ばせる。

 

「そうか、転生武芸者も送ってくれるか。これは心強い」

 

 しかし、次の瞬間、延光の顔は驚愕に彩られる事になる。

 

「いかん! いかんぞ! あやつ(・・・)だけは断じてならんぞ!」

 

 その顔には恐怖の色も混じり始めている。

 転生で得た力に酔い傍若無人に振る舞うならまだしも日に一度は血を見なければ収まらぬ戦闘狂、否、殺戮狂の名を出されて延光は狼狽した。

 首根っ子を押さえ付けて大人しくさせる自信はある。だが布教活動や作戦に組み込んで操縦するとなると自信の有る無しの話ではない。必ず破綻するだろう。

 下手をすればガイラント帝国を敵に回しかねない。

 そうなれば何の為に長い時間をかけて()を根付かせ宰相補佐官に取り入って帝国に侵入したのか分からないではないか。

 

「む? そうなのか? 気質は幼いとは思っていたがあの兄弟に懐いているとは…だが、それで操縦の余地があるとは云えぬだろう?」

 

 延光は暫く沈考していたが意を決したのか目を見開く。

 

「相分かった。下手に引き剥がして暴れられてはそちらも困るという事情も分からぬでもない。ならば九尾(つづらお)は天狐・地狐兄弟に任せてみよう。では至急彼らを送ってくれ」

 

 念話が終わったのか延光は水晶玉を懐にしまう。

 そして首を傾げたものだ。

 

「果たして天狐達はあの制御不能と思われた殺人鬼をどうやって手懐けたのか」

 

 その疑念も一瞬で頭から振り払い、延光は霊薬奪還に向けて策を練るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「これがその霊薬でござる。ご検分を」

 

 岡持からフラスコを取り出す出前持ちにカンツラーは頬を引き攣らせていた。

 逆に両親は“これは思いも掛けぬ馳走が来た”と笑って出前持ちを労っている。

 

「待て待て。色々云いたい事はあるがまず云わせろ。何だ、その珍妙な恰好は?」

 

「見ての通り、今の拙者はしがない出前持ちですぞ。貴方(あーた)がいつも利用している出前先に無理を云って代わって貰ったのですな」

 

 そういってガイラント帝国宰相補佐官ブリッツはカンツラーの前に熱々のラーメンを置いた。カンツラーが贔屓にしている店のメニューには無いブリッツのみがレシピを知る料理である。

 

「いや、普段から酒を嗜まない君が酔って井戸に落ちたと聞いた時は、“有り得ぬし、そもそも、それくらいで死ぬタマか”と思ったものだが何をしているのだ」

 

 

 

 

 屋敷の景観にそぐわない鹿威(ししおど)しがコンと鳴る。

 

 

 

 

「という訳でして、ゲルダ様よりお聞きした四神衆とやらの仲間と思しき者達を引き付けておきまして御座います。それに拙者が霊薬を飲んでいないと知れば必ず取り戻しに参るでしょうから是非ともお出まし願えればと存じます」

 

「味方ながら恐ろしいヤツだな。私が一週間の休暇で城から遠ざけられ、お前も死んでみせる事で連中の油断を誘い、のこのこと姿を見せれば背後から一網打尽という事か」

 

「御意に」

 

 だがな――幼い半人半龍の少年は眼鏡の位置を直しながら続ける。

 

「屋敷に残ってる女房殿と娘御、それに使用人達は大丈夫なのか?」

 

「心配には及びません。妻子は秘やかに妻の実家に匿って貰ってますし、使用人達も順に『水の都』の『塵塚』のオババ様からお借りした従者と入れ替えております。明日の昼までには当屋敷は『水の都』の従者のみとなりましょう」

 

「偉い。聞いたか、ブリッツもこうして一人で背負わず『塵塚』の母者に協力を要請しているではないか。カンツも見習ったらどうだな」

 

 噛まずとも口の中で蕩けるまでに丁寧に煮込んだチャーシューを堪能しながら窘めるゲルダにカンツラーは溜め息をつきたくなるのを必死に我慢する。

 

「その話はいずれまた。それで今のところ敵の動きはどうだ?」

 

「目立った動きはありませんな。拙者の屋敷を遠巻きに見張るだけの毎日です。或いは雲水姿の僧侶達が方々に散らばって托鉢している姿が見られましたな。恐らくはガイラント帝国の地理把握や情報収集が目的でしょう」

 

「左様か。私もその敵を見てみたいのだが、どこにいるか分かるか?」

 

 餃子を箸でいらいながら問うカンツラーに、ブリッツは待ってましたと云わんばかりに破顔した。

 

「拠点とするようにと拙者の別荘を提供してござる。連中も渡りに船とばかりに喜んでおりました」

 

「流石はブリッツ君だ。そつというものがない。本当にカンツは良い相棒を持って幸せだな。これからもカンツの事を宜しく頼むよ」

 

 レンゲにすくい、息を吹きかけて程良い塩梅にまで冷ました炒飯をカンツラーの口元に運びながらゼルドナルがブリッツを褒めそやした。

 そのレンゲを奪って炒飯を父の口に入れつつカンツラーは提案する。

 

「確か君の別荘の近くには自然公園があったな。そこで偵察をしてみるか」

 

「ならば俺も行こうよ。子供が一人でいるよりは親子連れの方が怪しまれないだろう。勿論、ゲルさんもな」

 

 カンツが食べさせてくれたからより美味しいなぁと恵比寿顔の父にカンツラーは額に手を当てて今度こそ溜め息をついた。

 自然公園と聞いてから浮き足立っているのが分かる。

 偵察にかこつけて自分と遊ぶつもりなのがありありと見て取れたからだ。

 

「ではワシは弁当を用意しよう。カンツは潰した茹で卵をマヨネースで和えた具を挟んだサンドイッチが好きだったよな。他にも苺のジャムとスコーンも持って行こう」

 

 ああ、ダメだ。二人の頭は完全に行楽モードに入っている。

 これは偵察して、はい、お終いでは済まないだろうな。

 公園で何をして遊ぼうかと相談を始めてしまった両親を尻目にカンツラーはブリッツへと向き直る。

 

「敵の面相が分かる物はあるのか?」

 

「記憶にある限り人相書きを作製しておりまする。まずは拙者と交渉していた孤月院延光殿です。年齢、実力、交渉役を任されていた事からガイラント入りした者達の中でも上に位置すると思われます。或いは指揮官かも知れませんな」

 

 六十絡みの禿頭(とくとう)の男の人相書きを指し示した。

 一見、穏やかそうだが、顔面を縦真っ直ぐに走る刀傷が彼のこれまでの経験を物語っている。

 

「身の熟しからして相当の実力者である事は間違いありませんな。いざ戦うとなれば拙者も命懸けで挑まなければならぬでしょう」

 

「君にそこまで云わせるか。ならば私も気を引き締めてかからねばな」

 

 それから延光の護衛や秘書の人相書きも見せられたが、それほど脅威にも感じなかったそうである。

 

「よし、大体の顔触れは分かった。明日にでも自然公園に行ってみるとしよう」

 

「了解しました。拙者の方でも出来る限り情報を集めておきましょう」

 

「気を付けろよ。君が生きていると分かれば連中は君が敵であると確信するだろう。一番危ない橋を渡っているのは自分であると胆に銘じておけ」

 

「云われるまでもなく。では、拙者はこれで」

 

 ブリッツは空になった器を岡持に回収すると一礼して背を向ける。

 しかし途中で振り返ってニヤリと笑う。

 

「それにしても善くお似合いです。今度、拙者の娘とお揃いの服を着て絵のモデルになって頂きたいものですな」

 

「やかましい! さっさと行け!」

 

 緑を基調としたゴシック風ドレスを着たカンツラーの怒声に追い立てられるようにブリッツは笑いながらカンツラー邸を出て行った。




 前回に裏切っていたと思われた宰相補佐官ブリッツでしたが、実は裏切っていませんでした。
 カンツラー経由でゲルダが会敵したという話を聞いていたブリッツは報酬に転生を持ち掛けられて、この連中は四神衆とやらの仲間に違いないと仲間になるふりをして情報を得ようとしていたのですね。
 同時に監視をしやすくする為に自分の別荘を拠点として提供するあたり抜け目がありません。

 ここ数話、カンツラーを中心に話が進んでいますが、彼もまた主役の一人だったりします。
 剣客商売の秋山大治郎をイメージして頂ければ分かりやすいかと思います。
 現在は謂わばガイラント帝国編ともいうべきシナリオで、敵は孤月院延光を中心に、今のところ、名のみですが助っ人として呼んだ天狐・地狐兄弟と転生武芸者の九尾となるでしょう。

 それではまた次回にお会いしましょう。



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第弍拾壱章 国立自然公園

「ほう、広いだけではなく四季の花々の彩りも美しいことであるな」

 

「国立自然公園、年間利用者は延べ百五十万人とあります。“文明と自然の調和”をテーマとし、遊歩道に始まり、アスレチックに屋外コンサート会場、バーベキューにキャンプ場と設備も充実しておりますな。川や池こそ人工のものですが豊かな自然は人々の心を大いに癒やしているとか。ガイラント帝国にあって人気の観光スポットで御座います」

 

 父ゼルドナルに抱かれたカンツラーが母ゲルダに自然公園の解説をしている。

 近代化が進み、開発の為に失われつつある自然に歯止めをかける為、ある貴族が提案した公園建設を受けてカンツラーの号令で作り上げたのがこの公園であった。

 人工の川や池といった水の流れは『水の都』をヒントにしたという。

 何故なら伝説によれば『水の都』の水路は水の精霊の意見を取り入れて設計したもので、国中(・・)の隅々まで均等に水が行き渡るようにしているそうな。

 一見、複雑に入り組んだ水路は上空から見下ろせば水の精霊を象徴するシンボルであり、精霊の加護が宿っているとされている。

 故に自然公園の水路は簡略化されてはいるものの澱む事無く流れて草木だけでなく、そこに棲む生き物を育み鳥獣を潤しているのだ。

 更にはその応用で木の精霊の意思に沿った植林をする事により植物の生長を促し、しかも開発による彼らの怒りを和らげたという。

 もしカンツラーが人間であったのなら木の精霊も聞く耳を持たなかったであろうが、半分とはいえこの世界でも最強種であるドラゴンであり、水の精霊に愛されている『水の都』の住人であったが故にオブザーバーにもなって貰えたのだ。

 余談ではあるが自然公園の建設を提案した貴族はカンツラーにより“云い出しっぺの法則というものがあってだな”と環境保護大臣なる役職を与えられ、日々帝国の自然保持の為、激務に追われているそうな。

 

「それでブリッツ君の別荘はどこだい?」

 

「あの先の丘を登ると展望台があり、そこからブリッツの別荘を見下ろせます。偵察ついでに別荘を出入りする者全てをマーキングしておきましょう」

 

 カンツラーはなだらかな丘を指さすがゼルドナルは動こうとはしない。

 不審に思って父の顔を覗こうとするも、小声で話しかけられた。

 

「俺達の背後を歩く犬を連れた女性が見えるかい?」

 

 云われてカンツラーは不自然にならぬよう後ろを確認すると確かにいた。

 白い子犬を連れた大きなつば(・・)のある白い帽子を被った夫人が一人。

 一見すると犬の散歩をしているどこにでもいる中年女だが何かがおかしい。

 

「人と目を合わさぬように意識するあまりかえって視線の向きが不自然になってしまったのだ。いくら自然豊かな公園とはいえ、視線をずっと横に向けるなど不自然にも程がある」

 

 違和感の正体は視線(それ)か。

 

「ふむ、この公園からブリッツ君の別荘を見下ろせるのは敵も承知しているのかも知れないね。だから別荘を見張る者がいないか探っているの可能性もある。謂わば“見張りの見張り”だ」

 

「つまりは私達を、否、周囲にいる利用客達を疑っていると? だとしたら敵は間抜けですな。そんな事をすれば自分達はやましい事をしていると自ら告白しているようなものでしょう」

 

「孤月院とやらは余程猜疑心が強いのか、或いは気の利いた(・・・・・)手下の独断か。どちらにせよ、このままあの丘に行くのはマズいぞ。下手をしたら敵であると見抜かれて逃げられてしまうやも知れぬ」

 

 ゲルダの言葉を受けてカンツラーは一計を案じる。

 

「父上、私を降ろして下され」

 

「カンツ? どうしたんだい?」

 

「相手の出方を見ます。はしゃいで駆け回り派手に転んで泣いて見せれば反応を見せるでしょう」

 

「分かった。だけど泣く演技は意外と難しいと聞くよ。大丈夫かい?」

 

 心配する父の言葉に幼げな顔に笑みが浮かんだ。

 

「私はこれでも三十年近く政治の世界に身を置いているのです。泣きたい時に泣くくらいは当然の嗜みで御座います」

 

「息子の口から嫌な言葉を聞いたわ」

 

 ゲルダの尤もな感想にカンツラーは苦笑する。

 

「では行ってきます」

 

 遊歩道に降ろされたカンツラーは歓声を上げながら駆け回る。

 ちょこまか走る我が子にすかさずゲルダが声を掛けた。

 

「そんなに走ると転びますよ!」

 

 その姿は我が子を心配する母親そのものであり不自然には見えない。

 大丈夫、とずんずん走っていくカンツラーもまた誰が見ても無邪気な子供である。

 

「あっ?!」

 

 そうこうしている内にスカート(・・・・)の裾を踏んで盛大に転んでしまう。

 予定通りカンツラーは立ち上がると全身を振るわせて泣き始めた。

 

「あぐう……おお…ふぐぅ……」

 

 天を見上げて震えただただ嗚咽をもらした。

 その様子を見ていたゼルドナルのこめかみにデフォルメされた汗が垂れる。

 

「あれじゃ男泣きだよ。どこの世界に咽び泣く幼い女の子(・・・・・)がいるんだい」

 

 かつて強力な台風がガイラント帝国を襲い甚大な被害を出してしまった事があるのだが、記者会見でその犠牲者に御悔みを述べる際に男泣きしていたカンツラーを思い出したのだ。帝国民に犠牲が出た事自体は哀しかったのは事実であるが、涙に関しては演技であったというのであるから親として複雑な気分にさせられたものである。

 勿論、カンツラーが無情なのでは無い。被災地の救護活動や避難誘導の指揮を取る為に感情を律するあまり悲壮感を表に出せなくなってしまっただけの話なのだ。

 

「あらあら、云わない事じゃない。大丈夫よ。母様がすぐに傷の手当てをしてあげますからね」

 

 ゲルダがカンツラーに駆け寄っていくのを見届けるとゼルドナルは、医務室はどこか、と周囲を見渡した。

 周囲にいる人々は何事かとこちらを見ていたが、例の女はなんと泣くカンツラーが目に入っていないかのように通り過ぎていったではないか。

 近くの利用者の中には心配げにカンツラーに声を掛ける者もいたのにである。

 泣く子供に関心が無いのではない。監視している事を周囲に悟られないように集中するあまり咄嗟の事に対処できなかったのだろう。その証拠に今も尚、カンツラーから無理があるレベルで顔を背けていたのだ。

 やはり見張られているのは確実であった。

 ゼルドナルが片眼鏡(モノクル)越しに女を見ると、彼女と重なるように赤い三角のマークが付いた。『塵塚』のセイラがゲルダ達に与えた眼鏡の機能の一つでマーキングといい、赤い三角は敵ないし要注意人物である事を示している。しかも一度マーキングをすればゲルダとカンツラーの眼鏡にも情報が共有される優れ物だ。

 他にも怪しい動きをしている者がいないか探るが少なくとも目に入る範疇には敵はいないようである。隠れている様子もない。

 取り敢えずカンツラーの治療が終わったようなので、声をかけてくれた老夫人に礼を述べると(くだん)の丘を目指す事にした。

 

「展望台と云っても櫓に毛が生えたものと思っておったが、なかなかどうして立派なものであるな」

 

「海抜百メートルの大展望台、螺旋階段を登るのは大変ではありますが、頂上の展望ラウンジからの眺めは最高ですぞ」

 

「ほう、これは確かに絶景だね」

 

 展望ラウンジは総ガラス張りとなっており遠くまで景色が善く見えたものだ。

 階段を登るのはキツイがその労力に見合う大パノラマがあった。

 一行は遙か遠くに見える海や山々を堪能しながらブリッツの別荘が見える位置まで移動する。

 

「あれがブリッツ君の別荘か。自然公園の近くに建てただけあって景観を損ねない良いデザインだけど、敷地にいるのは総じて頭を丸めた厳つい男ばかりだなぁ」

 

「武器は所持していないが手練れであるのが一目で分かるな」

 

「ブリッツが別荘を提供してくれたからこそ奴らは集まっているのです。もし散り散りとなったり地下に潜られなら面倒な事になっていたでしょうな」

 

 口では「高いねぇ」とか「鳥さんがいるよ」とか微笑ましい家族を演じているが、脳内では念話で繋がっており、互いに気付いた所を報告して情報の共有をしていた。

 一通り観察とマーキングを終えるとカンツラーは非常階段まで移動する。

 出口の扉には施錠を施されていたが、あらかじめマスターキーを用意していたので鍵を開けると素早く外に出た。

 

「他の客の死角になるよう扉の前にいて下され」

 

「何をするつもりだな?」

 

「別荘の真上から偵察してみようと存じます。指揮官と目されている孤月院の顔だけでも確認しておきたいのですよ」

 

「相分かった。気を付けよ」

 

「無理だけはしてはいけないよ?」

 

「承知」

 

 カンツラーは非常口から外に出ると階段を登っていく。

 屋上に出たカンツラーはワンピースの腰のあたりから出ている紐を引いた。

 すると服の背中部分が外れて白い肌が露出したではないか。

 

「周囲に人の気配は無し…では行くか」

 

 カンツラーは龍の翼を展開すると大きく羽ばたいた。

 なんとその一回だけで彼の姿は遙か上空にあったのだ。

 

「さてさて、孤月院殿はいらっしゃるかな?」

 

 風を切る音も無くカンツラーは一キロメートルも離れたブリッツの別荘上空まで一瞬にして辿り着いた。

 

「うぅむ…空からでは見えないか?」

 

 銀縁眼鏡にはブリッツから提供された別荘の映像が立体的に映し出されていた。

 別荘をあらゆる角度から撮影した写真数千枚を解析して立体モデルを起ち上げるフォトグラメトリという技術らしいが、『塵塚』のセイラお祖母(ばあ)様はどこでそのような技術、否、概念を得たのか聞いてみたいものだ。

 カンツラーは立体モデルを元に上空から捜索するが、別荘の奥にでも引っ込んでいるのか留守なのか、孤月院延光の姿を見つける事はできなかった。

 

「空振りか。あまり深追いし過ぎてこちらが見つかってしまっては本末転倒というもの。戻るとするか」

 

 別荘に背を向けて展望台に戻る。

 ワンピースの背中部分を拾い、非常階段を降りようとする背中に声がかかる。

 

『なあ、その翼は本物か?』

 

「何だ?!」

 

 振り返ると長い黒髪をポニーテールにした小さな子供がいた。

 

「敵か?! まさか見つかった?! 上空五百メートルを飛んでいたのに?!」

 

『お前、空を飛べるなんて良いな! 面白そうだ!』

 

 無邪気に笑う子供の顔を見て愕然とする。

 目の強膜は黒く、瞳は赤い。話に聞いていた転生武芸者だ。

 やはり孤月院は四神衆の仲間だったのか。

 確信を得たのは良いが目の前に脅威が迫っている事には変わりは無い。

 

「貴様は一体何者だ? あの別荘にいる者達の仲間なのか?」

 

『んー…仲間…なのか? あいつら弱っちくて面白くないからどうでも良いよ』

 

 ポニーテールの子供はニッカリと笑った。

 

『俺は九尾(つづらお)っていうんだ。お前、俺よりチビだし強そうには見えないけど翼は生えてるし角もあって面白そうだよな!』

 

 迂闊! 高所を飛行していた事で慢心が生じていたか。

 九尾と名乗った子供は楽しそうな雰囲気を崩さず、笑いながら手を差し延べる。

 その手の意味がわからずカンツラーは困惑した。

 

『なあ、今から俺と喧嘩しようぜ。面白い喧嘩ができたら子分にしてやるよ』

 

 どういう理屈だ?

 殺気こそ見せていないが自分と戦いたがっているのは理解出来た。

 マズい。このまま戦闘を始めては公園の職員や利用客も巻き込みかねない。

 

『行くぞ!』

 

 打開策を見出せない中、九尾が一気に間合いを詰めてきた。

 速い。これは万事休すかと思ったその刹那、盛大な腹の虫が鳴り響き、九尾はその場にて倒れてしまったのだ。

 

「へ?」

 

『腹減った……天狐(てんこ)兄ちゃん、昨日から何も食わせてくれないんだもんなぁ。地狐(ちこ)姉ちゃんの風呂を覗いただけなのに…ほんの可愛い悪戯だと思うよな?』

 

 知らんよ。そもそも天狐と地狐とは誰だ?

 ただこれだけは云える。同性相手でも(・・・・・・)覗きは覗きだろう。

 食事抜きは妥当な罰ではないのかね。

 

『そんなぁ……でも地狐姉ちゃんは笑って許してくれてたんだぜ? 天狐兄ちゃんが一人で怒ってるんだよ。あーあ、夕べは好物のカレーだったのになぁ』

 

 だから知らんよ。

 呆れていると幼い少女の腹の虫が再びカンツラーの耳朶を打った。




 ガイラント帝国は鉄に覆われた軍事国家のようで意外と自然を大切にしていました。
 精霊とも共存していますし、意外と謙虚な国だったりします。

 新キャラが登場しました。
 転生武芸者でありながら何故か人格が幼く、その上交戦的です。
 前世の記憶もない状態ですが果たして理由はどこにあるのでしょうか?

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第弍拾弍章 楽しい昼食

『これ美味いな! あ、これも! こっちも美味い!』

 

「はははは、誰も取りはせんでな。ゆっくり食べる事だ」

 

 芝生の上に広げられたレジャーシートの上でゲルダ達は弁当を使っているのだが、如何にも上流階級で御座いという装いの家族に混じって一際異彩を放っている幼い少女がいた。

 袖口や裾がほつれた僧衣姿の少女が右手にサンドイッチ、左手に握り飯を持って楽しそうにニコニコと笑っている。

 異世界より選ばれし武芸者の魂を呼び寄せ、新たな肉体を与える『異世界転生』の儀によって再誕した転生武芸者と呼ばれる異形の者だ。

 九尾(つづらお)と名乗ったこの少女も転生武芸者最大の特徴である黒い強膜と赤い瞳、四角の瞳孔を持っているのだが些か気質が幼すぎる嫌いがある。

 転生武芸者の強みは前世で培ってきた武術と知恵を転生後に強化された新たなる肉体で生かす事にあるはずなのであるが、その振る舞いは武人とは思えない。

 

『美味い美味いうまっ?! んぐぐぐぐっ?!』

 

「一度に頬張るからだ。ほら、お茶だ」

 

 喉詰まらせた九尾にお茶を手渡した後、背中を擦っているカンツラーの姿はさながら腕白な姉を世話するしっかり者の妹といった風情だ。

 

「口元も…じっとしていろ」

 

 御飯粒やジャムで汚した口元を拭ってやる姿はどちらも幼い姿という事もあって微笑ましい。

 

「ゼルさんが皇帝を引退したらもう一人子供を作るのも良いな」

 

「ああ、カンツもそろそろ弟か妹が欲しいだろうしね」

 

 いやいや、この歳で今更兄弟が欲しいとは思わぬわい。

 まあ、隠居した二人が子育てしたいと云うのであれば弟ないし妹の誕生を祝福するし、面倒を見る事も吝かではないが。

 

「母者も云っているだろう。誰も取りはしないからゆっくり(しょく)せ」

 

『だって、みんな美味いんだからしょうがないだろ。寺ン中だと精進料理ばかりだし肉も魚も滅多に食えないんだからさ。あ、このハムサンドも美味い!』

 

「ふふふ、これだけ景気良く食べてくれると作った甲斐があったと云うものだ」

 

 ゲルダは九尾の口元についている御飯粒を取ると自分で食べながら笑ったものだ。

 何故、敵である転生武芸者と仲良く弁当を囲んでいるのかと問われれば、倒れるほどに空腹を訴える九尾をカンツラーが放っておけなかったからである。

 無視をしても良かったのだが、幼い子供が空きっ腹を抱えて腹を鳴らしている様は流石に見捨てるには絵面が悪すぎた。

 カンツラーは九尾を睥睨しつつ数分の沈考の後、上杉謙信が宿敵・武田信玄に塩を送った故事もある事だし、食事を与える事で懐柔出来るかも知れぬと何故か云い訳染みた理屈をつけると九尾を食事に誘ったのである。

 勿論、九尾が飛び付くようにその招待を受けたのは云うまでもない。

 その後、ゲルダが用意した弁当を目の当たりにして、九尾を誘って正解だったとカンツラーは胸を撫で下ろしたのだった。

 カンツラーも両親が腹を空かせた子供を拒絶するとは微塵も思ってはいなかったが、まさか握り飯やサンドイッチに始まり、唐揚げや卵焼きなどが山の様に積まれるとは想像すらしていなかった事である。

 

「余ったとしても『塵塚』の母者から分け与えられた『塵塚』に仕舞えば無尽蔵に、しかも半永久に腐らせる事無く保存出来るのであるから問題はなかろうて」

 

 ゲルダの白い指が宙に輪を描くと、その輪の中が夜の闇のように黒くなり中から貧乏徳利が現れた。

 ゲルダは盃に酒を注ぐとぐいっと一気に煽る。

 

「赤く色付く紅葉と秋の花を愛でつつ呑む酒のなんと美味い事よ」

 

 子供のいる前で真っ昼間から呑むのは如何なものかと思わないでもないが、母にとって唯一の道楽であり、偵察とはいえ半ば行楽である事もあってカンツラーは口を閉ざしておこうと決めた。

 

「流石はゲルさん、ドレスにそぐわないはずの貧乏徳利もゲルさんが持つと途端にしっくりくるのだから不思議なものだね」

 

「聖女を名乗る気は今も尚無いがな。カイムに勇者と木の精霊の力を制御する(すべ)を伝授し導いている褒美を雷神殿がくれると云うでな。遠慮のう灘酒が無限に出る(・・・・・・・・)貧乏徳利(・・・・)を賜った。中々ワシの口に合うものが出来ず、何度も作り直させたが、ここ最近になって漸く完成したのだ」

 

 雷神ヴェーク=ヴァールハイト曰く、普通、神から賜り物がある際には力やスキル、或いは知恵を希望するのが相場であるらしいが、母としては、修行を続けていればいずれ手に入るのだから、人の世では手に入らぬ物を所望すべきであるという事らしい。

 

「近日中には美味いワインが沸く酒瓶も完成するそうだ。何とも楽しみな事よ」

 

 握り飯を肴に杯を傾ける母親にカンツラーは何ともいえない表情を浮かべる。

 聞いた話では、その二つだけでは母が三百年の人生で行ってきた偉業には足りず、味醂や醤油、味噌、酢などの調味料の材料が無限に沸く蔵も近々天界より下賜される予定なのだとか。

 

「ワシの前世の父上は武士ながら味噌や醤油を家で作っておられたからな。ワシも幼い頃より手伝わせれたものよ。その知識と経験が役に立っておる。持つべきものは玄人跣の技術(わざ)を持つ親であるな」

 

 仕明(しあけ)吾郎次郎(ごろうじろう)の父・仕明二郎三郎(じろうさぶろう)は武術こそ拙かったそうであるが、知に明るく心優しい人だったそうである。

 また武士としては腰が低く、人からも好かれる質で、味噌や醤油を作る技術も知己となった職人から“売り物にせず自分の家で使うのなら”と教えて貰ったそうだが、いつしか本職さえも唸らせる程の物を作り上げてしまったという。

 それこそ噂を聞きつけた高級料亭が高く買い取るとまで云ってきたそうであるが、父は頑として首を縦に振らなかったという。職人との約束を守ったのである。

 

『ふーん、そういうの嫌いじゃないぜ。やっぱり人は約束を守ってナンボだよ』

 

 味噌を塗った焼きおにぎりをぱくつきながらの言葉に一同は九尾を見た。

 指に付いた味噌や御飯粒を舐め取りながら九尾はきょとんとしている。

 

『何だよ? 俺、変な事を云ったか?』

 

「いいや、何もおかしな事は云うてはおらぬぞ。それより父上を褒めてくれてありがとうのう。ワシにとって自慢の御方であるからな」

 

 ゲルダは微笑んで九尾の頭を撫でる。

 それが心地良いのか、九尾も“にへぇ”と笑った。

 

「一口に転生武芸者と云ってもそれぞれなんだね。育てた人が良いんだろう」

 

『えー、天狐(てんこ)兄ちゃんは俺が悪戯するとすぐぶん殴ってくるぜ? 特に地狐(ちこ)姉ちゃんの風呂を覗いたり胸を揉んだりするとそりゃもう怖いんだ』

 

「先程も同じ事を云っていたな。だが、やはり自業自得であろうよ。躾であろうと幼い少女を殴るというのはあまり褒められたものではないが、貴様は転生武芸者なのだろう? つまり実際は前世を含めて相当生きているのではないのか?」

 

 幼い姿にかこつけて地狐とやらに性的な嫌がらせをするのは卑劣なのでは無いかとカンツラーは詰る。

 対して九尾は腕を組んで首を傾げている始末だ。

 

『んー…みんなも俺の事をその転生武芸者だって云うんだけど、善く分からねぇ。その前世? …の記憶なんて無いしさ。それに俺も何で女の裸を見たいのか、自分で分からないんだ。自分も女なのにおかしいよな』

 

「前世の記憶が無いとな? それで天狐とやらは何ぞ云うてはいないのか?」

 

 ゲルダの問いに九尾は上を見上げつつ人差し指を顎に当てて考えている。

 やがて思い至ったのか、やはり首を傾げて答えた。

 

『天狐兄ちゃん、こんな事を云ってたな。“前世の記憶が無いのは普通の事だ。有る方がおかしいのだ。今のお前は九尾、それで良いじゃないか”って、今にして思えば俺に前世の記憶を思い出して欲しくないようにも受け止められるよな?』

 

「どういう事だ? もしや天狐と貴様の前世には繋がりがあるのではないのか? それもあまり良い関係ではなさそうであるな」

 

『そうなのかな? そういや地狐姉ちゃんも“女同士になったんだし、私の胸くらいいくらでも見せてあげるし触らせてあげますよ”って云ってたな』

 

「女同士になった、な。天狐らが貴様の前世と関わりがあるのは間違いなさそうだ」

 

『うーん、でもお前の話じゃ俺の前世と天狐兄ちゃんと地狐姉ちゃんの仲は悪そうなんだよな? じゃあ、なんで二人は俺に良くしてくれるんだ?  そりゃ天狐兄ちゃんは怒ると怖いけど普段は善く遊んでくれるし、寺の連中には内緒で美味い飯を食わせてくれるんだぜ。特にカレーは最高だな!』

 

「仲が悪かったのでは、というのは飽くまで私の推理だ。天狐とやらを善くは知らぬから貴様の言葉から推察しているに過ぎん。実際に会えば……ッ?!」

 

『あ……』

 

 四人はほぼ同時に一方を見る。

 そこにいたのは僧衣を纏った二人組であった。

 

「まったく、どこへ雲隠れしたのかと思えばこんな所で何をしているのだ?」

 

 背丈はゲルダとほぼ同じくらいか。

 小柄でクセっ気のある黒髪を腰まで伸ばした若い女が九尾を睥睨している。

 腰の帯に小刀を二本差している事からソレが得物なのであろう。

 

「て、天狐兄ちゃん…ごめん」

 

 否、どうやら男であるらしい。

 九尾の謝罪に天狐はばつが悪そうに頭を掻いた。

 

「飯抜きを昨晩だけにすれば良いものを朝も与えなかったのはやり過ぎだった。もう怒ってないから帰って来い。そちらの御家族にもご迷惑をおかけ申した」

 

「いや、お弁当は沢山用意していたからね。むしろ楽しい昼食になった。九尾ちゃんには感謝しているくらいだよ」

 

 九尾の頭を撫でるゼルドナルに天狐は恐縮する事しきりだ。

 その様子に大柄の人物も前に進み出た。では、こちらが地狐か。

 身長はゼルドナルをも優に超えている。190センチ程か、下手をすれば2メートル前後まであるやも知れない。

 顔立ちが深窓の令嬢を思わせる上品な美形だけに余計に異様である。

 

「九尾、兄様(あにさま)は貴方がいなくなったと知って、それは心配して方々を捜していたのですよ。勿論、私もです。他にも心配して下さった方達もいます。もう勝手な事をしてはなりませんよ」

 

『地狐姉ちゃんもごめん』

 

「分かって貰えたのなら良いのです。そちらの御家族様におかれましては九尾に食事を与えて下さった事も含めて厚くお礼を申し上げます」

 

「いや、夫も云った事だが楽しかったのはこちらも同じ事。九尾の食べっぷりは見ていて気持ちの良いものであったぞ。それよりもである」

 

「ええ、囲まれています」

 

 地狐が六尺はあろうかという鉄製の六角棒を手にして振り返る。

 見れば多数の男達が八方から輪を狭めるように近づいてきていた。

 男達の中にはマーキングされた者も散見する。

 しかも赤い三角に“01”とナンバリングされていた者までいた。

 それは本日最初に敵としてマーキングされた事を意味し、つまり先程犬を連れていた夫人であったはずなのだが、今の姿は匕首(あいくち)を手に下卑た笑みを浮かべる男であった。

 

「貴方達、九尾はこの通り無事に見つける事が出来ました。そのような物騒な物は仕舞って退きなさい」

 

 男達は地狐の言葉を聞くどころか更に輪を狭めてくる始末だ。

 ブリッツの別荘に出入りしている者達と天狐らは仲間ではないのか?

 

「九尾? そんなのはどうでも良い。俺達はそこにいる女に用があるのだ」

 

「このご婦人に?」

 

 訝しむ地狐に男達は小莫迦にするような笑みを浮かべる。

 

「そんな近くにいてまだ分からないのか? その女こそ四神衆を斃した聖女ゲルダよ。どこの世界に転んで男泣きする餓鬼がいる。怪しすぎて調べてみれば女は噂の聖女様じゃねぇか。しかも様子を見れば宰相補佐官とかの別荘を見てやがったよな?」

 

 男が凄むがこの場にいる者で怖気付く者など一人もいない。

 むしろゲルダは呆れ果ててしまっている。

 

「無粋な。我らは行楽の最中だ。一家の団欒を邪魔するつもりか」

 

 瓶底眼鏡を外すと金の瞳が現れる。

 途端に男は金縛りにあったかのように全身が硬直した。

 

「それに俺達は展望台から景色を見ていただけだ。確かにブリッツ君の別荘は見えたが、アレだけ離れているのに見るも何もないと思うけどね? 何か見られると都合の悪いモノでもあるのかい?」

 

 彼らの眼鏡には望遠機能もあるのだが、端から見れば確かに景色を楽しんでいるようにしか見えない。彼らの行為は知らぬ者が見たならば自意識過剰な云い掛かりにしか思えないだろう。

 ゼルドナルが立ち上がり、家族を守る為に前に出る。

 

「天狐殿で良かったかな? 見れば仲間のようだが家族に手を出そうとするのであれば俺も黙ってはいられないんだけどね」

 

「連中は上層部(うえ)の中でも過激な一派が戦力として金で手懐けた半グレどもだ。そこそこ腕は立つが躾がまるでなってない野良犬のようなやつばらだ。遠慮はいらぬ。存分に叩きのめして構わない。元々拙僧にとっても奴らは不快であったのだ。ご助勢致す!」

 

 なんと天狐が腰の小刀を抜いてゼルドナルと並んだではないか。

 しかも地狐も六角棒を手に彼らの背後を守っていた。

 

「テメェら、裏切るのか?!」

 

「裏切るも何も貴様らを仲間と思った事は無い。それに九尾の事で迷惑をかけてしまった手前もある。いずれは戦う事になるであろうが、今は義により助太刀するのだ」

 

「お気を悪くなさらないで下さい。四神衆の白虎殿は兄様と将来を誓い合った仲だったのです。無論、私とも仲良くさせて頂きました。この場は手をお貸し致しますが、日を改めれば聖女ゲルダ様に勝負を挑ませて頂きまする」

 

「相分かった。今が味方であると確約してくれるのであれば、それで良い」

 

 ゲルダも愛刀を召喚して戦列に加わる。

 

「な、何だ、その余裕は?! こっちは百人いるんだぞ?!」

 

 男が吠えるが六人とも涼しい顔だ。

 

「カンツと九尾はじっとしておれ。この程度の連中、お主らの手を汚す値打ちも無い。くだらぬ掃除はワシらに任せておけい」

 

「母者、ここは万人の憩いの場、斬れば穢れます。話も聞きたい事ですし、手捕りに願います」

 

「おお、心得ておるわえ」

 

 ゲルダは既に峰を返していた。

 

「我らも同意しよう。だが、こやつらからは大した情報を得られぬと思うぞ」

 

「かといって半グレどもを放置する訳にもいかん。一網打尽にして他に仲間がいないか、じっくりと話を聞かせて貰う。その後は罪に応じた罰を与えるだけだ」

 

「テメェ! 既に勝った気になってンじゃねぇ!!」

 

「吠えるな。みっともない。むしろ足らんくらいだ。その程度の数でこの場に現れた事を後悔するんだな」

 

 愛息との行楽を邪魔されたゼルドナルは怒り心頭である。

 カンツラーは今から行われる蹂躙劇を想い、知らず合掌するのであった。




 楽しい昼食の一齣でした。
 基本ゲルダ達はお人好しなのでお腹を空かせた子供がいたら、誘って一緒に食事をするのも吝かではありません。害意さえ感じなければ転生武芸者であってもお構い無しです。
 万が一、罠だったとしても、その窮地すら愉しんでしまうオソロシイ精神構造の持ち主でもあります。

 九尾の保護者(?)天狐と地狐の登場です。
 本来ならば敵なのですが、九尾を保護してくれた上に食事も与えてくれた義理もあって今回はなんと味方になって共に半グレ迎撃をしてくれる事になりました。
 まあ、ぶっちゃけた話、雑魚なので次回は戦闘シーンは無く、いきなり半グレの訊問になります。
 天狐と地狐との戦闘は恐らくブリッツ邸へ霊薬奪還の為に乗り込んできたところを迎撃する時になるかと思います。勿論、戦闘能力は転生武芸者に引けを取りません。
 九尾もその作戦に投入され、迎え撃つのはカンツラーとなる予定です。
 なまじ交流してしまった事は彼らとの戦闘に大きく影響するでしょう。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第弍拾参章 神を見限った者達

「御目覚めかね?」

 

「これは?!」

 

 ロイエが目を覚ますと椅子に縛り付けられていた。

 その顔を厳つい男達が覗き込んでいる。

 一人は銀縁眼鏡をかけた長身の陰気な男だ。

 歳は五十半ばか、神経質そうな印象を受ける。

 もう一人はずんぐりとしながらも筋肉質な男だ。

 能の武悪面に似た悪相に丸いサングラスが更に迫力を与えている。

 不思議な事に長身の男を見ていると、ある子供を思い出す。

 緑のドレスを着た幼い子供だ。

 その子供のそばには大人がいた。

 

「思い出したぞ。聖女ゲルダを捕らえようとして…俺達は返り討ちに遭ったのだ」

 

 恐ろしいという言葉ではとても云い表す事が出来ない。

 瞬く間に聖女ゲルダの峰を返した剣によって四肢を砕かれて意識を失ったのだ。

 

「ええと、君は聖都スチューデリア無宿のロイエ…歳は三十五で合っているな?」

 

 長身の男に問われる。

 四肢を見れば有り得ない方向に曲がっていた。

 治療されなかったのではない。折れ曲がったまま骨を接がれてしまったのだ。

 あまりに惨い仕打ちにロイエは打ちひしがれるどころか怒りが湧く。

 訊問に対して不貞腐れた答えを返すくらいの反骨はまだあった。

 

「さあな、親から誕生日を祝われた事なんて無かったから自分でも歳は分からねぇよ」

 

「只の確認だ。君の生い立ちまでは聞いていない。余計な事は云わなくて結構」

 

 そうかよ――ロイエは横を向いて唾を吐いた。

 長身の男は手近にあった椅子を引き寄せるとロイエの前で腰を降ろす。

 

 無宿とは早い話が戸籍の無い者のことである。

 罪を犯した当人のみならず、その罰を家族や親類にまでも与える所謂(いわゆる)連座制度により累が及ぶ事を畏れた家族から勘当された者、或いは貧しさから出奔した者、口減らしにされた者もいるという。

 

「所属は…確か『神を見限った者達』だったか? 御大層な名だが蓋を開けてみれば構成員の大半は僧侶崩れの半グレ集団とはな。ドロップアウトしてチンピラに身を落とすほど戒律は厳しかったかね? それとも修行に耐えられなかったのかな?」

 

「生憎と俺は生まれて此の方神様を拝んだ事は無いよ。十年前にスチューデリアを襲ったの蝗害を覚えているか? あれで生活が立ち行かなくなってな。しかも作物が全滅しているのに領主の野郎は容赦無く年貢を取り立てやがった。このままでは死ぬのを待つばかりだから逃げたんだよ」

 

 聖都スチューデリアはガイラント帝国の東に存在する国家である。

 夜空に輝く星の一つ一つを神と見立てた宗教・星神教を国教に定めた宗教国家としての一面を持っており、特に秀でた産業こそ無いが、世界最大規模を誇る巨大宗教の本部がある事から権威なら世界でもトップクラスであった。

 

「逃散百姓というヤツか。あの蝗害は非道かったな。何が非道いと云えば、ガイラント帝国も救援物資を送ったのだが、食糧や医薬品のほとんどを皇族や貴族の懐にしまわれて庶人に分配されたのは雀の涙にもならなかったと云う事だ」

 

「分配じゃねぇよ。その少ない物資にすら貴族どもは高値をつけて押し売りしやがったんだからな。しかも払う金が無いヤツらの中には女房や娘を取られたのもいるらしい。そんな国で誰が頑張って働こうと思うんだって話さ」

 

 ロイエの両の拳が握りしめられて震えている。

 彼もまた僅かなパンを得る為に先祖から代々受け継いできた田畑の大半を奪われてしまったというではないか。

 このままでは餓え死にするのを待つしかないと命懸けで故郷から脱出したそうだ。

 しかし逃げたところで収入があるで無し。戸籍も無い事からまともな仕事に就く事も出来ずに以前にも増して困窮する事態に陥ってしまう。

 ある日の事、ロイエが食糧を得ようと山を彷徨っているとある物を見つける。

 否、見つけてしまったと表現した方が正しいのかも知れない。

 それは干涸らびたヘソの緒をつけたままの赤ん坊の死体だった。

 恐らくは産んだものの飢饉により育てる事が出来ずに捨ててしまったのだろう。

 ロイエは思わず喉を鳴らす。もう何日も食べていなかったのだ。

 許されざる行為であると理解している。しかし彼の飢餓感はもう限界だった。

 すると近くの繁みから一人の男が現れた。非道く険しい顔をしている。

 

「喰わんのか?」

 

「えっ?!」

 

「このままでは死ぬぞ。手伝ってやる」

 

「お、おい!」

 

 餓死寸前だったロイエに男を止める(すべ)は無く、赤ん坊はあっと云う間に解体されて只の肉と化したのだった。

 男は慣れた手付きで火を起こすと赤ん坊の肉を焼き始めたではないか。

 やがて肉の焼ける香ばしい匂いがロイエの鼻腔をくすぐる。

 

「喰え。死んでしまうぞ」

 

「し、しかし…こんな恐ろしい事、神様がお許しになるはずがない」

 

 普段から不信心であったはずだが、最後の理性として神の名を出して逡巡する。

 しかしロイエは既に焼けた肉を美味そうだな(・・・・・・)と思ってしまっていた。

 それを見透かしているかのように男はロイエの眼前に肉を突き付ける。

 

「牛や豚は喰らうのに人は喰らわぬという道理があるか。現に俺は何人も喰ってきたが未だに神罰が降った事は無い。ならば神なんぞいないという証明だろう。違うか?  貴族達を見てみろ。あこぎ(・・・)に高い税金を絞り取り、権力を笠に着て遣りたい放題だ。おまけにこの状況で一切れのパンに高値をつけて暴利をむさぼっている。だが貴族が天罰を受けたという話を聞いたことは無かろう。それと同じだ」

 

 ロイエはこの世の悪意を凝縮したような闇色の瞳から目が離せなくなっていた。

 相変わらず赤ん坊の肉からは美味そうな匂いが漂っている。

 

「喰え。このまま聖都スチューデリアに一矢報いぬまま餓え死にするつもりか?」

 

「一矢報いる?」

 

「そうだ。餓えている弱みに付け込まれて土地を奪われ、更には妻や娘を手籠めされても下を向いているつもりか。戦え。戦って庶人の意地を貴族に、王に見せねば世の中は変わらぬ。このままでは貴様はどこに行っても虐げられる運命に見舞われる事だろう。そのような運命を受け入れるつもりであるなら、ここで餓えて死ね」

 

 男の冷たい瞳にロイエは居竦まる。

 と同時にこれまでの理不尽な運命に対してふつふつと怒りが湧いてきた。

 そうだ。俺が、俺達が何故こうも苛まれなければならない。

 税を絞り取るだけで何もしない貴族や王に何の価値がある。

 奴らこそ民がいなければ何も出来ないではないか。

 ロイエは目の前の肉を見る。あれだけ忌避感を覚えていたのに今はこの肉をむさぼりたい。躊躇う事など無い。糧とすればこの赤ん坊の死も意味を持つだろう。

 ひったくるように肉を奪うとロイエは夢中になってかぶりついた。

 既に冷めていたが赤ん坊の命を取り込んでいると思えば極上の味に感じられた。

 

「まだあるぞ。存分に喰え。喰ってその命を己が血肉とせよ。我々は汝を歓迎しよう。共に肥え太り惰眠をむさぼる王侯貴族に立ち向かおうではないか」

 

 ロイエは赤ん坊の心臓を咀嚼し、ゆっくりと呑み下していく。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

 なんと骨の中にある髄まで喰らい尽くしたロイエは捕食者の如き雄叫びを上げた。

 これがロイエと『神を見限った者達』の主導者フェッセルンとの出会いである。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんとも業の深い話ですな」

 

「あの国は政治と宗教がずぶずぶに癒着しているからな。そのせいか、やたらと選民意識が強くて自分達の行いが悪いとは思ってないのが問題なんだよ。先の蝗害にしても国ぐるみで行っていた魔女狩りに対する魔女達の復讐だそうな。完全に自業自得でしかないのだよ。しかも折角の救援物資を自分のポケットに入れてしまったというのだから呆れた話だ」

 

「お、俺は魔女狩りなんかしてない! ただ怪しいと思った旅人を教会に告発しただけだ。俺は何も悪い事をしてないのに魔女のヤツら、俺の畑まで襲いやがって!」

 

「何も悪い事をしてないと云えば魔女達とて同じ事だ。確かに彼女達は魔界の眷属だが人間に対して敵意も悪意も持ってはいなかったと思うぞ。現に我がガイラント帝国は魔女と共同研究をして新たな魔法や技術を生み出している。貴様の云う怪しい旅人も無実だったのではないかね? でなければ貴様の肩に女の怨念が(・・・・・)取り憑いている(・・・・・・・)はずが無いからな」

 

「えっ?」

 

 ロイエは後ろを振り返るが何もいない。

 

「常人には見えんよ。だが呪いは確実に貴様を蝕んでいる。近頃、目が見づらくなってはいないかね? 見たところ歯も随分抜けているようだ。手足に痺れは無いか? 胸は苦しくないかね? どうやら恐ろしいスピードで老化しているようだ。可哀想だが後十年は生きられまいよ」

 

「そ、そんな、当たってる…お、俺はどうすれば? 俺はまだ死ぬ訳にはいかない。聖都スチューデリアに一矢報いるまでは死んでも死にきれない! どうすれば俺は助かるんだ?!」

 

 自覚症状があるのか、ロイエは先程まで見せていた不遜な態度とは打って変わって命乞いを始める。

 対して長身の男は銀縁眼鏡越しに冷たく睥睨しているだけだ。

 

「半グレが一人、魔女に呪い殺されたとしても誰も悲しむものはいないだろう。『神を見限った者達』の噂は耳にしている。強盗、殺人、婦女暴行、詐欺にクスリと何でもござれだそうだな。何が聖都スチューデリアに一矢報いる、だ。むしろ、この場にて即刻首を刎ねてやった方が世の為になるだろうさ」

 

 長身の男が片刃の剣をスラリと抜く。

 美術品とも思える美しい刀身にロイエの顔から血の気が引いた。

 

「ま、待て! 俺に何かを聞きたかったんじゃないのか?! 訊問もしないで、いきなり斬るなんて有り得ないだろう!」

 

「構わん。捕らえた半グレはまだいくらでもいるからな。一罰百戒という言葉を知っているか? 貴様の首を見れば残りの者達の口も滑らかとなるだろう」

 

「た、頼む。待ってくれ! 俺はそこそこ上の立場にいる。生かしておけば役に立つはずだ! な、何でも訊いてくれ!」

 

 しかし男達の態度は飽くまで冷たいままだ。

 ロイエが必死になればなるほど彼らは呆れていく。

 

「こちらが訊く前にペラペラと話すヤツの証言など信用できるか。どの道、これだけの怨霊に祟られている貴様はもう手遅れだ。取り殺される前に一息に首を刎ねられた方が楽だと思うのだが?」

 

「そんな事を云わずに訊いてくれ! た、頼む!」

 

「ほう、そこまで云うのであれば聞くだけは聞いてやろう。もし、有用な情報であったなら肩の怨念も祓ってやるのも吝かではないぞ」

 

「ほ、本当か! 何でも訊いてくれ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「こ、これで俺の知っている事は全部話したぞ! の、呪いを早く解いてくれ!」

 

「それは無理だ。そもそも貴様の体を蝕んでいるのは糖尿病の合併症だからな。三十代でこれほどとは余程、不摂生だったのであろうな」

 

「どの道、お前は何人も人を殺している。厳しい沙汰があるものと覚悟する事だ」

 

 ロイエにとってあまりにも理不尽な言葉であるが、彼が今まで行ってきた悪事と比べれば子供の悪戯にもならないであろう。

 しかし、素直に話せば助かると思い込んでいたロイエからすれば手酷い裏切りとしか思えなかった。

 

「そんな、約束が違う!」

 

「太古の人間は病を悪霊の呪いと信じていたそうだ。後で糖尿に効く煎じ薬を用意させよう。これで約束は果たしたぞ」

 

 二人の牢番がロイエの両脇を掴んで連行していく。

 

「こ、この人でなし!」

 

「どの口が云うか。云ったはずだ。聞きたい事を聞いた後は罪に応じた罰を与えるとな。貴様の境遇には同情するが、その罪は罪。貴様に殺された者達の無念、その数万分の一でも味わう事だ」

 

「クソおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

 悪態をつきながらロイエは連行されていった。

 後に残されたガイラント帝国宰相カンツラーとその補佐官ブリッツは揃って溜め息をつく。

 

「殿! 只の半グレと侮っていましたが、先程のロイエとやらの言葉を信じるなら由々しき事ですぞ」

 

「逃散百姓を掻き集めて各地で一揆を起こし、その対処に追われている隙に本隊がクーデターを起こす、か。いくらスチューデリアが疲弊しているとはいえ、その程度で国家が転覆するとは思えぬが…それに話の内容の割りに些か口が軽すぎる」

 

「裏を取りましょうか?」

 

 カンツラーは暫し沈考した後、首を横に振った。

 

「そもそもガイラントとスチューデリアは古来よりの犬猿の仲。そこまでしてやる義理もあるまい。ただ書簡だけは送ってやれ。この話を信じるも信じぬもヤツら次第。後の対処は自分達でやらせろ。それで滅びるのならそれまでの話だ」

 

 自国の民を救わず己の欲を満たすことばかり考えている聖都とは名ばかりの魑魅魍魎の巣窟に救いの手を差し延べるほどカンツラーもお人好しでは無い。

 むしろ今後、聖都スチューデリアが立て直す事が出来るのか、良い試金石になるとさえ思っていたのである。

 

「左様でござるか。では、拙者は再び連中の見張りに戻りましょう。何かあればお知らせ致します」

 

「気を付けろ。孤月院が呼んだ天狐(てんこ)地狐(ちこ)、そして九尾(つづらお)は父と母に匹敵する手練れだ。特に九尾は動物並に勘が働く。油断をすればすぐに気付かれるぞ」

 

「承知してござる」

 

 ブリッツは一礼してから音も無く去っていった。

 カンツラーは先の国立自然公園での戦いにおいて、嬉々として半グレ達の耳や鼻を素手で引き千切る九尾の無邪気故の残酷さと怪力を思い出して身震いをした。

 

「相手にとって不足無し。貴様達が霊薬奪還に動いた時、勝負を決しよう」

 

 祖母、『塵塚』のセイラから賜った黒鞘の刀を抜いた。

 その刀身に映るカンツラーの目は笑っている。

 やはり彼もまた武に生きる(おとこ)であったのだ。




 前回の半グレ達は戦闘描写も無く捕まってしまいましたw
 一応、名前はついていますがロイエはこれで退場です。
 この後、裁判にかけられて斬首となり刑場の露と消えました。

 途中、かなりエグイ描写がありましたが、飢饉の悲惨さを伝え、人の業を表現できたのではと思います。
 どうやら只の半グレ集団ではなかったようで、今後もゲルダやカンツラーとのシナリオに絡んで来るでしょう。
 カンツラーは聖都スチューデリアへの対処は最低限にするつもりのようですが、恐らくは無関係ではいられないと思いますw

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第弍拾肆章 闇夜の戦い

 ある日の夕刻、姿を見せたカンツラーに兵達が敬礼をする。

 カンツラーは畏まる彼らに労いつつ見張りに戻るよう指示した。

 ブリッツ邸の(はす)向かいにある料理屋の二階を見張り所に借りて連日怪しげな者が姿を見せないか監視していたのである。

 特に僧形の者には目を光らせていた。

 

「握り飯と煮染めを用意した。秋の夜は冷えるからな。酒も持って来たぞ。見張りに支障が出ない程度なら呑んでも構わない」

 

「お気遣い、痛み入ります。おい、宰相閣下からの心尽くしだ。有り難く頂くのだ」

 

 カンツラーも母ゲルダやブリッツほどではないが料理が上手い事で有名であり、思いも掛けない差し入れに見張り役を仰せつかった兵達はこの役得に喜んだ。

 見張り所の責任者であるアントンはカンツラーを上座へと案内しようとするが、それを固辞して手近の椅子に腰を下ろす。

 

「どうだな? 何か変わった事はないか?」

 

「はい、ブリッツ様の御屋敷近くで坊主が托鉢しているのはいつもの事ですが、これといって変事はありませぬ。連絡役(つなぎ)が接触してくる気配もありませんな」

 

「そうか、今夜も気を引き締めて見張りを続けてくれ。ヤツらは必ず現れるはずだ」

 

「はっ!」

 

 日が暮れると、カンツラーは兵達に休憩を取らせて自ら見張りを引き受けた。

 初めこそアントン達は恐縮していたが、“休憩も仕事の内だ”と諭された事と空腹だったという事もあって有り難く食事を始めたのだ。

 

「連中も交代しているようだな。夕刻の者と顔が違う」

 

「善く分かりますね。流石、閣下です。私には暗がりに何者かが身を潜めている事くらいしか分かりませんでしたが……」

 

「それを見逃していないだけ大したものだ。私の場合は眼鏡に『望遠』と『暗視』の機能があるから顔の細部まで見る事が出来たのだよ。ちなみに写真も撮影している」

 

「なるほど、偵察部隊などは喉から手が出るほど欲しがりそうですな」

 

 アントンは恐ろしく高性能な機能を持つ眼鏡に感心している。

 

「ああ、その事だがな。私の眼鏡ほど万能ではないが、既に『望遠』『暗視』『撮影』の機能を持ったゴーグルを偵察部隊で評価中だ。他にも用途に合わせて『熱源視覚化』及び『マーキング』の試験や『念話強化』の機能を持たせたゴーグルを装備させた通信兵の教育も始めている。実践に耐えうると判断がされれば各部隊にも配置する予定だ。有事には遠く離れた部隊同士の意思の疎通を伝令無しで行う事が出来るだろう」

 

「そ、それは戦争の概念が一気に変わりそうですな」

 

「安心しろ。戦争を起こさないように努めるのも私のような政治屋の仕事だよ。願わくば君達、兵士諸君には戦争を知らずに帝国の治安のみに心を砕く生涯を送って欲しいものだ。だが何にでも予想不可能の事は起こり得るからな。それに備えて出来る限り兵の犠牲が出ないようにするのも私達の役目と心得ている」

 

「閣下……」

 

 母ゲルダを転生させて利用しようとしている雷神ヴェーク=ヴァールハイトの事もあってか、カンツラーは神の加護というものを宛てにはしていない。

 むしろ神に抱いている感情は悪いと云っても良いだろう。

 それ故にカンツラーは帝国ひいては帝国民を守る為に最善を尽くすのである。

 もしかしたら定期的(・・・)に魔界や悪霊が地上を襲っているのは天界の手引きなのではあるまいかと勘繰ってさえもいるのだ。

 天敵のいない人類はややもすれば人口を爆発的に増やし生活圏を広げる為に乱開発をして自然を破壊しているが、魔王に侵攻され、後に勇者と聖女により斃されると自然が蘇っている事が歴史書には記されている。特別に植樹などをしていないのにだ。

 この“蘇る自然”というのがクセ者で、人類が文明を築く際に破壊する以前の自然という意味なのである。

 そこでカンツラーは思い至る。

 魔王の侵略とは名ばかりで、実際は天界によって人口と文明を調節をされているのではあるまいか。母が魔王にトドメを刺す事を天界により禁じられているのが何よりの証拠のように思えてならない、と。

 人口の増加、文明のレベル、どちらか或いは双方がトリガーとなって魔界の扉が開くのではあるまいか、と。そして魔王との戦いの最中に覚醒した勇者と聖女の力が自然を蘇らせるのではと推測する。

 事実、強大な厄災を打破するのに勇者と聖女の覚醒は不可欠であり、その影響により姿は人のソレとは大きく懸け離れてしまうが、それだけにその力は強大で魔王を封じ込めるほどだという。

 そして歴史書や英雄譚は必ずこう締め括られるのだ。

 “地上には緑が溢れたのだ”と。

 例外は百年前と五十有余年前、『水の都』から出て行かない『塵塚』のセイラとゲルダ母娘(おやこ)を排除する為に魔界軍を送り込んできた事、ドラゴンの王が地上を侵攻してきた事だ。

 百年前の事変は復活しかけた魔王が地上侵攻の足掛かりに『水の都』を攻めたのだが、相手が悪かったとしか云いようがない。

 五十年前にしても勇者ではない父によりドラゴンの王を斃されている。

 勇者もいたにはいたらしいのだが、仲間となった少女達を侍らせて暢気に面白おかしく旅を楽しんでいる内に魔界が『水の都』に泣きを入れてしまったり、勇者の権威を傘に遣りたい放題している内にドラゴンの王を斃されて面目を失っていたのだ。

 勇者の覚醒どころか活躍の場も無く、気付いたら魔王もドラゴンの王も斃されてしまったからか、地上に侵略の爪痕が残されたまま自然は蘇らなかった(・・・・・・・・・)のである。

 余談であるが、死の寸前(・・・・)、皇帝ゼルドナルは自叙伝を発行するのだが、ドラゴンの王との戦いの項では、権威に酔い勇者にあるまじき行動ばかりで一つも役に立たなかった勇者への皮肉を込めて『第三者(・・・)の冒険』と銘打っている。

 さっぱりとした気性の持ち主であるゼルドナルが敢えてこのようなタイトルをつけるあたり余程腹に据えかねる人物であったのであろう。

 

 やがて夜も更けてくると兵達の中には交代する者も出てくる。

 彼らは料理屋の裏口から音を立てずに出て行った。

 カンツラーは新たな兵達に酒を呑んで体を温めておけと云いつける。

 

「ところで閣下はお食事は摂らなくても大丈夫なのですか?」

 

「心配せずとも遠慮せず(しょく)せ。ここに来る途中で饅頭を購っている。腹が減ればそれを食う」

 

「は、はぁ…」

 

 カンツラーの体質を知らないアントンはつい覇気の無い返事をしてしまう。

 空を見ると雲のせいで星どころか月さえも見えなかった。

 嫌な夜だ。こういう夜は闇に紛れて悪事を働くものが出てくるものである。

 すると出て行ったはずの兵が戻って来たではないか。

 

「閣下! 大勢の足音が近づいてきております! 足の運びから手練れかと」

 

「来たか!」

 

 カンツラーが銀縁眼鏡の『暗視』機能をオンにすると、黒装束に身を包んだ集団が早足でブリッツ邸の前に集結していた。

 その中で巨体を持つ者が閉ざされた門の前で長い棒状の物を頭上に掲げている。

 さて、何をする気かと思えば、小さな影が一跳びに棒の先端に跳び乗り、すぐさま門の奥へと消える。程なくしてブリッツ邸の門が開けられて一団は門の中へと入っていった。

 

「ほう、やるな。では、我らも出るぞ!」

 

「はっ! 皆の者、敵は閣下やゲルダ様に比肩しうる手練れもいるそうである! 決して油断するまいぞ!」

 

 アントンの檄に兵士達は“応”と答えた。

 同時にブリッツ邸から光の球がいくつも上がり周囲を照らす。

 カンツラーが念話で屋敷内に居る従者に合図を送ったのだ。

 

「敵は突然の光に浮き足立っている。立て直す前に全員捕らえよ! 手に負えないと判断したなら斬り捨てても構わん!」

 

「ははっ!!」

 

 庭に突入すると既に敵と『水の都』の従者達が戦闘を始めていた。

 

「死ね!」

 

 黒装束の槍が従者の胸を貫くが、彼らは既に死亡している上に肉体は人形である。

 些かの痛痒も見せずに敵を捕まえると手際良く捕縛していく。

 

「化け物が! 往生せいや!!」

 

『無駄です』

 

 別の黒装束が槍を突き刺すがやはり従者には効き目が無い。

 

「ノウマク サンマンダ バザラダン カン!!」

 

『なっ?! ひいいいいいいいいいいいいっ?!』

 

 しかし、更に別の男が従者に札のような物を貼り付けると、人形の体が燃え上がり、従者の魂が空へ吸い込まれるように消えていったではないか。

 

「各々方! 敵は人形に取り憑いた亡霊にござる!! 調伏は可能であるぞ!!」

 

「おお!! この世に執着する憐れな亡霊共に引導を渡してくれるわ!!」

 

 敵も精鋭である。何と従者を強制的に成仏させる事が出来るようだ。

 黒装束達が投げた札が従者達に貼りつくと一瞬にして燃え尽きてしまう。

 

「亡霊共! 不動明王の炎を畏れぬのであればかかって参れ!!」

 

『あわわわわわ……』

 

 不動明王は大日如来の化身とも云われ、特に日本では「お不動さん」と親しまれて根強い信仰を得ている仏である。

 魔を退散させ、人々の煩悩を断ち切る三鈷剣(さんこけん)と悪を縛り上げる羂索(けんさく)を持つ姿の像は善く見掛けるだろう。

 魔を滅ぼし、煩悩から抜けられぬ救いがたき衆生すら力尽くで救う為に目を見開いて下唇を噛むという恐ろしげな憤怒の顔をしている。

 その不動明王の力の前では数百年もの時を怨念を抱えてきた怨霊といえども一溜まりもなく、瞬く間に降魔(ごうま)の炎に焼かれて数を減らしていった。

 

「助太刀するぞ!」

 

 残り少なくなっていた従者に投げつけられた札の悉くをカンツラーは斬り捨てた。

 怨念を浄化して成仏させるのであるから黒装束達の行為も救いとなっているのだが、徐々に荒御魂(あらみたま)を浄化していくという『水の都』の意義に反している。

 況してや浄化しているとはいえ降魔の炎に焼かれてはやはり苦しい。

 魔王に殺された魂を救う手段としてカンツラーには受け入れ難いものであった。

 

『姫様!!』

 

「誰が姫だ! いや、それより後は任せてお前達は下がれ!!」

 

『はい!!』

 

 カンツラーの背後に黒い円が浮かび上がり、従者達はその中へ逃げ込んでいく。

 黒装束達を見ればカンツラー達の登場に動揺している者はいない。

 国立自然公園で捕縛した半グレとは違う。どうやら転生武芸者達を操る寺院とやらのお出ましのようだ。

 カンツラーは臍下丹田に気を込めて声を発する。

 

「ガイラント帝国宰相カンツラーである!! 神妙に縛に就けい!!」

 

「猪口才な。各々方、目的を遂げるまでの露払いをするぞ!!」

 

 黒装束の一人が槍を構えて突進する。

 カンツラーは伸び来る穂先を躱して穂先を千段巻ごと斬り飛ばした。

 母ゲルダ直伝、槍や薙刀の先端を斬る秘剣『(なかご)斬り』である。

 基本的に槍は穂先以外は木や竹で出来ている為、茎に麻苧(あさお)を隙間無く巻き更に漆で固めて補強されているものだ。

 迂闊に穂先を斬ろうとすれば茎で刃を阻まれ、下手をすれば刃零れする事もある。

 それ故に敢えて茎を斬り敵の戦意を削ぐという発想から編み出された秘剣だ。

 

「おのれ!!」

 

 しかし相手の戦意は衰えてはおらず槍を回して下段から石突きが唸りをあげてカンツラーの顎を砕かんと迫ってくる。

 だが槍を持ち変える僅かな隙を見逃さずカンツラーの峰打ちが肩を打った。

 

「うぅむ……」

 

 骨を折った手応えはあった。

 敵は肩口を押さえて片膝をついている。

 

「炎で焼きはしたが、我が従者を滅ぼさず成仏させた一点により命は助けてつかわす。折れた骨も綺麗に繋がろう。向後、再び槍を持てるよになるゆえ安心致せ」

 

「味な真似を!」

 

 残った黒装束が槍を構える。

 霊薬奪還が筒抜けとなり、兵に取り囲まれても戦意と秩序は保持されていた。

 

「お待ちなさい。ここは引き時ですよ」

 

 一団の中にいる巨体が涼やかな声で仲間を制した。

 頭巾で顔を隠してはいるが、異形に似合わぬ優しげな声には聞き覚えがある。

 国立自然公園で会った地狐(ちこ)だ。

 

「しかし、このまま霊薬を奪還できねば…」

 

兄様(あにさま)から念話が届きました。屋敷の中には霊薬の気配は無いそうです。しかもこうして包囲されているという事は…」

 

「罠か! 既に霊薬は帝国の手の内に、という事か!」

 

 漸く黒装束達に動揺が走った。

 カンツラーは腰を落として正眼に構える。

 きっと敵は決死となって切り抜けようとするだろう。

 

「敵は死に物狂いで来るぞ! 構えよ!! 決して逃がすな!!」

 

「「「「「「「「応!!」」」」」」」」

 

 カンツラーの檄に兵士達は気炎を吐いた。

 何人かは黒装束との戦闘で手傷を負ってはいるようだが死者はいないようだ。

 士気も衰えてはいない。意気軒昂と云っても良いだろう。

 これなら易々と敵を逃がす事はあるまい。

 

「恐らく一番の手練れは宰相殿…私が抑えますゆえ各々で逃げて下さい」

 

「かたじけない。各々方! ここで捕まる訳にはいかぬ! 銃に頼りきった腰抜け兵士共を斬って囲いを抜けるぞ!!」

 

「舐めるな! 数十キロの装備を担いで進軍する我らの足腰を見縊るでない!!」

 

 アントンの“それ!!”という号令を受けてガイラント兵が突撃をする。

 銃剣を付けた小銃を腰だめに構えての突撃は云うだけあって堂に入っていた。

 敵味方入り乱れての乱闘の中、カンツラーと地狐が対峙していた。

 

「神妙にしろ、と云っても聞くまいな」

 

「ええ、私も武を嗜む者としての矜持があります」

 

 地狐は六角杖の先端を掴むと頭上で振り回し始める。

 

「ふふふ、秘技『地鳴り』……」

 

 笑いながら地狐が振り回す六角杖は徐々に速度を上げていき、風を切る音も次第に大きくなっていく。その巨体から想像した通りの怪力をもって起こされる不気味な空気の鳴動はカンツラーの体をも振るわせてる。

 まさに地鳴りの名に相応しい。

 だがカンツラーにはここからどのような技に繋げるのか予想が出来なかった。

 頭上で回転させて勢いをつけるまでは分かる。

 しかし、如何に彼女が長身であろうと杖が長かろうとカンツラーに殴りかかるには間合いが遠すぎるのだ。囲まれているこの状況で投げるとも考えにくい。

 確かに六尺(約180センチメートル)の鉄の塊を振り回す膂力は恐るべきものであるし、唸りをあげる風の音も不気味である。

 だが、これでは只の虚仮威(こけおど)しではないか。

 自然公園で半グレ共と戦った時は洗練された杖裁きを見せていたはずなのだ。

 この場で一番の手練れと見抜いた彼女が今更この様な……

 そこまで考えた瞬間、カンツラーの血の気が引いた。

 首筋に冷たい感触が宿る。

 

「これが…狙い?」

 

 ふと頭上の光球が消えて闇の世界と戻った。

 カンツラーの首に当てられた小刀が引かれる。

 

「我ら、二人で一つなり」

 

 地に倒れながら天狐(てんこ)の声を聞いたのだった。




 長くなったので一旦切ります。

 カンツラーはかなり神に対して不信感を抱いています。
 母親の事もありますが、勇者の歴史を紐解くとどうにも胡散臭く感じるようです。

 ついに戦闘が始まりました。
 ブリッツ邸に従者を潜ませているのでカンツラーサイドが有利かと思いきや、予想に反して劣勢です。
 一山いくらの雑魚どころか従者をあっさりと強制成仏させるほどの力量を持っていました。
 勿論、ガイラント兵も負けてはいませんが、果たして戦闘の結果はどうなることか。

 天狐と地狐は武人ではありますが勝つ為に手段を選ぶタイプではありません。
 僧形ではありますが気質としては傭兵、むしろ忍者に近いものがあるでしょう。
 勿論、仲間内で試合をするならなら正々堂々と戦いますが実戦ともなれば、「正々堂々? 何ソレ? 美味しいの?」と平気で云ったりもします。

 果たしてカンツラーの運命は如何に?
 と云ったところで、それではまた次回にお会いしましょう。


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第弍拾伍章 天狐・地狐

「む? 手応えが無い?」

 

 首を斬られる寸前に擬態を解いて本来の幼子に戻ったカンツラーは倒れたまま背中を軸に回転して水面蹴りを天狐(てんこ)に仕掛ける。

 百戦錬磨の強者と雖も頭上の光源を失った直後で闇に目が慣れていない状況では何が起こったか理解が及ばずに天狐は足を取られてしまう。

 

「ぬおっ?!」

 

 辛うじて転倒は避けられたがバランスを崩してしまい大きな隙となる。

 

「せいっ!」

 

 カンツラーは刀を抜き付けて天狐の右腕を狙う。

 腕を斬り落として確実に攻撃力を奪う秘剣『(かいな)落とし』である。

 およそ百年前にゲルダが魔界軍を制したせいで面目を失った勇者がいた事は前述した通りであるが、なんと彼には子孫がいたのだ。

 復活した魔王に対抗する為に神々が召喚した若者は才があるだけではなく、神夢想林崎流(しんむそうはやしざきりゅう)の遣い手であったという。

 居合術を編み出した林崎甚助を開祖とし、数多(あまた)の居合流派の源流である。

 甚助は出羽国楯山林崎(現・山形県村山市林崎)に生まれた。

 父を闇討ちされ武術修行に邁進したとされる。

 林之明神に百ヶ日参篭を仇討ちを誓願し、家に伝わる三尺二寸三分もの大刀を腰に帯びて抜刀を研鑽したという。

 満願の夜明けに夢の中に林之明神が顕現して抜刀の秘術『卍抜』を伝授されて居合の秘奥を開眼したと伝えられている。

 

 

 面目ばかりか、利き腕さえも失った勇者は関係を持った少女達の中でも我が子を孕んだ者達を半ば拉致するように山奥に引き籠もると、産まれてきた子に居合の秘術を授けたという。

 その修行はまるで鬼神が乗り移ったかのように過酷であり、子の中には修行の課程で命を失った者、隙を見て母が連れて逃げた子もいたそうな。

 数十年に渡る修行の末、我が子が父を超えたと確信した勇者は真剣勝負にて自分を斬らせるという凄惨な最期を迎える。

 利き手こそ失ったが勇者もまた修行により左手のみで刀を抜く『左逆手抜き』を編み出しており、我が子の虚を突いたが胴抜きが一瞬早く決まった事で敗れた。

 腹から溢れる臓腑を気にも止めず免許皆伝の印可を授けると勇者は微笑んでその生涯に幕を閉じたという。

 勇者の子といっても五十路も半ばを過ぎていた彼は下山すると、その足で『水の都』に向かったそうな。勿論、父の復讐のためだ。

 冒険者の間でも最も危険な場所とされていたが、剣のみならず勇者の資質も受け継いでいたのか、『水の都』の瘴気にその身は耐え、襲い来る魔物や怨霊も彼の敵ではなかったとされる。

 やがて中央部にそびえる城に辿り着くと信じがたい光景を目にする事となった。

 父の話そのままの美しい女性が幼い子供に剣の手解きをしていたのだ。

 その指導は父のものとはまるで違う。一見、厳しく袋竹刀で打ち据えているようだが、その叩き方は弟子の悪癖を矯正しているようであったし、言葉の端々に師が繰り出す技の攻略の手掛かりに繋がるものを感じた。

 嗚呼、父もこのように指導して下されば腹違いの兄弟達も命を落としたり逃げ出すことも無かったのであろうか。母達も幸せになれたであろうか。

 何より自分も復讐以外に生き甲斐を見出す事が出来たのではないか。

 そして修行の仕上げに父も命を落とす事も無かったのではあるまいか。

 それらを想うと聖女ゲルダを斬る為だけに生まれた自分が不憫に思えてきたのだ。

 

「もし、旅の御方、如何なされた?」

 

「どうしたの? どこか痛いの?」

 

 気付けば師弟が心配げにこちらを見詰めていた。

 “どこか痛いのか”という問いに漸く自分が泣いている事に気付いたのである。

 途端に父に云われるがままに聖女ゲルダへの復讐に生きる自分の人生が虚しいものに思えてきたのだ。

 

「いや、何でもござらん。ただ修行時代を思い出しただけでござる。修行の妨げになるであろうし、拙者はこれにて」

 

 背を向ける彼の手が引かれる。

 見れば子供が袖を引いていた。

 

「もうすぐ日が暮れるよ? 近くには街は無いし危ないから泊まっていきなよ」

 

「あ、いや、しかし……」

 

 戸惑う彼に子供はにっこりと笑って名乗る。

 

「僕はカンツラー、父様と母様はカンツって呼んでる。おじさんの名前は?」

 

「名…名か…」

 

 そして自分に名前が無い異常性を認識したのだ。

 我が人生は父の復讐の道具でしか無かったのだと理解して彼は手で顔を覆い産まれたばかりの赤子のように号泣したのだった。

 その夜、彼は五十年前に勇者として召喚されながらも役目を果たす事無く落ちぶれた男の子供である事を明かした。

 そして目の前にいる黒髪の少女こそ父の復讐対象である聖女ゲルダであると知って彼は目を丸くした。てっきり娘か孫かと思っていたからである。

 すぐに彼は落ち着きを取り戻し、既に父が亡くなっている事、そして最早、自分には復讐する気が無い事を告白すると朝になったら出て行き、二度と関わらずに迷惑をかけないと約束をした。

 しかし当のゲルダに“五十半ばまで人と交わらずに生きてきたのなら帰る場所も無かろう”と『水の都』に留まる事を勧め、“出来れば神夢想林崎流の妙技を我が子に教えてやって欲しい”と頭を下げられたという。

 ゲルダとしては彼の父親への償いの代わりになればという思いもあったし、直心影流(じきしんかげりゅう)と神夢想林崎流を学び、それらを昇華した我が子を見てみたいという武人としての欲があった。

 彼は何故か自分に懐いてくるカンツラーを見る。

 暫しの沈考の末、彼は首肯しカンツラーの師となる事を決めたのだった。

 直心影流のカンツラーが居合を会得している理由がここにあったのだ。

 

兄様(あにさま)!」

 

 刃が天狐の腕を半ばまで食い込んだところで地狐(ちこ)の六角杖が差し込まれた事で截断にまでは至る事が出来なかった。

 しかし深手には変わりなく天狐の右腕はだらりと下がっている。

 少なくともこの勝負の間は天狐の右腕は使い物にはならないであろう。

 

「抜かったわ! 地狐がおらなんだら右腕を失っておったところだ」

 

 すると上空に再び光の球が撃ち出されて庭先を照らし出す。

 兵の誰かが照明弾を撃ったのだろう。

 見れば黒装束は闇に紛れたのか、その殆どが姿を消しており、残っているのは天狐・地狐の他は既に事切れている者だけである。

 カンツラーに肩を砕かれた者は近くにいたが、足手纏いになると思ったか、訊問を避ける為か、自ら小刀で喉を突いて絶命していた。

 

「莫迦な事を…お主ほどの槍の名手にして密法の遣い手、捕らえたとしても手厚く扱うつもりであったのだがな……私が鬼か(じゃ)に見えたか」

 

 カンツラーは遣る瀬無い気持ちで頭巾を取るとまだ若い青年であった。

 あたら若い命を散らせてしまったと忸怩(じくじ)たるものを感じながら目を閉じてやる。

 

「あら、その愛らしい御顔…貴方はもしや自然公園で会った女の子ですの?」

 

「だったら?」

 

 カンツラーは既に納刀し腰を落として構えている。

 愛刀の名は『飛龍聖羅』といい、武芸百般のゲルダに合わせた『水都聖羅』と違い特に仕掛けらしい仕掛けは施していないが、その分、斬れ味が鋭く、居合に適した作りとなっている。

 

「居合ですか。よもや、このような異世界で見られるとは思いもしませんでしたよ」

 

「チッ、右腕は最早動かんか。我らの必殺剣が破られたのは初めての事だ」

 

 天狐と地狐はカンツラーを挟んでゆっくりと円を描くように間合いを詰めてくる。

 この期に及んで戦闘を続けるつもりらしい。

 

「閣下!!」

 

「手を出すな! その代わり逃げられぬよう囲んでおれ!」

 

 助勢しようとするアントン達をカンツラーは制するが、足手纏いだからではない。

 二身一体の武芸者の繰り出す技が予想出来なかったからだ。

 乱戦ともなれば隙を生じやすく逃げられる可能性もある。

 

「折角できた九尾《つづらお》のお友達…あの子が哀しむ様が目に浮かぶようで心苦しくはありますが、勝負は勝負。容赦は致しませんわ」

 

「九尾がかけた迷惑分、全て返したとは思っていないが我らにもやらねばならぬ事がある。悪く思ってくれるな」

 

 腕を截断しかける傷を負っていながら天狐の声に苦痛を感じている様子は無い。

 むしろこの状況で女装していた自分と今の自分が同一人物であると善く気付いたものだと感心する。

 

「私も宰相としてガイラント帝国を守らねばならぬ。況してやブリッツを取り込み裏切り者にした罪は許し難し! そちらも手心は期待出来ぬと心得よ!」

 

 一応、ブリッツは帝国の裏切り者として死んだ事になっているので鎌を掛ける。

 これで天狐らがどのような反応を示すかで敵がブリッツをどう扱っているのか占ってみようと試みたのである。

 

「ぐっ……確かに褒められた手段でなかった事は認めよう。だが、ブリッツ殿が霊薬を飲み、転生すれば正式に仲間と認めるつもりではあったのだ。それがよもやあのような事故に……」

 

 腕を斬られても平然を装っていた天狐に苦悶が滲みでた事で、少なくとも天狐達は悪人ではないと確信した。

 未だ姿を確認できない孤月院とやらは分からぬが、野心だけの組織ではないと分かっただけで充分に収穫である。

 若い娘を犠牲に転生武芸者を生み出す残忍さやブリッツに賄賂を渡して取り入ろうとする狡猾さも持ち合わせているので善良な組織とは寝言でも云えないが、自害した若者も含めて信念で動いている者がいるのがせめてもの救いか。

 

「悔いたところでブリッツは帰って来ぬ。相応の報いを受けて貰おう」

 

 そうだ。捕らえた後で“実は生きてました”と種明かしでもしてやろう。

 今まで後手に回っていたが、今度はこちらから仕掛けてくれよう。

 右手を束にかけながら地狐に肉薄する。

 

「思ったより勇猛ですね!」

 

 まさかこの小さな体で突進してくるとは思わなかった地狐は迎撃の為に六角杖を突き出して来るが一瞬だけ遅れてしまう。

 虚を突かれ、闇夜である事とあまりに小さいカンツラーの体に間合いを測り損ねてしまったのだ。その上、束に手を掛けていた事から突進から居合に繋げる連続技と読んでいた事もあるだろう。

 ではカンツラーの狙いはどこにあるのかと云えば、地狐の攻撃を搔い潜り、そのまま彼女の背後に回り込む事にあった。

 

「秘剣『松風』!」

 

 背後を取ったカンツラーは振り返りながら片膝をついて刀を抜き付けた。

 抜き放たれた刃は地狐の膝裏を斬り、堪らず彼女はどうと倒れる。

 松に打ちつける風をイメージしてカンツラーが編み出した敵の背後を取る突進術であり、敵を動きを読んで攻撃或いは防御を抜いて背後に回るだけに終わらず、如何に素早く振り返って背後を取るかがキモとなる技だ。

 カンツラーは片脚を軸に突進の勢いを利用して回転し、片膝をつくことで制動する事を極意している。こうする事で今の膝斬りに移行する事が出来るのだ。

 

「秘技『夜烏(よがらす)』!」

 

 地狐を仕留めた隙を見逃さず、闇から天狐が降ってきた。

 小刀の束を両足の指に挟んでの急降下だ。

 カンツラーの狙いが生け捕りと分かっているのだろう。

 右足の小刀はカンツラーに狙いを定めているが、避ければ左足の小刀が地狐の命を奪う二段構えの捨て身技だ。

 迎撃するしかない。避ければ天狐は地狐を殺した後、逃亡するだろう。

 彼の驚異的な跳躍力があれば、包囲を抜けて一人逃げ切る事は可能だ。

 カンツラーとしては向後を思えば逃がす訳にはいかない。

 逃がせば天狐が右腕の傷と地狐の死を恨み、復讐の鬼と化すのが目に見えている。

 天狐ほどの男が修羅となっては手が付けられない事もあるが、何よりたった二人の兄妹として愛している地狐を殺させる訳にはいかない。

 そこでカンツラーが取った行動はなんと天狐に向けての跳躍であった。

 

「何っ?!」

 

 上昇してくるカンツラーの剣が股間を狙っていると察して天狐の心にちらと防御すべきかという迷いが生じた。

 捨て身も妹を殺す覚悟もしていたが男として明確に急所を狙われていると分かって僅かでも逡巡してしまったとしても責める事は出来ないだろう。

 

「くっ!」

 

 伸び来たる刀を思わず右足の小刀で迎撃してしまった事で体勢が崩れてしまい、その右足を掴まれてしまう。

 

「恥ずべき事ではない。君が人間である証拠だよ」

 

 来ると分かっている急所攻撃を避けた天狐を慰めつつ、カンツラーは天狐の足首を脇腹に固定するように抱えると身を捩って投げ飛ばした。

 

「父上直伝『旋龍衝』!!」

 

 足首を固定されたままの回転投げに身の軽い天狐といえども受け身を取る事は叶わず、膝を捻られながら地上へと叩きつけられる事となったのだ。

 

「ぐあっ?!」

 

 足のダメージが深刻であるのか、天狐・地狐の二人はもう動く事は出来なかった。

 

「さあ、私の勝ちだ。話を聞かせて貰うぞ」

 

「妹ごと殺す気でいた拙僧を殺さずに捕らえるか…形無しだな」

 

「ブリッツが打った布石のお陰だ。君達が動揺してくれなかったら勝負は分からなかっただろうさ」

 

「その上、謙遜までされてしまっては負けを認めるしかありませんね」

 

 頭巾を取った兄妹は晴れやかに笑うのだった。




 カンツラー対天狐・地狐でした。

 前述しましたが、戦闘シーンは難しくていつも苦戦させられます。
 しかもチートを遣った大迫力の戦闘は文才の無さもあって厳しいですね。
 でも、異能バトルはいつか挑戦してみたい題材だったりします。
 天狐ですが、妹を殺す覚悟をしていながら急所攻撃を防御した彼を責める事はできないと思います。
 覚悟云々ではなくその痛みで反撃どころか、動けなくなるのではないのでしょうか。

 カンツラーに居合を伝授した師匠は『水の都』の住人となった後、名前を貰って天寿を全うするまでカンツラーの教育に心血を注ぎました。
 人間なので既に鬼籍に入っていますが、その死はカンツラーに取って初めての身近な人間の死で、強大な力を持ちながら敵であろうと人の死を悼むのはその影響だったりもします。
 ゲルダを初めセイラやゼルドナルといった偉大な大人達がいましたけど、彼もまたカンツラーからすれば偉大な師であったのは云うまでもありません。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第弍拾陸章 皇帝の恋愛指南

「行ったようですな。ざっと見ただけで手練れと分かる者達ばかり。まさに精鋭といったところです」

 

 自分の別荘から黒装束の一団が出て行くのを見届けたブリッツがゼルドナルに話しかける。彼らの身はなんと別荘の中にあった。

 腹に一物を抱えていそうな者がガイラント帝国に訪れた際、ブリッツは別荘の中のとあるゲストルームに案内する事がある。その部屋は隠し部屋が隣接しており、そこから中を見張る事が可能で、その上、地下から敷地の外への脱出する事も出来た。

 今回は逆に脱出口から侵入し、隠し部屋に身を潜めていたのである。

 日中より別荘内が騒がしくなり、夜になって警備が手薄になった事でブリッツが斥候に出たところ、天狐(てんこ)が手勢を引き連れて霊薬奪還に出撃するのが見えた。

 

「なぁに、アントン君達、宰相直轄部隊もまた君とカンツが鍛え上げた精鋭だ。カンツならきっと上手くやるさ」

 

「ええ、殿なら不覚を取る事はないでしょう。ただ出て行った者達の中に九尾(つづらお)がいなかったのが気に掛かります。いつぞやのように捜している様子は見られませんでしたので、別荘内にはいるようですな」

 

 こうして別荘を見張っているのなら天狐出撃を念話でカンツラーに知らせれば良かったのでは、と思われる向きもあるだろう。しかし念話は魔力を使用する為に感知されやすいというリスクもあった。

 しかもガイラント帝国は念話の傍受(・・・・・)という畏るべき技術を魔女と共同開発していた為に慎重を期していたのである。

 

「それにしても流石はゲルさんの勘働きだ。今夜は分厚い雲が出る上に風が強いから良からぬ事を仕出かす輩が出てくるやも知れぬ、と云っていたからね」

 

「そ、それで私は何故ここに連れて来られたのでしょうか?」

 

 この場にいたのはゼルドナルとブリッツだけではなかった。

 なんと、バオム王国第一王子・カイムの姿もあるではないか。

 

「何、聞けば直心影流(じきしんかげりゅう)の修行も中伝に入ったそうじゃないか。そろそろ実戦というものを教えてやろう、というゲルさんからの計らいだよ。勿論、ヴルツェル王には話を通してある。命だけは守るからしっかりと見学するように。そして将来、騎士となり王となった時にこの経験が役に立つ事を祈っているよ」

 

「貴方は一体何者なのですか? 宰相補佐官であるブリッツ殿と行動を共にし、ゲルダ先生の事をゲルさん(・・・・)などと……」

 

 『水の都』での教訓が生きたのか、カイム王子は目の前の若い男に対しても慇懃な態度を崩さずに接している。

 それに感心したのかゼルドナルは微笑んでカイム王子の頭を撫でた。

 ゼルドナルが口に人差し指を当ててウインクをすると彼の体が光り輝き、姿が見えなくなる。その光はすぐに収まりカイゼル髭を生やした初老の偉丈夫が現れた。

 

「あ、貴方様は?!」

 

 思わず叫びそうになるカイム王子の口をガイラント皇帝の手が塞いだ。

 若い男がいきなり皇帝に変身すれば驚くのは当たり前だろうと言葉にはしていないが、ブリッツの表情がその呆れを如実に表していた。

 

「シーッ、驚かせてしまったのは悪かったが、ここは敵の拠点だ。大声を出すのは勘弁して欲しいかな」

 

「陛下、上背こそありますがゲルダ様のお話ではカイム殿下はまだ十二歳の子供だそうですぞ。衝撃的な事実を見せられて声を出すなという方が酷でありましょう」

 

「ははは、気を付けるよ」

 

 ゼルドナルがカイム王子の目を見ると頷いたので手を離す。

 

「久しいな、カイム王子。最後に会ったのは皇后(にょうぼう)殿の葬儀だったかな? 改めてゼルドナルだ」

 

 擬態を解いた爽やかな青年がにこりと笑ってカイム王子の手を取る。

 カイム王子も驚きはしたが、ゲルダがよく吾郎次郎(ごろうじろう)の姿となる事もあってか、すぐに落ち着いた様子だ。

 

「陛下も転生者であらせられたのですか?」

 

「いや、俺に前世の記憶は無い。少し特殊な事情があってね。老いが遠くなったせいで年齢に合わせた擬態が必要になってしまったのさ」

 

「よもや皇帝陛下の真のお姿がこのように若々しく美しいとは思いもしませんでした」

 

「ははは、ありがとう。それとゼルさんと俺の関係だったね」

 

「は、はい」

 

 カイム王子は緊張する。

 ゼルドナルは肩ほどまである黒髪を首の後ろに結わいた美丈夫だ。

 体は引き締まり鍛え込まれているが、ボディービルダーのような鑑賞用の無駄な筋肉が一切無い極めて戦闘に適した肉体である。

 それでいて顔立ちは清涼感のある笑みを浮かべた好漢然としており、所作も洗練され、長身ではあるものの相手に威圧感を与えぬ涼やかな男であった。

 カイム王子はゼルドナルと並ぶゲルダを夢想する。

 どちらも見た目は若いが人生の蜜度は濃く、想像上の彼らはとても似合っていた。

 

「はっきり云おう。俺とゲルダは籍こそ入れていないが夫婦同然の関係だ。所謂(いわゆる)内縁というものだね。君の恋敵といったところか」

 

「内縁……はは、道理で私に靡いてくれない訳だ……」

 

 ならば云ってくれれば良いのに、とは思わない。

 云ったとしても“籍を入れてはいないのですよね”と縋る自分を想像できたからだ。

 しかも、あの(・・)宰相カンツラーが二人の子と云うではないか。

 ヘルディン=ナル=ビオグラフィーとの婚約が成立した日、魔王を想起する程の形相で凄まれたが、あの時は無礼と思う前に“何故、こんなにも必死なのだろう?”と不思議だったものだ。しかし事情が分かれば理解出来る。

 そりゃ子供からすれば父を差し置いて母親に求愛する餓鬼など不快以外の何者でもないだろう。況してや両親が想い合っているのなら尚更だ。

 ならばゼルドナル陛下は自分に対して何故微笑む事が出来るのだろう?

 実質的に夫婦である余裕か? 違うだろう。彼の微笑みには一切の悪意を見出すことは出来ない。むしろカイム王子への慈しみすら感じる程だ。

 これはゼルドナルの器が大きいのだ。対してカイム王子は衝撃的な事実に次々と襲われた結果、最早嫉妬する事すら忘れている始末である。

 私では勝ち目どころか勝負にならないであろうと暗澹たる気持ちとなった。

 

 だが――ゼルドナルはカイム王子の瞳を真っ直ぐに見据えて云う。

 

「ゲルダは君と結婚をしても良いと云っている」

 

「結婚…本当ですか?」

 

「本当だとも。ただし…」

 

 ああ、やはり但し付き(・・・・)か。

 

「そのような顔をしないでくれ。策前提だが正式に婚礼までするのだからね」

 

「策…転生武芸者を抱える寺院とやらに対するものですね?」

 

「話が早い。噂に違わぬ頭脳のようだね」

 

「寺院の暗躍は我がバオム王国も他人事ではありませんので」

 

 近頃では何者かの手引きによりバオム王国の中にも怪しげな僧侶が増えてきていたところである。

 しかもバオム国王の正室にしてクノスベ王子の母であるシュランゲも秘やかに新興宗教の者達を召し抱えている様子だ。加えてカイム王子を排除してクノスベ王子を次期国王に据えようとしているという噂もあって何かときな臭くなっている。

 

「寺院の教えがどういったものかは分からないが、少女を犠牲にして転生武芸者なる存在を生み出し使役しているのは疑いようもない事実だ。前世の晴らせぬ無念を晴らしたい気持ちは理解するけど決して許してはならない事だ」

 

「はい、現にゲルダ先生が斃した青龍は若い女性を攫っては生き肝を喰らっていたそうです。しかも青龍の前世は、吾郎次郎様の莫逆の友にして多くの人を救ってきた御医師であったとか。貧しき者から金を取らぬ慈悲の人すらおぞましい怪物に変えてしまう寺院を許す訳にはいきません」

 

「良く云った。だが安心して良いぞ。策とは云え夫婦生活を送る分には何も制限するつもりは無い。師弟の関係を続けるのも子を作る事も思いのままだ」

 

「子…子を?!」

 

 王族として幼い頃より房事の指導もされていたカイム王子は子作りの意味を知っており、あっけらかんとゲルダとの子作りを許すゼルドナルに呆気に取られた。

 王家や貴族が側室を持つというのに聖女が複数の男と関係を持つ事を否定する道理は無いのも分からぬではないが、彼は平気なのであろうか。

 

「皇帝と未来の王を夫に持つ聖女というのも面白いじゃないか。まあ、そもそもにしてゲルさん自身は聖女と名乗るつもりは無いしね」

 

「しかし巷間にはゲルダ先生をふしだら(・・・・)と嘲る者も出てくるのでは?」

 

「ならば、ほとぼりが冷めるまで『水の都』で暮らすまでだよ」

 

 暗に巷間の噂からゲルダを守れない程度の男なら結婚する資格無しと云われてカイム王子は自分の失言を悟った。

 しかもゼルドナルばかりかブリッツにまで冷やかな目で見られているようで居心地の悪い思いにさせられたものだ。

 十二歳の子供に酷な事を、と思われる向きもあるであろうが、二人からすれば、王族でありながらその程度の事から女一人も守れない男にそもそも結婚生活など出来る訳が無いとすら思っている。

 ただ好きだから一緒にいられる程に安い女ではないのだ。

 現にゼルドナルは勇者の力も高貴なる血筋も持ち合わせていないが、ゲルダに置いていかれないよう必死に修行を重ね、知恵を蓄え、その上で仲間を大切にしてきた結果、気が付けば彼女の横にいたという経緯があった。

 だからこそ王家の出であり、勇者と木の精霊の力をその身に宿しているにも拘わらず、自分の力で、しかも進んでゲルダを守ろうとしないカイム王子に厳しくなるのも当然の事であろう。

 勇者でありながらも与えられた権威に酔い、傍若無人の振る舞いをするばかりで何の役にも立たなかった男を知っているからこそというのもあるやも知れぬ。

 

「ゲルさんと一緒にいたいというのなら先生(・・)と呼んでいてはダメだ。彼女の横にいたいのであれば、対等でなければいけない。先程は気骨のある若者(・・)だと思ったが、彼女を守れるようにならなければ結婚どころか、そばにいる資格すら無いぞ、坊や(・・)

 

 同じ女性を愛する者同士としてゼルドナルの言葉は重かった。

 只でさえ寺院や雷神(・・)といった敵が多いのに未だ守られている自分ではゲルダにとって重荷にしかならないという事実が自覚と共に肩に伸し掛かってくる。

 明らかに意思消沈しているカイム王子にブリッツが声をかけた。

 

「カイム殿下、私からも一つ生意気(・・・)を云わせて頂けますかな?」

 

「何なりと」

 

「これだけ云われて下を向いてしまわれるようでは殿も怒りを通り越して呆れられる事でしょうな。陛下も今でこそ皇帝の地位におわしますが、元は傭兵に近い冒険者であり、生まれもスラム街だったと聞いています。それでもゲルダ様のおそばにいる為に弛まぬ努力を重ねた結果、今の陛下があるのです。まだ未熟だった頃の陛下は何度打ちのめされようとそれでも常に前だけを見ていたそうですぞ」

 

「前だけを…」

 

「そしてゲルダ様から『斬鉄』の極意を盗み、ついにドラゴンの王を斃したのです。分かりますかな? 生まれも才も恵まれておらず、聖剣のような強力な武器すら持ち得なかった男の望みはただ一つ。ゲルダ様の御身をお守りする事、その一点のみだったのです。その一念が巨大かつ強大なドラゴンの王の首を刎ね飛ばし、皇帝の地位を手に入れ、そしてゲルダ様の御心をも射止めたので御座います」

 

 ゼルドナルの武勇を聞いてカイムの顔が徐々に持ち上がってくる。

 その瞳にあるのは嫉妬ではなく、同じ男としての憧憬であった。

 

「畏れながら拙者からカイム殿下にご助言差し上げるとするならば、まずは前を向いて進まれては如何か。何も陛下と同じ様なハングリー精神を求めている訳ではありませぬ。ゲルダ様から正統の剣を学ばれている今、方々に手を出すのは却って成長の妨げになりましょう。前をしっかりと見据えて善き師匠の元で邁進する事が肝要と存じます。結果は後からついてきますゆえ、焦らず毎日の鍛錬を積み重ねる事です」

 

「ご助言、感謝致します。ゲルダ先生と共に歩まれている男性の出現と策を絡めたとはいえ結婚できると聞いて舞い上がっていたようです。勝手に舞い上がっては勝手に落ち込み、なんともお恥ずかしい限りです」

 

「前を向けば視野も広がります。下を見てこそ見えるものもあるでしょうが視野は狭まります。それでは却って足元にある石を見つけられずに蹴躓く事となりましょう。私の申す“前を向く”とはそういう意味なのです。陛下とて何も今の殿下にゲルダ様をお守りするようにと仰せになられたのではありません。ゲルダ様と添い遂げたくばそれだけの気概を見せよと仰せなのです。この気概が意外と効果的でしてね。ただ漠然と修行するより、惚れた人を護りたいと念じて修行した方がより強くなれるものなのです」

 

「ほ、惚れた女性(ひと)…」

 

「貴方様はバオム王国と民を守りたいが為に修行をされているからか、ゲルダ様もその成長に驚かれてました。これからはゲルダ様への想いも込めてみては如何でしょう。きっと更なる飛躍に繋がるとこのブリッツめが請け負いますぞ」

 

 すると溜め息が聞こえてきた。ゼルドナルのものだ。

 

「云いたい事を全部ブリッツ君に云われてしまったよ。ならば俺からも一つだけアドバイスだ。さっきはああ(・・)云ったけど気負い過ぎてはいけない。前を向き過ぎても視野を狭める事もある。広く見るんだ。視野ついでにゲルさんと善く話し合う事だ。君の告白は一方的過ぎる。豪華なディナーに高価な贈り物だけでは女性は靡かないと知る事だ。心を通わせるんだ。愛を囁くにも遣り方をよくよく考えなければならない。相手が受け入れられなければ、いたずらに煩わしい思いをさせているだけだ」

 

 カイム王子は過去の告白を思い出す。

 確かにあの一方的な告白では靡かないのも当然だ。

 自分がゲルダ先生なら鬱陶しく思うだろう。

 

「岡目八目という言葉がある。当事者より第三者の方が正しい判断が出来るという意味だが、由来は人の碁を脇から見ている分には八目も先を読めるという事だ。恋も同じだよ。君はゲルさんの気持ちを分かっていない。考えていないとも云える」

 

「うう……」

 

「もし君がゲルさんの心を掴みたいのなら自分だけの愛を押し通そうとせずに話し合う事だ。それに先人の知恵を借りるのも手だね。君のお父上とお母上はそれこそ大恋愛の末に一緒になったのだから参考になるはずだ。人の話を聞くという事は人の教えにつくという事だからね。つまり第三者の目が手に入るという事だ。これぞ岡目八目の極意。これは恋に限らず人と解り合う為の役に立つ極意と心得なさい」

 

「ははぁ! 有り難き教えに御座います!」

 

 カイム王子はゼルドナルの教えに平伏するのだった。

 

「頭を上げなさい。俺としてもゲルさんが君と偽装の結婚をするよりちゃんと愛し合って欲しいからね。策の為だけの結婚なんて哀しいじゃないか」

 

「陛下…」

 

 ゼルドナルが皇家に婿に入って皇帝となっている事から、ゲルダと結婚出来なかった理由を察し、彼の分まで彼女を幸せにするのだと心の中で誓う。

 

「ああ、その前に俺は近々皇帝を隠居するつもりでね。その後は『水の都』でゲルダと結婚するんだ。結婚式には呼ぶから参加してくれ」

 

「あ、さ、左様ですか…承知しました」

 

「『水の都』の出来事は世間には知られる事は無いから、ゲルさんがふしだら呼ばわりされる事はないだろうから安心してくれ」

 

「そ、そうですか」

 

 肩を落とすカイム王子にブリッツが申し訳なさそうに云う。

 

「男性に当て嵌まるか分かりませんが陛下がゲルダ様の正室となり殿下が側室ということになるでしょうな。ゲルダ様が『水の都』の支配者と考えればそう不自然な考えではありますまい。それに」

 

「そんな無茶な…いや、“それに”? まだ何か?」

 

「仮にゲルダ様が殿下に心を許したとしても、もっと怖い『塵塚』のセイラ様と更に怖い殿、ガイラント帝国宰相にしてゲルダ様のご愛息カンツラー様のお許しを得るというミッションが御座いますればお覚悟を」

 

「う…全力を尽くします…」

 

 『水の都』に君臨するセイラとは信頼関係が結ばれつつあるが結婚の許しとなればまた話は別であろうし、バオム国王のいる前で王子を恫喝するカンツラーを思えば前途は多難であった。

 

「拙者から口添えはしますし、場を設けさせて頂きますが、ご挨拶はご自分でなされますよう願います……命だけはご容赦賜ると存じますので頑張って下され」

 

「ちなみに俺はセイラ様と三日三晩戦った末に生き存えた事で許された。俺に出来たのだから勇者と精霊の力を持つ君なら出来ると信じているよ」

 

「きょ、恐縮です」

 

 頬を引き攣らせるカイム王子にブリッツから苦言が飛ぶ。

 

「今からそのような様を見せていてはそれこそゲルダ様に見限られましょう。何は無くともゲルダ様の御心を掴む事が肝要。今はしっかりと精進する事ですな。直心影流(じきしんかげりゅう)の免許皆伝を許されなければ話は始まりますまい」

 

「免許皆伝が大前提ですか」

 

「当然で御座います。勿論、それで終わりではありませぬ。修行は生涯続くものと心得、自分を高める為に更なる修行へと邁進するのみでござる。そこで初めてゲルダ様は貴方様を一剣士をして見て下さるでしょう。そこから“男”となれるかどうかは殿下の心持ち一つと存じまする」

 

 なるほど、とカイム王子は漸く得心した。

 自分はまだまだ色恋に(うつつ)を抜かす資格など無いのだと。

 ゲルダ先生から相手にされない訳だ。

 いつぞや靡かぬ理由の数々を聞かされたが、あれすら軽いジャブに過ぎなかった。

 彼女にとって未だ私はちょっと困った弟子でしかないのだろう。

 

「明日から早速、修行の練り直しを致します」

 

「そうなさいませ。不肖ブリッツ、殿下の再修行の御手伝いを致しましょう」

 

「俺も流派こそ違うが剣を遣う。時間を作って指南しよう。未来の恋敵を鍛えるというのも面白いだろうさ」

 

 これはカイム王子を侮っているのではない。

 純粋に未来へ突き進む若者への投資の一環である。

 それにゲルダ同様、我が流派を未来に遺したいという一念もあった。

 余談となるがゼルドナルの流派はタイ捨流(しゃりゅう)という。

 スラム時代、マルメなる老人から教わった剣術に蹴りや関節技、果ては目潰しといった体術を取り入れた実践剣法であるそうな。

 

「頼も~~~~~~~う!! お出会い下され!!」

 

 不意に外から善く通る胴間声が聞こえてきた。

 

「この声は吾郎次郎様となったゲルダ先生?」

 

「お、ゲルさん、始めたな」

 

 ゼルドナルが壁に耳を当てて外の様子を伺っている。

 これも何かの策であろうか。

 

「待ち伏せでござる! 補佐官の屋敷はガイラント兵に取り囲まれております!! 天狐・地狐(ちこ)兄妹を初め、悉く捕縛されまして御座る!! 拙者は天狐殿に逃がされて報告に戻った次第!!」

 

「何だと?!」

 

 別荘内の気配が正門前に集っていくのが分かる。

 その間も吾郎次郎が寺院の一派が捕縛されたと叫んでいる。

 

「よし、行こう」

 

「御意! 殿下は離れてついてきて下され。先程も申した通り実戦の見学して頂きます。命の遣り取りをご覧になって何を学ばれるかは殿下次第でござる」

 

「わ、分かった。しかと検分させて頂く」

 

「云っておくが君はこれから凄惨なものを見る事になるだろう。その光景に耐え切れずに逃げたとしても誰も責めはしない。ただ安全の為にも逃げ込むのならこの部屋にして欲しい。内側から鍵をかければ誰も入る事は出来ないからね」

 

「は、はい」

 

 カイム王子も只事ではない空気に素直に応じた。

 変に見栄を張らずに“私も戦います”と云い出さないだけゼルドナルはカイム王子の評価を上げる。

 

「出るぞ!」

 

 何も無いと思っていた壁がスライドして出口が現れた。

 一行は通路に出るとブリッツの案内で正門へと向かう。

 

「なるほど、ゲルダ先生が正門で敵を引き付けて陛下達が背後から強襲するという作戦なのですね」

 

「そういう事だ。しかも霊薬奪還に精鋭を送り込んだ直後だから手薄という寸法だ」

 

 正門では僧形の者達が集まって黒装束に詰め寄っていた。

 

「それで天狐らは捕縛されたのか」

 

「恐らくは」

 

「何と云う事だ」

 

「如何なされますか?」

 

「仕方あるまい。撤退を、と云いたい所であるが、お主は何者だ?」

 

「何者とは拙者は仲間でござる」

 

「戯け! 間者防止に報告の際に頭巾を取って素顔を見せるという取り決めを知らぬ時点でお主が偽物であるのは明白。またお主の声に聞き覚えはない。愚僧は同志一人一人の声を把握しておるのだ。見縊るでないわ」

 

 黒装束は老僧により敵であると見破られてしまったようだ。

 瞬時に僧形の者達に取り囲まれてしまう。

 

「ふふふ、そのような取り決めがあったとは抜かったわえ」

 

 黒装束が頭巾を取ると同時に光を放つ。

 

「まあ、作戦はほぼ成功しておる。こちらの勝ちよ」

 

「お主は?! 聖女ゲルダか?!」

 

「如何にも! そして後ろを見よ」

 

「何?!」

 

 背後より現れた人物に老僧は目を見開く。

 それはそうであろう。そこにいたのは死んだと思っていた人物であったのだから。

 

「ガイラント帝国宰相補佐官ブリッツである! 神妙に致せ!」

 

「ブリッツだと?! 生きておったか?」

 

「左様、すまぬが霊薬は既に研究班にて解析中よ。お主らの手には戻らぬ!」

 

「おのれ…たばかりおったか!」

 

 老僧が十文字槍の穂先をブリッツに向けて獅子吼した。

 

「孤月院殿、投降なされ。素直に降れば悪いようにはせぬ」

 

 ブリッツが投降を呼びかけるが孤月院延光(えんこう)は観念した様子を見せない。

 むしろ威嚇するように十文字槍を頭上に掲げて構えている。

 

「許すまじ、ブリッツ! 宝蔵院流槍術の流れを汲む我が槍を受けるが良いわ!!」

 

「是非に及ばず、か。柳剛流(りゅうごうりゅう)、ブリッツ=オカダ、参る!!」

 

 ブリッツと延光が同時に駆けた。




 かなり長くなりました(汗)
 更新が遅くなったのはその為です。
 切ろうと思ったのですが、良い区切りとなるところが無かったのでそのまま投稿しました。

 少し強引でしたがカイム王子を登場させました。
 ゼルドナルによるちょっと(?)キツメの恋愛指南です。
 ゼルドナルはゲルダとカイムが結婚する事を嫌がってませんし、カイム本人も嫌ってません。
 ただ今のカイムは若いというより幼く、未熟すぎるので相応しくないと思っています。
 同じくゲルダを愛する者としては“もう少し男を磨いて出直して来い”といったところでしょうか。
 同時にゲルダのカイムへの感情はやはり師弟であり子に接するのと同じなので、それから恋愛に行くためにもカイムを鍛えなくてはという親心もあります。
 更に云えば同盟国の未来の王ですしねw

 さていよいよガイラント編のクライマックスです。
 孤月院との決着はどうなるのか?
 未だ姿を見せない九尾はどこにいるのか?

 それではまた次回にお会いしましょう。


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