ゲームの世界に転生した挙句黒幕に飼いならされてます……… (休も)
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プロローグ

生憎の曇天の空模様は、まるでヴィレムの今の心境を反映しているようだった。周囲は火の手に包まれ、ヴィレムは全身の軋む痛みに喘ぎ、雨空を仰いでいた。

 

意識ははっきりとしている。鋭い痛みが、かえってヴィレムの意識が喪失するのを許さなかった。

 

 

「――――」

 

 

腕の中に、ヴィレムは動かなくなった少女の体を抱えていた。少女の目に光はなく、この世ではないどこかの景色を見つめている。快活な笑みも、安心させてくれる優し気な瞳も、可憐な素顔も、生意気な軽口も、ちょっと腹黒い一面も、もう、二度と見られない。

 

それが自分の心を慰めるだけとわかっていて、ヴィレムは少女の瞼をそっと閉じた。死者の冥福を祈る資格など自分にはない。この手は、血に汚れすぎた。

 

罪歌は積み重なり、ヴィレムを地獄へ引きずり込む楔となって離さない。だが、少女は違う。少女だけは違うのだ。だから、ヴィレムは縋りついた。たとえ、元凶たる悪魔であったとしても―――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気が付けばノベルゲームの世界に転生していたなんてベタな展開に出会ったら、あなたはどうする?嬉しがって人生を謳歌する?パニックになって自殺する?

 

俺の場合はどれでもなかった。記憶を取り戻したのは10歳の時だったからだ。記憶を取り戻したその日にこの世界はノベルゲームの世界だと気が付いたが、正直自分にとってはこっちの世界の方が現実であり、前世の自分のことは知識として記憶があるという認識でしかなかったからだ。

 

だから、衝撃は少なかった。ただ、生きていくうえでの問題点がいくつか発覚した。

 

この世界は、怪しげな教団が邪神を復活させ世界を滅ぼそうとするのを主人公たちが止めるというのが大きなストーリーであり、その過程で仲間を集めて冒険したり、学園に通ったりする、ありふれた物語だ。綿密に編み込まれた伏線、重厚なBGMそして秀逸な文章。それらが合わさって、かなり評価が高い作品になっていた………極めつけは、仲間であったはずの王女の裏切りにあいそのまま続編へ行くという怒涛の展開で人気を呼んだ。

 

なんなら、王女が黒幕の一人だったりする。そして、俺の生まれた貴族の家にその王女がよく出入りしていた。これは由々しき問題だった。王女は作品屈指のチートキャラだ。原作でマーキアなんて家名の貴族はいない。つまり、消される可能性があるのだ。そう考えた俺はその頃から原作知識をフル活用して暗躍を始めた。

 

そして数年後に王女に目を付けられ、現在俺は紆余曲折を経て――彼女の騎士に任命されていた。

 

「どうかしましたか?そんな死んだような目をして」

 

そこには、灰色の美少女がいた。端正な顔立ち、ほんのりと上気した頬、吸い込まれてしまいそうな蒼色の大きな瞳。まさに絶世の美少女である。こいつの本性を知ってさえいなければ、その容姿に見とれていただろう。

 

3年前、アイセア王女は帝国のスパイが起こした事件に俺を巻き込んだ。正確に言うのであれば、帝国のスパイを演じていた教団のメンバーが王女の指示で起こした事件に巻き込まれたのだ。つまり、王女が俺に首輪を掛けるためのマッチポンプだったわけだ。生き残るために積み上げてきた功績と事件での立ち回りを利用され、まんまと腹黒王女の術中にはまった。

 

名目上は、ここ数年間で多大な功績をあげた俺を他国に引き抜かれないように王女の専属の騎士にすることで王国に縛り付けるというものだが、前提から間違っている。まず、他国に引き抜かれないようにという部分だが、他国が引き抜こうとしている演出は王女の自作自演だった。このためだけに王女は事件を起こした。そして、功績に関してだが評価されている功績の半分は俺のだが、残りの半分はいつの間にか押し付けられていた王女の功績である。

 

これだけなら抵抗する気でいた。だが、最後の最後に王女は自身の計画の通過点で手に入るであろう死者蘇生の力をエサに俺を釣ったのだ。俺の目の前で彼女を殺しておいて、助けてあげるから私の物になれと罪悪感なんて欠片も抱いていない顔で悪魔の選択肢を叩きつけてきた。

 

「いえ、いつかあなたを殺してやりたいなとそう思っただけです」

 

現在、王女の私室には俺とアイセア以外はいない。だから、取り繕うことなく本音をこぼした。その返答に、アイセアは慈愛と狂気に満ちた魅惑的すぎる笑みを浮かべ、俺の頬に手を伸ばした。

 

「フフッ、正直ですね。ですが、あなたにはできないでしょう?私が憎くて殺したくて、その手で私を滅ぼしたくてもあなたは私から離れられない。私がいなくなることは貴方にとっては最も避けなければならないことだから」

 

「………」

 

蕩けさせるほどに甘ったるい匂いが鼻腔をくすぐってくる。頬に触れている手からはアイセアの暖かな体温が伝わってくる。アイセアの潤んだ瞳の奥から覗く魔性は、俺の理性をミキサーにかけたみたいになるまでドロドロに溶かしにかかる。砕けそうになる意志と理性を総動員して、その手を振り払った。

 

パチン―――――。乾いた音と共にアイセアの腕が弾かれる。その様子を見てもアイセアは驚くそぶりはなく、むしろ喜んでいるようにさえ見える。

 

「そう何度もその魅了が通用すると思うな」

 

「残念ですね」

 

俺の前世の知識にはゲームの終盤までの知識しかない。だから、アイセアという女を完全には理解できていないのだ。でも、それでもこの女と3年間も過ごすうちに分かったことが一つある。それはアイセアが他人を支配する瞬間に悦楽を感じていると同時に、それを不満に思っており自身の支配を拒んで見せる人間を甚く気にいるということだ。

 

最初に俺が目を付けられたのはおそらくこれが原因だろう。知識としてこの女の本性を知っていたが故に、魅了に完全にかかることはなかった。加えて、俺の身体はそういったものに対する耐性が強いらしく気を確かに持っていれば問題なく弾けた。

 

ノックの音が室内に響く。俺はあくまで王女の補佐の様な立ち位置であり身の回りの世話をする専属のメイドやスケジュールを管理する人間が別に存在する。

 

「失礼いたします」

 

ノックの後、部屋に入ってきたのは王女専属侍女のセルビアだ。王女とはもう10年以上の付き合いになるらしい彼女は手慣れたように一礼して、お茶の用意に取りかかる。

 

ちなみに、目の前でお茶を入れているセルビアはアイセアの本性を知らない側の人間だ。ストーリーの中盤には少し勘づいていた描写が描かれていたのだが、アイセアの計画とは無関係な人物である。それ故、接しづらい。お互いのアイセアに対する印象が乖離しすぎているからである。この国の第二王女であるアイセアの側近は三人。俺とセルビア、そしてガゼルという執事だ。ガゼルは教団のメンバーであり王族の教育担当だった時期もある人物でもある。

 

「ありがとう、セルビア。あなたが入れてくれるお茶はいつも美味しいわ」

 

ふわりと花が咲くような笑顔を浮かべるアイセアに心を打たれたかのように顔を赤くするセルビア。何も知らなければ、百合の波動を感じて笑みを浮かべているところだが、最終的には彼女は裏切られ殺されるということを知っていると何とも言えない気分になる。

 

「アイセア様。本日のご予定ですが、学園に留学してくるロバート・ノーラン王子の歓迎及び調査を言い渡されております」

 

「お父様が?」

 

「はい、今回の件アイセア様に一任すると」

 

ノーラン王子は西側に存在する王国の第三王子であり王位の継承権は2番目だ。ノーラン王国は資源が豊かであり、国土も帝国に肉薄する強国だ。ただ、近年までほぼ鎖国状態で近づく国は侵略者とみなすというスタンスだったのだが、とある事情でここ数年はその姿勢を解き始めた。原作を知っているが故にわかることなのだが、数年前に教団の策略によって国王が倒れてしまったのだ。死んではいないものの、強烈な呪術を掛けられているため身動きが取れないらしい。王の不在。王制の国にとってこれほどの一大事はないだろう。地理的にノーラン王国は帝国に近く、弱ったことが知られれば侵略されかねないのだ。現在、ノーラン王国では第一王子から第三王子までが王座を巡って水面下で争っているという状況だ。

 

留学はこの国に後ろ盾になってもらえないかという提案をするために来国したという事実のカモフラージュだろう。何度も帝国を退けた実績を持つトヴィアス王国に後ろ盾になってもらうのは確かに効果的ではある。アイセアは性格上今回の件を面白がるだろう。アイセアという女は絶望にあらがっている人間を気に入る傾向があるからだ。

 

「ヴィレムはこの件をどう考えていますか?」

 

アイセアは度々こういったことを俺に聞き試すようなことをしてくる。それは記憶を取り戻した7年前から目を付けられるまで原作の知識をフル活用して暗躍していたからだろう。確実に何かあると思われているらしい。

 

「何かしらの意図があると思います。おそらく鎖国状態を緩めたのにも関係があるのではないかと愚考します。可能性としては、我が国と何かかしらの条約を結びたいとかでしょうか」

 

有能さはある程度見せておかないと何されるかわかったものではないので、不自然にならないように答えておく。それを聞いて、アイセアは表情を変えないままセルビアに視線を移す。

 

「仮に条約交渉に来るのであれば、第一王子か外交のトップでなければ不自然と言えるでしょう。あなたはどう思いますか?セルビア?」

 

「私はただの侍女ですので政治的なことは………」

 

困ったように微笑むセルビアであるが出身は貴族のためそこそこの知識はある。ただ、ここまで複雑な外交問題には口を出したくないようだった。

 

「留学を隠れ蓑に何かしらの提案をしに来たという穿った見方をするのであれば、ノーラン王国では外国には知られてはいけない何かが起こっているということになりますね。もしくは兄弟げんかをして国を飛び出してきたとか…冗談ですけど」

 

セルビアに助け舟を出すつもりでもう少し踏み込んだ意見を茶化して答えた。するとセルビアは目を軽く見開き、こちらを凝視してきた。数瞬で視線を戻したが、何かに驚愕したようだった。何にそんなに驚いたのだろうか?ここには他に人はいない。このくらい不用意な意見を言っても問題はないはずだが。

 

「フフッ、アハ、ウフフ!愉快な意見ですね?それが本当であれば大変面白そうな話です」

 

少し踏み込み過ぎただろうか。笑いを押さえられないアイセアを見て後悔がよぎるが、この程度なら問題がないと割り切る。

 

「では答え合わせに学園に向かうとしましょうか」

 

そう言ってアイセアは椅子から立ち上がって伸びをする。猫のようにのびやかに伸びをするその姿は隙だらけだ。だが、次の瞬間から雰囲気が変わる。そこに立っているのは、トヴィアス王国第二王女にして世界を揺るがす教団の幹部、作中で屈指のチートと恐れられたアイセア・トヴィアスだ。

 

「今日もよろしくお願いしますね?ヴィレム」

 

くるりと後ろを向き、こちらを振り返って手を伸ばすアイセアに純粋な悪感情を抱けない自分を情けなく思いつつ、その手を取るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第二話

トヴィアス学園は王都の外れにある。学園には特殊な結界が施されているため、王城の次に安全と評される場所である。学園はいわゆる治外法権地帯で王国のルールは適応されない。というか、どこの国の法律も適応されないのだ。学園で起こった出来事はすべて学園にあるルールによって裁かれる。故に、この学園は一つの国であるという人間も存在する。ある意味間違ってはいない。学園の設備と学園長がいればおそらく一国と戦争することは可能だからである。それだけの叡智と人材がここには揃っており、魔法を学ぶ意欲のある人間であれば平民でも受け入れている。ただ、基本的には貴族が経済や政治、魔法を学ぶ場所なので平民の数は少ない。割合は貴族8割、平民2割といったところ。

 

そして、学園では現在社交会が開かれていた。名目は隣国の王子の歓迎会となっている。学園内部では原則生徒は平等であると言われているのだが、現実問題そんなことはない。裏では貴族同士の小競り合いが起こっているし、学園内での人間関係は外に出ても継続されるため、社交会では若い貴族たちの暗闘が起こる。

 

それをわかっているから俺は社交会が嫌いだ。毎回、アイセアの騎士として参加するため、注目度がえぐい。

 

「なんて美しい絹のような髪なんだ!」

「あの美しく澄んだ瞳に吸い込まれそうだわ!」

「相変わらずいい覇気を纏っておられる」

「アルマントとの外交は殿下の功績なんだとか」

「優秀な王族がいると国も安泰ですな」

 

 

 

「あれが噂の王女の騎士か」

「4年前のデオトールでの功績は凄まじいものでしたからな」

「クッ、伯爵風情が」

「武勇も功績もあの年にして良いものを持っておられる。並び立てる者はわずかでしょう」

「王女の騎士というのも納得です」

 

 

「だがよくない噂も耳にするな」

「捕虜同士で殺し合わせただとか」

「味方ごと敵を葬り去っただとか」

「例のウィスパー侯爵の件は彼が関わっているのだとか」

「3年前の件もある。信用はできまい」

 

ひそひそと貴族たちの密談が歓迎の空気に漂って広がる。しかし、すぐに話題が切り替わった。ノーランの第三王子が入ってきたからだ。

 

「あれがノーランの」

「何故この時期に」

「しかしお近づきになっておいて損はあるまい」

「学園内の社交会だしな」

 

ロバートに対する周囲の反応は様子見が多い。現段階で、判断するには情報が足りないからだろう。

 

「—————本日はお集まりいただきありがとうございます」

 

為政者たる器を見せつけるように巧みな技術で、挨拶中の自分に視線を集めるアイセア。会場にいた貴族たちの視線が一気にアイセアに集まる。誰もが集中して彼女の一挙動を見逃すまいとしている。この光景は魅了を抜いても変わらないだろう。それだけ、人を引き付ける声をしているからだ。

 

「僭越ながら些細な美食などご用意致しましたのでどうかごゆるりと楽しんで行ってください。ロバート王子もぜひ楽しんでいただけると幸いです」

 

3分程のアイセアの挨拶が終わる。終わると同時に拍手が起こり貴族達が挨拶を交わそうと余計に前のめりになった。

 

俺は絡まれるのがめんどくさいのでアイセアのことを視認できるぎりぎりの距離を保ち、壁の方へと逃げる。「男避けが何逃げてるんだこの野郎」みたいな視線を感じたが、そこまで優しくして挙げる義理がない。それに、俺が目立っているのは大抵はアイセアのせいなので、自業自得だ。

 

壁際で食事を取ろうと、ビュッフェのテーブルに向かうと先客がいた。

 

桜のような色の髪に金色の美しい瞳を持ち、大きな双丘を抱えた美少女が巧みに盛り付けらた料理を食べていた。

 

アイセアの方にも王子の方にあいさつに行かずここで食事をとっているとはかなり変だ。有力者とお近づきになるのは貴族にとっての仕事みたいなものだ。自分のこれからの将来を決めることになるかもしれない重要な仕事だ。俺のような例外は少ないだろう。

 

彼女は俺に気付いたようで、一瞬目を丸くした後に皿を置き興味深げに近づいて来た。

 

「少し時間いいかな?」

 

「ええもちろん。貴方のような女性とならば時間が無くともつくって参ります」

 

「これはまたお上手で」

 

少女はからからと笑った。

 

「私はミスト・カインズと申します。一つ質問宜しいでしょうか?」

 

思わぬところで原作キャラと邂逅してしまった。彼女はカインズ侯爵家の次女だ。原作では第二章から主人公の仲間に加わる人物だ。優秀なのだが、警戒心が強くなかなか人を信用しない。第四章になるまで主人公に気を許していなかったほどだ。なるほど、納得だ。ミストならあの中に突っ込もうとは思わないだろう。貴族という立場を放り出して逃げたいとさえ思っているのだ。

 

「何なりと」

 

「まず、貴方はアイセア王女殿下の騎士、ヴィレム・マーキアでよろしいのですよね?」

 

「はい、ですがもっと砕けたしゃべり方で構いませんよ。私は伯爵で貴方は侯爵です」

 

「じゃあ、お言葉に甘えて。後日二人で話したいんだけど時間を取ってくれないかな?」

 

デートの誘いなんて単純な話ではないだろう。彼女は自由を欲している。籠の中から飛び立つ機会を探している。もしくは――――。どちらにせよ関わりたくない。正直現段階で原作通りではないが、下手に関われば主人公と仲間たちの邂逅の流れが狂う。少なくとも主人公君たちには仲間と出会って強くなってもらわなければいけない。最悪原作崩壊しても、主人公君と仲間が無事ならいけるはずだ。きっと。

 

「アハハ、可憐なレディからのお誘いとあれば了承しないのは男が廃りますね………ですが、私の主はアイセア殿下なので私の独断では」

 

「ネリア・ルミナス」

 

「ッ!?」

 

俺の表情の変化をみて満足げにニヤリと笑ったミストは俺の横に立つ。そして耳元で囁いた。

 

「私は君のことを知っている。あの日のことも」

 

「………話だけは聞いてやる」

 

苦虫をかみつぶしたような顔をする俺に対してミストは余裕そうな表情でこう告げた。

 

「デート、楽しみにしてるね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

社交会が終わり人がいなくなった会場で、アイセアとロバートは向かい合って腰掛けていた。王族として二人で話がしたいと頼み込んだのだった。

 

「私の騎士の予想ですとあなたの目的は貴国の問題解決のためか兄弟喧嘩での家出だと言っていました」

 

「ッ………それはまた」

 

内容の正確性といきなり先手を取られたことにロバートはひるんだ。

 

「近年までほぼ鎖国状態で近づく国は侵略者とみなすというスタンスだったノーランがここ数年はその姿勢を解き始めた。それほどの何かが王国で起こっているとすると考えられるのは————王の不在でしょうか?」

 

「——————」

 

スムーズに語られる言葉と推測は現実に限りなく近い答えだった。導き出したのだろうか?たった少しの情報から?それとも情報が漏れていたのか?ロバートはどちらにしても驚異的だと感じていた。

 

「ここまでが正しいのであればノーラン王国では第一王子から第三王子までが王座を巡って水面下で争っているのでしょうね。そうだとすれば、留学はこの国に後ろ盾になってもらえないかという提案をするという目的のカモフラージュですね」

 

「………お見事です」

 

「どうですか?私の騎士は優秀で、得体が知れなくて面白いでしょう」

 

得意気に笑うアイセアに乾いた笑みを浮かべるロバート。

 

ロバートにとってこの展開は予想外だった。本来は自分がある程度情報を伏せながら、今回の背景事情を説明し、相手に援助を申し込む予定だったのだ。しかし、こうなった以上仕方かない。ロバートは戦略を変えた。

 

「恥ずかしながら、兵も財も権力も兄たちには及んでいません。その上で」

 

「私の即位に協力していただきたい」

 

アイセアはロバートの瞳に強い光が宿るのを感じた。小細工をやめた。簡単に言えばそういうことだった。

 

「私があなた方に提示できる利益は私が国王になった際に最大限の恩返しをすることです。一国の王に貸しができるのです。これは大きな利益だと考えます」

 

言っていることは間違ってはいない。しかし、間違っていないだけなのだ。

 

「全く足りませんね。あなたが語っているのはあなたが勝った未来の話でしょう。勝つ可能性が低いあなたに対して賭けるほどの魅力を感じません」

 

ロバートが負ければ全部おわり。そんな危険なギャンブルに乗る為政者はそういない。しかし、そんなことはロバートは百も承知だった。

 

「そう言われると思っていました」

 

「————聞きましょう」

 

「残念ながら勝ち筋を提示することはできません。だから、勝利の暁には宝具『ライゼンハルト』と我が王家のもつ書物の閲覧権を提示します」

 

アイセアは思わず淑女にあるまじき笑い方をするところだった。つまり、彼は勝ち筋は提示できないから勝った後の利益を増やします。欲しいと判断したなら私を勝たせてください、そう言っているのである。何という厚顔、何という度胸、何という強欲、傲慢だ。

 

「素晴らしい」

 

彼の姿にアイセアは自身が入れ込んでいるヴィレムの姿を重ねていた。

 

「さあ、どうだ!アイセア・トヴィアス!人脈、情報、宝具、国益、そして私自身!これらを総合して、貴方は私に賭ける価値を見出すか!?」

 

焼けつくような問いかけの後、静寂が部屋を覆った。アイセアの蒼い瞳とロバートの碧眼が交差する。そしてゆっくりとアイセアは口を開いて

 

「いいでしょう。私個人としては協力してもいいと判断しました」

 

「あなた個人だけではなく貴国そのものに援助していただきたいので」

 

「必要ないでしょう。私が援助するということは国が援助することと同義です」

 

その発言にロバートは絶句した。内容に驚いたのではない。その発言を信じさせるだけの何かを感じさせる目の前の少女の器に驚いたのだ。

 

「私の騎士を貸しましょう。少なくとも、あなたを現状よりもいい場所に連れて行ってくれることをお約束しましょう」

 

当の本人がいない場所でそんなことが決まっていた。



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3話

まだ勘違い要素が薄いですがそのうちもう少し出てきます。ただ、勘違いがメインというわけではないです。


「流石は王女の側近。良い場所を知っているものだね」

 

「お褒めに預かり至極恐悦ですよ、お嬢様」

 

「ハハハッ、そんなに不貞腐れないでよ。流石に傷つくよ」

 

多少罪悪感を感じているらしいミスト・カインズを適当にあしらいメニュー表を見る。

 

ここは王都の南東部にあるとある居酒屋だ。東側や南側は平民の住居や歓楽街が多く貴族はあまり立ち寄らない。それゆえに、こんな場で貴族が密会をするとは誰も思わないのだ。加えて、ここに入れる人間はこの店に入るための仕掛けとこの店を取り囲む地下迷宮の道を覚えている必要がある。それ故、新規の客が来ることはほぼない。

 

まさに究極の初見さんお断りの店なのである。アイセアと一部の貴族しか知らない場所だ。異常に頭が良くてチート並みの腕があれば無理やり攻略はできるだろうが、普通は無理だ。まあ、俺は原作知識を持っていたためかなり昔に自力でたどり着いたのだが。

 

完全防音の個室制であり店主の口も堅い。

 

テーブルに黄色く燃えるキャンドルが置かれていて、淡い炎光と天井から降り注ぐ暖色光が心を温める。

 

「それで?話を聞こうか」

 

「…自分の情報を一方的に知られているのはやっぱり不愉快?」

 

「別に不愉快ではない。お前の情報収集能力が一枚上手だっただけだ」

 

「アハハハ、そっちが素なの?」

 

敬語が抜けた俺を見て面白そうに口角を上げたミストを見て、俺のことを完璧に調べているわけではないと感じた。

 

「人の顔や事実、世の中のあらゆる事象が持っているのは単一の側面だけではないということだ」

 

「ふーん。まあそれには同意だけどさ」

 

室内は薄暗くお互いの顔がはっきりとは見えない。それでもミストが今どんな顔をしているのかなんとなくわかる。

 

「カインズ家の不正帳簿と売国疑惑」

 

「ッ!?」

 

俺の一言にミストは目を見開き言葉を失う。

 

「昨日の意趣返しのつもりかい?性格が悪いね」

 

「飼い犬は飼い主に似るらしいからな」

 

「ここ数年でアイセア王女がさらに力を付けた理由がわかった気がするよ」

 

ため息を付きながらコップを持ちあげストローで中身を吸っていく。

 

買い被りだった、俺が情報戦でミストを上回ったように見えるのは原作知識というチートのおかげだ。ちなみに思い当たるのがこれしかなかったからなんとなくで情報開示しただけ。なぜその話を俺にするのかがさっぱりわからない。

 

「お察しの通り、私はカインズ家の不正と売国行為を暴露したいんだ。私だけだと揉み消される可能性がある…協力してほしい」

 

「俺に声を掛けたのは何故だ?」

 

カインズ家の不正を暴露して父への復讐を遂げついでに貴族の地位を捨て行方をくらませるという計画を練っていることは知っている。だが、それを実行に移すのはまだまだ先のはずだ。原作開始前にやることでは………ないはず。

 

「君たち………いや、君が王女の敵になるであろう貴族や有力者を消して周っている話を耳にしたからかな」

 

「は?」

 

なんだそれ。知らない。大体、あんな殺しても死なない公式チート女を何で守る必要があるのかと疑問に思って生活しているんだぞ?そんなことするわけないだろ。

 

「自分を拾ってくれた王女への恩義と熱い思い。人は君を苛烈だというだろうけど、私はそうは思わない。たとえそこにどんな思惑があってもね?」

 

「…いや」

 

「間違いなくカインズ家の当主は君たちの敵になる。それに売国奴を潰したとなれば君たちの功績にもなる。悪い話じゃないだろ?」

 

捲し立てる様に事実を並べるミストを視界に入れながら頭を整理する。

 

 

 

ミストにとってのターニングポイントは5年前に起きた暗殺未遂だ。表向きはミスト・カインズを狙ったものではなく、カインズ家自身を狙ったものであり、とある貴族の謀略だったとされている。当主と家督を継ぐ可能性がある男児には厳重な警備と護衛が施されていたため、結果的にミストとその姉が狙われた。間一髪のところでミストは生き残ったが、彼女の姉は襲撃者によってミストの目の前で殺害された。襲撃者を率いていたのは彼女たち姉妹のメイドだった。

 

ちなみに姉妹のメイドは教団のメンバーであり、はなから姉妹を狙っていた。目的は彼女たちの血液。だが、そんなことは今はどうでもいい。

 

大事なのはこれ以降、ミストは人を信用することを怖がるようになり、貴族という立場に嫌気が差すようになっていったことだけだ。彼女にとって、貴族という立場は安寧と権力の代価として危険と不自由を求めてくるものでしかないのだ。

 

普通であれば、デメリットを飲み込んで立場に甘んじるほうが得るものは多い。しかし、彼女はそうは考えなかった。ミストは女であり、次女だ。当主になることはない。政略結婚に使われて終わりだと本人は考えている。

 

ミストにとって貴族はとても危険な立場だ。

 

ただでさえ危険な貴族という立場にいるのに自由もなく未来まで決められるということはミストには許容できない。何より、ミストにとってはあの暗殺事件がトラウマになっており、姉の存在がミストに弱い貴族令嬢のままでいることを許容させない。

 

だから彼女は自由と力を欲している。彼女は自分が当主になれるのであれば、貴族の地位を求めるだろうがなれないのであれば貴族の地位を捨てて、ただのミストになりたいと考えている。少なくとも原作開始時ではそうだ。

 

どうせ軽い原作崩壊を起こしているので、主要人物への干渉を躊躇ったりはしない。ただ、主人公と仲間たちの邂逅の流れが狂うことだけは避けなければならない。主人公君たちには仲間と出会って強くなってもらわなければ邪神が召喚されて世界が滅ぶ。

 

だから、俺がするべきことは――――――

 

「一つ確認したい」

 

「なんだい?」

 

「目的は父への復讐か?」

 

嘘は許さない。殺気を向けながらミストに向かって真っすぐと視線を向ける。

 

「ッ———そうさ!私たち姉妹を見捨てて跡継ぎと自分だけに警備兵をすべて使いあまつさえ、姉を出来損ないと罵ったあの男を許すことはできない!」

 

震える声に、熱が混じった。僅かに滲んだ涙と共に溢れ出るそれは、きっとミスト自身が抱いている本音だ。だけど、足りない。

 

「それだけじゃないだろ?」

 

「ッ!」

 

「何を言って――――」

 

震える声で、彼女が言葉を探している間に思考をまとめきる。

 

「お前の渇望を話せ。腹のうちを俺に見せろ。お前はどうなりたいんだ?」

 

しばし沈黙を挟み視線を交錯させる二人。睨み合いが続く。ナプキンがコップに付いた水滴を吸って重くなっていく。

それは敵対行動ではなく、互いの器量を測り合うようなやり取りだった。やがてミストは諦めたように嘆息し、口を開いた。

 

「父への復讐という面はあるよ。でも一番は現状のまま籠の中で生きていくことを姉さんも私も許せなかったっというのが大きいかな」

 

「お前のことは調べた。あの事件のことも。妹であるお前を庇った姉は今のお前を許さないと?」

 

「うん、少なくとも私はそう思う」

 

「――――――――――姉がただお前を愛していただけだとは考えないんだな」

 

ミストはわずかに顔を歪めて視線を下に下げた。

 

「あれは姉さんの意地だよ。私を狙った襲撃者を邪魔してやろうっていう、ただ無意味に死んでいくことを恐れた姉さんの意地だ」

 

悲しげに笑うミストを見て踏み込み過ぎたと反省した。

 

「…いいだろう。協力してやる。ただし、三つ条件がある」

 

「聞こうかな」

 

「一つは俺のお願い事を聞いてくれること。二つ目は、カインズ家をお前が継ぐことそして雲隠れはしないこと。三つ目は、事件の真相をきちんと調べること」

 

ここで貸しを作っておきたいのは俺のただの欲だ。ミストはかなり優秀な少女だ。どうせここまで原作が狂っているのなら是非ともつながりを作っておきたい。そして、いかに原作と乖離していようと主人公たちとの出会いをなくすわけにはいかない。だから、最低でもこの国と学園には繋ぎ留めておく必要がある。そして、事件の真相を知って教団のことを知れば主人公とも協力しやすくなるだろう。そう考えて、この条件を出した。

 

「………。どうして、そんな条件を?」

 

驚愕で目を見開いた後、力なく笑うミストに俺はよどみなく答える。

 

「言っただろ?人の顔も事実も世の中のあらゆる事象は単一の側面だけではない。ミストという女は籠から飛び立っていなくなってしまうには惜しいと感じた(・・・・・・)。それだけだ」

 

ミストが自由と力を欲するのは過去の事件のこともあるが一番は、父から切り捨てられ妾の子だと出来損ないだと周囲から罵られたことによる承認欲求の肥大にある。

 

そこを利用した。ミストの好感度を上げて交渉をやりやすくするために、原作知識を使ってその心を土足で踏みに抜いた自分に吐き気がする。

 

「ハハッ、光栄なことだね」

 

「お前が俺を利用しようとしたように俺もお前を利用したくなっただけだ。気にするな」

 

ミストは可憐さと獰猛さを併せ持った笑顔でこちらににじり寄る。

 

「アハハッ!私を利用する気満々。でもいいよ。先に利用しようとしたのはこっちだし、毒を飲み干す度量がなければやってられないもんね。よろしくね?ヴィレム」

 

罪の意識を感じたまま無垢な好意を向けられるのは苦しい。だから、俺はアイセアの元を離れたくないと時折思うのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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4話

「あら、お帰りなさい」

 

部屋に戻るとアイセアがソファーに腰掛けくつろいでいる。何でいるのだろうか?

 

「あなたは私のものなのですからこの部屋にはいるのに許可はいらないでしょう」

 

「いやいるだろ………。そんなことしていると臣下がいなくなるぞ」

 

「ご安心を。こんなことをするのはヴィレムに対してだけですよ」

 

「何も安心できないけど?」

 

俺はソファーの横にある椅子に座り、ひじ掛けに右手と顎を乗せて、寄りかかる。

 

「一応、聞くけど部屋漁ってたりする?」

 

「随分と面白みのない部屋でしたね」

 

悲しきかな間髪入れずにプライベートを否定された。今回は良いけど、俺のもいろいろと入られたら困る状況というのが存在する。できれば気を使ってほしいものだ。

 

「それにしても面白い方と会っていたようですね」

 

「………お見通しってか」

 

「飼い犬の行動くらい想像がつきます」

 

まあ、カインズ家の事件には教団が関わっている。事情を知っているアイセアからすれば、ミストの行動は予想の範囲内だろう。

 

「あっそ。カインズ家の件頼んでいいか?」

 

「もとからそのつもりでした。彼女には利用価値がありますからね」

 

冷たい瞳で虚空を見つめるアイセアはそう言い切る。

 

カインズ家の血に価値はない。あるのはミストの母親であるラフォリヤの血だ。本人も自覚はなかったのだろうが、ラフォリヤは邪神の封印を行なった六英雄の末裔だ。邪神の封印の解除には六英雄の子孫たちの血液と適性を持つ人柱、膨大な魔力が必要となる。故に教団は彼らの血族と適性を持つ人材を探しているのだ。だから、ミストには利用価値がある。ミストの姉の血液は襲撃した教団メンバーのミスで失われたため、教団からすればミストはぜひとも欲しい人材なのである。

 

余談だが、六英雄の子孫たちは大陸中に散っており、正式に六英雄の血筋であると言われているのは、帝国の皇族とトヴィアスの王族だけだ。

 

「あ、そういえばノーラン王国の件、あなたに一任すると王子に伝えたので宜しくお願いしますね」

 

「え?」

 

「あなたの予想が大当たりでした。流石ですね」

 

「いやだから………」

 

「ああ、もう少し詳しく説明した方がいいのでしょうね」

 

アイセアは昨日の王子との取引を説明してくる。そしていい笑顔で俺に励ましの言葉を贈る。

 

「期待していますよ」

 

「………なんで俺に任せるんだ?」

 

ノーランへの干渉は教団にとっても重要なことだ。ノーランの資源は王国にとっては魅力的だ。そして、ノーランに眠る禁書庫は教団にとって魅力的なものなのだ。ノーラン王国は大陸でもっとも長い歴史を誇っている国の一つであり、そこに貯蔵された文献の価値は計り知れない。何より、国のどこかに隠されている禁書庫と呼ばれる場所には六英雄が活躍した時代の魔法や技術が眠っているとされている。人柱と魔力の確保に困っている教団としては禁じられた叡智に縋りたいはずだ。

 

教団が現国王に強力な呪いを掛けたのは呪いを解くために、禁書庫を開かないかと期待したからだ。

 

代々、国王になったものだけが禁書庫への道を開くことができる。つまり、次期国王と親密にしておく必要性がある。

 

こんな重要な任務を何で俺に――――――。

 

「あなたの困った顔が見たいからです」

 

アイセアは心なしか顔を上気させ、魔性の魅力を孕んだ笑みを浮かべていた。

 

そうだった。この女はこういうやつだった。

 

「安心してください。アグニを補佐に付けます」

 

「監視の間違いだろ?」

 

「フフッ、今更あなたが私を裏切るとは考えていませんよ。あなたは私なしでは生きられないのだから」

 

その言葉が心に刺さった棘を押し込んでくる。過去の光景がフラッシュバックし、後悔や懺悔が一気に押し寄せてくる。少し吐き気がこみあげてくる。

 

「――っ」

 

直後、頬にアイセアの白い指先が優しく触れる。先ほどの魔性の笑顔から一転し、アイセアは邪気のない顔で微笑んだ。

 

「大丈夫ですよ。私は置いて行ったりも捨てたりもしませんから」

 

「………………」

 

もし、アイセアの本性を知らずに出会っていたらどうだったのだろう。もし記憶を取り戻さずに生きていれば、こんな感情を抱かずに済んだのだろうか?

 

「今日はもう寝る。さっさと出てけ」

 

そう言い残して俺はベットに身を投げ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「改めて宜しくお願いします。ヴィレム殿」

 

「こちらこそ、ロバート王子」

 

ヴィレムとロバートは改めて顔を合わせて、これからの方針について話し合っていた。部屋の端にはロバートの従者の少女とヴィレムの補佐を任されたアグニという少女が立っている。二人とも赤い髪をしているのでなんだか本物の姉妹みたいだなと現実逃避気味な頭で考えた。

 

「まず、現状の把握からしましょう。トヴィアスで動かせる人間は私を含め100程度です」

 

すべてアイセアの派閥の人間だ。ただ、派閥の人間を大量に動かすと目立ってしまうため、100名ほどが限界だったのだ。内訳としては、アイセアの派閥の貴族2名とそれぞれが所有する兵団の一部で100名。それにヴィレムとアグニ、教団のメンバーが数人だ。

 

「私の方も王国に連れてきたのは従者を含め10名程度。国内にいる味方を含めても微々たるものです」

 

優れた才覚と血筋を持ち古参貴族と有力者に支持を受けている第一王子デトロイト。武勇に優れ血の気の多い貴族と軍関係者に支持を受けている第二王子セルベイト。そして、昔から兄弟たちほどの才能がなく対して目立ってこなかったロバート。ロバートについているのは一部の新興貴族と変わり者の古参貴族だけだ。

 

「状況はかなり悪いな…」

 

ヴィレムの独り言にロバートは苦笑いを浮かべる。ヴィレムは原作知識を持っているが、原作開始時点でノーラン王国の内部事情はさらに混沌としており、第一王子と第三王子が優勢で拮抗した状況に陥っていた。今とだいぶ状況が違う上に政治的な駆け引きはあまり描写されなかったため、ヴィレムからすればお手上げ状態なのだ。

 

そんなヴィレムの困惑を知ってか知らずかロバートは困ったような顔をしながら、用意していた資料を渡す。

 

「これが私がつかんでいる各派閥の情報です」

 

渡された紙の束に目を通していくヴィレムはあることに気が付いた。

 

「第二王子は確か妾の子でしたよね?」

 

「ええ、そうですが…」

 

(原作開始時に第二王子はほぼ退場していた。つまり、致命的な弱点があったということだ。セルベイトが兄弟たちの中で劣っているものはなんだ?………才覚ではない。実績でもない。考えられるのは血筋だ)

 

「第二王子の母親はいらっしゃらないのですよね?」

 

「はい…元々病弱だったらしくかなり昔にお亡くなりになられたと」

 

第二王子の母親であるソフィー王妃は元は平民だった。街中で見つけた平民の娘を当時の国王が娶ったらしい。そして、妃が懐妊された時期と国王が通っていた時期に齟齬がある。おそらく、セルベルトは国王の子ではないのではないかという推測がヴィレムの頭を掠めていた。これが当たりであれば原作開始時の状況も頷けるからだ。

 

これは正しくもあり間違いでもあった。原作での第二王子の失脚の原因は国王の息子ではないのではないかという疑惑だ。ただ、その疑惑は真実ではないのだ。そんな事実は存在しない。妊娠の兆候が判明するのには個人差がある。実の子供でないという可能性の方が低いだろう。普段のヴィレムであれば思い至ったことが、あるはずのない前情報によって見えなくなる。

 

補佐を任されたアグニはその情報を正確に理解していた。おそらく実の子ではないという疑惑はかけられても、調査を勧めればただの疑惑に終わってしまうということを予測した。

 

「ヴィレム様」

 

アグニはヴィレムに声をかける。

 

「何だ?」

 

「今考えているのは第二王子セルベイトの母親の件ですよね?であれば私にお任せください。必要な工作はしてまいります」

 

ヴィレムはどのみちアグニに潜入と工作を頼むつもりだった。アグニはアイセアに対しては忠実だが、教団に対する忠誠心はない。つまり、アイセアの指示通りに動いている間は自身を裏切らないとヴィレムが判断できる人物だった。故に、工作が得意なアグニを頼るつもりだった。

 

「頼んだ。第二王妃の出産の秘密を暴いて、証拠を手に入れてくれ」

 

「はい。必ずや証拠をでっち上げます(手に入れてまいります)。ヴィレム様は他のことに注力なさってください」

 

無表情のままそう告げるアグニと満足そうにしているヴィレムに困惑の視線を向けているロバートは口を挟む。

 

「いったい何の話をしているのでしょうか?」

 

その質問にヴィレムは笑って答えた。

 

「我々の勝利について話しているのですよ、ロバート王子」

 

ヴィレムは笑みを浮かべて右手を差し出す。ロバートはその碧眼を見開いた。

 

「方針が決まりました。とりあえず釣りから始めましょう」

 

 

 

 

 

 

 




今回の話はちょっと書き直すかもしれないです………


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5話

こっから先4話くらいはたぶん、ヒロイン兼黒幕兼敵役王女様が出ない。


少数精鋭、俺と王子はノーラン王国の街ロアゾミナに来ていた。王子がいたから誤魔化せたとはいえ、立派な密入国だ。

 

市街に到着すると当たりはかなり賑わっていた。ここに来る前に経由した街は王の不在の影響でみんな不安がっていたが、この街は違うようだ。ロアゾミナはノイマン公爵が統治する街であり、活気がある最大の理由は街にある巨大なスペルリアという湖で取れる水産物と同じく湖が隣接している他都市との流通の賜物である。水運は陸路と違って起伏がほとんどくないため、便利だ。もちろん、高い技術力ありきの話だが。

 

交易を妨げないために警備が緩くなっているというのが、うれしい誤算だった。

 

「それにしてもいい街ですね。活気がある。王が不在なんて嘘みたいです」

 

「昔から、この街はこうなんです。土地の問題もありますが、ノイマン公爵は非常に優れた人物ですから」

 

隣を歩くロバートは少し視線を下げる。ゲーム内ではロバートの心情はほぼ取り扱われなかったため、俺は知らない。だけど、きっと劣等感みたいなものを感じているのだろうなと予測した。

 

「ハァ~、本当は彼のような人物が………」

 

ロバートと俺は顔を隠すために変装をし帽子を被っている。だから、隣を歩いていても顔はよく見えないが、その碧い眼が揺れているのが見えた。ここに来るまでの街の現状を見て、だいぶ参ってしまったようだ。

 

「とりあえず、食事にしましょうか。バートとデルタは何を食べたいですか?」

 

バートというのはロバートの偽名だ。俺もヴィレムではなくアークと名乗っている。王子の従者は有名人ではないのでそのままの名前を名乗っていた。

 

時折思い出したように頬を撫でる風は何処か冷たげで、早くどこかの建物に入ってしまいたかった。

 

手ごろな店に入って、席に着く。まだ朝の時間帯であり、客は少ない。俺を含めて三人はコーヒーとサンドイッチを頼んだ。

 

先に着いたコーヒーポットから噴きあがっている湯気が、低い天井に当たってゆっくり店内に拡がっていく。

 

「『サイレント』」

 

デルタさんが防音魔法を展開した。ただ奇妙なことに魔力の流れを感じなかった。っというか少し不自然な流れが………。

 

不思議そうな顔をしていた俺にデルタさんが少し自慢げな顔をしながら、説明をしてくれた。

 

「この防音魔法は私が張ったのではありません。これは魔道具が魔法を展開しているのです」

 

そう言って、机に置いてある青い球体を指さして見せた。どうやらインテリアではなかったらしい。

 

「魔道具、ですか」

 

魔道具の技術はトヴィアスでも研究されているもののまだ発展途上だ。帝国も同様だろう。魔道具は魔力を流すだけで魔法が使える代物であり、簡単な魔法であれば王国でも使用できる魔道具が開発されている。しかし、コスパも燃費も悪く実用段階にはとても至っていなかった。

 

「随分と進んでいるのですね」

 

それが市民の生活に溶け込んでいるのは驚きだった。技術力があるのは知っていたが、実際に見るとその凄まじさがより感じられる。防音魔法は中級に分類される魔法で、結界魔法の一種だ。中級魔法は秀才であっても魔法を学び始めて最短でも習得に1年はかかると言われている。もちろんアイセアは見てまねただけでできたので5秒もかかっていないがあれは例外だ。

 

「中級魔法をだれでも使える国ですか…素晴らしいですね」

 

「いえ、かなり値が張るためどこにでもあるわけではないのです」

 

ちょっと苦笑いをしてそう答えるデルタ。どうやらこの店の店主がお金持ちなだけらしい。

 

「通常飲食店で防音魔法を使うなんて怪しすぎますが、ここは商人たちが多く行きかう街。商談に関することを聞かれたくない人々が防音魔法を行使することは珍しくないので、需要があるんですよ」

 

ロバートがさらに説明を加えてきた。なるほど、こうして防音魔法を完備していると客にとっては店に入る理由になるわけだ。

 

「活気があって技術があって、いい街ですね。ここは」

 

「はい。………本来であれば、経由してきた街も素晴らしい街なのです」

 

「王の不在は大きな影を落とすものですからね」

 

前国王が有能であればあるほど国は揺れる。加えて、帝国の脅威が問題だ。おそらく、この国の魔道具の技術はデルタの説明以上に進んでいるだろう。原作開始時には戦況をひっくり返すレベルの武器が使用されていた。あれが魔道具なのか宝具なのかはわからないが、魔道具だった場合帝国に対抗するだけの力は十分ある。優秀な指導者がいればの話だが。

 

「ロバート王子。一つだけ聞きたいことがあるのですがよろしいでしょうか?」

 

「ええ、何でしょう」

 

「王子は自分が王になることへのこだわりがないように思われる。あるのは国を憂う心だけだ。違いますか?」

 

「そ、れは………」

 

「何故王子は他の王子に玉座を譲ろうとはしないのでしょう?」

 

「なッ!おい、貴様!それは」

 

主への暴言にデルタは席を立ちあがらんとする。それをロバートは強制的に止めた。

 

「やめろ。デルタ。彼の疑問はもっともだ。協力を打診しておきながら、心の内を語らないのは無礼だ。こちらの非礼を詫びよう。ヴィレム殿」

 

「…話していただけるのですか?」

 

「…はい。前提として私は自分が王の器にふさわしいとは思いません」

 

ロバートは静かに語り始めた。

 

「ただ、どうしても兄たちが玉座に座ることに不安があるのです。兄たちのことは尊敬しています。才能も功績も兄たちの方が優れている。だが!強さ一辺倒のセルベルトには王座を渡すべきではないとそう考えています」

 

吐き出すようにこぼれるその言葉は彼が心に秘めていた本音だ。

 

「セルベルトに王座が渡れば、この国は暗礁に乗り上げる。行き過ぎた実力主義と差別主義は国を割ってしまうのでしょう」

 

彼はそう断言した。その声は力強く、確かな意思を感じさせた。

 

「第一王子はどうでしょうか?優秀なのでしょう?名君になるであろう器だとこれまでの街でも噂になっていましたよね?」

 

ロバートはここに来て初めて心からの苦笑いを浮かべた。彼は流れる様に心のうちを吐き出す。

 

「デトロイトは優秀過ぎるのです。誰よりも優秀な才覚を持ち、カリスマ性と功績そして血を併せ持ちます。ですが、あの人は人の心が理解できない。だから必ずどこかで、歯車が狂ってしまうそんな予感が兄からはするのです」

 

「私は大した才能も功績もありません。ですが、兄たちには少なくとも今は国王になって欲しくないと思っています」

 

酷い我が儘ですねっと悲しげに笑ったロバートを見て俺は、テコ入れに必要性を感じてしまった。今の彼は自信を無くしている。決心して協力を取り付けたはいいものの、街の惨状を見て王の不在を長引かせることを躊躇っているのだ。それでは勝てない。これから先やっていけない。

 

「王子………いや、ロバート。お前の意見はよく分かった。だが、一つだけお前は致命的な勘違いをしているぞ」

 

突然の呼び捨てにデルタは卒倒しそうになる。しかし、口を挟めないそんな空気が漂っているのを感じ、口をつぐんだ。

 

「お前は兄弟たちに負けないものを持っている」

 

「負けないもの………国を憂う心だとでも?そんなものは」

 

ふてくされた子供のように鼻を鳴らすロバートの本音をかき消さんと声を大きくする。

 

「確かに!国を憂う心は武器になるだろうが、それ以上に!持っているだろう!?お前にしかない、武器と手札を!」

 

ロバートは目を見開き唖然とする。

 

「お前は俺の主を説き伏せて協力を取り付けて見せた!誇れ!お前の面の皮の厚さは天下一品だ!話術とハッタリはお前の兄たちに劣っておるとは思わない!」

 

「何故そんなことがわかる――――」

 

「アイセアが!俺の主がお前を認めたからだ。確かに短い付き合いのお前を理解できるほど、俺は優秀ではない。だが、アイセアがお前に何かを見たのなら、信じる。お前は優秀なやつだ。だから自分の選択を信じろ!中途半端に諦めて民が不幸になることを許容できるのか!」

 

「ッ!それは」

 

「お前は、ロバート・ノーラン(・・・・・・・・・)なんだろ?ならここで誓え、戦い抜くと」

 

前のめりだった体を戻し反応をうかがう。正直、ロバートという人物を深く理解できていないので不安は残こる。ミストの時と違ってどういった言葉をかけるべきかの判断は、自身の勘だけを頼りにしたからだ。

 

どうだ?ロバートの反応は—————。これでだめならこれからの計画が—————。

 

「フッハハ、ハハハハハハハハハ!」

 

「殿下!?」

 

いきなり笑い出したロバートを見てデルタはぎょっとしている。

 

「なるほど、ひどい理由だ。正直者ですね、ヴィレム殿は」

 

「気に食わなかったか?」

 

「いえ、だからこそあなたの本心だと感じました」

 

憑き物が落ちたような顔をするロバートを見て、ひとまず計画を進められそうだと判断する。

 

「私は今まで何かを自分で決めたことはほとんどありませんでした。ですが、今回の決断は自分で決めたこと。余計に自信が無かったんです。ですが覚悟が決まりました。勝たせてくれるんですよね?」

 

「フッ、随分な言い草だな。王族としていいのかそれ?」

 

指示を出す側の王族が他の国の貴族の言いなりとはいかがなものか。皮肉が効きすぎている。

 

「私の長所は面の皮が厚いことらしいですし」

 

どうやら先ほどのセリフをかなり根に持っているらしい。

 

「では説明しよう。勝ち筋を」

 

 

 

 

 

 

 



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6話

書きたい場面にたどり着かない…


窓から差し込む太陽の光を背に、重厚なデスクに坐すのはノイマン・アステリオスだ。黒髪に翡翠色の眼。容姿は整っているのだが、やはり歳を感じさせる。人を殺せそうな鋭い目つきが相手に恐怖を与えているが、老いたその体が恐怖を緩和している。

 

「随分強引な方法を取ったものですな、ロバート殿下」

 

睨みつける様な鋭い視線をものともせず、ロバートは口角を上げて返す。

 

「正規の手順を踏むと私がここにいることがばれてしまいますから。私がここに来たということを知る人間は少ない方がいいと判断しました」

 

足が震えていることはスルーしてあげようと思う。対面に座っているロバートが受けている威圧感は半端なものではないだろうし。

 

俺は、こうなった経緯を思い出していた。

 

 

 

 

「口説き落とす対象はたった一人、ノイマン公爵です」

 

現状、勝ち筋はほぼないが不幸中の幸いは王国にはまだ浮いた駒があるということだ。国王の回復に全霊を賭すべきだという意見を持つ者や王位継承の争いで民が傷つくことを危惧している有力者たちが存在している。これを取り込む必要がある。だが、一筋縄ではいかない。有体に言えば、ロバートはナメられているからである。

 

そこで登場するのがノイマンだ。

 

ノイマン公爵は王族に次いで最も歴史の長い貴族の家であり、功績、能力共に優れている影響力の塊みたいな男だ。カリスマ性も兼ね備えているハイブリットな老人なのだ。原作では、主人公たちのお助けポジションとして活躍していた。

 

この男を味方に付ければ、大きな手札になる。力のある古株貴族の行動は周囲の貴族には無視できないものだからだ。

 

「ノイマン公爵を口説き落とした後のプランはあります。ただ、ノイマン公爵を口説き落とせなければ苦しい戦いになるでしょう。………お前次第だ、ロバート・ノーラン」

 

「………全力は尽くしますが、どうやって交渉の席に着かせるんですか?」

 

「あー、一つ聞きたいんですけどノーランにも貴族や王族が使用する符丁のようなものありますか?」

 

「ええ、特殊な記号を用いたものがありますが………」

 

不思議そうに首をかしげるロバートにニコリと笑いかけた。すると、徐々に顔が青ざめていく、ロバートとデルタ。

 

「ま、まさか………」

 

「はい、符丁でノイマン公爵だけに我々が来ていることを伝えます」

 

「ど、どうやって。警備が厳しいわけですし」

 

「ノイマン公爵の執務室は二階にあるんですよね?」

 

「ええ、それは間違いありません」

 

「では狙撃しましょう」

 

「「は?」」

 

ぽかんとした顔をする二人。

 

「紙に記号を用いた符丁を書いてください。それを紙飛行機にして飛ばします」

 

紙飛行機であれば持っていても門番がいきなり襲ってくることはないだろう。

 

「紙飛行機に私が強化魔法を掛けます。それを投げ込みます」

 

風の属性でも付与しておけばそれなりの威力になる。さらに距離が近ければ窓ガラスくらい割れるだろう。

 

「そんなことをすれば…」

 

「ノイマン公爵が符丁に気付かなければ私たちは捕まってしまうでしょう」

 

「あまりにも無謀でかけの要素が強いのでは?」

 

捕まっても王子が顔を見せれば解放されるだろうが、正体を知られてしまうだろう。できれば、ノイマン以外には正体を知られたくない。賭け要素は強いがノイマンが切れ者であるということは原作でも言われていた。賭ける価値はある。っというかこれ以外に方法が思いつかない。

 

「はい、そうですね。ですが文句は聞きません。王子がノイマンの屋敷を訪れたという情報は他の貴族たちには教えたくないので」

 

 

 

 

結果、デルタさんが門番に一撃貰ったものの、寸でのところでノイマンが気が付いてくれ現在に至る。部屋の中にいるのはノイマンの護衛が一人と俺と王子、そしてノイマン本人だけだ。

 

「殿下らしくない作戦ですな。発案者は君かね?異国の騎士よ」

 

俺を異国の人間だと看破したことに少し驚いた。王子の留学から推測したようだ。

 

「はい、僭越ながら私が提案いたしました。ヴィレム・マーキアと申します。お会いできて光栄です」

 

ニコリとあいさつをしてから改めてノイマンという男を見据える。数秒間、視線が交差したがしばらくして向こうが逸らした。

 

「………本題に入りましょうか殿下。要件の想像は付きます。ひとまずトヴィアスの協力は得ることに成功したのですね」

 

「ええ、なんとか」

 

「ですが、力を借りられたのはほんの一部といったところでしょう」

 

鋭い男だと思う。俺の存在だけでこの判断ができるはずはない。カマかけである可能性を抜けば、他国の情報を入手できるルートを持っているということになる。

 

原作では登場期間少なかったからなぁ。底が見えないな。

 

「今のあなたを支持するつもりは私にはありませんよ」

 

バッサリと切り捨てる。ロバートは僅かに顔をしかめた。しかし、それは一瞬のこと。ロバートは不敵に笑って見せた。

 

「判断は私の話を聞いてからにしてもらいたい」

 

「…聞きましょう」

 

ロバートは決意を固めて言葉を紡ぐ。

 

「私は兄たちのことは尊敬しています。才能も功績も兄たちの方が優れている。ですが!王にふさわしいかどうかは別だ!セルベルトに王座が渡れば、この国は暗礁に乗り上げる。行き過ぎた実力主義と差別主義は国を割ってしまうだろう!デトロイトの常軌を逸した優秀さは周囲を堕落させてしまうことだろう!」

 

『デトロイト王子は優秀過ぎるが故に危険なのです。光が強すぎて周りを飲み込んでしまう。それでは国が育たない。人の心がわからない王は暴君と変わらない』

 

原作で描かれたノイマンの独白シーンでのセリフだ。自分でよくこのセリフを覚えていたなと思う。つまり、何が言いたいかと言えばロバートの懸念とノイマンの考えはほぼ同一ということだ。だからデトロイトのような優秀な男でなく自分が王座に座る意味を語れとアドバイスした。

 

「私には力がない。才能がない。実績がない。ですが、この国のことを考えていないわけではありません!実績を急造し才などなくとも王になれることを証明する。支配だけが王道ではない!私は歴史を進める!一人の王にすべてを任せる未熟な精神の国から、民と王で未来を作っていく国にするつもりです」

 

静寂が部屋を支配する。ロバートの荒い息遣いのみが広がっていく。

 

「不敬を承知で言いますが、話になりません。その未来には賛同できますが、殿下の勝つ未来を信じることができません」

 

ノイマンは感情を読ませない表情で、そう言い放った。それに全く動じることなくロバートは答えた。

 

「信じられないという意見は理解できます。私が勝つ未来を信じる根拠が今はありません。だから、その眼で見届けて判断してください。トヴィアスが味方をした私には兄セルベルトを打倒する用意がある!」

 

僅かにノイマンは眉を上下させた。そして、まっすぐと俺の方を凝視した後ロバートの方に視線を戻すと、考え事をするように目を閉じて黙り込んだ。

 

「我々に同行していただきたい。そして、第二王子であるセルベルトが失脚する未来を貴方が見たのなら私に付いてください」

 

今こちらが出せる限界をロバートは提示した。これで断られれば、どうしようもない。

 

「3割」

 

「…」

 

「私から見た殿下の勝率は3割です。ですが、見事に第二王子を打倒し完璧な立ち回りを演じれるというのであれば、話は変わってきます」

 

「つまり?」

 

「殿下に同行するということのみ了承しましょう。そして、価値を示されたのであれば役割を全うするとお約束いたします」

 

「感謝します」

 

ロバートの声が震えている。座っていなければ、地面に座り込んでいたであろうと思えるほど彼は脱力していた。緊張が解けたのだろう。

 

「詳細な計画と話は後ほど聞きましょう。殿下は少し休まれよ。部屋は用意させますので」

 

そう言ってノイマンが指示を出す。すると護衛の人間が扉を開け放ちご案内しますのでこちらへとロバート腕を持ち身体を支えた。言われるがまま、部屋を出ていこうとするロバートを見て決着がついたこととノイマンがこちらに譲歩してくれたことを感じた。

 

 

だがしっくりこないことがある。彼の実力についてだ。デルタは彼がとんでもない使い手だったと話していたが、そういった感じがしない。

 

実際に会ってみると有能さと迫力は感じたものの意外と覇気がない。いっそ仕掛けてみるか?距離でいえば7歩といったところ。護衛も手薄。やろうと思えば眼前まで迫れる確信がある。そうした時に相手の反応はどうなるか?危険を感じた時、人の本心は現れるものだ。

 

まあ、流石に現実的ではない。だが、ほんの一歩前に足を踏み出せばどうだろう。好奇心に負けそう考えた刹那、白刃が首元に突き付けられた。

 

「ッ!」

 

一瞬で魔法で身体を強化しバックステップで距離を取る。だが、そこには変わらず座るノイマン公爵の姿があった。

 

「いかがされましたかな?ヴィレム殿」

 

白刃なんて見当たらないのだ。刃を錯覚するほどの殺気。他の護衛と部屋を出ていこうとしたロバートは困惑し、怪訝そうな顔をしている。微動だにせず座っているのは目の前の老兵だけだ。

 

「いえ、何でもありません」

 

冷や汗がにじむ。こいつ本当にサブキャラか!?絶対強いじゃん。勝てないとは言わない。だが、それでも戦いたくないと思わされた。

 

 

 

 



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7話

感想や評価ありがとうございます。励みになります。序章(ノーラン王国編)はこれで一区切り、次からはヒロイン兼黒幕が出てきます。


セルベルトの陣営は控えめに言って重苦しい雰囲気に包まれていた。セルベルトの領地であるヴェルゼブで内乱が起きたからだ。加えて、セルベルトの派閥の領地でも同じような内乱が起きている。現地では略奪や暴力が横行し歯止めがかかる気配がないらしい。

 

セルベルトが派閥の人間を引き連れ中立に立っている貴族の説得に赴いた時にタイミング悪く内乱が起きた。セルベルトの評判は良くない。優秀であることと統治者に向いていることは違う問題だからだ。領民たちの間に火種はくすぶっていた。そこに追い打ちをかける様に、王の不在とセルベルトの血筋に対する疑惑が噂として流れた。そこにアグニ率いる教団メンバーが火をつけた。燃える材料は揃っていたため、面白いぐらいに燃え上がっていた。アグニを含めた教団メンバーが全員、工作や集団の煽動が上手い人間しかいなかったのが大きいだろう。

 

交渉に来ていた貴族たちはセルベルト含め、対応に追われるとこになった。膝元が燃えているのだから当然だ。結果、交渉は一時中断されていた。

 

宰相からはどうにかして事態を収束させよという書簡が届いていた。

 

「やはり、殿下の領地の内乱が一番ひどいようで」

 

言いづらそうに派閥の人間が報告する。

 

「本日の報告はまだ入っていませんんが、昨日の朝の時点ではひどい状態のようで、一時引き上げて領地に戻るのが賢明かと。それに殿下が…その陛下の子供ではないとの噂も流れておりまして」

 

「クッソ!!!!!」

 

セルベルトは机を蹴り上げる。部屋には派閥の人間が何人もいるが気にした様子はない。

 

「私が!父上の子供ではないだと!?馬鹿らしい!誰がそのようなことを信じる!」

 

部屋は酒臭く足元には酒の入ったグラスが転がっていた。この場の誰もがわかっている。一番その噂で動揺しているのは本人であるということを。妾の子であるセルベルトの出生には秘密があったのではないかと。そんな疑問は本来ならば大騒ぎするほどの噂ではないものの、今回は厄介なことに一部の有力貴族とデトロイト派閥の一部が証言をしているのだ。公式の証言と証拠を宰相に提出しているのだ。

 

「かなり前から計画されていたものと思われます。でなければ、貴族たちがこうも足並みを揃えられるわけがない」

 

「………こんなことで終わってたまるか…。私は王になる男だぞ!」

 

その時ドンっと部屋の扉が開き、王子の側近が飛び込んできた。

 

「何事だ!」

 

「た、大変です…」

 

「なんだ、領地内の内乱で死傷者でも出たか!?」

 

「い、いえ………そ、それが」

 

「なんだ」

 

煮え切らない様子の部下に腹を立てる王子。

 

「領地の内乱が沈静されました」

 

「「「は?」」」

 

動揺が広がる。それは心の底からの驚愕。突然の情報に全員が事態を飲み込めきれなかった。

 

「そのロバート王子率いる一団が内乱を鎮静化。こちらに向かってきているようです」

 

「「「「「「はぁ?????」」」」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

「上手くいきましたね」

 

アグニから宝具を通して連絡を貰い、内乱が起きていることを知った俺たちはその鎮火に向かった。アグニの根回しとロバートとノイマンの存在、そしてロバートお得意のハッタリでなんとかその場は沈静化した。大衆への演説はロバートにとっては難しいことではないらしく、案外すんなりと内乱が収まった。

 

そして、現在セルベルトを含めた有力貴族が集まっているアルフレット領に移動していた。現在、アルフレット領には浮いた駒である中立派の有力者とセルベルトの派閥の人間が集まっている。運が良かった。

 

「アグニ殿。一つお聞きしていいでしょうか?」

 

「なんでしょう」

 

現在馬車に乗り、北上している。馬車の中にはロバートとデルタ、アグニと俺そしてアグニと共に合流したリエルという貴族が乗っていた。ロバートは正面に座っているアグニに向かって質問をした。

 

「何故、ヴェルゼブ領にいたのですか?」

 

「というと?」

 

「いえ、振り返ってみるとあまりにも私に都合がよすぎる様な気がしまして」

 

「私は現在、指揮権を持つヴィレムに従っているだけなので状況を完全には理解しておりませんが、ロバート殿下の努力が実られているのではないでしょうか」

 

アグニは無表情でそう言い切る。怪訝そうな顔をしているロバートが一瞬、ハッとした顔をしてこちらを見た後、恐怖と嫌悪の混じった表情をアグニと俺に向けてきた。

 

「どうしましたか?ロバート王子」

 

「………いえ、己の矮小さを思い知っているところです」

 

正直、王子の言っていることの意味がわからない。合流したリエルという公爵も俺と目を合わせようとしない。

 

セルベルトの疑惑の証拠と証言を握る人物であると説明されている。何でも宰相と仲が良いらしくまとめ上げた証拠と証言をセルベルト王子にも提示しに行く役目を仰せつかっているのだそうだ。

 

「そろそろ着きそうですね」

 

デルタの言葉に全員が外を見る。最終戦の場所が見えてきていた。

 

 

 

 

 

 

 

「何故だ!俺は王になる器だぞ!なのになぜ!愚弟に出し抜かれているのだ!」

 

セルベルトは怒りとも憎悪ともいえぬ感情を振り回す。なだめようとする臣下たちを蹴り飛ばすセルベルトに王の器を見出すものはいなかった。

 

その時勢いよく扉が開かれた。部屋に現れた人物を見てその場に居た全員は目を剥いた。

 

「失礼します。兄上」

 

堂々とした顔で入ってきたのは第三王子であるロバート。横を歩いているのはノイマン公爵とリエル公爵。そしてその後ろを歩いているのはヴィレムとアグニだった。

 

ここに此度の中心人物たちが集まった。

 

ロバートは今までの軌跡を振り返る。ノイマンの説得まではよかった。だがそこからここまでの流れで恐ろしい事実に気が付いてしまった。ヴィレムは最初からこれを狙っていたのだ。先ほどの馬車での会話で確信できた。ヴィレムという化け物はあの赤毛の少女と別行動をとった時点で兄の領地で内乱を起こすことを決めていたのだ。アグニたちは自分たちがノイマンの説得に向かっている中、有力者との交渉とデトロイト派閥との交渉を済ませたうえで、領民を煽動、反乱を起こさせたのだ。恐ろしいほどの先見性。これだけの仕事量を行ったアグニたちにも脱帽だ。だが、それ以上にそれを叶えるだけの策をアグニたちに託したヴィレムが恐ろしかった。

 

まさか、民を犠牲にした盤外戦術を取るとは思わなかったのだ。絆されかけていたロバートは冷や水を掛けられた気分を味わっていた。

 

ロバートは今になって理解していた。アイセア王女は敵も味方も侵す毒だ。彼らに従うだけでは民は苦しんでいく危険性がある。それでも今は彼の作戦に乗るしかない。自分がとんでもない道を歩かされていることに気が付いたロバートは過去の過ちを呪った。ロバートは将来必ず来るヴィレムたちとの離別とそれまでの道筋を思い浮かべ、その瞳に決意を灯して見せた。

 

「引導を渡しに来ました兄上」

 

「引導、引導だと!お前のような出来損ないに何ができる!俺は王にならねばならないのだ!!!!!」

 

その眼は血走っており、その瞳には執念の炎が渦巻いている。何が彼をここまで駆り立てるのか、ロバートはリエルに証拠を見せられたことで理解していた。

 

ロバートは、兄の出生が間違っているとは思っていない。懐妊の時期に齟齬があるのは割とよくある話だ。つまり、貴族たちの証言も証拠もすべてでっち上げたものだ。否、ヴィレムがでっち上げさせたのだろう。デトロイト派閥の貴族からも証言があることを考えれば、裏があると想像するのは自然なことである。

 

だが、ロバートはすべてをわかった上で利用すると決めた。己の道を信じる。なぜなら自分はロバート・ノーランなのだから…。

 

「リエル殿。お願いします」

 

ロバートの言葉でリエルが前に出てとあるものを取り出した。

 

「リエル!貴様!中立ではなかったのか!?寄りにもよって愚弟に付いたか」

 

「いえ、殿下。私はロバート殿下に付いたわけではありません…私は、いえ宰相を含めた私たちは自分たちの裁量が及ぶ範囲において中立に皆様を尊重するというだけなのです。陛下は血筋を大切にされておられる。それに対して、疑問が浮上したのであれば、検証するのが臣下の正しき行い。もし、我々の勘違いであれば私は首を落としましょう」

 

リエルの覚悟と主張にセルベルトの派閥の人間は唸った。否定しにくい意見だったからだ。

 

「これが証言と殿下が陛下の子ではないという証拠です」

 

証言をまとめたものと古びた手紙だった。

 

「読んでみてください」

 

そうして差し出された手紙をセルベルトは読み始める。一通り目を通したセルベルトは震える手で手紙を握ったまま、顔を上げた。手紙は全部で三通。それは、とある男とセルベルトの母、ソフィー王妃との文通だった。内容は愛する女を王に奪われた憎悪と国王に愛する男との未来を引き裂かれた王妃の怒りが綴られていた。そして、そのせめてもの復讐として二人は命懸けで密会をし、子供を孕んだという話だった。

 

「男性の名はホカロム。すでに殺された人間です。彼のことは知らなくとも王妃の字が本物であるということはわかるでしょう」

 

手紙を覗き込むようにしていた家臣たちも驚愕に目を見開いて声を漏らした。

 

「この、字は紛れもない」

 

「王妃のものだ」

 

「なんと………」

 

セルベルトはフラフラとおぼつかない足取りで、2歩、3歩と後ろに向かって後ずさる。そして、手から手紙は滑り落ち、その膝から力が抜けその場に座り込んだ。

 

周囲の人間はその様子を見ながら誰一人動けなかった。いや、動かなかった。それよりも忙しなく周囲の人間と視線を送り合っている。自分の立場を守るのに必死なのだ。どうするのが正解なのか?声をかけるか?この場から立ち去るか?

 

「兄上、貴方がこの場で王位継承権を放棄するのであれば私は全力をもってあなたの名誉を守ります」

 

ロバートは静寂を破ってそう口にした。この証拠はアグニの魔法によって作られたものだ。こんな事実は存在しない。それをロバートは知る由もないが、でっち上げられたものであるということは気付いている。だからこそ、兄の名誉は守りたかった。

 

セルベルトの意識はその場にはなかった。彼は、ただ昔のことを思い出していた。昔、セルベルトは母に父を愛しているのかとどうして結婚したのかと聞いたことがある。

 

その時の母の表情を彼は忘れられることができなかった。憎悪と諦観と悲嘆に染まったその顔をセルベルトは忘れることはないだろう。

 

セルベルトとてバカではない。これがでっち上げられたものである可能性は考えている。しかし、母は王を愛していなかった。このことを知っているセルベルトは否定することができなかった。そもそも、王になることを決めたのは母のような人間をもう生み出さないためにするためだったのだから————。

 

母の名誉を守ることがセルベルトの願いだった。

 

「ロバート。お前は王になってどうする」

 

その問いに彼は迷うことをせずに誓いを言い放った。

 

「この国を変えます。歴史を前に進め、王のみが絶大な力を持つ時代を終わらせる」

 

その言葉を聞き、セルベルトは目を伏せた。そして、口を開く。

 

「一つ条件がある」

 

「………………」

 

「二度と母のような者が出ないように努めろ」

 

「もちろんです」

 

「そうか。ならばいい。俺が継承権を破棄すれば、名誉は守られるのだな?」

 

「お約束します」

 

「では、後は任せよう。母の名誉を守り、そして国を変えろ」

 

それはあまりにも真っ直ぐな、己の野心の終焉を示す言葉だった。先ほどまで、苛烈に当たり散らしていた王子とは別人のように穏やかに、ロバートの方を見る。そして、薄く笑みを浮かべた。

 

「で、殿下。私たちは………」

 

「俺はロバートに付くことを勧めよう。だが、最後に決めるのはお前たちだ」

 

「兄上」

 

「貴様たちに栄華を授けることができなかった主を許せ………すまない」

 

「そんな………」

 

ロバートはその様子を見て歩を前に進める。

 

「この場にいるもの全員に聞いてほしい。突然のことで戸惑っているものも多いだろう。だが私の話を聞いてそれぞれで選択してもらいたい」

 

ロバートの覚悟の灯った眼に家臣たちは目を奪われた。明らかに自分たちの知るふがいない第三王子ではなかったからだ。

 

「私には力がない。才能がない。実績がない。ですが、誰よりもこの国を憂い思っている。今、王国は分岐点に立っている。国を閉じ壁を作っているだけでは、王に頼りすべてを依存するだけでは、この先やっていくことはできない!それは現在が証明している!」

 

王の権威が強すぎた。頼り過ぎていたために、国が揺れているのだと。彼は主張する。それはある種の正論ではあった。ロバートの覇気が熱気が視線を集める。

 

「周囲の国々には油断のならない猛者たちが多くいて私たちはそんな彼らと渡り合っていかなくてはいけない!だからこそ、一刻も早くこの戦いを終わらせる!私が国王に変わって支配だけが王道ではないことを証明しよう!今日この時より私は歴史を進める!一人の王にすべてを任せる未熟な精神の国から、民と王で未来を作っていく国にするのだ!この国は弱くない!それは歴史が証明してる。だからこそみなと共にならなせると確信している。もし私に付いてくるものはこの場に残れ、私に賛同できないものはこの場から立ち去れ!」

 

貴族たちは圧倒されていた。凡人だと侮っていた王子の野心と理想と覇気に目を奪われていたのだ。

 

部屋が静まり返っていった中、一人の老人が声を出した。

 

「ロバート殿下。貴方の進む道は茨の道です。勝算はあるのでしょうか?」

 

「お前はそれを見たから私に付いてきたのではないのか?」

 

ノイマンは若き指導者を見ていた。そして、椅子から立ち上がりその場に跪いた。

 

「愚問でしたな。ノイマン・アステリオス。我が運命を貴方と共に捧げましょう」

 

それは衝撃的な光景だった。ノイマンほどの男が勝算が低い第三王子に賭けたのだ。それは貴族たちにとって無視できないことだ。

 

徐々に徐々に貴族たちが膝をついてロバートを囲っていく。数分後には、八割方の貴族がロバートに付いた。それは数週間前からは考えられない光景だった。デルタはうれしさに涙をこらえ、ロバートは安堵の吐息を聞こえないように吐いた。

 

 

 

 

 

これはノーランにとって動乱の始まりに過ぎないと知っているのはヴィレムのみだった。

 

 

 

 

 

 

 



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8話

学園編に移ります。


現在俺は、トヴィアスに戻りアイセアに今回の件の報告をしていた。ロバートの派閥は一気に勢力を広げ、デトロイトに肉薄している。ただ、第二王子の継承権の破棄に伴い国内はさらに混乱しているらしい。これ以上、ノーラン王国にいると面倒な火種になりそうだったので戻ってこようとしたわけだ。帰りに宝具だけ渡され、現在に至る。

 

「前払いとして宝具『ライゼンハルト』を渡された時に、すごい警戒されながら渡されたんだけど、これってそんなに強力な宝具なのか?」

 

「そうですね………使い方次第では大量殺戮兵器にもなり得る宝具です」

 

杖の形の宝具に目線を向ける。そんなに恐ろしいものだとは聞いてないんだけど。

 

「しかし、ロバート王子はその宝具の有用性を何も理解していないのですね。王になりたいのであれば、必要でしょうに」

 

「どういうことだ?」

 

「洗脳紛いのことができるのですよ。ライゼンハルトは。元々はとある司祭が持っていた宝具でして、人の心に干渉することができるのです」

 

「これここで壊していいか?」

 

絶対にこいつにこれを渡すべきではない気がしてきた。

 

「宝具は魔道具と違って使い手を選びます。心配するようなことにはなりませんよ」

 

確かに宝具は使い手を選ぶ。適性がない状態で宝具を使うと最悪の場合は命を落とす。それだけ危険なものであるが故に、得られる恩恵は絶大なのだ。

 

「………報告は以上なんだけどさ、一つだけ聞いていいか?」

 

「………何でしょうか?」

 

「何でよりにもよってこの場所でお茶会しているんだ?」

 

俺たちは現在、教団のアジトの一つである模造世界迷宮と呼ばれる地下空間にいた。王国と帝国の間にある山脈にある地下空間であり、全部で7つの階層に分かれている。現在、アイセアと俺がいるのは第三階層。かつて栄え今は滅んだとある国を土地ごと転送させて創り上げた場所だ。今の文明とはあまりにも離れすぎている光景が広がっているのをとある建物の最上階からそれを眺めている。

 

人の気配がどこにもなかった。悍ましいほど真っ白なビルのような建物だらけ街は、画用紙で作った模型のような偽物じみた光景だった。まるでゴーストタウンのような、ビルだけの世界。

 

「ここは私とあなた以外は存在を許可されていない空間だからです」

 

言いたいことはわかる。模造世界迷宮で教団のメンバーが自由に使えるのは1階層と5階層、そして6階層だけだ。残りは、空間そのものが侵入者を拒むようにできている。俺も未だに4階層と7階層には入れていない。

 

だからこそ、秘密の話し合いにはピッタリでありアイセアはよく俺をここに連れてくる。

 

一番高い建物の最上階に連れてきて、ちょっとしたお茶会をするのがアイセアの趣味のようなものの一つだ。

 

木製の机には、紅茶のポットがそしてミルクに砂糖が並べられている。皿の上には鮮やかな色の菓子が並べられている。マカロンを置いてある当たり、こういう趣味はアイセアと合うなと思う

 

茶葉の入ったポットにお湯を注ぐ。一、二分たつと、ゆっくりと葉が開いて香りが立ちはじめる。

 

「ノーラン王国は結局どうするんだ?」

 

「どうもしませんよ。しばらくは彼が絶望に抗う様を楽しむとしましょう。あ、ですが私が一番好きなのはあなたが泣きそうになっている顔なので嫉妬の必要はありませんよ」

 

「なんで俺が嫉妬すると思ったんだよ」

 

アイセアは、カップに口をつける。俺の意見はスルーらしい。

 

俺は会話を諦めて、お皿の上のお菓子に手を伸ばす。見た目の鮮やかなマーブル模様のチョコは、ミルクチョコとホワイトチョコのまろやかなハーモニーが体にしみる。

 

「近々、イボスとアシュタロスが動くそうです。もしかしたら、私を狙ってくるかもしれませんね」

 

イボスとアシュタロスは教団の幹部の一人でアイセアとは対立している人間だ。教団は二つの派閥に分かれており、邪神を復活させて自分たちが世界を支配するんだ派閥と世界を邪神に救ってもらおうぜ派閥に分かれているのだ。アイセアは、後者の派閥だが本人は邪神を踏み台にして自分の野望を叶えようとしているのでどっちかというと前者でもある。

 

ただ、表向きは救ってもらおう派閥なのでイボスやアシュタロスと仲が悪い。

 

「情報を得てるなら先に封殺しろよ」

 

「だって泳がせた方が面白いじゃないですか。何を企んでいるのかも気になりますし」

 

もう慣れたが最初にこの思考回路に触れた時は頭がおかしいんじゃないかと思った。いや、今でも思ってはいるけどな。

 

「それとも、私を心配しているのですか?」

 

アイセアは髪を弄るのをやめ、テーブルの上に両肘をつけて手を組み、その上に自分の細い顎をそっと乗せる。そして、上目遣いで悪戯っぽく俺を見つめた。

 

「そんなわけないだろ」

 

「フフ、可愛いですね。別に恥じることではありませんよ。あなたは私を心配せざる得ない立場にいるのですから。色々な意味で、ですが」

 

「………」

 

ネリアの蘇生のためにはアイセアを殺させるわけにはいかない。それに、それ以外にもこの身にかけられている制約のせいで俺はこの女を失うわけにはいかなかった。

 

「性格最悪だな」

 

「そうでなくては王女なんてやっていけませんよ」

 

魔性の笑みを浮かべる黒幕王女は帰り支度を始める。

 

「そろそろ帰りましょう。しばらくは学園生活を満喫できますよ?喜ばしいですね」

 

「お前のお守がなければ喜ばしいな」

 

「ガゼルを護衛に連れていくのでしばらくは好きにしていて構いませんよ?」

 

「え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思わぬ自由を得た。そう思いながら俺は学園の中庭を歩いていた。そこで予想外の出来事に遭遇した。

 

端的に言うのであれば、貴族による平民への集団暴行だ。

 

率いているのは4年生の血統至上主義者のイエティだ。一団は、何かを囲むように立っており、中心の何かに向かってけったり煽ったりしているらしかった。

 

チラリと一団の中が見える。そこには、頭を抱えてうずくまっている生徒が見えた。体格的に、1年生の少女だろう。10対1の暴行。この時間帯は人目が少ないとはいえ、随分と軽率な行動をしたものだ。

 

最も身長が高い生徒が腰の剣を引き抜き、少女に向けた。一団は、少し距離を取るために輪を広げる。

 

難しい場面だ。あの剣で少女を斬りつければ俺は介入できる。だが、その前に介入するには少々リスクが高すぎる。イエティは侯爵家の次男。俺は王女の騎士とは言え伯爵家の人間。学園内とはいえリスクが大きい。気に食わないのは確かだが、教師にでも報告しておくのが一番穏便に済む方法だろう。

 

そう思い去ろうとしていた時、剣を向けられている少女の目が合った。俺を見て、助けが来るとでも考えたのか魔法行使用の杖を取り出して反撃しようと構えた。

 

「フィンディア!」

 

瞬間、周りを囲っていた一人が跳ね飛ばされた。行使されたのは風の初級魔法。それを見た剣を引き抜いていた上級生が、激高し剣を振るった。

 

「ッああああああああああ!!!!!!」

 

少女から悲鳴が上がり、芝生の上に血が滴っていた。

 

「へ!抵抗してんじゃねえよ!平民が!」

 

そう吐き捨てた貴族の姿は俺の嫌いな人種そのものだった。そしてそれは血を頭に上らせる結果となった。

 

俺は一団がいるほうに歩いていく。苛立ちを、剣を握ることで収める。

 

「な、何だよ!」

 

こちらに気づいた生徒が、俺に杖を向け声を上げる。全員の視線が俺に集まったところで、深呼吸をして自分に杖を向けている生徒に視線を向けた。

 

「ヒッ………」

 

集団の一人が後ずさりをして膝をつく。空いた隙間を堂々と抜けて少女の元まで歩いた。

 

「エルスケイン」

 

俺は、対象の負傷部位に向けて呪文を唱え、対象に応急処置を施す。出血は収まり、ある程度傷が小さくなった。

 

「悪いな。俺は回復魔法は苦手でな」

 

壊すことばかりが得意で誰かを癒すことはできない。本当に嫌になる。どうして、あの時殺されたのは俺でなくネリアだったのか………。

 

「君は一年だろ?保健室に早くいった方がいい。俺のは応急措置だからな」

 

そう言って、少女を立たせると廊下まで走らせる。案外すんなりということを聞いてくれて助かった。

 

「こ、この野郎!!!!」

 

刀を大きく振り上げてこちらを狙ってくる上級生を視界の端で捕らえ、風の魔法で剣を弾いた。

 

「フィンディア!」

 

先ほど少女が使ったものと同じ初級魔法。だが、魔法の使い方と魔力操作を原作知識により効率よく理解しているため、その威力を大幅に上げることができる。

 

結果、男は弾かれた剣に巻き込まれる形で吹き飛んでいった。

 

「「「なッ!て、てめえ」」」

 

「よせ」

 

臨戦態勢に入る周囲の取り巻き達をイエティが止めた。

 

「何で止めるんですか!」

 

「尊き貴族の中から死者を出すわけにはいかないからだ」

 

「「「!?」」」

 

物騒な言動に取り巻きの一人が眉をひそめた。それを見てイエティはため息を吐き、説明する。

 

「この男は容赦なく人を殺せるし、殺す男だ。相手が100人いようと最後に立っている化け物だ」

 

流石に殺す気はなかった。それに100人もいたら死ぬ。無理。

 

「久しいな。ヴィレム・マーキア」

 

「ああ、久しぶりだな。イグイエ・イエティ」

 

振り返るとイエティが不機嫌そうにこちらを見ていた。濁り切ったひどい目をしているもののその赤いと緑のオッドアイはイエティ家の証である。

 

「最も尊い血族に仕えるお前が何故平民を庇う?」

 

イエティがその体から怒気を吐き出している。

 

「逆だ。イエティ。先ほどのやりすぎは学園内では犯罪行為だ。貴族であろうと学園内でのルール違反は裁かれるぞ。それを止めたんだ」

 

「ふん!あのような傷、魔法で直せば証拠など残らん。貴様が介入しなければな!」

 

「大体調子に乗ってるよな!王女の騎士だからってよ!」

 

「イエティさんに口出しをするとか何様のつもりだよ!」

 

「伯爵風情が調子に乗りやがって」

 

「そうだ!そうだ!」

 

「少し黙れ」

 

騒ぎ出した取り巻きを諫めたのは意外なことにイエティだった。

 

「ッ…」

 

底冷えするような彼の声に周囲の生徒は気圧される。

 

「他の人間は知らんが俺はお前を買っている。その技量も武勇も血筋もだ。半分とはいえ、公爵家の血筋を引いているのだからな。故に解せない。選ばれし我らの一員であるお前が平民を庇った理由が」

 

どうやら俺が少女を助けたのはイエティを庇ったわけではないと確信しているらしい。

 

イエティは血筋にこだわっている。それは優秀な兄と妹への劣等感故であり自分に残っているのは血筋だけだと思っているからだ。根っこは悪いやつではないのだが主人公に矯正されるまでは平民にちょっかいを掛けるのが日課なやばいやつだ。

 

「俺とお前では見ている世界が違う。これが一番しっくりくる答えだな」

 

「………そうか。残念だ」

 

イエティは剣を抜く。イエティはバカな男ではない。この場で俺と争う意味を理解しているだろう。少女は逃げた。つまり、この傷害事件は発覚するということだ。学園内では学園長が外からの権力を弾くため、貴族であっても平等に罰せられる。つまり、俺を襲うことは余罪を背負うことと同義。

 

それでも、イエティはプライドを選んだ。それは彼の過去を知るものからすれば納得の行動であり、同時にあまりにも愚かな行動でもある。

 

一触触発。そんな緊張した空気が流れる中、一つの陽気な声がその場をかみ乱した。

 

「ちょ―――――っとまった!!!!!!」

 

そこに現れたのは学園内の名にもかかわらず制服を着ることなく、私服にマントを羽織った変人だった。

 

ちなみに俺はこれを知り合いだとは思いたくないため、目をそらして他人の振りをした。

 

「その勝負!我が預からせてもらおう!!!!!」

 

乱入してきたこの女はセルベスタ―・クライヘルツ。王国の八大公爵家の一家、クライヘルツの長女であり、原作では何かと主人公たちの世話をしていたお助けポジションにいるキャラである。

 

言わなくてもわかると思うが――――――超変人だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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9話

「うむ!ヴィレムも元気そうで何よりであるな!」

 

あの後、セルベスタ―が勢いと話術と家柄で無理やり話をまとめ解散になった。そして、俺をひっ捕らえてラウンジまで引きずってきたのである。

 

「すごいタイミングで現れましたね。助かりましたけど」

 

「なに、可愛い女子に泣きながら【中庭で自分を庇ってくれた男の人を助けてください】と泣きつかれてしまったものでな!余計なお世話だったかもしれぬがな!」

 

どうやらあの少女は逃げきれたらしい。朗報ではあった。

 

「いえ、助かりました。ありがとうございます」

 

「うむ!相変わらず固いな!もっと笑え!」

 

美しい金色の髪に意志の強そうな赤い瞳。可愛らしい容姿にもかかわらず、中身の強烈さですべてを台無しにする女として有名な貴族界の台風の目。しゃべり方は祖父の影響らしく、うつけ令嬢なんて呼ばれ方をしても貴族の世界で生き残っているのは、ひとえに祖父の権威と俺同様に周りを黙らせるために功績を積み上げてきた人間だからだ。

 

「それにしてもよいのぉ!あの女子押せばいけるかもしれんぞ?かなり可憐な容姿しておったし食事にでも誘ってみたらどうじゃ?」

 

「ハハハハハ」

 

「我も女子を助ければワンチャン行けるかの?ワンナイトでも大歓迎なんじゃが」

 

これが貴族令嬢だと誰が信じるのだろうか。

 

「アシュテルが泣くので言動には気を付けてください」

 

「ヴィレムは相変わらずアシュテルとは仲が良いの!」

 

「主に不満を持つ従者同士話が合うので」

 

アシュテルはセルベスタ―の従者だ。原作としての知識ではなく、初めて会ったのは俺がアイセアに拾われてから数か月後だった。そこそこウマが合ったため仲良くなった。同じ従者という立場と主に対して思うところが多いという点から、気が合い仲良くなった。

 

アシュテルがセルベスタ―に抱いている感情は、好意と尊敬であり俺と共通しているのは主の問題行動に対する憂慮だが。

 

「アシュテルは最近小言が多くてたまらぬわ」

 

「貴方の問題行動が目に余るからでしょう」

 

「それを言うのであれば、ヴィレムとてそうじゃろう?」

 

「何のことです?」

 

「主を思うが故にアーノルド公爵を殴り飛ばしたのは痛快だったぞ」

 

けらけらと笑みを浮かべるセルベスタ―は心の底から面白がっているように見え、それはそれで質が悪いと思った。

 

1年前、ウィスパー侯爵の売国行為をアイセアが白日の下にさらし、賞賛を受けていたころ、その功績と利益を欲した第二王子派閥のアーノルド公爵がアイセアを嵌めようと画策したのだ。一瞬で、アイセアに見破られたものの貴族が多く集まる会議の場でアイセアに暴言を吐き、呪いを掛けようとしたためそれを止めただけなのだが、アーノルドが呪いを掛けようとしたのを察知できなかった者には俺がアイセアの対する暴言に腹を立ててぶん殴ったと解釈された。

 

思えば、あれもアイセアの仕込みだったように思えて釈然としない。

 

「アレはそういう意図ではなくてですね………」

 

「照れるな照れるな」

 

否定してもこうしておかしな方向に解釈されるのだから意味不明だ。

 

「貴族の娘たちはお前達の間に恋心があるのではないかという噂で持ち切りだぞ?王女と騎士の恋愛なんて面白いからのぉ。面白そうだからと、煽ったのも我じゃけど」

 

「お前のせいかよ!!!」

 

騎士という職業上、あいつと一緒にいる時間は長い。それに、普通の護衛と違って私生活にもかなり深く関わる。だからこそ、色々な噂が飛び交っているのだが最近は尾ひれが付き過ぎていた。

 

「まさか犯人が見つかるとは」

 

「勘違いしておるようじゃが、我は噂を流したわけではなく煽っただけじゃよ?突拍子もない噂や作りこんである噂は我じゃない誰かが流しているものじゃ」

 

「煽ってるだけで同罪ですよ」

 

さも自分は悪くないみたいな顔をするのは腹立つからやめてほしい。

 

「そうじゃ。時にヴィレムよ。お主、剣魔祭には出るのかの?」

 

剣魔祭とは、この学園で行われる体育祭みたいなものだ。集団、もしくは個人で参加し、武勇を競い研鑽の成果を試させる祭りだ。学園にはこのイベント以外に叡魔祭という祭りもあり、こちらは学術的なことを発表し競い合うのもである。

 

「今年は個人戦メインらしいからの、友の少ないお主でも参加可能じゃぞ!」

 

「余計なお世話です」

 

善意百パーセントの笑顔を俺に向けないでほしい。怒っていいのかダメなのかわからなくなってくる。

 

「優勝賞品は学園の宝の一つである破魔の金剣らしいぞ」

 

破魔の金剣。それって確か………。

 

「ここにいらっしゃたのですね。セルベスタ―様」

 

そこにいたのは黒髪に翡翠色の瞳を持った男。アシュテルその人が立っていた。身長は俺よりも5cmほど高く、華奢な印象を受けるが筋肉は必要な分だけ付いている。制服を着崩すことなくしっかりと整えているその様子から、真面目、神経質そうという感想を抱かせる。

 

「久しぶりですね。ヴィレム」

 

「ああ、久しぶりだな。変わりがないようで何よりだ」

 

「ええ、本当に何も変わっていないのが恐ろしいですけどね」

 

ハハハハハ。乾いた笑みを浮かべるアシュテル。

 

「おおー、やっと来たのか!遅かったのう。まったく学園内で迷子になるとはまだまだじゃの」

 

「貴方が勝手にいなくなったのですけどね」

 

セルベスターはアシュテルに対して仕方がない奴だなぁといった感じで声をかける。そして、爆速で話を変えた。まるで暴走列車だ。俺と話している時よりも数段、テンションと話のスピードが上がる。

 

「おう、そうじゃ!聞いてくれ、アシュテル。凄まじい問題に気が付いてしまったのじゃ!これからを揺るがす問題じゃ!」

 

深刻な顔でつぶやく主の様子に、神妙な顔になるアシュテル。セルベスタ―は至極真剣に、こうつぶやいた。

 

「少し太ったかもしれん………」

 

アシュテルは黙って踵を返した。

 

「え、ちょっ!待つのじゃ!我の話は終わっとらんぞ!?」

 

「いえ、終わりそうです。私の忠誠心が」

 

「こんなに呆気なく!?」

 

露骨にどうでもよさそうな顔をするアシュテルは振り向き、主に話の続きを促した。

 

「よいか!?我は貴族界のうつけ令嬢にして、民草のアイドル!セルベスターちゃんじゃぞ!そうでなくとも、主に贅肉が付いているのは従者的にダメじゃろう」

 

セルベスターはこう言っているが肉が付き始めているようには見えず、本人の気にし過ぎであると俺もアシュテルも思っている。

 

「そうですね。問題です」

 

「じゃから!」

 

「ではセルベスター様はご自身の贅肉の原因がわからないと、そうおっしゃりたいのですか?」

 

「そうじゃ、七不思議じゃの!」

 

「とりあえず手に持っている焼き菓子はすべて没収しましょう」

 

「わー!!!!何をする!渡さんぞ!!!!!」

 

ギャーギャーと言い争う主と従者。幸いなのは食事時ではないここの場所は人通りが少なく、周囲には誰もいないことだろう。こんな痴態を見せられる方も見せた方も救われない。

 

「それに民草のアイドルはアイセア王女でしょう。思い上がり過ぎですよ」

 

「何じゃと!?我が街に繰り出せば、領民は歓喜にむせび泣き王都の人間はフレンドリーに手を振ってくれるぞ!」

 

アシュテルは天を仰ぎ、頭を抱えた。そして、鋭くどすの利いた声で

 

「街に繰り出していたのですね………メイドの挙動不審はそのせいですか。いつですか?いつ出たのです?」

 

「あ゛………じゃ、じゃあの!ヴィレム。また会おう!!!!!」

 

自分の失言に気が付いたセルベスターは視線を宙に泳がせ、誤魔化しきれないと悟った。

脱兎のごとく離脱。うつけ令嬢の次の行動は誰もが予想できたものだった。

 

「ちょ、セルベスター様?おい!こら!まて!バカ令嬢!!!!!」

 

アシュテルの本音がこぼれる。ついにその口から罵倒がこぼれる。

 

「ヴィレム。話はまた今度にしよう。私はあのバカを追わなくてはいけないのでな」

 

「あ、ああ。頑張れ」

 

鬼の形相で走り去っていくアシュテルを見ながらベクトルが違うものの彼の苦悩に共感できてしまう自分の境遇にため息が出た。

 

 

 

 

 

 

 

薄暗い闇の中に玉座が一つ存在している。そこに座っているのは無表情のアイセアだ。玉座の前には跪いている人影が見える。

 

それは赤髪の少女、アグニだった。

 

「報告は以上です」

 

「そうですか。ご苦労様です。貴方は本当に優秀な従者です」

 

「ありがとうございます」

 

アグニは普段から無表情の少女だが、この時ばかりは頬を赤く染めわずかに口角を上げた。どれだけ、彼女が王女に心酔しているかを示していた。

 

「先ほど伝えた通り、ヴィレムの監視。お願いしますね」

 

「必ず」

 

「下がっていいですよ」

 

アグニは言われた通り、闇の中に姿を消した。それを見届けてから王女は笑う。

 

「フフ、アハッ!アハハハハハハハハ!!!!!!!」

 

美しく、されど悍ましく。狂ったように、嬉しそうに、悲しそうに、愛おしそうに、嗤う。嗤う。嗤う。笑う。

 

「楽しくなりそうですね。これを目の当りにしたらヴィレムは悲しむでしょうか?怒るでしょうか?泣いてくれるでしょうか?憎んで、恨んで、怒って、泣いて、それでも私に縋るのでしょうか?」

 

最後に浮かべた笑みは、乙女のように純粋で少女のように情熱的な、可憐な笑みだった。

 

「それでも―――――あなたを愛しますよ、ヴィレム」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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10話

「カインズ家の件、準備はしているが決行はもう少し先だな」

 

魔法考古学の授業中にヴィレムとミストは小声で雑談をしていた。お互い前を向いたままだが、目線だけは僅かに横を向いている。

 

「うん、流石にそんなに早く準備ができるとは思ってないよ。上層部の闇の深さは尋常じゃないしね」

 

権力は足が早い。比較的長い歴史を誇る王国はなおさら上層部の闇が深いものなのだ。しかし、これでもかなりマシな方である。その闇をきちんと国王が抑えているからだ。

 

「ねえ、5年目の調査の件なんだけど、手伝ってくれる?」

 

「お前の情報収集能力なら必要ないと踏んでいるんだが」

 

「………察してよ。私だって、女子なんだよ?過去のトラウマに一人で向き合えっていうのは、冷たいんじゃないかい?」

 

心細そうに手を握り、涙目で不安を吐露するミストを見てヴィレムはそれが嘘泣きだとコンマ数秒で見破った。

この異常な観察力は、昔からウソ泣きで自分を揺らしてくる人間が多かったことに起因する。

 

「お前の強さを信じてるんだ」

 

「物は言いようだね」

 

あっさりと、涙を引っ込めるミストだが不安そうな表情を隠さずにジト目を送る。

 

「………わかった。わかった。そのうちな」

 

根負けしたヴィレムはその提案を受け入れた。正直、犯人である教団メンバーの関係者である自分が、ミストの件に参加するというマッチポンプを受け入れたくなかった。

 

それでも了承したのは、本当にミストが心細そうにしていたからだ。不安げに揺れる金色の瞳は、ヴィレムの罪悪感を煽った。

 

「話は変わるんだが、ミストは剣魔祭でるのか?」

 

「たぶんでないかな。正直勝てる気がしないし」

 

四年生にはイエティ、オクテット、シトラシア、ダンタリオン。三年にはフッド、セーレ、そして、ビネガー。二年には俺とアイセア、ミスト、クライシス。1年生と5年生には基本的には出場権がないため、強敵はこのくらいだが決勝に残れるのが5人だとするとかなり厳しい戦いになるだろう。アイセアは出ないとしても強敵が9人。ミストの気持ちはわからなくはない。

 

(ミストも実力的にやり方次第では決勝に残れる気がするが、ダンタリオンの動き次第だろう。ダンタリオンは教団のメンバーだ。ベレネート・ダンタリオン。公爵家の長男にして学園入学から常勝無敗の怪物だ。レベルでいえば、アイセアに肉薄するレベルだ。それでもアイセアには絶対に勝てないだろうが)

 

「ヴィレムこそ出るの」

 

「アイセアの気分次第だろうな。現在俺は休暇扱いでこうして自由にしているから、剣魔祭に出れるが休暇が終わればそうもいかない。保証されている休暇まで残り3日っていうのを考えると厳しいだろうな」

 

「………ねえ、この後時間ある?」

 

「魔導応用学の授業がある。何かあるのか?」

 

迷ったように視線を動かし、そして僅かに赤らめた顔でミストは言葉を紡いだ。

 

「…行きたい店があるんだけど、一人じゃ入りづらいんだ」

 

「ボッチなのか?」

 

「失礼だな!?そんなわけないだろ!」

 

ヴィレムはあえて空気を読まなかった。ミストの育ちかけの好意は自分が原作知識を使って彼女の心に土足で踏み込んだゆえのものだと思っているからである。

 

「ねえねえ、いいじゃん!いこーよ」

 

予想外のしつこさにヴィレムは困惑し。結果的には根負けする羽目になった。

 

「あーわかった。わかったから」

 

「よし」

 

満足げに頷くミストを見ながらこいつこんな性格だったかなと思うヴィレムだった。

 

 

 

 

ミストは一番端のテーブルを指して、二人でそのテーブルに座った。隣のテーブルでは同じぐらいの年の男子が栗色の髪の女の子と一緒に座っていた。

 

「あーなるほど。確かにここは一人じゃ入りずらいな」

 

ヴィレムが店内を見回すとカップルだらけで、みんなキスをしたり、手をつないだり、キスをしたりしている。

 

「お二人さん、注文は何にするのかしら?」

 

艶やかな茶髪の女性が話しかけてきた。

 

「コーヒーを二つと期間限定スポンジケーキを二つ」

 

ミストが注文した。ヴィレムは隣のテーブルの二人がキスをし始めたので気まずい気分になった。

 

「………」

 

「………」

 

沈黙。二人の間だけ何を話せばいいのかわからないのか凄まじいほどの沈黙が下りてる。

 

(確かに欲しい言葉をミストに掛けたけど、こんなに好感度稼いでいると思えないんだけど。どういう状況なんだこれ?)

 

(うわぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!ちょっとカップルが多いぐらいの評判だったじゃん!!!!!うそじゃん!カップルしかいないじゃん!!!!!ちょっと揶揄ってやるぐらいの気持ちできたのにこれじゃぁ、私がガチみたいじゃん!)

 

ヴィレムは罪悪感と困惑からミストは緊張と予想外から何を話せばいいのかわからなくなっていた。先にコーヒーを持ってきた店員の初々しいカップルを見る様な生暖かい視線が痛い。

 

「ねえ、ヴィレムってさ…恋人とか婚約者とかいるのかな?」

 

ヴィレムははミストが真顔でそんなことを言ったので、コーヒーをむせ込んだ。

 

「………藪から棒になんだよ…。調べればわかるだろ。俺はマーキア家からはほぼ切り離された存在だからな。婚約者なんていない」

 

「だ、だよね!」

 

ミストは安心したような顔を浮かべながら、会話の選択肢を間違い続けた。

 

「王女殿下の騎士に恋人がいたら問題だもんね」

 

「え?」

 

「え?」

 

ヴィレムは困惑と疑問を抱く。ミストは驚愕と疑問を抱く。

 

「確認するんだけど、ヴィレムって王女殿下のことどう思ってるの?」

 

「どうって…護衛の対象ではあるな。不本意ながら」

 

「え?それだけ?王族と従者のラブロマンス的なのは?」

 

「小説と演劇の見過ぎだな」

 

ヴィレムの発言にミストは目を丸くした。ミストも学園の女性と同様、噂を割と信じていたのである。

 

「あれだけ、四六時中あんな絶世の美少女と一緒にいて何もなかったの?」

 

「…あるわけないだろ」

 

「君ってもしかして不能なの?女は好きじゃない感じ?」

 

「ぶっ飛ばされたいのか?」

 

ミストの発言にヴィレムは顔をしかめた。

 

「だいたい、何かある方が問題だ。俺、国王に殺されるだろ?」

 

「えー、ロマンのない話をするなよ~」

 

ぐでーと机に上半身をのせ、手を伸ばすミストを見てヴィレムはため息を吐く。

 

「その行儀の悪い体勢止めろ。ここはお前の家じゃないぞ」

 

ミストが防音魔法をかけ、二人は軽い変装をしているとはいえ、ここは王都の中だ。貴族令嬢であるミストがこのような上品とは言いがたい恰好をするのはよろしくなかった。

 

「大丈夫だよ。ここ平民が多いし。貴族なんて滅多に来ないよ。来るのは私たちみたいにリフレッシュしたい人か、変人だけだって」

 

ミストは自身の桜色の髪をかき上げながら、周囲を見渡す。そして、ピシリっと石像になったかのように動きを止めた。

 

「うっそぉ………」

 

いやな予感がしつつ、ミストの視線の方向をたどるとそこには学園の生徒にして伯爵の三男であるフッドと少女が座っていた。幸いこちらには気が付いていないように見える。だが、ヴィレムは知っていた。フッドは原作でも腕利きのスナイパーであり、空間把握能力に限って言えば作中トップクラスの能力を持つことを。

 

(あいつの索敵範囲は異常な上に、常時発動しているからなぁ。バレてるだろうな)

 

ヴィレムは憂鬱な気分になりかけたが、向こうも向こうで事情があるらしいし問題ないのではないかと思い始める。フッドにはセルレーナという平民の恋人が原作開始時にはいたことを思い出し、ヴィレムは安堵した。三男とはいえ、貴族がただの平民と付き合うことはあまりよく思われないはずだ。だから、向こうもここでのことは黙っているだろうとヴィレムは高を括った。

 

「大丈夫だ。ここに来ているのは向こうだって同じ。べらべら話はしないだろ」

 

「そ、そうだと良いけどねぇ」

 

露骨に不安そうにしながらミストはヴィレムを見る。

 

「何だ?」

 

「私このことがばれたら流石に王女殿下に呼び出されそうで怖いんだよね」

 

「大丈夫だろう。そこまでアイセア様は暇じゃない。もしもの時は俺が止める」

 

「………まあ、言われてみれば大丈夫な気がしてきたよ!」

 

ちょうどよく運ばれてきたケーキを口に運ぶ。

 

生クリームを少しだけなめてみると、いちごの香りがほんのりする。良質でフレッシュな生クリームだからこそ、こういう自然な移り香がある気がする。ヴィレムはアイセアの騎士であるため、アイセアの食事の毒見をすることが多々ある。故に、並大抵の味には感動をしたりしない。ただ、それでもこのケーキは普通においしいと感じ、ヴィレムは目を見開いた。

 

しっとりと焼き上げられたスポンジケーキと口当たりなめらかなホイップクリーム、それに真っ赤に熟れたイチゴの甘酸っぱさ。ケーキは普通においしいと二人は感じていた。

 

その反応を見て、ミストはしてやったり顔で、得意気に豊満な胸を張った。

 

「フフン!どーだ!おいしいだろう?私の行きつけの店なんだ!最近は客層が変わって、楽園(エデン)から社交会に変わったけど」

 

「何でお前が偉そうなんだ………悪くはないけど。そして、そんな闇の深いことを言うな」

 

嬉しそうにケーキを頬張り、やけくそ気味に話すミストにそんな感想を話す。

 

「素直じゃないなぁ。元々は結構穴場だったんだよ?夜の時間は客層がまた変わって、落ち着いた喫茶店になるんだ。客層もかなり変わるしね」

 

「ほー、それは興味深いな。今度はいつが空いている?」

 

「へ?」

 

ヴィレムとミストの視線が絡み合う。

 

「だからいつが空いているか聞いているんだ。夜にも来てみたいし、昼間に堂々と来るために俺に声を掛けたんだろ?俺もこの店は気に入った」

 

ミストは次第に顔を赤くしながらも絡まった自分の視線を慌てて彼から外した。内心はパニック状態だった。

 

ヴィレムは鈍くはないが、女性経験はあまり多くない。その上、割と純粋な性格なため、自分のかけた言葉の意味が理解できていなかった。それこそ、多少の好意はあれどケーキを本当に食べたかっただけなんだと解釈していた。それは間違ってはいないはずだったのだが、畳みかける様なセリフと状況にミストの心が揺れつつあった。

 

その後、流れる様に街中を少し散策して夕日が沈む前に分かれたヴィレムは、その足でアシュテルと落ち合っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

夜闇に浮かぶ明かりと人の騒めきと喧騒は、飽和気味に街中を覆っている。

 

「歓楽街は相変わらず騒がしいな」

 

夜の街を歩きながら適当な飲食店を見つけ、中に入ってからヴィレムはアシュテルに話しかける。

 

「そうですね。ですがいいじゃないですか。平和な証です」

 

アシュテルもヴィレムも戦場での経験がある。故に、この光景の意味を多少なりとも理解してる。アシュテルは元平民が故にその思いはヴィレムよりも強かった。

 

「まあな。…話は変わるが最近、セルベスター様はどうだ?」

 

「相変わらず、困った方だ。いつの間にか、屋敷を抜け出しているし王都に戻ってきてからは来てからで別邸の改造から当主への口出しまで大人しさと無縁の生活を送っていますよ」

 

困ったものだと笑うアシュテルの顔には負の感情は一切なかった。ヴィレムにはそれが眩しく羨ましく思う。

 

「そっちこそ、どうなんですか?殿下の騎士、大変ですか?」

 

「ああ、クッソ大変だ。仕事量がえぐい。国の上層部は曲者と野心だらけだからな。面倒すぎる。アイセアは面白半分に敵を作るし、才能で回りを蹴散らすから後始末が大変だ」

 

「アハハハ、どこでも従者は大変ですね」

 

「大変なのは主がアグレッシブな場合だけだがな」

 

そんなくだらないやり取りをしながら、二人は夜が更け空が明るくなりかける直前まで談笑し酒を飲んでいた。時間の経過に気が付いた二人は店の外に出る。

 

飽和気味に街中を包んでいたはずの夜闇に浮かぶ明かりと人の騒めきと喧騒は、早朝にはすっかりなくなっていた。二人は酔いを醒ましながら、貴族街のある北西に向かって歩いていた。

 

「話は変わりますが、剣魔祭。出ませんか?」

 

歩きながらそんな話題を振ってくるアシュテルにヴィレムは問いかける。

 

「何故だ」

 

「私はあのころよりも強くなったつもりです。だから、貴方と戦ってみたい。貴方と初めて会ったあの日からずっと戦ってみたかったんだ」

 

翡翠色のその眼には確かな炎が宿っていた。確かに初めて会った時、ヴィレムはアシュテルをボコボコにしたことがあった。別に嫌いだったわけではなく、ただの模擬戦での話だ。だが、アシュテルはそれ以来ひそかにヴィレムをライバル視していたのだ。

 

「まあ、いいか。アイセアが許可を出せばやぶさかではない。あとで聞いてみよう」

 

「そうですか。では期待して待っていますよ」

 

 

 

 



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11話

全然、書きたい部分までたどり着かない。評価感想ありがとうございます。励みになります。


王城に帰って、最低限の準備をした後目指したのはアイセアの部屋だった。アイセアの朝は早い。休日でなければ、早朝には起きている。部屋の前まで来てノックをする。しかし返事はなかった。

 

「入るぞ」

 

不思議に思いながらも扉を開けた瞬間、閃光が走る。

 

「グぅッ!!!!?」

 

膝に、激痛が走る。余りの痛みに、膝をついてしまう。何が起こった………?立ち上がろうとした瞬間、体を何かに引きずり込まれ、扉が閉まった。

 

気が付けば手をアイセアに握られていた。まだ薄暗い時間帯であることも一因だが、何故かカーテンを閉め切っているため部屋が暗くて、顔はよく見えない。だが、ベットの上で押し倒されていることは理解できた。

 

「おかえりなさいですね。ヴィレム」

 

「え、あ。はい。ただいま、アイセア」

 

あまりの事態に全く頭が回らず、気の抜けた返事をした。至近距離になって初めてアイセアの顔が目に入る。笑顔だ。いつものように、可憐で美しく魔性で狂気的な笑顔をしている。ただ、目の奥が致命的に笑っていなかった。

 

余りの痛みと感情が読めないアイセアの瞳と目が合い息が詰まる。彼女の柔らかな身体の生々しい感触が洋服越しに伝わってくる。

 

「朝帰りとはいい御身分ですね?今日は随分とお楽しみだったようで」

 

この状態のアイセアと長い間対面するのは本当にマズい。俺の本能がそう警鐘を鳴らし、体勢を変えようと試みる。

 

「息が荒いですね………心拍が上がっています。運動でもしてきたんですか?」

 

酒飲んできたんだよ!とは言えない雰囲気を醸し出していた。

さらにアイセアが目を見つめたまま身を寄せてきた。甘い吐息と魔性を孕んだ瞳が俺を掴んで離さない。

 

「動けば、骨をへし折ってしまいますから」

 

声色が本気だった。

 

「リプロント」

 

それは尋問用の魔法。過去に受けたことのある痛みを呼び起こす魔法だった。実際に傷つくわけではないが、痛みは本物である。血が出ない拷問であると言われ、虐待などに使用されることがあったため使用禁止となった魔法だ。

 

強烈な痛みが体中を突き抜ける。

 

「リプロント、リプロント、リプロント、、リプロント、リプロント、リプロント、リプロント、リプロント、リプロント、リプロント、リプロント!!!」

 

「ッ!!!!!?????!!!!??ガァッ~~~~!!?」

 

声にならない声が静かな寝室に響いた。声が出ないのは、アイセアの魔法で声を封じられているからだ。常識外の激痛。あまりの痛みに涙が出る。

 

「まさか、私が傷をつける前に新しいことを覚えて帰ってくるとは…。どうすればいいのでしょうか」

 

痛い、痛い、痛い、痛い。視界が明滅する。体が燃えているかのような錯覚すら覚える。痛んで思考がまとまらない。

 

「わかっているのですか?あなたは誰なのか?」

 

それでもアイセアの声だけは入ってきた。

 

「あなたはヴィレム。この色あせた世界で、私が欲し、私が見つけ、そして私が拾った、私だけの騎士様(お気に入り)。あなたは私だけのモノなのですよ」

 

あまりに大きく複雑な感情が乗ったその言葉と不安と狂気と執着が、ない混ぜになって宿っている瞳が俺を覗いてくる。それは小さな子供のようだった。その姿は、俺が今まで見てきた中で最も余裕がなく同情すら誘う姿だった。痛みの恐怖と哀れみ(・・・)から俺は動くことができなかった。なぜ、こんな目をするんだろうか。

 

アイセアはしばらくして、我に返ったような顔で俺を見ると、額に手を当て呪文を唱えた。

 

「メモリアリー」

 

直近3時間の対象の記憶を覗き読む魔法だ。それを使用したアイセアは怪訝そうな顔をした後、目を見開くというかなり珍しい表情を見せ笑った。

 

「なるほど、勘違いでしたか。これはお恥ずかしい」

 

空気が変わる。アイセアは俺に麻酔系の魔法をかけ、俺の上からどいた。魔法が解かれていることを確認し、思い切り脱力してしまった。アイセアは虚脱感に身を任せてベットにへたり込む俺を見て申し訳なさと愉快さと安堵をごちゃ混ぜにしたように笑う。

 

「起きたら忘れてますから、安心して眠ってください。良い夢を」

 

結局何だったんだ?

 

そんなことを思いながら意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、ヴィレムはアイセアから出場の許可を得て、試合会場に立っていた。

 

「今年もやってきたぞ!!!!!剣魔祭の開催だああああああああああああ」

 

快晴の大空に観客の興奮と叫びが吸い込まれていった。

 

広漠とした楕円形フィールドを階段上の観客席がぐるりと囲むこの場所は、学園の魔法闘技場である。観客席には各学年の生徒たちがひしめき合い活気と熱気に包まれていた。

 

「実況は我、セルベスター・クライヘルツとレーダ・トライアスロンがお送りするのじゃ!」

 

「えー。ちなみに学園長は国王陛下に召喚命令を受けて渋々、仕事に行きました」

 

「っというわけで代役として、我がここにおるわけじゃ」

 

観客席のさらに上にある解説席に座っているのは、セルベスターとレーダだった。セルベスターはハイテンションで、レーダはローテンション気味に実況をする。

 

「さて、ルールのおさらいをしましょう。参加者100名の中から生き残るのはたったの5名。生き残りをかけた殺し以外何でもありのデスマッチ。出場者は、学園長が私物化しているバイセッツの森林の中で戦い合ってもらいます。意識を失うか、ギブアップ宣言で失格。こちらの闘技場に転送されてきます」

 

「ざっくり言えば、森林の中で疑似的な殺し合いをして5名になるまで試合を続けるって感じじゃの」

 

「えー、セルベスター様。今回の注目選手は誰ですか?」

 

「そうじゃなぁ、オクテット、シトラシア、ベレネート辺りは生き残るじゃろうなぁ。三年にはフッド、セーレ。二年は、アシュテルとヴィレム、クライシス辺りじゃろうか。そういえば、今年は特別枠で出場権を獲得した1年がおるらしいの」

 

「え?初耳なんですけど」

 

そんな反応をするレーダ。セルベスターはそれを無視して話を先に進めた。

 

「優勝賞品は破魔の金剣じゃ!売れば、遊んで暮らせる!使えば英雄になれる!伝説の宝具じゃ!」

 

学園長(トラブルメーカー)は何を考えて、これを景品にしたんでしょうか………」

 

「まあ、ぶっちゃけ扱えるやつはいないっていう判断じゃろうな。結局、学園側が買い取って優勝者の手元に残るのは現生じゃな」

 

「急にリアルな話し出してきますね」

 

解説席の二人の会話がそこで途切れる。それは剣魔祭の開始を意味する転送魔法が発動したからである。

 

会場には転送先の映像が、学園長お手製の魔道具で投影されている。

 

「さて、配置も完了したようじゃし剣魔祭、開幕じゃ!!!!」

 

 

 

 

 

 

心地の良い鳥のさえずりと場違いな爆発音、そして怒号が聞こえてくる。ヴィレムはそれを聞きながら、散歩をするように森林の中を歩いている。

 

「まあ、そうなるよな」

 

気が付けば、凄まじい数の人間に囲まれていた。ヴィレムは、この展開を予想していた。ヴィレムの名は王女の騎士というだけでなく、挙げてきた武勇と功績によりかなりの強さを誇る魔法使いとしても有名だった。

 

貴族は名声に目がなく、平民は自分の待遇を上げるため功績と箔を求めるため、狙われるのは自然である。

 

ただ、彼らは一つ勘違いをしている。ヴィレムの誇る武勇伝や功績はたまに信じられないようなものが混ざっている。それは、アイセアがヴィレムを縛る意味合いで擦り付けていたものだが、それはデオドールの戦い以降の話。確かにヴィレムは天才ではなく、チートと呼ばれる作中トップクラスの相手には手も足も現時点では出ない。しかし、ヴィレムは原作知識由来の効率的な鍛錬と暗躍を繰り返し、功績を重ねた人間だ。何が言いたいかと言えば、学生レベルは相手にならないということである。

 

「なッ!!!!??!!?」

 

ヴィレムを潰して武功をあげようとしていた生徒が驚愕に目を見開く。それは蹂躙だった。近接戦では素手であしらわれ、魔法の撃ち合いでは当たり前に使われる無詠唱の中級魔法で押し負ける。物量など意味ないと言わんばかりの蹂躙っぷりだった。

 

その最大の原因は実戦経験の差である。ヴィレムは魔法で土煙を上げ、視界を奪ったり、同士打ちを狙っているなど、戦い方が巧いのだった。

 

「クソ、『大いなる炎よ、獄炎を纏い、我が敵を打ち倒せ!』」

 

指揮を取っていた貴族の男が呪文を唱える。収束する魔力が燃え上がる。

 

「『イグニス・フレア!!!!!』」

 

巨大な滝のように燃え盛る灼熱の業火。肌を焼き尽くさんばかりに溢れる熱波。熱気。緋色の輝き。それが津波となってヴィレムに襲い掛かった。

 

炎熱系の中級魔法では最高クラスの威力を誇る魔法である。中級魔法は基本的に3年生で習得する魔法ではあるが、この魔法は中級に分類されていながらも習得難易度、威力が高すぎるため、中級詐欺と言われている魔法だった。

 

中級魔法は実践でも通用する魔法だ。しかしその魔法をヴィレムは剣の一振りで斬り破り蹴散らした。

 

「ッ!??????」

 

中級魔法を破ったその現象はヴィレムが原作の主人公から着想を得て作り出した魔法を斬り無力化する技だった。

 

魔法殺し(スペルキラー)

 

そう呼ばれるこの技はヴィレム・マーキアの代名詞の一つであり、ヴィレムが戦場で生き残ってきた理由の一つである。一属性の魔法であれば威力、種類に関係なく魔法を無力化する。

 

呆気にとられ、茫然とするその生徒に近づき蹴りを叩き込む。ヴィレムの的確な跳び蹴りを受け、吹き飛んでいく生徒。

 

「流石に、普通の学生には負けられないな」

 

そんなヴィレムに声をかける生徒がいた。

 

「ほう、伯爵のくせになかなかできるな」

 

それは恰幅のいい男子生徒だった。恰幅がいいとはいえ、動けないわけではない。強くないわけでもないと思った。少なくとも今までの生徒よりは強いと感じた。

 

「しかし、貴族の戦い方ではないな。この私、チェキートオ侯爵が貴殿に貴族の戦いというものを」

 

「うるさい」

 

次の瞬間、ヴィレムが現れたのは、チェキートオの背後だった。互いに背中を向け、剣を振り切った状態。

 

鮮血が、チェキートオの胸から迸る。

 

その胸板には斬線が、真一文字に引かれている。決して浅い傷ではない。しかし、それは大きな問題ではない。深い傷というわけでもないし、戦闘は続けられる。しかし、チェキートオは今のヴィレムの攻撃を躱せなかった。それが問題なのだ。

 

「な、なんだと!?」

 

チェキートオはが驚きの声を上げる。前後の状況から、ヴィレムは自分をすり抜け様に刀を一閃し斬り付けたのは判る。だが、速い。否、速いなどと言うレベルではない。あれは人間の動きではない。貴族である自分が、侯爵である自分が躱せなかった。その事実はチェキートオの冷静さを失わせた。

 

「この私が伯爵ごときに傷を負わされるだと?ふざけるなぁぁぁ」

 

侯爵は轟音を上げて突進。同時に、振り翳した剣を、真っ向からヴィレムへと振り下ろす。ヴィレムにとっては躱すのは造作もない攻撃。最小限の動きで躱し、呪文を唱える。

 

「エルウィル・ウィンド」

 

掌から放たれたのは風の中級魔法。撒き散らされる破壊。しかし、それは敵にではなく、下に向かって放たれた。土煙が舞う。

 

次の瞬間、ヴィレムが仕掛ける。袈裟懸けに振り下ろした剣閃が、チェキートオを斬り裂く。刻まれる斬線。宙を舞う鮮血。

 

「遅い」

 

チェキートオ侯爵の周囲から光が漏れ出し、その体が消える。会場に戻ったのだ。

 

「今年は、蓄積ダメージでも転送されるんだな」

 

そんなつぶやきはあちこちから聞こえる戦闘音でかき消され、消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ヴィレムの強さを現在の登場人物だけで表すと

アイセア>>>>>>>>>>>(越えられない壁)>>(手を抜いたアイセア)>>セルベスター>ヴィレム>>アグニ>>>>>デルタ>ロバート>>>かませ侯爵>>有象無象

ですかね


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12話

観客席の誰も空の映像を見て動き始めた試合に沸き立っていく。会場の空にまるで窓のように展開された無数の映像を見ながら、セルベスターとレーダは実況を続ける。

 

『どう思いますか?セルベスター様。結構どこも試合が動き始めましたけど』

 

『予想通りじゃなぁ………序盤は退屈じゃ。有力な選手を他の選手が取り囲んで、逆に返り討ちにされる状況が続くじゃろうな。逆に、イエティのように自身の派閥で周囲を固めて罠を張りつつ、守りに入る奴もおるがの』

 

『あー、狙撃で漁夫の利を得ていく選手もいますね』

 

『隠れて敵が減るのを待つ者もおるの。なんにせよ、中盤までは暇じゃなあ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

開けた場所に出た彼を出迎えたのは無数の気絶した生徒たちだった。次第に、光に包まれ闘技場に転送される彼らを見ながら、ヴィレムはその元凶と相対する。

 

「派手に暴れたな、アシュテル」

 

「いえ、これでもだいぶ加減はしました」

 

確かに、全員綺麗に意識を落とされていた。アシュテルは、その容姿と性格に似合わぬ好戦的な笑みを浮かべる。

 

「リベンジさせてもらいますよ?」

 

「やってみろ」

 

腰から取り出した二振りの双剣を携え アシュテルはヴィレムへ鋭く切り込んでいった。

 

突撃してくるアシュテル。

 

速い。

 

ヴィレムはその速さに目を剥いた。アシュテルの手にした鈍色の剣が大気を斬り裂く。

 

振り下ろされた一閃を、ヴィレムは逆袈裟に斬り上げて迎え撃つ。火花が散る。激突した次の瞬間にヴィレムとアシュテルは、互いに弾かれたように後退する。

 

「「ッ!?」」

 

ヴィレムは足裏でブレーキを掛けながら体勢を整える。

 

(随分と速くなっているな)

 

そんな思考をした次の瞬間には、すぐ真正面に剣を振りかざしたアシュテルの姿があり、ヴィレムをその間合いに捉えていた。しかし、ヴィレムに後悔はない。なぜなら、ヴィレムにとってそれは躱せないような攻撃ではないからだ。風の魔法を体にまとい、身体強化魔法で強化したヴィレムは、常人の速さなど置き去りにしている。

 

攻撃を当たり前のように、ひらりと躱すヴィレム。アシュテルは一瞬、ヴィレムを見失う。

 

空中。そこには、剣の切っ先を真っすぐに向けたヴィレムの姿がある。既に攻撃態勢に入っているヴィレム。

 

足裏から放出した風で宙を蹴り、加速するヴィレム。切っ先は、アシュテルの腹部に、正面から突き立てられた。

 

「ッ!?」

 

寸前で体をずらし直撃を避けた。しかし、アシュテルは脇腹を切り裂かれ、腹部を押さえて後退する。そこで、ヴィレムは手を止めない。

 

「『エルウィル―――』」

 

「させない!!!!!」

 

呪文を完成させる寸前でアシュテルが剣を振り上げる。

 

僅かにヴィレムの詠唱が先に完成する―――――――その瞬間、二人は横からの炎の津波に呑まれた。

 

 

「「ッ!」」

 

炎の中から僅かに服を焦がしながら脱出した二人は乱入者に視線を向けた。

 

「うわぁ」

 

「………ベレネート・ダンタリオン」

 

そこに立っていたのは青年だった。冷めた瞳、鷹のような鋭い目つきを持つ青年。左目を髪で隠している。その男をヴィレムはよく知っていた。

 

「常勝無敗の英雄様が何の御用で?」

 

「フン、うるさい羽虫どもを払っていたら貴様たちに出会っただけのこと。用などない。だが————お前には興味があるな、マーキア」

 

ベレネート・ダンタリオン。公爵家の長男にして学園入学から常勝無敗の怪物。教団の幹部の一人である。

 

「炎帝よ、煉獄の炎を宿し、我が敵を焼き払え」

 

「!?」

 

ヴィレムは自身に向けられた殺意と魔力に焦りを感じた。それはこの先の未来を予測できてしまったからである。

 

「ここら一帯を燃やす気か!?」

 

「『アトラス・フレア』」

 

並みの炎とは比較にならない超高熱の灼熱業火が津波となり、あらゆるものを飲み込み焼き尽くしていく。炎の上級魔法、アトラス・フレア。上級魔法の中ではこれでも平均的な威力の魔法である。しかし、使用する人間が変われば話は別である。

 

術者を起点に周囲を深紅色に染め上げていくその魔法は、巨大な炎の柱だ。ダンタリオンが、優雅に腕を振るうと炎が猛然と走った。木を地面をそしてヴィレムとアシュテルを焼き尽くさんと暴れまわり、猛威を振るう。

 

「ッ―――――消えろ」

 

銀閃が走り、赤を切り裂く。瞬間、周囲を埋め尽くしていた炎が初めからなかったかのように消えた。

 

「それが、魔法殺し(スペルキラー)か。確かに、悪くない技だ」

 

「お褒めに預かり光栄だな」

 

ダンタリオンは表情を変えずにただただ冷静に分析を始める。

 

「魔法の無力化。聞いていた通り、上級魔法であろうと斬れるらしい。なるほど、厄介ではあるが貴様のその技、それなりに魔力を食うな?平静を装ってはいるが、目に見えて魔力が減っているぞ?」

 

「魔力が見えるのはあんただけだろ…」

 

ダンタリオンの瞳は幾何学模様を浮かべて、発光している。

【魔眼】と呼ばれるそれは、魅了と同じく先天的な才能である。ダンタリオンは、魔眼を通して相手の魔力の流れと量と質を視ることができる。

 

「フン、雑魚の涙ぐましい技だな………魔法戦で押し負ける相手を倒すために開発した技なんだろうが、効率が悪すぎる。あのいけ好かん王女の騎士でありながらそんな雑な魔力制御をしているから余計な魔力を浪費するんだ」

 

その辛口評価にヴィレムはある程度納得していた。ダンタリオンの言っていることは間違いではないからだ。当代、最優の魔法の使い手である王女の騎士としてはヴィレムの魔法戦での腕は拙い。弱いわけではない。実際、王国騎士団や軍の人間と戦闘をしても大抵は勝利する。だが、王女や目の前のダンタリオンのような怪物たちを相手にすると話が変わる。

 

埋まらない差を埋めるためにヴィレムは記憶を取り戻してから、様々な技を習得してきた。だが、絶対的な相手に対しては淡すぎる。

 

「………アドバイスはありがたくいただくが、一つだけ言わせてほしい。お前たち天才はいつも一人で何かを成し遂げたがるがそれは天才の証であると同時に足枷だ。凡人の戦いってやつを見せてやるよ、ベレネート(盲信者)!」

 

「貴様ッ!」

 

ヴィレムは上空に向かって懐に潜ませていた煙球を風魔法で打ち上げる。それに気を取られたダンタリオンはコンマ一秒、反応が遅れる。致命的ではないが、形勢が一瞬傾きかける。

 

「ッ!」

 

ダンタリオンの真後ろにはアシュテルが剣を構えて攻撃せんとしている。

 

「戦闘中に無視されるというのは傷つきますね!!!!!」

 

「チッ!」

 

紙一重で斬撃を躱すダンタリオン。

 

目の前に展開される斬撃の網。それらをすべて素手で(・・・)受け流す。アシュテルがさらに跳躍する。頭上を過ぎたタイミングでダンタリオンは体を反転させる。相手に背後を取られないようにするためだ。

 

その判断は間違いではない。しかし、その無駄な動きは攻撃の機会を減らした。綺麗に着地を決めたアシュテルが追撃を放つ。

 

「一度貴方とも戦ってみたかった!」

 

斬撃のラッシュは止まらない。顔色一つ変えずに攻撃を捌くダンタリオンであるが、攻勢に出ることができない。

 

それは近接戦に特化したアシュテルと魔法戦に重点を置いたダンタリオンの僅かな差だった。しかし、ダンタリオンは平坦な声で淡淡と告げる。

 

「見せてくれよう。才能が努力を圧殺する瞬間を!」

 

アシュテルの剣は学生のモノとは思えないほど洗練され、完成されている。だが、ダンタリオンからすればそんなものは物足りない児戯だ。一気に攻勢に出るダンタリオンは、近接戦で徐々にアシュテルを上回り始める。

 

「言ったろ?ダンタリオン、凡人の戦い方を見せてやるって」

 

ダンタリオンは視界の端に光を捉え、とっさに魔力防壁を張る。それは正解であったが、最適解ではなかった。

 

炎を纏った矢がダンタリオンを穿たんと襲い掛かる。魔力障壁を貫けはしなかったが、隙を作った。そして、その隙をアシュテルは見逃さない。

 

「『アルマ・ブロウ!』」

 

自身の剣に雷をエンチャントさせ、水平に薙ぎ払う。それを躱さんと空中に跳んだダンタリオンは自分が跳ばされたことを理解する。空中に出れば、遮蔽物がない分狙撃に警戒を割かなければならない。

 

そして身動きが取れない自分をヴィレムは見逃さないと考え、パワープレイに出た。

 

「『アルマ・フレイム!』」

 

周囲を焼き尽くさんと炎が荒れ狂う。それは陽炎のように周囲の景色を歪め、ダンタリオンを覆い隠していく。狙撃から身を守る目くらましであり、ヴィレムの襲撃に備える盾でもあった。

 

「『グロギシャス・ストーム』」

 

風の上級魔法にあたるそれをヴィレムは唱えた。ヴィレムの技量では一部の例外を除き中級魔法以上を無詠唱では発動できない。魔法としての体を保てず、暴走する。しかし、今回はそれでよかった、否そうでないといけなかった。

 

「何!?」

 

会場の人間は誰もが目を剥いて驚愕していたことだろう。怒れる風刃が、癇癪を起して暴れまわり、暴風となる。暴風は、渦巻く炎を悉く空の彼方へと吹き散らし消し去っていったのだ。

 

「制御できない力をわざと暴発させたのか」

 

「これが凡人の戦い方だ」

 

ダンタリオンは気が付く。狙撃への対策がなくなったことに。

 

「さっきの煙球は周辺の雑魚にこの場の正確な位置を教える合図か!?」

 

「あなたみたいな大物、誰も一人で倒せるとは思わない。でも、勝ち進むにはあまりにも邪魔な存在だ。利害が一致すれば、あんたを狙うやつは少なくない。それに………最強の狙撃手に話をつけてある」

 

木の上で戦況を眺めていたその男、フッドは口角を釣り上げた。そして、その両目で敵を捕らえる。

 

「『マテリアル・パナトレイション』」

 

放たれた二射は正確にダンタリオンの急所を捉えている。ダンタリオンは、炎を矢に放って撃ち落とす。

 

しかし、撃ち落とされたのは一矢だけ。

 

「重ね撃ちか!?」

 

ダンタリオンは咄嗟に体をひねり、二射目の矢を躱そうとした。しかし、躱しきれず足に矢を受け鮮血が舞う。

 

地面に墜落したダンタリオンを襲おうと、茂みから無数の選手が飛び出してくる。

 

「その首貰い受ける!」

「功績は俺のもんだ!!!!!」

「あの時の恨み!」

「死ね!」

 

殺意高めの選手が一斉に群がる、それを見ながらヴィレムはダンタリオンと距離を取る。瞬間、ダンタリオンの周囲が爆ぜた。

 

紅蓮の炎が周囲の敵を蹴散らしていく。

 

そして、ヴィレムの一閃で炎が消失する。

 

魔法殺し(スペルキラー)!貴様初めからこれが狙いか!」

 

「風帝よ、嵐を纏い、駆け抜けろ!『アトラス・ウィンド!』」

 

無防備のダンタリオンを暴風が捉えた。

 

 

 

 



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13話

「やったか?」

 

「アシュテル、それフラグ」

 

そんなやり取り通り、土煙が晴れた先に立っているダンタリオンは五体満足だった。左腕を除いて、ほぼ無傷なダンタリオンを見てアシュテルは顔をひきつらせた。ヴィレムの攻撃で倒せなかったからではない。問題はそこではない。

 

狙撃で穿たれたはずの左足が治っている。その事実が、アシュテルを驚愕させた。

 

「利害で周囲の人間を巻き込みつつ、雑魚を捨て駒にしてオレに噛みついてきたわけか。フッ、何が凡人の戦い方だ。主に似て悪だくみが得意なことだ」

 

「人の心理を巧みに利用しているって言ってほしいな」

 

茫然としているアシュテルを見てダンタリオンは薄く笑う。

 

「そんなにこのオレが立っていることが不思議か?」

 

そう言って、ダンタリオンは左腕を撫でる。すると、ヴィレムの魔法で傷ついていた腕の傷が修復されていた。腕を覆っている炎でアシュテルはその魔法の正体を見抜いて見せ、絶句する。

 

不死の焔(フェニクス)ですか………どうやら噂以上の天才のようだ」

 

「………天才か。違うな、足りないぞ。オレは天才ではなく最強だ」

 

不敵な笑みを浮かべるダンタリオンに冷や汗を流し戦慄を抱くアシュテルと事情を知っているが故に、その姿を痛々しく思うヴィレム。

 

両者の反応を眺めた後、ダンタリオンは話を切り出した。

 

「それでどうする。続けるか?オレは構わんが些か興が削がれた。次は手加減はしない」

 

ダンタリオンの魔力が高まる。彼を中心として吹き荒れる魔力の暴風に逆らうようにして、ヴィレムが声を上げる。

 

「こ――――『試合終了ぉぉぉぉぉ!』」

 

それに、かぶさるようにアナウンスが響いた。

 

 

 

 

 

『試合終了ぉぉぉぉぉ!決勝に進むのは、ヴィレム・マーキア、ベレネート・ダンタリオン、アシュテル、アルバトラム・フッド、そして今回のダークホース、アリス・クロックベルです』

 

『いやぁ~、最後は怒涛の展開じゃったな』

 

実況席で満足げに笑うセルベスターに同意するようにレーダも頷いた。

 

『ダンタリオン卿やマーキア選手の方も白熱でしたが、番狂わせは彼ら三人を除いた選手たち相手に一年が一人勝ちして決勝へ進んだことですね』

 

『ウム!名立たる猛者たちを下してよくぞ生き残った者よ。じゃが、オクテット、シトラシア。両名の棄権宣言に救われた形ではあるの』

 

『何で棄権したんでしょう?』

 

『手札を見せたくなかったんじゃろうな、所詮あやつらにとってはこれはお遊びじゃからの』

 

『なるほど、貴族の世界ってだるいですね』

 

『お主も貴族じゃろ?』

 

『ノーコメントで』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「予想外の形で幕が引かれたらしいな」

 

アナウンスを聞き、試合の終わりを知ったヴィレムはそうつぶやいた。それと同時に安堵してもいた。あれ以上続けていれば、負けていた可能性があるからだ。ダンタリオンもヴィレムも本気は出せない。力の詳細を見られるわけにはいかないからだ。だが、それでもダンタリオンの力は圧倒的だ。ヴィレムは本気を出さずに倒せるとは思えなかった。

 

「………ヴィレム。試合は終わった、それは間違いないんですよね」

 

「ああ、そのはずだが?」

 

しばらくして、アシュテルがそんなことを問いかけてくる。彼の声は震えていた。

 

「では、何で転送が始まらないのですか?」

 

「ッ!?」

 

青ざめたその表情をこちらに向け問いかけるアシュテルの危惧はヴィレムにも理解できた。

 

いつの間にか、会場のアナウンスもこちらに聞こえなくなっている。それは外部との連絡が取れなくなったことを意味していた。

 

「転送魔法を施した魔法具が何らかの原因で破壊されたのだろうな」

 

「何かを知っているのか!?」

 

余裕の表情で切り倒された木の上に腰を下ろすダンタリオンのその言葉に食って掛かるアシュテル。

 

「フン、ただの予想だ。こちらに異常が見られない以上、原因は会場側だ。それに、勘づいていることをオレに聞くな。考えられる可能性は一つだ」

 

「転送の魔法具は学園長の特別性。故障するなんて可能性は考えずらい。つまり、何者かに破壊されたってのが一番現実的だな」

 

アシュテルが想定している最悪の可能性を言葉にしたヴィレムにダンタリオンは補足を入れる。

 

学園長(一番厄介な戦力)がいないタイミングでの行われた剣魔祭の予選。剣魔祭の開催期間は、貴族や軍関係者の視察のため、結界は緩く警戒が薄い。これだけ揃っていればバカでも推察できる。一番あり得るのは外部からの侵入者による工作だ」

 

アシュテルはその言葉を聞いて走り出そうとする。

 

「………アシュテルッ!落ち着け!」

 

「落ち着けだと!?これが落ち着いていられますか?何で、貴方はそんなに冷静なのですか!?貴方は主が心配ではないのか!!!!!!!」

 

僅かに漏れ出た魔力が周囲に散っていく。それはアシュテルの声にならない叫びの様だった。アシュテルは普段冷静に見えて、信じられないくらいの熱や感情を持っている事を彼は知っていた。

 

「アシュテル!!!!!!」

 

「ッ!!!!?」

 

「セルベスター様はそんなに弱くない。何なら、お前よりも強い。今考えるべきは俺らが戻る方法だ」

 

ヴィレムのその言葉に僅かに目を見開き、そして目を伏せる。

 

「………そう、ですね。すいませんでした」

 

「おそらく、他の二人もここに残っているはずだ。彼らと合流したい。俺たちはここで待っているから、アシュテルは探してきてくれないか?全員で行くと入違った場合が面倒くさい」

 

「ええ、わかりました。探してきます」

 

おぼつかない足取りのまま、森の中に消えていくアシュテルを見てから、ヴィレムは振り返る。

 

「お前、今回の件どこまで関わっている?」

 

ヴィレムの問いかけにダンタリオンは僅かに口角を上げた。

 

「フッ、あの雑魚をこの場から逃がしたのはこれが狙いか。だが、残念だったな。今回はオレは無関係だ。何も知らん。しいて言うのであれば、イボスとアシュタロスが動くことだけだ」

 

「知ってるじゃねえか」

 

「破魔の金剣はあの二人が欲していた兵器だ。故に奴らがこのタイミングで仕掛けてくる可能性を考えてはいた。だが、オレにはどうでもいいことだ」

 

ダンタリオンはあくまで冷静に状況を説明した。破魔の金剣とは学園長が保管する宝具であり、使用者の半径1キロメートルにおける魔力の操作を妨害するというものだ。魔法使い相手には天敵と言えるほど相性の悪い兵器だ。

 

「貴様こそ、あの腹黒王女から何も聞いていないのか?」

 

「イボスとアシュタロスが動くということだけは………」

 

「あの腹黒女がそれ以上のことを知らないとは思えん。何かしら狙いがあるのだろうな」

 

ヴィレムは焦っていた。心配をしているわけではないのだ。ヴィレムはアイセアという少女の規格外っぷりを理解している。

 

「だろうな」

 

アイセアはヴィレムがいない所では死のうとしない。ヴィレムに選択を強いる時のみ、自らの命をカードに脅しをかける。だから、心配しているのはアイセアのことではなく、他の学園生の命だ。例えば、ミストに死なれるのはヴィレムにとって一大事だ………原作は崩壊しているが、修正できない範囲まで行かれるとお手上げだ。せめて、主人公には会ってもらわなければならない。その焦りにダンタリオンは気付いた。

 

「…意外だな。存外、焦っていると見える。貴様からすれば、あの女が倒されるということは解放を意味するのではないのか?」

 

「………語る必要性を感じないな」

 

焦るヴィレムの内心を見透かしたかのような言動を受け、わずかな動揺を露にするがヴィレムは気持ちを落ち着けようとこれから起こる可能性のある未来に対する思考を打ち切った。

 

「まあいい。オレは別行動させてもらおう」

 

「…当てがあるのか?」

 

「フッ、語る必要性を感じないな」

 

「意趣返しのつもりか?雑魚相手に大人げないな」

 

「………」

 

「…シルクハットと背中に天秤を背負った男」

 

その言葉でようやくダンタリオンは歩みを止めた。そして、先ほどまでの戦いが遊びであったと証明するかのような殺気を飛ばしてくる。

 

「貴様、どこでそれを知った」

 

底冷えするようなその声を冷や汗を流しながらスルーしたヴィレムは不敵な笑みを浮かべ、言い放つ。

 

「2年前に俺は遺跡都市アロケーであの男と出会った。痕跡くらいは残ってるんじゃないか?」

 

これが取引だ。ダンタリオンはそう解釈した。自分の欲しているであろう情報を提示してきたのはそういう理由だろう。

 

ヴィレムは原作知識からダンタリオンが殺したいと思っているとある男の情報を出した。重要な人物であると同時に、神出鬼没であるためダンタリオンにはたどり着けないと高を括り嘘を交えて情報を提示した。ダンタリオンはしばらくの間目を閉じ、そしてポツリと言葉をこぼす。

 

「…………森林の中央部に向かえ。薄汚い暗殺者を連れていくといいだろう」

 

それだけ言い残し、ダンタリオンは森の中へ消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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14話

「元気ないッスね」

 

気付けば、ヴィレムの正面に一人の少女がいた。ヴィレムと同い年か、一、二歳ほど年下の少女だ。胸元の紋章を見て一年の少女であると理解した。懐っこい顔立ち、明るい緑色の長髪を後頭部で一つにまとめている。隙間に輝く金色の瞳はくりくりと可愛らしい。華奢な身体だが、頼りなさは微塵もなく屹然している。

 

少女が、にっこりとヴィレムへと笑いかけた。ヴィレムの間、その少女を啞然と凝視し……困惑していた。

 

(何でここにあの少女がいるのだろう。だって、こいつは第二部で登場するキャラじゃなかったか?いや、厳密には第一部の後半で存在を仄めかされてはいたけど)

 

「あ、自己紹介が遅れたッスね!あたしはアリス・クロックベルです。王国騎士団に所属している新米ッス!先輩のお噂はかねがねッス」

 

敬礼をしてウィンクをする目の前のアリスにヴィレムは困惑を抱きつつ、不思議に思っていることを問いかけた。

 

「クロックベル、何故ここにいるんだ?」

 

「単純にあたしだけじゃ学園に戻れそうになかったので、切れ者と噂の先輩に手伝ってもらおうかと」

 

「………俺の見立てだとお前の方が切れ者そうだがな」

 

「アハハハハ、そりゃ光栄ッスねー!」

 

アリス・クロックベルは最年少で騎士団に入り、隠密と遊撃などの騎士団らしくない仕事において多大な功績を残し、騎士団長にもう一本の右腕だと言われるほどの実力者である。しかしその存在は、一般的には騎士団の一員という風にしか知られていない。騎士団長が意図的に隠しているからだ。その最大の理由は————教団への二重スパイという役割を帯びているからである。

 

「今回の原因に心当たりはないのか?帰り方でもいいぞ?」

 

「…いや、何言ってるんッスか。そんなの分かっていれば苦労しないッス!」

 

ヴィレムは先ほど冷静さをかき乱されていたため、アリスの立ち位置の難しさを失念していた。ほぼ脳死で、教団にスパイで入り込んでいるんだから何か知っているだろ?っと聞いてしまったのだ。

 

「それもそうだな。すまない。…解決策は他のやつと合流してから話し合う。フッドとアシュテルを見なかったか?」

 

自身の失言に気が付き、すぐに誤魔化したヴィレムだったがアリスの警戒心は高まっていた。

 

「見てないッスねー」

 

アリスは目の前の少年をあらかじめ調べていた。事前調べではアイセアが情報操作とカウンターを仕掛けていたため、純度の高い情報を仕入れることはできなかったがそれでも挙げてきた功績と王女に忠実な騎士であることはわかった。そこから、アリスが推測したヴィレムの危険度はそう高くなかった。

 

もちろん、驚異的な功績と実力だ。戦上手であることは認めよう。だが、それでもダンタリオンや騎士団長のように単騎で戦況を覆せるほどの戦力ではないと判断した。

 

(間違いだった。団長の言う通り油断してはいけない相手だった!戦力の分析だけじゃダメだった!この人はおそらく、あたしが教団にスパイとして潜り込んでいるのを知っている!王女にもダンタリオンにも誰にも気が付かれていない自信があった。なのに――――この人は)

 

「おー、お二人ともおそろいで」

 

空気が引き締まってきたタイミングで、間の抜けた声が響く。声をかけてきたのは少し長めの髪を紐で結んだ男、フッドだった。その横に、アシュテルも立っている。

 

「昨日ぶりだな、フッド」

 

「そーっすね。俺があんたに取引という名の脅迫を受けて以来だ」

 

「おいおい、人聞きの悪いことを言うなよ。持ってる材料はそっちも同じだろ?」

 

少し棘のある声色で返答するフッド。ヴィレムはそれに軽い口調で切り返した。ヴィレムは昨日、フッドにあの喫茶店にいたこととセルレーナのことと引き合いに出して、強制的に協力を取り付けたのだった。

 

「あのおっかないダンタリオンサンは?」

 

「集団行動は肌に合わないそうだ」

 

「なるほど」

 

肩をすくめるフッド。彼も貴族であるが故にダンタリオンの気質をよく知っていた。

 

「まずは現状の把握だ。各自なんとなくわかっていると思うが俺たちはこの森に取り残された。学園内では何かしら問題が起こっているだろうし、最悪のケースで考えるなら侵入者が占拠している可能性すらある。ここまではいいか?」

 

この場にいる全員がその意見を大げさだとか勘違いだとかそういった風に笑うことはなく、誰もが最悪のケースを考えて動くべきだと考えていた。それは不安定な世の中を生きてきたからというもの大きいが、一番は学園長(最優の魔法使い)が自身が手掛けた転送装置は経年劣化で壊れることはないと断言していたからだ。ここにいる全員が学園内で何かがあったことを確信していた。

 

「ええ、わかっています」

 

「改めて聞くと中々追い詰められた状況ッスね」

 

「問題はどうやって学園に戻るかだなー」

 

「こんなことを話し合っているうちに時間は過ぎていきます。走っていきましょう」

 

鬼気迫った顔でそう提案するアシュテルにヴィレムは待ったをかけた。それに賛同する形でフッドも口を挟む。

 

「それはやめた方がいいだろ」

 

「同意だなー。アシュテルサンが何にそんなに焦っているかは何となく予想が付きますが、それは悪手だと思いますよ」

 

身体強化を掛けた体で走れば、王都までは1時間もかからずに王都にたどり着く。だが、それはトップスピードで走り続ければの話だ。そんなことをすれば魔力が切れて倒れる。

 

「王都にたどり着いたはいいもののガス欠になって役立たずじゃあ意味がない。それに、王都にたどり着けない可能性だってある。自分ら、魔力どれくらい残ってます?俺は王都まで走ったらなくなる………っていうか道中で倒れるレベルでしか残ってないっすよ」

 

フッドの発言はもっともであった。剣魔祭の試合で魔力を消費している四人は、魔力の余裕が多くないのだ。

 

「アシュテルの言う通り、急ぐ必要性があるのも事実だ。学園の状況がわからないから何とも言えないが、事態に気が付けば騎士団も動くだろう。学園長が戻れば一瞬で解決する可能性が高いが、現実的に考えるならこれはあり得ない」

 

「何でッスか?」

 

アリスが不思議そうに問いかける。その疑問に答えるようにヴィレムが話を続けた。

 

「タイミングが良すぎる。学園長が王城に呼び出された当日に剣魔祭が重なるっているのが出来過ぎている。結構前から計画されていたことを考えると、そう簡単に介入はさせないだろう。目的が生徒に危害を加えることであるならあまり時間はない」

 

「学園を攻撃して被害が出れば、責任を取らされるのは学園長だからなー。あの人を排除したい貴族の犯行っていうのは十分にありそうで怖いっすね。貴族の子息を殺せば学園長の失態は大きくなる。確かに、時間はなさそうだ」

 

ヴィレムの説明にフッドは補足を入れる。彼らの言葉を聞き、アシュテルは食って掛かった。

 

「なら!なおさら!!!!」

 

「なおさら、空間系の魔法で戻る必要があるッスね」

 

かぶせる様に言い放たれたその言葉に彼は固まった。

 

「え?」

 

「犯人たちが外部に警戒を向けているなら、内部から侵入した方がいいッスからね」

 

アリスの冷静な意見を聞いて、ヴィレムとフッドは頷いた。

 

「時間がないと表現したが学園には名立たる猛者たちがいる。そう簡単には犠牲者は出ないだろう。多少時間を使っても戻った後のことを考えるべきだ」

 

「当てはあるんッスか?」

 

「――――――ある」

 

ヴィレムはアリスの問いかけにそう断言した。思い出すのは先ほどのダンタリオンの言葉だ。暗殺者とは隠密にたけた人材のこと。つまり、隠密が必要ということは何かしらの仕掛けを潜り抜ける必要があるということ。そして、この場でそれに当てはまるのはアリスである。

 

「少々分の悪い賭けになるがな」

 

詳細がわからない以上、何とも言えないが行ってみるしかないだろう。そうヴィレムは考えた。

 

「たぶんお前次第だ――――――アリス。お前の腕にかかっている」

 

「うぇ?」

 

ヴィレムの言葉にアリスは変な声を上げる。一斉に視線が集まりアリスは居心地悪そうにひきつった笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パリン。それは何の前触れもなく唐突に起きた。空から一人の男が舞い降りてくる。それはまさに一瞬の出来事だった。男が持っていた杖をひと振りすると、空間が歪んだ。瞬間、会場にいた生徒が倒れ伏し僅かに意識を保っている生徒も膝をついている。

 

「な、なにが…」

 

何とか意識を保っているセルベスターは辺りを見回す。会場にいるほとんどの生徒は眠ったように瞼を閉じている。意識を保っているのはセルベスターを含め、10人にも満たなかった。

 

「ほうほう。これはこれは………私の呪術に耐えきるものがいるとは。最近の学生は質がいいですなぁ」

 

闘技場の中央に立っているその男は高らかに宣言する。

 

「私の名はイボス!混沌教団所属、呪詛のイボスです。どうぞお見知りおきを」

 

黒いローブに身を包んだその男は笑みを浮かべながら一礼する。

 

「端的に申し上げますとこの学園は我々が占拠いたしました。目的を達成するまでは皆様には大人しくしていただきたく、呪詛を掛けさせていただきました。ですがご安心を。無抵抗であれば余計な危害は加えません。ただし、抵抗を望まれる場合には―――説明するまでもありませんね」

 

会場に大量の覆面の男たちがなだれ込んでくる。数は100人程だろうか。

 

「ば、バカな!これだけの賊がどうやって」

 

セルベスターの悲鳴は会場に響くだけで誰もそれに応えはしなかった。ただ、事態は動く。

 

「大人しく従うわけが無かろう!!!!!」

 

立ち上がったのはオクテットだった。闘技場の同じく中央に立っている彼はイボスに対して魔法を放つ。

 

完全無詠唱での魔法の行使。それは、彼の血族が得意とする戦闘スタイルであり、王国随一の腕を誇るオクテットの魔法早打ちだった。

 

収束される稲妻はイボスをめがけて走り出す。しかし、稲妻がたどり着くことはなくあっけなく霧散した。

 

「なッ!?」

 

「忠告は致しました。自業自得ですねぇ」

 

霧散したはずの稲妻が収束し、オクテットを貫く。

 

「ガァァァァァァァァァァ!!!?」

 

瞬殺だった。稲妻に貫かれたオクテットは悲鳴を上げて倒れる。

学内でも7本の指に入るはずのオクテッドが成す術もなくやられた。それは意識の残っている生徒の戦意を刈り取るには十分なものだった。

 

セルベスターはその光景を見た時点で正面戦闘を諦め、彼らの目的を聞き出すことにした。

 

「イボスとやら!我はセルベスタ―・クライヘルツ。八大公爵家が一家、クライヘルツ家に名を連ねる者である!そちらの要求を聞きたい」

 

それはセルベスターなりの時間稼ぎだった。この場にいない王女と教員に処理を任せ、自分は会場からこれ以上の犠牲者を出さないことを念頭に置いた行動だった。

 

「破魔の金剣。我々はそれを回収に来たのです。それが第一目的ですね」

 

「………何のためにか聞いても良いかの?」

 

「そうですね。長い目で見れば、我々の悲願のため。直近で見れば、とある人物の殺害のため」

 

「ッ………」

 

「ああ。案内は必要ありません。見当はついていますから。抵抗しなければ、手を出さないのも本当です」

 

 

 

 

 

通常の教室の10倍以上はあろうかという立方体の大部屋が地下空間に存在していた。理解不能な三つの立方体が等間隔に、並んでおりその中央に一本の金色の剣が立っている。それを握りしめて、狂気じみた笑みを浮かべる一人の老爺がいる。

 

「カカカカカカカカカカ!!!!!」

 

広い空間をものともせず、哄笑がほとばしった。

 

「初めまして、招かれざる客人」

 

振り向くアシュタロスが見たのは、今回の殺害対象だった。アイセアとその周囲を囲うように存在する取り巻き達。アイセアを除いた彼らは、目の前の老人の禍々しいその姿に恐怖を抱いた。

 

「初めまして、ですか。カカ、まあいいでしょう!ワタクシの名乗りはいりますか?」

 

「いえ、テロリストの名乗りは必要ありません。あなたに発言を許可しませんので」

 

「カカカカカ!!!!!して、どうするのですかねぇ?ここでワタクシとやりますか?」

 

アシュタロスのローブが赤い軌跡で焼け焦げ、他にも耳の端に不可視の刃がかすり、そこから血が流れていた。

 

「………貴方は恐ろしい女性ですねぇ。アイセア君」

 

それはオクテットの魔法の早打ちの再現だった。本人よりも洗練されている早打ちを前にアシュタロスは本当に感心したように本音を吐露した。

 

「貴方の才能は歴史をたどってきたワタクシでさえ、見たことがないほどのものです。六英雄を除けば、貴方の才能に及ぶ人間など存在しないのでしょうねぇ」

 

「…『アベレージ・ワン』」

 

放たれる虹色の光線が宝具ごとアシュタロスを飲み込んだ。土煙が舞う。轟音が世界に響く。衝撃と爆風がその威力を物語っている。

 

直撃したように見えた。しかし、それはそう見えただけだ。瓦礫と砂埃。その煙の中かから、声が響いた。

 

「だからこそ、惜しい。ここでそれを摘み取ってしまうのが」

 

「ッ!」

 

老人の声を聴き、アイセアは自身の魔法が効いていなかったことを悟った。次の瞬間、アイセアは魔法を否、魔力を熾せないことに瞠目する。

 

「魔法は使えませんよ。そういう宝具ですから」

 

アシュタロスの手にある宝具が輝きを放っている。

 

「素晴らしい力です。魔法使いとしてどれだけ優れていてもこれの前には無力になる」

 

アイセアの視界が茜色に染まる。目もくらむ光線は周囲に炸裂し天井が崩落した。

 

「さようならです。稀代の天才よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

誰もいなくなった地下空間でアイセアは無傷で立っていた。取り巻き達は全員が無事だった。ただ、アイセア以外は意識がない。

 

「フフッ、ここまでは筋書き通りですね。私はここで討たれた。予め用意していた私と同じ色の髪の毛も持て行ってくれましたし、完璧です」

 

愉しげにアイセアは嗤う。己の魔力を宿しておいた特注品の人口髪毛を予め瓦礫の隙間に配置しておいたのだ。それを見てアシュタロスはアイセアを殺害できたと勘違いした。

 

「殺したと思っていた私が後から出てきたときのアシュタロスの顔も見物ですが、私が殺害されたと知った時のヴィレムの顔を早く見たいですね!どんな顔をするのでしょうか?せっかくですから、しばらく姿を見せないというのもありでしょうか?」

 

満面の笑みを浮かべる彼女はいつの間にか控えているアグニをドン引きさせるレベルで嬉しそうだった。

 

二人の教団幹部の企みはいつの間にか、黒幕王女の人形劇に早変わりしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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15話

感想にて破魔の金剣をお金で買えばいいじゃんとのご意見をいただきました。確かに、そういう意見が出てくるのは当然かと思います。先に補足を入れればよかったですね。すいませんでした。
改めて本文でもどこかの話で補足を入れますが、宝具の売買には(特殊な例外を除き)厳しい法律が存在します。さらに、今回の場合では所有者は学園長でありその宝具の危険性も理解しているため、適合を確認できなかった後その場で宝具を回収する予定でした。その辺お話は出場者は参加する前に書類に目を通してから、参加しているので了承しています。

感想、評価ありがとうございます。とても励みになります!感想はそのうち返します。




「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!先輩は鬼畜ッス!悪魔ッス!最低の男ッス!!!!!責任取れッスぅぅぅぅ!」

 

「なんかすごい俺の人格否定されてるんだが」

 

「当然じゃないっすか?流石にこれは」

 

「…ですが一周回って少し冷静になれました。彼女には感謝ですね」

 

目の前の幽霊屋敷から断続的に聞こえる悲鳴を聞いて、男達は各自好き勝手なことをつぶやいた。

 

なぜこうなったのか。話は少し時間をさかのぼり1時間前。

 

「こんな建物が森の中心地にあったなんて」

 

「何で見つけられなかったんだ…?」

 

「おそらく結界で隠してあったんだろう。非常時にのみ結界が解けるように細工してあったとみるべきだ。ご都合主義みたいなギミックだが、あの人こういうの大好きだからな。ただ、学園長の作成物であることを考えると、この屋敷から転送装置を見つけ出すのは至難だな」

 

森の中央には大きな屋敷が立っていた。屋敷のひび割れが目立つ煤けた外壁には触手のようなツタがからみつき不気味な雰囲気を醸し出していた。

 

「雰囲気あるッスね」

 

屋敷の正面には木製の看板が立っている。そこにはこう書かれていた。

 

『汝、研鑽した業をもって館を攻略すべし。達成をもって我が傑作の使用者の証とする。P.S 可愛い女の子には便宜を図っちゃうかも♪』

 

「なんつーか…うちの学園長は…あー………変わり物っすね」

 

「だいぶオブラートに包みましたね」

 

「それよりも嫌な予感がするんッスけど…」

 

「おそらくだが………本当に難易度が変わるだろうな」

 

男の魔力と女の魔力は微妙に違う。優れた感覚を持つ者ならば、判別可能だ。

 

正直、技能的な問題でアリスのことを連れて行けとダンタリオンは言っていたのかと思ったが、どうやらそうではなかったらしい。意外に思いながらもヴィレムは説得を行う。

 

「…アリス、やはりお前の出番だ。頼んだぞ」

 

「え、いや、あたしまだ1年生ッスから…。実力とか的にここは先輩たちの方がいいんじゃ」

 

ここまで来て渋りだしたアリスを見てヴィレムはこの屋敷についてアリスは何かを知っているなと確信した。

 

「ここまで残ったお前は間違いなく学園内で最上位の実力者だ。自信を持て」

 

「う、うれしい評価ッスけど、「私からも頼みます!」え゛!?」

 

なおも渋るアリスにアシュテルが頼み込む。

 

「事態は一刻を争う可能性が高いです。ですから、最適かつ最速の手段で挑むべきです」

 

「そ、それはそうッスけど………で、でもぉ」

 

邪念のない真っ直ぐな言葉と熱意を理屈という火薬が打ち出す。見事、被弾したアリスは涙目になっている。

 

「あー、俺は狙撃以外は能がないんでお任せするっす。適材適所ってやつだな」

 

「っというわけだ、頼んだ」

 

最後のダメ押しとばかりにフッドがとどめを刺し、ヴィレムが死体蹴りを行う。

 

 

そして現在に至る。

 

「中で何が起きてるんでしょうね………」

 

少し罪悪感を感じているのか、歯切れが悪く心配を口にしたアシュテルにヴィレムは返答する。

 

「まあ、本気で無理だと感じれば逃げ帰ってくる、はずだ」

 

正直、ヴィレムも少し心配になっていた。ただ、その心配はアリスの物理的な心配ではなく、心理的な心配だ。

 

「うわぁ!何処触ってるんッスか!!!!!あたしまだそういうのには疎いんで勘弁してッ!きゃっ!へ、変態ッス!!!!!訴えてやるぅぅぅぅ!!!!!」

 

そんな泣き言が聞こえてきた。

 

「っていうか!なんなんすか!これ!!!!!趣味ッスか!?学園長の趣味なんッスか????性癖捻じれ過ぎッス!拗らせた思春期少年だってもうちょいマシッスよ!」

 

聞こえてくる悲鳴に男たちは顔の筋肉をこわばらせる。

 

「だいぶ、怪しい言動が聞こえてくるけど大丈夫なんっすかね?あれ」

 

「命の危険はないと確信できるが、社会的な何かが壊れそうな危険性があるな」

 

「いや、二人とも!何でそんなに冷静なんですか?」

 

こういう時の反応は性格が出るなと思う。ヴィレムは冷静を装い、フッドは顔には出さないものの困惑した声を上げる。そして、アシュテルは流石に様子を確認してこようと今にも屋敷に入り助太刀したそうだ。

 

「あ、これって」

 

フッドが驚いたように声を上げ看板に触れると看板の文字が消失し、新たな文字が浮かんでくる。

 

『美少女のみを行かせた諸君らの英断に敬意を表して。祝福を

ちなみにここでの祝福はラッキースケベと読むのじゃよ?』

 

こいつ何で学園長なんだろう。そんな感想を抱くとともに、屋敷の最上階の窓からアリスが飛び出してきた。

 

――――――――下着姿で

 

しかも、体は謎の液体でヌメヌメしており頬は赤みを帯びている。半泣きで体を抱きかかえるアリスは非常に艶めかしかった。

 

「『ウォルター』」

 

ヴィレムは流石に罪悪感を感じたようで水魔法でアリスの体を覆っている謎の液体を洗い流した。その後、持っていたタオルで軽く身体を拭って自身のブレザーを着せた。

 

「悪趣味だとは聞いていたッスけどここまでとは………。も、もうお嫁に行けないッス…」

 

居たたまれない空気が漂い、男たちを責め立てる。たまらず、ヴィレムはフッドに視線を送る。

 

(おい彼女持ち。なんかいい感じの言葉を掛けてくれ。俺は思いつかない)

 

(自分でかければいいだろ!?俺だってこんな状況に対応できないっすよ)

 

(………)

 

男たちが何と声を掛ければいいか迷っていると看板があった位置の地面が陥没していく。

 

長方形の穴が地面に出現し、その中から小さめの直方体の祭壇のようなものがゆっくりと上がってくる。

 

その上には茜色のキューブが乗っていた。ヴィレムたちはそれが色こそ違うものの、学園内部にあるものと同じ転送装置であることを推測した。

 

アシュテルが思わず飛びつき、キューブを手に持つ。その瞬間、電子音がキューブから鳴る。いつの間にか、キューブは発光を始め周囲に魔法陣を形成し始める。

 

『魔道具、転送大砲ガ起動。大砲ノ発射マデ30秒デス』

 

そんなアナウンスが鳴る。ヴィレムたちの周囲を魔力の膜が包んでいきやがて球体状へと変貌する。

 

さながらそれは、大砲の弾の様で―――――。上空に伸びた立体魔法陣は大砲の筒のようだった。

 

「おい…まさか」

 

「ちょ!アシュテルサン!?その魔道具の起動止められないのか!?」

 

事態をいち早く察しアシュテルを止めにかかるフッド。

 

「例え、大砲の弾になったとしても主のところにはせ参じられるのでしたら問題はないです」

 

「そういう問題じゃないだろ!?あんた、何で転送魔法にこだわっていたのか忘れてんのか?」

 

慌てた二人のやり取りを聞きながら、ヴィレムはアリスの前で膝をつき目線を合わせて一言つぶやく。

 

「文句は後で聞く。謝罪もしよう。だから、一つ頼まれてくれ―――――――」

 

ヴィレムは緊迫した事態の中、慌てた様子もなくただただ言葉を尽くす。

 

「ッ!?正気ッスか!!!?」

 

話を聞き終えた瞬間、弾けるように顔を上げたアリスは信じられないものを見たような顔でヴィレムを見つめる。

 

「必要なことだ」

 

『起動マデ3――――2―――1―――――強制転送ヲ開始シマス』

 

四人を包んだ魔力球は魔法陣の輝きに押し飛ばされるようにして発射された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミストは迷っていた。セルベスターとイボスの会話を聞きながら、自身の行動の指針を決めあぐねていた。自分の力ではあのテロリストたちには勝てっこないとわかってはいたが、ここでこのまま気絶したふりを続けているべきなのか決めきれないでいた。

 

他の意識のある生徒たちはセルベスターも含めて全員、闘技場の中心に集められていた。周囲を覆面のテロリストたちが囲っている。

 

「随分と時間がかかりましたね」

 

イボスが通路に向けて言葉を掛ける。そこから現れたのはアシュタロスだった。その手には破魔の金剣が握られている。

 

「ですが目的は達成できましたよぉ。両方とも、ね」

 

「おお!本当ですか!?それは素晴らしい!ついにあの女狐を屠れたのだな!」

 

姿を現したもう一人の男に警戒心を向ける生徒たち。同じく警戒心は抱いていたものの、セルベスターには聞き逃せない言葉があった。

 

とある人物の殺害のために破魔の金剣が必要だとイボスは言っていた。そして、彼らは目的を果たしたといったのだ。ここから考えられるのはこの場にいない人間の殺害を成したということ。そのことを瞬時に理解したセルベスターは大いに焦った。

 

「のう、聞いてもいいかの?」

 

冷や汗を浮かべながらも気丈に振るまい、その可能性を聞く。

 

「何でしょう?」

 

「お主らの殺害対象とは誰じゃ」

 

イボスは口角上げ、感情の高ぶった笑みを浮かべる。

 

「そういえば貴方と彼女は仲がよろしいのでしたね?」

 

「あ、ありえん!アイセアが負けたとでもいうのか!?」

 

「そのための破魔の金剣です」

 

「う、嘘だ!」

 

「殿下が負けるなんて!ありえない!」

 

「認めないぞ!このテロリストども!」

 

騒ぎ出す生徒たちにうんざりしたのかイボスはアシュタロスに視線を向ける。その視線を受けアシュタロスはあるものを取り出した。

 

「証拠ならありますよ」

 

アシュタロスと生徒たちとの間に距離はあるもののそれを見ることはできた。それは艶のある灰色の髪の毛だった。魔力感知に優れるセルベスターは瞬時にそれが誰のものか理解した。

 

「優秀な人材を殺すのは心が痛むものですねぇ。ですがこの世には仕方がない犠牲があるのですよ」

 

「あの女は殺されるべき人材だった、それだけのことです」

 

その一言が決定的なものとなった。セルベスターは地面に手を付き、魔法を発動させる。瞬間、土の壁がせり上がり生徒たちとイボスとの間に出現した。

 

セルベスターは当然のようにイボスの側に移動し、彼を制圧せんと呪文を唱える。

 

「汝大いなる岩の精霊よ、我に恵みを、蛮族に大地の怒りを、我に応え敵を砕け!『ギガンデスト・ロック』」

 

詠唱の終了と共に岩でできた巨大な腕が猛威を振るう。イボスはその腕をひらりと躱しながら、地面から次々と出現する岩の腕を見て目を細める。

 

「狙いは私と生徒たちとの距離を開けることですか。加えて、周囲の信者たちを掃討している。健気なことです。しかし、その殺意は悪くはないですね」

 

覆面のテロリストたちは成す術もなく、岩の腕に蹂躙されていく。

 

「主らを許す気はないのでな!」

 

セルベスターはレイピアを右手に持ち、瞬時に間を詰める。岩の腕に気を取られていたイボスは接敵を許した。だが、後れを取ることはない。瞬時に反応し、杖を振るう。

 

レイピアと杖がぶつかり火花が飛び散った。驚くセルベスターの目に映ったのは、いつの間にか鉄に変化している杖だった。

 

「錬金術か!」

 

「よくご存じで。そちらも細剣を魔法で補強しているのですね。学生らしい手です」

 

鍔迫り合いの最中、拮抗を押し切りセルベスターは、レイピアを突き刺すように動かす。

 

その攻撃を予測していたイボスは、すぐにその場から後ろへ跳び相手から距離を取る。そしてすぐさま足に力を込めて再度攻撃しようとしたが、ズボッと足が沈んでいき身動きが封じられた。

 

「地面の軟化、沼の形成ですか。多彩ですね」

 

「『アクアリアム・ウエーブ』」

 

狭い範囲に収束した水の波が押し寄せる。本来広範囲を制圧するための魔法であるが、範囲を絞り威力を上げ被害をとどめた。セルベスターの瞬間的なアレンジだ。その機転と才能には見ていたアシュタロスも思わず、拍手を送ってしまった。

 

目の前から水の波が押し寄せてくる中、イボスはただ笑っていた。

 

「私に集中しすぎて一番厄介なものをお忘れの様ですね」

 

瞬間、水の波が消えた。生徒たちを守っていた土の壁も消え失せ、会場にあるあらゆる魔力的構成物が消失または停止した。

 

「ッ!破魔の金剣か!」

 

「カカカ!正解ですよ!そしてさようならですねぇ」

 

「ッァ!?」

 

「セルベスター様ッ!!!!!」

 

「きゃあああああああああああああ!!!!!!」

 

生徒たちの悲鳴が上がる。セルベスターは自分の身体を見下ろす。そこには自身の腹部から剣が生えている光景があった。

 

「急所は狙いませんでした。貴方を殺すのにはまだ早いですからねぇ」

 

金剣を引き抜く。セルベスターの腹部から血が噴き出て地面を汚していく。生徒たちは青ざめて声が出ないものが多く、その惨事の割には会場は静かだ。

 

「さて、このままお暇しますか」

 

「………そうですねぇ。彼らを殺す必要性は今はありませんし。ヴィレム君が戻ってくる前に………ん?」

 

アシュタロスはその音に顔をしかめる。イボスもアシュタロスの反応を見て、耳を澄ませる。そして、二人は同時に上を見上げた。

 

「「「うわぁああああああぁぁぁぁあああああああ!!!!!!!!!死ぬ!死ぬッスぅ!」」」

 

叫び声と共にそれは落ちてきた。天井のガラスを破って三人の男女が闘技場に落ちてくる。それはまさに一瞬の出来事だった。落下してきた男女に視線を持っていかれていたイボスは突如自身の腕に衝撃的な熱が走ったのを感じた。見えない何かに両断されたかのようにイボスの腕が宙を舞う。

 

「セルベスター様!!!!!!!!!!」

 

アシュテルは主の姿を見てギョッとし、慌てて駆け寄る。アリスはどさくさに紛れて気配を消す。

 

そして、ヴィレムはアシュタロスに剣を振りかざし斬りかかった。

 

「久しぶりですねぇ!ヴィレム君!」

 

「ああ、そしてさようならだ。狂人」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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16話

状況が一気に動いた。杖を持ったテロリストは片腕を落とされ、取り残されていたはずのヴィレムたちが戻ってきたのだ。ミストは今こそ動くべきかと考える。だが、答えは否だ。

 

ミストはその場でじっと耐えていた。飛び出せば死ぬだけだとわかっていたからだ。なぜなら、破魔の金剣がテロリストの手にあるからだ。

 

魔法が使えない自分たちと魔法が使えるテロリスト。考えるまでもない。絶対的なアドバンテージがテロリストには存在していた。

 

「無謀ですねぇ!!!!魔法で身体能力を強化しているワタクシと生身のあなたでは勝負になりませんよぉ!!!!!」

 

その言葉通り、戦闘はお世辞にも拮抗しているとは言い難かった。ただ、それでも何とか喰らいついていられるのはアシュタロスの動きを知っているだけでなく、ヴィレムの剣術がアシュタロスのそれを上回っているからだ。

 

しかし、ヴィレムはたった30秒の戦闘で満身創痍だった。体中から血が噴き出している。傷はすべて浅く、大したことはないものの数が多い。その上、剣を持つその腕は震えていた。身体強化を前提に鍛えられたその剣は生身で振るうには負担が大きかった。

 

「おっと!」

 

アシュタロスの背後から炎の矢が飛んでくる。フッドの狙撃だった。

 

ここに来る前にヴィレムから話を聞いていたアリスが狙撃ポイントになりそうな場所にフッドを落としたのだ。正確には、魔法膜の外に蹴り飛ばした。悲鳴をあげながらフッドは落ちていったが、魔法を使えば怪我無く降りられるだろう。そう思って、アリスは見て見ぬふりをした。

 

「え!?フッド先輩を蹴り落とす?正気ですか?」

「ああ、こっちから頼んでもフッドの性格上拒否するのは目に見えている。期待されるのとか、責任が重い仕事嫌いだからな」

「うわぁ」

「だからいいタイミングで蹴り落としてくれ。王都の地形は騎士団にいるお前の方が把握しているだろ?狙撃に適した場所なんて俺はわからない」

 

こんなやり取りが行われていた。

 

フッドは頭が回る方だ。自分に何が要求されているか瞬時に理解しただろう。その予想は当たっていた。

 

「なるほど、イボスの腕を落としたのはこの狙撃ですか!いい判断です!破魔の金剣の効果範囲外からの狙撃!それはこの宝具の正しい攻略法」

 

「だったら!矢に当たれよ!」

 

踏み込むヴィレムに対して金剣を振るう。ヴィレムは何とか剣を割り込ませるが、勢いに押され後方に吹き飛ばされる。

 

「狙撃の腕もいい!ですが、ワタクシを狙うにはまだお粗末ですねぇ」

 

老爺は楽しげに笑う。この男は腐っても教団の幹部。そしてかなりの古株だ。実力はアイセアには及ばないが幹部の中では強い部類に入る。が、彼には弱点がある。それは、気に入った相手を自身の生徒のように扱うことだ。相手の手や行動を評論し、称え遊ぶ。だから、ヴィレムは自分が気絶するまでアシュタロスは殺しに来ないと確信していた。

 

「確かに、お前を殺すには不足かもな。狙撃だけなら」

 

「ッ!?」

 

アシュタロスが後ろを振り返ると目を血走らせ、その瞳に怒りの炎を宿したアシュテルが剣を抜き放つ。

 

火花が散る。体重を全てかけたアシュテルの一撃は決して軽いものではなかった。故に、アシュタロスは金剣で迎え撃った。

 

「カカカカカカ、主の敵討ちですか?まだ生きているでしょう?治療して差しあげるのが先ではないですかねぇ?」

 

「お前を殺さなければセルベスター様の安全が確保できない!」

 

「それは道理ですね。いいでしょう!向かってくるというのであれば、殺して差し上げますよぉ!!!!!」

 

アシュタロスがアシュテルの剣を弾き飛ばし、刺突を放つ。アシュテルのとっさの判断は体をひねることで急所を外すことを選んだ。間に合ったのは偶然だった。破魔の金剣がアシュテルの腹部を貫く。鮮血が舞い、痛みで悲鳴を上げる。

 

「グッ!ッ………」

 

「おや?外してしまいましたか………やはり使い慣れていない獲物はダメですねぇ」

 

苦悶の表情を浮かべるアシュテルに向かってアシュタロスは微笑む。

 

「では魔法で終わらせるとしましょう」

 

アシュタロスはアシュテルに向かって魔法を放とうと魔力を練り上げた瞬間、追い詰められているはずの少年の口元が笑みで歪んだ。

 

「『アルマ・ブロウ』」

 

「ッ!?」

 

電撃を纏ったアシュテルの拳がアシュタロスの頬をえぐるように捉える。

 

「あああああああああああああああ!!!!!!!!」

 

そのままアシュテルは全力で拳を振り抜いた。弾いたボールのようにアシュタロスが後方へ向かって吹き飛んでいく。手放される破魔の金剣。電撃で痺れているアシュタロスの体は何度も地面にバウンドしながら尚も止まらずに吹き飛んでいく。まったく予想していなかった攻撃をまともに食らったのだ。

 

金剣が地面に転がった瞬間、何かが割れる音と共にヴィレムたちは魔力の制御ができるようになった。

 

立ち上がろうとするイボスをヴィレムは蹴り飛ばそうと動くが一瞬、イボスの方が早い。

 

「呪光に穿たれよ!」

 

イボスの指先から放たれた光線をヴィレムは紙一重で躱す。だが、二射目は躱せない。それだけ体のバランスが崩れている。

 

「やばッ!」

 

イボスが口角を釣り上げる。呪いが込められたその攻撃を放つそのコンマ数秒前、声が響いた。

 

「―――――『シュトロム』」

 

不可視の弾丸がイボスの無防備だった背中を突き飛ばす。ふわりと空中に浮いたイボスの身体は前方に転がる。最適なタイミングで狙撃がイボスを地面に縫い付けた。

 

「ミスト、最高にいい女だな。お前」

 

「タイミングが悪いね。もっとムードが欲しいな?」

 

観客席から魔法を放ったのはミストだった。得意気な顔をしているミストは達成感と褒められた喜びで、緊張感を忘れている。

 

ヴィレムはイボスから視線を外し周囲の状況を確認し笑みを浮かべる。アリスは気が付かないうちに意識のある生徒を観客席へと移していた。破魔の金剣の効果が切れたことで観客席は魔法の障壁で守られた安全地帯になった。

 

気絶している生徒もアリスが何とかするだろうと思考をやめて、ヴィレムは闘技場の壁面に目線を送る。

 

轟音と共に闘技場の端に激突した老爺は不気味な動きで立ち上がり、狂ったように笑いながらアシュテルに向かって問いかける。

 

「カカカカカカカカカカカカカ!!!!!!!破魔の金剣の最大の盲点ッそれは所有者ではなく宝具に触れているもの全員を効果範囲の対象外にしてしまうこと!………何時、気が付いたのですか?」

 

「気が付いたのは私じゃない。セルベスター様だ」

 

貫かれた傷口を押さえながら静かに種明かしをした。セルベスターは意識が残っている間に自身の得た情報をアシュテルに伝えていたのだ。

 

「なるほど。自身が貫かれたあの一瞬でそれに気が付きますか。満点をあげましょう」

 

ヴィレムは老爺がまったくダメージを負っていないことと余裕が崩れていないことを不思議に思い、問いかけようとした瞬間老爺は無表情でヴィレムに話しかけてきた。

 

「アイセア君はワタクシが殺しました。魔力が戻った今なら彼女の魔力がないのがわかるでしょう?」

 

先ほどまで狂人の様に笑っていた老人の表情に陰りが見える。それは先ほどまでの狂人と同一人物には思えない。

 

「惜しい、実に惜しい子を殺しました」

 

絞り出すように出たその声色には嘘がなかった。

 

「なッ!ふざけるな!!!!お前が殺したんだろう!」

 

アシュテルは老爺の勝手な言い分に傷口を気にせず叫び声をあげる。ヴィレムはその表情を変化させることはない。ただ、ゆっくりと目を閉じる。そして、目を開け真っ直ぐとアシュタロスに向き合った。

 

ヴィレムには焦りはない。悲しみもない。死んでなどいないことをヴィレムは確信しているからだ。

 

「俺はアイセアを信用している。この世で最もアイセアの技量を知っているのは俺だ。断言しよう、お前は嵌められただけだ。憐れな狂人。アイセアがお前ごときに後れを取るなんてありえない」

 

「………」

 

老爺はその場で黙り込んでしまった。なぜなら、ヴィレムの瞳には強い確信がありその魔力の揺らぎのなさが、決して虚言の類でないことをアシュタロスに囁いていたからだ。

 

「イボス、何をすべきかわかりますか?」

 

アシュタロスはイボスに視線を向けることなく問いかける。イボスはそれに無言で答えた。

 

矢による拘束が破られる。そしてイボスはアレに祝詞を捧げた。

 

「汝、異界の(おう)よ!我が魔を喰らい汝の神威を我が身に宿せ」

 

空間が軋む。世界が揺れる。圧倒的な魔力の奔流が男を中心に吹き荒れ、周りを吹き飛ばしていく。

 

それは神を呼び込む祝詞だった。赤い幾何学模様の魔法陣が浮かびだす。

 

「愚かだな、それを使うなんて」

 

輝きを失った魔法陣の代わりにそれは世界に招来した。不完全な神の断片、理解不能がいた。

 

辛うじて人の形状はあると言えなくもない。二足歩行をする生き物をすべて人型と呼ぶならだが。

破れた衣服から覗く皮膚は、黒に近い。皮膚という表現は的確ではないだろう。外皮、という表現の方が正しいのかもしれない。3mを優に超えている超巨大な体躯。脚も、腕も、指も、異常に長い。背中からは無数の棘と触手が生えている。目は鮮血を思わせる赤。そこには理性を感じさせる光は無い。

そして、最も目立っているのはその背中から左右へと伸びる、蒼い炎の翼。まるで出来の悪い天使だ。イボスの身体は神威に耐え切れず出来損ないの天使に変貌したのだ。

 

「な、なんッスかあれ………」

 

「あ、ああぁあぁ」

 

「ウッ………」

 

それを見た人間は困惑と気持ち悪さに支配される。

 

「カカカカ、何度見ても素晴らしい!不完全とはいえ邪神の断片の再現です。あなた方に止められますかぁ?」

 

その場に居た全員が息をのんでいた。あまりに冒涜的で悍ましく、本能が逃走を囁くその異物は周囲の空間を狂気と不完全な神威で侵していく。

 

「Gaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!!!!!」

 

咆哮。もはや物理的な衝撃波すら有したそれを、咄嗟に展開したミストの防音の魔法と正面に展開させた障壁によって回避する。怪物が跳躍した。一瞬でミストとの距離を詰めて、障壁を叩き割る。

 

「はぁ!?????」

 

怪物がその剛腕を一閃する。間一髪のところで飛び込んできていたヴィレムがミストを抱えて脱出した。

 

「え?わッわわ!あ、えっと………」

 

命の危機からお姫様抱っこの切り替わりに頭が付いて行かない。ミストは大混乱状態であった。

 

「ミスト!アシュテルを連れて観客席の連中を避難させろ!」

 

「へ?あ、は?」

 

「いいから!頼む!マジで余裕がない!さっきの見ただろ?観客席はもう安全じゃない!!!!!」

 

ミストを降ろしヴィレムは剣を抜く。走り出すと同時に意識のあった教団メンバーが全員いなくなっているのを確認して、苛立ちを覚え罵声が飛び出す。

 

「クッソが」

 

怪物に向かって突貫する。

 

(あれは神威のバケモノ。魔力で動いているわけではない分、魔法殺し(スペルキラー)は効かない。だが、魔法が通用しないわけではない。そして、長期戦は不利。というか相手が俺の動きになれたら死ぬ。最適解は一撃で決めること)

 

「『アトラス・ウィンド!』」

 

近距離から放たれる残りの魔力のほとんどを費やした全力の一撃だった。

 

土煙が轟音と共にその場を覆っていく。確かな破壊痕と衝撃、二つを確認してヴィレムは淡い期待を抱き、絶句した。土煙が晴れる瞬間に見えたのは無傷の否、怪物の傷が消失している光景だった。そのからくりを次の瞬間ヴィレムは目の当たりにする。

 

ダメージを負った側から再生しているのだ。蒼い炎が怪物の傷口を覆うように広がり瞬時に傷を再生させた。

 

「がッ!?!?!?」

 

驚愕で反応が鈍ったヴィレムは怪物の触手の直撃を受け腹部から鮮血をぶちまける。

 

そのまま怪物に殴り飛ばされ後方に飛んでいった。

 

「「ヴィレムッ!!!」」

 

「先輩!!!!!」

 

観客席の非難を進めていたミスト、アシュテル、アリスが大きな悲鳴を上げる。

 

ヴィレムはそれを聞きながら焦燥感に支配されていた。

 

「やべぇ………死ぬ…」

 

致命傷は避けた。だが、傷が深いのだ。出血を止めなければ死にかねないだろう。ただ、あの怪物はピンピンしているし戦えるやつはアリスとフッド以外手負いだ。フッドもアレに対して狙撃はたいして意味がないという判断から除外すればアリスだけだ。

 

「全滅エンドか?笑えないな」

 

ヴィレムはアイセアに助けを求めそうになった。

 

「―――――アイセ………何を言ってるんだ俺。敵を頼ってどうする」

 

それでもヴィレムには選択肢がなかった。視線を応戦するミストたちに向ける。使えば彼女たちに力を見られてしまう。でも、ここで見捨てることが正解か?原作の主要人物を見捨てれば最悪世界が滅ぶ。ミストやセルベスターを見捨てることはあり得ない。それにアシュテルやアリスもそうだ。

 

だが、なによりも。彼女であれば彼らを助けようとする。確信があった。ここで彼らを見捨てれば、きっと彼女に会えない気がした。

 

「………最終手段はある。…できて3分、しくじれば発狂。ヒーローはガラじゃないんだがな」

 

(ネリア………俺は必ずお前に―――――)

 

ヴィレムはその場から立ち上がり覚悟を胸に祝詞を捧げる。

 

「汝、異界の神よ。我が魔に応えその神威を我に(よろ)わせ給え」

 

世界が歪む。

 

全能感と壮絶な苦痛と違和感に身を焦がす。

 

ヴィレムの中の何かが軋んでいく。

 

体を黒い霧のようなものが覆っていく。皮膚には正気を削がれかねない紋様が生じる。

 

「『邪神の衣(マッドキング)』」

 

忌むべき邪神の力を纏いヴィレムは殺意をみなぎらせる。

 

ヴィレムの顔には脂汗が浮かんでいる。が一瞬体の負担が軽減される。ヴィレムは複雑な感情を抱いている主のお節介に当惑しながら、剣を下段に構える。

 

その身を削る3分間が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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17話

お留守番をしていた勘違いタグは次の章では多少活躍するはず…。感想、評価ありがとうございます。


迫りくる怪物を前にして、ミストの取った行動は詠唱だった。最上級魔法の詠唱。紡がれていくたびに存在感を増していくミストの魔力と存在感に怪物は焦りを覚えたのか、はたまた本能で感じ取ったのか、炎の翼を広げ上に飛んだ。

 

「世界を覆い、大地を犯し、生命と脅威をもたらす大いなるものよ、我に力を———『天を上る海柱(ポセイドンエア)!』」

 

放たれた水の光線は怪物を捉え空中から地面に引きずり落とす。空から降り注ぐ水流に振り回され身動きが取れない怪物を見てミストは安堵の表情を浮かべる。

 

それを嘲笑うかのように怪物の背中の翼が勢いを増し、ミストの魔法を蒸発させた。

 

目を見開き呆気にとられたミストだが、頭だけは正常に動く。逃げなければならない。逃走経路と使用する魔法は思い浮かぶ。だが、体は言うことを聞いてくれない。圧倒的熱量と恐怖に怯んだミストの身体はどうしようもなく怯えたままだった。

 

蒼い炎がミストに向かって迫ってくる。ああ、このままでは焼き殺される。ミストの理性はそう告げていた。体は認識を諦めていた。心は嫌だと叫んでいた。

 

現実はそうはならないと告げた。

 

「『吹き飛べ』」

 

炎が霧散する。何が起こったのか、一同は理解できなかった。だが、目の前に立つヴィレムが剣を振るったのは理解していた。

 

「Guaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!」

 

「うるさい」

 

巨躯を蹴り飛ばし闘技場に叩きつけたヴィレムはそのまま追撃を始める。

 

禍々しい怪物の指先から放たれる紫の呪光。

直撃すれば一瞬で肉体を蒸発させるそれらを慣性を踏みにじるがごとき立体機動で悉く躱していく。まるで目に見えない足場があるようだった。強大な負荷にさらされた手足の筋肉が音を立てて、悲鳴を上げる。

 

怪物を相手取り単身で異次元の戦闘を繰り広げるヴィレム。

 

そこへうかつに援護を挟むことができずアリスとミスト、狙撃位置にいるフッドは行動を決めかねていた。紫色の閃光が無慈悲にアリス達を狙う。そこへ割って入ったヴィレムが呪文と共に攻撃を弾く。

 

再度接敵する。

 

ヴィレムは剣を無感動に振る。黒い光を纏った強力な斬撃が怪物天使の腕を捕らえ斬り飛ばした。本来魔法では太刀打ちのしようがない神威の断片。

適合者ではない彼は決してその神威を使いこなせるはずはないのだ。しかし、その力を宿すだけでなく制御し振ってみせる。

 

安全圏まで避難し望遠魔法で高みの見物を決め込んでいたアシュタロスは笑みを浮かべ、狂った哄笑で心からの感服を示す。

 

「カカカカカカカカカカ!!!!!素晴らしい!イボスですらあの有様だというのに、それを不完全とはいえ使いこなしますか!適合者でもないただの人間が!カカカカカカカカ、アイセア君や彼がご執心なわけですねぇ」

 

ヴィレムは半分理性の飛びかけた体で叫ぶ。

 

「とっとと朽ちろ!!!!!」

 

殺意に満ちた相手の叫び声に対抗するように負けじと語気を強める。半分意識が飛んでいる怪物にそれでも言葉を届かせるために。

 

「ぐぅうぁアアaaaaaaaaaグッ!クソがアああああぁあああああ!」

 

ヴィレムの左目が蒼から紫へと変わっていく。やがて紅い瞳になるだろう。ヴィレムはギリギリの状態だった。体ではなく理性の問題だ。彼を繋ぎとめているのは想いだ。願いだ。野心だ。願望だ。感情だ。彼女に会いたい、彼女の笑顔がもう一度見たい、もう一度笑いかけてほしい 彼女のように誰かを救いたい 今の世界を許容したくない。そんなありふれた感情が彼を動かしていく。

 

「俺は呑まれない、認めない、許さない。邪神もあの男も誰もかれも認めない。だからお前もいい加減消えろ!」

 

支離滅裂な言葉を吐き捨てる。黒い衝撃が怪物を地面に叩きつけ一瞬、縫い付けた。その衝撃で剣はひしゃげヴィレムの腕はあらぬ方向に曲がっていた。

 

止まらない。

 

ヴィレム・マーキアは止まることができない。吹き出す血も。悲鳴を上げる腕も関係ない。

 

地面に叩き潰されていた怪物の身体中に、追い打ちをかけるように禍々しい赤黒い槍の群れが深々と突き刺さり地面へと縫い付けた。

 

「終わりだ」

 

「Gaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!!」

 

地面に縫い付けられてなお抵抗を続ける怪物。炎の翼が勢いを増し空中で殺意を滾らせるヴィレムに襲い掛かる。尋常ではない火力だ。しかしそれだけではない。触れてはいけないような、熱さではなくもっと得体のしれない脅威が内包されていると多くの人間が感じる炎が解き放たれる。

 

一閃。

 

ヴィレムはそのひしゃげた剣を振るう。武器としての役割を果たせるかわからないほど破損しているその剣は、否その剣を包んでいる禍々しい靄が炎を切り裂いていく。

 

着弾。

 

その瞬間、暴風と衝撃波、そして砂塵が舞う。砂塵が晴れた時、ミストたちは立っている二つの人影を見た。先に見えたのはヴィレムだ。彼のその左腕は痛々しいほど焼けている。満身創痍のヴィレムはその顔を歪めることなく、逆に安心したような顔をしている。

 

数瞬の静寂。くるりと後ろを振り返ったヴィレムと立ち上がっているイボスであったなにか、の姿に一同は息を飲んだ。

怪物だったその姿は変容する前の人間の姿に戻っていた。イボスの体には右肩から左脇腹までざっくりと深い裂傷が走っており、血を吹き出していた。それでもどこか清々しく、そして皮肉気に微笑みながら一言こぼす。

 

「憐れ、ですね」

 

ヴィレムはその言葉を受け黙って剣を投擲する。ただし、その剣はイボスに届くことはなく明後日の方向に飛んでいった。

 

「余計なお世話だ」

 

ヴィレムのその言葉の意味を理解できるものはこの場にはいなかった。

 

ただ、この場の脅威がヴィレムによって排除されたことだけは誰もが直感しているのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらくして、王国騎士団が学園に突入してきた。生徒の大半は無事。徐々に意識を取り戻し始めた。負傷したのはオクテットと俺にアリス、アシュテルなどを含め10名。そして行方不明者若干名。責任問題がえぐそうだ。

 

「は?今なんと?」

 

俺は現在王国騎士団の指揮を取っている副団長と話をしていた。

 

「アイセア、殿下の捜索はしなくてもいいです」

 

「…いくら騎士のあなたの判断と言えども承服しかねます」

 

俺の発言に驚きの表情と怒りと呆れの表情を露にして断る副団長に、適当な言い訳をでっち上げる。

 

「アイセアと俺との間には魔法学的に言うとつながり(パス)ができています。お互いに命の確認が可能です。おおよその位置も」

 

もちろんそんな便利なものは存在していない。しかし、魔法使いとして最高峰の位置にいるアイセアの技量がこのチープな嘘に真実味を持たせる。アイセアの魔法を見たことのある副団長はこの嘘を嘘だと断定できなかった。

 

「それは………」

 

「おそらく敵の手から逃れどこかで傷を癒しているのでしょうね。迎えには騎士である俺が行きます。ですから他の人の救助に専念してください」

 

「………承知しました」

 

渋々了承した彼を見送りつつ周囲の報告に耳を傾ける。

 

どうやらアリスは医務室に運ばれていったらしい。アシュテルや重症のセルベスターは騎士団員が治療を施した後医務室に運ばれたらしい。ただ、治療した団員は青い顔でアシュテルに何かを説明していたと他の団員が噂していた。

 

状況を把握しながら慌ただしい校内を俺は迷いのない足取りで歩いていた。未だ校内は騎士団員が巡回しており、状況の把握にいそしんでいる。宝具を収納してあった地下の被害が大きいらしく、瓦礫の撤去と行方不明者の捜索が続けられている。魔法で瓦礫を取り払うことはできなくはない。しかし、地下空間にかなりガタが来ており下手に刺激しないほうが安全であるという判断を現場監督は下したらしい。

 

ちなみに学園長はいまだに戻って来れていない。きっと王城の中は犯人探しと責任問題で大騒ぎなのだろう。

 

今回の問題は3つ。一つ目はアレの力を見られたこと。邪神の権能の破片を扱えるのは教団幹部の証だ。色々な意味でバレるわけにはいかなかったのだが、幸いなことに見られた人数も少ないし大技は出していないから適合者たちに勘づかれることもないはずだ。箝口令も敷かれるはずだし、最悪の場合はアイセアが何とかするだろう。これはいい。

 

二つ目の問題はイボスを倒してしまったこと。成り行きとはいえ、主人公の強化イベントをなくしてしまったのはまずい。原作崩壊の中でも最もやってはいけないことだ。現状でも原作は壊れかかっているため時系列通りに進みはしないと思っているが、それでも強化イベントは俺の方で細工をしてなるべく原作を再現する手助けをするつもりだった。その道が早くも潰えかかっている。

 

イボスは2章で出てくる敵だ。主人公君だけでは倒せないが、新たな仲間を得て彼らと主人公君の新技でイボスを倒し、教団の存在を知る重要な場面なのだ。色々な意味でなくてはならない。協力者を得る重要な話が崩壊するのはまずい。笑えない。

 

三つ目はアイセアの目的が未だに見えないことだ。他にもこのままだと来年の入学者が減るとか色々あるがアイセアの目的がわからないことに比べれば軽い。そもそも、アシュタロスごときに負けた演出をした理由がわからない。大体、魔法を封じられても権能が使えるのだからアイセアが負けるはずないのだ。アシュタロスも何でそんな簡単なことが思い至らなかったのか。

 

状況の整理を終えて目的の場所にたどり着く。捜索が行われている地下空間ではなく、学園内にある礼拝堂の中だ。

 

「ここは使われなくなった礼拝堂だ。人目はない。出て来い、アイセア」

 

「せっかちですね」

 

礼拝堂のステンドグラスが揺らいだ。正確に表現するのであれば、空間が揺らいだ。何かが溶けだしてくるようなそんな光景を眺める。

 

アイセアは何もない空間から姿を現した。そのまま俺の横まで歩いてくる。やけにご機嫌だ。今にもスキップしそうなくらいに。

 

「いつから気が付いていたのですか?」

 

「お前の自己主張の塊みたいな魔力を感じ取れないわけだろ?」

 

「ヴィレム以外に私を感じ取れた人間はいなかったようですが?」

 

「あの場には、な。お前とこれだけ長い時間を過ごしていれば自然と感じ取れるようになる。セルビアやガゼルなんかも感じ取れるんじゃないか?」

 

「んー、このタイミングで私以外の女の名前を出してほしくないのですが」

 

そんな意味のわからない発言をしているがアイセアは非常に機嫌がよかった。後ろに手を組みつつ上目遣いでアイセアは俺を見てくる。

 

「権能を使用したのですね」

 

あの場にアイセアも隠れていたのだから言い訳は無理だろうな。

 

「ああ、使った」

 

「私は禁止したはずですが」

 

「使わなければ全員殺されていた」

 

「あなただけは私が助けました」

 

「それじゃあ意味がない」

 

「………治療はしてあげますが、ここから1週間は地獄を見るでしょうね。それにある程度の副作用も」

 

「わかってる」

 

邪神の力は本来適合したものにしか扱えない。しかし、俺が転生者故なのかかなり制限は付くが行使できた。ただ、適合者ではないため体は不可に耐え切れず少しずつ壊れていくし、権能を行使している間は意識と理性を侵されそうになる。前回は今回よりもはるかに長時間使用した。結果、3週間ほど熱と悪夢と痛みに魘されることになった。

 

「本当に言うことを聞かない子ですね?他の方法を思い付かなかったのですか?」

 

「………逃がしてしまったが、お前の命を狙うアシュタロスを殺しておきたかった。それには邪神の力は必要不可欠だ。アイセアが遅れは取らないと確信していても精神衛生面であいつを仕留めておきたかった」

 

アシュタロスは主人公組に直接は関わらない。物語中盤でとある教団メンバーに殺されるからだ。だから、今殺しても影響はない。

 

俺の言葉を聞いたアイセアはため息を吐いた後俺の後ろに移動する。そしてアイセアは俺の耳元に口を寄せ、一言。

 

「あなたの泣き顔が見たかったのですが頑張りに免じて選択肢をあげましょう」

 

アイセアはニコリと笑う。

 

「私はセルベスターのことを友人だと思っていますが、私にとっての唯一無二の存在はヴィレムだけです。だから、心は痛みますが躊躇う理由にはならないのです…」

 

何を言っているんだ。何でいきなりセルベスターの名前が出てくる?困惑が顔に出ていたのか、アイセアは愉しげに補足をする。

 

「簡単なことです。本当はあなたへの()のつもりでしたが流石に大人げないと思いましてね。選択式にして差し上げたのです。これに見覚えは?」

 

それは懐中時計だった。ただの懐中時計ではない。針にあたる部分が不気味に胎動している。気味の悪いその時計は

 

時限呪計(モラクス)!?セルベスターに掛けたのか!」

 

「はい。長身と短針が交差した瞬間術式が発動します」

 

時限呪計とは文字通り時限式の呪殺道具だ。爆弾の代わりに呪いが発動し相手を音もなく殺害する爆弾のようなものだ。

 

「アシュテルさん、と言いましたか?彼と治療を担当した騎士団員にはこのことを教えてあります。脅迫状を置いてきただけですけど。………他人に話したら術式を発動させると書いておいたので今頃、たった一人で血眼になって私を探しているのでしょう」

 

何のためにこんなことをしたのか?理解が追い付かない。アシュテルにそれの存在を伝えれば、アシュテルはアイセアを殺そうとするだろう。王族殺しの汚名を着てでもアシュテルはセルベスターを助けようとする。そういうやつだ。これはつまり————アイセアかアシュテルとセルベスターどちらかを選べということか?

 

「今すぐその時計を止めろ。使用者の殺害もしくは使用者が時計を止めなければ効果が切れない。わかってるだろ!?」

 

「ええ、知っていますよ」

 

「だったら!」

 

「物分かりの悪い子ですね?だから選べと言っているのです。自身にとっての最良の選択肢を」

 

それは—————————。

 

発動までほぼ秒読み状態だ。アシュテルが間に合ったとして交渉している余裕なんてないだろう。確実にアシュテルはアイセアを殺しにくる。アイセアは抵抗しないはずだ。この場面で自分の命をチップに人形劇をできる人間だからだ。アイセアはこう言っているんだ。私を選んでアシュテルを殺せと。

 

「クッソ!どうすれば」

 

礼拝堂の扉が勢いよく開く。そこに立っていたのは息を絶え絶えにしたアシュテルだった。その目は血走っており手には抜身の長剣が握られている。アシュテルはアイセアだけを見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「来ましたか。随分と急いだようですね。ヴィレムにも見習ってほしいです」

 

アイセアは笑顔でアシュテルを迎え入れた。それに対してアシュテルはその首を刎ねんと腰を落とす。漲る殺意が疲弊した彼の肉体を研ぎ澄ましていった。そして、疾風のごとくアイセアに肉薄させる。握りしめられた鈍色の剣がアイセアの喉元を切り裂かんと迫りくる。

 

 

そして―――――アシュテルの半身が両断された。

 

「あっ―――――――?」

 

アシュテルの身体は血と臓腑をまき散らして崩れ落ちた。

 

何が起きたのか?アシュテルのその眼に映ったのはいつの間にか立っていたヴィレムだった。

 

ヴィレムの手に夜の闇を反射する黒い剣が握られているのを見て、アシュテルは確信した。自分を斬ったのは自身の友人であり、その震える腕と噛み締められた唇はアイセアへの恭順の証なのだと。

 

「そうか………こう、なるんですね」

 

徐々にアシュテルの目から光が消えていく。生命の灯が薄れる中、吐露されたのは命乞いでもなく、嘆きでもなく、憎悪の言葉でもなかった。

 

「申し訳………ありません、でした」

 

それは主君への懺悔だった。自身の死を目の前にしてそれでもアシュテルの頭にあったのはセルベスターの身の安全だったのだ。

 

ヴィレムはそれを聞き顔を歪める。そして感情が混ざりすぎておかしくなりそうになりながら、ヴィレムはその答えにだどりつく。完全に術式を破壊することは無理でも魔法殺しを使えば、一部の破壊は可能であり針を止めることはできると思い至ったのだ。

 

瞬時に、ヴィレムは剣を振るいアイセアの手を傷つけないようにしながら懐中時計だけを斬ってみせた。針の動きが停まり発光が弱まる。

 

「フフ、正解です。遅かったですね?親しい友人を殺めた後にしか正解にたどり着かないなんて」

 

美しく悍ましい嘲笑と微笑はヴィレムの心を蝕む。

 

「まあ、そういう風に思考を誘導したのは私ですが」

 

きちんと誰も死なない方法は存在していたのだ。ただ、アイセアはそれを選ばせる気はなかったというだけ。あたかも自分とセルベスターのどちらかを選ばせるような話し方をしていたのである。

 

「どうでしょうか?友人をその手で斬った気分は」

 

アシュテルの傷を見て助からないと判断し座り込んだヴィレムに向かってアイセアは問いかけた。

 

「なんで………こんな」

 

アイセアの足元に崩れ落ちているヴィレムの頭を撫でながら、アイセアは穏やかで邪悪で満足げな笑みを浮かべる。

 

「ヴィレムが殺したのです。また、繰り返したのです。わかったでしょう?私以外の者も守ろうと足搔くからこうなるのです。そんな甘さを捨てきれないところも気に入っているのですが………私の許可なく権能を使用すればロクなことにならないとわかっていただけましたか?」

 

あ、ああ、あああああああああああぁ、あああ……ぁぁぁぁぁぁあああああ!?」

 

音を立てて、ヴィレムの内側で何かが瓦解していく。

 

そんな風に心を傷つけたヴィレムを見て、アイセアは満足そうに息を吐いた。

 

「助けてあげましょうか?」

 

「ッ!?」

 

弾かれた様に顔を上げるヴィレムに嗜虐的な笑みを浮かべつつアイセアはアシュテルに左腕をかざす。奇妙な魔法陣が浮かぶ。それは死霊魔法と回復魔法を組み合わせた、アイセアの秘術。

 

「あなたが私の交換条件を受け入れるのであれば、記憶の処理は施しますがこの場で蘇生して差し上げます。心配はいりません、死後からほぼ時間が経過していませんから私の死体人形ではなく元通りの人間として蘇生させることは可能です」

 

それは甘い蜜だった。決して、手を伸ばしてはならない毒入りの甘い蜜。数年前のヴィレムであれば、取るのを躊躇ったであろうその手を簡単に取ってしまうのを正気を削がれるほどの満足げな魔性の笑みを見せながらアイセアは見ていた。

 

アイセアは何度も彼のその心を壊そうとする。壊して、癒して、壊して、癒して、堕落させていく。アイセアは決してヴィレムを手放したりはしないだろう。ヴィレムも逃げきることはできないのだろう。

 

魔女の執着から逃げ切ったものなど存在しないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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エピローグ、簡易設定集

需要はあるようなので、更新頑張ります。

正直、ここまで王女にヘイトが集まるのは予想外でしたが彼女の性格的にこういう行動になるので…。ネタバレになるので詳しくは言えませんが、この作品の終わりはバットエンドではありません。


王都の地下深く闇の中を歩くアシュタロスは予想外の人物に遭遇していた。

 

「やあ、久しぶり」

 

アシュタロスに声をかける人影がそこにはあった。

 

「…神出鬼没の貴方に出会うとは明日は雪ですかねぇ?マルコシアス君」

 

冷や汗をかきながらアシュタロスは目の前の脅威はシルクハットで顔が隠れて見えないが、芝居がかった口調に似合わない生気の抜けたような無表情を浮かべているのであろうと判断する。

 

「面倒な問答はよそう、老師。僕はここにおしゃべりをしに来たんじゃないんだ」

 

「意思の疎通は大事ですよぉ?」

 

「…虚偽でまみれた会話に意味を見いだせないね」

 

「貴方らしい意見ですねぇ」

 

マルコシアスはゆっくりとアシュタロスの方へ歩み、距離を縮めていく。

 

「協力してほしいことがあるんだ。この世界の未来のために」

 

「………残念ですが教団を裏切った貴方に協力してあげることはできませんねぇ」

 

「うん、だろうね。だから無理やりにでも協力してもらうことにするよ」

 

「—————ッ!?」

 

マルコシアスはアシュタロスの真横に立ってステッキを一閃する。アシュタロスはその攻撃を紙一重で回避して横に跳ぶ。

 

「ジャッジの時間だ。天秤よ、答えを示せ」

 

「しまった!?」

 

黄金色の輝きと共にアシュタロスは天秤が左に傾いたのを幻視する。瞬間、アシュタロスの身体から力が抜け地面に倒れる。

 

「嘘はよくないよ。この世で最も尊いのは真実だけなんだから」

 

会話の成立しないマルコシアスの瞳は純粋な狂気で満たされている。その性質はアシュタロスが恐れた人物と似通っていた。

 

「………油断、しましたねぇ…」

 

「老師の戦闘力はそう高くない。恐ろしいのはその経験と知識。だからそれだけ貸してもらえればいいんだ。大丈夫、すぐに終わるよ。『汝、異界の神よ。我が魔に応えその神威を我に示せ』貪欲なる化物喰らい(マンイーター)

 

出現したのは悍ましい黒いナニカ。大蛇のような形状をしているそれの先端には形容しがたい口のようなものが付いている。

 

「これで僕はまた真実に一歩近づける」

 

薄暗い地下空間に絶叫と咀嚼音が響いた。後に残ったのは僅かな肉片と鮮血のみだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

意識が眠りという名の膜を突き破って瞼が開く。日の光は目覚めの眼球にひどく沁みて、涙目になるヴィレムはぼやけた視界の中に淡く輝く蒼色の瞳を見た。それはすぐ間近で、息がかかるほどの距離で、目を奪われるような美しさで、桃色の唇から本当に吐息が届いて――本当に心がおぼれそうになる。

 

「起きましたか?」

 

「どのくらい寝てた?ってのは聞くまでもないか」

 

遠慮なく頭の重さをアイセアの膝に預けたまま、問いかける。そしてヴィレムは心地よい甘い匂いに頭を揺さぶられながら寝ていた時間をざっと計算する。

 

アイセアの部屋を訪ね寝たのが夕方だ。そして、現在太陽が一番高いところを少し過ぎた辺りだ。かなりの時間を眠っていたらしい。

 

「どのくらいで元通りになる?」

 

アイセアはそんな疲れ切ったヴィレムを見て、包み込むような笑みを浮かべる。ヴィレムは権能を使用したあの日の夜から、処置をしないで寝ることができなくなった。熱や傷で数日苦しんだが、体の負担や消耗はアイセアの治療で治せていた。しかし他の要因は別だった。

 

「基本的には数日もすれば体と体力は元に戻るでしょう。ですが精神面の汚染はそう簡単には取り払うことができません」

 

ヴィレムはあの日から悪夢に魘され寝ることができなくなった。次第にそれは現実の方にも影響を及ぼして幻覚に悩まされることになる。次第にヴィレムの精神は不安定になっていった。

 

「ヴィレムの体内には邪神の毒が残ったままなのです。もちろん、毒というのは例えですが適合していない人間は分解できない有害なものが残留しています。これが不眠と精神汚染の原因ですね。ここまでは前に説明しましたね?」

 

ここ数日ヴィレムはアイセアの部屋で就寝していた。アイセアに体の毒を中和してもらいながらでないと深く寝ることができなかったからだ。これを欠かすと幻覚にも悩むことになる。不本意ながらアイセアのと肉体接触が必要らしいので同じベットで寝ることになった。

 

「体内に残った毒、これを完全に取り除くことはできません。数ヶ月に一度、いえひと月に三回は私の治療を受けることが必要になるでしょう」

 

その言葉にヴィレムは顔をしかめた。実際、ヴィレムは悪夢と幻覚には大分悩んでいたので、それを治してくれるというのであれば複雑な感情を抱くアイセアに助けを求めるのはやぶさかではない。使える者は使うのだとあの日に誓ったからだ。ただ、懸念しているのは日々高まるアイセアへの依存心だった。

 

魅了の影響もあるのだろうが処置をされるたびにアイセアへの嫌悪や警戒心が薄れていっているような感覚を覚え、ヴィレムの危機感を煽っていた。

 

「まだぼーっとしていますね。処置が甘かったのでしょうか」

 

「——————ぁ」

 

アイセアに抱きしめられる。薄い布越しから伝わる体温と華奢な体躯、そして理性と心を溶かす甘い声がヴィレムを骨抜きにしていく。

 

「ッ!大丈夫だ!…治療には感謝してる。俺は部屋に戻る!」

 

そう言って、ヴィレムはアイセアの部屋から逃げ出した。それを見送ったアイセアは妖艶で優し気で妖しげな笑みを浮かべる。

 

「処置のインターバル、もう少し短くしても良いかもしれませんね」

 

 

 

 

 

 

設定

 

 

世界観の捕捉

・貴族の階級について

振える力は限られるが成人前の子供の場合、基本的に親と同格の爵位を与えられる。後を継がない子供たちは、成人後貴族の地位を剥奪されるためそれなりの功績を残して爵位をもらう必要がある。ただし、侯爵家以上はこの制度の例外。

 

貴族が経済や政治、魔法を積極的に学ぶ理由は功績を上げるためでもある。ちなみに、ヴィレムのように、功績をあげて伯爵まで上り詰めたのは建国以来10人しかいない。

 

・成人について

王国では20歳が成人と規定される。貴族で成人まで生き残れるのは半分くらい。理由は、跡目争いで殺されるか功績を欲しいがために無理をするからである。この実情を知っている貴族の子供は早々に跡目争いから降りる。降りても疑心暗鬼に陥った兄弟に殺される可能性がある。

 

・トヴィアス

アイセアやヴィレムが住んでいる国。西側にノーマン王国、山脈を挟んだ北側に帝国、南にアニア、この三つの国が隣接している。

 

 

 

ヴィレム・マーキア

本作の主人公。王女の騎士。4年間、原作知識を用いた暗躍をする。功績をあげ確かな地位を築いていたものの、紆余曲折あり王女に首輪をつけられた。各方面から、様々な勘違いを受けているが基本的には王女のせい。効率の良い訓練法をあらかじめ知っていたため、作中でもかなり強い。例えるのであれば、中盤で出てくるボスくらい。王女由来の力を使えば、作中でも上位に食い込むレベル。

 

アイセア

灰色の髪に蒼色の瞳。やろうと思えば、容姿だけで国を動かせる程の絶世の美少女である。幼少期の頃から、強すぎる魅了の魔法を発現しこれが良くも悪くも彼女を狂わせた一端である。教団の幹部だが、別に邪神を信仰はしていない。ぶっちぎりのチート。対抗できるのはほんの数人。

他人を支配する瞬間に悦楽を感じていると同時に、それを不満に思っており自身の支配を拒んで見せる人間を甚く気にいる。

 

アイセアにとって何故ヴィレムが特別かは本編で描きます。ここで書いたアイセアの設定はほんの一部です。

 

ネリア・ルピナス

ルピナス家の長女。爵位は伯爵。ヴィレムとは仲が良く親友とも恋人ともいえぬ不思議な距離感を保ってた。3年前に死亡。

 

ミスト・カインズ

桜のような色の髪に金色の瞳を持つ少女。

5年前に起きた暗殺未遂で、姉を目の前で殺害された。これが一因でミストは人を信用することを怖がるようになり、貴族という立場に嫌気が差すようになっていった。姉の存在がミストに弱い貴族令嬢のままでいることを許容させない。故に彼女は自由と力を欲している。

 

ロバート・ノーマン

ノーランの王子。他が優秀であるため、霞んでいるが別に無能ではない。兄たちのことは尊敬しているが、強さ一辺倒のセルベイトには王座を渡すべきではないと考えているし、人の心が理解できない第一王子に危機感を抱く。だから、兄弟たちには少なくとも今は国王になって欲しくないと思っている。

 

ノイマン伯爵

ノーランの貴族。ロバート同様に考えている。ただ、ロバートは力が足りなさすぎると思っていたが、考えを改めた。国を憂う心だけは認めており、ある意味で王の器であると思っている。

 

デルタ

ロバートの従者の少女。

 

アグニ

赤い髪の少女。教団所属の暗殺者。アイセアの部下でもある。

 

イグイエ・イエティ

4年生。濁ったオッドアイの少年。

血筋にこだわっている貴族主義者。性格がこじれた原因は、優秀な兄と妹への劣等感故であり自分に残っているのは血筋だけだと思っているから。

 

セルベスタ―・クライヘルツ

王国の八大公爵家の一家、クライヘルツの長女であり、原作では何かと主人公たちの世話をしていたお助けポジションにいるキャラである。私服にマントを羽織っている。かなりの変人だとよく言われる。

美しい金色の髪に意志の強そうな赤い瞳を持った少女だが、可愛らしい容姿にもかかわらず、中身の強烈さですべてを台無しにする女として有名な貴族界の台風の目。

 

アシュテル

ヴィレムの友人。セルベスターの従者。前回の章の不遇枠。

黒髪に翡翠色の瞳を持った少年、強さはヴィレムより一段落ちる。主であるセルベスターのことを誰よりも敬愛している。

 

ベレネート・ダンタリオン

学園の生徒。公爵家の長男にして学園入学から常勝無敗の怪物。教団の幹部の一人である。

 

フッド・カイザリオン

3年生。貴族の三男坊。優秀な狙撃手。

 

アリス・クロックベル

1年生。最年少で騎士団に入り、隠密と遊撃などの騎士団らしくない仕事において多大な功績を残し、騎士団長にもう一本の右腕だと言われるほどの実力者。しかしその存在は、一般的には騎士団の一員という風にしか知られていない。

 

セルビア

王女の専属侍女

 

ガゼル

ガゼルは教団のメンバーであり王族の教育担当だった時期があった。執事兼護衛。老兵だけあって割と強め。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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19話

もうそろそろ、原作が始まっている時期だなと街を歩きながら考えていた。学園の入学はまだ少し先になるが、ギルドに登録していわゆる冒険者となるのが、そろそろなのだ。冒険者として2ヵ月を過ごし出会った仲間と共に学園に入学してくる。仲間と言ってもヒロインだが。

 

そんなことを考えつつ、歩を進める。大通りを抜けて角を曲がり目的の建物の前に立った。太陽の光を反射させる白い建造物に目を細める。王立中央図書館。

 

この建物自体が、王都に現存する最古の建築物の一つに数えられ、建物の大きさと比例するように膨大な蔵書量を誇っている。長い歴史を越えてなお今も保たれている白亜の大図書館だ。

 

何度見ても圧巻だった。図書館の外装に気を取られていた俺は固い何かと衝突した。よろめきながら、見上げるとそこには老人が経っていた。そう、俺は一人の老人とぶつかったのだ。

 

「失礼しました」

 

「お~、すまぬな。ワシの方こそ不注意じゃったわい」

 

白髪に色素の抜けた白い髯。巌のように立派な体格。改めてその姿を見た俺は、固まってしまった。なぜなら、その老人こそ八大公爵家の一つバーンハイル家の現当主だからだ。ちなみに原作にはほぼ出てこなかったため、あまり印象にない。

 

だが、一度だけ見たことがある。社交界の時に見ただけだが、目の前に壁が立っていると錯覚するほど重厚で不思議な迫力を持った老人など、そうはいない。優しげな言葉遣いと声色にも関わらずのしかかるような威圧感が溢れている。優しく微笑みを浮かべてはいるが刺すような鋭い眼力をまるで隠しきれていないのだ。

 

「お~、君はヴィレム・マーキア君じゃな?王女殿下の騎士とこんなところで会うとは奇遇じゃな」

 

「こちらこそ、かのバーンハイル家の当主の方とお会いするとは思いませんでした」

 

「フォホホッ、ワシはもう隠居間際の身じゃ、そう構える必要はないぞい。それに王族の騎士は主以外の影響を受けてはならん」

 

「………そうでしたね」

 

そういえば、何でこの人こんなところにいるんだ?

 

「バーンハイル卿はなぜこのような場所に?」

 

そう聞くとバーンハイルは一瞬笑顔をひきつらせた。しかし、その後何事もなかったように笑った。

 

「息抜きじゃよ。ここの司書とは長い付き合いでの?仕事で疲れた時はよく来るんじゃ」

 

「…なるほど、そういうことですか。お疲れ様です」

 

「ではの、ワシはこれで失礼するぞい」

 

そう言って、強引に話題を引きちぎってバーンハイルは貴族街とは逆方面に速足で歩いて行った。公爵家で当主の椅子に座り続けている男が、あんな簡単に感情を表情に出すはずがない。おそらくはわざと動揺したふりをしたのだろう。俺をだますことは目的ではなく、俺に対する警告の意味での行動だろう。

 

「明らかに裏がありそうだが、藪蛇だろうな………」

 

そう判断しておとなしく図書館に入った。ひんやりとした図書館御空気と蔵書特有の匂いに触れながら、中央にあるソファーに体を沈める。周囲には誰もいない。この時間帯は基本的に誰もいないため、ここで考え事をするのが好きだった。

 

正直、仕事以外で外にいる時はアイセアのことを忘れたかった、特に今は。………アシュテルを斬った感触がまだ残っている。わかってはいる。結局、俺の顔見知りは全員生きている。

 

学園に行きいつも通りに挨拶をしてきたアシュテルとセルベスターを見て、俺は実は夢だったのではないかと思ったが、修繕中の校舎とこびり付いたあの光景がアシュテルを斬ったのは現実だと訴えていた。そして、誰も俺を責めないことが逆につらい。記憶を操作されているアシュテルもセルベスターも俺を責めない。いや、きっとアシュテルは記憶を取り戻しても俺のことを恨みはしないのだろう。

 

理解はしていた。俺からすれば、アシュテル達よりもネリアの方が大事でそのためにはアイセアを大事にしなければならない。だから、その時が来れば俺は彼らを斬れると思っていた。それは間違いではなかった、だが、こんなにもきついとは思っていなかった。

 

そんな鬱屈とした気分の俺を水面の底から引っ張り上げる声が聞こえた。

 

「やあ、やあ、浮かない顔をしているね?」

 

首を後ろに倒してソファーの背もたれに頭を乗せる。自分の真後ろ。そこに、上下逆転して、立っていたのはミストだった。桜色の髪が揺れ、少女の香りが鼻をくすぐる。腕を後ろで組み、前かがみになってこちらを覗き込んでくるミストの仕草が、あまりにも自然で、正直こいつこんなんで大丈夫なのかなと思ってしまった。

 

「久しぶりだな、ミスト。こんなところで何をしているんだ?」

 

「家にいてもすることないからね、散歩だよ。ヴィレムは?」

 

「なるほど、俺はあー、何というか息抜き?」

 

「何で疑問形?」

 

俺たちの声は、図書館のしんとした空気を突き抜けて天井にぶつかった。

 

「外で話すか」

 

「………そうだね」

 

外に出た俺にミストは話しかける。先ほどまではあまりに気ならなかった太陽の光が少し眩しい。

 

「つまり今日は終日暇ってことでいいの?」

 

「…まあ、急ぎの予定はないな。4日ほど休暇をもらったし」

 

「じゃあさ、ちょっと付き合ってよ!」

 

満面の笑みを浮かべるミストが希望したのは街歩きに付き合うことだった。王都はかなり広い。そこに住んでいる人間でさえ知らない場所があるくらいだ。少し考えて答えを出す。

 

「いいぞ。暇だしな」

 

「じゃあ、決まりだね」

 

結局、ミストの提案で街を歩くことにした。時刻は昼頃に差し掛かっており、商業施設が固まっている区画のメインストリートでは、出店が立ち並んでいる。パンを焼いている匂いや野菜を蒸してバターと一緒にパンに挟み込んでいる光景。果実を刻んで氷菓子に添えて提供している出店などが目に映る。

 

十歳に満たないであろう幼女がはしゃいで両手いっぱいのお菓子を抱えて走っていく。ちょっとこじゃれたものから、縁や花びらを使っておしゃれに整えた商品まで、様々なものが露店で提供されていた。もちろん、きちんと店を構えている飲食店に比べれば、幾分か、質は落ちてしまうが、それでも十分なレベルの水準を保っており、王都の活気を支えるのに一躍買っているようだった。

 

「王女殿下の護衛だとこういうことってあんまりできないでしょ?」

 

「確かにな。屋台の食事とか王族が口にしたと知れたら殺されかねない」

 

ちょっとテンションが上がっている。誰かと露店を回るのは久しぶりだったし、新しい店舗もあり飽きなかったというのも大きい。

 

「めちゃめちゃ嬉しそうに買ってくるね?」

 

クスクスと口元に手を当てるミストの前で、何とも言えない気分になる。露店で買った 氷菓子をミストにも手渡しながら口に含む。冷たいのにもかかわらずほんのり甘くて、それでいて決して飽きさせることのない絶妙な味付けだった。あまりの完成度にミストと顔を見合わせて思わず笑みを弾けさせながら、しばらく食べ歩きを行う。

 

「たまにこういうあたり商品があるからやめられないよね」

 

「確かにこういうところが飽きない要因なんだろうな」

 

不意にミストが、新しく買ってきたパンをちぎって目の前に差し出してくる。にこやかな瞳にはいたずらの光が宿っていた。

 

「ほら、口を開けなよ?美少女からのお恵みだよ?」

 

なんとなく意図を察したが照れるのも癪に障るので、表情筋を動かさないまま俺は差し出しているミストの手を右手で包み、パクリとごく自然に食べた。

 

まったく、この俺が童貞のように慌てると思ったのだろうか?残念ながら、動揺を顔に出さないのは貴族の基本スキルである。ましてや、俺は王城に暮らしているんだぞ?あんな魔境で、ポーカーフェイスができないわけないだろ?

 

「こっちの焼き菓子もうまいぞ?ほら、口を開けろよ」

 

「うぇ!?!!!!!????」

 

何が起こっているのかわからず目を丸くするミストにお返しをする。完璧に作りこまれた笑みを浮かべる俺とまだ握られている手を見て、ミストは間違いなくうろたえた。そしてパクリと可愛らしい唇が俺の指に少しだけ触れた。

 

右手を口元に押し当てながらもごもごと口を動かす彼女に、俺は笑顔を浮かべ尋ねた。

 

「うまいか?」

 

「ん~、うん………すごく、熱くて甘いよ」

 

顔を隠した手から赤らむ頬が見える。視線を横にそらしながら、感想を述べるミストに満足しつつ俺は、落ち着ける場所を探し歩き出した。食べ比べをして談笑をして、ベンチに座って小休憩を挟んで、最終的には俺とミストは人通りが極端に少ない昼間の住宅街の屋根の上に腰掛けていた。

 

身体強化の魔法をきちんと使いこなせるれば屋根の上に駆け上がることなど動作もない。ちなみに同じような行動を貴族街でやったら即逮捕されるだろう。

 

「ん~、意外と遊んだね」

 

「そうだな。割と楽しめた」

 

「やっと、自然に笑ったね?」

 

「………!それは………」

 

金色の眼、その眼差しに息が詰まった…。今もこちらを見つめてくるその瞳が、俺自身を見透かしているように思えて少し怖かった。でも、この視線は悪意のない透明な視線だった。だから、目をそらせなかった。

 

「あの事件からずっと笑ってなかったから、どーしようかなって思ってたんだよねー。助けてもらった恩もあるし、何かできないかなって。思い切って、誘って正解だったよ!」

 

ミストはそう言いつつ、腕を組んで体を伸ばし視線を虚空に投げる。耳も少し赤いように思う。

 

「ッ…」

 

俺の記憶上、ミストという少女はそこまで純粋ではない。変なところでロマンチストなだけだ。彼女の過去が彼女に純粋さを許さなかった。だからこそ、向けられた純粋な善意がかなりうれしかった。参っていた精神を潤うかのように、ゆっくりと広がっていく優しさが心地よかった。そして、彼女にすがろうとしている自分に軽い自己嫌悪を覚える。

 

「あ、そうだ!もう一つ付き合ってほしいところがあるんだ。日にち跨いでも問題ないかい?」

 

「あ、ああ」

 

「じゃあ、決まりだね」

 

「あ、おい!」

 

ミストは俺の手を引いて、来た方向とは逆側のエリアに建物の上を跳びながら走り出す。しばらくしてから下に降りて、路地裏を進み、大通りを横切りそしてたどり着いたのは冒険者ギルドだった。

 

「家を出て、ただのミストになることも検討してたからさ。冒険者ギルドに登録してあるのさ!あ、これ被って」

 

手渡されたローブと大きめの帽子をかぶる。同じものをミストも被った。おそらく、認識を歪める魔法が付加された帽子なのだろう。貴族の令嬢と王族の騎士がいるのは確かに目立つからな。それにしても………。

 

「アクティブなお嬢様だな」

 

「女の子がみんな王女様みたいにお淑やかだと思ったら大間違いだよ?」

 

「お前らこそ、王族がお淑やかだなって幻想は捨てたほうがいいぞ」

 

アイセアがお淑やかだなんて的外れもいいところだ。笑いながら、戦場を蹂躙していくような女だぞ。

 

そんなことを考えつつ、冒険者ギルドの敷居を潜った。

 

 

 

 

 

 

 



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