指揮官を見つけたら (名取クス)
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『青年』とエンタープライズ 

モノは試し。ゆっくりしていってね。


昔、この青く広い海にはセイレーンなる人類の敵がいたらしい。

''らしい''というのはセイレーンがいたのは約100年も前の事で、実際に見た事はないからだ。

 

セイレーンは海に浮かぶ、武装をした謎の生物の勢力で1世紀前、シーレーンはかなりめちゃくちゃにされたらしい。

 

それを撃滅するため作られたのが人類の守護者、KAN-SENである。

また、セイレーンを打ち倒し海に平和をもたらす目的で作られたKAN-SEN達の軍事組織が『アズールレーン』である。

 

人類とセイレーンの戦いは日に日に激しさを増し、熾烈を極めた。

さらに当時人類側は各国のイデオロギーの違いから足並みを完全に揃える事ができておらず、人類同士のいざこざもまだまだ残っており戦いは泥沼となった。

 

しかしそんな中で全てのKAN-SEN達を纏め上げ、天才的な手腕で次々とセイレーンを撃ち破った指揮官達がいた。

 

KAN-SENは基本的に指揮官と呼ばれる存在にしか従わず、セイレーンとの戦いにケリをつけたかの指揮官達は特に『指揮官の中の指揮官』として【アルティメットアドミラル】と呼ばれていた。

 

アルティメットアドミラル達は協力してセイレーンとの最終決戦に臨のぞみ、その命全てを投げ打ちセイレーンを粉砕、完全に撃沈した。

 

その後アズールレーンは解体。

戦いの役目を終えたKAN-SEN達は個々に散っていった。

 

こうして多くの犠牲を払いつつ人類はセイレーンとの戦いに勝利し、現在にまで続く平和を作り上げたのであるーー

 

と、ここまでが教科書や学校の授業で習った事。

要約すれば

セイレーンが人類の敵。

KAN-SENは人類の守護者。

アズールレーンは各国のKAN-SEN達の軍事組織、という事である。

 

そして俺は今その人類存続の立役者にして英雄たる白髪のKAN-SENに、

 

「指揮官、好きだ。付き合ってくれ。」

 

「お断りします。」

 

告白されていた。そして流れるように断った。

 

白髪の女性はハハハと笑ったな。

 

「困ったな。フラれてしまったか。」

 

心底どうしようという風に髪を撫で付け、視線を明後日の方に飛ばした。

 

長い白髪をゆらし、肩が大きく露出したカッターシャツに黒のミニスカ、黒いガウンを羽織ったKAN-SENはエンタープライズと名乗った。

 

 

【 『青年』とエンタープライズ 】

 

 

俺たちはとある海の家に移動した。

俺はもともとランニングを終えて、呼吸を整えるためにゆっくり海沿いを歩いていたところで告白されたのだ。

「どこか腰を下ろして話さないか」とエンタープライズと名乗る女性に言われ、「近くによさげな店がある」と彼女に案内されてやってきたのがこの店だった。

いかにもといった木組みの年季を感じる店構えだった。

 

俺たちがテラス席に腰かけると中から可愛い店員さんが注文を取りにやってきた。エンタープライズはこの店の主人と知り合いらしい。注文は相席の彼女がまとめてしてくれた。

俺が思わず可愛い店員に目を奪われたのをめざとく見つけたのか、同じ卓を囲む彼女のジト目が俺を射すくめた。

俺はなんとなくバツが悪くなって本題を切り出す。

 

「で、話って何だよ。」

 

「指揮官、貴方が好きだ。私と付き合って欲しい。」

 

「それはさっき断ったばっかりだろ。そもそも俺は指揮官でもないし、お前とは初対面のはずだ。これは一体どういうことだ。」

 

「なに、貴方はたしかに私の指揮官だ。確かに貴方とは初対面だな。でも私は貴方を見た瞬間心臓が跳ね上がって、運命を感じた。言ってしまえば一目惚れだな。」

 

「というと、俺には本当にお前、エンタープライズの指揮官適正があったってことか。」

 

指揮官適正ーーそれはKAN-SENを運用する才能のようなものでそれがない者はKAN-SENをコントロールする事はできない。

また指揮官適正、一言でそういっても種類はたくさんある。

その適正によっては適合するKAN-SEN、適合しないKAN-SENが分かれてくる。

例えば駆逐艦Aの適正を持つ持つ者は駆逐艦Aの指揮官になれても、そのほかの駆逐艦BやCの指揮官にはなれない。

基本は単一の艦への適性しか持たない指揮官がほとんどだが、中には『〜型適正』や『戦艦適正』と言った姉妹艦全てや、その艦種全てへの適正を持つ指揮官もいるとか。

 

しかしこの適正というのは厄介な性質を持ち、そのKAN-SENと指揮官が実際に顔を合わせないとKAN-SENがその人物が指揮官であるとわからないそうだ。

 

なんでもKAN-SENは指揮官に会った時はビビビッ、とばっちりくっきりわかるらしい。

 

そもそも適正持ちが稀で、その上その性質じょう指揮官に会えぬまま人生を終えてしまう悲惨なKAN-SENもざらにいてしまうんだとか。

 

 

「ああその解釈で間違ってない。もしかすると他のKAN-SENにも適性あるかもな。無論、渡すつもりはない。」

 

店の奥から女店員さんが機材を運んでこようとしていた。

見たところバーベキューとかに使う小さな七輪のようなものだった。

目の前で料理を作るタイプの店だったのだろうか。

 

しかしそれを手で持って制したのは目の前に座るエンタープライズだった。

 

店員さんは驚いたような、しかしすぐに嬉しそうな表情になって再び店の奥に消えていった。

 

「なんだよお前。」

 

「事情があるんだ。」

 

それから俺たちは話をした。

俺とエンタープライズは指揮官とKAN-SEN

フった男と告白した女。

でも初対面。

そんな縁で結ばれた奇妙な関係だ。

俺たちは料理を待つすがら、どちらともなしに話しはじめた。

ちょっとした世間話から、お互いの事まで。

いきなり話しかけて告白してきた時は、俺はこの女を異常な奴だと思った。

でも最初に思ったほどとんでもない女じゃなかった。

よく笑って、明るくてフランクに接してくるKAN-SEN。

ただの雑談だけど、まるで長年の親友と久しく会ったような感じ。

 

「お待たせしました。ご注文のベーグルサンドです。」

 

俺たちの前に具沢山のベーグルサンドが一人に二つずつ並んだ。

茶色く香ばしい焼き色をのぞかせる肉とフレッシュなレタスとトマトが挟んであった。

実に食欲をよく誘った。

 

彼女がウェイターにチップを渡すのをみて、俺も慌ててコインを取り出した。

 

そうか、たしかエンタープライズはユニオンで産まれた船か。

 

「これは私のお気に入りだ。指揮官もきっとそうなる。」

 

そう言われてはもう黙っていられなかった。

 

「いただきます。」

 

今度は狼狽(うろた)えたのはエンタープライズの方だった。

 

「そうか、貴方の出は重桜だったか。ええと………。」

 

「いただきます。いただきますって言うんだ。食材に感謝して。」

 

「いただきます。…いい言葉だな。」

 

そうして俺とエンタープライズはベーグルサンドに豪快にかぶりついた。

溢れる肉汁に噛みごたえのある肉。シャキシャキと音を立てる野菜が心地よい。

 

ーーーうまい。

 

それが俺の素直な感想だった。

 

「うまいか?指揮官。私のオススメはここだ。この肉の端っこのちょっと焦げてるところ。コレが美味しい。」

 

言われるがままかぶりつく。さっきより硬めの肉はよく味を放った。 

 

「うまい。美味しい。この店を知れただけで君と知り合って良かったと思ったぐらいに。」

 

「ははは、言うな指揮官。そのブリスケットの焦げた切れっぱしはバーントエンドという。気に入ってくれたみたいで嬉しい。…それに君よりもエンタープライズ、そう気さくに呼んでくれ。」

 

「なら指揮官呼びもなしだ。なんだかむず痒い。そうだな、ブラザーとでも気さくに呼んでくれ。」

 

遠回しなお付き合いヘの拒絶。

 

「そうか、よろしくなブラザー。」

 

知ってか知らずか、彼女は溌剌(はつらつ)と答えた。

 

そのあと俺たちはもう話もせず黙々とベーグルを(むさぼ)った。

咀嚼(そしゃく)する音に僅かに混じる潮騒(しおさい)。その静かな時はとても気持ちの良い沈黙だった。

 

すっかり空になった皿を見てエンタープライズがいった。

 

「こういう時は何て言うんだ?」

 

「ごちそうさま。」

「ごちそう…さま。」

 

俺にエンタープライズが少したどたどしく続いた。

 

名残惜しそうに席を立つ俺にエンタープライズは言った。

 

「海は綺麗だな。」

 

「ああ綺麗だな。」

 

マリンブルーの海を、夕日が鮮やかに茜色に染めていた。

海風に揺れる白髪を抑えながら彼女はいった。

 

「指揮官、実は私は目の前で調理された物しか食べられないタチなんだ。戦いの記憶のせいで。」

 

それでか、あの時店員が俺たちの前に調理器具を持ってこようとしたのは。合点がいった。

 

「でも指揮官と今日訪れて、全くその心配が湧かなかった。私は目の前で作られたわけでもない、何があってもおかしくないベーグルを食べるというのに(まった)く恐れはなかった。今までずっと避けていたのに、(まった)く。それも全部貴方のおかげだ、指揮官。」

 

「どうかこれからもそばで私を安心させてくれないか、指揮官。」

 

俺とアイツの瞳が交錯する。

 

「すまないが、断る。」

 

「またフラれてしまったか…。」

 

「まぁ、たまに遊ぶぐらいには付き合う。」

 

エンタープライズはハハハと帽子の鍔を下げ笑った。

でもすぐ前を向いた。美しい真剣な眼差しと目が合う。

 

「なぁ指揮官。私の二つ名、知ってるか?」

 

「たしかグレイゴースト、ギャロッピングゴーストだっけか。先の大戦で何度も重桜に沈められたと報告されてなお、必ず戦場に舞い戻る灰色の亡霊。」

 

 

「そうだ、私はエンタープライズ。何度でも生き返る不屈のKAN-SEN。」

 

「一度や二度と撃沈(ふら)れたぐらいで素直に沈む船じゃない。」

 

「だって私はエンタープライズ。」

 

「きっと君さえ沈めて(おとして)みせる。」

ーー私という海にな。

 

パァッと、亡霊というにはあまりにも眩しい笑顔が咲いた。




お読みいただきありがとうございました。
感想、ご指摘ぜひお寄せください。


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『おしゃべり』とボルチモア

ゆっくりしていってね。


TEDの舞台上でたくさんのスポットライトと聴衆の視線を一身に集めてユーモアに、愉快に、興味深い(おもしろい)話を披露するゲスト。

 

幼心(おさなごころ)ながら、強烈に(あこが)れた。

 

彼らみたいにしゃべってみたい!

 

それが私の出発点だった。

 

 

         ***

 

 

 

僕はうまくしゃべる事ができなかった。

僕が頑張って話をするのを、よく学校の先生が苦笑いしながら聞いてくれていたのを今でも覚えている。

 

それから僕は考えた。足りない頭で考えた。

 

「そうだ!知識だ!僕にたりないのは知識だ!」

 

あの舞台に立つスター達は僕らが知らない事を知って、気づかないことに気づく。

 

ある映画監督は言った。人の記憶は印象によってこうも事実から変わってしまうものだ。

あるストリートで20年目スリをした天才は言った。人の注意力はこんなに脆いものだ。

ある大企業の社長は言った。オリジナルな人とは、成功する人とは。

 

誰もこれも、豊かな知性が根ざしていた。

 

それから僕のひたすら知識を収集するような日々が始まった。

彼らに憧れて一人称も幼稚な『僕』からの大人びた『私』に変えた。

TEDは日本語でもやっているが、私の好きやつはアメリカでやっているやつだ。だから並行して英語の勉強も頑張った。

 

私にはそれなりの才覚があったのだろう。

私はメキメキと知識を蓄え、勉強でもトップを走り続けた。

 

気づけば東倞大学という、最高峰の名誉ある大学に入学することもできた。

専攻は人文で、会話のロジックを追求した。

 

どのようにプレゼンをすれば人は見てくれるか。

身振り手振りが与える印象に与える影響。

言語の背後にある文化の存在。

 

色々な研究をした。

悪くない日々だった。

研究をして、論文にまとめて紹介すれば同じ研究室のメンバーや教授はふんふんと聞いてくれた。私は憧れに近づいたの感じていた。

 

卒論も難なく突破し、私は大学を卒業した。

 

卒業後私は大手通信広告代理店に採用、そして就職した。

 

TEDに出演するために必要なのは、地位でも名誉でもない。いかに重要なアイデアを持っているという事である。

しかし、TEDの会員の年会費はとても高い。私も一度ぐらいはあのカンファレンスに生で参加してみたいのだ。よって私はこの会社で存分に成り上がってやろうと野望に燃えていた。

 

会社を始めてからも、勉強はやめなかった。

 

学習を止める事は、あの舞台から遠ざけるだと考えていたからだ。

 

そして私はいよいよあの舞台に立った時何を話そうかと考えた。

 

大丈夫だ。知識(材料)はいくらでもある。そのために今日まで貯蓄してきた。

 

何について話すのかを考えるのは本当に楽しかった。

あそこに立って堂々と話す私がありありと(まぶた)の裏に写って、思わず(ほほ)が緩んだくらいだ。

 

とりあえず大学で研究してきた、『会話とは?言語とは?』というテーマについて話す事を想定した。 

 

そこで私は、とりあえず試しという事で同じ部署に配属されている鹿倉にこのテーマでもって話してみることにした。

 

会社に出勤すると、自分のデスクの隣に鹿倉が眠気が抜けきらないようなしまらない顔でデスクチェアに腰掛けていた。

 

よし、自分の中でスイッチを押して鹿倉に近寄る。

 

 

言語とは何か、コミュニケーションとは何か、考えたことがあるか?

 

「………………」

 

そう気さくに話しかけるつもりだった。

しかし言葉はでなかった。

 

ただ色々と言葉が頭の中に溢れて、口がもごもごとしただけ。

 

『あれ?人に話しかける時ってどうするんだ?』

 

こんな会話の初歩の初歩、これがなんであるか。これが今の私には大学入試のどんな問題よりも難しく感じられた。思考が深く沈んで注がれた水のように渦を描き始めた。

 

「……………。どうしました?」

 

すっかり目が覚めた様子の鹿倉がこっちを(うかが)うようにみた。

考えることに夢中になって、私は鹿倉を凝視してしまっていたようだ。

 

意識して軽く息を吸う。

 

人に話しかける時、どうするのか。

気づけば簡単だ。

人と人が相互に認知し、認知されるために行う時にする行為とは何か。

そう、『挨拶』だ。

 

俺は早速実行することにした。

 

「…ッ、………ッ、…おはようございます。」

 

鹿倉はポカンと口を開けていた。

 

「は、はい。おはよう…ございます。」

 

羞恥(しゅうち)と焦りで私は二の句を(つむ)ぐことができなかった。

ただ何事もなかったかのように席につき、仕事に就いた。

 

なぜがミスが重なり、滅多にしないのにその日の業務は残業に突入した。

 

 

           ***

 

 

私が残業を終えて帰途(きと)つこうとした時、鹿倉もようやく仕事にカタがついたようで、うーんと背伸びしながらPCの電源を落としていた。

 

同期の1人に(おく)しているようでは、夢は夢のまま消えてしまうぞ!

大丈夫、大学でプレゼンは上手にできていた。

 

私は事前にメモしておいた会話のセリフを思い出しながら鹿倉に話しかける覚悟を決めた。

 

 

「………スゥー、鹿倉、コミュニケーションってなんだと思う?」

 

鹿倉はまた口を丸く開けて固まった。お気に入りのジェスチャーだろうか。

 

「………」

 

男と男、同期と同期、私と鹿倉は何故だか見つめあっていた。

奇妙な気持ち悪さが充満する。

 

「………え?は?」

 

鹿倉が辛うじて吐き出したのは、疑問に疑問を重ねた感動詞だった。

 

「すまない、妙な事を聞いた。」

 

私は耐えきれなくなって、その場を後にした。

 

(きびす)を向けられた鹿倉がどんな顔だったか、私は直視することはできなかった。

 

     

          ***

 

 

帰りの電車の中、私は考えていた。

 

私はあのTEDのキャスト達のように話をしたくて努力をしてきた。

知識を貪欲に吸収し、研究を重ねてきた。

 

それなのにこの体たらく。

(みじめ)だ。あまりにも惨めだ。

 

ふと20世紀前半のプラグマティグムの思想家、ジョン・デューイを思い出した。

 

『概念、理論、思想体系は道具である。』

 

ジョン・デューイの『哲学の改造』に出てくる一節だ。

 

つまり知識や考え方は何かを成すための道具すなわち手段であるのに対し、今や知識や考え方を得る事こそが目的にすり替わってしまっているという意味だ。

 

私は考えた。

私は確かに知識を、道具を得たはずだ。東大卒業の実績は軽くない。

 

ではなぜだ。どうしてなのか。

どうして私はこんなにも、あの頃の『僕』と同じなのだろうか。

 

簡単だ。

私は道具を扱う訓練をしてこなかったからだ。

どれだけ強力な銃を赤ん坊に渡しても、その真価が発揮される事はないだろう。ただ、銃をペタペタ触って満足するのがせいぜいだ。 

 

カードゲームでキラキラしたカードを集めて満足して、デッキすら組まないような行為。

 

私こそ道具を集めるだけ集めて飾って満足しただけの、道具を得ることこそを目的とした愚か者だったのだ。

 

彼の言葉が私の胸をざくりと貫いた。

 

私の意識が呆然(ぼうぜん)と浮上した。

 

電車の中ではこの駅で数分停止する旨がアナウンスされていた。

下車駅をもうずっと過ぎた見知らぬ駅。

 

私は居ても立っても居られなくなって、よろよろと電車を降りて、ふらふらと改札を通り抜けた。

 

駅前の歓楽街に沢山の人が陽気な顔をしていた。

私は我を見失ったまま、導かれるようにその群れに足を踏み入れた。

 

先程ほどからずっと私を縛る重い重い足枷(あしかせ)を引きずる音を私は(つと)めて無視しようとした。

 

周りにはなんの悩みも辛さもなさそうにはしゃぐ大人がたくさんいた。

いや、無いのではない。忘れているのだろう。

 

私も今、彼らみたいにその重りを投げ出したくなった。

 

私はふと目についた居酒屋の暖簾(のれん)をくぐった。

無性に飲みたい気分だった。

 

 

        ***

 

一度飲み始めたらもう止まらなくなった。

浴びるように酒を飲んだ。飲んで飲んで飲みまくった。

財布の中身なんてどうでもよかった。

ただ、苦悩を、辛さを、足枷の立てる異音をどこか遠くに放り出してしまいたかった。

 

頼んだ焼き串を見てふと『ラバーダッキング』なる行為を思い出した。

 

相手の返答を期待せずに物や人に一方的に自分の考えを喋る事で自分の考えを整理し、新たな発見や結論に導く手法だ。

 

思いついてから私はすぐに喋り出した。

 

「私はただ、あのステージに立ってみたかっただけなんだ。人を惹きつけてやまない彼らの輝きが!あのスポットの光の中が!羨ましかった。近づきたかった。私もそうなりたかった!それだけを求めて知識を集めたんだ!勉強に勉強を重ねたんだ!東大にすら到達するほどの!だけど結果はどうだ!何が変わった!ただ憧れて指を加えていただけの僕と一体どう進化したんだ!なぁ、教えろよ!教えてくれよなぁ!」

 

どうしてこうなったんだろうか。

才能がなかったのだろうか。

努力が足りなかったのだろうか。

いや、と私はかぶりを振った。

才能も努力もあった。でもなきゃ東大になんて行けるはずない。

ならどうして、同じ問いが頭の中をぐるぐると重苦しく引っ掻き走り回った。足枷の重りが嫌に大きな金属音を立てた。

 

「……俺は努力の仕方を間違ったのか?

 ……俺の両手はあの夢に届くのか?」

 

俺は重くうなだれた。

串は何も答えない。

 

ぐっと、残りかけの生ビールを流し込もうとした。

よく見るとジョッキは空っぽだった。その空虚さが何を暗示するのか、私は鋭敏(えいびん)に感じ取った。

もう半分涙が(ニジ)んで、死んでしまいたいくらいに(みじ)めに思えた。

 

チラリと横目でうかがうと、串に話しかける私に近づいてきたアラフィフの酔っ払いはとっくに眠りこんでイビキをかいていた。

 

あまりの間抜けぶりに、私は思わず脱力してしまった。

 

「………そうだよな。俺の話なんて、だれも聞きたくないよな…」

 

今にも消え入りそうな声だったと思う。

 

「やあ、助けを求めてるってのはあんたか?私は通りすがりのお節介焼きさ……冗談はこのくらいにして、さっ話、聞かせてくれよ。」

 

快活(かいかつ)な声が響いた。

 

瑠璃(るり)色に蛍光(けいこう)のラインが入ったアウター、(つや)やかな茶色の髪を肩口で切りそろえた女だった。

 

一升瓶をドンとカウターに置き、それでもって俺の空のジョッキを並々に満たしながら彼女はそうおどけた。

しかし言葉の軽快さと裏腹に、彼女の瞳の奥には真剣さが鋭く反射した。

 

一瞬たじろいだが、私は跳ね返すようにまくし立てた。

 

「この私、安土 竜行(あづち たつゆき)には夢がある!それは審査員を唸らせるようなアイデアを提示して、TED talksの舞台で堂々とプレゼンをする事だ!」

 

それからはもう酔った勢いでめちゃくちゃだった。

 

そもそもなぜTEDに憧れたのか。

特にだれのプレゼンが好きなのか。

どうしてTEDでプレゼンをしたいのか。

そのためにどれだけの努力をしてきたか。

そして今どんな風なのか。

 

 

とにかくしゃべりたい事をしゃべりたいだけ、しゃべった。

一度(せき)を切ったらもう水を止めることができないように、思うままにぶちまけた。

 

彼女は私が何か言うたびに、うんうんと真剣にうなづいて、何度ジョッキが空になってもその都度(つど)彼女は琥珀(こはく)の液体で満たしてくれた。

 

私の中にも、その(たび)に何かが充満して行くようだった。

 

何重にも私を梱包(こんぽう)するベールが一枚一枚剥がれて行くのを感じた。

全身がふわりと軽くなって心地よい。繭から飛び出した蝶のようだった。いつしか『私』は『僕』になっていた。

 

とにかくしゃべるのが楽しくてしょうがなかった。

楽しい!楽しい!楽しい!

純粋な喜びがオアシスみたいに湧いて溢れた。

話題はいつのまにかTEDだとかとは関係なくなっていた。

虹はなぜかかるのかから果てはホーキング博士はなぜ超ひも理論を提唱したかまで。

どんな話題でも彼女は楽しそうに相槌(あいづち)を打ちながら聞いてくれた。

世界が終わるまで永遠に話していられる、そんな気さえした。

 

ふと彼女は私に問いかけた。

 

「なぁ、竜行はTEDに出て、どうして欲しかったんだ?TEDに出ることがゴールだったのか?」

 

霹靂(へきれき)が頭のてっぺんからつま先まで走った。

………そうだ。‥そうだそうだ!

僕はなんて間違いをしていたんだろう!

そんな最初を取り違えしまっていたのか!

考え込んで雨水が軒からポツリポツリと滴るように

 

「僕はただTEDに出て上手にしゃべりたかったわけじゃないんだ。」

 

ゆっくりゆっくり、言葉を自分の中から削り出していく。

 

「僕は人より喋るのがずっと好きでそれで…」

 

次の言葉を探して言い(よど)

しかしその沈黙は不思議と心地よかった。

彼女が、ボルチモアがゆっくりと僕を待って、真摯(しんし)に求めてくれるのが全身で分かった。絞り出すように言葉を紡ぐ。

 

「僕はただ、僕の話を聞いて欲しかったんだ。きっと本当に、ただ、それだけ…」

 

口にした瞬間、それは僕の胸にストンと落ちて収まった。

 

そうか、僕はただ話を聞いて欲しかった。

僕の話を聞いて、頷いたり、笑ったりして欲しかったんだ。

ただそれだけだったんだ。

 

なんて簡単な事じゃないか。

 

ああ、そうだ。思い出した。

TEDで話す彼らみたいになれなら、きっとみんな僕の話を聞いてくれる。始まりはそこだったんだ。

 

どこかで(かせ)が砕け散る音がした。

 

でも僕がTEDに出演したい、そう思った気持ちも決して嘘じゃないだ。

ただ、目的と手段がごちゃごちゃになってた。

 

「なぁ、竜行。もっとあんたの話、聞かせろよ。あんたがスッゲー楽しそうに話すから、こっちまで楽しくなってきてしまった。」

 

そう言って彼女はまた空になったジョッキに酒を注ぎなおした。

 

僕はもう辛抱できなくなって、彼女に(すが)り付くように泣いた。

居酒屋の一角、他人の目も気にせず泣いた。

涙のわけは始めとすっかりと逆さまだった。

熱い涙が後から、後から(ほほ)(つた)った。

 

彼女はそんな僕を優しく抱きしめた。

揺り(かご)みたいに暖かい抱擁(ほうよう)だった。

 

人はこの命の暖かさに生かされている。そう思った。

 

        ***

 

 

泣いて泣いて、ひとしきり泣き()らして。

店を締め出された僕達は近くの公園に立ち寄っていた。

僕は彼女の肩を借りながらだけども。

 

ベンチに2人して腰かけて、酔いを覚ました。

5月の夜風が、火照った体に心地よく吹いた。

 

「名前、もう一度教えてくれよ。」

 

僕はそう聞いた。

 

「ボルチモア。ただのボルチモアさ。」

 

「ならさボルチモア。僕と結婚しませんか?」

 

自然と言葉になった。彼女となら。たった少し会っただけの仲なのに僕は彼女を信じたくなっていた。

(なぐさ)めてもらって即落ちって、僕ちょろいなぁ。

 

「……えっ、うう。いきなり結婚ときたか。これはまた早いな。でも今はダメだ。だってフェアじゃ無い。酒の勢いに任せるのは無しだな。」

 

「今は…ね。」

 

「ほらほら、そろそろ終電だ。遅れる前に帰れ。」

 

「もう少しぐらい楽しみたいと思う僕がいる。そんな僕も嘘じゃない。」

 

「それで終電逃しても流石にお前の家まで肩組んで行くつもりはないからな。」

 

「なら次会った時、ボルチモア、今度は君の話を聞かせてよ。」

 

そういって、メールアドレスが書いてある紙を差し出す。

彼女も何か紙にペンでサラサラっと書いて僕に手渡してくれた。

 

「そうだな。きっと話そう。だから、今日はさらならだ。」

 

「うん、さよなら。おやすみなさい。良い夜を。」

 

そして『私』は彼女に踵をむけて歩き始めた。

まだ酒が残って気持ち悪い。

それでも私は、今日はきっと良い夢が見れる。そう予感した。

 

輝く星々の下、ぬるく夜が溶けていった。

 

 

         

***

 

 

その日、通信を請け負う会社の下っ端として働くシェイブは作業に追われていた。

なんでもその日、とある有名人がTEDなる番組に出るとかで接続が集中、サーバーダウン寸前になり会社に苦情に殺到(さっとう)していた。

コールセンターは今、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の戦場みたいになっているだろう。

電話対応をする彼ら彼女らにシェイブはしばし黙祷(もくとう)した。

 

作業が一段落したシェイブは俺たちをこんな目に合わせたと憎っくきその有名人とやらの(つら)を拝んでやろうと意気込んでTED配信を開いた。

 

そこには今までのどんな有名人や芸能人よりも楽しげにしゃべる愉快な日本人がいた。

シェイブは途端に全身の力が抜けて行くのを感じた。

そして気づけば円満終了まで見事試聴してしまったのである。

ジェイブは思わずこう叫んだ。

 

「本当に憎いやつだぜ!こいつは!!」

 

その顔は笑顔一色だった。

 

そういえばとジェイコブは思い出した。

『最前列で聞いてた肩にかかるくらいの茶髪の()ーちゃん美人だったな。』っと。

 

 

【 『おしゃべり』とボルチモア 】




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