俺の愛バは凶暴にしてゴルシの親父 その名前は『永遠なる黄金の輝き』 (wisterina)
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第一章 金の前でステイ
R1 君の愛バは凶暴


 ウマ娘。

 トゥインクルシリーズ(中央競バ)を走る日本ウマ娘トレーニングセンターに所属する彼女たちはデビューしてからその最初の三年己の目標のために走る生き物。その相バとなるトレーナーもまた未来ある担当ウマ娘の夢のために日夜力を注ぐ。

 そんな煌めきに満ち溢れた世界の一員であるトレーナーの池浦。彼の前には自販機の前でにんじんドリンクを一気飲みしている黒鹿の小柄なウマ娘がいた。彼女が新しい担当ウマ娘。そしてファーストコンタクトとなる彼女に大事な第一声をかけようとした。

 

「あ゛!? あんたが俺の新しいトレーナー? いらね」

 

 開口一番担当ウマ娘からけんもほろろに不要認定されたトレーナーの池浦は開いた口が塞がらなかった。それでも挫けず襟を正して改めて自己紹介をしようとする。

 

「俺が君の「うっせ」トレーナーとなる池「今日は休む」よろしく「帰れ」」

 

 最初の躓きにもくじけず池浦は自己紹介をしたが、黒髪の彼女にことごとく遮られた。

 

 教本と全然違う。

 

 ウマ娘トレーナー養成学校で配られた『ウマ娘の育成と指導の手引き』には『ウマ娘とは二人三脚、勝利を目指すことは大事なのはもちろんではあるが、なにより彼女たちに寄り添うことが大事である。決しておごらず彼女たちを受け止め、夢のために走りましょう』と書かれて胸に刻んだ言葉が、彼女の蹄鉄で抉られて消えそうだ。

 

 落ち着け、まだここからでも挽回できる。まずは心を通わせるためにと自販機に五百円硬貨を入れて先ほど彼女が飲んだものと同じ物を買おうと指を伸ばす。

 

「俺のと同じの飲むんじゃねー!」

 

 ビッ!

 

 手を払いのけられ、別のボタンを押されるとこの自販機の中で妙にでかい1.5ℓのコーラがゴロンと重量感のある音と共に出てきた。

 

 ほんとくじけそう。ここまで自分を拒絶するウマ娘とは思いもしなかった。

 ……まあ、飲めるものだからいいか。

 黒く甘い炭酸水をのどに流し込みながら、脇目で彼女に睨まれないよう眼を配らせる。

 ウマ娘というだけあって艶のある短く切りそろえられた黒鹿毛に小柄な体格見た目は麗しい。しかし、言葉の一つ一つが粗暴で飲み終わったとたん目の前でげっぷをしたりと年頃の少女らしくない。

 

「何見てんだ。ガンつけてんのか」

 

 その中身は完全に不良そのものである。

 

「せっかく君と一緒にトゥインクルシリーズを走るのだから親睦は必要かと」

「馴れ馴れしくすんな、気持ち悪い。俺様はわざと好かれようとする奴が二番目に嫌いだ」

「じゃあ一番は」

「なんで手前に教える義理があんだよ。たくっ、こんややつより前のトレーナーのほうがまだマシだったぜ」

 

 その前のトレーナーが交代された原因は彼女の暴力沙汰のせいなのだが。

 トレーナーに殺生沙汰と聞くと非常に耳障りの悪いことなのだが、トレセン学園に入学するウマ娘たちは皆精神的に多感な少女ということもあり、それが人よりも力の強いウマ娘がトレーナーに当たり散らした結果怪我を負わしたという話は時折あることなのだ。トレセン学園は実社会に出る前に精神を安定・成長させる教育機関でもあるのだ。

 

 さてそんな彼女もトゥインクルシリーズを走るウマ娘ではあるが、未だに勝ち星は少ない。どんなレースでも常に二位か三位で未だに重賞を一勝もしていないいわばシルバー・ブロンズコレクターで、あのナイスネイチャと同類である。だが裏を返せば強豪ひしめくウマ娘たちをくぐり抜けステージ(掲示板)に上がれるほどの実力を潜在的に持っていることでもある。有馬記念連続三着という珍記録もその潜在的な実力を物語っている。

 

 目の前の彼女も最も輝ける一位の座に何度も挑戦し続けた少女なのだ。何度も挑み続ける彼女に自分がくじけてはいけないと改めて覚悟を決めた。

 

「それて直近の君の試合についてだけど」

「試合? いつ」

 

 試合の二文字に彼女の耳がピクリと立った。

 

「練習と調整を兼ねて一番近い時期で五月か六月ごろをめどに臨みたい」

「今四月だぞ、二週間後にできねーのか。俺の足は万全だ」

「君先月も走ったばかりだろ。それにこの時期は」

「つべこべ言うな。文句垂れるんなら手に持っているものぶつけるぞ」

 

 相変わらず乱暴な口調で派はあるが、先ほどは練習をしたくないと駄々をこねていたのに試合となるとコロリと変えた。もしかしたらこの娘試合だと本気になるタイプなのか。僅かな光明が見えた。

 だが先ほど言いそびれたが四月のこの時期、もう大阪杯の試合登録は過ぎており大きなレースといえば春の天皇賞だけ。はっきり言って勝てる見込みがない。あの世紀末覇王テイエムオペラオーが出てくる可能性が高く勝つ見込みがない。今は目先の確実に勝てる勝利を目指さなければ。

 

「そうだな一番近いところなら福島ウマ娘ステークスとか」

「はぁ? 舐めてんの俺様が今更GⅢなんざしょぼいレースに出るかよ」

「ファンの人気を維持するにも出ておいた方がいい。それにそろそろ阿寒湖特別記念以外の重賞を一つ勝たないと」

 

 ガンッ彼女が手に持っていたにんじんジュースの空き缶が池浦の顔に投げつけられると同時に、踏みつけられる。人間の何倍もの力があるウマ娘の力は尋常ではなく、目の前が夜になってまぶたの裏の星がひどく瞬いていた。

 

「テメーも俺を阿寒湖呼びすんのかよ! 俺様はGⅠウマ娘だぞ! あのサイレンススズカの影を踏み、ジャパンカップで日本総大将スペシャルウィークと共に日本副大将務めたことあるんだぞ」

 

 吠えながらひとり次々と自分が出たレースで一位になった最強ウマ娘たちの名前を上げて喧伝する。

 ちなみに日本副大将は完全に彼女の自称である。

 地面に転がってもん絶しながら、なんとか引き留めようとする。

 

「でも確実に重賞を取るためにはまずGⅢからのほうが」

「うるせぇ! 次はGⅠの天皇賞だ。つえ―奴らが出ねえレースなんざ興味ねえ!! なめてんじゃねーぞ。俺様は世界最強(の予定)のウマ娘。ステイゴールド様だ」

 

 靴に蹄鉄状の跡を残して池浦を置いて、去ってしまった。

 

「俺あんな凶暴なウマ娘と日本一を目指すのか」

 

 嘆息混じりにこぼすが、トレーナーとなった以上あの凶暴なウマ娘と共に目指さなければならない。

 それもシニアを三年も過ぎている留年生ステイゴールドとで。



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R2 阿寒湖の善戦狂ウマ娘

「やっぱ苦戦しているようだな」

「はい」

「悔やむな、あれは誰でも無理だ。いかれてるからな」

 

 保健室でステイゴールドに踏まれた足を治療しているとステイゴールドの前のトレーナーが心配しにお見舞に来てくれた。この前トレーナー、今までステイゴールドの担当をしていたのだが怪我によりトレーナーを一時休業せざる負えない状態になり池浦にバトンタッチした。最もその原因となったのがステイゴールドであるのは言うまでもない。

 

「見舞ッ!! 池浦よ。初日から災難だったな」

 

 前のトレーナーの影で見えなかったが、後ろに秋川理事長が自分の体よりも一回り大きい山盛りのフルーツ籠を持ち抱えていた。

 

「理事長わざわざお見舞に来てくれるなんてもったいないです」

「お前があいつの担当と聞いてすぐに心配していたからな。俺の時もあのじゃじゃウマ娘に吹き飛ばされて保健室送りになったことか。その時も理事長からもう商売できるぐらい見舞の品が送られて、病室で埋め尽くされていたものだ」

 

 前のトレーナーは昔のことを語りながら腕や足をさすりだした。恐らくほかでやられた怪我の跡が残っているのだろう。

 

 ステイゴールド。

 あの伝説の大逃げウマ娘サイレンススズカと同期であり、天皇賞や有馬記念などのGⅠレースを幾たびも走り、黄金世代と呼ばれるウマ娘の試合に彼女ありと呼ばれている。いずれも二位や三位など惜しい所までの着順でゴールし、ウイニングライブのステージ常連。しかも香港の海外遠征を経て覚醒したサイレンススズカに一バ身差まで差し迫り、スペシャルウィークにもハナ差まで差し迫った実績がある。と良いところだけ羅列すれば応援しがいのあるウマ娘だ。

 

 だがステイゴールド自身、悲劇のヒロインや同情できるウマ娘とは全くかけ離れた荒くれた気性難持ちと自信過剰で一部からは煙たがれている。元々ウマ娘の何人かに一人は何かしらぶっ飛んだ性格を持っているのだが、彼女の場合はそんな生易しいものではないことは先日のファーストコンタクトで明らか。しかも黄金世代が去った今でさえ主な勝鞍が二年前の阿寒湖特別というマイナーなレースのみ。そのため別名が阿寒湖ともネットでは呼ばれている。

 

「憂慮ッ!! 池浦よ。前に話したが彼女は経験豊富だが扱いが難しい。今なら他の新人ウマ娘の担当に変えることもできるぞ」

 

 池浦を慮ってくれての発言だろう。だが池浦には放棄することはできなかった。ステイゴールドの担当になる前ある新人ウマ娘の担当になっていた。共に日本一のウマ娘と日本一のトレーナーになる夢を抱えて前進しようと。だが彼女の夢に届かせるための力を池浦はまだ持っていなかった。何度やってもレースに勝ち切れなく、ついには彼女自身学校を辞めてしまった。

 

 己の実力不足だった。伸びるはずの才能をつぶしてしまった。だから今度こそ勝利を与えれる実力をつけるためにあえて難しいステイゴールドの担当になった。

 

「……いえ俺が最後まで彼女を面倒を見ると言った手前、まだ降りれません」

「感激ッ!! とはいえ、一人では不安であろう。君のサポートができる者をつけよう」

「誰かとは、たずなさんですか? でも彼女は理事長のお守、いえ学生を見守るのに忙しいのでは」

「放心ッ!! 私に任せておきたまえ。ウマ娘のサポートをするトレーナーを助けるのが理事長の務め」

 

 小柄な体に反して相変わらずの頼もしい発言を残すや否や早々に保健室から退出してしまった。

 

「池浦。本当に無理ならギブアップするんだぞ」

「ギリギリまで粘ります」

 


 

 治療を終えてトレセン学園の校舎を歩く。今授業中ともあり廊下を全速力で走るウマ娘の走行音が聞こえない。そして池浦がステイゴールドがいる教室の前に立ち、教室をこっそりのぞいてみる。

 ステイゴールドがいる教室にはテイエムオペラオーやメイショウドトウなど今のGⅠを走る優駿たちが集って真面目に授業を受けている。その中で彼女は頭の耳を垂らしてこっくりと船をこいでいる。授業をしている先生もあきらめているのか、それとも反撃を恐れているのか注意もせず無視して授業を進めている。

 こうして寝ている姿だけ見たら本当に美人で清楚そうなウマ娘なのに。どうやったらあの子と通じ合えるのだろうか。

 

「はわぁぁ。ウマ娘ちゃんたちすこだわぁ。しかもさすがC組GⅠレース常連ばかりでみんな美人ぞろいというかウマ娘ちゃんたちはみんな推しでどれが抜きんでているか選べないいい!?」

 

 急に頭に大きなリボンを付けたウマ娘が、下品な声でよだれを垂らして奇声をあげているのに驚き、慄いた。

 

「な、なんだこの子!?」

「うひゃぁ!? な、な、な。巡回の先生!? この時間はいないと思ってお忍びしたのに。あの、わたしまだ捕まるようなことは」

「いや俺は巡回の先生じゃないから。というか君」

「別に怪しいことをしているわけではなく、池浦トレーナーという人を探してウマ娘ちゃんたちがいる教室を見ていたのでありまして。決してついでにウマ娘ちゃんたちの勉強する姿見れて眼福というわけでは」

 

 オドオドと挙動不審さと自白の内容でどう見ても怪しいウマ娘にしか思えない。

 

「池浦は俺だけど」

「えっ。トレーナーさん? まさかこんなところで会えるとは、あたし秋川理事長からサポートを頼まれましたアグネスデジタルですぅ。さっき覗き見いえ、観察しているところスカウトされて。将来はウマ娘ちゃんたちのトレーナーになるためストーキングもとい情報収集をしてきた甲斐がありました」

「ウマ娘なのに、トレーナー志望?」

「はいっ!」

 

 不良に変態となんでわずかしかないはずのぶっ飛んだ性格のウマ娘がやってくるのだろう。ギブアップの手を上げそうになった池浦だった。



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R3 変態と天皇賞

 なぜアグネスデジタルが池浦のサポートにと話を聞くところによると、日課のウマ娘の観察で潜入していたところたまたま理事長に発見されて、秘蔵のアルバムを見られてしまったことで「推薦ッ!!」の二文字で情報収集能力と偏見を持たない博愛精神を見抜いたらしい。しかしその情報はステイゴールドがいつもどの時間で部室に入り、昼寝をしているかなど不要なぐらいなまでに事細かく一日の様子をまくしたてながら興奮気味に語ったとき、池浦の背筋がぞっとした。

 博愛というよりオタク的な偏愛の間違いではないだろうか。しかしあの問題児を相手するのに池浦一人では手に余るため彼女をサポーターとして受け入れたのである。

 

 そしてアグネスデジタルを引き連れて部室の中に入る。部室は前のトレーナーから譲り受けたばかりでまだ池浦の荷物は来ておらず、中は前のトレーナーの時とほとんど変わっていない。するとアグネスデジタルの眼がギラギラと輝かせて掛かり出し始めた。

 

「ふあぁああ。ウマ娘ちゃんが入り浸る生トレーナー部屋! はぁはぁ、ステイゴールド様のブランケット。お肉好きだから肉の形をした肉布団! 安直すぎて逆にギャップ萌えっ! だめよアグネスデジタル、自重だ。くんかくんかしたい欲求を抑えろ」

 

 目の前に人がいるにもかかわらず本音が駄々洩れしている時点で自重も何もないのだが。

 トレーナーには専属のウマ娘を付けるのだが、トレセン学園では担当ウマ娘をチームか個人で担当している。ステイゴールドの場合は本人の気性難もあって、個人での担当をしていた。なのでこの部屋は今授業に出ているステイゴールドしか使っていない……はずなのだがなぜか先客がいた。

 

「おや? 珍しいお客人がいるようだ」

「……なんでアグネスタキオンがいるんだ。ここはステイゴールドしか使わないはずだが」

「ふぅむ。話は長くなるのだが、前に私が実験室代わりに使っていた部屋を爆発させて出入り禁止になってしまってね。研究の速度低下が危ぶまれたときに、ここの部室がしばらく空き部屋になったことを聞きつけたのだよ。風のうわさというのは不正確な情報が多分に含まれていて信頼に値しなかったのだが、物は試しという言葉の通りに来てみたのだよ。案の定誰もというのは不正確だった。学園の不良児ステイゴールド君がいたわけだ。だがステイゴールド君にここで私が追い求めている速度の研究を追い求める有利性と事象の観測をしたいと包み隠さず懇々と熱意を込めて研究の内容を話したら、勝手にしろと言質を得たから使わせてもらっているのだよ」

 

 つまり勝手に上がり込んでいるということだな。

 

「おやおや。足を怪我しているようだね。この薬を塗ってごらん。私の見込みではすぐに治るはずだ」

「あっ、どうも」

 

 人工甘味料でも使っているかと思うぐらいに真っ青な液体が染み込んだ湿布を手にタキオンが池浦の足に貼り付ける。だが池浦はタキオンの眼が善意ではなく好機の眼で見ていたことに気づかなかった。

 

「おおっ、すごい痛みが急速に引いて--いく代わりになんか七色に光っているんだけど!!」

「はっはっは。思った通りの研究成果だ。ふぅむ、やはり副作用が起きてしまったが、まあほんの数日足がネオンサインのように目立つぐらいの些細なことだ。数日したら元に戻る。いやぁいいモルモットが見つかってよかった」

「なんて薬を使ったんだ!」

「ひょえ~~うらやま。あの人を実験動物にしか見ない視線、あたしもタキオンのお薬の実験体になって見つめられ……だめよ。オタクの鉄則三ヵ条ねだらない・凸らない・でしゃばらないに反してしまう。でもあたし一度くらいタキオンさんのモルモットにされたいいいい」

 

 ひとり怪しく悶え悩むデジタル。しかしデジタルはタキオンと同室なのに、なぜ志願する彼女ではなく目の前の他人を堂々と実験体にするのか頭を抱えた。足の調子が虹色に光る代わりによくなったことでやっと本題に入れた。

 

「さて、ステイゴールドの次の試合のことなんだが、やはり福島ウマ娘ステークスに出バさせようと思う」

「えええ。次の春の天皇賞に出さないってこと!? 次の天皇賞ステイゴールド様の三回目の出馬となるのにぃ」

「本人も出バする意気込みはあるのだが、そろそろ一着を取らないとGⅠ出バできるか怪しい」

 

 なにせ最後に勝ったのが二年も前のこと。しかもそれが代名詞である阿寒湖特別記念。彼女の名誉のためにここは確実に勝てるであろうGⅢで重賞を勝ち取らなければならない。

 

「部外者からの忠告でも申し訳ないが、やめておいた方がいいよ。彼女「次は天皇賞だ」と自分のチャンネルで喧伝していたよ。彼女の中ではもう天皇賞は決定路線のようだ」

「チャンネル?」

「世界最強ステゴチャンネルですね。ステイゴールド様がUmaTubeで開設しているチャンネルですぅ。あたしはもう開設されたときから、というか全ウマ娘ちゃんたちのチャンネルは全部登録しているので欠かさず巡回しております」

「すごい……行動力だ」

 

 引いてしまうほどに。

 

「まあ、ステイゴールド君の上げている動画のほとんどはレースの対戦相手への宣戦布告ばかりだ。過激な言動と視聴者を挑発するのは動画投稿サイトという特性上非常に相性がいい。本人がそれを意識しているかどうかは不明だが」

「あの、なんか不穏なことが出たんだけど。炎上って言ったか?」

「はい、コメント欄が前のと比べても二.五倍ぐらい増えてます」

 

 学園内でも問題児と言われているステイゴールドがインターネット内でも問題行動を起こしていたとはと頭を抱えた。しかも正式に申請が出る前に天皇賞に出馬なんて……もう動画は万単位の再生数になっている。この時点で天皇賞撤回となると余計に大揉めになってしまう。

 するとタキオンがその様子を面白がるように手を口元に添えて微笑を浮かべる。

 

「何を笑っている」

「いやぁ。事実の一部分のみを観察してファクトであると思い違いをしているんだね。君に必要なのは観測だ。実験も教育もまずは経過観察から始めることが重要だ。心配なら一度彼と彼のファンを見てもらった方がいい」

 

 何やら言葉に含んだものがあるように告げるとタキオンはまた実験に戻った。そして池浦が絶賛炎上中の担当ウマ娘のどんどん増えていく再生数に次のレースを見に行っても大丈夫かと不安で胃が痛くなってきた。

 

「今作ったばかりの胃薬はいるかね」

 

 丁重にお断りした。

 


 

『さあ今年もやってまいりました春の天皇賞。今日の一番人気はテイエムオペラオー。京都記念と阪神大賞典を連勝。世紀末覇王の名にふさわしい走りを魅せつけるか』

 

 四月の末。タキオンの進言に従い、ステイゴールドを春の天皇賞に出場させた。パドックに次々と出場してくるウマ娘たちは整然と勝負服をはためかせながら今日の調子を観客にアピールする。その中でひときわ、いや他のウマ娘たちを飲み込んでしまう輝きを放つのが次世代のけん引役である世紀末覇王テイエムオペラオー。一人歌劇団と思わせる黄金の煌めきをこれでもかと魅せつける。

 

「あ、今日の僕は美しい。こんなに輝いてしまうとみんながレースに集中できなくなってしまう。美しい僕が恨めしい」

 

 …………やっぱりウマ娘というのは何かしらぶっ飛んでいる性格を持っているのだろうか。

 

『さて今年で四回目の天皇賞出場、夢のGⅠ勝利を果たせるのか。四番人気のステイゴールドの入場です』

 

 ステイゴールドの名前が呼ばれパドックに入るや否や、美少女の声とは思えないドスの利いた声で観客席に向かって張り上げた。

 

「はっはっはっ! 待たせたなお前ら、この史上最強のステイゴールド様が世紀末覇王となんざ勝手に名乗っているやつをぶっ潰しに来たぜ!!」

「はーはっは。ついに、僕に敵役が登場したか。京都に阪神と連勝中の主人公の前には必ず敵が現れる。どんなお話でも敵役がいないとレースは盛り上がらない。たった一つの星では夜空はつまらなくなる」

「ほぉ。わかってんじゃねえか。でもな俺は敵役じゃねえ、夜空を輝く金星様だ。キンキラキンだぞ」

「もちろんわかっている。君という金星があることで僕という太陽が輝くことができるのだから」

「添え物扱いするんじゃねえ! その金星が太陽の代わりに輝かせるからな」

「いいだろう。このサン・テイエムオペラオーのまぶしさにみんなの眼を眩ませてあげよう」

 

 今勢いが乗っている一番人気に対して四番人気が挑発と寸劇の可笑しな合戦が繰り広げられている光景に会場は笑いと歓喜に包まれた。

 

「なんかレースやウィニングライブよりも盛り上がっているな」

「そりゃもう。このパフォーマンスを見たいがために一時間待ちしている人だっているんだから」

 

 一緒についてきたデジタルはリュックから取り出した『ステイゴールド』と書かれた勝負服をイメージした黄色の縦じまタオルを掲げている。

 

「応援に行くときはいつもそれ持ってきているのか」

「もちろん。応援グッズはオタクの必需品だから。でも古参の人はメイクデビューの時からのファンや阿寒湖特別記念勝利時ちょうどにつくられたステイゴールド人形を持っているぐらいで。あたしなんて古参の前では完全にニワカですぅ」

 

 そのタオルを毎回持って行くぐらいで十分だと思うのだが筋金入りのオタクの心理は理解できない。その一方で、応援席の奥では同じくステイゴールドファンが大弾幕が広げていた。そこには『がんばれ』とウマ娘を応援する純粋な言葉ではなく『目指せ阿寒湖脱出!!』と唯一の勝鞍が書かれていた。

 

「誰が阿寒湖じゃああ!! その幕、俺が勝ったら引きずり降ろしやるからな! 覚悟しやがれ!」

 

 パドックから客席にいる自分のファンに向けて怒声が競技場に響き渡り、嫌な汗が噴き出した。だが横にいるデジタルは歓喜の涙を流していた。

 

「今日もでたぁステイゴールド様のキレ芸!」

「あれ芸なのか? 本気で怒っているように見えたけど、あんなことして顰蹙買われないのか」

「おそらく無意識でやったのだろう。試合前のマイクパフォーマンスは観客のパトスを大いに揺さぶるのに効果的だ。自己愛が強いウマ娘なら人々から送られるエネルギーを浴びればより強くなる研究論文もある。もっとも彼女はそこまでしたたかな思考力は持ち合わせていないだろうが」

 

 いつの間にか隣に陣取っていたタキオンが、なにやら解説者風に難しい用語を織り交ぜて語り始める。

 

 そしてレースが始まるとステイゴールドは得意の差しでレースを進めていく。そして最終コーナーを回ったところでオペラオーと他二人で競り合う大接戦を繰り広げていた。内側から攻めるステイゴールドが途中でオペラオーを差し切る。

 

「うりゃりゃりゃ」

「ここで僕は華麗に。ヴィットリーアに捧げよう!」

 

 最終百メートル手前でオペラオーが再加速し一気にステイゴールドら二人を引き放つ。再び差し返そうとするステイゴールド。だが徐々に彼女の脚が左に寄れているどころか完全に左に斜行を始めた。彼女の弱点である斜行癖がまたも出てしまい最後の伸びが出ない。

 

『だがテイエムだテイエムだ。やったテイエムオペラオー』

 

 オペラオーに遅れてステイゴールドは最後のもつれから二馬身遅れて四位と入着まであと一歩及ばずの結果になった。入着とはいえ三位以上に上がらないとステージに上がれずバックダンサー止まり。一位と二位の差というのはよく聞く残酷な現実ではあるが、三位と四位はそれよりも格段に差が出てしまう。

 

「トレーナー君はどう感じたかね?」

「もうちょっとだったのに。あの斜行癖が原因なのかな。最後の伸びさえあればオペラオーに競り勝っていたかも」

「うむ。君のウマ娘に対する観察はよくできている。だがゴールド君から感じるのは試合の内容だけかね」

 

 タキオンの生気のない目が後ろの観客席に振り向くと、ステイゴールドのファンたちが残念そうな声を上げながら今日の試合を語り合っていた。

 

「惜しかったなぁ」

「まあいつも通りだろステイゴールドは。ウイニングライブ見てステイゴールドの応援グッズ買って、欲しいものリストから何か送るか」

「昨日上がった宣戦布告動画に低評価二回押そっと。俺来年から就職なんだから、そろそろ勝って欲しいなぁ」

 

 応援に来ていたファンたちはかいつも通りという感じで別の意味で訓練されていた。思えばあの怒声に驚きや反感を買うどころかマイクパフォーマンス程度にしか反応しないと考えれば、ステイゴールドの人気の根強さがうかがえる。ネットの炎上もファンからすればいつものことであろう。でなければ四位入賞でも最後まで残ろうというファンはいないだろう。

 

「愛されているんだなステイゴールドって」

「はい。どんなに負けてもくじけないストイックなところがセクシーで、ステイゴールド様は愛さずにはいられないウマ娘ちゃんなんですぅ」

 

 愛されている。この光景を見ただけで池浦は感じ取れた。だがきっとファンたちは、ステイゴールドが久しぶりに勝利することを望んでいる。やはり早めに重賞を勝ち取らなければ。



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R4  問題児の集まりチームポラリス

「ちっきしょー、後少し伸びてればなー。オペラオーのやつに勝てたんだけどなー」

 

 横になりながら部室にある唯一のソファーを一人占領してこの間の春の天皇賞の結果に不満をいだくステイゴールド。そしてその横で両手を頬に添えてデジタルが高揚していた。

 

「はぁあああ。寝ているステイゴールド様のご尊顔っ。不貞腐れ顔もすこ」

「……うぜぇ」

「デジタル危ないから離れてろ。蹴られるから」

「ゴールド様に蹴られるのならむしろそれはご褒美」

 

 逆に危ないのはこの子の方かもしれない。

 代わりにデジタルの首根っこを引っ張って、ステイゴールドから引きはがしてパイプ椅子に座らせた。

 

「さて、今後の方針だがステイゴールドには確実に勝たせるようにしたい」

「もしかして、GⅢに出バですか」

「いや最低でもGⅡだ。ステイゴールドの意志を十分にくみ取りたい。そのためにステイゴールドの弱点の改善を」

 

 この間の天皇賞を見てもステイゴールドに勝ち目は十分にある。本格化し始めているシニア級相手に四着とはいえ最後の混戦にもつれ込める自力はある。問題があるとすればその凶暴性もとい斜行癖だ。斜行してしまうと直線よりも距離が長く取ってしまい、ゴール判定にも不利が起きてしまう。

 あの斜行癖さえ治せばきっと一着を取ることができる。池浦はそう確信していた。だがそこに異議を唱える者がいた。

 

「果たして当面の問題はそれだけかなトレーナー君」

「というかなんでまだいるんだよタキオン。この部屋はもうステイゴールド一人が使う部屋じゃないぞ」

「いやいや、私が許可をもらったのはゴールド君からだ。つまり私が退去を命令するのはゴールド君の口から告げるのが道理じゃないかな。しかしどーしてもダメというのなら仕方ない。またどこかの使われていない教室を使うほかないようだ。それに使われていない教室の方がちょっっとばかし黒煙だらけしてしまう実験ができるのだから、私としてはそっちの方にメリットが大きいかもしれないねえ。チラッ」

 

 わざとらしいほどの誘導。しかしタキオンなら本当に教室を黒焦げにしてしまいかねない実験を平気で行いかねない。

 

「諦めろ。こいつはけっこう鬱陶しいからな」

「……まだここにいていいぞタキオン。できる限り黒煙とか爆発とかでないものをしてくれ」

 

 根負けした途端、タキオンのハイライトのない目に一瞬光が差し込んだ。

 

「うんうん。実にトレーナー君を持って幸せだねゴールド君は」

 

 どうやらタキオンの策にはまってしまったようだ。だが学園の平和を考えたら、この部屋の隅で比較的安全な研究をし続けた方がいい。

 

「さて、話を戻そう。彼女にもそろそろ年下の世代と戦うのは酷になる時期だ」

「それは限界が近いということか」

「ウマ娘の速さの限界を研究をしている関係でその手の論文を読み漁っていてね。ウマ娘の生態は人間に非常に近いがまだ謎に包まれていると言われているが、ウマ娘たちの肉体は早熟傾向が強い。元が人の女性に近い存在ということもあって肉体的な成長が早く、十代半ばがピークと言われている。その分ピークが過ぎるとホルモンバランスが安定化して成長が鈍化を起こすため二十代となるとそこまで成長の余地が低くなる。最もそれはレースの結果から出た平均によるもので、ピークの時期が晩成で開花する子も存在する」

 

 小難しい言い回しだがタキオンの意図は理解できた。

 すでにステイゴールドと同じ黄金世代のウマ娘たちはトゥインクルシリーズを去ってしまっている。スペシャルウィークのように上のシリーズに挑戦している子もいるがそれはほんの一握りで、理由のほとんどが肉体的なピークが過ぎたかあるいは怪我のどちらかでの引退だ。しかもステイゴールドは留年して他のウマ娘よりも年が上だ。ピークと言われる時期はとっくに過ぎてしまっている。もう時間がないのだ。

 

 ステイゴールドが晩成型であるか判断できない以上、このままでは一着を取れないままターフを去ってしまう苦い思いをさせてしまうかもしれない。そのかつて池浦と共にターフを走り夢を叶えられなかったかつての担当ウマ娘と被ってしまった。

 また同じことをステイゴールドにあじわわせたくない、だがまだ新人のトレーナーである自分がまた個人のまま育成しても同じ轍を踏みかねない。

 

「いっそチームを結成した方がいいかもしれない」

 

 チームを結成するとなれば学園からの練習設備やターフの使用時間の融通など物質的な面で個人指導よりも優位に立てる。それに実績と実力は十分にあるメンバーがそろってはいる。ステイゴールドはもちろんのこと、デビュー前から超光速の粒子の異名を持つタキオン。ダートで優秀な成績を収めているアグネスデジタル。互いの練習を通してステイゴールドの斜行癖の改善だけでなく、他の二人の足りていない部分を補えるメリットがある。

 だが問題があるとすれば……

 

「はぁ。チームとかかったりい」

「ひとつ屋根の下で……あばばばば。無理、同じ空気を吸うなんて尊みで酸欠して死にそう」

「実験体が増えてより研究成果が捗りそうだ。ふっふっふ」

 

 もう一人まともな子を入れよう。

 


 

「チームポラリスを結成しました。やる気と常識さえあれば誰でも参加できます」

 

 校門の入り口で昨日の夜即興でつくったチーム募集のチラシを配りながら、ブラック企業の企業紹介欄に載ってそうな言葉をためらいもなく宣伝に使う池浦。もっともチームにはやる気も常識もないウマ娘しかいないため、本当に(頭が)まともなウマ娘を欲しがっているのではあるが。

 

「はぁはぁ。スカーレットさんとウォッカさんの登校風景、はぁ~眼福。もしあの二人がチームに入ったらと思うと……ふぉおおこっち見た。ど、どうかチームに。だめだめ推しが尊くて灰になってしまう」

「ねえ、鼻の先が赤くなっているけど大丈夫? ティッシュ貸すわよ」

「スカーレットさんからのティッシュを!? 一生の宝物にします!」

「いや使えよ。ティッシュは使うものだろ」

「そんな。使ったらなくなってしまうじゃないですか。そんなもったいないことできましぇん」

「……なあスカーレット。俺変なこと聞いたか?」

「大丈夫よ。あたしも頭おかしくなったと思ったから」

 

 さっそく問題児一名が熱暴走した。

 デジタルはウマ娘への愛のためにチームへの協力は惜しまないのだが、池浦としては少しぐらい惜しんでもいいぐらいだ。一方のステイゴールドはベンチに座ってにんじんジュースを飲んで眺めているだけで、チラシ配りに参加していない。なんと極端すぎるチームだろうか。

 

「Hey,Youがトレーナー? あたしはクロフネだけど、チーム募集しているんだって」

 

 英語訛りが入った葦毛の髪を編み込んだウマ娘がチラシを受け取ってくれた。

 

「ああ、結成したばかりだけど各個人の実力は十分にある。きっといい刺激になると思うぞ」

「Huum.刺激ね」

 

 クロフネがじっとポラリスのチーム三人を流し目で見る。

 

「あの。はわわ手をつないで登校!? なにそれエモい。しかも入る直前引いて照れくさそうとかやばみなんですけど」

「やる気ある奴らばっかだな。ふぁああ」

「君、いい筋肉をしているね。私の研究対象になってくれないか」

「Crazy.悪いがやっぱあたしは別のチームに入るよ。それに周りがuntouchableな感じで避けているようなチームあたしにはso badだよ」

 

 せっかく入ってくれそうだったところでチラシを返されてしまい、うなだれる池浦。よく見ると校門をくぐるウマ娘たち皆チラシを配る自分たちをう回するように、避けているではないか。やはり問題児たちが一気に集まっている子のチームでは入ってくれる子はいないのだろうか。

 誰か。誰かまともな子来てくれないのか……

 

「おや。カフェじゃないか」

 

 タキオンの前に現れたのはマンハッタンカフェだ。幽霊のように透き通るほど白い肌とそれとは対照的な足にまで着くぐらい長い青鹿毛に一本の白いアホ毛が立っている少女である。もっともウマ娘特有の二本の耳が不機嫌そうに垂れてはいたが。

 

「……タキオンさん。何をしているのですか。先生から補習のことで呼んでいましたが」

「何いたって健全なチーム勧誘だよ。レースを走るために私もチームに加入したのだが、実験体が足りないとトレーナー君が請うてね」

「違う違う! ふつうにまともな子のための勧誘だからね。そんな怪しげなことに付き合わされることは絶対にさせないからね」

 

 これ以上チームの悪い評判が出ないようフォローする池浦。だがマンハッタンカフェは金色の瞳でじっとタキオンを睨んだ。

 

「…………タキオンさんそこでも実験するのですか……トレーナーさんが迷惑するのでは」

「そんなことはないよ。自分のことに集中できる環境を作るために俺が許可したんだから」

 

 経緯に違いこそあるが、よそで教室を黒焦げにするよりかはマシである。

 

「……でもよかったです。タキオンさんちゃんと真面目に走る気持ちがあって」

「前々から行っていた観測とプランが順調でね。そろそろ走らないと学園から退学されそうだったから渡りに船というやつだ」

「それは……本当に……よかった」

 

 チーム結成をタキオンの退学回避や勝手なプランの出汁にされてしまっていたようだが、しかしカフェの長い髪の隙間から覗く微笑に、タキオンが退学せずに済んだことを喜んでいるようだ。

 

「なあ、マンハッタンカフェ。君まだデビューまだだったよね。うちのチームに入らないか」

「チーム……ですか」

「そのタキオンとかをね。抑える必要があって、トレーナーの俺が選手に頼みこむなんて情けないのは重々承知だが。俺の胃が持たん」

「…………わかりました。私も先生からタキオンさんが変なことをしたら止めるように言われているので。監視しやすい場所ができて……よかったです」

 

 とてもいい子そうで抱えていた荷物を下すことができ、池浦は安ど感に包まれた。するとカフェがベンチで寝っ転がっているステイゴールドを発見すると、瞠目したようにじっと金色の瞳で見つめていた。

 

「ステイゴールドがなんかやらかしたか」

「……あの子によく似ている。姿は違う……でもよく似ています。なぜでしょう」

「似ているって誰に?」

「私の隣にいるこの子です。ほら仕草とかどこか似ている」

 

 マンハッタンカフェは誰もいない明後日の方向に金色の眼を動かした。雲一つない空っぽな空に人もウマ娘もいるはずもない、何もない所にカフェはじっと覗き込むように見つめていた。

 

「トレーナー君。心配しなくてもいい、あの子とは彼女のイマジナリーフレンドだ。君の眼には見えなくても彼女の眼にはいる。そう見えなくても見えるもの。たしか昔のカードゲームマンガにもそんな台詞があったねぇ。たとえ他人には見えなくても彼女には存在していると認識している。目に見えるものだけが正しいとは限らないものなんだよトレーナー君」

 

 タキオンによるありがたい説明を受けるが、やはりウマ娘とはネジが一本外れているのが当たり前な存在だろうかと頭がこんがらがってしまいそうだった。

 

「だが見えないことが不安ならこの薬を飲んで見たまえ。もしかしたらカフェのイマジナリーフレンドが見えるかもしれないよ」

 

 けっこうだ。




個人的に早く実装してほしいウマ娘マンハッタンカフェ
勝負服かっこよすぎんよ


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R5 目黒へ上京。そして手抜き疑惑

 チームポラリス発足して初めての合同練習がスタートした。いくら問題児の集まりであるとはいえ、やる気がないからサボるというウマ娘はなく全員練習に参加している。あのタキオンも研究室と化している部室から引きはがせば、超音速の微粒子の名に恥じない快速の脚を見せてくれる。

 

「うん。いいタイムがでている。ところでカフェちょっとこの薬を飲んでみてくれないか」

「…………いやです」

「後で取り上げよう」

 

 タキオンのマッドは相変わらずではあるが真面目に練習に参加してくれて一安心なのは正直なところだ。もしも練習まで拒否をするようなら即解散の危機であった。

 

 さて、新人の池浦がいきなりチームを組んだのだが池浦には計算が合った。ポラリスのメンバーの特徴は個性的な問題児がそろっているもとい、ジュニアからシニアまでの違うクラスがそろっていることだ。タキオンとカフェの二人はまだジュニアクラスで、本番であるクラシックまで一年ぐらい時間がある。全員大事な時期であるクラシックやシニアであれば手間がかかるが、シニア級はステイゴールドとダート専門だがクラシックのデジタルの二人のみである。まずはこの二人を重点的に育成しつつ、来年に向けてのノウハウを構築する算段である。

 

 さてその二人ではあるが、なぜかダート専門のはずのデジタルがステイゴールドと同じ中距離の芝のコースにいた。

 

「うへへ。カフェさん、口では苦手とか言ってつかず離れず並走するのめっちゃすこ。はぁ~すこすこのすこ」

「デジタル、お前はダートが専門のはずだろ。なんで芝に」

「いえ、あたし芝も何回か走っていて。この間五月に芝のマイル戦で走ったら思ったより調子でなくて、入着すらできなくて」

 

 何位だったか言葉を濁したもののデジタルの口は唇を歯噛みしていた。デジタルはウマ娘への過剰すぎる愛で暴走はするが、それ以外は成績優秀でダートでも成績を残している。しかも芝も入賞できるほどの力があるなどそうそういない。ウマ娘を知るという意味では向上心の高さは誰にも負けないのだろう。

 

「だって入着以内じゃないと…………ウマ娘ちゃんたちのゴール最前列に見られないじゃないですか! ゴール直前のエモエモシーンがデジたん推しの特等席なのに!」

「俺の感動の涙返せ。理由はともかく、芝に挑むその姿勢は立派だ。だが今のデジタルでは芝のクラシック路線へ行っても入着すらできない。だから今年はダートで試合に臨め。午前で芝、午後はダートの両刀練習でシニア級で芝のコースを走れるようしっかり鍛えるんだ」

「うぅ、あたしの中の推しのエアシャカールさんとフライトさんによる三冠争奪戦を応援するプランが……」

「シニアで入着できる力があればオペラオーとドトウのワンツーフィニッシュが見られるぞ」

「その手があったかぁ! ではデジたん今年度はダートのウマ娘ちゃんたちを追っかけます」

 

 きりっとジャージのファスナーを戦闘服に着替えるように胸元までぴっちり締めて気合を入れるとダートコースを突進していく。

 それぞれのメニューが決まったところで一番の育成対象の下へ歩む。

 

「ゴールド。次のレースだけど」

「GⅢなんてほざいたら蹴っ飛ばす」

 

 開口一番のこの悪態にはもうたいぶ慣れたものであるが、実際に蹴られたときの痛みは尋常ではないため前に踏まれた足がびくついている。

 デジタルの集めてくれた情報によれば、ステイゴールドが望むのは毎月レースに出場すること、そして強い自分が出場するにふさわしいレースに出すことの二点だ。そこさえ間違わなければ地雷を踏み抜くことはない、そして今の時期でゴールドの性格に合致できるレースといえば。

 

「次は目黒記念だ。二年前に走ったことがあるだろ、有馬と同じ長距離だがゴールドのスタミナと経験なら一着は取れるはずだ」

「めぼしい強敵はいるのか」

「注目はマチカネキンノホシだな。だが今の投票だとゴールドが一番人気になりそうだが」

「ふんっ、つまんねな。GⅠで入賞ぐらいできてるウマ娘俺ぐらいじゃねーのか」

 

 不満げに芝の上で足を投げ出す。だが強敵たるウマ娘がいないのは絶好の機会でもある。普通のウマ娘は一試合走ったら数か月は休ませて調整しなければならないが、ゴールドの脚と性格は一月程度で次の試合に出られる丈夫さを持っている。天皇賞を終えて強敵が休んでいる隙に勝てる試合に臨む。それがステイゴールドを勝たせる池浦の戦略だ。

 

 すると「十日後か」とゴールドがつぶやくと急に柵を飛び越えて、練習コース場から出て行こうとしていた。

 

「ゴールドどこに行く。まだ練習中だぞ」

「休憩だよ。休憩。休めるタイミングぐらい俺の好きにさせろっての。っち」

 

 舌打ちをして練習場から出ていったゴールド。普段の練習でも池浦の組んだメニューに従わず自分で組んだメニューしかやらない言うことの聞かなさに未だに手をこまねいている。一応春の天皇賞以後の練習では、斜行癖はそこまでひどくなっていなく調子がいいようだ。

 

「頼むから勝ってくれよ。ファンがお前の勝つ姿を何年も待っているんだから」

 


 

 目黒記念の当日。土曜日の雨の中、中段の集団の中でステイゴールドが駆けている。そして冷たい雨の中で、GⅡとは思えないほどの熱気が観客席から発せられる。しかも応援する人のほとんどがステイゴールドに向けてのものである。

 

「すごい応援だな」

「ステイゴールド様は毎月のようにトゥインクルシリーズを走っていますから顔も覚えやすいですし、今日こそ勝ってくれると信じて応援するファンもいるんです。きゃーステイゴールド様~」

 

 カッパを着ている状態でも応援の熱量だけは、今日来ているステイゴールドのファンに引けを取らない声援をデジタルが送る。チームポラリスのメンバーの試合ということで、チーム全員応援に来ている予定だったがタキオンだけは「大事な実験があるから」と一人だけ来なかった。練習には真面目に参加してくれているのに……。

 

「トレーナーさん。コーヒーを、体が冷えますよ」

「ありがとう。カフェのコーヒーはうまいから何杯でも飲めるよ。胃痛の時とか」

「……その時はふつうに胃薬を飲んでください」

 

 マンハッタンカフェが淹れてくれたコーヒーを受け取り、第三コーナーを曲がるステイゴールドに視線を送る。先頭で逃げていたウマ娘が最終直線で息切れして減速し出すとそれを見計らったかのように、中段で控えていたウマ娘たちが一気に仕掛けてきた。

 集団が一気に先頭を目指して、雨で濡れて水しぶきを上げる芝を蹴り上げる。その中から抜け出したのは。

 

『ステイゴールドかマチカネキンノホシか。しかし先頭はステイゴールド。ステイゴールド一馬身のリード! 初重賞ゴールイン!』

 

 一馬身差のリードを保ちながら実況の声と共にゴール板を駆け抜けたステイゴールドは、二年八カ月ぶりの勝利の右手を高々と掲げると、観客席からGⅡとは思えないほどの大きな拍手が上がった。

 

「おらっ! これで阿寒湖なんて旗、二度と立てんなよ」

 

 ゴールドが応援席に指差すとそこにいた『阿寒湖がんばれ』の応援団幕を掲げていたファンがいそいそとその弾幕を下す。かと思ったら、別の弾幕を新たに風をなびかせて建てられた。

 

『阿寒湖脱出おめでとう!』

『祝! 目黒に上京』

 

 本当に訓練されているファンたちである。

 

「そんなの用意するならGⅠおめでとうの時ぐらいに用意しやがれ!」

 

 口では悪態をつくゴールドではあるが、少し頬が紅潮して口角が上がっているためそれが照れ隠しであるのは池浦の眼からしても明らかだった。

 本当に愛されているんだなステイゴールドは。雨の中でもゴールドの勝ちを信じてわざわざ応援弾幕まで作ってくれるのだから。どこまで走れるかわからないが、ゆくゆくは重賞とGⅠを制覇して。とゴールドの将来を思い描きているうちに、ウィニングライブ前のヒーローインタビューのためにゴールドの前に記者が集まっていた。

 

「えー、二年八か月ぶりの勝利おめでとうございます。トレーナーの変更とチーム加入とステイゴールドさんにとって大きな変化の年でしたね」

「天皇賞は入着でしたが、今後もトゥインクルシリーズのGⅠ戦線を走り抜けるということですか」

「あったりまえだ。俺は世界最強のステイゴールド様だぜ。ちょっと俺と競り合った奴らが世界レベル級の白熱していたから競り負けたが、今はオペラオーしかいねえ。つまり、今年度のGⅠは俺かオペラオーの争いになるってもんだ!」

 

 記者からの質問に機嫌よく答えるゴールドは白い歯を見せつけながら拳を作って、打倒オペラオーのパフォーマンスをする。危なげだがいつものヒール的な答え方と思っている記者たちは、重く受け止めることなく、メモに書き残していく。

 

「すみません。質問よろしいですか。ステイゴールドさん、やっと本気で走って勝てたことですが」

「あ゛あ゛!?」

 

 さっきまで機嫌よく答えていたゴールドが切れた。

 だが池浦も頭に血が上りかけた。本気で走っているウマ娘に手抜きをしていたような質問を、ウイニングライブ前のヒーローインタビューでするという神経はあまりにも失礼だ。

 

「てめえ何様だよ。世界最強の俺様が手抜きとかぬかしやがるのか」

「実力があるのになかなか勝ちきれないのには何か理由があるのではないですか。特にあの秋の天皇賞の時、本命のスズカを出し抜ける一番の好機を逃して大穴に抜かれされたのですから、それを疑うファンも少なからずいるのではと思って」

 

 記者は続けて質問をし続ける。だが完全にゴールドの触れてはいけない地雷を踏みにいてしまっている。ぐあっとゴールドが牙を剥き、記者に襲い掛かろうとした。その寸前で池浦がゴールドの前に立ちはだかった。

 

「どけっ、トレーナー!」

「だめだ。ここで暴力を振るったら二度とレースに出られなくなるぞ!」

「じゃあ代わりにお前をしごいてやる!」

 

 理不尽な理由でゴールドが池浦に噛みついた。

 幸い記者に怪我はなく。池浦の頭やら肩やらにゴールドが噛みつき、しばらく痕が残ってしまった。だがそれだけならまだましだった。

 せっかくの久々の勝利を祝うはずのウイニングライブは静まり返り、翌日の記事の一面には『ステイゴールド初重賞したものの…………暴行・暴言の大暴れ』ゴールドの勝利を祝う言葉がかき消されてしまった。



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R6 秋の天皇賞

『ステイゴールド未だ謝罪せず。ファンからは不満の声も』

 五月の目黒記念で二十八試合ぶりに重賞勝利を果たしたステイゴールド選手(シニア級三年目)であるが、ヒーローインタビューにて質問してきた記者に襲い掛かろうとした騒動があった。

 間一髪でステイゴールドのトレーナーが庇ったが、トレーナーは複数の箇所を噛まれるけがを負った。せっかくの勝利にこの失態を犯したステイゴールドは未だに謝罪の言葉一つもない。この気性難は今回に限ったことではなく前のトレーナーに対して、噛む蹴るなどの暴行を加えたことが原因でトレーナーの交代劇があったばかりだ。加えて現在所属しているトレセン学園でも留年していることもあり、今回の騒動で自身の立場が危うくなっている。

 

10: ID:kZA7Cl3Y9

 まだ謝罪してないのかこの手抜き野郎

11: ID:VYqCbahop

 留年生って変に上級生のプライド持つからこわいわ~

15: ID:FW9qtxlgy

 正直オペラオーよりこいつ下せ

19: ID:MiV5n2SrB

 阿寒湖ww

23: ID:7GsjCz1NO

 >>15 それな

25: ID:bqFzcWyyD

 つかこいつススズ世代なのにまだ走ってんのかよ

29: ID:56U2IhIkf

 >>25 毎月走って毎月負けている

 

 

「ステイゴールド様ぁ。デジたんはずっと応援してますから。どんな落ち目の時でも応援するのがファンですから」

 

 トレセン学園の校舎にある廊下で、デジタルが涙目になりながら閲覧していたステイゴールドが叩かれているネットの記事を池浦は横目でのぞいていた。

 

「にしても、前のトレーナーが交代した話とか事実はあるが。偏向記事だぞこれは」

 

 経緯としてはヒーローインタビューとしては不適切な質問を投げかけたことでゴールドを怒らせたというのが正しい筋だ。だが元からゴールドのヒール的な発言と炎上ネタが悪い方向で作用してしまいデジタルタトゥーが刻まれている。

 おまけにあの目黒記念の騒動以降、ステイゴールドの成績は本当にやる気をなくしたかのように宝塚、GⅡのオールカマーでさえ入賞圏内まで届くことがなかった。サボり疑惑というウマ娘にとって不名誉な噂を着せられ、成績不振もあり、周囲の視線は疑惑を確信しかけてきいる。ファンが動揺しているのを打ち消すためにもステイゴールドに謝罪会見、もしくは謝罪文を掲載しないといけないというのが池浦の考えである。だがゴールドはことごとく池浦の考えを拒否し続けていた。

 さすがに日が立ちすぎている。ここでビシッと言わねばとついにゴールドがいる教室に張り込むにまで至った。そして噂をすれば、髪をひとつにまとめた黒鹿毛の勝気な目をした少女が階段を上がってきた。

 

「なんだよ。待ち伏せかトレーナー」

「ゴールド。これで何度目かわからないが、謝罪会見を開くんだ」

「なんで俺様が頭下げなければならないんだよ。あの記者が俺様のヒーローインタビューをコケにする質問したのが悪いだろうが。俺が頭下げる道理はないだろうが」

 

 ステイゴールドの言葉は一理ある。だが現実ではステイゴールドは今までの試合を手抜きをしていたことがバレかけて記者に襲い掛かろうとしていたと見られている。学園内の悪評判ならまだしも、公の場での醜態は謝罪会見などをして早く傷口を塞がないといけなくなる。

 

「こうしている間にも炎上記事次々と上がっているんですよ。デジたん最近不安になって」

 

 すべてのウマ娘のファンであると公言するデジタルの眼にはクマができており、辛く悲しんでいるのが一目瞭然だ。それでも得意のダートで重賞を勝っているのはさすが成績優秀というべきか。

 

「ファンのためにも、こうした失敗はちゃんと謝らないといけないのが社会通念のマナーで」

「知るか! 気分悪ぃから今日練習に出ねーからな。俺は一切謝んねーからな!」

 

 ズカズカと池浦の制止を振り切り、教室に入らずウマ娘特有の脚力であっという間に廊下の向こう側まで逃げ出してしまった。また引き留め失敗か。そうしてうなだれていると、ショートカットに晴れ渡るような空色の髪の眠そうな少女がのほほんとした声色で呼びかけた。

 

「おやぁ。相変わらず荒れているねぇゴールド先輩」

「ふぉおおお!? セ、セイウンスカイさん! いつのまに帰ってきたのですか!?」

「おっす。まさか出迎えてくれたのが後輩だなんてセイウンスカイさん有名だねえ」

 

 聞きなれたデジタルの奇声ではあるが、池浦も思わず同じ声を上げそうになった。セイウンスカイ。あのスペシャルウィークと同じ黄金世代の一人にして、クラシック二冠ウマ娘とデジタルでないくても知らない人はいない。去年あたりに屈腱炎という重い怪我をしたことで一年ぐらい休養していたとは聞いていた。

 

「もしかして、ゴールド先輩の新しいトレーナーさん? 大変でしょゴールド先輩の世話」

「知っているのか」

「学年別だったけど、ゴールド先輩シニア混合の試合になるといっつも顔出して私たちにぶっ潰すとか宣言していたんだもの。でもだいたい負けるんだけどね」

「よくご存じで」

「それで、ゴールド先輩をサボっていたことはないですって謝らせるだなんて、今度のトレーナーさんは命知らずだね。びっくりだよ。まあ私も練習はサボっているから人のこと言えないんだけどね」

 

 心臓が跳ね上がりそうになった。先ほどのやり取りを少しだけ聞いただけで、すべてを察知するセイウンスカイの侮れなさ。さすが黄金世代というべきか。

 

「ところでトレーナーさん。ファンの人って誰のことを考えてる?」

「そりゃあ、ゴールドについてきてくれるファンのことだろ」

「じゃあさ、ゴールド先輩が毎回負けているのを見続けているファンたちがそんなことで揺らぐのかな。ウマ娘のファンって結構細かい所まで見ているからね。特に負け続けているウマ娘のファンなんて相当マニアックな部類だよ。手抜きをしていたなんて言われなくてもすぐわかるんじゃないかな」

 

 その時ハッと気づいた。ステイゴールドのファンをちょっとそっとのことで疑いの目を向ける人たちではない。きっと勝つと信じて、わざわざ目黒記念に勝った時のための横断幕を用意してまで見に来ている人だ。本当に手抜きをしているのなら、とっくにそれを見抜いて彼女の下から去っているはずだ。

 池浦はファンのためと言いながら、勝手に悪評を立てる本当のファン以外の人に対処するために向けていたのかもしれない。

 

「本当に手抜きをしていたのなら、去年の秋の天皇賞で一着になったスペちゃんの尻尾噛みつこうなんてしないよ」

「あいつそんなことやろうとしてたのか」

「ゴールド先輩譲れないところは譲らないからね。たぶん自分が謝ったら、自分が本当に手抜きしていたんじゃないかって余計に疑われること考えているんじゃない? ゴールド先輩って、凶暴だけど意味なく暴れるわけじゃないし」

 

 言われてみれば、ステイゴールドの気性難はどこぞの黄金の船の名を冠した銀髪のウマ娘のように脈絡なく暴走するわけではなく。何かしら自分にとってのマイルールというものがあるように見える。今回の一件もそうなのだろう。

 だけどまだ何か引っかかる。手抜きをしたという疑惑を向けられただけでゴールドは飛び掛かろうとしたのか。池浦はあの時のことを振り返った。ゴールドがブチギレしたのは『秋の天皇賞でサイレンススズカを出し抜けるチャンスを逃した』というところで、ゴールドは襲い掛かろうとしていた。

 なら、その時のことで何かゴールドの琴線に触れたと考えた方が筋ではないだろうか。

 

「セイウンスカイ。サイレンススズカが出ていた秋の天皇賞のことで何か知っているか?」

「私はその日出場していないから、わかんないなぁ。まだクラシックだったし。じゃあそろそろ授業始まることだから、またねトレーナーさん」

 

 ひらひらと手を蝶のはばたきのように動かして、オペラオーと同じ教室に入っていった。

 さて、俺がやれることをしないと。

 

「デジタルこれから資料室に」

「あたしその日の映像保管していますから授業が終わった後、取ってきますね。ウマ娘ちゃんたちの記録は一つ残らず撮影していますから」

 

 本当にデジタルが池浦のサポーターを担ってくれてよかったと心から感謝した。

 


 

 デジタルが撮影してくれたスズカが最後に走った映像が映っている天皇賞のビデオは、驚くべきことに現地で撮影されたものだった。デジタル曰く、GⅠの試合は全部生で撮影しているとのことで彼女の行動力の高さに改めて恐れ入った。

 ビデオが再生されると、左回りの東京レース場で大逃げをするサイレンススズカの姿があった。あっという間にステイゴールドがいる集団を置いてけぼりにし、バ身差では表せないほど距離を離していた。これが覚醒したサイレンススズカの強さで、最後の輝きであった。すると急にデジタルが早送りにして直線コースの所まで飛ばした。

 

「スズカさんが骨折したシーンだけはどうしても見たくなくて、最後の直線だけでお願いします」

「…………わかった」

 

 そう、大ケヤキを曲がったところでサイレンススズカが突然故障してしまい、結果ターフを去ってしまった。ウマ娘のファンとして、トレーナーとして応援しているウマ娘が壊れる様は見たくないものだ。

 観客がどよめく中、他のウマ娘たちは最終直線に入った。その中にステイゴールドがゴール板へ目がけて最後の追い込みをかけるために足に力を入れる……はずだった。斜行していないにもかかわらず最後の直線で明らかに減速している。春の天皇賞を走り抜けているステイゴールドが、距離が短い秋の天皇賞でこんな減速するだろうか。この時のステイゴールドは、明らかに手を抜いているように見えた。

 その間にデジタル秘蔵のビデオでステイゴールドの他の試合も鑑賞したが、やはりあの記者が質問したように秋の天皇賞だけ明らかに手を抜いたようにしか見えなかった。

 

「もういいですか」

「うん。もしかして、ゴールドが怒ったのは今までの試合で手抜きと罵られたわけじゃなくて、この秋の天皇賞のことで怒ったんじゃないだろうか」

「……でもそれじゃあ、ステイゴールド様はこの時本当に手抜きをしてしまったというわけになってしまいます」

 

 だが、それを語ってくれるのはステイゴールド本人でしか確認できないわけでもある。

 

「それに、今年も出るんだよな。秋の天皇賞…………」

 


 

『テイエムオペラオーゴールイン! 無敵の六連勝で一番人気に答えました。テイエムオペラオー春秋連覇』

「はーはっはっは。ついにこの時が来た。世界は僕とドトウのものだ。さああとはジャパンカップと有馬記念だ。共に世界を制しようじゃないか」

「はぅう。オペラオーさんすごいです。でも私なんかがオペラオーさんの隣に居てもいいのでしょうか」

「君だから、僕の統治に加えられるんだよ。さあ手を取り給えシンデレラ。その足に僕がガラスの靴を履かせてあげよう」

 

 天皇賞秋のジンクスである一番人気の呪いを跳ねのけたオペラオーとまたも二着のドドウの凱歌が謳われる中、またも入着すらできなかったゴールドが後ろから七着でゴールをする。手に膝をつき、涼しい秋風が汗を乾かしてく中で、耐え間もなく滲んだ悔しさを吐き出している。

 

「はぁ。はぁ。くそったれ」

「ステゴまだ次ジャパンカップがあるぞ」

 

 そのステイゴールドのファンが応援してくれる。だが。

 

「もっと本気を出せば勝てるんじゃないのか」

 

 心無い人間からの冷たい言葉がゴールドの耳にも入ってくる。一瞬ゴールドが睨むが、池浦はすぐ頭にタオルをかけさせて、目を合わせないようにさせた。

 本当のファンは応援してくれる。だけど本当のゴールドのことを知らない人間にとっては、あの炎上のことがゴールドの姿と認識している。

 池浦はなんとか謝罪以外でステイゴールドのイメージ改善を図らなけれならなかった。



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R7 ダート・芝二刀流の変態

 トレセン学園の練習場には取材陣が集っていた。練習場に取材陣が来ることは珍しくはないのだが、規模が違っていた。取材陣が入り切れず交代でないと入れないほど混んでいたのだ。理由はテイエムオペラオーとメイショウドトウらの世紀末覇王コンビがチームポラリスによる合同練習に参加しているからだ。

 

「意気込みかい? 問題ないさ。僕は世紀末覇王としてトゥインクルシリーズにオペラオー王朝を築くだけさ」

「しかし次のジャパンカップでは欧州現最強のファンタスティックライトが参戦するとのことですが」

「海から敵が来る。はっーはっは。外敵を打ち払い、総仕上げに身内を一掃して僕が君臨する素晴らしいシナリオじゃないか。敵は強ければ強いほど、僕が美しく輝ける。欧州最強のファンタスティックライト、僕は全身全霊で迎え撃とう」

 

 現在一年を通じて連戦連勝テイエムオペラオーが残りのGⅠジャパンカップと有馬記念を制すれば前人未到の年間不敗と年度代表ウマ娘の栄誉がかかっている。精神力が世紀末覇王という自称が名ばかりではないことをまさしく物語っている。

 さて、それを遠目で眺めていた池浦たちチームポラリスは閑古鳥が鳴くほうが騒がしいほど閑散としていた。無理もない、チームポラリスのメンバーの主な勝鞍がGⅡ止まり、唯一の人気株であるステイゴールドは現在絶賛炎上中の有様。黄金の栄光に囲まれている彼らとは雲泥の差である。

 

「あんなに取材陣が入ったの黄金世代の時以来だな。まあ俺たちは完全におまけ扱いらしいけど」

 

 実のところ今年度のトゥインクルシリーズは前年と比べて観客数が減ってきていた。理由はスペシャルウィークら黄金世代がごっそりといなくなったからだ。残る黄金世代も目立った活躍がなく今年は期待薄とみられていた。だがそこに待ったをかけたのが新年に行われたテイエムオペラオーの世紀末覇王によるオペラ王朝建国宣言の記者会見だった。

 

 去年まで同期や黄金世代相手に三着ばかりと一部ではブロンズコレクターと言われていたオペラオーの宣言に多くの人々は、ただの奇行だと話半分にしか聞いていなかった。だがオペラオーは宣言通りシニア級にてGⅠタイトルを総なめの連戦連勝を築き上げた。記者もトゥインクルシリーズファンもただのビッグマウスではないとその強さに人々の視線が集まるのは時間の問題だった。

 

「オペラオー王朝を築いた証には何をなされるのですか」

「もちろん、僕の僕による僕のための理想の千年王国の建国を宣言する。そして黄金世代がいなくてトゥインクルシリーズはつまらなくなったなどという輩をひれ伏せさせる。だが鐘撞男のように目立つ者は常に敵にさらされる運命にある。だけど、僕の隣には彼女がいる。ドトウだ」

「ふぇ!? わ、わたしですか。はぁう、わたしオペラオーさんの隣に居られる自信がありません」

「心配ないさ。君は僕のライバルだ。隣じゃない、前だ。ジャパンカップでも有馬記念でも君が前に立ちふさがるというなら、僕は安心して挑める。だって君に倒されるのは本望だから」

「オ、オペラオーさん。死んじゃだめです」

 

 オペラオーの冗談かどうか区別にくい話は置いといて、池浦にとってオペラオーの話は面白くないものである。オペラオーの言っていることは、裏を返せばメイショウドトウ以外に倒せる者はいないということになる。次のジャパンカップには次で三回目の出バとなるステイゴールドも参戦するのだから。

 

「あんなこと言われると、ムカつくな。下手をするとドトウ以外でバ群に呑まれる可能性もあるのに」

「はぁはぁ見て見て。オペラオーさんがドトウさんの手を引いて、もう王子様とお姫様だよ。もう結婚しろ!」

「デジタル、カメラ下せ。今日はお前練習する側だろ、来週芝のコースのリベンジマッチに向けて追い切りキッチリ整えておけ。ベストポジション取れなくなるぞ」

「はっ! そうでした。デジたんは今はしがなく追い切りに励む一ウマ娘。羨んでも迷惑かけちゃダメ。デジたん、いっきまーす」

 

 さっきまで蕩けた顔で涎を垂らしていたのが一瞬で切り替わり、デジタルはゴールドとカフェと共に芝のコースを駆け抜けていった。しかしダートと芝両方走れるウマ娘がしがないのだろうか。

 しかしデジタルの成長は目を見張るものがある。この一年ダートを走りながら芝のコースを練習してきたが、順調にデジタルの脚は芝に慣れている。来週出走予定のマイルCSでは絶対的な有力ウマ娘がいない状態、うまくリードを保ちさえすれば勝てる見込みは十分にある。

 ただ少し懸念があるとすれば……

 

 するとチームポラリス問題児三姉妹の末っ子ことタキオンがのっそりと相変わらず生気のない目でコースを眺めながら、池浦を呼びかけた。

 

「デジタルの体調は問題ないのかい」

「タキオン。お前……デジタルになんか実験でも企んでいるのか」

「いやいや企むどころか、夜な夜なお願いをしているのだけどねぇ。なぜか肯定しながら拒否をされてしまってねぇ。カフェも最近冷たくて、なかなか実験する余裕がないんだよ。代わりにトレーナー君が実験に協力してくれればいいのだが」

「ゴールドに噛まれた時用のやたら体が蛍光色に光る湿布だけで十分だ」

 

 実験体にされるのは池浦としてはまっぴらごめんなのだが、悲しいかなゴールドによって負わせられた怪我の治りが一番早いのがタキオンが作ったものであるため、手放せずにいるのだ。

 

「ふむふむ。私の実験の試作品を愛用してくれるのは喜ばしいことだ。さて、話を戻そう。デジタルはここ最近トレーナー認定試験の勉強で少し寝不足気味ではないのかね」

「知っているのか」

「同室だからどうしても彼女の持ち物を見てしまってね」

 

 実はデジタルが池浦のサポートをするにあたってのトレーナーとしての勉強を希望していた。元々成績優秀でトレーナー志望があることは彼女自身(興奮気味の)口から話したのをきっかけに、池浦が養成所で使ったノートや教科書、教本一式を彼女に渡していた。

 

 本来ならウマ娘として引退が決まってからの方がやりやすいのだが、少しでも知識を入れたいということで、夜な夜なトレーナーとしての勉強をしていたのだ。ダート・芝・トレーナーの三足の草鞋を履いているデジタルがレース本番までに疲労が蓄積して支障が出ないかが不安の種であった。

 

「デジタルは自身の興味のあることに対して観測や努力を惜しまない人物だ。好きは努力に勝るの典型だろう。だが私は精神論万能論には反対している。疲労というのは見えない毒薬。本人が大丈夫と答えても実際には何かしら弊害がある可能性がある。それを鑑みて教材を渡したのかね」

 

 まるで最初から見ていたかのようにタキオンの指摘は、その通りである。

 

「デジタルは性格とか動機とかはアレだが、それに見合った姿勢と行動力は持ち合わせている。自分がしたいことはやらせたい。トレーナー視点と選手であるウマ娘との視線で見えてくることもあるもちろん無理はしない範囲でちゃんと休ませるようには伝えている」

「ふむ。フランシス・ベーコンは知識は力なりとも言った。好きをより好きになるためにあらゆることを知識として力とするか。では私も何か手伝えるようなことをしよう。そうだな、開発した疲労がポンっと取れるアロマを夜中デジタルのベッドにこっそり流せば」

「よし、それは俺が没収してしかるべきところで処分しておくから早く出せ」

「おっと君は時折強行派なところがあるから、驚いてしまうよ」

 

 やはり油断ならない、時々持ち物検査でもして怪しい薬がないか調べておく必要があるな。

 

 ふとターフに視線を戻すと反対側の直線コースの上でデジタルが他のウマ娘に立ちふさがれていた。

 一体何事かと現場に駆けつけて見ると、彼女の前に立ちふさがっていたのは前にポラリスに勧誘したクロフネだった。だが最初の時と異なり彼女は葦毛の白髪を指でくるくる回して不機嫌な様子だった。

 

「Hey crazy girl.Youが走るコース、公園と間違っていない?」

「あ、あのあなたは」

「クロフネ。オペラオーのチームに入っていたのか」

「Oh.よく覚えていたね。So bat.でも良くないよ。あたしの故郷ではダートが盛んだけど、ダートはダートのspecialistで走らないと宝の持ち腐れになるわ。ダートは砂遊びをする場でないなんて誰かが言ったけど、芝も倒れて寝転がる場でもないのよ。どちらもやりたいなんて贅沢。芝は芝の者が勝利する。Do you understand? アグネスデジタル」

 

 池浦と同じぐらいの背丈があるクロフネが体をくの字に折って顔をデジタルの前に近づけた。ダート・芝両方で戦うウマ娘などほとんどいない。芝とダートでは走り方が全く異なるからだ。そんな当たり前のことをわかっているのかと馬鹿にしているのだろう。

 動機が推しの顔を見るためという不純なものであっても、デジタルの努力を無碍にするなど許されないと池浦が前に出ようとした時、挑発されたデジタルがブルブル体を震え上がらせると異変が起きた。

 

「うそ。うそうそ。やばい。やばいやばい。来年のクラシック最有力候補のクロフネさんにデジたんの名前覚えられてたああああ! 。あわわデジタルはしがないウマ娘にゃのに。わ、わたしの名前をををを。後近い、アメリカンコーヒーのか、お、りがしゅるるる」

「デジタルううう!! 鼻血を出してターフに倒れるな! 芝生が汚れる!!」

「Oh,crazy」

 

***

 

 合同練習から翌週。天候も良く芝も良バ場の状態でマイルCSのファンファーレが京都競バ場に響き渡る。チームポラリス全員、二度目の芝のGⅠ挑戦となるデジタルの応援のためゴール前付近の最前列でデジタルの雄姿を眺める。

 最も本人は周りのウマ娘たちに興奮しないように深呼吸するので精一杯ではあるが。

 

「これで勝ったら……ホクトベガ以来のすごいことになりますよデジタルさん」

「でも転向するわけでもなく、芝も挑戦とか聞いたことねーぜ。これよりジャパンカップダートの方が勝ち目あったんじゃねーの」

「ジャパンカップダートは2100の中距離だ。前のGⅠも中距離で負けていたからそれより走り慣れているマイルでやったほうがまだ幾分勝ち目はある。追い切りの時でも芝は問題なく走れた」

 

 できる限りのことはやってのけた。池浦の読み通り、キングヘイローやダイタクヤマトなどの敵はいるが突出した実績を持つウマ娘がいない状態だ。あとは練習でやったようにことを発揮するだけだ。

 

「あら、あなたはゴールド先輩のチームの方では」

「ななな、なんと。キングヘイローさん! あたしのような一般のモブウマ娘ごときにお声をおかけいただけるとは」

「一流はどんなファンでもおもてなしするのが礼儀よ。といってもあちこちの路線変更をしてやっとGⅠを一勝できた私が一流と呼べるからしらね」

 

 キングヘイロー。スペシャルウィークら黄金世代の一人で、同期たちの引退やケガで不在の中ただ一人レースを走っているウマ娘。クラシック時代は同期たちにあと一歩及ばず、シニア期を境にシニア王道路線から短距離路線へとシフトして今年ようやく高松宮記念で悲願の優勝を果たした。

 

「いえ。あの高松宮記念の素晴らしい差し切り。そして十度の敗北を経ての不屈の勝利。あたし最後の直線で何度も歓喜の堕涙をしたことか」

「ありがとう。でも挑むのはあなたもよデジタル。私も勝利のためダートに挑んだけど敗北を増やしたわ。けど私はそれを無駄と思わないわ。挑むことこそ一流の証よ。あなたが芝に挑むことを歓迎して差し上げるわ。レースに挑む者として」

「くぅ、なんと一流にふさわしきお言葉。修行をしていたら釈迦自ら教えを授けたぐらいの衝撃」

 

 やや分かりにくい例えではあるが、デジタルがこの上なく感激していることは分かった。それにクロフネに自分は芝でも走れる姿を見返してやらなければ、この一年の努力をまた笑われてしまう。

 

「見返してやれよデジタル」

 

 そしてファンファーレが鳴り終わると、各ウマ娘のゲートが一斉に開いた。

 ゲートから飛び出したウマ娘たちはあっという間に内に沿いながら先頭集団が混戦し始めた。

 

「先頭集団が団子状態だね。これでは先行に入っても抜け出すのは容易ではない」

「くそっ、出だしからツイてない。これじゃあ後方から抜け出すように変えないと」

 

 マイルは短距離よりは距離が長いものの短期決戦であるのは変わりない。いかに直線での勝負を有利に持ち込めるかがカギとなる。だが現状先頭集団が混雑している状態ではそのまま入り込む余地がない。事実デジタルは内から入って先行に食い込む策を止め、後方待機を選んでいた。

 だがコーナーを回って先頭集団が直線に入ろうとして、状況は変わらないどころかデジタルは十五番手にまで落ちていた。

 

「デジタル! 仕掛けろ仕掛けろ!」

「いや無理だろ。いくらなんでも最後方過ぎる」

 

 池浦が吼える。距離的には厳しいが、逆転できない距離ではない。直線を走り抜ければ入着いや優勝はまだ狙えれる。

 

「ベストポジションは譲らないんだから!」

 

 デジタルが歯を食いしばり、一気に直線を駆け上がる。一番力を発揮しやすい内側の直線は混戦している、ならば五十mくらい遠回りになるが他の娘がいない大外へと足を変えて突き抜ける。

 

『内からダイタクヤマト。ダイタクヤマト先頭だ。大外から何か飛んできている。大外からアグネスデジタル! 大外アグネスデジタル。アグネスデジタル!!』

 

 完全に後方にいたはずのデジタルが、驚異という言葉では収まり切れないほどの末脚で十五番目からあっという間に中段、先頭集団、トップに並び。

 差し切ってしまった。

 

「まじか」

「あそこから。差し切れるのですか……」

「…………素晴らしい。これは、もしやトレーナー君の声援による能力の向上か。それとも彼女自身の愛の力か。やはり彼女に十分な観測がもっと必要だ」

 

 タキオン以外、全員。いや会場の観客を含めての全員有り得ない光景を目の当たりにして呆然としていた。ただの最後方からの差し切りではなく、ダートを主戦場にしていたはずのウマ娘がコースレコードを叩いだしたという異例ずくめの勝利に、喜びも怨嗟も吹き飛んでしまっていた。

 

「はばばば。この空気デジたんやってしまったかも」

「落ち着けデジタル。あまりの出来事にみんなどんな顔していいのかわけわかんないだけだ。俺もびっくりしすぎてどうすればいいかわかんない。ほんとわけわかんない」

 

 池浦が笑みをこぼしながら異様な雰囲気を醸し出して不安になっているデジタルを落ち着かせる。

 

「素晴らしい差し切り勝ちよデジタルさん」

 

 七着と掲示板入りすらできなかったキングヘイローが一番にデジタルの下に近づき、賞賛の拍手を送る。

 

「キングさん直々の声援。感謝感激雨あられ」

「今日の主役はあなたよ。誇りなさいデジタルさん。そしてもっと経験を積みなさい。そしてこれから巡り合うライバルに恥じない戦いをしなさい」

 

 敗れたとはいえ、気丈に相手をリスペクトして道を示す姿はまさにキングの名にふさわしかった。

 

「よくやったな。デジタル、さてこの後のウイニングライブの準備を」

「……え、ウイニングライブ?」

「おい、まさか振付覚えていないのか。」

「Oh.すんません昨日までペンライト十本差しの応援振付しかしていません。でも大丈夫です。歌と振りつけは全部完コピをしていますので」

 

 なんでそっちに全力を注いでいるんだ。レースで勝ってもウイニングライブをちゃんとしないとチームにクレーム来るんだぞおい。

 

「まったく、デジタルさんいついかなる時も勝つときの自分の姿を思い浮かべなさい。一流は勝った後も想定するものよ。そしてゴールドさん、あなたは今年もシニア王道全出場するのよね。年末の有馬記念であなたやオペラオーを打ち破ってキングの名を刻んで見せるわ」

「へいへい、やって見せろよな。一流さん」

 

 その間観客席にこっそり観戦に来ていたクロフネが、緑の眼に映ったレースの一部始終に口笛を吹いて眺めていた。

 

「ひゅ~…………Oh my god.本当にcrazy girlね。アグネスデジタル」



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R8 ステゴの秘密

「着陣っ! わざわざご足労かけたな池浦」

 

 アグネスデジタルの劇的な二刀流の勝利から翌日、理事長に急に呼び出されると相も変わらずの二字熟語の大声量で直立不動の姿勢になった。

 

「理事長。何か御用ですか」

「うむ。まずはアグネスデジタル君の二刀流見事! さて、本題に入るが君の担当のステイゴールド君についてだ」

 

 ごくりと生唾を飲み込んだ。嫌な予感しか予想できなかった。

 

「傷心っ! 目黒記念の騒動以後、ステイゴールド君のことでトレセン学園に誹謗中傷の書き込みが増えていて、最近彼女の周りについてくる記者もパパラッチまがいの者が増えている状況で、先生たちからあまりよろしくないことが聞こえてきている。」

「まさかステイゴールドを退学……ということを」

「むむっ。私もあの時の経緯については知っている。だが他の先生方は今回の騒動に加えて、留年に授業態度の不真面目さや気性難のことで手を焼いている。何か理由を付けて辞めさせたい気持ちがあるのだろう」

 

 トレセン学園からの退学、すなわち引退を意味していた。素行とか暴行とか何かしら問題はあるが、それでもゴールド自身は懸命にレースを走っている。それがそんな理由で引退するなどウマ娘として不名誉極まりない、何としてでも退学は避けなければ。

 

「進言っ! その事態を防ぐべく、ステイゴールド君の不名誉な疑惑をレースで打開しなければならない」

「となりますと、次回のジャパンカップで勝利をする必要があるということでしょうか。確かにステイゴールドの自力は十分にあります。ありますが」

 

 池浦の声が段々とその言葉とは裏腹に小さくなっていく。

 現在ステイゴールドのジャパンカップの戦績は十着と六着と芳しくない。それに加えて、今回のジャパンカップにはドバイに拠点を置く世界的強豪チームゴドルフィン所属のエース、ファンタスティックライトら世界中の一流ウマ娘たちが府中に集まってくる。そんな世界の強豪が集う中で、最近入賞すらできていないステイゴールドが優勝する要素が低すぎるのだ。

 だが秋川理事長は真剣な眼差しではあるが「必ず勝利せよ」との言葉は発さなかった。

 

「池浦よ。ウマ娘が愛される要因とは何ぞや」

「勝利でしょうか」

「うむ。勝利を目指す。走ることに喜びを見出すウマ娘にとって一着、勝利は目指すものだろう。だがそれはあくまで愛される要因の一つよ。愛されるウマ娘。ウイニングライブでの素晴らしい演技に感嘆してファンになる者もいれば、愚直なまでにその走りを貫き通すウマ娘に応援したくなるファンもいる。他にもレースでは結果が出なかったが、後進の育成のために心血を注ぎ当時のレースに思いをはせるファンもいる。池浦、ステイゴールド君のファンは何を以て愛されているかそれを考えたまえ。以上っ!」

 

***

 

 勝利ではなく愛される走り。ただ勝つよりも全く異なり、正解のない答えを理事長から提示された。

 講義や教本ではどうやってウマ娘たちが勝つように効果的な練習をすればいいかだけを学び続けていた。デジタルの時もそのやり方が成就したのだ。だが愛される走りなど一度たりとも学んだことはない。

 勝つことでファンが増え、愛されるのは当たり前のこと。だが自分の担当ウマ娘であるステイゴールドがまさにそれに当てはまらない。愛される理由とは何か。それを強豪ひしめくジャパンカップでどうやって示せばよいか、池浦は頭の中で模索しながら対戦相手一覧が書かれたノートを開きながら、練習場へと歩いて行く。

 

「おい、てめえら。人がせっかく珍しく真面目に自主練しようとするときに邪魔すんのか。あ゛あ゛」

 

 校舎と練習場をつなぐ裏道でゴールドの低く唸る怒声が聞こえた。

 

「ステイゴールド選手一言だけでもいいですから。あの天皇賞の試合について実際の所どうだったかを答えてくれれば」

「なあそれは俺様に喧嘩売ってるつーわけでいいのか。いいよな。いいんだよな!!」

 

 目黒記念の時にいたあの記者があの時と同じ質問をしており、ギリギリと歯切りを立てて威嚇するゴールドの堪忍袋の緒が切れかけていた。

 またあの記者か! 池浦は急ぎ走り出し、二人の間に割って入った。

 

「ちょっと選手への無断取材はお断りしているんですよ」

「あなたには関係ないでしょ」

「俺はステゴのトレーナーです」

「二年前の天皇賞の時いなかったあなたに関係ない話でしょ。ましてや新人トレーナーが口を挟まないでいただきたい」

 

 全く聞く耳を持たない記者に。ゴールドが退学の危機に陥っている原因はこの記者だというのに、記事のネタになることしか考えてない。こんな奴のためにゴールドは……!

 

「おや取材かい。にしては少々品も華もない。人の中身を暴こうとしているが人間、衣裳を剥ぎとればあわれな裸の二本足の動物にすぎないだろうに。が、僕は美しすぎてこの衣で抑えなければならない定めにあるのが悩ましい。さてトレーナー君ここは僕に任せたまえ」

「オペラオー」

 

 騒ぎを聞きつけてきたのか、たまたま近くにいたオペラオーが池浦の代わりに記者の前に立ちはだかった。

 

「やあやあ記者君、どうしたのかな。この間の僕の取材がタイムオーバーしてしまったから、また僕に会いに来たのかい?」

「いえ、今回はステイゴールド選手の疑惑について伺っていまして」

「ふむ。ゴールド君のことでかい。彼女については何か間違いはあるかもしれないが、別に彼女は気が狂ってはいないさ。でもそうだなぁ、僕も彼女とは同じクラスで長い付き合いだ。語れることは語ろう」

「ではステイゴールド選手の走りについてオペラオーはどう思いますか」

「いいだろう。ではたっぷり語ろうではないか、演出僕! 作曲僕! 脚本僕! 主演僕! による『テイエムオペラオー王朝の興隆とステイゴールドの戦いの日々』を三時間アンコール延長込みでお届けしよう」

「いやいや、そんなんじゃなくて」

「うむ、だめかい。ではその声にお答えして。未公開のも含めた完全版劇団オペラオーをお見せしよう! と〜きは昔の物語〜♪ 正月の初日の出を見逃してしまい、太陽におはようの挨拶が出来ずに悔やむ僕の顔を♪ 窓ガラスから眺めていた〜♪」

 

 何も答えになっていないのに、勝手に一人歌劇団を始めたオペラオーに記者が完全に戸惑っている。技とか本気かよくわからないファインプレーのこの隙にステイゴールドを逃がそうとしたが、すでにいなくなっていた。

 

 もう練習場に行ったのではと、そっちに行ってみるがゴールドの姿はなかった。代わりに冷たくなった秋風にふわふわっと空色の髪をなびかせるセイウンスカイが、ターフの外ラチに腰を下ろしていた。

 

「セイウンスカイさん。ステイゴールドを見かけなかった」

「いや。こっちには来ていないよ」

「そうか。どこに行ったんだゴールドは」

「先輩は捕らえるの難しいよ。自由奔放だから。でその、ちょっとお願いがあるんだけど保健室まで運んでほしいなぁ。練習していたら古傷が痛んで動けないんだよね」

「おいおい、大丈夫か」

「いやぁ前と同じように走ったら脚が全然前のように戻ってなくて、私ダメだね~」

 

 応急処置で足にテーピングを施して動けないセイウンスカイを背負って、保健室まで走っていく。屈腱炎による故障から治ったとばかりと池浦は思っていたが、前と同じように走っただけで故障が発生するとセイウンスカイの故障は酷いものであると予想できた。

 本人は飄々とした表情でまだ現役は続けるらしいが、実際に走れるかどうかは。

 

 保健室の近くまでやってきたとき、保健室の扉からなんと行方がわからくなっていたステイゴールドが出てきた。

 

「じゃあな。また頼むぜ」

 

 ゴールドは池浦のことに気付かず去っていった。ゴールドを発見できたのはよかったが、どうしてゴールドが保健室にいたのかまったくわからなかった。ケガの傾向もなかったはず。セイウンスカイを保健室のベッドに寝かして養護教師にを呼んだ。

 

「しばらく動かしちゃだめだからね。まだ屈腱炎の痕が響くのだから。ところで、あなたはステイゴールドのトレーナーさん。彼女ならもう帰りましたよ」

「ゴールドは、ここで何をしていたんですか」

「脚の検査をしていたの」

「検査! まさか脚に異常が」

「いいえ、いたって正常よ。毎回練習の休憩中や終わった後はすぐにここに来てね。あんなに毎月走っているのに驚くほど怪我になりそうなところがないくらいにね」

 

 それを聞いてホッとしたが、しかし練習の休憩中とは言うが、ゴールドの場合勝手に練習を抜け出してここに来ているのもカウントされる。それを加味したら大事にするというより過敏すぎる。

 

「ウマ娘にとって脚は心臓みたいなものだから気にする子もいるけど、あの子は本当に丈夫なんだから練習が終わってすぐ検査するほど過剰気味にならなくてもいいのにね。前のトレーナーさんのころからの習慣かしらね」

 

 養護教諭の女性は困った子を見るように微笑んだが、池浦は笑えなかった。前のトレーナーからステイゴールドが合間に保健室で自分の脚を検査していたことなど一言もなかったのだから。いや、そもそも本人の口からそういうことを気にしていた素振りすらなかったのだから。

 

「あの、ゴールドはいつからここに通い詰めていたんですか」

()()()()()()()()()ぐらいからずっとね」

 

 二年前。その単語を聞いた直後、背後から乱雑に保健室の扉が開く音がした。

 

「忘れ物しちまったから出戻りだよっと」

 

 その瞬間、ステイゴールドが一気に足を駆け、池浦の胸ぐらをつかんで吼えた。

 

「てめえ、こんなところで何してんだ! 俺様の後ろを付け狙っていたつーのか。あ゛あ゛」

「ち、違う。ゴールド。放せ」

 

 なんとかゴールドの掴む手を引きはがそうとするが、力の強いウマ娘と人とでは引きはがせるわけでもなく呼吸が苦しくなるばかりである。養護教諭も突然の事態にたじろぎ床にへたり込み腰が抜けている。

 すると、ベッドで安静していたセイウンスカイが静かに後ろに回ってステイゴールドに膝カックンをした。急に別の力が加わったことでステイゴールドの手が緩み池浦は脱出することができた。

 

「先輩。保健室では静かにしてくださいよね。私のほかにも病人だっているんだから。それにこんな場所で騒ぎを立てるとまた色々書き立てられるよぉ」

「っち。失礼しやした」

「ゴールド。話がある」

 

 服がまだ乱れたまま池浦がゴールドを引き留めると、ゴールドは池浦を睨み舌打ちをして返した。

 

「んだよ。説教か」

「……違う。君が保健室に通い続けた理由だ」




一方その頃オペラオーは。

「そう、そこで僕は彼女にこう言ったのさ。「僕こそが世紀末覇王だ!」」
「は、はあ。はあ。ありがとう、ございます。ではこれで」
「待ちたまえ記者くん。まだ第一部が終幕したばかりじゃないか。これより今年に起こった僕とゴールド君との戦いの日々を語る第二幕が上がるのだよ。さあ、聞きたまえ」
「か、勘弁してください」


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R9 サイレンススズカの影

 いつの間にか日が沈んで、秋の虫が鳴いていた。草の汁が冷たい土手に二人が座ると最初にステイゴールドが口を開いた。

 

「トレーナー。いつから付けてた」

「偶然だよ。ケガをしたセイウンスカイを運んでいたらたまたま」

「チッ。見られたくなかったな」

 

 いつもより不機嫌な顔で、練習用のジャージのチャックを少し開いてあぐらをかく。

 

「…………ゴールド。お前が保健室に通ったのは天皇賞秋、スズカが潰れた時からなんだよな。保健室の先生も言っていたが、お前の脚は何も問題ないそうだ。いやトレーナーの俺でさえ脚に何か異常があったらすぐに気づけるぐらいの知識も対処法も知っている。お前は、何を怖がっているんだ」

「……怖がってねえ」

 

 そう言うが、ステイゴールドの言葉は明らかに強がりによるもので、顔もこちらを向かず夜の闇に埋もれた黒鹿毛しか見せてこない。

 

「ゴールド話してくれ。どんな理由でも俺は、受け止める」

「…………マチカネフクキタル。あいつは、変なウマ娘だった。いつも教室で水晶やらおみくじで占いして、レース前にまで変な呪文唱えながら勝てる占いが出るまでやるんだよ。そんであの末脚で菊花賞取っているんだぜ。だけどあいつは一度脚を故障をしたことに怖がって、今年の宝塚で辞めやがった」

 

 ステイゴールドの口から開かれたのは、同期のウマ娘の昔語りだった。

 いつもの勝気で低く唸るような声からは想像もできないような、ぽつりぽつりとか細く年頃の少女のような声色だった。

 

「グラスワンダーも有馬記念とかで戦ったけど全く追いつけなかったのに、同じく宝塚でレース中の骨折で俺の後ろにいきやがって引退。セイウンスカイも屈腱炎、本当に俺に勝った奴らってだいたいケガして輝きも何もかも先に消えていきやがって」

 

 ステイゴールドよりも先に華々しいデビューや輝きを持ったウマ娘たち、だがそのウマ娘たちは皆最後は枯れた花のように萎れた最後を迎えたことばかりだ。その栄光と衰退を彼女は間直で見て、覚えていた。

 

「そしてスズカもだ。あいつは俺と同期で、クラシックの時はてんでダメだったのに香港から帰った後なんかメキメキ成績上げやがって。これはおもしれえと宝塚のレースで挑んだんだ。結果は四分の三バ身と負けたけど。俺がスズカに近づけた時な、あいつすっげー悔しい顔していてさ。学園でスズカに次戦うときは「次は俺が勝つ」って、思ってたのに」

 

 さっきよりもトーンが落ちていき、声も弱々しくなっていた。その先を自分の口から話したくないように、だがステイゴールドは必死に絞り出してサイレンススズカの話を続けた。

 

「天皇賞秋。スズカはあっという間にもう先が見えないぐらいに突き放されて大逃げかまして。負けると思ったよ。でも勝ちたいって走った。それで大ケヤキのコーナーを曲がったところで、スズカの……脚が。ぐにゃって。……進むしかなかった。まだレース中だからな。そんで前を見たら俺のほかに前にもう一人だけ。確実に一位になれたんだ。天皇賞でやっと俺もGⅠ取れる絶好の機会だったよ。けど、けど。俺はスズカに勝ちたかったのに、そのスズカが急にいなくなって。それで俺が一番になって、それで俺はいいのかって」

 

 もうそこからは言わなくても理解してしまった。ゴールドがあの天皇賞秋の直線で手を抜いてしまった走りをしてしまったことが。だがステイゴールドはまだその先を答えようとしていた。 

 

「だから、俺は」

「もういい。もう話さなくても」

 

 池浦は止めようとした。するとゴールドは唇を噛みしめて赤い液体を滲み出すと、急に立ち上がって喚き散らした。

 

「ああ、そうだよ! 俺はあの日、手を抜いたんだ! こんな勝ち方でGⅠ取りたくなくて! あの記者の言う通り、わざと勝ちたくなくて手抜きしたんだ!! そうしたくなかったんだよ!! あんなことになるならスズカに負けた方が!! クソがクソがクソが!!」

 

 傍にあったケヤキの幹がゴールドの蹴りでミシミシと、今にも折れてしまいかねないほどに鈍い音を立ててやりきれない憤悶を当たり散らす。池浦に泣いていた自分の姿を見られなくないのを必死で隠すように。

 

 けど誰がゴールドを責められるだろう。ライバルに勝ちたいために練習をして鍛えた。それが挑んだ本番で、そのライバルが試合中に選手としての一生を絶えるアクシデントに見舞われて。それで勝って意味があるのだろうかとゴールドは突っぱねた。あんな形での勝利に意味がないと。ステイゴールドのプライドが許さなかったのだ。

 

「けど俺はまだGⅠ取るの諦めてねえーぞ。どんな場所でも、GⅠを取るって、そのために俺は決めているんだ毎月走る。絶対に壊れねえ。先公にやめろと言われても走ってやる。なんならトレーナーがいなくたって、俺は走ってやるんだ。五年でも十年でも、強いやつに勝って手に入れた証を勝ち取るまでな」

 

 この子は独り戦っていた。同期のほとんどがターフを去った後も、ケガで輝きを失ったライバルたちを目の当たりにして。不意に訪れる怪我という不幸と戦い、ただの勝利ではなく強者と戦った証としてのGⅠの称号を手にするために。彼女にしかわからない苦しみと悲しみを、凶暴という影に隠して。

 だからGⅠやGⅡにこだわり、毎月走るという鬼のような試合ローテを自ら望み、足しげく保健室に通っていた。絶対にケガをせず、強者と戦った証である勝利を得るために。

 

 池浦は泣きそうになった。

 こんな狂気に満ちたウマ娘を愛さずにはいられなかったのだ。

 

「ゴールド。レースは独りじゃ走れない」

「走れる。走ってやる。俺様は」

「次のジャパンカップ、いつものように走っても上位との戦いに入り込めない。それでもいいのか。お前はGⅠを勝ち取りたいんだろ」

 

 やっとステイゴールドが池浦に振り向いた。それもいつものように緑色の眼がギラつきながら威嚇する目つきで。

 

「強いやつがいるGⅠでだ。つかなんでそこまで俺に突っかかんだよ。俺のような劣等生の金の前でステイするようなやつに」

「愛おしいからだよ」

「うぐぁ。こ、こんな時に変な告白すんな。け、蹴るぞ」

 

 池浦が愛の告白のように出てしまった言葉の奇襲にステイゴールドは一驚して、顔を赤らめてそっぽをむいた。まるで年頃の女の子のように。すると池浦は自分が言ったことを急に思い直して、慌てて訂正した。

 

「恋愛とかの意味じゃなくて、その。ゴールドを追って応援しに来るファンみたいな。一人のファンとしての愛だよ」

「ややこしいなおい。つかこんな変なやつに愛おしいとか、イカレてるぞ」

「そうかもな。俺もイカレてるかもな。こんな凶暴で手のかかるウマ娘に愛おしいなんて」

「ははは、後で噛むぞこのやろう。で、どうやってやる」

「これは一回限りだ。だけどやる価値はあると思う」

 

***

 

『さあ今年もやってきましたジャパンカップ。府中に世界の強豪ウマ娘集いました。昨年は世界最強のブロワイエ相手に日本総大将スペシャルウィークが勝ち取りました。今年は現世界最強ファンタスティックライトとここまで年間無敗一番人気のテイエムオペラオーとの一騎打ち。そして準二冠ウマ娘エアシャカールらクラシック組も参戦。果たして日本勢は勝利できるのか』

 

 ついに迎えた十一月の週末に開催されるジャパンカップ。昨年のブロワイエに引き続き、またも世界最強が日本に来日してきたこともあり、会場は最高潮に達していた。

 

「どうしよう。推しがいっぱいで選べない。ここはいっそ箱推しで。キャーオペラオーさん、ドトウさん、エアシャカールさん、ステイゴールド様!!!!」

「デジタルさん、欲張りです」

 

 デジタルの放電も絶好調である。

 さて我らポラリスのステイゴールドは十三番人気と今年の戦績のせいか下から数えた方が早いほど人気がない。池浦が伝えた戦術は出だしが肝心、これが決まらなければすべて台無しになる。

 

「オペラオー。日本のバ場不利だとしても、私は勝つよ」

「僕もだ。そしてこの戦いは僕自身との戦いでもある。世紀末覇王としてのね」

 

 ファンタスティックライトとオペラオーが火花を散らしてそれぞれのゲートに入っていく中、一人体の小さなウマ娘が「スタートが肝心。スタートが肝心」とひどく集中してゲートインする。

 試合開始のファンファーレが鳴り終わると、すべてのゲートが一斉に開いた――

 

『さあ各バ一斉にゲートからスタートしました。っとおおっ、これは。大外からステイゴールド先頭! ステイゴールドがハナを進む意外な展開になりました』

 

 普段は差しでの後方待機しかしないステイゴールドが初めて見せる逃げ戦術に観客席からどよめきと歓喜が湧きたった。

 

「ステゴ。お前逃げるのかよ」

「最終コーナーで垂れるなよ」

 

 数日前にステイゴールドに伝えた作戦は逃げ。オペラオーもファンタスティックライトも先行で進む傾向が強い。他のウマ娘たちもそれにつられて行こうとする。するとどうなるだろう。バ群ができて先に進めない。差しのゴールドにとってそれは避けたい展開だ。それを避けて逃げの選択を考案した。

 無論、秋川理事長に言われたことをすべてを話して。だがゴールドは憤激せず

 

「面白れぇじゃねえか。世界のウマ娘や先公どもをひっくり返してやるにはちょうどいいな」

 

***

 

『千六百を超えて、六十三秒台のペースで駆け抜けて行きます』

 

 そしてレース展開は予想通りゴールドの後ろでバ群が固まっていく展開になった。加えてステイゴールドがスローペースで先頭に立つおかげで後方にいるウマ娘も足並みが整わない。

 

「なるほど、一見奇策に見える逃げの作戦だが心理的には合致している。ゴールド君が先頭に立つことでマストとなり、他のウマ娘は先頭の走りに合わせて速度を合わせてしまい体内時計が狂わせてしまい、集団的な協調を無意識にしてしまうわけだ」

「そういうこと」

 

 タキオンの解説はほぼその通りではあるが、あくまで逃げの作戦も混乱も副次なことではある。

 

 大ケヤキを越えて最終コーナーを曲がってもステイゴールドは未だにハナを進む展開だ。コーナーで垂れると思っていた観客もファンもゴールドの意外な粘りに応援に回り出す。

 

「いいぞゴールド。粘れ粘れ!」

『さあ第四コーナーを曲がって、さあステイゴールド先頭だ! ステイゴールドが先頭に立っている』

 

 観客の声援を受けてかゴールドはコーナーを抜けても先頭を行く。だが他のウマ娘たちはそうは問屋が卸さなかった。ファンタスティックライトにメイショウドトウ、そしてバ群の中からテイエムオペラオーらが一気に仕掛け、ステイゴールドに並び立つ。

 ゴールドはまだ粘るが、坂を上がったところで逃げで走ったツケが来てしまい減速が起きてしまった。

 

『外から十番ファンタスティックライト。そして先頭はテイエムオペラオーだ。テイエムオペラオー! やっぱり強かった』

 

 勝者はまたしてもテイエムオペラオー。これで年間無敗の偉大な記録に王手がかかった。

 一方で記憶に残る試合をしたのもファンたちはちゃんと見ていた。

 

「おもしれー試合したなステゴ」

「坂を越えたらファンタと競り合えたかもね」

「でももうやめとけよ。お前は差しでやった方が似合う」

「逃げだと体力なくなるから止めといた方がいいぞ」

「い、言われなくても、もうやめてやらぁ。逃げなんて、他の奴を出し抜くだけで、俺の性分じゃ、なかったからな。次は差し切って、勝つからな」

 

 息を切らしながらゴールドがファンたちに向けて手を振る。

 そう、この作戦の本当の目的はゴールドは勝つための作戦をちゃんと立てていたということだ。手抜き疑惑を持っているウマ娘が、賛否両論出るであろう戦いをするはずがないからだ。完全にとまではいかないが、これで手抜きの噂は払拭されるだろう。

 

 まっすぐのストレートロングの鹿毛にチームゴドルフィンのチームカラーであるゴドルフィンブルーで彩られた勝負服が目立つウマ娘ファンタスティックライトが、ゆったりと勝者のオペラオーとまたも二着になったドトウに歩み寄って握手する。

 

「クレイジーストロング、オペラオー。そしてドトウ。ぜひ次対戦するときは私のホームグラウンドのドバイで決着を付けたい」

「素晴らしい提案だ。だけど僕は覇王としての務めを果たさなければならない。その時まで待っててくれ」

「はぁぅオペラオーさんかっこいい。わたしもオペラオーさんみたいに招待すらされないから」

「いやいや、ドトウも呼いたんだけど。聞いてないのかな」

 

 日本だとこのぐらいの寸劇はまだ序の口なのだが、見慣れていないファンタスティックライトは少し汗を流して困惑していた。するとそれに感化されたのかステイゴールドもファンタスティックライトに近づき握手を求めた。

 

「へっ、俺の逃げ作戦を逃れるとはさすが世界のファンタスティックライト様だぜ」

「あっ。どうも、今日ははるばるドバイからこれてよかった。日本のウマ娘とやり合うのは凱旋門でエルコンドルパサーと戦った以来でね」

「なんだエルと戦ったのかよ。そりゃ強えあ。俺もエルとやり合ったんだぜ。そして去年は日本副大将も務めた」

「あっ、そうなんだ。経歴長いんだね」

 

 ファンタスティックライトは完全にゴールドの話に形だけ合わせばかりで、眼中に入っていないようだ。

 

 けどこれで、ステイゴールドが勝負に真剣に走っているアピールにはなれただろう。あとは勝ち星さえ上げれば、GⅠを勝ちさえすれば。




これで第一章、史実での2000年の競馬にあたることは終了です。
次章はいよいよ、2001年チームポラリスの面々が躍進する年となります。

毎話投稿するごとにいただきます感想と評価が励みになりますので、応援よろしくお願いします。


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第二章 最強の新世代と海外への羽ばたき
R10 新年の抱負とネコ


「あけおめことよろ」

「明けましておめでとう。トレーナー君」

「明けまして……おめでとうございます」

「三人とも明けましておめでとう」

 

 年が明け、新年のあいさつと今年の必勝祈願のためにトレセン学園近くの駅前にある神社の鳥居の前でステイゴールド、タキオン、カフェとチームポラリスの三人が集合していた。なお、選手兼サポーターであるデジタルは年末最後にある有明記念なるものに出走した反動で、今日一日は休養と反省会を自宅で行うために欠席していると悶え混じりの荒い息で連絡があった。有明記念とはなにかとは深く聞かなかった。

 

「願掛けか。タキオンお前理系なんだからそんなの非科学的だとか思わないのか」

「むしろその非科学的なものが実際のレースにどのように作用されるかが興味あるのだよゴールド君。レースでの応援による力で勝利したという言葉を頭ごなしに否定して存在しないとすることは、偏見と科学至上主義者の傲慢だよ」

「わっかんねぇけど、とりあえず物は試しなんだな」

 

 正月ということもあってか駅前近くの神社は参拝客でにぎわっていた。ちらほらとトレセン学園で見たことがあるトレーナーやウマ娘たちも含まれており、同じく今年のレースが成就を願って訪れたのだろう。さて池浦たちも同じく鳥居をくぐろうとした時、駅前の巨大ディスプレイにやたら光っているウマ娘の姿が玉座に座るように映し出されていた。

 

『明けましておめでとうございます。さて昨年のトゥインクルシリーズは史上初の秋シニア三冠の達成と年間無敗のまさに世紀末覇王の名にふさわしい快勝を見せてくれたテイエムオペラオーさんがゲストに来ております』

『はーっはっはっは!! オペラオー王朝の臣民諸君。僕はとても嬉しい、新年早々に僕の顔を見せることができるのだから。昨年が終わってみんなの気分が落ち込み、そのショックで初日の出を見過ごした人たちのためにこの番組で、生中継でみせることができるのだから』

 

 新年早々オペラオー節たっぷりのやかましい声と顔が駅前の巨大液晶ディスプレイに映し出された。相も変わらずのナルシストぶりではあるが、史上初の年間無敗という大偉業を成し遂げキャラとして受け入れられいる以上許されるのだろう。

 

「テイエムオペラオー。彼女の絶対的肯定感は非常に興味がある。気分が良ければ相乗効果でレースの勝率に影響があるのかもね」

「な、ゴールド。……ってあれ?」

 

 いつの間にかゴールドとカフェの二人は先に境内に入っており、迷い込んだノラ猫と戯れていた。

 

「ほーれネコちゃん。肉だぞ肉。猫じゃらしじゃねーぞフランクフルトだからすぐポキっと折れちゃうんだぞ」

「……カワイイ」

 

 露店で買ったフランクフルトをゴールドが猫の顔の前でブラブラと揺らして、耳をふにゃっと垂らして甘えた声で遊ぶ姿は、いつもの粗暴さからは想像もできないぐらいに女の子らしい様子で驚きを隠せなかった。

 

「ゴールド。お前、猫とそんな風に遊ぶんだな」

「ああ? なんか文句あんのか。それに新年早々オペラオーのでかいツラを拝むより、ネコちゃんの顔見た方が精神的にいいだろうが。ほれほれ、やるから爪出すなよ」「ニャー、ゴロゴロ」「はいはい、今やるから。甘えるなよ。ゴロゴロして可愛いな」

「肉球……ぷにぷに」

 

 仰向けになって甘える猫にゴールドもカフェもメロメロの状態である。

 まあ確かに去年のGⅠはマイルと短距離以外全部オペラオーに占領されて、

 

『ではオペラオーさん。今年の目標はなんでしょうか』

『はーっはっはっは。今年もテイエムオペラオー王朝の黄金時代は続く。華麗に美しく輝いてみせよう。そしてシンボリルドルフ会長越えのGⅠ八勝を高らかに宣言しよう』

『おおっ。シンボリルドルフ越えですか。シニア級二年目でも絶好調のテイエムオペラオー選手今年は非常に楽しみですね』

 

 映像からでもよく聞こえるオペラオーの高笑いが神社の中でも聞こえてくる。

 

「ほう、GⅠ八勝目宣言か。あれはさしずめコミットメント効果かな。テレビという公共の電波で自らを追い詰めるという手法だが」

「効果の御託云々はどうでもいい。まったくスペがいた時はブロコレ倶楽部*1だったくせによお。けどあいつならやりかねないな。結局去年はあいつの天下だったし。年末の有馬でも他のウマ娘たちが執拗に妨害しやがっていたのに、最後で抜け出して。くそっ、ただでさえ無駄にキンキラ光っているのに最後に出し抜いたレースをしたから余計に光って目立ってやがる」

「私……今年からクラシック挑戦ですし、最悪オペラオーさんと当たるのですよね。ちょっと、不安」

 

 カフェの金色の眼が薄っすらと影をつくって俯く。クラシック三冠を抜けると否応なしにオペラオーらシニア級とぶつかってしまう、しかもGⅡではメイショウドトウという。どちらかにぶつかってしまえば勝てないというオペラオー王朝の完璧にして無慈悲な布陣に、カフェでなくても今年デビューのウマ娘委縮してしまうのは仕方がないだろう。

 

「ふむ、デビュー前に弱ってしまうのは良くない。なら私の精神興奮薬を飲んでみないかカフェ。飲めば前頭葉が刺激されて興奮状態になり自己肯定感が昂る効果があるとみられるのだが」

「飲みません」

「そこまでにしておけタキオン。去年のホープフルステークスが見事な勝利だったのに、未だに他の先生から怪しい実験をするから評判が悪いというのに。とりあえず実験は控えるようにしてくれ」

「残念だが私の実験はやめることはないよ。私から実験を奪うことはウマ娘に走るのをやめるのに等しい。それにここ最近の肉体改造と薬物投与は自分にしかしていないんだがね」

「時々トレーナー室で爆発音が聞こえてくるから必死に隠しているこっちの身にもなってくれ」

「ふむ、プランCが今順調だというのに、退学されるのは少々困る。まあ活動拠点を変えればいい。アメリカ、ドバイ、近場なら香港もある。日本出身のウマ娘が海外へ行った先例だってある」

 

 できればそうならないようにしてほしいな。タキオンの脚は間違いなく世界レベルだ。それを失ったら日本の至宝の喪失と同じぐらいだ。

 

「「海外……!」」

 

 ピクリと二人が猫をなでるのを止めて、頭の耳を立てた。そしてぐいっと池浦の肩を揺らしてきたのはステイゴールドだった。

 

「なあ、トレーナー。俺も海外行ける可能性あるか」

「急にどうした」

「いや海外での強えウマ娘相手にGⅠ勝ち取るってめっちゃありじゃねえかって話よ。まあ前のトレーナーに何度か話したんだけどまだ早い、重賞勝ってからとか言われてなかなかできなくてよ」

「重賞取ってないから海外いけないわけでもないぞ。スズカだって重賞勝利なくて香港に行ったしな」

「……そうなのか? そうか。じゃあ出走登録してくれよな! 凱旋門賞とか」

「いきなり凱旋門は無理だって。行けるとしたら欧州の地元レースかドバイか」

「世界相手に戦えるならどこだっていいぜ。うんじゃ今年一発重賞勝って、海外いけるようにしねーとな」

 

 絵馬に『世界制覇!』と大言壮語な願いを荒っぽく書きなぐった。

 

「へー海外かぁ。ゴールド先輩毎月せわしないねえ。もう師走は終わったというのに」

 

 いつの間にかセイウンスカイがひょっこりと後ろから顔を出した。

 

「セイウンスカイさん。明けましておめでとうございます」

「やあ今年デビューするマンハッタンカフェだね。噂は聞いているよ。オカルト方面のだけど」

「ようウンス。次出るの天皇賞か」

「う~ん。そんなところかな。前に走ったところだし。復帰戦としてはちょうどいいぐらいかも」

「へへっ、そうかまたお前と走れるの楽しみにしてるぞ。うんじゃ願掛けも済んだことだし練習に行くぞ」

「えっ、今日は学園閉まってるぞ」

「そこら辺の河原でも練習できるだろ。ほら行くぞ海外が俺を待っている!」

 

 海外挑戦に息巻いてステイゴールドが池浦を引っ張り、神社から連れ去っていった。

 その様子を微笑みながら眺めるセイウンスカイであったが、ステイゴールドが去ると飄々とした顔に色が薄れていった。

 

「相変わらず元気だね。先輩は」

 

***

 

『さて今年もやってまいりました日経新春杯。新春から雪が降っていた京都レース場ですが見事な快晴となりました』

 

 年が明けてからちょうど半月が経ち、ステイゴールドの新年初のレースは京都レース場で行われるハンデ戦レースだ。

 

 ハンデ戦レースでは、勝率が多い選手との勝率の違いで差を埋めるために勝負服*2の中に重りを入れて走らせる。レースを走るウマ娘にとって体重の調整は速度やスタミナを低下させないために気を付けなければならないのだが、急に自分の体重を増やされる重りはたった五百ℊ、一㎏の差で泣かされることはよくある話だ。

 そして検量室で選手たちの体重と勝率に応じて決められた重りが入れられるのだが、ステイゴールドはここまで四勝と少ないが、四十三戦も走っているというのが理由で出場選手の中でトップの重りを付けらされている。

 

「ちょっと重いな」

「他のレースだともう一㎏も付けられるところだったんだ。それでも選手の中では一番ハンデが大きいけど」

「しゃーねえな。でもトレーナーが見つけてくれたんだ。こんな斤量、ハンデにもなんねえよ」

 

 去年なら悪態ついて唾でも吐くかと思っていたが、あっさりと受け入れてくれたことに池浦はきょとんとなった。

 

「なんか素直になったなゴールド」

「……ちょっと信じて見たくなってよ。ジャパンカップの時お前の言う通り走ったら俺の悪い噂がだいぶ消えて。最初はクソ先公のようにあーだこーだ言われるだけの奴かと思ったけど、あんたならついてやらないこともないと決めたから」

「」

「へっ、今回は格下ばっかりだ。ファンに新年のあいさつと海外レースへの前哨戦にしてくるぜ」

 

 まだ決まってはいないというのに意気揚々とステイゴールドがターフに上がる。

 池浦が検量室からカフェたちが待っている観客席に戻るとレースがスタートした。ステイゴールドは一枠一番という好位置から崩さず内側を順調にキープして、前方に位置付けるという強いレース運びをしている。トップハンデとはいえ、このペースで進んでいけば勝ちは十分に見えてくる。

 

「ゴールドさん、これに勝利したら海外に行くんですよね」

「カフェ、もしかして君も海外に挑戦したかったのか」

 

 海外挑戦の話が出た時ステイゴールドと一緒にカフェも反応を示していた。ゴールドとは違って、自身は挑戦を口にしなかったが、ピンっと興味ありげに立った耳を池浦は覚えていた。

 

「……実は。ちょっと憧れてまして。まだデビュー前なのに」

「いや、ウマ娘なら憧れるのは当然だ。海外ウマ娘たちと肩を並べるのは日本だとジャパンカップぐらいしかないからな。そこで実力を示したいと思う気持ちもわかる。タキオンもあの脚ならもしかしたら海外でも勝てるだろうし、カフェも長距離なら可能性だってある」

「……ありがとうございます。でも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんですよね」

 

 最後の言葉にナイフで刺されたように胸が痛かった。

 今まで海外のGⅠを勝利してきたウマ娘と言えばタイキシャトルやシーキングザパールなどがいる。だが彼女たちは皆帰国子女や留学生と別名丸外組によるものである。日本出身のウマ娘でGⅡ以下で海外を勝ったことはあれどもまだ海外GⅠを勝った日本出身のウマ娘はいないのは、カフェでなくても日本出身のウマ娘なら何かしら思うところだろう。

 そのうちにステイゴールドは第四コーナーを曲がりだして最後の直線にへと差し掛かっていた。ステイゴールドは内を最後までキープしてラストスパートに差し掛かっていた。

 

「どけどけ。ステイゴールド様のお通りだ!」

『内から一番のステイゴールド、先頭はステイゴールド。ステイゴールドです! トップハンデもなんのその。貫録勝ち!』

 

 ラスト一直線では誰も寄せ付けない強い走りを見せつけて、悠々とゴールしてみせた。約一年ぶりの勝利に京都レース場はあの雨の中の目黒記念と同じくGⅠのような大歓声に包まれた。

 

「ステゴ新年早々いいじゃん」

「これ今年GⅠ勝てるんじゃね?」

「ステイゴールドさん。こっち向いて」

 

 約一年ぶりの勝利に京都レース場に着ていたステイゴールドのファンたちが歓声を上げる中、ゴールドは一直線に池浦の所へ走っていく。

 

「へっ、勝ってきたぜトレーナー。これで海外行けるよな」

「まだわかないがこのハンデ戦で勝利したことは大きいぞ」

「絶対だな絶対だよな。嘘ついたらトレーナーのコーヒーにタバスコいれっぞ」

「地味な嫌がらせやめろ」

「私の淹れたコーヒーを不味くしないでください……怒りますよ」

 

 でも海外のレースに出られるだけで十分すごいことなのだが、どんな結果になろうともそれがゴールドにとって良い糧になればいいだろう。

*1
略称BCCことブロンズコレクター倶楽部。トレセン学園のネット掲示板でひっそりと開かれてる集まり。メンバーはステイゴールドが筆頭でナイスネイチャ、ナリタトップロードと続く。なおメイショウドトウもいるが二着だから銀の会ル・サロン・ダルジャンに勝手に席を置かされている

*2
日経新春杯はGⅡなので体操服



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R11 砂の地への岐路

 日経新春杯を終えて、三月を迎えた中山レース場では弥生賞が開催されていた。弥生賞は次のクラシック挑戦の登竜門とも言われている試合でデビューしたばかりのウマ娘たちを見に来るのだが、今年のレースには一人のウマ娘の走りに視線が注がれていた。

 

『外に持ち出してアグネスタキオン。先頭に早くも立った。タキオン先頭! タキオン先頭!』

 

 先行三番手で走っていたアグネスタキオンが最後の中山の直線で一気に突き放しにかかった。二百を越えたところで完全に後続を突き放してしまった。それはまさに超音速の微粒子のごとく見るものの眼を見せつける走りだ。

 

『アグネスタキオン楽勝! 栗毛の光の戦士三戦三勝』

「きゃータキオンさん。涼しげな顔してるけど、顔の下ではあぁ今日の脚の調子はどうだったかなと反省するお姿。実にいいっ!」

 

 学園の問題児との評判であるタキオンではあるが、前回のホープフルステークスで今年のクラシック戦線の有力ウマ娘であるクロフネやジャングルポケットを突き放した走りに今年の三冠ウマ娘はタキオンで決まるのではないかとの噂で持ちきりだった。

 

「……勝てなかった」

 

 一方で同じレースを走っていたマンハッタンカフェは四位入着。実力不足というよりも、タキオンの速さについてこれなかったのが敗因であった。

 

「やあ、カフェお疲れ。どうだい私特性の疲労回復効果があるドリンクでも」

「またそうやって薬を試すのですか」

「いやいや、これは純粋な善意だと」

「嘘ですよね」

「う~んだめかぁ~」

 

 またあいつは薬を盛ろうとしている。なんでそこまで薬にこだわるんだ。ドーピング検査には引っ掛からないように注意しているようだが、力入れる所はそっちじゃないだろうに。

 

「はぁ~燃えた。萌えたよぉ。タキオンさんとカフェさんの白と黒のコントラスト。そして薬を盛ろうとして見抜かれてうなだれるタキオンさん尊いなぁ~」

「タキオンの奴順調に連勝重ねてるな。しかしトライアルの弥生賞まで無敗とかうちのチームで二番目に強くね?」

「一番は……ゴールドってことか」

「当たり前だろ。うんじゃ、レースも終わったことだしチームポラリスで弥生賞勝利を祝って、肉食いに行こうぜ肉。さっきトレーナーのおごりで焼き肉屋予約しておいたから」

「勝手に予約するな」

 

 勝手に四人分も焼肉をおごらされてしまったものの、この間ゴールドが勝った日経新春杯の賞金が入ったことで懐はそこまで痛くなかった。のだが池浦には一つ懸念があった。

 先月のバレンタインデーにステイゴールドから贈り物一つされていないのだ。

 

 二月十四日のバレンタインデー。トレーナーを除けば女子で構成されているトレセン学園でも友人同士あるいはトレーナーにチョコを渡す習慣もある。

 池浦もそれに漏れず、カフェからはダークなコーヒーチョコレートの詰め合わせをを。デジタルからは今日の戦利品であるバレンタインデーでのウマ娘たちのエモい表情集を。タキオンは怪しい薬が混入したチョコレートを。(後で丁重に危険物として処理するようにした)と色々おかしなお菓子を受け取っていたのだが、チームポラリスのメンバーの中で唯一ステイゴールドだけバレンタインデーのチョコを貰っていないのだ。

 

 日経新春杯では池浦のことを信頼していると答えたのだが、プライドの高いステイゴールドが自分からバレンタインデーのチョコを送るなんて女の子らしいことはしないのだろう。そもそも言動すら女の子のらしさの欠片もないゴールドにそんなことを期待する方があやしいというものだ。

 

「トレーナー、なにボーっとしてんだ。肉全部俺が食っちまうぞ」

 

 肉の焼けた匂いと炭火の白煙がロースターから吹き出しながら、ゴールドが次々と焼けたロースやハラミをタレで浸した皿に入れてはパクリ、入れてはパクリと注文した肉があっという間に消えて、甘辛い漬けタレの残り汁がついた皿が積み上がっていく。

 

「むふぁあ。推しと焼肉デート。感謝カンゲキ雨嵐。デジたんもうお腹いっぱいです」

「ふむ。焼肉か、自分で焼いて焼き加減を調整する料理なのだが、自分で焼くというのは効率的に悪いのではないかね」

「なーに言ってやがる。この肉の焼ける匂いと自分で育てた肉を食うのが醍醐味だろうが。第一タキオンお前、肉と言えば蒸した鶏むね肉しか食ってねーだろ。肉を食うのはいいが、もっと色んなの食わねえと体痩せ細っちまうぞ」

「では反論するが、焼肉というのは栄養バランスがひじょーに悪い。摂取ものがビタミンB1とタンパク質脂質と栄養が偏りすぎる。おまけにおかわり自由なのがご飯のみ。これではサプリメントを服用しなければならない手間ができるではないか」

「栄養はあるぞ豚肉牛肉ラム肉鶏肉。どれも体をつくる栄養素だろ。ホルモンなんて同じ部位を食べれば自分の体と同じ部分が強くなるって言うし。つかたまに食う飯が焼肉でも体はそんなすぐに栄養バランス崩れないっての。そんな考えだと、髪の毛が白い頭でっかちになるぞ」

 

 と力説しながら自分は米の一つも食わず、肉ばかり食べているじゃないか。まあ、ゴールドの言うことも一理ある。タキオンがトレーナー室の一部を実験室代わりにしているおかげで食事をしている光景を見ているのだが、おいしさや華やかさよりも科学的な栄養バランスに重き置いた茹でた鳥のむね肉に茹でたブロッコリー、麦飯と栄養学的には理にかなっているかもしれないが味気なさすぎる。

 そして大事に育てたバラ肉がちょうどよく鉄板の焼き目がついた所で自分のたれ皿に置いて、箸を口に運ぼうとした時、タキオンがじっと池浦の肉を見つめていた。

 

「……トレーナー君、その焼き立ての肉をこっちの皿に持ってきてくれないかい? トレーナー君が焼いたものを私は効率的に摂取できるというものだ」

「やだよ。自分の肉は自分で焼いてくれ」

「ええええ。火を使った料理はアルコールランプで紅茶を沸かしたことぐらいしかないんだよ。ねぇ早くおくれよぉ。ねぇ」

「うへへへへ。なんて眼福。デジたんREC起動オン! これは永久保存もの。うぇへっへっへ」

 

 タキオンが子供のように池浦の肉をだだをこねてねだるのを、取られまいと謎の攻防戦を繰り広げた。

 その一方でいっこうに箸が進まないカフェに、ステイゴールドが箸で指さした。

 

「カフェまだ落ち込んでいるのか。まだタキオンと戦える機会なんてあるんだからもっと食えよ。お前も体細っこいし、クラシック挑戦するなら体力と筋力は必須だぞ。菊花賞なんか長距離だし」

「私、そんなに細いですか」

「うん。細い。食前食中食後とコーヒーばっか飲んで飯のことになんざ眼中にない」

「食後のコーヒーは胃の消化を助ける働きがありますので」

「そりゃ十分な飯を食ってのことだろ。もっと注文しないとな、お姉さん追加でロースとバラとハラミ五人前づつな」

「そんなに食べられません」

「カフェ、今回はゴールドの言う通りだ。アスリートにとって体は大事だ。太りすぎはよくないが、細すぎてもスタミナもつかないし、筋肉もつかない。特にカフェは脚がステイヤー気質なんだからスタミナは重視しないと、タキオンにリベンジできないぞ。あっ、こらタキオン俺の肉!」

 

 するとそれが琴線に引っ掛かったのか、カフェがするりとタキオンがかっさらおうとした肉をするりと下から箸ですくい上げて奪い取ってしまった。

 

「トレーナーさん……厚かましいですが……私体重を増やしてレースに勝ちたいです。ホワイトデーのお返し、カロリーが多めのものでお願いしてもいいですか」

「そうか、なら普段の食事のメニューも栄養士の先生にも聞いて変更しないとな」

 

 レースで負けた悔しさは人を動かす原動力となる。カフェの懸念点である体重の軽さ、そしてステイヤー気質の脚の長所を活かせるようにしなければならない。しかし現在のトゥインクルシリーズは専ら中距離がメインだ。カフェが出られる階級で長距離のレースとなるとクラシック路線から少々外れてしまう。どこかで長距離を走れるレースはないだろうか。

 

「そういえばゴールドの勝鞍の阿寒湖特別が今年から二千六百の長距離になるんだったよな。ゴールド札幌レース場ってどんな感じだった」

「おいトレーナー。このロース脂身たっぷりで焼けてるから食え」

「え? ありがとう」

「ほら、このテッチャンなんか脂いっぱいだぞ」

「いやそんなこってりしたものばっかり食えないって」

「いいから食えっての。俺様の好意をもらえないってのかオラ! ほら、トレーナーのグラス寄こせ、飲みもん入れてくるから」

 

 口調は相変わらず粗暴だが、中身が変わったかのように細かいところに気が付くとはどういう風の吹きまわしかと後をつけた。

 

「ゴールドどうしたんだ急に、別に飲み物ぐらい自分で」

「……バレンタイン」

「へ?」

「バレンタインの存在忘れたんだからバツが悪いじゃんか。去年や一昨年の今頃は京都記念に向けて練習三昧で、クラシックは中半月で次のレースに出走することで頭いっぱいだったし」

「つまり忙しすぎて忘れていたと」

「そうだよ。それに舎弟たちもそんなピンクピンクしたこととは無縁つーかやる気がない奴らだし」

 

 まさか試合にかまけ過ぎて忘れていたことを反省していたとは。

 ただ、月刊ステイゴールドとも言われているほど毎月はレースに出場しているステイゴールドなのだが、今年は海外遠征を見込んで池浦が一ヶ月も間隔を開けて休ませているから急にバレンタインデーと言われてもピンとこなかったのだろう。

 

「ところで舎弟って?」

「俺と妙に気が合う奴らだ。俺と同じく問題児だが、あんたならうちの一癖ある舎弟たちを制御できるかもな。この俺様を本気で世界で戦わせるために動いてくれんだからな」

 

 ステイゴールドの舎弟……自分から問題児というのだから相当ヤバいやつらなのだろう。できれば関わりたくないのだが。と、池浦のポケットで電話鳴り、受けるといきなり理事長の大声量の二熟語が飛び出してきた。

 

『吉報ッ!! 池浦よ。先ほどトゥインクルシリーズ運営協会から連絡があり、トゥザヴィクトリーの練習相手として三月下旬のドバイ遠征に同行することになった。無論、練習相手とはいえ試合に参加できるぞ。試合はドバイシーマクラシックだ。精進するように』

「出られるのですか! ありがとうございます。ゴールド、海外遠征に出られるぞ」

「しゃああ! やっと俺様の実力を世界に見せてやれる日が来るとはな。サンキューなトレーナー! よっしゃ追加注文だ。店員さん、ロースとハラミとバラにホルモンでハツ、キモ、テッチャンに後塩タン。あっ尻尾と脚食ったらいいよな。ついでにテールスープと牛すじも」

「いやいや肉ばっかりじゃないか。ご飯とか野菜も頼めよ」

「お前な。ここをどこだと思ってやがる。焼肉屋だぞ、焼き野菜でもごはん屋でもねーんだぞ。ふざけんな、焼肉屋は肉しか頼んじゃいけないんだ。そんなの寿司屋でハンバーグ寿司頼むようなもんだぜ。俺が板前さんならそいつに酢をぶっかけて酢飯にしてやるからな」

「でもこの前回転寿司で魚のネタは取らずに、ハンバーグとかイベリコ豚とか肉のネタしか食べてなかったよな」

「回転寿司屋は。回転寿司だからいいんだよ! 回転しているもんは寿司じゃねえ、回転寿司になるんだよぉ」

 

 嬉しさで舞い上がっているのか、もはや無茶苦茶だ。

 しかしドバイとなるとあのチームゴドルフィンのお膝元、できればファンタスティックライトが出てくれないように祈りたい。

 

***

 

 暦の上では春となる三月であるが、六時になるとほぼ夜になりトレセン学園の練習コースは大井競馬場のように一斉に青白い照明が青々とした芝とダートを照らしてくる。この時間保健室から定期診断を終えたステイゴールドはこの光景が好きだった。日本のGⅠレースは常にデーレース開催で見られない、だが次のドバイではナイトレースと聞く。

 未知の地で、世界の強豪と戦える光景が照明を見ると今自分が先頭を進んでゴールする光景が思い浮ぶ。ちょっとコースを見て見ると、セイウンスカイがジャージを着こんでで走りこんでいた。

 

「ようウンス。お前も練習か」

「うんそうだよ。セイちゃん次の春天のために頑張っていますよ」

 

 相変わらず雲をつかむような言いかわしの一つ年下のセイウンスカイ。だがゴールドは違和感に気が付いた。前のセイウンスカイなら「ん~練習じゃないよ。お昼寝の場所を探していただけですよ」と自分は練習嫌いで何もしてないですよと言葉を濁していたはずだった。

 

「それよりドバイ遠征だってすごいねぇ。セイちゃん驚きだよ」

「おうよ。でも残念だぜ、春天に俺が参加できなくて。トレーナーにドバイの後に春天出場できるかって聞いたら無茶言うなって言われてよ。そんなわけだから次は宝塚で勝負になるな」

「ん~それは無理かも。私次の春天で引退だから」

「……え」

 

 あまりにも自然な会話の流れで突如爆弾が飛び込んできたことに、ステイゴールドの頭が引退の二文字についてこれなかった。

 

「何言ってんだよ。今年春天一回だけで終わりなんておかしいだろ。せめて秋天とかにも出場しろよ」

「いやいや私ももう寄る年波には勝てないってことですよ。脚の怪我も良くないし」

「意味わかんねえよ。復帰目指して今日まで練習してきたんだろお前のことだから」

 

 必死にゴールドが引き留めるように訴える。いつも昼行灯っぽく振舞いながら、内心は人一倍レースに勝てる算段を立てて練習をする計算高いライバルが、こうもあっさり引退するなどありえないと。だがセイウンスカイはじっと柔和な表情を崩さずゴールドの言葉に意に介さない。

 

「思ったより脚の状態が良くなかったというわけもあるよ。生来丈夫な脚を持っている先輩にはわからないかな。まあそうだね、ドバイで勝ったら私の引退撤回も考えていいかもね。一着になったらだけどね」

 

 すげなくセイウンスカイはステイゴールドの脇を抜き去り、レース場を去った。一人照明の下に残されたステイゴールドは、かつて自分を負かしたライバルのギリリと歯ぎしりを鳴らして腹のマグマが湧きだし始めていた。

 

「……お前も怪我で、消えるのかよ。ふざけんなよ。ふざけんなよ!」



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R12 ドバイ決戦前日

 ステイゴールドがいつになくトレーニングに励んでいた。

 二百Kgのリフト、レッグポプレス、レッグカールとウマ娘専用トレーニングルームにあるマシンを一日で制覇する勢いで重りがぶつかる音を絶えず鳴らしていた。

 

「何か鬼気迫る感じ……あの子の気迫に似ている感じが……します」

 

 ドバイ遠征が近いから気合が入っているのだろうが、ちょっとやりすぎな気が。

 目を離すと、ステイゴールドは休憩を入れず次のマシンで鍛えようとしていたので

 

「おい、ゴールド。いったん休憩入れないと体が持たないぞ」

「離せトレーナー。急いで鍛えねえと、セイウンスカイが。春天で引退なんてさせねえ」

「どういうことだ?」

 

 ステイゴールドが昨日練習コースで起きたことを一通り話した。

 

「ウンスを止めるには俺が勝つしかねえ。必ず勝ってやる」

 

 自分勝手、わがままでお調子者のステイゴールドがいつになくギラギラと燃え滾った目つきをしている。

 サイレンススズカの時もそうだった。自分と戦った相手を心の底からリスペクトしている。誰かのために人一倍このウマ娘は真剣になれるのだ。

 ステイゴールドの意地に答えてやらなければならない池浦だったが、懸念があった。

 

「今のメニューをこなしても一着を取れるか難しいぞ。日本の芝は高速芝で海外とは違う。海外芝を模倣したレース場があれば効果的な練習ができるのだが。あいにく天下のトレセン学園でも海外芝を再現したコースは」

「ふっふっふ。じゃあこれをつけて見るとどうだろうか。安心したまえ、特に光ったり爆発など百パーセントないことを保証しよう」

 

 タキオンが取り出したのはやや厚底のシューズだった。タキオンのことだからまた怪しい類ものではないかと警戒はするが一応安全である言葉を信じて、ステイゴールドにそのシューズを履かせて芝のコースを走らせてみた。

 

「うお、なんだこれ。いつも走っているコースなのに、バ場の感触が違うぞ」

「ドバイの場合は日本で使われているバミューダグラスでバ場としては近いものがあるが、それでも海外芝は多湿の日本のと比較すると、水分量による質量が異なる。その差をシューズに搭載されている水量で再現・調整してわざわざ設営しなくても海外の芝を再現できるシューズを作ってみたんだ。ちょっと手慰みにつくったものだから再現度は低いものだが」

「すごいよタキオン。海外での練習に最適だよ。こんな研究もしていたなんて」

「いやいや、モルモットいや実験体もとい遊びに作ったものが役に立てられて、これでいいデータが取れ――研究者冥利に尽きるというものだよ。」

「はっはっはこいつめ、うまくごまかしきれてないぞ」

 

 しかしいきなり本番に臨むよりも、疑似的ではあるが海外での芝に早くも慣れる練習を組むことができるのは大きい。

 しかしマンハッタンカフェは不安げな表情をまだしていた。

 

「あの……ステイ先輩は勝てるのでしょうか」

「そればかりはわからん。向こうのレースに出場する選手をまだ聞かされてないのもあって対策が難しいし、それに今から鍛えても劇的に身体能力が向上するわけでも」

 

 運命のレースまであと二週間と迫っている。そこに飛行機でのフライトと現地での手続きを含めると練習できる時間は減ってくる。日本出身のウマ娘にとって不慣れな海外芝に、善戦ウマ娘であるステイゴールドが入賞できる確率も低いのだ。

 

「はいはい質問。海外遠征トレーナーさんが行くこと前提で話してるけど、その間あたしたちの練習はどうするの?」

「デジタルが代理だ」

「え?」

「もちろん本当にするわけじゃない。遠征は数日だけだがその間練習しないわけにもいかないから、俺が不在の間はたづなさんが基本的に見るけど、デジタルならみんなの練習を色んな意味で細かく見ているから、たづなさんのサブトレーナーの形でサポートしてほしい」

 

 「あたしが、トレーナー」と上の空で呟くと、デジタルの口からでろりと涎が垂れ流し始めた。

 

「ふっふへへへ。ついにウマ娘ちゃんたちのハーレムに。どの娘から指導しましょうか。タキオンさんの実験に付き合う。それともカフェさんとトレーニング後の夕日に照らされながらコーヒーブレイクと。想像するだけでもエモい。デジタン決められません」

「タキオン、あんな風になったら困るから薬の一つでもぶっかけておいてくれ」

「私の薬を気付け薬のように言わないでくれたまえ」

 

***

 

 試合開始の一週間前、池浦たちはステイゴールドの海外遠征のため羽田空港のターミナルにいた。日本のウマ娘が海外のレースで戦うことはトレセン学園だけでなく日本としても一大イベントであるため、ファンの応援団や取材人が大挙してくるのだが、ステイゴールドを応援に来る人はトゥザヴィクトリーと比べるとごくわずか。

 以前の手抜き疑惑で群がってきたマスコミも来てなく、いる記者は数年前からステイゴールドを追い続けているウマ娘雑誌の乙名史記者しかいなかった。

 

「ステイ、気を付けていけよ」

「入着できても立派だからな」

 

 ファンの応援も勝利というより、無事に帰ってくることを願いばかりだ。

 海外遠征と聞けば立派に聞こえるが、エルコンドルパサーやタイキシャトルなど海外に住み慣れているウマ娘に比べ、日本出身のウマ娘が日本と海外との環境の違いに慣れず不調を起こしたまま惨敗することなどよくあることである。かのシンボリルドルフ会長でさえ、海外のレースの最中で骨折という事態に陥った。とにかく五体満足で帰ってまた走ってくれることを祈っていたのだ。

 

「ついでだから仕方ないけど。ちょっと想定していたよりも少ないな」

「ファンとかマスコミとかどうでもいいだろ。俺は勝ちに行くんだ……で、このでかい鉄の塊途中で落ちないよな」

「道路で交通事故に遭うよりか安全だから安心しろ。というか昔阿寒湖特別で走ったときにも乗ったんだろ」

「いや、あんときは船で札幌に行ったから。だって飛行機って番組とかニュースでよく落ちているし。「なんてことだ……もう助からないぞ」とか辞世の句言われるし」

「『メーデー!』の見すぎだ」

 

 そんな調子で飛行機に搭乗した後もステイゴールドはびくびくしながら、隣の席に座っている池浦に怖々と飛行機が落ちないか尋ねていた。

 

「なあ、この飛行機えらく揺れてないか。まさか機体が分解する前触れとか」

「ちょっと離陸寸前なんだから揺らすな。話しかけるな」

 

 まさかゴールドが飛行機恐怖症とは。知れば知るほど意外なところで弱さがある娘なんだな。

 と思っていた池浦だが、池浦本人が飛行機の怖さを味わったのは香港に到着した時であった。

 

「飛行機の離陸時間まだかかりますか」

「すみません。機材の故障で時間がかかりまして」

 

 本来の予定なら経由地として香港の空港に一時間程度トランジットしてドバイに行く予定だったが、まさかの機材の故障という不幸に見舞われ、まだ飛行機が発着しないまま狭いエコノミーシートに三時間も縛り付けられてしまっていた。

 二時間程度座るならともかく、何時間も座り。しかもまったく進まない状態となるとさすがの池浦も疲労が溜まってしまった。

 

「はぁ、まさか飛行機の中で立ち往生されるとは。ゴールド、大丈夫か」

「平気」

 

 口では言いつつも、日本に離陸する前まであった元気がまったくない。飛行機に参っていつもの暴れウマ娘が鳴りを潜めているのは池浦の精神的にいいのだが、必勝を込めている以上レースまでに体調をしっかり整えなければならない。

 

「ご飯や飲みもの頼んでいいからな。ほら、機内食が先に来たぞ。ゴールドの好きな肉が入っているやつにしからしっかり食べるんだぞ」

 

 ビーフコースの機内食をステイゴールドの前に置き、同じく注文した機内食を口に運びながら試合会場であるナド・アルシバレース場のコースを復習する。

 

「熱心だなトレーナー」

「ステイゴールドの意地がかかっているからな。俺がしっかりバ場と地形を確認しないと」

「トレーナー。俺勝つからな」

「ああ、だからしっかり食え」

 

 肉を前にしてもまだステイゴールドの声は弱々しい。本当に飛行機はダメなようだ。

 しかし、この機内食けっこう量多いな。

 

***

 

 日本から飛び立ち、ドバイに着いたのはまる一日かかってのことだった。長いことエコノミーシートに座りっぱなしで池浦の体は座り続けた疲労感でへろへろであった。これではゴールドの飛行機恐怖症のことを言えないな。

 ドバイの時差は日本時間とマイナス五時間で、昼の午後二時に出発してしていた池浦たちが着いたときにはドバイは朝になっていた。中東のイメージに違わず迎えの車でホテルにまで行く道中、砂と焼き付ける日光にさらされた。だがホテルに着くと寒すぎるほどのクーラーがガンガンに効いた柔らかいベッドがある部屋に案内されてやっと一息ついた。

 

 やっと着いた。けど問題はここからだ。さっきゴールドは練習に行ったが、エコノミー症候群や長時間の移動で疲労が溜まっている。その疲れを早く抜かせて本物のドバイの芝に慣れさせないと。

 

 ドンドンと部屋のドアがノックされた。ドアを開けるとクーフィーヤ*1にスーツの出で立ちのドバイURA職員が立っており、「ミスターイケウラ。シーマクラシックの出場メンバーだ」とリストが渡された。

 出場するメンバーがわかればそれぞれの対策が取れるはずとリストに目を移すと、紙のリストが一瞬ガラスに変わったかのような音がした。

 

「噓だろ。ドイツのシルヴァノに、イギリスの国際GⅠ二勝ウマ娘のダリアプールと香港のインディジェナス。それにファンタスティックライトも。こ、この面子相手にゴールドが」

 

 先に挙げた面子だけでも凱旋門賞に出場してもおかしくないほどの豪華すぎる選手がシーマクラシックに勢ぞろいしていた。しかもファンタスティックライトは去年の覇者にしてドバイをホームにしているため勝手も知っている。

 この面子では一着を取るのが非常に厳しいと言わざるを得ない。前回ジャパンカップのような奇襲の逃げもファンタスティックライトがいる状態では無意味だ。急いでゴールドに対戦相手のことを伝えるため用意されたトレーニングルームに入った。

 

「おい、ゴールド。ドバイでの対戦相手なんだが……ゴールドその体っ!」

 

 練習をしている最中でジャージの上を脱いだステイゴールドに、池浦は驚愕した。傍目から見てもわかるぐらいステイゴールドの体から肋骨が浮き上がっていた。

 

「ゴールド! なんでそんなにあばらが。食事はちゃんと取っていただろ」

「水ならちゃんと飲んでらあ」

「もしかして、水だけしか飲んでいなかったのか。まさか機内食の量が多かったのはゴールドの食事を入れたからか」

 

 急いでステイゴールドの体重を測ると、ますます池浦の顔が焦りの色を濃くした。

 体重がいつもより大幅に下がっている。これでは、レースに勝つどころじゃない。最悪死ぬぞ。

*1
アラブの人がつけている白の頭巾に輪っかをはめたもの



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R13 ドバイシーマクラシック

「試合放棄だと? ざけんな」

 

 ステイゴールドは意地でも引かない構えだが、本人が思うより事態は深刻である。あばら骨が薄皮の上から見えるほど体重が減退するほど絶不調の状態過去にドバイへ長距離遠征に行ったウマ娘も環境の変化に慣れず試合で大事故になったこともある。

 

「この体だと走って無事にいられるかすら怪しい。いや最悪本当に怪我どころか、死んでしまうことだってありえる。相手はファンタスティックライトら海外の強豪ウマ娘だ。海外GⅠいや凱旋門賞クラスの相手に戦って無事に完走できるかすら」

「ここまできて、引き返せるかよ。ここで試合にでなけりゃ今までのトレーニングもなんにもならねえ」

「死んだら元も子もないんだぞ!」

 

 なんとか説得して辞退をするように進言するが、彼女は全く引かない。

 

「てめえが引き下がらないと、咬みちぎっても出るからな」

 

 ギラリをステイゴールドの歯が犬歯をむき出しにして睨みつけられて、池浦は後ろに退いてしまった。ダメだ、このままだと本気で俺を殺してでも出場しかねない。再びトレーニングに戻るステイゴールドの痩せ細った背中を見て、池浦は部屋を出ると近くの店に駆け込んだ。

 

 戻ってきた池浦の手には、近所の店で売られていたヨーグルトと潰したバナナを混ぜたものを器に入れて持ってきていた。

 

「ゴールド、バナナ入りヨーグルトだ。これを少しずつゆっくり噛んで食べろ」

「おう」

 

 だがステイゴールドは池浦の言葉に反して、器を持ち上げて一気に飲み込もうとしていた。

 

「ゆっくりだって言ったろ。ほら、口開けて。俺が食べさせるから」

「うん」

 

 池浦の指示に従いその場に座ると、池浦が果肉と一緒にヨーグルトをスプーンですくい、ステイゴールドの口に少しずつ入れて運ぶ。

 体重が急激に減った場合は胃に負担を書けないヨーグルトとバナナを食べればいいと教本で書かれていた。試合まで時間がある。これで少しでも体重を増やして、コンディションを整えなければ。

 

***

 

 試合当日、ナド・アルシバレース場は 花火が盛大に打ちあがっていた。コンディションは最悪の域は脱せたもののとてもレースで勝てるような状態ではなかった。傍目から見ても黒鹿毛の髪がぼさぼさで黒の勝負服も体にフィットしていない。現にステイゴールドの人気は十番と見向きもされてない。

 

 最終調整をしている中、チームゴドルフィンのオーナーである王族が池浦に接触してきた。

 

「やあ、あなたが日本代表ウマ娘の担当ですか。む、オペラオーでもドトウでもないですね」

「ええ、私はステイゴールドの担当で。二人は国内でのレースに専念したいとのことで」

「ステイゴールド。ああ、あの善戦ウマ娘。ジャパンカップは残念でしたが、今日が私にとって一番残念ですよ。ファンタスティックライトをご覧ください、あんな涼し気な顔をしている。今日は敵なしといった感じで。日本にいる弟も今日の試合にオペラオーがいないと残念がるでしょう」

 

 嫌味を言われたが言い返す根拠も、気力もなかった。池浦の中ではただ無事にステイゴールドが一周回ってくれることだけを願っていた。

 

「ゴールド。無事に走ってくれたらそれで」

「トレーナー。俺のスマホだ、今ウンスにつないでる。俺の雄姿をあいつに見せてくれ」

 

 投げ渡されたステイゴールドのスマホを受け取ると池浦は「無事に帰ってこいよ」と言葉を残して検量室から出て行く。

 

 そして池浦が出て行くのと入れ替わりに、今日の一番人気であるファンタスティックライトが入ってきた。

 

「あなたはたしか、ステイゴールドでしたね。ジャパンカップ以来だわ。オペラオーとドトウは元気かしら」

「…………殺す!」

「ひっ、こ、殺す勢いで戦うってことね。楽しみにしているわ」

 

 いきなり物騒な言葉を放ち怯んだファンタスティックライトは逃げるようにゲートに入っていく。だがステイゴールドは周りの英語やらフランス語やら混じった歓声をシャットダウンしてただまっすぐに獲物の特徴であるゴドルフィンブルーに焦点を当てていた。

 

 この中で一番強いやつ。狙いはあいつだ。あいつの背中に噛みついて、抜いて。勝つ。

 

***

 

『全国のトゥインクルシリーズファンの皆さん。今年もやってまいりましたドバイミーティング。実況はおなじみ赤坂美聡です。さて今日のドバイシーマクラシックでは日本のウマ娘はステイゴールドが参戦しております。この豪華メンバー相手にどこまで活躍できるのでしょうか』

 

 続々とウマ娘たちがゲートの中に入り、試合の時間が迫ってくる。ステイゴールドから渡されたスマホからセイウンスカイを呼びだしているが未だに出てこない。いやむしろ出ないでほしいと祈ってしまった。この試合勝つとかの問題ではない。ゴールドの命がかかっている。もしもそんな場面をセイウンスカイの前で映し出しでもしまったら。

 

 ガコン。ついにレースが始まった。

 日本では大井レース場ぐらいでしか見られないナイターレース。ターフを照らす巨大な照明とアスファルトの上で撮影用の車が走るというドバイ独自のレース中継の様子がヴィジョンに映し出されている。ステイゴールドは内側中段の九番手あたり。同じく中段で走っているファンタスティックライトの後ろを付ける形だ。

 直線から最終コーナーに差し掛かかろうとして未だに仕掛けもせず動かない。バ群に沈んでいるのかとも思ってしまった。

 

「ふわぁ、なんですか先輩。セイちゃんお昼寝の時間って先輩のトレーナーさんじゃないですか。あれ、もしかしてこれ生中継?」

 

 やっと応答に応じてくれたセイウンスカイだったが状況は一向に良くない。最終コーナーを抜け、直線に入ってもまだステイゴールドはバ群の中に隠れたまま姿が見えない。そのうちに、順位を上げて先行のポジションに立っていたファンタスティックライトがラストスパートに入った。

 

『ファンタスティックライトだ。ファンタスティックライトだ。ファンタスティックライトが抜け出してきた』

 

 中で控えていたファンタスティックライトがついに仕掛け先頭で逃げるウマ娘を抜け出すと、今日の勝者を迎える拍手がドバイのレース場に響き渡る。まさに王者の走りにふさわしい仕掛けどころのタイミングで誰も青の勝負服に差し迫れない。

 

「トレーナーさん。ゴールドは」

「まだたぶん後ろだ」

 

 自信なさげに池浦は答える。

 

「ゴールド先輩私に試合を見せて、もう一度走ってもらうように仕向けたんだよね。でも私ねどの道引退すること前提で考えてたんだよね」

「え?」

「怪我が完治してから何度走ってもスペちゃんたちと走ったあの時の走りが全然戻らなくて、もう私は終わりなんだってわかったから。だからゴールド先輩にちょっとハッパかけて、全力ダッシュして海外でも入賞ぐらいにまでしてくれたらなと思って。ごめんね」

 

 じゃあ、この試合どの道セイウンスカイの引退は変わらないってことじゃないか。それなのにゴールドは死ぬかもしれないコンディションで走って。その先に待っているのはどの道地獄だなんて…………

 神様。あなたは鬼ですか。

 

 だが実況が突如、驚愕の声を上げると競技場の空気が入れ替わり始めた。

 

『ステイゴールドが間を突いて上がってくる。ステイゴールド間を突いて上がってくる!?』

 

 その変化を告げる実況の警鐘に釣られ、ファンタスティックライトの後方を見るとレース場にいた人々が信じられないものを見る目に変わった。バ群に沈んだはずのステイゴールドがファンタスティックライトの抜け出した後を追いかけ、凄まじい末脚で迫っていたのだ。

 

『前に迫るぞステイゴールド! さあファンタスティックライトにステイゴールド、ステイゴールド!』

 

 ファンタスティックライトに追いつこうとドイツのシルヴァノも追いつこうとするが、突き放される。

 

「くそっ、どけちっこいの!」

「……っ! 雑魚は引っ込んでろ!!」

 

 ステイゴールドよりも一回り大きいシルヴァノのタックルをものともせず、逆に弾き返し標的のファンタスティックライトに再び狙いを定めて、健脚を強める。もはや一着の争いは、ファンタスティックライトの一人勝ちからステイゴールドが差し切るか否かの競り合いになった。

 

「ぬ、抜かれる!」

「青い服。捉えたぞ」

 

 徐々に差が詰められ焦るファンタスティックライトに、ステイゴールドが腹をすかせた肉食動物が獲物を狙い目つきで迫りくる。

 歓喜で迎えられるはずの王者に小さな漆黒の無名ウマ娘が猛追してくる異常事態に、ゴドルフィンのオーナーも、会場も一気に悲鳴と怒声に差し替わった。騒然とする中で、絶望から見えた希望に縋りつくように池浦とセイウンスカイが必死にステイゴールドを応援し始めた。

 

「ゴールド先輩! 差し切って!」

「ゴールド頭だ! 頭を下げろ!!」

 

 勝利などできないと思っていた二人が、もう勝つことにしか頭になかった。

 そして池浦の声が届いたのか、ステイゴールドは頭を低く下げてついにファンタスティックライトと横並びになるまで来た。しかしゴール板までもう一メートルを切った。

 

 焦り逃げるファンタスティックライト。

 脚の衰えがないステイゴールド。

 両者がぴったりと重なった瞬間、ゴールの声が響き渡った。

 

『ファンタスティックライトとステイゴールド二人並んでゴールイン!! さあどうか!! ファンタスティックライトとステイゴールド、最後はこの二人。差し切ったかステイゴールド! 内粘ったかファンタスティックライト! さあ、体勢はどうか』

 

 会場にいた人々も、画面向こうから観戦していた人も、走った本人たちもどちらが勝ったかわからなかった。全員写真判定による結果を待ち、掲示板に傾注しながら固唾を飲んで見守っていた。

 勝っていてくれ、差し切っていてくれ。どちらも譲れない祈りが息遣いが脈拍のように激しくなると、勝者を告げる掲示板に光が灯った。

 

 

     確定

14/ 

  \

     ハナ

5 /

  \

 

『十四番? ゴールド先輩の、番号だよね。かった、勝った?』

「ファンタスティックライト相手に、差し切り勝ち? それも海外で……」

 

 セイウンスカイも池浦も写真判定の結果に戸惑いを隠せなかった。世界の強豪がそろう舞台で、最悪のコンディションで、誰も勝てないと思っていた試合で、ステイゴールドが勝ってしまった。

 だが最も信じられない顔をしていたのはファンタスティックライトだった。ジャパンカップの時のような相手の健闘を称える余裕もなく、顔面蒼白で自分の敗北を告げる掲示板を見ながらうなだれていた。

 

『な、なんとステイゴールドです。ステイゴールドが日本のウマ娘として初のドバイ重賞制覇です。しかも世界最強のファンタスティックライト相手にハナ差の差し切り勝ちを収めてしまった! なんというジャイアントキリングだ』

 

 パドックに戻ってきたステイゴールドであったが、見るからにフラフラして体力の限界は目に見えていた。急ぎ池浦がパドックに入り、ステイゴールドを迎えるとそのまま池浦の体にもたれかかった。

 

「ゴールドしっかりしろ」

『先輩、こんなフラフラになってまで』

「ど、どうだセイウンスカイ。俺は勝ったぞ。超最悪のコンディションでもな。俺は、無駄に丈夫だから屈腱炎の痛さとかよくわかんねえけど、お前の辛さは俺様が感じているのよりも辛いんだよな。はぁ、はぁ、これは予定外じゃねえ。たぶん神様が与えたんだ。怪我で勝つことのできない苦しみはこんなものじゃないって、だけど俺は勝ったんだぞ」

 

 その時、池浦はゴールドの真意に気付き、慚愧に思った。

 コンディション最悪なのに出場にこだわったのはただの意地だからではない。この逆境の中で勝たなければセイウンスカイの痛みがわからない。怪我で全盛期の走りができそうにないセイウンスカイの苦しみを共有するために、あえて臨んだのだ。

 

「ゴールドお前」

『先輩』

「ふひひ。でも俺もこれでGⅠウマ娘だ。ウンス、お前も次の春天でGⅠを」

「あっ、ゴールドこれGⅡ」

「あ゛あ゛!? ジー、ツウ? おいトレーナー、海外のレースって全部GⅠじゃねーのかよ」

「いや普通にGⅡもGⅢもあるから。今回のレースもついでだからレースの指定もできなかったし」

「なんだよそれ。これじゃせっかく勝ってもウンスに示しつかねえじゃねえか、こんにゃろ!!」

「ぎゃー!! 噛みつくなぁ!?」

『はは、ははっ。相変わらずだなゴールド先輩は』

 

 悔しまぎれのステイゴールドの噛みつきにドバイの観客たちは、笑いと勝者の健闘を称える声であふれかえっていた。

 

『おっとステイゴールド選手、まさかこの試合がGⅠでないことを知らずに無念の噛みつき。これもご愛嬌です』

 

***

 

 ターフが世紀の大穴ウマ娘による大波乱で熱気が冷めやらぬ中、ハナ差で二着に敗れたファンタスティックライトは独り検量室へ入っていった。その間に聞こえいた観客たちの悲壮、そして失望の声が主役になるはずの彼女の耳にはっきりと聞こえていた。

 

「ファンタスティックライトが負けるなんて」

「それも重賞をまだ二つしか取ってないあんな小さい善戦ウマ娘に」

「けどあの小さいウマ娘、素晴らしい。友のためにあえて苦境に立ち勝利をもぎ取るとは、世界最強のGⅠ未勝利ウマ娘じゃないか」

「やっぱブロワイエと比べたら、ファンタスティックライトは弱いからな。ハナ差を差し切られるなんて根性ないな」

 

 検量室に戻り人々がファンタスティックライトの姿が見えなくなったタイミングで、同じチームメイトのエクラーが出迎えに来た。

 

「ファンタ。もう検量室ですか、予定よりも五分と三十三秒早いですが」

 

 ダゴッ!!

 ファンタスティックライトが言葉を遮るように、検量室の壁を凹ませるほどに拳を叩きつけた。

 ミシシッと壁が崩れる音の中で、栗毛の髪間から憤怒に満ちた表情が浮かび上がる。

 

「ステイゴールド。ただのビッグマウスの目立ちたがり屋が、たまたま勝ってそれを友人の引退回避のために勝利の花向けにだと。ふざけるな……ふざけるな。私はまだブロワイエ以下だというのか。たった数センチで、根性なしだとッ」

「ファンタ、血が出てます。目測でおよそ三㏄。今後のレースに支障をきたす恐れが」

「触るな。これは今日という屈辱を忘れないためにやった。この痛み、絶対に晴らしてやる」

 

 今日のメンバーはあいつを除いては当代きっての世界的名ウマ娘たちがそろっていた。ただ一つオペラオーもドトウもホームのドバイに来なかったのは、ここでリベンジができないことが口惜しいかった。

 ジャパンカップでは、不利な高速バ場であったのを引いてもオペラオーもドドウも強者であったのは事実だった。強者に敗北する。勝利を目指す者として恥ずべきことだが、負けてもよいと思った。その分リベンジに燃え、次に勝利するのは私というヴィジョンができるのだ。だから強者相手に敗北するのは恥ではない。

 

 だが、今回の相手はなんだ。

 GⅠを一回も勝ち取ったことがなく、重賞もまだ二回のみ。しかもこのところ入着すらできてないと聞いたその格下相手に敗れた。わずか数センチの微妙な差が、残酷にも一位と二位の差の雪辱を今までにないほど味わった。

 あのエルコンドルパサーの相手にすらできなかった凱旋門賞の時から、ブロワイエに敗北し、引退した日から。ファンタスティックライトは世界王者として君臨するために王者にふさわしく振舞い、戦いを演じた。だが今回は王者の戦いではない。私は勝利のための踏み台、

 

「ステイゴールド。次にお前が海外に来たときは必ず倒す。今度はハナ差ではなく圧倒的な大差で倒す」

「珍しいですね優等生のファンタが仮面を脱ぐなんて」

「ふっ、こんな屈辱にまみれたレースは初めてだからな」

 

 まだ壁に突き刺さっていたファンタスティックライトの拳をエクラーが引きはがすと、その手を絡めて血を拭うように両手で包み込む。

 

「なら、その屈辱私も共有します。今回のレース、他のゴドルフィンも彼女に破れてます。我々はチームです。喜びも屈辱も悲しみもチームが一緒に背負います」

「エクラー」

「私の計算では、ステイゴールドが再び海外のレースに来る確率は低いです。彼女は今回初の海外レースです。今後国内のレースに専念可能性があります。ですので、チーム総出でステイゴールドが出走するレースに遭遇しましたら、ファンタの敵をそこで討ちます。彼女に世界の強さを教えて差し上げましょう。だからファンタ、あなたはすべてのレースで勝ってください。ゴドルフィンの名声を高め、ステイゴールドへ総出でリベンジにかかります」

 

 外で勝者であるステイゴールドで盛り上がるターフの裏で、ゴドルフィンの二人はリベンジを果たすべく誓いの血判を互いの指に絡め合った。



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R14 才能と限界 セイウンスカイの場合

 ドバイシーマクラシックの勝利から数日後に帰国したステイゴールドの腕の中には銀色の優勝トロフィーを握り締めていたが、ステイゴールドは浮かない表情であった。

 

「あーまた飛行機に乗る羽目になった。帰りぐらい船で帰らせてくれよ。列車でもいいから」

「それだと一月以上もかかるぞ。デジタルとたづなさんが臨時でトレーナーしているというのに、そんなに時間はかけられない」

「だってさ~せっかく勝ったのにGⅡじゃな~箔がつかないし、ウンスも野郎が「え~あんな死にそうな顔してGⅡ?」とか笑われるだろ」

 

 セイウンスカイはそんな台詞言わないだろうにと二人分のキャリーバッグを引きながらエスカレーターを降りていく。

 

「で、次のレースだけど春天いけるかな」

「無理に決まっているだろ」

「でも一月も空いているし、GⅠリベンジを兼ねて」

「ダメなものはダメ。まずは減った体重を増やして、体調を整えてから。最低でも宝塚までは休養だ」

「ちぇ」

 

 ほぼ死にかけの状態で走ったというのにまだ走ろうとするというのか。この勢いならシニア五年目以降も走るかもしれない。と呆れる一方で池浦は来年以降もGⅠを走れる可能性を見出していた。格付け的にはGⅡだがあのファンタスティックライト以下をまとめて差し切った実力をこの年齢で出し切れていた。おそらく今年にはGⅠをもと感じていた。

 そして空港の到着口の扉が開いた瞬間、一斉にまばゆい光を二人は包み込まれた。

 

「ステイゴールド選手。今回のドバイシーマクラシックについて一言」

「セイウンスカイさんのために奮起したというのは本当ですか」

「レースではずっとファンタスティックライトをマークしていたように見えましたが、あれは作戦だったのですか」

「次の春の天皇賞には出場するおつもりですか?」

「ぎゃー! な、なんだこれはよ。おい」

 

 帰ってきて急に取材陣のフラッシュの光の波に二人は驚き、慄いた。

 

「すみません。取材はあとでお願いって、ちょっと多くないかこれ?」

 

 道を開けようと池浦が取材陣を押しのけようとするが、先に出ていたドバイワールドカップ二着のトゥザヴィクトリーよりも三倍以上の人数にはさすがに敵わず押し戻されてしまった。

 

「ステイゴールド選手今回のドバイシーマクラシックお見事です。私出立前に取材した乙名史です。取材よろしいでしょうか」

「な、なんだこの取材陣。レースの格で言えばドバイカップで二着のトゥザヴィクトリーの方がでかいだろ」

「なんと勝っても謙虚な姿勢。私感服しました! 格は確かにそうですが。日本出身のウマ娘が久々に海外の重賞制覇を成し遂げたのは、日本のトゥインクルシリーズの歴史に残る大きな一歩です。それも世界最強のファンタスティックライトら世界の一流のウマ娘が結集した中での勝利は格など関係ありません。トレーナーである池浦さんと共にちぎっては投げて、叩いて弾き返し。血反吐を吐いての死闘の末の勝利を手にしたのですよ。まさに世界のステイゴールド選手です」

 

 メモ帳片手に恍惚とした顔を浮かべて乙名史記者がべた褒めすると、ステイゴールドはどこか夢見心地になっていた。今まで善戦ウマ娘としてライブではサイドが固定としか見られていなかったのが『世界の』という最上に響きのよい冠名に手が震えていた。

 しかし評価されるのは良いのだが早く脱出した池浦に、わずかなすき間から猫のような細い手がグーパーと手をつかんでと合図するように手招きしていた。流されるままその手を取ると、グンっと体がステイゴールドと共に引っ張られて空港の中をかけずりまわされ、空港内の隅っこにまで連れまわされると、手を引いたその人物はサングラスと大きめのキャスケット帽を取り外す。

 

「ハロハロお帰り先輩。あとトレーナーさん」

「セイウンスカイ。君だったのか」

「ふふん。セイちゃんは逃げが得意ですからね。見事なドロン術でしょ」

 

 物陰から見ると、猫に化かされたように忽然と消えた池浦たちを取材陣たちはあてずっぽうに追いかけていた。そしてステイゴールドがずいっと池浦を押しのけると、腕に抱えたドバイシーマクラシック優勝トロフィーをセイウンスカイの前に突き出した。

 

「おいウンス、GⅠじゃねーけど優勝してきたぞ。だから引退するなんて」

「えー、セイちゃんそんなこと言ったかな?」

「は??」

「次の春天とは言ったけど。今年のなんて一言も言ってないよ。来年の春天と勘違いしたんじゃないのかな。あはは」

「こ、こんにゃろ。人が苦手な飛行機を片道一日もかけてまで勝ったというのに。知らん!」

 

 切れてトロフィーを池浦に投げ渡すと一人空港から出て行く。その後を追いかけようとした池浦にセイウンスカイが先ほどののほほんとしたものから一変、張りつめた表情で返した。

 

「トレーナーさん、私勝ちに行くから。私の方が発破かけたのに、逆にかけられて不甲斐ない結果になるのなんて厭だからね」

 

***

 

 四月の後半、春の天皇賞の舞台京都レース場のターフにセイウンスカイがいた。三年前に菊花賞で同期のスペシャルウィークらを出し抜き、次の年の京都大賞典ではステイゴールドらシニア級たちを計算づくで逃げ去った思い出の舞台。だが観客たちの視線は黄金世代の一人に誰も目を向いていなかった。

 

『”さあ一番人気は相変わらずのテイエムオペラオー。前走で連勝記録が途絶えてしまったが、GⅠでの不敗神話、史上初の天皇賞三連覇そしてシンボリルドルフ以来のGⅠ七勝へと栄光の宴は続くのか”』

「さあ宴を始めよう。僕とドトウそしてトップロードとの三人の競演だ」

「勝手に加えないでよ。私こそがオペラオーのライバルなのに」

 

 人気のワンツースリーはいづれもテイエムオペラオーらの世代で独占している。セイウンスカイは六番人気。しかしその人気もかつての栄光で辛うじて保っているものでしかない。

 ふと観客席に傾ければ、スペシャルウィークやキングヘイローらかつてこのターフを湧かせた黄金世代たちがセイウンスカイの応援に来ていた。

 

「セイちゃんけっぱれー!」

「このキングが応援に来ているのよ。キングにふさわしいレースをしないと承知しません事よ。おーほっほっほ」

「はいはい。応援ありがとね。まっゆる~く勝っちゃいますよ」

 

 他の同期たちもセイウンスカイの復帰戦の応援に来ていたが、ステイゴールドの姿は観客席にいなかった。

 先輩は来ていないか。まあそうだよね、あの人怒りっぽいし。…………でも入着いや勝たないと顔向けできないよ。

 

 曇天の雲行きからぽつりと滴が降り落ちていく。晴れ渡る意味のセイウンスカイとは真逆の天候だがそんなこと気にしていられなかった。

 怪我を治すために走れるようになるまでリハビリを頑張り嫌いだったゲートも今日のために我慢して入るようにした。今日の天候や芝の状態、そして最大の障壁であるオペラオーを退ける策を考えてきた。足りないものは知能と策でカバーする、クラシックの時から才能がないと言われたセイウンスカイがGⅠをいくつも勝ち取ってきた。

 

 勝つためには、今までやってきた私の戦法しかない。

 

 ガシャコン! ゲートが開いたと同時にセイウンスカイが先頭に立つ。クラシック二冠を達成した時もシニアたちをなぎ倒した時と同じ逃げの戦術。スタートは上々、全盛期の走りとまではいかないが上々の逃げ出しだった。

 序盤から突き放さすぎず、適度な距離をキープしつつ再加速するタイミングを見計らう。競り合うと抜き勝とうとするオペラオーに対しては十分有効な走りであった。

 

 だが最初の直線を過ぎてコーナーに入ったときだった。

 

『”タガジョーノーブルがセイウンスカイを躱して先頭に躍り出た”』

 

 奇しくもステイゴールドと同期のウマ娘に先頭を許してしまった。作戦ではない、脚がもう悲鳴を上げていた。二番手、三番手と徐々に後退していく。最終コーナーに差し掛かる前にオペラオー以下のウマ娘に抜き去られてしまっていく。

 

 まだ、まだ走れる。走って、走ってよ。走ってくれよ!

 声を上げる。脚を上げる。それでも前との差は広がり、前に見えるのは彼女より先に行ったウマ娘が荒らした芝が広がる。一番の敵と想定していたオペラオーやドトウにも手が届かない。ここまで差を広げられてしまったら作戦も駆け引きもない。セイウンスカイの脚は試合のリングにすら上がれていなかった。

 

 一周をようやく回った時にはオペラオーはもう先頭との争いになっていた。最後方にいるセイウンスカイにはまったく目にもくれず。カメラも観客も実況もセイウンスカイには目を向けない。

 怪我さえなければと一瞬よぎった。いや違う、これが私の限界だ。

 

 走っても追いつけない、ウマ娘の体は人の体よりも何倍もの力と急速な体の成長があると引き換えに衰えも急速である。セイウンスカイの体は全盛期のオペラオーたちの世代に追いつけないほど衰えていた。

 

『”オペラオーが上がってくる。ナリタトップロードを抜き去って一着、そして二着がメイショウドトウ三着にトップロードとオペラオー世代がワンツースリーフィニッシュ! 強い今年も強いぞテイエムオペラオー!”』

 

 十秒以上も離れたゴール先でオペラオーの七冠達成の歓声が響き渡った。

 

『”最後にセイウンスカイがゴールイン。復帰戦は惨敗という結果になりました”』

 

 あえて着順を言わなかったのがせめての救いだろうか。水色の空模様の勝負服が跳ね返った泥で汚れていた。顔についた泥を腕で拭っても、汚れた跡は残っている。完全な最下位、かつてシニア一年目で出したタイムからは想像もできないほどの完全敗北であった。

 

 復活を望んでいたセイウンスカイのファンたちも同期たちも何と声をかけてやればいいのかわからないまま沈黙していた。華やかにオペラオーの凱歌が謳われる中で一人地下道へ降りていく。

 何も、できなかった。私が考えた策も何もできずに、終わるなんて。

 重い足をゆっくりと動かして、雨と土が混じった汁を勝負服から垂らしながら降りていく。勝ち続けることは難しいなんてわかっている。GⅠを七つも勝つのだって誰だってできないこと。何度も自分に言い聞かせて仕方がない、運がないと理屈や言い訳を自分の中で言い聞かせていた。

 そうでもしなければ、セイウンスカイの心が持たなかった。

 

「おうウンス。お疲れ」

 

 目の前にいたのはステイゴールドだった。

 どうしてこんな時に来るのだろう。さっきまで無の感情だったものが一気にどす黒いものであふれかえってくる。

 才能がない自分が必死に考えて走ってきた、友人達も目の前の先輩も追い越してたどり着いた世界。それが怪我と年数を跨いだだけでこの有様。自分が築き上げてきたものが全て朽ち果てていた。そして理不尽なことに目の前のかつて出し抜いたはずの彼女は才能があった。長い間走っても強敵と戦い合えるほどの怪我をしない強靭な脚が。おまけに世界最強を敵のお膝元で叩きのめすという名誉まで手にして。

 

 理不尽な感情だと自覚はしていた。勝つはずがないだろと春先に先輩を煽ったのは自分だ。だが、こんなに相手を憎いと妬ましいと感じたことはない。

 それでもそんなの自分らしくない。セイウンスカイはなんとか顔の筋肉を強張らせて、いつものようにふわふわとした顔にした。

 

「や、やはは。復帰戦失敗しちゃったよ。久々のレースで頭が寝ちゃっていたのかな」

 

 ガスッ!

 いきなり顔面にラリアットを喰らわせられた。怒るとかは想定していたがさすがのセイウンスカイもこれは想定外で「ぐえっ」と驚きのあまり潰れた声が出てしまった。

 

「キングたちが来る前に泣いておけ。よく帰ってきたな」

 

 ラリアットした腕がぐるりとセイウンスカイの空色の髪を優しくなでる。

 それがスイッチだったかのか、セイウンスカイの涙腺が決壊しステイゴールドの制服で声を抑えながら泣きはらした。

 

「……あっ、ごめん。私、届かなかった。先輩は勝ったのに……私」

「次でぶち倒せ。一個下なんだからまだ俺よりも走れるだろが」

 

 まだ走れる。そんなの才能がある人間の言葉、受け入れたくない。けど諦めたくない。才能・限界何度も聞かされたがそれを実力でひっくり返して出し抜いた。まだ私は負けていない。

 

「宝塚記念、それまでには間に合わせるから。先輩をまた風のように抜き去るから」

「やってみろ。俺は世界のステイゴールド様にジョブチェンジしているんだぜ」

「じゃあ世界のステイゴールド様に私が勝ったら、私は世界のセイウンスカイ様だね。宝塚記念楽しみだよ」

「調子に乗んなよ」

 

 くいっとあごを天につき上げて立ち去るステイゴールド、そして涙をふき終えたセイウンスカイは同じく泣いていた同期たち黄金世代らの下に走って行く。



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R15 才能と限界 アグネスタキオンの場合

 時はさかのぼり、三月。ステイゴールドがドバイシーマクラシックへ出場する日。タキオン・カフェそしてトレーナー代行のデジタルらが食堂のテレビの最前列で見守っていた。

 海外のレースとならば人だかりができるのだが、このレースは本番であるドバイカップの前哨戦のしかもステイゴールドしか参戦してないと聞いて、他のウマ娘たちはいつも通りの着順だろうとテレビの前はまばらであった。

 それでもタキオンの同室であるデジタルの推しへの気合の入れようは相変わらずで、金色と黒のストライプ状のステイゴールドのタオルを鉢巻を巻いて一人気を吐いていた。

 

「ゴールド様体調悪そう。まさか遠征疲れで。あぁおいたわしや」

「ほう、デジタル君の観察眼はさすがだ。画面越しでも体調がわかるとはね」

「もちろんですとも。ゴールド様のご尊顔は毎日欠かさず寝ているときもモブウマ娘としてお邪魔にならないように拝見しているので」

「……こっそり?」

 

 カフェがいぶかしむ中、レースがスタートした。目的は異なるがデジタルと同様ステイゴールドのことをよく観察していると自負するタキオンの推察では、彼女の脚質と体質から判断してこのレースは良くて入着と考えていた。

 

 だが。

 

「きゃー! ゴールド様が、ゴールド様が勝った!!」

 

 最後の直線での末脚でファンタスティックライトとのもつれあいになり写真判定の結果が下され、ステイゴールドの勝利が伝えられるとデジタルが歓喜の声を上げた。

 「嘘」「ステイゴールド? あのいつも二着か三着の?」「世界最強に?」デジタルの歓喜に周りが呼び寄せられてテレビの画面を見ると皆一堂に驚愕し、自分の目を疑っていた。その中に奇しくもアグネスタキオンも驚きの様子を隠せていなかった。

 

 観察不足か? 私の見立てでは彼女の体質は頑丈であること。その一点のみと捉えていた。しかし画面を通じて見せられたのは、世界最強を打ち破った末脚とライバルのために奮起した闘争心。一年に渡って十分観察していたと自負していたが、大きく見当違いを起こしていたとは。

 タキオンはうなだれるどころかむしろ笑壺に入っていた。 タキオンの頭の中にあの煌めきに似た末脚と闘争心を解明してみたいと。自分の大望のために。クラシック初戦の大事な一冠目である皐月賞本番前でも変わらなかった。

 

 デビューを果たし、新世代の頂点を目指すための登竜門の皐月賞。パドックで最も注目されていたのはやはりここまで同期の強敵をねじ伏せ三戦三勝を果たしているタキオンであった。

 短髪の髪をソフトモヒカンのように立たせている二番人気のジャングルポケットだった。ちなみに同じくホープフルステークスで倒されたクロフネはNHKマイルカップを挟んでダービーに挑む予定である。

 

「タキオン、ホープフルではクロフネ共々あんたに負けたが。ここからが本番だからな」

「私は常にレースは本番で挑んでいるつもりなのだが、あの時の走りは本番ではなかったというのかい?」

「むっ、本番の本番だ。次のダービーが本番中の本番の本番だから。これだから理系は嫌いなんだ。理屈っぽくて」

「訂正を願いたい。理系は必ずしも理屈っぽいという道理はない。エアシャカール君のような人間はいることは確かではあるが、それは一部を抽出しての解釈ではないか。それとも理系は理屈っぽいというパブリックイメージからくるものではないのか」

「そーいうとこ!」

 

 もはや相手にしないと早々にゲートの中に入っていった。

 

「タキオンさん~」

「タキオン落ち着いて、練習通りやれよ」

「ズルズル。序盤下手こくなよ。モグモグ。最後に全力だしゃ、行けるから」

「行儀悪いぞゴールド」

 

 やはりGⅠということもあってチームポラリス全員が応援に来ていた。その中でドバイで減った体重の増加のために舎弟手製の焼きそばを頬張って観戦しているステイゴールドにタキオンの生気のない目が向いていた。

 

 最後に全力か、しかし私の体がそれを持ち堪えてくれるか。タキオンもゲートに入ると実況が発走前のアナウンスをする。

 

『”クラシック三冠を前に現れた光を越える素粒子と呼ばれるアグネスタキオン。大事な第一楽章。伝説の始まりを一瞬たりとも見逃すな”』

 

 ゲートが開く。

 全員が順調にコースを回っていく。足並みは皆快調だ。もちろんその中にはタキオンもいたが、彼女の内心は心穏やかではなかった。

 

 脚は未だ問題なし、私の想定では最終コーナーを曲がって一気に抜け出すというのが最善手だ。この脚が持ちこたえさえすればだが。

 アグネスタキオンの脚は爆弾を抱えていた。タキオン自身の評から、エンジンばかりが優秀でひどく脆いもの。タキオンの夢である超音速の速さの研究には脆さは敵であった。ではその敵にどう立ち向かうか三つのプランを立てていた。

 

 研究を続け超音速の速度に挑み続けるプランA。

 自身の夢を他の誰かに託すプランB。

 そして最速の夢を諦め長く走り続けるプランCか。

 デビューする前からレースでは優秀な成績をただき出すのとは裏腹に、懸念していた脚の爆弾がじわじわと爆発寸前まで来ている音がしていた。このままプランAへ進む自信がなかった。そこで最良の研究対象をまじかで研究し、プランCへ進むことを考えていた。しかしその研究対象自身が魅せた三月のあのレース以後、タキオンの考えが揺らいでいた。

 

 この脆いエンジン()は私の探求する限界を妨げる。だから頑強な肉体への改造のために四十戦近く毎月走るステイゴールド君の体を研究したかった。頑強な彼女の肉体、それを突き詰めれば最悪速度を犠牲に長く走ることは可能になる。プランC、壊れる前に限界を認めるプラン。

 だがステイゴールド君があのドバイで見せたあの脚。彼女には頑強さしかないと思っていた。だがあの時見たあの爆発した末脚で認識を改めざる得なかった。私が最初から手にできなかったそれを彼女は両立できた。ならばその両立の仕組みを解き明かせばよいだけの話ではないか。

 

 最終コーナーを曲がり中山の短い直線に差し掛かると、目下最大の障害であるジャングルポケットが勝負に出てタキオンの後方から強襲する。

 

「プランAかC。どちらが正しいか」

 

 抜け出せる。しかし全開にまで使えば、この脚はどうなるか。

 懸念が前に進ませなかった。仮にこのまま脚を保全するために余力を残せばタキオンの頭の中ではじき出した計算では入着までは可能だ。無敗の四連勝も、クラシック一冠も水泡に帰るがプランCにすれば長く走れはするだろう。だがそれでいいのか。

 ステイゴールドが魅せた世界最強を打ち破った驚異の脚。最後まであきらめない意地、理論でも理屈でもない精神主義、科学的・合理的とは相いれないだろうその思想に。

 

「プランAだ」

 

 タキオンの脚が乗った。

 

『”アグネスタキオンが抜け出した。後ろからジャングルポケットも追ってくる!”』

 

 前方で逃げていたウマ娘を振り払い、脚を限界まで速度を上げて先頭に躍り出る。後方からジャングルポケットが徐々に差を詰めようとしているがタキオンの速さの前では届きそうにない。そしてゴール板の前を先にアグネスタキオンが横切った。

 

『”道をつなぎましたアグネスタキオン。まず一冠!”』

 

 道をつないだ。果たしてその表現は正しいものだったろうか。観客席にいる池浦トレーナーに近づこうとした瞬間、タキオンの脚が急に動かなくなった。

 

「よくやったなタキオン。タキオン、どうした!?」

「くっ、やはり限界が来てしまったか」

 

 診断は軽度の屈腱炎であった。タキオンの想定していた症状と比べ三十%程度のもので二度と復帰できないものではなかった。これも怪我を予防するために日々の研究を続けた成果ではあった。

 しかしすぐにレースに出られないほどの故障でもなかった。いくら研究を続けたからとはいえ、二冠目・クラシックの頂点である日本ダービーに出られるほどにまでは抑えることはできなかった。

 

***

 

『”三冠有力ウマ娘であるアグネスタキオンが怪我で欠場している中、これまで彼女に敗れたウマ娘たちがこの東京府中に集っています』

 

 日本ダービーは前回の皐月賞と異なり、やや盛り上がりに欠けていた。三冠確実と目されていたアグネスタキオンがいないダービー。他のウマ娘たちはいわばそのタキオンに勝つことができなかった集まりでもあった。だが敗北した者たちはタキオン不在のレースでも腐ってはいなかった。

 

『うっしゃー!! 見たかタキオン!! あたしがダービーウマ娘だ!!!!』

『Shut up. うるさいよ』

 

 府中のターフでジャングルポケットがいななき、クロフネがそれに辟易していた。その光景をトレーナー室の一角でダービーの中継を見ながらタキオンは今日も変わらず実験を繰り返していた。脚に巻かれた包帯は未だ取れない。次の菊花賞に間に合うかどうかわからない。だがタキオンにはそんなこと関係なかった。

 

 私が目指すものは、勲章でも名誉でもない。

 超高速の微粒子のごとく駆ける速さのみ。

 未知の速度の先のために、私のレースはまだ終わっていない。

 プランAを完遂すると決めたからには。




お久しぶりです。ちょっとスランプで投稿が遅れて申し訳ございませんでした。

その間にステイゴールドが新世紀の名馬で35位、アイドルホースで10位と健在っぷりとネタを両方提供していました。こちらのSSも最後まで完走するように走り抜けていきますので応援よろしくお願いします。


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R16 四回目の宝塚記念

 阪神レース場の芝からは最後の梅雨の残り香のようなしっとりした湿り気が夏至の熱を涼やかにする。だが観客席は梅雨の恩恵を消し去るほどの熱気をパドックに送っていた。

 

『”さてやってまいりました宝塚記念。さっそく一番人気から参りましょう今年のGⅠ戦線はやはりこのウマ娘の独壇場か。テイエムオペラオー! 続けて二番人気にその右腕メイショウドトウもやはり参戦だ”』

 

 黄色い声援が観客席からオペラオーとドトウのいるパドックになだれ込む。

 春の天皇賞でついにシンボリルドルフに並ぶ七冠を達成し、前人未到の八冠に王手をかけていた。しかもメイショウドトウと同伴している試合では必ずオペラオー一着、ドトウ二着で固定されていた。今日のレースで大記録達成は間違いないとオペラオーファンは期待で膨らんでいた。

 しかし他のウマ娘たちとしてはまったく面白くない。昨年一年を通じてシニア王道GⅠがすべてオペラオーの総取り、ここで一泡吹かせようと他のウマ娘が静かな火花をオペラオーに一点集中砲火を放っていた。

 オペラオーに向けられた導火線を遮るように黒と金の勝負服を纏ったウマ娘が胸を張ってパドックに入場すると実況がその名前を告げた。

 

『”そして、四番人気にあのレースから三ヶ月と長い休養を経て、あのウマ娘が勲章片手に帰ってきたぞ! 史上初宝塚記念四回連続出場のステイゴールドだ!! 春の天皇賞に敗れ、雪辱に燃えるセイウンスカイも共に入場だ!”』

 

 パドックにステイゴールドが姿を現すと場内は一斉に大歓声の地響きが起きた。「ステゴ!」「あとはGⅠ獲るだけだ」「久しぶり、ステイゴールド」と久々に日本で走るということもあり、オペラオーの入場にも引けをとらない歓声がステイゴールドのファンが一斉に出迎えた。

 

「うーん。私って先輩のおまけ? てか、三ヶ月の休養で「長い」を使うのゴールド先輩しかいないんだけど」

「俺様が走っていない月は夏以外はないからな。俺様がいないとトゥインクルシリーズは盛り上がらないってこったよ」

「いや~春天はオペラオーの七冠達成で結構盛り上がっていましたけどね」

「うんだと? 俺様がいないトゥインクルシリーズなんざ肉の入ってない焼肉定食だろうが」

「それただの野菜炒め定食じゃないの?」

 

 セイウンスカイとステイゴールドの漫談でどっと笑いが出たが、実際この宝塚記念は注目されていた。オペラオーの八冠はもちろんのことであるが、ステイゴールドがファンタスティックライトを打ち破ったことで、宝塚の地に世界最強を勝ったウマ娘が三人も集っていることになっていた。

 覇王テイエムオペラオーか右腕のメイショウドトウか世界のステイゴールドか。はたまたリベンジに燃えるセイウンスカイかエアシャカールか。

 

「もちろん。勝つのは僕だよ。だって僕が一番輝いているからね。ハーッハハハ!」

「チッ、かっこつけが。ぜってーお前に一着はやんねーからな」

 

 オペラオーが高らかにゲートに入りながら高笑いするのを見て、舌打ちをするステイゴールド。だが表だってないだけで、その執念は他のウマ娘たちも同様であった。一人を除いて。

 

「えーっと、じゃあ私も。ハーッハハ私こそが覇王の右腕、メイショウドト。ごつん。ああっ。ふびゃ。ふぇ、救いはないのですか~」

 

 オペラオーのまねをして高らかに宣言をしようとしたメイショウがゲートに頭をぶつけると、パチンコの玉のように尻もちをつき、ぐるんと後回りにひっくり返ってしまった。幸いにもけがはないのだが不運のメイショウドトウここにありである。

 

「ほら手貸せ」

「すみませんステイゴールドさん。私、いつもついていなくて」

「ゲート入る前にぶつかつのも珍しいが、二着宣言とかどういう神経だよ」

「だって、私いつも運が良くないですし。走っても走っても前に立つことができなくて、せめて憧れのオペラオーさんの後ろにならと。ここの景色なら定位置で来れますし。オペラオーさんも褒めてくれますから

「アホか、二着三着を消極的な言い訳にするな。強い奴に相手取って勝ち取ったならまだしもな、勝てないからせめてなんざ救いの手も来ねえだろうが。今回もオペの野郎また包囲されるクソ試合になろうが、みんな勝ちたい信念があるんだよ。選りすぐりの強いやつに勝った証明がな。っつクソ重」

「ごめんなさい。ごめんなさい。お昼にカレーを三杯もおかわりして体重が重くなってごめんなさい」

 

 大柄のメイショウドトウを何とか片手で引っ張り上げると、自分の枠である九番ゲートに収まる。

 

「気概……よし、私も気概を。救いは私にもある」

 

 メイショウドトウも自分のゲートに収まると、ファンファーレと観客たちの手拍子が阪神レース場に鳴り響く。前人未到のG1八勝目か、他の十一人のウマ娘たちによる阻止か。ウマ娘たちの前半戦最後のG1レースが発走された。

 

 一斉に阪神の直線コースを進むと先行のオペラオーに鼻を取らせないよう、セイウンスカイを先頭に二重の陣を敷くように前を塞いだ。その横も後ろもオペラオーをマークするように位置につけて、オペラオーを六番手にまで下げさせた。

 

「前にも横にも進めない」

 

 やっぱり包囲されたな。しかも位置が差しの俺の少し前とくる。無理やり前にこじ開けようとすれば走行妨害で下手したら失格になる可能性もある。狙いうとしたら有馬記念と同じ最後のコーナーで包囲が崩れる所か。同じ轍は踏まないだろうけど。

 非常に姑息な包囲のレース展開を読み切ったステイゴールド、ではなくただセイウンスカイが予想していたのを盗み聞きのを思い出しているだけである。

 

 二コーナー、第三コーナーを前にしてもオペラオーの包囲は崩れないまま最後の直線に差し掛かっていた。勝負を仕掛ける直前重心を低くしていたステイゴールドが少し顔を上げるといつの間にか先頭にメイショウドトウが立っていた。

 

「こ、このまま前に。私だって、私だって」

 

 ドトウのやつ、急にやる気になりやがっている。けど今が絶好の機会なのは俺も変わんねえぜ。

 オペラオーは未だに包囲網のまま後ろに控えており、前に上がっていたステイゴールドは外から持ち出しても十分狙える好位置にいた。最終コーナーを抜けて先頭へスパートをかける。

 

 やべっ、脚が縺れて。

 ステイゴールドの脚がコーナーを曲がれず左に大きく寄れてしまった。体勢を戻そうと右に体を傾けるも再び左にふらつき始め、スパートの末脚をかけようにも制御不能に陥ってしまった。

 

「おいっ、ステゴ。俺の前で左右に寄れんな。妨害だろうが」

「うんだと! シャカール! わざとだって言いてえのかよ!」

 

 左に寄れて後方にいたエアシャカールとメンチを切ろうと後ろを振り向くと、栗毛のカールした髪が二人の横を駆けて行った。後ろで包囲されていたオペラオーが大外から抜け出していたのだ。しかしすでに先頭にはメイショウドトウが突き進んでいた。

 

「私だって、私だって、勝ちたいです~」

『”ドトウの執念がついに夢の一矢を報いるのか。ドトウかオペラオーか。ドトウか、ドトウだ!”』

 

 オペラオーが大外から追撃するも、メイショウドトウがゴール板を先に抜き去った。

 

『”ついに夢がかなったメイショウドトウ! 右腕という地位からオペラオーを下してしまった!”』

「や、やっと私。勝ちました。これで私にも救いは」

 

 だが観客席から聞こえたのは落胆の声であった。

「オペラオーの八冠を右腕が阻止するなんて」「なんでドトウが二着じゃないんだよ」「そんなオペドトウでオペ優位がジャスティスなのに」「ドトウオペもおいしいですよ」

 

 オペラオーを負かしてほしいという観客もいた。だがそれ以上に八冠を楽しみにしていたファンもG1では未だに負けなしのオペラオーを予想していた人も多くいたのだ。そのヘイトが完全に勝者であるはずのメイショウドトウに向けられようとしていた。

 

「う。ううっ。やっぱりわたしがオペラオーさんに勝つなんて。救いはないのですか」

 

 せっかく勝ち取った勝利に、ドトウはほろりと泣きかけた。

 

「静まり給え!!」

 

 突如、凛とした声が観客席に響く。ずいとドトウの前に声の主が現れた。それは彼女に破れたオペラオーであった。

 

「ドトウやはり君だったか。私を倒そうとしたのは」

「へ?」

「僕は常々考えていた。僕が築いたテイエムオペラオー王朝を打ち倒すものがいつか現れると。その相手は常に僕の傍で、僕と共に歩んでいた者。ドトウこそが初めて僕を打ち倒す者だと信じていたよ」

「オペラオーさん」

「いやてめえ、四月の大阪杯でトウホウドリームに負けてんだろうが」

「しかも四着」

 

 ステイゴールドとセイウンスカイの指摘にまったく立て板に水。いや水を得た魚のようにオペラオー劇場はますます盛り上がる。

 

「予感はしていた。僕の年間不敗記録、そして前人未到の八冠達成を望まない者が現れると。覇王が築いた絶対王政に立ち向かうレジスタンスが出現する。王に立ち向かう勇気ある者たちだ。なのに君たちはその勝者を蔑むなんて情けないぞ」

 

 応援していたファンたちにオペラオーが一喝する。たとえファンであろうとも、戦ってきた相手を常にリスペクトを忘れない優しい王様であるオペラオーに、この侮辱は耐えがたいものであった。ましてやライバルにして親友であるドトウに。

 

「ドトウ、君は革命の狼煙を上げた。賛辞の拍手を送ろう」

「はわぁ~もしかして救いは」

「けど、僕も二度も負けられないね。次は必ず僕の背中を見ていただこう」

「ううっ、やっぱり救いはないのですか~」

 

 やはり覇王は覇王であった。

 そして覇王は次に挑む革命者たちに向けて、マントを翻し宣言した。

 

「さあ、新世代よ。古くから戦場を共にした者よ。未知の舞台から来る勇者よ。覇王は逃げも隠れもしない。テイエムオペラオーは二年連続秋シニア三冠と八冠達成のために王道路線へ舞い降りる。さあかかってくるがいい、テイエムオペラオー王朝の壁を越えてみせよ!」

 

 レース前とは比べ物にならないほどの万雷の歓声と喝采が阪神レース場に響き渡った。

 もはやウイニングライブならぬ、ウイニング劇場である。それも二着が主演の即興ものである。

 

「あんにゃろ、フォローしに行ったと思ったら勝手に舞台をつくりやがった」

「あれが計算なのか素なのかわからないけど、オペラオーがラスボスと化すことで去年の有マ記念のような陰湿な妨害とオペラオー以外の勝者が憎まれることを完全に防いじゃったね。まあセイちゃんはもう乗る気は置きませんけど」

「ウンスお前、リベンジしないのかよ」

「いやさすがにこの勢いの流れだと私下流にまで流されちゃいますよって。今回予想したレース展開ならオペラオーは勝てないと思ったんだけど。あれで二着に来られたらどうしようもないですよ。私も結局六着どまりだし」

 

 負けたとはいえ、完全に包囲された状態でハナ差二着にまでオペラオーは食い込んでいた。オペラオーは小手先の戦術では通用しないほど間違いなく強い相手であるとセイウンスカイは感じ取っていた。

 

「でも先輩なら泳いででも逆走できそうですけどね。じゃあ私は夏合宿はバカンスとしゃれこみますから先輩頑張ってG1取ってくださいよ」

 

 ショートの芦毛の髪をなびかせてセイウンスカイがターフから去る。

 四回目の出場となった波乱の宝塚記念が終わり、ステイゴールドはトレセン学園に在籍して五回目の夏合宿に入っていく。



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R17 夏合宿と前のトレーナー

 春最後のGⅠの宝塚記念が終わって七月になると、トレセン学園は夏休み兼夏合宿に入る。

 夏休みといえどもこの時期にもレースもあり、夏休みのために実家に一時帰宅する学生もいるが。たいていの学生は暇を持て余したり夏の暑さで気だるげになる体に喝を入れるために夏合宿に参加する。

 チームポラリスを乗せたバスが熱されたアスファルトを進み学園の私有地にある合宿所に到着した。

 

「相変わらずしょぼくれてんなこの宿舎」

「おいおい、学校が提供してくれた宿舎だぞ」

「海外重賞制覇者やGⅠレース勝者選手が一堂に木造の宿舎に押し込める方がどうかしてんだろ。つか俺が初めて来たときとまったく変わんねえし」

 

 ステイゴールドが不満を垂れるなか、デジタルは宿舎を見ながらぶつぶつと独り言ちていた。

 

「う~ん。このたたずまいエモい。青い空に白い雲の下でウマ娘ちゃんたちが砂場で汗を流し、年季の入った宿舎で一つ屋根の下で。うへへへ。は、捗る」

「あいつは何を言っているんだ?」

「気にしないで。さっさと荷物を置いてビーチに集合」

 

 チームたちを宿舎に入れさせて、池浦が一足先にビーチに赴くと早々に準備を済ませたウマ娘たちが練習に励んでいた。昨年も夏合宿に来ていたが今年は各チームが練習に入るのが早く一体感があるように感じた。

 原因はオペラオーであろう。宝塚記念での宣戦布告に掛け声に遠泳やビーチダッシュにと秋のGⅠレース出場に向けて動いていた。

 そして当の本人は報道陣に囲まれて取材を受けていた。

 

「シニア戦線に今年のクラシック世代が続々と参戦表明をしていますが心境のほどは」

「僕という光に集まってくれるとは光栄の極みだよ」

 

 宝塚や有馬の時よりも酷い包囲網が敷かれる裏返しにもオペラオーは変わらず底知れないポジティブさで迎え撃つ準備をしていた。あのポジティブナルシストな性格は天然由来物も出あるのだが、その底知れない余裕が逆に怖く見えて仕方がない。

 

「それでオペラオー選手、宝塚記念の後は海外遠征の予定でしたが。それを蹴ってまでシニア王道路線に挑む理由は」

「無論、日本にいる僕のファンのためさ。僕が海外に行ってしまったら、日ノ本が永遠の暗闇に消えてしまうのは忍びないじゃないか」

 

 海外挑戦を蹴った!?

 年間無敗という大記録を達成したオペラオーの力量でなら海外挑戦の話もおかしい話ではない。あの宝塚記念の結果でも二着とはいえ完全に包囲された中からの抜け出しと王者の強さを披露していた。それを自ら断ったのは寝耳に水のことだ。

 記者の取材が終わり囲みが解けたところを、池浦がすり抜けてオペラオーに近づいた。

 

「やあポラリスのトレーナー君じゃないか。早速敵情視察かな。どうぞ隅から隅まで見ていきたまえ。なんなら僕の水着写真撮り放題もサービスしてあげようじゃないか」

「それは遠慮しておく。どうして海外遠征を蹴ったんだ」

「ふっ、簡単なことだよ。僕がいなければトゥインクルシリーズは盛り上がらないからさ。今のトゥインクルシリーズを盛り上げるには絶対的な王が必要だ。王に挑む勇者一行。素晴らしい演目じゃないか。間違いなく満員御礼。千秋楽も大繁盛間違いなしさ!」

 

 鷹揚と答えるオペラオーであるが、彼女が目論んでいるのは自らが旧体制の象徴として打破する構図だ。

 トゥインクルシリーズの観戦者は黄金世代が去ったのを境に減少傾向にあった。オペラオーはそれを全戦全勝で回復を試みたが、それでも歯止めはかからなかった。それをかつてオペラオー自身が掲げていた黄金世代の打破と全く同じ構図で、自分が築いた絶対王政を捨ててまで盛り上げようという覚悟で国内に残ったのだ。

 

「それに、ここにいれば目を閉じても開いても僕の名前をコールする声が聞こえてくるしね。はーっはっはっは」

 

 敵視する声を歓声と受け止めて変わらずオペラオーが高らかにビーチで笑い声を奏でる。強い精神の持ち主だと改めて気づかされた。思い返せば昨年の有馬記念でも今年の宝塚記念での宣戦布告も強心臓の持ち主でなければできない芸当だ。あれが絶対王者の覚悟なのだと思い知らされた。

 するとパコンと臀部を唐突に蹴られた。

 

「おい、オペラオー相手にぼーっとしてんな。あいつの王子様フェイスに惚けてんじゃねーぞ」

「ひょええ! オ、オペラオーさんの微笑みのご尊顔を、生で! あのチェキとかありましたか。あの失礼ながら私にお写真を一枚お見せくださいませ」

「ふむ、脈拍に異常はなし。詳しい検査をしてみるためにこの薬を一口飲んでみてくれたまえ」

 

 相変わらず各々自分のことにしか頭に入ってないチームポラリスのメンバー。まったくこちらの話を聞こうともしない。そこにチーム唯一の常識人(カフェ)が助け船を出してくれた。

 

「トレーナーさん。オペラオーさんに何か感化されたのですか?」

「ああ。秋の目標は、絶対オペラオーを倒そう」

 

 オペラオーの撃破。それを宣言すると一番オペラオーと戦ってきたステイゴールドが一番ににやりと不敵な笑みを浮かべた。

 

「絶対ってかおもしれえな。チームポラリス全員でオペラオー倒そうじゃねえの」

「え? 私も入ってますか?」

「当然だろ。デジタルはもとよりカフェも秋シニアのうちのどこかには出られるだろうし」

「えーオホン。そのことについてこの合宿での方針を色々伝えなければならないことがある。まずタキオンは屈腱炎が軽症とはいえ怪我の治療に専念をすること。そして二つ目、カフェはまだ秋シニアどころか菊花賞に出られるか正直なところ微妙なラインだ」

 

 GⅠレースの出走権は、出場したレースの着順によってURAが算出した獲得ポイント数で認められる。ポイントの計算はURA独自の基準や細かいポイントがあるが、現在のカフェの成績では菊花賞どころか秋のシニア戦線にも参加できないのである。

 

「そのためカフェは八月いっぱい俺と一緒に長距離レースがある富良野特別と阿寒湖特別に出場するため札幌まで遠征に行く」

「トレーナーさん、お世話になります」

「ということは。八月からトレーナーさん不在ですか。ま、まま、まさかこのエモさあふれるウマ娘ちゃんたちの青春の裏側で尊み溢れる場面を。私が、直で、拝めるということですか!? うへへへじゅるりら」

「いや、今回デジタルにはトレーナー業務はさせない。期間が長すぎるし、何より夏合宿という大事な期間をトレーナー業務で忙殺されてはいかん。俺が不在の間は代理のトレーナーが面倒を見てくれる」

「代理だと? この癖のあるメンバー全員面倒見れる奴なんているのかよ」

 

 お前が言うかゴールド。まあ、それに適した人物をわざわざ招き寄せたわけではあるが。

 ちょうどその時麦わら帽を被った小さくずんぐりむっくりとした中年の男がポラリスの所にやってきた。

 

「ようステゴ。相変わらずだな」

「熊のおっさん!?」

「……どちら様ですか?」

「ゴールドの、前の担当トレーナーだ」

 

***

 

 昼間になり太陽が一番高く、もっとも暑い場所に差し掛かり砂浜の熱が熱せられていく。他のウマ娘たちは日陰に一時避難している中、ステイゴールドと熊だけは砂の上に二本の足で立っていた。

 

「おっさんなんで帰ってきたんだ」

「そりゃお前さんに負わされた怪我からやっと復帰出来たら担当できるウマ娘がなくて手持ち無沙汰になったから、夏合宿の期間代理を務めることになったのよ。それにお前のようなイカれたウマ娘に慣れた経験豊富なトレーナーが俺しかいない。ほれ、さっさと始めるぞ。海外に勝ったとはいえお前も年なんだからな」

「年のことおっさんに言われたくねーっての」

「ほお、まだやれるってのか」

「当たり前だっての。見てろやゴラァ!」

 

 挑発に乗られたステイゴールドは灼熱の砂浜をものともせず、砂浜千メートルダッシュを敢行しだした。

 

「ほらな。ああやって焚きつければいいんだよ」

「こんなにうまく誘導できるとは。恐れ入りました」

「あいつは手懐けるタイプじゃない。焚きつけるか納得する様に動かせばいいんだ」

 

 実はゴールドはこの時間に灼熱砂浜千メートルダッシュ予定をしていたのだが、マイルール絶対至上主義で自分が納得する練習メニューしかこなさないステイゴールドでは、池浦の指示を聞かないと思い熟練のトレーナーである熊にお願いをしていた。

 しかしこうも簡単に練習を実行できるとなっては、未だに自分はまだ新人の域なのだと思い知らされた。

 

「しかしまぁ、あいつが国内だけでなく世界のGⅡまでを取るとはな。俺が四十戦も走らせて重賞取れなかったというのに。池浦君の力量がすごいのかね」

「いえ、俺は大したことは本当にしていないです。熊さんが指導したのと、ドバイで勝ったのはあいつの想いと力を発揮できたからです。むしろ手柄を横取りした形になった俺の方が悪い感じですし」

 

 それを聞くと熊は麦わら帽を脱ぐと少し薄くなった頭部をかきあげた。

 

「そうだなあいつの力だよな……だが池浦君、これだけは忘れるな。GⅠは本当に限られたウマ娘にしか取れないということだ。俺は『穴の熊』と言われてるが、裏を返せばGⅠを獲ることは並大抵でないウマ娘を担当したんだ。他のウマ娘も最善を尽くしてもほんの少しの運や相手のわずかな力量差で栄光を取りのがす。まっ、あいつの場合は中央のGⅠ戦線を四十戦以上走れた時点で並みのウマ娘ではないが」

 

 トゥインクルシリーズには絶対はない。いやスポーツの世界事態にでは絶対はない。現にアグネスタキオンも、三冠達成できると言われたのに故障でダービー回避に陥った。いや過去振り返れば怪我でレースを棒に振ったウマ娘は大勢いる。その中でたった十程度しかないGⅠレースを勝ち取る。思えばGⅠとはなんと至難であろうか。

 

「おい熊のおっさん。俺に引退勧めてんのかコラ」

 

 いつの間にかステイゴールドがダッシュを終えて戻ってきていた。

 

「頂点に手が届かなくても十分立派な戦績だ」

「ざっけんなよ。俺はもう文字通り世界最強だ。今の俺ならGⅠを取れるところまで来ているんだ」

「ステゴ。お前は確かに他のウマ娘よりは丈夫だ。普通のウマ娘よりかは長く走れるだろう。だがそれがいつになるかね」

「近いうちだ。おっさんの目の前で盾かレイ引っ提げて土下座させてやるぜおっさん。おいトレーナー、次行くぞ。次」

「ちょっと待て、次はクールダウンして。室内練習を」

「夜でいいだろ。遠泳付き合え」

 

 首元を掴まれたまま池浦は引きずられて行ってしまった。その様子を熊は優しい目つきで、二人が海に入るまで見続けた。

 

「近いうちか。そうか、早いところ取れるように祈っているぞ。ステゴ。池浦君」




遅くなって申し訳ありません。
ウマ娘でデジタルやカフェの実装でこっちの方を見なおしたり、その間にメジロブライトも登場とこの作品に関係するウマ娘がぞろぞろと来たり。
おまけにリアル競馬でオルフェーヴルの娘がジャイアントキリングをかましたりと情報の整理が追いつきません。

今後も新規のウマ娘が増えると思うので、順序修正していこうと思います


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R18 負けられない夏

 合宿が始まってひと月が経った。先月までサマースプリントレースに出場していたウマ娘がやってきたり、夏のレースに出場するために合宿所を出ていくウマ娘と合宿所に入れ替わりが起きていた。池浦トレーナーとマンハッタンカフェもこの期間札幌レース場で行われる富良野特別とかつてステイゴールドの勝ち鞍の代名詞であった阿寒湖特別と富良野特別に出場するため合宿所を後にしていた。

 その間のトレーナー代行である熊トレーナーが残りのポラリスのメンバーを面倒を見ていた。

 

「デジタル足を踏ん張るな。ダートは足の強さより瞬発勝負だ。脚の入れ方を意識しろ!」

「ウマ娘ちゃんのエモのためなら。えんーやこーら。オペ様とドトウさんのツーショット見るため、秋の天皇賞に出場するために、夏のコミケを我慢。我慢……ううぅ」

 

 個人的雑念に悩まされているデジタルがしごかれている間、ステイゴールドは一人タイヤ引きのためウマ娘トレーニング専用十トンタイヤを砂浜にまで持ってきたが、熊トレーナーがそれを止めた。

 

「おいステゴ。タイヤ引きはいい。部屋に戻ってビデオ研修をしてコースの位置取りを覚えておけ」

「もう全部のコースは頭の中に入ってる。それに次のレースではオペのやろうとかち会うだろ。あいつの競り合いに勝つためにはこれが一番いい」

「朝にダッシュ千本やっている。これ以上はオーバーだ折れるぞ」

「じゃあ続行だ。俺は折れない絶対に」

「お前なぁ。意地でも毎月走る頑固さとそれに耐えれる頑丈さはほかのウマ娘には持っていない長所だ。だがお前だってウマ娘だ。今年はまだ余裕があるローテーションだが、お前のことだから秋の王道GⅠレースは全部出るだろ。そんな無茶をしたらいつかは」

「どんなウマ娘でも怪我をするものが絶対なら、どんな試合でも絶対に故障せず走り抜けてGⅠ勝利をしてやる。その絶対を崩してやる」

「……やっぱりイカれてる」

「イカれてようとなんだろうと勝てば官軍だ。コノヤロウ」

 

 転がしていたタイヤが倒れるとズシンと重厚感のある音とともにきめ細かい黄色い砂が舞い上がる。ステイゴールドは補助もなく一人でロープを体に括り付けて熊の指示を聞かずタイヤ引きを敢行しだした。

 熊は止めることはしなかった。かつて担当であった時も自分が納得できることしかトレーニングをしなかた。それがステイゴールドのやり方であり、その信条はもちろん試合でも同じであった。ほかのウマ娘がレースに勝つことを第一にするが、レースに集中せず自分が納得できることのみを優先する。ベテランの熊でさえ扱うのが難しかった。それがレースに勝つために一心不乱に自ら励んでいる。

 自分の時ではレースをすることを一から教え、重賞制覇は後輩に取られたものの彼女の成長をうれしく思っている。同時に彼女に孕んでいる一種の狂気に呆れつつもではあるが。

 

「まったくイカれてる。過酷な道をあえて進んでいく狂気を孕んで。だからこそ、放っておけない。もう一人のイカれたウマ娘も」

 


 

 夏の熱気の中で一夏の生を叫んでいた蝉時雨が寝静まった夜中、夕食を終えてチームポラリスの大部屋に思わぬ来客が来た。

 

「Hey.girl's」

「はわわ。クロフネさん! なぜこんなところにおいでいらっしゃいませ?」

「日本語おかしいよ。タキオンを探しに来たのよ」

「タキオンさんですか。今の時間でしたら夜の実験に行くと浜辺におります」

「Thank you crazyデジタル」

「クレイジー?」

「芝とダート両方好成績を叩き出したYouのこと」

「いえいえ。私なんてそのあと芝の成績がてんでダメのダメ。中途半端のフロック。栽培マンに勝ったと思ったらヤムチャしただけです」

 

 とデジタルは某有名漫画の有名な死亡ワンシーンを再現して表現したが、どうもクロフネは日本のアニメや漫画には疎く頭に?を浮かべていた。そこにすでに布団に潜っていたステイゴールドが耳を寝かせて、白い眼をクロフネに向けてぎろりと睨みつけた。

 

「おい。行くのか行かねえのかどっちだ。こっちは疲れて寝てえんだよ」

「Sorry.じゃあデジタル案内よろしくね」

「……っ! クロフネさんをご案内できるなんて恐悦至極ですぅ~」

 

 満月の月明かりだけが灯す砂浜を、デジタルに導かれながら寝巻のままタキオンの下へ向かうクロフネとステイゴールド。「なぜYouも一緒に?」とクロフネが聞くと「誰もついていかないとは言ってないだろ」とはぐらかした。

 

「そうそうクロフネさん。NHKマイルカップでのG1制覇おめでとうございます! いやぁメイクデビューで見かけたときこの娘は伸びると思いましたよ。惹きつけられるストライド走法と『舶来の白い黒船』と呼ばれるまでの評判。そしてNHKマイルカップでの最後の直線での強襲。サイコーのレースでした」

「細かく見ているのねデジタル」

「そりゃあもう。ウマ娘ちゃんの隅から隅まで把握することがウマ娘ちゃんのオタク使命ですから」

「それが過大評価であったとしても」

「はて? どういうことでしょうか?」

 

 力なくため息をつくクロフネに、デジタルが首をかしげると彼女は答えた。

 

「NHKマイルカップには勝った。だが日本にはタキオンという音速の微粒子がいる私は彼女に負けている。皐月賞は〇外のため参戦できず。ダービーでRevengeするはずが、怪我で断念。そこではジャングルに敗北。舶来の強さもこんなものだと思わないの?」

 

 いつもの強気な口調はなく、弱々しい吐露していた。ジュニア級では期待の〇外と呼ばれ、ダービーはクロフネがかっさわれると話題を呼び、その評判に釣られて自信を深めていたクロフネであった。だが上には上がいたことの事実。G1を制覇しているとはいえ、自分は強いのか弱いのか物差しの加減で分からなくなっていたのだ。

 だがデジタルはきっぱりと反論する。

 

「そんなことはありません! みんな違ってとてもエモい。得意な場所で勝てば一番になって輝いてもいいじゃないですか。私の見立てではクロフネさんはマイルが得意と思われます。それに負けても負けても立ち上がるお姿私大好物です。じゅるり」

 

 相変わらずのオタク用語に反応に困ったクロフネではあるが、励ましていることと本当にファンであることは理解したようで「Thanks」と返した。

 ようやくタキオンのところに到着すると、そこには熊トレーナーが彼女のそばに付き添い何度もタイムを計っていた。

 

「おい、おっさん。夜な夜なタキオンと一緒にいなくなっていたと思ったら、こんな夜遅くまでタキオンを走らせてんのかよ」

「池浦君が俺を呼びよせたのは、あいつの脚を使えるようにするためだ。あのマッドサイエンティスト、自分の脚が元に戻れるように薬漬け上等で自分の体をいじってたと聞いたときは、狂ってるとしか思えなかったぞ。しかもそれが十分効くと来た。まったく池浦君もとんでもないチームを作ったものだな」

「俺たちの面倒を見るのはついでかよ」

「そうだな。ついでだ。海外重賞を取った昔の担当がどんな顔しているか見に来たついでにな」

 

 それは本音だったのか、ケガを負わせられた熊トレーナーはまだステイゴールドのことを想っている台詞にステイゴールドは背中にこそばゆい感触が来て耳を横に寝かせた。それが本音であるか追及するステイゴールドではないため、話をタキオンのほうに戻した。

 

「それでタキオンは走れるのか?」

「俺の常識的なリハビリと調整に調整を重ねて、皐月賞の時と変わらない脚には仕上げたつもりだ。病弱だったダイユウサクを有馬で取らせた経験もあるし、アホを四十戦走らせた実績もある」

「なるほど。……おいアホとはどういうことだゴラ」

 

 ぎろりと白目を剥いて睨むステイゴールドであったが、熊トレーナーは明後日のほうを向いてあしらった。

 

「状況は理解できた。それでタキオンあなたは走ることはやめていないことでOK」

「無論だとも」

「では神戸新聞杯でRevengeraceを申し出る。菊花賞は私には長すぎる。次は秋の天皇賞に出場するおそらくタキオンと対戦できるのは今年はこれで最後だと思う。Are You?」

「ふむ。熊トレーナー。どうだい神戸新聞杯には」

「可能だ。元から怪我明けからいきなり菊花賞に直行するより、前哨戦で足の調子を見てみる予定だ。神戸新聞杯なら復帰レースとしてはちょうどいいな」

「OK.ホープフルで敗れた時のRevenge。必ず返す」

「ふふ、ではI shall returnだ」

 

 目に生気がないタキオンの奥に小さな炎が見えた。そしてタキオンとは異なり青い目をしたクロフネの目の奥にも青白い炎が燃え上がっていた。ホープフルステークスで対戦した二人が再び相まみえる一幕を眺めていたデジタルは歓喜に震えていた。

 

「ふっはー。いいもん見させてもらいました。ライバルが再戦を誓う場面。たまりませんなー」

「ライバルか。…………ブライト」

 ゴールドがつぶやいたその名前は、かつて春の天皇賞を制した同期のメジロの令嬢メジロブライトのことだった。黄金世代の大半が去った後も走っていたのだが、屈腱炎により一時戦線を離脱した。そして昨年の京都大賞典に復帰したものの出場したのを最後に引退した。

 その年はステイゴールドとはレース場では顔を合わさなかったが、京都大賞典の後ブライトは久しぶりに顔を合わせたステイゴールドに直接会い、そして引退の言葉を告げた。

 

「ごめんなさい。屈腱炎が再発してしまったようでして、お婆さまから大事を取るようにと引退することになりました」

「……残念だったな秋の天皇賞の盾。今度こそ俺が取るとこ間近で見られなくてよ」

「ふふっ、楽しみにしていますわ。でも一番残念なのは、あなたとまたターフで戦えなかったことですわ」「そうだなもう同じクラシック路線を走った同期もほぼいないしな。フクの野郎も引退して実家の神社を継ぎやがったからな。ジャスティスもビッグサンデーも去ったしな」

 

 皐月賞やダービーには縁がなかったが、夏の阿寒湖特別に勝ったことでステイゴールドはクラシック最後のレース菊花賞に出場はできた。結果は見張るべきものはなかったもののゴールドもクラシック出走仲間ではあった。ほかの同期たちは重賞やG1タイトルを取る中、ステイゴールドだけはG1を善戦していた。それは他の同期が去っていく中でも変わらず。

 そして、ブライトが去ったことで同期でGⅠを取ったウマ娘はいなくなった。

 

「私信じてますわ。あなたはきっと観客を驚かせるような走りでGⅠタイトルを取ることを。それを見届けられるなら五年も十年も走りましたのに」

「そんなに走れるウマ娘がいるかよ」

「あら? ゴールドさんならできると思ったのですが」

 

 あのお嬢様は苦手だった。いつものほほんとぼんやりとしているくせに、揺るぎない信念を誰よりも持ってる。だからメジロ家の悲願である春の盾を手にできた。その後は重賞勝ちもできずに善戦ばかりであったが。

 今思えば、あいつのあの言葉はライバルとしてかけた無念言葉だったのだろうか。ステイゴールド自身はそれまで思ってはなかったが。

 自分のライバルはあのウマ娘だけがライバルとしか見ていなかった。そいつに勝つことこそが、目標であったから。

 

 ステイゴールドは過去を思い返していた。




今年も一年ありがとうございました。

今年はウマ娘稼働の年ではありましたが、リアル競馬でも大きく揺れましたね。
特にステイゴールド関連では年末にオジュウチョウサンの復活とJRA公式CMにステイゴールド採用と驚きもありました。

来年も投稿を進めて、ペースアップも図りますのでよろしくお願いいたします。



そしてアグネスデジタル。ご冥福をお祈りいたします。


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第三章 ステイゴールド ~阿寒湖と呼ばれるまでの旅路~
メイクデビュー


新緑が咲き始めた頃トレセン学園のコース内で選抜レースが行われていた。この選抜レースは一応は非公式の模擬レースとして行われてるが、トレセン学園に入学したウマ娘たちが自分を育ててくれるトレーナーに見出されるため大事なイベントである。ウマ娘たちは必死だ。そして将来のスターウマ娘となる金の卵を探し出すトレーナーも目を血走らせていた。()()()()()()

 

『”最終直線に入りました。マキバダッシュ後ろからはステイゴールドが上がってきます。さあこの選抜レースを制するのは誰だ”』

 

 先に直線に入り、残り三百メートル手前まで快調に逃げるウマ娘の後ろに小さな黒い影が迫るようにやってきた。そのウマ娘の名はステイゴールド。だがゴール板手前で急に脚が止まり、内ラチにもたれるように失速し二着に入線した。

 

『”マキバダッシュ逃げ切った! 二着にはステイゴールド”』

 

 先頭を最後まで走っていたウマ娘の逃げ切り勝ちで勝負が決まった。ほかのウマ娘たちが次々とゴール板を悔しさ混じりに駆け抜けていた。二着になった一人のウマ娘を除いて。

 

 かったるい。選抜レースとか興味ねー。

 

 ステイゴールドは走りたくなかった。いや、そもそもトレセン学園に入ることすら拒んでいた。ステイゴールドの家系は何人もトレセン学園に入学させて、トゥインクルシリーズを走った実績がある家であった。親戚がそのレースを走る姿を見たことはあるが、それを自分を重ねることは毛頭なかった。レースは見るだけで十分、主役になることすら望んでもいなかった。

だが、ここしばらくレースでトゥインクルシリーズを走る姿を見ることがないことを危惧し、ステイゴールドにたまたま白羽の矢が当たったのだ。

 

 自分のためでないことのために動かされる、他人の都合のために振り回されるなどまっぴらごめん。それがステイゴールドである。一着になれば自分の都合でレースに勝たせようとするトレーナーが群がる。だからあまり目立たない二着か三着で十分だった。だがステイゴールドの思惑とは違い、ずんぐりむっくりのトレーナーがスカウトに来てしまった。

 

「お前さんなかなかいい素質を持っているな。俺のところで走ってみないか」

「ならない」

 

 そのトレーナーは一瞬キツネにつままれたようになったが、再度ステイゴールドをスカウトする。

 

「二着に入線したんだぞ。勝てはしなかったが、伸び代は十分だと思うぜ。何がダメなんだ」

「走りたくないから」

「……ほう。それまたどうして」

「関係ねーだろおっさん、俺はもう帰るんだ。どけっ!」

 

 話しかけてきたトレーナーを押しのけてレース場を後にしようとした。だが彼女をスカウトに来る者は後を絶たない。

 

「ねえあなた、さっきの選抜レースに出てたでしょ。今回惜しかったわね。どう私の下で勝ってみない?」

「あ゛あ゛」

「ひっ!?」

「俺のチームに入ってみないか。ゴールドの素質なら重賞の一つは」

「なんだてめえ」

「な、なんでもないです」

 

 次々と現れるトレーナーのスカウトを三白眼で睨みつけては追い返した。

 選抜レースで勝ったウマ娘は確かに注目される。しかし勝ってなくても素質があると見たり、目的のウマ娘を獲得できなかった場合でもスカウトされることがあるのだ。ましてステイゴールドは二着とスカウトする側としては善戦しており、今後鍛えれば将来性があると注目される要素としては十分であったのを本人は知らなかった。

 

 ちっ。勝てなくても俺を欲しがるバカどもめ。

 レース会場から抜け出していく間、自主トレに励むウマ娘たちが通り過ぎて行った。皆自分の目標のため、ライバルに勝つために目がギラギラと燃えていた。まったくムカつく。自分のために走ることができる奴らが憎たらしくてたまらない。他人の都合で動かされるこっちの身としてはな。

 人気のないトレーニングコースに降り立つと、ラチの下で小さな三毛猫が真っ白なお腹を丸出しにして日向ぼっこしているのを見つけると、猫好きのステイゴールドは一目散に子猫の下に近づいた。

 

「どうしたお前? 迷子か。俺もだぜ。へへ」

 

 先ほどの殺気立ったウマ娘はどこに行ったのか。目の前の子猫よりも甘えた猫なで声で、産毛で覆われた腹をさわさわと撫でまわしていた。

 ここがどういう場所なのか知らず、自由に自分の赴くがままに歩む猫の奔放さと無邪気さにステイゴールドの荒んでいた心が洗われていく。そんな至福の時に普段鳴らないスマホからメッセージの着信音があった。それが誰か見当がつき、ステイゴールドの耳が後ろに倒れる。

 

『早く自分のトレーナーを見つけろ。今月中に支援を打ち切るぞ』

「っち。適当に走って誰も注目されず追い出される予定だったのに、支援打ち切りかよ。クソッ」

 

 かかってきたのは自分をこの学園に入れさせた父親からだった。思わずスマートフォンを地面に投げつけかけた時、一陣の風が髪をなでた。それは自然の風ではなかった。同じクラスのサイレンススズカが過ぎ去った後の風圧だ。突風のような一瞬吹き荒れた風に子猫は驚き、どこかに去ってしまった。

 スズカがステイゴールドの姿をようやく認識したようで彼女の下に駆け寄ってきた。

 

「ゴールド。あなた選抜レース終わってたの?」

「サイレンススズカか。お前朝も走っていたよな。昼からもここで走っていたのかよ」

 

 選抜レースのことは話したくなく、話題を逸らした。するとスズカは空を少し見上げながら答えを返した。

 

「? いえ、ずっと走ってたわよ」

「ずっと? 何周コースをグルグル走ってたんだよ」

「……えっと。分からないわ。とにかく夢中で同じコースをグルグルと走っているのが楽しくて、そうしたらあなたがいたのに気付いて」

「あほか! 昼飯も食わずにずっと走っていたのかよ。もうカフェテリア閉まってるぞ。ったく、お前はなんでそんなに走るんだ」

 

 「なぜ走る」その言葉に先ほどまでぼんやりとしていたスズカの目が、一瞬別の世界を眺めるような目つきに変わったのを感じた。

 

「……()()()()()()()()()()()()()

「自分だけの世界?」

「ごめんなさい。お昼行ってくるわ。食堂まだ空いているかしら」

 

 とっとっと、練習コースを抜け出したスズカに『自分だけの世界』とは何かを聞こうと後を追いかけたがスズカの脚は早くあっという間にいなくなってしまった。

 自分だけの世界がレースの中にあるだと。わからん。わからない。だがそれが何か小骨が刺さったように引っかかっている。すると一人のトレーナーがステイゴールドをスカウトに来た

 

「ステイゴールドだね。さっきの選抜レースの結果だけど」

「埒があかねえ。お前の専属になってやるよ。それで満足か」

「え、あ。ああ。よろしくお願いします」

 

 とりあえず目の前にいたトレーナーと専属契約を結んだ。まさか逆に指名を受けるとは思わず目の前にいたトレーナーはあっけに取られて、一瞬呆然としていた。

 


 

 そして十二月に行われたメイクデビューにて、ステイゴールドは三着に入った。

 

「メイクデビューで負けるなんてザラにある。むしろいきなり勝つなんて一流の証だ。今回は三着とステージのサイドに入れる位置だぞ。素質は十分ある」

「あっそ」

 

 負けたことを慰めようとしたトレーナーにステイゴールドは空返事で返した。勝つとか負けるとか関係はなかった。サイレンススズカが口にした自分だけが見る世界とは何かを見るために。だが何も感じ取れなかった。

 結局レースなんてこんなものか。快感も屈辱もない。そもそも勝ちたいとすら思ってなかったしな。

 

 間をおいて下旬に次のレースに臨んだ。前走の三着入着が評価されたのか一番人気に支持されていた。しかし本人は「何も感じなかったら手を抜くか」と勝つ気はさらさらなかった。ゲートが開きステイゴールドは後方集団でレースを進めていた。

 前へ、足を溜めて、勝ちたいという思いがぶつかり合っていた。だがどれもステイゴールドが求めていた世界ではない。やはり何もないじゃないかと向こう正面に入った瞬間、前脚の肉が割れるような悲鳴が上がった。

 

 イ、痛い。脚が。

 ペースを保っていたステイゴールドの脚がどんどん鈍くなっていく。その異常に気付いたトレーナーが観客席からレースの中止を命じた。

 

「ゴールド止まれ! レースは中止だ」

 

 中止か。仕方ねえ、どうせやる気のないレースだ。

 ステイゴールドが脚を止めようとしたその時、観客席に見たくないものが見えてしまった。父親の姿を。

 ステイゴールドの父親は応援する気配も、声をかける様子もなくただ黙ってレースの始終を見つめていた。それもほかのウマ娘ではなくステイゴールドただ一点を見つめて。

 そしてトレーナーの競走中止の声が聞こえたのか、父親はくるりと背中を返してレース場を去っていった。何をしたいのかわからない姿がステイゴールドの堪忍袋の緒が切れるのには十分だった。

 

「あ、の。クソおやじ、めっ。途中で、帰りやがるの、かよ!」

 

 ステイゴールドはトレーナーの命令を聞かず、前にいる集団から離されても走るのを止めることをしなかった。

 

「止まれ! 止まれ!! 中止だ!! 中止だって言っているだろ!! 聞こえないのか!!!!」

 

 知るか!

 一方的に学園に入れと命じ、いざ見に来たら途中で帰るとか。ムカつく、ムカつく! こんなところで中止なんざやってられっか!!

 もはやトレーナーの声など届いてなく第四コーナーを曲がり終わったときには完全に先頭集団はゴール板を抜けようとしていた。明らかな負けレースであったがステイゴールドは最後まで走り切り最下位の十六着と惨敗を喫してしまった。

 レースの後、病院で検査を受けたが若いウマ娘によくある前脚のソエであったため大事に至らなかった。病院から出た後トレーナーは心配する言葉よりもあの時言うことを聞かなかったことを問い詰めていた。

 

「なんで体に異常があったのにレースをやめなかった。もしも本当に異常があったらどうする!」

「五月蝿え。手前に指図される筋合いはない」

「僕はトレーナーだぞ! 君の体調の管理や作戦の指示をする権利がある」

「権利だ? 生意気言うな。走る走らないは俺様が決める。気に食わなければ手前の命令なんざ無視する。死んでもな」

「理解できない。イカレてるぞお前」

 

 そう言い残すと、トレーナーはステイゴールドの前から立ち去った。翌日もトレーナーは顔を表さなかった。手に負えないと匙を投げたのだとわかると学園の校舎裏の陰に寝転がった。

 

 せいせいしたぜ。これで俺はトレーナーとの契約が切られる。そして切られた理由を学校にそのまま伝えれば不適格の烙印を押されて追放だ。あーあ。つまんねー学園生活ともおさらばだ。

 

 心の中でそう言い聞かせているはずなのに、奥底では満たされない何かで飢えていた。走らされるのは嫌いだ。実際にレースを走ってみても何にも感じなかった。だが、奥底では何かを欲していると口を開けている。

 自分でもわからないフラストレーションに神経が苛立ち始めた時、野太い声が上から降ってきた。

 

「よう。イカレいるウマ娘とはお前か」

「何だお前は」

「最初に選抜レースで声をかけた、と覚えてるわけないか。半年も経ってるしな。トレーナーの熊だ」

 

 熊と名乗ったトレーナーは、名前は知らなかったが覚えてはいた。半年前と変わらないずんぐりむっくりとした小柄な体は、物覚えがいいステイゴールドの記憶に残りやすかった。熊トレーナーは

 

「お前さんが走るところを見てきたが、走ることに興味ないみたいだな。それでいて走ることは自分で決める。なるほど普通の奴なら理解できないな」

「何が言いたい。俺のこと理解できるとでも」

「半分くらいは。おおかた親に無理やり入れられて、嫌がらせのため手を抜いている感じだな。それを才能がじゃまをしていると」

 

 まるで超能力で見通したかのように、当たっていた。そんなことを知って何が言いたいと言い返そうとしたが、先に熊トレーナーが遮る。

 

「だがすぐに出ていかなかった。どうしてだ」

「俺の勝手だろ。飯が食えるからだ」

「表面はな。おそらくだが、自分で何か成し遂げたいものを探していたと思うぜ。だからお前は学園にとどまっていた。探してみないか。誰かの都合でなくお前自身が走ると決めて納得できるレースを」

「納得のいくレースだと。そんなものあんのか」

「だからそれを自分で見つけるんだ。だがレースの登録とか日程はトレーナーがいないとできない。どうする?」

 

 最初に出会っていた時に今までの言葉を言われていたら、後ろ蹴りをかまして立ち去っていただろう。だが自分が求めているものは何かを知りたい。そしてスズカのあの目が見ていた『自分だけの世界』という言葉の意味を見つけたかった。

 

「納得いかないなら。未勝利で辞めてやるからな」

「めんどくさいウマ娘だ。だが教えがいはあるな」




まさか一周年にナリタトップロード実装決定とは。
一周年にほかにどんなウマ娘が来るのか今月末が楽しみでしかたない。


そしてAJCC。応援馬券の予定でしたがマイネルファンロン万馬券ありがとう。


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