描かれなかった鬼滅 (夢幻遊人)
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那田蜘蛛山にて

 突っ込みどころ満載ですが、大きな心で読んで頂ければ幸いです。なお、義勇さんは話の都合上、原作よりおしゃべりにさせて頂きました。



炭治郎と禰豆子を逃した義勇は、刀を(さや)に納めた。

 

 しのぶが、その様子を見逃すはずがなく、炭治郎たちを追いかけようとしてわずかに注意をそらした瞬間、義勇によって抑え込まれていたのであった。

 

「…私も柱の(はし)くれなのに…こんなに簡単に自分の間合いに入られ、そして抑え込まれた…」しのぶは衝撃を受けていた。首を抑え込まれてしまった以上、完全に主導権を義勇に握られてしまったからだ。

 

 だが、しのぶにも柱としての意地があり、このまま終わりにするわけにはいかなかったが、相手は鬼でなく、仲間であることから、できるだけ穏便に済ませようと思い、義勇に話しかけることによって注意をそらそうとしたのであったが、義勇は全く注意をそらさない。そのため、しのぶはやむを得ず足に仕込んでいた短刀を出し、それを義勇の頭めがけて振りかざしたのであった。

 

「…炭治郎、禰豆子両名ヲ拘束 本部ヘ連レ帰ルベシ…」鎹鴉(かすがいがらす)の伝令を聞いた義勇は、抑え込んでいたしのぶの体を離した。

 

「俺は運がいい…」義勇はわずかに笑顔を見せた。

 

「どういう意味ですか?」しのぶは少し不思議そうな顔をして尋ねた。

 

「あと1秒でも遅かったら、胡蝶の刃が俺を貫いていた」

 

「…それは嫌味ですか?」しのぶは義勇がその気になれば首の骨をへし折ることもできた体勢であったことを自覚していたことから、嫌味を言われたのかと思ったのであった。

 

「何のことだ?」義勇は心底意味が分からないという顔をしたことから、しのぶは義勇が本気で言ったことを悟ったのであった。

 

「…それより、俺は、できうることなら炭治郎たちの存在を認めさせたい。…だが、胡蝶が、隊律違反で俺を斬ると言うなら、それまでの話だ…」義勇は覚悟を決めた表情でしのぶに語りかけていた。

 

「…お館様のところまで大人しくついて来ると誓って頂けますか?」しのぶは、やや緊張した表情で尋ねた。まともに戦って勝てる相手でないことは、嫌というほど思い知らされていたからであった。

 

「誓う」

 

 その言葉を聞いたしのぶは、安心したような表情を浮かべて刀を鞘に納めて言った。

「抵抗するなら戦うしかありませんでしたが、大人しく従うとおっしゃるのであれば、水柱である冨岡さんを私の一存でどうこうするわけにはいきません。お館様のお裁きを受けて頂きます」

 

「…胡蝶には手間を掛けさせる。申し訳ない」

 

「冨岡さん」

 

「何だ?」

 

「…注意がおろそかになっていたとはいえ、冨岡さんはいとも簡単に私の間合いに入り、私を抑え込んでしまいました。はっきり言ってその時点で私の負けです。なぜその私に従ってくださるのですか?」

 

「先ほどは、炭治郎の妹-禰豆子と言ったな-を斬ろうとしたから止めただけだ。胡蝶相手にわずかでも傷を負えば、それは致命傷になるが、胡蝶もケガをさせたくない。だから、とっさにあの体勢を取ったまでのこと。だが、そうは言っても隊律違反は覆い隠しようのない事実。第一当事者である胡蝶の判断に従うのが筋と思ったからだ。それに…」

 

「それに?」

 

「胡蝶、お前、最近顔色が優れない。体調が悪いのではないのか?なるべく無理をさせたくないのだ…」

 

「冨岡さん、それを誰かにおっしゃったことは?」

 

「いや、俺は余計なことを言うつもりはない。だが、俺に言われたくないかもしれないが、胡蝶、お前はもっと自分を大切にすべきだ…」

 

「冨岡さんはもっと鈍いと思っていましたが・・意外でした。…普段からこのようにお話してくれれば、嫌われないのに…」

 

「だから俺は嫌われていない…」

 

「もう『沈黙は金』というのは時代遅れなのかもしれません…それではお館様のところに参りましょう」

 

「俺を拘束しないのか?」

 

「かえって面倒になるだけですから、やめときます」

 

「胡蝶にはかなわないな…」

 

「ええ、私は結構腹黒いのですよ」

 

「腹黒いという割には甘いというか、寛大というか…」

 

「何か言いましたか?」

 

「いや、独り言だ…」義勇は、胡蝶に背中を向け、産屋敷方へと向かった。

 

 しのぶは、義勇が無防備な背中を自分にさらしたことから、それが義勇の自分に対する信頼の(あかし)であることにすぐに気付いた。

 しのぶは、義勇が問答無用でほかの柱に斬られるのだけは、何としても阻止しなければと密かに誓っていた…




 原作では、ご存じのとおり、禰豆子の「禰」の部首は「ネ」ですが、少なくとも私のパソコンでは出ないため、こちらを使わせて頂きました。

 誤字報告頂きました。最初、本気で意味が分からなかったのですが、よくよく考えてようやく意味が理解できたので、全話訂正いたしました。ご指摘ありがとうございました。


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決戦前夜【ほんの少しアダルト】

 R指定にする必要はないとは思いますが、苦手な方はブラウザバック願います。
 また、若干男尊女卑のように感じられる部分もありますが、筆者は性別で差別されてはならないと本気で思っております。男の勝手な勘違いなのかもしれませんが、優しさの表現と思っていただけたら幸いです。


「胡蝶…」義勇は、しのぶに声をかけていた。

 

「何でしょう、冨岡さん…」しのぶは珍しく緊張して答えた。

 

「…俺は、お前が欲しい…」

 

「…私が欲しいとおっしゃるなら名前で呼んでください…」

 

「しのぶ…」

 

「…義勇さん、私でいいのですか?」

 

「…ああ、お前でなければダメだ…」義勇はしのぶの肩を抱きかかえると顔をしのぶに近づけた。

 

「…ありがとう」義勇はしのぶが拒否しないことを確認した上で唇を交わした。

 

「…『いいのか』とは聞かないのですね…」

 

「それでは、しのぶに責任が生じてしまう。こういったことは男の俺が全ての責任を負うべきだ」

 

「お優しいのですね…」

 

「好いた女子(おなご)だからだ…」義勇はしのぶを抱きかかえて寝室へ消えていった。

 

 

……………

「義勇さん、やっぱり、初めてだったのですね…」しのぶは、隣に寝ている義勇に声をかけた。

 

「…」

 

「義勇さんが女を知らないまま死んでしまうのは、あまりにかわいそうだと思って一晩過ごしてあげたのに、あんなにがっついてはダメです。女は繊細なんですから。もっと大切に扱ってください」

 

「…しのぶは、俺のことを好いてくれたわけではなかったのか?」

 

「誰でもいいというわけではありませんが、女にとっても、殿方の初めての相手をつとめるのは名誉なことなので、お相手したまでです」

 

「しのぶも初めてでなかったのか?」

 

「アハハ、あんな簡単な仕掛けに騙されるなんて、本当にウブなんですね。単純にもほどがありますよ」

 

「…そうか。…俺は本気だった。だが、至らなかった点は詫びるしかない…」

 

「気にしないでください。最初からうまくいく人なんていないんですから…」

 

「…」義勇は、何も言うこともなくその場を去っていった。

 

 義勇の姿が完全に消えた後、しのぶは膝を落としていた。

 

「義勇さん…私は、これでこの世に思い残すことは何もありません。…初めてはただ痛いだけと聞いていて、覚悟の上で臨んだのですが、あなたは自らの欲望を必死に抑えて、私を大切に扱ってくださって…女の悦びまで与えてくださいました。…義勇さん、あなたはどこまでもお優しい。私が戦いに(たお)れたと知ったら、決戦のさなかでも抜け殻のようになって…そこで殺されてしまうかもしれない。…でも、私は、あなたにどうしても生き残っていただきたいのです。…そのため、あなたを(おとし)めるような言動をしたこと、どうかお許しください…」しのぶの顔は涙でグシャグシャになっていた。

 

「しのぶ…俺を突き放したつもりなのだろうが、それなら『誰でもいいわけでない』と言うべきでなかった…いくら俺が鈍いといっても気づいてしまうではないか。それにうまくごまかしてはいたが、お前の体から、かすかに藤の香りがした。…自らを姉の仇に食わせて相討(あいう)ちにするつもりか…なんとも凄まじい覚悟だ。しのぶ…俺も水柱としてお前に笑われないよう最期まで戦い抜いてみせる…」義勇の目は、わずかではあったが確実に光り輝いていた…




 お互いを大切に思っているからこそ一芝居をうったしのぶ、そしてそれに気づきながらも騙されたふりをした義勇…この2人をどうしてもこの世で結ばせてあげたかったのです。


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義勇の想い 【非ぎゆしの】

 冨岡義勇は、炭治郎と禰豆子と会った際、結局、禰豆子を斬りませんでした。鬼殺隊、しかも柱の地位にあった義勇が禰豆子を斬らなかった理由を自分なりに考えてみました。
 そういったわけで、今回はしのぶさんを登場させることができませんでした。

 なお、ひょっとしたら公式ガイドブック等の設定と異なる部分があるかもしれませんが、その点は大目に見ていただけるようお願いします。



「姉上、いよいよ明日は祝言ですね。俺が『高砂』を歌いますから…」

 

「義勇は歌がうまいですからね。私はいい弟を持ちました…」

 

 義勇とその姉蔦子は、近所でも評判の美男美女で通っていた。先年発生した日露戦争で父を、肺病で母を失っていたが、その分仲が良いことでも有名であったのだ。

 

 尋常小学校で優秀だった義勇を、何とか上の学校に通わせたいと蔦子は願っていたのだが、戦災遺族にわずかに支給される弔慰金では、日々の生活で精一杯であったのだ。

 

 しかし、蔦子の美しさと器量が運を切り開いた。…あまたの男から求婚されたのだ。その中で、義勇の器量に惚れ込んだある商家の主人が支援を約束してくれ、またその跡取り息子も、この時代に珍しく女性の意見も尊重してくれる人物であったことから、そこに嫁ぐことになったのであった。

 

 そんな幸せを…鬼が奪ったのであった。

 

「…義勇、何があっても声を出さず、ここから出てはなりません。あなたは男でしょう?約束できますね…」

 

 義勇は黙ってうなずくことしかできなかった。

 

 そして、義勇が床下に隠れた直後・・鬼が蔦子を襲ったのであった。

 

「!」義勇は蔦子との約束を遂に守り抜いた。

 鬼は、人の気配を感じていたものの、夜明けが近かったことから、早々に立ち去ったのであった。

 

…しかし、本当の惨劇は、この後発生するのであった。

 

「姉上…」義勇は惨状を目の前にして泣いていた。…この世でたった一人の肉親を惨殺され、平常を保てる者などいようはずがなかったのだ。

 

 素人目にも死んでいることが明らかなはずなのに、蔦子の体が少し動いたように見えたのであった。

 

「まだ生きている?」冷静に考えれば、あり得ないことなのであったが、目の前の惨劇を信じることができなかった義勇は、蔦子の体をさすった。

 

…すると信じられないことに、蔦子の目が少し開いたのであった。

 

「姉上、よかった…今、医者を呼んできます…」義勇は医者を呼ぼうとしていた。

 

「義勇…」これまでの蔦子とは少し違う声であった。

 

「…私は、今鬼に乗っ取られかけています。…今は何とか抑えていますが、鬼に乗っ取られてしまったら、まず、目の前のあなたを殺すでしょう…そうなる前に・・お願いですから、私を殺してください…」

 

「私が、姉上を殺すことなどできません…」

 

「それではダメです。…自分で信じられないほどの力を感じます…鬼になり切ってしまったら、まず人間に勝ち目はない…」

 

「姉上を殺すくらいなら、俺も死にます」

 

「バカなことを言わないで。あなたまで死んでしまっては、この理不尽に屈することになります。あなただけでも生き抜くことが、この理不尽に対する最大の抗議になるのです。さあ、あなたは冨岡家の長男なんですから、覚悟を決めなさい…」

 

「姉上…」

 

「首を…首を落としなさい…斧のある場所は知ってますね…」当時は都心ですら、一般家庭では煮炊きなどに薪を使っていた時代であったため、どこの家でも薪割のための斧があるのであった。

 

「手遅れになる…急いで…義勇…最期に…私の名前を呼んでちょうだい…」

 

「蔦子姉さん…」義勇は涙を流しながらも、自らの手で蔦子の首を落としたのであった。

 

 そして、朝日が差し込むと蔦子の体は跡形もなく消えていった。

 

 姉、蔦子が完全に鬼と化していたこと、そして姉を襲ったのが、鬼の始祖にして首領である鬼舞辻無惨であることを知ったのは、義勇が鬼殺隊員となった後のことであった。

 

「姉上は、たとえ短い時間であっても、鬼となりきった後も人の心を残していた。鬼は決して許せないが、人の心が残っていないかどうかの確認は怠ってはならぬ。…もしも、もしも人を傷つけることがない、人の心が残っている鬼に会えたら…俺は、その鬼に賭けてみたい…」義勇はそう思っていた。

…そして、この想いが、炭治郎と禰豆子の運命のみならず、無惨との最終決戦の行方すらも左右していくのであった…

 




 自分で書きながら無惨の仕打ちに怒りがこみ上げてきました。こんなことをされたら、きっと何度生まれ変わっても復讐を誓うでしょう…


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馴れ初め

 どうも前作で、原作なり公式ガイドブックの設定と異なることをやってしまったようです。言い訳はしません。今回も原作との整合性に難があるため、素直にタグを追加することにしました。



「胡蝶様、こちらの方は?」義勇は、胡蝶屋敷において、カナエに尋ねていた。

 

「こちらは私の妹で、しのぶと申します」

 

カナエから紹介されたしのぶが頭を下げると、義勇もそれにあわせて頭を下げた。

 

「冨岡さん、そういえば、いつも治療費がタダで申し訳ないとおっしゃっていましたよね」

 

「下世話な言い方になりますが、何をするにせよ、金は必要ですから…」

 

「そうおっしゃって頂けるなら、治療費代わりと言っては何ですが、しのぶに稽古をつけて頂けないでしょうか?」

 

「私が、ですか?恐れながら、カナエ様は柱。私のような未熟者では…」

 

「いえ、鬼を相手に戦おうというのですから、力にも対抗できなければなりません。とは言っても、私も女の身なので、それほど力はありません。ですから、女だからと容赦なさらないよう、お願いいたします…」

 

「かえって私が稽古をつけられることになるのではないかとも思いますが…そういったことであれば、お相手いたします」

 

「是非、お願いします。…しのぶ、今聞いたように、冨岡さんが稽古をつけてくださいます。冨岡さんは若輩ながら水の呼吸を極め、次期水柱の呼び声高い方。水の呼吸は全ての呼吸に応用が利くと言われていますから、よく指導を受けなさい」

 

「胡蝶様、私に柱はどは…」

 

「また、その話ですか。あなたがご自分をどう思われようと勝手ですが、私はそのように思っておりませんので…」

 

 しのぶを退出させたカナエは、義勇に驚くべきことを告げた。

「このようなお願いをするのは筋違いだということは分かっておりますが、冨岡さん、もし、あなたから見て、妹が鬼殺隊員にふさわしくないと思われたら、どうか引導を渡してくださいませんか…」と。

 

 それを聞いた義勇は、一瞬ギョッとした表情をしたが、いつになく真剣な表情のカナエを見て、黙ってうなずくことしかできなかったのであった。

 

 

……………

「それでは、まず私に全力で打ち込んでもらえますか?全力で止めますが、一本取れれば、

私が稽古をつけるまでもありません」

 

「分かりました。それでは参ります…」言うが早いが、しのぶは義勇に突っ込んでいた。

 

「早い!!さすが胡蝶様の妹…」義勇は、しのぶの速さに驚いていた。しかし、思ったより遥かに太刀筋は軽かった。

 

「一般的に女性は力は劣るが、それにしても軽い…」義勇がしのぶの木刀を払うと、それはしのぶの手からいともたやすくはじき飛んでしまったのであった。

 

「やはり、柱になろうという方は違う…」しのぶは愕然とした表情をした。

 

「どういう意味ですか?」

 

「…これまで相手をした殿方は、私が女だからと勝手に油断してくれのですが、冨岡様は全く油断がない…これでは私に勝ち目はありません」

 

「…私は、油断できるほど強くないからです。それに、見てお分かりのとおり、私もそれほど筋肉があるわけではありません。力の使い方を工夫すれば…」

 

「…私は、姉の太刀ですら受け止めきれないことがあるのです…どうにかなるものでないと思います…」

 

「…失礼ながら、女性で鬼殺隊に入ろうという者は、よほどの事情なり、覚悟があってのことだと思います。そんなに簡単にあきらめてよいのですか?」

 

「…私は、目の前で両親を鬼に殺されました。その恨みを晴らすため努力してきたのですが・・どう頑張っても力がつかないのです…」

 

「…力がないのなら、ほかの手段を考えるのみ。…しのぶ様は動きが速いので、これを生かさない手はありません。ただ…どうやって鬼をしとめるか…」義勇は空を見上げ、困ったような声を上げた。

 

「実は…」その様子を見たしのぶは、意を決したように声を出した。

 

「何か?」

 

「まだ、研究の途中なのですが、あと一歩のところで、鬼に有効な毒が開発できそうなのです」

 

「何と!!…もし、それが実現できれば、注射のように『突き』で鬼に傷をつけ、毒を注入することによって、首を取らなくても鬼を倒せるかもしれない…」

 

「…冨岡様はお笑いにならないのですね…」

 

「言われてみれば、鬼は藤の花を嫌う。鬼にとって有害で、本能的に嫌っている可能性は十分あると…」

 

「私の言うことをまじめに取り合ってくださったのは、姉カナエとお館様…それに冨岡様だけです」

 

「…しのぶ様、それでは『突き』をお教えいたします」

 

「『突き』ですか?」

 

「しのぶ様は動きが速い。鍛錬されれば、誰よりも速い突きが出せるようになるでしょう」

 

「冨岡様より速くですか?」

 

「はい」

 

「それではお願いいたします」

 

 こうしてしのぶは、誰よりも速い突きを出せるようになった。

 

 

 

「義勇さん、あなたのおかげでカナエ姉さんの仇、上弦の弐相手にここまで戦うことができました。あなたがいなければ、ここまで来ることなど決してできませんでした。感謝してもしきれません…どうか私に稽古をつけてくださったことを後悔しないでくださいね…」しのぶは童磨相手に最後の突きを繰り出そうとしていた…

 



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生き残ったしのぶ【原作改変】

 原作では、義勇は子孫を残していることが明らかになっています。しかし、私の能力では、痣が出現し、残り時間がそれほど長くなく、また責任感の強い義勇が、しのぶ以外の女性と家庭を作る話が作れませんでした。


「ここは…」しのぶが目を覚ますと、そこは蝶屋敷の自分の部屋であり、義勇が驚いたような顔をしていた。

 

「胡蝶が目を覚ました…」義勇は、涙を流しながらしのぶを抱きかかえたのであった。

 

「と…冨岡さん…」しのぶは、およそ感情というものを表に出すことのなかった義勇が人目をはばからず涙をながしていることに驚いていた。

 

「胡蝶…俺たちは遂に鬼舞辻無惨を倒した。これで鬼によって苦しめられる人はいなくなった。…だが、俺はお前を失わなかったことが何よりもうれしいのだ…」

 

「冨岡さん…その右腕は…」しのぶは顔を真っ赤にしながらも、義勇の右腕がないことに気づいたのであった。

 

「無惨との最終決戦のときに失った。…だが、藤の花の毒を1年以上も摂っていたお前の苦労や苦痛に比べたら大したことでない」

 

「カナヲから聞いたのですね?」

 

「ああ、全て聞いた。…だからあのように顔色が悪かったのだな」

 

「気づかれていましたか…」

 

「ああ。あのとき俺に止める資格はないと思ったが、鬼がいなくなった今なら言える。…俺は、お前を失いたくない。…お前が嫌でなければ、俺と夫婦(めおと)になってくれないだろうか…」

 

「…私なんかでいいのですか?…さんざん冨岡さんのことをからかったばかりでなく、いつだったか、冨岡さんの頭に刀を突き刺そうとしたんですよ…」

 

「…俺は、お前が話しかけてくれることがうれしかった。それにお前が本気だったら俺は死んでいた。俺にはお前しかいない…」

 

「…どうしようもないですね…こんな唐変木、私以外の女じゃ、とてもじゃないですけど相手にできないでしょうから…」口ではそう言いながらも、しのぶも涙を流しながら義勇に抱きついていたのであった。

 

 いつまで経っても戻ってこない義勇を心配したカナヲたちがしのぶの部屋の障子を少し開けたところ、涙を流しながら抱き続ける義勇としのぶの姿が目に入ったため、そっと障子を閉めなおしたのであった。

 

 

……………

「鬼がいなくなった今、私は、義勇さんたちに現れた痣の宿命に(あらが)いたいと思います」めでたく義勇と結ばれたしのぶは義勇に告げていた。

 

「どういう意味だ?」

 

「痣が出たら25までに死ぬと聞いています。せっかく一緒になれた義勇さんを失いたくありません」

 

「しのぶ…俺は、お前のその気持ちだけで十分だ。俺は、お前が医学や薬学の知識を生かして多くの者の命を救ってくれることが望みだ…」

 

「いいえ、私が一番大切に思う方を救えないようでは、ほかの方を救うことなどできません。…幸い、愈史郎さんも協力してくださるとのこと。必ずや痣の宿命を超えてみせます…」

 

「…俺は、三国一(さんごくいち)の妻に恵まれた。だが、どうか無理だけはしないでほしい…」

 

「無理などできません。私一人の体じゃないんですから…」

 

「それはまさか…」

 

「はい、あなたの子を身ごもりました…」しのぶは恥ずかしそうな顔をしながら告げたのであった。

 

「…俺が人の親になるのか…男でも女でもいい。…できることなら自分の子が一人前になるまで生きてみたい…」

 

「その夢、私が必ず実現させてみせます…」

 

「しのぶ、俺の願いをもう一つ聞いてくれないか…」

 

「改まってどうしましたか?」

 

「俺は、お前を助けたい。…まず家事一切を取り仕切ることを考えたが、右腕がないから限りがある。そこで、お前の研究の助けをすることを考えた。だが、小学校しか行っていない俺には学がない。俺に知識を与えてほしい。これは自分自身のためでもあるんだ…」

 

 義勇の志に感動したしのぶは、義勇に知識を与えていったのであったが、しのぶにとってうれしい誤算だったのは、生徒としての義勇が思いのほか優秀であったことだ。

 たが、考えてみればそれは当然のことであった。現代に比べて圧倒的に文章を書くことが多いとはいえ、二十歳(はたち)手前の少年が、鱗谷左近次に対してあれだけの手紙を書いていたのだから。

 それを「しのぶの教え方はうまい。教師が皆、しのぶのようになれば、この世から勉強嫌いの者などいなくなるのではないか」と真顔で褒めるのであるから、しのぶとしても嬉しくないはずがないのであった。

 

 こうして公私ともに最高の伴侶を得たしのぶは、愈史郎の協力も得て、やがて痣がその命を縮めるメカニズムを解明し、その発症を抑える薬の開発に成功したのであった。

 

 しかしながら、日本は関東大震災を経て、不況と戦争が支配していく激動の昭和を迎えるのであった…



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珠世としのぶ

 鎹鴉のセリフは漢字カナ交じりの印象が強かったのですが、珠世さんのところに来た鎹鴉は現在と同じ表記でしたので、それに従いました。筆者の個人的な見解ですが、お館様直属なので、ほかの鎹鴉より口調が人間に近いのでしょうね。


「鬼舞辻無惨を倒すために協力しませんか?産屋敷邸にいらしてください」鎹鴉(かすがいがらす)は珠世に問うていた。

 

「鬼舞辻を倒すお役に立てるなら何でもします。ただ、炭治郎さん以外の鬼殺隊の方は、鬼である私の姿を見た瞬間に私を斬り捨てるのはないのですか?」

 

「鬼となった禰豆子を斬らなかった柱がいます」

 

「鬼殺隊の中核をなすという柱でもそんな方がいるのですね…ご迷惑かもしれませんが、そのお方に道中の警護をお願いできないでしょうか?…途中で襲われるとも限りませんので…」珠世があえて対象を言わなかったのは、襲う相手が必ずしも鬼舞辻の息のかかった者と言い切れなかったからであった。

 

「お館様から『珠世殿の条件は全て飲む』と言われております」

 

「…そこまでおっしゃって頂けるのであれば、産屋敷邸まで同行いたします」珠世は覚悟を決めたのであった。

 

 

……………

「お館様の命により、珠世殿の警護を仰せつかった冨岡義勇と申します」義勇は珠世に頭を下げていた。

 

「…あなたが鬼となった禰豆子さんを斬らなかったというお方なのですね」

 

「俺は、禰豆子がほかの鬼と違うと思ったので、斬らなかったまで…」

 

「禰豆子さんは運がいい。…おそらくほかの方なら、悩みはしても結局斬られていたでしょう…それで冨岡様は私をどうしますか?」義勇に全く隙を見いだせなかった珠世はその命を義勇に判断に委ねたのであった。

 

「…お館様の命でもあるし、そなたにもほかの鬼とは違う何かを感じる。よって斬ることはない。たが、そなたと協力する胡蝶は、鬼への恨みが人一倍強い。…珠世殿、胡蝶に嘘はならん。あいつを怒らせたら怖いからな…」

 

「冨岡様よりですか?」

 

「胡蝶は鬼殺に不利な体躯ながら、その努力と才能で柱にまで上り詰めた。俺など足元にも及ばぬ…」珠世は、その言い方に敬意のみならず、わずかなら思慕の念を感じていた。

 

 

……………

「あなたが珠世さん…私が胡蝶しのぶです」しのぶは珠世に会釈をした。

 

「道中、冨岡様から蟲柱様のことはお伺いしております…」珠世は少し緊張した表情をしながら会釈を返した。

 

「私は、炭治郎君から(あらかじ)めあなたに関することを全て聞いていますので、回りくどい説明は不要です。…ところで珠世さん、あなたは人を殺したことがありますか?」しのぶの声はやや(こわ)ばっていた。

 

「胡蝶、藪から棒に無礼ではないか…」義勇は、いきなり答えにくい質問を投げかけたしのぶにたまらず声をかけたのであった。

 

「いえ、構いません…はい、私は人を殺したことがあります」

 

「何人ですか?」

 

「鬼舞辻に意識を奪われていた間については、正確な数は把握していませんが、決して少ない数ではありません」

 

「今、鬼舞辻の名前を出しても何も起こらない…鬼舞辻の呪いから解放されているのは間違いないようですね…それではあなたが人の命を救っていた理由は?」

 

「生きるために必要な血を頂くためも確かにありましたが、罪滅ぼしが主な理由です」

 

「…それではこれが最後の質問です。あなたはなぜ鬼舞辻を倒したいのですか?」

 

「…かつて私は死の淵に立ちました。子の成長を見届けたいという私の願いにつけこんできた鬼舞辻の企みにより、鬼に変えられた私は、この手で夫とわが子を殺してしまいました。私自身の罪は決して消えませんが、地獄に墜ちる前に私をだました鬼舞辻だけは何としても地獄に叩き落したい…その想いだけで今日まで生き延びて参りました…」珠世は淡々と答えたのであった。

 

「…胡蝶、俺は、珠世殿は嘘をついていないと思う。俺たちが珠世殿の罪を問うのはあるいは簡単なことかもしれない。だが、珠世殿はその罪の重さを知って何百年も苦しんできたのだと思う。…俺には胡蝶や珠世殿の苦しみの全てを理解することはできないが、今回は曲げて、鬼舞辻を倒すための共同研究に当たってもらえないだろうか…」そう言うと義勇は二人に向かって頭を下げたのであった。

 

「冨岡様、どうか頭をお上げください。私は、胡蝶様が受け入れてくださるなら、私の得た知識の全てを提供いたします」珠世は、鬼である自分に対してすら節度を保つ義勇の態度に心打たれたのであった。

 

「冨岡さんは鬼となった禰豆子さんを斬らず、また、那田蜘蛛山で禰豆子さんを斬ろうとした私を止めました。…今の私は、冨岡さんのその判断は正しかったと思います。その冨岡さんがそこまでおっしゃるのであれば、私も珠世さんと協力します…」しのぶは、自分が鬼と協力することに若干の抵抗はあったが、珠世の持つ知識が鬼舞辻打倒の切り札になり得るのではないかとの思いを強くしていたし、何よりも義勇が珠世を信じるのであれば、自分も信じてみたいと思ったのであった。

 

「胡蝶様、どうかよろしくお願い致します…」しのぶの心の内を読んだように珠世はしのぶに向かって頭を下げた。

 

「いろいろ答えにくい質問をして申し訳ありませんでした。これからは、しのぶとお呼びください」しのぶも珠世に対して頭を下げた。

 

 こうして珠世としのぶは、お互いの知見を交換し、鬼舞辻を追い詰める毒の開発を進めたのであった…




愈史郎との絡みも入れたかったのですが、筆者の能力では書ききれませんでした。


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その後の義勇

 先日「義勇が、しのぶ以外の女性と家庭を作る話が作れ」ないと書いておきながら、ふとこんな話が浮かんできました。



「また来たよ。しのぶ…」義勇は、しのぶの墓前にいた。

「今日は、お前に相談に来たんだ…」義勇は決して返事が来ないことを知りながらも墓前に向かって語り掛けたのであった。

 

「実は、先日、求婚されたんだ。もちろん俺の宿命(さだめ)を知った上でだ。彼女はお前に似て気は強いが、心根は優しく、そして自立した女子(おなご)だ。…正直、俺にはもったいないと思うほどだ…」

 

「俺は、どこかで彼女とお前を重ねているのかもしれない…それでは彼女に申し訳ないと思うのだが…それに痣が出た以上、俺はあと数年の命。…仮に結婚したとしても未亡人となることが分かり切っている。どうしたものかと思ってな…」

 

「『皆に嫌われている』というのは、しのぶも含まれていたんだな…やはり俺の片思いということか…」義勇は寂しそうな声を出した。すると…

 

「…そんなことありませんよ」聞き覚えのある声がする方向に顔を向けると、そこには見間違えるはずのないしのぶの姿があった。

 

「…これは夢か、幻か?…いや、今はそんなことはどうでもいい。会いたかったぞ、しのぶ…」義勇は既に涙を流していた。

 

「義勇さん、ちょっと見ない間に随分感情が豊かに、そしておしゃべりになりましたね…」

 

「…ああ、もはや鬼によって奪われる命はなくなったからな…」

 

「はい、上から大体のことは拝見しました。…無惨との最終決戦でのお働き、ご立派でした。…私は…()()()()()ました…」

 

「…うぬ惚れでなければ、しのぶも俺のことを()いてくれていたのか?」

 

「はい」

 

「…俺は、お前の覚悟を察していたが、止められなかった。俺とて明日をも知れない命だったからな…」

 

「私の意思を尊重していただき、ありがとうございます。そして私の顔色が悪いことに気付かれたのは義勇さん、あなただけでした。私はとてもうれしかったです」

 

「好いていたからな…」

 

「ところで義勇さん、家族でもない方に姿を見せるのは結構大変だったんですよ…」

 

「それは無理をさせた。…だが、ありがたいことだ…」

 

「私も、義勇さんとお話できてうれしいです。ところで今日ここに来たのは、義勇さんが求婚されたことです…」

 

「しのぶ、お前はどう思う?」

 

「このお話…是非、お受けください」

 

「どうして?」

 

「彼女は、義勇さんの見立てどおりの女性です。…義勇さんのお子は私が産みたかったのですが…彼女になら託せます。もし、義勇さんが私のことを少しでも想ってくださるなら…彼女と結婚して、お子を残してください…」

 

「しのぶ…」

 

「ただし、一つだけお願いがあります」

 

「それは何だ?」

 

「この世にいるときは、私を忘れてください。そして、彼女を幸せにしてください…」

 

「お前を忘れることなど…」

 

「それでは彼女に失礼です!死んだ人間相手に勝てる者などおりませんから…」

 

「…そちらに行ったとき、怒るなよ」

 

「自分の言ったことくらい、責任は持ちますよ…それでは私はこのへんで帰ります…」

 

「もう帰ってしまうのか?」

 

「はい。先ほども申し上げたとおり、家族でもない方に会うこと自体難しかったので…」しのぶは申し訳なさそうな顔をして言った。

 

「…そちらに行けば、また話せるのか?」

 

「はい、そのときは心ゆくまで…」

 

「そうか…それなら、そのときまで壮健でな…いや、これはおかしな表現だな…」義勇は自らの言葉に苦笑を浮かべていた。

 

「いえ、そんなことありませんよ。義勇さんのお気持ち、ありがたく受け取らせていただきます」しのぶは、それはうれしそうな表情を浮かべた。

 

「しのぶ、そちらに行くまでどうか見届けてほしい。…俺は、お前に笑われないよう精一杯生きる…」

 

「冨岡義勇が、後ろ指指されるような生き方をするはずがありません。…それでは、いつまでもお待ちしております…」そう言うと、しのぶは静かに消えていったのであった。

 

 義勇は、この世で二度と話すことができないと思っていたしのぶと短い時間ではあったが、お互いの気持ちを伝えあうことができたことを心から喜んだ。そして義勇は、求婚を受け、その女性と結ばれた。

 

 義勇に残された時間はそれほど長くはなかったが、その分、家族を大切にしたという…



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報告

 いわゆる柱合会議で、お館様は、炭治郎と禰豆子のことを把握されていました。その理由について私なりに考えてみました。


「義勇の方から私に話があるなんて珍しいね…どうしたのかな?」冨岡義勇は、当主である産屋敷燿哉を訪ねていた。

 

「お館様から柱という過分な地位を頂戴したにも関わらず、あえて鬼を見逃しました。ご存分に処分願います…」義勇は燿哉に対して膝をつき、頭を下げたのであった。

 

「…義勇ほどの者が鬼をあえて見逃した…それはどういうことかな…」燿哉に促された義勇は、炭治郎と禰豆子(このときは、まだ炭治郎の名前は知らなかったが)のことを包み隠さす燿哉に報告したのであった。

 

「…傷つき、飢えているはずの鬼が人を襲わないどころか、自分の身を挺して兄をかばった…確かにそんなことは今まで聞いたことがないね…義勇が嘘をつくとは思えないし…」燿哉は義勇の報告に困惑の表情浮かべたのであった。

 

「…いかに理由があろうとも、鬼を見たら斬り捨てるというのが掟。お館様にご報告しないまま、何らかの形でお館様のお耳に届きましては、柱にご指名くださったお館様にご迷惑がかかると思い、まかり越しました…」

 

「…義勇は、その鬼に命を賭けるつもりなんだね…」燿哉は、義勇の心中を正確に読んだのであった。

 

「恐れ入りましてございます…」

 

「…困ったね。私の子供たちは鬼に深い恨みを持つ者がほどんどだ。義勇のように冷静な判断ができる者の方が少ない…例え柱であったとしてもね…」燿哉は少し考え込むような顔をした後、言葉を続けた。

「…当分これは、私と義勇だけの秘密にしよう。…義勇がここまで言うなら、その鬼は人を襲うことはないだろう。それでほかの者を納得させるしかないだろうね…」

 

「ありがたき幸せ…」義勇は自らの言葉を無条件で信用してくれる燿哉が鬼殺隊の当主として存在する幸せを感じていた。

 

「義勇…」

 

「は!!」

 

「義勇のこの判断、千年にわたって延々と続いてきた鬼との争いを終わらせるきっかけになるかもしれないよ…」

 

「…もし、そうなってくれれば…これに勝る喜びはありません…」このとき義勇は、燿哉がある種の社交儀礼で言ってくれたのかと思ったのであったが…後に予言であったことを思い知るのであった…

 

 

……………

「命により、胡蝶しのぶ参りました…」しのぶは産屋敷邸にいた。

 

「忙しいところ、悪いね…」

 

「いいえ、お館様の命ならば、いつでも参上いたします。…ところでお館様、本日のご用の(おもむき)は?」

 

「しのぶ、あなたが人一倍鬼に恨みを持っていることを知りながら、こんなことを聞くことを許してもらいたい…」

 

「そのようなことお気になさらず、何なりと…」

 

「あくまでも仮定の話であるが…鬼となってから一度も人を食わず、血すら飲んだことのない鬼がいたとしたら、しのぶならどうする?」

 

「…鬼は自らの欲望に忠実です。食欲を抑えられるような鬼がいるとは思えませんし、そもそもどうやってそれを証明するのかも分かりませんが…そうですね…もし、そのような鬼がいるとすれば…いずれ飢餓状態に陥ってしまうでしょうから、最後まで見守って差し上げます。…そして、もし、その鬼が安楽な死を望むのであれば、苦しまずに済むように致しましょう…」

 

「いずれにせよ、問答無用に殺すことはしないのだな?」

 

「はい。…ただ、そのような鬼がいるとは到底思えませんが…」しのぶはあきらめたような声を出したのであった。

 

「…今日、聞きたかったのはこのことだけだよ。…忙しいところ、本当に申し訳なかったね」

 

「?…いいえ、お気になさらずとも…それでは失礼いたします」しのぶは何故こんなことを聞かれたのか理解に苦しむような表情を浮かべたが、さすがにそれを口に出すことはしなかったのであった。

 

「義勇としのぶは、お互いに憎からず思っているようだし、人に危害を加えないことが分かれば、鬼であっても問答無用で斬るということはしないようだね…うん、時期が来たら、この2人に禰豆子という鬼のことを連れてきてもらうとしよう…」

 

 こうしてこの2人が後に那田蜘蛛山に向かうことが決まったのであった…

 

 

 



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革命

「…胡蝶、これはどういうことだ…」義勇が目を覚ますと、その体は幾重にも縛り上げられ、そして目の前に胡蝶しのぶが(たたず)んでいたのであった。

 

「冨岡さんには何の恨みもないのですが…」しのぶは申し訳なさそうな声を出していた。

 

「…お前に、こんな趣味があったとは…」義勇は信じられないといった表情を浮かべていた。

 

「趣味なんかじゃありません。…男性の柱全員に一時その地位から降りて頂くのです…」

 

「…鬼殺隊の柱たるお前が、その力を()ぐようなことをするとは…これはいったいどういうことだ?」

 

「…私たちは、女だからという、ただそれだけのことでバカにされ、(しいた)げられ…ひどいときには慰み者にされてきました。鬼殺隊の中核をなす柱を女だけにすることで、この状況を改めるのです…」しのぶは固く決心した表情で答えたのであった。

 

「俺は、女性隊士だからといってバカにしたり、虐げたり、まして慰み者にしたなどない…」珍しく義勇は抗議したのであった。

 

「…確かに冨岡さんには『何を考えているのか分からない』という声はありましたが、『不当な扱いを受けた』と言う者は誰もおりませんでした…」

 

「まさか、柱の中でそういった者がいるのか?」

 

「いいえ…」

 

「…それでは、俺たちを排除したところであまり意味がないのではないか?」

 

「さすがに柱となる方で、女性隊士を不当に扱う者はおりません。…しかし、どうしても鬼殺隊は男性中心です。男の論理で物事が進みがちなんです…」

 

「…俺も男だから、男の論理で物事を進め、女性に不快な思いをさせてしまったのかもしれん。それは心から謝罪する。…だが、胡蝶、こんなやり方は間違っているぞ…」

 

「冨岡さんがうわべだけの謝罪をしていないことは分かります。…ああ、世の男性がみな冨岡さんのようなら、私や甘露寺さんもこのような手段は取らなかったのに…」しのぶは寂しそうな表情を浮かべたのであった。

 

「…お館様はどうするつもりなのだ?お館様も男だぞ…」

 

「…あまね様に一時代行して頂きます」

 

「…そうか。…まあ、そうでなければ一貫性があるまいな…それで、もし、それが実現したらどうするつもりだ?」

 

「私たちは、男性を女性の下に置こうなどとは考えていません。望むものは、男であろうと、女であろうと、対等に扱ってもらうことだけなんでず…」

 

「…そうであるなら、俺たち男の協力も求めるべきだ。確かに世の中には『女の意見なぞ聞かん』という(やから)もいるだろう。だが、少なくとも柱の中にはそのような者はいないとお前たち自身も認めているではないか。胡蝶、今、もし、お前たちがここでやめてくれるというのであれば、俺は全力でお前たちに協力することをこの命を賭けて誓おう…」

 

「…冨岡義勇が、命を賭けるとおっしゃってくださいました。しのぶはうれしゅうございます…」

 

「胡蝶、それなら…」

 

「いいえ、それはできない相談です…」しのぶは今にも泣きそうな表情を浮かべていた。

 

「…男の俺の言うことなど信用できないということか?」

 

「いいえ、とんでもありません。…義勇さんの命は、私などに賭けてはいけないのです」

 

「どうしても続けるというのか…」義勇は、しのぶからいきなり名前で呼ばれたことで鼓動が早まっていたのであったが、あくまで表情に出さないよう、必死であった。

 

「これは、やむにやまれぬことなのです…」

 

「そうか…それなら、俺の(しかばね)を越えていけ…」

 

「えっ…」

 

「お前たちの言っていることは理解できるし、改革が必要なことも認める。…だが、これではまるで謀反(むほん)だ。俺は、断じてこのような手段に訴えることは認めない。どんな手段を使ってでもお前たちを止める。…お前たちが(こと)を成し遂げるというなら、俺を斬れ…」

 

「そんな…」

 

「中途半端な覚悟なら、最初からやるな!場合によっては俺たちを斬る覚悟でなかったのか!」

 

「…女だからと差別することのない義勇さんなら、協力とまではいかなくとも黙認して頂けるものと思っておりました…」

 

「…俺はやり方を非難しているのだ…」

 

「…仕方ありません。革命に犠牲はつきものですから…」

 

「…俺は、胡蝶たちに向ける刀など持ち合わせていないし、また、俺の血で胡蝶を(けが)したくない。…腹を切らしてくれ…介錯は不要だ…」

 

「そんな…介錯なしの切腹など…凄まじい苦痛を伴うと聞きます…それならいっそ、義勇さんが私を斬ってください…」

 

「…()いた女子(おなご)を斬ることなどできるか…」

 

「えっ、今、何と…」

 

「『好いた女子を斬れるか』と言ったのだ。ええい、恥ずかしい。何度も言わせるな…」義勇が自らの気持ちを吐露したそのとき…

 

「…義勇、ようやくしのぶに想いを伝えたね…」産屋敷燿哉とほかの柱たちは、どこからとなく二人の前に現れたのであった。…燿哉としのぶ以外の柱たちはニヤニヤしながら…

 

「お館様、それにほかの柱たちまで…これは一体…?」煉獄たちによって拘束を解かれた義勇は、訳が分からないといった表情を浮かべたのであった。

 

「いや、いつまで経っても自分の気持ちを伝えようとしない義勇に皆、やきもきしてたからね。…今回、私の命で、しのぶに一芝居うってもらったんだよ。…それにしても、しのぶ、迫真の演技だったね。…事情を知っている私ですらハラハラさせられたよ…」

 

「いえ、義勇さんの真剣な表情と態度に引き込まれてしまい…私も役になり切ってしまいました…義勇さん、初めは芝居でしたが…相手が女であっても真剣に、そして対等に扱いつつも思いやりを持って対応してくださる義勇さんのその態度…しのぶは、もう義勇さん以外の方は考えられません…」

 

「おい、冨岡!鬼殺隊員なら一度は憧れるとまで言われるしのぶにここまで言わせたんだ!お前も何とか言ってやれ!!」

 

「…胡蝶…いや、しのぶ…こんなマネは二度としないで欲しい。…だが、こうでもしなければ、俺は、お前に気持ちを伝えられなかったかもしれない…騙されたことは癪にさわるが、今回ばかりは皆に感謝したい…」義勇は素直に燿哉たちに頭を下げたのであった…

 

 この一件はすぐに鬼殺隊員全員に知れ渡ることとなった。鬼殺隊員全員の応援と冷やかしを受けた二人は交際を開始し…そして二人は結ばれた。

 

 当初二人は、ごく簡単な結婚式しか考えていなったのであったが、燿哉から「現役の柱二人の結婚式が質素すぎると、下の者が迷惑する」と言われてしまったため、やむなく宇髄も驚くようなド派手な結婚式を挙げることになったのであった…



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実弥と義勇

 実弥の口の悪さは、もはや彼のキャラクターです。決して誰かを蔑んでいるわけではありません。念のため。


「まさか、柱で生き残ったのが俺と冨岡の二人だけだとはなぁ…神とやらも相当人が悪いぜ…」

 

「全く同感だ」

 

「おい、冨岡ぁ、テメェ、俺を見下してたんじゃねえのか?」

 

「それは違う。俺の方がはるかに格下だと思っていた」

 

「そいつはどういうことだぁ?」義勇は不死川に姉に身代わりになってもらったこと、そして最終選別のことなどを話したのであった。

 

「…そんなこと気にしてたのかぁ…冨岡ぁ、テメェは本当にバカだな…」言っている言葉は辛辣そのものであったが、口調は思いのほか優しいものであった。

 

「ああ。自分が生き残るべきでなかったとひたすら思い込み、姉上や錆兎から託されたものすら忘れていた。…俺は本当に大馬鹿だ。…今になってようやく胡蝶の『そんなだからみんなに嫌われるんですよ』の意味が分かるとは…」

 

「胡蝶と言えば、テメェと胡蝶はいい感じだったじゃねえか」

 

「そうか?」

 

「ああ?テメェ本気で言ってるのか?胡蝶はいつも笑顔のように見えたが、あれは心から笑っていねえ。辛辣なようでも、感情をぶつけていたのはテメェだけだったじゃねえか。…無一郎は気付いていたかどうか分からねえし、伊黒には甘露寺がいたから別として、それを知っていたから、ほかの男どもは胡蝶にちょっかいを出さなかったんだぜ。…それにしても、さっきの話じゃあ、胡蝶にも想いを告げてねぇのか…」不死川はあきれたような声で言ったのであった。

 

「…結局、俺は自分のことばかり考えていたんだ」義勇は悔いるような表情を浮かべていた。

 

「…いや、胡蝶は藤の毒に自らを染め上げてまで上弦の弐を斃すことに固執していた。仮にテメェが想いを告げたとしても…断っただろうな…自分の死が大前提だったからな…」

 

「…お互い、あまりに不器用だったな…」

 

「だが、自らを焼いて悔いることのない、その心根に惹かれたんだろう?」

 

「…」義勇は頷いていた。

 

「面倒な女に惚れちまったんだな…」

 

「ああ…」そう言う義勇の目から涙が流れていた。

 

「おい、冨岡ぁ…俺がカナエといい仲になりかけていたのは知っていたか?」

 

「…ああ、胡蝶…しのぶの方からその話を聞いたことがある」胡蝶だけでは話が混乱しそうであったことから、義勇は多少照れながら名前を呼んだのであった。

 

「それなら話がはええ。俺とテメェで、さっさとあの世に逝っちまった胡蝶姉妹に地団駄踏ませてやろうじゃねえか」

 

「何を考えている?」

 

「簡単なことよ。いい女を見つけて、結婚して、ガキを作るんだよ」

 

「は?お前何を言ってるんだ…」

 

「もしかしたら、俺とカナエ、テメェとしのぶはそれぞれ夫婦になって、ガキを作ったかもしれねえんだ。その俺たちが別の女と夫婦になってガキを作れば、あの二人、あの世とやらでさぞ悔しがるだろうよ…」

 

「…先に死んだ復讐か。だが、俺もお前も痣の出た身。おそらく、それほど長くは生きられないぞ」

 

「だからどうした。世の中ひれえんだ。その宿命を知ってなお、俺たちを愛してくれる物好きな女だっているだろうよ。…なんたって、ろくに口もきかねえ、何を考えているか全く分からないような根暗野郎すら好きになっちまう物好きがいたんだからよぉ…」

 

「…確かにそうかもしれんな」義勇は、表現はひどいものの、実弥の中に確かにカナエとしのぶを悼む気持ちを感じていたのであった…

 

 

……………

「あらあら、いつの間にか実弥君と義勇君は仲良しになったのね…」天界にいる胡蝶カナエはしのぶに声をかけていた。

 

「ええ。生き残った二人が和解してよかった。…義勇さんも鬼のいない世の中になって本来の姿に少しずつ戻ってきているようね…」しのぶはうれしそうな顔をしていた。

 

「あの二人に幸せになってもらいたいわね…」カナエは呟いた。

 

「ええ。生き残ることはある意味一番つらいことだから…」しのぶは頷いた。

「でも、あの不器用な二人がどんな女性を射止めるのかしら?これは見物ね…しばらく二人の様子を見てましょう、姉さん…」しのぶは人の悪そうな笑顔を浮かべたのであった…




 私は、カナエとしのぶなら、自分たちの死を延々と悲しまれるより、かえって実弥のように前向きに生きようとすることこそ支持するのではないかと思い、敢えてこのような表現にさせて頂きました。


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那田蜘蛛山から柱合会議まで

義勇としのぶが那田蜘蛛山で痴話げんか(?)をした後のお話


「あの女の鬼を斬ろうとしたとき、なぜお止めになったかお聞かせ願いませんか…」しのぶは義勇に尋ねていた。

 

「やはり今から2年前の話をしなければならないが、それほど長い話ではない…」義勇はしのぶに自らの経験を包み隠さす話したのであった。

 

「…なるほど、けがをして飢餓状態にある鬼が人を襲わないどころか、盾になって守ろうとするとは…確かにそのような例は、これまでに見たことも聞いたこともありませんね…」しのぶは驚いた表情を浮かべていた。

 

「…ゆえに俺は人を襲わないと判断した」

 

「う~ん…にわかには信じられません。冨岡さんが嘘をつくとはとても思えないのですが…」

 

「…俺がお前の立場なら、同じ反応になるだろうな…」義勇はとにもかくにも話だけでも聞いてくれたしのぶに感謝していた。

 

「冨岡さんは、先ほどの鬼の存在を認めさせたいとおっしゃいましたが、かなり難しいと思いますよ…」しのぶは心配そうな表情を浮かべていた。

 

「そうだろうな」

 

「どうなさるおつもりですか?」

 

「もし、禰豆子が人を襲ったら、最初に見逃した俺の責任だ。腹を切って詫びるしかあるまい」

 

「!水柱ともあろう方が、よりによって鬼に命を賭けるというのですか?」

 

「俺は水柱ではない…だが、それはこの際別として、それだけの覚悟でいる」

 

「またそのような話を…それではひとつお尋ねしますが、冨岡さんは私のことを柱と認めてくださるのですか?率直にお答えください」

 

「胡蝶は比類なき能力と努力で柱にまで上り詰めた者。わざわざ確認するまでもない」

 

「世辞などではありませんね?」

 

「無論だ。例えほかの者が何と言おうとも、お前は柱だ」

 

「お言葉、ありがとうございます。しかしながら、その柱である私に技を使わせないよう抑え込んでしまうことができるお方が柱でないとするなら、私の立場はどうなるのですか?謙遜もたいがいにして頂かないと嫌味になりますよ」

 

「…なるほど…そういう考え方もあるのか…」義勇は感心したような表情を浮かべた。

 

「…自覚なしですか…これだから天然ドジっ子さんは…」しのぶはあきれ果てたような表情を浮かべたのであった。

 

「…ようやく合点がいった。だから俺は皆を怒らせてしまうのか…」

 

「本当に冨岡さんは仕方ありませんね…」

 

「胡蝶、ひとつ俺の願いを聞いてくれるか?」

 

「冨岡さんが、ですか?珍しいこともあるものですね…」

 

「もしも、ほかの柱が俺のことを問答無用で斬り捨てようとしたときのことだ」

 

「…そんなことは私がさせません」しのぶの表情は真剣であった。

 

「その気持ちだけでもありがたい。…だが、俺はお前に斬ってもらいたいんだ」

 

「な、なにをおっしゃるのですか…」

 

「お前も最終的には禰豆子を斬らなかった」

 

「それはお館様の命があったからで…」

 

「いや、俺に対しては『裏切り者と思い斬り捨てた』、禰豆子に対しては『命が届く前には斬っていた』という言い訳すら可能であるのをしなかった。…万一、裏切り者として殺されるくらいなら、話の余地があるお前に斬ってもらうことで、お前の立場を強くしてもらいたいのだ…」義勇の表情は真剣であった。

 

「…そこまでのお覚悟とは…分かりました。そのときは、せめて苦しまずに済むよう致しましょう」

 

「胡蝶を俺の血で汚すことになるのは忍びないが…かたじけない」義勇はしのぶに丁寧に頭を下げたのであった。

 

 実は、しのぶはそのような場合に陥ったときには、毒で殺すのではなく、薬で仮死状態にするつもりであったが、「敵を欺くにはまず味方から」ということで、あえてそのことを義勇に告げなかったのであった。

 



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ぎゆしの戦国草紙

 言うまでもなく、もろもろの考証はしていません。あまり深く考えずに読んでいただけたら幸いです。



 時は戦国。冨岡家と胡蝶家は幾度にも渡って〇〇国の支配権をめぐって戦いを繰り広げていたが、隣国からの脅威が増してきたため、一転して同盟を組むことになった。

 こういった場合、一番手っ取り早く、確実な方法として政略結婚が用いられるのが戦国の常であった。

 そういう訳で冨岡家の嫡男(ちゃくなん)義勇と胡蝶家の次女しのぶがお互いの顔も知らぬまま祝言(しゅうげん)を挙げることになった…

 

(それがし)の一族や家臣、郎党は胡蝶家との(いくさ)で何人も死んでいるが、それは胡蝶家とて同じこと。戦国の習いとはいえ、何とも言えぬな」義勇は深いため息をついた。

 

「当家に()してくることとなったしのぶ殿は体つきこそ小さいものの、気が強く、武芸、中でも突き技では男どもでも太刀打ちできぬほどの使い手とのこと。ゆめゆめ油断されぬことです」義勇の守役(もりやく)は告げていた。

 

「ハハハ…某の寝首でも狙ってくるか。それくらい気が強くなければ面白くない」

 

若君(わかぎみ)、笑い事ではありませんぞ…」

 

「この同盟は、胡蝶家にとっても死命を制するものだ。過去のいきさつはともかく、それくらいのことも分からぬほど愚かではあるまい。…それに、しのぶ殿は昨日までの仇の家に飛び込んでくるのだ。いろいろ思うところがあって当然だ」義勇は相手の心情を思いやることができる男であった。

 

……………

遠路大義(えんろたいぎ)であった。某が〇〇国守護冨岡…が嫡男、義勇でござる。そなたも知ってのとおり、わが冨岡家とそなたの胡蝶家は過去幾度も戦った。某もそうであるが、おそらくそなたの親しき者の中にもこれらの戦で命を落とした者がおるであろう。これらのことを水に流せとは言わぬが、これからはともに△△の脅威に立ち向かわなければならぬ。こうやって契りを結ぶからには、幾久しくお願い申す」武家としての正装に身を包んだ義勇はしのぶに対して頭を下げたのであった。

 

「〇〇国守(くにのかみ)胡蝶…が次女、しのぶでございます。思いがけぬ誠実なお言葉、ありがたく存じます。この度、ご縁があって冨岡家に嫁して参りました。不束者(ふつつかもの)ではございますが、幾久しくお願い申し上げます」花嫁姿にしてはハキハキした口調ながらも、しのぶもきちんと礼を尽くした態度で応じたのであった。

 

この日華燭(かしょく)の典を終えた二人は初夜を迎えていた。

 

「そなた、当家に来るに当たって怖くはなかったのか?」義勇は隣で横になっているしのぶに語り掛けたのであった。

 

「怖くなかったと言えば、嘘になりましょう」しのぶの声はほんの僅かではあるが震えていた。

 

「正直でよい。しかし、しのぶ殿は大したものだ。某には、胡蝶の家中(かちゅう)で横になる勇気はない」

 

「…(わらわ)*1は、幸か不幸か、名のある家の娘として生まれました。日々の生活に困らなくてよい反面、こうして見ず知らずの殿方のところに嫁がなければならぬのです。しかし、妾一人が耐えることで、胡蝶の家や領民たちの平穏な生活が守られるのであれば、耐えがいがあるというもの」しのぶは毅然とした声で話した。

 

「見上げた覚悟だ…だが、そなた自身の幸せはどうなるのだ?」

 

「このような乱世にそのようなことを望んでも詮無(せんな)きこと。義勇様が思いのほか誠実でお優しい方なのは良かったとは存じますが、義勇様とて、望んで妾と祝言を挙げたわけではないでしょう?」

 

「確かに某は今日までそなたの顔も知らぬまま祝言を挙げた。だが、そなたのように美しい女子(おなご)ならいいと思った」

 

「世辞など結構です。妾より美しい者など掃いて捨てるほどおりましょうに」

 

「いや、見目形(みめかたち)はもとより、何よりもその心根が美しい。そなたのような女子と夫婦(めおと)になれるなら政略結婚も悪くないと思った」

 

「…そんなことより、いつまでこんな話を続けるのですか?今日から夫婦になったのですよ。ひょっとして、妾など相手にできぬということですか?」

 

「いや、並の女なら有無を言わさず抱きすくめていたやもしれぬ。だが、某はそなたが心底気に入った。そなたが某を受け入れるまで待とうと思ったのだ」

 

「妾の気持ちを推し量ってくださるというのですか…何とお優しい。しかし、こんな乱世にそのお優しさは身を滅ぼしかねません。いや、その前に妾が冨岡家を乗っ取ってしまうかもしれませんよ」しのぶは稀代の悪女のような笑みを浮かべた。

 

「ハハハ…それも悪くあるまい。そなたの願い通り、血を流さずに済むからな」義勇はしのぶに答えた。

 しのぶは義勇の器量を測るために一芝居を打ったのであった。もし、器量の小さい男なら隙を見て義勇を討ち取ってしまうことすら考えていた。しかし、義勇の器量は、はるかに大きかった。しのぶは、義勇が誠実で優しいばかりでなく、器量も優れた男であると認め、惹かれたのであった。

*1
同じ字で「めかけ」とも読みます。(と言うか「めかけ」の方が一般的です。日本語って難しいですね)



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もう一つの決戦前夜【原作改変】

「今まで卑屈な態度を取っていた。威張るつもりなど毛頭ないが、これからは柱としての自覚を持って行動したい」冨岡義勇は、胡蝶しのぶに告げていた。

 

「そうですか」しのぶは、ようやく義勇が自らにふさわしい態度を取るようになったことをうれしく思っていた。

 

「…胡蝶には、これまでいろいろと世話を掛けた。ほんの少しでもいい。これからは俺にもそなたを支えさせてくれ」

 

「いいえ、その必要はありません」

 

「俺は、そこまで嫌われているのか?」義勇はわずかに悲しそうな表情を浮かべた。

 

「そういう意味ではありません。私は今でも冨岡さんに支えてもらっていますから…」

 

「俺が?」

 

「はい。言葉こそ足りませんが、冨岡さんが誰よりも優しいことを私は知っています。…鬼にすらその優しさを向けられるほどに。…私は、その優しさに嫉妬すらしているのです」

 

「それは過大評価だ」

 

「いいえ。もし、私が最初に禰豆子さんに会っていたら、迷ったかもしれませんが、きっと殺したと思います。…所詮鬼は人を喰らうものとして。…そして、そうしていたら、炭治郎君はおそらく…いや、間違いなくここにはいなかったでしょう。冨岡さんの判断の速さと洞察の深さに恐れ入るばかりです」

 

「今でこそ言えるが、正直、あれは賭けだった。結果として腹を切ることも、そなたたちに裏切り者として斬られずに済んだことも運が良かったとしか言いようがない」

 

「決して途絶えることのなかったという『水の呼吸』の歴史の中で、新たな『型』を作られた冨岡さんを一時(いっとき)の感情に任せて斬ってしまったら、それこそ利敵行為になってしまうではありませんか…ですから、最強硬派の不死川さんですら『死にたければ勝手に死ね』とは言いましたが、『俺が斬ってやる』とは言わなかったではありませんか」

 

「そなたは柱合会議の後、炭治郎たちを受け入れてくれた。例え禰豆子を監視するためだったとしても、(はらわた)が煮えくり返るほど憎いであろう鬼を受け入れてくれたそなたの度量の広さにこそ、俺は感謝しているのだ」

 

「私も今でこそ言いますが、禰豆子さんが少しでも怪しいそぶりを見せたら殺していました。ただし、あくまで自然死に見せかけてです」

 

「俺の生活与奪の権を握ってどうするつもりだったのだ?」

 

「何も。そのときは墓場まで秘密を背負うつもりでした」

 

「俺は、そこまでそなたを追い込んでいたのか…」

 

「非情なようですが、あの時点では、鬼とはいえ大した力も感じられなかった禰豆子さんと全集中常中すらしていなかった炭治郎君の命を合わせたところで、柱である冨岡さんの命と同列に扱えるわけがないじゃないですか…私は、冨岡さんの命を守るためなら汚れ役だろうと何だろうと喜んでやるつもりでした」

 

「…他人である俺にそこまで優しさを向けてくれるなら、そなたは何故もっと自分を大切にせぬのだ?」

 

「さて、何の話でしょうか?」

 

「とぼけるな。見るたびにそなたの顔色が悪くなっている。…大方、藤の毒でもため込んでいるのだろうが、そんなことをして誰が喜ぶのだ?そなたなら後に残された者の苦しさ、悲しさ、つらさを十分過ぎるほど知っておろう」

 

「はぁ…まさか冨岡さんに見抜かれるとは…未熟です」しのぶはため息をついた。しかし、ここまで真剣に話をする義勇に対してうそをつく、あるいはごまかすという選択肢はしのぶにはなかった。

「…あの煉獄さんですら上弦に敗れてしまいました。そして、姉さんを殺した鬼はおそらく上弦。煉獄さんに力では到底及ばない私が、その上弦を倒す手段はこれしかないのです」

 

「再度そなたに尋ねる。それでは後に残されるそなたの妹たちの気持ちはどうなるのだ?」

 

「…姉さんの仇を取るためには致し方ないことです」

 

「それなら、何故、珠世さんや俺たちの協力を求めない?上弦の鬼相手に1対1では、おそらく悲鳴嶼さんでも勝てまい。だからこそ、今、柱稽古をしているのではないか。俺の命を貴重に思ってくれるのなら、それはそなた自身にも当てはまることではないのか」

 

「私のみならず、私の家族まで心配してくださるお気持ちはありがたく思います。…しかし、こればかりは何と言われましょうとも…」

 

「…俺はそなたを説得しようとしているのではない。生死を共にさせてもらいたいのだ」

 

「それはなりません!!」

 

「どうしてだ?」

 

「私の策は、私の死が前提です。生死を共にするということは冨岡さんまで死なせてしまいます。私だけならまだしも、絶対防御壁を誇る冨岡さんまで死なせてしまっては、鬼殺隊の戦力がどれだけ失われることになるか…冨岡さんは私にこの世でもあの世でも申し開きができなくさせるおつもりですか!」

 

「俺は、そなたの影のさすところに居たいのだ。それが例え地獄であろうとも一向にかまわない」

 

「そんなことを嫁入り前の女に言ってはいけません。冨岡さんは顔だけはいいのですから、勘違いしてしまうではありませんか」

 

「勘違いではない。俺はそなたを(いと)おしく思っているのだ」

 

「今日の冨岡さんはおかしいです。頭でも打ちましたか?それとも血鬼術にでもかかっているのですか?」

 

「胡蝶、ごまかさないでくれ。そなたが俺など相手にできぬと言うならそれでもいい。だが、そなたの口から直接聞けぬうちはあきらめきれぬ」

 

「私は…冨岡さんのことなど大嫌いです。これまで必要なときですら一向にしゃべらなかったくせに、こんなときだけ饒舌(じょうぜつ)になるなんて…さあ、さっさと帰ってくださいな。早く帰らないと、とっておきの毒をお見舞いしますよ」しのぶは犬でも追い払うような、シッ、シッと言わんばかりに右手首を振ったのであった。

 

「しのぶ…それはそなたの本心か?」

 

「本心も何も。私が冨岡さんに惚れているとでも思っているのですか?」

 

「それなら、何故涙を流している?」

 

「えっ?うそ…なんで涙が出てるの?」しのぶの双眸(そうぼう)からとめどもなく涙があふれだしていたのであった。

 

「しのぶ…俺にもそなたの想いに協力させてくれ…」義勇はしのぶを抱きしめながら告げたのであった。

 

「義勇さん…あなたはバカも大バカです。あなたほどのお方なら、女の方からいくらでも寄ってくるでしょうに…」

 

「それを言うなら、そなたも同じだ」

 

「…私は、自ら毒を飲むような女です。そして、おそらく子を成すこともできないでしょう。それでも…それでも義勇さんは私でいいとおっしゃるのですか?」

 

「俺にはそなたしかいない」

 

「ああ…そんな言葉を聞いてしまったら、一度は断ち切ったはずの生への執着がまた湧いてきてしまうではありませんか…」

 

「生きるも死ぬもそなたとともに…俺みたいな男には、そなたのようなしっかり者が必要なのだ」

 

「殺し文句にもほどがありますよ…」

 

 そして無惨との最終決戦の日。神であれ、鬼であれ、遂にこの二人を分かつことはできなかった。無限城で落ち合ったこの二人にカナヲ、伊之助、そして炭治郎を加えた5人で猗窩座と因縁の童磨を撃破するのであった…

 



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被告人冨岡義勇

「失礼しました~」隠たちによって竈門炭治郎は蝶屋敷へと運ばれていった。

 

「お屋敷様…」その様子を見た冨岡義勇は、珍しく自ら口を開いた。

 

「義勇、どうしたんだい?」産屋敷燿哉は尋ねたのであった。

 

「まずは、炭治郎及び禰豆子の存在を認めて頂いたこと、感謝の言葉もありません」

 

「禰豆子は、実弥の稀血の誘惑にすら打ち勝ったんだ。それに義勇、お前がどう思うが自由だが、現役の柱が、自らとその師匠の命を賭けているんだよ。これからは、禰豆子を斬ろうというには、動かしようのない明白な証拠が必要になるね…」この言葉にほかの8名の柱たちは、黙って頭を下げたのであった。

 

「それにつきましては一旦棚上げにするにしても、俺が隊律違反を犯した事実は残ります。かりそめにせよ、鬼殺隊の柱たる者が明白な隊律違反を犯したにも関わらず、何の処罰も受けなければ、鬼殺隊の秩序が損なわれることは必定(ひつじょう)。何とぞご処分を願いたく存じます…」

 その言葉を聞いた胡蝶しのぶは、「せっかくうやむやになりかけていたのに、何故、今ここで蒸し返す…」と思う一方、「確かに、このまま宙ぶらりんのままにしておくのは良くない…」とも思ったのであった。

 

「…冨岡()は凪が使える。凪がある限り、冨岡がその気になれば、俺たちが束にでもならぬ限り、現実問題としていかなる処分もかなわぬではないか…」

 

「…それではお館様、反抗の意思がない(あかし)として、日輪刀をお返し致します…」

 

「義勇が反抗するとは思えないが…それでは義勇の気が済まないだろうから…誰か、義勇から日輪刀を預かってもらえないだろうか…」燿哉は柱たちに命じたのであった。

 

 その言葉を聞いた柱たちが、誰が義勇から日輪刀を預かるかと目くばせをしている間、しのぶがさっさと義勇から日輪刀を預かり…そしてそのまま燿哉にすら渡そうとしなかった。

 …しのぶが、いざというとき、義勇に日輪刀を返すであろうことは誰の目にも明らかであったが、燿哉の命令は、あくまで「日輪刀を預かる」ことであり、「燿哉に引き渡す」ことでなかったため、非難しようがなかったのであった。

 

「それでは、義勇の処分について検討したい…まず、那田蜘蛛山で義勇と共に任務に当たったしのぶの意見が聞きたい」燿哉はしのぶの意図を正確に把握していたが、それについて何も言わなかった。

 

「畏れながら申し上げます。…冨岡さんが隊律を犯したことは間違いありませんが、人を喰らうどころか、稀血の誘惑にすら打ち勝ってしまう鬼の存在に…正直、驚いております。これからも禰豆子さんの監視は必要かもしれませんが、その理由を明らかにできれば…あるいはこれまでの私たちの常識が覆ってしまうかもしれません。…従いまして、今、直ちに処分を決する必要はないと思慮致します。しかしながら、それでは冨岡さんのお気持ちが晴れぬようですから…報酬の一部返上というのはいかがでしょうか?」

 

 燿哉は、理由をつけて義勇にとって最も優秀な弁護士役であるしのぶから最初に意見を聞いたのであった。

 少なくとも柱の中で、しのぶ以上に弁の立つ者などいようはずがなく、結局、義勇に対しては、報酬の一割を1回減ずるという決定がなされたのであった。

 

……………

「冨岡の生活は質素だ。これまでの蓄えが相当あるだろうが、報酬が一割どころか、全額削られたところで、1回限りならさしたる影響もあるまい。胡蝶の奴、うまい処分を考えつきおって…これで『冨岡に惚れていない』と言われても誰も信じぬぞ…」

 

「あれだけ明白なのに、自分では気付かれてないと思っているっていうのが、また派手に笑えるぜ」

 

「しのぶちゃんも可哀そうね。当の本人に気付いてもらえないなんて…」

 

「結局、似た者同士ということか!」

 

「全く、いけ好かねえ!」

 

「胡蝶()は冨岡のどこがいいというのだ…まあ、『(たで)食う虫も好き好き』というから何とも言えぬが…」

 

「…」

 

 義勇としのぶは、よもや自分たちが会話のネタにされていようとは夢にも思っていなかったのであった…

 



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銀座で逢引?

 銀座界隈(かいわい)で鬼が出没したらしいとの報告を受けた燿哉は、隊員を向かわせることに決めた。しかし、場所は東京のど真ん中。下手を打てば大騒ぎとなり、鬼殺隊の存在があらわになってしまうおそれすらあった。

 

 そこで、できるだけ迅速かつ穏便に鬼を討伐すべく、柱が派遣されることになった。

 銀座界隈を歩いていてもおかしくなさそうなのは…まず、しのぶであったが、柱とはいえ、夜の街中を女性一人で歩かせるわけにはいかなかったため、義勇にも派遣が命じられたのであった…

 

 

「胡蝶、そなたと共同任務となった。お館様からそなたとよく談合の上、任務に赴くよう命じられた」

 

「冨岡さんは鬼殺以外では抜けたところがありますからね…ところで、今回どういった格好で赴こうとされました?」

 

「…隊服ではさすがにまずいか」

 

「冨岡さんにしては上出来です。これから私たちが赴くのは流行の発信地。かの地で目立ちたくないのであれば、それに合わせるのが最もよいと思います」

 

「なるほど…たが、そうなると俺には全く見当がつかない」

 

「残念ですが、私も似たようなものです。…そこで、今回、お館様にお願いして、最新の流行を調べていただきました。『モボ』、『モガ』と言うらしいです」

 

「何だ、その『モボ』、『モガ』とは?」

 

「何でも『モダンボーイ』に『モダンガール』の略だそうで。意味的には『当世(とうせい)男子』に『当世女子』となるらしいです」

 

「これでようやく合点がいった。先日、俺の体の採寸をしたのは、その『モボ』とやらの服装を作るためだったのか…」

 

「そういうことらしいですよ…それでは早速着替えて銀座に向かいましょう。細かい話は汽車の中ですることにして…」

 

「しかし、隊服が洋装でよかった。どう着ればいいか見当がつくからな…」

 

「そうですね。着物しか着ていなかったら、何をどうすればいいのか分かりませんからね」

 

 

……………

「どうです?似合います?」モガの服装に身を包んだしのぶを見て、義勇はその美しさに息をのんだ。

 

「悪くない…」思いもよらぬ義勇からの返事が聞けたしのぶは、顔を赤らめながらも「冨岡さんも似合ってますよ」と言葉を返したのであった。

 …まったくこの2人は、どんなモデルよりもこの服装を着こなしていたのであった。

 

「…困りました。この靴はかかとが高く、歩きにくいといったらありゃしませんよ…」初めて履いたハイヒールにしのぶは苦戦を強いられていた。

 

「俺も靴には慣れんが、確かに胡蝶のそれは、見ているだけでも歩きにくそうではないか。西洋人の考えることは俺の理解を超えるな…」

 

「この靴は『ハイヒール』と言うそうで、何でも脚を美しく見せる効果があるそうですよ」

 

「美しく見せるために足を痛めては本末転倒ではないか…それにしても大丈夫か。だいぶつらそうだぞ。…まったく、そんなものを履かなくとも胡蝶は、どこを取っても美しいというのに…

 

「えっ、最後の方は聞き取れませんでしたが、何か言いました?…ところで『大丈夫です』と言いたいところですが…さすがに足が痛いです。一休みしたいのですが…」

 

「まだ夜には時間がある。…このままでは鬼に会う前にそなたの足がダメになってしまう。一休みするとしよう」

 

「ありがとうございます。私は、正直、このハイヒールとやらが嫌いです。夜になったら、いつもの足袋(たび)草履(ぞうり)に替えるとします。冨岡さんはどうされますか?」

 

「俺も足袋と草鞋の方がいい。たが、夜は暗闇でごまかせるとして、昼間はどうする?」

 

「これよりかかとが低いものをがないか探してみたいです。おそらくその方が楽だと思いますから」

 

「承知した。一息ついたらまず、そなたの靴を探そう。俺はそなたのつらそうな顔を見るに忍びない…」しのぶは、さりげなく自分の様子を気遣ってくれる義勇に感謝していた。

 

「さて、一息つくと言ったが、どこへ行ったらよいものか…胡蝶、そなた、()()はあるか?」

 

「はい…聞かれると思ってましたよ…確か、この辺りに『資生堂パーラー』というのがあると聞いたのですが…」

 

「うん?それなら先ほど見たような…確かこっちだったはずだ…」義勇はしのぶの足を痛めないよう、ゆっくりと歩いたのであった。

 

「…ほう。『ソーダ水』というのは、話には聞いたことがあるが、『アイスクリーム』というのは初めて見るな。いずれにせよ、俺には味の想像ができぬ。胡蝶はどうか?」

 

「私も同じです。話のタネに両方頼みましょう。ですが、口に合うかどうか分かりませんから、まずは1つずつ頼んでみましょう」

 

「心得た」

 

「ソータ水は、『水又は砂糖水に二酸化炭素、つまり吐いた息を溶かして作る』と何かに書いてあったことを思い出しました。それだけのことなのに、こんな不思議な感覚になるのですね…」

 

「胡蝶は博学だな…」

 

「いえ、さすがにこの『アイスクリーム』の作り方は想像もつきませんよ…」嫉妬心というものがなく、素直に褒めることができるのが義勇の最大の長所だとしのぶは思っていた。

 

「季節を問わず、冷たいかき氷が作れるということだな…科学の力とは凄まじいな」

 

「この科学の力で鬼を滅することができたら…」

 

「逆に、科学の力で夜の闇は切り開かれつつある。…まもなく人は夜でも構わず出歩けるようになるだろう。そうなってしまえば鬼の犠牲者が格段に増えてしまう…」

 しのぶは、力に恵まれなかった分、凄まじい努力をして鬼を殺せる毒を開発した。その中には学問も含まれており、間違いなく鬼殺隊一の学力があった。そんなしのぶと知的会話ができる義勇の素養の高さも相当であった。

 

 

 都心部に現れたという鬼は、多少頭は切れたものの、下弦の鬼ですらなく、到底柱二人の敵になるような鬼ではなかった。

 しかし、義勇としのぶは、いつまでもこの逢引(デート)にも似た任務のことを忘れなかったという…

 



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青天を衝け【クロスオーバーは念のため】

 今回は義勇さんもしのぶさんも出番がございません。悪しからず。


「申し訳ない。間に合わなかった…」

 

(よわい)七十を超え、命があるだけでも儲けものだというのに、こんなもの、かすり傷とも言えません。…それにしても、おとぎ話だとばかり思っていた鬼狩り様が、まさか実在していたとは…ここでお目にかかったのも何かの縁というもの。是非、お力添えをさせていただきたく…」

 

「いかようにして我らの力添えをして頂く所存か?」

 

(はばか)りながら、私は少しばかり事業を起こし、資金繰りにも余裕がございますので、金子(きんす)の面ならば…昔ならいざ知らず、この御代(みよ)には、何をなすにせよ、金子がご入用でしょう…」

 

「確かに…金子のことになると毛嫌いする者が多いが、金子がなければ我らは瞬く間に盗賊と異なるところがなくなるであろう…」

 

「お話がお分かりになる方でよかった。そうです…金子は使う人や対象によってその性格が変わるだけであって、金子そのものに性格はないのですから…」

 

「我らに助力すると、鬼どもに狙われるやもしれませんぞ…」

 

「私も若い頃は、随分やんちゃなことをして…今にして思えば、よく命を落とさずに済んだものだと…それに、鬼狩り様に助けて頂けなければ、今日、私はここで命を落としておりました。今更、何を恐れることがありましょう」

 

「齢七十を超えるとおっしゃると…もしや、御一新*1の動乱をくぐりぬけておられるのか?」

 

「戊辰の際は…事情があって参加できませんでしたが…尊王攘夷の思想にかぶれた時期もございましたな…」

 

「さすが御一新前後の動乱をくぐりぬけられた方は、肝の据わり方が違う。…我らが棟梁であるお館様にそなたのことを伝えよう。…詳しくはお館様やご内儀様に話されるがよい」

 

「承知しました。仔細はお館様にお話させて頂くにせよ、あなた様のお名前をお教え願いませんか?」

 

(それがし)は悲鳴嶼行冥。憚りながら鬼殺隊の柱を務めさせて頂いておる」

 

「柱?…確か鬼狩り様の中でも別格の強さを誇り、中核をなすお方と聞き及んでおりますが…いや、そんなお方に命を救って頂けたとは…」

 

「いや、某はそんな大層なものではない…して、そなたの名前は?」

 

「これは大変失礼しました。私は…渋沢栄一と申します」

 

 行冥は知らなかったが、鬼殺隊に大変な支援者(スポンサー)が付いた瞬間であった。…以後、鬼殺隊は資金面での心配をする必要がなくなり、鬼舞辻無惨を倒すことができた一因となったのであった。

*1
明治維新のこと




 渋沢栄一。その創設に関わった企業は数百社を超える。しかも、その企業は東京ガスやアサヒビールなどなど名だたる企業が大半である。
 なお、彼が生まれたのは江戸時代の末期で、亡くなったのは昭和に入ってからなので、鬼滅の時代軸では存命しています。


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ぎゆしの戦国草紙 第2話

 原作から離れた分、自由度が高まって書きやすい部分があります。なお、時代考証などはガバガバです。あくまで雰囲気を楽しんでくださるようお願いします。


 お互いの顔も知らぬまま政略結婚することになった義勇としのぶであったが、すぐに相性がよいことが分かった。いわば敵中に身を投じることになったしのぶに対しては当初白い目も向けられたが、しのぶ自身が冨岡家になじもうと努力したうえ、能力的にも性格的にも優れていたこと、そして何より義勇がしのぶを尊重する態度を取ったことから、しのぶが冨岡家の評定(ひょうじょう)に参加することになっても誰も異議を唱えなかったのであった。

 

 また、しのぶに従って冨岡家のに入った女中たちも、自らの主人をことさら大切に扱う義勇に次第によい感情を持つようになり、冨岡家中の者と結婚する者も現れるようになった。

 

 こうして主ばかりでなく、家臣に至るまで冨岡家と胡蝶家の結びつきは日々深まっていった…

 

 

 

 「殿…いえ、義勇さん、稚児(ややこ)を身ごもりました…」しのぶは、当主である義勇に告げていた。

 義勇としのぶの祝言を見届けた義勇の父は、息子が美しいばかりでなく、賢い妻を(めと)ることができたと安心して家督を義勇に譲ったのであった。

 また、この二人は、表では公私の区別をつける意味で「御台(みだい)」、「殿」と呼び合っていたが、奥ではいまだに名前で呼び合っていたのであった。

 

「そうか…これで3人目だな。だか、油断することなく、十分体をいとえよ」義勇は妻であるしのぶに気を使っていた。

 

「ありがたき幸せ…なれば、義勇さんにお願いの儀がございます」

 

「改まってどうした?」

 

(わらわ)は、義勇さんの格別のご寵愛を賜り、死ぬまで知ることもないとすら思っていた幸せを感じております」

 

「それは、しのぶが努力したからであろう。家臣どもも『よくぞここまで冨岡家になじんだ』と褒めておったぞ」

 

「お褒めに預かり、光栄でございます。…されど、妾が産んだのはいずれも姫。このまま男の子が生まれなければ、冨岡家の一大事となりかねません。そこで、ご側室を置かれてはと…」

 

「その話か。…実は、家臣の一部から同じ話が出ておってな…」義勇はバツが悪そうな表情を浮かべた。

 

「妾への義理立てなら不要でございます。…妾は、義勇さんのお子に冨岡の家を継いでもらいとうございますので…」

 

「しのぶは、(それがし)がほかの女子(おなご)を抱いてもよいと申すのか?」

 

「…正直に申せば、義勇さんがほかの女子を抱くなど…想像しただけでもおかしくなってしまいそうなのですが…女が(あと)を継げぬわけではないとは申せ、やはりこの乱世なれば、男が跡を継ぐのが筋というものですから…」

 

「それでは、しのぶがこの家を乗っ取ることができなくなるではないか?」

 

「まだそんなことを覚えていらっしゃいましたか。…それは妾がこの家に嫁いできたときの話です。妾は義勇さんの器量に惚れておりますれば…今では義勇さんに胡蝶家を乗っ取って頂きとう存じます」

 

「これは恐ろしい。しのぶは某にそなたの実家を乗っ取れと申すか。そなたに愛想をつかされたら、某に命はないな…」義勇の表情はわずかに笑っており、冗談を言っているようであった。

 

「妾が義勇さんの命を取るなど…冗談にしても笑えませぬ…」しのぶは、やや怒った表情を浮かべたのであった。

 

「…悪乗りしすぎた、許せ…」義勇はしのぶに頭を下げた。

 

「これは…妾も失礼致しました…」義勇はあくまでもしのぶを対等に扱おうとしていたため、しのぶもそれに過度に甘えないよう注意していたのであった。

 

「ところでしのぶ…」

 

「はい、義勇さん…」

 

「某は側室は置かぬ」

 

「このままでは跡目争いが起きかねませぬ…」

 

「万が一、万が一そなたとの間に男が生まれないのであれば、それが運命(さだめ)というものだろう。そのときは姫に跡を継がせてもよいし、どうしても男が跡取りでなければならぬというなら、婿(むこ)でも孫でもよいではないか…」

 

「そのお言葉…妾は、うれしゅうございます。されど万が一にも『妾が冨岡家を絶やした。胡蝶家の思うつぼだ』などと(そし)られるようなことになりましては…妾は無間地獄に落とされるより(つろ)うございます…」そう言うしのぶの目には光るものがあった。

 

「某が至らぬばかりに、しのぶばかりに負担を掛ける…」義勇は両手をつき、頭を下げたのであった。

 

「…義勇さん、何をなされますか。どうかお手をお上げくださいませ。妾としたことが気弱なことを申しました。妾は義勇さんさえよければ、何人でもお子を産みますゆえ…」

 もし、この言葉を国元の両親が聞いたら腰を抜かして驚いたことだろう。何せしのぶは、こと肉体的なことに関しては劣等心の塊と言って差し支えなかったからであった。

 確かにしのぶは、姉カナエと比較すると、一般的に見劣りしていた。

 ゆえに、男どもの好色のまなざしから姉を守らなければ、という気持ちが強くなりすぎ、男性不信、男性恐怖症に近い精神状況だったからだ。

 しかし、そんなしのぶを義勇が救った。義勇から裏表のない愛情を注がれたしのぶは次第に自分に自信が持てるようになり、自然と義勇に報いたいという気持ちが生まれていたのであった。

 

「某は、しのぶを子を産む道具とするために妻としたのではないぞ…」

 

「分かっておりまする。もし、義勇さんが妾をそのようにお考えであれば、毒で流してでも子は産みませんでした。ですが、義勇さんは妾を心から(いつく)しんでくださいました。だからこそ、妾は義勇さんの跡継ぎを何としてでも産みとうございます…」そう言うと、しのぶは義勇に寄り添ったのであった。

 

 そんなしのぶを義勇は心から愛おしいと思うのであった…




 「家」の存続こそが至上命題だった当時にあって、結婚とは家と家の存続を賭けた、現在の外交に匹敵するようなものだったのでしょう。
 その一方で(この言い方に語弊があることは自覚していますが、適当な表現が浮かびませんでした)、女性たちの地位は結構高かったことも知られています。嫁いでいった女性たちは実家のスパイとして働くこともあったでしょうし(浅井長政に嫁いだお市の方が、兄信長に、夫長政の裏切りを知らせたのは有名)、夫や息子たちが戦いで外に出かけている間の留守を守らなければならなかったのですから、当然政務も理解できなければ話にもならなかったからです(豊臣秀吉の妻である淀君が政治に参与していたのも有名)。


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企て【ほんの少しアダルト】

 これもタグをつけるほどではありませんが、苦手な方はブラウザバック願います。

 また、義勇としのぶを軽くディスっています。筆者としては愛情表現のつもりなのですが、「ありえない!」という方もブラウザバック願います。


 胡蝶しのぶは、困惑した。

 

 いや、自らを藤の毒に染め上げ、姉の仇に食わせることに迷いはない。しかし、いくら毒に染めるとは言え、初めて抱かれるのが、よりにもよって姉の仇というのはさすがに口惜しく思うのであった。

 

 たが、残念なことに、しのぶは鬼殺や、特に医療面では並ぶ者がないほど才能があったが、こと色恋の面ではポンコツなのであった。

 

 そんなポンコツなしのぶは、自らがその気になればいくらでも男を選べるという事実を知らず、誰なら抱かれてもよいかと真剣に考えた結果…どう考えても結論は義勇に至ってしまうのであった。

 

 しかし、これも極めて残念なことであったが、義勇は鬼殺以外ではしのぶ以上にポンコツなのであった。

 

 しかも義勇はあれで意外と優しいことから、自分の亡き後、自分を心に思い残させるようなことは避けたかったし、また、そんな義勇の優しさに自らが(ほだ)されてしまいたくもなかった。

 

 そこでしのぶは、自制心を弱くさせ、性欲の赴くまま行動させてしまうような薬を作ってしまった。

 おそらく義勇はきまじめなところがあるから、女は知らぬはず。そんな義勇が自らの本能の赴くまま女を抱けば、生娘である自分は、きっと恐ろしい目に遭うであろう。

 

 そうすれば、自分は二度と男に抱かれたいとは思わなくなるであろうし、そんな自分を見た義勇も責任を感じて二度と自分を抱こうとしなくなるであろう…と考えたのであった。

 

 そんなことをすれば、あるいは義勇にトラウマを残しかねないが、それは後で言いくるめるなり何なりして払拭させよう…義勇だけには何としてでも生き残ってもらいたいと思うしのぶは、女に対してまで卑屈で自信を失わせるようなマネだけは絶対に避けたかったのであった。

 


「冨岡さん…今日はありがとうございました…」しのぶは、義勇の非番の前夜に何とか理由をつけて水屋敷へと赴いていた。

 

「胡蝶に、わが家まで来てもらうとは…かえって申し訳なかった…」義勇はしのぶが自宅に来たことをひそかに喜んでいたが、それを決して表情に出そうとはしなかった。

 

「それはそうと『ウヰスキー』という、いわば西洋の焼酎が手に入ったのですが、ご存じのとおり、蝶屋敷にはお酒をたしなむ者がいないので、是非飲んでいただきたいと…」

 しのぶは、手を尽くして当時日本では珍しかったウイスキー*1を入手し、特製の薬を混ぜたのであった。

 理由はもちろん、飲みなれないものであれば、薬で多少味がおかしくなったとしても、気づかれないであろうと思われたからであった。

 

「そんな珍しいものを俺一人で飲むのも気が引ける。そなたも1滴も飲めぬというわけではあるまい。少しでいいから付き合わぬか?」

 

「私は、冨岡さんもご存じのとおり、あまり酒癖がよくないので…それは強いお酒と聞いていまして…」

 

「そうか…それなら無理に勧められぬな…」

 

「お気遣いありがとうございます…」しのぶは、自ら作った薬でその気になってしまうわけにはいかなったため、断る理由をあらかじめ考えていたのであった。

 だが、その一方で、自分へ気を遣ってくれる義勇に対して良心の呵責(かしゃく)を感じていたのであった。

 

 

 

 

「…酒に何を混ぜた、胡蝶…」しばらくしのぶと話をしながら酒を飲んでいた義勇は、欲望の光を放ちながらしのぶを見据えていた。

 

「もう、気づかれましたか。さすがです…でも、大丈夫です。毒ではありませんから…」

 

「胡蝶…すぐこの場から離れろ。目の前にそなたがいると…襲ってしまいそうだ…」

 

「いえ、冨岡さん…私があなたに抱いて頂きたくて、こんなことを致しました。軽蔑して頂いて結構です。…ですが…ですが今日だけは…こんな私を哀れと思って抱いて頂けませんか?」

 

「やめろ…このままでは…そなたを(けだもの)のように押し倒してしまうぞ…」

 

「私がそれを望んでいるのです。…さあ、義勇さん…据え膳食わぬは何とやらですよ…」しのぶは義勇に精一杯の挑発をしたのであった。

 

 しのぶの薬は、いわば人間を野生化させる、脳科学的に書けば、脳が進化の過程で新たに得た、理性部分を司る大脳新皮質の活動を低下させる一方、大古から存在する、本能部分を司る脳幹部分の活動を活発化させるものであった。

 女を知らぬ男に、自らの欲望の赴くまま抱かれては、生娘であるしのぶには危険ですらあった。ところが…

 

 

「どうして…どうして…義勇さんはこんなに優しいのですか…」激しくはあったが、自らの想像よりはるかに自分への配慮を感じる義勇の動作に、しのぶは自らの高まりを感じつつあった。

 

「俺の…俺の愛するしのぶに…独りよがりなことをするなど…例えどんなことがあっても、決して許されることではない…」義勇は、湧き上がる自らの欲望と必死に戦っていた。

 

「ああ…義勇さんは、私の浅はかな考えなど簡単に乗り越えてくる…こんなことになるなら、初めから私の想いを伝えた上で抱いてもらいたかった…」

 

「すまぬが、俺はもう止まれぬ。…だが、後で何故こんなマネをしたのか、教えくれぬか?」

 

「こんな愚かな私を許してくださるというのですか?」

 

「今、俺はそなたを抱いている。…俺は正直いい思いしかしていない。…しのぶの方こそ、こんな俺を許してくれるのか?」

 

「許すも何も…私がそうさせたのですから…」

 

「俺が不甲斐ないばかりに、しのぶにこんなことをさせてしまった…」

 

「あなたはどこまでお人好しなんですか…」しのぶの瞳から一筋の涙がこぼれた。

 …こうして義勇に絆されまいとするしのぶの企ては見事に失敗した。だが、それは当然の帰結だったのかもしれなかった。

 

 例え義勇がどのようにしのぶを扱ったとしても、しのぶが義勇を嫌うことなどありえなかったのだから…

*1
日本で本格的なウイスキーが醸造されるようになったのは、関東大震災のあった1923(大正12)年のことだそうです。(出典:日本のウイスキーの歴史)



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戦う二人?

「冨岡義勇、刀を抜きなさい…」しのぶは義勇にその特徴的な日輪刀を向けながら告げていた。

 

「…俺は、胡蝶に刀を向けるなどできない」

 

「…私が、あなたを斬らないとでもお思いですか?」

 

「いや、そなたの顔は…本気だ」

 

「それなら何故?私など刀を向ける価値すらないということですか?」

 

「そんなことは断じてない」

 

「『刀を抜かない』とおっしゃるなら、私としては楽でいいのですが、『無抵抗な人間を斬った』と言われてはあまりに無念。尋常に勝負願います…」

 

「…なるほど。俺は、できるだけ刀は抜きたくないのだが…胡蝶の名に泥を塗るわけにはいくまいな…」義勇はおもむろに日輪刀を抜いた。

 

「刀を抜いただけというのに何という圧力!!」しのぶは義勇の強さをまざまざと感じていた。殺気こそ感じられないものの、その圧力だけでも並の鬼なら尻尾を巻いて逃げることであろう。

 

「これは、虎の尾を踏んでしまったのかもしれない…」しのぶは覚悟した。いや、義勇に刀を向けた時点で覚悟を決めていたのだ。

 

「…共に任務に当たったときは、正直それほど感じませんでしたが、このように相対(あいたい)すると、冨岡さんの圧はすごいですね…」これはしのぶの嘘偽りのない思いであった。

 

「…根本的なことを問いたい。何故俺たちは戦わなければならぬのだ?」

 

「申し訳ありません。詳細は申し上げられません。…しかし、決して冨岡さんを恨んだり、憎かったりするわけではありません。お命を狙っておいて何ですが、これだけは信じて頂きたいのです…」

 

「聞いても答えてくれぬようだな…」

 

「一瞬で決まります。…冨岡さんが勝った暁には『馬鹿な女、一突きに刺されてここに眠る』とでも刻んでください」

 

「いざ…」

 

 

 

 しのぶが言うように勝負は一瞬で決まった。義勇はしのぶの突きを凪でかわし、心臓を一突きに刺したのであった。

 

 

「冨岡さん…さすがです」確かに心臓を刺されたはずのしのぶが何事もなかったかのように体を起こした。

 

「全く()()の悪い鬼だったな…」

 

「柱として、鬼に体を乗っ取られてしまうなど恥ずかしい限りです。特に攻撃に関しては私の制御が全く効きませんでしたから…それにしても、よくあれだけの言葉で私の意図を正確に読み取ってくださいましたね」

 

「…ああ。そなたが俺を斬ると決めたなら、誰に何と言われようとも、どんな手段を講じようとも確実に俺を仕留める。それをわざわざああやって見え透いた挑発をしてくるには訳があると思った…」

 

「ええ。私の体に巣くった鬼を、私自身が命を落とすことなく斃してもらうには、心臓部分を一突きにしてもらう必要があったのです」

 

「そなたが『一瞬で決める』と言うからには、必殺の突き技を繰り出してくるというのは読めた。俺には『凪』があるから、そなたの突き技を防げると読んだのだな」

 

「はい。ほかの方だと万が一のことがあると思いましたので…」

 

「…まったく、そなたの突き技の速さと鋭さは恐ろしい限りだからな。…だが、『心臓部分を突け』という意図を汲むのには苦労したぞ…」

 

「鬼に私の思考まで読まれなかったのは幸いでした。しかしながら、あまり説明してしまうと、鬼に対処方法を考えつかれてしまいますから。…私としても、一か八かの賭けでしたよ」

 

「…胡蝶、俺はそなたの謎かけを解き、必殺の突き技まで繰り出されて疲れた。…こういったときは甘味に限る。どうだ、これから一緒に食べに行かぬか?」

 

「冨岡さんから甘味処に誘われるとは珍しい…ぜひ、ご一緒させてください…今回ばかりは私がおごりますから…」義勇としのぶは心なしかウキウキしながら甘味処へと向かった。

 

 

 

 …しばらくすると、この二人が仲良さげに()()()()を食べている姿を見たという話題が鬼殺隊を駆け巡ったという…

 

 



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ぎゆしの戦国草紙 第3話【side胡蝶家】

 第1話と若干(?)つじつまが合わないじゃないか!というところがあるかと思いますが、善意に解釈して頂けたら幸いです。


 胡蝶家。その名は家紋に描かれた蝶が由来であるともいう。そして、その家紋が示すとおり、平家嫡流の流れを()む名門であった。

 

 古来、〇〇国では、代々胡蝶家が朝廷より国守(くにのかみ)の地位を賜り、支配してきた。だが、時が移り、戦国の世になると、冨岡家が力を増し、幕府から守護の地位を賜って〇〇国の支配権を巡って(いくさ)を繰り広げてきたのであった。

 

 胡蝶家の立場で言えば、冨岡家など、どこの馬の骨とも知れない成り上がり者であり、戦いの当初は、あからさまに見下した態度を取っていた。しかしながら、知らず知らずのうちに胡蝶家に蔓延(はびこ)っていた悪習などに嫌でも直面することとなり、改革に着手せざるを得なくなっていた。そして、一方の冨岡家の方でも、長年支配を続けてきた胡蝶家の手法を取り入れるなど、気付いてみれば、この両家にさほど大きな違いは見受けられなくなっていった。

 

 そうしたことにお互いが気付き始めていたちょうどその頃、隣国では急速に△△が台頭し始めたのであった。

 

 

 胡蝶家の当主であるしのぶたちの父親は、娘二人を集めていた。

「そなたたちも知っておろうが、日増しに△△の脅威が増しておる。…そこで、これまでの行きがかりを捨て、冨岡家と同盟を結ぶこととなった」

 

「父上、ひとつお尋ねしてもよいでしょうか?」二人を代表するかたちで、姉カナエが口を開いた。

 

「もちろんだ」

 

「△△と手を結び、冨岡家と決着をつけるという考えもあると存じますが、何故そうなさらなかったのですか?」

 

「確かに冨岡家とは戦を重ね、因縁浅からぬ。だが、△△とは組めぬ…」

 

「と、申しますと?」

 

「△△は、自らに利があるうちはともかく、そうでなくなると平気で約定(やくじょう)(たが)えるし、従わぬとなると、村ごと皆殺しにすることすらあると聞く。…これでは話にならぬ」

 

「その話なら、(わらわ)も聞いたことがあります。…確かに冨岡家に対しては思うところもありますが、その一方で、そこまではしないような気も致しまする…」

 

「冨岡家について言えば、あるいは『いずれこの国を支配するつもりだから、むやみに領民となる者を殺さない』とでも考えているだけかもしれぬ。だが、△△にはそれすらない。となれば、手を組む相手はおのずから定まるというもの…」

 

「父上が妾らを集めたのは、どちらかに冨岡家に嫁げとおっしゃるためですね?」

 

「そういうことだ」

 

「ならば、姉の私が参ります」

 

「それはなりません。…姉上にはお心にお決めになられたお方がいらっしゃるのではありませぬか?」

 

「胡蝶家のみならず、領民たちの幸せのためなら…どちらを優先すべきか明らかというもの…」

 

「姉上は否定されない。…やはり不死川様のことを好いてらっしゃるのですね」

 

「しまった・・」カナエは一本取られたという表情を浮かべていた。

 

「父上、ただ今お聞きになりましたとおり、姉上にはお心にお決めになられたお方がいらっしゃいます。…その点、妾にはそのような殿方はおりません。冨岡家には妾が参りましょう」

 

「それはいけない。さすがに冨岡の者が妾らを害することはないでしょう。されど、これまでのことを考えれば、針のむしろであることは容易に想像できます。妾はかわいい妹をそのようなところに嫁がせるわけには参りません」

 

「姉上、ご安心ください。妾の夫となるお方がどのような殿方であるかは分かりません。されど、取るに足らないお方なら…討ち取ってご覧にいれます。さすれば、この国に、わが胡蝶家にたてつく者はなくなりまする」

 

「しのぶ…そなたには男どもにすら負けない剣術、そして薬学の知識という裏付けがあるゆえ、胡蝶家の当主としては誠にうれしい。…しかし、一人の親としては…そなたにも幸せになってもらいたいのだ」

 

「父上…ありがとうございます。…されど、妾とて、このような乱世に名のある家に生まれたからには、覚悟がございます」

 

「それを言うなら、年長の妾が…」

 

「それに、妾には、姉上ほどの魅力がありません。しかし、その分、相手の本音が出るというもの。もし、妾を軽く扱うのであれば、相当の報いをくれてやるだけです」

 

「しのぶ…あなたは二言目には『魅力がない』と言うけれど、あなたは身内のひいき目を差し引いても、とても魅力的よ。自分を軽く扱うのはやめてちょうだい…」

 

「そんなことを言われても…姉上を見る目と、妾を見る目では明らかに違う…」

 

「それは、ごく薄い、表面上のことしか見ようとしていないからよ…」

 

「そうなのかもしれないけど…そういう殿方が圧倒的に多いのもまた事実…」

 

「…戦場(いくさば)ではいざ知らず、よく知らぬ男を仮定で話を進めても(せん)無きこと…」

 

「…父上のおっしゃるとおりでございます。それでは、戦場でのお相手の様子はいかがですか?」

 

「名は確か…義勇殿。年は…カナエと同い年であったか。…顔は人形のように整っていると聞くが、若いのに似ず、特に守りに()けた戦ぶりだ。…最初は攻めるのが苦手なのかとも思ったが、一旦攻め始めると動きは早く、そして鬼のように強い。…できうれば戦いたくない相手だ…」

 

「同い年なら、やはり妾が…」

 

「いや、今決めた。此度(こたび)はしのぶに行ってもらいたい」

 

「ありがたき幸せ!必ずや父上のご期待に沿いまする!!」

 

「父上!!」カナエは悲鳴のような声を上げていた。

 

「カナエの言いたいことは分かっているつもりだ。…だが(それがし)にも考えがあってのことだ。しのぶ、いいな?」

 

「父上にここまで言わせる方なら、相手にとって不足はありません。義勇殿と差し違える覚悟で参りまする!!」

 

「某は…もし、しのぶと義勇殿との間に子ができたら…確かに冨岡の血も入るが、間違いなく胡蝶の子でもある。その子にこの胡蝶家を継がせてもよいとすら思っている」

 

「ありがたきお言葉…なれど、妾は父上以外の殿方を信頼しきれておりません。…そして、おそらく、心の底から信頼できる殿方と会うことはないものと存じます。…せめて、義勇殿が討ち取りがいのある方であることを祈るばかりです。…もし、見かけ倒しの阿呆(あほう)なら、操り人形にして内側から冨岡家を乗っ取ってご覧にいれますが、それではあまりにもつまらないというもの…」

 

 しのぶの父は、胡蝶家の当主として、義勇が並以下の男なら、しのぶが討ち取るなり、操り人形としてしまうことで、最大の脅威である冨岡家を取り除くことができると思う一方、器量の優れた男ならば、しのぶが人として、そして女としての幸せを得ることができるのではないかと思った。…そして、一人の親として、できうるなら後者であることを心の底から願ったのであった。

 

「父上…母上…そして姉上…これまでお世話になりました…」

 

「しのぶ…もしも…もしも義勇殿がお前の()()()にかなう男ならば、幸せをつかめよ。…父はそれをこそ願っているのだからな…」

 

「命の危険がない限り、少なくとも1年は人となりを観察致します…」

 

「そうだ。決して一日二日(いちにちふつか)で判断してはならぬぞ。お前も一日二日程度で判断されたくはあるまい?」

 

「父上のお言葉、肝に銘じます。…それでは行ってまいります」武家の女性としての正装に身を包んだしのぶは輿(こし)に乗り、胡蝶兵に守られながら冨岡家の支配領域との境にある寺に向かった。

 

 生まれ育った城から出て、昨日までの(かたき)の家に向かうという事実に、しのぶは震えが止まらなかった。…並の女に比べれば精神的にも肉体的にもはるかに強いとはいっても、現代的な表現で言えば、せいぜい中高生程度の少女には、どう考えても荷が重すぎるのであった。

 

 そんな中にあって、何とかしのぶが気持ちを立て直すことができたのは、あるいは名門の血がなせる技であったのかもしれなかった。

 

 寺に着いたことにより、しのぶの警護は胡蝶家から冨岡家に移ったのであるが、御簾(みす)越しに見る冨岡兵の様子にしのぶは驚いていた。

 

 それは、服装、具足、武具が真新しいもので統一されているのみならず、末端の兵の頭髪やひげに至るまで、身だしなみが整えられていたからであった。

 

「これは『冨岡家はここまでできるぞ』という示威(じい)かしら。この程度のことで妾がくじけるとでも思うなら随分()められたものね」負けん気の強いしのぶがそのようなことを思っていると目の前の御簾が何者かによってめくりあげられたのであった。

 

「無礼者!妾を胡蝶しのぶと知っての狼藉(ろうぜき)か!!それともこれが冨岡家の礼儀か!!」手に懐刀(ふところがたな)を持ったしのぶは、まず相手をひるませるため大きな声を出していた。

 

「これは失礼した…」意外に静かな声が返ってきたかと思うと、その男は深々と頭を下げたのであった。

 

「冨岡家の礼儀が妾の知る礼儀と同じでよかった。…されど、わが夫となる義勇殿の前に妾の姿を見て、無事で済むとお思いか?」

 

「それは問題ない」

 

「大層なご自信ですこと…」

 

「何故なら、某がそなたの夫となる冨岡義勇だからだ」

 

「えっ…」さすがのしのぶも夫となる男とこの場で会うことになるとは夢にも思っていなかったのであった。

 

「そなたに、当家が、示威のためにこのようなことをやったなどと思われるのも癪だから、某の意図を直接伝えたく、参った」

 

「違ったのですか?」

 

「やはりそう思っておったか。…名門胡蝶家の令嬢が当家に()してくるのだ。そなたのお父上、そして何よりそなたに対して礼を尽くしたいと思ってのことだ」

 

「…それが本当のお話であれば、ありがたきこと。なれど、言葉のみなら、いかようにも取り(つくろ)えまする…」

 

「…某の意図を伝えたかったというのは本当だ。…だが、祝言の前にそなたの顔を一目なりとも見たかったというのが本音なのかもしれぬ…」そう言うが早いが、義勇は馬に足をかけていた。

 

「それで、ご感想は?」

 

「聞きしに勝る気の強さ。だが、悪くない…存外、政略結婚もいいのやもしれぬ…次は祝言の場で会おうぞ」そう言うが早いが、義勇は風のように立ち去って行った。

 

「父上、妾をお選びいただき、ありがとうございます。…どうやら退屈はせずに済みそうです…」しのぶは、義勇という男に興味を抱いたのであった。



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ぎゆしの戦国草紙 第4話 【Sideしのぶ】

「あっ、(わらわ)は冨岡家に嫁いだのであった…」しのぶが目を覚ますと、そこは見覚えのない場所であったため気が動転したのであったが、それも一瞬のことであった。

 

 隣でスヤスヤと眠る義勇は、正直隙だらけに見えた。しのぶはほんの一瞬、ここで義勇を討ち取れば、積年に渡る冨岡家との争いに終止符を打てるのではないかと思った。だが、△△の脅威は消えることはないと思い直した。

 …あるいは、まだ猫をかぶっているだけなのかもしれなかったが、少なくとも自分を一人の人間として扱おうとしてくれた義勇を討ち取るのに躊躇があったというのが本音だったのかもしれなかった。

 

「妾は、自分で思っていたより甘いのかしら。…願わくはこの判断が間違いでありませんように…」しのぶがそう思っていると、隣から「もう起きていたのか?…あるいは昨日はよく眠れなかったのか?」と尋ねられたのであった。

 

「…妾も今しがた起きたところでございます。正直、昨夜は眠れぬかもしれぬと思っておりましたが、慣れぬことで疲れたのか、存外、よく眠れました」しのぶは、たった一晩情を交わした男に多少なりとも気を許したことに自分で驚いていた。

 

「…そうか。それならよかった。…そういえば、しのぶ殿。ひとつ言っておきたいことがある」

 

「何事でしょうか?」

 

(それがし)への殺気を感じた。それで目を覚ましたのだ。…これでは某は討てぬぞ」

 

「何をおっしゃるかと思えば…殿もお(たわむ)れが…」しのぶは何とかごまかそうとしたが、義勇の真剣な表情に言葉を続けることができなくなってしまった。

「…恐れ入りましてございます。…それで妾をいかようになさいますか?」義勇との祝言の前に徹底的な身体検査をされ、そして(かんざし)一本に至るまで胡蝶家から持ち込んだものは一旦全て取り上げられてしまっていたため、しのぶには抵抗する手段がなく、義勇に全てを委ねるしかなかったのであった。

 

「思うことと実際にやるのでは雲泥の差がある。…これまでの当家と胡蝶家の間のことを考えれば、思うのみで処罰しては、某を含め、皆、処罰は免れぬであろう」

 

「と、おっしゃいますと?」

 

「…うまく言葉にできぬが、某は、昨晩そなたを抱いたことで胡蝶家に対し、一種の優越感を感じてしまった。そなたのお父上やしのぶ殿のお気持ちを考えれば…万死に値する」そう言うと、義勇は床に手を着き、深々と頭を下げたのであった。

 

「『胡蝶家の娘をわが手で組み伏してやった』といったところですか?」

 

「そういったところだ…」

 

「どうかお手をお上げください。…妾の立場からすれば『冨岡家の跡継ぎを食ってやった』と言うこともできますので。…そもそも、この家に嫁いできたからには、妾など、殿の思うがままに扱うことができるにも関わらず、殿は妾の気持ちを汲んで下さりました。むしろ、妾の方が、殿のお気持ちにお応えしたいと思ったのです。…それに、妾を抱いて優越感を感じて頂けたなら…むしろ光栄に存じます…」最初は淡々と話していたしのぶであったが、最後の方には顔を赤らめていたのであった。

 

「それでは、この話はこれで終わりとしよう。…ところで、しのぶ殿」

 

「はい」

 

「某たちは夫婦(めおと)となったのだ。表ではやむを得ぬとしても、奥でも『殿』と呼ばれてはかなわぬ。これからは『義勇』と呼んでくれぬか」

 

「…分かりました。ならば、妾にも『殿』はおやめくだされ」

 

「分かった、()()()

 

「それにしても、こんな面倒な女でよかったのですか?()()()()

…生涯にわたる二人の呼び方が定まった瞬間であった。

 

「某は、何を考えているのか分からぬ着飾った女子(おなご)より、しのぶのような、きちんと(おのれ)の考えを話す女子の方がよい。…たとえそれでケンカになったとしても、相手の考えを理解することができるではないか」

 

「本当に面白いお方…」

 

「さて、しのぶ。今日はそなたに引き合わせたい者がおるのだ」

 

「どちら様でしょうか?」

 

「胡蝶家からしのぶに従う女中がおったが、それらの者がいても、必要な物はあろう?」

 

「確かに…まさかいつまでも胡蝶家から手に入れるわけにもいきませんからね」

 

「そこで、それらを取り次ぐ者を用意したのだ」

 


「若殿様より、御台所(みだいどころ)様のお世話を仰せつかりました神崎アオイと申します。以後何なりとお申し付けくださいませ…」

 

「神崎たちは、自ら御台(みだい)の世話を申し出てくれた。きっと御台のために役立つであろう」義勇は既に公人としての口調に切り替わっていた。

 

「殿…申し訳ございませんが、神崎殿と殿方に聞かれたくない話をしとうございます。お人払いをお願いできませんでしょうか?」

 

「…分かった」義勇は、しのぶがアオイと自分や近習の者たちに聞かれたくない話をしたいのだと気配で感じていたが、それを許したのであった。

 

「神崎殿のご両親は此度(こたび)のこと、何と申されている?」

 

「隠していてもいずれ分かってしまうことですので、正直にお話いたします。…私たちは戦災孤児なのです」

 

「ひょっとして、胡蝶家との(いくさ)で?」

 

「はい」

 

「ならば何故、憎いであろう、胡蝶家の娘である妾に仕えようと?」

 

「お手討ち覚悟で申し上げます…」アオイは覚悟を決めた表情を浮かべながら話を続けた。

「…殿様や若殿様は、私たち戦災孤児が生活に困らないようにして下さいます。しかし、私たちは女とはいえ、武士の子。頂いてばかりでは気が引けます」

「どこからかこの話を聞かれた若殿様は、そういった私たちのために働く場を作って下さいました。…口さがない者は『若殿様が手を付けるのに適当な女性(にょしょう)を集めるためだ』と申しますが、若殿様は決してそのようなことはなさらず、かえって私たちに関係を迫ってきた、とある重臣のバカ息子を民衆たちの前で叩きのめして下さいました。…そのときの若殿様の太刀裁きの美しさといったら…皆息をのむほどでございました。…このように私たちには若殿様に大恩がございます。…そのような中、若殿様のご婚礼の話を聞きました」

「聞けば、御台所様は男どもでも太刀打ちできぬほどの剣術の使い手であるのみならず、薬学にもご精通されているとのこと。そして、相手に言いたいことがあるのは胡蝶家も同じ。…若殿様に万が一のことがあってはならぬと思いました」

 

「それで?」

 

「私たちでは到底御台所様の相手にはなれません。…しかし、若殿様の盾にはなれます。私たちが一瞬…いや半瞬でも時間を稼ぐことができたら…若殿様には十分だろうと思ったのです」

 

「誰かにこうするよう強制された、あるいはそう仕向けられたということは?」

 

「いいえ。若殿様は、例え私たちのような者であったとしても、他人が自分のために傷つくことを何よりも嫌われます。…まして命をかけたなどと知られては、どのような騒ぎになるか。…ですが、そのようなお方だからこそ、私たちは喜んで命をお捧げできるのです」アオイの表情はむしろうれしげであった。

 

「殿は、『思うのみでは罰しない』というお考え。妾のみ、その恩恵に浴しては理不尽というもの。…神崎殿、そなた、妾の下で薬学を学ばれないか?」

 

「例え胡蝶家との戦は避けられても、まだまだ戦そのものは続くでしょう。…私たちが薬学を学べば、戦で傷つかれた方をお救いできる。…また、若殿様の毒殺を防ぐこともできるかもしれない…」

 

「どうでしょう?やりませぬか?」

 

「はい、やらせてください!!…いつの日か御台所様の知識を上回ってご覧にいれます!!」

 

「その意気です!!」しのぶとアオイは身分の違いを乗り越え、心を通わせたのであった。



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ぎゆしの戦国草紙 エピソード1

 このお話において、胡蝶家は平家の流れを汲む名門で、長年一国を支配してきたという設定にしました。
 そうなると、その娘であるカナエとしのぶは「浮世離れ」あるいは「世間知らず」というイメージが普通であると思います。

 確かに、姉カナエのセリフは、「『支配者として民衆を大切にしなければならない』という教育を受けていた」という説明で何とかなりますが(もちろんこれはカナエをバカにしておりません。現在でも誰もが頭がいいと認める大学を出て、リーダーとなるべき人達の中にも、人の痛みも知らない「どうしようもない」のがいることを考えれば、はるかにマシだからです)、しのぶには「普段の生活に困らなくてよい反面…」と、庶民の生活を把握していなければ言うことのできないセリフを言わせたからです。

 そこで、なぜしのぶがこのセリフを言えたのかということを書こうと思いました。


 しのぶは、薬学が好きであった。自分が調合した薬で傷ついた者や病に苦しむ者を直接救えるというのは、何とも言えない喜びや醍醐味を感じるからであった。

 そのため、しのぶはとにかく薬となりそうなものを集めることに夢中となった。

 もちろん、しのぶも最初は親の目もあり、人にやらせていたが、次第に知識を得るにつけ、自分で直接集めたいと思うようになった。

 

 しのぶの熱心な願いに、当主である父親は「それでは自分の身は自分で守れるようにせよ」と命じた。しのぶは体つきが小さいから武芸には向かない。そのうちあきらめるだろうと思ったのであったが、あきらめるということを知らないしのぶは逆に身の軽さを生かした突き技を身につけ、並の男では太刀打ちできないほどの強さも手に入れてしまったのであった。

 

 こうした結果、心身を鍛えられたしのぶは、益々薬学にのめり込んでいったのであった。

 その様に、さすがの父親も白旗を掲げ、しのぶの自由に任せることにした。ただし、あくまでも胡蝶家の支配領域の境界に近づいてはならないという制約の下ではあったが。

 

 しのぶの方でも、それが自らの身を守るための措置であることを理解していたし、その制約を無視すれば、それこそ二度と自由にさせてもらえなくことは火を見るよりも明らかであったことから、その点は細心の注意を払っていたのであったが、事件は発生してしまうのであった。

 

 

「珍しい薬草に夢中となり、こんな山の中まで来てしまいました…」ふと、しのぶが気付くと、辺りは山林で、太陽は西に沈みかけていた。

 

「…まずいですね。正確な位置が分からないので何とも言えませんが、境界に近づきすぎてしまったかもしれません。父上にバレたら大変です…」

 太陽が沈んでしまっては身動きするのも難しくなってしまうが、野営できるような用意は全くしていなかったため、しのぶは急いで山を降りようとしたのであった。

 しかし、それが(あだ)となってしまい、しのぶは足を踏み外し、したたかに転んで足をくじいてしまったのであった。

 

 …自らの処置によって歩けるようにはなったことから、骨折まではしていなかったようであるが、痛みもあって動けるスピードは格段に落ちてしまっていた。

 

「…日が落ちれば、どんな動物が出てくるとも限らないし、敵方の間者(かんじゃ)などに見つかってしまうかもしれない…」しのぶの最大の武器はそのスピードであった。そのスピードに大幅な制限が加えられてしまった現在、しのぶはよい獲物でしかなかった。

 

 このまま動かず、明日の朝まで待つか、それとも一晩中動いてでもどこかに助けを求めるか…判断を迫られたしのぶであったが、火もないまま動かずにいれば、それだけで夜の寒さで体力を奪われてしまう。そんなことになるくらいなら、リスクはあっても動いて助けを求めた方がよいと判断したしのぶは足を引きずりながら山を降りたのであった。

 

 そうすると、目の前の藪がガサガサと動いたのであった。

 

「何者か!」相手が人であれ、動物であれ、まず相手をひるませなければ、しのぶに次の手はなくなってしまうことから、その声は必死であった。

 

「…人の声がしたかと思えば、こんなところに若い女がいるとは…あれ…その服は正絹(しょうけん)…まさか胡蝶の姫様では?」こんな乱世、特に若い女性が正絹でできた服を着ているということ自体が、まさにステイタスシンボルなのであった。

 

「もし、『そうだ』と言ったら?」一見して着ている服が正絹であると見抜くということは、只者(ただもの)ではない。万が一、相手が敵方の間者であれば、それこそしのぶは何をされるか分かったものではない。…そんなことになるくらいなら、名門胡蝶家の名折れとなる前に潔く自害して果てるつもりであった。

 

 するとその男は、礼儀正しく膝を折り、(こうべ)を下げながら「(それがし)は、この辺りを治めていた☆☆殿の家臣であった□□と申す者。胡蝶家には恩がございます…」と名乗ったのであった。

 

「□□殿…申し訳ありませんが、聞き覚えがございません」

 

「さもありましょう。何せ姫様がお生まれになる前、※※◇年の頃でございますれば…」

 

「※※◇年、この辺りは…妾の記憶と一致します。敵の間者であっても、ここまでは知らぬはず。そなたの話に間違いはないようです…」しのぶは、少なくともこの数十年、誰が、いつ、どこを支配しているかを記憶していたのであった。

 

「これは、これは…何ともご聡明な姫様でいらっしゃる…」しのぶの頭の良さに舌を巻いた□□であったが、しのぶが足にけがを負っていることに気付くと、背負子(しょいこ)に乗るよう勧め、しのぶも最終的にそれに従ったのであった。

 

 

「☆☆殿の家臣であったのは、はるか昔のこと。今となってはこの辺りの農民や(きこり)たちと変わらぬ暮らしぶりでございますゆえ、何かと行き届かぬ点は何とぞご容赦のほどを…」

 

「このような足を引きずって一晩中歩き回ることを考えれば、極楽のようです。…そう言えば、□□殿のお子らは?」しのぶは□□の言葉遣いや立ち居振る舞いがきちんとしていることから、なぜこのような生活を送っているのかと疑問に思ったのであった。

 

「我らには子ができなかったのです」

 

「そうでしたか…失礼なことを尋ねてしまいました」しのぶは自らの言葉に配慮がなかったことを心から反省したのであった。

 

「…さあ、食事ができました。姫様のお口に合わないとは存じますが…」□□の口調は本当に申し訳なさそうなものであった。

 

「そのようなことはありません」しのぶは出された食事を口にしたが…あまりの()()()に吐き出しそうになってしまった。しかし、これはしのぶに対する嫌がらせでも意地悪でもないことは明らかであったことから、吐き出すことなど人の道に反する。そのため、しのぶはほとんど飲み込むようにして食べたのであった。

 

「…正直、(わらわ)は初めて口に致しました。これは何というものなのですか?」あまりの衝撃に食欲が吹き飛んでしまったため、間を持たせるために尋ねたのであった。

 

「姫様ならば、当然のことと存じます。…それは(あわ)(ひえ)でございます」

 

「粟と稗…」しのぶは絶句してしまった。それもそのはず。粟と稗といえば、胡蝶家で飼っている小鳥の餌として与えているものなのだから。

 

「姫様…庶民にとりましては、米は言うに及ばず、麦ですらぜいたく品でございます…」

 

「妾らは、その領民たちが納める年貢で生活しているというのに、何というぜいたくを…」しのぶの瞳から一筋の涙がこぼれたのであった。

 


 

「しのぶは誠、貴重な体験をしたのだな…」義勇はしのぶの話を正座したままピクリとも動かず、真剣に聞いていた。

 

「はい…領民たちの暮らしを少しでも良くさせることが妾らの務めと心得ておりまする…」

 

「もし、某が間違った道を進もうとしたら(いさ)めてくれ。もしも…もしも、しのぶの諫言(かんげん)すら聞かぬようなら、そなたの手で成敗してくれぬか…」

 

「義勇さんが敢えて領民を苦しめるなど、あろうはずもございませんが…万が一そのようなことがあったとしたら、それは妾の知る義勇さんではありません。…きっと鬼の手先に落ちぶれたのでしょうから、言われずとも妾が成敗致しまする。されど…されど、そんな義勇さんを愛してしまった妾も同罪。領民たちに対し、死んで詫びるほかありませぬ…」

 

「…しのぶは、某自身の罪すら己一人で背負わせてくれぬのか」義勇はしのぶの覚悟に舌を巻いた。

 

「領民たちに仇なす者を討ち取るは、冨岡家御台所(みだいどころ)としての務め。…されど、妾は義勇さんの妻でございます。夫が地獄に墜ちるというなら、ともに責め苦を受けるまででございます」

 

「某は、後ろ指さされるようなことはしておらぬが、(いくさ)で人を殺した。おそらく地獄行きは免れまい。だからこそ、しのぶには極楽に行ってもらい、某を引き上げてもらおうと考えていたのだが…」

 

「義勇さんのおられるところが、妾の極楽でございまする…」しのぶの表情は、むしろ清々(すがすが)しいのであった。



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ぎゆしの戦国草紙 第5話

「しのぶ殿、義勇とはうまくいっておるか?」しのぶは、冨岡家当主である義勇の父に呼ばれていた。祝言直後は長らく自分の父祖たちと争っていた相手の棟梁であることから、どんなに憎いかと思ったのであったが、実際に交流してみれば、やはり義勇の親であり、意外と親近感を感じるようになっていたのであった。

 

「はい。義勇様は剣を握らせればこの上なくお強いにも関わらず、それに(おご)ることなく、領民たちにもお優しく接され、大変慕われているご様子。誠、良き方に嫁ぐことができたと思っておりまする…」しのぶの言葉にうそも嫌味も全く感じなかった義勇の父は笑顔を浮かべたのであった。

 

「聞けば、しのぶ殿は義勇が集めた戦災孤児たちに薬学や治療法などを手ほどきされているとか…」

 

「これは…お耳汚しでございます」

 

「いや、今は、わが城の周辺に限られておるが、けがや病気で死ぬ者が明らかに減り始めたという報告が上がってきておる。成果は既に現れて始めているのだ」

 

「神崎殿を始め、皆、義勇様のご恩にお応えしたいと熱心に学んでくれまする。このようなかたちで(わらわ)の知識が当家のお役に立てるなら、これに勝る喜びはございません…」

 

「…当家のためではあるまい。義勇のためであろう?」

 

「義勇様は当家のお世継ぎ。義勇様のお役に立つことは、すなわち当家のお役に立つことでございまする」

 

「そのような建前はよい。…だが、当家としのぶ殿の実家の胡蝶家は何度も(ほこ)を交え…殺されもしたが、こちらも殺した。いくら△△の脅威が差し迫っているとは申せ、とても『戦国の習い』の一言では割り切れぬであったろう…」

 

「正直に申し上げますなら、義勇様の御首(みしるし)*1を全く狙っていなかったと言えばうそになりまする」

 

「…さもあろう。たが、しのぶ殿は正直だな。なるほど…義勇が気に入るはずだ」

 

「義勇様は、胡蝶の娘である妾を一人の人間として尊重して下さいました。これにお応えしたいと思うのが、人というものであると存じまする」

 

「…なるほど。某には、義勇がそうなった理由に心当たりがある」

 

「差支えがなければ、お話頂けませぬか」

 

「実は、義勇には蔦子という姉がおってな…」

(それがし)らは何かと忙しかったが、当家にはそれほど人もいなかったため、義勇の世話は蔦子に頼り切っていた。…蔦子は親の欲目抜きにしても賢く…そして優しかった。義勇が蔦子を通じて女性一般に敬意を持つようになったとしても不思議であるまい…」

 

「蔦子殿のお話は、今初めてお聞きしましたが…」

 

「蔦子は数年前にあっけなく流行病(はやりやまい)で死んでしまったからな。…そのときの義勇の嘆きようといったら…後を追うか、出家して菩提(ぼだい)を弔うとでも言い出すのではないかと思ったほどだ…」

 

「そのようなことがあったとは…知らぬこととは申せ、辛きことを思い出させてしまい、誠に申し訳ございませぬ…」

 

「…こうやってしのぶ殿と話をすると、自然とその知性が伝わってくる…こういったところは、どこか蔦子に通じるものがある…」

 

「妾は気性が荒く、蔦子殿とは似ても似つかないと存じまする…」

 

「それは当然だ」その言葉にしのぶは一瞬驚いたが、続く言葉はしのぶを励ますものであった。

「…この世に蔦子が二人といないのと同様、しのぶ殿も二人とはいないのだからな」

 

「恐れ入りまする…」

 

「…決めた。家督を義勇に譲る」

 

「えっ?」

 

「義勇がしのぶ殿のような妻を(めと)ったからには、もはや何の心配もない。…しのぶ殿、冨岡家の行く末は、そなたたちに託す…」

 

義父(ちち)上…義勇様には婚礼の日に申し上げましたが、妾が当家の乗っ取りを企むやもしれませぬぞ」

 

「ほう。…それで、そのとき義勇は何と答えた?」

 

「『血を流さず済むなら、それもよかろう』と…」

 

「これは…これは…わが息子ながら、なかなかの答えではないか。…これなら安心して隠居できるというもの…」そう言うが早いが、義勇の父は、義勇や家臣たちを集め、家督を義勇に譲る旨を宣言したのであった。

 

 


 

「某が冨岡家を継ぐ…いずれこの日が来るであろうことは分かっていた。しかし某が判断を誤れば、某のみならず、家臣や領民たちの財産、果ては命まで失われてしまうのだ…」その夜、しのぶは義勇が弱音を吐くのを初めて目の当たりにしたのであった。

 

「見苦しいところを見せた。…某に愛想が尽きたか?」義勇の顔はいつになく落ち込んでいた。

 

「とんでもございません。自らの責任に真正面から向き合い、そして、その責任の重さを感じることのできる義勇さんのようなお方こそ、誠、棟梁にふさわしいお方と存じまする。妾は、義勇さんのようなお方に嫁ぐことができたこの奇跡に感謝しておりますれば、全知全能を挙げ、義勇さんをお支え致しまする」

 

「しのぶにそこまで言われては…何とかなる、いや、何とかするしかあるまいな…」

 

「そうおっしゃって頂けるとうれしいのですが…」しのぶは急に不安そうな顔つきになったのであった。

 

「どうしたというのだ。しのぶは某を支えてくれた。某もしのぶの支えとなりたい」

 

「義勇さんのお悩みに比べると、誠に小さきことなのですが…」

「…正直、義勇さんに対する想いが日ごとに大きくなってきております。…もしも、…もしもその義勇さんに裏切られてしまったら…妾は人として生きていくことができなくなってしまうのではないかと思いまして。…いや、これは、側室を置かないでくれといった次元の話ではありませんよ。…でも、はやり側室は…にわかに認められませんが…」しのぶは珍しくとりとめのない話し方をしたのであった。

 

「…しのぶの言いたいことは何となく分かった。某も、もし、しのぶに裏切られたら修羅になるであろうからな。…某は人にされたくないことは人にしない。だから、決してしのぶを裏切るようなマネはせぬ。…だが、もしこれを(たが)えたなら…どのようにすれば償えるか分らぬが…とりあえずしのぶが『いい』と言うまで、いかなる責め苦を受けても構わぬ…」

 

「義勇さんも妾と同じ気持ちでいらっしゃったとは…もしも…もしも、どうしても義勇さんを騙さねばならぬとしたら…妾は死ぬまで騙しとおしますゆえ、義勇さんもそうしてくだされ…」

 

「…某には、そのような器用なことはできぬ」

 

「バカ…ここはうそでも『分かった』とおっしゃってくださいな…」

 

「う~ん。そういうものなのか…某には女心というものが分からぬ…」

 

「…本当に仕方のないお方…義勇さんみたいな朴念仁には、妾が必要でございまするな…」きついセリフを甘えた口調で話すしのぶは、今、まさに幸せであった…

 

*1
ここではやや意味を転じて「命」の意味で使っています



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ぎゆしの戦国草紙 第6話

此度(こたび)、父の跡を継ぎ、冨岡家棟梁となった。…思えば、父はこの評定(ひょうじょう)を大切にしておった。(それがし)もそうするゆえ、これからも忌憚(きたん)のない意見を出してもらいたい」晴れて当主となった義勇は、初めての評定で、所信を表明した。

 

「ははっ!!」家臣たちは、自分たちの意見を重視すると言われてうれしくないはすがないのであった。

 

「さっそくではあるが、某は、この場に御台(みだい)を加えたいと思う。皆の意見はどうか?」

 

「…(おそ)れながら申し上げます。御台所(みだいどころ)様の能力について疑問を持つ者はおそらくおりますまい。なれど、逆に、聡明なるがゆえに、当家の機密が御台所様を通じて胡蝶家に筒抜けになるのではないかと懸念致しまする…」

 

「なるほど。確かにそなたの危惧はもっともだ。だが、某は御台に隠し事は一切しておらぬ。ならば、評定に加えたところでその危険性は変わらぬ上、表で決めたことがいつの間にか奥で変更されるという弊害も避けられるのではないか?」…正式な会議で決まったことが、その妻たちの反対でいつの間にか変更されたというのは、専制政治では、そう珍しいことではないのであった。

 そして、そうなるくらいなら、いっそ正式な会議のメンバーに加えた方が、直接説得もできる上、決定事項に従う義務も生じることから、かえって良いのではないかと思われた。

 一番の懸念材料であった冨岡家の秘密保持の点は、棟梁である義勇が隠し事を一切していないと言う以上、家臣が気にしても仕方ないと思われたのであった。

 

「…そういうことであれば、御台所様が評定の場に参加されてもよいと存じまする」家臣たちの同意を得た義勇は、別室で待機させていたしのぶを早速評定に加えたのであった。

 

「此度、皆様方の同意を頂き、当家の評定に加えさせて頂くことになりました。…あるいは、皆様方と物事のとらえ方が異なるところがあるやもしれませぬが、(わらわ)なりに当家によかれと思って発言することを、まず皆様方にお誓い申し上げまする…」評定への参加が認められたしのぶも、まず所信を表明したのであった。

 

「皆の者、御台はまず、当家のために発言する旨誓ってくれた。どうか公正な態度で臨んでもらいたい…」

 

「…心得ました」男たちが戦場に赴いている間は、女たちが場合によっては武器を取ってでも守る時代であるから、かえって後の江戸時代よりも女性の地位は高い。しのぶに対する警戒は、やはり長年敵対してきた胡蝶家の人間であることが理由であったが、逆説的に見れば、それだけしのぶの能力が認められているということであった。

 


 

「次に『蝶屋敷』の件を諮りたい…」義勇が集めた戦災孤児たちにしのぶが薬学などを教えた成果を発揮するための医療施設は、領民たちから胡蝶家の娘であるしのぶが取り仕切っていることから「蝶屋敷」と呼ばれるようになり、それが正式な呼び名として採用されていたのであった。

 

「この頃は、『蝶屋敷で働きたい』と申す者どもも増え、そしてその『蝶屋敷』で学んだ者たちが各地に散らばって、その地で医療などを施すことにより、領民たちの死亡率が明らかに減ってきておりまする」

 

「皆、殿や御台所様に感謝し、開墾なども進んだ結果、税収も増えてきておりまする」

 

「某は何もしておらぬ。御台が中心となってやったことだ」

 

「…当初は『金ばかりかかる』と嫌味も言われましたが、殿は妾の好きにさせてくださいました。殿の先を見通すお力が今日(こんにち)の結果を生んだのです」

 

「これは手厳しい…某とて、お役目で申し上げたことで…」勘定方(かんじょうがた)はいたたまれない表情をしながら言葉を発したのであった。

 

「いや、勘定方が、海のものとも山のものとも知れぬものにホイホイと金を出す方が問題だ。これからも、むしろ恨まれるくらいで良いぞ…」義勇は役割というものにきちんと配慮できる男であった。

 

「ありがたきお言葉…」

 

「だが、今のやり方では、いずれ限界が来る。…某は『蝶屋敷』を長く続けたい。そのためには『蝶屋敷』が金子(きんす)の面で、ある程度自立しなければならぬと思う。そのための方法を考えてもらいたいのだ」

 

「殿の『蝶屋敷』に対する並々ならぬ想い…妾はうれしゅうございまする。確かに『蝶屋敷』に必要な金子は、全て当家から出ておりまする。『蝶屋敷』の維持にかかる金子が増える一方では、勘定方としては確かに渋い顔になりましょう」

「…ならば、神崎殿らも薬の調合ができるようになりましたので、まず、それらを売りまする。そして『蝶屋敷』に来た方から何かしらを頂きまする」

 

「もう少し具体的に話してもらえぬか?」

 

「妾も今思いついたところなので、詳細は後ほど詰めたいと存じますが…金がある者からは金を、金がない者からは食料でも、薪でも、掃除・洗濯でも…要は何かしらを提供して頂くのです。そうすれば『蝶屋敷』としても、何かしら頂く以上、相手を()()に扱うことはできなくなりまする」

 

「おお…」現代的な言い方をすれば、受益者が一部負担するという極めて合理的な考えに家臣たちは驚いたのであった。

 

「殿、畏れながら申し上げます…」

 

「どうした?」

 

「御台所様のお知恵の深さ、恐れ入りましてございまする。殿…御台所様が当家に輿入(こしい)れ頂いたこと、神仏に感謝する以外にございませぬ…」

 

「そなたもそう思ってくれるか。某もそう思ったゆえ、評定に加えたのだ…」義勇は()()()とした顔で言ったため、その場では誰も気づかなかったが、後に、あるいは義勇は()()()てみせたのではなかったのかと誰もが思ったのであった。

 

 

 その後、しのぶやアオイたちが作った薬は飛ぶように売れた。特にしのぶの作る薬は、冨岡家御台所として「蝶屋敷」に掛かりきりになれないため、その量が少ない反面、求める者が多かったことから、特に一包ごとに蝶柄の押印をして差別化を図る一方、偽物や過度の転売には目を光らせて、ブランド化を図ったのであった。

 

 そのため、領民たちは懸命に働いて「御台所様お手製の薬」を手に入れることが憧れになっていった。

 そして、この薬を通じて、これまで「雲の上」の存在でしかなかった義勇たちと領民たちはつながりを得るようになっていく…

 



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ぎゆしの戦国草紙 第7話

「わが子とは、こんなにかわいいものなのか…」義勇は、しのぶとの間に生まれた娘をその腕に抱きながらまじまじとつぶやいていた。

 

「フフフ…義勇さんの親バカっぷりっといったら想像以上ですね…」しのぶは義勇の人となりから、いい父親になるであろうとは思っていたが、その想像を上回るかわいがりように、改めて幸せを感じたのであった。

 

「…(それがし)は、しのぶの腹がだんだん大きくなっているのを見ても、なお人の親になる実感が湧かなかった。わが子をその腕に抱いて、ようやく人の親になったと思ったのだ…」

 

「…女ならば、わが身に変化が起こりますので、嫌でも親の自覚が生まれまする。なれど、殿方ならば、実際に目の当たりにするまで実感が湧かずとも不思議ではございますまい…」冨岡家の棟梁として何かと忙しいなか、時間を作っては娘やしのぶの世話を焼く義勇の態度を見れば、親としての自覚を得た時期など「どうでもいい」ことと思えてしまうのであった。

 

「そう言えば、しのぶの産後の肥立ちが聞いていたより良かったので安心した」

 

「その点につきましては、自分でも驚いておりまする。初産(ういざん)でしたので、どうなることかと思っておりましたので…」

 

「故郷で鍛えていたのがよかったのやもしれぬな…」

 

「あるいは、そうなのかもしれませぬ…」

 

「…ところでしのぶ、そなたに頼みがあるのだが…」

 

「水臭うございまする。義勇さんは(わらわ)に妻として、そして母としての幸せを与えてくださいました。妾にできることでしたら、何なりと申し付けてくだされ…」しのぶは、結婚以来、義勇が一方的な命令ではなく、あくまでも依頼してくるその態度に報いたいと思っているのであった。

 

「某は果報者だな。…某の頼みというのは、(しゅうと)殿のことなのだ…」

 

「妾の父がどうしました?」

 

「胡蝶家からはしのぶが当家に嫁いできてくれたおかげで、当家の胡蝶家に対する敵愾心(てきがいしん)は薄れつつある。…なれど当家から胡蝶家に赴いた者は誰もおらぬ。このままでよいはずがあるまい…」

 

「確かに。…それでは、義勇さんがわが実家を訪ねるおつもりなのですか?」

 

「子ができたのでな…」これまで冨岡家には義勇より下の世代がいなかったため、義勇に万が一のことがあっては冨岡家が途絶えてしまう。家の棟梁としてそれだけは絶対に避けなければならず、義勇としても思い切ったことができなかったのであった。しかし、たとえ娘ではあっても子がいれば、冨岡家存続の方策はあることから、自身が胡蝶家を訪ねることができると判断したのであった。

 

「…義勇さんのお心づかい、感謝いたしまする。ならば妾が父に手紙を書きましょう」

 

「しのぶは本当に頭の回転が速いな…」義勇の意図を察し、それを実行するしのぶの存在は義勇にとっても得難いものであった。

 

「妾に万事お任せくださいませ。…胡蝶家の接待のほど、義勇さんにお見せ致しまする」

 

「そうか。それは楽しみだな…」義勇はしのぶに全幅の信頼を寄せていたのであった。

 

 

 

 しのぶがかつて冨岡家に嫁いだ道を逆にたどって義勇は胡蝶家の支配領域との境にある寺へと向かった。

 

 胡蝶家に対し敵意のない(あかし)として、義勇は太刀すら外した正装、警護の人間も必要最小限に絞っての出立(しゅったつ)であった。

 

 義勇の出立を見送ったしのぶは、家臣たちを集めた。そしてその場に集まった家臣たちはしのぶの服装―何と死装束であった―に驚いた。

「殿は、わが父のもとに出立されました。妾は、父がわが殿を心から歓迎してくれるものと信じております。…されど、何が起こるか分らぬのが戦国の常。妾は、殿に万が一のことがありましては、生きる資格と意味がございません。その際は、是非、妾の首を挙げ、弔い合戦の旗印にして頂きとうございまする…」しのぶの凛とした態度に、家臣たちはただただ頭を下げたのであった。

 


 

「これは…婿殿か?」

 

「舅殿でございまするか?」

 

「いかにも。従五位上(じゅごいのじょう)胡蝶…である」

 

「お初にお目にかかりまする。従五位下(じゅごいのげ)冨岡義勇でございまする」二人は敢えて官位のみで、官職などを言うのを避けたのであった。

 

「婿殿…会うのが戦場でなく、本当に良かったと思うぞ…」

 

「某も同じ想いでございまする…」

 

「そう言えば、しのぶ…いや、失礼、御台所(みだいどころ)殿が最近娘を産んだとか。息災にしておるか?」

 

「はい。相変わらずでございまする。…舅殿、某への遠慮は不要でございますれば、『しのぶ』と呼んでくだされ。その方がしのぶ殿も喜びましょう」

 

「ほう…誠、よき夫婦(めおと)ぶり。しのぶもよい方にもらってもらえた…」

 

「舅殿が某のもとにしのぶ殿を嫁がせたと聞いておりまする。舅殿のご采配に誠、感謝しておりまする」

 

「…いや、今でこそ言うが、あれは消去法だったのだ」

 

「と、申しますと?」

 

「あれの姉には想い人がおってな。それを引き裂いては可哀想だと思ったのだ。…それにしのぶには並の男では太刀打ちできぬほどの強さと知識がある。あわよくば冨岡を乗っ取ることができると思ったのだ…」

 

「なるほど…しのぶ殿は舅殿によく似ておられる…」

 

「うん?」

 

「いえ、祝言の日にしのぶ殿から同じようなことを言われましたゆえ…」

 

「何と!!…それで婿殿はしのぶをどうされたのか?」

 

「しのぶ殿が某の器量を測るために申してきたことは分かりました。ですか、何よりしのぶ殿が何よりも領民たちの生活を守りたいという心根に惹かれましたゆえ、『血を流さずに済むなら、それもよかろう』とお答えしました」

 

「…某もしのぶの幸せを願っていた。だた、ここまでしのぶにふさわしい男が冨岡家の御曹司(おんぞうし)であったとは…」

 

「某にも娘ができました。そのお心、多少なりとはいえ、分かりまする…」

 

「…義勇殿」

 

「はっ!!」

 

「…某には息子ができなんだ。…そなたが息子代わりになってくれぬか?」

 

「…某のような者でよろしいのでしょうか?」

 

「ああ…そう言えば義勇殿、つかぬことを聞いてもよいか?」

 

「何なりと。それに息子とおっしゃるのであれば『義勇』と呼んでくだされ」

 

「そうか…なら、義勇…そなた酒は(たしな)めるか?」

 

「…自分では分かりませぬが、結構なザルだとか…」

 

「今宵、某と一献つきあってくれぬか…」

 

「…とことんまでお付き合い致しまする」義勇は、実の父親から、息子と酒を飲める日を心待ちにしていたと聞いたことがあったことから、しのぶの父もそうなのであろうと思ったのであった。

 

 そしてこの日、しのぶの生まれ育った胡蝶家の本拠地を訪ねた義勇は、しのぶの父たちから酒を勧められ、()()()()飲まされたのであったが、遂に酔いつぶれることななかったという…

 



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ぎゆしの戦国草紙 エピソード2 【少しアダルト】

 タグをつけるほどの内容は書けませんが、これまでよりはエロチックになっております。苦手な方はこれまで同様、ブラウザバック願います。


「ハハハ…それも悪くあるまい。そなたの願い通り、血を流さずに済むからな」

 

 義勇は、夫婦(めおと)(ちぎ)りを交わしてなお、しのぶを一方的に押し倒すことはしなかった。

 しかもそれは、しのぶに魅力を感じていないからではなく、むしろしのぶの気高いまでの心根の美しさに心惹かれた義勇が、しのぶに無理を強いてはならぬと思ったからこそであった。

 

 しのぶは、心の隅で、義勇がこれまで少しでも自分をよく見せようとして誠実さと優しさを装っているのではないかと疑っていた。

 確かに義勇の瞳には、オスとしての隠しきれない欲望の炎が揺らめいていたことから、しのぶに女としての魅力を感じているのは明らかであった。

 だが、仮に()()()()()であったとしても、妻となった自分に一方的に関係を強要するのではなく、自分の気持ちを汲もうとする男が、まさか自分の夫として目の前にいるという奇跡に、しのぶは驚いたのであった。

 

 しのぶは、義勇との祝言が決まった後、男という生き物がいかなるものか教えられた。その中には、例え悪気(わるぎ)はなくとも、経験が浅いと自分の欲望のままに動きがちだということも含まれていたのであった。

 そして、夫となった義勇に女性経験があるかまでは分からなかったが、義勇はしのぶから見ても、もう少しうまく立ち回れるのではないかと思うほどであったことから、経験がないか、それに近いであろうことは推察できたのであった。

 それにも関わらず、自分の欲望を抑えようとしている義勇の態度を見て、しのぶはこの男になら抱かれてもいいと思ったのであった。

 

「殿…(わらわ)に欲情されておりますね?」

 

「しのぶ殿は誠、美しいゆえ…」

 

「それにも関わらず、妾が殿を受け入れるのを待たれるというのですね?」

 

「そのとおりだ…」

 

「…殿がどのようなお考えでそうなされるのかまでは分かりませぬ。…なれど、妾は殿のそういった態度を見て…このお方なら抱かれてもよいと思いました…」そう言うと、しのぶは布団から体を起こすと三つ指をついて言葉を続けたのであった。

「…このようなこと、口の端に乗せることも恥ずかしきことなれど、妾は殿方を知りませねば、殿を悦ばせるようなことはできぬと存じまする。…ですが、精一杯お相手をつとめとうございますれば、よろしくお願いいたしまする…」

 

 その姿を見た義勇も飛び起き、両手をついて応えたのであった。

「…(それがし)女子(おなご)を知らぬ。しのぶ殿は逆であろうであろうが、某は、祝言の前に『何かと女子は苦労や苦痛が多い』と教えられた。…頭の中では、いくばくかでもしのぶ殿の苦労や苦痛を減らしたいと思っているのだか…おそらくうまくいかぬであろう。…どうか気長な目で見てもらえぬだろうか…」

 

「何と気の利かぬお言葉…」しのぶはわずかに笑みをこぼした。しかし、すぐに真剣な表情に戻して言葉を続けたのであった。

「…なれど、殿の誠実さとお優しさは、まがいものではないと存じまする。…妾は生まれて初めて父上以外の殿方を信じてみようと思いました…」

 

「某の責任は重大だな…」そう言うと、義勇はおそるおそる手を伸ばし、しのぶを抱き寄せたのであった。

 

「…なぜ、殿が震えておられるのですか?」しのぶは、義勇がかすかに震えているのを感じたが、情けないと思うのではなく、むしろ(いと)おしいと思ったのであった。

 

「そう言うしのぶ殿も震えておるではないか…」

 

「…どう言い(つくろ)ってみたところで、妾は得体の知れぬものをわが身に受け入れるのです。分からぬものに恐怖を感じるのは致し方ないというものではございませぬか…」

 

「得体の知れぬもの…確かにそうだな。…某は、自分がうまくできず、嫌われてしまうのは自分のせいだから、仕方がないと思う。なれど、某が、しのぶ殿に痛みを与えてしまうことを恐れているのだ…」

 

「…本当に不器用なお方。なれど、耐えきれぬ痛みならば、とうに人は死に絶えておりましょう。どうかお気になさりますな…」

 

「それはそうなのやもしれぬが…某もしのぶ殿の心意気に近づきたいものだ…」そう言うと義勇は目を閉じ、しのぶに唇を近づけたのであった。

「ああ…殿方も目を閉じるのだ…」本当に些細なことであったが、しのぶは男もまた同じ人間なのだと初めて実感することができたのであった。

 そして、お互いの唇と唇が合わさったとき、しのぶはこれまで感じたことのない感覚を味わったのであった。

 

 しのぶが祝言の前に学んでいたことの中には、男女の()()()()(ねや)での男の悦ばせ方というものも含まれていた。だが、しのぶは恋というものを知らなかったため、自分がそれを行うということについて遂に実感が湧かず、どこか他人事のようにさえ思っていたのであった。

 しかし、これまでのやり取りで、少なくとも憎からず思えるようになった男と実際に唇を交わしたとき、「もっと触れたい、もっと触れられたい」という衝動にかられたのであった。

 

「自分で『初めてだ』と言っておきながら、これ以上求めたら、()()()()()と思わてしまうのではないか…」しのぶは初めて生じた自らの肉欲をどうすればいいのか、その扱いに困ってしまったのであった。

 そしてそんなことを考えていると、義勇と目が合ってしまったのであった。

 

「しのぶ殿…一度唇を交わしたのみで、それ以上されぬ。…本当は某に抱かれたくないのではないか?」

 

「いいえ…殿と唇を交わして…その…もっとしたいと思いました。…なれど、女の私から求めては、()()()()()と思われるやもしれず…」本当のことを伝えなければ、義勇を傷つけてしまうと思ったしのぶは、恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら答えたのであった。

 

「…()()()()()?はしたなくて何が悪い?」

 

「えっ?」

 

「男なら、好いた女子が、己の前で乱れるのを見て、喜ばぬはずがない。…もし、しのぶ殿がそういう気持ちになってくれたなら…思うがままにされるがよい…」

 

「加減が分からぬゆえ、粗相(そそう)があるやもしれず…」

 

「加減が分からぬのは某も同じ。…某のよき加減を伝えるゆえ、しのぶ殿も某に伝えてくれぬか…」しのぶは義勇の誠実さ、優しさに心が溶かされるのを感じた。そして、例え口先だけだとしても、ここまで言ってくれるこの男を何としてでも満足させてやりたいと思ったのであった。

 

「…ならば、妾は心のままに動きますれば、何とぞ殿もそうしてくだされ…」いくら事前に教育を受けていたとはいえ、所詮は初めて同士。技術面では大したことはなかった。しかし、お互いがお互いを思いやる心では誰にも負けなかった。

 

 二人はこの日、夫婦として極めて細く、弱いものであったが、確実に絆を紡いだのであった…



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