地獄のような世界に転生したら死神がやってきた (二三一〇)
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地獄のはじまりと死神との邂逅
阿鼻叫喚の地獄絵図。
端的に表現するとその言葉がしっくりくる。
昼日中の街に悲鳴が飛び交い、歩道に鮮血が飛び散る。車のクラクションは喧しく怒鳴り散らすが、車道は既に交通麻痺を起こしていた。
「日本は人口が多いから、こういう事態には脆いな」
そう呟く言葉は近くの人にしか聞こえていない。その人物が怯えるようにこちらに言う。
「く、九郎。なんでそんな落ち着いてんのよっ? ぼーどーよ?」
セーラーカラーのワンピースを着た少女がそう宣う。
その様子からこの人物の妹のようだ。セミロングの黒髪をツインテールにしていて幼い印象を与える。どこをどう見ても日本人の少女だ。
「暴動なんてアメリカじゃ当たり前だからな」
「ここは日本なんですけどっ!」
他人事のような口ぶりに、少女はツッコミをいれた。
実際つい最近も似た状況にあった彼には慣れきったものだが、平和なこの国の少女にはやや刺激が強過ぎたらしい。
「それに九郎だってアメリカ行ったことないじゃんっ!」
噛み付くように言う少女。
それに対する返答とばかりに、彼は彼女をかき抱く。
「ふえっ?!」
「シュッ」
バキャッ!
少女を抱え、軸脚をくるりと変えて振り向きざまのトラースキック。違わずに不届き者の下顎部を粉砕。厚底の編上げブーツの底は鉄材が敷いてある安全仕様であり、その威力は推して知るべし。
「きゃあっ!」
「お、おい。なんて事するんだ、お前っ!」
慌ただしい雰囲気でありながらも、義憤に駆られた男が彼に食ってかかる。だが彼はそんな男に頓着しない。抱きかかえた少女を立たせ、手を繋ぐとその場を離れる。
「おいっ」
「うがぁ……」
「うわあっ!?」
彼を問い詰めようとした男は、背後から二人の人間に掴みかかられた。
「いくぞ」
「ちょ、あの人助けないの?」
「間に合わん」
少女よりも大柄な彼が手を引けば、抗うことなど出来ない。周りの人も、それを見て我先にと逃げ出し始めるが、それがさらにパニックを引き起こす。
「うわっ?」
彼はクイッと腕を上げると少女の軽い体が宙を舞う。すとんと彼の背中に乗っかると、彼は「しっかり掴まれ」と言う。そろそろ多感なお年頃になってきた彼女は支える右腕がお尻の辺りを触っている事に異議を申し立てようとする。
「……く」
だが、言葉にはならなかった。
急に加速したと思ったら、車道に止まる車のボンネットに飛び乗り、飛び跳ねるように駆け始めたからだ。自分では成し得ない速度で、車の上を飛び石のように駆ける様は、周りの人達も面食らっていたに違いない。
「ちょ、っ九郎ッ! こん、な、迷惑なことっ」
「黙ってろ、舌を噛むぞ」
密集したエリアを抜けるが、だからといって脅威が無くなるわけではない。前方でも人と人が争うような場面が見える。人が人に襲われている、という方が正しいのだが。
「うそ……なんで?」
「なるほど。発生源は複数……いや、アウトブレイクか」
「あうとぶれいく?」
飛び付いて来ようとする人を足蹴にして、さらに加速する。彼が異様に体を鍛えていた事は覚えているのだけど、その様は余りにも卒がない。この時期にしては気温の高い中を動いているにも関わらず動きには淀みがない。
「一度、家に戻る」
「そ、そうね。そのほうが良さそうね!」
少女は慌てながらもそう答える。こんな事態にあっても泣き叫ばないとはかなり気丈なのか。それとも自らを背負う人物への信頼ゆえか。
その青年は路上にある車へ、その場で拾った傘をいきなり突き刺した。
「ちょ……何してんの!?」
運転席側のウインドウガラスに刺さったそれは、蜘蛛の巣のように罅を巡らせる。そこへさらに左の前蹴りを突きいれるとガラスは砕け散った。途端にけたたましい音を車が鳴らす。防犯対策用の警報器らしい。
素早くその場から離れ、彼はポツリと言う。
「こういうのは音に敏感だ」
「だ、だからって……」
しかし、彼の言うとおりに人々を襲う人間たちはこちらに向かってやってくる。かなり近い所から出てきた奴も彼らを無視してそちらへ行ってしまう。通りに隙間が大きく出来た辺りで彼は速やかに脱出を図る。
大通りから路地へ入る。人の数は少なくなるものの、避ける隙間も無くなるために注意が必要となってくる。襲われている人の横を通り過ぎ、襲いかかるものには威力過剰な蹴りを見舞って活路を開く。言うのは簡単だが、小学生とはいえ人一人を背負ったままの行動だ。
「お、おもくない?」
「軽い。幾つだ?」
「デリカシーっ」
「……ナットウでも食いたいのか?」
「なんでそーなるっ!」
そんな軽口を叩きあうのも兄妹ゆえなのか。極度の緊張からも逃れた少女は、少し余裕を取り戻していた。
「いやぁっ!」
「あ”あ”ぁ……」
「九郎っ!」
「シュッ」
幼子に覆い被さろうとする老人を後頭部から蹴り倒す。入った場所は的確に延髄であり、吹き飛ばされるようにして顔面から落ち、ピクリとも動かなくなる。その手前には頭を抱えて縮こまる少女がいた。帰宅途中だったのか赤いランドセルを背負っていて、自らを助けてくれた青年を仰ぐように見ている。
「大丈夫か?」
「へ、え……九郎さん?」
一瞬ポカンとした少女は、彼を見てそう答えた。背中の少女と同年代のようだが、彼の名前を知っているらしい。なのに彼は少し頭を傾げる。
「何処かで会ったか?」
「ええっ?」
彼にそう言われて、少女はショックを受けたようだ。その彼は、後ろからペシッと頭を叩かれた。
「こんな可愛い子を忘れんな!」
「か、かわいいだなんて、そんな……」
血みどろの惨劇の最中であるのに、少女二人の言う事はどこか呑気なものだ。青年は顔色を変えずに言う。
「ここは危険だ、早くご両親の元へ帰りなさい」
「は、はい」
「こら、九郎! 一人で行かせるつもりなの?」
背負われた少女が至極マトモなことを言った。駅前からここまでの間に何度も襲撃されているのだ。そんな中を幼子一人で行けるはずもない。青年はほんの少しだけ考えるとランドセルの少女に提案する。
「……俺たちは家に戻る。君も避難するか?」
「何なら私が九郎から守るわよ!?」
「リオ、少し声を落とせ。周りから呼び寄せる。この子を家に置いてからなら、君を送ってやってもいい。無論、拒否しても構わない」
青年は落ち着いた口調でそう答えた。少女は少しだけ逡巡してから頷いた。どう考えても一人で家まで辿り着けるか分からないからだ。
「分かった。リオ、一度降りろ」
「勝手に背負ったくせに」
背中から降りた少女、莉緒は座り込む少女に手を貸して立たせる。その間にも横の路地から迫るものに対し青年は躊躇なく膝を蹴る。ぼきりという音が響き、それは体勢を崩す。その横合いから強烈な肘打ちが決まる。そいつの首はまるっきり横に折れて、そのまま静かに倒れ伏す。
「ふぃ……」
「泣くな。さらに呼び寄せるぞ」
ランドセルの少女が涙を滲ませるものの、その言葉でひくっと止める。
すると、彼は少女の腰に手を回し、ぐいっと持ち上げた。傍らの妹もそうして持ち上げる。
「わ」
「こらっ、人を手荷物みたいにすんなっ!」
女の子二人を小脇に抱えたその姿は、さながら人攫いか。しかしながら一人あたり三十キロ近くある。都合六十キロを持っているにしては些かもブレがないというのは、よほど鍛えた人間でも難しい。
「いい子だから大人しくしてくれ」
「ひぃっ……」
「アンタ、そのセリフコワイわよっ!」
莉緒のツッコミに答えず、彼は走り始めた。
路地から出てくるものをひらりと避け、さらに路地の狭い方へ。
少しすると木立がまばらに立つ林のような林道になる。彼の住むアパートメントはその一角にポツンと建っていた。築年数は三十年を越えているが、外装はコンクリートの二階建て。合計六部屋からなるそこの二階角部屋が彼の部屋だ。
ここまで来るとほとんど人影は見えず、彼はアパートの二階へと駆け上がる。大柄で子供を二人も抱えておきながらも、その足音はごくごく小さい。それでも響くことに変わりはなく、周りからはうめき声のようなものが近付いてくる。
自室の鍵を開けて二人を中に入れると、彼は玄関先に置いてあった鉄パイプを持った。
「戻ったらノック三、二と叩く。それ以外は誰も入れるな。誰が来ても居留守をするんだ」
「う、うん」
「九郎さんはどちらへ?」
「少し掃除をしてくる」
階段を降りていく僅かな音が聞こえてくる。その後の鈍い打撃音に、思わず少女二人は耳を塞ぐ。
「く、九郎さん、大丈夫ですか?」
ランドセルの子が心配そうに言うが、莉緒は特に気にした様子もなく、台所で手を洗っている。
「平気とは、思わない。でも、私達が居たら、もっとジャマになる……ちがわない?」
なんとも思ってない訳ではなかった。自らの非力さを理解した上で、信頼せざるを得ないだけだったのだ。思い違いをしたランドセルの少女は、気遣うように発言をした。
「そうですね。九郎さんならきっと平気です」
交代で手を洗うとペットボトルを差し出される。冷蔵庫には水のボトルが幾つも入っていた。
「アイツのだから好きに飲んでいいわよ」
「どうも……」
莉緒は部屋の壁に寄りかかり、携帯をいじり始める。電話をかけたようだが応答がないのかすぐに閉じてしまう。
「全然繋がらない……どういう事?」
「あ、あの」
「なに?」
物思いにふける所に声をかけられた。ランドセルを背から下ろした少女だ。
「電話を貸してくれませんか? 私も連絡したいのですが……」
「あ、そうね。ここには家電無いから、コレ使って」
ぽいっと折りたたみ式の携帯を渡してくる。あまりの気安さに慌てて受け取る。
「使い方、分かる?」
「は、はい。姉が持ってるので……」
拙い仕草でダイヤルをしていく少女。しかし、電波はやはり届かない。混雑を示す案内が出るとプツンと切れてしまう。姉や母の携帯にかけてもみるが、やはり繋がらない。
「だめ……つながらない」
「たぶん街中の人がいっぺんにかけてるからだと思うけど」
莉緒がテレビの電源を入れる。音は出ないがこれは家主の癖である。彼は必ず音量を下げてから消す癖がついているのだ。
少しだけ音量を上げてニュースのやっているであろう総合放送へチャンネルを変えると、そこには表と同じような光景が広がっていた。
『こちら、東京の渋谷ですが街は大混乱になっています。下に見えるスクランブル交差点には人が右往左往していますが、そこかしこで人が襲われています。襲っているのはそれまで普通だった人なのです!』
『こちらは横浜元町通りですが、混乱は、大変なレベルです! 住民の方は絶対表に出ないで下さいっ! きゃっ、いやっ、叩かないでっ た、助けてぇっ!』
『内閣は緊急事態宣言を発令すると発表しましたが、野党や与党一部の議員の反発があり予断を許しません。災害特措法で対応出来るとの見解もありますが』
『今のところ関東近県が対象地域と目されてますからそう言うのでしょうが、僕から言わせれば甘いと思いますよ。どう見ても異常事態なんですから。ホラー映画そのままの事が起こっているのだとしたら日本どころか世界規模でのパンデミックになりますよ?』
『では、先生。対処法はあるのでしょうか?』
『……今の段階では明確には言えませんが、被害地域を拡散させない方策が必要なのは間違いありません』
「難しいこと、言ってるね」
「そ、そうね」
二人の少女には少し分からなかったようだ。チャンネルはどこを回してもあまり変わらず。唯一アニメがやっている所があったのでそこにしておいた。
コンコンコン、コンコン
扉を小さく叩く音。莉緒が立ち上がり扉に近寄って声をかける。周りに聞こえないように、小さく。
「九郎なの?」
「ああ。鍵を開けてくれ」
その言葉に鍵を開けると、彼は素早く入ってくる。外を警戒し、扉を閉める。手に持った鉄パイプは水で濡れていて所々が凹んでいた。静かに玄関に置くと編上げブーツの紐を解いて上がりこんだ。
「ど、どんな状況なの?」
「周辺の奴は処理した。事前情報のとおりなら暫くは平気な筈だ」
剣呑な事を言いながらも台所で手を洗う姿はやけにシュールだ。
「さて、君の名は……ルリか」
「あ、はい。覚えてくれてたんですね」
瑠璃と呼ばれた少女が安堵した顔をする。莉緒が少しだけムッとした表情をするが、彼女には何も言わない。その代わりに彼に向かって問い詰めるように言う。
「やけに親しい間柄みたいね」
「そ、そんなわけでは……」
驚くのはランドセルの少女であり、彼は意にも介していない。
「クロウが言うには、先日車に轢かれそうな所を助けた、らしい」
「何よ、それっ! 他人事みたいに言っちゃってさ」
ぶっきらぼうな言い方に莉緒は声を荒げる。
しかし、当の本人は涼しい顔だ。スポーツタオルで汗を拭うと、本当に涼しげにも見える。季節はそろそろ夏が本格化しそうな時期、空調を動かしていないこの部屋もじったりと暑さを感じるのに、彼はそんな様子も見せない。
「苛ついているのか? 低血糖か……冷蔵庫の物は好きにしていいと言った筈だ。空調も使って構わない。動作音が聴こえる範囲内はクリアしてある。暫くは平気だろう」
「そういう事じゃない。アンタさっきからどうしたの? まるで別人じゃないの!」
淡々と語る彼に苛ついた様子の莉緒に、彼は視線を向ける。
「な、なによ……」
常ならばどこか申し訳なさそうな瞳をした兄とはまるで違う、冷たさを含んだ眼。兄妹として過ごした時間はあまり多くはない。だが、そんな顔を今まで見たことも無かった彼女には理解出来なかった。
彼は冷蔵庫から出したペットボトルの水を一口飲む。口の中を巡らせてから嚥下するその姿は、確かに見たことが無い。人の仕草というのは簡単には変わらない筈だ。
莉緒は見た目が全く同じ別の人間かと疑念を抱いたが、そんな訳はない。昨日から今朝までは兄のままであったわけだし、先ほどまでそうだったのだ。街の中であの暴動が起こるまでは……。
怪訝な様子の莉緒と、状況がよく飲み込めていない瑠璃。二人の視線に身動ぎすることなく、彼はこう言った。
「……そうだな。今の俺は半澤九郎でない。ハンクと呼んでもらおう」
──────────────
ついに起こってしまった。
何日か前に車に轢かれそうな少女を助けたから、そろそろだとは思っていた。
「え……なにあれ」
目線を落とせば小さな妹の莉緒が、急に変わった世界に呆然としている。それは当たり前だ。人が人を襲うなんて、狂った世界を垣間見てしまえば誰でもそうなる。かくいう俺も、予測はしていてもそうなったから。
俺が予測していた、と言うのは前世の記憶を持っているからだ。齢十二の頃に突如として思い出したそれは、この世界の悪意そのものだ。『がっこうぐらし』という、嘗て俺のいた世界にあった作品。それがこの世界だったのだ。
色々と準備をした。身体も鍛えて物資も集めて、危機的な状況に対応出来るようにしたつもりだった。
だけど、人のこころなんて分かったもんじゃなかった。
いざという時にこの身体は全く動かず、大切な妹がうろたえているのにも対応出来てない。群衆の一部がこちらに向かってくるのを黙って見ている自分の弱さをよそに、俺は誰か助けてくれと心の中で叫んでいた。
『危機において思考を止めるのは最もマズイ行動だ』
頭の中で、そんな声が聴こえた。
すると、身体が勝手に動いた。
妹に襲いかかろうとする『かれら』。
素早く小柄な彼女を抱き寄せ、回転するとそいつの下顎に向かって鋭いトラースキックをかましていた。その威力に俺は驚くが、体の自由は未だ戻らない。というか勝手に妹と話していたりする。どういう事だ?
『生存の為に行動したまでだ。お前はこの子を死なせたくないのだろう?』
また、声が聴こえた。よく分からないまま俺は答える。当たり前だ、と。
『ならば協力を願う。俺とてよく分からんまま死にたくはないからな』
そう答えながらも身体は勝手に行動をしている。車道を埋め尽くす車の上を、飛び跳ねるように走る自分に驚きながら、もう一人の声に話しかける。勝手に動かすのはやめてくれ、と。
『拒否する』
にべもなく言われた。
『非常時に動けないような奴に自分の命を預けるほど、俺は愚かではない。こんな身体スペックを持ちながらも心が弱すぎる』
声の言い分はもっともだとは思うが、言い過ぎな気もする。こんな修羅場、まともに動ける奴なんている訳がない。
『こうした事態には慣れている。休暇が無いとは思わなかったがな』
何だか言ってる事がよく分からない。俺は根本的な事を聞いてみた。
お前は誰だ、と。
『U.S.S所属、コードネーム HUNK。本名はあいにくと忘れたようだ』
は……?
ハンクと言ったか?
ハンクなら知っている。ゲーム『バイオハザード2』に出てくるキャラクターだ。達成困難なミッションに悉く生還する、通称『死神』。
しかし、ゲームのキャラだぞ? と思ったけど、ここはマンガ『がっこうぐらし』の世界だった。どちらも大した差はないと思うと有り得る話なのかもしれない。
しかし、俺に憑依してくるとは思わなかった。そういう事ならハンク自身が転生してくればよかったのに。
『俺だってこんな
憮然と言われてしまった。まあ、確かにそうか。お互い様だということか。
前の道には『かれら』が子供に襲いかかろうとしていたが、ハンクは邪魔だとばかりに蹴り倒した。的確に延髄を狙って、しかも首があらぬ方向に曲がるとか自分の体がやった事とは到底思えないが、結果として子供は助かったようだ。
「へ、え……九郎さん?」
ハンクの言葉に答えるのは見知った顔、若狭瑠璃だった。
『知り合いか?』
彼の問いを肯定する。流石にそのまま帰すのはマズいと思ったか、ウチに避難するか聞くと彼女は頷いた。事案発生の現場であるがこんな状況だ。
『日本は妙な国だな。子供を放置しておくのが当たり前なんだからな』
ハンクのぼやきが矢鱈と人情味があって笑えてくる。こいつ、実はいい人か?
『そんな訳あるか。戦う事の出来ん者に価値はない』
さいですね。徹頭徹尾、任務の事しか考えてない仕事人間でした。そんなハンクは莉緒を降ろしたと思ったら二人を小脇に抱えやがった。
おいおい、無茶すんなよ。俺の身体だぞ?
『行動に多少の阻害があるが、深刻な程ではない。君の体は実に鍛えられていて動かしやすい』
お、おう……なんかいきなり褒められた。
鍛えまくったつもりではあったけど、実際に小学生女子二人を抱えて走るとか、出来るとは思わなかった。なんとなく達成感を感じてる間に高校入学当初から住んでいる我が家に到着。
『二人を置いたら、近辺の掃除に出る』
掃除? そう思ってたら奴が掴んだのは箒やちりとりではなく、武器として持ち込んでおいた鉄パイプの内の一本……はあ、そういう意味ね。
『思った以上に活性死体が弱いな』
彼の言う言葉はたしかにその通りだ。バイオハザードにおける『活性死体』いわゆるゾンビはt-ウイルスによって新陳代謝が異常促進されたものだ。筋力も上がるし、胃酸を武器として吐き出せるとかも出来たりする。
がっこうぐらしにおける『かれら』は、基本的に脳をウイルス(菌という話もあるが)に侵食された存在だ。襲ってくるのは本能だし、行動の基本原則は習慣を元にしている。また、筋力は向上しているが運動能力はお粗末なもので早歩きでも逃げられるほどだ。
それでも厄介な敵なのに変わりはない。『かれら』に傷を負わされれば、いずれ『かれら』になってしまうのだから。
『それはt-ウイルスでも同じだ。やる事は変わらん』
アパートメントの階段から降り、鉄パイプを壁に擦りながら離れる。脇の道から出てきた『かれら』の首めがけてフルスイング。骨の砕ける音がして、そいつは倒れて動かなくなる。
『頚椎、延髄、小脳に繋がる部分が活性死体の弱点だ。的確に当てれば打撃でも十分に仕留められる』
さすが死神。こともなげに言うけど、そんなのはアンタしか出来ないよ。この光景見せられてる俺は吐けるなら吐き出したい衝動に駆られてるからね。それでも銃で頭パーンとか、ナイフで首スパッよりはまだマシなんだけど。
『あらかた片付いたか』
こっちを追っていた『かれら』と近隣に潜んでいた『かれら』、合わせて十二体程だろうか。物言わぬ骸はただの死体であり、俺の意思ではないにしても身体が起こした事象だと思うと穏やかとは言えない。平時ならば大量殺人の犯人である。
『緊急避難と思え。どのみち警察も検挙できない』
物言わぬ死体の中に制服の警官が居た事もその証明だ。発砲したのか、腰に下げた拳銃は既に撃ち尽くされていて使い物にはならない。だが、警棒と無線はそのままだ。彼は手早くそれらを外すとさらに手錠と鍵も懐に収めた。
『簡易な拘束具が必要な場合もある』
その他にめぼしい物はなかったようで、倒したかれらを隣の民家の影に引きずっていくとそこにまとめて放り捨てる。ちなみにそこの家の爺さんはここに既に転がっている……あんまり話した事は無かったけど、面識のある人間だった。ハンクだからこそ的確に対処していたけど、俺だったらどうなっていたか。竦んでしまってその隙にやられていたかもしれない。
『感情を殺せとは言わんが、制御する術を持て』
簡単に言ってくれる。
こちとら弱肉強食の摂理から外れた世界で生きてきた人間だ。そんな事ができるか。
『出来ねば死ぬだけだ。お前だけでなく、妹やあの娘もな』
……的確に嫌な所をついてくるのは、さすが死神と云うべきか。その言葉で彼女をどうするかと思案する。幸いな事に若狭家はこの家からは近い。
『連れて行くか?』
連れて行っても構わない。というか親元に届ける事の方が正しい筈なのだが……どうもそれは無駄になりそうな気がする。ハンクの操る警察無線からの情報から、そんな予感はほぼ的中していた。
『所轄署内でも感染が広まっているな。指揮系統が分裂していて手が付けられん』
署内にいる『かれら』の対処とやってくる『かれら』の対処。さらに駅前からメインストリートの辺りを封鎖しようとして機動隊を投入したせいで戦力が足りなくなっているらしい。発砲許可を求める声に答えられず、無許可で撃つ音も聞こえている。
『ラクーンの地上もこんな様子だったらしいな』
感慨もなくそう呟くハンク。彼が脱出する時には既に組織的な抵抗は出来ていなかった。その前にはパンデミックはまだ発生していなかったのだから、又聞きなようになっても仕方ない。
集めた死体はそのままだ。衛生的には問題だけど、燃やすのは現実的では無い。軒先の水道で鉄パイプを洗い血を落とす。感染症の予防になるかというと疑問だが、やらないよりはマシだ。
掃除を終えたハンクが部屋に戻ると、妹と少女が待っていた。やはり心細かったようだが、ハンクは気遣うような言葉をかけない。やっぱ、こいつは死神だ。人の心とか分からないに違いない。
『無い訳ではない。生存に必要ならば宥めもする。だが、それは俺の仕事ではない。お前がすればいいことだ』
……現状、俺は行動出来ないんだがな。
そう言うと、奴はこんなことを言ってきた。
『そろそろ交替しよう。一度休息したい』
自分のことをハンクと名乗ってから、奴は身体の支配権を渡してきた。
おい、この状況、オレが説明しなきゃなんないのかよ?
原作とはかなり乖離してしまうかもしれませんが、とりあえず学校に向かうのが目標です。
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第二の人生は波乱含みなものだった
いわゆる転生というものだろう。そう勝手に理解していた。かつての俺は糊口をふさぐために日々過ごしていた人間だった。
そんな俺が命を失ったのは、仕事中。背後から、おそらくナイフや匕首のような物で刺された俺は、薄れゆく意識の中で何もない人生の終焉を呪った。
気が付けば、俺は十二歳の男子になっていた。唐突に思い出した、という感じが正しいのだろう。前の名前は思い出せないのだが、正直それはどうでもいい。それまでの十二年間の記憶もあるので、無くて良かったと安堵したくらいだ。
半澤九郎。
それが俺の今生の名前であり、全てである。わりと裕福な家に生まれ、それなりに見栄えのする両親と九つ下の可愛い妹を授かり、それまでの人生などはどうでもいいものと考えた。
『今回の人生は、もっと彩りのある人生にしたい。日がな一日仕事に追われて、強盗に後ろから刺されて死ぬような事にならないように』
そのためにはより良く楽しむべきだ。そう思い広い居間にあるゲーム機のスイッチを入れる。
『そういや、名前が違うな』
アイボリー色の本体には『
「おにーたん」
「お、莉緒か。お母さんは?」
「おだいどころ。あぶないからおにーたんのところにいってって……」
今年で3歳になる莉緒はとても可愛い妹だ。この年で目に入れても痛くないなんて意味が分かるとは思わなかったけど、本当にそう思う。とてとてと歩いてきて、俺の前に来ると手を上げるのでいつものように抱き上げ、脚の間に座らせる。リビングでのこのゲームスタイルは莉緒が自分で動くようになってから続いている。
「莉緒が来たんじゃ、バイオハザードはやれないよね」
「う?」
「なんでもないよ。スマブラにしよっか。莉緒もやる?」
「やるぅー♪」
前世ではゲーム機はPSのみだったけど、ここにはサターンやキューブもあったりする……ブルジョアめ(笑) ちなみに正式名は『シテンノーCube』……なんか本社に四天王像を祀っているらしいからこんな会社名になったらしいけど、Cubeはなんで英語? 閉じ込められてデスゲームかな?
ともかくスマブラDXを起動してプレイ開始。莉緒は負けず嫌いなので基本は接待プレイなのだが、あんまりやり過ぎるとバレる。二回に一回はガチにボコるのが正しいようだ。あ、コングにやられた。
「おにーたん、よわぁw」
「うっせ、見てろよ」
こんな子供の頃からでも煽ってくるんだから女の子って怖いね() しばらく兄妹の触れ合いをしてたら母さんが居間に戻ってきた。
「ちょっと出てくるけど、ケーキ何がいい?」
「え? めずらし」
「りお、いちごのやつー」
ちゃっかり自分の希望だけは言う莉緒を余所に母に尋ねる。前世の記憶があっても今の九郎としての記憶だってきちんとある。今の俺には彼女が母なのだ。
「お父さん、別の会社の役員になるんだって」
嬉しそうに言っているが、父さん官僚だよね? いわゆる天下りというのではないかな? まあ、自分の親の動向をアレコレ文句言うのもなんだし、別に気にはしないけど。そもそも十やそこらの子供の考える事じゃないな。
「へえ、そうなんだ。なんて所なの?」
「ふふーん、外資系の会社だって。サンダルなんとかだっけかな? お祝いに今日はいいお肉も買ってきちゃうからね♪」
「すげえー。ケーキは何でもいいの?」
「二つまでならね」
「りおはー、みかんとかぱいんののったの!」
俺に割り込んで苺ショートにフルーツタルトまで足す……お前そんな食えないだろ(笑) ゲームをしていたので適当に頼むと母は留守を任せて出ていった。
何かが引っかかっていたのだけど、その時はスルーしていた。本当に理解したのは夕食の時に父からランダルコーポレーションという名前を聞かされてからだった。
てか、やべーよ……ここ、『がっこうぐらし』の世界じゃん。マジモンのデスゲームが始まっちゃうところじゃんっ!
調べてみたら神奈川の一角に『巡ヶ丘市』ってあるし。間違いない。ここはいずれゾンビ化する病気が蔓延する世界だ。
転生するなら、もっと平和な世界にしろよ……しかも事前に言っておいてくれよ! 神様とか出てこなかったけどなっ!
ともかく、ヤバい。このままだといずれ近いうちにゾンビが跋扈する鬼畜仕様の世界になる。あーっ、生まれ変わったのに、また死にたくないっ!
そうだ。
身体を鍛えよう()
何年後からよく分からないけど、時期的にはまだ大分あるはずだ。筋肉モリモリのマッチョなら、大した特徴もないゾンビならイケる気がする(錯乱) あー、そうだよな。これがバイオ世界とかだったらB.O.Wとか出てきてさらに無理ゲーになるとこだった。まだ、マシだと思うことにしよう(比較対象が鬼畜な件)
出来れば銃とかも使いたいけど、ここは日本だ。その筋の人間とかから買うって手もあるけど、それはリスキーだし持ったとしても上手く扱えなくては意味がない。
身を守る術は何とかするとして、環境を整えておく必要もあるかもしれない。あの学校こそが事態を終息させるキモだ。
なら、巡ヶ丘学院に入ればイイって話だよな。その頃までに身体鍛えて高校行っても鍛えまくる。そうすれば必然的に生存率も高くなるよね。
あと、原作キャラとかはちゃんと居るのかな? その辺が気掛かりではある。
発生時期とか分かんないけど、キャラの年齢から逆算できるかも知れない。確か学園生活部の三人は三年生だったはず。
それから折を見て巡ヶ丘へ足を運び、何度目かの来訪で彼女たちの年齢、というか世代が分かった。俺の一学年下、つまり一つ年下になるらしい。これによってパンデミックが起こった年が分かった。2010年に彼女達は三年生になるからだ。
正確な日時は分からないが、春から初夏にかけてのどこかになる筈だが……計算してみて恐ろしくなった。8年、たったそれだけの間しか時間がない……やれる事を全てを貪欲にこなさなければ、生き残れないのだ。
地元の中学を出て巡ヶ丘学院へと進学する時、両親からの反対は無かった。ランダルコーポレーションの日本支社のある土地ということもあり、両親や妹も事あるごとに様子を見に来れるからだ。一人暮らしには文句を言われた(主に妹に)けど、鍛錬の時間を多く取りたいからだ。
あともう一つ理由があるとすれば、精神を鍛えるためでもある。来たるべきアウトブレイクに備えて一人で生きる事に慣れておく必要があるのだ。
俺が二十歳になる年にそれが起こる。ならばそれまでは安心だと思うのだけど、不確定要素はどうしても拭いされない。体を鍛え、サバイバルのイロハを学び、自室に僅かな量でも備蓄をするためにバイトをこなしていると時間というのはあっという間に過ぎていく。
聖イシドロス大学への進学は見送っている。それより来たるべき災厄への備えをしなければと躍起になっていたので、両親や教師の反対も押し切ってフリーターという状況に落ち着いていた。
部屋の中でもきゅもきゅと口を動かす妹様。うちの妹、たくましいな。食べているのはシリアルバーの中でも甘いとの評判の『スニークヌガーズ』。あ、シリアルバーじゃなくてお菓子だったね。でもカロリーはめっちゃ高いし子供は大好きだろう。
もう一人の子はというと、やはり親元に帰れない事を気にしているようで菓子の包すら開けずに
若狭姉妹との出会いは、偶然だった。仕事上がりの商店街の外れで、車の前に飛び出す児童を助けた。まるっきり運任せな展開だったが、瑠璃も俺も怪我一つなく収められたのだから幸運だったのだろう。
そのまま逃げた車の運転手は結局分からなかった(誰もナンバーや車種を覚えてなかった)事を父親は大層悔しがっていたと覚えている。何故なら彼は所轄の交通課に勤務する警察官だったからだ。
「医者の不養生とも言うが、警官の娘が交通事故とか笑い話にもならん」
せめてもの礼にとお宅に呼ばれ、若狭家の家族に饗されたのは良い思い出だ。噂に違わず悠里の料理の腕前は確かなもので、一人暮らしの身には嬉しかった。先のセリフは二人の娘が席を外したあと、酒を傾けながら言ったものだ。
「先立たれた妻に言い訳も出来ん所だった。君には感謝している」
ちなみに、それとこれとは違うので娘には手を出すなよと釘を刺された。年頃の娘を持つお父さんは大変だなぁ。
そんなわけで。町が非常事態になっている最中に、その父親が呑気に家にいるとは思えない。そしてハンクの言った通り、警察にはほぼ対処できない状況らしい。父親ですら生存していない可能性すらある。
さらに悠里の事も気がかりだ。
原作通りなら彼女は屋上で園芸部の作業中だった筈だが、この世界では妹が生存している。バタフライ効果で彼女が家に戻っていてもなんらおかしくはないのだ。
そんなわけで協力を仰ぐ為にハンクに呼び掛ける。
『ハンク。起きてるか?』
『……休息は終わりか?』
彼はごく平坦な口調で答える。声色は俺と変わらないのに別人に聞こえるし、話してる言葉も英語じゃない。本当にハンクなのかと疑問に思うと彼は溜息をついた。
『嘘をつく意味があるか?』
そう言われると、今のところ嘘を言う理由はなさそうに思える。そもそも頭の中にいきなり現れた存在なのだ。
『とりあえず、なんで俺の中に入ってきたのか教えてもらっていい?』
『何度も言うが俺の意思ではない。気付いたら君の身体に入っていた。それが全てだ』
ふぅ……まあ、それはとりあえず置いておく。それにこれは幸運とも言える。
ハンクはこうした事態に最適な人材だ。ゲームの中では『死神』と呼ばれ、危機的な状況において必ず生還するという凄腕のエージェントである。その力は先ほど証明済みだ。俺だったら尻込みしてやられていたかもしれない。ハンクが居たからこそ、莉緒や瑠璃も助けられた。
『さっきは助かったよ。莉緒と瑠璃ちゃんを助けてくれてありがとう』
『必要だからしたまでだ』
素っ気ない返答に苦笑するしかないが、たしかにこんな奴なのかもしれない。
『目的の地点までおよそ800メートル。五階建てのマンションの三階か。お前だけなら行くのは容易だ』
簡単に言ってくれるが、それはハンクが操縦した時であって俺ではない。交代してくれんの?
『構わん。俺の意識が帰還するまでは共同体だ。出来る限り協力はする』
頼もしい言葉だ。だが、彼は同時にこうも言った。
『戦闘以外はしない。女子供は苦手だ』
おうふ……まあ、納得は出来るけどね。死神なんて呼ばれる人が子供の世話とか笑い話だ。
『ただ、ルリを同行させるのは少々難儀するかもしれん。残していくリオの事も気がかりだ』
たしかにこの部屋に一人で残されたとなったら、あの妹様だ。喚いてかれらを呼び寄せかねない。様子を見に行くだけに留めてもいいかもしれない。
「瑠璃ちゃん。お家の方に行ってくるけど、少し危険だからここで待っててくれないかな? お父さんか悠里さんがいたら連れてくるから」
努めて優しく言うと、彼女はこくりと頷いた。怯えてはいるけど、状況の判断は出来るらしい。
「莉緒。そんなわけで出てくる。さっきと同じようにノックは三、二で。他の奴が来ても絶対出るなよ?」
「はいはい。音は小さくしてカーテンはきちんと閉めろ、でしょ? ゲームはやっててもいいわよね?」
「携帯型は止めておけ。電池や充電の限りがあるからな。PS3ならいいよ」
据え置き機は停電があればつかえなくなる。今のうちにやっておけばいい。その間にこっちはパーリィナイトだぜ。
『ナイスジョークだ。飛び散るのはクラッカーじゃなくて血飛沫だがな』
ジョークでも言わなきゃやってられない。
本当に、なんでこんな世界に転生してしまったのだろうか。
マンションに辿り着く前に六体の『かれら』を蹴散らした。ハンクの手腕は的確で無駄がない。鉄パイプだけでよくもまあ対処出来るものだ。ところがその武器を脇に置いて彼は警察の特殊警棒を抜き伸ばした。どうしたのかと聞くと『狭い空間では取り回しに難がある』とのこと。徹底してるなぁ。
マンションに入ると倒れていた人が動き始めたので素早く首を踏んで折るハンク。噛み付かれた跡があるから『かれら』なのは間違いないのだが、ただの怪我人だった場合とかは考えてないのだろうか?
『それは俺の任務じゃない。若狭家の住人の安否確認と救助だけが任務だ。違うか?』
そう言われると何も答えられない。全ての人を助けられる訳じゃないし、そのために本来の目的に支障が出る行動はするべきじゃない。たしかにその通りだ。人としては悪だと思うけど。
『理解しているならいい』
エレベーターが稼働しているので八階を押す。
『疲労度を考えればエレベーターだ。それに民生品のエレベーターなら非常時の脱出方法も色々とある』
「グアッ」
八階に着くと噛みつかれた人と『かれら』がなだれ込んできた。
「フッ」
ところが。ハンクの奴は素早く躱して背後から『かれら』と被害者の後頭部に警棒を見舞っていた。狭い場所、急な襲撃にも冷静に対処するとはさすがとしか言えない。ただ、被害者の方はまだ転化してなかったと思ったけど。
「いずれ変わる。先に始末した方が楽だ」
いや、それニコライのセリフと変わんねえんだけど。やっぱ内面は冷徹な傭兵なんだなぁと痛感した。
廊下には他にも転がっている死体が多数ある。そのうちの二体ばかりは損壊がそれほどでもないのか、転化して『かれら』となって歩いてくる。
ハンクは手前の奴を前蹴りで倒し、後ろから来る奴に警棒の連打を浴びせる。頚椎の砕ける音が聴こえてそいつが倒れる頃には、前の奴が立ち上がって来たのでそれをまた蹴り倒し、上から踏みつけて首を折った。手際が良すぎて怖い。
「あの部屋か」
若狭家の扉の前に、人が座り込んでいた。制服警官の姿である。動き出す様子は無かった。
「潔いな。これがサムライと言うやつか」
座り込む彼は、既に何箇所か噛まれた跡があった。その手には日本警察標準装備のリボルバー、M360J。近くには警棒もあるが、血塗れである事から相当な修羅場が想像された。ハンクが拳銃を手に取ると、弾丸を確認する。残弾は三。口に咥えて撃ったのだろう。『かれら』にならないように。
「……少しだけ代わる」
ハンクがそう言うと、身体が動かせるようになった。途端にフィルターのかかっていた感情が浮かび上がり、思わず涙が溢れる。銃での自殺の割に変形の見えない顔は、間違いなく二人の娘の父親だった。
「親父さん……あんた……」
暴徒と化した『かれら』に対し、発砲しないで戦い続けた。その行いに手を合わせて頭を垂れる。せめて、安らかに逝ってほしいと願わずにはいられなかった。
と、扉の中から音が聞こえた。微かに叩く、音。まさかと思い、親父さんの身体を横たえて扉を開ける。
「……あ、くろう、さん……」
玄関に跪いて、呆然とする悠里がいた。
部屋の中は荒らされてはいないようで、彼女にも怪我は無さそうだ。急いで扉を閉めて、鍵を掛けておく。『かれら』にはドアノブを回す知性は無いが、念のためだ。
彼女は放心したまま、つぶやく。
「お父さんが、自分で……銃を、ぁぁ……」
自殺の瞬間を聞いてしまったのだろう。入る時に襲われ、中にいる悠里を守る為に戦い、噛まれて感染した事を知って、自らの命を捨てた。ドアの前に座ってそれを行った時の心情を思うと、慰めの言葉など浮かばない。
「るーちゃんも、戻ってない。どうしよう、わたしどうしたら……」
「瑠璃ちゃんは保護してある」
「……え?」
呆然と呟く悠里の瞳に、ようやく光が戻る。そこで俺のことをやっと認識したのか、腕を掴んできた。
「九郎さん! ほんと? るーちゃん、無事なのね?」
「あ、ああ。帰宅途中に襲われてたから助けて、今はウチに避難しているよ」
「う……、よ、よかった……るーちゃん、よかった」
頽れるように抱きついてくる悠里。
あの、非常時だからアレだけど……りーさんヤバい体型なんでそういうのは勘弁して欲しいッス。
『若いな』
頭の中でハンクが呟いた。うっせ。こちとら未だにDTなんだよ(自爆)
ともかく。原作キャラの一人と合流出来たのは良かった。ただし、状況はかなり違っている。これが吉と出るか凶と出るか……
悠里さんのポップ位置について。るーちゃん救えなかった反動から部活動に注力していた、と邪推してみました。普段なら家にいるか買い物してるかじゃないかな、と。あと、母親が死別してるというのも独自設定です。
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一時帰還と再出発
基本ツンツンしてるテンプレな妹様と思ってくれれば分かりやすいかと。
「あの……九郎さん。何かありましたか?」
控え目に聞いてくるのは、兄が助けた小学生。名前は瑠璃と言ったか。すっきりした顔にセミロングの髪は少しだけ茶色。くるんと巻いた髪が動物の耳に見える……かなりあざとい髪型だ。
「何かってなに?」
「えと。出ていく前に、雰囲気が怖くなったから……その」
なんだ、その事か。
「知っているなら答えてあげるけど、私もそれは知らないの」
私の言葉に険を感じたのか、瑠璃は押し黙る。別にイジメるつもりはないのだけど、本当に知らないのだ。
私のお兄ちゃん、九郎は……言ってしまえば鍛錬バカだ。優男のように見えるけど細身の身体は引き締まっている。一度、お風呂に入る前に間違って見てしまった時は『ジャニ系アイドルかよっ!』とドギマギしたものだ。
中学に入ってからは特定の運動部に入らずに、基礎練習を梯子していた。本人曰く『偏った身体にならないように』だそうだ。
かと思えば格闘技も習っていた。空手や柔道の道場に行ったと思ったらボクシングジムや総合格闘技に行ったり。どこも長続きしなくてヤメてたのでそれも聞いてみたら『だいたい分かったからいい』と言ってきた。
一時が万事、こんな感じだった。
飽きっぽいとパパが叱るといって部屋に行った事があった。こっぴどく叱ったのかと思ったら、パパは何だか嬉しそうだった。
「いっちょ前に男っぽいコト言いやがって」
「パパ?」
「アイツ、家族を守る為に鍛えてるんだと」
「ええ?」
パパ、ママ……無事だといいけど。さっきのニュースからすると東京もヤバそうだし……。
そんな事言ったら一人で出ていったアイツもそうだ。いくら身体鍛えたって、大勢に囲まれちゃあやられちゃうじゃない!
私が内心焦り始めたところだけど、瑠璃の方はお菓子の包みをようやく開けて食べ始めていた。目を細めてるんだから甘い物は好きに違いないけど。さっきまでとは大違いな様子に少しカチンときた。
「あなた。心配じゃないの?」
「え? そりゃあ心配ですよ?」
何を当然な事を、みたいに言ってきた。でも、その後に続く言葉はもっと意外だった。
「でも、九郎さんなら平気です」
そう言って笑う瑠璃に、心配する素振りはない。本当はあるのかもしれないけど、私には見せないようにしているのだろう。
「アイツのこと、気にしてたのに。なんでそこまで信頼できんの?」
「それは……二度も助けられましたから」
さも当然のように言われた。五年ほど離れて暮らしていたとはいえ、妹の私よりも強い信頼感を持っているとは……アイツめ、邪な企みなどしてないだろうな? そんな事を考えていたら、瑠璃はとつとつと話し始めた。
「三日ほど前に、私、車に轢かれそうになったんです」
◇
ふわり
帽子が飛んでいく。
私はそれを追いかけた。
道路に飛び出すなんて、するわけない。
お父さんに何度も何度も言われたことだ。
でも。
お母さんの刺繍の入った、あの帽子は特別で。
気が付けば姉の手を振りほどいて、駆け出していた。
帽子に手が届いた瞬間。
大きな音がして、見てみると。
トラックが迫ってきていた。
そして。
気づいたら、ふわりと浮かんでいた。
大きな男の人の腕に包まれて。
◇
「あっ……のバカッ! 危ない事してんじゃないわよっ!」
「そうだよね。危ないよね」
「他人事みたいに言うなっ! アンタが車道に飛び出すからだろっ」
「めんもくしだいもありません」
全く悪びれもせず、瑠璃が頭を下げる。私が言うのはお門違いかもしれないけど、子供助けるために自分が死ぬかもしれないようなこと……まあ、いいトコあるじゃん。
「一回目がそれで、二回目はさっき。九郎さんは私にとってヒーローさんなのです。だから信じられちゃうんですよ」
……ふうん。
ま、そういう事なら分からなくもないわね。
ただ、彼女はそこで気になる事を言った。
「でも、轢かれそうになった時はあんな怖い感じじゃなかったんですよね。それがとても気になって……」
「そう……」
つまり三日前には、自分の事を『ハンク』なんて言う事は無かったわけか。
なんなんだろう。
まるで別人を演じてるかのようなあの態度。
ひょっとして……
「あれかな? 自分で思い込もうとして暗示をかけるの」
「自己催眠、ですか?」
「そう、それっ!」
自分がとても強いヒーローだと思いこめば、ゾンビなんかとも戦える。そう考えた九郎が自分に当てはめたのが『ハンク』なんだ。
「そうですね。なんとなく、しっくりきますね」
「でしょお?」
喉に引っかかった骨が取れたような感じである。わたし、あったまいいっ!
「でも……」
「なによ、何かまだあるの?」
「いえ、九郎さんの事ではなく……」
声が尻すぼみになって。その後の言葉はとても共感出来るものになった。
「お父さんに、りーねえ……だいじょぶかなぁ……」
私に家族が居るように、彼女にも家族は居る。無事でいて欲しい。それが自分の家族の安否と何も関係なくても、そう思いたかった。
それから十分ほどして、車の近づく音が聞こえてきた。常ならこの辺りを通る車もそれなりにはあるのだけど、あの騒動が起こってからは通り過ぎる車は一台もなかった。その車は隣の家に停まったようだ。足音が近づき、階段を登る音。ドアに三回、二回のノックがあったので鍵を開けるとそこには行く時と変わらない兄の姿があった。
「おかえり、九郎」
「ありがとう、莉緒。客人だ」
「りーねえっ!」
「るーちゃん!」
兄の後ろにいた女性に瑠璃がそう言いながら飛びつくと、彼女も名前を呼んで抱きしめた。
「声を上げるな。中に入れ。鍵を閉めるぞ」
状況を考えれば正しいのだけど、空気を読まない兄である。狭い玄関口はみんなの靴で一杯だ。
「莉緒、訪問者はあったか?」
「無いわよ。静かすぎて怖いくらいだったんだから。もうテレビ、付けていい?」
「ああ、音は絞って。空調もつけていい。少し肌寒くなってきたからな」
いつにない口調に少し腹が立った。まだハンクとやらを演じているつもりなんだろう。
「ハンク、そろそろ九郎を返してくれない?」
そう言うと、彼は動きを止めてこちらを見た。
冷たい瞳が少し見開かれていて、ちょっと怖い。
失言だったかな、と思ったらその雰囲気が一変した。
「えーと……莉緒。ハンクのこと、理解してくれたの?」
自分の身体に取り憑いた、凄腕のエージェント。そんな話は荒唐無稽だけど……そうしなければ心の平衡が保てないというのなら仕方がない。それに合わせるとしよう。
「ハンクさんがいないと戦えないんでしょ? なら邪険にする理由はないわ」
「莉緒……さんきゅ」
そう言って頭を撫でるのは、いつもの兄のスキンシップ。『ハンク』という偽の人格ではない、兄のやり方だ。
「それで九郎。あの人は?」
「ああ。瑠璃ちゃんのお姉さんの悠里さん。あそこだと危ないと思って連れてきたんだ」
瑠璃と会えた事で安心したのか、涙をぽろぽろ流しながら抱きしめている悠里。高校生なのだろうか、学校の制服らしき格好だ。背中には大きなリュックを背負っている……よく見たら兄も見覚えのないリュックを背負っていた。
「なに、それ?」
「ああ、二人の着替えとか色々。体型的には瑠璃ちゃんので大丈夫そうだから持ってきたよ」
若狭家から持ってきたそれは、悠里と瑠璃の衣服の類と食材、保存食等など、らしい。後は現金とか通帳とか。とりあえず避難袋は用意してあったらしいけど、持っていくとなると物が増えるのは女の子。その気持ちはよっく分かるわ。むしろよくこれだけに収めたものだと感心する。
「あ、ちなみに服の半分は車に残してあるぞ」
「ああ、そう。……って、車?」
そういえば、車の音がしてたけど。アレって九郎が運転してたの?
「若狭の親父さんのだけど。運転はハンクがしてくれたから」
……そういう問題じゃないと思うんだけど。車の運転の仕方とか、いつ習ったの? 教習所にでも行ってたのかな。
「ありがとう、九郎さん」
気付いたら、悠里さんが近付いてきていた。瑠璃もその手を握ったままだけど、その顔は暗く沈んでいた。
「悠里さん。その、瑠璃ちゃんには」
「……いま、伝えました。いずれ話さなきゃならないし」
悠里さんが頭を撫でると、そのスカートに顔を押し付け、押し殺したように泣く瑠璃。その様子から、良くない事があったのは明白だ。
兄はしゃがんで、瑠璃に語りかける。
「ゴメン、瑠璃ちゃん。間に合わなくて」
「ぅ……しょ、がないよ……九郎さんのせいじゃ……ないもん……うわあぁ……」
兄に縋りついて、嗚咽を漏らす瑠璃。
いずれ自分もそうなるかとは、思いたくなかった。
その日はまだ停電はしなかったので、夕飯は鍋になった。お肉や豆腐、葉物の野菜などが買ってあったし、人数も多い。ある意味うってつけである。
ちなみに九郎のアパートメントは鉄筋コンクリート二階建て、2DKである。一人暮らしには不要なほど広い居間と寝室、キッチンも普通にあってそこそこ広かったりする。それでも、四人いると手狭なので居間のテーブルで食事をする事になった。
ちなみに用意したのは悠里さん。兄がやると言ったのに、「何かしてないと……」と強引に押し切って、仕方無しにお手伝いをしていた。若夫婦か。
ウチら子供は当然のように何もしていない。瑠璃はとても落ち込んでいたし、私は一人でゲームに精を出していた。同い年の子供を元気づける言葉なんて、思い付く筈もない。こーゆーのは、時間しか解決できないよ。
「ほう……これが本格的な鍋か。土鍋ではないのだな」
鍋が出来上がると、九郎の口調が変わった。
「ハンク、なの?」
「うむ。日本の鍋が食べられると聞いてはな。彼にも了承は取ってある。構わんだろう?」
「わ、私はいいけど?」
思わずそう答えたけど、違和感がすごい。何だか声色からすごく嬉しそうに聞こえるんだよね。え? 自己暗示ってこんなに個性豊かに出来るもんなの?
「とりあえず、よし。後は好きなのを取っていってね」
「ふむ……ではまず豆腐を頂こう……うん! コレだ! 悠里はとても腕がいいな」
「あ、ありがとうございます」
……臆面もなく褒めるとか、やっぱ九郎じゃないわ、アイツ。てか外人キャラで和食好きとかテンプレすぎない? もう少し捻ろうよ、お兄ちゃん!
まあ、そんなツッコミを心の内でしながらも、お鍋は美味しかった。なんだろ、お出汁とかもそうだけど食べやすくて味もしっかり入ってるんだよね。ちなみに兄の料理の腕は大したことないので、いつも泊まりに来るときは外食かテイクアウトだった。
「いや、御馳走になった。ありがとう」
「お粗末様でした」
喋ってるのは主にハンクだけ。悠里さんもそのうち返事が曖昧になっていたからさっさと終わって良かった。瑠璃も最後の方はちゃんと食べてたようだし。辛くても、お腹は空くからね。
「……と。悠里さん、片付けは俺がやりますよ」
「そう? それならお願いしようかしら」
お、雰囲気が変わった。見てると意外と分かるものだ。悠里さんの代わりに台所で片付け物をする兄のもとに近づく。
「ハンクって、もしかして日本食、好き?」
「ああ、そうなんだよ。ずっと頭ん中で『豆腐食いたい』『鍋がいい』って言っててさ。おかげで俺は味わえなかったよ」
こっちをちらっと見てからそう嘯く兄。でも、嘘のようには聞こえない。これでも長年付き合ってきた兄なのだ。ウソを言ってるかどうかは分かるつもりだ。
「そうなんだ」
それ以上、気の利いたことは言えなかった。言葉ってむずかしい。
その後、兄はみんなを集めて今後の方針を言った。それは、とても驚く内容だった。
「今から三時間仮眠して。それから巡ヶ丘学院高等学校に向かう。行動開始は二十三時ちょうどだ」
……まさかの夜間行軍、らしい。
私たち、女の子なんだけどなぁ(はぁ)
ハンクの豆腐好きは皆様ご存知の通り。
お豆腐は足が早いのでこれから後はほとんど食べる機会は無いでしょうね。長期保存タイプのならイケるかな?
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真夜中行軍、学校行き
(全員とは言ってない)
「まず、現状分かっていることがいくつかある。瑠璃ちゃんも莉緒も、少し意味が分からないかもしれないけど聞いていてくれ。もちろん質問は受け付けるからね」
「ふぁーい、九郎せんせえ……」
「るーちゃんたら……」
「はいはい」
仮眠をとったあと、ブリーフィングに移る。
るーちゃんすげぇ眠そうだけど、大丈夫かな? 場合によったら俺が背負うからいいけど。それに引き換えうちの妹様はお目々ぱっちり。夜更し慣れしてない? お兄ちゃん、心配だな(笑)
ちなみに布団は二組あるけどそれは女性陣に貸して俺はいつもの寝袋。おかしい? 家の中で寝袋で寝て悪いという法があるのかね?
『なるほど。合理的だ』
「ありがと、ハンク」
同意してくれたハンクに礼を言っておく。
つい言葉に出してしまったのでみんなは少し変な顔をした。独り言だもんね、しょうがない。
「まず、今この街は大規模な暴動が発生している。人が凶暴化して人を襲う。襲われた人がまた凶暴化してしまうというのが原因だ。その理屈はまだ分かってないけど、ウィルスとか菌とかの伝染病によるアウトブレイクによる物だと推測出来る」
「えっと……かんたんに言うと、どういうこと?」
「鬼ごっこの鬼がどんどん増えてると思ってくれればいい」
「ふえ……こわいです」
実際、そんな感じと言える。一体一体は大した脅威でないのだけど、広まり方が早すぎる。巡ケ丘市の人口が約五十万程度だとしてどこまで増えているのか。考えるのも恐ろしい。
「治す方法は……無いんですよね?」
控えめに手を上げて質問する悠里さん。つい先程に受けた洗礼を敢えて受けるのは、瑠璃ちゃんに理解させるためでもある。辛いなぁ。
「あるのかもしれませんが、俺は医者でも無いので分かりません。ただ、自然に元に戻るという事は無さそうですね、今のところは」
「そう……なんですね」
「んみゅ……」
やはり落ち込む二人。その雰囲気を払拭するように妹様が質問をする。
「はい。じゃあ、『かれら』にならないようにするにはどうしたらいいの?」
「うん。まず、『かれら』に噛まれたり引っかかれたりしない。触った場合は手を洗うまで粘膜……目を擦ったり唇を触ったりしない事だ。要するにインフルエンザとかの対処と変わらないな。手洗い、うがいを徹底する」
本当はもっと厳密なやり方があるのかも知れない。でも、専門家でもない俺にはこの辺りまでしか言えないな。
「『かれら』は正気を失ってこちらに攻撃をしてくるけど、その動きは緩慢だ。大人なら走れば余裕で引き離せる。焦って転んだりしないように注意して」
「その……どうしても、学校に行かなきゃ、ダメなんですか?」
悠里さんが手を上げて質問をする。とりあえずここにいれば安全なのだから、無理して表に出る必要はない。いずれ救助も来るのではないか、とも問うてくる。
その質問に、俺はきっぱりと答えた。
「『かれら』が群れをなして来た場合、ここじゃあ籠城は出来ない。それにライフラインが脆弱だ」
「「ぜいじゃく?」」
「とても弱いって意味よ」
悠里さん、説明ありが㌧。
「巡ヶ丘学院高等学校は、ソーラーパネルによる自家発電機と、簡易的な浄水設備、一部は浄化槽を利用した下水処理施設もあるらしい。短期間と言わず、かなり長い期間を維持する事が可能だ」
もっとも、学校の全ての区画とはいかないらしい。それでも原作の学園生活部の拠点となる生徒会室や職員室等のある区画は対象となっている。これは在校中に調べたので間違いない。
(ちなみに例の地下施設の入口も確認済み。当然中には入れてない)
「ソーラーパネル……屋上の菜園の横にあったけどそんなので賄えるの?」
「配電盤から区画を制限すればいけそうでした。まあ、満足かというと難しいかもしれませんけど」
「……よく調べてるのね」
「こう見えて臆病者でして。プレッパーの真似事みたいな事してたのが幸いしました」
悠里さんの視線が少し怪しくなったのでそう誤魔化してみる。実際この辺は転生チートだし、確認したのも本当に大丈夫なのか確証を得たかったからだ。もっとも、そのせいで生徒指導にマークされたけど、それも致し方無し。
「そんなわけで、ここよりは広くて電気と水というライフラインが整った場所なわけ。避難するにはもってこいなんですよ」
「でも……『かれら』が襲ってこない訳じゃないんでしょ?」
「それはそうですが、アソコならバリケードの構築にやりやすい物も多いですし。机とか椅子とかね。それに『かれら』は階段が苦手なようなので、三階に立てこもるならかなり持ちこたえられると思うんです」
この辺りも原作チートだけど、実際に見てみると確かに『かれら』は平衡感覚が悪い。少しの事でバランスを崩して倒れるので、一斉に来ない限り対処は出来ると思う。悠里も納得してくれたみたいだけど、さらにもう一つ聞いてくる。
「もう一つ、いいかしら? なんでこれからなの? 明日、日が出てからの方がいいんじゃないのかしら? るーちゃんも莉緒ちゃんも小学生よ? 真夜中に動かすのは良くないと思うの」
実はこの質問が一番いやだった。
言われるとたしかにその通り、子供に深夜行動させるなんて悠里みたいな優等生には許容出来ないだろうし、実際に彼女たちにも難しいと思う。それでも今日移動しないといけない理由がある。
「悠里さん、さっきも言いましたが『かれら』は生きてる人間に噛み付いてどんどん増えるんです。今日より明日、明日よりその先の方が増えていく公算が高いです」
「うん……そうね」
敵の数が増える前に安全地帯に入りたい。絶対数が増えれば動く事もままならなくなる。
「次に、『かれら』の行動なんですけど。悠里さん、マンションで奇妙な事に気付きませんでしたか?」
「奇妙なこと?」
こめかみに人差し指を当てて考える悠里……すごく可愛いです、ヤバいですねw
「『かれら』、家に帰って来てたとは思いませんでした?」
「え……? そ、そういえばお隣の人とか居たような気がしますけど」
メタ情報の早期開示だけど、憶測からなので不審には思わないだろう。なのでここでハッキリ明言しておく事にする。
「俺は、『かれら』が生前の記憶……習慣を元に行動しているような気がします。夕方は街のメインストリートに、夜には住宅街。各々の家に帰って行ったと仮定すれば成り立つ話です」
「……!」
息を呑む悠里。たぶん、親父さんのこと思い出してるんだろうな。そう考えると彼は自決して正解だったわけだ。起き上がって後ろのドアを叩かれたら、彼女は閉ざしたままでいられただろうか? 想像すると嫌な答えしか出てこないのでやめておく。
「学校は基本的には夜に人はあまりいないものです。『かれら』の数も少ないはず。朝になったら登校してくる『かれら』によって数は膨大に増えます。俺が在籍していた頃でも全校生徒で278人でした。それに教職員、事務員、用務員、その他関係者を合わせてどれくらいになると思いますか?」
「……ちょっと、考えたくない数ね」
汚いプレゼンのような気もするけど、致し方ない。ここに居ても手詰まりだし、移動するなら早い方がいい。眠たげな瑠璃は俺が背負うとして、悠里と莉緒には少しだけ頑張ってもらおう。
「大丈夫。ハンクが守ってくれます。な、ハンク?」
そう言うと、頭の中にいる彼が出てきた。
『悠里は守らねばな。うまい和食は世界の宝だ』
いや、そうじゃないだろ? まあ、おおむねあってるから、まあいいや。俺の体の主導権を彼に渡すとしよう。
「では、これより作戦を開始する。目標地点、巡ヶ丘学院高等学校、屋上ないし安全地帯と目される地点。人員は私以下三名。各員、装備を点検の上行動を開始せよ」
形式ばった言い回しに敬礼するのはノリのいいウチの妹だけだった。
……寒い。そう思って布団を被ろうと思ったけど、それは柔らかく温かいけど布団ではなかった。私がそういう趣味だったなら気にしたのだろうけど、あいにくと私は至って健全な女性。しがみつく様にして眠る生徒に欲情なんて抱くはずもない。
そもそもこの子は年齢に比べてとても幼い印象であり、耳型のニット帽からは桃色の髪が溢れていた。丈槍由紀という少女は、いわゆる不思議系と呼ばれていて、手がかかるよりも親しみを感じてしまう子であった。
反対側を向けば、もう一人の女生徒が寝息を立てていた。肩に手を置いてすがりつくようにするのは
ふと、屋上の一角を見る。
ブルーシートで包んだそれは悪夢の象徴であり、同時に今の私たちの現状が紛れもない現実だという証拠でもある。その中のものが胡桃の心にどれほどの重圧を強いたか。大人としては情けない限りだった。
あの惨劇の時間からどれくらい経っただろうか。
既に日は落ちて、五月の夜風は昼間に比べてかなり肌寒く感じる。しかし、家に帰ることも、風を防ぐ屋内に入ることも出来ない。今日はこれでいいかもしれないが、明日はどうだろうか? 果たして救助は来るのだろうか? 蠢く疑問に答えてくれる頼りがいのある他の先生方もなく、私は徒労感に苛まれる。
『どうして、こうなってしまったの?』
目が覚めても考える事は堂々巡りである。いっそのこと『かれら』の様になってしまえばこの苦しみから逃れられるのだろうかと良くない考えが頭をもたげてくる。しかし、それはこわくて出来そうもない。誰だって死にたくはないのだから。
『助けは……来ないのかな?』
街の方から聞こえていたサイレンや喧騒は既にナリを潜めていて、恐ろしいほどに静かだ。僅かにする音はというと、遠くから近づく車の音くらい。
『……車のおと?』
より近づいてくるそれが、幻聴でないか確認する。たしかにこっちに来てる! 私は二人を起こさないようにゆっくりとどけてから、屋上の手すりに掴まって下を覗き込んだ。
「ひと? 本当に、救助なの?」
大型のワゴンタイプの車が真下に停まり、そこから出てきた人がいた。私は思わず叫んでいた。
「助けてくださぁーいっ! ここに、私と女の子が二人っ、取り残されてまーすっ!」
あまり大きな声を出すことのない私だけど、思った以上に響いたのか現れた人物がこちらを見た、ような気がした。
「そちらに行くっ! 無駄に声を上げるなっ!」
よく通る男の人の声が聴こえてきた。思わず喜びから涙が溢れていると、私の声に起きたのか二人が寄ってきていた。
「めぐねえ、どしたの?」
「救助って、まじか?」
寝ぼけ眼の二人の肩を抱きしめ、私は歓喜の涙を流す。良かった、ちゃんと救いの手が差し伸べられた。主よ、感謝します。迷える者に、きちんと救済は与えられるのですね。
「まさか要救助者が叫ぶとはな。夜陰に乗じてコッソリ侵入という案が潰された」
あ、ハイ。
すんません、ハンクさん(ガチ謝り)
疲労困憊のめぐねえが起きて叫ぶとかしないと思ってたんスよ、マジで。
おかげさまで校庭や学校内に残ってた不真面目な学生『かれら』がアップを初めてしまった。仕方ない、プランBに変更しよう。
「莉緒、モンキーをセット」
「あーん、カワイイのに勿体ないっ」
そう言いつつ手に持ったぬいぐるみの背中のスイッチを押す。途端に持っていたシンバルをパシンパシンと鳴らし始めるぬいぐるみ。それをむんずと掴んで一階の教室方向へと投げ捨てるハンク。某ゲームのアイテムと違って爆発はしないけど、音で『かれら』を誘導してくれるスグレモノだ。思った通りに一階の『かれら』がそちらに動き始め、その隙をついて上の階へと進む。先頭は当然ハンク、次に莉緒、悠里の順だ。瑠璃はハンクが背負っている。流石に寝てはいないけど、運動能力から判断したらしい。
二階にも『かれら』はいるが、数は少ない。近づく二体にハンクの鉄パイプが浴びせられ、またたく間に無力化された。そのまま三階に進むとシンバルモンキーの音に誘われた『かれら』が三体迫っていた。
「莉緒、悠里、先に行け。屋上の者に入れてもらうんだ。瑠璃、二人と行くんだ」
瑠璃を背中から降ろし、手早く指示をする。
「わ、分かった!」
「九郎さん、あなたは?」
「すぐに行く」
そうして職員室から出てくる『かれら』に向かうハンク。横合いからの一撃で一人を始末し、次の奴には真っ直ぐ伸ばした廻し蹴りを見舞い壁に叩きつける。そして間髪入れず上から首めがけて足を振り下ろした。最後の一人が襲いかかろうとしたが、彼はすぐに鉄パイプをすくい上げる様にして打ち上げて倒し、倒れた所に口へパイプを突きこんで頚椎を砕いた。うわ……これ神山先生じゃんか。
『知人か。辛いだろうが、ここは戦場だ。気を緩めるな』
いや、まあ今のところは平気だけどな。ハンクが動かしてる間は感情とか衝動とかはフィルターがかかるみたいだから。でも、戻ったらヤバい気がする。
『なら、予定変更だ。この階の掃討を先にしておこう』
え、マジで?
言うが早いか、彼は扉を開けていく。懐中電灯で照らされた宵闇の職員室にはまだ二体の『かれら』がいて、こちらに近寄ってきていた。
「救助が来たんなら開けられるようにしないと」
「待って、恵飛須沢さん。危ないわ。来てからで良いと思うの」
「何言ってんだよ、アイツらが押し寄せるんなら尚更早く入れてやらないとダメだろ」
そ、それもそうね。判断が悪いとよく言われるけど、生徒に指摘されるとは思わなかったわ。急いで立て掛けたロッカーを退かしていると、ドアを叩く音と開けてとの声がした。急いで開けると、そこには女の子が二人と女生徒が一人。急いで中に入れてドアをまた閉ざした。
「はあ、はあ……ありがとうございます、佐倉先生」
「ど、どういたしまして。あら、若狭さん?」
さっきあった返答は男の人だったはず。どういうこと?
「男の人がいなかったかしら? 救助隊なんじゃないの?」
「えっと……」
どこか的外れな私の言葉に若狭さんは言葉を濁らす。そこへ、子供の一人が私に話しかけてきた。
「あの人は下で戦ってます。私たちがいると足手まといだから……」
「え……?」
一人で戦っている、そう言ったのだろうか。
信じられない。元は人だった『かれら』と戦うなんて。
「マジかよ。な、なら手伝った方がよくないか?」
「そうだよっ わ、わたしも戦うよ?」
そんな事を言い出す生徒に私は困り果てる。彼女達を守る立場の私は……そんな気がまるで起きていないのに、そんな事を言われても。
「だ、ダメよ! あなた達が行くのは危険だわっ」
「めぐねえっ、そんな事言ってる場合じゃないだろ? まだ戻ってこないじゃんか」
「そうだよ、めぐねえ。助けに来てくれた人なんだよ。危ないなら助けなきゃ」
困る私に助け舟を出してくれたのは、やってきた子供のうちのもう一人だった。
「ちょ……下手に動かない方がいいわよ? アイツなら平気だから」
黒い髪をツインテールにした少女はそう言った。だけど恵飛須沢さんは反論する。
「でも、流石に一人じゃ無茶だ!」
「今のあいつは『死神ハンク』なの。この程度の修羅場くらいどうってことないわ」
「へ? なに? 死神?」
小さな子供が言った言葉の意味はよく分からないけど、彼女が言うには心配はいらない、らしい。
そこへ下からドスンという音が聞こえてきた。しばらくするとまたドスン、ドスンと聞こえてくる。
「な、なんの音だ?」
「あ、あれ……」
屋上から下を見る二人。私もそこに寄ってみると、暗がりだからよく見えないけど下の階の窓から何かが落ちているようだ。そして、その落ちたものはというと……
「う……」
「なに、どうかしたの?」
「子供は見ない方がいいわ」
人だった者たちの、亡き骸。それを窓から捨てていたのである。
しばらくすると音は途絶え、屋上のドアを叩くノックの音がした。三回続けて二回のノック。若狭さんがドアを開ける。
「ひっ!?」
「え?」
「お面?」
全身黒づくめ、ガスマスクを被った人が立っていた。
「夜分すまんが手を貸してほしい」
声は少し幼い気もしたけど、その口調は抑揚がなく……正直、怖かった。
ハンクといったらガスマスク。やっぱり着けてないとね(いきなり見たら怖いだろうなぁ……)
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三階攻略と生存者保護
いや、本当に申し訳ない。いきなり現れた不審人物の言葉に従って三階のバリケード造りを手伝ってくれるとか、あの子たち人が良すぎない?
『必要だと冷静に判断した結果だろう。人格の善し悪しは関係ない』
いや、それをあなたが言っちゃうかなぁ?
どう考えても人に頼む言いようじゃ無いよね? 部下じゃないんだから。
『……女子供は苦手と言った。それに貴様が今戻ると吐くと言うからだ。私としてはそれでも構わなかったんだが』
あ、スイマセン(土下座)。んなこと言ったって仕方ないでしょ? 教職員とか事務員とか見知った顔ばっかりなんだよ? 二年前まで通ってた学校なんだからさ。
『一段落したら交代する。今日の夕食にはアレを要求する』
あー、はいはい。目ざとく見つけたよね、冷凍のアジの開き。とりあえず三階の制圧が出来れば冷蔵庫も使えるだろうし。傷まないように入れておかないとね。
「ハンク。こんなんで平気か?」
「ここと、ここ。あとこちらもテープで補強してくれ」
「ハンクさん、机です」
「う、うう。ちかれたあぁ〜」
「感謝する。東側はこれで十分だ」
手伝ってもらってるのはまだ発足していない学園生活部の面々。悠里には食材やら荷物の管理を頼んでいて、子供二人は既に就寝済み。結果として今まで寝ていたであろうめぐねえと胡桃、由紀の三人にお願いすることになった。
一階でまだシンバルモンキーが鳴っているせいかこっちには来ないのだが、警戒しながらのバリケード作成というのはいくらなんでも無茶すぎる。先に中央、次に東側、最後に西側の階段に作成していく。こういう事にも造詣の深いハンクが指揮しているので安心だ。
『とはいえ固定するには資材が足りないな。このままだと大人数が来ると押されて崩れる……ホームセンターは近くにないか?』
ホームセンター……と呼べるほど大きいのは市内だとあれか。リビングデポか。リバーシティートロンとどっこいどっこいの大きさだけど一階部分は資材関係だけのわりとガチ目なところだ。無論二階と三階は普通のモールみたくなってるけど……ひょっとしたらリバーシティートロンじゃなくてあっちに生存者とかいるのかな?
『生存者に心当たりがあるのか?』
二年生の直樹美紀は原作でも学園生活部にいた。その友人の祠堂圭は、ちょっとした行き違いから別れてしまったけど……場合によったら助けられるかもしれない。あ、それで思い出した!
◇
バリケードを築き上げて、ようやく一段落。
昨日、なのかな? 時間を確認してはいないけど真夜中の学校というのは普通の時だって薄ら怖いモノだ。さらに奴らが彷徨いて居るとなれば地獄そのもの。
そんな中を駆け上がって、園芸部の若狭や子供達を助けたハンクって人。少し前を歩く彼の背中を見つめていると、なんだかせんぱいを思い出してしまう……単純に男の人ってだけでの思い込みだろう。
全身黒づくめでガスマスク。どこかの特殊部隊のような格好でコレだけだとサバゲーマニアのコスプレにしか見えない。持っている武器はどこかの廃材らしき鉄パイプだ。先端は少し曲がっていてベコベコなのは、それほど奴らを殴ってきた証だろうし、実際それを見るとなるほどと頷けた。
バリケードを作っている最中に登ってくる奴らを突く時、確実に喉の辺りを狙っていた。ただ追い返す訳ではなく、確実に仕留めるため。階下に落ちていった奴は、それからピクリとも動かなかったからだ。
「ひゃう!」
「怖いのは分かるが声は立てるな」
「うう……ごみん」
同じ三年生の丈槍が小声で謝ると、彼は少しだけ首を傾げた。「方言か?」などと聞いてくるから、どうもボケでは無いようだ。
「ごめん、て言ってるんだよ」
「ふむ。スラングのようなものか」
「めぐねえ、すらんぐってなに?」
「ええと、俗語とか遊び言葉って意味だと思ったけど……」
「? どゆこと?」
「ちょ、『ちょべりば』とか、かな?」
いや、めぐねえ。それは死語だよね?
バリケードを組み終わるとようやく今日の仕事は終わりらしい。シャベルを肩に背負い、アタシも彼らに続いて戻ることになった。仮の寝床は生徒会室。とりあえずマトモそうな部屋がそこしか無かったからだ。
だけど、ハンクがぴたりと足を止めいきなり反転して走り始めた。すわ敵かとシャベルを構えるけど、近くに奴らは居ないはず。それにハンクはまっすぐトイレに向かっていった。
「なんだ、トイレか」
「あ、わたしも〜」
「由紀ちゃん、あぶないわよ」
どこか暢気なやり取りだ。由紀やめぐねえも、屋上で震えていた時に比べたら随分血色が良くなった気がする。
それはアタシも同じだ。
屋上に着いて。ドアにロッカーを立て掛けて閉ざして。起き上がった『せんぱい』の✕✕に✕✕✕✕を叩きつけて。
……張り詰めた糸が切れそうだった。
そこにやって来た頼りがいのある大人の男性。助かった訳ではないけど、少なくとも希望に縋る事は出来た。
「ハンクさん、そっちは女の子用だよ」
「日本語、読めないのかしら?」
「いや、ピクトグラムで分かるだろ」
「ぴくとぐらむ? ああ、女の人の絵のこと?」
いや、いちいち言わなくてもいいし。てか
ともかく駆け込んだハンクを停めようと足を踏み入れたら、絶叫が響いた。
「や、やめろっ! やめて、やめてぇ!」
「生存者か? 落ち着け、無駄に大声を上げるなっ!」
「ひ、え……? ひ、人なの?」
「『かれら』には話す能力は無い。これが人間の証明だ。ともかく、落ち着け。奴らは音に敏感だ。引き寄せる事になる」
「わ、分かった……」
どうやらトイレの個室で逃げのびた人がいたらしい。怖かっただろうな、と思っていたら隣の子が声を上げた。
「……たかえちゃん?」
「! その声は、由紀?」
ドアを開けて出てきたのは、見た顔の女生徒だった。確か、
ハンクを見ると。
ガスマスクの下の顔はやはり伺えない。でも、なんとなく雰囲気が柔らかくなった気がした。ひとしきり泣いた後に、彼が二人を立たせて移動を促した。
「いつまでも泣いているな。速やかに撤収する」
一応男子トイレも見回って、他の生存者や奴らが居ない事を確認してから戻ることになった。
それにしても。
あちこちに飛び散った血のあとや、ガラスの破片、等など。掃除するのも大変そうだ。それでもさっきまでよりは、ゆっくり眠れそうだと思えた。
◇
どこかのトイレに生存者がいる。これは本編には無かったけどSSや二次創作などでまことしやかに語られていた。扉一枚隔てただけでも防ぐ事ができる『かれら』なら、辛抱強い人間なら生き残れる可能性は十分にある。
今回は由紀の友人、柚村貴依だった。見た目はパンクっぽいけど普通にいい人で、言動が少しエキセントリックな由紀とも付き合える陽キャだ。俺みたいな陰キャには間違っても出来ない。
『……陰陽道と何か関わりが?』
いや、ハンクさん。どこに興味示してんの?
日本文化を変にリスペクトする外人みたいだよ? あ、そのまんまか。
『日本のスラングもなかなかに奥深いな』
ちょっと感心してるのが普通に怖い。日本人の大人だと鼻で笑う所だよ? 異文化交流って難しいな(笑)
ちなみに今、俺は一階にいたりする。
機械室の配電盤を弄る必要があったし、若狭家の車からの荷物も取ってこないといけないからだ。ちなみにゴミ袋大サイズが二つ程あるので2回の往復が必要だったりする。
『まだ動けるか。メンタルの弱さはともかく。持続力や耐久性には驚きを禁じ得ない』
そいつはどうも。死神にそう言ってもらえるとは光栄だよ。まあ、実際身体スゴイ痛いし、明日は筋肉痛だろう。それでも必要な事なら今やらないと。
荷物を背負い左右確認。暗がりにも慣れてきたし、シンバルモンキーはまだまだ動いているらしく『かれら』もこちらに興味を示さない。これで2回目だから今日の仕事は終わりっ!
「九郎さん、こっちです」
「重いよ。はい」
受け取りに来ている悠里とめぐねえに荷物を渡してからバリケードを登って入る。普通の人間にとってはそこまで難易度が高くなくても、『かれら』には難しい。
「これでお布団が二組。寝袋が二つだから……無理すれば四人は眠れますね」
「こんなものまで……ありがたいです」
ちなみに巡ヶ丘学院でも宿直の制度は無いのだけど、防災用品の一環として寝具一式が職員室と校長室に一組ずつ保管されている。それも合わせると全部で六人までとなる。
「莉緒ちゃんとるーちゃんは二人で一つでいいとして」
「あ、俺は自分の寝袋使いますんで」
「そんな……一番動いていた人に寝袋だなんて」
「お構いなく。自分ちでも寝袋だから慣れてますし」
ちなみに防災用品の一環、と言ったけど実はこれはゴリ押しだ。在校中に校長にねじ込んでおいたのである。
『ふむ……どういう事だ?』
俺の親父がランダルの役員やってるのは校長も知っていたからね。多少の融通は聞いてくれたんだよ。防災倉庫はエリア毎に細かく作った方が実用的だしね。だから一通りの防災用品は職員室や生徒会室、校長室、生徒指導室なんかに散らばせて置いてあるんだ。一般の生徒が入れない所なら管理もしやすくてわかり易いし。
『お前……この災害を本当に知っていたのだな』
あれま。死神でも理解不能な事はあるんだ。まあ、転生して架空の世界に来るなんて……ラノベじゃあるまいし、だよな。
「ど、どこへ行くんですか?」
「え?」
寝袋を担いで部屋を出る俺にめぐねえが声をかけてくる。女の子ばっかりの所で俺が寝ていいわけが無い。
「屋上に、行ってます」
そう言って素早く部屋を出る。俺自身、一人になりたかったから。バリケードの近くに彼らの姿はない。そこから階段で上へ。ドアは施錠されていない。夜風は冷たくなってきていて、夜明けが近い事を示していた。
ここでようやくガスマスクを脱ぐ。これはサバゲーなどで使うもので、本来の様に防毒効果は無い。それでも飛沫感染を防ぐには有効だと思って購入しておいたのだ。
包まれたブルーシートに近付いて、その覆いを取る。そこには見知った面影のある、『かれら』に変容した、かつての知り合いがいた。
「……くふ。ぐぇ……ごふ……」
さっきまでの光景がフラッシュバックして重なる。すぐに水場に行って、胃の中のものを吐き出した。キツイと分かっていたのに。理解していた筈なのに。それでも体は理解してはくれなかった。何度も吐いて、出すものが無くなるとようやく落ち着いた。
「……お節介焼きだったもんな」
そんなだから、部活に入らない俺にもしつこかったんだ。陸上の後輩の指導なんかもマメにしてたんだ。だから──
「胡桃はちゃんと生きてるぞ。良かったな」
気休めにもならない言葉は、夜の帷に染み入るように消えていく。まだ、夜明けは遠そうだ。
ちなみに貴依は寝ていたので声をかけられるまで気付きませんでした。まあ、三階が安全地帯となっているのでいずれ助かりましたけど。
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物思いにふける朝
追記:誤字報告ありがとうございます。バリケードと書いたつもりでバリゲードのままとか……はずかしひ……
さらに追記:お気に入りが百件突破しておりました。皆様ありがとうございますm(_ _)m 感想なども頂けるとモチベ上がりますので嬉しいです♪
朝の目覚めはわりと最悪だった。
悪夢とかでうなされる訳ではなく、ただ単に強烈な筋肉痛だ。筋繊維がバキバキと音を立ててるかのように軋み、それに伴う痛みが全身を襲う。
『さすがの俺も近接戦だけであれだけの活性死体を相手にした事はない。お前がB.O.Wと呼ばれても俺は不思議には思わん』
いや、人外扱いは辞めてくださいよ。
こちとら転生はしたけどただの二十歳のプータローだよ? 肉体的には至って普通なんだから。
『ジョークはともかく、今日は休息にあてた方がいい』
今のどこがジョークだったか問い詰めたい所だけどご意見はありがたく頂戴します。突貫工事で三階を安地に出来たから、まあ今日は大丈夫だろう。
起きようと思ったらお腹の辺りに違和感があった。やけに温かくて柔らかいものがある。
上まで上げておいたファスナーも開いてたのでそちらを覗いてみると、なんだか茶色いものが俺の右脇腹にくっついている……へ?
『一時間ほど前に起こしに来た。お前が起きないので潜り込んできたのだ』
俺を抱き枕にして眠っているのは瑠璃ちゃんだった。
おい、起こせよ、ハンクぅっ!
『お前の意識がない時には動かせないようだ。声も届かなかったようだな。私は何度も起こしたぞ?』
ガッデムッ!
そんなに便利にゃ出来てないのかっ!
それよりこの事態をなんとかしないと。
『子供が人肌恋しくて来ただけだろう。なにを恐れる必要がある?』
いや、そうかもしれんけどさぁっ!
瑠璃ちゃん、他人の子なんだぞ? 色々と問題だろ!
『アメリカならどの州でも性的虐待と取られるな(笑)』
笑ってんじゃないよ? くそ、
『こんな極限状態だ。子供にはきつかろう』
……まあ、そりゃあそうだろうけど。
よく見れば少し涙の跡もある。
親父さんを亡くして、母はすでに他界済み。残った家族は悠里だけとか、人生ハードルートだもんな……
「……んぅ……ぁ、おはようございます」
「ああ……うん、おはよう」
寝ぼけ眼の瑠璃は、小学四年生とは思えないほど大人びて見えた。一つ上の莉緒の方がよほど子供っぽいな。
「……起きたら九郎さん、いなくて。探してたら寒くなって、つい……」
……あ~、参ったな。勝手に彷徨いてたのか。バリケード作るから安全とは言ったけど、絶対とは言い切れないんだよな。それに階段を登るわけだから、奴らの近くを通る可能性も無い訳じゃない。ここはきちんと叱らないと。
「瑠璃ちゃん。悠里さんや他の人に何も言わずに動いちゃダメだよ。君が居なくなったら悠里さんもみんなも心配する。君を探しに危険な目に遭うことも有り得るんだ」
「う……うん。ごめんなさい」
うんうん。素直なのが一番だね。
でも、取り急ぎここから出てくれるかな?
こんなとこ見られたら色々と誤解されちゃうからね。
「い、いま出ます。きゃ、」
寝袋から急いで出た瑠璃ちゃんだけど、どうもスカート姿で入ってたらしく。折れ目が付いて一部捲れ上がってしまっていた……あ、お、俺は悪くないっ……よね?
『女児の下着で動揺する方が問題だ』
ええ……(白目)
恥ずかしそうにスカートを押さえて離れる瑠璃ちゃん。言葉は出さないけど何度も頭を下げて下へと戻っていった。
……やっぱ悠里さんの妹だな。
ウチの妹様だとこうはならないからね。
『ふむ……コレが“萌え”という感覚か』
ハンク、それは理解しないで欲しい……お前のキャラが崩れるから()
屋上の水道の蛇口を捻る。ここは浄水施設もあるし、ソーラーパネルでポンプも稼働出来る。しばらくしたら失われる文明の恩恵を享受しておこう。手を洗い、顔を洗ってから口を濯いで水を飲む。
ここの水はこの悪夢のような病気の特効薬だ。出来る限り飲んで耐性を高めておく。
『そうなのか? その情報の開示を求める』
そうだった。これは原作知識なので殆どの人間は知らないはずだ。教えたとしても一笑にふされる程にあり得ない話だけど、ハンクには教えておいた方がいい。
──このゾンビ化はこの土地に由来する『風土病』が原因の発端になっている。
かつてこの土地では同じように人が人を襲い、人口が半減するような事態まで起こった事があったらしい。まだこのあたりが“巡ヶ丘”じゃなくて“男土”と呼ばれた頃の話だ。
それとは別件だけど、那酒沼(朽那川の源流にあったとされる沼)にいた“おしゃべり魚”という昔話がある。これが形を変えて残った惨劇の概要だとすると面白いんだよね。
『……B.O.WかUMAか。なんにせよ曰く付きの土地だったのか』
一応この風土病の原因菌の事を“
『t-ウィルスのようなものだな』
認識はそれでいいと思う。今言ったとおり、アンブレラのように軍事目的で利用しようと企んでいたのがランダルコーポレーションだ。
『まさにそのものだな』
ちなみにこの世界にはバイオハザードのゲームは出てるけど、それも2までしか出ていない。アンブレラという架空の企業がランダルのイメージと重なりすぎたために訴訟騒ぎになって続編は作られなかったんだ。
『私が登場するというのは、その“2”だったはずだな?』
そうだ。でも、メインストーリーじゃなくて番外編的な扱いだけどね。ところでハンクってラクーンから脱出できたの?
『ああ。帰投するヘリの中で仮眠をしていたらお前の中で目覚めたのだ』
そいつはすまないなぁ。まさか過酷ミッションのダブルヘッダーとは思わなかっただろう。
ちなみに俺の元いた世界ではもっといっぱい出てるはず。ハンクもリニューアルされてたよ。
話がそれたね。なんにせよ、風土病はあったけど常に発症する人が居たわけではないらしい。この風土病を起こす菌“
『……そんなバカな』
そう思うよなぁ。でも、この学校の水は特効薬とも言えるもので、ゾンビ化が軽度で済んでいる場合は人間に戻す事すら可能なんだ。罹患した胡桃は後遺症を患ってはいたけど人として生活する事が出来るようになっていたんだから。
『にわかには信じられん。企業が仕組んだ事ではないのか?』
ランダル側でもこの事は想定外だったらしい。滅菌作戦寸前まで行ってたからな。由紀がランダル側にこの情報を開示する事で、ようやく事態が終息に向かう。ここから先は原作でも語られてないけど、学園生活部の面々はちゃんと生きているんだ。いわゆるハッピーエンドって奴さ。
『ふむ……つまりこの『かれら』との戦いに、人類は勝利出来ると確約されている訳か』
まあ、そうだね。
問題はランダル側に具体的な症例を示す必要がある。俺の原作チートを言うだけで理解してもらえるとは思えないからな。
『検体が必要なのだな?』
そう言われるのはイヤだけど……まあ、実際そうだな。原作ではその位置にあるのは胡桃な訳で、おそらくそういう流れになるとも思う。でも……
『会ってみて気が変わったか? それともお前の友人に対して後ろめたいのか?』
本当にイヤなヤツだな、オマエ。
人の心情とか考えて物言えよ。
自分より年下の人間が酷い目にあうのが必然とか、結果として命が助かるとしても障害は残るんだぞ?
『では、胡桃ではなくて別の人間ならいいのか? 全て原作通りに進ませる必要はあるまい。要は“検体”となるべき存在を確保しつつランダルに接触すればいい話だ』
簡単に言ってくれるね。
俺としては今いる人たちは誰も感染してほしくないし、これから先に会う人たちも出来る限り助けたいんだよ。
『終息させるための駒を作りたくない、か。いつまでもこのサバイバルが出来るわけではないだろう。滅菌作戦はいつあるんだ?』
……明確な日にちは開示されてない。トリガーになる要素もいまいち分からないし、ランダルや米軍の情報も入ってこないから……正直なんとも言えない。すぐという訳ではないらしいけど、一月か二月か……
『まずは外部との連絡手段か』
そうだね。どの辺りまで壊滅してるかは分からないけど、日本全滅って訳ではないと思う。ハンクはどう思う?
『……向こうではラクーンシティ、アークレイ山地を含めた半径50kmを封鎖して食い止めた。州兵だけで足りなくて米国陸軍も駆り出されたようだ』
それで感染拡大は食い止められたわけか。それを踏まえて、今回のケースは?
『活性死体自体はアンブレラ製のモノの方が強力だ。感染の仕方も同じなら防げる筈だ。だが、ここはアメリカ中西部の街とは決定的に違う』
日本……だからだよね?
『肯定だ。人口密度が極端に高い上に他の街との境と呼べる区画がほぼ存在しない。爆発的に感染する類の病に対しては、ほぼなす術がない』
神奈川、埼玉や千葉といった東京に隣接した街は道路と道路、電車などの交通機関で繋がっている。アメリカの街とは違って、その間に何もないエリアはほぼ皆無だ。つまり巡ヶ丘から移動した人が首都圏に散らばる速度も確率も、ラクーンの場合とは比べ物にならない。
『首都圏と目される範囲を全て封鎖する事は出来るだろう。その際に人道的な手段を取らなければ、な』
……ハンクの言う意味が分かってしまう。避難を求める市民に対し、暴力的な手段で対処する。『かれら』であろうとなかろうと構わずに。
ラクーンシティの時にも、そうした事例はあったそうだ。歩いて来るゾンビが二人来たから
胸糞の悪い話だけど、そうした対処をしないと感染拡大を止められないという側面はある。
『軍人ならそうする。命令は絶対であり、それに背く事は職務の放棄だ。撃って自責の念に駆られるなど惰弱としか言えん』
……それはアンタだから言えるんだよ、死神。普通の人はそうはなれない。そしておそらくこの国の軍隊もどきだと、そこまで冷徹な方法を取る事は難しいんじゃないかな?
『それは希望的観測というものだ。命令があれば軍人はやる』
そうは思いたくない。
でも、否定する事は出来ない。
自分の行った凶行を鑑みれば、命令という大義名分、もしくは免責があればやってしまうのかもしれない。
『事実を認識し、冷静になれば対処は難しくない。俺がやったように近接戦でも何とかなるのだ。銃で武装し、兵員も揃っていれば制圧する事は無理でも封鎖する事は可能だ』
同時に、人というモノの恐ろしさをあらためて思い知らされた。
「九郎さん。朝ごはんですよ」
唐突に声をかけられて驚く。昇降口のドアから悠里が姿を見せていた。
もうそんな時間か。寝袋を畳んで行くと、悠里がにっこり微笑んだ。
「るーちゃんは叱っておきました」
「えっ」
「お嫁にいく前にお父さん以外の人のお布団には入っちゃいけません、て」
すごく自然に言われてる。笑顔もとてもかわいい。でも……何だかすごい圧力を感じた。
「は、はは……ごめんなさい」
「九郎さんが連れ込んだんじゃないんでしょう? 謝るのは筋違いですよ」
「そ、そう言ってくれるとタスカリマス……」
普通に話しているだけなのに……怖い。
『ふむ。いい威圧だ』
感心するとこじゃねぇし。
すると、右手に温かい感触。
「さ、行きましょう。お味噌汁は残っていた豆腐にしました。傷みやすいから早く食べないとね」
自然に手を繋いでくる悠里。
少し頬が赤らんでいるのは気のせいだろうか。頭の中で味噌汁を喜ぶ声が、少しうっとおしかった。
説明回でした。考察としてはかなり穴がある気がしますが、とりあえず気にしない(笑)
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三階の清掃とアレの行方
今回も途中で視点が変わります。
◇〜◇の間は佐倉慈、めぐねえ視点となっております。
追記:誤字報告、毎度ありがとうございましたm(__)m
「えっと。ご紹介に預かりました半澤九郎といいます。巡ヶ丘学院高等学校のOBです」
当たり障りのない自己紹介が出来たと思う。なのに約四名の頭には“ハテナ”が浮かぶようだ。何故に?
『昨夜の行動は殆ど俺が行った。おそらく齟齬があるのだろう』
あっ……(スゥーッ)
そう言えばそうだった。悠里もどう説明していいのか考えあぐねてるようだし。子供たちすらどう思ってるのか。
「ハンクだ。故あってクロウの身体を間借りさせてもらっている。自己紹介はこれで終わりだ。ユウリ、朝食にしよう」
「は、はい。それじゃあ皆さん。いただきます」
「「いただきまーす」」
……ハンクに身体を乗っ取られ、またしても食事を堪能する機会を失ってしまった。腹は膨れるのに味わえないとか、かなり損してない? おれ。
『和食に関しては妥協できん。すまん』
ああ、まあいいけどさ。
生徒会室の長机に並べられたものは、簡素ながらちゃんとした和の朝食だ。ほかほかのご飯に、豆腐と葱の味噌汁。半熟の目玉焼きに味付け海苔、それに……
「ナットウ! これはDelicacyだっ! 食するのは初めてだが……うむ、マズイッ」
テンション高くマズイと公言するハンクに、周りの女子はドン引きである。
「えー、納豆おいしいよ? ね、たかえちゃん」
「実はあたしも納豆はちょい苦手だけどな」
「私もあんまり好きじゃないの。ハンク、よかったらいる?」
「もらうぞ、リオ。こんな機会はめったにないからな」
「莉緒ちゃん……」
「と、思ったけどぉっ! やっぱ頂くわ」
納豆をハンクに押し付けようとした莉緒に悠里が笑顔の圧力をかけてやめさせた。すでにお袋のような貫禄に少しビビるけど、貴重なタンパク質だ。ちゃんと食べて大きくなれよ、莉緒。
「炊飯器はともかく、お味噌汁や目玉焼きはどうやって……?」
「九郎さんがIH調理器を持ってきてくれたんです。カセットガスコンロもありますけど、今は電力は大丈夫らしいので」
防災用にカセットコンロは買っておいたけど実はボンベは二セットしかない。ホームセンター行く時に補充しないと。食材とかは若狭家のお宅からの持ち出しが主だったりする。とはいえ三人家族だしそんなに多くは無い。それでも日持ちしそうな物を重点的に持ってきた。納豆と豆腐は親父さんが好きだったから多めに買っていたのが幸いしたようだけど。
食器は紙皿に紙コップ、箸も割り箸だ。この辺りもホームセンターでの補充対象だ。ここでの避難生活では電気も水もあるから。日常的な生活に近い行動が出来れば精神的なストレスは軽減される。紙皿の類は持ち運びしやすいのであまり浪費したくないという側面もある。
『確かに風情が無いな。やはり瀬戸物の茶碗と漆器の汁椀でないと』
「でも、こうしてると課外活動みたいだな。飯盒炊爨でもしてる感じで」
「あっ! それ、いいね! 部活動にしちゃおうよ」
おっと。由紀がフラグを立て始めた(笑)
さっきも言ったように日常に近い行動は精神の安定には一番だ。
「学校で生活する部活動……?」
「またゆきは変なこと言い出したなぁ」
「えー? 変じゃないよぉっ?」
「いいんじゃないか? 部活だと思えば、その……」
「あ……」
怪訝そうな悠里に妙な事言い出した由紀を貴依が茶化す。そこへ胡桃が助け舟を出して、佐倉先生が空気読み。だいたいこんな感じだっけ? 俺はその様子を見るだけにする。というかハンク、それ莉緒の納豆……
『寄せてきたのだ。是非もない』
莉緒ェ……ちゃっかりキライなの押し付けるなよ。悠里さんの視線が外れた隙を狙うとか狡猾だなぁ。てかマズイ言いながらなんで納豆のみで食ってんの?
『味は悪くないな。食感にも慣れた』
さいで。そんな最中に『学園生活部』が発足したようだ。追加メンバーに柚村貴依、顧問は佐倉先生と変わらずだ。
「私達はどーなるのよ?」
「そうねえ……二人は仮入部扱いでどうかしら?」
「クラブ活動、はじめて……♪」
瑠璃ちゃんははじめてのクラブ活動で喜んでるみたいだ……ごめんな、こんなクラブで。普通じゃあり得ないもんな。莉緒の方はと言うと別にどうでもいい、みたいな顔してる。でも兄ちゃんは知ってるぞ。実は仲間外れにならなくてホッとしてるだろ?
「それで……えっと、ハンクさんはどうしましょう?」
「あー、OBでいいんじゃね? 卒業生なんだし」
……その立ち位置は出来ればやめて欲しい。
「そういう事なら先任訓練教官にでもなってやるか?」
「あれでしょ?『ふざけるなっ! 大声出せっ、タマ落としたかぁ?』」
「ほう、意外だ。ユキは詳しいな」
「あの映画、何度も見たからね〜」
「いきなりなんだ?」
「コイツ、意外と映画とかゲームとか好きなんだよなぁ」
「汚い言葉は使っちゃいけません。ハンクさんも」
おいおい。結構古い映画なのに拾うとか、由紀ちゃんさてはこっち寄りか?
それはともかく、ハンクは『講師』という立場に落ち着いた。部長は当然悠里になった。まあ、料理の腕やら怒らせたら怖いオーラとかあるから当然かもね。
「では、今日の学園生活部の活動は『おそうじ』になります。とりあえず三階部分の清掃をしましょう。以下の階はその都度行いますけど、当座の活動拠点は衛生的にしておきたいですからね」
「「りょーかーいっ♪」」
◇
「おっきい靴だね♪ お相撲さんかな?」
「いちいち言ってると終わりませんわよ?」
「うー……りおちゃん、リアクション薄いよ〜」
丈槍さんと子供二人は大きめのゴミを拾う係。シャープペンシルなどの文房具や細かい物を拾っている。一応全員、軍手は付けている。彼の言った言葉を信じるなら、落下物だけでなく『かれら』の歩いたこの床や壁なども不用意には触れない。目や顔を擦らないように注意はしたけど、少し心配だ。
「るーちゃん、小さ過ぎるのはほうきで掃くからいいわよ」
「はぁい、りーねえ」
その後は箒とちりとりを持った私と若狭さんが掃いていく。土足で歩いたものが多いせいか砂や泥なども多いのですぐにちりとりは一杯になるのでその都度ゴミ袋に集めていく。最近は掃除機しか使ってなかったからやりづらいな。
それに比べて若狭さんは卒なくこなしている。うう……比べられると少し辛いな。
「手慣れてるのね、若狭さん」
「園芸部なので。ボランティアとかもありますし」
……私もきちんと花嫁修業しなくちゃ。
こんな事態になったのだから、それはもう意味のないものなのかもしれないけど。
「うっしゃ、いくぜ」
「気合い入れ過ぎ〜」
最後はモップ部隊の恵飛須沢さんと柚村さん。血とかを拭き流す作業だ。ここが一番辛そうなので、他の子達も終わったら合流して手伝う流れだ。水はみるみるうちに汚れるので手洗い場との往復の回数も増える。本当は漂白剤とかも使うべきなんだけど、在庫が少ないので水拭きのみ。それでも、綺麗になれば気分は良くなる。やはり学び舎はこうでないと。
とはいえ割れた窓ガラスなどはどうしようもないので、そのままだ。触らないように注意するしかない。拠点としている生徒会室、生徒指導室、校長室の窓は損壊していない。というかここへは『かれら』が侵入していなかったらしい。『かれら』が扉を開ける事が出来ないという証明でもある。
『生徒指導室は使わなければ誰もいないのは当たり前よね。生徒会室も……あの時間だと帰宅していても不思議はない』
しかし。一つだけ解せない事がある。
『校長先生は……あの日、もう帰られてたかしら?』
下校時刻近いので帰っていてもおかしくはない。それに校長という役職は教鞭をとる為にいるのではないのだ。しかし。
『いまさら校長先生の安否を気にしてもしようがないわね』
校内に居なくても、どこにいようとこの災禍に見舞われていれば生き残る事は至難だ。校長の存命に関してはとりあえず棚上げにしておこう。それより気になる事を思い出した。
そう言えば。
『緊急避難マニュアル』なる物が有ったのだ。校長先生手ずから教えられ、有事の際にはそれに従って下さいとのことだったけど、こういう事態に際して使うものではないのかしら?
『ちょっと席を外していいかしら?』
『あ、はい』
若狭さんに言って私は清掃作業から離れ、職員室へと入った。中はまだ掃除が済んでいないけど、ここにいた『かれら』は比較的少なかったのか、荒れてはいるけど悪臭はそれほどでもない。節約のため通電はしてあるけど電気は消してあるので、懐中電灯を点けてマニュアルを収めた棚を捜索する。だけど。
『無いわ……』
何度調べても、あの分厚い緊急避難マニュアルは見当たらなかった。その部分にぽっかり穴が空いていたので、誰かが持ち出したのかもしれない。
教職員は皆知っている筈だ。先輩である神山先生も校長先生から聞いたと言っていたのだから。とすると、持ち出したのは誰だろう?
◇
緊急避難マニュアルを隠すのが間に合って良かった。『掃除は皆がやる。休んでいて下さい』と言ってくれたので職員室へ侵入して素早く回収したのだ。
『マニュアルがあるならそれを確認すべきじゃないのか?』
ハンクがもっともなことを言うけど、この状況下ではそれは得策ではない。今の事態を予測した内容が書かれているとなれば、まともな人間には耐えられないだろう。
『なるほど。関係者にとっては当たり前でも、一般人にとっては悪夢そのものだからな』
こいつは校長室に隠しておく。ここの校長はランダルと癒着しているから濡れ衣でもなんでもないし。たぶん、地下に一人で避難してるだろうし。
『敵性勢力は潰すべきだと思うが?』
生きていればそうした方がいいけど、おそらくすでに死んでいる。もしくは『かれら』になっていると思う。いずれにしても一度確認には行くけど、今は身体がマトモに動かないから。
『まあ、それは構わんが』
俺がバックパックから取り出したのは、ガチャガチャと重い金属音のする物たち。一つ目は枝切り用の鉈。肉厚で長さは40cm前後。鞘が付いていてカラビナで吊り下げも出来る。もう一つはフィッシング用のシースナイフ。これもベルト等で固定可能だ。まあ、使った事は今までないけど。
「ほう。専用の武器は持たない主義だと思っていたが」
いきなり体を乗っ取ってナイフを持つハンク。やっぱり軍人だけあってこういった物は気になんのかね?
「民生品の割にはいい出来だ。長さも丁度いい」
そうなん? もっと大きなダガーナイフにしようかと思ってたけど、使いこなせないからやめたんだけど。
『軍人すべてがランボーでもない。ナイフはあくまで近接での対処に過ぎない。大き過ぎてはデメリットの方が大きいのだ』
と言いつつ、構えて数度振ってみている。俺も何度かやってはみたけど、やはり迫力が違うな。
「こっちは……練習用か」
そう。刃のないラバーナイフである。俺が練習で使っていたものだ。ちなみにその横のヤツは刃を研ぐためのシャープナーな。わりと便利で包丁とかも研ぎやすいんよ。
『ふむ。手入れは大事だ。メンテナンス無しで十全と機能しないのは人も物も変わらない』
おっと、またいきなり戻したな。
とりあえずこの装備は事態が本格化するまで出したくはなかったものだ。何故かというと、銃刀法的にはアウトだからね、仕方ない。
とりあえずラバーナイフとかで彼女たちの訓練もしてみようかな? どう思う?
『自衛手段は必要だ。活性死体に対してはあまり有効的とは言えないが、対人戦には有効だからな』
そうなんだよな。
これからは生き残った人間も敵になり得る世界だ。そういう意味では彼女たちにも生き残る術は必要だ。
と、そこへノックがされた。
「あの……少しいいですか?」
「どうぞ」
ドアの向こうにいたのは佐倉先生、通称めぐねえ。成人女性のわりにどこか親しみやすい女性教諭だ。
緊張をほぐす為に少しだけ笑ってみる。
すると、彼女も愛想笑いを浮かべた。
「校長室に調べものがあって」
ここへ調べもの。アレは鍵付きの引き出しに仕舞った。鍵は俺が持ってるし、めぐねえなら簡単に壊すという手段は取らない……と思う。
いずれにしてもここは譲るのが得策かな?
「それなら隣に行っています。ごゆっくり」
「あ、あの……」
「ん?」
荷物を持って出ようとする俺を、めぐねえが引き留めた。何故に?
「……ほんとうに、半澤くん、なんですよね?」
「髪型は変えたけど、顔は変わってないはずですよ、めぐねえ」
「……佐倉先生、です」
「はい、佐倉先生」
久しぶりのそんな会話が、少しだけ懐かしいと思った。向こうもそう感じたのか、いつも通りの笑顔になる。ちなみに学生時代の髪型はごく普通の短髪だったけど、今は角刈りのようになっている。莉緒にも驚かれた。
「あの……ハンクと名乗ったのは……?」
「言った通りですよ。俺の中に現れたゲームの中の凄腕の傭兵。でなければ、俺にあんな真似はできませんよ」
今朝、挨拶した時にハンクの事は包み隠さず言った。信じられないかもしれないけど、嘘をつくよりはいいと思ったからだ。しかし、この様子だと疑っているようだね。
『それが一般人の感覚だ。受け入れたお前がマトモでないだけだ』
……手厳しいッスね、
昨夜からの俺の凶行は知っているはず。
本来なら怒り、諌めなければいけない事をした俺に対し、めぐねえはしょぼんと肩を落としていた。
「……私は最低な大人です。守らなければいけない子供たちを危険な目に遭わせて。あなたにも、そんな辛い言い訳をさせて」
……アレ?
めぐねえ、なんか変なこと言ってるぞ?
俺の言い訳って……なに?
『“ハンク”という人格のやった事、という認識でいるのかもな。いわゆる“解離性同一障害”と言うやつか』
あー……
なるほど。
たしかに『がっこうぐらし』と言えばそういったものがあったな。ゆきちゃんの“めぐねえ”とか。そんな
「あ、あの?」
「いや、なんでもないです。俺はもう生徒じゃないんで。お気遣いは無用ですよ」
「それは……そうかもしれないけど」
思えば、その方がしっくりくるな。
今からでもその路線でいく?
『そう思わせておけばいい。問題は特にない』
……まあ、そらそうか。
説明しても理解はされないだろうし。
校長室から出ると、廊下の掃除はだいたい終わっていた。基本、生徒の教室は手をつけないでいくのでこれから職員休憩室と職員室の清掃にかかるようだ。
「あー、ハンクさん」
「丈槍さん、この方は半澤さんだと言ったでしょう?」
「え〜、だってハンクって言ってたよ?」
俺を見つけた由紀が悠里に叱られている。
「好きなように呼んでくれていいよ。どれ、俺も手伝うよ」
「そんな。今日は休んで下さいと……」
「じっとしてると余計疲れるみたいでね。貧乏性なのかな?」
軍手を付けてゴミ袋を由紀から引き取り、新しいゴミ袋を広げて渡す。
「ありがとー、ハンクさん♪」
屈託のない笑みで由紀が笑う。その瞳にはまだ正常な光が宿っていた。
今はそれがとても嬉しくて。
ようやく、守れたのだと実感する事ができたのだった。
ちなみに由紀の言ったのは例の軍曹が出てくる映画ですね。ド汚い言葉で心を刳りに来るというやり方がエゲツない(笑)
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ひとときの安らぎ
後半は九郎視点に変わります。
最近、がっこうが楽しみ。
本当はこんなこと言っちゃあダメなのは分かってるんだ。
あんな事があって、学校で生活しなくちゃいけなくなった。家に帰って、お風呂入って、お母さんのご飯やお父さんの晩酌のオツマミを頂くことも、もう出来ない。二人が大丈夫だと信じたいけど、周りの状況をかんがえると期待は出来そうにない事も分かってる。それは他のみんなもいっしょ。だから自分のことだけで騒いだりはしないよ? こう見えても高校三年生なんだから(エッヘン)
いつも退屈だった学校で暮らす事になるなんて、夢にも思わなかった。最初はこわくて、怖くて……ただ生き延びただけだったから。運良く、屋上を見たいと思って。めぐねえが同意してくれたから起こっただけの、小さな奇跡。
たぶん私みたいにへっぽこだと、下から上がってくる前に捕まって。『かれら』の仲間入りしていたはず。私だけでも、めぐねえだけでも助からなかったんだ。そういう意味では、私はめぐねえの命の恩人かもしれないね?
でも、本当の意味での命の恩人はハンクさんだ。
夜中に車でやってきた男の人は、まるでゲームのキャラクターのように見えた。ガスマスクに黒づくめの格好で、いかにも強そうな外見。持っているのは銃じゃなくてどこかで拾ったような鉄のパイプだったけど。
彼はそれだけで三階の『かれら』をすべて倒したという。その身体は下に投げ捨てられていて、数えたら十人近くいた事が分かった。
スゴイッ
私たちにはどうにも出来そうもないのに、簡単に倒してしまうなんて。まさにヒーローだよっ、ハンクマンだよっ! グーマちゃんもびっくりだよぉ!
そんな彼には同行者もいた。
全員女の子で、一人はこの学校の生徒の若狭さん。子供の方はその若狭さんの妹さんとハンクさんの妹さんだそうだ。みんなここに避難してきたらしい。
挨拶も早々に三階に繋がる階段の所にバリケードを作るので手伝ってほしいと頼まれた。それまでなんの役にも立たないと思っていたけど、私だって机くらいは運べる……はず。実際はめぐねえや胡桃ちゃんが二回運ぶ間に一回しか回れなかったけど(テヘッ)
途中、上がってきた『かれら』がいた。黒い靄を纏わせて、ゆっくりゆっくり階段を登るそれは、わざとそうしているようにさえ見えた。じわじわと怖がらせる為に。
でも、そんな事を躊躇せずにハンクさんは撃退した。立て掛けた机の隙間から突き出した鉄パイプは『かれら』の口へ突きこまれ、それは勢いよく階段を転げ落ちていった。ハンクさんは特に気にした様子もなく……やっぱり少し怖いと感じてしまった。
一連の作業が終わったあとに、ハンクさんがいきなりトイレに向かった。我慢してたのかな、と思ったら女子トイレに入っていった。
さ、さすがにそれはマズくないかな、と思っていたら、私のよく知る人の声が聞こえてきた。閉まっている個室から私の友達、柚村貴依が見つかったのだ。たかえちゃんはよっぽど怖かったのか、私に抱きついてきた。私もホッとしたのか、涙が次々に出てきて二人でおいおい泣いてしまった。そんなふうに騒いでいたら、またしても彼に叱られた。
でも、実はそんなに怖い人じゃない気がした。
『かれら』は音に引き寄せられる。思えば、屋上に恵飛須沢さんが駆け込んできてから『かれら』はやってきたのだ。大声で叫んだり、息を切らせたり、そういった音が『かれら』を引きつけ、押し寄せて来ていたのではないか。
つまり、彼は教えてくれていたのだ。
これから先の、生き残る為のやり方というものをだ。ただの怖いひとならそんな事はしない。私達のためを思っての行動だ。
ただ、そのひとは二面性のある人だった。
仮面(ガスマスク)を外し、ご飯を食べていない時の彼はとても笑顔の柔らかい……とてもではないけど『かれら』を鉄パイプでやっつけるヒーローのようには見えなかった。
若狭さんが言うには、彼がホンモノの『半澤九郎』であって、怖い人の方が『ハンク』なのだという……どういうこと? 妹のりおちゃんは『自己催眠』と言っていたし、めぐねえは『多重人格』って言っていた。現国苦手な私には分かりにくいよぅ。
「どっちでも好きに呼んでいいよ」
彼自身がそう言っていたので、私は彼を『ハンクさん』と呼ぶ事にした。
大人のめぐねえよりも背の高いハンクさんは、とっても力持ち。昨日は生徒会室で眠ったのだけど、少し狭かったので生徒指導室も使う事になった。置いてある机は私達の使う物と違って大きいのだけど、彼はひょいっと持ち上げて動かしてしまう。なんでも引っ越し屋さんのバイトをしていたらしく、こういうのは得意なんだとか。
掃除も終わって、みんなヘトヘト。汗もかいたけどお風呂なんか入れないよね。そう思っていたら、なんとっ! シャワーが使えるらしいのだ♪
「実は職員休憩室にはシャワー設備があるのよ。あんまり使ってなかったんだけど」
めぐねえ、そういう事はもっと前に教えてよ〜。体育の授業のあととか大変だったんだからぁ。
「あくまで職員用なのよ。生徒には使わせない決まりがあるの」
よく見ると職員用の設備はかなり充実している。給湯器などはともかく、ガスコンロや炊飯器なども置いてあった。理由を聞いたらめぐねえじゃなくてハンクさんが答えてくれた。
「昭和の四十年代後半くらいまでは宿直という制度があって、その名残で設備を残しているんだ。災害とかの備えの意味もあるんだけど」
そう言えばそんな題材のホラーゲームもあったような気がする。私は怖くて一人じゃできないけど。ガスは止まっていたから給湯器は使えない。……あれ? シャワーは使えるのはなんで?
「あっちは電気で温めているからね。だから、使える量は決まってる。浴びるのならなるべく早くしないと水になるからね」
「うひ、いきなり水はイヤだよぉ〜」
めぐねえとハンクさんがその場から離れ、私はたかえちゃんと恵飛須沢さんの所に行った。二人にシャワー使えるらしいと言ったらよろこんでくれた。
「そりゃあ、ありがたいな。まだ水浴びには早いからな」
「だけど……着替えが無いぜ?」
「「あっ……」」
その場にいた全員が言葉を失った。体型がお子様のままな私でも、それが一大事なのは理解している。
着ている服は制服だけ。夏場にプールの授業があるなら着替えを持ってくるとかありえる。でも、今はそんな季節じゃない。それに服の替えもない。乙女的には一大事だ。
「シャワー浴びた後に元の下着は……ちっと、気が引けるなぁ」
「なんとなく同意だ」
「ど、どうしよ?」
「コンビニなら売ってるけど……購買には無かったよな」
ここには購買とかもあるけど、二階にある。『かれら』がいる中を探しに行くのはさすがに怖い。
「あ、でもたしか体操服はあったか? 昨日体育あったじゃん?」
「そ、そうだね。ちょっと汗臭いかもだけど」
「運動着ならアタシもあるけど、話が違わないか?」
「いや、そこに洗濯機があるだろ? 洗剤や柔軟剤もあるみたいだし、洗っちまうのはどうだ?」
「! お前、冴えてんなぁ!」
「でも……二階だよ?」
うちのクラスは昨日の午後に体育があったから体操服は持ってきていたはず。ただ、それはやっぱり二階のクラス教室に置いてある。三年の私達のクラスは全部二階にあるのだ。
「それに体操服着てても下着無いのは変わんないだろ?」
「上から見てても履いてないとは分かんないよ。それに男の目なんて一人しかないだろ?」
「一人でもいたらダメだろう……」
たかえちゃんの言葉にぐったりする恵飛須沢さん。さすがの私もそれには同意だよ。ハンクさんの前でそんなはしたない真似はしたくない。
「みんな、着替えよ」
「「「え?」」」
この難題を解決してくれたのはめぐねえだった。正確には避難用の物資の中に女性用の肌着類がいくつか見つかったというのだ。
「さんきゅー、めぐねえ」
「佐倉先生、でしょ? でも、意外だったわ。生理用品とかもあったのよ」
「ウチの学校、防災意識高すぎじゃね?」
「わ、これがいいな〜」
ピンクのを選んだらたかえちゃんに『お子ちゃま』と言われた。むんっ、こう見えてもケッコン出来る年齢なんだからねっ? ぷんぷん!
さすがに上着とかは無いけど上下のジャージが三着出てきたのでそれを借りる事にした。そんなふうにしていると、若狭さんと子供達がシャワーへと入っていくのが見えた。
どうでもいいけど、若狭さんは同い年には見えないなぁ……はあ。
少女入浴(シャワー)中……
幸い途中で水になることもなく、シャワーを浴びる事ができた。シャンプーも石鹸もあったので助かったよ。私と一緒に入ったのはたかえちゃんと恵飛須沢さん。二人とも私より背が高いし、ちゃんと大人っぽい身体付きしてるぅ……いいなあ。
出てきたらハンクさんがおいでと手招きした。行くと手のひらに冷たい物が渡された。
「わぁい、ゼリーだぁ♪」
一口サイズのフルーツゼリーが三つ。味はバラバラだけどちゃんと冷えていた。見れば先に浴びた子供達も美味しそうに食べていたので遠慮なくぱくり♪ みかんの酸味と甘さが口いっぱいに広がって、とても美味しかった。
ちなみに、私達の洗い物は若狭さんがまとめて洗ってくれていた。さすがにいっぺんには乾かせないので肌着類だけだ。
「さて。じゃあ、俺も浴びてくるよ」
「ごゆっくり」
瑠璃ちゃんの髪をタオルで拭きながらハンクさんを送る若狭さん。ぬぬぬ……若奥様みたい。よく見れば、彼女は私服だ。少しゆったりしたほわほわのパジャマで、るりちゃんともお揃いである。りおちゃんは普通のTシャツにハーフパンツというラフな格好だ。でも、私と同じで少し丈が合ってない。たぶんるりちゃんの借り物なんだろう。
恵飛須沢さんが近寄っていったので自然に私達も近づく。近くで見ると、本当に……大人だなぁ。
「若狭さん、私服似合うじゃん」
「家から避難してきたから、私物を持ってこれたのよ」
「いやーアタシもそーいうの買おうと思ってたんだけど、似合わないからさぁ」
「ジェラ○ケとか流行りじゃんよ。私も持ってるぞ?」
「マジか? パンクやるな」
「うっせぇ、体育会系」
さすが恵飛須沢さん。コミュ力が高い。それとたかえちゃんもいつの間にそんなの買ってたの? わたし見たこと無いんだけどっ?
「私たちだけ、お洒落してるみたいで申し訳ないわね」
「そういう事じゃないだろ? こんな状況なんだし。四の五の言えないよ」
「そーそー。なんだかんだで着替えとかもあったし。気にすんな」
「そうだよー♪ お泊りみたいで楽しいもん」
二人がすかさずフォローしたので乗っかってみる。コミュ力弱い私でも、このくらいは空気が読めるのだ。
「あ、そういえば……」
彼女はハンクさんと一緒に来たんだ。その事に気付いた私はそれまでの話を聞くことにした。
聞いてみて、街も相当ひどい事になっていると言うことが分かった。特にお父さんが警察官で、すでに亡くなっていると聞いた時には対応に困った。
「あの……ごみん(シュン)」
「気にしないでいいわ。あなた達のご両親の安否も分からないのでしょう?」
そう言って笑う彼女は、疲れているように見えた。それは私達もおんなじだ。
「りーねえ……ねむ……」
「あら。そう言えばもう八時ね」
「あふ……わたしもねむぅ……」
年少組の二人が眠そうにしているので、彼女は寝室である生徒指導室へ向かった。部屋割としては私達三人が生徒会室。めぐねえと彼女たちで生徒指導室となっている。そう言えば、ハンクさんはどこで寝るんだろ?
「へ? あ、あー……男の人だし、一緒ってわけにゃいかないよな?」
「ま、まあ。そうだな、うん」
「えー? だからって仲間外れなの? それっておかしくない?」
「だって……なあ?」
「ねえ?」
二人がなんだかよく分からない。仲間になったのならなるべく一緒にいるべきじゃないの? RPGでもキャンプは皆でやるんだよ?
「あー、この話はやめやめ!」
「そうだな、さっさと寝ようか」
「えーっ?」
恵飛須沢さんが寝袋に入り、私とたかえちゃんはお布団。代わろうかと聞いたけど恵飛須沢さんは「この方が気楽だよ」と答えてきた。
「そりゃあ、よく知らん私と寝たくはないだろ?」
「そうなの?」
「……そこは気にしろよ」
たかえちゃんの優しいチョップの意味は少しだけわかった。私は気にしないけど、恵飛須沢さんは気になるだろう。そういう事なのだ。
「ふふ……たかえちゃん、だいすき」
「へいへい。」
たかえちゃんに抱きついて眠るのは実は初めてだ。でも、嫌がりもしないで受け入れてくれる。おかげで、こんな状況にも関わらずにすぐに眠りにつくことができた。
眠りに入るその前に一つだけ気になったことがあった。一人で『かれら』を倒してしまう強いあの人は……ちゃんと眠れているのだろうか?
◇
「さて、見回りに行ってくるか」
寝袋から出てモップを持つ。鉄パイプよりリーチがあって、バリケードから小突くにはこちらの方がやりやすいからだ。
『奴らの生態から考えれば、夜間の見回りは意味がない気もするが?』
ハンクがそう言ってくる。「まあ、そうだけど」と、同意しておくけど、万が一の事もある。さらに他の生存者の侵入とかの可能性も無いわけではない。
寝床は校長室だ。ここにはソファーがあるので寝袋には丁度いい。それに男は俺一人だ。色んな意味で危ないことは出来ない。
三箇所の階段を確認したが、近くには『かれら』はいない。やはり上に登ってくるのはよほどの時だけのようだ。
見回りを終えて戻ってくると。
「……どこ行ってたのよ?」
寝袋の上で腕組みをしている妹様がいた。
「あ、いや。見回りだけど?」
「は? アンタ、昨日も一人でしてたんじゃないでしょうね?」
昨日はそのまま寝入ったせいでやってないけど。そう答えると莉緒は不満そうに言ってくる。
「夜間の見回りは交代制にした方がいいわよ?」
「え?」
「アンタがゆっくり寝られないでしょうがっ」
少し苛つきながら言うその言葉は、俺を気遣うもののようだ。ちょっと嬉しくなったので頭を撫でると、「子供扱いすんな」と不貞腐れた。
「くちゅん」
「夜はまだ寒いから。早く布団に戻りな」
寝袋に戻りながらそう言うと、莉緒は何故かモソモソと中に入り込んできた。え、おい。どういうつもり?
「るーにはやらせて、私にはやらせないつもり?」
そう言って俺のお腹に手を回す莉緒。そういうことね。息苦しいだろうから、顔の辺りを出るようにファスナーを調整しておく。大きめのソファーだからいいけど、ちょっと落ちそうで怖いな。
「……ママ、パパ……」
そう呟く声は、聴かないフリをする。気休めの言葉が意味もないという事は分かるだろう。聡い子だからね。
『……ふむ』
ハンクの呟きもどことなく感傷的だった。今後はどうなるか分からないけど、守っていかないと。俺に寄り添う暖かさにそう誓った。
最近体調を崩し気味で更新がやや遅れるかもしれません。ご容赦下さいませm(_ _)m
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二階攻略と今後の課題
翌日は二階の開放を目標に行動する。とは言っても二階には購買に食堂といった施設があるので昼の間は難易度が跳ね上がる。なので、時刻としては放課後辺りから始めることになった。
「ほ、本当に行くのですか? 恵飛須沢さん」
「大丈夫だって、心配性だなめぐねえ」
「佐倉先生ですっ」
とりあえず残存する『かれら』の撃退はハンクと胡桃のツートップ、バックアップは柚村貴依嬢に頼むことになった。事前にやった訓練においてマシな成績だったからだ。子供二人は論外、体力的には問題無しのめぐねえは運動能力がやや難があり、悠里は体力的に問題があったためだ。ゆきちゃんには期待してなかったよ。
「ポイントマンは俺が行う。クルミは続いて左右死角からの敵を発見次第掃討。タカエはその後方で戦況を確認。必要なら防衛のために戦闘しても構わん。だが、可能な限り俺かクルミを呼べ。お前の武器と体力では『かれら』に有効打は難しい」
「わ、分かった」
「アタシが先頭でもいいぜ?」
「お前はまだ経験が少ない。ここは後ろで俺の動きを学べ。いずれお前が仕切ることもあるだろう」
「お、おう……わかった」
「ミス・サクラ。テープレコーダーの準備はオーケーか?」
小型トランシーバーで連絡をするハンク。これは学校に常設されていたもので、職員同士で連絡をする必要がある時に使われていたらしい。もっとも、公に使うのは行事のときくらいだったらしいが。向こうにいるのは屋上のめぐねえだ。
『はい。では、電源を入れて、と。下げますね』
「頼む。定位置まで届いたら報告してくれ」
しばらくして定位置に届いたと連絡があった。表からはラジオ体操の音楽が響いてくる。
屋上から滑車を付けた棒の先からテープレコーダーを吊るして下ろしたのだ。地面に置くと『かれら』に触られて壊されてしまうので高さは二階くらいに調節してある。ちなみに棒はモップを二本組み合わせて作った杖のような形で、手摺の下から出して固定用のフックも付けてある。当然、俺が作った。高さも使ったロープに目印のビニールテープを巻いて示してある。正確ではないけどだいたいの高さが分かればいいのだ。
「ミス・サクラ。一度上げてくれ。音量をやや下げるんだ」
『は、はい。うんしょ、うんしょ……』
かけ声がかわいいw
『かれら』を釣るポイントは東側階段付近。ここなら下から上がってくるのも階段に固まるだろうし、二階の連中も端に寄せられる。上手くいかなくても数は減らせるだろう。西側や中央階段から上がってくるやつもいるかもしれないので後方確認の為に貴依さんにも同行頂いたわけだ。基本的にハンクと胡桃で何とかなると思う。
こちらの侵入口は中央階段。思ったとおりだいたい東側に釣られているのでこの辺りはほぼいない。代わりに購買や食堂方面からちらほらと姿が見える。
「まずはこちらを制圧する。声は立てるな」
「あいよっ」
胡桃ちゃんは声が高いなぁ()
反応する『かれら』の首に鉄パイプが命中し、ゴキリ、とやな感触がする。頽れるそいつの首を踏んで首が変な方向に曲がるのを確認するハンク。その様子を見る胡桃と貴依はドン引きだ。
「うへ……」
「あっさりだなぁ」
「クルミ、いってみろ」
「お、おっけー? 見てろよ」
少しおどけてからシャベルを構えて『かれら』の前に対峙する胡桃。屋上でアイツを送ってからは一度も戦ってはいないと思うけど……やっぱ緊張してるみたいだな。ひたひたと近寄る『かれら』にわずかに足が下がる。
「『かれら』は戦術が無い。フェイントをかける知能もないし、距離を一度に詰める事もしない。間合いを図って、正確に、一撃で急所を仕留めろ」
淡々と呟くハンク。これは作戦前に行ったレクチャーでの言葉でもある。『かれら』は徒党は組むが連携はしない。それどころか個体としても多くの戦術は用いない。単純に掴みかかり、噛み付く。その体力と痛みを伴わない身体を使った原始の人間でもしなかったような戦い方しかしないのだ。
ゆえに、手の届かない間合いから、急所の首周辺めがけての一撃でだいたい終わる。見た目からくる恐怖に打ち勝てば、与しやすい相手なのだ。
「ち……で、でやぁっ!」
気合を入れるために声を張る胡桃。本来悪手だがハンクは止めない。戦闘に臨む者の注意を損なう方が危険だからだ。構えたシャベルが一閃して、『かれら』の首元に差し込まれ……あっさりと断ち切った。勢いよく吹き出るかと思っていた血は、そんな事はなく。ただ、ダラダラと周りに溢れただけだった。泣き別れになった身体が倒れ、動きを止める。首は何処へ行ったか。左後方に落ちているが、幸いこちらは向いていない。
「は、は……う、こふっ」
「ナイスショット。確認の手間が省けるいいスイングだ」
そら首飛ばしたら確認もクソもない。その様子を見ていた貴依が顔を真っ青にしているが、ハンクは鋭く指示をする。
「タカエ、周囲の確認はどうした? 自らの任務は忘れるな」
「ひっ……だって」
「今のお前は索敵手だ。前方、左右、後方の敵の数を正確に数えろ」
「え、と。前に二つ。一つは五メートルくらいかな? その向こうにもう一体。後ろは……無し。階段も無し、いや一体影が見えた。まだ踊り場にいる」
慌てながらもきちんと数に距離、方向も伝えてくる。初めて『かれら』と面と向かって対処するにしては上出来だ。
「よし。まずは購買方面を制圧する。クルミはタカエのカバーに入れ」
言うが早いか最接近している『かれら』に横から鉄パイプを振り抜き仕留めるハンク。倒れる『かれら』を見ながら、ハンクが何故予備のシャベルを使わないかを理解した。
『出血しづらいんだ』
『そのとおり。本来なら容易に切断出来るシャベルの方がやりやすいのだが、後処理が面倒だ。それにお前の膂力ならコレでも仕留める威力は出せる』
リーチとしては似たようなものでも、与える効果は違ってくる。塹壕戦で一番効果を出した武器ではあるが、それは対人戦という意味だ。対『かれら』戦となると違ってくるのだろう。
『血が多く出ると足元が悪くなる。近接攻撃しかない現状では不確定要素はなるべく排除したい』
ハンクは効率優先……と言うか効率厨だな。そこまで言うのならなんで胡桃にも打撃で戦えって言わなかったのか?
『戦闘に臨む際に些事は命取りだ。ああしろこうしろと言われて、集中出来るほど仕込まれてないと判断した。どのみち今回はチュートリアルだ。実戦の空気に慣れる事が目的だからな』
全く冷静だ。でもその判断は正しいと思う。原作ではただ一人の戦闘要員だった胡桃も、最初の頃は危なっかしいものだった。今だって顔色は悪い。それは貴依も同じだ。つい先ほどまで普通の女子校生だった彼女たちには辛過ぎる現実なのだ。
『
……やな人生だな、ほんと。
こんな世界に転生するとか、マジでキツイ。
とはいえゴネてもグズっても事態は変わらない。やる事はやらないと悩む事も出来ない。
程なくして、二階の攻略が完了した。
「あったぁ、無事だったよ♪」
教室で私物を回収した由紀は満面の笑みだ。『かれら』は人に襲いかかりはするがモノを直接攻撃する事はあまりない。それが音を立てたり光ったりなどする物なら対象になるかもしれないけど。貴依や胡桃も私物を確保出来てホッとしていたようだ。ちなみに三年の教室は上の二年よりは荒れていなかった。三年生は帰宅が早いため残っている者も少なかったのだろう。
ちなみに購買や学食(家庭科実習室)の損壊もそこまででは無かった。購買も学食も、あのときには人はあまり居なかった筈だ。『かれら』が習性で集まるとしても、自分たちで荒らす理由は無いからそのままだったのだろう。たまに棚にぶつかって物を落とすとか、土足で彷徨ってたから床が汚いとか、その程度だ。
二階も同様のバリケードを構築しておいた。補強用の資材は無いが、購買にはガムテープやビニールテープがあったので助かった。用意した分はかなり無くなってたからね。
学食の冷蔵庫はまだ生きていたけど、あまり多くの食材は残ってなかった。それでも仕込みの途中だったカレーやスープなどは残っていた。冷凍庫の中には少し大きめの魚の切り身(たぶん鮪)とかもあった。
『ほう、サシミか♪』
和食好きハンクさんがアップしてらっしゃるなあ……なんにせよこういうものは早く食べないと傷んでしまう。冷蔵庫や冷凍庫でも食品を完全に保管する事は出来ないからね。
子供二人を除いた全員でリュックを背負い、必要な物資を運び出す。生鮮品は特に優先だ。上の冷蔵庫はそんなに大きくないので今回はカレーは冷蔵庫に入れたまま残していく。
「あうー、カレー〜」
「今日は置いてくだけだ。上に入らないんじゃ傷むだろ」
「分かるけど。うぅ……」
『日本式カレーは食べた事がない』
女の子の会話に混ざるな、ハンク(笑)
話を聞けばアメリカでは日本のカレーライスはあまりポピュラーではないそうだ。意外と言うかなんというか。ともかく今日は食べないし、上の冷蔵庫では小さいから無理。以上。
「わあ……鮪の柵ね」
「でも、解凍しないと。電子レンジで……」
「だ、だめですよ。べちゃべちゃになっちゃいます」
「ええ……?」
悠里に見せると彼女はテキパキと解凍処理に入った。サポートとして入っためぐねえだが、不安しかない様子。大丈夫か?
「九郎さん」
そんな俺に声をかけてきたのは瑠璃ちゃん。手にはさっき図書室から持ってきた本が握られている。
「あの、難しくてちょっと……読んでくれませんか?」
高校の図書室にあったライトノベルなのでやや難しいのかもしれない。手に取ってソファーに座ると、その横にちょこんと座る。
「あら、朗読? 九郎できるの?」
そう言いつつ反対側に座る妹の莉緒につい悪態をつく。
「ほ、本読むくらいできらぁ」
「あらそ。じゃあ私も聞いていてあげるわ」
ニヨニヨと口を歪める妹様は、ホントいい性格してる。読むだけなんだから簡単だろ?
しばらくして悠里が夕ご飯を呼びに来たので読むのをやめた。文句を言うかと思ってたら意外にも「続きは食後ね」とか言われた。瑠璃ちゃんも喜んでくれてたから嬉しいと言われると嬉しいのだけど……何だか恥ずかしい気もする。
『表現がいまいち分からんが興味深い。読了を希望する』
ハンクは日本文化に慣れ過ぎだと思う。
大概の外国人は『?』ってなるのが普通なんだよなぁ……このあと鮪の刺し身を食べてご満悦だったのは言うまでもない。
こうしてみんなと和気藹々とした食事を取れるのはどれくらいあるのだろうか? 不安ではあるがそれを彼女たちに言うわけにもいかない。
夕食後の朗読は、なぜか全員で聞いているという謎状態だった。さすがに一時間以上読み続けていると疲れてきたのでやめたのだが、翌日にまた読むと約束させられた。
その後、その辺りのことをハンクと相談してみた。一階と外部への移動方法についてだ。
『一階の攻略は難しそうだ』
ハンクが心の中で相槌を打つ。俺も同意見だ。実際、階段という障害があってこそバリケードは意味を持つ。平面で障害の無い場所を塞ぐには強度が足りない。一度に来られる量が多すぎるのだ。
『原作通りに、下との行き来は避難梯子とかを使った方が無難だな』
『屋上のメンテ用のゴンドラが使えればやりやすい』
『ああ。一時的に稼働させるのは問題ないと思う。あれなら多少かさばった物も運べるし』
屋上、ソーラーパネルのあるエリアにはメンテナンス用のゴンドラが設置されている。意外と大きなそれは、壁面の清掃などにも使えるようになっているので階の途中に停めることも出来る。ただ、これの難点は移動が意外と遅いというものだ。降ろしている間に『かれら』に接近されてしまうので援護が必要かもしれない。ちなみに鍵は職員室に保管されているし、稼働も確認している。
『明日は外部へ調達か。それは構わんがメンバーは決めてあるのか?』
子供二人は連れて行くのは危険だ。二人を残すなら監督役は必要となる。めぐねえは運転が出来るから連れて行くのは構わないけど、怖がりな上にどんくさい所があるから心配だよなぁ……
『クルミは問題無し。タカエも今日の動きなら荷物持ちには問題はない。ユウリは出来れば同行させない方がいい。ルリとリオの監督役は彼女が適任だ』
となると、由紀を連れて行くかどうか。
あの子は勘がいいけど、好奇心も旺盛だ。足を引っ張りかねないけど……
『いちおう、決まったよ』
『行き先は決めてあるのか?』
『ホームセンターを先にしようかと思ったけど、やっぱりモールにする』
他の所にいるかも知れないけど、やはり最初に確認するべきはリバーシティートロンの方だろう。原作では助けられなかった貴依を救えたのだ。みーくんとけいちゃんは是非とも助けたい。
『ショッピングモールか。ますます“ドーン・オブ・ザ・デッド”だな』
ソイツは笑えないぜ。あんな結末にはなりたくないんだ、俺は。
『そう思うならそろそろ一人で『かれら』を始末してみろ。クルミもやっているんだ。出来ないわけはない』
……善処します。
いや、本当は出来ると思うんだけど、さあ。
『やれやれ。女の方が勇敢とは、それこそ笑えんな』
ぐぬぅ……
よくよく考えてみれば、俺自身は一体も倒してない。
『どのみち生きたければ『かれら』を手にかけることは必須だ。覚悟を決めろ』
──そんなわけで課題が課せられてしまった。……はあ(嘆息)
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ショッピングモールで試験?
早朝に三階の縄梯子からまず俺(ハンク)が降りる。早朝とはいえ『かれら』はゼロではない。見れば体操服姿の『かれら』が居たりするので、おそらく『朝練』なのだろう。
素早く来た時に置いたままのワゴンへと走る。運転に関してもハンクはお手の物だ。
『左側走行というのは慣れんがな』
そらまぁ、仕方ない。でも交通規則を遵守出来る状況でも無いから気にしなくてもいいと思う。あちこちに停まった車やトラック等で動ける道は意外と少ない。さらに『かれら』が通勤時間になるので多くなる筈だ。
音を立てずに走行するのはさすがに無理なので『かれら』が近寄ってくる。エンジンを切って鍵だけは開けておき、上から降りてくるメンバーを待つ。
「ハンクさん。上見ちゃダメだよぉっ!?」
「くだらん事言っとらんでさっさとしろ」
ハンクは冷たくあしらうがそれは俺も同意見。外出するのにジャージが駄目なわけもないのに制服にしている由紀が悪い。
そんな声を聞いて近づく『かれら』は運動部の女子。五メートルくらいなので走って一撃。首元に叩き込まれた鉄パイプが骨を砕く感触。倒れた奴の首を踏むところまでワンセットでこなすハンク。さらに何人かが近づいているが、もう少し待つべきだろう。胡桃と貴依も恙無く降りたけど……
「あう、ひぃ、あ、あ……」
「一歩降りるごとに変な声上げるなっ」
「ご、ごめんなさーい」
都合二体を倒した頃にようやくめぐねえが降りきった。上に合図すると悠里が縄梯子を上げていく。戻ったらトランシーバーで連絡して降ろしてもらう算段だ。
めぐねえが助手席に座ったのを確認したら運転席に入りエンジンをかける。カーナビの機能は切ってある。道路状況なんて更新出来る訳も無いし、ナビゲーションで最短なんて動けるわけもない。
そう思っていたらハンクはもう一つ理由を付けてきた。
『理性ある生存者の動向は報せない方がいい』
『え? なんで? 救助とか来るかもしれないだろ?』
『監視しているのが善意の第三者とは限らん。こちらを捕捉するために活用する可能性は十分だ』
……はあ。たしかにそうかもしれないけど。
そんなのいるとは思えないけどなぁ。こんなに広くて車も多いのに判別なんてつかないと思うけど。
『あれだけいた人間が『かれら』に変わった。文明を使う『生存者』はよく目立つ。ビーコンを出してるようなものだ。LACMなんて撃たれたくはない』
そこまで警戒するということは、ハンクには確証があるのだろう。では携帯電話などはどうなのだろう? 電波が入らなくてもみんな自分の物は持っている筈だけど。
『アレは地上の中継局を通る特性からさしたる危険性は今のところない。あるとすれば衛星電話だろうな』
ああ……あんな高いもの個人で持ってる人なんてほとんどいないだろ?
『法人は契約している可能性がある。公的機関もな。地上の電波が壊滅していてもアレなら外部と連絡は取れる』
そうか……。確かにその可能性はある。警察署が壊滅したとしても他の所が生きてる可能性はある。一番濃いのはランダル日本支社だ。コイツラは残って研究をさせてたくらいだから外部と連絡はしているだろう。
道路は車があちこちに停まっており、なかなかに速度を出せない。また、そこかしこに『かれら』もいるので避けようとするとさらに時間がかかる。それでも昼前には到着出来た。
「あんま、変わってないな? 火も出てないみたいだし」
「火事のビルとか悲惨だったもんな……」
道中、火災が発生したであろうビルの側を通る事になったのだが……かなり凄惨な現場だった。外壁は残っているけど真っ黒な煤がこびり付き、熱で割れたり溶けたりした窓からは内装も真っ黒。倒れた人の身体が炭化した状態で転がっていた。ビルから飛び降りたのだろう。その後、火に焼かれたか、『かれら』にやられたのか。
幸いにしてリバーシティー・トロンは大規模な火災には見舞われていないようだ。駐車場には全部で三十台くらいの車がある。 ハンクは正面に停めずに駐車場へと向かった。
「遵法意識と言うわけではない。葉を隠すには森の中だ」
移動距離が長くなると逃げる時にリスクにならないかと思ったが、彼には別の思惑もあるらしい。車を停めて、すぐに表に出ると周囲を確認。一番近い『かれら』でも五十メートル以上離れている。すぐにはやっては来ないだろう。
ハンクは車に戻ると双眼鏡で周囲の警戒に務めた。みんなが表出ないの? って顔してるぞ?
『監視を確認している……クリア』
そう呟くと皆に行動開始と命令をするハンク。ここで各員の装備をサラッと紹介しておこう。
胡桃は愛用の園芸部シャベル。後は誰かの持ち物だった少し大きめの登山用リュック。基本ハンクとのツートップなので今の段階では荷重は少なめだ。ペットボトルの水とシリアルバーが二つにチューインガムが二切れ。これは全員が持っている。はぐれた場合に備えてだ。
貴依はモップの頭を取ったモノ。これは攻撃というより近づけさせない為だ。女子用のリュックにはトートバッグやらの折りたたみ可能な袋が入っている。回収できる物資はなるべく多い方がいいからな。緊急用に防犯ブザーも一つ持っているが、これは胡桃以外の女性は全員持っている。
めぐねえこと佐倉先生の持っているのは木製のバット。野球部員の私物だったらしい物で何人かを叩いた痕跡が残っている。その割には血痕は残っていない……誰かが洗ったのだろう。その背には防災用の持ち出し用リュックがある。中身は昼食用に包んだおにぎりとお茶の入った水筒だ。
由紀ちゃんには武器は持たせてはいない。たぶんろくに使えない。その代わりに防犯ブザーとトランシーバーは彼女に持ってもらった。トランシーバーは俺(ハンク)とめぐねえも持っている。背中には小さな羽のついたお気に入りのリュック。グーマちゃんのストラップが揺れている。
ちなみにこの世界でのグーマちゃんはポケモンみたいなゲームのキャラクターらしい。位置付けでいうとピカ○ュウに当たる感じかな?
「さて。お誂向きに『かれら』が一人でやって来たな。クロウ。
「えっ?」
エントランスに入った辺りでいきなり交代させられた。
「え、おい。ハンクっ!」
『騒ぐと他の奴もおびき寄せるぞ? 手早く仕留めろ』
よたよたと歩く『かれら』は成人女性っぽい格好をしていた。
「ハンク。やらないのか?」
「あ、いや。その……」
「?」
胡桃が怪訝そうに聞いてくる。ハンクの奴、説明も無しとかマズイだろ。悠長に説明なんかしてたら接近し過ぎてしまうし。
『出来ずにお前がやられれば、どのみち彼女達も長くはあるまい。覚悟を決めろ』
感情を感じさせない口ぶりは、最初に交わした頃のようなものだった。奴め、本当に試金石にしようとしてやがる。
「お、おお……やってやる」
そう呟くと手に持った鉄パイプを握りしめる。廃材の中でも頑丈そうな物を選び、滑らないようにテープを巻いたこれは、既に何人もの血を吸っている。やったのは主にハンクであり、俺は一人も殺めてはいない。その覚悟を持たせるために、あえてやらせようというのだろう。
覚悟を決めて鉄パイプを構える。緊張で汗が滲みだすが、ガスマスクのせいで拭うことはできない。距離はおよそ八メートルほど。『かれら』が接近するまで待つのは良くないと思い数歩歩いて詰める。
「援護する」
「……いや、周囲の警戒をしていてくれ」
「……え?」
怪訝な声をあげる胡桃。だがそれに頓着している余裕は無い。黒いオーラを滲ませて迫りくる『かれら』。その身体は活ける屍だ。腕の部分に噛み傷があり、そこからゆっくり転化したらしい個体は、思ったよりも損壊が酷くない。だがその瞳は白濁し、口元は生ける者に噛みつこうと大きく開かれている。黒ずんだ汚れは血だろうか。口の辺りから胸元までを汚したそれは大層な出血を強いた結果だ。おそらくやられた奴もまた『かれら』へと変わっている事だろう。
こんな他人事のように物を言ってはいるが、俺自身はひどく混乱していた。握りこんだ鉄パイプはゆらゆらと揺れ、息は荒くなる。目の前で何度も見た光景だ。恐れる事はないと自分に言い聞かせる。
ああ、だが。
それはフィルター越しに見た物であり。
ハンクというフィルターが無い状態で迫るそれは、死そのものであった。
だから俺は矢も盾もたまらずに得物を振り抜いた。ハンクに言われていた通り、首の辺りを狙って。
ゴキィッ
だが、それは首には当たらなかった。ズレて頭頂部の辺りに当たっていた。大きく体勢を崩して倒れる『かれら』。
「うっ」
「ひ」
小さく呻くのはめぐねえと由紀だろうか。胡桃はさすがに黙ったままだ。
「お、おい。ハンク仕留め損なってないか?」
貴依が小さく慄えるように言った。
倒れた『かれら』がまだ呻いていたからだ。
その頭は醜く変形し、鉄パイプが当たった辺りは陥没していた。口から『かれら』自身の血が、ごぼりと垂れ流される。その様子は傍目から見れば婦女暴行の場面にしか見えないだろう。そう自覚すると、途端に手から力が抜けた。
カランッ……
静かなエントランスに鳴り響く金属音。その音に反応するようにうずくまった『かれら』が顔を持ち上げる。
「お、おいっ! ハンク、やべえぞ?」
「ハンクさんっ」
「九郎くん!」
後ろから悲鳴のような声が上がる。そんなに大声あげちゃあダメだよ。『かれら』がいっぱい寄ってくるよ? 完全にズレた事を考える俺は、すぐ間近で顎を開く化け物への対処が出来なかった。
有り体に言えば、フリーズしていたのだ。
動かしたくても身体は全く言うことを聞かず。ゆっくりと『かれら』の牙が太腿に食い込むのを黙って眺めていたのだ。
「だああっ!」
その刹那。横合いからシャベルの平で『かれら』を叩き剥がされた。胡桃は倒れた『かれら』を踏み付け、その首にシャベルを刺し込んだ。
はは……さすが。原作では何人もの『かれら』を葬ってきたゴリラさまだ。俺なんかとは違う。『かれら』の訳のわからない恐怖に怯えて動けない俺なんか……。
『後ほど追試だ。愚か者め』
ハンクの呆れたような言葉と共に、身体の指揮権が彼に移った。と、同時に恐怖から開放された。
「おい、ハンク。噛まれてないよなっ?」
「手助け感謝だ、クルミ。俺の方は万事問題ない」
そう言って彼は噛まれた右の太腿の部分を見せる。破れたズボンの下にはタイツを履いているらしく、そこには傷は見当たらない。
「アラミド繊維という防護素材だ。人程度の咬合力ではどうにもならん」
かの作品、『刃牙シリーズ』のジャック・ハンマーの咬合力にも耐えたアラミド繊維なら『かれら』対策には有効だろう。そう思い、ボディーアーマーとタイツを用意しておいたのだ。今にして思えば、これ着てるなら大分有利じゃないのか? 少なくともむき出しの部分以外は噛まれても傷は受けないよな。
『そんな事も分からんほどテンパっていたのか。俺がなんの策もなしに放り出すわけあるまい』
……失敗しても大事にはならないだろうとの親心。誠に有り難くは思うけど、出来れば説明が欲しかった。そうすればこんな醜態は晒さずに済んだのにぃ。
そんな俺の落胆を気にしない様子の彼は、女性陣に気さくに声をかける。
「スマンな。クロウにも場数を踏ませたかったのだが、アレは
「……なんだよ、そりゃあ」
「ハンクと九郎って、本当に別人格なのか……」
「九郎くん……」
「ハンクさんっ、大丈夫なの?」
「ああ、
抑揚の無いハンクの言葉には絶対の信頼があるのか、みんながほっと息をつくのが分かる。
「ミッションの最中だ。まずは上階の偵察へ向かう。隊列を組め」
ハンクの命令にみんなが頷き、二列に並ぶ。先頭はハンクと貴依。その次に由紀とめぐねえ。最後は胡桃だ。懐中電灯は貴依とめぐねえが持って前後を警戒する。アタッカーは当然のようにハンクと胡桃だ。由紀ちゃんは……撤退する時にブザーを投げる係だ。
『五階バックヤードの仮眠室に彼女たちは居るんだな?』
そう問いかけてくるバンクにそうだと俺は答える。
『ただ、変わってるかもしれない。原作と違うんで』
パンデミックからしばらくの間は、映画館の生存者たちは生き残っていた筈だ。あの二人もその中にいる可能性が高い。あの仮眠室に行っていない可能性もある。その場合はどうするか。
『まずは確認してからだ。だが、こちらにもそれほど受け容れる余裕が無い事は覚えておけ』
学校はそれなりに広いし水や電気もいちおう使えるけど、それはあくまで少人数でやり繰りしての話だ。避難民全てを受け容れるだけのキャパシティは無い。
『生存者同士で対立する可能性も考慮しておけ』
場合によったら直樹美紀や祠堂圭の保護も出来ないかもしれない。それでも、原作キャラはなるべく助けたいと考えてしまうのが、原作を知ってる俺の
ホールから上に伸びるエスカレーターは当然のように停まっている。天窓から射し込む光が見えない空間には、おそらくかなりの数の『かれら』がいる筈だ。それでも上に向かうにはここを通らねばならない。正確には上に向かう階段は別にあるのだけど、それは奥まったエリアにあるので遠回りだ。
「では、諸君。探索開始だ」
ハンクの号令のもと、一行は上へと進み始めた。
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モールでの一幕
追記:
誤字報告、ありがとうございます。
何度見直しても出てくるんだよ、誤字って(笑)
「ゴメン……私のせいで……」
私の意味のない謝罪を、彼女は何度目かの同じ返事で答える。
「もういいから。圭のせいなわけ無いでしょ?」
少し苛立ちを見せる親友に、それでも私は謝りたかった。私がここに行こうなんて言わなければ。私の気まぐれで、映画を見ようなんて言わなければ。少なくともこんな閉塞した場所に閉じこもる事なんて無かったのに。
あの日。
私たちは家に戻らずにショッピングモールへとやってきていた。本来の目的は買い物だった。私はお気に入りの新譜のCD、美紀は何だかよく分からない洋書を買いに。
買い物は早々に終わったけど、私はなんとなく帰りたくなかった。ウチにはどうせまだ親は帰っていないハズ。美紀の所はどうかは知らないけど、暇つぶしに映画を誘ったら即答だったから、たぶん用とかは無かったんだと思う。女同士で恋愛映画も無いと思って、アクションものにした。どこかの国のエージェントが、一人で巨悪と戦う。そんなありきたりな内容だった。
映画が始まって一時間くらいした頃に、いきなり電気が点いて驚いた。映画やってるのになんで? と思ったら『避難して下さい』との放送があった。火事でもあったのかと思い、スタッフさんに聞いてみると何やら慌てた様子だった。ともかく避難路から非常階段で表に出て下さい、との事なので二人で他の人の後を付いて行く事にした。
「火事……にしては変ね」
「そう? ベルだって鳴ってるし」
「煙の匂いがしないし……」
美紀はそう言っているけど、ここと違う階なら登ってこないかもしれないし。頭でっかちだなぁ、と内心呆れながら避難路を進む。いわゆるバックヤードという道を抜けて、非常階段に繋がるドアはすで開けられていた。
そこからは表の日差しが見て取れた。そろそろ夕方になろうという時刻で、辺りは夕焼けのせいで真っ赤に見えた。
「うわっ! 何すんだ、コイツッ!」
「や、やめてぇっ!」
「お、おいっ! きみ、止めないかっ」
開放型の非常階段の下の方で、そんな諍いの声が聴こえる。ああ、こういう状況になると必ずいるんだよね。揉め事を起こす人が。足踏んだとかどうせそんな程度でしょ? そんな事よりさっさと降りてくださいよ。
心の中の愚痴は功を奏せず、避難は遅々として進まない。それどころか諍いの声がどんどん膨れ上がっていった。
「いや、ちょっと押さないでっ!」
「あっ、アーッ!」
「ひ、ひとがぁ落ちたわよぉっ?」
下の階での喧騒は留まるところを知らず、弾き出された人が手摺から先に押し出されて下に落ちる。私はその場面を見てしまった。
「ぃっ?」
落ちる人にしがみつく、別のひと。その人は……噛み付いていなかった? 思わず逸らした先の平面の駐車場では走って逃げる人がいた。それを追いかける様にゆっくり歩く集団。何がなんだか分からないので聡明な親友の方を見る。彼女ならこの事態を理解できているだろう。私と違って頭がいいのだ、美紀は。
「……え? なんで? 人が?」
端正な顔を青ざめさせて、彼女は呆然と呟いていた。あ、こりゃあアカン。処理出来ずに落ちたカンジだ。
前にいた人達が慌てて戻ってくる。当然のように通路に空きはないので押し退ける様に来るわけで。「ドケェッ!」と二人まとめて通路の端に押し付けられてしまった。
「ちょ……ひどいな。コッチは乙女だぞぉ?」
「だ、大丈夫? 圭」
フリーズから解けた美紀が声をかけてくる。親友の気遣いに感謝しているとまだ上がってくる人がいた。
「え……?」
その人は。
虚ろな目をしていて。
歩き方もたどたどしく。
その首筋からは夥しいほどの✕✕✕✕✕が……。
「ひっ……」
美紀の引きつるような声。
その声に、その人が首を向けた。
ゆっくりとこちらに歩を進めてくる。
美紀は先程よりも顔が青褪めていた。
「に、逃げよっ」
「あ」
咄嗟に美紀の腕を掴み、駆けだそうとする。建物の中に戻る以外道は無いけど他に行ける所はない。
「あいたっ!?」
「け、圭? どうしたの?」
踏み出そうとした右足にかなりの激痛。さっき押し付けられた時に捻じったか、踏まれたか。折れてはいないと思いたいけど涙が滲むほどに痛いので確証は持てない。このままだと走るなんて無理だ。
「グア……」
取り残された私達を睨めつけるような光を宿さない瞳。果たしてあれで見えているのか分からないが、こちらに近寄ってくるところを見るにそれなりには見えてるようだ。
「……美紀。逃げて」
「お、置いてなんていけない」
そりゃあそうだろう。あんなに首から血を流して、口元を血で染めたひとが。「大丈夫ですか? ここは危ないから避難しましょ?」なんて言ってくるはずもない。
でも、今の私には走ることは出来ない。彼女の足手まといにしかならないのだ。
「誰か呼んできて。ね、警備員さんでもスタッフさんでもいいから」
「けい……」
そう言って通路に押し出す。
彼女は少しだけ迷ったけど、通路に向かって走り出した。ゆっくりとやってくる人の後ろ、非常階段からは次々と『かれら』がやってくるのが見えた。下の階での騒乱とは、そういう事だったのだろう。
痛む足を引きずりながら、少しでも距離を取る私だけど、やってくる『かれら』の方が僅かに早い。
「カッコつけ過ぎちゃった、かなぁ」
さっき見たアクション映画でのワンシーン。
安っぽいヒロイズムを刺激されて、親友を助けるために我が身を捧げるなんてどうかしていたのかも。
「あうっ」
痛みに躓いてしまい、通路に倒れ込む。
いま、制服なんだよなぁ。パンツ見えちゃってるかも。みっともないなぁ。
最後の瞬間にこんな事考えてるなんて、美紀が聞いたらどう思うかな? 呆れるかな? それとも笑ってくれるかな?
さっきまで必死に逃げていたのに急にどうでもよくなった自分がいた。諦める事には自信のある方だ。結局、私なんてこの程度だったのだろう。
「けいに、触るなぁーっ」
幻聴が聴こえた。その後にゴツンというすごい鈍い音。仰ぎ見ると、そこには逃げた筈の親友の姿があった。
※
私の親友は、気まぐれだ。
行動するのに計画性はほとんどなく、気分次第で行く所はころころと変わる。その無邪気で適当なところに何度振り回されたことか。
それでも友人付き合いを止めるということは無かった。気難しい私と正反対な彼女とは不思議とウマが合うようで……一年生の頃からよく行動を共にしていた。
怪我をして走れないのは分かるけど、自分を囮にして私を逃がそうとするとは思わなかった。だから、私だって逃げるつもりは無かった。何も無ければ、圭を守れない。
確証はない。
でも、人がああいうふうになる映画は見た事があった。映画『ゾンビ』の中での化け物達は、元々は人間だ。それが噛み付かれて伝染し、どんどんと増えていく。倒すためには頭を潰す以外にない。
もし、アレが原因で避難が始まったのであればこのモールの中は既にかなりの数のゾンビで溢れている筈だ。だとするとここで逃げても助かるとは思えない。
こういう建物には必ず通路に設置されている物がある。私はそれを掴むと来た道を戻った。
片手では持てないので把手を右手で、左手で底のあたりを支えて。わずか十メートルそこそこの筈なのにすごく遠く感じた。
彼女に覆い被さろうとするそいつに、私はそれを思い切り投げつけた。赤い色の重い鉄製のボンベ、消火器は違わずにそいつの頭に当たってくれた。もんどり打って倒れる側で消火器が壊れたらしく激しく消火剤を撒き散らし始めたので、圭を立たせて肩を貸す。
「ほらっ、さっさと逃げるわよ。パンツ丸出しだよ?」
※
あ、やっぱりそうだった?
そうは言いつつ埃を叩いてくれたりスカート直してくれたり。やっぱり我が友は世話好きだ。
それが講じて猫カフェでは嫌われてしょげてたりもする。動物は構い過ぎると嫌がるからね。私はそんな事は無いのでお礼を言う。
「……いやあ、やっぱ美紀のパンツは大人っぽいなぁ」
「バッ……今日のはそんなでは無いよっ?」
美紀基準ではレース多めでも面積さえ確保してればエロくないらしい。解せぬ。
美紀に立たせてもらうと来た道を戻り始める。バックヤード故かドアが幾つか見えるけど、どれも開かない。よく見れば電子制御キーの所ばかりだ。その内の一つだけ、開いているドアがあった。幸いにして誰かのサンダルが引っ掛かっていたようだ。
なだれ込む様に部屋に入り、美紀がサンダルをどかして扉を閉める。カシャンというロックの音がする。
ドンッ、ドンッ
「ひ……」
「圭、静かに」
私に覆い被さるようにしてクチを塞ぐ美紀。
その言葉に従って黙ると、暫く叩かれた後に音は止んだ。
「……行ったかな?」
「たぶん」
美紀が手をどけてくれたのでほっと一息。
部屋の中は、とりあえず必要そうな物は取り揃えて置いてあった。小さな冷蔵庫には冷えた水のペットボトルが六本に、ミセスドーナツの袋。中身はふわふわ系のドーナツが四つ。あと、栄養ドリンクのような瓶が六本。
また、洗面台の側にある棚には乾パンやパン等の缶詰もいっぱいあった。カップラーメンは箱で三つほど。でも全部同じ味なのは如何なものか?
簡素なソファーに座ってローテーブルに戦利品を並べる。ちなみに足が痛いので探したのはほとんど美紀だ。
「救急箱が無いなぁ」
「腫れてはいないから、たぶん大丈夫だと思うけど」
「持っていかれたのかも。なんかこの辺、散乱してるし」
足をひょこひょこさせて見に行くと、奥のスペースは確かに散らかっていた。ノートパソコンが繋がっていたであろうコードがあちこちに広がって、机に置かれた書類や小物も床にばら撒いてあった。
「……ひょっとしたら。この部屋って」
美紀が落ちていた書類を眺めてからそう呟いた。私が見てもちんぷんかんぷんなんだけど。
ピリリリッ!
「「わっ?」」
いきなりの電子音に驚く私達。落ちていた書類の下に携帯が隠れていたようだ。今ではあまり使われなくなったPHSらしきそれは、誰かが出てくれる事を心待ちにするように鳴り続ける。
「で、出てみる?」
「わ、わたし?」
美紀が困ったように眉をひそめる。そうだよねー、初対面の人とか話しづらいもんね。仕方ないので私が拾って通話ボタンを押す。
「もしもし?」
「! 支店長っ? あれっ? 女の子?」
「はい。巡ヶ丘学院高等学校の生徒ですが?」
「なんでJK? と、とにかく安藤支店長は? なんでこのピッチ持ってるの?」
電話口の人が聞いてくるので、とりあえず経緯を説明した。映画館から逃げる最中に変な人に追われて逃げ込んだ部屋からかけてる事を伝えると、向こうは愕然としていた。
「えっ……いない? こんな緊急事態にっ?」
「なんだか慌てて出ていった感じみたいですよ? 色々散らばってるし」
「はあ……なんだよ、もう。責任放棄じゃねえかっ!」
途端に向こうの人がやさぐれた言い方で愚痴った。そう言われても、私達も被害者だしなぁ。バツが悪くなったのか、彼は気遣うように話しかけてきた。
「いいか、お嬢さん。部屋の中に居て、ゼッタイ出るなよ。なぁに、すぐに警察とか来て助けてくれるさ」
声の感じからすると三十代くらいかな? 少し苦しそうな声をしているので聞いてみると、あの人たちに噛まれた所が痛むらしい。
「なぁに、手当もしたし、この程度なんてこたぁない。そっちは平気かい?」
「足を挫いただけです。友人はピンピンしてますし」
「そいつは良かった」
それから彼は、自分がここの職員だという事。いま、二階の専門店エリアに避難していること。他にも何人かいる事を教えてくれた。
「少し休憩したら上を目指してみようと思う」
「無理はしないで下さいね」
「子供が気ぃ使うんじゃないよ」
そう言って通話は切れた。電池が少ないとの事らしい。
「良かった。生存者が来てくれるって」
頼もしい男性の声に安堵する私。でも、美紀の顔色はあまり良くない。
「たぶん……いや、なんでもない。と、とりあえずなんか食べよ?」
このとき私は気付かなかったけど。
美紀は既に、彼らが来ることは無いと確信していたのだ。
事実、彼の番号からは二度とかかっては来なかった。
避難している部屋が原作とは違っています。これは圭の気まぐれでルートが変わったと思っていただければなぁと。
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『かれら』の疑問と救出
更新が遅くなって申し訳ありません。
今回の遠征、実のところ食料は二の次である。八人のうち二人は子供。さらには女子ばかりという事もある。持ち込んだ食材と職員室や校長室などに備蓄された物を合わせるとそこそこな量でもあり、一週間程度であれば十分持つはずだ。
そんなわけで今回の第一の目的は、ズバリ服飾品の入手にある。
悠里や俺のように自宅から着替えを持ち込めた人間は別として、めぐねえや由紀、貴依、胡桃などは着替えはほぼない。いちおう備蓄の中にジャージや下着などはあってもそれはあくまで間に合わせ。洗濯をしても替えが2、3着しかないとか男でもキツいと思う。まして女子ならばかなりなストレスになるはずだ。
『三階は防火シャッターが降りていないようだな』
二階は吹き抜けエリアの手前にある防火シャッターが降りていて、時折向こう側の『かれら』がぶつかったり叩いたりしていた。横には扉があるのだけど、『かれら』にはドアノブを回す事は出来ないのでそのままの状態になっているようだ。
対して三階はそれが降りていないため、『かれら』が自由に動いていた。それなりに数がいるのだが、ハンクと胡桃の
各々のショップには個別のシャッターがある。それが降りてる所もあればそのままの所もあった。電気が落ちているようでスイッチを押しても上がらない。よってその店には入れないので、意外と回れる店舗は少なかった。それでも、目的のティーンズ向けの店がいくつかあったのは僥倖だろう。
「あ、あの。わたし、大人なのでこういうお店は……」
「だいじょぶ、だいじょぶ♪ めぐねえ、若いしカワイイから」
店内に並ぶミニスカやホットパンツにたじたじなめぐねえ……あると思います(笑)
そんな空間に男が存在できるわけも無く、俺は早々に離れる事にした。フロアの『かれら』はほぼ殲滅してあるし、胡桃もいる。いざという時は何とかしてくれる筈だ。
『解せんな』
ハンクが頭の中で独りごちた。
彼は四階の吹き抜けから落ちてきたと思しき死体を隅に寄せていたのだが……頭が割れて腐敗し始めた死体をそのままにしておくのは精神衛生上良くないと見えない辺りに動かしたのである。
ちなみにこの辺で倒した『かれら』も一緒にまとめている。ちょっとした山になってるので数を数える気にはならない。
『気付かないか?』
そう問われたので死体を検分することにした。ハンクフィルターがあるので吐き気は大丈夫だ。そして、ハンクの言いたい事が分かった。
『腐敗……が遅い?』
『そうだ。『かれら』は死んでいるにしては腐敗の進行が緩やかだ』
バイオハザードにおいて、t-ウィルスによるゾンビ化した活性死体は外見上腐乱したような姿になる。程度の差はあれ体表の組織が崩れ、死後何日も経った死体のように見えるのだ。
がっこうぐらしでの『かれら』は、直後から腐乱死体のようには変化しない。アニメでは黒いオーラを纏っていたため、詳しくは描写されてはいなかったが、今まで見た『かれら』はそこまでひどい状態ではなかった。
例えれば『死後数日』。そんな感じだ。
『季節を考えればこの死体のように腐敗するのが当たり前だ』
確かに落下した死体の腐敗はかなり進行している。蝿が少ないのは有り難い。
対して倒された『かれら』に、蝿が集る事はない。まるでそれは彼らの食料になり得ないとでも言っているようだ。
『ラクーンでは上も下も活性死体だらけだった。酷い悪臭だったようで、同僚などは『ヘリの上からでも臭う』と喚いていたほどだ』
翻って考えてみると、そこまでの悪臭を俺たちは感じてはいない。確かに臭うが、これほどではないのだ。
『こいつは非感染状態だったのだろう。転落して死んだ。だから感染しなかった』
死んだ者には『かれら』は興味を示さない。たぶんその証拠とも言える。
しかし、こうして比較してみると『かれら』と普通の死とでは明らかな差が浮き彫りになる。
『何か関係あるのかな?』
『それはジーザスの管轄だ。もしくは、お前の管轄だ』
トン、と胸を押されたような感覚。あくまで感覚なのだが、たぶん、ハンクがやったのだろう。
『この世界の異端者なのは同様だが、お前の方がより根深い位置にいる。ただの
……なんかいいこと言ったフリして、逃げられた気がした。
しかし、彼の言う事も尤もだ。俺はこの世界に生を受けた人間である。中身が違うとしてもそれは変わらない。
ちらりと見比べてみる。
体表の組織が崩れ始めウジが湧き始める死体と、損傷はあれど腐敗の進行の殆ど無い『かれら』の死体。
真っ当な世界観で言えば、普通の死体の方が正しい。生き物は死ねば腐って朽ちていく。それが無い『かれら』の方が薄気味悪い存在なのだ。だが。
そんな『かれら』の方が見た目には優しい。そう感じてしまう自分に、少しウンザリした。
『考察も結構だが、上の階への偵察はどうする?』
そうだった。
もう一つの懸念すべき案件があった。
四階も防火シャッターで覆われていて入る事は出来なかった。原作では五階のバックヤードに居たはずなので素通りしてフロアを眺める。五階の半分ほどは映画館のエリアであり、そこはシャッターも閉じていない。映画館の扉が開いているが、そこには近寄らない。生存者のコロニーがあった所だが、そこが開いているという事は……そういう事だ。
彷徨く『かれら』を手早く撃退しつつ、音は常に最小限。学園生活部の面々を連れてこなかったのは、この動きについてこれないからだ。あらためてハンクの驚異的な戦闘力に驚く。
映画館の横に両開きの扉があり、そこは開放されていた。バックヤードへの扉である。この辺を彷徨く『かれら』はスタッフのような格好をしている奴が多い。そうなってからもお仕事に精を出すとは、日本人とはかくあるべしか。
『日本人は働きすぎだ』
ツッコミ、ありがとナスw
いくつもあるドアの殆どが開け放たれていた。そのうちの一つに強烈な既視感。
『まさか……』
内心緊張してはいるものの、体の主導権はハンクにある。彼は冷静に中を確認。と、同時に鉄パイプを突きこむ。
「ぐぁあ……」
口内から頸椎を折られた『かれら』が静かに倒れた。すぐ脇にいた『かれら』に驚きもせず、鉄パイプから手を放すと頭を掴んでグリンッと捻る。おお、ネックツイストだ。少し感動していると奥から近づく『かれら』に対して左のローキック。体勢を崩すと右の回し蹴りが首の骨を叩き折った。
『クリア』
ハンクがそう呟くように報告する。部屋の中は荒らされた様子はあまりなく、『かれら』がここに侵入してからあまり経っていない事が分かった。
ここはあのアニメでの
『ここに避難していない……やっぱり』
『別の部屋にいるかもしれんが……ココがやられているのなら似たような状況かもな』
相変わらず感情のこもらない声で答えるハンク。少し苛つくが、確かにそうかもしれない。映画館に避難していた筈の生存者グループもいないところを見るに、ここの『かれら』の侵攻は思ったよりも深刻だったのかもしれない。だとすると──。
『携帯電話か。随分古そうなタイプだな』
斃した男の胸元からこぼれ落ちたPHSにハンクが興味を引いたらしい。社内連絡用の電話だと答えると、彼は電源を入れてみた。
『ふむ、電波が入るな』
『あ……ホントだ』
二本だけどアンテナが立っている。ハンクに代わってもらい、試しに外線で学校の職員室にかけてみる。
しばらく待っても繋がる様子は無い。どうもこの中だけでしか繋がらないらしい。
ならばと、着信履歴と発信履歴を調べる。着信の方をリダイヤルしてみたが応答は無かった。だが、最新の発信履歴からかけた方は反応があった。
『も、もしもし……?』
声音からするとかなり若い女性。もしかして巡ヶ丘学院高校の生徒かと聞いてみる。
『お兄さんっ! 無事だったんだね!』
なんだか、いきなりテンションが上がったようだ。それに、この声は……。
『美紀ったらもう死んじゃってるとか言うし。ほら、ちゃんと生きてるじゃん』
『え……ええ? そんな筈は……』
『あの店員さんのヒーローぱわーは凄かったんだよっ! ちゃんと助けに来てくれたんだもの』
ああ、間違いない。どうやら別の場所に避難していたようだ。ただ、俺を誰かと勘違いしているみたいなので訂正しておく。
「このピッチは拾ったんだ。使えるか確認したら君が出たわけだけど」
『へ? 言われてみたら、声がちょっと若いかなぁ? えへへ、ごめんね?』
「いや、別に謝らなくても」
どうやって拾ったかを誰何することもなく、人を間違えた事を謝ってきた彼女。さすがフィーリングで生きる感性の人、祠堂圭である。
『ちょ、圭。代わって』
『え、もう、いきなりなに?』
『もしもし、あなたは何処のどなたですか? 私たちを救助に来た警察の人ですか?』
強引に電話を奪ったのか、直樹美紀が電話口で詰問口調で聞いてくる。この少しキツめの感じ、懐かしい。
「生憎だけど警察とか救助隊とかじゃない。巡ヶ丘学院高校に避難している元卒業生だよ」
『……なんでここにいるんですか? 学校からは離れてますけど』
お? さすが
「佐倉先生と生徒の何人かで物資の調達に来たんだ。知ってるか? 現国の佐倉先生」
「……その程度の情報なら卒業生でなくても得られます」
「嘘をつくつもりなら、救助隊とか言うと思うけど?」
「その電話の持ち主の方はどうなりました?」
「ご想像どおりだと思う」
『……そう、ですか』
いちおう納得はしてくれた様子だけど、あまり長いこと話してもいられない。このPHS、電池がもう殆ど無いのだ。
「学校に避難するつもりなら合流しないか? 君達以外にも女の子ばかりだし、ここよりは安全だとは思う」
少々ナンパ臭い言い回しな気もするけど、彼女たちを助けたい気持ちは本当だ。今のところ安全そうだが、行き詰まるのは確定だ。外に行くと言う圭と仲違いをして別れてしまう未来は辿りたくない。すると、その圭からも援護が入る。
『いいじゃん、行こうよ』
『そんな……簡単に決められないわよ』
『佐倉先生いるんでしょ? あんなでも大人なんだから頼りになるって』
……悲報。
あんなでも、扱いだったよ。めぐねえ(笑)
「悩むのは構わないけど電池が切れそうなんだ。せめて居場所だけでも教えてくれ」
そう言うと、美紀が悩みながらも答えてきた。電池切れでこの機会を捨てるというのはマズイと判断したのだろう。
「五階、バックヤードの支店長室です。確か、奥から三番目の少し大きめのドアです」
「ひっ……ち、近寄らないでっ!」
部屋に着いて開口一番美紀にそう言われた。
「うおっ、サバゲー? まるでバイオのハンクみたいっ!」
一方、圭の方はマイペース運転中だった。
『む……』
そしてハンク。知ってる人間がいたって照れてるなよ。
ともかく。
これで原作の学園生活部は勢揃いできた。
血濡れの鉄パイプを持って、ガスマスクを付けた黒尽くめの男……美紀の反応のほうが残当(笑)
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遠征からの帰還
やって来た人は、見るからに危険な人物だった。まるで映画やゲームから出てきたような現実感のない恰好。軍人、というのがたぶん正しいのだろうけど、その手には銃はなく、血で汚れた鉄パイプ。どこかちぐはぐな印象な彼は、中身も同じだった。
「ここに避難しているのは君たちだけ?」
「この部屋には私達だけです。他は出歩けなかったから知りません」
「私が怪我しちゃったせいでね」
「平気かい?」
ハンカチで包んだ足首を見て、彼は跪いて触っていいか確認をしてくる。見た目の無骨なイメージからはかけ離れた気配りに、少々気勢をそがれた。
「……骨は大丈夫そうだ。とりあえず冷やしておこう」
そう言って冷却スプレーをかけてから、固定するようにテーピングを施していく。その仕草が何だか手慣れてるので聞いてみると、彼は柔道をやっていた頃に覚えたと答えてきた。やはり格闘技の経験者らしい。
「ありがとう、えーと……」
「俺は半澤だ」
「ハンクだ」
「? えっと、半澤ハンク?」
「混ぜるな」
「詳しい事は後で話すけど、俺とハンクは別人と思ってくれ」
「……? よく分かんないけどアイコピー」
圭があの日見た映画で使われていた言葉で答える。ちなみにすぐに影響を受けるわりに英語は苦手である。
それにしても『半澤』と『ハンク』という二人分の自己紹介とはなんぞ? まるで二人分の人格が入っているとでも言わんばかりだ。もしそうなのだとしたら彼は精神疾患を受けている人間だ。まともな人とは言い難い。全幅の信頼をしてはいけない。
そう考えていると、彼は部屋の中をぐるりと見回して物色していいかと聞いてくる。
「元より私達の物じゃないですし」
「うん、ありがとう」
ガスマスクを外した彼が礼を言う。その理知的な瞳に先ほどの印象が間違いであるかと思わせる。狂人はこんな優しげな顔立ちになるものか? それとも、狂人だからこそなのか。経験の少ない私には判断が付かない。
彼はデスクを物色すると、私がまとめておいた書類に目を落とす。そしてパソコン周りを確認する。
「ここのパソコンは無かったんだよね?」
「はい。コードが散乱してましたし」
「君たちがここに避難したのはいつ頃か覚えている?」
「三日前の夕方……確か五時くらいです」
あの日の事は、今でも心に刻みつけられている。人が人を襲う恐怖にとらわれてあの日から一歩も外へ出られていなかった。幸いな事に部屋の中にトイレもあって、水も出る。とはいえこのままではいけないと思ってはいた。
「あの人が言ってたんですよ。『職務放棄だって』」
「それは確かにひどいな」
ぷりぷりと怒りながら言う圭に彼が同意している。だけど、それも仕方が無いと私は思う。常識的にはあり得ない未曽有の災害だ。その渦中にあって職責を全うする人など、おそらくほとんど居ない。自己保存を優先するのは人の本能だと思うし、当然の権利だ。
あれから三日。喧騒は二日目にはほとんど無くなって、テレビは砂嵐しか映らない。中継局がやられたか、放送局自体がダメになったかは分からないけど、BSの電波すら受信しない。
生き残ったとしても、何処からも救助が無ければ助からないと同じ意味だ。
すると、彼が下の階の様子を語り始めた。
「下の階の殆どは電気が落ちているんだ。避難用の非常灯は点灯てるけど。防火シャッターも開かないくらいだからメインの電源は落ちてるんだろうね」
「え……でも」
「そう、ここは電気が来ている。サブの電源は生きている。もしかしたら支店長はそこに逃げたのかもしれない」
書棚の中を真剣に見つめながら彼は言う。後になって気になったので見てみたが、そこには何もなかった。
※
『緊急避難マニュアルか……』
『ああ。たぶん、ここにもあったんだ。不自然なスペースに荒らされたデスク。支店長本人かどうかはともかく、その所在を知ってそこへ避難した人間がいる』
この巡ヶ丘学院高校は、というよりは巡ヶ丘市自体がランダルコーポレーションの息のかかった企業城下町だ。その影響は深く浸透している。例えば、俺が意見したくらいで学校の備蓄が増えたくらいである。父は学校に多額とはいかなくても寄附をしているので、そこを忖度したとも思えるが。
それはともかく。ランダルの支配下とも言えるこの街なら、彼等の支援体制が整えられていてもおかしくはない。
『では、行くのか?』
『正直気にはなるけど、みんながいるから難しいかな』
『そのとおりだ』
今は要救助者と学園生活部の引率がある。緊急避難マニュアルの存在を皆が知らない段階でそれに関わる者と接触するのはマズイ。それに、避難シェルターの場所も詳しくは分かっていない。だいたい予想は出来るけど、確定でない以上リスクの方が大きそうだ。
「ええと、祠堂さんだっけ? ほら」
「し、失礼します……重くないです?」
背中に乗っかる圭は、別段重くは感じなかった。しかしながら手で支えなければならないので戦うことは難しそうだ。持ってきた鉄パイプとリュックは美紀に渡しておく。
「途中で会う『かれら』は基本無視していく。リュックの中にサイリウムがあるからそれを使って誘導してくれ」
「はい」
言葉少なに返事をする美紀。やはり緊張しているようだが、ここまで来る間に動いて来そうな奴は間引いておいた。そんなに危険はないと思う……騒いだりしなければ。
「あのあの……やっぱアタシお荷物じゃないですか?」
しおらしい事を言ってくる圭。だが、それを理由に置いていくなんて出来ない。そんなことしたら美紀が病むに決まっている(キリッ)
「大きな声はNG。『かれら』は音に引き寄せられる。あと、目や鼻はあんまり効きがよくないから近づかないと分からない。だから、静かにね」
「はいっ! 分かりましたっ」
「わかってない(ポコッ)」
「あいたっ!?」
美紀が圭の頭を軽く叩く。同級生という気安さなのか、原作ではあまり見られない様子に少し頬が緩む。こういう直樹美紀は、たぶんレアだ。
「もう……笑わないで下さいよ」
「ああ、すまない。皆は三階で服を物色している。君たちも揃えた方が良いだろう」
「はっ? クンカクンカ……美紀? あたし、臭う!?」
「えっ? うーん……たぶん平気?」
「よかったー、兵器とか言われたら埋まるとこだわーw」
……誰がそんな上手いこと言えと(笑)
扉を出て、バックヤードから映画館へと向かう最中に一体の『かれら』がいた。美紀は手に持っていたケミカルライトを折って、そいつの足元に向けて放る。こういうとき誘導するために別の通路へ投げる者もいるけど、それは悪手だ。先の方にいる奴もおびき寄せかねないし、肝心の目標が釣られない可能性もある。
『あう……』
足元のライトに興味を引かれた『かれら』の後ろを、静かに走り去る。俺のブーツは軍の特殊部隊などが使うような静音性の高いものだからともかく、美紀はなかなかに音を消すのが上手い。あと、圭は口を手で押さえるのは止めよう。子供かよ。
吹き抜け部分に来ると先程倒した『かれら』以外に姿はない。止まったエスカレーターを使い、三階まで一気に降りる。そこへ懐中電灯の光が当てられた。
「誰だっ……て、遅いじゃないか、ハンク」
胡桃が哨戒に立っていた。早めに終わらせるつもりだったけど、意外と時間を食ったらしい。
「生存者は二人だけか。! 怪我、してるのか?」
「傷口は見たけど噛まれてないよ。ただの捻挫だ」
「そっか。大変だったな、お前たち」
リボンの色から二年生だと分かると警戒を緩める胡桃。圭を背中から降ろしながら言う。
「ここは俺が見てるから、胡桃は彼女たちをめぐねえ達に会わせて、物色させておいてくれ。たぶん着替えとか無いし」
「そ、そうだな。ほら、肩貸してやるよ」
「あ、ありがとうございます
」
「ありがとうございます、先輩」
「お、おう……困ったときはお互い様だからな」
面倒見の良い姉御肌の胡桃だが、実は後輩と呼べる子は陸上部には居なかった。年下の人間に呼ばれ慣れてないせいか、顔が少し赤らんでいた。それとも、アイツの事を思い出したか。
「にしても……やっぱ臭いな」
踊り場の隅に寄せられた『かれら』の山から臭ってくる死臭。上の階を彷徨っている時には感じなかったそれは、やはり鼻の曲がるような臭いだった。
それから後は、地下の食料品売り場でほんの少し食糧を物色。生鮮品は殆どダメだったけど、扉の閉じられた冷凍庫はまだ冷気が残っていた。火を通せば食べられそうなのでハンバーグやコロッケ、野菜系の冷凍食品をリュック一つに満載して背負う。ちなみに圭はめぐねえに背負ってもらった。力だけはあるので最適解だと思う。
こういった時にはケミカルライトは本当に便利だ。近くの奴は呼び寄せるけど、ブザーのように大きく響かないので他からの『かれら』の流入はしない。また幾つか補充したいけど、どこで扱っているのだろうか?(ちなみに今持っているものはこうなる前にネットで注文した物だ)
帰りも恙なく、学校まで戻った。
『では、降ろします』
「頼む」
近くに寄ってくる『かれら』を倒しつつ、悠里の操作するゴンドラが降りてくる。他のみんなは車の中で待機。胡桃だけは念の為に外にいるけど、近づく『かれら』の撃退は主にハンクの仕事だ。
『簡単に言ってくれるな』
頭の中でハンクが不平を漏らすが、既に商談は成立済み。今日の晩飯も味わう権利は彼にある。最近マトモにご飯、味わえてないな。まあ、いいか。安いものだ。
「悠里さん、どうぞ。こちらの指示で停めてください」
『はい、いきます』
一度に全員は乗れないので先に由紀、貴依、美紀、めぐねえを乗せてもらう。指示出しはめぐねえだ。その間、ハンクはまた二体の『かれら』を始末している。今日だけで初日に勝るスコアかもしれない。
こわいこわい、と喚く由紀に時間がかかったが、二度目のゴンドラが降りてきた。次に乗るのは胡桃、圭、そして俺と荷物である。
「いや、しかし。凄え量だな」
「女の子の服なんだから当たり前ですよ、センパイ」
「人数も多いしなぁ」
持っていったリュックやトートバッグでは足りずに店のビニール袋に詰めて持ってきたそれは、ゴンドラの半分を埋めている。帰りの車の中が狭かったのは気のせいではなかったのだ。
「よっ」
危なげなく飛び移る胡桃に、ゴンドラの荷物を受け渡していく。その間も圭は俺の背中だ。そのまま三階の窓に飛び乗ると、ようやく彼女を降ろすことが出来た。やっぱり、妙齢の人と密着というのは慣れないね。
「九郎っ!」
「九郎さんっ」
「おおっと、ただいま」
妹様と瑠璃ちゃんが飛びつこうとしてきたので止めた。いちおう噛みつかれてるし、不用意に触れて欲しくない。少し不満そうだけど、それより先にゴンドラの回収だ。悠里だけでは難しいだろう。
「! お帰りなさい、九郎さん」
「すいません、手伝います」
「ありがとう。さすがに重くて」
滑車とワイヤーがあるので自重ほどでは無いけど、やはり大きなゴンドラだからそれなりの力はいる。よいしょ、と引っ張ると内側に引き込まれ、定位置に固定する。メンテナンス毎に取り付ける場合が殆どだろうけど、ここは常に稼働できる状態で取り付けてある。たぶん、ソーラーパネルの保全のために必要だからだろう。
「ちゃんと戻ってきて……よかった……」
潤んだ瞳を押さえながら、悠里が呟く。
「ハンクがいるんですから、平気ですよ」
「今日の晩飯が楽しみだ」
俺とハンクの言葉に、彼女はくすりと笑った。
「今日はカレーライスですよ」
「日本式カレーライス! これは楽しみだっ!」
屋上から降りるとき、ふと青いビニールシートの包みに目をやる。アイツが臭わないのは、『かれら』になったからなのだろうな。いつか地面に埋めてやれる日が来るのだろうか。胡桃のためにも、早くしないとな。
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夜の街へ
「私は妹なのっ だから問題ない」
「うう……莉緒ちゃんずるいぃ」
「いや、莉緒もダメだからね」
「なんでよっ!」
年齢的にはそろそろそういう授業は受けてるはず。男と女が一緒に寝るという事の危険性は知ってるはずなんだけど……。ちなみに今の状況。就寝時間に枕を持った莉緒が校長室に突入、続いて瑠璃ちゃんも雪崩込んで今に至る……どんなエロゲ展開やねん。莉緒が一緒に寝てくれなんて言うこと、今まで無かったのに。
それだけ、ストレスを感じているという事なんだろうけど……流石に今の状況下でそれはキビシイ。
「そ、それじゃあ。私も一緒に」
瑠璃ちゃん追ってきた悠里さんまでそんな事言い出した。いや、アンタが一番アカン。
「と言うのは冗談ですけど。二人一緒に寝てあげたら如何です?」
「いや、それは」
悠里さんが出した折衷案……折衷案なのかな? より深い沼に嵌っていくような気がする。
「信頼してます。手を出したら責任を取ってくれるだけでいいので」
笑顔で怖いことを言う悠里さん。黒いオーラが無いところが余計こわい。
「お互い監視する立場なら変なこともしないでしょうし」
「むう……」
「莉緒ちゃんといっしょ? わあい、たのしみ♪」
「ふたりとも、九郎さんはお疲れなんだからちゃんと休ませてあげるのよ?」
とまあ、こんな感じでまとめられてしまった。悠里さん、パネェ……
『ようやく眠ったようだな』
『こっちまで眠りそうでしたよ』
校長室に持ち込んだ布団の中で、仲良く眠る子ども達。その間に挟まれて殺されそうだったのは、そう。私です(ドヤァ)
瑠璃ちゃんは比較的早く寝ちゃうのだけど、我が妹様は同世代の子よりやや夜更しが得意なようだ。珍しくコソコソと喋りかけてきて二時間近く眠らなかった。まあ、久しぶりに笑った顔を見られたのは良かった。
『今から向うか?』
『二十三時……まあ、いい頃合いかもしれないね』
そうと決まれば手早く準備をする。アンダーウェアに黒の作業着。編み上げブーツ、ガスマスクまで付けて『ハンク』装備が完了する。携行武器は折りたたみ式警棒とナイフ。威力は下がるが取り回しはこちらの方が早い。対人戦の可能性があるためだ。
『SAKURAも持っていこう』
ハンクが小さく呟いた。マジか……俺はリュックの奥深くに仕舞った包みを取り出すと丁寧にそれを開いた。
長く警察の正式拳銃だったニューナンブM60から代替わりしたリボルバー、S&W M360J。日本という比較的平和な国において警察組織の殆どが導入している回転式弾倉の拳銃だ。五枚の花弁に準えて5発の.38スペシャル弾を装填するそれは、対人戦闘においては十分に威力を発揮する。よく弱いとか使えないとか言われて忌避される事の多いけど、決してそんな事はない。
装填されているのは三発。あれからハンクが教えてくれたのだが、一発目が空砲というのはどうも俗説らしい。よく考えてみれば当たり前か。弾を間違えてしまう場合も有り得る。実包が入っていない拳銃なんて役立たずも良いところだ。
『でも、リボルバーなんて使ってたっけ?』
『M629なら試射した事がある。まあ、近距離なら問題あるまい』
本来なら試射したいところなんだろう。しかし、弾が三発しか無いのではそれは無理というものだ。ホルスターも無いので黒のジャケットの内ポケットにねじ込むと、校長室から静かに出ていく。
『屋上からロープで降りる。代わるぞ』
『あいよ』
訓練でロープでの登攀はやった事はあるけど、こういうのは専門家だろう。手早く手摺に巻き付け、あっという間に身を乗り出す。その時、一瞬だけアイツの包まったブルーシートが目に入った。
『?』
『どうかしたか?』
『いや、……なんでもない』
なんだろう。
違和感があったのだけど、それが分からない。考えている間にもハンクは見事な業で一階まで降りてしまっていた。
月明かりしかない校庭には、それでもチラホラと『かれら』がいたりする。もっとも、学生服や運動着の奴は居ない。夜間に詰める職員か、それとも関係のない奴なのか。何にしても昼に比べれば数は圧倒的に少ない。
駐輪場に行くと何台かの自転車が放置されている。誰かのを拝借してもいいのだけど鍵を何とかするのは手間がかかる。なので職員用のものを使うことにした。
学校の設備の一環として常備されてあり、鍵は職員室に管理されている。ちなみに申請すれば生徒も使える。ただ、使った事のある生徒は少ないと思う。何故ならでっかく『巡ヶ丘学園高校』と書かれた札が付いているからだ。
『いいセンスだ。ステイツなら使う奴も居るだろう』
『お前、アメリカ人舐めすぎだろ?』
漢字付いてれば何でもいいわけじゃないと思うぞ、たぶん。それはともかく、ハンクは自転車に乗ると走り出した。
『ハンクがママチャリ乗ってる姿を思い浮かべるとすごくシュール』
『向こうではほぼ見ないからな。日本独特の物に触れられて、俺は感動している』
『ガチトーンで喜ぶの、やめて』
日本より広いアメリカではママチャリは殆ど見られないらしい。あとセキュリティ面でも不安があるので、ロックの掛からないカゴとかあり得ないのだとか。
ところ変われば、いうやつなのだろう。ハンクは思ったよりも遅い速度で自転車を駆っていく。角は大きく回るし、度々止まって確認したりしている。
『常に死角を意識しろ。あいつら自身は音を殆ど立てない。視覚頼りな人間には夜は相性が悪い』
角からのそりと現れた『かれら』に俺は驚いた。あのまま進んでいたら奴の前に飛び出していたわけだ。彼は落ちていた缶を拾うと反対の道へと放り投げる。カラーンと金属音が響き、『かれら』の注意がそちらへ引きつけられる。そちらへ歩いていくのを確認すると再び自転車を漕ぎ始める。
『なんか……意外だ』
『実戦とはこんなものだ』
警戒に警戒を重ねて、安全を確保しつつ行動する。実際の戦闘にかかる時間より要する時間ははるかに多い。そのおかげで無駄な戦闘をせずにモールに辿り着くことが出来た。
『地下区画と言っていたな?』
『ああ。おそらく従業員用のバックヤードの先だ』
巡ヶ丘学園高校でも、その入り口は倉庫の先にあった。関係者以外が容易に近づけないエリアに作るのであればそうなる筈だ。
「くっそ! 繋がらねえっ!」
携帯電話を叩きつけるように置く。民生機とはいえ最新の衛星携帯電話なのだが、電波を掴むことは無い。彼が建物の地下深くでかけているという事は起因しない。増幅アンテナがこの施設には立てられてあるので繋がるはずなのだ。
なのに、電波は途切れたままうんともすんとも云わない。アンテナが壊れた可能性を考慮して屋内に出る事も考えたが、あんな所を通って無事でいられるとはとても思えなかった。
苛立ちながらも恐怖に慄える男には、このシェルターにいるしかなかった。シャッターの向こうには生ける屍が犇めいていて、とてもではないが先には進めない。
「くそっ。外部と連絡が出来れば」
このシェルターは会社の施設では無い。出資元の企業が作らせた本来存在してはいけないものだ。監視カメラで外部を何箇所かは確認出来るが、施設を動かす権限はなく、内線も通じてはいない。
連絡用の通信手段は置いてあった衛星携帯電話だけだ。PCにインストールされたメッセージアプリもあるが、こちらも接続出来ない。どうやらサーバー自体が死んでいるようで、社内イントラだけは繋がるがその先からはタイムアウトを繰り返すだけだ。
監視カメラから内に出入りする人間たちがいるのは知っていた。つまり生きている人間はまだいるのだ。居場所を教えれば、彼らに助けてもらう事も出来たはずだ。ここには当座困らぬ程に備蓄もある。
「慌てていなければこんなことには……」
社屋内で使用出来るPHSがあれば内線で繋げられたかもしれない。あれなら手当り次第でも施設内の内線で報せる事が出来た筈だ。いつの間にか落としていた事に悔やんでも悔やみきれない。
「くそっ」
手に持った重い物を眺める。それは映画などで見た事はあった。模造品を手に取り、楽しげに語る友人の事を想い出す。思わず涙が溢れてくるが、それを恥ずかしがる理由もない。ここにいるのは、自分だけなのだから。
「こんなもの……使えるわけないだろ」
P226と刻印されたそれは、日本においてはあってはならないもの。少なくとも一般人が手にしてはいけないものだ。そんなものがゴロゴロとしているこの施設は、何なのか。あのランダルコーポレーションという企業は……何なのだろうか。いくら考えても答えは出ない。いや、出ているのだが、そうは認めたくないのだ。
何故なら、世界的にも有名な製薬会社なのだから。そんな会社の関わる施設に、こんな物が置いてあるなんて理解したくない。それはつまり、これが必要になるという事態が予測されたからに違いないからだ。
「ま、まさか……外の奴らも、ランダルが?」
十五、六人くらいが一月は籠城出来る量の糧食。拳銃や小銃といった武装。さらに、塗り潰された箇所が多すぎて不安になる説明書が付随した薬品。
「そ、そうとしか……思えない」
パズルのピースが、次々と嵌っていく。騒動を見越したような緊急避難マニュアルもそうだ。管理者の周辺のごく少数しか許容出来ないシェルター。なんの為にこんな物を作らせたのか。考えるのも悍ましいが、それはつまり。
「……実験、か?」
大規模な感染が起きた際に、抗体を打つ事で生き残った人間の観察と記録。オンラインで観測しているか、出来なければ保存して事態収束後に回収か。いずれにしてもランダルが首謀者なら辻褄は合う……気がする。
ここの食糧が尽きるのが先かもしれないが、人数が少なくなればより長く生きられる。そのための……銃なのか。
「は……はは……ハハッ」
五十で支店長という役職について、これからどこまでいけるかと勝手な妄想をしていたが……しょせんこんなものだ。家族に大したサービスも出来ず、こんな穴蔵で朽ち果てるのか……
パンッ
カラン、どしゃ
思ったよりも軽い音が暗闇に響いたが、それを聞くことは彼には出来なかった。
前半と後半の温度差に風邪を引く……最近寒くなって来ましたね。皆さまもお体、大事になさって下さい。
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シェルターからの帰還
リバーシティトロンの地下階は食品売り場となっている。平時であれば生鮮品やらお惣菜やらがこれでもかと並ぶ。俺も何回かは買ったが、デパ地下と言っても差し支えない品揃えに狂喜した覚えがある。ほぼ自炊しない人間には品揃えとは大事なのだ。
そんな勇姿も今は昔。明かりの消えた地下階にはほんのりと生ゴミのような匂いが充満している。『かれら』は不思議なことに腐敗臭をあまり出さないので、これは生鮮品の類から齎されている。昼間は大丈夫だった冷凍庫のものも、今では怪しいものだ。
システム維持のための電源は冷却装置とは別になっているのだろう。緑の非常灯はきちんとついていて、その周辺に誘われるように『かれら』が二体彷徨いている。
一体の視線が逸れたタイミングでハンクが別の方に忍び寄り、後頭部へナイフを突き込む。もう一体が振り向いた時には彼の後ろ回し蹴りが頭にヒット。首があらぬ方向に曲がっているのでどうも一撃だったらしい。周囲を確認してから、布で血を拭い鞘に収めるハンク。
『やはり若干脆くなってるな』
『なにが?』
『『かれら』の骨だ。本来この程度のナイフでは頸椎を断ち切るのは難しい筈だ』
それはそうだろう。フィッシング用で刃渡りは十二センチ程である。頑丈ではあるけど太い骨をあっさり貫くのはたぶん難しいと思える。
『人なら頸動脈を切れば片が付くのだが』
『そうだね』
フィルター越しの映像なので見てられるけど、やっぱりこういうのは慣れないな。そんな事じゃダメだとは理解してはいるんだけど……ままならない。
ハンクは素早く移動を開始すると、奥への両扉へ手をかける。鍵などは掛からない扉なので、手で押すとゆっくりと開いた。生鮮品のエリアなので、ここは調理場だ。シンクにまな板やボウルやザルなどがぼんやりと見える。彷徨いていたのは職人のような格好の店員……お仕事ご苦労さまです。
「フッ」
下段の蹴りから姿勢を崩し、特殊警棒で首を叩き折るハンク。物陰からもう一人職員が現れるが、こっちはドライバーのようだ。ハンクに事も無げに処理されたが、手際が良すぎて解説が間に合わない。この間に周りの物にもぶつからないし、本当にこの暗闇で見えているかの動きだ。
『正確には見えてはいない。音の反響でおぼろげに分かる』
……また、おかしな事を言い出したよ。お前はNINJAか。
『NINJAに名前を変えたら受けると思うか?』
『頭が湧いたのかと思われるから止めた方がいいよ』
そんな軽口を叩くながら調理場を抜けると、倉庫のような所に辿り着く。幾つか非常灯があるが、『かれら』の姿は無い。そんな所に一つ違和感を放つもの。緑のランプのついた端末だ。その側にはシャッターがある。
『さて。ここからはどうする? マスターキーが必要か?』
そう言って彼は胸元のポケットを指差す。けど、ここはそういうのは必要ない。
『シャッターは手動で開けられますよ』
『what's? セキュリティにならんではないか?』
『人相手のセキュリティじゃないんですよ』
緊急避難シェルターの入り口は解除された後はロックは掛からないようになっている。『かれら』がシャッターを開ける事が出来ない事を見越してこうしたのかは分からないが、今はどうでもいい。ハンクが手を差し込み持ち上げると、苦もなくそれは開いた。
『電気が……あるな』
『ここは別区画扱いだからね』
中に入るとシャッターをまた閉めておく。『かれら』が入ってくると厄介だ。
中の通路には扉が幾つもある。先の扉の前に倒れた人影がある。腐敗臭のない所を見るに『かれら』だろうか? ハンクが蹴ってひっくり返す。身体にはいくつもの穴が空いていた。
『……拳銃弾、9パラか? 頭部の二発が脳を破壊しているな』
冷静に検死とかやめようよ。
『撃った奴がいる。下手だが武装しているのは脅威だ』
そう言って彼はSAKURAを取り出した。おいおいおい、銃撃戦とかマジかよ?
『位置関係からすれば奥の部屋だ。行くぞ』
『おい、ちょ、まっw』
扉には鍵はかかっていなかった。中から強い腐敗臭がする。一見すると事務室のように見える。その椅子の一つの床に倒れた人の姿がある。握っていたであろう拳銃が横に落ちていて、返り血が僅かにこびり付いている。
『自殺か。それに失敗したようだが』
『……え? ちゃんと死んでるじゃん?』
『結果的には死んでいるが、よく見てみろ』
腐乱した死体の頭部を見ろとかかなりなハードルを要求してくるハンク。まあ、フィルター越しだから問題は無いが……思い出したら吐きそうだな。
右の側頭部から撃っているようで、反対側から弾は飛び出たらしい。ちゃんと頭を撃ち抜いてるが、なんで失敗なのかな?
『『かれら』対策でも言ったが、脳幹や延髄、小脳を破壊しないと速やかな死は訪れない。ショックで意識を失ったならいいが、下手をすると失血するまで意識は残ったまま死を迎える事になる』
『……』
現実的なお話しを続けるハンクだが、俺は別の事を考えていた。それは彼の死に至る経緯だ。
せっかくセーフティルームにまで来たのに何故自殺をしたのか。見たところ噛まれた傷はなく、他の避難者も居ない。数えたわけではないが、学校と同規模だとすると十四、五人程度が二週間は生き延びられる程度の備蓄は有る筈。
すると、ハンクがぽつりと呟いた。
『NESTにも居たな。研究室やセーフルームで自殺したり、同士討ちをしたりした形跡があった。おそらく恐怖に耐えかねたのだろう』
狭い部屋に押し込められて、いつ襲われるか分からない恐怖に耐えるのは……確かに辛いかもしれない。アメリカでは自殺に銃が使われるケースが多いとも聞く。俺は心のなかで手を合わせた。
内部を調べてみると、おおよそ向こうと同じ程度の備蓄が確認出来た。非常電源で向こう三ヶ月は維持出来るらしい。
あと、銃器があった。やはりというか何というか。
「何故64式だ? ショットガンは無いのか?」
『やだ、ハンクがミリオタみたいになってる……』
正直、銃にはあまり興味が無かったので何を言っているのかさっぱり分からない。彼が言うには小銃は日本の自衛隊の物らしく、相当使い込まれた跡があるらしい。つまり払い下げだね。
対して拳銃はほぼ新品のものだそうだ。SIG P226が三丁に小型のスタームルガーmk.Ⅱが一丁。
『危機意識が僅かに緩いな。拳銃弾では『かれら』を止めるのは容易ではない』
『そうなのか?』
『howa64なら頭部に当てるだけで十分威力を発揮するが、P226ではうまく当てないと止まらない。威力が違うからな』
64式の弾丸は7.62x51mm NATO弾。やや炸薬が少ないらしいが、当たれば威力は高い。対して拳銃であるP226は如何にも非力なんだそうだ。それでもSAKURAよりは強いらしい……日本の危機意識ってやはり緩いのかなぁ?
『問題はどれを持っていくかだ』
『どれって……威力で言うなら64式なんだろ?』
『威力はあるが、やや難がある。それに弾丸も含めれば5kg弱だ。自転車で運ぶのは些か手間取る。ここはSIGとmk.Ⅱだろうな。弾丸も含めてもそこまでは重くはならない』
たしかに持ち運べる量には限りがある。そもそもここに来た理由は生存者の確認だ。武装や糧食に関しては学校の地下のシェルターにあるだろうし、優先度は高くはない。ただ、それでもこれだけは取っておいた方がいいモノもある。
『その薬品は無意味だと言っていなかったか?』
『
実際にはこの二種による大規模感染は起こってはいない。あくまで予防措置として確保しておきたいだけなのだ。保冷容器自体に無接点式の充電器が内蔵されていて、アダプターを持っていけば保存も問題は無い。あとは。
『奴のPCか』
ディスプレイに繋がるPCとは別のラップトップ。これもアダプターごと持っていこう。ログインパスなどは分からないが探った私物の中にメモ帳があった。そこに手がかりがあるかもしれない。
『ほう……監視カメラは映るのか』
ハンクは設置済みのPCを弄っている。セキュリティ面がザルなのは分かっていたが、付箋貼り付けておくとかダメでしょ。
『監視しか出来んか。
見たところモール内の監視カメラではなさそうだ。モール全体のカメラを確認するにはこのディスプレイではやりにく過ぎる。おそらくランダルの手配した別口のカメラなのだろう。暗視仕様なので緑色っぽい映像で分かりにくいが、何とか視認は出来る。
『各階の踊り場と正面玄関が二面、屋外は正面と駐車場入り口、搬入口に、シャッター前か。客を監視するための物では無さそうだな』
『お客様の安全はどうでもいいんだろうね』
『む……』
ハンクが四階の映像を見て考え込む。
『どうした?』
『いや……何か違和感が』
『?』
見た感じは変わってない。仕留めた『かれら』をまとめて、そこに腐敗した死体も重ねたのだ。視点が俯瞰した映像だし、緑色っぽいので見づらいが、特に変わったようには思えない。
『山がもう少し高かったと思うが』
『ええ? こんなもんじゃない?』
怖いことを言うなよ。仕留め損なって復帰した奴がいるとか洒落にならんぞ?
でも言われてみると、確かに少ない気がする。
『全て首は折った。復活したのなら突然変異かもしれんな』
ええ……?
バイオハザードじゃあるまいし……とは言いつつも有り得ないとは言い切れない。ウイルスは普通に変異するし。
ともかく、保存していた画像データをこちらのPCにバックアップしておこう。USBを繋いでコピー開始。その間に他の確認をする。
『これは衛星携帯電話だな』
『電波は……地下だから無理か』
『そうだな。これもいちおう持っていこう。ただGPSが反応するから電源は落として、と』
トランシーバーのような携帯電話の電源を落として胸元に滑り込ませる。とりあえず必要なものはこんなところか。
『安藤則比古……』
財布に入っていた免許証で彼の名前が分かった。享年52歳である。こんな穴蔵で死ぬ事になるとは思わなかっただろうし、彼に罪があるとは思えない。こんな事故を起こしたランダルの被害者に変わりはない。代わってくれとハンクに告げると、手を合わせる。
気持ち悪いし、吐きそうだけど。
でもせめて、安らかに眠って欲しいと願わずにはいられなかった。
帰還は朝方近くになってしまった。
掛けたロープを登っていったら、屋上に人影があって驚いた。
『リオか』
ロープを繋いだ手摺にもたれ掛かるように眠っている莉緒。寝床から消えていたのに気づいたのか、探しにここまで来たのだろう。
寒かったのだろうか、ブルーシートを毛布代わりにして包み込んでいた。我が妹ながら、豪胆としか言えないなぁ……それ、アイツをくるんでいたやつ……
『……!?』
『どうした?』
思わず絶句する俺に、ハンクは何を驚いているのか見当が付かないようだ。
屋上菜園の片隅に野晒しにされていた、アイツの姿が、無い。
「……どういうことだってばよ……」
思わず、そう呟いていた。
俺に理解力を下さい、マジで。
当方、銃器に関してはにわか勢でございます。細かい考察などがあればコメントなどでお願いします。
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うららかに見える昼下がり
『ハンク、どう思う?』
『どうと言われてもな。三通り考えられるが、聞くか?』
莉緒を抱き上げながら、ハンクに問いかける。妹の高い体温を感じて、少し安心する。感染しているかどうかはこの段階ではまだ分からない。
ちなみにハンクと入れ替わったのは、彼が嫌がったため。そこまで女性に触れるの嫌なのか? お前さてはホモか?
『俺は至ってノーマルだ、阿呆。まず一番目のケースだが、誰かが埋葬した。屋上菜園には埋められないので下に降ろしたか投棄したかは分からんが、これが一番納得がいく』
それはそうだろう。死体が勝手に歩くなど『かれら』だけで充分だ。考えてみればブルーシートの中身を
『二つ目は変異体となって再生……ないし変異して別の個体となったか。リッカーやらクリムゾンヘッドの例もある』
それが最悪な展開である。
『がっこうぐらし』での『かれら』がそういった変異をした例は無い。だが、本当にならないとは言い切れない。
『三つ目は、消滅だ』
『は?』
『t-ウイルスによる活性死体は活動を停止するとウイルスと常在菌などの作用で急速に分解される事が稀にある。俺もNESTでの任務の際に何度か見たな』
え……? それって、ゲーム的な表現じゃないの? 誰かが片付けてるんだとかネタにされてたけど、事実だったの?
『俺も俄には信じられなかったが、実際に見たのだ』
ええ……マジかよ。ウイルスこええ。『かれら』化させるのは細菌らしいけど、似たような事が起こる可能性はあるのか。
『二と三の複合型として、変異体による捕食行動によって消えた線も無いわけではない。Gが活性死体を吸収していた形跡もあったな』
『Gって……』
おい。あんなのが出てきたら簡単に全滅だぞ。銃火器なんかじゃ目も当てられん。レールガンやロケットランチャーなんてココには無いぞ?
『あくまで可能性の話だ。よく見ろ、土の跡があるだろう』
うっすら明るみ始めたので分かるが、言われてみると轍のような跡がある。これは一輪車……そういえばロッカーの横にあるな。
『それでゴンドラまで運んだのだろう。後は下に降ろした。下にはまだ手付かずの『かれら』の死体がある。紛れてしまえば分かるまい』
なるほど。確かに状況証拠は揃ってる。
『ともかく中に入った方がいい。ロープは後で回収しておけ』
それもそうだ。莉緒がどれくらい居たのかは知らないけど、夜明け前は冷える。よく見ると顔が少し赤いし。
階下に降りて校長室に戻ると、悠里がいた。こちらを見て驚くと同時に安堵した表情を浮かべた。
「九郎さん? あ……莉緒ちゃん」
「屋上で寝コケてましたよ」
「なんで、そんな所に?」
あー、言わなきゃいかん流れだよね。
「すみません、たぶん俺が抜け出したのに気付いたんだと。屋上からロープで降りたのでそこに居たんです」
「それじゃ、あなたのせいじゃないですか」
「はい、面目次第もありません」
キリッと眉尻を上げて怒られた。はい、まさに俺のせいです。
瑠璃ちゃんが起こされ、そこに莉緒が寝かせられた。
「ぅぅ……おはよう、九郎さん」
「ゴメンね、早くに起こしちゃって」
「ううん、いいの。だいじょぶ……」
素直なよい子だ。しゃがんで頭を撫でると気持ちよさそうに目を細めて、猫のようだな。そこに悠里の言葉が耳に入る。
「ちょっと熱があるわね」
「……くぅ……」
後ろを振り向き、莉緒の顔色を見る。顔が赤らんでいたのはやはり熱のせいか。でも、呼吸はまだ落ち着いているようだし。たぶん、風邪だろう……そう、思いたい。
「く、九郎さん? 顔色悪いけど大丈夫?」
「あ、いや。俺は平気……」
なんて言う前に、悠里が近付いてきた。
「うーん……熱はないみたいですね」
「あの、悠里さん?」
俺もいい大人なので子供にするようなおでこは無いでしょう。逆に熱上がるわ。
「わたし、保健委員もやっていたんですよ? 体温測るのは得意なんです」
「はあ……」
近頃の保健委員てのは体温計とか使わないのかね? それはともかく身体を離すと莉緒へと向き直る。
「今日は莉緒ちゃんの看病をして下さいね。毎日動いて大変でしょうから」
「……そうさせてもらいます」
瑠璃ちゃんを連れて表に出る悠里の一言に頭が下がる思いだった。
「あと。莉緒ちゃんに触る前に着替えて下さい。汚れ物も洗濯しますからまとめておいて下さい」
きちんと釘を刺してくるあたり、彼女の旦那は苦労しそうだと思った。当然、言わないよ?
「うん……くろう?」
お、目が覚めたみたいだ。莉緒の枕元に座り、取り急ぎ手指の消毒液で手を拭いておく。
「あんなとこで寝てるから風邪ひいたみたいだぞ?」
「むう……アンタが居なくなってたからじゃない……」
「それは、悪いと思ってる。ゴメン」
少し拗ねたような言い方。額を触れると僅かに熱を帯びているようだ。いつもはツインテールにしている髪も纏めただけなので印象もかなり変わっている。少し見ない間に、妹も育ってるんだなぁ。
「どうせまた、誰か助けてたんでしょ?」
「今回は間に合わなかったよ」
「そう……だからそんなシケた顔してるのね」
シケた顔って……お前が熱出したからだと言っても理解はされないか。やんわりとした表情を浮かべて、妹が呟く。
「アタシを一人にしないでよ?」
「……するわけ、ないだろ?」
「どうだか。ほいほい女の子ばっかり助けちゃってるし」
「それは結果論と申しましてね」
あれ? なんか、浮気を問い詰められる気分になってくるな。そんな気は全く無いのだが……言われてみれば、そうにしか見えないな(愕然)
「ぷ……くく」
莉緒が少しだけ笑った。いつもの、おしゃまな感じの、笑顔だ。
「アンタがそんな真似するわけ無いって知ってるけどね。かいしょーなしだもんね」
「ぐふっ」
久しぶりに妹と会話をした気がするなぁ。今日は朝飯はいらんかな。さっさと着替えて、寝よう……
「いっしょに、寝ないの?」
「いや、そりゃアカンだろ」
寝袋に潜り込む俺に莉緒が非難がましく言う。でも、熱出してる子供に添い寝はマズイよね? 倫理的にもだけど治りづらいでしょ。
「わたしがいいって言ってるんだからぁ」
「いや、でもなぁ……」
「いいから、来なさいっ」
「……はい」
うちの妹様は、押しが強い。
まあ、安心して眠ってくれたので……よしとするか。そして程なく俺も眠りに落る事となった。
目が覚めたのはお昼過ぎぐらいだった。まだ寝ている莉緒を残してスウェットに着替えて、職員休憩所に向かう。誰もいないので他の部屋も覗いてみると、職員室に圭と美紀が居た。
「あ、おはようございます。センパイ」
「ああ、おはよう……センパイ?」
「色々伺ったんですけど、イマイチ分かりづらかったんで。で、OBらしいのでセンパイと呼ぶことにしました」
その呼び名は俺のモノじゃないのだが……
「おはようございます、半澤先輩」
「ああ、おはよう。ゆっくり休めた?」
直樹美紀の方は、相変わらず若干壁を作ったままだ。だが、それが普通だと思う。圭の方が異常なのだ。恐るべし陽キャぱわー……。職員室に置いてあるCDラジオで音楽を聞いている。もちろん、あの曲だった。
「いい曲だね」
「でしょ〜? ビビッと来たから買っちゃった♪ お目当ての方は買えなかったんだけど」
……直情すぎるなあ、この子。思わず笑ってしまうが、美紀の方も苦笑いだ。
「……今の君たちがあるのは、その曲のおかげかもしれないな」
「え?」
「そうですね」
「ちょ? なに? ふたりして何わかりあってんの〜?」
英語の成績は、あまり良くないらしい。we took each other's hand……いい曲だよ。
「それはともかく。みんなはどこに?」
「おくじょーだよ?」
「菜園の作業をすると言ってました」
「ありがとう」
屋上へと向かう間にハンクを起こすと、彼は普通に返事をする。
『寝過ぎたな。少し頭が痛い』
『そんなでも痛くなるのか……いや、なるか』
俺もハンクに代わってもらってる間に経験した事がある。幻肢痛のようなものだろうか?
『見たところ、特に変わりはなさそうだな。やはり一番目か』
『だけど、いつの間に作業したんだろう?』
『それは一輪車の在処を知っている者に聞けばよかろう』
『あ……』
なるほど。悠里さんならありえるか。アイツの遺体を動かしたのも作業再開のためとも思える。流石に側に死体があるまま農作業は出来ないもんな。
屋上に着く。今日もいい天気だけど西の方に僅かに雲の塊が見えた。雨雲じゃなきゃいいけどなぁ。菜園では作業に勤しむ悠里と胡桃、めぐねえがいる。貴依と由紀は手摺の近くで座り込んで談笑していた。瑠璃ちゃんもお手伝いしたいらしいけど、貴依に抱っこされて動けないようだ。意外にしっくりくる絵に貴依の姐さん気質が見えるね。
「九郎さん♪」
「はんくさん、おはよー」
「もうおはようって時間でもないけどな」
手を振って近付くと瑠璃ちゃんが突撃してきたので受け止める。重心の低いいいタックルだ。体重軽すぎるけどね。
「よーし、アタシも♪」
「こらこら、子供と張り合うなよ。まあ、子供みたいだけど」
「あー、たかえちゃん。言うてはならんことをー」
「えへへ」
仲の良さそうな二人はそのままに、菜園の方へ向かう。へばり付いた瑠璃ちゃんを抱き上げると嬉しそうに笑ってくれた。気分としては日曜日のお父さんだな。
「九郎さん。昨日、変な夢を見たんです」
「ゆめ?」
瑠璃ちゃんが顔を近づけてこそこそと話す。どうやら周りには聞かれたくないようだ。
「夜空をお魚がぷかぷか泳いでる夢でした」
「……それは、随分ロマンチックだね」
「はい。子供っぽすぎて、りーねえにも言ってません」
くす、と笑うるーちゃん。
しかし、金色の魚が泳ぐ夢……どっかに魔法使いとか居たっけ?
菜園に近づくと、三人は手を止めてこちらに寄ってきてくれた。作業の邪魔をするつもりはなかったんだけど、まあいいか。
「よお」
「莉緒ちゃんは平気ですか?」
「熱も安定してたし、下の二人に任せてきたよ」
美紀も圭も看病は快諾してくれた。CDラジオなら持ち運べるし、校長室で聴くのも職員室で聴くのも変わらないだろう。俺は悠里に向くと話を始めた。
「一つ聞きたいことがあってね」
「……? なんでしょうか」
悠里に聞いてみると、やはり動かしたのは彼女らしい。ハンクの見立てどおりに昨日のモール散策中に、
胡桃は、このやり取りをじっと聞いていた。表情は険しく、対する悠里は少し動揺しているものの狼狽えてはいない。めぐねえだけ一人ではわはわしてる……めぐねえ可愛い。
「その事は……」
「今朝、聞いた」
むっつりとした表情を隠さない胡桃に、戸惑う悠里。これは一触即発か?
そう思ってたら、胡桃が先に頭を下げた。
「ゴメン。本当はアタシがやらなきゃいけなかったことなのに……若狭にやらせて」
いきなり謝られて、驚く悠里。
「そんなつもりは……」
「いつまでもそのままじゃ可哀想だって、思ってはいたんだ。忙しさにかまけて……アタシは逃げてたんだ、たぶん」
悔しそうに、辛そうに顔を歪ませる胡桃。本当はそんな事はしたくないだろうに、自分がやるべきだったと自らを責める。そんな人間だったよな、この子は。
「だから、感謝してる。ありがとう、若狭」
「恵飛須沢さん……」
めぐねえもいつの間にかほっこりした顔してる……なんだろ、ギャグ要員かな?
「けど、意外と力あるなぁ」
「そ、そんな。ごく一般的な人よりかは、ちょっとあるかも、だけど」
なんかチラチラこっち見て言う悠里。ん? なんだ?(すっとぼけ)
「アイツ、たしか俺と同じぐらいあったからね。俺を持ち上げられるのは、女の子としては十分力持ちだと思うよ?」
「も、もう! 九郎さんまで。足元は莉緒ちゃんに持ってもらったの」
『その、遺体を検分したい。場所を聞いてもらえるか?』
ハンクがいきなり割り込んできたので、大まかな場所を聞いてみた。中央玄関の横の山に置いたらしい。ハンクは俺と代わるとまだ残っていたロープで素早く降りた。昼下がりのせいか校庭にいる『かれら』の姿はまばらで、こちらに寄っては来ない。彼は足早に動いた。
遺体の山の裾に置かれた、アイツの遺体。首はシャベルで切り落とされていたので胴体には付いていない。おそらく何処かに転がっているのだろう。
ハンクが手袋を付けて持ち上げる。
『軽いな』
『え?』
俺の言葉に耳を貸さずに彼は腕を手に取り力を入れる。ぱきり、と骨が折れてその部分から腕が曲がった。まるで真ん中に関節が出来たような違和感に慄くが、ハンクは更に呟く。
『骨密度が低下している。筋肉組織も少ない』
『え……つまり、どういうこと?』
『三番目だ。『かれら』は分解されている』
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災害に巻き込まれたある高校生の心情とは
みんなが出てから、私は少し考えた。
今日も留守の間に何かやるべきではないかと。家計簿や食事の支度以外にもやるべき事があった筈だ。
「そろそろさやえんどうも収穫だし……」
プチトマトの苗もそろそろ定植しないといけないし、さつま芋の苗も出来ている頃合いだ。特にさつま芋は種芋からの栽培という初めての試み。これを失敗したとあれば先代部長に申し訳が立たない。
とはいえ、頭の痛い問題もある。
それはこの学校を、いや、世界を襲った未曾有の危機の一欠片、『かれら』の死体が菜園の一角に横たわっているからだ。
「恵飛須沢さんの先輩、なのよね」
『かれら』に変わったとき、彼女は涙を流しながら彼にとどめを刺した。その事自体はとても感心するし、同情もする。同じことをやれと言われても、できるわけも無い。九郎さんが来なければ、父の亡骸を越えて表に出ることもできず、妹とも二度と会えなかっただろうから。
シャベルを手に、自らの想い人(想像だけど、たぶん間違ってないと思う)を手にかけるという事が出来る
「ゴンドラの使い方は教わったけど……」
作業をすると動かすのを同時にやるのは難しいかもしれない。ふと、子どもたちが視界に入る。子供とはいえ妹の瑠璃は四年生、彼の妹の莉緒ちゃんは更に年上の五年生だ。操作は難しくはないし、台でもあれば背の問題も無い。私は二人に話しかけた。
「お手伝いするよ、りーねえ♪」
「何もする事も無いものね。いいわ」
二人の快諾を得て、作戦は開始した。
まず、覆っているブルーシートがはずれないように上からビニール紐で結び付ける。胸の辺りと脚の踵あたりに紐をかけ、二重に回して結ぶ。と、頭の辺りがふらふらする。首が取れている事を思い出し、ここにも紐をかけて取れないように包んだ。運んでいてポロリと落ちたら悲鳴を上げてしまいそうなので、念入りに。
「りーねえ。このひと、亡くなっちゃったの?」
「うん……そうよ。本当なら埋めてあげないといけないんだけど」
「ここに埋めちゃ、ダメなの?」
「るー。この人が埋まってる所で取れたお野菜とか食べられるの?」
「……ぅ、無理、かな」
莉緒ちゃんは時々手厳しい言い方をする。それは彼に対する時も変わらないので、たぶん性格なのだろう。
「本当は下に置くだけじゃなくて、埋葬しなきゃいけないんだけど」
「それは九郎かハンクに任せたほうがいいわ。私たちがやっても時間ばかりかかるし、危ないもの」
「莉緒ちゃん。私だけで平気よ」
足元を持つように屈む彼女にそう言うと、年に似合わない大人びた笑みを浮かべる。
「私だって少しは役に立つわ。いつまでもアイツの付属物じゃないんだから」
気丈にそう言うと足を掴んで持ち上げる莉緒ちゃん。私も肩のあたりを掴んで力を入れると思った以上に軽いそれが持ち上がった。横に置いた一輪車に載せるが、当然全身は乗り切らない。それでも一輪車だと動かすのは非常に簡単だった。重さも……たぶん三十キロ程度にしか感じない。人の身体というのは大変重いと聞いていたのだけど、少し拍子抜けだった。
ゴンドラのロックを外して一輪車を乗せる。渡し板もあるので苦にはならなかったけど、ここでも莉緒ちゃんがサポートしてくれたので助かった。
「悠里さん。これの操作ってここでも出来ません?」
「え? あ」
莉緒ちゃんが触った箇所が跳ね上がるレバーのようになっていて、そこを引くと上の操作盤のような物が並んでいた。
「そ、そうね。同じものみたい……これなら」
ゴンドラから操作が出来る。莉緒ちゃんや妹を信用しない訳じゃないけど、いざという時にきちんと連携が取れるかというと少々不安だったのだ。
「じゃあ、ちゃんとここで見張っていてね」
「う、うん。りーねえ、気をつけてね。莉緒ちゃんも」
「ええ。まかせなさい」
妹に屋上からの警戒を任せ、私と莉緒ちゃんでゴンドラに乗る。物言わぬ死体と一緒なので気分も落ち込むけど、これを何とかしない限り菜園の再開は望めない。ある程度の野菜を作れるならこのサバイバル生活にも希望が持てる。ならば、頑張らないと。
駆動音は響くけどゴンドラ自体は意外と音を立てない。これはゆっくり動いているためだ。屋上がうるさくても下には関係が無いのか、『かれら』が集まってくる様子は無い。
下に下ろしてゴンドラの留め具を外し、渡し板をかけて一輪車を動かす。焦って音を立てては何にもならない。慎重に動かして、一輪車を近くに溜められている死体の山に横たえる。
無数とも言える死体の山を見て、流石の莉緒ちゃんも顔色が良くない。とはいえ、取り乱さないのは大したものだ。彼女より大人なのだからと、弱りそうな心を奮い立たせてブルーシートを留めるビニール紐を解いて包を外す。
「わぷ?」
「わ、平気?」
「ぺっ、ぺっ……土埃みたい。んもう」
ブルーシートの中に溜まっていた土が撒き散らされたのだろう。風向きで莉緒ちゃんの方へいってしまった。
「莉緒ちゃん、大丈夫?」
「へ、平気よ、これくらい。さっさと戻りましょ」
一輪車にブルーシートを載せて、ゴンドラまで戻る。扉にフックをかけている間に校舎から出てきた『かれら』が近づいて来ていたらしく、ゴンドラに手を掛けられた。
「きゃ……」
避けようとして態勢を崩してしまい、一輪車の上に座るように乗ってしまった。『かれら』の手が私に伸びてくる……
パパパパッ
『ぁぁ……』
小さな破裂音と共に『かれら』の目に何かが当たる。痛みを感じない『かれら』であっても目が見えないとうまく攻撃できないようで、あらぬ方向に腕を振るった。
同時にゴンドラがゆっくり上昇し始める。莉緒ちゃんが操作しているのかと見てみると、その手には黒光りするモノ、拳銃が収まっていた。
「莉緒ちゃん、あなた……」
「天才ガンマン、莉緒ちゃん参上ー、てね」
少しでも上がり始めると『かれら』の手では届かなくなる。
「莉緒ちゃん、それ……」
「本物じゃないわよ。アイツの持ってた
「なんだぁ……」
すっかり驚いてしまったけど、それは当たり前だ。彼女は私より小さな子供で、そんな子が拳銃なんて撃てる筈もない。ただ、兄があの九郎さんだと……有り得そうな気がしてしまう。
九郎さんとの付き合いはそんなに長くもない。一週間にも満たないはず。
なのに。
いつの間にか、すごく大きな存在になっていた。
はじめは妹の、命の恩人。
そのお礼に自宅に呼んで、父と妹と談笑をしていた彼は……どこにでも居そうで、居そうもない。彼はそんな青年だった。
警察官という一般の人なら怖気付く職業の父と、笑いながら受け答える彼。高校を卒業してから大学にも行かないで、バイト生活をしている割には落ち着いているその様子は、とても大人びて見えた。
父には釘を差されたけど……満更でもなさそうな様子に、少し嬉しくもなった。
あの日。
早めに帰ったのは偶然だった。
商店街で買い物をしていたら、大きな怒鳴り声が聞こえた。怒鳴る人に人が掴みかかっていき、それを止める人に別の人が掴みかかっていた。
その時は巻き込まれない様にさっさと帰ろうと考えた。鞣河小学校はこちらとは反対なので、妹が巻き込まれるとは思えなかったけど……家に荷物を置いたら迎えに行こうと決めた。
そこに、父からの電話があった。
「お父さん? 勤務中じゃないの?」
『悠里っ! 今、どこだ?』
「い、家だけど?」
いつになく、焦ったような声色に驚く。と、同時に大きな爆発音が轟いた。電話の向こうとこちらとほぼ同じだったので、比較的近くだったのかもしれない。窓から少し離れたマンションから火の手が上がっているのが見え、恐怖が滲みよってくる。
「な、どうなってるの?」
『部屋からは出るなっ 俺が行くまで誰も入れるなよ!』
緊迫した声に、ただならぬ事態だと推測する。折しも表から遠くでパトカーや救急車のサイレンも響いてきた。
『くっ、ぐわっ!』
「お父さんっ!?」
苦しそうな声の後に、父の携帯からの音は途切れた。あまりの急展開についていけない私は、震える手でテレビの電源を入れる。
そこには逃げ惑う人と、人に襲いかかる人が映し出されていた。
「なに……これ……?」
悪い冗談はやめてほしい。
こんな事はありえない。
報道も混乱が酷く、本来なら映像処理をかけるようなショッキングな絵が普通に流されている。冷静に考えようとするけど、頭が追い付いてこなかった。
ドンッ
「ひっ!」
玄関の扉を殴りつけたような音に、私は引きつるように叫んだ。風を通す為に開けておいた扉の隙間から、腕が伸びてきていたのだ。
ガシャン、ガチャン
チェーンロックが掛かっているのでそれ以上開かないけど、その手の主は小さく呻きながら腕を振り回す。
「ひ、ひぃ……ひ」
なんで、こんな事に?
ホラー映画じゃあるまいし、いきなり人が襲ってくるなんてあり得ない。震える体は力を失い、座り込む事しか出来なかった。
「だありゃあっ!」
そこに、怒号とともに襲いかかる別の人。いや、それは。
「悠里っ! ドアを閉じろっ」
父が暴漢を押し退け、警棒を振るう姿が扉の隙間から垣間見えた。
「お父さんっ 中に早くっ」
「いや、俺は……それより、瑠璃は無事か?」
「まだ、戻ってないの。後で迎えに行こうと思ってたのに、こんな」
「小学校には、仲間が向かっている……大丈夫だと、信じよう」
扉越しの会話。なぜ、父は中に入って来ないのか。
チェーンロックを外し、扉を開けると……そこには血塗れの人だったモノと、それに手を掛けた父の……勝るとも劣らない血塗れの姿だった。
「中には、入れない……たぶん、こうなっちまう」
「……そんな」
廊下から聞こえてくるのは小さなうめき声。そちらを見ると、ドアを押し開けて出てくるヒトや、エレベーターから出てくるヒト……。声が引き攣り、血の気が引くのが分かる。
「お、お父さんっ! 早く、中にっ!」
ほとんど泣き叫びながら、私は父に促すけど……ゆっくり首を振る父は、そっと、扉を押してきた。
「お前や、瑠璃の花嫁姿を見るのが夢だったんだがな……」
「お父さんっ!」
扉が閉じ、向こうから聞こえる小さな呟き。乾いた破裂音が響いて……それが遺言だと知った。
あのとき。
私の心は一度、死んでいたのかもしれない。玄関口にへたり込み、滂沱の涙を流しながら。力なく、扉を叩くだけだった。
どれほどの時間、そうしていただろうか。
カチャリとドアノブが回り、扉が開かれた。そこに居たのは、あのとき妹を助けてくれた青年だった。
「……あ、くろう、さん……」
「悠里さん、平気? 怪我は無いですか?」
私のことを気遣う彼。嬉しくない訳ではないけど、その時の私には余裕が無かった。
「るーちゃんも、戻ってない。どうしよう、わたしどうしたら……」
妹のことを言う。
「瑠璃ちゃんは保護してある。無事だよ」
「……え?」
一度ならず二度までも。妹を助けた上に、ここまで来てくれた。
「う……、よ、よかった……るーちゃん、よかった」
私は、彼に縋り付いて泣いてしまった。はしたないとは思うけど、勢いだったのだ。
身体を離すとき、彼の頬が赤らんでいた事に気づいた。意外とシャイな人なのかも。
「親父さんは……ゴメン。間に合わなかったよ」
「……ううん、いいの」
本当は、助けてもらいたかった。でも、それは言えない。ここまで来るだけでも、彼は大変な労苦をしているはずなのだ。
「俺の家に行こう。着替えとか準備してもらえる?」
「は、はい」
「君と瑠璃ちゃんの分と。それと悪いんだけどウチに妹が来てるんだ。着替えとか無いんで、出来れば瑠璃ちゃんのを貸してもらえないかな?」
妹さんが、いるんだ。
だから女の子とも如才なく話せるのかな?
「分かったわ。私の古着とかもあるし」
「助かるよ。あと、親父さんって車とか持ってる?」
「下の駐車場に停めてあると思うけど」
「なら、それも貸してほしい。流石に君を無事に届ける自信は無いんだ」
鍵は家に置いてあるし、ガソリンも満タンのはず。だけど、彼は免許は持っているのだろうか?
「運転は平気だよ。俺は出来ないけど」
「俺が可能だ」
「え?」
今のは、なに? 途中から口調がまるっきり変わったようだったけど。腹話術は声色を変えるけど、今のはそうじゃ無かった。まるで同じ声を別の人が話すような。
「俺はハンク。故あって彼の身体を間借りさせてもらっている。悪いが、俺が出ている間は身体には触れないで貰いたい。女性は苦手なのだ」
「……え?」
困惑する私に、彼が元の口調で答えてくる。
「彼、凄腕のエージェントなんだ。戦闘でも車の運転でも何でもござれ、だよ」
「あの手の輩への対処は経験がある。信用してほしい」
またしても、ハンクとやらが喋る。これは、何だろうか? ひょっとして彼は……いや、先程までは九郎さんだった、はず。困惑する感情を押し込め、今は作業に没頭しよう。
手当り次第、という感じで着替えの服をリュックやカバンに詰め込んでいく。大きなスーツケースでもあれば良かったのに。自分の着替えと妹の分、あと彼の妹さんの分を私の古着と妹の方から見繕う。体格は妹よりも僅かに背が高い程度らしいので、問題は無いと思うけど。
三人分を三日分揃えるとかなりの量になる。カバンに入らない分はゴミ用の袋に詰めていく。
その間に彼は食料品の詰め込みをしている。こちらも袋は少ないので、レジ袋やゴミ用袋を利用している。パンやクラッカー、シリアル、パスタ、お米などの多少形の崩れても食べられる物はそちらに。生鮮品や加工食品は保冷用の袋に詰め込んでもらった。今日は常夜鍋にしようと思っていたので豆腐や葱、葉物の野菜や鶏肉などもある。
「買い物は慣れてるからね」
そう答える彼の技術は確かになかなかである。卵は潰れないように柔らかい素材に合わせ、汁が溢れないように一つ一つ水切り袋を閉じるのはとても良い。
そうして準備をしてから、最後に二つの品を手元の鞄に忍ばせる。母の位牌と、父のライター。扉を開けるとその後ろには、見る影もない父の姿があった。顔にハンカチをかけてあったのは、九郎さんの配慮だろう。
「親父さん……行ってきます」
手を合わせてそう呟く彼の声。
涙に滲む視界だけど、私もそうして声をかける。
「……いってきます、お父さん。今まで、本当にお世話になりました」
言っていて、何だか妙な気分になった。この場面にはそぐわない事甚だしいけど……。
「あの、九郎さん」
「はい?」
「不束者ですが、どうか宜しくお願いします」
「えっ」
動揺する彼の耳が赤く染まる。
そういう意図を以て言ったのだけど……さすがに私も恥ずかしくなってしまった。
「アオハルというやつか」
「ちょ、ハンクさん?」
「そういうのは後にしろ。行くぞ」
完全に一人芝居なので、ふっと笑ってしまった。廊下を埋める夥しい数の骸を前に笑う私は……やはりおかしいのかもしれない。
「悠里さん?」
「……え?」
一輪車の上に横になったまま。
暫し私は気を失っていたのかもしれない。まるで回想のような短い夢。ゴンドラはもうすぐ屋上に着くらしい。
「返事が無いから気が気じゃなかったわよ、もう」
頬を膨らませて怒る、彼の妹。
瑠璃とは別の意味で可愛らしい容姿に、少しだけ嫉妬してしまう。
もちろん、そんな事はおくびにも出さないけど。
「あなたに何かあったら、アイツ、悲しむからね」
そんなふうに気遣える優しい子なのだから。だからこれは。
私のほうがよくないのだ。
そんな事を考えこんでいたせいで、この件をみんなに話すのが遅れてしまった。幸いなことに誰もそれを咎めずにいてくれたけど、少し間違えれば大変な事になっていたのだ。
しでかした自分が言うのもなんだけど、ここの集まりは危機意識が低い気がする。もっと気を付けていかないと。
その日の夕方にもう一度、校長室に行って莉緒ちゃんの様子を見る。
「熱が、下がらないわね」
「コホッ……風邪をひくなんて、久しぶりだわ」
「平気か、莉緒」
「わ、伝染るからやめろって、バカ兄貴」
彼女の手を握りながら枕元に座る彼の様子は真剣だ。莉緒ちゃんも悪態をつきながらも嬉しさを隠さない。
「身体を拭く準備をしてくるわ」
「す、すみません」
部屋を出ると、妹の瑠璃が待っていた。
「りーねえ……?」
「しばらくは莉緒ちゃんと会っちゃダメよ。風邪が伝染るかもしれないから」
「そ、そうなんだ。よかった……」
「……?」
妹がほっと胸を撫で下ろすのを見て私は訝しんだ。
「りーねえも、九郎さんも、こわい顔してたから……りおちゃん危ないのかと思って……」
だけど、一番問題なのは。
自分の感情がうまく御しきれていないことなのかもしれない。
りーさんの湿度がヤバい……
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彼女からの招待状
びっくり。
仕事おやすみ中で、たすかった。
では、どうぞ(←ちょっと頭がよわい)
困った事態になった。
回復方法も分かっているし、ハンクという心強い味方にも恵まれて、先の展望は明るいと思えていた。原作での
だが、ここは哀しいかな現実であり。
多くを助けてもトロフィーが貰えるわけではない。
そんなものより。
守るべき存在が俺にはあるのだ。
『リオは感染したのか?』
『確率は高い……と思う』
空気感染の初期症状は風邪に似ている。
微熱から徐々に上がり、喉の炎症が進む。それと同時に意識も混濁し始める。幻覚や幻聴などの症状から転化するまでの期間はまちまちだし、統計を見る事も出来ない。
『ここの水を飲めば、耐性がつくのだろう?』
『……そのはず』
原作知識でなら、巡ヶ丘学院高校の簡易浄化設備の水は
先ほど汲んだ水をそのまま飲ませたが、呼吸は未だに荒いままだし、熱も下がらない。
『あまり悲観するな。ただの風邪かもしれんのだろう?』
『……ただの風邪じゃなかったら、どうなるか分かってるだろ?』
『かれら』が死後に分解されている。この、原作には無かった変化がオレを不安にさせているのだ。
分解された『かれら』がエアロゾルとして感染を起こす可能性もある。もしかしたら原作での『空気感染』もこれだったのかもしれないけど……
もし学校の水が特効薬にならないのなら。世界はこの病によって絶滅、はしなくても……相当数減るだろう。
そして、この辺り一帯は。
いや、ひょっとしたら日本全土は。
滅菌処理によって死滅するかもしれない。
楽観視していたわけではないけど、こんなのはあんまりだ。やり直しを要求する……応えてくれる神など、居るはずもないのだけど。
応えてくれる神はいなくても、人ならいるかもしれない。
『青襲……アイツなら分かるかな?』
『アオソイ? 人の名前か?』
聖イシドロス大学理学部情報生化学科の学生……というぐらいしか知らない。だが、原作においてこの病に対して一番正確にアプローチしていた人だ。
彼女なら、何か分かるかもしれない。
『とはいえ……今の時期の大学は、ヤバそうだしなぁ』
詳しい経緯は分からないけど武闘派と穏健派が対立する前の混乱期のような気がする。人数も多いだろうし、リーダーとかもまだ定まってない可能性もある。逆に言えば、中に滑り込むにはいい時期でもあるかもしれない。青襲自身はたぶん無事だ。理学棟から出るという選択は彼女はしない。
だけど、あそこの水は特効薬にはならない事は確認済みだ。ひいてくる水系が違うのか、設備の問題かは分からんが、とにかくあそこは長期間避難していていい場所ではない。
ということは……彼女をこちらに呼び込む方がリスクは少ないか? 発症している人間を運ぶより、動ける人間の方が動かしやすいかもしれない。
それに、あの環境は彼女の寿命を減らしていた可能性もある。お互いwin-winな状況を作れるかもしれない。
『ハンク……人一人を連れ出すって可能?』
『状況によって難易度も変わる。場所にも寄るが、敵性勢力の排除を問わずなら可能だ。今は銃もある。『かれら』への対処法も分かっているが、やはり場所がキーになるな』
いつでも冷静に分析するハンク。
しかし、場所は問題だ。ここから聖イシドロスまでは直線距離で約二キロ。『かれら』が徘徊する中を移動するには車が必要だろう。
だけど、禍根を残さずに連れ去るのは難しいかもしれない。排除が容易いのは分かる。だが、感染していない、もしくは未だに発症していない段階の人間を殺めるのは……どう考えてもアカンだろう。
『そのアオソイはキーパーソンなのだな? ならば確保が正しい。その大学は安全ではないのだろう?』
『それはそうなんだけど……』
ちなみに、俺は青襲椎子と面識はある。というか無理やり理由を付けて彼女と顔合わせをしたのだ。その際に携帯番号は入手している……でも、今の状況下だと通常の電話は繋がらないだろう。
『アレを使えば良いのではないか?』
『アレ……あっ!』
衛星携帯電話!
あれなら衛星を経由するから電波は届くはず。向こうが受信してくれるかは分からないけど、やってみる価値はあるか。
リバーシティートロン地下の避難シェルターにいた男が持っていたそれは、今どき珍しいストレートタイプの携帯電話だ。
『窓際、ないし屋上の方が電波は入りやすいはずだ』
起動後にアンテナを確認すると立っていない。仕方なく屋上に行くことにする。
「あ、ハンクさん♪」
廊下に出た所で、由紀に声をかけられた。何やら教科書とノートを持っていて、その横には貴依や胡桃の姿もあった。
「キミらは……ああ、勉強か」
「めぐねえが勉強しようって言ってさぁ……こんな時なのに」
未だ学園生活部としての活動にはなっていないのだが、日常を行うのはストレスに対して有効だ。
「学生は勉強しないとな」
「めぐねえとおんなじ事言ってる」
「でも、めぐねえ、数学教えられるかな? 現国だろう? あの人」
「あの人、在校時は主席だったらしいぞ」
「「へえー」」
胡桃と貴依が素直に感嘆する。これは神山先生に聞いたことなのでたぶん間違ってはいない。
歴代卒業生の中でも飛び抜けた成績だと褒めていたのだ……その横でテレテレしてた人とは思えなかった事を追記しておく。
「ハンクさんも一緒にお勉強、しよ?(にぱぁ)」
「あ、やる事あるからパスで」
「ええ〜」
「ほぉら。悪いな、邪魔しちゃって」
へばりつく由紀を胡桃と貴依がはがしてくれた。屋上へと上がると、今日は誰も居なかった。それでも気になるのでソーラーパネルのある側の端へ向かい、そこで電話を掛ける事にする。
だが、問題が発生した。
衛星と繋がらないのだ。本体の故障を疑うけど、さすがに分解して直すなんて事は出来るはずもない。
『悪天候ならばまだ理解出来るが、この晴天ではな。残る可能性はジャミングか』
『そんな事出来るのか?』
『広範囲なECMを発生させる技術は俺がいた時代にもあった程だ。だが、その場合は誰がそうしているのかという事が問題になる』
この地域一帯を覆うほどのジャミングとか、国家規模でないと出来る訳がない。となると、滅菌作戦への布石なんだろうか? タイミングで言うとちょっと早すぎる気もするけど。
『いずれにせよ、その携帯は使えない』
『マジか……』
諦めきれずにホーム画面を開くと、そこに有り得ない文字を見つけた。
『BOWMAN』
『
いや……このコミカルなアイコンは間違いなくボーモン君だ。ときに、ネイティブな発音、いいなあ。
コレが入ってるって事は、ランダルの関係者で間違いなかったわけか。このアプリは元は軍用で民生品として再開発されたとは言っていたけど、一般にはまだ公開されていなかったはず。つまりこれ経由ならランダル側との連絡も取れる訳か。
さっそくアプリを起動してみる。
大概のことは音声入力で操作可能なのがボーモン君のいいところ。
『アイディーか、パスワードを入力してね。ログイン済みのユーザーなら、音声入力でもいいよ』
がっでむ……
どうやら初期状態では音声入力は受け付けてくれてないみたいだ。
『ゲスト、というものがあるらしいな』
ハンクが見つけた小さな文字に『ゲスト(仮登録)はこちら』との案内がある。こういうのってオンラインでないと登録出来ないのではないかと思ってのだけど、入れてみたら難なくログイン出来た。
『ゲストログインはクラウドにアクセスするまでの間は一部機能を制限するよ。モバイル回線で繋ぎづらい環境なら、PC経由でのアクセスをオススメするよ』
なるほど。
俺は校長室に戻り、あのPCを引っ張り出す。ここにはLANが無いので職員室に行こうとすると、莉緒が目を覚ました。
「コホッ……どうしたの、くろう?」
「あ、起こしちまったか」
すぐに彼女の前に戻ると、ペットボトルに汲み置いた水を飲ませる。熱のせいか、こくこくと飲んでくれる。よしよし。
「ふう……」
「具合はどうだ? 熱、測るか」
「ノド、イガイガするし……少しふらつくかも」
耳に体温計を当てる。あまり正確ではないと言われてるけど、この素早さはありがたい。体温は37.2℃。平熱を知らないから断定は出来ないけど、まあ微熱なんだろう。聞けばいいって? 前聞いたときに「……スケベ」とか言われたんで懲りました。
「何か、仕事?」
ちょっと唇を尖らせる妹様に嘘など付ける訳もない。黙って行動する事はあるけど、嘘はあまりつきたくない。
「職員室でね、今後のチャートを作らんと」
「はあ? こんなときにアンタ……そういや、悠里さんも言ってたっけ。勉強とか、やるって」
「何もやらないと却ってよくないらしいから」
この辺りもウソじゃない。めぐねえとも話し合って各々授業とか出来たらいいかな、と思っている。オレの受け持ちは体育ぐらいだろうけど。
「ちょっと、ラクになってきたかも」
横になったままそう言ってくるのはいつになくしおらしい……え、誰だっけ?
「熱は下がってるみたいだし。ちゃんと寝てろよ」
「フンだ。勝手にどっか行っちゃう方が悪いんだからね!」
うむ。悪態つくぐらいが莉緒らしいと思っちゃう俺も、かなり毒されたなぁ(笑)ポンポンと頭を撫でてやると布団に顔を埋めて「さっさと行けっ、アホッ」と宣う妹様。はいはい、と部屋を出て職員室へと向かう。
職員室の整備は、あまりしていない。
元々『かれら』化した先生はそんなに居なかった。扉が開いていたので表に出て行ったのかもしれないが、中の惨状はそこそこ酷かった。
なので血とか流しただけで散らばった荷物や何やらは空いてる机に乗せておいただけなのだ。この間、二年生コンビがCDラジオを聴いていた机は、そこまでの災禍を逃れていた。めぐねえや神山先生のでないのは確かだけど、誰だったっけ? この席。まあ、いいか。ともかく、席から出ている端子を繋ぎ、PCに電源を入れる。
…………PC起動中…………
ログインパスは回収したメモの一番最初の文字で合っていた。危機意識の低さが有り難い。
繋いだイーサネットケーブルはキチンと動作したけど、ローカルネットワークにしか接続出来なかった。
「やっぱ繋がらないか」
『試しに携帯も繋いでみろ』
先ほどの画面のままの携帯電話に接続ケーブルを挿し、もう片方のUSBをPCのコネクタに挿した。
すると、先ほどまでは繋がっていなかったゲートウェイがどこかと通信を始める。
『軍などでは秘匿回線という物がある。どういう仕組みかは専門でないから分からんが、な』
『ゲストIDを、登録したよ。音声入力等の制限を解除したよ。』
お。音声入力制限が解除されたみたいだ。俺は少しウズウズしながら原作のように声をかける。
「ボーモン君。メッセージを送るよ」
『了解したよ。メッセージアプリを起動するよ。あと』
あと、の言葉の後ろがなかなか出てこない。と思っていたら想定外の返しが来た。
『ゲスト、の音声がライブラリにヒット。アナタは、クロウ、ハンザワ、ですか?』
……え?
『くく。お前、登録などしておったのか?』
『してるわけないだろ』
『では、誰か別人が声紋データからアカウントを作っておいたのか。他人のアカウントを作るとか酔狂な人間も居たものだ』
酔狂とかいうレベルでは無い、と思うがどうするか。怪しい事この上ない。このアプリはランダルコーポレーションの提供してる非公開アプリ。アクセス出来る人間など限られている。丸裸で渦中に飛び込むようなものだ。
──だけど、いまは。
今だけは、情報がほしい。
「はい」
「了解。ゲスト、アカウントをクロウ、ハンザワ、のアカウントに、切り替えるよ」
……日頃、情報の秘匿性を重視するハンクが反対するかと思ったけど、意外な事に静観していた。
『ハンク、止めなかったけど……』
『覚悟を決めたのだろう? なら、それを尊重する』
彼は、そう呟くだけだった。いや、少し笑っていたかもしれない。書き換え作業の終了を告げるボーモン君。
『実行、完了だよ。クロウ、ハンザワへ秘匿メッセージが、一通、あるよ。開けるかい?』
おいおい。あるか分からんアカウントにメッセージ、しかも秘匿とか。どういうことだ?
『開くべきだろう』
ハンクの声に後押しされた。はい、と答えるとメッセージダイアログが開いた。
『これは、
少し愉快な様子のハンクだが、俺としては意味がよく分からなかった。そこにあった文面は。
Hi.
To celebrate the sudden encounter, I was sent a Jack-in-the-box. If you like, please register as a friend. I'm sure you might use this app.
Shiiko, Aosoi.
xxx-yyyy-zzzz
aaa@bbb.com
最後のメッセージは、グー○ルさんの翻訳で適当にできましたー。
あと、誤字報告もありがとうございます。まだちょっと熱に浮かされてるのでマチガイとかあるかも。
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JKと真夜中のデートとか最高かよ
『君からこのタイミングで連絡が来るとは思わなかったよ』
青襲椎子の初のメッセージ(正確には二回目)はこんな感じだった。ちなみに文字チャットの形式はRAIN形式で、作りもそのまま。
『健勝な様子でよかった。これからどのくらい保つかは分からないけど、暇つぶしの会話くらいなら付き合えるよ』
『あ、暇とかはあまり無いんだ。いま、どこ?』
『ふぅむ……君は思ったより大物だな。破滅への道しかないのに、ナンパとはw』
『違う、そうじゃない。あなたの力が必要なんですよ』
文字でのやり取りは意外と面倒だ。音声チャットにしたいと言ったら頑なに断られた。なぜに?
『声に自信がない、とか?』
ハンクがどうでもよさそうに聞いてきたが、それは無い。青襲椎子はややハスキーだが整った声をしているし、さらに言えば美人だ。天は二物も三物も与えるといういい例とも言える。
『しがない院生に何を求めるのだい? ちなみに場所は想像通り、理学棟、幹島研究室さ。もう一週間近くになるが、そろそろ怪しくなってきてね』
文面から推察するにかなり逼迫している様子だ。幹島研究室か……たしか理学棟三階の真ん中辺り。学舎は大学の敷地内の一番外れだ。外周の壁を越えればすぐに辿り着けるはず。だけど一度入っただけだし、土地勘は期待出来ない。
『聖イシドロスの地図と理学棟の地図は入手出来ますか?』
『……どちらも可能だが。まさか君、来るつもりなのかい?』
『そのつもりです。いま俺はそこよりはマシな場所で避難生活をしています。あなただけなら、救助出来るかも、しれません』
彼女の交友関係は、たぶん多くない。原作でも理瀬くらいしかいなかった気がする。でも釘くらいは刺しておかないとな。
『来るなら土産とか差し入れとか期待していいのかな?』
『水、食料、何でも持ってくよ』
『なら……』
「「「ええーっ?」」」
「よ、夜中に一人で、出掛けるんですか?」
夕食時にそう切り出すと一同騒然となった。
「いくらなんでも無茶だぜ、ハンク」
「いや、実はコイツ前もやらかしてたらしい」
「非常識です……」
「夜中のピクニックか〜。いいねぇ、面白そう!」
「ゆき、遊びに行くってわけじゃないんだぞ?」
「それくらい分かってるよ、たかえちゃん。じんめんきゅーじょでしょ?」
「人面助けんのかい。人命救助、だろ?」
「う……ちょっとまちがえちっただけじゃん。くるみちゃんのいじわるぅ!」
「あはは、私も人面犬救助したいなぁ♪」
「圭はまだ脚、治ってないでしょ」
わちゃわちゃ、わちゃわちゃ……
放っておくといつまでも喋ってそうだなぁ、この子たち。
「あの、九郎さん。その人はどこにいるの?」
莉緒の熱はやや下がってきており、感染疑惑はひとまず棚上げになった。でも、これから誰も感染しないという訳ではないし、感染していないと言う保証もない。
「大学だよ。そこの学生と偶然連絡が取れてね。孤立しているからここに連れてこようかと考えている」
「その方は、男性ですか?」
シン……
今までの空気が一瞬でかき消える。発言した悠里はあくまで普通の様相だけど、周りのみんなはこの事態に気が付いたらしい。
「お、女の子ばかりの所に男性を連れてくるのは感心できませんね……」
めぐねえがぽつりと呟く。その心配は尤もなので、取り除くように俺は答える。
「女性だよ。青襲椎子って名前で、聖イシドロスの理学部生なんだ」
「ほ……」
「大学生かー。そういやハンクって大学生だっけ?」
「うんにゃ。フリーターって奴だよ。それで、今日の夜にでも行ってこようかと思ってる」
「よっしゃ。付き合うぜ」
トンっと胸を叩く胡桃。だが、今回は彼女は連れていけない。隠密での行動を余儀なくされるので、一人の方が気楽なのだ。
「いや、一人で行く。その方が成功率が高いはずだからね」
みんなも否定は出来ないようだ。早速準備に入ろうとした所で声が上がる。
「わたしが同行します」
「え……」
ざわざわ……。
悠里の一言に、みんながどよめく。
こちらをきっと見つめて、悠里はもう一度、静かに宣言した。
「わたしが同行します」
「お、おう……」
なぜか、気圧されていた。
深夜のコンビニには人はいない。
ソーラーパネルで細々と灯される外灯には群がるものの、電気の途絶えたコンビニには光るものはほぼ見当たらない。よって、『かれら』も集まってはこないのだ。
「大丈夫そうだ」
停めた車に小さく声をかけると中からロックを外す音。
ドアが開くが開くと長めの髪を揺らして悠里が姿を見せる。おどおどとした様子がとても可愛いが、のんびり眺めているわけにもいかない。
「コンビニに寄るんですか?」
「彼女のご所望の物があるからね」
ハザードランプやロックの音が響くため、エンジンはかけっぱなしだ。この時期の車はかなりハイブリッド化が進んでいるためエンジン音も緩やかである。
先に偵察はしておいたので店内に脅威はない。
手早く中を散策し必要なものを回収していく。
「九郎さん、これ……」
「足りないんだそうだ」
「……男性に頼むなんて、気が知れません」
カゴに入れたのは女性用下着とか生理用品とか。彼女が頬をふくらませるのも無理はない……かも。
彼女がどう思って頼んだかは知らないが、逼迫しているという言葉に嘘はない。現に食料や水なども要求しているのだから。一応、学校の備蓄からはシリアルバーやカップ麺、缶詰のパンやコーヒーなんかも持ってきてはいる。一人でなら一週間はもつ量だ。
当然、その分足りなくなるのでコンビニで手に入る物は全て回収していくつもりだ。せっかくの車なんだから最大限に利用しないと。悠里も文句は言いつつも物色する手は休まない。これが主婦力というやつか(笑)
ガラスの瓶が置かれてある棚を見つけたので物色する。缶ビールの類は少ないけど日本酒やウィスキーなどのアルコールはまだ残っている。たしか青襲の注文は焼酎だったはずだが、どうもそれらしき物は無さそうだ。
「その……お酒、飲むんですか?」
「おれ? いや、飲まないよ」
「そうなんですか?」
「下戸って訳じゃないけど。一人で飲む趣味はないんだよね。仕事仲間と一杯程度、かな」
生前の俺はともかく、今生では酒はあまり嗜んでいない。理由としては、つい最近まで法令的に飲めなかったからだ。
それに、飲んだとしても酔えるとは思えなかった。もし、酔っ払っている最中にこの状況になったとしたら、目も当てられなかっただろう。
「じゃあ、なんで」
「これも注文の内の一つさ。アルコールが欲しいんだって」
そう答えると、悠里が呟いた。
少し、寂しそうに。
「お酒なんて……」
「悠里……さん?」
少し良くなったと思ったら、また暗い顔になった。お酒飲む人が嫌いなのかな、と思ったけど、親父さんは飲んでたよな。と言うことは、なんなんだ?
「そのワイルドターキーは確保してくれ」
……お前。後で飲むつもりか?
酔いが残らないように加減しろよ。
レジに申し訳程度にお金を置いていく。回収する人もいないし、誰か来たとしてもこれを持っていく人はいないだろう。それでも、一応ケジメのようなことだけはしておきたかった。
表の車に積んでいるとハンクが敵の接近を告げた。
『左手方向から一体くるな。丁度いい、アレを使ってみろ』
ハンクの言うアレとは。懐から取り出した拳銃に、悠里が怪訝そうな顔をする。
「……莉緒ちゃんの使ってたのと違う?」
「あれは電動ガン、おもちゃです。こっちは」
銃身の後ろのレバーを引く音に、彼女が強張る。そう、これは本物だ。
『そいつは22口径だから反動は少ない。サバゲー経験者なら、まあ使えると思うぞ』
『そうであってほしいね』
細長い銃身で見た目はかなりスタイリッシュ。スターム・ルガーMk.Ⅱをそちらに構える。ゆらゆらと動く『かれら』の頭部を狙うのは、なかなか難しい。
パスッ
鈍く、小さな発射音に続いて、『かれら』の頬に穴が開いた。反動でよろけるけど、倒れはしない。
『どれ、手本を見せよう』
そう言うのでハンクに代わる。
彼我の距離は六メートル、彼はすっと構えて撃つ。目の間に的確に当たり、『かれら』は、そのまま崩れるように倒れた。
『22口径でも正確に当たれば脳幹は破壊出来る。正確に当たれば、だがな』
『へいへい。下手で悪うござんした』
『いや、スジは悪くない。むしろ上出来だ。P226ならあれでも倒せるはずだ』
「く、九郎さん……それ……」
俺の手に握られている凶器を指さす悠里。くるりと回して、グリップを彼女に向けて差し出す。
「護身用に持ってて下さい」
「え?」
「車の中に居ても、危険はあるかもしれません。特に大学の周辺は生き残っている学生も多いはず」
今回のミッションの要点は実はここだ。多くの生存者が残る大学では、対人戦が起こる可能性が高い。車での接近を気取られた場合、襲撃に来る事も考えられる。武器があれば格闘などの経験のない悠里でも不利にはならない。
「で、でも。わたし使い方なんて知らないし……」
「教えますよ。もちろん」
「俺が、だがね」
途中からハンクが出てきた。そのギャップが面白かったのか、悠里がくすりと笑う。
「……撃てるかしら。わたしになんて」
彼女が自嘲気味に言う。大丈夫などとは言えないけど、一つだけ分かっている事がある。
「やらなきゃ、るーちゃんを守れません」
「……!」
ほんの少しの逡巡のあとに、彼女はきっと顔を上げる。
「やって、みせます」
車の中でレクチャーをして、とりあえずの基本動作を教える。ハンクに聞いてみると『構えて撃つなら子供でも出来る。当てる事が重要なのだが、こればかりは練習が必要だ』との返答。
この拳銃は一丁しかなく、弾丸も全部で50発もない。試射をすると実戦に使えなくなる可能性もある。
ざっと使い方を教えた後にハンクが注意点を伝える。
「ユウリ。この武器は『かれら』には使うな」
「……え? それってどういう……」
「『かれら』に対してさして有効なものではないからだ。正確に、脳幹や延髄を狙うなど、君には出来ない」
「……では、なんのために?」
「先程クロウも言っただろう。他の生存者から身を守るためだ」
「……!」
車に女の子なんて手に入れればウハウハの宝物だ。生存者の中には倫理観を失って暴徒のような事をする奴らもいる。それらから身を守る為には必要なのだ。
「さっさと戻ってきます。出来れば彼女も連れて」
「……はい。待ってます」
それから大学の近くに車を停め、俺はいつもの恰好で夜の町を走る。高い塀を乗り越えるのも、意外と簡単だった。
『この身体は本当に動きやすいな』
『やらないよ』
『ソイツは残念だ』
軽口を叩きつつ理学棟へ向かう。
すでに正面の玄関は固く閉ざされていたけど、別の進入路を青襲は提案していたのでそちらに回る。
そこには緊急脱出用の避難梯子があった。二階、三階の非常扉から降りる事が出来るのだが、上からでないと梯子は降ろせない仕様だ。それでも二メートルちょいの辺りに最下段があるので、ヒョイっとジャンプして掴む。
『お前はやはりNINJAかもな』
『さすがにそれはない』
三階の非常扉のサムターンロックを外し、ドアノブを回す。警備会社とかが動いているなら通報されている所だろうけど、今さらな話だ。
中は暗くはない。外から見た限り停電もせずに電気は点いていたのでこれは想定内。想定外なのは……
「ぐあぁ……」
『うひ』
思わず心のなかで声が漏れる。廊下には十体近くの『かれら』が屯していたのだ。
『これは動けん訳だ』
そう言いつつもハンクは冷静にケミカルライトを折って通路に放り投げる。遠くに投げられたそれに近くの奴らが気を取られ、そこへ折りたたみ警棒を後ろから叩き込む。二人ほど始末した所で、いいものを見つけた。
『ハンク、あれ使えないか?』
『
ああ、そういやそう言うんだっけ、向こうだと。防災用の斧を掴むと彼は群れの中に飛び込んでいく。
ザクッ! ザクッ! ザクッ!……
さすが鉄製の斧は違うな。
鉄パイプや警棒とは威力が違いすぎる。コンパクトな振りでも余裕で首を飛ばすし、だいたい一撃で終わるので時間も早い。
『まさか
あまりに簡単なので二階や一階もついでに掃討してしまっていた。
『さて、ではお姫様に会いに行こうか』
『本題を思い出してくれて助かるよ』
幹島研究室と書かれたプレートのかかる部屋の扉をノックする。都合4回鳴らすと、中から解錠された音が聞こえ扉が開いた。
「遅かったね」
「お、おう……」
「本当に倒してしまってるな。これは頼もしい限りだ。さ、中へ入ってくれ。汚いところで申し訳ないが」
「あ、あのさ……」
普通に会話しているのだけど、いいのだろうか。目を逸らしながら俺は問いかける。
「な、なんで、服着てないんですか?」
彼女は、丸裸だった。
いや、白衣とサンダルだけはあるけど、下着とかもなくて……背徳的な絵画のような雰囲気を醸し出していた。
「ん」
と、彼女が指を指すのはワイヤーに留められたTシャツ、ジーパンや下着など。
「いきなりカンヅメくらうとか思わなくてね。アレが来て血塗れだったのさ。洗濯機も洗剤も無いし、手洗いで誤魔化したけど、どうにも気が引けてね」
「あ、それは……大変でしたね」
「電気は生きてるから暖房が使えるので問題は無い。むしろ開放的で癖になりそうだね」
くすり、と笑う彼女はとても蠱惑的に見えた。
『貞操観念の強そうなユウリは連れてこなくて正解だったな』
『そうだな……』
ハンクと意見が合うのは意外とめずらしいと、思った。
あー、悠里さんに銃器とかヤバそうな展開だーw
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夢と現実のさなかで
どうして、こんな所にいるんだろう。
父の車の運転席に座りながら、そんなことを考えていた。
勢い任せで言ったことだという自覚はある。女性を迎えに行くという言葉を、無視出来なかったのだ。
それが何に根差した感情なのかも、理解している。彼と年の近い女性との密会を、阻止したかったからだ。
実際にそれは不可能だとは思っていた。私が『かれら』やその他の生存者のうごめく中に同行出来るはずも無かった。
それでも、彼は同行を認めてくれた。
車を守るのも大切な役目だ。
それは理解出来るのだけど……やはり止めておけばよかったと後悔してきたのである。真夜中の車の中でじっと待つというのは、意外と退屈なものなのだ。
この辺りは大学の敷地に近いので、昔から人通りはあまり無かった。そのためか『かれら』もあまり来ないらしい。エンジンも切ってあるので『かれら』が寄りつく事も少ないはず。窓を閉めてロックをかければ危険の殆どは避けられると、彼は言ってくれた。
「あ、また一人……」
月明かりに照らされた道路をゆっくり歩いてくる『かれら』。こちらを気にもせずに動いていて、少しユーモラスにも見える。たぶんサラリーマンだったのだろうそれは、ゆっくり時間をかけて視界から消え去っていった。
「ほっ……」
気が付けば、上着のカーディガンの下に潜ませたものを握りしめていた。
彼の渡してくれた、人殺しのためのもの。
それを振るう事など無ければいいと、わたしは願っている。使い方は教わった。だけど、それはそうしたいと願った訳ではない。あくまで身の安全を守るため。害意を持つ存在を遠ざけるための力なのだ。
「誰か来てくれればよかったのに」
恵飛須沢さんや柚村さん辺りが同行してくれると思っていたのだけど、なんでだろうか。まさか私と彼が何かするとでも思っていたのだろうか。
「…………(。>﹏<。)」
なんだか、顔が火照ってきたかも。
まずい、まずいわ。少し妄想が捗りすぎたみたい。気を紛らわすために、夜空に浮かぶ月を眺める。
「お月様は、変わらないわね……」
世界がこんな有様になっても。
月は変わらずに夜を照らし出していた。下界の事などどうでもいいと言っているようだ。
「あら?」
ふと。
その月の辺りが光ったように見えた。
「なにかしら……」
ゆらゆらと光るそれは波のように揺らめいていた。
そこに、飛び上がるものがあった。
「……魚?」
小さくてよく見えないけど。
それは魚のように、見えた。
金色にかがやく、おさかなの夢。
その言葉をわたしは思い出した。
「るーちゃんの、みたゆめ……?」
あの子は、そう言ってはいなかったか。そう言ったはずだ。けど、それは夢のはずだ。
胸がどきどきしてくるのが、分かる。
その幻想的な光景は、いきなり静まりかえった。黄金の魚も、宙に浮かぶ波間も、いつの間にか消え去ってしまっていた。
わたしは思わず表に出ていた。窓越しに見るのではなく、自分の目で見たかったのだ。
でも、その光景は戻ってくることはなかった。
「まぼろし……だったの、かな?」
呆然とするわたしは、静かに近づくものに気付けなかった。路肩の草むらから立ち上がった『かれら』に気付いたのは、もう間近に迫った時だった。
「きゃっ?」
「あ゛あ゛ぁ〜」
「あうっ」
とっさに避けようとしたのだけど、位置がまずかった。車にぶつかって、倒れてしまったのだ。『かれら』はゆっくりと屈み込んで、こちらにのしかかって来た。
「ん、んぅぅ」
両手首を掴めたのは僥倖だ。でも、『かれら』の力は強い。普通の女の子である私に抗う事など難しい。
「くっ」
両腕を上に上げて『かれら』自体を上方向にいなす。噛みつこうとしていたため、その勢いのままアスファルトに突っ込む『かれら』の下から抜け出し、その背にのし掛かる。
「う、うまくいった……」
お父さんから手ほどきされていた経験があったおかげかもしれない。背中に乗った状態だと『かれら』も噛みつくことは出来ない。腕を振り回してもなかなか私には当たらないようだ。とどめを刺すためにわたしは……
「あ……車の中」
車から降りた時に、中に置いてきてしまったらしい。カーディガンには内ポケットは無いし、あったとしてもあんな拳銃は入らない。
とはいえ、どうしたものか。
私は他に武器らしいものは持っていないし、このまま押さえつけておくなんて無理だ。『かれら』は立ち上がる事を思い出したのか、腕を立て始めた。このままではひっくり返される……
「そのままっ」
そこへ知らない人の声がかかる。
思わず顔をあげると、こちらへ走り寄る人影。手には月明かりに反射する兇器が見えた。
「ふっ!」
反射的に顔を覆う。
だけど、その兇器は私ではなく、『かれら』の後頭部に突き立てられていた。
「ケガはない? 噛まれてない?」
突き立てたままそう聞いてくる声に、こくこくと頷く私。車の影でよく見えないけど、左側に纏められた長い髪と、その声のおかげで女性だと分かった。
「シノウー、一人で先行するな。危ないぞ」
その後ろから駆けてきたであろう男性が、彼女にそう声をかける。
「ごめん、れん君。この子が襲われそうだったから……」
「そ、そうだったんだ。きみ、平気かい?」
ニット帽を被った眼鏡の青年がこちらを気遣うように声をかけてくる。アイコンタクトをしていたので、目の前の彼女とは知り合いらしい。ひょっとしたら恋人同士かもしれないけど。
さすがに『かれら』に乗ったままというのは勝手が悪い。立ち上がりスカートの裾を払うと彼らにお礼を言った。
「危ないところをありがとうございました」
「そんな。とどめ刺しただけだし」
「それより、君一人なの? こんな所にいたら危険だよ」
そう言う彼の手にはボウガンが握られている。銃刀法違反で捕まえられないとお父さんが愚痴っていたのを思い出す。よく見ると、女の人の使っていたのはアイスピックだ。凶器を持って武装しているのだ。
「あ、あの、連れが居ますのでご心配なく」
「連れ?」
女の人はぽかんとした様子だけど、男の方は顔色が変わった。
「こんな所に車を置きっぱなしにして、君の連れはどこに行ったんだい?」
カチリ
ボウガンの弦がセットされた音に後ずさる。女の人がそれを見て彼を止めるように言う。
「れん君、やめて」
「大学の側で不審な行動をしてるんだ。うちの物資を狙う生存者の仲間かもしれない」
「そんなつもりはない」
「「!?」」
いきなり会話に割り込まれて二人が驚く。
「九郎さん……」
「今はオレだ。どういう状況か分からんから代われないんだが」
彼ら二人の後ろに音もなく近づいていた彼は、そんなふうに言う。彼らが武器を構えて距離を取るけど、私を守るように位置どったのはなんでだろう?
「な、何だコイツ? ガスマスクなんて付けてかっけえなぁ!」
「れん君、褒めてる場合じゃないよ。この人、強い」
やっぱり強いと言うことはすぐ分かるのだろうか。九郎さんは鉄製の斧? を持ってぶらぶらさせている。
「む、そうなのか。ふむ、では代わるか」
「おい、俺だよ。れんちょん!」
そう独り言を言ってマスクを外す九郎さん。その顔を見て、男の人が驚く。
「えっ!? もしかしてハンキュー?」
「「はんきゅー?」」
私と女の人の声が重なる。男の人はボウガンを下ろして、九郎さんに近づき、九郎さんは肩を叩いて再会を喜んでいた。
「中学で同級生だった半澤九郎だよ。頭文字から『はんきゅー』ってあだ名でさ」
「高上
「にゃんぱすー言うな」
……どうやら男の人とは知り合いだったらしい。なんともはや、だ。
「あの……」
すると。
女の人の方が私に声をかけてきた。
「わたし、右原
「あ、えっと。私は若狭 悠里と言います。巡ヶ丘学院高等学校の三年生です」
自己紹介されてこちらも自己紹介してしまったが、良かったのだろうか? 背の高い彼女は先程までとはうって変わった柔らかい笑顔をしていた。なら、私も笑うべきなのだろう。むりやり笑顔を作り、彼女に合わせる。
「死ぬわけないと思ってたけど、なんだよその格好、イカしてんじゃん」
「お前こそボウガン、いいなあ。買ったの?」
「工学部だぜ、自作だよ」
「マジか、スゲェ!」
男の子たちの方はすごく盛り上がっている。声に集まって来ないだろうか、私は気が気ではなかった。それを悟ったか、シノウが彼らに声を抑えるように促すと、彼らはいま気付いたかのように謝罪してきた。
「ごめん、ちょっと舞い上がってたわ」
「ごめん、悠里さん」
そのとき。
空が少しだけ明るくなった。
まるで夜明けがいきなり来たかのように。
「え?」
誰の声だったか、分からないけど。
それはすぐに地響きのような音にかき消えていた。
「あ、あれ……」
シノウさんが指を指す方向。
はるか彼方の地平線に、幾つもの光の玉が出来ていた。雲が揺蕩うように舞い上がっていく。
「な、なに……? なによ、これ……」
「……空爆か」
「く、空爆、だって?」
れんちょんと呼ばれた男の人が焦ったように言う。それも当たり前だ。新聞やニュースの中でしか知らなかった事が、現代の日本で起こるなんて。
「かなり遠いが屋内に避難したほうがいいな。帰投するぞ」
「お、お前たちも大学に戻れ。『かれら』が活性化する」
ハンクと九郎さんが続けて喋る。
響いてくる爆音にどこから湧き出したのか、『かれら』が次々と現れる。
急いで助手席側に回りドアを開けて滑り込む。私が入るのを見るや彼は車を急発進させた。二人も急いでその場から離れるとあっという間にリアウィンドウ越しの姿は見えなくなった。
「封じ込めに空爆を使うのは、ラクーンでも行われていた」
「マジでか……」
「ラクーン周辺はアークレイ山地から伸びる大森林があって、そこに溢れたゾンビやケルベロスなどの突然変異B.O.Wが大量に潜伏していた。森林を吹き飛ばす必要があったのさ」
ハンクと九郎さんの一人による会話。
そこに携帯電話から電子的な声が上げられた。
「シイコ、からの通話チャットが、入ったよ。受けるかい?」
「オーケイ、ボーモン。繋げてくれ」
「……声紋データ、89%で一致。クロウ、は、体調を整える必要が、あるね」
「きちんと判別するとは恐れ入ったな」
「茶化すな。ボーモン君、繋げて」
「通話を、つなげるよ」
人工知能による音声ガイダンス、かな? 彼が携帯をドリンクホルダーに指すと、そこから知らない女性の声が響く。
『やあやあ、表が煩いと思ったら遠くで花火が上がってるね』
「こちらは運転中だ。要件は手短に頼むぞ、アオソイ」
『Okey-dokey. 傍受出来た内容からすると、ほぼ円状のエリアにナイアガラを仕掛けたようだ。デイジーカッタークラスを合計138発とか、大盤振る舞いもいいところさ』
「デイジーカッターって……紛争地帯かよ」
『そっちは九郎君だね。教えただろう? 世界中が紛争地帯なんだよ』
「やはり戦術核は使えなかったようだな」
「ああ。おかげで何とか生きてはいるけどね」
何を言っているのか、わたしには理解できなかった。
一つだけ分かった事は。
もうすでに、
世界は元に戻らないという事だった。
ここのりーさんは少しだけ柔道をかじってます。お父さんが警官だった事が関係してますね。
それにしても、いざという時に拳銃が使えないとか……なんのためのフラグだったのか(笑)
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大学とのホットライン
ちゃんと見直しても残るんだよなぁ……
通りは『かれら』でごった返していた。轟音が暫く鳴り止まなかったせいなのは明白だった。
ある意味盲目の状態だったのが幸いした。
聴覚にほぼ依存した『かれら』にとって、方向が確定しない大きな音では撹乱されてしまう。
よって、右往左往するだけの存在となった『かれら』達は動く車を標的とすることはなかった。
俺たちは何事もなく学校に戻ることが出来た。
「ハンクさん、無事だったんだねっ!」
「わ、」
帰還した時、由紀が抱きついてきたのに驚いた。見ればうっすら涙が滲んでおり、よほど怖かったんだろうなぁと頭を撫でる。
「りーさん、平気だったか?」
「え、ええ。ちょっと汚れただけ……りーさん?」
胡桃のりーさん呼びにやや困惑する悠里。少し照れた様に頬をかく胡桃の側には瑠璃がいた。
「いや、ほら。るーちゃんがいつも『りーねぇ』ゆってるだろ? そんじゃあウチラからしたら『りーさん』だねって、由紀がな」
なるほど。親密度というやつか。
「お疲れさま、半澤くん。それで、その学生さんは?」
めぐねえが労いつつ声をかけてきた。だが時刻はすでに深夜である。
「いや、こんな音響いてたら寝てらんないよ。莉緒だって起きてきたくらいなんだぜ?」
「まったく、騒がしいったらないわ。アンタの仕業じゃないでしょうね、九郎」
職員休憩室に莉緒を連れてきたのは貴依だった。おんぶしてもらいながらも辛辣な事を言ってくる妹様は相変わらずだ。
「いくらなんでもあんなのはムリだよ」
「……ふん」
額を合わせてそう言うと、少しだけ顔を背けてそう呟く莉緒。
「まだ熱下がってないのか?」
「うるさい。バカ」
「ははっ」
俺と莉緒のやり取りを見て貴依が笑う。もう化粧などしていない彼女はパンクな要素はチョーカーくらいしか見当たらない。おんぶをする様も板に付いていて、ちょっと新鮮だ。
「それじゃあ、済まないけど状況を説明するよ」
俺はみんなの前で携帯電話を取り出し、声を出す。
「ボーモン君、青襲に通話を繋いでくれ」
「シイコに、繋げるよ……」
「わ、未来的?」
「ただの音声入力じゃないですか……」
「わ、みーくん、冷たいっ」
由紀にツッコむ美紀。というか、いつの間にかあだ名が解禁されている。まあ、別に構わないけどな。俺もハンクさんとか呼ばれてるし。由紀から見たら俺もハンクも一緒なんだ。
他の人達は気を遣って別人扱いにしてくれているけど。
『あー、ちょい待っててくれると有り難いんだが』
「手が離せないなら構わないけど」
『あ。いや、問題なくなった。通信が切れたようだ』
どこかの会話を傍受していたらしい。スパイ顔負けな事をさらりとやってのけるとか、本当に規格外だな。
『ご紹介に預かった青襲だ。象牙の塔に籠もっている』
「象牙の塔?」
「研究機関とかのことを指す言葉だよ」
「「ふぇー」」
圭の疑問に答える美紀。一緒に感心したような声を上げるのは圭と由紀だ。その様子に電話口の青襲もくすりと笑う。
『なかなか個性的な子たちのようだね』
「お陰様で。それより、現状の説明を頼めるか?」
『構わないよ。通話代はかからないしね』
「お、おい。その、青襲って大学の人だろ? 連れてこなかったのか?」
『私が拒否したんだよ。情報収集はこちらの方がやりやすいからね。いざとなったらそちらに合流するつもりさ』
そう。彼女に合流を求めたのだが断られたのだ。理由は言った通りに、情報収集のためだ。
あの研究室にはかなり高精度のコンピューターと、多彩な通信機器を備えているらしい。外部の情報を知り得るには必要なものだ。
『さっきのは空爆。使用されたのはデイジーカッターと呼ばれる大型の爆弾で、それを数珠つなぎのように投下したのさ』
『ベトナムの負の遺産さ』
たしかヘリの離着陸のために開発されたとか何とか。
『作戦の概要としては対『かれら』防衛線の構築の前段階、まあ掃除かな? 半径35kmを繋げる三重の鉄条網とバリケードによる巨大な包囲網『巨人の防壁』を形成するためのね』
何とも壮大な話だなぁ……
「……『かれら』を出さないようにするために、ですね」
美紀の言葉を、彼女は肯定する。
『そのとおりだ。東京、千葉、神奈川、埼玉を含んだ首都圏は封鎖される。生存域をこれ以上減らさない為の非情な選択だそうだ。笑えるね』
「そんな……」
青襲の言葉に青ざめるめぐねえ。しがみつく由紀も、悠里に抱かれる瑠璃も同様だ。気丈な胡桃や貴依も言葉が無い。
「そうしないと感染が拡がり続けるから?」
『まあ、そう考えたんだろうね。まさになりふり構わずだったようだよ』
東京、神奈川東部を中心に拡散した
『知っての通り感染の経路は接触による外傷からの血液感染、血液の飛沫による粘膜感染なのだが……これの発症までの時間に個体によって大きなラグがあったのが問題だ』
「……!
『お、聡い子が居るみたいだね。そのとおり。感染した者が電車や車で帰宅したのだろう。詳しく計測した訳じゃないけど、数分で転化する者もいれば、二日ほどかかる者もいたようだ』
その発言に眉をひそめる者は多いが、ハンクの見る視点は少し異なった。
『モニター越しに他の部屋を観察していたのか。どうしてなかなか立派な研究者だ。アンブレラの本職にスカウトしたい』
……確かにそのとおりだ。青襲もまともな神経ではない。
というか、壊れたのかもしれない。
『混乱を助長したのは、警察や病院が手当り次第に感染者を収容したせいもある。もっとも、初期の状況では致し方なかったとも言えるがね。現政権の内閣総辞職にも発展したよ、物理的に』
混乱を収束させようとした機動隊や警察官達にも多くの犠牲を出したが、都市中央部の混乱は度し難いレベルだったらしい。
『混乱に拍車をかけたのは同時刻から発生した強力な電波異常さ。羽田や成田へ向かう航空機や自衛隊、米軍の管制機器にも多大な影響を与えたそうだ』
「電波異常?」
そんなのは初耳だ。原作にもそういう描写は無かったと思う。
『制御不能となったジェット機やヘリが次々と落下したそうだよ。『かれら』の混乱の最中に上から落ちてきたんだから、その混乱は想像に難くない』
「うへえ……」
そんな事になっていたのか。この辺りに落ちてこなくてよかった。原作のようにヘリが落ちてきていきなり避難終了の可能性もあったわけだ。
『影響は地表に留まらず、周回軌道上の衛星との通信も途絶している。GPSや衛星回線も使用不能だそうだ』
『衛星電話が使えなかった理由はコイツか』
『だろうね』
ここで美紀が手を挙げて発言する。
「あの……なんでそんなに、いろいろと情報が入ってくるんですか? テレビも携帯もインターネットも繋がらないのに」
ざわ……
言われて気付いたみんなから囁きのようなざわめきがあがる。
一歩引いて俯瞰して見ることに長けた直樹美紀らしい発言だ。
『なかなか頭の良い子だ。きみ、高校生かい?』
「はい、二年生ですが」
『もし元のようになったらうちの研究室に来るといい……あ、幹島教授はもうアレだからムリか』
青襲と初めて会った時に仲介してくれたのがその幹島教授とやらだった。かなりふくよかな人だったけど、理学棟の中で変わり果てた姿になっていたのをハンクが仕留めていた。まあ、存続は無理だろうね。
『君らはラジオは使ってる? 先日から“ワンワンワン放送局”ってFMが始まってるんだ。素人さんらしいけどなかなか話し上手でね』
「ほんと、ですか?」
『昼の十二時くらいから、周波数はxxxだよ。ちなみにこれが答えさ』
「え?」
普段は眉間にシワを寄せる事の多い美紀だが、キョトンとした様子は普通に可愛らしい。と、思ってたら腕を触られる感触があった。そちらを見ると、なんだか少し面白くなさそうな様子の悠里さん……なんで?
『このジャミングはアナログ波には効果が弱いらしい。テレビや携帯はデジタルに代わってるけど、ラジオは依然としてアナログのままだ。トランシーバーも使えただろ?』
ああ、と納得の声が上がるけど、美紀はまだ食い下がる。
「あ、アナログ波ではデータ通信には対応出来ません。あなたの入手しているのは口頭での伝聞だけなんですか? 違いますよね?」
『……いや、キミ本当に高校生?』
「わりと俺も信じられないけど、間違いないよ」
「失礼なっ! これくらい常識です……ええ?」
美紀はそう言い切ったけど、みんなが『(ヾノ・∀・`)ナイナイ』と言っているのを見て愕然としている。子供や由紀に至っては『?』である。
『まあ、その辺りは企業機密と言うことにしておいて欲しい。ともかく、外の世界はまだ破滅はしていない。混乱はしているようだけど、いずれこの騒動は沈静化するはずだ』
「「ほっ……」」
その言葉に幾人かが安堵の息を漏らす。それは確かに福音と言えるだろう。このまま『かれら』に蹂躙されてしまうと思っていたのだろうから。
『しかし、それは外の話だろう』
『……そうだな』
ハンクのその言葉は言い出せない。
今は少しでも希望を持っていて欲しいし、そうなるように努力すべきだ。
ともかく、今は『かれら』以上に差し迫った危機は来ないというのが、青襲の見解だった。ヘリも飛ばせないエリアに弾道ミサイルとか撃ち込めはしないだろう。
『さて、さすがに眠くなってきたんで落ちるわね』
「サンキュー、青襲さん」
『あら、裸の付き合いをしたのによそよそしいのね、椎子でいいわよ』
「バッ……おま、フザケんじゃねーよっ!」
『うふ♪ Goodnight honey.(ちゅ♡)』
「……九郎さん?」
「ハンクさん?」
「ハンク……」
「あーちゃあ……」
「わお、おっとなー♪」
「……さいてー」
「ん? おふろ?」
「やらしい、へんたい、しね」
「あわあわあわ……」
『クロウには特大のミサイルが命中したな』
もういっそ、コロシテ……w
青襲の属性に『いたずらっ子』が追加された(笑)
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不穏な空気、曇り気味
「本当にどうしようもないクズで、申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げて謝罪するのは九郎の妹、莉緒である。病み上がりなのに折り目正しい正座から三つ指ついての謝罪は堂に入っていて、職員休憩室に会する面々は反応に窮した。
「な、なにしてるの、莉緒ちゃん」
「どうしようもないクズの妹なので代わりに謝るしかないと思いまして」
「そうじゃなくて〜」
死んだ目で謝罪を続ける莉緒に佐倉教諭もかける言葉が見つからないようだ。
「会ってすぐに肉体関係に漕ぎ着けるようなヤリチン野郎とは思わなかった……やっぱり監視の頻度を上げるべきだったのね」
「莉緒ちゃん、言葉遣いが悪いわっ! あと、年に見合った発言でも無いし。それと監視とか怖いわっ」
佐倉教諭は涙目で莉緒の肩を抱いているけど、彼女の目に光は戻らない。まるで大切ななにかを失ったかのようだ。
「ゆきねー、りおちゃん何言ってるの?」
「あー、うんと……どう答えたらいいの? たかえちゃん」
「アタシに振るなよ。弟とギクシャクしてたの、お前も知ってるだろ」
言われて由紀の頭に思い浮かんだのは、貴依の二つ下の弟くんの話だ。家に連れ込んで何やら致していた最中に帰宅し、ばったり目撃してしまったという話を聞いたばかりだったのだ。今の時点でその弟くんと恋人さんはどうなっているかはさておき、そういった場面を体験してしまった身としては共感以外何もない。
「莉緒。アイツの事でお前が謝る理由なんて、無いんだヨ」
貴依は莉緒の肩に手をかけて、そう言った。
「貴依さん……ですが」
「お前はお前だ。アイツの事で苦しむ必要なんて無い」
「はい……ぐす」
貴依の胸でわずかに涙ぐむ莉緒。そして、本来その場所にいたであろう佐倉教諭は若干の寂しさを感じていた。
「しかし、ハンクもちゃんと男だったんだな」
そこに胡桃の発言。皆がそちらを見ると、少し恥ずかしがりながらも言葉を続ける。
「卒業まではダメって手を出してくれなかった人もいたんだ。それに比べたら、まだ分かってるってカンジがするな、アタシは」
おそらく、今はもういない人のことを言っているのであろう。照れ笑いをしつつも淋しさに感じさせる笑顔は、見るものの胸を打った。
「分かってる……? なにがわかってるの? 胡桃」
呟くような声音の声に皆が慄く。その笑顔はいつものようであったが、見る者によっては能面のような印象だった。
「いや、だってさ。こんな世の中になったじゃん? 明日も分からないんじゃ、そういう気持ちをストレートに表すのも、アリなのかなって思って……」
「知ったふうなこと、言わないでよ」
「知ったふうなことって……じゃあ、りーさんは知ってるのかよ?」
「!……」
悠里は眉をしかめた。それは一番言われたくない言葉でもあった。彼女も知らないのだ。本当の気持ちとか、相手の気持ちとかも。それは実のところ、誰にも分からないたぐいの話なのだが。
「もう、やめて下さいっ!」
「美紀……」
「直樹さん……」
言い争う二人を止めたのは二年生の直樹美紀だった。彼女は二人の間に立ち、二人の仲裁を図った。
「今は結束を強めるべきなのに、中心の二人が何を言ってるんですか」
食事や在庫の管理などを一手に引き受けている悠里に、女子の中では最大戦力である胡桃。この寄り合い所帯の要と言える。
だが、二人とて意味もなく対立した訳ではない。
「……」
「……」
しかし、止められてしまうと再度やり合うというのも躊躇われた。有り体に言えば『恥ずかしい』からだ。片や想い人と結ばれずに拗らせ、片やその想いを告げられもせずに拗らせているのだ。
衆人環視の中で言い合うなど、勢いがなければ出来はしない。悠里は俯き、胡桃は頭をガシガシと掻きむしった。
「あー、もう。やめやめ」
「おい、どこへ行くんだ?」
「トイレっ」
席を立つ胡桃のあとを貴依が続く。
「なに?」
「アタシも行こうと思って。じゃま?」
「お好きにどーぞ」
二人が席を立つと、悠里も立ち上がる。瑠璃が近付くと、彼女は「帳簿を付けるから後でね」と言い聞かせた。彼女が帳簿を付けるのはいつも生徒会室であり、その間は邪魔をしない、という暗黙のルールがあったのだ。
言い争った二人がいなくなると、雰囲気は緩くなった。
「はあ……」
「莉緒ちゃん、あんまり気にしないでね。ふたりともいい子なんだけど、ちょっと、ナーバスになってるみたいで」
ため息をつく莉緒に佐倉教諭が励ますように言う。二人とも教え子ではあるし、胡桃に至っては恋の相談までされている。こうした話題には敏感になるのだろう。
そこに少し呑気な声が響く。二年生の祠堂圭だ。休憩室の椅子に座り、携帯ゲーム機を遊んでいた彼女は、イヤホンを外しながら言った。
「いやー。センパイ、モテモテですね♪」
「圭?」
親友の言葉に怪訝そうな声を上げる美紀。一方、圭はというと楽しげに言葉を続ける。
「背も高くてすごくたくましいし、顔だってわりといいよね。おまけにアイツらなんて目じゃないくらい強いしっ!」
「そうっ! ダリオマンみたい!」
「イエスッ、ダリオマンッ!」
途中から入ってきた由紀と一緒に漫画のヒーローの決めポーズをする圭。
「ハンクさんはマスクを着けることでハンクマンになるのだぁっ!」
「イイね、それ。胸には『H』って書いてさ」
ひとしきりそんな話を続ける二人と、毒気を抜かれたようなその他の面々。しかし大きく溜息をつく少女によって会話が途切れた。
「アイツはヒーローなんかじゃないわ。そうならあんな事してないでしょ」
少し赤らんだ顔色を悟らせないように俯いて言う莉緒。圭は立ち上がると莉緒の側に近寄っていく。彼女とは知り合って間もない。僅かな逡巡を見せる莉緒に、圭は頭をそっと撫でた。
「そうだね。ヒーローじゃあ、無いんだよね」
「圭……さん?」
「ハンクさんさ。私が怪我してると見たら、手当してくれて。しかもおぶってくれてね。あそこから出る事すら出来なかった私たちにとってはヒーローみたいな人なんだけど……結局、人間に変わりはないんだよね」
正義のヒーローではない。
その言葉は確かに正しい。莉緒にとっては、かけがえのない兄であり、一個の人間なのである。
「それにね。たぶん、ハンクさんはそういう事はしてないよ?」
「……ほんとうに?」
上目がちに問う莉緒に、圭はにっこり微笑みで返す。
「私をおぶる時にすっごい緊張してたもん。ありゃあ、手も握れないくらいかもね」
「ぷっ」
思わず吹き出した莉緒。圭はそのまま彼女を胸に抱きしめた。
「だから、大丈夫だよ」
「……ん」
「ねえ、みーくん」
「なんですか、由紀センパイ。あと、みーくんて、誰ですか?」
「わたし、けーちゃんより年上だよね?」
「……私に聞かないで下さいよ」
一方。
「さくらせんせー。どうしたの?」
「何でもないのよ、なんでも……」
一番年上なのに、ロクにフォローも出来なかったと落ち込む佐倉教諭は、瑠璃を膝に乗せて密かに涙を流していた、とか。
「ついてくんなよ」
「トイレのついでに見回りとはご立派だね。一人で動くなってアイツも言ってたろ」
アイツとは、ハンクの事である。こと、こういう事にかけては一家言あるのは確かである。そのハンクは今日は自主的に校長室という反省房に入っているため、そのおハチが回ってきただけの話だ。
胡桃はいつものシャベルを持ち、貴依は新しく調達した武器を手にしている。購買に何故か売っていた高枝切り鋏を分解して作った簡易槍だ。テープだけでなく、太めの針金で補強してあるのでかなり頑丈である。土台がモップなので不安ではあるが、追い払う分には役に立つと思われる。
「二体か」
「やるのか?」
バリケードの向こうにいるのは二体の『かれら』。少し距離があるのでバリケードを越えても迎撃は出来るだろう。
「アイツ無しでも、イケる」
「んじゃ、アタシから降りるよ」
「おい?」
「リーチはこっちの方が長いからな。牽制してる間に仕留めてくれ」
相手の足を止める。間合いを測る技術がまだ拙い彼女たちには有効な戦術だ。胡桃もそれを理解し、頷く。そういった立ち振舞を貴依は彼から教わっている。
バリケードに登り、降りるまでの間に出る音によって、『かれら』は少し接近していた。貴依は槍を僅かに振ると、静かに前に進む。槍の届く範囲に入ると、その足元目がけて小さく振った。
「ち」
目測が甘かったのか、槍は空を切る。『かれら』の歩みは遅いので再度振ると、今度は足首に当たった。簡易槍とはいえ、先端は金属で針金をきっちり巻いたものだ。足に当たれば掬って倒す事が出来る。『かれら』は態勢を崩して倒れた。
「てえいっ」
そこへ胡桃の容赦ない一撃が振り下ろされる。一階の廊下に血の染みが広がる。
「声デカいよ」
「ごめん、つい」
「やべえ、戻るぞ」
中央の出入り口から、何体かこちらに向かってくるのが見えた。もう一体を仕留めるのは難しそうなので貴依は撤退を提案、胡桃も頷いてそのままバリケードを登り始める。武器の槍とシャベルは向こう側に放り投げ、机を立てたバリケードを登る。向こう側へついてひと息した所で、『かれら』の集団が机にのしかかって来た。
「胡桃がデカい声出すから」
「文句言う前に突け、突けっ!」
机の隙間から槍やシャベルを突き入れる。追い払う事が目的でもあるが、うまく首元や頭などに刺さることもあり、それで何体かは動かなくなる。だが、机に掛かる圧力は一向に消えない。後から後から、『かれら』が補充されるようにやってくるからだ。濡れそぼった身体を揺らして近付く『かれら』に対し、二人は危険を感じて撤退を決めた。
「ヤバいぞっ! 敵襲だーっ!」
「あ、アタシらのせいじゃないかんねっ」
一方そのころ。
『空気が湿ってきたな。雨が降ってるぞ』
『な、なんだって?』
校長室にて落ち込んでいた九郎に、雨の到来をハンクが告げていた。
引き籠もってたため、気付くのに遅れた主人公(笑)
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あめのひのさんげき
更新が遅れに遅れて、ついに年が明けてしまいました。面目次第もありません。こんな感じですが、今年もよろしくお願い致します。
「元気そうじゃないか、xxx」
「今週退院でしょう? 良かったわね」
病室で暇にしていた俺を見舞ったのは同僚だった。やたら体格のいいアイツともう一人。共に成績優秀で張り合う姿も様になってる、いわゆるライバルのような関係だが、さっさとくっつけとも言いたくなる。似合いの美男美女なのだ、コイツら。
「よくなんかないぜ。危うく殉職するトコだったんだぞ?」
背中から入ったナイフが腹膜を破り、一時は死にかけていたのだ。舐めてないで防刃ベスト着ておくべきだったと後悔したのは、ベッドの上で人工呼吸器を咥えさせられていた時だった。おかげで少し健康になってしまった。入院中は酒もタバコも駄目だからな。
「そんで? 俺はどこに転属?」
任務中の負傷ではあるが、失策には違いない。どっかに飛ばされるかと覚悟していたのだが、彼らが伝えてきた内容はとびきりだった。
「はあっ? オレが特殊?」
「ヘリ操縦のライセンスあるんだろ? 新任の隊長がイチオシしたって話だし」
「新設の部隊なんだって。山岳救助なんかも受け持つからって聞いてるけど」
ヘリの免許はたまたまだ。軍で修得出来たのは運が良かっただけ。
「でも、良かったわ。顔見知りが同期ってなかなか実現できないもの」
「顔見知り? おいおい、彼氏とかじゃないのか?」
「よせよ、クリス。こんなじゃじゃ馬お断りさね」
「そうよ、クリス。こんな根暗オタク、こっちからお断りよ」
「……オーケイ、そういうことにしておくよ」
訳知り顔でニヤニヤする筋肉質な男は、警察学校で知り合ったナイスガイだ。ハイスクールから空軍に入ったのに、さっさと警察官に転身とか意味が分からんが、俺も人の事を言えた義理じゃない。気持ちもサッパリしてるし正義感もアツい。オレが女だったら惚れるとこだね。まあ、筋トレの回数を程々にしといたら、だが。
同期に地元での顔見知り、ジルが居たのも実のところただの偶然だ。顔もスタイルも抜群、その上成績まで優秀だとか世の男どもの羨望を一身に集める才媛だが、その内面はえらく攻撃的だ。地元で何度小突かれたか、把握出来てないからな。
「伯母さん、心配してたんだから。ちゃんと連絡してあげなさいよ」
「はいはい」
「はいは一回!」
「サー、イエッサー」
戯けて敬礼してやる。ガキの頃からおふくろの真似して俺を管理しようとするところは、本当にやめてほしい。そもそも十二も離れたおっさんだぞ、俺は。
「お、おう……?」
「xxx?」
と、いきなり意識が途切れる感覚に襲われた。
「ちょ、傷口開いたの? ドクターッ」
「おい、ちょっと落ち着けジル」
急いで駆け寄る彼女の焦った顔が見える。おいおい、いつもクールに決めていても、それじゃあダメだろうが───
「……きて」
遠くから、誰かのこえがする。
聴いた覚えのある、だれか。
でも、なかなかはっきりとは思い出せない。
ゆらゆらと揺蕩う意識の中で、俺はぼんやりとそう考えていた。
「起きて、お兄ちゃんっ!」
「……莉緒?」
「は、反省するために籠もってたのに、寝コケてるんじゃないわよっ、もうっ!」
俺の身体にしがみつくようにして涙ぐむ、大切な存在。今生での、もはや一人しかいないであろう、俺の家族だ。
頭を振って意識を覚醒させる。
校長室の中には莉緒の他に由紀、悠里、瑠璃がいる。
みんな不安そうな様子である。
「ハンクさんっ、下からアイツらいっぱい上がってきてるの」
「なんだって?」
俺はカーテンを開けて外の様子を見た。どんよりとした雲間から激しい雨が叩きつけるように降っているのが見える。
「あ……雨か」
迂闊だった。
今まで雨が降っていなかったから油断していた。『かれら』は何故か雨が降ると凶暴化してくるのだ。
『で、でも。対処法が無いわけじゃない』
『かれら』は生前の記憶を残している部分がある。原作では下校放送で帰っていくのだ。
「今すぐ放送室に行って、下校放送をして下さい」
「えっ? な、なんでそんなこと」
「『かれら』を学校から帰すんですよっ」
戸惑う悠里。言ってる事が理解しづらいのは分かるけど、今は素早く行動してほしい。
「君たちも一緒に行って。部屋からは出ないように」
俺は斧を手に取り、警棒とナイフをベルトに留める。そしてバックパックの奥からP226を持ち出し、内ポケットへと収める。皆がギョッとした視線を向けるけど今はそれどころじゃない。早くしないとあの時のような悲劇が繰り返されてしまう。あんな思いはもうゴメンだ。
ドアを開け、素早く中央階段へと向かう。放送室はこの部屋の斜向かいだからそこへのルートを作らねばならない。まだ『かれら』はここまでは来ていないようだが、それも時間の問題かもしれない。
「でりゃあっ!」
「くそ、このっ」
物理実験準備室の辺りで胡桃と貴依が戦っていた。貴依が牽制し、胡桃が仕留めるという連携をハンクの教練どおりに行っている。その後ろにいるロングの髪を束ねた女性は加勢しようか迷っている様子だ。
「めぐねえ、アンタが行っても足手まといだよ」
「く、九郎くん? そ、そんな本当のこと言わなくても……」
「胡桃っ、貴依っ、交代だっ!」
「ハンクッ!、助かったぁっ」
「貴依、押すぞぉっ!」
シャベルを横にして『かれら』を押し出すようにする胡桃。貴依もそれに習って二人で接近する『かれら』が追い払われる。その隙に二人とスイッチする。ふたりとも額は汗びっしょりだし、返り血もひどいことになっている。
「さんきゅ」
「アタシらのせいじゃないからね」
ん? 雨の日は彼女たちのせいじゃないだろ?
二人が下がったのでバックアップにはめぐねえが入る、のだけど。かなりへっぴり腰なのでアテには出来ない。そもそもハンクに任せれば何てことは無いはずだ。
『ハンク、頼む』
『…………へ?』
ハンクからの返答は無い。
『おい、意地悪ならやめろ。洒落にならないっ!』
じわりと、汗が滲む。
一向にハンクの声は聞こえない。
そして俺の身体を動かすことも無い。
けど、現実は非情だ。
追い返されて倒れていた『かれら』を乗り越え、別の『かれら』が近寄ってくる。その距離、二メートル。
『や、やらないと』
ハンクが出てこないというのなら、俺が、自分でやらなきゃならない。途端に脚が竦むのが分かる。どうしても、俺は苦手なのだ。こういうことが。
『かれら』が腕を伸ばしてくる。すぐに届く距離だ。別の個体もいるし、その後からは続々と姿が見える。
『……』
いつか見た光景。
それがゲームなのか、現実なのか、空想なのか、夢なのか。判別は出来ないけど、明らかな既視感。そう、俺は
ぐああ……
『かれら』の、声にならない声が間近で聞こえる。そう、これも覚えがある。聞いたことがある。こんな声を。
その手が、
俺を掴むことは、無かった。
「うぐ……」
「めぐ、ねえ……?」
「へいき? 九郎君」
佐倉慈は。
この期に及んで、人の身を案じていた。
肩を『かれら』に噛みつかれ。
痛いであろう筈なのに。
「アアアア゛ッ!!」
めぐねえに噛みついた奴の頭が消し飛ぶ。彼女には当然、当てない。左手で抱え、右手のみで斧を振るう。近付く『かれら』は、紙切れのように切れていく。
こんな簡単なことが、出来なかったのか。
大振りの一撃で二人まとめて首が飛んだ。
やろうと思えば、出来たことだった。
続けての一撃で三人が脚を切られる。のたうち回る奴は首を踏みつけ、叩き折る。
俺が出来ていたのなら。
「……くろう、くん」
恐れたりしなかったなら。
「もう……やめ、て」
寝コケてなんていなかったら。
「もう……いない、よ?」
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ……」
気が付けば。
廊下は血の海となっていた。
冒頭の部分は、決して別のノベルとかではありません。間違いみたいに見えますけど、違うです(言い訳がましい)
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後輩、がんばる
下から『かれら』が大量に押し寄せてきている。そう聞いた私は、置いてあったバットを手に職員休憩室から飛び出した。
「ちょ、美紀? 待ってよ」
「圭はそこに居て! 危ないから」
彼女の足の捻挫はまだ完治していない。恵飛寿沢先輩や柚村先輩は中央階段で防いでいる。でも、こちら側にも階段はあるのだ。
思った通り、下からわさわさと上がってくる『かれら』だけど、こちらは意外と数がいない。多分、大声で戦っているあちらに多く向かっているのだろう。先輩たちに感謝。
「よっ……」
踊り場の壁面の把手を握り、ぐっと力を込める。これは防火扉であり、引く事で階段区画と通路側を遮断出来るようになっている。引かないと開かないので、『かれら』には開けられる心配は無い……筈なんだけど。
「う……おっもい……」
錆びついているのか立て付けが悪いのか。扉はびくともしなかった。私が悪戦苦闘していると、バリケードの机が揺さぶられる音がする。
態勢を変えて体重で引っ張る。でも、動かない。目をつぶって踏ん張っているとお腹の辺りに違和感があった。
「ひぃっ?」
「美紀のかわいい声、いただき♪」
「け、圭! 待っててって言ったでしょ?」
背中から身体を押し付けるのは、私の友だちだった。すえた臭いが近づいているのに、彼女の香りはなぜか甘い。おかしいな、同じシャンプー使ってる筈なのに。
「いっせーので引くよ」
「わ、分かった」
「「せーのっ!」」
女の子とはいえ二人分の体重に、ようやく扉は動いてくれて。バタンと扉が閉まった瞬間に向こう側から机の雪崩れる音が響いてきた。
「だ、大丈夫?」
「このくらい、平気だよ」
本当は手のひらがすごく痛い。でも、そんな事は言ってはいられない。圭の手を引いてすぐに戻る事にする。あ、バット、向こうに置いてきちゃった……
「ハンクさん、どうしたのかな」
圭の落ち込んだ声に心が苛立つ。圭に対してではない。彼女の言った精神異常者に対してだ。
「この非常時に高イビキとか、いい神経してるわよね」
「体揺すってるのに起きないみたいだし……」
そう呟いて圭がこちらを見る。ああ、やっぱりかわいいなぁ。
「サイッテー、とか言われたからかな?」
「はぁっ?」
え……そんなにショックだったの? メンタル弱そうだと思ってたけど、それはあまりにもだろう。
「くす」
「む、からかったなぁ」
「ふふ。案外、気にしてたんだね」
「う」
圭は時々、すごく勘がいい時がある。私が分かりやすいだけなのかもしれないけど。気まずさに口を尖らせると、彼女も少し黙った。前方からは恵飛寿沢先輩や柚村先輩の声が響いてくる。
「あっちは防火扉、間に合わなかったみたいだね」
「あそこ閉めちゃうと屋上にも逃げられないし」
そういう見方もあるけど、籠城するなら防火扉は絶対使うべきだ。先輩たちの判断は誤っていたとしか言えない。
それに、この事態になっても起きないあのバカにも責任はある。
本来、そうした指示は彼がすべきことだ。一番大事なときに、何をしているんだアイツは。私なら、それこそさっきのバットで殴ってでも起こすのに。
「今すぐ放送室に行って、下校放送をして下さい」
「えっ? な、なんでそんなこと」
「『かれら』を学校から帰すんですよっ」
校長室の近くに来ると、アイツの声が聞こえてきた。やっと起きたのか。
ガラリと扉を開けてアイツが飛び出していく。見送るように彼の側にいた子たちも出てくる。
「九郎さん……」
さも心配そうな顔の若狭先輩。
うん、なんとなくだけど、分かった気がする。
これはアレだ。
恋しちゃってる人の顔だ。
「りーさんっ ハンクさんに言われたようにしないと!」
「あっ、そ、そうね。」
丈槍先輩に腕を引かれ、二人は放送室へと入っていく。下校放送をしろと言っていた。『かれら』には生前の記憶というか習慣を行うフシがある。下校放送がかかれば、帰っていくかもしれないということか。
確証はないけど、駄目で元々なのだろう。この状況は如何にもマズイ。
「ね、美紀。あの子、ヤバくない?」
考えている最中に圭が話しかけてきた。ああ、もう。なに?
いつの間にか。
アイツの妹の莉緒とやらが、かなり前の方に進んでいたのだ。折しも前線を交代した恵飛須沢先輩や柚村先輩のすぐ側の辺りである。
ちなみに若狭先輩の妹の瑠璃の方は、放送室とそちらの方をキョロキョロ伺っている。どちらに行こうか迷ってるらしい。いや、迷う所じゃないでしょ。
「圭、瑠璃ちゃん連れて放送室に入ってて」
「美紀は?」
そんなのは決まっている。
私はすぐに駆け出した。
「バ、バカ。あぶ、ねえぞ?」
「に、げろ、莉緒……」
先輩たちが息も絶え絶えに、でも彼女を気遣っていた。それは当たり前だ。私たちより小さな彼女にとって『かれら』は対処できない脅威なのだから。
私は手を伸ばし、彼女を後ろから抱えあげようとした。
ぴたり。
「……え?」
私は、行動を止めていた。
いや、止めざるを得なかった。
何故なら、銃口がこちらを向いていたからだ。
「すまん。邪魔をしないでくれ」
彼女は。
振り向きざまに拳銃を構えていた。
初めは玩具かと思ったけど、その迫力に気圧された。
動いたら撃たれる。
そう、確信していた。
「……ぇ」
理解が追い付かない。
なんで、彼女が拳銃を持っているの?
なんで、そんなふうに扱えるの?
なんで……
「アアアア゛ッ!」
そこへ、耳を
肩を噛まれた佐倉教諭が。
アイツを庇うように抱きついていて。
アイツは、手に持った斧で、『かれら』の頭をすっぱり切り落としていた。
「……お、おい」
「めぐねえ、噛まれた、よな?」
動揺を顕にする先輩たち。
それはたぶん私もそうだ。
奴らに噛まれたら、『かれら』になる。
それがこの理不尽な世界のルールなのだから。
「ガアアッ!」
噛まれた佐倉教諭を抱きかかえたまま、アイツは斧を振り回す。『かれら』がまるで小枝のように断ち切られ、四肢をバラ撒き、頭を砕かれる。
パスッ
近くで音がなった。
莉緒が拳銃を発砲したのだ。
アイツに掴みかかる『かれら』の頭にそれは命中した。それで倒すには至っていないけど、アイツを守るという行動には成功していた。その後に振るわれた斧によって、その『かれら』は物言わぬ躯となった。
「ふむ。mk.Ⅱでも反動があるな。子供ではちと厳しいが、まあなんとかするか」
なんだ?
莉緒という子は、こんな話し方をしていたか? たしかに年に比べたら大人びてはいたけど。
『下校時間になりました。生徒の皆さんは、速やかに下校してください』
そこへ、場にそぐわない校内放送が流れてきた。声は丈槍先輩だろうか。
それを聞いた『かれら』は、一瞬動きを停めて、ゆっくりと踵を返していった。階段が苦手なので殆どが倒れていたけど、立ち上がってまた下の階へと降りていく。
放送の効果は覿面だったようで、窓から表を見れば、校庭から外へ向かう『かれら』の姿が確認できた。
カラン、どさり。
糸が切れたように、アイツが倒れた。
それでも、佐倉教諭を床に落とさないように抱きしめていた。
「ど、どうするよ」
「どうするって、おまえ……」
先輩たちは顔を見合わせていた。
どうしようか判断がつかないようだ。それはそうだろう。一人は気絶しているし、一人は『かれら』に噛まれているのだ。
だが、そこで指示を出す者がいた。
「二人を運んでくれ。校長室へだ。サクラは手錠で拘束。手錠はクロウが所持しているからそれを使え。ミキは防火扉を閉じておいてくれ。バリケードの作り直しは後回しだ」
莉緒は、坦々とそう告げた。その異質さはなんとも形容し辛い。まるで軍隊で上官が命令するような口調なのだ。
「復唱はどうした?」
キッと睨む彼女に、私たちは抗い難いモノを感じた。だけど、その指示はおおよそ正しい。閉じ込めるには個室が必要だし、校長室の机やソファーは重い立派な物だ。手錠で拘束すれば下手に動くことは出来ない。
のそのそと先輩たちが体を起こし、二人を担いで動き出す。私は散らばる『かれら』の亡き骸を、階段から落としていく。このままだと、防火扉が閉められないからだ。
こちらの防火扉は普通に動いてくれた。作業をする間、莉緒は近くを警戒していた。拳銃を手に廊下や階段に注意を払う仕草は、とても小学生の行動には見えない。
私は疑問をぶつけずにはいられなかった。作業が終わり扉を締め切ると、私は彼女に質問をした。
「もしかして……ハンク、ですか?」
「さすがに才女と言われるだけあるな」
「そんな、バカな……」
その時の私には、それくらいしか言えなかった。だって……妄想の人格が、他の人に移るなんて。
──あり得るはずがない。
みーくんのSAN値が削れていくぅ……
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事後処理とこれからの方針
校長室に運び込んだ二人の容態はいいものではなかった。
佐倉先生は高熱を発していて、意識が戻らなく、うわ言のように『ごめんなさい』と謝り続けていた。噛まれた部分は一応消毒をして、水で洗浄して、包帯を巻いておいた。やったのは若狭先輩。元保健委員だったらしく、その手際は相当に良いと思われる。ただ、噛まれるのではないかとビクビクしながらだったので、作業自体にはかなり時間を要した。
「これを注射する」
莉緒は、いやハンクは、傍らに置いてあったケースからある物を取り出してこう言った。それは玩具の銃のようにも見えるが、私はそれを見たことがある。映画とかで出てくる押し付けて注射するタイプの注射器だ。
「そ、それ。何だよ?」
「特効薬であればいいのだが、そこまで完全ではない、らしい」
恵飛須沢先輩の問いに、にべもなく答える彼女。
「それって……治験は、臨床試験は通っているんですか?」
確かそういった試験を経ていない薬品は、使ってはいけないもののはず。ハンクが大人であるならそれも答えられると思ったのだけど、彼女は軽く笑って手を広げた。
「そんなもの、通る筈もない。何せこの感染症自体、日本の政府は元より世界のどこの国でも認知はしていない」
「そんなものを、佐倉先生に射つつもりなの?」
「ああ。少なくとも関係スジの作ったものだ」
「「関係スジ……?」」
「ランダルコーポレーション。聞いたことはあるだろう?」
思い当たるなんてものではない。ランダルコーポレーションと言えば世界企業でも有数のビッグネーム。基幹産業は薬品製造だけど、その他にも色々と手を伸ばしている。
ここ巡ヶ丘に日本支社があり、周辺の開発にもかなり関わっているらしい。そういえばこの巡ヶ丘学院高等学校も、そのうちの一つだった筈だ。
「もういいか?」
「ま、待って、下さい」
急くように言うが、あいにくと頭の回転がついてこない。分かるのだ。感染症だとすると細菌なりウィルスなりが廻り切る前に投与して阻害する必要がある事くらいは。
でも、ハンクがなぜ、それを持っているのか。そこを明らかにしない限り、信用する事はできない。私は恐る恐る聞いてみた。
「入手場所? リバーシティートロンの地下避難シェルターだ」
「え、ええ……?」
リバーシティートロン。
巡ヶ丘の市内にあるショッピングモールである。な、なんでそんなところに。
私が驚愕している間に、彼女は行動を起こしていた。
「クルミ、タカエ。済まないがサクラの身体を押さえていてくれ」
「お、おう」
「任せとけ」
先輩たちが佐倉先生の体を押さえつける。そんな事をしなくても、今の彼女は明らかに弱々しい。だけど、いきなり凶暴化して噛み付いてくるのが『かれら』なのだ。
足を押さえる若狭先輩などは目を瞑っていた。佐倉先生とはかなり親しい様子だし、辛いに違いない。
その右腕に機材を押し当て、プシュッという音がする。投与されてもすぐに効果がある訳ではなく、佐倉先生は未だに熱に浮かされたように呟き続ける。「ごめんなさい、ごめんなさい」と。
もう一人の方は、怪我はしていなかった。ただ、意識を取り戻す様子はなく、昏昏と眠り続けている。
看病についているのは小学生の瑠璃ちゃんと同年代にさえ見えかねない丈槍先輩。思ってはいけないのだけど、どう見ても微笑ましい。
「今は寝ていてくれた方が有り難い」
その様子を一瞥して彼女が何をしているかというと。なんと、使っていた拳銃や彼の所持していた拳銃を分解していた。
私より小さな手が、器用に拳銃をバラバラにしていく。まるで魔法のように思える。近くで見ていた圭が目をキラキラさせている。
「うわー、あの映画でもやってたよね。こーいうの」
あの災厄の日に見ていた映画にもこんなシーンがあった。エージェントが銃のメンテナンスをしているシーンだったと思う。尤も、そのエージェントは三十代のイケオジだったので、違和感が凄いのだけど。
ただし、使っているのはタオルや手ぬぐい、後は某メーカーの有名なアレ。先端ノズルを付けて時折シューシュー吹きかけ、拭ったり磨いたり。手際が良いのだろうけど、それも違和感であったりする。
「お父さんが扉の蝶番とかに使ってたやつだ」
「これでもきちんと洗浄できる。それに、入手しやすいからな」
「へえー」
確か自転車用品とかにも置いてあったと思う。
「長い間仕舞われていたせいか動作に違和感があった。本来はノズルの清掃だけでも構わなかった」
カシン。
遊底をスライドさせる動きもスムーズだ。説明によるとこちらのスマートな方はスタームルガーmk.Ⅱ、よく見る形状の少しゴツい方はP226というモデルらしい。
「
「……なんでそんな物を持っているんですか?」
カシン
拳銃のスライドが鳴る音が響く。
まるで、場が凍りついたかのような錯覚を覚えた。
聞いてはいけない事なのかもしれないけど、聞かないで済む話でも無い。場合によってはハンク、そしてその媒体とも言える半澤九郎やその親族も犯罪を犯していた可能性があるのだ。
それを咎める権威が効力を発揮するとは思えないけど、倫理観というものは簡単には覆らない。
「拾ったのだが?」
にも関わらず、彼女は(主張から言えば彼なのだが)さも当然と言ってくる。
「こんなものがどこに落ちてるのですか? ここは日本ですよ?」
「平和で治安の良い国だったのは知っている。こういった物に手が届く人間も少なかっただろうな」
そのとおり。一般の警官だとしても、安全性重視の
「先ほど使った薬品と同じ場所で入手した」
「え……?」
にわかに動揺が広がる。
圭と一緒に避難していたあの場所に、そんな物があったなんて。
「あのショッピングモールはランダルが出資しているそうだな。隠れ蓑としては都合良かっただろう」
……意味が、分からなかった。
日本の、どこにでもあるショッピングモールの地下に、なんで未知の感染症に対しての薬品とか、拳銃なんてものがあるのか。
現実感の乏しい発言はさらに続く。
「そちらの銃で自害していた。ああ、安心してくれ。それはヤツの使っていた物ではないから」
「り、莉緒ちゃんっ!」
「……ああ、済まない。配慮を欠いた発言だったな」
おざなりに頭を下げる
それもその筈だ。そんな話を聞かされれば、私だって青褪める。ほんの少し前までは、普通の女子高校生だったのだから。
「隠してあった拳銃は全部で六丁。荷物の都合で持ってこれなかった小銃もあった」
「あ、ありえません」
思わず、大声を上げてしまった。空気がうまく吸えずに息が浅くなっている事を自覚する。なのに、彼女は顔色一つ変えない。
「常識を超える事象に直面すると、大抵の人間は思考を放棄する。そういう意味では君は、至極理性的だ」
坦々と語られる言葉は、まるで物語の語り部のようだ。こちらの動揺などを意にも介さずに続けられる。
「生き残るためには考えることを放棄してはいけない。だが、思考に耽るだけでもいけない。最善を考え、冷静に迅速に行動することが肝要だ」
「……莉緒ちゃん、言ってることが難しすぎるよぅ」
丈槍先輩が涙目で言っている。彼女は中身がハンクに入れ替わっている事を理解出来ていないようだ。
……いや、私だって理解はしたくはない。
だけど、あの青年のもう一つの人格と非常によく似ているのだ、今の彼女は。
それは言動だけではない。
拳銃を用いての正確な射撃や、撤退時の判断などを考慮しても、ハンク自身であることは疑いはない。
つまり、そうであると認めるしかないのだ。
丈槍先輩以外の全員も、恐らくそう思っているはずだ。
「ハンク……よう。それで、これからどうするんだ?」
「そうだ。佐倉先生が噛まれて、アイツは目を覚まさない。ヤバイぞ」
「く、九郎さんは、ちゃんと目を覚まします」
「でも、今はアテにできない。それぐらい分かんだろ? りーさんっ」
「……」
先輩たちの言い争いはこれからへの不安の表れだ。これまで中心的だった半澤九郎の不在と、佐倉先生の感染、それにハンクが不明瞭な存在だと判明した事も大きい。
カシンッ
金属音が響く。莉緒が拳銃に弾倉をはめ込んだ音だ。注目を集めるためにわざと大きくさせたのだろう。彼女は皆を見回してこう言った。
「戦うための武器はある。だが、それを扱える者はここにはいない。ならばやる事はただ一つ。扱えるようになればいい」
「
寒くてスマホでも更新できない……手袋買わなきゃ (ヘタレのたわごとw)
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罪の代償
本当に申し訳ないm(__)m
暗い道を走る夢。
いつの頃からか見るようになった、お決まりの夢。
アメリカの下町のような通りを走る俺は、なにかに追われているらしい。喉はひりついて激しい渇望感に襲われていた。
『xxxxx……』
呻くような声がはるか後ろから聞こえた。通りの横道へ曲がり、建物の陰に隠れた所でさらに加速した。すでに体力は無くなりそうだが、なんとか無理やり動かす。
前に出てきた人間のようなものが、俺を止めようと掴みかかってくる。咄嗟に首筋に肘を叩き込むと、そいつはもんどり打って倒れた。気にしている場合ではない。すぐに逃げないと、ヤツが来る。すぐに駆け出すと俺は懐から何かを取り出した。
「ちっ、予備弾倉持ってくるべきだったぜ」
走りながら、拳銃の弾倉に弾を詰めている。弾はカーゴパンツのポケットから鷲掴みにして出している。何発か落としているけど、そんな事もお構い無しだった。
夢だからこんな事も出来るのかと、客観視する自分もいる。おかしな話だ。
「くそったれっ!」
フル装填した拳銃で、迫るソイツらを撃っていく。弾の限りはあるし、敵の数も分からない。的確に頭だけを撃ち抜いていく自分の腕に、僅かながらに余裕が生まれた。
「xxx、見たか。俺だってやれるぜ」
凄腕の同僚に見せてやりたい。今の俺なら十分競えるレベルの筈だ。
そうして思い出したのは、一人の女。
「xx。無事だよな」
ヤツが俺を追っているのなら、無事な筈だ。いつもの憎たらしい笑顔を思い出すと、力も湧いてくる気がした。
「……死ねねぇよな」
ふと呟いた言葉に、俺は目が覚めるのを自覚した。
「……う、うん……?」
そこは暗い部屋だった。変な夢を見ていたせいか、冷や汗が身体を濡らし気持ち悪かった。よく見ると校長室なので、タオルを探す。すると、もう一人の寝息がするのに気が付いた。
「うう……」
「……めぐねえ……?」
ソファの脚に手錠で括り付けられためぐねえが、苦しげに呻いていた。
そして俺は、さきほど起こった惨劇をようやく思い出した。急いで近寄ると声をかけた。
「めぐねえ、大丈夫か?」
返事は、ない。苦しげに呻いているのは肩口に巻き付けられた包帯が示していた。
拘束されているところを見るに、悠里や胡桃たちは処置はしたけどとりあえず隔離、という形にしたのかもしれない。
その首筋に触れると驚くほどに冷たい。すでに『かれら』化が進んでいる状態にあると思って間違いない。
俺は自分のリュックを探した。
「び、予備が……あった、はず」
汲んであった水のペットボトルをリュックから取り出す。いざという時のために汲み置きしているものだ。
ついでに抗生剤も投与しておこうと保管ボックスへ向かう。原作では投与していたし、栄養剤だと断じていた向こうの青襲は実物を見てはいない。効果が皆無とは言い切れないのだ。
だが、そこには使用済みの注射器しかなかった。中の薬品が空になっていたのだ。
『……誰かが投与したのか?』
そうとしか考えられなかった。
中には説明書もあり、分かりづらい文言で書かれてはいるけど、
だが、疑問も残る。
ここにこれがあると知らなければ、開けて投与するなんて出来はしない。俺は誰にもその事は教えてはいない筈だ。一体誰が、ここにある
「……ぅぅ……」
……考えていてもしかたない。
それより一刻も早く、この水をめぐねえに飲ませなければ。本当の特効薬はこちらなのだ。
俺はボトルキャップを開け、その口をめぐねえの唇に当てる。いきなり発作が始まり、噛みつかれるかもしれない。
でも、そんなことを言っている場合ではない。首の後ろを右腕で支え、左手で水を注いでいく。
「かふっ、ぅ、けほっ」
「めぐねえ、ちゃんと飲んでくれよ……」
薄紫色の唇から、水が溢れる。どうもうまく嚥下してくれない。意識のない人間とはそういうものなのだろうか。だとすれば手の打ちようが無い……。
「……ぅ」
顔色は土気色で、息もか細い。
身体は冷たいのに汗が額に滲んで、桜色の髪が額に張り付いていた。痛々しくて、とても正視してはいられないけど、目を逸らすことも出来ない。
ふと、出会ったときの事が思い出された。
それはまだ在学中の話。
下校時刻も近くなっていた頃、作業用の一輪車を押すめぐねえを見かけた。
その上に積んだ肥料の袋は三つ。女性の手には余るように思えた。あまりにも不安だったので手伝うと声をかけると、彼女は自分の仕事だと言って断ってきた。
「先生こう見えても、おっとと」
「危なっかしいっなぁ」
押している手押し車がバランスを崩しそうだったので横から手を貸した。
「あ、ありがとう」
「このまま屋上? なら、担いだ方が良くね?」
「職員用のエレベーターがありますから、このままでいいんですよ」
「さいですか」
そのまますり替わるように一輪車を押すと彼女はようやく諦めたようだ。少し先に歩いて階段の奥にあるエレベーターのボタンを押す。
「──君は、妙なひとですね」
「そうですかね?」
「自覚無しですか? これは相当なモノです」
エレベーターの中で、そんな会話をした。まだあどけなさが残る新任の教師であるめぐねえは、気さくに話しかけてくる。元より生徒との距離が近いとの評判の彼女はこの頃はより近いため、勘違いをする男子生徒が続出する事態を起こしていた。
先輩の神山先生が事あるごとに注意をしているのを見かけたことも多かった。
「こんなの、部員に任せとけばいいのに」
「今日はみんな、用事があるらしいのよ」
「体よく使われてるだけって自覚ある?」
「! ……むぅ」
お返しのイヤミに頬を膨らませるその姿は、やはり可愛いとしか思えない。威厳ある教師像とは全くかけ離れた存在。それが彼女なのだ。
エレベーターを降りて三階に。屋上へは中央階段からしか行けないのでどうするか聞くと、階段前まではそのまま行っていいそうだ。
「お、半澤。今日は園芸部の手伝いか?」
廊下で男性教諭に声をかけられた。
「佐倉先生の手伝いっスよ」
「感心感心。早く帰れよ」
「ウィッス」
「失礼します」
丁寧にお辞儀をするめぐねえにその教諭はやや顔を赤らませて答える。既婚者の男でもこうなるのだ。そういった事に免疫のない男子生徒に刺さりまくるのは自明の理だな。
「半澤君は田川先生と親しいの?」
「田川は空手部の顧問だからね。入学当初は熱烈なアプローチだったんスよ」
もっとも、それは田川に限らずだった。他の運動部系は軒並み勧誘に来ていたのだ。それを全て断るのはなかなかに骨であった。
「今更だけど、部活には入らないの?」
中央階段に着いた所で、めぐねえがそう言ってきた。一輪車はここまで。俺は肥料の袋をまとめて肩に担ぐと、上に向かって歩き出す。三十キロの負荷は意外とキツイが、なんてことはない。
「は、半澤くん。私も持つからっ」
「いいっていいって。これも鍛錬、だよ」
正直言うと、危なっかしいので。のしのしと階段を登り、屋上の扉を開く。そこは既に夕焼けの朱に包まれていた。
肩に担いだ化成肥料の袋を園芸部のロッカーに積み込みながら、俺はさっきの問にこう答えた。
「俺の目的は身体を鍛える事なんで。偏るからダメなんですよ。一つの部活だと。総合的に鍛えてかないと、いざという時に頼りにならないんでね」
自分の持論を言うと、彼女はなんだか不思議そうな顔をした。
そしてこう聞いてきた。
「いざというときって?」
めぐねえが、不思議そうに小首を傾げてそう言ってくる。平和ボケという言葉がよく似合う姿だった。
確かにあの頃の状況では、そんな事を考える人間のほうが絶対的に少なかっただろう。いつもと変わらない日常が、明日もまた来ると信じて疑わない……そんな、普通のひとの、普通な応対であった。
「めぐねえは、暢気そうだもんな」
「のんき……、っていうか、めぐねえとか呼ばないで下さいっ」
「ははっ♪」
「もうっ、笑うんじゃありませんっ」
ちっとも怒ってないような様子のめぐねえとのくだらないやり取り。
普段は見せない少し柔らかなその顔は、やはりめぐねえらしかった。夕暮れの屋上での僅かな逢瀬ではあったけど、忘れられない思い出だった。
「……君は妙なひとですけど、ずっと先を見据えているんですね。すこし、うらやましいです」
そう呟く姿は、年相応の女性に見えた。
自分の未熟を責め苛む、ただのひとだ。
そんな彼女を励ましたかったのか、自然と言葉が漏れた。
「めぐねえだって、頑張ってるじゃん」
「え……?」
「これだって、生徒のためを思ってやってたんだろうし。偉いと思うよ。尊敬するよ」
「あの……そんな褒められる事では……」
ちょっと褒めると恥ずかしそうに肩を竦める。
その様子が面白くて話し続ける。
「授業だって分かりやすいって評判だし。ただ説明が長いのはちょっと問題だけどな」
「あ、はい。それは神山先生からも言われておりまして……是正していきたいと思っています」
何故かぺこぺこ謝りだすめぐねえに思わず頬が緩む。一喜一憂する様は、まるで実家にいる妹のようで……つい、頭を撫でてしまっていた。
「あ……」
「……(なでなで)」
「……あ、あの……」
「……(なでなで)」
「うう……せんせい、大人なのにぃ」
抗議はしているものの、手を振り払うこともせず……しばらくされるがままだった。さすがにマズいと思って手を離す。
「……私、あなたより年上なんですよ?」
上目遣いでこちらを睨む。しかし前世込みならこちらの方が年上だ。
「なんか、妹を思い出しちゃってさ」
「もうっ 大人をからかって……妹さんて幾つなのよ」
「こないだ二年生になったはず」
「そう……なんだ」
小学生だというのは伝えていないけど間違いではない。中学とか高校とかと勘違いしているかもしれないけど、今は追求はしないだろう。
──そんな、幸せなひとときの、思い出。
あの時と同じように、髪に触れる。
優しく撫でると、少しだけ息が安らかになった気がした。
俺は意を決して水を口中に含むと、彼女の唇に流し込んだ。
「っ……」
こくり。
彼女の白い喉が嚥下した事により動いていた。
代償は俺の罹患。唇の端を彼女が噛んだため、血が滲んでいる。それでも、構うものか。ハンクがいなくなった俺に、存在価値は無い。
俺は彼女を抱きしめ、目を閉じる。
在りし日の姿に戻ってくれと、願いながら。
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顛末、これからのこと
◇以前は美樹視点、以降はハンク視点となります。
「よし。まずまずの成果だとは思う。各人きちんと休息を取るように」
莉緒が、いや、ハンクがそう言って部屋から出ると、残った私達はほぼ一斉にへたり込んだ。一人だけやけに清々しい顔をしているのは恵飛須沢先輩だった。
「いやー、軍事教練とか言うからビビったけど。何とかなるもんだなっ!」
「そりゃあ、お前さんだけだろ。いたた、腕がいてぇ」
「たかえちゃんに同意……」
柚村先輩と丈槍先輩の意見には私も納得だ。ハンク曰く三割くらいの難易度だったらしいけど、体の至る所の筋肉が痛みを訴えている。
夕食の支度があるから先に抜けた若狭先輩も疲労の色は濃かったけど、羨ましいと感じてしまった。
「これで明日は射撃練習か。楽しみだなぁ」
いや本当に元気だな、
拳銃を扱うにも最低限の体力は必要だと言うことで行った訓練なのだが、平和な日本の、しかも女子にはハードル高すぎると思う。
ぐったりとした私の横にはようやく包帯の取れた圭がみんなにタオルを配っている。
「はい、みーくん」
「みーくんいうな……」
丈槍先輩に付けられたあだ名を圭に呼ばれるのはかなりこそばゆい。
受け取ったタオルはちゃんと洗濯されたもので、ほのかに柔軟剤の香りもした。うちと同じ香りに少しだけ嬉しくもなる。
「シャワー浴びたらちゃんと着替えてください。洗濯機回しますから」
「「はーい」」
今日の訓練を受けていないのは圭と瑠璃ちゃんだけ。そのため彼女は雑用を引き受けている。本来なら当番制なのだけど、脚がまだ本調子で無いのなら仕方がない。もう一人の瑠璃ちゃんはというと、夕飯の支度のお手伝いらしい。
「どっこいせっと」
花のJKにあるまじき掛け声とともに身体を起こすと立ち上がる。あちこち痛いけど、不思議と辛い感じはしない。それどころか少しだけ楽になったような気がする。
「そっか……」
精神的なストレスは肉体的なストレスによって軽減される。佐倉先生がああなって、先には不安しかないのに……でも、そういう事なんだろう。身体はとても正直者だ。
良くも悪くも、今日はよく眠れそうだった。
◇
とりあえず基礎の基礎、といった所までは進めたが、どうなる事か。そもそも年齢の満たない女子には成果は上げづらいだろうが、やらないよりはやった方がマシな筈だ。
基準以上なのはクルミのみ。他の者は継続的な訓練を行えばそれなりに動けるようにはなるだろう。
ケイは怪我のせいで始められないし、ルリは幼過ぎるから仕方ないとして……問題はユキか。反応速度はなかなかだが、如何せん筋力が足りない。あの様子だと的に当てることも難しいだろう。
否定的な意見ばかりのようだが評価出来る者もいる。
タカエは全体的にはバランスが良く、長く仕込めばそれなりになると思う。ミキは広範囲への観察力に優れている。二人はクルミのバックアップには最適だと思える。
そんな事を考えていたら、校長室へと着いていた。扉を開くとそこには。
「……」
思わず声が出そうになったが、すぐに中に入り内鍵を閉める。この状況を余人に見せるのは色々と不味かろう。
ソファーの脚に繋がれたサクラを抱きしめて寝コケているクロウの姿は、贔屓目に見ても恋人同士の逢瀬に見えた。二人とも起きているのならば、だが。
「ふむ」
mk.Ⅱを抜き近寄る。『かれら』化が始まっていればクロウも既にヤラれているはず。近くで見ると、どうもそういう様子は無い。サクラの肌は土気色からは脱してほのかに赤みを帯びている。息も正常だ。
むしろクロウの方こそ疲労が濃く見える。その近くにペットボトルの水……か。
学校の水道から汲んだ水が特効薬などと言われてもそんなバカな、と半信半疑だったが……これほどの回復を見せるなら信じられた。
あの街にもこんなものがあったなら、あれ程の被害にもならずに済んだのに。そう思わずにはいられなかった。
もっとも、これが水だけの効果かは疑わしい。注射した薬剤の効能かもしれないし、相乗効果を表したのかもしれない。
『ん?』
気になる事があった。
クロウの唇の端に僅かな血の跡が見える。まさかとは思うが、彼を起こす必要を感じた。
サクラを抱く腕に対して力は入っておらず、簡単に外す事はできた。ごろりと横に倒して馬乗りになると、銃把で額を殴りつけた。
「イッツッ!?」
「おはよう、クソ虫」
「ん? えっ? 莉緒? そ、そんな悪い言葉、使っちゃいけない」
起き上がろうとする所に銃口を額へ押し付ける。さすがにたじろぐが、行動自体に驚いている訳ではない。
莉緒という存在が、銃を向ける、という事に理解が追いついていないだけだ。
「俺が分かるか?」
「え……り、莉緒じゃないか。お前、俺の電動ガンで遊ぶのはいいけど、それ本物だからな」
リオはなかなかにオテンバだったらしい。まあ、それはさておき。
「当人が一番理解出来ないものだな。俺がいなくなってさっぱり忘れたか?」
この言葉で、顔色が変わった。妹思いの兄から、悪鬼のように。
「ハンク……なのか」
「ああ」
その刹那。クロウは飛び起きた。体重の軽いリオは簡単に転ばされ、顔をあげると彼が拳を固め、見下ろしていた。
「なんで、莉緒の中にいる」
「それは俺が聞きたい。なんで俺はお前の中からはじき出された?」
なんで、と聞いてはみたものの大凡の理由は分かっている。だが、彼はまだそれに気付いていないらしい。構えた拳を振り下ろすことが出来ずに、ワナワナと震えている様は、まるで安い映画のようだ。
「……莉緒と、代わってくれないか?」
クロウが苦しげに言う。
だが、それは叶わない。
「お前の時とは事情が違うようだ。彼女はずっと眠りについている」
「……なんだって?」
クロウの時は、彼が起きていないと俺は行動出来なかった。主はあくまでクロウだったのだ。
だが、リオの場合はそうではない。
彼女の意識が無い状況でも、俺が出てこれる。逆に彼女の意識が戻ったときにどうなるかは分からない。
「彼女はきちんと存在している。それは保証する」
「……嘘だったら、ただじゃおかない」
悔し紛れの返答。実際にどうこう出来る訳はない。精神に寄生しているだけの存在に、どんな事ができる?
だが、悪い気はしなかった。チキンだと思っていたこの男の目に、強い意思を感じたのだ。
「どうでもいいがどいてくれないか? さすがに体格差があり過ぎてどうにも出来んのでな」
「わっ……すまん」
妹を押し倒した形であったと気づいたクロウが頭をかきながら退く。距離を取ると拳銃を肩掛けカバンへ仕舞う。ポシェットというのか? ローティーンの女子の持ち物とかに造詣はない。強いて言えば、容量が少なすぎるか。
「サクラは回復したようだな」
「あ、そうだ。めぐねえ」
慌ててサクラへと駆け寄るクロウ。額に手を当て、首筋と手首の脈を測り、ほっと息を吐く。
「……ハンク。あの注射は、お前が?」
「出自は聞いていたし、栄養剤だと確定していた訳でもあるまい?」
「そうだよな。サンキュ、ハンク」
「
「莉緒の姿で英語使われると、少し驚くな」
「その内話すようになるぞ。この子は賢いからな」
「はは、違いない」
サクラをソファーに横たえる。未だに手錠は嵌ってはいるが、もう外しても問題はないだろう。誰がどう見ても、彼女は健康体だ。ありえない程に。
「クロウ。原作においての回復例というのは、実際はどうだったのだ?」
「え?」
彼は少し考えながら思い出し、答えた。曰く、感染から短い間隔で学校の水を摂取したミキは、後遺症もなく回復。しかし長く感染していたクルミの方には下半身不随を発症していたらしい。
「では、今回の事はあり得る、という事で構わんのだな?」
「……実際、ここまで回復が早いとは思わなかったけど、ね」
クロウも半信半疑といった所か。
「まあ、臨床例が出来たという事は喜ばしい事だ」
「……!」
クロウが『いま、気付いたっ』みたいな顔をする。お前、結構抜けてるな。
「ランダル側へこの件を報告すれば、事態の収拾は可能ではないのか? まあ、一筋縄でいくとは思えんが」
「そ、そうだよな……」
なぜか戸惑う素振りを見せる。
「ためらう必要はない筈だ。検体として扱われても、原作では生きていたのだろう?」
「それは、そうだけど……」
聞いていた話では、原作の方ではかなり終盤だったらしい。時間経過も長く、世界は未知の感染症によって危機に瀕していて……滅菌作戦も秒読みだったそうだ。
だが、現状では事件発生から一月も経っていない。そこまでひどい状況になっていない可能性も十分にある。
「アオソイならランダル側へのアプローチも可能だろう」
あの“ボーモン”というアプリは元はランダルの開発だとか。それならセキュリティホールからのアクセスなども出来るだろう。あの才媛なら既に手法は確立しているかもしれない。
「……気になる事がある」
「懸念材料か」
「ああ。まず、連絡出来たとして彼らがここまで来るのは容易ではないと思う。例のジャミングのせいだな」
原作において、混線や停電による電波の途絶はあったらしい。だが、航空機やヘリの飛行を困難にするほどのジャミングの話はなかったそうだ。
「回収の時にヘリも使っていたし、校舎を半壊させたヘリもいた。使えれば簡単にやってこれたんだ。でも、ここでは勝手が違う」
「ジャミングに関して思い当たる事は無いのか?」
ダメ元で聞いてみたが、クロウは頭を振った。
「……ない。細かい齟齬があるみたいだけど、どれが関係しているのかも皆目見当がつかない」
「なにか気が付いたらいつでも言え。些細な事でも構わん」
「ああ」
空路が使えないとなると手段は陸路しかない。だが。
「陸路で動くしかないとなれば、『かれら』との戦闘は避けられない」
防衛戦を構築しなければ対処できない程の戦力だ。その中を突破するのは容易ではないだろう。
「お前ならどうする?」
「少数精鋭での行軍しかないな。大部隊を動かすと被害が拡大する」
基本的に陸上部隊というのは損耗が激しい。ことに敵が『かれら』の場合、接触=感染という可能性がある。簡単に意志が折れるような兵士を大勢連れて行動すれば、その分『かれら』を増やすようなものだ。
「なので潜入に特化した少数で不要な戦闘はせずにここまで到達。速やかに検体を回収して離脱することが望ましい」
「そうなった時に、他の子たちはどうなる?」
……なるほど。
確かにそれは有り得る。
「一人二人なら余積として回収できるかもしれんな」
「つまり、全員で脱出ということには、ならない……」
消え入るような声色。
だが、そこは無視して言葉を続ける。知っておくべき事なのだから。
本来の俺の仕事ととても密接な関係があるのだから。
「一つ昔話をしよう。俺が回収を命ぜられたのはGウィルスのサンプル、あくまでウィリアム・バーキン博士の確保はついでの任務だった」
「……」
クロウは黙って聞き入る。何を言おうといるのかを、彼は把握しているのだろう。
──アレは不幸な事故だった。
不慣れな部下が誤って博士を射ってしまったが、それ自体は任務に支障はなかったのだ。組織はあくまでそのサンプルが欲しかっただけであり、開発者そのものには頓着していなかった。
サンプルがあれば引き継ぐ事は可能だと言うことでもあるし、元よりあのウィルスには商用価値を見出していなかったフシもある。勝手に自己進化を続けるウィルスなど害悪でしかない。商品としてみる連中はその辺りは理解していたようだった。
「企業側の理念とは当然、収支に帰する。人道的な措置が取られる可能性は今回のケースではほぼ無い。リスクが多すぎるからだ」
「……ランダルだけでなくて、自衛隊とか米軍とかは?」
「国はさらに保守的な立場を取る。助けるのも国民だがそれを行うのも国民だ。ただでさえ防衛線の構築で相当数の被害が出ていると思われる。どの勢力でも基本方針は少数による回収となるはずだ」
クロウが苦虫を噛み潰したような顔をする。だが、着眼点は悪くない。
「ただ、複数の勢力に同時にアプローチをかけるのはアリだ」
「……逆に混乱しないか?」
「目標はここで検体は一つしかない。到達するまでは相互協力する事は十分に考えられる」
複数の勢力が共同でことに当たれば成功率も増すだろう。ランダル側としては責任回避のために独占を狙うかもしれない。その抑止力としても期待はできる。
「ランダルコーポレーション以外に対応可能な組織は二つ。一つは日本政府だ」
日本政府がどれくらいの被害を受けているかは分からないが、防衛線構築のために大規模な空爆をするにはそれを認可する政府がなければならない。他国がそれを行うと侵略する意図があったと見られかねないからだ。
責任を負う事の出来る政府要人が一人いればいいだけの話なので、政府という形ではないかもしれない。しかし、体面だけでも政府なのだ。事実を知ったら無視はできないはず。
「もう一つは……」
「
基本的に、他国への派兵というのは体面が必要だ。国連からの要請で米軍が動いている筈なので大本の方へ情報を渡す必要がある。
「基本方針はこんなところか。ときにクロウよ」
「……ぇ? お、おいっ!」
ずずいと近寄り口に手を添える。
顔を赤らめているとは、本当にヘタレだな。もしや本当にリオの事を懸想しているかもしれんが、それはさておき。
むにっ
「ふぇ?」
口の中に手を入れて頬袋を引き伸ばす。血糊のついた辺りに傷はなく、口中にも傷は見えない。
「ふぁ、ふぁのぅ。ふぁんふ、すぁん(あ、あの。ハンクさん)?」
「ん? 傷はないようだな」
「……あ、あう……」
声がする方を見ると。
顔を真っ赤にしたサクラがいた。
「きょ、きょうだいで、そういうのは……感心しないわ……」
「ち、違うぞ? めぐねえっ」
「私は教育者です。ふしだらな行為は見過ごせません」
「だから、誤解だって」
サクラに誤解を解くように説明をするクロウ……なんだが。どうにも浮気を問い詰められているようにも見える。なんとも平和なことだ。
『……アオソイに聞くべき案件かもな』
何はなくとも彼女と接触せねばならない。これからの方針はそれで決まるだろう。
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象牙の塔の住人の回想
院生としての生活は、さしてやりがいを感じてはいなかったと自覚している。日がな一日研究室に居ることもさして苦痛ではなかったし、あの教授の扱いにも難儀することはなかった。ただ、やるべきことをしていた。それだけだ。
とりわけ優秀だったかというと、そうでもない。だが、ここの大学の出資元から色好い返事が来ているとの話から察するに、食うに困る事は無さそうかなと。そう楽観視することだけは出来ていた。
ある日から。
私は一人、研究室に閉じこもる日が続くようになった。その日は寝落ちしていたのがいけなかったのだろう。いや。正確にはよかったのかもしれない。防犯のために研究室に鍵をかけておいたのも幸いした。
気付けば、私は怪物たちの巣に一人で取り残されていたのだ。
窓の外では他の学生たちの悲鳴、怒号、断末魔などなど。さすがの私も、これは終わりかなと思った。数少ない知り合いの稜河原は無事だろうか。
あの本好きにはサバイバルの経験は無さそうだし、無理かも。そう考えてから、笑ってしまった。
自分のような人間は人の事を心配するなど無いと思っていたのに……存外、人らしいところもあったようだ。なんにせよ、今の私にはどうすることも出来ない。研究室の扉を叩く音は、今日もやまない。
水や電気は生きているけど、食料はほぼ無いに等しい。私自身、食は細いほうだが、全く取らないと言うわけにはいくまい。幸い、ウチの教授は間食をやたらするので備蓄のお菓子が多少あった。私の好みとは程遠いチョコレート菓子だが贅沢は言えないし、カロリーとしては申し分ない。それにおそらく、彼にはもう必要はあるまい。
二日目に下腹部の鈍痛を感じた。
いよいよ私も感染したかと思ったが、どうやらそれは杞憂だった。だからといって安堵できるわけでもなかった。私のジーンズは血に染まり、持ち合わせも持たない女子力の無さをひとり痛感する羽目になった。
「あいつらになったら、気にしなくてもいいのにな」
『かれら』を羨ましがるとは、かなり参っているのだと自覚する。
仕方なく水と手洗い用の石鹸で汚れ物を洗うことにした。やっていて、生まれてはじめて手で洗濯したと気付く。洗濯機のない時代はこうして洗っていたというのに、私はそのやり方も覚束ない。つくづく、勉学というものはこういうときには役に立たないと嘆息した。
「こんなものか」
せっかくなので、全部洗うことにした。見られても別に恥ずかしくもないし、そも、見るべき異性の目が現状存在しないのだ。この研究室は理学棟の三階で、他の学部の建物からは見えない位置にある。おまけに部屋の外には『かれら』だらけだ。
「私の肢体を見たければ、ここまでくるといい」
自嘲気味に呟いてみると、存外心地よかった。私はどうもそういう性癖があるのかもしれない。今更知ってもとは思うが、知らないことを知るというのは我々にとっては福音だ。知らなくていいことなど、有るわけがない。
猿人でもあるまいし、何も着けずにいるのも心許ない。なので、白衣をガウン代わりに羽織ってみた。それでも薄ら寒く感じたので、部屋の温度を上げてみた。教授が暑がりだったけど、今はもういない。ならば好きなようにしよう。
象牙の塔の住人としては、無為な時間というのはあまり享受したくないものだ。なので私は情報を仕入れてみようと試みた。幸いなことにこの研究室には学内サーバーへ繋げられる端末がある。FMラジオも繋げられるので聞いてみたが、ほとんどの局は放送をしていなかった。もっと早くに気付いていれば有用な情報が得られたかもしれないと思うと、我ながら静かにパニクっていたと漸くに自覚させられた。
「……外部に繋がらない、か」
学内サーバーは閲覧できるのに、インターネットには繋がらない。たぶんハードウェア的な要因だな。窓の外から見える街の風景も、広範な地域の停電が見られる。いくつかの自家発電設備のあるビルには灯りがついている……ランダルの日本支社ビルにも明かりがあるな。あそこも無事なのか。
「ランダル……そうだ」
たしか教授から貸与されたアプリがあった。AIでのコンシェルジュ機能などは当たり前なのだが、OSベースではないので媒体を選ばないとの売りだったはず。試用にアカウントは使ってみたもののあまり使わずにしまい込んでいた。
音声は妙にかわいいボイスだし、ソースにはバグとは言えないまでも無駄なコードが多用されていて、端的に換言すれば私の趣味じゃない。
しかしランダルコーポレーション製なのだからどこかにバックドアがあるやも知れぬ。私は端末をレストアモードに切り替え、研究室のPCへと繋いだ。なに、一度ソースコードを見ているのだ。環境は問題ない。あの時よりももう少し深く調べてみればいいだけだ。
調べてみるとこの“ボーモン”。実のところとんでもない代物だと分かった。ただのコンシェルジュではなく、通信の制御までこなす高機能なAIシステムだったのだ。
キモは、アナログ波によるデジタル波の送信というわけのわからない仕様だ。
ただの無意味なノイズとして送信、受信側はそれを解析しデータ化する。暗号化されたモールス信号のようなもので、同期させるには同一のアプリが必要になる。
そんなわけでこのボーモンとやらで飛び交うアナログ波を受信してみると。
『|Fucking! The altitude cannot be maintained. It will crash!(クソッタレ、高度を維持できねぇ、落ちるぞ!)』
『Stabilize, Black Hawk. Be cool(安定させろ、ブラックホーク。落ち着け)』
『impossible!, stupid guy!!(無理っつってンダロォ! バカ野郎ッ!)』
(その後に爆発音)
臨場感ある実況が届いてきた。たぶん、ヘリが墜落した感じだろうか。高度がどうとか言ってたし。
他のチャンネルでは地上部隊が泣き言言いながら戦っているところとか、民間人が悲嘆に喘いでいるところとか。現実感が無さすぎてフィクションかと思ってしまった。
その後、別のチャンネルにて全体の概要が分かってきた。
どこかの政府の首脳と軍部のお偉いさんとの会話なんだが、どうも『かれら』騒動は世界的にも発生したらしい。規模は日本ほどに壊滅的ではなく、ごく初期の段階で鎮圧されていたのだけど……それでも都市一つ丸ごととか。
発生時期に関してはほぼ同一の時刻であり、世界同時多発テロではないかとの疑惑もあるそうだ。
WHO発表によれば現在までに本復に至った例はなく、発症すれば個体差はあれど必ず意識を失い、本能のままに周囲の人に攻撃性を表す。その攻撃を受けた者はやはりほぼ助からないらしい。
素早く傷を負った箇所を切除することで発症を防いだ例があったらしいが、それが果たして幸運だと言えるのかは疑問だ。
罹患したエリアは日本が一番大きく、次はアメリカ合衆国、中国、ロシアなどの大国が続いているそうだ。特に日本は政府の機能が一時期ほとんど停止していたせいもあり、首都圏のほぼ半分のエリアが絶望視されている……まあ、この辺りもそれに入っているに違いない。
現在急ピッチで研究を続けているらしいが、今のところその成果は上がっていない。これは感染症の原因を追究できないという側面も多いとの見解がある。
なんでも、アメリカではCDC(疾病予防管理センター)自体が発生源となってしまったらしく、専門家と言える者たちが誰より早く罹患してしまったそうなのだ。ちなみに諸外国でも同じ傾向にあったため、テロではないか、と目されているのだそうだ。
現在、民間の会社や大学などで決死の究明をしている。罹患者を増やさぬように隔離し、発症した者は速やかに処分を心掛けるようにと、締め括っていた。
今現在、日本の政府は暫定政権によって運営されていて、その首班は元総理大臣。与党ではあるものの長らく表舞台からは退いていた人だ。あまり期待は出来ないけど、無秩序になるよりはマシ、と思っておく。
「……テロで済むような話でもないんだよなぁ」
仮にテロだとして。主義主張を訴える相手は誰だろう? 特定の国家や宗教に対してというのなら些か広範過ぎる気がする。おそらくそう嘯く連中はいるだろうが、だとしたらこの災害を齎したものをどうやって作り出したのか、という疑問が残る。ウィルスか細菌兵器かは知らないが、これほど人類に対して有効なものは無い。諸外国の何処かが所有していたというのなら、対策くらいは用意しておくものだ。管理できない兵器なんて、災厄でしかない。尤も、この線はありかも知れないと私は考えた。兵器として転用しようとしていた輩の中での不協和音か偶発的か、そんなところではないかと推測する。
「……
自嘲気味に笑う。独り言は多くないと思っていたのに、気が付けば口から言葉が溢れてくる。無為な時間を過ごすというのはそれだけストレスになるということなのだろう。人との対話が無性に恋しく感じる。
とはいえ、私にはそんな友人は数えるほどしかいないし、その殆どはこの建物の中で『かれら』として彷徨っているに違いない。私は何の気なしに“ボーモン”アプリのタイムラインを開いた。
「!」
そこには、一人の名前があった。教授の紹介で一度だけ会った、偉丈夫と言って差し支えない体躯をもった男性。
『彼なら……生きているかな?』
あの邂逅は、近年稀に見る興味深いものだと記憶している。一学院生の自分に面会に来て、『パンデミックによる被害と対処における最適な行動とは』と聞いてきた。仮定も前提もあやふやで答えられないと言ったが、彼は仮に映画での設定を持ち出した。たしかこんな件だったと記憶している。
『──どうですか?』
『荒唐無稽だよ。フィクションと現実を混同しては困る』
『フィクションが現実にならない保証はありませんよ』
『……』
『高名で年配の科学者が可能であると言った場合、その主張はほぼ間違いない。また不可能であると言った場合には、その主張はまず間違っている。』
『クラークの三原則その一か。つまり君は私を年寄りだと言いたいのかい?』
『! そ、そんなつもりは……すみませんでした』
別に怒ってやしないのに、恐縮しきりといった様子。身の丈は大きいのに内面は随分と小さいようだ。頬が緩んだ事を自覚し、不思議とこの申し出を受ける気になった。
『いいよ。研究の合間に思索する事くらいならば問題はない。小論文にして提出とか言われたら御免被るがね』
『ありがとうございます』
『しかし疑問だ。なぜ私なのだね? 教授に聞いてみてもよかっただろう?』
そう聞いてみたら、彼は頭をかきながら答えた。
『荒唐無稽だと言われました』
『さもあらん、か』
体よく押し付けられた、というところらしい。話によると取引相手の息子だそうで邪険に出来ないとのこと。ならばこれも助手としての仕事なのだろう。
ちなみにこの意図しない軟禁生活の間にレポートは完成している。頭を巡らすくらいしかやることが無いからだ。今日の事態を予測したような仮定を考察させた事も気掛かりだが、どのみちこのままでは文字通り死蔵することになる。私は彼に招待状を送ることにした。
彼がこのアプリを入手している可能性は薄いのだが、まあ、運試しのようなものだ。
『 やあ。
唐突な邂逅を祝して、
シイコ、アオソイ。
xxx-yyyy-zzzz
aaa@bbb.com』
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