起きたら金髪碧眼の美少女聖女だったので、似たような奴らと共同生活始めました (緑茶わいん)
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第一章
朝起きたら金髪美少女だった


 黒塗りの高級車に乗せられ、揺られること約一時間。

 身を預けているシートは父親の車よりも断然柔らかく居心地も良い。なのに、妙に揺れが気になるのは、俺自身が縮んでしまったせいか。

 身長が違えば、同じ揺れでも印象は違ってくるものだ。

 

 俺は窓ガラスに目を向けると、ぼんやり映る自分の姿を見て溜め息を吐いた。

 

 物憂げな表情で外を見ているのは金髪碧眼の可愛い女の子。

 まだあどけなさの残る顔立ちだが、成長したらさぞかし美人に育つだろう。

 もし、この子に街で声をかけられたら間違いなく焦る。相手が日本語を使っていても混乱して、頭には下手な英語しか浮かばないだろう。

 

「……でも、俺なんだよな」

 

 瞬きする度に彼女が同じように動くことも、安物ながら品の良いワンピースを着せられていることも、車を運転しているのが政府機関の人間であることもまだ実感がない。

 だが、頬をつねっても痛いだけなのは検証済み。

 

「お疲れですよね? すみません、もうすぐ着きますので」

「はい、ありがとうございます」

 

 高い柔らかな声で応えながら、俺は遠い目をした。

 異常事態が起こるなら、朝起きたら隣に美少女が寝ていた、とかの方が良かったんだが。

 

「実際は、朝起きたら俺が女の子になってたんだからな」

 

 

 

 

 

 

 今朝、いつもと同じくスマホのアラームに起こされた。

 目覚ましは五分ごとに三回かけてある。あと五分は寝られる、と、微妙にはだけた掛け布団を引っ張り、なんだか重く感じることに違和感を覚えた。

 それでも、まあ気のせいだろうと思いながら、今日の時間割はなんだったかと寝ぼけた頭で考える。ここまで目を閉じたまま。

 あっという間に五分が経ち、二度目のアラームに「んー」と呻いて、

 

「……ん?」

 

 なんかおかしいな、と、気づいた。

 しょうがない、とりあえず起きようと掛け布団を蹴飛ばそうとして、思った威力が出ずに失敗。ついでに、パジャマ代わりのジャージが妙に着心地悪い。気になりだすと色々気になってくるもので、なんかこの部屋汗臭くないか? と思わず眉を顰める。

 身を起こせば、首を通り越して背中に届きそうな長さの金髪がはらりと揺れ、肌を撫でる。

 

「あ?」

 

 見下ろす。

 男もののジャージと下着(どっちもぶかぶか)を身に着けた女の子がいた。というか、女の子の身体が首から下についていた。

 頬をつねったら痛かった。

 慌ててスマホを手に取り、アラームをオフにしてからスリープ状態にし、黒い画面に顔を映す。

 予想通り、異常事態が起こっていた。

 

 朝起きたら女の子だった、なんて物語の中でしか許されない話である。

 

 何かの間違いだろうと思い直し、昨日の記憶を思い返したり、小さく細くなった指でメールやグループチャットのアプリを確認──しようとして指紋認証に失敗し、漫画雑誌やらダンベルやらが雑然と置かれた部屋の中に変な物がないかを見渡し、気づいたら三回目のアラームが鳴るべき五分後をとっくに超えていた。

 なんだこれ、と、困り果てた俺は母親の呼ぶ声を意識する余裕すらなく、この状況を打破する方法を思考し続け、

 

「早く顔を洗って支度しないと遅刻……よ?」

「……うぁ」

 

 ドアを開けて入ってきた母親と対面した。

 

 その後はまあ大変だった。

 

 一体あなたは誰なのか、この家の息子はどこへ行ったのか、といった質問に答えるために「家族でないとわからないような質問に答える」という定番のアレを実行。

 誘拐とかならもう少しマシな計画を立てるということや、口調が俺のままだったことなどもあって「俺が息子だ」という主張はひとまず信じてもらえたのだが、可愛い女の子が俺の口調で喋るんだから母親は大層困惑したことだろう。

 ともあれ、出勤目前だった父親に会社を休んでもらい、知っている範囲で一番立派そうな病院に朝一で直行。

 

「朝起きたら女の子になっていた? そんなことあるわけないでしょう?」

 

 医者にも全く信じてもらえない有様だったものの、年配の看護婦さんが「先生、もしかしてアレじゃないですか?」と囁いたことで事態は急変。

 担当医はいったん離席すると、何やら資料を確認したりどこかに電話をかけたりしていた様子で、しばらくして戻ってくると、

 

「もしかしてと思いお伺いしますが……今の貴方の姿、どこかで見覚えはありませんか? 漫画とかゲーム、あるいはアニメなどで」

「何の話ですか?」

 

 こいつ頭がおかしくなったんじゃないのか、とかなり本気で思ったが、看護婦さんから手鏡をもらい、あらためて自分の姿を確認すると確かに見覚えがあった。

 もちろん、記憶の中にあるキャラは俺の昔着ていた服なんか羽織ってなかったが。

 

 アリシア・ブライトネス。

 最近、俺がプレイしていたSRPG(シミュレーションRPG)の主人公だ。金髪碧眼の、成長途上にある少女で、クラスは聖職者。

 俺が最後にプレイした時のデータではクラスチェンジして『聖女』なる仰々しい存在になっていた。

 

 まあ、ゲームキャラとは言っても、あのゲームは主人公の名前や性別、ある程度の身長、目の色髪の色、クラス(職業)に至るまで自由に設定できるので、他の人間が見てゲームのキャラだと言い当てるのはほぼ不可能だろう。

 まあ、設定した俺自身、ゲームのキャラになるとは夢にも思っていなかったせいもあって全く気付かなかったわけだが。

 

「……なるほど、やはりそうですか」

 

 簡単に説明すると、医者は重々しく頷いた。

 

「あの、これって、ゲームと何か関係があるんですか?」

「ええ。どうやら貴方と同じように、ある日突然、創作上の登場人物になってしまう方がいるようなのです」

 

 冗談のような話に目が点になったのは言うまでもない。

 しかし、実際に起こっているのだから仕方ない。既に数例が確認されており、政府は秘密裏にこの症例(仮)について情報を集めているらしい。

 病院にも通達は来ていたものの、まさか本当に患者が来るとは思わなかったという。

 

「関係機関には連絡させていただきました。程なく詳しい方が来られるでしょう」

 

 やってきた政府の人間がしてくれた説明も、医者からのものと大差はなかった。

 ただし彼らの話には「対処」という続きがあったが。

 

「お話を伺った結果、該当の症例であることは間違いないと判断しました。つきましては、戸籍等々の手続きや生活費用の問題等、こちらで全てサポートさせていただきたいと思います」

 

 突然、身体が別人になってしまうのだ。

 今まで通り学校に通えない人間も当然出てくる。実際、俺も高校二年の男子だったが、今はどう見ても女子中学生。この状態で男子と一緒に着替えをするとか(俺自身はそんなに気にならないが)世間的に色々とまずいだろうし、転校するとか服を一から揃えるって話になると金もかかる。

 その辺りをまるまるサポートしてくれるというのなら、自分の設定したキャラクターについて語らされた俺の心労も報われるというものである。

 

「そこで、貴方──都合上、アリシアさんとお呼びしますが、アリシアさんにはこちらで用意した『寮』に入っていただきます」

 

 なんでも、同じ症状の人間を集めた家、シェアハウスのような場所らしい。

 

「同じ境遇の方ばかりのほうが過ごしやすいでしょう?」

「確かに」

 

 碌にニュースになっていない以上、政府としてはあまり大事にしたくないのだろう。

 俺としても「女になった」などと友人連中に知られて大騒ぎされるのは好ましくない。

 

「わかりました。じゃあ、引っ越しはいつ頃……?」

「できればこれから、今すぐに」

「今日、これから!?」

 

 驚いたものの、結局、俺は了承した。

 引っ越しを伸ばせば伸ばすほど騒ぎになる確率は上がるし、学校の勉強も遅れる。今までの服はどうせ着られないので荷物もそんなにない。

 両親も「その方が間違いないだろう」と言った。

 よくわからないことになった息子をいきなり放り出すのは怖いが、手元に置いておいてもどうしていいかわからない。ならばいっそ任せてしまえという話だ。

 

「とりあえず、最低限の荷物だけ取りに帰りたいんですけど」

「ええ、もちろんです」

 

 一度、家に帰ってスマホや財布などを小さな鞄に詰めた。

 衣類も教科書も入れる必要がないと、荷物は本当に少ない。

 服を担当者が用意してくれた新品に着替え、車に乗り込み、揺られること約一時間。

 

 こうして俺は、今に至る。

 

 

 

 

 

 

「今更ですけど、これ、誘拐とかじゃないですよね?」

「もちろん違います。……さあ、もう着きますよ」

 

 車が停まったのは一軒の家の前だった。

 

「……でか」

 

 庭付きの二階建。

 四人家族どころか二世代、三世代で同居できそうなサイズ感。

 花壇、あるいは家庭菜園もきちんと手入れされており、名前がわからないが綺麗な植物が花を咲かせている。

 物語に出てくるような豪邸ではないが、一般人の感覚から言えば十分豪華だ。

 

「では、後のことはお任せいたします」

「俺一人で行くんですか?」

「アリシアさんのことは既に連絡してありますし、間に我々が入るよりも早く馴染めると思います」

「なるほど」

 

 ある程度のことは車内で話し合ったし、転校の手続きなどは終わり次第連絡をくれるという。

 考えてみれば、今日会ったばかりの大人について来られても、気分的には大して楽にならない。

 それならまあいいか、と頷き、俺は車から降りて、

 

「そうそう。住人の方は全員女性ですので、ご安心を」

「……それは、安心していいのか?」

 

 走り去っていく車に向けて思わず呟いた。

 

 全員女性、というのはおそらく見た目が、ということなんだろうが……あの人、俺が元男だって忘れていたりはしないだろうか。

 いや、男ばっかりと女ばっかりのどっちがいいかと言われたらそりゃ後者なんだが。

 服の相談とかができるのは大きいだろうし、単純に、殴りかかられた時に勝てる目が大きい。

 

 門の前から家を見上げ、深呼吸をしてから呼び鈴を鳴らす。

 

『はい』

 

 女の声。

 

「あの、今日からここに引っ越すように言われた者なんですが」

『伺っております。今行きますので待っていてくださいね』

 

 程なく、ドアが開いて中から一人の女性が顔を出した。

 目が合うと、彼女は俺に向けてにっこりと微笑んでくれる。人当たりの良さそうな柔らかな笑顔に心が和むのを感じながら、ぺこりと軽く頭を下げる。

 

 ……悪い人ではなさそう、かな。

 

 二十代中盤くらいだろうか、どこか大人の魅力の漂う女性だ。

 髪と目は茶色がかった黒。肌が白く、西洋人っぽい顔立ちをしていなければ日本人と間違えたかもしれない。

 いや、服の上からでもはっきりとわかる二つの膨らみも東洋人離れしているので、やっぱり只者ではないか。

 

 ただ、彼女は何故かメイド服を着ていた。

 いや、うん、何故かとしか言いようがない。

 

 本物を見るのは初めてだ、と思いつつおずおずと口を開く。

 

「初めまして。俺は──」

「アリスさま、ですよね?」

「え」

 

 硬直した。

 メイドさん(仮)は不思議そうに「違いましたか?」と言っているが、

 

「いえ。あー、ええと、アリシア・ブライトネスが名前? っていうことになるみたいなので、間違ってはいないんですが」

 

 アリス、はこの手の名前によくある愛称である。

 するとにっこりと頷かれて、

 

「では、アリスさまとお呼びしますね。どうぞこちらへ、アリスさま」

「あ、はい」

 

 導かれるまま鞄を手に門を、そして家の入り口をくぐる。

 一瞬、ふわりといい匂いがした。

 ドアが閉じるとすぐに気にならなくなってしまったが、なんというか、女の子の部屋に遊びに行った時みたいな感じだった。まあ、そんな経験はないので想像だが。

 

「アリスさま。この家は土足禁止となっているのですが、問題ありませんか?」

「はい」

「良かった」

 

 微笑む彼女によれば「宗教やお国柄によって違う場合もありますから」とのこと。

 

「あれ、ここに住んでるのって日本人……ですよね?」

「ええ。少なくとも()()()()()()

「あー」

 

 言われてみれば、アリシアが屋内戦で裸足になっていた覚えはない。だからといってそこまで気にしなくてもいいとは思うが、

 

「住人の方を紹介しますので、まずはリビングにどうぞ」

「わかりました」

 

 靴を脱ぎ、揃えて端に寄せてから立ち上がる。

 メイドさんに案内されて移動するというのも贅沢な経験だが、案内されている俺は俺で金髪美少女なわけで、もう何がなんだかよくわからない。

 ひとまず、出てくる人間が全員、日本人に見えないことくらいは覚悟しておいた方が良さそうだ。

 

 と。

 

 不意に、背中側から気配。

 何気なく振り返ると、途端、視界が塞がれる。

 

「わっ」

「……可愛い。この子が新しい子ー?」

「もがもが」

 

 耳から聞こえてくるのはメイドさんとは違う人の声。

 ということは、もしかしなくても、俺の顔に押し当てられている柔らかな物は。

 

「シルビアさま。顔を出してくださったのは嬉しいのですが、まずはアリスさまから離れてくださいませ」

「……ん。もう、しょうがないなあ」

 

 自由を取り戻した俺は、この家(寮?)の住人パート2を見上げながら「やっぱり甘い匂いがした」とどうでもいいことを思った。




まったりと不定期更新予定です。

※メインキャラのイメージ画像
(NovelAIで作成。あくまでイメージの一例です)
〇アリス
【挿絵表示】
〇朱華
【挿絵表示】
〇シルビア
【挿絵表示】
〇ノワール
【挿絵表示】
〇教授
【挿絵表示】
〇瑠璃※四章にて加入
【挿絵表示】


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聖女、仲間達と顔を合わせる

 広々としたリビングは大きく二つのスペースに分けられていた。

 一つは六人掛けのテーブルが置かれた、食事用と思われるスペース。

 もう一つはふかふかのソファ三つと背の低い小テーブル、テレビ等からなる憩いのスペースである。

 俺が座るように言われたのはソファの方で、そこには既に二人の人物がいた。

 

「おお、小さいのが来たではないか!」

 

 先客の片方──身長の()()()()が立ち上がって歓喜の声を上げる。

 中学生くらいに見える、背が小さいだけでなく小柄でもあるその子は、何故かぶかぶかの服……ローブ? を身に纏っていた。髪はぱっと見黒っぽく見える濃い紫。なんとなく伊達っぽい小さな丸眼鏡をかけており、子供が教授の真似でもしてるのか? といった感じだ。

 満面の笑みで近寄ってきた彼女は俺の前で立ち止まると「どれどれ?」と背伸びをして、

 

「くっ、負けた……!?」

 

 悔しげに表情を歪めるとソファに戻っていった。

 身長にコンプレックスがあるんだろうか。俺──アリシアの身長も百五十あるか怪しいので、負けるのはそりゃ悔しいだろうが、成長期なんだから気にしなくてもいいと思うのだが。

 

「だから言ってるでしょ? 教授の身長で勝てる子はそうそういないって」

「うるさい! 吾輩の気持ちがお主にわかるか!? こっちはかれこれ百年以上、この屈辱を味わって来ているのじゃぞ!?」

 

 もう一人の先客にからかわれると、教授と呼ばれた女の子が声を上げ、

 

「……百年?」

「という設定だ、っていう話だよ」

「わたしたちが変身してからまだ一年経っていませんしね」

 

 先に会った二人が解説してくれた。

 なるほど、どうやら痛い子らしい。いや、元キャラの設定の話か?

 なら、彼女達が俺と同じだっていうのは嘘じゃないんだろう。

 日本語ぺらぺらの外国人がこんなに集まってるとか、そうそうないだろうし。

 

「とりあえずお座りくださいませ、アリスさま。いまお茶をお持ちします」

「あ、はい」

「んじゃ、とりあえずアリスちゃんは真ん中かなー」

 

 シルビア、と呼ばれていた少女が俺の腕を取って、というか抱き着いた状態で導いてくれる。

 長い銀髪を無造作に乱れさせた美少女で、身長は百六十センチ後半はありそうだ。声と表情は気だるげで覇気といったものはほとんど感じられない。

 春物のニットの上から長い白衣を羽織っており、その胸の大きさも含め、彼女もまた只者ではないことが伺える。

 

 で、最後の一人。

 ソファにおずおずと腰かけた俺は、その少女と視線を合わせた。

 

「ふーん、あんたが新メンバーね……」

 

 燃えるような紅い髪の少女だ。

 瞳の色も同じく紅。見るからに気の強そうな容姿は伊達ではないらしく、向けられた言葉にもどこか辛辣な響きがあった。

 

「見るからにオタクが好きそうな感じ。どっかのエロゲのキャラ?」

「……そっちも学園ハーレムバトルものラノベのメインヒロインって感じの見た目だけどな」

 

 なんだこいつ。

 俺と一緒に俺の作ったキャラまで馬鹿にされ、ついついイラっとして言い返してしまう。

 と、彼女はふんと鼻を鳴らすと胸を張って、

 

「あたしはラノベじゃなくて鬼畜凌辱系エロゲのメインヒロインよ」

「お前がエロゲのキャラなのかよ!?」

「当然でしょ? 仲間かと思って聞いたんだから」

「お、おう」

 

 まさかそっちの方向性で攻めてこられるとは思わなかった。

 ていうか、可愛い女の子の口からエロゲだのラノベだのって言葉が出ると違和感が凄い。今は俺も人のことを言えないんだが。

 

朱華(しゅか)さま、あまりアリスさまをいじめないでくださいませ。急に変身してしまったばかりで混乱されているはずですから」

「わかってるわよ」

 

 お茶の用意と共に戻ってきたメイドさんが言うと、朱華というらしい少女はあっさりと引き下がった。

 そして、テーブルに並べられるお茶と茶菓子。

 席順とお茶の内容はテレビに向かった状態で左側のソファに仮称教授(ほうじ茶)、朱華(中国茶?)、正面のソファにシルビア(コーヒー)と俺、そして右側のソファにメイドさん(紅茶)となっている。バラバラな上、一人はお茶ですらない。

 ちなみに茶菓子はクッキーである。

 

「アリスさまは何をお飲みになりますか?」

「えっと、じゃあ紅茶をお願いします」

 

 メイドさんが一番得意なのはおそらくそれだろう。一人くらいは飲んであげないと申し訳ない、と、俺が答えたところで。

 ずずっとほうじ茶をすすった教授が「精一杯厳かにしました」といった声で告げた。

 

「さて。ではあらためて、ようこそ、アリシア・ブライトネス。我らが『異邦人達の集い(フォーリナーズ・パーティ)』へ」

「よ、よろしくお願いします。……って、なんですか、その名前?」

「教授が付けたこの家のあだ名よ。いかにも中二病って感じでそれっぽいでしょ?」

「ああ、うん。中二病を狙ったんなら大成功だと思う」

「だろう?」

 

 ふふん、と胸を張る教授。

 この人も変人だということがよくわかる。

 

「ええと、皆さんは全員、俺みたいに突然、なんかのキャラになってしまった人達……なんですよね?」

「そうだよー。私は自分で書いてた小説の錬金術師」

「吾輩はマイナーな劇場アニメの大賢者だ」

「あたしはもう言ったから……ノワールさんはマンガのキャラでしたっけ?」

「ええ。メイドのノワール……今は、皆さまのお世話をするのがわたしの役目になっております」

 

 で、俺ことアリシアがSRPGのキャラ。

 それぞれのフルネームや学年なども聞いた上で纏めた結果がこうだ。

 

 ◆アリシア・ブライトネス(俺)──金髪碧眼、聖女

 ◆シルビア・ブルームーン   ──銀髪青目、錬金術師、高校二年生

 ◆朱華・アンスリウム     ──紅髪紅目、超能力者、中学三年生

 ◆教授(本名不明)      ──濃紫の髪と瞳、大賢者、大学教授

 ◆ノワール・クロシェット   ──濃茶の髪と瞳、メイド、メイド

 

「大学教授……?」

「なんだ、嘘だと思っているのか? 子供扱いするならこちらにも考えがあるぞ」

「いや、えっと……すみませんでした?」

 

 子供が凄んでいるようにしか見えなかったが、とりあえず謝っておいた。

 

「超能力者っていうのは?」

「ゲームキャラだからファンタジーばっかりだと思ってた? 残念だけど、あたしの出身はSFなの。専門はパイロキネシス」

 

 確か、火を操る超能力だったか。

 なるほど、紅の髪にぴったりではある。

 ここでノワールが微笑んで、

 

「アリスさまは中学三年生に編入する方向で調整すると伺っております。朱華さまと同じクラスになれるといいですね」

「もう一回中学生をやり直すのかあ……」

「そうは言っても、その見た目じゃ中三でもギリギリだろう。知り合いがいるだけでもめっけものだと思うべきではないか?」

「知り合いって言っても、今日会ったばっかりだし……」

「何よ、なんか文句あるわけ?」

「ないです」

 

 朱華は結構大人っぽく見えたのだが、実は中学生らしい。

 気性が荒いようなので取り扱いに注意しようと思いつつ、手つかずだったお茶を飲む。美味しい。思わず飲み干すと、ノワールが嬉しそうにお代わりを淹れてくれた。

 

「アリスさまはどのようなお茶がお好みですか?」

「飲み慣れてるのは緑茶ですけど、案外紅茶も美味しいですね」

「では、味覚が変わったのかもしれませんね」

 

 元の身体の時は独特の渋みが苦手だったのだが、どうやら身体が変わったことで味の好みが変化することもあるらしい。

 言われてみれば他のメンバーはなんとなく、キャラに合った飲み物になっている気がする。

 朱華が肩を竦めて、

 

「国の連中はまとめるのが好きみたいだから、あんたの学校もあたし達と同じでしょうね」

 

 朱華とシルビアが通っているのは中高一貫の私立女子校らしい。

 

「……もしかしてお嬢様学校ってやつか?」

「一応はね。って言っても、試験に受かれば誰でも入れるし、ごきげんようとか言っちゃうガチのお嬢様は()()()()いないから安心しなさい」

「逆に不安になってきたんだが」

 

 ガチのお嬢様も少しはいるんじゃないか。

 

「女性ばかりの環境というのも気楽なものですよ。殿方の目を気にする必要がありませんから」

「っていうか、あんたにとっては楽園でしょ? 元男なのよね?」

「悲しいことに『元』だけどな」

 

 言い返した俺に朱華はふん、と笑って、

 

「ご愁傷様。悪さをする()()が無くなったのはあたし達にはラッキーだけど、女同士だからって変なことしようとしたら燃やすからね」

「しねえよ!」

 

 こっちはいきなりの話でまだ戸惑っている段階だ、そんな余裕はない。

 遠い目になって視線を逸らせば、外の世界がオレンジ色に染まっているのが見えた。思えば、朝起きてからバタバタしっぱなしだった。朝食はトーストを軽く齧った程度で、昼に至っては食べていない。そう思うとクッキーと紅茶が物凄く貴重な食料に思えてきた。

 ここぞとばかりに手を伸ばす俺を見て、ノワールが微笑み、

 

「アリスさま。夕食は別に作りますので食べ過ぎないでくださいね。……それに、あまりお茶をお代わりされますとお手洗いの心配もありますし」

「……う」

 

 その言葉に俺は硬直した。

 お手洗いの意味がわからなかったわけじゃない。トイレを表す言葉を聞いて、今日はまだ一度も行っていなかったことを思いだしただけだ。

 つまり、その、簡単に言えば、紅茶をお代わりしたせいもあって、お腹がかなりやばい状態になっている。

 

「すみません、トイレを借りてもいいですか?」

「借りるも何も、アリスさまもここの住人になるのですから、お好きに使っていただいて構いませんが……」

「大丈夫か? 一人でできないのなら手伝ってやるぞ?」

 

 教授がにやりと笑って尋ねてくる。

 ついでに朱華が「これはからかうチャンスだ」とばかりに笑みを浮かべたので、慌てて、

 

「子供じゃないんだから、それくらいできます」

 

 案内されるままトイレに駆け込み、蓋と便座を上げて下着を下ろした俺は、股間に手を伸ばし、

 

「……あ、あの、ノワールさん?」

「はい。アリスさま、お手伝いいたしましょうか?」

「……お願いします」

 

 終わった後、教授と朱華に大爆笑されたが……仕方がないと思う。

 いつもと同じ手順でできなかったわけだし、なんとなくでやっていたら、その、いろいろ飛び散らせていた可能性が高い。

 床に敷かれたマットをノワールに言って洗濯してもらう、などという羞恥を経験するくらいなら、最初から恥をかいてしまった方がマシだ。

 

 なお、それからしばらくの間、俺は極力、トイレに行くのを避けるようになったのだが……これも仕方のないことだろう。

 

 ちなみにシルビアが静かだと思ったら、いつの間にか寝ていた。

 

 

 

 

 

 『異邦人達の集い』(仮)には余っている部屋が幾つもあったらしく、俺はその一つをあっさりと与えられた。

 

「……はあ」

 

 新しい自室でベッドに寝そべり、息を吐く。

 あらかじめ据え付けられていたベッドは柔らかく、使い心地としては何の文句もなかった。

 アリシアの身体は小さく軽いので、普通のベッドを使っていて身体がはみだすとか、ベッドが耐えられないとかそんなことにもならないだろう。

 問題があるとすれば掛け布団やシーツ──というか部屋全体がいかにも「女子の部屋」といったコーディネートになっていることくらいか。

 別に露骨なピンク色だったりはしないのだが、淡い色調ながら明るいトーンで纏められていたり、家具が全体的に丸っこかったり、さりげなく女子っぽいのだ。おそらくノワールあたりのセンスだろう。これが朱華相手なら面と向かって文句を言ってもいいが、あの人には恩もあるし悪意を向けたくはない。

 

 ノワールの作ってくれた夕食も美味しかった。

 

『今日はあり合わせになってしまいましたけど、明日はアリスさまの歓迎会をしましょうね?』

 

 あり合わせと言いつつ十分すぎる料理だったので、何が出てくるか、食べきれるのか、期待と不安が半々くらいで同居している。

 食事と言えばどうやらこの身体、サイズ感に比例して小食らしく、元の俺の半分程度しか食べることができなかった。

 調子に乗って白米を頬張ったりするとおかずが全く入らなくなりそうなので注意しなければならない。

 

「でもまあ、悪いところじゃなさそうか……?」

 

 朱華は微妙に刺々しいし、教授はなんか面白がっているが、シルビアは今のところ急に抱き着いてきたくらいで害がない。ノワールはメイドらしく甲斐甲斐しく人当たりも柔らかなので癒しオーラが凄い。

 なんとかやっていけるかもしれない。

 いや、やっていかないといけないのだろう。

 

「元に戻る方法は、今のところないらしいけど……」

 

 それを今、調べている最中だという話だ。

 こうして一か所に集められているのはそのためでもあるわけで、こればっかりは偉い人達に期待するしかない。

 

 そんなことを考えていると、腹が膨れたこともあって眠気が襲ってくる。

 

「とりあえず、後のことは明日考えよう……」

 

 母親に無事着いたことをグループチャットで送り、俺は睡魔に身を任せ──。

 

「あの、アリスさま? お風呂のご用意もできておりますが、どういたしますか? それと、よろしければ着替えの代わりとして予備のメイド服を──」

「すみません、勘弁してください」

 

 ノックと共に顔を出したノワールに平謝りした。

 

 

 

 なお。

 この夜、俺はシルビアの部屋から突如響いた爆発音によって起こされることとなり、害がないと思っていた二人もやっぱり変人なんだということを思い知ることになるのだが、眠りについたばかりの俺はまだ、そのことを全く知らなかった。



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聖女、シャワーを浴びる

「えへへ、ごめんね。失敗しちゃった」

 

 何事かと駆け付けると、銀色の髪を昼間以上にぼさぼさにしたシルビアが顔を出して言った。

 彼女の後ろには部屋の入り口があり、その奥には棚や机。上に置かれているのは怪しげな器具の数々。いかにも実験室といった感じの内装が見えた。

 部屋の側面には別のドア。

 なんでもシルビアは自室と研究室の二部屋を借りており、部屋同士で行き来がしやすいようにドアで繋げているのだという。

 で、爆発があったのは研究室の方。

 

 疲れて寝ていたところを起こされた俺は目を擦りながら尋ねる。

 

「一体、何をしてたんですか?」

「実験」

「何の実験をしたら爆発するんですか」

「何って……色々だよー。薬品の調合っていうのは危険だからね。特に私のはファンタジーな調合だから」

 

 怪しげな草をすり潰したり煮込んだりして作った怪しげな液体を混ぜ合わせて怪しげな薬を作っていたらしい。

 なるほど、いかにも錬金術師っぽい。

 しかも、他の住人は一人も起きて来ない。つまり、シルビアの実験はいつものことなのだ。

 

「そこまでキャラになりきらなくてもいいんじゃ?」

「……でも、せっかく能力があるんだから勿体ないと思わない?」

「は?」

「私達には元のキャラの能力が備わってるんだよ。聞いてない?」

 

 初耳である。

 いや、そういえば朱華が「燃やす」とか物騒なことを言っていた気がする。あれはパイロキネシスを使うって意味だったのか。

 じゃあ、例えば、

 

「俺なら回復魔法なんかが使えるんですか?」

「うん、多分ねー。試してみたら?」

「じゃあ……」

 

 若干の興奮を覚えながら手を前に出し、シルビアに向けて、

 

「《小治癒(マイナー・ヒーリング)》」

 

 次の瞬間、手のひらからぽう、と、小さな光がこぼれた。

 常夜灯の小さな明かりだけが照らす廊下が一瞬だけ明るくなったかと思うと、光はシルビアの身体へとすうっと吸い込まれていく。

 後には何事もなかったような廊下の光景だけが残されたが、銀髪の少女は、どこかぼんやりとした顔に小さな驚きを浮かべて、

 

「あ、身体が軽くなってる」

「本当ですか!?」

「うん。私の作るポーションも栄養ドリンクなんかよりずっと効くけど、やっぱりHPを回復すると疲れも取れるみたいだねー」

 

 RPGにおけるHPの解釈として「気力、体力、生命力など、戦いを続けるための能力をまとめたもの」というのを見たことがある。

 大抵のゲームではHPが0になると「死亡」なのだが、じゃあHP1の状態はちょっとの怪我で死ぬ状態なのか? 逆に安静にしていれば生き残れるのか? という疑問も、その解釈なら「次の攻撃をかわしたり防いだりする気力がほぼ尽きているので、次の致命的な一撃は高確率で防げないという状態」と説明できる。

 この場合、回復魔法には傷を治すだけでなく疲れを和らげたりする効果もあることになる。

 

 これは、

 

「凄いじゃないですか! 回復魔法なんて超便利ですよ!」

「そうだね。研究で寝不足の時とかかけて欲しいかも。……って、アリスちゃん、もしかしてご機嫌?」

「当たり前ですよ! 部活で怪我した時とか魔法で治せば入院する必要もないですし、風邪だって──あ、むしろ普通よりたくさん練習できるんじゃ!?」

 

 テンションが上がってきた。

 思いつく限りの活用方法を並べていると、シルビアの端正な顔立ちに困ったような笑みが浮かんで、

 

「うんうん、良かったねー。でも、あんまり騒ぐと──」

「うるさいぞ! 何時だと思ってる!?」

「ねえ新入り。さっそく燃やされたいみたいね? 自分で治せるんなら少しくらい派手にやっても問題ないかしら?」

「ひっ!?」

 

 安眠を妨害されて怒った教授と朱華が文句を言いに来た。

 元はと言えばシルビアの爆発が原因なので、俺だけ怒られるのは理不尽な気がするのだが……目の据わっている二人にそんなことを言ったら余計にヒートアップするに決まっている。

 俺は仕方なく「すみませんでした」と平謝りを繰り返したのだった。

 

 

 

 

 

「……ったく、あんたのせいで寝不足よ」

「だからあれは謝っただろ。初めて魔法使ったんだから嬉しいのは当たり前だし」

「まあ、気持ちはわかるがな。夜中に騒がしいのはシルビアだけにして欲しいものだ」

 

 翌朝、俺と朱華、教授は揃って眠い目を擦りながら朝食の席についた。

 さすがに朝はがっつりとはいかないものの、美味しそうなクロワッサンに目玉焼き、こんがり焼かれたベーコンにコーンポタージュといったメニューが並んでいる。さながらホテルの朝食だが、安ホテルのそれとは違ってしっかりと温かい。

 ちなみに元凶のシルビアは、俺の回復魔法のせいか、ノワール以外だと一番元気そうだ。

 学生の身である朱華とシルビアはそれぞれ制服姿。全く同じではないものの意匠のよく似た制服はいかにもお嬢様学校という感じで、美少女二人には良く似合っている。

 

「……俺も着るんだよな、それ」

 

 朱華の中等部制服をまじまじと見つつ呟くと、紅髪の少女は視線から逃れるように身をよじった。

 

「当たり前でしょ? ま、これ着たいんならもっと身だしなみに気を遣わないとだけど。……っていうか、シャワーくらい浴びなさいよ」

「え、もしかして臭うか?」

「まあ、まだ嫌な臭いには達してないけどね」

 

 くんくんと、昨日から着ている服に鼻を近づけていると、朱華は肩を竦める。

 

「外を移動してきたんだから汗もそれなりにかくでしょ。まだ六月だけど、そろそろ暑くなってくるし。外から帰ったのに夜シャワーも浴びないとかありえないから」

 

 これにはノワールも頷いて、

 

「わたしは基本的に屋内での生活ですが、最低でも朝晩二回、身を清めるようにしております」

「マジか……」

 

 俺も部活やってたから「汗かいたらシャワー」というのは習慣になっているが、別に運動したわけでもなく、夏場でもないのに汗を気にしたりはしていなかった。

 女子ってのは面倒臭いものらしい。

 

「っても、そもそも着替えがないんだよな……」

「ノワールと買い物に行って来れば良かろう。なんなら吾輩がついて行ってもいいが」

「教授の方が俺に合う服は見立てやすそうだな」

「あ、でしたら教授さまの服を一着お借りできますか? 買い物に行くにも着替えが必要ですし。わたしの服ではぶかぶかすぎますから」

「お前ら、それは吾輩が小さいって言いたいんだな!?」

 

 そうやってきゃんきゃん吠えるから子供扱いされるのではなかろうか。

 この手のやり取りはいつものことらしく、他のメンバーもくすくすと笑っている。なんだかんだ仲が良いからこその距離感なんだろう。

 教授もすぐに息を吐いて気を取り直し、俺に濃紫の瞳を向けてきた。

 

「どうせ、新しい身体を直視するのが怖いんだろうが、早々に慣れておいた方がいいぞ? まさか目隠しして風呂に入るわけにもいくまい?」

「う、バレてるのかよ」

「それはバレるだろう。なあシルビア?」

「……んー? ああ、うん」

 

 夜中起きてたせいでお腹が減っていたのか、黙々と食事を平らげていたシルビアが口の中の物を呑み込み、それから頷く。

 

「学校じゃなかったら手取り足取り、隅から隅まで洗ってあげてもいいんだけど」

「さすがに自分でやりますって」

「本当? 自分で洗える? 女の子の肌は弱いから、目の粗いスポンジでゴシゴシとかしちゃ駄目だよー?」

「なんだと……?」

 

 愕然とする俺。

 じゃあどうやって洗うのかと尋ねると、できるだけ柔らかいスポンジを使うか、あるいは自分の手を使うものらしい。

 そんなんで本当に洗えるのか……?

 食後、半信半疑のまま浴室へと移動した俺は洗面所(兼脱衣所)が広い作りになっていて、二人が同時に使えることに驚きつつ服を脱いだ。

 

「……本当に何から何まで違うな」

 

 何も身に着けていない自分の姿を鏡に映すのはこれが初めて。

 ごつごつとした急な起伏のない、すべすべで柔らかい身体。つぶらな瞳でじっとこちらを見つめてくる女の子が俺だというのだから、今でもまだ信じられない。

 ただまあ、こうして見ると取り扱い注意なのはよくわかる。そもそも、乱暴に扱おうにも腕力自体落ちまくっているのだが。

 

 

 

 力加減にびくびくしつつ浴室に入り、シャンプー、リンス、ボディーソープに混じるほのかな花の香りにカルチャーショックを覚えつつシャワーを浴びた。

 身体に関してはまあ、ソープの滑りもいいし曲線的なラインをしているので洗いやすいと言えたが、困ったのは長い金髪だ。

 肌を洗うのに細心の注意が必要なら髪はどうなるのか。間違っても指でわしわしなんてやってはいけないだろうから、指の腹で恐る恐るシャンプーやリンスを馴染ませるしかなかった。

 

「……こんなもんか?」

 

 ちゃんと洗えているのかよくわからないままに身体を拭き、教授から借りた服を身に着けてからノワールのチェックを受けた。

 一番良識的で、かつ真っ当に大人に見える美女メイドは、その整った顔を俺に近づけ、すんすんと鼻を鳴らし、

 

「はい、アリスさまからはちゃんといい匂いがいたします」

 

 と、なんとも恥ずかしすぎる文句と共に「とりあえず合格」の判定をくれた。

 

 

 

 

 

 

「というか、ノワールさん? 教授の服の中にアレが無かったんですが……」

 

 一つの関門を乗り越え、男のプライドを目減りさせた俺だったが、ここに来て新たな問題が発生。

 俺の視線を受けたメイドさんはすぐに「アレ」が何かを察したらしく、おっとりと頷いてくれる。

 

「ええ。さすがに下着までお貸しするのはお互いにどうなのか、という話になりまして……。幸い、アリスさまでしたら一日くらいブラがなくても問題ないかと思いますし」

「まあ、サバ呼んで中三って見た目ですからね……。というか問題は下なんですが」

 

 教授の貸してくれたのはいわゆるショートパンツというやつで、スカートよりマシとはいえ足が露出するし、そのうえなんかすーすーする。

 これを履いてノーパンで徘徊するというのはかなり勇気がいる。

 するとノワールは思案するように視線を彷徨わせ、

 

「お留守番をしていてくだされば、わたしが見繕ってまいりますが」

「そうしてもらえると俺の精神力も擦り減らずに済みます」

 

 昨日の移動は殆ど車の中だったし、やむを終えずの外出だったので気にしている余裕はなかった。

 しかし、昨日の今日で人の多いところに女装外出というのはさすがにハードルが高すぎる。いや、今は女子なので女装も何もないのだが。

 買い物が服や下着となれば猶更である。

 まあ、自分の買い物を人任せにするのはどうかと思うのだが、ノワールなら信用できる。俺のセンスよりよっぽど良い物を選んでくれると……。

 

「あの、ノワールさんは常識人ですよね? ドレスとかパンクファッションとか買ってきたりしないですよね?」

「ご安心ください。普段着として通用し、なおかつアリスさまにお似合いのものを買ってまいりますので」

「良かった……。やっぱりノワールさんだけが頼りです」

「まあ、アリスさま。嬉しいお言葉ですが、他の皆さまが聞いたらお怒りになりますよ?」

 

 くすくすと笑うノワール。

 っても、子供にしか見えない大学教授にツンツン超能力者、夜な夜な実験して爆発音を響かせる錬金術師じゃ自業自得ではなかろうか。

 

「では、ひとまず、当座の生活に困らない分のお洋服を買ってまいりますね」

「お願いします」

 

 結論から言おう。

 ノワールは見事に依頼を果たし、宣言通り、普段着用の服を三、四着と、一週間ローテーションできるだけの下着や靴下等を買ってきてくれた。

 買って来てくれたのだが……俺は、男子高校生である自分と成人女性であるノワールとの趣味嗜好の差を失念していた。

 ()()()()()()()服を、メイド服を常用しているノワールが自分の趣味で選んだため、そのラインナップはこれでもかとアリシアの可愛らしさを強調したものになり──着用して街を歩いていても全く問題はないものの、

 

「ぷっ……くすくす。似合ってるわ。似合いすぎて……!」

「良いではないか。それで口調を女らしくすれば完璧だ」

「……うん、超可愛い。アリスちゃん、お姉さんとお部屋で一緒に寝よ?」

 

 他のメンバーからはからかい半分の誉め言葉を大量に頂戴することになったのである。



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聖女、通販をする

 二日目の夕食は宣言されていた通り豪華だった。

 メニューは中華。麻婆豆腐や春巻き、酢豚などのおかずと主食の卵チャーハン、中華スープなどがずらりと並び、デザートとしてごま団子まで用意されている。

 前もって食べたいものを聞かれた際に「せっかくなので、少しずつ色んな物を食べたい」と答えた結果である。大皿に盛られた料理をそれぞれ自分の皿に取って食べるスタイル。

 

「ノワールさんは料理が上手いんですね」

「そんな、わたしの料理なんて大したものではございません。皆さまに喜んでいただこうと日々、研鑽を重ねているところで」

「いやいや、美味しいよー。十分すぎるくらい」

「うむ。これはちょっとやそっとじゃ真似できん」

 

 料理が上手いことには全員、異論がないらしく、口々に褒められたノワールは頬を朱に染めて照れる。

 色白だからか、表情の変化がわかりやすい。

 あまりの可愛さに「主人が男だったら絶対放っておかないよな……」などと思いつつ、料理を口に運ぶ。脂っこいものと辛いものが多い中華料理に食欲を刺激され、箸が止まらない。

 

「っぷはー! 疲れた身体にはやはりアルコールが一番だ!」

 

 教授は料理を肴に缶ビールを飲み始めている。

 法的手続きがどういう風に通っているのかは謎だが、肉体年齢的には本人の申告通り、大人という扱いでいいらしい。

 と、そこで朱華がにやりと笑ってこっちを向き、

 

「あんた、がっつきすぎないようにしなさいよ。こぼして服、汚したら勿体ないじゃない」

「……この野郎」

 

 俺の格好は、うっすらと花柄の入ったブラウスと上品に広がる黒のスカート。それから黒の長い靴下(オーバーニーソックス)

 言うまでもなく、ノワールが買って来てくれた品だ。

 こんなもの着たくて着てるわけじゃない、と言いたいところだが、服を粗末に扱うのはノワールに申し訳ないため、言い返すのが難しい。なんとも姑息な攻撃である。

 とりあえず睨みつけることで多少の反撃を行ってから食事を再開──したところで、実際に麻婆をこぼしそうになって慌てて防ぐ。

 

 食い溜めとばかりに料理を頬張っているシルビアがくすりと笑って、

 

「……アリスちゃん、初々しくて可愛いよねー」

「うむ。その点、朱華は中学生の癖に可愛げが足りん」

「なによ。教授こそ中学生っぽい見た目の癖に」

「それは身長か!? 身長のことなのか!?」

 

 いつものように(と言えるくらい既に見ている気がする)教授をからかった後、再び朱華は俺に視線を向けて、

 

「でもアリス、足閉じないとスカートの中が見えるわよ」

「あ?」

 

 指摘されたスカートの中身はもちろんトランクスやボクサーパンツではなく、小さなリボンのついた可愛い下着である。

 とはいえ、ここにいる全員が似たようなものを穿いている(はず)なわけで、

 

「見えても問題ないだろ、別に」

「別にあたし達はいいけどね。学校に通うようになってもそれじゃ困るんじゃない?」

「あー……」

 

 制服は当然のようにスカートである。

 女性らしい振る舞いを身につけないとはしたない、というのはわかるのだが、

 

「大丈夫だろ、女子校だし」

「んー、まあ、登校中は男もいるけどねー」

「女性の方が女性の細かな身だしなみには厳しいことも多いですが……」

「聞きたくない。聞きたくない……!」

 

 転校(というか入学?)の手続きが済むまでにはまだ時間がかかるだろうし、そういう面倒事は保留ということで、俺は強引に話題を打ち切った。

 

 

 

 

 

 

 新生活が始まって二、三日が経ったある日。

 俺ことアリシアは長い棒を握り、汗を流しながらそれを操っていた。

 

「ふっ! はっ!」

 

 太くて長い刀をイメージさせる鈍器──竹刀である。

 学校に通い始めるまでの猶予期間が発生したものの、何もしていないのは手持ち無沙汰だ、ということでネットを使って取り寄せたものだ。

 服は私服のままでいいかと思ったら「駄目です」とノワールに却下されたため、併せてトレーニングウェアを買った。

 場所は家の庭である。花壇での土いじり(ノワールの家庭菜園と、シルビアの薬草栽培で半々で使っているらしい)とかは良さがわからないが、庭の広さは運動をするのにも役立つのである。

 

 運動は良い。

 身体を鍛えておいて損はないし、気分もすっきりする。ゲームキャラとしてのアリシア・ブライトネスは神聖魔法を駆使する支援キャラなので身体能力は貧弱だが、それでも、レベルアップを重ねれば序盤の雑魚くらい素手で撲殺する。

 つまり、この身体にも無限の可能性が秘められているに違いない。

 

 と、意気揚々とトレーニングを開始し、あらためて運動の楽しさを実感したのは良いものの、問題があるとすれば……。

 

「はっ! はっ! ……はぁっ!」

 

 えーと、その、なんだ、息が続かない。

 十回もしないうちに腕の怠さを感じ始め、だんだん息が苦しくなり、二十回に到達する前に限界が来た。

 

「駄目だ、休憩……!」

 

 竹刀を地面に放り出し、自分自身も身体を投げ出す。

 初夏の陽気を感じながら息を整え、溜息を吐く。腕をぶらぶらと振ってみた感じ、再開には少し時間がかかりそうだ。

 片手で何気なく竹刀を転がしながら「そもそもこいつが重すぎるのか」と思う。

 真剣に比べれば当然マシではあるものの、竹刀というのは意外と重い。男子高校生だった頃はそこまで意識しなかったが、それでも繰り返し振っていれば重さが気になった。今の身体は元の俺とは腕力も体力も、そもそもの身長も違うから、同じことができるわけがない。

 木刀の方が細くて軽いので、そっちを買ってみるか……?

 

「お疲れさまです、アリスさま」

「あ、ノワールさん。……ありがとうございます。まだ初めたばかりなので、恥ずかしいですけど」

 

 窓から顔を出したノワールがアイスティーを差し入れてくれる。

 汗をかいたところだったのでありがたい。一気に半分ほどを飲み干すと、今度はほっと息が漏れた。

 

「無理をなさっては駄目ですよ。まずはご自分の限界を把握するところからかと」

「……そうですね。まあ、今ので十分、ポンコツなのはわかりました」

 

 と、メイドは端正な顔を歪めて悲しそうな顔を作る。

 

「そんなことを仰らないでください。適材適所。アリスさまには別の良いところが沢山あるかと」

「良いところ……っていうと、例えば?」

 

 今、家には俺とノワールしかいない。

 朱華とシルビアは学生なので平日は学校があるし、大学に務めている教授も日中は出ていることが多い。必然的に残されるのはメイドのノワールと、来たばかりの俺の二人だった。

 騒がしいのがおらず、時間がゆっくり流れているのもあって、少しはのんびり話ができそうだ。

 ノワールも乗ってくれたようで「そうですね……」と小首を傾げて、

 

「陽に当たるときらきらと輝く金色の髪も、エメラルドのような目も、細くて形の良い顎も、少し尖った可愛らしいお耳も、わたしは好きです」

「なっ」

「ほんのりと桜色をした唇も、どこか品のあるアリスさまの匂いも、細やかな細工物のような手足の指も、それから──」

「わ、わかりました! それくらいでいいですから!」

 

 俺は慌てて止めた。

 まさか、延々と容姿を褒められるとは思わなかった。確かにアリシアの身体は美少女だ。それはわかっているし、元の俺が褒められているわけでもないというのも理解しているが、それでも、褒められると悪い気はしない。ついつい口元がにやつきそうになってしまう。

 朱華あたりなら確実に悪ノリしてくるところだが、ノワールはわかっているのかいないのか、俺に微笑を向けて、

 

「まだ言い足りないのですが……。あ、もちろん、アリスさまの真っすぐで素直なお心も、とても好ましいと思っておりますよ?」

「うぐ……」

 

 的確に、俺にトドメを刺してくれた。

 顔が真っ赤になるのを止められなくなった俺は残ったアイスティーを飲み干し、負け惜しみのように呟く。

 

「そんなこと言って、ノワールさんを好きになっちゃったらどうするんですか」

「それは……そうですね。まずはお友達から始めさせていただければ」

 

 ノワールが友達になってくれるなら、むしろこっちからお願いしたいくらいだ。

 

 

 

 

 

 

 例の機関からは一週間もしないうちに俺の戸籍情報と背景設定が送られてきた。

 

 アリシア・ブライトネス。

 現在十四歳。両親は日本国籍を取得した元イギリス人だったが、幼い頃に死去。以来、親戚らの元を転々としていたが、両親と住んでいた日本で暮らすのが一番だろう、ということで、似たような境遇の者達が暮らすシェアハウスに入居することになった。

 国からもらえることになっている資金については両親の遺産、という建前になる。

 

「これ覚えるのか……」

 

 つらつらと設定の書かれた紙を見つめて呻く俺。

 そこそこ無理のない内容になっているんじゃないかと思うが、何しろ一から十まで嘘なので、果たしてちゃんと覚えられるものやら。

 これに沿って受け答えをしないといけないと思うと今から憂鬱になってくるが、

 

「みんな通った道だから諦めなさい」

 

 後ろから紙を覗き込んでいた朱華が言う。

 他のメンバーにも覚えてもらわないと困るので、みんなを集めて読んでいたのだ。

 彼女達は割とすんなり頷いているので、実際、自分達の時に慣れているのだろうが……。

 俺は朱華を振り返って尋ねてみる。

 

「お前はどういう設定なんだ?」

「あたしはお母さんが中国人でお父さんが日本人のハーフ。成人するまでは中国にいるおばあちゃんが後見人ってことになってるわ」

「へえ。……で、そのおばあちゃんってのは」

「存在してるわけないでしょ」

 

 ふん、と鼻を鳴らされた。

 そこまできっちり割り切れてるのも凄いと思うが、

 

「……なんか、この設定にキャラの設定に、って、ごっちゃになりそうだな」

「……あー」

「まあ、なあ」

 

 呟くと、四人の先輩達は生温かい表情で顔を見合わせる。

 なんだその「経験済み」みたいな顔は。

 ジト目で見てやると、シルビアが笑って、

 

「そのうち慣れるから大丈夫だよー」

「その答えで一体何を安心しろっていうんですか!?」

 

 それから、振り込みに使われる口座のキャッシュカードや保険証なども貰った。

 当座の資金ということで既にいくらか振り込まれており──通帳には部屋の家具をまるまる新調できるくらいの額が記されていた。

 これでとりあえずの金だというのだから太っ腹な話である。

 

「アリスちゃん、何か買うのー?」

 

 シルビアが俺の腕を抱きながら尋ねてくる。

 

「んー、そうですね……ダンベルとか?」

「なんとも見た目に合わない買い物だな」

 

 教授が苦笑。

 朱華はあからさまに不満そうな顔をして「もっと他にあるでしょ」と言った。

 

「あんた健全な男子高校生だったのよね? だったらエロゲ買うとか、エロ本買うとかさ」

「未成年でそんなもの買えるか」

「はっ。今時、ダウンロードサイトとか通販とかでいくらでも買えるわよ。アカウントは教授かノワールさんのを使わせてもらえばいいし」

「いや、それでも違法だからな!?」

 

 バレなきゃいいは良くない慣習だと思う。

 大丈夫かこいつ、と思いながら紅髪の少女と睨み合っていると、苦笑したノワールが仲裁のために口を開いて、

 

「お二人とも落ち着いてくださいませ。……朱華さま、アリスさまもそういったものを買うのは恥ずかしいと思いますし、あまりお尋ねにならない方が」

「あー……そっかそっか。あたしとしてはもっとエロ談義したいんだけど、そういう人種もいるわよね」

「ノワールさん、助けてくれたのは嬉しいんですが、あんまりフォローになってません」

 

 それはもちろん、エロいのに興味がないとは言わないが。

 欲情した時に反応する器官がなくなったせいか、何日か経って自分の身体を少しずつ見慣れてきたせいか、切羽詰まった性欲というのはあまり感じていない。

 だから「こっそり買うつもりだから言いたくない」みたいな方向に持って行かないで欲しい。

 

「……で、アリスちゃんはどんなのが好きなの? BL?」

「なんでよりによってそこを選んだんですか……」

 

 げんなりした俺だったが、とりあえず通販でダンベルを買うことは忘れなかった。



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聖女、バイト(?)に誘われる

「なんでスカートってこんなひらひらしてるんですかね……?」

 

 女になってしばらく経ち、ようやく女の身体を認められるようになってきた。

(諦めたとも言う)

 とはいえ、女の身体に纏わるあれこれまで受け入れるのはなかなかにハードルが高い。

 

 例えば、今着ている淡い水色の春夏ものワンピース。歩くだけでひらひらするし、そのまま椅子に座ろうとすると下着が直に触れて冷たい。

 ノワール達が「冷たい以前にはしたない」と言うのは正直ピンと来ないが、とりあえず、スカートをいちいち撫でつけて座ると仕草が女っぽくなる。

 

 そういう小さな変化を実感する度、俺としては「うわあ」という気分になる。

 ある日の夕食後、皿の片付いた(片付けたのはノワールだが)テーブルに突っ伏して呻くと、既に新しい身体に馴染んでいる先輩方が答えてくれた。

 

「なんでって、可愛いからじゃない?」

「男性と違い、前ファスナーのあるパンツ類にあまり利便性がなかったからではないでしょうか」

「トイレが楽だからだと思うよー」

「ふむ。女の服飾の歴史は長い。一概には言えんし吾輩もさすがに専門外なので『ググれ』という話になってしまうが、まあ、東洋においても着物等にそういった傾向がある以上、なんらかの意味があるのだろうな」

 

 四人それぞれに「らしい」見解だが、総合すると「諦めて穿け」ということだ。

 

「で、でも、今は女でもパンツ? ズボン? 穿くのなんて普通だよな?」

「そうだけど、アリスちゃんがやっても『可愛い子が男装してる』ようにしか見えないかも?」

「ぐ……っ!? 髪か、髪のせいか? ならいっそのこと丸刈りに──」

「絶対駄目です!」

 

 珍しくノワールが強い声を出して反対した。

 せっかくの綺麗な金髪を自ら放棄するような真似は神様も許しません、とのこと。

 

「ま、別にパンツルックもファッションとしては全然アリだと思うけど、男性用じゃあんたのサイズは殆どないんじゃない?」

「それから、トップスに関してはメンズとレディースではボタンが左右逆になるからそこも気をつけた方がいいだろうな」

「……面倒くさいな」

 

 子供用ならいっぱいあるだろうけど、と笑う朱華と、真面目な顔で注意事項を口にしてくる教授。

 ボタンに関しては既に何度か経験済みだが、正直やりづらい。手癖で留めていたのが向きが逆になったせいで上手くいかなくなり、いちいち意識して指を動かさないといけないからだ。まあ、慣れれば無意識にできるようになるだろうが、そんな慣れはいらない。

 シルビアはあまり興味がないのか「そんなことより」と話題を打ち切ると、俺にすり寄ってきて、

 

「……今日も夜の実験頑張れるようにヒールちょうだい?」

「やりますから耳元で囁かないでください!」

 

 この人は何かにつけて胸を押し付けてくるから困る。

 家では大抵白衣を着て部屋で実験している癖に、香ってくるのは甘くていい匂いだし、一体どうなっているのやら。

 そんなシルビアは前に回復魔法を受けて以来、毎日のように回復をねだってくる。

 疲れが取れるので徹夜した時の負担が全然違うらしい。俺としては騒音で起こされることになるので、むしろあんまり頑張って欲しくなかったりするのだが。

 

「じゃあ、アリス。ついでに吾輩にも頼む」

「じゃああたしも」

「はいはい。じゃあ、ついでにノワールさんにもかけますね」

「いえ、わたしは。アリスさまにご迷惑でしょうし……」

「迷惑っていうのは朱華みたいなのを言うんですよ」

 

 お世話になっているノワールになら《小治癒(マイナー・ヒーリング)》どころかもっと上の魔法をかけてもいいくらいだ。

 とはいえ、疲れが取れすぎても逆に眠れなくなるだろうし、実際にはやらない。

 低いランクの魔法なら三回程度で打ち止めになることもないので、一人ずつ手早くかけていく。

 

 最初に癒されたシルビアは口元を緩めると息を吐いて、

 

「あー、これこれ。ありがとう、アリスちゃん。お礼に特製の栄養ドリンク要るー?」

「いや、疲労回復なら自分に魔法かけますし」

 

 怪しげな(ポーション)を使うより身体にもいいはずだ。

 

「……ん? 薬? あの、シルビアさんって色んな薬が作られるですよね?」

「そうだけど?」

「じゃあ『元の身体に戻る薬』とか作れないんですか?」

「あ、それは無理」

 

 きっぱりと否定された。

 良いアイデアだと思ったんだが……。

 

「……元に戻る薬って簡単に言うけど、薬ってそんなに都合のいいものじゃないんだよ」

 

 普段は日常生活ではとろんと眠そうな瞳が鋭く細められ、いつもの言動からとはかけ離れた言葉が細い唇から紡がれる。

 

「錬金術って要するに化学だからねー」

 

 ファンタジー的なポーションも、大元にある理屈としては現実的な薬品と変わらない。

 薬によって何らかの症状を取り除くか、あるいは薬によって身体に変化を与えるか。

 求める結果をはっきりとイメージしなければ何もできないし、治療がしたいなら症状の原因を突き止めることも必要になる。

 もちろん、薬の材料を集めることも。

 

「薬を作りたかったらまず、こうなった原因を突き止めないと。魔法で変身させられてるのか、身体自体を科学的に弄られたのか、脳だけ別の身体に埋め込まれたのか、意識だけ別の身体に移されたのか。それによって必要な効果が全然違うし、薬じゃ手に負えない場合もあるの」

「別に、元の俺に戻れればなんでもいいんですけど」

「身体を作り変える薬なら作れないこともないけど……」

 

 厳密には「戻す」のではなく、変わった身体を更に変えることになるのだという。

 だから、アリシアの身体を男にすることはできても、正確に元の俺を再現するのは難しい。この方法で戻っても魔法は使えるままだろうし、寿命が縮むとか病気をしやすくなるといった副作用が出ることが予想できるそうだ。

 

「……駄目じゃないですか」

「だから無理だって言ったでしょー?」

 

 肩を落とす俺にシルビアは「やれやれ」といった感じで肩を竦めた。

 教授が軽く息を吐いて、

 

「当面は新しい身体と上手く付き合っていくしかない、ということだな」

「教授達は戻りたくないのか?」

「戻りたい気持ちがないわけではないがな」

「あたしたちは変身して時間が経っちゃってるからね。今更戻れって言われても逆に困る気もするのよ」

「元の生活を取り戻そうにも、一定期間失踪していたことになりますからね……」

 

 朱華やノワールも遠い目をしている。

 今の身体で一日過ごすごとに、元の身体での一日が失われている。学校の勉強だって遅れていくし、俺の知らない思い出が友人達の中に増えていく。

 教授達の中には一年近くこうしている者もいるらしいが……実際、一年このままだったとして、俺は元の生活にすんなり戻れるだろうか。

 心の奥底から諦めの気持ちが湧き上がる一方、冗談じゃないとも思う。

 

「突然こうなったんだから、突然戻る可能性だってあるんだろ?」

「少なくとも吾輩達の身には今のところ起こっていないがな」

 

 先輩方と俺の心境には大きな隔たりがあるようだ。

 呑まれてはいけない。諦めたら一生戻れない気がする。首を振って言葉を紡ぐ。

 

「俺は諦めないからな」

「好きにすればいいんじゃない? そういう気持ちも大事かもしれないしね」

「アリスさまのお気持ちも良くわかります。わたしたちにできることがあればご協力させてください」

「……ありがとうございます、ノワールさん」

 

 朱華の「ちょっと、あたしは?」という声をスルーしつつ礼を言い、息を吐く。

 なんだか真面目な話になってしまった。

 柔らかくて小さな手のひらを持ち上げてぐっと握る。

 

 今のところ元に戻る方法はない。

 アリシアの状態異常回復魔法は既に試したが無駄だった。シルビアの薬でも駄目となると打つ手は思いつかない。朱華に焼いてもらえば戻れる、なんてことがあるわけないし。

 それでも、諦めなければ何か手がかりが見つかるかもしれない。

 

 話が一段落したところで、この家で最年少に見える最年長者(仮)が再び口を開き、

 

「新しい身体も悪いことばかりではないぞ。具体的には金が稼げる。アリスの望みにも繋がるかもしれんが、興味はあるか?」

「金を稼ぐ? なんの話だ?」

「なんだ教授。またバイトの依頼来たの?」

「うむ。今回は通常業務の方だ。待望のヒーラーが来たことだし、できれば派手にいきたいところだな」

「シルビアさまのポーションも効き目はいいのですが、戦闘中は飲みづらいのと、身体に悪そうなのが玉に瑕ですからね……」

「私としても攻撃用のポーションに集中できれば効率アップだよー」

 

 バイト? 戦闘?

 俺の脳内が「?」で一杯になる。ヒーラーだの攻撃用のポーションだの奇妙な単語が飛び交っているが、それではまるで、

 

「……冒険者でもする気か?」

「惜しい。ちょっと違うわ」

 

 にやり、と笑った朱華が紅の瞳を揺らめかせて告げた。

 

「化け物退治よ」

 

 

 

 

 

 

 なし崩しのまま「バイト」とやらに参加させられることになった俺は、翌日の夜、外出する人が減った時間帯に外へと連れ出された。

 ノワールの運転する車に乗り込み(教授が運転すると警官に止められて面倒らしい)、連れて行かれた先はとある墓地。

 月明かりの下、整然と墓石が並ぶ様はなんというか、雰囲気が出すぎていて怖いのだが。

 

「まさか、アンデッドでも出るっていうんですか……?」

「さて。何が出るかは蓋を開けてみないとわからないがな」

「何が出てきてもぶっ殺せばいいのよ」

 

 道中、簡単に説明を受けたところによれば、彼女達は国からの依頼を受けて定期的に「化け物退治」を行っているらしい。

 化け物と言っても、現代日本にゴブリンやらオークが跋扈しているわけではない。

 性質としては日本に古来から伝わる「悪霊」や「鬼」といった考え方に近い。人間の負の感情や大地の荒廃などによって生まれる「陰の気」が凝縮されて生まれるもの。

 通常であれば形を持って暴れることはないのだが──。

 

『どうやら我々は特殊な気を纏っているようでな。それが陰気を顕在化させ、物理的に祓うことを可能とするらしいのだ』

 

 具体的には、俺達が夜の墓地などの「陰気の溜まりやすい場所」へ連れだって向かうことで化け物が発生、それを退治することで世界が安定するらしい。

 なので国からは定期的に依頼があり、達成することで報酬が出るのだとか。

 

「いまいちまだ信じられないんですけど、本当なんですよね?」

「こんなところまで来ておいて『ドッキリでした』なんて言うと思うか?」

「いや、教授達の格好が妙にコスプレっぽいから……」

「? そうでしょうか……?」

 

 うん、悪いけどコスプレにしか見えない。

 

 まず、不思議そうにしているノワールはいつも通りのメイド服。

 白と黒で構成された衣装は夜の墓地にも良く似合っている。これで西洋墓地だったら余計にハマり役だっただろうが、残念ながら現代日本において本物のメイドさんは絶滅危惧種だ。

 

 次に朱華は赤いチャイナドレス。

 深めのスリットが入っていて下着が見えそう……というかぶっちゃけチラチラ見えている。赤の紐パンってのは一体どういうチョイスだ。

 

 シルビアは薄手のトレーナーにショートパンツ、その上から白衣を纏っている。

 若干動きやすくしただけでいつもの格好、といった感じだが、伊達っぽい眼鏡と若く美しい外見が相まって本物の研究者には全く見えない。

 

 教授はぶかぶかのローブらしきものを被り、身体のあちこちにベルトを巻いて動きやすさを補っている。

 手には何やら魔法陣の描かれた大判の本。何やら感触を確かめるようにぶんぶん振っているあたり、あそこから何かが出てくるとか魔法に必要とかではなく、単に鈍器として使うつもりらしい。

 

 で、俺は黒のシックなワンピース。

 ぶっちゃけ「黒い方が聖職者っぽいだろう」と言われるままに着ただけ。

 総合して見ると、そっち系の商売をしているお姉様方が新人(俺)を連れて営業に来ました、といった感じなのだが──。

 

「来るぞ」

「おっけ。……アリス、あんたは支援役なんだから下がってなさい」

「え、あ、本当に来るのか!?」

 

 気づくと、周囲には何やら不穏な気配が膨れ上がり、不気味な呻き声があちこちから上がり始めていた。



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聖女、ゾンビ退治をする

 炎の赤色が夜闇を照らす。

 朱華のかざした手の先──腐乱した人型の一体は突然発火した身体に対処できず地面へ倒れた。呻きながら跳ね起きようとするも、焼け落ちていく四肢がそれを許さない。

 腐った肉の焦げる臭いに思わず鼻を押さえたくなる。

 

「アリスに釣られたのかしら。今回はわかりやすくゾンビじゃない」

「って、それ、焼いちゃっていいのかよ!?」

「安心しろ。あくまでも陰気の集合体であって、本物の死体が動いているわけではない」

「ああ、まあ、それならいい……のか?」

 

 そう、敵はゾンビだった。

 腐った肉体を動かし、意味のわからない呻き声を上げながら迫ってくる群れ。あまりにイメージそのままなので、作りもの感は強い。

 日本は火葬からの土葬が主流。

 肉の残ってる死体って時点で墓地に埋められた人々は本当に関係ないんだろう。

 

 と。

 シルビアが白衣の内側から細い試験管を数本纏めて取り出すと、栓を抜いてゾンビ達に投擲する。

 ガラスの割れる音……が響くかと思いきや、すこーんといい音がして、中の液体が降り注ぐ。じゅっ、と焼けるような音。どうやら中身は酸の類か。

 

「……そんなことより、アリスちゃん。結界とか作れないー?」

「そんな都合のいいものは──あ、作れそうです」

 

 都合が良いのは(アリシア)の存在だった。

 魔法として存在してはいなかったはずだが、可能だということが感覚的にわかった。そういえば、ゲームでもアドベンチャーパートで使っていた気がする。

 回復魔法を使った時もそうだったが、キャラに備わった能力は自然と使い方がわかるものらしい。

 無意識に従って両手を胸の前で握り、身体の中にある温かな「何か」を広げるようなイメージをする。すると、俺の身体から聖なる光が膨れ上がり、墓地一帯を包み込んだ。

 

 これで邪魔は入らない。

 聖なる結界だからか、ゾンビ達の動きも若干鈍くなった気がする。

 

「でかした! 後は寝ててもいいわよ!」

 

 歓声を上げた朱華を筆頭に、俺以外のメンバーが一斉に動きだす。

 

「って、回復は!?」

「こんな雑魚相手に手こずると思う!?」

 

 化け物相手にあまりにも不遜な態度だと思ったのだが──結論から言えば杞憂だった。

 あちこちから集まってきたゾンビ達は軽く数十体はいたのだが、それらはあっさり、朱華達によって倒されることになったのだ。

 

「参ります」

 

 意外にも、先陣を切ったのはノワール。

 ロングスカートのメイド服を着ているとは思えない速さで駆け出すと、どこからともなく包丁に似た刃物(もしかしたらそのものかもしれない)を取り出し、両手で構えて閃かせる。

 銀色の煌めきが走ったかと思うと、亡者達の肉がすぱすぱと見事に断ち切られて宙を舞う。まるでゾンビを素材にした料理を披露するかのような手際の良さ。

 あのノワールが戦えて、しかも強いとか聞いてないんだが。

 まあ、昨今の創作物におけるメイドというのは「なんでもできる人」というイメージなのでこうなるのも当然……で、納得していいのか?

 

「さーて、じゃんじゃん燃やすわ!」

「どんどん溶かすよー」

「お前らは墓地に被害出すなよ!?」

 

 朱華とシルビアは俺の側面にそれぞれ立つと、己の攻撃手段で遠距離攻撃。

 紅髪紅目の少女が手をかざしたゾンビが次々と発火する中、銀髪蒼目の錬金術師の酸を浴びたゾンビは身体の重要部位を失って倒れ伏す。

 派手さは対照的だが、意外と撃墜ペースはそう変わらない。

 

「さて。後方は吾輩の担当か」

「教授。大丈夫なのか、そんな本で」

「馬鹿者。さてはお主、本の角でたんこぶを作った経験がないな?」

「そういう問題か……?」

 

 俺が訝しげに呟く間に、小さな大学教授は身を翻した。

 彼女が持つと物凄く重そうに見える本が思いっきり振りかぶられ、大きくスイング。

 

 ごっ!!

 

 聞くだけで痛そうな音が響いたかと思うと、食らったゾンビが「ぐあっ!?」と悲鳴を上げて吹っ飛ぶ。そいつは歩いてきていた別の一体に衝突すると一緒に倒れ、じたばたともがき始める。

 振り返った教授が得意そうに胸を張り、

 

「どうだ。吾輩も捨てたものではなかろう?」

「とか言ってる間に次が来てるからな!?」

「む。……ええい、面倒な。アリス、少し手伝わんか?」

「さっき寝てていいとか言われたんだが」

 

 まあ、少しくらいならいいかと、俺は手頃なゾンビに手のひらを向ける。

 守られているお陰で緊迫感が薄れてはいるものの、放っておくと迫ってきそうで怖いし。

 

「《聖光(ホーリーライト)》!」

 

 聖なる光が手のひらから飛び出し、亡者を包む。嫌な臭いも音も無く、哀れなアンデッドモンスターは浄化されて消滅した。

 ほっと一息。

 別に死体ではないらしいので気にしなくてもいいんだろうが、神聖な力で倒せばなんとなく成仏してくれそうな気がする。

 

「助かる! ようし、後は吾輩が──」

 

 嬉しそうな教授がどっかんどっかん、本でゾンビを吹っ飛ばし、

 

「お待たせいたしました。前方はあらかた片付いております」

 

 駆け付けたノワールによって残りも掃討されたのだった。

 

 

 

 

 

 

 戦いが終わると、残っていたゾンビの死体(?)はひとりでに消滅した。

 化け物の痕跡は何も残らない。

 朱華の炎による焦げ跡やシルビアの酸が地面を溶かした跡は残っているものの、二人はそっぽを向いて見なかったことにしたようだった。

 ともあれ。

 

「……終わった、のか」

 

 いきなりのバトル展開が無事に終わったことに安堵の息が漏れる。

 結局、俺がやったことと言えば結界を作ったのと、ゾンビを一体倒しただけ。それでも慣れないことをしたせいか、身体にはずっしりと疲れがのしかかっていた。

 と、肩を軽く叩かれて、

 

「良くやった。初めてにしては上出来だ」

「教授」

 

 にやりと笑った少女──もとい女は、本の汚れをぱんぱんと払いながら、

 

「撤収するぞ。報酬の分配は戻ってからだ」

 

 俺達は来た時と同じようにノワールの運転する車に乗り込み、家へと戻った。

 

「あんなこと、いつもやってるんですか?」

 

 時刻が深夜にさしかかろうという中、リビングに集まってお茶を飲む。

 さすがに戦いの後ですぐ眠る気にもならないし、俺には聞きたいことがあったからだ。

 

「いつも、というわけではないな。上からは『毎日やってくれてもいい』と言われているが、こっちとしても身が持たん。……まあ、隔週から月一の間くらいの頻度か」

「あたし達としても良いお小遣い稼ぎになるから助かってるわ」

「十分な額を別途いただいているので困っているわけではありませんが、お金はあって困るものではありませんからね」

「私としては研究にお金が飛んでくから死活問題だよー」

「……なるほど」

 

 いつもではない。だが、日常に組み込まれる程度には当たり前にこなす事らしい。

 あれが恒例行事か、と、ゾンビの群れを思い出しつつ嫌な気分になっていると、教授がこほんと軽い咳払いをして、

 

「ともあれ。今回の報酬だ」

「待ってました!」

 

 それぞれに差し出されたのは何の変哲もない茶封筒。

 中に紙幣が入っていることは厚みでわかった。歓声を上げて手を伸ばす朱華に倣い、一つを自分の分として手に取ると、

 

「……結構入ってるんだけど」

「身体を張った報酬なのだから当然だろう?」

 

 一万円札が六枚で、計六万円。

 高校生が割とがっつりバイト入れて稼げる月額とだいたい同じだ。それを一回、一、二時間程度の労働で稼げるのは中々美味しいかもしれない。

 教授の言う通り、命の危険があることを考えれば当然の報酬だが。

 紅の髪の少女は可愛い顔ににんまりとした笑みを浮かべてご満悦の様子。

 

「ふんふん。そっか、五人で割ると一万五千円減ね」

「そうか、俺の分だけ減るのか。なんなら割り当てを減らしてもらっても──」

「気にしなくていいわよ。その分、楽に戦えたし」

 

 本当に気にしていないらしい。

 朱華は「何買おっかなー」と、さっさと話題を打ち切ってしまう。何を買うも何も、こいつの普段の言動からすると目当てはエロゲだろう。

 ノワールもにこにことして、

 

「アリスさまのお陰でずいぶん助かりました。怪我や、無関係な方を巻き込む心配をしなくていいというのはとても嬉しいです」

「ポーションの費用も減らせるしねー」

「む。……そういえば、これからは回復薬代がいらなくなるのか。報酬の分配を変えねばならんな」

「……え。あの、教授? それは聞いてないよー? せっかく安く作れるポーションを配ってポーション代を着服──じゃない、労働報酬としてもらってたのに」

「なんだと!? 飲んでも微妙に疲れが抜けないと思ったら粗悪品だったせいか!? ええい、罰として回復手当はアリスの報酬に振り替えだ!」

「そんな殺生なー!?」

 

 どうやらシルビアには消耗品代が別途出ていたらしい。

 教授はシルビアの報酬から二万円をむしり取ると俺に差し出してくる。いらない、と言っても断り切れそうになかったので有難く受け取った。

 代わりに、全員の疲れを回復魔法で癒す。ポーションと同じだけの役割くらいはきちんと果たさなければ。

 銀髪の錬金術師はそんな俺を恨みがましい目でしばらく見つめていたが、やがて思い出したように声を上げた。

 

「……そういえば、アリスちゃん。回復魔法なんだけど、効果が低い気がしない?」

「何だ、シルビア。そんなことを言って回復役に復帰する気か?」

「そうじゃなくて。ゲームの支援役だったんでしょ? マッサージ機と栄養ドリンクがあれば代わりができそうな程度の効果なのかなって」

「言われてみれば……」

 

 シルビア達に使っているのは一番簡単な《小治癒》。なので、大きな効果がないのは当然といえば当然だが……ゲームの序盤はこの魔法でも全回復する。

 運動した疲れくらい軽く吹き飛ばせないとおかしい気もする。

 

「俺のレベルが足りてないとか」

「でも、あんた他の魔法も使えるんでしょ?」

「ああ、アリシアが覚える魔法は全部使えると思う」

 

 ここはゲームではなく現実なので、レベルと魔法のラインナップが一致していなくても不思議はないが。

 

「アリスさま。ほかになにか思い当たる原因はありませんか?」

「原因と言われても……」

 

 黒に近いノワールの瞳に見つめられた俺は、ゲーム内でのアリシアを思い返してみる。

 彼女が魔法を使う時のモーションは胸の聖印を握るような仕草を取って神に祈りを──。

 

「あ。聖印を持ってないから、とか?」

「ありうるな。神の実在する世界においては信仰を届きやすくする効果も備えているはず。あるとないとでは魔法の効果が変わるかもしれん」

「でも、架空の神様のしるしとかどうすんのよ? 作るの?」

「アクセサリーの十字架で良ければ確か手持ちがあったと思いますが……」

「とりあえずそれで試してみればいいんじゃないー?」

 

 なんで十字架なんか持っていたのかと言えば、前に買ったメイド服についていたらしい。

 ノワールはメイド服をコレクションするのが趣味なんだそうだ。

 

「では、持ってまいりますね」

 

 十字架はシルバーっぽいデザイン(たぶんメッキだろう)の小さなものだった。

 衣装のオマケなので大した品ではないが、十字架には違いない。本物の金属製よりは軽くて持ち運びもしやすそうだ。

 

「じゃあ、付けてみます」

「アリスさま。せっかくですのでわたしに付けさせてください」

「え、あの。恥ずかしいんですけど……」

 

 ある意味では役得か……?

 何故か楽しそうなノワールが後ろに回ると、言われるまま髪を持ち上げさせられる。

 メイドの良い匂いと胸の柔らかさをかすかに感じながら首に腕を回され、細いチェーンが留められる。軽く胸元に下がる形になった十字架に軽く触れると、何故か満足感のようなものが湧き上がった。

 全員が固唾を呑んで見守る中、俺は片手で聖印を握るとあらためて唱える。

 

「《小治癒》」

「わあ……っ」

「ほほう、これは」

 

 膨れ上がった光は、これまでよりもずっとはっきりとしていた。

 試しにかけられた朱華は手を握ったり開いたり、腕をぐるぐる回したりして頷き、

 

「これはいいわ。さっき回復してもらった分もあるからあれだけど、寝起きより元気が有り余ってる感じ」

「徹夜でゲームとかするなよ」

「するわよ。なんなら一緒にやる?」

「……いや」

 

 チャイナ服を着た紅い少女が薄暗い部屋でエロゲーをやっている光景を想像し、俺はお誘いを丁重にお断りした。




◆簡単なビジュアルおさらいその1

アリシア・ブライトネス
金髪碧眼、成長途上の少女であり聖職者
『ゴブリンスレイヤー』の女神官や『ガブリールドロップアウト』のガブリールなどが近い?

シルビア・ブルームーン
銀髪青目の錬金術師、巨乳、普段は眠そうな目をしている
『艦これ』もしくは『アズールレーン』の翔鶴が近いか

※キャライメージは容姿が近そうなキャラクターを挙げたもので、そのキャラが元ネタということではありません


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聖女、採寸に行く

「教授。昨日聞き忘れたんだけど、あれって結局どういう意味なんだ?」

「む? あれ、とは?」

「バイトが俺の願いを叶えるかもしれない、とかなんとか言ってたやつだよ」

「ああ、あれのことか」

 

 バイトの翌日、夕食時に尋ねると、教授は箸を止めないまま鷹揚に頷いた。

 見た目は幼女の癖にこういう仕草が似合うから困る。

 

「期待をさせてしまったか。確固たる算段があっての話ではない。むしろ……そう。ゲームや物語におけるセオリーのようなものだ」

「? 悪いけど、もう少しわかりやすく言ってくれないか?」

「雑魚戦があるのだからボス戦もあるだろう、ということだ」

 

 今度は簡単になりすぎた。

 別に俺はボスと戦いたいわけじゃないんだが。

 

「わかっている。だが考えてみろ。ある日突然、マンガやゲームや映画のキャラに変身してしまう、なんていうことが普通ありえると思うか?」

「まあ、ありえないと思う」

「だろう? だとしたら、この現象を起こした者がいる。そして、その者は我々を利用して何かをしようとしているはずだ。では、その誰かが()()()()()()()()()()としたら?」

「化け物が生まれるのはボスがけしかけているから、っていう可能性もあるってことか」

「そうだ。やはり地頭は悪くないらしいな」

 

 無駄に腹の立つ物言いだが、言いたいことはわかった。

 雑魚を倒し続けていればいつかボスが出てくるかもしれない。そして、そのボスが元に戻る手がかりを持っているかもしれない。

 

「加えて言えば、戦いの成果自体──レベルアップだとかドロップ品だとかが何かの手がかりになるかもしれない。バイトをすることで世の中が上向き、誰かの研究が私達を救う切っ掛けになるかもしれない」

「かもしれないだらけだな」

「だが、ないよりはよかろう?」

 

 俺は教授ににやりと笑い返した。

 

「ありがとう。少しは希望が出てきた」

「うむ。では、これからもバイトには参加ということでよいな?」

「ああ。回復役がいないと始まらないだろうしな」

 

 

 

 

 

 

 更に翌日。

 俺は、また新たな試練に直面することになった。

 

「制服のための採寸……ですか」

『はい。アリシアさんの場合は転入ですので、指定の洋品店に直接出向いて採寸をしていただくことになります』

 

 国から電話があり、俺の入学は無事に認められたと伝えられた。

 変身してから十日も経っていないのでかなり早い。朱華やシルビアという前例のお陰で手続きがスムーズだったこと、もともと高校二年生だったため「転入試験は飛ばしても問題ない」と判断されたことなどが理由だそうだ。

 先方としては七月頭からの転入が望ましい、とのこと。

 もしもそのスケジュールで行くなら、さっさと制服を用意しないと間に合わない。暇なら明日にでも行って来てくれ、と言われた。

 ただ、

 

「……あの、それって自分で測って数字だけ伝えるとかじゃ駄目ですか?」

『素人が測った結果ですとずれが生じやすいので、極力、専門家に測っていただいた方がいいと思いますが……何か問題でも?』

「いえ、その」

 

 正直に言うのは憚られたため、思わず口ごもる。

 実際、大した理由じゃないのだ。単に、私服を着て外出をするのが嫌だというだけ。しかも採寸ってことは人前で下着姿になるわけで。

 嫌すぎる。いや、アリシアの身体であって俺の身体じゃないので、別に見られてもいいといえばいいのだが、なんというか、そういう人と関わる行為をする度に否応なくこの身体に慣らされていくのが嫌だ。

 と、いった心の葛藤がどれくらい伝わったかはわからないが、電話の向こうの担当者は少しだけ同情するような声のトーンで言ってくれた。

 

『心の準備もあると思いますので、無理にとは申しません。ただ、夏休みも控えていますので、よく考えてご行動ください』

「……はい」

 

 結局、そう答えるしかできない俺だった。

 

 

 

 

「採寸くらいで怖がっててどうするのよ。学校に通うようになったら体育で着替えるし、身体測定とかだってあるのよ?」

「まあ、そうなんだけどな……」

 

 帰ってきた朱華達とテーブルを囲んで採寸の話をすると、案の定、朱華のあっけらかんとした言葉が真っ先に飛んできた。

 悪い奴ではないのだが、あまりにも物言いが率直すぎる。

 ついでに言えば人をからかうのも大好き。今回も俺の表情を見ながらにんまりと笑みを浮かべ、追撃するように言ってくる。

 

「採寸も着替えも女子と一緒なんだから、あんたにとってはご褒美じゃないの?」

「お前、その発言は問題あるだろ!?」

「んー? アリスちゃん、したいならお姉さんがぎゅーってしてあげるよ?」

「なっ」

 

 あまりの発言に過剰反応をすれば、隣に座っていたシルビアが抱き着いてくる。

 彼女に身体を押し付けられるのは今に始まったことではないが、だからといって何も感じないわけではない。

 思わず顔が赤くなり、反射的に逃げそうになる。椅子に座って半身を拘束されているので簡単にはそうできないのだが。

 と、教授までが面白がるように笑みを浮かべ、

 

「なんだ。そういうことなら吾輩もひと肌脱ごうか?」

「いや、さすがに教授の裸では興奮しないから」

「なにおう!? それは吾輩が幼児体型だって言いたいのか!?」

 

 からかってみると意外に面白いな、教授。

 

「そもそも、そういう話じゃないんだって。俺にとっては着るのと脱ぐのが大問題なんだ」

「採寸だけでしたらわたしが行っても構いませんが……」

「本当ですか? ノワールさんにお願いできるなら安心なんですけど」

「へえ。専門の人は駄目で、ノワールさんならいいんだ?」

 

 言われてぐっと言葉に詰まる。

 家で測るのと外に出るのとでは大違いなわけで、決してノワールが相手ならいい、と一概に言えるものではないのだが。

 

「ならノワールさんに一緒に行ってもらえばいいじゃない」

「そこまでお願いするくらいなら一人で行くっての」

 

 家事を一人で引き受けているノワールは意外に忙しい。

 朱華が「ママがいないと不安なのかな?」的なニュアンスで言ってきたのもあって、俺は我が儘を言うのを諦めることにした。

 たかが制服如きで何を怯えているのか。採寸くらい人生で何度か経験がある。作られる制服が女子のものである、という問題点を無視すれば大した話じゃない。

 ようやくやる気を出した俺を見て、朱華は「最初からそう言いなさいよ」と笑った。もしかして、まんまと言いくるめられたのか?

 と、

 

「んー? でも、アリスちゃん。ノワールさんと一緒の方がいいんじゃない?」

「シルビアさんまで俺をいじめますか……」

「じゃなくて。細かい注文一人でできる? 体操着が何着必要とか、デザインが二パターンあった時にどっちがいいかとか、ぱっと答えられる? ……お店の人に言われるまま買いすぎちゃったりしない?」

「う」

 

 自慢じゃないが、買いすぎる気しかしない。

 言い訳をするなら、体操着やブラウスの代えがどのくらいいるかは洗濯と乾燥のペースにもよるだろうから、実際に家事をしているノワールじゃないと正確なところがわからない。

 後はまあ、運動部に入るかどうかとかもあるが、中三の一学期が終わりかけている時期に入部しても仕方ないか……?

 

「あの、アリスさま。わたしでしたら喜んでご一緒しますので……」

「……すみません。一人じゃ不安なのでついてきてください」

 

 俺はノワールに頭を下げて同行を依頼した。

 

 

 

 

 

 

「の、ノワールさん。もう少しゆっくり歩いてください」

「ふふっ。アリスさま、そんなに緊張なさらなくても大丈夫ですよ」

「そう言われても……」

 

 バイトでゾンビを蹴散らしたのを除けば、アリシアの身体になって初めての外出。

 ノワールが同行してくれたお陰で車を出してもらえることになり、人目を大きく避けることができたのは思わぬ幸運だった。

 ただ、さすがに駐車場から店内までは歩かなければならない。

 頼りないワンピースを着て歩くのはなんとも心細く、必要以上に足が遅くなる。最終的にはノワール(さすがにメイド服ではなく清楚系の私服姿)に手を引かれるようにして自動ドアをくぐった。

 

「いらっしゃいませー」

「っ」

 

 店員らしき女性の声にびくっとする。

 平常心、と、心の中で念じながら店内を見渡す。学校指定の用品店はいわゆるスポーツショップのようなところだった。

 特に中高生向けのウェアやシューズ等が充実しているようで華やかな印象を受ける。

 

「せっかくだから少し見てみますか?」

「さ、先に用事を済ませたいです」

「かしこまりました」

 

 ノワールはくすりと笑って了承してくれた。

 

「採寸の予約をしていたブライトネスですが……」

「承っております。では、こちらにどうぞ」

 

 カウンターで用件を告げるとすぐに奥まった部屋へと案内してくれる。

 移動する直前、背中の方から「あの子、すごく可愛い」という歓声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 作業は服を脱いでの採寸、それから注文数の相談という、至って普通の流れで進むことになった。

 

「では、服を脱いでもらえますか?」

 

 レディーススーツを着た大人の女性に問われ、俺は頷いて、

 

「えっと、下着もですか?」

「いえ。下着はそのままで結構です。基本的につけた状態で着るものですから」

「そうですか」

 

 少しだけほっとした。

 部屋の入り口に目隠しのカーテンがされているのをあらためて見てから服に手をかける。この場には女性しかいない、ということで気安い雰囲気だ。

 これで、脱ぐのが俺ではなく他の誰かだったら大歓迎だったかもしれない。

 ワンピースを脱ぎ、首から下げていたロザリオも外す。用意されていた脱衣かごに軽く畳んで放り込めば、それで終了だった。来る前の苦悩が嘘のようにあっけない。大体の物事は過ぎてしまえばそんなものだが。

 

「クリスチャンなんですか?」

「あ、いえ」

 

 思いがけない問いに反射的に答える。

 ノワールが慌てた様子もなく補足してくれた。

 

「ご両親はそうだったんですが、この子は違うんです。でも、せっかくだからアクセサリー感覚で身に着けてもらっていて」

「なるほど。……あれ? ええと、お二人のご関係は?」

「同居人です。わたしはこの子の姉代わりのようなものですね。家庭の事情で、親族の方は海外なもので」

「そうでしたか。失礼しました」

 

 採寸自体はてきぱきと進んだ。

 胸のところでトップとアンダーを測られたのは少々カルチャーショックだった。まあ、ブラが必要ないくらいの胸しかないんだが。今日もブラではなくキャミソールで済ませているし。

 それと、腰が細い割に尻のサイズがそこそこあった。後でノワールに聞いたところ、女子はヒップが大きくなりがち、ということらしいが。

 

「もう服を着て大丈夫ですよ」

「ありがとうございます」

 

 お許しの声がかかった時には思わずほっと息が漏れた。

 そこからは主にノワールの仕事だった。学用品として扱っているあれこれ(教科書なんかはさすがに別で、あくまでも衣料品関係だけ)がリストとして提示され、サイズや数量を決定していく。

 

「あと一年もありませんからそんなに数は必要ないと思いますが、洗濯のことも考えますとブラウスは三枚くらいあった方が──」

「そうですね。予備という意味でも体操着は二着で、それから──」

 

 てきぱきとした話し合いを横で聞きながら、ノワールに来てもらって良かったと心底思う。

 手持ち無沙汰の間にリストを横目に眺めると、体操着や制服、ブラウス等々、纏めると結構な値段である。私立の女子校だからなのか、それとも標準的な価格なのか、男子だった頃も母親に任せきりだったため判断がつかなかった。

 まあ、各一着分の費用は国から出るらしいし、俺も一時的に金持ちなのであまり心配はないが。

 

「では、こちらで手配させていただきますね。お急ぎということなのでなるべく早くお渡しできるように致しますので」

「よろしくお願いします」

 

 ノワールと一緒に頭を下げ、会計を済ませて無事、任務完了。

 これで帰れる。

 俺は意気揚々と店の出入り口へと向かい──ノワールに「アリスさま」と呼び止められた。

 

「せっかくだから見て行きましょう?」

「……そうでした」

 

 まあ、俺としてもスポーツ用品は興味がないわけでもない。

 男子高校生用のランニングシューズを眺め、男だった頃は手が出なかったそれらを今なら買えることに溜息をついたり。

 自主トレ用のウェアなんかをついでに眺めて「男子用の方がシンプルでいいなあ」と言ったら「似合わないから駄目です」とノーを突きつけられたり。

 寄ってきた店員とノワールが一緒になって声を弾ませるのを蚊帳の外から眺めたりした。

 

「なんだかんだ、結構時間がかかりましたね……」

 

 スマホを見ると時刻は正午を過ぎていた。

 ノワールは俺の言葉に頷いて、

 

「そうですね。じゃあ、今日は二人で外食してしまいましょうか?」

「いいんですか?」

「はい。でも、他の皆さまには内緒ですよ?」

 

 専業主婦の役得という奴に便乗させてもらえるらしい。

 

「なら、今日のお礼に代金は俺が……」

「アリスさま。子供は素直に甘えていいものなんですよ?」

 

 当然のことを言ったつもりの申し出はあっさりと却下され、俺は少々申し訳ない気分になりつつ、ノワールと二人で街のレストランに入った。

 そこで食べたハンバーグランチと、デザートのアイスクリームは絶品だったことを付け加えておく。




◆簡単なビジュアルおさらいその2

朱華・アンスリウム
紅髪紅目の超能力者、気の強そうな顔立ち
『灼眼のシャナ』のシャナと『落第騎士の英雄譚』のステラの中間くらいの容姿。あるいは適当な織田信長(女体化)にチャイナ服を着せた感じ。

教授
濃紫の髪と瞳をした、謎のロリ大賢者
髪の色と目を度外視すれば『グランブルーファンタジー』のカリオストロ的なキャラ。容姿的には艦これの駆逐艦辺りの方が近いか。

ノワール・クロシェット
黒に近い濃茶の髪と瞳をしたメイドさん、体型は(二次元キャラ基準で)並
意外と適当なキャラが思いつかなかったので、皆さまの中にある黒髪ロングメイドで構いません(投げ)

※キャライメージは容姿が近そうなキャラクターを挙げたもので、そのキャラが元ネタということではありません


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聖女、レッスンを受ける(前編)

「早急に改善しないといけないと思うんだよー」

 

 シルビアが言ったのは、六月も後半にさしかかったある日の夕食時だった。

 朱華、シルビア、教授が平日日中外に出ているせいか、全員集まるのは朝と夜だけ。朝食の時だと慌ただしいし、休日は休日で部屋に籠っているメンバーが多いため、全員での相談は大抵、夕食で行われる。

 俺も含めみんな慣れているため、いきなりの発言にも特に驚くことはなかった。

 

「改善するって、何を?」

「アリスちゃんの言葉遣いを」

「あー」

 

 研究以外無関心なシルビアが何を言うかと思えば、俺にとって面白くない話だった。

 相槌のような、そうでないような声を上げて視線を逸らす。

 このまま誰も反応しなければ話は流れるはず。

 

「ああ、それね。あたしも思ってたのよ」

「この裏切り者が」

「なに言ってんのあんた?」

 

 胡乱げに睨まれてしまった。

 燃えるような紅い瞳にも慣れてきてはいるものの、きつい視線を向けられるとどうしてもびくっとしてしまう。

 そんな反応に気づいているのかいないのか、朱華は箸をぴこぴこと振って言ってくる。

 ちなみに、この日のメインは豚の角煮。他の品々も含めて和風のラインナップだ。

 

「だって必要でしょ。うち女子校なんだから」

「……今からでも共学に入れないかな」

「できるわけがなかろう」

 

 教授が小さな手で茶碗と箸を器用に扱いながら呆れ声を出した。

 

「話を通すのが簡単だから、と選ばれた学校だぞ? それから、言葉遣いの矯正が必要なのは『女子校だから』というよりは『アリスが女子だから』と言った方が正しいな」

 

 男言葉を使う女子は共学でも女子校でも悪目立ちする、という話だ。

 

「まあ、似合っていれば話は別かもしれんが……」

「アリスがやっててもぶっちゃけ『日本語教わる相手を間違えたんじゃない?』って感じよね」

「なるほどな……」

 

 自分の身に置き換えればわかる。

 今の俺のような金髪美少女に道で声をかけられたら確実に動揺する。だがもし、その子が男口調で喋り出したら、「変な奴に絡まれたな……」と別の意味で困惑するだろう。

 仕方なく、俺は溜息をついて頷いた。

 

「わかったよ。練習すればいいんだろ? でも、あと十日もないのに身に付くと思うか?」

 

 できれば転入時期を遅らせたい。

 いっそのこと二学期でもいいのではないかと思うのだが、

 

「あの、アリスさま。わたしとしても転入は早い方がいいかと」

「? どうしてです?」

「そりゃそうでしょ。あんた、夏休み明けて『久しぶりー!』っていう空気になってるクラスに一人で馴染める自信ある?」

「ないな」

 

 休み中、一緒に遊びに行って仲良くなる生徒も多いだろう。

 ただでさえ中三という特殊な時期の転入なのに、更に条件を悪くするのは自殺行為だ。

 と、教授が俺を勇気づけるように笑って、

 

「何も完璧にできる必要はない。最低限できていれば後はおいおい慣れて行けばよい。学校に行けば『自然な振る舞い』のサンプルはいくらでもいるのだからな」

「……この口調と顔で大学教授やってる人が一番変だもんねー」

「うるさい、そこは放っておけ!」

 

 どうやら、何が何でも口調を改善して七月に転入しないとならないらしい。

 黒幕がいるならさっさと出てきてくれないものか、と切実に思ったが、そう簡単にうまくいくはずもなく、俺は皆から「簡単な女の子レッスン」とやらを受けることになった。

 

 

 

 

 

 

■レッスン1:ノワールの場合

 

 平日昼間のリビングでノワールと二人、テーブルを挟んで向かい合う。

 

「先日は難しく言いましたが、自らを女性らしく見せるのは難しくありません。だって、アリスさまはどこからどう見ても可愛らしい女の子なのですから」

 

 言って微笑むノワールは、この家の中でもダントツで女らしい。

 清楚で気立てが良く心優しい彼女に「可愛い」と言われると「俺は男だ」という反発心の他にむずがゆいような気持ちもこみ上げてくる。

 むずむずと落ち着かない気持ちになりつつ、俺は頼りになるメイドの顔を見つめて、

 

「じゃあ、俺は何をすればいいんですか?」

「はい。最初はその、自分のことを『俺』というのを止めてみましょう。一人称というのはわかりやすく性差が現れる部分ですから」

 

 男なら「俺」や「僕」、女なら「私」や「あたし」など、日本語においては「自分」を表す言葉が数多く存在している。

 公の場だと男も「私」と言うことが多いらしいが、高二だった俺にとって「私」といえば女が使う一人称という感じだ。

 

「『俺』を『私』にするなら簡単でしょう?」

「結構ハードだと思いますけど……でも、やってみます」

 

 一番大事な部分だからこそ難しいと見るか、細かいところを言われないなら楽、と見るかだ。

 ノワールは「よく言ってくださいました」と頷いて、レッスンを開始する。

 

「では、私の言う通りに復唱してみてください。『私の名前はアリシア・ブライトネスです』。はい、どうぞ」

「わ、私の、名前は……っ」

 

 ちょっと待て。

 これ、滅茶苦茶恥ずかしいぞ。

 英語の授業かと言いたくなるようなコテコテの例文は置いておくとしても、単に自己紹介をするだけでこんなに恥ずかしくなるとは思わなかった。

 顔が真っ赤になっているのを自覚しながら「うう」と呻いているうちにノワールから「もう一度」と指示が飛ぶ。

 

「『私の名前はアリシア・ブライトネスです』」

「私ノ名前ハ、アリシア、ブライトネス、デス」

「最後まで言えましたね。でも、片言になってしまっています。今は抑揚に気を遣わなくても構いませんから、普段通りに話してみましょう?」

「は、はい」

 

 ノワールのレッスンは決してスパルタではなかったが、俺がすらすらと例文を言えるようになるまでひたすらリピートを要求された。

 それでも、家のリビングで自己紹介(日本語)の練習を繰り返すうちにだんだんと「私」という一人称にも慣れた。あるいは「もう何回も言ったんだからあと何回言っても同じだろ」といった諦めの境地に達しただけかもしれないが。

 

「初めまして。私の名前はアリシア・ブライトネスです」

「はい。もう大丈夫そうですね」

 

 努力の甲斐あって、練習を初めてから二、三時間後、とうとうOKが出たのだった。

 にっこり笑顔のノワールに苦笑を返し、俺は安堵の息を吐いた。

 すっかり冷めてしまったお茶を飲み干すと、ノワールが温かいものを淹れてくれる。

 

「これで、とりあえずは大丈夫なんですよね?」

「はい。あとのレッスンはシルビアさんや朱華さん、教授にお任せしたいと思います」

「あ、まだあるんですね……」

 

 今回のレッスンだけで精神力をかなり使ってしまったのだが。

 

「俺、最後までやりきれるでしょうか」

「アリスさま。『俺』になっております」

「……私、最後までやりきれるでしょうか」

 

 言いなおしながらあらためて不安になってきた。

 遠い目をする俺にノワールの静かな視線が向けられる。もしかして、呆れられてしまっただろうか……と思っていると、我が家自慢のメイドは優雅な仕草で立ち上がると、俺の座っている椅子へと回り込んできた。

 椅子の背もたれ越しに柔らかな腕が回される。

 

「の、ノワールさん……?」

「お疲れさまでした、アリスさま。『自分』を変えていくのは、とても恐ろしい作業ですよね。わたしにも経験がありますので、少しはわかるつもりです」

 

 呆れられたなんてとんでもない。

 ノワールが与えてくれたのは優しくて温かい言葉だった。

 年甲斐もなく、男らしくもないが、瞳からじわりと涙が浮かぶ。

 

「……ありがとうございます」

 

 後ろから優しく抱かれたまま、頭にノワールの手のひらが乗せられるのを感じる。

 思えば、頭を撫でられたのなんていつ以来だろうか。

 

「今日はよく頑張りました。ゆっくり休んで、次のレッスンに備えましょうね」

「はい」

 

 力強く頷いて決意を新たにする。

 そうだ。この程度でくじけていられるか。

 

「こうなったら最後までやり遂げてやります」

「その意気です」

 

 なお、帰ってきた朱華達に今日の成果を自慢したところ、笑いを堪えるのに必死といった様子で「よく頑張ったね」と言われた。

 やっぱこいつら、面白がっているだけなのでは……?

 

 

 

■レッスン2:教授の場合

 

 翌日、起きて洗面所へ向かうと、家の中が様変わりしていた。

 

「あれ、なんだこの鏡?」

「良いだろう。吾輩が昨夜のうちに設置したのだ」

 

 教授が胸を張って答えてくれたように、変化の原因は階段の踊り場や廊下、トイレの扉裏などに設置された鏡だった。

 別に「魂が吸われる」とかわけのわからないことを言うつもりはないが、洗面所とかそういう場所以外で自分の姿を見せられると一瞬ぎょっとする。

 

「なんで急にこんなものを?」

「もちろん、お主の特訓のためだ。吾輩は日中、レッスンに付き合ってやるのが難しいからな」

 

 いわく、これらの鏡は俺が自分の姿を意識するための措置らしい。

 

「お主は人目に無頓着だからな。代わりに自分自身の目を気にしてもらうことにした。自分で見て『だらしない』と思えば少しは気をつけるだろう」

「そんなに上手くいくかな」

「やってみればわかる。それに、上手くいかなくとも姿見が物置に放り込まれるだけだ。余ったら一つやろうか?」

「いや、いらない」

 

 いらないと言ったのに「いや、やはり部屋にも置いた方が効率的だな」と無理矢理運び込まれた。

 大きめの、ほぼ全身が映る鏡だ。

 

「なんか女子の部屋みたいだな」

「女子の部屋で合っているだろうに」

 

 それはそうなんだが、落ち着かないんだよな……。

 しかし、教授は気乗りしない俺のことなど放置し「健闘を祈る」とか言って大学に出勤していってしまった。

 

 仕方ないので教授の作戦に付き合う。

 といっても特別なことはしない。「私」と言う訓練がてらノワールと何気ない話をしたり、木刀とジャージでトレーニングをしたり、新しく通うことになる学校のパンフレットを流し読みしたり、普通に生活を送るだけだ。

 集中して何かをしなくていい分、ノワールのレッスンより楽かもしれない。

 

 ……と、思ったのだが。

 

「うお……!」

 

 トレーニングを終えて家の中に入った俺は、玄関近くに設置された鏡を見て面食らった。

 金髪碧眼の可愛い女の子がジャージ姿で、かすかに髪を乱れさせ、片手に木刀を下げている。頬や首筋には汗が浮かんでおり、肌は軽く上気した状態だ。

 似合わない。

 野暮ったい格好がアリシア・ブライトネスの魅力をこれでもかと損なわせている。どこかのおっさんにでも身体を乗っ取られているんじゃないか、と言いたくなるような有様だ。

 

「お疲れさまです、アリスさま。一応、お風呂の準備をしておりますが──」

「あ、はい。入ります」

「あら。それは良かったです」

 

 珍しい、という顔をするノワールに何と言っていいかわからず「ありがとうございます」とだけ言い、着替えを持って洗面所へ向かった。

 洗面台の大きな鏡を見れば、(アリシア)はどこか浮かない顔をしていた。

 

「……もう少し、格好にも気を遣うか」

 

 ジャージのファスナーを下ろしながら溜息。

 こんな風にして、教授のレッスンは幸か不幸か、十分な成果を挙げることになった。

 

 朝食の後、ふと鏡を見て寝ぐせが気になり。

 スカートの裾がくしゃっとなってるのを見て「みっともないな」と思ったり。

 靴下が左右で違うことに昼頃気づいて「言ってください!」とノワールにお願いしたり。

 

「どうだ、吾輩の無駄のない作戦は」

「効いたよ。効いたから、そろそろ鏡を撤去してくれないか?」

 

 二日が経つ頃には、俺の振る舞いはかなり改善されていた。

 あくまでも俺の主観での話なので、傍から見たらまだまだなのかもしれないが、最低限でいいんだったら今までの分だけでいいだろう。

 しかし、教授は腕組みをして首を振り、

 

「今、鏡の数を減らしたらお主、じわじわ元に戻るだろう?」

「ああ」

「胸を張って言うな! ……とにかく、レッスンは次に移行してもらうが、鏡はしばらくそのままだ。代わりに、無事転入できたらいいものをやる」

「いいもの?」

「それは貰ってのお楽しみだ」

 

 にやりと笑った彼女の姿に期待をしたかと言えば、正直、半信半疑といったところだったが──宣言通り、教授は後日俺にプレゼントをくれた。

 さりげない装飾の施された、品の良い手鏡。

 どことなく可愛らしさもあり、アリシアの容姿にはぴったりの品だったが、ここで更に身だしなみを要求してくるあたり確信犯(誤用)だろう。

 

 とはいえ、せっかくの貰い物なので有難く使わせてもらうことにした。



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聖女、レッスンを受ける(後編)

■レッスン3:シルビアの場合

 

「よし、アリスちゃん。この『女の子らしくなれる薬』をぐいっと」

「飲みません」

「……えー? お薬飲むだけで苦しまずに女の子らしくなれるんだよ?」

「明らかにヤバい薬じゃないですか、それ!」

「残念」

 

 夜。

 前にも来たことのあるシルビアの研究室。

 銀髪蒼目に白衣の少女は渋々、といった感じで薬(見るからに色が毒々しい)を戸棚にしまうと、真面目な顔で振り返った。

 本題が始まるのだろう、と理解した俺は息を呑んで次の言葉を待ち、

 

「女の子の気持ちが知りたいなら、女の子の身体を知るのが一番──」

「ああ、そうか。実はこの家で一番ヤバいのはシルビアさんだったんですね」

「待って。お願いだから遠い目をしたまま帰ろうとしないで」

 

 回れ右したら胸の辺りに抱き着かれた。

 微妙ながら存在する膨らみに触られると自分の中の『女』を自覚してしまうので止めて欲しいんだが。

 身の危険を感じつつ、シルビアをジト目で睨んで。

 

「いやまあ、女子の身体を触れるのは嬉しいんですけど」

「……なんだ。アリスちゃんてばむっつり?」

 

 透明感のある整った顔に安堵が浮かぶ。

 悪いけど続きがあるんだ。

 

「触るのは嬉しいけど、触られるのは嫌なんですよ」

「そこはギブアンドテイクでしょ……?」

「同意見ですけど、嫌なものは嫌なんです」

 

 きっぱりと言ったら腕の拘束が解けた。

 

「なんていうか、シルビアさんはわかりやすく元男子ですよね」

 

 別に元男とは決まってないんだが、まず間違いなくそうだろう。

 いや、朱華や教授が元女性に見えるかっていうと微妙だな。というかノワール以外が元男だとすると、唯一の純粋な女性に変態ども(俺を除く)が身の周りの世話をさせている図ということに……?

 するとシルビアはきょとんとして、

 

「え?」

「え? ……もしかして、もともと女性だったんですか?」

 

 事あるごとにスキンシップを求めてくる癖に?

 

「……まあ、知らない方が良いこともあるよねー」

「なんか物凄く気になるんですけど!?」

 

 閑話休題。

 多少落ち着いた俺達は床に座布団を敷いて座ると、話を進めることにした。

 

「さて。ノワールさんが言葉遣い、教授が身だしなみをレッスンしてくれたんだよねー?」

「ですね」

「なら、お姉さんはやっぱり得意分野から攻めるしかないね」

「だから薬は飲みませんと」

「違う違う。……まあ、口に入れるものではあるんだけど」

 

 言って彼女は席を立ち、隣の私室から何か瓶詰のようなものを持ってきた。

 中に入っているのは赤や紫、黄色をした楕円形の物体。

 新品らしく、中身はたっぷり詰まっている。

 

「飴?」

「うん、キャンディ。私が常備しているのと同じやつ。私はこれで『味覚』から攻めてみたいと思います」

 

 具体的には、この飴を転入までの約一週間で舐めきれ、とのこと。

 手渡されたそれは意外と重く、糖分の塊だと思うと身体に悪そうな気もするが、

 

「それだけでいいんですか?」

 

 お菓子を食べるだけじゃレッスンという感じがしない。

 尋ねると、シルビアは「うん」と微笑んで頷いた。

 

「楽勝だったらそれはそれでいいんだよ。頑張ってるご褒美だと思って受け取って」

「そうですか。だったら遠慮なく」

 

 ごく普通の市販品で怪しい薬が入っていないことは保証してくれたし、自覚症状のある薬物なら魔法で解毒できる。

 甘い物は別に嫌いじゃないが、こんな量を一人で食べたことは未だかつてない。

 そう考えるとちょうどいい試練なのかもしれないと思いつつ、俺はシルビアにおやすみを言って自室に戻り、とりあえず飴──キャンディを一つ口に放り込んだ。

 

「うま」

 

 この手の飴って砂糖の甘さが強烈に来る奴もあって、そういうのは正直苦手なのだが、シルビアがくれたものは果物の甘みが一緒に来るので嫌な甘さがなかった。

 放り込んだ赤いのはどうやらイチゴ味だったらしい。

 これだったらいくらでも舐められそうだな、と思いつつ口の中で転がしているうちに無くなってしまったので、今度は紫色のキャンディを口に入れてベッドへ潜り込む。

 

 子供の頃は母から「寝る前にお菓子を食べると虫歯になる」と口を酸っぱくして言われたものだが、これも必要なレッスンだから仕方ないだろう。

 

「こんなレッスンならいくらでも受けるんだけどな……」

 

 ブドウ味だったキャンディは俺の意識が完全に落ちる前には口の中から溶けて消えていた。

 

 

 

■レッスン4:朱華の場合

 

「さ、次行くわよ次」

 

 朱華が俺の部屋に突撃してきたのは、シルビアのレッスンが始まった二日後、土曜日のことだった。

 彼女達の通う女子校は週休二日制なので土日は休み。

 そのため、今日は朱華もシルビアも朝から家に居た。教授はどうやら仕事が忙しいらしく、いつもの時間に出勤していったが。

 ベッドに寝転がってマンガを読んでいた俺は、何やら大荷物でやってきた紅髪の少女を見て、

 

ひまひしょがしいんらけど(いまいそがしいんだけど)

「飴舐めながらマンガ読んでるだけでしょうが。しかもそのマンガ、あたしが貸したやつだし」

 

 彼女の言う通り、マンガの出所は朱華だ。

 今クラスで流行っている恋愛ものの少女マンガである。こういうのを朱華が読むのは意外だったが「履修しとかないと話題に乗り遅れるのよ」とのこと。

 正直、少女マンガってギャグのノリが寒かったり、大事件が起こったと思ったらなあなあのうちに無かったことになったりっていうのが多くて苦手だったのだが、貸してもらったこれは普通にすらすら読めた。そうなると普段自分が読まないジャンルだけに先が読めず、続きが気になって仕方ない。

 だが、朱華を怒らせると「燃やされる」可能性がある。

 

「わかったわかった。……で、何するんだよ?」

「ノワールさんが言葉遣いで教授が身だしなみ、シルビアが味覚……と来た以上、あたしができることなんて大してないのよね。だから変化球で攻めるわ」

 

 答えながら、朱華は自分の部屋から持ち込んだらしい機材をセッティングしている。

 見れば、ノートパソコンにWi-Fiルーター、ヘッドホン。

 傍らに置かれた残りの荷物はポテトスナックにチョコレート、クッキー、煎餅、ペットボトルの紅茶……要はお菓子と飲み物のようだ。

 

「何しに来たんだお前」

「んー……そうね。とりあえずエロゲ?」

「何しに来たんだお前!?」

 

 教えてもらっている立場で言うのもなんだが、やる気がないなら帰って欲しい。

 しかし、少女が浮かべるのは余裕の笑み。

 

「慌てないでよ。これはちゃんとあんた用のレッスンなんだから」

「……エロいゲームから女の子の可愛い台詞を学べ、とか言わないよな?」

「あー、それでも良かったかな。でも安心しなさい、違うから」

 

 そして宣言されたレッスン内容は、

 

「これから入学の前の日まで、あんたにはできるだけあたしと一緒にいてもらうわ」

 

 という、なんとも不思議なものだった。

 

 

 

 それから約二時間後。

 朱華から借りていたマンガを読み終えた俺は、息を吐いてベッドから起き上がった。

 

「んっ……」

 

 長時間じっとしていたせいか身体が凝っている。

 軽く伸びをし、貰い物の煎餅がだいぶ残り少なくなっていることに苦笑。

 当の贈り主がどうしているのかと視線を向ければ、

 

「……ふふっ」

 

 上機嫌なのか、時々くすくす笑いながらえんえんとディスプレイを眺めていた。

 耳に嵌めているヘッドホンは割と高そうな品で、そのお陰か音漏れはしていない。だが、彼女の耳にはおそらく、軽快なBGMと共に美少女の声が響いていることだろう。

 紅茶のペットボトルは順調に減っているし、時折菓子にも手を伸ばしている。しかし、それ以外はただエロゲに興じているだけだ。

 

 ……この女は。

 

 見た目が可愛いから許されるが、不細工な男がやっていたらただの自堕落なオタクである。

 これが何のレッスンなのかと言いたいところだが、朱華が説明してくれたプランにはある程度の説得力はあった。

 

『あんたの問題は、とにかく女慣れしてないことよ』

 

 別に女子が苦手なつもりはなかったが、女子になって女子校で過ごせるくらい慣れているかといえばもちろんノーだ。

 

『ま、童貞なら当然だけど』

『そういうこと面と向かって言うなよ!?』

 

 罵倒が必要だったかどうかはともかく、恋愛経験豊富な奴の方が女慣れしているのは確かだろう。

 要するに経験値、会話を交わした回数、一緒に過ごした時間の問題。

 

『なら、周りに女子がいる時間を増やせばいいのよ』

 

 だから一緒に行動する、というわけだ。

 周りの音をシャットアウトしてエロゲに興じるこの女がサンプルとして適当かはともかく、女子には違いない。

 同じ部屋にいるだけでも全然違うだろう、ということなのだが、

 

「やっぱ、別に大したことない──」

「あははっ。何よこれ、ライターさんノリノリすぎでしょ」

「っ」

 

 やっぱり朱華じゃ駄目だ、と結論づけようとした瞬間、楽しそうに笑う朱華が姿勢を変えた。

 足を一本ずつ左右に投げ出していた姿勢から、俺のいる方へ纏めて投げ出す格好へ。スカートを穿き、靴下は身に着けていないせいで素足がこれでもかと露出している。というか、その気になったら奥にある下着まで覗けてしまいそうだ。

 (肉体的には)女子しかいない空間だからって気を抜きすぎじゃないのか。

 あらためて意識してみれば、何気ない息遣いにさえ色気のようなものが漂っているような気がするし、空気には朱華の匂いが混ざり始めている。

 

「なるほど、な」

 

 なんだか妙に納得して頷いてしまう。

 朱華なんかに色気を感じてしまうとは屈辱だ。俺的に、この家の中でランキングを作るなら(教授は論外として)こいつが一番下に来る。まあ、高校生にしては異様に発育のいいシルビアと、若々しさと大人の魅力を併せ持つノワールが別格すぎるだけだが。

 とはいえ、この朱華も考えてみると美少女だ。

 強く人目を惹く紅の髪と瞳だけでなく、アジア系とヨーロッパ系の特徴をいいとこ取りしたような顔立ちも、しなやかかつ健康的に伸びる手足も、文句をつけるのが難しいくらいだ。

 

 はあ、ともう一度息を吐いて、

 

 そういえば、こいつの髪に触ったことがなかったなと、何気なく手を伸ばし──。

 

「ん? どうしかした、アリス?」

 

 視線に気づいた少女がヘッドホンを外してこっちを見た。

 やましい気持ちを咎められたような気分になった俺は慌てて答えた。

 

「え。あ、いや。マンガ読み終わったから、何か別の借りられないか?」

「あー。良いわよ、好きなの勝手に持ってきて」

 

 返答はなんともあっさりとしたものだった。

 てっきり、自分の部屋に入られたくないからこっちに来たと思っていたのだが。

 拍子抜けした俺はワンテンポ遅れて「わかった」と口を開き、そこへ、少女の細い指がチョコレートを一欠片放り込んだ。

 

「はい。おすそ分け。煎餅ばっかじゃ飽きるでしょ」

 

 甘い。

 じわりとした苦みと、その倍以上の幸福感。

 高いチョコというわけではない。むしろド定番の板チョコだ。男だった頃にだって何度も食べたことがある。あるはずなのだが。

 俺、こんなに甘い物好きだったか……?

 

 シルビアから貰ったキャンディの方も結構なペースで減っている。ちゃんと舐めないと舐めきれない、と習慣づけようとした結果、舐めていないと口寂しくなるようになってしまっている。この分だと期日には余裕で間に合うだろう。

 というか、頭の片隅で「同じ物っていくらで買えるのか今度聞いてみよう」と考えている自分がいる。

 

 ともあれ。

 

「サンキュ」

「どういたしまして」

 

 飾らない朱華の笑顔に、狐につままれたような気分になりつつ自室を出て、朱華の部屋からマンガを借りた。

 初めて入った女子中学生の部屋は持ち主の匂いに包まれており、また、意外なくらいに女の子らしさに溢れていた。

 

 そんなこんなで、先輩方からのレッスンは恙なく進行し、転入初日の前日に終了を迎えることとなった。



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聖女、初登校直前を迎える

「入学おめでとう!」

 

 なんだかんだで見慣れた気がするリビングに、四人分の明るい声が響いた。

 テーブルに並ぶのはご馳走の数々。ペペロンチーノスパゲッティにチーズがたっぷり入った鶏肉と野菜のドリア、酸味の効いたトマトベースのスープに山盛りの野菜サラダ等々、更にデザートには教授が帰りがけに買ってきたというフルーツタルトが用意されている。

 にこにこ笑顔のシルビア、ノワール、教授、朱華に、お誕生日席に座った俺は苦笑を返した。

 

「ありがとうございます。……めっちゃ疲れましたけど、助かりました」

 

 助かったがめっちゃ疲れた、と言ってもいい。

 四人がそれぞれ用意してくれたレッスンは「こんなので大丈夫か?」と思うようなものもあったが、実際、ちゃんと効果があった。

 家のあちこちに置かれた鏡のお陰で「他人からの見え方」を多少なりとも気にするようになったし、朱華が何日も付きまとってきたお陰で「傍に女の子がいて動いている」ことに少しは慣れた。

 そして、俺の男としての正気度もゴリゴリと削られた。

 

 ともあれ食事だ。

 肉体的な疲れは魔法で治せるが、英気を養うには食べるのが一番。

 一斉に「いただきます」を言ってそれぞれ思い思いの品に手を伸ばし、

 

「でもさ。終わってみれば『なんだこんなもんか』ってならない?」

 

 スープを啜った朱華が言ってくる。

 

「まあ、な。後から思うと、思ったよりは楽だった気もする」

 

 慣れ、という奴かもしれない。

 体験したお陰で、俺なりのやり過ごし方が見えてきたような感じだ。

 

「これで大丈夫なんだよな?」

「ま、何もしないよりは格段に良くなっただろう」

「普通の女の子でも、やらかす時はやらかすしねー」

 

 明日からはいよいよというか、とうとう学校に通うことになる。

 女子中学校に。

 考えるだけでも恐ろしい。憂鬱になるのであまり深く考えないようにしている。

 ノワールが柔らかく微笑んで、

 

「アリスさま。寝坊されないようにお気をつけくださいね」

「はい。気を付けます」

「あんまり手間取るようだと置いてくわよ」

「はいはい。……学校って近いんだよな?」

「歩いて行ける距離よ。その辺散歩してれば制服姿を見かけるはずだけど……ああ、ごめん。引きこもりに辛いことを言ったわね」

 

 酷い言い草だが、引きこもりなのは事実なので言い返しづらい。

 

「というかアリスよ。制服を開封してハンガーにかけておくぐらいはしておけよ。明日の朝になってから慌てても遅いぞ」

「なんで開けてないってわかったんだ……?」

「わからいでか」

 

 四人にジト目で見られた俺は、目を逸らしていた学用品へ手をつける決心をした。

 

 

 

 

 

 さて、翌朝である。

 

「……ん」

 

 俺が目を覚ましたのはセットしたアラームが鳴る五分前だった。

 変身前は二度寝、三度寝が当たり前だった俺だが、アリシアになってからは早起きができている。聖職者として、規則正しい生活が身体に染みついているのかもしれない。

 寝る前に回復魔法を使ったのもあって、体調も悪くない。

 すっきり目覚められるのはこの身体になって得をしたことの一つだと思いつつ、寝間着代わりのジャージ姿のまま洗面所へ。

 

「おはようございます、アリスさま」

「おはようございます、ノワールさん」

 

 家事を始めていたらしいノワールが声をかけてくれる。

 いつも通りきっちりメイド服を着こなしており、俺より先に目覚めたのは明白だ。

 

「あらためてノワールさんの凄さを実感しました」

「まあ。……わたしなんて大したことはございません。慣れれば早起きくらい誰でもできますよ」

 

 近頃はだいぶ気温が高くなってきているため、冷たい水で顔を洗い気を引き締める。

 ついでに髪をざっくり梳かした。別にしっかり梳かしてもいいんだが、この後、服を脱ぎ着するので乱れてしまうことになりやすい。

 こういう時、髪が長いのはつくづく不便だ。

 ともあれ部屋に戻り、着替えに取り掛かる。

 

 俺が通うことになった中学の制服は臙脂色のブレザーだ。

 スカートは黒。丈は平均より少し長めらしい。

 お嬢様学校らしいシックで清楚なデザインは、大正時代の女学生に感じるのと似た何かを思い起こさせる。

 

 ジャージを脱いで下着姿になったら、まず指定の黒ソックスを履く。

 無地の白または黒であれば市販品でも可、となっているらしいが、指定の品は値が張るだけあって肌触りが良かった。

 続いてスカート。私服で慣れているので「穿き方がわからない」ということはない。サイドに取り付けられたファスナーを下ろして足を通す。

 

「本当、防御力が低い格好だよな……」

 

 次はブラウスだ。

 白くてさらさらした生地で前ボタン式、という意味ではワイシャツと大差ない。強いて言えばボタンが左右逆なことと、袖口や襟にさりげなくフリルがあしらわれていることくらいか。

 結構違うな、などと今更思いつつ、リボンを装着。

 自分で結ぶのかと思いきやこれは「リボン型の飾り」だ。結ぶ必要はなく、首にかけて長さを調節するだけで完成である。いかにも女子、といった形と色合いがアレだが、付け方自体はネクタイより楽かもしれない。

 

 最後に上着。

 意外というかなんというか、これが一番戸惑わなかった。

 色合いや細かなデザインに目を瞑れば男子制服と大差ない。そうして完成した格好を、教授によって設置された鏡で確認すると──。

 

「うわあ」

 

 金髪碧眼の、成長途中にある美少女が、シックで清楚な制服を纏って立っていた。

 俺が顔を顰めると同じように顔を歪める。

 見慣れたはずの自分の姿にあらためて苦笑してから、袖についた糸くずを払ったり、リボンの位置を調整したり、ブラウスの襟を整えたりする。

 それから、これまた教授にもらった手鏡を使い、ノワールが「お部屋にもあった方がよろしいかと」と用意してくれたヘアブラシで髪を整える。高そうなシャンプー、リンスを使っているだけあって金髪には簡単に櫛が通る。

 

「……ま、こんなもんだろ」

 

 時間が余ったので荷物もチェックする。

 特に通学鞄。俺は転校生なので、当然ながら初日から授業がある。筆記用具や教科書、ノートなど、不足があっては困る。

 後はハンカチとかか。スカートには小さいがポケットもついている。かといって、入れすぎるともこもこして格好悪いので気をつけろ、と朱華がからかうような口調で言っていた。ていうかそれ、冬服の時はいいとして、夏服だったらどうするんだ。

 

「ん? ……夏、服?」

 

 今は何月だったかと考えてみる。

 七月だ。

 そういう話だったのだから当然である。ていうか、気づいてみると()()が暑い。夏場に厚手のブレザーなんか着てるんだからそりゃそうだ。

 いや、そもそも最近は朱華とシルビアが夏服着てたじゃないか。なんで間違えてるんだ俺は!?

 

 やばい、と冷や汗をかきながら大慌てで夏服に着替え直した。

 

 

 

 

 

 

「間違えて冬服でも着て来たら笑ってやろうと思ったのだが」

 

 朝食の席で教授に言われた時には冷や汗が出た。

 

「ま、まさか。そんなことあるわけないだろ?」

 

 笑い飛ばして朝食を平らげ、朱華の「そろそろ行きましょ」という呼びかけで席を立つ。

 

「いつもより早くないか?」

「だってあんた、先生との挨拶とかあるでしょ?」

「そうだった」

 

 ノワールに「ごちそうさま」を言い、鞄を持って玄関に向かう。

 昨日まで──今日は月曜なので正確には数日前までは見送る側だったことを考えると、少々感慨深い。

 

「行ってらっしゃいませ。……あ、アリスさま」

「はい?」

「少し失礼いたしますね」

 

 真新しいローファーを履こうとする俺を呼び止めたノワールは、俺の首辺りに手を伸ばすと、ブラウスやリボンのバランスを整えてくれる。

 自分でも納得のいくまでやったつもりなのだが、満足げに「可愛くなりました」と微笑む彼女には何も言えない。

 というか、自然と距離が近くなったせいで匂いとか体温を感じてしまう、こそばゆいような気持ちに襲われてしまった。

 これで相手が母親で、俺が男子高校生のままだったら「うるさいなあ」で終わりなのだが。

 

「行くわよ、アリス」

「はいはい。……行ってきます、ノワールさん」

「はい。行ってらっしゃいませ、アリスさま。皆さま」

 

 朱華、シルビアと連れ立って、俺は一歩、玄関から足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

「っていうか、夏服って余計に防御力低いな……」

 

 外に出て真っ先に感じたのは素肌に当たる夏の日差しだった。

 別に俺は吸血鬼ではないし、真正の引きこもりでもない。

 学校に通うことになるのは「真っ当な学生に戻る」というだけの話なのだが、それにしても、女子の夏服というのはなんとかならないものかと思う。

 何しろ、半袖のブラウスと薄手のスカートである。

 指定の靴下が夏服だと黒から白になるのは涼感的に有難い限りだが、袖から先、それからいわゆる絶対領域的な部分が日差しと視線に晒されるのは避けられない。

 

 特に、俺達三人は肌が白いので余計に目立つ。

 俺の愚痴にシルビアが頷いて、

 

「下着が透けないように気を付けた方がいいよー?」

「……ああ、うん。気を付ける側に回るとは思わなかったけど」

 

 下着透けてる女子とか当然のようにさりげなく凝視していた。

 

「ちなみに、透けないようにするのってどうするんだ? 白いの付けてりゃいいのか?」

「一概にそうとも言えないのよね」

 

 学生の下着、というイメージから言えば、朱華が難しそうな表情で答えてくれる。

 

「簡単に言えば、肌の色に近い方が透けない──というか目立たないんだって」

「だから、日本人の場合、白とか淡い色の方が透けるんだよー」

「なん、だと……?」

 

 清楚な下着の方が透けやすいとか、神様は変態なんだろうか。

 いや、見られる側になった以上、呑気なことも言っていられないんだが。

 朱華が肩を竦めて、

 

「ま、アリスとかシルビアさんの場合は逆に考えればいいんじゃない?」

 

 白人に近い肌色をしているので淡い色合いでも目立ちにくい、とのこと。

 

「ちなみに色が透けなくても、下着のラインって浮き出やすいからね」

「待て。逃げ場はどこにあるんだ」

「恥ずかしい思いをしたくなかったらキャミを重ね着するとか、大胆な下着は穿かないようにするとか。……ああ、あんたはそもそもブラ付けないんだっけ」

「いや、三日に一回くらいは付けてるけどな」

 

 低い防御力を補うのは簡単じゃないらしい。

 だったらいっそ重武装にしてしまえ、という話だが、世の女子達がみんなジャージで生活し始めたら男は地獄の苦しみを味わうだろう。

 まあ、喉元過ぎたら「ジャージはジャージでエロいよな」とか言い出す気もするが。

 

「っていうかアリスちゃん」

 

 二歩ほど後ろを歩いていたシルビアが隣に来て言ってくる。

 ちなみに逆隣には朱華がいる。

 女子二人に挟まれての登校とか、自分自身が女子になっていなければ嬉しいシチュエーションだったのだが。

 

「外に出たんだから言葉遣い、もうちょっと整えた方がいいよー」

「あ、そうか。……そう、ですね」

 

 ノワールのレッスンを受けて以来、家でも一人称だけは「私」を心がけていたが、気心の知れた連中の前だとどうしても素の口調になってしまう。

 学校に近づけば近づくほど生徒の姿も増えるはずだから気をつけなければ。

 思っていると、朱華の口元に笑みが浮かぶ。

 

「どこまで猫被れるか見守っててあげる」

 

 この少女と俺は同じクラスだ。

 普通、所属クラスは初登校の際に教えられることが多いのだが、俺の場合は特別だ。事情を知っている仲間がサポートできるように「上」が手を回してくれたらしい。

 実際、俺としても一人ぼっちよりはずっと心強い。

 もちろん、嫌味の類はノーサンキューだが。

 

「私だってやればできます」

 

 むっとして言い返すと、何とも言い難い吐息が漏れて、

 

「敬語作戦は良いかもね」

「見た目は外国のお嬢様だしねー」

 

 外では敬語で通す、というのが俺なりに考えた身バレ対策だ。

 転校生で外国人で、通うのがお嬢様学校と来れば常時敬語で話していても違和感は持たれないだろう。しばらく過ごして、外面を取り繕うのに慣れてきたら口調を崩すことを考えればいい。

 女子として自然に話せる自信がないならそのまま敬語を続けてもいい。ゲーム内でもアリシアは敬語キャラだった。

 

「じゃあ、雑談でもしてみる? いい天気ね、アリス?」

「はい。日差しが少し強いくらいですね」

「アリスちゃん。勉強についていける自信はどれくらい?」

「大丈夫だとは思いますが、私立の学校なので少し不安ですね」

 

 などと言いながらも歩みは止まらない。

 俺にとって、まともに外出するのは約一か月ぶりで、ぶっちゃけ普通に歩くだけでも「どう見えているか」怖くて仕方ない部分があったが、朱華とシルビアが代わる代わる話しかけてくれるお陰で、緊張ばかりが重なってしまうことはなかった。

 そして。

 

「さ、見えてきたわよ」

 

 気づけば、俺が新しく通うことになる学び舎が姿を現していた。



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とある生徒、転入生を観察する

「転校生が来るらしいよ」

 

 月曜日の朝。

 いつものように登校した彼女は、仲の良いクラスメートからそんな話を聞いた。

 

「そうなの? うちのクラスに?」

「うん。なんか、朱華さんが見たことない女の子と歩いてたんだって」

「そうなんだ」

 

 頷き、朱華というクラスメートのことを想う。

 朱華・アンスリウム。

 目の覚めるような紅い髪と瞳を持つ少女である。なんだかややこしい名前をしているのは中国と、どこか西洋の国の血が混じっているからだとか。そのため多くの者は「アンスリウムさん」と呼ぶのを避けて下の名前で呼んでいる。

 朱華は目立つ。

 髪や瞳が人目を惹くというだけでなく顔立ちそのものも整っており、アジア人に比べると色白で、スタイルが良く、おまけに高等部に通う北欧系の外国人の先輩と仲が良い。

 住む世界が違う、と言ってもいいレベルだが、当の本人は気さくで話しやすい。お陰でいつも色んな生徒から話しかけられている。

 

 そんな朱華が連れてくるのだから、

 

「やっぱり外国の人なのかな?」

「らしいよ。なんか、金髪の可愛い子だったとか?」

「うわあ」

 

 金髪とはまたレベルが高い。

 お嬢様学校として知られているこの学園の生徒にはハーフや外国人もいるが、やはり「異国の少女」といえば金髪だ。可愛いとなれば猶更。期待がこみあげてくると同時にプレッシャーも生まれる。

 

「どんな子なんだろう」

 

 外見というよりは内面を指して呟けば、察した友人もまた呟くように、

 

「朱華さんの友達なら悪い子じゃないと思うけど」

 

 何気なくクラスメートの会話に耳を向けてみれば、多くの生徒が転校生の噂について語っていた。

 日本において黒以外の髪は目立つ。みんなが浮足立つのも当然といえる。

 周りのムードにつられるようにして鼓動が早まるのを感じながら話をするうち、予鈴が鳴り、HRの時間になる。

 

「みなさん、おはようございます」

 

 このクラスの担任は先生になって四年目になるという若い女性だ。

 品のいいスーツに身を包んだ彼女は日直の号令を受けた後、生徒達の期待を裏切ることなく、転校生の存在を告げた。

 合図が出され、前側の入り口が小さな音と共に開く。

 

 ──息を呑んだ。

 

 入ってきたのは聞いていた通りの少女だった。

 聞いていた通り、美しい少女だった。

 

 窓からの陽光は届いていないが、それでも照明の光を浴びてきらきら輝く金色の髪。

 吸い込まれそうなほどの奥行きを持つ、宝石のような碧の瞳。

 肌は白く、見ただけですべすべな質感がわかる。手足は細くしなやかに伸び、華奢な身体には守ってあげたくなるような魅力がある。

 緊張しているのか、歩き方はどこかぎこちないが、そのせいでついじっと見つめてしまう。

 

 そして。

 

 箸より重い物を持ったことがないのではないか、と思えるような指がチョークを持ち上げ、己の名をカタカナで記していく。

 アリシア・ブライトネス。

 しっかりとした字だ。

 しっかりしすぎていて男の子みたいな字だが、胸に湧き上がるのは感嘆だった。

 

「初めまして、アリシア・ブライトネスです」

 

 ぎこちなく一礼した少女は、イメージ通り可憐な声を響かせる。

 

「両親はイギリス人なのですが、ずっと日本で暮らしていたので英語は殆ど喋れません。この学校には少しずつ慣れていければと思っています」

 

 イントネーションにぎこちないところは微塵もない。

 言葉が通じるという実感が心に浸透し、それはアリシアという少女の印象を、近寄りがたい異国の少女から、友達になりたい女の子へと変えていく。

 

「こんな時期の転入でご迷惑をおかけすることもあると思いますが、どうかよろしくお願いします」

 

 言って、もう一度彼女が一礼した直後、誰からともなく拍手が起こった。

 

 

 

 

 

 

「ブライトネスさんはどこの学校から来たの?」

「このまま高等部に進学するの?」

 

 HRが終了した途端、アリシアをクラスメート達が取り囲んだ。

 見れば、他のクラスの生徒も複数、この教室を覗き込んでいる。

 まあ、無理もない。

 転校生というのはいつだって珍しいものだし、それがアリシアのような子なら猶更だ。

 

「あ、えっと、アリスでいいですよ」

 

 次々飛んでくる質問へ気さくに応じている。

 ただ、多すぎて全部には答えきれないという様子だったが。

 

「お、私、入院していて中学には通っていなかったんです」

「そうだったの?」

「もう大丈夫なの?」

「はい。もう治っているので大丈夫です」

 

 言って微笑むアリス。

 思わず、白い病室に在る少女の姿が思い浮かぶ。他のクラスメートもそうだっただろう。こうして、アリスに病弱属性が追加された。

 クラスメートからの質問攻めはそれからも、そして授業後の休み時間や昼休みにも続けられた。

 質疑応答が続くうちにわかってきたのは、アリスには不思議なところがあるということだ。

 

「アリスちゃんはスポーツだったら何が好き?」

「そうですね……剣道とか?」

「剣道!?」

 

 彼女が面や防具を身に着け、重たい竹刀を振るう……?

 似合わないにも程がある。というか、着替えただけで重くて動けなくなりそうだ。

 なので、

 

「あ、そっか。見る方の話?」

「いや、そうじゃなくて」

「外国の人って時代劇とか好きだもんねー」

 

 そういうことになった。

 アリスが反論しようとしていた気もするが、誰も聞いていなかった。というか、日本かぶれだと思われるのが恥ずかしいのだろう、とみんな勝手に納得していた。

 何しろ、好きな飲み物を尋ねれば「緑茶」と答え、クラスメートの髪を見ては「黒髪が羨ましい」とこぼしていたのだ。

 ああ、この子は日本が好きなんだな、という感想にしかならない。

 

「私は見るんじゃなくてやりたいんですけど……」

「でも、高等部にも剣道部はないよ?」

「だって、あれは男子がやるものでしょ? あの防具って絶対暑いし蒸れるじゃない」

 

 じゃあ、アリスに似合うスポーツは何かというと、

 

「「テニス?」」

 

 満場一致だった。

 白いテニスウェアに身を包んだアリスがラケットを振るう姿はさぞかし可愛らしいだろう。その姿を見たいがためだけにテニス部へ入る子がいてもおかしくない。

 しかし、お姫様はお気に召さなかったようで「テニスはちょっと」と言う。

 

「なんで嫌なの?」

「……だって、テニスって短いスカートで動き回るんですよね?」

 

 アリスは身長が低い。

 中学生に見えないというほどではないが、校章や上履きの色で判別できない場合、一年生か二年生に見えるだろう。

 そんな彼女が顔を真っ赤にして、上目遣いで周囲の生徒を見上げていた。

 そうなったら、周りがどんな反応をするかは簡単だ。

 

「「可愛い!」」

 

 登校初日にして、アリシア・ブライトネスのマスコット扱いが決定した。

 

 

 

 

 

 

「あーっと……それくらいにしてあげてくれる?」

 

 女子しかいない空間というのは気安い。

 アリスを歓迎する生徒達の声は放課後になっても止まなかった。

 質問だけが続いていたわけではなく、むしろ途中からは雑談半分という感じだったが、そうやって賑やかに話をするのが重要なのだ。

 仲良くお喋りをした経験は得難い思い出になり、アリスを「転入生」から「友達」へと変えていく。

 

 ただ、さすがにはしゃぎすぎてしまったのか、帰りのHRが終わって三十分程度が過ぎたところで保護者からの声がかかった。

 

 クラスメート達の輪に近づいてきたのは紅髪紅目の少女だった。

 怒っている、という様子ではない。

 呆れ気味の表情で遠慮がちに声をかけてきた、という感じだったが、素の表情が勝ち気そうに見えるせいもあって効果は覿面だった。

 

「あ……ごめんなさい」

「ずっとお喋りしてたらアリスちゃんも疲れちゃうよね?」

「あ、いえ、気にしないでください」

 

 しゅん、として言う少女達。

 アリスは首を振って慰めてくれたが、その表情は明らかに安堵していた。やっぱり疲れていたのだろう。それでも「迷惑だ」と言わない辺り良い子だ。

 

「朱華さんはアリスちゃんと一緒に住んでるんだよね?」

「そうよ。うちは事情がある子向けのシェアハウスみたいなところだから」

 

 軽く肩を竦めて答える朱華。

 確か、高等部の銀髪少女(シルビア)も一緒だったはずだ。アリスはそこのシェアハウスの新入りらしい。

 色とりどりの髪や瞳をした美少女達が共同生活を送っている場所──想像しただけで華やかで楽しそうで、少し憧れてしまう。

 アリスも朱華とは気心が知れているのか、恨みがましい視線を彼女に向けて、

 

「……朱華さん?」

「ごめんってば。アリスが随分楽しそうだったから、声をかけづらかったのよ」

 

 少女達の輪に紅い少女が加わる。

 アリスはちらりと時計に目をやり、鞄に手を伸ばそうとする。しかし、その手はすぐに止まった。朱華が机に軽く手をついたせいだ。

 さっさと帰るつもりならアリスの手を取ってしまえば良かった。

 迂闊だったのか、それとも故意だったのかはわからないが、結果的にそれは雑談を継続させるきっかけになった。

 

「朱華。最近付き合い悪かったのってこの子と遊んでたから?」

「あー、うん。実はそうなのよ。アリスってば新しい生活が不安だったのか、あたしと一緒にいたがっちゃって」

「……朱華さんが部屋に押しかけてくるんじゃないですか?」

「ん? あれ、迷惑だった?」

 

 助けに来たはずがノリノリの朱華。

 瞳を覗き込まれたアリスも満更ではないのか、頬を染めて視線を逸らした。

 

「べ、別に迷惑ってわけじゃ……」

 

 瞬間、名前をつけるのが難しい奇妙な感情が湧き上がった。

 もしかするとこれが「萌え」なのだろうか。

 

「朱華さん、アリスちゃんとどんなことしてたの?」

「別に普通だけど? ゲームしたり、お菓子食べたり?」

「朱華さん……」

 

 アリスの呟きには「まだ帰れそうにない」という諦めと「この子に頼っちゃ駄目だ」という呆れの色が含まれていた。

 

 

 

   ◇    ◇    ◇

 

 

 

「……酷い目に遭ったんだが」

「ごめんってば。でも、ふふっ、あははっ」

「おいこら朱華いい加減にしろ」

 

 結局、教室を後にすることができたのは、帰りのHRから一時間後のことだった。

 全身が疲労でずっしりと重い。

 正直、バイトでゾンビと戦った時より断然疲れた。何しろトイレのために席を立った以外、ほぼずっと囲まれっぱなしだったのだ。

 女子ってのはあそこまで強い生き物だったのか。

 好意的に受け入れて貰えたのは良かったが、お陰で気を張りながら話を合わせ続けなければならなかった。本当、なんであんなにぽんぽんと話題が出てくるのか。

 

 恨みを込めて睨むと、朱華は申し訳なさそうにしつつも楽しそうに笑って、

 

「あれー? もう『朱華さん』って呼んでくれないんだ?」

「呼ぶか馬鹿!」

 

 丁寧にさん付けで呼んでいたのは対外向けの対応だ。家でまで敬語を使うつもりは全くない。

 

「お疲れさまでした、アリスさま。大変だったのですね」

 

 ノワールはさすがに人間ができている。

 下校するなり話し始めた俺と朱華をリビングに案内してお茶を出してくれた。疲れているせいか紅茶の香りに癒される。

 どうせなら何か甘い物を、と思ってしまうが、少ししたら夕飯になるのだから我慢した方がいいか。

 

「いや、本当に大変でした……」

 

 間違いなく人生で一番長い一日だった。

 

 朱華やシルビアの通う学校──私立萌桜(ほうおう)学園は広い敷地内に中等部と高等部が併設された女子校だ。

 お嬢様学校というだけあって敷地は高い塀で囲まれており、外からは内部の様子が殆どわからない。

 きちんと守衛さんの立っている正門をくぐると桜並木があり、校舎まで俺達を導いてくれる。

 どことなく別世界に来たような感覚があった。

 言ってしまえば学校には違いない。改修を繰り返しながらも創立当時の面影を残しているという校舎は風格を感じさせたが、物語の中にあるような別格のそれというわけではない。

 

 それでも、女子しかいない世界というのは想像以上だった。

 クラスメート達の質問攻めもそうだが、校舎に男子トイレが(職員・来賓用を除いて)存在しないことや、先生の八割以上が女性ということにも驚かされた。

 担任も若い女の先生だったが、前の学校に居たおばさん国語教師や気の強い世界史教師なんかと違い、立ち居振る舞いに育ちの良さを感じた。

 

「なんていうか、あれは下手なことができませんね……」

 

 お陰で決定的なボロを出さずに済んだわけだが。

 隣に座った朱華が紅茶を飲み干してからくすりと笑い、

 

「あんたも頑張ってたわよ。あれだけできれば十分でしょ」

「そうか? ならいいんだが……」

 

 ギリギリまで声をかけなかったのは面白がっていたからだと思ったのだが。

 

「上手くいったのでしたら何よりです」

「そう、ですね」

 

 ノワールの微笑みにぎこちない笑みを返す。

 確かに、初日を乗り切ったことで多少の自信はついた。これからの日々を乗り切っていく自信が、だ。

 ぽん、と、ノワールが手を打って、

 

「今日の夕食はたくさん食べてくださいね。明日からも頑張らないといけないのですから」

「……そうなんですよね」

 

 休みの日までには後四日もある。

 こんな調子で体力が持つのか不安になった俺は遠い目をしながら「回復魔法(ズル)を使おう」と心に決めた。



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聖女、スクールカーストを知る

 くう、と、腹の虫が鳴いた。

 恥ずかしさを覚えながら、シャーペンを握っていない方の手で腹を押さえる。後、ほんの十数分で昼休みなのだから我慢だ。

 今の音、誰かに気付かれただろうか。

 教室に響いているのはカツカツというチョークの音と、先生の声。

 ひそひそ話があちこちから聞こえる、なんてことがないのは、生徒の育ちが良い証拠だろう。

 

 私立萌桜(ほうおう)学園は難関ではないものの、学力レベルは中堅上位に位置している。

 俺が通っていた公立中学に比べると授業内容も高度な気がする。二年前の話なので記憶が曖昧だが、あの頃の俺ならテストで赤点を取っていたかもしれない。

 もちろん、今は十分についていける。

 理解するのが難しくない代わり、昔憶えた内容を思い出さないといけないが、それくらいは必要経費だ。

 

 登校二日目。

 大部分の科目は既に経験済み。

 高校二年生にして中学の授業に苦戦した、などというレッテルを貼られるのは避けられそうだ。

 

 

 

 

 

「アリスさん。一緒にお昼ご飯を食べませんか?」

 

 腹の虫が再度鳴くこともなく、昼休みを告げるチャイムが鳴った。

 教科書やノートを机の中に片付けていると、生徒達が数名寄ってきて声をかけてくれる。

 

「あ、えっと……」

 

 何と答えるべきか。

 迷いながら顔を上げ、彼女達の顔を見る。顔と名前の区別はまだまだこれからだが、昨日、積極的に俺を取り囲んでいた女子と別の生徒であるのはわかる。

 アリスと呼んでくれ、というお願いはどうやら浸透しているようだが……。

 昨日の子達は「先を越された」という顔でこっちを見ている。

 

 この場合、向こうを先約にした方がいいのか?

 

 男友達との経験だと、別にどっちを選んでも問題ない。

 嫌いな相手じゃなければ普段あまり話さない奴でも「珍しいな」「たまにはいいだろ?」で普通に机を突き合わせられる。いつもの仲間とは「なんだよ、付き合い悪いな」「お互い様だろ」とか言って終わりだ。

 女子の場合はどうなのか。

 女の人間関係は面倒だ、みたいな話は聞いたことがあるが、実際どう面倒なのかはよく知らない。朱華達からも細かいところまでは聞いていない。

 その朱華に視線をやれば、彼女は「ま、頑張りなさい」とでも言いたげに肩を竦めるだけだった。

 

 ……仕方ないので素直に答えることにする。

 

「はい、是非」

 

 俺の返答を聞いた少女達は嬉しそうに微笑んだ。

 

「アリスさんは食堂でしたよね?」

「あ、すみません。実は、今日はお弁当なんです」

「あら。朱華さんはいつも食堂か、コンビニのパンですのに」

 

 そう。

 一人の子が驚いて言った通り、朱華は普段学食を利用しているらしい。教室で食べる場合も行きがけにコンビニで買うだけだとか。

 

『だって、ノワールさんにそこまで頼むの申し訳ないじゃない』

『わたしは喜んでお作りしますのに……』

 

 という、二人の言い分を聞く限り、本当は「お母さんに作ってもらったお弁当ってなんか恥ずかしい」的な理由なのだろう。

 実際はお母さんではなくメイドさんで、ある種のステータスなのだが。というか、女子の癖に「自分で作る」選択肢がないあたりが割と駄目である。

 ちなみにシルビアも作ってもらっていないが、こちらは「昼休みは昼寝の時間だから」らしい。昼を食べない分、朝は食い溜めをしている。彼女が駄目人間なのはとっくに知っていた。

 

『アリスさまはお弁当、必要ですよね?』

『え、えっと……ノワールさんが迷惑じゃなければ』

『迷惑なんてとんでもございません。腕によりをかけてご用意いたします』

 

 俺はノワールの期待を裏切れなかった。

 学食を見学するために昨日は弁当無しだったが、クラスメートに囲まれる状況が続くようだと学食や購買に行きづらい。

 色々考えた上、今日から弁当をお願いしたのだ。

 

「皆さんは学食なんですか?」

「いいえ、私達もお弁当です」

 

 弁当派なら用は無い、とか言われるのかと思いきや、彼女達は笑顔で答えてくれた。

 ほっとしていると別の一人が口を開いて、

 

「では、中庭へ行きましょうか」

「中庭?」

 

 弁当と水筒を手に付いていくと、着いたのは中等部の校舎と高等部の校舎の間にある、広場のような場所だった。

 季節の花が咲く植え込みの傍に白いベンチが幾つも置かれ、いかにも憩いの場という雰囲気。

 片隅には立派な木が植えられ、その周辺は芝生になっているので、その気になればピクニック気分を味わうこともできそうだ。

 人気のスポットなのだろう、中庭には既に何組ものグループが居たが、クラスメート達は特に驚いた様子もなく、空いているベンチへと向かっていく。

 全員で詰めて座るとちょうど一つのベンチが一杯になる。

 

 近い。

 

 肩も太腿も簡単に触れ合ってしまいそうな距離だ。

 精神的に良くないので端っこが良かったが、「どうぞ」と導かれたのは真ん中側のスペースだった。

 

「さあ、食べましょう」

「は、はい」

 

 こんなシチュエーション、男だった頃には一回も無かったぞ。

 緊張しながら包みを解く。

 中身を見るのは俺も初めてだったが、楕円形に近い形をした可愛い弁当箱には彩と栄養バランスを考えられた美味しそうなメニューが詰まっていた。

 一目で「これは美味い弁当だ」とわかる。量も小さくなった身体にはぴったりだろう。

 

「アリスさんのお弁当、美味しそうですね」

「皆さんのも美味しそうです」

 

 御世辞ではない。他の子の弁当もそれぞれ手の込んだ感じのものだ。少なくとも「冷凍食品を詰めただけ」という雰囲気ではない。

 美味しそうなものを前にすると心が弾むもので、俺は他の面々と共に「いただきます」を言い、さっそく箸を取った。

 

「アリスさんのお弁当はお手製ですか?」

「いいえ、作ってもらったものです」

「あら。どなたが?」

「えっと……」

 

 ノワールの事は何と説明したらいいのか。

 

「うちにはメイド──みたいな事をしてくれている人がいるんです」

 

 何を言っているんだって話だが、事実だから困る。

 弁解しようと俺は言葉を続け、

 

「私が雇ってるわけじゃないんですけど。私にとってはお姉さんみたいな人で、その」

 

 そっと様子を窺えば、意外にも変な顔はされていなかった。

 むしろ全員微笑んで頷いてくれて、

 

「アリスさんはその人のことが好きなんですね」

「……えっと、はい」

 

 小さく頷く。

 好きと言っても恋愛的な意味ではない。いや、もしノワールから告白されたら即座にOKするが、それはそれとして、彼女に対して抱いているのは感謝や尊敬といった感情だ。

 好きと表現してもやましい事では全くないのだが、それはそれとして、胸を張って認めるのはプライドが許さない。

 だからといって「あんな奴好きじゃねーよ」とも言えないのが難しいところだ。

 これが朱華相手なら適当に否定して終わりなのだが──。

 

「うちにも使用人がいまして、このお弁当も作ってくれているんです」

「マジですか」

 

 内心の葛藤が吹き飛んだ。

 なんと、他の二人も家に専属の料理人やらがいたり、両親が揃ってプロのシェフだったりと、豪華なお弁当を作って貰える身分らしい。

 思わず口調を崩して言えば「ええ、マジです」とくすくす笑いながら答えてくれた。

 

「私達、仲良くできそうですね、アリスさん」

「はい、仲良くして貰えるのは嬉しいです。でも、うちはそんなお金持ちじゃないんですよ……?」

 

 金持ち仲間みたいに見られたら大変だと、俺はとにかくそれだけを主張した。

 

 

 

 

 

「いやあ、家にメイドさんがいるって意外に珍しくないんだな」

「んなわけないでしょ目を覚ましなさい」

 

 帰りの通学路。

 最初の一週間は付き合ってくれる、ということで、今日も朱華と一緒だ。

 女子の先輩に何かしらのアドバイスを貰うためにも歩きしな、俺は今日あったこととその感想を告げたのだが、そうすると何故か、朱華は俺をジト目で睨んできた。

 まるで、俺の発言が世間からズレていたみたいな扱いだ。

 

「そうは言うけど、普通に居たぞ、メイドさん雇っている家」

「それはその子の家が金持ちなだけだっての」

ひはい(いたい)

 

 人差し指で頬を突かれた。

 大して痛くはなかったが一応抗議しておいてから肩を竦めて、

 

「勘違いしたくもなるだろ。実際にそんな金持ちに会ったら」

「まあ、気持ちはわかるわ」

 

 朱華が何やら遠い目をして頷く。

 暇さえあればエロゲに熱中し、ラノベやサブカル系のマンガも大好きというこいつとしても信じがたいというか、納得いかないものはあるのだろう。

 しかし、俺の勘違いは正しておきたいようで、彼女はきっぱりとした口調で言ってくる。

 

「いい? あの子達はうちの学校でも上澄みの方だから、ちゃんと覚えときなさい」

「ああ。それはなんとなくわかった」

 

 彼女達が敬語だったのは俺の付け焼き刃とは違う。

 会って日が浅いからというのも当然あるだろうが、日頃から丁寧に話す癖がついている感じがあった。

 要はガチのお嬢様なのだ。

 

「あんた、スクールカーストって知ってる?」

「なんとなくなら」

 

 校内、あるいは教室内での権力関係をインドの身分制度に例えた言葉だ。

 一般的にコミュニケーション能力の高い者、容姿の整っている者が上位に位置し、孤高のオタクや見た目で劣る者が下位になりやすい。

 カーストのトップ層は言わば絶対権力者であり、その気になれば「これからあの子をいじめるから」くらいの命令は通せてしまう。

 

「アリスが気に入られたあの子達は()()カーストのトップよ」

「……マジですか?」

「大マジ。そもそも、あの子達が二日目のお昼休みになって近づいてきたの、何でかわかる?」

「さあ……?」

「でしょうね」

 

 朱華は苦笑しつつも教えてくれる。

 初日に俺へ積極的に話しかけていたのはだいたい中堅層の子達だった。振るえる権力はないが、教室内で肩身が狭いという程でもない。

 ある意味、一番自由に振る舞える立場だったため、転校生である俺に興味を持ち、すかさず友達になろうと働きかけてきた。

 カースト上位の生徒はひとまずこの流れを静観していたが、決して何もしていなかったわけではない。俺の様子はさりげなく観察していた。

 

 今日の昼休み、他の生徒が動くより先に俺へ声をかけてきたのは、観察の結果、俺に興味を示したからだ。

 

「中庭にまで招待されたんだから、うまく好感度を維持できれば仲間入りできるんじゃない?」

 

 中庭は広いが、ベンチの数には限りがある。

 利用はカースト上位の者が優先、という暗黙の了解が存在しているのだという。破っても罰が下ったりはしないが、空気を読めない者は白い目で見られる。

 慣習によって守られた結果、中庭の利用権はだいたい各クラスにつき一グループと決まっており、三年生が卒業して新入生が入ってくる度に新しい利用者が生まれる。

 年度替わり以外で中庭に変化があるのは、俺のような転校生が来た時か、あるいはクラス内のカーストに変動があった時くらいだとか。

 

「ああ、あそこ居心地よかったもんな……」

「お嬢様学校の中でもトップクラスの子達だからね。もちろん上品で優しいわよ。……きちんと招かれてやってきた客には、ね」

「おい、怖い言い方をするな」

 

 まるで「敵には容赦ない」と言われているみたいだと文句を言えば、朱華は「知らない方がいい」とばかりにくすりと笑った。

 

「……っていうか、お前のグループが上位じゃなかったのか」

「あたしのグループはあの子達の下。トップなんて取っても面倒臭いだけ、っていう子達の集まりね」

 

 なるほど、良くわかった。

 朱華のスタンスが家と大して変わらないことも、女性社会が恐ろしくて面倒臭いところだということも、だ。

 

「別に共学でも変わんないと思うけど……ああ、あんた武道やってたんだし、知らないうちに中堅層に入ってたんでしょうね」

「怖くなるから止めろって言ってるだろうが」

「ちなみにシルビアさんもトップカーストの一員よ。まあ、トップカーストの人達に愛でられてる、って感じだけど」

 

 時折、中庭で日向ぼっこしながら寝ているらしい。

 友人達はそれを微笑ましい目で見守っているそうで、シルビアが起きてくるとお菓子をあげたりして餌付けをしているのだとか。

 

「マスコットか」

「そうよ。あんたと同じでね」

「俺もそういう扱いなのか……!?」

 

 犬猫を可愛がるような感覚で誘われるというのは、果たして喜んでいいのだろうか。



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聖女、着替えをする

「アリスちゃん、一緒に更衣室行こ?」

「は、はい」

 

 マスコット扱いは若干納得いかないものの、俺はクラスメートとの関係をそのまま継続した。

 スクールカーストは面倒臭い。

 しかし、一つのグループとしか付き合えない、なんてルールは無い。話せる時は他のグループとも話せばいい、ということで自分の中で落ち着いた。

 

 登校四日目

 今、こうして声をかけてくれたのも、初日に知り合ったクラスメートの一人だ。

 誘って貰ったのは嬉しい。

 一方で、俺は、学校生活最大の難関への恐怖で顔が引きつっていた。

 

 それでもなんとか取り繕いつつ()()()()を手に立ち上がる。

 

「更衣室の場所は覚えてる?」

「いえ、まだ自信はありません」

「だと思った。案内してあげるから大丈夫だよ」

「ありがとうございます」

 

 そう。

 今日は体育、そしてそれに必ず付随してくるイベント──すなわち着替えがあるのだ。

 

 

 

 

 

 女子更衣室(生徒用の男子更衣室は無いので、表示はただの『更衣室』だった)は窓の無い、シンプルな造りの小部屋だった。

 壁際には小さめのロッカーが整然と並び、到着した時には既に数人が利用中。

 ドアを開ける際は一声かけるのがマナーらしい。しかし、クラスメートは俺にそう教えながらも、中からの反応を待たずにノブを回していた。

 

「だって、別に男子がいるわけじゃないし」

 

 男の先生が廊下に居なければ問題ないらしい。

 

「さ、それより着替えよ。ロッカーは早い者勝ちだよ」

「そうですね。じゃあ、私は隅の方で……」

「え、わざわざ端っこ行かなくても」

 

 体操着袋と共に奥まで移動しようとしたら、制服を軽く掴まれた。

 

「アリスちゃん、もしかして恥ずかしがり屋?」

「いえ、そういうわけではないんですが」

「さっきも人目を気にしてたし……大丈夫だよ、女の子しかいないんだから」

 

 女しかいないから困ってるんだが。

 

「アリスさんと一緒の体育はこれが初めてですね」

「身体能力は個人差が大きいですから、怖がらなくても大丈夫ですよ」

「アリスちゃんこっち来なよー。空いてるよー」

 

 気配を消そうと思っても転校生は注目されるものらしく、次々に声をかけられ中ほどのロッカーに導かれ、そうこうしている間に生徒達が続々と増えていく。

 体育は二クラス合同のため、隣のクラスの生徒も一緒だ。

 自分のクラスはもう大分落ち着いているのだが、他クラスはそうもいかないらしく、物珍しげな視線が向けられてくる。

 室内に満ちていく女子の匂いにくらくらする。

 段々、自分が何を恥ずかしがっていたのかもわからなくなりながらも、こみ上げてくる恥ずかしさがどうしようもない。

 

 と、肩をぽんと叩かれて、

 

「なにやってんのよ」

「……朱華さん」

 

 不覚にも若干涙目で助けを求めてしまった。

 紅髪紅目の少女はいつも通りの様子で「しょうがないわね」とばかりに目を細めると、周りを見渡して、

 

「あのね、みんな。実はアリスちゃんって女装してる男の子だから、あんまりいじめないであげて」

「何言ってるんですか!?」

 

 思わず叫んだ。

 割と本気で怒りながらも敬語が途切れなかったのは鍛錬の賜物と言っていい。

 

「なにって、マンガとかでよくあるでしょ、そういうの」

 

 まあ、なくはない。

 なくはないが、こいつの場合、情報元(ソース)はマンガではなくエロゲだろう。そしてエロい作品である以上、女装主人公は「やられる側」になることも多い。

 二重三重の意味で酷いレッテルである。

 幸い、この暴言に関しては、

 

「アリスちゃんが男の子?」

「ないない」

「朱華さんってばまた冗談言って」

 

 この通りだった。

 実際、身体は間違いなく女子なので、もし裸にされても問題は無い。

 裸に。

 ひょっとして朱華はそうやって安心させる意図で言ってくれたのだろうか。

 ある意味ではかけがえのない仲間といえる少女へ、俺はあらためて視線を送って、

 

「なに、アリス? 脱がせて欲しいの?」

 

 無いな。

 躊躇しているのが馬鹿らしくなった俺は溜息をつき、制服に手をかけた。

 

 

 

 

 

「教授。バイトがしたい」

 

 アリシアになって初めての体育を経験した日の夕食にて、バイト関係のまとめ役らしい教授に切り出す。

 相変わらず小さくて愛らしい大学教授は箸を置くと「ふむ」と唸って、

 

「なんだ。欲しい物でもできたか?」

「エロゲ?」

「……いやいや、スイーツでしょー」

「お洋服でしたら是非わたしがアドバイスを」

「全部違います」

 

 むしろ菓子程度なら今のお小遣いでも食べきれないだけ買える。

 いや、そういう問題でもないが。

 

「前に言ってただろ? もしかしたらバイトが元に戻る手がかりになるかもしれない、って」

「ああ、言った。かもしれない尽くしの話だとも、な」

 

 俺の主張を聞いたノワールは心配そうにこちらを見て、

 

「アリスさま。何かあったのですか?」

「いえ、その。何かあったって程じゃないんですが」

「アリスはみんなの前で下着姿になったのが恥ずかしかったのよ」

「朱華ちゃん、そこのところ詳しく」

「聞かなくていいです。……まあ、その件が切っ掛けなのは事実ですけど、できる努力をしないのは違うと思っただけで」

 

 それこそマンガやゲームの話だが、男に戻りたいとか幼馴染と恋人同士になりたいとか言いながらアクションを起こさないキャラというのは結構いる。

 もちろん、段階を踏む必要もあるし、目標によっては「どうしたらいいか見当がつかない」という場合もあるだろうが、俺の場合はバイトというかすかな手がかりがある。

 やるだけやってから諦めてもいいんじゃないかと思うのだ。

 

「ってことで、どうだろう?」

「まあ、実施すること自体はやぶさかではないがな」

 

 腕組みをして難色を示す教授。

 意外だ。

 前回のゾンビ戦を見る限り命の危険は低そうだったし、世のため人のためにもなって金も入ってくる。やらない理由の方が少ないと思ったのだが。

 リーダーから視線を向けられた朱華達も「うーん」と唸って、

 

「単純に疲れるんだよねー、あれ」

「頻度を増やすと一回あたりのバイト代は減るしね」

「油断をしなければ大丈夫といっても、危険はあるわけですし……」

 

 具体的には、例えば週一でバイトをこなした場合、一回六万(消耗品代込みで全員合わせて三十二万)だったバイト代が一回四万(計二十二万)程度まで減るらしい。

 月のトータルで考えたら一人当たり最大十万の増額とはいえ、一回当たりの手当てが二万減るのは確かに損した気分になる。

 とはいえ、これは政府がケチっているだけとも言いづらい。

 例のバイトで支払われる報酬は危険手当であると同時に「邪気を払ったことへの謝礼」でもある。短いスパンで繰り返し払えばその分、邪気も溜まりにくくなるので、払う量も少なくなる。かといって最低月一くらいで払って貰わないと困るので、この措置は妥当というわけだ。

 

「そこを何とか。アフターケアなら俺がなんとかできるから」

 

 渋る仲間達に俺は拝み倒した。

 何しろ、(アリシア)にはあまり戦闘能力がない。神聖魔法の中には攻撃魔法も一応あるが、本職の魔法使いにはどうしても劣る。

 それに、呪文を唱えている間に群がられたら多勢に無勢だ。

 おまけとして、神聖属性が効かない敵、例えば天使とかが万一出て来たらどうしようもない。ソロプレイは自殺行為だ。

 代わりに、戦闘中や戦闘が終わった後の回復なら担当できる。

 必死にお願いしたのが功を奏したか、教授達も最終的には折れてくれた。

 

「仕方ない。しばらく週一ペースで魔物討伐に繰り出すとするか」

「ありがとう。恩に着る」

 

 こうして週末の土曜日、俺はバイトに出かけられることになった。

 

 

 

 

 

 そして、土曜日の夜。

 夕食を終え、出かける準備をする段階となり、俺は自室で、

 

「ああ、この日がこんなに早くやってくるなんて……!」

「ノワールさん、あの、穏便にお願いします」

 

 恍惚の表情を浮かべたノワールに服を脱がされていた。

 違う。全くもってやましい話ではない。

 脱がされているのは単に着替えを手伝ってもらうためだし、ノワールがうっとりしているのは、件の衣装が彼女のコレクションだからだ。

 そう。

 部屋に置かれた鏡の前。俺と、俺の斜め後ろに立つノワールが注視しているその衣装とは、主にワンピースとエプロンの二つからなる仕事着でありコスプレ衣装であり、近年では性的な需要も兼ね備えるもの、いわゆるメイド服だった。

 

 といっても、ノワールのものとは少しデザインが違う。

 我が家のメイドさんが普段着ているのは、足首に届きそうなロングスカートのシックなメイド服だ。エプロンにはポケットが多く付いている便利なデザイン。

 スカートをあちこちひっかけてしまいそうな衣装を上手く着こなせているのはノワールの腕があってこそだと思うが。

 ノワールが手にしている俺用の衣装はもう少しひらひらが抑え目だ。

 スカートは膝下丈だし、肩の部分の膨らみ(パフスリーブ? とか言うらしい)も小さい。それから、本来ならセットになっているはずのエプロンがノワールの手にはない。

 

 俺は白い上下の下着と、首から下げたクロスアクセサリーを見下ろして、

 

「確かに、それ着たら修道女っぽいですね」

「でしょう?」

 

 つまり、メイド服のワンピースをシスター衣装の代わりにしようというアイデアである。

 

『聖印があるかないかで魔法の効果が変わるなら、衣装もそれらしくした方がいいかもしれんな』

『でも、当たり前だけど俺、アリシアの服なんて持ってないぞ?』

 

 元ゲームのコスプレ衣装を探したらそれっぽいのが出てくるかもしれないが、大作という程ではないゲームの、エディット可能な主人公では望みは薄い。

 ならば現実のシスター服で代用するのが妥当だが、生憎、ノワールのコレクションはメイド服に偏っている。シスターメイドとかいう謎設定の衣装なら存在したが、そんなものを着て神様が怒り出さないかはいまいち自信がなかった。

 じゃあ、メイド服からエプロンを除いたら割とそれっぽいのでは? ということになった。

 

 今回採用したのはシックな黒いワンピースなので本当にそれっぽい。

 シスターのコスプレだと言っても通用しそうだ。

 

「では、アリスさま。まずはこちらを」

「あ、はい」

 

 手渡された黒タイツに足を通す。

 生足が出てるのはシスターっぽくないからだ。もちろん、夏場なので薄手のデザインである。

 腰辺りから足先まで、下半身まるごと包まれる感覚は独特だったが、意外としっくりくる。身体に余計な出っ張りがないお陰でぴったりと身に着けられるからだろうか。

 

 続いては黒手袋。

 雰囲気出しのためでしかないので、指の自由度を考えこちらも薄手のもの。段々と身体のパーツが黒くなっていくのが奇妙な感覚。

 

 そして、ワンピース本体。

 

「そういえば、こういうのって被るのが正解なんでしょうか? 背中がファスナーで開いて、足を通せるのもありますよね?」

「ご自分のやりやすい方でよろしいのではないでしょうか。足を通そうとすると衣装が床についてしまうのが嫌、という方もいるでしょうし、頭から被ろうとすると衣装がくしゃくしゃになりやすい、というのにも一理あるかと」

「なるほど」

 

 今回は無難に足を通す方を選んだ。

 背中のファスナーはノワールが上げてくれる。自分でも手は届くが、男だった頃の俺だと怪しかったかもしれない。

 そう考えると女子の服というのはデザインのために色んな工夫が行われ、更に着る側の努力をも強いているらしい。

 

 ワンピースが着用できたら髪を整え、クロスを服の表に出す。

 黒ずくめの清楚な衣装を纏った、金髪の少女が鏡の向こうから俺を見つめてきた。

 

「よくお似合いです、アリスさま」

「ありがとうございます」

「……できれば、わたしとしてはヘッドドレスとエプロンで完璧なメイドさんをコーディネートしたいのですが」

「趣旨が変わっちゃうので勘弁してください」

 

 苦笑して答えながら、俺は「アリシアの本当の衣装もそのうちどうにかするか」とぼんやりと思った。

 もちろん、そんなものが必要にならないうちに元に戻れるのが一番なのだが。



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聖女、敗北を経験する

「アリス。気合い入れて来たんだから役に立ちなさいよ」

「でないとポーション代、お姉さんが貰っちゃうよー?」

「わかってます。任せてください」

 

 着替えから約三十分後、俺達は揃ってバイト先へと到着していた。

 場所はこの前と同じ墓地──ではなく。

 

「なんで学校の校庭なんだよ?」

 

 二日程前に体操着姿で走った場所、すなわち私立萌桜(ほうおう)学園のグラウンドだった。

 戦闘のために運動靴を履いて来ているので土の地面に不安はないものの、コスプレめいた格好で学校に居ると妙に落ち着かない。

 前回同様、魔法使いか大賢者といった服装の教授はふっと笑い、

 

「前回、アリスが結界を張れることがわかっただろう? 人払いができるのならば、墓地以外の場所にも進出して良いと思ったのだ」

 

 邪気の溜まりやすい場所として墓地は鉄板だが、その他に「人の多い場所」というのもあてはまるらしい。

 若者が多く集まり、様々な感情の入り乱れる学校がその一つだ。

 特定の場所でばかり戦うよりも色んなところで戦った方が邪気を払う効率が上がるので、今回は場所を変えてみたというわけだ。

 

「なるほどな。……でも、恥ずかしいから早く終わらせて帰りたい」

「ならば、気張って支援に努めてくれ」

 

 フォーメーションは前回と同じ。

 近接戦闘をノワールが担当し、朱華とシルビアが中衛。教授は基本的に指示出し係だが、前回のように雑魚が多い場合は接近してぶん殴る。

 俺はなるべく安全な位置から神聖魔法を使うのが仕事だ。

 俺は聖印をぐっと握りしめると「わかった」と頷く。既に結界は張ってある。神聖な力と俺達の気に影響され、すぐに変化が現れる……はず、だという。

 

 そんな予告は現実のものとなって、

 

「来ました」

 

 ノワールが常の優しい口調とは違う、プロフェッショナルを感じさせる雰囲気で呟く。

 数秒後には俺にも感じ取れるようになった。

 

 校庭の中央。

 

 地面から膨れ上がった黒い靄のような力が集合していき、何か大きなものを形作っていく。

 

「あれ、もしかしてこれ、ボスっぽい?」

「……そのようだな。大きさからして雑魚ではなかろう」

 

 敵の形は段々と明確になっていく。

 シルエットとしては十字に近い。頭に胴体、左右に広がる一対の腕──いや、翼か。足には鉤爪が付いているのが少しずつわかってくる。

 鳥だ。

 色は赤。燃えるような、というよりも()()()()()()()()翼を備えた怪鳥。

 

 完全に形を取ったそれは空気を震わせながら鳴き、翼を羽ばたかせる。

 これは、まさか。

 

「ちょっと待て、フェニックスか!?」

「朱雀とか鳳凰かも」

「何よ、まさか学校の名前とかけたギャグなわけ!?」

「そんな馬鹿な話はあるまいが、言霊の影響、という可能性はあるやもしれん。……しかし、まずいな」

 

 教授の言う通り、この状況はまずい。

 飛行モンスターには近接武器が届かない。この時点でノワールの戦闘力が半減以下、教授のでかい本(どんき)も役に立たない。

 極めつけは相手が火属性だということだ。朱華の発火能力(パイロキネシス)が効かない。シルビアの薬品も、あの炎で熱せられては通常通りの効果が出るかどうか。

 

「……ゾンビからフェニックスって、難易度変わりすぎだろ」

 

 あと数十秒のうちに奴は襲ってくるだろう。

 

「おい、無理ゲーだぞこれ!?」

「とにかく、可能な限りの手段で迎撃する! ある程度痛めつけた上で撤退だ!」

 

 どうするのか、という意味を込めて叫べば、さすがに冷や汗をかいた様子の教授が叫び返してくる。

 

「撤退って、その場合アレはどうなるんだよ!?」

「心配いらん。アレは土地からは離れられんし、我々が離れれば邪気が散って消滅する!」

 

 死、という言葉が頭に浮かぶ。

 怖い。

 夜闇を明るく照らしながら燃えるあの鳥が不死鳥というよりも、俺達に死をもたらすためにやってきた凶鳥だ。

 

 生き残るためには、戦わなくてはいけない。

 

 最初に動き出したのは、やはりノワールだった。

 ばっ、と、スカートの裾を跳ね上げたかと思うと、脚に装着していた黒光りする物体を両手に握る。人類の歴史においても珍しい、()()()()()()()()()()()()()

 強く打ち付けるような音が鼓膜を数度、立て続けに震わせ、不死鳥が威嚇するような声を上げる。

 いや、あるいは今のは悲鳴なのか。

 

「……手ごたえあり。どうやら、実体の上に炎を纏っているようです」

 

 なら、物理攻撃自体は有効か。

 

「ノワールさん、銃も使えたんだ」

「とっておきです」

 

 さらりと答えるメイドさんが格好良すぎる。

 メイドは仮の姿で、本当は殺し屋なのではないか──なんて、悠長に考えている暇はない。

 夜空に滞空する不死鳥が大きく口を開いた。

 輝き。

 火が噴き出すのを俺の眼が確認するのと、シルビアが幾つかの小瓶を纏めて放り投げるのが同時だった。

 

 一直線に俺達に向かってくる炎。

 小瓶が巻き込まれ、爆発。

 連鎖的な爆発は炎の勢いを減らして吹き散らす。

 

「アリスちゃん!」

 

 眠そうな響きの一切ない切羽詰まった声。

 

「メインアタッカーをお願い!」

「わ、わかった!」

 

 朱華の超能力が効かず、シルビアのポーションには限りがある。ノワールの銃弾も致命傷にならないとすれば、一番有効な攻撃手段は、支援役だったはずの俺の魔法になってしまう。

 指が震える。

 左手でロザリオを握ったまま、右手を突き出し、

 

「《聖光(ホーリーライト)》!」

 

 生まれた輝きは、ゾンビを掃討した時のそれより大きかった。

 実体ではない聖なる光は上手く着弾し、不死鳥の本体を小さく焼く。ノワール風に言えば手ごたえありだが……。

 

 けたたましい、怒りを帯びた声が響く。

 

 不死鳥の周りへ同時多発的に生まれる火の弾の数々。

 朱華が一歩前に踏み出し、教授が叫ぶ。

 

「後退しながら戦いなさい!」

「アリス、本体だけを狙え! 炎を撃ち落とそうと考えるな!」

「あ、ああ!」

 

 炎の通用しない相手に紅い少女が何をするのか。

 後ろに向かって駆け出しつつ振り返れば、盾になるように手をかざした少女は歯を食いしばりながら、襲い来る火の弾を睨んでいた。

 と、飛んできた火の弾のうち一つが軌道を変えて別の一つに衝突、爆発する。

 そうか、炎のコントロールを奪って迎撃に使っているのか。

 そうして更に一つ、二つが落とされ、

 

「朱華、お主も下がれ!」

「……了解!」

 

 朱華が飛びのくのと同時に教授がカバーに入る。

 中ほどで開かれた巨大な本が表紙を外に向けた状態で放り投げられると、残りの火の弾が次々とそこに着弾。

 装丁は革か何かのようだが、燃えやすい本なんてひとたまりもない……と思いきや、本は表紙と裏表紙を焦がしながらも攻撃に耐えきり、教授の手に戻った。

 あれも何かしらのマジックアイテムなのか。

 

「って、追ってくるわよ!?」

「学校の敷地内は行動範囲内に決まっておろう!?」

 

 もちろん、俺もこの間、何もしていなかったわけではない。

 何度か聖なる光を放って攻撃し、ノワールの銃弾ともども効いてはいる。なのに倒せる気は全くしない。HPが多すぎて実質ノーダメージという感じだ。

 それでも、牽制の役には立つ。

 役に立っていると信じたい。

 

「《聖光》! 《聖光》! 《聖光》!」

 

 何度も呪文を唱えながら全力で走る。

 聖なる光は六、七割が命中し、残りは外れた。しかし、もはや不死鳥は魔法や銃弾が当たっても気にしていなかった。

 何度目かの鳴き声が轟き、炎の鳥は大きく浮かび上がる。

 まるで、空中で助走をつけようとしているかのように。

 

「体当たり、してくる……っ!?」

 

 息が切れる。

 トレーニングをサボっていたつもりはないが、こんなことならもっと鍛えておけば良かった。

 

「散開しろ! 攻撃が可能な者はありったけを叩き込んで牽制するんだ!」

「くっそおおおおおおおっっ!!」

 

 俺が全力で叩き込んだ《聖光》を追うようにしてシルビアが爆発系のポーションをありったけ投擲、ノワールもまた隠し持っていた手榴弾を投げ──夜の学校には似つかわしくない、戦争でも始まったのかと言いたくなるような爆音が響く。

 それでも、不死鳥の突撃は止まらず。

 誰も聞く者のいない世界で、俺達は絶叫を上げた。

 

 

 

 

 

 

「……俺のせいだ」

 

 誰も死ななかったのが奇跡のような有様だった。

 火傷は回復魔法で必死に治癒したので残っていないが、リビングにへたりこんだ皆の服はボロボロ。直して着るどころか、雑巾として再利用することさえ難しそうだ。

 あの不死鳥はと言えば、教授の言った通り、俺達が学校の敷地を出たところから追って来なくなった。しばらくはこちらを睨んでいたが、ある程度離れるとひとりでに消滅した。

 

「俺がバイトに行きたいなんて言ったから」

 

 誰かが死んでいてもおかしくなかった。

 死。

 身近な人間が、あるいは自分自身が死ぬかもしれないということを、俺は甘く見ていた。本当に勝てない敵に直面するその瞬間まで、覚悟ができているつもりで「どうせ死にはしないし」と思っていたのだ。

 教授はそんな俺に首を振って、

 

「お主のせいではない。ロケーションを決めたのは吾輩だ。いつも通り墓地で行っていればあんな相手には出くわさなかった」

「教授の言う通りよ。最終的に参加するって決めたのはあたしたちなんだから、負けたのはあたしたち自身の責任」

「……今回もどうせ勝てるって油断してたところはあるよねー」

「みなさまの言う通りです。どうかご自分を責めないでくださいませ、アリスさま」

 

 皆は優しい。

 身体も、心もボロボロになったところへ優しいことを言われたせいか、瞳からは涙が溢れてくる。止められない。俺はぽろぽろと涙をこぼしながら、教授がさらに言ってくるのを聞いた。

 

「それにだ、アリスよ。今回の件で収穫もあったのだ」

「っ。それ、って?」

「ロケーションの重要性。そして、不死鳥の存在」

 

 場所を変えることでバイトの難易度が激変することがわかった。

 つまり、邪気が溜まりやすい場所には直接赴かないと払いきれないということ。逆に言えば、あの不死鳥を倒すことで得られる「世界への良い影響」はこれまでのバイトよりも大きいものになるだろう。

 その辺りを主張すればバイト代をもっと稼げるかもしれない。

 

 そして不死鳥の方は、

 

「まあ、朱雀や鳳凰の可能性もあるが、もしもフェニックス──不死鳥だとするのなら、その血には強い生命の属性が宿っていることになる」

「もっと言えば、()()()()()()()()が豊富だってこと。あいつの血とか羽とかを採取できれば、面白いポーションが作れるかもしれないんだよー」

「それ、って……!」

「うむ。偶然に期待するよりはずっと高い確率で、元に戻る手がかりになる」

 

 降ってわいたような話だった。

 元に戻る手がかりを探してバイトに行ったら、都合よくそれらしいものが出てきた。そこだけ考えると物凄い幸運だ。

 実際には手痛い情報料をふんだくられたわけだが。

 ノワールと朱華も頷いて、

 

「いずれにせよ、やりかけた仕事を放ってはおけないでしょう。もう一度、今度は入念な準備をした上で挑まなければなりません」

「うん。相手が炎使いだってわかってれば、あたしにだってやりようはあるわ。今回と同じようにいくと思ったら大間違いよ」

 

 顔を上げると、四人は四人とも笑っていた。

 逞しい。

 本当に死にかけたというのに、また、あの不死鳥に挑もうと思えるなんて。

 

「……ありがとう、みんな」

 

 涙を拭って告げると、朱華にぽんと頭を叩かれて、

 

「あんたのためだけじゃないわよ。あたしたちだって、やられっぱなしは癪なんだから」

「ああ、そうだな」

 

 少しだけ元気が出てきた。

 

「敵が強いってことは、学校に邪気が溜まってるってことなんだろ? だったら、俺達だって他人事じゃない」

「そういうことだねー」

 

 不死鳥は倒す。

 もちろん、明日すぐに再戦できるわけじゃない。作戦を立てたり装備を整えたり、できる限りのことをしてからになる。

 具体的には一か月、いやそれ以上先になるかもしれないが、とにかく再戦をする、ということだけは決めた。

 

 決めた上で、俺は一つの決心をみんなに伝える。

 

「でもさ、俺。もう少しアリシアとして前向きに頑張ってみることにするよ。今までみたいに女の身体は嫌だ、って言うだけじゃなくて」

 

 自分の命だけならともかく、他人の命まで賭けられない。

 元に戻ることを諦めるつもりはないが、たとえ元に戻れなくても、後悔しなくていいように。



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聖女、悲鳴を上げる

 翌朝、日曜日。

 目覚めた直後、体調が悪いと気付いた。疲れはきちんと癒したのだが、精神的な疲労が影響したのか、それとも睡眠不足のせいか。

 朝食後は風邪薬を飲んで寝よう、と思いつつ起き上がり──怠さ以上の違和感。

 約一か月前の悪夢が蘇るのを感じつつ身体を確認すると、

 

「わああああああぁぁぁっっ!?」

「どうしました、アリスさま!?」

「血、血が!」

 

 駆け込んできたノワールは適切に対処してくれた。

 詳細は省くが、血の処理とか道具の使い方とかだ。若干の前後はあるが、女子になって大体一か月。つまりはそういうアレだったらしい。

 知識としては知っていたものの、本当に驚くな、これ。

 

「……やっぱり女子なんか嫌だ」

 

 朝食の席で思わず弱音を吐けば、朱華が苦笑気味に、

 

「昨夜の決意はどうしたのよ」

「毎月これがあるんだろ? ……生物として欠陥じゃないのか」

「まあ、それはあたしも、なければない方がいいけど。っていうか、そういうのも魔法でなんとかならないわけ?」

「さすがに無理じゃないか……?」

 

 少なくともゲームには全く登場していない。

 一応試したみたところ、やっぱり成功しなかった。なんとなくできそうではあるのだが、具体的な呪文や集中方法がわからない感じ。

 とりあえず治癒魔法を使ったら痛みが和らいだので、食後は布団を被って寝ることにする。

 寝てれば早く治るというものでもないだろうが、不調の時に体力を使う必要もない。

 

 教授が箸を動かしつつ「ふうむ」と唸り、

 

「アリスの心境が変わるのを待っていたようなタイミングだったな」

「『俺は男だ』って信じ続けてれば戻れたってことか……?」

 

 そうだとしても、さすがにそこまで思い込みは激しくないが。

 

「駄目だよアリスちゃん。ちゃんと女の子を楽しむって決めたんでしょ?」

「いや、楽しむとは言ってないですからね?」

 

 慣れる努力を積極的にする、という程度の話だ。

 シルビアは「うんうん、わかってるよー」とか言いながら頷いて、

 

「今度、お姉さんとお洋服買いに行こうね?」

「あ、ずるいですシルビアさま。わたしも、わたしも一緒に行きますからね?」

「面白そうじゃない。あたしも行ってあげる」

「ちょっ。なんかすごいことになりそうなんだが……」

 

 宣言した手前と、体調のせいで気力が湧いて来ないのもあって、俺はシルビア達との買い物をなし崩しに了承することになった。

 ちなみに教授は「若い者で行って来ればよかろう」と不参加を表明。自称百歳以上ではあるが、本当に年齢のよくわからない人である。

 

 

 

 

 

 

 部屋でごろごろしているうちに日付が変わり、月曜日。

 起きても倦怠感が消えていないことに溜息をついてから、俺は朝の身支度を始めた。回復魔法をかけ直し、洗顔や着替えを行っていく。

 洗面所から出ようとしたところで朱華が起きてきて「はよー」と気の抜けた挨拶をしてくれる。

 

「体調はどう? 学校行けそう?」

「行きますよ。後もう少しですし」

 

 七月頭に転入したので、夏休みまでの期間は二週間と少ししかない。

 既に半分近くを消化しているのだからもう一頑張りだ。

 

「良い心がけじゃない。あんた、そういうとこ真面目よね」

「朱華さんと比べないでください」

 

 日々エロゲに興じる女子中学生に比べたら、大抵の人間が真面目扱いだろう。

 答えるだけ答えて部屋へ戻ろうとしたら、背中側から手が伸びてきて俺の頬を突いた。

 

「わっ」

「言葉遣いも気をつけてるんだ?」

「……いけませんか?」

 

 振り返り、見上げるように少女の顔を見つめる。

 俺なりの改善努力なのだが。

 幸い、朱華は笑って首を振った。

 

「いいんじゃない? その方が可愛いし」

「……脳内で俺の凌辱シーンとか想像するなよ?」

「敬語忘れてるわよ、アリス」

 

 想像しない、という返答が来なかったのが不満ではあったが、いつまでも漫才している暇はない。

 制服に着替え、朝食をとり、鞄を持って登校する。

 今日も日差しが強い。防御力の低さに定評のある女子の夏服も、涼しいという意味ではメリットなのかもしれない。

 

「思えば、体育の日にぶつからなくて良かったです」

「いや、アリスちゃん。そういう時はさすがに保健室行くとか、見学していいんだよー?」

「……なるほど」

 

 女子の場合、見学理由として「これ」を使えばあっさり通るらしい。

 仮病が使えそうな気もするが……ああ、そうか。月一以上で使うとバレるんだから、本当に苦しい時以外は使えないのか。

 本当に苦しければ保健室で休むという手もあるらしい。

 男子高校生だった頃を思い返してみると、確かに女子は保健室へ行く率が高かった気がする。というか健康な男子は怪我でもしないとあまり寄り付かない。

 

「あれ? 女子って共学百人以上はいますよね? 単純計算で毎日三人以上、保健室に行くことになりませんか?」

「アレの重さって個人差があるのよ。重い子ばっかりじゃないし、薬もあるから」

「一日保健室で寝てるなら欠席しても一緒だしねー」

「なんだか、知らないことばかりですね、私」

 

 未知の世界が開けたというか、気づかなかった側面が顔を出してきたというか。

 この分だと、俺の知らない事がまだまだ沢山ありそうだ。

 

 

 

 

 

「アリスさんは、夏休みの予定は決まっていますか?」

 

 回復魔法が効いているのか、それとも朱華の言う通り真面目過ぎるのか、保健室へ行く事は無いまま午前中の授業が終わった。

 昼休みは中庭組と一緒にベンチで食事になったのだが、その際、俺はそんな事を尋ねられた。

 夏休み。

 

「……そういえば、もうすぐ夏休みなんですね」

「ふふっ。まるで忘れていたみたいですよ、アリスさん。……でも、まだ転校してきたばかりですものね」

「はい。慌ただしかったのでうっかりしていました」

 

 好意的に解釈してくれたのを良いことに笑って誤魔化す。

 正確に言うと、夏休みの存在自体を忘れていたわけではない。もうすぐ授業が無くなる事は認識していたし、そこまでは無遅刻無欠席を心がけようと思っていた。

 ただ、夏休みに予定を入れるという発想が無かった。

 それどころでは無かったというのもあるし、一緒に遊びに行く友達もいなかった。何より、アリシアの身体で積極的に出かける気になれなかった。

 

 しかし、せっかくの時間なのだから何もしないのは勿体ない。

 俺はあらためて、したいことを思い描いて。

 

「そうですね、修行に行きたいです」

「修行、ですか?」

「はい。滝行でもして心身を清められれば、と」

 

 目下の目標は不死鳥の討伐。

 俺がすべき準備は装備の充実と、魔法の力を上げること。前者は金の力でなんとかするとして、後者は聖職者っぽい修行方法を取り入れるのが一番だろう。

 ゲームに出てくる架空の宗教がどんな修行をしているか、なんて詳しくわからないので、ここは日本式に滝行や座禅はどうか。

 

 そんな、年頃の女子としてはおかしすぎる返答に、友人達は「アリスさんらしいですね」とくすくす笑ってくれる。

 日本かぶれの女の子、というイメージが継続しているお陰だ。

 

「滝行もいいですけれど、せっかく水に触れるのでしたら海水浴なんていかがですか?」

「滝が見たいのでしたら森林浴も兼ねてハイキングも良いと思います」

「リラックスなさりたいのでしたら、良いエステサロンがありますよ」

「えっと……」

 

 立て続けて投げかけられた言葉に内心、動揺する。

 単なるお勧めの紹介ではなく、一緒に行こうというお誘いなのはさすがにわかる。

 しかし、

 

「いいんですか? 私なんかが……」

「ええ、もちろん」

「お友達なのですから、遠慮なんてしないでください」

 

 温かな言葉に胸が熱くなる。

 同時に、彼女達の誘いを断りたくないという想いも、少しだけ生まれる。

 今までならきっと、嬉しくは思いつつも結局断っただろう。お付き合いも大事だが息が詰まって仕方がないから、と。

 じゃあ、今は?

 自問し、調子の良くない身体を温めてくれる熱に身を任せる。

 

「それなら、皆さんと一緒に行きたいです」

 

 きゃあ、と、小さくも華やかな歓声が三つ、同時に上がった。

 

 

 

 

 

 

「それで? 結局何をすることになったの?」

「……全部です」

 

 夕食の席にて。

 俺は若干しゅんとしながら、今日あった事を仲間達へ報告した。

 

「会員制のビーチで海水浴と、避暑地で散歩やテニスと、一見さんお断りのエステサロンでリフレッシュを、それぞれ別の日にやることになりました」

「おおう、それはまた豪勢な」

「お金持ちのお嬢様はやる事が派手だねー」

 

 本当に、教授やシルビアの言う通りである。

 普通の女子中学生ならお小遣いも限られているし、各種施設や移動手段の手配も簡単にはできない。しかしあの少女達はそれを軽々とクリアしてしまう。

 暇は沢山あるけど金は無い、というジレンマが存在しない。

 やりたいことを片っ端からやることが許されているのだ。

 

「なんというか、お金持ちがエリートになりやすい理由がわかった気がします」

 

 俺の実家は一般家庭だったので驚くしかない。

 ノワールと朱華が苦笑して、

 

「そういう方がいらっしゃるからこそ、わたしのようなメイドが役に立つのですが……羨ましい気持ちにもなってしまいますよね」

「ま、そういう子達の遊びに付き合えるあんたも規格外なんだけどね」

「私なんて別に──」

 

 少し変わっているだけの一般人だ、と答えようとして口を噤む。

 国からの援助で生活している元男子高校生の金髪女子中学生は十分普通じゃない。

 

「……人から貰っているお金で豪遊するのは良くないと思うんですが」

「それはその娘達も同じだろう?」

「アリスさまの場合にはご自分で稼いでいらっしゃるのですから、胸を張っていいと思います」

「そっか……。そうかもしれませんね」

 

 せっかくお金があるのに使わないのも勿体ない。

 装備を整えるのにもどうせ使うのだから、ここは学校生活に溶け込むための費用と考えようと思う。

 

 と、話はそのまま稼ぐ手段──バイトの件へと変わった。

 金が入り用になるのなら、当初の予定通り週一で実行するか? という話だった。

 

「私、装備はまだ全然整えられていませんよ?」

「二日しか経ってないのよ? あたしたちだってまだだってば。そうじゃなくて、いつもの墓地で小遣い稼ぎ」

「でも、そっちも絶対安全ではないんじゃ?」

 

 不死鳥を見てしまった後だと尻込みしてしまう。

 一定確率でレアモンスター出現とか、戦闘回数〇〇回毎にボスが出現とか、そういう可能性だってなくはないはずだ。

 

「でも、装備を整えるのにもお金がかかるんだよー」

「あ……」

 

 それはそうだ。

 俺や朱華は最悪身一つで戦えるが、シルビアやノワールは消耗品が必要になる。

 薬の材料や弾薬類は決して安くはない。

 決戦用のとっておきを用意するとなれば猶更だ。

 ノワールも控え目に微笑んで、

 

「経験値稼ぎ、というわけではありませんが、戦闘経験を積んで身体を慣らしておくのも重要かと思います。……戦いの空気というのはやはり、日常にいると忘れてしまいますから」

「そうですね。私も、いざという時に動けるようになっておかないと」

 

 次の週末からは不死鳥討伐に向けた準備として、墓地でバイトをすることが決定した。

 

 

 

 

 

 

 体調は火曜にはだいぶ良くなり、水曜には完全に回復した。

 

「……ふう」

 

 水曜の夜、久しぶりにゆったりベッドへ横になった俺は、ぼんやりと天井を見上げながら考える。

 友人達と遊びに出かける件のことだ。

 あれから毎日、昼休みの中庭では予定の詳細が詰められている。基本的には三件の予定について一件ずつ、別の子がホストになってくれるらしい。

 加えて、他のクラスメートとも遊ぶ約束をした。こっちはプールやカラオケといったごく普通の内容だが、夏休みの予定がどんどん埋まっていくのには驚愕する。

 男だった時は夏休みなんて帰省と部活で殆ど潰れていた。残りは男友達とダラダラ遊んだり、駄弁ったり、ゲームやマンガに費やしたりとかだ。

 

 と言っても、忙しいのは悪いことじゃない。

 問題は誘われるばかりで、俺から誘った件が一つもないということだ。

 

「どう思いますか、朱華さん?」

「んー?」

 

 女の子レッスン以来、頻繁にやってきてゴロゴロするようになった少女に尋ねてみると、

 

「誘えばいいじゃない」

「何に誘えばいいかわからないから困ってるんです」

 

 何しろ、俺は女子になって日が浅い。

 土地勘も無いのでおススメスポットなんて物も無い。相手の趣味もわからないので発想の取っ掛かりさえ掴めない。無い無い尽くしである。

 

「贅沢な悩み方してるわね、あんた」

「うるさいです」

 

 敬語で喋っているから下に見られているのかと思い睨みつけてやれば、

 

「別に、遊びに誘うことに拘らなくてもいいんじゃないの?」

「へ?」

「だから、例えばプレゼントとか。それも駄目なら抱きついて『ありがとう大好き』とでも言っておけば問題ないって」

「朱華さん、ここは美少女ゲームの世界じゃないんですよ?」

「どういう意味よ」

 

 じろりと朱華に睨まれながら、俺は「プレゼントか」と思った。



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聖女、プレゼントに悩む

「うーん……」

 

 あーだこーだとスマホを操作しながら首を捻る。

 夏休み、遊びに誘ってくれた友人達へのお礼としてプレゼントを渡すことにした。

 どうせなら早い方がいいだろうと翌日の夜から品物選びを始めたのだが、これがなかなか決まらない。

 

 ぶっちゃけた話、遊びに誘う場所で悩んでいた時と似たような理由だ。

 進歩したようでしていない。

 情けない話ではあるが、俺の知識では追いつかないのだ。

 言い訳をさせてもらうなら、女子受けしそうな品というのはとにかくバリエーションが多い。それも、多くは機能ではなくデザイン面での違いだ。これが男友達に渡すなら、とりあえず使いやすい奴を選んどけば問題ない。嫌なら返せ、と言うだけの話なのだが。

 

 思わず溜息を吐いて天を仰げば、ベッドに寄りかかって携帯ゲーム機を弄っていた朱華がこっちに視線を向けてくる。

 

「あんたっていつも悩んでるわね」

「朱華さんは最近いつも私の部屋にいますね?」

「だって、ここ居心地いいんだもん。物が少なくて」

 

 マンガやゲームやノートパソコンの他にぬいぐるみや可愛い小物まで置いているから部屋が狭く感じるのではないだろうか。

 俺はなるほどと頷いて、

 

「じゃあ、物を増やせばいいんですね」

「そうね。女子としてはもっと、可愛い物に囲まれている方がテンション上がるんじゃない?」

「……う」

 

 大きなクマのぬいぐるみやハート形のクッションが置かれ、壁紙やカーテンをピンク色で統一された自室を想像して悪寒を覚える。

 正直、俺も物が少ないこの部屋が気に入っている。

 大部分の品物は越してきた時のままで、増えたのは学用品を除けば竹刀と木刀、ジャージ、後は貰い物の鏡くらい。片隅に立てかけられた竹刀達が異様に浮いているのを除けば、最低限の女子っぽさを感じるシンプルなコーディネートである。

 この話題は良くないと理解し、朱華のゲームに目を向けて、

 

「何のゲームしてるんです?」

「あんたの故郷」

 

 見れば、画面には四角いマス目で区切られた戦場が表示されており、俺に良く似た金髪の少女聖職者が「えいっ」と杖を振り下ろしていた。

 どうやら例のシミュレーションRPGをプレイしているらしい。

 言い方も相まって、なんというか微妙に気恥ずかしい気分になるのだが、

 

「なんで主人公のキャラメイクまで似せてるんですか」

「安心しなさい。これは支援要員のアリシア・ブライトネスじゃなくて、撲殺聖職者のアリスちゃんだから」

「………」

 

 ああ、うん、確かに朱華の操る主人公キャラは敵ユニットに物理攻撃でクリティカルを出し、一撃で葬り去っているが……。

 何故、殴りシスターなどという茨の道を自ら進むのか。

 ネタか、それとも嫌がらせなのか。

 腹いせにゲーム機を取り上げたい衝動にかられるが、ぎりぎりで堪える。そんなことをすれば間違いなく抵抗される。一つのゲームを取り合って揉みあいにでもなれば、互いの身体が絡み合うのは避けられない。仲のいい女子同士のじゃれ合いみたいなシチュエーションを自ら発生させてどうするのか。

 

 羞恥心と自尊心の狭間で揺れ動いているうちに朱華はゲームプレイを再開させていた。

 髪と瞳の色のせいで日本人的なイメージからほど遠い彼女だが、体育座りでゲームをする姿が妙に似合うのはどういうことか。

 

「で? あたしのアドバイスは要る?」

「……いえ。ノワールさんに相談してきます」

 

 俺は首を振って答えると、我が家のメイドさんにして頼りになるお姉さんを頼って部屋を出た。

 

 

 

 

 

 

 ノワールは家のリビングにいることが多い。

 掃除や洗濯のためにあちこち移動することももちろん多いのだが、メイドとして、できるだけ皆の要求に答えられるようにするのがモットーなのだと言っていた。

 自室に戻るのは大体夜九時くらい。ギリギリではあったものの、幸いまだリビングに居てくれた。

 

「ノワールさん」

「アリスさま。どうされましたか?」

 

 同じ物を何着も持っているのだろう。不死鳥に燃やされたというのに、ノワールはいつも通りのメイド服に身を包んでいる。

 一日の終わりにもきっちりお仕着せを着こなす彼女を見ると、それだけで安心感が湧き上がる。

 メイドがメイドらしくそこに在るというのはそういう心理的な効果も兼ねているのだろう。

 微笑んで答えてくれる彼女に、若干申し訳ない気持ちになりながら、俺は口を開いて、

 

「実は、クラスメートにプレゼントをしたいんですが、相談に乗ってもらえませんか?」

「まあ」

 

 結論から言えば、ノワールは快諾してくれた。

 

「アリスさまがそういったことを相談してくださるなんて……!」

 

 むしろ感激された。

 嬉々として隣に座らされ、事情の説明を求められる。なんだか物凄くこそばゆい。しかし、悪い気分にならないあたり、やはりノワールは凄いと思う。

 皆から誘われたお礼に何かプレゼントをしたいのだが、具体的な品物が決まらない。一緒に考えて欲しい、といったことを伝え、検索に使っていたスマホの画面を見せると、ノワールは微笑んで頷いた。

 

「わたしで良ければいくらでもご相談に乗りましょう」

 

 やはり、相談事をするなら朱華じゃなくノワールだ。

 俺はあらためてその事実を噛みしめた。

 

「アリスさまはどのような方向で考えていらっしゃるのですか?」

「それがなかなか難しいんですけど……」

 

 とにかく、貰って困るような品だけは避けたいと思っていることを伝える。

 

「だから、あんまり大きい物じゃなくて小さな物で。なんなら食べ物とかでもいいんですけど……」

「アリスさま。消え物、特に食料品はあまりよろしくないと思います」

 

 後腐れが無くて良いと思ったのだが、ノワールは首を振った。

 

「無くなってしまう物ですと、貰ったその時は嬉しくとも、すぐに気持ちが消えてしまいがちです。後から品物を見て思い出す、ということができませんから。お友達を大切に思っていることを伝えたいのであれば、形の残る物の方がよろしいかと」

「でも、そういう物って好みがありますよね?」

 

 できれば皆に同じ物を渡したいので、それだと困る。

 好き嫌いが出るという事は、貰った際の嬉しさに差が出るという事だ。朱華から聞いたスクールカーストの件を考えると、誰々より誰々を優遇している、なんていう事態になるのは避けたい。

 

「そうですね。もちろん、品物の選定はじっくりと見定めなければなりませんが、プレゼントというのは実用的な嬉しさよりも『お友達から貰った嬉しさ』が大事ですから」

「えっと……品物自体の価値より、貰ったことの方が大事ってことですか?」

「はい。邪魔になるような物ではなく、ふと目にした時にアリスさまのことを思い出せるような品物……だからこそ、アリスさまも小さな品がお望みなのでしょう?」

 

 そこまで細かいことは考えていなかったが、ノワールの言っている事は正しい気がするので「そうかもしれません」と頷く。

 

「予算はどの程度をお考えですか?」

「皆に同じ物を送りたいので、手ごろな物にしたいです」

 

 中庭組の基準で決めた場合、高すぎて他の子が貰ってくれるか怪しい。

 すると今度はお嬢様達に気に入って貰えるかどうかが怪しくなるのだが、

 

「でしたら小物か、アクセサリーではいかがでしょう」

「でも、そういうのって好みが分かれるんじゃないですか?」

 

 アクセサリー等の身に着ける物だと特に顕著だろう。

 

「デザインは統一して、カラーバリエーションを用意すればある程度幅が広がるかと。皆さんにお配りするのであれば、それぞれに好みの物を選んでいただけるのではありませんか?」

「そっか、そういう手があるんですね」

 

 旅行の土産物を配って回っている感覚だが、まあ、似たようなものかもしれない。

 

「お洒落なアクセサリーとかって高そうですけど、買えますか?」

「高級な物の方が品質は良いのは確かですが、お値段の割に見栄えのする品というのはありますよ。最近は技術の進歩が著しいですから」

 

 貴金属や宝石は高いが、似せた物(フェイク)を使って値段を下げたり、大量生産することでコストを抑えたりしている物もある、とノワールは教えてくれた。

 実際にスマホの画面を覗き込みながら例を示してくれる。

 なるほど、値段の割に良さげな物、という考え方なら俺でもなんとなくわかりそうだ。

 

「後は、アリスさまらしさがあればなおいいかと。例えば、手書きのメッセージカードを添えるとか、ですね」

「恥ずかしいのでそれは勘弁して欲しいですね……」

「残念です」

 

 茶目っ気を混ぜながらくすりと笑うノワール。

 メッセージカードはご免だが、彼女の言う事にも一理ある。一つ千円とかのアクセサリーをそのまま渡すだけでは受けた恩に釣り合っているかわからないし、金で解決した、と取られてしまいそうな気がする。

 

 必要なのは俺らしさ。

 

 今の俺らしさというとアリシアの持ち味になるのだろう。

 アリシア・ブライトネスは金髪碧眼の聖女で、クラス内ではマスコットの如く見られているらしい。あと、日本被れだと誤解されている。

 後は何かないか。

 

「あ」

 

 朱華がプレイしているのを見たせいか、俺の脳裏にゲームのワンシーンが甦った。

 使えるかもしれない。

 頷いた俺はノワールを見て、

 

「ありがとうございます、ノワールさん。思いつきました」

 

 用意する物の方向性は決まった。

 となれば次は、仕入れに行かなければならない。

 

 

 

 

 

 

 というわけで。

 週末の土曜日、俺は近隣のショッピングモールへとやってきていた。

 

「休みの日だけあって混んでるわね、やっぱ」

「夏休みに入ってしまうともっと混むでしょうから、いいタイミングだったかと」

「アリスちゃん、どこから見て回るー? 服? 下着?」

 

 訂正。 

 俺は、というか俺達は、だった。

 発言から大体察してもらえるだろうが、俺の周りには私服姿の朱華、ノワール、シルビアがいる。俺が買い物に出かけると言ったら「一緒に行く」と言って譲らなかったのだ。

 

「私は仕入れだけするつもりだったんですが……」

「何言ってんのよ。どうせなら一気に終わらせた方が楽じゃない」

「いえ、それはそうなんですが」

 

 正直、夜にバイトが控えているのであまり疲れたくなかった。

 来てしまった以上は仕方ないし、朱華の言うことにも一理あるのでこれ以上は言わないが。ノワールに買って来てもらったきりになっていた私服の買い足しもするとなると結構骨が折れそうだ。

 後、このメンバーが固まっていると目立つ。

 金髪碧眼(おれ)紅髪紅目(しゅか)銀髪青目(シルビア)と色とりどりの美少女である。ノワールも髪と目こそ比較的地味だが、美貌なら全く負けていない。むしろ大人の魅力が強調されて余計に目立つかもしれない。

 

 と、シャツまで赤でコーディネートした朱華がにやりと笑って、

 

「シルビア。実は行くとこはもう決めてるのよ。ね、ノワールさん?」

「はい。恐れながら、朱華さんと相談させていただきました」

「そうなんですか?」

 

 俺も聞いていないのだが。

 まあ、ノワールが参加しているなら変なところには連れて行かれないだろうと、俺は迷いなく歩く二人の後をただついて行く。

 すると、見えてきたのは色とりどりの服が並ぶショップでもなければ、何割かは用途さえ判然としないだろうお洒落な雑貨屋でもなく、むしろシンプルな内装をした店だった。

 

「スマホショップ?」

 

 俺も利用している大手キャリアのショップだ。

 

「そうよ。あんたに新しいスマホをプレゼントしようかと思って」

「私に? スマホならまだまだ使えますよ?」

 

 前回機種変してから二年も経ってないので、今買い替えるのは勿体ない。

 と、シルビアが何かに気づいたように頷いて、

 

「……あ、そっか。アリスちゃん、そのスマホって本名名義でしょ? もう一台あった方が良いと思う」

「あ」

 

 言われてわかった。

 俺が今使っているスマホは男子高校生だった頃のもの。家族や友人の連絡先も入っているので解約はできないが、デザインが男っぽい上、アリシアの友人に見られると面倒なデータが多い。

 シルビアが言う通り、もう一台『アリシア・ブライトネス用の』スマホを契約して普段使いした方が無難かもしれない。

 

「そうですね。でも、プレゼントして貰うのは……」

「気にしないでいいわよ。歓迎会は開いたけど、プレゼントは渡してなかったし」

「遠慮なさらず受け取ってください」

 

 ああ、これは遠慮しない方が良いやつだ。

 

「わかりました。では、何かの時にお返ししますね」

「期待してるね、アリスちゃん」

 

 きっと、これからもこうやってお礼とお返しがループしていくんだろう。



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聖女、買い物をする

「可愛いデザインがあって良かったですね、アリスさま」

「……あはは。えっと、そうですね」

 

 スマホショップを出た俺は、ノワールの笑顔に愛想笑いを返した。

 手に下げた小さな紙袋の中にはスマホの箱や書類が入っている。ただし、新しく買った──というか、朱華達が折半でプレゼントしてくれたスマートフォンは既に初期設定を終えて俺の鞄の中だ。

 男子高校生時代のスマホはいったん電源を切って紙袋の中に入って貰った。これからは学校に持って行かず、部屋に置いておいた方がいいだろう。

 抜かりなくケーブルを共有できるやつを選んだ。

 朱華が「昔は個別に専用の充電器があったのよね」と遠い目をしていたが、実際、便利な時代になったものである。

 

 新しいスマホは国内メーカーの最新機種だ。

 ローズゴールドのボディが眩しいが、そのインパクトに負けず劣らず性能が良い。壊したりしなければ最低三年は快適に使えるだろう。

 

「私にはちょっと可愛すぎるかな、とも思うんですけど」

「そんなことはありません。ケースも可愛らしいのを選びましょうねっ」

 

 こういう時のノワールは止められない。

 ふわふわとした空気に酔わされるのを感じながら「まあいいか」と思う。

 我が家のメイドさんが楽しそうだと家の中が華やかになる。

 

「まあ、アリスちゃんならシンプルな色も似合いそうだけどねー」

「その場合はホワイトかゴールドかしらね」

「無難に黒じゃ駄目ですか?」

「アリスさま、デザインは重要ですよ。華やかな色というのは目にするだけで心が華やぎます」

 

 言われて、俺は鞄を覗き込み、中にある新しいスマホを見て、

 

「確かに綺麗ですよね、これ」

 

 ぴかぴかの新品だし、悪い気はしない。

 今の自室にも違和感なく馴染むだろう。

 夏休みに入る前にクラスメート達と連絡先を交換しておこう。すると、真新しいスマホを見つけられて、わいわい話が始まりそうだ。

 今のうちに覚悟しておこう。

 そう心に決めた直後、何故か口元が緩んでいることに気づき、慌てて表情を引き締めた。

 

 

 

 

 

「それで? アリス、今回はどんな服買うわけ?」

「そうですね……とりあえず、夏物の服を何着か増やしておきたいです」

 

 服屋が並んでいる辺りを歩きながら朱華の問いに答える。

 モールは広い。

 中でもファッション関係の店はメインと言ってもよく、当然ながらメンズよりもレディースの方がバリエーションは豊富なので、ある程度あたりを付けて探さないと日が暮れてしまいそうだ。

 

「秋物の服はいいの、アリスちゃん?」

「迷うところではあるんですけど、今回は止めておこうと思ってます」

 

 何度も買いに来るのが面倒だという気持ちはある。

 ただ、秋物まで買うと荷物が多くなりそうだし、スムーズに行けば秋までには元に戻れている可能性もある。

 それから、大きな理由としては、

 

「学校の友達と買いに来る機会がありそうな気がするので」

「お友達とお買い物をするのも楽しいですものね」

 

 ノワールのテンションの高さを見ていると、女子だけの遊びにショッピングが含まれないとは思えないからな……。

 

「じゃあ、トップスやボトムから、そのほか一通り揃える感じ?」

「はい。今持っているのもあるので、そんなに数はいらないと思いますけど、涼しい感じのを買い足したいです」

「了解。それだけ決まってれば割と探しやすいわね」

 

 引っ越したばかりの頃、ノワールに買ってきてもらった時は初夏の気候だったので、がっつり夏場に着る用の服は少ない。

 多くの品がスカートだし、色も白っぽいのが多いので夏でも十分着られはするが、あまりヘビーローテーションするわけにもいかないだろう。

 特に、泊まりで遊びに行くことになった時に困る。

 なんか冷やかされそうな気がするので声に出しては言わないが。

 

 そうして、服選びは思っていたよりもスムーズに進んだ。

 まあ、何事も無かったというわけではなく、

 

「半袖の方が涼しくない?」

「ですが、日焼け防止も考えると長袖の方がよろしいかと」

「いっそノースリーブにしちゃえばいいよー」

 

 袖の長さはどれが最適か、という議論が俺そっちのけで始まったり、

 

「なんかアリスって、ガチのお嬢様スタイルも似合いそうよね」

「白いワンピースに鍔の広い帽子ですね。よくお似合いになると思います」

「麦わら帽子もいいと思う」

 

 夏っぽい衣装といえば、みたいな雑談が始まったり、

 

「あ、これなんか値段も手頃だし良さそう……」

「お待ちくださいアリスさま」

「え?」

「アリス。服買う時はデザインだけじゃなくてタグもチェックしないと駄目よ。生地によって蒸れやすさって変わるし、モノによっては洗う時注意が必要だったりするんだから」

「……罠じゃないですか、そんなの」

 

 一人で来ていたら絶対発動していたであろうトラップが見つかったりした。

 思っていたよりもスムーズだと感じたのは最悪を想定していたからであって、まあ、なんというか、事あるごとに会話が挟まり、あれが良いこれが良いと言い合いになり、良いのが見つかっては試着を繰り返し、更には店をはしごして選んだりしたため、なかなか時間がかかった。

 その代わり、最終的に手に入った商品は条件に合っており、デザイン的にも良い感じで、値段もそれほど高くない品ばかりだった。

 

「……ウィンドウショッピングの意味が少しだけわかった気がします」

 

 通路に等間隔で設置されたベンチの一つにぐったりと腰かけて言えば、むしろつやつやした様子のノワールが微笑んで、

 

「アリスさまにわかっていただけで、とても嬉しいです」

「慣れなさい、アリス。場合によっては一日買い物で終わるとか、普通にありえるんだから」

「みんなで買い物に来た時って、買い物よりお喋りがメインだったりするもんねー」

「私、まだそこまでの領域にはたどり着けそうにないです」

 

 朱華達の激励(?)にもつい弱音を吐いてしまう俺だった。

 

「ところでアリスちゃん。神聖魔法って他にどういうのがあるの? 日焼け防止の魔法とか、虫よけの魔法とかあったりしない?」

「経験上、試してみればわかるんですけど……あ、できそうですね」

 

 アリシアの信仰する宗教は愛と豊穣を司る地母神だ。

 自然に関係する神様だけあって、その手の魔法には強いのだろう。上手く使えば日焼け止めや虫よけスプレー要らずかもしれない。

 と、

 

「アリスさま、ずるいです」

「あんたね、ちょっと便利にも程があるわよ?」

「え、傷を治すよりそっちが駄目なんですか!?」

 

 微妙に納得の行かない物言いがついた。

 

 

 

 

 

 

「いつの間にか一時近いじゃない。お昼にしない?」

「そうですね。アリスさま。どこか行きたいお店はありますか?」

「いえ、その、できれば軽い物がいいんですが」

 

 服を一通り買った後は昼食になった。

 食事よりも休息が欲しかった俺の要望により、その日の昼食はモールの飲食店街に入っているドーナツのチェーン店で済ませることになった。

 食べたいドーナツ(パイやちょっとした軽食もある)と飲み物を選んでお金を払う形式なので、食べきれる量をチョイスすることができる。

 あまり食欲が無かった俺は一番シンプルなドーナツと生クリームの入ったドーナツの二つを選択。飲み物はアイスティーにした。

 ようやく一息つけると思いつつ、あれやこれやと購入したらしい朱華達を横目に一口齧って、

 

「……美味しい」

 

 そろそろ目を逸らさず自覚しないといけないだろう。

 アリシアになった俺は、どうやら甘味に弱いらしい。甘さ控えめのシンプルなドーナツと砂糖無しのアイスティーの組み合わせであってなお、舌が甘さを感じて幸せを発生させてくる。

 思わず笑みを浮かべて頬張っていると、いつに間にか他の三人が生温かい笑顔でこっちを見ていた。

 

「なんですか?」

「いや、美味しそうに食べるなーって」

「い、いいじゃないですか別に」

 

 美味いものは美味いのだ。

 ラーメン屋やハンバーガーショップに行かなくても食の幸福が味わえるなら身体にも良い。いや、糖分も摂りすぎると太るんだろうが。

 せっかく注文した物を不機嫌そうに食べるのもどうかと思うので、そのままドーナツを美味しくいただく。

 一つ目はあっさり食べ終わり、今度はもう少し甘いのが欲しくなる。

 ちょうど良く、今度のはクリーム入りだ。

 

「あ、これも美味しい」

 

 食べていると段々食欲が出てきたので、俺は結局、ドーナツをもう一つ追加した。三つ目は苺が使われた、これまた甘いやつだった。

 最後にストレートのアイスティーで口の中を洗い流せば、それはもう至福の時間である。

 

 そんな俺を、シルビア達は飽きもせずニコニコと見ていた。

 

 

 

 

 

 午後は残りの細々とした買い物を済ませる。

 俺の目的はプレゼント用の素材購入だけだが、朱華達もそれぞれ本屋とか、園芸用品店とか、調味料売り場とかに用事があるらしい。

 もちろん、そのくらい付き合うのは何の問題もない。

 むしろ俺のためだけに付いてきてくれたんじゃないのなら気が楽だ。

 皆で一つずつ回り、俺の用事は最後になった。

 

「それで、アリスさま。どちらのお店に?」

「えっと、天然石とか、そんな感じのが欲しいんですけど」

「なら、雑貨屋かしらね」

 

 案内図を見てそれっぽい店に向かうと、いい具合にそれっぽいコーナーがあった。

 パワーストーンなどと銘打ち、安くて綺麗な石を売っている。宝石というと物凄く高級なイメージだったのだが、実際は種類や純度や希少価値等によってピンからキリまであるらしく、安い物なら小さい子のお小遣いでも買えてしまう。

 値札には石の名前と一緒に石言葉(花言葉の石バージョンらしい)や、何月の誕生石、などといった情報が簡潔に書かれている。

 ぶっちゃけ付け焼刃程度の知識さえない俺はふんふんと頷きながら、綺麗そうな石を選び、レジに持って行くための小さな容器に移していく。

 

 それをシルビアが、宝石のような青い瞳で覗き込んで、

 

「ね、これをどうするのー?」

「小さな巾着袋に入れて、お守りを作ろうかと思いまして」

 

 俺らしいプレゼントは何か、と考えて思いついたのがそれだった。

 ゲーム中でもアリシアが知人にお守りを渡すシーンがあった。あれは確か手作りだったはず、と思い出したことでプレゼントが決まった。

 安いパワーストーンにどの程度の効能かあるかは不明だが、俺ことアリシア・ブライトネスは神聖魔法を扱える聖職者である。

 神聖な力を軽く石に込めてやれば、無いよりマシ程度の効能はあるに違いない。

 

 これには朱華も意外そうに目を丸くして、

 

「へえ、いいじゃない。ノワールさんのアドバイスのお陰だろうけど」

「失礼な、と言いたいところですが、その通りです」

「そんなことは。最終的にはアリスさまのアイデアですから」

 

 さすが、ノワールは優しい。

 

「ねえ、アリスちゃん。私にもちょうだい?」

「もちろん、皆さんの分も作りますよ。お世話になってますから」

「やった。ありがと、大好き」

「ちょっ、こんなところで変なことしないでください!」

 

 軽く腕を抱かれただけだが、元々目立つ容姿なのを忘れてないかこの人。

 

「あ、でも、スマホのお礼は別にしますからね?」

「はいはい。本当に律儀よねあんた」

 

 そういうのではなく、原価千円に満たないようなアイテムではお返しにならないというだけの話だ。

 とはいえ、口にしても「そういうところが律儀だ」とか言われそうなのでさらりと流し、会計を済ませる。

 

「アリスさま。巾着袋のほうはどうなさるんですか?」

「あ」

 

 ついでなので手芸用品店により、布と糸を購入した。

 

 そして、俺は翌日の日曜日をまるまる使ってお守りづくりに精を出した。

 石に神聖力を籠めるのは意外とスムーズにできたのだが、問題はむしろ巾着袋の方だった。小さな布を袋状に縫う、という簡単な作業が俺には難しかったのだ。

 裁縫も一応、家庭科の授業で多少は習ったが、ぶっちゃけ真面目にはやっていなかった。

 そんなもんできなくても問題ないだろ、とか言わず、もう少しまともに取り組んでおくべきだったかもしれない。ノワールに泣きつき、半分以上の行程をやってもらうことになった俺は本気でそう思った。

 

 なお、土曜夜に墓地で行われたバイトは滞りなく終わった。

 出現した雑魚をみんなで蹴散らして終わりである。

 なんというか、こう、不死鳥との差をもう少しなんとかしてもらえないものだろうか。



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聖女、感傷に浸る

 明けた月曜日、俺は柄にもなく朝から緊張していた。

 終業式は目前。

 夏休み開始までは日が無いため、今日のうちにミッションをこなさなければならない。具体的にはクラスメートにプレゼントを渡し、新しいスマホで連絡先を交換すること。

 相手にするのが一人二人じゃないのを考えると、結構難易度高い気がする。

 

 朝食のトースト(今日は洋食だった)を口に運ぶ手も心なしか重い。

 

「緊張しすぎだよー、アリスちゃん」

「別に告白するわけでもないし、安いプレゼント配るだけでしょ?」

「……そうですけど」

 

 答えて小さく息を吐く。

 まあ、シルビア達の言う事も正しい。緊張したところで結果が良くなるわけではないのだから、ここで胃を痛める意味がない。

 気を取り直し、ベーコンに目玉焼き、野菜サラダといったメニューを綺麗に平らげてから──あらかじめ用意していたプレゼントを取り出した。

 

「皆には先に渡しますね。いつも助けて貰っている、感謝の気持ちです」

 

 四人分の巾着袋。

 彼女達の分は一応、それぞれに合わせた特別製だ。布の色を朱華なら赤、シルビアなら白、といったように変えたり、石もその人をイメージしたものにしてある。

 食器が片付けられたテーブルに纏めて「ずいっ」と押し出すと、皆の反応を窺い、

 

「………」

「……えっと?」

 

 誰も受け取ってくれなかった。

 話が違う。欲しいと言ってくれたはずなのだが、と不安になってから、朱華達の表情に気づく。

 こんなもん要らないと思っている様子ではなく、なんというか、こちらの出方を窺っているような雰囲気で。

 これは、何だ?

 首を傾げる俺を見て、教授が「あー」と口を開き、

 

「なあ、アリスよ。せっかくのプレゼントだ。できれば一人ずつに手渡しして欲しいのだが。メッセージ付きだと尚いい」

「この間は手渡し待ちだったんですか!?」

「いや、だって、ねえ?」

「アリスさまからの気持ちをいただけると思いましたら、つい……」

 

 気まずそうに目を逸らすノワール達。

 いや、まあ、確かにラブコメとかだと良く見る。美少女ヒロインや小さい子供が大切な人、一人一人に心の籠もったメッセージを届けるシーン。

 今の俺は美少女なので資格はあると言えばあるのだが、やるわけがない。というか恥ずかしくてできない。

 勝手に取って行ってくれ、と言おうと口を開いて、

 

「手渡すだけですからね……?」

 

 言ってから「しまった」と後悔した。

 しかし、ノワール達から「大事にしますね」と笑顔を向けられると邪険にもできない。

 むず痒いような気持ちを胸に抱きながら、俺は素知らぬ顔でそっぽを向いた。

 

 

 

   ◇    ◇    ◇

 

 

 

 アリシア・ブライトネスは大人しい少女だ。

 人見知りの気があるのかもしれない。話してみると人当たりは悪くないのだが、積極的に場を盛り上げたり人に話しかけたりするタイプではない。

 例えるなら警戒心の強い猫だろうか。それも血統書付きの。なかなか懐いてくれない癖に動きの一つ一つに愛嬌がある。そのせいか、少し距離を置いて一挙一動を眺めているだけでも楽しい。そして、仲良くなったらどれだけ可愛いんだろう、とわくわくしてしまう。

 

 少女が転入してきてから二週間が経った今では、クラス内はほぼ全員がアリスに好意的な反応を示している。

 トップカーストの子達が勧誘に動いた時には「取られてしまうのか」と残念に思ったものだが、アリスは一つのグループに占有されることをよしとしなかった。

 野良と呼べるほど人懐っこくはないが、クラスみんなで可愛がっている猫、といったポジションに収まってくれたのだ。

 これは、もっぱらアリスの観察に徹している彼女にとっても嬉しい結果だった。

 既に言った通り、アリスは見ているだけでも癒されるし、とても可愛いのだ。

 

 そんなある日。

 まだ長いとは言えないアリスとの日々の中で、初めてかもしれない事が起こった。

 

「あの……」

 

 ()()が起こったのはちょうど、彼女が登校した直後だった。

 あと少し登校が遅れていたら見逃していただろう。いつもより少し早く家を出た自分に「よくやった」と言いたい。

 ともあれ、起こった事件というのは、そっと手を伸ばすと撫でさせてくれる猫のようなアリスが、自分から誰かに話しかけるという一幕だった。

 

「っ。……どうしました、アリスさん?」

 

 話しかけられたのはトップグループの中でもリーダー格に位置する少女。

 上手く誤魔化していたが、呼びかけられた瞬間、一瞬だけ歓喜の表情を浮かべたのが、最初から観察に徹していた彼女にはわかった。

 もちろん、アリス自身はそんなことに気づいてもいなかっただろう。

 随分と緊張した面持ちで少女の机の傍に立つと、おずおずと再び口を開いた。

 

「渡したいものがあるんです」

 

 ざわり、と、教室内に動揺が広がったのは果たして気のせいだっただろうか。

 ()()アリスが贈り物だ。注目せざるを得ない。いや、まだ贈り物と決まったわけではないのだが、期待は否応なく高まる。

 そんな中、差し出されたのは──手作りと思しき小物だった。

 品のない言い方をすれば巾着袋、良い言い方をすればサシェ(匂い袋)のような何か。リーダーである少女の私物には見えないが、

 

「これは……?」

「その。夏休み、遊びに誘って貰ったお礼、みたいなものです。手作りのお守りです。かさばらないと思うので、良かったら使って貰えると……」

 

 軽い上目遣い。

 言葉の最後が消え入りそうなほどに小さくなっていたのもポイントが高い。思わず「可愛い!」と声を上げてしまいそうになったが、きっとプレゼントを貰った少女はもっと危うい精神状態だっただろう。

 リーダーは頬を染めながら微笑むと、アリスの差し出したお守りを手に取って、

 

「誘ったのはアリスさんと遊びに行きたかったからです。気にしていただく必要はないのですが……でも、有難くいただきますね?」

「っ」

 

 今度は、アリスの顔が歓喜に染まる番だった。

 意図せず浮かべたであろう至福の笑み。

 度重なる萌え殺し未遂に心拍数が早くなるのを感じているうちに、トップカーストの少女達、残りの二人にもお守りのプレゼントが始まっていた。

 やはり、あの子達はアリスにとって特別なのか。

 いいものが見られて幸せなような、少し寂しいような気分になっていると、

 

「良かったら、皆さんにもあるんですけど……」

 

 なんと、同じようなお守りが入った小さな袋が現れた。

 クラス全員分を作ってきてくれたらしい。

 

「縫うのは手伝って貰ったんですが……」

 

 申し訳なさそうに付け加えてくれた辺りも好感が持てる。

 当然、アリスの作ってきたお守りに皆が群がった。中に入っている石の種類が幾つかあるようで、説明書きの付せんが貼られている。つまりは早い者勝ちだ。まだ登校してきていない生徒には申し訳ないが、みんな遠慮する気はないようだった。

 後から来た子も「ずるい」と言いながら集まってきて、騒ぎはHR開始間際まで続いた。

 というか、先生まで「私にはないの、アリスさん?」と最後の一個を持って行った。

 

 それにしてもお守りとは、アリスらしいプレゼントだ。

 彼女がロザリオをいつも持ち歩いているのはみんな知っている。玩具のような品だが、きっと思い入れがある物なのだろう。もしかしたら小さい頃、両親からプレゼントされた品なのかもしれない。

 小さい物なのでかさばらないし、みんなお揃いというのも悪くない。キーホルダーのように鞄へつける者、鞄や財布の中に忍ばせる者、机脇の物掛けに飾る者、思い思いの使い方を始めたようだ。

 

 当のアリスはというと──恥ずかしいのと嬉しいのが入り混じったような表情を浮かべていた。

 同い年の子にすることではない、と思いつつも、抱きしめたい衝動にかられてしまう。もし本当にそんなことをすれば、間違いなく「抜けがけだ」とクラス中から叩かれることになるだろう。

 最初にあの子から特別扱いされるのは誰になるか。

 と。

 

「そういえば朱華は貰わないの?」

「あたしは家で貰ったわよ。ほら、これ」

 

 髪や目の色に良く似合う赤いお守りを貰っている少女がそこにいた。

 羨ましい。いや、一緒に住んでいる時点で家族枠なのだろうが。

 

 これは、夏休みが一つの勝負なのではなかろうか。

 

 ……などと思っていたところ、アリスが新しく買ったらしいスマホを取り出して、皆に連絡先の交換を求めてきた。

 飛んで火にいる夏の虫、ではないが。

 これはまた、楽しい夏休みになりそうだ。

 

 

 

   ◇    ◇    ◇

 

 

 

「……疲れました」

 

 家に帰って早速泣き言を漏らす。

 部屋に入るなりベッドに突っ伏して休憩。本当はこういうのも「はしたない」という事になるんだろうが、細かい事は言いっこなしだ。

 何しろ、今日は本当に大変だった。

 忙しさで言えば転入初日に匹敵するだろう。あっちからこっちから話しかけられ、休まる暇が無いような状態。しかも皆して笑いかけてくるので、こっちも笑い返さなければならない。愛想笑いというわけではないが、笑顔を浮かべる事自体にまだあまり慣れていない。

 

 まあ、お陰でスマホの連絡先は驚くほどいっぱいになったのだが。

 

 スマホを取り出すついでに、ごろん、と仰向けの姿勢になり、グループチャットアプリを開く。

 作ったばかりのアカウントは既にクラスのグループ部屋にも招待されている。よろしくお願いします、という文字と共にお辞儀をする顔文字を送ったところ、怒涛の返信と可愛いスタンプが襲ってきた。

 スタンプも用意しないと駄目そうだ。

 可愛いのが多いのでどの程度使っていいものか迷ってしまうのだが、クラスメート達のを見ると猫とか犬とかカエル(!?)とか、ファンシーな絵柄がふんだんに使われている。やりすぎは禁物とはいえ、あまり気にしすぎなくていいのかもしれない。

 

「……ふふっ」

 

 知らず、吐息と笑いの中間のような音が唇から漏れる。

 と、思ったら、近くからくすりという声が聴こえてきて、俺は盛大にびくっとした。

 

「朱華さん……!?」

「言っとくけど、あんたの後ろ付いてきただけだからね?」

 

 若干の呆れ顔で答えたのは、まだ制服姿の紅髪少女。

 傍らに鞄がある辺り、言っている事は嘘ではなさそうだ。言うなり近づいてきてベッドの上、俺の隣に座ってくる。

 隣に彼女がいるのにもすっかり慣れた。慣らされた、と言った方がいいかもしれないが。

 

「あんた、今日から大変よ? 話好きの子はメッセばんばん送ってくるんだから」

「う。噂には聞きますけど、やっぱりそうなんですか?」

「そりゃもう。既読無視なんかしようものなら怒り出す子だっているんだから」

「怖すぎるんですけど」

「嫌だったら上手くやりなさい」

 

 他人事みたいに言うものだが、きっと朱華もそういうのを乗り越えてきたのだろう。おそらく、彼女が取ったのは、頻繁にやり取りしていなくても許されるような人間関係の構築。

 家に居るとエロゲやマンガばかりなのでわかりづらいが、

 

「……朱華さんって実は格好いいですよね」

「……実は、は余計よ、とでも言えばいい?」

 

 自然体の笑みが帰ってくる。

 自称「鬼畜凌辱系エロゲのヒロイン」らしいが、会った時に連想した通りにラノベのメインヒロイン──いや、もっと言えば主人公だって朱華なら務まりそうだ。

 

「私も、朱華さんが出てくるゲーム、やってみましょうか」

「年齢制限はまあ、あたしが言う事じゃないけど、エロゲよ? あたし、格好いい役じゃなくて、泣き叫んでる方が多いんだから」

「大丈夫ですよ。私、これでも男ですよ?」

「あー、そういえばそうだったわね」

 

 冗談めかして言う朱華。

 男口調で話していたのはまだそんなに昔の話でもない。彼女は昔の俺を知らないとはいえ、本気で言っているわけではないだろう。

 だが、考えてみると、男だった頃の俺がどんなだったのか知らない朱華達が、突然変身してしまったことも含め、今の俺(アリシア)にとって一番の理解者だというのだから不思議な話だ。

 何もかも違うのに同類だとわかる。感じられる。

 

 ……なんて、感傷的になってしまうのは疲れのせいだろうか。

 

 家に着いたのだからさっさと治してしまってもいいのだが、今はもう少し、このままでいたい気がした。

 朱華が俺の髪に手を伸ばして弄んでくる。落ち着かないんですか、なんてからかうこともできたものの、面倒なので何も言わずされるがままにする。

 

「ねえ、アリス。夏休みの予定いっぱいになっちゃったし──絶対に死ねなくなったわね」

 

 脳裏に紅い色が浮かぶ。

 どこか温かみを感じる朱華の紅とは違う、どこまでも暴力的な紅。

 

「死にませんよ。……絶対に、死にたくなんてありません」

「もし、死ねば元に戻れるとしたら?」

 

 ほんの少しだけ考えてから、

 

「もし、皆が元に戻りたいなら、死んでもいいです。……一人でも戻りたくない人がいるなら、戦います」

「そうね。ここでの暮らしも、悪くないし」

 

 今度の言葉は、返答に迷うものではなかった。

 しかし、俺は敢えて間を置いてから答えた。

 

「はい」

 

 後から考えてみると決戦前夜でも何でもないし、あまりにも雰囲気に酔った会話だったので、俺はこの時の会話を黒歴史に認定した。



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聖女、夏休みを迎える

 終業式の内容は前の学校と大差無かった。

 

 大きな違いは場所が体育館ではなく講堂だった事くらいか。椅子と机が放射状に据え付けられた施設で、動きの少ない式の時に使っているらしい。疲れて倒れる生徒が出ないように、という配慮だろう。さすがはお嬢様学校である。

 式の後は自分のクラスで担任教師から注意事項等を聞かされる。これは中学生だからか、それとも女子校だからか、結構細かく注意された。

 夕方以降は極力出歩かない事、繁華街や人気の少ない場所にはなるべく立ち寄らない事、緊急用に両親や学校、親しい友人の連絡先を登録しておく事、知らない相手──特に男性には付いて行かない事、などなどだ。

 

「もし危ないと思った時は、遠慮なく周りに知らせてください。こういった品物を使うのも効果的ですよ」

 

 おっとりした雰囲気の担任が示してくれたのは、いわゆる防犯ブザーだった。

 思いっきりピンを引き抜くと大きな音が鳴る仕組みで、大声を出さなくても周りに助けを求められる仕組みになっている。

 俺がこの手の品を見るのはマンガとかで「このピン引き抜いたらどうなっちゃうのかなー?」とかニヤニヤする悪い子供が登場した時くらいだったのだが。

 

「みなさんも持っているかと思いますが、念のため一つずつ配りますので、必ず携帯してくださいね」

 

 まあ、俺は心配いらないだろう。

 アリシアになってから前より身体能力が落ちたとはいえ、この身体は基礎スペックが高い。何しろ、ゲーム内ではファンタジー世界を冒険しているのだ。体育の成績もかなり良いし、いざとなったらこっそり《聖光(ホーリーライト)》を放てば対処でき──。

 

「アリスさん、ちゃんと携帯してくださいね?」

「は、はい。もちろんです」

 

 何故か名指しで注意された。

 慌てて答えた俺は、クラスメートの何人かに見られているのを感じて苦笑する。くすくすと笑われるならまだしも「本当に大丈夫かな?」という心配そうな視線だったからだ。

 まさか、そんなに危なっかしく見えるというのか。

 

 ともあれ、それ以上は担任から注意される事もなく、HRは無事に終了した。

 与えられた防犯ブザーを(あれだけ言われたし)忘れないうちに鞄に付けてしまおうとして──あれ、でもこの鞄、夏休み終了まで使わないんだよな? それ絶対、私服の時に携帯し忘れるオチじゃないか?

 悩んだ末に制服のポケットに入れておく。後は帰った時に出し忘れなければ問題ないだろう。

 

 さて、終わった事だし帰って肩の荷を下ろそうか。

 思い、そっと席から立ち上がって、

 

「ね、アリスちゃん。一緒にファミレスでお疲れ様会しない?」

 

 どうやらまだ、俺の一学期は終わらないらしい。

 

 

 

 

 

 

 朱華も一緒に、と思って声をかけたら「行ってらっしゃい」とあっさり断られた。彼女は彼女で友人達とカラオケに行くのだとか。

 若干不安を覚えたが、家族と一緒じゃないと寂しい歳でもないし……と自分に言い聞かせ、ノワールに「お昼は友達と食べて帰ります」とメッセージを送った。

 用意が始まっていたらと思い、ウサギが「ごめんなさい」しているスタンプを加えたところ「かしこまりました。どうぞ楽しんできてくださいね」と温かな返信があった。

 

 近所にあるファミレスに入り、詰めたら六人くらいまで座れるボックス席に陣取る。皆、所作は平均よりも整っているものの、わいわいと楽しそうに身を寄せ合っていると普通の女子中学生(JC)だ。

 何を食べようか、と皆でメニューを広げる。

 女子ばかりだと公共の場でも良い匂いがする事に驚きつつも、注文内容も悩みどころ。ノリ的には昼食兼おやつ、といった感じなのだが、この身体は小食なので食べられる量に限りがある。男だった頃ならがっつり系のメニューをまず確認し、それから大盛りにするかどうかを考えるのだが。

 悩んだ末、この手のファミレスの定番・ハンバーグは見送り、ミートソースのスパゲティをチョイス。肉料理に比べれば満腹感を抑えられるだろうという判断だ。

 するとそこで、ノワールとファミレスに行った時の事が脳裏によぎる。

 ハンバーグが食べたい、と言った俺に、ノワールは「では、サラダとスープも付けましょう」と言ったのだ。彼女的にセットはマストらしい。家でも野菜と汁物がほぼ必ず出てくるので、俺もすっかり食べ慣れてしまっている。せっかくだからセットにしよう。

 

「アリスちゃんは何にする?」

「えっと……メインは決まったんですけど、デザートが……」

「わかる」

「悩むよねー。美味しそうなのいっぱいあるんだもん」

 

 なんて女子っぽい会話だ。いや、女子なんだが。

 うんうん呻るような勢いで悩んだ結果、デザートは季節のフルーツタルトを選んだ。個人的に一番食べ慣れているのはチーズケーキなのだが、それはいつでも食べられる。季節の、とか付けられると「次に来た時には無いかもしれない」という心理が働いた。

 

「じゃあ注文しよっか」

 

 当然のように全員分のドリンクバーが注文され、食事が終わった後はデザートを少しずつ食べながらお喋りタイムになった。

 途中で二つ目のデザートを頼んだり、シェア用と称して山盛りポテトを頼む子もいた。飲み物でお腹がたぷたぷになりかけていた俺は「なんという剛の者だ」と畏敬の念を覚えた。

 

 話題の内容は、一学期にあった事と、これからの事。

 前者については知らない事が殆どで「そんなことがあったんだ」と知識として頭に詰め込む。後者の話題についてはその分、なるべく話に乗らせて貰った。

 夏休みにはここに行きたい、あそこに行きたい、何日にどこそこで花火大会があるらしい、といった感じだ。

 

「全部やったらお財布が空になっちゃいそうですね」

 

 と、やんわり「お前らお小遣い大丈夫か」と言えば、

 

「そこは上手く節約だよ」

「全部はできないしねー」

「でも、遊べる時に遊んでおかないと損じゃない?」

「わかります」

 

 高二に進学するにあたって「大学受験」という悪魔のワードが飛び交い始めて「ああ、やだなあ」と思っていた。当時はまだまだ序の口だったが、高三になる頃にはきっと、あんなものでは済まないだろう。

 

「じゃあ、また遊ぼうねー」

 

 それぞれ家の方向や駅の方向が違うので、手を振って別れて家路につく。

 なんというか、うん、なんだかんだ楽しかったんじゃないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 アリシアになって迎える初めての夏休み。

 休みと言ってもやる事は沢山ある。バイトもあるし、休日はなるべく素振りをするようにしている。遊ぶ約束も多い。

 そして、何と言っても『夏休みの宿題』だ。

 絵日記とかは無いのでペースは個人の自由だが、こういうのは放置しておくと終わらなくなる。早速、終業式の翌日から手をつける事にした。

 

 辞書を引く必要がある英語や、本を読まないといけない読書感想文は後回し。まずは機械的に解いていける数学を攻める。

 我が家は個人毎の部屋にもエアコンが付いているが、一人で電気代を食うのも……とリビングに向かうと、皆同じ事を考えたのか、朱華とシルビアが寛いでいた。

 って、宿題しているわけではないのか。

 

 ちなみに教授は大学。

 

「あ、アリス。……って、あんたほんと真面目ね」

「アリスちゃん。夏休みはまだまだいっぱいあるんだよー?」

 

 朱華はヘッドホン付きでエロゲ。いつも通りというかなんというか。俺の部屋ならまだしも、皆いる所でやる事だろうか。

 シルビアは何やらスマホでショッピング中。見れば、薬包紙等の調合用品をネット注文しているらしい。ある意味仕事熱心だが、彼女の調合は半ば趣味なので実際は微妙なところである。

 

「だって、後で慌てるの嫌じゃないですか」

「今年はあんたに写させて貰えば楽ができそうね」

「あ、ずるい朱華ちゃん。アリスちゃん、私のもやってー」

「高校生の範囲は本気で取り組まないと無理です」

 

 何せもともとが高校生だ。

 

「というか、自分がやったのを見せるならまだしも、他の学年のは二度手間じゃないですか」

「……うう。なんで私はアリスちゃん達より年上なんだろ」

「シルビアさんと同じクラスだと着替えが怖そうです」

「うん。二人と一緒の着替えならぼーっとしてる暇はないかもー」

 

 駄目だこの人。

 ジト目で見つつ、二人はソファの方に居たので俺はテーブルの方へ。

 

「お疲れさまです、アリスさま」

「ノワールさんこそ、メイドにはお休みもないんですよね?」

「わたしは好きでやっていることですから」

 

 微笑むノワールはどこまでも癒し系だ。

 朱華達に爪の垢を煎じて飲ませたいくらいである。

 

 

 

 

 

 

 そして、その日の夕食時。

 疲れた顔で帰ってきた教授が健啖さを発揮しつつ尋ねてきた。 

 

「ところでアリスよ。装備はどうにかなりそうか?」

 

 教授やノワールは独自のツテを持っているらしく、自分達で手配を進めている。朱華に関しては装備品で超能力を強化する手段がほぼ無い。シルビアは自分で調合した薬が主な戦闘手段なので、残るは俺、という事になる。

 

「はい。一応、服の方はなんとかなりそうです」

 

 と言っても、大した事はしていない。

 コスプレ専門店みたいなサイトを調べて、某有名MMORPGの聖職者衣装を注文しただけだ。

 現実にいる聖職者の方々の衣装はどうやって入手するのかよくわからなかったし、ゲームの聖職者なんだからゲームキャラの衣装の方で構わないだろうという考えだ。

 ノワールに着せてもらったメイド服でさえ効果はあったわけだし。

 

「後は、物に聖なる力を籠められる事がわかったので、このロザリオに籠められるだけ籠めておこうかと」

 

 気休め程度だが、電池みたいに使えるだろう。

 

「でも、私も本命は魔法ですよね」

「そうだな。この前のバイトで試した『アレ』は効果があるだろう」

「アレは派手だったわね。……まあ、まだ練習が必要そうだったけど」

 

 教授が頷き、朱華が苦笑する。

 不死鳥戦で使えそうな新技である。制御が難しいため、朱華の言う通り前もって練習が必要。

 普通の場所でぽんぽん使えるものでもないので、使うのは毎週の平常バイトの場になる。

 俺も頷いて、

 

「私も、できる限りお役に立ちますので」

「頼りにしているぞ」

 

 夏休みに入ったので、バイトは週末に拘る必要が無くなった。

 大学教授である教授──なんか凄い表現だが──は休みが不定期になりやすい。俺達は技の開発も兼ねて多めにバイトへ出ることにする。

 墓地での戦いにあの不死鳥のようなボスが現れることは無かった。教授達も経験がないようなので、そういうものなのだろう。お陰でバイト代も入ったし、気兼ねなく派手な技を試し打ちすることもできた。

 

 成果は上々といったところ。

 

「……これは、七月のうちに終わらせてしまうか?」

 

 そういう話が持ち上がるのも無理はなかった。

 

「どうだ、アリス?」

 

 リーダーである教授から尋ねられたのは俺。

 最終的な判断は、一番の新人に委ねるということらしい。

 

 俺は、目を閉じて考える。

 

 紅蓮の炎で焼かれる恐怖は今なお色濃く残っている。

 同時に、幾つもの約束が頭に浮かんだ。クラスメート──新しく出来た友人達と交わした、遊びに行こうという約束。

 ゆっくりと目を開いて、答える。

 

「嫌な事は早めに終わらせてしまいましょう」

「いいんだな?」

「はい」

 

 死ぬかもしれない戦い。

 不参加とする最後のチャンスを手放し、覚悟を決める。

 自分だけ逃げる選択肢なんてない。

 そんな事をしたら一生後悔するだろうし、そもそも、これは俺の戦いだ。

 

「よかろう。……我々の準備も月末には全て終わるからな」

「前回のようにはいきません。……必ず、あの敵は次回で仕留めます」

「腕が鳴るねー。遠くに投げるのは疲れるんだけど」

「はっ。あんなやつ、あたしが本気になれば焼き鳥よ」

 

 一つの決戦が始まる。

 しかし、この前思った通り、これは決して最終決戦ではない。俺達の戦いはまだまだこれからも続くのだ。……それが、死力を尽くしての殺し合いであるかどうかはともかくとして。

 

「あの、ところで気になっていたんですが、ノワールさんが銃とか使えるのって、キャラクターの能力なんですか? それとも……?」

「乙女には秘密がつきものなのですよ、アリスさま。……ですが、そうですね。今度、機会があればお話いたしましょう。落ち着いてから、お茶を淹れて」

 

 ノワールは微笑みと共に俺の質問をはぐらかした。

 だが、うん。お茶をしながら話をするその日が、少し楽しみな気がした。



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聖女、決戦に臨む

 文明の利器は素晴らしい。

 

 衣服を全て脱ぎ落とし、風呂場でシャワーを浴びながらしみじみと思う。滝行とまではいかないが、冷水で身を清めるくらいならシャワーでも出来る。夏場なので水シャワーはむしろ気持ちいいくらいで、せっかくなので長めに浴びる。

 勿論、身体は隅々まで洗った。

 

「頼むぞ、アリシア」

 

 自分自身、というか、元になったゲームキャラに呼びかける声はシャワーの音にかき消された。

 

「……よし」

 

 水垢離(プチ)終了。

 風邪をひかないようにタオルでしっかり水気をふき取ってから自室に戻り、髪はドライヤーで丁寧に乾かす。その上で新品(洗い立てではなく、まだ一度も身に着けていないもの)の下着を身に着ける。

 動くことを考えて上はスポーツブラにした。

 終わったら服だ。コスプレ衣装というのが若干締まらないが、いかにも聖職者、といった意匠の品を前にすると気が引き締まる気がする。

 

 今回、ノワールに手伝って貰うのは無しにした。

 深い意味はないのだが、その方が精神集中になると思ったからだ。後は、俺も一人前の仲間なんだとアピールしたかったから、だろうか。

 

 パーツ自体は前回のメイド服と大差ない。

 手袋とヘッドドレスに、本体のワンピース。足には薄い白タイツを穿く。クロスアクセサリーも忘れてはいけない。

 すっかり存在にも慣れてきた部屋の姿見に映せば、そこには金髪碧眼の、出来過ぎなくらいに出来上がった少女聖職者がいた。

 鏡の中の自分とじっと見つめ合い、意識を切り替えていく。

 ただの男子高校生はいったん封印し、魔獣討伐に向かう聖女を少しでも上手く演じよう。

 

「……うん」

 

 部屋を出て、皆の元へ。

 

「お待たせしました」

 

 声をかけると、まずノワールが振り返った。

 衣装は基本、いつも通りのメイド服。ただし、スカートにはスリットが入り動きを阻害しづらいように。手袋は指が滑らないようにするためか、やや厚手の黒いもの。腰の後ろには小物を入れるためのポーチが装着されており、心なしかずっしりと重そうに見える。

 髪の色と同じ濃い茶色の瞳は怜悧に細められており、戦闘モード、といった印象だ。

 睨まれているわけではないのに「殺される?」と寒気を覚えた直後、仕事人風の表情が一変、柔らかく緩んだ。

 

「アリスさま、とても素敵です」

「ええと、ありがとうございます」

 

 凄い変わりようである。

 ノワールがノワールのままだった事に安堵するべきか、そんな簡単に緩めてしまっていいのかとツッコミを入れるべきか。

 迷いつつ視線を彷徨わせ、朱華と目が合う。

 

「気合い入ってるじゃない」

「朱華さんこそ」

 

 ふっと笑う彼女を負けじと見返す。

 いつもながら見事な紅の髪は左右に一つずつお団子を作り、残った分は頭の後ろ辺りに簪で纏め上げられている。

 纏っているのは赤地に金糸の刺繍が施された見事なチャイナドレス。メインのモチーフは龍。ノースリーブかつスリットが深く、伸びやかな手足はこれでもかとばかりに人目に晒されている。

 男であれば否応なく魅了されてしまうであろう妖艶さと、迂闊に触れれば燃えてしまいそうな危険さを併せ持った一つの芸術品。

 不死鳥と相対する不安など無いかのように、むしろ鳥の一匹如き焼き尽くしてやると言わんばかりの気迫が彼女から発散されている。

 

 と、そこへ、

 

「……む、みんな可愛くてずるい」

 

 むっとしたような声を出したシルビアは、どちらかというと実用主義ないでたちだ。

 銀色の髪は二つのポニーテールに結い上げて動きやすく。一般的なツインテールと違って結ぶ位置が頭の後ろ付近、かなり高めの位置なので幼い印象は受けない。

 着衣はシンプルなシャツにズボン。それから白の、白衣に似せたコート。身体のあちこちにはベルトが巻かれており、コートの裏だけでは足りないとばかりにポーションが装着されている。

 額には薬品が目に入るのを防止するためか、しっかりとしたゴーグル。

 傍らには何やらクロスボウのような道具(武器?)がある。

 

「シルビアさんは格好いいです」

「本当? アリスちゃん、私に惚れちゃったりした?」

「惚れはしませんけど」

「残念」

 

 うん、いつものシルビアだ。

 さて、これで残るは教授だけなのだが、てっきり一番に準備を終えてふんぞり返っているかと思いきや、姿が見えない。

 

「教授はどうしたんですか?」

「あの人なら荷物を積み込んでるはずだよー」

 

 積み込み?

 そんなに大荷物なのかと疑問符を浮かべたところで、ちょうどよく教授が戻ってきた。びっくりするくらいいつもと格好が変わらない。

 むしろ、作業をしていたせいか微妙に服がヨレている気がする彼女は、俺達を見て「おお」と声を上げる。

 

「皆揃っていたか。こっちも準備出来たぞ」

「教授。何を積み込んだんですか?」

「現地に着けば嫌でもわかる。運び込みを手伝って貰わなければならないしな」

 

 ということで、移動はノワールが運転する車だ。

 徒歩でも行ける距離なのであっと言う間に到着。出かける前に心の準備を整えてきたのは正解だったと言わざるを得ない。

 さて、ここから決戦が──。

 

「おいアリス。ぼうっとしてないで手伝え」

「あ、はい」

 

 決戦の前に教授にこき使われた。

 車には何やら大荷物が搭載されており、その殆どが教授の用意したものだった。残りはシルビアが用意したトランクが一つ(中にはポーションが満載)と、ノワールが用意した大型銃器。

 結界を張り、全員で手分けして荷物を校庭へ運び、準備しているうちに、何週間か前にも感じた気配が強くなり始めた。

 

 膨れ上がる邪気。

 炎によって照らされ、明るさを増していく世界。

 

「久しいな、不死鳥! 今日が貴様の命日だ!」

 

 吠えたのは教授だけだったが、皆気持ちは同じである。

 俺は朱華と視線を交わし合い、同時に一歩を踏み出した。

 開幕は俺達の出番だ。

 

 具現化を続け、数十秒後には動きだすであろう不死鳥を前に、俺は神聖力を、朱華はサイコパワーを練り上げていく。

 そして、現れる炎の鳥。

 赤く、紅く、燃え上がる翼を羽ばたかせ、校庭上空に滞空、ちっぽけな俺達を見下ろして高く鳴く。

 

 ──また来たのか、愚かな人間。今度こそ焼き尽くしてくれる。

 

 なんて、言ったかどうかはわからないが。

 

「食らいなさい、セルフ焼き鳥!」

 

 朱華が叫び、突き出した右手を左手で支える。

 手のひらを向けられた不死鳥は「何事か?」とばかりに少女を振り返り──そして、突如燃え上がった全身に悲鳴を上げる。

 燃える炎が、当人の制御を離れて熱量を増したのだ。

 セルフ焼き鳥と言ったのはそういう意味。不死鳥自身の火力を利用した自滅狙い。精神力を消耗するうえに『溜め』がいるので開幕以外では使いづらい大技だ。

 

 が。

 

 ハメ技一発でダウンしてくれるほどボスは甘くない。

 全く効いていないわけではなさそうではあるものの、鳥は怒りの悲鳴を上げながら少しずつ制御を取り戻していく。

 そこで、俺の出番。

 左手で十字架を握りしめ、そこに籠めた神聖力を全て使い果たしながら、更に力を引き出して。

 

「《聖光連撃(ホーリー・ファランクス)》!!」

 

 とっておきの魔法を解き放った。

 発動と同時、俺の周囲に複数の輝きが生まれる。一つ一つが《聖光(ホーリーライト)》と同等の威力を持つそれが、全部で十以上。

 全部揃うまでの間は一秒以下。揃えば一つずつ、ほんの小さな間を置き、連続して敵に殺到する。

 消費が多い上に制御が難しく、間違えるとあさっての方向に全部飛んで行ってしまうのだが──伊達に練習を重ねたわけじゃない!

 

 次々に着弾した聖なる光に、さすがの不死鳥も身をよじり、

 

「良し! 二人とも、下がれ!」

 

 合図に従って散開すると、教授にノワール、シルビアが攻撃を開始する。

 

 ノワールが操るのは長い銃身と大きな弾倉を持つ銃器。ライフル、じゃなくてマシンガンか! 詳しくないので細かい分類はわからないが。

 叩きつけるような音が連続して響き、弾が次々と飛び出していく様が、拳銃とはけた違いの迫力なのだけは間違いなかった。

 

 シルビアは携帯していたクロスボウのような何かにポーションの瓶をセットすると、ノワールの射撃の合間に構え、撃ち放つ。

 要はポーション発射装置だったらしい。

 撃ち出された瓶は投げるよりも速く、正確に飛び、着弾と同時に爆発を起こす。

 

 最後の教授はというと──シーソーで遊んでいた。

 

「食らえ!」

 

 違った。

 シーソーに見えたのは、簡易式のカタパルトのようなものだ。それこそシーソーを加工して作ったんだろうが、方向を決めた上で一方の端に飛び乗る事で、もう一方に載せた物を空中に放つことができる。

 ジャンプしてぽーん、という見た目が遊んでる感凄いが。

 撃ち出された円筒形の赤い容器は不死鳥の燃える身体に衝突すると、()()()()! 中から飛び散ったのは白い粉。

 

「消火器って、ああやって使うものじゃないですよね?」

「高い物でも三万くらいで買えるぞ、って威張ってたわよ?」

 

 消火器は炎にそのまま放り込むと爆発することがあるらしい。

 消火になっているかはかなり怪しいが、あれなら爆弾としては十分に機能しているだろう。本当は消防車とか持ってこれたら良いのかもしれないが、さすがに簡単に買うor借りることができる物ではないし、この辺りが限界だろう。

 教授の消火器もシルビアのポーションも在庫はまだまだある。

 

「さあ、アリス! もう一発かましてやるわよ!」

「はい!」

 

 不死鳥もただやられているだけではなく、悲鳴を上げながら暴れ、炎を周囲に撒き散らし始める。飛び散る火の粉だけでも当たれば火傷は免れないだろうが、

 

「ちょっとは大人しくしなさい!」

 

 朱華の超能力が、さっきとは逆の効果を導き出す。

 燃え盛る炎が目に見えて弱まったのだ。じたばたともがく不死鳥だが、そこへ銃弾やらポーションやら消火器やらが飛ぶ。

 羽が舞い、血が飛び散る。シルビアが歓声を上げて回収しに行った。大丈夫なのか心配になるが、その辺りは心得ているのか、危なげない足取りで火の粉を避けている。

 

 俺はその間に再び神聖力を集中。

 

「《聖光連撃》!!」

 

 飛び行く光。

 眩しい。銃撃や爆発の音がうるさい。どの程度、敵の体力を削れているかわからないのがもどかしい。HPゲージを見られればいいのに。

 一気呵成に見えるが、攻め手を緩めたら反撃されるのは目に見えている。向こうの攻撃を防ぐ手段はほぼ無いのだ。

 倒しきるか、倒しきれないかの勝負。

 二発大技を撃ったせいで力が落ちてきた。仕方ないので《聖光》を連打。出し惜しみなんてしている場合じゃない。

 

 そして、永遠にも思える程に長い──実際には短かったであろう時間の後。

 

「────ァァァァァ!!」

「生き、てる……!?」

 

 どれだけの攻撃を叩き込んだのか。

 散った羽はかなりの数になり、実際、体積は若干減ったように見える。

 それでも。

 それでも、敵はまだ浮いて、羽ばたいて、俺達を見下ろしていた。

 

 教授が用意した、十を超える消火器は底を突き、シルビアもコートを脱ぎ捨てた。ノワールは弾薬が尽きたマシンガンを捨て、より小型の銃を引き抜く。

 直後、マシンガンとシーソー型発射装置に炎弾が落ちて粉々に砕いた。

 

「消耗戦、ですね」

「……うむ。できれば、ここまでで仕留めたかったが仕方あるまい。どちらの命が先に尽きるか、根競べと行こうか」

 

 撤退という選択肢は無い。

 ここまで派手に戦ってしまった以上、残骸を片付けないと学校側が困る。夏休み中なので、もしかしたら一日くらいは気づかれないかもしれないが、そういう問題ではない。

 何よりも、全身にずっしり疲労がのしかかっている今、車まで走って逃げられるかどうか。

 

「……やらないと」

 

 湧き上がってきた感情は死の恐怖ではなかった。

 使命感に似た感情が俺を突きあげ、膝が笑うのを食い止める。

 唇を噛みしめて前を向き、ただ、あれをどうにかする事だけを思う。

 

 しないと、俺が、やらないと。

 

 神聖魔法は祈りの力だ。

 魔術師達の魔法と違い、厳密に言えば魔力を使用しているわけではない。もちろん、使えば使うだけ身体は疲れるのだが──()()()()()()()()()()()()

 

『そう。神への信仰さえ忘れなければ』

 

 奥底から聞こえた声に、俺は違和感を覚えなかった。

 

『力をお貸しします。……いいえ。一緒に戦いましょう、私』

 

 朱華やシルビアが何か言っているようだったが、よく聞こえない。

 ただ、心が命じるままに聖句を唱えて。

 

「愛と豊穣を司りし地母神よ。生きとし生ける者すべての母よ。どうか我が祈りに応え、大地を焼き殺戮を繰り返す魔の鳥を撃ち滅ぼす力を、我に貸し与え給え」

 

 《神光波撃(ディバイン・ウェーブ)》。

 

 アリシアの魔法リストには無かったはずの魔法。

 だが、見たことはある。隠しダンジョンに潜り、神々の試練を受けた時。他ならぬ女神自身が行使していた特殊魔法。

 光の塊、などという生易しいものではない。

 圧倒的な光の奔流が俺達を優しく包み込むと共に──本来あるべきではない存在に対し、容赦なく襲い掛かった。

 

 何も、聞こえないまま。

 

 光が消え去った後には、不死鳥の姿はどこにも無かった。

 全身から力が抜ける。

 誰かに抱き留められた。誰だろう。ノワールだろうか。

 

「……やったじゃない。あんたのお陰よ、アリス」

 

 頑張り過ぎだけどね、と、小さく付け加えたその声に、俺はようやく勝った事を確信し「よかった」と微笑んだ。

 次の瞬間には気を失って、気づいたら二日後の朝だった。



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聖女、目覚める

「……あれ?」

 

 気がつくと自室で眠っていた。

 爽やかな朝。パジャマもしっかりと着ている。あの戦いは夢だったのかと思いながら身を起こし、勉強机の上に置かれたスマホを手に取る。

 何気なくスリープ状態を解除──しようと思ったら電源が切れていた。

 ケーブルに接続し、あらためて起動すると、

 

「!?」

 

 日付がおかしい。

 加えて、グループチャットのメッセージ通知がばんばん入っている。まさか、買ったばかりなのにバグったのか。いや、そんなわけがない。

 とにかく、部屋着に着替えてリビングへと移動する。

 皆が普通に朝食をとっていて、ほっと一安心。

 

 と、思ったらノワールが立ち上がって駆け寄ってきた。

 

「アリスさま!」

「わ」

 

 ぎゅっと抱きしめられる。

 

「よかった、目が覚めたのですね。外傷はありませんでしたので、命に別状はないと思っておりましたが……心配、したのですよ」

「……あの、すみません。一体、何がどうなって……?」

「覚えてない? あんた、あの不死鳥をぶっ飛ばした後、気絶しちゃったのよ」

 

 ノワールの良い匂いに蕩けそうになりながら尋ねると、朱華がどこか呆れた様子で答えてくれた。

 無理して魔法を使ったせいで体力を使い果たし、一日と数時間、眠りっぱなしだったらしい。

 

「とりあえず私のポーションを飲ませたから死にはしないと思ってたけど、いつ目が覚めるかはわからないからねー」

「それは……すみません。ご迷惑をお掛けしました」

 

 怪我や疲労を治せたりと人並み外れたところのある俺達だが、回復魔法を使える肝心の俺が倒れたのだから、それは心配されるだろう。

 素直に謝れば、教授も食事の手を止めて「うむ」と頷き、

 

「まあ、だが正直、助かった。……お主一人運んで寝かせる程度、あの働きからすれば安いものよ」

 

 俺の使った《神光波撃》は絶大な威力を発揮し、不死鳥を跡形もなく消し飛ばした。

 あれが無ければジリ貧の消耗戦が始まっていたはずなので、俺一人が倒れただけで済んだなら安いものである。

 また、魔法の影響は大地にも及んだらしく、戦いによるダメージがひとりでに修復されたのだとか。

 

「散らばった薬莢や瓶を回収するのは大変でしたが……」

「勝ったのだから、その程度は甘んじて受けるしかあるまい」

「あのね、言っとくけど教授の消火器が一番被害大きかったんだから」

「何を言う。吾輩があの戦いでいくら身銭を切ったと思っている!?」

「いいじゃない。教授は大学からもお金貰ってるんだしー」

 

 言い合いを始めた仲間達はすっかりいつも通りである。

 ああ、生き残ったんだな……という実感が湧いてきて、思わず笑みを浮かべてしまう。それと同時にぐう、と腹の虫が鳴いた。

 

「すみません。ノワールさん、私にも何か頂けますか?」

「はい。すぐにご用意いたしますね」

 

 出された朝食を、俺はいつもの五割り増しで平らげた。

 

 

 

 

 

 

「……ふう」

 

 詰め込み過ぎて苦しくなった腹を押さえて息を吐く。

 食事が終わった途端、俺は皆から「部屋に戻れ」と言われてしまった。病み上がりなんだから無理はするなと言う事らしい。

 別に風邪を引いていたわけではないのだから大丈夫だとは思うのだが、溜まっているメッセージの返信もあるし、大人しくしていようと思う。クラスメート達にはそれこそ「風邪を引いて寝込んでいた」と伝えることになるだろう。

 スマホのバッテリーも十分戻っていたので、早速手に取り──部屋のドアがノックされた。

 

「はい?」

「吾輩だ。少しいいか、アリス?」

 

 俺は「どうぞ」と答えつつ「珍しい事もあるものだ」と思った。

 教授が俺の部屋を訪ねてくる事はほぼ無い。訪問者第一位はぶっちぎりで朱華であり、シルビア、ノワールと続く。

 部屋を掃除してくれたり洗濯物を持ってきてくれたりするのを加えていいなら朱華とノワールがいい勝負だが。

 

「何か話があるんですね?」

「察しがいいな。まあ、適当に座ってくれ」

 

 苦笑した教授は持参してきた座布団を敷いてカーペットの上に座った。俺も言われた通り、ベッドの端に腰かけて彼女を見つめる。

 なんとなく神妙な雰囲気だが、

 

「なに、大した事ではない。不死鳥を倒した時の事を詳しく聞いておこうと思ってな」

「ああ、そういう事ですか。それなら……」

 

 俺は覚えている事を順を追って話していく。

 なんとかしなくちゃという思いでいっぱいになった事。自分の内側から声が聞こえた事。そのお陰で限界以上の力が引き出され、強力な魔法を使えた事。

 全てを聞き終えた教授は「やはりか」と呻った。

 

共鳴(ユニゾン)だ」

「あの声の事ですか? 私はあの時、()()()()()()()と心を通わせていたと?」

「うむ。……実を言えば、我々も通ってきた道ではある」

 

 この家に住む五人は全員、元になったキャラクターがいる、という意味で共通点がある。

 彼女達はまた、あの時に俺がそうなったように、自分の心の奥底に触れ──元のキャラクターの人格を呼び起こした事があるらしい。

 教授は更に口を開き、どこか言いづらそうな口調で、

 

「今回、お主はわかりやすい形で共鳴を体験したわけだが、共鳴は普段も緩やかな形で起こっている」

 

 背筋がぞくっとした。

 

「まさか、私の意識が侵食されているっていうんですか? ……アリシアに」

「安心しろ、そういう話ではない」

 

 教授は首を振った。

 

「元のキャラクター達が意図的に乗っ取りに来ているわけでも、抵抗が出来ないわけでもない。朱華を見てみろ。オリジナルの朱華がエロゲ好きの変態だったと思うか?」

「……いや」

 

 無理矢理押し倒されそうになって「あたしにエロゲみたいな事するんでしょ!?」とか嬉々として言うエロゲヒロインは正直嫌だ。

 

「我々にとっても経験則でしか無いが、自分を強く持ってさえいればお主はお主のままでいられる。好きにすれば良い。個人的にはそう嫌うものでもない、とは思うがな」

「教授は、どうしたんだ?」

「今の吾輩を見れば大体想像がつくのではないか?」

 

 最初に会った時に「百年以上生きている」とか言っていたのを思い出す。

 あれは、ただのロールプレイでは無かったのか。

 息を吐く俺。教授は俺を安心させようとするかのように、更に言葉を続けて、

 

「吾輩としては逆なのではないか、とも思っている」

「逆?」

「身体が変わったから精神が引っ張られているのではない。元々、変わる前の我々に素養が備わっていたからこそ、身体が変わったのではないか。例えば、()()()()()()()()()()()()()アリスや朱華が、何らかの理由で()()()()()()()この世界の存在に融合したのではないか、とな」

「ラノベの設定みたいですね」

「似たようなものだろう? 空想の産物としか言いようのない事態が実際に起こっているのだからな」

 

 教授は色々と考えているらしい。

 元々そういう人なのか、それとも「教授というキャラクター」に寄せられた結果なのかはわからないが。

 身体が心が先か。

 考えてみても、俺の頭では結論は出そうにない。少なくとも、あのアリスの声──教授が共鳴と呼んだ現象自体に嫌な感じは無かったが。

 だからといって、自分が自分で無くなっていく事が怖く無いとは言えない。

 

 すると、今の俺より幼いようにしか見えない大人の女性は、それこそ長い年月を生きた老人のような顔を浮かべて、

 

「色々言ったが、深く考えなくても良い。要はお主がどうしたいかだ。……もし戻りたいのなら、シルビアが薬を作ってくれているしな」

「っ。戻れるん、ですか?」

「わからん。こればかりはやってみるしかあるまい。動物実験をしようにも、我々と同じ境遇の動物などこの世にいるとは思えん」

 

 戦いの最中、シルビアは不死鳥の血や羽根を回収していた。通常、倒した敵は跡形も無く消滅してしまうが、倒す前に回収しておけば消えずに残るらしい。

 少なくとも、不死鳥の血にある程度の回復・復元効果があるのは確かなようで、後はそれを調合によってどの程度まで強化できるかと、復元効果で元に戻れる症状かどうか、という話になる。

 例えば、俺とアリシアの身体が入れ替わっているのだとしたら、肉体に復元効果を与えても意味がない。身体自体はもともとアリシアの物であり、何の変化も行われていないのだから。

 

「今のうちに考えておくといい。薬が完成したとして、使うか否か、をな」

 

 俺が使わないなら別の使い道がある、と教授は言った。

 何しろ不死鳥の血だ。怪我で死の淵に瀕した者を回復させる事くらいはできるだろう。もう少し薄めて効果を落とせば、高品質のポーションが量産できるかもしれない。

 

「まあ、元に戻れば戦う必要もないのだがな」

「……俺は」

 

 声に出して『俺』と言うのは随分久しぶりな気がした。

 元に戻れるかもしれない。

 いよいよ、その時が近づいているというのに、いざそうなってみると「もちろん戻る」と即答できない自分に気づいて、俺は唇をきゅっと噛みしめた。

 

 

 

 

 

 

 さて。

 

 考えなければいけない事が増えてしまったが、不死鳥討伐が齎したのは悩み事ばかりではなかった。

 

 例えば世界への良い影響。

 討伐後、この街周辺では水質が改善されたり、植物が元気になったり、学園で飼われているウサギ(俺は存在を初めて知った)が子供を産んだり、宝くじ売り場でスクラッチの一等が出たりと、様々な良い事が起こっているらしい。

 一つ一つは小さな事だが、積もり積もって、巡り巡って国や世界にも良い効果を齎してくれるだろう、と、上の人達は考えているらしい。

 

 成果が上がれば、当然報酬も出る。

 今回のバイト代は通常の二倍という大盤振る舞いだった。消耗品を使いまくった何名か(特に教授)はそれでも赤字だが、必要経費の一部は補填して貰える事になったそうで、普段の収入から考えれば大した出費ではないという事だった。

 

「アリスにスマホプレゼントする時、教授だけいなかったんだから、それくらい我慢しなさい」

 

 と、朱華はバッサリ切り捨てモードだったが、さすがに教授達にばかり負担させるのも……と、俺は自分の分の報酬を皆に少し分けさせて貰った。

 何しろ、俺が買ったのはコスプレ衣装が一着だけである。

 二、三万くらいはしたので安くは無かったが、目立った損傷は無いのでこれからも着られる。実質的な損失は無いに等しかった。

 

 ……いや、失った物は一つあったか。

 

 ノワールから貰い、今まで使っていたロザリオが、気づいたらボロボロになっていた。

 ギリギリまで神聖力を注ぎ込んだのが負担になったのかもしれない。これ以上使い続ければボロっと崩れてしまいそうなので、机の中へ大事にしまっておくことにする。

 

「で、代わりの聖印はどうするの?」

 

 部屋に遊びに来た朱華に尋ねられた俺はこう答えた。

 

「今度はもう少し、しっかりした物を買おうと思います」

 

 雑貨屋なのかアクセサリーショップなのか。適当にそれっぽいところを巡れば手頃な品が見つかるだろう。ちゃんとした金属や宝石を使った品であれば神聖力にも強いはずである。

 

「それに、その、他にも買わないといけないものがありまして」

「? 何よ?」

「水着です」

 

 友人と海水浴へ行く事になっているのに、俺は水着を持っていない。

 萌桜学園にはプールの授業が無いので「最悪スクール水着で」と言う手も使えない。というか、この容姿でそんな事をすればマニアックな奴らが寄って来かねない。

 

「……正直、水着の選び方なんて全く分からないので憂鬱なんですが」

「一緒に行ってあげようか?」

「そうですね。クラスの子と買い物に行く用事もあるので、その時に一緒に来て頂けたら助かります」

「え」

 

 朱華が「意外だ」という顔で固まる。

 

「まさか、冗談のつもりだったんですか?」

「そういうわけじゃないんだけど」

 

 ジト目で睨むと、彼女は俺をじっと見つめ返してきて、

 

「あんたが素直にお願いしてくるの、珍しい気がして」

「……気のせいじゃないでしょうか」

 

 なんとなく気まずくなった俺は視線を逸らした。



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聖女、実家に帰る

 電車に揺られている時間というのはとても手持ち無沙汰だと思う。

 車なら、一人で乗っている時は自分が運転手だろうし、二人以上なら会話をする事もできる。だが、電車に乗る時は大半が一人で、しかもする事が特にない。

 する事がないせいで、そんな余計な事を考えてしまう。

 

『おひとりで大丈夫ですか?』

『学校で貰った防犯ブザーはちゃんと持ってるわよね?』

『寂しくなったら電話するんだよー?』

『おいお前達、アリスも子供ではないのだぞ。ああ、そうだアリス。この飴を持っていけ』

 

 皆から心配されたり、からかわれたりした後、一人で家を出て、最寄り駅から電車に乗った。

 思えば、アリシアになってから初めての経験だ。

 初めて通る道、初めて目にした駅、見慣れない路線図を一つ一つ頭に刻みながら、座席の端にちょこんと座った。足を開かない座り方もある程度自然にできるようになってきた。今日はスカートなので余計に気をつけなければならない。

 外を出歩くという事で日焼け止めクリームを塗り、ついでに魔法でも紫外線対策をしている。二重に防衛しておけば万全だろう。

 朱華に言われた防犯ブザーもちゃんと鞄に付けている。

 一見、子供向けアクセサリーの類にも見えるデザインとはいえ少々恥ずかしいが──人目に晒されているうち、その程度の事はどうでもいい気がしてきた。

 

 何しろ、道ですれ違う人、同じ車両になった人がほぼ全員こっちを見てくるのだ。

 

 物珍しげな視線からして、俺の服装や防犯ブザーが変、というわけではない。珍しいと思われているのは残念ながら中身の方だ。

 視線は年配者よりも若者が、女よりも男の方が強い。

 お年寄りや女性からの視線はぶっちゃけ犬猫を可愛がるそれに近いので特に問題無いのだが、男からの視線にはなんとなく嫌な感じのものが含まれている気がする。そんな風に感じてしまうのは、いつの間にか女を『同族』と感じるようになっているからか。

 

 外の景色でも見ようと向かいの窓の方を見れば、その前に座っていた若い男性が恥ずかしそうに顔を逸らす。いや、そういうつもりでは無かったんだが……申し訳ない気持ちを込めて目を伏せ、目線を戻した。

 

 やっぱり、読書でもしてるのが良さそうだ。

 行きがけに駅前の書店で買った文庫本に目を落とす。読書感想文に使うつもりで買ったのは昔の純文学。外国の作品なんか買ってもよくわからないというのが主な理由だが、学校での扱われ方からして日本の作品の方が「受け」が良いだろうという打算もある。

 確か、乗り換えまではしばらくあるから、ある程度読み進められるだろう。

 頭の片隅で思いながら、俺は、なおも飛んでくる視線を意識から消して活字に没頭した。

 

 

 

 

 

 

 実家の最寄り駅に降り立つと、懐かしさと同時に、まるで初めて来たかのような不思議な感覚が押し寄せてきた。

 目線の高さが違うせいだろう。

 アリシアとして見る世界の違いをあらためて実感させられる。思えば()()なったその日に病院に行って、そのまま見知らぬ土地での生活が始まったので、前から知っているところを歩く、という経験が圧倒的に不足していた。

 

 せっかくだから、少し散歩して行こうか。

 

 改札を抜けてゆっくりと足を進める。

 高さの違う見慣れた景色を、何年かぶりに見るような感覚で眺めるのが意外な程に楽しい。

 ほんの一、二か月なので当然だが、街の様子は変わっていなかった。道行く人もそうだ。といっても、人の顔までいちいち覚えているわけではないので、あくまでなんとなくだが。

 

 そんな風に駅前周辺をぶらぶらしていると、不意に強めの視線を感じて思わず振り返る。

 目が合った。

 高校生くらい、つまりは()()なる前の俺と同年代の男子だった。というか知り合いだった。小中高と一緒の学校に通っている──もとい、通っていた男。男同士で使うのも微妙に悲しい表現だが、いわゆる幼馴染というやつだ。

 家が近いので出くわしても不思議はないのだが、まさか、戻ってきた矢先に出会うとは。

 バレているわけではないだろうと思いつつも、関わり合いにならない方がいいと判断。にっこりと愛想笑いを浮かべて視線を逸らし、彼から離れる方向に歩きだして、

 

「ねえ」

 

 駄目だった。

 日本語がわからない振りをしてそのまま歩いていこうとしたら「ヘイ!」と呼び掛けられる。ヘイじゃねえよ、せめて「Excuse me」くらい言えないのか、とツッコミを入れたいのを堪えつつ、仕方なく立ち止まる。

 

「?」

 

 首を傾げて昔馴染みを見上げる。

 でかい。中学からサッカーを始め、今なお続けているはずの身体は百七十後半はあり、かつ肉付きもしっかりしている。

 男としては頼りがいのある方だと言っていいのだろうが、女子としても小柄な部類である今の俺から見ると正直怖い。

 肩を掴まれたらもう、それだけで逃げられなくなりそうだ。

 ということは近くに寄られた時点で詰みか。変な気を起こされないように気を付けつつ、バッサリと切り捨てなければならない。

 そんな俺の内心を知ってか知らずか、ヤツは精一杯な感じの笑みを浮かべて話しかけてくる。

 

「どうしたの? どこか行きたいところがあるの?」

 

 ああ、ブラブラしてたのを迷子と勘違いされたのか。

 首を振り、意図的にカタコトっぽい声を出す。

 

「イエ、大丈夫デス」

「あ、日本語喋れるんだね」

 

 ほっとしたような声。待て、そこじゃない。関わらないでくれ、と言われたのに気づけ。

 思っていると前方に回り込まれ、視界の半分以上を遮られる。

 

「でも、一人じゃ危ないよ。一応、案内させてよ」

「結構です」

 

 なんだこいつ、やけにグイグイ来るな……とか内心ドン引きしつつ、反射的に回答。突き放した感じになったのは仕方なかったと思う。

 多分、悪気は無いんだろう。

 女子と関わる気があまり無かった俺と違い、こいつは昔から可愛い女子に告白しては振られていた。たまに付き合えても短期間で別れるのが恒例。

 悪い奴ではないのだが、暑苦しいのと調子に乗りやすいのが難点。

 

 俺としても正体がバレるわけにはいかないので、これ以上付きまとわれるようなら最後の手段に出なければならない。

 

「本当? いや、怪しい者じゃないんだって。ただ困ってそうだったから助けて──」

 

 俺は、防犯ブザーのタグを思い切り引っこ抜いた。

 

 

 

 

 

 

「ほんと、男子って単純だよねー」

 

 とは、二歳年下の妹の談である。

 

 昔馴染みはあの後、ブザーの音を聞きつけた通行人の皆さんに取り囲まれ、交番に連れて行かれた。

 俺も一緒に事情を聞かれたので「道を案内するとしつこく言われて怖かった」と正直に答えた。暴行を受けたわけでもなんでもないのでそこはしっかりと主張。すると先に帰っていいと言われて解放された。残された奴はこっぴどく叱られたことだろう。

 もしかすると誰かに見られていて休み明け噂に、なんていうことがあるかもしれない。申し訳ないが許して欲しい。

 

 交番を離れた後はさすがに散歩する気にならなかったので、当初の目的であった実家に直行。

 帰ることはあらかじめ伝えてあったので、両親と妹が快く迎えてくれた。

 

「うわ、ほんと可愛い。ほんとにお兄ちゃん? いや、もうお姉ちゃんか」

 

 変身当時を知っているので、家族の顔に戸惑いは薄い。

 大学にでも入って一人暮らしをしたらこんな感じなんだろうか。誰それが結婚したとか、こんな面白いことがあった、という話が普通に続いた。

 父親いわく「まあ、少し早い親離れだと思えば」とのこと。これが妹の方だったら大泣きするが、死んだわけでもなし、男の子ならこんなものらしい。

 

 ……もう少し困ってると思ったんだが。

 

 俺は今のところ病気で入院していることになっているそうだ。

 お見舞いに行きたいという知人(さっきのあいつを含む)に「面会謝絶だから」と言って断るのが大変なくらいで、後は別にいつも通りだとか。

 むしろ──これは俺を安心させるためもあるんだろうが、政府からの補助金でテレビを買い替えたとか、汗臭い洗濯物が無くなって楽になったとか、そんな話をされる始末。

 

 話しているとえんえん終わりそうにないので、妹の部屋に二人で逃げてきた。

 と言っても、アリシアになる前は数える程度しか入ったことが無いのだが。

 

「お前な、俺も男子だからな?」

 

 奇しくも今の俺と同年齢になった妹はあっけらかんとした様子で、異性の兄に対する敵愾心はどこへやら、お客様用のクッションを俺に差しだしてきた。

 見回せば、部屋は暖色系のトーンで統一されている。ぬいぐるみなんかもしっかりあって、こいつも女子してるんだな、と変な感心をしてしまう。

 

「いや、お姉ちゃんは女子でしょ。その顔と声で『俺』とか言われるとすごい違和感あるし」

「……私だって好きでなったわけじゃないんですよ?」

 

 仕方なく『アリスモード』で喋れば「あ、そっちの方が絶対いい!」と喜ばれる。

 なんだこれ。

 俺はため息をついて妹に尋ねる。

 

「兄弟が突然女性になって、嫌だと思いませんか?」

「全然。だって、わたし何も困ってないし」

「……えー」

「むしろ、今のお姉ちゃんは汗臭くないし、可愛いし、こっちの方がいいんじゃない? まあ、お姉ちゃんだって自慢できないのは残念だけど」

 

 今時の子というのはこういうものなのか、妹の返答は恐ろしい程あっさりしていた。

 たった二か月、されど二か月。

 離れている間に心の整理はついている、ということなのかもしれない。

 と、ここで妹は目を輝かせて、

 

「ところでお姉ちゃん、その服ってあそこのブランドだよね? いくらで買ったの?」

「え? ええと……纏めて買ったので、細かい値段までは」

「えー! うう、このお金持ちめ。いいなあ、わたしも新しい服欲しいんだけどお小遣いがさあ」

「例えばどんな服が欲しいんですか?」

「えーっとねー、ほら、これとか」

 

 なんの気なしに尋ねると、妹はぱっとファッション誌を取り出してきて見せてくれる。

 若い女の子向けの雑誌らしく、中高生くらいの読者モデルが様々な服を着こなしていた。なるほど、一般的な女子にはこういうのが受けているのか。

 先日、クラスメート達と遊びに行き、カラオケや買い物をしてきた。その時に見た少女達の服装はもう少し大人しかったのだが。

 やっぱり萌桜(ほうおう)学園の生徒はお嬢様の傾向があるのだろう。

 

「私が着るならもう少し大人しい方がいいですね」

「そう? じゃあ、これとか?」

「うーん……あ、これなんかいいかもしれません」

 

 妹とこれだけ長く話したのはいつ以来か。

 気づけば二人、顔を突き合わせてファッション誌を眺めてしまった。気がついた時には三十分は過ぎていて愕然としてしまう。

 楽しい時間程早く過ぎるというが……それに照らし合わせると、妹との女子会話が楽しかった、という事になってしまうのだが。

 

「ねえ、お姉ちゃん。アリスちゃんとして友達になろうよ。それなら友達に紹介しても問題ないんでしょ?」

「それは、まあ、そうですけど」

 

 戸惑いながらも断り切れず、アリス用のスマホに妹の連絡先が追加された。

 早速作られたトークルームには二人で顔を寄せ合って撮影した写真が共有される。友達に見せるね、という妹に、俺は曖昧な笑顔を返すしかなかった。

 妹と知り合いということになれば、あの男に間接的なフォローもできるので、ちょうどいいとも言えるのだが。

 

 ……元に戻れるとしたら、戻って欲しいか?

 

 するつもりだった質問を結局口にできないまま、俺は実家を後にした。

 

 

 

 

 

 

 帰りの電車を待つ間に政府の役人に電話をかけてみた。

 最初に尋ねたのは、いつ頃までに元に戻れなければ『元の俺』は死んだことになるのか。

 

『ケースバイケースですが……早ければ半年程度でしょうか』

 

 半年。

 大分、余裕はある。

 

『詳細はアリスさんやご家族の意向を聞きながら決定する事になります。例えば、治療のために海外へ渡った事にしてしまえば、後はそのまま向こうで暮らしている事にして自然にフェードアウトさせる、という事もできるでしょう』

 

 生きてはいるが、どこで何をしているのか不明……という方法だ。

 死んだことにされるよりはずっと気が楽ではある。その方法ならある日突然元に戻ってもひょっこり復帰できなくはない。

 ほっと息を吐いた俺はもう一つ質問をした。

 

「じゃあ、もし俺が元に戻ったとして──アリシア・ブライトネスはどうなりますか?」

『存在した痕跡を消す、という方針になります』

 

 返ってきたのは明確な答えだった。

 

『都合により転校した事にするか、あるいは亡くなった事にするか──いずれにせよ、アリスさんは戻ってこない、という事を周囲に周知する事になります』

「ノワールさん達とは、その後は……?」

『彼女達には真実を告げていただいて構いませんが……正体の露見に繋がりますので、連絡を取り合う事は避けて頂いた方がよろしいかと』

 

 ありがとうございます、と言って電話を切った。

 言われた内容が頭の中でぐるぐると巡る。

 

 実家に帰った本当の目的を、俺はようやく理解した。

 俺は、元に戻る踏ん切りが欲しかったのだ。

 

 しかし、得られたのは、元に戻ってしまえば二度とアリシアには戻れないという事実。

 せっかく仲良くなったクラスメート達と別れ、遊ぶ約束も果たせなくなるという、当然のこととして理解していたはずの、辛い未来像だった。



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聖女、選択の時

 日帰り帰省をした翌日、俺は何もする気が起きないままぼんやりしていた。

 

 朝食を済ませて部屋に戻ったものの、トレーニングも夏休みの宿題もする気にならない。

 元に戻るなら、やっても無駄。

 新しく買ったアクセサリーも、新品の水着も無駄。自分で持っていたら変態扱いだろうから、せいぜい妹にあげるくらいしか使い道がない。

 まあ、それはそれで喜ばれるんだろうが。 

 

「なに黄昏れてんのよ」

「悩み事ならお姉さんたちが聞いてあげるよー?」

 

 部屋のドアが軽くノックされ、朱華とシルビアが入ってくる。

 勝手知ったるという奴か、ベッドに寝そべる俺を見て躊躇なく傍に腰かける二人。

 

「……大丈夫です」

 

 答えはしたものの、声音も表情も、まるで大丈夫な感じにはならなかった。

 

「いいから話してみなよ。楽になるよ」

「いつまでも辛気臭い顔されてたらこっちまで息が詰まるのよ」

 

 二人してやってきたと思ったら心配してくれていたのか。

 昨日の今日でこれとは、自分で思っている以上にやばい顔色をしているのかもしれない。

 正直、話をするのも億劫なくらいなのだが。

 必死に気力を振り絞って口を開いて、

 

「シルビアさんは、元に戻れるとしたら戻りたいですか?」

「戻りたくない」

「──え」

 

 即答。あまりにもきっぱりしすぎていて、思わず耳を疑ってしまう。

 顔を向けると、シルビアはほんの少しだけ恥ずかしそうに頬を染め、しかしエメラルドグリーンの瞳に強い意志の光を宿して言った。

 

(シルビア)(わたし)の理想だからねー。私はなりたかった私になれて満足してるんだよ」

「で、でも。元の生活や、友達、家族だっていたわけですよね?」

「そうだけど、アリスちゃんたちや今の友達だって私の大事な生活だよ?」

「……っ」

 

 考えていることを見透かされたように思えて、絶句する。

 彼女は全部分かった上で全部、自分で決めてここにいるのか。

 寝るか調合するかくらいしかしてないように見える、どこか自堕落で退廃的な人だけど──それこそが、シルビアにとっては理想なのか。

 元の自分ではなく、今の自分が。

 

 何も言えなくなって口を噤む。

 朱華がため息をつき、何か言おうと口を開いて──結局そのまま閉じた。

 代わりに動いたのはシルビアだ。

 

「ねえ、アリスちゃん」

 

 甘ったるさで言えばこの家で一番な気がする、シルビアの匂い。

 気がつけば彼女はベッドに手をついて俺を見下ろしている。腕の力を抜くだけで俺に覆いかぶされるような姿勢。

 顔を近づけるだけでキスすることだって、できる。

 

「男の気持ち、思い出してみる? ……アリスちゃんなら、何してもいいよ?」

 

 かすかに濡れた瞳と、声。

 ことあるごとに抱き着いてきて「一緒に寝る?」と誘惑してくる彼女だが、今までの冗談めかしたそれとは一線を画した誘い方。

 女が男を、本気でベッドに誘うような。

 誘い込まれるようにして視線を向ければ、白衣の下に着たキャミソールと、女性的な魅力に富む二つの塊が見える。触れば柔らかさと弾力で、なんとも言えない心地に包まれるだろう。

 

 手を伸ばすだけで触れられる位置に、シルビアの全てがある。

 

「さ、ほら。……触って」

 

 だらんと垂れ下がっていた手が持ち上がる。

 でも朱華がいるし、と思って横を見れば、紅髪の少女は「おかまいなく」といった表情でスマホをこっちに翳していた。

 仲間のそういう場面を即録画する奴があるか、と若干気が抜けるものの、少女のそういう反応はつまり、邪魔をする気がないとも言えるわけで。

 

 指が少し、また少しと近づいて。

 

「だめです」

 

 俺は、持ち上げていた腕を下ろした。

 

「いいって言ってるのに」

 

 ベッドにぺたんと座り込んだシルビアは残念そうに言う。普段の態度が冗談じゃないなら、それこそ撮影されててもガチで許してくれそうではあるが……。

 

「しなくて良かったの、アリスちゃん?」

「……だって、そんなの嫌です」

 

 俺は起き上がり、シルビアと向かい合って答えた。

 

「するならちゃんと、シルビアさんと思い合ってしたいです」

「え、あれ、それって告白……?」

「違います」

 

 シルビアのことは、まあ、その、好きではあるが、あくまでも仲間とか家族的な意味であって、恋愛的な意味ではない、はずである。

 

「何よ、しないわけ?」

 

 朱華は朱華で不満そうに唇を尖らせてるし……。そんなに知り合いのエロ動画を撮影したかったのか。

 

「で、アリス。ちょっとは気分マシになった」

「ええ、まあ。おかげさまで」

 

 荒療治にも程があるが、ふさぎ込んでても仕方ないかな、くらいの気分にはなった。

 

「良かった」

 

 するとシルビアはぎゅっと当たり前のように抱き着いてきて、それから言った。

 

「薬の試作品が出来たんだよ。使うかどうかは任せるから」

「え……」

 

 早すぎませんか、シルビアさん。

 

 

 

 

 

 

「はい、これ」

 

 ことん、と置かれたのは小ぶりのポーション瓶だった。

 中にはどろっとした紫色の液体。

 冗談のように怪しい。とはいえ、シルビアがポーションに関して雑な仕事をするとも思えない。

 

「材料があると、こんなに簡単なんですね」

「まあね。でも、お姉さんの腕があってこそなんだよー?」

 

 ふふん、と胸を張るシルビア。

 きっと頑張ってくれたのだろう。それについては素直に嬉しい。ありがとうございます、と礼を言うべきところなのだろうが、

 

「………」

 

 俺は、元に戻れる(かもしれない)というポーションを前に複雑な気分だった。

 

「アリスさま?」

 

 この場には仲間達みんなが揃っている。

 心配そうなノワールをはじめ、四人は俺の動向を見守る構えだ。

 彼女達としても結果は気になるのだろう。自分も使うかはともかく、戻る方法があるのかないのかは知っておいて損はない。

 だが。

 踏ん切りがつかないまま、俺は銀髪の少女を振り返った。

 

「……これって、すぐ使わないとまずい薬ですか?」

「ううん。一日二日で悪くなるようなことはないけど……早く使った方がいいのは確かかな。効果がなかったら改良しないといけないし」

 

 そうか、失敗する可能性も当然あるのだ。

 悩みに悩んで飲むことを選び、結果何も起きませんでした──なんてことになったら拍子抜けだろうが、だったらあまり悩まずにぐいっと行ってもいいかもしれない。

 って。

 まるで、それでは()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 息を詰まらせる俺の頭に朱華の手のひらが乗る。

 

「アリス。あたしたちに気を遣う必要はないんだからね?」

「……朱華さん」

「あんたが後悔しない道を選びなさい。あんたの人生なんだから」

 

 人生。

 まさか、この歳でこのレベルの決定的決断をする羽目になるなんて。

 息を吐く。

 吐いても、胸の中の淀みが晴れる気配はまるでない。

 

「どうした、アリス」

 

 教授の静かな問いかけにゆっくりと答える。

 

「約束したんです。みんなと。夏休みに遊びに行こうって。今戻ったら、約束を破ることになってしまいます」

「ですが、アリスさま。それは『約束をいつ破るか』の違いでしかありません。みなさんの前からいなくなるのであれば、むしろ早い方がいいのでは?」

 

 ノワールの意見は正しい。

 約束を破りたくない、なんていうのは俺の都合でしかない。向こうにしてみたら、夏休み中に「また転校する事になった」と伝えられ、二学期には姿を見せない方がまだ、諦めもつけやすいだろう。

 それでも、今すぐには選べない。

 

 薬ができるのには時間がかかると思っていた。

 なのにあっさりと出来上がって、悩む時間も少ししか与えられないなんて、困る。

 何故なら、

 

「……楽しかったんです」

 

 形にならないまま眠っていた思いがこぼれる。

 

「嫌だとか戻りたいとか言いながら、いつの間にか、今の生活を楽しんでいたんです」

 

 ひどい話だと思う。

 だけど、みんながそれでも優しくしてくれたから、快く迎え入れてくれたから、楽しくやれた。

 楽しくやれるようになってきていた。

 戻れなくてもいいんじゃないか、と思ってしまった。

 驚くような心境の変化だが、紛れもなく俺自身の意思だ。

 

 恥ずかしいことに、涙が溢れて止められない。

 男らしくないにも程がある。

 誰も何も言わないのが怖くて、みんなの顔が見られない。

 

 俺は。

 本当は。

 

「このままでいたい、なんて言ったらバチがあたりますよね」

 

 迷いはあった。

 実家に帰った結果、戻る方に傾いていた気持ちが戻らない方に傾いた。

 このままでもいい、と言ってもらえるなら、いっそ。

 そんな、搾りだすような願いに、

 

「ばーか」

「いたっ」

 

 ぺちん、と、額が叩かれた。

 やっぱり呆れられてしまったか。思いながら見上げれば、ちょうどいいとばかりに頬をむにーっと引っ張られる。

 朱華が、泣きながら笑っているような、おかしな顔をしていた。

 

「……朱華さん?」

「あんたね。好きにしろって言ってるでしょうが。……戻ったって戻らなくたって、どっちだっていいんだっての」

 

 そのまま、身体ごと引っ張られて抱きしめられる。

 温かい。

 

「あの。いいん、ですか?」

「悪いわけないでしょ」

 

 ぴしゃりとした声音に続いて、

 

「あたしだって、あんたがいてくれた方が楽しいんだから」

「朱華さん……」

「そうだよ、アリスちゃん。アリスちゃんがいなくなったら、私、栄養ドリンク係に逆戻りなんだよ」

 

 朱華に抱きしめられたまま、柔らかな身体に包まれる。

 更にノワールが「ずるいです」と言って二人ごと抱き着いてきて、夏場とは思えないほどの暑苦しさになった。

 

「アリスさま。まだまだして差し上げたいことがたくさんあるんですよ?」

「ノワールさん……」

「全く、手のかかる妹分だ。当分は回復役としてこきつかってやる」

「……教授」

 

 感動的なシーンなんだからもう少し何かないのかと言いたかったが、感動的なシーンなので何も言わないことにした。

 とりあえず、もう我慢できなかったので、みんなの胸を借りてわんわん泣かせてもらった。

 落ちついたのは十分後だったか、二十分後だったか。

 

 泣き止んだ俺に教授が尋ねる。

 

「良いのか、アリス? 共鳴(ユニゾン)の件もあるというのに」

「大丈夫です」

 

 あの件についてはあまり深刻に考えていない。

 アリシアとして過ごしていく以上、男だった頃と違う出来事に直面せざるを得ない。女ばっかりの環境にいれば女らしくなるのは当たり前だ。

 精神がアリシアに近づくというのもそれと大差ないだろう。

 何より、不死鳥を倒した時の体験は俺にとって嫌なものではなかった。

 

「……そうか。ならば『これまで通り』か」

「いいえ」

「む?」

「これからはもう少し積極的に『女の子』を頑張ります。せっかく今が楽しいんですから」

「そうか」

 

 教授は笑い、

 

「なるほど、確かにお主は真面目過ぎるな」

「……駄目でしたか?」

「いや。良いのではないか? 若いというのは素晴らしいな」

 

 すごく馬鹿にされているような気分になったが、良いというのであればそうしよう。

 と。

 くくく、と、堪えきれないように笑っていた教授は、その勢いのままにポーションを掴んで──蓋を開けた。

 

「え?」

「要らないのなら吾輩が飲む」

「え、ちょっ!?」

 

 止める間もなかった。

 それこそ栄養ドリンクでも一気飲みする勢いで瓶が傾けられ、中身がみるみるうちに減っていく。

 げぷ、という下品な音と共に中身が尽きると、おもむろに教授の身体が輝き始める。

 急展開すぎてついて行けない。

 

「あの、教授って元に戻りたかったんですか?」

「いえ、そんな話は聞いていませんが……」

 

 みんなしてぽかんとしている中、光はだんだん収まって、

 

「お、おおお、吾輩の身体が……!」

 

 何の変化もなかった。

 なんだこの肩透かし。戻りたいと願っていてもすぐには戻れなかったらしい。結果オーライではあるが、

 シルビアと朱華も肩をすくめて、

 

「不発かあ」

「仕方ないわね。急ぐわけじゃないし、ゆっくり改良しましょ」

「全て丸く収まりましたね」

 

 のんびりお茶でも飲もうか、という話になり準備が始まろうとして、

 

「待て! ちゃんと変わっている! 吾輩は二か月と少し前、右腕を軽くすりむいていてだな……!」

 

 慌てて言った教授が腕を示すと、そこには確かに小さな擦り傷があった。

 

 

 

 

 

 

 要するに、こういうことだ。

 シルビアの作った「元に戻る薬」は成功していた。効果は二か月と少しだけ身体を前の状態に戻すこと。つまり、俺が使えば元に戻れるが、教授が使っても大した意味はないということだ。

 教授はそれを見越した上で、薬のテストのために煽っただけらしい。なんとも人騒がせな話である。

 

 ともあれ、この結果を受けて、シルビアは更なるポーション製作に精を出すらしい。

 今回のは二か月程度だったが、これを一年戻すとなると効果をもっと上げなくてはならない。

 

「今は必要ないけど、また新入りが入ってくるかもしれないしねー」

 

 その新人が戻りたいと希望した時、差し出せる薬があると安心だろう。

 政府的には邪気を払える人員はどんどん増やしたかったりするかもしれないが……まあ、当事者の思惑というのは得てしてズレるものである。

 

 俺は、今まで通りの生活に戻った。

 親に「戻らないことにした」などと連絡はしない。戻れない前提で生活している家族にそんなことを伝えても仕方ないし、俺が戻りたくないと思っていたからといって、ある日突然戻らない保証はないからだ。

 なので、俺はとりあえず夏休みの宿題を進めたり、夏休みの予定に思いを馳せたりしながら、いつか自分も後輩を迎えることがあるのだろうかと、ぼんやり思いを巡らせるのだった。




※とりあえず、少なくとももう一話続きがあります。


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聖女、新たな一歩を踏み出す

 白い砂浜と青い海。

 

 絵に描いたような光景に、俺は思わず「わあ……!」と声を上げた。

 海水浴といったら芋洗いのような光景がつきものだが、そこは会員制のビーチというだけあって人が少なかった。少人数のグループが二組程いるだけで、さっきも言った通り、「海!」な景色を問題なく見渡す事ができる。

 心が洗われる。

 人が少な過ぎて「これで経営が成り立つのか」と思ってしまうが、会員制と言うからには年会費によって運営されているのだろう。つまり、実際の利用者が多くても少なくてもビーチ側としては問題ないのだ。

 

「ふふっ。いいでしょう、このビーチ。わたしのお気に入りなんです」

「はい。とても良いところですね」

 

 上昇したテンションのままに返事をすれば、今回のホストで──グループのリーダー的存在である少女は照れくさくなったのか、頬を染めて視線を逸らした。

 上品かつ女の子らしい仕草でとても可愛い。

 共学だったらさぞかしモテるんだろうな、と、ぼんやり思いながら俺は辺りをあらためて見渡して、

 

「海の家はないんですね」

「え? ああ、そういえばそうですね。……どうしてかしら」

「お嬢様。おそらくは採算が取れる程の利用者がいないからかと」

「そうね。ここはいつも空いているもの」

 

 お付きとして同行してくれている使用人女性の言葉に、少女が頷く。

 それから彼女は小さく首を傾げて、

 

「……言われてみれば、ああいったジャンクフードを海で食べた事は無かったわ」

「海と言えばまずいラーメンか、普通の焼きそばが定番ではないんですか……!?」

「アリス様も物語か何かでご覧になられたのですね」

 

 庶民とお金持ちの海水浴事情の違いに愕然としていると、使用人の方にまで微笑ましそうに見られてしまった。

 違うんだ、海の家は実在するんだ。

 

 

 

 

 

 

 お嬢様達との夏のレジャー第一弾は海水浴になった。

 後半になるとクラゲが多くなるから、というのがその理由だ。なので、少女達の「家の用事」が一段落したタイミングでの実施となった。

 移動は電車やバスではなく、家の車で使用人に運転してもらって、というもの。ある意味、タクシーを使うよりも贅沢である。

 集合は一人ずつピックアップしてもらう形で、俺は学校前を指定させてもらった。別に住所を教えても問題はないのだが、わかりやすい場所の方が拾いやすいだろうからだ。

 

 使用人の方に挨拶をして、道中はわいわいと雑談。

 流れで「海水浴は初めて」ということにしておいた。海の家の件で誤解されたのはそのせいもあるのだろうが、実際は家族と二回くらい行ったことがある。まあ、あの海水浴と今回の海水浴はまるきり別物としか言いようがないが。

 基本的に話の内容は今日のことと、夏休みにあったことが多かった。

 みんな思い出話が驚くほど多い。忙しくも充実した夏休みを送っているらしい。そう言う俺は……と思いかえしてみたところ、バイトの件は一般人に話せないものの、買い物に行ったりカラオケに行ったり、実家で妹と話したり、防犯ブザー初体験をしたり、出かけなかった日も朱華やシルビアにちょっかいをかけられたりして、結構色々やっていた。

 やっぱり、みんなには感謝しないといけない。

 

 朱華も来られれば良かったのだが、ぱたぱた手を振って「あたしはいいわ」と言われてしまった。

 実は意外と人見知りをするというか、付き合う相手を選んでいるのかもしれない。仕方ないので何かお土産でも用意しようと思う。

 と言っても今日は日帰りだし、土産物屋に寄れるかはわからない。

 海で調達できるお土産の定番は貝殻とかだろうか?

 少女趣味すぎてまたからかわれそうだが、別に、もう女子らしくすることを恐れる必要もないんだよな……。

 

 俺は、自分自身の意志で「アリシア・ブライトネス」でいることを選んだ。

 

 当然、これからは女子として生活していかなければならない。

 勝手が違って苦労することもあるだろうが、それを楽しいと感じたからこそ選んだ道だ。

 

 

 

 

 

 

「では、準備を致します」

 

 俺や他の二人がビーチに歓声を上げるのを見届けた後、使用人の人は持ってきた道具を下ろして準備を始める。

 

「お手伝いします」

 

 成人とはいえ女性だ。

 一人では大変だろうと声をかけると、にっこり笑って「ありがとうございます」と言ってくれたものの、それに続けて首が振られた。

 

「ですが、ここはお任せください。皆様は思う存分、海水浴を楽しむのがお仕事です」

「……はい」

 

 食い下がりたいところではあったが、あまり言っても困らせてしまいそうなので引き下がる。

 せめて邪魔にならないよう、荷物だけを置いて離れると、同行者達から袖を引かれた。

 

「アリスさん。準備ができるまで水遊びをしましょう?」

「そうですね」

 

 どうせ泳ぐのだから、と、靴や靴下は脱いでしまい、服のまま裸足で波打ち際の方まで向かう。

 浅いところなら流される心配もないし、視界が通っているので大人としても見守りやすい。危ないことさえしなければ、少しくらいはしゃいでも大丈夫そうだ。

 といっても、服がびしょ濡れになるのは避けなければならない。

 今日の俺は白いノースリーブのワンピースに、同じく白ベースの帽子という「いかにも」な格好だ。テンプレすぎて主役を食ってしまわないかと心配になるくらいだったが、

 

『あんたと白を取り合おうなんて子はいないでしょ』

 

 という朱華の発言を受け入れさせてもらった。

 実際、他の子も(夏なので)黒は避け、白や青などの爽やかな服装に身を包んでいるものの、俺のように全身白、というコーデにはなっていない。

 それでいて、それぞれの個性が出たお洒落をしているのだから恐るべし、である。

 

「わ、冷たくて気持ちいい」

「やっぱり、砂浜の感触はいいですね」

 

 寄せる波に足を触れさせ、ぱしゃぱしゃと小さく足音を立てる。

 裸足の足裏が砂に沈み込む感覚に目を細めたり、足の甲くらいまでを水に浸して軽く水を蹴り上げてみたり、上品に遊ぶ。

 時にスカートを軽くつまんで水に濡らすのを避けながら、だ。

 

「どうですか、アリスさん」

「はい、楽しいです」

 

 答える声は知らず弾んでいた。

 単に波とじゃれている、という程度のことしかしていないのだが、こういうのでも十分楽しめるのだと初めて知った。

 元の俺だったらどうしただろう。

 とっとと海パン姿になった上で、はしゃぐ女子達を「無駄に元気だなー」と冷めた目で見ていたかもしれない。海に来たんだからさっさと泳ごうぜ時間が勿体ない、と、そういうノリである。あるいは砂浜に座り込んだまま、少女達の胸や尻をさりげなく観察するか。

 つくづく、男と女というのは別の生き物である。

 

 そんな風にしてしばらく遊んでいると「準備ができました」と声がかかった。

 

 大きめのビーチパラソルの左右に、白いビーチチェアが一脚ずつ。

 傍らには別のビーチパラソルとレジャーシートがあり、四隅は石だとかリュックサックだとかの色気のない代物ではなく青無地のブロックのようなもので押さえられていた。レジャーシートは砂を落とす素材になっているらしく、さらっとしていて嫌なじゃりじゃり感がない。

 

「チェアを四人分積めなかったのが心残りですが……」

「十分です。というか、十分すぎます」

「では、誰がチェアを使うかはじゃんけんで決めましょうか」

 

 リーダーまで含めてじゃんけんをした結果、勝利してしまった。

 なんとなく申し訳なくなったので、

 

「せっかくですから交代で使いませんか?」

 

 と提案して全員から賛成をもらった。

 さて。

 疲れた時に戻ってこれる体制も整ったので、そろそろ泳ぐ頃合いだが、そういえばどこで着替えるんだろうか。

 尋ねると笑顔と共に、

 

「人目もそれほどありませんし、ここで脱いでしまいましょう?」

 

 そういうところは意外と豪快である。

 水着は服の下に着てきてください、と前もって言われていたのだが、それはこのためだったらしい。

 お金持ち用の会員制ビーチとなると盗撮魔が居たりとかしないのかとも思ったが、ビーチの外からは見えづらいようある程度の目隠しがされているし、会員以外が付近をうろついていた場合は警備員に声をかけられるらしい。まして、ビーチ内を徘徊しようものなら警察沙汰もありうるとか。

 

「アリス様。簡易更衣室のご用意もありますが」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」

 

 お礼を言って服に手をかける。

 何しろ元男なので、別に恥ずかしさはない。なんなら上半身裸になることだって……って、それはさすがに恥ずかしい気がする。

 ともあれ帽子を下ろし、ワンピースを丁寧に脱いで、

 

「アリスさんはどんな水着にしたんでしょう?」

「えっと、クラスの子と一緒に選んだんですけど……」

 

 最終的に選んだのは白ベースの一体型(ワンピース)水着だった。

 模様やロゴも最小限に抑えられたシンプルなデザインだが、競泳用ではなく遊泳用。下部にあしらわれた小さなフリルが何よりの証拠だ。

 少し可愛すぎるのではないかとも思ったのだが、一緒に選んでくれた子達は「可愛い!」と大絶賛だった。白なので紫外線にも強いし、露出自体は低めだからまあいいか、と俺も最終的に納得したのだが、

 

「どう、でしょうか……?」

 

 恐る恐る視線を向けると、三人は着替えの手を止めてこちらを見ていた。

 ごくん、と、息を呑む音が聞こえたような錯覚。

 

「これは……」

「すごいですね……」

「アリスさんと水着を選ぶなんて羨ましいですが……この選択は『良くやった』と言うしかありません」

 

 よくわからないが似合っているらしい。

 

「その水着はアリスさんじゃないと似合いませんね」

「ええ、白い肌によく映えています」

「あ、ありがとうございます」

 

 面と向かって言われると何だか照れてしまったが、そう言う少女達も各々、自慢の水着を持参して来ていた。

 赤に青、そして黒。

 三人ともツーピースタイプで、デザインはホルターネックだったりチューブトップだったりとそれぞれ違う。まだ中学生ということで派手さ自体は抑え目で可愛らしさ重視だが、最近の中学三年生は十分に発育が良い。

 ロリコン相手でなくともその気になれば挑発できそうなくらいには女の子らしい体型がはっきりと晒された。

 ぶっちゃけた話、三人とも俺よりスタイルが良い。

 自分の胸にコンプレックスを持つ域にはまだ達していないが……ノワールやシルビアを思い出してみても、女性らしい身体のラインというのは少し羨ましいかもしれない。その方が似合う服も増えるだろうし。貧乳はステータスだ、とか胸を張るのはなんとなくアレだ。

 

「みなさんも良く似合ってます」

「ありがとうございます、アリスさん」

 

 考えてみると体育の着替えで服を脱ぐことはあっても、まじまじとお互いの下着姿を見るのはなんだか憚られる感じがあったし、体操着は露出面積が意外と高くないため、こうして肌を晒し合うのは少し恥ずかしい。

 

「そういえば、みなさん日焼け止めは大丈夫ですか?」

「家で塗ってまいりましたが、念のためもう一度塗っておいた方がいいかもしれませんね」

「アリスさんもいかがですか?」

「あ、私も持ってきてるので、それを使います」

 

 白人系で肌質が近いであろうシルビアが「ここがおススメだよー」と教えてくれたメーカーの品である。海水浴用なので、そこからウォータープルーフタイプなるものをチョイスして持ってきた。

 日焼け止めに関しては神聖魔法でどうにかなるのであまり気にしなくても大丈夫なのだが、それを上手く説明する自信がないし、塗って損するものでもない。

 というか、せっかくだしみんなにも魔法かけておこう。

 

 全員が日焼け止めを塗り終わって「さあ海へ」というタイミング、踏み出すのを遅らせてみんなが背を向けたところで、こっそりと日焼け止めの魔法をかけた。

 多少光が漏れてしまうが──陽光の下だと目立たないので問題はないだろう。

 あ。というかロザリオは外しておかないと、首から下げているだけなので波にさらわれてしまうだろう。慌てて外して荷物の上に置く。奮発して一万円以上する品を買ったので、簡単に失くしてしまっては困る。

 と。

 

「アリスさーん?」

「あ、はーい」

 

 答えて立ち上がり、海へと小走りに駆ける。

 

 ……そういえば。

 

 せっかく友達になったというのに、名前に関しては呼んでもらうばかりで、こちらから呼んだことはなかった気がする。

 というか、遊びに行くにあたって必死に覚えたものの、それまでは顔と名前が一致するかも怪しかった。

 ちゃんと覚えて呼ばないと失礼な気がする。

 

 よし、今日のうちに全員の名前を一回は呼ぼう。

 足を止めないまま、俺は密かに決意してぎゅっと拳を握りしめた。




アリスの女の子ライフはまだ始まったばかり。
ご愛読ありがとうございました。


※一応、これにて第一章終了となります。
 続けるつもりですが、ストーリー的な展開とTSネタを上手く混ぜつつ話が纏まり次第になるかと思います。
 もし纏まらなかったらこっそり完結に変更します。

 参考としてアンケートを設置いたしました。
 当初、アリスの相手役(ヒロイン)として設定したキャラはいるのですが、皆さんがどう思っていらっしゃるのか、よろしければポチっと押していただければ……。


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第二章
聖女、お嬢様達と海に行く


「お疲れ様です、お嬢様」

「ありがとう、理緒(りお)

 

 緋桜(ひおう) 鈴香(すずか)は使用人の差し出したタオルを受け取ると、全身に付着した海水を丁寧に拭った。

 日差しが強いので放っておいても乾くだろうが、あまり長い時間、海水に濡れているのは良いとは言えない。また海に入るからと不精をせずきちんとケアした方が良い。

 パラソルに隠れたビーチチェアの上は涼しく、背を預ければ思わず息がこぼれた。

 

「どうぞ」

 

 すかさず冷えたドリンクが差し出される。

 ストローを通って口の中に入ってきたのは甘みと、かすかな酸っぱさ。マンゴーだ。いかにも夏らしいフルーツに頬が緩んだ。

 更に二口続けて飲み、一息ついたところで、

 

「晴れて良かったですね」

「ええ。……みんな楽しそうだもの」

 

 言いながら視線を向ければ、友人達が遊ぶ姿が見える。

 除け者にされているわけではない。軽い休憩を取るだけなのでそのまま遊んでいて欲しい、と伝えたからだ。ドリンクを飲み終わったらまた合流するつもりである。

 さっきまでは二対二でビーチバレーをしていたのだが、内容は水泳に切り替わったらしい。

 まだまだ元気らしい少女達は競うようにして海に入りバタ足を披露している。意外としっかり泳いでいるが、ここの波は穏やかだし、理緒もこっそり目を光らせているので心配はないだろう。

 

 むしろ──。

 白いワンピース水着に身を包んだ金髪の友人の姿に、自然と目を細めてしまう。

 一月前から親しい友人の仲間入りをした少女、アリスことアリシア・ブライトネスがどうやら一番張り切っている。海は初めてだがプールの経験はあり、泳ぎにも自信があると行きの車内で話していたが……なるほど、そのフォームは意外なほど様になっている。

 みるみるうちに距離を稼いでいく彼女の姿に感嘆していると、

 

「あら」

 

 突然バランスを崩して動きが止まった。

 理緒が一瞬立ち上がりかけるも、近くにいた他の少女がフォローに入った。アリスもすぐに復帰し、直立する姿勢で水中に浮かんだ。

 ただ、彼女の顔は「しょっぱいです」と言わんばかりに歪んでおり、可愛らしくも面白い。遠くにいる鈴香までくすくすと笑みをこぼしてしまった。

 本当に、見ていて飽きない少女である。

 二週間ほど会っていなかったが、今日は一段と可愛い。今までのアリスは戸惑いや遠慮を抱えていたのだが、それが薄くなっている。何かいいことでもあったのだろうか。

 

 理緒も微笑ましそうにアリス達へ視線を送って、

 

「随分、アリス様を気に入られたのですね」

 

 鈴香はその言葉に「もう」と頬を膨らませる。

 

「その言い方だとなんだか偉そうだわ。アリスさんとはお友達なのだから」

「申し訳ありません」

 

 頭を下げる理緒。

 とはいえ、十歳は歳の離れたお目付け役は鈴香も含めて「可愛いなあ」と思っているらしく、彼女の口元には笑みが浮かんでいる。

 別に、鈴香も本気で怒ったわけではなく、むしろ慣れ親しんだ相手とのじゃれ合いのつもりだったので構わないのだが、子供扱いされるのは若干不満だ。

 早く大人になりたい。

 

(……でも。そうね)

 

 権利と義務はえてしてセットでやってくる。

 高校生になれば門限は伸びるだろうし、理緒の同行なしで遊びに行ける範囲も広がるだろうが、勉強は難しくなるだろうし、習い事を増やすか部活動に入るかしなければならないだろう。

 楽しみと同時に不安なことも多い。

 

 そう考えると、中学生のうちにアリスと出会えたことは幸運だっただろう。

 

「アリスさんはまた転校したりするのかしら」

「可能性は低いのではないでしょうか」

 

 理緒が穏やかに答える。

 アリスは外国人──というか日本在住の「二世」が住むシェアハウスで暮らしているらしい。同じクラスの朱華もそこの住人だし、高等部のお姉さまにも住人がいる。

 住居的にもコネクション的な意味でも桜萌(ほうおう)学園を離れるメリットはあまりないだろう。外国にいるという親類が何かアクションを起こせば話は別かもしれないが。

 

「日本びいきだものね」

 

 アリスは日本語がぺらぺらだ。

 むしろ英語は一般的な高校生レベルに達しているかいないか、といった程度しか話せないらしく、会話中に英語が飛び出して来たりすることはない。

 一方で趣味は偏っており、剣道に興味があると言ったり滝行をしたいと言ったり、日本フリークの外国人に近いところがある。

 中学生だというのにシェアハウスを利用してまで日本にいるのだから、よほどのことでない限りは残るだろう。

 

 きっと、高等部でも一緒に過ごせる。

 

 昔からの友人である他の二人とのグループにもう一人、こんな形で加わるとは思わなかったが、既に鈴香は自身のこれからの生活イメージにアリスの姿を組み込んでいる。

 そういう意味では「お気に入り」という表現は正しい。

 

「理緒は不満? わたしが、アリスさんと仲良くするの」

「いいえ」

 

 理緒はほんの少しだけ考えるようにしてから答えた。

 

「良いと思います。少なくとも、今のところは」

「そう、良かった」

 

 少しだけほっとする。

 今日の思い出話は両親にもするつもりだが、両親──特に父は別途、理緒にも報告を求めるだろう。

 気心の知れた仲ではあるものの、理緒は家に雇われた使用人であり、鈴香に不利益があると思われる情報を隠匿することはできない。

 だから、アリスが気に入ってもらえるのはとても大事なことだった。

 

「アリスさんは良い子よ。とっても」

「……そうですね」

 

 鈴香が見ていることに気づいた友人達がこっちに手を振ってくる。

 アリスは他の二人に釣られるようにして、胸の前で小さく手を振っている。たったそれだけのことなのに、何か恥ずかしいことでもあるのか、顔は真っ赤になっていた。

 くすくす笑いながら手を振り返していると、理緒の声。

 

「悪い事が出来る方には全く見えません」

 

 鈴香もそう思う。

 

「ねえ、理緒。もし、はしゃぎすぎて疲れてしまったら……」

「ご安心ください。宿を仮予約済みです」

「そう、よかった」

 

 アリスはむしろ、悪い人間にほいほい騙されるタイプだ。だからこそ見守ってあげないといけないのである。

 

 

 

   ◇    ◇    ◇

 

 

 

「コテージまで借りられちゃうなんて凄いよね」

 

 突然の利用だというのに、施設は埃を被っている様子が少しもなかった。

 部屋に二つあるベッドのうち、入り口に近い方を選んだ友人の言葉に、俺は「そうですね」としみじみ頷いた。

 

「……いくらするんでしょう、ここ」

「うーん、どうなんだろう。でも、ホテルで三部屋取るよりは安いんじゃないかな?」

 

 首を傾げながら紡がれた見解は、想像を絶するというほどではないにせよ、驚くには十分な内容だった。

 

 ──海ではしゃぎ過ぎた俺達は、帰る前に一泊することになった。

 

 何しろ、日が暮れかけた時点でみんなへとへとのままシートに座り込んでいたのだ。

 少女達よりは体力のある俺も「今から電車で帰れ」と言われたら絶望するレベル。

 手荷物を持って駐車場まで歩くのさえしんどい有様だったので、リーダー格のお嬢様──鈴香が助け舟を出してくれた。

 使用人の理緒さんも主人の指示を受けてすぐに宿を手配してくれ、用意されたのがこのコテージ。

 

 なんでも、ビーチの会員は割引価格で利用できるらしい。

 

 特典は利用しないと損だし、ホテルのスイートとか手配されるよりはずっと気楽ではあるのだが、二階建ての一軒家と言って差し支えのないコテージが複数「でん!」と並んでいる様は圧巻だった。

 中もテレビやエアコン等、一通りの設備が揃っており、ベッドルームも二階に複数存在していた。

 二人部屋が複数といった感じだったので、子供は二人ずつで寝ることに。じゃんけんで分かれ方を決め、とりあえず荷物を置きに来た。

 

 理緒さんからは「しばらくはお寛ぎください」と言われている。

 今のうちに風呂の支度をし、近くのスーパーに食材の買い出しに行くらしい。ホテルと違いレストランが併設されているわけではないので、キッチンを使って自分達で作らないといけない。

 さすがに料理まで出来上がるのを待っているだけでは申し訳ないので、そこはみんなで手伝おう、という話になった。

 まあ、ぶっちゃけ俺に料理スキルなんてないわけだが……そこはそれ、ジャガイモの皮むきくらいならなんとかなるだろう。

 

「アリスちゃんは、おうちのほう大丈夫だった?」

「はい。お土産をよろしく、と言われました」

 

 グループチャットで済ませるのはアレかと思ったので電話で連絡した。

 かけた相手はノワールだったが、朱華達もいたらしくわいわい騒がしかった。土産を買って来い、とのたまったのは後ろの連中である。

 まあ、もともと買っていくつもりだったので何も問題はない。

 

「よかった。じゃあ、せっかくのお泊まりだから楽しもうね」

「はい」

 

 一緒の部屋になったのは、トップカースト三人組のうちの一人で──初めて中庭に誘われた際、ご両親が料理人だと言っていた子だ。

 名前は里梨(さとなし)芽愛(めい)

 明るく声を弾ませている彼女は髪をショートに纏めており、運動が好きなのかと思いきや、グループの中では一番インドア派らしい。今日の海水浴でも最後まではしゃいでいたので運動が苦手なわけではないようだが、休みの日は主に料理の練習をしているのだとか。

 

「里梨さんは、料理が得意なんですよね?」

 

 ひょっとして俺の出番はないのではなかろうか。

 思いながら尋ねると、彼女は「芽愛でいいよー」と言った。

 

「え」

 

 途端、硬直する俺。

 あっさり無理難題を言わないで欲しい。苗字呼びと名前呼びの間には深い谷が存在する。

 ちなみに朱華やノワールは例外だ。彼女達は家族みたいなものだし、外国人だから名前呼びが普通だよね、という心理が働いている。

 しかし、聞こえなかった振りをしようにも反応してしまったし、わくわくした視線がこちらに向けられている。

 

「……さ、里梨さん」

「芽愛」

「……芽愛さん」

「芽愛」

「芽愛さんです。ここは譲りません!」

 

 顔から火が出そうになったので、強引に話を打ち切る。

 芽愛は「恥ずかしがらなくてもいいのに」と言いながら嬉しそうに笑っていた。そして、ひとしきり笑った後で教えてくれる。

 

「料理は好きだよ。でも、腕前はまだまだかな」

「まだまだ……。それはあれですよね。ご両親に比べて、っていうことですよね?」

「そうだけど。あ、もしかしてアリスちゃん、料理苦手なんだ」

「………」

 

 俺は目を逸らした。

 自慢じゃないが、料理なんて学校の調理実習でしかやったことがない。作れるとしても目玉焼きあたりが限界である。

 

「大丈夫だよ。理緒さん、カレーにするって言ってたから」

「カレーが簡単って言えるのは料理得意な人だけですよ……」

「アリスちゃん、普通に話してくれるようになってきたね」

 

 話を聞け。

 というか、芽愛も以前よりざっくばらんな話し方になっている。一緒に遊んで打ち解けたのもあるが、学校内では大人しくするよう心掛けているから、らしい。ちなみに鈴香は敬語がデフォルトで、あれでもむしろくだけているくらいらしい。

 

「もうちょっとしたら鈴香たちのところ行こっか。ご飯作る前にお風呂入っちゃった方がいいかも」

「そうですね……って、お風呂?」

「うん。シャワーは浴びたけど、さっぱりしたいじゃない?」

 

 確かに、若干さっぱりし足りない。

 出発する前、ノワールやシルビアから「海水はしっかり落とさないと髪の毛がうんぬん」と言われたし、ちゃんとケアしておいた方がいいかもしれない。

 それは良いんだが、風呂ときたか。

 

「あの、それは一人ずつですよね……?」

「え? みんなで入った方が楽しいし、一人ずつじゃ遅くなっちゃうよ」

「……ですよね」

 

 恥ずかしいので一人で、と抵抗してはみたものの、見事に無駄だった。

 海で潔く脱いだのに今更、と言われれば抗弁のしようがない。むしろ、騒いでいる間に理緒さんが帰ってきてしまい、彼女も含めた全員で入ることになってしまった。

 女子として生きていく決意をしたからといって、いきなり女子に染まれるわけじゃない。

 同級生三人+大人の女性一人の裸身を直視させられた俺は「ああ、女らしさっていうのはこうやって磨かれていくんだな」と、わかったようなわからないようなことを思った。



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聖女、研究対象にされる

たくさのアンケート回答、ありがとうございます。


「わ、私はやっぱり一人で──」

「もー、観念しなよアリスちゃん。絶対楽しいから」

 

 芽愛に手を引っぱられて脱衣所まで連行された。

 これからお風呂だし暑いからと当然のように薄着である。これは合流した二人も同じだ。はしゃいでいる芽愛に苦笑しながらついてきている。

 唯一の大人である理緒さんも一緒だ。

 

「……うう」

 

 ピンチである。

 女子(アリシア)として生きると決めた俺だが、できればゆっくりじっくり慣れていきたい。いきなり風呂とかハードルが高すぎる。

 というか、元とはいえ男の俺と一緒に入る芽愛達の貞操が危ないのでは。

 顔を真っ赤にしながらどうしたものか考えていると、理緒さんが何かに気づいたように耳打ちしてきた。

 

「あの、アリス様? ……もしかして、何か知られたくないことがおありなのでは?」

 

 ノワールといいこの人といい、できる女性というのは本当に凄いと思う。

 

「持病ですとか、手術の痕。隠されたいのであればご協力いたしますが」

「い、いえ、大丈夫です」

 

 しかし、俺は首を振って辞退した。

 元男なのは確かに秘密だが、言ってもどうにならない。服を脱いだからバレるものでもない。恥ずかしいからって理緒さんを利用するのは良くないだろう。

 

「ただ、その。恥ずかしかっただけで。……でも、覚悟を決めます」

 

 ある意味、不死鳥戦よりも覚悟を決めて拳を握ると、理緒さんは微笑んで頷いてくれる。

 

「かしこまりました。では、私も全力でお世話させて頂きます」

「……え?」

 

 プロフェッショナルを思わせる輝きが一瞬、瞳に宿った。

 なんだ。なにか目覚めさせてはいけないものに触れてしまったのか。

 俺達の会話を拾おうとするわけでもなく泰然としていた鈴香がくすくすと笑って、

 

「理緒は髪を洗うのも上手いんですよ。私もよく洗ってもらっているんです」

「お嬢様は最近『私ももうすぐ高校生なんだから』と遠慮なさるので、今日は皆様の髪をお世話させてください」

「いえ、あの、私も恥ずかしいんですけど……」

「気になさる必要はございません。お世話されるのに年齢なんて関係ないのですよ」

 

 理緒さんはなんだかうきうきしている。

 女の子の髪を触るのが好きなのかもしれない。気持ちは正直わからなくもない。男の髪なんて見てもサッカー部へ抱いていた対抗意識しか湧かないが、女の子の髪は長さもデザインも多いし、さらさらで良い匂いがするから見ているだけで楽しい。

 と、今度は鈴香が寄ってきて、

 

「アリスさん。実は、私も自分の身体には少しコンプレックスがあるんです。お友達にだけは特別にお教えしますね?」

 

 囁くようにして俺を勇気づけてくれた。

 見せてもらった「コンプレックス」というのは「背中に小さなほくろがある」というなんとも可愛らしいものだったが、そのくらいむしろチャームポイントなのでは、という言葉はギリギリのところで呑み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

「……ふう」

 

 苦しいくらいに詰め込まれたお腹を押さえてソファで一息。

 

 脱衣所で下着の話に花を咲かせたり、俺の白い肌にみんなが歓声を上げたり、むだ毛の処理方法で盛り上がったり、さすがにいっぺんには浸かれそうにない湯舟に敢えてチャレンジしてきゃあきゃあ言ったり、なんだかんだ楽しんだ後は料理、そして食事になった。

 夕食の献立はカレーとサラダ、コンソメスープというまさに定番。

 理緒さんと芽愛による指導のもとみんなでわいわいと調理。まあ、その二人が味にこだわったお陰で、俺は野菜の皮むきに専念させてもらったのだが。

 

 ちなみに料理の腕前は理緒さん、僅差で芽愛の順。鈴香も無難にこなしており、最後の一人も食材を切るくらいは問題なくできる子だったため、俺の腕前は見事最下位だった。

 出来上がったカレーは美味しかった。

 自家製といっても隠し味や調理のコツが効いており、俺が身ごとこそげ落としたせいで若干いびつになったじゃがいももまた独特の味わいを醸し出していた……と思う。

 

 デザートには理緒さんが買って来てくれたプリンをいただき、片付けは「さすがにそれはお任せください」と主張する理緒さんにお願いした。

 芽愛は自主的に手伝っているが、彼女は理緒さんにとっても特別らしい。料理上手同士の連帯意識みたいなものがあるのだろう。

 鈴香は「普段、こういう場は見られないので」と興味深げに洗い物を観察中。やっぱりお嬢様なんだなあ、としみじみ頷き、

 

「アリスさん、アリスさん」

安芸(あき)さん」

 

 残る一人に、俺はくいくいと袖を引かれた。

 艶やかな黒のストレートロング。古き良き大和撫子といった雰囲気をした大人しそうな少女が、グループ最後の一人である。

 名前は安芸縫子(ほうこ)

 イメージぴったりの和っぽい名前だと思うのだが、本人はあまり気に入っていないようで、苗字を「秋」のイントネーションで呼んで欲しい、と言われている。

 

 見た目通り、どちらかというと饒舌な方ではないのだが、

 

「アリスさんの身体、もう少し見せてください」

 

 どういうわけか、少女の瞳には星が輝いていた。

 

「は、はい」

 

 まあ、見せるくらいなら……と、されるがままになると、縫子は俺の腕を取ってしげしげと眺めたり、ぷにぷにと押してみたりし始めた。

 くすぐったいが、決していやらしい触り方ではない。

 どちらかというと何か研究されているような感じだ。

 

「安芸さんは裁縫が好きなんですよね?」

「はい。大好きです」

 

 小さく微笑んで答える縫子。

 彼女の家系からは芸術肌の人間が多く輩出されているらしく、縫子は裁縫が趣味。お兄さんは画家兼イラストレーターで、お姉さんはまだ学生ながら芸能活動をしているのだとか。

 縫子は裁縫全般に興味があるようで、日々色々なものを作っているという。

 例えば編み物とか、刺繍とか、服とか、

 

「下着とか、ですね」

「っ」

 

 女子の下着って、連想しただけでやましい気がするのはなぜだろうか。

 ともあれ。

 そういえば、脱衣所で下着の話題を振ったのも縫子だったか。

 

「下着って、作れるものなんですか?」

「作れますよ。高級なハンドメイドブランドもあります」

「へえ……」

「私が作れるのは、まだまだ簡単なものですが」

 

 研究には余念がないようだ。

 服や下着を作りたいと思ったら、それを着る人間のことを知るのも大切になる。

 身体や肌のことを知っていないと適切なデザインや素材選びができないからだ。

 

「なので、アリスさんには興味があったんです」

「え」

「白人系の子なんて同世代にはなかなかいないので」

 

 俺は格好のサンプルというわけである。

 夏休みのレジャーとして子供向けのエステサロンを提案してくれたのも縫子だ。家柄的に美への関心も高いので、美容関係にも伝手があるのだとか。

 肌を観察し、触れる縫子は真剣だし丁寧だ。

 いかがわしいことを考えているようには微塵も見えない。いや、同性に変なことしようとする女子中学生とか普通そんなにいないだろうが。

 

「……みなさん、凄いですね」

 

 鈴香も芽愛も縫子も、それぞれに個性と長所を持っている。

 

「ただ好きなだけですよ」

「それが凄いんです」

 

 首を傾げる縫子に俺はそう言った。

 好きでも、それをどこまでも突き詰められる人はそういない。研究し、練習し続けられるのは立派な才能だ。

 しかも、三人とも学校の成績もきちんと保っている。

 そして遊ぶ時は遊ぶ。海ではしゃいでいた彼女達はどこまでも等身大の女の子で、ついこの間女子を始めたばかりの俺にはあまりにも眩しい。

 

「……そうですね」

「ひゃっ」

 

 縫子は俺の足や首筋に人差し指を滑らせながら何かを思案していた。

 ものすごくくすぐったかったんだが、今のは必要あったのか?

 

「アリスさんも何かチャレンジしてみればいいと思います」

「はい。私も、最初から裁縫が得意だったわけじゃありません。芽愛も同じだと思います。ですから」

「……そうですね」

 

 俺はこくりと頷いた。

 縫子達だって自分の好きな物を探して今の趣味を見つけたのだ。羨ましがってないで、俺もこれから探していけばいい。

 幸い、時間はまだたっぷりあるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

「戻りましたー」

 

 シェアハウスに帰り着いたのは翌日の昼過ぎだった。

 

 昨日は夕食の後、わいわいお喋りをしたり、何故か怖い話大会が始まったり(前に読んだ時代小説から引っ張ってきたら「本格的すぎる!」と抗議された)した後で就寝となり、翌朝、今日は残ったカレーやトーストで簡単に朝食をとってからコテージを出た。

 土産物探しをして、戻ってくる途中みんなで昼食をして、近くで下ろしてもらった。

 また、と、手を振って別れるのがこそばゆくも「次もあるんだ」とどこか嬉しい気持ちになった。

 

「ああ、アリス。やっと帰ってきたわね」

 

 玄関で靴を脱いで揃えていると、朱華がやってきて出迎えてくれる。

 ノワールが出てこないのは珍しいが──それより朱華の格好がひどい。ピンクのショーツと赤いキャミソール、以上。

 髪も乱れているあたり昼まで寝ていたのか。

 いや、それにしてもショーツとキャミソールの色くらい合わせたらどうなのか。

 

「休日のOLみたいになってますよ」

「あんたそんなの見たことないでしょうが。いいのよ、どうせ女しかいないんだし」

 

 その思想がくたびれたOLみたいなんだが。

 

「襲いますよ」

「ふーん? シルビアさんに誘われても襲わなかったくせに?」

「……う」

 

 痛いところを突かれて目を逸らす。

 一般的に、誘惑に強いのは美徳だと思うんだが、撮影できなかったのを根に持っているんだろうか。

 

「と、というか、それこそシルビアさんに襲われますよ」

「あー、それは困るわね」

 

 言いながらリビングへ移動する。

 シルビアが襲う可能性は否定されなかったがスルーしておく。

 リビングには誰もいなかった。朱華以上に寝坊の多いシルビアはおそらく寝ているのだろう。教授は大学か。

 

「で、お土産は?」

「はい、ここに」

 

 まずは海で集めた綺麗な貝殻。

 個人ごとに買ってきたお土産は定番、小瓶に入った海の砂だ。海っぽいアクセサリーとかキーホルダーも考えたのだが、少し前にお守りを渡した手前、鞄につける系のアイテムは増やさない方がいいと思った。棚や机の隅に飾っておくだけなら場所も取らないしいいだろう。

 朱華には赤い砂を手渡して、

 

「あとはみなさんで食べようとお饅頭を──」

「でかした。お茶入れるわ」

 

 めっちゃ饅頭に食いつかれた。

 

「待ってください」

「何よ? あたしだってお茶くらい淹れられるわよ?」

「そういうことではなく、ただの饅頭ですよ?」

 

 海っぽい商品名が付けられてはいるが、ぶっちゃけどこの観光地に行っても売っていそうな普通の饅頭だ。

 この定番の味わいがまた美味いのだが、朱華は特別饅頭が好きなわけではないはずだ。和菓子洋菓子中華以前に、普段はエロゲしながらポテチ食べている奴である。

 尋ねると、朱華は意味ありげに「ふっ」と笑い、俺を座らせたままお茶を淹れた。

 饅頭なので湯呑みに緑茶である。さすが、元は日本人だけあってこの辺はわかっている。

 

 さっそく饅頭を一つ口に放り込み、ずずーっと茶を啜ると、朱華は深く息を吐いて、

 

「……いやね、お昼はカップ麺だったから甘い物が欲しくなって」

「ああ、なるほど」

 

 そういえばこの身体になってからは食べたことがないが、あのしょっぱさは今食べたらけっこうきついだろう。

 男と女だと塩分摂取量の基準が違うらしいし、何よりノワールの料理に慣れているのでジャンクフードの味が強烈に感じられる。

 素朴な饅頭だとしても至福の味だろう。

 って。

 

「いえ、待ってください」

「何よ。銘柄なら日本一有名なカップでヌードルなやつよ?」

「そうじゃないです」

 

 最初に違和感を覚えた時は「そういうこともあるだろう」とスルーしたが、さすがにここまで来れば黙ってはいられない。

 朱華の昼食がカップ麺だった。デザートに饅頭を食べるために自分で茶を淹れた。これがもう、おかしいとしか言いようがない。

 料理しなかったのは面倒だったからだろうし、カップ麺なのはジャンクフードが好きだからだろう。味はともかく茶くらい淹れられるに決まっているが、

 

「ノワールさんはどうしたんですか?」

 

 いつもなら真っ先に出迎えてくれて、お茶を飲むとなったら嬉しそうに用意してくれる。

 栄養バランスや献立が被らないようにまで考えて三食用意し、さらには俺のお弁当まで作ってくれる、我が家自慢のメイドさんはどこへ行ったのか。

 買い物に行ったとか、その程度の用事なら食事の支度をしてから行くはずだ。教授と朱華とシルビア、生活力の無い三人組を放置するはずがない。

 

 こいつらが結託したら「よし、夕飯は鰻でも取るぞ!」「わーい!」となりかねない。

 いや、俺がいても鰻が天ぷら蕎麦になる程度だろうが。

 

「あー……それね」

 

 指摘すると気まずそうに目を逸らす朱華。

 やっぱり誤魔化そうとしていたか。

 

「なにがあったか教えてください、朱華さん」

「……わかった。でも、驚くんじゃないわよ」

 

 じっと見つめて頼むと、朱華も真剣な顔で頷いて答えた。

 

「ノワールさんはヤクザの女になったの」

「はあ?」

 

 何言ってんだこいつ、と、俺は朱華をジト目で睨んだ。



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聖女、堕落の誘いを受ける

「ヤクザって。そんな話、エロゲとかでしか聞きませんよ」

「いや、エロゲでもそうそう……ごめん、ちょくちょくあるわ」

 

 朱華によれば、事の発端は昨日の夕方頃──ちょうど俺がお泊まりの電話を入れた後くらいだったらしい。

 政府から教授宛に連絡が入り、シェアハウスのメンバーへ特殊な協力依頼があった。

 バイト以外の仕事はかなりレアだが、これまでにも何度かあったらしい。

 

「私、聞いてないんですけど」

「お泊まりの邪魔しちゃ悪いし、戻ってこさせるにしても時間かかるじゃない。それに、全員が出張るような話でもなかったのよ」

 

 その依頼内容というのが、裏社会の組織──いわゆるヤクザ、マフィア、暴力団、シンジケート的なものの調査だった。

 最近、この街近郊の「そういう奴ら」が活動を活発にしており、何かをやらかす可能性が高い、という情報を掴んだらしい。

 

「えっと……警察の仕事ですよね?」

「そうだけど、あたし達とも無関係じゃないのよ」

「? というと?」

「不死鳥、倒したじゃない?」

 

 ボスモンスターを倒したことで悪い気が払われ、この地域に良い影響をもたらした。

 治安も回復した。

 裏の人間にとっては逆にピンチだ。資金繰りが思わしくなくなったり、構成員が足を洗ったりして立ちゆきが困難になったのかもしれない。

 そこで、なんとか力を取り戻そうと大きな仕事に打って出た。

 

「……あー」

 

 俺は苦笑した。

 それは確かに断りづらい。

 

「だから、ノワールさんが行ったの」

 

 調査や潜入工作ならノワールが一番向いている。

 俺やシルビアや教授だと容姿が目立ちすぎるし、いざという時の迅速な行動に難がある。見つかったから魔法で解決、というわけにもいかないだろうし。

 朱華の昼食がカップ麺だったのは、急いでいて作り置きができなかったからか。

 

「朱華さんは割と向いてそうですけど」

「あたしの超能力はパイロキネシスよ。燃やしたらまずいじゃない」

「確かに」

「それに、あたしってそういう場面で捕まるジンクスあるし」

 

 朱華というか、原作における朱華の話だろう。

 鬼畜系のジャンルである以上、気の強いヒロインは悪い奴に捕まってひどいことをされるのがお約束。これが純愛ものならバッドエンド以外はヒーローが助けに来てギリギリ助かるだろうが。

 なんとも言えない気分になって俺は虚空を見つめた。

 

「ノワールさんはいつ頃から帰って来てないんですか?」

「昨日の夕方からよ。今のところ連絡もなし」

「それ、大変じゃないですか!」

 

 何かあったのかもしれない。

 相手が相手だけに最悪の想定もしないといけない。ノワールなら大丈夫だとは思うが、荒事の場というのは何が起こるかわからないものだ。

 跳ねるように立ち上がった俺を朱華が声で制止した。

 

「落ち着きなさい。むしろ、何かあったなら連絡してくるはずでしょ。国だか警察だかと連携して動いてるはずだし」

「……あ」

 

 事件が起これば報道だってされるはずだ。

 あのノワールが連絡をくれないというのは引っかかるが、スマホの着信音のせいで敵に見つかる、なんてシチュエーションも潜入話ではよく見る。隠密行動のために電源自体を切っているのかもしれない。そのあたりを考えると朱華達から連絡するのも躊躇われたそうだ。

 朱華は軽く息を吐くと笑顔を作って、

 

「とりあえず、もう少し待ちましょ。あのノワールさんがヘマするわけないし」

「はい。でも、ノワールさんってそんなに凄いんですか? 銃を使ってる時点で只者じゃないとは思ってましたけど」

「ああ、あんたその辺全然知らないんだっけ。この際だから原作読みなさいよ」

 

 お茶を飲み終え、饅頭を五個も平らげた朱華はいそいそとリビングを出ていく。

 置きっぱなしになった湯呑みを片付けながら、俺はやれやれと息を吐いた。

 

「結局、ヤクザの女なんてただの冗談じゃないですか」

 

 ノワールなら怪我したり捕まったりはしない。

 なら、逆に敵方と恋に落ちて背徳的展開に突入したに違いない、みたいな下世話すぎる推理(?)だろう。

 でも、本当にそうならなくて良かった。

 

 

 

 

 

 

 ノワールのオリジナルが登場するのは、近未来の積層都市を舞台にした男性向けのラブコメマンガだ。

 主人公は若くして両親を亡くした少年。

 裕福な家柄ではあったものの、遺産を節約するために使用人を解雇。一人暮らしを始めた彼の元には、様々な事情を抱えた美女、美少女達が集まってくる──というストーリーだ。

 メイドのノワールはヒロインのうちの一人。

 主人公が使用人を解雇した後、新たに「雇って欲しい」とやってきた謎のメイドで、容姿端麗、家事万能、しつこいナンパ男も自分でのしてしまうパーフェクトレディ。

 

 そしてその正体は、

 

「お腹空いたよー」

 

 リビングのソファでマンガを読んでいると、シルビアがゾンビのような声(ただし可愛いゾンビだ)で現れた。

 

「ごーはーんー……」

「そこに饅頭があるわよ」

「やった」

 

 歓声を上げて饅頭の箱に飛びついた。

 あるだけ食いつくしてしまいそうなノリである。二箱買ってきてよかった。もう一箱は教授とノワールのために隠してある。

 

「じゃあお茶を淹れますね」

「頼んだ」

 

 久しぶりに読み返したら夢中になったのか、朱華はマンガから顔を上げないので、三人分の緑茶を淹れてそれぞれのところへ置いた。

 さすがに茶ぐらいなら俺も淹れられる。

 本当に淹れられるだけなので、啜ると熱すぎる上になんだか渋かった。

 

「……やっぱり、ノワールさんに教わった方がいいですね」

「なに? お茶の淹れ方?」

 

 朱華が顔を上げて尋ねてくる。そこは気になるのか。

 

「それもありますけど、どっちかというと料理を」

「みんなでなんか作って目覚めたとか?」

「え? アリスちゃん、まさかバーベキュー? お姉さん、抜け駆けは良くないと思うなあ」

「いえ、カレーです」

 

 前もって計画されていたお泊まりならバーベキューになっていたかもしれないが。

 それとも、森林浴の方でやる予定だから見送ったとかだろうか。海のバーベキューも定番だが、キャンプでやるのも定番だから、高原とかでも大丈夫だろう。

 

「その、みんな料理ができるので疎外感を覚えまして……」

「なるほどねー」

「気にしなくていいと思うけど」

 

 うんうん頷くシルビアと、興味なさそうな朱華。

 別に女子全員ができるわけじゃない、ってことだと思うが、そう言う朱華だってやればできる人間だ。単に面倒だからやらないだけで。

 それに、男子に比べると料理できる率は高いだろう。

 ちなみに、元の俺の周りにいた連中はほぼできなかった。できるのは趣味として凝ったもの作ってる奴と、両親が共働きだからやらざるをえなかった奴だけだ。

 

「私だって、きっちり覚えたいわけじゃないですよ。でも、簡単な料理くらいできた方が、その、楽しそうじゃないですか」

「……へー。ふーん。なるほどねー」

「なんですか」

 

 なんかニヤニヤしてるのがイラっとする。

 放っておくと「可愛いじゃない」とか言い出しそうなので、頬を突っついてやろうと指を突き出す。しかし、まるで予期していたかのように避けられた。

 くっ。女子相手だからって手加減しようとしたのが仇になったか。最初から頬を引っ張ってやるつもりで飛びかかればよかったかもしれない。

 とりあえず会話は中断したので良しとして朱華を睨み、

 

「私はいいと思うよー」

「シルビアさんはわかってくれますか?」

「うん。こういう時にもう一人、料理できる子がいれば、ひもじい思いしなくていいし」

 

 ひどい理由だった。

 

「シルビアさんは料理、できないんですか?」

「調合のレシピならいっぱい知ってるよー」

 

 なるほど。

 下手に覚えるとごっちゃになるか。多分、食材を切るのとかは得意なんだろう。

 ソファで寛ぐ朱華は、テーブルで饅頭をぱくつくシルビアを振り返って、

 

「でも、料理できるのがいると寿司もピザも鰻も食べられないわよ?」

「そんな……。アリスちゃん、料理は危険だからやらない方がいいんじゃないかな」

 

 敵の甘言によって味方が寝返った。

 

「そんなものばっかり食べてたらそれこそ太るし健康に良くないじゃないですか!」

「……これは、今のうちに食べておいた方がいいかしら」

「そうだねー。とりあえずおやつにピザ頼もうか」

 

 既に十五時を回っているのだが、そのおやつは夕飯に響かないやつだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

「ほーらアリス。チーズとろとろで美味しいわよー?」

「夏のおススメ、シーフードクワトロだから海の幸もいっぱいだよー?」

「そ、そんな誘惑には屈しませんからね!」

「……何をやってるんだお前達は」

 

 午後十六時前。

 大学から帰ってきた教授がソファに鞄を放り投げながら怪訝そうな表情を浮かべた。

 俺達はというと、テーブルの方でシーフードクワトロ(Lサイズ)を囲んでいる。何故Lサイズを頼んだのか小一時間問い詰めたいところだが、朱華とシルビアが差し出してくるピザの誘惑から逃れる方が先だ。

 饅頭を一個だけ食べたものの、昼に食べたものはそろそろ消化された頃合い。美味しそうな匂いの誘惑に腹の虫が鳴るのを抑えられない。

 

「おやつにピザ食べてるんだよ」

「せっかく頼むなら美味しそうなのがいいじゃない」

「こんな時間にピザなんか食べたら夕飯が大変じゃないですか」

 

 教授ならシルビア達を一喝してくれるに違いない、と期待を込めて視線を送れば、

 

「なるほどな。とりあえずシルビア、吾輩にも一枚寄越せ」

「さすが教授、話がわかるー」

 

 駄目だった。

 小さい身体ながら食欲は人一倍な大学教授は、クリーミーなカニのピザをもぐもぐしながら俺を見て、

 

「アリスよ。一枚くらいなら平気なのではないか?」

「そうそう。我慢のしすぎも身体に毒よ」

「幸せはみんなで共有しないと」

「……うう」

 

 もはや俺も我慢の限界である。

 本音を言ってしまえば、俺だって元は健全な男子高校生。ハンバーガーも牛丼も焼きそばパンも、もちろんピザだって食べたいに決まっている。

 教授の言う通り、一枚くらいなら大丈夫なはずだ。

 脳内で天使と悪魔が戦っている光景を思い浮かべながら、俺はおずおずと口を開いて、

 

「じゃ、じゃあ、そのチーズたっぷりのピザを……」

「ただいま戻りました」

 

 我が家のメイドさん、ノワールが戻ってきたのはそんな時だった。

 

 

 

 

 

 

 

「ノワールさん!」

 

 チーズのピザに後ろ髪を引かれつつも、俺は立ち上がるとノワールを出迎える。

 帰ってきたノワールは見たところ怪我もなく、元気そうだった。着ているのはメイド服ではなく、黒ベースのパンツスーツ。夏用の薄手タイプのようで、中のワイシャツは明度の低いグレー。どこか窮屈そうにネクタイを緩める姿がなんだか格好いい。

 それでも、俺を認めて浮かべた微笑みはいつも通りで、

 

「アリスさま。おかえりなさいませ。海は楽しかったですか?」

「はい、楽しかったです。ノワールさんこそ、お疲れ様でした」

「ああ。いえ、幸い無事に終わりましたので」

 

 おおよその事情は把握済みだと察したのだろう、短く答えて安心させてくれる。

 それから、彼女は後ろにいる三人へと視線を向けて、

 

「……教授さま。シルビアさま。朱華さま。並んでお座りください」

「え」

「あの」

「その、だな」

「お座りください」

「はい」

 

 ピザを食べていた三人を揃って座らせたノワールによるお説教が始まった。

 いや、お説教というのも違うのだろうか。

 

「わたしも、メイドとしてできる限り努めているつもりです。お食事もみなさんが満足するものをご用意しているつもりでしたが……やはり、まだまだですね」

 

 悲しそうに言って、こういう時のために常備菜を用意したり料理を冷凍しておけばよかったとか、ジャンクフードを食べたい気分にさせてしまう時点で精進が足りない、と自分を責めたのだ。

 これが作戦というよりもノワールの素なのがわかるので余計に辛い。

 あと一分遅かったら俺もあの場に加わっていたと思うと、しゅんとした教授達に同情めいたものを感じてしまう。

 

 しばらく続きそうなお説教を見るに見かねて、

 

「あ、あの、ノワールさん」

「ぐすっ……はい。どうしました、アリスさま?」

 

 振り返ったノワールは目じりを拭いながらも穏やかな表情を浮かべて首を傾げてくれる。

 朱華と(シルビアor教授)が「なんとかしてくれ」と目で訴えてくる。

 

「あの、私、今度料理の基礎を教えて欲しいんです。お願いできますか?」

 

 人一倍女子力が高く、他人のお世話をするのが大好きで、他人の女子力を高めるのも好きな彼女なら、きっと喜んでくれると思った。

 それでも言うのは勇気が必要だったが、効果は覿面で、

 

「アリスさま!」

「わっ!?」

 

 気づくと、柔らかなノワールの身体に思い切り抱きしめられていた。

 

「もちろんご指導させていただきます。いつでも仰ってくださいませ。アリスさまに使っていただくためのメイド服……いえ、衣装もきちんとご用意しておきますので」

「あ、ありがとうございます。でも、その、エプロンだけで十分ですから」

 

 感極まった様子のノワール。

 どうやら少し効きすぎてしまったようで、彼女は鼻歌を漏らしながらメイド服へ着替えに自分の部屋へと向かっていった。



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聖女、メイドの設定を知る

 海から帰ってきた翌日。

 平日とさほど変わらない時間に目覚めた俺は、ノワールの作ってくれた朝食をしっかりいただくと、白い上下のトレーニングウェアを身につけて庭に出た。

 夏の日差しの下、木刀を両手で持ち、一心不乱に振るう。

 たちまち汗が噴き出るが、運動でかく汗というのはなんとなく気持ちいい。何より、運動した後で浴びるシャワーの気持ちよさといったらない。

 

 筋肉痛の心配もなし。

 海の疲れか昨日は若干、身体が強張ってる感があったのだが、一晩寝たらすっかり治っていた。若いというのは素晴らしい。いや、元の俺もアリシアと二、三歳差程度なんだが。

 

 トレーニングの時間は少しずつ増えている。

 素養自体は十分ある身体なので、鍛えればそこそこにはなるだろう。

 いずれはバイトでも雑魚敵くらいは殴り倒せたらいいと思う。朱華から「撲殺聖女アリスちゃん」とか言われない程度に。

 

「あんなの作れたら格好いいんだろうけどなあ……」

 

 しばらく木刀を振るった後、一息ついた俺は昨日の夕食を思い返した。

 

 

 

『ピザとなりますと、設備や材料の問題も大きいので……』

 

 料理について更なる奮起を誓ったノワール。

 彼女が宅配ピザに対抗すべく作り上げたのは、ミートソースとチーズがたっぷりのラザニアだった。

 器に入れて焼く料理なので家庭用サイズのオーブンでも割合作りやすいらしい。しかし、表面のこんがり焦げたチーズ、中のとろとろに蕩けたチーズ、ひき肉たっぷりの自家製ミートソース、それらを纏め上げて一つの料理とする生地の食感……ピザを食べ損ねた俺にとってはもうこれ以上なかった。

 

 もちろんサラダやスープにも手抜かりはなし。

 主食はバターの風味がしっかりと効いた、しかし全体としてはあっさりめに仕上げたリゾット。ラザニアも主食と言うべきかメインディッシュと言うべきか悩ましい料理なので、単品でも成立するこの料理を選んだらしい。そして、一緒に食べればお互いが補完しあって更なる味わいを見せてくれる。

 朱華達も最初は「ピザ食べちゃったからなあ」という顔をしていたものの、いざ食べ始めれば我先にとラザニアに手を伸ばし始めた。

 

『お代わりも焼いておりますが、欲しい方は──』

『いります!』

 

 全員、一斉に手を挙げたのは言うまでもない。

 

 

 

「ラザニアとか、家じゃそうそう作らないよな……」

 

 自宅での独り言だからと、ついつい素の口調で呟く。

 

「ノワールさんはもう十分料理上手いと思う」

 

 俺の母親はあまり料理が得意ではない。

 前に「特別好きじゃないから研究する気が起きない」みたいに言っているのを聞いたことがある。その発言通り、母が作るのはいわゆる定番の料理が殆ど。あとはテレビで料理の紹介をやっているとそれのコピーがたまに出ては、気づくと食卓に上らなくなっている。

 そこへ行くとノワールは料理が得意だし、好きなのだろう。

 芽愛(めい)とは気が合いそうな気がする。そのうち機会があったら家に招いてみてもいいかもしれない。きっと二人とも喜ぶだろう。

 ただ、最初からノワールの客として呼ぶか、最低限の料理スキルを身につけないと俺が蚊帳の外になりそうな気がする……。

 

 と。

 

「ありがとうございます、アリスさま」

 

 麦茶を持ってきてくれたノワールが俺を見つめて微笑んでいた。

 俺は「ありがとうございます」と言って麦茶を受け取りつつ、独り言を聞かれていた事に気恥ずかしさを覚えた。

 壁に耳あり障子に目あり。独り言まで敬語の人間はなかなかいないとはいえ、俺の場合、つい男口調になってしまうので気を付けないといけない。

 まあ、素の呟きが女口調になるにはまだまだ経験値が足りないのだが。

 

「ですが、メイドとして日々精進することは必須ですので」

 

 ぐっと拳を握りしめるノワール。

 男らしい仕草のはずなのに、細身の美人がやるとひたすらに可愛さだけが強調されるから恐ろしい。

 

「ノワールさんの言うメイドって『完璧超人』って感じですよね」

「メイドですから」

 

 おっとりと微笑むノワールだが、間違いなく百パーセント本気で言っている。

 

「メイドとは主人に傅くもの。主人を襲うあらゆる危険や困難を排除し、主人の道行きをサポートすることこそメイドの務め。ですから、料理などは初歩の初歩。だからこそ手抜きは許されないのです」

「ノワールさんなら本当にできそうですね」

 

 他の人間が言っていたら「何言ってるんだこいつ」と思うところだ。

 よく見ると黒髪ではない類まれな美人の表情が若干照れたようなそれに変わり、「アリスさまはお上手です」という呟きが風に乗る。

 

「もちろん、アリスさまへのご指導もメイドの務めです。なんなら今日からでも始められますよ」

「ありがとうございます。でも、その。その時はやっぱりメイド服を着るんでしょうか?」

「はい。無理にとは申しませんが、見合った衣装を着るとやはり気分が引き締まりますので」

 

 そう言いつつメイド服を着せたいだけなのでは、という気がしないでもないが、言っていることはわかる。

 ネトゲキャラのコスプレしてまで気分を高め、決戦に臨んだのは他でもない俺だ。なら、家事だって同じことが言えるだろう。

 さすがにメイドの格好は恥ずかしいが。

 いや、シスターなら恥ずかしくない、っていうのも変な話か。前にも一部とはいえメイド服を着てるわけで、もう今更かもしれない。

 

 俺はこくりと頷いて、

 

「わかりました。エプロンをつけるついでですもんね」

「ええ、その通りです。それに、アリスさまならきっとお似合いになるかと」

 

 空を見上げて恍惚の表情を浮かべるノワール。

 男が見たら勘違いしそうな光景だが、着飾った俺を想像しているだけだ。決していかがわしい想像はしていないはずである。

 

「アリスさま。何かお作りになりたい料理はございますか?」

「えっと、やっぱり定番でしょうか。カレーとか、オムライスとか、チャーハンとか?」

「かしこまりました。では、まずはそちらを目指して──」

 

 ノワールが言い終わる前に玄関のチャイムが鳴った。

 

「はーい。……すみませんアリスさま。出てまいりますね」

「あ、はい」

 

 庭にいる俺が応対してもいいのだが、公共料金関係とかセールスとかだとノワールを呼ばないといけない。二度手間になったら逆に面倒だ。

 と言いつつ、庭で待機。

 玄関から靴を履いて出てきたので、戻るには来客対応が終わらないといけない。

 靴下で家の中に入るのは少しアレな気がするし。

 

「……あれ?」

 

 そうしてしばらく待っても話が終わる様子がない。

 どうしたんだろうか。

 こっそり玄関の方の様子を覗いてみると、

 

「ですから、お帰りください」

「そこをなんとか、お願いします!」

 

 客は、スーツ姿の若い女性だった。

 スーツはそれなりの高級品だと思われる。すらっとした体型なので似合っているが、表情は「できる女」のそれというよりはどこか疲れているような感じがする。

 知らない顔だ。

 ノワール方は困っているような顔。というか、珍しく面倒臭そうだ。

 押し売りか何かだろうか。あまり、というか全然セールスには向いていなさそうな人だが。

 

 ……どうしよう。

 

 少し悩んだ末、俺は声をかけることにした。

 

「どうしたんですか、ノワールさん?」

「アリスさま」

 

 困っているようなので話を打ち切るきっかけになればいい。

 そう思ったのだが、俺の登場にノワールは安堵半分、困惑半分という微妙な表情をした。

 

「うわ」

 

 一方のお客様は俺を見るなり顔をしかめた。

 

『……ええと、この家の子かな?』

「日本語で大丈夫です。それより、ノワールさんに何の御用ですか?」

 

 言葉の通じないのが来た、と思われたのかもしれない。

 英語で話しかけてきた彼女にそう答える。ちなみにリスニングが合っているかは定かでない。そう大きく外れてはいないと思うが。

 台詞が少々つっけんどんになったのは、それで帰ってくれればいいな、と思ったからだ。

 しかし、

 

「じゃあ、あなたからも言ってくれない? 私、この人にどうしてもお願いしたいことがあるの」

「お願い?」

 

 もしかして政府の人なんだろうか。

 ちらりとノワールを見ると、彼女は「違います」とでも言うように首を振った。

 そしてその答えを肯定するように、

 

「私、この人の弟子にして欲しいの!」

「で、弟子?」

 

 メイド志望なんだろうか。

 だとすると、ノワールに弟子入りしたいというのはお目が高いというか、本当に大丈夫なのか心配になるというか。

 

「うん。昨日この人に会って、私は感銘を受けたの。この人みたいになりたいって。だから」

「……昨日」

 

 昨日といえば、俺が海から帰ってきた日だ。

 日中、ノワールは「悪い人達」関連の仕事で出払っていた。

 ということは、

 

「住所は教えていませんが」

「それは、その。ハッキングをして住所を突き留めました。いきなり押しかけてきたのは謝りますから、だから」

「通報しましょう、ノワールさん」

「……そうですね」

「つ、通報!? 通報だけは!?」

 

 悲鳴を上げた女性は、ノワールがスマホを取り出すよりも早く退散していった。

 

 

 

 

 

 

 

「あの人、昨日のお仕事関連の人ですよね?」

「……ええ」

 

 シャワーと着替えを終えた俺はリビングでノワールと向かい合った。

 笑顔の素敵な我が家のメイドは浮かない表情のまま、アイスティーの入ったグラスを手で包み込んだ。

 

「おとといから昨日にかけて、わたしが関わった組織の一員です」

 

 組織ときたか。

 まるきりマンガか何かの世界だが、世の中には本当にそういう人達もいるらしい。

 

「組織といっても、現代においては一般企業などに擬態していることが殆どなのですが。……彼女も表向きは企業に雇われている社員という扱いでした」

「なるほど。……でも、どうしてそれが弟子入りの話に」

「それは」

 

 ノワールが目を逸らした。

 不思議に思いつつも彼女の顔を見つめていると、しばらくしてため息をつき、

 

「わたしが、彼女の組織を潰してしまったので」

「え」

 

 ちょっとした調査くらいだと思っていたら、まさか壊滅させていたとは。

 

「えっと、あの、一人でですか?」

「もちろん違います。専門の方と協力しあってのことです。……少々勢い余ってしまったのは事実ですが」

 

 当初の予定はただの捜査だった。

 禁制品の大量輸入をしているという証拠をつかむのが目的だったのだが、あと一歩というところで見つかってしまい、仕方なく立ち回りを繰り広げることになった。

 組織の構成員、その大部分を叩きのめしたのは他ならぬノワール。

 そして彼女は、

 

「その。つい気持ちが入ってしまいまして、お説教を少々」

「裏組織のメンバーに、ですか?」

「……ええ」

 

 再び目を逸らすノワール。

 組織の構成員については大部分が逮捕されたものの、末端の人間や、よからぬことへ直接関わっていたわけはない人間の中には証拠不十分として保留、または放置となった者もいる。

 さっきの女性もその類らしい。

 

「悪事を働いて日銭を稼ぐ、という生き方が許せないと思ってしまいまして……つい、強い口調で一喝したのがいけなかったのでしょう。彼女はわたしを『姉御』などと呼んで弟子入りを希望してきたんです」

「……うわぁ」

 

 なるほど、弟子というか舎弟のようなものだったのか。

 組織の一員を多数叩きのめした女性だ。憧れるのも無理はない。そのノワールがメイド服を着ていたのにはきっと面食らっただろうが。

 

「もちろん断ったのですが……」

「あの人の認識も間違いではないですもんね」

 

 彼女にはその戦闘能力以上に、裏社会の人間に憧れられる理由がある。

 ノワールは遠い目をしてため息をつき、

 

「原作を読まれたのですね?」

「はい。途中までですけど……原作のノワールさんがどういう人なのかはわかりました」

「ええ。『黒』のノワール。それがわたしのオリジナルです」

 

 押しかけメイドのノワールにはある秘密があった。

 それは、彼女がもともと、積層都市のトップ『六女帝』に名を連ねていたというものだ。

 それぞれが得意分野を持ち、分担して積層都市を治めていた六人の女達。ノワールの担当は裏社会。ドラッグ、売春、暗殺といった影の分野を支配し、管理するのがノワールの役目だった。

 当時のノワールは冷徹で、人を人とも思わないところのある、まさに『女帝』だったが──そういう自分に嫌気がさした彼女は地位から退き、一介のメイドとなった。

 

 殺し屋を束ねる女が弱いわけがない。

 原作のノワールの姿と力を手に入れたノワールもまた、銃器や刃物の扱いに長けている。

 

 組織を壊滅させられたのだから恨みを抱いてもいいところだが、壊滅させた当人が格上の同業者なら話は別だ。

 彼女を頭として組織の再興を企んだり、そうでなくてもその能力にあやかろうとしてもおかしくない。

 

「……ですが、わたしの気持ちはオリジナルと同じです。わたしはただメイドとして生きていきたい。彼女にもそう伝えました」

「そうですね。ノワールさんにはその方が合ってると思います」

 

 そこで俺は首を傾げて、

 

「ただ、あの人、また来る気がするんですけど」

「……そうですね」

 

 案の定、あの女性は次の日にもまたやってきた。



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聖女、料理勝負をする

「昨日は大変失礼致しました」

 

 突然の押しかけ弟子入り志願から一夜明けた今日、再びやってきたスーツ姿の女性ハッカーは、リビングに通されるとまず菓子折りを差し出して頭を下げた。

 向かいに座った俺とノワールは揃って顔を見合わせる。

 一日間を置いて落ち着いたのか、昨日よりは理性的だ。正直「弟子にしてくれないなら死にます!」みたいな展開も覚悟していたのだが。

 

 ちなみに、リビングには俺達だけだが、廊下から朱華とシルビア、教授がこっそり(?)覗いている。

 昨日のやり取りは朱華にも聞こえていた(シルビアは熟睡していた)らしく、女性が帰ってから「何の話だったのか?」と尋ねられた。

 そこからシルビアと教授も興味を持ち、こうなった。

 同席していないのは話をややこしくしないため、関わってしまった俺以外は……とノワールが希望したからだ。

 

「アポイントもなしに押しかけて弟子にしてくれなどと、本当に申し訳ありません」

 

 女性は椎名と名乗った。

 深く頭を下げる彼女を、ノワールは目を細めて見つめ、きっぱりと言った。

 

「いえ。むしろ問題なのはハッキングです」

 

 他者の情報を不正に手に入れることはれっきとした犯罪である。

 特に俺達の場合は話が深刻。

 何しろ「ある日突然創作作品のキャラクターに変身してしまった」という特大の秘密を抱えているのだ。戸籍がごく最近作られたものであること、政府関係機関から口座に金が振り込まれていること等、発見されるとまずい情報がいくらでもある。

 念のため政府に問い合わせてみたところ、やはりかなりまずい状況のようで「どこまで知られたのかは必ず確認して欲しい」とのこと。

 しばらく家周辺を警備させる、という申し出もあったのだが、それはひとまずやめてもらっている。できれば穏便に済ませたい。

 

「どのような手段で、どういった情報を手に入れたのか教えなさい」

「……ええと」

 

 椎名は困ったように視線を動かす。

 さすがに犯罪行為の詳細は話したくないのだろう。

 

「た、大したことはしていません」

「話しなさい」

「は、はい」

 

 裏社会のボスだった頃はこんな感じだったのだろうか。

 ノワールの有無を言わせない口調に椎名がぶるっと震える。怖かったのか。

 

「……ちょっとゾクゾクする」

 

 と、思ったら口元を歪めていた。この人駄目かもしれない。

 

「私が姉御について調べたのは」

「姉御と呼ぶのをやめなさい」

「……ノワールお姉様について調べたのは、住所と職業だけです」

 

 雰囲気からノワールが警察や政府の人間ではない、と判断した椎名は「近隣に住んでいるのでは」と地域の監視カメラ映像などを分析、ノワールの行動経路を割り出し、このシェアハウスを突き止めたのだそうだ。

 請け負っていた仕事もネットワーク関連だったらしい。

 何に使うんだろう、と思ってしまうようなグレーな仕事も多数あったと話してくれて、それについては少し同情する。

 

「ですから、誓って盗撮などはしていませんし、お姉様が裏の人間だとしても詳細は知りません。いえ、むしろその方が好都合──」

「黙れ」

「っ」

 

 思わず俺までびくっとした。

 ノワールの表情がどんどん冷たくなっている。人でも殺しそうな表情だ。まずい。椎名の頬が紅潮し始めている。このままでは本格的に目覚めそうだ。

 俺は慌ててノワールの服を引いた。

 

「ノワールさん。怯えてます」

「……あ」

 

 はっとしたノワールは俺を見て微笑みを取り戻した。

 

「申し訳ありません。取り乱しました」

 

 こほん、と咳ばらいをした彼女は椎名に向き直ると「椎名さん」と落ち着いた声で呼びかける。

 

「お話はわかりました」

「では!」

 

 ぱっと表情を輝かせる椎名。

 驚くべきポジティブシンキングである。しかし、落ち着いたノワールは慌てず「待ってください」と告げる。

 

「弟子に取るとは言っていません」

「ですが、会社に出入りがあったせいで私は仕事を失ってしまいました」

「───」

 

 いやらしいが上手い手だ。

 ノワールは優しい。自業自得だと分かっていても、切実に訴えかけられると手を差し伸べてしまう人だ。我が家の駄目人間達(俺含む)に嬉々として世話を焼いているのがその証拠。

 会社はこのままだと倒産。

 他の勤め先を見つけようにも、前の会社がなくなった理由をなんと説明すればいいか。訥々と口にする椎名を見てため息を吐き、

 

「わかりました」

「っ!」

「ただし、条件があります」

 

 そこで、ちらりと俺に視線が向けられた。

 もしもう一度椎名が来たら、と、俺達は簡単な話し合いをしていた。なので何を言いたいかはわかる。こくりと頷くとノワールも頷いて、

 

()()()()()()()()()()

「は?」

「勝負と言っても、戦うのは私ではありません。ここにいるアリスさまに料理で勝てれば、あなたの弟子入りを考えます」

 

 真剣な表情で条件を突きつけたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「でも、本当に大丈夫でしょうか」

 

 結論から言えば、椎名は勝負を受けた。

 さすがに「なんで料理勝負?」と困惑していたが、

 

『私の弟子になるということは、見習いメイドになるということです。料理の素養の無い者が歩んでも無駄な道でしょう』

『いえ、私は裏社会で生き抜く力が欲し──』

『もちろん、メイドにはありとあらゆる能力が必要です。困難を察知し、退ける術についてもお教えすることになります』

 

 受けないなら帰ってくれ、と言われれば当然である。

 勝算があると思ったのも事実だろう。

 ノワール相手では勝ち目はないが、中学三年生の女子相手なら年季の差がある。だからこそ俺としては不安なのだが。

 見上げたノワールは悠然と微笑んで、

 

「大丈夫です。アリスさまなら絶対に勝てます」

「……だと、いいんですけど」

 

 勝負は今日これから行われることになった。

 日をあらためるのも面倒だし、時間があればあるだけ俺はノワールの指導を受けられる。さっさと勝負した方が椎名の側に有利なのである。

 その椎名には食材を買いに行ってもらった。

 二人とも同じ食材を使って調理するなら文句のつけようがないだろう。

 

 ちなみに審査員をどうするかというと、

 

「アリス。せめて食べられるものを作りなさいよ」

「どういう意味ですか」

「食べられない料理の数は少ない方がいいってことだよー」

「うむ。炭の試食は勘弁して欲しいからな」

 

 楽しそうに成り行きを見守っていた三人に担当してもらう。

 知り合いである俺に肩入れする可能性はあるが、ノワールの手料理を食べて舌が肥えているし、どっちかというと「アリスが負けたらそれはそれで変な奴が増えて楽しい」とか考えるタイプなので公平性の問題もない。

 

「私だって、食べられないほど変なものは作りませんよ」

「アリスちゃん。そう言ってる子ほど危ないんだよー?」

「自覚の無い料理下手ほど怖いものはないからな」

「いえ、普通に作れば変なものにはなりませんから……」

 

 などと言っているうちに椎名が帰ってきた。

 

「買ってきました! ……ふふふ、覚悟はいい、お嬢ちゃん?」

「……私は、自分に出来ることをするだけです」

 

 場所は我が家のキッチンを使う。

 道具や調味料も家にあるものを使用だ。エプロンも二人分、どこからともなく出てきた。

 いや、俺の分はエプロンだけじゃなかったけど。

 

「え、うわ、可愛い」

 

 着せられたのはシックなロングのメイド服だ。

 黒のロングワンピースと、ポケット多めの白いエプロンを主体とした一品。ぶっちゃけノワールが着ているもののサイズ違いである。

 

「大変よくお似合いです、アリスさま」

「あ、ありがとうございます」

 

 椎名からも賛辞が送られたせいで頬が熱い。

 しかし、実際良いデザインだと思う。普段ノワールが着ているので見慣れているし、露出度としては最低に近い。無駄にフリルが付いていたりミニスカートになっていたりするのもそれはそれで可愛いが、着ていて落ち着くかというとノーである。

 そういうのは将来カフェでバイトする時にでも取っておきたい。生憎、今のところそんな予定はないのだが。

 

「では──」

 

 メイド服(かんぜんぶそう)の俺。

 ジャケットを脱いでブラウスの上からエプロンを付けた椎名。

 二人がキッチンの前に立って、

 

「──始めてください」

 

 ノワールの合図と同時に動きだした。

 

 お題は、肉じゃが。

 

 具材は豚肉に玉ねぎ、じゃがいも、ニンジン。

 白滝なんかが入る場合もあるが、今回はシンプルに行くことになった。食べる側なら白滝やさやえんどうが入っているのも好きだが、作る側であれば俺としてもシンプルなのがいい。

 手をしっかり洗ってから、得意げな顔の椎名と並ぶ。料理バトルマンガではないので調理行程が相手に見えていても問題はない。

 まな板の上に具材を置いた俺を椎名はちらりと見て、

 

「外国の子に肉じゃがは厳しいんじゃないかな?」

「………」

 

 俺はむっとした。こう見えても生まれてこのかた十六年以上日本に住んでいる、生粋の日本人である。肉じゃがなんか数えきれないほど食べている。

 

「和の心は知っているつもりです」

 

 勝負は公平に行きたいので事前練習などはしていない。

 あらかじめスマホで作り方を調べる、なんていうのも無しだ。もしかしたら椎名はスーパーに行く途中で調べたかもしれないが、俺はただ記憶を頼りに手を動かす。

 具材を食べやすい大きさにカットし、炒めて火を通してから煮込む。調味料はしょうゆに砂糖。酒も入っていた気がする。いや、みりんだったか?

 

 ……どうだっただろう。

 

 一度不安になりだすと全てが怪しく思えてくる。

 調味料の種類が合っていても分量がよくわからない。濃くなりすぎると水を足すしかなくなるが、その流れの先はマンガでよくある「薄めて足してのループ」だ。それはできれば避けたい。

 

 後方でじっと観察している朱華達の視線が怖い。

 ノワールも口を出さずに見守ってくれているが、手伝いたくて仕方ない、といった感じではらはらしているのがわかる。

 椎名は意外なほど淡々と作業している。

 

「……うう」

 

 弱気になりそうな心を深呼吸して宥める。

 身に纏ったメイド服が役に立ったかもしれない。とにかく落ち着いて、慎重にやっていくしかない。キーワードは「猫の手」と「具材は均等な大きさに」と「調味料は少しずつ」だ。

 

「っ!」

 

 そして、お互いの調理が終了した。

 

 

 

 

 

 

 

「では、みなさま。判定をお願いいたします」

 

 実食後、ノワールの指示と共に判定が行われる。

 俺の肉じゃがの器と椎名の肉じゃがの器。どちらが美味しかったかを朱華達がそれぞれ指さす、というもの。ちょうど三人なので引き分けになることもない。

 結果は、

 

「アリス」

「アリスちゃん」

「アリスだ」

「っ!」

 

 満場一致、3-0で俺の勝利だった。

 勝負が決まった瞬間、歓喜が湧き上がる。俺としては負けてもそんなに問題ない勝負。むしろ椎名のついでに料理を教えてもらってもいいんじゃ? と思ったりしなくもなかったのだが、勝つというのは案外嬉しいものらしい。

 いや、違うか。

 勝ったこと自体が嬉しいというよりも、俺の作ったものの方が美味しい、と言われたことが嬉しいのか。

 自分の作ったものを誰かが「美味しい」と食べてくれる。なるほど、こういう感覚なのかと、俺は胸にしみ込んでいく思いを噛みしめた。

 ただ、

 

「納得できません」

 

 椎名が言って、自分の肉じゃがを指さす。

 

「私の肉じゃがの方がどう見てもいい出来じゃないですか」

 

 確かに、俺達の肉じゃがの差は歴然だった。

 俺の肉じゃがは具材がところどころ焦げているわ、水分が飛び過ぎて汁が少ないわ、じゃがいもの皮が微妙に取り切れてないわという有様。

 一方の椎名の肉じゃがは具材が丸く綺麗に整えられており、艶が出ていかにも美味しそうだ。

 問われた教授達は難しそうな顔で黙り込んでしまう。

 

「まさか、知り合いだからって贔屓してませんか?」

「やめてください」

 

 回答がないのをいいことに言葉を続けた椎名をノワールが制止する。

 彼女はそれぞれ一口、俺達の肉じゃがを食べると、ごくんと飲み込んで、

 

「アリスさまの肉じゃがの方が美味しいです」

「嘘!」

 

 悲鳴を上げた椎名はノワールから箸を受け取ると味見をする。

 

「っ!?」

 

 そして、がっくりと項垂れた。

 なんだか勝負がついたようだが……俺も気になったので残りものを食べてみる。俺が作った肉じゃがは煮詰め過ぎて少ししょっぱい上に、なんだか一味足りない気がする。一方の椎名の肉じゃがは──口に入れた瞬間、肉じゃがとは思えない味がした。

 ノワールは淡々と、

 

「味付けにナンプラーを加えましたね。それから、仕上げにオリーブオイル。使い方によっては美味しくすることもできる一工夫かもしれませんが……しょうゆや砂糖も含め、分量が大雑把すぎます。味の纏まりがなく、はっきり言って美味しくありません」

 

 濃くなりすぎないように、とびくびくしながら少なめにした挙句、煮詰めすぎてしょっぱくなった俺に対し、椎名はアレンジを加えたうえ分量に無頓着だったらしい。

 具材を丸くしたのは形を綺麗に見せるためか。

 どうやら、料理初心者なのはお互い変わらなかったようだ。

 

「……料理なんて調理実習くらいでしかしたことないんですよ」

 

 項垂れたまま動かない椎名をノワールは見下ろして、

 

「料理は真心です。少しでも美味しいものを、と努力したアリスさまに、傲ったあなたが勝てる要素などありませんでした。出直して来なさい」

「……はい」

 

 敗北をようやく受け止めた椎名は立ち上がると、俺の元へやってきて深く頭を下げた。

 

「完敗でした。……失礼なことを言ったのも謝ります。ごめんなさい」

「い、いいえ。気にしてませんから」

 

 そう答えると、彼女は晴れやかな笑顔を浮かべて「また来ます」と去っていった。

 

「よく頑張りましたね、アリスさま」

 

 ノワールは俺の頭を優しく撫でてくれた。

 それだけでも頑張った甲斐がある気がして、俺は思わず口元をにやけさせた。

 

 

 

 ……以来、椎名は定期的にシェアハウスを訪れては俺に料理勝負を挑んでくるようになったのだが、それはまた別の話である。



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聖女、エステに行く

「アリスさま、アリスさま。この衣装、可愛いと思いませんか?」

 

 椎名の一件以来、ノワールと更に仲良くなった。

 夏休みで暇があるのも手伝って、リビングにいるとはしゃいだ様子で話しかけられる。

 見せられたのはとある衣装のカタログ。

 色合いとしては白と黒が多めだが、意外と他の色も多い。特に青は大人しいイメージのせいか結構目立った。中にはチャイナメイド服なる不思議なコンセプトのものもある。

 あ、メイド服だとバラしてしまった。

 

 俺は夏休みの宿題をする手を止め(もう残り少ないので慌てる必要はない)、ノワールの指さした衣装を覗き込んで、確かにと頷く。

 テーマは聖職者メイド服で、前に使ったものに近いのだが、こちらの方がより本格的だ。

 清楚な中で神々しさ、神聖さを表すためか刺繍による装飾が施されており、結果としてロングタイプのメイド服でありながら可愛らしさも感じられる。

 イメージとしては俺が持ってる聖職者衣装と同様、創作物内の聖職者といった感じだ。

 

「可愛いですね」

 

 凝った作りの分だけ値も張るようだが、可愛いのは間違いない。

 するとノワールは嬉しそうに微笑んで、

 

「じゃあ注文しますねっ」

「待ってください」

 

 くるりと身を翻したノワールのスカートを軽く掴む。

 もう一度振り返った我が家のメイドさんにして頼れるお姉さんは、不思議そうに首を傾げて、

 

「……他のメイド服の方がよかったでしょうか?」

「ではなくて、その、もしかしなくても私用ですよね?」

 

 普段着より格段に高いものを一分の会話で「買いますね」と言われても恐縮する。

 

「お気になさらないでください。思いがけず高額の臨時収入がありましたので。思う存分、趣味のものを購入しようかと」

 

 もしかしなくても例の出入りの件だ。

 政府からの直接の依頼だし、内容が裏稼業の摘発だ。口止め料と手間賃を含めてえらい額が振り込まれていてもおかしくない。

 

「だったら自分の服を買ってください」

「わたしがアリスさまにプレゼントしたいのですが……」

「いえ、ほら。料理道具とかもいいと思うんです」

 

 調理家電なんかは次々良いのが出るらしいし、冷蔵庫とか買い替えだしたらお金はいくらあっても足りないはず。

 ノワールはここでようやく濃茶の瞳に理解の色を浮かべて、

 

「では、アリスさまでも使いやすい包丁などを一式──」

「変わってないじゃないですか!」

「……もう、アリスさま。いったいなにがご不満なのですか。お金があるのですから欲しいものは買えばいいのです」

 

 うん、ここ最近よくわかってきたのだが、意外とノワール(このひと)も駄目人間なところがある。

 それとも、俺が正式にメンバーになったことで気を許してくれるようになったのだろうか。だとしたら少し、いやかなり嬉しい。

 

「普段着がよろしいのでしたら、こちらに北欧ブランドのドレスのカタログなども」

「それ普段着じゃないです」

 

 俺達の言い合いというか相談というかじゃれ合いは「何してんの?」と朱華が胡乱な目つきで突っ込んでくるまで続いた。

 結論としては最初にノワールが示したメイド服を買ってもらい、代わりに俺がノワール用のメイド服をプレゼントすることに。

 お金ならまだまだ余裕があるし、足りないようなら稼げばいい。

 高校生になったら普通のバイトをするのもいいかもしれないし、ノワールにプレゼントする分には散財も気にならない。

 

「って、あんた、結局ノワールさんと同じことしてない?」

「え。い、いえ、そんなことは」

 

 ない、と思うのだが。

 

 

 

 

 

 

「メイド服ですか? ……はい、技術と材料さえあれば作れますよ」

 

 翌日、俺は白く美しい建物の中で薄い紙のような下着とショーツだけの姿になっていた。

 最寄り駅から電車で一時間ほどの距離に位置するとある街。そこに店を構える会員制高級エステサロンの店内は、ホテルか何かのような清潔感と高級感のある作りをしていた。

 紹介者であり、クラスのトップカースト三人娘の一人である安芸(あき)縫子(ほうこ)はさすがに慣れているようで、迷わず受付に歩いていくと店員と親しげに話し始めた。

 

『このお店、いいですね』

 

 お嬢様である緋桜(ひおう)鈴香(すずか)はこの店自体が初めてながら、こういうシチュエーション自体は経験があるのか、抜かりなく品定めをしていた。

 良さそうなところなら自分も使おうと考えているのだろう。

 すかさず店員が寄ってきて、縫子の紹介なら是非御贔屓にと、料金プランなどを簡単に紹介していた。

 

『ね、アリスちゃん。私、すごく場違いな気がする』

『私もです』

『いや、アリスちゃんはすごく似合ってるけど』

 

 比較的庶民に近い芽愛は俺の癒しだった。

 何故か見た目だけでお嬢様側に入れられたのは不本意だが。なんだかんだ俺達は揃ってきょろきょろしながら、案内されるままに移動した。

(鈴香のお付きの理緒さんは終わるまで待機)

 医者と美容師の中間のような格好をしたスタッフさんは(女性向けサロンなので)全員女性。

 簡易更衣室のようなところで脱衣を指示されると、なんだか遠い昔のように感じる、入学前の採寸の時のことを思い出した。

 

 まあ、このメンバーで着替えるのは初めてでもない。

 

 そこまで気負う必要もないだろうと服を脱いで行くと、縫子がさりげなく、しかし真剣な様子で俺達の着替えを見ているのに気づいた。

 おそらく、下着をチェックしているのだろう。

 服はいつでもチェックできるが、下着を合法的に見る機会はかなり限られる。同性とはいえ邪な気持ちであれば咎めるところだが、純粋な知的好奇心からだというのはわかっているので指摘は避ける。

 

 しかし、見てみると縫子も鈴香も芽愛も、海の時とは違う下着をつけている。

 まさか、同じ下着にならないように気をつけているのだろうか。だとしたら凄い心配りだ。そういう俺も一応、別の下着をつけてはいるものの、それは「エステに行くときって下着どうするんでしょう?」とノワールに相談したからだ。

 ノワールは「施術着等を着用するところが多いし、女性が施術するので気にしなくてもいい」(実際そうだった)と教えてくれた上で、海に持って行ったのとは違う下着を選んでくれたのである。

 

 下着の上に施術着をつけた上で通されたのは広めのスペース。

 簡易ベッド的な感じの施術台が並んで置かれており、そこで四人いっぺんに面倒見てくれるらしい。

 

「スタッフさんが全部やってくれるので、私達は普通に話してて大丈夫です」

 

 縫子の言った通り、施術台に寝かされたら後は姿勢を変えたりする程度で、ただされるがままになっているだけで問題なかった。

 行きがけに朱華から受けた「リンパマッサージに気をつけなさい」という警告は当然のごとくまるで意味がなかったし、「子供にエステとか必要あるのか……?」という思いが吹き飛ぶ程度には気持ち良かった。

 これは、ハマったらやばい。

 今は同性とはいえ女性にマッサージされるとか大丈夫かと思っていたが、いやらしい雰囲気は一切なく、丁寧な施術が続く。

 四人それぞれに専属の人がついているわけで、シフトとか人材確保とか大丈夫なのかと心配になってしまったくらいである。縫子いわく「前もって予約したから大丈夫です」とのことだったが、実は縫子達の一族は結構なお得意様なのではなかろうか。

 

 と、思いつつ俺達は雑談に興じて──話は最初に戻ってくる。

 

 ノワールとの衣装の件を思い出し、衣装といえば縫子、ということで「メイド服も作れるのか」と尋ねてみたのだが、なんと作れるとのこと。

 

「メイド服でもドレスでも、やることはあまり変わりません。型紙を作って生地をカットして、縫製するんです」

「なるほど……。じゃあ、凝った作りの服なら自分で作った方が安く上がりそうですね」

「そうですね。既製品には人件費や輸送費などが加算されますし。オーダーメイドになればそういった諸経費の方が大きくなります。もちろん、相応の腕が必要ですけど」

 

 それはそうだ。

 普通の人は服なんか作れないからこそ、プロが作った服を購入するのである。

 縫子によれば、なかなか売っていないような服を欲しがる人──例えばコスプレイヤーなんかは服飾の勉強をして、自分で作る人が多いという。

 メイド服に関してはもう既にかなり市民権を獲得しているので、専門に作っているブランドもあるらしいが。

 

「安芸さんもコスプレするんですか?」

「私は作る専門です。服の映える素材に出会えれば、コンビを組んでイベントに出るのも吝かではありませんが」

「メイド服かあ。アリスちゃんなら似合いそう」

「あら。アリスさんはむしろ、傅かれるお嬢様ではないでしょうか」

 

 鈴香が言うと「お前が言うな」感が凄い。

 

「そっかあ。そうだよねー。メイドさんが金髪でお嬢様が黒髪じゃちょっと地味かあ」

 

 別に金髪が偉いというわけではないが、黒髪を見慣れている日本人からするとやはり、別の色味の方が主張が強く見えてしまう。

 

「でも、染める方法もあるんですよね?」

「ありますが、天然同様の色味はなかなか出ませんよ。髪は伸びますから、定期的に染め直さないといけませんし、髪へのダメージも無視できません」

 

 だとすると子供がやるのは良くないだろう。

 ある程度成長した上で、将来的な髪質と今のお洒落を天秤に載せるのなら構わないだろうが。鈴香のようなお嬢様ならヘアケアを入念に行うという方法もあるだろうし。

 と、鈴香の発言に縫子も同意して、

 

「特にアリスさんは未来永劫駄目です」

「死ぬまでですか!?」

「うん、まあ。その金髪を白髪染めで黒くするとか冒涜だよね」

「背徳的すぎる行為ですね」

 

 芽愛まで同意し、再度鈴香が追い打ちをかけてくる。施術してくれているスタッフさんまで思わず、といった様子でうんうん頷いており、俺の味方が誰もいないことがわかった。 

 

「染める予定はありませんけど、この髪、どこに行っても目立つんですよね。……この間なんてナンパされそうになりましたし」

「アリスちゃん、その話詳しく」

「アリスさん? 何事もなかったんですよね?」

「アリスさん、知らない人について行ってはいけないんですよ」

「ちゃんと防犯ブザーを持っていましたから大丈夫です」

 

 かつての友人には悪いが、年上かつ体育会系の知らない男子なんて、中学生女子からしたら猛獣みたいな扱いだった。

 

 

 

 

 

「……ふぅ」

 

 エステの後は近くの喫茶店で一息つく。

 専門家の施術のお陰で夏場の疲れが一気に取れた。身体の疲れなら魔法で癒せるとはいえ、マッサージによる精神的な癒し効果は馬鹿にならない。

 ただ、全身に刺激を受け続けたので一時的な疲労感がある。

 施術中待ちっぱなしだった理緒さんも交え、帰る前に少し休憩である。

 

 俺はアイスティーとレアチーズケーキを注文。

 一口食べた途端、えもいわれぬ幸福感に包まれる。もはや言い逃れのしようもなくスイーツが好物となっている俺は、衝動のまま至福の笑みを浮かべた。

 

 さすがにあざとすぎるかとも思ったが、みんなもそれぞれに美味しい物を食べて笑顔を浮かべているので問題ないだろう。

 若干、こっちを見て微笑んでいるような気もするが……。

 

「ね、アリスちゃん。そっちもちょっとちょうだい?」

「? はい、いいですよ?」

 

 芽愛の申し出に快く頷いて皿を差し出す。

 

「じゃあ交換ね。はい」

「わ。ありがとうございます」

 

 芽愛の食べていたショートケーキも美味しそうだったのでむしろ願ってもない話だった。

 一口貰って口に運び、こっちも美味しいと幸せの中で思う。

 

「あ、ずるいですよ、芽愛」

「ふふん。早い者勝ちだよ」

「はい。アリスさん。私のも」

「あ、ありがとうございます」

「なっ!?」

 

 抜け駆けに気づいた鈴香が芽愛と(可愛く)睨み合っている間に縫子とも交換する。彼女のスイーツは卵の味をしっかり感じる特製プリンだった。

 

「む。……アリスさん、私のもどうぞ?」

「ありがとうございます、鈴香さん」

 

 四人で交換し合った後、理緒さんにも食べてもらおうとしたところ「私はドリンクだけですので」とクールに断られてしまった。

 

「ふふっ。仕事中だから遠慮していますが、理緒の部屋には甘いものが常備されているんですよ」

「お嬢様!」

 

 なるほど。

 子供達が仲良く甘いものを食べている中、一人コーヒーを啜らなければならないとは、なかなか辛いお役目である。

 ノワールなら嬉々として一緒に楽しみそうだが……。

 そういえば、芽愛は料理、縫子は衣装、鈴香はお嬢様らしいお嬢様と、全員ノワールと相性が良さそうだ。女子力の塊のような人なので、女子力を日々高める鈴香達と相性が良くても当然ではあるが。

 

 やはり、俺も精進しなければ。



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聖女、マッサージをする

「どうしたのよ、急にマッサージなんて」

 

 俺のベッドにぽすん、と座った朱華はやや怪訝そうな表情で言った。

 俺は、なんと説明したらいいものか、と思いつつ答える。

 

「私、エステに行ってきたじゃないですか」

「行ってきたわね、羨ましい」

 

 前置きのつもりだったワードへ妙に反応された。

 朱華だって行きたければ行けばいいと思うのだが。

 

「……もしかして、例のジンクスってそういうのでも発動するんですか?」

「可能性としてはね。あんたが行った高級エステみたいなとこなら、女しかいないしまず大丈夫だけど」

「他にはどんな場所が危ないんです?」

「んー……夜道は全般的に危険でしょ。あとは満員電車とか、大学の学園祭とか?」

「……大変ですね」

 

 不幸誘引体質というか、エロトラブル誘因体質か。

 

「まあね。だから、そういうところはなるべく避けるか、大人数で行くようにしてるかな」

 

 朱華はため息をついて肩を竦めた。

 友人なんかが一緒ならトラブルの可能性は低下するらしい。まあ、それでも、満員電車での痴漢とかは防げないらしいが。

 

「そういえば、あんたといる時は起きないかも」

「神聖力が働いてるんでしょうか」

「原作のレーティングの問題かもね」

 

 俺のオリジナルことアリシア・ブライトネスにはエロ画像どころか、普通の一枚絵さえ殆ど存在しない。容姿をメイクできるSRPGだから仕方ないのだが、そう考えるとある意味鉄壁である。

 ごろん、と、朱華はベッドに横になって、

 

「ま、現実のアリスはばんばん水着になったり下着になったりしてるんだけどね」

「仕方ないじゃないですか」

 

 少なくとも毎日風呂に入るのだから、その時は服を脱がないといけない。

 男子にとっては美少女の裸なんてレアすぎるイベントだが、美少女自身にとっては当たり前の光景なのだ。

 って、そんなことはどうでもいい。

 

「思ったんですよ。マッサージと神聖魔法を併用できたらもっと効果があるんじゃないか、って」

 

 エステで受けたマッサージは気持ちよかった。

 精神的な疲れが取れるというのもあるが、身体の内側からデトックスするのがいいのだろう。ということは、接触部から身体の内側へ回復魔法を浸透させられれば、疲労回復効果はアップするのではなかろうか。

 もし、接触して魔法、という手法が可能なら《聖光(ホーリーライト)》接射、なんていう技も開発できるかもしれない。

 と、朱華はこれに「顔面フォース……」と呟いてから、

 

「っていうかそれ、魔法っていうより気の領分よね」

「朱華さんならできますか?」

「人体発火ならできるわよ?」

「死にますからね、それ」

 

 まあ、気で似たようなことができるなら、魔法でも可能かもしれない。

 

「試すだけならタダですし、やってみようと思います」

「いいけど、マッサージならノワールさんにやってあげれば?」

「だって、ノワールさんには上手くなってからしたいじゃないですか」

「ああ、あたしは実験台なわけね」

 

 微妙な顔をした朱華だったが、「まあいいか」と言って身を起こした。

 寝たままでよかったのだが……と思ったら、身に着けていたキャミソールに手をかける彼女。

 って、それ一枚しか着てないだろうに。

 

「なんで脱ぐんですか!?」

「え? マッサージでしょ? そりゃ脱ぐわよ」

「そんなに本格的なのはできないんですが……」

「魔法だって、素肌に触れた方がいいでしょ」

「う」

 

 言葉に詰まっているうちに朱華は上半身裸になった。

 と、思ったら下のショートパンツのファスナーを下ろして、中のショーツごと、

 

「ストップ」

「言いたいことはわかるけど、全部脱いだ方が楽じゃない。そりゃお店で受ける分には全裸だと問題あるけど」

「……なんでしょう。私、最近自分が調子に乗ってたんだって認識しました」

 

 女子になると息巻いて、女子同士の気安さを舐めていた。

 鈴香達は「同性の友人」として仲良くなったし、体型は中学三年生の域を出ない。しかし、変身直後に出会って「仲間」としてやってきたこの少女は、エロゲキャラの名に恥じない発育をしている。

 俺はがっくり肩を落とすと朱華に謝罪した。

 

「すみませんでした、私が悪かったです。許してください」

「ちょっ、ちょっと待ちなさい。アリス、からかいすぎたのは謝るから、ガチでヘコむのはやめなさい!?」

「お帰りください」

「だから、あんたそんなキャラじゃないでしょうが!?」

「その格好で起き上がらないでください!?」

 

 ぎゃあぎゃあと騒いだ挙句、マッサージはすることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 朱華・アンスリウムは俺やシルビアほどではないものの色白だ。

 元ゲームはSF系なので、人種が混ざっている設定。こっちの朱華もハーフとか、そんな感じの設定になっている。

 なので、一糸纏わぬ背中はとてもすべすべで綺麗だった。

 

「……んっ」

 

 そっと指で触れれば、どこか官能的な吐息が漏れる。

 感触を確かめるように軽く押してやると、

 

「あっ、ふああぁっ!」

「へ、変な声上げないでください!」

「だ、だって、アリスの指がくすぐったいんだもん」

「我慢してください」

 

 こっちまで変な気分になったらどうするんだ。

 

「あんただってエステの時、声出したんでしょ?」

「……それは、まあ」

「じゃああたしだって出していいじゃない」

「私はその時はされる側だったんです」

 

 する側の俺がプロじゃないんだから、無心になれと言われても困る。

 

「さっきも言いましたけど、見よう見まねですからね。肩もみの延長くらいのことしかできませんよ?」

 

 うつ伏せ状態の朱華を見下ろして告げる。

 ブラもなにもつけていない胸はシーツに押し付けられていて、軽く形を歪ませている。

 少女の顔はこちらを見ていないが、

 

「大丈夫、んっ、十分、気持ちいいからっ」

「……こういう時ってなにを数えるんでしたっけ」

「羊?」

「それは絶対違います」

 

 マッサージと言っても、指で軽く押したりもみほぐす真似をするだけだ。

 素人が強くすると逆に良くないことになりそうだし、本命は実験の方である。

 

「あっ、あっ、んんっ」

 

 こいつ、わざとやってるんじゃないだろうな……?

 それとも、俺が自分からマッサージなんて言い出したせいで朱華のジンクスに捕まってしまったんだろうか。 

 まあいい。

 ここに回復魔法をかけてやれば、変な遊びをしている余裕はなくなるだろう。

 指を動かしながらだと意識を集中しにくいが、もともと低級の魔法は気軽に使えている。アリシアの身体が使い方を覚えているのかもしれない。

 

「《小治癒(マイナー・ヒーリング)》」

 

 成功した。

 光が対象に向けて降り注ぐのではなく、指と手のひらから光が生まれて朱華の肌に吸い込まれていく。

 浸透効果があったかどうかは謎だが、接触してかける方が効率的なのは今までの経験からわかっている。

 マッサージの効果と合わせれば、

 

「ふあああんっ。すごっ。これっ、すごいよおっ!?」

「だから、変な声出さないでくださいっ!」

 

 俺としては無駄に疲れたマッサージだったが、朱華はなんだか気に入ったようで、時々俺にねだってくるようになった。

 

「……ね、アリス。あれ、またしてくれない?」

 

 恥ずかしいのか、服の裾を掴んで囁くように言ってくるから始末が悪い。

 しおらしい態度を取られると拒否しにくいのだ。

 

「……わかりました。じゃあ、夜に私の部屋に来てください」

 

 言うと、ほんのり頬を染めて頷き、

 

「うんっ」

 

 無駄ににこにこし始める。

 そんなやり取りがある時、たまたまシルビアに見られてしまい、大変なことになった。

 

「……あっ。ふーん。そっか。アリスちゃんと朱華って……ごめんねー、お姉さん全然気づかなかったよ」

「え? ……あの、シルビアさん? なんの話ですか?」

「あたしはアリスにマッサージしてもらうだけなんだけど」

「わかってる、大丈夫だよ。マッサージ(意味深)だよね?」

「違います!」

 

 朱華と二人がかりでなんとか誤解をといた。

 代わりに、シルビアにもマッサージをすることになった。

 

「ただのマッサージなら、お姉さんにもしてくれるよね?」

「はい、もちろんいいんですけど、変な声出さないでくださいね?」

「……朱華ちゃん?」

「待ちなさい、濡れ衣よ!?」

「ばっちり主犯じゃないですか」

 

 幸い、シルビアは普通に気持ちよさそうにするだけだった。

 終わった後「お礼にアリスちゃんにもやってあげる」とか言って押し倒してきたので、必死に押しのけて逃げる羽目になったが。

 そうしたらノワールが騒ぎを聞きつけて、

 

「みなさんばっかりマッサージなんてずるいです」

 

 上達してから披露したかった相手が拗ねてしまったので、仕方なく、俺は拙いマッサージをノワール相手に用いることになった。

 なお、教授には肩もみと肩たたきが喜ばれた。

 

「おお、これはいいな。アリスの手の大きさが吾輩の肩にはちょうどいいらしい。あぁ~」

 

 あらためて、教授は我が家になくてはならない人だな、と思った。

 

 

 

 

 

 

 

「……『上』からまたバイトの依頼が来た」

 

 ある日の夕食時。

 我が家で一番小さい身体でありながら、ある時は大学教授、ある時は俺達のリーダーとして奮闘してくれている教授が厳かな声で告げた。

 告げながらも、その手は大皿に盛られたオムレツを大きく切り分け、自分の皿に移動しており、食い意地が張っていることが伺える。

 リーダーがそんな調子でいいのか、という気もするが。

 

「依頼、ということは、また別の場所ですか?」

 

 自分の食事を進めつつも、おかわりの要請がないか気を配っているノワールが首を傾げて尋ねる。

 

「うむ。指定された戦場は近隣の多目的公園だ」

 

 ブランコや砂場があって子供達の遊び場や主婦の井戸端会議の場になるような公園ではなく、もう少し大規模な、例えばグラウンドが併設されていて野球のリトルリーグの試合が行われたり、住民の散歩コースとして使われたりするような公園だ。

 学校ほど人の多いスポットではないが、住宅地の中にあることを考えると、周りで発生した悪意がここに集中していてもおかしくない。

 不死鳥のような強敵の発生も覚悟した方がいいかもしれない。

 

 と、朱華が眉を顰めて。

 

「にしても早すぎない? いや、不死鳥戦はあたしたちの独断だったけど」

 

 あの戦いで十分な成果があったからといって、「もっと戦ってください」と言われる所以はないのだが。

 教授は「うむ」と頷いて、

 

「向こうとしても、この間の不死鳥戦で味を占めたのだろうな」

 

 不死鳥を倒したことにより、近隣の反社会組織が一つ壊滅寸前に追い込まれることになった。

 組織を壊滅させたのもノワールの尽力あってこそなので、偉い大人の人達にはもっと自力で頑張って欲しいところではあるが。

 俺達がバイトをすればするほど世の中が良くなるのなら、ばんばんやらせてしまおう、と思う気持ちもわかる。

 

「方針転換に踏み切ったのにはアリスの加入もあると思われる」

「え、私のせいですか?」

「せい、というか『お陰』だな。シルビアのポーションだけでは戦闘中の回復能力が不十分だった。加えて、不死鳥のようなボスクラス相手にも有効な神聖魔法。お主の加入でパーティの安定性が異次元レベルで増した、と考えても不思議はない」

「……それってあれだよねー。頑張り屋で有能な子が入ってきた途端、その子に仕事振りまくるブラック上司」

 

 嫌そうに言ったのはシルビアだ。

 まあ、要するに「回復魔法でアフターケア万全だからばんばん戦えるよね!」と言われているわけで、俺としてもそういうイメージはなくはない。

 どちらかというと難色を示すメンバーに教授は苦笑しつつ「まあそう言うな」と言う。

 

「吾輩が似たようなことを言って交渉したところ、なんと今回のバイト代は相場の二倍になった」

「二倍!?」

 

 多めに金が貰える、となると色めき立つのは庶民の性。

 当面の生活に困っていないとしても、お金というのはあって困るものではない。特に、女子という生き物があれこれ買い物を必要とすることは俺もだんだんと理解してきている。

 ノワールへプレゼントしたメイド服の件もあるし、稼いでおいて損はない。

 

「うむ。また不死鳥のような大物が来るかもしれんからな。危険手当は十分に必要だろう」

「教授は消火器代も稼がないといけないしねー」

「ええい、その話は今いいだろう!? ……ともかく、この話は受けようと思っている。問題はないか?」

「いいんじゃない? バイトなんていつものことだし」

 

 安全優先、撤退前提で戦うという方針さえ徹底されていれば、後は「暇な日に予定を入れてくれ」という話でしかない。

 俺達は口々に了承を告げ、

 

「よし。では、ボーナスのために戦おうではないか」

 

 再び、俺達の戦いが幕を開けることになった。



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聖女、人形をぶっ壊す

 夏ということもあり、市民公園には多くの緑が生い茂っていた。

 

「いい空気ですね」

 

 深呼吸すると夏の生温かい空気に混じって緑の匂いがする。

 公園に来るだけでこれなのだから、高原の避暑地なら猶更のはず。少し楽しみな気分になりながら、天高く昇る月を入り口すぐの遊歩道から見上げる。

 十字架を握って力を籠めれば、辺り一帯に人払いの結界が張られる。公園の入り口は防犯的観点から簡易的な柵で封鎖されているし、よほどのことがない限り邪魔が入ることはないだろう。

 ちなみに俺達は柵を無視して乗り越えている。

 一応、政府認可の害獣駆除業者ということで許可証を貰ってきているので、何か言われても対処は可能である。

 

「この公園、人形公園っていうらしいよー」

 

 入り口の表示を見たのだろう、白衣姿のシルビアが言う。

 いつも通り露出度の高い赤チャイナの朱華が首を傾げて、

 

「普通の公園だけど……なんで人形?」

「うむ。その昔、この地域では人形作りが盛んだったとかなんとか」

「わたしはもともと『地蔵公園』だったものが格好悪いと変更になった、と聞きましたが」

 

 教授とノワールがそれぞれに答える。

 結局、由来はよくわからないらしい。

 それはそれで構わないのだが、

 

「大量の市松人形とか出てきたりしないですよね……?」

「いや、ビスクドールも怖いと思うよー?」

「キョンシーも人形っちゃ人形よね」

「お前ら、言霊の作用が本当にあるなら、言えば言うほど招きかねないからな?」

 

 とはいえ、敵の予測をしておくのも重要ではあるわけで。

 俺達はうだうだ言いながら遊歩道を進んでいく。あまり入り口近くで開戦するのも動きの自由度が少なくて微妙だからだ。

 幸い、道がしっかりしている分、逃げる時は迷わなくてすむだろうし。

 そんな中、教授が普段よりも真剣な声で、

 

「おそらく、不死鳥ほどの強敵は出てこないはずだ。学校ほど人が密集する場所ではないからな。だが、油断はするなよ」

「わかってるわよ。……緑に燃え移らないようにするのが面倒だけど」

 

 そうしているうちに周囲には敵の気配が生まれ始める。

 黒い靄のようなものが密集して形成されるのは複数の影。どうやらボスキャラが一体、というのは防げそうだが──。

 

「ねえ、数が多くないかな?」

 

 シルビアの指摘通り、黒い靄は()()()()()()()()()()その姿を見せていた。

 

「……今度は無数の雑兵、というわけですか」

 

 コンバットナイフのようなものを構えたノワールが呟くと同時、不確定だった敵の正体が明確になる。

 

 人型。

 身長百五十センチ程度の女性を模したボディはつるつるした素材でできており、構造の複雑な関節部からは金属色をした部品が覗いている。

 ところどころ、骨格と関係のないラインが入っているのは内蔵武器でも持っているからか。

 つまり、敵は人形は人形でも『機械人形』。

 痛みを感じない鋼の兵士達が無数に立って、虚ろな瞳を俺達へと向けてくる──!

 

「ああもう、あたしは絶対生きて帰るからねっ!」

「各自散開しろ! 密集していては逃げ場がない! 敵の数を考えても各個撃破するしかあるまい!」

「こんなこともあろうかとポーション小分けにしておいたから持って行って!」

「皆さま、敵は防御力に富んでいると思われます。関節を狙うか、打撃を行うなら渾身の力を込めてください」

 

 朱華がやけになったように叫び、教授が手早く指示を出す。

 俺を除いた三人に小さなウェストポーチ(ポーションの瓶が入っているのだろう)が投げられ、ノワールが戦闘のアドバイスを口にする。

 その間に俺は首のアクセサリーを持ち上げて、

 

「《神聖守護(ホーリー・プロテクション)》!」

 

 ないよりはマシだろうと防御魔法を全員にかける。

 そして、飛びかかってくる機械人形の群れに向け、シルビアやノワール、朱華と息を合わせて飛び道具を叩き込んだ。

 

 

 

 

 

 

「……はぁっ、はぁっ!」

 

 荒く息を吐きながら「トレーニングしておいてよかった」と心から思う。

 道の端に立っている常夜灯に寄りかかりほっと一息つくと、がしゃがしゃと足音が聞こえてくる。追いかけてきた機械人形に俺は慌てず騒がず《聖光(ホーリーライト)》を叩き込み黙らせた。

 これでおそらく三十二体目。

 物理防御力はそれなりだが、魔法防御力は大したことないらしい。聖職者の基本攻撃魔法一発で沈んでくれるお陰でなんとかなっている。

 正直、魔法も無限に撃てるわけではないのでぶん殴って倒せればそうしたいが──木刀を持ってきていても俺の筋力では太刀打ちできなかっただろう。

 

 とはいえ、敵も徐々に減ってきている。

 

 最初は道にうじゃうじゃいたのを蹴散らして進まなければならなかったが、今は巡回中の機械人形を出会いがしらに吹き飛ばすだけになっている。

 公園の別地点からどっかんどっかん聞こえてくる音も原因かもしれない。

 シルビアかノワールが爆発物を使っているのだろう。人形達はセンサーを備えているようなので、光以外熱さえ発生させない俺の《聖光》よりも向こうに反応するはずだ。

 つまり、他のメンバーはもっと大変かもしれないわけだが、俺もわりといっぱいいっぱいだ。無理せずできる範囲で敵戦力を削いでいきたい。

 

 これ、不死鳥戦よりはマシだけど、立派にボス戦レベルだ。

 

「……はあ。一休みしたし、少しでもみんなの負担を軽くしないと」

 

 素の状態で独り言を呟きつつ、音のする方向へ歩きだす。

 すると、予想通り出くわす機械人形の数が多くなった。

 動きはそれほど速くなく、武装も近接武器のみなので、きちんとよく見て吹き飛ばしていく。バイト初体験のゾンビ戦での総敵数を既に俺一人で倒しているんだから凄い話だ。

 

 さて、向こうで戦っているのは──。

 

「ノワールさん!」

 

 金属的な打撃音と銃撃音。

 計四体の機械人形に群がられながらもメイド服の裾を翻し、華麗に戦うノワールがいた。

 ちょうど複数の道の合流地点で少しだけ広くなっている場所。

 飛びかかってくる人形をかわしてはコンバットナイフを関節に突き立て、あるいは銃弾を叩き込んでひらりと離れる。ノワールの戦い方はそんな感じだ。

 やはり物理攻撃は効きづらいのだろう。彼女達の足元には既に複数体分の残骸が転がってはいるものの、なかなか数を減らせていないように見える。

 

 何より、苦戦の証が彼女の胸元に大きく刻まれている。

 ざっくりと斬られたメイド服。

 ポーションを使ったのか出血自体は止まっているものの、白い素肌がちらちらと覗いてしまっている。あのノワールが攻撃をかわしきれなかったとは、これは。

 

「アリスさま、危険です!」

 

 声をかけながら近づいた俺に、ノワールが叫ぶ。

 新たな敵の出現に気づいたのか、機械人形の一体が方向転換、俺の方へと向かってくる。更に俺の後ろから二体、戦いの音に釣られたのか新手が出現。

 だが、俺にとっては好都合だ。

 

 前方から来た一体の攻撃をさっとかわすと、その背中に手のひらをかざして《聖光》を唱える。

 衝撃を伴う光が飛び出し、機械人形の身体を後ろから来た仲間の元へと飛ばした。もちろんその程度あっさりかわされたが、次の魔法を唱える程度の時間は稼げた。

 もう二発の《聖光》で俺の方へ来た敵は終了。

 俺が三体を片付けている間にノワールも自分の分を片付けていた。数が減ったのと増援を引き受けたのは大きかったようだ。

 

「ご無事ですか、アリスさま!?」

 

 ぱたぱたと駆け寄ってきたノワールへ、俺は「はい」と答えて、

 

「ノワールさんこそ大丈夫ですか? 他に怪我は──」

「ご心配なく。外傷はもうございません」

 

 答えながら、ノワールはウエストポーチ(なんと右腕に巻かれていた)からポーションを取り出してぐいっとあおる。

 最後の一本だったらしく、空になった瓶はポーチごと放棄。

 ……でも、後で掃除することになると面倒なので俺が拾って身に着けた。考えていなかったのか、真っ赤になったノワールは「ありがとうございます」と小さな声で言った。

 

「即効性はありませんが、ポーションを飲むと気分的に楽になりますね」

「お疲れなら回復魔法もかけますけど──」

「いいえ。それはいざという時のために取っていてくださいませ。……アリスさまも、もうあまり余裕がないのでしょう?」

「……わかりますか?」

 

 小休止が入っているとはいえ、そろそろ魔法も打ち止めだ。

 後二、三発撃ったら本格的に「無理をしている」領域に入る。振り絞れば出るのが神聖魔法とはいえ、オリジナルのアリシアが助けてくれたあの時のようなご都合主義はそうそう何度も起こるものではないだろう。

 顔が引きつりそうになるのを堪えて笑うと、ノワールが泣きそうな顔で俺の頭をぽんぽんと叩いた。

 

「お願いですから、無理をなさらないでください。……全員で、家に帰らないといけないのですから」

「……はい」

 

 助けに来たつもりが、余計に心配させてしまったか。

 今後は無理しない程度に無理する方法を考えようと思いつつ、ノワールに提案する。

 

「ノワールさん。これ、ボス戦はボス戦ですけど雑魚掃討なんですし、手頃なところで撤退しても問題ないですよね?」

「ええ、その通りですが──」

 

 するとノワールは少し迷うような表情を見せてから、今のところ何も来る気配のない道の先を見据え、

 

「わたしとしては、この戦いが単なる掃討戦なのか疑問があるのです」

「……というと?」

「雑兵に統率者がいる可能性──ないとは言い切れないと思いませんか?」

 

 ぞくっとした。

 全員バラバラにされて、消耗戦を強いられた挙句に、ボス登場?

 それは下手したら不死鳥戦よりも危険なのではないだろうか。

 

「さ、さすがにそんなわけ──」

 

 笑い飛ばそうとしたその時、道の一方から静かな足音が聞こえてきた。

 緊張が身体を硬直させる。

 俺達は反射的に身構え、足音の主を見据えた。ただの雑魚ならがしゃんがしゃんと音がするはずだし、仲間達の足音とはどこか違う気がする。

 そして、

 

「さすがはお姉様。裏社会で磨いた勘は鈍っていないようですね?」

 

 姿を現したのは、まるでノワールを若返らせたような十五、六歳の少女だった。

 

 

 

 

 

 

 

「……ノワールさん、あれはなんだったんですか?」

 

 家のリビングに集まった俺達は神妙とした面持ちでノワールを見つめた。

 あの後。

 ノワールは俺にすぐさま撤退を提案。ノワールに似た少女もそれを止めようとしなかったため、俺達はスマホで教授達と連絡を取り、各自公園から脱出した。

 機械人形は完全に掃討しきれなかったものの、倒した分だけ邪気は払われたはずなので、まあ、部分的成功といったところか。

 

 気がかりなのはあの少女だが。

 

 直接見たのは俺とノワールだけなので、教授達は更なる情報待ちといった状態。

 そんな中、ノワールはどこか硬い表情で口を開いて、

 

「おそらく、彼女が今回のボスです」

 

 ぼんやりと予想していた通りの答えを告げた。

 

「つまり、ノワールよ。その少女とやらは敵なのだな? 他の機械人形と同じく、邪気によって作り出されたモンスターだと」

「ええ。彼女はわたしたちを逃がす際、待っていると言っていましたから」

 

 確かに言っていた。

 

『待っていますよ、お姉様。貴女が自ら死地に赴いてくるのを』

 

 逃げに徹されたらどうしようもないが、決戦に臨んでくれさえすれば自分が勝つ──そう言っているかのようだった。

 彼女がボスで、あの公園から出られないのなら辻褄は合う。

 

「でも、喋るボスなんて前代未聞だよー?」

「ノワールさんは、そいつが何なのか知ってるってわけ?」

 

 朱華達からの更なる問いにもノワールは頷いて、

 

「あれはシュヴァルツ。わたし──ノワールが()()()対峙することになった、全盛期のわたしを模した機械人形(マシンドール)です」

 

 原作。

 例の、近未来を舞台にしたラブコメもののことだ。ラブコメものなのにバトル展開が挟まれるのはどうかと思うが……まあ、ラブコメ業界においては割とよくあることな気もする。

 なるほど、と納得する俺だったが、これに教授が唸り、

 

「だが、ノワールよ。そんな展開は原作にないぞ?」

「え?」

「当然です。原作の物語はまだ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「えええ?」

 

 二人が言いたいことはわかった。

 俺は途中までしか読んでいないが、原作漫画では既刊分はおろか雑誌連載の最新話まで含めても「ノワールとシュヴァルツの邂逅」なんていうエピソードは描かれていないらしい。

 そしてノワールは、未だ描かれていない未来のエピソードを記憶として備えているらしい。

 それは、なんというか、

 

「展開予測をネットに書き込んだら神になれるのでは……?」

「そこですか、アリスさま」

「アリスって時々、物凄くズレた発言するわよね」

 

 否定はできないが、朱華にはあんまり言われたくない俺だった。



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聖女、気遣う

「……話を戻しますけど」

 

 失言を誤魔化すように咳ばらいをして、俺は尋ねた。

 

「ノワールさんには『オリジナル』の記憶があるんですか?」

「ええ、あります」

 

 こくんと頷くノワール。

 確かに、目の前にいる彼女は原作のノワールと寸分違わぬ姿をしている。もちろん、匂いや質感といったプラスアルファの情報を除けばの話だし、ラブコメという関係上描かれざるをえない「主人公への好意」の無い、素のままの表情をしている分、正直こっちのノワールの方が魅力的だが。

 

「……()にはアリシアの記憶ってないんですけど」

共鳴(ユニゾン)の段階が違うからだろうな」

 

 不死鳥戦でアリシアの声を聞いたあれのことだ。

 緩やかな共鳴は今この瞬間にも起こっているらしいが、

 

「ノワールは自ら望んで魂の深いところを覗き込み、受け入れている。オリジナルに近づけば近づくほど記憶や能力は強くはっきりと再現されるようになる」

「はい。わたしはこの中で二番目にオリジナルに近づいている人間、ということになるでしょう」

 

 一番目が教授なのはなんとなくわかる。

 そこからノワール、朱華、俺、シルビアの順か。シルビアは元の身体に戻りたくないとか言いながら、シルビア・ブルームーンを「理想の自分」と呼んで自分自身と区別している。アリシアとの共鳴に嫌悪感のなかった俺よりもむしろ線引きが明確だろう。

 アリシアに近づいてくことは承知の上でこの生活を選んだ。

 だから、それ自体は問題ないのだが、

 

「原作で描かれていないエピソードまで思い出せるっていうのはまた別の問題ですよね? だって、単に原作を覚えているからっていう話じゃなくて……」

「うむ。作者の頭の中にさえまだ存在しないかもしれない、キャラクター自身の記憶を、我々は所持しているということになる」

 

 教授が以前、平行世界うんぬん言っていた理由がわかった。

 彼女は肩を竦めて、

 

「まあ、ノワールの未来の記憶が原作で描かれる保証はない。だから、単なる妄想かもしれんし、偶然の一致なのかもしれん」

「あるいは、あの作品の作者さまもわたしと同じく、あの世界の誰かと魂を同じくしているのかもしれませんね」

 

 どこか遠い目をしてノワールは呟いた。

 なんとなくオカルトかファンタジーめいた話になってきているが、作者がオリジナルのノワールの知人──例えば物語の主人公と魂を共有していて、その人そのものになることはないまでも物語として出来事を思い出しているとすれば、確かに説明はつく。

 語り手がノワールでないのなら、その人物の知らない出来事は描かれないだろう。あるいは、語り手が「重要ではない」と判断した出来事も。

 

「じゃあ、私もアリシアと共鳴を強くすれば、アリシアの記憶を思い出すんでしょうか?」

「さあな、知らん」

「申し訳ありませんが、わかりかねます」

「気になってもほいほい試すんじゃないわよ」

「……あれ?」

 

 急にあっさり突き放された感。

 どういうことだと目で抗議すれば、教授は苦笑して、

 

「そうは言っても実際わからんのだ。全く同じ境遇の者は一人としていないわけだしな」

「確かに、それはそうですけど……」

 

 原作の媒体からしてマンガだったりアニメ映画だったり小説だったりゲームだったりと違う。

 近いのはエロゲ出身の朱華だが、

 

「あたしは原作にあった出来事くらいなら『自分の経験として』思い出せるわ。でも、設定としてあるだけのエピソードとかだと無理」

「わたしは原作にない出来事も思い出せますが、日常の些細な出来事などはほとんど思い出せません。原作の範囲内以外は印象的なエピソードを思い出すのが限界です」

「私は(シルビア)のことなら結構何でも語れるけど、あんまり参考にならないよねー。だって私が作者だから」

「アリスの場合も我々と同じだとは思うが──お主の場合、なったのがSRPGの駒だからな。言うほど主要エピソードが存在するか? という話もある」

「……そうですね」

 

 プレイヤーがキャラの容姿や職業を決められる都合上、アリシア・ブライトネスの役割は他のキャラクターでも代替が利く程度のものでしかない。

 会話パートの情景が鮮明に思い浮かんでも「だから何?」としかならないかもしれない。

 とても深いところまで共鳴すれば話は別なのだろうが。

 

「ともあれ、問題はそのシュヴァルツとやらだ。まあ、倒せばいいんだろうが」

「倒せばいいなら、倒せばいいじゃない。ボス倒さないと雑魚が全部復活する、っていうわけでもないんでしょ?」

 

 乱暴な言い方ではあるが、実際正しい。

 悪い気は時間経過と共に溜まっていくだろうが、長年かけて溜まったものを大部分払ったのだから、ちょっとやそっとで人形が完全復活とはならないはず。

 ノワールも「そうですね」と頷いたものの、

 

「ただ、シュヴァルツは簡単には倒せないと思います」

「……強いの?」

「間違いなく強敵です。例えるなら、そうですね──」

 

 銃器や刃物を自在に扱う万能メイドの口にした比喩は、あの少女の脅威度をはっきりと示してくれた。

 

「大戦のエースパイロットのありとあらゆるデータをインプットされたコンピュータを搭載された最新兵器、といったところでしょうか」

 

 あの少女、シュヴァルツは「全盛期のノワールのデータが入った機械人形」だという。

 つまりは、そういうことだ。

 

「全盛期のノワール──これはオリジナルのことですが、彼女の強さは凄まじいものがありました。今のわたしよりも数段上でしょう。シュヴァルツはそんなわたしの戦闘データが、人以上の性能を持つ鋼の肉体にインプットされているのです」

 

 もし、仮に同じだけの技量を持っていたとしても、ボディの性能差で一方的に押し負ける。

 ノワールは銃弾が一発当たっただけでパフォーマンスが落ちるのに、シュヴァルツは生半可な銃弾は装甲ではじき返してしまう。

 機械の身体なので疲労もないし、腕が一本もげたところで普通に戦闘継続できる。

 不死鳥と戦えばあっさり溶けて終了だろうが、それは相性の問題もある。ボディが小さいというのは飛び道具を当てる際に厄介だし、物理攻撃が通りづらい以上は戦法が限られる。

 

「で、でも、こっちは五人いるんだよー? みんなでかかればなんとかなるんじゃない?」

「シルビアさま。こちらは一人欠けた時点でゲームオーバーであることをお忘れなく」

「う……」

 

 俺達の命はシューティングゲームのように残機性ではない。

 死んだら終わりなのだから、どんな手を使ってでも勝てばいい、というわけにはいかない。

 

「とりあえず保留だな」

 

 と、教授は作戦会議を打ち切った。

 

「優勢を取れるアイデアが出ない以上、置いておくしかあるまい。幸い、放っておいても敵が暴れるわけではないのだ。倒した敵の分の報酬だけ貰って、後はいい案が浮かぶのを待つとしよう」

「賛成。バイトで死ぬなんて馬鹿らしいしね」

 

 朱華が頷いて立ち上がる。

 眠いし、シャワーを浴びてから寝る、とのこと。一緒に浴びるかと言われたが丁重にお断りした。マッサージの二の舞は懲り懲りである。向こうも面倒なのか特にからかってくることはなく、着替えを取りに自分の部屋へと消えていった。

 シルビアは「じゃ、気分転換に薬でも作ろうかなー」とこれまた研究室に向かった。研究に熱が入った場合はそのまま朝までコースと思われる。

 俺は、

 

「さ、アリスさまもお休みくださいませ」

「ノワールさん」

「もう遅いですし、夜更かしは身体によくありません。眠れないようでしたらホットミルクをお作りしましょうか?」

 

 ノワールは俺を見てにっこりと笑う。

 

「えっと、じゃあ、お願いしてもいいですか?」

「はい。少々お待ちくださいね」

 

 いそいそとキッチンへと向かっていく彼女だったが、俺にはどこか無理をしているように見えた。

 どうしたものかと考えていると肩を叩かれて、

 

「不用意に踏み込みすぎるなよ」

「教授」

「それぞれに事情も理由もある。関わり続ける気がないならそっとしておいてやれ」

 

 教授もまた去っていった後、残された俺は一人呟いた。

 

「って、言われてもな……」

 

 何もしないのも落ち着かないというか、違う気がした。

 

 

 

 

 

 

「というわけで、ノワールさん。料理を教えてもらえませんか?」

 

 翌日の朝食時。

 夏休みの宿題もあらかた終わったということで、俺はノワールにそうお願いした。

 何が「というわけ」なのかわからなかったのか、ノワールはきょとんと目を瞬かせて、

 

「この間のメイド服がまだ到着していませんが……」

 

 全然違った。

 

「いえ、ノワールさんとお揃いのやつで大丈夫なので」

 

 むしろ、この間のメイド服は料理に使うやつじゃないだろう。口に出すとノワールは「お仕着せなのですから着なければ」と言うんだろうが。

 俺の発言を聞いたノワールは「お揃い……」と呟いて、

 

「すぐにご用意しますねっ」

「の、ノワールさん! まだご飯中だから!」

「あ……そうでした。申し訳ありません……!」

 

 普段ならやりそうにない(と思いたい)ミスをした。

 朱華が慌てて止めたので事なきを得たが、あのままだったら朝食中に俺をメイド服に着せ替え、更には料理の練習が始まるというよくわからないイベントになるところだった。

 やっぱり少し、昨日のことを気にしているのかもしれない。

 少しは気が紛れるといいが……と思っていると、教授が意味ありげに俺を見て、

 

「このお節介焼きめ」

「……いけませんか?」

「いや。好きにするが良い。我々はついつい個人主義になってしまうからな。なんなら、お節介ついでにチームリーダーを代わってくれても良いぞ」

「それは遠慮しておきます」

 

 リーダーと言われても何をしたらいいのかわからない。俺にできるのはせいぜい救護班だ。

 教授がくくっと笑うと「残念だ」と言った。

 

 

 

 

 

 料理の練習は午前十時半から開始されることになった。

 五分前にリビングへ行くと、いかにも楽しそうな鼻歌が聞こえてきた。

 ノワールがキッチンであれこれと準備をしている。

 

「あ、アリスさま。もう少々お待ちくださいねっ」

「はい、待ってます」

 

 時間は沢山あるので急がない。

 むしろ先に着替えてきてもいいのだが、なんとなくノワールが拗ねそうな気がする。ソファにでも座っていようかと足を向けると、朱華とシルビアが揃ってニヤニヤしていた。

 いつもの野次馬根性だろう。

 

「宿題は終わったんですか?」

「終わってるわけないでしょう失礼な」

「私、締め切りギリギリにならないとエンジンかからない体質なんだよー」

「駄目じゃないですか」

 

 助けを求められても手伝わないと心に決めつつ、二人から逃げるのも微妙な気がしてそのまま腰掛ける。何故か二人の間が空いていたのでそこに、だ。

 すると自然、ニヤニヤを左右から向けられるわけで。

 

「ノワールさん楽しそうよね」

「そうですね、良いことです」

「アリスちゃんのお陰だよねー」

「これくらいで喜んでもらえるなら、シルビアさん達がお手伝いすればいいじゃないですか」

「あー、まあ、わかってはいるんだけど……」

「なかなかやる気が起きるかというとねー」

 

 遠い目をする二人。こういうところはなんとも筋金入りである。

 面倒臭いというのももちろんだが、下手にやるとノワールの邪魔にならないか、というのもあるのだろう。お願いすると笑顔で聞いてくれるので、ついついなんでもお願いしそうになってしまう人なのだ。

 それでもお願いしたのが俺で、しなかったのが教授や朱華達。

 間違っているのは俺の方なのかもしれないが、それでもじっとしていられなかった。かといってマンガみたいに「ノワールさんの考えてること全然わからないよ!」とかやるのも恥ずかしすぎるので、せめて日常生活でリフレッシュしてもらおうという作戦だ。

 

 俺の頬を無駄につんつんしながら、朱華がさっきとは違う優しい感じで笑って、

 

「ま、ノワールさんにはアリスみたいな妹キャラが必要だったんじゃない?」

「元男ですけどね」

「元でしょ?」

 

 うん、もう「元」なんだよな。

 俺も笑って、

 

「ノワールさんがお姉さんなんてむしろご褒美じゃないですか」

「わかる。めっちゃ甘やかされて何から何まで世話してもらいたい」

「朱華さんって女の子もいける人なんですか?」

「女の裸見て興奮しないならエロゲに拘ってなんかいないわよ」

「……よくわかりました。ちょっと離れてください」

 

 ずさっと反対方向に離れようとしたら、柔らかな膨らみに肘が当たった。

 ぎゅっとシルビアに腕を取られて、

 

「アリスちゃん、お姉さんは何人いてもいいよね?」

「シルビアさんも離れてください!」

 

 っていうか俺は確定で末っ子なのではなかろうか。

 いや、教授がおばあちゃんなのか末っ子なのかによるか。難しいところだ。




今後、筆の進み具合次第で更新間隔がもうちょっと空く可能性がありそうです。
なにとぞご了承くださいませ。


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聖女、準備する

「アリスさま。料理において最も大事なことはなんだと思いますか?」

 

 エプロン代わりというか、エプロンついでに着せられたお揃いのメイド服に身を包み、キッチンの一角に立った俺は一つの問いを投げかけられていた。

 答えのない問いによる弟子入り試験──なんて大袈裟なものではないだろうが。

 問われた以上は真剣に答えようと、しばし首を捻って、

 

「……衛生管理でしょうか?」

 

 美味しくても悪いものが入っていては意味がない。

 手洗いうがいは小さな子供でも教えられる基本。こういうのは基本こそが一番大事なのではないか。

 すると、俺の前に立って背筋を伸ばしたノワールは、先生役が嬉しいのか若干にこにこしながら、精一杯厳かな声で「惜しいです」と言った。

 ぴっ、と、細い指が一本立てられて、

 

「もちろん衛生管理も大事です。ですが、衛生管理も含め、ありとあらゆる料理の技術は一つの言葉によって言い表すことが可能なのです」

「そ、それは……?」

「それは──『料理は愛情』です」

 

 息を呑んで答えを待っていた俺は、申し訳ないが若干拍子抜けしてしまった。

 ソファから様子を観察しているシルビア・朱華コンビも「えー」という顔だ。

 

「いきなり精神論ですか」

「なにをおっしゃいますか、アリスさま」

 

 ぷに、と、立っていた指で頬を突かれる。

 痛みは全くない。

 

「貴女が何故、椎名さんとの料理勝負に勝つことができたのか──お忘れになられましたか?」

「……あ」

 

 はっとした。

 あの時、余計なアレンジを加えて肉じゃがを台無しにした椎名に対し、俺は必要以上に慎重に作り上げた何の変哲もない初心者の肉じゃがで勝利した。

 あれは、出来る範囲で一番美味しい物を、と考えた結果だった。

 審査員三人から満場一致で勝利判定を貰った時は凄く嬉しかった。あの経験が「もっと上達したい」というモチベーションに繋がったのは間違いない。

 

 食べる人の事を考えていれば、確信のないアレンジなんてするわけがない。

 衛生管理は当然。

 もっと美味しい物を、と思う気持ちがあれば練習も捗るだろう。

 

「ですから、アリスさまはもう、料理に一番大事なことを知っていらっしゃいます。あの時の気持ちを忘れずに励んでいきましょうね」

「はい、ノワールさん」

「いい返事です。では、まずは包丁の使い方から学んでいきましょうか」

 

 後で朱華は「上手く丸め込まれたんじゃない?」と言っていたが、俺はノワールの教えに感銘を受けた。

 シルビアも「アリスちゃんは真面目すぎるよー」と言っていたが、一番重要なのは、教えを授けるノワールも大真面目だということだ。

 鰯の頭も信心から。

 信じる者は救われるとも言う。俺も案外、聖職者であるアリシアと同様、信心深い人間だったりするのかもしれない。

 

 料理のレッスンは食材を切るところから始まった。

 

「アリスさま。猫の手です、猫の手」

「こ、こうですか?」

「そうです。後は『にゃー』と言っていただければ」

「……ノワールさん。さすがに引っかかりませんからね?」

 

 さすがに、俺が笑顔で『にゃー♪』とか言う日は死ぬまで来ないと思う。

 

「切った食材は後でお昼ご飯に使いますからね」

「はい」

「アリス、死ぬ気でやりなさい」

「毒入れちゃ駄目だよ?」

「食材切るだけで変なことできたら才能ですからね」

 

 とはいえ、単に「具材を切る」と言っても奥が深い。

 千切り、乱切り、銀杏切り、小口切り等々、切り方の種類だけでも数多く存在する。料理本などではそれらを当たり前のように指示されるらしいので、憶えておかないと一々ググる羽目になる。

 同じ大きさで切る、という作業もやってみると中々難しいもので、慣れが必要だとわかった。サイズを均等に揃えないと火の通り方にムラができるというのだから「ちょっとくらいいいじゃん」というわけにもいかない。

 

「もちろん、家庭料理ではそこまでうるさく言う必要もないのですが。むしろ、食べる方の好みに合わせる方が重要かもしれません」

「ああ、朱華さんは辛党とか、シルビアさんは甘口好きとかですね」

「……意外とよく見てるわねあんた」

「アリスちゃんはデザート食べてる時が一番幸せそうだよねー」

 

 麻婆豆腐やエビチリを好み、ピザを食べる時もタバスコは欠かせないと来れば一目でわかると思うが。

 あとシルビアは余計なことを言わないで欲しい。

 

「では、今日はここまでにしましょうか」

「はい」

 

 集中して作業していたら一時間以上があっという間に過ぎていた。

 もっとやりたいくらいだったが、昼食の時間も迫っているし、材料ばっかり大量に切っても仕方ない。食べ物を粗末にするのも勿体ないので、料理の練習は成果物の処理方法がなかなか難しいところなのである。

 実家がレストランである芽愛に「専門家はどうしているのか」と尋ねると「食べるよー」とのこと。

 あらかじめ失敗してもいいように少量ずつ作ったりもするが、納得いくまで止まらなくなって結局大量に食べてしまう、なんていうこともよくあるらしい。余裕があればあらかじめ「食べてもらう人」を呼んだりもするが、基本的には自分や家族で処理するとのこと。

 料理人に太ってる人が多かったりするのはそういう理由があるんだろう。

 

「ありがとうございます、ノワールさん。また時間のある時にお願いします」

「もちろんです。では、また明日やりましょうか?」

 

 いえ、あの、毎日は若干ハードな気もするんですが……って、ノワールは毎日三食作ってるんだよな。あらためて頭の下がる思いである。

 

 

 

 

 

 

「……うーん」

「ねえ、アリス。今度は何してるのよ?」

 

 スマホの画面を睨んで呻っていたら側面から呼びかけられた。

 アイスを口に咥えた赤髪の少女は挨拶もなく、ベッドに腰掛けた俺の隣に座って画面を覗き込んでいる。

 何か面白いものを見ているとでも思っていたのか、表示されている内容を確認すると拍子抜けしたような顔になった。

 

「なんだ。ゲームの攻略サイトか」

「はい。あのゲームのデータです」

 

 俺がアリシアを作り出したSRPG。

 

「どうしてまたそんなもの?」

「私に何ができるのか、もう一度確認しようと思いまして」

「ああ、あの人形の件?」

「はい」

 

 そのうち再戦になるのはほぼ確実。

 何が戦いの助けになる魔法がないかと、ゲーム内の魔法リストを見返してみていたのだ。

 

「それで、何か収穫は?」

「微妙ですね。そもそも私は聖職者なので、硬くて強い敵って苦手なんですよ」

 

 HPが低い敵──あの雑魚人形みたいな相手なら魔法で吹き飛ばせるが、ノワールのデータを持つあのシュヴァルツは相当しぶといはず。

 そうでなくとも、単発の攻撃魔法くらいは軽くかわしてしまうだろう。

 かといって、相手は飛び道具を用意しているだろうから、後ろで待機して回復魔法を、というのも相当危ない。

 となると味方の性能を上げる系の魔法くらいしかないが、

 

「武器を聖別する魔法と聖なる守護を与える魔法、後は運が良くなる魔法──以上、なんですよね」

「クリティカルしたら防御無視になったりしない?」

「現実世界にはそんなシステムはありません」

 

 まあ、防御の薄い場所は弱点、急所に当たった事を表現しての防御無視なんだろうが。

 そう考えると運が良くなった分、クリーンヒットが増える可能性はあるか。

 目に見えない効果過ぎて過信する気になれないが。

 

「不死鳥にぶちかました奴──は駄目か」

「はい。公園内じゃ障害物が多すぎますし、射線に味方がいない状況というのが……」

 

 十中八九、魔法を発動させる前に向こうがパァン! と撃ってくるだろう。

 俺に「弾道を見切る」なんてテクニックはないので普通に当たる。即死はしないと思いたいが、治療する暇があるかどうか。

 すると朱華も「うーん」と呻り、ベッドに身を投げ出して、

 

「あたしの力も多分、効きが悪いのよね」

「人体発火は?」

「そいつ人体じゃないんでしょ?」

「あー……」

 

 人の身体と機械の身体ではアクセスの仕方に差があるのだろう。

 オイル的なものでも使っていてくれればむしろ燃え易そうではあるが、熱暴走対策の冷却装置とか今日びPCにも搭載されている。

 

「シルビアさんは強化系の超強力なポーション作るって言ってたわね」

「ヤバい薬ですよねそれ」

 

 とあるゲームの強化系ポーションは「速度」「覚醒」「狂気」と上位ほど枕詞が危険になるが、まさにそんな感じである。

 

「後遺症はアリスが癒やせばいいじゃない」

「失われた寿命までは戻りませんからね?」

「でも、そういう相手なら前衛を超強化するのが安定じゃない?」

「前衛……ということはノワールさんですか」

 

 俺が考えていた事も実は大差ない。

 シュヴァルツに正面から対抗できるのがノワールなのは間違いない。ならば彼女を強化できれば、というのが魔法をあたった切っ掛けだ。

 原作──というか、ノワールの記憶にある未来では勝利しているみたいだったから、勝てはすると思うのだが。

 そういう敵との戦いってえてして紙一重というか、百回やったら一回しか勝てないんじゃ? っていうようなケースが多い。

 多少支援した程度でそれを必勝に持っていけるのか。

 

「重騎士みたいな仲間がいればそいつに任せるんだけどなあ」

「現実にはノーダメージなんてそうそうないですし、逆に命中率0パーセントはありえるんですよね……」

 

 当たらなければどうということはない、はある意味真理である。

 

「まあ、私、ゲームにない魔法も使えたりするので、何かないかもう少し探ってみます」

「無理するんじゃないわよ」

「しませんよ、そんなこと」

 

 切迫詰まった問題ではないのだから、なんなら三年くらい寝かせておいてもいいのだ。

 

 

 

 

 

 なんだかんだ言っているうちに夏休みも残り少なくなってきた。

 高原でのお泊り会はもうすぐである。

 今回は最初から二泊三日とわかっているので、準備も念入りにしなければならない。

 

 まずは服と下着。

 三日間なので三着プラスアルファは必須。テニスをすると言っていたし、汗をかくことも予想できるので下着は倍くらいあってもいいくらいだ。

 そういえば、テニスする時は何を着ればいいのだろうか。

 学校の体操着か、それともトレーニング用のウェアを持っていこうか。

 みんなはどうするのかとグループチャットで聞いてみると、今回のホストである芽愛と、お嬢様である鈴香はウェアを持っているとのこと。

 

『アリスさん達の分は私がお貸しします』

 

 と、テニスには慣れているらしい鈴香が言ってくれたのでお言葉に甘える事にする。

 

『可愛いのをご用意しますねっ』

 

 と、猫が張り切っているスタンプが送られて来たのが頼もしいような心配なような。

 鈴香のセンスなら変なことにはならないと思うが……テニスウェアってそもそもスカート短いのが定番な気がする。

 俺の偏見ならいいが、朱華に聞いたら「テニスサークルなんて飲みサーの次に危険よ」ということだったので、念の為、見られてもいいアンダーウェアは持っていく事にした。

 

 後は生理用品に、シャンプーやリンスを小分けにしたもの。ハンドケア用のクリームや洗顔フォーム、日焼け止めなんかも持って行かないといけない。

 この手のケアって面倒だけど、慣れたら慣れたでしないと落ち着かないのである。

 

「というか、荷物が多いです」

 

 持てないとかそういう事はないが、たった三日の分量とは思えない。

 男だった頃の俺よりも身長は縮んでいるのに品数、ボリューム共に増えているのはどうしたことか。

 と、荷造りを手伝ってくれていたノワールは微笑んで、

 

「女の子はどうしても荷物が多くなりますからね」

「いえ、その、わかってはいたんですけど……ここまでかあ、と」

「そうですよ、アリスさま。男性だった頃、やっかみを口にした事がおありでしたら悔い改めた方がよろしいかと」

「悔い改めます」

 

 家族旅行に行った際、父と「女は準備がおそいよな」とか「なんでそんなに荷物多いんだよ」とか言って妹に烈火のごとく怒られた記憶がある。

 あいつは今の俺と同い年なので、当時はまだ子供だったはずなのだが。

(ちなみに親父は晩酌のビールを一本減らされていた)

 

 今になって申し訳なくなったので、妹に「ごめん」と送ったところ、勝ち誇ったような狸のスタンプと共に「旅行の写真送ってね!」と来た。

 身内に今の俺の写真を送るのは恥ずかしいのだが、安心してもらうためにも必要か。

 わかりました、とウサギが言っているスタンプを、俺は妹に送った。



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聖女、お泊まりに出発する

「アリスさま、忘れ物はありませんか?」

「はい、大丈夫です」

 

 早朝、まだ他のメンバーが眠っている時間。

 玄関に立った俺はノワールの問いに頷いて答える。

 何度もチェックしたので抜かりはない。どうしても足りない物があったら現地調達すればいいだろう。

 荷物を詰めたトランクケースはノワールが抱えて車まで運んでくれる。

 

 今回の集合場所は学園の最寄り駅。

 海水浴の時のようにそれぞれピックアップする形でも良かったのだが、どうせならみんなで待ち合わせた方が旅行っぽいのでは、ということでワンクッション挟むことになった。

 で、朝早くからガラガラとトランクを引いて歩くのは体力的に問題なくとも近所迷惑では、ということで、駅まではノワールに送ってもらうことになった。

 

「行ってきます」

 

 朱華達との挨拶は前日の夜に済ませてある。

 帰省の時に日帰り外出、海水浴の時に突発お泊まりをしてきたせい(お陰?)か、ああだこうだと構われることはそれほどなかった。

 言われなくても防犯ブザーはちゃんと持ったし、一人で出かけるわけでもない。お目付け役の理緒さんも一緒だから大丈夫だ。

 とはいえ、

 

「私、ノワールさんにお世話になりっぱなしですね」

 

 助手席で流れていく景色を眺めながら呟くと、ノワールは「そんなことありませんよ」と言った。

 

「アリスさまにはお料理ですとか、わたしの趣味に付き合っていただいています。わたし、お陰でとっても楽しいんですよ」

「そんな。あれは私がしたいからしているだけで……」

「でしたら、これもわたしがしたいからしているだけ、ということでいかがでしょう?」

「う。ノワールさんはずるいです」

「はい。大人はずるいんですよ、アリスさま」

 

 また、お土産をたくさん買って来ないといけないようだ。

 何がいいか、と本人に聞いても(朱華や教授、シルビアと違って)気にしなくていいと言われてしまうため、自分で厳選しないといけない。

 ノワールが好きなものというと、メイド、料理、可愛いもの?

 観光地にメイド服なんて置いてないだろうし、料理関係の品が無難だろうか。

 野菜や果物だと悪くなってしまう物もありそうだから……漬物? って、それは教授が喜びそうだ。となると、ご当地の調味料とかだろうか。

 後は酒もいいかもしれない。自分では飲めないうえ、未成年には売ってくれないだろうから、試飲も購入も理緒さん頼りになりそうだが。酒なら朱華達に取られる心配はない。教授は一人で全部飲むほど意地汚くない……と思いたい。

 

 集合場所まではあっという間だった。

 十五分前というかなり早い到着だったが、鈴香と理緒がもう来ていた。

 ノワールと協力してトランクを下ろして駆け寄り、挨拶を交わす。

 

「おはようございます、鈴香さん。理緒さん」

「おはようございます、アリスさん。晴れて良かったですね」

「はい。本当に」

 

 天気は快晴。まだまだ夏の日差しは健在だが、これから行くところは避暑地なので、ここよりはずっと涼しく過ごせるだろう。

 鈴香の服装は淡いブルーのワンピース。俺はクリーム色のフレアスカートに上はブラウスという組み合わせ。引き続き白系統で攻めたのは正解だったらしい。

 

「鈴香さん、避暑地のお嬢様みたいです」

「アリスさんこそ。とっても良く似合っています」

 

 お互いの服を褒め合っていると、その間にノワールと理緒さんは大人同士の挨拶をしていた。

 

「アリスさまをどうかよろしくお願いいたします」

「責任を持ってお預かりいたします」

 

 今回のホストは芽愛だが、彼女の家は飛びぬけた金持ちというわけではない。

 宿泊先の別荘は彼女の家の物らしいが、移動手段(アシ)は鈴香が用意してくれた。運転手兼保護者役はいつものように理緒さんだ。

 動きやすいカジュアルな服装に身を包んだ鈴香の世話係は、ロング丈のメイド服という夏場の街中にそぐわないノワールの姿に目を瞬き、驚いていた。

 俺は「そういえば今日はメイド服なんだ」と今更ながらに思った。送り迎えだけなので着替えなかったのだろうが、俺自身、家にメイドさんがいることにすっかり違和感を覚えなくなっているらしい。

 ともあれ。

 我が家のメイドさんと緋桜家の使用人は笑顔で握手を交わし、

 

「……只者ではありませんね」

「そちらこそ」

 

 熟達者にしかわからないような「何か」を感じ取って頷き合っていた。

 

「アリス様のセンスには時折、並々ならぬものを感じておりましたが、貴女のような方が世話をされているのでしたら納得です」

「ありがとうございます。ですが、わたしなどまだまだ修行中の身に過ぎません」

「あら。二人とも、なんだか仲良くなったみたい」

「私には何の話かわからないんですが……」

 

 ノワールは俺に「楽しんできてくださいませ」と言って帰っていき、入れ替わるように芽愛がやってきた。

 

「おはよー。二人とも早いねー」

「理緒が『なるべく早く待機していたい』と言うので、私はその付き添いです」

「ですから、お嬢様は車でお休みくださいと申し上げたではありませんか」

「だって、一人で車の中なんてつまらないもの」

 

 笑って言う鈴香に、理緒さんも「困ったものだ」という感じで笑う。本気で困っているわけではないのはなんとなくわかる。

 芽愛も慣れている感じで笑っている。

 

「芽愛さんは動きやすそうな格好ですね」

「うん。どうせなら走ったりもしたいし」

 

 上は長袖のシャツだが、下はショートパンツ。

 素足は白いハイソックスで大部分を隠しているとはいえ、部分的に見えている素肌が眩しい。

 

「これで後はアキだけね」

「私がここで待っていますので、皆様は車に行っていただいて構いませんが」

「いえ、せっかくなので待ちます」

「アキが来た時、誰もいなかったら寂しいもんね」

 

 縫子は待ち合わせ時間ギリギリにやってきた。

 長袖のシャツに七分丈のパンツ。芽愛と逆に足首辺りを出したスタイル。大人しい彼女にしては珍しいスタイルだが、珍しいのはそこだけではなかった。

 荷物の詰まったトランクの他に手荷物用の鞄(これは俺達も持ってきたがサイズが大きめ)と、更に首からカメラを提げている。さすがにコンパクトサイズのデジカメのようだが……。

 

「おはようアキ。すごい荷物ね」

「おはようございます。……この機会を逃したくなかったので」

 

 何食わぬ顔で答える縫子。

 この機会、とやらに何をするつもりなのかが若干怖いが、まあ、カメラを持っているんだから写真を撮るつもりなんだろう。何の写真かはこの際あまり考えないことにする。写真なら俺もスマホで撮るつもりなわけだし。

 

「では、皆様揃いましたので移動致しましょう」

 

 車は近くの時間制駐車場に停められていた。

 普通の乗用車ではない。大型車の後部を改造し、寛げるような座席や簡単なキッチン、冷蔵庫等を備えた──いわゆるキャンピングカーだ。

 

「凄い……!」

 

 こういうのを用意するとは聞いていたが、実際に見るのはこれが初めて。

 健全な男子の端くれだった者として、こういうのを見るとやはりテンションが上がる。思わず歓声を上げ、駆け寄って観察してしまう。

 何しろ高い上、普段使いするには不向きな車だ。実際に見られる機会なんて滅多にない。せっかくだからしっかり見ておきたい。

 と、何やら後ろから電子的なシャッター音。

 振り返れば縫子がデジカメを構えてこっちを覗いていた。芽愛はつられるようにしてスマホを取り出したところで──。

 

「……皆さん?」

「あはは。ごめん、アリスちゃん。つい」

「アリスさんを撮っていたんじゃありません。車を撮っていたんです」

「安芸さん、それなら私にも写真、見せてください」

「……もう少し撮ってからにしてください」

 

 しれっと言われたが、森の中に木を隠すつもりとしか思えない。

 

「見せてください!」

 

 手を伸ばすと、縫子はこんな時だけすばしっこさを発揮してひらひらとかわす。

 ムキになりすぎてデジカメを壊すようなことはしたくないため、俺は結局、証拠の確認を断念せざるを得なかった。

 朱華やシルビアといい、俺は周囲からからかわれる運命なのだろうか。いや、その分、優しくしてくれる人も多いのだが。

 

「父の所有しているキャンピングカーです。お気に召しましたか?」

「はい、とても凄いと思います」

 

 鈴香がくすくす笑いながらも教えてくれる。

 芽愛も「アリスちゃん、キャンプにも興味あるんだ?」と笑って、

 

「今回はバーベキューもするつもりだから、期待しててね」

「ありがとうございます。私もあれから料理の勉強を始めたので、できるだけお手伝いしますね」

「そうなの? じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな?」

 

 バーベキューはむしろシンプル過ぎて料理人の腕の見せ所が数少ないらしいが、その分、ただ具材を切るだけという作業なら沢山あるという。

 未だ具材を切る以外大したことのできない俺にはぴったりの仕事である。

 あれからもノワールからは料理を教わっているものの、この手のものは一朝一夕では身につかない。

 

『むしろ、アリスさまは分量を守る、味見をきちんとする、清潔に気をつけるといった基本ができておりますので、後は基礎的な技術や知識さえ身につければ十分かと』

 

 食材や調味料の種類、具材の選び方などはそれこそ日々学んでいくしかない部分。

 とにかく基礎的な技術を学びつつ、ノワールを手伝ったり、あるいはノワールが料理するのを観察して参考にしたり、というのが主な勉強内容だ。

 そのうち食材の調達なんかにも連れて行ってもらった方がいいかもしれない。

 

 荷物を車に運び込み、座席に腰を落ち着けた後、俺から修行の進捗を聞きだした芽愛は目をきらきら輝かせて、

 

「なんだ、アリスちゃん。本格的に修行する気があるなら私だっていつでも教えるよ? 言ってくれればいいのに」

「本当ですか? ありがとうございます。と言っても、主な家庭料理が作れれば十分かな、と思っているんですが……」

「任せて! レストランの娘だからって洋食しか作れないわけじゃないよ! 和食だって十分美味しく作れるんだから」

 

 なんだか芽愛が張り切っている。

 これについては鈴香が「芽愛は普段、なかなか同好の士がいないと嘆いているんですよ」と教えてくれる。

 

「学園には家庭科部もありますが、芽愛とはレベルが違いすぎるようでして」

「芽愛さんは料理が上手ですもんね」

「いや、私なんてまだまだだけど……。でも、うちの家庭科部って料理してる時間より次のメニュー相談してる時間の方が長いんだもん」

 

 それはそれで和気藹々と楽しそうではあるが、腕を上げたい人間にとっては歯がゆいのだろう。

 

「修行するだけだったらうちのお店手伝ってる方がずっといいんだよね」

 

 そりゃ、芽愛の両親はプロだからな……。

 と、縫子がつんつんと俺をつついて、

 

「アリスさん。芽愛を止めるなら今のうちだと思います」

「止める? どうしてですか?」

「……本気になった芽愛に泣かされた生徒がこれまでに多数」

「え」

 

 俺にとっては料理好きの可愛い女の子でしかないのだが、彼女も大好きな料理の事となると修羅に変わるというのか。

 

「あの、芽愛さん? 私は家庭料理で十分ですからね?」

「わかってるよー。家庭料理もひと手間でぐっと美味しくなるんだから、どうせなら美味しく作れるように教えてあげるねっ」

「本当ですね? 本当にひと手間ですよね? 簡単とか言いながらスーパーに売ってないような食材指定したりしませんよね?」

 

 興味本位で料理番組なんぞを覗いてみた結果、聞きなれない食材が出てきたのでノワールに「どこで手に入るのか」聞いてみたところ「専門店ですね」と当然のように回答が来て呆然としたのはつい先日のことである。

 うちの母親が「そんなもんこの辺じゃ売ってないわよ!」とテレビに突っ込んでいたのもなんとなく覚えている。

 

「……ふふっ。アリスさんなら芽愛に振り回されても大丈夫そうですね」

 

 鈴香が呑気にそう言ったが、俺としては本当に大丈夫なのか不安になった。

 

 車内での話題は女子らしくころころと移り変わり、夏休みの宿題についてや(やったかどうかではなく、どこが難しかった等の話)、芽愛の家のレストランに来た変なお客さんの話、鈴香の夏休みの過ごし方、縫子の家族の話など、色々なことを話した。

 昼食は途中のサービスエリアで食べることに。

 お昼にはやや早いくらいの時間だったが、運転しっぱなしの理緒さんに休んでもらうためにも長めの休憩時間を設定し、食事ついでに土産物を見て回ることに。

 

 朝食は家を出る前に軽く食べただけだったので、なんだかんだ昼は結構がっつり食べた。

 牛の串焼きにフランクフルト、フライドポテトにさつま揚げ、エリア内ベーカリーのクロワッサンにデザート代わりのソフトクリーム。

 お嬢様らしく小食気味の鈴香からは「よく食べられますね」と呆れられた。その横で芽愛はカレーライスを頬張りつつ俺のフライドポテトに手を伸ばし、縫子は縫子できつねうどんを平らげた後「食べたくなりました」とソフトクリームを食後に味わっていた。



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聖女、別荘に着く

「涼しい……!」

 

 理緒(りお)さんの運転するキャンピングカーは、とある地方にある別荘地の一角に停まった。

 室内は気密性高めで、窓を開けて風を感じるのには適さなかったので、俺達が避暑地の空気を思いっきり吸い込んだのは到着してからになった。

 新鮮な空気。

 人形公園の中もそうだったが、やはり緑が多い場所は空気が良い。排気ガスなど無いファンタジー世界から来たアリシアの身体だからか、自然を感じると心が安らぐ。

 

「ええ。実際の気温も約2℃異なりますので、体感温度はそれ以上になるかと思います」

「これは過ごしやすくていいですね」

 

 降り立った鈴香(すずか)も辺りを見回しながら微笑んでいる。

 エアコンなんかがメジャーでない時代から避暑に使われていたというのも頷ける。これだけ涼しさが違えば、病弱な令嬢なんかが療養のために移り住む……なんていうのもあながち空想の話とは言い切れないだろう。

 縫子もあまり表情は変わっていないが、口元を綻ばせており、

 

「ふふん、いいでしょー?」

 

 芽愛(めい)はわかりやすく得意げだった。

 

「それで、あれがうちの別荘ね」

「わ……!」

 

 木立に囲まれた、二階建ての白い建物。

 

「大きいですね」

「……はい。海水浴の時のコテージより大きいです」

「だって、あっちは宿で、こっちは別荘だもん。比べられたら困るよ」

 

 数日程度の滞在だけでなく、なんなら年中住むことも可能なように設計されているということだ。

 いや、あの時のコテージも十分住めるレベルだったのだが、別荘となるとどうしても広く造ってしまうのが人の性なのか。

 別荘地なので土地代が安いということもないはずだし、庶民にはなかなか理解しがたい話である。

 

「芽愛の家が別荘を持っているのは知っていたけれど、実際に来るのは初めてね」

「それはそうだよ。私だって、アリスちゃんが滝行とか言い出さなかったら提案しなかったもん」

「あれ、私のせいですか?」

「アリスさん。お陰、でいいと思います」

 

 微妙に納得行かないが、俺の失言もたまには役に立つということか。

 

「なんてね。本当はそれだけじゃないんだけど」

 

 悪戯っぽくぺろりと舌を出して白状する芽愛。

 単に子供だけで行かせるには少女達がまだ幼かった、などの事情もあったようだ。

 契機としては高校生になってから、とするのがぴったりではあるのだが、芽愛と鈴香達の付き合いも長くなってきて「信用できる」という実績ができたこと、理緒さんが同行して移動手段も確保できることなどが決めてになったとか。

 

「あと、単純にパパ達が今年は来られそうにないから、っていうのもあるかな」

「え。何かあったんですか?」

「違う違う。お店が忙しすぎるだけ」

 

 芽愛の家のレストランは客入りもよく、それこそ別荘が買えるくらいには儲かっているのだが、客商売というのはみんなが休んでいる時がかき入れ時。

 夏休みに何日も休んで別荘に遊びに行く、というのがなかなか難しいと気付いたのは別荘を買ってしまってからのことだったらしい。

 お陰で芽愛もここに来るのは年一回、多くて二回程度だったらしい。

 

「なるほど。嬉しい悲鳴なんですね」

「そうそう。まあ、老後は私に店を任せてこっちで過ごそうか、なんて気の早いこと言ってるけどねー」

 

 それはなかなか優雅な老後だろう。

 芽愛が跡継ぎになるというのもしっくりくる。もちろん、芽愛の結婚相手でもいいだろうし、芽愛が別の店を持ちたくなったら優秀なスタッフの誰かが継いだりとかもあるかもしれないが。

 

「いつか食べに行ってみたいです」

「いつかと言わず、いつでも来てくれていいよ? 日によっては予約しないと入れないかもだけど」

「大人気じゃないですか」

 

 それは別荘に行っている暇がないだろう。だからこそ行きたかったかもしれないが。

 

「せっかくだから友達と行って来なさい、って」

 

 両親から預かったという別荘の鍵を使い、芽愛が入り口のドアを開け放ち──。

 

「あと、ついでに掃除をしてきてって」

 

 半年分か一年分か、積もった埃の匂いが中からふわっと漂ってきた。

 

 

 

 

 

 

 まあ、しばらく使ってなかったとは言っても年一回以上は使っていたわけで、入った瞬間に感じた「うわぁ」という感想ほどはアレな状況ではなかった。

 

『お嬢様は車でお待ちいただければ──』

『嫌よ。私だって掃除くらいできるわ』

 

 私立萌桜(ほうおう)学園もお嬢様学校とはいえ、情操教育の一環として生徒による掃除の時間を設けている。

 箸より重い物を持ったことがない、などと我が儘を言うことなく(掃除する、というのもある種の我が儘だが)鈴香も参加しみんなで掃除をした。

 大体二、三時間といったところだろうか。

 一番活躍したのは理緒さん。次は「毎回やってるから」という芽愛。その次は自慢じゃないが俺、という結果になった。

 

「アリス様は筋が良いですね」

「本当。掃除が上手いなんて思わなかった」

「わ、私だってやればできるんですよ?」

 

 男子高校生だった頃は週一くらいで教室の掃除をしていたし、部活でも道場の掃除を良くさせられていた。

 昔取った杵柄という奴か、覚えたやり方は頭から消えていなかったようで中々役に立ってくれたようだ。まあ、身長や筋力の問題で昔同様にとはいかなかったのだが。

 縫子はまあ、ほどほどに。

 鈴香は、

 

「……理緒。帰ったら掃除の練習を」

「駄目です」

 

 悔しそうに唇を噛んで宣言しようとしたが、さすがにこれはきっぱりと止められていた。

 掃除の後は理緒さんと芽愛が協力してお茶を淹れてくれて、ほっと一息。

 気づけば外の空はオレンジ色に染まり始めている。

 

「これは、本格的な散策は明日にお預けですね」

「ね? 二泊三日くらいは必要だって言ったでしょ?」

 

 目を細めた鈴香の感想に芽愛が笑う。

 掃除の時間を織り込んだ上での日数だったか。まあ、今からでも散歩するくらいならできなくはないだろうが──。

 うん、せっかくだしもう少しくらい外の空気を吸ってこようか。

 

「あの、私、少しその辺りを散歩してきても」

「じゃあ私も行く」

「え。一人でも大丈夫ですが」

「アリスちゃん。この辺、急に暗くなるよ?」

「う」

 

 お化けの心配をしているわけではないのはわかったので、芽愛についてきてもらって暗くなるまで散歩した。

 特に何があるというわけではなかったが、特有の空気と見たことのない景色はそれだけで飽きないものだった。

 

「そんな顔してくれるなら来てもらった甲斐があったよー」

「? 私、そんなに楽しそうな顔してますか?」

「うん、すごく。気づいてないあたりが可愛いよね、アリスちゃん」

 

 にこにこしながら芽愛に言われて、なんだか俺は恥ずかしくなった。

 

 

 

   ◇    ◇    ◇

 

 

 

「アキ、何をしているんですか?」

「今日撮った写真を整理しているんです」

 

 安芸(あき)縫子(ほうこ)はデジカメを操作する手を止めないまま、友人──緋桜(ひおう)鈴香(すずか)の問いに答えた。

 集合場所で撮った写真と、途中のSAで撮った写真。それから移動中の車内でも撮った。

 鈴香は「ふうん?」と言って後ろから覗き込んでくる。別に見られて困る写真はないので、縫子はそのまま作業を続けた。

 

 写真は気の向くままに撮ったものだが、キャンピングカーや風景の写真の他は、

 

「アリスさんの写真が多いのね」

「はい」

 

 特に隠すことなく認める。

 実際、人物写真の多くにはアリシア・ブライトネスが映っている。旅行が楽しいのか、あるいはキャンピングカーがそんなにお気に召したのか、かなりはしゃいだ様子だったが、基本的には大人しい少女である。

 アクティブ度で言えば表情がころころ変わる芽愛や、お嬢様の癖にわりと「いい性格」をしている鈴香の方なのだが──それでもアリスの写真が多くなってしまうのは、人目を惹く容姿のせいと、

 

「アリスさん、どんどん可愛らしくなるものね」

「はい」

 

 はいしか言っていないが、実際その通りなので頷くしかない。

 鈴香がこんな話を持ち出してきたのは、アリス本人がこの場にいないからだ。今は芽愛と一緒に外へ散歩に出ている。

 緑が多いということは虫もいるだろうし、縫子としては屋内でじっとしている方が好ましいのだが、アリスは「空気が綺麗なので」と外に出たがっていた。

 なお、理緒はキッチンの状態を確認したり、風呂の準備をしたりと作業中。芽愛が戻ってきたら二人で料理を始める予定だそうだ。アリスも「料理を勉強している」とか言っていたので多少手伝いたがるかもしれない。一朝一夕の技術では本当に野菜の皮むきくらいしかすることがなさそうだが──二日目の夜に予定されているバーベキューの準備では、せっかくなので活躍してもらおうと思う。

 

 話が逸れたが、アリスの可愛さは日に日に増している。

 

「正直、アリスさんは最高の素材です」

「正直すぎるけれど、その通りね」

 

 否定しないあたり鈴香もなかなかのものである。

 令嬢は笑みを浮かべつつも軽くため息をつき、遠くを見るように窓を見て、

 

「……あんな子、なかなかいないわ」

「ほいほい居ても困りますね」

 

 アリスの一番の魅力はあの容姿ではなく、驚くほどの無防備さだ。

 無邪気と言ってもいい。決して馬鹿ではなく、むしろ意外と物を知っていたりはするのだが、にも関わらず善良を絵に描いたような言動をするのだ。

 例えば、縫子が撮った写真を悪用するなどとは微塵も思っていないし、料理の勉強を始めたのにも芽愛に気に入られてグループに居続けようとかそういう意図が全く見えない。

 現実に生きるお嬢様として、人の汚い部分を色々と見ている鈴香が、アリスのことを「お嬢様みたいだ」と言うのはそういう「本物の箱入り」に見えてしまう部分のせいだろう。

 

 要は嫌味がなく、真摯で、それでいて付け入る隙が多い。

 多くのことに興味を持ってそれを取り入れようとするので、ついつい教えたくなってしまう。アリシア・ブライトネスとはそういう少女だ。

 彼女を見ていると色々なインスピレーションが湧いてくるし、自分もまた多方面から知識を取り入れたくなってしまう。

 もちろん可愛い容姿も忘れてはいけない。

 服飾の道を志す者としてルックスは重要だ。純正の日本人では似合わない服もアリスなら似合うので、彼女には是非、色々な服を着て色々な表情を見せてもらいたい。

 

「お風呂にカメラを持ち込んだら怒られるでしょうか」

「それは私も怒るわ」

 

 鈴香はくすくすと笑って、それから首を傾げた。

 

「アキ。もしかしてアリスさんに惚れちゃった?」

「それは鈴香さんの方だと思います」

 

 縫子はアリスに着飾らせたいのであって、中身には興味がない。

 いや、彼女の全裸はまたそれはそれである種の造形美であるので、是非あらゆる角度から写真を撮っておきたいところだが。

 

「じゃあ、アリスさんから告白されたら?」

「……特に断る理由がないですね」

 

 恋人同士なら少し過激なお願いをしても許されるだろう。

 さすがに怒られるだろうが、むっとしたアリスも可愛いので問題ない。むしろどうやっても縫子の勝利である。あれ? もうそれでいいのではなかろうか。

 いや、そもそも前提条件がありえないと思い直し、

 

「まあ、一番喜んでいるのは芽愛かもしれませんね」

「よりによって料理だものね。……まあ、お洒落は女の子なら多かれ少なかれ興味があるものだしね」

「あのメイドさんが良いアシストをしてくれているものと確信しました」

 

 少しずつ着飾る楽しさに染めていって、作った衣装の試着を頼める仲に持っていきたいところだ。

 そのためにもこのまま関係を深めていきたい。

 ぶっちゃけた話、アリスがグループを外される可能性は現段階でほぼゼロなのである。

 本人も縫子達ともっと仲良くしたいと思ってくれているようなので、その希望に応えて、こちらもできる限りの方法で「可愛がって」やりたいと思う。

 

「鈴香さんがモデルになってくれればもっと話が早いんですが」

「嫌よ。縫子って拘り始めると長いんだもの」

「鈴香さんだって、お茶会を始めると長いじゃないですか」

「貴女と芽愛が好きなことばかり喋るのも原因でしょう」

 

 要は縫子達は全員、我が強すぎるのである。

 人が良い上になんにでも興味を持つアリスはそういう意味でもいい緩衝材だ。アリスが付いてこれなくなった話題は終了、という基本を押さえておけばヒートアップしすぎても大丈夫。

 

 と、言っているうちに玄関の方で人の気配。

 

 二人は何食わぬ顔のまま、目線だけで話題は終了と共有し、

 

「今日の夕食は何かしら」

「明日は肉がメインなので今日は魚だと聞きました」

「へえ。お刺身とかかしら」

 

 なんて言っていたら白身魚のカルパッチョやサーモンのホイル焼きが出てきて二人は大変驚いた。



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聖女、テニスをする

 気持ち良く眠れたせいか、翌朝は自然に目が覚めた。

 

「ん……っ」

 

 ベッドの上に座って軽く伸びをする。

 泊まらせてもらった部屋はお客様用ということだったが、シェアハウスの俺の部屋より広いし、ベッドも寝心地が良かった。

 これで窓を開けられたら最高だったかもしれないが、夏場、しかも緑が多い場所の虫を舐めるな、ということで昨夜は無難にエアコン使用である。

 一緒に寝ていたもう一人が虫さされにでもなったら大変である。

 

 その『もう一人』はというと──。

 

「う……ん」

 

 薄手の掛布団を半分はだけさせ、ごろんと身を横たえながら、悩ましげな声を上げていた。

 身に着けているのはキャミソールとショーツだけ。

 肩紐も半分外れてしまっているので、なんというか、異性に見せてはいけないところが色々隠しきれていない。

 まあ、中学三年生である彼女に欲情した場合、ロリコンという扱いになるのだろうが、ぶっちゃけ白い素肌も身体のラインも声も匂いも十分すぎるほどに男とは違うわけで、こういうのを見せられて「興奮しない」と言い切れるのは漫画の登場人物くらいだろう。

 俺が感じるのは男だった頃の感覚の残滓と、自分よりも大人びている少女への羨ましさだが。

 

 それにしても綺麗だ、と、思わず隣のベッドに腰かけたまましばらく寝顔を見守ってしまう。

 

 食べてるものやケア用品の質が良いのもあるだろうが、素材も良いとつくづく感じる。

 高校生の三年間に彼女は大きく花開いて、多くの男が憧れる高嶺の華へと変貌するだろう。今の段階でもそれはもう十分すぎるほどに予感することができる。

 しばらくすると少女──鈴香も目を覚まし、ぼんやりと薄目を開けて「……もう朝?」と呟いた。

 

「はい。朝ですよ、鈴香さん」

 

 答えながら、俺は昨夜のことを思い出した。

 鈴香は寝る前、俺に「私は寝起きが悪いんです」としきりに言っていた。「でも、嫌いにならないでくださいね?」とも。

 なるほど、寝起きの彼女はいつもよりも子供っぽい感じがする。しかし、この程度ならむしろ可愛らしいというか、前に教えてもらった弱点とぶっちゃけ大差ないと思うのだが。

 

「……そう」

 

 呑気に思う俺をよそに、鈴香はどこか満足そうに笑むと──瞼を閉じて規則正しい呼吸を始めた。

 

「鈴香さん?」

「すぅ、すぅ」

「え、あれ。もう一回眠っちゃいました……?」

 

 「そう」とか言っていたが、全然わかってない。

 別に予定が詰まっているわけでもないので多少の二度寝は問題ないのだが、なんとなく「放っておくといつまでも起きないのでは?」という気がしたので俺は慌てて呼びかける。

 

「鈴香さん。鈴香さん?」

 

 結論から言うと、鈴香は声をかけたくらいでは起きなかった。

 起こそうとしているうちに妙な使命感にかられた俺は近づいてみたり、頬をぷにっと突いてみたり、ぺちぺちと叩いてみたり、軽く引っ張ってみたり、腕を撫でてみたりと、少しずつ強硬手段に出た。

 冷静に考えると結構凄いことをしてしまったような気もするが、まあ、朱華やシルビアも急に抱きついてきたり押し倒そうとしてきたりするし、多分問題ないだろう。

 最終的には背中をくすぐってやることで目を覚まさせることに成功した。

 

「ふぁっ、ん……っ。アリスさん……?」

「おはようございます、鈴香さん。朝ですよ」

 

 達成感から微笑んで呼びかけると、鈴香は何故かむっと頬を膨らませて、

 

「お返しです」

 

 まだ寝ぼけた状態が多少残っているのか、俺に掴みかかってくると「ギブアップ! ギブアップです!」と降参するまで脇をくすぐってきた。

 正直、俺もそこまではしなかったのだが──寝汗と寝起きの運動によって汗をかいてしまった俺達は、揃ってシャワーを浴びることになった。

 鈴香の寝起きの悪さと下着姿で眠る件は「芽愛達以外には言わないでくださいね」と念を押された。

 言っても「可愛い」で通る気がするが、話してみると意外なほど親しみやすいお嬢様は周囲から完璧超人と思われたいらしく「絶対駄目ですからね」と俺に言うのだった。

 

 

 

 

 

 

 芽愛と理緒さんによる美味しい朝食を御馳走になった後は、みんなで散歩をすることになった。

 取りに戻るのも面倒だから、と、テニスウェアや鈴香のマイラケットも持っていく。

 この分だと散歩をして、テニスをして、昼食をとって、また散歩をしながらショッピング、的な流れになりそうだ。

 昼は「お弁当作ろうか?」という芽愛の申し出があったが、避暑地のレストランというのも気になるし、材料の都合もあるし、夜はバーベキューで大変だからと外食で済ませようと決定。

 

「アリス様は昨日もお散歩されたんですよね?」

「はい、少しだけですけど。でも、朝と夕方だと表情が違うのでまた楽しいと思います」

「お散歩本当に好きだね。滝行とか言ってたし、アリスちゃんって意外に野生児?」

「芽愛さん。さすがに野生児は勘弁してください」

「あはは、ごめんごめん」

 

 日本フリーク程度ならまだしも、野生児は外聞が悪そうだ。

 無人島で獣や魚を獲って暮らすような生活に憧れはなくもないが……無理か。アリスの身体だと傷つきやすいから回復魔法がいくらあっても足りなさそうだ。

 

「いつもと違う場所だと新しいアイデアが閃きそうです」

「あ、わかる。いつものご飯と旅行のご飯だと食べたい物も変わるもんね」

「私の兄はどこに行ってもまずハンバーガーを探しますが」

「ふふっ。男性はそういう傾向があるのかもね。うちの父もお気に入りの料理ばかりリピートしたがるわ。栄養が偏るから駄目だと止められているけど」

 

 わかる。

 勿論好みはあるが、食べ慣れた好物ならだいたいいつでも美味しく食べられる。カップ麺や牛丼、ハンバーガーなんかはその点最強だ。

 そんなことを思っていた俺も最近は限定メニューとデザートの欄を真っ先にチェックするようになっているが。

 

 緑が多くて和むせいか話も弾む。

 都会だと人の気配が気になったりもするが、ここは木々のざわめきや風の音が話し声を和らげてくれるのか、普段よりは人目を気にせず話ができる。

 大まかなルートだけは前もって決めておいて、細かな道は足の向くまま気の向くまま、のんびりと歩いた。

 

「どう、アリスちゃん? 滝行の代わりになる?」

「はい、とっても。……滝行もいつか挑戦してみたいですけど」

「そこは諦めないのね……」

 

 何が俺をそうさせるのかとみんなから驚かれた。

 一回くらいなら試しに体験してみたくないか? と尋ねたら「寒いから嫌」とのことだった。

 

「こういうところでお昼寝したら気持ちいいでしょうね」

「アリス様。お気持ちはわかりますが、私達の目がない所ではお止めください」

「観光地ですけど、危ない人がいないわけじゃないですからね」

「スカート捲られてスマホで撮られたりとかするかもよ」

「……それは嫌です」

 

 やけに具体的に言われて鳥肌が立った。

 

 世知辛い世の中になったものだ、と教授のような台詞を内心で呟きつつ、俺は面倒なことは忘れることにする。

 こういう時はストレス解消に限る。

 

 芽愛も何度か利用したことがあるというテニスコートに到着し、ラケット付きでコートを借りる。

 一面にするか二面借りるかと聞かれて、

 

「どっちがいいんでしょう……?」

「一面でいいんじゃないかな? 二面使おうとすると休憩時間がなくなりそうだし」

「別に常時二面埋めている必要はないのですし、多い分には困らないでしょう?」

 

 俺と芽愛と縫子は揃って「さすがお嬢様」と言い、鈴香は恥ずかしそうに「間違っていないでしょう」と言った。

 

「ウェアは用意してきているから、借りるのはラケットとボールだけで十分よ」

 

 件のウェアを見ることになったのは更衣室に移動していざ着替えをする、という段階になってのことだった。

 

「……白いですね」

「ええ、可愛いでしょう?」

 

 俺と、それから鈴香の分のウェアはお揃いで、上下共に白さが際立つデザインだった。

 定番のお嬢様スタイルをテニスウェアに落とし込んだ感じというか。清楚さと活動的なイメージが同居していて確かに可愛い。

 自分で着るとなると正直恥ずかしいが。

 

「まあまあ、アリスちゃん」

「鈴香さんも同じものを着るわけですし」

 

 そう言う芽愛と縫子はもっと大人しいデザインだった。

 まあ、スカートが短くてアンスコ必須なのは変わらないようだったし、白は好きな色なのでありがたく使わせてもらうことにする。恥ずかしいが。

 

「アリスさんの腕前、見せてくださいね?」

「む。こうなったら鈴香さんに『ごめんなさい』って言わせてみせます」

「ふふっ。できるかしら。こう見えても結構得意なのよ?」

 

 とりあえずシングルスで対戦して、終わったら次は負けた者同士、勝った者同士で対戦しようということになった。

 俺の初戦は鈴香が相手。

 テニスはほぼ素人とはいえ運動の経験は十分ある。鈴香もたまにやっている程度で本格的に学んでいるわけではないので勝機はあると思ったのだが、

 

「筋がいいですが、経験が足りませんねっ」

「ああっ……!?」

 

 前半はいい勝負だったのに、後半に行くに従って得点のペースが落ち、終わってみれば鈴香の快勝。

 わりと悔しい。

 次に当たったら一矢報いてやる、と思っていると鈴香が笑顔で歩み寄ってきて、

 

「いい勝負だったわ、アリスさん。本当にテニス部、向いているんじゃないかしら?」

「お疲れ様でした。……でも、向いてるでしょうか?」

 

 プレイして思ったのは、テニスには柔軟さが必要だということ。

 身体の柔らかさだけじゃなく、緩急織り交ぜる思考の柔軟性も含めてだ。前後左右に相手を揺さぶって勝つゲームなので、揺さぶられてもへこたれない心が必要。

 女子だからというのももちろんあるだろう。男子のテニスは「ダァン!」とボールを叩きつけあう競技だったりするのかもしれないが、この過酷な個人競技に果たして向いていると言えるのか。

 すると少女は微笑んで、

 

「ええ、アリスさんならきっとエースを狙えますわ」

「古い漫画じゃないですか」

「あら。さすがはアリスさん。よくご存じですね」

 

 微妙にからかわれたような気分になりつつも、俺は「考えておきますね」と返答した。

 身体を動かすのは好きだし、テニスをやってみるのも悪くはない。しかし、家庭科部だか料理部だかに入るのも良い気がするし、この分だと進学までに挑戦したいものが増えそうな気がする。

 彩も遊びも無く一辺倒なのが俺の高校生活だったはずなのに、変われば変わるものである。

 

「アリスさん。お手柔らかに」

「こちらこそ」

 

 案の定、もう一つのコートの勝者は芽愛だったらしく、俺と縫子は頂上決戦を横目で見ながらのんびりとボールを打ち合った。

 せめて芽愛が一矢報いてくれれば、と思ったのだが、結局四人の中で一番上手いのは鈴香だった。

 とはいえ全く敵わないと言う程でもなく、ダブルスにして俺と芽愛、鈴香と縫子のチームを組むと割とちょうど良かった。

 

「うーん、もうちょっと練習しないと来年にはアリスちゃんに抜かれてそう」

「そんなことはないと思いますけど……」

 

 朱華かシルビア辺りが乗ってきたら少し練習してみてもいいかな、と思った。

 

 

 

 

 

 

 シャワーを浴びて汗を流し、コートに併設された小さなカフェで冷たい飲み物を味わった後、散歩しながら昼食をとる場所を探した。

 スマホも駆使して最終的に決定したのはお洒落なレストラン。

 牛肉やワインが有名な地域ということでボロネーゼ(ミートソース)を頼んでみたところ絶品だった。サラダに使われている野菜も新鮮で、なかなかのお値段を取るだけはあるなと感心してしまった。

 芽愛も「隠し味はアレで、下味の段階でアレを……」と真剣に分析しながら食べていたし、舌の肥えている鈴香も満足そうな顔をして味わっていた。縫子は割となんでも美味しく食べるタイプなので当然のように満足そうだった。

 

「お待たせいたしました。こちらはデザートのシャーベットでございます」

「わぁ……!」

 

 ただ、恥ずかしながら一番感動したのはいつも通りにデザートだった。

 パスタの濃厚さを余韻として楽しむのも悪くなかったが、程よい甘さと共にさっぱり口の中が洗い流されていくと極上の幸せを感じた。

 また食べに来たいくらいだ。

 どうにかして転移魔法を使えないだろうか、と益体もないことを考えながら歩いていると、芽愛が寄ってきて耳打ちしてくる。

 

「アリスちゃん。お散歩して帰ったら今度はお料理の時間だからね?」

「はい。頑張りますね」

 

 あの美味しさの後だと、俺なんかが頑張っても無駄なのでは、とか思ってしまうが、どうせならほんの少しでも近づけるように頑張ってみよう。



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聖女、旅行を最後まで満喫する

 具材を切って、切って、さらに切る。

 単純作業は素晴らしい。ただ、欲を言えばもう少しこう、みじん切りとかにしたい。

 夕飯のメニューはバーベキュー。大部分は食べやすく串焼きにするそうなので、あまり小さく切っても仕方ない。女子の口を考えて多少小さめにはなるものの、具材の形がある程度残るくらいに切る。

 牛、豚、鶏、玉ねぎ、にんじん、ピーマン、トウモロコシ、しいたけ、エリンギ等々。

 魚介系なんかは芽愛や理緒さんが下ごしらえをしてくれている。

 

「私はこのくらいの役割の方が好きです」

 

 縫子は用意された具材をひたすら串に刺す係。

 鈴香は俺と縫子の遅れている方を手伝ってくれた。

 

「みんなで何かをするのって楽しいですよね」

「ああ、だったら二学期はいいイベントがあるわ」

「?」

「文化祭だよ、アリスちゃん」

 

 ああ、それは楽しそうだ。

 

「女子校の文化祭ってどういう感じなんでしょう?」

「あまり変わらないんじゃないかしら。当日は男性も入場可能だし」

「あ、でも男子は招待状がないと入れないから、割と安心だよー」

「そうなんですね」

 

 じゃあ、雰囲気は割と普通なのか。

 違うのは男が客側にしかいないこと。迎える側は全員女子。数少ない男との接触機会になるわけだが、出会いを求めて気合を入れる生徒もいるんだろうか。いるんだろうな。

 というか、わざわざ女子校の文化祭に来る男の中には下心のある奴もいるだろう。もちろん保護者や兄弟、親戚が圧倒的多数だろうが、男子時代、伝手を使って学祭のチケットを入手し、積極的にナンパしにいく勢力の存在を見聞きしたことがある。

 芽愛が「割と安心」と言ったのはそういう辺りだろう。

 

「そういえば、アリスちゃんは好きな男の子とかいないのー?」

「え。ここで恋バナですか……!?」

「だって、クラスでやったらみんな集まって来ちゃうし」

 

 なるほど、確かに仲の良い相手だけに留めて貰えた方が楽だ……って、そういう問題ではなく。

 

「い、いませんよ、そんなの」

「あら? 一瞬答えに迷わなかったかしら」

「迷いましたね」

 

 鈴香と縫子はなんでこういう時に息ぴったりなのか。

 

「本当にいません。そういう機会もありませんでしたし」

「本当? 前にいた学校の男子とかは?」

「全然」

 

 ツルんでいたのは当然、野郎ばっかりだったが、男の身体に欲情したことはない。

 なんなら今だって付き合うならノワールとか朱華とかシルビアみたいな可愛い女の子が良い。教授? あれは犬猫愛でるのと同じ感覚だから除外だ。

 きっぱり即答したせいか、芽愛は「なんだ」と頬を膨らませた。

 

「つまんない。面白い話が聞けると思ったのに」

「好きな男性は徳川光圀です、とか言った方が良かったでしょうか」

「本気で言っていた場合、少し引くわね」

 

 気づいていたが、鈴香は仲良し相手には割と毒舌だ。

 

「でも、文化祭で声をかけられることはあるかもしれませんね」

「えー。アリスちゃんが彼氏作ったら遊べる時間が減っちゃうよ」

「芽愛さんは私にどうなって欲しいんですか」

 

 恋の話は聞きたいが、俺に彼氏ができるのは困るらしい。

 こういう時は他の人物に振るに限ると、試しに鈴香に好みのタイプを聞いてみたところ「高学歴、高収入、美形、高慢でなく、それでいて適度な自信を持っている人」という答えが返ってきた。

 高望みしすぎて結婚できないタイプの女そのものだが、彼女の場合は自分が割と条件を満たしているので妥当なのかもしれない。とりあえず「さすが鈴香さん」と矛先を逸らせたので良しとした。

 

 

 

 

 

 

 

「ところで、これ、作りすぎなのではないでしょうか」

 

 別荘の前庭にバーベキュー用のコンロを設置して、やや明るい時間から始める。

 あまり遅い時間になってしまうとレジャーシーズンの別荘地とはいえ近所迷惑になってしまうし、昼食後も散歩をしたので腹は十分に空いている。

 ということで、用意した具材をばんばん運び込んで焼き始めたのだが──冷静に考えると女子が五人なんだよな、メンバー。

 串焼きだけだと栄養が偏るから、とおにぎりまで用意されており、正直「食べきれるのか、これ?」と戦慄してしまう量だ。

 

「理緒さんが張り切り過ぎたせいです」

「芽愛様が頑張り過ぎたせいかと」

「アリスさんが野菜を切りすぎたのも」

「か、完成品を作っていた安芸さんが一番把握しやすかったのでは」

 

 俺達が目線を逸らしながら責任逃れをしていると、鈴香が「なすりつけ合っても仕方ないでしょう」と呆れたように言った。

 全体を俯瞰できる立場にいた彼女もさりげなく自身から矛先を逸らしているのだが。

 争っていても仕方がないのは確かだ。

 

「私、頑張って食べます」

「私も、できる限り頑張ります」

「その意気よアリスさん、アキ」

「では焼きそばもご用意いたしますね」

「デザートもあるからねー」

 

 言った端から燃料が追加されていたが、もう誰も突っ込まなかった。

 焼きそばに関しては海の家の恨み(?)もある。

 焼けた食べ物ばかり積もっていっても仕方ないからと網や鉄板のサイズは控えめ。焼いた端から口に入れながら、空いたスペースに具材を載せていく。

 ノリとしては焼肉なんかに近い。

 ちなみにバーベキュー奉行は意外なことに縫子だった。スペースがあると埋めたくなる性分らしく、芽愛や理緒さんが食べ頃を計算しつつ適度な間を置いて具材を載せていくのに対し、パズルゲームでもするかのように隙間を詰めて置いていく。

 なお、くまなく敷き詰めたとしても具材が消えたりはしない。消えても困るが。

 

 飲み物は冷たいジュースだ。

 芽愛と縫子はサイダー、鈴香はジンジャーエール、俺はオレンジジュースをチョイスした。肉を食べるなら甘いドリンクなんて邪魔なだけだと男の本能が訴えるのだが、甘い=幸せの方程式がある女子の本能にはそんなものは通用しない。

 口の中をさっぱりさせるメリットを食欲増進効果が上回れば問題ないわけで、甘い物は別腹という理論はきっとこういうところから生まれるのだろう。

 

「理緒。今日くらいお酒を飲んでもいいのよ?」

「ですが」

「どうせ他に誰もいないのだし、今日帰るわけでもないじゃない」

「……そうですね。では、お言葉に甘えて」

 

 しっかり缶ビールが用意してあった辺り理緒さんも期待していたのか。それとも串焼きを少し取っておいて晩酌するつもりだったのか。

 部屋に戻ってから一人でビール開けるとか少し寂しい気がするので、どんどん飲んで欲しい。

 

「みんな、味の方はどう?」

「最高です!」

 

 さすが、料理上手二人が厳選しただけあって具材は新鮮で質が良い。

 肉は噛むほどにじゅわっと肉汁が出てくるし、野菜の甘みもしっかり感じられる。

 味付け用の塩や醤油等も合う物をチョイスしているのか、ぐっと味が締まって感じた。

 具材ばっかりだと味が濃すぎるかな、という時はおにぎりの出番だ。塩をやや控えめにしてあるのか、それ単体だと若干物足りないが、おかずと一緒ならとても食べやすい。

 

「では、そろそろ焼きそばと参りましょうか」

 

 待ってました。

 理緒さん手製の焼きそばはエビやイカなどがたっぷり入った海鮮塩焼きそばだった。焼いた具材に醤油を垂らして食べるのとは味が変わってこれも美味しい。

 使い捨ての小皿に盛られた焼きそばを興味深そうに口にした鈴香は感嘆の息を漏らして、

 

「美味しい。こういうのが海の家の焼きそばなの?」

「それは絶対違う」

「海の家でこれが食べられたら行列ができると思います」

 

 芽愛と二人で思わずツッコんだ。

 食べ始めてしまえば結構食べられるもので、なんだかんだ用意した具材の八割以上はみんなの胃に収まった。

 焼いていない残りは翌日に回すことにして、それこそ別腹とばかりに芽愛の用意した杏仁豆腐に舌鼓を打つ。っていうか杏仁豆腐って自家製可能だったのか。

 

「……芽愛さんはいい奥さんになりますね」

「えへへ。もし行き遅れたらアリスちゃんが貰ってくれる?」

「芽愛さんと結婚するには調理師免許が必要でしょうから、そうなったら頑張らないといけませんね」

 

 そういえばノワールは持ってるんだろうか。持っていてもおかしくないというか、さらっと一級船舶とか出してきそうな人ではあるが、変身して一年くらいじゃ取ってる暇がないか?

 

 バーベキューの後はみんなで片づけをして、風呂に入った。

 鈴香達と風呂に入るのもこれで三度目。なんだかんだで慣れてきた感がある。これからもこの回数は増えていくのだろうか。

 

「……ふう。まだお腹が重たいわ」

「私も。じゃあさ、せっかくだしみんなでお話でもしない?」

「そうですね。食べてすぐ寝ると牛になると言いますし」

「牛柄。水着だと下品になりがちですが、スカートや小物なら……?」

 

 風呂の後は胃が多少落ち着くまで、と言いながら雑談をした。

 明日には帰らないといけない、というのをみんなわかっているからだろう。残り少なくなってきた時間を惜しむようについつい話が弾んだ。

 挙句、ホームシアターを使って映画を一本見てしまい、結局晩酌もしていたらしい理緒さんに「寝坊したら遊ぶ時間が減りますよ」と注意されてようやくベッドに入った。

 

 

 

 

 

 

 昨日たっぷり散策はしたので、翌日はややゆっくりめに起きて残った食材を片付け、帰る前の掃除をして別荘を発った。

 車で少し足を延ばして近くの神社を参拝したり、ワイナリーやショッピングモールに立ち寄ってお土産を買い足したり。

 学園の最寄り駅で解散となったのはもうすぐ日が暮れ始めるという時間だった。

 

「みんなお疲れ様。掃除も手伝ってもらってありがとね」

「いいのよ。こちらこそ、楽しませてもらったわ」

 

 手持ちのお土産は紙袋一つ分だけ、比較的身軽な芽愛は電車で帰るという。

 お土産自体は食べ物中心にどっさり買っていたが、日持ちする物に関しては全て宅配の手続きをしていた。後日、送られてきた品々はお店のスタッフに配られたり、両親と一緒に研究に使われたりするのだろう。

 

「いい写真が撮れました」

「安芸様。SNS等に載せる際はくれぐれもお気を付けください」

「了解です」

 

 縫子はタクシーを使うらしい。

 彼女が買ったのはヘンテコな置き物だったり、ユニークな箸置きだったり、奇妙な柄のハンカチだったり。これも彼女なりの研究に使われるに違いない。単に好きだから買っただけかもしれないが。

 

「アリスちゃんはほんと日焼けしないねー」

「日焼け対策はばっちりですから」

 

 俺は駅に着く前にノワールへ連絡済みだ。

 少し待っていれば迎えに来てくれる手筈なので、お土産は結構沢山買ってしまった。

 なお、芽愛が言った通り、俺以外は少々日に焼けている。ほんのり小麦色の肌もこうして見ると可愛いと思うのだが、俺は魔法まで使って紫外線防止に努めたためいつもの肌のままだった。

 もう少しファッションに自信がついたら日焼けしてみるのもいいかもしれない。でも、朱華の影響か、日焼け=ビッチみたいなイメージがないでもないんだよな……。

 

「では、みんな。次は始業式かしら」

「はい。みなさん、お元気で」

「あはは。大袈裟だよアリスちゃん」

 

 親戚にも配るらしい大量のお土産を車に詰め込んだ鈴香が理緒さんの運転で去っていくと、残りのメンバーも解散になった。

 心地いい疲れとイベント後特有の寂しさから息を吐いた俺は、目立つところに移動しようと歩き出したところで見慣れた車がこっちに来るのを発見した。

 窓から顔を覗かせたのはいつものメイドさん──に、ちびっこ最年長と白衣の薬師、紅髪のエロゲ少女だった。

 

「みなさん、お揃いでどうしたんですか?」

「うむ。土産を奪いに来た」

 

 奪いに、って歯に衣着せないにも程がある言い方だな。

 後部座席へ荷物と共に乗り込みつつ苦笑すると、朱華が肩を竦めて、

 

「いやさ。どうせなら早く食べたいからノワールさんと一緒に迎えに行く、とか教授が言い出したもんだから」

「じゃあ私達も行くしかないよねー」

「……なるほど」

 

 食い意地の張ったメンバーである。

 そんなことだろうと思って食べ物は多めに買ってきた。酒は論外として、個包装されたクルミ入りのタルトも紅茶と一緒の方が美味しいだろうから──。

 

「じゃあ、このりんごパイとか」

「でかしたアリス! 夕食前の腹ごなしだ!」

 

 腹ごなしって、ご飯の前に食べたら夕飯に響きますよ教授。

 あっという間に箱を強奪され、包装紙だけはやけに丁寧に剥がしながらパイを取り出す三人をぽかんと見ていると、

 

「すみませんアリスさま。どうせならこのまま外食しようという話になっているのですが、大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫です」

 

 バーベキューの影響もあって昼食は軽めに済ませたのでお腹は空いている。

 ノワールは「良かったです」と微笑んで、

 

「では、あらためまして。おかえりなさいませ、アリスさま」

「……ただいま帰りました」

 

 俺は気恥ずかしいものを感じながらも答えた。



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聖女、始業式に出る

「で? なんか収穫はあった?」

 

 ノートパソコンを持って部屋にやってきたと思ったら、朱華はそれを開きもせずに尋ねてきた。

 旅行の収穫という意味だろうが、また今更というか、改まった聞き方だ。

 俺は首を傾げて、

 

「お土産、足りませんでしたか?」

「じゃなくて、なんかバイトのヒントはなかったのかってこと」

「そう言われても、私、遊びに行ったんですよ?」

 

 するとじーっと見られて、

 

「滝行がどうのはどうなったのよ」

「今回の敵は魔法でどうにもならないじゃないですか」

 

 もちろん、どうにかなるならどうにかしたいが。

 俺はベッドにぽすんと腰かけつつ「あ」と思い出して。

 

「テレポートとかできたらいいな、と思いました」

「あんたの神様ってそういうのだっけ?」

「……違いますね」

 

 移動魔法が聖職者の役割になっているゲームはあまり多くない。

 アリシアの魔法リストにも含まれていないので望み薄だ。

 細かい位置指定ができるなら奇襲に使える目もあったのだが。

 

「つまんないわね」

 

 なんか無茶言ってくる彼女にジト目を送りつつ、

 

「朱華さんこそ、何か思いつかないんですか?」

「あたしは夏休みの宿題でそれどころじゃなかったわよ」

「やったんですか!?」

 

 驚いて聞くとふくれっ面になって、

 

「ノワールさんが『アリスさまに頼る前にできる限りご自分で終わらせてください』ってスパルタ指導してくるんだもん」

「さすがノワールさん。ありがとうございます」

「あたしとしては生涯で一番ノワールさんを恨んだっての」

 

 自業自得だろうに。

 ともあれ俺はほっとして、

 

「じゃあ、宿題は終わったんですね? 手伝わなくていいんですね?」

「甘いわねアリス。あたしやシルビアさんが完璧に終わらせてると思う?」

「なんでパソコン持って私の部屋に来るんですか」

 

 さっさと終わらせろと背中を押すようにして部屋に戻らせる。

 本当に、成績だって悪くないはずなのにやる気がなさすぎる。

 

「待ちなさいアリス。ノワールさんの面倒くさいところは見習わなくていいから」

「剣道も聖職者も規則正しい生活は基本です!」

 

 俺とノワールの奮闘が効いたのか、朱華とシルビアはなんとか夏休み最終日までに宿題を終わらせた。

 

 

 

 

 

 

 

「なんか、制服着るのも久しぶりだな……」

 

 薄手の白ブラウスとスカートに身を包み、姿見の前であれこれ確認してみる。

 相変わらず、金髪碧眼の色白美少女が向こうからこちらを見つめてくる。

 いい加減見慣れてはいるものの、こうしてあらためて考えると色々感慨深いというか、奇妙な話もあったものだとしみじみ思う。

 

「まあ、特に問題はないか」

 

 始業式なので大した荷物は必要ないが、鞄に全部入っているか確認してからリビングへ。

 朝食の良い匂いと共にノワールが振り返って微笑んでくれる。

 

「おはようございます、アリスさま」

「おはようございます、ノワールさん」

 

 料理の勉強をするようになって以来、食事の時間になると早めにリビングへ来てノワールの仕事ぶりを観察するのが日課になった。

 昔ながらの職人は「見て覚えろ」と言うらしいが、実際、人の作業を見ているだけでも結構発見はあるものだ。

 ノワールも「恥ずかしいです」とか言いながら結構ノリノリで、時々鼻歌を口ずさみながら料理をしている。控えめに言っても可愛いので、将来悪い男にでも捕まらないか心配だ。

 

「おはよー……」

「ふあ……ねむ……」

 

 しばらくすると朱華とシルビアが起きてきて席につく。

 食事の後に着替えるつもりなのかパジャマのまま。まさに寝起きという感じの姿だ。こっちは男に幻滅されないか若干心配になる。

 

「シルビアさん、また調合ですか?」

「朱華ちゃんこそ、またゲームしてたんでしょ」

 

 夏休みも今日で終わりだと思うと「寝なければ今日が終わらないのでは」みたいな衝動にかられてしまうらしい。もちろんそんなことはあるはずないが、旅行の際、俺も似たようなことをしたのであまり人のことは言えない。

 

「おはよう。……うむ。今日から新学期か。わかりやすくていいな」

「教授は夏休みとかあんまり関係なかったですもんね」

「講義に時間を取られない分、休み中の方が研究に専念できる面さえあるからな」

 

 嫌々やってる仕事ならともかく、好きでやってるならそれはそれで幸せなのだろう。

 

「はい、できましたよ。熱いうちにどうぞ」

「いただきます!」

 

 ノワール特製、チーズたっぷりオムレツ他色々でたっぷりお腹を満たした俺達は、ノワールに見送られて出発した。

 

 

 

 

 

 

「おはようございます、アリスさん」

 

 校門を通り抜けたあたりで丁寧な挨拶を受けた。

 ここまでにも朝の挨拶は何度もしていたので笑顔で振り返ると、そこには上品な笑みを浮かべた芽愛がいた。一瞬「何を猫被ってるんだ」という気分になったものの、そういえば学校だとこんな感じだったか。本格的に仲良くなったのが夏休み中なので忘れていた。

 

「おはようございます、芽愛さん」

 

 別に名前呼びは問題ないよな、と思いながら反応を窺うと、芽愛は「よくできました」とでも言いたげに微笑んだ。

 いや、しかし見事な擬態である。

 鈴香は素が出なければ敬語だし、縫子は素でも敬語というか喋り方に関係なくマイペースなのは変わらないが。ああ、あれか、接客で慣れてるからか。

 芽愛とは挨拶だけして「また」といったん別れた。

 朱華がつんつんと肘でつついてきて、

 

「結構板について来たじゃない」

「……デフォルトで敬語だと間違えなくて気楽ですね」

 

 正規のお嬢様ではないどころか正規ルートの女子ですらないので、ある程度気を張っておかないとまだまだやらかしそうで怖いものがある。

 

「じゃ、行ってくるねー」

「始業式中に寝ないようにね」

「頑張るー」

 

 シルビアと軽く手を振って別れ、自分達の教室へ。

 着いたら早速歓声が上がり、それぞれの友人達に取り囲まれた。

 

「おはようございます、皆さん」

「あ、アリスちゃんだ!」

「おはようアリスちゃん。良かった、ちゃんと学校来たんだね」

 

 いや、そりゃ来るだろ。

 と、言いたいところだが、夏休み前は「元の身体に戻りたい」って言っていた時期だ。本当に戻っていたら「アリシア・ブライトネス」は消滅していたわけで、学校に来ない可能性は実際割とあった。

 なんか、既に遠い昔の話のような気がしてしまうが──終業式でみんなと別れた時の俺と、こうして始業式で会っている俺は、ある意味全く別の状態なのだ。

 

「っていうかアリスちゃん、白!」

「まさか夏休みの間、どこにも行かなかったとか?」

「入院してたとか」

「みなさんとも買い物に行ったりしたじゃないですか」

 

 外出しなかったどころか、生涯最大級に遊んだ。

 

「そうだ。お土産もあるので後でお渡ししますね」

「やった! ちゃんと私も持ってきたから交換しようね!」

「って言いながら今出すんじゃない。終わらなくなるでしょ」

 

 うん、今始めると確実に先生に怒られる。

 などと言いながらわいわいやっていたらHRの時間になって、担任教師に「席についてください」と言われてしまった。

 結局、あんまり変わらなかったかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 校内ではちょっとした噂ができていた。

 

「花壇の花が元気になってるんだって」

「中庭とか桜並木の木もでしょ? 凄いよね」

 

 これが逆(枯れてた)だったら犯人は誰か、という話になっていたかもしれないが、元気になっていた方なので偉い人が何か言うこともなく、みんな「不思議だね」とただ言い合っている。

 おそらくは不死鳥を倒した影響だろう。

 校庭にゴミが散乱していた、みたいな話もなかったので教授達はさぞかし必死にゴミ拾いをしたんだろうな、と、おかしい気分になりつつ、自分達のしたことで学園が良くなった、ということになんとなく嬉しさを感じた。

 

 始業式も何事もなく終了。

 式の後のLHR(ロングホームルーム)で話された内容で大きかったのは、やはり二学期の行事についてだった。

 

「二学期は文化祭や生徒会主催のハロウィンパーティ、それから学期末になりますがクリスマスパーティなどがあります。行事の準備も多くなってきますので、皆さん、前もってアイデアを考えたり、準備を行うように心がけてください」

 

 ハロウィンパーティにクリスマスパーティか。

 男だった頃に通っていた中学、高校だとそういうのはなかった。公立だからっていうのもあるんだろうし、女子校だとそういうのをやりたがる生徒が多いんだろう。

 萌桜(ほうおう)学園は宗教色の強い学校ではないため、ハロウィンやクリスマスは純粋に楽しむためのパーティらしい。もちろん、キリスト教系の信者やハーフの生徒なんかはここぞとばかりに力を入れるらしいが。

 

「アリスちゃんもやっぱり、そういうの気になる?」

「私の場合はお守りみたいなものなので特別には。でも、楽しそうなので是非参加したいです」

 

 ちなみに修学旅行はというと、残念ながら一学期に終了してしまっているらしい。

 俺が参加しようと思ったらもっと早くアリシアになっていないといけないので諦めるしかない。むしろ、学園祭にきちんと参加できる分、一学期中に通い始めておいて良かったと思う。

 

 放課後はお土産交換会が盛大に行われた。

 先生の分は前もって取り分けて纏めて渡したのだが、さすが女子ばっかりの学校、マメな生徒が多いのか結構な量になっており、先生も目を丸くしながら「ありがとう」と喜んでいた。

 そしてもちろん、俺達自身も同じくらいの量を受け取ることになって、

 

「なんだか、得をしてしまっている気がします」

「錬金術だね」

 

 クラス用のお土産は鈴香達と相談して別の物を用意したので品物でバレる心配は低い。

 いや、別に聞かれれば話すので秘密にしているわけではない。同じ物を三つも四つももらって困ることがない、というだけなのだが。

 

 

 

 

 

 

「始業式はいかがでしたか、アリスさま」

「はい。久しぶりで楽しかったです」

「その感想が出てくるようになったのなら、大分馴染んだと言っていいだろうな」

「最初の頃は覚えることだらけでしたからね」

 

 帰宅後、夕食時。

 俺は教授の言葉に頷いて答えた。

 

「もう少ししたら受験があると思うと憂鬱ですけど……」

 

 こればっかりは二度も経験したくない。

 どうして高校受験をもう一度経験しないといけないのか──と。

 

「内部進学なら問題起こさなきゃ普通に上がれるわよ?」

「え」

「大学受験もそこまで楽じゃないけど、系列の大学に推薦枠あるし、普通に受験するより楽だよ?」

「なんですか、それ」

 

 私立学校のパワーというものを思い知らされる話だった。

 

「共学の高校行きたいとかなら外部進学だから話は別だけど」

 

 山盛りの唐揚げを箸で自分の皿に移しつつ朱華。

 

「いえ、せっかくできた友人と離れるのも嫌ですし」

 

 鈴香達が外部進学するという話は聞いていない。

 このまま高等部に進学する前提で話をしていたはずなので、俺もそうしようと思っている。

 さすがに高校三年生からの進路は大きく分かれそうだが。

 芽愛と縫子は調理師学校と美術大学に行きそうだし。

 

「へえ、いいの? 男と話せるチャンスよ?」

「といっても、あんまりエロい目で見られたりするのも面倒かな、と」

 

 男時代の幼馴染に言い寄られたのを思い出して「うへえ」という気分になる。

 男としての自意識は「あれは紳士的な方」と言っている。あれでマシな方なら少々気づまりと言わざるを得ない。

 

「朱華さんは──あ、やっぱりいいです」

「うん。あたしが共学行くのは危ないからやめとくわ」

「身の危険を感じたいわけじゃないんですね?」

「現実はゲームオーバーになってもやり直しできないじゃない」

 

 運動部は軒並みアウト、吹奏楽部、漫研、演劇部、生徒会、風紀委員などはエロ描写の常連。帰宅部の場合は下校中に通り魔に襲われる可能性があるし、宿題をサボったりすると成績をネタに脅迫する教師が現れたりする。

 遠い目になった俺はあまり深く考えないことにした。

 

「私は外部受験するよー」

「やっぱり薬学部に行くんですか?」

「うん。私(シルビア)には独自の理論があるけど、リアルの薬づくりも学んでおいた方が役に立つだろうしねー」

 

 薬学部か。

 シルビアにはそれ以外考えられないって感じだけど、医学部程ではないにせよ難関だったはずだ。学費も高かったはずだし──って、学費?

 

「シルビアさん、お金は大丈夫なんですか?」

 

 まさか政府がそこまで出してくれるのかと思いきや、

 

「うん。まあ、ちょこちょこポーションを売って稼いではいるんだけど──」

「今なんて言いました?」

「だけど、バイト増やした方がいいかも。この前のアレ倒せれば結構違うかなあ」

 

 俺のツッコミを無視したシルビアの言葉に、ノワールがぴくりと反応した。

 

「ノワールさん、無理はしなくても」

「もちろんです、アリスさま。……ですが、彼女とはいつか決着をつけないといけないのも事実。時間をかけてもその状況は変わらないかと」

 

 ノワールも覚悟はできているようだ。

 自分の分身、妹のような存在であるあの機械人形に対して思うところがあるのだろう。

 俺はこくりと頷いて、

 

「でも、もう少し。もう少し待ってください。せめて勝率を上げないと危なすぎます」

「ありがとうございます、アリスさま」

 

 微笑むノワール。とりあえずわかってくれたかとほっとして、

 

「しかしアリスよ。お主、修行するどころかスランプ気味ではないか? 昨夜もらった回復魔法があまり効かなかった気がするのだが」

「え?」

 

 教授の指摘に何気なく十字架を見下ろし──その輝きが妙に鈍っていることに、今更気づいた。



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聖女、スランプの原因を探る

「《小治癒(マイナー・ヒーリング)》」

 

 ぽわ、と、光が生まれる。

 立て続けに五回。それぞれの身体に吸い込まれて消えた光は、ぱっと見、および体感的に──。

 

「三分の一以下、といったところか」

「私も同感です」

 

 教授の呟きに俺は頷きを返した。

 夕食が終わった後、とりあえず実験してみようということになったのだが、これは……意外と由々しき事態なんじゃないだろうか。

 心なしか輝きの衰えた十字架を手のひらに載せて、はあ、と息を吐く。

 シルビアが巨乳を持ち上げるようにして腕を組み、

 

「聖印のお手入れをサボってたとか?」

「一応、スマホの画面を拭くくらいの感覚では手入れしてました」

 

 つまりは「そろそろ曇ってきたかな?」と思ったら息を吹きかけてティッシュで磨く程度の手入れ。

 本格的な手入れの仕方なんか知らないし、そんなんで足りるわけないだろ、と言われれば立つ瀬はないが。

 教授が無い胸を押しつぶすように腕を組み、

 

「ふむ。アリスよ、レベル自体がダウンしている、という線はないのか?」

「そう言われても、ステータス画面が見えるわけじゃないですし」

 

 神様が怒って罰を下した、という線ならレベルが下がっていてもおかしくない気がする。

 朱華が赤髪の先をくるくる回しながら、

 

「他の魔法はどうなのよ?」

 

 やってみたところ、やはり同じように効果が下がっていた。

 少なくとも回復魔法だけ下手になったわけではないらしい。

 ノワールが困ったように頬へ手を当てて、

 

「全ての魔法共通であれば、何らかの要因で効果が鈍っている……というのが自然ですね」

聖印(これ)に寿命が来たとかじゃないですよね? そうすると、神聖魔法の源に問題があるってことで……」

 

 神聖魔法の源というと、信仰心だ。

 俺は「うーん」とクロスアクセサリーから手を離しつつ、

 

「ひょっとして、お祈りとかしないと駄目なんでしょうか」

「いや、それはしないと駄目なんじゃないか?」

 

 教授がジト目で睨んできた。

 

「というかお主、あれだけ聖職者ムーブをしておいて神様パワーを借りっぱなしだったのか」

「だって、ゲームでも別にお祈りとかしなくても魔法使えましたし」

 

 ゲームキャラの能力を持ってるだけなんだから俺自身は聖職者じゃないし。

 

「あんたね。例えば、自分の作ったエロゲを違法DLした挙句、遊んだ感想も書いてくれない奴のことどう思う?」

「……最悪ですね。って、なんでエロゲで例えるんですか」

「わかりやすいじゃない」

 

 なるほど、今まで俺がしていたのは店の商品を買わずに「ご自由にお持ちください」の試供品だけを根こそぎ持ち去っていくような所業だったのか。

 

「思えば寝る前の回復魔法に虫よけ、日よけと便利に使ってましたね……」

「そりゃ神様だって怒るよアリスちゃん」

 

 となると対策としてはどうすればいいか。

 簡単だ。

 これからはお祈りをすればいい。

 

「でも、お祈りなんてしたことないですよ?」

「適当でいいんじゃないのか? 今まで十字架で不自由なく魔法を使えていたのだろう?」

「それはそうですけど」

 

 適当なのかきっちりしてるのか、一体どっちなのか。

 代用品として他の神の聖印を持ち歩くのは構わないが、そもそも祈らないのは癪に障る、といったところか。

 この世界にアリシア・ブライトネスの信じる地母神が存在しているのかは謎だが、少なくとも信仰を表す、という手続きを踏まないといけないシステムなのだろう。

 

「ですがアリスさま。祈りの言葉まで他の神様のものを使うのも逆効果かと。『目の付け所が四つ菱だね』などと言われてもメーカーの方は微妙な気持ちになるでしょう?」

「ノワールさんは家電メーカーで例えるんですね……」

 

 下手にキリスト教へ寄せ過ぎるのもアウト、となると、

 

「とりあえず寝起きと寝る前に祈ってみることにします」

「まあ、妥当だな」

 

 しばらく様子を見て、またそれから判断しようということで、会議は終了となった。

 

 

 

 

 

 

 

「……さて」

 

 今日は始業式だったので宿題もなく、しないといけないことも少ない。

 風呂に入って髪を乾かし、スキンケア用品を使い、明日の準備をして、空いた時間で料理やファッションの情報を検索するくらい──って、考えてみると結構あるな。あらためて女子になったことによる生活の変化を感じる。

 ここにお祈りの時間が加わるのか。

 慣れれば普通にできるようになるんだろうが、最初の一回目はなんというか、変な気分だ。まさか神に祈る日が来るとは思わなかった。むずむずするようなこの感情は不慣れなせいで発生する気恥ずかしさだ。

 

「一応、きちんとした格好をした方がいいんだろうな……?」

 

 薄いピンク色のパジャマを脱いで聖職者衣装に着替える。

 待った。下着も白か黒の方がいいのか? 今穿いているのは水色のストライプなんだが──気になってしまった以上は替えておいた方がいいか。後で「こうしておけば良かった」となっても逆に面倒だ。

 結局、いったん全裸になった俺は「何をしているんだろう……」と思いながら上下白の下着を身に着け、聖職者衣装を身に纏った。

 

 着るのは戦いの時くらいなので、条件反射で気が引き締まる。

 

 髪や服が乱れていないかを姿見でチェックした後、どっちを向けばいいんだろうと思い、迷った末にカーテンを閉じた窓に向かって膝を折った。

 床に膝をついて尻を軽く浮かせた姿勢。

 十字架を両手でぎゅっと握りしめると、祈りを捧げるシスターのようだ。アリシアの肩書き的にはシスターどころか『聖女』なので割と間違ってはいない。

 

 何を祈ればいいのだろう。

 ゲーム仕様上、アリシアの仕える神についてもふわっとしており、俺の頭の中には具体的なイメージが湧かない。そもそも祈りの時間というのは何かを考えるものなのか。

 座禅なんかは頭を空っぽにするものだったはずだが、あれは当人の精神修養が目的だからまた別か?

 考えても良くわからないので、女神の『愛と豊穣を司る地母神』という性質に注目してみる。祈って願うとしたら五穀豊穣と家内安全あたりか。字面が和風すぎてアレだが。

 

(世界が平和で、良いお米がたくさん取れますように。みんなが健康で幸せに過ごせますように)

 

 ノワールや朱華、シルビア、教授、鈴香、芽愛、縫子──クラスのみんなの顔を順に思い浮かべていくと「本当に無事でいて欲しいな」と思う。

 と。

 

『私。お祈りはお願いをするだけではなく、神に感謝をするものなんですよ』

 

 久しぶりにアリシア・ブライトネスの声が聞こえた。

 

『もう。信仰を忘れないように、って言いましたよね? 神様に叱られるのも当たり前です』

 

 ああ、そういえば前にそんなことを言っていたか。

 神への感謝。

 思えば、神の奇跡──神聖魔法がなければどうなっていたか。

 

(神様、ありがとうございます。……これからも、どうか力を貸してください)

 

 不死鳥との戦いのこと。

 人形軍団との戦いのこと。その他もろもろを思い出し、素直にそう心に浮かべた瞬間──。

 

「わっ!?」

 

 握りしめた十字架を中心に光が生まれ、俺は驚いて手を離した。すると光はすぐに消えて、何事もなかったように部屋へ静寂が戻った。

 

「……届いた、ってことでいいのかな?」

 

 試しに回復魔法を使ってみると、効果が三分の一から二分の一くらいまでは回復していた。

 少なくとも効果はあったらしい。

 ほっとした俺はベッドに入──ろうとしてギリギリで止まり、聖職者衣装からパジャマへ着替え直した。下着はまあ、一度穿いてしまったしこのままでもいいだろう。

 しかし、そうすると白か黒以外の下着は穿けない気がする。ひょっとして、だから聖職者には最初から服装規定があったりするのか?

 

 白黒以外の下着で祈るのと下着無し(ノーパン)で祈るのはどっちがマシなんだろうか。

 微妙な疑問を覚えつつ、俺はひとまずは「あまり派手な下着は穿かないようにしよう」と決めた。あまり厳密にやりすぎてもできるファッションの幅が狭くなってしまう。それはそれで色々と不便そうだ、というのが理由だ。

 

 

 

 

 

 そして、それから数日。

 お祈りは朝晩二回、一回につき五分ずつ行うようにした。

 朝は起きてすぐ祈るつもりだったが、着替えて祈ろうとすると寝汗が聖職者衣装に移るのが気になる。仕方なくシャワーを浴びてからお祈りするようにしたところ、自然と起床時間が三十分ほど早くなった。

 聖職者が早起きな理由もわかった気がする。

 

 一週間が経った土曜日の朝、あらためて披露した回復魔法は眩い輝きに満ちていた。

 

「……これは、元の威力から二割増し、といったところか?」

「はい。素晴らしい成果です、アリスさま」

「ありがとうございます。……でも、元はといえば不摂生のせいですし、恥ずかしいですね」

「いいんじゃない? アリスちゃんはもっと堕落するべきだと思うよー」

「それは駄目です」

 

 怠惰な生活を続け、欲望にまみれ、行き着く先はダークプリーストである。

 

「でも、これで少しパワーアップしました。多少はお役に立てるのではないかと」

 

 祈るのを怠るとパワーダウンしてしまうだろうから、その点は注意が必要だが。

 回復魔法だけでなく支援魔法も強化されたので結果的にノワールのパワーアップにも繋がる。祈りを継続していく、あるいは祈りの時間を長くすればもっと効果は上がるかもしれない。

 後者についてはその、なんというか、もう少し慣れてこないと難しそうだが。

 今のところはまだスマホのタイマー機能で五分測っており、祈りながら「まだ五分経たないのか?」などと考えてしまっている有様。集中して祈れているとは言い難く、創作物中の聖職者が平気で「一時間お祈り」とか言ってるのが信じられない。

 

 申し訳ないが、ひとまずは朝晩五分ずつでいいだろう。

 

「防弾チョッキとか装備して行けば、回復魔法で疑似タンクができるんじゃないかと」

 

 タンクとは(主に多人数で遊ぶ)RPGにおいて、敵の攻撃を引き付ける役のことである。

 種類としては防御力が高いタイプとHPが高いタイプ、後は変わったところとして回避能力に特化した「避け壁」なんていうのがある。

 俺がやる場合、防御力はないので残念ながら「ダメージは0です!」とかは言えない。

 二番目のタイプの変形で、死にさえしなければ回復魔法で疑似ゾンビ戦法が可能、という立ち位置になる。

 

「危険ですし、できればお止めいただきたいのですが……」

 

 もっと危険な役割を担おうとしているノワールは眉を顰めてそう言ってから「ですが」と続けて、

 

「アリスさま。よろしければ一度、特訓に付き合っていただけませんか?」

「? 特訓、ですか?」

 

 俺で良ければと快諾すれば、ノワールはすぐさまどこかへ連絡を取り、翌日の日曜日に俺を車に乗せた。

 走ること軽く一時間以上。

 辿り着いた先は地下に設置された屋内型の競技場。テニスとかバスケの練習をする用の施設のようだが、ネットやゴールの類はあらかじめ取り除かれて広々している。

 施設管理者の方は俺達を案内したところでさっさと退散し、俺達の『事情』を知っているらしい政府関係者数名が監視を兼ねて人払いに協力してくれる。

 どうやら電話していたのは、人知れず戦闘訓練ができる場所を借り受けるためだったらしい。

 

『わたしは先方に貸しがありますので、これくらいのお願いなら聞いてもらえるんです』

 

 可能ならドーム球場とかの方が良かったらしいが、さすがにそれは許可が下りなかった。

 俺は聖職者衣装に着替え、ノワールはメイド服のままながら各所にウェイトを装着し装備の重さを再現。武器は左手に持ったピコピコハンマーと右手に持った高性能水鉄砲、ウェイトと一緒に隠し持ったキーホルダーサイズのぬいぐるみだ。

 

「アリスさまは私に向けて攻撃魔法を放ちながら逃げ回ってください。わたしはそれをかわしながら攻撃します」

「私はいいですけど……攻撃魔法って危ないですよ?」

「ご心配なく。……もちろん、威力は絞っていただきたいですが、銃弾をかわすのを想定した訓練ですので」

 

 なるほど。

 せっかくここまで来たわけだし、四の五の言っても始まらない。「わかりました」と答え、戦う決意を固めた。

 ある程度離れた位置から、

 

「いきます!」

「──はい」

 

 威力は絞りつつ、弾数は増やした聖なる光を連射する俺。

 ノワールは俺の放つ光をかわしながらみるみるうちに接近してきて、水鉄砲とピコピコハンマーで攻撃してくる。正直、戦闘モードの彼女は怖い。持っているのが玩具だとわかっていても、対峙すると殺されそうな雰囲気があった。

 二、三発魔法を撃ったところであっさり接敵されて「ぴこっ♪」と頭でいい音。

 

「も、もう一回お願いします」

「こちらこそお願いします」

 

 その日、俺達は夕方近くなるまで訓練に勤しんだ。

 俺達の分はノワール手製のお弁当。教授達もほぼ同じメニューを「レンジでチンしてください」と渡されたらしいが、「外で食べた方が絶対美味しい」と何故か羨ましがられた。

 なら公園にでもピクニックに行けばと言ったら「それはなんか違う」らしい。我が儘な話である。



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聖女、囮になる

「防弾チョッキって、一万円とかで買えるんですね」

 

 装飾の少ない白のショーツに、キャミソール。

 スポーツブラとかの方が動く時は邪魔にならないのだが、重ね着する物が物なので、肌に直接擦れて痛くならないように布面積を優先した。

 装着するのは薄手の防弾チョッキ──正確には防弾ベスト? だ。

 安物なのに防刃効果もあるらしく、しかも軽くて動きの邪魔になりにくい。科学の進歩は素晴らしい。

 

 と、着付けを手伝ってくれているノワールは苦笑して、

 

「安物の効果は値段相応──気休め程度とお考えくださいませ。極端な話、布一枚でも重ねれば、何もないよりは防御効果があるわけですから」

「はい」

 

 俺は素直に頷いて答えた。

 高くて質の良い物は沢山あるのに敢えて安物を選んだのは予算の都合もあるが、あまり仰々しい装備をしても動けなくなってしまうからだ。

 

 白とシルバーをメインに構成されたノワールの部屋。

 開帳されたメイド服満載のクローゼットの奥には黒くて重厚な装備の数々が眠っており、その中には防御用の装備もあった。

 ただ、そういうのを着て高速で動き回れるのは特殊な訓練を受けた者だけである。

 教授とシルビアは学者・研究者肌の、どちらかといえばインドア系。朱華は超能力以外は運動神経が良い程度の少女。俺ことアリシア・ブライトネスはファンタジー世界出身だけあって「チェインベスト」なんかのちょっとした金属装備も着用可能だが、あくまでも一般的な中三女子に比べて体力と持久力がある程度。

 

 防弾ベストの他は、一応防刃繊維が織り込まれているらしいリストバンドを手首に装着したりとか、その程度。

 重要部位だけでも壊れにくくなれば後は回復魔法でどうにかする方針だ。

 

 上からはいつもの聖職者衣装(コスプレ)。

 このところ毎日朝晩着ているせいか着心地も馴染んできた。すると今度は服へのダメージが気になるところ。クリーニングに出すことも考えると適当なところで新しい衣装を下ろさなければ。

 次はノワールにもらったシスターメイド服を着るとして──。

 

「シスター衣装のオーダーメイドとかも考えた方がいいでしょうか」

「素晴らしいと思いますっ」

 

 何気なく言ったら物凄く食いつかれた。

 背中を向けてはいるもの、姿見に映っているので表情ははっきりと見える。これから戦いに臨む意気込みはどこへやら、ノワールは目をきらきらさせていた。

 

「オーダーメイド可能なお店でしたらいくつかご紹介できます。お値段を考えますとコスプレ系の専門店が無難ですが、この手のお店も結局のところ質のいいところはそれなりに値が張ってしまいます。利点としてはなりきり的なこだわりに理解があるので細部に拘っていただける点ですが、オーダーの場合は注文側で詳細な資料を用意しておかなければならないというのが難点です。アリスさまの場合はまさにそこがネックになる可能性が──」

「の、ノワールさん、早いです。理解しきれません」

「あっ……。申し訳ありませんアリスさま。つい興奮してしまいました」

 

 しゅんとする彼女。しかし、可愛い衣装にうきうきする雰囲気は完全に収まっていない。

 

「この話はまた、のんびりできる時にいたしましょうね。わたしとしてはやはりメイド服がおススメなのですが……」

「ノワールさんは私にメイドになって欲しいんですか?」

「え。……ええと、その、どうでしょう。アリスさまを教育して一人前のメイドに仕上げるのはとても心躍る想像なのですが、上司と部下になってしまいますとあまり親しくできませんし……。何よりわたしがお世話する方が一人減ってしまうわけですから」

 

 今度は何やら真剣に悩み始めてしまった。

 まあ、俺としても料理はもっと学びたいし、衣装自体は可愛いと思うのだが、やはり予算が気になるところだ。

 コスプレ衣装のためにモンスター退治をするとかなんか物凄く変な感じがするし、散財しすぎると小市民根性が悲鳴を上げる。

 などと言っているうちに俺の衣装は完成して、

 

「はい、できました」

「ありがとうございます、ノワールさん」

 

 白系統の聖職者衣装に身を包んだ金髪碧眼の少女聖職者が姿見の前に立っていた。

 胸に下げたロザリオはすっかり輝きを取り戻してきらきらと輝いている。

 

「では、アリスさま。わたしの着替えも手伝っていただいてもよろしいですか?」

「が、頑張ります」

 

 エプロンを外し、胸元のファスナーを下ろしていく年上のお姉さんの姿に、憧れとドキドキと、その他色んな感情をいっぺんに覚えながら、俺はノワールの白くて柔らかな肌とは対照的な装備の装着を手伝うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「おお、主力メンバーが来たか。では、向かうとするか」

 

 みんなの待つリビングに戻ると、変なのがなんか喋っていた。

 

「……誰ですか?」

「吾輩に決まっているだろうが! 他に誰がいる!?」

 

 怒られた。

 いや、まあ、身体のサイズでなんとなくはわかるんだが、姿と声が違うせいで物凄い違和感があるのだ。

 教授は銃弾が怖いのか、厚手の防弾ベストに関節用のプロテクター、ヘルメットにゴーグル、更にはガスマスク的な物まで装着した完全武装状態。どうやら走り回るのを最初から諦めて「当たっても死なない(死ににくい)」装備を選んだらしい。

 それにしても、いつもながら女子力や格好良さを放棄したスタイルである。

 

「ま、やっぱ戸惑うわよね、コレ」

「これとはなんだ失礼な!」

 

 教授の格好をコレ呼ばわりした朱華は赤いチャイナドレスの上から肩まであるタイプの防弾ベストを羽織っていた。

 足は黒のニーハイソックスに飾りの意味しかないガーターリング。

 SF系の荒廃した世界観だったらギリギリ「軍属です」って言っても許されそうなスタイルだ。

 

「……朱華さんはもう少し着込みませんか?」

「人間の身体なんて重要な部分多すぎなんだから、ちょっと守ったってどうせ無駄よ」

「いや、覚悟決まりすぎです」

「ふっ。そもそもあたし、高度に発達した科学文明って奴が嫌いなのよ。あいつら『研究して作りました!』って言えば洗脳装置も超能力禁止装置もやばい媚薬も当たり前に作れると思ってるんだから」

 

 超能力なんて非科学的なものを使っている側と果たしてどちらが非常識か、難しいところではある。

 俺は遠い目をしつつシルビアに視線を向けると、こちらは白衣の内側、胸の部分だけが妙にもこもこしていた。

 銀髪の美少女はふふん、とその胸を張って、

 

「大事な部分だけ守ればアリスちゃんがなんとかしてくれるんだよねー?」

「はい、できるだけなんとかしますけど……」

 

 大事な部分は心臓なのか巨乳なのか、聞きたいような聞きたくないような。

 

 なお、ノワールは動きやすいように改造したメイド服。

 彼女に関しては上等な装備も使って動きやすさと防御力、汎用性をいっぺんに向上させている。それでいて傍目からはそんなにゴテゴテしていないので誤魔化しもききやすい。

 

 教授が「うむ」と頷いて、

 

「では、車に乗り込め。移動しながら最終ミーティングを行う」

 

 

 

 

 

 

 結局、近未来メカ相手に決定打となるアイデアは出なかった。

 俺達は相手の手の内がわかっており、正攻法での対処が可能なノワールを主力として戦うことになる。

 原作(の未来)におけるノワールは自身のアッパーバージョンといえる相手と死力を尽くして戦い、運に助けられてようやく勝利を収めたらしいが、

 

「こちらにも利はあります。それは、わたしが彼女と戦った記憶を持っているということです」

 

 つまり、ノワールは機械人形──シュヴァルツの手の内を知っている。

 倒されるまで隠していた隠し玉でもない限りは、裏の裏の戦法まで熟知しているということ。知っているのと知らないのとでは心構えも、相手にした場合の勝率もまるで違ってくる。

 

「だが、ノワールよ。()()()()()()()()は忘れるなよ」

「もちろん、わかっております。あのシュヴァルツが、記憶の中にあるシュヴァルツと全く同じ性能でない可能性もあるでしょうし」

 

 もし、あの不死鳥やシュヴァルツの裏に悪意を持った何者かがいると仮定するのなら、何かしらの強化を施しているだろう。

 さすがに倒すと巨大化するとかはないと思いたいが。

 

「公園に到着次第、アリスは結界を張り、我々にありったけの支援魔法をかけてくれ。あるとないとでは生存率が大幅に変わってくる」

「はい」

 

 お祈り効果と特訓の成果もあって、俺は支援魔法の効果をある程度調節できるようになった。

 威力と持続時間の比率を変えて、最低限の威力だけど長持ちする支援とかが可能になったのだ。教授と朱華、シルビアの分は持続重視でかけ、いいところでの効果切れがないようにする。

 ノワールの分は逆に持続時間短めで威力高め。

 

「わたしは先行し、公園中央付近まで移動します」

「うむ。おそらくシュヴァルツとやらはお主をメインターゲットにしてくる。我々は外周から露払いに徹するので敵を引き付けてくれ」

 

 敵はワルだった時代のノワールを模倣している。

 人質作戦くらいは当たり前に取ってくる可能性があるため、教授達はすぐに公園を脱出できるように奥へ進まないようにして戦う。

 戦闘開始直後、シュヴァルツが公園入口に「ばあ」とか出てきたら作戦が瓦解せざるをえないが、その辺りはないと思うしかない。

 

「私は戦いが始まったらノワールさんのところへゆっくり移動しますね」

「うむ。アリスは回復役(ヒーラー)であり支援役(バッファー)であり囮役(タンク)だ。自身の生存を最優先にしつつ、雑魚を蹴散らし、ノワールへの支援を行ってくれ」

 

 ほぼ一人でシュヴァルツと戦うノワールはもちろんだが、俺の役割もかなり重要だ。

 外周に近づいてこない雑魚は一体でも多く俺が駆除しないといけないし、ノワールのところへ着くのが遅くなりすぎると支援が途切れてしまう。

 しかし、できるだけ少人数でシュヴァルツと効果的に戦うにはおそらくこれがいい。

 

 俺は、抱きしめるように持った木刀に、ぎゅっ、と力を込めた。

 

 

 

 

 

 

 

「では、頼んだぞアリス」

「はい」

 

 夜の公園は今日も静まり返っている。

 ノワールは既に先行済み。結界も張り終わり、教授達と自分にも支援魔法をかけた。公園内に例の気配も生まれ始めているので、俺は移動を開始する。

 

「ヘマするんじゃないわよ、アリス」

「危なくなったらポーションも使ってねー」

「はい。みなさんも気をつけてください」

 

 朱華達の誰かが大怪我をしたらスマホ経由で連絡が入る手筈だが、どうしても戻るまでには時間がかかる。

 ノワール以外は無理をせず、車に戻る判断をしてもらった方がいい。

 俺はその分多めにポーションを貰った。中には「疲れを一時的に忘れさせるポーション」などという、もはや危ない薬としか言いようのないものもあるため、戦闘中であれば実質的なMPポーションとして機能するだろう。

 

 仲間と別れた俺は、胸の聖印を揺らしながら木刀を手に公園を進む。

 しばらく歩いたところで例の雑魚機械人形が三体、俺のところへ集まってくる。この分だとまだそこそこの数が残っているのか。

 それでも数は十分減っているはずだと考えながら、

 

「《武器聖別(ホーリーウェポン)》」

 

 木刀に聖なる力を纏わせ、近づいてきた一体を殴りつける。

 がんっ、といい音。

 足りない腕力を聖なる力が補い、木刀は十分な威力を持っていた。よし、と頷きながら《聖光》を放って次の一体を撃ち落とし、最後の一体は再び木刀で決める。

 

「これは、いけるかも」

 

 魔法の威力と身のこなしに自信がついたお陰の戦法だ。

 聖別なしで戦えるのが一番いいのだが、贅沢は言っていられない。一体ずつ魔法で倒すよりは断然効率が良いので、殴れる時は殴りながら進んでいく。

 

 やがて。

 

 俺の耳に戦いの音が響いてくる。

 夜の静寂を切り裂くような金属音と銃撃音。公園の緑に抑えられて外までは届いていないだろうが、中央広場周辺では激戦が繰り広げられていた。

 踊るように高速で動き回る二人の女。

 一人はメイド服を纏ったノワール。そしてもう一人はナイトパーティにでも出かけるような黒いドレスに身を包んだ若いノワール──シュヴァルツ。

 

 拳銃を放ちながらスカートを翻し、銃弾の雨をかわすノワール。

 シュヴァルツは手にしたマシンガンで絶えずノワールを狙いながら巧みに身体をずらし、脆弱な関節部への着弾を避けている。撃ちまくってるけど弾は大丈夫なのかと思えば、虚空から新たな弾倉が装填されている。ぶっちゃけ割と、いやかなり卑怯だ。

 物陰からこっそりと様子を窺い、案の定支援魔法が切れそうなのを見て、こっそりとかけ直す。

 光に包まれるノワールを見て「これで少しは安心」と胸を撫でおろした直後、

 

「お姉様との時間を邪魔するとは、不届き者ですね」

「アリスさま!」

 

 マシンガンの向けられる先が変更され、俺はノワールの悲鳴を聞きながら、自分に向けて飛んでくる弾を見た。



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聖女、機械人形と決着をつける

 銃弾をかわし切ることはできなかった。

 着弾は肩に二箇所。

 焼けるような痛みを覚えた俺は「あうう……っ!?」と悲鳴を上げた。

 だが、思ったよりは痛くない。

 普通に銃弾なんか喰らったら「痛い痛い死ぬ死ぬ死ぬ!?」ってなるだろうが、あらかじめかけておいた防御魔法がダメージを軽減してくれた。

 

 そして、俺を狙ったことでシュヴァルツには明確な隙が生まれた。

 

 マシンガンの弾が着弾しきるより前の時点で、ノワールは攻撃の手を打っていた。

 ピンを抜かれた丸い物体──グレネードが機械人形の少女に迫り、弾ける。

 発生したのは爆音と閃光だ。当然、ノワールは爆発の直前に専用のゴーグルを装着して負担を和らげているが、シュヴァルツの方はそうもいかない。

 機械人形は各種センサーによって周囲の動きを感知している。

 強烈な音や光はこうしたセンサーを狂わせるため、むしろ人間よりも影響が深刻。まして至近距離で爆発したとあれば──。

 

 割とモロにフラッシュグレネードを受けた俺は、目と耳が回復するまで自分を癒すしかできなかったので、ここからの交錯についてはノワールからの伝聞を多分に含むのだが。

 

「良い手ですが、無駄です」

 

 シュヴァルツはフラッシュグレネードの影響を最小限で回避した。

 爆発の直前、余計なセンサーをあらかじめカットしたり、感度を大幅に引き下げたのだ。何も感じない状態ならダメージを受けるわけがない。機械の弱点を機械の長所で補った形。

 しかし、ノワールはこれを予想していた。

 

「貴女こそ、詰めが甘いのでは?」

「──なっ!?」

 

 センサーの感度が落ちたということは、認識能力が低下したということ。

 大口径の拳銃が右腕の関節部に命中、軽度の損傷を引き起こさせながら接近したノワールは、咄嗟に対処しようとした機械人形の右手にナイフを思い切り突き立てた。

 機能を回復したシュヴァルツはすぐさま反撃。ブレードを展開して蹴りとの二段攻勢に出たが、ノワールは無理せず即座に引いた。

 ナイフを手放して自由になった手が閃き、ノワールに似た端正な顔へと着弾。

 

 赤と緑のマーブル模様に彩られたシュヴァルツは「こんな玩具で……!」と憤慨するも、アイレンズに付着した汚れを完全除去するのは難しい。

 サブも当然あるだろうが、また一つ自由を奪ったのは事実。

 ノワールはここぞとばかりに攻めた。

 銃を連射し、マシンガンを損傷させると、もう一丁銃を引き抜いて更に撃ち続ける。多くの弾はシュヴァルツの柔らかそうな──しかしその実、しっかりとした硬度を持つ装甲に小さな傷を作るだけだったが、むしろ、焦れたのは機械人形の方だった。

 

 高火力の銃器を取り出すことができても、構えるまでの一瞬、隙ができてしまう。

 召喚されたばかりの武器が破壊されるリスクまであるとなればおいそれとは動けない。

 

「お姉様っ!」

「シュヴァルツ。近い力量の者を相手にした経験が足りないのではありませんか?」

「舐めるなっ!」

 

 シュヴァルツの方もやられっぱなしではない。

 大型の銃では不利と判断すればノワールと同じくナイフや拳銃を取り出して近接戦に持ち込む。近距離での銃撃戦となれば当然ノワールが不利で、彼女のメイド服や身体には徐々に小さな傷が増えていく。

 相手も無傷ではないものの、機械であるシュヴァルツは多少の損傷を恐れる必要がない。

 ノワールが押していたはずの形勢は徐々にシュヴァルツに傾き、とうとう実弾が我らがメイドさんの胸に撃ち込まれて、

 

「──アリスさま!」

「《聖光連撃(ホーリー・ファランクス)》!!」

「!? しまった、もう一人──!」

 

 ノワールが引き付けてくれたおかげで傷も視聴覚も回復していた。

 思い切って大規模神聖魔法を発動させた俺は、全ての光をシュヴァルツに向けて撃ち放つ。強い追尾効果はないものの、人間大の相手ならそうそう逃げきれない。

 

「この光を避け続けた経験はないでしょう?」

 

 残った弾を撃ち尽くしながら後退するノワール。

 シュヴァルツは歯噛みし、俺に向けて銃を放ってくるが──今いる場所を慌てて離れるくらいなら俺でも十分にできる。

 さっきまでいた場所に魔法の光が次々着弾していくのを見ながら、俺はノワールに回復と補助を立て続けにかけていく。

 最後に、まだ片手に持っていた木刀を投げて、

 

「──戦闘モード、最終段階(ファイナル)に移行。自爆装置起動。暴走状態(オーバロード)、フルパワー」

 

 どこか機械的な、淡々とした呟きが聞こえてくる。

 四肢、胴体の装甲をボロボロに損傷し、見た感じ立っているのがやっとの状態となったシュヴァルツが光の中から現れる。

 彼女は虚ろな瞳で俺とノワールを見つめると、重厚な外部装甲を召喚。補助動力でも使っているのか、さっきまでとは比べ物にならない──本体へのダメージさえ考えていないような動きで地面を蹴ってくる。

 

 捨て身で敵を殲滅し、それが敵わなかった場合でも釘付けにして道連れに自爆する。

 どうやらシュヴァルツの奥の手とはそういうものだったらしい。原作のノワールはこれに一人でどうやって勝ったというのかと言いたいが、

 

「させません」

 

 真っ先に俺へ向かってきたシュヴァルツの前にノワールが立ちはだかる。

 接触は一瞬。

 右手で振るわれた聖なる光付きの木刀が機械人形の頭部を叩き壊し、同じく聖別された左手のナイフが機械の少女の胸の中央を正確に穿った。

 がくん、と、力を失ったように震え、よろめくシュヴァルツ。

 メインバッテリーを破壊されたのだろう。それでも補助動力で動こうとする彼女を容赦なく木刀が打ち据える。たまらず倒れたシュヴァルツにノワールは馬乗りになると、ナイフを使って開腹でもするように肌──装甲を切り裂いていく。

 

 どっちが悪役だっけ、と言いたくなるような強引さだが、こっちも必死だ。

 万が一にも自爆されたら敵わないし、どうしても今のうちにやらないといけないことが──。

 

「見つけた」

 

 手を少女の体内に突っ込んだノワールは、引き抜いた時、小さなメモリーカードのようなものを手にしていた。

 

「終わりました、アリスさま」

「……はい」

 

 俺は《聖光(ホーリーライト)》を唱えると、シュヴァルツの身体を完全に破壊する。

 公園を取り巻いていた邪気はそれで完全に無散して──辺りには夜の静寂が戻ってきた。

 

 

 

 

 

 

『……お姉様。一体どういうつもりですか? わざわざ、こんな形で私を生き残らせるなんて』

 

 数日後、とあるオフィスの一室にて。

 お値段何十万円らしいハイスペックPCに接続されたスピーカーから紡がれたのは、紛れもなくシュヴァルツの声だった。

 そのマシンの前でドヤ顔を披露しているのは、元・危ない組織の末端構成員にしてIT系の技術者である女性、椎名だ。

 

「いや、苦労しましたよ。いくら現物があるとは言っても現行の規格と全然違いますからね」

「……椎名さんって、実はすごい人だったんですね」

「料理はできませんけどね」

 

 冗談めかして言いつつも表情は得意げだ。

 それはそうだろう。大企業お抱えの一流技術者でもなかなかできない仕事をしたのだから。

 

「や、本当にいたのね。シュヴァルツとかいう奴」

「いますよ」

「いやまあ、アリスちゃん達が嘘つく意味もないんだけど。私達は一回も見たことなかったからねー」

「うむ。写真くらい撮っておいて欲しかったものだな」

 

 微妙に失礼な事を言っているのは我らが朱華、シルビア、教授──今回は後方支援に徹してもらった面々だ。結局、彼女達はほぼ怪我もなかったらしくぴんぴんしていた。

 と言っても、俺達も大怪我したわけではない。

 魔法で癒せば痕が残るようなこともなかったので一安心である。実は本格的な怪我人を治療するのってこれが初めてだったので、ノワールが治療のために脱ぎだした時は動揺しそうになったが。

 そのノワールはどこか神妙な表情でスピーカーを見つめている。

 

『お姉様?』

「……シュヴァルツ。わたしが貴女を生き残らせたのは、わたしが過去のわたしとは違うと証明するためです」

 

 経緯を説明しよう。

 

 俺達──というか主に教授とシルビアは、前回の人形戦の段階で雑魚人形達の残骸を可能な限り回収していた。

 消滅する前に回収したアイテムは消えない、というのは不死鳥戦の時に証明した通り。

 金になると思ったから、という動機が物凄くアレだが、実際これが良い働きをした。異世界の未来技術を研究するチャンスだと思った政府が高い金で買ってくれたのだ。

 椎名はノワールへの弟子入りが叶わなくなった後、関係者に「私の就職先を用意してください」としつこく強請った結果、子飼いの研究者扱いで関係機関に雇われたそうで、俺達の素性についても「お前、誰かに漏らしたら最悪死ぬからな?」と脅された上で聞かされたらしい。

 正直逞しすぎて尊敬さえしてしまうが、そのお陰で、体系どころか年代さえ違う技術のリバースエンジニアリングはなかなか捗り、二度目の戦いでノワールが回収したメモリーカード──シュヴァルツの人格データを雑魚人形のパーツを利用してエミュレートすることにも成功した。

 

 ノワールはシュヴァルツの処遇についてずっと考えていたらしい。

 実を言うと俺も、一緒に特訓をした際などに彼女に尋ねていた。

 

『シュヴァルツと和解する方法はないんでしょうか?』

 

 人間並みの知性を持った敵と出くわすのはこれが初めて。

 なら、戦う以外の選択肢を模索するのは不思議なことではないだろう。

 

『……そうですね、可能ならそうするべきだとは思うのですが』

 

 しかし、ノワールは迷っているようだった。

 

『怖いんです。わたしはかつてのノワールどころか、原作のノワールですらない。……そんなわたしが、手心を加えるような真似をして本当に勝てるのかと』

 

 当然の悩みだった。

 俺達は根っから裏社会やファンタジー世界の住人というわけではない。平和な日本に生きてきた人間だ。だったら、無駄な争いはしたくないし、自分が無事に済むならそうしたいと思う。

 

『原作のノワールさんはどうしたんですか?』

『……助けました。彼女の人格データが入ったメモリーカードが偶然生き残ったので持ち帰っただけ、といった感じでしたが──』

 

 俺以外のメンバーがいないというのも良かったのだろうか。

 素直に話してくれたノワールは、はっとして俺を見た。

 

『……アリスさま。人格データを奪うことで、あの子の無力化に役立つとしたら、それは問題のない行為でしょうか?』

 

 俺には一つの答えしかなかった。

 

『ノワールさんは、ノワールさんのしたいようにすればいいと思います。……いや、もちろん、人類を皆殺しにしたいとか言われたら止めるんですけど』

『……ふふっ。ありがとうございます』

 

 くすりと笑った彼女は晴れやかな笑顔を浮かべて頷いた。

 

『やれるだけのことをやってみようと思います。力を貸していただけますか、アリスさま?』

『はい、もちろんです』

 

 ということで、実際の戦いの結果はあの通りだ。

 

 正直な話、楽に勝てたように見えるだけでギリギリだったと思う。

 不意打ちに不意打ちを重ね、シュヴァルツが知っているはずがない俺の能力をふんだんに利用して一気に押し勝っただけ。

 そう考えると、黒幕がいたとしても俺達の情報を深く把握しているわけではないのか……? という話になるが、考えてもわからないことは置いておくとして。

 

『無駄なことを』

 

 シュヴァルツは硬い声で言った。

 

『私はお姉様を殺し、お姉様よりも上であることを証明するために作られました。慈悲を与えられたところで、別の方法で貴女を殺そうとするだけです』

「そう。それは、具体的にどうやって?」

『……それは』

 

 シュヴァルツが口ごもる。

 メモリーカードの読み込み装置は人形の残骸から作った唯一無二のもの。接続されているPCはネット回線に繋がっていない。スピーカーの電源をオフにしてしまえば外部と話をすることさえできない。もちろん、マシンの電源を落としてしまってもいい。

 ノワールは苦笑して、

 

「わたしは、貴女の知っているノワールほど慈悲深いわけではありません」

『……私の知っているお姉様は冷酷無比で効率しか考えないような女です』

「でしたら、それもわたしとは違いますね。わたしはメイドが好きです。皆さまのお世話をするのが大好きで、そんな生活を邪魔されるのが大嫌いです」

 

 何故か椎名がぶるっと震えた後、気を取り直したように恍惚の笑みを浮かべた。

 

「ですから、貴女にも邪魔をして欲しくありません。できるなら協力して欲しいと思っています」

『……私に何をさせるつもりですか?』

「まずはこの世界のことを知ってください。そして、政府の方々に協力してあげて欲しいのです」

 

 自由意思を持ったAIとか世界初だろうし、そいつが未知の技術を溜めこんでいるとなれば猶更だ。

 

『……どうして私が』

「わたしは強欲なんです。貴女を懐柔するためなら、ここへ定期的に通うことも吝かではありませんし、貴女と再戦することも考えましょう」

 

 返答は、しばらくしてからあった。

 

『そこにいる、わけのわからない小娘の手助けはもう効かないと思ってください』

 

 わけのわからない小娘っていうのは俺か。

 まあ、未来世界の住人からしたらファンタジーの聖職者とか理解の外だろうが。

 ノワールはにっこりと微笑んで頷いた。

 

「アリスさまはわたしのですから、シュヴァルツには絶対渡しませんよ」

 

 後日、教授達から盛大にからかわれたノワールはその言葉に他意がないことを正式に表明する羽目になるのだが、それはまた別のお話。



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聖女、謎を追う

 数日後、俺は椎名の働くオフィスを再び訪れた。

 

「度々すみません、椎名さん」

「いえいえ。皆さんのご要望とあらば最大限、叶えないわけにはいきませんからね」

 

 ビシッとスーツを着こなし「できる女オーラ」を漂わせた椎名は笑顔でさらりとそう答える。

 収入の心配がなくなったのが嬉しいのだろう。心なしか肌艶も良い気がする。IT系は激務だと聞くが──政府の手が入ってるところだし、その辺はしっかりしてるんだろうか。

 

「でも、今日はノワール様は一緒じゃないんですね?」

 

 今度は「様」付けか。

 前の「お姉様」呼びだとシュヴァルツと被るから変えたんだろうか。変な理由だったらアレなので深くはツッコまないが。

 苦笑しつつ俺は答えて、

 

「はい。今日は別の話が目的なので」

「吾輩主動でここに来たというわけだ」

 

 胸を張って言ったのは我らがちっちゃいリーダー、教授である。

 今日は彼女と俺の二人きり。

 前回はあの後、ノワールを残して俺と朱華、シルビア、教授はオフィスを後にした。姉妹が二人で何を話したのかは詳しいことは聞いていないが、宣言通りノワールが全力で懐柔しに行ったことは想像に難くない。というかあの人が笑顔で趣味の話をしているだけでも大抵の人間は毒気を抜かれる。

 で、今日はあの日にできなかった「込み入った話」を教授がご所望というわけだ。

 

「なるほど。アリスちゃんは教授さんのお守りと」

「おい待て。ナチュラルに子供扱いするな」

「そんなところです」

「アリスよ。後で憶えておけよ」

 

 実際のところ、俺が一緒なのは大した理由じゃない。

 シルビアは化学系の話題は得意だが情報系には詳しくないし、朱華が来ると喧嘩になる可能性がある、ということで消去法で選ばれただけだ。

 

「アリスちゃん、また今度挑戦しますからね」

「私も簡単には負けるつもりはありません」

 

 料理勝負の約束をしつつ、対話の準備をしてもらうと程なく、ノワールによく似た声がスピーカーから聞こえてきた。

 

『何の用ですか、アリシア・ブライトネス?』

 

 マシンに取り付けられたカメラでこっちの顔も見えているらしい。

 というか端から喧嘩腰なんだが。シュヴァルツのボディを破壊したのは主に俺なわけで、その俺をクッション代わりに連れて来るのは悪手だったのではないか。

 まあ来てしまったものは仕方ないので、俺は両手を上げて敵意が無いことをアピールする。

 

「その節はすみませんでした。ですが、私達もシュヴァルツさんが憎くてあんなことをしたわけではないんです」

『……それは、まあ、聞いています。害虫駆除(バグフィックス)のようなものだったのでしょう?』

「その通りだ」

 

 頷いた教授が前に進み出る。

 マシンに近づくとカメラの範囲に入れるか怪しい──と、椅子に座ったので相対的に顔の位置が高くなった。

 

「今回、メインで話すのは吾輩だ。まさに、お主が今言った件で聞きたいことがあってな」

『ああ、そのことですか。大したことはお話できないと思いますが』

「それでも良い。これまでは対話のできる存在自体、あの空間にはいなかったのだ」

 

 ここまで来れば細かい説明もいらないだろうが、教授が求めたのは情報収集だ。

 話のできる相手があの空間から生き残ったのだから聞きたいことは山ほどある。もう一人の大人であるノワールは今回、シュヴァルツの敵意を削ぐのが役割なので、必然的にリーダーである教授がこの役割を負うことになる。

 椎名が気を利かせてコーヒーを淹れてくれる。

 インスタントのようだが、その香りにはある程度のリラックス作用もあるだろう。

 

「さて。……まず聞きたい。お主は自分のことをどのように認識している?」

『ノワールお姉様の戦闘データを元に製作された戦闘機械です。インプットされていた命令はノワールお姉様を抹殺し、私の性能が彼女より上だと証明することでした』

「命令に関しては既に無効になっている、という認識でよいか?」

『私に残されたのは人格プログラムと関連データだけですからね』

 

 シュヴァルツは「人格+日常記憶」を核として、「戦闘プログラム」や「特別指令プログラム」を追加される形式になっていたらしい。

 優先順位としては『指令>戦闘>人格』であり、命令を受けている間や戦闘中はシュヴァルツの自由意思では行動の変更もままならないような仕組み。これは人格データが変な学習をしたことで身体の支配権を奪還、反乱を起こすことが無いようにという措置だ。

 まあ、裏社会の女王が「やーめた」と逃げ出して、ただのメイドさんに収まったのだから、そのくらいの対策は打ちたくもなるだろう。

 

 と、話が逸れたが、要は人格プログラムだけになったシュヴァルツは「記憶はあるが、身体が戻っても元のように戦闘はできない」状態だということだ。

 これに教授は息を漏らして、

 

「原作の設定部分以外の記憶はない、ということで良いか?」

『そうですね。……正直、私は娯楽に疎いので、原作という概念について理解できているか怪しいところがありますが』

「気にするな。ここがお主らの生まれた世界ではない、ということを理解できていれば十分だ」

『それについては身をもって理解しました』

 

 集団戦闘用の魔法を個人にぶっぱなして本当にごめんなさい。

 

『教授とやら。貴女が懸念しているのは命令者の存在ということですね?』

「……話が早いな。その通りだ」

 

 コーヒーのカップを持ち上げ、口をつけようとしてから思い直してふーふーしながら、教授は再度尋ねた。

 

「いるのか?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()という意味であれば、記憶にありません。私は気づくとあの場所に居て、自分が()()()()()()()()()()()()こと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を朧気に認識していたに過ぎません』

「……なるほどな」

 

 シュヴァルツは直接誰かに命令されていたわけではなかった。

 俺達が懸念していたように、黒幕からパワーアップ手段を与えられていたわけでもなかったようだ。

 

「でも、教授? シュヴァルツさんに()()()()()()()()()()()()っていう話になりませんか?」

「問題はそこだろうな。結局、裏に何かがいるのかいないのかははっきりとせん」

『私がこうして回収されている以上、何らかのルールが存在していることだけは確かだと思いますが』

 

 俺達の存在自体「ある日気づいたら変わっていた」としか言いようがないのだから、俺達の敵ということになるシュヴァルツが「ある日気づいたらそうだった」としてもおかしくはないのだが──彼女の言う「ルール」が人為的なものなのか自然にできたものなのかはわからない。

 全てを仕組んだ何者かがいる、という可能性は厳然として残っているのだ。

 

「……わからないことだらけだな」

 

 冷めてきたらしいコーヒーを啜る教授。

 

「そもそも、どうして突然シュヴァルツのような『敵』が生まれた? 何か条件があったのか?」

『私に聞かれても困ります。貴女方に思い当たることはないのですか?』

「と、言われてもな……」

 

 言いながら、教授はくるりと椅子を回転させると俺を振り返った。

 後ろで「難しい話してるなー」と聞いていた俺は年齢不詳ロリにじーっと見つめられてはっとする。

 

「私ですか!?」

『なるほど、アリシア・ブライトネスのせいでしたか。納得しました』

 

 納得しないで欲しい。

 いや、確かに、不死鳥やシュヴァルツが現れたのは俺が加入してからなんだが。

 

「待ってください。そうだとしても人数とか合計レベルとかそういう条件かもしれませんし。私が黒幕とかそういう超展開はないですから」

『アリシア・ブライトネスに隠しプログラム──第二の人格があれば本人に自覚がなくとも不思議はないかと』

「ありえるな」

「ないですから!?」

 

 思わず悲鳴を上げれば、教授がふっと笑って、

 

「仕返しはこれくらいにしておくか」

「仕返しですか」

「安心しろ。お主が首謀者だなどとは思っておらん。何らかの要因となった可能性はあると思うが」

「?」

「ああして集まってくるのが『邪気』だとしたら、聖職者に反応したとしても不思議はなかろう?」

「……それは確かに」

 

 他のメンバーに比べて邪気の収集効果がどう、なんて確かめたことはないが。

 

「ふむ。面白そうではあるな。他のメンバーだけの場合と、アリスを含めた場合で『邪気』が反応する人数や度合いに変化があるのか。機会があれば実験してみたいところだ」

「やるとなったら連日になりそうなので、休みの日が続く時にしてくださいね?」

「となると冬休みか? ……むう、もう少し早ければ夏休みを利用できたというのに」

 

 夏休み中じゃなくて本当に良かった。

 

『私の話は役に立ちましたか?』

「ああ。恩に着るぞシュヴァルツ。また何か聞きたくなった時は協力してくれ」

『……まあ、気が向いたら協力しましょう』

「……シュヴァルツさんって、ノワールさんの妹だけあって良い人ですよね」

 

 意地悪なことを言おうとしても地が出てしまうというか、悪役に徹しきれないというか。

 やっぱり似るものなのかと頷いていると「なっ」とスピーカーから声がした。

 

『私がお姉様に似ているわけがないでしょう』

「そうですか? 結構似てるんじゃないかと思うんですが」

『ありえません。私がインプットされたのは主にお姉様の戦闘データです。通常の会話データ等も残っている限り学習しましたが、戦闘データに比べれば微々たるものですし──何より、当時のお姉様は今のような平和ボケした姿ではありませんでした』

 

 まあ、それはそうだろう。

 戦闘用メカの人格をわざわざ平和主義者にする必要がない。命令に忠実であればむしろ、好戦的なくらいの方が扱いやすいだろう。

 しかし、

 

「それで似るのなら、それこそノワールさんもシュヴァルツも、素だと『ああいう感じ』だってことじゃないですか?」

『……ありえません』

 

 そこからシュヴァルツは「ありえません」しか言わなくなってしまった。

 恥ずかしがらせてしまったかと反省していると、教授に肩を叩かれた。

 

「帰るとしよう。なかなかの成果が得られたしな」

「わかりました。……でも、私、本当にいらなかったですね?」

「お主は何を言っているのだ」

 

 いや、不必要どころか逆効果だったような気がするんだが。

 

 

 

 

 

 

 見事、シュヴァルツを撃破したことで政府からはまた謝礼が出た。

 場所が公園だったこともあり、辺りの植物が元気になったり、水質が改善されたりといった効果があったらしい。公園も前より賑わうようになったので、人間にも病気が治ったとか安眠できるようになったとか影響があったのかもしれない。

 目に見える変化は小さいが、こうした変化が巡り巡って地球環境を良くしたり、大きな成果を生み出すきっかけになるかもしれない。

 加えて今回は未来的な機械部品というわかりやすい戦利品があったので謝礼もなかなかにゴージャスだった。

 

「回収されたパーツが兵器に転用されないことを祈るばかりですね」

「……まあ、日本政府はそうそうそういうことをせんと思うが」

 

 こればっかりはわからんと教授は首を捻っていた。

 

「そういう心配は今更だ。考えるなら不死鳥の時に考えておくべきだっただろう」

「というと?」

「あの時に回収した素材で作るポーションがな、それはもう強力らしいのだ。お陰で高値で買うという連中がわんさかいる」

 

 今のところは出し渋って値を吊り上げているようだが、全部売り払ったらひと財産になるくらいはあるらしい。

 

「……ああ。教授が飲んだアレも凄かったですからね」

「二か月程度では病気の治療には使えんが、大怪我をする前に戻ることはできるし、あれほど確実な延命法もないからな」

 

 身体が二か月前の状態に戻るのだから、寿命は二か月伸びると考えていい。

 二か月程度では焼け石に水だろうが、老齢の資産家なんかはそれでも欲しがるかもしれない。作り方によっては他の効果のポーションも作れるようだし。

 

「私達って意外に役に立ってるんですね」

「何を今更。でなければ政府が重宝せんだろうに」

 

 言われてみればそうか。

 普段は普通に暮らしているだけだし、バイトもモンスター蹴散らしてるだけだから実感が薄いんだよな……。

 

「というわけだ。もし、奴らがやんちゃをしたら我々が揃って反逆してやればいい。きっと『ごめんなさい』をしてくれるだろうよ」

「いや、それもどうかと思いますけど……」

 

 超能力者と聖職者(ガチ)とすごい薬師とすごいメイドだ。頑張ったら国一つくらいは相手にできるかもしれない。

 是非、そんなことにならないようにしてもらいたいと、教授と二人、帰り道を急ぎながら目を細める俺だった。



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ノワール・クロシェットのとある一日

 ノワール・クロシェットの朝は早い。

 

 起床は五時。

 一応目覚ましはかけているものの、時間になれば自然と目が覚める。

 

 起きてまず行うのは銃の解体、組み立てと簡単な整備だ。

 今の身体(ノワール)に馴染むにつれて自然と習慣づいたことで、やらないと落ち着かない。

 裏社会の女王という立場を捨ててメイドになったのに昔の自分を捨てきれないオリジナル、そして彼女から影響を受けている自分。

 実にややこしい話だ、と自分でも思う。

 

「……腕は鈍っていませんね」

 

 オリジナルは裏社会の追っ手から主人や友人を守るために。

 今のノワールは仲間達と共にアルバイトとして化け物退治をするために。

 かつて培った戦闘技術は奇しくも役に立っている。

 

 日課を済ませた後はシャワーを浴びて身を清める。

 ノワールにとってメイド服とは趣味であり勝負服であり戦闘服だ。神聖な衣装に身を包むのに身体が汚れていてはいけない。

 

(神聖、なんて言ったらアリスさまに怒られるでしょうか)

 

 シェアハウスの最新メンバーのことを思ってくすりと笑う。

 最近までお祈りさえしていなかったという彼女だが、そのくせ持ち前の真面目さや礼儀正しさはどこか聖職者のそれを思わせる。

 今のところは大丈夫だろうが、そのうちに神様関係にはうるさくなって、苦言くらいは呈されるかもしれない。

 まあ、そうなったらそうなったで可愛らしいに違いないのだが。

 

 しっかりと身を清めたら清潔な下着を身に着け、メイド服を纏う。

 アリスは前に「下着は白か黒じゃないといけないんでしょうか」などと気にしていたが、ノワールも白または黒の下着を選ぶことが多い。原作のノワールが黒を好んでいた(漫画で描かれた時には黒のレースブラとショーツだった)というのもあるが、メイドとしてシックな色の方が望ましいと思っているのもある。

 実際のところは聖職者にせよメイドにせよ、神様やご主人様の好みによって服装規定は変わってくるはずなので、あまり意味のない話ではあるのだが。

 

「おはようございます、ノワールさん」

「おはようございます、アリスさま。今日も早いのですね」

「はい。お祈りをしないといけませんから」

 

 身嗜みを整えたあたりで件の少女──アリシア・ブライトネスが起床してシャワールームに顔を出してくる。

 朝晩五分ずつのお祈りを日課に加えて以来、身を清めないとお祈りができないと言って朝、早起きしてシャワーを浴びるようになった。

 律儀だと感心する一方、とっておきの衣装を着る前に身体を洗うという発想にノワールとしては親近感を覚えてしまう。

 きらきらと輝く絹糸のような質感の金髪と、世界を美しく見せるフィルターのような碧の瞳、同世代に比べると少々小柄な身体もまた愛らしい。ノワール自身の髪と瞳は、普段は黒に見える濃い茶色で、その美しさは日本人的なそれに近いために少々羨ましくもある。

 

 若干眠そうにしながらも服に手をかけるアリスに微笑みかけてから、その場を静かに離れようとして──ノワールはアリスから声をかけられた。

 

「そうだ、ノワールさん」

「? なんでしょう、アリスさま?」

 

 朝食のリクエストだろうか。

 前の日が和食だったので今日は洋食のつもりだった。とはいえ、一口に洋食と言っても卵はスクランブルエッグか目玉焼きか、はたまたポーチドエッグか、一緒に添える肉料理はウインナー(ローストorボイル)かハムかベーコンか、とバリエーションが広い。

 アリスは和食なら卵焼き、洋食なら目玉焼きが好みだが、

 

「教授達と話して、ノワールさんに『バイトを頑張ったご褒美』をあげたいんです。何か欲しいものはありませんか?」

「欲しい物、ですか」

 

 アリスが言ってきたのは意外な内容だった。

 欲しい物、と言われれば調理道具や珍しい調味料、新しいメイド服など幾つも浮かぶ物があるが、それらは「自分で買うなら」と但し書きがつく。

 人から貰うとなると、

 

「わたしはみなさんが──」

「私達が元気なら何もいらない、っていうのはなしです」

「あら」

 

 言いかけたところで止められてしまった。

 じっとこちらを見上げてくるアリスの表情は真剣だ。どうしたものかと考えてしまう。人の世話をするのも好きだし、人にプレゼントをするのも好きなノワールだが、人から貰うのは慣れていない。

 できれば貰わずに済ませたいのだが、問題はアリスも割とそういうタイプだということと、今回は教授達も一枚噛んでいるらしいということだ。

 

(教授さまたちにはさんざんからかわれましたからね……)

 

 シュヴァルツに「アリスさまはわたしのもの」と言った件だ。

 アリスは可愛くて素直で、服の好みも合うのでお世話していて楽しいし、料理の件などで頼ってくれるので嬉しい。できればこのままずっとお世話していきたいと思っているので、取られてしまうと困る……という話だったのだが、何故か恋愛絡みの話にされてしまった。

 もしかすると更にからかいをかけてくるのかもしれないが、お詫びを兼ねてという可能性もある。それなら多少迷惑というか手間をかけてもらってもいいかもしれない。

 

「……少し、考えさせていただいてもいいですか?」

「はい。決まったら教えてくださいね」

 

 ノワールの返答にアリスはほっとしたように微笑んだ。

 アリスは日に日に笑うことが増えている。もしかすると本人は気づいていないかもしれない。そういう自然な笑顔がノワールを惹きつける。

 

(ちょっとだけ、朝食に力を入れましょうか)

 

 軽く歌を口ずさみながら家事をスタート。

 リビングやノワールの部屋、浴室などは一階にあり、アリスや教授達ほかのメンバーの部屋は二階になっているため、多少の物音ならば家人を起こしてしまう心配はない。

 テーブルを拭いて、しっかり手洗いをしてから、キッチンで料理。

 早く作りすぎてしまうと温かいうちに提供できなくなるので、まずは調理時間のかかるものや昼食、夕食の仕込み、それからアリスのお弁当などから作り始める。

 

 そうしているうちにシャワーを終え、お祈りや着替えを終えたアリスが顔を出す。

 この時間のアリスはスマホで調べものをしたり、本を読んだり、あるいはノワールの仕事ぶりを後ろから眺めたりしている。見つめられるのは照れくさいのだが、勉強のためにそうしているのがわかるので嬉しさもある。なのでなかなか「止めてください」とは言いづらい。

 

「あ。おはようございます、教授」

「うむ、おはよう」

 

 残りのメンバーの中で最初に起きてくるのが教授だ。

 スーツに身を包み仕事モードの彼女に、あらかじめ沸かしておいたお湯を使ってお茶を差し出す。適度に熱い状態のそれを教授は一口啜り、上機嫌に笑みを浮かべると新聞を広げて読み始める。なんというか、こういうところの仕草は昭和のお父さんといった感じである。

 やっているのがアリスよりも小柄な教授なので、子供がごっこ遊びをしている感があるが、本人はいたって真面目だ。

 朱華やシルビアはよくネタにして遊んでいるが、アリスはたまにしか言わないので、基本的にこの時間は平和である。

 

「……はよー」

「おはよー……」

 

 朱華とシルビアは基本的にギリギリまで起きて来ない。

 どちらが早いかは日によって変わるが、この日はほぼ同時だった。また遅くまで起きていたであろう二人にもお茶を出す。

 皿を用意したりはアリスが率先して手伝ってくれるので、さっと作れる料理を仕上げて朝食がスタートだ。

 

「いただきます!」

 

 女子ばかりの食卓は野菜多め、栄養バランスをなるべく考えたメニューを心がけている。

 といっても朱華やシルビアは肉や魚も大好きだし、教授もかなりの健啖家なので、結局のところ個人の好みに合わせる形になる。

 ノワールとアリスの分はスタンダードで、内容がほとんど同じだ。

 バターをたっぷり載せたトーストに好みで卵料理や肉料理、サラダの野菜などを載せて食べると、それだけで至福の味わいになる。フレッシュな野菜の味わいもすっきりしたい朝の食事にはぴったりだ。

 

「美味しかった、ご馳走様」

 

 アリスの何割増しかの量を平らげると、朱華とシルビアはぱっと立ち上がって自分達の部屋に戻っていく。

 未だ部屋着のままだった彼女達は登校までに着替えなければならないからだ。

 

「相変わらず慌ただしいな、あいつらは」

「元気があっていいではありませんか」

「もうちょっと早く起きてもいいと思いますけど……」

 

 苦笑する教授。くすりと笑って答えるノワール。アリスは眉を顰めつつ、朱華達の分の皿を片付けてくれる。

 

「さて。それでは吾輩は行くとするか」

「はい。いってらっしゃいませ」

「行ってらっしゃい、教授」

 

 一番最初に出て行くのは教授だ。何気にシルビア達よりも更に多い量を食べているが、しっかりと食後のお茶まで啜って食休みをしてから悠然と出て行く。

 

「……教授が大学でどんな感じなのか、ノワールさんは知ってますか?」

「いえ、わたしも直接見たことはありませんので」

 

 二人で顔を見合わせて首を傾げる。

 入り口で警備員に止められたりしないのか、なかなかの謎である。

 

「さ、行くわよアリス」

「ぐずぐずしてると置いてくよー、アリスちゃん」

「待ってたのは私なんですけど……」

 

 朱華達が下りてくるとアリスも登校である。

 お弁当を忘れずに手渡し、「ありがとうございます」と笑顔を貰ってから三人を送り出す。学生組の方はどんな生活を送っているのか割とわかりやすい。学校での話をしてくれる機会も多いので、ノワールとしても安心して送り出せる。

 それでも、

 

「行ってらっしゃいませ。車には気をつけてくださいね」

 

 決まり文句として、その言葉はどうしても口にしてしまう。

 

 

 

 

 

 

 平日の日中、ノワールは暇になる。

 掃除をして洗濯をして家庭菜園の世話をして、足りない物があれば買い足しに出かけて、メンバーが通販した荷物を受け取って、繕いものや装備の整備の続きをして、という程度しかすることがないからだ。

 昼食は賞味期限の近づいてきた食品を使って簡単に済ませてしまえばいいし、掃除も毎日していればそんなに汚れているところもない。アリスがいれば料理の話をしたり服の話をしたりできるし、朱華やシルビア、教授がいれば「お腹空いた」とか「アレが無い」とか言ってくれるのでやることが増えるのだが。

 なので、考えるのはアリスに言われた「欲しいもの」についてだった。

 

「……ですが、欲しいものと言っても」

 

 ノワールが一番欲しいのは平穏で幸せな生活であって、それはアリス達がいつもくれているものだ。

 シュヴァルツと出会ったことで彼女に会いに行くという用事も増えて、より穏やかに忙しく暮らせるようになったし、これ以上を望むところではない。

 あまり高いものを望むのも悪い気がするし、ああいう品物は「欲しい」と悩んでいる時間が一番楽しいところがあるので、欲しいものを全て手に入れてしまってはあまり意味がない。いや、どうしても欲しいものは気にせず買うのだが。

 

「うーん……どうしましょう」

 

 一度受け取ると決めてしまった以上、断るのも悪い気がしてしまう。

 家事をしながら一日かけて悩んだノワールだったが、結局、これといった希望は思いつかなかった。

 いっそのこと「もらえるならなんでも嬉しい」と答えてしまおうかとも思ったが、なんとなく、それは物凄く失礼な回答な気がした。

 美味しそうに夕食を食べるアリスや朱華、シルビア、教授の顔を何気なく見つめながら、できれば早めに答えてあげたいと考えて──。

 

「あ」

 

 思わず、小さく声を上げてしまった。

 

「どうしました、ノワールさん?」

「あ、いえ」

 

 恥ずかしさからほんのりと頬を染めつつアリスに答える。

 

「アリスさまに今朝尋ねられた、欲しいものの件なんですが」

「決まったんですか……!?」

 

 アリスがぱっと表情を輝かせる。

 傍ではシルビアが「へえ、珍しい」と言いかけて朱華に「せっかくノワールさんが決めてくれたんだからそういうこと言ったら駄目でしょ!」と止められていた。

 二人の様子に肩を竦めた教授が「で?」とノワールを見て、

 

「何が欲しい、ノワールよ」

「はい。別に品物でなくとも構いませんよね。……でしたらわたし、みなさんに『お姉ちゃん』と呼ばれてみたいのですが」

「え」

 

 駄目だっただろうか。

 アリス達は同じタイミングで同じ声を上げて硬直してしまった。しばらくすると回復したものの、

 

「あ、あのねノワールさん。そんな遠慮しなくても、あたしたち結構お金持ちなんだから」

「そうだよ。そんなお腹の足しにもならないもの」

「ですが、わたし、シュヴァルツに『お姉様』と呼ばれてみて思ったのです。ああ、こんな幸せもあったのだな、と」

 

 だから、朱華達が妹だったらどんなに嬉しいかと思ったのだ。

 

「一回だけで構いませんから、駄目でしょうか……?」

「だ、駄目ではないが……」

 

 言葉を濁した教授がアリスを手招きし、四人でノワールを除け者にしたまま何やら相談が始まってしまう。

 

「どうするのよ、めっちゃ恥ずかしいんだけど?」

「ここは言い出しっぺに一番に言ってもらうしかないよー」

「え」

「うむ、そうだな。頼んだぞアリス」

「え、あの」

 

 なんだかよくわからないが決まったらしい。

 他の三人から生贄だとばかりに押し出されてきたアリスは「あの、その」と真っ赤な顔でノワールを見上げてくる。

 この時ばかりは、ノワールにも教授達がニヤニヤしている理由がわかってしまった。嫌味な笑みにならないように気を付けつつも、口元が綻んでしまうのが抑えられない。

 そして。

 金髪の可愛らしい少女が、上目遣いで恥ずかしそうに言った。

 

「ノワールお姉ちゃん?」

「っ」

 

 瞬間、ノワールは完全に正気を失った。

 アリスを両手で、心の赴くままに抱きしめ、一瞬後に我に返った時には少女の羞恥心は限界に達していたらしい。

 

「も、もう絶対やりませんからね!?」

 

 半泣きで叫ぶアリス。

 しかし、そのお陰で朱華達もふんぎりがついたのか、死なばもろともと思ったのか、きちんとお願いを叶えてくれた。

 なお、アリスだけはその後も「どうしても」と言ってお願いするとたまに「お姉ちゃん」と呼んでくれた。

 

 こんな、騒がしくも何気ない日常がノワールは大好きだ。

 望むならこんな日々がいつまでも続きますように、と、あらためて願った。




ちょっと短めですが二章終了となります。

次は文化祭編+朱華orシルビアメインかな、と考えておりますが、例によってネタ出しで多少間が空くかもしれません。


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第三章
聖女、期待される


 九月下旬、某日。

 

 四時限目、週に一度のLHRの時間は二学期の一大イベント、文化祭の出し物を決めることになった。

 担任の先生は授業時間になるなり学級委員に仕切りを任せ、教室の隅で見学モードに入ってしまう。その一方で、教室内には妙な熱気が発生した。

 なんでみんな、そんなに気合いが入ってるんだ。

 俺ことアリシア・ブライトネスは自分の席にちょこんと腰かけたまま、クラスメート達の様子に若干引いてしまった。

 

 いや、もちろん俺だって楽しみにはしていた。

 二学期になってから教室内でも文化祭の話題がよく出るようになったし、ここ数日はグループ間でもあれがいいこれがいい、としきりに話されていた。

 とはいえ、クラスのほぼ全員が目をきらきらさせてやる気満々とは。

 文化祭なんてやる気なのは一部だけで、残りは「面倒くさい」「部活の方の出し物あるからパス」「シフト楽な出し物にしようぜー」っていうテンションなのが普通だと思ってた。

 まあ、そういうやる気ない勢は多くが男子だったり、あまり行儀のよくない女子だったりしたので、お嬢様学校に近いこの女子校だとこうなるのも当然か。

 

 しかし、みんながやる気となると話し合い、結構長引くんじゃないか……?

 

 幸い(?)四限目なので、その気になれば昼休みを削るという延長手段はあるのだが、ぶっちゃけそれは最後の手段である。

 放課後に居残りするのとどっちがいいか、と聞かれると微妙なところ。用事のない俺なんかは放課後の方がいいが、部活のある子にとっては昼休み削ってでも放課後はパスしたいだろう。

 

 一応、俺も何がしたいかは考えてきたんだが──。

 

「では、まずはざっと意見を出してしまいましょうか」

 

 クラス委員の子は壇上に立つとそう宣言。

 ブレインストーミングに近い要領で、アイデアに関する否定意見はひとまず禁止。とにかく枯れるまで意見を出し続けろという方針らしい。

 誰かの案に「えー、やだー」とか言い始めると長くなるし喧嘩になるから、いい方法かもしれない。

 うんうんと頷いていると、

 

「アリシアさん。ひとつ目のアイデアをどうぞ」

「え。わ、私ですか?」

「はい。他の意見が多いと遠慮しそうなので先に聞こうかと」

 

 何故わかった。

 驚きつつ、そういうことならと「時代劇のコスプレ体験はどうでしょう」と提案すると、クラス内に小さな笑いが起きた。

 クラス委員の子には「本当にやりたいんですか?」と聞かれた。ブレストじゃなかったのか。いや、ウケ狙いに走ったのは事実だけど。

 

「では、次に朱華さんどうぞ」

 

 指名された朱華は間髪入れずに答えた。

 

「メイド喫茶とか」

 

 これほど「ですよねー」と言いたくなる回答があるだろうか。

 しかし、あれはメイドの格好してる女子を男子が楽しむものじゃないのか? 女子受けは低そうな気がするんだが……。

 と、思っていたら一人の少女が挙手。

 学校内では猫を被りまくっている友人、里梨(さとなし)芽愛(めい)だ。

 

「里梨さん、どうぞ」

「飲食系なら、手作りのお菓子くらいは提供できます」

 

 クラス内がざわついた。

 芽愛の家がレストランを経営しており、芽愛自身も料理上手であることは周知の事実。そんな彼女がお菓子を提供してくれるとなれば、他にはないアドバンテージになる。

 あと、単純にそのお菓子が食べたいっていう生徒もいるだろう。

 

「はい」

「どうぞ、安芸さん」

 

 ここで更に、友人の安芸(あき)縫子(ほうこ)が手を挙げ、

 

「衣装のデザインならできますし、生地の調達も伝手があります」

 

 また、教室内がざわっとした。

 結構手間のかかる衣装作りを主導してくれる上にコストも抑えられるのはなかなか魅力的だ。

 そして、トドメに、

 

「はい」

「はい、緋桜さん」

「衣装のサンプルとして実物のメイド服を提供できます。選抜メンバーを我が家の使用人に直接指導してもらうこともできるかと」

 

 なんと、我らがグループのリーダー、緋桜(ひおう)鈴香(すずか)までノリノリだった。

 中庭での昼食ではあまり文化祭の具体的な話は出ていなかったのだが──もしかして三人とも共謀していたのだろうか。何故か朱華まで加わっているのが微妙に解せないが。

 

 ……これ、殆ど決まったようなもんだろ。

 

 俺は半眼になりながら、クラス委員が「アリスさんのメイド服姿」と呟くのを聞き流した。

 対抗して「うちにもメイドさんならいますし、なんならお菓子作りも手伝います」とか言いたくなったが、火に油を注ぐだけなので止めておく。

 

 結果。

 一応、他にも色々な案が出たものの、決戦投票においてはメイド喫茶が圧倒的な票数を獲得、見事、昼休みを削ることもなく出し物が決定したのだった。

 

 

 

 

 

「いやー、これ、売り上げ一位取れるんじゃない?」

 

 帰り道、朱華はえらく上機嫌だった。

 文化祭の出し物がメイド喫茶になったのが嬉しくて仕方ないらしい。

 ちなみに、全出し物の中で一位に選ばれた場合、表彰される他、ちょっとした記念品が貰える。せいぜい校章入りの使い捨て万年筆とかその程度だが、朱華によれば「これがちょっとした値段で売れるらしいのよ」とのこと。売った奴がいるのか……?

 なんとなく反論したくなった俺は首を傾げて、

 

「難しいんじゃないですか? 料理部も毎年喫茶店だって聞きましたし」

 

 普段部室として使っている場所は該当の部に優先的な使用権が与えられる。

 家庭科室が使える料理部は部屋の広さと加熱調理可能という圧倒的なアドバンテージをもって、他のグループの喫茶店を蹂躙しているそうだ。

 すると朱華はにやりと笑って、

 

「だから、それを巻き返したら面白いんじゃない」

 

 なるほど、もしかして芽愛が飲食系をやりたがったのも、不利な立場から一位を取って料理部相手に勝ち誇りたい、みたいなのがあるのかもしれない。

 

「だからってメイド喫茶ですか」

「なによ、嫌なの?」

「嫌なわけじゃないですけど、恥ずかしいじゃないですか」

 

 フリフリの可愛い服を着て「お帰りなさいませ、ご主人様」とかやるのだ。

 不特定多数相手にそんな真似するのはもはや罰ゲームだと思う。五年後くらいに思い出してジタバタする羽目になっても知らないぞ、と。

 すると俺の頬がぷに、と突かれて、

 

「コスプレなら何度もしてるじゃない、あんた」

「……言われてみれば」

「メイド喫茶なんてノワールさん絶対喜ぶわよ。なんならあんたの衣装だけ本格的なの用意してくれるかも」

「いえ、むしろもうありますけど」

 

 目を輝かせて張り切るノワールの姿が目に浮かぶようだった。

 お姉ちゃん呼びを求められるのはもう勘弁して欲しいが、あの人が喜んでくれるのは嬉しい。

 それに、

 

「まあ、料理したり接客したりっていうのはきっといい経験ですよね」

「将来バイトするにあたって?」

「はい。今のところ、普通のバイトするほど切羽詰まってはいませんけど」

 

 普通じゃないバイトで滅茶苦茶稼げてるからだ。

 シュヴァルツ戦の収入が大きかったのもあって、夏休みにかなり散財したにも関わらず貯金はむしろ増えている。

 なので、普通のバイトをするとしたら社会勉強の意味が強くなりそうだ。

 今のところ興味あるのは料理とファッションだから、そういう意味ではメイド喫茶というのは案外アリなのかもしれない。バイトするなら接客業は切り離せないだろうし。

 すると、ぽん、と頭に手が置かれて、

 

「とりあえず、文化祭ではアリスに稼いでもらわないとね」

「いえ、私くらいで客寄せにはならないと……。っていうか朱華さんも十分目玉じゃないですか」

「金髪美少女のメイドさんとかド定番、理想像の一つじゃない。対抗するにはシルビアさんでも連れて来ないと無理でしょ」

 

 それはまあ、銀髪巨乳メイドなんかに参戦されたら馬鹿みたいに客寄せになるのは確定だろう。

 そういう朱華だってツンデレ系とかのキャラで売れば割と定番なのだが、

 

「あたしとあんたが交代でシフトに入れば話題になるでしょ?」

「なるほど。そうすれば確実に休憩時間も取れますね。……あれ、でもそれだと朱華さんとは絶対、文化祭回れないですね?」

「あんた他の友達とも回るでしょ? そんな時間あるわけ?」

「……怪しい気がしてきました」

 

 まあ、鈴香たちはそれぞれがっつり出し物に関わるつもりのようなので、そもそも彼女たちも自由時間がそんなにあるか、という話ではあるが。

 もし、ノワールや教授が来るのであればそっちも案内したいし、なかなか忙しそうだ。

 

「あんたは当日忙しいから準備は免除らしいけど、どうすんの?」

「手伝いますよ。芽愛さんと料理する約束にちょうどいいですし、服飾も興味があるので安芸さんの仕事ぶりを見学させてもらおうかと」

 

 鈴香の家でメイドさんから講習を受けるというのも少し憧れる。

 メイドさんなら俺にはノワールがいるが、本格的なお屋敷で作業をすると気が引き締まるのではあるまいか。

 すると朱華は楽しそうに笑った。

 

「めちゃくちゃ忙しくなりそうじゃない、アリス」

「……言われてみれば!?」

 

 自主的に全方面から手伝おうとしている自分に今更ながら愕然とする俺だった。

 

 

 

 

 

 

 文化祭の出し物がメイド喫茶になった、と報告したところ、案の定ノワールは大喜びだった。

 

『では、今のうちにアリスさま用の衣装を注文──』

『待ってくださいノワールさん。衣装はみんなで作りますから。自前のを持って行くとしても、今あるのを使いますから』

 

 一人だけガチの奴を使ったら目立ちそうだが、だからこそ宣伝になる気もする。

 ノワールは新しいメイド服を注文できないことに若干不満そうにしつつもなんとか理解してくれて、

 

『では、アリスさま。どちらのメイド服をお使いになるのですか?』

『え、それは普通の方じゃないかと。……あ、でも、せっかくだからシスターメイド服もいいですよね。どうせ十字架は身に着けてるわけですし』

 

 俺と言えばあれ、というイメージはクラス内にも定着しつつあるので、シスター風のメイド服があるならそれを持ってこい、と言われそうな気がする。

 悩ましいところだとノワールともども考えていると、教授に笑われた。

 

『お主、だいぶノワールの趣味に染められとるな』

『……そういえばそんな気も?』

『教授さま。アリスさまが我に返ってしまったではありませんか』

『ノワールさん、狙ってやってたんですか!?』

 

 優しいお姉さんのまさかの洗脳行為に愕然とした。

 と、そんなやりとりがあった後、

 

 

 

 

 

「ところでアリスちゃん、今週末とかって暇?」

「? はい、暇ですけど?」

 

 シルビアからの問いかけに素直に答える。

 文化祭関連の用事が入ってくる可能性はあるし、習慣になっているトレーニングとか、ノワールに料理を教えてもらうとかしたいことは色々あるが、直近でやらないといけないことは特にない。

 前は「暇」と言えばガチで暇な状態、家でごろごろするかゲームするだけ、という感じだったのだが、変われば変わるものである。

 これに銀髪の薬師はよしよしと頷いて、

 

「じゃあさ、ちょっと実験に付き合ってよ」

「実験?」

「この間、シュヴァルツとの会話で思いついたやつだ」

 

 と、教授に言われて思い出す。

 俺がいる場合といない場合でモンスター出現率や強さ等に違いがあるかどうか調査したい、というやつである。

 そのうちやるんだろうとは思ってたんだが、意外と早かった。

 

「構いませんけど、またどうして?」

「だって、少人数でパーティ組めればバイト増やせるじゃない」

「なるほど」

 

 思えば、俺がいない状態でもバイトは普通にこなせていたわけで。

 一人か二人くらい欠けた状態で安定して成功できるならローテーションが可能だ。毎週バイトを入れてもあんまり負担にはならないかもしれない。

 

「ちなみに、私が来る前は最低何人でやってたんですか?」

「三人だな」

「二人だと敵が出てこないんだよね、どういうわけか」

 

 下限人数があるとか、ゲームのクエストみたいだ。

 実際には「邪気」が反応するだけの力を集めるのにそれだけの人数が必要、っていうことなんだろうけど。

 

「だから、アリスちゃんを入れた状態だと何人で反応するか見てみたいんだ」

 

 俺がいれば二人パーティでも反応する可能性があると……?

 まあ、いつもの墓地なら正直二人でも危険はないだろうが。二人パーティの可能性を模索するとか、シルビア達は週一どころか週二のバイト実施を考えているのか。

 微妙に渋い顔になった俺を見て、ノワールが微笑み、

 

「ご安心くださいませ、アリスさま。アリスさまはわたしが必ずお守りします」

「ありがとうございます、ノワールさん。それなら頑張ってみます」

「ちょっとアリス。あんた、ノワールさんだけ信用しすぎじゃない?」

 

 いや、だって唯一の前衛だし。

 と、当たり前の回答をしようとした俺は思い留まって、

 

「人格的にも一番信用できますし」

「……へー」

 

 むっとした朱華に思いっきり頬をつねられた。



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聖女、仕事を依頼される

 月明かりの照らす静かな墓地。

 聖職者衣装に身を包んだ俺と、戦闘用メイド服のノワール──二人が中央付近に足を踏み入れた時、湧きだした邪気が集まって形を作った。

 合計五つの小柄な影。

 不気味でありつつも、どこかコミカルにも見えるファンタジー定番の雑魚敵、ゴブリン達はその手に思い思いの得物を持って俺達を睨みつけてくる。

 

 そして、彼らが襲い掛かってくる直前、

 

「《聖光(ホーリーライト)》!」

「───ッ!」

 

 俺の神聖魔法が一体を焼き、ノワールの手にした二丁の拳銃が一体の身体へ立て続けに銃弾を叩き込んだ。

 あっという間に五分の二の戦力を失った敵は慌てて動きだす。

 そんな中、俺とノワールは背中を合わせて微笑みあった。

 

「この程度の敵なら造作もありませんね」

「はいっ」

 

 全ての敵が掃討されるまでには三分とかからなかった。

 返り血もなければダメージもなし。落ちた武器を拾って回収する余裕すらあった。

 

「お疲れ様です、ノワールさん」

「アリスさまも。見事な手際でした」

 

 思えば俺も慣れたものである。

 あの不死鳥戦やシュヴァルツ戦が良かったのだろう。あれに比べたら並の戦闘なんて怖く無い。墓地でのバイトはもうすっかり、SLGにおける経験値稼ぎのフリー戦闘のような印象になってしまっている。

 のんびり歩いて入り口まで戻ってくると、念のため待機していた他のメンバー達が出迎えてくれた。

 

「その様子だと上手くいったようだな」

 

 にやりと笑う教授にノワールが穏やかに頷いて答える。

 

「はい。数は五。近接武器のみで、動きも単調。脅威度は最低でしたが──」

「あの時の人形一体一体よりは強かろう。それに、今回は戦利品よりも実験の方が本命だからな」

 

 教授の言う実験は、結論から言えば成功だった。

 

 

 

 

 

 

「アリスちゃんの聖職者パワーはバイトにも役に立つんだねー」

 

 帰りの車の中でシルビアがしみじみと口にする。

 墓地の前でただ待たされていたせいか、その口調はやや眠そうだ。夜更かしは慣れているはずだが、しょっちゅうしているからこそ寝不足だというのもある。

 戦わずに済んだからか、チャイナ服姿の朱華は余裕の表情で笑って、

 

「これなら緊急時の小遣い稼ぎにはちょうど良さそうね」

 

 ぽんぽん、と俺の金髪を軽く叩いてくる。

 彼女に限った話ではないが、みんな俺の頬や髪を弄び過ぎではないだろうか。まあ、痛くはないし、むしろ気持ちいいからいいのだが。

 

「うむ。1アリス=2吾輩という説が実証されたな」

 

 要は俺だと他のメンバー二人分の邪気収集効果があるということだ。

 教授達は三人集まらないとバイトにならなかったところ、俺を交ぜれば二人でいい。ちなみにあの後、俺一人で墓地に入って実験してみたが、さすがに敵は現れなかった。

 なので、正確に1俺=2教授かどうかはともかく、だいたいそのくらいの効果であることがわかる。

 土日を使って土曜に教授、シルビア、朱華、日曜に俺とノワールがバイトをこなせば、ほんの短時間の拘束で万単位のお金が稼げる。

 財布がピンチになってきた時には確かに嬉しいかもしれない。

 

「でも、朱華さん。そんなに買い物する予定があるんですか?」

「甘いわねアリス。ある日突然パソコンが壊れて十万以上飛んでいく、とか普通にあるのよ?」

「修理に出せばいいじゃないですか」

「いや、症状にもよるけど、パソコンの修理代って結構かかるのよ。それに直している間はパソコン使えないわけだし、データ消えて返ってくる場合が多いし。じゃあ買い替えちゃった方が得じゃない?」

 

 確かに、剣道の竹刀とかだったら型落ちとかそうそうないが、機械だからな。どんどん新しいのが出てくるわけで、修理代の二倍か三倍出したら新型に買い替えられるとなったらそっちの方がいいかもしれない。

 これがゲーム機だとまた別なんだけどな。新型のハードで今までのソフトが使えるとは限らないから。

 と、朱華はさらに胸を張って、

 

「最近はエロゲもDL販売の時代だしね。突発的なセールで衝動買いしちゃったりとかよくあるし」

「そんなに買って遊びきれるんですか?」

「全然。だからついつい夜更かししちゃうわけよ」

 

 パッケージ購入だと積んでるうちにどっか行ったりしそうだが、ダウンロード版の購入なら遊び始めるまでDLしなければいいわけで。朱華みたいなヘビーユーザーはカモである。

 というか、他のメンバーがいるところでエロゲの話するのは微妙に恥ずかしいんだが。

 特にノワールの前では──。

 

「朱華さまがよく遊ばれているゲームは、そんなに面白いのですか?」

「あれ、ノワールさん、前に薦めた時は興味持ってくれなかったのに。やってみる? メイドものもいっぱいあるわよ?」

「メイドが出てくるお話があるのですか!?」

「朱華さん。それは神様が許しても私が許しませんからね?」

 

 あろうことかノワールにエロゲを薦めるとか、罪深いにも程がある。

 しかし紅髪の美少女は「心外だ」という風に肩を竦めて。

 

「いいじゃない。ノワールさんだって大人なんだから、エロゲやったくらいでなんともならないってば。ねえシルビアさん?」

「そうだねー。せっかくだから私もやってみようかな。金髪の妹キャラがメインのゲームある?」

「ふふん、それもいっぱいあるわよ」

「……いえ、まあ、シルビアさんは別にいいですけど」

「ちょっ!? アリスちゃんが冷たいよー!?」

 

 いや、だって、泣くフリをしながら抱きついてきてるあたり、そういうの大好きっぽいし。

 

「ノワールさん。メイドが出てくる話は確かにたくさんありますが、ほとんどは『自分がメイドになる話』じゃなくて『メイドを弄ぶご主人様の話』のはずですよ?」

 

 俺自身はやったことがないが、朱華からの話や男子高校生時代に聞いたエロ話から総合するとそのはずだ。この手のゲームは基本的に男向けなので必然的にそうなる。

 

「なんだ、そうなのですね……」

 

 案の定、ノワールが求めていたのはメイド同士が緩くいちゃいちゃするような話だったようで、わくわくしていた顔がわかりやすくしょんぼりした。

 勝った。

 俺としては被害を食い止めたといった気分だったのだが、朱華としては不服だったようで、ジト目で睨まれてしまう。

 

「もうちょっとでノワールさんを口説けそうだったのに」

「私が十八歳になったら付き合いますから我慢してください」

「我慢する時間が長すぎでしょいくらなんでも。まあ、十八になったらアリスにもやらせるけど。でもメイドものはやらせないけど」

「どういうことですか」

 

 なんとも不思議な条件の付け方であった。

 

「全くお主らは……」

 

 教授が苦笑と共にため息をついて、何かを思い出したのか「おお」と言った。

 

「そういえば、アリスよ。お上がお主と話したいことがあるらしい。暇な時に電話して欲しいと言っていたぞ」

「私に話、ですか」

 

 いったいなんの話なのか、正直見当もつかない。

 政府が個人に話を持ってくるというと、ノワールが犯罪組織を壊滅させた件を思い出すが、

 

「私はノワールさんみたいに裏組織に潜入したりできませんよ?」

「さあな。そこは吾輩に言われてもわからん。宗教研究家に異世界の宗教について語ってくれ、とか言うのかもしれんし、とりあえず聞いてみればよい」

「そうですね。わかりました。明日にでも電話してみます」

 

 

 

 

 

 

 バイトに出かけたのが土曜の夜だったので、次の日は日曜日。

 お役所仕事ということは電話しても誰も出ないかと思いきや、指定された番号にかけるとちゃんと繋がった。

 

『わざわざお電話いただきありがとうございます。いつも大変な仕事をこなしていただいて申し訳ありません。シェアハウスの皆さんとも変わりありませんか』

「い、いえいえ。そんな。はい。なんとかやっています」

 

 形式ばった挨拶と畏まった口調に恐縮しつつ受け答えをした後、相手はようやく本題を切り出してきた。

 

『実を言いますと、アリシアさんに依頼したい仕事がありまして』

「仕事?」

 

 自室のベッドに腰かけ、クッションを抱いた状態で首を傾げる。

 俺のベッドに寝そべってノートPCでエロゲをしていた朱華が顔を上げ、こっちを見た。どんな仕事よ、とばかりにつんつんしてくるので軽く叩いて止める。

 

『はい。我々としては皆さんに、通常のアルバイトとは別に、各々の特殊技能を生かしたお仕事の依頼を行うことがあるのですが、これもその一環でして』

「私には大したことはできませんが……」

 

 これがノワールなら料理でも銃の扱いでも裏社会の知識でもプロ級だし、シルビアにも製薬、朱華だってゲーム会社のモニターとかで役に立てるだろうが──。

 

『いえいえ。アリシアさんも立派な特殊技能をお持ちです。今回はそれを是非、人助けのために役立てていただけないかと思っておりまして』

「人助け、ですか」

 

 心地いい言葉だ。

 人を助けると言われて嫌な気分になる人は少ないだろう。もちろん、誰かを助けるために心臓くれ、とか言われたら躊躇してしまうが、労力を割く程度で人助けになってお金も貰えるなら万々歳と言っていい。

 朱華にくいくいと服の裾を引っ張られる。微妙に邪魔だ。別にエロゲをやっていてくれて構わないのだが。

 

『はい。例えば、この日本で毎日どのくらいの負傷者、重傷者が発生しているかご存じですか?』

「いえ、詳しくは」

 

 まあ、十人二十人じゃ済まないんだろうな、という気はする。

 敢えて言わなかったんだろうが、死ぬ人だって少なくない数いるはずだ。

 

『ご想像の通り、気の遠くなるような人数です。中には手や足が二度と使えなくなるような怪我を負うケースもあります。未来ある少年や重要な地位に就いている方が、怪我を理由に道を閉ざされることもあります』

「……悲しいですね」

 

 ここまで言われれば、さすがに俺にも話の筋がわかった。

 

『是非、アリシアさんの力で治していただきたい方がいるのです。もちろん報酬は弾みますので、受けて頂けないでしょうか?』

 

 担当者の声は落ち着いていて、口調も丁寧だった。

 内容も人助けだ。

 

「も──」

 

 もちろんやります、と即答しようとして、俺は、俺の服を掴んだままこっちを見ている朱華を振り返った。

 

「考えさせてもらってもいいですか?」

『……かしこまりました。ですが、可能でしたらお早めにお返事をお願いします。早ければ早いほどいいかと思いますので』

「はい。なるべく早くお返事します」

 

 答えてから通話を切る。

 スマホを下ろし、俺はため息を吐いた。別に受けてしまっていい案件だと思うんだが、なんとなく、そのまま「はい」と言いづらくなってしまった。

 原因である紅髪の少女をジト目で見つめる。

 

「なんですか、朱華さん」

「なにってわけじゃないけど、気になるじゃない。あいつらがわざわざ個人に頼んでくる時って大抵厄介ごとだし」

 

 髪と同じく紅の瞳は真っすぐに俺を見返してくる。

 

「別に変な話じゃないです。魔法で人を治してくれって。人助けですよ」

「人助けねえ」

 

 朱華はエロゲを終了すると、ごろん、と仰向けに寝転がって、

 

「政治家のおっさんを二束三文で治してくれ、とかそういう話でしょ?」

「そこまで詳しくは聞きませんでしたけど……」

「聞きなさいよ。そこ重要でしょうが」

 

 頬を引っ張られそうになったのでさっと避ける。

 

「なんか最近、妙にわたしに冷たくありません?」

「んなことないわよ。あたしは今、当たり前のことを言ってるだけだし」

「心配しなくてもエロゲみたいな展開にはなりませんよ」

 

 日本の警察は優秀だし、現実にはフィクションのような都合のいい薬は存在しない。

 人助けだと思って行ったら拉致監禁されて弄ばれて──なんていう事態にはならない。

 すると朱華は鋭い視線を和らげて「あたしもそこまでは思ってないわよ」と呟いた。

 

「……人助け、朱華さんは反対なんですか?」

「んなこと言ってないでしょ?」

 

 髪をくしゃくしゃと撫でられる。

 

「心配なのはあんたのことよ。せめて誰のどんな怪我を治すのか、報酬はいくらなのかくらいはちゃんと聞きなさい。で、安く買い叩かれそうだったらちゃんと請求しなさい」

「別にお金には困ってませんし、ある程度の額が貰えれば十分なんですが」

「あんたね、それ絶対に駄目だから」

「そこまで言わなくても……」

 

 憮然とした顔になってしまう俺。

 すると朱華は「じゃあ、みんなにも聞いてみましょうか」と言って他のメンバーにアンケートを取った。

 結果はというと、

 

「アリスちゃん、お金はちゃんと貰わないと駄目だよー」

「私自身のことなら安い報酬でも気にしませんが……アリスさまの労働の対価となれば話は別です」

「貰えるだけ貰っておけ。向こうが出せるギリギリまでふんだくって問題ない」

 

 なんというか、朱華の圧倒的な勝利だった。



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聖女、大金を稼ぐ

「……なんだか大事(おおごと)になってしまった気がします」

 

 朱華の手にされるがまま弄ばれながら、俺は呟いた。

 

「大事なんだから仕方ないでしょうが」

 

 髪は丁寧に梳いた上で纏めてウィッグの中へ。瞳にはカラーコンタクト。ボディラインを平たくするためにウエスト辺りへタオルを巻いて固定。

 ブラウスではなくワイシャツ、ショーツではなくトランクスを穿いて、衣装は男物のスーツ。ウィッグも黒髪かつ男性的なショートヘアだ。ボタンの合わせが逆だから違和感がある……と思えるあたり、いつの間にやら「普通」が逆転している。慣れというのは恐ろしい。

 しかし、こんな形で男装することになるとは。

 

「もう男物は着ないんだろうな、って思ってたんですが」

「意外とあっさり着ることになったわね。似合わないけど」

「そうですか? 意外と似合ってません?」

 

 貧乳気味なのが幸いしたのか、ちょっとしたサポートだけでも案外男っぽく見える。

 トドメに軽い化粧を施してもらい、肌色を濃く調節してもらいながら言うと、朱華は苦笑して、

 

「似合う似合わない以前に変装だから、あんたには見えないのよね」

「そういえばそうですね」

 

 目の色も髪の色も違う上に体型も隠した状態。手袋をして首から下は出ないようにするので、傍目からは人種も判断しにくいだろう。

 

「でも、朱華さんもこういうのできるんですね」

「こう見えてもあんたより女子歴長いんだからね? ノワールさんだけの特権じゃないわよ」

「失礼しました」

 

 メイクも完成。

 鏡に映してみると、うん、これはアリシア・ブライトネスには見えない。変装としては十分だ。

 コーディネート担当の朱華も満足そうに頷いて、俺の肩に手を置く。

 

「こっちこそ悪かったわね」

「? 何がですか?」

「最近冷たくないかって言われた話。あんたがノワールさんばっかり頼るから、ちょっと嫉妬してたかも」

「……そんなこと」

 

 わざわざ謝られるようなことではない。

 

「私こそ、朱華さんが止めてくれなかったら大変なことになってました。ありがとうございます」

「……そんなの、それこそ気にしなくていいってば。あんたが困ると、あたしだって気分悪いんだから」

 

 ツンデレみたいな言い方に俺は苦笑して、もう一度「ありがとうございます」を言った。

 

 

 

 

 

 

 

 冷静になって考えてみれば朱華達の言う通りだった。

 給料も勤務地も不明なバイトに応募する奴がいるかという話。政府からの依頼だというのと人助けだというので目が曇っていたらしい。

 自分では「詐欺には引っかからないタイプ」だと思っていたのだが──俺とアリシアの魂は根っこの部分では同じ、みたいな話を笑い飛ばせなくなってきた。

 

『……反省します』

『事前に止まることができたのですから問題ありません、アリスさま。それよりも、大事なのはこれからどうするかです』

『もちろん、本気で騙しに来るつもりはないと思うけど、向こうとこっちじゃ事情が違うもんねー』

 

 国家機密に関わる人間とはいえ、というかそういう人間だからこそ、向こうにとって一番大事なのは国益である。

 怪我を治して欲しい相手が政治家なのか大企業の社長なのかスポーツ選手なのかは知らないが、そういった人物を安価に、一人でも多く治せる方が得に決まっている。

 そのためなら、聞こえのいい言葉を多用して俺達を騙す──とまではいかなくとも、自分達にとって有利な条件に持って行くくらいはやってもおかしくないという話。

 

『だいたいさ、こんな大事な話を電話でするのがおかしいのよ。まあ、できるだけ早く返事が欲しかったんでしょうけど』

『呼び出しをかけると我々が付いてくると考えたのかもしれん。アリスと一対一で話した方が好条件で話を纏められるだろうからな』

 

 やってくれる、と教授がため息をついて。

 

『良かろう。向こうがそういう手に出るならこちらにも考えがある』

『え、あの。教授? 暴力は駄目ですよ?』

『暴れるわけではない。ただ単にクレームをつけるだけだ。あくまでも正当な主張の範囲でな』

 

 というわけで。

 当日中に電話を折り返した俺は、結論を急いでくる担当者をよそに教授に代わった。

 

『もしもし? 吾輩だ。アリスに仕事を依頼したいそうだが、そういう話は先にこちらを通してもらわないと困るのだが。通常業務のスケジュール管理にも関わるだろう。いや、ヒーラーなしでの業務になる代わり危険手当を増やしてくれるというのなら考えなくもないが』

 

 憎まれ役を買って出てもらうのは気が引けたのだが「こういう話は大人の出番」とのこと。こういうのは役割分担らしい。ヒーラーといういかにも善良そうな役割の人間には善良なイメージのままでいてもらった方があとあと役に立つこともあるのだという。

 教授と担当者の話は三十分以上にも及んだ。

 結論としては「電話では話にならん、今から行くから茶と茶菓子を用意して待っていろ」。

 非効率的というか前時代的というか、とにかくかなり回りくどいが、時にはこういうやり方も必要らしい。こっちとしても「早く結論を」という先方に合わせて日曜の間に動いているのだから感謝して欲しい、とかなんとか。

 

 で、俺と教授の他に朱華も連れて話をしに行った。

 ノワールが不参加なのは「何をするかわからない面子」に見えた方が脅しになるからという理由。俺とノワールが揃うと「事を穏便に済ませよう」と動いてしまうのでこういう時は不向きらしい。

 その点、朱華ならちょっとキレただけでその辺の物を燃やしかねない(少なくとも能力的にはそう)ので適任だった。

 

 着いてからの話は意外と早かった。

 向こうも「ここまでこじれたら素直に話すしかない」と思ったのかもしれない。教授も見た目こそ鷹揚だが一歩も引かない態度で話をした結果、いくつかのことがわかった。

 

・今回、政府は仲介者に過ぎず、謝礼金は依頼人から出る

・依頼人の素性は明かせないが悪人ではない、とある大人物

・今後も別の依頼人が同様の依頼をする可能性がある

 

 ならばと、教授はスケジュール調整について俺の学校生活や私生活を最優先にすること、俺の素性が依頼人に漏れないように細心の注意を払うこと、など幾つかの条件を取り付けた。

 その上で謝礼の値上げを要求。

 最初は「先方に聞いてみないと」などと言っていた担当者も結局は折れて、なんと最低百万円から(!?)という報酬額が設定された。

 

 回復魔法一回で百万とかもはや意味がわからないが、ある意味これは当然の措置だ。

 シルビア製のポーションだって法外な値段で取引されている現状、即効性があり、かつ絶対に副作用が出ない俺の魔法はより慎重に用いられるべきものである。

 でないと依頼が殺到して学校に行ってる暇がなくなったり、俺の素性がバレて誘拐されたりしかねない。

 百万程度なら下手に入院して手術するより安かったりするわけで、むしろこれでもまだ良心的な価格設定だ。

 

 ここまで決まると向こうは「では明日さっそく」と言ってきた。どうやら本当に急いでいるらしい。そういうことなら仕方ない。

 

『うむ。では明日、アリスが学校から帰宅しだい準備を整えて出発ということで頼む』

 

 いつも通りの態度のままに教授が告げて、今に至る。

 

 

 

 

 

 

「よくお似合いです、アリスさま。……できればわたしがお仕度を手伝いたかったのですが」

 

 リビングに移動すると、ノワールがそう言って褒めてくれた。

 

「ありがとうございます、ノワールさん」

「ごめんね。でもさ、ノワールさんがやると絶対『この方が可愛いから』とか言い出すでしょ?」

「それは……まあ、そうですね。アリスさまの可愛らしさを引き出すには髪や体型を隠すのは悪手です」

 

 うん、可愛さ優先は変装として悪手だ。

 目で朱華にもお礼を送ると、紅髪の少女は「ふふん」とばかりに胸を張った。それから、どこからともなく黒いサングラスを出してきて俺に装着させる。

 ノワールと朱華が同時にぷっと吹き出して、

 

「うん、滅茶苦茶怪しいわよアリス」

「これならアリスさまだとは絶対バレませんね」

 

 褒められているのかけなされているのか。

 トドメにマスクを着ければ色んな意味で完成。目や声でバレないようにするのは重要なので重要な装備である。もちろん、現地ではなるべく喋らない配慮も必要。

 ノワール達が付いてくると意味がないので、ここからは俺の腕の見せ所だ。

 

「アリスさま。間違って女子トイレに入らないように気を付けてくださいね」

「はい、気を付けます」

「アリス。男子トイレの使い方わかる?」

「いえ、あの、朱華さん? 私、元は男子ですからね?」

「冗談よ。……んじゃ、行って来なさい」

 

 肩を叩かれ、背中を押されて、焦れるレベルで準備万端待機していた送迎の車に乗り込む。

 結論から言うと、仕事は何事もなくスムーズに終わった。

 

 

 

 

 

 

 帰宅した俺はいつものようにみんなと夕食を食べた。

 

「で、アリスよ。報酬は手渡しだったのか?」

「いえ、さすがに後日振り込まれるそうです」

 

 正直、札束どーんと渡されても困るのでこっちとしても助かる。いや、一生に一度くらいは味わってみたい気もするが、もしそれで落としたり盗まれたりしたら一生後悔する。

 

「それにしても、単発のバイトであんなお金……まだ実感が湧きません」

「いいじゃない、貰っときなさいよ」

「そうそう。お金はいくらあってもいいんだしねー」

 

 無事に済んでほっとしたのか、どこか気楽そうなシルビアと朱華。

 ノワールもいつも以上にニコニコして、

 

「ええ、本当に。……それで、何に使うんですか、アリスさま?」

「はい。私としては皆さんで五等分すればいいかなと──」

「駄目」

「だーめ」

「却下です」

「アホかお主は」

 

 良いアイデアだと思ったのだが、みんな即答で駄目出ししてきた。

 

「でも、私がしたのはちょっと出かけて回復魔法かけただけですよ? 交渉した教授とか、メイクしてくれた朱華さんの方がよっぽど活躍してるじゃないですか」

「うん、アリスちゃん。そう言って自分の妹分が二十万差し出してきたとして、素直に受け取れる?」

「……う」

 

 キツい。受け取ったらなんか、自分が凄く鬼畜な人間になった気分になるだろう。

 

「でも、そんな大金要りませんよ? 結局、今回の件も料金表的に百万円じゃ済みませんでしたし」

「貯金しときゃいいじゃない。別にパソコン買うとかでもいいし」

「アイス専用冷凍庫とか買ってもいいんだよー? 私も使うから」

「ふむ。各地の美味い物を取り寄せた上で味見させてくれる、というのは悪くないな」

「アリスさま。服はいくらあっても困りませんよっ?」

 

 みんな自分の欲望丸出しで俺に金を使わせようとしてきた。

 いや、そんなに欲しい物があるんなら素直に分けさせてくれればいいのに。

 別に俺が買った物をお裾分けするのでもいいのだが、もう少し長期的な方法はないものか、と俺はしばらく考えて、

 

「わかりました。では、こうしましょう」

 

 みんなでお金を山分けする代わりに一つの提案をした。

 

「アリス金融(仮)です」

 

 シェアハウスのメンバーに限り無利子・無担保でお金を貸すという制度である。

 金融機関に頼るほど資金が切迫することもないとは思うが、シルビアの進学費用のように纏まったお金が必要になることもある。そういう時に役に立てばいいという考えだ。

 返って来なかったら来なかったで、もともと山分けするつもりだったお金なのであんまり困らない、というわけである。

 幸い、これは特別反対されなかった。

 

「ま、いいんじゃない? 借りないけど」

「そうだねー。借りないけど」

「それこそ、最年少に金を借りるほど落ちぶれてはおらぬ」

 

 こんな感じだったが。

 

「……悪くありませんね。アリスさまからお金を借りて、アリスさまにプレゼント。そして何食わぬ顔をしてお金を返せば……」

「ノワールさん? それはお金を返されても受け取りませんからね?」

 

 こんな人もいたが。

 というかそれ、単なる遠回しなプレゼントである。



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聖女、金の使い道を思いつく

 夢を見ていた気がする。

 

 火曜日の朝、目を覚ますと気分がとてもすっきりしていた。

 どうやら安眠できたらしい。まさか懐が温まったせいなのか。いや、そこまで即物的ではないはず……と思いつつ、俺は見ていた夢を思い出そうとして、全く思い出せない事に気づいた。

 代わりに頭に浮かぶのは一つのイメージ。

 

「……これって」

 

 浮かんだそれには見覚えがあった。

 すとん、とベッドから降りると、勉強机の二段目の引き出しにしまってある携帯ゲーム機を取り出す。充電が切れていたのでケーブルに繋ぎつつ起動すると、続きからを選択。

 読み込まれたデータ。選択するのは俺──『アリシア・ブライトネス』のステータス画面だ。そこでは全身の立ち絵を見ることができる。

 聖職者衣装に身を包んだ金髪碧眼の美少女が柔らかな微笑みを浮かべ、金の装飾が付いた錫杖を手にしている。首から下げているのは己が奉ずる神の聖印。

 

「やっぱり、これですね」

 

 立ち絵では大まかな形しかわからないのに対し、脳内のイメージは細部の寸法まで手で表せるくらいなので、むしろより正確なくらいだ。

 もちろん、俺は聖印の実物なんて見たことがない。なので厚みや質感まで手に取るようにわかるはずがないのだが──。

 俺の記憶から引っ張り出されたのでないなら、何か不思議なことが起こったに違いない。

 

「神様が教えてくれたんでしょうか」

 

 あるいはオリジナルのアリシアの記憶か。

 どうしてこのタイミングで聖印のイメージなのかと考えれば思い当たることも一つある。確かにいい頃合いかもしれない。

 俺は一つ頷くと、朝のお祈りの前にシャワーを浴びるため、替えの下着の準備を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

「あの、安芸さんか鈴香さんにお願いがあるんですが」

 

 その日の昼休み。

 天気が良いのでいつものように中庭のベンチで昼食を取りながら、俺は縫子と鈴香に言った。

 すると二人は頭の上に「?」を浮かべて、

 

「なんでしょう?」

「はい。実は衣装とアクセサリーのオーダーメイドができるところを探していまして、もし良いところがあれば教えてもらえないでしょうか」

「オーダーメイドですか」

 

 呟いた縫子が目を瞬く。学内でも学外でもマイペース、あまり表情を変えない彼女だが、瞳の奥がきらきらと輝いている。

 

「アクセサリーというと、どんな?」

「えっと、銀細工です。こういう首から下げるようなもので、丈夫かつ細かい装飾ができると嬉しいです」

 

 制服の下からロザリオを引っ張り出して説明する。

 

 縫子達に詳しく説明すると「?」マークが乱舞しそうなので当たり障りのないことしか言っていないが、要は俺が欲しいのはアリシアの正式な衣装と聖印だ。

 例の仕事で俺には纏まったお金が入ってきた。

 完全な臨時収入。『アリス金融(仮)』を立ち上げてはみたものの、みんな「使う気はない」と言っているし、次の仕事の打診も既に来ているので使ってしまっても問題はない。

 ある程度のお金がないと買えないもので、かつ必要なものというと特に思いつかなかったのだが、今朝のあれで使い道を思いついた。

 

 オーダーメイドとなると値が張るので今までは手が出せなかったが、今なら少し大きく出られる。

 製作にもある程度時間がかかるだろうから早めに注文しておくに越したことはない。

 

 幸い、縫子達もこれに頷いてくれた。

 

「今すぐに紹介はできませんが、家族のツテも含めて、何かしらアテはあるかと」

「私も、家で使っているところであれば紹介できます。……ですが、アキの方がこの手の話には詳しいかしら?」

「アリスさんに選んでいただけばいいのでは? 選択肢が多くて困ることはないかと」

「そうね。では、お母様にも聞いてみましょう」

「ありがとうございます」

 

 この二人なら何かしらツテがあるだろうと思ったが大正解だった。俺は笑みを浮かべてお礼を言う。

 と、脇腹がつんつんと突かれた。振り返れば、不満そうに頬を膨らませたもう一人の友人──芽愛の姿が。

 

「アリスさん? どうして私だけ除けものなんでしょう?」

 

 中庭には他の生徒もいるため猫を被ったままだが、その瞳は「ひどいよアリスちゃん!」と訴えてきていた。可愛らしくも真剣な表情に申し訳ない気分になりつつ「すみません」と謝って、

 

「でも、芽愛さんは服にはあまり詳しくないのではないかと」

「だからといって除け者はあんまりです。……確かに詳しくありませんが」

 

 詳しくないんじゃないか。

 

「本当にすみません。除け者にしたつもりではないんです。料理のことで困ったことがあったらもちろん芽愛さんを頼りますし」

「本当?」

 

 つぶらな瞳がこちらを見上げて、

 

「アリスさんのメイドさんに相談して終わりにしませんか?」

「う」

「しませんよね?」

 

 痛いところを突かれた。いや、しかし、ノワールは万能のメイドなので仕方ないのだ。服の件だって、ノワールにも併せて相談しているし。

 とはいえ、ここは友人に詫びておくべき場面。

 

「約束します。何かあったら芽愛さんにも相談します」

「よろしい」

 

 ふふん、と、どこか得意げに笑った芽愛は約束の証として指切りを要求してきた。若干恥ずかしいが、仕方なく小指を絡めて軽く振る。鈴香と縫子が若干ニヤニヤしながらこっちを見ていた。

 

「アリスさん。我が家での勉強会にも参加されますよね?」

「アリスさん。布の買い出しを手伝って欲しいんですが、大丈夫ですか?」

「アリスさん。お菓子の試作も一緒にしましょうね?」

「は、はい」

 

 トリプルで名前を呼ばれ、文化祭関連のスケジュールを入れられた。

 もちろん望むところだ。他の家のメイド情報はノワールが「欲しい」と言っていたし、メイド服の作成やお菓子作りもノワールが張り切っていた。朱華やシルビアにからかわれないためにも、できることはしっかりやってクオリティを上げたい。

 

「しばらくお休みの日は忙しくなりそうですね」

「あら、放課後もよ? 出し物の申請が通ったらさっそく動きださないといけないもの」

「私はもうデザイン画を描き始めています」

「私もお菓子の候補は考え始めていますよ」

 

 さすが、衣装とお菓子の責任者。

 鈴香はクラス委員の子ともども全体指揮みたいな位置に自然と収まっているし、みんな大変そうだ。俺は色々な方面を手伝う予定だが、言ってしまえば全部下っ端の役割なので、忙しいだけである意味気楽だ。

 当日接客を頑張る他は各責任者の話を聞いたり相談に乗ったりするだけでいい。

 とりあえず週末の予定を空けておけば問題ないだろう。バイトが入ることはあるかもしれないが、あれはどっちにしても夜なので他の予定とはあまり干渉しない。疲れて月曜の朝に起きられない、ということがないようにだけ気を付ければいい。

 

 そして、この翌日には文化祭実行委員会からメイド喫茶の実施許可が下りた。

 

 

 

 

 

 

 平日の放課後はノワールに頼んで料理の練習をしたり、お菓子作りの方法をネット検索して予習したり、治療の仕事で外出して過ごした。

 

 それから、オーダーメイド先探しを縫子達にお願いしている間に、依頼したい服とアクセサリーのデザイン指定を用意する。

 絵心は特別ないのだが、幸い作りたいもののイメージは明確にある。

 ノワールや朱華に相談したところ、

 

「あくまで要望レベルの話ですし、おそらく決まった書式はないと思います。不安であれば、安芸さんでしたか? 手芸の得意なお友達に聞いてみてはいかがでしょう?」

「デザインって、要するに設計図でしょ? 正面からと横から、必要なら斜めとか裏側からの絵も描いて、長さ入れて、細かなデザインが必要なところは別に拡大図を用意すればいいのよ。アニメとかゲームの設定画でよくあるじゃないそういうの」

 

 ということだったので、縫子にも念のため確認しつつ、他の人が見てわかりやすいように丁寧に描いた。

 細かい分には問題ない、むしろ譲れない部分は明記しておかないと「これじゃない!」というものができやすいということで正直結構大変だった。

 しかし、その甲斐あって見栄えのするものが完成。

 本格的な聖職者衣装と聖印を注文するところまで来たかと思うと俺としてもなんとなくわくわくして、デザイン画が完成した日は意味もなくニヤニヤしてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

「さて諸君。政府からバイトの依頼が来た」

 

 そんなある日の夕食時、教授が俺達に宣言した。

 この日のメニューは栗ご飯にサンマの塩焼き。豪華な和食メニューにわくわくしながら箸を動かしていた俺は、栗とご飯をもぐもぐと咀嚼しながら首を傾げた。

 それからごくんと飲み込んで、

 

「いつもの墓地はこの前行ったばかりですけど」

「いや。今回は向こうから場所を指定してきた。是非この場所で邪気払いをして欲しいとな」

「なんか最近、人使い荒いわね」

 

 朱華が半眼になって呟く。彼女は外国人っぽい見た目に反して器用に箸を使い、サンマを綺麗に食べている。中身は純日本人なのだから当然といえば当然だが、日本人でもなかなか難しいのも事実である。正直俺にとっては苦手分野だ。

 

「もしかして、あたし達用の予算が増えたとか?」

「あるいは臨時収入でもあったのかもしれんな」

 

 ふん、と息を吐いた教授が俺を見る。まさか、治療依頼の件で向こうも謝礼を貰っていて、そのお金をバイト依頼に充てているというのか。

 

「公務員ってお金受け取っちゃ駄目なんじゃ?」

「公務員ならな。だが、例えば、政府から業務委託を受けている民間会社が、委託された業務ではなく会社自体の業務として我々に仕事を依頼してくるとか、そんな感じの抜け道があってもおかしくはなかろう」

 

 ちなみにこの例がセーフかどうかは教授も知らないとのこと。まあニュアンスはわかった。単に朱華が言ったように予算が増えただけかもしれないし、単に切羽詰まっているだけかもしれない。

 

「それで、教授さま? 場所はどのようなところなのですか?」

「うむ。とある山間部にある宿泊施設とその周辺だ。公立学校の林間学校でよく使われる場所らしいのだが、近年、事故や事件が多発しているらしい」

「事件ってー?」

 

 栗ご飯から栗だけを抜き出して美味しそうに食べつつシルビア。

 

「生徒が調理中に火傷をするとか、転んだ拍子に身体を木に殴打するとか、軽い食中毒だとか、まあそんな話だな。後は、幸いシーズン中ではなかったらしいが熊が出たこともあるらしい」

 

 その熊は駆除されたとのことだが、データ的に見ても最近の事故・事件率が上がっているので、何か原因があるのではないかと思われているらしい。

 とはいえ、調理中の火傷などが人為的な出来事とは考えにくい。

 となると目には見えないもの、悪い気や因果によるものの可能性が浮上してくる。

 

 紅髪の少女は箸を置いてため息をつく。

 

「ならお祓いでもしてもらったらいいじゃない」

「悪い気を化け物となして退治できる祓い師だ。我々はさぞかし優秀に見えるのだろうな」

「いや、お坊さんにでも頼んで欲しいんだけど……」

 

 朱華のぼやきに俺へ視線が集まる。俺はお坊さんではないが聖職者である。結界が張れる上にある種のお祓いもできるわけだが──。

 

「……まさか私一人で行けとか言いませんよね?」

「言わないわよ」

 

 ふん、と、鼻を鳴らして視線を逸らす朱華。

 

「でも、この依頼は無理に受けなくてもいいんじゃない?」

「まあな。しかし、可能であれば受けておきたいところだ」

 

 教授はばつが悪そうにぽりぽりと頬を掻く。

 

「? お金ならアリス金融の出番ですけど……」

「違う。あれだ。この前、吾輩が言いたい放題言ってしまっただろう? ここで依頼を断ると反抗的とみなされかねん。だからどうだ、ということはないだろうが、なんでもかんでも我が儘言う気はない、ということをアピールしておきたいところではある」

「あー、教授、偉そうに色々言ったらしいもんねー」

 

 シルビアがうんうんと頷いた。

 

「朱華ちゃんもアリスちゃんの隣で凄んでたんだって?」

「……う」

 

 そう。

 黙っていても教授がばんばん言ってくれたので特に暴れはしなかったものの、朱華も「あたし今不機嫌だから」という顔をして座っていた。

 火属性なのを加味して考えると気性の荒い不良娘といった感じであり、向こうの人を怯ませるのに一役買ったに違いない。

 

「……しょうがないわね」

 

 本当に気が進まない、といった様子でため息をつく少女に、俺は尋ねた。

 

「朱華さん。ひょっとして、何か他にも理由があるんじゃ?」

「いや、まあ、大した理由じゃないんだけど」

 

 話しているうちに食事がだいぶ終わりに近づいているのを確認してから、ぽつりと、

 

林間(りんかん)学校に使われてる場所なんでしょ? 今までみたいな語呂合わせで来られた場合、嫌な予感がするのよね」

「……あー」

 

 可燃物が多い場所だし、朱華は連れて行かない方がいいかもしれない、と思ってしまった。



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聖女、寸止めされる

 森の邪気祓いは約二週間後、十月末の土曜の夜に行うことになった。

 施設周辺の人払いに事前告知等がいるため日取りは変更できない。こちらとしても準備できるのは有り難いしそこは了承した。

 

 文化祭が十一月上旬なのでイベント前の景気づけといったところ。

 ただ、オーダーメイドの衣装と聖印はどうやっても間に合わない。ああいうのは月単位で待たされるのが普通。アクセサリーとなれば尚更だ。

 注文自体はノワール、鈴香、縫子の教えてくれた候補から選んで済ませた。

 どこに注文するかは悩んだが、衣装はノワールの利用しているメイド服、ロリータ服、コスプレ衣装の店。アクセサリーの方は縫子が紹介してくれたデザイナーの店にした。

 決め手はノワールが会員なのでポイントが付いたり、会員グレードで割引が利くこと。安芸家御用達の店は職人気質な感じで、細部のデザインまで拘ってくれそうだったことだ。

 

 鈴香には「私の負けですか……」と若干拗ねられてしまったが、別にそういうわけではない。今回は聖職者としてのアイテムなので、お嬢様御用達のゴージャスな店は微妙にそぐわなかっただけだ。

 なので「ごめんなさい」と丁重に謝ったうえで、下着を注文することにした。

 気軽に注文しようとしたところ、ブラだけで軽く万を超える価格設定で、思わず目を擦って確認してしまったが。衣装が割り引かれた分があるので予算的には問題なかった。

 

「届いたら、大事な時に着ける用にとっておきます」

「あら。でも成長期ですし、胸がきつくなってしまう可能性もあるのでは?」

「う」

 

 俺ことアリシアの身体が正確に中学三年生だったかどうかは神様にしかわからない。

 実際には二年生が相応だった可能性が高く、また女子は男子より成長が早いというのが定説だ。これからどんどん成長することもありうる。

 

 ちなみに朱華はゲームのエンディングで未来の姿が描かれたことがあるらしく「順当に行けばワンカップくらいしか上がらないわね」とのこと。いや、ワンカップで十分だと思う。

 ノワールは成人だし、シルビアも成長期は終わっている(ぶっちゃけ今より育つ必要もない。特に胸)し、教授は……うん。

 

「ま、間に合ったら文化祭で着けようと思います」

 

 戦闘に着けていくとダメになるかもしれないし、そもそも激しい運動する時はスポーツブラの方が動きやすいし。

 

「それがいいと思います」

 

 すっかり上機嫌になった鈴香は「今週末、注文用の採寸も兼ねてうちに来てください」と言ってきた。

 

「併せてメイド講習会を実施すればちょうどいいかと」

「わかりました。……芽愛さんと安芸さんはどうしますか?」

「やめておきます。衣装のデザインを仕上げたいので」

 

 さっと答えたのは縫子。

 彼女はメイド喫茶の制服デザインを任されており、かなり張り切っている。毎日のようにラフスケッチを描いてきてはクラスの意見を受けて微調整を加えている。

 安く、作るのも難しくなく、かつ可愛い衣装というのはなかなかに難題らしく、だからこそ燃えているらしい。

 

 同じくお菓子担当の芽愛は「私も……」と言いかけてから「……メイドさんの接客講習」と呟いた。

 彼女の反応がお気に召したらしい鈴香はにやりと笑って、

 

「方向性は違いますが、将来飲食店をするつもりなら役に立つのではないかしら?」

「行く。行きます」

 

 そういうことになった。

 

「そういえば、アリスさんの注文はメイド服ではなかったんですよね」

「はい。文化祭にはオーダーメイドでは間に合いませんし、メイド服なら持っているので」

「持ってる!?」

「あれ、言ってませんでしたか?」

「聞いていません」

 

 家では周知の事実なので忘れていたかもしれない。

 

「アリスさん」

「は、はい」

「当日はその服を持ってきて頂いても?」

「……わかりました」

 

 そういうことになった。

 なお、縫子はメイド講習会に参加するかどうかあらためて悩みだしたが、結局、鈴香達に写真を送ってもらうという妥協案を取っていた。

 

 

 

 

 

「そういえば、朱華さんは文化祭で何を着るんですか?」

 

 衣装のことを考えていたら思い出したので、夜の自由時間に尋ねてみる。

 ワイヤレスイヤホンでエロゲをしていた紅髪の少女は片耳からイヤホンを外すと「あー」と呻った。

 俺の部屋のカーペットの上に白い素足が投げ出され、スウェット生地の短パン的ボトムスとトップスの間から白い肌と臍が覗く。

 

「作るのは大変だし買おうかとも思ってたのよね」

「早めに注文しないと間に合いませんよ?」

「ん。今、注文するのも面倒だなって思ったところ」

「朱華さん……」

 

 この人は、とジト目を作ると、紅の瞳が返ってきて、

 

「いや、待ちなさい。ちゃんとした理由もあるんだってば」

「理由ですか?」

「そ。あたしといったら中華じゃない? ならチャイナドレスでいいわけよ」

「なるほど」

 

 道理である。

 俺と言えば神聖魔法であるように、朱華にもチャイナドレスが期待されている。

 であればキャライメージに則るのは悪くない手だ。

 たとえ「チャイナドレスならいっぱい持ってるし」というものぐさ精神から出た発想だとしても。

 

「でも、メイド喫茶ですよ?」

「チャイナメイドってジャンルもあんのよ。メイド系の小道具ならノワールさんがいっぱい持ってるでしょ?」

 

 ああ、ノワールなら間違いなく色々持っている。

 チャイナドレスにシニョンをつけた朱華へ更にメイド風の装飾を加える……うん、ちょっとした暴力だと思う。男だった頃の俺なら内心喜びつつ「何の店だよ」とツッコミを入れただろう。

 当日はタイツか何かで足を隠すようにしてもらおうと強く思う。

 

「思えば、朱華さんってその髪と肌の白さでチャイナドレスが似合うんだから反則ですよね」

「ラノベとかゲームならよくある話よ。っていうか肌ならあんた達の方が白いし」

「私達は白くなかったら偽物っぽいじゃないですか」

「でも、日本人も同じくらい肌白いのが定番だし、あんたがアジア人並みの肌色だったとしてもおかしくないわよね?」

「確かにそんな気も……?」

 

 首を傾げる俺。

 すると朱華はくすりと笑ってカーペットに手をつき、

 

「なんだかんだ、あたしの話に付き合ってくれるわよねあんた」

「まあ、前は男子の端くれでしたからね……」

 

 別にオタクだったというほどではないが、ラノベやエロゲに忌避感があったわけでもない。

 ゲームは趣味だったし、マンガの延長でラノベもいくつか読んでいた。アニメなんて誰しも子供の頃は見ていたわけで、有名どころのアニメくらいは高校生になっても時間があれば見ていた。

 

「最近は読んでないわけ?」

「最近はもっぱら少女マンガですね」

 

 前に朱華が言っていたように必須教養の類だ。

 幸い鈴香達はあまりこの手の話題を出さないが、芽愛は案外少女趣味だし、縫子も服のデザインの参考に読むらしいし、鈴香も「私だって年頃の女の子なんですよ?」とマンガを読むことを告白してくれた。

 有名どころくらいは押さえておいて損はなかろうと、朱華が持っていないタイトルをちまちま買って本棚に並べている。

 

「買えばいいのに。お金はあるでしょ?」

「だって、私が教室でラノベ読んでたら大事件じゃないですか」

 

 しかも「誰からの悪影響だ」という話になった場合、朱華を挙げるしかない。

 

「そう? 大丈夫じゃない? ジャパニーズカルチャーの勉強です、とか言っておけばみんな納得すると思うけど」

「そんなことは……あるかもしれませんね」

 

 まあ、マンガやゲームの時間が減ったのには、単にそんな暇がなくなった、というのもあるのだが。

 女子生活に慣れてくるにつれてヘアケアやスキンケア等々に使う時間は減少傾向にあるし、お祈りするようになってから安眠できることが増えたので睡眠時間は短めでも問題がない。

 

「ちょっとくらいならいいかも……?」

「よし。とりあえずあたしが持ってるの貸すから、あんたはあたしが持ってないの買いなさい」

 

 いいように使われている気もしたが、彼女の持つ圧倒的量の蔵書が開放されるのは悪くない。

 じゃあとりあえず、誰かに見咎められても恥ずかしくないように、と、女子向けレーベルのライトノベルを借りてみた。

 タイトルくらいは俺でも聞いたことのある有名作品で、お嬢様学校が舞台のやつだ。マンガも読むが小説の方が好きらしい鈴香からそれとなくオススメされたこともある。

 学校でカバーをかけて読んでいたら案の定、クラスメートに見咎められたものの、中身を見せたら普通に微笑ましく受け止められた。

 

「アリスさんが興味を持ってくださって嬉しいです」

 

 特に鈴香は喜んでくれて、どこまで読んだのかと聞いてきた。

 今読んでいる巻と、朱華からキリのいい巻まで借りたことを伝えると、何故かいい笑顔と共に妙なことを言われた。

 

「ご武運をお祈りします」

 

 意味は割とすぐにわかった。

 一気読みすると止まらなくなるからとなるべく少しずつ読んでいたのだが、遂に我慢がきかなくなって夜ふかししつつ読破した夜。

 俺は「キリのいいところ」が「最高にキリの悪いところ」であることを知った。

 おそらく鈴香もうすうす気づいていたのだろう。

 なんということだと天を仰いだ俺は、時計が午前二時をさしているのを承知で「どうせ起きてるだろ」と朱華の部屋に行った。

 こういうときに限って彼女は寝ていた。

 叩き起こしてでも続きをもぎ取りたい衝動を必死に抑えて眠りについた俺は、翌日の夜になってようやく念願の続きを手にした。

 リアルタイムで追っていた人は何ヶ月も待たされたのだから、まったくもって「次巻に続く」とは恐ろしいシステムである。

 

 

 

 

「アリスさま、昨夜はきちんと眠られましたか?」

「はい、大丈夫です」

 

 休日も、俺はなるべく普段通りに起きるようにしている。

 なので予定がある日でも(早朝集合で旅行に行くとかでない限りは)焦ることはない。

 シャワーやお祈りを済ませて食卓につくとノワールから心配そうに言われたが、微笑んで頷く。

 

「あの反省から、本は一日一冊までに決めたので」

 

 二時まで起きていた翌日こそ回復魔法のお世話にならないと我慢できないほど眠かったものの、今日はもう調子が戻っている。

 これにノワールは心底ほっとしたのか、にっこりと笑顔を浮かべた。

 

「安心しました。アリスさまは不規則な生活に慣れていらっしゃいませんから」

「あはは、そうですね……。ライトノベルに嵌まってドロップアウト、なんていうことになったら洒落になりません」

 

 こういうのはえてして感染源より影響を受けた二次感染者の方がどっぷり浸かってしまうものだ。

 行き着く先はジャンクフード片手にマンガやラノベ、アニメに明け暮れる生活。そんなことをしていたら神の加護もなくなるに違いない。

 更に、金があるからってソシャゲの課金沼にハマったりしたら……。

 恐ろしい想像に俺はぶるっと身を震わせた。

 

「気をつけます」

「そうしてくださいませ。でないとわたし、朱華さまに『お仕置き』してしまいそうです」

「お仕置き……って、例えば?」

「ええと、ソフトなものもありますしハードなものも心得ております。肉体的なものもあれば精神的なものもございます」

 

 怖い。

 あの椎名なら喜ぶかもしれないが、普通の人間にとっては普通に拷問に違いない。

 ノワールが実行者なのを考えれば新しい扉が開けるのだろうか? いやいや。

 

「でも、読書も悪いことばかりではないんですよ? お陰でノワールさんの気持ちが少しわかりました」

「? わたしの気持ち、ですか?」

「はい。その本は女子校で、後輩が先輩を『お姉様』って呼ぶんです。恥ずかしいですけど、呼ばれた方は嬉しいんだろうなって」

 

 お姉ちゃんと呼ばれたがったノワールの気持ちもわかるな、と思った。

 

「では、アリスさま。もう一度呼んでいただけますかっ?」

「恥ずかしいから駄目です」

「いいではありませんか、ね?」

 

 しばし問答を続けた後でノワールは引き下がってくれたものの、あとひと押しされていたら断りきれない、というタイミングだった。

 次の機会に伸びただけのような気がしつつも、俺はほっと息を吐いて、

 

「そうだ。ノワールさんも読んでみませんか、あの本」

「そうですね。寝る前にちょうどいいかもしれません」

 

 こくりと頷いたノワールはにっこりと笑って、

 

「でも、わたしも一日一冊を心がけないといけませんね?」

 

 これには俺も声を出して笑ってしまった。

 

「今日は頑張ってきてくださいね、アリスさま」

「はい。頑張ります」

 

 今日は鈴香との約束の日。

 食事を終えた俺は準備を整え、友人の家へと出発するのだった。



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聖女、学ぶ

 最寄り駅から電車に乗り込む。

 土曜日ということもあって、車内はそれなりに混んでいた。

 とはいえ満員電車には程遠いし、今回の目的地は僅か二駅先。俺はドア前に立つと手すりに掴まった。

 

「おい、あの子」

「あ、可愛い。どこの国の子だろ」

 

 小さな声が聞こえてきたのは、電車が動き始めたあたりだった。

 誰かが噂されている。

 可愛い外国人とあらばひと目くらいは見ておきたい──なんて、以前の俺だったら思っただろう。

 まだ「可愛い」で終わっていれば振り返る気になったかもしれないが、黒以外の天然の髪は日本だとどうしても珍しい。

 自意識過剰と思われるのも嫌だし、何より恥ずかしいので気づかない振りをする。

 

 それでも、あるいは「だからこそ」、周囲の人間からの視線はいくつも突き刺さってきた。

 一人だとこんなに気になるものなのか。

 登下校の際は朱華やシルビア、友達が一緒だし、遊びに出た際も誰かがいることが殆どなので、今まではあまり気にならなかった。

 実家に帰省した時は精神状態が特殊だったし……。

 

 後は、周りを気にする余裕が出てきた、ということかもしれない。

 女物の服やスカートにも慣れてきたので、立ち居振る舞いに割く心理的リソースは減っている。この調子で見られることにも「慣れ」ていければいいのだが。

 

 などと思いつつ、あっという間に到着。

 改札を抜け、噴水のある駅前ロータリーに出るとすぐ明るい声に呼びかけられた。

 

「アリスちゃーん!」

 

 可愛らしくもカジュアルな私服姿の芽愛がこちらへ手を振っている。

 小走りで駆け寄ると、俺は「おはようございます」と挨拶をした。

 

「おはよ。その荷物がもしかしてアレ?」

「はい。アレです」

 

 こくりと頷く。

 俺は仰々しくもトランクケース持参。中に入っているのは当然、自前のメイド服である。

 

「えっと、ここからは迎えに来てもらえるんですよね?」

「うん。鈴香のうちはちょっと微妙な場所にあるから」

 

 この場合の微妙は駅から遠いということだ。

 寂れた場所というよりは「閑静な住宅街」と呼ぶべき立地。最寄り駅的にも二つの駅のどちらに近いかは微妙なライン。

 移動に自家用車を惜しげもなく使えるお金持ち仕様の家らしい。

 

「聞くだけですごそうなんですが……」

「実際すごいよ? あ、来たみたい」

 

 俺達の傍に黒塗りの高級車が停まり、窓が開いて理緒さんが顔を出した。

 

「お待たせして申し訳ありません。どうぞお乗り下さい」

 

 車のドアはまるでタクシーのごとく自動で開いた。

 

 

 

 

 

「大きい……!」

「だよね? 私も初めて見たときはびっくりしたよ」

 

 雑談をしながら車に揺られることしばし。

 到着した緋桜家は想像以上のお屋敷だった。

 我らがシェアハウスだって十分贅沢な家だが──「あの別荘」に毎年通う芽愛が驚いたと言うあたりで察して欲しい。

 庭だけで庶民の家がひとつふたつ建ってしまいそうな広さがあり、これならメイドさんも当然必要だよな、と納得してしまった。

 

 自動で開閉する門を抜け、何台も停められる専用駐車場に車は停まった。

 

「正門はこちらです」

 

 案内を受けつつ中に入ると──。

 

「いらっしゃい、アリスさん。芽愛」

 

 メイドさんを従えた鈴香が、いかにもお嬢様といった優雅な衣装を纏って出迎えてくれた。

 さすが本物のお金持ち、住む世界が違う。

 呆然としつつメイドさん達の一礼を受け、それに礼を返すと、芽愛が苦笑を浮かべて、

 

「鈴香。気合い入れ過ぎじゃない? 接客の練習するんでしょ?」

 

 どうやらこの、ドレスめいたお嬢様ルックが普段着なわけではないらしい。言うならばおもてなし用の普段着といったところか。

 鈴香も動じることなくくすりと笑い、

 

「私は裏方に徹するわ。必要ならいつでも練習できるし、アリスさんを迎える方が重要でしょう?」

「あー、ずるい。私と違って当日は暇な癖に」

 

 お菓子担当の芽愛には当日も盛り付け等々の大事な役目がある。俺も本番が一番の出番だが、後の二人は当日暇な部類に入る。

 とはいえ、家の使用人に通常業務以外を課す時点でコストはかかっているはず。好きでプロメイドをしているノワールが特殊なわけで、あまり無茶も言えない。

 俺は笑顔を作ると鈴香に尋ねた。

 

「あの。先に着替えてきた方がいいでしょうか?」

 

 

 

 

 

 更衣室代わりに貸してもらった部屋は、案内してくれた理緒さんによると「客間」だった。

 俺の自室より広く、家具も一通り揃った部屋はしっかりと掃除されていた。利用機会がそこそこあると同時、まめに手入れされていることがわかる。

 

「まるでホテルの部屋みたいです」

「ありがとうございます。よろしければ今晩、泊まっていかれても構いませんよ?」

「あはは……。いえ、そこまで遅くはならないと思いますし」

 

 ならないよな? と不安になりつつ服を脱ぐ。

 芽愛は自前のメイド服がないので私服のまま講習を受けるらしい。

 なので着替えを理緒さんが手伝ってくれた。

 ブラも外してショーツ一枚になったところで下着注文用の採寸も済ませる。

 

「そういえば、今日は私と芽愛だけなんですね?」

「はい。クラスの皆様への講習会は別途行うそうです。必要な指導レベルが異なりますから」

 

 いや、俺もみんなと一緒の講習でいいんだが。看板娘だからってみっちり教育するつもりなのか。

 

「こちらがアリス様のメイド服、ですか」

「はい」

 

 料理の練習などで使っているノーマルタイプのメイド服ではなく、聖職者要素の入ったシスターメイド服の方だ。

 どうせならこっちの方が俺っぽいだろう、ということで、試着しただけで保管しまままだったこっちを持ってきた。

 

 シスターと付いてはいるものの、デザインのベースはメイド服。

 スカートがふくらはぎのあたりまであるロングタイプで、エプロン一体型。普通のメイド服あるいはシスター服と違うのは黒と白の割合。

 大体黒白が半分くらいずつ使われており、シスター服としては明るくファンシー、メイド服としては清楚さが強調されたイメージ。

 各所に十字架の模様が描かれているのも大きな特徴である。

 

 理緒さんはじっと衣装を見つめて頷き、

 

「なるほど。良い品ですね」

「ありがとうございます」

 

 ノワールの見立ては確かだったらしい。お値段もなかなか張るだけあって理緒さんのお眼鏡にもかなったらしい。

 

「でもこれだと、首からロザリオを下げるのはやりすぎですね」

「衣装の中に入れておけば良いのでは? 胸元が白いので外に出していても目立ちませんし」

「そうですね」

 

 付属のガーターベルトとストッキングと合わせて身に纏うと、俺の白い肌や金髪に良く似合った。

 パーツの中には白手袋もあったのだが、薄手のものでも作業をする時は意外と邪魔になる。今回は着けないでおくことにした。

 衣装のバランスや髪を整え、講習会の準備がされた応接間へ移動すると、芽愛と鈴香にこれでもかと写真を撮られた。

 

 

 

   ◇    ◇    ◇

 

 

 

 応接間に移動するなり、鈴香と芽愛は歓声を上げた。

 

「良く似合っているわ、アリスさん。これなら否応なく人目を惹くでしょうね」

「本当、すっごく可愛いよアリスちゃん!」

「あ、ありがとうございます。……でも、恥ずかしいですね」

 

 照れるアリスだったが、理緒も主人やその友人に同感だった。

 一山いくらの安物とは一線を画す良質の衣装に身を包んだアリシア・ブライトネスは文句なしに可愛らしかった。

 白と黒のシックな装いに、きらきらした金髪がよく映える。もともとが西洋の衣装であるのだから相性が悪いはずもなく、コスプレではなく本物なのではないか、という錯覚さえ覚えてしまう。

 自他(他は同僚や鈴香)共に認める可愛いもの好きである理緒としては、着替えを手伝っている間も感嘆の吐息を堪えるのが大変だった。

 恥ずかしそうにしながらも写真撮影に応じるあたりもポイントが高い。

 自分のスマートフォンを取り出して撮影に参加したいのをぐっと堪え、仕事仲間であるメイドと手分けをして講習の準備を進めた。

 

「では、これからメイド講習を始めたいと思います」

 

 講習のメイン担当はメイドであり、理緒はサポート役だ。

 理緒も鈴香の世話係ではあるのだが、移動時の運転手やスケジュール管理等の業務もこなすため、メイドというよりは執事に近い。

 お茶を淹れたりといった作法については不得手でこそないもののより適任がいるのだ。

 

「文化祭の練習ということですので、今回は立ち居振る舞いと給仕の仕方にポイントを絞ってレクチャーさせていただきたいと思います」

「はい」

 

 鈴香の要望もあり、講習内容はわりと本格的な形で組んだ。

 飲食店の新人研修や新社会人向けのマナー講習のようなもの、と言えばわかりやすいだろうか。

 やることは単純。メイドによる実演の後、ひたすら反復練習を行ってもらう。立ち方、歩き方、お辞儀の仕方、笑顔の作り方、お茶の淹れ方、物の載ったトレイの運び方等々を、だ。

 一朝一夕で覚えるのはなかなか難しいだろう。

 こういったものはどうしても慣れが必要だ。普段とは違うことをするのだから最初はできなくて当たり前。繰り返し身体に覚え込ませていくしかない。

 

 もちろん、中学生の文化祭に上流家庭の使用人と同等の作法はいらない。

 合格ラインは相応に設定するつもりではあったが、それでも苦戦することは必至。それこそ、長引けば本当に泊まっていってもらうつもりだったが──。

 

(すごい)

 

 理緒は息を呑むことになった。

 

 実家が飲食店を営んでいる芽愛が苦戦しないのはある程度織り込み済みだった。

 レストランの店員とメイドでは方向性がやや異なるものの、精神に似通った部分がかなりある。物の運び方や立ち方、礼の仕方などは実際、年齢以上に堂に入っており、並の店なら即戦力としてバイトに採用されるだろう。

 

 問題はアリスの方。

 日本語の扱いや日本文化への慣れこそあれど、こういう仕事には不慣れと聞いていた。実際、動きに経験者めいた印象はあまりなかったのだが──。

 

「えっと……こう、でしょうか?」

 

 筋がいい。

 メイドによる実演や芽愛の振る舞いをじっと観察し、できる限り自分の身体で再現しようとする。一度行うごとに自分なりの問題点を洗い出し、直そうと努める。そうして一歩ずつ着実に上手くなっていく。

 まるで、礼儀作法を学んだ経験ではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()があるかのような振る舞い。

 身体への意識の向け方が上手い。

 容姿が整っている上に珍しい髪色であることが細かいミスに注意を向けさせない役に立っているのも事実だが、アリスの魅力は決してそこだけではない。

 

 同時に、気質的に作法を学ぶ適性があるのも感じた。普段から敬語を使って礼儀正しくしている少女なので、この辺りは意外ではない。

 

(あるいは、アリス様を()()させた教育が原因なのでしょうか)

 

 外国に親戚がいるだけだと聞いているので、彼女にも色々あるのだろう。

 かすかな同情を覚えつつ、理緒は担当のメイドと目配せをする。彼女も驚きと共に瞳へ期待を浮かべていた。思ったよりも覚えがいいので、もっと上を目指してもらいたくなってしまう。

 そっと主人に視線を向ければ、彼女もお客様(ご主人様)役を続けながら意味ありげに微笑んでくれる。

 

(この子達の可愛い姿をもっと見たいわ)

 

 とでも思っているのだろう。

 許可を得た理緒達は講習の合格ラインをそっと引き上げた。中学生レベルから高校生レベル程度に。大した違いではないと思うかもしれないが、そもそも一日で覚えるのは難しい難易度だったのだ。アリス達の基礎性能(スペック)の高さをあらためて思い知る。

 

 昼食(中にもテーブルマナー講習)を経て、おやつの時間になる頃には、アリス達は一通りの練習内容をクリアしていた。

 

「お二人ともよくできました。あとは、これをどれだけ覚えていられるか、ですね」

 

 付け焼き刃の技術ほど抜けるのも早い。

 なので、覚えがいい者であっても反復練習はするに越したことはないのだが、

 

「私は家の手伝いで使う機会があるので大丈夫です」

「私も、ノワールさんと家で練習します」

 

 そういえば、アリスの家にもメイドがいるのだった。

 服のセンスも含め、あのメイドもただものではなかった。少女がメイドの作法に長けていた理由の一端には「見慣れているから」というのもあったのかもしれない。

 中学生時代からメイドに触れている金髪美少女。

 彼女が将来、メイド喫茶でアルバイトするようなことがあれば、ついつい通ってしまいそうだと思いつつ、理緒はアリス達へのご褒美も兼ねたおやつのデザートを準備するのだった。



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聖女、くすぐる

「アリスちゃん、今のもう一回言って、ね?」

 

 芽愛の顔が、キスできそうなほど近くにあった。

 期待するような表情。頬はうっすらと赤らんでいて、男子相手だったら勘違いされてしまいそうだ。注意した方がいいのかもしれないが、正直俺もそれどころではなかった。

 

「べ、別に変なこと言ってないじゃないですか……!」

 

 視線を逸らして弁解すると、少女は「えー」と頬を膨らませて、

 

「だって、さっきのアリスちゃん可愛かったんだもん」

「芽愛さん、こんな場所ですしその話はもう……」

 

 俺達が今いるのは緋桜家の玄関である。

 本職のメイドさんによる講習会は無事終わった。おやつに美味しいアップルパイ(なんと手作りかつ焼きたてだった)をいただき、本日は解散となったところ。

 理緒さんが車を回してくれている僅かな時間での出来事であり、周りには家事をするメイドさんの姿もある。主人の邪魔にならないように教育されている彼女達はうまく気配を消しているし、見聞きしたことを外部に漏らしたりもしないだろうが、恥ずかしいものは恥ずかしい。

 

 というか、そんな騒ぐような話でもない。

 

 元はといえば、講習が厳しかったせいだ。

 練習の方法はひたすら反復練習を繰り返すこと。所作を一つ一つ、簡単なものから練習させてくれたのは有り難かったものの、同じことを何度も何度も実行させられるのは神経が磨り減る。一回ごとに動作をブラッシュアップして洗練させていかなければいつまで経っても終わらないからだ。

 要所でアドバイスをもらえたお陰もあって、俺はなんとか合格ラインに到達することができた。一緒に講習を受けていた芽愛は終始余裕のありそうな様子だったので、やはり経験値の差は大きかったらしい。

 というわけで、今日は非常に疲れた。

 ご褒美を兼ねたアップルパイと紅茶は非常に美味しくて、思わずお代わりまで要求してしまったくらいだが、ふっと気を抜いた瞬間に疲労が襲ってくるのは避けられない。

 

 なので、つい言ってしまったのだ。

 

『……ああ、疲れた』

 

 で、続きは? という話になるかもしれないが、言ったのはただそれだけである。

 メイドとしての業務中ならともかく、プライベートでちょっと呟くくらい構わないだろう。なので別に、聞き咎められるようなポイントではない。

 そう、普通なら。

 問題は、普段の俺ならこうはならないということだ。

 

『つ、疲れました……』

 

 芽愛から見た「アリシア・ブライトネス」なら当然こうなるべき場面。

 普段から誰に対しても敬語な「アリスちゃん」がですます口調なしで思わず放った一言。これは芽愛にとって物凄い破壊力があったらしい。瞬時に目をきらきらと輝かせて俺の手を取り、冒頭の発言を繰り出してきた。

 

「だって、アリスちゃんが普通にお喋りしてくれたんだよ? もっと聞きたい!」

「私が普段普通じゃないみたいじゃないですか……!」

 

 変人だと思われるのは心外である。

 いや、常時敬語は変人か?

 美少女ならスルーされてしかるべき案件だと思うが……もしかすると俺の常識は世間とズレがあるかもしれない。何しろ家にメイドさんがいて、俺より小さな成人女性がいて、本当に疲れの取れる栄養ドリンクが冷蔵庫に常備されていて、同い年の少女がエロゲを薦めてくる環境だ。

 今まで積み重ねてきた女子としての実績が崩れていくような錯覚を覚えつつ、いやいや大丈夫なはずだと不安を追い払う。

 

「……敬語以外はあまり上手じゃないんです」

 

 言い訳としてはこれが順当だろう。

 照れくさい気持ちになりつつぽつりと言うと、芽愛が小さく何かを呟いた。可愛い、と聞こえたような気もするが、実際はキモイと言ったのかもしれない。それくらいの声量。

 満面の笑みを浮かべた友人の少女はうんうんと頷いて、

 

「別に上手じゃなくても、敬語抜きでお話してくれていいんだよ?」

 

 慈愛の籠もった眼差しに、胸がきゅう、と締め付けられる。

 衝動的にこみ上げてきたのは芽愛への愛しさ。身体と立場に引っ張られているのだろうが、女子になってから時々こんな風に感情が溢れてくる。

 すぐさま抱きついてうれし泣きをしたくなるが、それが自動的に実行される直前に、

 

「あら、何の話?」

 

 見送りに来てくれた鈴香が姿を現した。

 

「えっとね、さっきアリスちゃんが一言だけ敬語抜きでお喋りしてくれて──」

「芽愛さん、それ以上言ったらひどいですからね!?」

「? アリスちゃん、ひどいってどんな風に?」

「え? そ、それはほら、笑い疲れるまでくすぐり続けるとか……?」

 

 咄嗟に聞き返されると何も浮かんでこなかった。

 さすがにくすぐり攻撃はないだろうという気がするが、しかし、女子の身体に無体なことはできない。弱い脇の下などを触る時点でくすぐりもアウトかもしれないくらいだ。イリーガルユースオブハンズとかいうやつである。

 なお、他に思い浮かんだのは頬をつねるとか突く等の、俺が普段やられていることだった。朱華ももう少しまともな攻撃をしてきてくれれば……って、それも何か違うか。

 などとわいわいやっている間に理緒さんが顔を出して、送迎の準備ができたことを俺達に告げた。

 

「それじゃあ鈴香、またね」

「ええ。アリスさんも、今日はゆっくり休んでくださいね」

「ありがとうございます。教えてもらったこと、忘れないように練習しておきますね」

 

 月曜日に学校で会おうと約束して、俺達は別れた。

 

 

 

 

 

 

 

 帰りは疲れているだろうから、と、理緒さんは家まで送ってくれた。

 メイド服の入ったトランクケースを手にシェアハウスに帰還すると、ぱたぱたと二つ分の足音が奥から聞こえてきた。

 

「お帰りなさいませ、アリスさま」

「お疲れさま。どうだった?」

 

 ほっとする笑顔と、掛値なく毎日見ている呑気な表情。

 ノワールと朱華に微笑んで答える。

 

「はい。すごく勉強になりました」

 

 するとノワールは「それは良かったです」と頷いてくれた。

 朱華の方は「ふうん……?」と声を上げると、何かを調べるように俺の顔を覗き込んで、

 

「大して変わった気はしないわね。いつにも増して背筋が伸びてるような気はするけど」

「別人みたいに変わってたらそっちの方が怖いじゃないですか」

 

 珍しく出迎えてくれたと思ったらこれである。

 少しからかってやったほうがいいのか。

 俺は少しだけ思案してから、今日教えてもらったことを思い出しつつ、ノワールに似せた声音を作って、

 

「朱華()()はもっとメイドらしい()()()がお望みなのですか?」

 

 上目遣いで見上げると、隣にいるノワールが「……っ」と息を呑んで頬を上気させる。

 しかし肝心の相手には大した効き目がなかったらしく、彼女はふっと笑うとぽんぽん、と俺の頭を軽く叩いて、

 

「あたしはいつものあんたが好きよ」

「……っ」

 

 赤面させられたのは俺の方だった。

 今日は一日頑張った、と自信を持って言える疲れた身体に甘い言葉は深く染みる。思わず目が潤んでしまいそうになるのを必死で抑えて「そうですか」と()()()()()()答えると、朱華の顔には「してやったり」といった表情が浮かんだ。

 

「あたしをからかおうなんて十年早いのよ」

「っ、この……っ!」

「あ、アリスさま! 抑えてください! 朱華さまにも悪気は()()()()ないのです!」

 

 ノワールに抱きしめられるように止められなかったら、朱華に飛びかかった俺は彼女を押し倒していたかもしれない。

 押し倒した後のプランは全くなかったので、できたとしても頬を引っ張るとかその程度だろうが、転んだ拍子に頭を打った可能性もある。軽挙妄動は碌なことにならない。ついかっとなってしまったのは反省しなければならない。

 と、思っていたら朱華に「あんたってそういうの向いてないわよね」と言われた。

 さすがにむかっとしたので朱華の脇をくすぐってやったら、あっさり攻守逆転して思い切りくすぐられた。くすぐったすぎて泣きそうになった。

 

 

 

 

 

 

 

「ほう。中々様になっているではないか」

「ありがとうございます」

 

 せっかく教わった内容を忘れてしまうのも勿体ないので、早速夕食時に試してみた。

 休日出勤から帰って来た教授を含むメンバーを相手に皿や料理を運んだり、飲み物を注いだりするだけ。言ってしまえばノワールのお手伝いだが、立ち居振る舞いが変わるだけでも案外それっぽく見えるらしく、みんなの反応は好評だった。

 シルビアも満更ではなさそうに笑顔を浮かべて、

 

「うん、すっごく可愛いよー。スカートめくりたくなるくらい」

「やめてください」

 

 冗談だろうが、実際にスカートに手が伸ばされたので、身をよじってかわす。

 と、銀髪の少女は不思議そうに首を傾げて、

 

「でもアリスちゃん? どうしてわざわざメイド服着てるの?」

 

 そう。

 給仕の真似事をする俺は、昼間さんざん着たばかりのシスターメイド服を再び身に纏っていた。そのため、リビングには一時的に二人のメイドが居る状態。

 一回着ただけとはいえ、本番前にクリーニングに出しておいた方がいいかもなのでその前に、というのもわざわざ着た理由なのだが、

 

「着替えないと気分が出ないじゃないですか」

 

 戦いの時に聖職者衣装を纏うのと同じこと。

 メイドとして振る舞う時はメイド服を着た方が能率が上がるのである。特に、普段着で家にいたのでは気分がなかなか切り替わってくれない。

 剣道の防具みたいに機能的な問題ならともかく、ただのやる気でそんなに変わらないだろ……という、常識的な感覚はこの際無視である。特殊職業に制服があるのだってこの手のマインドセット的意味も含まれているはずだ。

 

「アリスさまもわかってくださいますかっ」

 

 今日のメイン料理──鶏肉の香草焼きを運びながらノワールが弾んだ声を上げる。

 

「衣装はしっかりした方が楽しいですよね? でしたらこの機会にもう一着メイド服を──」

「いえ、さすがにこれ以上は……」

「ですが、アリスさま? 予備は必要では?」

 

 鶏肉をナイフで切り分けつつ、小首を傾げるノワール。

 

「シスターメイド服を下ろしてしまいましたし、クリーニングに出すかもしれないのでしょう? 普段から練習するのであれば、念のため二着あった方が良いと思います」

「……確かに」

 

 シスターメイド服は聖職者衣装としても使えるので、文化祭が終わったら戦闘用にしたい。

 他のメイド服は一着しか持っていないわけで、頻繁に着て消耗を早めることを考えればもう一着あっても損はない。

 買うとしたらどんなものがいいだろうか。

 別にオーソドックスなものをもう一着でもいいのだが、それだと芸がないのは俺でもわかる。奇をてらいすぎるのも違うが、ある程度、目新しいものを用意したいところだ。

 

 と、切り分けられ解されたチキンをバゲットに載せてぱくりと口に放り込んだ朱華が「んー!」と歓声を上げ、それから俺を見た。

 

「ほんと、あんたも馴染んだわよねえ」

「いいじゃないですか。……あ、そういえば朱華さん、チャイナメイドっていうのがあるとか言ってましたね」

 

 足を出すほど可愛いとかいうルールがありそうな(独断と偏見)チャイナ服とメイド服が合うのかは正直未知数だが、ちょっと画像検索してみてもいいかもしれない。

 お揃いになってしまうので文化祭には使えないものの、ノワールばかり贔屓していると拗ねた朱華のことだ、少しは喜んでくれるのではないか。

 するとシルビアと教授も顔を上げて、

 

「ノワールさん、ノワールさん。ドクターメイドとか研究者メイドとかないのー?」

「ふむ。学者メイドなんていうのはどうだ?」

「ええと、ナースメイドは比較的メジャーかと思いますが、他はあまり……」

 

 えー、と文句の声が上がった。

 いやまあ、白衣羽織るとか、ぶかぶかのローブを着るとかになるともはや何がメイドなのかわからないよな……。

 

 

 

 

 

 

 後で調べてみたところ、ナースメイドは意外と普通だった。

 というか、凝った品になればなるほどシスターメイドとの差が少なくなるイメージ。ナースメイドにも十字のモチーフ(ただしこっちは正十字が多い)が使われるせいもあるかもしれない。

 チャイナメイドとどっちを買うか悩むところだが、

 

「せっかくなので二着買っちゃいましょうか」

「素晴らしいです、アリスさま。では一着はわたしがプレゼントを──」

「いえ、さすがに自分で買いますから」

 

 とはいえ、注文はいつも通りノワールのアカウントを使った。

 オーダー中の聖職者衣装の件もあるため、彼女の会員グレードは上がっていく一方である。



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聖女、荷物持ちをする

 翌週の土曜日、俺は再び電車を使って二駅隣の街へと向かうことになった。

 

「ままー、がいじんさんー」

「失礼だからそういうこと言っちゃ駄目よ」

 

 またしても注目されてる。

 まあ、予想はしていたので驚きはしない。悪口を言われているのならともかく、容姿を珍しがられているだけならスルーしていればいい。

 このままこの辺りに住んでいれば周りもそのうち慣れるだろう。

 

 っていうか、少なくとも朱華達がいるんだからそんなに珍しいものでもないんじゃ?

 ……いや、そうか。朱華はたまに遊びに出かけてるけど基本面倒くさがりだし、シルビアは暇さえあれば製薬か昼寝をしている。ノワールは髪色の違いがぱっと見わかりづらいし、一番外出する教授は髪や目がどうこうよりも「ちっちゃい」に目が行ってしまう。

 俺にもそのうち後輩ができるのだろうが、その時はこの感覚を共有できる相手を希望したい。

 

 口元に小さく苦笑を浮かべていると、不意に服の袖が引かれた。

 こちらを見上げる小さな女の子と目が合う。

 

「………」

 

 黙ってないでなんか言え。

 思わずツッコミを入れたくなったが、あまり邪険にするのも得策ではない。

 俺はできるだけ自然に見えるように笑顔を作った。

 

「こんにちは」

「っ!」

 

 女の子は驚いたように目を見開くとお母さんの方に走って行って、

 

「ままー、がいじんのおねえちゃんにほんごしゃべったー!」

「もう、駄目でしょ。……あの、すみません」

「いいえ」

 

 もう一度(今度は苦笑気味に)微笑んでみながら「何をやってるんだ俺は」と思った。

 

 

 

 

 

 

 先週見たばかりの改札を降りると、身体が自然にある方向へと向かった。

 

「おはよー、アリスちゃん」

「おはようございます、芽愛さん」

 

 デジャヴ。

 待たせてしまったかと尋ねると、芽愛も今来たところだという。なら良かったと頷いて、俺は駅前噴水広場の時計を見上げた。

 

「鈴香さん達は、今どのあたりなんでしょう?」

「どうだろ? 聞いてみよっか……って言ってたら来た」

 

 グループチャットに入ったメッセージによれば、五分以内に到着するとのこと。

 それくらいならこのまま待てばいいだろう。ウサギが「了解しました」と敬礼しているスタンプを送り、芽愛と並んで立つ。

 

「お菓子開発の方はどうですか?」

「開発っていうと大袈裟だけど……色々考えてたら煮詰まって来ちゃったかも」

 

 答えた少女はむう、と頬を膨らませる。

 

「そうだ。アリスちゃんはどんなお茶請けがいいと思う?」

「え? ええと……そうですね、クッキーとか、チョコレートとか?」

 

 無事『メイド喫茶』に決まった文化祭の出し物。

 本格的に準備が動きだす中、内装や衣装、メニューなども少しずつ具体的な形ができつつある。

 内装に関しては鈴香がメインで口を出しており、彼女が描いたデザイン画(高級感ありすぎて教室感ゼロ)を実現可能なレベルに落とし込む作業中。

 

 提供するメニューに関してはひとまず「ドリンクメニュー数種類のみ」をメインにすることが決定している。

 ドリンクの料金を高めに設定する代わりに、お茶請けのお菓子が自動でついてくるという形にするのだ。種類は選べないとあらかじめ断っておくことで、お菓子の欠品が出た時の対応が簡単になる。

 もちろん、芽愛のお菓子製作が上手く行くようなら別途お菓子販売を考えてもいいのだが、そのためには大量生産がしやすくて美味しいお菓子が必要である。

 

 作りやすいお菓子となると、庶民である俺が挙げられるのはごくごくメジャーなものになる。

 すると芽愛は「だよねー」と深く頷いた。

 

「実は私もそんな感じの結論に至っちゃって」

「アイデアを煮詰めた結果、基本に戻っちゃったんですね……」

 

 俺もオリジナルの俺を育てる時はステ振りやスキル振りでさんざん悩んだ挙句、似たような経験をしたことがある。

 

「そうなの! いっぱい作るならシンプルなお菓子に限るし、みんなが知ってるお菓子の方が結局喜んでもらえるでしょ?」

 

 どこかの国のよく知らないお菓子とか出して来られても「何それ?」となってしまいかねない。

 マリトッツォはたいへん美味しかったが、あれもぶっちゃけた話、クリーム挟んだパンだ。モノ自体はめちゃくちゃシンプルなのである。

 

「だから、凝るなら味付けとか配合に凝ろうかなって」

「ああいうのってシンプルなほど奥が深いんですよね……」

「アリスちゃん、わかってくれるんだ……!」

 

 手を取って見つめられた。

 

「はい。それくらいなら私にもわかります」

 

 うん、まあ、俺がイメージしていたのは肉じゃがという色気の欠片もない料理だったが、食べ物づくりという意味では似たようなものだろう。

 最近はたまにノワールの指導のもとパンケーキ焼いてみたりプリンを作ってみたりしているのでお菓子作りの方も全くわからないわけではない。

 こくんと頷いて元気付けたところで、芽愛は再びがっくり肩を落として、

 

「……だから、試食でカロリーオーバーする日々がまだしばらく続くんだ」

「余った分はクラスで配ってましたもんね……」

 

 芽愛が本気で取り組んだ試作品だけあってどれも美味しいため、クラスメート達までカロリーの過剰摂取に(色んな意味で)悲鳴を上げている。

 

「ふふふ。クッキーとかチョコなら悪くなりにくいし、あんまり重くないから、いっぱいお裾分けできるよー」

「それはもうテロじゃないでしょうか」

 

 甘い物好きに関してはもう開き直ってるし、せっかくもらえるんだから食べるが。

 芽愛は可愛い顔立ちに似合わないクールな表情を浮かべて、

 

「試食してもらわないといけないんだから仕方ないんだよ」

 

 恐ろしい計画が明らかになったところで、黒塗りの高級車が俺達の傍に停まった。

 

「おはようございます、アリスさん、芽愛」

 

 運転手は相変わらず理緒さん。

 後部座席に鈴香。そして助手席には前回のメイド講習不参加だった縫子が座っていた。

 何を隠そう、今回はその縫子が主役。

 文化祭用のメイド服を作るための生地調達がメインの目的なのである。

 

 

 

 

 

 

「先週はありがとうございました、理緒さん」

「いいえ。我々も楽しませていただきましたので」

「……参加しなかったのが本当に悔やまれます」

 

 発車した車内。

 講習の件であらためて理緒さんへお礼を言うと、縫子がしみじみとした調子で呟いた。

 俺達としてはこの一週間弱、何度も聞いた台詞である。三人を代表するように鈴香が苦笑を浮かべて「アキは最近そればっかりね」と言った。

 言われた少女はどこか人形めいた表情を崩さないまま口を開いて、

 

「それだけ残念なんです。……せめて動画で撮影してもらうようにお願いしておくべきでした」

「動画でなんか撮られていたら、私は全力でデータを確保してましたよ」

 

 写真ならまだしも、動画とか晒し者もいいところである。死ぬ前に絶対処分しておくべき類の案件だ。

 と、これまた鈴香が「あら」と首を傾げて、

 

「でも、アリスさん? 個人での反復練習に動画撮影は有効ですよ?」

「う」

 

 確かに、自分の挙動を自分でチェックできるのは有り難い。

 いや、だからといってそれとこれとは別である。

 

「それなら個人練習の時だけ使います……!」

 

 うちにはノワールというお手本がいるので必須でもないが。

 

「残念です」

 

 何故か縫子だけでなく、鈴香と芽愛まで残念そうな顔をした。

 

「ところでアキ。今日は少し遠出するのよね?」

「はい。遠出と言っても海や森林浴の時ほどではありませんが、大きめの手芸用品店に行きたいので」

 

 衣装デザインは幾つものデザイン案を経て決定済みだ。

 最終的に落ち着いたのは、黒いワンピースに白いエプロンを合わせたシンプルなデザイン。背中に大きくスリットを入れておき、着る時はボタンで留める。スカートは膝下を基本に個人裁量で調節する。

 地味といえば地味だが、最大の利点は「生地が二種類で済むので縫うのが楽」ということである。

 一応、安くて可愛い生地が売っていたら買って行くつもりなので、可愛くしたい人は自己責任でアレンジすればいい。もちろんアレンジすればするほど難易度は上がっていくわけだが。

 

「でも、結局いつものメンバーになっちゃいましたね」

 

 買い出し希望者は結構いたのだが、縫子が強権発動してこの人選になった。

 張本人は涼しい顔で、

 

「騒がしくなると面倒なので」

「……私達なら大丈夫、でしょうか?」

 

 鈴香も芽愛もはしゃぐ時は結構はしゃぐ気がする。

 

「鈴香達の騒がしさは慣れていますからね」

「なるほど」

 

 納得した。親しい友人なら騒がれても方向性は分かりやすいし、黙って欲しいと頼みやすいだろう……と。

 

「へえ。縫子ったら、そういうこと言うのね?」

「アリスちゃん?」

「え、あの」

「すみませんでした」

「安芸さん!?」

 

 騒がしいというのが気に障ったらしい鈴香達がいい感じの笑顔を浮かべ出したので、縫子が秒で降伏宣言をした。降伏が遅れた俺は二人に左右からくすぐられそうになったが、理緒さんが「運転中に暴れないでください」と助け船を出してくれたお陰で助かった。

 

 

 

 

 

 

 

 車が停まったのはとある百貨店の駐車場だった。目的の手芸用品店はこの中に入っているらしい。

 

「では行きましょう」

 

 鈴香ほどではないにせよ、縫子もお嬢様。こういうところも慣れているのか、特に気負った様子もなく車を降りていく。その様子は、なんとなくだが気合十分といった感じに見える。

 俺達も鈴香に続くようにして車を降りた。

 

「今日は頑張って荷物持ちをしますね」

 

 芽愛はついでに文化祭用の調理道具(クッキー用の型抜きとか)を物色する予定らしいし、鈴香には理緒さんに車を出してもらうという重要な役割があるが、俺は特別なことが何もない。その分、きちんと荷物持ちとして活躍しなければならない。

 と、芽愛が首を傾げて、

 

「あれ? でもアリスちゃんは衣装作らないんだよね?」

「いえ。勉強にもなりますし、予備にしてもいいので、作ろうかと思ってるんです」

 

 せっかく縫子に教わるチャンスだ。

 いざとなったら自前のものを持ち出せばいいので、完成しなくても最悪問題ない……というのもいい。後は、クラスメートから「一緒の衣装で写真撮ろうよ!」と言われたのもある。

 わからないところが出たら必殺「ノワールに聞く」を発動することもできる。

 

「なるほどー。偉いね。私なんか、面倒臭いからお店の制服借りられないかなー、とか思ってるのに」

「お店の制服ってどんな感じなんですか?」

「ウェイトレスさんっぽい可愛いやつだよー」

 

 メイド服ではないらしいが、配色的にはあまり差がないので代用はできそうだ。

 鈴香はこれにくすりと笑って。

 

「でも、他の子と違う衣装は目立つわ。看板娘が増えるなら大歓迎だけど」

「あ、それはやだ」

 

 ばっさり否定された。

 

「芽愛さんならいけると思いますけど……」

「やだよー。アリスちゃんと朱華さんだよ? 私じゃ絶対地味だってば」

 

 それはまあ、日本人の宿命というか、ラノベなんかでも配色的に見劣りしがちではあるが。芽愛だって十分可愛いのに。

 

「なら代わりに鈴香さん──」

「絶対嫌」

 

 なお、縫子は話題を振られないためか、さっさと先に行ってエスカレーターに乗り込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 エスカレーターに乗って思ったのは、パンツ(ズボンの方)を穿いてきて良かった、ということだ。

 最初から荷物持ちの予定だったので、今日はスカートを止めていた。階段なんかの際、スカートを軽く押さえるのもいい加減癖になってはいるが、しなくていいとなるとやっぱり楽である。

 多少見られるくらいならぶっちゃけ構わないものの、女性から「あの子は礼儀作法がなってない」と白い目で見られるのはなんか恥ずかしいし。

 

「わ。さすがに大きなお店ですね」

「ここに来ればだいたいの物は揃うんです」

 

 良く来る店なのだろう、縫子はどこか自慢げだった。

 買うのは主に生地と糸。後はボタンなどの小物が少々。無地の生地だけでも微妙な色合いの違いや素材の違いなどで何種類もあるので、品物選びは基本的に縫子任せである。

 

「……重いです」

「アリスちゃん、車まで運ぶだけだから頑張ろ?」

「私達も持ちますから大丈夫ですよ」

「アリス様。私にも分けてください」

 

 クラスメート全員分となると量も重さもかなりのもの。

 できるだけ多くを負担したかったが、そんなことは言っていられなかった。俺達は手分けして購入した品物を持ち、車まで運んだ。

 

「しまった。……生地を買うのは後にすれば良かったですね」

「仕方ないわ。縫子も楽しみにしていたのよね?」

 

 車から百貨店に舞い戻った俺達は芽愛の買い物に付き合った後、中のレストランで昼食にした。

 お子様ランチという文字が見えて若干心惹かれつつ、あれはせいぜい小学生までだから我慢……と思ったら「大人のお子様ランチ」なるメニューがあったのでそれを頼んだ。

 デザートにパフェも注文したので少々食べ過ぎだったが、気分的には物凄く満足だった。



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聖女、デートに誘われる

 買い出しの日の夕食は鍋だった。

 

 大根おろしのたっぷり入った、いわゆる「みぞれ鍋」だ。具材としては鶏つくねと各種野菜。食べ応え満点な上、自然と野菜を食べられるのが心憎い。

 俺がシェアハウスに来たのが初夏に近かったのもあって、これまではあまり鍋が出なかった。

 しかし、ここの流儀は把握している。ご飯のおかずに鍋を食べるのではなく、鍋にしっかり集中してからシメをいただくタイプだ。

 もちろん、教授は食事開始と同時に缶ビールの蓋を開けた。

 

「うわ美味しそう。肉もしっかり入ってるじゃない」

「うむ。これからは鍋の季節だな」

「鍋の時は戦争だからねー。気合い入れないと」

 

 メンバーからも歓声が上がった。

 

「え。あの、ノワールさん。鍋争奪戦はそんなに激しいんですか?」

「具材はたっぷりありますので、焦らなくても大丈夫ですよ。シルビアさまは大袈裟すぎます」

 

 不安になって尋ねれば、ノワールはくすりと笑って答えてくれた。

 良かった。これまでの鍋が熾烈な具材争奪戦だった記憶はないのだが、あれがお客様用のまったりモードだったとしたら戦慄していたところだ。

 小食になったとはいえ、俺だって育ちざかりには違いない。夜中にお腹が空いて起きてしまう、なんていうのは避けたい。いや、ノワールは喜んで夜食を作ってくれそうではあるが。

 

「では、いただきましょう」

「いただきます!!」

 

 食事が始まった途端、戦争とまではいかないにせよ、次々に具材が鍋から消えていく。

 ノワールの言った通り量は十分であり、俺の器にもこんもりと野菜やつくね、大根おろしが確保された。若干のスープと共にそれらを口に運べば、様々の具材から出たうま味による複雑な味が幸福感を与えてくれる。

 

「美味しいです、ノワールさん」

「それは良かったです。どんどん食べてくださいね」

「はいっ」

 

 俺は各種具材をバランスよく。朱華は肉多め。シルビアはバランス良いものの量が多め。教授はさっき言った通りビール片手に鍋をつまんでおり、ノワールは白ワインをちびちび飲みながら周りの世話をしつつ、自分も食を進めている。

 みんなで鍋というのも良いものだ。

 芽愛達とはまだ経験がないが、いつかやる機会があるだろうか。誰かの家で、とかいう話になると、お洒落にチーズフォンデュパーティとかになってしまいそうな気もするが。

 

 俺も、もっと料理を練習しないと。

 鍋も奥が深い。具材を入れて煮るだけに見えて、具材の組み合わせや下ごしらえの仕方、味付けなど凝れる部分はいくらでもある。これからもノワールの手際を参考にしていかないと。

 

「あ、そうだアリス。お願いがあるんだけど」

「はい? お願いですか?」

 

 不意に朱華に声をかけられる。

 何かあったのだろうか。首を傾げつつ、変な頼みだったら断ろうと内心で決める。

 例えば、ラノベを装った官能小説を読んで感想文を書けとか。

 

「うん。もし暇なら明日、デートしてくれない?」

「あ、なんだ。そういうことですか」

 

 全然普通の頼みだった。

 幸い明日は予定もないし、付き合うのはやぶさかではない。俺は快く頷いて、

 

「もちろんです。……って、あれ?」

 

 変な頼みではなかったものの、驚くべきフレーズが交ざっていたような?

 

「あの、朱華さん? もしかしてデートって言いました?」

「言ったわよ? ……んー! この鶏つくね最高!」

 

 平然と答えた少女は鶏つくねに歓声を上げ始めてしまったが……いや、待て。「言ったわよ?」で済ませるんじゃない。

 いつもなら料理への賛辞に「ありがとうございます」と返すノワールもぽかんとした表情を浮かべて、

 

「朱華さま? 明日はアリスさまとデート、なのですか……?」

「はい。アリスがOKしてくれたので、明日は外食してくると思います」

 

 答えながらにんじんとニラをぱくつく朱華。

 だから食べている場合ではなく、

 

「待て、お主らいつの間にそういう関係になったのだ!?」

「あ、アリスちゃん? 女の子の身体が好みなら私も悪くないと思うんだけど、もしかして高校生以上には興奮できないとか……!?」

「待ってください、濡れ衣です!」

 

 大騒ぎになりつつ、朱華に「デート」とやらの目的をみんなで吐かせた。

 

 

 

 

 

 

 

「別に大した話じゃないのよ。二人で遊びに行ってくれればいいだけ」

 

 と、犯人(しゅか)はそんな風に供述した。

 

「なんだ。驚いて損したよー」

「ですが、朱華さまが率先して遊びに出るなんて珍しいですね? 新しいゲームの発売日とか、でしょうか?」

「いや、最近のゲームは通販やDLで手に入るからな。むしろイベント関係ではないか?」

「みんなあたしをなんだと思ってるのよ。まあ、普段の言動はだいたいそんな感じだけど」

 

 因果応報じゃないか、というのは置いておいて。

 

「じゃあ、本当にただ遊びに行くだけなんですか?」

「それ、本当にデートじゃない?」

「だからデートだって言ったんだってば」

 

 シメの雑炊を口に運びつつ、朱華。

 

「つまり、お主はアリスを落とそうとしている、ということか?」

「そうなのですか、朱華さま!?」

「いや、違うってば。……ん? 違わないかも? どうだろ?」

「どっちなんですか」

「だから、健全な百合的デートでいいのよ。あたしの体質改善に効果があるかどうか確かめるために」

「?」

 

 詳しく話を聞くと、こういうことだった。

 

「あたしが鬼畜エロゲ体質なのは知ってるでしょ?」

「ものすごく独特のフレーズですが、まあ、知ってます」

 

 簡単に言えば性的なピンチを誘発しやすい体質だ。

 電車に乗れば痴漢に遭う、共学校に行けば変態教師に狙われる、一人で海で泳ごうものならチャラい男がナンパしてくる、エロゲプレイヤーの集まるオフ会に出かければ当然のように紅一点になる……エトセトラ。

 あくまでも確率が高くなるという話だし、その気がない相手に性犯罪を犯させるような強制力はないのだが、ちょっとした危険を高確率で引き寄せるという時点でなかなかにハードだ。

 朱華が出不精なのは、周りに仲間や友人がいないとこの体質のせいで碌なことがないから、というのもある(はずだ)。

 

「これって、あたしがエロゲ出身だからだと思うのよ。ってことは、別のジャンルに乗り換えられれば体質がマシになるんじゃないかなって」

「あー。だから百合なんだね」

「待ってください、シルビアさん。一人で納得しないでください」

「考えてみてよアリスちゃん。百合って女の子同士の話でしょ? だから、合法的に男を排除できるんだよ」

「いえ、その前段階がよくわからないんですが」

 

 突っ込んで聞いたみたところ、要は鬼畜エロゲっぽくないシチュエーションに身を置くことで「エロゲのメインヒロイン」という枠組みから抜け出そう、ということらしい。

 

「それじゃあ私が相手じゃダメだよねー」

「シルビアさんが相手だと百合は百合でも百合エロゲにしかなりませんからね」

「え、あの、そんなに簡単に体質って変わるものなんですか?」

「さあ?」

 

 首を傾げる朱華。そこはわからないらしい。

 教授が「うーむ」と呻って、

 

「やってみる価値はあるかもしれんな」

「本当ですか……?」

「うむ。これは、我々がどういう存在なのかを問う試みでもあると思う。オリジナルそのものなのか、オリジナルと同質ではあっても全く同じではないのか、というな」

 

 朱華がオリジナルの朱華の性質をそのまま受け継いでいて変えようがないなら、いくら頑張ってもエロゲ体質も変わらない。

 しかし、同じ存在であっても成長・変化が可能であるのなら、体質改善できるかもしれない。

 

「オリジナルの存在自体を変質させようとするなら、ソフトメーカーにファンディスクを出してもらわなければならない。それはさすがに骨だからな」

「んー、まあ、それも多分無理だけどねー。私、前に(シルビア)のレベルが10000になる短編書いてみたけど、なんにも変わらなかったし」

 

 後付けでオリジナルを改変しても、既に「なってしまって」いる俺達への影響はないということか。

 

「あれ、それだと朱華さんの体質、治るかもしれませんね……?」

 

 少なくともオリジナルと連動し続けてはいない、ということになる。

 すると朱華はにっと笑って、

 

「だから協力してくれる、アリス?」

 

 嫌、と言えるわけがない。

 俺は笑って頷きを返した。

 

「わかりました。私で良ければ協力させてください」

 

 俺が「あれ? つまりそれって朱華と一日いちゃいちゃしろってことじゃ……?」という思考にたどり着いたのは、眠りにつこうとベッドに入ったその時のことだった。

 

 

 

 

 

 

 翌日、俺はいつもより十五分早く起きた。

 身嗜みに悩む時間を取るためである。何しろ、

 

「女の子同士のデートってどんな格好していけばいいんだ……?」

 

 男女のデートさえ未経験の俺にそんなことがわかるわけがない。

 いや、まあ、朱華相手に何の準備もなく「本当の恋人同士のような」演技ができるかといわれればノーだし、するつもりもない。なのであまり時間をかけて悩みたくない、という心理が働いた結果が「十五分の早起き」である。

 とりあえず顔を洗ってシャワーを浴びながら、俺は頭を悩ませて、

 

「……まあ、いつも通りでいいか」

 

 朱華の望みは百合っぽいシチュエーションらしい。

 特に、ソフトなデートが良いようなので、あまり気負っても仕方ないだろう。ああいうのは当人達に変な気は一切なく、素直に遊んでいるくらいがちょうどいい。見ている側がそれを百合だと解釈するのだ。

 自分なりの結論を出した俺は急ぐこともなく朝の日課を済ませ、鈴香達と遊びに行くときと同じように外出用の服を選んだ。

 白系のワンピースに黒いタイツ。鞄は小さめのものを合わせて、アクセサリー代わりにロザリオを下げる。気合を入れたお洒落ではないが、お嬢様達に合わせてかなり大人しいスタイル。余所行き感は十分に出るだろう。

 

 そういえば、朱華がどういうデートをするつもりなのか聞かなかったが……バッティングセンターとか連れて行かれたらどうしようか。

 まあ、それはそれで初々しい失敗デートっぽく見えるかもしれないので、気にしないことにする。

 

「よし、と」

 

 鞄の中に入れていくものを再度チェックした後、いつものようにリビングに下りた。

 

「あ、アリスさま」

 

 すると、すぐさま俺を発見したノワールが何やら近寄ってくる。朝の挨拶は顔を洗う時に済ませたのだが。

 

「あの、アリスさま。……遅くなる時は早めにご連絡くださいねっ」

「なっ」

 

 可愛らしい声で耳うちされた俺は思わず赤面してしまった。

 見ればノワールも若干頬を染め、期待と共にからかうような色合いを瞳に浮かべていた。

 朱華やシルビア、教授のいるところで言わないでくれただけ有難いけど、そういう冗談はやめてほしい。

 俺はため息をついて「わかりました」と答える。

 

「朱華さんが『ラーメン食べて帰ろう』とか言い出すかもしれませんし、気をつけます」

 

 ノワールもこれにくすりと笑ってくれた。

 

「そうですね。……それは少しありそうな気がします」

 

 で、当の朱華はというと、いつもよりも多少早めに起きてきた。

 

「おはようございます、ノワールさん。アリスも、おはよ」

 

 顔を洗ってすっきりしたにしても、普段より明瞭な挨拶。

 彼女の顔を見た瞬間、無駄な緊張が走ったのを感じつつ、俺は憎まれ口を叩いた。

 

「昨日はよく眠れましたか?」

「ああ、うん。さすがに昨夜は早めに寝たわよ。たまにはしっかり寝るのもいいわね」

「……む」

 

 なんで今日に限ってそんなに素直なのか。

 徹夜して一睡もしてないから今日は中止、とかいう展開も若干覚悟していたというのに。

 

 

 

 

 

 

 

「アリス、そろそろ行けそう?」

 

 朝食を終えた後、俺は一度部屋に戻った。

 外出用のコーデに着替え、時間つぶしにラノベを読んでいると、適当なところで部屋のドアがノックされる。

 

「はい、大丈夫です」

 

 ドアを開けると、そこにはTシャツにジャケット、パンツという格好の朱華がいた。鞄はカジュアルかつスポーティな黒いバッグ。

 特にメンズを選んでいるわけではないものの、紅髪かつスタイルの良い朱華が着ると妙に決まって見える。

 少なくとも普段の部屋着よりはずっとデートっぽい。

 

「……ズボンなんですね」

 

 ぽつりと感想を言うと、軽く肩を竦めて、

 

「動きやすい方が楽じゃない。いざって言う時に走って逃げられるし」

「え、あの、私はスカートなんですけど」

 

 ナンパされたり悪の組織に狙われたりする可能性を考慮しているのか。

 今からでも男装してこようかと一瞬考えたところで「大丈夫よ」と肩を叩かれた。

 

「逃げる時はちゃんと手引っ張ってあげるから」

「………」

 

 アニメなんかでよくある「お嬢様を連れて逃げる主人公」の図を想像してしまった俺は、慌てて首を振ってイメージを打ち消した。

 

「そもそも、そんな目に遭いたくないです」

「うん、知ってる」



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聖女、デートする(前編)

 朱華と二人、ノワールに見送られて出発する。

 向かったのは駅の方向。

 何気ない足取りの少女を追いながら俺は尋ねた。

 

「タクシー拾います?」

「そんなのお金もったいないじゃない。心配しなくても大丈夫よ、たぶん」

「そうでしょうか……?」

 

 まあ、日曜とはいえ痴漢が出るほど混まないとは思うが。

 

「っていうか、可愛くない話は控えなさいよ。痴漢が怖いから電車は使わない女の子とか、百合マンガには出てこないじゃない」

「今時の百合マンガなら意外といそうですけど」

「あー。男性恐怖症のお嬢様とかなら普通にいけるか。絶対あたしの立ち位置じゃないけど」

 

 エロゲ大好きな外国人美少女の方が百合漫画で珍しいのは間違いない。

 若干先行していた朱華は俺に並ぶようにペースを落として、

 

「アリスの見た目なら男性恐怖症もお嬢様も普通に通りそうね」

「朱華さん、怖いからタクシー使いましょう……って感じですか」

「あははっ、そうそう。まあ、それでも電車乗るんだけどね」

「鬼ですか」

 

 涙目でうるうるしながら引きずられていく男性恐怖症のお嬢様を想像していると、紅の髪の少女はにっと笑って、

 

「変な奴がいたらあたしが守ってあげるから安心しなさい」

 

 変な奴が出たら十中八九、朱華のせいである。

 

 

 

 

 

 

 

 思った通り、電車は言うほど混んではいなかった。

 目的地は何駅か先にある大きめの街らしい。

 うまく二席隣り合って空いているところを見つけて腰を下ろしながら朱華に尋ねた。

 

「何をするかは決めてるんですか?」

「んー、まあ、買い物とか?」

「あのあたりにサブカル系のお店ってありましたっけ?」

「ラノベとかマンガの総合ショップと、あとメイド喫茶があるわよ。……って、別にそういうつもりじゃないっての」

 

 少し意外だった。

 ならPC用品でも買うのかと思えばそれも違うらしい。

 綺麗な紅の瞳にジトっと睨まれて、

 

「普通に服とかアクセとか雑貨とか見て、合間に甘い物とか食べて、ファミレスか何かでお昼しながら休憩して、時間余ったらカラオケにでも行けばいいでしょ?」

「デートじゃないですか」

「だからデートだって言ってるじゃない」

 

 ちなみにデート云々はお互いに若干小声で言い合った。

 

「言っとくけど、あたしのデート知識なんて付け焼刃なんだからね」

「私もデートなんてマンガとかでしか知りません」

 

 ラブコメの定番デートというとヒロインに連れられて服屋に入って、プチファッションショーをするヒロインに見惚れたり、アイスとかクレープで「一口ちょうだい」なんてイベントをやったりして「後は楽しい時間を過ごしました」的な雰囲気だけ作って終わる感じだ。

 つまり、さっき朱華が言ったようなルートになる。

 

「あれなら映画とか見に行ってもいいんだけどさ」

「映画は上級者向けだと聞きますね」

「見てる間は話せないし、お互いの好みが合うとも限らないしね。付き合いたての彼氏が映画中に寝てたりしたら殺意湧くでしょ」

「あー……。よく知ってる相手なら許せるかもしれませんけど、付き合いたてだと嫌ですね」

 

 俺達はしばらくそのまま「デートの定番だけど実は上級者向けなスポット」あるあるで盛り上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 あっという間に目的の駅に到着。

 

「アリス。なんか買いたいものある?」

「あ、なら冬物の服を見たいです。服とか、あと手袋とか」

 

 今は冬物の売り出しシーズン。

 今年の初夏から女子になった俺は当然、冬物の服なんて持っていないので、まとまった量が必要になる。

 この前、鈴香達と百貨店に行った時にも軽く店を回ったし、その時にデザインの良いコートを見つけて購入したりはしたのだが、まだまだ足りていない。

 これに朱華は頷いて、

 

「あたしも少し買い足したいし、まとめて済ませましょうか」

 

 というわけで、まずは駅ビル内の服屋を回ることに。

 

「冬って着こまないといけないから大変ですよね」

「荷物は確実にかさばるわよね。でも、夏は夏で、いくら暑くても脱げる服には限度があるじゃない」

「永遠に決着がつかない系の論争ですね……」

 

 この身体(アリシア)になって特に思うようになったのは、夏場は汗でべとつくのが面倒、ということだ。かといって手足に直射日光が当たるのもあれなので半袖とかにするのも勇気がいる。

 そういう意味では冬の方がまだマシだろうか……?

 しかし、こればっかりは実際に経験してみないとわからないところもある。

 

「あれ? そういえば女性の方が身体が冷えやすいって言いませんか?」

「ああ、あれガチだから気をつけた方がいいわよ。着こむ量は多めに見積もっときなさい」

 

 マジですか……。

 となると、今も穿いているがタイツ、ストッキングの類は欠かせなさそうだ。冬用に厚手のものを多めに買っておいた方がいいかもしれない。

 出先でタイツを買い込むのもアレなので、今日は服優先だが。

 

「あんた、コートは白いの買ったんだっけ」

「はい。結構奮発してしまいました……」

 

 なんだかんだ、友人と一緒でテンションが上がっていたのだろう。

 お嬢様ズからの「可愛いと思います」「絶対これがいいよ!」といった後押しもあって、なかなかに値の張るふわふわのコートを買ってしまった。

 なお、鈴香達が推してきたコートはもう一種類あって、

 

「赤い方にしなくて良かったとは思います」

「そう? アリスなら似合いそうだけど」

「赤いコートなんて着てたらサンタクロースみたいじゃないですか」

「……ああ、あんた金髪だから似合うわよね。色んな意味で」

 

 押し殺すような感じで笑われたので、とりあえず頬を膨らませて睨んでおく。

 サンタは白髭のイメージの方が強いし、帽子被ってるから髪はそんなに関係ないはずだ。

 

「赤いのは朱華さんの方が似合いますよ、絶対」

「うん、まあ似合うだろうけど、絶対目立つわよそれ」

 

 髪も瞳もコートも赤だともう、人目を惹く要素しかない。

 

「っていうか、あたしは去年買ったコートがあるし」

「何色ですか?」

「ブラウン」

 

 滅茶苦茶普通だった。

 とはいえ、無難な色のものは使いやすい。普段使いするならそういうものの方がいいだろう。

 俺も朱華を参考に、手袋やマフラーは薄いブラウンのものを購入した。

 メインになる服の方はノワールや縫子から得た知識などを動員しつつ、色味が偏らないように気を付けて選んだ。ある程度暖かい季節なら白のワンピース、以上! と言えるが冬だとそうもいかないので、組み合わせは色々気をつけないといけない。

 出かける度に複雑なコーディネートをするのかと思うと「面倒くさいな……」という思いが湧いてくるが、同時に別の部分では色々試せそうでわくわくしている自分もいた。

 

「アリス。帽子とか耳当てもあるわよ。ほら」

「って、当たり前のように赤いのを渡さないでください!」

 

 その辺はコートと色を合わせていいだろうと、白い耳当てにした。

 

 

 

 

 

 

 

「しまった。お昼時になっちゃってるじゃない。まだ甘いもの食べてないのに」

「それはおやつでいいんじゃないですか?」

「午前と午後二回食べれば二回楽しめたでしょ」

 

 などと言いつつ、どこで昼食にするか検討する。

 付近にはファミレスやファーストフードから普通のレストランまで色々な店が揃っている。よりどりみどりではあるが、日曜ということで安い店は結構混んでいる。そのあたりも踏まえつつ選ばなければならないが、

 

「ねえアリス。ノワールさんのいない時こそジャンクなもの食べなきゃ嘘じゃない?」

「いいですけど、さすがに牛丼屋とかはなしですよ?」

 

 露骨に「服を買いすぎてお金がなくなった女子中学生(金髪と紅髪)の図」になってしまう。

 値段が大して変わらなくてもハンバーガーやフライドチキンなら問題ない。単なるイメージの問題だが、多少はトラブル防止にもなるはず。

 これに朱華「んー、じゃあ……」と思案して、

 

「あ。五分くらい歩くけど、確か美味しいラーメン屋があるのよ。そこ行きましょ」

「まさか予想が当たるとは」

「何の話?」

「いえ、なんでもないです」

 

 ディナーではなくランチだったのは幸いかもしれない。消費カロリー的に考えると本来は朝>昼>夜の順で食事を重くした方がいいとかなんとか聞いたような気がするし。

 買い物袋は駅の貸しロッカーに預けて朱華の案内で歩く。

 

「でも、ラーメンなんて久しぶりです」

「あんたカップ麺とかも食べてないもんね」

「はい。友達と一緒でもラーメン屋に行こう、とはなりませんし」

 

 遊びに行く機会の多い鈴香達の場合、麺類ならほぼ確実にパスタだ。他のクラスメートと遊びに行った時に提案するとしても、うどんか蕎麦がギリギリだろう。ラーメンはほぼ確実に却下される。

 

「着いたわよ。あ、ラッキー、すぐ入れそう」

 

 到着したのは個人経営の、さほど広くはない店だった。店内は特にこじゃれてないし、店主は普通に中年男性。別に女性向きというわけではない、ごくごく普通のラーメン店。

 ただ、男だった頃の感覚が「ここは当たりっぽい」と告げている。

 カウンターが二席空いているのを見た朱華は嬉しそうに表情を歪め、からからと店の戸をスライドさせる。

 

「いらっしゃいませー」

 

 朱華の後に続けば、元気の良い声が俺達を出迎えてくれる。

 直後、店の中にいた客からちらりとこちらへ視線が送られ──大半が驚いたように二度見してきた。まあ、外人が来ることはあるだろうし女性客が来ることだってある、中学生だけのグループも休日なら珍しくはないだろうが、全部複合しているケースはさすがにレアだろう。

 気にしているのかいないのか、朱華はそのまま入り口脇の券売機の前に立つ。さすが、慣れてる。彼女のラーメン屋経験が朱華になってからのものなのか、それともなる前のものなのかはわからないが。

 俺は少女の後ろから券売機のボタンを覗き込んで、

 

「何よこれ、知らないんだけどこんなメニュー」

 

 不満そうな小さな呟きを耳にした。

 どうやらこの店はとんこつラーメンの店らしい。「豚骨ラーメン」「特製豚骨ラーメン」「特製背脂豚骨ラーメン」と並ぶ中から朱華は迷わず特製背脂をチョイスしたようだ。あとライス。とんこつとなると相応にこってりしているのでご飯が欲しくなるのはわかる。

 で、彼女が見て憤慨したのは別枠で用意された『カルボナーラ風ラーメン』。

 カルボナーラ風。おそらくはとんこつをベースにコショウを利かせたものだろう。場合によってはスープにチーズ、あるいは卵を混ぜ込んでいる可能性もある。

 

「美味しそうじゃないですか、カルボナーラ風」

 

 初めての店ではスタンダードな品、グレードが分かれている場合は真ん中をチョイスするのが俺的なラーメン店攻略法なのだが、これは心惹かれるものがある。

 

「いや駄目でしょ。こんな明らかに女子受け狙ったようなメニュー。ラーメンっていうのはもっとこう、硬派なものじゃない」

「それを女子が言いますか」

 

 脇にどいた朱華の代わりに券売機の前に立つと、俺は紙幣を投入。『カルボナーラ風ラーメン』のボタンを押した。

 

「あっ」

 

 すぐに出てくる小さなチケット。出てきたおつりを拾い、俺は更に『杏仁豆腐』(150円)を購入。カウンター越しに券を提示して席につく。

 

「……裏切り者」

「朱華さんだって興味ありますよね、カルボナーラ」

「あるけど。……あんただって特製豚骨食べたら『こっちの方が好き』ってなるわよ」

 

 朱華のも一口くれるらしい。普通のも気になっていたのでそれは素直に嬉しい。

 

「はいよ、お待ちどうさま」

 

 やがて、俺達の元にそれぞれのラーメンが提供される。

 朱華のは見るからに背脂の増量されたとんこつラーメン(+ライス)。俺のは白濁したスープに黒コショウの浮いたラーメン。

 上に載っている具材は──。

 

「チャーシューじゃなくて焙りベーコン……!?」

 

 特製背脂の方は普通にチャーシューなのだが、カルボナーラ風は焙りベーコン。ほうれん草は共通のトッピングで、ナルトの代わりにチーズ入りかまぼこを斜めに切ったもの、煮卵の代わりに別の器で卵黄が提供される。

 何だこの念の入れようは、と、店主の顔を見ると、彼は得意げな顔で俺を見返してきた。

 

「朱華さん」

「……うん、食べましょ」

 

 そこからはほぼ会話なし。

 先に相手のを一口食べさせてもらったら、後はひたすらラーメンをすすった。スープが服に撥ねないように、髪が器に入ってしまわないように気をつけながらなのがもどかしかった。そういえば、女子高生がラーメンを食べる某マンガではヘアゴムを使っていたな、と食べながら思った。

 味の感想は、一言で言うと至福。

 特製背脂豚骨はオーソドックスにラーメンとして美味しかった。ただ、アリシアになった今の俺にはこってりしすぎている印象。一口だけ食べさせてもらったのはちょうどよかったかもしれない。

 カルボナーラ風は確かに、ラーメンかというと若干怪しい感もあったが、女子となった俺の舌には合った。飲み干す必要はないと知りつつ、スープも半分くらい飲んでしまった。

 

 そして、口の中がこってりした後の杏仁豆腐の美味しさといったら筆舌に尽くしがたい。

 

 二人とも麺やライスを残すようなことはせずに完食し、店を出てから恍惚のため息を吐く。

 

「美味しかったでしょ、ここ」

「はい。朱華さんこそ、カルボナーラ風はどうでした?」

「まあ、うん。イロモノでも手を抜かずにベストを尽くしたのがわかる味だった。あたしは一口でいいけど」

「私は気に入りましたけど……あ、でも、今度は普通のも食べてみたいです。背脂追加なしで」

 

 近くの自販機で紅茶を買って口の中をさっぱりさせたら、朱華が「あたしにもちょうだい」と言うので、中身が半分になったペットボトルを渡した。



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聖女、デートする(後編)

「さて、お腹もいっぱいになったし、どうしよっか?」

「そうですね……。服もある程度買い込みましたし、特に必要な買い物はないんですが」

 

 大満足でラーメン屋を離れた俺達。

 駅の方に歩きながらそんな風に話していると、朱華はおもむろにスマホを取り出して、

 

「あ。あれの新刊もう出てるんだ」

 

 どうやらラノベ・マンガの刊行情報をチェックしていたらしい。

 

「ねえ、アリス。ちょっとショップ寄っていい?」

 

 結局行くんじゃないか、とはわざわざ言わない。

 俺は軽く「いいですよ」と頷いて、少し離れたところにある店へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 到着したのは「いかにも」な雰囲気の店。

 外観は配色だけなら今時珍しくもないのだが、壁やガラスに貼り出されたポスターや立てられたのぼりは独特。これだけ自己主張していれば一般客が間違って入ってきたりはしないだろうし、ある意味ちょうどいいのかもしれない。

 この店で取り扱っているのはアニメグッズにマンガ・ラノベ・ゲームなど。

 その手の趣味アイテムを一通り取り扱っている、いわば専門店的なところである。

 

「こういう店って案外貴重よね」

「大きい書店でも、ラノベやマンガに力を入れてないところとかありますもんね……」

 

 今だと書店で探さなくてもネット通販で買えるわけだが、出先でふらっと寄って買い物ができないのもそれはそれで不便だ。

 

「じゃ、行きましょうか」

「はい」

 

 店の外観に全く臆する様子がない──それどころか水を得た魚のような朱華に続いて自動ドアを通り抜ける。

 思えば、こういうところに来るのは初めてだ。

 さっきもちらっと言ったが、俺は主に普通の書店を利用していた。専門店でグッズを集めるほどどっぷり嵌まっていたわけではなかったし、近くにこういう店がなかったからだ。

 

「へえ、こんなふうになってるんですね……」

 

 しみじみ呟くと、朱華がちらりと振り返って笑った。

 

「別に普通でしょ?」

「そうですね」

 

 雰囲気としてはチェーン店のゲーム屋に近い。

 派手な表紙やパッケージの商品が並び、デモ映像はアニメ中心。店内を流れる音楽はアニメのOPやEDメインと、ある意味統一感がある。

 下手にお洒落感を出されるよりは落ち着くかもしれない。

 

「あたしも久しぶりに来たかも。さすがに友達とは来づらいし」

「私はいいんですか?」

「あんたはあたしの趣味全部知ってるじゃない」

 

 確かに、部屋にも何度か入っているのでその辺りは把握済みだ。

 

 と、不意に視線を感じた。

 店員さんやお客さんがこっちをちらちら見ている。どうやらここでも目立っているらしい。

 

「あれ、すごくね?」

「ああ。……コスプレか?」

「地毛だろ。めっちゃ日本語上手いけど」

 

 なんか恥ずかしいので、俺は慌てて朱華の服を引っ張った。

 

「朱華さん。早く回りましょう」

「ん、おっけ。じゃ、後は適当に」

「え」

 

 置いていかれた。

 一緒に奥へ行こう、というつもりだったのだが──朱華は一人ですたすたとラノベコーナーに向かっていく。

 あれだ。解散して各自適当に興味あるコーナーを巡り、買いたいものを買ったら流れで合流するという、ある意味合理的なスタイル。

 男友達と本屋に行くとだいたいこんな感じだ。雑誌を立ち読みする奴がいたり、迷わずマンガの新刊コーナーに行くやつがいたり、興味ないのに専門書を物色する奴がいたり。

 

「……いや、いいんですけど」

 

 せっかくなので俺も適当に見て回ることにした。

 

 最近の新作ゲームをチェックして「今ってこうなってるのか」と浦島太郎のような感想を抱いたり。

 マンガコーナーで印刷された金髪美少女と目が合い、あらためて自分の髪色に苦笑したり。

 比較的一般人向けっぽいラノベを二、三種類、一巻だけカゴに入れてみたり。

 

 周りの客のことはなるべく意識しないよう努めつつ、気の向くままふらふらと回った。

 そのうちに目が行ったのは上階への案内表示。

 上の階は乙女ゲーム、BL、ティーンラブ等々、主に女性向けの商品を取り扱っているらしい。すごいラインナップだな……と頬をひくつかせながら、俺はとある表示に目を留めた。

 『コスプレ用品もあります』。

 

「むう……」

 

 若干、心惹かれる。

 しかし、上階への階段およびエレベーターからは圧を感じる。ゲームで言うと侵入前に警告メッセージが出る類だ。

 と。

 

「上行くなら、会計済ませてからにしなさいよ」

 

 ぽん、と、朱華に肩を叩かれた。

 振り返った俺は苦笑して、

 

「いえ、私が行くのは場違いかな、と思っていただけで」

「は? 何が場違いだって?」

 

 首の十字架を持ち上げられた俺は「……あー」と目を細めた。そういえば、今の俺は上にいた方がまだ馴染むのか。その、色んな意味で。

 

「……とりあえず会計してきます」

「んー」

 

 その後、朱華と二人で上も見て回ったものの、店に置かれているコスプレ衣装には食指が動かなかった。

 

「買わないの?」

「いえ、その。値段はお手頃なんですが、質も値段相応かな、と」

 

 安物では満足できない。

 どうやらいつの間にか、ノワールの基準に慣らされてしまっているらしい。

 

 

 

 

 

 

「ここまで来たら、駅戻るのは帰る時でいいわよね」

「そうですね。後一件くらい寄って帰りましょうか」

 

 結構色々やった気がするが、時刻はまだ十四時を回ったところ。

 遊ぼうと思えばまだまだ遊べる時間である。

 候補に挙がっていたカラオケか、あるいはどこかで甘いものでも食べるか、マンガ喫茶にでも入って買った本を読むという手もあるが──。

 

「あ。どうせならあそこに行きませんか?」

「あそこ?」

「はい。ノワールさんも喜ぶんじゃないかと」

「ああ。いいわよ、せっかく来たんだしね」

 

 というわけで、件のメイド喫茶へ移動した。

 

「あんた経験あんの?」

「ないですよ。朱華さんは?」

「ないわよ。生身の人間にお金使えるほど余裕なかったし」

 

 裕福ではなかったという意味か、それとも散財が激しすぎたのか。

 しばらく歩いて辿り着いたのは、

 

「へー。こっち系かあ」

 

 レンガ造り風に装飾が施されたシックな外観のお店だった。

 入り口も自動ドアではなく取っ手を引くタイプ。小さなベルが付いているので、中に入ると自然に来客が伝わる仕組みになっている。

 朱華が意外そうに呟いた通り、いわゆる『メイド喫茶』のイメージとは少し違った。

 

「ちょっと、普通の喫茶店っぽいですね」

「そうね。ここらへんは別に激戦区でもなんでもないから逆になのかな」

 

 競合店がないのでコテコテアピールしなくても客の奪い合いは起こりにくい。

 だったら逆に一般客でも入りやすい店の方がいいかもしれない。

 

「写真撮っても大丈夫でしょうか」

「人の顔が写らなきゃ平気だと思うけど」

 

 ならばと、店の外観を何枚かスマホに収めてからドアを引いた。

 

「お帰りなさいませ、お嬢様」

 

 甘ったるい高い声ではなく、恭しく落ち着いた声音。

 俺達を出迎えてくれたのは、ブラウンを基調とした店内にもマッチする、清楚な黒のロングメイド服。纏っている女性にもどことなく品が感じられる。

 目が合うと、彼女はにこりと優しく微笑んでくれた。

 

「こちらへどうぞ」

 

 通された席へ朱華と二人腰かけて、ほう、とため息をつく。

 店内を流れるのは落ち着いたクラシック。

 お客さんも見るからにメイド目当てって感じの人ばかりではなくて、普通に寛ぎに来たっぽい人やカップルっぽいペアもいる。

 

「……うちにノワールさんがいなかったら常連になってたかも」

「ちょっとわかります……」

 

 想像以上の拘りっぷりである。

 実は、現代社会には結構な数のメイド好きが紛れていて、ノワールの趣味もそんなに珍しいものじゃなかったりとかするんだろうか……?

 少なくとも、この店の制服はさっき見たコスプレ衣装よりずっと質が良いし、店員さん自身も楽しんでいる雰囲気がある。

 

 メニューは飲み物類と軽食、それからデザートといったところ。

 値段は正直、高めの設定だった。場代と人件費が主な理由だろうが、この店なら「やってくれる」んじゃないかと若干期待もしてしまう。

 俺は若干悩んでからレモンティーとチーズケーキを注文。朱華はアイスコーヒーとナポリタンを頼んだ。

 

「朱華さん? 甘い物食べるんじゃなかったんですか……?」

「だって、喫茶店に来たらナポリタン食べたくなるじゃない」

 

 そんな理由か。

 

「気持ちはわかりますけど、カレーという手もあるんじゃないかと」

「アリスがそっち頼んでくれれば両方食べられたのに」

「私のせいですか……?」

 

 興味はあるが、夕食に響くのでさすがに無理だ。

 

「お待たせいたしました」

「わ……!」

 

 思った通り、運ばれてきた品は見た目からして美味しそうだった。

 

「あの、お店の中を撮っても大丈夫ですか?」

「他の方の迷惑にならないように配慮していただければ構いませんよ」

「ありがとうございます」

 

 せっかくなので店内のインテリアや料理なども撮影させてもらう。メイド好きなノワールのことなのできっと喜んでくれるに違いない。それとも案外、この店もチェック済みだったりするのだろうか。

 

「はい、アリス。あーんしなさい」

「くれるんですか? じゃあ……」

 

 小さく巻き取ったナポリタンを朱華が差し出してくれたので、口を開いて受け取る。

 具材は輪切りのウインナーに玉ねぎ、ピーマン。口に入れると、ややもちっとしたパスタと具材の食感、トマトの酸味、たっぷりかけられた粉チーズの味わいがいっぺんに広がる。

 

「美味しいですね、これ」

「なかなかやるわね。ウインナー使ってるあたりとかポイント高いわ。ベーコンで意識高いアピールするとか、ナポリタンには必要ないのよ」

「こういうのでいいんだよってやつですか」

 

 何かの役に立つかもしれないし覚えておこう。

 朱華の台詞に頷きつつレモンティーを口にする。ふわりと鼻を抜ける香りが心地いい。チーズケーキを小さく切って口に入れると、こちらも程よい甘さと酸味がたまらない。

 

「そういえば、あんたがチーズケーキって珍しい?」

「杏仁豆腐も食べたので甘さ控えめのケーキにしてみたんですが、今日はチーズ多めになっちゃいましたね」

 

 まあ、美味しいから問題はない。

 

「……うーん。このケーキはさすがに真似できませんよね」

「中学生の文化祭でこのクオリティは無理でしょ。できたとしても馬鹿みたいな値段設定になるわよ」

「ですよね」

 

 ドリンクに関しては水出し紅茶をメインに据えるつもりでいる。作り置きが可能だし、市販のティーバッグを使うよりは本格的な味になるだろう。

 季節的にホットが好まれそうなことと、そのホットはティーバッグを使うしかないのが難しいところだ。

 

「あ、チーズケーキ一口残しといてね」

「もちろんです。だからゆっくり食べてくださいね」

 

 ナポリタンを完食し、コーヒーで喉を潤した朱華に「あーん」をやり返してやった。

 

 

 

 

 

 

 

「なんだかんだ結構遊んだわねー」

「そうですね。カラオケは行けませんでしたけど」

「いいわよ別に。あれは他の友達とも行けるし」

「でもアニソン歌えませんよ?」

「日曜だと部屋埋まってて、使いたい機種が使えなかったりもするから微妙なのよね……」

「ああ、そういうのもありましたね」

 

 メイド喫茶を後にしたら、後は駅を目指すだけだ。

 今から移動すれば帰る頃にはちょうどいい時間になっているだろう。着替えて荷物を片付けたら風呂の時間。上がって少しのんびりしたら夕食である。

 文化祭の準備も本格的になってくるはずなので気合いを入れないといけない。

 

「……あ、例のバイトももうすぐなんですね」

「そうね。っていうか、そのためにあんたを誘ったんだし」

 

 バイトまでに少しでも体質改善できれば楽になる、ということだ。

 

「効果、あったんですかね?」

「……どうだろ。何も起こってないんだから効果あったんだろうけど、何も起こってないからよくわからないのよね」

「ですよね」

 

 ゲームと違って成否が表示されるわけではない。

 そもそも、デートと言っても買い物して駄弁って美味しいもの食べただけだし。百合を演出するという目的を果たせかも微妙だ。

 すると朱華はくすりと笑って、

 

「まあ、いいわよ。一回で体質改善できるとも思ってないし。楽しかったから」

「……朱華さん」

「また暇があったら付き合ってくれる、アリス?」

「はい」

 

 もちろんです、と、俺は続けようとして、

 

「ね、そこの二人。これから暇ある?」

 

 チャラい感じの男二人組に後ろから声をかけられた。

 狙う気満々なのか。朱華に「逃げましょう」と呼びかけようとした時には男の片方が回り込んで行く手を塞いでいた。

 

「良かったらカラオケでも行って、その後ご飯でもどう?」

 

 男達の視線はどうやら朱華の方に偏っている。ぱっと見、高校生くらいには余裕で見える容姿なので当然だが、もしかすると体質のせいもあるかもしれない。

 最後の最後でこれとはついてない。

 朱華は、ふん、と鼻で笑って、

 

「悪いけど、もう帰るところだったから」

「まあそう言わずにさ」

「俺達車持ってっから、なんなら帰り送ってあげるし」

 

 穏便には終わりそうにない。

 俺は片手で十字架を握りしめるとチャラい男達を見上げて、

 

「ん?」

「あ?」

「《沈静化(サニティ)》」

 

 小さな光を包み、消える。

 何が起こったのか、という顔できょとんとする奴らに「ソーリィ」と下手な英語で微笑みかけ、念のために鞄に入れていた防犯ブザーを示すと、俺は朱華の手を引いてその場を離れた。

 ナンパ男達は幸い、追ってはこなかった。



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聖女、初デートを終える

「ありがとね、アリス。あんたのお陰で助かったわ」

 

 帰りの電車に乗るまで、特別なことは何も起きなかった。

 朱華が小さく囁いてきたのは、隣り合って座り、電車が動きだした後だった。

 

「あんたに付き合ってもらって正解だったかも」

「別に、大したことじゃありません」

 

 俺は首を振って答える。

 

 あの時使ったのは《沈静化(サニティ)》という魔法だ。

 名前通り、対象を落ち着かせる効果がある。あのチャラ男達の場合は「エロイことをしたい」という欲求を失ったせいでナンパを続けられなくなったわけだ。

 ゲームだと一部状態異常を回復するくらいで物凄く地味だったが、取っておいて良かった。

 

 ただ、あの魔法でできるのはあくまで気持ちを落ち着かせることだけ。

 冷静なまま人を騙すようなタイプには効果がないので、あいつらがごく一般的なチャラ男で良かった。

 

「人通りもそれなりにありましたし、大声出すだけでも助かったんじゃないかと」

「まあそうだけど、一歩間違ったら暴力沙汰だったし」

「いや、しないでくださいね?」

 

 往来で人体発火現象とか、下手すれば新聞の一面に載ってしまう。

 朱華が燃やすくらいなら《聖光(ホーリーライト)》でぶっ飛ばす方がまだ目立たないだろう。

 

「もちろんそれは最後の手段よ。でも、ガチで危ないやつだったらそれくらいしないと逃げられなかったかも」

「どんな世紀末世界ですか」

 

 俺のツッコミへの返答はすぐには訪れなかった。

 朱華が答えてくれたのは電車を降りて話がしやすくなった後のことだ。

 

「前にもちらっと言ったでしょ? エロゲ時空ってのはその辺のチンピラが超能力封じとか違法改造スタンガンとか、ヤバいドラッグとか普通に持ち出してくるのよ」

「普通の相手で良かったですね……」

 

 しみじみ言えば、朱華は何故か優しげな笑みを浮かべて、

 

「だから、あんたのお陰よ。百合体質さまさまって感じ?」

「いえ、あのゲームはごく普通のファンタジーであって、百合ゲーじゃないですからね?」

「はいはい、そうね。女の子主人公で女の子とエンディング迎えられるだけよね」

「……恋愛エンドはごく一部のキャラだけですし。他は普通に友情エンドですし」

 

 俺達のデート(?)は、終わってみれば普通に楽しく幕を下ろしたのだった。

 

 帰った後、ノワールがにこにこしながら土産話をねだってきたり、シルビアが俺達からシャンプーの匂いがしないかしきりに嗅いできたり、教授が「若いというのはいいことだ」とよくわからないことを言いだしたりしたのはまた別の話である。

 

 

 

 

 

 

「冬服にもだいぶ慣れてきましたね……」

 

 月曜日。

 俺はいつもの荷物の他に、買い出しで調達した物資を持って登校することになった。

 文化祭の衣装担当は縫子(ほうこ)だが、彼女一人に生地を「どん!」と任せる、なんていうことはもちろんできない。分担しないと持てない量だったのだから分担して運ぶしかないということで、俺と芽愛(めい)鈴香(すずか)も含めた四人で分けたのだ。

 

 制服は十月の頭から移行期間を経て冬服へ変わっている。

 深い臙脂色のブレザーに黒のスカート。校則で定められたスカート丈は今時の学校としては少し長め。

 夏服は他の学校と大差なかったが、冬服は「お嬢様学校」感がぐっと強いデザインだ。初登校の日に間違って身に着けて以来、初めて着た時はそれだけで気後れしてしまいそうになったものの、毎日着て、同じ制服姿の中に身を置いているとさすがに慣れてくる。

 

「アリスちゃんは中等部の制服、半年くらいしか着られないんだからちょっと勿体ないよねえ」

 

 隣を歩くシルビアの格好──高等部の制服は白いブレザーだ。清楚さ、エレガントさで言えば中等部の制服とかなりいい勝負をしている。順当に行けばそれを俺達も着ることになる。

 全校生徒の中でトップクラスに制服が似合っているだろうシルビアに負けず劣らず、臙脂色の制服を着こなした朱華は紅の髪を揺らしながら肩を竦めて、

 

「写真付きで売ったらもと取れるんじゃない?」

「駄目だよ朱華ちゃん。高等部行ってる間にバレたら何かしらお仕置きされるよ」

「む。じゃあ高等部卒業してから……って、それだとプレミア分が微妙になりそうね」

 

 そういう問題か……?

 

 

 

 

 

 

「あ、おはようアリスちゃん」

「おはようございます、みなさん」

 

 教室に着くと、室内がいつもより賑わっていた。

 俺達は(主に朱華とシルビアが原因で)かなりゆっくりめの登校になることが多いのだが、それでも、登校している生徒がいつもより多く感じる。

 しかも、ほとんどみんな既に鞄を置いて歓談中。紙とペンを持っているグループや、食べ物の名前を次々挙げているグループもある。

 

「すっかり文化祭ムードね」

「いよいよ、って感じですね」

 

 高まり始めたお祭りムードにわくわくしながら鞄を置くと、俺のところにも何人かの生徒が集まってきた。

 

「ね、アリスちゃん。それが買ってきた生地でしょ?」

「見せて見せてー」

「はい、どうぞ」

 

 芽愛達の姿も既にあるので、彼女達の分と中身は大差ないが、おそらく、生地の確認を口実にして盛り上がりたいのだろう。

 実際、少女達は取り出した生地を広げ、触ったり撫でたりしながら明るい声を上げ始める。

 

「あ、手触りいいかも」

「いくらぐらいしたの?」

「えっとですね……」

 

 縫子が吟味した生地なので、値段の割に質が良いもののはずだ。

 俺には目利きができないし、嘘をついても仕方ないので素直に答えていると、

 

「縫う前に汚さないようにしてくださいね」

「安芸さん。おはようございます」

「おはようございます、アリスさん。持ってきていただいてすみません」

「いえ。私はそのためにお手伝いに行ったので」

 

 縫子がやってきて、女子達に釘を刺しつつ挨拶してくれた。

 いつも通りのポーカーフェイス──というか、素の表情のまま、彼女は声音だけをかすかに弾ませて、

 

「今日から衣装作りを始めるので、頑張りましょう」

「はい。ご指導お願いします」

 

 頭を下げて答えると、少女の唇の端が笑みの形に歪んだ。

 去っていく縫子を見送る俺の肩をクラスメートの一人がつんつんと突いて、

 

「ね、アリスちゃん? 安芸さん、ちょっと怖くなかった?」

「教え方が容赦なかったりするのかな?」

「えっと、たぶん大丈夫だと思いますが……」

 

 結論から言うと、若干大丈夫ではなかった。

 

 

 

 

 

 

「私の方であらかじめ、ある程度の準備は済ませてきました」

 

 朝のHRが終わった後、縫子は担任に代わって壇上へ進むと、おもむろに宣言した。

 

 具体的に縫子が準備してきたのは型紙のコピー(数人分)。そして同じく数人分の裁断された生地。自分が持ち帰った分を使ったらしい。

 裁縫道具は家庭科の授業のために購入したものがあるのでみんな持っている。

 

「早い者勝ちですが、使いたい方はこれを使ってください」

「……なるほど。これは至れり尽くせりね」

 

 鈴香が呟いた通り、裁断の終わった生地を使えば時短になる。型紙が複数枚あることも考えれば裁断で手間取る可能性が大きく減るだろう。

 しかし、これが不満な生徒もいたようで、

 

「安芸さん。私はアレンジしたいんだけど」

 

 といった声が何人かから上がる。

 これに縫子は頷いて、

 

「そう思ったのであまり多くは作りませんでした。アレンジする場合は型紙から変えないといけませんし、体型によってサイズも変わりますから」

 

 縫子が裁断してきた生地はいわゆるMサイズ相当なので、極端に背が高い(あるいは低い)場合や胸が大きい場合などは使えない。

 十着分も二十着分も作っていたら無駄が出かねないところだった。

 

「型紙ってどうやって作るのー?」

「簡単に言えば、作りたい服の展開図を描きます。私が描いたものを参考にしてください。曲線用の定規も用意してあります。描けたら私がチェックします。何度かはNGが出ると思ってください」

「どうして?」

「裁断に移ってから『型紙が間違っていた』となっても困るからです。生地は余裕を持って用意してありますが、失敗する度に無駄が出ます。足りなくなって買い足すようなことになれば、最悪、他の部分の予算を削らなければいけません」

 

 内装の予算が削られれば店の雰囲気に関わるし、飲み物や食べ物用の予算を削ればメニューのクオリティ、あるいは提供できる量に影響がある。

 これには裏方担当の生徒が息を呑んだ。

 表情こそ変わらないものの真剣な様子の縫子に、芽愛がくすりと笑みをこぼして、

 

「安芸さん、燃えていますね」

「当然です。やるからには可愛い衣装を作りたいでしょう?」

 

 そう。

 縫子だって悪意から言っているわけではない。単に良いものを作りたいだけだ。これには俺だけでなく、クラス内の複数人が「頑張ろう」と頷いて、

 

「ですから、妥協はしません。真面目にやらない方には容赦なく駄目出しをしますので、そのつもりでいてください」

 

 何人かから悲鳴が上がった。

 

「朱華。なんか平然としてるけど、大丈夫?」

「ああ。あたしは自前の着るから裁縫はなしで」

「裏切り者!」

 

 大過なく衣装作りを終えられるか心配になり始めた俺だった。

 

 

 

 

 

 

「安芸さんが脅かすからどうなることかと思いました」

「すみません、アリスさん。少し熱くなってしまいました」

「ふふっ。アキは表情があまり変わらないからわかりにくいのよね」

 

 昼食時に愚痴をこぼせば、縫子は若干しゅんとして謝ってくれた。

 

「大丈夫だよアリスちゃん。こう見えて面倒見はいいんだから」

「はい。少し安心しました」

 

 ノワールお手製の弁当(バリエーション豊富な上、栄養バランスも整っていて、もちろん美味しい)を口に運びつつ、俺は縫子を安心させるように笑った。

 

 蓋を開けてみれば、縫子のサポートは手厚かった。

 授業が普通にある以上、使える時間は休み時間の短い間と放課後だけ。実働時間はまだ三十分にも満たないのだが、縫子は休み時間の度にクラス内を飛び回っていた。

 型紙の見方、特殊な形の定規の使い方などなど、あちこちから飛んでくる質問やら悲鳴やらに可能な限り答えるためだ。

 型紙だけ用意して裁断することにした俺は、縫子が持ってきた布の切れ端(裁断で出た余りだ)でちくちく縫い物の練習をしつつ、口の割に優しい縫子に感心していた。

 

 早めにクラスに戻るため、いつもより早いペースでサンドイッチを食べている縫子は若干照れくさそうに目を逸らして、

 

「……アリスさんも何かあったら言ってください。協力します」

「はい、ありがとうございます」

 

 彼女の負担を少しでも減らすためにも、できれば俺は手のかからない生徒でいたいところだった。

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど。それでおうちで作業することになったんですね」

「はい。ノワールさんには迷惑かけてしまうと思うんですが……」

 

 帰宅次第、事情を説明すると、ノワールは微笑んで首を振った。

 

「とんでもありません。アリスさまに頼っていただけるなら、わたしはなんだっていたします」

 

 と、濃い茶色の瞳に悪戯っぽい色が浮かんで、

 

「本当はその安芸さんだってわたしと同じ気持ちだと思いますが、ここはわたしの役得ということにさせていただきましょう」

「ありがとうございます、ノワールさん」

 

 本当にノワールは優しくて、しかも頼りになる。

 我がシェアハウスが誇るお姉さんだと思いつつ、口にすると「お姉ちゃんと呼んで」と言われそうなのでぐっと堪えた。

 代わりに軽く頭を下げてから「着替えてきます」とリビングを後にする。

 過ごしやすい部屋着に着替えて戻ってくると、ノワールは俺の置いていった型紙や生地を広げてふんふんと何やら確認していた。

 

「ノワールさん?」

「ああ、アリスさま。これはよくできていますね。少し感心してしまいました」

「はい。安芸さんは凄いんです」

 

 縫子がコピーしてきた型紙は、正確に言うと「普通の紙に型紙の各パーツの原寸大で描いたもの」だ。実際にはこの紙を元に厚紙か何かをカットして生地に印をつけるのに使うのだが──その型紙には衣装のデザイン画と、裁断した生地を実際に縫う場合の簡単な順番までが書かれていた。

 ある程度の心得がある人間なら迷わず作業ができそうなレベルだ。

 生憎、俺は授業でしか裁縫をしたことがない人間で、かつ、男子高校生だった頃は大して真面目にやっていなかったので、おっかなびっくりの作業になってしまうのだが。

 

「いかがいたしましょう、アリスさま。ご用命とあらば明日の朝までに完成させてみせますが」

「すみません、ノワールさん。私の練習も兼ねているので、わからないところだけ手伝ってもらえると助かります」

 

 危ない。全部ノワールにやってもらって終わりになってしまうところだった。



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聖女、忙しい

 ノワールに教えを乞いつつ、月曜日中に生地の裁断まで終わらせた。

 

 火曜日の放課後は治療のバイトだ。

 こういうのがあるので、大部分のクラスメートのように放課後残って作業するのが難しい。その分、自宅で頑張ることになる。

 もちろん宿題も忘れてはいけない。

 帰宅から夕食までの時間をバイトに取られると他のことを夜に回さざるをえず──結果、読書等の時間をなくしてもなお、普段より夜更かし気味になった。

 

「やることが多いです……」

 

 と、少しだけ愚痴ってみたら、朱華からは「衣装作らなきゃいいじゃない」と言われた。

 

「いえ。やりたくてやってることですから、できる限りやります」

「そっか。あたしには真似できないけど、応援くらいはしてあげる」

「はい。ありがとうございます」

 

 ラノベやマンガの差し入れは丁重にお断りし、お菓子のプレゼントはありがたく受け取った。

 

 

 

 

 

 

 シェアハウスにミシンがあって良かった。

 

 さすがに手縫いは現実的じゃないし、下手な人間がやるとむしろ出来栄えが悪くなる。

 でも、ノワールが使ってるところはあまり見ないような……? と思ったら、

 

「頻繁に使うものではないのですが、時々必要になるのです。もし、小学生くらいの方が来られた場合、名札付けなどもあるでしょうし」

 

 という風に教えてくれた。

 確かに小学生の頃はそういうのがあった。当然、母親にやってもらっていたわけだが、結構大変な作業だっただろう、と、今なら想像がつく。

 そういうことまで考えているとはさすがノワール、と感心していると、彼女は端正な顔立ちに申し訳なさそうな表情を浮かべて俺にそっと囁いてきた。

 

「……と、いうのは建前でして。その、自分でも衣装を作れないかと思った時期があったのです。どちらかというとそちらの理由が大きいくらいかと」

 

 少し驚きつつ彼女の顔を見つめると、ほんのりと頬が赤らんでいるのがわかった。

 恥ずかしいのだろう。

 しかし、俺としては恥ずかしがることに思えない。なので代わりに、

 

「ノワールさんでも苦手なことがあるんですね」

 

 何故か、ノワールの顔はもっと赤くなった。

 

「裁縫は不得意ではありませんが、本職の方と張り合えるなどとはとても申し上げられません。でしたら、プロの方の作品を購入した方がいいのではないかと」

「なるほど。なんとなくわかる気がします」

 

 この間、大量生産品のコスプレ衣装に不満を覚えた身としては、とても納得できる話だった。

 

 

 

 

 

 

 水曜日。

 特に用事がないので衣装をがっつり進められるかと思ったら、予想していないところから連絡が来た。

 バイトの一種──というか、その後始末の件なので、暇があるのに断ることもできない。俺は放課後になると「残っていこう」と誘ってくれるクラスメートに謝ってから、とある組織が使っているとあるビルへと足を向けた。

 

「こんにちは、アリスちゃん」

「こんにちは、椎名さん」

 

 ビシッとしたスーツに身を包んだ、できる女感の漂う女性──その実、家事は基本的に苦手だったりする凄腕プログラマーの椎名は、ビルの前で俺を待っていた。

 

「わざわざすみません」

「いえ、夜食を買いに行ったついでなので」

 

 そういう彼女の手にはコンビニのビニール袋。

 どっちがついでだったのかは微妙なところだが、気を遣わなくて済むように、という配慮なのはよくわかった。「ありがとうございます」と小さく頭を下げてその話は終わりにする。

 当たり前に夜食が必要なあたり、残業とか泊まりが多いんだろうし。あまり時間を使わせると椎名の睡眠時間が大変なことになる。

 オフィスに移動しながらの会話はちょっとした雑談。

 

「IT系のお仕事ってブラックですよね」

「まあね。やりがいはあるけど拘束時間は長いよね。ここは宿泊設備も充実してるから、うちに帰るよりある意味楽だけど」

「……私には真似できそうにないです」

「アリスちゃんは新興宗教の教祖とかやればいくらでも稼げるじゃない」

 

 まあ、この世界には存在しない宗教なら新しく起こすしかないし、実際に奇跡を起こせる聖職者なんてばんばん稼げそうではある。

 目立ったらまずいからやらないが。

 

 オフィスに着いたら、他のスタッフさんにぺこぺこ挨拶をしつつ奥まった部屋へ。

 椎名のセキュリティカード(オフィスへの入室とはまた別のもの)を使って中に入り、一台のPCの前へ。

 スピーカー等が繋がっているのは前に来た時と同じだが、周りに置かれている機器の配置なんかは変わっている気がする。

 

『お久しぶりです、アリシア・ブライトネス』

「はい。お久しぶりです──シュヴァルツ」

 

 スピーカーから響いたのはノワールに似た声。

 オンにされたPC画面にはテレビ通話のようなノリで、ノワールの若い頃のような少女の姿が映し出された。

 そう。

 俺を呼び出したのは、以前のバイトで遭遇し、俺とノワールでなんとか撃退した近未来的機械人形──の()()()()であるシュヴァルツだった。

 戦いの中でボディが破壊された彼女は人格データの入ったメモリーカードだけの状態で、政府の息がかかったこのオフィスに()()されている。

 一応、大人しく協力してくれていたのだろう。画像データを表示したりできるようになっているあたり、多少自由も広がったようだ。

 

「それで、どうして私を? こう見えて結構忙しいんですけど」

 

 本当に忙しいタイミングなので若干の嫌味を込めて言うと、シュヴァルツは意外にも落ち着いた声音で返してきた。

 

『聞いています。文化祭だそうですね』

「どうして? 椎名さん……あ、いえ、ノワールさんからですか?」

『はい。貴女方の話はお姉様からよく聞かされています。頻繁に。必要ないことも含めて』

 

 後半はうんざりするような声になっていた。

 

「ノワールさん、ここにはよく来てるんですね」

『ええ。平日の日中が殆どですから、貴女方は学校に行ってる時間でしょう。お姉様にとってはメイドの仕事が第一、だそうですから』

「本当に色々と聞いているんですね」

 

 楽しそうに話すノワールの姿が目に浮かんでくるようだった。

 学校だの文化祭だのの話が普通に出てくるあたり、シュヴァルツもだいぶ庶民的になったというか、牙を抜かれたというか。

 しかし、そんな彼女がわざわざ俺を指名してくるということは、

 

「まさか、なにかあったんですか?」

『………』

 

 沈黙。

 PCの正面に座った状態からちらりと椎名を振り返るも、彼女は何も言わずに肩を竦めるだけだった。

 一体何が──。

 

『お姉様とばかり話をしていると調子が狂って仕方ないので、他の人間と話がしたいと思いまして』

「帰りますね」

 

 心配して損した。

 さっさと帰って衣装作りを少しでも進めよう。

 

『待ちなさい。私は真剣です』

「真剣にそんなことを相談されても困るんですけど……」

 

 立ち上がりかけていた俺はしぶしぶ座り直して言った。

 

『貴女はお姉様の平和ボケぶりに思うところはないんですか?』

 

 そう言われても。

 

「ないです」

『口を開けばメイドの心得だの料理のコツだの同居人が可愛いだの言っているのに?』

「特に問題ないと思います。というか、私はノワールさんのこと──」

 

 言いかけた俺は猛烈な抵抗を覚えて口を噤んだ。

 

「とにかく、この世界は平和ですし、ノワールさんは裏稼業から足を洗ったんですからあれでいいんです」

 

 言えない。

 ノワールのことが好きだ、と言おうとして恥ずかしくなった、などとは。

 誤魔化すために主張の声は少し強いものになった。いや、別にノワールが嫌いというわけではないのだが。あらためて好きとか口に出しづらかっただけで。

 

『……自分のベースになった人物が()()()()()であることに私は危機感を覚えています。お姉様の思想が私に侵食してくるのではないかと不安で仕方ない気持ちを分かって頂けませんか?』

「気持ちはわからないでもないですけど」

『そうでしょう? 貴女はあの一党の中では新入りですし、それでいてお姉様から気に入られているようですから』

「朱華さんやシルビアさんは他にやることが多いですからね」

『暇だからと趣味を押し付けられて困っているのでしょう? メイドの衣装だのなんだのに興味なんてないのでは?』

 

 勢い込むように言ってくるシュヴァルツ。

 画面に表示された表情もどこか必死なものだ。自分でわざわざ表情パターンを変えているんだと思うと微妙な気分になる。

 ついでに彼女の主張にも、だ。

 

「私は好きですよ」

『……え?』

「いいじゃないですか。メイドは人の役に立ちますし、奥の深い仕事です。メイド服だって、可愛い物を女の子が欲しがって何が悪いんですか?」

『………』

 

 シュヴァルツは再び黙った。

 しばしの間を置いてから、彼女は、

 

『……感染状態は深刻ですね。もう手遅れでしたか』

「どういう意味ですか!?」

 

 

 

 

 

 

 

『さて。本題はこれくらいにして、少し実務的な話もしましょうか』

「雑談はこれくらいにして、と言って欲しかったんですが」

 

 俺のツッコミをシュヴァルツは無視した。

 画面の中の少女は俺をじっと見つめながら言ってくる。

 

『近々、またバイトとやらを行うそうですね』

「はい」

 

 政府関連の組織なので、そのあたりの事情も把握しているらしい。

 これまでのバイトのデータを入力して「何か気づいたことはないか」と尋ねたりもしているのだと、傍らで監視(観察?)中の椎名が教えてくれる。

 

『アリシア・ブライトネス。おそらく次回のバイトでも強敵が現れます』

「……でしょうね」

 

 俺にもそれくらいは想像がつく。

 いつもの場所以外で行うバイト。言霊の悪戯が起こりそうな立地。邪気の蓄積を感じさせる前情報。朱華が警戒していたように、これで何も起こらなかったらむしろ拍子抜けする。

 各々、取れる対策は取って臨むつもりだ。

 

「それも分析の結果なんですか?」

『データが少なすぎてあまり意味がありませんでしたが、その通りです。貴女方が狩り場にしている墓地では雑魚しか現れないようなので、分析する側としてはもう少し場所を散らして欲しいものです』

「安全に成果が出るならその方がいいじゃないですか」

『道理です。ですが、情報不足がトラブルを招くこともあるでしょう? 学校の校庭やあの公園にもう一度赴いてみてもいいのでは?』

「……なるほど」

 

 一度行った場所なら、ある程度邪気は払われているはず。

 不死鳥やシュヴァルツほどの強敵が現れる可能性は低い。墓地以外のポイントのデータが増えることでシュヴァルツ達も嬉しい。

 教授がこの程度のことを検討していないとも思えないが、一応、こういう話があったということは伝えておこうと思う。

 

「でも、どうしてそんなことを?」

『……別に、大したことじゃありません』

 

 歯切れの悪い返答。

 ツンデレか? などと不謹慎なことを思いつつ待っていると、画面の中のシュヴァルツは目を逸らしながら言った。

 

『貴女達に死なれたら、私が話せる相手がそこのポンコツほか数名しかいなくなるでしょう』

「ポンコツ!?」

『だから、今度機械人形を見つけた時はできるだけ原型を残して持ち帰って来なさい』

「暴走されると困るので渡せないんじゃないかと思いますが……」

 

 すると少女は肩を竦めて苦笑する。

 

『今の私に戦闘能力はありませんし、人類に反旗を翻して勝てるとも思っていません。機械人形を量産するプラントの建設が不可能ですし、そもそも野心もありません』

「そう、なんですか?」

 

 知性を持った機械は暴走するのが常識だったのだが。

 

『私は機械であって機械ではありません。お姉様の人格を元にした人工知性です。私が自分として認識できるのはこの知性と、それから人型の身体だけです』

 

 自由に動かせる身体が欲しいだけ、ということか。

 そう言われてしまうと、俺としては多少、同情してしまう部分がある。何しろ彼女の身体を壊したのはほぼ俺だし。顔がノワールと同じなので親近感も湧く。

 

「わかりました。教授に伝えるだけ伝えてみます。結果は約束できませんけど……」

『それで構いません。よろしくお願いします、アリシア・ブライトネス』

 

 なんだかんだ、シュヴァルツは以前よりも当たりが柔らかくなっている気がする。

 このまま友好的になってくれれば一番いいんだが。

 

『それから、もう一つ。貴女に言っておくべきことがあります』

「なんですか?」

 

 まだ何か面倒事を口にするつもりかと内心警戒していると、

 

『アリシア・ブライトネス。おそらく、次の戦いでも貴女が鍵になります。くれぐれも気を抜かないように』

 

 人工知性らしからぬ、予言めいたことを少女は真剣に口にしたのだった。




四章か五章くらいで後輩キャラを投入しようと思っているのですが、よろしければアンケートにご協力ください。
考えている間にもっといいアイデアが思いついたり、この設定ならこういうエピソードが書ける……! となる可能性もあるので一位のキャラを採用するとは限らないのですが、結果は参考とさせていただきます。


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聖女、お菓子を作る

「できました……!」

 

 数日に渡ってリビングに響いていたミシンの音が止まったのは、金曜日の夜のことだった。

 押さえのパーツを動かして衣装を解放した俺は、針に繋がった糸を丁寧にハサミで切ると──できあがったばかりのそれを広げた。

 縫子の型紙通りに作ったメイド服。

 シックな黒のワンピースタイプで、既に完成済みのエプロンと合わせることで清楚さと可愛らしさを兼ね備えた完成形となる。

 もちろん、作ったのが俺なので作りが荒い部分もある。

 しかし、本当にヤバい部分はノワールの手直しが入っているし、黒い生地には黒い糸、白い生地には白い糸を使っているので縫い目自体は思ったより目立たない。シンプルなデザインなのが功を奏した。

 個人的には安物のコスプレ衣装なんかよりは断然見られる出来だ。

 

「どうでしょう、ノワールさん」

 

 連日俺に付き合って夜更かししてくれたノワールは、既にその澄んだ瞳で俺と衣装を覗き込んできていた。

 そんな彼女に衣装を渡し、最終チェックをお願いすると──仕事人らしい真摯な観察眼がしばし、俺の作ったメイド服へと向けられて。

 やがて顔を上げたノワールは、にっこりと笑顔を浮かべた。

 

「はい。……よく頑張りましたね、アリスさま。これで問題ないかと。端糸の処理だけきちんと行ったら作業は完了ですね」

「……やった」

 

 爆発寸前だった達成感が一気に限界を超えた。

 涙腺が緩みだすのを感じた俺は目じりを軽くこすってから両手を持ち上げ、ハの字を作るような感じでぐっと握りこぶしを作った。

 苦節十時間以上。下手をしたら二十時間オーバー。

 悪戦苦闘しながらも頑張ってきた甲斐があった。

 

 苦労した分、喜びもまたひとしおである。

 自然と笑顔を浮かべる俺。ノワールもまた、感極まったように涙ぐんでいた。

 

「ノワールさんが泣かなくても」

「……ふふっ。ええ、そうなのですが。アリスさまが頑張っている姿をずっと見ていたもので。わたしもまた、衣装作りにチャレンジしたくなってまいりました」

「いいと思います。ノワールさんならきっといいものが作れます」

 

 笑いあった俺達は、酒ではなく紅茶でささやかな祝杯を挙げた。

 眠れなくなってしまう懸念もあったが、紅茶の香りにはリラックス効果もある。既にテンションの上がっている俺達には合っていたらしく、飲み終わる頃には気分も落ち着いていた。

 

「これで、明日は憂いなく出かけられますね」

「はい」

 

 実を言うと文化祭までにはまだ数日の時間がある。

 急いで完成させなくても問題はなかったのだが、明日の土曜日には用事がある。昼間は芽愛の家でお菓子作り。帰りがけに車で拾ってもらい、そのまま山間部でのバイトに突入である。

 衣装作りに後ろ髪ひかれるより完成させて臨む方が成果も出そうだったので、若干無理して完成を早めたのだ。

 

 シュヴァルツに発破をかけられて気合いが入ったのもある。

 強敵が出るとすれば怪我や疲労で寝込む、なんてこともあるかもしれないので、余裕をもっておくのは悪いことではないだろう。

 

「前日まで付き合わせてしまってすみません」

「いいえ。わたしも楽しかったです。それに、わたしは昼間予定がありませんから。少しお昼寝などさせていただこうかと」

 

 明日は教授達も家にいるので食事の支度をする必要はあるが、各々バイトのための準備もあるので「ノワールさんおやつ作ってー」などと言われることはおそらくない。

 軽く仮眠を取る時間くらいは十分あるだろう。

 

「アリスさまこそ、この後はきちんとお休みくださいね? 本を読んで気づいたら朝、なんていうのは駄目ですからね?」

「あはは……。はい。シルビアさんの栄養ドリンクは最終手段ですからね」

 

 などと言っていたら二階から物音がして、シルビアが下りてきた。

 

「あれ、アリスちゃんまだ起きてたんだー? ……ノワールさん、なにか夜食ないですか?」

「はいはい。すぐにご用意いたしますね」

 

 ノワールが応えて立ち上がる。

 ちょうどいいタイミングだったので、俺は二人に「おやすみ」を言って部屋に戻った。

 

 

 

 

 

 

 翌日は少しだけ朝寝坊をさせてもらった。

 朝のお祈りと朝食はしっかりと済ませ、トレーニングは軽く身体を動かす程度に留める。細かい作業の邪魔にならない服を選び、料理用のエプロンを──。

 

「エプロン」

 

 はっとした。

 この家で料理をする時はほぼ毎回、メイド服に着替えている。もちろんその上にエプロンも着けているのだが、料理をする時に上から羽織るそれとは違う。

 服のまま少しだけ手伝いをする時などに使っているものを借りなければ。

 一階に降りてリビングへ行くと、テーブルの上には折りたたまれた布のようなものがあった。俺の姿を見たノワールはにこにこして、

 

「アリスさま。こちらをお探しですか?」

「さすがノワールさんです」

 

 この人はエスパーか何かなのではなかろうかと思いつつ「ありがとうございます」と頭を下げて受け取る。

 広げてみると、時々借りている無地に近い黒のエプロンではなかった。

 濃いめの黄色をベースに、ところどころ白抜きで模様が施されたもの。大きいめの丸一つと小さめの丸いくつかがワンセットになったその模様は、いわゆる「猫の手」をデザイン化したもの。

 

「……ノワールさん?」

「可愛いでしょう?」

 

 うん、可愛い。それは文句ない。

 ただ、何故外で使う時に限って可愛いのを用意したのか。

 

「お気に召しませんでしたか?」

「いえ、その。……ありがたく使わせていただきます」

「はいっ」

 

 本当に嬉しそうな笑顔が返ってきた。

 ノワールが楽しそうならいいかな……と、シュヴァルツいわく「洗脳されている」らしい思考で結論づける。

 まあ、可愛いと言っても猫の手が散りばめられてるだけだし。ガチで猫の絵が描かれていたらもう言い逃れはできないが、このエプロンくらいなら中三女子の標準レベルに違いない。

 エプロンを荷物の中に入れ、夜用の衣装が入った大きめの鞄をノワールに預ける。さすがに聖職者衣装を持って歩くのは邪魔なので、荷物として車に積んでもらう算段だ。着替えは車内か、向こうの施設が借りられればその中で、といった感じである。

 

「それじゃあ、行ってきます」

「はい、お気をつけて。夕食はお弁当を作っておきますね」

「アリス、お土産持ってきなさいよ」

「お菓子ならデザートにちょうどいいよね」

「うむ。カロリーは取っておいて損にならんな」

 

 ノワールと、それからついでに朱華達にも見送られてシェアハウスを出発。

 帰ってくるのは日付が変わってからになるだろう。

 

 もしかしたら帰って来られないかもしない……なんて感傷的になるのは俺達らしくないので、朱華達のお願いに「わかりました」と苦笑だけを返した。

 

 

 

 

 

 

「おーい、アリスちゃーん」

「おはようございます、芽愛さん。お待たせしました」

「ううん。じゃ、行こっか」

 

 今日はバスを使って移動した。

 指定されたバス停で降りると、芽愛は既に待っていてくれた。今日は鈴香達は不参加なので、俺達二人だけの会である。

 

『芽愛の本拠地でお菓子作りでしょう? 嫌よ。絶対気が滅入ってくるもの』

『試食で過剰なカロリーを摂取するのはもう十分です』

 

 料理は苦手らしい鈴香と、せっかく作った衣装が入らなくなるのを恐れた縫子。それぞれからの言葉である。さすがにそこまで警戒しなくても大丈夫だと思うのだが。

 

「芽愛さんのお家は初めてなので緊張します」

「大丈夫だよー。うちは庶民だし。鈴香のところみたいにお手伝いさんとかいないもん」

「でも、別荘まで持ってるじゃないですか」

 

 話をしながら案内してもらって、程なく一つの建物が見えてきた。

 おそらくあれがそうだろう。濃いめのブラウンが印象的な外観。筆記体で書かれた店名。見るからにお洒落な雰囲気の洋食店。

 なんというか、もう少し「街の洋食屋さん」っぽい雰囲気を想像していたのだが。

 

「……高そうなお店ですよ?」

「そんなに高くないってば。ディナーでも一人二千円あれば満足できるもん。……まあ、タンシチューとか美味しいワインとか頼み始めちゃったら駄目だけど」

「そう言われると確かに『どーん』と高くはないんでしょうか……?」

 

 思えば、芽愛達と立ち寄った店はどこもそこそこ値が張るので、基準がよくわからなくなってきた。

 うーん、と悩んでいると芽愛がくすりと笑って、

 

「ちょっとお店見学してく?」

「え、遠慮しておきます」

「だよね。じゃあ、こっちだよ」

 

 ぐるりと裏に回ると、そちら側は普通の家になっていた。半一体型の店舗兼住宅っていう感じらしい。

 こちらもお洒落なのは変わらず、やっぱり庶民とは言い難い感じなのだが、ここに住んでいる芽愛は当然気にした様子もなく鍵を手に、家の門を抜けていく。

 俺はおずおずと後を追う形になった。

 

「こっちには誰もいないから大丈夫だよ。研究するからお店のお手伝いはできないって言ってあるし」

「じゃあ、お邪魔します……」

 

 中も、惚れ惚れしてしまうくらいお洒落だった。

 うちのシェアハウスもノワールによって綺麗に整えられているが、あそこは「普通の家」っぽい雰囲気を大切にしているところがある。だから庶民の俺でもすごく落ち着くし、朱華やシルビアが俗っぽい動きをしていてもあまり違和感がない。

 芽愛の家はシェアハウスよりも更に一段品がいい。とはいえ鈴香の家のように明らかに格が違う、という程ではない。そういう意味では確かに庶民というか、一般人の中ではお金持ち、ということになるだろうか。

 

 敢えて生活感を抑えているらしいリビングを抜けて案内されたキッチンは、設備の周りをぐるりと囲める、いわゆるアイランド方式。

 大きな冷蔵庫の他に冷凍庫、それからワインセラー。戸棚や食器棚にもずらりと物が並んでいる。

 さすが、家族でレストランをやっている家だ。

 

「ノワールさんが見たら歓声を上げそうです」

「そう言ってもらえると嬉しいな」

 

 持ってきたエプロンを身に着けて、芽愛から「可愛い!」と感想をもらってから、いよいよお菓子作り開始。……ちなみに芽愛のエプロンはワインレッドの落ち着いたデザインだった。

 

「さ、それじゃあ始めよっか」

「はい」

 

 どこかうきうきと材料を取り出す芽愛。

 あらかじめ用意しておいたというそれらは、ある程度までは文化祭用の予算から捻出されるものの、足が出た分は自腹である。

 俺や鈴香、縫子でカンパするという話もしたのだが「半分趣味でやってるから」と断られてしまった。仕方ないので「利益が十分出たら芽愛に還元する」とクラスメートに約束を取り付けることで良しとしている。

 

「候補としてはクッキー、チョコレート、あとビスケットかな」

「そういえば、クッキーとビスケットって何が違うんですか?」

「日本だと糖分と脂肪分の割合で名前が分かれてるみたい。で、アメリカのビスケットはフライドチキンのお店のあれみたいなやつ」

「パンですね」

「パンだね」

 

 芽愛が言いたかったのはそのパン、もといアメリカのビスケットのこと。イメージとしてはスコーンでも可とのこと。

 

「量産するならクッキーかなって思うんだけど、焼く時間も結構かかるんだよね。この時期ならチョコもすぐには悪くならないし、紅茶とチョコって合うじゃない?」

「合いますね」

 

 コーヒーにも合う。

 あまり甘くないのが好きな人ならビスケットも良いだろう。一人一個付ければ十分だから残量計算がしやすいという利点もある。

 

「それぞれ何種類か候補を考えてあるから、作って食べてどれにするか決めようと思うんだ。大丈夫?」

「はい。精一杯頑張ります」

 

 指示は芽愛に出してもらい、俺はひたすら指示通りに手を動かす。

 

「お菓子作りは理科の実験と一緒なんだよ」

「分量が少し違うだけでも結果が大きく変わるから計量が大事なんですよね」

「そうそう」

 

 前に軽く教わった時にノワールもそんなことを言っていた。

 なので、秤や計量スプーンなどを駆使しつつ、材料やその分量が少しずつ違うクッキー、チョコレート、ビスケットを製作。

 量って、混ぜて、整形して……とやっているうちに、気がついたら一時を回っていた。

 

「あ。アリスちゃん、お昼どうしよっか?」

「ビスケットも試食するんですよね? それがお昼代わりでいいような気がします」

「おっけー。じゃあ美味しいジャムがあるから一緒に出すね。あとクロテッドクリームと、簡単なサラダを作って……あ、スープもいる?」

「ありがとうございます。でもサラダまでで十分ですからそれ以上は」

 

 凝りたくなるのは料理人の性か。

 

 出来上がったお菓子をジャムやクロテッドクリーム、サラダ、それから芽愛があらかじめ作っておいてくれた水出し紅茶と一緒にいただいた。

 一つ一つの量は加減したのだが、それでも二人だと結構食べでがあった。

 美味しいジャムとクリームに舌鼓を打ち、紅茶飲んで「美味しいね」と言い合い、最後の方は余裕がなくなってきて「ここまできたら食べきらないと……」と気合いで食べきった。

 

「うーん、やっぱりクッキーとチョコレートの組み合わせかな。ビスケット百個とか作るのはさすがに厳しいよ」

「そうですね。クッキーとチョコなら工程もあまり被りませんし」

 

 配合を変えて作るのも面倒なので、俺と芽愛の独断と偏見で一種類ずつに決める。

 フルーツなんかは入れないシンプルなものだが、一般家庭にはなかなかない道具が揃っていること、芽愛の腕が良いこともあって、並の手作りとは味が違う。

 後の問題は、比較的作りやすいお菓子を選んだ上でなお、作る量がかなりあること。

 他の子と分担する案も出したものの、設備などの問題もあるので没に。

 

 いっそのこと、品切れになったら市販品を使うと開き直ってもいいのだが、

 

「……あ。食べ比べということにして、市販品と手作りを一緒に出すのはどうでしょう? それなら量を水増しできますし、手抜き感も抑えられませんか?」

「あ、それいいかも!」

 

 ということで、メイド喫茶のお茶菓子は「クッキーとチョコレート食べ比べセット」ということに決定した。



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聖女、野外で着替える

「アリスちゃん、今日はありがとね」

「そんな。こちらこそありがとうございます。芽愛さんのお陰でいい喫茶店になりそうです」

 

 文化祭のメイド喫茶で出すメニューが決定した後は、二人でキッチンを綺麗に片付けた。

 ぴかぴかになるように掃除をするのは少々大変ではあったが、立つ鳥跡を濁さず。料理人である芽愛の両親も、キッチンが整っていないのは嫌だろう。

 クラスのみんなに食べてもらう用の見本は明日、あらためて芽愛が作ってくれるらしい。

 彼女は一体、文化祭のために何回お菓子を焼いたのか。好きという気持ちは強いとあらためて思った。

 

「でも、本当にいいの? 夕飯、是非食べてってお父さんたち言ってたのに」

「はい。ご馳走になりたいのは山々なんですが、夜にみんなで出かける用事があるので……」

 

 芽愛の両親とは俺も直接顔を合わせた。

 昼の営業が終わったところで「娘の友達に会いたい」と二人でやってきたのだ。緊張しながらの挨拶だったので上手く言えたか不安だが、にこやかに「夕飯を是非食べていって」と言ってもらえた。

 芽愛から話は何度も聞いているだけに、本気で後ろ髪ひかれるものの。

 

「またいつか、きちんとした形で食べに来させてください」

「ん、わかった」

 

 俺の言葉に少女は微笑むと、どこか悪戯っぽい表情を浮かべて、

 

「みんなで食べに来て、売り上げに貢献してくれてもいいんだよ?」

「そうですね。……マナーの心配がありますが、それもいいかもしれません」

 

 まあ、教授達も、ちゃんとしたところならちゃんとしてくれると思う。

 多分。

 

 

 

 

 

 芽愛とは彼女の家の前で別れた。

 

「本当に送って行かなくて平気?」

 

 なんて心配そうに言われたが、朱華じゃあるまいし、事件になんてそうそう遭わない。それに、初手不意打ちから意識を失わされる、とかでない限りは魔法でなんとかなる。

 お土産用のクッキーやビスケット、チョコレートはしっかりもらって、もうすぐ日が暮れそうな空の下を歩く。

 初めて歩く道だが、困った時のスマートフォン。地図を確認しながら歩けば迷うこともない。

 前もって連絡を入れたところ、駅前で待っていて欲しいと指定があった。

 

『着きました』

『あと五分』

 

 シェアハウスメンバーのグループに向けてメッセージを送ると、朱華から短い返事が来た。

 

「まさか、二度寝してたりとか」

 

 みんなで移動しているはずなのでそれはないはず、と思いつつ、少し笑った。

 

「はい、お待たせ」

 

 幸い、車はほぼ五分ぴったりに駅前に到着した。

 赤いチャイナ服姿の朱華に、ややぶかぶかのローブを着た教授、改造白衣を纏ったシルビア、それから戦闘用メイド服のノワール。

 全員、衣装は既に戦闘モードだった。

 朱華とシルビアのいる後部座席に乗り込みながら、俺はほっと息を吐いた。

 

「良かったです。あと五分寝かせて、っていう意味だったらどうしようかと」

「失礼な。昼間たっぷり寝たから目は冴えてるわよ」

「お腹いっぱいになった時がちょっと心配だけどねー」

 

 むにー、と、朱華が俺の頬を引っ張る横で、シルビアがのほほんと言った。彼女の膝の上には重箱が入っていると思われる風呂敷包みがある。

 

「シルビアさん、膝痺れませんか?」

「ちょっとね。でも、抱いてないと中の物に影響が出るでしょ?」

「おい。お主ら、さすがに食い意地張り過ぎじゃないのか?」

「教授に言われたくない」

 

 助手席にちょこん、と座った教授がジト目で睨まれて「むぅ……」と呻った。

 

 

 

 

 

 

 バイト先は今までと違って少し遠方なので、到着までには時間がある。

 移動中に食事を済ませるのかと思ったら、揺れる中で重箱を広げにくいから……と、到着後に食べることになったらしい。

 なので、デザート予定だったお菓子がすぐさまみんなに配られた。

 ノワールも教授に「あーん」して貰って口に運ぶ。

 

「あ、美味しい。保存料とか使ってない味だね」

「え、シルビアさん、そういうのわかるんですか?」

「アリスちゃん、お姉さんを誰だと思ってるの? 自慢じゃないけど、味とか匂いには人一倍敏感なんだよー」

「いいけど、シルビアさん。『ペロっ、これは青酸カリ!』とかやらないでよ?」

 

 もしそんなことになったら即、解毒魔法の出番である。

 

「アリスさま、着替えはどうなさいますか? スペースには余裕がありますが……」

「あ、そうですね……」

 

 後部座席の後ろ、荷物用スペースを見ると、今日の荷物は対不死鳥戦に比べるとまだ余裕があった。主に消火器の本数が少ないせいだろう。

 

「って、また消火器があるんですね」

「うむ、念のために人数分は用意しておいた。初期の鎮火活動には有効だろうと思ってな」

「なるほど」

 

 誰の何を想定しているのかは言わずもがなである。

 しばらく車の音と外からの音だけが響いた後、子供っぽい声が精いっぱい厳かな雰囲気を作って、

 

「さて。移動中手持ち無沙汰だな。食べてる最中にするつもりだったが、先にミーティングを済ませてしまうか」

「はい」

 

 食べてる時は騒がしくなるかもしれないし、その方がいいかもしれない。

 

「皆知っての通り、今回は林間学校で使われる山間部──森林地帯での戦闘になる」

「可燃物いっぱいの地形よね」

「うむ。大規模な山火事を引き起こすような真似はさすがに避けたいな」

 

 山火事なんかになったら大ニュースである。

 上としても余計な被害は避けたいだろうし、俺達としてもマスコミが集まってきて撤退しづらくなるかもしれない。バイト代を減らされたり、最悪なしにされる可能性もある。

 

「我々はいったん森の入り口前で停車し、十分な腹ごしらえを行った上で森に入る」

 

 林間学校などで使う宿泊施設を借りられれば良かったが、俺達が森に入るとその時点で「実体化」が始まってしまう可能性が高い。

 なので、準備は全て突入前に済ませておくべき、ということだ。

 

「じゃあ、車の中で着替えるしかないですね。……あ、でも、できれば先に身体を洗いたいです」

「むう。気持ちはわかるが、シャワーなどないぞ。我慢できんか?」

「はい。汗で気持ち悪いとかは我慢できるんですが、その、多分、身を清めてからじゃないと神聖魔法の威力に影響すると思うんです」

「……ああ、それがあったか」

 

 俺がお祈りや着替えの前にシャワーを浴びているのは「気持ちいいから」だけが理由じゃない。簡易的な禊として用いているからだ。

 神の力を使うのに清い身体の方がいいのは自明である。

 

「コンビニにでも寄ってもらえば十分です。ペットボトルの水を買って、適当な茂みで水浴びしますから」

「いや、大丈夫じゃないでしょそれ」

「まあ、周辺の人払いは頼んである。基本、人目はないはずだが……」

「小学校の頃、女子がプールで使ってたようなタオル、持ってくれば良かったですね」

 

 身体をぐるっと覆ってボタンで留められるやつだ。あれがあれば更衣室なんかがなくても人目を避けて着替えができる。

 と、俺の呟きに何故かシルビアが遠い目になって、

 

「ノワールさん、なにかいいもの持ってないー?」

「……残念ながら。用意が足りませんでしたね。携帯用の更衣室というのも出回っておりますので、今度調達しておきましょう」

 

 普段はコンパクトな状態になっていて、必要な時に組み立てて使えるものらしい。一人用のテントを兼ねたアウトドア用品的なアイテムだったり、ある種のコスプレ用品としても使われるのだとか。

 そんなものがあるのかと感心していると、朱華が大きなため息をついて、

 

「ま、車の陰でごそごそする分には問題ないでしょ。あんまり見ないでおいてあげる」

「別に見てもいいですけど……?」

「ばーか」

 

 なんか知らないが罵倒された。

 

「話を戻すぞ。……今回はこれまでと違い、危なくなったら離脱する戦法が難しい。なので、我々の身の安全は最優先にしつつ、敵を逐次撃破。殲滅する方針でいく。状況に応じて臨機応変に動くしかないが、基本的には固まって戦うことになるだろうな」

 

 これは主に場所取りの問題である。

 夜間でも人が立ち入らないとは限らない場所なので、人払いが行われている今夜以外だと余計な犠牲者が出かねない。

 

「……今回のフィールドは広い。虱潰しになると時間がかかるかもしれん。それと、具体的なフィールドの境界がわかりづらいという問題がある」

「境界っていうと……」

 

 俺はざっと思い返してみる。

 墓場。学校。公園。どれも「ここからここまでがこの場所」というのがはっきりしていた。それに比べると山の中というのは線引きが難しい。

 多分、木があるところが範囲内になるのだとは思うが。

 

 と、ここでノワールが硬い声を出した。

 

「あの、教授さま。敵は境界を越えられない、という認識でいいのですよね?」

「わからん」

 

 しかし、我らがリーダーの返答は頼りなかった。

 

「ちょっと待ちなさい。敵が勝手に外に出て人を襲うかもしれないってわけ?」

 

 朱華の紅の瞳に不安の色が浮かぶ。もちろんシルビアも眉を顰めていたし、俺だって胸の痛みを感じた。

 

「でも教授? 今までそんなことなかったよね?」

「ああ。だから『わからん』としか言えん。普通に考えれば、敵は邪気の集合体。我らの存在に反応して実体化しているに過ぎないのだから、一定以上離れれば消滅するはずだ」

「……あれ? でも、シュヴァルツは」

 

 境界を越えても生き残っていた。

 

「そう。あの現象が『ドロップ品を持ち帰れる』というだけのものなのか、それとも、生きて境界を越えさえすれば消滅を免れるという意味なのかは不確定だ。そしてもし後者なら──」

 

 撃ち漏らした敵が野に放たれる危険がある。

 

「え、あの、私達五人で漏らさず山狩りは無茶ですよ……?」

「心配するな。今のは最悪の想定に過ぎん」

 

 腕組みをして教授は小さく息を吐いて、

 

「これまでの経験から言って、敵には我らを優先的に攻撃するという本能が組み込まれている。これはシュヴァルツの証言から見てもほぼ間違いあるまい」

「じゃあ、あたしたちを無視して森を抜ける敵はいないってことね?」

「おそらくな。例外がいないとは限らんが──そのためにも、入り口付近に陣取るのではなく、ある程度奥まった場所に進む必要がある」

「森の中で殲滅戦か。サバゲーでもするのかって感じね」

「よろしければ、朱華さまにも銃をお貸ししましょうか?」

 

 ガスガンどころか実銃を複数持ってきているノワールが言えば、朱華は苦笑して肩を竦めた。

 

「やめときます。あたしじゃ上手く使えないですし、ゲーセンのおもちゃと違って本物って重いじゃないですか」

「あの重量感がいいのですが……」

 

 寂しそうに呟くノワールだが、さすがにその感想には共感できない。

 いや、まあ、聖印はある程度ずっしりしてた方が神様パワー感じられそうな気とかはしないでもないから、似たようなものか……?

 

「でも、そうすると朱華ちゃん何で戦うのー? 中華拳法?」

「あたしの格闘術舐めてもらっちゃ困りますよ。パイロキネシスと合わせて灼熱拳(ヒートナックル)ですからね。……っても、化け物相手に通用するかは正直微妙。アリス、支援魔法お願いね」

「わかりました」

 

 神聖魔法の加護を拳中心にかけてやれば、攻撃力を底上げすると同時に拳の保護にもなる。それこそ拳を燃やしながら戦っても耐えられるだろう。

 

「一応言っておくぞ、朱華よ。危なくなったら迷わず力を使って構わん。森が燃えようと気にするな」

「え、いいの? 山火事よ?」

「知ったことか──とまでは言わんがな」

 

 ふん、と、教授の鼻息。

 

「念のために消防車を付近に待機させるよう依頼を出してある。初動の段階で発見も対処も可能なはずだ。……それに、仲間の命には代えられん」

「……教授」

「心配するな。お上が何か言って来たら精一杯抗議してやる。我らの死体が森に転がるのとどっちがマシだった、とな」

「ねえ、アリスちゃん。教授ってたまに格好いいよね」

 

 シルビアが耳うちしてきた。思わず「そうですね」と答えようとしたら、

 

「たまには余計だ! 吾輩はいつも真剣にだな……!」

 

 三人まとめて怒られた。

 

 

 

 

 

 

 

 それからコンビニに寄って、森に着いて、森の入り口前で夕食になった。

 ノワールお手製の行楽弁当は当然美味。残しても仕方ないので全員でおかず一つ残らず平らげて、俺は車の陰で水浴びと着替えを済ませた。

 

「さて。準備はいいな、アリス」

「はい。万全です」

 

 オーダーメイドの聖印と衣装は間に合わなかったので、着慣れた聖職者衣装。

 首から下げた聖印を左手でぎゅっと握りしめ、俺はしっかりと頷いた。

 シルビアが左隣に並び、ノワールが先頭。俺の後ろに教授で、最後尾が朱華。

 

「よし。では行くぞ」

 

 俺達は森へと踏み込むと、道沿いにまっすぐ進んだ。

 目的地は森の中の広場。

 子供達が大勢集まっても平気なだけの広さがあるそこへ到達するかしないか、というところで、敵の気配は大きく膨れ上がった。

 俺達の周囲に現れた多くの影。

 人と同じか少し大きくらいの背丈。体格的は明らかに人よりがっしりとしていて、肌の色はピンクがかっている。

 

 特徴的な豚鼻を持ったその怪物の名は──。

 

「──オーク!?」

 

 それは、成人向けの界隈において幾多の女騎士や聖女を蹂躙してきた、由緒正しい魔物だった。

 



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聖女、豚退治をする(前編)

 豚に似た鳴き声が幾つも重なり合うようにして、夜の森へと響き渡る。

 一人一つずつ持ってきたアウトドア用のLEDランタンのお陰で、敵の姿がはっきりと見えた。

 

 オークはゴブリンと同様、ファンタジーでお馴染みの魔物だ。

 人型かつ二足歩行、容姿としては豚に例えられることが多い。体色は作品によって緑色だったり、より豚っぽかったり様々だが、今回俺達が遭遇したのは後者のタイプ。

 体重は優に百キロを超えるだろう。下手をすれば二百キロオーバーかもしれない。

 でっぷりとした身体を支える筋力が人並み以上なのは明らか。そして、手には粗雑なこん棒や剣、斧、槍などを握っている。

 

 数は、ざっと見ただけで二、三十。

 広場だからって出てき過ぎじゃないかと言いたいが、おそらく、ここにいる奴だけで全部ではないだろう。

 

 生理的嫌悪感と同時により単純に「ぶん殴られただけで無事では済まなさそうだ」という恐怖を覚えた俺だったが、それでも、いや、だからこそ身体はすぐさま動いた。

 

「《聖光(ホーリーライト)》!」

 

 右手に持っていたLEDランタンを躊躇なく足元へ落とすと、手のひらに生み出した聖なる光で最も近い一体へと解き放つ。

 ある程度の物理的衝撃を伴う光はオークの巨体を焼きながら後方へ吹き飛ばし、近くにいた二、三体を巻き込んで転倒させた。

 うまい。

 だが、直撃させた奴もまだ消滅していない。お祈り効果等々で魔法の威力も上がっているはずなのだが──それだけ敵のバイタリティが豊富ということか。

 

 同時に複数の銃声。

 側面にいたオークのうち二体がのけぞるようにして倒れていく。見れば、彼らが手にしているのは弓矢。飛び道具を持っている奴もいたらしい。

 抜け目なく発見、優先して銃撃したノワールは駄目押すようにそれぞれの心臓へ弾を叩き込んだ。

 

 そして。

 

「ナイス、アリスちゃん! 朱華ちゃん、アルコール行くよ!」

「いきなりですか。……まあ、ここなら木には燃え移りませんけどっ!」

 

 高校球児も褒めてくれそうなコントロールで、転倒したグループへ試験管が命中。

 薄く割れやすい素材で作られていたそれは中の液体を撒き散らし、直後には液体が発火。量が大したことないので長く燃え続けることはないものの、オーク達の着ているボロ服に引火。

 火傷は痛いうえにその痛みが長引きやすい。喰らった奴らも悲鳴を上げて火をなんとかしようと暴れ出す。

 

 ここで、荷物運びを担当していた教授がいつものでかい本を取り出しながら、

 

「数が多すぎる。アリス、今のうちに大技をやってしまえ!」

「はい! ──《聖光連撃(ホーリー・ファランクス)》!」

 

 《聖光》何発分にも及ぶ聖なる輝きが、広場を一瞬強烈に照らした。

 

「よし、円陣を組め! 順次迎撃するぞ!」

 

 

 

 

 

 

 

「あーもう、オークとか最悪じゃない。絶対言霊のせいよこれ」

「ですが、人型の相手だっただけ良かったかと。……目を狙えば確実に無力化できます」

「ピンポイントで目に当てられるのとかノワールさんだけだけどねー」

 

 試験管入りポーチを分けてもらった朱華が、アルコールをぽいぽい投げつつ発火能力(パイロキネシス)で着火させる。

 ノワールは自分で言った通り、主にオーク達の目を狙って一体ずつ戦力を削いでいく。

 シルビアはシルビアで強酸ポーションをオークの顔面にヒットさせ、ある意味ノワールより酷いダメージを与えている。

 

 俺はというと、いつものアレである。

 

「《聖光》! 《聖光》!」

 

 以上、四人が円陣というか方陣? を組む中、教授は中央で指示を出している。

 

「ノワール、右斜め前に弓持ちだ! アリス、森から固まって三体だ、蹴散らせ!」

 

 一人だけ楽をしているように見えるが、実際指示出しをする人間も必要である。持ってきた荷物を放置してもおけないので守ってもらう意味もある。

 教授もケミカルライト(折ると一定時間発光するアレ)をあちこちに投げて視界を確保したり、懐中電灯の光をオークの顔に当てて目くらましをかけたり、草むらに燃え移りそうな火に消火器を向けたり、声を出しながら色々な方法でサポートしてくれている。

 

「でも、私達を狙ってくるっていうのは確かみたいですね」

 

 魔法を連発しながら言うと、

 

「私達が魅力的なだけだったりして?」

「全然嬉しくないからやめて欲しいんだけど!?」

 

 なお、敵オークはどうやら全員オスのようである。

 なんでわかるかって、あいつらボロい服しか着ていないからである。興奮しているような鼻息と、それから下半身の状態を見れば嫌でもわかる。

 いやまあ、わかりたくもないし、サイズとか確認したくもないんだが。

 

「アリス。絶対捕まるんじゃないわよ?」

「もちろん捕まりませんけど、どうして私限定なんですか?」

「だってオークよ。あきらかに聖女様が一番危ないじゃない」

 

 割と言いがかりっぽい理屈だった。

 

「最近は現代ものやSFにも当たり前のように出てきたりしますよ?」

「何よその出来の悪いエロゲみたいな設定」

 

 エロゲ出身者が言うことなんだろうか。

 と、教授が呻って、

 

「いや、アリスが捕まるのは本当に困る。何しろお主は邪気誘引性能が二倍だからな」

「あ……」

 

 今までの調査で「邪気誘引性能(仮)」三人分で化け物が出現することがわかっている。

 つまり、俺以外の誰か一人でも森に残っている限り、このオーク達を緊急消去できない。

 ノワール達が全員脱出できれば不死鳥戦やシュヴァルツ戦の時のように仕切り直すことはできるだろうが、もし俺が気絶なりなんなりで自力帰還できなかった時が厄介だ。

 シェアハウスのメンバーが助けに行こうとすると「三人分」の条件を満たすのでオークが再出現してしまう。そうなったら泥仕合である。

 

 想像した俺はぶるっと震えて、

 

「滅ぼしましょう。一匹残らず。あれは悪い種族です」

「アリスさま。聖職者としてその発言は大丈夫ですか?」

「問題ありません。仲良くできない種族は滅ぼしていいんです」

「あんた、適当言ってないでしょうね?」

 

 そんなことを言われても、俺だって詳しい設定は知らない。少なくともゲーム中のアリシアが「悪しき者」をばんばん浄化していたのは事実だ。

 

「……しかし、数が多いなこいつら」

 

 雑談(?)をしながらも俺達は手を休めていない。

 教授以外の四人がそれぞれ十や二十は倒しているので、合計すれば結構な数になるのだが──森のあちこちから次々に増援がやってくる。

 今のところは遠距離攻撃で食い止められているものの、弾薬にもポーションにも神聖魔法にも限りがある。

 

 教授は「仕方ないか」と呟くと、荷物から俺用の木刀を放ってくる。

 

「アリス、受け取れ」

「っ。……あの、教授。これを渡すってことは、もしかして?」

「うむ。念のためだ。接近戦フェーズに移行するぞ」

「う」

 

 ……教授の頭を木刀で殴ったら中止にならないだろうか。

 

「なんだその顔は。仕方ないだろう。多少は余力を残しておくべきだ。最後にボスが出て来たらどうする」

「また現実になりそうな予想をするわね……」

「シュヴァルツで経験済みなのだから『言うと招く』も何もなかろう。吾輩も肉弾戦に参加するから我慢しろ。シルビアには代わりに荷物を任せる」

「おっけー。……私はか弱い薬師だからね。肉弾戦は任せるよー」

 

 俺だって本来はヒーラーなんだが。

 まあ、言っても仕方ない。俺は自分の木刀と朱華の手足、ノワールのコンバットナイフに《武器聖別(ホーリーウェポン)》、五人全員に防御魔法をかける。

 魔法攻撃が止んだことでオーク達の包囲網は狭まりはじめ、代わりにシルビア以外の四人が前進して陣の幅を広げる。

 

「ィィィィィィィ!」

「うるさい。いいから死んどきなさい!」

 

 こん棒による一撃をかわすと、朱華はでっぷりとした腹に拳を叩き込む。

 聖なる力に覆われ、更にその上から炎を宿したパンチは少女の細腕とは思えないダメージを発揮。たまらず悲鳴を上げたオークは、ぼっ、と突如身体のあちこちから火を噴きだして卒倒する。

 人体発火拳。

 まさか本当に目にする時が来るとは。

 

「さて、休んでいた分くらいは働かせてもらおうか!」

 

 小さな身体で槍を上手にかわした教授は例のでかい本の端を持ち、本の角で殴りつけるようにして振るった。

 ごっ!!

 聞くからに痛そうな音。しかも、あの本は幾つもの魔法のかかった特別製らしい。神聖魔法とはいえ競合する可能性があるからと支援魔法も断られた。言うだけのことはあるようで、本自体の重量も相まってオークの巨体が吹っ飛んだ。

 何かのゲームだと硬い本はクリティカル率高かったっけ、と他人事のように思った。

 

「……ふっ」

 

 メイド服のスカートを翻すようにして接近したノワールは、近距離から相手の顔に銃撃。

 片手で目を押さえながら剣を振り回すオークに難なく肉薄すると、無防備になった喉をコンバットナイフで切り裂いた。

 濁った赤い血が噴き出し、白い肌が僅かに汚れるも──戦闘モードのメイドさんは意に介した様子もなく、ただの木偶と化したオークの身体を遮蔽に使い、他の個体へと銃撃を開始した。

 

「ああもう、できれば近づきたくないんですけど……っ!」

 

 俺のところへ来た最初のオークは斧持ちだった。

 威力が高い分、大振りでかわしやすい。機械人形と違って迫力があるのが嫌なところだが、意思が介在している分、狙いがわかりやすくもある。

 かわしたところで相手の手首を木刀で一打ち。ごき、と、いい音がした。斧を取り落としてこっちを睨んできたので、今度は足を思いっきりぶっ叩いてやる。これで一体目は仰向けに倒れた。

 

「ィィィ!」

「《聖光》!」

 

 隙あり、とばかりに飛びかかってきた一体は魔法で吹き飛ばし、続く一体を木刀で迎え討つ。

 確かにこれは、攻撃魔法だけでは捌ききれないかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 一体どれくらいの時間が経ったか。

 せいぜい三十分くらいだとは思うのだが、スマホを取り出す余裕もない。

 木刀が鉛のように重い。

 手をだらりと下げ、深い息を吐きながら辺りを見回せば、さすがに大方のオークは消滅し、残っているのは十数体程度になっていた。

 彼らは俺達の戦いぶりに怯んだのか向かってこようとしない。

 

 振り返れば、仲間達もまた全身に疲労をたたえた状態で立っていた。

 

「これで打ち止め、でしょうか?」

「……さすがにそう信じたいところだな」

 

 本を地面に立てて、それに寄りかかりながら教授。

 汗のせいか、チャイナドレスを肌に貼りつかせた朱華が苦笑して、

 

「こいつらどんだけいたのよ。誰が何体倒したか、カウントしとけば良かったかも」

「カウントって、身体に正の字でも書く?」

「……書いた途端、オークが強くなったりしたら洒落にならないわね」

 

 ないと言い切れないあたりが怖い。

 

「そう考えると、余力を残したのは正解でしたね」

 

 かなり疲労が濃いが、まだ《聖光》数回程度なら放てる。

 オークを退治しに来た聖女が魔法を切らした……なんて、明らかに負けフラグである。そんな状態になったら、見える範囲のオークが全滅していても絶対どこかから湧いてくる。

 

「では、さっさと掃除してしまいましょうか」

 

 拳銃のマガジンを交換しながらノワールが言えば、教授が「うむ」と頷いて、

 

「回収して価値のありそうな所持品もないし、さっさと終わらせてしまおう。……まさか、こいつらの肉を食うわけにもいかんしな」

「豚肉みたいなものだとしても、さすがに人型してる生き物の肉は……」

 

 何はともあれ終わって良かった。

 シュヴァルツの言っていた「貴女が鍵」という言葉。あれに籠められた期待に、俺は応えることができたのだろうか。

 ノワールが一体ずつ銃で片付けていくのを横目に、俺は仲間達に呼びかける。

 

「回復しますので集まってください」

 

 ぞろぞろと朱華、シルビア、教授が集まってくる。

 

「あー……帰って寝たい」

「本当。ちょっとポーション飲んだくらいじゃ足りないよー」

「そうだな。いっそ車内で少し仮眠して帰るか? ノワールもここから運転はきつかろう」

「ノワールさんには強めに回復魔法をかけないとですね」

 

 やばい、言ってるうちにかなり眠くなってきた。

 思えば、俺は他のメンバーと違って昼寝もしていない。ここまでは気を張っていたからなんとかなったが、糸が緩んだ途端にこれだ。

 多分、車に乗った瞬間に限界が来るだろう。

 

 シルビアのポーション──栄養ドリンクも貰った方が良さそうだと思いながら、まずは教授に向けて手をかざして、

 

 ずしん。

 

 地面の震える音に手を止めた。

 

「……え?」

 

 ずしん。ずしん。

 音は続けて何度も響く。地震ではない。何か、大きなものが近づいてくる音。木の枝をかき分けるような音も同時に響く。

 嫌な予感。

 俺は、構わず卒倒したくなるのを必死で堪えながら言った。

 

「すみません、治療は中止させてください。シルビアさん、代わりにポーションをみなさんに配ってもらえませんか?」

 

 誰からも異論は出なかった。

 強力な栄養ドリンクをぐいっと飲み干し、意識を強制的に覚醒させた俺は、雑魚を掃除したノワールがこちらに走ってくるのと、最後の敵が姿を現すのを見た。

 

 全長三メートル以上の巨体。

 

 部分的ながらも金属製の鎧を身に着け、自身のサイズに見合う長大な剣を手にしたそのオークは、俺達を見て咆哮した。

 ロードか。キングか。ヒーローか。

 間違いなく、こいつがオーク達の親玉だった。



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聖女、豚退治をする(後編)

「……むう。これは死んだかもしれんな」

「縁起でもないこと言ってんじゃないわよ!?」

 

 いつになく弱気で呟いた教授に、朱華がすかさず声を上げた。

 しかし、言いたくなる気持ちもわかる。

 二百か三百か、はたまたそれ以上かのオークを殲滅した後の俺達は、シルビア謹製の回復ポーションを飲み干し多少元気になったものの、それでもかなり疲労した状態。

 

 対するボスオーク(仮)は傷ひとつない状態。

 筋力量やリーチの差から言って接近戦などできるわけがないし、巨体の分だけ防御力、耐久力も他のオークより高いはず。

 逃げるにしても歩幅が違う。果たして森の入り口までたどり着けるものか。

 

 判断に費やせる時間はせいぜい一分。

 

「……ええい、仕方あるまい!」

 

 数秒の後に首を振った教授は全員に向けて指示を出した。

 

「シルビア、回復ポーションの残りを全員に配れ! アリス、ノワールは残りの魔法と弾をとにかく奴に叩き込め! せめて消耗させねば逃げることもできん! 朱華、いざとなったら吾輩と一緒に攪乱に回るぞ!」

「了解。ま、しゃーないわね」

 

 結論は、抗戦。

 他に方法がないための消去法と言っていいが、誰も文句は言わなかった。

 戦わなければやられる。あるいは、死ぬより辛い目に遭わされるのが予想できたからだ。

 朱華が、お団子がほどけて乱れた髪を払いながら笑う。

 

「とりあえず、後で突っ込まれないように股間のアレだけでも千切っときましょうか」

「朱華さんも、自分からエロい方向に持って行かないでくださいね?」

 

 ツッコミを入れつつ、俺は残った力を集中させていく。

 ポーションのお陰で眠気は吹き飛んだ。棒のようだった足もちゃんと動いてくれそうだが、回復プラス、疲れを一時的に忘れさせられているからだ。

 後から反動が来るだろうし、多少なりともインターバルを置かないと二本目の服用はできない。

 

「……別に、倒してしまっても問題ないのですよね?」

 

 ノワールは拳銃をホルスターに収納すると、背負っていたマシンガン(系の何か)を手にした。

 流れ弾を避けるために温存していたのだろうが、敵が一匹だけなら危険は少ない。

 

「ノワールさん、それ負けフラグだよ。……まあ、倒しちゃった方が楽なのは賛成だけど」

 

 ぽいぽいと残ったポーションを整理・分配しながらシルビアが言って。

 

「行きましょう!」

 

 ゆっくりと、しかし確実に近づいてくるボスを相手に──開戦した。

 

 

 

 

 

 

 

「──ォォォォォォォォォォ!!」

 

 びりびりと空気が震える。

 俺達に抗戦の意思があるのを見て取ったボスオークは、手にした剣をしっかり握り直すと、ひときわ強く地面を踏みしめた。

 足場の振動にたたらを踏む俺、朱華、シルビア、教授。

 しかし、幅広い戦場で問題なく戦えるよう訓練されたノワールは、ふらつくこともなく迅速に駆けた。

 

 向かって左側へ回り込むようにしながら、マシンガンのトリガーを引く。

 叩きつけるような轟音が断続的に響き、無数の弾が飛ぶ。

 

 ボスオークは足を止め、振り返ると大きく剣を振るった。

 巨大な金属の塊が銃弾の幾らかを弾き飛ばす。更に、残りの弾も空気の乱れによって勢いを失うか、あるいは軌道を逸らされた。

 数十、数百の矢の雨に匹敵する攻撃を剣の一振りで。

 奴が一騎当千の力を持っていることは今の流れだけでも十分にわかった。

 

 ただし、マシンガンは弓矢と違い、矢をつがえる時間も射手が位置を交換する時間も存在しない。

 風の収まった後、ボスが剣を引き戻す前にも弾は容赦なく降り注いだ。

 

 腕に、足に、胴体に。

 次々と着弾していく弾。無数の殴打に等しい衝撃。それが全身を襲えば、いわゆるノックバック効果だって相当なものになる。

 これなら。

 相手に何もさせずに重傷を負わせられるのでは、と思った俺は、ボスオークに命中した銃弾が次々と()()()()()()()()のを見た。

 効いていないわけではない。

 無数の打撃痕のようなものは残っているし、ボス自身も怒りの声を上げたが──奴の身体が持つ防御力によって弾の貫通は妨げられた。

 

 人間なら、十発も食らえば死ねる攻撃だろうに。

 

「《聖光(ホーリーライト)》!」

 

 銃弾が降り注ぐ中、再び剣が構えられるのを見た俺は、右回りに走りながら聖なる光を解き放った。

 光は相手の顔あたりに着弾。大きな目の片方がぎょろりとこっちを向く。

 

「《聖光》! 《聖光》!」

 

 本能的な恐怖を振り払うように魔法を連発。

 雑魚ならとっくに倒れているダメージを受けても、ボスオークは当然のようにぴんぴんしている。

 奴は「どっちを狙おうか」とでも言うように俺とノワールを睨んで──剣を手近な地面へ思い切り叩きつけた。

 

「……くっ」

「っ」

 

 先程よりも大きな揺れに、さすがのノワールも銃撃を中断。

 そして俺は、立っていることができず、その場に尻もちをついた。

 膝が笑って言うことを聞かない。

 

「──でも、構いません!」

 

 《聖光連撃(ホーリー・ファランクス)》。

 全力全開。全身全霊。ギリギリの状態から()()()()つもりで先に小技を連打したので、これで打ち止めのつもりの大魔法。

 《聖光》と同等の光が次々にボスオークへと着弾。周囲を明るく照らしながら、敵に苦痛の悲鳴を上げさせた。

 光が収まる。

 剣が持ち上げられ、ボスの視線がこっちに。

 

 そこへ。

 

「ふっ。正面をガン無視とはいい度胸ではないか!」

「食らいなさい!」

「在庫ありったけだよ!」

 

 教授、朱華、シルビアから次々と試験管が飛んだ。

 相手がでかいのをいいことに「当たればヨシ」とばかりに飛距離優先、コントロールは二の次で放たれたそれらは、容器が割れて空気に触れるなり()()()()

 次々に響く爆音。

 生まれた熱と衝撃は手榴弾のそれにも匹敵する──と。

 

「ちょうどいいので、便乗しましょう」

 

 本物の手榴弾がまとめて三つ、ノワールの手から投げ放たれた。

 一秒あるかないかの間。

 宙を飛んだそれらは狙い違わず命中し、再度、強烈な爆音。

 いい加減耳がやばい状態になっているのを感じながら、俺は二本目のポーションを開栓しつつ、立ち込めた煙の先を注視して。

 

 べしゃ。

 

「……え?」

 

 俺のすぐ脇に、俺がすっぽり埋もれる量の土が叩きつけられた。

 ボスが、空いている手で投げたのだ。

 当たらなかったのはただの幸運。

 

「ガァァァァァァァァァァァッッ!!」

 

 ボスオーク、なおも健在。

 全身に火傷をつくり、見るからにボロボロになりながらも、しっかりと立っている。

 どんな頑丈さだ。

 こいつなら不死鳥と一騎打ちできるんじゃないだろうか。

 

 手が震える。両手で容器を支えて少しずつ口に流し込みながら「逃げないと」と本能的に思う。足は手よりもずっとがくがく震えていてどうしようもない。

 

「死んでくださいっ!」

 

 悲鳴のようなノワールの声。銃撃が再開。しかし、都合よくすぐに相手が死んでくれるわけではない。

 剣が、大きく振りかぶられる。

 斬撃? 違う。投げる気だ。標的は──僅かに迷った後で、こちらを向いた。

 逃げられない人間から狙う、か。

 

「駄目えええぇぇぇっっ!!」

 

 果たして、それは誰の悲鳴だったのか。

 時間の流れがスローモーションのように感じられる中、俺は柔らかいものに抱きしめられた。シルビアだ。俺を抱きあげるようにして持ち上げようとしている。

 

「このデカブツが! 我が魔導書の錆にしてくれるっ!」

 

 大声を上げながら駆けた教授が本を投げつけ、ボスオークの腹に一撃を入れる。

 お返しの攻撃は無造作な蹴り。もろに喰らった小さな身体は何メートルも吹き飛んでバウンド、動かなくなる。

 

 そして、剣が。

 

「──なんとかしなさい、アリス!」

 

 直前、無茶な指示。

 なんとかってなんだよ、と思いながら、俺は空になったポーション容器を捨てて右手を持ち上げる。左手はロザリオへ。握る力がないので触れるだけで。

 

「《聖光》」

 

 光が、敵の顔面へ。

 直後にはとんでもない衝撃が来た。思考が揺れて何もわからなくなる。剣が投擲されたのだ。これは死んだ。シルビアまで巻き込んでしまったのは申し訳ない……と思いながら、俺は反射的に瞑っていた目を開ける。

 剣は、俺とシルビアのいるすぐ脇に突き刺さったらしい。

 抱き合った状態で二人まとめて吹き飛ばされたものの、鈍器のような刃に傷つけられることはなかった。俺はシルビアの身体をクッションにして倒れた状態。

 

 首だけを動かして敵を見ると。

 

 チャイナドレスを着た紅の髪の少女が、丸腰になったとはいえ太い四肢を備えた魔物のすぐ前に立っていた。

 両手で握っているのは──ノワールのコンバットナイフ?

 いつ渡したのか。いや、そもそも別の一本なのか。太腿あたりに鞘ごと留めておけば邪魔にはならない。慣れてなくても最後の手段にはなる。

 最後の手段。

 

「……よくもやってくれたじゃない」

 

 ナイフが深く、ボスオークの足に突き立てられる。

 敵が万全なら刃は通らなかったかもしれない。さんざんみんなで攻撃して傷をつけたお陰だ。剣を投げるという大技の直後、敵の意識が逸れた時を狙った荒業でもある。

 気づいたボスは足を振って朱華を離そうとするも、少女はナイフの柄を握ったまましがみつく。

 

「あたしの発火能力(パイロキネシス)って面倒なのよね。遠くなれば遠くなるほど効率が落ちるし、可燃物がないと大した火にならないし」

 

 その呟きが何を意味するのかといえば。

 

「でもね。あんた、さんざん爆発喰らって身体あったまってるじゃない? しかも、こうやって近くにいて──体内に直接力を注ぎこめるなら、話は別になるのよっ!」

 

 すぐには、目に見える変化は起こらなかった。

 ただ、ボスオークは一瞬ぴたりと動きを止めた。止めてから、今までに一番の絶叫を上げた。

 

「グォアアアアアアアアアァァァァァァッッ!!!」

 

 蹴りでは埒が明かないと察したのか、腕が直接、少女の身体を掴み上げにくる。

 

「──させません」

 

 太く大きな指で掴まれそうになる直前、朱華を救出したのは白と黒のシルエット──ノワールだった。彼女は朱華を抱きかかえるなり全速で離脱。

 後を追おうとしたボスオークが硬直し、その全身が炎に包まれた。

 

 俺が認識できたのはここまで。

 疲労がとうとう限界に達したのか、意識は「待った」をかける間もなく深い闇へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

「ん……っ」

 

 目が覚めたら朝だった。

 外で小鳥が鳴く声を聞きながらうっすらと目を開ける。気分はすっきりしている。風邪を引いていたり、ということはなさそうだ。

 寝ていたのはシェアハウスの自分の部屋、使い慣れたベッドの上。服はきちんとパジャマに着替えさせられている。

 寝落ちというか気絶というかをした俺はそのまま運ばれて帰ってきたらしい。

 

 身体を動かそうとすると、反応が鈍い。

 疲れはある程度取れていると思うのだが、なんというか、そもそもエネルギーが足りていない感覚。夕食は食べていたとはいえ、あれだけ動けばそれはそうかもしれない。

 

「っていうか、身体も洗ってもらったのかな」

 

 身体には泥汚れなどは全くみられない。

 おそらくノワールがしてくれたのだろうが……さすがに気恥ずかしいような。意識が完全にない状態というのは格別である。それならまだ一緒に風呂に入る方がマシだ。

 お礼がてら何か食べ物をもらおうと思いつつベッドを下りて、ケーブルに接続された状態のスマホを手に取る。

 食事とシャワーとお祈りの順番をどうしようか考えながらスリープを解除し──俺は、表示された日付と曜日に目を見開いた。

 

「……月曜日!? 七時四十分!?」

 

 一晩ぐっすりどころか、丸一日以上眠っていたらしい。

 それは気分もすっきりするし、お腹も空くはずだ……と納得しつつ、今からルーチンをこなして間に合うものか? と頭の中で計算する。

 うん、全力出してギリギリ。

 とりあえずお腹に何か入れようと部屋を出て、階下にあるリビングへと急ぐ。時間がないので早足で。

 

「あ」

 

 残り三分の一くらいのところで足が滑った。

 どがべしゃ。

 高度の割に結構いい音で落下。鼻が痛いと思いながら顔を上げると、

 

「アリスさま!?」

 

 リビングから飛び出してきたノワールが血相を変えて駆け寄ってきて、

 

「……ねえ、アリス? やっと起きたと思ったらあんた、何やってるわけ?」

 

 珍しく本気で怒ってるっぽい朱華が、やたらと怖い笑顔を浮かべていた。

 

「あの、その。急げば学校に間に合うかな、と」

「休みなさい」

「え、でも」

「駄目です」

「……はい」

 

 二人がかりで止められた俺はしゅんとしながら、微妙に体調がいい(でも万全ではない)状態で学校を休むという、微妙にどうしていいかわからない一日を過ごすことを決めた。



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聖女、仮病を使う

「もう、本当に心配したんですからね?」

「本当にすみません」

 

 ノワール特製の朝食メニューをいただきながら、俺は深く謝った。

 ちなみに食事の量は普段の五割増しくらいだ。気分的には二倍くらい食べたいのだが、人間、なかなか食い溜めは難しいものである。

 わざわざ俺の分だけ追加で作ってくれたノワールは向かいに座ってじっとこちらを見守っている。気恥ずかしいが、気持ちはわかるのでなんとも言えない。

 

 朱華たちはもう出かけていった。

 俺が起きた時にはもういなかったのだが、教授も元気に大学へ行ったらしい。かなり盛大に吹っ飛ばされていたので、問題ないと聞いてほっとした。

 

「もう少し早く起きていれば魔法がかけられたんですけど……」

「病み上がりのアリスさまにそこまでさせられません」

 

 俺が来るまではシルビア製の回復ポーションでやりくりしていたのだから、そこまで心配することでもない、とのこと。

 そのポーションを作ってくれているシルビアも、多少全身を打った程度でぴんぴんしていたらしい。

 

「じゃあ、私だけ皆に迷惑かけたんですね……」

「迷惑だなんてとんでもありません」

 

 ノワールは真剣な表情で首を振った。

 

「アリスさまにかかっている負担がそれだけ大きいということです。回復、サポート、更に攻撃役までお願いしてしまっているのですから、むしろ申し訳ないくらいです」

「そんな。私はできることをしているだけで……」

 

 それを言ったらノワールだって「一発当たったら致命傷」というプレッシャーの中で前衛をこなし、更にはメイン火力を務めている。

 シルビアのポーションには元手と時間がかかっているし、朱華だって制約の大きい能力でうまくボスオークを仕留めてくれた。

 教授は戦闘だと地味だが、リーダーという重責を担っている。

 楽をしているメンバーなど一人もいない。

 

「そうだ。ボスはあれで倒せたんですよね?」

「ええ。あれが倒れた直後、戦闘自体も終了しました」

 

 ボスオークは朱華の力で身体の内側から火を付けられて火だるまに。全身こんがり焼けて微妙に良い匂いを立てながら消滅したそうだ。

 ただ、そのお陰で辺りの芝生に引火したので、残量の少ない消火器で延焼防止に努めることになった。

 併せてバックアップ班に連絡し、消防車でしっかりと消火。無事に森への被害を食い止めた後、だいぶ地面がむき出しになってしまった広場を掃除した。

 一番大変だったのは散らばった銃弾や空薬莢の回収である。

 一般人の利用する場所なので、明らかに最近使われた感じのミリタリーアイテムがごろごろ見つかった日には大騒ぎである。

 翌日も辺り一帯を封鎖して昼過ぎまでかけて掃除したらしい。それでも多少は残っているかもしれないが……まあ、二発や三発程度なら小学生が拾って「すげー」で終わる。

 

「申し訳ないことに、わたしたちも限界でしたので、後始末はほぼバックアップ要員の方々にお任せしてしまいました」

 

 ポーションを飲まされて目を覚ました教授が「お主ら、こういう時のために待機しているんだろう?」と了承させたらしい。

 

「車に戻ってしばらく休憩した後、教授さまと交代で運転して戻ってきました。朱華さまとシルビアさまは移動中はぐっすりだったものの、すぐに起きてくださったのですが、アリスさまだけは目を覚ましませんでした」

 

 呼吸は規則ただしかったし、目立った外傷もない。

 既に二本飲み干していたことを考慮して、効果が弱めのポーションを飲ませ、翌日の朝一で医者に来てもらった。診察の結果は過労。とりあえず様子を見ようということになって今に至ったそうだ。

 

「痛いところはございませんか? 頭が妙にぼうっとするですとか、体温が異様に高いということは?」

「大丈夫です。念のために《小治癒(マイナー・ヒーリング)》もかけましたし」

 

 しっかり食べてエネルギーを補給すれば本調子に戻るだろう。

 学校にはノワールから「風邪で休む」と連絡してもらったので、今日一日でしっかり治したい。文化祭の近いこの時期に休むのはクラスメートにも申し訳ないし。

 

「今日はトレーニングも休んでのんびりします」

「それがいいと思います。では、今日はアリスさまと二人きりですね」

「ここに来た頃はしばらくそうだったんですよね。懐かしいです」

 

 気づけばもう、ずっとここで暮らしているような気さえする。

 ノワールはくすりと笑って、

 

「アリスさま。何か食べたいものはございますか? 病人には我が儘を言う権利があるんですよ?」

「本当に風邪を引いてるわけじゃないんですが……えっと、じゃあ、リンゴとか?」

「リンゴですね。定番はすりおろしですが……せっかくですからアップルパイなんて焼いてみましょうか?」

「あ、じゃあ、お手伝いしてもいいですか?」

「本当はお休みしていて欲しいんですが……少しだけですよ?」

 

 我が儘を言っていいというので、少しだけ役得をさせてもらった俺だった。

 

 

 

 

 

 

 一時間目が終わった頃になると、スマホに次々メッセージが届いた。

 内容は「お大事に」とか「大丈夫?」といった風邪を心配するもの。罪悪感がぶり返してくるのを感じつつ「大した風邪ではないので明日には登校できる」旨を返信した。

 芽愛からは「食中毒じゃないよね?」と送られてきたので「違います」とスタンプ付きで否定する。

 

「みなさん、いいお友達ですね」

「はい。お陰で学校が楽しいです」

「それは良かったです」

 

 アップルパイは午前中から作り始めて、お昼ご飯の一部にした。

 他のメニューはリゾットと温野菜サラダ。二人でお腹いっぱい食べてもワンホールはとても食べきれなかったので、残りは夕飯に朱華たちに供されることに。

 

「では、アリスさまは今度こそゆっくりしてください」

「わ、わかりました」

 

 自室に戻ってベッドに上がった俺は、昼寝をする気分でもなかったので、適当に読書をして過ごすことにした。

 途中まで読んでいたラノベを読み終わり、余韻に浸った後、そういえば聖職者衣装はどうなったのかと気になった。

 転んだり吹っ飛ばされたりしたので無事では済まなかったはず。

 部屋の中を漁っても発見できず。ならばと階下に移動して、

 

「あの、ノワールさん。私の衣装ってどうなりました?」

「……私も言われる側なので偉そうなことは言えませんが、アリスさまも相当、休むのが苦手な方ですよね?」

「え」

 

 暗に「いいからとりあえず寝てろ」と言われたので、今度こそ昼寝をした。

 

 

 

 

 

 

「ただいま。アリス、ちゃんと休んでたんでしょうね?」

「私をなんだと思ってるんですか。ちゃんと休みました。もともと休むほどの体調じゃなかったんですから」

「じゃあ階段でコケたのは何よ」

「あれはお腹が空いてたせいです!」

 

 学校から帰ってきた朱華とは顔を合わせるなり妙な言い合いになった。

 俺の反論を聞いた少女は微妙な顔をして、

 

「なんだ。元気じゃない、あんた」

「だからそう言ってるじゃないですか……」

 

 と、俺の頭がぽんぽんと叩かれて、

 

「ま、なんにせよ、無事だったなら良かったわ」

「……いえ、その。朱華さんのお陰で助かりました」

 

 なんとなく気恥ずかしくなって目を逸らす。

 

「あれ? というか、朱華さんも相当無茶してましたよね? 一歩間違えたら殴られて即死でしたよね?」

「あー……そうだったっけ?」

 

 わざとらしく目を逸らされた。気づかなければ良かったのに、と顔に書いてある。もしかするとノワールたちにも叱られたのかもしれない。

 誤魔化されそうになったのだと思うと若干思うところもある。

 動けないまま見たあの光景。朱華がボスオークに殺されていたらと思うと背筋が寒くなる。

 

「朱華さんがぐちゃぐちゃになるところなんて私、見たくないんですからね」

「んなこと言ったらあたしだって、あんたが死ぬところなんて死んでもご免よ」

 

 話の流れで睨みあうことになった俺たちを見て、一緒に帰ってきたシルビアが、

 

「ほんと、二人は仲いいよねー」

 

 仲良いか? と少し思ってしまったのは朱華にも秘密である。

 

 

 

 

 

 

 

 十七時前には教授が帰ってきた。

 

「身体は大丈夫ですか? ヒールかけましょうか?」

「問題ない。魔法が必要なほど弱っているなら迷わず休んでいる。……お主と違ってな」

「え」

 

 朱華がグループチャットで話したらしい。余計なことを、と少しだけ恨んだ。

 

「アリスさま。教授さまも心配されていたんですよ。だから、いつもより早めに帰ってこられたんですよね?」

「考えすぎだ、ノワール。仕事を切り上げてきたのは事後処理のために過ぎん」

 

 おそらく照れ隠しなのだろうが、教授は宣言通り、俺達を集めて事後処理についての話を始めた。

 まあ、ノワールは夕食の支度もあるので作業しながらだったが。

 

(みな)、先日の件はご苦労だったな。吾輩としても全員無事に帰って来れたことを嬉しく思う。各自、反省点もあるだろうが、まずは成功を喜ぼう」

「……そうね。何もかも命あってこそだもの」

「ほんとだよー。本気で命がけのバイトとか勘弁して欲しいよね」

 

 俺達のバイトに危険がつきまとうことは承知しているが、本気で「死んでもいい」と思っているわけではない。

 最高に運が悪くても大怪我くらいで済んでくれないと割に合わない。さすがに俺でも死者蘇生はできないのだ。

 これに教授は苦笑して、

 

「うむ。ひとまず、上には報酬の増額を強く要請しておいた。今回は向こうから頼まれて『仕方なく』スケジュールを詰めた案件だしな。金くらい払って貰わねば割に合わん」

「それは助かりますね。みなさま、装備をかなり消耗したはずですし……」

 

 まずはシルビアのポーション。それからノワールの弾薬。どちらも必要経費で落とせなければ赤字間違いなしのアイテムだ。

 

「今回はアリスの衣装も犠牲になったな。その点も強調しておいた」

「あ、結構ボロボロだったんですね、あれ」

 

 なんでも土汚れの他、あちこちがほつれて本格的に修繕のいる状況だったらしい。

 俺としては残念ではあるものの「なら直せばいいんじゃ?」くらいの想いなのだが、教授はここぞとばかりにそこを押したらしい。

 着ていた俺が一日以上目覚めなかったというのもあって説得力が高い。

 聖職者にとって衣装とはうんぬん、といった若干嘘くさい文句まで並べて被害の大きさを申告し、増額について「前向きに検討します」という返答を受け取った。

 

「新しい衣装、注文しておいてよかったです」

「若干アリスをダシにしてしまったが、お主に頑張ってもらったのは事実だからな。恩に着る」

「気にしないでください。私も、ボス戦の度にボロボロになるのはなんとかしたいんですけど……」

 

 回復魔法や支援魔法をかけるには前衛の傍にいないといけないうえ、攻撃魔法もあるのでどうしても前に出ることになってしまう。

 

「そういえば、私達が敵を実体化させて、自衛隊か何かに戦ってもらう……っていうのは駄目なんですか?」

 

 ふと思いついて尋ねてみると、他のメンバーが揃って渋い顔になった。

 

「いや、それは以前に思いついて試したことがあるのだがな。……結論から言えば、嬉しい結果にはならなかった」

「というと……」

「十分に訓練された部隊だけあって、突然現れた未知の敵にも彼らが怯むことはありませんでした。ですが、彼らの操る通常武器では十分な攻撃力が出なかったのです」

「銃が当たってるのに効かない、ぶん殴ってもぴんぴんしてる、とかはさすがに専門外でしょ。結局、あたしたちじゃないと無理って話になったのよね」

「それって、敵は何か、特殊フィールド的なものを纏ってる、みたいな話ですか?」

「うん。それで、私達はそれを中和できるみたいな話だねー」

 

 そんな現代異能もののラノベみたいな設定があったとは……。

 それなら俺達が戦わないといけないのも納得だ。まあ、俺達が敵を実体化させているわけなのでマッチポンプ感が否めないが、敵を倒すことで世界が良くなっているのも事実。

 上の人達としても報酬を払うだけの価値があると判断しているのだろう。

 

「今回も邪気払いの効果はあったらしいぞ。なんと、ツチノコが発見されたらしい」

「世紀の大発見じゃないですか」

 

 いやまあ、一般の人にとっては「だから何だ」っていうレベルの話でもあるのだが。生物学者なんかは大喜びするに違いない。

 

「他にも珍しいキノコが発見されるなど、良い影響が出ている。多発していた事故も収まるだろうな」

「それは良かったです……」

「もう当分『政府からの依頼』は懲り懲りだけどね」

「本当ですね」

 

 できればしばらくそっとしておいて欲しい。

 シュヴァルツも懸念していたように、初めて行く場所ではボスが出現するらしい。毎度苦戦するのはもう懲り懲りである。

 次にボス戦に挑むまでの間に、俺ももっとパワーアップしておきたいと、今回の件で切実に思った。



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聖女、手伝う

 次の日登校すると、俺の顔を見るなりクラスメートが集まってきた。

 

「アリスちゃん、風邪大丈夫だった?」

「もう平気なんだよね?」

「はい。ご心配おかけしました。今日からまた頑張ります」

 

 すると、みんながほっとした顔をする。

 さすがに心配しすぎだと思うんだが。

 

「あんたが当日来れなくなったら誰かが看板娘やらないといけないじゃない?」

 

 朱華の声に、何人かがさっと視線を逸らした。

 

「ほら。責任重大よ、アリス」

「文化祭が終わるまで、この金髪を貸し出したい気分です……」

 

 ヅラだったら貸せるんだが。

 俺の髪がかぱっと外れるのを想像したのか、みんなから「イメージ崩れるからやめて」と真顔で言われた。

 

 

 

 

 

「ところで、アリスさん。衣装は完成しているそうですが」

「はい。ばっちりできました」

 

 クリーニングから戻ってきたシスターメイド服と一緒に、自作したメイド服も持参してきた。

 朝のHR前の賑やかな時間に自分の席の前で広げて見せると、周囲のクラスメートから歓声が上がった。

 検分した縫子も深く頷いて、

 

「問題なさそうですね。お疲れ様でした」

「アリスちゃん、忙しそうにしてたのにもう完成してるなんて」

「そのために夜更かしして風邪引いたんじゃ……?」

 

 噂話が妙な方向に行っている気がする。

 しかし、寝込んだ原因が「前日の夜更かし→土曜日中のお菓子作り→土曜夜のバイト」のコンボにあるのは確かなので、気軽に「違います」とも言いづらい。

 と、少し離れた場所で芽愛が呟くのが聞こえた。

 

「食べ過ぎでお腹壊したわけでもなかったんだ。良かった」

 

 それだけは断じて違う。

 広まってもらっては困るので、芽愛には昼食の時間に「絶対違いますから」としっかり言い含めておいた。

 

 

 

 

 

 土日月と三日挟んだだけなのに久しぶりな気がする授業をこなし、あっという間に放課後。

 衣装作りが終わり、大きなバイトも済ませたことで俺のスケジュールもだいぶ楽になっている。今日はゆっくりしても大丈夫だから……と、鞄を持たず教室内を見渡してみると、帰りのHRが終わったというのに真剣な顔で座りこんだままの生徒が何人もいた。

 まるで、帰れると思った直後にボスと出くわした俺達みたいな顔なのだが。

 

「では、衣装作りの続きをしましょうか」

 

 淡々と、どころか若干楽しそうに宣言した縫子を見て、ああ、と納得した。

 

「アリスちゃん、助けて……」

安芸(あき)さんが鬼教官すぎるのー……」

 

 お通夜みたいな顔をしているのはみんな衣装作り班の子達だ。晴れやかな表情をしている子もいるが、彼女達は既に作り終えたのだろう。

 当日接客担当の子に限って自分の分が終わってないような気がするのは……まあ、他人の分の製作を買って出るような裏方の子はそりゃ裁縫得意だよな、ってところか。

 しかし、

 

「安芸さん、意地悪は駄目ですよ?」

「意地悪なんてしていません。ただ真剣に、いい衣装を作りたいだけです」

 

 ちらりと芽愛や鈴香の方を見ると、彼女達はどこか遠い目をしていた。こうなった縫子は止められない、ということだろう。

 結局、芽愛とのお菓子作りも楽しく終えた俺としては縫子もそんなに厳しいわけではないんじゃ? と思うのだが、慣れていない人には辛いのかもしれない。

 

「私も慣れてる方に教わりながらだったので、どこまでお手伝いできるかわかりませんが……」

「手伝ってくれるの!?」

「は、はい」

 

 がばっと腕に抱きつかれた。

 同性同士だとちょっとしたことで身体が触れ合うのは男の時もあったのに、女子が妙に可愛いのはなんなんだろうか。

 男同士の場合は「ばんばん肩を叩かれる」とか「腕でぐいっと首ごと引っ張られる」とかだからかもしれないが。

 俺はノワールに「文化祭の準備で居残りします」とメッセージを送り、「私も帰って準備しますね」という芽愛に手を振ってから、衣装作りの手伝いに入った。

 

 鈴香は鈴香で裏方の子達といろいろ話し合いをしていて、教室はわいわいとした雰囲気が長く続いた。

 

「そういえば、アリスちゃん。当日の衣装も持ってきたんだよね?」

「一回見ておきたいなー」

「あ、私も見たい!」

 

 作業が終わらないと嘆いていた子達もさすがに手つかずで放っておいたわけではなく、むしろ思ったよりは進んでいた。

 俺は横で眺めながらアドバイスをする程度だったのだが、それでもお手伝いがいるのといないのとでは違うのか、みんな少しずつ前に進んでいく。

 俺の衣装の話が出たのは、そんな作業ペースがだんだん落ちてきて、今日はそろそろ終わりか? という雰囲気が出始めた頃のことだった。

 

「そういえば、まだ着てないんでしたっけ」

 

 鈴香と芽愛には直接見せたし、縫子も写真を見ているので失念していた。

 

「じゃあ、少しだけ」

「やった!」

 

 歓声を上げるクラスメートをよそに、俺はシスターメイド服を取り出して制服に手をかける。

 どうせ女子校だし、生徒の数自体も減っているし、更衣室に行く必要もないだろう。窓の傍に立たないようにだけ気をつけてさっさと下着姿になり、代わりに衣装を纏っていく。

 学校でこれを着るというので不思議な感覚はあるが。

 

 ……そういえば、文化祭が終わるまでのお祈りはどうしようか。

 

 聖職者衣装が駄目になったのが誤算だった。

 まあ、できるだけ白っぽいパジャマとかでお茶を濁すしかないか。衣装がどんな状態でもお祈りしないよりはいいだろうし、何より俺自身がお祈りしないと落ち着かなくなってきている。

 衣装を身に着けるにつれて気分がバイトモードというか、芯の部分で妙に落ち着いた状態になっていくのを感じながら、髪を衣装の中から取り出して撫でつけるように整え、普段は制服の下で眠っているロザリオも表へと出してやる。

 襟や袖、スカートの形も丁寧に整えたら完成である。

 欲を言えば先にシャワーを浴びたかったが、

 

「あの、どうでしょうか……?」

「………」

 

 静寂。

 なんか前にもこんなことがあったような、と思った途端に、

 

「可愛い!」

「綺麗!」

 

 残っていたクラスメートが一斉に言い出した。

 

「さすがアリスちゃん、なんか本物のシスターみたい」

「着替えてる最中、声かけづらかったよー」

「アリスちゃんの髪とすっごく合うね」

 

 良かった。幸い、クラスメートにも好評のようだ。

 

「これは絶対話題になるでしょ」

「本当に一位取れちゃうかも?」

 

 さすがにそれは言い過ぎだと思うが……まあ、俺だけじゃなくて朱華もいるわけだし。芽愛だって本人は謙遜しているが、実際は十分すぎるほどに可愛い。更にはその芽愛が丹精込めて手作りしたお菓子まであるのだ。一位を取れてもなにも不思議はない。

 むしろそのくらい売り上げて、芽愛の試作品製作費用を補填して、余ったお金でファミレスか何かを貸し切れたら最高ではなかろうか。

 

「当日は頑張って接客しますね」

 

 意気込んだ俺の横で、かしゃかしゃと何度かシャッター音が響いた。

 

「生で見るとまた格別ですね」

 

 気づいたら縫子がスマホで写真を撮っていた。いや、別にいいけど。減るものじゃないし。でもネットに上げたりするのだけは勘弁して欲しい。

 

 

 

 

 

 

 そこからはもうあっという間だった。

 毎日物資が運び込まれ、会話が文化祭一色になっていき、衣装班が救われた表情になっていくのと対照的に、装飾担当の生徒達が作業を本格化させていった。

 休み時間になる度に何かを描いたり、作ったりする姿が見受けられ、俺も暇を見計らって手伝った。

 

 文化祭前日はまる一日使っての準備日。

 朝のHRからの一時間はクラスごとに決められた分担に従っての大掃除。自分達の教室の他に特別教室や空き教室なども掃除し、出し物で使用するクラスに明け渡す。

 掃除の時間が終われば、待ちに待った準備の時間だ。

 

「さて。まずは要らないものを運び出しましょうか」

 

 陣頭指揮を執るのは我らがリーダー、鈴香である。

 

「教卓は使わないので移動させます。机と椅子は前もって必要数を決めてあるので、余った分を運び出してください。ただし、机の高さには気を付けてくださいね」

 

 指示だしの似合う雰囲気を持っているお陰で、一時的なリーダーに集まりがちな「お前も手を動かせよ」「楽しやがって」といったやっかみが起きにくい。というか、彼女が前々から裏方としていろいろな調整や打ち合わせをこなしていたことはみんな知っているので素直に従ってくれる。

 

「では、私も運び出しを──」

「あ、アリスちゃんは休んでていいよー」

「掃除張り切ってたし、明日が本番なんだから」

「……あれ?」

 

 何故かみんなから「お前はいい座ってろ」と言われてしまった。そんなに貧弱そうに見られているのか。月曜の欠席が響いたのか。

 

「運び出しが終わったら内装作業に入りましょう」

「はーい!」

 

 同じ高さの机をくっつけて「島」を作り、椅子を周りに配置する。この時、四つの机を長方形ではなく十字っぽい形にくっつけ、上からテーブルクロスをかけることによって少し上品な感じに見える。

 椅子には手製の防災ずきん──もとい、背もたれとクッションを付けて身体が痛くならないように。

 各テーブルにはラミネート加工したメニューを配置。

 壁は緋桜(ひおう)家に余っていたカーテンを使ってエレガントさを演出しつつ、いかにも学校っぽいアイテムを目隠し。ビーズを鎖風に編んだものを金色や銀色に染めて装飾に使い、あらかじめ作成しておいた看板は高等部の美術室から借りたイーゼルに立てかけてそれっぽく。

 

 スタッフ用のスペースは普段教卓があるあたりだ。

 ついたてとカーテンで目隠しした上で、当座の分のお菓子や、飲み物の入ったクーラーボックス、湯沸かし用のポットなどを置く。

 着替えや物資の保管用には少し離れた空き教室を借りられたのでそっちを使える。

 空き教室の方は装飾が必要ないので、お昼になったらそっちでお弁当を食べた。もちろん、作業をしている生徒もいるので手の空いている生徒から交代でだ。

 

 鈴香は全体指揮、芽愛は持ってきたお菓子のチェックやラベル作成等々、縫子は衣装の最終チェックをしていて忙しいので、俺は他のクラスメートと昼食をとった。

 

「いよいよ始まるんですね……」

「アリスちゃんは初めてだもんね。楽しみ?」

「はい。楽しみです」

 

 素直に頷くと、みんなが微笑ましいものを見るような目で見てきた。とはいえ「そういう皆さんも楽しみにしてるじゃないですか」と言うのも大人気ないので我慢しておく。

 そして、午後二時を回る頃には──。

 

「……うん、内装はこれで完成ね」

 

 我らがメイド喫茶のスペースは営業可能な状態になっていた。

 

「もう終わったんですか?」

「事前準備の成果と言って頂戴。こういうのは余裕をもって進めるものなの」

 

 もちろん、これは俺達にとっての朗報。

 

「良かった。これならリハーサルができる……できますねっ」

 

 弾んだ声を上げる芽愛。彼女が擬態を解きかけるとは珍しい。飲食店での接客ということでテンションが上がっているんだろう。

 リーダーの鈴香から、接客担当者は着替えてリハーサルに参加するよう指示が出た。

 

「……っていうか、私達ひょっとして損してない?」

「接客練習までさせられたもんね」

 

 せっかくなので俺は自分が作った方のメイド服を着ることにした。

 自分で作った衣装を着るというのもなかなか感慨深いものがある。ちゃんと着られるんだな……という感動と、こういうのがあるからコスプレイヤーという人達がいるんだろうな、という実感を覚えていると、接客担当の子達がしみじみ呟くのが聞こえた。

 

「練習、そんなに大変だったんですか?」

「そりゃあもう大変だったよ」

「みっちり三時間くらい練習させられたんだから」

 

 三時間……?

 

「アリスちゃ──アリスさん」

「はい」

 

 近くにいた芽愛と顔を見合わせた俺達は「私達は丸一日」という声をギリギリで呑み込んだ。逆にそれだけやったんだから自信がついたと思えばいい。

 そして。

 鈴香や縫子もお客さん役として参加してのリハーサルが行われ、最後に芽愛謹製のお菓子をみんなで味わいながら決起集会的なことを行って、その日は解散となった。

 

「文化祭ってみんなで泊まりこんでギリギリまで作業するみたいなイメージがあったんですが、いつもとあまり変わりませんね?」

「それやったら、あんた当日の朝に熱出しそうよね」

「この前のはさすがに特殊な事例ですってば。朱華さんこそ、今日は早く寝てくださいね?」

「は? 徹夜でテンション上げないで『お帰りなさいませご主人様♪』とか言えるわけないでしょうが」

「……あー」

 

 若干同意しそうになった俺は「いや、こいつは参考にしちゃ駄目だ」と思い、夜はノワールが作ってくれたホットミルクを飲んで早めに寝た。



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聖女、バナナを食べる

 遂に文化祭当日がやってきた。

 

 普段通りに起きた俺はシャワーを浴び、聖職者衣装の代わりに白いパジャマに袖を通してから日課の祈りを捧げた。

 無事にこの日を迎えられたことを感謝した上で、出し物がうまく行きますようにと願う。

 気持ちが入ると集中具合も違うのか、今日はセットした五分のアラームが鳴るまでそわそわしたりしなかった。

 

「おはようございます、ノワールさん」

「おはようございます、アリスさま。いよいよですね?」

「はい。精いっぱい頑張ってきたいと思います」

 

 俺の返事にノワールはにこりと笑って、

 

「わたしも明日は顔を出しますねっ」

「は、はい」

 

 文化祭は初日が学内だけでの開催、二日目が外部への開放ありでの開催になる。

 今日、雰囲気に慣れたうえで明日に臨む、という形なのだが──せっかくなので遊びに来て欲しいという気持ちと、保護者に来られるのがこそばゆいという気持ちが心中でせめぎ合う。

 しかし、来ないでくれなんて言ったら絶対に悲しむので、選択肢はないに等しかった。

 

「はよー……」

「あら。おはようございます、朱華さま」

「早いですね、朱華さん。まだご飯には余裕が──って、なんですかその顔!?」

 

 普段よりもだいぶ早く顔を出した紅髪の少女は、なんというか、目が半分開いてなかった。

 

「いや、そのね。テンション上げるために徹夜しようと思って、珍しくホラー系のエロゲなんか始めたんだけどさ。思いのほか体力使っちゃったというか、逆にテンション下がったというか」

 

 で、回復が欲しくなって早めにやってきたらしい。

 言わんこっちゃないと思いつつ、俺は朱華に《小治癒(マイナー・ヒーリング)》をかけた。すると、少女の顔はみるみる元気になっていく。

 

「体力は戻りますけど、眠気にはあまり効かないので注意してくださいね?」

 

 その点、シルビアの栄養ドリンクは疲れや眠気を誤魔化す方が得意なので良し悪しである。

 

「大丈夫。適度に眠くないとマズいんだし。ありがとね、アリス」

 

 朱華はそう言って俺に笑いかけてくれる。

 ついでに頭を撫でられたので、憮然とした顔で彼女を見上げて、

 

「うちのメイド喫茶は全年齢の健全なやつですからね?」

「あんた、あたしをなんだと思ってるのよ」

 

 もちろん、筋金入りのエロゲ好きである。

 

 

 

 

 

 

 元気になった朱華と、いつも通り眠そうなシルビアと一緒に登校する。

 学校前に到着すると、文化祭用の大きな看板がすぐに目に入った。校舎を見れば、各教室のベランダも思い思いに飾り付けがされている。外から見えるこのスペースは重要な宣伝ポイントだ。

 屋台用のコンロなどが立ち並ぶ中を歩いて教室へ。

 

「おはようございます、みなさん」

「はよー」

「おはようアリスちゃん」

「朱華さんも、今日はよろしくね」

 

 既に登校していた生徒に挨拶してから、控え室用の空き教室の方へと移動して荷物を置く。

 空き教室でそれぞれの作業していた縫子と芽愛にも挨拶。

 

「たしか、開会式があるんですよね?」

「はい。といっても、体育館や講堂も使えないので、各教室で放送を聞く形になります」

「だから着替えはしてしまって大丈夫ですよ、アリスさん」

「わかりました。じゃあ、今のうちに着替えてしまった方がいいですね」

 

 後で慌てることになっても困る。

 念のためにトイレだけ済ませてから、パーティションとカーテンで仕切られた簡易更衣室で着替えを済ませる。

 

「さ、朱華さんも」

「はいはい」

 

 俺と入れ替わりで更衣室に入った朱華は短時間で着替えを済ませ、生まれ変わったような姿で姿を現した。

 

「わ……!」

「すごい……!」

 

 自然と歓声が上がった。

 少女が身に纏うのは赤地に金糸のチャイナドレス。アジア人には真似できない鮮やかな紅の髪が衣装の赤と合わさって非常に映える。

 タイトな仕立てもスタイルのいい彼女にぴったりだし、ホワイトブリムを意識した白いシニョンキャップが良いアクセントになっている。

 手はシックな薄い黒手袋で隠し、足には同じく黒のタイツを穿いている。

 

 小さな白エプロンを付けようという案もあったのだが、試してみたら安っぽい風俗店みたいな絵面になったのでシェアハウス内で却下した。

 その上で露出は最小限に抑えたが……これでおそらく正解だっただろう。

 隠したら隠したでチャイナドレス+バニーガールみたいなフェチ感が生まれている。見る人が見たら「エロい」と判断するだろう。

 

 まあ、これに関してはぶっちゃけ、女性的なボディラインを強調している時点でエロくないわけがないという話だ。

 それに、男の視点と女の視点は違う。

 同性から見た場合どうなるかというと、

 

「綺麗!」

「格好いい!」

 

 強い羨望の眼差しが朱華に集まった。

 俺としてもおおむね同意見である。朱華は普段から「男? 興味ないけど?」という態度を貫いているので、多少派手な格好をしても男漁り目的には見えない。

 メイド喫茶なので接客スタッフ全員人目を惹く格好なわけだし。

 

「そういえば、学校でこういう格好するのって初めてなのよね」

 

 若干恥ずかしそうに「ありがとう」を返した後、朱華は俺の方に寄ってきて言った。

 

「そうですよね。普通、そんな機会なかなかないですし」

「あんたの場合は聖印(それ)見慣れてるから意外と違和感ないんだけどね」

 

 確かに。

 

 

 

 

 

 

『それでは、ただいまより第〇〇回、萌桜(ほうおう)学園文化祭を開催いたします』

 

 俺達は担任教師による簡易HRや最終ミーティングなどを終えた後、クラス全員で教室に集まり、じっと「その時」を待っていた。

 校長先生のありがたい話が放送される間中、みんな(俺含む)がそわそわしていたのはご愛敬。

 その分、開始が宣言された時にはクラス中、どころか校内が一斉に「わっ!」と盛り上がった。

 

「では、皆さん。優勝目指して頑張りましょう」

 

 歓声が収まったのを見計らい、リーダーである鈴香(すずか)が言った。

 ちなみに彼女はレディースのタキシード姿。

 基本的に接客はしないし恥ずかしいのでメイド服は着ないが、支配人だかマネージャーみたいな設定で着飾っておく、とのことである。

 優雅なドレスが似合うかと思えば、こういうぴしっとした格好まで無理なく似合っていて、お嬢様恐るべしである。

 そんな鈴香は声と共に握り拳を高く掲げた。

 お祭りムードに盛り上がっている俺達がそれに乗ったのは言うまでもない。

 

「おー!」

 

 こうして、我がクラスのメイド喫茶は開店となった。

 

「開店しまーす!」

 

 裏方の子たちが空き教室に引っ込み、ビラ配り担当が散って行った後、廊下に向けて接客スタッフが声をかける。

 オープニングスタッフは俺、朱華、そして芽愛が勢揃いだ。

 

『出だしのインパクトは重要でしょう?』

 

 という鈴香のアイデアである。短い時間だが、目玉総動員で一気に注目を集める。なお、鈴香自身も目立つ格好をしているので、店の前で呼び込みに回ってくれた。

 まあ、とはいえ、関係者だけしかいない以上、そうそうすぐにお客さんは来ないのだが。

 

「……うう、なんだか緊張してきました」

「いや、あんたさっきまで大丈夫そうだったじゃない」

 

 胃を押さえて呟けば、朱華に呆れたように言われた。

 

「だって、この『いつ出番が来るかわからない』みたいな空気って辛くないですか?」

「まあ、わからないでもないけど。あたしはむしろ、もう逃げられないところまで来ちゃった方が気が楽かな」

 

 肩を竦めた朱華は、確かに傍目にも泰然としている。とても昨日「お帰りなさいませご主人様♪ なんて言えるわけない」と言っていた少女には思えない。

 若干羨ましい。

 これが剣道の試合なら、試合中の二人の動きを参考にしたり、いくらでもやることがあるのだが──。

 

「アリスちゃん」

「ひゃっ」

 

 ぴと、と、首の後ろに手が当てられて、思わずびくっとした。

 悪戯をした張本人である芽愛は俺の緊張を和らげるように柔らかく笑って、

 

「リラックスしてた方がいいよ。お店は劇とは違うんだから。百点を一回取るより、営業している間、八十点を取り続ける方が大事」

「芽愛さん……。はい、ありがとうございます」

 

 お陰で少し肩の力が抜けた。

 深呼吸をして聖印に触れる。それだけで心が落ち着いて、これからの接客にしっかり臨めそうな気がしてきた。

 などとやっている間に、外の鈴香から「二名様ご案内します」との声。

 俺達は顔を見合わせて、せーので来店第一号様を出迎えた。

 

「お帰りなさいませ、お嬢様」

 

 

 

 

 

 

 看板娘勢揃いは三十分ほどで終了した。

 

「じゃ、開店早々の暇な時間は任せなさい」

 

 という朱華を残し、俺と芽愛はいったん休憩&自由時間に入る。

 実際は一人目のお客さん以降、少しずつ客足が伸びているので暇というほどでもないのだが、今のうちに休んでおけという心遣いだろう。

 代わりのクラスメートとバトンタッチして空き教室に戻ると、縫子が労ってくれた。

 

「お疲れ様です、二人とも。客入りの方はどうですか?」

「上々ですよ。ね、アリスさん?」

「はい。芽愛さんのお菓子も好評みたいです」

 

 衣装につられて入った結果、お茶やお菓子が美味しいとなれば印象にも残るはず。明日来るお客さんも父兄や友人が多いのだから口コミは大事だ。

 縫子は「それは良かったです」と頷いて、

 

「そういえば、言い忘れていたのですが、明日、とある人物がアリスさんに会いに来る可能性があります」

「? ある人物、ですか?」

 

 衣装を脱ぐか悩んで結局脱ぎつつ、俺は首を傾げた。

 全く見当がつかない。実は椎名と知り合いとかじゃないだろうし、単なる他校の友人とかなら意味ありげな言い方をしない気がする。

 

「どんな人なんですか?」

「……ええと」

 

 珍しく言いよどむ縫子。

 

「いえ、言わないでおきます。先入観なく会ってもらった方がいいかもしれませんし、実害のある人間ではありませんから。ただ、心の準備だけしておいてください」

「えっと……わかりました。ありがとうございます」

 

 よくわからないが、誰か会いに来るかもしれない、と思っておけばいいらしい。

 縫子がわざわざ警告する人物、逆に少し興味が湧いてしまった。

 着替え終わったところで芽愛に袖を引かれて、

 

「アリスさん、アリスさん。少し時間ありますよね? 何か食べに行きませんか?」

「そうですね、行きましょうか」

 

 敵情視察も大事だ。

 飲食系は基本、校舎内ではなく屋外に集まっている。うちのような喫茶店系は例外だが、その筆頭である料理部と芽愛は仲が微妙だ。

 ということで、校門前に移動した俺達は、高等部と中等部の制服が入り乱れている光景に目を奪われた。

 

「結構人いますね」

 

 若干素の出かかった様子で言う芽愛に「はい」と頷く。みんな、本番は明日だと理解しているので、今日のうちに羽を伸ばそうとしているのかもしれない。

 全部のクラスがうちのように手間のかかる出し物をしているわけでもない。展示系なら案内役に二人くらい残して他は自由時間というのもありえる。

 逆に飲食系などの手間がかかる出し物をしているところは割とガチなところ。明日のための練習も兼ねて元気に活動している。

 

「アリスさんは何か気になるものありますか?」

「そうですね……」

 

 これが縁日なら真っ先にじゃがバターをチェックするのだが、生憎、文化祭のパンフを見る限り存在しなさそうだ。

 やってるのが女子なので甘味が多い。

 となるとあんず飴とか……? って、それも見当たらない。ならば、

 

「あ、チョコバナナを食べてみたいです」

「いいですね」

 

 一人一本ずつ購入してさっそく口に運んでみる。

 半分にカットしたバナナをチョコレートでコーディングし、カラフルなフレーバーをまぶした甘味。これもまた縁日の定番だ。

 バナナとチョコ、種類の違う甘さのダブルパンチに、トッピングの舌触りがアクセントを加え──俺は小さく呻りながら「そうそうこれこれ」という思いを抱いた。

 隣の少女はというと、

 

「うん、美味しいですね」

 

 芽愛さん、「私が作った方が美味しいけど」って思ってますよね?

 一応フォローしておこうと、俺は「でも」と言って、

 

「お昼にはまだ間があるので、これくらいがちょうどいいと思います」

「ふふっ。確かにそうですね」

 

 くすりと笑った芽愛は、気を良くしたのかぱくぱくとチョコバナナを食べきった。

 

「それじゃあ、次は……あ、あのミニドーナツなんてどうです?」

「あ、美味しそうです」

 

 冷静に考えると「お腹減ってないんじゃなかったのか」という話なのだが、甘味の誘惑に俺はあっさり思考を放棄した。

 男の頃なら胸やけしていそうな連続甘味も今なら美味しく食べられる。女子の身体さまさまである。

 サーターアンダギー風のミニドーナツを一袋買って芽愛と分けた後、更にクレープを平らげてから、俺は交代に備えるために来た道を戻った。



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聖女、ナンパされる

「皆さんのおかげで初日は大成功でした」

 

 十五時半の学園祭終了後、店舗に集まったスタッフ一同は、笑顔の鈴香から嬉しい知らせを受けた。

 

「今日の分として用意していたお菓子は完売し、二日目の分に食い込む結果です。この調子なら明日はもっと売り上げが伸びるでしょう」

「帰ったらお菓子の追加を作りますね」

 

 芽愛のお菓子も大好評だった。

 量としては初日四割、二日目六割くらいの計算でお菓子を配分していたのだが、二日目分まで割り込んだ以上、残っているお菓子では足りない可能性が高い。

 手作りお菓子がなくなったらなくなったで市販のお菓子オンリーに切り替えればいいのだが──当の芽愛が嬉しそうで、かつやる気満々なので水を差すのも悪い。

 とりあえず、彼女の明日のシフトは減らせないか鈴香に相談しておこう。

 

「盛況の理由としては、やはりアリスさんと朱華さんの存在も大きいと思います。お二人とも、明日もよろしくお願いします」

 

 縫子が言うと、クラスメート達がうんうんと一斉に頷く。

 

「二人とも大活躍だったもんねー」

「アリスちゃんたち目当てのお客さん絶対いたもん」

 

 俺たちは交代制でシフトに入り、接客をこなした。

 朱華は高等部の生徒や先生方を含む女性からきゃーきゃー言われていたし、俺は俺で、何人もの先輩方から挨拶を受けた。「あなたがあのブライトネスさん」みたいなことを言われ、その度に笑顔を返したのだが、内心、どこまでどういった噂が広がっているのかと思わずにいられなかった。

 

 鈴香の家で受けた講習さまさまだ。

 あそこでしっかり練習したお陰で背筋を伸ばして笑顔で対応ができたし、動きを身体に覚えさせていた分だけ疲れずに済んだ。

 講習に参加していなかった朱華もさすがというか、最後までしっかり接客をこなした。中華娘は少しくらい乱暴でも愛敬になるし、それも個性だ。

 ……その分、終わった途端にぐったりしているが。

 

「朱華さん。今度こそ早く寝てくださいね」

「わかってるわよ。もう腹は括ったからテンション上げなくても平気だしね」

 

 そう言った彼女は帰ってシャワーを浴び、夕食を平らげるなり「おやすみ」と部屋に戻っていった。

 こっそり覗いてみると室内は暗く、聞こえてくるのは寝息だけだった。

 これでエロゲやってたら頬でもつねってやろうと思ったのだが……俺はほっと息を吐いて、《小治癒(マイナー・ヒーリング)》を朱華にかけてから部屋を出た。

 

 

 

 

 

 

 二日目。

 

 朝からわくわくした様子のノワールと、「休みが取れたから買い食いに行くぞ!」と言う教授に見送られて家を出た。

 朱華もぐっすり寝たお陰か今日は元気そうだ。

 

「今日は私もアリスちゃんたちのところ行こうかなー」

「シルビアさんのところは展示なんですよね? 時間がたっぷりあるなら、あちこち回るのも楽しそうです」

「なんなら手伝ってくれてもいいのよ?」

「あはは。私まで手伝ったらお店がパンクしちゃうよー」

 

 割と冗談じゃなくそうなりそうなのが怖いところである。

 学校に着いて荷物置き場であり更衣室であり控え室でもある空き教室に着くと、隅で芽愛が寝息を立てていた。

 

「安芸さん。芽愛さんは……?」

「起こさないでおいてあげてください。昨夜、思いのほかお菓子作りに没頭してしまったそうです」

「それは、嬉しいですけど……」

 

 売り上げよりも芽愛の体調の方が心配だ。

 音を立てないように近寄った俺は、芽愛にかけられたブランケットを直すフリをしながら治癒魔法を使った。光もブランケットのお陰で隠れたはず。頑張りすぎなくらい頑張ってくれたのだから、これくらいはさせてもらわないと俺の気も済まない。

 それにしても、俺の周りにはのめり込むと自分を顧みなくなるタイプが本当に多い。治癒魔法が使えて本当に良かったと思う。

 

「鈴香からは芽愛のシフト変更についてOKが出てますから、後は私達でなんとかしましょう」

「はい。芽愛さんのお陰でお菓子の量は十分ですから」

 

 昨日と同じようにシスターメイド服へ着替えた俺は、「よし」と気合いを入れると自分達の教室へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 開店直後は昨日と同じく俺と朱華、二人とも出ることになった。

 芽愛の分は他の子が入る形だが、昨日の経験がある分だけみんな成長している。今日は一段といい接客ができるに違いない。

 

「では、開店します」

「はーい!」

 

 開場時間と同時に開店。

 まあ、これからお客さんが入ってくるわけだし、わき目も振らず突撃してくる人なんてそうそういないだろうから、しばらくは暇だろう。

 一日は長いのだから、今はリラックスして最初のお客さんを待っておこう。

 と、思っていたら、開場から僅か数分で店外の廊下が賑やかになり始めた。

 

「なんだか、昨日と活気が違いませんか……?」

「まあ、そりゃそうでしょ。昨日は身内だけだったんだし」

 

 朱華に耳うちしたところ、肩を竦めて言われた。

 

「うちはレース編みのカーテンで窓隠してるから、外が良く見えないのよね」

「ちょっとめくって覗いてみましょうか」

「やめときなさい。そろそろお客さん来そうだし」

 

 確かに、外が活気づいているということはお客さんが来ていて、呼び込みが始まっているということだ。

 生徒の高い声に交じって、普段は聞かない声も聞こえてくる。

 

「男の人の声がしますよ……?」

「ん。なんか変な感じよね」

 

 朱華の言う通り、なんともいえない違和感がある。

 普段、同性だけで気安く過ごしている空間が侵食されているような、不安と居心地の悪さが入り混じった感覚。

 いや、元男の俺が男の介入を毛嫌いするのも変な話なのだが。

 

 などと思っていたら、外から「お、ここじゃね?」なんていう声が。

 鈴香が応対する声が続けて響いたかと思うと、二名様の来店となった。

 

「お帰りなさいませ、ご主人様」

 

 思えば、ご主人様呼びの挨拶はこれが初めてだと、恭しく一礼をしながら俺は思った。

 

 

 

 

 

 

 一番テーブルは紅茶のアイスとホットが一つずつ。二番テーブルはアイスコーヒーとレモンティー。五番テーブルが緑茶と烏龍茶とアイスティー二つ。

 気を抜くとわからなくなりそうなのが困る。

 テーブル番号と注文内容が書けるメモ用紙があるので、最悪覚えなくても構わないのだが、自分でも憶えた方が何かと便利だ。

 特に、注文を受けた順番だけは憶えておかないとクレームになりかねない。

 

「すみませーん」

「はい、ただいまお伺いいたします」

 

 忙しくても慌ててはいけない。あくまでも動きは優雅に。思考は冷静に。講習での教えを思い出しつつ、手を挙げている客のところへ赴く。

 既に注文は受けているテーブルだが、追加注文だろうか。

 

「お待たせいたしました。いかがなさいましたか、ご主人様?」

「あー、えっと」

 

 高校生くらいの男子二人組だ。

 俺を呼んだ方の男子が「ほら、言えよ」ともう一人を促し、促された方は「いや、でも」と躊躇うような反応を見せる。

 こうやって無駄に待たされるのは割と困るのだが、どの程度のタイミングでこちらから聞き返すべきか。あまり早すぎると急かしている感じになるし、いつまでも待っているのも辛い。

 と、控えめな方の男子(仮称)が意を決したように俺を見て、

 

「れ、連絡先を教えてくださいっ!」

 

 俺は、内心で「……あー」と呻いた。

 表には出さないように気を付けながら笑みを作って、

 

「申し訳ございません、ご主人様。そういった行為は規則で禁じられております」

「あ、そ、そうですよね。すみませ──」

「あ、じゃあ、これ俺らの連絡先だから。気が向いたら連絡してよ。それならいいっしょ?」

 

 引こうとする相棒を見てすかさず押してくる積極的な方(仮称)。いや、駄目だって言っただろアホか、と言いたいのを堪えて「すみません、そういうのもちょっと……」と濁す。

 

「えー。もったいない。今時中学生でも彼氏いるの普通だよ? こんな可愛いのにもったいないって。ね?」

「お客様。申し訳ございませんが、メイドの過度な拘束はご遠慮ください」

 

 ゴネられているのを見た鈴香が寄ってきて助け船を出してくれる。男装というほどではないものの、きちっとした服装の彼女に「お客様」と呼ばれて、二人はようやく我に返って静かになった。

 小声で「ありがとうございます」と言うと、鈴香は黙ってウインクを返してくれた。

 これ、絶対、鈴香のファンも生まれてるだろうな。

 

 ちなみに朱華はこういうの(ナンパ)をどうかわしているのか……と、しばらく気にして見ていたら、

 

「あ、すみません。あたし女の子にしか興味ないんですよー」

 

 お客さんと軽く談笑するそのままのノリでさらっと言っていた。

 

 

 

 

 

 

「お帰りなさいませ、お嬢様」

 

 客の男女比は四:六といったところだった。

 文化祭自体の来客で見ると三:七くらいらしいので、うちの店は男に興味を持たれる率が高いことになる。いいことなのかは微妙なところだが……。

 とはいえ、もちろん女性客もいる。

 今回は女性の一人客だった。キャスケット帽を被り、色付きの伊達眼鏡をかけている。大学生くらいだろうか。眼鏡のせいで顔がわかりにくいが、結構整った顔立ちに見える。ついでに、どこか見覚えがあるような気もするのだが……どこだったかは思い出せない。

 彼女は俺の胸──というか、胸に付けた「アリシア」の名札を見て「うん」と頷いてから、俺の案内に従って席に移動を始めた。

 

「こちらがメニューです。ドリンクメニューには全て、ちょっとしたお菓子がセットになっております」

 

 定型の説明をして「何かご不明な点はございますか?」と尋ねるのがいつもの流れ。大抵のお客さんは「大丈夫です」と言ってくれるので、「お決まりになりましたらお呼びください」と言って下がる。

 しかし、このお客さんは違った。

 

「ねえ。あなたが『アリスちゃん』でしょう?」

「っ」

 

 衝撃が胸を打った。

 愛称で呼ばれたから──ではない。驚いたのは彼女の()だ。彼女の声には、さっきの俺の台詞をそっくりそのまま再現できそうな響きがあった。

 要は、俺と同じ声。

 俺ことアリシア・ブライトネスの声は、自分で言うのもなんだがかなりの美声だ。演技力さえあれば声優にだってなれるだろう。

 まあ、CVを担当した声優さんの声がそのままコピーされているので当然なのだが。

 

「あ……っ。もしかして、安芸さんが言っていたお客様って……?」

 

 脳裏に閃いたのは昨日の出来事。

 縫子の意味ありげな発言も今の状況を鑑みれば納得がいく。

 俺の推測は正しかったようで、女性は笑みを浮かべて頷いた。

 

縫子(ほうこ)から聞いてるんだ。そう。あなたに会いに文化祭に顔を出す、ってあの子には言っておいたの」

 

 呼び方。

 縫子は名前で呼ばれるのが苦手らしく、俺達にも苗字で呼ばせている。それを無視できるとなるとかなり親しいか、あるいは近しい間柄だろう。

 確か、安芸家は芸術関係に秀でた血筋だったはず。

 推測が立ったところで、彼女が自己紹介をしてくれる。

 

「初めまして。縫子の姉の千歌(ちか)です」

 

 やっぱり。

 サングラスを取って微笑むと、縫子によく似ていることがはっきりわかった。でも、姉の千歌さんは若干派手というか、人目を惹きやすい顔立ちをしている。

 確か、お姉さんは芸能関係の仕事をしていると前に言っていただろうか。

 

「どうしたの、アリス?」

 

 驚きもあってつい、千歌さんと話し込んでしまっていたせいだろう。

 朱華が寄ってきて首を傾げる。誰よこの人、とでも思っているのだろう。せっかくなので彼女にも驚いてもらおうか。

 

「朱華さん。この方の声、凄いんです」

「声?」

「あはは。別にすごくはないよ。ええと、初めまして。()()()()

 

 朱華を呼ぶ声だけ、完璧に俺とトーンが同じだった。

 さすがだ。

 俺にはもう、彼女──千歌さんのもう一つの肩書きも見当がついている。

 

「あの、もしかして」

 

 芸能関係とは聞いていたが、正確にはおそらく声優だ。

 芸名は、

 

千秋(ちあき)和歌(のどか)さんですか?」

「高嶺エリスさんですよね?」

 

 は? と、俺は声に出しそうになった。

 千歌さんのことを前者の名前で呼んだのが俺。後者の名前で呼んだのが朱華だ。

 俺が口に出したのは当然、アリシア・ブライトネスのCV(というか例のSRPGにおける主人公用ボイスの一つ)を担当した声優の名前。

 なので、朱華が誰かと勘違いしたのかと思えば、千歌さんは嬉しそうな恥ずかしそうな表情になって、

 

「うわ。中学生の子がそっちの名前知ってるとは思わなかったな。お願いだから人の多いところではあんまり呼ばないでね」

「あ、すみません、つい」

 

 素直に謝る朱華の脇を突いて「どういうことですか?」と尋ねると、彼女は小声で教えてくれた。

 

「高嶺エリスっていうのはエロゲ声優の名前よ。出てたのマイナーなゲームが多いし、割とすぐ表に行っちゃったからあんまり有名じゃないけど」

「……あー」

 

 声優は全年齢作品、つまり表の作品と十八禁作品、つまり裏の作品とで芸名を使い分けることが多い。

 要はどちらも千歌さんの芸名なのだ。

 

 俺の知らなかった、知らなくていい事実が無駄に一つ明かされてしまった瞬間だった。



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聖女、惜敗する

 声優にして縫子(ほうこ)の姉の安芸(あき)千歌(ちか)さん。

 彼女はなんと、俺ことアリシア・ブライトネスのボイスを担当した人物だった。今は全年齢の作品をメインにしているが、成人指定の作品への出演経験もあるらしい。

 

「あれ? ちょっと待ってください。朱華さん」

 

 俺はそこであることに思い至り、紅髪の少女を振り返った。

 若干背伸びをして耳うちするようにして尋ねる。

 

「じゃあ、まさか今まで、私の声のこと『エロゲで聞いた声』だって認識してたんですか?」

「うん」

 

 なんということだ。

 妙な疲労感が肩にのしかかってくる。いや、まあ、声優にとっては全年齢だろうと成人向けだろうと仕事に変わりはないわけだし、あまり変な目で見るのもアレなのだが。

 俺に良く似たキャラクターが艶声を出しているゲームを、知り合いが普通にプレイしていたというのはこう、心にクるものがある。

 と、ぽん、と肩を叩かれて。

 

「安心しなさい。あたしの声だって一緒だから」

「……私、朱華さんの声も綺麗で好きだったんですけど」

 

 彼女が出ているエロゲをプレイするのはまだまだ先にしよう、と、俺はあらためて誓った。

 内緒話終了。

 千歌さんを振り返ると、彼女は俺達のやり取りが聞こえていたのかいないのか、のほほんとした笑顔を浮かべて、

 

「えっと、朱華ちゃん? あなたも良い声してるよねー。よく似た声の人、一人知ってるよ」

「あはは。あの人も十分全年齢行けると思うんですけどねー」

「うん。でも残念ながら無理かな。結婚して引退しちゃったから」

「そうだったんですか。それは残念です」

 

 って、普通に成人向け作品の声優トークが始まってしまった。

 明確なワードは使われていないので周りの人にはわからないはずだが……男もいる場所でそういうこと言うのは色々危ない。

 とりあえず止めておこうと俺は口を開いて、

 

「姉さん。営業の邪魔はしないでって言っておいたのに」

 

 物凄く嫌そうな顔をした縫子がテーブルに近寄ってきて、千歌さんを睨みつけた。

 

「あ、縫子。やっほー」

「ここで名前を呼ばないで」

「……もう、つれないなあ。あんた、学校でもそんな感じなわけ?」

「お願いだからちょっと黙って」

 

 うん。

 友人の前で家族と話す、というのは意外に恥ずかしい。テンションをどっちに合わせていいかわからなくなるからだ。

 これが先輩と後輩と同級生が同時、とかなら問題ないんだが、家族というのはこっちにも体面があるのをまるで無視してからかってくるから困る。

 せめてこの一幕のことは今後触れないようにしよう。

 

「千歌さん、お久しぶりです。相変わらずお元気そうで」

鈴香(すずか)ちゃん。久しぶりー。何その格好。アリスちゃんと並ぶと滅茶苦茶絵になるんだけど」

 

 今度は鈴香が寄ってきた。

 きっと彼女が縫子を連れてきてくれたのだろう。笑顔を浮かべつつも半眼になって、

 

「お話は店以外でお願いします。朱華さん」

「ん?」

「そろそろ交代の時間です。上がったら千歌さんの相手をしてあげてくれませんか?」

 

 なるほど、それはいい手かもしれない。

 朱華とならエロゲ話で盛り上がれるだろう。間に挟まれることになりそうな縫子が不憫だが。

 もちろん、朱華はにっこりと笑顔を浮かべて。

 

「わかった。あたしで良ければ」

 

 その後、二人がどんな会話を交わしたのか、詳しくは聞かなかった。

 ただ、千歌さんは俺のことがいたく気に入ったようで、「一緒に配信とかしたい」と言っていたらしい。朱華と連絡先を交換したそうなので、また会う機会がありそうだ。

 

 

 

 

 

 

「そんなことがあったのですか」

 

 教授を連れてメイド喫茶へ顔を出したノワールは、俺の話を聞くと、ゆったり紅茶を傾けながら微笑んだ。

 今日の彼女は私服姿。

 ロングスカートがメインの上品なコーデで、お金持ちのお嬢様か若奥様といった雰囲気だ。入店した瞬間、居合わせた男性客はもちろん、接客していたクラスメートまで「何この綺麗な人!?」という反応をした。

 ノワールは正直、俺達とは女子力が桁外れなので、そうなるのも当然である。

 

「初めまして。わたしはアリスさまや朱華さまの身の周りのお世話をさせていただいております、ノワールと申します。どうぞよろしくお願いいたします」

「……ど、どうしようアリスちゃん。この人の見ちゃったら、私達のお店ってメイドごっこにしか見えないよ!」

「仕方ないですよ。メイドは奥が深いので、少し練習したくらいじゃプロには絶対に敵いません」

 

 自信喪失しかけたクラスメートはしっかり勇気づけておく。

 そもそも、付け焼刃でノワールや緋桜(ひおう)家のメイドさんに勝とうと思うのが間違いなのである。俺達はメイドごっこがしたくてメイド喫茶を選んだのだから、存分にメイドごっこをすればいいのだ。

 なお、普段からメイドさんを見慣れている鈴香はというと、

 

「彼女に手伝って貰えたら百人力なんですが」

「さすがに生徒でもなんでもない人は……。というか、たぶん伝説になっちゃいますから」

 

 ノワールに恋する男性がダース単位で量産されたとしても驚かない。

 実際、帰ってから聞いたところによると、ノワールは文化祭を見て回っている間に片手では足りない回数、男から声をかけられたらしい。

 それを当然のように全部切って捨てたというのだから、さすが、としか言いようがない。

 

「えっと……それで、教授はなんでぐったりしてるんですか?」

 

 ここまで教授が喋らなかったのは、その妙に憔悴した様子のせいだ。

 椅子に腰かけるなり「ふう……」と息を吐き、腹をさすりながら、絶対安静とばかりに動かない姿は──。

 

「ええ、少々食べ過ぎたようでして」

「だと思いました……」

 

 なんでも、目に入った端から買いあさる勢いだったそうだ。

 そりゃ苦しくもなるというか、ぶっちゃけ暴挙である。

 

「む。勘違いするなよ? どちらかというとこれは、甘い物が多すぎて胸やけしたせいだ。焼きそばやポップコーン、イカ焼きなんかがもっと多ければまだ入った」

「弁解するのはそこじゃないと思います」

 

 思わずツッコみを入れたところで、背中をつんつんと突かれて、

 

「ね、アリスちゃん。この子って妹さん? それとも……ノワールさん? の娘さんだったりとか?」

「可愛いよねー。何歳なのかな?」

「失礼な! 吾輩はとっくに成人しているぞ!」

「嘘!?」

「どう見ても小学──中学一年生くらいなのに!」

 

 まあ、いつものことというか、なんというか。

 教授の見た目と年齢のギャップにみんなが驚いた。客の誰かが「合法ロリだと……!?」とか呟いていたので、一応ノワールに気を付けるよう目配せをしておいた。

 

 なお。

 ノワールのCVはどうなっているのかと後日尋ねたところ「不明」ということだった。ノワール当人どころか朱華でさえ知らなかったので本当に不明なのだろう。

 もしかしたら現在はまだ無名すぎて知られていない声優だったりするのかもしれない。

 原作漫画はまだアニメ化されていないので、真相はメディアミックス展開が進んだ時のお楽しみである。

 

 

 

 

 

 

「いや、千歌さんと話すのほんと楽しかった」

 

 もう少し文化祭を見て回ってから帰るというノワールたちを見送った後、ほくほく顔の朱華と交代して控え室に戻った。

 教授が「みやげだ」と言って食べ物を幾つか置いていったので、昼食代わりにそれをいただこうと思う。

 すると、

 

「……ひどいです、アリスさん」

 

 口では猫を被りつつ、目では「ひどいよ、アリスちゃん!」と全力で主張しながら、芽愛が腰に手を当てて俺を待っていた。

 

「芽愛さん、疲れは取れましたか? まだ眠いなら寝ていた方が──」

「私だけ寝ているわけにはいきません。皆さんが頑張っているんですから」

「芽愛さんはもう十分すぎるほど頑張ったじゃないですか」

 

 別に当日頑張るだけが貢献ではない。

 むしろ当日頑張るだけの俺の方が気楽なくらいだ。それに、みんなも芽愛が休むことに賛成なのだから問題ない。

 

「とりあえず、一緒にご飯食べませんか?」

「……はい」

 

 こくんと頷いた芽愛は素直に隣に座ってくれた。

 飲み物を買ってくるのを忘れた……と思ったが、幸いこの部屋には大量にあった。常識的な量なら休憩中に飲んでいい、ということになっているので、ありがたく紙コップと一緒にもらう。

 教授が置いていったのはチュロス、パンの耳を揚げて砂糖をまぶしたもの、手作りサンドイッチというチョイス。それから地元の和菓子屋さんが協賛で販売している饅頭。

 こんなものがあったのかと驚く一方、微妙に主食っぽいものばかりなことでなんとも言えない気持ちに。サンドイッチに野菜が入っているのが有難い。

 

 冷めたら美味しくないというメニューでもないので、二人でもそもそと頬張って、

 

「パンの耳は思いつかなかったな。原価すごく安そうなのに美味しい」

「おやつにいいですよね、これ」

 

 どうやって大量のパンの耳を集めたのか気になるところだが──あれか、それぞれ自宅付近にあるパン屋と交渉して全部もらってきたのか。

 百円二百円で売っても儲けが出るレベルだろうし、多少焦げていたりするのも逆に香ばしくていい。どーんと売れる商品ではないが、堅実に売れる商品って感じだ。

 

「逆にサンドイッチは拘りが感じられる。良いものを作りたかった感じ」

「そうですね。たくさん作るのは大変でしょうに……」

 

 自分達もメイド喫茶のために色々準備してきたので、ついつい営業する側の目線になってしまう。

 美味しく平らげながら思うことは、

 

「どうせなら一番になりたいですね」

「うん」

 

 食べ終わった芽愛はすっと立ち上がると、決然とした顔で言った。

 

「もうちょっと寝ることにします。それで、ラスト一時間は私も手伝います」

「……わかりました」

 

 ラストスパート。

 もう一度攻勢をかけるのはアリかもしれない。

 

「鈴香さんに伝えておきますね」

「ありがとうございます、アリスさん」

「いいえ。頑張りましょう、芽愛さん」

「はいっ」

 

 俺達は文化祭終了の時間になるまで、ドリンクとお菓子を売り続けた。

 そして──。

 

 

 

 

 

 

 俺達のクラスは文化祭の全出し物中──『第二位』という惜しい結果に終わった。

 

「なんでー!?」

「あれだけ頑張ったのに!」

 

 ちなみに競合店である料理部は第四位。

 なら、一体どこが一位を取ったのかといえば、

 

「『萌桜(ほうおう)まん』および『鳳凰(ほうおう)まん』を一日で合計千五百個販売、すべて完売させた地元の和菓子店、ですか」

「プロ!?」

「ちょっと待って、そんなのアリなんだ!?」

 

 アリかナシかといえばルール上はアリらしい。

 もちろん、文化祭に出店する手続きがいるし、当日店からスタッフを出す必要もある。店で売る分とは別に大量の商品を用意するのも大変だ。そういった問題があるため、例年はプロがトップを奪取していく、なんていうことが起こっていなかったのだが。

 俺も食べたが、単純に饅頭が美味しかったこと──それから、学園内の桜が夏に咲くという珍事があったのになぞらえ、桜の花びらを焼き印した饅頭を販売したこと、もう一つの語呂合わせの饅頭も面白がって一緒に買われたこと、一人で十個ぐらい平らげた小学生(?)がいたことなどが重なってこの結果になった。

 

 なんというか、あの不死鳥のせいで負けたような気がする。

 

「なお、和菓子さんは売り上げだけで十分だそうなので、記念品については辞退……二位の私達に権利を譲ってくださるそうです」

「それは嬉しいですけど……なんか、微妙に悔しいですね」

 

 なまじ二位を取れたのもあって、どうせならきちんと一位を取りたかった。

 睡眠時間を削ってまで頑張っていた芽愛や縫子はどうか、と視線を向ければ、意外にも彼女達はすっきりした顔をしていた。

 

「お二人は悔しくないんですか?」

「悔しくないといえば嘘になりますが、皆さんが生き生きと動いている姿だけで十分満足です」

「私も。料理部には勝てましたし、楽しかったので悔いはありません」

「そうですか。……それなら、良かったです」

 

 芽愛たちが満足しているのなら、俺もそれで十分だ。

 すとんと胸のつかえがとれた感じで微笑むと、芽愛たちも微笑んでくれる。

 と、鈴香がそんな俺たちを見て、

 

「ちなみに私は悔しいです」

「鈴香さん。大人気ないです」

「ふふっ。仕方ないでしょう? 私は負けず嫌いなんです。ですから、いつか何らかの形でリベンジします」

 

 ただし、このクラスのメンバーで再チャレンジする機会はない。

 大部分が高等部に上がるとはいえ、別の学校に行く子もゼロではないし、クラス替えだってあるからだ。

 だから、

 

「十分な売り上げが出たので、盛大に打ち上げをやりましょう。皆さんの意見も聞いた上で、いいところを探さないといけませんね」

「はいっ」

 

 こうして、文化祭は終わった。

 下校までの残り時間を使い、可能な限りの片づけをして(本格的な片付けは後日になる)、家に帰って、人数分の饅頭がテーブルに積まれていることに驚いた後、ノワール特製の夕飯を食べながら、話しきれなかった文化祭の話をした。

 あまり校内を回っている時間はなかったが、次はもう少しのんびり散策してみたい。

 次は周囲の共謀に振り回されないように注意しなければ。

 

 俺は、事の発端へと視線を向けて、

 

「朱華さんもお疲れ様でした。きっと、これで人気急上昇ですよ」

「ありがと。あんたもね。……いやでも、これでようやくのんびり夜更かしできるわ」

 

 するのか。

 寝て欲しいところだが、朱華も我慢していたんだろうし言いづらい。代わりに、俺はふと思いついたことを言った。

 

「千歌さんが出てるエロゲだけ封印させてもらえませんか?」

「駄目に決まってるでしょ。あたしのコレクションに手をつける気なら戦争よ」



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とある青年と文化祭

 ……はあ。

 

 大事な荷物を車に積み終えると、青年は深いため息をついた。

 午前三時半に起きて延々続けてきた作業がようやく終わったからだ。そして、その作業終了が更なる長丁場への始まりだからだ。

 

(全く、親父も余計なことをする)

 

 何度も思ったことをあらためて思っていると、当の父親がやってきた。

 

「終わったか?」

「ああ。『萌桜(ほうおう)まん』八百個に『鳳凰まん』七百個。合計千五百個、確かに積んだ」

 

 彼の家は代々、和菓子屋を営んでいる。

 決して派手ではないものの、地域に根差した商売で人々から愛される隠れた名店──というのが客観的な評価だろうか。それ自体は彼も妥当だと思っているし、心の中では誇りに思っている。

 

 しかし、店の三代目であり、昔気質の職人である父とは仲が良くない。

 だから、ついついぶっきらぼうな口調になってしまう。

 

「着替えてきていいか? 作業終わったし()()じゃなくてもいいだろ」

「着替えるのは構わない。しかし、作務衣の替えにしなさい。いつもと違う場所で売るにせよ、食品を扱うことに変わりはないのだから」

「……わかったよ」

 

 嘆息。

 部屋に戻って作務衣を着替える。作業場は一定温度に保たれていたが、集中して作業していたせいで汗をかいた。下着を替え、作務衣自体も洗濯済みのものへ替える。

 店で使っている作務衣は紺色の、ごくごく一般的なそれ。

 新しいものが必ずしも優れているとは思わないが、彼の感性からすると地味すぎる。結局これをまた着るのかと憂鬱な気分になりつつも、好みの服が入ったクローゼットにはちらりと視線を向けただけで触らなかった。

 

 父に言わせれば、若者らしいファッションは「ちゃらちゃらした服」である。

 別にプライベートで着る分には(渋い顔をしつつも)何も言って来ないが、これから行くのは仕事。バイト代も出るので手を抜くと父の心証だけでなく、懐事情にもダメージがある。

 

(臨時収入があれば新しい服だって買える)

 

 自分に言い聞かせて気分を切り替え、着替えた服で店舗の方へ移動。

 店では母が開店準備をしていた。彼女はちらりと視線を向けてくると苦笑を浮かべて、

 

「またお父さんと喧嘩したの?」

「別に喧嘩じゃねえよ」

 

 苛立ちを抑えながら答えた。

 父はもう作業場の方に戻っているらしい。店の責任者である父はメインの店舗から離れられないので、青年と一緒に車で出かけるのは母だ。あの堅物とでは気が滅入ってしまうので、これは正直助かる。

 接客上手の母が不在になる今日の店はバイトの女子大生と、職人見習い扱いの男子大学生が父と一緒に回してくれる。

 非常時に戦力として扱われる家族はもう一人いるが、彼女はというと、

 

「お兄ちゃん。恥ずかしいから向こうでナンパとかしないでよ」

 

 高校の制服姿でやってきて余計なことを言ってくる。

 

「しねぇよ」

萌桜(うち)で販売するって聞いたときちょっと喜んでた癖に」

 

 そんなことはないはずだと、心の中だけで反論する。

 

「ま、来年からは私のチケットもないし、最後に楽しんで来れば?」

「楽しんでる暇があればな」

「売れ行き次第だけど、人が落ち着いていれば私一人でも大丈夫じゃない?」

 

 と、母。

 彼は「ふうん」と気のないフリをして答えると、妹に尋ねた。

 

「なんかおススメあるか?」

「んー……演劇部の劇は時間かかるから駄目だよね。じゃあチョコバナナとか……あ、中等部のメイド喫茶が気合入ってて良かったよ。お菓子も美味しかったし」

「へえ」

 

 家の稼業的におやつといえば和菓子になりがちなので、洋菓子の類には心惹かれるものがある。

 彼と同じく甘味にはうるさい妹が美味しいと言うのだからなかなかのものなのだろう。

 暇があれば行ってみようと心の予定表に書き込んだ。

 

 

 

 

 

 

 私立萌桜学園文化祭への出店は三年ぶりのことだ。

 一昨年は長男が受験生、去年は大学一年目でレポート等で仕込みを手伝えなかったために出店を見合わせていた。今年は彼が大学二年になって暇ができたこと、家族以外の従業員にシフトを入れてもらえたことでの出店である。

 今年は「夏に桜が咲く」という珍事があったことも加味し、きっと売れると踏んだこともある。

 饅頭が売れれば店の宣伝にもなる。それに、若年層が和菓子に興味を持ってくれるのは売り上げ以上の価値がある、という考えだ。

 

 移動中の車内で朝食のおにぎりを平らげ、到着後は自分のクラスに向かう妹と別れて商品の運び込み。

 彼は協賛店の従業員扱いなので、男子でも問題なく中に入れる。まあ、そうでなくとも妹のコネで入れるし、その方法で何度か文化祭へも来たことがあるのだが。

 

「久しぶりだな、ここに来るの」

 

 何気なく呟いたら、母に変な顔をされた。

 

「本当にナンパする気じゃないでしょうね?」

「する気ならとっくにやってるっての」

 

 母に力仕事を押し付けるわけにもいかないので、開店まで慌ただしく動くことになった。

 彼らが借りたのは屋外に設置されたテント。周りには生徒や他の協賛店の出した食品系の出し物が軒を連ねている。

 女子校なので当然、開場前のこの時間はほぼ女子ばかりであり、明るく高い声が辺りに響いている。

 

(いいもんだよな、こういうの)

 

 思わず口元が綻ぶ。

 もちろん、変に思われないよう、あまりジロジロは見られなかったが。

 

「それでは、文化祭二日目、開催しまーす!」

 

 文化祭が始まってからは別の意味でよそ見している暇がなくなった。

 

「お饅頭、二つずつください」

「こっちは三つずつ」

「萌桜まん二つと鳳凰まん一つお願いします」

「ありがとうございます」

 

 開始からちらほらと客が来始めたかと思うと、売れ行きがどんどん良くなっていったからだ。

 学校に許可を取って校名を冠したお陰か、あるいは饅頭に焼き印した桜のマークと鳥の羽根のマークが良かったのか。

 一口サイズの饅頭は甘味好きの若い女子が多いこともあって飛ぶように売れた。お陰で彼も母も対応に大わらわだった。

 中には一組で大量に買っていく客までいたくらいだ。

 

「饅頭を六個もらえるか? 割合は半分ずつで」

「すみません、それからそれとは別に七個いただけますか?」

「かしこまりました」

 

 妙に落ち着いた色合いの服を着た小学生くらいの女の子と、品のある雰囲気の若い女性のペア。

 後者の女性については一度、彼が店番をしている時に店に来たことがある。柔らかな物腰と日本人離れした美貌、光の加減で茶色っぽく見える髪のせいで強く印象に残っていた。

 母も憶えていたようですぐに微笑み、

 

「こんにちは。こちらでお会いするとは思いませんでした」

「ご無沙汰しております。実は家族がこちらへ通わせていただいておりまして、それでこちらに」

「あら、そうだったんですか。うちの娘もここへ通っているんですよ。今年で卒業なんですけどね」

「それはそれは」

 

 どうやら常連、とまではいかないまでも、定期的に買いに来る客らしい。

 是非本店の方も御贔屓に、という方向に話を持って行く母の様子を頼もしく思うのが半分、いいから手を動かせよ、と思うのが半分。

 とりあえず饅頭六個をパックに詰め、袋に入れて女の子に渡した。

 

「はい。落とさないように気をつけてね」

「む。……余計なお世話と言いたいところだが、ここは素直に礼を言っておこう」

 

 素直か? と思ったが、口には出さなかった。

 続いて女性の方にもう半分の饅頭を渡す。すると、七個の方の饅頭のうち二つはすぐさま女の子の口に入った。

 もぐもぐ、ごくん。

 

「美味いな。しまった、先に茶を買っておくべきだったな。……まあいい。すまぬがあと十個饅頭をくれ」

「はい、かしこまりました……って、十個ぉ!?」

「そんなに驚かなくても良かろう。心配せずともちゃんと食いきれるぞ」

 

 まあ、一個があまり大きくないので、彼自身、やろうと思えば十個くらいは余裕だろうが──男子としては甘党とはいえ、想像しただけで若干胸やけする。やるのなら、それこそ緑茶と一緒に味わいたいところだ。

 

「で、でも、まだ十個以上残ってますよね?」

「ご心配なく。こちらはお土産用です」

「あ、ああなるほど……。まあ、それなら……?」

 

 それでも十分凄いが、深く考えるのは止めた。

 

 

 

 

 

 

 あの小学生さまさまと言うべきか、その後、饅頭の売れ行きは更に伸び、気づけば余裕で完売のペースになっていた。

 午後一時を回ると食べ物系を買い求める客も減り出し、彼らの店もひと息つけるように。

 

「後は私だけでも大丈夫だから、少し回ってきてもいいわよ」

「大丈夫か? 油断してるとまたすごいの来そうな気もするけど」

「うちは詰めて渡すだけだから余裕があるもの」

「そっか。んじゃ、少し頼んだ」

 

 本格的な着替えは持ってきていないので、帽子を脱いでジャケットだけ羽織る。

 若干不格好ではあるが、地味な作務衣姿よりは幾分かマシだ。

 

「確か、チョコバナナとメイド喫茶だったか」

 

 とりあえず、近いのでチョコバナナの方から当たってみた。

 高校生らしき女子から品を受け取って口に運ぶと、想像通りの味が口に広がる。

 

(美味いけど、こういうところで食べるから美味い系だな)

 

 とはいえチョコレートの温度管理やフレーバーの散らし方には見るべきところがあるか……と、菓子職人の息子らしい感想を抱きつつ完食。

 適当に軽いものを幾つか買い食いしつつ、メイド喫茶があるという中等部の校舎へ向かうと──。

 

「あ、あの人。お饅頭屋さんの店員さんじゃない?」

「ほんとだ。あの人、結構格好いいよね」

 

 なんていう声が耳に入ってくる。

 自慢ではないが、顔は決して悪い方ではない。恋愛経験はないが、女子の扱いは妹で多少慣れているし、接客をやっているので愛想もそれなりに使える。ナンパをせずとも向こうから声をかけられることはあったりする。まあ、結局、妹の通っている学校で変なことをする度胸はないのだが。

 

 それに──。

 彼が萌桜(ここ)に来たかったのは女の子とお近づきになりたかったからじゃない。

 制服や思い思いの衣装に身を包み、精一杯に文化祭を楽しむ少女達を見たかったからだ。彼女達が楽しそうにしているのを見るだけで心が和むし癒される。

 身内の制服姿ではこうはいかない。

 文化祭に来ると、普段、心の内で溜まっているフラストレーションを解消できる。だからだ。

 

(でも、今年で最後か)

 

 やろうと思えば、OGになる妹経由でチケットを入手できるだろうが、そこまですると高確率でキモがられる。それはさすがに彼としても本意ではない。

 まあ、仕方ない。

 ストレス解消は他の方法でなんとかしよう。いっそのこと何か理由をつけて一人暮らしを──。

 

「と、ここか」

 

 何度か受けた客引きを丁重に断りつつ、目的地に到着。

 メイド喫茶と聞いていたのでもっと派手な感じかと思えば、意外とシックな印象。これには思わず「へえ」と感心した。好みの雰囲気だ。

 中から聞こえてくる声も無駄にはしゃいだ感じではなかったし、衣装もノリでメイド服を着る輩にありがちなミニ丈ではなかった。

 

「こんにちは。よろしければ休憩して行かれませんか?」

 

 ウェイターのような服装をした女子に声をかけられた。

 言葉だけ聞くと若干いかがわしい気もするが、彼女の纏う清潔感がそんな印象を抱かせない。彼は「それじゃあ」と頷いて店をくぐった。

 そして、

 

「お帰りなさいませ、ご主人様」

 

 彼は、金髪の妖精を見つけた。

 

 中学三年生にしては小柄な女の子。一目で天然とわかるきらきらした金髪と碧眼を持ち、他の少女達とは異なる、シスター服とメイド服の中間のような美しい衣装を身に纏っている。

 他のメイドは手製だが、このシスターメイド服は明らかにプロによる作品だ。

 ともすれば衣装の印象に負けてしまいそうだが、少女の愛らしい容姿がそれを許さない。更に、恭しい一礼も接客用の笑顔も、店内を歩く姿勢や仕草も、しっかりと様になっている。

 レベルが違う。

 まるで、わざわざ本物のメイドからノウハウを学んできたかのようだ。

 

 憧憬と羨望、嫉妬といった感情がないまぜになるのを感じながら、少女の案内で席につき、水出し紅茶をアイスで注文。

 紅茶と、セットになったお菓子も確かに美味しかった。

 職人の域には到底達していないが、ちょっとお菓子作りをする程度の素人でもない。向上心を持って学んでいる者の作品に違いない。

 

「……来てよかったな」

 

 ぽつりと呟く。

 完全に独り言だったのだが、思わぬところから反応があった。

 

「ありがとうございます」

 

 あの子だ。

 顔が熱くなるのを感じながら見つめると、彼女は不思議そうに首を傾げ、それからにっこり微笑むと彼から離れていった。

 ほっとしたような、残念なような。

 

(あんな子が、いるんだな)

 

 物語の中から抜け出してきたかのような少女。

 神様というのは不公平だ。

 きっと自分とは住む世界が違うのだろうと、諦めに似た感情と共に店を出た。

 

 数時間後。

 

 閉店作業中に「あなた方の店が一番です」と文化祭実行委員から知らされた彼は、二位が「あの店」であることを聞くやいなや、母に「賞品は辞退しよう」と主張した。

 

「もしかして、好きな子でも出来たの?」

 

 言われなくてもそうするつもりだった、という母に、彼はぶっきらぼうに答えた。

 

「そんなんじゃないっての」

 

 この感情は恋などという言葉で片付けられるものではない。

 一目惚れといえば、確かにそれはそうなのだが。




番外編でした。

次話はアリス視点の番外編か、若干インターバルを置いて次章の予定です。
次章はおそらく後輩登場になるかと思います。


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第四章
聖女、鬼を笑わせる


 文化祭が終わって、しばらく平穏な日々が続いた。

 

 オーク退治の報酬増額の件は無事承認され、普段の数倍に上る額がそれぞれの口座に振り込まれた。

 ポーション代や弾薬のかさむシルビア、ノワールと、ボスオークを撃破した朱華には多めに分配することで、せめてもの補填をさせてもらっている。

 シルビアなんかは「ポーション売って稼いでるから別にいい」と言っていたが、それを言ったら俺なんて回復魔法を使うだけでばんばん稼げるわけなので、それはそれ、これはこれである。

 

 さすがに追加のボス戦依頼が来ることもなく。

 代わりというわけではないが、通常のバイトとして例の人形公園へ。期待通りと言っていいのか、数体の機械人形が登場したため、できるだけ穏便に倒して回収、政府の息がかかった企業へと高値で売り払った。

 

 もちろん、俺やノワールは特別なバイト(重要人物の治療とシュヴァルツとのコミュニケーション)もあった。

 

 ……あらためて考えるとめちゃくちゃ金を稼ぎまくっているが、別に守銭奴というわけではない。あくまでも正当な報酬を得ているだけである。たぶん。

 

 で、そうこうしているうちにカレンダーは十二月に突入。

 気づけば二学期も終わりに近づいている。

 

 進路希望調査は高等部への内部進学希望で提出した。

 受験の形式としては外部生と同じように試験を受け、その際、内申点に大きな加点を受ける──という風になるらしい。

 自分のところの生徒なら性格や素行がはっきりわかるので、よほど成績が悪くない限りは通るようになっているということだ。

 担任との面談では「アリスさんについては心配してません」と言われた。

 

 二学期が終われば短い三学期があって、高校進学。

 入試等でばたばたするだろうから、きっと体感ではあっという間だろう。一応、受験勉強もしないといけないのでその辺は憂鬱でもある。

 その割にわくわく感が大きいのは、進学への期待のせいだろう。

 制服と校舎が変わることに胸を躍らせてしまうあたり、すっかり女子に馴染んだものである。

 

「ねえ、アリスちゃん。お姉さんと一緒に歌わない?」

 

 そんなある日の夕食時。

 この日のメニューはノワール特製、魚介たっぷりトマト鍋だった。エビやタラなんかが入ってボリュームも十分なので、我が家の食いしん坊たちも「肉を寄越せ!」などとは言わず美味しそうに食べている。若干、ペースは普段よりゆっくりだが──それは食が進んでいないのではなく、最後のシメ(チーズリゾット)のためのマージンだ。

 俺としても野菜を取りやすい鍋物に否があるわけがなく、美味しく味わっていると……不意にシルビアがそんなことを言ってきた。

 

「歌ですか? ……カラオケとか?」

「ううん。クリスマスパーティの出し物。せっかくだから何かやらないか、って言われちゃって」

 

 なるほど、と俺は頷いた。

 生徒会主催のクリスマスパーティは終業式の直前──本来のクリスマスより数日前に予定されている。クリスマス合わせだと予定の合わない生徒が多いため、例年そのくらいのタイミングで行われるらしい。

 つまり、当日まではもうそこまで日がない。

 文化祭に比べるとこじんまりした催しではあるが、生徒会としては余興の数と時間をある程度確保しておきたいのだろう。

 

「でも、どうして私と?」

「私とアリスちゃんがサンタのコスプレして『きよしこの夜』とか歌ったらウケるかなーって」

「うわ。エグいこと考えますね、シルビアさん」

「ふふん。もっと褒めてもいいんだよ、朱華ちゃん」

 

 褒めてるかどうかは怪しい気もするが。

 

 知っての通り、シルビアは綺麗な銀色の髪を持つ美少女だ。非常に女性らしい体型の持ち主でもあるので、普通にしていてもやたらと目立つ。サンタコスをしたらそれはもう映えるだろう。

 で、彼女と並んでも空気になりづらい人選となると、金髪かつ小柄な俺がいろいろと対照的で適任だろう。

 しかし、メイドの次はサンタコスか。

 

 ノワールが「サンタメイド……」と呟くのが聞こえたが、さすがに今回はメイドに拘る必要はない、はずだ。

 一曲歌うくらいなら練習も大して必要ないだろう。

 

「わかりました。私で良ければ」

「やった。ありがとー、アリスちゃん。そうだ。いっそのこと英語で歌う?」

「あ、いいかもしれませんね」

 

 俺の英語力がまるきり日本人並みなのはクラスメート全員にバレているが、だからこそ「そういえばアリスちゃんって金髪だっけ」と思い出してもらえるかもしれない。

 

「アリスさま、シルビアさま。そのクリスマスパーティは外部参加──」

「無理に決まっているだろう。ノワール、変なことを考えるくらいならうちでもクリスマスパーティをすればいい。チキンとケーキを用意してな」

「ああ、それは楽しそうですね。皆さまの分の衣装も用意しなければ」

 

 ぱっと表情を輝かせたノワールがぽん、と手を打って、あれこれと思案し始める。

 その状態でも鍋の世話はしっかりできているあたりさすがだ……と俺が思っていると、朱華とシルビアが神妙な様子で顔を見合わせた。

 

「衣装かあ……」

「衣装ね……。まったくもう、教授が変なこと言うから」

「吾輩のせいか!? いや、吾輩はチキンとケーキが食べたかっただけでだな……!?」

 

 シェアハウスは今日も賑やかである。

 

 

 

 

 

「そういえば、みなさん年末年始はどうするんですか?」

 

 パーティの件で思い出したが、クリスマスが終われば年越しである。

 俺にとってはここで迎える最初の新年になる。

 今のうちに聞いておかなければと、リゾットを口に運びながら尋ねれば──真っ先に反応したのはやはり朱華だった。

 

「冬休みは宿題もロクに出ないし、心置きなくエロゲやるわよ」

「だと思いました。……って、そうじゃなくて、帰省する人とかいるのかなってことです」

 

 何しろ、ここの住人は特殊な事情を抱えている。

 年越しという特殊な時期に妙なイベントがあってもおかしくない。みんなの「こうなる前」の生活については深く触れないのが暗黙の了解みたいになっているし。

 

「万が一、ノワールさんが年末年始いないなんてことがあるなら、私、今からおせち料理の作り方を調べないといけないんですよ?」

「普通に考えて、必要ならもう注文してるでしょ。っていうか、帰省する人なんかいないっての」

「そうなんですか?」

 

 ノワール、シルビア、教授を順に見つめると、彼女たちはそれぞれ「うん、まあ……」といった感じの曖昧な笑みを浮かべた。

 

「おせちはしっかりとわたしが作りますのでご安心くださいませ、アリスさま。……もちろん、お手伝いしてくださるのでしたら大歓迎ですが」

「私達は元の生活には戻れないからねー。帰れてもほいほい帰るわけにはいかないんだよー」

「うむ。親戚付き合いだのなんだのというのも面倒ではあるしな。適当に寝正月する方が気楽だ」

「そうだったんですね」

 

 じゃあ、別に正月でも何も変わらないのか。

 ほっとして頷くと、朱華が俺の方をじっと見つめて、

 

「むしろ、あんたはどうするのよ? 妹と友達になった、とか言ってたじゃない。遊びに行くって名目で帰省するくらいはできるんじゃないの?」

「はい。実はそれとなく誘われたりとかはしたんですけど、断りました」

 

 妹と話す分にはいいのだが、あんまり両親と顔を合わせるとお互い未練が残りそうだし、一応受験生である身としては「勉強しなさい」とか言われても藪蛇である。

 お年玉かお歳暮か、その辺のノリで蟹でも送って済ませようかと思っている。

 妹に関しては実はこっそり萌桜(うち)の文化祭にも来ていたらしく、「アリスちゃん可愛かったよ」とからかい混じりのメッセージが後日送られてきた。声をかけてくれればいいのに、と返したところ「だって混んでたんだもん」とのこと。

 店が繁盛するのも善し悪しである。

 

「そ。じゃあ、みんな普通にいるのね。……アリスは若干怪しいけど」

「帰省はしませんってば」

「じゃなくて、プライベートでもクリスマス会とか年越しパーティとか初詣とかやりそうじゃない」

「……やりそうですね」

 

 むしろ、誰かがどれかを提案した時点で「じゃああれも」「じゃああっちも」となってフルコースになりそうな気がする。

 楽しいからいいんだが。

 いや、鈴香あたりは家の用事で忙しかったりするのか? 今度聞いてみよう。

 

「いいじゃないですか。催しなんて何回あってもいいんです」

「そうですね」

 

 ノワールがにっこりと頷いてくれる一方で、朱華はジト目になって、

 

「あんまりご馳走ばっかり食べてると太るわよ」

「う」

 

 幸い、今のところ大きな体重変化というのは経験していないが、クラスメートからダイエットの恐怖を聞いている俺としては「それは嫌ですね……」と遠い目になるしかなかった。

 

 

 

 

 

 中庭メンバーに年末の予定を聞いてみたところ、やはりお嬢様である鈴香と縫子は年末年始は忙しくなる、ということだった。

 挨拶回りやら何やらで駆り出されるらしい。

 縫子は「どちらかというと、姉がうるさいことの方が憂鬱です」なんて言っていたが。

 

芽愛(めい)さんは忙しくないんですか?」

「年末年始はお店も休みですからね。むしろ一年で一番のんびりできるくらいです。なので、修羅場はその前のクリスマスでしょうか」

「ああ、そういう時はお店も混みますよね……」

 

 聞けば、クリスマス時期のお店は例年予約でいっぱい。

 提供メニューがこの時期専用の特別なものになるので、その仕込みでバタバタするんだとか。飲食店は飲食店で大変である。

 この分だと遊んでいる場合じゃないか、と、出かける相談を秘めたまま頷くと、芽愛は微笑みと共に首を傾げて、

 

「でも、せっかくですから皆さんで何かしたいですよね」

「あれ?」

 

 そっちから言われるとは思わなかった。

 目を瞬きさせていると、鈴香と縫子も頷き、

 

「そうね。退屈な用事だけで冬休みが終わるなんて損だもの」

「少しくらい息抜きしてもいいはずです」

「皆さん、大丈夫なんですか……?」

 

 と言いつつ、俺は自らの口元が緩んでいるのに気づいた。

 結局、その後話し合ったところ、年末に受験に向けた勉強会、年始に初詣に行こう、ということで話が纏まった。

 勉強会の方はあんまり息抜きって感じでもないものの、全員内部進学組なので、あくまで受験勉強は一応やっておく程度。みんなで集まって何かをすることの方が重要、といった感じだ。

 

「みんなで得意分野を教え合いましょう」

「じゃあ、アリスさんには英語を教えてもらいましょうか」

「酷いです、鈴香さん。私の英語の成績、知ってるじゃないですか」

 

 頬を膨らませて抗議すると、三人は楽しそうにくすくす笑った。

 別に俺も普通の点は取っているのだが、英語に関しては鈴香たち三人とも成績が良かったりする。

 

 

 

 

 

 

 そして。

 その『重大な知らせ』は、ある日突然やってきた。

 

 十二月の中旬。

 その日、俺はいつものように朝起きてシャワーを浴び、朝のお祈りを済ませ、朝食を済ませて、朱華やシルビアと共に家を出た。

 通学路でクラスメートや顔見知りに挨拶をして、教室で何気ない会話を交わし、朝のHRを経て一時間目、二時間目の授業を受けた。

 

 ノワールから送られてきたメッセージに気づいたのは、二時間目の授業が終わった後のことだ。

 何気なくスマホを操作した俺は、通知をタップしてグループチャットの画面を表示──そこに書かれていた内容を見て「え」と声を上げた。

 

「どうしたの、アリスちゃん?」

 

 近くにいたクラスメートが不思議そうに声をかけてくる。

 若干心配そうなニュアンスが含まれているのは、表情から俺が本気で驚いていることを察したからだろう。

 画面を覗き込まれるのは一応避けた方がいい。

 あまりマナーが良くないと思いつつ、俺はスマホを抱きしめるようにして周囲から隠すと、答えた。

 

「今日、うちに新しい住人が来るそうです」

「え、すごく急だね?」

 

 そう。ものすごく急な話である。

 せめて二、三日前、できれば一か月くらい前から教えておいて欲しいという話なのだが、

 

「アリスの時も今日の今日って話だったもんね」

「その節はお世話になりました……」

 

 スマホを持ってやってきた朱華が肩を竦めながら上手くフォローしてくれる。既に経験済みの彼女は幾分か落ち着いているが、それでも急な話に戸惑いはあるようだ。

 

「いや、ほんと。急すぎるのよね」

 

 何しろ「朝起きたら女の子になっていました」だ。

 全員が全員、男子だったとは限らないが、それにしたって急に別人になってしまったのは事実。もう少し前触れか何かあってもいいだろうに。

 当の『後輩』もきっと戸惑っただろう。

 慌てて病院に行って、病院から政府に連絡が行って──という、俺と同じような流れに違いない。

 

「私にも、ついに後輩ができるんですね」

「そうね。歓迎してあげなさい」

 

 ぽん、と、朱華が頭に手を置いてくれる。

 俺は「はい」としっかりした声で応えた。



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聖女、先輩になる

たくさんのアンケート回答ありがとうございました。
募集を開始した57話(「聖女、忙しい」)にアンケートを残してありますので、結果が気になる方はそちらをご覧くださいませ。


 昼休みのうちにシルビアへ「一緒に帰ろう」と連絡した。

 普段は別々に帰ることも多いのだが、今日に関してはいっぺんに帰った方が話をしやすいだろう。

 シルビアからも了解の返事が来たのでほっとひと息。

 

 ……と、思いきや、俺は放課後までそわそわしっぱなしだった。

 

「何かお土産とか買って行った方がいいでしょうか?」

 

 帰りのHRを終え、校門前で集合するなり尋ねると、朱華とシルビアは揃って笑った。

 

「どっちかというと、向こうが持ってくる側だよねー」

「向こうもそんな余裕ないだろうけどね」

 

 確かに、俺もあの時はいっぱいいっぱいだった。

 身体が変わってしまった上、女子の服まで着せられて、挙句「別の場所で知らない人と生活してください」だ。困惑するに決まっている。

 俺は深く頷きを返して、

 

「じゃあ、できるだけ快く迎えてあげないとですね」

 

 両手をぎゅっと握りしめたところ、左右の頬がぷにっと突かれた。

 

「なんであんたがそこまで緊張してんのよ」

「いつも通りのアリスちゃんでいいと思うよー?」

「それはそうですけど、どんな人が来るかわからないんですよ?」

 

 場合によっては対面した瞬間に頭が真っ白になるかもしれない。

 と、朱華は軽く肩を竦めて、

 

「ま、なるようにしかならないでしょ、実際」

 

 シルビアはいつも通りのほほんと笑って、

 

「ドラゴン娘とか来たらどうしよっか、アリスちゃん」

「実際、ドラゴン娘どころか雄ドラゴンが来る可能性だってあるんですよね……」

 

 やっぱり緊張して当然ではあるまいか。

 シェアハウスに帰るまでに俺が深呼吸した回数は、実に十回以上だった。

 

 

 

 

 

「……着きましたね」

「そうね。じゃ、さっさと行きましょうか」

「時間的にとっくに着いてるだろうしねー」

 

 もう一度深呼吸をしてから、と立ち止まった俺をよそに、さっさと玄関へ向かう二人。

 慌てて追いかけ、朱華が鍵を開ける間に呼吸をした。

 

「ただいまー」

 

 シルビアが声を上げる中、俺は、玄関に見慣れない靴が揃えて置かれているのを見た。

 女子用のスニーカー。中学生くらいの子が履きそうな可愛らしいデザインだ。綺麗に洗ってあるが新品ではない。履き慣らされた感じがある。

 もともと女子だったのだろうか。

 足のサイズまで変わらなかったとなるとかなりの偶然だが──いや、このスニーカーが最近まで履いていたものとは限らないか。慌てて昔の靴を引っ張り出してきたのかもしれない。

 そこまで考えたところで、ノワールがリビングの方からやってきた。

 

「お帰りなさいませ、シルビアさま。朱華さま。アリスさま」

「ただいま、ノワールさん。新しい人は?」

「はい。リビングでお待ちいただいております」

 

 答えるノワールもいつも通りだ。

 メイドとして無様な姿は見せない、ということかもしれないが、少なくとも傍若無人な相手ではないのだろう。ようやく少しだけ安心しながら靴を脱いだ。

 朱華、シルビアに続くようにしてリビングへ足を運ぶと、ノワールがすっと後ろについた。なんとなく「大丈夫ですよ」と言われている気がする。

 

 果たして──。

 

「おお、帰ってきたか。先に始めているぞ」

 

 教授が和菓子と緑茶を飲みながら将棋をさしていた。

 見た目の子供っぽさからすると渋すぎる趣味だ。と言ってもあのゲーム、プロを目指すなら子供のうちからやらないと間に合わないんだったか。プロ棋士も変人揃いと聞いているので、案外、教授みたいな小学生もいるかもしれない。

 って、そうじゃなくて。

 この際、教授はどうでもいいのだ。新しい住人の知らせを聞いて早上がりしただけだろうし。この人が何か食べているのもいつものことだ。

 

 問題は、向かいに座って将棋の相手をしていた()()の方。

 

「───」

 

 彼女は、俺達が入り口あたりで立ち止まった時点で席を立ち、こちらに向き直っていた。

 その容姿は、俺も含めたメンバー達に負けず劣らず印象的で、思わず言葉を忘れて見惚れてしまう。

 

 肩まで伸びる髪は艶やかな黒。

 教授やノワールのように「黒っぽく見える」ということではない、烏の濡れ羽色、なんて比喩を思い出してしまうようなシンプルな色は、彼女の瞳にも宿っていた。

 顔立ちはどこか人形的。シルビアを西洋人形に例えるなら、少女は日本人形。日本人である俺としては親しみを感じずにいられないタイプの美しさがある。

 身長は俺より高い。朱華よりは僅かに低いだろうか。すっと背筋を伸ばした姿勢のせいか、印象としてはもう少し背が高くも感じられる。

 

 身に着けているのは何の変哲もないカジュアルファッション。

 どういうわけかサイズが合っていない感じだが、そのせいで萌え袖かつロングスカートになっていて、見た目の印象とのギャップを作り出している。

 これはこれで可愛いし、着物に身を包んだらおそらくもっと似合うだろう。

 

 と。

 そんな少女の、黒く澄んだ瞳が俺達を順に見渡す。

 シルビア、朱華ときて、次に俺を見た彼女は「あっ」と小さく声を上げた。綺麗な声。朱華が頬をぴくりと動かしたので、声優センサーに反応があったのかもしれない。

 でも、なんで俺?

 不思議に思っているうちに、少女は唇を笑みの形に綻ばせ、俺達に向けて深く一礼した。

 少し硬すぎる印象はあるものの、どこか「和」の趣を感じさせる動きだった。

 

 顔を上げた後、小ぶりかつ艶やかな唇がゆっくりと動いて、

 

「初めまして。早月(はやつき)瑠璃(るり)と申します。以後お見知りおきください」

 

 堂々とした、礼儀正しい挨拶。

 順番が色々違っているとはいえ、俺の時とは大違いだ。

 

 なんというか、我がシェアハウスの新人は、俺が心配していたのとはまるきり逆方向に「凄い」人物なのかもしれない。

 

 

 

 

 

「じゃあ、さっきのって()()()()使()()()()でいいんだね?」

「はい。政府の方から『別人として振る舞うように』と言われましたので。早月でも瑠璃でも、お好きなようにお呼びください」

「わかった。じゃあ瑠璃ちゃんだねー」

 

 とりあえず俺達からも自己紹介(名前と元ネタ)をした後、渋る教授を宥めつつ将棋盤を片付けた。

 全員で腰を落ち着け、ノワールが淹れてくれた紅茶を一口飲んだところで、シルビアが一瞬にして新人──瑠璃との距離を詰めた。

 俺にはとても真似できない。

 思わず妙な感心をしてしまい、

 

「えっと、じゃあ瑠璃。あんたの元ネタは? それと歳は? もしかして年上だったりする?」

 

 朱華もか。

 内心ツッコむ俺をよそに瑠璃が頷いて、

 

「はい。私──『早月瑠璃』は十五歳です。以前、私がとあるゲームで使ったキャラクターでした」

「ゲームって?」

「TRPG……と言えばわかりますか?」

「なるほど、そう来たか」

 

 教授が深く頷く。TRPGについては俺もなんとなくは知っていた。

 RPG、特にMMORPGに近い遊び方を()()()使()()()()行うジャンルだ。まあ、正確に言うとチャットや計算のためにPCやスマホを使うことはあるんだが、重要なのはNPCやモンスターの行動やダンジョンマップの設定、ストーリーの分岐などを全てGM(ゲームマスター)と呼ばれる役割の()()が行うこと。

 つまり、シナリオを含むデータを追加し放題。

 主人公となるPC(プレイヤーキャラクター)もプレイヤー(三~五名程度のことが多い)が名前や設定、性格から戦闘能力まで設定できたりするので非常に自由度が高い。

 

 性質上、創作を行う人間とは相性が良く──そうした縁か、自分の書いた小説のキャラクターになった、という経歴のシルビアは「私もやったことあるよー」と声を上げた。

 自分の作ったキャラになった、という意味で瑠璃はシルビアに近い。

 あと、半分オリジナルキャラクターである俺も似通った部分があるか。

 

「ふむ。瑠璃よ。お主が()()()()()()()振る舞い慣れているのはゲームで使っていたせいか?」

「はい。それもあると思います」

「それもある、と申しますと……?」

 

 ノワールが不思議そうに首を傾げる。説明が二度手間になるため、詳しい話は俺達が来るまで取っておいてくれたらしい。

 お陰で心の準備ができていたのだろう。瑠璃は落ち着いた表情のまま答えた。

 

「私、こうなる前から女の子に憧れがあったので。その、女装なんかもしたことがあって」

「え」

 

 俺は、ぽかん、と口を開けたまま硬直した。

 他の面々(瑠璃を含む)が一斉にこっちを見る。変な反応をしてしまったと後悔するが、今更後には引けない。

 

「あの、瑠璃さんは、こうなる前は男性だったんですか……?」

「……はい、そうです」

 

 恥ずかしそうに目を伏せて答えた彼女は、その、物凄く可愛かった。

 馬鹿な。

 自然に振る舞っている上に私物っぽい服だから、てっきり元から女だったんだろうと思ったのに。

 愕然とする俺の脇腹を朱華がちょんちょんと突いて、

 

「ちょっとアリス。その反応、下手すると失礼よ」

「だ、だって、私、普通に振る舞えるようになるまですごく大変だったんですよ!? なのにこれじゃ、凄く負けた気がするじゃないですか!」

「うん、瑠璃ちゃんのこと褒めてるのか違うのかよくわからないねー」

「落ち着けアリス。そこのシルビアのように、変身したことを大喜びするタイプもいるのだ。自分と比べても空しくなるぞ」

「気にしないでください。私、実際に女の子になったことはありませんから。アリス先輩にはいろいろ教えていただきたいです」

「……アリス先輩?」

 

 混乱していた思考が、その単語によってぴたりと止まった。

 

「はい。あの、お気に召しませんでしたか?」

「い、いえ。でも、その。瑠璃さんとは同い年ですよね?」

 

 すると瑠璃はにこりと笑って答えた。

 

「いいえ。十五と言いましたが、設定的に『数え』で十五歳なんです。その方が私としても都合がいいので、朱華先輩やアリス先輩より一学年下と考えていただければ」

「数え……」

「ええ。私、設定上は武家の姫なので」

 

 

 

 

 

 武士がいたころの日本っぽい世界で生まれた武家の姫。それが彼女──瑠璃の元ネタらしい。

 女子とはいえ武家の子なのだからと幼少期から叩き込まれたお陰で大抵の武器は扱うことができ、中でも刀と薙刀は大の得意。

 生まれつき僅かながらに備えた霊力を頼りつつ、人の世を脅かす怪異を夜な夜な退治して回っている、というのが大まかな設定なのだとか。

 

「きちんとデータ上でも表現していました」

 

 若干誇らしげに言う辺りは、ああ、なるほど男子だ、と妙に納得。

 これには朱華も表情を輝かせ、

 

「やったじゃないアリス。待望の前衛よ」

「うむ。メインの能力が武技となると元キャラそのまま、とはいかぬだろうが、やってみれば身体が憶えているだろう。TRPG出身なら物理法則はある程度無視できるだろうしな」

「教授さま、そうなのですか?」

「あのゲームは基本、データ優先演出後付けだからな。イラスト上はロリな神官だろうと、筋力が人間の限界値ならでかいグレートソードを問題なく振り回せる。クリティカルすればワイバーンだって一撃だろう」

「いや、なんかよくわかんないけど……どうせならオーク斬り殺して欲しかったわ」

 

 それはわかる。

 瑠璃もなろうとしてなったわけじゃないんだから言っても仕方ないんだが。

 

「そういえば、瑠璃さんは大丈夫ですか? その、ご実家とかご友人とか」

「……あー。はい、一応」

 

 こうなる前の瑠璃は大学生だったらしい。

 一人暮らしはせず実家から通っていたため、変身した朝も家族に発見されることになった。当然大騒ぎである。

 ただ、医者に行って政府に連絡して──という例の流れを経た結果、一応は納得してもらえた。

 唯一、父親だけが割と強硬に「うちの子として扱えばいい」と聞かなかったそうだが、変身という事例が広まること自体がまずいのだ、と説得を受けて渋々了承してもらえたのだとか。

 

「へー。頑固そうな親父さんね」

「親父……父は和菓子職人をしているんです。一応、俺──私を跡取りとして考えていたみたいなので、手放しがたかったんじゃないかと」

 

 ああ、教授が食べていた和菓子は瑠璃が実家から持ってきたのか。まさか本当に菓子折り持参で来る新人がいるとは。

 というか、和菓子屋には最近、ちょっとした縁があったような。

 

「ふうむ。吾輩にはわかってしまったような気がするが……まあ、口に出さないでおくとしよう」

「その節は美味しいお饅頭をありがとうございました」

「い、いえ、こちらこそお買い上げありがとうございました」

 

 ノワールさん、そのタイミングで言ったら教授の格好いい台詞が台無しではないでしょうか。

 

 それにしても、和菓子屋の長男が変身して家出か。

 しかも以前から女装癖があって変身したことを大喜び。そう考えると親御さんが若干不憫な気もするが……俺には、瑠璃の気持ちがよくわかってしまった。

 俺の場合は変身してからだったが、女子としての生活にかけがえのない価値を見出してしまったのは同じだ。

 だから、俺には瑠璃を非難できない。

 

 緊張も、敗北感も押し込めて笑顔を作ると、俺は瑠璃に向けて言った。

 

「歓迎します。一緒に頑張りましょうね、瑠璃さん」

 

 少女はびっくりしたような顔で俺を見た後、大きく頷いてくれた。

 

「はいっ。よろしくお願いします、アリス先輩」



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聖女、先輩風を吹かせる(前編)

「しかし、店主殿も大変だな。後継者について一から考え直しとは」

 

 美味しそうに茶を飲み干した教授が恍惚のため息と共に言った。

 夕食が控えているので食べすぎは避けたらしい。瑠璃が持ってきた和菓子は幾つかテーブルの上に残された。俺と朱華、シルビアは顔を見合わせるまでもなくそれに手を伸ばし、自分の分を確保。

 他の二人はさっそく包みを開けているが、俺は食後のデザートにしようと制服のポケットへいったん退避させる。

 瑠璃はそんな俺達を不思議そうに見つめた後、苦笑を浮かべて、

 

「職人として修行しているスタッフがいるので、いざとなったらどうにでもなると思います。……ただまあ、親父はできれば子供に継がせたいみたいですね」

「そうだろうねー」

 

 羊羹をもぐもぐしながら、シルビアが深く頷く。

 親心としてはまあ、そうなるだろう。代々子供が後を継いできたお店なら、自分の子供にもそうして欲しいと思うのは当然だ。

 

「なんで、そいつと妹が結婚すれば、なんて案も出たんですけど……」

「嫌に決まってるじゃない、そんなの」

 

 顔も見たことない相手に失礼ではあるが、朱華の言うことももっともだ。

 好きか嫌いか以前に、そんなことを親に決められたくはない。

 瑠璃も「さすがにない」と思っているのか遠い目になって、

 

「妹も一応、多少は仕込まれてますけど、接客はともかく作るのはあまり好きじゃないみたいなんですよね。で、話は難航したわけです」

「よく、ここに来られましたね」

 

 ノワールが小さく息を吐いて言う。

 俺達としてはもちろん歓迎だが、急に人手が足りなくなったお店の方はたまったものではないだろう。

 瑠璃自身、思うところはあるはずだ。その証拠に、さっきから口調が若干乱れている。

 

「なので、折衷案というか妥協案を呑みました」

「というと?」

「四月になったら実家へバイトの応募に行くことになってるんです。もちろん、家族以外の従業員には内緒ですけど」

「成程。まあ、妥協案だな」

 

 こうなる前の瑠璃──和菓子屋の長男については大きな病院に緊急入院、ということになっているらしい。一家が病院に行ったのは従業員にもバレるだろうから、これはもうそれ以外にない。

 入院後は適当に間を置いてから「父親と大喧嘩して家を出た」とでも説明するか、あるいは俺と同じく海外に飛んだことにすればいい。

 代わりに瑠璃が何食わぬ顔で面接を受けて従業員に収まる。

 最初は何も知らないフリをしないといけないだろうが、呑み込みのいい新人を装うことは可能だろう。

 

 もちろん、これでも色々と問題はある。

 例えば、瑠璃が瑠璃のまま継いでも実子が継いだことにはならない。おそらく遺伝子レベルで変化しているはずなので血統としても途切れるだろう。

 

「なんか、瑠璃が妹の代わりに結婚させられそうよね」

「言わないでください。自分でもありそうだと思っているので」

 

 朱華にからかわれて慌てる瑠璃。

 この調子ならシェアハウスの妹分は代替わりできるかもしれない。

 

 

 

 

 さて。

 新人が来た以上、話すべきことは色々ある。

 

「とりあえず、お風呂の順番を決め直さないといけませんね」

「む、それは重要だな」

 

 ノワールが言うと、教授も厳かな声で応じた。

 更に朱華も頷いて、

 

「そうね。みんな結構長風呂するし」

「う。でも、しょうがないじゃない。女の子は時間がかかるの。ね、アリスちゃん?」

「いや、シルビアさんはわかるけど、アリスは洗う面積そんなにないじゃない」

「わ、私だって髪の手入れとか色々あるんです! 夜のお祈りに向けて身体をしっかり清めたいですし」

 

 ぶっちゃけ、俺の入浴時間はここに来た頃の倍近くまで伸びている。

 自分のことは我慢しがちなノワールも入浴時間だけはきっちり取る。早風呂なのは「熱い湯でさっと身体を温めるのがいいのだ」とか言ってる教授くらい。朱華も短い方ではあるがそこまで極端ではない。

 今までは教授の帰宅時間を考慮しつつ俺、朱華、シルビアを含めた四人が夕食までに入れていたが、ここに一人増えると戦争になりかねない。

 

「ノワールは今まで通り最後でいいのか?」

「はい。お湯は沸かし直せますので、お仕事を終えた後にゆっくりいただきます」

「じゃあ、アリスちゃんがノワールさんの前に入ればいいんじゃない?」

「え、私ですか?」

「だってあんた、魔法で水綺麗にできるじゃない」

「ああ、なるほど」

 

 《浄水(ピュリフィケーション)》という魔法がある。不純物を取り除いて水を綺麗にする効果だ。ジュースとかに使うとただの水になってしまうが、お湯なら問題ない。

 しっかり身体を洗ってから入っても、何人も続くとさすがに汚れが気にならなくもないので、俺が後から入るのはなるほど理に適っている。

 夜のお祈りは寝る前だから直前に入れるのもメリットだ。

 

「じゃあ、私はそれで大丈夫です」

「では、これからはアリスさまと一緒に入ったりもできそうですね」

「え、と。ノワールさんと一緒だといろいろ比べてしまいそうですけど……」

 

 楽しそうではあるので嫌とも言い難い。

 

「あ。瑠璃さんは何か希望はありませんか?」

「わ、私ですか?」

 

 俺達のやり取りをぽかんとしながら聞いていた瑠璃は、俺が声をかけると硬直状態から復帰した。

 

「はい。遠慮せずに言っておかないと勝手に決められてしまいますよ?」

「失礼ね。いや、たぶんその通りだけど」

「駄目ではないか。まあ、吾輩が一番なのはそう簡単には譲らないがな。どうしてもと言うなら何かで勝負だ」

「あ、瑠璃ちゃん。教授の言うことは気にしなくていいよー。どうせ仕事の日は帰ってくる時間バラバラだから。一番風呂とか休みの日くらいだし」

「は、はい。では……」

 

 わいわい話し合った末、風呂の順番は教授、朱華、シルビア、瑠璃(ここまで夕食前)、俺、ノワールということに決定したのだった。

 

 

 

 

 

 ある程度、必要なことを話した後はいったん解散することになった。

 いつまでもノワールを拘束していては夕食にならないからだ。

 

「瑠璃ちゃんの歓迎会だねー?」

「はい。いつもよりも少し豪華にさせていただきます。……アリスさま、手伝っていただいてもよろしいですか?」

「もちろんです。じゃあ、先に着替えてきますね」

「瑠璃も適当に寛いでなさい」

「ノワールの食事は美味いからな。楽しみにしているといい」

「はい」

 

 俺達が立ち上がると、瑠璃もそれにならった。

 ノワールが湯呑みやティーカップを片付ける中、教授は将棋盤を持ってさっさとリビングを出て行く。シルビアがそれに続き、朱華は去り際にちらりと俺へ視線を向けてきた。

 

『ちょっと気にしてやりなさい』

 

 とか、そんなニュアンスだろうか。

 小さく頷いてから瑠璃を振り返って、

 

「部屋はもう決まったんですか?」

「はい。二階の一室をいただきました」

 

 二階にはまだ空いている部屋が一つあった。そこが瑠璃の部屋になったらしい。これで二階は全部埋まったので、もしも更に人が増えた場合は一階の空き部屋を使ってもらうことになる。もしくは、二部屋使っているシルビアに片方諦めてもらうか。

 歩くペースを合わせるようにして移動を始めながら、俺はもう少し瑠璃と話すことにした。

 

「荷ほどきとか、お手伝いは必要ですか?」

「大丈夫です。持ってきた荷物も多くありませんでしたから」

「じゃあ、少しは持ち出せたんですね」

「今の私でも着られそうな服はまとめて持ってきました」

 

 要するに女物の服か。確かにそれは置いておいても仕方ないし、逆に失くなっていても怪しまれにくい。家族ならともかく周囲の人間は女装趣味まで知らなくてもおかしくない。

 ちなみに靴は妹のお下がりらしい。

 

「困ったことがあったらなんでも言ってくださいね」

「ありがとうございます。ノワールさんからも同じことを言われました」

「ノワールさんはうちの良心ですからね」

「そうですね」

 

 瑠璃はふっと笑って、

 

「当たり前のようにメイド服を着ていらっしゃるので驚きましたが」

「最初は驚きますよね。でも、そのうち慣れますよ」

「……そうですね。これから、ここで生活するのですから」

 

 しみじみとした響き。

 

「瑠璃さんは、元の身体に戻りたいですか?」

 

 戻りたいのなら方法はある。

 まだ不死鳥の素材は残っているし、シルビアに頼めば新しいポーションを作ってくれるだろう。

 しかし、

 

「せっかく女の子の身体になったのに、戻るなんてありえません」

 

 きっぱりはっきりと否定されてしまった。

 

 

 

 

 

 その日の夕食はチーズフォンデュになった。

 瑠璃に希望を聞いたところ「女子っぽいものが食べたい」と言われたからだ。あらためて言われると女子っぽいって何だ? と考えた末、これならOKだろうとノワールと頷きあった。

 

「てっきり和食で来るかと思ったわ」

「もちろん和食も好きなのですが、それは実家でも食べられましたから」

「好きでもたまには違ったものが食べたくなるもんねー」

「ノワールはレパートリーが多いから我が家は困っていないがな」

「教授さま? わたしがいない間に宅配ピザを注文した件、忘れていませんからね?」

 

 小さく切ったパンや野菜、ウインナーなどをとろとろのチーズに浸して食べる。

 別に軽く焙ったバゲットも用意してあるので、チーズのこってり味に飽きないようにたまに齧ってもいい。

 一つの料理で色んな物を食べられるのもお得だ。そういう意味ではこれもある種の鍋物だろう。

 

「瑠璃さん。良ければ唐揚げも試してみてくださいね」

「普通にフォンデュを用意するだけでは味気ないかと思いまして、アリスさまに手伝っていただいて揚げてみました」

「はい、いただきます」

 

 唐揚げはそのまま食べてもいいし、せっかくなのでフォンデュしてもいい。

 

「うむ、ビールにも合うな。素晴らしい」

「チーズフォンデュでしたら白ワインの方が合うと思うのですが……」

「何を言う。晩酌と言えばビールに決まっているだろう」

「教授さんが大人だというのは聞きましたが、絵面が物凄く犯罪的ですね……」

「でしょう?」

「やっぱりそう思うよねー?」

「おい、そこ。きっちり聞こえているからな!?」

 

 なお、ビールは教授の自費である。なので、第三のビールとかではない割高な缶ビールを毎日二本以上空けていても文句は言えない。

 体調に影響が出そうな飲み方をした場合はノワールが問答無用で止めるが。

 

「……ふふっ」

「瑠璃さん?」

「あ、すみません。なんだか賑やかでいいなあ、と思いまして」

 

 不意に笑みをこぼした瑠璃は、俺の視線に気づくと恥ずかしそうに言った。

 

「憧れだったんです。女の子達の輪の中に入れてもらうのが」

「あー。まあ、男でも参加できるやつがいないわけじゃないけど、男が一人でも交じると雰囲気変わるもんね」

「ええ。ですから、こんな風に夢が叶うとは思いませんでした」

 

 女子と男子だと騒ぎ方もかなり違う。

 それは男から女になった俺も良く知っている。

 

「あの。ところで、瑠璃さんは男性と女性、どっちが好きなんですか?」

「っ!?」

 

 いい機会なので気になっていたことを尋ねると、瑠璃は一瞬呼吸を止め、それからせき込んだ。

 

「い、いきなりどうしたんですか、アリス先輩」

「すみません、驚かせてしまって。でも、大事なことかと思ったので」

 

 朱華とシルビアの性癖はもう知っている。俺も正直、男だった頃の名残で男との恋愛は勘弁して欲しいが、瑠璃の場合はどうなのだろう。

 特殊性癖のない男なら話は簡単だが、果たして。

 

「いえ、普通に女性が好きですから。変なことを言わないでください」

「そうですか? そんなことで偏見を抱いたりはしませんから、正直に言ってもらっても」

「誓ってそんな事実はありません」

「まあ、この場合、どっちがまともなのかは微妙だけどね」

 

 女子になったのだから、男を恋愛対象とする方が自然ではある。

 難しいなと思ったところで、シルビアが笑って、

 

「そっかそっか。じゃあ、瑠璃ちゃん。良ければお姉さんの部屋で一緒に寝ない?」

「あ、瑠璃。シルビアさんの言うことは真に受けちゃ駄目よ。でないと絶対性癖歪むから」

「朱華ちゃんだって人のこと言えないよね!?」

 

 シルビアがツッコミを入れるとは珍しい。

 しかし、朱華はこれに肩を竦めて、

 

「あたしの趣味は割とまともじゃないですか。……でも、瑠璃にもこれは聞いておかないと駄目よね。あんたはエロゲとかする方?」

 

 瑠璃がもう一度むせたのは言うまでもない。

 ノワールに背中をさすられ、落ち着いた彼女はゆっくりと口を開き、それから俺を見て、更に気まずそうに視線を彷徨わせて──。

 

「なんと答えるのが正解なのかわかりませんが……その、嗜む程度には」

「ほんと? ねえ、どんなのやったの? 鬼畜系と純愛系だったらどっちが好き? ロリと巨乳だったら?」

「落ち着け朱華。やばい女にしか見えん」

「え、ええと、朱華先輩。私は本当に嗜む程度なんです。……ちょっとした交友関係の都合で、そういうのに手を出しづらかったといいますか」

 

 なんだろう。女性関係にうるさい幼馴染でもいたのだろうか。

 

「あの、それより。オークを斬るとか、水を浄化する魔法とか、そちらの話を聞かせていただけないでしょうか?」

「あ」

 

 メンバーの何人かが「すっかり忘れてた」という顔をした。



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聖女、先輩風を吹かせる(後編)

「ここが、アリス先輩の部屋なんですね」

 

 俺に続いて入ってきた瑠璃は、部屋の中をぐるりと見渡して呟いた。

 なんか、あらためてじっと見られると恥ずかしいんだが。

 まあ、見られて困るようなものはないはずだ。特筆すべき点は本棚にラノベやマンガや少女小説、更には小型の聖書や宗教史の本までが雑多に並べられていること、部屋の隅に置かれた竹刀や木刀、ダンベルが異彩を放っていることくらいである。

 なお、真面目な本に関してはちょっとずつ読み進めているものの、正直あまり捗っていない。難しくてやる気が起きないのもあるが、下地となる知識がないので理解しづらいのも大きい。

 

 それはともかく。

 

 夕食と話し合いを終えた後、俺は瑠璃を部屋に呼ぶことにした。

 

『瑠璃さん、少し部屋で話をしませんか?』

『あ、はい。……えっと、でも、私の部屋はまだ片付け終わっていないので』

『それなら、私の部屋に来てください』

 

 幸い瑠璃はこれを快諾してくれた。

 少し準備があると言うので、先に入浴を済ませた。さっぱりした身体にパジャマを纏って、今まで空室だった部屋のドアを叩くと、慌てたような声が聞こえてきた。

 

『す、すみません、もう少し待っていただけますか?』

 

 待つこと五分。

 部屋から顔を出した瑠璃は、白のTシャツ+クリーム色のセーターにデニムのショートパンツというコーデに身を包んでいた。

 さっきと服が違う。もう寝るだけなんだし、どうせ着替えるなら寝間着の方がいいと思うのだが。

 ドアの隙間から、複数の服が散乱する様がちらっと見えたことで、俺は何も言わないことにした。

 そうして二人、俺の部屋へとやってきた、というわけだ。

 

「すみません。片付けで忙しいところに」

「いいえ。私も、もう少し誰かと話をしたい気分だったので」

「いきなり言われてもわけのわからない話ばかりでしたもんね」

 

 あの後は瑠璃の希望通り、俺達の能力やバイトについて話をした。

 一通りの説明はしたつもりだが、初めは俺も「は?」と思った。飲みこみ、理解するまでには時間がかかるだろう。

 そして、一人で事情を飲みこむのは大変かもしれない。

 懸念は当たっていたのか、瑠璃は僅かに顔を俯かせて「はい」と答えた。

 

「……まさか、本当にゲームキャラになってるなんて思いませんでした」

「私も最初は驚きました」

 

 女になっているだけでなく魔法が使えるようになっていて、しかも化け物と戦う羽目にまでなったのだ。

 あの頃のことを思い出して苦笑いを浮かべてから、瑠璃に座るように勧める。

 

「あ、はい。ええと……」

「クッションもありますし、カーペットを敷いているので痛くないと思います。それともベッドの方がいいですか?」

「べ、ベッド!? い、いえ、クッションをいただければ十分ですっ!」

 

 真っ赤になって答える彼女。

 どこに座っていいか、という顔できょろきょろしていたので選択肢を挙げてみたのだが、余計に慌てさせてしまったらしい。

 俺からクッションを受け取った瑠璃はなおも色が戻り切っていない表情のまま、顔を伏せて言った。

 

「アリス先輩は、私と二人きりで怖いと思わないんですか?」

「怖いなんて思いませんよ」

 

 微笑んで答える。

 瑠璃が言いたいのは「今朝まで(昨夜まで?)男だったんですよ?」ということだろう。だが、目の前の瑠璃はどう見ても女の子だ。

 変身前の瑠璃がどんな顔だったのかも知らない(会ったことがあったとしても思い出せない)ので、彼女を男としては扱えない。

 

「それに、きっと、瑠璃さんは女の子にひどいことをしたりしないと思います」

「でも」

「もし不安なら、抱きつくくらいしてもいいですよ? 私で良ければ落ち着くまで傍にいます」

 

 シルビアが頻繁に抱きついてくるので、そのくらいなら抵抗もない。

 その先になると身の危険を感じるので《聖光(ホーリーライト)》を唱えるが。

 幸い、瑠璃はそれで顔を上げてくれた。瞳が若干潤んでいる。

 

「アリス先輩は凄いですね」

「ここの住人としては先輩ですからね。……私は高校生だったので、精神年齢だと後輩になっちゃうんですけど」

「ふふっ。構いません。今は私の方が後輩ですから」

 

 気分は落ち着いたようだ。くすりと笑った瑠璃は目元を拭って明るく言う。

 

「この部屋、アリス先輩の匂いがしますね」

「え。……えっと、その。しゅっとする消臭スプレーがないかノワールさんに聞いてきますので」

「ち、違います! 落ち着くというか、良い匂いだな、ということです」

「ほ、本当ですか? 嘘じゃないですよね?」

 

 不安なので何度も尋ねた。瑠璃がこくこく頷いて「もちろんです」と言うので、ようやくほっとする。

 

「……どうしてそんなに、匂いの話に敏感なんですか」

「私、こうなる前は剣道をやっていたんです。それで、女の子から汗臭いとか言われることが良くあって……」

「あー……」

 

 あの時の事は思い出すだけで苦しくなる。

 俺達だって俺達なりに対策はしていた。だが、シャワーを浴びたりスプレーをしたところで完全には防げない。

 というか、若い男がスポーツに精を出すのは健全な証拠だ。それを悪いことのように咎められれば泣きたくなるし、女子受けの良いチャラチャラした男どもに怨嗟を送りたくもなる。

 

「高校生になったらスポーツをやろうと思っていたんですが、やっぱり止めた方がいいでしょうか」

「だ、大丈夫ですアリス先輩。女の子の汗は良い匂いですから」

「さすがに汗は汗でしょう?」

「思ったことありませんか? 体育の後の女子のジャージとか、匂いを嗅いだら興奮するだろうな……って」

 

 ない、と言えば嘘になる。

 俺は目を逸らした。

 瑠璃は「わかればいいんです」とばかりに頷いた後、自分が何を言ったのか理解して赤くなっていた。

 こほん。

 どちらからともなく咳ばらいをして仕切り直し。

 

「話を戻しますが、アリス先輩は癒し系なんですよね?」

「そうですね。癒し手(ヒーラー)がメインになります。攻撃役(アタッカー)が少ないせいで魔法で攻撃することも多かったんですが……」

「私が前に立てればみなさんが楽になる、ということですね」

 

 意外と理解が早い。

 

「私達の事、信じてくれるんですか?」

「信じられない気持ちはありますが……アリス先輩の魔法や、朱華先輩の超能力も見せていただきましたし、疑う余地はないと思います。それに、そういうのって一度は憧れるじゃないですか」

 

 男なら当然。女子だって魔法少女に憧れる時期があるだろう。

 

「危険ですよ。きっとみんな、瑠璃さんに無理に参加しろとは言わないはずです」

「わかっています」

 

 真っすぐに俺を見つめて、こくりと頷く瑠璃。

 

「正直言って、()()()()()の私は臆病者でした。武道どころか、スポーツだって好んでいなかったくらいです。……まあ、必要以上に筋肉を付けたくなかったからなのですが」

「瑠璃さん」

「でも、やります。少なくとも戦場に出もせず臆することはできません。不思議と、当然のようにそう思えるんです」

 

 早月瑠璃(オリジナル)の影響だろうか。

 俺の時よりもかなり共鳴(ユニゾン)が早く深いようだが、変身後の自分を受け入れているかどうかの差かもしれない。

 女になることを既に受け入れていて、しかも、TRPGの自キャラとして瑠璃を演技(ロールプレイ)していた分、馴染みが早くてもおかしくない。

 俺は、これ以上止めるのは無意味だと判断した。

 

「わかりました。それじゃあ、武器の調達と、身体を動かす練習から始めないといけませんね。良ければ私の竹刀、使いますか?」

「いいんですか?」

「はい。今の私には重いみたいなので、私は木刀の方を使っているんです」

「では、有難く使わせて頂きます。……本物の日本刀を調達するのは骨が折れそうですからね」

 

 確か、刀剣類の所持には許可が必要だったはずだ。

 未成年でも取れるのか。取れるとして何が必要なのか、といったところから調べないといけないし、その上で実用的な日本刀の製造元や販売元を探さないといけない。

 

「鈍器なら簡単に手に入るんですけどね。ゴルフクラブとか」

「金属バットとか、ですね。……私に瑠璃の技能が備わっているのであれば、重さの均一な棒の方が扱いやすいはずなのですが」

 

 いわゆる杖術の類である。

 杖というのは要するに穂先のない槍なわけで、勢いよく突かれたり柄で叩かれたりすれば十分痛い。

 杖なら護身用、あるいはスポーツ用の物が流用できるかもしれない。

 

「ノワールさんによると、異能以外の技術は身体を動かしているうちに少しずつ思い出すものらしいです。練習あるのみですね」

「先程も申し上げたように、私自身に心得はないので少し不安ですが……」

「大丈夫ですよ。休みの日なら私も練習相手になれますし、頑張りましょう」

「あ……はいっ」

 

 瑠璃は笑顔でこくりと頷いてくれた。

 これなら大丈夫そうだ。後は次のバイトが直近で入らないかどうか。その辺りは教授もわかっているだろうから調整してくれるはず。

 

「瑠璃さんは私達の一学年下になるんですよね?」

「はい。四月から中学三年生として通おうと思っています。……今年度いっぱいは妹が高校生なので、できれば鉢合わせしたくありませんし」

「三学期から転校してもクラスに馴染みにくそうですし、その方がいいと思います」

 

 俺の時は一学期中に入るために急ピッチで準備を進めたが、瑠璃の場合は余裕がありそうだ。

 そうなると三か月くらいはノワールと一緒に家にいることになる。ついでに中学三年生を最初から体験できるわけで……あれ、若干羨ましい。

 瑠璃もどこか楽しげに声を弾ませる。

 

「政府の人達からお金まで頂きましたし、バイトをすれば収入もあるのでしょう? 生活環境を整えるには十分過ぎます。ああ、気兼ねなく服を買えるなんて素晴らしい……!」

 

 今までは普段の私服+女装用の服で余計にお金がかかっていた。しかし、これからは私服で女装(?)ができるというわけだ。

 うっとりする瑠璃。

 可愛いが、これが男だったら問答無用で変態扱いだったかもしれない。

 

「瑠璃さんは綺麗ですから、服選びも捗りますね」

「アリス先輩もそう思いますか? 私としても、脳内で思い描いていたキャラがそのまま現れたようで、驚いているんです。……ただ」

「ただ?」

「胸はもう少し大きくても良かったかもしれませんね……」

 

 自分の胸元を見下ろす瑠璃。

 彼女の胸は決して平坦ではないが、大きいと言えるほどでもない。どちらかというと控えめと言うべき大きさだ。

 なんとなく俺も自分の胸を確認してしまう。

 ここは同意すべきか否か。

 

「でも、脳内にイメージがあったんですよね? 巨乳でイメージしなかったんですか?」

 

 俺の場合、イラストの時点で小さめに書かれているのでどうしようもなかったのだが。

 すると瑠璃は両手をぐっと握りしめて、

 

「だって、着物美人ですよ? 個人的に巨乳と和服は食い合わせが悪いと思うんです」

「なんとなくわかる気はします」

 

 聖職者にしても、あんまり巨乳すぎるとそっちに目が行ってしまい、清楚なイメージを持てなくなるのが男の性である。

 

「ですよね? なので、瑠璃(るり)の胸はこれが理想なんです。でも、現代のファッションは女性的な身体のラインがはっきりしていた方が選択肢が多いと思うんです……!」

「ま、まあ、成長すれば大きくなるんじゃないですか?」

「そうですね。私のイメージがどこまで影響しているか次第です」

 

 和服美人への拘りはそれだけ強いらしい。

 ……しかし、そのあたり俺はどうなるんだろうか? 成長したイラストがないからあまり大きくならない(※身長も含めて)かもしれないし、この手の作品だと後日談で見違えるほど成長させてくるパターンも結構あるので、そっち合わせになるかもしれない。

 少し楽しみなような恐ろしいような。

 さすがに「実は不老不死です」なんてオチはないと思いたいが。

 

「あ。もしコスプレにも興味があるなら、ノワールさんに頼んでみるといいと思います。色んなメイド服を持っているので、好みに合うものがあるのではないかと」

「今度聞いてみることにします」

 

 力強く頷かれた。

 もしかすると、私服では着られないような服を収集するメンバーが一人増えてしまったかもしれない。

 それ自体は別に構わない。人の事は言えないし、ノワールも喜ぶだろう。

 ただ、末っ子に姉を取られた次女はこんな気持ちなんだろうか……というような一抹の寂しさを感じてしまう。

 

「本当に、色々とありがとうございます、アリス先輩」

 

 それとは別に、この子をもっとサポートしていきたいと思う自分も確かにいた。



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聖女、嫉妬する

「アリスさん、新しい住人の方はいかがでした?」

「はい。とても良い人でした。きっと仲良くなれると思います」

 

 翌日の昼休み、どこかわくわくした様子の芽愛(めい)に問われ、瑠璃のことを話した。

 もちろん、元男だとか和菓子屋の子供だとか、武術が得意だとか余計なことは伏せて、である。

 

「来年中学三年生……。同い年でないのは少し残念ね」

「私としてはファッションの話ができそうなので興味があります」

 

 お弁当を口に運びながら、鈴香(すずか)縫子(ほうこ)もそれぞれ感想を漏らす。

 作る方と着る方という違いがあるが、瑠璃と縫子はきっと気が合うだろう。合いすぎてコスプレとか、あさっての方向に突っ走らないか心配なくらいだ。

 

「そういえば、姉が都合をつけて会いたいそうです。朱華さんに連絡するので二人で相談してくれ、だそうです」

「わかりました」

「どうせろくでもない用事だと思うので、無視していただいても構いませんが」

 

 実の姉にひどい言い方である。

 いや、実の姉だから、なのだろうか。

 縫子の姉・千歌(ちか)さんは現役女子大生声優だ。エロゲに出演するような下積み時代を経て、今はメジャーデビューを果たしている。

 彼女は俺と声が似ているというか、同じ声をしている。俺の元になったアリシア・ブライトネスのCV担当なので必然的にそうなるのだ。

 文化祭で会った時は朱華と何やら盛り上がっていたようだが、

 

「縫子さんのお姉さんなら大丈夫ですよ」

「そうですね。アリスさんが相手なら姉も無茶はしないかもしれません」

「……ねえ芽愛。アリスさんの今の発言ってどっちの意味かしら」

「私だったら『縫子で慣れてるから大丈夫』という意味で使いますが」

 

 何やら鈴香と芽愛が内緒話をしていた。

 四人で並んで座っているので当然のように丸聞こえである。

 

「鈴香さん達にはそのうち報復しますね」

「理不尽」

「横暴」

「なんとでも言ってください」

 

 こういう争いに関してはきっと神様も何もできないだろう。

 

 

 

 

 

「お帰りなさいませ、アリスさま(先輩)」

 

 シェアハウスに帰ると、二人のメイドに出迎えられた。

 

「ど、どうしたんですか、一体」

 

 片方はもちろんノワールだ。彼女はいつものメイド服姿。たとえ同い年まで成長したとしても、彼女のように可愛らしさと気品を兼ね備えた大人の女性になれるかどうか。

 そしてもう片方は、特殊なメイド服に身を包んだ瑠璃である。

 こちらの衣装は黒一色。通常タイプに比べ、レースやフリルがふんだんに使われ、全体的に少女らしい装いとなっている。何枚も布を重ねているせいで重厚感もノワール以上。仕事着というより客人を出迎えるためといった雰囲気の──いわゆるゴスロリメイド服。

 可愛い、と頭の中では理解できているのに、予想していなかった姿が急に来たせいで本能が危険信号を発している。

 と、二人は顔を見合わせて首を傾げてから、再び俺に向き直って、

 

「可愛いと思いまして」

 

 息ぴったりだった。

 

「もう仲良くなったんですね」

「幸い、お話をする時間がありましたので」

 

 ねー? とばかりにもう一度瑠璃を見るノワール。

 やばい。またしても負けた感がこみ上げてきそうだ。

 自分の小ささにため息をつきたくなるのを堪えて微笑む。すると、瑠璃は笑顔を浮かべて俺を見つめ、

 

「アリス先輩。どうですか、これ? 可愛いですよね?」

「はい。とても可愛いです。瑠璃さんは黒が似合いますよね」

「モノトーンですからね。お手軽最強です」

 

 くるりと一回転してみせる瑠璃は心からゴスロリを楽しんでいるようだ。

 この衣装はノワールから借りたものらしい。

 二人の身長差なら、よほどタイトだったりスカートが長かったりしない限りは着られるだろう。俺は少し身長と胸が足りていないが。

 

「アリス先輩も今度、一緒に着ませんか?」

「いいですけど、私、そういうのは持ってないんです」

「ではアリスさまの分を注文──」

「待ってくださいノワールさん」

「そうです。アリス先輩には私がプレゼントしますから」

「それも駄目です!」

 

 うん、こんないい子に嫉妬するとか、やっぱり俺が余計なことを考えすぎな気がする。

 今度、一緒にWebサイトのカタログをチェックする約束をして靴を脱ぐ。

 瑠璃は朱華やシルビアにも見せるつもりらしい。

 今日は二人と別々に帰ってきた。シルビアはわからないが、朱華はクラスメートと話をしていたので若干タイムラグがあるだろう。

 果たして、朱華はこの瑠璃にどんなリアクションを取るのか。

 少し興味があったので、リビングで宿題をしながら帰りを待つと、

 

「へえ、似合ってるじゃない。真っ黒だからなんか死神っぽいわよね」

 

 なお、本人的には普通に褒めたつもりらしい。

 

「アニメとかマンガのネタ通じる相手なら大丈夫でしょ」

 

 確かに、その手の話なら死神美少女なんて珍しくないが、死神なんて俺の敵になりかねないので、できれば勘弁して欲しかった。

 

 

 

 

「では、アリス先輩。よろしくお願いいたします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 週末の土曜日。

 俺は暇な午前中を利用して、瑠璃と簡単な稽古をすることにした。

 瑠璃は竹刀、俺は木刀。

 お互いにトレーニング用の服に身を包み、家の庭に出る。髪は邪魔なので後ろで束ねた。俺のはポニーテールだが、瑠璃のはサムライヘアーって感じだ。

 

「アリス先輩はウェアも似合いますね?」

「……えっと、その。ありがとうございます」

 

 なんだか気恥ずかしくなってきたので誤魔化すように稽古を開始。

 

「まずは型から覚えましょうか」

「お願いします」

 

 剣道をやらなくなって半年近く経つが、もちろん作法はまだ覚えている。

 平日中に軽く調べて自己流のトレーニングをしていた程度だという瑠璃に一から剣道の型を教え、実際にお手本を見せながら竹刀を振ってもらった。

 両手でしっかりと握られた竹刀は勢いよく振り下ろされる。

 

「やっぱり、筋がいいですね」

「本当ですか?」

「慣れていないので身体に力が入り過ぎですけど、思ったよりも形になっています」

 

 おそらく、身体の方は十分出来上がっているせいだろう。

 瑠璃の身体は驚くほどしなやかに動き、そのせいで若干勢い余っているくらいだ。

 

「実は私も、思ったより動けて驚いているんです」

「化け物相手に戦える身体ですからね。技術さえ備えてしまえば私なんか相手にならなくなるはずです」

「そんな」

「瑠璃さんが自分の剣術を思い出したら、むしろ私が教えを乞いたいですね」

 

 剣道の型も長い歴史の中で洗練されてきた素晴らしいものだが、実践的な剣術は命のやり取りをするのに特化している。

 試合用の技術とは違った強みが備わっているに違いない。

 そこそこ長い経験から来る推測で話すと、瑠璃は何故か若干つまらなそうな表情で、

 

「私は、アリス先輩ともっとこうやって練習したいです」

「もちろん、私も一緒にトレーニングができて嬉しいです。それに、瑠璃さんが強くなってくれれば、私は守ってもらえるじゃないですか」

 

 前衛の背中に隠れながら治癒魔法を詠唱する、なんてすごくヒーラーっぽい。

 今までは攻撃魔法を連射しながら支援魔法を維持するなんていう、MMORPGならプレイヤーが過労死しそうな状態だったのだから凄い違いだ。

 前回のオーク戦のような綱渡りはもう、本当に懲り懲りである。

 すると、瑠璃はこくりと頷き、竹刀をぎゅっと握り直して、

 

「はい。私、アリス先輩を守れるくらい強くなりたいと思います」

「その意気です。それじゃあ、続けましょうか」

「はいっ」

 

 しばらく素振りを繰り返し、二人で行う型の訓練をこなした後、試合形式に近いチャンバラごっこのようなこともしてみた。

 結果は俺の勝利。

 得物の重量差と身体能力差を加味しても、まだ技術の差が大きかった。ただ、この分なら本当に、意外なほど早く追い抜かされる日が来そうな気がした。

 

 

 

 

「……はあ」

「いや、なに黄昏てんのよあんた」

 

 ため息をついた俺の頬を、人差し指の先端がぷにっと突いた。

 首を向ければ、朱華がジト目でこっちを見つめている。

 

「ノックしてください」

「返事がないから入ってきたのよ。で、なに悩んでるわけ?」

 

 瑠璃と初めての訓練をこなした夜のことである。

 朱華はまだまだ寝るつもりがないのか、ノートパソコンを座卓に設置して夜更かしモードだ。しばらくはいいとして、寝る時間になったら追い出そうと思う。

 

「いえ。……久しぶりに男の身体が恋しくなったといいますか」

「なんでよ?」

「今の私って非力なんだなあ、って、あらためて実感したからですかね」

「別にあんただって弱くないでしょ」

「それはわかってます」

 

 半眼になった朱華の言葉に深く頷く。

 アリシア・ブライトネスの身体スペックは決して低くない。

 敵味方が複数存在する戦場において、最低限の回避行動を取りながら移動標的を魔法で狙える程度には、俺だって動ける。

 それでも、新人である瑠璃の方がスペックが上だった。

 もちろん、前衛と後衛の違いあるのだから仕方ない。俺がアリシア・ブライトネスではなく、朱華がプレイしていたデータの『撲殺聖職者アリスちゃん』だったら話は別かもしれないが、ゲーム的に考えて、後衛の聖女が前衛並みに避けて耐えて物理ダメージ叩き出せたらバランス崩壊である。

 それでも。

 己の非力を自覚させられて、かつ、それを悔しいと思ったのは久しぶりだった。

 

「我が儘ですよね」

 

 自嘲気味に呟き、苦笑すると、朱華はくすりともしなかった。

 

「そうね」

 

 肯定の言葉。

 思ったよりも心が弱っているのか、どうとでも取れる短い返答でさえもぐさりと来てしまう。

 

「……本当に、私は弱いです」

「別にいいじゃない、弱くて」

「え……?」

 

 目を丸くして朱華を見る。

 少女は照れくさいのか、頬を赤くしながら視線を逸らして、続きの言葉を口にする。

 

「あのね。あんたとあの子は違うのよ。何もかも。根本から」

「いや、それはそうですけど」

「そうだけど何よ。わかってないから悩んでるんでしょ。違う?」

「……それは」

 

 口ごもる。朱華の言う通りなのかもしれない。

 わかっているつもりになって意地になって、自分を大きく見せようとして、結局小ささを露呈している。そんな状態に陥っているのかもしれない。

 それでも。

 否定されると反射的に反論したくなる自分もいて、わけがわからなくなって泣きそうになる。

 

「瑠璃は凄い子よ。物分かりが良いし吸収が早いし、目的意識もはっきりしてるし、コミュ力だって高い。正直わけわかんないレベル」

「私とは大違いじゃないですか」

「そうね」

 

 ぽん、と頭に手のひらが置かれる。

 

「あたしとも大違いよ」

「……朱華さんは凄いじゃないですか」

「ばーか。あんた、あたしが変身したての頃のこと知らないじゃない」

 

 知っているわけがない。俺が出会ったのはもっと後の朱華なのだから。

 そう。知らない。

 彼女が変身に直面した時、どんな反応を示したのか。シェアハウスへどんな風にしてやってきたのか。

 

「凄かったわよ、あたし。シルビアさんは結構すんなりだったけどね」

「……朱華さんの方が先だったんですか?」

「さあ、どうかしらね。っていうか、そんなことはどうでもいいのよ。今はあんたの話でしょ」

 

 今度は頬を優しく撫でられる。

 何が言いたいのかわからないままにスキンシップをされて、涙腺がどんどん緩んでいく。

 

「ほんと、手がかかるわよ、あんたは」

 

 言いながら、朱華は笑っていた。

 

「朱華さん?」

「あんたはね、本当に手のかかる奴よ。最初は男に戻りたいって駄々こねてたし、今のままでいるって決めたら決めたで無茶ばっかりするし」

「それは」

 

 一生懸命だったからだ。

 俺にできることなんて碌にないから、できることだけでも頑張らないといけなかった。

 

「あっと言う間にあたしより稼ぎ始めた奴が何言ってんのよ」

「……あ」

 

 頬がぐにーっと引っ張られる。

 気づけば、朱華は泣き笑いの表情だった。

 

「あのね、あんたはあたし達にとって手のかかる妹よ。それでいいの。それがいいの。手のかかる子ほど可愛いって言うじゃない」

「……できれば、妹扱いは卒業したいんですが」

「無茶言うんじゃないわよ。そうやって頑張るあんたをあたし達はほっとけないってのに」

 

 肩を抱き寄せられて、そのまま抱きしめられた。

 

「あーもう、何やってんだろあたし」

「……すみません」

「謝るなっての。……いい? あたしの見た限り、瑠璃は確かに優等生だけど、だからこそ頑固よ。あたし達が何言ったって根っこの部分は変わらないでしょうね。ただ、たぶんあんたは例外」

「私、ですか?」

「そ。そういうもんなの。完璧な人間なんていないんだから」

 

 それはわかる。

 シルビアが研究馬鹿で、朱華がエロゲ馬鹿で、ノワールがメイド馬鹿で、教授が食いしん坊で、俺が駄目駄目なのがその証拠だ。

 なら。

 いいのだろうか。俺は、俺のままで。

 朱華はそれ以上何も言ってくれなかったが、気づいたら気分はだいぶすっきりしていた。

 

「あの、朱華さん?」

「何よ」

「一緒に寝てください、って言ったら、駄目ですか? って、あいたっ」

 

 デコピンされた。

 

「あんたね。その無防備すぎるところは直しなさいよ」

 

 そう言いつつ、朱華は恥ずかしそうに「別にいいけど」と言ってくれたのだった。



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聖女、スーパー銭湯に行く

 目が覚めると、すぐ近くに朱華の顔があった。

 

「っ!?」

 

 一瞬、悲鳴を上げそうになってから昨夜のことを思い出す。

 感傷的な気分になった挙句、彼女へ「一緒に寝て欲しい」と頼んだのだ。

 何をやっているんだ俺は。

 我に返ってみると恥ずかしすぎる。こういうことをするから「放っておけない」評価をされるんじゃないのか。

 内心「うわぁ……」となりつつ、どうしたものかと思案。下手に動くと朱華を起こしてしまうし、このままでいるべきか。

 起きているのに身動きできないのも若干辛いというか、目を開けていたら朱華の寝顔が間近にあり、閉じていたら静かな寝息をはっきり感じられてしまうんだが……。

 と。

 

「……ん」

 

 ぴくん、と動いたかと思うと、もぞもぞし始める朱華。

 寝ている時というのは意外なほど気配に敏感なものである。結局起こしてしまったようで、程なく彼女の瞳はゆっくりと開かれ始めた。

 じー、っと、数秒見つめ合って、

 

「……あー。おはよ、アリス。よく眠れた?」

「はい、お陰様で。……その、ご迷惑をおかけしました」

「気にしなくていいわよ。久しぶりにのんびり眠れたし」

 

 それはエロゲで夜更かししなければいいだけでは。

 まあ、厚意は素直に受け取っておくべきなのだろうが、それはそれとして……少し自己啓発というか、気分の入れ替えが必要かもしれない。

 座卓まで這っていってノートパソコンを開くと「あー、まだこんな時間じゃない」とか言っている朱華を見ながら俺はしばし考え、

 

「朱華さん。私は決めました」

「なによ急に」

「私、今度こそ修行します!」

 

 拳をぐっと握って宣言すると、半眼の表情と「また変なこと言い出したわね」という冷ややかな声が返ってきた。

 

 

 

 

 

「で? なんで急に修行なのよ?」

「もちろん、弱い私の心を鍛え直すためです」

 

 シャワーにお祈り、朝食といった朝のルーティンを終えた後、少し時間を置いて十時過ぎくらいにシェアハウスを出た。思い立ったのが日曜で良かったと思う。

 で、冷たい反応をした割についてきてくれた朱華は俺の返答にため息をついて、

 

「だから、あんたはそれでいいって話だったじゃない」

「はい。なので、私がそういうのを気にするタイプなのは諦めました」

 

 考えないようにと無理をしても大した成果は得られない。

 

「だから、細かいことを気にする前に、もっと建設的な視点を持てるようにしたいんです」

「具体的には?」

「聖職者って奉仕者だと思うんです。だから、世のため人のためになることをして自分が満たされていれば、余計なことは考えないんじゃないかと」

「で、聖職者っぽく修行ってわけ」

 

 まあ理屈はわかった、とばかりに頷く朱華。

 

「……なんか逆効果になりそうな気もするけど」

「え?」

「なんでもない。それよりこれ、どこに向かってるのよ」

「修行って言っても、滝行は前回挫折したじゃないですか」

 

 滝に行きたいと鈴香達に告げたところ、何故か海水浴とエステと森林浴に化けた。あれはあれで楽しかったし、大変リフレッシュできたのだが、修行かというとノーだ。

 かといって再チャレンジしようにも、日帰りで滝までは結構遠い。

 

「なので、代わりにスーパー銭湯です」

「あんた、そこだけ聞くとアホの子にしか聞こえないわよ?」

 

 ひどいことを言われた。

 

「べ、別に何も考えていないわけじゃありません。ちゃんと修行になると思ってここにしたんです」

「わかってるってば。ここならサウナとかあるもんね。あと水風呂もあったっけ?」

「……そういうことです」

 

 「冷たい」のが用意できないなら代わりに「暑い」だ。滝とまではいかないものの水風呂もあるので、ここなら自分を苛められる。

 

「なるほど。でも、銭湯ならみんなで来れば良かったわね」

「それだとみんなで湯舟に浸かって『あー楽しかった』で終わるじゃないですか」

 

 いや、ノワールには温泉でリフレッシュして欲しいし、教授もなんだかんだ風呂好きだから喜ぶだろうが。そういうのはまたの機会にしておきたい。なんなら今日の帰りにチケットを買ってみんなに渡してもいい。

 それに、ノワール達を誘うとなると瑠璃を誘わないわけにはいかない。

 瑠璃に嫉妬する気持ちを吹き飛ばすための修行なんて、恥ずかしくて本人に言えるわけがない。

 

 というわけで、受付でお金を払って入場。

 映画に行くよりは安い、くらいの額。朱華の分も払うと言ったら「んー……いや、いいわ。どうせ結構長居するんでしょ?」とのこと。仕方ないので代わりにデザートでもご馳走することにした。

 

「男女別なんですね」

「水着で混浴のところもあるらしいわよ」

「それなら家族でも楽しめますね。あとは……恋人同士とか?」

 

 デートで銭湯に行く図というのもなかなか想像しがたいが、恋人同士で温泉旅行は割と普通だ。そう考えればお手軽に良いお風呂を楽しめるのはなかなかアリかもしれない。

 

「で、まずはどこ行くの?」

「最初は普通にお湯に浸かりましょうか」

 

 脱衣所で裸になってお風呂スペースへ。

 さすが、スーパー銭湯と言うだけあって色々なお風呂が並んでいる。日曜なのでそこそこ客入りもあるようだ。年配の方が中心かと思いきや、二十代・三十代くらいの姿も意外とある。みんなリフレッシュを求めて来ているのだろう。

 俺達はしっかりと身体を洗った後、数ある風呂の中から温泉っぽいオーソドックスなものを選択。身体がぽかぽかして気持ちいい。

 

「はー……。温泉って入ると気持ちいいわよね」

「入るまでが億劫ですか?」

「だって、温泉旅館ってだいたい遠いし。それに結構やばいのよああいうとこ。若女将にマッサージ師に、場合によっては媚薬効果のある温泉とかあるし」

 

 またしてもエロゲあるあるの話だった。

 特に、女だけとか恋人同士とか、恋人でなくても男女の友人同士とかで行くのは危ないらしい。いや、それ全部駄目じゃないだろうか。

 女子中学生二人が休日にお風呂でするには特殊すぎる話題で盛り上がった(?)後、俺は適当なところで湯舟から上がる。

 

「じゃあ、私はサウナ行ってきますね」

「行ってらっしゃい。あたしは適当に楽しんだらロビーか娯楽スペースにでも行くわ。あんまり根詰めるんじゃないわよ」

「あはは……。まあ、修行ですからね」

 

 根を詰めないとは答えられず、笑って誤魔化した。

 サウナ室へはお風呂フロアからそのまま行けるようだったが、いったん出て自販機でペットボトルの水を買ってから入った。自分を苛めるつもりではあるが、水分くらいは補給しておかないと逆に長くもたない。

 入っただけで熱気を感じる部屋の中には比較的若い年齢の女性が二人ほど座っていた。美容のために頑張っているのか、その表情はストイックな修行僧のようである。サウナって中年のおっさんが談笑しているイメージだったんだが、男用とはえらい違いだ。

 とりあえず、ぺこりと会釈をしてから隅の方へ座る。お互い修行中ならあまり関わらない方がいいだろうと──。

 

「そんなに遠くに座らなくてもいいのに」

「ほら、こっちおいで」

 

 話しかけられた!?

 二人ともさっきの表情はどこへ行ったのか、可愛いペット動画でも見てるような顔で「来い来い」と手招きしている。

 無視するのもアレなので寄っていくと「日本語わかる?」「何歳?」と矢継ぎ早の質問。

 なんだこれ。

 結局社交場なのは変わらないのか、気づけば俺はそのまま女性達と仲良く談笑していた。不思議なことに、会話を楽しんでいると暑さも和らいで感じられる。修行としてはどうなのかと思うが、ダイエット等が目的であれば良い方法なのかもしれない。

 

「じゃあ頑張ってね」

「無理しちゃ駄目だよー」

「はい。ありがとうございます」

 

 先に出て行った彼女達に笑顔で答え、俺は修行を続行。

 居るだけで汗がだらだら流れていく。あっという間にぬるくなってしまった水をちびちび飲みつつひたすら耐える。

 結構きつい。

 だからこそ修行になるはず。心頭滅却すればなんとやら、という言葉もある。無心だ。無心になればこれくらいなんでもないはず。

 時計を気にしなくていいように目を閉じて時を過ごし──。

 

「あ」

 

 水が尽きた。

 一本しか持ってこなかったし、中身は有限なのだからなくなるのは当然。ただ、俺には死刑宣告のように思えた。このまま座っていればガチで自分の限界に挑戦できるだろうが──それを考えると朱華やあの女性達から言われた「無理はするな」という言葉が蘇ってくる。

 かといって、水を買ってもう一度ここに戻るというのもなんとなく違う。

 むぅ……としばらく躊躇してから、

 

「切り上げましょう」

 

 無難な決断を下した。

 サウナから出た後は、そういえば水風呂に行っていなかったと思い出してそちらへ向かう。火照りまくった身体で冷たい水に浸かると妙に心地いい。

 このままずっと浸かっていたい……と、ほっこりしたところで急に水の冷たさを感じた。一度感じてしまえばそれはどんどん襲ってきて、全身から寒さが襲ってくる。

 だが、ここで出たら修行にならない。

 俺は寒さを一生懸命堪えてそこに留まり、

 

「……限界です」

 

 このままだと確実に風邪をひく、と危機感を覚えたところで水から上がった。

 冷え切った身体を普通のお風呂で適度に温めたら脱衣所へ。気づけば結構な時間を過ごしてしまっていた。

 服を着て脱衣所を出、ロビー等を探すと……いた。朱華は娯楽スペースの一角でほうじ茶(無料)片手にマンガを読んでいる。

 なるほど、利用料を自分で払ったのはこれが目当てか。

 

「朱華さん」

「ああ、アリス。お疲れ様。どうだった、修行は?」

「ひたすら自分を苛めるのは悪くない感覚ですね。効果は何度も続けないと出ないかもしれませんが……」

「あのさ、あんたって絶対Mよね」

「公共の場で変なこと言わないでください……!」

 

 とりあえず、お昼時になってしまったのでご飯にしようということになった。ちょっとしたレストランまで併設されているのがスーパー銭湯のいいところだ。

 俺はちらし寿司と茶碗蒸しのセット、朱華はカツ丼をチョイス。

 食後は俺持ちでデザートの杏仁豆腐を食べ、熱いほうじ茶でひと息ついた。

 

「午後はどうすんの?」

「せっかくなのでもう一、二セットやっていこうかと。朱華さんは先に帰ってもいいですよ」

「いいわよ別に。マンガ喫茶来たようなもんだし」

 

 それもどうかと思うのだが。

 

「でも、ま、ある意味いい方法なんじゃない?」

「? 何がですか?」

「修行。要は教授の言ってる共鳴(ユニゾン)を進めたいってことでしょ? だったらあんたの場合、自分を苛めるのは間違ってないと思う」

「そこまで細かい事は考えてなかったのですが……」

 

 朱華の言う通りなのだろう。

 俺にとっての聖職者像である聖女アリシア・ブライトネスはいつも人のために何かをしようとしていた。ゲームストーリーの都合と言ってしまえばそれまでだが、描写された内容を素直に受け取れば、アリシアは自分のことよりも人のことを考える献身的な人格のはずだ。

 滝行を考えたのが対不死鳥に備えて強くなるためだったように、俺はもう一度、アリシア・ブライトネスに近づこうとしているのだ。

 

「水風呂とサウナで覚醒できたら物凄くお手軽ですね」

「自分で言ってどうすんのよ」

 

 朱華と別れた俺は、再び自分を苛めにかかった。

 サウナで適度に自分を痛めつけたら水風呂に浸かり、またサウナで汗をかく。今度はちゃんと水も多めに用意した。

 暑さや寒さに耐えるようと必死になっていると余計なことを考えなくて済む。

 無心というほど格好いいものではないが、ある程度意識を研ぎ澄ますことはできた。

 

 だからなのか、俺は久しぶりにアリシアの声を聞いた。

 

『もう、私? 私はそんなに格好いい人間じゃありませんよ?』

 

 聖人はみんなそう言うのだ。

 

『そうは言いますが、私はあなたなんですから。お互い様だっていうこと忘れないでくださいね』

 

 お互い様。

 それこそ、俺はアリシアみたいな善人じゃない。一緒にするのは良くないと思うのだが。なんとなく、言っても押し問答になりそうなので止めた。

 

『ふふっ、そうしてください。それから私? 一つ先に進んだあなたなら、一つ、新しい力を使えると思います』

 

 新しい力?

 

『念じれば自然とわかるはずです。あなたなら心配いらないと思いますが、みんなのために役立ててくださいね?』

 

 それきり、アリシアの声は聞こえなくなった。

 こんなに普通に会話(?)したのは初めてな気がする。これは俺とアリシアが近づいている証拠なのだろうか。相変わらず精神汚染の気配とかはないので実感は湧かないし、それはそれで別に構わないのだが。

 新しい力か。

 

「とりあえず、やってみましょうか……」

 

 小さく呟いて精神を集中する。

 刹那。

 俺の手の中に、妙に見覚えのある長柄の物体──アリシアの錫杖が現れた。

 

「は?」

 

 思わず上げた声に、サウナにいた人達の視線がこっちを向く。慌てた俺はもう一度意識を集中してさっさと錫杖を消した。

 いやもう、いきなりにも程がある。



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聖女、専用武器を手にする

 朱華のところに戻ったら、開口一番「なんかやったの?」と聞かれた。

 信用がないと言うべきか、俺のことを良くわかってると言うべきか。ひとまずその場は苦笑いを浮かべて帰宅を促した。

 これから帰るとノワールにメッセージを入れてからスーパー銭湯を出て、

 

「で?」

「そのですね。なんか、武器が出せるようになりました」

 

 何言ってんだこいつ、みたいな顔をされるかと思いきや、

 

「ああ、それね。あんたもそこまで行ったんだ。……っていうか、本当にサウナで覚醒してんじゃないわよ」

「あれ?」

「あ、意外そうな顔。安心しなさい。武器出せるのはあんただけじゃないから」

「初耳なんですが」

「言ってなかったしね」

 

 未知の怪現象かと思えば、俺達の間では別に珍しくないらしい。

 なんということだ。

 じゃあ、朱華も何か出せるのかと尋ねれば「いや、あたしは出せないけど」とのこと。

 

「だって超能力者よ? 専用武器とか持ってないし」

「ああ、なるほど。そういう話なんですね。……あれ? じゃあ、瑠璃さんも刀とか出せるんですか?」

「出せるんじゃない? 共鳴(ユニゾン)が十分に進めばだけど」

「瑠璃さんなら早そうな気がしますね」

「どうかしらね。……っていうか、あたしに説明させるより教授に聞きなさい。その方が詳しいに決まってるから」

「わかりました」

 

 今回は電車もバスも使わなかったので大した道のりでもない。

 俺達は何事もなくシェアハウスにたどり着いた。

 

 

 

 

 

「お帰りなさいませ、アリス先輩。朱華先輩」

「ただいま戻りました、瑠璃さん」

「ただいま。瑠璃、教授いる?」

 

 帰宅した俺達をゴスロリメイド姿の瑠璃が出迎えてくれる。よほど気に入ったのだろう。日曜で時間があるのをいいことに室内着にしているらしい。

 そんな彼女は朱華の問いに首を傾げて、

 

「教授ですか? はい、リビングでお茶を飲んでいますが」

「そ。ありがと」

 

 頷いた朱華はさっさと靴を脱いで奥へ向かっていく。

 若干冷たいような気もするが、朱華はいつもあんな感じな気もする。自分相手の時は既に慣れてしまっているので、いまいち感覚がわからない。

 まあ、朱華が説明を代わってくれるならありがたい……などと思っていると、くいくいと服の袖が引かれる。

 気づけば瑠璃が探るような視線でこっちを見ていた。

 

「先輩? もしかして、朱華先輩とデートだったんですか……?」

「で、デート!?」

 

 どうしてそうなったのか。

 いや、まあ、同性異性問わず「二人で遊びに出かけること」をデートと呼ぶなら確かにデートだ。校内でそういう使われ方をしているのを聞いたこともある。

 考えてみればお互い裸を見せあっていたわけで、親密度で言っても条件は満たしているような……?

 

「あの、瑠璃さん。デートっていわゆる恋人的なあれですよね? だったら全然違います。私と朱華さんは女の子同士ですし……」

「今時女の子同士なんて珍しくありません。アリス先輩は女の子が嫌いなんですか?」

「いえ、男性との恋愛は勘弁して欲しいですけど……そうじゃなくて! 今日の目的は修行なので、デートとかじゃないんですよ」

 

 サウナと水風呂で心身を鍛え直したかったのだ、朱華がついて来たのは単に興味本位だ、と説明すると、瑠璃はようやく納得してくれた。

 

「……一晩一緒だった後に二人で外出なんて、さすがに疑います」

「え?」

「なんでもありません。ですが、修行なら私も誘ってくだされば……」

「すみません。でも、修行は無理に進めるものじゃありません。瑠璃さんにはトレーニングもありますから、やりすぎも良くないんじゃないかと」

 

 瑠璃も和風キャラなので水垢離とか似合いそうではあるのだが、恥ずかしいから誘いたくなかった以上に、あまり根を詰めさせたくないのも事実。

 というか、変身して一週間も経ってない状態で外のお風呂に入りに行くとか、俺だったら絶対無理だったわけで。瑠璃を連れて行くという発想はなかなか出てきづらい。

 

「スーパー銭湯のチケットも買ってきたので、落ち着いたら一緒に行きましょうか」

「本当ですか? 約束ですよ?」

 

 ぱっと表情を輝かせた黒髪少女に「はい」と微笑んで答えて、

 

「おーい、アリス! 油を売ってないで新しい武器とやらを見せろ!」

 

 リビングから教授に怒られた。

 

 

 

 

 

 サウナでうっかり出してしまった時と同様、アリシアの錫杖はリビングでもしっかり呼び出せた。

 

 全長は一メートル以上。

 柄は黒檀のような黒く硬い木で作られているので極めて頑丈。尻の部分は突起状に加工された上で金のコーディングが施されている。

 先端も同じく金の装飾付き。中央にはリンゴにもハートマークにも見える女神の紋章がある。リンゴとハートはそれぞれ大地・豊穣と愛・生命の象徴。紋章の四方にはそれぞれ金環が一つずつ取り付けられており、上から見ると四葉のクローバーっぽく見えなくもない。

 なお、尻部分同様、先端にも刺さったら痛そうな突起があしらわれている。

 

「……こんな感じなんですけど」

 

 右手で握るようにして杖を召喚した俺は、流れで「たん!」と床に突き立てそうになるのをぐっと堪えてみんなを窺った。

 すると、メンバーは全員、言葉を失ったようにじっとこっちを見ていた。

 少し意外である。

 

「あれ? 瑠璃さんは初めてだとしても、皆さんは武器召喚くらい普通なんですよね?」

「普通というわけではないが……。まあ、もともと専用武器のない朱華以外は皆、なんらかの形で固有武装(ユニークウェポン)の具現化に成功しているな」

 

 固有武装。

 教授得意のラノベっぽいネーミングだが、これに関してはそのまんまの意味だろう。特に解説されなくても理解できる。

 ともあれ、俺は小さく首を傾げて、

 

「みんな、そんなもの使ってましたっけ?」

「吾輩のはわかりやすいだろう。魔法の力を秘めた本とローブだ」

「ああ、言われてみれば」

 

 あんな馬鹿でかい本を普通に買ったとは考えにくい。

 ましてあの本には魔法までかかっているわけで。

 初めて見たのが事情をあまり知らない頃だったせいもあって「そういうもの」だとスルーしてしまっていたようだ。

 

「わたしの場合は少々特殊で、アリスさまや教授さまのような『専用のすごい装備』ではなく、具体的にイメージした火器や刃物を実体化、常備することが可能です。実体化の度に大きく消耗するので戦闘中には使いづらいのですが……」

「お陰でノワールさんの部屋にはちょっとした武器庫があるのよね」

「私もノワールさんに近いんだけど、自作のポーションが私の固有武装。私が作ると少ない材料で良いポーションができるんだよー。あとあの割れやすい容器も作ったやつ」

「へえ、いろいろあるんですね」

 

 ノワールとシルビアの出費については常々疑問だったのだが、バイト代程度で賄えているのにはこういう秘密があったらしい。

 こうなると朱華だけ何もないのが可哀想だが、彼女の場合は超能力自体が固有武装なのかもしれない。

 条件が色々重なったとはいえ、ボスオークをKOしたのも朱華だったわけだし。共鳴のレベルに応じて更に強化されるとすれば、まだ威力自体も上がることになる。

 

「で、アリス? その杖って何が凄いの?」

「えーと……ゲームだと主に魔法攻撃力(MATK)が上がります。各種魔法の威力に影響しますね」

 

 ゲーム的には進行度に従って新しい杖を購入(あるいはドロップ等で入手)していくのだが、ステータス画面での立ち絵は変わらない。

 杖の形状がアイテムごとのアイコンに従っているとすれば、この錫杖は隠しダンジョンでドロップする最終装備『聖女の杖』だ。

 このレベルの杖になると物理攻撃力(ATK)の加算値も馬鹿にならないので、そこらの雑魚モンスターなら「えいっ」と撲殺することも可能。

 

「つまり、アリス先輩の魔法が強くなるんですよね?」

「ふむ。アリスよ、なんで今まで素手で戦っていたんだ?」

「だって、魔法の杖とか神聖な杖なんて普通買えないじゃないですか」

 

 適当な杖でいいならあの木刀だって、そこそこ樹齢のある木を削って作られているはず。最低限の霊的パワーは持っていたはずである。

 オーダーメイドするにしても高いし、アクセサリーとは別の工房に発注しなければならない。

 

「とにかく何か使ってみようよアリスちゃん」

「どの程度強化されたのか確かめておきませんと」

「そ、そうですね」

 

 何か手頃な実験材料はないかということで、シルビアが協力してくれた。

 

「ちょうど失敗したポーションの処分に困ってたんだよー」

 

 場所はシェアハウスの風呂場に移動。

 

 空の状態で栓だけしたお風呂にどぼどぼと流し込まれていくポーション。色んな色が混ざってひどいことになっていく。瑠璃なんか「うわぁ……」とドン引きした表情だが、当のシルビアはお構いなしである。

 で、あっという間に二割くらい溜まったところで俺の出番。

 まずは錫杖なしで《浄水(ピュリフィケーション)》。約半分の量が綺麗な水に変わったかと思うと、残りの混合ポーションに飲まれてどす黒く変色する。汚れたお湯程度なら湯舟一杯分くらい余裕なんだが、シルビアのポーションは汚染度が段違いなのだろう。

 さて、今度は湯舟の四割を超えたあたりまでポーションを足した上で錫杖を召喚して、

 

「《浄水》」

「あっ、綺麗になりました……!」

 

 瑠璃が歓声を上げた通り。

 溜まっていたポーションはあっという間に浄化されていき、湯舟には透明な水だけが残された。怖いので飲まないが、ほぼ綺麗になったと思っていいはずだ。

 一回目で綺麗になった水が多少中和していたとはいえ、

 

「これは元の二倍近く、いや二倍強はあるか……?」

「これなら雑魚オーク一確できそうじゃない?」

 

 ここで言う一確は「一撃で確殺」的な意味である。ゲーム、特に「攻撃回数あたりの撃墜数」が重要になるようなゲームでよく使われる。絶対に一撃で倒せるかどうか(二発目が必要になるかどうか)は現実でも重要だ。倒したかどうかの確認を省略、あるいは簡略化できれば戦闘のテンポが上がる。

 治癒魔法でなんとかできる範囲も広がったはずなので、俺の能力は大幅アップである。

 

「これなら、もっと皆さんの役に立てそうですね」

「すごーい。もうアリスちゃんだけでいいんじゃないかな?」

「シルビアさま。冗談でもそれはよくありませんよ。アリスさまにはあくまで後衛に徹していただかなくては」

 

 俺としては、自分一人で片付く戦闘ならそれでも全然構わない。その分だけみんなが楽になるということだからだ。

 残った失敗ポーションをついでに浄化しつつ、口元が緩むのを自覚する。

 やっぱり、俺は人の役に立つのが好きなのだ。

 

「怪我をしたとか、そういう時はいつでも言ってくださいね」

「ありがとうございます、アリスさま。わたしも、ますます精進しなければなりませんね」

 

 だったら俺も、ノワールにあまり負担をかけないように頑張らなければ。

 

「あの、教授。私も頑張って訓練しますから、次のバイトには必ず連れて行ってください!」

 

 と、瑠璃が勢い込んで教授に言う。

 戦いの話になったのでじっとしていられなくなったのだろうか。

 これには教授も頷いて、

 

「うむ、いい意気込みだ。もちろん連れて行くつもりだが、あまり焦るなよ? 年末年始は色々と立て込みやすい。別に年が明けてしばらくのんびりしてからでも全然構わんのだ」

「そうですよ、瑠璃さん。まずは戦いの動作に慣れるところから頑張りましょう?」

「あんたもね」

「あいたっ」

 

 軽く頭を叩かれてしまった。

 むう、今までは周りが先輩ばかりだったから、俺は「頑張りすぎるな」と言われる側だった。今なら言う側に回れるのではないかと思ったのに。

 頬を膨らませかけたところで、シルビアがしなやかな両腕で俺の首をホールドして、

 

「アリスちゃん。バイトの前に私との合唱だからねー?」

「あ、忘れるところでした……! 練習しないと!」

 

 英語版の歌詞が載ってるサイトはお気に入り登録してあるのでぼちぼち歌っていきたいところである。

 錫杖を呼び出せるようになったことで朝晩のお祈りも捗りそうだし、心機一転、頑張ろうと思った。



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聖女、カラオケに行く

「やっほー、アリスちゃん! 会いたかったー!」

 

 十二月中旬のとある水曜日。

 中庭メンバーの一人である安芸(あき)縫子(ほうこ)の姉、千歌(ちか)さんは、放課後、待ち合わせへとやってきた俺を歓声と共に歓迎してくれた。

 出会い頭に抱きつかれたのは初めてではない(シルビアなんて初対面でやってきた)が、さすがに珍しい。女性の良い匂いがするのを感じつつも慌てて身を離した。

 

「ご無沙汰してます、千歌さん」

 

 ぺこりと頭を下げれば、彼女はにこりと笑って「うん」と言った。

 

「会えて良かったよー。今日を逃したら今年中には無理そうだったし」

 

 まだ十二月は五割弱近く残ってるんだが。

 芸術大好き家系の子らしく、千歌さんは声優の仕事をしている。本業の大学生もあるのでそれはもう忙しいのだろう。一般人が休みの時期は芸能人にとってかき入れ時、イベントなんかも多くなるだろうし。

 伊達眼鏡とニット帽で誰だかわかりにくく変装した彼女を見て「凄い人なんだよな……」としみじみ思う。

 ちなみに俺は制服の上から、鈴香達と選んで買った白いコートを身に着けている。結構奮発した買い物だったが、ふわふわしていたあったかい上、クラスメートからも「可愛い」と評判が良い。

 千歌さんも「そのコート似合ってるね」と褒めてくれる。

 

「で、朱華ちゃんと縫子は……」

「予定通りといいますか、不参加です」

「やっぱりそう来ましたか」

 

 千歌さんはかねてから俺に会いたがっていた。

 縫子や朱華経由で連絡が来て、こうして会う算段がついたのだが──俺と一緒に誘われた縫子達が揃って不参加を表明したのだった。

 一応、俺からも誘ってはみたのだが、

 

『姉による姉のための会とか、絶対に行きたくありません』

『あたしが行くと二人で盛り上がって終わっちゃうでしょ』

 

 と、二人の意思は固かった。

 朱華の方は例のジンクスを気にしていた節もある。さすがに千歌さんは大丈夫だと思うが、思っても無いことをさせるのは無理な反面、もとからある願望を増幅することはあるのが朱華のアレだ。千歌さんに「可愛い女の子を押し倒したい」みたいな性癖があった場合は危険かもしれない。

 女子同士だと朱華の存在が歯止めにはならないし。シルビアという前例もあるし。……うん、俺一人で来て正解だったかもしれない。

 

「あの、それでどこへ行きますか?」

「うん。いいところがあるからそこへ行こっか」

 

 言われて連れて行かれたのは、とあるチェーン店のカラオケボックスだった。

 

「アリスちゃん、時間どのくらい大丈夫?」

「遅くなりそうなら迎えに来てくれるそうなので、深夜にならなければ大丈夫です」

「わ、結構いけるねー。じゃあとりあえず三時間くらい取っておこっか」

 

 お金は全部千歌さんが持ってくれるらしい。カラオケくらいで揺らぐ経済状況ではないが、年上相手に「私の方が稼いでますから!」とか張り合うのもアレなのでお言葉に甘えさせてもらう。しかし、フリータイムじゃないのにとりあえずで三時間取るとかさすがである。

 部屋のチョイスは千歌さん任せで「奥の方の部屋」ということになった。機種とかで選ばないあたり、歌うのがメインじゃないようだ。

 

「こういうところの方が、喫茶店とか行くより気にせず話せるでしょ?」

「あ、確かにそうですね」

 

 もともと大きな声を出すところなので、他の部屋に音が伝わりづらい構造になっている。千歌さんも職業柄目立ちたくないだろうし納得である。

 

「さ、何でも好きな物頼んでねー。お姉さんはお酒飲んじゃおうかなー?」

「ありがとうございます。でも、私は勧められても飲みませんからね?」

「あはは、アリスちゃん。そこはお酒飲むのを止めるところだよー?」

「あ」

 

 教授に毒されているのか、そういう発想は出てこなかった。でもまあ、二十歳は超えてるんだろうし、運転しないんなら別にいいんじゃないかと思う。未成年に勧めるならともかく、自分が遠慮する必要はない。

 

「へー。アリスちゃん真面目かと思ったら、意外と融通きく方?」

「周りに適当な人が多いので、だいぶ慣れました」

「あはは。朱華ちゃんとは私も話が合うんだよねー」

 

 朱華とはちょくちょく連絡を取り合っているらしい。たまに電話したりもしているので、実際、無理に会う必要もなかったのだとか。

 

「可愛がってた後輩が一人連絡取れなくなっちゃったし、朱華ちゃんやアリスちゃんがいてくれて助かったよ」

「その人、何かあったんですか?」

「大したことじゃない……かどうかはわからないんだけどね。珍しい病気で大きな病院に入院しちゃってさ。連絡も取れなくなっちゃったの」

「それは……悲しいですね」

 

 どこの病院のなんていう人なのか、それとなく聞き出そうかと考えて止める。

 さすがに俺が訪ねて行って病気を治すのは怪しすぎる。変装すれば? いや、それでも奇病が急に治ったら何かの原因を疑う。俺が治したとバレた時に対処できない以上、あまり深入りするのは止めておくべきだ。

 

「ほんとにね。ま、いくら弄ってもへこたれないような奴だったし、そのうちひょっこり戻ってくると思うんだけど」

「そうですね。私もそう願います」

 

 可愛がってたってそっちの意味かよ、と思いつつ、俺はフードメニューを持ち上げて話題を逸らした。

 最近のカラオケは食べ物もなかなか侮れない。お酒のつまみになりそうなもの≒若者がおやつにしても良さげなものや、単純に主食として美味しそうなもの、更には甘味まで揃っている。

 結局、少しだけ飲むことにしたらしい千歌さんが景気よくぽんぽん頼んでいくので、釣られて俺も注文した。飲み物はドリンクバーからアイスティーをもらってくる。三時間となると食事時に食い込みそうな勢いなので、今日はここでお腹を満たすつもりの方が良さそうだ。

 そうして、テーブルにはフライドポテト&唐揚げの盛り合わせ、ミックスピザ、たこ焼きにシーザーサラダ、焼きおにぎりにチョコレートパフェという、なかなかに豪華な品々が並んだ。

 

「うん、いい感じ。やっぱりこういう時はぱーっと行かないとねー」

「声優さんって、普段は食事に気を遣うんですか?」

「まあねー。人によるけど、イベントとかで顔出すようになるとある程度は気を遣うかな。幸い私はそこそこ可愛いけど、肌荒れした状態で見られたくないし」

「人気の声優さんってアイドルみたいなところありますもんね」

「そうそう。実質的に恋愛禁止だったりとかねー。私はスタンダードな声優に売り方寄せてるからそんなでもないけど──」

 

 ポテトを三本くらいつまみ、レモンサワーを一口流し込んだ千歌さんはぴっと指を立てた。

 

「問題はそこなの、アリスちゃん」

「え、ええと……?」

「割とストイックにやらさせてもらえてるのはありがたいし、そのお陰で自由も利いてるんだけどさ。逆にそのせいで中途半端になっちゃってるとこがあるんだよねー」

「いっそアイドルに寄せた方が人気が出るんじゃないか、とか?」

「そうそう」

 

 男子というのは結局、可愛い女の子に弱い。

 声が可愛い、演技が上手いというだけで評価してくれるのは声優、あるいはアニメといったジャンル自体が好きだったりする、ややディープな層が中心だ。

 しかし、顔の可愛さなんかを打ち出していけば、容姿に釣られるファンも多くなる。一部は女子に恋するような感覚で「推し」に認定してくれるかもしれない。

 

「まあ、事務所の方針も関わってくるし、何かきっかけがないと難しいんだけどね」

「きっかけって?」

「アイドルアニメで良い感じの役をもらうとか」

「わかりやすいですね」

「後は、話題になるようなコンビを組むとかね」

「……?」

 

 言いながら意味ありげに見つめてくる千歌さん。

 話題になるようなコンビ? そこでどう俺が関係してくるのか……って。

 

「まさか私ですか……!?」

「私と同じ声の美少女とか、絶対話題になると思わない?」

 

 思います。思いますが、認めたくないです。

 俺はチョコレートをつつき、甘い味わいに笑みをこぼしそうになるのを堪えつつ、

 

「私、歌も演技もほとんど経験ないんですよ?」

「でも、今度クリスマス会でお友達と歌うんでしょ?」

 

 喋ったのは朱華か。

 

「ちょっとしたパーティで歌うのとはわけが違うじゃないですか」

「うん、それはわかってる」

 

 あれ? 意外に押しが強くない?

 首を傾げる俺。千歌さんは真面目な顔でうんうんと頷いて、

 

「さすがにいきなり声優デビューしろとか、ライブで歌えとか言わないってば。そもそもそういうのは事務所に所属しないといけないから、私が勝手に決められないし」

「あ、そっか。そうですよね?」

「うん。だから、私がお願いしたいのは、私が個人的にやってる配信で話し相手をしてくれないかなーってこと」

 

 声優以外の芸能人なんかでもそうだが、この時代、大手動画サイトに自分用のチャンネルを開設して、半プライベートで自主的な動画配信をする人は多くいる。

 事務所を通していない場合がほとんどだからリスクもあるし、直接的な収入にはならなかったりもするらしいが、それでも知名度を上げられるという意味でそこそこ重要な活動である。

 

「そういえば配信の話、前にしてましたね」

「でしょ? 動画配信って言っても、テレビみたいにかしこまった奴じゃないしね。だらだら雑談したり、ゲームで遊んでるところを映したりとか、そんな感じ」

「雑談って、面白いこと言おうとしなくてもいいんですか?」

「いいのいいの。だって仕事でやってるわけじゃないし。下手に狙ったコメントより、友達同士の冗談の方が面白かったりするし」

「……なるほど」

 

 それくらいならまあ、確かにあんまり恥ずかしくない気がする……?

 いや、待った。

 こうやって言いくるめられて、気づいたら結構凄い事してるのがいつものパターンだ。ここは少し慎重になった方がいい。俺だってさすがに学習するのだ。

 

「で、でも私、事情があって顔出しは避けたいんです」

「じゃあお面とか被る? もしくは画面にはぬいぐるみだけ映しておいて、私達はカメラの外で喋るとか」

「そんなのでいいんですか?」

「いいんだってば。むしろ会話を聞くのに集中できるからその方がいいって人もいるくらい」

 

 意外なほどユルいらしい。

 顔出しも必要ないならまあ、特定される心配もないだろう。どうしても駄目、と言い張るのはむしろ千歌さんに悪い気がする。

 

「わかりました。そういうことなら、少しくらいは」

「本当!? じゃあ、ちょっと練習に歌ってみよっか」

 

 すかさず荷物の中から現れる録音用マイク等々の機材。って、いきなりなのか。

 

「心の準備も何もないんですが……!?」

「大丈夫。生配信じゃなくて後で編集するし、アップする前にアリスちゃんに見てもらうし、NGならお蔵入りにするから」

「ほ、本当ですね?」

「もちろん。嘘ついたりしないよー」

 

 なら、別に構わない。

 現役の声優さんに歌を聞いてもらえるなら練習になるかもしれない。クリスマスパーティで歌うのはただの余興だが、どうせなら上手く歌える方がいいのだ。

 というわけで、フードメニューでお腹を満たしながら突発のカラオケ会が開催された。

 

「なんでも好きなの歌っていいよー」

 

 と、千歌さんが言うので本当に好きなように歌った。男子高校生だった時もそこまで歌に興味がなかったので、歌える歌というのは多くないのだ。

 もちろん千歌さんも曲を入れる。アニソンが中心だが、J-POPの曲なんかも歌っていた。本業ではないとはいえ、さすがに上手い。

 あのSRPGで主題歌を担当したのは残念ながらプロの歌手で、千歌さんじゃなかったんだよな……。

 でも、せっかくだから、

 

「千歌さん。これ、二人で歌いませんか?」

「あ、いいね! じゃあ、ちょっとキャラっぽく歌おうかなー」

 

 というわけで、二人で主題歌を熱唱してカラオケ大会はシメとなった。

 その後はお腹に溜まるものを追加しつつ、注文の品を食べつくして解散。千歌さんも「楽しかった」と言ってくれたが、正直俺も楽しかった。

 録音した音声は後日編集されて送られてきた。

 個人情報保護のため、お互いの名前なんかはきちんと伏せられ、そのうえ冗長な部分もカットされて楽しげな仕上がり。それでも自分の声を自分で聞くのは恥ずかしいものがあったのだが、朱華やシルビアに聞かせたところ、

 

「いいじゃない。せっかくだからアップしてもらえば?」

「きっと人気出ると思うよー」

 

 と、特に問題がありそうな反応でもなかったので、アップしてもらうことになった。

 すると後日、最後に歌ったゲームの主題歌が「主人公と成長した主人公のデュエットっぽい」と一部で話題になり、俺のことを「千秋(ちあき)和歌(のどか)(千歌さんの芸名)のドッペルゲンガー」などと呼ぶ人間が登場した。



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聖女、クリスマスパーティに参加する

 千歌さんとカラオケをした三日後の土曜日がクリスマスパーティの開催日になった。

 学期末ということもあって授業もおおむね時間調整モード。自習にするから受験勉強していいよ、という先生までいたりするくらいなので、俺の頭の中も朝からパーティのことでいっぱいだった。

 新たに手に入れた錫杖を手にお祈りを済ませ、一人増えてより賑やかになった食卓を囲んでいると、新メンバーである瑠璃が何やら朱華を真剣に見つめていた。

 

「朱華先輩。動画を、どうかよろしくお願いします」

「わかってるってば。何度も聞いたわよ」

 

 対する朱華は面倒臭そうな返答。

 動画。三日前の経験があるせいか、その単語に嫌な予感がしないでもないのだが。

 

「瑠璃さん。なんの動画ですか?」

「もちろん、アリス先輩の歌です」

 

 若干誇らしげな感じで答えが返ってきた。

 やっぱりか。いや、なんというか。俺だけじゃなくてシルビアも一緒だとか、色々ツッコミどころはあるんだが。とりあえず、そんなに真剣に頼み込まなくてもいいと思う。

 

「シルビアさんはともかく、私の歌なんて大したものじゃありませんよ」

「でも、私は見られないんですよ? こんなことなら無理にでも転入しておけば……」

 

 変身してすぐ女子校に入学はさすがに無茶ではなかろうか。

 

「すみません、アリスさま。ですがわたしも正直、お二人の晴れ姿を見たいです」

「う。……ノワールさんが言うなら仕方ないですね」

「む。……アリス先輩はノワールさんに弱すぎると思います」

 

 動画撮影にOKが出たというのに、何故か若干不満そうな瑠璃だった。

 

 

 

 

 

「じゃあアリスちゃん、また後で。場所はわかるよね?」

「はい。高等部の体育館に行けばいいんですよね?」

「そうそう。遅れないようにねー」

 

 今日は土曜日なので授業自体はない。

 クリスマスパーティも十時半からと、普段よりはゆっくりな時間設定だ。俺たちは一度自分の教室に行くため早めに来たので、開始時間までにはまだ余裕がある。

 各校舎への分かれ道でシルビアと別れて教室へ向かうと、教室の入り口をくぐったところで縫子(ほうこ)が歩み寄ってきた。

 

「おはようございます、アリスさん」

「おはようございます、安芸(あき)さん。なんだか気合が入ってますね?」

「当然です。これを早めに渡しておきたかったので」

 

 言って、縫子は抱いていたものを差しだしてくる。

 紙袋に入った柔らかいもの。俺はそれを受け取ると、中身をちらりと見て微笑んだ。

 

「ありがとうございます。わざわざすみません」

「いいえ。むしろ、こんな機会を逃すわけにはいきません」

 

 俺とシルビアが着るサンタ衣装を作ってくれたのだ。結構な手間になるはずだが、見ての通り本人はやる気満々だった。

 

「アリスさんは私が先に見つけたのに、姉に取られるわけにはいきませんからね」

 

 千歌さんから送られてきた音声データを確認し、それがアップされたのが昨日である。衣装製作の話が出たのは当然、カラオケをする前なのだが、姉妹の間では色々と水面下のやり取りがあったのだろう。ついでに千歌さん経由であの音声を聞いていてもおかしくない。

 実際、縫子の目は燃えていて、

 

「アリスさん。動画出演する際の衣装は何がいいですか? 今から作っておきます」

「いえ、出ませんから。あれは音声だけだと言うのでOKしたんですし」

「でも、反響次第では続編があるかもしれませんよね?」

「それは……そうかもしれませんけど」

 

 ちゃんとしたスタジオを使ったわけでもなく、単にカラオケで歌ったのを録音しただけの音声がそんなにヒットするとは思えない。せいぜい千歌さんのファンが見て終わりだろう。その場合、俺の存在がノイズと見做される可能性さえある。

 煮え切らない俺の返事に、縫子は「わかりました」と頷いて、

 

「作るだけ作っておきます。ゲームキャラクターのコスプレがいいでしょうか。姉さんとデュエットしていた作品とか」

「あ」

 

 なんというか、それはもうプロに依頼済みである。

 

「……えっと、もし作ってもらえるなら、別の作品がいいと思います」

「? よくわかりませんが、わかりました」

 

 なんというか、意外と安芸姉妹は似たもの同士なのかもしれない。

 しかし、縫子の上達に少しでも貢献できているのなら、それはそれで悪くない。

 

「というか、人が多くないですか?」

 

 ざっと見渡すと、教室にはクラスの三分の一くらいの人数がいた。

 登校日ではないのでパーティは自由参加だ。ぶっちゃけ面倒なら来なくても構わないのだが……。

 

「アリスさんが歌う、という話が広まっているんですよ」

芽愛(めい)さん」

「私達も広めるのに協力した、とも言いますが」

「……鈴香(すずか)さんまで」

 

 なんと友人達の仕業だったらしい。

 まあ、俺の歌を聞くために来たというよりは、クラスメートが参加するなら自分も、くらいのノリだろう。中等部だし女子校だから彼氏がいる生徒も少ないだろうし。本物のクリスマス前に友達同士でクリスマス気分を味わっておくのは悪くない。

 そこまで考えた上で苦笑を浮かべると、一緒に来た朱華が肩を竦めて、

 

「こんなにみんないるならあたし来なくても良かったわね」

 

 確かに。鈴香あたりに撮影をお願いしておけば間違いなく綺麗な映像が手に入るだろう。

 

「朱華さん。せっかく来たんですから帰らないでくださいね?」

「はいはい。わかってるから安心しなさい」

 

 いや、言わなかったら二割くらいの確率で帰ってた気がする。

 

 

 

 

 高等部の体育館に移動すると、そこは赤と緑でクリスマスっぽく飾り付けられていた。

 人も多い。中等部+高等部の生徒会メンバーが最後の仕上げに追われているのはもちろん、早めに受付を済ませようと集まっている生徒達もかなりいる。

 俺たちも今のうちに受付を済ませてしまう。朱華たちは一般の受付。俺は出し物をやるのでそちらの出欠確認も同時に済ませた。

 

「交換用のプレゼントもこちらでお預かりします」

「はい」

 

 ちょっとしたラッピングを施した包みを係の人に手渡す。

 参加費の代わりとして予算五百円以内のプレゼントを提出し、ランダムで他の人のプレゼントを後で受け取れるというシステムだ。

 俺は手作りのサシェを呪文で聖別したものにした。前に作ったお守りと似たようなものだ。ご利益は気持ち程度だが、それっぽくはあるだろう。

 

「っていうかアリス。着替えちゃわなくて良かったの?」

「はい。更衣室は用意してくれてるみたいなので、直前に着替えようかと」

「ああ。その方がサプライズっぽいか。袋持ってる時点でわかりそうな気もするけど」

 

 パーティの開始時間までは友人たちと歓談して過ごす。

 時を追うごとに館内には人が増えて賑やかなムードが形成されている。

 

「……いや、シルビアさんが来てないんだけど」

「一応電話してみますか?」

「その方が良さそうね」

 

 電話帳からシルビアの番号をコールすると、五コールくらいで「……もしもしー?」と眠そうな声で応答があった。

 

「シルビアさん、そろそろパーティ始まっちゃいますよ」

「あー。あはは、ごめん、寝てた」

 

 だと思いました。

 念のため朱華に迎えに行ってもらい、シルビアは無事、開始時間ギリギリに会場へと到着した。

 

『皆さん、本日は生徒会のクリスマスパーティに参加してくださってありがとうございます』

 

 いったん体育館の扉が閉じられ、館内がうっすらとしたムードある明かりに照らされると、檀上に高等部と中等部の生徒会長が立った。文化祭でメイド喫茶に来てくれたので俺も会ったことがある。

 

『ささやかな催しではありますが、是非楽しんでいってください』

 

 簡単な挨拶が終わるとパーティの開始となる。

 パーティといってもごくごく普通の、中学生や高校生の身の丈に合ったものだ。勉強机を幾つかくっつけて布をかけただけのテーブルにジュースのペットボトルやちょっとしたお菓子が並べられ、参加者はそれが食べ放題。持ちよりも歓迎されている。

 参加者はテーブルを囲んで歓談をしたり、順次行われるちょっとした余興を鑑賞したりして楽しむ。仮装はしてもいいししなくてもいい。

 

「またお菓子を作ってきたので、良ければどうぞ」

「芽愛さんには勝てませんが、私も作ってみました」

 

 俺と芽愛がそれぞれ、自分のテーブルにクッキーやチョコなどのちょっとしたお菓子を振る舞う。朱華も別のテーブルで同じようなことをしていた。

 俺のはノワールと一緒に作ったもの。個人的にはなかなかの自信作である。

 あと、瑠璃が手作りした餅もある。俺たちがリビングでお菓子を作っているのを見て「ずるい」と急遽用意してくれたのだ。餅は小型の餅つき機、あんこは市販のものを使っているが、さすが和菓子屋の娘──もとい息子と言うべきか、とても美味しい。

 芽愛とは別のテーブルに行くべきだったかもしれないが、仲の良い同士で集まったらこうなるのはまあ、仕方ないだろうか。

 と。

 

「私も母から持たされました」

「使用人が焼いてくれたので、こちらもどうぞ」

 

 縫子からお菓子屋さんのカステラ、鈴香からはメイドさん手作りのチーズケーキが出てきたので、俺は慌てて主張した。

 

「他のテーブルにも分けましょう。絶対食べきれません」

 

 結構、何かしら持ってきてる生徒は他にもいるらしく、お返しやおすそ分けをもらったりして、テーブルの上は結局かなり豪華になった。

 催しの方はクリスマスにちなんだクイズ大会とか、会場に紛れた生徒会役員扮するサンタクロースを探すイベントとか、冬っぽいワードで作ったクロスワードパズルの早解き大会とか、意外にレパートリーが豊富だった。生徒会のサンタ衣装は手芸部が協力しているらしく「部員募集中」と宣伝なんかもあったりして、

 

「アリスちゃん、そろそろ準備しよっか」

 

 あちこちのテーブルでお菓子をもらっていたシルビアがこちらに寄ってきて袖を引いた。

 

「あ、そうですね」

 

 こくりと頷き、俺は衣装を持って体育館裏の方へ移動する。更衣室として確保されたスペースで衣装を広げると、さすがは縫子、量販店の安物なんかよりはよっぽど出来がいい。スカートがミニ丈じゃなくて膝下まであるのも個人的に高ポイントだ。

 

「わ、可愛いー。アリスちゃん、いい友達だね」

「はい。安芸さんはすごいんですよ」

 

 俺とシルビアの衣装はサイズ以外は同じデザイン。

 ……同じデザインのはずなのだが、実際に着てみると同じには見えなかった。主に体型のせいである。俺は上着が長めでややぶかっとしており、素直に可愛い感じなのだが、シルビアは胸元が明らかに押し上げられていて、なんというか若干エロい。

 ここが女子校で良かったと思いつつ、俺はスタッフの「お願いします」という声にシルビアと頷きあった。

 

「じゃ、行こっかアリスちゃん」

「はい」

 

 ここに来るまでにシルビアとは何度か練習をした。

 個人練習も含めてそこそこ頑張ったので、後は歌うだけだ。カラオケの歌声が世界中にアップされたのに比べれば知り合いの多い場所で健全な歌を歌うくらいなんでもない。

 スポットライトの当たった壇上に進み出ると、館内に拍手が起こった。

 曲は「きよしこの夜」。

 シルビアの発案通り英語バージョンである。高等部の人による伴奏に合わせ、二人で声を合わせて歌う。千歌さんと同じ俺の声も綺麗だが、シルビアの声も透き通るように美しい。マイクにより増幅された声ではなく、隣から聞こえる肉声に耳を傾けながら歌うことに集中していると、あっという間に歌いきってしまった。

 

 ぱちぱちぱちぱち……。

 

 再びの拍手。どうやら喜んでもらえたらしい。俺はほっと息を吐き、

 

『あれ、もしかしてこれってアンコール?』

 

 シルビアが何か言い出した。

 いや違うだろ、と思いきや、ノリよく拍手を繰り返すみんな。まあ、俺も向こう側にいたら拍手するだろうけど。

 舞台袖にいる生徒会の人を見ると「やっちゃえ」とばかりにゴーサインをされる。

 

『じゃあ、もう一曲歌っちゃおうか、アリスちゃん』

『……もう、仕方ないですね』

 

 打ち合わせというほどでもないが、シルビアが「もしアンコールがあったらこれ歌おうね」と言っていた曲はあった。

 一応、そっちも練習というか予習はしていた。

 「赤鼻のトナカイ」。

 千歌さんがいなくて良かったと思う。彼女が見ていたら「これもネットに上げよう」とか言い出しかねない。思わずくすりと笑いをこぼしながら、短い歌を歌いきった。

 拍手の中、荷物だけ回収し、サンタ衣装のままテーブルに戻ると、鈴香たちから「ばっちり撮った」と揃って言われた。




結構長い間「暗いよ道は」だと思って歌っていたのを思い出しました……。


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聖女、再びクリスマスパーティをする

 本当に早いもので、十二月下旬。

 二学期の終業式は何事もなく終了した。冬休みは短いし、やることも多い。クラスメートたちとは「またね」の代わりに「良いお年を」と言いあって別れた。

 まあ、年内にもう一回くらい会うメンバーも割といるかもだが、そこはそれとして。

 シェアハウスで過ごす初めての年末年始がやってきた。

 

「メリークリスマス!」

 

 十二月二十四日、クリスマスイブの夜。

 我らがシェアハウスではささやかなクリスマスパーティが開かれた。メンバーはもちろんノワール、教授、シルビア、朱華、俺に、新メンバーの瑠璃である。

 イエス・キリストの誕生日を俺が祝って大丈夫なのか、という話もなくはないが、おそらく大丈夫だろう。日本人にとってのクリスマスはただのイベントだし、怒られるなら十字架で祈った時点で怒られているはずだ。

 というわけで、

 

「わ、さすがに今日は一段と豪華だねー」

「はい。アリスさまにも手伝っていただいて、腕によりをかけました」

 

 シルビアの歓声に、ノワールがどこか嬉しそうに答える。

 それもそのはず。テーブルに並んでいるのはクリスマス仕様のご馳走だ。

 ローストチキンにフライドポテト、種類豊富なカナッペ、エビやイカがたっぷり入ったシーフードピザ、とうもろこしから作ったコーンポタージュに山盛りの生野菜サラダ、主食にはサンドイッチと「米を寄越せ!」という人間用の塩むすび。デザートにはデコレーションケーキまで用意されている。

 なお、ローストチキンは教授が、デコレーションケーキは朱華とシルビアがお店で予約して注文したものだ。自分で作らない分、せめてこういう時に金を出そうという粋な計らいである。お陰で俺もノワールも助かったし、その分より豪華な食卓になった。

 今日ばかりはビール派の教授もワインに鞍替えしているし、ノワールも控えめながらグラスに赤ワインを注いでいる。

 ちなみに瑠璃はというと、

 

「でも意外だったわね。瑠璃って料理苦手だったんだ」

「いえ、その。別に嫌いではないんですよ? ただ、あまり本格的に学ぶ気はなかったというか、出来あいのものを利用するだけでも十分だと思っていたというか」

「それを苦手って言うんでしょうが」

「面目ありません……」

 

 料理に目を輝かせつつも、若干しゅんとしてしまっていた。

 大和撫子然としたイメージに引っ張られていたが、彼女は料理がそれほど得意ではなかった。できないわけではないが積極的にやりたいわけではない、というタイプらしい。

 ついこの前まで実家暮らしの男子大学生だったのだから当然といえば当然だが、当人曰く「オリジナルの瑠璃も得意な方ではない」とのこと。使用人を雇えるレベルのお嬢様だった上、花嫁修業よりも剣を振っている方が楽しい性分だったらしい。

 

「時代からして、いつかは嫁ぐことになったでしょうし、誰かのために作る楽しみができればまた変わるのかもしれませんが……」

 

 と、瑠璃はこっちに視線を送ってくる。

 

「瑠璃さんならきっと、苦手と言ってもそつなくこなすでしょうし、男性からも引く手あまたでしょうね」

 

 とはいえ、現代日本においては婚活を焦る必要はないだろう。

 積極的に彼氏を求めているなら話は別だが、変身前の瑠璃は普通に異性愛者だったはずだ。心境に変化があるまで待つのもいいし、どうしても男が無理なら独身を貫いても問題はない。

 というか、一つ年下の彼女が恋人づくりを焦るようだと俺が困る。

 

「料理なんてできなくてもいいんだよー。人間いざとなったら宅配ピザとコンビニ弁当で生きていけるし」

「うむ。個人的にはスーパーの総菜コーナーがおススメだがな。適当なつまみを買って自宅でゆっくり晩酌するのは至福といえる」

「参考にする相手としては絶対間違ってるわね。……まあ、あたしもいざとなったらカップ麺で済ませる自信あるけど」

 

 瑠璃をフォローするように料理しない面々が言う。

 フォローされた瑠璃は逆に遠い目をして、

 

「……少しは頑張った方がいいでしょうか」

「無理に覚える必要はないと思いますが、わたしとしてはお料理も慣れると楽しいと思いますよ」

「そうですね……。パティシエとかなら興味があるのですが」

 

 やっぱりお菓子作りに適性があるらしい。にもかかわらず変身してしまうとはお父さんが不憫というか、むしろ、和菓子屋の子供なのに洋菓子に興味を持っていることがなかなか難しいところというか。

 ふぅ、と息を吐いた瑠璃は決然と顔を上げて、

 

「暗い話は止めましょう。せっかくのクリスマスなんですから楽しまないと」

「そうですね。ご馳走がいっぱいですから、頑張らないと食べきれません」

「いざとなったら明日の朝にでも食べれば良いだろうが……。アリスにシルビアよ。例の余興、やってくれるのだろう?」

「あー、うん。まあ、せっかくだしねー」

 

 苦笑気味に頷くシルビア。俺と彼女は縫子(ほうこ)に作ってもらったサンタ衣装に身を包んでいる。着替えて歌うくらいなら大した手間でもないのだからこっちのパーティでも歌えばいい、という話になったからだ。これには瑠璃もノワールも喜んだ。

 きよしこの夜、赤鼻のトナカイと歌い終え、拍手をもらった後は宴会のごとく、みんなが思い思いのクリスマスソングを歌い出した。

 そうやって聞いてみると定番曲だけでも結構な数があるものである。

 

「来年に向けて良さそうな曲を見繕っておいた方がいいかもしれませんね……」

「さすがに気が早いと思うけど、無駄かって言うと微妙なところね。生徒会役員に目をつけられてるみたいだし。確かサイトにも載ったんでしょ?」

「あはは。まあ、どうしてもって頼まれたからねー」

 

 サイトといっても生徒会の活動報告みたいなページだ。

 クリスマスパーティをしました、という報告を写真付きで上げるにあたって、俺たちが歌っている場面を使いたいと言われてOKした。

 最初は俺もシルビアも難色を示したのだが、SNSとかならともかく学校のHPなら在校生とOG、後は受験を考えている小中学生くらいしか見ない。

 女子校のサイトを巡回して「ぐへへ」とか言ってる変態オタクはさすがにそうそういないと思う。たぶん。

 

「私としては生徒会のサイトより千歌さんの方です。意外と反響があったので……」

「私も聴きました。先輩らしいなあ、と」

「うう」

 

 瑠璃にまで言われて今更また恥ずかしくなってくる。

 千歌さんとカラオケで歌った音声がアップされてから一週間弱。俺の予想よりも再生数は伸びている。理由は、そこまでメジャーではないが好きな人は好きなゲームの主題歌を主演声優が歌ったことだ。

 主演といっても主人公キャラクターは性別とクラス、配色を複数から選択可能、名前すらオリジナルで設定でき、当然CVも複数人が担当しているのだが、だからこそ、自キャラの声優さんに歌って欲しいという需要もあったらしい。

 しかも、若干演技の違う同じ声でのデュエット。

 音声を聞いた一人がSNSにタグ付きで拡散すると、千歌さんのファンやゲームのファンが聴き、更に拡散。トレンド入りまではさすがに行かないが界隈ではプチヒットした。

 挙句、音声動画の説明書きには「友人」としか記載のない俺は千歌さんのドッペルゲンガー扱い。

 

「ドッペルゲンガーどころか一人二役まで疑われてたよね」

「そうなんですよね……。もちろん、好意的な声もたくさんあったんですけど」

 

 音声だけならその辺りの細工はしやすい。声質が全く同じ人間がそうそういるか、という話も手伝って、同じ声の友人なんていない説もそこそこ有力だ。

 本当なんだということを手っ取り早く伝えるなら動画を撮るのが一番だろうか。

 近いうちに千歌さんからそういう連絡が来そうな気がする。反響があったら次を考える、という約束もしてしまったので手伝った方がいいだろう。

 

「次に撮るとしたらお面必須ですね」

「ふふっ。……アリス先輩らしいですね」

 

 瑠璃が、なんだか楽しそうにくすくすと笑った。

 

 

 

 

 

 やっぱり休み期間中は色々なことが捗る。

 冬休みの宿題に受験勉強。日々の鍛錬に瑠璃との稽古。

 約束していたスーパー銭湯にもシルビアや教授、ノワールも誘って行った(朱華は家でエロゲをしていた)。

 鈴香(すずか)たちとの勉強会も予定通り行われた。といっても、あのメンバーに「本気で勉強ができない」という人間はいないので、それぞれ得意分野のアドバイスをしあいつつ、後はひたすら問題を解いたり受験対策ノートを作ったり、という感じだった。合間にはお菓子や紅茶を楽しんだりお喋りしたりもしたので満足感もある。

 

「次は初詣だね」

「そうですね。皆さんがどんな服装で来るのか楽しみです」

「確かに、着物にしようか洋服にしようか迷うのよね。……ああ、アリスさんにも着物を貸しましょうか?」

「ありがとうございます。でも、先にノワールさんにも聞いてみます」

 

 こんな会話をしつつ勉強会はお開きとなった。

 なお、ノワールに確認したところ、さすがに着物までは持っていなかった。和装メイド服ならあると言われたが、さすがにそれで初詣に行くのは勇気が要る。サブカルフリークの外国人のフリをしてもなおギリギリだろう。

 もちろん瑠璃や朱華、教授も持っていなかった。

 そりゃそうだ、と思ったら、

 

「私は一応持ってるけど、アリスちゃんには大きいかなー」

「あるんですか!?」

 

 意外な人物(シルビア)が持っていた。

 胸の大きさ的な意味で和服は似合いそうにないのだが、

 

「なにか着る機会でもあったんですか?」

「ううん。もしかしたら着る機会があるかもって作ったけど、結局試着しかしてないんだよー。初詣とか絶対面倒くさいし」

「わかる」

 

 ああ、うん。朱華も「あんな人混みに入るくらいなら家でエロゲしてる」ってタイプだよな。

 

「どうする、アリスちゃん。お姉さんの着物着る?」

 

 時間があればお直ししてもいいくらいだというシルビアの申し出は丁重にお断りして、俺は結局、鈴香たちに相談した。

 着物と私服どっちがいいか。

 どっちを見たいか、という伏せた問いはきちんと伝わったらしく、満場一致で「着物!」という答えが返ってきた。

 三人とも着物は一応持っているということだったが、悩んだ末、縫子から借りることにした。

 服のことなら、というわけではないが、千歌さんの小さい頃のやつが残っていると言われたからだ。本人にも確認したところ「アリスちゃんにはお世話になってるし」と快諾。着払いで送ってもらい、ノワールに着付けをしてもらうことにした。

 

「ノワールさん。私にも着付けを教えてください……!」

「もちろん構いませんよ」

 

 男時代に覚えようとしたら妹に「キモい」と言われたらしい瑠璃も一緒に習うことに。

 確かに、和風キャラの瑠璃は覚えておいた方がいい。俺が聖職者衣装でパワーアップするんだから、瑠璃だって着物なら強くなるかもしれない。あるいは専用衣装を召喚できたりするかもしれない。

 そんなことをやっているうちに今年も残り僅かになった。

 学生や大学職員もお休みするこの時期は教授もさすがに忙しくないようで、茶を啜ったりおやつを食べたり、誰彼構わず将棋や囲碁をもちかけたりしている。

 メイドであるノワールはいつも通りだが、俺たちが家にいることで仕事が増えたと喜んでいる。

 朱華は生き生きとエロゲ、アニメ、マンガ、ゲームに勤しんでいるし、シルビアも趣味の研究に忙しそうだ。

 俺もノワールさんの手伝いをしたり本を読んだり、やることはたくさんある。ちなみに、せっかく寒い時期だし外で瞑想でもしようと思ったらみんなから止められた。

 そんな中。

 リビングで冬休みの宿題を片付けていた時、家のチャイムが鳴った。

 

「すみません、アリスさま。出ていただいてもよろしいですか?」

「わかりました」

 

 ちょうど手が離せなかったノワールの代わりにインターフォンに出ると、

 

『突然申し訳ありません。こちらにシルビア、という方はいらっしゃいますでしょうか』

 

 女の声。

 聞き覚えはない。俺は首を傾げながら尋ねた。

 

「失礼ですが、どちら様でしょうか?」

『私は吉野と申します』

 

 吉野。やはり知らない名前だ。とはいえ、みんなのことで俺が知らないことは多い。聞いたことがないから不審者とは限らないのだが。

 どうしたものか。

 シルビアに確認を取ってもいいのだが、返答に間を置いた時点である意味答えを言ってしまっている。かといって勝手に追い返すのもまずい。

 約一秒。俺が躊躇っているうちにインターフォンから再び声がして、

 

『私は、以前のシルビアさんと知り合いだった者です』

 

 これには、さすがに硬直せざるを得なかった。



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聖女、マスコット役をする

「どうぞ」

「……ありがとうございます」

 

 衝撃の発言から数分後。

 俺は、吉野と名乗った女性と一緒にリビングにいた。紅茶の淹れ方はまだまだ自信がないのだが、ティーカップに軽く口を付けても、吉野さんは特に何も言わなかった。

 微妙な緊張感。

 今、ノワールはシルビアを呼びに行っている。俺が代わりにお茶を淹れたのはそういう理由だ。逆でも良かったのだが、こういう微妙な話の時はノワールの方が良いだろう。

 

「あの、もうすぐ来ると思うので」

「……はい」

 

 こくりと頷く吉野。来ると言っても、ノワールが一人で戻ってくる可能性はもちろんある。

 色んな意味で緊張しながら二人、向かい合っていると、

 

「お待たせしました」

 

 果たして、ノワールは銀髪の少女を連れて戻ってきた。

 シルビアの方はというと、ノースリーブのシャツにカーディガンを一枚羽織っただけ、というラフな格好。若干、来るのが遅かったのは着替えているのかと思いきや、思いっきり部屋着だ。むしろ、より部屋着っぽいのに着替えたんじゃないかと思ってしまうくらい。

 そう思ってしまったのは、シルビアがすごく面倒くさそうな顔をしていたせいもあるだろう。

 

「わざわざ家まで調べるなんて、さすがにやりすぎなんじゃないですか?」

「………」

 

 あのシルビアが敬語を使っている。

 しかし、いきなりの塩対応にも吉野さんは怒らなかった。むしろ、それが当然というように粛々と受け止めていた。

 

「……前とは、まるで別人のようですね」

「ある意味、別人ですからね」

 

 俺たちはある日突然、変身してしまった。肉体的には実際、別の人間なのだから間違ってはいない。

 そして、別人として振る舞っている以上、中身だって同じとはいかない。

 

「あの、それじゃあ私は席を外しますね」

 

 これ以上、話を聞くのは野暮だろう。そう思って席を立つと、シルビアが「いいよ」と微笑んだ。吉野さんに対するよりずいぶんと声色も優しい。

 

「アリスちゃんもここにいて。少しは空気も和むかもだし」

「……わかりました」

 

 和むか? と思いつつもこくりと頷き、一つずれて座り直す。俺の体温で温まった席で申し訳ないが、シルビアは特に文句も言わずにそこへ座った。

 向かい合う両者。

 表情だけではどういう知り合いなのかは想像できない。あまりいい関係ではなかったようだが、

 

「あの。吉野さまはシルビアさまとどういったご関係か、伺ってもよろしいですか?」

 

 ノワールは吉野さんの隣に腰をかけた。

 おずおずとした質問に、吉野さんは迷うような表情を浮かべ、シルビアは逆に淡々と答えた。

 

「婚約者だよ。私の弟の」

 

 弟の婚約者。一瞬、ドロドロした三角関係を思い浮かべてから、そのイメージを慌てて追い出す。

 と、吉野さんは若干表情を硬くして、

 

「正確には彼女──彼と彼の弟、どちらかの婚約者です。でした、と言った方が正確ですが」

「それは、どういうことでしょう……?」

「うちの親はちょっと面倒臭い人でね。家を継ぐ人間がその子と結婚するって話だったんだよ」

 

 彼、という吉野さんの台詞からして、シルビアの変身前は男だったらしい。二人兄弟だとするとシルビアの方が長男ということになる。

 少しだけ瑠璃の話を思い出した。彼女の場合、下が妹なのでそもそも話が違ってくるが。

 ……というか、少しおかしくないだろうか。

 

「そういう場合って、長男が継ぐことが多くないですか?」

「そうだね。でも、うちは弟が継ぎたがってた。それから、私は乗り気じゃなかった」

「でも、お父様はあなたに継がせたがってた」

「そのせいで高校も男子校に入れられたっけね」

 

 ああ、それは思春期の男子には辛いだろう。いやまあ、男子校は男子校で楽しいのかもしれないが、俺が今、萌桜で感じているような楽しさとは違うもののはずだ。

 女の子をやって心底から「楽しい」と感じている俺としては少し同情してしまう。

 それから、今の話でなんとなく、シルビアの家業もわかった。

 

「もしかして、仏教系の学校ですか?」

「さすがアリスちゃん。よくわかったね」

「あはは……その、前に読んだ本に書いてあったので」

「そういえばそうだっけ。なら、その人と気が合うかもね。同じ本読んで十字架のアクセサリー買ってたから」

「む、昔の話です」

 

 そう言いながら胸元を押さえる吉野さん。そこに今も着けているのか。それは、なんだかシンパシーを感じてしまう。

 こほん、と、話を戻すように小さな咳ばらい。

 

「私は当時、小学校で教師を始めたばかりでした。シルビアさんのお父様から打診を受け、教師を続けさせてもらえることを条件に了承したんです」

「物好きだよね。私だったら絶対嫌だな」

「家を継ぐのも嫌がっていたものね」

「うん。私は本を読んでる方が好きだったからね。大学だって文学部に入りたかった。もしくは研究者かな。理系は全然駄目だったからどっちにしろ無理だっただろうけど」

 

 ああ、だからか。

 だから、シルビアは小説を書いたのだ。男のしがらみに囚われる必要がなく、好きな研究に没頭する自由な錬金術師を想像し、創造した。

 

「彼が大学三年生の時、私は突然、彼が亡くなったと告げられました。海に身投げをしたということで、葬儀の席でさえ遺体の顔を見ることもできませんでした」

「本当のことを言ってもどうしようもないからね。……その辺の話も聞いたんでしょ?」

「……ええ。どうしても納得できなかった私はあなたの弟とお父様を何度も問い詰めました。そしてある日、彼らはとうとう観念したように本当のことを話してくれました」

 

 あなたの婚約者候補はある日突然美少女になりました。

 意味がわからない。実際、知らされてもどうしようもなかっただろう。変身の事実は公表しない方針だし、女が寺を継ぐわけにはいかないし、女になった以上は女性と結婚することもできない。

 いっそ「死んだ」と言われて納得していた方が諦めやすかったはずだ。

 

「聞かなければ良かったのに。もう弟が継ぐしかないんだし、その方が好都合でしょ?」

 

 シルビアの中ではもう終わった話なのだろう。彼女は終始淡々としている。

 対して、吉野さんの中ではようやく話が始まったところなのか、きっとシルビアを強く見つめて、

 

「どうして? どうして何も言ってくれなかったの? せめて教えて欲しかった……!」

「だから、言っても仕方ないじゃない。それとも、女になった私と添い遂げるとでも?」

「私は、あなたが継ぐと思ってたの!」

 

 少し聞いただけでは意味のわからない返答。

 実際、シルビアは「は?」と苛立ったような表情を浮かべた。内心、冷静ではなかったんだろう。

 第三者である俺とノワールには吉野さんの言った意味がわかった。彼女がどうしてわざわざシルビアを追ってきたのかも。

 弟さんは吉野さんのことが好きだったのだろう。けれど、吉野さんが好きだったのは。

 

「家は、どうなったの?」

「弟さんが継ぐことになってる。でも、私は婚約者を辞退した。小学校も辞めた。担任していた子達の卒業を見届けられたから、いい機会だったの」

「どうして。あんなに続けたがってたのに」

「あの小学校じゃなくても教師はできるでしょう? 小中高の資格は全部持っているし、それに、その方が身軽になれるから」

 

 地元が同じだったんだろうし、その地域にいたままでは弟さんからも離れられない。関係をリセットする意味もあったんだろう。

 ……本当にドロドロした三角関係っぽいんだけど、どうしよう。

 理解できないというように首を振ったシルビアは「もういいや」とため息を吐いた。

 

「どうやってここを突き止めたの? それだけは教えて」

「……あなたの容姿だけはご家族から聞き出せたから、後は色んな地域の高校を回ったり、自分なりの似顔絵を描いて知り合いに見せたり、インターネットで銀髪の女の子の目撃情報を募ったりしてた」

 

 でも、そう簡単には突き止められなかったはずだ。

 シルビアはこの通りのインドア派だし、萌桜は女子校だからその手の情報は出回りにくいはず。

 

「なかなか見つからなくて諦めかけていた時、偶然、次の就職先の生徒会のHPで見つけたの。銀髪の可愛い女の子が歌っている写真を。それで、来年度の相談という体で職員室に入って、名簿を盗み見たわ」

 

 かなりの執念である。ノワールも困った顔で「犯罪ですね……」と呟いている。

 

「申し訳ありませんが、政府に連絡を取らせていただきます。おそらく、何らかの形で口止めされることになるかと」

「わかっています。……私は、こうしてもう一度会えただけで十分です」

「会ってもどうにもならないよ。私はシルビア。元には戻れない」

「ええ。……それでも、もう一度仲良くなりたいと思うのは我が儘かしら?」

 

 シルビアは少しだけ間を置いてから「我が儘だよ」と言った。

 

「でも、どうせ会うんでしょ? 話をするくらいならいいよ。先生」

「……ありがとう」

 

 少しだけ、ほんの少しだけ微笑んだ吉野さんは席を立った。

 

「皆さんにもご迷惑をおかけしました」

「いいえ。……その、お気を落とさないでくださいね?」

「ありがとうございます」

 

 ノワールの言葉に頷いた彼女は俺を見て、

 

「アリスさん、でしたか?」

「はい。アリシア・ブライトネス。萌桜学園中等部三年生です」

「そうですか。……その、あなたも、シルビアさんと同じなんですよね?」

「はい。でも、私は今、すごく楽しいです」

 

 笑って答えると、彼女はもう一度「……そうですか」と言った。

 吉野さんが帰っていくと、リビングには妙な静けさが残された。そういえば、朱華たちは乱入して来なかった。また盗み聞きでもしようとしていたのか、それとも、気を利かせて引っ込んでいてくれたのか。

 シルビアは座ったまま「あーもう」と言った。

 

「ごめんね、二人とも。変な話聞かせちゃって」

「いいえ、シルビアさま。お気になさらず」

「はい。気にしないでください。……シルビアさんの話が聞けて、少し嬉しかったです」

「あはは、そっか。……ほんと、二人とも優しいよね」

 

 目を細めたシルビアは、遠くを見るようにそっぽを向いた。

 

「あの。もしかして着物作ったのって」

「うん。万が一、実家から呼び出された時用。未練があるからじゃなくて、今の私は昔と全然違うんだぞって見せつけるため」

 

 なるほど。

 綺麗な着物を身に着けて会いに行けば、元に戻る余地などないと明確にわかる。和の趣が強い家だからこそ特にそうだろう。

 シルビアが戻りたくない理由もわかった。

 そんな彼女が、男に戻りたかった俺のために「元に戻る薬」を完成させてくれたのか。

 その時、一体どんな気持ちだったんだろう。

 

「お疲れ様でした、シルビアさん」

「もう、どうしたのアリスちゃん」

 

 ありがとう、と言いたいのを堪えて少女の腕を抱きしめると、柔らかい手のひらで頭を撫でられた。

 と、思ったら床に押し倒された。

 

「アリスちゃんから来てくれたってことはOKってことだよね?」

「違います! 違いますから! 助けてくださいノワールさん!」

「ああ、今日のシルビアさまはいつになく積極的ですね。元婚約者とあんなことがあった後だというのに……」

 

 駄目だ。ノワールが変なモードに入っている。だとすると誰に助けを求めればいいのか。朱華か、瑠璃か。教授はなんか駄目な気がする。

 というか、もしかして本格的に貞操の危機なのか。

 と思ったら、くすりと笑ったシルビアに抱きしめられた。

 

「冗談だよ。ありがとね、アリスちゃん」

「いや、冗談なら離れてください!」

 

 しかし、シルビアはそのまましばらく離れてくれなかった。

 

 後日、政府から連絡があったところによると、吉野は見知ったことを誰にも話さないことを条件に今回のことを見逃されることになったらしい。

 彼女は素直に誓約書にサインし、その上で、何かあった際は協力することも約束してくれたらしい。

 新しい職場。

 萌桜学園高等部の先生になるのであれば、必然的に俺とも顔を合わせることになる。彼女とシルビアの今後の関係も気になるところだ。

 ……と、ノワールに言ったら「気になりますよねっ」ときらきらした目で言われた。



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聖女、大晦日を迎える

 十二月三十一日は昼間からおせち料理の仕込みをすることになった。

 キッチンとリビングを使い、ノワールとの共同作業である。おせちなんて初めてなので教わりながら……と思ったら、ノワールも要所要所で本やネットを確認していた。

 

「ノワールさんでもわからないことがあるんですね」

「もちろんありますよ。おせち料理は普段作らない品もたくさん入っていますし」

 

 なるほど、言われてみれば。

 年に一回しか作らない料理。変身前は俺同様、料理をしない人だった可能性もあるわけで、もしそうだとするとまだこれで二、三回目ということになる。わからないことがあっても当たり前だ。

 芽愛なんかはもう何回も作っていそうだが、そもそもあの家だとおせちも洋風だったりするのだろうか。ローストビーフが入っていたりとか? それはそれで美味しそうである。

 

「お、やってるな。どれ、一つ味見を……」

 

 ひょっこりと顔を出した教授が煮物を一つつまんでいく。

 こういう時、ノワールは意外とうるさくて「食事の時まで待ってください」とか言ったりするのだが、今日はにこにこしたままそれを見守っている。

 

「いいんですか、ノワールさん?」

「ええ。もともと多めに作っていますから。少しくらい味見されても問題ありません」

 

 おせち料理というと大体、正月の朝から出て三が日まで食べ続けたりする。

 つまり、それだけの量を用意するということだ。残るのは飽きるせいもあるだろうが……。そんなに食べたいならどうぞご自由に、という気分にもなろうというものである。ちなみに俺とノワールは味見のために食べているので罪にはならない。

 珍しくOKが出た教授は上機嫌でもぐもぐして、

 

「うむ、いい味だ。寝かせれば更に美味くなるだろう。……日本酒が欲しくなるな」

「はい。教授さまが調達なさった上物を明日の朝、お出ししますね」

「頼む。……ああ、アリスも飲んでいいんだぞ? 正月は特別だ」

 

 お屠蘇や甘酒を飲むのと日本酒を普通に空けるのは別物だと思うが──まあ、正月は特例、という家庭は実際、結構あったりする。

 もちろん厳密に言うとアウトなんだろうが、いい意味で「バレなきゃ犯罪じゃない」というやつで、監督役である親が量を守って飲ませる分には基本的に問題にならない。大学生の新歓コンパを受け入れた店がいちいち全員分の身分証提示を求めないようなものだ。

 男時代の友人の中にも「正月だから飲んだ」とか言ってる奴はいた。

 俺としても、酔っ払いどもを見ていると「こうはなりたくないな」と思う反面、そんなに美味いものなのかという興味もある。

 

「教授がそう言うなら、明日は少しだけ……」

「おお、アリスがそう言うとは珍しいな。良い良い。どうせ朱華達も飲むだろうしな。……瑠璃はあの身体になる前に飲んだことがあるのか? その辺も楽しみにしておくか」

 

 教授が去って行くと、入れ違うように瑠璃がやってきた。

 

「お疲れ様です、アリス先輩。ノワールさんも」

「ありがとうございます。瑠璃さんも煮物、味見されますか?」

「遠慮しておきます。明日の楽しみにしておいた方が喜びも大きいでしょうから」

 

 俺とノワールの作業をどこか羨ましそうに見た彼女は、ノワールの問いかけに微笑んで答えた。こういう控えめなところは教授にも見習って欲しい。

 

「私はお手伝いできませんが、代わりにお餅は任せてください」

「助かります。さすがにお餅までは凝るのが難しいので」

 

 例年は有名メーカーの切り餅をパックで買って来て使っていたらしい。一度、教授が「餅つきをしよう」と言い出したことはあったものの、当の本人が大きすぎる杵で腰をやりかけて以来、餅づくりをするのも自粛ムードだったとか。

 しかし、今年は和菓子に強い瑠璃がいる。

 クリスマスの時にも使っていた餅つき機は(変身する前に)複数メーカーから厳選したおススメの品らしいし、市販品の美味い切り餅も買い込んでくれているそうだ。もちろん、味付けにつかうきな粉やあんこも。

 

「……う。美味しいお餅を想像したら食べたくなってきました」

 

 こうなる前は雑煮か、焼き餅に醤油を垂らして食べるのがシンプルイズベストだと思っていたのだが、今なら色んな味付けを美味しくいただけそうだ。砂糖醤油もいいし、あんころ餅とか、きなこもち、洋風ならフルーツを散らしても美味しいのではないだろうか。

 と、俺の情けない呟きに瑠璃は嬉しそうな顔をして、

 

「一晩だけ我慢してくださいね。そうしたらお餅も食べ放題ですから」

「年末年始が太る時期なのがよくわかりますね……」

 

 クリスマスにチキンだのケーキだの食べまくったというのに、今度は餅である。おせち料理は野菜も多いからまだいいとしても、炭水化物をばんばん食べていたら太るに決まっている。

 これには瑠璃も「む」という表情になって、

 

「栄養バランスはともかく、カロリーは本格的に気にしたことがなかったんですが、この身体だと油断が命取りになりそうですね……」

「瑠璃さんは運動もしていますから、そんなに心配なさそうですが」

 

 そういう俺も未だに自分が太るのか太らないのか良くわかっていない。

 

「いいえ、アリス先輩。こういうのは日頃から気をつけて行かなければ」

「瑠璃さんは甘い物の恐ろしさを真に理解していないから言えるんです」

「え。……なんですか、それ。怖いのですが」

 

 俺は「ふふふ」と笑って誤魔化した。

 いや、味覚の変化も個人差があるだろうし、もともと和菓子食べてた瑠璃の場合はそんなに変わらないかもだが。女子の身で甘い物を我慢するのは想像以上に辛いのだということを是非、彼女にも知って欲しい。

 そこへやってきたのは朱華。

 

「あ、やってるやってる。瑠璃もここにいたんだ」

「朱華先輩。はい。少しアリス先輩たちとお話を」

「ふーん。……あ、美味しそうな煮物。ん、美味しい」

 

 当然のように一つをつまんで口に運ぶあたり、旧メンバーは「今日はつまみ食い可」だと把握しているようだ。

 朱華はもぐもぐしながら俺たちを見て、

 

「そうそう。あんた達、今日は日付変わるまで起きてるでしょ?」

 

 当然のように言われた俺は瑠璃と顔を見合わせる。

 

「私は初詣もあるので早めに寝ようかと思ったんですが」

「私も、大晦日だからって喜ぶような歳ではないですし」

「はっ。何言ってんのよ。合法的に夜更かしできる日に早く寝るとかありえないでしょ」

 

 平気で徹夜する人間が何を言っているのか。

 

「考えてみなさいアリス。年の変わり目ってのは神聖なタイミングよ。初詣のために寝る、なんて言ってたらあんた、毎年タイミング逃しそうじゃない」

「……確かに」

 

 詭弁だとわかっていても思わず納得してしまう俺。

 鈴香たちとの友達付き合いが続いていくのなら初詣が恒例行事になる可能性は割とあるし、そうでなくともグループチャットしながら年越しとか、そういうイベントが起こる可能性は高い。

 となれば多少、眠いのを我慢してでも起きているべきか。

 

「納得したわね? じゃあ、女子会しようじゃない」

「女子会って、私も瑠璃さんも元男ですけど」

「午前零時って、子供の頃は遠かったですけど、意外にすぐですよね」

「二人して夢がなさすぎでしょ。いいじゃない。日付変わるまで駄弁ったりゲームしたりお菓子食べる会。シルビアさんはいつも通り薬作ってたから、去年はできなかったのよ」

 

 シルビアは平常運転か。らしいと言えばらしい。

 ノワールは忙しいから寝ないとだし、教授は普段から早寝早起きだ。

 

「アリス先輩と女子会……わかりました。そういうことなら」

「決まりね。アリス、あんたも何か暇をつぶすもの用意しておきなさいよね」

「わかりました」

 

 俺は観念して頷く。暇つぶしと言っても、みんなでできるものの必要はないだろう。どうせ朱華はエロゲするつもりだろうし、俺もラノベか何か読んでいれば問題ない。いや、映画か何か見繕っておくという手もあるか? 千歌(ちか)さんの出演作とか見ておいた方がいいかな、という気もしているのだ。問題は大多数がエロゲやエロアニメなので選ぶのが難しいことだが。

 

「眠気覚ましの栄養ドリンクなら提供できるよー」

「あ、シルビアさん。お疲れ」

「あはは。私はいつものことだからねー。ご飯はちゃんと食べてるし。カロリーは胸に行くし」

 

 胸の大きさに悩んでいる女子が聞いたら刺されそうなことを言いながら、シルビアが白衣を羽織ってのそっとやってきた。飲み物が切れたのか、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを出してコップに注いでいる。

 ちなみに俺は、ノワールやシルビアのスタイルの良さが羨ましいとは思っているが、胸で誘惑したい対象がいるわけでもないので殺意までは抱かない。若干イラっとしたが。

 

「……あの、アリス先輩。シルビア先輩、いつも通りですね?」

「そう、ですね」

 

 瑠璃に耳うちされた俺は何と答えるべきか悩みながら曖昧に頷いた。

 吉野さんの件。あの場にいなかった朱華達にも大まかな話は伝えてある。変身前の知り合いが来て話をしていった、程度のことだ。

 まあ、それだけ聞けば、似たような境遇にある瑠璃には大事だとわかる。

 俺としても気になってはいたのだが、

 

「あの、シルビアさん。大丈夫ですか?」

 

 恐る恐る尋ねると、シルビアは「んー?」と首を傾げて、

 

「大丈夫大丈夫。……むしろ、来たのがあの人で良かったよ。違うのが来てたらさすがにきつかったかも」

 

 実家の父親や弟のことだろう。彼らはシルビアの住所を知らないはずである。吉野さんは知っているが、政府から口止めされたのでバラすことはないはず。守秘義務に反したシルビアの家族は政府から怒られるなりなんなりしているはずだが、それに懲りたらもう干渉して来ない……と思いたい。

 

「それなら良かったです」

「もう、心配性だなあアリスちゃんは。それとも、私があの人とくっつくとでも思った?」

「ええ!? い、いえ、そこまでは」

「たしか女性の方なんですよね? 私としてはむしろくっついていただいても一向に構わないのですが」

「なんで瑠璃ちゃんが食いつくの……。むしろお姉さん、瑠璃ちゃんにはもうちょっと嫉妬して欲しいなー?」

「え? い、いえ、私はそんな……。ですからくっつかないでください!」

 

 悲鳴を上げて逃げる瑠璃。面白がったシルビアはゾンビみたいな動きで追いかけ始める。朱華は苦笑して肩を竦める。

 そんな俺達を、ノワールはにこにこと見守っていた。

 

 

 

 

 

 夕飯は温かい天ぷらそばと味噌田楽を中心とするメニューだった。

 海老天が贅沢に二本載ったそばに舌鼓を打ちつつ、紅白歌合戦をみんなで眺めたりする。教授は演歌歌手が出てくるとノリが良くなり、朱華はアニソン歌手にしか興味がなさそうな様子。瑠璃は意外と守備範囲が広いようで色んな歌手を知っていた。

 みんなが食事を終え、デザートのみかんを剥き始めた頃、教授がしみじみと言った。

 

「今年も無事に終えられることを嬉しく思う」

「教授、去年もそんなこと言ってたよー?」

 

 シルビアが茶々を入れるも、教授は「うむ」と言うだけで、

 

「今年も色々なことがあったからな。感慨深くもなろうというものだ」

「そうですね。この家も、随分と賑やかになりましたし」

「そうね。六月にアリスが来て、この子と色々やってたら瑠璃が来て。来年もこの調子で増えるのかしらね」

「私が来てからは半年くらいですが、本当に色々ありましたね」

「私は来たばかりですが、ここに来てからの日々は充実していたと思います」

 

 俺は、自分がここに来る前の朱華達を知らない。しかしそれでも楽しく充実していたし、それは十二月になってから来た瑠璃も同じだったらしい。

 

「学校に通うようになったら、もっと楽しいですよ」

「そうですね。……アリス先輩たちと同じ学年だったら、もっと良かったんですが」

 

 瑠璃なら来年高一でも問題なかったかもしれないが、妹を知る者が減るという意味でも、来年中三が無難だろう。

 

「ま、あたしも残念よ。瑠璃がいればアリスの世話を任せられそうだし」

「む。私も結構、朱華さんの世話をしてると思うんですけど」

「ふ。まだまだ、最初の頃の貯金があるわよ」

 

 それは確かに。ぼちぼちそれも返していかなければと思いつつ、俺は言った。

 

「来年も、良い一年になるといいですね」

 

 それから俺は朱華と瑠璃とごろごろ女子会をして、日付が変わるまで起きていた。

 別に盛大なイベントが起こるわけでもなし。ゆく年くる年を見ながら「あ、変わったね」でおしまいだと思っていたのだが──日付が変わる少し前になったら、自然と錫杖を召喚していた。

 

「あの。今日はお祈りをしていなかったので、少し祈ってもいいですか?」

「いいんじゃない? あんまり鳴らすと教授がキレるかもだけど」

「アリス先輩のお好きなように」

「ありがとうございます。……では」

 

 目を瞑って祈っている間に時計が「0:00」を示して、

 

「ん、ハッピーニューイヤー」

「新年あけましておめでとうございます」

「なんかもう、なんなのかよくわからないですね」

 

 俺たちらしい感じで新年がやってきた。



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聖女、初詣に行く

 着物なんて着るのはいつ以来だろうか。

 七五三の時以来? まあ、いつだったとしても、前に着たのは男物なんだが。

 

「結構動きづらいんですね……」

 

 帯で締め付けられているせいで苦しいし、袖や裾のせいで動きもかなり制限される。

 着付けを手伝ってくれたノワール、瑠璃も頷いて、

 

「そうですね。普段以上に気を遣うことになるかと」

「段差に気をつけてくださいね、アリス先輩」

「はい」

 

 縫子(ほうこ)の姉、千歌(ちか)さんから借りた着物へ身を包んだ俺は、二人からの注意にしっかりと応えた。

 スマホとハンカチ、ティッシュくらいしか入らない巾着袋を手に、玄関で草履を履く。

 履物はブーツとか、場合によってはスニーカーとかでもいいらしいのだが、できるだけフォーマルな装いにしておいた方が神様に失礼がないだろうと草履にした。

 

「気をつけなさいよ。あたしがついて行ってもいいけど、逆にトラブル呼びかねないし」

「まあ、そうそう心配はないだろうがな。しつこいナンパ男に会ったらいっそぶちのめしてしまえ」

 

 朝早い時間だが、朱華と教授も起きて見送りをしてくれる。ちなみにシルビアは夜更かしがたたってまだ寝ている。この後、朱華は軽く二度寝。教授は一足早くおせちをつまみに一杯やるらしい。

 しかし、ぶちのめせって教授……。まあ、運動何もやってないモヤシ男の一人や二人ならこの格好でもKOできるだろうが。

 女子会の影響で眠そうな瑠璃はしゅんと肩を落として、

 

「せめて私が一緒に行ければ良かったんですが……」

 

 いくら適応力が高いとはいえ、変身してまだ一か月弱。さすがに初詣は難易度が高い。下手すると足手まといになりかねないからと断念した。

 

「大丈夫です。私だけじゃなくて友達と一緒ですし」

「それならいいのですが……なんとなく嫌な予感もするので、そういう意味でも私は出ない方がいいかと」

「嫌な予感、ですか?」

「はい。……あ、いえ。その。占いだとか風水の類ではないんです。ただ、私にとって面倒な人に会いそうだなと」

「?」

 

 良くわからなかったが、初詣に来そうな知人でもいるのかもしれない。俺に関しては問題ないのだろうと深く考えないことにした。

 

「では、アリスさま。くれぐれも軽はずみな行動は謹んでくださいませ。危険な場合は周りに助けを求めるか、皆さんで逃げてくださいね?」

「わかりました」

 

 いつもながら過保護な仲間たちの忠告を受けながら、俺は初詣へと出発した。

 

 

 

 

 

 さっきも言った通り、今はまだ一月一日の早い時間。

 餅やおせち料理は後のお楽しみとして、まずは初詣からだ。いったん食べ始めてしまうとやめ時が難しいし、酒を勧められでもしたら出かけられなくなりかねないのでこの方がいいだろう。

 鈴香(すずか)たちにはスマホを使って連絡済み。

 近くまで迎えに来てくれるということなので、慣れない草履でゆっくりと合流場所に向かえば、黒塗りの高級車が一台、ちょうどやってくるところだった。

 

「おはようございます、アリス様。あけましておめでとうございます」

「あけましておめでとう、アリスさん。着物、良く似合っているわ」

「あけましておめでとうございます。鈴香さん、理緒(りお)さん」

 

 車を運転していたのは鈴香のお付きである理緒さんだ。

 理緒さんはさすがにスーツ姿だったが、鈴香は俺合わせで着物に身を包んでいる。和装でも何の問題もなく着こなしていて、お嬢様っぷりに拍車がかかっている。

 鈴香の着物を褒めた後、芽愛(めい)たちはと尋ねると、縫子は先に芽愛と合流しているらしい。

 

「だから、二人まとめて回収していきましょう」

「わかりました。……でも安芸さん、まさか芽愛さんのところのおせちが目当てだったり?」

「それはないと思うわ。……きっと」

 

 疑惑の真相は明らかではなかったが、芽愛の家の前に着くと二人はタイムラグなく顔を出した。

 

「おはようございます。アリスさん、姉さんの着物とは思えないくらい似合っていますね」

「もう、いきなりそれなの? ……あけましておめでとう、アリスちゃん。鈴香」

「ええ、あけましておめでとう。二人の着物も似合っているわ」

「あけましておめでとうございます。結局みなさん着物になってしまいましたね」

 

 女の子が四人も着物で集まるとそれだけで華やかだ。早朝なので声量は抑え目だが、それにしてもわいわいと挨拶したり服を褒め合ったりするのはなんというか女子っぽい。昔の俺なら確実に気後れしていただろうな、と思う。

 と。

 

「うわ、何このお嬢様四人組。すっごく可愛い! 写真撮っていい?」

 

 コート姿の女性が一人、更に家の中から出てきて俺と鈴香に抱きついてきた。

 聞き覚えのあるこの声は、

 

「千歌さん!?」

「久しぶり、アリスちゃん。えへへ、来ちゃった」

「千歌さん……いえ、まあ、半々くらいの確率で来るだろうと思っていましたが」

 

 まとめて抱きしめられた鈴香がため息交じりに言う。嫌味を投げられた千歌さんはと言うと、気にした様子もなく笑って、

 

「さすが鈴香。というわけで、一緒に行ってもいいよねアリスちゃん?」

「アリスさん。この馬鹿の事は甘やかさなくても結構です」

「い、いえ。そういうわけにも。せっかくですから皆さんで行きましょう」

「やった! さっすがアリスちゃん。大好き!」

「あ、あの、千歌さん。この格好だと倒れたら起き上がりづらいので……」

 

 というか、さっさと車に乗らないとそれこそ近所迷惑では。

 

「芽愛。気を付けてね」

「みんなもあけましておめでとう。良ければお店にも食べに来て欲しいな」

 

 わいわいやっているうちに芽愛のご両親まで出てきて挨拶されてしまった。俺と鈴香、車を降りた理緒さんが挨拶をしたら、さすがにそろそろ……と初詣に出発した。

 

「ね、アリスちゃん。カラオケの音声動画もウケたし、また付き合ってくれるでしょ?」

「は、はい。顔出し無しなら構いませんけど……」

「やった! 顔出しの件は任せて。ちゃんとお面も用意するから」

「姉さん。アリスさんを酷使しないでくださいと何度も──」

「あ、縫子。衣装の方は進んでるの?」

「失礼な事を聞かないでください。ちゃんと間に合うように進めてます」

 

 姉に苦言を呈そうとした縫子は衣装の話題を振られた途端、あっさりと話を切り替えてしまう。うん、やっぱり二人は似た者姉妹だ。

 

 

 

 

 

 向かった先は地域で一番大きな神社。

 全国的に有名なあれやこれとは人気も知名度も違うものの、それでもなお、早朝から多くの人が参拝に訪れていた。さすが初詣。

 

「私は車を停めてきますので、どうぞ先にお並びください」

「ありがとう、理緒」

「千歌様。しばらくの間、皆様をお願いしますね」

「はいはい。それくらいは任せなさい。……じゃ、ほらほら四人ともそこに並んで記念写真撮ろっか!」

「……姉さん」

「あはは。千歌さんがいると本当賑やかだよねー」

 

 神社の入り口あたりで四人並んで写真を撮ってもらう。四人だけだったらなかなかできないので、そういう意味では千歌さんがいて良かったかもしれない。

 本人の写真はいいのかと言えば「私はいいの」とのこと。そこまではしゃぐ歳じゃないらしい。いや、十分はしゃいでいると思うのだが……。

 

「でも、せっかくですし安芸さんとツーショットとか」

「じゃあアリスちゃん一緒に撮ろ?」

「わっ」

 

 すかさず自撮り方式で撮られた。

 

「千歌さん。それ、SNSにアップしないでくださいね?」

「わかってるってば。……あ、目線入れたらOK?」

「それは逆にいかがわしいんじゃないかしら……?」

 

 などと言いつつ行列に並び、順番を待つ。

 

「アリスちゃん、作法とか大丈夫?」

「任せてください。私、事前に調べて練習もして来たんです。神様に失礼があってはいけませんからね」

「あはは、アリスちゃん気合い入り過ぎ!」

 

 気合い入れすぎなどということはない。

 聖職者の端くれとして二礼二拍手一礼とか御手水の仕方とか、祈る内容の基本とか、それくらいは押さえておかなければいけない。

 俺の神様パワーがどこから来ているのかは不明だが、無名の神様だからって舐められたりするのも困る。

 

「神聖な場所だと気分も引き締まりますし、全力で臨みます」

「それはさすがに力み過ぎだと思いますが……」

「パワースポットというやつかしら? そういうの、わかるものなの?」

「はい、なんとなく。心が洗われるというか、落ち着く感覚があります」

「アリスちゃん霊感強そうだもんねー」

 

 というわけで、作法に則って参拝。ちゃんと神様には住所と名前も伝えたし、うちの神様とも仲良くしてほしいとお願いもした。その上で、友人や仲間が健康でいられるようにと祈った。

 伝わったかどうかは定かでないが、その後引いたおみくじは全員大吉だった。

 

 

 

 

 

 

 忙しいメンバーもいるし、朝ごはんもまだなので、初詣をした後はおみくじを引いて、神社で配っていた甘酒を飲んで解散になった。

 

「鈴香さん、安芸さん。頑張ってくださいね」

「ええ。きちんと務めを果たしてくるわ」

「私なりに精一杯やってきます」

「うちは無理に挨拶回りしなくていいから楽だよー」

 

 なお、千歌さんは「もう一人暮らししてるし」と逃げ出そうとしたところを縫子に捕獲され、一緒に帰っていった。

 何事もなく無事に終わって良かった。

 家の鍵を開けた俺は「ただいま戻りました」と声をかけて、

 

「アリスせんぱ~いっ」

「えっ……!?」

 

 自分より大きな柔らかい身体に抱きつかれた。

 黒髪黒目の美少女。

 

「瑠璃さん?」

 

 瑠璃は真っ赤な顔をして「えへへぇ」と笑っていた。幸い露出度の低い普通の私服姿だが、しっかりしている彼女らしくないことに服の乱れは全く気にしていない。

 くんくんと嗅いでみると、アルコール特有のにおい。

 間違いない。どうやら彼女は酔っているようだ。

 

「あの、瑠璃さん、大丈夫ですか? 解毒した方が──」

「せんぱい、好きです」

 

 潤んだ瞳に見つめられ、思わずどきりとする。

 落ち着け。相手は酔っ払いだ。

 

「私も瑠璃さんのこと好きですよ。だから落ち着いて──」

「嬉しい。せんぱい、アリスせんぱいっ」

 

 あ、駄目だこれ。

 

「《解毒(キュアー・ポイズン)》」

「せんぱ……ふぇっ」

 

 聖なる光に照らされた瑠璃の表情がみるみるうちに元へ戻っていく。本来は「毎ターンダメージ」等の毒を解除する魔法だが、アルコールを分解するのにも効果がある。

 素面になった瑠璃は俺に抱きついた姿勢のまま「え?」と声を上げて、

 

「アリス先輩?」

「落ち着きましたか、瑠璃さん?」

「はい。あ、あの。……うあ、あああっ、すみませんっ!?」

 

 ばっと離れて逃げていった。恥ずかしくなったんだろう。今の出来事は蒸し返さないでおこうと思いつつ草履を脱いで家の中に上がる。

 そこへぱたぱたとノワールがやってきて、

 

「おかえりなさいませ、アリスさま。初詣、楽しかったですか?」

「はい、楽しかったです。あの、瑠璃さんはどうして……?」

「教授さまがお酒を飲ませまして。どうやら酔うと子供っぽくなってしまう体質だったようです」

「そんなマンガみたいな酔い方、本当にあるんですね」

「わたしたちは創作上の登場人物ですので、そういうこともあるのではないかと」

 

 確かに。ノワールなんてモロにマンガの登場人物である。そんな彼女は作中だと「酔うと妙に色っぽくなる」という設定だったはずだ。あいにくというか幸いにもというか、俺はまだ彼女がそうなったのを見たことがない。本人もわかっているからか、普段からセーブしているからだ。

 普段の時点で十分大人の魅力のあるノワールがこれ以上色っぽくなったらどうなるというのか。

 

「アリスさまもおせちにお雑煮、召し上がりますか?」

「はい、是非」

 

 着物を脱ごうか迷ったが、どうせなら着たままの方が正月っぽい気がする。借りものなので汚さないように気をつける必要はあるが。

 それから、教授に酒を勧められても飲まない方がいいのではないか──。

 

「ああ、アリス。お帰り」

「って、朱華さん。なんて格好してるんですか」

「シャワーよシャワー。気持ちいいのよ?」

 

 やってきた朱華は思いっきり下着姿だった。

 

「寝起きですか?」

「ううん。しばらく教授に付き合ってた。あたし、酔うと身体が火照る体質なのよ」

「ノワールさんと似てますね」

「ノワールさんは体温四十度とかにならないけどね」

「は?」

 

 要は、パイロキネシスの調整が甘くなって体温が急上昇するらしい。なので一杯やった後は水シャワーを浴びて身体を冷やすのだそうだ。サウナみたいなものだと思えば確かに気持ちよさそうではある。

 まあ、朱華が素面に戻っていてよかった。

 少しほっとしつつリビングへ移動すると、教授が上機嫌にグラスを傾けていた。

 

「おお、アリス。帰って来たか。先に始めているぞ」

 

 瑠璃も透明な液体の入ったグラスを手にしており、それをノワールが慌てて取り押さえている。

 

「離してくださいノワールさん。飲んで忘れてしまわないと耐えられません」

「落ち着いてください。それで正気を失ったら二の舞です」

 

 最後の一人はほんのり赤い顔で俺の腕を拘束し、

 

「アリスちゃーん。お姉さんと一緒に遊ぼ?」

「シルビアさん……正気ですね?」

「なんでわかったの!?」

 

 素面と行動が一緒だからです。

 なんだかひと騒動あったっぽいみんなの様子に苦笑しつつ、俺も手洗いうがいを済ませた後、一足遅れてお正月料理にありついた。

 

「ほら、ぐっと行け、アリス」

「あの、教授。ほんとに少しで。少しでいいですから」

「うむ、好きなだけ飲め」

「フリじゃないですからね!?」

 

 飲まないという選択肢はなさそうだったので、お雑煮やおせちである程度お腹を満たしてから恐る恐る酒を口に入れた。

 

「……あ、美味しい」

 

 すっきりとした口当たり。いわゆる辛口と言われる酒らしく、喉に刺激が来るのもいい。高い酒だから、というのもあるだろうが、日本酒、美味いじゃないか。

 一口飲んだ限りでは体調にも変化はなし。

 

「少しずつなら飲んでも大丈夫そうです」

「おお、アリスはいける口か。なら飲め飲め」

「あの、ノワールさん。お水いただけますか?」

「はい、ただいま」

 

 水と日本酒を交互にちびちび舐めながら教授に付き合う。事前に用意しておいたお陰でノワールもあまり忙しくないので、ノワールも一緒に食卓についた。

 きなこもちとあんころもちをつつく朱華と、自分で酒量を把握しているらしいシルビアも一緒だ。瑠璃は俺に「お餅は冷蔵庫に入っています」と囁いた後、頭を冷やすために風呂へ向かった。

 

「箱根駅伝は明日からか。あれも正月の楽しみなんだが」

「あーわかる。マラソンは難しいルールないもんね。早い奴が正義だから見ててわかりやすいわ」

「とりあえず自分の大学応援しとけばいい、っていうのもわかりやすいよねー」

 

 まあ私は応援しないけど、とシルビアが小さく続けたのはともかく。

 親戚のおっちゃんと父親が酒を酌み交わす横で、でなければあのマラソン番組も楽しいかもしれない。

 

「楽しみですね」

「皆さま、一日の番組表もこちらにありますので、ゆっくりいたしましょう」

 

 俺たちはのんびりと正月の雰囲気を楽しみ──気付いたら、俺はリビングのソファで伸びていた。



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聖女、お正月を満喫する

 目が覚めたのは午後一時を過ぎたあたりだった。

 

「あれ、私……?」

 

 身を起こすと、すぐにノワールが寄ってきてくれる。

 

「アリスさま、気分はいかがですか?」

「えっと、軽い頭痛があります。あと身体がだるいような……」

「良かった。それほど重くはなさそうですね」

 

 微笑むノワール。実際、深刻なレベルの体調ではなかった。これくらいのバッドステータスなら生理の時と大して変わらない。

 コップに注いだ水が差しだされたので、ソファに腰かけて少しずつ飲む。胃に物を入れるのが辛い感覚があるが、同時に水分が身体に染みていくような爽快感もあった。

 

「……もしかして私、酔いつぶれたんですか?」

「もしかしなくても酔いつぶれたのよ」

「あいた」

 

 呆れ顔の朱華がやってきて頭を軽く叩いた。

 

「何するんですか」

「こっちの台詞。……あんたね、今後一切、誰かがついてない状態で酒飲むんじゃないわよ」

「そこまでですか……!? いえ、まあ、お正月以外、大学入るくらいまで飲まないと思いますが」

「あのね、大学の飲み会とか一番危ないでしょうが」

ひはい(いたい)

 

 今度は頬がぐにーっとつねられた。

 

「朱華さま。弱ってらっしゃる方にそれは少々……」

「ただの二日酔いじゃないですか。いや、一晩は経ってませんけど」

「二日酔いですか……。私、気をつけて飲んでたつもりなんですが」

 

 チェイサーは用意したし、空きっ腹で飲まないようにもした。ペースも守って少しずつ飲んでいたはずだ。

 しかし、思い返してみると、途中から記憶が怪しい。いやまあ、お正月料理と日本酒を楽しみながらテレビを眺めていただけなので、ストーリー性も何もあったものではないのだが。

 ノワールもこくりと頷いて、

 

「そうですね。決して乱飲ではありませんでした。わたしも問題ないと思っていたのですが……」

「結果的に一番性質悪いやつだったわね」

「いや、本当に何があったんですか……?」

 

 怖くなってきた俺に、二人は順を追って話してくれた。

 俺はペースを守って無理のない飲酒をしていた。少なくとも周りからはそう見えた。きちんと料理も楽しんでいたし、周りの会話にも応じていた。表情にも大きな変化はなく、酒に強いのだろうと自然に思えるような態度だったらしい。

 朱華は飲みすぎ注意、シルビアは一定以上飲まない。瑠璃は飲ませすぎるとやばいのが明らかとあって、教授は喜んだ。自分もかなりのペースで酒を進めながら、俺のグラスが空になる度に酒を注いだ。

 だから、俺の表情がほんのりと赤くなり、言動がだんだんと脳を使っていない感じになっていったのを見逃してしまった。

 

「今思い返すと最後の方は『すごい』『可愛い』『美味しい』とかそんなことしか言ってなかったわ」

「……普段の私とそんなに変わらないですね?」

「だからわかりづらいのよ」

 

 そう言われても、誰かの言動にツッコミ入れるのでもない限り、ネガティブなコメントなんてそうそう必要ないだろう。特にテレビの感想なんて過剰に褒めるくらいでちょうどいいと思う。

 

「ですので、アリスさまが突然『ふにゅう』とテーブルに突っ伏すまで気付けませんでした。不覚です」

「待ってください。私、本当に鳴いたんですか、『ふにゅう』って!?」

「いつものあんたと大して変わらないでしょ?」

「変わりますよ!?」

 

 しかし、なるほど。お陰で何が起こったのかわかった。

 普通に飲んでいたはずの俺が突然酔いつぶれた。みんなはそこに至ってようやく、徐々に酒が回っていたことに気づいたのだ。

 俺自身、状態の変化が緩やかすぎて気づかなかったのだろう。思考能力の低下と体調の変化がほぼ同じペースならそうなってもおかしくない。

 

「あんた聖女の癖に危なすぎでしょ。いや、聖女だからなのかもしれないけど」

「村を救った宴会の席で皆さまからお酒を飲まされるアリスさまの姿が目に浮かびました……」

「ああ、それで私、ほいほい受けていると思ったら急に酔いつぶれるわけですね……」

 

 そうなったとしても、全年齢時空ならば「寝床まで運んで差し上げよう」で終わりだろうが、鬼畜凌辱エロゲ時空なら村の男衆が「にやり」とするところである。

 それは誰かがついてないと危なくて仕方ない。

 

「……やっぱりお酒は大人になってから飲むものなんですよ」

「いや、大人になっても一人で飲むのは禁止だから」

「それじゃ一人暮らしなんて絶対できないじゃないですか」

「まず、する必要がほぼないでしょ?」

「アリスさま。わたしのご奉仕ではご不満ですか?」

 

 いや、ノワールの手際に不満なんてあるわけがない。一人暮らしと言ったのは例えばの話であって、そういう心づもりも特にあるわけではないのだが。

 ぽん、と頭に手が乗せられて、

 

「いいじゃない。あんたの面倒見るくらい大した手間じゃないわよ」

「この前、借りがどうとか言ってたじゃないですか」

「それはそれ、これはこれよ」

 

 堂々とそんなことを言ってのける胆力は正直見習いたい。

 

「……あの、ところで教授たちは?」

「教授さまと瑠璃さまは将棋を指していらっしゃいます。反省の一環として、三勝するまで部屋から出られないというルールで」

「? どっちかが三勝ってことですか?」

「ううん、合計三勝。シルビアさんが二面指しで叩きのめしてるから」

 

 シルビアがそんなに強いとは、完全に初耳である。

 あれか。瑠璃たちは所詮趣味でたまにやる程度。対してシルビアは檀家の老人たちの相手をする機会も多かったので、素人としては一段上の実力があるのだろう。寺生まれなのはバレてしまったので隠す必要もない、ということか。

 オリジナルのシルビアは将棋なんかできるわけないので、ある意味、オリジナル以上のスペックを発揮していることになる。発揮する場面があまりにもくだらなさすぎるが。

 

「アリスさま。お昼ご飯はどうされますか?」

「正直そんなに食欲はないんですが、できるだけお腹に入れておきたいです」

「かしこまりました。では、ご用意いたしますね」

「っても、雑煮とおせちだけどね」

「はい、ちょうどいいです」

 

 餅はそれ自体がほぼ無味だし、おせちは素朴な味の煮物が中心。雑煮はところによって味噌が入ったりもするようだが、うちのはシンプルな優しい味なので飽きにくく、食欲のない時でも食べやすい。

 俺はゆっくりと箸を進め、身体にエネルギーを取り込みながら、あらためて自制の必要性を自分に言い聞かせるのだった。

 

 

 

 

 

 将棋で三勝しないと出られない部屋(仮)から生還した教授と瑠璃からは謝られた。俺もみんなに迷惑をかけたことを謝って、正月のシェアハウスはまたのんびりとした空間に戻った。

 元日の午前中をだらーっとみんなで過ごしたこともあって、それからは思い思いの過ごし方に。朱華とシルビアはそれぞれ自室で趣味に耽っていたし、教授はなおもちびちび酒をやりつつ正月特番を眺めていた。

 ノワールは「シュヴァルツに気分だけでもおすそ分けを」と妹のところに出かけて行った……かと思えば、戻ってきた後は瑠璃と一緒に何やらパソコンの画面を睨めっこしていた。

 この正月はもう酒を飲まないと決めた俺は休養がてらソファで読書をしていたのだが、二人の様子が気になって尋ねてみた。

 

「何をしているんですか?」

「ノワールさんと一緒にコスプレ通販の福袋チェックを」

「アリスさまもせっかくですから何か買われますかっ?」

 

 言われてみれば、正月にはそういうイベントもあった。

 男だった頃は服なんて安いのでいい、という感覚だったので、何も中身ランダムの値引き品に群がらなくても……と、福袋にはあまり興味がなかった。

 女になった今は「高い服が安く買える」という点に興味が惹かれなくもないのだが、

 

「こういうのって売れ残り品だったりしないんですか?」

「確かにそういうショップもありますが……」

「いつものショップなら心配ありませんよ。トップクラスの人気(ふつうにうれる)商品が入らない傾向はありますし、内容物はランダムですが、どの品も質がいいので問題ありません。しかも、値段的にはかなりお得です」

「そうなんですね。……そういえば、瑠璃さんとも約束していましたっけ」

 

 一緒にゴスロリを着る、という話だ。

 なんだかんだと延び延びになっていたので、何か買うのもいいかもしれない。買えば買うほどポイントがついて(ノワールの)会員グレードが上がるし。

 

「ゴスロリの福袋もありますか?」

「ロリータ系というくくりでしたらこちらに。アリスさまでしたら、どの色でもお似合いになるので問題ないかと。……なんでしたら、わたしがゴスロリメイドをプレゼントいたしますが」

「ノワールさんも瑠璃さんも簡単にプレゼントしすぎです。むしろ、私が瑠璃さんにプレゼントしてあげたいくらいです」

「そんな。アリス先輩からプレゼントなんて申し訳ないです」

「気にしないでください。私、こう見えてもお金持ちなんですから」

 

 俺も変身したばかりの頃、ノワールたちからスマホをプレゼントされている。同じようなことを瑠璃にしてやらなければむしろ申し訳ない。

 

「そういえば瑠璃さん、スマホはまだ持っていませんよね?」

「はい。男だった頃に使っていた端末は電源を入れると身バレに繋がりかねないので……。そのうち契約しようとは思っていたんですけど」

 

 大学生らしくノートPCは持っていたし、知人が俺たちだけなので特に不自由はしていないらしい。

 

「でしたら、端末は私にプレゼントさせてくれませんか?」

「いいんですか? じゃあ、その、アリス先輩と同じ機種とか……」

 

 なるほど、それだとわかりやすく恩返しになりそうだ。問題は半年経ったので最新機種ではなくなっていること。俺としては機種代金が下がっていてお得だが、瑠璃はそれでいいのだろうか。念のために聞いてみると「構いません」とのこと。特にこだわりがなければ高性能機種に違いはないので問題ないだろう。

 

「でしたらわたしはケースをプレゼントしますねっ」

「あ、ありがとうございます。でも、そんなに貰ってしまっていいんですか?」

「いいんですよ。もし気になるようでしたら、瑠璃さまも後輩にプレゼントしてあげてください」

「ああ、そうですね。そうします」

 

 こういう伝統ならどんどん受け継がれていって欲しいと思う。

 

「じゃあ、福袋は自分用のものを……。ゴスロリと、メイド福袋も気になりますね。あ、アニメやゲーム系のコスプレ福袋もあるんですね」

「先輩、アニメコスにも興味あるんですか?」

「特別に、というわけではないんですが、念のために持っておいてもいいかな、と」

 

 主に千歌(ちか)さんの動画対策で、だ。縫子(ほうこ)が作ってくれているらしいし、千歌さん自身も用意していそうな気がするが、用意されたものが無駄に露出度が高かった、なんていう可能性はなくはない。

 こっちでも何かしら持っておけば急遽そっちを使うこともできるだろう。必要なさそうならボス戦以外の通常バイト用にしてもいい。

 

「アリスさま。下着の福袋もありますよ」

「あ、そういうのもあるんですね。サイズは大丈夫なんでしょうか……?」

「はい、そちらは選べますので問題ありません。万が一サイズの合わない品が来た場合はわたしたちで引き取れるかと思いますし」

「あ、確かにそうですね」

 

 何しろ、シェアハウスには年齢の違う女性が揃っている。俺が着けられなくても誰かのサイズには合いそうだ。

 頷いた俺はなんの気なしに「じゃあそれも」と決断し──気づいたら結構な数の福袋を購入してしまっていた。

 いや、安いし、このくらいで金欠にはならないのだが。もしかしたらまだ少し酒が残っていたのかもしれない。

 

「あ、アリスさま。衣装、完成した旨のメールが来ていましたよ」

「本当ですか?」

「はい。年末年始は発送業務がお休みですので、届くのはもう少し先になるかと思いますが……」

「ありがとうございます。あれが届けば、さらに本領発揮できそうです」

「む。……私も、今のうちに着物を仕立てた方がいいでしょうか」

 

 それは流石に財布がやばいんじゃないだろうか。

 どうしても必要になったらシルビアのを借りるという手があるし、せめてバイトに慣れてからにした方が、と言って瑠璃を説得した。

 焦らされている形になる瑠璃は教授にあらためて「バイトを」と懇願し、それに押される形で、今年初のバイトは二週目の土曜日あたりで……と決まった。

 

「瑠璃はそれまでに鍛錬を積んでおくように」

「はいっ」

 

 それから、三日の夜に千歌さんからも連絡が来た。

 

『冬休み中に一回くらい収録したいなー』

 

 俺は苦笑して、了解した旨を返信したのだった。



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聖女、動画に出る

 冬休みの残り日数が寂しくなってきたある日、俺はとある駅前広場にいた。

 シェアハウスの最寄り駅からは都会側に数駅。縫子(ほうこ)の姉、という表現を続けるには少々、俺個人としての関わりも深くなってきた女性、千歌(ちか)さんから指定された場所だ。

 

「……えっと、これで大丈夫ですよね?」

 

 コートのポケットと、鞄の中。携帯用のICレコーダーが動作状態になっているのを確認して頷く。要らないとは思うのだが、朱華と瑠璃、特に瑠璃がやけに熱心に「持っていってください」と要望してきたので、念のために持っておくことにした。

 屋内に入ってしまうと防犯ブザーでは力不足。ならばせめて、何かあった後でこちらの武器になるものを、ということらしい。

 何かある前提で考えているあたり、本当は瑠璃も何かあるとは思っていないのだろう。何しろ相手は千歌さんだ。芸能活動に関しては真面目で、俺との動画を撮りたくて撮りたくて仕方ない、という人なのだから。

 と。

 

「おはよ、アリスちゃん。待たせちゃった?」

「いいえ、少し早く着いてしまっただけなので」

 

 噂をすれば、プライベート用っぽい地味めの服装で千歌さんがやってきた。

 俺に笑顔を向けた彼女は、ちらっと周りを見て、何人かの視線がこちらへ向かっていることに苦笑してから、俺に移動を促してきた。

 

「お昼ご飯まだだよね? どっかで食べてく?」

「そうですね……その、配信? 収録? ってどれくらい時間がかかるのかよくわからないんですけど、時間は大丈夫なんですか?」

「あ、いいところに気がつくね。うん、そんなに遅くはならないと思うけど、余裕を残したいなら早めに始めた方がいいかも」

 

 見れば、千歌さん自身の顔も少しうずうずしていた。なのにどうして、と尋ねると「私だってエスコートくらいできるんだよ?」と言われた。どうやら気を遣ってくれたらしい。

 俺としては「遅くなりすぎてお泊まり」なんていうことになった方が大変なので、ハンバーガーショップでテイクアウトするということで合意した。

 交通費やハンバーガーの代金等は全部千歌さん持ち。

 じゃあ、せっかくだからと高めのバーガーにドリンクとポテト、チキンにデザートまでつけてもらった。千歌さんはフィッシュフライのバーガーのセットで、バンズをレタスに変更していた。

 

「それって美味しいんですか?」

「慣れれば結構美味しいよ。ハンバーガー食べてる気はしないけど」

「ですよね」

 

 小麦は太りやすいので、我慢できる時は我慢しているらしい。声優さんとはいえ美容にもやっぱり気を遣っているようだ。

 で、向かう先は千歌さんの自宅。

 実家からは既に出て一人暮らしをしている彼女。都会というほど都会でもなく、けれど実家からは少し距離のある地域を選んだのは仕事と大学の兼ね合いだったり、あまり遠方になると実家からOKが出なかったりといったあれこれが影響したらしい。

 到着した先は、関係者以外立ち入りできないタイプのマンションだった。

 

「ようこそ我が家へ。……って言ってもそんなに緊張しなくていいよ。男連れ込んだこともあるしね」

「え、と。もしかして彼氏ですか?」

「違う違う。大学の後輩。冗談でクローゼット見せたら遠慮せずジロジロ見てきたような変態だけど」

 

 それは若干危険そうな人だ。平気そうにしているあたりストーカーとかではなかったんだろうが。

 

「それじゃあ、お邪魔します」

「はーい。お邪魔されます」

 

 部屋の中は意外と……と言うと失礼だが、とにかく綺麗だった。

 

「そりゃあ配信に使ったりするし、SNSに写真上げたりもするんだから綺麗にするよ」

「あ、それもそうですね」

 

 部屋を選んだ決め手は防音がしっかりしていることと、ウォークインクローゼットがついていること。職業柄欲しいところなのはわかるが、結構贅沢である。やっぱり根はお嬢様ということか。

 

「冷蔵庫にミネラルウォーター買ってあるし、のど飴も用意したから、遠慮なく使ってね」

「ありがとうございます」

 

 とりあえず二人、向かい合って座ってハンバーガーを食べながら打ち合わせに入る。

 

「でね、今日はゲームを遊んでいるところを配信しようと思うんだ」

「なるほど。定番なんですよね?」

「うん。人が楽しそうに遊んでるのって見てても楽しいからね。あと、なにげにゲームの宣伝になったりもするし」

 

 有名な配信者になるとメーカーの人からお礼を言われたりすることもあるらしい。……まあ、さすがにそれは俺が目指すラインじゃなさそうだが。

 

「アリスちゃん、FPSとか得意?」

「全然です。ゲームセンターにあるようなのを少し触ったことはありますけど」

「うん、だと思った」

「え」

 

 というわけで、プレイするのは世にも有名な、愛らしいキャラクター達による格ゲー──もとい、対戦型アクションゲームということになった。

 これなら主観的な操作がしやすいし、ガチ勢レベルにならなければ腕の差があっても一発逆転がありうる。何より見てる方も何が起こっているのかわかりやすい、といいことがいっぱいだ。

 

「あとお面はこっちに用意してあるから」

「あ、これ、ウサギのお面ですか?」

「そうそう」

 

 ニュアンスとしては兎、と言った方がいいだろうか。基本的には狐面にも似た和風の兎面なのだが、多少デフォルメが施されており、顔の上半分だけを隠すようなデザインになっている。お面感が強すぎないので可愛らしさがあるし、息も苦しくなさそうだ。

 もし顔が隠れた方がいいなら、と全面を覆う兎面なども別に用意されていた。俺はそれを見て「うーん」と悩む。

 

「よく考えると私の場合、金髪でバレませんか?」

「うん。だから顔隠すのに拘り過ぎなくてもいいかなって」

「バレる前提じゃないですか!」

「後ろで縛ってパーカーとか着てもいいけど、さらにお面までしたら絵面が怖いよ?」

「う」

 

 お面で顔を隠してフードを目深に被った配信者。怪しい。そこまでして正体を隠す必要があるのか、と言いたくなる。

 俺はしばらく考えてから、可愛いやつを使うことにした。

 

「衣装は今日は間に合わないから私服になるけど、大丈夫?」

「はい。そこは覚悟してきました」

 

 今回のスケジュールは千歌さんが急遽ねじこんだもの。さすがに「衣装製作は順調」と言っていた縫子でも三が日から縫い物に熱中はできなかったようで、今回は衣装無しである。そうすると後一回くらいは最低出演しないといけないかもしれないが……まあ、今回の評判が振るわなければ断れるだろうし、後のことは後で考えるしかない。

 

「なのでここにちょうどいいものが……」

「あ、和メイドだ」

 

 シックな黒地に白いエプロン、というメイド服の基礎を押さえつつも和の雰囲気を取り入れたデザイン。

 これは、例によってノワールから借りたもの。私服を披露してしまうと特定に繋がる恐れがあるし、メイド服ならいかにも衣装だから見せるのには向いている。とはいえ、文化祭用に作ったメイド服や文化祭で着たメイド服などはまずいので、新しいメイド服に落ち着いたというわけだ。

 かぶりものが兎の面ならテイストとしても合っている。

 食事を終えた後で着替えると、

 

「なかなか悪くないですね……?」

「いや、似合ってる。めっちゃ可愛いよアリスちゃん!」

「あ、ありがとうございます」

 

 和メイド服を着た兎面の金髪少女。正直絵としてはハマっている。ハマりすぎて逆に心配になるくらいだ。

 そう言う千歌さんも着替えとメイクを済ませて撮影モードに変身済み。お陰でお互いに「可愛い」と言いあう羽目になった。

 

「あ、アリスちゃん。撮影中は私、千秋(ちあき)和歌(のどか)だからね」

「はい。和歌さんですね。間違えないようにしないと」

「あはは。生配信じゃないから後で編集するよ。と、アリスちゃんの呼び名も決めないとね。何がいい?」

「えっと……」

 

 そう言われても、ちょうどいい偽名なんてすっと出てこない。

 本名から適度に遠くて、でも一応関係のある名前……不思議の国のアリス系?

 

「じゃあ、キャロルとかでどうでしょう?」

「おっけー。キャロちゃんね」

「キャロちゃん」

 

 秒であだ名にされた。

 

「で、流れとしては挨拶して、自己紹介して、今回やるゲームの紹介。それが終わったら後はとりあえずゲームしてればOK。私が進行するから、アリスちゃん──じゃない、キャロちゃんは適当に相槌打ってね」

「わかりました」

 

 物凄く大雑把だが、素人である俺に多くを求められても困る。せいぜい「黙らないこと」「適度にしゃべること」を肝に銘じておくくらいだ。

 そうして、俺と千歌さん──もとい和歌さんの収録が始まった。

 

 

 

 

 

「……疲れました」

 

 夕方、家に帰り着いた俺は、荷物だけ部屋に置いた後、リビングにぐでっとへたりこんだ。

 

「お疲れ。なに、なんか失敗したの?」

「相手の方に何かされたんですか? 討ち入りした方がいいですか?」

「いや、小さな失敗は数え切れないくらいしましたけど、大きな失敗は特に。ただ精神的にこう、来るものがあったというか……」

 

 結果が気になっていたらしい朱華と瑠璃は「ああ」と同時に頷いた。

 そう。前回のは歌ってるところをとりあえず収録しました、というだけだったが、今回は(顔を隠しているとはいえ)全身映っているし、前もって「撮りますよ」と簡単な打ち合わせまでしていたので、どうしても緊張してしまったのだ。

 お陰で、撮られている間はわりと夢中だったのだが、終わってみるとどっと疲れた。

 

「で、楽しかった?」

「はい。それはもう、楽しかったです。千歌さんがちゃんとリードしてくれましたし……」

「リード……。アリス先輩、変な意味ではありませんよね?」

「そんなわけないじゃないですか」

 

 くんくんと髪の匂いを嗅いでくる瑠璃に目で抗議すると、彼女は目が合った途端恥ずかしそうに「す、すみません」と視線を逸らした。

 それを見た朱華がくすくす笑って、

 

「瑠璃。今の、女同士でも親しくなかったらアウトだから気をつけなさいよ」

「はい、肝に銘じておきます……」

 

 ああ、なるほど、距離が近すぎたことにやってから気づいたのか。俺としては女同士だから気にしないのだが、自然体に見える瑠璃にも意外と男としての意識が残っているのだろうか。

 そこで夕食の支度中だったノワールがやってきて、

 

「お疲れ様でした、アリスさま。……それで、動画はいつ頃見られるのでしょう?」

「ノワールさんまで見るんですか……? えっと、遅くても一週間以内くらいには編集して送るって言ってましたけど」

「じゃあ届いたらリビングで鑑賞会ね」

「絶対止めてください」

 

 溜まった映像データ整理してた両親が「懐かしい」とか言いながら小学校の運動会の様子をテレビに映し始めた時と同じくらい恥ずかしい目に遭いそうだ。刺し違えてでも止める、という覚悟が伝わったのか、朱華は「冗談よ」と言って宣言を撤回した。

 

 

   ◇    ◇    ◇

 

 

 千秋和歌@配信でも活動中♪ @XXXXX・1月12日    

 新作動画UP

 妹の友達(カラオケの時の子)と仲良くゲームしました

 (/・ω・)/ヨロシクネ

 https:XXXXXX...

 

「え、あれって一人二役じゃなかったのか」

 

 SNSの新着通知から声優・千秋和歌の個人チャンネル更新告知を見た俺は、思わず呟いていた。

 彼女の配信は一応、今のところ欠かさず見ている。アイドル系声優じゃないので本業だとそれほど顔出ししない声優。なのに顔が可愛い。なので、千秋和歌の熱狂的ファン、というわけではないものの、彼女の顔と声をたっぷり楽しめる配信はそれなりに楽しみにしている。

 その分、カラオケ回は個人的に微妙だった。

 いるかいないかわからない「同じ声の友人」を作り上げた上でやることが音声のみの配信、しかもカラオケルームの音をそのまま録って多少編集しただけ、というやっつけ感にげんなりしたのだが……それだけに今回の動画は気になった。

 すかさずリンクをタップして動画を再生する。

 

『こんにちは~、千秋和歌です』

『こ、こんにちは』

 

 流れ出す声。そして映像に、俺は「うお」と声を上げてしまった。

 本当に二人いる。しかももう一人は小さい。更に金髪だ。兎のお面をつけて和メイド服? を着ている。なんというか現実感のなさが凄い。けど、人形ではなく動いていた。しかも喋っていた。流暢な日本語で。

 

「なんだこれ」

 

 なんだこれと言いつつ、気づいたら最後まで見ていた。

 キャロルちゃん──キャロちゃんと呼ばれていた相方はいかにも素人という感じでたどたどしく、それでいてどこかあざとい可愛さがあった。

 ゲームに熱中し始めるとキャラの行きたい方向に身体が動く。攻撃を受けると声を上げる。攻撃しても声を上げる。千秋和歌と同じ声で。

 

「どこから連れてきたんだこんな子」

 

 妹の友人ということだが、こんな都合のいい人材がそう簡単に転がっているだろうか。

 とりあえずSNSで呟いてみる。少し経ってから見てみると、似たようなことを思った人は他にもいたようだ。

 

『実在はしてるんだろうけど素人じゃないって。事務所の新人とかだろ』

『いや、それにしちゃ下手すぎね?』

『だからこそ経験積ませるために、とかかもしれん』

 

 なるほど、一理ある。

 もしかしたら事務所的に、こうやって話題を作って売り出すつもりなのかもしれない。そうだとしたらまんまと思惑に嵌まっていることになるが。

 

「とりあえずこの子の素顔が見たい」

 

 同じことを呟いたら、やたらと「いいね」がついた。



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聖女、心配する

 三学期初日の朝、久しぶりに全員揃っての朝食(休日はだいたい朱華かシルビアか教授の時間がズレる)──と思ったら、食べ始める時間になっても瑠璃が起きてこなかった。

 

「どうしたんでしょう?」

「夜更かしして寝こけてるだけじゃないの?」

「朱華さんじゃないんですから」

「確かに」

 

 否定しろよ。

 と、それはどうでもいいとして、瑠璃の寝坊は本当に珍しい。健康に悪いからと早寝を心がけている子だし、基本的に真面目なので時間にはきっちりしている。

 だとすると……。

 

「もしかして病気とか?」

「心配ですし、わたしが様子を見てきましょうか」

「んー、多分大丈夫だと思うけど、万が一もあるもんねー」

 

 心配になってきた俺たち。ノワールが食事を中断して腰を浮かしたところで、リビングの入り口から物音がした。もこもこした白いパジャマ姿の瑠璃だ。着替えていないのも珍しいが、足元もふらついていて表情も良くない。

 これには俺も立ち上がってノワールと一緒に歩み寄った。

 

「瑠璃さん? どうしたんですか、風邪とか……?」

「おはようございます。心配かけてしまってすみません。なかなか起き上がる気力が出なかったもので……」

 

 申し訳なさそうに言う彼女を左右から支える。身体に力が入っていない。やはり体調は良くないのだろう。

 

「一度、熱を測った方が良さそうですね」

「あはは、大丈夫だと思います。これ、病気じゃないので。……あれ? 病気としては扱わないんですよね?」

「何を言っているのかわかりませんけど、とりあえず座ってください」

 

 空いている席に瑠璃を座らせると、彼女は安堵したように深い息を吐いた。それを見ていたシルビアが「あ」と声を上げて、

 

「もしかしてアレじゃない? 瑠璃ちゃんは初めてだよね?」

「初めて? ……あ、もしかしてアレですか」

 

 言われてみれば、清潔感のある瑠璃の香りとほんのりとした汗の匂いに混じって鉄のような匂いを感じる。

 瑠璃が来てからだいたい一か月くらい。女子ならば誰もが通る洗礼に彼女も当たってしまったようだ。ぐったりとした様子もアレなら納得だ。

 

「処置は大丈夫でしたか?」

 

 初めてのアレで苦労した同士として尋ねると、瑠璃はあまり余裕がなさそうな様子でこくんと頷いて、

 

「一応は。……でも、苦労しました。こればっかりは男の時に練習できなかったので」

「ふむ。予習ばっちりな瑠璃の意外な盲点ということか」

「教授さま。弱っている方をいじめるのはよくありませんよ」

 

 そう。瑠璃はとても弱っている。普段の様子が嘘のような憔悴っぷりだ。

 

「これ、アリスの時より酷いんじゃない?」

「まあ、アリスちゃんってそんなに重い方じゃないもんね」

「そうですね。……最初の時は辛かったですけど、精神的ダメージが大きかったのもありますし」

 

 回数を重ねる度に慣れたし、女として生きて行くことを決めてからは素直に受け入れられるようになった分、症状も軽くなった。もちろん来るたびに憂鬱にはなるのだが、来るものは来るんだから仕方ないと思っている。

 それに比べると、瑠璃は症状自体が重そうだ。

 とりあえず市販の薬を飲んでもらうことにする。栄養を取るのも大切なので、瑠璃は食欲がなさそうにしながらも箸を取って緩慢に朝食を口に運び始める。そんな彼女が、こくん、と軽く飲みこんで唇から漏らしたのは、

 

「想像以上に辛いんですね。こうなる前、辛いって言ってる人に『羨ましい』って言ったことがあるんですけど……罰が当たったかもしれません」

「あー。それは軽率だったかもね」

「朱華さん、完全に追い打ちです」

「いいんです、アリス先輩。……先輩にも一言、謝りたいですね」

 

 口ぶりからすると、二度目の『先輩』は俺のことではないのだろう。件の会話を交わした女性のことだろうか。そんな話までできる相手ということはかなり親しかったのだろう。お互い、会えなくなってしまって寂しい気持ちもあるかもしれない。

 俺が代わりにはなってやれないが、何かしてやりたい。

 

「治癒魔法をかければ少しは楽になると思います。よければ今日、学校を休んで看病しましょうか?」

「いえ、病気ではありませんし。それに、アリス先輩も学校、楽しみでしょう?」

 

 それはまあ、もちろん楽しみだが。とはいえ冬休みは短かったし、今日は始業式とHRで終わりなので無理に行く必要もない。

 と、ノワールが微笑んで、

 

「大丈夫ですよ、アリスさま。瑠璃さまにはわたしがついております」

「あ……そうですね。ノワールさんがいれば安心です」

 

 一人では大変では、という思いもなくはないが、俺が学校に通い始める前だって彼女に世話をしてもらっていたのだ。ある意味、ノワールにとっては慣れっこのはずだ。

 安心して笑顔を浮かべる俺。すると瑠璃は何かを言いたげに俺をじっと見つめて、

 

「あの、アリス先輩。やっぱり心細いのでついていて頂いても──」

「アリスよ。瑠璃は大丈夫そうだぞ」

 

 教授が少女の発言をばっさりとぶった切った。

 

 

 

 

 

「瑠璃は三学期デビューとかにしなくて本当良かったわね。結果論だけど」

「そうですね。危なかったです」

「あはは。登校初日にお休みじゃ、せっかくの馴染むチャンスが台無しだもんね。病弱キャラってことで逆に注目されるかもだけど」

 

 学校に向かう道中はそんな話になった。病弱キャラうんぬん、という話を聞いて朱華が「その手があったか」みたいな顔をしたが、多分、彼女の場合は誰も信じてくれないと思う。髪色的に元気キャラのイメージが強すぎるし、どこかで絶対ボロが出る。

 

「おはよー、アリスちゃん。あけおめー」

「おはようございます、皆さん。あけましておめでとうございます」

 

 教室に着いた後は休み明け恒例、みんなに挨拶をして回った。

 今回は特に遠出もしていないのでこちらからのお土産はなかったのだが、親の実家に帰った子なんかもいるので、幾つもお土産をもらってしまった。お返しのために何か用意しておくべきだったか、と今更ながらに思ったが「気にしなくていいよ」とのこと。

 担任からは中三の三学期ということで進学、受験に関する話があった。萌桜(ほうおう)学園の場合、多くの生徒がエスカレーター式に高等部へ上がるため、教室内はさほど緊迫した空気でもなかったが、内部受験とはいえ油断のしすぎは禁物。

 また、中には外部受験をする子もいるのでそのあたりの配慮も含め「頑張ろう」という雰囲気になった。

 授業に関してはあまり新しいことを教えず、受験対策や高等部の内容の予習に絞ってくる先生もいるらしい。自習にしないあたりは真面目だが、三学期のテストはこれまでに比べると難易度が低めになるかもしれない。その分、受験に力を入れられるというわけだ。

 

 昼前にシェアハウスへ帰ると、瑠璃も薬と休息のお陰かだいぶ落ち着いていた。

 

「ご心配をおかけしました」

「気にしないでください。私も通った道ですから」

「……これを経験した上で女子の道を選んだアリス先輩は本当に偉大ですね」

 

 遠い目をしてしみじみと尊敬された。なんというか、こんなところでそう言われても複雑な気分にしかならないのだが。

 シルビアはくすくすと笑って、

 

「男に戻る薬はまだ作れるから、欲しくなったら言ってねー。私も実験台が欲しい……じゃなかった。自分の薬で喜んでくれる人がいると嬉しいし」

「いえ、さすがにそれは。……彼女でもいたら考えたかもしれませんが」

 

 やっぱり、件の先輩は彼女ではないのか。女の子と付き合ったことはなさそうな感じだったからそうだとは思ったが、ひょっとして瑠璃の変身前は結構モテたんじゃないだろうか。千歌さん(せいゆう)にセクハラする大学生もいれば、瑠璃みたいな大学生もいる。人それぞれである。

 

「でも、瑠璃さん。週末のバイトは大丈夫そうですか? もし長引くようなら日程はズラせますから言ってくださいね?」

「ありがとうございます、アリス先輩」

 

 微笑んで頷く瑠璃。幸い日数はそこそこあるので回復してくれるとは思うが、病み上がりで無理をさせるのもアレだし、弱ったところに今度こそ風邪をひく可能性もある。初陣だからこそ無理は禁物だ。

 すると朱華が肩を竦めて、

 

「ま、その場合、二週続けてバイトになりそうな気もするけどね。アリスも錫杖の試し振りとかしたいでしょ?」

「せめて新装備のテストとか言ってください。錫杖は金属バットじゃないんですから」

 

 破壊力は金属バットよりも高いが。

 確かにテストはしておきたいところだ。錫杖の効果も本格的には試していないし、衣装と聖印も先日届いた。こちらは試着だけしてバイトのためにとっておいてある。お楽しみというわけではないが、今使っている十字架も全く壊れていないので急いで替える必要がないのだ。

 

 

 

 

 とはいえ。

 

「知らない神様のしるしを学校に持って行ったら没収されるんでしょうか」

「いや、あたしにそんなこと聞かれても」

 

 教授以外のメンバーで昼食を食べた後、自室に朱華を呼んで相談してみる。内容はふと浮かんだ疑問だ。特殊過ぎて「知らん」としか言いようがないのももっともだが、俺としては割と重要な問題である。

 クッションを抱きつつ俺のベッドに腰かけた朱華は「あー」と呻いて、

 

「まあ、コスプレグッズ扱いはされそうよね」

「ですよね」

 

 だとすると一回目は注意、二回続いたら没収といったところだろう。

 これは私が信仰する神様のしるしです、と、懇切丁寧に説明すれば話は別かもしれないが、それはそれで「じゃあなんで今まで十字架持ってたの?」という話になるだろうし、そもそも情報が断片的すぎて「どんな神様なの?」という質問にさえ答えられない。

 

「あれ、新しい聖印、学校には持っていけないんじゃないですか……?」

「今のが無駄にならなくてよかったじゃない」

 

 その通りだ。その通りだが、そういうことじゃない。

 

「……日本には信教の自由があるんじゃなかったんですか」

「それはそれとして危ない奴は取り締まるでしょうよ」

 

 そりゃそうだ。

 

「っていうか、正体バレちゃいけないんだから神様の件も駄目でしょ」

「ですね」

 

 仕方ないので、学校では十字架、家で朝晩祈る時やバイトの時はちゃんとした聖印を使うことになりそうだ。だったら聖印はもう下ろしてしまっても良い気もするが、せっかくなのであと数日は取っておくことにする。

 

「バレるといえば、アリスの動画デビューの方は大丈夫なんだっけ?」

「はい。そっちは一応、上の人にも確認取ってあります」

 

 受け取った回答は「変身前の自分の情報を匂わせたり、能力に関連する内容を流さなければOK」というものだった。でないと教授が大学で講義したり、講演したり、研究発表したりするのも場合によってはアウトになりかねない。

 ただし、もし万が一、芸能活動をするようなことになった場合はまた相談するように、とのことである。例えば「グラビア撮影が入っているのでVIPの治療に行けません」とかいう事態になったら困るからだ。そうならないよう、息のかかったマネージャーを送り込むとか、事務所の社長にだけある程度の事情を説明するとか、何かしらの対処が必要になってくる。

 いやまあ、さすがにそんなことはないと思うのだが。

 

「本当楽しみだわ、あんたがどれだけテンパってるか」

「そこを楽しみにしないでください!」

 

 千歌さんによって編集された動画が送られてきたのは二日後のことだった。

 朱華たちと一緒に確認してみたところ、みんなからはおおむね好評だったものの、やっぱり俺としては「穴があったら入りたい」という感じの代物だった。

 

「私って傍から見るとこんななんですね……」

 

 あざとい。ゲームに夢中になるのは仕方ないが、いちいち「あっ」とか「あうっ」とか「ううっ」とか言ってる上にいちいち無駄に動く。そのくせ演技とか発声の部分に関しては駄目駄目。素人なんだから当たり前といえば当たり前だが、もし次があるなら少しでも改善したいところである。

 そして。

 俺の予想を大きく超える反響を得た上、「お面取って」というコメントがSNSや動画ページ上で殺到した結果、千歌さんの所属する芸能事務所から千歌さん経由で連絡が来ることになったりするのだが、それもまた、もう少し先の話である。



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聖女、完全武装する

遅くなりました。
しばらく体調を崩しておりましたが、ようやく更新です。


「……さて」

 

 土曜の夕食後。

 普段以上にしっかりと入浴を済ませた俺は、満を持してクローゼットを開いた。

 一度試着しただけ、ほぼ新品の状態でハンガーにかけられた衣装を手に取り、クローゼットのドアへと掛けなおしてから、今度は机の引き出しを開ける。

 取り出したのはオーダーメイドで製作した聖印だ。

 

 ハートマークのようにも、リンゴのような果実にも見える印を金属の輪が──その、なんというか「米」の字のように取り囲んでいる。

 輪の内側に「アリシア・ブライトネス」の名前を刻んでもらった他、細かな細工もいくつもある。

 丸いので小さめに作って貰ったのだが、その分、細工をするのは結構大変だっただろう。

 同梱してもらったチェーンは女性らしい細いもの。ただし、さすがにお金をかけただけあってか、簡単には千切れないような丈夫さが感じられる。

 

『試しにチョーカーを買ってみたらうまく留められなくて、苦戦している間にチェーンが壊れたことがあります……』

 

 とは瑠璃の体験談だが、こういうものの質も意外に大事である。特に戦いに持って行く以上、激しい動きをすることは確定なのだから。

 涼やかな小さい音を立てつつ、聖印を首へ装着。

 身に着ける下着は新しいものを下ろすことにした。さすがに衣装と一緒に注文した高級下着は戦いの場にそぐわないので、あくまでそこそこの値段の品だが、白い清楚なデザインである。

 冬場ということで下半身には厚手のタイツを装着。白で統一しようかと迷いつつ、タイツくらいは、と大人っぽく見える色である黒を選んだ。

 

 そして最後に衣装。

 聖職者衣装、ではなく、これはもう『アリシア・ブライトネスの衣装』と呼ぶべきだろう。

 白をベースとした清らかな外観。デザインを担当したイラストレーターさんグッジョブと言うべきか、スカート部分に細かいスリットが入っていたり、腰回りを締め付けすぎないように配慮がされていたり、きちんと戦うことを念頭に置いた工夫がされている。

 その分、着る時だけは背中のファスナーを上げて終わりとはいかないのだが──注文者が他ならぬ俺である以上、着方はわかっている。丈夫な生地とはいえ、気分的にそっと大事に袖と足を通せば、

 

「──うん」

 

 アリシア・ブライトネスが完成した。

 髪を整え、衣装に微調整を加えて鏡に向き合えば、ああ、これだと自然に思った。これなら戦える。存分に力を振るうことができる。

 いや、もちろん正確に言えば、ファンタジー世界にファスナーがあったかは定かではないし、衣装にも聖句を細かく綴った神聖な防御力つきの刺繍なんかがあっただろうとは思うのだが、そういうのはこの際置いておいて。

 これは、俺のための衣装だ。

 半ば無意識に錫杖を召喚する。そのまま目を閉じて、祈りを捧げる。

 一分もしないうちに思考が解けて消えていき、こんこん、というノックの音ではっとするまで、俺は無心を続けていた。

 

「アリス先輩? 準備は大丈夫ですか?」

「はい、今行きます」

 

 ちらっと時計を見たら三十分以上過ぎていた。いわゆるゾーン的なやつだったんだろうかと思いつつ歩いていき、ドアを開ける。

 ちなみにスマホはポケットに放り込んだ。こういう便利ポケットは元デザインになかったのだが、ノワールに相談したりしてさりげなく追加してある。

 

「お待たせしました、瑠璃さん。行きましょう」

「あ──」

 

 見上げると、ぽかん、と呆けたような瑠璃の顔があった。

 少女は長い黒髪を後ろで束ね、黒いジャージの上下に身を包んでいる。俺と同じく身を清め、気合いを入れたのだろう、いつもとは少し違う、より凛とした雰囲気が感じられる。

 なので、知人が出てきただけでびっくりしなくともいいと思うのだが。

 

「瑠璃さん?」

「っ」

 

 我に返った少女はまだ半分呆けたような口調で「一瞬、本気で見惚れていました」と言った。

 

「ありがとうございます。でも、褒め過ぎですよ」

 

 もし真実だったとしてもそれはアリシアが凄いのであって、俺はオリジナルの風格を半分も再現できていないはずだ。なので、俺がもっと成長するまで取っておいて欲しい。

 

「それより瑠璃さん、本当に大丈夫ですか? 疲れも痛みも二日酔いも癒しますから言ってくださいね?」

「大丈夫です。というか、お酒はあれ以来口にしていません」

 

 いつもの調子に戻った瑠璃からは「やっぱりアリス先輩ですね」と、たぶん褒め言葉ではないことを言われた。

 

 

 

 

「おお、来たか。……いや、これまた随分と気合いが入っているな」

「お帰り、アリスちゃん。凄いね、ゲームのヒロインみたいだよ」

「一応こいつって主人公兼ヒロインですからね。……にしても墓地行くだけなのになんで最終決戦みたいな装備してんのよ」

「……あはは。その、せっかくなのでお披露目をと」

 

 苦笑しながらみんなの前に立つ。

 そういえばノワールは黙ったままだなと顔を上げると、目を爛々とさせながら思案のポーズを取ったメイドさんがいた。

 

「わたしも一度、これでもかと戦闘メイドをしてみるべきでしょうかっ?」

「お主ら二人の完全武装なぞ、怪獣でも相手にせねば不足するわ」

「まあ、あのでっかいオークはちょっとした怪獣だったけどねー」

 

 ほんとだよ……。

 

「良かったわね瑠璃。アリスとノワールさんがこれだけ張り切ってれば超イージーモードよ。チュートリアルだと思って戦いなさい」

「は、はい。……若干、張り切っている方向が気になりますが、頑張ります」

 

 と、瑠璃は刀代わりの竹刀を握って頷いた。

 そしていつもの車に乗り込み、向かうはいつもの墓地である。

 

「っていうかこの人数だと狭いわね」

「すみません……」

「いや、瑠璃のせいではないが。いっそもう一台買ってしまうか?」

「荷物のことも考えるとその方が無難ですけど……」

 

 中で作戦会議とかはしづらくなるし、いいことばかりではない。というか年長者が二人しかいない以上、必然的に教授が運転することになるのだが。遠征した場合、検問の度に年齢確認で時間を食うビジョンしか見えない。

 

「シルビアさん、免許取りませんか?」

「たぶん学科は一発でいけるし別にいいけど、一年ちょっと先だよー? ……あ、それともバイクとか買っちゃおうか?」

「白衣の下にライダースーツ着こむの? ……似合いそうね。広い場所なら戦闘中の機動性も上がりそうだし」

「あ。アリスちゃん乗せて移動砲台しちゃう?」

 

 楽しそうに言いながら、膝に乗せた俺をホールドしてくるシルビア。

 ちなみに教授は朱華に抱きかかえられており、多少、というかわりと不満そうだったりする。身長的に妥当、と助手席に座らされた瑠璃が苦笑半分、呆れ半分と言った感じで視線を送ってきた。

 

「モンスター退治というからどんな雰囲気なのかと思いましたが……キャラクターシートを前にダイス振ってるのと大差ありませんね」

「ずっと気を張っていたら疲れてしまいますからね。それより、そろそろ着きますよ」

 

 ノワールがまとめるように言った通り、目的の墓地はもうすぐだった。

 

 

 

 

 

「なんだか不気味ですね……」

 

 俺たちについて夜の墓地を歩きながら、瑠璃がぽつりとこぼす。

 髪の色と服装的に、竹刀をプラスしてもなお彼女が一番見た目が普通っぽい。さながら「不審者を見かけて怯えている体育会系女子」といったところである。

 後の面々は推して知るべし。

 俺はまあ、ここが西洋墓地だったらある意味似合ったかもしれないが。

 

「まあ、ここは変わらないわね。いつも通り」

「慣れてしまったせいか安心感さえあるな」

「………。アリス先輩的にはどうなんでしょう? 墓地って、やっぱり落ち着かないんですか?」

「そうですね……。やっぱり、少し嫌な感じはしますね。きちんと弔われた人たちが眠っているわけなので、闇の力がどうこういうのも違う気はするのですが」

 

 いくら清めても死体が負の属性であることに変わりはないのかもしれない。微々たるものとはいえ多く集まればそれなりの闇パワーになってしまう。墓参り等々で軽減している分なんかもあれこれあって結果的にはあまり気にならないレベル、といったところか。

 現代の宗教組織が埋葬から管理・清掃まで担当するのであれば聖なる気配がしたりするのかもしれないが……でも、ぶっちゃけ西洋墓地の方がゾンビ出そう感は上なんだよな。

 などと言いながら、俺たちはある程度歩いたところで立ち止まる。正確には瑠璃は他のメンバーが止まったのを見てそれにならった形だが。

 

「瑠璃さま。あちらに邪気が集まっているのがわかりますか?」

「わかります。……その、アリス先輩が凄くてわかりづらいのですが」

「私邪魔ですか……?」

「このタイミングに限っては邪魔でしょ。なんか若干光ってる気さえするし」

「心なしかモヤモヤしてる奴らも怯えてるよねー」

 

 俺が正装してあちこち歩いてるだけでも多少の邪気払い効果があるとでもいうのか……? 空気清浄機か何かみたいに使われてもさすがに困るんだが。

 ともあれ。

 集まってきた邪気は俺たちを取り囲むように、普段よりも少々距離を取った形で実体化した。その数八。

 二足歩行の小柄な身体。腐臭のする身体は生前からまともな色をしていなかったのかどす黒く、顔の先端部には特徴的な鷲鼻がかろうじて残っている。手にしているのは骨を適当に加工しました的なこん棒。

 

「ゴブリンゾンビ、ですか……っ!?」

「そのようだな」

 

 驚いたように声を上げた瑠璃に教授が応じる。俺も最初の頃はこうだった、と、なんだか懐かしく感じてしまう。今となってはさすがにもう、敵が出ただけで驚きはしない。

 ノワールもまた穏やかに微笑んで、

 

「大丈夫です、瑠璃さま。持ち前の獰猛さと俊敏性がゾンビ化によって削られておりますので、危険性はかなり低いかと」

「って、言ってる間にも近づいてきてるんですが……っ」

「んー。のんびり待ってられる時点でねー」

「ま、そうは言っても、数はちょっと多いわね。しばらく来てなかったからかしら。せっかくだし、数減らしがてらデモンストレーションしとく?」

 

 確かに、五体も減らせばちょうどいいだろう。

 

「そうですね」

 

 ということで、頷きあった俺たち(瑠璃以外)はさっと動いた。

 

「あー、うん。触りたくないわこいつ」

 

 割れやすい容器(シルビア作)の油を叩きつけたゴブリンゾンビAに朱華が遠隔発火。

 燃え上がりながら迫ってきたそいつの腹は適当に蹴っ飛ばして転ばせ、KO。

 

「ふっ。この程度の相手なら吾輩一人でも撲殺できる」

 

 ごっ!

 教授の専用武器であるでかい本がフルスイングされ、ゴブリンゾンビBの胴体が頭ごと吹っ飛んだ。

 

「……止まって見えます」

 

 銃を使うまでもないということか。ノワールはナイフ二本を手に舞うようにステップを踏み、ゴブリンゾンビCをバラバラに解体。

 

「……あれ? 死んでる相手だと酸って分が悪くない? 私、朱華ちゃんと持ち札が被ってない?」

 

 などと言いながらシルビアが投擲したのは透明な液体。

 ただの水かと思いきや、容器が割れるや否や「じゅっ」とか音がして、命中した部分からゾンビDがしゅわわーと消滅していく。

 あれはなんなのかと尋ねると「アリスちゃんの聖水」とのこと。いや、うん、聖別された水ならアンデッドにも効くが……朱華がぴくりと反応したのがなんとなく嫌だった。

 俺はふるふると首を振ると気を取り直して、

 

「《聖光(ホーリーライト)》!」

 

 じゅっ。

 

「……じゅっ?」

 

 これまでの比じゃない輝きが生まれたかと思うと、ゴブリンゾンビEが一瞬にして消滅した。というか、後方にいたFまでもが余波を食らって消えていく。心なしか、離れていたGとHまで動きが鈍くなったような気がする。

 あれ、まだ俺、ウォーミングアップくらいのつもりだったんだが。

 ぽん、と教授に肩を叩かれて、

 

「お主、本格的な攻撃魔法使いでなくて良かったな」

「使えても人には撃ちませんよっ!?」

 

 勢い余って二体倒したのはまあ事故として、残り二体。これくらいなら本当にちょうどいい練習相手だろう。もちろん俺たちが周りに控えているし、ゾンビというのは物理攻撃に強い。斬撃武器でなかったのが逆に良かったものの、思いっきり何度もぶっ叩かないと倒せないかもしれない。

 

「瑠璃さん」

 

 視線を送ると、少女は唇をきゅっと噛みしめ、竹刀を両手で握って足を踏み出した。

 

「やります」

 

 のろのろと迫ってきたGとH。

 初撃は、Gの肩あたりへの痛打だった。ごしゃ、と命中部位が潰れ、崩れ落ちるゾンビ。それでも体制を立て直そうとするそいつの腕、脇腹に追撃。三発目でさすがにもう動かなくなった。

 残ったHの方はもっと簡単。

 一撃で頭部を砕かれ、転倒したところへ上からの突き。動けなくなったゾンビたちはいつものように虚空へと消えていき、後には何も残らなかった。



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聖女、試し振りをする

「結構収穫がありましたね」

「二件も回ればそりゃそうでしょ」

 

 帰りの車内。

 今回のバイトの感想を口にすれば、朱華が笑ってそう答えた。なお、朱華に抱かれている教授はそれ以上の笑顔だ。もうニコニコである。そこまで上機嫌だと良いことがあった幼女にしか見えない。

 

「うむ。戦利品に、新戦力の追加。アリスのパワーアップ……いいことづくめだな。このままボス戦とは無縁の生活を送りたいものだ」

 

 教授が機嫌のいい理由のうち、おそらく大部分を占めるであろう要因は俺たちの後ろに積まれている。折り重なるようにして置かれたそれは一見ガラクタにしか見えないが、複数体におよぶ機械人形の残骸である。

 墓地での戦闘が終わった後、例の公園へはしごしたのだ。

 瑠璃が頑張ってくれたこともあって、他のメンバーは殆ど疲れていなかった。加えて俺の新装備入手。もし万が一、シュヴァルツがもう一度現れても勝つ自信はある──ということで、そのシュヴァルツからも頼まれている機械部品入手も兼ねて公園へ行った。

 一戦を終えて疲れている瑠璃と、機械相手だとパフォーマンスが発揮しにくいシルビアを車に残して挑んだ結果は、雑魚の機械人形が何体か現れるだけ、という予想通りのものだった。これくらいなら余裕だと、俺は意気揚々と魔法を発動しようとして、

 

『待てアリス。お主がやると部品が破損しすぎるかもしれん』

 

 と、教授に止められてしまった。

 パイロキネシスも効きづらいので朱華もほぼ見学だったが、だからといって気持ちが収まるわけでもなく。

 

『じゃあ、物理攻撃ならいいですか?』

『む……まあ、それなら許容範囲内だろう』

 

 ということで、機械人形の一体に錫杖による突きを入れた。

 結果はというと──ぐしゃ、という音と共に柄が顔面を貫き、頭部がまるごと千切れた。頭(とメインカメラ)を失った人形は何度か(できるだけ穏便に)小突いてやると動かなくなったので、ありがたく回収させてもらった。

 残りの敵もノワールによって適度に痛めつけられて上手い具合に無力化できている。

 これだけ収穫があれば収入も期待できるだろう。そもそも今回は基本給自体が高いはずだ。何しろバイト二回分である。偉い人たちも多く働く分には文句を言わないに違いない。

 臨時収入で誰かに何かプレゼントでもしようか。……そういえば、あとひと月もするとチョコレートが多く売り出される時期ではないか。自分用にお菓子を買い込むのもいいかもしれない。

 などと考えていると、

 

「私は、皆さんの凄さをあらためて実感しました」

 

 瑠璃の呟きは車内に余すことなく響いた。

 

「んな褒めるようなもんじゃないわよ。あたしとか、瑠璃に殴り掛かられたら秒で負けるだろうし」

 

 朱華が肩を竦めて答える。まあ、実際その通りだ。敵との戦いであるならば、少女は秒で負ける前に髪あたりへ火をつけるだろうが。

 要は適材適所である。

 

「私は、むしろ瑠璃さんが動けていたことに驚きました。私なんて最初の頃は魔法を撃つしかできなかったんですから」

「……アリス先輩が、ですか?」

「はい。自慢じゃないですけど」

「っていうか、アリスは今でもそれしかできないじゃない」

「はい。自慢じゃないですけど」

 

 俺は胸を張って答えた。錫杖での物理攻撃にいくら威力があろうと、まともな敵にはまず当たらない。それでいいのである。何しろ俺は後衛、それもヒーラーなのだから。

 

「バイトではみんなが大怪我せずに帰ってくることが重要なんです。だから、瑠璃さんが前で敵を食い止めてくれるだけで大助かりですし、それだけでも十分すぎるくらいなんですよ」

 

 助手席にいる少女へ微笑みかけると、その肩が僅かに揺れて、

 

「それでも、もっと訓練したいです。もっと皆さんの役に立てるように」

「良いと思います。わたしも、時間があればお相手できるかと」

 

 ハンドルを握るノワールが穏やかに応じる。

 朱華の膝の上に乗った教授も厳かに(可愛く)腕組みして、

 

「うむ。ただし、無理はするなよ。……といっても、身体を動かす分には『やり過ぎて命を削る』なんてことはそうないだろうが。家の外で訓練する時は人目と事故にも気をつけるように」

「はい。気をつけます」

「あの、教授? その『やり過ぎて命を削る』っていうのは……」

あんた(アリス)の事に決まってるでしょうが」

「アリスちゃん? 不死鳥戦で倒れた時も、ボスオーク戦で動けなくなった時も、お姉さん肝が冷えたんだからね?」

「……反省します」

 

 俺はしゅん、と肩を落とした。

 瑠璃が無茶なことを言ってみんなに心配されていたはずなのに、何故か俺への駄目出しが始まっていた。なんというか、少しだけ酷い話である。

 

 

 

 

 

 さて。

 新年最初のバイトを終えて俺が思ったことは「そろそろボス戦の依頼が来そうだな」だったのだが、案の定というかなんというか、バイトをした翌日の日曜の夜には教授から打診があった。

 

「喜べ。……いや、ぶっちゃけた話喜ばしくはないが、政府から『ここで化け物退治をして欲しい』とたっての依頼があった」

「ボスですね」

「せめて二週間、できれば一か月準備期間が欲しいかなー」

「……あの、皆さん慣れ過ぎでは?」

 

 間髪入れずに「やばい敵が出る前提」の話を始めたノワール、シルビアを見て瑠璃が遠い目になる。

 水を向けられたのは主に俺なのだが、

 

「残念ながら、向こうから場所を指定された時って碌なことがないんですよね……」

 

 邪気払いをするなら邪気の溜まっているところの方が有効なのは当然。

 そして、邪気の溜まっているところというのは事故や事件が起きやすくなっている。政府が見繕ってくるのはそういう「逆パワースポット」なわけで、邪気が溜まっている=敵が強いのはある意味当たり前ではある。

 朱華もこれにジト目になって、

 

「今回はどんな語呂合わせ?」

「うむ。目的地は車で一時間以上移動した先にある廃寺だ。名前は蛇命寺。地域の人間からは『蛇寺』なんて呼ばれているらしい」

「蛇……」

 

 俺たちは──瑠璃まで含めて──顔を見合わせると嫌な顔になった。

 蛇に良いイメージを持っている人間はなかなかいない。まむし酒の愛好家とかそういう人間くらいだろう。そういう意味ではシルビアは薬の材料として好んでいるかもしれないが。

 

「とりあえず、大蛇が群れで出てきて当然ってとこ?」

「その大蛇が毒を持っていてようやく平常運転でしょう」

「ウロボロスの蛇とか出たら即回れ右ね」

「そこまで行かなくても、ドラゴンとか出ませんよね……?」

「わからん。不死鳥が出たのだからそれくらいは有りうるかもしれん」

「本当に、皆さんが達観しすぎていて怖いんですが……!?」

 

 瑠璃が初々しい反応をしてくれるのがなんというか救いというか癒しである。

 

「瑠璃よ。このバイトには参加しなくてもいいぞ。いつものボス戦なら我らも死力を尽くす羽目になる。一つ間違えば本気で死ぬかもしれんからな」

「っ」

 

 目を見開き、唇を噛む瑠璃。

 しかし、決して大袈裟ではない。不死鳥の時もシュヴァルツの時も、ボスオークの時も。敵があともう少し強ければやられていたかもしれない。

 次は勝てるという保証もない。

 瑠璃は俺たちの顔を順番に見て、

 

「皆さんは行くんですよね?」

 

 全員が頷く。

 

「どうして、そこまでして『バイト』をするんですか?」

「我らが国の敵ではないと示すのに必要だからな」

「今後のためにお金を稼いでおきたいですから」

「珍しい素材が手に入るかもしれないし」

「バイト代が入らないとエロゲ買えないし」

「邪気を払えば世の中が良くなりますからね」

 

 それぞれの返答を聞き、瑠璃は噛みしめるように頷く。

 漆黒の瞳が一瞬揺らぎ、それからすっと強い輝きを宿して前を向いた。

 

「なら、私も行きます。それまでに訓練して、もっと強くなります」

 

 これには教授が破顔する。

 

「よく言った。アリスやシルビアに護衛がつくだけでも大分違うからな。そういう意味では頼りにさせてもらうぞ」

「はい。……では、少なくともアリス先輩に白兵戦で勝てるくらいにはならないといけませんね」

「いえ、今でもたぶん負けると思うんですが……」

「おそらく、今の私ではあの錫杖の守りは突破できません」

 

 ああ、なるほど。木刀に比べると錫杖はリーチが長い。あれで防御に専念すれば確かに近づくのも困難だろう。しかし、あの錫杖は決して白兵武器ではないのでそこだけ注意してもらいたい。

 

 

 

 

 

「ねえ、アリスちゃんアリスちゃん」

 

 週明けの月曜日。

 いつもの四人で中庭へ行き、それぞれのお弁当を広げたところで、隣に座った芽愛(めい)が話しかけてきた。

 

「バレンタインはどうするか、決まってる?」

「バレンタインですか」

 

 そのイベントについてはつい先日思い出したばかり。

 言わずと知れた二月十四日。元はお菓子会社の販売戦略だとか、外国だと男子が女子に渡すイベントだとか言われてはいるものの、日本においては女子がチョコレートを用意し、好きな相手やお世話になっている相手へ渡す、という行事だ。

 それに先駆けてお菓子メーカーや製菓店はこぞってチョコレートを売り出す。珍しいチョコレートや美味しいチョコレートが安く手軽に手に入るチャンスとあって、他人にあげる気のない「食べる専門」の女子や、甘いものに関しては肩身の狭い「甘党男子」も心待ちにしているとかいないとか。

 変身してから初めてのバレンタイン。俺としては、

 

「はい。せっかくですから手作りチョコにチャレンジしてみようと思っています」

「だよね、だよね? やっぱりそうなるよね?」

 

 返答した途端、楽しそうに声を弾ませる芽愛。文化祭で美味しいお菓子を作ってくれたように、彼女の料理への情熱はお菓子作りにも及んでいる。こういうチャンスは逃すつもりがないようだ。

 一方、料理やお菓子作りにはそれほど興味のない鈴香(すずか)縫子(ほうこ)はというと、

 

「アリスさんの」

「手作りチョコ」

 

 と、何やら意味ありげに顔を見合わせていた。

 なんだろう。自慢じゃないが、文化祭の試作の際も俺は芽愛の助手をきっちり勤め上げている。得意な人間に対抗できるかどうかはともかく、チョコの味がしないようなものを作るつもりはないのだが。

 

「いえ、誰にあげるつもりなのかと」

「私は、姉さんが喜びそうなネタだな、と」

「あ、なるほど」

 

 チョコづくりが動画のネタになるのか。意外だが、それなら俺も作る方に集中できるしアリかもしれない。

 それはそれとして、

 

「あげる相手は普通じゃないかと。鈴香さんと縫子さんと芽愛さんと、クラスのみんなと、それからシェアハウスのみんな、あとは担任の先生とかでしょうか」

 

 ああ、椎名とシュヴァルツにも作ろうか。意外と数が必要になりそうだから、またネットや本で情報収集をしなければならない。

 と、鈴香はお弁当を食べ進めながらも瞳を輝かせて、

 

「誰が本命なのかしら?」

「ほ、本命!? いえ、そういうチョコはない、と思うんですけど」

 

 考えたこともなかった。俺がみんなにあげたいのは普段のプレゼントの延長のような、いわゆる「友チョコ」だ。愛の告白とセットにするような本命チョコは作りたくとも相手がいない。

 変なことを言われて頬が熱くなってしまった俺は「あ」と指を立てて、

 

「じゃあ、鈴香さんに本命チョコを作りましょう」

「な……っ!?」

「ふむ。アリスさん、意外に大胆ですね」

 

 俺の反撃に真っ赤になる鈴香。縫子が冷静に呟き、芽愛はなおも楽しげに、

 

「アリスちゃんの本命は鈴香だったかー。これは受け取ってあげないとね、鈴香?」

「っ、アリスさん? 芽愛? あまり私をからかわないでくれないかしら」

「鈴香が先にからかったんじゃない。……あ、じゃあ私も鈴香に作ろうかなー、本命チョコ」

「いいですね。一緒に作りましょう、芽愛さん」

「うん、アリスちゃん」

 

 にんまりと笑って頷きあう俺たち。

 厳密には恋愛感情がない時点で本命にはならないのだろうが、そこはそれ。チョコ自体の大きさやラッピングを工夫することで「それっぽく」見せることは可能だ。既製品でもない限りハート形のチョコはなかなか作らないものである。

 ……待てよ。なら、朱華たち相手のチョコもハート形にしたら受けが取れるのだろうか。少し面白いかもしれない。

 

「待ちなさい。女子からの本命チョコがそんなに幾つも届いたら……もはやテロじゃない」

「性質が悪いですね」

 

 淡々と評価した縫子がある意味一番、危険な気がした。



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聖女、金を貸したがる

「木刀だと威力が足りないと思うんです」

 

 新年最初のバイトから数日後の夕食時、瑠璃がそう言って話を切り出した。

 

「なので、できれば日本刀を手に入れられないかと」

 

 きっかけは、やはり先日のバイトだ。

 あの時のゴブリンゾンビ程度ならぶっちゃけ木刀でも十分。腐りかけの肉をすぱっとぶった斬るには技量が足りていない以上、殴って潰す方が楽ですらあった。公園の人形相手でもぶん殴るのはなかなかに有効だっただろうが、それは相性の問題だ。

 相手が生者であれば、殴っても「痛い」で済まされてしまう。その点、刃物による攻撃なら出血が伴う。斬撃自体を「痛い」で済ますことができたとしても、出血というスリップダメージがじわじわ襲って、最終的には無視できない威力を発揮するのである。

 今度のボス戦で想定される相手は蛇。

 「大蛇かと思った? 残念、蛇ゾンビでした!」とかでない限り、日本刀を調達しておくのは確かに有効だろう。

 

「でも、日本刀って手に入れるの大変なんじゃ?」

 

 ノワール特製、肉がごろごろ入った濃厚ビーフカレーをひとすくいしながら俺は首を傾げる。

 瑠璃が加入したばかりの頃にそんなことを思った記憶があるのだが、

 

「調べてみたところ、刀剣類の所持は意外と簡単なんです」

「そうなんですか?」

「うむ。未成年でも届け出さえすれば普通に許可が下りるぞ」

 

 と、これは教授。

 年の功というやつか、そのあたりのこともある程度知っていたらしい。カレーとビールを美味そうに味わいながら教えてくれた。

 日本の法律では、刀剣類というのは「美術品」として扱われる。

 銃刀法違反的に一定以上大きい刃物はアレなのだが、日本刀なんかは美術的に価値があるからセーフ、という論理である。

 家の蔵から刀が見つかった、なんていう場合にはやや面倒な手続きになるらしいが、普通に古物商や刀剣類を扱う店で購入する分には登録さえすれば問題ない。もちろん、美術品として所持するわけなので公共の場で抜いたりするのはNG。すぐに抜ける状態で持ち歩くのも駄目なのだが。

 

「じゃあ、買ってもいいかもしれませんね」

 

 俺だって衣装はオーダーメイドで作ってもらったものだ。

 パワーアップに必要な装備は財布と相談しつつ購入していくしかない。

 と思ったら、

 

「ううむ。瑠璃の場合、モノが高いのが難点だがな」

「……あ」

 

 その問題があった。

 日本刀の製造には専門技術を必要とする。お侍さんがその辺を歩いていた時代ならともかく、現代では需要も少ないのでなおさら高くなる。

 骨董品としての価値がない、現代において作られたものでも何十万とかしてしまうらしい。もちろん、モノによってまちまちまで一概には言えないのだが、良いもの、サイズが大きいものの方が高い傾向にあるのは間違いない。眺めるだけではなく戦闘に用いるのならある程度以上の質が必要になるのは当然だろう。

 これにはノワールが首を傾げて、

 

「瑠璃さまの場合、衣装の方を整えた方が現実的かもしれませんね」

「っても、アリスと違って着物着たからあからさまにパワーアップとかしないでしょ?」

「……ええと、しないものなんでしょうか?」

「しないんじゃないかなー、多分」

 

 聖職者の用いる神聖魔法というのは信仰心と神からの加護がものを言う。なので、それっぽい衣装を身に着けてそれっぽい聖印を用いることで思い込みのパワー──もとい自らの信仰心を強化したり、神からの覚えをめでたくすることが可能だ。

 しかし、瑠璃の場合、用いるのは純粋な戦闘技術。

 霊力も使うらしいのでそっち方面では身を清めたり座禅を組んだりが効果を発揮するかもしれないが、戦闘装束は基本、動きやすければなんでもいい。オリジナルの瑠璃の感覚をフルに発揮するなら着物っぽい格好になるだろうし、短刀とかをあちこちに仕込みたいならそれ相応の仕立てが必要になるだろうが、無理しなくてもジャージで十分である。

 瑠璃がしゅん、と肩を落として、

 

「何十万の世界になるとさすがに懐が厳しいです」

「あ。もしかしてアリス金融(仮)の出番ですか?」

 

 政府から治癒魔法を頼まれた際の報酬をプールしている例のアレである。

 普段のバイトだけでも十分生活できているので貯まる一方、みんなから「要らない」と言われつつも必要なら提供できるようにと思っている。

 

「そういえばそんなのあったっけ。いまいくらくらい貯まったの?」

「えっと、まあ、大学関係の諸費用は心配いらないかな、というくらいには」

「……えぐ」

 

 いや、本当に恐ろしい話である。それだけ貯まっているということはそれだけ需要があったということだ。普通に治すより安くて早かったりするのだから当然といえば当然だとはいえ、世の中には苦しんでいる人が多くいるのだとあらためて思い知らされる。

 

「なので、必要なら出せますよ。返済は無期限無金利でいいので」

「え。……いえ、その」

「あはは。良心的な金貸しではあるんだけどねー」

 

 シルビアが苦笑し、教授がとりなすように言う。

 

「止めておいた方がいいんじゃないか? 費用対効果が割に合わん」

 

 日本刀というのはきわめて鋭利な刃物だ。きちんとした品をきちんとした者が振るえば生身だろうとすぱっと斬れるが、時代劇のごとくばったばったと斬り倒すような戦い方にはあまり向いていない。一度斬るたびに刃こぼれしたり、血糊によって切れ味が鈍っていくからだ。

 敵が人間ではなくモンスターとなれば猶更。

 生身のくせにめちゃくちゃ硬い、なんていうこともあるかもしれないし、武器を溶かす酸を持っていたり、あるいは不死鳥のように熱だけで金属を溶かしてきてもおかしくない。ボス戦の度に何十万円も溶かしていたのではさすがに割に合わない。

 自分で研いで直せる技術があるならまだマシだが、

 

「それは……厳しいですね」

 

 眉を寄せつつ瑠璃が下したのは無難な結論だった。

 武器がない。前衛には前衛の苦労があるらしい。ノワールはその点を上手くクリアしていると思う。

 

「そうだ。ノワールさんのコレクションからは借りられないんですか?」

「構いませんが、わたしは銃火器主体なので、刃物はコンバットナイフ程度になってしまいます」

「着物またはジャージでナイフを振り回す黒髪美少女ね。絵にはなるけど」

「斬れば殺せる異能でもないとリーチとか威力が厳しいよねー」

 

 というわけでこれもボツ。緊急用にいくつか借りるのは検討するとして、メイン武器は他に調達した方がいいだろう、ということになった。

 

「じゃあ、私の錫杖を貸しましょうか?」

「とても嬉しいんですが……アリス先輩の魔法が弱まってしまうと皆さんが困るのでは?」

「そうだな。アリスは貴重な範囲火力だ。魔法威力は十分に確保しておいて欲しい」

「あれ、私ヒーラーですよね? 火力じゃないですよね?」

 

 結局、瑠璃の武器に関しては摸造刀を調達する、ということで落ち着いた。

 鋼等々、日本刀に使われる材質以外で作られた刀っぽいアイテムのことだ。木刀と違って見た目も刀っぽく作られており、十分な技量の持ち主が振るえばその辺の細枝とかなら十分断ち切れる。ものによっては研いだら普通に斬れるようになったりもする。

 その分、封印せずに抜き身や鞘だけの状態で持ち歩くと逮捕の可能性もあるのだが、逆に言うと封印さえしてあればいいわけで。

 これなら一万円せずに買えたりするし、威力自体は俺の神聖魔法である程度補えるので、このあたりが落としどころだろう。

 

「それが良さそうですね。ありがとうございます、皆さん」

 

 頷いた瑠璃はさっそく摸造刀をネット通販で購入し、週末にはそちらで練習するようになった。

 休みの日は俺も練習に付き合ったりしたのだが──刀そっくりの武器を振るう少女の姿は今まで以上に気合いが入っていて、ぶっちゃけ若干恐怖を感じた。

 ひええ、などと思いつつ錫杖を扱い、必死でガードすれば、その度に硬質な物質同士がぶつかったことによる独特の音が庭に響いた。

 

「あの、アリス先輩。反撃してくださってもいいのですが……」

「無茶言わないでください。というか、これ、近所迷惑じゃないでしょうか」

「あー……」

 

 ちょっとした素振りや筋トレくらいならともかく、実践を意識した二人稽古となると音が気になる。

 かといって、シェアハウスが広いと言っても道場や地下室までは併設していない。まともに剣を振るいたければどこか専門の施設を利用するしかなかった。

 

「……現代というのは世知辛いのですね」

 

 遠い目をして呟く瑠璃。

 否定はしないが、日々剣術の稽古が必要な少女というのもなかなかレアだろう。いたとしてもそういう子の大半は家が道場を持っていたりするはずだ。

 

「……いっそ建ててしまうとか?」

 

 シェアハウスもだんだんと人が多くなってきた。

 あと二人も入居者が出れば手狭になってくるところ。アリス金融(仮)の金も使ってどーん! と建ててしまうのも手かと思ったのだが、みんなにその話をしてみたら即座に却下された。

 

「この家で不足しているなら政府に建てさせればよかろう。そもそもここを用意したのは奴らなのだからな」

「新築するならキッチンにも凝りたいですし、アリスさまだけに出させるわけには参りません」

「っていうか、建てた端からメンバー増えて狭くなりそうじゃない?」

 

 というわけで、この案も断念。

 瑠璃は公共団体が運営している施設を予約して借りるとか、近くの剣術道場に入門するとか、そういった方向で修行を試みることになった。

 オリジナルの技術が十分思い出せればむしろその辺の剣術使い程度一蹴できるのだろうが、なかなか難しいところである。

 

 

 

 

 

 なんて言っている間に、なんか動画がヒットした。

 

「……なんで?」

 

 動画のページを見て首を傾げてしまう俺。

 再生回数は個人の動画にしては多いんじゃないか? と思ってしまう数字。コメントも多数ついており、その多くは好意的なものだ。

 もちろん、メインである千歌(ちか)さんの人気によるところが大きいのだが、俺に関するコメントもかなりついている。

 どうせ大した反響にはならないと思っていたのだが。

 

「なんでも何も、そりゃ注目されるでしょ」

 

 特に用がなくとも俺の部屋に来ていることが多くなっている朱華が、事もなげに相槌を打ってきた。

 

「千歌さん自体がそこそこ有名な声優。それと同じ声をした金髪の女の子。顔は隠していてわからないけど言動はいちいちあざとい」

「あざといって言わないでください!」

「……そういうあざとい子だからこそ、素顔気になるじゃない。ワンチャン美少女かもしれないし。まあ、美少女じゃなかったら盛り下がるだろうけど」

「美少女だったら盛り上がるんですか?」

「そりゃ祭りでしょうね」

 

 ちなみに、素顔はもちろん美少女である。……って、自分で言うのはすごくアレだが。

 

「これじゃ千歌さんも大喜びじゃないですか」

「でしょうね。もう少ししたら『次の動画はどうする?』って連絡が来るんじゃない?」

「もう一回くらいは参加するつもりでしたけど……」

 

 まだ縫子(ほうこ)の作っているという衣装を着ていないからだ。しかし、この流れだとなし崩し的に動画への参加が恒例になりそうな気がする。

 

「都合の悪い時はちゃんと断らないと駄目ですね……」

「そうね。適度に露出を調整した方が話題として長続きするだろうし」

「マーケティング戦略の話じゃないですよ……!?」

 

 などと言いつつも、俺は数日後に千歌さんから送られてきた次の動画に関するメッセージを断れなかった。

 

「……うう、完全に流されてます」

 

 泣き言のように言うと、朱華は他人事だと思って呑気に構えているのか、穏やかな声で応えて、

 

「いいじゃない。それとも本気で嫌なの?」

「……いえ、その。そう聞かれると困るんですけど」

 

 大勢から「可愛い」などと言われるのは正直悪い気分ではない。

 それに、人々から偶像(アイドル)として扱われるということは、人々にとって何かしらの救いになっているということだ。俺が動画に出て話したり歌ったりする程度で救われる人がいるのなら、それは悪いことではないと思ってしまう。

 

「……まったく。ほんとお人好しよね、あんた」

 

 半分呆れたような朱華の言葉に、俺は首を傾げて「そうでしょうか?」と返した。



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聖女、トイレを我慢する

 次のボス戦こと廃寺でのバイトはバレンタインの数日前に行うことになった。

 タイミングとしては金曜日の夜。いつもなら土曜の夜なのだが、

 

『土曜だとあんた、また無茶なスケジュール組むでしょ』

『そうだな。チョコレート作りは日曜にしておけ。そうすれば疲労しても丸一日休めるだろう』

 

 と、仲間たちから助言を受けた。

 前回のような失態は俺としても避けたい。ありがたく聞き入れることにして、芽愛(めい)とは日曜日にチョコ作りの約束をした。

 お互いがどんなチョコを作るかわからないよう、それぞれに作業するというのもアリだったのだが、芽愛から「やだ。アリスちゃんと一緒に作りたい」と強く希望があった。味を褒められるのは慣れているので、むしろ「一緒に作業」というところに価値を感じているらしい。

 

『あ、姉さんには釘を刺しておきました。芽愛の家に押しかけてまで撮影を始めたりはしないはずです』

『そうなんですね。それは少し安心しました』

 

 代わりに、千歌(ちか)さんにもチョコを贈るように念を押された。郵送するのもアレなので縫子(ほうこ)経由で渡してもらうことになる。傷まないようにラッピングの方法や具材を工夫する必要がありそうだ。

 

『いい、二人とも。くれぐれも余計なことはしないでね?』

 

 本命チョコ攻撃を警戒する鈴香(すずか)には芽愛と二人で「もちろん」と笑顔で答えた。

 今更釘を刺されても、既にクラス内でじわじわと「本命チョコキャンペーン」が広がりを見せている。当日は鈴香のところにも多数の本命が集まることだろう。

 俺たちの笑顔に何かを感じたのか、鈴香は「何かするつもりなら私にも考えがあるわ」とSっ気を感じる笑みを浮かべていた。

 何が起こるか若干不安だが、まあ、チョコを贈り合うだけのイベントが殺伐とすることもないだろう。萌桜(ほうおう)の生徒に致命的なレベルの料理下手はいないはずだし。

 

 それから、ボス戦当日まで、雑魚相手のバイトが週末に開催されることになった。

 これは瑠璃の経験値アップのためだ。

 ボス戦が不安なのは俺もよくわかるが、逆に疲れてしまわないか……という懸念については、

 

『私は平日暇ですから、問題ありません』

 

 とのこと。

 その平日がトレーニング漬けでは結局変わらないのだが、そのあたりはノワールにも注意してもらった。それから毎日、夜に軽い治癒魔法をかけて肉体への負担を和らげておく。

 ぬいぐるみやクッションや雑貨類が増えて少女趣味になった瑠璃の部屋へ赴き、施術のために服を脱いでもらった時は女同士とは思えないほど動揺していたが、接触してかけた方が効率的なだけだ。これが朱華やシルビアならともかく、俺が瑠璃を押し倒すわけもない。

 瑠璃もこの治療が気に入ったようで、

 

『アリス先輩。できたら、ボス戦の後もこの治療、続けていただけませんか?』

 

 なんて言っていた。

 別に俺としては構わないのだが、肉体の成長という意味ではあまり治さない方がいいはずである。だからこそ軽い治療に留めているわけで、治してまで無理をするよりはトレーニング量を減らす方が理にかなっている。

 そう言ったら「そうですか……」とわかりやすくしょんぼりしてしまったので、疲れた時はいつでも言って欲しいと付け加えておいた。

 

『アリス。あたしにも治癒魔法かけてくれない?』

『朱華さんに必要なのは安眠を促す魔法だと思います』

『そんなのかけられたら眠くなっちゃうじゃない』

 

 エロゲで夜更かししてないで寝ろ、と言っているのだ。

 

 

 

 

 と、そんなこんなであっという間に大型バイトの日がやってきた。

 当日までにシルビアや教授、ノワールはいつも通り色々と準備をしていた。俺は衣装と聖印さえあれば力を発揮できるので、シルビアに乞われるまま聖水を量産したり、ノワールの手伝いをして彼女の負担軽減に努めた。

 連日頑張ってトレーニングしていた瑠璃も自信がついてきたようだ。

 

「後はいつも通り、みんなで無事に帰ること……ですね」

 

 清めた身体に聖印と衣装を身に着け、寝る前の分の祈りを今のうちに捧げる。

 朝晩のお祈りは当初の五分よりも伸びることが多くなっている。

 あれこれと祈っていたら時間を超過してしまったり、逆に雑念が入らなくなって時間が勝手に過ぎてしまうようなことが度々起こる。

 さすがにこの前のように三十分突破、とかはないが……体調は悪くない。気持ちもしっかりと澄んでいる。

 

「行きましょうか」

 

 リビングへ移動すると、瑠璃以外の全員が集まっていた。

 みんなボス戦用の装備。最も軽装なのはチャイナドレス(in防寒用の肌着)な朱華。教授は何やら大きなリュックを背負っており、シルビアはいつも通り白衣に大量のポーション。

 そしてノワールは、いつもよりも厚手のメイド服に身を包んでいた。各部にはベルトが装着されてナイフや拳銃、手榴弾などを装備しており、この前言っていた通り、気合いの入った戦闘メイドといった雰囲気だ。特に、妙に重厚なスカートが気になるのだが、

 

「ノワールさん、これめくってもいい?」

「はい、構いませんよ」

 

 いいんだ。

 言った朱華自身若干驚いている様子だったが、紅髪の少女はそれでも「じゃあ、せっかくだから」と手を動かした。中にあったのは大人っぽい下着とガーターベルト──ではなく、ズボン風のインナーと、スカート裏にまで装備された装備の数々だった。

 

「ノワールよ。その装備はさすがに重いのではないか?」

「はい。ですので、従来よりも動き回らない戦い方になるでしょうが……瑠璃さまが加わってくださった以上、それで問題ないかと」

 

 瑠璃はまだまだステップアップ段階。ゆくゆくは雑魚を蹴散らしつつ戦場を踊るようなこともあるかもしれないが、現状は隊列を崩さず落ち着いて敵を迎え撃つ戦い方になる。

 となれば、ノワールも前衛の一人として、瑠璃とは別方向の敵を迎え撃つ方がいいだろう。撃ち尽くした銃を捨て、手榴弾を消費していけばその分だけ重量も減るので、状況に応じて遊撃に回ることも可能だ。

 

「さて、その瑠璃だが……。アリスよ。少し様子を見てくるか?」

「そうですね。朱華さんじゃないので、寝落ちしていたりはしないと思いますが……」

 

 と、瑠璃の部屋に移動しようとしたところで、件の少女がやってきた。

 

「すみません、遅くなりました」

 

 衣装はこれまで通り、ジャージの上下。得物は摸造刀と木刀。ジャージの中に装着したベルトを使って背中に差す形を取っている。手には薄手のグローブが装着されており、武器が汗で滑らないように、また、ちょっとした攻撃から手を保護できるようにしている。

(ちなみに初代木刀はゾンビの腐肉が完全に落ちなかったので廃棄され、新しい木刀へと交換されている)

 表情は悪くない。ほっとしつつ、俺は微笑んで後輩を迎えた。

 教授は「気にするな」と鷹揚に頷いて、

 

「体調、精神状態。その他、問題はないか?」

「大丈夫です。……その、アリス先輩を参考に瞑想を試してみたら、眠ってしまいそうになりまして」

「聞いた、アリス? この子、寝落ちしかけてたみたいよ?」

「後輩の失敗を喜ばないでください!」

 

 朱華がどこまで意図したかは不明だが、このやりとりには瑠璃もくすりと笑顔を浮かべた。少しは気持ちが解れたのなら良かったと思う。

 俺たちはぞろぞろと家の外へ移動して、

 

「今回はいつもの車より一回り大きいのをレンタルしてきた」

 

 運転席に乗り込むのは教授だ。ノワールに運転まで任せるのはオーバーワーク──ということで、行きの運転は買って出てくれるらしい。もしも検問で止められた時用に免許証と身分証と政府発行の許可証もしっかりと用意している。

 今回はノワールに助手席へ座ってもらい、他のメンバーは後部座席に分かれて座る。

 広いので普通に座れそうだが、俺はひょいっとシルビアの膝に乗せられた。

 

「シルビアさん、これだと重くないですか?」

「重いけど、くっついてるとあったかいんだよー」

「……なるほど」

 

 重い、と言われて若干イラっとしたのは内緒である。自分から聞いたんだろという話だが、重いならわざわざ抱えるなよ、という話でもある。

 あるいはこれが体重を聞かれてムッする女子心理なのだろうか。ぶっちゃけ、人一人が重くないはずはないわけなのだが。

 

「現地まではかなりある。気を張らずに休んでおけよ」

「ちょっとしたお弁当やお菓子も用意していますので、良かったらどうぞ」

 

 成人組からの忠告+助言。

 遠征も初めてではないので俺たちも少しずつ慣れてきている。

 

「じゃ、私はしばらく寝てようかなー」

「あたしもお菓子持ってきたのよね。瑠璃、食べる?」

「え、ええと……」

 

 瑠璃が「これでいいんですか?」というような視線を送ってくるが、俺にできるのは笑みと共に肩を竦めることだけだ。

 

「実際、気を張りっぱなしじゃ疲れますよ。……いきなりポテチを開ける朱華さんはどうかと思いますが、瑠璃さんもリラックスしていてください」

「……そうですね」

 

 ふっと息を吐いた瑠璃は朱華の差し出したポテチの袋に手を伸ばし、一枚をつまんで口に運ぶ。焦がしバターの香るバター醤油味。見るからに、そして匂いからして美味しそうである。

 

「おい、朱華。それは絶対、つまみとして美味いやつだろう」

「教授さまは前を見て運転をお願いします」

「そうそう。食べたければまた買えばいいんだし。運転しながらお酒は飲めないでしょ。……アリスも食べる?」

「時間的に絶対、身体に良くないので止めておきます」

「……あっ」

 

 二枚、三枚と手を伸ばしていた瑠璃が「そういえば」という顔で硬直した。

 

 

 

 

 途中、ドライブスルーに立ち寄ってトイレ休憩を取りつつ現地へ到着した。

 前回も別の意味で苦労したが、きちんとしたトイレに寄れたら寄れたで大変だった。主に、俺たち全員、コスプレとしか言いようのない格好をしていたせいだ。

 人目に触れる時用にコートは持ってきていたものの、朱華以外は滅茶苦茶ごわごわする。瑠璃もジャージなのでまだマシだが、他のメンバーはぶっちゃけ、コート兼用みたいな装備だ。教授は念じるだけでローブを消せるので普通にトイレに行けたが、俺とノワールは脱ぎ着の問題もあって諦めた。

(余談だが、朱華が「教授は男子トイレでも入れそうよね」と言って殴られていた)

 

「こんなこともあろうかと、トイレに行けない人用ポーションもあるよー」

「シルビア先輩、それは身体に悪いものでは……?」

「大丈夫。身体には()()()()負担かけないから」

 

 一定量の水分を身体に循環させ直しつつ、残った水分は微細な吸水物質が吸って容積を減らしてくれる。吸水物質は普通にトイレに行った時に痛みもなく排出される……らしい。どこまで本当かは不明だが、実際に飲んでみたところ尿意は収まったし痛みもなかった。

 さて。

 車を停めたのは廃寺付近の適当な空き地だ。周囲には民家も人気もなく、しんと静まり返っている。待機していた政府関係者に挨拶をしてから、手入れがされていなさそうな石段を上がっていく。俺は足を運びながら結界を張った。

 

「廃寺ってどうして生まれるんでしょうね……」

 

 瑠璃がぽつりと呟くと、何気ない口調でシルビアが答えた。

 

「関係者が老衰とか病気で死んじゃったから、とかじゃないかな。県とか市とかは邪魔だから壊したいだろうけど、じゃあそのお金はどこから出すのって話だし」

「……世知辛いですね」

 

 他人の不始末を自費でなんとかしよう、なんてできる人間はなかなかいない。まして、宗教関係の施設だと罰が当たるんじゃないか、なんて思いもあるだろうし。

 そうやって放置されていけば変な噂も生まれるだろうし、邪気が集まっていくのは当然だ。

 果たして。

 石段を上り切った先にあったのは、かろうじて建物としての原型をとどめているだけの、見るからに廃寺といった感じのものだった。

 周囲は森。

 

「この際、建物は壊して構わないと言われているが、延焼には注意するように。特に朱華」

「はいはい。……そんなのばっかりよね、あたし」

 

 肩を竦めつつも了解する朱華。そんなやり取りをしている間にも邪気は集合して形を成しはじめ──。

 

「……これ、凄いです」

 

 経験の少ない瑠璃でさえわかるほどに、強いプレッシャーが生まれた。

 互いの攻撃の邪魔にならない程度に散開し、武器を構える俺たち。そして、

 

「《聖光連撃(ホーリー・ファランクス)》!」

「っ!」

「とりあえず先制攻撃だよっ!」

 

 俺の魔法、ノワールの銃撃、シルビアの強酸ポーションが、邪気によって作り出された()()()()()()()()()()にぶつかる。

 錫杖によって強化された魔法+仲間たちの攻撃を受けてなお、まだまだこれからだとばかりに咆哮を上げた化け物は──大きな胴体と複数の首を持つ、まさしく異形の怪物だった。



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聖女、刺す

 八本の首に、八本の尾。

 ルビーのように赤い瞳をしたその化け物を見て、咄嗟に連想したのは日本神話に登場する怪物だった。

 八岐大蛇(ヤマタノオロチ)

 不死鳥や未来の戦闘兵器とも戦ってきて今更言うのも変な話ではあるが、こんなものの退治は英雄の仕事だ。ゲームやマンガのキャラに変身しただけの一般人に戦わせるんじゃない。

 などと思いつつ、俺はさらに相手を観察する。

 

 でかい。

 

 首の一本一本が電柱ほどの大きさを持っており、胴体はそれらを支えられるサイズ。深い緑色をした被膜は油でも纏っているのか、てらてらと明かりを反射している。

 最初の一斉攻撃は効いていないわけじゃない。ノワールの銃弾は確かに身体へ食い込んだし、シルビアの投げた強酸も肌の一部を焼いている。ただ、身体が大きすぎて大した効果になっていない。

 加えて再生能力。

 俺たちの与えた傷は端から塞がり始めている。このままぼうっと見ていれば銃弾は身体から押し出され、焼けた肌も元に戻ってしまうだろう。

 

 ノワールが手榴弾を二つ、まとめて手に取ってピンを引きぬく。投擲されたそれは狙い違わずオロチへと飛び、爆発。轟音と熱波を撒き散らし、同時にほんのひとときだけ俺たちの姿を敵から隠した。

 続けてシルビアが爆発ポーションを投げる。立て続けの爆発攻撃によって身体を焼かれたオロチは少しだけ動きが止まった。

 

「厄介ですね。一気に殺しきれなければ再生されてしまいます」

「首の数的にはヤマタノオロチだねー。忠実になぞってるとは限らないし、ヒドラとかの可能性もあるけど」

「こんなのが出てきた以上、焼くしかないでしょ。延焼が気になるってんなら一回撤退して、先に周りの木を切り倒してもらいましょ」

「……いや、迎撃する。各自、石段を死守。危なくなりそうならその時は全員で逃げる。毒があるかもしれん。アリス、全員に支援魔法をかけてくれ。それから解毒分の魔力を残しておくように」

「わかりました」

 

 俺はこくりと頷いて、全員に防御魔法をかける。朱華の拳と瑠璃の武器には《武器聖別(ホーリーウェポン)》もセットだ。

 

「瑠璃さん、首の迎撃をお願いします。できるだけ敵を引きつけるようにしますが、いざという時は私たちを守ってください」

「わ、わかりました」

 

 ボスの威容に呑まれているようだった黒髪の少女は、それでも俺の声にこくりと頷いた。手にしているのは摸造刀のほう。魔法がかかっている今ならある程度の強度はある。殴れば魔法的なダメージも入るので、オロチ相手でも効果はあるはずだ。

 などとやっているうちに、オロチの八本の首が揃って咆哮した。

 空気を切り裂くような鳴き声に足がすくみそうになるが、ぼうっとしている暇はない。

 

「《聖光連撃(ホーリー・ファランクス)》!!」

 

 もう一度、聖なる光を連射。立て続けに打ち出された光がオロチの頭部に、胴体に着弾。

 左翼へ跳躍したノワールがマシンガンに持ち替え、オロチに向けて連射する。一発一発は小さいが、再生する間もなく次々と着弾し、着実に傷を深めていく。

 

「出し惜しみしてる場合じゃなさそうだよねっ!」

 

 シルビアは右翼へ移動し、酸のポーションを次々と投擲。ところかまわず降りかかった液体がオロチの身体を焼いていく。

 

「このまま封じ込めてしまえ!」

 

 教授の号令以下、手榴弾、爆発ポーションの連続攻撃。耳栓とゴーグルが欲しいくらいだが、それだけに火力としては申し分ない。初手からこれだけ集中攻撃できていればボスオークだってもっと楽に倒せた。

 であれば、オロチだって、

 

「……まだ、息があります!」

 

 瑠璃の声。

 視界が晴れても、オロチはまだ健在だった。全身こんがりしている感はあるし、あちこち傷だらけだが、首と尾をうねらせながら俺たちを睨んでくる。

 傷口の再生も始まっている。酸や爆発で焼いた部分は治るのが比較的遅そうだが、再生を止めるまでには至っていない。もっとしっかり焼かないと駄目なのか、完全に止めるほどの効果はないのか。

 試してみればわかる話ではある。

 八本の首でこちらを威嚇しながら再生を優先するオロチ。向こうから攻撃して来ないとはいえ、下手に踏み込めば一発でアウトだろう。そこで動いたのは、教授。

 

「さて、本命と行かせてもらおうか!」

 

 彼女の手にはそれぞれ本格的な作りのウォーターガンが握られている。例のリュックから取り出されたアイテムだが……うん、まあ、要するに水鉄砲である。中身が強酸だったとしてもシルビアのポーションと大差ないはずだが。

 なかなかの威力でぴゅーっと飛んだ液体をオロチの首は器用に避けた。しかし、重い胴体までは動かせず液体を受けてしまう。結果、何が起こったかというと何も起こらない。むしろ、液体の()()を感じ取ったのか、続く射撃をオロチは迎え入れた。

 水鉄砲から放たれる液体を口を開けて受け止めるオロチ。シュールすぎる光景だが、仕方ない。あれは奴の好物なのだから。

 にやりと笑う教授。

 気づけば朱華が何やら(かめ)のようなものを担いでいる。せーの、とばかりに両手で振りかぶって、投げた。さすがに重いものなのでオロチの手前あたりに落ちて割れたが、中の液体はばしゃりと飛び散ってオロチの身体へと降りかかった。

 辺りに立ち込めるアルコール独特の匂い。

 

「神話の時代にこんな酒(ウォッカ)はなかっただろう!?」

「とくと味わいなさい、蛇の化け物!」

 

 ウォッカの一種、スピリタスのアルコール度数は96度。

 もはやほぼ純粋なアルコールという代物であり、タバコの火程度でも引火するらしい。

 そして当然、我らが頼れる仲間は火種などなくとも発火が可能。

 瞬間。

 オロチの身体が、というか、それにかかった酒が燃え上がった。火はあっという間に全身へと周り、肌を焦がしていく。駄目押しのようにぴゅーぴゅーと教授が射撃するが、さすがにもう、敵は呑もうとしてこなかった。そこですかさず油も投げつけておく。

 悲鳴のような鳴き声。

 首を全て天に向けたそれは、まるで祈りでも捧げているかのようだった。効いている。少なくともこれで、かなりのダメージは与えられるはず──。

 

「待って、もしかしてこれって……!」

 

 シルビアが何かに気づいた。

 次の瞬間、月明かりに翳りが生まれる。黒い雲が空を覆い始めたのだ。俺たちは例によってLEDランタンを用意してきているので戦いに支障はないが、このタイミングで()()()()()()()()という事実に戦慄する。

 

「ノワール! ありったけの弾を叩き込め!」

「了解しました!」

 

 降り注ぐ銃弾の雨。それをオロチはどこか不敵な表情で受け止めていく。

 そして。

 ぽつり、と。本物の雨粒がひとつ落ちかと思うと、あっという間に本格的な雨が降り始める。

 教授がぐう、と呻って、

 

「雨乞いか!? 確かに、ヤマタノオロチを水神とする説もあるが……」

 

 雨のお陰で炎の勢いが弱まった。これでは倒しきれないかもしれない。

 

「教授さま。ここは更に追撃を」

「……そうだな。頼めるか、アリス?」

「わかりました」

 

 錫杖を構えて前に進み出る。倒せるか、魔法を撃てなくなるまで攻撃し続けてやる。そう思って力を高めて──。

 鳴き声が聞こえた。

 ぴし、と。ひび割れでも起こすようにオロチの胴体が裂ける。くたり、と八つの首が地面に落ち、ずるり、と、裂けた胴体から()()がはい出してくる。八つの首、いや、九つの首を持った化け物。一回り小さくなってはいるが、脱皮という緊急手段を用いたことで全身の傷は綺麗さっぱり消えてなくなっている。

 抜け殻となった元の身体が消滅していくのを視認しながら、俺は呆然と呟いた。

 

「……そんなのありですか」

「アリスさま! とにかく攻撃を!」

「っ。《聖光連撃(ホーリー・ファランクス)》!」

 

 三度、聖光の雨。

 しかし、前より身軽になったからか、新生オロチは痛みに悲鳴を上げながらも一歩、こちらへ踏み込んでくる。舌うちしたノワールが首を狙って銃を連射。シルビアも残った攻撃系のポーションを投げつけていく。

 と。

 オロチは全身を止めぬまま、ぼとり、と、九つの首のうち三つを自ら放棄した。千切れたような切断面がグロいがそれどころではなく。落ちた首がどうなったかといえば、解けるように散って、無数の、普通サイズの蛇へと変化した。

 

「何よこれ!? なんでもアリじゃない!」

「言ってる場合か! 蹴散らせ! 敵としても苦肉の策に違いない!」

 

 それはおそらく間違いないだろう。

 再生ができると言ってもダメージが入らないわけじゃない。体力は消費しているはずだし、自ら首を落としたということは自らダメージを受けたということでもある。身を切ってでも手数を減らす必要があると判断したのだろう。

 首の再生も始まっているが、脱皮前のオロチよりは遅い気がする。

 

「瑠璃さん。小さい蛇の相手、教授たちと一緒にお願いできますか?」

「あ……っ、は、はいっ!」

 

 ここまで瑠璃の出番がなかったのは仕方ない。あんな敵に飛び込んでいけるのはノワールくらいだ。そして、ここまで体力を温存していてくれたお陰でこっちも手が打てる。

 小さい蛇はさすがの俊敏さ。加えてトリッキーな動きで狙いを定めづらいが、攻撃する時にはこちらに近づいてこなければならない。足に噛みつこうとした奴は単純に蹴飛ばせばいいし、飛びかかってくるものも注意していれば叩き落とすのは難しくない。

 でかい本という都合の良い武器を持つ教授と共に、瑠璃が蛇たちの相手をして俺たちを守ってくれる。その間に俺は《聖光(ホーリーライト)》を連射してオロチへ牽制をかける。ノワールも残っている銃器で首に傷を入れていく。

 

「散るわよ、アリス!」

「はいっ!」

 

 小さい蛇から離れ、朱華、ノワールと別方向へ移動。オロチの攻撃を分散させる。敵は一瞬悩むようなそぶりを見せた後、六つの首をノワールに向けた。俊敏な彼女を狙ってくれたのは幸運──と思った直後、ノワールと反対側にいた俺に、蛇そのものの形をした八つの尾が迫った。

 キマイラか何かの要素まで混ざってないかこれ。

 内心で文句を言いつつ、《聖光》、それから錫杖による打撃で撃ち落とす。適度に後退も加えてやれば、相手はノワールと俺、どちらを追うかを選ばないといけない。

 そして首と尾、どちらとも違う方向にいる朱華が、

 

「生まれたての肌なら比較的柔らかいでしょ!?」

 

 一振り隠し持っていたナイフを振りかぶる。深々と突き刺し、すぐさま引き抜くと、生まれた傷口へと自らの右手を躊躇なく突き入れる。俺も顔をしかめたくなったが、オロチ自身まずいと思ったのだろう。暴れるように身をよじる。しかし、朱華は残った左手でうまくしがみついて離れようとしない。

 絶叫が上がる。

 傷の再生が停止。ボスオークの時と同様、体内温度が急上昇しているのだろう。それに堪えるのに必死で手が回らなくなっている。しかし、オロチの抵抗も激しくなっていく。降り続く雨のせいでパイロキネシスの効きも悪い。一撃必殺には足りない。

 このまま行って、一度でも振り落とされれば巨体に潰されるか、六つの首に噛みつかれて食いちぎられるに違いない。

 

「させませんっ!」

 

 力を振り絞って魔法を連射しつつ、前へと踏み出す。脳が複数あるのか、本体を守るように尻尾がうねるも、俺はそれを一つ一つ錫杖で打ち払っていく。聖なる力を秘めた杖を受けた尾は力を失い、ただ垂れ下がるだけになる。八回。決死の覚悟で振り払ってやれば、それだけで敵の背面は無力化された。

 ノワールもまた、舞うように移動しながら根気よく首を攻撃している。片手に拳銃、片手にはナイフ。近づいても離れても攻撃し、敵を一時も休ませない。

 シルビアがノワールの方へと駆け寄る。当然、首のいくつかに狙われるが、彼女は手にしていたスプレーのようなものをオロチに向けて噴射。受けたオロチは悲鳴を上げて顔をしかめる。あれは蛇の駆除剤。殺虫剤の蛇版のようなものだ。教授が用意していたグッズの一つ。うまいこと効いてくれたらしい。

 もう少し。

 がら空きになった背面から近づき、俺は錫杖を振りかぶる。白兵武器ではないと言った手前アレだが、今は忘れて思いっきり突き刺す。半分近くが肉にめり込み、オロチがひときわ大きく、ぐりん、と身体を回転させる。手を離していなかった俺はそのまま振り回され、そして朱華も、

 

「アリス!?」

「朱華さんっ!」

 

 吹き飛ばされた俺たちは大きく吹き飛び、地面に叩きつけられる。命に別状はない。しかし、俺は《小治癒(マイナー・ヒーリング)》を唱えながら体力の限界を感じていた。痛みを和らげれば動けはする。ただ動いても、できるのは朱華の治療に回ることくらいだろう。

 頼みの綱はノワール。

 彼女はシルビアと協力し、オロチの首を懸命に攻撃している。あちこちにコンバットナイフを突き立て、無数の銃創を作り出す。それでも敵が倒れない。倒れてくれない。俺たちさえ倒してしまえば後でいくらでも休めるとばかりに、最後の抵抗を続けている。

 そして。

 まともに動く首が一つだけになった時、ついにシルビア、ノワールも吹き飛ばされてしまう。

 誤算。

 あまりにも敵がタフ過ぎる。HPゲージが見えないとこういう時に見誤る。

 こうなったら、全力以上、死力を尽くしてでも攻撃するしかない。不死鳥の時にできたのだ。経験を積んだ今の俺に、あの時と同じことができないはずがない。

 しかし。

 

『駄目ですよ、私』

 

 アリシアの声が俺を制止した。

 

『私も偉そうなことを言えた立場ではありませんが、あなたは一人で戦っているんじゃありません。まだ、あなたには仲間が残っているでしょう?』

 

 オロチが首を巡らせ、俺たちを眺める。

 俺は顔を上げ、まだ立っている仲間の姿を見た。教授。あちこち噛まれそうになったのかローブがボロボロになっているが、彼女たちが相手にしていた小さな蛇は全滅している。荒い息を吐いている我らがリーダーに無理をさせるのも悪い気がするが……。

 

「アリス先輩っ!」

 

 もう一人。

 摸造刀と木刀の両方を手にした黒髪の少女がこちらに駆けてくる。俺を選んだのは、オロチがこっちに狙いを定めたからだ。

 瀕死の化け物と、一人の剣士。

 一番の新人に無理をさせるのは先輩として情けない限りだが、何かしら運命的なものを感じた。まさか、オロチの中から草薙の剣が出てくる、なんて出来過ぎた話はないだろうが、それでも。

 

「瑠璃さん……!」

 

 俺は手を伸ばし、支援魔法をかけ直す。

 聖なる光に包まれた少女剣士は俺を庇うように立つと、襲い来る首に摸造刀を叩きつける。現代的な素材でできた刀身は既に限界が近かったのか、一度の攻撃で音を立てて折れた。瑠璃は顔をしかめながらそれを手放すと、木刀を両手で握って思い切り振るう。

 何度も何度も。テニスの壁打ちを思わせるような、ある種の空しさ、やりきれなさを感じさせるようなやりとり。何度打たれても首をもたげて攻撃してくるオロチの執念。

 やがて、木刀も折れた。

 最後の首が大きく口を開ける。雨でずぶ濡れになりながら、内側からも大量の汗をかいている瑠璃は、ジャージのファスナーを引き下ろすと乱暴にそれを脱ぐ。放りなげられたジャージの上はオロチの攻撃をほんの少しだけ遅らせ、そしてその間に、彼女は最後の武器を手にした。

 トレーニングウェアの上から装着していた第三の鞘。ノワールの所持品の中では最大級に大振りなナイフ。サイズ的には心もとない品ではあるが、木刀や摸造刀とは違ってきちんとした金属製だ。簡単に折れたり砕けたりすることはない。

 更に。

 俺の支援魔法がかかっていないはずのその刀身に、何か淡い光が宿る。神聖魔法とは違う、しかしどこか清浄な気配を感じる力。おそらくはあれが彼女の持つ『霊力』なのだろう。

 光はそこから更に伸び、本来の二倍ほどの長さの仮想の刀身を作り出した。あれならばちょっとした剣くらいの長さになる。

 

 雨乞いも切れたのか、天から月明かりが射し込む。

 月光の加護の中、行われた最後の戦いは、それはもう美しいものだった。

 後から聞いたところによると、瑠璃のオリジナル──すなわちTRPGのキャラクターデータとしての彼女は、物の怪の類へ追加ダメージを与えられるスキルを持っていたらしい。

 ヤマタノオロチは本来、神に属する存在だろうが、邪気によって作られた挙句、ヒドラの要素を加えられたそれが『種別:物の怪』になっていたとしても不思議はない。

 死なないのではないか、と思えるほどのしぶとさを見せた蛇の化け物はようやく打倒され、その全身は少しずつ溶けるように消えていく。

 と。

 オロチの身体の中に、何か煌めくものが見えた。

 赤い石?

 

「そっ、それっ! 瑠璃ちゃん、お願いだからそれ回収して! 後でなんでもしてあげるからっ!」

 

 ぐったりしていたはずのシルビアが突然大きな声を上げた。逆の立場なら絶対悪用する人間が「なんでもする」とか言っているあたり必死さが見える。

 何が何だかわからないが……。

 それでも、瑠璃は最後の力を振り絞ってオロチの死体に駆け寄ると、赤い石を掴み取った。

 

 敵の痕跡が残らず消え去ったのは、それから数秒後のことだった。




既にお分かりかと思いますが、サブタイトルのネタが尽きてきました。


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聖女、じゃんけんに勝つ

 戦いが終わって静寂が戻ってきた後、瑠璃はぺたん、と、その場に座り込んでしまった。

 緊張の糸が切れたのだろう。

 疲れた身体に鞭打って立ち上がった俺は、少女のところまで歩いていって声をかけた。

 

「大丈夫ですか、瑠璃さん」

「は、はい」

 

 振り返った少女の顔には疲労が見える。しかし、すぐに倒れるというレベルではなさそうだ。

 外傷は擦り傷と打ち身がいくつか。オロチの攻撃がかすっていたのだろう。これくらいなら大丈夫だと、ほっとして微笑む。

 

「良かったです。皆さんの状態を確認するので、治療、少しだけ待ってくださいね」

「はい。いえ、その。アリス先輩は大丈夫なんですか? 身体、打ったんじゃ……」

「私は大丈夫です。瑠璃さんのお陰で、いつもより楽なくらいなんですよ」

 

 直接打撃を食らったわけじゃないし、防御魔法もかかっていた。痛みもそれほどではない。

 シルビアは少なくとも声を上げられる元気があったので、まずは軽装の朱華に駆け寄る。少女はごろんと仰向けの状態で「あー……」と声を上げた。

 

「超能力者に接近戦はきついわ、やっぱ」

 

 身体を打ったのだろう。すぐには動けないようだが、命に別状はない。俺は回復魔法を使いながら答えた。

 

「炎の弾みたいなの撃てないんですか?」

「あれって空気燃やした上に動かすわけだから燃費悪いのよね……あ、そこそこ。そこ気持ちいい」

「マッサージされてるみたいな声出さないでください」

 

 ジト目で言って治療を打ち切る。ある程度治ったので残りは後回しだ。

 気になるのはノワール。彼女は自力で受け身を取ったのか、地面に座り込む形で身体を休めていた。メイド服にはあちこちほつれや汚れがあるものの、出血はそれほどでもない。厚手の衣装を纏っていたことで多少クッションになったのかもしれない。

 治療を始めると、ノワールは「ありがとうございます」と微笑んでくれる。

 

「アリスさまの衣装も少し傷んでしまいましたね」

「仕方ないですよ。とりあえず、直せる範囲で直そうと思います」

「じゃあ、お手伝いしますねっ」

 

 とりあえず《小治癒(マイナー・ヒーリング)》一回でノワールも動くだけなら問題なくなった。後は教授とシルビア……と思ったら、二人はポーションを飲んで回復していた。味方に使うポーションはぶつける必要がないので割れにくい容器を使っている。

 

「いや、間一髪だったな」

「逃げた方が良かったかもね。ほら、お酒を首の数だけ用意して」

「敵が臨戦態勢で出てくるのでなければそれも可能だったのだがな。……しかし、そろそろ本格的に『削り』戦法を導入すべきかもしれん」

 

 敵は土地に集まった邪気によって形作られている。

 与えたダメージ分の邪気は祓ったことになるので、ある程度痛めつけて撤退、を繰り返せばそのうち倒せるはずだ。あまり放置しすぎると全回復してしまうだろうが。

 

「遠いところだと行って帰ってが大変そうですね」

「泊りがけで次の日挑戦すればいいんじゃない。そうすれば日中は観光ができるよー」

「その場合、泊まるところを用意しないとですね」

 

 車中泊するには今の車だと狭い。大型車が欲しいところだ。いっそキャンピングカーとかだと快適かもしれない。

 すると教授が「ふっ」と笑って、

 

「こんなこともあろうかと、政府の者に宿の手配を頼んである。今日はそちらに泊まるとするか」

「本当ですか!?」

「さすが教授。今日はもう早くベッドに入りたいもんね」

 

 ということで、俺たちは後始末をサポートスタッフに任せ、車で宿へと移動した。多少時間がかかったものの、到着したのはきちんとしたホテル。安いビジネスホテルなんかじゃない。意外と大盤振る舞いだと思ったら「口止めをしようと思うとある程度の『格』が必要だったのだろう」とのこと。

 部屋は二人部屋が三つ。

 ほとんど寝るだけなのだから一人部屋がいいとか無駄な贅沢は言わない。濡れた服(一応、朱華にある程度乾かしてもらった)は脱いでコートを纏い、無事にチェックイン。

 

「あの、部屋割りはどうしましょうか……?」

 

 おずおずと言ったのは瑠璃。適当でいいんじゃ? と思った俺は首を傾げ、教授の「じゃんけんでもするか」という提案に乗った。

 結果は俺とシルビア、瑠璃と朱華、教授とノワールだった。

 

「アリスちゃん。今日は一緒のベッドだねー」

「え、あれ、ツインベッドですよね? というか、シルビアさん。あの石はいいんですか?」

「あ、忘れてた! 瑠璃ちゃん、あれ、あの石!」

「はい、ちゃんと持ってます。……これ、なんなんですか?」

 

 ロビーで話すことでもないので、いったん一つの部屋に集まってから例の石を覗き込む。

 キーホルダーにちょうどいいかな? くらいのサイズをした赤い石。ある程度の透明度があるのだが、見通そうとすると複雑に屈折して深い色合いを見せてくれる。

 オロチから出てきたにしてはどことなく西洋風のアイテムなのだが、シルビアが反応したのにもそのあたりの関係なのだろうか。

 

「シルビアよ。まさか、これは賢者の石なのか?」

「えっ……!?」

 

 賢者の石(ラピス・フィロソフォルム)

 ゲームやアニメにもよく登場する有名なアイテム。日本だと一番の有名どころはパーティのHPを回復するアレだろうが、元々は錬金術における伝説的な品で、卑金属を貴金属に変える際の触媒になるだとか、不死の霊薬を精製することができるだとか言われている。

 もし、そんなものが埋まっていたとすれば、オロチの再生能力にも説明がつくかもしれない。

 

「し、シルビアさん。どうなんですか……?」

「……うーん」

 

 シルビアは俺たちの視線を受けながら、瑠璃から受け取った石を色んな角度から観察したり、軽く叩いてみたりする。

 それだけでは足りなかったのか、彼女はおもむろに洗面所からコップを持ってくると、そこに手製の栄養ドリンクを注ぎ、赤い石を近づけた。石の先端がドリンクの表面に触れるか触れないか、というタイミングで液体がにわかに発光し、すぐに収まる。

 ふう、と、息を吐いたシルビアは「はい」とコップを差しだして、

 

「朱華ちゃん飲んでみて」

「あたし!?」

「だって、一番内臓が丈夫そうだし」

「いや、教授とかでもいいんじゃない? 見た目若いし」

「残念だが、吾輩は日々肝臓を痛めつけているからな……」

「裏切り者!」

「ま、まあまあ朱華さん。私も魔法を準備しておくので……」

 

 なお、ノワールが自主的に志願してくれたものの、それは朱華も含めた全員が止めた。万一、彼女が数日寝込むなんていうことになったら家がめちゃくちゃになりかねない。いや、その時は俺ができる限り崩壊を阻止するが。

 

「い、いくわよ……!?」

 

 恐る恐る、もう片方の手で鼻をつまみながらぐいっとコップを煽る朱華。

 ごくん、と、液体が少女の喉を落ち、そして、

 

「あれ、いつものやつより飲みやすいかも……?」

 

 幸い、中身が劇薬に変化、なんていうことはなかった。

 

「大丈夫ですか、朱華さん? お腹が痛いとか、手足が痺れるとか、笑いが止まらなくなりそうとかありませんか?」

「今のところ大丈夫。……あ、でもなんか目が冴えてきたかも」

「うん。ポーションの効果が強化されてるっぽいねー」

 

 ということは……?

 

「でも不完全品かな、これ」

「なんだ、完全版ではないのか」

「さすがにねー。完全版にしてはオロチの性能微妙だったし」

「では、シルビアさま。完全版だった場合はどうなっていたんでしょう?」

「無限再生とか、メタルオロチになってたかも?」

「勘弁してください」

 

 そんなの誰が勝てるのか。

 

「残念でしたね、シルビアさん」

「うん、そうだねー」

 

 俺の言葉に相槌を打ちつつも、シルビアは笑顔だった。ほくほく顔と言ってもいい。残念そうどころか喜んでいる。

 

「不完全って言っても、錬金術師の夢だよ? 嬉しいに決まってるよ」

「確かに。ポーションを高性能化するのには使えるわけだしな」

「もしかしたら完全版の合成素材になるかもしれないしねー」

 

 そんなゲームみたいなこと……ありえるから困る。

 

「私の小説だと賢者の石は伝説級のアイテムなんだけど、ひょっとしてアリスちゃんのゲーム産なのかな?」

「うちのゲームにはそんなもの……出てきたかもしれません」

 

 収集品扱いで手に入ったような気もしないでもない。錬金術師メインの話じゃないからこそ、効果も何もないただのアイテムとしてほいほい登場したりするものだ。

 よほど嬉しいのか、シルビアは賢者の石(不完全版)にすりすりと頬ずりをして、

 

「いくら払えばいい? なんなら当面の生活費を除いて全財産払うけど」

「いや、そんなには要らん。というか、そうしたら進学が困るだろう」

「別にいいよー。一年留年すればいいだけだし、その間も研究が捗るだろうし」

 

 さすがシルビア、ブレがない。しかし、入学金を払えないから留年する、なんて言ったら担任の先生とか吉野さんとかがすごく悲しみそうだ。もし本当に留年するようならその時こそアリス金融(仮)の出番だろう。

 教授は呆れたように苦笑しつつ肩を竦め、

 

「具体的にいくらの値をつけるかはおいおい決めるとして、ひとまず、今後のバイトにおけるシルビアの取り分から半分を払ってもらう──というあたりでどうだ?」

「異議なーし」

「そんなのでいいなら私もOK。……それじゃあ、これ、どう使おうかなあ。とりあえず手持ちで試してみる? あー、でも、耐久力を先に調べたいかなあ」

「ふむ。この分だとシルビアはなかなか寝そうにないな。朱華よ、アリスと部屋を代わってやってくれないか?」

「またあたしなんだ? まあいいけど。さっき飲んだドリンクのせいですぐには寝られそうにないし」

 

 結構ドリンクが効いたらしい。今後、朱華が栄養ドリンク(賢者の石使用)を常用しないように願うばかりである。

 

「すみません、朱華さん。さすがにノートパソコンは持ってきてないですよね?」

「まあね。別にいいわよ。こういう時のためにスマホアプリも入ってるし」

 

 なお、エロゲーではないものの美少女系のアドベンチャーゲームらしい。スマホ版までチェックしているあたり筋金入りである。

 

「じゃあ、私は瑠璃さんと同じ部屋ですね」

「あ、アリス先輩と同じ部屋ですか……!?」

「あ、もしかして嫌でしたか?」

 

 急に変わってしまったので文句があってもおかしくない。そう思って尋ねると、瑠璃は勢いよく首を振った。

 

「とんでもありません。ただ、一度決まったところだったので驚いただけで」

「それなら良かったです」

 

 もうとっくに夜中。特別にチェックインをさせてもらったようなものだし、夕食はみんな済ませている。解散した後はシャワーを浴びて寝るだけだった。

 シャワーの順番はじゃんけんした。瑠璃に「一緒に入りますか?」とも提案したのだが、さすがに断られてしまった。結局、じゃんけんに勝った俺が先に。

 いい感じに身体が温まり、せっかくなので冷蔵庫の中のドリンク(有料)から炭酸水を選んでちびちび飲んでいると、同じく温まった瑠璃が出てきた。ドライヤーを当てたようだが、髪に少ししっとり感が残っている。

 

「今日はお疲れ様でした、瑠璃さん」

「そんな。アリス先輩こそ大活躍だったじゃないですか」

 

 頬を染めて首を振る後輩。しかし、彼女がいなければどうなっていたかわからないのも事実だ。

 

「私は皆さんを支援する役割です。だから、前に出て戦ってくれる人は本当にすごいと思うんです。怖かったでしょう?」

「……はい。そうですね、凄く怖かったです」

 

 冷蔵庫からジンジャーエールを取り出しつつ、こくんと頷く瑠璃。彼女は少し迷うようなそぶりを見せてから「でも」と続ける。

 

「いざ戦い始めたら夢中で、いつの間にか怖さが和らいでいました。最後は、身体が熱くて仕方なかったくらいです」

「そうだったんですね。もしかして、霊力の作用なんでしょうか」

「わかりません。でも、少しですが霊力を扱えるようになった気がします」

 

 こういうのは最初が一番難しい。一度感覚を掴んでしまえば案外、二度目はすんなりといくものだ。呪文名を唱えるだけで魔法が使えた俺が言うのも変な話だが。

 缶の中身を半分ほど一気に飲み干した瑠璃は、片手の拳をぎゅっと握って言った。

 

「次はきっと、もっとお役に立てると思います」

「ありがとうございます。でも、無理はしないでくださいね? 命は一つしかないんですから」

「わかっています。アリス先輩がピンチになるのを見て、心配する側の気持ちがわかりましたから」

「う、それはひどいと思います!」

 

 そんな風にして俺たちは笑いあった。

 和やかな話ができたお陰か、朝までぐっすりと眠れた。一緒に寝たはずの瑠璃は「緊張してあまり眠れませんでした……」と眠そうだったが、まあ、今日も休みだし問題ないだろう。

 朝食バイキングをのんびり堪能した後、シルビアも「観光より早く帰りたい」と希望したため、みんなで車に乗ってシェアハウスへと帰りついた。



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聖女、本命チョコを作る

 日曜日。

 集合場所である駅に到着すると、芽愛(めい)はもう到着していた。

 

「お待たせしました。遅くなってしまいましたか?」

「ううん、まだ時間前だよ。たまにはアリスちゃんより先に来ないとって早めに来てみたの」

「む。じゃあ、次はもっと早く来ないといけませんね」

「そんなことしてたらどんどん早くなっちゃうよ」

 

 くすくすと笑われた。確かに、そのうち集合時間を遅く設定することになりそうだ。なんというか本末転倒である。

 

「じゃあ行こっか。途中で買うものとかない?」

「はい、大丈夫です」

 

 ということで出発する俺たち。目的地はもちろん芽愛の家。一度行ったことがあるので道順は覚えている。なら、何も駅前集合にしなくてもという話だが、これにはちょっとした理由があった。

 

「ちゃんとお腹空かせてあるよね?」

「もちろんです。朝ご飯もいつもより少し控えめにしてきました」

「よかった」

 

 他愛ない雑談を交わしながら歩けば、あっという間に到着。

 ただし、今回俺たちは裏の自宅ではなく、表のお店の方に足を向ける。これが駅前集合の理由。今日はお菓子作りの前にお客さんとして来店させてもらおう、という話になっていたのだ。

 

『お家に集まってからお店の方に出ていくってなんか変な感じでしょ』

 

 とは芽愛の談。確かに、少しでも外を歩いてきた方が気分は出る。

 それでも彼女にとっては食べ慣れた味だろう──と思ったら「そうでもないよ」とのこと。ランチタイムに店の手伝いをする時はまかないを食べることもあるが、それは正規メニューと同じとは限らない。自宅では普通に和食も出るし、手伝いのない日の昼食は研究がてら自分で作ったりするので、お店で味わう機会は思ったほど多くないのだとか。

 

「今日はちゃんとお客さんとして来たから『手伝え』って言われても無視するよ」

「ふふっ、そうですね」

 

 芽愛に促されるようにしてドアを開く。軽快なベルの音。一歩踏み込めば、街の定食屋やファーストフードなんかの元気の良いそれとはまた違う、品の良さを感じさせる「いらっしゃいませ」の声。

 出迎えてくれたウェイトレスは、ふんわり袖のブラウス(白シャツ?)に濃紺の上着という、可愛さと清潔感を併せ持つ制服に身を包んでいた。派手過ぎることはなくて、むしろ清楚な感じだけど、色調のせいかメイド服に通じるイメージもある。

 文化祭の時「最悪店の制服で」みたいなことを言っていたのもなんだか頷ける。

 彼女は俺を見て目を細めた後、続けて入店した芽愛を見て悪戯っぽい表情になった。

 

「お客様、二名様でよろしいでしょうか?」

「はい」

「お席にご案内いたします。こちらへどうぞ」

 

 案内された席には「予約席」と書かれたプレートが置かれていた。なんだか本格的だ。嬉しさと恥ずかしさを同時に感じながら席につく。

 

「お決まりになりましたらお呼びくださいませ」

「ありがとうございます」

 

 恭しく一礼して去って行くウェイトレスさん。芽愛が小さく「なんかお客さんだと気分いいね」と囁いてくる。

 

「なんだかお嬢様になった気分ですね」

「アリスちゃんは十分お嬢様だと思うよ」

 

 などと言いつつ、メニューを開く。何を食べようか。

 ちゃんとした洋食店で食べる機会なんてなかなかない……と言う割には鈴香(すずか)たちと定期的に入っていたりするが、とはいえせっかくのチャンスを逃すのも良くない。

 メニューには一般的に「洋食」と言われて想像するものがだいたい揃っている。料理上手な芽愛の実家だ。どれを頼んでも美味しいのは間違いないが、

 

「おススメはビーフシチューとヒレステーキだよ」

「芽愛さん。それ、単価が高いやつですよね?」

「バレたか。だってうちの料理はどれもおススメなんだもん」

 

 余計に悩むようなことを言わないで欲しかった。

 こうなったら、普段なかなか食べられない料理をチョイスするべきか。家では出てこないような料理というと──。

 

「………」

「どうしたの、アリスちゃん?」

「いえ、その。家で食べられない料理を頼もうと思ったんですが、家でも結構、手の込んだ料理が出てくるなあと」

「さすが、アリスちゃんちのメイドさん」

 

 いや、本当に。ノワールの凄さをあらためて実感してしまう。

 しかし、いい加減に決めたいわけで、

 

「よし。決めました」

 

 悩んだ末に注文したのはチキンソテー。そこにサラダとスープも付ける。最終的には単純に食べたいものを注文した感じである。

 芽愛のチョイスは煮込みハンバーグ。両親のお手並み拝見、だそうな。

 

「パンとライスが選べますが、どちらになさいますか?」

「私はパンで」

「私も」

「かしこまりました。お料理が出来上がるまでしばらくお待ちください」

 

 注文が終わると、しばらくのんびりとした時間になる。

 

「アリスちゃん。どんなチョコ作るか決まった?」

「はい。千歌(ちか)さんに渡す分もありますし、具材なしで勝負しようかと。その分、別のところで勝負したいです。芽愛さんはどうするんですか?」

「私はフルーツチョコに挑戦してみようかなって。ちょっとビターなチョコの中に果物を入れるの」

「それは美味しそうですね」

 

 時刻は午後一時過ぎ。ランチ目当てのお客さんが少なくなってきた頃。食事が終わった後でチョコ作りを始めて、出来上がる頃にはおやつの時間になっているだろう。試食でチョコを口に入れるのは自作した者の特権である。

 

「お待たせいたしました」

「わ……!」

 

 話しているうちに料理が運ばれてくる。

 楽しみにしていた芽愛の家の料理は、思った通り美味だった。チキンソテーは皮がパリッと肉はジューシー、かけられたバター風味のソースもあいまって食が進む。パンもふんわりとしていてかつ、小麦の香りが感じられる。

 

「どう、アリスちゃん?」

「すごく美味しいです!」

 

 してやったり、という顔の芽愛にはそう答えるしかない。微妙に負けた気がして癪だが、美味しいものは美味しいのだ。

 半ば夢中になって食べ進め、完食した時には満足感でいっぱいだった。

 これは、そのうちまた食べに来たいかもしれない。そう思っていると、芽愛のお父さんが何かを持ってテーブルにやってきた。

 

「こちらは季節のシャーベットです。どうぞ」

「え。あの、頼んでないんですけど……」

「サービスです。これからも娘をよろしくお願いします」

 

 言ってお父さんはにっこり笑顔。

 

「あ、お父さん。お代タダにするって話断られたからって、サプライズ狙ってたでしょ?」

「そりゃそうだ。せっかく食べに来てくれたのに、何もしないわけにはいかないだろう?」

 

 言われて俺は、当初「お金はいらないから」という話があったのを思い出す。さすがにそれは悪いから、と自分のお金で食べにくることにしたのだが……。さすがにここはご厚意に甘えるしかない。笑顔でお礼を言って、スプーンを手に取る。

 シャーベットの程よい甘さと風味が口の中をさっぱりと洗い流してくれる。満腹だと思ったところだったが、甘い物は別腹。しっかりと味わいつつ全て食べきった。

 

「美味しかったです」

「ありがとう。良かったらまた来てくださいね」

「はい」

 

 芽愛のお母さんにも挨拶してから店を出て、外から回り込む形で家の方へ。

 しかし、思ったよりも早く来店する機会が訪れてしまった。今度は本当に朱華たちを連れて来ないと「ずるい」という話になりそうだ。

 ともあれ。

 

「それじゃあアリスちゃん。チョコ作り始めよっか」

「はい」

 

 美味しいものを食べた後は、気合いを入れて作業をする番である。

 

 

 

 

 

 そして。

 

「……できました!」

 

 苦節二時間以上。

 完成したチョコを前に、俺は歓声と共に安堵のため息を吐きだした。

 監督役を兼ねてくれた芽愛もにっこりと笑って、

 

「お疲れ様、アリスちゃん。上手くできたね」

「はい。芽愛さんのお陰です。……色々な意味で」

「う。その、張り切りすぎちゃったのはごめんってば」

 

 詳しく語ると長くなるので割愛するが、芽愛と来たら「せっかくのバレンタインだから」といつも以上の張り切りようで、俺のチョコレートにも十分なクオリティを求めてきたのだ。お陰で湯せんやテンパリングといった、チョコ作りでしか使わなさそうな技術がぐんと向上してしまった。

 しかし、その甲斐もあって、出来上がったチョコレートは良い物に仕上がったと思う。

 

「ありがとうございます、芽愛さん。私一人じゃこんな風には作れませんでした」

「……うん。私も、アリスちゃんがいてくれたから楽しかった」

 

 恥ずかしくなったのか、微妙に頬を染めて視線を逸らしながら言う芽愛。

 彼女はそれから慌てて「そうだ」と言うと、ラッピングを済ませた自分のチョコを差しだしてくる。

 

「はい、アリスちゃんの分。せっかくだから先に渡しちゃうね」

「ありがとうございます。……あ、私の分もハート型なんですね」

 

 半透明のラッピング袋には、ハート形のチョコが三つほど入っている。芽愛は「当然」と胸を張って、

 

「いつもお世話になってるんだから、私からの気持ちだよ」

 

 これには俺も恥ずかしくなった。

 

「そ、そうですか。……じゃあ、私も遠慮なく、ハートのチョコを渡せますね」

「え?」

 

 俺は二種類の形のチョコレートを用意していた。

 一つは、あらかじめ型を探して作った十字架型のチョコ。俺らしさを出すならこれだろう、というチョイスだ。

 そしてもう一つが、少し大きめサイズのハート形チョコ。出来上がったばかりなのでまだラッピングは済ませていないが、味は問題ない。

 いくつか作ったハート型の一つを手に取って差し出す。

 

「受け取ってくれますか、芽愛さん……?」

「……うん。ありがとう、アリスちゃん」

 

 時間としては少し遅くなってしまったが、お互いのチョコレートを紅茶と一緒に味わった。

 俺のチョコはカカオ分多めのチョコと普通のチョコをブレンド(?)した、少しビターなチョコ。大人が酒と合わせてもいいように作ったつもりだ。幸いお茶にも合ったようで、芽愛は「美味しい」と言ってくれた。

 

「鈴香はどんな反応するかなあ」

「喜んでくれるといいんですけど」

 

 俺たちは少しわくわくしつつ、バレンタインデー当日を迎えた。

 

 

 

 

 

 当日。

 いつものように登校すると、何やら教室内が騒がしかった。

 

「なんでしょう?」

「さあ。バレンタインだからじゃない?」

 

 隣にいた朱華はあっさりと肩を竦めた。朝、俺の顔を見るなり「ほら、チョコ寄越しなさい」と言ってきた人間とは思えない。

 まあ「あんたのチョコくらいはちゃんと味わって感想言いたいじゃない」なんて言われたので、言い訳だろうとは思いつつも嬉しかったのだが……。

 入り口をくぐって中に入ると、誰かがクラスメートに取り囲まれている。

 いったい誰だろうと思えば、

 

「鈴香さん?」

 

 今回、俺たちの悪戯のターゲット──もとい、みんなから本命チョコを受け取ることになった人気者である、鈴香だった。

 

「ああ。おはよう、アリス」

 

 彼女も俺に気づいたようで、そっと微笑むとこっちに歩いてくる。

 今、気のせいか呼び捨てにされたような……? というか鈴香自身、なんだかいつもよりも可愛い。制服自体は変えようがないのでお洒落にも限度があるはずなのだが、どうやらさりげなく化粧をしているらしい。おまけに肌艶もよく、近づけばふわりと上品な香り。

 

「香水、つけてるんですか?」

「いいえ? 登校前にお風呂に入ったから、シャンプーとボディソープの香りじゃないかしら」

 

 なるほど。過度なお洒落は校則で禁止されているが、シャンプー等ならうるさくは言われない。少し時間が経てば消えてしまうようなものだ。

 とはいえ、わざわざそこまでお洒落してくるということは、

 

「それで、アリス? 何か私に渡すものがあるんじゃないかしら?」

 

 しなやかな指が顎に添えられ、くいっと顔を持ち上げられる。何故か湧き起こる歓声。文化祭の時のように男装的なことをしているならともかく、今は普通に女同士なのだが。

 少し離れて観察していた朱華が呆れたように言う。

 

緋桜(ひおう)さん、楽しそうじゃない」

「あら。アリス達が変なことを企んでいるみたいだから、意趣返しをしているだけよ? ねえ?」

「は、はい。えっと、どうぞ。鈴香さん」

 

 やっぱりそういうことか。

 友人とはいえ、さすがにどきっとするものを感じながら、俺は苦笑交じりにチョコを手渡した。ハート形の箱に入れてラッピングを施した「本命用」のものだ。

 なお、シェアハウスの面々にこれをやるとややこしいことになりそうだったので、朱華たちには普通に十字架のチョコを渡した。なので、朱華が「あたしのと違うんだけど?」みたいに見てくるが、それはスルーするしかなかった。

 鈴香はチョコを両手で受け取ると、優雅にラッピングを解き──その場で口にした!

 

「ありがとう、アリス。美味しいわ」

「す、鈴香さんのお口に合って良かったです」

「あら。私達も知り合って随分経つんだし、そろそろ呼び捨ててくれてもいいのよ、アリス?」

「~~っ!」

 

 結局、鈴香は俺が呼び捨てにするまで許してくれなかった。

 きっちりお返しをされた俺は、下手に鈴香をからかうのは止めようと心に誓った。なお、首謀者の片割れである芽愛は昼休みに中庭でチョコを「あーん」させられた。

 それと、いつも以上にお嬢様然とした振る舞いがヒットしたのか、周囲に何人か「来年は本当に本命贈ろうかなあ……」とか言い出した子がいたが、それはまあ、鈴香の自業自得である。



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聖女、進学へ歩み出す

「そうだ、()()()。両親が『うちにバイトに来てくれないか』って言ってるんだけど、どうですか?」

 

 昼休みの中庭。

 友人である芽愛(めい)から不意に呼びかけられ、俺はお弁当に入っていた鶏の唐揚げを喉に詰まらせそうになった。

 我がクラスが誇るトップカースト層の一人にして、地元で人気の洋食屋の娘。彼女はいつも通り猫被りモードで、にこにこと笑みを浮かべている。

 彼女の実家でお昼を食べたのはつい先日のこと。

 料理は美味しく、店内は綺麗で、制服も可愛かった。働かせてくれるというのなら心惹かれるものはあるが──。

 

「あら、いいじゃない。……アルバイトならうちでメイドを、と言いたいところだけど、()()()の家にはメイドがいるものね。よその家でメイドのアルバイトを始めたらよくわからないことになりそうだし」

「私としては、()()()と組んでコスプレイベントに参加、というのも心惹かれますが……収入になるかというと未知数ですし、難しいですね」

 

 その前に、()()()()に反応せざるをえなかった。

 

「あの、皆さん。恥ずかしいので今まで通りに戻してもらえませんか……!?」

「どうしてですか? アリスと私達は半年以上親しくしている仲です。呼び捨てくらい普通じゃないですか」

「ええ。一方的に呼ばれて悔しいなら、私達の事も呼び捨てにしていいのよ?」

「むしろ呼び捨てにしてください。さあ」

 

 真面目な表情を装いつつ、微妙に口元をにやけさせながら言ってくる三人。

 俺は「ぐぬぬ」と内心歯噛みして、

 

「め、芽愛」

「はいっ」

鈴香(すずか)

「ええ」

縫子(ほうこ)

「……あ、すいません。私はやっぱり今まで通りで」

 

 そういえば、縫子は名前で呼ばれるのが苦手だった。

 かといって、鈴香がしているような「名字で呼び捨て」だと、場合によっては偉そうな感じになってしまう。それなら今まで通りの方が良さそうだが、

 

「じゃあ芽愛さんたちも前のままでいいじゃないですか!」

「だめ」

「だーめ」

 

 二人とも笑顔で、きっぱりと否定してきた。

 若干いじめられているような気分になりつつ、俺は「わかりました」と負けを認めた。

 この後、縫子を含めた三人が歓声を上げたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 芽愛たちを呼び捨てにせざるをえなくなったきっかけはもちろん、バレンタインデーの一件のせいだ。

 俺と芽愛が企画した「鈴香に本命チョコ作戦」は成功したというか、とりあえず達成はされたのだが、代わりに鈴香による仕返しを受け、俺たちはそれぞれにダメージを負った。

 利用者が限られているとはいえ、それなりに人のいる中庭でチョコを「あーん」させられた芽愛もなかなかに可哀想だったが、俺も、話の流れで今後ずっと「アリス」呼びをされることになってしまった。

 しかも、そこに芽愛と縫子まで乗ってきたからたまらない。

 彼女たちが呼び捨てにするんだからこっちが「さん付け」のままなのもおかしい、ということで、なし崩しに呼び捨てすることに決まってしまったし、慣れるまではしばらく、友人の名前を呼ぶだけで赤面する日々が続きそうである。

 まあ、もちろん、それだけ親しくなれたというのは嬉しいのだが。

 女子を名前で呼び捨てるというのはどうにも「特別な関係」を意識してしまう。十分、女子に馴染んだつもりの俺だが、こういうところは男の感覚が抜けていないのかもしれない。

 

 ちなみに。

 

 鈴香の「アリス呼び」を見ていた朱華がシェアハウスでその話を披露したせいで、仲間たちにまで流れが広まりそうになったりもした。

 

『家族みたいなもんなんだし遠慮しなくていいのよ、アリス?』

『あ、アリス先輩。私はそもそも年下なわけですし、呼び捨てていただいても……』

『しません! 絶対にしません!』

 

 そこまでさせられたら恥ずかしくて死んでしまうと、俺は断固拒否。

 親しき中にも礼儀あり。一緒の家に住んでいるからこそ、変な風に意識するわけにはいかないのだ。

 

『ノワールさんからも何か言ってください……!』

『……ええと、アリスさま? 一度で構いませんので、お嬢様口調で呼び捨てて命令していただけませんか? その、とてもそそるものがあると思うのです』

『きょ、教授』

『いや、まあ、それでノワールの気が済むなら呼んでやればいいと思うが』

『教授!?』

 

 もう誰にも頼れないと思いつつ、一縷の望みを籠めて最後の一人に視線をやると、

 

『あ、じゃあアリスちゃん。私と付き合っちゃおっか?』

『付き合いません!』

 

 シルビアが一番危険だった。

 

 

 

 

 

 

 政府によると、廃寺の一件における事後処理も無事に終わったらしい。

 オロチが暴れてくれたおかげ+手榴弾やら爆発ポーションを投げまくったせいで建物はほぼ全壊。ついでにいくらかは火を付けられて焼けた状態。雨乞いの影響で延焼までしなかったのが不幸中の幸いで、結果、建物の残骸は大型の重機を入れなくても片付けられる程度の状態になっていた。

 邪気払いをしたおかげで祟りだとかは気にしなくて良くなったし、壊れてしまったのなら片付けなくてはいけない、と、自治体が重い腰を上げるきっかけにもなったらしい。

 痕跡だけ見ても激戦だったのがわかるということで、報酬もなかなかの額が出た。

 

 そんな中、問題になったのが今回のドロップ品──シルビアの手に渡った賢者の石(不完全版)。

 

 シルビアが持ったままでいいのか。政府に渡すべきなのか。それとも高値を吹っかけて売りつけるべきなのか。というか、そもそも報告していいのか。

 悩んだ末、リーダーである教授が出した答えは、

 

『黙っておく。石については上には口外しないものとする』

 

 バイトの際にドロップ品が手に入ることは今までもあった。

 不死鳥の時のドロップは薬に変えられて政府にも一部還元されたし、機械人形の残骸はこちらから積極的に売りつけたようなものだが……使えばなくなってしまう薬や、いつかは人類が到達するであろう技術の先取りでしかない(構造の解明にも労力がかかる)機械と違い、今回のアイテムは影響が大きすぎる。

 そのままでも薬品の効力を上げることができ、もしかすれば今まで夢物語とされてきた賢者の石(完全版)に手が届くかもしれない。

 

『考えてもみよ。石を用いた細菌兵器を他国に撒けば、それだけで大惨事だぞ』

 

 本気で大きな被害が出かねない。まあ、俺の《解毒(キュアー・ポイズン)》は効くだろうが、正直そういう問題ではない。迂闊に他人の手には渡せない。

 シルビアにしか扱えない、という体で報告するという方法もあるが、これはこれでシルビアの身が危ない。政府がやらなくとも、何かのルートで聞きつけた別の勢力が誘拐等々の暴挙に及ぶかもしれない。

 なら、黙っておいた方がまだ気楽である。

 シルビアならおそらく、きっと、たぶん、悪用はしないだろう。

 

 俺の衣装はノワールの教えを乞いつつ修繕し、ぱっと見ではわからない程度にまで直すことができた。

 

 瑠璃はオロチ戦で会得した霊力の使い方を、武器の扱いと併せて練習している。

 霊力は妖怪などの『負』の存在に大きな効果のある『正』の力で、使い方によって物質的な効果を及ぼすことも、霊的・精神的な効果を及ぼすこともできるらしい。根拠がTRPGのルールブックに書かれたフレーバーテキストなので少々不安だが……。

 少なくとも、武器に籠めることで威力や強度を上げたり、化け物への特効効果を与えることはできるようだ。

 瑠璃はただの水に霊力を籠めたりして練習している。なお、俺が浄化した聖水に瑠璃が霊力を籠めた水はなかなかのご利益があるようで、ノワールが家庭菜園に撒いたところ、作物の育ちが良くなったうえに悪い虫が寄り付かなくなったらしい。

 武器に安定して霊力を籠められるようになれば刀を保護することもできる。次のボス戦のためにきちんとした日本刀を購入することも考慮に入れ始めたようだ。

 

 

 

 

 

 

 それから。

 私立萌桜(ほうおう)学園高等部の一般入試もまた、この二月に行われた。バイトをしたりチョコを作ったりと忙しかった俺たちだが、もちろん勉強をしていなかったわけじゃない。若干の不安を抱きつつも試験に臨み──見事合格した。

 周囲からわりと不安がられていた朱華もきちんと合格し、シェアハウスでは俺と朱華の進学祝い、それから瑠璃の入学祝いのパーティが執り行われた。

 

「新しい制服姿のアリスさま朱華さま、瑠璃さまが見られるのですね」

「四月からは瑠璃ちゃんが加わって四人で登校だねー」

 

 制服等々は新しく購入することになる。

 義務教育分の費用については政府がほとんどを負担してくれるし、幸いお金にも困っていないので問題ないが……二年近く着ているらしい朱華はともかく、半年ちょっとしか制服を着ていない俺の方は少々勿体ない気もしないでもない。

 

「もう着ないのであればいっそ瑠璃に譲ったらどうだ?」

「アリス先輩の制服を、ですか?」

「うむ。どうせ瑠璃も一年しか着ないのだ。ちょうど良かろう……と思ったが、サイズが合わんか」

 

 瑠璃はスタイルが良いので、俺のサイズだと若干合わないかもしれない。

 

「じゃあ、あたしの着る? そんなに痛めつけた覚えはないし。瑠璃が着終わる頃にちょうど三年くらいでしょ」

「朱華先輩の制服を、ですか……?」

「……あんたね。その微妙なニュアンスの違いはなんなのか聞いてあげましょうか?」

 

 ジト目になった朱華に瑠璃は慌てて手を振って、

 

「い、いえ。含むところがあるわけでは。……というか、せっかくの制服を頂いてしまうのは申し訳ないです」

「? なんでよ。もう着ないから別に──」

「いえ、まだ着る機会があるかもしれません。昔の制服なんて、恋人にねだられるコスプレの最たるものですから」

 

 ああ、なるほど。確かに彼氏が彼女に「昔の制服を着てくれ」と頼む光景は(マンガとかで)よく見る気がする。大学生だった瑠璃なら実際に体験した友人がいてもおかしくない。

 おかしくないが、

 

「ねえ、瑠璃。あんた時々、すごくダメな発言するわよね?」

「え!? いけませんでしたか!? 朱華先輩だって恋愛する時が来るかもしれませんし……」

「いや、完全否定はしないけど。エロゲ脳というかエロ漫画脳というか、ねえ?」

「朱華さんが言いますか」

「何か言った、アリス?」

「いひゃいれふ」

 

 結局、どうせ政府が補助してくれるんだし……ということで、瑠璃には新しい制服を買ってもらうことになった。

 

「そういえば、制服は大きめのを買った方がいいんでしょうか?」

「んー。あたしはもう大して成長しないと思うから、あんまり余裕見ないつもりだけど」

「男子に比べると女子は成長が早いですから、一般的には大きく見積もる必要はないかもしれません。ただ、アリスさまの場合は多少、余裕を持った方がよろしいかと」

 

 確かに、俺はもともと「一学年下でもいいかも?」という話だった。クラスメートたちや朱華と違って、中学時代の成長が終わっていない可能性がある。

 

「でも、私ってそんなに成長するんでしょうか?」

「ここに来られた時よりもアリスさまは成長されていますよ。身体測定を行えばよくお分かりになるのではないかと」

「本当ですか? ……そういえば、最近ちょっときついブラが出てきたんですが、もしかして気のせいじゃなかったんでしょうか」

「ほう。ブラがきつく、か。成長しているようで何よりだなアリス。酒でも飲むか?」

「アリスちゃんアリスちゃん。測ってあげるからこっちおいで」

「教授もシルビアさんも若干目が怖いんですが……!?」

 

 なんていうこともありつつ。

 

 

 

 

 

 

 だんだんと中三の三学期が残り少なくなり、進学の時期が近付いてきた。

 高等部に入ったら色々なことが変わるだろう。

 勉強については一度通った道なので心配していないが、鈴香たちと一緒のクラスになれるか。部活動をどうするか。どうなるかわからないことはいくつもある。

 芽愛の両親から誘われたように普通のバイトを始めるのもいいだろう。お金には困っていないが、社会勉強としていい機会だと思う。

 治療の臨時バイトのことを考えると、ある程度融通のきく必要があるのだが──。

 俺がぼんやりとあれこれ考え始めたある日、千歌(ちか)さんから連絡が入った。

 

『ねえ、アリスちゃん。うちの事務所に登録しない?』

 

 次の動画の話だと思っていた俺は、思わず「は……!?」と声を上げていた。

 バイトどころじゃない話が舞い込んできてしまったのだが、果たして俺の高校生活はどうなってしまうのだろうか。




というわけで四章が終了となります。
次章は高校生活スタート編+バイトの方に展開がある話かな、と考えております。


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第五章
聖女、悩む


 千歌(ちか)さんの所属する事務所は業界で五指に入る大手プロダクションのアイドル・声優部門だ。

 あいにくそっち方面には詳しくない俺だが、ネットで調べた情報を朱華に見てもらったところ、有名な声優が何人も所属していることがわかった。また、タレント部門や俳優部門には俺でも知っているような有名人の名前がいくつもあった。

 ざっと評判も検索してみたが、目立った悪い噂は無し。

 大きなところなら待遇や給料等もあまり心配はいらないだろうし、何よりあの千歌さんが変なところを紹介するとも思えない。

 で。

 都内某所にある事務所──正確には事務所の入ったビルを見上げて、俺は感嘆のため息をついた。

 

「……大きいですね」

 

 さすが大手。もちろん、事務所はビルの一部分だけなのだが、それでも十分に立派である。借りるのにいくらくらいかかるのか想像もできない。

 そんなところに俺なんかが来ていいのかと不安を覚えていると、一緒に来てくれたノワールが穏やかな声で勇気づけてくれる。

 

「大丈夫ですよ、アリスさま。どんな展開になろうと相手は人間です。ロボットや化け物よりはずっと相手をしやすいかと」

「確かに、そうですね」

 

 頷いて、深呼吸をひとつ。

 気持ちを整えた俺は笑顔を浮かべて言った。

 

「行きましょう、ノワールさん」

「はい。アリスさまをしっかりサポートいたしますので、どうぞご安心ください」

 

 

 

 

 

 俺とノワールが事務所にやってきたのは、とりあえず詳しい話をするためだ。

 千歌さんから「事務所に登録しないか」というメッセージを受け取った後、俺は彼女と電話で話をした。

 

『どうして急に、そんな話が出たんですか?』

『ほら、ちょっと前に、アリスちゃんの写真を事務所の人に見せたじゃない? あれと配信の件で興味を持ってくれたみたいで』

『ああ、なるほど……』

 

 例のクリスマスパーティの時の画像だ。相手が事務所の人間で、かつ既にネット上にあるものならとやかく言うこともないと、深く考えずにOKした覚えがある。

 まさか、あれがスカウトに結び付くわけがないと思ったのだが。

 

『アリスちゃん可愛いし、素人にしては発声もいいじゃない? とりあえず配信メインのアイドルで売り出してみないかって』

 

 確かに、アリシアの身体は意外に声量がある。神聖魔法を行使したり祝詞を紡ぐのに声を上げる必要があるからだろう。俺自身、男時代の部活経験から声を出すのには慣れているので、カラオケでも上手い下手はともかく堂々と歌い上げることはできている。

 見る人が見れば気づくものだ、と言うべきか、そんなところまで見ているのかと言うべきか。

 

『どう? 詳しくは事務所と相談になるけど、私としても登録してくれれば動画に誘いやすくなるんだよね』

 

 現状だと、動画への出演は友人としての善意での協力。しかし、事務所に登録して活動するようになれば給料が発生する。千歌さんの動画に出た場合にボーナスがあるかは謎だが、少なくとも宣伝にはなるのでお互い得をする。

 

『アリスちゃんがネットアイドルで稼いでくれれば、私の動画も仕事ってことにできるかもだし』

『今はプライベート扱いなんでしたっけ。千歌さんにも、ちゃんと得があるんですね』

『もちろん。だって、アリスちゃんと絡んで一番美味しいのは私だろうし』

 

 この話に関して、俺はいったん「少し考えさせて欲しい」と返答した。

 その後、シェアハウスの仲間に相談。

 また、前もって「そういう時は教えて欲しい」と言われていたことから、政府関係者にも連絡を取った。結果は、バイト(化け物退治や治療)に支障が出ないのであれば構わない、そのためにスケジュール等々を管理する人間を用意したい、とのことだった。

 とはいえ、来年度ようやく女子高生になるただの小娘がアイドル活動をするかも、という程度のために政府関連機関が事務所に接触するのも難しい。誰にどこまでの情報を流すか、という難しい問題が発生することも考慮した結果、

 

『では、しばらくの間、わたしがアリスさまのマネージャーをしましょう』

 

 我が家のメイドさんがそう買って出てくれたのだった。

 マネージャーと言っても大層なものではない。俺の保護者役でもある女性が俺個人のスケジュール管理を担い、事務所側に対する窓口にもなるというだけ。

 要は、俺がノワールに逐一予定を教えておいて、ノワールは事務所から依頼が来たら「その日はOK」(もしくはNG)と返答するだけ。バイトの都合もあるので今までも予定はなるべく共有していたし、正直なところ大きく変わることはない。

 ノワールの負担が地味に増えてしまうことだけがネックだったが、本人がやる気でいてくれること、他に適任者がいないことから、その方向でお願いすることになった。

 

 

 

 

 

「アリシアさんのプロデュースは千秋和歌(ちあきのどか)(※千歌さんの芸名)とのコラボを前提に行いたいと考えております」

 

 事務所へと赴いた俺たちは担当の女性に迎えられた。彼女は千歌さんの担当でもあるという。

 応接室のような場所に通されたうえで提示されたのは、個人で配信を行いつつペアでの配信を織り交ぜ、互いの知名度を上げていくというもの。

 

「それって、顔出しをしないといけない……ってことですか?」

「はい。個人特定の可能性を懸念されている、と和歌からは聞いていますが、アリシアさんはとても稀有な容姿をお持ちです。当方といたしましては、これを隠すのは非常に勿体ないと考えております」

 

 何しろ日本語堪能な金髪美少女である。

 加えて千歌さんと同じ声となれば、事務所としては願ってもない人材である。俺を使って千歌さんをより大々的に売り出していくことができるし、その恩恵として俺も人気を得ることができる……と、そういう算段らしい。

 うまくヒットすれば千歌さん同様に声優デビューしたり、二人でライブをすることだって夢じゃないという。

 

「つまり、御社の声優の力を借りる前提──アリシアにはそれほど期待をしていらっしゃらないということでしょうか」

 

 ノワールが普段とは違う、仕事人モードに近い口調で言う。

 彼女に呼び捨てられると若干ぞくっとするものがあったが、これは俺たちのことを良く知らない相手の前で「アリスさま」呼びをするわけにもいかないからだ。

 

「いいえ。我が社といたしましてもアリシアさんは是非とも欲しい人材です。その上で、より売れる方法を取るのは当然かと」

「売れる方法、ですか」

「はい。もちろん、叶えられるご希望については可能な限り叶えたいと考えておりますが、アリシアさんに有名になっていただくためにも従っていただくべき方針もございます」

 

 だから、顔出しNGはできない。

 企業として利益を出したいのは当然のこと。なので、彼女が言っていることは間違っていない。

 間違ってはいないのだが、俺としては素顔を晒すのに抵抗がある。

 バイトの件もあって正体バレ対策は必要だ。もちろん、きちんとした企業に所属することで法的に守られるという利点はあるが……。

 

 その代わり、提示された細かい条件は決して悪いものではなかった。

 ノワールを通すことも未成年であることを理由にあっさりと承諾されたし、提示された報酬も決して悪いものではない。

 というか、高校生のバイトとしてははっきりと破格だ。俺の場合、金銭感覚が色々と変になっているため、ちゃんと相場を踏まえていないと「大した額じゃないな」と思ってしまいそうになるというだけの話。

 

「お話、ありがとうございました。では、何日か検討させていただいてからお返事、ということでよろしいでしょうか?」

「もちろんです。良いお返事がいただけることをお待ちしております」

 

 俺たちは穏やかなまま話し合いを終え、事務所を後にした。

 

 

 

 

 

「で、アリス? あんたとしてはどうなの?」

「そうです。アリス先輩ならきっと人気になると思いますが、無理にやる必要はないと思います」

 

 事務所へ行ってきた日の夜。

 俺の部屋には紅と黒、二人の少女が集まっていた。朱華はいつも通りだらけた姿勢で、瑠璃はぴんと背筋を伸ばしながらもどこか不安そうに俺の方を見ている。

 二人にクッションを渡してベッドに座った俺は「そうですね……」と間を取ってから答えた。

 

「期待されるのは嬉しいです。注目されるのは恥ずかしいですけど、嫌ではないです。動画に出るのも、クリスマスパーティで歌ったのも終わってみれば楽しかったと思います」

 

 剣道の試合だって人前に出る機会には違いない。

 耐性はまあ、一応あるし、アリシアになってからは人とコミュニケーションする機会が一気に増えた。色んな人と話をするのも悪いものではない、と、今なら思える。

 お金の問題じゃない。幸いその手の心配事はないので、もし報酬が安かったとしても特に気にはならない。

 向いていると言っていいかもしれない。

 

「ただ……」

「ただ?」

「なんでしょう、どういう風にどうすればいいのか、いまいち実感が湧かないんですよね」

 

 千歌さんがやっているのを見て多少は理解しているつもりだが、いざ自分がやるとなったらまた話は別。売れるアイドルというビジョンが感覚的にしっくりは来ない。

 これに瑠璃は首を傾げて、

 

「それなら、もうデビューしている人の動画を見てみたらどうですか?」

「え?」

 

 なんともストレートかつ画期的な答えをくれた。

 そうと決まれば早い方がいい。朱華が部屋からノートパソコンを持ってきてくれて、それをみんなで覗き込む。同じ事務所に先輩はいないらしいので、適当に検索して上の方に出てきた女性配信者の動画を再生。

 何気に結構な長さのあるそれをしばらく眺めた感想は、

 

「なんか、特別なことをしているって感じはないですね」

「そうね。まあ、こういうのやってるのって半分素人だろうし」

 

 専門的に勉強している人もいるだろうが、そうでない人も多い。だから個人の素質によって当たりはずれが大きい。ごく普通に話しているだけでヒットする人もいれば、あの手この手で盛り上げようとしてスベってしまう人もいる。

 幾つか別の人の配信を見てみたところ、動画のネタは人それぞれ。同じ人でも回によって全く違ったことを話したりもするようだ。

 ゲームの配信をする人もいれば、視聴者と(パーティの余興的な意味の)ゲームめいたことをする人もいるし、中にはV(ヴァーチャル)なアバターを使って別の自分を演じている人もいる。

 というか、顔を出さない配信方法もあるのか。できるならそっちの方がいいのだが、はっきり「顔出しで」と言われてしまった以上、それは叶わないのだろう。無理に顔出しNGを主張すれば「この話はなかったことに」となりかねない。

 

「アリス先輩。中の人はこういうの使ったりするみたいですよ」

 

 俺がヴァーチャル系に興味を持ったのを見て、瑠璃がスマホで検索して見せてくれる。いわゆるモーションキャプチャー用っぽい機器を装着して人の画像。

 

「ただ、方法はピンキリみたいで、簡単なものだとスマホにアプリを入れて、カメラで撮るだけなんていうのもあるみたいです」

「なるほど……」

 

 配信自体の形式はリアル系でもヴァーチャル系でもあまり変わらない。自分が喋ると、それに対して視聴者からのコメントがつく。

 文字だけでなく、スタンプのようなものを使える場合もあるし、熱心なファンは送金機能を用いてくれたりもする。事務所が考えているのもこうした送金機能を用いる集金方法だ。報酬は固定給+送金機能によって送られた額の一部という仕組み。

 千歌さんの動画にもたくさんのコメントがついていた。

 直接顔を合わせないからわかりにくいだけで、配信者たちは動画を通して多くの人と繋がっているのだ。ならば、それは剣道の試合や、あるいはオリジナルのアリシアが村を回って説法するようなことと、大して違いはないのかもしれない。

 

「配信してる奴に課金するの、スパチャとか投げ銭とか色々言い方あるけど、場合によってはお布施とも言うのよね」

「……お布施」

 

 言われてみれば、応援している企業などにお金を使う時にもそういう言い方をすることがある。

 要は寄付。治療などの代価に大金を受け取るのは抵抗があるが、俺を応援してくれる人が無理のない範囲で援助してくれることにはあまり抵抗がない。どう違うのか言葉にしづらいが、親戚のおじさんがお小遣いくれるのはOKみたいなものだろうか。

 

「うーん……でも、なんとなくしっくりこない気がします」

「どこがよ?」

「お金儲けのため、みたいに思えてしまうところでしょうか」

 

 これには二人は顔を見合わせて困った顔をした。

 

「給料もらう時点で仕事なんだからそりゃそうでしょ」

「アリス先輩には、もしかすると事務所が合っていないのかもしれませんね」

 

 もしかしたら、瑠璃の言う通りなのかもしれない。




※12/11 22:30頃 内容を修正しました。
(事務所からの提案内容をヴァーチャル→顔出し配信に変更)


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聖女、決断する

いただいたご意見を元に展開を一部軌道修正しました。
それに伴い前話にも修正を行っております。
(事務所からの提案内容をヴァーチャル→顔出しに変更)

配信に関してはアリスの副業追加くらいのつもりでおります。
なので、配信メインの話になるわけではなく、基本的な話のノリは変わらない予定です。


「事務所所属のお話、辞退させてください」

「……そうですか。残念ですが仕方ありません。アリシアさんの今後のご活躍をお祈りいたします」

 

 二度目の事務所訪問は短い時間で終わった。

 断られる可能性も考慮していたのだろう。担当の女性は、少なくとも表面上は落ち着いたままで了承してくれた。

 ビルを出た俺はノワールを見上げて、

 

「きっと、これで良かったんですよね」

「ええ。アリスさまにとって後悔のない選択であれば、これで良かったのではないかと」

 

 俺は、千歌(ちか)さんの事務所への所属を諦めた。

 決断のきっかけはいくつかあるのだが──。

 

 

 

 

 

 

『私。これはまたとない機会なのではないでしょうか』

 

 事務所に行った日の夜。

 朱華たちとの話や夜のお祈りを終えた俺は眠りに落ち、そして、夢の中でもう一人の俺──オリジナルのアリシア・ブライトネスと出会った。

 白を基調とする神殿のような場所。俺は祭壇に向かうように少し離れて立っており、その祭壇の前にはアリシアがいる。

 見下ろせば、金髪な小柄な少女の身体。向こうが聖職者としての衣装なのに対してこちらは中等部の制服姿だが、俺たちの姿は鏡で映したかのようにそっくりだ。

 

 今の状況は、おそらくはよくある「精神世界での対話」のようなものなのだろう。

 それ自体は問題ないとして、

 

「私は、男だった頃の姿になるかと思いました」

『既に、あなたにとっての自分自身もその姿になっているのでしょう』

 

 言われて「なるほど」と思った。今の身体はもう、自分のものとして馴染んでいる。自分のものなのだから当然と言えば当然だが。

 自然にそう思えるようになったことが、この状況の原因だろうか。

 

『あなたが悩んでいることも理由です。私たちは同じ人間なのですから、これはいわば自問自答に過ぎません』

 

 別の人格と会話をしているのではなく、あくまでも「スタンスが少しだけ違なる」同じ人間同士での対話。ならば、これは単に自分の中で考えを纏めるプロセスだと考えていいのかもしれない。

 

「それで、機会というのは?」

『はい。その配信系アイドルというものでお布施を──寄進を得られるのであれば、我が神の信仰を広めるためにも用いられるのではないでしょうか』

「信仰を?」

 

 動画配信で布教活動をするということか。

 生粋の日本人である俺としては、メジャーでない宗教全般に「なんか怪しい団体」というイメージがあるのだが。布教活動なんかして捕まったり、抗議を受けたりしないんだろうか。

 いや。

 配信を行うアイドルの中には、いわゆる役割演技(ロールプレイ)をする者もいるのだったか。

 

「なら、架空の女神様を信じる聖職者という『設定』なら……?」

『架空ではなく実在しているのですが……それはともかく。この世界の人々にも受け入れられる余地はあるでしょう?』

 

 確かに。キャラ設定ということにしてしまえば痛々しく見える発言も穏便に見える。布教と言ってもアイドルとしてファンを集めるというだけなら他のアイドルとやっていることは変わらない。

 

『集めたお布施で祭壇を作るのもいいと思います。祈りはもちろんですが、神への供物もまた重要なものですからね。そしてゆくゆくは神殿を──!』

「そ、そこまでは無理だと思いますが……。でも、いいかもしれません」

 

 うちの(というかアリシアの)女神様にはもう少し日の目を浴びて欲しい。

 今は唯一の信者である俺がよその神様の聖印使っているレベルだ。このままではさすがに可哀そうだ。

 毎日祈っているので、俺としても愛着はある。

 本格的な信者を増やすのは無理にしても、もっと知名度を上げることくらいはしてもいいと思う。

 

「明日、皆さんに相談してみようと思います」

『そうしていただけると私としても嬉しいです』

 

 精神世界で手を握り合った俺たちは笑顔で別れ──気づいたら朝だった。

 

 

 

 

 

 そして。

 

「配信で信者を集める? あんた、何で急にそんな乗り気になってるのよ?」

「朱華さんが『お布施』のことを教えてくれたんじゃないですか」

 

 思いついたことを朝食の席で話すと、さすがに仲間たちからも驚かれた。

 

「うーん……。アリスちゃんには似合ってるけど、響かない人には全く響かなさそうなキャラ付けだよね」

「私はアリス先輩らしくて良いと思いますが……」

「先方が許可してくださるかというと難しいかもしれませんね……」

 

 事務所は当然、売る以上は売れる体制を整えようとする。キャラ付けにこちらから細かい指定をする、なんていうのは難しいだろう。

 それに、そもそもあの事務所からの話は「受けるのが難しいかな」という見解だったわけで。

 さすがにそう上手くはいかないか、と思った時、

 

「……いや。案外悪くないかもしれんぞ」

 

 意外にも、うちのリーダーが乗り気になった。

 

「信仰心を集めるのだろう? つまりは神の力を強めるということだ。いかにもアリスの魔法がパワーアップしそうではないか」

「あ、いえ、そういう狙いはなかったんですが」

「さすがはアリス。装備のグレードアップが終わったと思えば、まだまだ強くなるつもりだったとは。そういうことなら政府も積極的に協力してくれるのではないか?」

「そういう狙いはなかったんですが」

 

 しかし、聖印を磨いたりグレードアップすることでパワーアップしたのは事実。ならば信仰を稼ぐことで魔法が強くなることもあるかもしれない。

 バイトが捗るなら願ってもない。

 邪気払いがしやすくなれば、間接的に世のため人のためにもなる。

 すると、色々調べてくれた瑠璃が頷いて、

 

「それなら、むしろ個人でやった方がいいかもしれませんね」

「そっか、個人でもできるんですよね」

 

 千歌さんが実際やっているのだから不可能なはずがない。

 登録型の動画配信サイトなんて幾つもあるので、そこを利用すれば自分でサイトを立ち上げなくても大丈夫だ。

 

「はい。ただ、動画編集などの技術は必要になりますし、売れるには自己プロデュース力なども必要になります。それから、どの程度稼げるかは人によって全然違うようで、初期投資をペイできないケースも多いそうです」

「苦労したのにマイナスとか罰ゲームじゃないの?」

「うむ。しかしアリスの場合、別に報酬額に拘りはないのだろう?」

「そうですね。ギャンブルに失敗したみたいな大損でなければ」

「いいと思うよー。事務所通すと中抜きとか増えそうだし。しがらみもなくて気楽じゃない?」

 

 それなら個人でやる方が良さそうだ。

 リスクがある代わりに大した責任もない。試しに少しやってみて、駄目ならやめてもいい。

 やり方は調べるなりしないといけないだろうが……。果たして千歌さんに聞くのはアリだろうか。事務所入りを断った上でだと若干申し訳ないような気もする。

 

「では、アリスさま。わたしも一緒にお勉強しますねっ」

「ありがとうございます、ノワールさん。でも、無理しないでくださいね?」

 

 ノワールのマネージャーとしての負担が減らせるんじゃないか、というのも一つのポイントなのだ。あまり頑張ってもらっては意味が半減する。

 すると、我が家の頼れるメイドさんは笑顔で「お任せくださいませ」と言ってくれた。

 

「吾輩から『上』にも連絡を取ってみよう。もしかすると何かいいアイデアがあるかもしれん」

 

 教授はその日のうちに政府と連絡を取ったらしい。

 意外にも早い対応で、夜には「政府の命を受けた」という一人の人物が俺たちのシェアハウスを訪れていた。

 その人物とはある意味で意外で、しかし、ある意味では適任の人物だった。

 

 

 

 

 

 

「お久しぶりです、皆さん。……あ、そちらの方は初めましてですね」

 

 俺たち──瑠璃以外のメンバーにとっては旧知の相手。

 

「今日はアリスちゃんとの料理勝負が目的じゃないのが残念ですが……」

 

 ノワールによって元々の勤め先(ヤクザ)を壊滅させられ、政府の息のかかったIT企業へ就職した凄腕の技術者──椎名は、いつもの調子で笑った。

 俺としては意外だったのだが、教授は「全て予想通り」とでも言いたげに涼しい顔。もしかすると政府に連絡する時点で彼女のことを考えていたのかもしれない。

 

「どうして椎名さんが?」

「それはもちろん、こちらをお持ちしたからです」

 

 言って彼女が取りだしたのはノートパソコン。くいっと俺たちへ向けられた画面には、俺にどことなく似た金髪美少女が映っていた。

 立体的な3Dキャラクター。

 しかも、ご丁寧に纏っている衣装までアリシアのものによく似ている。

 これは、もしかして例のV(ヴァーチャル)なやつに使えるアバターか。

 

「どうしてこんなものが……?」

「技術的な話をされているなら、シュヴァルツの容姿を再現するのに作ったものの応用です。アリスちゃんの衣装のデザインについては『上』から写真をもらいました」

 

 下手したらプライバシーの侵害である。

 いや、まあ、政府から椎名のところへ渡る分には別に構わないが。

 そういえば、前に話した時にシュヴァルツの顔が画面に映るようになっていた。あれを更に進化させたということらしい。

 どうして俺をモデルにしたのかと言えば、電脳世界でシュヴァルツと話ができるように……という配慮だそうだ。ノワールのアバターはぶっちゃけシュヴァルツのものをちょいちょい改造すればそれっぽくなるのでデザインの練習にもならない、というのもあったらしい。

 

「椎名よ。これはその、配信用のアバターとして動かせるのか?」

「もちろんです。カメラから取り込んだ人物の動きをマシン上で再現するシステムなので、配信にも応用が利くはずです。まあ、ある程度の調整は必要ですし、専用機器を用意する必要はありますが」

 

 彼女がこんなものを持ってきた理由は明白だ。

 

「『上』が乗り気になったってこと?」

「ええ。アリスちゃんが強くなるかもしれないなら話は別ですからね。既にあるものを利用するなら費用も安く抑えられますし。ボス戦対策も兼ねて、実費プラスアルファくらいで我が社がバックアップする、という話が持ち上がりました」

 

 椎名のところは形式上は民間企業だから、表向きはそことシステムの貸与等々で契約する形だ。企業側は企業側で、うまく行ったら本格的にそっち系の事業に乗り出すことも検討しているらしい。

 

「何しろうちには一体、遊ばせている人工知能がいますからね」

「え、それは危険なんじゃないのー?」

「まあ、そうですね。現状だとシュヴァルツを信用しきれないので難しいんですが。生配信じゃなければ収録データを別のマシンでネットにアップすることもできますし」

「アリスさまとわたしの妹分がアイドルに……」

「ノワール様もデビューしますかっ!? シュヴァルツと併せてクール系姉妹アイドルとかウケると──」

「遠慮しておきます」

 

 しゅんとした椎名は「そうですか……」と本気で残念そうだった。

 

「どうですか、アリスちゃん、皆さん」

「私はやってみたいです。アバターを使えるなら正体も隠せますし」

「まあ、千秋和歌さんの動画に登場した『キャロルちゃん』との関係性は疑われると思いますが、隠さないよりはマシでしょうね」

 

 費用的負担も少なく、機器やシステムも提供してもらえる。知り合いが窓口になってくれる上、肝心のアバターも出来が良い。

 

「椎名さんってすごく有能だったんですね……」

「こう見えて、家事以外は割とできる女なんですよ、私」

「……? この方の企業全体が努力した結果ですよね?」

「さすが瑠璃、さらっと痛いところを突いたわね」

「い、いいじゃないですか、少しくらい見栄張ったって……」

 

 そうと決まれば話は早い。

 俺は企業は千歌さんのところの事務所ではなく、椎名の会社と契約することにした。

 結ぶ契約はあくまでも機器やシステムの利用に関するものだけなので、配信自体の方針には口を出されない。そのうえ、アバターについては希望があれば修正してくれるらしい。

 

「だったら、金髪じゃない方がいいんですが……」

 

 このままのアバターだとヴァーチャルにした意味があまりない。

 顔立ちをある程度変えてもらって、髪色も変えた方がいいだろう……と思って提案したら、仲間たちが乗ってきて、

 

「ならやっぱり銀色だよね、アリスちゃん?」

「アリス先輩。黒なら目立ちませんよ?」

「アリス。別に赤にしてもいいのよ?」

「わたしとしては、黒に近い別の色、というのも良いと思いますが……」

 

 これには教授が呆れたようにため息を吐いた。

 

「アリスよ。どうせならもう少しロリキャラにすれば客が呼べるぞ」

 

 教授も駄目だった。

 

 

 

 

 

 

 というわけで。

 俺は、個人で自由気ままに配信を始めることになった。

 相談の結果、当初はスーパーチャージだのお布施だのといった名前で呼ばれる投げ銭機能は無しで始めることになった。例の「祭壇プロジェクト」はファンが増えてきた場合に新企画として導入しても遅くないだろう、という判断だ。

 システムや機器の調整、アバターの修正にも時間がかかるので、実際の配信開始は四月以降ということになっている。

 待っている間にこちら側がすることは喋りの練習と配信のネタを考えること、先人たちの動画を見て勉強することなど。半分は遊びみたいなものなので気楽に進めて行こうと思う。

 

「アリスちゃんがヴァーチャル配信者かあ。なんか雲の上の人になっちゃう感じだねー」

 

 なんだかんだで三月の残り減ってきた頃。

 桜が開花したお祝いも兼ねたちらし寿司(桜でんぶは好みがあるので別添え)を食べながらシルビアがぼやくと、俺は苦笑して答えた。

 

「そんなことありませんよ。部屋に籠もって配信する時は静かにしてもらえると嬉しいですけど、別にそれくらいです」

「そう? ……まあ、そのお願いは守れないかもだけどー」

 

 ここに来た初日の夜に実験失敗の爆発を経験して以来、シルビアの実験の余波は何度も経験している。もはや当たり前すぎていちいち述べる気もならないくらいだ。

 なのでまあ、静かにして欲しい時に限って爆発することもあるかもしれない。その時はもういっそのこと「知り合いの錬金術が実験に失敗した」と本当のことを言ってしまおうか。逆にネタにしか思われなくてスルーされるかもしれない。

 

「とにかく、私は私です。別に本格的なアイドルになる気もないですし、暇な時間にふらっと神様の話をしたりするだけですよ」

 

 治療のバイトと似たようなものだ。

 学校生活と通常のバイトが優先なのは当たり前。その上でやることが少し増える程度。これくらいなら、頑張れば部活に参加することも可能かもしれない。いや、さすがに配信を何度か経験してから判断するべきか。

 

「まあね。万が一大ヒットして有名人になっても、アリスの天然は変わらないだろうし」

「そう言われると汚名返上したくなりますけど……」

「できてから言いなさい」

 

 桜でんぶ多めのちらし寿司を食べて「甘っ!?」とか言っている朱華を睨むと、紅髪の少女は巻き添え狙いで俺の分にまで多めにふりかけてくる。なんというテロ行為。俺は甘いものが好きだが、おはぎとか以外でお米が甘くなるのはまた別問題である。

 

「アリス先輩、それ、私が食べましょうか?」

「いいんですか、瑠璃さん?」

「甘いものは慣れていますので」

 

 さすが和菓子屋の子。平然とちらし寿司on桜でんぶを口に運んでいく瑠璃に尊敬のまなざしを送ると、黒髪の少女は恥ずかしそうに目を伏せた。



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聖女、卒業する

 朝起きて、いつもの日課を済ませてから制服に身を包む。

 密かに男性ファンも多いらしい臙脂色のブレザー。一年足らずとはいえ着続けてきたせいか、買った時よりは「こなれて」自分の物になったような気がする。制服を纏った自分の姿にも違和感はない。むしろ、こうして鏡に映すのも最後になるかと思うと寂しい気持ちになる。

 

「……今日で、中等部を卒業なんですね」

 

 本当にあっという間だった。

 目を閉じれば、初めて登校した日のことをありありと思い出せる。あの時はひどく緊張した。女ばかりの空間に溶け込めるのかと不安でしかたなかったし、早く男に戻りたいと思った。

 あの出来事も今では思い出の一つ。あんな風だった俺が今では名残惜しいとさえ思っているのだから、不思議なものである。

 苦笑を浮かべて、俺は鏡の前でくるりと一回転する。

 ひらりと舞うスカート。背中まで確認してみても変なところは無し。よし、と、一つ頷いて、

 

「行きましょう」

 

 ほとんど物の入っていない鞄を持ち上げ、自室を出る。

 勉強道具は前もって少しずつ持ち帰っていたので、帰りもこの鞄が膨れることはないだろう。朱華の荷物を持たされたりしなければ、だが。

 

「おはようございます」

「おはようございます、アリスさま」

「おはようございます、アリス先輩」

 

 リビングに行くと、いつものようにノワールさんが挨拶を返してくれる。それから今日はもう一人。

 

「瑠璃さん、早起きですね」

「はい。アリス先輩に『おめでとう』を言おうと思って早起きしました。……卒業、おめでとうございます、アリス先輩」

「ありがとうございます」

 

 嬉しい気持ちと気恥ずかしい気持ちから微笑を浮かべてお礼を言う。

 後輩からこんな風に言ってもらえるのは嬉しいものだ。俺の場合、三年生からの入学だったし、部活にも所属していないので下級生との繋がりが薄い。

 瑠璃とは入れ違いで卒業してしまうのが残念だが、少しでも先輩気分が味わえて良かった。

 

「……おはよー」

 

 朱華は卒業式当日もいつも通りだった。ゆっくりめに起きてきて、若干眠そうな表情。彼女の夜更かしはいつものことなので、みんな(瑠璃含む)慣れっこである。

 

「朱華先輩、卒業式で寝ないでくださいね」

「寝ないわよ。今日はあんまりエネルギー使わなくて済むんだから、そのくらい我慢するっての」

 

 つまり、低燃費で済むからって普通に夜更かししたわけだ。

 

「お二人とも、ご卒業おめでとうございます。次は高校生ですね」

「うむ。アリス達も花のJKというわけだ。めでたいな」

「うわ教授。ちょっと年寄りくさいよそれー」

「何だと!? 祝福と激励をしたら馬鹿にされたぞ……!?」

 

 中学を卒業するのはこれで二回目だが、やっぱり独特の感慨はあるな、と思う。

 

「それでは、行って来ます」

「行ってらっしゃいませ、アリスさま。朱華さま。シルビアさま」

 

 式はお昼前に十分帰れる程度で終了予定。しかし、俺たちはノワールに「昼食は食べてくる」と言い残した。既に式の終了後、クラスで「卒業おめでとう会」をすることが決まっていたからだ。

 

 

 

 

 

「ご卒業おめでとうございます」

「ありがとうございます」

 

 校門を入ったところに設置された簡易受付で、中等部と高等部の三年生が制服に付ける花と記念品を受け取っている。受け渡しを担当しているのは二年生以下の生徒たちだ。

 現二年生であるシルビアは「私は教室に行くねー」とそのまま並木道を進んでいく。

 俺は朱華を見上げて「行きましょうか」と促すと、少女は肩を竦めて「そうね」と答えた。

 順番を守って列に並び、前の生徒が終わったのを見て進み出ると、係の生徒と目が合った。彼女は目を細め、はにかむように微笑む。

 

「ご卒業おめでとうございます、ブライトネス先輩」

「ありがとうございます」

 

 まさかの名ざしである。自分から名乗って名簿にチェックしてもらうのが正規の流れなのだが、直接面識のない下級生にも顔と名前を覚えられているらしい。金髪碧眼の力は絶大である。とはいえ、個人として祝福されるのはやはり嬉しい。

 自然と笑顔で答えると、彼女は更に言葉を続けてきた。

 

「先輩も高等部に進学なさるんですか?」

「はい」

「そうですか、良かった。……それじゃあ、また再来年、同じ学校になれますね」

 

 彼女の「頑張ってください」という締めの言葉に再び笑顔で答えて、俺はその場を離れた。

 

「アリス」

 

 式は中等部と高等部で別々に行われる。卒業生は直接体育館に向かう流れ(講堂は高等部が使う)なので、多くの生徒は教室に行かず校舎の前に思い思いに集まっていた。

 朱華が「じゃ、後で」と自然に離れていき、俺も適当に人混みの方へと向かっていくと、友人──緋桜(ひおう)鈴香(すずか)から呼びかけられる。彼女は少し離れたところで高等部の生徒二人と一緒に立っていた。

 邪魔しない方がいいのでは、と思いつつも近寄っていくと、高等部の先輩が「ちょうど良かった」と微笑む。

 

「卒業おめでとう、ブライトネスさん」

「ありがとうございます」

 

 相手の方は胸に花を付けていない。ということは現一年生か現二年生ということになる。

 

「先輩達から挨拶ついでにプレッシャーをかけられていたんですよ」

「失礼な。高等部では生徒会に、って勧誘していただけでしょう?」

「生徒会……」

 

 二人は次期生徒会の書記と庶務らしい。

 中等部でも生徒会に所属していたらしく、その時に勧誘して断られた鈴香を「今度こそ」と誘っていたのだそうだ。

 さすが鈴香、上に立つのが似合うとみんなから思われている。そして、その上で権力より自由を選ぶタイプでもある。いや、中等部の生徒会なんて大した権限ないし、とか思って断った可能性もあるか。

 

「私達、ブライトネスさんも一緒に誘おうと思っていたの」

「え」

 

 どうしてそこで俺の名前が出るのか。

 助けを求めるように鈴香を見れば、彼女はふっと笑って言った。

 

「友達と一緒なら勧誘できると思っているんですよ」

 

 それは、どっちがメインの勧誘なんだろうか。いや、俺を釣って本命の鈴香を誘い出すって話だと思うが。

 まあ、俺としては所属するにしても部活動の方に興味がある。四月から配信を始める以上、部活もやって生徒会選挙にも出て、なんてやっていたら確実に過労死するだろうから、ここはやんわりと「興味がない」ことをアピールしておくしか、

 

「緋桜さんったら。生徒会は学校を良くするための組織なんだから」

「みんなのために頑張ることは悪いことじゃないんだよ。ね、ブライトネスさん?」

「う」

 

 思わず興味を惹かれてしまう。偶然なのか、俺の弱いところを突かれた形だ。何度もお人好しと言われてきたので、さすがにもうそういう自覚はある。

 

「えっと、そうですね……。家の用事で忙しいこともあるので、手の空いている時にお手伝いをするくらいなら」

「本当? じゃあ、もし困ったらお願いしようかな」

 

 よし、なんとか話を逸らした。さすがに高一の小娘(生徒会未経験)の手を借りなきゃいけないほど忙しくはないだろう。

 と、思ったら、先輩達が上機嫌で去って行った後、鈴香に「もっときっぱり断らないと付け込まれるわ」と注意された。

 なら、これからは鋼の意志を持って抵抗することにしよう。

 

「アリスさん、鈴香さん、何のお話だったんですか?」

「これから()()()()()アリスに仕事を振ろうとするなんて、あの先輩方は要注意ですね」

 

 芽愛(めい)たちと合流しながら、俺は新たな意気込みを胸に抱いた。

 

 

 

 

 

 

 いつものことだが、卒業式の内容自体はいたってシンプルだ。

 校長先生を始めとする偉い人の挨拶や、卒業生代表・在校生代表の挨拶など。代表は前生徒会長と現生徒会長が務めていた。

 

『続きまして本学校の理事長である緋桜寿々花様よりお言葉を頂きます』

 

 途中、どこかで聞いたような名前が聞こえて思わず親友の方を見てしまったが、席を立ったのはもちろん、中学三年生の彼女ではなく、高齢にさしかかった上品な女性だった。

 どういう関係なのか問いただしたいところだったが、式が終わりにさしかかるにつれてそれどころではなくなってしまった。

 あちこちからすすり泣くような声が聞こえだしたからだ。

 近くに座ったクラスメートの中にも泣くのを堪えるようにしている子がいるのを見て、俺は「ああ、そういえば卒業式ってそういうイベントだったな」と思う。何しろ今までの式では割と対岸の火事だった。男子にめそめそ泣く奴なんてほとんどいない。式が終わった後で盛大に男泣きしている奴の方がまだ多かった。

 今は俺も女子だから泣いて構わないのだが……。

 高校に進学する──新しいことへの期待と不安の方が大きい俺としては、この学校を離れる寂しさはあまり感じていなかった。在学期間が短いというのもあるし、何より校舎が変わるだけで後三年間、ここに通うことになるのだから。

 しかし。

 

「ふぇーん、アリスちゃーん!」

「……っ」

 

 式を終え、簡単なHRと共に担任の先生からの思い出話を聞かされ、これで本当に解散になった後。

 外部進学することになっている友人に泣きながら抱きつかれた俺は、さすがに鼻がうずいてくるのを感じた。

 肉体年齢だけならおそらく年上、変身前を加味した精神年齢なら年下な女の子を「よしよし」していると、ああ、この子とは離れ離れになるんだな、という感慨が湧いてきて、目元が潤む。いわゆるもらい泣きというやつである。

 別に、学校が別になってもたまにラーメン──もとい、甘い物でも食べに行ったりすればいいだろうに。

 女子の交友というのがそんな簡単なものでないのはもう、俺も知っている。距離の近さが友情の深さに大きく関係し、それを補うには交流の回数や共通の話題が必要になるのが女子。別の学校に行ってしまうというのは、徐々に疎遠になることを保証されているようなものだ。

 いずれそうなるのがほぼ確定なのだとしても。

 今、ここにいる友人と離れるのは寂しい。

 

「なんでもいいから電話したり、写真送ったりしましょうね」

「うん。うん……っ! 絶対する! 約束っ!」

 

 と、こんなやりとりがあちこちで行われ、校舎を出たら出たで待ち構えていた下級生たちを交えて更なる騒ぎが起きた。

 一体いつ終わるのやら。

 ……なんて、若干冷めた気持ちで見守ることになるかと思いきや、実際は、なかなか止まらない涙を枯れさせるので精一杯になってしまった。

 

「まったく、いつまで泣いてんのよあんた」

 

 ぽん、と頭を叩いてきたのは若干上ずった声の朱華。

 

「ぐすっ……。朱華さんだってちょっと泣いてるじゃないですか」

「うるさいわね」

 

 もう一度、今度は少し強めに頭を叩かれた。彼女は彼女で知り合いとの別れがあったのだろう。変身してからの期間が長い分、経験している行事も多いわけで。そういう意味では若干羨ましい。

 

「アリスちゃ……アリスさんに朱華さんも、一緒に写真を撮りませんか?」

「それって絶対、始めたら最後色んなところから誘われるやつよね……。まあいいけど、ほらアリス、泣き止みなさい」

「っ、はい……っ」

 

 念のためハンカチを多めに持ってきて良かった。

 涙を拭い、なんとか泣くのを止めた俺は、芽愛からのお誘いを皮切りに色んなクラスメートと写真を撮った。他の子のスマホで撮ってもらったこともあれば、自分のスマホを使ったこともある。自分で撮った分は後で参加者に送らないといけない。

 一枚一枚誰に送るか確認するのはなかなかに面倒くさい気がするが、それが楽しいと思えるのだから仕方ない。

 

 いつまでも続くかと思えた卒業式後の儀式は、しかし、昼が近づいてみんなのお腹が駄々をこねだしたことで強制的に中断させられた。

 

「それじゃあ、二次会の会場へ移動しましょうか」

「おー!」

 

 すました顔ながら、よく見ると目元が赤い気がする鈴香の号令でクラス一同、ぞろぞろと移動した。会場はとある個人経営のレストラン。芽愛の家……だと少し遠すぎるということで、彼女の両親の伝手で近くのお店に貸し切りをお願いしたのである。

 そこで俺たちは大いに飲んで(※ジュース)、食べて、騒いだ。お店の人も「そういう日だから」と大目に見てくれたので、さっき泣いた分だけ今度は明るく話した。

 この日のことも、きっと、一年も経てば大切な思い出として思い出すようになるのだろう。




……最終回かな?(


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聖女、試着する

「あの、アリス先輩。相談があるんです」

 

 卒業式が終わり、高等部の入学式まで短い休みに入った。

 そんなある日。休日恒例の訓練を終えたところで、瑠璃がおもむろに話を切り出してきた。

 どこか恥ずかしそうな表情。それでいて意を決したような瞳の輝きを宿した様子は、俺にあるイメージを抱かせた。

 

「……もしかして、好きな人ができたとか?」

「っ!? い、いえ、そういうことではないんです!」

 

 恋愛マンガとかでよくある雰囲気だったのでカマをかけてみれば、生憎関係がなかったらしい。

 慌てて首を振った黒髪の清楚系美少女は、きょろきょろと中庭に誰もいないことを確認してから小声で言ってきた。

 

「その、もうすぐ入学でしょう?」

「はい。瑠璃さんもようやく学校に通えますね。楽しみでしょう?」

「そうですね……。楽しみといえばもちろん楽しみなんですが、正直不安もありまして」

「不安?」

 

 俺よりはるかに女子力が高く、かつ準備期間をたっぷり置いた彼女が何を不安がっているのか。

 首を傾げる俺。そんな俺の耳元にそっと囁かれる言葉。

 

「私、女子と一緒に着替えとかしていいんでしょうか?」

 

 あー、と思うところは確かにあった。俺にも似たような覚えがある。

 俺たちはもともと男子だった。肉体的にはしっかり女子になっているとはいえ、同性になった異性にドキドキしてしまうのはどうしようもない。

 とはいえ、

 

「女同士なんですから堂々としていればいいんじゃ?」

「お、女同士なら堂々と凝視していいんでしょうか?」

 

 いや、凝視って。

 これで相手が朱華なら「また変なこと言って」とジト目で見るところだが、真面目な瑠璃がこの有様ということは本気で焦っているんだろう。

 女になって長いのだから慣れてもいいようなものだが……慣れなかったから焦っているのか。

 俺は女になった後、不安感からノワールに頼ることが多かった。それで強制的に「女子との距離感」を矯正されていったのだが、瑠璃は最初から自分のことは自分でできた。男子時代から女装をしていたので意識改革もそこまで必要なかったし、家から出るのは買い物の時くらい、という生活が続いていた。

(ちなみにスーパー銭湯の時は中年やお年寄りも多いのでそこまで気にならなかったらしい)

 となると、少し荒療治が必要かもしれない。まあ、放っておいたところで瑠璃が女子相手にお手付きするとは思わないが。

 

「じゃあ、瑠璃さん。私と一緒にシャワーを浴びましょう」

「しゃ、シャワーですか!?」

「はい。ちょうど汗を流したところですし、この前ホテルに行った時、恥ずかしがっていたでしょう?」

 

 あの時から兆候はあったのだ。女同士で恥ずかしがってばかりいては何もできない。これで恋人同士とかだったら話は別かもしれないが。学校生活で必要なのはクラスメートとの接し方である。

 しかし、少女は必要以上に頬を染めると首をぶんぶんと振った。

 

「む、無理です! アリス先輩とシャワーなんて死んでしまいます!」

「私の裸をなんだと思ってるんですか!?」

 

 よくわからないが無理らしい。そういえばあの時もこんな感じだった気がするが、俺が相手だと駄目なんだろうか?

 

「じゃあ、朱華さんだったらどうですか?」

「朱華先輩ですか? ……シルビア先輩だと別の意味で怖いですが、朱華先輩なら特になんともなさそうですね」

 

 各方面に酷いことを言っている気がするが、シルビアに関してはわりと自業自得なのでスルーしておこう。

 ちなみにノワール相手は今の俺でもドキドキするし、教授相手だと同級生想定にならないのでいまいち意味がない。

 というわけで、部屋でだらだらゲームしていた朱華のところへ一緒に頼みに行くと、紅髪の少女は「別にいいけど」とあっさり承諾してくれた。

 こうして以後数日間、お風呂に一緒に入るようになった二人。お陰で瑠璃のコンプレックス(?)もマシになったようである。瑠璃と朱華の仲も前より進展したようで、

 

「ねえアリス、知ってた? 瑠璃って思ったよりエロい身体──」

「朱華先輩? 私、裁縫も苦手ではないのですが、そのお口を縫い付けてもよろしいですか?」

 

 うん。まあ、良かったんじゃないだろうか……?

 

 

 

 

 

 新しい制服が届いた。

 高等部の制服は白ベースのブレザーだ。シルビアのを間近で見ていたので目新しさはないものの、新品のそれが自分の物になったかと思うと感慨深い物はある。

 ノワールが「さっそく試着して見せてくださいませ」と言うので、朱華や瑠璃ともども着替えをして初披露を行った。

 三人揃ってリビングに集合するなり、ノワールが「素敵です」と歓声を上げる。それを聞いた朱華は何故か若干、げんなりした表情で、

 

「……アリス。あんた似合いすぎでしょ」

 

 言われた俺は自分の姿を見下ろす。

 確かに。成長を見越して大きめサイズを買った制服はやや袖が余っておりぶかぶか感があるが、それを補っても余りある程度には、白く上品なデザインのそれは俺の金髪とよくマッチしていた。

 シルビアはシルビアで銀髪に白い制服というコンビネーションが雪の妖精のようで、冬場なんかはもう最高に雰囲気が出ていたのだが、我ながら俺の似合い方もなかなかだと思う。

 

「ありがとうございます。朱華さんは……ちょっと派手な感じですね」

「そうなのよね……。あたしの髪って自己主張強すぎなのよ」

 

 その分、中等部の臙脂色は良く似合っていたのだが、一人だけ前の制服を使い続けるわけにもいかない。紅白でおめでたいイメージと思えば悪いものでもなさそうだし、着慣れてくればまた印象も変わるだろう。

 

「瑠璃さんは良く似合ってますね」

「ありがとうございます。まさか、正規の方法でこれを着られるとは思いませんでした」

 

 妹が萌桜(ほうおう)に在学していたという瑠璃はしみじみと中等部の制服を見つめている。

 正規の方法という表現があれだが……まあ、妹が在校生ならその知人から個人的に譲り受ける、とかも可能だろう。別にいかがわしい店とかネットオークションで買ったわけではない、と思いたい。

 制服は日本人女性を想定してデザインされたものなので、正統派和風美少女の瑠璃に似合わないわけがない。

 イベントの匂いを嗅ぎつけてやってきたシルビアもにこにこしながら俺に抱きついてきて、

 

「これはもう、私とアリスちゃんのツーショットは最強だねー」

「シルビア先輩、アリス先輩にくっつきすぎです」

「大丈夫だよー。瑠璃ちゃんも良く似合ってるから。これからは四人で通学路歩こうねー」

 

 さらっと話題を逸らしたシルビア。瑠璃はそれに気づくことなく顎に手を当て、

 

「……私だけ中等部の制服なのが少し残念ですね」

「一年経ったら着られるわよ。まあ、そうするとシルビアさんが卒業しちゃうけど」

「そしたら私は女子大生の彼女作って幸せな生活送るから気にしなくていいよー」

 

 それを聞いた俺たちは顔を見合わせて。

 

「本当にやりそうだから怖いですね」

「シルビアさん? 別に性癖は好きにしていいけど、変な薬盛るのは犯罪だからね?」

「やはりシルビアさんに賢者の石を渡すのも危険だったのでは」

「あれ? みんな? 冗談だからね? おーい」

 

 なお、ノワールでさえも「冗談だったのですね……」と驚いていた。

 

 

 

 

 

 入学式は高等部と中等部で時間をずらしての実施だった。

 朝のルーティンを済ませ、新しい制服に身を包んだ俺がリビングに下りていくと、ノワールが目を細めて「いよいよですねっ」と言ってくれた。

 

「はい。……制服が変わっただけでも、なんだか少し大人になった気がしますね」

「アリスさまは実際に成長されていますよ」

「ありがとうございます」

 

 先日、ブラの一部を「もう着けられない」と処分したところだ。縫製や素材の関係か全部が全部ではないのだが、本格的にキツイのが出てきている。アリシアの衣装と一緒に注文した高い下着も近いうちに無理が出てきそうなので、今のうちに着けておこうと今日身に着けていたりする。

 胸だけではなく身長も少しは伸びてきているようだが──果たしてどのくらい伸びてくれることやら。

 

「とにかく、高等部でも一年頑張りますね」

「はい。サポートはわたしにお任せください」

 

 微笑むノワールがとても頼もしい。マネージャーなんていう役目までお願いしてしまった以上、彼女は名実共に公私にわたる俺のサポーターである。期待に応えるためにも悔いのない生活を送らなければならない。

 

「おはようございます。……アリス先輩、あらためてご入学おめでとうございます」

「ありがとうございます。瑠璃さんは始業式、明日ですね」

 

 瑠璃は中学三年に転入する形になる。

 微笑んで「はい」と答えた彼女はそれからふっと遠い目になり「さすがに覚悟を決めました」と言う。

 

「憧れの制服を着て生活するチャンスなんですから、前向きに行きましょう?」

「そうですね。そうなのですが……制服フェチに全振りはさすがに怪しいものがあると思いませんか?」

 

 いや、まあ、そう言われると若干悩んでしまうが。

 

「瑠璃さんだったらそれも可愛らしいのではないでしょうか」

「アリス先輩がそう言ってくださるのでしたら……」

 

 瑠璃が涎を垂らして「ぐへへ」とか言っているところは想像できない。

 微笑んで元気づければ、後輩は安心したように笑った。

 

「……はよー」

「おはよー。アリスちゃん。アリスちゃんの晴れ姿、見守ってるからねー」

「え、ええと……ありがとうございます?」

 

 新入生代表でもないし、別に普通に式へ参加するだけなのだが。

 

「それじゃあ、行きましょうか」

「ん」

「はーい」

 

 朱華、シルビアと共に、三人お揃いになった制服で家を出る。

 何度も通った通学路。道順も、周りの景色も慣れたものだが、制服が違うとなんだか違って見えるのだから不思議なものだ。

 校門をくぐって受付を済ませたら、真新しい制服姿の人だかりへと近づく。屋外に掲示されたクラス分け表だ。

 

「さて。ここって結構重要よね」

「一緒のクラスになれるといいですね」

「何言ってるのよアリス。あたしと一緒になるってことは、他のクラスメートと別々になる可能性高くなるのよ?」

「? 朱華さんとも一緒になりたいので、何も間違ってないですよ?」

 

 すると、変なことは何も言っていないはずなのにデコピンされた。わざとらしく額を押さえて睨んでやるも、朱華はもうクラス分け表の方へと視線を向けていた。人が多すぎてここからじゃ確認できない。朱華くらい背があれば多少は見えるのかもしれないが。

 と。

 

「大丈夫ですか?」

 

 傍にいた生徒から声をかけられた。振り返った俺は、そこにいた少女を見て驚く。面識があったわけではない。ただ、その子がとても可愛かったからだ。

 ぱっちりとした瞳に艶のある唇。細くしなやかな黒髪は背中に届くほど長く、天然なのか軽くウェーブしている。ふわりと香ってくる匂いは高級な果実酒のような風味。胸元では見るからにボリュームのある膨らみが制服をはっきりと押し上げている。

 思わず呆然としていると、彼女は「あの……?」と俺の顔を覗き込んでくる。しまった。日本語ができないと思われたかもしれない。

 

「あ、すみません。大丈夫です」

 

 慌てて答えれば、柔らかな笑顔と共に「良かった」という安堵の声。

 

「怪我してるのかと思って」

「心配してくれたんですね。ありがとうございます」

 

 いい子なのだろう。デコピンしたきり俺をスルーな朱華とは大違いだ。もう一度睨んでやれば、さすがに彼女もこっちが気になったのか視線を向けてくる。少女は朱華に会釈をすると「それじゃあ」とその場を離れていった。

 朱華は綺麗な色の瞳でその後ろ姿を追って「あの子」と呟く。

 

「ああ。外部生なんでしょうか。初めて見ました」

「うん。それもそうなんだけどさ。なんかこう、エロくなかった?」

「……朱華さん」

 

 俺は少女から一歩距離を置くと、さっきよりも本気のジト目を送った。

 

「擬態はどうしたんですか。というか、初対面の人相手にそれはどうかと」

「違うっての。そういう意味じゃなくて、普通にエロかったでしょ?」

「言ってることが変わってませんが……まあ、そうですね」

 

 女性的な魅力に長けているという意味ではその通りだった。かといって本人があからさまに媚びているわけでもない。魅力的に育った女の子がそれを必要以上に意識せず、自然体で振る舞っているような、そんな雰囲気。おそらく男子にも女子にもモテるタイプだろう。共学に行かなかったのは少し勿体ない気がする。

 なんて考えていたら、中学時代のクラスメートに声をかけられて、

 

「アリスちゃんたち、早くクラス分け見た方がいいよ。ちなみにアリスちゃんは──」

「待ってください! ネタバレ禁止です!」

 

 俺たちは慌ててクラス分け表を確認しに行った。



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聖女、新生活を始める

<1-A>

アリシア・ブライトネス

<1-B>

里梨芽愛

朱華・アンスリウム

<1-C>

安芸縫子

緋桜鈴香

 

「……芽愛たちと私だけ別だなんて」

 

 クラス分けを確認した俺は、あまりの結果に愕然とした。

 

「ふふん、まあ、日頃の行いよね」

「善行が足りなかったんですね……。わかりました、これからはもっと心を入れ替えて頑張ります」

「待ちなさい。冗談だから。それ以上人助けとか考えなくていいから」

 

 焦ったような朱華に止められた。いや、でも、人助けは悪いことじゃないんだし、少し考えてみてもいいんじゃないかと……とか思っていたら頬を引っ張られた。

 集まってきた中庭メンバーもこれには苦笑気味。

 なお、芽愛たちはみんな可愛いだけあって制服がよく似合っていた。特に鈴香はどこのお嬢様だという感じ。いや、お嬢様なんだが。

 

「仕方ないわ。学校側としてはバランスを考えたんでしょう」

「優秀な鈴香に私を付けて点数を抑えたというわけですね」

「え? その理論で行くとあたしが里梨さんの足引っ張ってない?」

 

 朱華、自分で言っていいのか、それ。

 

「大丈夫ですよ。私も自慢できるほど良いわけではありません」

「あれ? ということは、私の成績も微妙ですか?」

 

 他の生徒とのバランスで平均に持って行こう、という考えならそういうことになるのだが、

 

「アリスの場合はそういうのとは別枠でしょ」

「アリスは目立ちますからね」

「朱華さんと一緒にいたら目立ちすぎます」

「鈴香ともですけどね」

 

 なるほど、この金髪か。金髪のせいなのか。自分の容姿をこれほど恨めしく思ったのは初めてかもしれない。

 と、芽愛が俺の手を取って囁くように言ってくる。

 

「大丈夫だよ、アリス。同じ学校なんだし、お昼も一緒に食べられるでしょ?」

「そ、そうですね。……あれ? でも、中庭ってどうなるんでしょう?」

 

 クラス内のトップカーストが利用する、みたいな話だった気がするのだが……と思ったら、鈴香いわく高等部だとクラス関係なく集まっているグループも多いらしい。要は一クラス何人程度、という話なので混合になっても問題はないのだ。

 

「とはいえ、利用権は暗黙の了解だから。しばらくの間は様子を見つつ、になるかしら。……アリスは普通に利用していても何も言われないと思うけど」

「安芸さん、鈴香がまた自分を棚に上げてますよ」

「理事長の孫娘が何を言っているんでしょうね」

 

 やっぱり鈴香はそういう家柄だったのか……。

 

「べ、別に祖母は関係ないでしょう。私がみんなから評価されるかどうかの話よ」

「だったら鈴香さんは問題なさそうですね」

「あ、アリスまでそういうことを……!?」

 

 みんなでくすくすと笑いあったことで不安な気持ちはどこかへ吹き飛んでいった。他のクラスメートは何人も同じクラスになっているわけだし、話ができる生徒がいないわけではない。

 学校側としては外部生とも仲良くしてほしい、という意図があるのだろうし、新しい友人も作っていかなければならないだろう。

 

 

 

 

 

「あ」

「あ」

 

 外部生といえば、一人顔を合わせた子がいた。

 瑠璃と張り合えそうな綺麗な黒髪をした、朱華いわく「なんかエロい」女子。目新しい高等部の校舎にきょろきょろしつつ教室に入ろうとした俺は、同じく入ろうとしていた彼女と目が合った。

 

「こんにちは。同じクラスなんですね」

「うん。良かったら、仲良くしてくれると嬉しいな」

 

 話しかけると向こうも快く応じてくれた。

 神様が日頃の行いを見ていてくれたのか、幸先のいいスタートかもしれない。

 教室へ入り、互いに自己紹介をする。

 

「アリシア・ブライトネスです」

鴨間(おうま)小桃(こもも)です。よろしくね、えっと、ブライトネスさん」

「あ、みんなからはよく『アリス』と呼ばれるので、良かったらそう呼んでください」

 

 そう言うと、少女──小桃は嬉しそうに笑った。

 

「そう? じゃあ、アリスって呼ばせてもらおうかな。私のことも小桃でいいよ」

「はい。えっと、それでは小桃さんで」

 

 呼び捨てにしたいところだが、芽愛たちを呼び捨てるのにようやく慣れてきた今、さん付けにしない相手が増えるのは少々堪える。申し訳ないが小桃にはこれで我慢してもらおう。あと、慣れるまでは「桃子」と呼ばないように注意しないと。

 

「ところで、アリスって日本語上手だよね?」

「はい。生まれたのが日本だったので、逆に英語は皆さんと同じくらいしか喋れないんです」

「そうなんだ。じゃあ、諺とかもわかる?」

「もちろんです。百聞は一見に如かず、ですよ」

 

 などと話していると、教室の前側の入り口が開いてスーツ姿の女性が入ってきた。

 

「みなさん、席についてください」

 

 席順は出席番号順。出席番号は五十音順なので、小桃とは結構席が離れてしまう。また、と声をかけあってから自分の席に座った。俺は五十音順だと真ん中あたりだが、これが外国だと「B」なのでトップの方になるのだろうか。まあ、その場合は小桃が「O」なので結局離れるんだが。

 

「皆さんの担任になりました吉野美奈穂です。新任なので、皆さんと同じ一年生です。この学校のことは私よりも皆さんの方が詳しいかもしれませんが、精一杯頑張りますのでよろしくお願いします」

 

 新しい担任の挨拶に拍手が起こる。

 俺もみんなに交じって拍手をしながら、レディーススーツに身を包んだ彼女を見つめた。前に一度会ったことがある。変身する前、男性だった頃のシルビアと婚約者だった女性。吉野さんも俺を見て一瞬視線を止めると目を細めた。

 一年生の担任になるのが順当とはいえ、不思議な縁もあるものだ。

 

 吉野さん──吉野先生からの簡単な挨拶の後は講堂に移って入学式になった。在校生の席にひときわ目立つ銀色の髪を見つけて「今度からは同じ高等部なんだな」と実感する。そのシルビアは俺を見つけて腕を持ち上げ、手を振る前に近くの友人から止められていた。らしいというかなんというか。

 入学式の後は教室に戻り、恒例の自己紹介。

 何度やっても慣れないイベントではあるが、緊張を堪えながら笑顔を作り、無難に済ませた。

 

「アリシア・ブライトネスです」

 

 中等部出身であること、日本語は得意だが英語は大して話せないこと、十字架を持っているがクリスチャンではないこと、料理や裁縫に興味があることなど。通り一遍のことを話したつもりなのに意外と言う事が多かった。男だった頃は出身校と剣道のことを話して終わりだったのだが。

 ちなみに小桃はといえば、かなり北の方の出身らしい。肌が綺麗なのは寒い所の出身だからか。同じ学校から来た友達がいないので仲良くして欲しい、と話す彼女はちらりと俺の方を見ると小さく微笑んでくれた。

 

「アリスちゃんがまた新しい女の子をたらしこんでる」

「な、なんでそうなるんですか……!」

 

 おかげでHR後、中学からの友人に変なことを言われてしまったが。そういうのじゃない、と弁解すると彼女は首を傾げて、

 

「アリスちゃんがまた別の子にたらしこまれてる……?」

「たらしこむという発想から離れてください!」

 

 なんて言っていたら当の小桃がやってきた。

 

「なんの話?」

「あ、鴨間さん。えっと、アリスちゃんはすぐ新しい友達作るよね、っていう話?」

「ああ、それならちょっと違うよ」

「?」

 

 二人揃って首を傾げれば、小桃はその美貌に悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。

 

「アリスには『仲良くして』って言ったけど、『友達になって』とはまだ言ってないから。ね、アリス?」

「あ、はい。確かにそうですけど……」

 

 俺としてはもう友達のつもりだった。そう言おうとしたら、細くしなやかな指が差し出されて、

 

「だからあらためて、私と友達になってくれる?」

「……はい、喜んで」

 

 女子になってからも指きりなんてそうそうしないが、なんだか悪い気はしなかった。相手の小指に自分の小指を絡めて微笑むと、小桃も「約束だよ」と微笑んでくれる。

 やっぱり彼女はいい子のようだ。

 高等部でも楽しくやれそうだ、と思っていると、何やらクラスメートたちが集まってきた。

 

「ねえ、ブライトネスさん。私も『アリスちゃん』って呼んでいい?」

「鴨間さん、私とも友達になってくれない?」

 

 どういうわけか騒ぎの渦中に置かれてしまった俺達はしばらくの間、新しいクラスメートと連絡先を交換したり、ちょっとした会話をしたりして盛り上がることになった。

 

 

 

 

 

「へー。じゃあ、あのエロい女とさっそく仲良くなったんだ」

「エロい女じゃなくて小桃さん──鴨間小桃さんです。確かに時々、どきっとさせられるような魅力がありますけど……」

 

 家に帰っての昼食。

 ノワールや瑠璃が「どうだった?」と興味津々だったので、今日あったことを話して聞かせる。すると、小桃の話題にすぐさま反応を示したのは紅髪の少女だった。そんなにエロが気になるのか。

 

「っていうかエロゲの登場人物(しゅかさん)が言えることじゃないですよね」

「何よ。あたしから見てエロいってことは相当じゃない」

「アリス先輩、その方はそんなに魅力的なんですか? ……その、例えば私と比べたらどうでしょう? く、黒髪同士だから私にしただけで他意はないんですが」

 

 何故か妙に恥ずかしそうなのが不思議だったが、俺は瑠璃の問いに「うーん」と考える。

 

「瑠璃さんは美人だけど話してみると愛嬌がある、っていう感じなんですが、小桃さんは可愛いけど話してみると妙な色気がある……っていう感じでしょうか」

 

 瑠璃が残念美人というわけではない。会話していくうちに「美人すぎて近づきがたい」という印象がなくなっていくという話で、むしろどんどん親しみやすくなる。

 小桃の方はさらっと仲良くなれる相手なのに、近い距離に置いてからその魅力が不意打ちで突き刺さってくるようなタイプだ。実際、あっという間に多くの内部生と仲良くなっていた。もし、あの距離感を男子にも適用するとしたらかなりの小悪魔である。

 

「なるほど。アリス先輩が誘惑される可能性もある、ということですね……」

「っていうかもう誘惑されてるんじゃない? アリス、エロゲ時空に迷い込まないように気を付けなさいよ」

「もし迷い込んだら十中八九朱華さんのせいです」

「……いっそ一回経験させとけば耐性がつくかしら」

「朱華先輩、そういうことは私を倒してからやってください」

 

 何の話をしているのか。

 よくわからない喧嘩を始めた朱華と瑠璃は放っておくことにする。よくあることではあるし、二人とも限度は弁えているだろう。もし怪我でもしたら小言を言いつつ治してやればいい。

 俺はノワールの淹れてくれた食後のお茶をゆっくりと飲む。

 

「アリスさま。お友達ができて良かったですね」

「はい。ありがとうございます、ノワールさん」

 

 やっぱりノワールは癒しだとあらためて思った。

 

 

 

 

 

『へー。じゃあ配信の準備は順調なんだ』

「はい。後は機材の最終調整とアバターの最終確認をして、問題なければ後は私の方の準備だけです」

 

 千歌(ちか)さんから電話がかかってきて配信の話を聞かれた。

 事務所の誘いを断ったことはすぐに連絡して謝った。幸い千歌さんも怒ったりはせず「まあ仕事ってなったら色々気になるよね」と流してくれた。代わりに個人として動画に出るのは大丈夫かと尋ねられたが、それについては少なくとも後一回、縫子の作った衣装で出ないといけないのでそれから、ということになっている。

 

『じゃあ近いうちにアリスちゃんの配信が見られるのかー』

「いえ、その。いきなり生は怖いので、何度か本番環境で録画する形で練習したいな、と。私、口が滑りやすい方ですし」

『あー、それはその方がいいかも。アリスちゃんは普段から丁寧に喋ってるからあんまり心配してないけど、NGワードって結構多かったりするし』

 

 いわゆる放送禁止用語の他、配信者としてあんまり使わない方が良い言葉もある。

 うっかり仲間や友人の名前を出してしまう、なんていう可能性もあるわけだから、練習はきっちりしておいた方がいい。

 

『練習は同居人の子とするの? こういう時、同世代の子が家にいると便利だねー』

「はい。いったんそれでやってみるつもりです。でも、もし動画を見てもらいたくなったらお願いしてもいいですか?」

『もちろんいいよー。先輩としての辛口評価も任せなさい』

「お、お手柔らかにお願いします」

 

 こうして、俺の高校生活が始まった。

 これからどんなことがあるのか。不安よりも期待が大きくなり始めた俺はこれからのことに胸を膨らませる。

 そんな中、俺たちのバイトについても新しい話が持ち上がりつつあった。



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聖女、席替えに参加する

「どうですか、瑠璃さん。初めての通学路は?」

「そうですね……。なんというか、女子校に潜入した気分です」

 

 入学式翌日の朝。

 初めてとなる登校中、瑠璃はどこかそわそわしていた。転校初日と思えば許容範囲内ではあるものの、顔立ちが整っているのもあって少し目立っている。まあ、一緒にいるのが金髪、銀髪、紅髪の時点で誤差かもしれないが。

 瑠璃の緊張の仕方は俺とは少し違うようで、自分の格好が気になるというよりは周りの環境が物珍しいといった感じだ。

 そんな少女の呟きを朱華が拾って「わかる」と頷く。

 

「あの手の作品って独特の味があるわよね。主人公の立ち絵を表示しても文句が出ないところとか」

「そうですね。正直、少し憧れるとこはありました」

「……女子校に通う手段が女装っていうあたりが瑠璃ちゃんだよねー」

「そうですね。元から美形じゃないとできないでしょうし」

 

 仮にイケメンだったとしても身長や筋肉の問題もある。

 

「シルビアさんは初めての登校日、どうでしたか?」

「あー、うん。逆に異世界過ぎて落ち着いてたかな。郷に入っては郷に従えって言うし」

「なるほど」

 

 男ばかりと女ばかり。異なる性がいないという意味では一緒だが、その実情はまるきり違う。逆にまるきり違った方が良い時もあるとはなかなか深い話だ。

 と。

 

「おはよー、アリス」

「あ。おはようございます、小桃さん」

 

 学校の近くまでさしかかったところで、新しく友人となったスタイルの良いクラスメート──鴨間(おうま)小桃(こもも)が声をかけてきた。屈託なく笑顔を浮かべる彼女にこちらも微笑みを返す。

 すると、少女の人懐っこさは朱華たちの方にも向けられて、

 

「他の人達は、友達?」

「はい。私、シェアハウスで暮らしてるんです。だから友達でもあり、家族でもある……ような感じです」

「へー。そうなんだ。なんか楽しそうかも」

 

 それから小桃は朱華たちにも挨拶を始めた。

 

「鴨間小桃です。良かったらお友達になってくれると嬉しいです」

「……会っていきなり友達とか大胆ね」

 

 接近された朱華は複雑そうな表情で目を細める。何か警戒しているのだろうか。遠方から来たらしいし、単に友達がたくさん欲しいだけだと思うのだが。

 シルビアは特に何の屈託もないようで「鴨間さんかー。スタイルいいんだねー」と口にして「えっと、先輩ですよね? 先輩の方が綺麗だと思います」と返されている。

 

「アリスちゃん、アリスちゃん。この子すごくいい子じゃない?」

「シルビアさんって美人に勧誘されたら簡単に騙されそうですよね……?」

「アリスちゃんに言われるのはちょっとショックなんだけど!?」

「あんたたちねえ……」

 

 俺たちのやり取りを聞いた朱華が苦笑を浮かべ、小桃がくすくすと笑う。

 そんな中、瑠璃は少女の姿をじっと見つめていて、

 

「瑠璃さん?」

「っ。は、はい。なんでしょう、アリス先輩?」

「瑠璃ちゃんっていうんだ? アリスちゃんの後輩なら、私とも仲良くしてくれる?」

「……はい。お友達になるのは構いません」

 

 どこか硬い表情のままだったものの、瑠璃も小桃が指をさしだすと指切りを交わした。さらに朱華とシルビアも同じように。

 

「一人ずつ指切りって……なに、なんかの儀式なわけ?」

「そうそう。黒魔術のね……って、そんなわけないよ。ただの気分っていうか、おまじない?」

 

 それはそうだろう。普通の人間に黒魔術なんて使えるわけがない。普通じゃない状態に変身してから一年弱、現代人の異能者には会ったことがない。

 

「というか、みんな、あんまり話してると遅刻するよ?」

「あ、本当です……!」

「っていうか、だいたい小桃(あんた)のせいよね……?」

「あははー。そういう話もあるかも?」

 

 残り僅かな通学路を、俺たちは小走りでクリアした。

 

 

 

 

 この日は高等部、中等部の始業式ということもあって、一年生も普通の授業はなしだった。

 LHR(ロングホームルーム)という形で選択科目や部活勧誘期間、高等部から新たに加わる科目などの説明が行われる。俺としても興味があったところなのでしっかりと聞いておく。

 余った時間は生徒側からの強い要望もあって席替えが実施された。吉野先生が「私も経験あるからわかる」と、あらかじめ作ってあったくじを取り出すと教室には歓声が響いた。くじの引き直しはもちろんできなかったが、他の子とのトレードは自由。

 いつものことながら、この辺りも男子と女子では気合いの入り方が違う。みんな仲の良い相手や話したい相手と近くになろうと交渉合戦が勃発。まあ、男子も好みの女子に近づこうと暗躍する奴とかはいたが。

 

「アリスちゃん、私の番号と交換してくれない?」

「はい、いいですよ」

 

 俺としては鈴香や芽愛、縫子が別のクラスになってしまったので、そこまで躍起になる必要がない。中学時代同じクラスだった生徒はそれなりにいるので誰かは近くに来るだろうし。強いて言えば小桃と近い席だと嬉しいかもしれない、という程度。

 なので快くトレードに応じれば、渡された番号は教室の真ん中あたりのものだった。遠い席の少ないここは割と勝ち組席な気がするのだが。

 

「あれ、アリスもトレードしたんだ?」

「小桃さん、隣ですか?」

 

 向こうもトレードしたらしい小桃と顔を見合わせる。どういうことだ、何かの陰謀か? と思えば他のクラスメートから「話したいって子が多かったから真ん中に来てもらったの」との説明。なるほど、自分ではなく相手を動かすという方法もあるのかと感心した。

 小桃はといえば、わざとらしく俺の方をちらちら見ながら毛先を軽く弄んで、

 

「……アリスが気に入らないって言うなら、みんなに言って変えてもらうけど?」

「そんなわけないじゃないですか。小桃さんと隣の席で嬉しいです」

 

 きゃー、と上がる歓声。「緋桜さんに報告した方がいいんじゃない?」とかいう声も聞こえる。いや、鈴香の耳に入るとからかわれそうなので勘弁して欲しい。

 

「みなさん、そろそろ確定しますよ」

 

 ある程度トレードが進んだところで吉野先生が宣言すると、みんなは「はーい」と元気に返事をした。

 なお、更に残った時間で先生への質問コーナーが始まったことを付け加えておく。

 

「アリスは選択科目ってなんにするの?」

 

 授業が終わると、小桃から何気なく尋ねられた。この後は在校生による合同部活説明会があるそうなので、大半の生徒が居残りモードである。説明会が始まるまでの時間潰しとしてこういう雑談はちょうどいい。

 

「そうですね……。正直、少し迷ってます。家庭科は取りたいと思うんですが」

 

 選択科目は二つの科目を選び、それぞれ週一で学ぶというものだった。中には時間割に既に含まれている科目の発展形というか、もっと学びたい人向けという科目もある。家庭科や英語、情報処理なんかがそうだ。後は茶道とか華道といった特殊な教養を学ぶものなど。

 俺が今現在、興味がある事柄としては料理(ノワール、芽愛の影響)、裁縫(縫子の影響)がまず上がる。となると家庭科がベスト。ただし、金髪が伊達じゃないことを示すために英会話の勉強をするというのも悪くはないし、これから配信を行っていくなら情報処理も学んでおいて損はなさそうだ。

 配信の役に立つというなら美術を選択して絵を上手くするというのもアリだし、音楽で歌や楽器を学んでおく手もある。茶道とか華道とかはそこまで食指が動かないものの、鈴香たちの誰かは経験がありそうな気がする。聞いてみたら意外と面白そう、ということもありえる。

 

「小桃さんはどれにするんですか?」

「私は楽なのか楽しいのがいいかなーって。家庭科は苦手だから音楽と体育あたり?」

「あ、そっか、体育もあるんですね。身体を動かすのもいいかも……」

「あはは。アリスは枠がいくつあっても足りなさそう」

「はい、せめてあと二つくらいは欲しいです」

 

 すると小桃は目を細めて、

 

「じゃあ、どれかは部活に回したら? そうすれば三枠あるようなものじゃない?」

「そうするとどれを部活に回すかがまた悩ましいんですよね……」

 

 というか部活をしている暇があるのか。配信している先達の動画を見ていると一回に結構な尺を取るので、頻繁に配信するようだとかなり大変だ。その辺りペース配分も考えないといけない。

 結局、簡単には決まらないので希望提出期限まで目いっぱい悩む、ということで落ち着いた。

 

 

 

 

「さて、諸君。恒例の無茶振りが政府から来た」

 

 夕食の席で教授が厳かに宣言すると、メンバー全員が「あー……」という顔になった。新人である瑠璃もオロチの一件で辛さをよく理解したらしい。

 

「教授。今度はどこでどのような化け物を退治するのですか?」

 

 なんかよく知らないところでヤバイ化け物と戦う前提だった。そして、その想定は正しかった。

 

「うむ。本州の北端に近い辺りだな」

「いや、ちょっと教授、さすがに遠いよー?」

「仕方なかろう。近場は我らが定期的に邪気払いするせいで平和なのだ。無論、他地方の邪気が多少は流れてきているだろうが、やはり直接行って祓ってやらねばな」

 

 確かに、俺たちが一箇所に集まっている以上、他の地方は手つかずなのだ。

 新メンバーがどんどん増えて支部でも作れれば話は別だが、そうなるまで待っているわけにもいかない。

 

「それに、あちらは割と深刻らしくてな……」

「何よ。そんなにやばいの?」

「ああ。具体的にはマグロが不漁だったり、漁船が転覆して死者が出たりしているらしい」

「全国のお寿司屋さんがピンチではありませんか……!」

 

 台所を預かるノワールとしては魚のピンチは見過ごせないらしい。さすがに家でマグロはそうそう出ないが、あの味わいは他には代えられないものがある。

 しかし、

 

「海……。今度はクラーケンですか、それともテンタクルスですか」

「あー。水中に逃げられたらさすがにポーションも効かないんだよねー……」

「重油撒くわけにもいかないし、あたし、またしても役立たずじゃない」

「銃弾で海を汚すのも忍びないです。それに、足場の問題は大きいかと」

 

 俺の魔法は通じるだろうが、ゲームじゃあるまいし死ぬまで顔を出し続けるほど敵も馬鹿じゃない。潜られたら詰みである。

 

「……あの、皆さん。さすがにお断りしませんか?」

「異議なし」

「ということで教授、後はよろしく」

「ま、まあ待て。何も海上での戦いとは言っておらん」

 

 なんだ、違うのか。

 ほっとする俺たちを見て「吾輩は言われたのだがな」と遠い目になる教授。やっぱり一回くらい断ってもいいんじゃないだろうか……?

 こほん、という咳払いがあって、

 

「要はその地域の状況が良くなればいいのだ。適当に大きい公園あたりで戦えば良かろう」

「それでいいのなら、オロチと戦う必要もなかったのでは?」

「効率の問題だ。でかいのを倒した方がでかい効果がある。それに、人気のない場所の方が戦いやすいからな」

 

 人の来ない場所には相応の理由がある。墓地だったり廃寺だったり、昼間しか使われない学校だったり。そういう場所には邪気が集まりやすい。

 

「……ま、公園でいいならまだマシよね」

「巨大モグラですとか地竜、あるいは巨大兵器が出てこないとも限りませんが」

「そうなったら今度こそヒット&アウェイを繰り返すしかあるまい」

 

 さすがに前回のギリギリぶりが堪えているのか、教授もかなり慎重だ。

 もちろん俺にも異存はないが、

 

「でも、泊りがけだとスケジュールが厳しいですよ……?」

「いっそ三月中に言ってくれればよかったのにねー」

「お主らが進学の準備で忙しい時に言われても断ったに決まっておろう。……まあ、準備期間を設ける意味でも連休に実行するのがベストだろうな」

 

 連休というと……ゴールデンウイークか。

 

「さっき挙げた事例は一例に過ぎん。最近の自然災害も溜まった邪気の影響かもしれんのだ。だとすると、これまでにない規模の戦いを覚悟するべきだ」

「準備は入念に、ということですね」

 

 消耗品を必要とするメンバーは複数回に渡って戦えるように準備が必要になる。宿泊場所にあらかじめ荷物を送る等の対策がいるだろう。俺も、今の装備と同じクオリティの物は無理にしても、衣装や聖印の予備を用意しておくべきかもしれない。

 数日間の連戦を前提とした遠征。

 ラスボスでも出てくるんじゃないかという流れに、俺は形容しがたい寒気を覚えた。



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聖女、再度中庭を訪れる

「アリス、元気にしてましたか?」

 

 通常授業が始まった最初の昼休み。

 待ち合わせ場所の中庭に行くとすぐ、芽愛(めい)が駆け寄ってきて俺の手を握った。久しぶりに会う友人の、まだ見慣れていない白い制服姿に瞬きをしつつ、俺は「はい」と答える。

 

「お友達もできましたし、新しいことが多くて楽しいです。でも……」

「でも?」

「芽愛さんたちと離れ離れになったのは少し寂しいです」

「……アリスちゃん!」

 

 腕を抱きしめられる俺。追いついてきた鈴香が苦笑して「芽愛。猫が逃げて行っているわ」と言う。まあ、芽愛に関しては猫かぶり(擬態)していなくても普通に可愛いので、朱華みたいな心配はないと思うのだが。

 と、鈴香の後ろから、いつも通り表情の分かりにくい少女が顔を出して、

 

「こんにちは、アリス。……そろそろ私の作った衣装を着て欲しいです」

「こんにちは、安芸(あき)さん。すみません、色々予定変更があったせいで延び延びになってしまって」

 

 姉の千歌(ちか)さん経由で配信の件を詳しく知っている彼女は「応援しています」と頷いてくれる。ついでに「アバターの衣装は縫えませんからね」とも。そう言いながら少し悔しそうなのは気のせいじゃないかもしれない。

 というわけで、なんだか久しぶりな気がするこの三人が、

 

「アリスと仲の良い友達かあ」

「はい。転入してきたばかりの私に良くしてくれた皆さんです」

 

 三人との再会を見守ってくれていた新しい友人──小桃(こもも)の呟きに、俺は振り返って笑顔を作った。同時に鈴香たちも、小悪魔めいた美貌と雰囲気を持つ少女に視線を向けて、

 

「……なるほど。貴女が噂の子ね」

「え、私って噂になってるの? ……なんか恥ずかしいな」

 

 頬を染めて照れる小桃。

 友達を作るのは好きだが、目立つのは得意じゃないらしい。そう言いつつ、他クラスから見学に来た生徒にも「友達になろう」と声をかけたりしていたので、使えるものはなんでも使う性格でもあるようだが。

 

「小桃さんはとても明るくて話しやすい人なんですよ」

「はい。それは噂でも聞いています」

「うん。アリスちゃんが仲良くなるんだからいい子なんだろうね」

 

 俺が言えば、縫子と芽愛も頷く。芽愛は引き続き猫が被り切れていない。ついでに素の時は「アリスちゃん」呼びがしたいらしい。

 というかみんな若干、言葉に棘──とまでは行かないものの、含みのようなものがある気がする。小桃をここに連れてくること自体は前もって相談してOKを貰っていたのだが。

 

「皆さんって、もしかして意外と人見知りするんですか……?」

「意外に思われているというのが意外だけど、まあ、その通りよ」

 

 それから鈴香は「続きは食べながらにしましょう」と言って俺たちを促した。新学期初日ということもあって、中庭はいつもよりも()()()()()。暗黙の了解とやらを知らない新入生や外部生だけのグループがやってきているせいだ。

 ぱっと見、ベンチも空いていない。どのみち、今日は五人なので二つに分かれないと座れないだろうが……。芽愛か鈴香が俺に「膝に乗って」とか言い出しかねないのでそれはそれで良かっただろうか。

 

「こんなこともあろうかとレジャーシートを持ってきたから安心だよ」

「それならみんなで座れますね」

 

 とはいえ、同じことをしている生徒もいる。シートを敷く場所も善し悪しがあるので、俺たちはちょうどいい場所を探して歩くことにした。

 すると、既に昼食を始めていたり、準備を進めている生徒に近づくことにもなって、

 

「あら、ごきげんよう、緋桜(ひおう)さん。それにブライトネスさんも」

「ええ、ごきげんよう、先輩方」

 

 俺たちの顔を見た先輩方は気軽に声をかけてくる。思えば、中等部時代にはあまりこういうことがなかったが……学校が同じになったことが大きいのか、それとも中庭の情勢が固まっていないからこその交流なのか。にこやかに応じる鈴香の態度はとても人見知りするようには見えない。

 あれ、というか、鈴香の次に名指しされるのは俺なのか……?

 芽愛たちをちらりと見れば、先輩方の話に不満そうな様子はない。先輩方も芽愛たち(小桃も含んでいるっぽい)の存在は当然といった感じなので、俺たちはこの場にいることを許されているらしい。

 と、そんな挨拶周りが数回続くうちに「暗黙の了解」の姿が少し見えてきた。

 

「あー、なるほどね」

 

 小桃も気づいたのか、この場に慣れていなさそうなグループに視線を向けている。見たところ、彼女たちは先輩方から特に()()()()()()()()()()。周りに屈託なく挨拶する生徒のいる中なので居心地が悪そうだ。

 かといって、出て行けと強制されるわけでもない。

 なんとなく雰囲気的に「自分たちは歓迎されていない」というのを感じ取った彼女たちはそのうち中庭に来なくなる、といった流れなのだろう。少女マンガでたまに見る「貴女、誰の許しがあってこの中庭で食事をしているのかしら?」みたいな光景がないのは良かったのか悪かったのか。

 若干気分が沈むのを感じていると、小桃が「こういうの苦手?」と尋ねてくる。

 

「そうですね。……皆さんで仲良く使えれば一番いいと思うんですが」

「そうね。でも、そうしたことで夏休みの有名観光地みたいになっても困るもの」

 

 芝生も含めてびっしりと敷かれたレジャーシート。昼休みの後には捨てられたゴミがダース単位で存在する光景をイメージして「うわあ」と思う。さすがにお嬢様学校のここでそんなことはないと思いたいが……一緒に歩く小桃が手にしているのはコンビニ袋だったりする。

 外部生は当然、中等部からの生徒ではない。

 私立に来るのだからある程度裕福な家ではあるのだろうが、家庭の事情は色々だ。お弁当を持ってこられない子がいても不思議はないし、馴染んでいない彼女たちは校内のルールにも疎い。

 気を付けていてもつい、良くない行動を取ってしまう、ということもあるだろう。

 

「小桃さんはどう思いますか?」

 

 そこそこ日当たりがよく、他のグループからも適度に離れた場所を発見し、五人で円を描くように座ってから、俺は新しい友人へと尋ねてみた。

 このメンバーの中では一番、庶民の感覚に近いと思ったのだが、意外にも彼女は「うーん」と間を持たせてからこう答えた。

 

「私的には『あなたはOK』『あなたはNG』みたいにすっぱり決める女王様みたいなのがいてくれた方が気楽かな」

「不満なのはそこなんですか?」

「うん。だって、強い人や偉い人が優先なのは当たり前でしょ? だから、どの人が偉いのかわからない方が困るよ」

 

 多くの生徒が中庭を使えないこと自体はあまり気にならないという小桃。色々な意見があるものだと思う。まあ、俺としても「外部生は駄目って言うならそういう張り紙でもしとけよ!」みたいな意見はありそうだな、と思うのだが。

 

「アリス。外部生だから駄目なわけではありませんよ」

「え?」

「その判断基準だと鴨間(おうま)さんもNGになってしまうでしょう? この学園の『暗黙の了解』はあくまでも緩い、臨機応変な基準なの」

「鴨間さんはもう有名になってるからねー」

 

 ネームバリューがあるからOKということか。

 小桃はこれに「認めて貰えたのは嬉しいかな」と呟き、それから言った。

 

「でも、私はここ、たまにでいいや」

「そうなんですか?」

 

 俺にとって中庭での食事は楽しみの一つだ。女子の園の清らかでない側面を知ってしまったとはいえ、小桃にも気に入って欲しい気持ちはある。

 しかし、

 

「うん。いつもアリスと一緒じゃ他の子とご飯できないしね。気が向いた時だけお邪魔させてもらってもいい?」

「……それを臆面もなく言える時点で、貴女には資格があるでしょうね」

 

 肩を竦めた鈴香が消極的な許可を出すと、小桃は「ありがとう」と笑った。

 

「じゃあ、緋桜さんだっけ? みんなとも友達になりたいんだけど──」

「遠慮しておくわ」

「──あれ?」

 

 きっぱりとした拒絶だった。小桃だけではなく俺も驚く。人見知りという話はまだ続いていたのか。

 

「別に殊更邪険にする気はないわ。でも、しばらくの間は『友達の友達』で構わない。私自身が納得できるまでは、ね」

「……そっか」

 

 険悪なムードが流れるかと思いきや、鈴香のさっぱりとした物言いのおかげか、小桃もすぐにこくんと頷いてくれた。

 

「じゃあ、たまに来て仲良くしないとね」

「ご自由にどうぞ」

 

 それからは、まるで「友達じゃない」と言ったやりとりがなかったかのように、穏やかな食事の時間が続いた。

 

 

 

 

 

『アリスちゃん。鈴香を怒らないであげてね』

 

 その日の夜、芽愛から電話がかかってきた。

 入浴を終えてパジャマに身を包んだ俺は、ベッドの上でクッションを抱きながら友人の言葉に耳を傾けた。

 

『鈴香にも色々あるんだよ。家がお金持ちで礼儀作法とか力関係にもうるさいから、不用意に敵も味方も作りすぎるなって言われてるの』

「味方も、ですか?」

『うん。友達になった人と必ず助け合えるとは限らないでしょ? 友達になったからお金貸してとか、借金の連帯保証人になってとか言ってくる人もいるし』

 

 なるほど、よくわかる例えだ。ただ、ドラマか何かの影響なのか、それともご両親の実体験か。あまりにも生々しい例えに若干苦笑してしまう。容姿と振る舞いはともかく、やっぱり芽愛の感性は庶民よりである。

 

「無能な味方が一番困るみたいな台詞、マンガとかでたまにありますね」

『そう。鈴香らしいでしょ? ……鈴香も全部、それが正しいとは思ってないだろうけど。グループを守る責任があるって気を張ってるんだよ』

 

 グループというのは俺たち四人の関係のことか。それとも家関係の何かなのか。

 責任。

 家を継ぐのは基本、男子であることが多いと思うのだが──萌桜(ほうおう)学園理事長である祖母と同じ名前という彼女の立場が、今になって意味深なものに思えてくる。彼女にも色々ある、というのは誇張でもなんでもないのだろう。

 

「……あれ? でも、私、かなりあっさり仲間に入れてもらいましたよね?」

『え? だってアリスちゃんはアリスちゃんだし』

「答えになってませんよ!?」

 

 俺でさえ見失っていた時代に俺の本性をあっさり見抜かれていたというのか。

 

『うーん。まあ、もう少し真面目に言うなら色々あるんだろうけどね』

 

 途中で転入してきたため同じ境遇の人間がいない。はっきりと単独なので誘ってもあと腐れが起きづらいし、金髪碧眼という目立つ特徴がある上、両親は他界しているとの情報から政治的な意図がほぼ見えない。

 更に、少し話しただけでわかる程度には善良な性質から、むしろ仲間に引き入れることによる加点要素の方が大きいと判断できる。

 

『これをまるっと言うとアリスちゃんだから、になるわけ』

「なるほど……。って、善良とか言われると恥ずかしいんですが」

『じゃあアリスちゃん、自分のこと悪人だと思う?』

「少なくとも根っからの善人じゃないですよ。……昔、ゴミ箱に投げて入らなかった空き缶をそのままにしたこととかありますし」

 

 それは男子だった頃の話だが、急いでいる時に渡り切れそうにない信号に突っ込むとかは今でもやってしまうかもしれない。品行方正でなければならない聖職者としてまだまだ修行が足りないと、オリジナルのアリシアを見ていると思う。

 

『……うん。アリスちゃんはそのままでいてね』

「どういうことですか……!?」

『私は今のアリスちゃんが可愛くて大好きってこと。もちろん鈴香達もね』

「う。……あの、えっと、ありがとうございます……」

 

 もはや顔から火が出そうだ。なんで俺は褒め殺しを受けているのか。

 

「あの、私も芽愛たちのこと好きですよ。……だから、鈴香を嫌ったりなんてしません」

『ありがとう、アリスちゃん』

 

 芽愛の優しい声。

 

『それと、ごめんね。鈴香たちだけじゃなくて、私も縫子も、鴨間さんを信じるのには時間がかかると思う。私達も周りの子と喧嘩した経験、あるから』

「あ……」

 

 料理が上手すぎて他の子と対立した話。以前に聞いたそれが思い出され、俺はちくりとした痛みを覚えた。好きなことには一直線、自分を曲げられないのが芽愛と縫子だ。場合によっては、相手が善良な人間であっても、衝突することがあるかもしれない。

 

「わかりました。その、私こそ考えもなしに新しい人を連れてきてしまって──」

『あー、もう! 湿っぽくならないでよ! 鴨間さんを連れてくるのはみんな納得してるんだから、それでいいの! 後は鴨間さん自身の問題だってば!』

 

 小桃自身の問題、か。

 確かに、出会って間もない彼女のことを、俺はまだよく知らないのだ。




書いてから「あれ? シリアス回かな?」ってなりました……。


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聖女、予行練習する

「キャロルちゃん可愛いよね。何歳?どこ住み? っていうか、RAINやってる?」

「それ絶対違うやつですよね!?」

 

 四月最初の土曜日。

 自由な時間を利用して配信の練習を始めた俺だったが、サポートについてくれた朱華が変なことを言いだしたせいでのっけから躓いた。

 すっかり住み慣れた自室には俺と朱華、それから見学兼アドバイザー役の瑠璃がいる。

 ノワールも見学したい雰囲気を出していたものの、家事が滞るからと断念。シルビアは研究との兼ね合いがあるので「実際の配信を楽しみにしてるよー」とのこと。教授は「正直、吾輩にはよくわからん」と自室で詰将棋をやっている。

 

 そんな中、スマホのカメラを構えた朱華は「何よ」と唇を尖らせて、

 

「相手役がいるだけむしろ優しいのよ? あんた、本番はカメラに向かって一人で喋り続けるんだから」

「それはそうですけど、質問の内容に問題があります。ですよね、瑠璃さん?」

「はい、そうですね。さっきの台詞ではまるで軟派男のようです」

 

 そもそも朱華は俺の年齢も住所も知っているだろうに……って、そういう問題でもないが。

 すると、暖かくなってきたせいかまたラフな格好の多くなってきた紅髪の少女は肩を竦めて、

 

「可愛い女の子の配信見る奴なんて大部分が男なんだから、変な質問来るのはむしろ当たり前じゃない。ねえ瑠璃?」

「……確かに。アリス先輩が不用意に答えてしまわないよう、対策は必要かもしれません」

「瑠璃さんはどっちの味方なんですか……!?」

 

 さすがにそこまで不注意ではない、と思いたい。

 俺だって現代っ子。剣道ばっかりしてネット関係には疎かったとはいえ、リテラシーくらいはちゃんと学んでいる。リアルの年齢とか住所を答えないくらい朝飯前だ。

 と。

 

「はい、じゃあアリス。こっち向いて」

「はい?」

 

 反射的に振り返った俺をカメラが捉え、朱華が「はいアウト」と宣言。

 

「なんで『アリス』で反応してんのよ」

「配信見てる人たちはアリスって呼びませんよね……?」

「カメラの前では気を抜くなって言ってんのよ。心構えの問題」

「……むぅ」

 

 じゃあお前やってみろよ、と言いたくなるのをぐっと堪え、朱華の言うことももっともだと自戒する俺。

 スパチャの類は当面使用しない予定とはいえ、人前に出る以上はプロ意識が必要。心構えをしっかりしておくのは確かに有効だ。

 ここで瑠璃がこほん、と咳払いして、

 

「一度設定をおさらいしてみましょう。アリス先輩、お名前や年齢などをどうぞ」

「はい。私はキャロル。キャロル・スターライト。十五歳で、地母神様にお仕えしております」

「OKです。……ある程度素で答えられるので便利な設定ですね」

 

 アバターとしての名前には千歌(ちか)さんとの配信で使った「キャロル」を流用することにした。どうせ関連は隠しきれないのだからきっぱりした方がいいだろう判断。その上で次回の顔出し配信ではウィッグ使ったりしてアバターのキャロルに容姿を寄せるなど、アリシア・ブライトネスの容姿から視聴者の意識を遠ざける予定だ。

 設定としてはファンタジー世界の聖職者。

 地母神に仕えていることなどはまるきりアリシアの境遇通りであり、覚えるのがかなり楽である。ファンタジーなら成人年齢も異なるため『十五歳』と言っても問題はない。むしろ下手に二十歳とか言っても声の若さでバレそうだし、設定的にも無理が出かねない。

 

「じゃあキャロル。好きな食べ物は?」

「そうですね、甘い物全般が好きです。ついつい食べ過ぎてしまうので、おやつはできるだけ我慢していますけど……」

「キャロルさん、得意料理はなんですか?」

「料理はお手伝いでするくらいなので、メインで良く作る料理というのはあまり……。お菓子ですが、バレンタインに頑張って練習したチョコレートなら少し自信があります」

 

 ファンタジー世界にチョコレートやバレンタインがあるのか、とか、そういうのは深く考えないというか設定しないことにした。現代っぽい話題が一切できないとなると面倒臭すぎるので、異世界からこの世界に単身布教にやってきた苦労人とかそんな感じの設定だ。

 なのでパンケーキやドーナツを食べても問題ないし、肉じゃがを作った話をしてもいい。アバターを使うのだから視聴者も「ああ、聖職者っていうのは設定なんだな」と自然に思ってくれる。まさか聖職者設定の方が本当だとは思うまい。

 

「よしよし、その調子。まずはカメラの前で喋るのに慣れときなさい」

「そうですね。機材が届いたら本番環境でテストしましょう」

 

 そして、その機材は日曜日に届いた。

 

「こんにちは。機材のお届けとセッティングに参りました」

 

 やってきたのは作業着の兄ちゃん──ではなく、スーツ姿の椎名だ。出迎えた俺とノワールに笑顔を向けると「運ぶのを手伝ってもらえますか」と言ってくる。その傍らにはサイズの違う箱が二つ積み重なっていた。結構重そうに見えるのだが、

 

「これ、一人で持って来たんですか?」

「まさか。玄関まで同僚に運んでもらいました」

 

 大きい箱を椎名とノワールが二人で、小さい方の箱を俺が部屋まで運んだ。

 椎名が持ってきてくれた機材はいわゆるWebカメラと、それから配信の操作自体を行うためのノートパソコン、その他周辺機器だった。

 費用は俺の自腹。どれも最新のハイスペックモデルなので安くはない。とはいえ必要経費は差し引いた実費のみの支払いだし、企業向け価格で購入したものを提供してもらっているのでむしろ得をしているくらいだ。

 既に基本的なセッティングは終えているらしいそれらをてきぱきと箱から出しつつ、椎名は呑気な声で尋ねてくる。

 

「アリスちゃんって電子機器(こういうの)疎い方?」

「いえ、インターネットとかメモ帳使うくらいなら普通にできます」

「そっか。なら大丈夫かな。専用のソフトもできるだけ簡単なUIにしたし」

 

 スペックだけならデスクトップの方がいいんだけど嵩張るし持ち運びできないから、などと言いつつ設置を終え、マシンを起動する椎名。

 デスクトップに表示されたアイコンの一つがクリックされて、

 

「ちゃんと認識するかな? ……うん、大丈夫そう」

 

 マシン上部に設置されたWebカメラを通して俺たちの姿が画面に映る。若干恥ずかしい。というか生身が映っているが……と思ったら、三クリック程度の簡単操作で表示がアバターに切り替わった。

 綺麗な銀髪。頭の横に西洋風の意匠を取り入れた兎の面を着け、やや和風にアレンジされた聖職者衣装を纏う少女の姿。

 顔立ちには俺の面影があるものの、フル装備の俺と比べると別作品のキャラにしか見えない程度には違う。それがキャロル・スターライトだ。

 

「他に人が映ってるとうまく動きをトレースしないから気を付けてね」

 

 言いつつマシンの前からどく椎名。すると、それまで瞬きをするだけだったキャロル(アバター)が生きているように動き始める。驚きに目を丸くする表情はなかなかにリアルだ。こういうのの動きってあらかじめインプットされた数パターンくらいだと思っていたんだが、驚きの表情だけでも数パターンはありそうだ。

 

「ハイテクですね……!?」

「一山いくらのレベルじゃシュヴァルツが納得しませんでしたからね」

 

 シュヴァルツの我が儘のせいでソフトが洗練されたらしい。さすが未来のロボット。こういうところでは妥協しない。

 

「配信するにはどうしたらいいんですか?」

「えっと、そこをそうして、あーやって……」

 

 椎名に指示してもらいつつ一通りの手順を教わる。簡易的なマニュアルまで作って来てくれていたので、わからなくなったらそれを見れば大体大丈夫だろう。

 

「ありがとうございます、椎名さん。助かりました」

「気にしないでください。……それにしても、さすがアリスちゃんの部屋。生で配信しても大丈夫そうな可愛さ」

「あ、あんまり見ないでください」

 

 大した物は置いていないし、可愛いと言うなら瑠璃の部屋の方がよっぽどである。マニア受けするという意味では朱華の部屋もなかなか良い感じかもしれないし。

 

「まあまあ。アリスちゃんはもっと自信持っていいと思いますよ。それで、ソフトのテスターとしても活躍してください」

「このソフト、他にも売る気なんですか?」

「それはもちろん、いいデータが取れたらコンシューマー向けに調整して販売することも検討しています。利益も大切ですからね」

 

 俺がソフトを使うことで椎名たちにも利益があるということだ。なら、少しでも活用してお互いに上手くいけばいいと思う。

 

「それで? いつ頃本番なんです?」

「えっと、まずはしっかり練習してからですね……」

 

 実際のアバターを見てわくわくしてきたところはあるが、まずは足場を固めておかないと不安すぎる。いったん始めてしまったらそうそう仕切り直しはきかないわけだし。そう考えると芸能人とか、かなり大変な商売である。

 

 ソフトの動作やアバターの出来に問題はなさそうなので、もし後日不具合が見つかれば連絡する、ということで椎名はお役御免となった。

 せっかくだからと一緒に昼食をとってから帰っていった彼女はなかなかにご満悦の様子だった。ノワールと会って話せただけでも楽しいのだろう。自分で作るより遥かに食事が美味しいとも言っていたし、今日仕事をする代わりに丸一日休みが貰えたとも言っていた。

 

「IT関係って激務なんでしょうね……」

 

 そう言うと、聞いていた朱華が苦笑した。

 

「まあね。でも、オリジナルのあんたよりマシなんじゃない?」

「神殿をブラック企業みたいに言わないでください」

「いやブラックでしょ。下っ端なんか毎朝早起きして掃除とお祈りして、食べるものは質素で、突然駆け込んでくる奴らを助けないといけないのよ?」

「……ま、まあでも、宮沢賢治の詩よりはマシだと思います」

 

 アリシアのところは地母神なので他の神々よりはマシなはずである。豊穣を尊ぶ教義上、ある物を美味しくいただくことも、品種改良を行って品質や量を良くすることも否定されていない。愛の女神も兼ねているので恋愛禁止とかそういう戒律もない。

 ……と、いったことをオリジナルが知識として送ってきた。

 こんなノリで実情を知れるというか思い出せるのなら非常に便利だ。配信の時にもあまり困らないかもしれないと、思わぬ収穫にほっこりする俺。

 そんな俺をよそに朱華は嫌そうな顔をして、

 

「確かにあれはやばいけど、最後らへんのあんたもなかなかにあれじゃない」

「……ああ、まあ、そうですね」

 

 ゲームにおける最後。クライマックスにおいては主人公パーティと魔王との戦いが繰り広げられる。主人公の職業によって展開は多少変わるものの、どの職業を選んだ場合でも、主人公が苦労したことでギリギリ魔王討伐に成功する、という結果は同じだ。

 他人事にできない俺は遠い目になって思いを振り払う。

 

「それを思えば今の私は良い暮らしができていますね」

「そうね。……配信で話すんなら、あんたが辛い辛い言ってるだけより、楽しそうにしてた方が受けるでしょうし」

 

 終始曇っている被虐待系配信者とかも需要はないわけではないだろうが、とこぼす朱華に俺は「こいつは何を言っているんだ」とジト目を送った。そんな子がいたら可哀想で見ていられない。……ん? だからこそスパチャが飛び交うのか? だとするとなかなかに闇が深そうな配信アイドルである。

 

「私は聖職者ですからね。むしろ、困っている人を助ける方向で行きたいです」

「それね。せっかくだから内容にも取り入れなさいよ。告解室とか相談部屋とか」

 

 理想の神殿をお絵かきしてみるとか、神聖っぽいイメージのある歌を「歌ってみた」するとか、ファンタジーっぽい身の上ばかりを垂れ流してみるとか。

 ゲームで遊んだりマンガやアニメ、ラノベの感想を言ったり、最近作った料理の写真を公開したりといった普通の配信内容の他を考えながら、並行して練習を重ねていく。新しい日課の増えた休日はなかなかに忙しく、俺は充実した週末を過ごした。




機器とかソフトの仕様は変なところがあるかもしれませんが、大目に見ていただけたら幸いです。


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アリシア・ブライトネス ファンクラブ活動記録

気づけば百話目です。
記念というわけでもないのですが、ちょうどいいタイミングかと思うので今回は番外編になります。


 私立萌桜(ほうおう)学園。

 富裕層だけでなく一般家庭にも向けた淑女教育を目指す、いわば「ライトなお嬢様学校」であるこの学園には、ガチのお嬢様から制服に憧れただけの庶民まで、様々な少女達が在籍している。

 比較的高めの学力レベルや厳しめの校則などの関係から、生徒は真面目で大人しい者が多いものの──多様性を否定していない校風上、中には若さゆえに勢い余ってしまう者もいる。

 

 学園の闇。

 一般生徒にはあまり知られていない非合法的課外活動を行う生徒達などが、例えばその「勢い余った」者の例である。

 まあ、非合法とは言っても「部活動として生徒会に登録していない」という程度の意味であり、活動にはごく普通に空き部屋の使用を申請して許可を得ていたりするのだが。

 

「……では、これより『アリシア・ブライトネスファンクラブ』の第五回会合を始めます」

 

 文化部棟の最上階。

 用の無い者が立ち入ることのほぼない一室には、総勢十名弱の少女達が集まっていた。

 入り口のドアには鍵がかけられ、いきなり開かれることがない状態。隣は軽音部の部室なので騒音を気にする必要はあまりないが、司会の声は万一にも外に漏れることのないよう相応に潜められている。

 そんな中。

 部外者である(と、少なくとも本人は思っている)少女、朱華──アンスリウムは、その紅の瞳でファンクラブのメンバー、どう見ても普通の生徒でしかない少女達を見つめてため息をついた。

 

「ねえ、あたし帰っちゃ駄目?」

「駄目です。なんのために来てもらったと思っているんですか」

「そうです。今回は朱華さんが主役みたいなものなんですから」

「いや、まあ、それはそうなんだけど」

 

 窓の外にある空を半眼で見つめて、

 

「この活動、なんか馬鹿らしくない?」

「「そんなことはありません」」

 

 サラウンドで返答があった。一斉に朱華を見つめてくる少女達の瞳はいたって真剣である。とてもネタでやっているだとか、朱華をハメて遊ぼうなどという風には見えない。

 つまりは純粋にファンなのだ。朱華にとっては友人であり同居人でもある少女──アリシア・ブライトネスの。

 

 なんでも、萌桜学園において「ファンクラブ」の存在は珍しくないらしい。

 毎年そこそこの人数が入学してくる関係上、一人くらいは容姿や能力、あるいはカリスマ等によって特に人目を惹く生徒、俗な言い方をしてしまえば「有名人」が出てくる。昔から学園ではそんな生徒を対象としたファンクラブが作られてきたらしい。

 主な活動内容はその人物のファンが集まって「ここが素敵」などと言いあう事。

 ターゲットが卒業してしまえば当然、その活動も終了となるので、同じファンクラブが長く残ることもない。ターゲットよりも下の学年の生徒達が翌年からまた新しい生徒のファンクラブを主導するなどして伝統は続いてきたという。

 

 で。

 そんな伝統へ見事に引っかかったのがアリスことアリシアだったらしい。

 あの少女が注目されること自体に不思議はない。見た目が目立つ上に行動力があり、かつあの性格だ。そりゃあファンもできるだろう。

 まあ、などと言いながら『朱華・アンスリウムファンクラブ』、あとついでに『シルビア・ブルームーンファンクラブ』の存在も知っていたりする朱華だが、そっちについては何も関知していないものとしている。

 ともあれ。

 

「わかった。わかったわよ。大人しく協力するから」

 

 逃げられないことを再認識させられた朱華は苦笑を浮かべながら手を振った。

 

「で? あたしは調査結果を発表すればいいの?」

 

 すると司会の少女は「はい」と頷く。真面目な表情を取り繕ってはいるが、目が期待できらきらと輝いている。

 

「朱華さんのデータに私達の調査結果を加えて、より意義のあるデータを完成させます」

「完成させてどうするの?」

「もちろん、私達で楽しみます」

 

 朱華以外の少女達が「ねー?」と頷きあう。可愛い上に毒気がない。

 彼女達はいたって善人なのだ。

 弱みを見つけて脅迫しようとか、あられもない写真を盗撮しようとか、着替えを盗んでオークションにかけようとかそういう気は全くない。朱華としてはむしろそういうムーブの方が良く知っているのだが、閑話休題。

 

「おっけ。……じゃあ、読み上げるからちゃんと聞いてなさい」

 

 先日、朱華はこのファンクラブからちょっとした調査依頼を受けていた。

 目的はアリスの魅力について再確認すること。

 調査内容は『アリシアさんの一番の魅力はどこだと思いますか?』というアンケートだ。

 

【回答者No.1 朱華・アンスリウムの場合】

 Q.アリシアさんの一番の魅力はどこだと思いますか?

 A.そりゃ、やっぱりあの性格じゃない? 

  天然すぎるくらい天然な上に真面目。それでいてノリも悪くないんだから話しやすいったら。

 

「あれ? 朱華さん、名前出しちゃっていいんですか?」

「だって名前伏せたら『回答してない』って言われそうだし。じゃなくてもどれがあたしのかバレそうな気がするし」

 

 悪用のしようもないアンケートなので特に気にしていない。

 なお、もちろん他の回答については誰のものか伏せている。

 

【回答者No.2の場合】

 Q.アリシアさんの一番の魅力はどこだと思いますか?

 A.素直で勉強熱心なところですね。

  色々教えて差し上げたくなりますし、お世話をしたい欲を抑えられなくなります。

 

「わかる」

「アリスちゃん、一生懸命すぎて危なっかしいところあるんだよねー」

 

【回答者No.3の場合】

 Q.アリシアさんの一番の魅力はどこだと思いますか?

 A.ちっちゃくて抱き心地がいいところ。

 

「……え?」

「……そんなに頻繁に抱いてるってこと?」

「なにそれ羨ましい」

「朱華さんの担当分だから関係者だよね? このファンクラブにはいないよね?」

 

 一瞬で高まるギルティの空気に、朱華はとある錬金術師の無事を願った。まああの人だとわかれば「絵になるからセーフ」でスルーされるだろうが。

 

【回答者No.4の場合】

 Q.アリシアさんの一番の魅力はどこだと思いますか?

 A.多すぎて絞りきれませんが、強いて言えば清らかな雰囲気でしょうか。

 

「なんかこの人レベル高いね……?」

「絞りきれないのは普通だけど、そこで雰囲気って言えるのすごいね」

「尊敬……していいのかな?」

 

 朱華としては真顔で「全部です」とか言われなくて良かったと思っている。

 

【回答者No.5の場合】

 Q.アリシアさんの一番の魅力はどこだと思いますか?

 A.やはり癒しオーラだろうな。あれには何度助けられたことか。

 

「ああ、これわかるー」

「見てるだけで癒されるよねー」

「猫とかハムスターとかと同じ感じ」

 

 なお、回答者当人は回復魔法の事をぼかして言っている。かの御仁はアリスを眺めているといきなり「くそっ、吾輩より大きい!」とか言い出し始めるので、あまり小動物的可愛さは感じていないはずだ。

 

【回答者No.6の場合】

 Q.アリシアさんの一番の魅力はどこだと思いますか?

 A.あざと可愛い癖に男っ気が全くないところですかね。

 

「えーと、わかる、けど……?」

「なんか邪な気がする……?」

 

 アリスを狙っているわけではなく、むしろ「これで男にモテモテだったら殺意が湧きます」という方向性だが、まあある意味邪かもしれない。

 回答者当人は日々パソコンばっかり弄っていて恋愛どころじゃない女なので、少しくらいの怨嗟は許してやって欲しい。

 

【回答者No.7の場合】

 Q.アリシアさんの一番の魅力はどこだと思いますか?

 A.可愛さと透明感を併せ持った声かな。

 

「声かー。声も捨てがたいよね」

「声優さんとかアイドルできそうだもんね、アリスちゃん」

 

 誰の回答か知っている朱華としては「自賛じゃん」としか言えない。

 

【回答者No.8の場合】

 Q.アリシアさんの一番の魅力はどこだと思いますか?

 A.馬鹿正直で裏表が全くないところですね。

 

「わかるけど、ちょっと棘がない?」

「ツンデレなんじゃない?」

 

 回答者である電子生命体に「あんたツンデレって言われたわよ」と伝えてみたくなったが、怒られそうなので止めておいた方がいいだろうか。

 

「はい。あたしが調べてきたのはこれで全部ね」

「ありがとうございます。でも、学校以外でアリスちゃんと親しい人、結構いるんですね?」

「全員女だから安心していいわよ。あと、どれが誰かは詮索しないこと」

「わかってます。アリスちゃんのプライベートまではそこまでよく知りませんし」

 

 友人が多い上に用事も多いので、同じ人物と頻繁に遊ぶ事は多くないのだ。まあ、朱華達や芽愛達中庭組は別、ということになるが。

 

「では、私達が調べた分もいくつか公開しますね」

 

【回答者No.9の場合】

 Q.アリシアさんの一番の魅力はどこだと思いますか?

 A.可愛いところ! って言いたいところだけどそれじゃ答えになってないよね。

  色んな遊びに嫌な顔せず付き合ってくれるところかな。

 

「なお、回答者が誰かは私達も把握していません。アンケート用紙に無記名で回答してもらい、その中からピックアップしているので」

「でも、この子はなんとなく親しそうな感じだよね。クラスメートかな?」

「可愛いところ、って言いたくなる気持ちわかる」

「だから、どこが可愛いのか聞いてるんだよ! って話だけどね」

 

 それをわかった上で素直に「可愛いところ」と書けるのだから、この回答者もなかなかだと朱華は思う。

 

【回答者No.10の場合】

 Q.アリシアさんの一番の魅力はどこだと思いますか?

 A.色々あるけれど、友達思いなところかしら。

 

「わかる」

「具合悪そうな人がいるとすぐ声かけてるよね」

「うん。友達以外でも声かけるからすごいと思う」

 

 朱華も、あの少女がこっそり回復魔法かけようとしているのを見て「もっとバレないようにやれ」と言った事が二、三回はある。

 道でおばあさんが困っているの見つけると「放っておいても大丈夫よ」と言っても「ううー」と言っているので、仕方なく二人で手伝ったことも二、三回はある。

 

【回答者No.11の場合】

 Q.アリシアさんの一番の魅力はどこだと思いますか?

 A.類稀な容姿です。

 

「いや、直球過ぎでしょこの子」

「朱華さんが我慢できなくなってツッコんだ!?」

 

 まあ、だいたい誰なのか予想はつくが。

 ……服のモデルとしてアリスの容姿を求めているのなら許容範囲ではあるだろう。

 

【回答者No.12の場合】

 Q.アリシアさんの一番の魅力はどこだと思いますか?

 A.うーん。綺麗な色の目が一番好きかな。

 

「マニアック……でも、ないかな?」

「アリスちゃんの目綺麗だもんね」

「うん。ずっと見てられる」

 

 宝石のように綺麗な瞳なのは同意だが、ずっと見ているのはなかなか難しいと朱華でさえ思う。正面切ってじっと見つめてなんかいればほぼ確実に視線を逸らされてしまうからだ。

 まあ、真っ赤になったアリスの顔もそれはそれでオツなものなのだが。

 

「他の回答としては『さらさらの金髪』『すべすべの肌』『ぷにぷにのほっぺ』などがありました」

「そういえば髪が出てなかったのか。……っていうか、このアンケートの中にファンクラブ会員(あんたたち)のも含まれてるのよね?」

 

 心なしかフェチっぽい回答が多かった気がするが。

 

「わ、私達の回答とは限りません。あくまでも既出の回答以外で被っていないものをピックアップしただけなので」

「そういうことにしておくわ」

 

 やれやれと苦笑する朱華。

 蓋を開けてみれば平和な会ではあったが、尊厳を削られたメンバーもいそうである。この件がアリス本人を含む外部に漏れないことを願うばかりだ。

 

「じゃあ、あたしはこれで帰──」

「ところで朱華さん」

「ん?」

「アリスちゃんって好きな人とかいるんでしょうか?」

「あー」

 

 朱華は軽く頬をかきながら「どうしたものか」と思った。

 二、三秒ほど誤魔化そうかと考えてから、特に誤魔化しようも思いつかなかったので素直に答える。

 

「いないんじゃない? あいつ、男っ気とか全然ないし」

 

 実家に帰った時に旧友と会ったと言っていた程度。その他は店の店員くらいとしか話していないに違いない。……それだけ環境が変化したら女子に順応していくのもある意味当然である。

 と、司会はおずおずとさらに質問を繰り返してくる。

 

「じゃ、じゃあ女の子同士とか……?」

「それもないと思うけど……」

 

 今のところ、可能性があるとしたらそっちか。

 シェアハウスには「女子相手の方が好み」という美少女(自賛)が揃っているわけで。特にシルビアか瑠璃あたりのアプローチに応じる気になれば話は一瞬で片付く。そうならない確信があるかと言われれば朱華にはない。

 とりあえず肩を竦めて、

 

「まあ、恋ってわからないもんだし。急にイケメンが現れてアリスが惚れる可能性もゼロじゃないでしょ」

「……アリスちゃんがイケメンに惚れる?」

「やだ、考えたくない!」

 

 変な事を頼まれた仕返しにはなっただろうか。

 朱華はにやりと一人笑いながら「あたしだって考えたくないわよ」と思い、けれど、敢えて口には出さなかった。



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聖女、質問する

小桃(こもも)さんの好きな食べ物はなんですか?」

「? アリス、急にどうしたの?」

 

 月曜日の登校後、教室にて。

 隣の席に座った新しい友人へ問いかけると、彼女はきょとんとした表情を浮かべた。

 俺は、そりゃそうなるかと苦笑して、

 

「いえ、大したことじゃないんですが。小桃さんのこと、まだまだ何も知らないな、と」

「そりゃ、知り合ったばっかりだしそりゃそうでしょ」

 

 ごもっともです。

 とはいえ、こういうことは思い立った時にやっておくべきだ。女子の会話は情報量が多いものの、内包されている情報には偏りがある。普通に過ごしていたら知りたいことをいつ知れるかわからないし、聞き逃したり忘れてしまう可能性もある。

 それに、

 

「ほら、お昼休みは一緒に食べないこと多いじゃないですか。だから時間のある時に、と」

「なるほどねー。アリスは真面目だなあ」

 

 笑った小桃は「んー……」と少しだけ考えるようにして、

 

「飴とか好きかな。ほら」

 

 と、制服のポケットから細い棒状の、なんというか、ガムみたいにパッケージされたキャンディを取り出してみせる。言われてみれば前にも食べているのを見かけた気がする。

 ついでとばかりに「はい、あーん」と一粒差し出してくれるので、素直に口を開けて受け取る。甘い。ついつい口元が綻んでしまう。

 

「アリスも飴、好き?」

「そうですね。……というか、その、甘い物全般好きです」

「うん、知ってた」

「そんなにわかりやすいですか、私?」

 

 そう言うと、周りにいた生徒たちがさりげなく頷く。ばっちり聞かれた上に肯定されるとは。

 そんな俺にくすくす笑って、小桃は続けて、

 

「後はそうだなー、チーズとか。イチゴとか、あとなんて言ったっけ。赤くて甘酸っぱい、こう、細い軸がついてる果物」

「さくらんぼですか?」

「そうそれ。あ、ビーフジャーキーとかもいいよね」

「なんでしょう。方向性がよくわからなくなってきました」

 

 単に甘い物好きというわけでもなさそうだし、ビーフジャーキーとはまた特殊なチョイスである。いや、教授が食べているのを一つもらったりすると脂のうま味と塩気で妙に美味しかったりはするが、食べ過ぎると確実に健康にも肌にも良くない。

 強いて言えば大人っぽいイメージのあるもの、だろうか? ノワールがワイン片手に晩酌している時、お伴にしてそうなイメージ。

 

「……まさか小桃さん、こっそりお酒好きだったり?」

「まさか、ないない。お酒なんて飲んだことも──」

 

 言いかけて止まる小桃。それはもう、ぴた、という止まり方だったので、俺としても不思議だった。

 そのままじっと見つめていると、少女は首を横に倒して、

 

「うん、飲んだことないよ。たぶん」

「飲むと記憶失う系じゃないですよね……?」

「違うんじゃない? ……あ、さくらんぼと言えば私、あれ得意なんだ。軸を舌で結ぶやつ」

「ああ」

 

 朱華がいたら反応しそうなネタである。

 

「あれが上手い人はキスが上手いっていうやつですよね」

「え……? アリスって意外とそういうエッチな話するんだ?」

「え、小桃さんが振ったんじゃないですか……!?」

 

 すると小桃は「ごめんごめん」と笑って謝ってくれる。

 

「でも、私はそういうつもりじゃなかったから。……えーっと、で、アリスは得意?」

「いえ、やったことないですけど……多分、苦手な気がします」

 

 裁縫とか料理で手先の器用さは鍛えているつもりだが、舌使いはまた別だろうし。俺はそういうの、初見で上手くできないタイプだ。

 

「だよね。知ってた」

 

 俺が知らないことを知っていたというのか。

 愕然とするも、周りの生徒がなんだかほっとしたような表情なのを見て、まあいいかという気分になる。

 仕方ない、という風にため息をついてから小桃を見て、

 

「言っておきますけど、私、キスなんてしたことないですからね」

「私だってないよ。……あれ、ないよね?」

「だから知りませんってば」

 

 なんとなく、俺の中で小桃が「酔うとキス魔になる子」になった。

 

 

 

 

「そういえば、瑠璃さん。そろそろアルバイト始めるんですか?」

 

 夕食の席で尋ねると、すっかりシェアハウスに馴染んだ後輩は「そうですね」と頷く。

 

「少し学校生活を経験してから、と思っていたのですが、色々考えた結果、週末までには電話しようかと思っています。それで土日あたりで面接に行ければと」

「実家でバイトするのに面接を受けるってのも変な話よね、しかし」

「他人という設定になったので仕方ないですね」

 

 苦笑する瑠璃。ここに来てからの彼女は本当にのびのびしていて、女になったことを後悔している様子はない。しかし、すっかり女子と化した彼女を見るのは親御さんとしては複雑なのではないだろうか。……いや、それとも「うん、知ってた」なのか?

 

「でも、そうですよね。学校に慣れてからの方がいいなら、そこまで急がなくてもいいんじゃ?」

「いえ、その。……慣れるのを待っていると遅くなりそうなので」

「お主、まだ苦戦しておるのか? アリスは初日でマスコットと化していたぞ」

 

 教授が面白そうに呟く。いや、後半の内容は待って欲しい。全面的に事実だがさすがに恥ずかしい。

 

「瑠璃さまでしたらすぐ溶け込めると思ったのですが……」

「あれだよ。興奮しすぎて自分を抑えられないんでしょ」

「……恥ずかしながらシルビア先輩が正解です」

「朱華さんの裸で慣れたんじゃ?」

「っていうかあたしの裸の扱い悪くない?」

 

 それはともかく。

 瑠璃は恥ずかしそうにこくんと頷いて、

 

「クラスメートの着替えや下着姿は意識しすぎないようになりました。ただ、その、女子校の生活が想像以上に楽しくてつい……」

「むう。瑠璃は何故、最初から女で生まれてこなかったんだろうな」

「……正直、私もそう思います」

 

 学校生活を始めてからの瑠璃は前にも増して生き生きしている。可愛い制服を着て華やかな生活を送るのが性に合っているのだろう。

 

「瑠璃ちゃんは教室でどんな感じなの? みんなの人気者になってる感じー?」

「いえ。自分で言うのも変な気分ですが、おそらく真面目な優等生という扱いに落ち着いたかと。……ファッションの話題には率先して参加していますが」

「それは……人気者なのでは?」

 

 ノワールが首を傾げる。うん、お洒落の話に乗ってくれる話しやすい優等生なんて、みんなから親しまれるに決まっている。

 

「話を戻しますが、上手く面接に受かれば週に何日かアルバイトが入ると思います。アリス先輩との鍛錬が出来なくなる日もあると思いますが……」

「気にしないでください。私からキャンセルすることも多いんですから」

「っていうか瑠璃が落ちる可能性ってあるの? ないでしょ」

「まあ、順当に行けば受かるだろうな。……この数か月で先方の人手不足が解消していれば話は別だが」

「人は畑では育ちませんからね」

 

 そして案の定、バイトに応募した瑠璃は順当に合格、見事(?)アルバイト先を手に入れることになる。

 

 

 

 

「アリス先輩、少々お時間よろしいですか?」

「? はい、どうぞ」

「ありがとうございます。失礼しますね」

 

 土曜日。

 瑠璃は午前中から面接に出かけていき、その場で合格を勝ち取ってきた。

 なんでも「父に変なものを見る目で見られました」とのことで若干へこんでいた。一方、大学生になった妹さんは「私、店の手伝い減らせるよね?」と好感触、製菓担当としてバイトしている男子大学生に至ってはなんというか男子らしい喜び方をしてくれたとか。

 瑠璃としても実家で働くのは若干複雑なようだが、そこはそれ。「仕事を覚える苦労が少ない上にバイト代が手に入る」と喜んでいた。身内として手伝っていた時はバイト代が正規料金で出ることなんてなかったのだそうだ。

 

 まあ、なんにせよ良かった。

 瑠璃は普段から服やアクセサリーを色々買っている上、日本刀の購入まで検討している。お金はいくらあっても足りないだろう。

 と思いつつ、昼食後、自室でノートパソコンとカメラを前にアバターの表情を作る練習をしていると、その瑠璃が部屋のドアをノックしてきた。

 さすが、我が後輩は律儀だ。朱華ならガチャっと開けながら「入るわよー」とデフォルト。そのくせ同じことをやり返すと高確率でエロゲをしているから困る。って、それはともかく。

 

「どうしたんですか? 何か相談でも……って!?」

 

 アプリを閉じて振り返った俺は、ドアから入ってきた少女を見て絶句した。

 瑠璃の長い髪の約三分の一ほど、根元側を黒く残したまま、残りの部分をグラデーション的に栗色へ染まっている。しっかり染まった先端の方はくすんだ金色にも見える感じだ。

 さらに、身に着けているのはグラビアアイドルが使用するような布地の少ない黒ビキニ。その上からシースルーのレインジャケット? を羽織っており、レースクイーンか何か? と言いたくなるような状態である。

 

「な、なな、なんですか、精神攻撃でも受けたんですか!?」

 

 すかさず魔法を使おうとすれば、瑠璃は目を丸くして「ち、違います。ただのファッションです!」と慌てたように言った。

 良かった、中身までパンクにはなっていないようだが……。

 とりあえずドアを閉めるように言って、それから尋ねる。

 

「急にどうしたんですか、まさか、バイトの内定を無理やり取り消そうと……?」

「違います。ただ、バイトが始まる前に思い切ったコスをしておこうと思っただけで」

「ああ、なるほど……?」

 

 高校時代やんちゃしてた奴が大学進学前に最後のやんちゃをするような感覚だろうか。

 

「でも、さすがにそれは過激すぎますよ……?」

「そう思ったので家の中で着ることにしたんじゃないですか」

「家の中でも危険です!」

 

 シルビアあたりが見たら「撮影会しようよ」とか言って二人きりになった挙句、いい雰囲気を作って押し倒したりしかねない。

 

「廊下で誰にも見られませんでしたか? 帽子とコートを貸すので戻って着替えましょう」

「いえ、あの、アリス先輩相手なら大丈夫かと思ったんですが……」

 

 頬を赤く染めて「アリス先輩も変な気持ちになりますか……?」とちらちら見てくる。可愛い。って、そうじゃなくて。

 

「いくら私でも誘惑されてると勘違いするじゃないですか」

「ええと、そう思ってくださっても一向に──」

「というか、そんな髪じゃ学校に行けませんよ。週明けどうするんですか」

 

 せっかくの綺麗な黒髪だったのに……と嘆いていると、瑠璃は「先輩の魔法で髪を伸ばせると聞きましたので」と言う。確かに治癒魔法を髪に浸透させることで促成栽培? を行うことは可能である。

 明日の夜、染めた部分をばっさり切って伸ばし直せば万事解決ということらしい。一応解決策は考えてあったのかと少しほっとする。

 

「物凄い荒業ですけど……」

「だって、こういう派手な格好もどうせならしてみたいじゃないですか……」

 

 叱られた子供のような顔で漏らす瑠璃。そういう顔まで様になっているからずるい。

 というか、発想がさすが、ファッションだけでなくコスプレまで好きな子である。いや、メイド服やら何やら色々着ている俺が言うことではないんだが。

 俺としては可愛い系ならともかく、エロく見えちゃうようなのは極力ノーサンキューである。

 

「いっそ瑠璃さんもヨーチューバーとかやったらいいのでは……?」

「コスプレもお洒落も好きですけど、不特定多数の間で有名になるのはちょっと……」

 

 若干基準がわからない俺だった。というか、配信をしようとしている俺としては若干胸が痛い。

 

「きちんと学校には通いますから、今日明日だけこの格好を楽しませていただけませんか?」

「あ、はい。そういうことなら私としては何も言いません」

「ありがとうございます、アリス先輩」

 

 そうして、瑠璃はその過激な格好のまま、しばらく俺の部屋で過ごしていった。俺の貸したマンガやラノベを静かに読んだり適当な雑談をしたりという程度だったのだが、スタイルが良く美人である瑠璃が肌もあらわな格好をしているのは色々目に毒だった。

 なお、さすがに夕食では服を着替えていたものの髪はそのままだったため、朱華からは「ビッチっぽい」とからかわれていた。

 

「言っとくけど瑠璃。染めてもアリスみたいな天然の金髪には全然及ばないわよ」

「いいじゃないですか。……気分だけでもアリス先輩とおそろいになりたかったんです」

 

 そんな告白を聞いた俺は「さっきは言いすぎてしまった」と反省。瑠璃に詫びると共に「何かして欲しいことはないか」と尋ねた。

 すると、

 

「じゃあ、一緒に記念写真を撮って欲しいです」

 

 というので、二人仲良く並んだ写真を朱華に撮ってもらった。

 そうして見ると明らかに俺が後輩っぽかったが、まあ、そこについては深く考えないことにした。



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聖女、誰もいない空間で一人で喋る

 話は少しだけ前に遡る。

 

「ブライトネスさん」

 

 入学から二週目の木曜日。朝のHRを終えたところで、俺は吉野先生から声をかけられた。

 なんだろうと思いつつ歩み寄ると、先生が言ったのは選択科目の希望調査の件だった。

 実際の授業は希望をまとめた上で五月から始まる。道具の発注もあるのでゆっくりめのスケジュールになっているのだが、さすがにそろそろリミットが迫ってきた。

 

「明日までだから、忘れずに出してね」

「はい」

 

 どうしたものか。

 そう思ったのが伝わったのか、先生は不思議そうな表情を浮かべて、

 

「ブライトネスさんはこういうの、すぐに決める方かと思ったけど」

「いえ、その。やりたい科目が多すぎて迷ってしまって」

「なるほど。それは良い悩み方かもね」

 

 俺のことを「ブライトネスさん」と少々堅苦しく呼ぶ彼女は、表情を少し和らげてくれる。

 

「選択科目は必修よりは難しい内容になるけど、誰でもわかるように教えてくれるから、気軽に選んでもいいんじゃないかな?」

「そうですね……」

 

 わかってはいるのだが、一年間変更できないと思うとなかなか悩ましい。

 

「そうだ。先生だったら何を選びますか?」

「私? 私だったらそうね。お茶とお花は捨てがたいし、高校一年生の頃だと家事もまだまだだったから、家庭科も……」

 

 先生はそこまで言うとはっとした表情を浮かべて俺を見た。

 俺とシルビア、朱華は先生の過去を知っている。彼女はお寺を継ぐかもしれない男性へ嫁ぐかもしれなかった。つまり、先生が挙げたのは花嫁修業のためのラインナップなのだと、俺にはなんとなくわかってしまう。

 しかし、もちろんそこをからかうつもりはない。

 

「二つに絞れって言われたら先生も迷いますよね?」

「そうね」

 

 ほっとした表情になった先生は「ギリギリまで悩んでもいいからね」と言ってくれた。

 

 

 

 

 

「そういえば、皆さんは選択科目どうしたんですか?」

 

 切羽詰まってきた俺は、昼休み鈴香(すずか)たちにそう尋ねてみた。

 俺のよく知らないジャンル──例えば茶道や華道についてはどんな感じかは前に尋ねていたのだが、友人たちがどれを選ぶのかは聞いていなかった。芽愛(めい)縫子(ほうこ)は一部科目に思うところがありそうとか、そういう理由だったのだが。

 

「私は家庭科と英会話にするつもりです」

「私は家庭科と美術を」

 

 その芽愛と縫子からの返答に、俺は目を丸くした。

 

「お二人は家庭科を選ばないと思ってました」

 

 端的に言って二人の能力は並外れている。経験者にとっては退屈な授業になりそうな気がするのだが、

 

「私、裁縫はあまり得意ではないので」

「私も料理は鍛えておいて損にならないかと」

「なるほど」

 

 スキルが料理と裁縫に特化されすぎているので、もう一方を学びたいということらしい。

 なお、芽愛が英会話を選んだのは接客の役に立てるためと、料理以外でなるべく指を酷使しないように(裁縫は制服を繕うのにも使えるので可)。

 縫子の美術はデザイン画にも絵心が必要なるのと、粘土などの立体物もアクセサリーを考える参考になるからだとか。

 

「ちなみに私は情報処理と美術よ」

「鈴香も不思議な選び方ですね……?」

「消去法だもの」

 

 お茶やお花、歌や踊りは経験済み。英会話も今更初歩を教わる必要がないので、嗜む程度に他の分野を齧っておくことにしたそうだ。

 

「鈴香は料理を勉強した方がいいんじゃないですか?」

「いいのよ。必要になってから覚えてもいいし、なんならお手伝いさんを雇えばいいもの」

 

 裁縫も趣味で刺繍でもするならともかく、繕ってまで服を着るなら新しいのを買えばいい。お嬢様らしい発想だが、お金持ちがお金を使うのは義務みたいなところもあるので一概に悪いとは言えない。

 

「じゃあ、鈴香と安芸さんは美術で、芽愛と安芸さんは家庭科で一緒なんですね」

「アリスも家庭科、選んでもいいんですよ?」

「芽愛。友達と一緒のところ、なんていう基準で選ばせるのは良くないわ」

「それはそうですけど、絞った中から決めるための材料としてならいいでしょう?」

 

 ふむ、と俺は考える。

 料理に関してはノワールにも教わっているので、最近はそこそこ自信がある。ただ裁縫はたまにやるくらいだし、コスプレ系の衣装を結構着ている関係上、繕いものにも慣れておきたい。

 それから、配信をする上で美的センスを磨いておくのも悪くないだろう。

 

「じゃあ、家庭科と美術の方向で考えてみます」

「……そう。アリスがそうしたいのなら構わないけれど」

「そんなことを言いながら嬉しそうですけど」

「アキは余計なこと言わなくていいの」

 

 芽愛と「鈴香は可愛いですよね」と言いあいながら、俺は一つの悩み解決したことに安堵した。

 これで、残る問題は部活動に所属するかどうか、である。

 

 

 

 

 

「部活動?」

「はい。まだ悩んでまして……」

 

 金曜日のHR後。

 先生に希望用紙を提出したついでにまた話を聞いてみた。

 

「吉野先生は高校時代何部だったんですか?」

「残念ながら帰宅部だったの。……二年生から生徒会に所属したから、結局忙しかったんだけど」

「凄いじゃないですか」

「別に大したことじゃないわ。あんなの、やる気さえあれば誰でも入れるもの」

 

 そう言った先生は、俺に好きなだけ悩めばいいと言ってくれた。部活動にも新歓期間が存在するものの、その期間中しか部員を受け付けていないわけではない。いざとなれば期間を過ぎてしまっても問題ないのだ。

 さすが先生だと感心し、帰ってからその話をすると、シルビアは「それは上手く誤魔化されたかもねー」と笑った。

 

「誤魔化された、ですか?」

「うん。ほらあの人、アリスちゃんも読んだ女子校ものの小説にハマってたから」

 

 主人公の少女が生徒会的なところに勧誘され、色んなことを経験していく物語。

 なるほど、吉野先生は物語の中の生徒会活動に憧れて役員になったかもしれない、ということか。

 

「可愛いところあるよね、あの人」

「そっか、そういう決め方もあるんですね」

「アリスちゃんだって料理始めたの知り合いの影響だもんね」

「そうですね」

 

 だから、別にそこまで気負う必要もない。真剣に考える必要はあるけど、本当にやりたいことなら動機は不純でもいいのだ。

 

「選択科目が決まったので、部活選びも少し楽になったんです」

「一時期テニスとか言ってたけど、それも候補にあるの?」

「いえ。さすがに運動部はちゃんと練習に出ないとついて行けませんし……」

 

 土日にバイト(化け物退治)が入る時点で体力的に厳しい。今度の遠征みたいに泊りがけになると休日の練習にも参加できなくなってしまう。

 となると文化部から選ぶことになる。

 

「一番心を惹かれるのは音楽なんですけど、合唱部とか吹奏楽部に入るのも少し違う気がするんですよね」

「ああ、アリスちゃんがやりたいのはみんなに可愛がられるパフォーマンスだもんね?」

「ちょっと癪ですけどその通りです」

 

 俺が音楽に興味を持ったのは千歌(ちか)さんの影響。そもそも配信自体もそうなので、必然的にそっちの方向性になる。

 とはいえ、現代の人々に訴えかける方法としてアイドルは向いているはずなので、決して趣味だけの話ではないはずだ。

 

「お姉さん的には新体操部とか入って欲しいんだけどな」

「ちょっと憧れますけど、運動部ですし、厳しい世界でしょうから……」

 

 シルビアはレオタードが見たいんだろうな、と思ったけど口には出さない。

 

「合唱部だと独唱の練習にならないし、楽器を演奏するよりは自分で歌って踊りたい、かー。……うちってダンス部とかないんだっけ?」

「創作ダンス部というのはあるみたいなんですが、ちらっと見学してみたら、その、私の感覚だと少し前衛的すぎまして」

 

 J-POPくらいで留めておいてくれればいいのだが、あそこで見たダンスがなんなのか俺にはジャンル名すらわからない。テクノとかヒップホップとかそういう系だと思うのだが、さすがにちょっとついていけなかった。

 

「アイドル部とかあったら良かったのにね」

「あったら見学してみたかったですね」

 

 ここしばらく歌や踊りのことを考えていたら、だんだんとやりたい欲求も大きくなってきている。

 オリジナルのアリシアも『聖女』としての務めで舞いや歌を披露する機会があったらしい。もう一人の自分に教えられるようにしてそのことを思い出した。

 

「いっそのこと(アリシア)に教えを乞うのもありなのかもしれません」

「そうすると場所が問題だねー」

 

 さすがにこの家にもそこまでのスペースはない。和室はあるのでその気になればお茶やお花はできるのだが。

 いっそ縫子に近場で貸レッスン室がないか聞いてみようか。

 

「とりあえず、一度通しでリハーサルして感覚を掴んでからですね」

「あ、ついにそこまで来たんだね。頑張れ、アリスちゃん」

「はい。ありがとうございます。頑張ります」

 

 

 

 

 

 そして翌日。

 瑠璃が突然グラデーションヘアーになった日の夜、俺は実際にアバターを動かしながら本格的な予行演習を行うことにした。

 幸いこの家の壁は厚めなので多少大きな声を出しても問題ない。というか、ここの住人は夜中の爆発音に慣れているので普通の話し声程度はあまり気にしない。

 

「……よし」

 

 座卓に載せたノートパソコンの前にパジャマで座った俺は一人、気合いを入れる。

 部屋には他に誰もいない。今回はあくまで練習。実際にネットへ流すわけではない。アバターを動かして喋った様子を参考として保存するだけだ。

 恥ずかしいので朱華や瑠璃の見学も遠慮してもらっている。

 Webカメラとアバターを動かすソフトは性能が良く、パジャマを着ている程度なら問題なく認識してくれる。ソフトを起動した俺は「キャロル・スターライト」がぬるぬる動いていることを確認し、しばらく笑顔を作ったり手を振ってみたりした。

 アバターはバストアップ。手を持ち上げればそこも映るが、通常状態では衣装の一部が見えている程度だ。なので下半身は楽な格好をしていても問題ない。といってもクッションを敷いてぺたんと座っているだけだが。

 

 では、いざ。

 何度か深呼吸を繰り返してから、俺はソフトを録画モードに切り替えて声を出す。

 

「初めまして! 今日から配信デビューします、キャロル・スターライトです」

 

 俺が笑顔を作るとアバターのキャロルも笑顔になり、俺が声を出すとマイクが拾って音声が出力される。

 二重に聞こえてしまわないよう、俺はノイズキャンセリング機能付きのワイヤレスヘッドホンを装着している。出力された音声はヘッドホンへ流れるようになっていて、どんな感じに聞こえるかリアルタイムで確認することもできる。

 

「まずは自己紹介をさせてください。実は、私が生まれ育ったのは地球ではありません。私は異世界──みなさんがファンタジーと呼ぶような世界で聖職者をしていました。そこから別の世界へ布教を行うため、単身この世界へと渡ってきたんです」

 

 話の流れは事前に考えて練習した通り。

 本番であれば視聴者からコメントが来るので、それに答えたりする必要が発生するかもしれないが、今はネットに流していないのでそういったことはない。

 なので、ある意味では気楽なのだが……実際に喋り始めてみて気づいた。これ、他人からの反応が無いと「誰もいない空間で一人で喋っている変な人」なのではないだろうか。

 どんな有名配信者でもマイナーな頃はある。

 最初は視聴者もコメントも碌につかないだろうから、彼ら(彼女ら)はそういった時期を乗り越えて有名になっているのだ。そう考えるとあらためて尊敬する。

 俺も頑張らないといけないが、できるだろうか。いや。反応がないから、見ている人が少ないから嫌だ、なんて言っていてはいけない。ネット配信という環境が独特なのは覚悟していたはずだ。ならば、例え見てくれる人が一人だとしても笑顔で話し続けるべきだ。そして、これは練習なんだから誰も見ていないのは当たり前。

 

「というわけで、今日はゲームで遊んでみたいと思います! なんでゲームかと言いますと、この世界ではそういうのが流行っていると聞いたからです。流行ってるんですよね? みなさん、嫌いではありませんよね? ……というわけで、遊ぶゲームはこれです!」

 

 そんな風に自分に言い聞かせながら、俺は初めて最初から最後まで、通して喋り続けた。

 羞恥心に耐えた甲斐があってか、動画は朱華たちにも、それから千歌さんにも割と好評だった。



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初心者配信者キャロル・スターライト

お前らキャロル・スターライトってAtuberについてなんか知ってる?    

http://www……

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検索してみたけど、始めたばっかの個人Aか?

それがどうした?

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いや、なんか千秋(ちあき)和歌(のどか)がチャンネル登録してるからなんでかなって

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マ?

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個人の登録チャンネルなんて見れないだろ

どこ情報だよ

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わかった、つぶやいたーだ

4月28日に投稿した画像の登録チャンネル画面にさりげなく映ってる

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特定班凄すぎない?

でもなんでこんな無名A登録してんだ

初配信からまだ二週間ちょっとだぞ

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配信のアーカイブ見てみたけど声がまんま和歌

これ本人だろ

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ステマか

いや本人だったら堂々と宣伝すればよくね?

企業垢でも告知するだろうし

…別の事務所行くための準備とかじゃねーよな?

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和歌が中の人はありえないんじゃね?

キャロルって奴が初配信してる時間に和香も顔出し生配信してるし

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マ? …うん、マジだったわ

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っていうかキャロルってあれだろ、前にのどかんの動画に出演してた金髪美少女

Aだと銀髪になってるが

あの子も声そっくりだったろ

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そういやいたなそんな子 妹の友達だとか言ってたっけか

じゃあ知り合いだから登録してるだけか

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どうだろうな、企業Aじゃないっぽいけど逆に伏線張ってる感もある

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いやでもこの子可愛くね?

自分でファンタジーの聖職者名乗っちゃうイタい子だけど

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中身が金髪美少女だと思うと興奮する

のどちゃんといちゃいちゃして欲しい

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金髪はウィッグだろさすがに

伏線にする気があったら金髪か銀髪で揃えるだろうし、あんな日本語上手い金髪美少女とか普通いねーよ

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小さいだけで成人してるとかなら可能じゃね?

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なにそれ興奮する むしろその方向で頼む

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このスレ変態多くね?

っていうか別人ならスレ違いだから他所でやれ

※ある日の千秋和歌総合スレより抜粋

 

 

 

 『彼』がキャロル・スターライトの存在を知ったのはほんの偶然からだった。

 Atuber──生身ではなくアバターを使った配信者の存在を知り、興味を持った彼は、色々とおススメのA(Atuberだと長いのでAと略されることが多い)を調べた挙句、有名どころの動画数の多さに絶望。新人なら追いかけやすいだろうと何人かの配信を聞いた。

 その中の一人がキャロル・スターライトだった。

 

『初めまして。キャロル・スターライトです!』

 

 さすがに初配信を生で聞くことは叶わなかったが、見つけた時はまだ配信二、三回目。サムネイルで見たアバターの容姿が可愛かったこともあって最初の動画を開いた。

 キャロルはいわゆる設定系のAtuberだ。

 架空の国の王女様だとか異星人だとか狐ロリババアだとか、現実にはありえないキャラクターを設定してなりきるタイプ。とっつきにくい場合も多く当たり外れが大きいが、ハマる時はとことんハマる。

 というかハマった。

 

『というわけで、今日はゲームで遊んでみたいと思います!』

 

 キャロルは異世界から単身布教しに来た聖職者という設定。

 でも初配信のテーマはゲーム実況。聖職者なのにゲーム実況。しかも別に上手いわけでも知識が豊富なわけでもない。

 某国民的RPGを聖職者パーティで攻略するという趣向はまあ、彼女の設定に合っているといえば合っていたが、物理戦闘がそこそこできて回復魔法の使える聖職者は複数いてもそれほど困らない。むしろ基本的にピンチとは無縁である。

 なのに、何故か目が離せなかった。

 理由の何割かはキャロルが下手なせいだ。キャロルにアガサ、エラリー、ローリーなどと適当に名付けられたキャラ達は近接特化、魔法特化、バランス型などと役割分担が行われ鉄板かと思えば「レベル上げばかりしていても見ている方がつまらないですよね」とガンガン先へ進めていく。そのくせ消耗品を使うのは渋る。ちょっとダメージを食らう度に回復するのでMPが枯渇する。

 もうちょっと効率的にプレイした方が、と、思わず画面に向かってツッコむこと複数回。

 パーティが見事(?)最初のボスを倒した時には思わず安堵の息を漏らしてしまった。

 

『初めての配信で拙いところも多々あったと思いますが、見てくださった方、ありがとうございました』

 

 初回配信の視聴者は数えるほどだったようで、視聴者との会話や質疑応答はほとんどなかった。実質独演会という様相にも関わらず、キャロルは堂々と最後まで配信をやりきった。

 緊張していたのか、途中で何度か噛んでいたが可愛いので問題ない。

 そう、キャロルは可愛かった。

 アバターは個人の新人にしては妙に気合いの入ったデザイン。完全なファンタジー風ではなく和風テイストが加えられているので親しみやすいし、何より表情や仕草のパターンが多い。笑顔だけでも満面の笑みから明るい笑顔、困り笑いなどなど沢山あったし、カクつくことなく綺麗に動く。リアルタイムで少女が喋っているのだ、と実感できる仕様。

 これだけパターンが多いとコマンド等では制御しきれないだろうから、キャロルの中の人も実際に表情が豊富だということになる。

 中身はおっさんというパターンもAの場合は多いらしいが、自然と「この子は本当に美少女」だと思ってしまう程度には、キャロル・スターライトの魅力にやられてしまった。

 

 聴いていて心地いい、声優レベルの美声も追い風だった。

 声優の千秋和歌との関連が疑われるのも無理はない。そしてその一件によって和歌ファンの一部が流入し、チャンネル登録数は大きく伸びた(当社比)。

 なお、視聴者コメントにて和歌との関係について質問された際はこんな感じ。

 

『和歌さんとの関係はまだ秘密なんです、すみません』

 

 さりげなく和歌とは別人であることを主張しつつ『まだ』と期待を持たせる。

 なかなかの策士である。狙ってやっているのなら凄いが、十中八九、キャロル自身は素だ。狙っていたとしても彼女をサポートして台本を書いた人間がいる。

 キャロル・スターライトは純粋で心優しく、天然ボケでドジな少女だからだ。

 コメントで質問攻めにする視聴者が現れた時には質疑応答だけで配信時間をほぼ使い切ってしまい、予定していたゲーム配信の続きを延期したこともあった。

 

『趣味ですか? お祈りは趣味とは言えないと思うので……そうですね、お料理でしょうか。知り合いのメイドさんに教わって練習しているんです』

 

 知り合いのメイドさんってなんだ。

 異世界から来たのは単身だと言っていたはずだが、転移前に習ったのか、それともこっちの世界で知り合ったメイドなのか。そこについて突っ込まれると「秘密です」と誤魔化す。当然「秘密多いなw」と草を生やされ、困った顔で笑顔を浮かべる。

 なお、得意料理にしたいのはハンバーグらしい。あれの名前はハンブルグ地方から来てた気がするが、異世界でもハンバーグと言うのか。

 極めつけは、

 

『はい? 丸くて平べったくて、中にあんこの入ったお菓子……ですか? えっと、大判焼きのことですか?』

 

 大判焼きは思いっきり和菓子だ。

 ネーミングについては戦争になるのでスルーしておくとしても、さすがにファンタジー世界には無いだろう。こっちに来てから知ったというなら仕方ないが、好きな和菓子はと尋ねられると「甘い物は全般好きです」と団子、おはぎ、羊羹、お汁粉等々を次から次に挙げてみせた。

 中の人思いっきり日本人じゃねーか。

 日本語が堪能すぎることからそんな気はしていたが、自分から墓穴を掘っていくのが上手すぎる。狙ってやっているなら以下略である。

 

 まあ、それはそれでいい。

 何故ならキャロル・スターライトは可愛いからだ。

 聖職者設定と言われて当初、警戒する部分はあったのだが、特に怪しげな水や土の通販を薦めてきたりもしないし、わけのわからない教義をえんえんと語ったりもしない。もちろん尋ねられると嬉しそうに語り出すので注意が必要だが、大地と愛を司る神様らしいので割と聞いていてわかりやすい教えにはなっている。

 なんというか、ポンコツ聖職者の割に「ガチの聖職者が一般向けに話し方を工夫している」感があって、それが聖職者設定に一役買っていた。

 また、設定も聞けば後からほいほい出てくる。

 例えば、大地の女神の信者なら土いじりはしないのか、と尋ねられれば、

 

『私は物心ついた頃に神殿に入れられ、その時点である程度の位を与えられたので、あまり土に触れる機会がなかったんです。やりたい気持ちはあったんですが、位の高い聖職者は癒しや説法に時間や労力を使うことが多いので、実際に土を耕したり作物を植えるのは見習いや下位の聖職者の仕事でした』

 

 尋ねられてその都度考えているだけだろうという指摘、やっかみも当然あったが、キャロルは同じ事を二度尋ねられた際、必ず前と同じ内容を答えた。言われてから考えているのだとしても、口にした設定を全て記憶しているというのは驚嘆に値する。

 架空の聖職者なんかやっていないでその才能を他に使った方がいいのではないかという気もするが、可愛いから問題ない。

 可愛いは大体の物事に優先する。

 こんなキャロルなら収益化が始まっても過度なお布施のおねだりはしないだろう。そして、キャロル信者となった者達は自主的にお布施をしてしまうはずだ。かく言う彼もスパチャができるようになったら少しくらいは投げてやりたいと思ってしまっている。

 キャロルの思惑とは異なり、女神の信者は大して増えないものの、キャロル・スターライトのファンこと信者は少しずつ、確実に増えているのである。

 

『キャロル・スターライトちゃん。この子はもっと人気が出て良いと思う』

 

 ついつい、そんなことまでつぶやいたーに書き込んでしまったりする。

 もちろんキャロルのつぶやいたーアカウントもフォローしたし、配信はできる限り生で見るようになった。キャロル関連のことを呟くと本人から「いいね」が飛んで来たりして、飛び上がりそうなほど嬉しくなる。

 まだまだファンが少ないからこその対応。

 そう考えるとこのまま「知る人ぞ知るAtuber」でいてもらうのも悪くないが、彼女が日の目を見ないのはやっぱり悔しい。なので彼は今日も関連ページをチェックしてはフォロワー数の増減に一喜一憂し、配信を視聴してはキャロルの負担にならない程度に応援コメントを付け、心無いコメントを残すユーザーにイライラし、キャロルの声と笑顔に癒されている。

 いつか彼女が有名になる日が来たら自信を持ってこう言いたい。

 キャロル・スターライトは俺が育てた、と。

 

 

   ◇    ◇    ◇

 

 

「配信の視聴者さんのお陰で入りたい部活が思いついたんです」

「へえ、どんな部活?」

「園芸部です」

 

 学園の花壇はこの園芸部が管理・手入れをしている。

 一度花や作物を植えたら後は交代で水をやったり手入れをするのが主体になるので、毎日顔を出さなくても問題ない。配信の中で質問されたのをきっかけに「もっと土いじりしたかった!」というアリシアの熱い想いが伝わってきたので、俺としてもやってみたくなった。

 今度、ノワールの家庭菜園も手伝わせてもらえないかお願いしてみようと思う。

 すると朱華は苦笑を浮かべて俺の頭に手を乗せ、

 

「あんたがやりたいならいいけど、園芸部の子達、絶対びっくりするわよ」

 

 びっくりされた。



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【番外編】あの子とあの子の耳かき

※二話更新注意。
 Skebでご依頼いただいて書いた番外編です。単独でも読めるようにキャラ名は伏せていますがアリス、朱華メインになります。
(下手に直すとバランス崩れるので敢えてそのまま)
 番外編なのでお読みいただかなくても問題はありません。
 Twitterにも書きましたがSkebでのご依頼も募集中です。


「耳掃除、ですか?」

「そ。あれって自分じゃなかなか上手くできないじゃない? だから人にやってもらった方がいいかなって」

 

 夕食も入浴も終わり、ゆったりと時間が流れる夜の九時過ぎ。

 部屋へとやってきた同い年の同居人は細長い棒状の器具──耳かきを手にそんなことを言ってきた。

 なるほど、確かにそれはそうかもしれない。

 実際、自分でも毎回難儀していることを思い出してこくんと頷くと、料理動画なんかを検索していた手を止めて相手に向き直った。いつもなら妙な雑談に引っ張り込んでくる少女。今回はおかしな用事でなかったこともあって、素直に了承できる。

 

「それくらいならいいですよ。私も初めてなので上手くはできないと思いますけど……」

「あたしだってする方の経験はないわよ。してもらった経験は何回かあるけど。……ま、してくれたらあたしもやってあげるから。それでお相子でしょ?」

「お互いが練習相手なら公平ですね」

「そういうこと」

 

 そうと決まれば話は早い。

 ベッドの上だとふかふかして姿勢を定めにくいので、カーペットを敷いたフローリングの上へ正座する。

 

「クッションとか使いますか?」

「あー、どうだろ。どっちがいいか試してみましょうか」

 

 まずは膝の上にクッションを載せて、その上に寝てもらう。

 ぽふん、と同居人の頭がクッションに軽く埋まり、膝に軽い重みが感じられる。直接でない分、足への負担は小さそうな気がするが、

 

「なんか落ち着かないかも」

「じゃあ、今度はなしでやってみましょうか」

 

 クッションを外してもう一度。防寒用にタイツを履いているし、寝る時はパジャマ派なので生足ではない。今度は相手の頭をはっきりと感じる。安定感という意味では確かにこちらの方が上だ。

 

「どうですか?」

「うん。これでパジャマ脱いでくれたら最高なんだけど」

「なんか変なこと考えてませんか?」

「パジャマの上に寝るのとタイツ履いた足の上に寝るの、どっちが気持ちいいと思う?」

 

 ……後者の方がなんとなく有難みはありそうな気はするが。

 

「タイツは脱ぎませんからね」

 

 仕方ないとため息をついてパジャマの下だけを脱いだ。そういうお店じゃないので上までは脱がない。そこまでしたら寒いし。

 そして再びの膝枕。更にしっかりとした感触と安定感。結果的にこの方がこっちとしてもやりやすそうだ。

 綺麗な髪がタイツ越しに膝を撫でるのも悪くない。今なら触り放題だ。さりげなく髪の感触を確かめながら、空いている方の手で頭を押さえて、

 

「じゃあ、始めますね」

「お手柔らかにね」

「わかってます」

 

 耳は鼓膜を有する重要な器官だ。慎重にやらないと傷つけてしまう恐れがある。

 耳かきを握り、恐る恐る先端を耳へ。……なかなか距離感が難しい。何度か近づけたり離したりしながら持ち方を替え、短めに持った方が調節しやすそうだと気付いた。

 あらためて、いざ。ちょっとした鉤状になった先端で浅い部分にそっと触れる。

 

「痛かったら痛いって言ってくださいね」

「歯医者か」

「ちゃんと言われたら止めるから大丈夫ですよ」

「あれ無視していいのは巨乳の歯科衛生士さんだけだからね」

 

 そんなわけあるかと思いつつ、耳をかりかりと撫でる。耳の中って意外と見づらい。寝る角度を何度か変えてもらいベストな角度を発見すると、耳垢の溜まっているところが見えやすくなった。

 皮膚と耳垢の間に先端を差し入れ、剥がすようにしてすくい上げる。

 力が入っていないと剥がれてくれないし、入れすぎると皮膚を傷つける。剥がれた耳垢も上手く持ち上げないと中に落ちてしまう。なんというかクレーンゲームをやっている気分になりつつ、いくつかのゴミをティッシュの上に移動させていると、

 

「ん、気持ちいい。なかなか上手いじゃない」

「本当ですか?」

「うん。欲を言えばもうちょっと強くてもいいかも」

「マッサージじゃないんですから」

 

 しかし、一応試してみる。少しずつ力加減を強くして試すと、二度目で「あっ」と声。

 

「痛かったですか?」

「じゃなくて、そのくらいがちょうどいいかも。んっ、そうそう、あっ、そこっ」

「やっぱり変なこと考えてますよね?」

「声出ちゃうんだから仕方ないじゃない」

 

 まあ確かに、個人差はあるだろうがそういう部分はある。仕方ないとため息をついて作業を続行。慣れてくると若干楽しい気もしないでもない。

 

「そろそろ奥に挿れますよ」

「膜破らないように気をつけなさいよ」

「責任取れませんから細心の注意を払います」

 

 奥は状態が見えづらく、また大きめのが溜まりやすい。

 と、ほらいた、大ボス。

 そいつは皮膚との密着力も強いらしく、少しかりかりしたくらいでは剥がれてくれない。なので角度を変えてみたりしつつ何度もチャレンジ。その度に(若干艶めかしい)声が上がるが、それはこの際無視した。痛いなら言えと言ってあるのだから、気持ちいい分には管轄外だ。

 そうして、五回目の攻撃にて見事大ボスの討伐に成功。手中に収まったボスの慣れの果てをティッシュの上に移すと、不思議な達成感。

 

「……人にしてあげるのも、悪くないかもしれませんね」

「まだもう片方の耳があるんだから、もっと楽しめるわよ」

「はいはい」

 

 片耳を取り終わったら、逆向きに寝てもらって第二ラウンド。

 俺のお腹側を向く形になった同居人が「良い匂いがする」とか言うので耳を引っ張ってやったら「何するのよ!?」と抗議された。別に痛くはなかっただろうに。

 そこからは同じ作業。慣れてきたこともあって無言になっていると「ねえ」と声。

 

「また頼んでもいい?」

「私もしてもらってから考えます」

「あたしだって耳かきくらいできるわよ」

「期待してます」

 

 言っているうちにゴミ取りが終わった。

 

「はぁ~~。気持ち良かった。ありがとね、助かった」

 

 タイツ越しにお腹へと安堵の息が吹きかけられる。が、

 

「いえ、まだ終わってませんよ?」

「へ?」

 

 そう、耳かきは先端でゴミを取って終わりではない。あらかた片付けた後はくるっと逆の先端を持って、ふわふわとした綿で細かいゴミを綺麗にするのだ。

 ふわふわと耳に差し入れられた少女は「ふあっ……!」と声を上げてぴくんと跳ねる。

 

「じっとしてないと危ないですよ」

「そうだけど、身体動いちゃうんだってば」

「わかりますけど」

 

 広い範囲を一気に撫でられるせいで独特の音と感触があり、なんというか「ぞわぞわっ」とするのだ。

 そういう感覚が癖になるからと、同人音声界隈では耳かき音声なるものが一ジャンルとなっていたりするらしい。……というのも、膝の上で気持ち良くなっている少女からの聞きかじりなのだが。

 ともあれ、一々声を上げる彼女のことは無視したまま、もう片方の耳もふわふわを済ませた。

 これで本当に綺麗になっただろう。……と、そうだ、念には念を入れておこう。

 

「ふぅーーっ」

「!?!?」

 

 びくびく、と震えた。

 

「だから過剰反応し過ぎですってば」

「いや、今のはあんたのせいでしょ。あんなのお金払うレベルだってば。……嘘だと思うならお返ししてやるから体験してみなさい」

 

 攻守交替。

 身を起こして正座した同居人の太腿に頭を載せる。彼女の方が身長が高いせいか安定感がある。なお、寝る時はあまり着こまない性質なので彼女は現在ショートパンツ。つまり太腿は生である。だからなんだということもないが、柔らかな感触とすべすべの肌が心地いい。ついでに良い匂いもする。言うとからかわれるので言わないが。

 

「じゃあ行くわよ。じっとしてなさい」

「ふぁっ」

 

 鉤を差し入れられた途端に声が出た。

 慌てて口を押さえようかと思ったが、今そんなことをしたら確実に邪魔になる。仕方なく断念すれば、頭上で彼女がご満悦になっているのがわかった。

 

「変な反応がなんだったっけ?」

「し、仕方ないじゃないですか」

「うん、仕方ないわね。仕方ないからもっと可愛い声聞かせなさい」

「んっ……」

 

 人に耳かきされるのは、自分でするのとは別格の気持ち良さだった。自分でする場合は心の準備ができているせいだろう。予想しきれない部分から強い快感が生まれて、受けた人を魅了する。

 

「……なんだか、小さい頃に戻ったみたいです」

「そうね。あたしも、人にしてもらったのなんて小さい頃だけよ」

 

 母親にしてもらった思い出。

 いつか、自分の子供にしてあげる日が来たりするのだろうか。今の段階では全く想像がつかない。というか、その前にパートナーへしてあげる方が先か。

 こんなこと、親しい人間相手じゃないとなかなかしない。友人でも普通しないだろう。それこそ同居でもしていれば話は別だが。

 プライベートな、気を抜いている状態を見せられる相手でないと最低条件も満たせない、ということだろう。

 

「あんたの髪、さらさらでむかつくわね」

「お互い様じゃないですか」

 

 質感や微妙な色合いが絶妙なので、こちらとしても彼女の髪は羨ましい。

 などと言っているうちに左右の耳掃除が終わる。夜のゆったりとした時間には相応しい過ごし方かもしれない。

 妙に落ち着いた気持ちになりながら「ありがとうございます」と言うと「まだだってば」と声が降ってきて、

 

「自分で言っておいて忘れたわけ?」

「いや、えっと、もう十分……ふああっ!?」

 

 これはやばい。自分で耳かきする時はふわふわまではなかなか使わないせいもあってか、強烈に「ぞわぞわ」来る。耳かき音声は聞いたことがないものの、生の感触は確実に音声以上だろう。

 ついつい変な声を出してしまいながら必死に耐えていると、ようやく左右の掃除が終わって、

 

「はい、ふー-っ」

「!?」

 

 耳に直接吐息を感じて、最後に大きくびくんと震えた。

 これはその、危険だ。

 若干涙目になりながら起き上がる。すると彼女は得意そうな顔で、

 

「ね? 気持ち良かったでしょ?」

「……はい。気持ち良かったです。気持ち良かったですから、お互い遊ぶのは止めましょう? こんなのに慣れたら一人耳かきに戻れなくなります」

「そうね。この気持ち良さに溺れちゃいそうだもんね」

 

 その通りだが、あまりいわかがわしい言い方をしないで欲しい。

 というか、近い目線で見つめ合うと、なんだかいつもそうしているのに妙に久しぶりのような気がする。さっきまで彼女に膝枕されていたのだ、と今更ながらに意識して顔が赤くなった。

 親しい同居人とはいえ、大事な部分を完全に預けていたわけだ。そう考えると恥ずかしい。

 

「なに赤くなってんのよ。冗談だってば」

 

 向こうはそんなこと気にしていないのか、軽い調子でこちらの頭に手を乗せてきて、

 

「で? 相互契約は結んでくれるの?」

「……いいですよ。自分でやるより効率的ですし。ただし」

「はいはい。最後の『ふー』はナシなのよね。わかってるってば」

「……わかってるならいいんです」

 

 こうしてそれ以来、定期的に互いの耳掃除をしあうようになった。

 慣れてしまえばこれもどうということはない。ノリの軽いところのある彼女だが、危険な悪戯をするようなタイプではない。実績が信頼となり、身を預けるに足る理由を作る。

 だから、大したことではないと思うのだが──二人共通で親しい後輩にこの話をしたところ、何故か「ずるいです!」と文句を言われた。なんだろう、そんなにあの子に耳かきしてもらいたかったのだろうか。尋ねたら「先輩にして欲しいんです!」と言うので、彼女の分の耳掃除も引き受けるようになった。

 それを聞きつけた別の仲間も「したい」とか「して欲しい」とか言い出して大変なことになったりもしたのだが、まあ、それはまた別のお話。



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聖女、園芸部に入る

「見たよー、アリスちゃん。初めてにしては上出来だよ。すごいすごい。やっぱり私の目に狂いはなかったねー」

「ありがとうございます。千歌(ちか)さんにアドバイスいただいたお陰です」

 

 なんて、千歌さんはだいぶ贔屓目で見てくれたのだろうが、通しのリハーサルで大きなミスが出なかったということで、俺は配信開始を決意した。

 

「いつから始めるの? チャンネル自体はもう出来てるけど。っていうかもう登録したけど」

「いつの間に!? 重ね重ねありがとうございます」

 

 チャンネルを開設するのは配信開始より何日か前の方がいい、というのはもともと千歌さんからのアドバイスだ。

 新人の配信者には当然ながらファンがいない。リアルの友人知人が多いとか、別の活動によるファンを抱えているとかでない限り、そもそも知られていないので人も来ない。だからせめて人目に触れる機会を増やす。

 チャンネルさえできていれば、Atuber(アバターを利用した配信者の呼び名だ)が好きな人がたまたま見かけて登録してくれるかもしれない。初回配信を何人見てくれるかは配信者本人の精神衛生的にも大事である。

 同じ要領で「キャロル・スターライト」としてのつぶやいたーアカウントも開設した。こっちでも宣伝を行うことでAtuberを好きな人が以下略、である。

 

「気にしなくていいよー。アリスちゃんの初回配信に被せたいだけだから」

「……私を潰しにかかるつもり、じゃないですよね?」

「違う違う。私達が別人だっていう証拠、こっそり作っておきたいだけ」

 

 俺と千歌さんは同じ声をしている。

 キャロル・スターライトがAtuberである以上は「キャロル=千秋和歌」疑惑が絶対出てくるので、同じ時間に生配信をするなどしてアリバイを作るのだ。

 ここでポイントなのは仰々しくやらないこと。さりげなく、わかる人にしかわからない程度でいい。

 

「聞かれたら関連を匂わせつつ、でも別人っぽく振る舞っておけばみんな勝手に深読みして盛り上がってくれるってわけ」

「……すごいです。みなさんそんなに考えてやってるんですか?」

「みんな、ってわけじゃないと思うよ。私の場合は事務所がついてるし、個人でも参謀を用意してる人もいるだろうし。別にこういう小細工が必須ってわけじゃないしね」

 

 千歌さんが協力してくれるのは千歌さん自身の利益にもなるから、というのが大きい。

 キャロルの人気が出れば同じ声の声優も注目される。後々、千歌さん側の配信にも出る予定となれば猶更だ。

 こうして有難いサポートを受けた俺は本番配信を生で実施。

 

「……だんだんお腹が痛いような気がしてきました」

「アリスって本当、初めての時は大袈裟に緊張するわよね」

「慣れちゃうとすごく堂々としてるのにねー」

「大丈夫ですアリスさま、わたしも陰ながら応援しております」

「アリス先輩、私も配信、部屋で見ますね」

「うむ。吾輩は寝るが、心の中で応援している」

 

 同じ部屋にいるのは遠慮願ったが、仲間がリアルタイムで見てくれているのは嬉しい。何かやらかしそうになったら「ちょっと待った!」と乗り込んできてもらうことも可能だからだ。

 幸い、そこまで大袈裟な事件は起きなかったが。

 予想通り初配信の視聴者数は一桁。うち一人は瑠璃なのが確定していることを考えると、実質的な観客は本当に少なかった。

 それでも、見てくれている人がいる。

 ファンを増やす、なんていうのは初回を見てくれている数名を楽しませられなければ夢のまた夢。俺はまだまだ慣れないところのある操作に四苦八苦しながら笑顔を作り、喋り、ゲームで遊んだ。

 

「ありがとうございました。良かったら、また見てくださいね!」

 

 ぺこりとお辞儀をして配信を終了した瞬間、どっと疲れが押し寄せてきた。

 けれど、やりきったという達成感はある。まずは成功だったと言っていいだろう。

 

「お疲れ。ま、頑張ったんじゃない?」

「お疲れ様でした、アリス先輩。朱華先輩は素直じゃないだけなので無視して構いませんよ」

「瑠璃こそ、いつアリスに変なこと言い出すかと思ってヒヤヒヤしたわよ」

「なっ!? そんなことするわけないではありませんか」

 

 終わってすぐ、朱華達が労ってくれたのもとても嬉しい。

 俺は漫才を始めた二人を笑顔で見守りながら「ひとまず、もう少し続けてみよう」と思った。

 

 

 

 

 底辺配信者が有名になるための道のりは遠い。

 配信自体を面白くすることはもちろん、つぶやいたー等を利用した宣伝も大事。宣伝と言っても「配信するから見てね」と言うだけではなく、例えば日常の何気ないことを呟いたりして関心を引くことも大事になってくる。

 そして何より配信の頻度。

 千歌さんからのアドバイス、それから自分で調べたセオリーから言っても「しばらくは毎日配信する」というのが秘訣らしい。

 これはやはり実績を作ること。目に留まる機会を増やすことなどが理由だ。アクティブに活動している配信者には期待も集まる。そうすることでフォロワー数という「目に見える注目の度合い」を増やし、その数字が更なるフォロワーを呼んでいく。

 というわけで、

 

「やることが多いです」

「でしょうねえ」

 

 愚痴をこぼしたら「さもありなん」という反応をされた。

 いや、でも本当に忙しいのだ。

 治療のバイトは今もなお、平均して数日おきに入ってきている。高校の授業も軌道に乗って宿題も増えてきた。配信以外にもやりたいこと(料理や裁縫の練習とか)はあるし、学校の友人と話を合わせるためにも少女マンガを読んだり、エンタメ系の知識を最低限入れることも重要だ。

 もちろん美容のための肌・髪のケアも欠かせないし、健康のためにはある程度の睡眠時間を確保しないといけない。何より、朝晩のお祈りは絶対忘れてはいけない。

 

「マンガとかゲームのヒロインみたいな完璧超人目指すからよ」

「そんなことしてません。私はしたいことをしてるだけです」

「ほんと、アリスちゃんはそういうところだよねー」

 

 シルビアがしみじみと言えば、瑠璃も「全くです」と頷く。

 いや、みんなはそう言うが、このシェアハウスの住人達はだいたい同じ穴の狢である。エロゲにメイドに製薬にファッション、好きなことをしすぎて時間が足りていない。仕事の忙しい教授だけがある意味例外である。

 

「だから、朱華さんには言われたくありません」

「まあ、エロゲしてるよりは有意義よね。アリスの場合はちゃんと寝てるわけだし」

「アリスさまの栄養管理もわたしがきちんとしておりますので、お任せください」

 

 さすがノワール。

 公私共にすっかりお世話になってしまっている。彼女が三食美味しいご飯を作ってくれなかったら俺はこんなに頑張れない。

 そのうち個人事務所みたいなノリを作って給料を払うべきなんじゃないだろうか。

 

 

 

 

 ともあれ、努力の甲斐あってか配信の視聴者数は少しずつ増えていった。

 配信内容は当初ゲーム配信としたが、人が増えてくるに従って視聴者と会話する機会も出てきた。話しかけてくる人と来ない人はかなり顕著で、ゆくゆくはどの程度コメントに反応するかも考えなくてはいけないだろうが、とりあえずはできる限りコメントへ反応するようにした。

 

「〇〇さん、応援ありがとうございましゅっ!?」

『噛んだ』

『噛んだな』

 

 会話をしていると中にはこんなこともある。

 すかさず反応されるのでなんとも恥ずかしい。かと言って下手に表情を変えると「かわいい」とかコメントが付くので油断ならない。俺の思っている以上にキャロルのアバターは些細な表情を変化を拾い、画面に反映させてしまうのだ。

 そんな中、視聴者との会話から思わぬ収穫もあった。

 コメントによる質問の大半はキャロルの設定に関するものだったりするのだが、それに答えるためにアリシアの記憶を覗く機会が増えた。それにより、俺でさえ知らなかったアリシアのことをどんどん知っていける。

 アリシアが土いじりをしたがっていた、というのもその一つだ。

 いや、大地と愛の女神なんだから当然と言えば当然なんだが。

 

『そうですよ、私。もっと早く気づいてくれてもいいのに』

『もっと早く言ってくれてもいいじゃないですか』

『私はあなたなんですから、あなたが聞こうとしないと伝えられないんです』

 

 アリシア・ブライトネスは最終的に聖女と呼ばれるまでになった優秀な聖職者である。

 彼女が世界を救うことになったのはゲームのストーリー的に偶然なのだが、その素質が十分であるのは幼少期の時点で神殿側も把握していた。

 短い下積み期間の後はひたすら、神聖魔法の練習などのエリート教育を施されていたアリシアは、大地に対する感謝を説きながら、作物や果実を育てる時間を取れていなかった。

 その点、この世界なら園芸は手軽だ。

 ホームセンターに行けば種から道具、土に至るまで揃えられる。流通している品種も多いし、育て方だってネットで調べられる。考えてみればノワールやシルビアもシェアハウスの花壇でいろいろ育てているわけで。

 そうか、園芸があった。

 というわけで、俺は部活動の体験入部期間が終了してしばらく経ってから、学園の園芸部へと接触を試みた。

 

「突然すみません、見学させていただいても大丈夫でしょうか?」

「見学? この時期に──って、アリスちゃ、ブライトネスさん!?」

 

 園芸部は部室を持っているものの、十人以上いる部員の多くは部室が「放課後、部室に常駐しているわけではない」という状態だった。

 やる気のない生徒が多いという意味ではなく、むしろ逆。活動する時は屋外に出ることが多いこと、勉強などで忙しい中「それでもやりたい」という生徒が多いこと、特に熱心な生徒は自宅など別の場所でも植物の世話をしていることなどの理由だ。

 つまり、たまり場でお茶を飲んで雑談するだけ、という部活ではないということ。

 初めて部室を訪れた際、たまたま部室にいた二人きりの部員は、俺にそんなことを教えてくれた上で「どうしてここに?」と尋ねてきた。

 

「それは、その。経験はあまりないんですが、少しでも土に触れてみたくて」

「うちで育ててるの、お洒落な果物とかはあんまりないけど……」

「大丈夫です。むしろ野菜の育て方の方が気になります」

 

 甘い果物はもちろん好きだが、ファンタジー世界において庶民の腹を満たすのは素朴なパンや茹でたじゃがいも、クズ野菜のスープなどだ。そういうありふれた作物の育て方こそ知っておくべきだと思う。

 

「そこまで言うなら、少し花壇とか見学してみる?」

「いいんですか?」

 

 園芸部が管理している花壇や小さな畑に案内してもらい、どんな物を育てているか教えてもらった。興味のない人間からすれば「土と植物を眺めるだけ」という時間なわけだが、俺にはその時間がとても貴重なものに感じられた。

 男時代には特別興味を持ったことはなかったが、体育や剣道部でシゴかれていた経験上、土の地面に忌避感はない。

 武士や戦国武将を支えていたのだって農民・百姓なわけで、その有難みを知るのは大切なことだ。

 

『あの、(アリシア)? 作物の育ちを良くする魔法もあるんですよね?』

『もちろんです。ある意味、私達が最も得意とする分野と言ってもいいと思います』

 

 わかりやすい成長促進の魔法から悪い虫を追い払う魔法、土の栄養状態や水はけを良くする魔法、植物の健康を回復させる魔法、受粉を助ける魔法などなど、様々な魔法があるらしい。

 あまり手出ししすぎると逆に迷惑かもしれないと思いつつ、少しくらいならいいだろうかと手を差し伸べ、控えめに(こっそり)魔法をかけたりしていると、部員たちから「まるでお祈りしてるみたい」と言われてしまった。

 

「お祈りするのもいいですね」

 

 と、ついつい素で答えてしまうと目を丸くされた。

 しまった、ドン引きされたかと思った矢先、

 

「ブライトネスさん、本当に好きなんだね」

 

 どうやら引かれなかったらしい。俺は「はい」と笑顔で答え、園芸部に入部することを決めた。

 それから暇な時は部室へ顔を出すようにしたところ、何故か部員の出席率が上がった。理由を尋ねても「気にしなくて大丈夫」と言われるだけなのだが、みんなあれこれ俺に園芸や植物について教えてくれるので、俺としては大助かりだった。

 なお、その年の園芸部の作品はこれまでの活動で一番のものになったとかならなかったとか。



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聖女、刀を振り回したがる

「……ついに届いてしまいました」

 

 四月が終わりに近づいたある日の放課後。

 帰宅した俺は、大きめの箱を抱えて呟く瑠璃の姿を見た。

 ついに、という少女の言葉から、箱の中身がなんであるかはわかった。

 

「届いたんですね、瑠璃さん」

 

 黒髪の少女はこくん、と頷いて、

 

「届きました。……本物の日本刀が」

 

 そう。

 来たる遠征に備え、瑠璃はついに本格的な武器を手に入れたのだ。

 かかった費用は軽く百万円以上。これまでのバイト代や政府からの援助金があってもなお、決して安いと言える額ではない。まして、ここに来て最も日の浅い瑠璃であれば。

 それでも。

 長い本物の刃物には、それにしかない力がある。

 

「開けますか、瑠璃さん?」

「是非開けましょう」

「ノワールさん?」

 

 後輩の後ろから顔を出したノワールは明らかにわくわくしていた。

 

「ノワールさん、刃物好きなんですか?」

「ええ、まあ。人並みにですが好んでおります」

 

 人並みの刃物好き度ってどれくらいだろうか……?

 少なくとも一般人はナイフや包丁を見て「わー、便利そう」とは思っても目をきらきらさせたりはしないような気がするが。

 元は裏社会の女王だった彼女だ。武器の類には一家言あるのだろう。

 俺はそう納得して、瑠璃たちと共にリビングへと移動する。テーブルは今誰も使っていないので色々広げても大丈夫だろう。

 

「朱華さんたちも呼びますか?」

「いえ、朱華先輩は『あたしはいいわ』と言っていました」

 

 やりたいエロゲでもあったんだろうか。まあ、他人の武器にそこまで興味はないのかもしれない。

 シルビアはいつも通り薬でも作っているんだろうし、教授も気にするのは戦力の増加具合だろうから、このメンバーで開けてしまって問題ないだろう。

 俺は頷きと視線で瑠璃を促す。

 

「……では」

 

 輸送用の段ボールを開けると、厳重に梱包された二つの木箱が現れる。

 一つは長く、もう一つは小さめ。瑠璃はそれらを丁重に持ち上げると、テーブルの上へと並べた。

 息を呑む様子があった後、木箱が開かれる。そうして現れたのは、しっかりとした拵えの、紛うことなき日本刀だった。

 当然、鞘に入った状態だが、それでもその重厚感はわかる。

 小さい箱の方は短刀。長い方の刃渡りはだいたい、一般的な木刀と同じ程度だろうか。鞘に入ったままの状態で刀を手にした瑠璃は「重いですね」と呟く。

 

「さすがは本物。……これならば生き物の身体も切断できるでしょう」

「物凄く物騒なことを言わないでください」

「すみません、アリス先輩。つい」

「ですがアリスさま、刃物には美術品としての価値もあります。見ている分には綺麗なものですよ」

「それはわかりますが……」

 

 と言いつつ、抜いたところも見せてもらう。

 十分に俺たちやテーブルから離れたうえ、瑠璃が刀を引きぬく。すらり、と現れた刃は部屋の明かりを反射して独特の輝きを見せた。

 

「……確かに、これは見事ですね?」

「そうでしょう? あちこちの刀剣販売サイトを巡って見つけた掘り出し物です」

 

 包丁やナイフの目利きに長けたノワールも刀選びに協力していた。朱華は中華系とはいえSF出身者なので刃物には特別詳しくない。ともあれ協力者がいてくれたお陰もあって、なかなかの一品が俺たちの元へやってきてくれた。

 しかし、日本刀というのは実際独特の美しさがある。

 ファンタジー出身であるアリシアの記憶を呼び起こしてみても、あっちの刃物というのはもっとこう、叩きつけて切るようなのが主流だ。まあ、ゲームには東方の刀使いとかもちょい役で出たりしていたが……。鋭さで斬る細く長い刀には機能美というか、ある種の芸術的美しさがある。

 アリシアの仕える女神は「農機具としても使える武器」を推奨しているが、刃物も草の刈り取りや果物の採集等に用いられるので特に忌避感はない。俺自身としても元剣道部だったわけで、本物の刀には「すげー、かっけー」という小学生的感想を抱かずにはいられない。

 

「……瑠璃さん、少し振らせていただけませんか?」

「すみませんアリス先輩。危ないのでそれは……」

「アリスさまは刀を握らない方がよろしいかと」

 

 わくわくしながら申し出れば、なんということか、瑠璃とノワール二人から「触るな」と言われてしまった。俺だって剣道の心得はあるのだが、ドジを踏んでどっか斬りそう、みたいな扱いである。しかし「やだやだ」と我が儘を言うわけにもいかないので諦める。

 

「これは大事に使わないといけませんね」

「はい。それについては一つ対策を考えています」

 

 そう言った瑠璃は自室から小さなアイテムを持ってくる。黒塗りの上品な簪。そこそこ上等な品であるのは材質やデザインからわかるが、それ以上に何か清浄な雰囲気を感じる。

 

「この簪には霊力を籠めてあります」

「霊力を籠める……。瑠璃さま、その力はあまり長持ちしないのでは?」

「ええ」

 

 ノワールの問いに瑠璃は頷いて、

 

「物質に籠めた霊力は時間と共に目減りし、短時間で消えてしまいます。ですが、何度も繰り返し霊力を付与したり、多くの霊力を籠めることで目減りする量を減らすことができるようなのです」

「何度も付与する間に、品物自体が霊力に適応していく……ということでしょうか」

「おそらく」

 

 俺の神聖魔法とは違うものの、瑠璃の霊力も清らかな力だ。何度も付与することで品物自体を浄化して質を向上させていたとしてもおかしくはない。

 ならば、

 

「同じ要領で、この刀も強化できる……?」

「どちらかというと、耐久性が上がって欲しいところですが」

 

 可能性は十分にある。

 もちろん、大きさが違う以上、上手く行っても簡単ではないだろう。それでも試してみる価値はある。夜寝る前とかに試すなら疲労も心配しなくていい。いざとなったら俺の回復魔法やシルビアのポーションもあるわけで──って、魔法?

 

「あの、瑠璃さん。私の《武器聖別(ホーリーウェポン)》でも同じようなことができないでしょうか」

「あ」

 

 顔を見合わせる俺たち。

 俺は前にもお守りづくりなどで物に神聖な力を籠めたりしている。あれはどちらかといえばおまじない的なもので、ガチのご利益が継続するとは正直考えていなかったが……何度も祈りと魔法を籠めれば話は違ってくるかもしれない。

 

「で、でも、さすがにアリス先輩の負担になりませんか?」

「気にしないでください。私も寝る前にやりますから、終わったら寝るだけです」

「寝る前に、アリス先輩と……」

 

 呟き、何かを考えるように遠い目をする瑠璃。

 まあ、同時にやると力が喧嘩するかもしれないので交代の必要はありそうだが。幸い、思考から戻ってきた少女は微笑みを浮かべて「よろしくお願いします」と言ってくれた。

 これにはノワールも「アリスさまと瑠璃さまの共同作業ですねっ」と喜んでくれた。

 大学から帰って来た教授にも報告すると、彼女も「ほう」と感心した上で「無理のない範囲で試してみればいい」と言ってくれる。遠征まではもう日がないので上手くいくかは成り行き次第だ。

 

「ところで、教授。大学の休みは取れたのー?」

「うむ、問題ない。普段の勤務態度が真面目なお陰だな」

「……ま、こんな見た目幼女が頑張ってるの見たら『たまには休め』って言いたくなるわよね」

 

 ああ、実際いろいろ、見た目が可愛い女の子だと得だよな……。

 

「各自、物資の輸送準備も問題ないか? 多めに準備して、送れる物は送ってしまえ」

「ん。ってもあたしはチャイナドレスがあれば最悪大丈夫なのよね。とりあえず油とかウォッカとかは送る荷物に詰めといた」

「ふふふ、私も抜かりないよー。この時のためにたくさん徹夜してポーションを作りためたからねー」

「わたしも、この際なので大型の銃器を送り込むつもりです。せっかくなので対物狙撃銃なども使ってみたいのですが……」

「敵の数と種類がわからんからな……。あらかじめ位置取るのも難しかろう。ちなみに吾輩は全員分の防弾ベストなどを購入済みだ」

「私は刀をギリギリまで手入れするつもりなので特別には……。強いて言えば着替えくらいでしょうか。アリス先輩は大丈夫ですか?」

「はい。私も衣装と聖印の予備くらいです」

 

 一応、遠征用としてシスターメイド服(アリシアの衣装ではなく、ノワール御用達のサイトで普通に売られているもの)を買い直してある。その他は着替えや化粧品、それから聖水をいくらか量産して送っておくくらいだろうか。いや、結構あるなこれ。

 

「アリスはしょっちゅう服が傷つくんだから、次のも頼んでおきなさいよ?」

「もちろんです。オーダーメイドを追加するつもりで今、デザインの最終調整をしています」

 

 頼むのは微調整したアリシアの衣装と、それから()()()()()()()()()()()()()()の予定だ。後者は主に「いつか必要になりそう」というのが理由だが、普通に聖職者衣装としても使えるはずなので、いざとなればバイトに持ち出しても構わない。

 それとは別に縫子からも「キャロルちゃんの衣装を製作中です」と報告を受けているので、なんかキャロルの衣装も増えそうである。まあ、縫子が作ってくれた分はバイトで汚すわけにはいかないんだが。

 

「もうすぐですね、遠征」

「そうね。……ところで教授? 連休の中日ってどうするわけ? 普通に学校あるんだけど」

「いざとなったら休んでもらうしかないだろうな」

 

 あっさりサボりを要求された。

 

「ずる休みは気が引けるんですが……」

「別にズルではなかろう。立派な家庭の事情だ。というか、連休に学校休んで旅行に出かける女子高生など珍しくはないぞ」

「そうなんですか、瑠璃さん?」

「そうですね。萌桜(ほうおう)にもいると思います」

 

 うちはお嬢様学校に近いのでサボりのノリで休む生徒はほぼいない。しかし、お金持ちの家というのは「数日学校を休むデメリット」と「長期の旅行に行けるメリット」を天秤にかけて後者を選んだりするらしい。真面目に生活を送るのと損得勘定をしっかりするのは両立できるという考え方。

 そう言われると鈴香あたりがやりそうだな……と思った。

 

 ちなみに向こうへ滞在中はホテルに泊まることになる。

 ランク的には四つ星。主要スタッフに話は通っており口止めも十分、場合によっては裏口から入れるような手筈も整っているとのこと。

 別地方の良いホテルとか、普通に内装や食事も楽しみである。

 部屋は二人部屋を三つと、広いスイートルームを一つ。スイートは主に作戦会議用だ。

 遠征している間はさすがに配信はしなくていいかな……と思っているものの、一応機材的にはノートパソコンとWebカメラ、後はwi-fi用のルーターあたりがあれば問題ないので、一応やることも考えておこうと思う。その場合、防音的にもスイートルームを借りることになりそうだ。

 

「戦場はどこになったんだっけー?」

「大きく、かつ夜間は閉鎖される公園だな。一応他にも幾つかの場所を確保してある」

 

 最初の公園では支障があった場合、あるいはあっさりとクリアできてしまった場合は翌日から他の場所へと移ることになる。

 

「どんな相手が来るのでしょうね……」

「んー、空飛ぶ巨大マグロとか?」

「瑠璃よ、そうなったら解体を頼むぞ」

「私の刀はマグロの解体用ではないのですが……!?」

 

 ああ、テレビで見るマグロの解体はなんか物干し竿みたいな長いの使ってるもんな……って、そういう問題でもない。そもそもプロの料理人でも空飛ぶマグロを生のまま解体したりはしないし、さすがにそんなアホな生き物は出てこないはずだ。

 

「とにかく、気を引き締めておきます」

「そうだな。何が出てきてもいいようにしておけ。どうせ強敵が出たら撤退するのだ。そのための宿泊準備なのだからな」

 

 気分はレイドボスとかそんな感じである。

 そうして俺たちは遠征に向けた最後の準備を始めた。もちろん平日の昼間は学校があるし、放課後は放課後で配信したりと忙しいのだが、その合間を縫って荷造りをして宿泊先のホテルへと送った。長期休暇中に遊びに行こう、という友人たちの誘いは申し訳ないが「家の用事があるので」と断った。

 俺を誘うのに失敗したクラスメートは代わりに(?)小桃を誘っていたが、彼女もまた「ごめーん、私も用事があるんだ」とのこと。やっぱりこの時期はみんな忙しいんだな、と思うと同時に、小桃が断ってくれたお陰で少しだけ気が楽になった。



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聖女、海鮮丼を食べる

「はるばる来たぞ、青森!」

 

 教授の声が、遥か北の地の一角へと木霊した。

 いや、遥か北って言っても国内どころか本州内なんだが。いくら便利になったとはいえ、地方外に出る機会はなかなかない。そういう意味ではここは立派に異国の地である。

 それはそれとして、楽しげな幼女(※中身は成人)の姿は、道行く人々から微笑ましげに受け止められた。

 

「教授、めっちゃ目立ってるわよ」

「くっ……しまった。こちらの地酒や食材を思ってついテンションが上がってしまった」

 

 悔しげに唇を噛む彼女。我らがリーダーも時々こんな風に我を忘れることがある。俺たちとしてはもう慣れっこなので苦笑程度でそれを流して、

 

「でも、暖かくなってきてからでよかったよねー」

「そうですね。こっちは気温が違いますから」

 

 シルビアの声に相槌を打つ。寒い時の北国は割と洒落にならないと聞く。それはそれで美味い物が多いとか利点があるとはいえ、戦いの場において余計なファクターは少ない方がいい。

 と、和風の黒髪美少女と洋風の黒髪風美女も空港の建物内から現れて、

 

「お待たせしました、皆さま」

「飛行機だと早くて助かりますね」

 

 ゴールデンウィーク初日。朝早くから空港へ向かい、飛行機へと乗り込んだ俺たちはあっという間に目的の地へと到着した。

 自動車で行くか飛行機を使うかはまた悩ましいところだったのだが、これで正解だったかもしれない。さすがにこれだけの距離だと運転手の負担も大きい。ノワールにもできるだけベストのコンディションでいてもらわなければ。

 髪の色のまちまちな女子の集団に、さっきとは異なる視線が集まってくるのを感じながら、俺はノワールに確認する。

 

「えっと、ここからはレンタカーなんですよね?」

「ええ、そのはずなのですが……」

 

 答えて辺りを見回すノワールは、不意に一つの方向で視線を止める。その先からスーツ姿の男性が歩いてきて、

 

「ご依頼をいただいたクロシェット様でお間違えないでしょうか」

「ノワール・クロシェットです。空港までわざわざ申し訳ありません」

 

 短いやりとりの後でレンタカーの鍵を受け取る。今回俺達が借りたのは広めのワゴン車が二台。二手に分かれて乗り込めば車内で着替えをするくらいのスペースは取れる。現地でのアシはどうしても必要になるので、滞在中はこれを借りっぱなしになる。

 ちなみに費用は破損した場合の弁償金を含めてぜんぶ政府持ちだ。

 ノワールと教授をドライバーに車へと乗り込んだ俺たちは、まずホテルに移動してチェックインを済ませた。そこそこ高級なホテルなのもあって、普通に私服でいる分には俺たちもそこまで目立たない。

 それが終わったら、

 

「飛行機は早いけど、途中で美味しいもの食べたりできないのが難点よね」

「その分、こちらで食べれば良かろう。……というわけで、良さそうな店を探すぞ!」

「おー!」

 

 朱華、教授、シルビアの食いしん坊トリオの先導で、俺たちは昼食へ向かうことになった。ホテル内にもレストランがあるものの、それはいつでも行けるということで後回し。

 

「この辺りって何が美味しいんでしたっけ?」

「名物だけでも幅広いのですよ。マグロやウニといった海産物は言うまでもなく、地鶏やご当地のB級グルメやラーメンなどもあります。昼食には向きませんが、もちろんリンゴも忘れてはいけません」

「本当に色々ありますね……」

 

 瑠璃と顔を見合わせて「何から食べればいいのか」という思いを共有する。そこはそれ、教授たちはノリノリで、

 

「どうせしばらくこっちにいるんだから、何日かかけて制覇すればいいじゃない」

「うむ。ホテル近辺の美味い店はあらかじめリストアップしてあるので無駄に歩く必要もないぞ!」

「夜食とかおやつ用に持って帰れる物も買わないとねー」

 

 うん、彼女たちについて行けば何の問題もなさそうだ。

 というわけで、昼食は教授リサーチの美味い店の中から海鮮系の店に行き、海鮮丼や焼いた海の幸などをたっぷりと味わった。

 これでマグロとかタコとかイカとかがモンスターとして出てきても平らげられるかもしれない。語呂合わせがアリならゲン担ぎも少しは効果があるのではないだろうか。

 

「……もう食べられません」

 

 デザートにりんごのジェラートまで注文してしまった俺は、すっかり苦しくなったお腹を抱えて息を吐いた。

 

「この後はどうしましょう?」

「すまぬ、店員よ。焼きホタテを一つ。それから日本酒を冷でくれ。身分証ならここにある」

「まだ食べるの教授!?」

 

 さすがに朱華もツッコんだ。

 

「当然だ。さっきのは食事。ここからは肴をつつきながらのんびり酒を飲む。各自自由行動ということで良かろう」

「そうだねー。私もおやつ買ったり、園芸屋さんとか覗きたいし」

「それが良さそうですね。……あ、でも朱華さんは一人で行動しちゃ駄目ですよ。旅先で単独行動とかフラグですからね」

「あんたも人の事言えないでしょうが。っていうかアリスはしたいことないわけ?」

「お土産は買いたいですけど、今買うと物によっては悪くなってしまいますし……強いて言えばホテルに帰って日課を済ませたいくらいでしょうか」

 

 夜にバイトがあることを考えればチャンスは今のうちしかない。

 ノワールがふっと微笑んで、

 

「しっかりと続いていらっしゃいますね、アリスさま」

「続けられるうちはきちんと続けないと、手伝ってくれた皆さんにも申し訳ないですし……何より、私も結構楽しんでいますから」

「アリス先輩の笑顔はたくさんの人を癒していると思います。……では、アリス先輩。私と一緒にホテルへ戻りましょうか」

「あたしも帰る。部屋でゲームやってていいなら気楽だし」

「わたしも装備の手入れをしておきたいので、みなさまと一緒に戻ります」

「なんだ、遊ぶのは吾輩たちだけか」

 

 俺と朱華は遊びに帰るようなものだが、外をふらふらするのは教授たちだけだった。

 

「ああ、アリスよ。どうせなら最初からスイートで寝泊まりしてもいいぞ?」

「え? そんな、私だけ悪いです」

「そうは言うがな。どうせ朱華とシルビアは夜遅くまで作業するだろう。二人部屋では何かと不便があるかもしれん」

「言われてみると……」

 

 朱華のエロゲはまあ「我慢しろ」で済むが、シルビアはポーションが足りなくなったら作らなければならない。これから園芸店を回るのだって珍しい植物を探しに行くのだろうし。

 となると教授と瑠璃で一部屋、シルビアには一人で部屋を使ってもらい、銃の整備をしたりするノワールとエロゲをしたい朱華が同室……というあたりが無難か。

 

「気にしないで使っていいんじゃない? あたし絶対スイートルームなんて落ち着かないし」

「ああいうのって割と五分くらい堪能したら満足するよねー」

「スイートルームの神様とかいたら怒りますよ」

「八百万の神々はスイートルームの神まで完備しているのでしょうか……」

 

 ともあれ、そういうことならありがたく使わせてもらうことにする。その方が鍵の受け渡しとかで面倒くさくないだろうし。

 と、ホテルへ移動する前につぶやいたーで生配信告知をしておく。きりの良い時間にするため四、五十分後に決定して投稿。少しずつこういうのにも慣れてきた気がする。

 そうしてホテルに戻った俺たちはフロントで部屋の鍵を受け取り、とりあえず全員でスイートルームに移動した。さすが高いだけあって広くて豪華。ベッドもふかふかだった。で、五分くらいしたら朱華とノワールは部屋に戻っていった。

 

「本当に五分なんですね……」

「あまり長居してもお邪魔でしょうし、ノワールさんは整備もありますものね」

「瑠璃さんはどうしますか? こちらの古着屋さんとか見て回らなくていいんですか?」

「それも心惹かれますが、もう少し刀に霊力を通しておこうと思います。……その、ついでといってはなんですが、ここでやってもいいでしょうか?」

「カメラに入らなければいいですよ」

「ありがとうございます、アリス先輩」

 

 こうして俺は「抜き身で箱に収めた日本刀をなでなでする瑠璃」をノートパソコンの向こうへ置きながら遠征先での配信を行った。

 いつもとは違う環境。とはいえわざわざ「青森にいます!」とか言ったりはしないし、カメラも部屋の内装を反映したりはしないので視聴者からしたらいつも通りである。せいぜい回線がいつもより不調だったかも、という程度だ。

 一時間と少しくらいが経ったところで無事に終了し、切断。ふう、と息を吐くと、瑠璃がぱちぱちと拍手をしてくれた。

 

「……なんだか、急に物凄く恥ずかしくなりました」

「え、私、何か変な事をしましたか……!?」

 

 いや、素に戻らされただけなので瑠璃が悪いわけではない。たぶん。

 

 

 

 

 さて。

 夜は居酒屋兼定食屋みたいなお店で地鶏の焼き鳥や唐揚げ、丼などを堪能した俺たち。一度部屋に戻って準備を整えてからいざ戦場へと出発した。

 

「……静かですね」

 

 夜間は閉鎖される公園だけあって辺りは静寂に包まれている。出入口は警備員に扮した関係者が見張ってくれており、俺たちを車ごと中へと通してくれた。本当はいけないのだが、広場のような場所の近くまでそのまま乗りつける。道中で結界を張って内部への人払いもする。

 車から降りて広場まで歩いていけば、その間に辺りには邪気が立ち込め始めた。

 

「さて、鬼が出るか蛇が出るか」

「蛇はこの前出たし、今度は鬼かもねー」

「あの、皆さま。言うと招くのでは……?」

 

 いっそ与しやすい相手を招いてしまいたい。

 などと思っているうちに、邪気は一つに集合して巨大な形を取る。サイズ的にはちょっとした一軒家くらい……って、明らかにボス級の気配である。

 とはいえ俺たちも慣れたもの。前回の神社と違ってフィールドも広い。ひとまず瑠璃には下がってもらい、先制による総攻撃の準備。

 やがて明確な形となって現れた今回の敵は──。

 

「……何もいない?」

 

 奇妙なことに姿がない。確かに邪気は集合した。もしや姿を消せる敵だとでも言うのか。

 

「違うぞ! 消えているのではない、ほぼ透明なだけだ!」

 

 教授は持参の便利アイテムからペイントボールを取り出すと『それ』に投げつける。通常なら命中と同時に割れて対象を色付けするはずのボールは、相手の半固体半液体状の身体に「ふにょん」と取りこまれて不発に終わった。

 ただ、宙に浮かんだようになったボールのお陰で俺たちは相手がだいたいどこにいるのか把握できた。

 よくよく見れば、ほぼ透明に近いゼリーのようなモノが広場にでん、と鎮座している。

 

 ──スライム。

 

 この国においては某国民的RPGの影響から雑魚扱いされることが多いが、かの魔物は作品によって能力がかなりバラバラだ。

 例えば電源ゲームが生まれる前、古のTRPGにおいては物理攻撃に強い耐性を持ち、冒険者の装備を溶かす酸、あるいは溶解能力を備えていたという。

 取り込まれたペイントボールがじわじわ溶けているところを見ても、あれは雑魚ではなく強敵の方のスライムと見て間違いないだろう。

 ひとまずノワールがマシンガンを構え、無数の銃弾を乱射するも──やはり、弾はスライムの身体に取り込まれるだけでダメージはほぼ皆無と見えた。

 

「まずいよ。瓶が割れないんじゃ私役立たずだよー?」

「捕まったら溶かされる方が問題よ。迂闊に接近戦できないじゃない」

「朱華ちゃんなら服が溶かされるだけで済むんじゃない?」

「媚薬効果とかあったらどうすんのよ」

「言ってる場合か! とにかくやれ、アリス!」

「はいっ! 《聖光連撃(ホーリー・ファランクス)》!!」

 

 複数の《聖光(ホーリーライト)》が雨のように降り注ぐ。スライムの動きは鈍いらしい。光は一つとして外れることなく着弾し、一発ごとに敵の身体を僅かながら蒸発させていく。

 

「効きますね」

「だが、大したダメージにはならんか。これはなかなか厄介だぞ」

「ご心配なく。物理攻撃を取り込むだけなら手はあります」

 

 言って一歩進み出たノワールは手榴弾を二つほど取り出すと、ピンを抜いてスライムへと投げた。当然それは体内へと取り込まれて──炸裂!

 強烈な爆発を体内で受けたスライムはさすがに耐えきれなかったのか、勢いのままに四散。あちこちの地面へとべちゃっと張り付く。危うく俺たちにもかかりそうになったので慌てて飛びのいた。

 って、べちゃっと張り付いた……?

 

「待ってください。これ、もしかして」

 

 俺が懸念を口にしようとした途端、無数に分かれたスライムの身体はふにょん、と丸みを取り戻し、小さな大量のスライムと化したのだった。




今章のバトルパートはやや長めになると思われます。


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聖女、普通のラーメンを希望する

「いや、ちょっと待て、増えるのか!? それは反則じゃないか!?」

「んなこと言ったって増えたものはしょうがないじゃない!」

 

 俺たちもさすがにパニックである。

 分裂して動き出したスライムたち。さすがに体積が増えたりはしていないようだが、動きの方は心なしか早くなっているような……?

 

「と、とりあえず《聖光(ホーリーライト)》!」

 

 近場にいたスライムが聖なる光を受けて消滅する。さすがに小さな奴なら一発で倒せるらしい。それとも耐性自体目減りしているのか。まあ、触られただけで溶けるという時点で恐ろしい脅威なのだが。

 《聖光連撃(ホーリー・ファランクス)》は狙いをつけるのが難しいという弱点がある。ミニサイズになったスライムたちを正確に狙うのは至難の業。なので俺は一体ずつ潰そうと、続けて魔法を放とうとして──。

 常夜灯とLEDランタンによる明かりを反射し、白刃が一閃。

 霊力を纏った瑠璃の刀がスライムの一体を一刀両断。まるでアニメでも見ているかのような光景に、思わず一瞬見惚れてしまった。

 なお、今日の瑠璃は以前に着ていた和装メイドスタイル。一応和装なので気持ちが引き締まるらしいが、そういう意味でも(別系統の)アニメっぽい。

 

「どうやら私の刀なら斬れるようですね」

「霊力を纏うと特殊属性ダメージ扱いになるのかなー? アリスちゃんの神聖魔法は効きが悪そうだけど」

「魔法ダメージも軽減するのかもしれんな。瑠璃の霊力は魔法ではない扱いか」

「これは瑠璃さまに頑張っていただくしかないかもしれませんね……」

 

 手近な敵を蹴りつけながらノワール。つま先を叩きつけられて吹き飛ぶミニスライムだったが、ノワールの丈夫なブーツにも先端に小さな傷ができた。やはり通常の物理攻撃は危険だ。

 瑠璃は刀を両手で握り直しながら笑みを浮かべて、

 

「構いません。私が前衛で、アリス先輩が後衛。とても分かりやすいです」

「待ちなさい。あたしがいることも忘れないでよね……!」

 

 朱華が声と共に、携帯していた小さな容器を開栓。中身をぶちまけて発火する。ぶっちゃけただのサラダ油だが、一気に燃え上がったそれはスライムの一体を巻き込み、どろどろと溶かし始めた。直撃しなかった他の個体は「これはやばい」というように炎から距離を取る。

 

「っし。やっぱり火属性には弱そうね。やっとあたしの出番が来たんじゃない?」

「うむ。ならばここは年少組をメインに攻略するか。ノワール、シルビア。我らは露払いに徹するぞ!」

「了解だよー」

「かしこまりました。……ここはLEDランタンよりも松明が必要な場面ですね」

 

 言って、ノワールはスカートの裾を破いて布を作──ろうとして止め、代わりにハンカチを裂いて適当な棒へと巻きつけ始めた。そこに油をたっぷり染みこませて火を付ければ即席の松明が完成である。

 教授は教授で消火器を取り出してノズルをスライムに向け、噴射し始めた。

 

「お、意外に効くぞ! 科学の力か!?」

 

 消火器から放たれる粉を吸い込んだ奴らはなんだか動きが鈍くなる。よし、これなら……!

 

「瑠璃さん、朱華さん!」

「はい!」

「はいはい……!」

 

 聖なる光が、霊力を纏った日本刀が、サラダ油と発火のコンボが古より伝わる魔物達を駆逐していく。

 ノワールの作った松明と教授の消火器も敵を近づけさせない役割を果たし、シルビアは水鉄砲のタンクに油を詰めて発射し、朱華を助けた。

 一匹にさえ触れられてはいけない、しかも見づらいというのが非常に神経を使う作業だが、逆に言えば注意さえしていれば倒せない敵ではない。

 周囲をよく見渡し、飛びかかってくる個体をかわす。すかさず攻撃を加えて倒し、次の標的を見定める。この繰り返し。

 小一時間ほど、俺たちはそんな作業を繰り返して、

 

「……はぁ。さすがにそろそろ倒し尽くしたんじゃない?」

 

 地面のあちこちが焦げ、消火器の痕が残る広場内。

 ぐるりと見渡してみてもスライムの姿は見えなくなっていた。このパターンで一回泣きを見ているので一応、シルビア謹製のポーションを飲みつつ警戒するも、結局「超巨大スライムくん」みたいなやばい敵は現れなかった。

 程なくして邪気の気配が消えていくのもわかり、俺はほっと息を吐く。

 

「なんとかなりましたね」

「そうね。分裂した時は割と焦ったけど、落ち着いて対処すればゾンビとかと大差なかったわ」

「あれが何匹もいたらと思うとぞっとしますが……」

 

 幸いにもそんなことはなかった。

 

「教授。警戒してたこの地方の邪気ってこんなもんなのー? これならよっぽどオロチの方が強かったけど」

「いや、そんなはずはない。これでこの地の邪気を払い切れたわけではなかろう」

 

 首を振ってそう答える教授。

 

「あの寺と違って所詮は公園だ。邪気が特殊な形を帯びる程の因縁がなかったのかもしれぬ。あるいは……いや」

 

 言いかけた言葉の続きが紡がれることはなかった。

 

「とにかく、また明日も継続だ。今度は別のポイントに向かう。分割して祓えるのならそれに越した事はなかろう」

「了解。あー、うん。明日もあると思うと結構しんどかったわ、今日の敵」

「皆さん、回復魔法をかけますからゆっくり休んでくださいね

 

 俺たちは車に乗ってホテルへ戻り、休息を取った。

 俺は一人でスイートルームである。俺の感覚でもアリシアの感覚でも広すぎる部屋というのは落ち着かないのだが、ベッドルームの一つを選んで「ここを使おう」と決めると気分が楽になった。なんというか貧乏性である。スイートは五分で飽きるとか言ってた朱華達も同じだろう。

 幸い、聖職者衣装は傷も汚れもつかなかったので、脱いだらブラッシングだけしてハンガーにかけておく。

 

「また明日もよろしくお願いしますね」

 

 それから、今日の戦いが無事に終わった感謝や、次の戦いも上手く終えられるようにという願いを込めて夜のお祈りをして、ふかふかのベッドで眠りについた。

 

 

 

 

 朝はホテルでバイキング。

 割合すっきりと目覚められた俺はシャワーと朝のお祈りを済ませてからみんなと合流、栄養バランスを考えつつ、香ばしい焼きたてパンやふわふわのオムレツなどに舌鼓を打った。なお、朱華や教授がカレーやらローストビーフやらではしゃいでいたのは言うまでもない。

 食事中の話題は今夜のバイトのこと──というわけにもいかないので、今日食べる名物グルメの話になった。

 

「青森のラーメンと言えば味噌カレー牛乳ラーメンらしいぞ」

「何よその名前だけで凄いやつ。それは一回食べてみたいわね……」

「いえ、あの。胃もたれしそうなのでもう少し普通のラーメンがいいんですけど」

「では、アリスさま。わたしと別のお店に参りましょう。シルビアさまと瑠璃さまはどうされますか?」

「私も普通のラーメンがいいかなー。一口食べたい気はするけど途中で飽きそう」

「えっと……私は教授についていきますね。人数も丁度いいですし」

 

 無理しないでもいいと言ってみたが、瑠璃は「大丈夫です」と微笑むだけだった。どうやら普通に食べてみたかったらしい。そういうところは男の子である。ちなみに食べてみた感想は「意外とクリーミーでした」とのこと。そう言われると興味があるが、俺たちの食べた煮干し系ラーメンも美味しかったので後悔はない。

 

「さて、午後はのんびりしましょうか。夜もまた動くわけだし」

 

 バイトに備えての休養とエロゲやりたい欲求、どっちがどのくらいの割合か少し気になる。

 

「私も配信したりすることにします。……あ、でもせっかくなのでおやつは食べたいですね。ここのレストランのデザートも美味しそうだったので」

「ではアリス先輩、私と一緒にお茶をしましょう」

「いいですね」

「アリスさま、瑠璃さま。でしたら私もお伴させてください」

 

 というわけで、おやつには美味しい紅茶とアップルパイをいただいてしまった。ノワールの料理やお菓子も美味しいけれど、こうして旅先で食べるものというのはまた違った喜びがある。

 他にも配信をしたり、ホテル自慢の大浴場を堪能したり、夕食にはご当地のB級グルメを堪能して、再びバイトの時間に。

 

 

 

 

「今度はどこに行くのー?」

「別の公園だ。ホテルからは少々距離があるが、車なら問題なかろう」

「また公園なんだ」

「夜間に人気がなく、少々の騒音も問題ない場所というとどうしても限られるからな。下手に海岸を使ってイカだのタコだの相手にしたくはないだろう?」

 

 そう言われては何の反論もできない。

 到着した俺たちは昨日と同じように配置につく。装備の消耗が最小限に抑えられているので準備は万全。さあ、今度は何が来るのか。

 

「昨日のスライムが今度は二匹、とかですと嫌ですね」

「瑠璃さん、そういうのは言っちゃ駄目です!」

 

 しかし幸い、瑠璃の発言がスライムを招くことはなかった。

 邪気が集合して形作ったのは無数の影。体毛に覆われたそれらは明らかに人とは異なる姿をしている。

 

「これは……熊に狼、それに鷹か!?」

 

 ずんぐりとした巨体、すらりとした狩人の肢体、翼と鋭い爪を持つ獣の姿。

 これはまた、でかいのが一匹だけだった昨日とはうって変わって数が多い。

 

「くっ。あれだ、車で轢いた方が早いのではないか?」

「残念ですが、あっという間に車がボロボロになるかと」

「ええい、ならば仕方ない! 各自、車まで退却! 脱出用のアシを守りつつ敵を掃討せよ!」

「了解です!」

 

 毎度のことながら、多少の準備時間がもらえるのが有難い。

 俺たちは車まで走って戻ると防御陣形を組んだ。俺とシルビアは屋根の上へとよじ登り、ノワールはボンネット部分に立つ。朱華はノワールから受け取ったナイフを構え、瑠璃や教授と共に抗戦の構え。俺は矢継ぎ早に全員へと支援魔法を唱えた。

 

「アリス、魔法の使いすぎに注意せよ。今回ばかりは回復魔法の出番だ」

「はいっ!」

 

 答えつつ、俺はひとまず撃てるうちに一発《聖光連撃》を唱える。ゴブリンやゾンビに比べれば見慣れた獣、気分的には戦いやすく感じる。その代わり、動物虐待のようで攻撃するのは気が引けるが……そんなことを言っている場合でもない。

 光の雨が敵の数体に命中して、鷹と狼はそのまま消滅する。熊はさすがにタフなのか、よろよろしながらも生き残った。

 

「集まってくる前に……!」

 

 立て続けに手榴弾や爆発ポーションが投げられ、大口径の拳銃が連続して火を噴く。鮮血が飛び散り、動物の悲鳴が公園内に木霊する。これは事後の掃除がいつになく大変そうだ。

 なんて考えている間にも、獣たちは仲間の死を乗り越えて俺たちへと殺到してくる。本当に数が多い。後から後からやってくる感じで、瑠璃たちに頼らず勝つのはとても無理だ。

 

「ただの獣がこれほど積極的に攻撃してくるものか……!?」

「言ってる場合じゃないでしょ! 来るわよ!」

 

 敵が密集しているところにはノワールやシルビアが爆発物を投げ込む。ノワールはその傍ら銃を操り、飛行してくる敵を主に撃ち落としていく。飛びかかってくる敵を瑠璃が斬り、教授が本で殴りつけ、朱華が殴って蹴ってナイフで切り裂く。

 俺は散発的に《聖光》を撃ちながら仲間に回復魔法を飛ばす。瑠璃たちもうまく攻撃を避けながら戦っているが、どうしても敵の爪や牙が届いてしまうこともある。そのまま放っておくと動きが鈍る原因になるので、すかさず治さなければならなかった。

 そうして、仲間たちの身体に重く疲労がのしかかり始めた頃、教授が叫んだ。

 

「これは無理だ! 朱華と瑠璃は車に乗り込め! 悪いがアリスたちはそのまま迎撃を頼む!」

「承知しました。……アリスさま、シルビアさま、振り落とされない方を優先してください」

「りょ、了解です!」

「私なりに頑張るよー」

 

 そうして無理矢理に車を発進させ、獣を何匹か跳ね飛ばしながら公園の入り口を突破。途端、邪気は霧散して辺りは静けさを取り戻した。

 

「……いえ、その。ちょっと昨日の今日でこれは厳しいです」

「昨日のスライムと合わせたら十分にボス戦ですね……」

 

 何かあったのかと尋ねてくる政府関係者に説明をしつつホテルに戻った俺たちは、一日しっかり英気を養った上で翌日にリベンジ。

 敵の数がだいぶ減っていたこともあって無事に討伐に成功した。

 これで二箇所。

 さすがに邪気も減ってきたのではないかと思っていると、教授が気難しげに唸って、

 

「これはさすがに確定だろう。考えたくはなかったが」

「なんの話よ、教授?」

「今回の戦いには何かしらの意図が感じられる。何者かが我々の戦力を測っていると思われる。やはりこの地には何かあるようだな」



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聖女、運命と出会う

「教授さま。先程のお話ですが、本当なのですか?」

 

 後始末を終えてホテルへと戻ってきた俺たち。シャワーを浴びたりした後、スイートルームに集合して話し合いの場を設けた。

 戦闘の疲れもあって眠い時間だが──まあ、毎日戦わないといけないわけじゃない。いざとなったら明日は休み、という手もある。それよりも今は教授の言葉を確かめる方が大事だ。

 ノワールの淹れてくれた紅茶(ティーセットは据え付けの物だが、道具が変わってもさすがの味だ)を一口飲んだ教授は「うむ」と頷く。その可愛らしい顔にはしっかりと眉間の皺が刻まれている。

 

「お主らも体験しただろう。あの獣ども、明らかな凶暴性を持っていた上、別種と協力して我らを狙ってきていた。特別なモンスターには見えん、ただの動物がだ。命令した者がいる、と見た方が自然だろう」

「普通の動物に見えるモンスターっていうセンはー?」

「もちろんその可能性もある。シュヴァルツの件から、敵は我らに敵意を抱く『ルール』らしいともわかっているしな。……しかし、アリスの《聖光(ホーリーライト)》で熊を殺しきれなかっただろう?」

 

 不意に名前を呼ばれた。みんなの視線が集中するのを感じながら、俺は「はい」と頷く。

 

「確かにそうでした。身体が大きいので体力があっても不思議ではないですが……」

「錫杖を手に入れたお主ならオークも一撃ではないか、という話だっただろう。なら、あの熊はオーク以上にタフだということになるぞ?」

「あ」

 

 もちろん、オーク相手に試したわけじゃない。身体の大きさとしてはどっちもどっちなので、なんとも言えないところではあるが、

 

「ここからの推測はこうだ。あの動物は何者かが操っていた。加えて、何らかの能力によって強化を施していた」

「で、でも、あそこには雑魚以外いなかったじゃない。ボスっぽいのがいたらさすがに気づくんじゃ──」

「照明があったとはいえ、夜闇を全て見通せていたわけではない。加えて、熊の身体に遮られて死角になっていた部分もある。後方にいた何者かがこっそり離脱していたとしても不思議はなかろう」

「それは、動物達へ指示を出したリーダーが『戦わずに戦場を抜けた』ということでしょうか……?」

 

 瑠璃が核心を突く。

 そういえば、前に似たような話をしたことがあった。戦闘終了前に敵が戦場から抜けた場合、どうなってしまうのか。

 幸いこれまではそうならずに済んでいた。大体の相手が俺達を狙ってきたからだ。だが、そうじゃない相手がいたら……?

 

「で、でも、どうしてそんなことを? それじゃまるで……」

「そうだ。我らに挑まれるのをわかっていて、それを()()()()()、この世界へと受肉した。そしてそれを我らに知られないうちに、再び無に帰されないうちに()()させた。そういう推測が成り立つのだ」

 

 しん、と、全員が静かになった。

 

「……シュヴァルツでさえ、自己を認識したのは実体化の瞬間でした。彼女も必要最低限の情報を本能的に察していたに過ぎなかったのですよ?」

「通常の仕様と、黒幕が介入した場合の仕様が異なるのは当然だろう」

「黒幕が本当にいるっての?」

「こうなったらもう、いると考えるしかなかろう。……次の戦いで更なる激戦が繰り広げられることも、な」

 

 それは、なんというか尋常じゃない。

 

「えっと、その、じゃあ、この地方から出れば問題ないんですか?」

「追いかけてくるか来ないか、で言えば来ないかもしれん。……ただし、我々が無視している間も邪気は溜まり続け、黒幕は力を付けることになるかもな」

 

 プレイ時間経過ごとに強くなるラスボスとか最悪である。下手なレベル上げは逆効果になってしまう。

 

「……では、ここで倒すしかありませんね」

 

 瑠璃が深いため息と共に言った。

 言いづらいことを言ってくれるのは有り難いが、今回ばかりは本当に気が進まない。俺たちだって死にたくはない。脱出を狙うにしても、意思を持った黒幕がそう簡単に逃がしてくれるかどうか。

 教授も渋面を作って、残った紅茶を一気に飲み干し、

 

「やるしかないだろうな。……少なくとも、この件は上に報告しなければならん」

 

 もし、本当に獣たちのリーダー(仮)が受肉してふらついているのなら、そいつが何か事件を引き起こすかもしれない。それについての対策は打つべきだ。

 そして、黒幕(仮)を倒さない限り、この地の邪気を払いきれないとしたら。そのまま放置しておけばもっと危険な状態──例えば天変地異が起こってしまうかもしれない。

 そうなったら、マグロが獲れにくい程度の話では済まない。

 多くの人に被害が出ることだけは避けないといけない。国は当然、そう判断するだろう。

 

「……いつにしますか?」

「アリス」

「やるしかないなら、やる方向で考えましょう。教授の予想が正しいなら、私は戦います」

 

 他の人の被害。それを考えてしまったら、俺には逃げることができそうにない。損な性分だが、こればかりはどうしようもなかった。

 はあ、と、息を吐いた朱華が俺の頭を叩いて、

 

「仲間が戦うってのに、あたしだけ逃げるわけにいかないじゃない。……それに、成功したら物凄いバイト代が貰えそうだしね」

「朱華さん」

 

 銀髪の錬金術師が「そうだねー」と頷いて、

 

「もし、黒幕が全ての原因なら、倒したらもうバイトに駆り出されなくて済むかもしれないし。そうしたら楽に暮らせるよ」

 

 我らがメイドさんが微笑んで、

 

「わたしたちの新しい家くらい、政府に希望してもいいかもしれませんね」

 

 ちっちゃいリーダーが「うむ」と答えて、

 

「今の家の倍、いや三倍はでかい家がいいな! 書斎にカラオケルームにシアタールーム付きだ」

 

 だったら俺はダンスの練習ができる防音室が欲しい……って、それはともかく。

 最後に、黒髪の少女剣士が力強く告げる。

 

「私も皆さんと一緒に戦います。一緒に勝って、帰りましょう」

「……みなさん」

 

 本当に、頼もしい仲間たちだ。

 原作におけるパーティとは似ても似つかない、別々の作品からやってきた寄せ集め。それでも、これが今の俺たちだ。

 今までどんなピンチも乗り越えてきた。なら、きっと今回だって乗り越えられる。

 

 決戦になるかもしれない次の戦いは、一日空けて十分な準備を整えてから、ということになった。

 

 

 

 

 翌日の朝。

 早起きした俺はシャワーで身を清め、長い祈りの時間を設けた。タイマーはセットせず、心の赴くままに任せる。祈るのは戦いの勝利とみんなの無事だ。

 錫杖を手に祈りを捧げるうち、身体の感覚がどんどん希薄になっていく。精神だけが浮遊しているような状態の中、俺は自分(アリシア)の声を聞いた。

 

『私。()()()には最後の手段があります』

『わかっています。ゲームでも最後の最後でしたから』

 

 アリシア・ブライトネスには一度しか使えない奥の手が存在する。

 《神威召喚(コール・ゴッド)》。

 高位聖職者の魂と引き換えに神の力を引き出し、振るう。これはゲーム的には魔法でもスキルでもない。アドベンチャーパートで描かれただけで、プレイヤーが用いることができない力。しかしもちろん、アリシア自身である俺なら使うことができる。

 ゲーム中において、魔王に致命傷を与えた主人公パーティ。しかし魔王は完全に死んでおらず、絶体絶命の状況で主人公が打った起死回生の一手。聖職者キャラの場合はこの力になる。結果的に主人公は奇跡的に生き残るのだが、状況の全く違うここで同じ奇跡が起こる保証はない。

 正真正銘、最後の手段。

 使いたくはないが、本気でやばい状況の時は使うしかない。

 

『そうだ。肉食を断ったら魔法の威力が上がらないでしょうか』

『動物も植物も大地に生きる命に違いありません。私たちの場合には無意味です』

 

 残念。なら、せめて悔いのないようにと、時間を見つけてはお祈りを繰り返したり、シャワーで水浴びをしたりした。

 友人や妹に旅先での写真を送ったり、今日も普通に配信をしたり。

 こんな日々が明日で終わりになってしまうかもしれない。そう思うと、言いようのない恐怖と寂しさに襲われる。

 

「……そんなこと、絶対にありません」

 

 俺が今しているのは死んでもいい準備ではなく、勝つための準備だ。そうあらためて認識し、みんなで美味しいものを食べたり、どうでもいい会話を繰り広げたりもした。

 そうして。

 

 

 

 

 中一日。

 俺たちは三つ目の公園へとやってきた。車から降り立ったところで錫杖を召喚。その柄を握って気を引き締めれば、入り口を警備していたスタッフが敬礼した。

 

「いつも以上に気合い入ってるねー、アリスちゃん」

「皆さんだってそうじゃないですか」

 

 朱華はチャイナドレスのスリットからセクシーな黒下着が覗いているし、ノワールもトランク二つ分もの追加装備を携えている。シルビアもアタッシュケースにポーションを満載し、いつぞやのポーションシューターを装備。教授に至ってはいつもの便利アイテムではなく、ノワールから分けてもらった手榴弾等をメインに持参していた。

 瑠璃が一番オーソドックスだが、彼女にしても日本刀に短刀プラス、ノワールから分けてもらったナイフを複数本装備している。

 戦争でもしに行くのか、と言われそうな一団だが、ボス中のボスが出現するとすれば戦争と言っても過言ではない。

 ここが正念場。

 

「今日は車を外に置いていく」

 

 何故かと言えば、帰りのアシを破壊されないためだ。敵が自発的に外へ出られるとすればあまり意味はないかもしれないが、警備スタッフも警戒してくれているので多少はマシだろう。

 俺たちは頷きあって公園を進んでいく。そして広場の入り口へさしかかったところで、前方に二つの人影を発見した。

 

「……どちらさまでしょうか」

 

 ノワールが進み出て、自分の分のLEDランタンで相手を照らした。ファンタジーの聖職者にロリ大賢者、チャイナドレス着た高校生、白衣の銀髪美人、刀を持った和装メイドに比べればメイドさんの方がまだ、相手が一般人だった時に通りがいいだろう……たぶん。いや、うん、大差ないかもしれないが。

 幸い、そこにいたのはどこからどう見ても一般人ではなかった。

 

「あらあら。ようやくお出ましですのね。待ちくたびれてしまいましたわ」

「ほんとほんと。きのう来てくれればよかったのに」

 

 片方は二十歳前後とみられる美女だ。均質かつ滑らかな褐色の肌を持ち、長い白髪を金属製のリング的なもので一つに纏めている。服はごくごく最低限の箇所だけを覆う薄布だけで、そこを金属と宝石で構成されたアクセサリーで飾っている。

 これがコスプレなら「寒くないんだろうか」と言いたいところだ。

 そして、もう片方はコスプレどころの騒ぎではない。その姿は人にすら見えない。全身が半透明のゼリー的なもので構成されており、体色は淡いブルー。手足や顔立ち、髪の毛は()()()()()()()が作られているにすぎず、どこから声が出ているのかもわかりにくい。

 

「……なるほどね。あんたたちがあの時のスライムと動物を操ってたってわけ」

 

 朱華がうなるように言えば、美女の方がくすりと笑ってそれを肯定した。

 

「話が早くて助かりますわ。では、歓迎の準備ができていることもおわかりで?」

「ほう? その割にスライムも獣も見当たらないが?」

「今回ホストを務めるのはわたくし達ではありませんもの。わたくし達はあくまでも従者。主は別におります」

 

 覚悟はしていたが、教授の予想が当たってしまった。

 

「では、貴女方のご主人様はどこに?」

「しんぱいしなくても、すぐに会えるよ」

 

 やや舌足らずなスライム娘による返答。二人は俺たちへ背を向けると、広場へと侵入していく。

 

「そもそも、この地に邪気が集中しているのは『あの方』との相性が良かったからなのです」

「あたしたちはついでで呼ばれただけなんだよ」

 

 あのスライムや獣をけしかけた奴らが「ついで」だというのか。

 本気でとんでもないものが出てきそうだ。身構えて待つ間に、邪気が顕在化して収束していく。しかし、その量が──。

 

「多い……!?」

「ふふっ。当然でしょう? これから現れるのはそこらの有象無象とは異なります。なにしろ」

「あたしたちの()()()()()だもんね」

 

 そうして。

 突如発生したプレッシャーが俺たちの身体を硬直させる。いつもよりずっと大量の邪気は一点へと収束していき、凝縮されていく。

 やがて、とん、と、地面へ足を下ろしたのは、一人の少女だった。

 歳は十六、七。陶磁器のような白い肌に漆黒のドレスを纏い、美しい桃色の髪からは一対の小さな角が覗いている。耳はエルフのそれのようにぴんと尖り、髪の毛と同色の瞳はどこか爬虫類のそれに近いというか、宝石のような深みを持っている。

 ヒールの入った靴を履き、爪にはやはりピンクの色。異質な特徴を持ちながらも、全体としては美しい印象を放つ彼女が、すっと俺たちを見た。

 

「初めまして、正義の味方。()()()()()

「……っ」

 

 声が出なかった。

 すっかり威圧されてしまったから、ではない。俺にとって彼女の容姿が、美しい以上の意味を持っていたからだ。

 

「どうして、あなたが」

 

 俺はようやくその時になってから、自分がもっと以前から運命の波の中にいたことを理解した。



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聖女、魔王に求婚される

「小桃さん、なんですよね? ……どうして」

 

 魔王がどうこうよりもこっちが先だ。

 俺が率直に尋ねれば、少女──魔王はくすりと笑って意味ありげな沈黙を保つ。

 その間に朱華と瑠璃が口を開いた。

 

「小桃ってあいつよね? 確かに似てるっちゃ似てるけど……」

「アリス先輩。あの方はこんなあからさまに人外じゃありませんよ」

「それはそうですが……」

「むう、あれか。アリスの新しいクラスメート。にわかには信じがたいが……容姿の問題なら『化ければ』済む話だろう」

 

 教授の言葉に瑠璃たちが「あっ……」と声を上げた。

 俺たちだって魔法を使ったり、専用武器を召喚したりできるのだ。人間体に変身できる者がいたとしてもおかしくない。

 と、そこで朱華がため息を吐いた。

 彼女は紅の瞳でじっと魔王を見据えて、言葉を紡ぐ。

 

「っていうか、あたしこいつ知ってるのよね」

「え?」

 

 どうして朱華が? 彼女の出身はSF風の世界なので、こんなあからさまにファンタジー風のキャラはいないと思うのだが──。

 

「こいつが出てくるゲームやったことあるのよ。お手頃価格のエロゲらしいエロゲだけど」

「あ、そういうことですか。……って、小桃さん、エロゲ出身なんですか!?」

「あんたと同じ声帯したキャラもいるわよ?」

「ちょっと待ってください。理解が追いつかないです」

 

 魔王登場とかいう異常事態だと思ったらこれである。

 俺は深呼吸をしてから情報を整理する。

 敵側に特定作品のキャラが登場するのはシュヴァルツという例がある。なのでそれ自体は驚くことじゃない。元の作品がエロゲなら千歌(ちか)さんが声をやっていることもまあ、あるだろう。

 

「どんな作品なんですか? いえ、簡単にでいいので。さらっと。あらすじだけ」

「んーっと……男が絶滅して女だけで繁殖してるファンタジー世界で、人間の国が『魔王』のせいでピンチになるのね。で、異世界から召喚された勇者が女子を片っ端から嫁にしながらこき使って、最終的に魔王も嫁にしてハッピーエンド」

「バッドエンドの間違いじゃないですか……?」

 

 いやまあ、男性向けのエロゲなら男に都合のいい展開になるのは普通なんだろうが、その世界の人たちが困っていたのは魔王の存在であって、男がいないことじゃない。

 女同士で恋愛してなんとかなっていたのなら、異世界から来た勇者とやらは自分の都合で世界秩序を大きく塗り替えてしまったことになる。どっちが悪役だかわからない。

 これには他のメンバーも微妙な顔になった。

 そんな中、大きく反応を見せたのは──なんと、他ならぬ魔王だった。

 

「ええ、本当にね。全くもってその通りよ、()()()

「私の名前を……?」

 

 やっぱり()()()()()()なのか。

 俺が複雑な思いで呟けば、蠱惑的な瞳が見返してきて、

 

「当然よ。あなたのことは()()()()()()ずっと見ていたわ。だって、好きになってしまったんだもの」

「アリス先輩、彼女は危険です。下がってください」

 

 きゅっと唇を引き結んだ瑠璃が刀を構えて前に出る。

 いや、うん、なんか色々聞き捨てならない台詞があったのは確かだが、何も向こうが話し始めたタイミングで敵対行動を取らなくても。

 仲間たちを振り返れば、シルビアとノワールは微妙にわくわくした表情をしていた。それはそれで、そんな場合じゃないような気もする。

 こほん。

 教授が咳ばらいをして魔王を見据え、

 

「その口ぶりだと、お主はアリスの友人当人ではないということか?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。……なんて、ね。鴨間小桃(あれ)は私と存在を同じくする端末よ。記憶は著しく制限されているものの、私であることには変わりない。あるいは、私の影響は受けているけれど、肉体的には一般人と変わりない」

「ファンタジーの住人なのに端末とか知ってるんだねー」

「一山いくらのエロゲがそんな細かい考証までしてるわけないじゃないですか」

 

 設定が適当なせいで話が通じるというのもなんというかアレな話である。

 ともあれ、俺としては少しほっとした。

 

「小桃さんが私たちを騙していたわけじゃないんですね?」

「ええ。あれは何も知らない。ただ、本能的にあなたへ惹かれて近づいたに過ぎない。あの子の記憶が曖昧なのは()()()()()から。この連休中に用事があると言ったのは、私が出ている間は消えなくちゃいけないから。あれと私は同時に存在できないの」

 

 なるほど。食べ物の好みが妙に大人っぽかったのは彼女の影響なのだろう。魔族なら見たまま十六歳じゃないかもしれないし、ファンタジー世界なら「お酒は二十歳になってから」とは限らない。

 ここでノワールが口を開いて、

 

「それで、貴女はアリスさまに一目惚れなさったと……?」

「ええ、そうよ」

 

 くすりと妖艶に笑う魔王。

 彼女は真っすぐに俺を見据えたまま堂々と言い切った。

 

「アリシア・ブライトネス。あなたはこの私──ラペーシュ・デモンズロードの妻になりなさい」

 

 それは、男子高校生時代も含め、俺が生まれて初めて受けた「求婚」だった。

 

 

 

 

 

「あー、なるほどー。鴨間小桃、おうまこもも、魔王桃子ってことだねー」

「ただのダジャレじゃない!?」

「今までだってさんざん言霊に振り回されてきたんだから大して変わらないでしょう?」

 

 確かに。

 思わず頷いた俺は朱華に肩を抱かれ、瑠璃の背に隠される。

 

「で? 妻にするって具体的にどうする気?」

「アリス先輩に酷い事をするつもりなら、こちらにも考えがあります」

「心外ね。好きになった女にそんなことするはずないでしょう?」

「じゃあ」

「ええ。毎晩たっぷり可愛がって、私なしじゃ生きられない身体にして、たくさん子供を作って幸せに暮らしたいだけよ」

「却下します」

「さすがねこのエロ魔王」

 

 朱華には言われたくないんじゃないだろうか……。いやまあ、オリジナルの朱華は自分からエロ展開に持って行くようなヒロインではないはずだが。

 そんな朱華によると、原作エロゲにおける魔王──ラペーシュが人間の国に攻め込んだのも、その国のお姫様を自分の物にしたかったかららしい。

 するとラペーシュは心外だという風に首を傾げて、

 

「どうして? 夫婦が愛し合うのは当然でしょう?」

聖職者(こいつ)をエロゲのエロ魔王なんかに渡せるわけないでしょうが!」

「そう? ねえ、アリス? あなたの女神様って恋愛禁止なのかしら?」

「いえ、結婚はむしろ推奨されています。子供を作れない同性愛は好ましくないとされていますが……」

「魔族は──っていうか、あの世界の女は同性同士で子供を作れるわ」

 

 ああ、さっきそんなことを言っていたか。

 

「じゃあ問題ないですね……?」

「問題ないらしいけど?」

「アリス?」

「先輩? 一体どっちの味方なんですか?」

「ええ……!? いえ、その、今のは一般論であって、ラペーシュさんと結婚したいという意味では」

 

 というか、どうしてこうなった。

 恨みがましくラペーシュを見つめれば、彼女は悲しそうに目を伏せる。

 

「アリスは男の方が好きなのかしら」

「いえ、男性との恋愛はちょっと」

「そうよね? 汚らわしい男なんかがアリスの身体に触れていいわけがないもの。わかっているじゃない」

「主人公の勇者にあっさり惚れてた癖に」

「由々しき失態だったわ。……私があんな軽薄な男に篭絡されるなんて。正直、記憶が残っていることさえも耐えがたい」

 

 件のゲームはなんちゃってRPGで、主人公の勇者は指揮官という立場。実際に戦闘を行うのは(お姫様を含む)女性ユニットだったらしい。

 

「つまり騎士くんや提督やトレーナーさんと同じということですか」

「あいつらは大事な仲間にほいほい手出したりしないけどね」

「あんなのは勇者ですらない。ただのクズよ」

 

 酷い言われようの主人公である。

 

「ふむ。ラペーシュだったか。お主、どうしてアリスに惚れたのだ?」

「は? 全部だけれど」

 

 人生で一度は言われてみたい台詞だった。

 

「あの、ラペーシュさま? 具体的には」

「さらさらの金髪にすべすべの白い肌、きらきらした瞳。心優しい性格と若干ドジなところ。なんにでも挑戦する頑張り屋なところも愛らしいし、何よりその声ね。いつまででも聞いていたくなるし、私相手にしか出さないような声を出させたくなるわ」

「ちなみにね、アリス。あの魔王が狙ってたお姫様はあんたと同じ声で、金髪で、かつ国を憂う心優しい性格の持ち主よ」

「……アリス先輩は魔王の好みにストライクだったわけですね」

 

 千歌さんは金髪清楚系がはまり役だったんだろうか。

 

「そのお姫様が魔王に身を差し出すという選択肢はなかったんでしょうか」

「ゲーム冒頭でその選択肢あるけど、主人公がそれ提案するとゲームオーバーよ」

 

 魔王とお姫様が結婚し、種族を問わない大国家が誕生。主人公は必要なくなったので元の世界に帰されました……めでたしめでたし。

 

「そっちの方が平和ですね……?」

「なら、アリス。あなたも私と結婚しましょう?」

「いえ、それはまた話が別と言いますか、さすがにいきなり結婚相手を決めろと言われても……」

 

 若干及び腰にならざるをえない。

 ラペーシュが嫌いというわけではないし、小桃と同じ人間ならある程度気も合うだろうが。それはそれとしてこれからの生活とか世間体とかもあるし、そもそも友人として付き合うのと結婚するのとでは全然違うはずだ。

 というわけで、やんわりお断りすると、

 

「そう。私とは夫婦になれない、と」

「はい。申し訳ありませんが、最低でも年単位で保留にさせていただければ……」

「きっぱり断っていいんですよ、アリス先輩」

「いやまあ、アリスが納得してて、しかもあいつに全く裏がないならあたしは見学させてもらってもいいくらいだけど」

「おい朱華。そこで話をややこしくするな」

「そうです朱華さま。わたしとしても、どうせなら何度もデートを重ねてから契りを交わしていただきたいです」

 

 なんか、どんどん話がややこしくなっているような……?

 と。

 

「そう。なら──仕方ないわね」

「っ」

 

 突然、弛緩していた空気が引き締まった。

 再び強烈なプレッシャーへとさらされた俺たちは、ラペーシュが魔王であること、そしてその傍に二人の側近が控えていることを思い出した。

 獣使いとスライム娘の二人はさっきまで「早く話おわらないかなー」という顔で黙って立っているだけだったのだが、話が終わった途端に悪役っぽい表情を浮かべ始めている。

 

「朱華! 魔王の能力は!?」

「契約魔法! 約束したことを絶対に守らせられる他に、世界へ魔力を捧げて契約することで疑似的な魔法能力が得られるの!」

「つまりどういうことー?」

「やろうと思えばどんな魔法でも使えるってことよ!」

 

 馬鹿なんじゃないのかと思うくらいハイスペックだった。

 ラペーシュが右腕を地面と水平まで上げ、ぱちんと指を鳴らす。すると彼女たちの周囲に無数の獣とスライムが生み出された。

 倒せることは既に証明済みの雑魚たちだが──同時に大量に出てこられたら話は別だ。

 

「うふふ。……魔王様、遠慮せずやってしまって構わないのですよね?」

「おっきーのやっつけられたうらみ、晴らしたい」

「ええ、いいわ」

 

 にやりと歪められる唇。そうしたラペーシュの表情は、紛うことなき魔王のそれだ。

 

「ただし、アリスと朱華、瑠璃、それからシルビアを殺すのは無し。『約束』よ」

「かしこまりました」

「はーい」

 

 そして、無数の魔物が俺たちへと殺到してきた。

 

「くそ、結局こうなるのか!」

 

 戦いになってしまったものは仕方ない。

 俺たちは全力をもって獣とスライムを掃討にかかる。無数の聖光が飛び、手榴弾とポーションが爆発し、抜けてきた奴らを日本刀と燃える拳、でかい魔導書が打ち払う。接近戦による防衛には俺も錫杖を振り回し、ノワールも拳銃で参加した。

 多勢に無勢だが、前回と異なるのは車という防衛対象がないことと、後方が空いていること。当然、俺たちは少しずつ後退することでスペースを確保しながら撤退の隙を伺う。

 しかし。

 

「逃がさないわ」

 

 《聖光連撃(ホーリー・ファランクス)》を多用したこともあってようやく隙が生まれたかと思えば、俺たちの背後へとラペーシュが音もなく転移してきた。

 

「このっ!?」

 

 瑠璃が素早く反応し、獣の肉体さえ両断する霊力つきの日本刀で斬りかかるも、不可視の壁がそれを阻んだ。かと思えば壁は衝撃波に変換されて少女の身体を吹き飛ばす。慌てて朱華が抱き留め、ノワールが舌打ちをしつつ拳銃を構えるも──。

 少女魔王の周囲に生まれた『無数の炎弾』が、ノワールだけでなく俺たちの身をも竦ませた。

 止まっていないでさっさと撃ってしまえばいい、などというわけにもいかない。その攻撃で相手を倒せる、あるいは魔法を中断させられるなら話は別だが、さっき瑠璃の斬撃が止まるのを見た後では望み薄。ならば機を窺ってしまうのも仕方ない。

 だが。

 あまりにも、魔王の力は圧倒的だった。

 唇を噛んだ俺は苦し紛れに叫ぶ。

 

「みなさんを傷つけたら許しませんから──!」

 

 もちろん、こんなので止まってくれるほど、魔王は甘くないのだろうが。



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聖女、魔王を止める

シルビアの存在をナチュラルに忘れていたので、前話のラペーシュの台詞を修正しました……。


「……あれ?」

 

 炎弾は、いつまで経っても降り注がなかった。

 見れば、ラペーシュは攻撃直前の状態のままぴたりと静止している。彼女自身も目を丸くしているが、俺たちはもっとわけがわからない。

 

「何よ。アリスに嫌われるのがそんなに嫌だったの……?」

「アリス。許さないって、具体的にどうするのかしら?」

 

 朱華の問いかけを聞いたのか、それとも無視したのか。

 桃色の髪の少女魔王はすっ、と、俺の方だけを見て問いかけてくる。仲間たちが「慎重に答えろ」と念を送ってくるのがなんとなくわかったが……そもそも、一体どう答えるのが正解なのか。

 

「それは、もちろん程度によりますけど……えっと、もちろん結婚なんかしませんし、あとは絶対口をきかないとか。そして、仲間の誰かを殺したり、人様に迷惑をかけるつもりなら命をかけてあなたを倒します」

 

 相手が魔王だというのなら、どうにかするのは俺の使命だ。

 オリジナルの倒した魔王とは別物だが、RPGの魔王とは基本的に「人類を脅かすもの」なのだから。

 果たして。

 俺の返答を聞いたラペーシュは──準備していた炎弾を全て消滅させた。

 

「まおーさま?」

「いいところだったのに、どうして止めてしまわれるのですか」

 

 部下たちも混乱しているところを見ると、予定調和の流れではないらしい。

 全員からの視線が一人に集まり、

 

「……い」

「?」

「仕方ないじゃない! 私はアリスと『友達』なんだから!」

「は?」

 

 俺がいつ彼女と友達になったというのか。

 いや、小桃とはもちろん友達だ。仲良くなったし、友達の証として指切りもした。

 

「ん? ……ああ、そうか。そういうことか。だからあやつはアリス達だけを『殺すな』と言ったのだな」

「どういうことですか、教授さま」

「我らが省かれたのは、鴨間小桃とかいうあれの『端末』と面識がないからだ。ラペーシュはアリス達と顔を合わせた際に友達になると『約束』をしたのだろう」

「あー、そっか。契約魔法!」

 

 朱華曰く、魔王ラペーシュは契約を司る魔法の使い手だ。

 その魔法には、疑似的にどんな魔法でも使えるというチート機能の他に『約束を守らせる』という効果がある。

 あの時の小桃との指切りによって俺たちの間に『契約』が成立していたとすれば。

 瑠璃が呟くように、

 

「彼女は、私達との『友達関係』を精一杯維持しなくてはいけない……?」

「……そうよ」

 

 さっと髪をかき上げ、ラペーシュが笑った。

 

「契約は双方合意でなければ解除できない。それまで私は友達を殺せないし、信頼を裏切るような真似もできない。アリスに絶交されるというなら、他の二人を殺すことも不可能ってこと」

「いや、あの、あんたひょっとして結構ぽんこつなんじゃないの?」

「うるさい」

 

 苛立たしげに朱華を睨むラペーシュ。

 

「わかっているのかしら? 契約の効果はあなたたちにも有効なのよ。あなたたちは友達を平気で殺せるほど情の薄い人間なの?」

「……あー、それはちょっと困っちゃうねー」

 

 ただでさえ人間型をしていてやりにくいのだ。ラペーシュを倒すことが「友達への攻撃」になると言われてしまえばとても戦えない。

 まして、

 

「特にアリスは致命的よね。あんた、ノワールさんや教授が戦うのも止めるでしょ」

「……止めますね。倒すどころか手を出すだけで嫌かもしれません」

 

 仲間が「こいつ悪者だから殺すね?」と友人を手にかけるとして、それを黙ってみていられるかという話。看過できるならそれはそもそも友達ではない。普通なら「もう友達とは思わない!」と言えるが、契約によって縛られている以上、お互いが「絶交ね」と承諾しない限りは効果が続く。

 どうするんだこれ、とばかりに途方に暮れる一同。ご丁寧に、残っていた獣やスライムまでもが進行を停止している。

 部下たちはラペーシュから命令を受けているだけ。彼女たちはノワールや教授を殺せるはずだが、俺が怒ると認識してしまった今、ラペーシュは部下を止めなければならない。

 

「あの、ラペーシュさま? アリスさまを娶りたいのであれば、友達になってしまってはまずかったのでは?」

「仕方ないじゃない。鴨間小桃にそこまでの目的意識はないもの。あの指切りを契約とみなし魔法をかけるのだって『端末』状態ではギリギリだったの」

 

 実際、俺たちとの無駄な争いを避けられたのだから、契約魔法も無駄になったわけではない。

 

「アリスと結婚するには一度友人関係を解消しなければならないわけだがな」

「アリス。結婚するフリをして寝首かいてきなさい」

「色んな意味で無理に決まってるじゃないですか!」

 

 遠征先で出会った最強の敵。

 魔王ラペーシュは下手すれば単騎で俺たちを全滅させられる強者だが──話は思わぬ方向に猛スピードで突っ込んでいってしまった。

 お互いに顔を見合わせ、なんとなく気まずくなりながら仲間同士で固まる俺たち。雑魚敵はラペーシュが消滅させてくれた。

 

「あの、ラペーシュさんたちって、私たちが公園から出るとどうなるんですか?」

「別に消えるわけじゃないわ。この子たちは実体化した後、今日までこっそり隠れてくれてたし、私だって一度実体化してしまえばこの身体を維持できる」

「えっと、ちなみにどこにいたんですか?」

「わたくしは夜のうちにここへ移動して、後は木立ちの陰や建物の中に」

「あたしはおねーさんの服の中だよー」

「私ですか!?」

 

 ああ、そういえば、スライム戦から帰ってきた後、アリシアの衣装に大きな手入れはしていなかった。例えば()()()()()()()()()()()()とか。

 小さなスライム状態ならドアの隙間とかから外に出られるだろうし、落ちてるゴミとか吸収して身体を復元することも可能だっただろう。いや、おっきーのやっつけられたとか言ってたので、彼女はあの巨大スライム自身ではないのかもしれないが。

 

「むう、そこだ。ラペーシュよ。それはお主ら──邪気によって形作られた者に共通する能力なのか?」

「一定以上の『格』と知性を備えた者なら、戦闘領域を出さえすれば『受肉』できるはずよ。そういう意味では答えはイエス。……でも、この子たちにそれができたのは私の影響」

「どういうことー?」

「私たちは、あなたたちが邪気と呼ぶモノで形作られている。その影響で戦闘本能に縛られるの。だから、通常は侵入者の排除を優先する。今までもそうだったでしょう?」

 

 その通りだ。これまでに会話が可能だったのはシュヴァルツだけ。彼女の場合はラペーシュが言った『格と知性』を備えていたということだろう。もしかしたら、ドロップ品扱いにしなくても公園から連れ出せたのかもしれない。

 シュヴァルツの場合はその戦闘本能の他に「ノワールを殺せ」というプログラム付きだったので、和解自体が困難だったが。

 

「その口ぶりだと、貴女(ラペーシュ)の方が自由度は低いと聞こえますが」

「その通りよ。この子たちを仮に『魔族』とするなら私は魔王。邪気の影響力も、力の規模も段違いだもの」

 

 どこか誇るように口にする彼女。

 見た目はシルビアと変わらない歳の女の子なので「ふふん、すごいでしょう?」感が否めない。戦闘モードの抜けた今の気分だと素直に可愛いと思ってしまう。

 

「私には他の『魔族』と違って実体化前から自意識があった。自分が異世界に存在していて出番を待っていることもなんとなく理解していた。力の行使には大きな制限がついていたから、できたのは年単位で力を溜めてなお、端末を作ることと契約魔法を行使することくらいだったけど」

「成程な。この北の地が特別、邪気の影響を受けていたのはお主のせいか」

 

 マグロの美味しい「大間(おおま)」の地が言霊によって魔王を引き寄せてしまったのだ。

 

「せめて『おうま』読みの土地を探しなさいよ」

「本州の北端っていうのが都合良かったのよ。魔王や帝国ってのは北の不毛な土地から攻め込んでくるのが定番でしょう?」

「ああ、海を隔てていると輸送の手間がかかりますから、印象として脅威度は下がりますね」

 

 海の向こうから大軍勢が押し寄せてきた、も怖いは怖いのだが、ファンタジー世界でも場合によっては大砲とか、魔法兵器とかあったりするからな……。海上にいる間に撃ち落とせ、という話になってしまって、勇者とか冒険者が出張るスケールではなくなる。

 

「で、まあ、あなたたちが来てくれたお陰でようやく実体化できたってわけ。一回身体を得てしまえば後はどうにでもなるの」

「それで、これからどうするつもりですか? まさか世界征服とか……」

「ああ、それも悪くないかもしれないわね」

 

 にんまりと笑ったラペーシュが俺へと流し目を送ってくる。瑠璃が表情を硬くして刀を握り直した。

 

「……本気ですか、ラペーシュさん?」

「私個人の意思としては『別に世界なんてどうでもいい』んだけどね。私という存在があるだけで、この国の邪気は大半が私に集まってくる。そうすると狼藉の限りを尽くしたい気持ちとか湧いてくるのよ。どうにかして発散しない限りは際限なく」

「なんですか、その爆弾のような仕組みは」

 

 邪気が原因でそうなっているのだとすれば、発散させるのに一番いい方法は──。

 

「結局、話はそこに戻ってくるというわけか」

「そういうことね」

 

 肩を竦めたラペーシュはスライム娘と魔物使い、二人の部下に視線を送る。

 

「私はある程度我慢できるし、魔王という性質上どうしようもないところがあるけど、この子たちの邪気は早いうちに祓ってあげてくれないかしら。既に実体化している以上、ほどほどに痛めつけてやれば邪気の影響から解放されるはずだから」

 

 撃破した後のシュヴァルツは口こそ悪いものの、俺たちにある程度協力してくれている。スライム娘たちも同じように「正気に戻って」くれるということか。

 

「えっと、それはお祓い的なことをして終わりというわけには……?」

「だめにきまってるよー」

「わたくしどもとしましても、やられっぱなしでは気が済みません。せめて全力でぶつかり合わなければ、愚かな現地人もどきと仲良くなどできないでしょう」

「ですよね」

「なら、戦いは明日ということでどうだ? ……今日はもう戦う気分ではないし、時間も経過してしまっている」

「いいわ。なら、明日またこの場所で」

 

 そういうことで、俺たちは公園を後にした。

 ちなみに、ラペーシュたちが明日までどうするのかというと──。

 

 

 

 

 

「あら。なかなか豪勢な部屋に泊まっていますのね」

「ね、ひろいよねーここ」

「どうして明日戦う相手と一緒の部屋なんですか……」

 

 スイートルームへ二人を案内した俺は、楽しそうに声を上げるデコボココンビにツッコミを入れた。

 すると魔物使いの方が振り返って「あら」と笑う。

 

「説明は既に終えているでしょう? それとも、意外と好戦的なんですの?」

「そういうことじゃありません」

 

 話はわりと簡単だ。ラペーシュはいったん小桃に戻るということで、宿泊先などはひとまず不要。主人である彼女の代わりに明日の夜までの一日、俺が二人を預かることになったのだ。

 

『あんた、この期に及んで学生する気あるのね?』

『身分まで作ってしまった以上は責任持たないとね。……未読スルーで電話にも出ないままじゃクラスメートが心配するでしょう?』

『意外と馴染んでるねー、魔王様』

 

 俺が保護者に指名されたのは邪気除去能力(仮称)が高いからだ。俺の傍にいると二人は邪気の影響を受けづらいということで、こうしていても凶暴性を見せる様子はない。ラペーシュとも新たに「俺たちを傷つけない」という契約を結んでいるので、ほぼ危険はないと言っていい。

 といっても不思議な状況なのは確かなのだが──。

 まあ、こっちがツンツンしていては仲良くなれるものも抉れてしまう。ここは納得して受け入れようと心に決める。

 

「ところで、お二人はなんていう名前なんですか?」

「あたしは『スララ』だよー」

「わたくしはアッシェと申します。以後お見知りおきを」

「アリシア・ブライトネスです。あらためてよろしくお願いしますね。……それで、お二人とも現代の設備は使えそうですか?」

「寝台や絨毯に関しては質がいいだけのようですから問題ありません。その他の道具の使い方は教えていただければ対応できるでしょう。が──」

「あたし、おふろで寝るからへいきだよー」

 

 スライム娘──スララの方は思考も単純なのか、あっさりと文明的な生活を放棄した。まあ、スイートルームだけあって浴室も複数付いているので、バスタブの一つにスライムが「溜まって」いても問題はないだろう。バスタブ自体を溶かしたりしなければ汚れもないだろうし。

 

「明日は昼間のうちに政府の人たちへ話を通したいので、そのつもりでいてくださいね」

「かしこまりました。……うふふ。アリシアさんはなかなか世話焼きな性格のようですね。魔王様の物になる前に、少し味見……いえ、下ごしらえをしたくなってしまいます」

「そ、そういうのも危害と見做しますからね!?」

 

 いや、本当に大丈夫だろうか、この二人。



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聖女、スライムに餌付けする

「涼しい土地の衣装というのはどうにも面倒ですわね」

 

 大騒ぎの夜が明けて、次の日の朝。

 幸いにも俺の貞操は守られた。どうやら合意の上でないと「そういうこと」はできないらしく、二人とも襲っては来なかったのだ。

 まあ、スキンシップの範疇なら問題ないとばかりに抱きしめられたりうにょうにょと絡みつかれたりはしたが、《聖光(ホーリーライト)》が必要になるような事態にはならなかった。ベッドも複数あるので別々である。

 そうして起きたら次の問題が発生。獣使い(アッシェ)スライム娘(スララ)の食事をどうするかだ。

 

「宿泊客としては登録したのでしょう? でしたら酒場? 食堂? でいただけばいいではありませんか」

「それはそうなんですが、お二人ともその格好だと目立つんですよ」

「あたしはめんどーだからいいよー。その辺のゴミでもたべるからー」

「ホテルの廊下にはゴミとか落ちてないんです! 落ちていたとしたら高確率で誰かの落とし物です!」

 

 まあ、スララは味とか栄養には拘らないらしいので、ホテルのスタッフに野菜の切れ端とかそういうのをもらえるように頼むことにした。動物園に行く予定がある、とでも言えばおそらく分けてくれるだろう。

 で、アッシェの方は──人種が違うのは俺たちといれば目立たないはずなので、服だけどうにかすればいい。スララと違ってある程度マナーはしっかりしてるし。というわけで、背格好の近いノワールに服を貸してもらうことになった。

 ノワールは快く服を持ってきてくれて、アッシェも一応は大人しく着替えてくれた。

 清楚で大人っぽい服に身を包むと、これがまた、なかなか似合う。褐色肌もあいまって、ノワールとはまた違った雰囲気の美人だ。

 当の本人は動きづらいと不満そうだが。

 

「でも、いつまでもあの格好じゃ寒いでしょう?」

「ええ、まあ。毛皮でも着こみたいところではありましたわ」

 

 ああ、なるほど。コート的な羽織るタイプなら抵抗感も薄いか。

 

「じゃあ、とりあえず食事に行きましょうか」

「ええ。……スララ。いい子にしていなさい」

「はーい」

 

 ぽよぽよとしたスライム娘は思考が単純なので、いまいち大丈夫なのか不安になるところがあるが、今のところ変な悪さはしていない。保護者に命じられれば素直に従える子なのだ。それがわかるとペット的な感覚で割と可愛い。

 

「一般人の立ち入る場所にしては清潔かつ豪華ですわね。食事もなかなかに……。でも、もっと肉々しいものはありませんの?」

「む。肉ならそこのローストビーフとか、そっちのベーコンとウインナー、後はカレーにもごろごろ入ってるからオススメだぞ」

「まあ、これは良いことを聞きました」

 

 朝食バイキングもまあ、割と平和だった。

 金髪銀髪紅髪のグループに褐色美女が増えている件については驚かれはしたものの、特に騒がれたりはしなかったし、アッシェも教えれば普通に作法を覚えた。

 なんだかんだいいながらホテルの料理も気に入ったらしく、特にローストビーフとカレーに目を輝かせていた。

 スタッフにお願いしたらビニール袋一袋ぶんのクズ野菜をくれたので、帰ってからスララに食べさせた。

 

「わーい、ごはんだー」

 

 スライム娘は密度の調整が可能らしく、バスタブいっぱいにでろん、と溜まった状態のまま野菜をぱくん、と体内に呑み込んだ。

 取り込まれた野菜がみるみるうちに分解・吸収されていく様は、見ている分には結構面白い。自分がああなる可能性を考えると物凄く怖いが。

 

「さて、お腹もいっぱいになりましたしひと眠り……」

「待ってください。用事があるって昨夜言いましたよね?」

「……残念ですわ」

 

 アッシェが服を脱がないうちに釘を刺し、午前中のうちに仲間たちと共に政府関係者を迎えた。

 なんだかんだスイートルームが大活躍である。「上」の人たちも今回の遠征のためにそこそこの人員を派遣してくれているので段取りもスムーズだった。

 

「ええと、それで、こちらのお二方が……?」

「アッシェですわ」

「スララだよー」

 

 若干「マジかよ」といった様子で尋ねてくる担当者さんに、アッシェたちが気負いなく答えた。

 と、二人の正面──何もなかった空間に突如として桃色の髪の美少女が出現。魔王ラペーシュは優雅に髪をかき上げると「間に合ったかしら」と笑った。

 

「魔王こと、ラペーシュ・デモンズロードよ。以後よろしく」

「………」

 

 呆然として顔を見合わせる皆さん。前もって話は通しておいたのだが、さすがにショックが大きかったらしい。うん、まあ、ぶっちゃけ彼らにしてみたらキャパオーバーだろう。今すぐ最高責任者にバトンタッチしたい、と思ったとしても無理はない。

 我らがリーダーである教授や、良くも悪くも偉そうなラペーシュがそんなことに構うはずもなく、

 

「さて、単刀直入に言おう。我らは魔王勢力との条件付き和解を考えている」

「奇遇ね。私としても同意見よ」

「ま、待ってください! この方達は災い──邪気から生まれた存在なんでしょう?」

「そうだが、話し合いのできる相手と殺し合うのも馬鹿らしいだろう」

 

 というか、戦力的な意味でもラペーシュとは殺し合いたくない。

 すると魔王がくすりと笑って、

 

「私の条件はアリスとの結婚だけどね」

「おい、首相に伝えろ。今すぐ女子の結婚可能年齢を十八に引き上げるのだ」

「ちょっとそこのチビは何を言っているのかしら?」

「こっちの台詞だ!? 結局お主はアリスを娶るつもりか!」

「当たり前でしょう。私の優先順位一位はアリスよ」

 

 流し目が送られてくる。こんな美少女からこんなにも好かれたことがあっただろうか。いや、確実にない。

 そこで俺の後頭部に何か柔らかいものが押し当てられて、

 

「アリスちゃん、アリスちゃん。あの子と結婚するくらいならお姉さんとでもいいんじゃない?」

「あら。じゃあ、こういうのはどう? あなたは錬金術師でしょう? 私に協力してくれたら十分な研究場所と研究費用を提供するわ。ついでに私のいた世界の魔法・錬金術師の知識」

「……教授、寝返っていいかなー?」

「いいわけあるか!?」

 

 交渉や人心掌握もできるとか、ラペーシュ、ちょっとスペック高すぎじゃないだろうか。

 これには担当者の皆さんが冷や汗をかいて、

 

「そもそも、この国では同性婚ができないのですが……」

「じゃあ事実婚でもいいわ」

「あの、教授殿。……彼女達が信用できるという保証はあるのですか?」

「ない。ないが、テレポート可能な魔法使いなんぞ、吾輩達だけでどうしろというのだ」

 

 テロにでも徹されたらどうしようもない。契約魔法で縛れる行動がどこからどこまでなのかも定かではないし、無理に戦う必要がない。

 そう言って納得できるわけないのも確かだが──。

 ラペーシュが肩を竦めて言う。

 

「面倒だから首相を契約で縛って傀儡にしましょうか」

「そうか、そんなこともできるのか。それはどうしようもないな」

「どっちの味方ですか!?」

「アリシアさん、なんとか止めてください」

 

 もう余裕がないのか、俺なんかに振ってくる皆さん。

 しかし、

 

「……ラペーシュさんも、環境が違うとはいえ国政の経験者です。知恵を貸してもらうのも悪い話ではないのでは?」

「あんたそれでも聖職者か!?」

「心外です。愛の女神の信徒が『魔族は全部滅ぼしますね』なんて雑な行動を取るわけありません」

 

 話し合いのできない相手は滅ぼしてもいいが、逆に言うと、話し合いができるうちから攻撃性をむき出しにするのは正しくない。

 

「で、ですが、邪気があると良くない事が起こるんでしょう?」

「だから条件付きだと言っている」

「私だってタダで仲良くできるなんて思っていないわ。永遠に我慢がきくわけでもないしね」

 

 邪気の影響を我慢する、という話か。

 桃色の、悪魔めいた瞳が俺を見据えて、

 

「私は今、魔王の権能とアリスへの想いによって衝動を抑えている。だけど、これは行き過ぎると逆に暴走の引き金になりかねない」

「すると、どうなるのです?」

 

 恐る恐るノワールが尋ねれば、少女魔王は「わからない?」と言って。

 

「アリスを手に入れるためならなんでもする、真の魔王が完成するのよ」

「今だって大して変わらないじゃない。このぽんこつ魔王」

「全然違うでしょう!?」

 

 いや、うん。ラペーシュは魔王としてはとても理性的だと思う。朱華の発言にわざわざツッコミまで入れてくれているし。

 

「ですが、契約魔法がありますよね? アリス先輩はそれで守られているのでは……」

「邪気の影響は果てしないわ。思考や判断力にも影響が出る。なら、それによって()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と心の底から思い込めば?」

 

 結婚という結果のためならどんなことでも行える『魔王』が誕生する。

 そこまで行ったら「俺に嫌われる」なんていうのはストッパーにならない。嫌われてでも()()()()()俺を幸せにする、と言えてしまうからだ。

 

「き、期限はどれくらいなんですか……?」

 

 俺は恐る恐る尋ねた。別に嫌いな相手でもないし、本当にいざとなったらラペーシュと結婚してもいいかな、と思いながら。

 

「そうね。今年の夏前には影響が出始めるんじゃないかしら」

「待て、かなり早いぞ!?」

「仕方ないでしょう。この国の邪気の大半が私に集中しているのよ? それに、この世界の人間はどうやら、霊的な存在への敬意と感謝を忘れているようだし」

「……それは」

 

 今でも古い風習が残っていないわけではない。しかし、多くは形骸化してしまっているし、それらに()()()()()()()()()と信じている者はほとんどいないだろう。

 加えて言えば、人の営みが複雑化したことによって、生まれる負の感情はどんどん多様かつ大量のものとなっている。

 月一で近所の墓地へ行く程度では全然足りていなかった、ということだ。

 足りない分はラペーシュが吸収していた。そして、吸収された分はなくなっているわけではなく、魔王の力を増大させる助けになっていた。

 ならば、溜め込んだ邪気を吐き出す場が必要。

 

魔王ラペーシュ(わたし)正義の味方(あなたたち)の決戦。少なくとも夏休み前までにそれを行うことが、私の希望する最大の条件よ」

「……殺し合い、ということでしょうか?」

「ええ。もちろん、契約で縛ることは可能よ。でも、勢い余って殺してしまうのは止められない。私は本気で戦うから、あなたたちも本気で来なければ死ぬと思いなさい」

 

 結局、そうなるのか。

 教授が「仕方あるまい」と重々しいため息を吐いて、

 

「時間的な猶予ができたことと、多少の保険ができたこと。それだけでも儲けものだ。……魔王の側近とは今日、決着をつけられるわけだしな」

「ええ、わたくし達はさっさと『すっきり』してしまいたいです」

「あばれるの楽しみにしてるんだよー」

 

 ラペーシュとの決戦に二人が参加しないだけでもだいぶ違う。いや、忠誠心で参加するのかもしれないが、邪気パワーで強化されることはなくなるはずなので多少はマシだ。

 

「で、そっちの条件は?」

「魔王側への要求はほぼ満たされたと言っていい。定期的な邪気祓いへの協力を申し出るつもりだったからな」

「構わないわ。雑魚を召喚する程度でも多少は発散できるし」

 

 ラペーシュがいればバイト時に敵の強さを調節できるということだ。そういう言い方をするとお助けキャラみたいだが。

 

「で、では、政府側(こちら)への条件は──?」

「私達の住む家を用意しなさい。それと生活費も」

「こちらにも特別報酬を頼む。何しろ邪気の解明が進み、その影響も食い止めたと言っていいのだ。危険な連戦を行っていることを加えれば、これは本当に家くらいもらってもいいのではないか?」

「待ちなさい。家なら私たちが先よ」

「いやいや。それならばこうするのが良かろう。彼らには吾輩達の新しい家を建ててもらう。引っ越せば当然、今まで住んでいた家が空く。六人で住んで余裕のある家だ。お主ら三人くらいどうということはなかろう」

 

 張り合い始めた教授とラペーシュを見て、朱華が半眼で呟いた。

 

「こんな時になんの話してんのよ二人とも」

「本当ですね」



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聖女、敵に心配される

「……さあ。ようやく暴れられますわね」

「たたかい、さつりく、ころしあいー」

 

 夜。俺たちは昨日行ったのと同じ公園へと集まっていた。

 魔物使い(ビーストテイマー)アッシェは既に踊り子風の露出の多い格好に戻っており、スライム娘のスララはその隣でぷよぷよした腕を振り上げている。

 なお、魔王ラペーシュは少し離れた場所で傍観者っぽい立ち位置。実際、今回は戦闘に参加しないことを明言しているので、戦いの見届け役といった感じだ。

 俺たちも可能な限りの武装を行っている──が。

 

「うう、やっぱりやりにくいです……」

「そう? あたしはそうでもないけど」

「朱華さんは人間相手慣れてそうですもんね……」

 

 なにせSFだし。宇宙モンスターとかバイオモンスターとかもいるだろうが、銃持った人間とか超能力者との戦いも多かったはず。ついでになんというか、悪意ある人間の実例も多く見ているので、人型との戦いに支障はないだろう。

 ノワールや教授もあんまりそういうの気にしないだろうが、俺は気になる。

 なにしろ話し合いが終わった後もアッシェたちとは手を焼かされた。特に、邪魔をしないようにと言い含めて配信を始めた時なんて、

 

『なにと話してるのー?』

『面白そうなことをしていますわね。……ええと、()()()()ちゃん?』

 

 ニヤニヤしながら普通に話しかけられた。カメラの前には立たない、配信中はアリスと呼ばないと言った事柄はきちんと押さえてくれていたが、そのせいで視聴者からしたら声だけが急に聞こえてきた形。彼女たちの分の立ち絵なんて用意していないのでどうしようもなく、誰の声かと聴かれた俺は咄嗟に、

 

『えっと、知り合いの妖艶なお姉さんとスライムさんです』

 

 キャロルちゃんがまた妄言吐いてるよ、みたいな受け方をした。いやでも嘘は言ってないし……と思いながらなんとか配信を終了した時にはなんだかどっと疲れていた。

 

「邪魔しないでください、って言いましたよね?」

「いっしょに遊ぼうとおもっただけでじゃまじゃないよー?」

「配信とやらはよくわかりませんが、作法は最低限守ったと思いますが?」

 

 契約で縛られていないとこれである。仕方ないので「穏便に済ませてくれてありがとうございます」とお礼を言った。

 すると、ひどいことを言われた。

 

「アリスは本当に損な性格ですわね」

「誰のせいですか!?」

 

 そんなことがあったので、今更「敵と見做せ」と言われても困る。

 眉を下げた俺を見て、アッシェやラペーシュは軽く肩を竦め、

 

「さっきまで笑いあっていた相手と殺し合うなんて別に珍しくもないでしょう?」

「トドメは刺せないように契約で縛っているんだし、試合だとでも思えばいいわ」

 

 彼女たちの価値観はちょっと修羅の国すぎる。

 するとノワールが微笑んで「大丈夫ですよ、アリスさま」と言ってくれる。

 

「アリスさまはできる限り後衛に徹してくださいませ。アタッカーはわたしたちが務めます」

「でも」

「違うよアリスちゃん。そうしてくれないと、私達を治せる人がいなくなっちゃうから」

 

 シルビアにそう言われて「あっ」と思う。殺さないように手加減が必須とはいえ、瀕死までは持って行ってOKというレギュレーション。誰かが傷ついた時のために回復魔法は必須だ。それはアッシェたちにかけるのも含めてである。

 

「わかりました。お願いします」

 

 こくりと頷き、ぎゅっと錫杖を握りしめる。

 空気が徐々に引き締まっていき、辺りから生まれた邪気がラペーシュに──集まろうとして「邪魔」とばかりに払いのけられる。代わりとばかりに邪気が向かった先はスララとアッシェ。彼女たちは意気揚々とそれを取り込み、そこから拡散させる。

 生み出されたのは小さいスライムと狼がそれぞれ数十匹。結構数が多いのはラペーシュが邪気を横流ししたせいか。視線を送ると「これくらいはいいでしょう?」とばかりに笑った。

 確かに、予想の範囲内ではある。

 

「ふっ。一度見た相手に何の対策もしていないわけがなかろう。行くぞ皆の者」

「かしこまりました。瑠璃さま、朱華さま、手筈通りに」

「はい」

「おっけー」

 

 スララたちが「やれ」とばかりに手を振り下ろすと同時、雑魚が一斉に襲い掛かってくる。

 すかさずぽいっと投入されたのはシルビア謹製の爆発ポーション。蓋を開けた状態で装置により射出されたそれは、自らの進行方向へと指向性をつけて爆発する。丈夫に作られた特製容器と、空気に触れたことによる反応を利用した新型らしい。賢者の石を併用しているので威力も十分。巻き込まれた雑魚はスライム、狼問わず吹き飛ばされていく。

 しかし、統率を受けているせいか、それとも知能が低いからか、仲間がやられても残りの者たちは怯まない。そこにノワールの放つ銃弾が雨のように降り注いだ。単純な衝撃が敵の勢いを殺し、狼の身体を穿つ。スライムには大して効いていないものの、突出したそいつらには瑠璃と朱華が反応する。

 

「はっ……!」

「とっとと潰れなさい!」

 

 霊力の籠もった日本刀が半液体の身体を構わず断ち切る。熱を纏った朱華の拳はスライムの身体に触れるなり「じゅっ!」と溶かし、ついでに跳ね飛ばす。

 なお、教授が何をしているかというと、

 

「喰らえ!」

 

 香料強めのスプレー缶を両手に構えて敵に発射していた。狼の顔にかかれば視界を奪えるし、香料のお陰で嗅覚にもダメージがある。スライムも色がついてくれれば狙いやすくなるし、いっぱい取り込んだ場合は粘度が高くなってくれる……かもしれない。

 仲間たちのお陰で余裕がある。俺はひとまず支援魔法をかけることに専念。

 アッシェたちもノワールの銃弾をかわすのに手いっぱい──と、思いきや、

 

「っ。お行きなさい、スララ!」

「はいはーい」

 

 ぷにょん、と進み出たスライム娘がアッシェへの射線を遮り、そのまま前進してくる。彼女は同時にずももも、と()()()()()()その威圧感を増加。近くにいた狼やスライムに触れると構わず飲みこんでさらに体積を大きくしていく。

 

「くっ、そういえば密度を変えられるのだったか……アリス、あやつはどれくらい大きくなれるのだ!?」

「わかりません! 少なくともバスタブいっぱいにはなってましたけど……!」

「あの時のスライムより小さいってことはなさそうだねー」

 

 ノワールが手榴弾を投げ込もうとして停止、結局そのままマシンガンを乱射し、先に雑魚を掃討していく。また分裂されたら厄介だからだ。代わりにシルビアが瓶に入った油をぽいぽい投げ込み、それが銃弾によってぱりんと割れれば、

 

「朱華ちゃん、頼んだ!」

「任せなさい!」

 

 飛び散った油が引火、炎となってスララを襲う。これで倒せるとは思えないが、多少のダメージを与えることくらいは──。

 

「へいき、へっちゃらー」

「なんで効かないのよ!?」

「炎耐性が高いのかもしれません。前のスライム以上、もしかすると彼女はキング種、いえ、クイーン……?」

「なによ、スライムの王様って結構弱そうな響きなのに!」

 

 それも某国産RPGのせいである。って、そんなことはどうでもよく、俺は慌てて《聖光(ホーリーライト)》を放ってスララを攻撃する。これは通った。着弾部分の身体が微妙にへこみ、削れたのがわかる……が。

 

「アリス、もぐもぐさせてー」

「倒せるまで魔法を撃ちこむなんて無理ですよ、これ!?」

「む。ちょっとスララ、アリスをもぐもぐしていいのは私だけよ。そこのところ忘れないで頂戴」

 

 どうでもいいことを言っているラペーシュはこの際無視である。

 雑魚スライムの数が減ってきたので、瑠璃が予備用のナイフを抜いてスララへと投擲。霊力を籠められた刃物はぷよぷよした身体をしっかり切り裂くも、ぷにょん、と中に取り込まれてしまう。その後はじゅうう、と溶かされる雰囲気。さすがに金属は消化に時間がかかりそうだが、慰めになるかどうか。

 

「特殊属性ダメージなら通りはする。……が、何度も与えるには接近戦しかないか」

「瑠璃さまが危険すぎます。アリスさまの魔法をかけていただいてわたしが──」

「あら、よろしいのですか? 最大戦力がスララにかまけるのであれば、わたくしにも考えがありますが」

「っ!?」

 

 声がしたのは巨大化したスララの奥、良く見えないのでスルーしていたアッシェからだ。しかし彼女は魔物使い、配下の魔物がいないと大したことはできないのでは──。

 思った俺は、足元に何か柔らかな感触を覚えた。

 ぴょこん。

 

「ぴょこん?」

 

 下を見ると、五匹ほどの可愛いうさぎが足に纏わりついている。くっついてきているだけで痛みはない。むしろ「いじめる?」とでも言いたげなつぶらな瞳なのだが、これを攻撃するのはどうにも、

 

「ちなみにその子たちはラペーシュさまに買ってきていただいた本物ですわ」

「契約なんてなくても攻撃できませんよ!?」

「アリスはうさぎ好きだものね」

 

 そんなつもりは……ないこともないが。やばい、身動きが取れなくなった。そして俺が、そしてみんながうさぎに気を取られている間に、アッシェは人のものとは思えないような咆哮を上げた。

 公園内に高らかに響いた声はまるで──。

 

「しまった、獣化か!」

 

 みるみるうちにもこもことした体毛に覆われ、四肢が強靭なそれに変わっていくアッシェ。阻止しようにもスララを回り込む必要があり事実上不可能。そうこうしている間に、アッシェは通常の二倍以上はありそうな、白い体毛の巨大狼へと姿を変えていた。

 ぐるる……と獰猛な唸り声を上げる魔物使いを見て、ノワールは、

 

「皆さま。スララさまはお任せしてよろしいですか?」

「……それしかないだろうな」

 

 獣の俊敏性は恐ろしい。メンバーで最高の機動力を持つノワールが抑えてくれなければそれだけで全滅しかねない。まさかオロチより強いなんてことはないだろうが、問題は巨大スララがいるということだ。

 

「頼んだノワール。ええい、これは飲まないとやってられん……!」

 

 言って、携帯していた小瓶の一つを煽る教授。中身はもちろんウォッカ、ではなくシルビア特製のポーションだ。賢者の石を使用して限界まで効果を高めた一品で、今までの栄養ドリンクよりも格段に疲れを忘れられるらしい。使用後しばらくは最高にハイになって限界を超えて戦い続けられるとか。

 

「……ん。あたしも飲んどこ」

 

 朱華が続いたのを皮切りに、俺たちは次々とポーションに手を出す。飲まなかったのは製造者であるシルビアだけだ。なんか騙された気分になるが、シルビアの場合は労働担当じゃないので必要ないだけである。おそらく。本当にラペーシュ陣営に寝返っている、なんていうことはないはず。

 幸いポーションの効果はすぐに効いてきて、俺はなんでもできそうなくらい体力が漲るのを感じる。となれば、やるなら今のうちだ。

 

「《聖光連撃(ホーリー・ファランクス)》!」

 

 惜しげもなく魔法を起動し、スララの進行を食い止めつつその身体を少しでも削る。その間にノワールは飛び出し、アッシェと高速戦闘を開始した。いかにファンタジー的な巨大狼といえど、現代の銃器が持つ速度と威力には対処が難しいはず。

 ノワールが頑張っている間にこっちは俺たちでなんとかしなくては。

 俺が魔法で牽制しつつ、瑠璃と朱華がペアで接近。無理せず一太刀入れては離れる戦法を取り、危なくなったら朱華が代わりに払いのける。炎に巻かれた程度では駄目だが高熱はある程度効果があるらしく、少なくとも素手で触れても取り込まれる様子はなかった。見るからに発熱しているのがわかる状態になった朱華はある意味適任である。

 

「喰らえ、聖水鉄砲!」

「うわ、なんかぴりぴりするー?」

 

 教授は聖水入りのウォーターガンで攻撃。

 シルビアも色々な薬品を取り出し──てはしまう動作を繰り返していた。

 

「シルビアさん!?」

「いや、うん。私も困ってるんだよー。うまく薬品を使ったらスライムの組成を崩せると思うんだけど、下手したら死んじゃうかなって身体がストップをかけてて」

「駄目じゃないですか!?」

 

 逆に言うとスララも迂闊に俺たちを触れないわけだが──身体の表面が焼けただれても死ななきゃOK、みたいなノリで来られたら困る。

 なんというか、ボス戦は毎度「触れられたら終わり」になっている気がする。か弱い人間が戦うには仕方ないんだろうが……。

 と。

 何度目かのヒット&アウェイを敢行しようとした瑠璃が空振る。狙いを間違えたわけではない。攻撃を受ける直前、スララがボディを変形させたからだ。

 

「じゃまー」

 

 刀の通り道を作るように身をへこませた彼女は、その分だけ左右から触腕のようなものを伸ばし──。

 

「危ない!」

 

 咄嗟に瑠璃を突き飛ばした紅髪の少女が、スライムの体内へと吞み込まれた。



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聖女、超必殺技を放つ

「あ──」

 

 それは、一瞬の出来事だった。

 ぷよぷよとしたスララの身体がうねり、朱華の身体を覆いつくす。驚いたからか、あるいは何かを伝えようとしたのか、口を大きく開いた朱華は頭からつま先までをスライムに覆いつくされ、取り込まれた。

 淡いブルーに包まれた少女はなんとか抜け出そうともがくも、意外と圧がかかっているのか外周へは全く到達できない。どこかクリスタルに閉じ込められたお姫様のような光景は、少女が無力な囚われの身となったことを如実に示していた。

 それを為したスララはどう思っているのか。ただ「もぐもぐー」と呑気な声を上げながらふにょん、ふにょんと揺れて、

 

「朱華さん……!」

「朱華先輩!?」

 

 俺と瑠璃は咄嗟に行動した。神聖魔法の輝きが日本刀を包み込み、霊力と神聖力によって輝く刃が夜闇にきらめく。

 しかし、

 

「待て! 慌てるな、朱華まで傷つけたらどうする!」

 

 教授の声が俺たちを我に返らせた。

 ラペーシュとの契約によって命を奪うことを禁じられているのは「敵に対してだけ」だ。()()()()()()()()()()()()()()。瑠璃の攻撃へスララが咄嗟に「人質を盾にした」として、手を止めなかったのは瑠璃の責任──ということになってしまうかもしれない。

 唇を噛んで刀を下ろす瑠璃。足にうさぎが纏わりついたままの俺もどうするべきか迷う。そしてそうしている間にも、取り込まれた朱華をスライムの体液が襲っている。

 その気になれば金属さえ溶かす液体は、しゅわしゅわ、といった感じで少女の纏うチャイナドレスを溶かしていく。護身用のナイフやらあれこれがホルダーのベルトを溶かされたことで離れ、何も守るもののなくなった裸身が、月明かりとLEDライトに照らされるようにしてぽっかりと浮かび上がる。

 やっぱりこうして見ると朱華は綺麗だ。……って、そんなことを言っている場合じゃない。このままだと服だけじゃなく身体まで溶かされる。

 しかし、どういうわけか白い柔肌には傷ひとつ生まれず、スライムの中の朱華の顔は若干気持ちよさそうに赤らみながらも「かかったわね」とでも言いたげだった。

 

「問題ない。スライムに朱華を止められるわけがなかろう」

 

 教授の言葉は、その後程なくして証明された。

 意気揚々と「もぐもぐ」していたはずのスララが何やらぷるぷるし始めたかと思うと、

 

「あついー」

 

 彼女は「ぺっ」とでも言うかのように朱華の身体を吐き出した。ごろごろと転がるようにしてスライムから逃れた朱華に瑠璃がかけより、その肌に触れようとして「熱っ!?」と手を引っ込める。

 一糸まとわぬ姿となった紅髪の少女は「触らない方がいいわよ」と苦笑。

 

「力使いまくってほとんど暴走状態だし、あと、オリジナルの経験思い出して余計に熱くなってるから。今ならコンビニ弁当くらい触っただけで温められそう」

「……良かった。大丈夫そうですね」

「まあね。あんたも無事で良かった。……さて、迂闊に変なもの口に入れた子はどうかしら?」

「うー」

 

 スララは、うにょんうにょんと身体を揺すり、身体をかく拌するようにして体内の熱を逃がしていた。ダメージになっているかは謎だが、暑いのは辛いらしい。これはチャンスだ。俺は錫杖を構え、瑠璃もまた刀を握り直して立ち上がり、

 

「オオオオオオォォォッ!!」

「避けてください、瑠璃さまっ!」

 

 狼の声と、ノワールの警告。

 斬りかかろうとしていた瑠璃は咄嗟に制止。すぐさま跳びのけば、あちこちに火傷や裂傷、弾痕を作った巨大狼がスライムの前に飛び込んできた。

 一呼吸遅れてノワールも到着。彼女の方も無傷ではない。メイド服のあちこちが破れ、あるいは爪に因って裂かれている。慌てて朱華ともども回復するが、深刻な外傷はなさそうだ。

 

「むう。あれを相手に良く持ちこたえた、ノワール」

「いえ。シュヴァルツに比べれば戦いやすい相手でしたので」

「……うん。ノワールさんも割と化け物じみた性能してるよねー」

 

 しみじみ呟いたシルビアが保温機能付きの水筒を開けて、中の液体を朱華にかける。しゅうう、と、蒸発した液体が気化していくが、なんのことはない、キンキンに冷えた水をぶっかけただけである。しかし、今の朱華にはとても効果的。

 

「ありがと。だいぶ楽になった」

「なんのなんの。じゃあ、私の白衣でも着て後ろで休んでなよー」

「白衣はいいわ。暑いし」

 

 いや、なにも着けていない状態だと割と痴女なのだが。俺たちの視界には謎の光とか入っていないので丸見え。男子や小さい子がいたら目を隠さないといけないところだった。しかし、朱華はさすがエロゲ出身と言うべきか、平然としたまま後ろに下がって予備の水筒を開け始めている。

 一方、アッシェたちはといえば、

 

『仕方ありませんわね。奥の手を使いましょう、スララ』

「はーい」

 

 何をするつもりなのか。身構えつつ見守った俺たちは、ずもも、と盛り上がったスララの身体がとぷん、と巨大狼を呑み込むのを見た。

 

「何を……!?」

『半液状装甲。機動性こそ多少落ちますが、攻撃力が下がっているとは思わないことですわ』

 

 悠然と答えるアッシェ。スララのスライムボディが狼の全身をくまなく包み込み、発言通りの特殊装甲となっている。スライムの防御力に巨大な獣の攻撃力。これは、生半可なことでは突破できそうにない。

 と。

 

「ふはは……! いや、わかりやすくなったではないか」

「ええ。分散して食い止める必要がなくなりました。要はあれを倒せば終わりなのです」

 

 なんとも頼もしい発言が大人組から発せられる。確かにその通りだ。敵が一体になったのなら、そいつに火力を集中させればいいだけのこと。

 そこそこ消耗した今の状態からでは容易いことではない。

 《神威召喚(コール・ゴッド)》もこの状況では使えない。ラペーシュとの戦いが予定されている以上、ここで俺が脱落するわけにはいかない。というか、そんなことをしたら第一目標のなくなった魔王が本気で世界征服を始めかねない。

 ならば。

 一撃必殺になるかどうかはわからないが、持てる最大の攻撃力を今のうちに叩き込む。

 

「……今の私なら、十分使えるはずです」

 

 本来の衣装と錫杖を手に入れ、シルビアのポーションでドーピングを受けている。

 力と自信が漲っているのを感じながら、俺は、かつて不死鳥を退けた力を今一度行使する。

 神聖力の奔流が俺たちを包み込み、ラペーシュが頬を紅潮させて笑みを浮かべる。巨大狼は動揺するように唸り、

 

「な、なんですか、これは!?」

 

 仲間の中では唯一、これを知らない瑠璃が声を上げ、

 

「アリスちゃんの超必殺技だよー」

「瀕死にならないと撃てなかったはずだけど……二回目はなんか普通に撃とうとしてるとか、少年漫画の主人公かっての」

 

 なんか余計なことを言われた。

 ツッコミを入れたいのはやまやまだが、今はそんな場合じゃない。足元のうさぎたちが「なにごと?」という顔をしているが、彼ら(彼女ら)に害のあるものではないので安心して欲しい。

 これが打ち倒すのはあくまで、神の敵である悪しき者だけ。

 スララの防御力なら耐えられるはず。

 

「──《神光波撃(ディバイン・ウェーブ)》!!」

 

 神聖魔法の域を超えた究極的な光の奔流が夜の公園にひととき、清浄なる領域を作り出し、その中心に迎えられたスララが「なにこれー!?」と悲鳴を上げる。

 ぐずぐずと、外周から崩れるようにして小さくなっていくスライムの身体。やがて、アッシェの巨体を包み切れなくなった彼女は分離し、通常の人型に戻る。すると今度は巨大狼が悲鳴を上げながらスララを守るように抱きしめ、

 

「……やってくれましたわね」

 

 後には、全裸の褐色美女と等身大のスライム少女だけが残された。

 それを見た俺はがくん、と膝を折って尻もちをつく。危うくうさぎを潰しそうになったが、なんとか座り込むだけで済んだ。「だいじょうぶ?」という風に膝に乗ってくるうさぎがなんとも癒しだ。

 そんな俺を見た教授は「やれやれ」とため息をついて、

 

「まだやるか?」

「やる、に決まっているでしょう」

 

 どうやら敵はまだ戦意を失っていないらしい。虚空から鞭のようなものを取り出したアッシェは一歩、前へと進み出てくる。

 それに応じたのは瑠璃だった。真摯な瞳で敵を見据え、()()()()()()()()()()()()身構える。

 これにアッシェは眉をひそめて、

 

「なんのおつもり、ですかっ!?」

 

 ひゅん、と風を切る鞭。

 

「っ」

 

 次の瞬間、俺たちは月明かりを反射する美しい輝きを見た。

 霊力の輝きを讃え、鞭をあっさりと斬り飛ばしてみせたのは、いつの間にか少女の手に握られていた刀だ。居合い──ではない。瑠璃が高い金を出して買った刀は鞘に納められたまま。そして今、黒髪の少女剣士が握っているのは百万円程度では全く手が出ないであろう、拵えも何もかもが優美かつ繊細、それでいて強靭さも兼ね備える一級の業物だ。

 

「な、なんですの、その武器は」

「秘刀『俄雨』。早月瑠璃が受け継いだ、魔を退けるための刃です」

 

 後から聞いたところによると、それがオリジナルの瑠璃が使っていた刀らしい。ゲームデータ的には日本刀をやや強化しただけの「刀+2」くらいの代物らしいが、現実的に考えると+2もされていたら十分すぎるほど凄い武器だ。具体的に言うと現代にも名前が残っているあれこれの中では下位、くらいだろう。

 ちなみに名前は良いのが思いつかなかったので、同じ卓にいた先輩が「にわか雨でいいんじゃない? ほら、五月雨とかあるし」と決めてくれただけらしいが──漢字で書くとなんとなく格好いいのでそのまま使っていたのだとか。

 まあ、名前はともかく、

 

「アリス先輩をこれ以上、傷つけさせはしません」

「……降参しますわ」

 

 ここに来て現れた新たな力に、さすがのアッシェも両手を挙げた。

 スララは「えー」と身体を揺らすが、

 

「貴女ももう身体が限界でしょう。毒気もすっかり抜けてしまいましたし」

「……じゃあ」

 

 褐色美女の口元に苦笑めいた笑みが浮かび、

 

「ええ、貴女たちの勝利です」

 

 遠征先での戦いが無事に幕を下ろした瞬間だった。

 

 

 

 

 

「いえ、その。無我夢中だったので、自分でも驚いているのですが」

 

 戦いが終わった後、みんなの治療をしながら聞いたところによると、瑠璃があの時、刀を召喚したのは完全にぶっつけ本番だったらしい。俺が超必殺技(シルビア談)を放ったことで精神的なリミッターが外れ、召喚することができたのだとか。

 なお、もう刀は消えてしまっていて、

 

「なんというか、悪しき者との戦いの際のみ力を貸してくれるようです」

「すごく主人公っぽい設定ですね?」

 

 呑気に話をしてはいるものの、俺の疲労もなかなかに限界である。具体的に言うと座り込んだまま立ち上がれる気がしない。うさぎに癒されていなかったら致命傷だった。

 

「この子たち、一匹くらい連れて帰っちゃ駄目でしょうか」

「一匹と言わず全部連れて帰ってくださいな。どうせしばらく一緒なのですから」

 

 と、これはアッシェ。彼女にもシルビア謹製のポーションが与えられ、最低限の回復措置が行われている。スララは下手にポーション与えると変な反応を起こしかねないので、代わりに辺りへ散らばった空薬莢とかを「もぐもぐ」してもらっている。ついでに掃除になってとても便利だ。

 さて、彼女が言ったことは事実。

 家を用意するにしてもすぐには無理。いや、アパートとかならなんとかなるのだが、そんなところに魔王一行を住まわせるのは怖すぎるということで、しばらくの間は俺たちと一緒に住むことになっている。

 

「小桃さんの家はないんですか?」

「ないわ。鴨間小桃は用がある時だけ実体化させていたし、身をひそめる必要のある時は空き家とか空き部屋にするっと入り込んでいたから」

「スマホにメッセージとか着信がある度に実体化するわけ? 律儀というかなんというか」

「そうかしら? 得体の知れない感じがいいと思うけれど。……ところで朱華? スララに全身弄ばれた感想はどう? 肌を傷つけない優しい刺激で身体ぜんぶ愛撫されるの、とっても良かったでしょう?」

「おかげで余計に身体が熱くなったわよ、このエロ魔王。あたし、そういうの危ないんだからね」

「……そのままスララに溺れてくれて良かったのに」

 

 舌打ちするラペーシュが地味に怖い。

 

「あの、部屋割は話し合いましょうね? 私、ラペーシュさんと同室とか駄目ですよ?」

「アリスって一か月くらい『愛してる』って囁き続ければ落とせそうよね」

「落ちる自信があるので駄目です」

 

 我ながら、なんとも情けない自信があったものである。



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聖女、帰宅する

「……また増えてる」

 

 翌日の朝食バイキングにて、他の宿泊客からぽろっとそんな言葉が聞こえてきた。

 原因はアッシェと共にうきうきと食事を吟味しているピンク髪の少女だ。特徴的な瞳や角などは人化の魔法とやらで消しているので、一見ごく普通の外国人美少女ではあるのだが、昨日のアッシェに続いて「これ」なので非常に目立っている。

 魔王であるラペーシュも目立つのは嫌いでないらしく、優雅に笑顔を浮かべながら周囲にカリスマを振りまいていた。なお、笑顔を向けているのは女子だけで、男子はさりげなくガン無視である。

 

「ねえ、アリスは何を食べるのかしら?」

「そうですね……。今日でメニューを制覇できそうなのでそちらを念頭に、後はフレンチトーストやオムレツをリピートしようかと」

 

 そのラペーシュからの問いに苦笑しつつ答える。お高いホテルだけあって、バイキングには「連泊のお客様を飽きさせないように」と日替わりのメニューもあったりするのだが、そういうのを除けばだいたい一回は食べた。なので、食べたことのないものを選んだ後はお気に入りを味わうのみである。

 桃髪の美少女は「ふうん」と頷いてから、耳元で、

 

「私としてはアリスを味わいたいんだけど」

「そう言う冗談は止めてくださいって言ってるじゃないですか」

「残念だけど、冗談じゃなくて本気なの」

 

 本当に、魔王軍ご一行様はトラブルメーカーである。

 空気が読めるので逆にタチが悪い。ギリギリ許せる悪戯しかして来ないからだ。大人しく部屋で留守番しているスララが一番マシなのでは、とさえ思う。スララはスララでスキンシップが過剰なので一概には言えないのだが。

 さて。

 今日も今日とて思い思いに料理を取った俺たちは隣接した二テーブルを占領すると食事を開始した。

 なお、アッシェは肉料理多めのチョイス。ラペーシュは高そうなものを少しずつつまんでいる。本当はワインを飲みたかったようだが、見た目が未成年なので止められていた。

 

「さて。皆の者。本日帰還しようと思うが問題ないか?」

 

 食事を始めたところで教授が告げた言葉に、仲間たちはおおむね「まあそうだろうな」という反応を示す。

 最も残念そうにしたのは少女魔王で、

 

「あら。せっかくだからこの地を堪能していけばいいのに」

「何をしでかすかわからない輩と一緒に遊び歩けるか。それに、ちょうどいい提案をしてきたのはお主だろうに」

「? なんかあったの、教授?」

「ラペーシュ様が転移魔──移動手段を手配してくださるそうですわ」

「そういうこと。あなたたちの家には行ったことがないから直行は難しいけれど」

 

 鴨間小桃としての記憶があるのなら、学校周辺までは飛ぶことができる。そこからなら歩いて帰れるのでぐっと楽である。何より飛行機に乗っている時間が浮く。まあ、空の旅も楽しいものではあるのだが。

 

「楽でいいよねー。荷物も運びやすいし」

「手荷物にしたいもの以外は配送手配をすれば良いのですから、とても助かりますね」

 

 喉から手が出るほど欲しかった転移魔法使い。(一応とはいえ)敵なのがとても残念だ。ラペーシュに頼めば日帰りで青森旅行も簡単だし、なんなら何度か往復して荷物を運ぶことだってできてしまう。

 ベーコンやオムレツで白米を食べている瑠璃は呻って、

 

「つくづく反則ですね」

「私、欲しい物は手に入れる主義だもの」

 

 肩を竦めてこっちを見つめるラペーシュ。なんだかアプローチがすごい。むっとした瑠璃が俺を見て、

 

「あ、アリス先輩。私だってアリス先輩のこと、その、好きですからね」

「ありがとうございます、瑠璃さん。私も瑠璃さんのこと好きですよ」

 

 本当に、良い人たちに囲まれて俺は幸せ者である。

 

「瑠璃さまは失敗してしまいましたね……」

「お人好しすぎるせいで鈍いのよね、こいつ」

 

 なんか酷いことを言われた気がするが、追及して喧嘩になるのもアレなので、とりあえずフレンチトーストやオムレツに舌鼓を打っておいた。

 

 

 

 

 

 帰ると言ってもチェックアウトの手続きなどが残っている。

 荷物の配送に関しては置いていくものをひとまとめにして政府のスタッフに引き渡せば向こうで手配してくれるので問題ないが、それだけに荷物を増やすのなら先にやっておかなければならないわけで。

 

「土産をどっさり買って帰るぞ!」

「あ、それは確かに重要です」

 

 連休中、学校のみんなと遊びに行けなかった分、お土産を渡さなければ。もちろん椎名や千歌さんにも買わないといけないし、後は吉野先生にも渡したいところだ。芽愛たちを通じてクラスの分かれた友人にも渡してもらいたいので──うん、かなり大量になる。

 悪くならないお土産は外食のついでに買ったりしていたものの、まだまだ買いたいものはある。主に食品関係。高一女子に受ける食べ物といえばやはりりんごのお菓子だろうか。芽愛にはご当地食材や調味料がいいだろうし、縫子は写真をたくさん撮って送るのがいい気がする。鈴香には珍しいアロマオイルを買ってある。

 

「ねえアリス。私にはくれないの?」

「もちろん買いますよ。正確には小桃さんに、ですけど」

 

 今ここにいるラペーシュに、ではない。まあ、二人は同一の存在なわけなので同じことなのだが。

 

「吾輩も大学の皆に買って行かねばな。ううむ、やはりかなりの量になるな」

「お土産ね。あたしはアリスと共同でいいわよね」

「構いませんけど、朱華さんもクラスメートに渡す分はちゃんと選んでくださいね?」

「私も買うけど、チョイスはアリスちゃんと瑠璃ちゃんのを参考にしよっと」

「それは責任重大ですね……」

「ご安心ください、瑠璃さま。わたしもお手伝いいたしますので」

 

 というわけで、部屋に戻ってスララにクズ野菜をあげた後、俺たちは午前中からお土産調達に繰り出した。

 ラペーシュたちだけホテルに残しておくのも怖いということで全員での外出。スララには密度を上げてもらって俺の鞄の中に入ってもらった。もちろん、変なものを「もぐもぐ」しないように言い含めてからだ。お陰で大人しくしてくれていて、たまに道端で買ったスイーツなんかをこっそりあげると「わーい」と喜んでくれた。

 マスコットといえば、アッシェの買ったうさぎはいったん政府スタッフに預けてある。なのでエサの心配はないだろう。帰る時にしっかり連れて帰らなければ。

 

「うむ。土産といえば酒に、酒に、酒だな。……む。日本酒や焼酎が鉄板だと思っていたが、りんごの果実酒というのもご当地感はあるな。ノワール、どう思う?」

「そうですね。わたしはやはり果実酒の方が好みです。女性には喜ばれるかと」

「試飲できるなら私が選んであげましょうか?」

「有難いが、お主、その外見では無理があるだろう」

「お生憎様。あなたと違って身分証はないけど、その気になれば見た目くらい変えられるの」

 

 ホテルでやったらさすがに不審だから我慢していたらしい。成人女性に変化したラペーシュは教授と一緒に酒を試飲しては「これはなかなか」「いや、こっちも」などとやっていた。

 

「せっかくだし海産物も必要だよねー。主に自分用に」

「さすがに海の幸は学校に持って行くと臭いがね……。アリス、瑠璃。甘味のチョイスはあんたたちが頼りだから頑張りなさい」

「お任せください。……あ、実家じゃない、バイト先にも買って行かないとですね」

「私もいもう──他校のお友達に送らないといけません」

 

 そうやってたっぷりお土産を買い込み、昼食として最後にご当地フードを堪能してから、荷物をまとめてホテルをチェックアウトした。

 その後は送ってもらう荷物やレンタカーをスタッフに預け、ラペーシュの認識阻害魔法+透明化魔法で他の人の視界から隠れ、転移魔法でひと飛び。学校から数分の位置に降り立った。

 立て続けに魔法を使ったラペーシュは(酒のせいで)赤くなった顔で、

 

「さて、タクシーを拾いましょうか」

「別にここからそんなに遠くないんだけど?」

「歩く距離は短ければ短いほどいいのよ」

 

 さすがは魔王様だった。

 とはいえ、手荷物もそれなりにあるので結局その提案には賛成し、俺たちはあっという間にシェアハウスへと帰り着いた。

 

「あら。ここが皆様の住処──案外小さい家ですのね」

「本当ね。我が城の兵舎の方が何倍も大きかったわ」

「おふろー」

 

 外観を見るなり魔王様ご一行は言いたい放題。でかい奴もいるであろう魔族の城と比べられても困る。あと、うちにはお風呂が一つしかないのでスララに占有されるのも遠慮したいところだ。

 

「我が儘を言うな! これでも現代日本基準なら十分広い家だ」

「ま、この人数だとさすがに手狭だけどね」

「皆さまの部屋割りも決めましたのでご安心くださいませ」

 

 ちなみにその部屋割りはというと、俺の部屋にスララ。朱華の部屋にアッシェ。一階にはまだ部屋が空いているのでそこにラペーシュという感じだ。

 

「私はアリスと一緒で構わないけど?」

「私が構います!」

「っていうかあんた、階段上るの面倒とか言いそうじゃない」

「無礼者。その位言わなくても察しなさい」

 

 やっぱり面倒だったらしい。朱華やシルビアより我が儘とはなかなかである。

 なお、その朱華とアッシェが一緒なのはお互い薄着でも気にならなさそうだからというのと、ビーフジャーキーとか転がってても「これ一つちょうだい」「いいですわよ」で済みそうだからだ。

 俺がスララを引き受けたのは一番可愛い……もとい、無害そうだからだ。部屋でぽよぽよしている分には特に問題ない。ついでというかなんというか、うさぎも一羽引き取った。他の四羽はリビングを定位置としてアッシェが世話係。ケージや当面のエサなどは向こうのペットショップで購入済みである。

 

「アッシェだっけ? あんたちゃんとうさぎの世話できるの?」

「わたくしは魔物使い(モンスターマスター)であると同時に獣使い(ビーストマスター)ですのよ? 一度従僕とした者には責任を持ちます」

「その割に獣を使い捨てにしていましたが……」

「戦闘用に使役したものは戦いの中で散るのが定め。そうなるように教えますし、彼らもそれを覚悟しております。ですがこの子たちは愛玩用ですからね。……五羽は多すぎたと後悔しておりますが」

 

 とりあえず世話は大丈夫そうだ。むしろ俺の方が初めての経験なので心配である。まあ、困ったらアッシェに聞くなりネットで調べるなりできるし、なるべく使わずに済ませたいものの魔法を使うという手もある。

 

「はー。やっぱり我が家は落ち着くな」

「私達もなんだかんだで長いもんねー」

 

 荷物を運び込んでリビングで一休み。ノワールがすかさずお茶を淹れてくれた。彼女は「まずはお掃除を頑張らなければいけませんねっ」と燃えている。

 

「すみません、ノワールさん。家事がますます大変になってしまって……」

「アリスさまが気になさることではありません。……ですが、そうですね。手の空いた際にお手伝いをしてくださると嬉しいです。もちろんわたし一人でもなんとかしてみせますが、精神的に捗るものがありますので」

「はい。もちろんお手伝いさせてください」

 

 ラペーシュが料理や洗濯なんかするわけないし、スララも同様。アッシェは「動物を捌くのは得意ですが……」と得意分野が偏りまくっている。新しい同居人に期待するのは酷だろう。

 

「ところでアリスさま。その子のお名前は決まったのですか?」

「あ、いえ。まだです」

 

 大人しくケージに収まってくれている一羽のうさぎ。一番人懐っこかった子で、白いふわふわの毛並みが特徴だ。名前は何がいいだろうか。

 首を傾げていると朱華が、

 

「白いし、シロでいいんじゃない?」

「なんか犬みたいな名前じゃないですか?」

「じゃああんたは何がいいのよ」

「えっと……白、雪……スノウとかどうですか?」

「あ、わたしもいいと思うよー」

「吾輩は『ウサ美』とかがいいと思うが」

「アリス先輩。ユキ、でも可愛らしいと思います」

 

 なんかこんなやりとりを前にもしたような気がする。

 ここからさらにラペーシュが「ネージュはどう?」と言い、スララが「うさうさー」と参戦してきたところで、ノワールの「ブランシュはどうでしょう?」という提案が採用された。普段は縮めてブランと呼ぶことにしようと思う。

 

「残念。今回はノワールさんの勝ちだったねー」

「なんならあと四匹もいますし、名づけ親になっていただいて構いませんわよ」

「じゃあこの茶色っぽいのは『茶々』にしましょ」

 

 なんとまあ、シェアハウスが一気に賑やかになってしまった。

 ゴールデンウィークが終わっても慌ただしい日常が続きそうだ。そして、

 

「楽しみにしているわ。あなたと──あなたたちとの決戦を」

 

 力強い視線を俺に向けてくるラペーシュに、頷いて返した。

 

「負けません。全力で迎え討ちますから安心してください」

 

 決戦のタイムリミットは夏休みの始まり。一学期の終わりまでに俺たちは見つけないといけない。もっと強くなる方法を。そして、強大な魔王を打ち倒す方法を。




これでこの章は終了になります。
次章、最終章?
合間に番外編を挟むかは今のところ未定です。


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第六章
聖女、バレる


「……ん」

 

 スマホのアラームが鳴る前に自然と目が覚めた。

 ぷにょん、とした枕から頭を上げた俺は掛け布団をはだけると、同じくぷよぷよした抱き枕? から身を離す。枕+抱き枕状に変形していたスララは「むにゃむにゃ」と古典的な声を上げながらぽよん、と人型に戻った。目覚めた様子はないので本能か、あるいは形状記憶的なアレらしい。

 人懐っこいスライム少女から「いっしょにねよー?」と纏わりつかれた時はどうなることかと思ったが、自在に変形できる彼女の枕はとても寝心地が良かった。こちらの体温が移るまでは若干ひんやりするので冬場は寒そうなのが少々気になるが。

 ぐっと伸びをして眠気を吹き飛ばしていると、隅の方に置かれたケージがかたかたと揺れる。

 俺はケージに歩み寄り、その入り口を開いて白いふわふわのうさぎに挨拶した。

 

「おはようございます、ブラン」

 

 腕の中に納まった新しい同居人を軽く抱きしめ、毛並みを堪能してから解放すると、彼女はとてとてとベッドの方へ移動し、スララの弾力ボディでぺしぺし遊び始めた。寝ぼけたスララにいじめられないか心配だが、危害はラペーシュの契約で封じているので大丈夫だろう。

 カーテンを開け、シャワーの準備をして一階へ下りると、リビングから四羽のうさぎと共にノワールが出てきた。

 

「おはようございます、アリスさま」

「おはようございます、ノワールさん」

 

 足にまとわりついてくるうさぎたちにも挨拶。引っ越してきたばかりだというのにみんな元気である。これもアッシェの力か、それともこの子たちが人懐っこいだけか。

 

「そういえば、お風呂の順番もまた決め直さなければいけませんね」

「さらに三人……じゃない、二人も増えるとさすがに戦争ですね」

 

 スララを除外できるのがせめてもの救いだ。スライムである彼女は三大欲求に縛られない。食べること自体は好きなようだが、クズ野菜とかでも「わーい」と喜ぶので、むしろ生ごみ処理を手伝ってくれて大助かりだ。一家に一匹スライム娘というのもなかなかアリかもしれない。

 

「おはよう、アリス。今日も可愛いわ」

「お、おはようございます、ラペーシュさん」

 

 さて、シャワーを……とバスルームへ向かうと、寝起きのラペーシュから挨拶をされた。余計というか過剰な一言が添えられていて思わず赤面してしまう。

 ネグリジェ的な寝間着しか身に着けていないこともあって色気も凄い。朱華がラフな格好をしていると「雑だなー」という感想が先に来るのだが、押さえるところを押さえるだけでこうも印象が変わるものか。

 

「ラペーシュさんもシャワー浴びますか?」

「ええ、アリスと一緒なら是非……と言いたいところだけど、挨拶もしたし、もうひと眠りするわ。ノワールにはそう言っておいて頂戴」

「はい、わかりました」

 

 どうやら朝はゆっくり眠る派らしい。さすが魔王様──って。

 

「今日から学校なんですから、さらっと二度寝しないでください!」

 

 自室へ引っ込もうとするラペーシュの首根っこを慌ててつかまえた。

 

 

 

 

 

 シャワーを浴び、朝のお祈りを済ませ、スララとブランに似たようなエサを与えてからリビングへ。

 

「初等教育ならまだしも、能力の違う者達に画一的な高等教育を受けさせるとか無駄じゃないかしら……」

 

 相当朝が弱いのか、ラペーシュは席につきつつもぶつぶつ言っている。その様子を朱華はじっと見つめて、

 

「案外、あんたとあたしって気が合うのかも」

「あら、そう? なんならアリスを娶った後、側室にしてあげましょうか?」

「んー。あんた人使い荒そうだからパス」

 

 なんとも雑な勧誘に、なんとも雑な断り文句が返されていた。

 なお、残る一人であるアッシェはきちんと身支度を整えて席についている。普段着がそもそも露出度高すぎ、というのを除けば優秀だ。

 

「なんとなく、アッシェさんは寝坊しそうだと思ってたんですが……」

「獣使いは自然と朝が早くなるんですのよ」

「なるほど」

 

 ニワトリを始め、明け方から起き出す動物というのは多い。そういう者達と付き合っているうちに自分もそういうリズムが身に付くのだろう。

 

「ラペーシュちゃんと逆なら良かったのにねー」

「……むう。アリス、回復魔法をかけてくれないかしら」

「えっと、構いませんけど、逆にダメージ受けたりしませんか?」

「アンデッドじゃないんだから大丈夫よ」

 

 そういうことならと、軽くラペーシュを癒してやる。朱華と違ってきちんと眠ってはいるようなので、すぐに調子を取り戻した。

 それを見た教授が「ん?」と首を傾げて、

 

「ラペーシュよ。お主、回復魔法も使えるんだろう?」

「ええ、まあね。でも『組み換え』るのが面倒だし、アリスにしてもらった方が気持ちいいかと思って」

「……組み換え?」

 

 聞いたことのない単語に瑠璃も眉をひそめる。

 と、少女魔王は得意げに笑って、

 

「契約魔法によって得た疑似魔法能力は、契約を解除するまで好きなように使用可能になるの。その代わり、契約解除まで魔力の上限が削られる仕組みになっているのよ」

「ほう。つまり、最大MPを削ることでMP消費0の特殊魔法を取得できるということか。取得する魔法はステータス画面からカスタマイズが可能だが、多少の手間がかかるわけだな」

「そういうこと」

 

 あるいはTCGのデッキを組みなおす感覚と捉えてもいいかもしれない。

 一応、まったくの無制限ではなかったんだな、と言うべきか、それとも「最大MPが削れても関係ないじゃん」と言うべきか。

 例えば「テレポートとファイアーボールとバリアとサモン・モンスターを無限回使用可能になる代わりに他の魔法は使えません」とか言われても「チートですよね?」という感想にしかならない。

 

「ラペーシュさまは本当に規格外ですね」

 

 ノワールが給仕をしつつ感想を述べると、ラペーシュは「ありがとう」と言って、

 

「ノワールも人にしては驚くべき能力よ。私がアリスと結婚した暁には専属として雇いたいくらいだわ」

「……それは、なかなかに魅力的なお話ですね」

「待ちなさい。あたしたちとも契約交渉をさせなさい! そうよねシルビアさん?」

「んー、私はラペーシュちゃんの方に付いても問題ないんだけど」

 

 魔王に買収されそうな正義の味方が複数名。

 これにむっとしたのは真面目な瑠璃。

 

「私はまだ、貴女を認めたわけではありませんからね」

「こっちだって簡単に認めてもらえるとは思っていないわ。……やっぱり、目下のライバルはあなたかしらね?」

「あの、お二人とも仲良くしてくださいね……?」

 

 一応、仲裁をしようと声をかければ、二人からは「アリス(先輩)には迷惑をかけない」と返答があった。意外と気が合うんだろうか、この二人。

 

 

 

 

 

 そんなこんなで。

 

「それじゃあ、行ってきます」

「行ってらっしゃいませ、アリスさま。朱華さま。シルビアさま。瑠璃さま」

「行ってらっしゃい」

 

 ノワールとラペーシュに見送られる形で家を出る。

 なんで一緒に行かないかと言えば「一緒にいて噂されると恥ずかしいから」である。いや、どうせバレるとは思うのだが、大っぴらに見せびらかす必要もないだろうという話。

 というか、小桃に戻った時に記憶がどの程度共有されるのか、という問題もあるので、迂闊に「同棲してます」とも言いづらい。

 

「でも、今日だけはもう一人欲しかった気もするわね……」

 

 朱華がぼやいたのは手に下げた紙袋のせいだ。

 俺や瑠璃、シルビアも似たような袋や鞄を手にしている。言うまでもなくお土産である。あげる相手が多いのでなかなかにかさばる。当然、重さもなかなかのものだった。

 

「しょうがないよー。みんなからも貰うことあるんだし、こういう時にお返ししないと」

「ええ。というか、実際、他にも旅行に行ってきた方はいるのでは?」

「そうね。この袋が帰りもいっぱいになることを願うわ」

 

 それはなかなか夢の膨らむ発想である。

 

「瑠璃さん、今日はバイトに直行なんですよね? そっちのお土産も大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫です。しばらく休んでしまったので、その分を取り返さないといけませんね」

「私も園芸部に顔を出さないといけませんね……」

 

 園芸部の分ももちろん買ってきている。今日もなかなか忙しくなりそうだ。

 

「あ、アリスちゃんだ!」

「おはようございます、皆さん。ご無沙汰していました」

 

 教室に着くと、クラスメートたちと挨拶。しばらく会っていなかったが、ときどきスマホで連絡を取り合っていたこともあってみんな笑顔で出迎えてくれた。

 買ってきたお土産を配っていると、入り口の方から歓声。振り返れば小桃が登校してきたのがわかった。もちろんピンク色の髪をしていたりはしない。一般人モードだ。

 彼女は俺の顔を見るとにっこり笑って、

 

「おはよう、アリス。会いたかった」

「っ!?」

 

 周囲から、きゃあ、という声が聞こえた。

 

「アリスちゃん、やっぱり鴨間さんと付き合ってるの……?」

「いえ、そういうわけでは」

 

 自然に聞こえるように答えながら、まさかラペーシュの仕業かと警戒する俺。いやでも、小桃もこれくらいは言いそうな気がする。

 

「というか、小桃さんも訂正してください……!」

「あはは、ごめんごめん。アリスが可愛かったから、つい」

「……うう」

 

 なんだか積極性と攻撃力が上がっているんじゃないだろうか。ラペーシュが目覚めたせいで影響が強くなっているんだろうか。

 

「これは緋桜(ひおう)さん達もぼうっとしていられないんじゃ……」

「何角関係なのかな、これ……」

 

 いや、そういうのじゃないというか、図形が描かれているとしたら〇角関係ではなくアリシア・ブライトネス包囲網的な方向性じゃないだろうか。

 

 

 

 

 

「お久しぶりです、アリスさん」

「元気そうで良かったわ、アリス。旅行は楽しかった?」

「はい。せっかくなので楽しんできました。これ、お土産です」

 

 昼休みの中庭では鈴香たちにお土産を渡した。彼女たちの分は他の友人よりも奮発した特別仕様だ。みんな喜んで受け取ってくれる。

 縫子(ほうこ)も口元を綻ばせながら、

 

「私はアーカイブを毎日追っていたのであまり久しぶりという気がしませんが、嬉しいです」

「アーカイブ?」

「あっ」

「……ねえ縫子。そろそろ教えてくれないかしら。アリスとどんな秘密を共有しているの?」

「べ、別に秘密というほどのことでは……」

 

 恥ずかしいので誤魔化そうとしたら「なら教えて?」と迫られ、白状するしかなくなった。

 まさか、ネット上で超マイナーなアイドルやってます、なんて自分から教えないといけないとは……。

 

「他の人には言わないでくださいね」

「安心して、言わないわ。……でも、意外ね」

「そうですね。まさかアリスさんがそんなことをしていたとは……」

 

 顔を見合わせる鈴香と芽愛。失望されてしまっただろうか。

 

「早く言ってくれればよかったのに」

「え?」

「本当よ。知っていれば応援したのに」

 

 二人は「別に馬鹿にするようなことでもない」と言ってくれた。

 

「まあ、アキがやっていたら笑うけど」

「どういう意味ですか。というか、やりませんよ。私は裏方の方が性に合っています」

「私はやるならお料理動画とかでしょうか。ちょっと楽しそうですね」

「……本当に、皆さん優しすぎませんか?」

 

 しみじみと言ったら「お前が言うな」みたいな顔をされた。

 

 

 

 

 

 吉野先生にもお土産を渡し、園芸部にも顔を出してから帰宅する。

 千歌(ちか)さんの分はどうしようか。縫子から渡してもらうのとどっちがいいか相談してみたのだが、縫子からの答えは「アリスさんが構ってあげてください」というものだった。そろそろ我慢できなくなっている頃だろう、と。

 単に姉の相手が面倒くさかったのかもしれないが、確かにそろそろ配信の約束を果たした方がいいかもしれない。そう思ってグループチャットでメッセージを送っておいた。しかし、放課後になってすぐ送ったメッセージは、帰宅した後も既読が付かないままだった。

 やっぱり忙しいんだろう。そこまで急ぐわけでもないし待っていようと、俺は暇をしているスララの相手をしたりブランを撫でたり、ノワールの手伝いをしたりして過ごした。配信をするようになって放課後の時間が忙しくなったので、最近はなるべく休み時間に宿題を済ませるようにしている。ふとした時間に「今日の配信はどうしようか」と考えるのも日課になってきた。

 

「アリス。暇なら私のことも構いなさい」

「すみません。あまり暇というわけでは……」

 

 食材の下ごしらえをしていたらラペーシュが寄ってきた。どうやら彼女的には本体を家に置いたまま幽体離脱するような感じで小桃モードと切り替えているらしく、その気になれば一瞬で帰宅が可能らしい。なのでその分だけ暇なのである。

 

「アッシェさんと遊んだらどうですか?」

「申し訳ありませんが、ラペーシュの相手は面倒──もとい、今、わたくしも手が離せませんので」

「今、面倒って言わなかったかしら?」

「気のせいではないかと」

 

 そう言うアッシェは朱華から電子機器の使い方を教わりつつ、ネットで現代のうさぎの飼い方を勉強しているところだった。教える朱華の顔には「エロゲがしたい」と書いてある。そのくせきちんと教えているあたり面倒見がいいと思う。

 なお、二人の周りにはブランも含めた五羽のうさぎが群れており、とても和む光景になっている。

 うん、やっぱりうさぎは可愛い。アリシアの信仰的にも動物が愛するべき対象である。まあ、大地の神なので動物を狩って食べるところまで含めた自然のサイクルを信仰している感じだが。うちで飼っているのは愛玩用のうさぎなので食べない。

 

「今日は瑠璃さまと教授さまが帰られたら夕食ですね」

「はい。二人とも夕飯までには帰ってくると思うんですけど……」

 

 予想通り、瑠璃は夕飯前には帰ってきた。

 ただし、その表情はげんなりしていて、しかも足取りが重い。玄関から音がしたきり動きがないので見に行ったら開口一番「……申し訳ありません」だった。

 

「しくじりました。まずいことになったかもしれません」

「な、何があったんですか……!?」

「ええ、その、実はお客様がいらっしゃいまして……」

 

 閉じていた玄関のドアを瑠璃が開けると、そこには一人の女性が立っていた。

 俺と目が合った彼女は少し驚いたような顔をした後で「なるほど」と呟いた。

 うんうん、と頷いた彼女──千歌さんはさらに、俺の後ろに立っていたノワールを見つめて、

 

「早月瑠璃にノワール・クロシェット。アリスちゃんがいるってことは朱華ちゃんもここにいるんでしょ? ……これは、もしかして、アリスちゃんもなんかのキャラだったりするのかな?」

 

 完膚なきまでにバレた。



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聖女、説明する

「お邪魔します」

 

 核心を突かれた俺たちにできるのは、千歌(ちか)さんをリビングへ通すことだけだった。

 シラを切り通すのは無理そうだし、このまま帰したら何がどうなるかわからない。千歌さんもさすがにノーとは言わず、素直に靴を脱いでくれた。表情は硬いものがあったが、

 俺は、事情を知っているであろう瑠璃に尋ねる。

 

「いったいなにがあったんですか?」

「……それが、あの方がバイト先に来られまして」

 

 瑠璃の顔を見るなり驚いた顔で詰め寄ってきたのだという。

 

「お知り合いだったんですか?」

「その子じゃなくて、その子のバイト先の長男とね」

 

 と、これは千歌さんが答えてくれた。

 内緒話という声量ではなかったので想定内だが、そのお陰でいろいろややこしい事態だということがわかった。

 瑠璃のバイト先──和菓子屋の長男というのは当然、変身する前の瑠璃自身のことである。そしてもちろん、千歌さんはそのことを知らない。

 俺も千歌さんと瑠璃が知り合いだとは知らなかったのだが。

 

「じゃあ、どうして瑠璃さんのことを?」

「その子のことも知ってたからだよ。私が一方的に、だけど。……アリスちゃんたちならわかるんじゃない? 早月瑠璃は、あいつがTRPGで使ってたキャラなの。一緒の卓にいたから良く知ってる」

 

 同卓していたのなら一目瞭然だっただろう。

 瑠璃とフルネームが同じで、イメージもぴったりの女の子が現実に現れた。しかも、プレイヤーの実家のアルバイトとして、だ。

 そんな偶然があるわけない。

 最初、千歌さんは瑠璃にモデルがいたのだと思ったらしい。『元の瑠璃』のことを知っているのか。彼とどういう関係なのか。彼が今、どうしているのかは? と、思わず詰め寄ってしまった。

 

「そうしたらその子、妙に挙動不審だったの。……怪しいと思うでしょ?」

「瑠璃さん?」

「瑠璃さま?」

「……いえ、その、なんといいますか」

 

 気まずそうに目を逸らす瑠璃。

 とはいえ、これに関しては彼女が悪いとも言い切れない。

 千歌さんを納得させられるレベルの嘘を構築するのはかなり難しいだろうし、それを突き通すのはもっと難しい。加えて言えばご両親にも嘘に協力してもらわないといけないのだ。

 

「説明してくれるよね、アリスちゃん?」

「……もちろんです」

 

 こうなったら説明するしかない。政府には事後承諾になってしまうが、そこは我慢してもらおう。

 と、しばらく立ち話が続いてしまったが、俺たちはリビングへと移動して、

 

「何か問題かしら? なんなら私達は席を外しているけれど」

「ら、ラペーシュにアッシェ!? そんなのまでいるの!?」

「あ」

 

 そういえば、ラペーシュの登場したエロゲには千歌さんも出演しているんだった。なら、見ただけでラペーシュだとわかってもおかしくはないだろう。まして今は「ゲームやアニメの登場人物が現実にいるのかも」という思考になっているわけだし。

 そして、良くなかったことがもう一つ。

 千歌さんを見た、というか、()()()()()()()()()()ラペーシュがにんまりと笑みを浮かべたのだ。

 

「あら? 面白い子が来たじゃない。アリスと、それからあの子とも同じ声」

 

 ねっとりとした声音。思わずぞくっとしながら、ラペーシュが俺を褒める時に「声」を挙げていたことを思い出す。なら当然、同じ声をした千歌さんだって好みのはずだ。

 ラペーシュは千歌さんの傍まで歩み寄ると、彼女の顎に指を這わせて、

 

「ねえ? 『アリシア・ブライトネスはラペーシュ様に永遠の忠誠を誓います』──って耳元で囁いてくれない? やってくれたらご褒美をあげる」

「ご褒美? それはちょっと魅力的かも……?」

「そういうのはよそでやってください! というか、他人の名前を勝手に使わないでくださいっ!」

 

 なんかもうめちゃくちゃである。

 

「……なんだこの状況は。一体何があったのだ」

「あ、教授だ。もうなんでもアリじゃないこの家」

 

 そうこうしているうちに教授まで帰ってきてしまい、千歌さんの知っているキャラクターがさらに増えてしまった。

 

 

 

 

 

 仕方ないので食事をしながら話をすることに。

 メインの料理はきのこたっぷりの和風クリームパスタ。麺の量さえ増やせば後は調節がきくということで、一人分増えても特に問題はなかった。

 千歌さんはパスタを一口食べて「美味しい」と呟いてから俺を見て、

 

「で、アリスちゃんたちって本当にゲームとかマンガのキャラなの?」

「あくまで私に聞くんですね……?」

「だって、アリスちゃんとそっちのシルビアちゃん以外、知ってるキャラで怖いし」

「わかる。二次元キャラが三次元で出てくるとなんかこう、お化けでも見た気分になるわよね」

「朱華さんはどっちの味方ですか」

 

 千歌さんと話の合う紅髪の少女をジト目で見てから、俺はこほんと息を吐いて、

 

「このことは他言無用でお願いします。こんなことが知れたらどんな騒ぎになるかわかりませんから」

「……わかった、約束する」

 

 こくん、と、千歌さんが頷くのを待ってからかいつまんで事情を説明した。

 魔王様ご一行以外のメンバーはある日突然、起きたら「こう」なっていたこと。元キャラの記憶なんかも持っているし、能力も使うことができるが、アニメやゲームのキャラそのものなのかと言われればなんとも言えないこと。

 ラペーシュたちはキャラそのものであり、他に行くところがないのでうちにいること、などなど。

 なんというか「どこのラノベの設定?」と言いたくなるような話だったが、声優でありオタクでもある千歌さんはこの手の設定には慣れている。話の流れ自体にはツッコミが入ることもなく最後まで話が進んで。

 

「……なるほどね。シルビアちゃんは自作小説のキャラ。で、アリスちゃんはあのSRPGの主人公か」

「はい。黙っていてすみません」

「いいよ、気にしないで」

 

 怒られたり、気持ち悪いとか言われるかとも思ったが、千歌さんはにっこりと笑って、

 

「言えない事情があるのはわかったし、別に悪いことしてるわけじゃないんでしょ? なら、アリスちゃんは悪くないじゃない」

「千歌さん……」

「まあ、ラペーシュさまは魔王なので悪人なのですけれど」

「アッシェ? その通りだけど、ここで話をややこしくしないで頂戴」

 

 いや、ラペーシュの言動も大概だと思うが。

 千歌さんは魔王たちの漫才をスルーし、瑠璃を睨んだ。

 

「で、後輩? 何か申し開きはある?」

「いえ、あの。なんのことかわからないと言いますか、変身前の個人情報は秘密なので──」

「私の家に来るなりクローゼットの匂い嗅いだの大学のみんなにバラす」

「待って、待ってください! それだけは! っていうか誇張入ってるじゃないですかぁ!」

 

 おお、瑠璃がここまで慌てるところは初めて見た。

 というか、千歌さんから前に聞いた変態さんがまさか瑠璃のことだったとは。いや、誇張って言ってるからどこまで本当かはわからないが。

 なんにせよ、これで瑠璃の正体までバレバレである。

 これはもう、脅迫とかされるかもしれない。ラペーシュに頼んだら記憶消去とかしてもらえるだろうか……と。

 

「……そっか。そうだったんだ。元気にしてたんだ」

 

 千歌さんの反応は、俺としても意外なものだった。

 切なげに声を震わせ、俯いて涙を落とす。その姿に瑠璃は絶句。他の面々も「どうしていいかわからない」という風に硬直した。俺にできたのも、そっと肩に触れてハンカチを差し出すことだけ。

 

「ありがとう、アリスちゃん」

 

 微笑んで涙を拭う千歌さん。深呼吸をして前を向いた時には表情はほぼ元通りだった。

 でも、さっきの様子が嘘だったとは思えない。

 前に彼女が言っていた「入院した後輩」というのは瑠璃のことだったのだと今ならわかる。思えば千歌さんは何度も瑠璃──変身する前の瑠璃について口にしていた。声優をしている美人女子大生の彼女がプライベートで一緒にTRPGをしたり、自宅に招いたり、急な入院を心配したり、実家の和菓子屋に顔を出したりする相手。それはやっぱり「そういうこと」なんじゃないだろうか。

 もちろん、関係としてはただの友人、先輩後輩だったんだろう。

 それでも、瑠璃へ「今すぐ男に戻れ」と言いたい衝動が起こらなかったかといえば、もちろん起こった。盛大に。リア充爆発しろ。

 

「……なんだか、少しだけ恋人が欲しくなりました」

「本当? じゃあアリス、今すぐ結婚しましょう?」

「まっ、アリス先輩。その魔王(ひと)の言う事は聞かなくて構いませんから……!」

 

 思わず口走った言葉に反応するラペーシュ。すかさず瑠璃が忠告してくれるが──これに朱華が「あんたたちも懲りないわね」と苦笑した。

 そして千歌さんは「……ふうん?」と、何故か怖い笑顔を浮かべて。

 

「へー? いや、うん、わかるよ? アリスちゃんは可愛いもんね? でもさ、女の子になったと思ったら、私と同じ声の金髪ロリにその態度ってどういうこと? え?」

「ひぃっ!? 先輩、声優としてあるまじき顔になってますからっ!」

 

 瑠璃もいつもの「真面目な優等生」の顔が台無しである。素直に付き合ってればよかったのに、などと思わなくもない。

 

「……もう、いっそのこと私、アリスちゃんと付き合おうかな」

「へ?」

 

 なんか丸く収まりそうなので傍観していたらぎゅっと抱きしめられた。

 

「あの、千歌さん?」

「アリスちゃん、私じゃ嫌? 結構趣味も合うと思うんだけど」

「……いえ。えっと。あれ? はい、全然嫌じゃないですね……?」

 

 ラペーシュみたいに会って日が浅いわけじゃないし、ゲームなんかの話もできる。それでいてお洒落とかにもある程度気を遣っているし、可愛いものにも目がない。縫子たちとも繋がりがある人だし、何より秘密を共有できる仲になった。

 別にそれでもいいんじゃ? という気になってきた俺だったが、これには複数人が慌てだし、

 

「待ちなさい。それは許さないわ。二人とも私の物になるならともかく」

「そうです。先輩とアリス先輩がくっつくなんていけません。猛犬と子猫を結婚させるようなものです」

「いや、あのね瑠璃? あんた、そういうところよ多分」

「なんだか楽しそうな展開になってきましたねっ」

「うむ。まあ、見ている分には楽しいな」

「うーん、こういう人もいるんだねー。お姉さん常識に自信なくなってきたかも」

 

 賑やかなうちに夕食の時間が過ぎていったのだった。

 なお、千歌さんからの告白は「冗談だよ」と撤回されたのであしからず。

 

 

 

 

 

「それで、安芸千歌……だったか? 我らのことは黙っておいてくれる、という認識でよいのか?」

「はい。言ってもみんな信じないでしょうし、広めるメリットもありませんから」

「助かる。一応、政府には連絡を入れなければならんから、そのうち誓約書か何か書かされると思うが、それは我慢してくれ」

「わかりました」

 

 ノワールの淹れてくれた食後のお茶を飲みながらあらためて千歌さんの意向を確認。

 

「……バレたのが先輩で助かりました」

「いや、私以外じゃあのバレ方はしなかったでしょ」

 

 瑠璃の呟きにツッコミが入る。確かに、瑠璃のオリジナルを知っていて、かつ他のシェアハウスメンバーと面識があるのは千歌さんくらいである。

 一緒にTRPGをしていた他のメンバーも程度の差こそあれオタクだそうだが──今後は千歌さんが口裏合わせに協力してくれるらしい。彼女も瑠璃のことを前から知っていた、と説明すれば、周囲は「ふーん」で済むだろう。

 

「でもほんと、みんな違和感なく美少女やってるのね……。ノワールさんなんかあのノワールにしか見えないもん」

「ありがとうございます。褒めていただいても何もお出しできませんが……あ、パンケーキでも焼きましょうか?」

 

 言った端からデザートを追加しようとするノワール。なんだか嬉しそうである。

 

「あ、話し込んでいるうちに結構時間が経ってしまいました。今日の分の配信を忘れないようにしないと」

「アリスちゃんも結構続いてるよね。私とも今度やろうね?」

「はい、よろしくお願いします」

 

 俺は微笑んで答える。千歌さん当人に隠さなくて良くなったことで、一般向けの情報操作はやりやすくなった。アバターで配信を始めて設定を広めたこともあって、これから顔出しする分には「ウィッグを使っているだけの女子中学生」である程度は通るだろう。

 これに千歌さんも頷いて、「私もお仕事頑張らないとなー」と呟く。それから思い出しように「あ」と声を上げて、

 

「声優で思い出した。ノワールさんに一ついい話があるんです」

「? わたしに、ですか?」

 

 首を傾げるノワール。俺としても二人の繋がりがいまいちわからないんだが、

 

「あのマンガ、今度アニメになるんです。ノワールさん、ノワール・クロシェットの声優やりませんか?」

「な」

 

 織田信長の声優を信長本人にやらせる、みたいな話だった。



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聖女、コラボ配信する

「みなさんこんばんは、千秋(ちあき)和歌(のどか)です。突発的な生配信でごめんなさい。これにはちょっと事情がありまして……。え? 気になる? ふふふ、慌てなくても大丈夫。ちゃんとこれから説明するから」

 

 お仕事モードの千歌さんは割増しで格好いい。

 普段とは違い、空いている和室を借りての配信。深呼吸の後に開始ボタンを押した俺は、悪戯でもしているような心境で口を開かずにいた。

 まだまだ無名とはいえ、始めた当初に比べればだいぶ見てくれる人も増えた。そのため、日によってまちまちな開始時間にも関わらずチャンネルには既に多少の視聴者がいてくれて、コメントに「お?」「なんだ?」などと書き込んでくれている。

 

「えー、もしかしたらもう気づいた人もいるかもだけど、なんと! 今日は新人Atuberのキャロル・スターライトちゃんとのサプライズコラボ配信です! というわけで──」

「こんばんは、キャロル・スターライトです。初めましての方も多いかと思いますが、よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします。……って、私に言ったんじゃないんだけど。あ、うん、わかる。声だけ聞こえてるとちょっと変な感じだよね。でもしょうがないんだよ。キャロルちゃんと私がそのまま並ぶのはちょっと技術的にアレだから。

 うん、そうそう。今日はキャロルちゃんのお家に来てるんだ。

 リアルで知り合いだからね。もともとは妹の知り合い? みたいな感じ。今は私ともお友達だけど」

 

 俺たちは和室の真ん中に低いテーブルを置いて、向かい合うように座っている。カメラは自分に向いているので、俺の配信だと千歌さんは声だけ、千歌さんの方も同じ状態だ。

 どうして急にこんなことになったかと言えば、話し込んでいる間に時間が経ってしまったのが原因。泊まっていってもらった方がいいのでは、という話になり、ならいっそコラボ配信してしまおうということになった。ノートパソコンは千歌さんが持ち歩いていたし、マイクなんかの機材は俺用の予備があったのでそれを使っている。

 

「キャロルちゃんの事、知ってる人はどれくらいいるかな? 知らない人も多いかな。じゃあまずは簡単に自己紹介から行こうか」

「はい。私──キャロル・スターライトは異世界出身の聖職者です。大地と愛を司る女神様の教えを広めるために、この世界で活動を続けています」

「っていう設定ね」

「設定って言わないでくださいっ」

 

 キャラ付けが台無しである。

 すかさずツッコミを入れたものの、千歌さんはさらっとスルーして、

 

「実はキャロルちゃんとは前に一回、二回? 配信したことがあるんだよ。……そう、それ。カラオケの時と、あとお面被って出てくれた子がいた回あったでしょ? あれがキャロルちゃん。恥ずかしがり屋だからお面被ったりウィッグ付けたりしてもらってたけど」

「配信なんて初めてだったんですから仕方ないじゃないですか」

「あれですっかりハマっちゃった癖に」

「……うぅ」

「というわけで、私はキャロルちゃんと知り合いなの。この子は事務所には所属してないからプライベートの知り合いだけどね。うん、私は素顔見たことあるよ。超可愛い。ダメでーす、みんなには見せません。わざわざキャロルちゃんの部屋も避けて和室借りてるんだから」

 

 なお、和室にはラペーシュが魔法をかけ、音を遮断する結界を張ってくれている。このお陰で防音はばっちりである。

 ちなみに、異空間に部屋を増設したりできないのかと聞いてみたところ「さすがに疲れるから嫌」とのこと。魔力は使わないけど神経が磨り減るらしい。それでも、配信の間だけならまだなんとかなるものの、自室を作ってそこに住むとかは絶対無理だとか。

 

「だから今日は、キャロルちゃんの配信と私の配信は基本同じ内容になるよ。両方見てると音が被っちゃうから、そういう人は片方ミュートした方がいいかも。……片方だけ見ればいい? それじゃ視聴人数減っちゃうじゃない」

 

 というわけで、俺たちはしばし、顔を合わせながら自分の視聴者とトークし、かつ相手と会話を繰り広げるという特殊な配信に勤しんだのだった。

 

 

 

 

 

 そして。

 なんだか普段の配信の倍は疲れたような気分になりつつ、自室に戻ってひと息をつく。

 

「……まさか、ノワールさんが声優をすることになるとは」

「私も今日までそんなこと考えてなかったけどね」

 

 相槌を打つのは千歌さんだ。スララはいない。千歌さんに泊まってもらうなら俺の部屋だろうということで、一時的にノワールに引き取ってもらった。あの悪戯娘もノワールの言う事はよく聞くので問題ない。

 瑠璃のパジャマを強奪──もとい、借りた千歌さんは白いうさぎのブランを膝に乗せてあっけらかんと言う。

 俺たちの身の上話を聞いた後でこれなのだから本当にすごいと思う。彼女には感謝してもし足りないくらいだ。

 

「でもまだ確定したわけじゃないよ。事務所の伝手でスタッフに紹介して、テスト的なことをしてもらうだけ」

 

 ノワールの声優の件だが、ひとまず話を進めてもらうことで決定した。

 

『わたしが、わたしの役をやるのですか?』

『あー。ノワールさんと同じ声の新人声優が出てくるのかと思ってたけど、そういう可能性もあるのか』

 

 件のマンガがまだアニメ化していなかったこともあり、これまでノワールの声についてはベースが謎のままだった。

 朱華も千歌さんも知らないのだから少なくとも現状の声優界では無名の人物なのだろうが──まさか、ノワール本人にオファーが来るとは。

 

『あれ? それってノワールさんのオリジナルの声をノワールさんがやるってことー?』

『鶏が先か卵が先か、というような話になりますね……』

『先なのはオリジナルに決まっているでしょう? 私たちが単なる被造物に過ぎないというのなら、記憶の件はどう説明するのかしら』

『魔王のコピーであろう存在に言われてもな……。と言いたいところだが、吾輩としてもそちらに賛成だ。我らのオリジナルは実在する異世界人だと思う。……その異世界が最初からあったのか、創作された瞬間に生まれたのかはともかく、な』

 

 しかし、原作がマンガであるノワールの声はどうやって決まっているのか。

 場合によってはノワールがノワール役をやらなかったことでノワールの声がノワールの声ではなくなる可能性もある。『ノワール』が多すぎて何を言っているのかよくわからないが。

 ともかく、ノワールは声優の件を了承した。

 

『そのお話、せっかくですのでお受けしたいと思います』

 

 うまく行った場合、俺のマネージャーのはずだったノワールが声優として事務所所属、なんていうことになるかもしれない。

 もちろん、個人事業主ということでアニメ会社と契約してもいいのだろうが。

 

「でも、ノワール役でノワールさんに勝てる人ってそうそういないですよね?」

 

 何しろ本人である。

 例えばこれが偉人伝とかなら、当人が高齢に達していて若い頃の自分役はできない、などということもあるだろうが、今回はアニメで声だけな上、ノワールも作中の年齢プラス一、二年といった程度。自分役ならほぼ素のままでもそれっぽくなるのだから相当有利なはず。

 すると千歌さんは笑って、

 

「アニメの声優って、なんていうかちょっと『演技っぽさ』みたいなのを出さないといけないところがあるから、一概には言えないかも」

「あ、なるほど」

「それを踏まえてもノワールさんはかなり凄いんだけどね。よく通る声してるし、声優かアニメキャラみたい」

 

 オリジナルのノワールからして裏社会の女王様だったわけで、人に命令したり声を出す機会は多かったのだろう。うちのメンバーはなんだかんだ大体そんな感じなので、戦闘時の声だしで困ったことはない。

 

「スタッフロールに『ノワール:ノワール・クロシェット』って書かれるの楽しそうだよね」

「作者さんが知り合いをねじ込んできた、と思われそうな気がします……」

 

 芸名を使った方がいい気がする。ノワールの髪色ならハーフとかクォーターでも通るはずだし。

 千歌さんはこれに「残念」と呟き、

 

「絶対バズるのに。イベントに自前のメイド服着て出てくだけで大好評だよ?」

「目に浮かびますね。作品の出来には関係なさそうですけど……」

「大事だってば。現場の人は本人の雰囲気も見て決めるし、人気が出るか出ないかで二期があるかないか変わってくるし。ノワールさんがノワール役やってたら他の声優さんがやる気出すかも」

「あ、それはありそうです」

 

 キャラ当人としか思えない女性がいれば、知らないうちに作品世界へ没入していくこともあるだろう。特に主人公役の声優さんとか。男性声優がやるのか女性声優がやるのか、男性だとしたらノワールがトラブルに巻き込まれないか、少し心配な気もする。

 その点、他のメンバーにはそういう心配はあまりなさそうだ。特に朱華なんか、件のエロゲがアニメになったとしても絶対出演させられないし。

 

「アリスちゃんもあのゲームがアニメになったら主人公役ワンチャンあるかもよ?」

「千歌さんがやればいいじゃないですか」

「それでもいいけど、中の人の性格が声ににじみ出たりするかもだし」

「その割に大人しい子の役が多いですよね?」

「私って声が清楚だからねー」

 

 ふふん、と胸を張る千歌さん。縫子がいれば「何言ってるんですか姉さん」とでも言うところだろう。俺としてはその通りだと思うので何も言えない。

 

「じゃあさ、双子役やろうよ。生配信でボイスドラマ」

「あ、ちょっと楽しそうです」

「でしょう?」

 

 などと、話はだんだんと雑談へと移っていく。

 ああでもないこうでもないと話していると、次々にアイデアが浮かんでくる。忌憚なく話せるのは秘密を打ち明けたお陰だ。

 

「千歌さん、本当にありがとうございます。私たちのこと、わかってくれて」

「……もう、それはいいってば。私は瑠璃(あいつ)が生きてただけで十分だし、ついでに楽しい話まで聞けたんだから」

 

 再び笑った千歌さんはこてん、と首を傾げて、

 

「信仰稼ぎだっけ、協力するよ。ついでに私のフォロワー稼ぎにも協力してください」

「はい。喜んでお手伝いします」

 

 そして、俺もまた笑みを浮かべて千歌さんに答えるのだった。

 

 

   ◆    ◆    ◆

 

 

『千秋和香、新人Atuberと突然のコラボ配信。いや、割とマジでびっくりした』

『見逃した。そういう面白い事は予告してからやって欲しい』

『予告したらサプライズにならないだろ』

『っていうかキャロルとかいう奴、和香に関わりすぎ。名前聞いた事もなかったし。

 知り合いになったのも知名度上げるためなんじゃね?』

『にわかかよ。キャロル・スターライトはもう結構毎日配信続けてるぞ。

 単にA界隈に詳しくないだけだろ』

 

『しかし本当に声そっくりだな。マイクの性能のお陰か位置関係がわかったからいいけど』

『片方映ってれば、口が動いてない時はもう一方が喋ってるってわかるしな』

『千秋和香の声が好きな俺としては、コラボなのに好きな声しか聞こえて来なくて嬉しい』

『日本の芸能事務所がクローン技術を完成させていた件について』

 

『お姉さんぶってるのどかんも新鮮で良い』

『のどちゃんとしかコラボしてないからかもだけど、キャロルちゃんは妹気質だよな。なかなか相性がいい』

『同じ事務所の声優がコラボ配信の感想呟いたぞ』

『今度は私ともコラボして欲しい……。これ、どっちに対してだ?』

『両方じゃね?』

 

『千秋和香とキャロル・スターライトのフォロワー数、ファン数がかなり増えている件。さすがにキャロルの伸びの方がいいけど』

『Win-Winか。上手いな』

『キャロルちゃんもついに名前が売れ出したか。古参としては鼻が高い』

『さすがにまだ気が早いだろ』

 

『でもこの子、なかなか独特なキャラ付けしてて意外と面白い。ガチの宗教家って感じじゃないし』

『いや、逆に息をするように神様信仰してる感じだろこれ。人に押し付けてこないのもそれが当然って感じ』

『単に中の人が日本じ──おっと誰か来たようだ』

『愛の女神様短気すぎない?』

『この調子だとキャロルちゃん収益化条件クリアしそうだな。祭壇設置プロジェクトいよいよ開始か?』

『なにそれ?』

『収益化できるようになったら稼いだ分で祭壇を作ります、って前に言ってたのよ。神様に信仰を届けるためだって』

『ガチのお布施じゃねえか。笑った』

『面白いからちょっと協力してあげたい』



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聖女、ガチャを回したがる

「……夜の学校って、なんだか緊張しますね」

 

 月明かりに照らされた私立萌桜(ほうおう)学園のグラウンドにて、黒髪の少女が呟くように言った。

 遠征で着ていた和メイド服は傷んでしまったので、代わりにコスプレ用の巫女装束に身を包んでいる。腰には日本刀と短刀。どこか凛々しい佇まいは夜闇によく映える。

 

「ああ、そうか。瑠璃は初めてだったな。問題ない。楽にしていればいい」

「わたしたちはもう何度も来ていますものね」

大人組(おふたり)に言われるとなんだか複雑な気分なのですが……」

「まあまあ、いつものバイトと大して変わらないってば」

 

 なおも不安そうな瑠璃を銀髪の錬金術師──シルビアがフォローする。

 これを聞いた紅髪の中華風超能力者は肩を竦めて。

 

「ま、ボスだけどね」

「ボスなんですよね」

 

 結界を張り、錫杖を構えた俺もこくりと頷いた。

 久しぶりに訪れた夜の学校。

 まだ、男に戻りたいと思っていた頃に訪れた決戦の地。あの時は本当に大変だった。今となっても若干悪夢である。

 しかし。

 

「さて、それじゃあ──準備はいいかしら?」

 

 俺たちは再びここへやってきた。

 瑠璃という新しい仲間を加え、それから、桃色の髪の美少女魔王を伴って。

 

「はい。いつでも大丈夫です」

「そう。なら、行くわよ」

 

 漆黒のドレスに身を包んだラペーシュは俺たちから距離を取りつつ指を鳴らす。と、彼女に導かれるようにして大量の邪気が発生、俺たちの正面上空へと凝縮していく。

 形成されるのは、燃え上がる炎の体毛を持った巨鳥。

 辺り一帯を煌々と照らすその輝きは、まさしく。

 

「久しいな、不死鳥! また会うとは思わなかったぞ!」

 

 俺たちが最初に出会ったボス。

 飛行+近接攻撃を行うだけで炎ダメージというその特性を見た瑠璃がぶるっと震える。

 

「先輩方はこんな敵とも戦っていたんですか……!?」

「大丈夫だよー。あの時も欠員なしで勝ったから今があるんだし」

 

 咆哮し、大きく羽ばたく不死鳥を見ながらシルビアが笑って、

 

「今更あんたごときでどうにかなると思わないでよね、焼き鳥!」

 

 朱華が右手を相手へと差しのべる。

 不死鳥をとりまく炎が様子を変化させ、羽ばたく巨鳥は動揺を見せる。しかし炎のコントロールが取り戻されることはなく、そのまま燃え上がって弾けた。

 

「……っし! 近づいて焼き殺すよりはむしろこっちの方が楽じゃない?」

「そう仰れるのは朱華さまが成長した証かと」

 

 斜め後方で待機したノワールの呟きと、鋭い銃声。ここぞとばかりに持ち出された遠距離用のライフルは大型のため移動しながらの射撃が利かないが、その分だけ高威力。狙い違わず着弾する銃弾に怒りの咆哮が上がり、

 

「《聖光連撃(ホーリー・ファランクス)》!」

 

 錫杖、衣装、そして俺自身の成長によって威力を増した聖なる光が殺到する。

 不死鳥を制止し、攻撃を封じたそこへ再び銃弾。息継ぎの時間を手に入れた俺はさらに神聖魔法を発動させ、再集中を終えた朱華がもう一度自爆の誘発にかかる。

 

「悪いが、もはや貴様如きに苦戦してはいられん」

「そのまま焼き鳥になってねー」

 

 教授が無駄に啖呵を切り、シルビアが飛び散る素材を必死に回収する中、俺と朱華、そしてノワールは攻撃を続ける。

 

「いえ、あの! 反撃されると危険なのは変わらないんですからね!?」

「そうそう、こいつ結構タフなのよね。……やば、そろそろ限界」

 

 朱華がふらりとよろめく。彼女の超能力は効果が大きい分、負担も大きい。後は俺の魔法とノワールの銃。シルビアにも聖水か何かを打ち出してもらうしかないか。

 と。

 霊力を纏った刃の輝きが俺の視界に映った。

 秘刀『俄雨』。アッシェたちとの戦いで現れた瑠璃の武器が、戦いの気配を察して再びやってきてくれた。

 

「アリス先輩、ノワールさん。とどめは私に任せてください……!」

「瑠璃さま。やれますか?」

「大丈夫です。今なら、やれます」

 

 ならばと、俺は最後の《聖光連撃》を放ち、ノワールもまた不死鳥の胴にライフルの一撃を浴びせかけた。火の粉と羽根が飛び散り、巨鳥が大きくのけぞる。向こうも限界が近いことがわかる。

 そこで、瑠璃が跳躍。

 勢いよく宙へと躍り出た彼女だが、翼や魔法の助けがあるわけではない。当然、一定高度に至った後は落ちるだけなのだが──。

 たんっ!

 何もない空中、いや、一瞬だけ物質化させた霊力の箱を足場に、瑠璃は再び跳んだ。そこからはもう、とん、とん、と次々に跳びあがっていく。

 

「……あの技は羨ましいですね」

 

 ノワールが呟く間に少女剣士の身体は十分な高さへと到達。

 

「はああっ!」

 

 裂帛の気合いと共に振り下ろされた『俄雨』は、纏う霊力をそれこそ雨のように降り注がせながら──不死鳥の身体を見事に切り裂いた。

 重傷を負ったところに深いダメージを与えられた炎の鳥は、絶叫と共に俺たちを憎々しげに睨みつけ、身体の端から溶けるように消えていく。

 

「瑠璃ちゃん! 素材! できるだけ回収して!」

「は、はい!」

 

 ニワトリでも捌くように羽や肉が斬られ、落下したそれを教授とシルビアがせっせと回収する。

 そうして完全に不死鳥が消えると、瑠璃はグラウンドへふわりと着地した。『俄雨』は役目を終えてどこかへと消えていく。

 後には、回収した素材と戦いの痕だけが残された。

 

「……終わりましたね」

 

 終わってみればスムーズな戦いだった。

 要因は俺たちが思った以上に成長していたことと、相手の性質が分かっていたこと、それから、

 

「あんた、どんどん格好いい能力身に着けてない?」

 

 ぽん、と、後輩の肩を叩いた朱華が言う通りだ。

 自由に取り出せない刀も、なんというか、ファンタジーにおける主人公の武器みたいで逆に趣がある。しかも、メンバー待望の空中戦力。

 俺も瑠璃に歩み寄って「お疲れ様でした」と微笑みかける。

 それから魔王の方を振り返って、

 

「ラペーシュさんも、ご協力ありがとうございます」

「気にしないで。アリスのためなら苦ではないし、私としてもストレス解消みたいなものだもの」

 

 なんでもなさそうに言う彼女だが、実際、今回の不死鳥戦はラペーシュのお陰だ。

 魔王の協力によって、俺たちのバイトはグレードアップを果たしたのである。

 

 

 

 

 

 遠征の結果、これまでのバイトでは邪気を祓いきれていなかったことが判明した。

 専門家──というか、放っておいても邪気が集まってくる体質であるラペーシュに尋ねたところ、俺たちの戦いは決して無駄なものではない。特に何度か行ったボス戦はその土地や施設に溜まった邪気をごっそり祓っているため有効だという。

 

『邪気っていうのは負の気の蓄積なわけでしょう? つまり、嫌なことがあればあるほど溜まりやすくなるのよ』

 

 そして、邪気が蓄積すると災害や事故などの不幸が起こりやすくなる。

 悪いことが続けば人々はストレスを感じて、それが邪気になる。そうして負の連鎖が生まれる。溜まった分を祓ってやることでスパイラルの原因を取り除くことができるらしい。

 

『邪気の少ない土地には他の土地からいくらか邪気が流れてくるから、定期的に雑魚を掃除するのもやらないよりはずっとマシでしょうね』

 

 また、ラペーシュはある程度、邪気をコントロールできる。

 応用すれば、俺たちが倒せるレベルに調整した敵を出現させられるという。例えば、いつもの墓地にもうちょっと歯ごたえのある敵を出したり、これまで戦ってきたボスを再度出したりだ。

 魔王の矜持としても「邪気に呑まれる」のは避けたい。放っておいても夏頃までは耐えられるとはいえ、あんまり溜まっているのも気分が良くないということで、彼女はバイトに協力を申し出てくれた。わざわざ学校に行って不死鳥と戦ったのはそういう理由だ。

(もちろん、ラペーシュ当人との戦いに備えた修行の意味合いもある)

 

 ラペーシュの見解は政府にも伝えた。

 大きく邪気を祓えれば悪い出来事が起きづらくなる。突発的な火災や地震、凄惨な事件を未然に防げる。その保証を一つ得られたことで、これまでよりも積極的に戦って欲しいと打診があった。

 当然、教授などから「じゃあもっと金を出せ」と要望が上がり、バイト代は増額された。具体的に言うとこれまでの倍以上にだ。その代わりとして毎週のように戦わなければならなくなったが、お陰で家賃とか学費は国から補助が出ているにも関わらず、優秀なサラリーマン並みの収入が毎月入ってくることになった。

 俺の場合、それに加えて治療の特別バイトもあるわけで──なんというか、貯金が増えていく一方なのが少し怖くなる。毎月新しい服やコスプレ衣装を買った程度ではびくともしない。ゲームやマンガに費やそうにも鑑賞する方が追いつかないレベルだ。

 

 不死鳥を倒して帰ってきて穏やかにお茶を飲むという、以前なら考えられないようなことをしつつ、俺はしみじみと、

 

「スマホゲームに課金でもしてみましょうか」

「キリがないからやめておきなさい。配信のネタにするならアリかもだけど」

 

 すかさず朱華に突っ込まれた。確かに、興味本位でガチャを回しまくるとか少々勿体なさすぎる。

 

「でも、スパチャをもらうために配信を盛り上げるためにゲームに課金するってなんだか本末転倒じゃないですか?」

「盛り上げるためだけに課金してる奴はそうだけど、そういう人はやりたいゲームを遊んで、ついでに応援がもらえたらラッキーってスタンスでしょ」

「……つまり私の場合、神様に課金すればいいってことですね?」

「合ってるけど。間違ってないけど。お布施もらった分で祭壇作るんでしょ? 先行投資するのは止めなさいよ?」

 

 なかなか難しい話だった。

 とりあえずお金の使い道は置いておいて、祭壇をどうやって作るかでも考えておこうか。

 コツコツ自分で作って進捗が見えるような形の方が話のネタにもなっていいと思うし、職人に依頼するほど「ぽーん!」とお金が飛んでくるとも思えないので、なんというか工作的な作り方を想定している。硬くなる粘土で作るとか、もしくは石膏を使うとか。

 新しい家に引っ越すことになったらラペーシュに頼んで移動させてもらえるので、サイズはそこそこ大きくなっても問題ない。本格的な、牛とか供物に捧げられそうなものを作るとなると物置にでも置いておくしかなさそうなので若干アレだが。

 

「しかし、アリスと瑠璃は成長が目覚ましいな。吾輩は指示出しくらいしかやることがない」

 

 お茶を啜りながら教授が呟いた。

 これにはシルビアが笑って、

 

「教授って魔法使えないもんねー」

「吾輩は魔法使いではなく大賢者だからな」

 

 賢者というと、ゲームでは魔法のエキスパート扱いが多いものの、字面上は「賢い者」だ。長く生きて思索を深め、知識を蓄える過程で魔法も修めるのは不自然ではないが、単に学者的な意味合いでも用いられる。教授はそっちのタイプだ。

 と、ノワールが首を傾げ、

 

「朱華さまやシルビアさまも、もちろんわたしも研鑽は重ねておりますが、確かにお二人はどんどん頼もしくなりますね」

「ああ、それはアリスと瑠璃の特性じゃない?」

「特性ですか?」

 

 ラペーシュはノワールの淹れた紅茶を上機嫌に味わいながら教えてくれる。

 

「ノワール達は物語において、ある程度の腕を持った状態で登場し、その扱いのまま描かれている。けれど、アリス達の物語は成長の過程を描いている。その違いがあるんでしょう」

「私とアリス先輩は経験値を獲得すればレベルアップする、ということですか?」

「おそらくね。単に『もう一人の自分』との共鳴度の問題もあるだろうけど──例えば、ノワールはそもそも現時点で全盛期から衰えた状態なのでしょう? 『成長』という側面もあると思うわ」

「……なるほど」

 

 ノワールは裏社会の女帝時代の方が強かったという。

 平和な世界でメイドをしていれば腕が鈍るのは当然で、訓練や実戦によって勘を取り戻したとしても、それは「一番強かった時代に戻る」という意味合いになる。俺や瑠璃にとっては経験を積むことが単純に成長につながるが、ノワールはなんというか、二作目でレベル1からやり直している主人公のような状態なのだ。

 しかし、逆に言えば、少なくとも俺や瑠璃には伸びしろが残っているということ。

 みんなを助けられるのならそれはいいことだ。積極的にバイトへ参加して、ラペーシュとの決戦に備えよう。

 

「……ですが、それだと貴女(ラペーシュ)も成長する、ということになりませんか?」

「あ」

 

 そういえば、ラペーシュもRPG出身だった。

 ユニットになっているということはレベルアップしてもおかしく──。

 

「ああ、無理無理。そいつ最初からレベルカンストしてるから」

 

 駄目だった。



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聖女、メイドロボに「待て」を覚えさせる

 シェアハウスからそう遠くない距離に位置する「人形公園」。

 夜の静寂に包まれたそこへ、魔王ラペーシュの力に従い邪気が集積。やがて形作られたのは複数の人型だった。

 未来技術による機械人形たち。その中心にはひときわ精巧な、少女の姿を模した人形がいた。彼女は実体化の完了を待ちながら、無機質なアイレンズを俺たちへと向けてくる。

 公園の照明と月明かり、LEDライトを反射するその輝きは、どこか虚ろだった。

 

「……駄目ね。あれには魂が籠もっていない」

 

 ラペーシュが後ろへ下がりながら首を振る。

 

「まあ、予想はできていたけれど」

「あのシュヴァルツには人格データがインプットされていない、か。魔王の力をもってしても、唯一無二の個体を完全再現するのは不可能ということだな」

「魂とは肉体に宿るものだもの。個別に『作る』ことはできない。容れものを用意しても宿らなかったというのなら、それは『そういうもの』なのでしょう」

 

 教授の見解に補足が示される。

 要は、ボス戦をリトライしても出てくるのは不死鳥やシュヴァルツのコピーであってそのものではない、ということだ。魂の同一性によるもの、というのは推測でしかないが、シュヴァルツがぽこぽこ増えたりすることはないらしい。

 この結果に俺は頷く。

 

「むしろ、その方が思いっきりやれますね」

 

 そんな俺の肩を朱華がぽん、と叩いて、

 

「ちゃんと親玉は狙いから外しなさいよ、アリス」

「もちろんです」

 

 そして俺は神聖魔法を解き放つ。

 もはやお馴染みとなった《聖光連撃(ホーリー・ファランクス)》。聖なる光が次々と機械人形へと着弾し、一撃で確実に破壊していく。実体化直後で動いていないところを狙ったのもあって攻撃が外れることも、()()を傷つけてしまうこともなかった。

 

「ノワールさん!」

「ええ!」

 

 光が収まると同時、瑠璃とノワールが飛び出す。

 敵の数が減って開いたルート。コピー・シュヴァルツへと一直線。応戦の射撃は左右に分かれてかわし、その歩みは止まらない。残った通常の機械人形には教授とシルビアがシューターから酸のポーションを射出。俺も単発の《聖光(ホーリーライト)》で確実に落としていく。

 上手く形成された二対一の状況。

 マシンガンのようなものと近接専用のブレードを用い、淡々と迎撃を始めるコピーだったが、瑠璃の手にした『俄雨』は特殊合金製の刃をものともせず、逆に押し返す。相手の戦術を良く知っているノワールは銃弾を的確に回避し、手にした銃で牽制を行う。

 さすがに瑠璃の方は全ての銃弾をかわしきれないが──別に一発や二発、当たっても問題はない。俺のかけた防御魔法によって致命傷は避けられるし、すかさず回復魔法をかけることで傷を塞ぐ。

 そうしてみるみるうちに距離は詰まって、

 

「捕まえました!」

 

 ブレードを構えた方の腕を瑠璃が拘束。対応しようとするコピーだったが、マシンガンへと正確に銃弾が命中。武器だけを無力化する。

 かつてのボス敵を無傷で追い詰めるという、難しいことをしてまで生み出したこの状況で登場するのは、

 

「スララさま!」

「はいはーい」

 

 ノワールのメイド服の中に隠れていたスライム娘──スララだった。

 彼女は動きの封じられたコピー・シュヴァルツへにゅるんと近づくと、足元から胴体へと巻きつく。もがいてももう遅い。いったん絡みついてしまえば不定形・半液体の身体を剥がすのは困難。それどころかたちまち密度を変えて体積を増し、コピーの身体を呑み込んでいく。

 適当なところで瑠璃が身を離せば、あっという間に未来の機械人形はスライムに呑み込まれた。

 残る手段は自爆だが、あらかじめ作戦を伝えられていたスララは装甲の僅かな継ぎ目などから中にまで侵入していく。ここまで拘束されてしまえば自爆したところで大した戦果は上がらない。その上、スララには目指す場所があった。

 彼女はラペーシュから『美味しそうな力のあるところを探してもぐもぐしなさい』と命令されている。

 つまり、コピーの動力源。バッテリーへと到達してもぐもぐ──体内へと取り込んで、

 

「作戦終了だな」

 

 俺たちは、動かなくなったコピー・シュヴァルツの身体を動力源以外は無傷の状態で奪取することに成功した。

 

 

 

 

『随分とご活躍のようですね、アリシア・ブライトネス』

 

 発端は、久しぶりにシュヴァルツに会いに行った時のことだ。

 

「こんにちは。シュヴァルツさんのお陰で私のアバターも好評です。ありがとうございます」

『……別に貴女のためではありません。それより、彼女はどなたですか?』

「私はラペーシュ。一国の王にして魔を統べる者よ。初めまして、シュヴァルツ」

 

 今回は新たな関係者としてラペーシュも同行した。

 未来世界で作られたAIの話をしたところ「面白そうね」と興味を持ったのだ。駄目だと言っても魔法で付いてきかねないのでこうして連れてきたのだが、

 

「へえ、これが。……要は魂だけを疑似的に再現しているのね。そして、本来は錬金術に似た技術で作られた人形に封じ込めて戦わせると」

『……アリシア・ブライトネス。なんですか、この妄言めいた話を吐き出す輩は』

「いえ、シュヴァルツさんも傍目からは十分、びっくりな存在なんですが」

 

 ファンタジー世界の住人と未来のAI。知識や価値観にはかなり違いがあり、お互いがお互いを理解するには少し時間がかかった。特にシュヴァルツは「またオカルトの類ですか」と魔王という存在に拒否反応を示したのだが、

 

「ねえ、シュヴァルツ。あなたは身体があればまた動けるのよね?」

『? ええ、その通りですが……。この世界の技術では人間並みのロボットを作り出すことは不可能です。そこの彼女たちが運よくボディを丸ごと手に入れられれば別ですが、身体があったところで警戒されて中には入れてもらえないでしょう』

「つまり、武装解除された身体があって、あなたが暴れない保証があればいいのよね?」

「どういうことですか、ラペーシュさん」

「前にアリスたちが戦った相手なのでしょう? 私が邪気を操ればもう一度呼び出すことができるはず。それを無傷で倒して、武装を排除すれば別に危なくはないでしょう。なんなら私が契約で縛ってもいいわ」

「……なるほど」

 

 今ならバイトの度に敵ガチャを回す必要がない。

 あの時とは違って瑠璃という前衛も増えたし、シュヴァルツを抑えるのも楽になっている。そう考えると不可能な話ではなかった。

 

「でも、どうしてそこまでするんですか?」

 

 すると、ラペーシュは胸を張って答えた。

 

「決まっているでしょう? 魔法や錬金術以外の方法で作られた自動人形なんて面白そうじゃない。是非、私の配下に加えたいわ」

『……貴女の配下扱いされるのは忸怩たるものがありますが』

 

 苦々しい声を上げたシュヴァルツも、最終的には、

 

『動ける身体があるのは助かります。もしも成功した暁には、一時的に従う程度には妥協しても構いません』

 

 と、渋々ながら折れてくれたのだった。

 そして。

 持ち帰ったシュヴァルツ・コピーの身体を見てまず歓声を上げたのは、シュヴァルツ当人ではなく、椎名たち関係会社の皆さんだった。

 

「うわあああああ! 本当に美少女ロボだ!」

「しかも完成品だぞ! このままフィギュアとして扱うだけでもいくらで売れるか!?」

「馬鹿! それより分解して構造を解明する方が──」

 

 なんというか大騒ぎである。

 苦笑いして「すごいことになっちゃいましたね」と言うと、朱華もまた同じような表情を浮かべて、

 

「そりゃあね。あたしだってメイドロボが目の前に現れたら泣いて感謝するわ」

『朱華・アンスリウム。私はメイドロボではありません』

「似たようなもんでしょ。かつての名作の中には『余生をメイドとして過ごしたい戦闘兵器とご主人様のラブコメ』なんてマンガもあるし」

「ノワールさんが好きそうな話ですね、それ」

「とっくに全巻読んでもらったに決まってるでしょ」

 

 マンガなら俺でも読めそうだ。興味もあるし、今度貸してもらおうと思う。

 

『というか、解体されると困るのですが』

「シュヴァルツが自由に動き回れるチャンスですものね。わたしも貴女に色々と教えたいことがあります」

『いえ、メイドの修行はしませんが』

「そうよ、ノワール。シュヴァルツには魔王軍の一員になってもらうんだから」

『軍門に下る気もありませんが』

 

 うん、シュヴァルツもすっかり丸くなったというか、みんなのボケにツッコミを入れているようにしか見えない。もともと人格的にはノワールを基にしているわけだし、きっと身体を得ても悪いことはしないだろう。

 

「で、ラペーシュよ。動力はスララが食べてしまったのだが、これをちゃんと動かせるのか?」

 

 教授が尋ねると、ラペーシュは「もちろん」と笑った。

 そうして彼女が虚空から取り出したのは、大振りの宝石のようなもの。鼓動するように小さく明滅を繰り返している。

 

「これは特殊な魔石よ。埋め込んだ相手の身体に馴染んで心臓の代わりをしてくれる。対象がゴーレムなら核の代わりね。本体が自力で生命力・魔力を生み出せる存在なら、魔力の供給も最低限で稼働し続けられるわ」

「エネルギー供給……この身体にコンセントなどは付いているのでしょうか?」

『外部から電源供給するための機構は備えています。電圧調整もこちらで行えるので問題はないでしょう』

「だ、そうよ。……で、この魔石は半生体でもあるから、宿主に『契約』を持ち掛けることもできる」

 

 シュヴァルツの人工知能は「疑似的な魂」の域に達しているため、そのままでも契約が可能と思われるが、念のための保険だとラペーシュは言った。

 

「それで、どうするのー? どっちみち武装解除は必要なんだよねー?」

「うむ。技術者が総出で行うにしてもかなりの時間がかかるだろうな。正直、このボディを預けるのだ。信頼できる相手か見極めてからにしたいところだが」

『でしたら、私の指示でお姉様が行うのが手っ取り早いかと』

「ノワールさん、機械も詳しいんですか?」

「詳しいというほどではありませんが……銃器の解体には慣れておりますし、ある程度の機械であれば分解して組み立て直す程度は」

 

 同一世界の人間であるノワールには未来の様式についてある程度心得があるわけで、そんな彼女を身体の持ち主当人がサポートすれば確かに早い。

 

「なら、ノワールに頼むのが良さそうだな。椎名、政府へ連絡を取ってくれ。この方針で良いかどうか、とな。断られたらこの身体は没収になるかもしれん。心してかかれよ」

「は、はい。……って、責任重大じゃないですか!」

 

 政府にもあらかじめ大まかなプランは伝えてあったため、向こうの協議も短時間で済んだ。結果的には数日後、政府関係者や自衛隊員、凄腕の技術者らが立ち合いの下、ノワールとシュヴァルツの主導によって武装解除が執り行われた。

 あちこち開けたりズラしたりしたついでに、スララに「もぐもぐ」された動力部にラペーシュの魔石がはめ込まれる。

 先に戦闘プログラム等のチップは破棄しておいたため、コピーが暴走を始めることもなく──全ての武装が取り外されたところで、シュヴァルツの人格チップが組み込まれた。

 武器を失い、本当に「美少女人形」に近くなったシュヴァルツは満を持して再起動。

 これで失敗したらシュヴァルツの人格──魂まで失われてしまうところだが、電源の入ったボディは、アイレンズにどこか不思議な意思の輝きを映した。

 

 そうしてシュヴァルツはゆっくりと口を開き、

 

「……肉体制御データを構築し直さないと身体を動かすこともままなりませんね」

 

 なんとも平和な呟きに、一同は「そこなんだ」という思いを抱くと共に安堵を覚えた。

 

 

 

 

 新しい肉体を得たシュヴァルツの身柄はシェアハウス預かりということになった。

 シュヴァルツにはラペーシュの契約魔法がかけられ、「教授もしくはアリシア・ブライトネスの許可がない限り戦闘行動を取らない」という縛りが行われた。

 なんで俺なのかといえば「非暴力に関しては一番信頼がおけるから」とのこと。

 そして。

 

「お姉様。ですからこの衣装をなんとかしてくださいと……」

「いいえ、シュヴァルツ。他にちょうどいい服がないのですから仕方ありません。それに、とても似合っていますよ」

「似合っていればいいという問題ではないのですが」

 

 シェアハウスに来てから数日。

 ゆっくりとなら起き上がって歩けるようになったシュヴァルツは、ノワールによってメイド服を着せられ、甲斐甲斐しく世話をされている。

 本当は瑠璃かシルビアあたりの服なら十分入るはずだが、まあ、ノワールが楽しそうだし、当人も実は満更でもないようなので、これはこれでいいだろう。

 ちなみにシュヴァルツの目下の目標は新しい身体でパソコンの操作を覚えることらしい。

 今までは直接命令を飛ばして動かしていたのだが、自分の手でマウスやキーボードを操作しないといけないため、かなり勝手が違う。それでも根気よく覚えるつもりのようで、

 

「アリシア・ブライトネス。電子の世界で貴女に負けるつもりはありませんから覚悟していなさい」

 

 配信者としてデビューするつもりなのか? と首を傾げてしまうような宣戦布告を受ける俺であった。



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【番外編】聖女、迷子を拾う

ほのぼの話を挟みたくなったので。
本筋に関係ないので一応番外編扱いです。


「……結構、量が多くなってしまいました」

 

 夕方。近所のコンビニにて買い物を済ませた俺は、猫柄の買い物袋をしっかりと握り直した。

 珍しくノワールが調味料を切らしたことによる突発的な買い物。最初は本人が「すぐに買ってまいります」と言ったのだが、そのためにはメイド服を着替えないといけない。

 

『わたしは気にしませんが……』

『ノワールさん。さすがにそれはどうかと……』

 

 瑠璃の窘めもあって、代わりに俺が行くことに。

(ちなみにそう言う瑠璃もコスプレっぽい格好で出かけたりするわけだが、台無しなのでツッコミは自重した)

 

『あれ、アリス。コンビニ行くの? だったらついでにチキン買ってきて。あとアイス』

『あ、アリスちゃん。私も頼んでいいー? たしかあそこはサプリ売ってたはずだから買って来て欲しいの。せっかく思いついた薬があるのに材料が足りないんだよ』

『あら、でしたら食べてみたいものがありますの。コンビニ総菜とやらの中には絶品のハンバーグがあるのでしょう?』

 

 そこへ朱華、シルビア、アッシェらが次々と欲しいものを言ってきて、買い物リストがずらずらと増えてしまった。こうなったら俺もファッション誌でも買ってやる、と無駄に対抗意識を燃やしてしまったのも良くなかった。

 まあ、さすがに持てないような量ではないし、たまにはこういうのもいいだろう……と、思っておくことにする。

 そうして少し歩いた時。

 

「ううっ、ぐすっ」

 

 俺は、誰かのすすり泣くような声を聞いた。

 声の主はすぐに見つかった。一人でとぼとぼと歩く、三年生か四年生くらいの男の子。今にも泣きそうというか、もう半分泣いているような状態だ。

 まあ、とはいえ男子だ。車の通りも多くないし、放っておいても大丈夫だろう。

 今はノワールに調味料を届けるのが先決。

 

「……っ、ひっく」

「どうしたんですか?」

「え……?」

 

 しかし、後で事故のニュースとか見たら寝覚めが悪いなんてものじゃない。男子相手に過保護だと思いつつ、結局声をかけてしまった。

 顔を上げた少年は驚いたような顔をする。金髪が珍しいのだろう。さっきからそこを普通に歩いていたのだが、いっぱいいっぱいで気づいていなかったか。

 俺はしゃがんで目線を合わせると、

 

「迷子ですか? 一緒の方は?」

「……いない」

 

 やっぱり迷子か。

 俺はさらに彼へ尋ねる。

 

「スマートフォンとか、携帯電話は持っていませんか? それか、お家の連絡先とか。迎えに来てくれる人に連絡が取れればいいんですが」

「……ない」

 

 駄目か。

 俺の親なんかは「私たちが子供の頃はこうやってた」と俺に家の電話番号のメモを持たせてくれていたのだが。公衆電話もめっきり見なくなってしまったし、悪い人間に悪用される可能性もあるとかでなかなかそうもいかなくなっているのだろう。

 しかし、いざこうして子供が一人になってしまうと逆に困る。セーフティをかけないなら目を離すなと言いたいが、文句を言っても始まらない。

 

「大丈夫ですよ」

 

 ひとまず微笑んで安心させる。こういう時はとても心細くなるものだ。世界に一人きりになってしまったような気がして、このまま死ぬんじゃないかとさえ思ってしまう。そんな時は誰かが声をかけてくれるだけでも心の支えになる。

 

「そうだ。アイス食べますか?」

 

 ちょうど手元には甘いお菓子がある。どうせならみんなの分をと人数分買ってきたので、俺の分をあげるのなら問題はない。

 コーンのついたアイス──というか冷凍保存可能なソフトクリームを差し出すと、少年は「いいの?」と尋ねてくれる。

 

「いいんですよ。お腹が減っていたらお家まで帰れないでしょう?」

「……ありがとう」

 

 おずおずと受け取った彼はぎこちない手つきで包装を剥がし始める。ゴミは俺が受け取った。後で捨てるとして、ひとまずはティッシュで汚れを拭き取り買い物袋に投入。

 甘い物を食べ始めるとだいぶ落ち着いたのか、彼は笑顔を浮かべた。

 さて、声をかけてしまった以上、この子を無事に帰らせないと俺も家に帰れない。とりあえず朱華とノワールに「迷子の子を家に届けたいので帰りが遅れます」とメッセージを入れて、

 

「お家の近くに何か目印とかありませんか? 住所がわかればそれが一番いいんですが」

「……えーっと」

 

 少年は目を彷徨わせ、何かを考えるようにしてから、

 

「薬局」

 

 薬局、薬局かあ。絞り込めるような絞り込めないような、微妙なラインの目印が来てしまった。とりあえず近隣の薬局を検索し、画像を表示して見せる。

 

「見覚えがあるのはこの中にありますか?」

「……あ、これ!」

「よかった」

 

 一枚の画像を指し示してくれたので目途が立った。場所さえわかればそこまでナビを起動すればいい。文明の利器さまさまである。……うん、少し遠いが歩けない距離じゃない。

 

「じゃあ、ここまで一緒に行きましょうか」

「いいの?」

「もちろんです。困った時はお互い様でしょう?」

 

 もう一度、安心させるように微笑んでから手を差しだせば、彼は恥ずかしそうに視線を彷徨わせてからおずおずと俺の手を取った。なお、もう一方の手にはしっかりとソフトクリームを握っている。

 可愛い、と思ってしまうのはどういうアレの作用なのか。

 男子高校生時代だったら、女の子ならともかく男子相手に保護欲なんて感じなかった。やったとしてもせいぜい、近くの交番に連れて行って「後は頑張ってな」くらいだろう。それが今となっては甲斐甲斐しく世話を焼いているのだからわからないものである。

 これも女子になった影響、あるいはアリシア・ブライトネスの影響だろう。ファンタジー世界における小さな子供というのは昔の日本同様、現代日本よりずっと死にやすい。それを助けて保護するということはとても大事だったのである。

 

「でも、お家の方が今も探していたらちょっと可哀そうですね?」

「大丈夫」

 

 答えた彼はアイスを食べながら、こうなった経緯を説明してくれた。

 友達と一緒に遊びに出かけ、少し遠出をした。友達は知っていて、彼は初めて来た公園。遊んでいる間は楽しかったので、終わった後「じゃあ現地解散な」と言われた時はあまり問題を意識していなかった。

 他の仲間がいなくなった後で初めて「やばい」と思った。記憶にある限りの道順を辿ろうとしてみたものの、一つ道を間違えるとどんどんわからなくなって、袋小路に嵌まってしまった。

 これはもう、どうしようもないと思ってつい泣いてしまったのだという。

 今日の夕飯は大好物だと聞いていたのに食べられないんだ、とか、きっと帰っても怒られるとか、怒られてもいいから家に帰りたいとか、見たいテレビがあったとか、聞いた時は笑い飛ばした怖い話とかが次々に頭へ浮かんできて、絶望しかけた時に俺が現れたらしい。

 その言い方だとまるで俺が救世主だが……泣いている子供がいればそのうち誰か声をかけただろう。特に大した話じゃない。

 

「っていうか、なんでそんなに日本語上手いの?」

「私、英語ほとんど喋れないんですよ」

「は? なにそれ?」

 

 なにそれと言われても、そもそも外国人ではなく異世界人だし、中身は生粋の日本人なので仕方ないのである。

 

「金髪だから外国語話せるとは限らないんですよ」

「いや、普通話せるでしょ」

「これは痛いところを……」

 

 しかしまあ、それだけ普通に話せるようになって良かった。

 

「ハンバーグ、私も好きですよ。我が家のハンバーグがまた絶品で」

「そんなに美味しいの? 何味?」

「色々です。スタンダードにデミグラスソースの時もあれば、和風おろしの時もありますし、チーズが載っていたり、玉ねぎベースのソースとか……あ、ちょっとお高い塩でいただいたこともありました」

「ねーちゃんちって金持ちなの?」

「えーっと……そうかもしれませんね」

 

 大学教授と薬師が住んでいて、学生組も月収何十万円ある家は金持ちと言っていい気がする。いわゆるお嬢様ではないんだが、家にメイドさんがいるとか言ったら絶対混乱するだろうし。鈴香たちのせいでちょっと高級な遊びスポットも結構知っている。

 

「じゃあ、お抱えの運転手とかいるの?」

「さすがにそこまでじゃないです」

 

 せいぜい魔王様がテレポートさせてくれるくらいだ。

 

「いいなー。金持ちならゲームとか買い放題じゃん」

「そんなにたくさん買っても遊びきれませんよ。それに、お金持ちはお稽古ごとが多かったりするんです」

「例えば?」

「お茶とか、お花とか、楽器とか、英会話とか」

「じゃあねーちゃん金持ちじゃないじゃん」

 

 英語話せないのはそんなに駄目か。

 ツッコミを入れそうになった俺はぐっと堪え、こほん、と咳ばらいをして、

 

「いいですか? お金持ちだからって無暗にお金を使うのは駄目なんです。そんなことをしていたら、お金の大切さを知らない大人になってしまいます」

「コンビニでいっぱい買い物してるのに?」

「う。いえ、これは家族の買い物を代わりにしただけで。私が自分で買ったのは本とアイスだけですし」

 

 本はそうそう安売りとかないのでコンビニで買っても損はしていない。電子書籍ならセールはよくあるが、雑誌は電子化されているものとされていないものがあるし、ベッドでぺらぺらめくる楽しみばかりは紙の本でないと味わえない。

 

「ねーちゃんゲームとかしないの?」

「たまにやりますよ。好きなゲームはありますか?」

「おれはソプラトーン!」

「そこですか……。将来はFPSにハマっちゃいそうですね」

「FP?」

「操作キャラの視点で遊ぶシューティングゲームのことですよ」

 

 調子に乗ってFPSとTPSの違いについて解説してしまう俺。配信をしているのと、後は朱華や瑠璃と話す機会が多いせいで、こういう知識は無駄にある。

 少年としてもゲームの話だから素直に聞いてくれる。お返しに、友達とこんなゲームをしてこんな活躍をした、みたいな話を聞かせてもらいながら歩いていると、

 

「あ!」

「あれですね」

 

 画像で見た薬局が俺たちの視界に入った。

 

「ここまで来れば道がわかりますか?」

「うん!」

 

 笑顔で頷く彼。これで一件落着である。とはいえ、せっかくここまで来たのだから家の前までは見送りたい。「じゃあ行きましょう」と歩き出す。

 すると、少年が俺と繋いでいた手を不意に離した。……ああ、なるほど。知り合いに見つかりそうな距離に来たので気恥ずかしくなったのか。かつて男子小学生をやっていた俺を舐めてもらっては困る。その程度では嫌な気分にならないどころか「そうか、お前もか」とほっこりする。

 アイスも食べ終わっていたのでゴミを回収する。

 

「証拠隠滅ですね。お家の人には内緒ですよ」

「わかった」

 

 神妙に頷くところもなんというか憎めない。

 やがて彼の家があるというマンションが見えてきて──。

 

「あ、お姉ちゃん!」

 

 マンションの前に一人の女の子が立っていた。駆け出す少年と、それに気づいてやってくる女の子。高校生くらいの子で、少年の名前を呼んで「遅かったじゃない」とか「遠くまで行かないようにって言ってるのに」とか言っている。

 というか、俺はその女の子に見覚えがあった。

 

「こんにちは」

「アリスちゃん!? もしかして、弟を連れてきてくれたの?」

「あはは……。はい、成り行きで」

 

 迷子になって泣いていたので、というのは彼の名誉のために黙っておこう。

 萌桜(ほうおう)のクラスメートである女の子は俺の答えに「そっか」と笑って、

 

「ほら、お姉ちゃんにありがとうは言ったの?」

「あ、ありがとう」

 

 頬を赤く染めながらおずおずと言う少年。わかる。ちゃんと感謝していても母親とかから促されると照れくさくていいづらいよな。

 

「気にしないでください。ハンバーグ、食べられそうですね」

 

 そう言って微笑むと、彼は「うん!」と頷いて、それからとっておきの名案を思い付いたような顔になって、

 

「お礼におれ、ねーちゃんと結婚してやってもいいよ」

「え」

 

 結婚とは。しかもお礼とは。なかなかに意外な発言である。道案内のお礼が人生、と考えるとすごい話ではあるが。

 

「あ、気にしないでアリスちゃん。この子、これ言うのマイブームなの」

「ふふっ。そうなんですね」

 

 大方、アニメか何かの台詞に影響されたのだろう。俺はくすりと笑って彼の前にしゃがみ込み、少し悪戯めいた口調で言った。

 

「じゃあ、大きくなってもし覚えていたらプロポーズしに来てくださいね」

「お、おう」

 

 そうして俺は二人と別れ、シェアハウスへの道を歩き出した。

 帰り着いた時には夕飯は既にできていた。調味料が足りないためメニューは急遽変更になったらしい。朱華たちの分のアイスは外気に触れにくい場所に入れていたのと、こっそり『食料保存』の魔法をかけておいたお陰で、ちょっと溶けかけている程度で済んだ。

 

「お帰りなさいませ、アリスさま。今日はハンバーグになりましたよ」

「ただいまです、ノワールさん。……ハンバーグ、ちょうど食べたかったんです」

「何よアリス。アッシェに影響されたわけ?」

 

 朱華が不思議そうな顔をするので、俺は夕食を食べながら迷子の男の子の話をした。

 全て話し終わると、瑠璃が神妙な顔をして、

 

「アリス先輩。まさか本気でその子と結婚するつもりで……?」

「まさか。あの子もすぐに忘れてしまうと思いますし。私は『プロポーズしてください』と言っただけで『待ってます』とは言いませんでしたから」

 

 その時にはもう、俺にも恋人がいる可能性はある。

 

「なるほど。それはつまり、私と結婚してくれるってこと──」

「違います」

 

 なお、ハンバーグはもちろんとても美味しかった。



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聖女、お布施を受ける

※収益化の年齢制限はリアルのアレとは異なるということでお願いいたします。


「アリシア・ブライトネス。分析するに、貴女の配信には視聴者へと訴えかける力が足りていないのではないでしょうか?」

「急にどうしたんですか、シュヴァルツさん?」

 

 シュヴァルツが家にやってきてから約一週間。

 服を着ていると人間にしか見えないほど精巧なメイドロボ──もとい、戦闘兵器である少女は、ある時ふと、俺にそんなことを言ってきた。

 感情表現機能が付いているにもかかわらず、普段は淡々としていて無表情な彼女。この時もノワールによく似た端正な顔立ちを崩さないまま答えてきた。

 

「貴女、および同業の配信者の配信内容を比較した結果です。その反応は私の見解に異論がある、ということでしょうか?」

「いえ、そういうわけでもないんですが……。どうしてそこまで私の配信に拘るのかな、と」

「別に。ただ、あの良質な環境を与えられていながらこの程度の人気では私の気が収まらないだけです」

 

 よくわからないがライバル認定されているらしい。

 

「カメラに向かって一人で喋り続ける、などという不毛な事を毎日続けているくらいですから暇なのでしょう? 少し私の分析を聞きなさい」

「いえ、頑張って時間を作って配信しているんですが……。わかりました、せっかくなので教えてください」

 

 今日の宿題は終わっているし、入浴も済ませた。後は配信して寝るだけといった感じなので、少しくらいなら付き合っても問題ない。

 ノートパソコンともども延長コードに接続されたままリビングの椅子に腰かけているシュヴァルツと向かい合って座る。

 

「それで、訴えかける力というと……?」

「要するに、顧客の期待にどれだけ応えているか、ということです。見たいものを見られるかどうか、というのは視聴継続を決める上で重要な要素でしょう?」

「確かに」

「つまり、女としての魅力を最大限に生かすべきです」

「待ってください」

 

 いきなり何を言い出すのか、このロボは。

 

「いいですか、あのサイトは十八禁だめなんです。そういうのはNGです」

「何も直接的な性描写をしろとは言っていません。ですが、女性配信者のファンというのは大半が男。であれば、男の欲求に訴えかけるのは当然のことかと。いつの時代も人の欲望は単純です。酒、暴力、それからセック──」

「どこからそういうの覚えてくるんですか!」

 

 やはりネットがいけないのか。ネットだのエロゲだのに浸かっていると朱華や、今のシュヴァルツのようになってしまうのか。これが世界の真理だというのなら配信者なんて止めてしまった方がいいのだろうか。

 と。

 家事の合間にリビングへ顔を出したノワールがすまなそうな声で、

 

「申し訳ありません、アリスさま。シュヴァルツは裏社会時代のわたしを基にしておりますので──」

「ノワールさんの影響でしたか……」

「ええ。当時のわたしは後ろ暗いことをこれでもかと行っておりましたので、シュヴァルツも知識こそ限定的なものの、性質は似通っているはずです」

「そのお姉様がメイドなどというものに現を抜かすのが不思議で仕方ないのですが」

「人を騙し、利用し続けてきたわたしだからこそ、人に奉仕することが楽しくて仕方ないのですよ」

 

 ノワールの発言には俺も賛成だ。人助けというのはいいものである。

 

「……シュヴァルツだって、アリスさまと一緒に配信がしたいのでしょう? それも人に喜んでもらう行為ではありませんか?」

「べ、別に、アリシア・ブライトネスと仲良くなりたいなんて言っていないでしょう」

 

 ぷいっと視線を逸らすシュヴァルツ。いや、ノワールも「仲良く云々」とまでは言っていなかった気がするのだが。あれか、なかなか素直になれない系女子というやつなんだろうか。

 

「シュヴァルツさんのアバターデータもあるんですよね? 椎名さんたちに配信アプリを用意してもらってはどうですか?」

「今の私ではこの肉体を操作しきれません。電子的な接続を貴女方に制限されていなければ何の問題もないのですが」

「だって、そうでもしないとネットの海で暴れるでしょう、あなた」

「………」

 

 おお、珍しくノワールが敬語じゃない。妹相手だと気が抜けるのだろう。シュヴァルツも心なしか気恥ずかしそうな、しかし、どこか嬉しそうな様子になる。

 にっこり笑ったノワールは「ごゆっくり」と言ってまた席を外した。家事が落ち着いたら入浴タイムのはずだ。

 俺も、黙ってしまったシュヴァルツに微笑んで、

 

「シュヴァルツさん、なんだかんだ家事も勉強してくれていますよね」

「……仕方ないでしょう。お姉様にできることが私にできないのは屈辱です。それに今後、お姉様が家を空けることが増えるとなれば猶更」

 

 ノワールがアニメに出演するという件について、千歌さん経由でアニメ制作会社へ出向いたところ、割と二つ返事で「是非出てくれ」ということになった。

 ただ、さすがに打ち合わせやボイストレーニング等は必要になる。収録が始まったら猶更だ。なのでノワールは、今の内から自分の代わりとしてシュヴァルツを鍛えている。彼女が多少なりとも手伝ってくれれば後は俺がなんとかできるので、うちの食いしん坊共を暴れさせないためにも重要なポイントである。

 

「メイドの真似事をするのは不本意ですが、教授達に優位を取れるのは悪くありません。可能な限り技術の習得に努めましょう」

「ありがとうございます。でも、無理はしないでくださいね? いざとなったら私が頑張りますから」

「まあ、私は充電さえできれば構わないので、あまり心配していないのですが」

「ぶっちゃけましたね!?」

 

 思わずツッコミを入れると、シュヴァルツは唇を小さく歪めてふっと笑った。

 レアな表情。やっぱり綺麗だ、と、あらためて思う。

 

「ところで、アリシア・ブライトネス」

「なんですか?」

「一時間ほど前に貴女のチャンネル登録者数が1000人を超えました」

「もっと早く教えてください!?」

 

 というか、そんな頻繁に俺のページをチェックしていたんだろうか。

 

 

 

 

「こんばんは、キャロル・スターライトです。少しずつ気温が上がってきましたね。皆さん、暑さへの心構えは十分でしょうか」

 

《キャロルちゃんこんー》

《いや夏は来なくていいわ》

《祝・1000人突破》

 

「さて、今回は恒例のお悩み相談コーナーから……の、予定だったのですが、その前に嬉しいお知らせがあります」

 

《収益化か》

《1000人突破おめでとー》

 

「ありがとうございます! ……って、バレバレじゃないですか! そうです、とうとうチャンネルの登録者数が1000人を突破しました。皆さんの応援のお陰です。本当にありがとうございます」

 

《とうとうここまで来たか》

《いやいやキャロルちゃんが頑張ったからでしょ》

《お前らネタバレ自重しろww》

 

「そう言っていただけると嬉しいです。……というわけで、以前から1000人突破記念でやると告知していた『祭壇作成企画』をスタートさせたいと思います!」

 

《あれか》

《来たか》

《†お布施の時間†》

 

「前から聞いてくださっている方は知っているかもしれませんが、これは我が女神様の祭壇をこの世界に作ろう! という企画です。皆さんからいただいた寄進──心づけを祭壇の作成費用に充て、製作過程をレポートしていこうと思っています」

 

《寄進(電子マネー)》

《寄進(預金残高)》

《心づけ(金)》

 

「し、仕方ありません。聖職者も霞を食べて生きているわけではありません。私たちの宗教では畑を作るなどして自給自足を目指していましたが、大きな神殿になればなるほどそれだけでは賄えなくなります。孤児院を兼ねている神殿も多かったので切実なんです」

 

《大丈夫大丈夫。わかってるよー》

 

「ありがとうございます! ……というわけで、これから少しずつ、空いた時間に祭壇を作っていきたいと思います」

 

《あれ? キャロルちゃんが自分で作るん?》

 

「はい、そのつもりです。本格的な業者さんに頼めるほど予算を見込んでいませんし、人任せにしてしまうと進捗のレポートも味気ないものになりそうなので」

 

《大丈夫? 作れる?》

《クラファンみたいなの想像してた俺》

 

「大丈夫です。失敗したら失敗したでちゃんと報告します! 実はほら、材料や道具もちゃんと買ってあるんですよ」

 

《粘土に石膏、木材……だと?》

《このJK太っ腹過ぎる》

 

「年齢は不詳でお願いします。ちなみにこれらの費用は先行投資としてお小遣いから出しました。なので、その……おねだりするわけではありませんが、無理のない範囲で! お財布に小銭が余ってる時にジュースを飲む代わり、くらいのイメージで投げてくださる方がいたら嬉しいです」

 

《うーん、この小市民》

《この宗教が零細なの聖女様がおねだり下手過ぎるせいでは?》

《お小遣いだな! 任せろ!》

《もう投げていいのか? よーし投げちゃうぞー》

《俺も俺も》

《初弾赤きたー!》

 

「え、あの、赤っていくら……ちょっ、ちょっと待ってください! そんなにいりませんから! 業者さんに頼む額になっちゃいますから! 無理のない範囲で、本当に無理のない範囲でお願いしますね」

 

《無理のない範囲(食費を節約)》

《無理のない範囲(スマホゲーの課金を我慢する)》

《無理のない範囲(家を売る)》

 

「家は! 家は売らないでください! いえ、他も駄目ですけど!」

 

 

 

 

「……ひ、ひどいことになってしまいました」

 

 アプリを終了させた俺は思わず自室で独り言を漏らした。

 椎名の会社謹製のツールは終了時やアバター・リアルの切り替え時に「配信は切りましたか?」「本当によろしいですか?」などと確認メッセージが出る親切設計なので、実はまだ繋がっていた、などという事故が少ない仕様になっている。

 なので、ネット上に流れていないのを確認した上での呟きだ。

 と、部屋のドアがノックされて、返事も待たずに一人、二人、三人の人物が入ってくる。朱華、ラペーシュ、瑠璃だ。

 

「お疲れ、アリス。大漁じゃない」

「さすが私の見込んだ聖女ね。愚民どもからあれだけの金を巻き上げるなんて」

「アリス先輩、落ち着いてください。ガチ恋勢がいるAtuberなんかだとあれの何倍も凄いですから。開幕なのでみんなはしゃいでるんだと思いますし、気にしなくても大丈夫です」

「皆さん……。ありがとうございます」

 

 みんな配信を見ていてくれたのだろう。元気づけてもらったら少し落ち着いた。いや、他人様からお金をもらっておいて落ち込むのもアレなのだが。なにしろ金額があまりにもアレだ。

 買い込んだ工作道具の中に木材があるのは、祭壇形式が上手く行かなかった時に神棚へチャレンジするためだった。しかし正直、今日貰ったお布施だけで神棚くらい余裕で買えてしまう。いや、日本式の神棚そのままだと色々問題はあるんだが。

 

「というかあれよね。そこのポンコツ魔王に頼んだら祭壇くらい作れるんじゃないの?」

「ポンコツは余計よ。……まあ、作れるけど。魔王に作ってもらった祭壇でアリスの神は喜ぶのかしら」

「私が神様だったら気分的に嫌ですね……」

 

 顔を顰める瑠璃に俺も賛成だ。聖水で清めて毎日お祈りしていけばワンチャンあるかないか、くらいだろうか。

 

「いいじゃない。奴らに貢がせた額があなたの信仰に繋がるんでしょう?」

 

 ぽん、と、俺の肩に手を置いてラペーシュ。

 

「まだ『そうなるかも』という段階ですけど。……そう言うラペーシュさんは、妨害したりとかしないんですか?」

「するわけないじゃない。この私が娶る女よ。強く気高い方が良いに決まっているわ」

「この方のそういうところは見習いたいと思うのですが」

 

 ふう、と、瑠璃がため息をついた。

 

「娶るだの嫁にするだのと口にするのは慎みに欠けるかと」

「元の世界だと私は男役──というか、強引にでも娶るべき立場だったせいね。この性分はなかなか直らないわ」

「ま、なんにせよ、これで目標を一つクリアしたじゃない。こうやって有名になれば、ノワールさんの出るアニメを宣伝したりもできるんじゃない?」

「あの作品が有名になったらノワールさんも強くなるんですかね……?」

 

 ともあれ、朱華の言う通り俺は一歩、前進した。

 こうなったらちゃんと祭壇も作ってみんなに見せたい。お金が余るのならさらに神殿も建てたい。となればこの夏に命を落としている場合じゃない。

 命を賭けずにラペーシュに勝てるよう、もっと強くならなければ。



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聖女、空を飛びたがる

「今年の夏休みはどこに行きましょうか」

 

 昼休み。

 小桃も同席して五人での昼食時、芽愛(めい)の何気ない言葉からその話は始まった。

 夏休みの話題。まだ早いのではないかという気もしたが、そうは言っても五月も終盤。あと二か月しかないと思えば、今からあれこれ考えておくのも良さそうだ。

 これに小桃が首を傾げて、

 

「去年はどこに行ったの?」

「高原の避暑地に海水浴、それとエステサロンですね」

「へえ、それはなかなか」

 

 指折り数えることもなく答える縫子(ほうこ)。俺としても新体験ばかりだったし、何よりとても楽しかったので、もちろんよく覚えている。

 感心するように答えた小桃は──心なしかラペーシュが表に現れているような、いないような。

 

「よく『海か山か』って言うらしいけど、両方制覇したようなものか」

「高原を山と言っていいかどうか難しいところですが、そうですね」

「なら、今年は本格的な登山でもしましょうか?」

 

 面白がるように鈴香(すずか)。すると縫子が眉をひそめて、

 

「女子高生がするようなことでしょうか。いえ、アウトドアファッションにも興味はありますが、あれは素材の問題が大きく条件が特殊なので」

「そこなんだ」

 

 ツッコミを入れるのはもはや小桃一人である。他のメンバーはお互いの性質について十分に知っている。

 

「山菜取りには興味がありますが……」

「私は登山、興味があります。恐山とか、富士山とか、いつか上ってみたいです」

「アリスは相変わらず独特な感性ね」

 

 うん、まあ、修行になりそうなところを選んだので、あまり女子高生が立ち入る場所ではない。

 鈴香はくすりと笑って、

 

「本格的な登山は理緒も辛いでしょうし、止めておきましょうか。そうすると、海や山に代わる目玉が欲しいところだけど」

「映画やショッピングではありきたりすぎますし」

「出先で美味しい物をいただくのは決まっているようなものですし」

「……うん、このメンバーの話は自由すぎて逆に落ち着くかも」

 

 小桃の中の人であるラペーシュはお嬢様どころか魔王様なので、さもありなん。

 それはともかく、俺も何かいいアイデアがないか考えて、

 

「海でも山でもない……あ、空とかどうでしょう? なんて」

 

 人は飛べない。飛行機に乗ることはできるが、あれは主目的にするものではなく、あくまでも移動手段だ。冗談は冗談として、他のアイデアを考えようと、

 

「スカイダイビングね。確かに一度やってみたいかも」

「ああ、それは楽しそうですね」

「高所からの景色……いいインスピレーションになりそうです」

「あれ?」

 

 なんか普通に可決されそうだった。

 

「なるほど。山よりももっと高い場所という発想ね。なら、海の方のダイビングもありかしら」

「今からなら海外も間に合うのでは?」

「外国の本場料理は是非味わってみたいですね」

 

 しかもさらにグレードアップし始めた。

 

「皆さんがお嬢様なのを久しぶりに実感しました」

「ああ、ごめんなさい、アリス。さすがに予算が厳しいかしら?」

「あ、いえ、お金の方は全然大丈夫です」

「……うん。アリスも割とすごいこと言ってるからね?」

 

 海外旅行に空と海のダイビングくらいなら一月の収入で十分足りるのだが──言われてみると絶対「普通の女子高生」の会話ではなかった。

 

「というか、小桃さんも来るんですか? ……来ませんよね?」

「え、なにそれアリス。私何か悪いことした?」

「そういうわけでは……ない、とも言い切れないような」

 

 明確な悪さはしていないが、とはいえ魔王である。

 あと、万が一小桃と同室なんていうことになった場合、ラペーシュに戻る可能性があるわけで、

 

「ほら。身の危険を感じるなあ、と」

「いや、それは私、恋愛対象は女の子だけど」

「……さらっとカミングアウトしないでくれないかしら」

「アリスちゃん、そこは危ないからこっち来て」

「同性に性的魅力を感じる女子はどのようなファッションを好むんでしょう。鴨間(おうま)さん、その辺りの意見、聞かせてもらえますか?」

 

 結局、なんかわちゃわちゃしたことになった挙句、小桃は「私は遠慮しておくよ」ということになった。予算的に足りなくはないけど他に欲しいものがあるし、友達と一緒では女の子も口説けない、と。

 なんだか出会った頃よりはっちゃけている気がするのは俺に正体がバレたせいなのか、それとも、ラペーシュの抱える邪気が強くなっているせいなのだろうか。

 

 

 

 

 放課後は園芸部に顔を出してから帰宅した。

 

「ブライトネスさんも土いじり、慣れてきたね」

 

 部の先輩方からはそんなことを言われた。

 普通の女の子はこういうの嫌がる子が多いから、とのこと。確かに、花とか植物が好きな子は多くても、本格的に世話したいと思う女子は少数派かもしれない。具体的に言うと手が汚れるとか、虫とか、その辺りの理由で。

 

「私は好きですよ、こういうの」

「じゃあ、将来は農家のお嫁さんとか?」

「うわ、全然想像できない」

 

 部員の声に笑顔を返しながら自分でも想像してみたところ、案外悪くない話に思えた。早起きして神に祈りを捧げ、田畑を耕し、家畜に餌をやる。自分で育てた作物を中心とした質素かつ堅実な食事。暇な時間は周りに困っている人がいたら助けたりする。

 ……うん、悪くない。

 神殿を建てられるほどお金が溜まったら検討してみようか、と少し思った。さすがに今すぐに、と言われると、そこまで煩悩を捨てられる自信がないが。

 

 帰宅したら、玄関のドアを開ける前に家庭菜園に寄って魔法をかけた。

 こまめに魔法をかけてやると目に見えて育ちが良くなる。頑張って育てる楽しみは減ってしまうものの、食材が美味しくなると仲間たちからは好評である。特にシルビアからは「素材の質は重要だからねー」と、彼女の薬草畑にも魔法をかけるように頼まれているくらいだ。

 となれば一度、錫杖も出して本格的な植物育成もしてみたいような。

 

『駄目ですよ、私。きちんとした儀式は痩せた土地を回復させるためのものです』

『そうですね』

 

 本格的に祈りを捧げた場合、土地に神聖力を満たして栄養を補充することができるらしい。そこまで行くと邪気を祓う効果もありそうだ。とはいえ各地への巡礼なんてそうそう行けない。高校、いや大学を卒業したら可能だろうか。いや、バレたら駄目なのだから、この体制が変わらない限り無理かもしれない。

 

「ただいま帰りました」

「お帰りなさいませ、アリスさま」

「……お帰りなさい、アリシア・ブライトネス」

 

 帰宅するとノワール、それからシュヴァルツが出迎えてくれる。

 揃いのメイド服を着た彼女たちは本当に姉妹のようである。シュヴァルツはメイド服が不本意らしいが、正直とても似合っている。人間と違って皮脂汚れとかないので一着を着続けていてもあまり問題がないし、なんだかんだシュヴァルツがそれを着ているのも見慣れてきている。

 

「ノワールさん。何かお手伝いすることはありますか?」

「いいえ、大丈夫です。シュヴァルツに基礎を仕込んでいる最中ですので、アリスさまはご自分のことを優先なさってください」

「わかりました。ありがとうございます」

「わかりましたではなく、助けなさい。アリシア・ブライトネス」

「頑張ってくださいね、シュヴァルツさん」

 

 シュヴァルツのメイド修行は微妙な進捗だ。

 決して勘は悪くないし、呑み込みも良い方なのだが、シュヴァルツが新しい身体に慣れ切っていないのと、ロボという性質上、本人に食事の必要がないのが足かせになっている。掃除や洗濯はまだマシなのだが、一番重要な料理が「レシピと手順を丸憶えする」しかなく、一つ一つチャレンジして覚えて行っている段階。

 

「あー、おかえりー、アリス」

「ただいまです、スララ。ブランも」

 

 部屋では一匹のスライムと一羽のうさぎが仲良くくつろいでいた。お互いすっかり打ち解けたようで、種族も全く違うというのに当然のようにじゃれ合っている。

 スララの身体はぷよぷよしているので触り心地がいいし、スララ的にも、もぐもぐするのは生でも食材でも大差ないので、敢えて小さなうさぎを吸収する必要はない模様。

 

「アリスはまたしゅくだいー?」

「はい。残った分をやっつけてしまわないといけません」

「根絶やしにしないからふえるんだよー?」

「残念ながら、宿題は根絶やしにしても生まれてくるんですよね……」

 

 何しろ『教師』という存在が生成する使い魔のようなものだ。なので先生を倒せば止まるのかもしれないが、そこはスララに告げると危険なので言わない。

 手早く着替えを済ませ、宿題の残りを片付ける。それが終わったら配信チャンネルについたコメントを確認したり、キャロル・スターライトのつぶやいたーアカウントをチェック・更新したりする。まあ、そうそうネタがあるわけでもないので、面白いことがあった時以外は「今日は何時から配信します」程度になってしまうのだが。

 ネタを作るためにも欠かせないのが、

 

「祭壇製作の続きです……!」

 

 現在は粘土をぺたぺたして小さな祭壇を作るのを目標にしている。

 最初は木材を使った神棚にチャレンジし、そちらは一応ちゃんと完成した。ただ、物凄くシンプルな構造にした結果、なんというか物置き棚とか本棚を作ったのと大差ない仕上がりになってしまった。一応、彫刻刀を使って装飾を施したりもしてみたものの、工作感の否めない出来となり、公開した結果もらったコメントは「可愛い」とか「中学生かな?」といったものだった。

 なので、現在はもう少し凝ったものを狙っている。焼くまで固まらない樹脂粘土というのを使い、装飾付きの祭壇を目指している。と言っても祭壇自体の構造は単純だ。要は上に物を置ける台であればいいので、大まかな形を作るのは難しくない。

 ただ、形を均等に整えた上に装飾を施そうとするとなかなか難しい。左右のバランスが崩れてしまったり、つま楊枝で溝を彫ろうとして勢い余ったり、何度も失敗を重ねている。なんかもう、ただの趣味として粘土をいじっているのでは? という気がしないでもない。

 

 配信の視聴者からも『外注しちゃいなよ』という声が寄せられているので、一応、ちゃんとした形のものができたところでそちらに移行しようと思っている。

 粘土で作ったミニ祭壇を公開し、その後、外注用の設計図を書き始めるといった具合だ。これはアリシアの記憶を呼び起こしながら定規なんかも使って書くことになるので、またしばらく進捗状況の報告ができるだろう。

 

「とりあえず、神棚に向けてお祈りできるようになりましたし」

 

 聖職者自ら作った祈り用の道具だ。多少は効果があると思いたい。

 その次はミニ祭壇、そして本格的な祭壇と徐々にグレードアップして行けばいい。あんまり早く大きな祭壇が出来上がっても置く場所に困る。

 教授やラペーシュが主張し、政府からもらえることになった新しい家は目下、建設の準備が進行中。人数が増えてもいいように部屋数を増やしたり、各メンバーが出した「こんな設備が欲しい!」という希望を取り入れたりした結果、規模はいい感じに膨れ上がっていて、完成するのにはまだだいぶかかりそうだ。

 目下の目標はレベルアップ。

 バイトは毎週のように継続中だし、配信と祭壇作成も順調(?)だ。瑠璃の刀の強化も一応続けているし、できることはやっているはずだ。

 

「ラペーシュさんから見て、私たちは勝てそうですか?」

 

 当の魔王に尋ねてみると、彼女は「さあ、どうかしら」と首を傾げた。

 

「言っておくけれど、誤魔化しているわけじゃないのよ? 実際問題、戦ってみなければわからない。特にアリス、あなたの底力はね」

「私、ですか?」

「他に誰がいるの?」

 

 桃色をした美しい瞳が俺を真っすぐに見据える。

 

「少なくとも、私はあなたを特に評価している。意中の相手だもの、当然でしょう?」

「……もう。そういうこと言われると、少しはドキドキするんですよ?」

「あら、それは好都合。……それにね。実を言えば、あなたたちに勝ってもらった方がいいのかもしれない、とも思うの」

「ラペーシュさん?」

「だって、そうでしょう? 私はあなたたちを殺すかもしれないけど、あなたたちは私を殺さないもの」

「私だって自分の命や仲間の命の方が大事です。いざとなったらわかりませんよ」

「それでも、ね。魔王より残酷な聖職者なんていないでしょう?」

 

 現実に照らし合わせると意外にいそうな気もしたが、そこは言わないことにした。



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聖女、うさぎになる

 バニーガールだった。

 

 白いレオタード状の衣装をメインに、足には普通の黒タイツ。首には付け襟とリボンをあしらい、腕には指が自由になるタイプの黒いロンググローブ。そして当然、頭には白いウサ耳。

 お尻部分に生えた白い尻尾はレオタードにくっついているのではなく別パーツ。下着の上から細いベルトで固定して、レオタードに開いた小さいスリットから出す形だった。

 さすが安芸(あき)縫子(ほうこ)作。配信用のコスプレ衣装とは思えない拘りようである。

 しかし、

 

「……私、縫子から『恥ずかしい目に遭って来い』って言われてるんでしょうか」

 

 これではまるで、性的なサービスでもさせられるような格好だ。

 まさか縫子もシュヴァルツ同様、配信には女の魅力だと思っているのか。

 すると、着付けを手伝ってくれた千歌さんが「ないない」と笑って手を振る。

 

「あの子は純粋にアリスちゃんを飾りたかっただけだってば」

「本当ですか?」

「もちろん。耳を自立させるのが大変だったっていい笑顔だったし」

「そこに苦心する前にデザインを考え直して欲しかったんですが」

 

 まあ、可愛いのは認める。

 俺の体型では別に誰も興奮しないだろうし。……いや、そろそろ危ないか? 少しずつ胸が大きくなっているし、変身当時に比べると身長もセンチ単位で伸びている。

 まだまだ成長途上だが、女性的な身体つきが強調されてきたと言わざるをえない。

 

「恥ずかしかったら羽織ればいいよ。あれ、ちゃんと持ってきたでしょ?」

「そうですね、そうします」

 

 前からやろうと言っていてなかなかできていなかった生身でのコラボ配信。

 ようやく実現することになり、千歌さんの家を訪れるにあたって、俺は持ち物を指定されていた。冬に着ていた白いコート。

 色が同じ白なので上から着ても映える。ボタンを一つだけ留めるとかすれば中のバニー衣装も見えるし、いやらしい感じにもならない。なるほど、このためだったのかと感心した。

 

「これ、この時期に着ると少し暑いですね」

「エアコン入れるから大丈夫だよ」

 

 冬場にアイスを食べるために暖房をがんがん入れるような所業である。

 

「ところで、なんでバニーガールなんでしょう?」

「アリスちゃん──っていうかキャロルちゃんがうさぎの仮面被ってたからだよ」

「あー……」

 

 因幡の白兎的な和風うさぎはあの時、俺が巫女服を着ていたので既にやってしまった。

 ならばストレートにバニーガールだろう、という発想らしい。

 

「まあまあ。私も一緒に着るんだし」

 

 千歌さんは黒いバニーガール衣装である。

 彼女の分は縫子が作ってくれなかったそうなので、購入したコスプレ衣装。

 もちろん物凄く似合っているが、魅力的すぎて彼女こそアウトじゃないかという気もする。上に羽織った薄手の黒コートも大人の魅力を底上げしているし。

 

「声優だしね。コスプレしたくらいで事務所NGは出ないよ」

「……それもそうですね。覚悟を決めます」

「そうそうその意気」

 

 記念に、ということで配信前に写真を撮ってもらった。

 ウィッグを被ってカラーコンタクトも入れ、軽く化粧もしているので、ぱっと見別人だ。自分で見てもそうなのだから、他の人からは余計にわかりにくいと思う。

 交代で千歌さんの写真も撮り、ついでに自撮りっぽく二人でも撮った。

 

「うわ、なにこれ可愛い。……うちの事務所にもう一回スカウトしてもらおうかな」

「いえ、それは一回お断りしましたし……」

「ウィッグとカラコン付けたらOKならいけるんじゃない?」

「確かにそんな気も……?」

 

 前と違って「聖職者ムーブはそういうキャラ付け」が定着しているのでバレる率は低下している。

 今なら千歌さんを協力者にできるし、ノワールも声優デビューするわけだし、悪くない話ではあるのだが……考えてみたらそんな時間的余裕がなかった。

 

「わ、私は信仰を広められればそれでいいので」

「増えてるのはキャロルちゃんの信者だけ」

「この世界では私が教祖なので問題ありません。……たぶん」

 

 というわけで、千歌さんと二人で生配信をした。

 内容は雑談半分、ゲーム半分。チャンネルは千歌さんのものだったが、届いたスパチャは半分貰えることになった。

 

「キャロルちゃんの中の人がおっさんだと思ってた人、残念でした。美少女でーす」

 

 千歌さんはここぞとばかりに視聴者を煽っていた。しかもそれが炎上するどころか受けていた。解せぬ。

 

「というわけで、ここからはゾンビ撃つゲームに挑戦するんですが……キャロルちゃん? なんか目がマジじゃない?」

「ゾンビを()()んですよね? 一体でも多く潰しておかないと、新しい犠牲者を出して世の中を乱しますから」

「あ、駄目だこの子。忠実に設定守るタイプだ」

「また設定って言いましたね!?」

 

 なんというか、ほぼ千歌さんと駄弁ってゲームしていただけだったが、結果的に配信はかなりの好評を博した。

 

 

  ◆    ◆    ◆

 

 

『今回の千秋和香の配信、マジやばかったな』

『現役女子大生声優と現役女子高生配信者のバニーガール姿……エロかったな』

『そこかよ。いや重要だけど』

 

『良かった。キャロルちゃんのチャンネルでもやってくれれば良かったのにな』

『無理だろ。キャロルちゃん出てないし』

『出てただろ。……中の人が』

『まあ、キャラ崩れてなかったし、実質そのままだよな』

『キャラとか言うとキャロルちゃんに怒られるぞ』

 

『なんか和歌ファンの中にもキャロルちゃんのファン増えてない?』

『だって声可愛いし』

『俺達がツッコミ入れたいところだいたいキャロルちゃんがツッコんでくれるから楽なんだよな』

『わかる』

 

『キャロルのアバター配信の方も収益化して祭壇プロジェクト動き出してパワーアップした感じ』

『スパチャで祭壇(ガチ)作ろうとしてるの笑う』

『ネタに本気すぎて尊敬するよな』

『配信は時々マジの人生相談にマジで答え始めたりカオスだけどな』

『話してるうちに涙声になってガチで訴えかけ始めるのとかコメント忘れる出来だったな……。笑えはしないけど』

 

『っていうか魔法使えるなら怪我人とか救ってやれよ』

『ただの設定なんだからできるわけな──おっと誰か来たようだ』

『ま た 女 神 か』

 

『しかしあんなに可愛かったとは……。もうアバターいらなくない?』

『いるから。俺に需要あるから』

『でもコート脱いでバニースーツになった瞬間は興奮しましたね』

『ロリコン乙』

『言うほどロリコンか? 女子高生だぞ?』

『うん、まあ、俺らの年齢にもよるかな……』

 

『とりあえずこの企画定期的にやって欲しい』

『なんなら毎日でもいい』

『毎日は同棲でもしない限り無理だろ』

『すればいいじゃん、同棲』

『まあ百合営業なら問題ないな』

『和歌さんとキャロルちゃんに挟まれて眠れない音声出してくださいお願いします』

 

 

  ◆    ◆    ◆

 

 

『というわけで大反響だよ、アリスちゃん』

「すごいですね。さすが千歌さんの盛り上げ力です」

『いやいや、アリスちゃんの魅力もあるってば』

 

 翌日の夜、瑠璃の部屋で刀に神聖力を籠めていると、千歌さんから電話があった。

 電話しながら力を使うのは厳しいので刀はいったん瑠璃に引き渡す。しかし、可愛いパジャマに身を包んだ少女はこっちの会話が気になるらしく霊力を出そうとはしなかった。

 

『めちゃくちゃ好評だったし、いっそ本当に同棲したいくらいだよ』

「あはは。楽しそうですけど、うちもそろそろ部屋がいっぱいなんですよね」

 

 笑って答えると、瑠璃が顔に「?」を浮かべる。

 

「あ、瑠璃さんと同室とかどうですか?」

「アリス先輩。あの人と同じ部屋に住めとか、私に死ねと言うんですか」

『アリスちゃん? 今あの馬鹿がなんて言ったか教えて?』

「二人ともなんでそんなに喧嘩ばかりするんですか」

「後輩いじりが激しすぎるからです」

『可愛がってあげてるのに嫌がるからだよ』

 

 なるほど、どっちもどっちだ。

 

「あ。次に行く時なんですけど、ラペーシュさんと一緒に行ってもいいですか? そうすれば移動が楽になるので」

『いいよー。……あ、でも、そうするとあの子が自由に来られるようになるんだ?』

「身の危険を感じるなら止めておいた方がいいかと……」

『まあ、女の子同士ならノーカンでしょ』

「それでいいんですか!?」

『冗談だってば。そんなことしたらアリスちゃんに嫌われるってあの子もわかってるでしょ』

 

 持つべきものは契約である。

 千歌さんにおやすみを言って電話を切ると、瑠璃が頬を膨らませていた。

 

「アリス先輩はあの女に篭絡されすぎだと思います」

「千歌さん、いい人じゃないですか。彼女にしたい男性は多いと思います」

「あの人と釣り合う男なんてそういませんよ」

 

 つまらなそうに言う瑠璃。

 なんだかんだ言って、ちゃんと千歌さんの凄さを認めているのだ。

 

「もしかして、瑠璃さんが『そういう趣味』になったのって千歌さんへの憧れですか?」

「いえ、女装は高校時代から好きだったので」

 

 関係なかった。

 そこで、瑠璃は何やら顔を赤らめ、何かを言いたそうに視線を向けてくる。

 

「……というか、ですね。私には他に好きな人がいるんです」

「え」

 

 俺は硬直した。いきなりの爆弾発言である。

 誰だろう。バイト先が一緒の大学生とか? あるいは数少ない男性教師とか。

 

「ど、どんな人なんですか?」

「は、はい。その人は萌桜の先輩で」

 

 女性だった。先輩ということは高一から高三までの間か。

 

「礼儀正しくて、優しくて、努力家で、困っている人を放っておけない人なんです」

「そんな人がいたら好きになるのも仕方ないですね」

 

 なんだそのハイスペック女子高生は。

 そんな人がいただろうか。……鈴香(すずか)とか? 上級生の話なら俺が把握していなくてもおかしくないし、他にも候補はいそうだ。

 

「同性を好きになるのはいけないことでしょうか」

「そんなことはありません。無理に想いを遂げるのは罪ですが、それは異性でも同じです。しっかりと想いを伝えて答えを求めれば、どんな結果にせよ、誠実に向き合ってくれるはずです」

「そう、そうですよね」

 

 ほっとしたように息を吐く瑠璃。

 その様子から「本当に好きなんだろうな」というのが伝わってくる。やがて彼女はこちらをじっと見つめて、

 

「アリス先輩。私は──」

 

 その時、部屋のドアがノックされて、

 

「アリスー? 今日の配信マダー? ってつぶやいたーに上がってるわよ?」

「あ、そうでした! すみません瑠璃さん、お話、また今度聞かせてください!」

 

 俺は慌てて立ち上がった。

 部屋に戻って配信の準備を整えていると、廊下から瑠璃たちの声が聞こえてくる。

 

「……恨みますよ、朱華先輩」

「いや、ガチの奴は止めなさいよ!? あんたの髪、長くて黒いんだからシャレになってないんだからね!?」

 

 俺の代わりに朱華が話し相手になってくれて良かった、と思う俺だった。

 

 

  ◆    ◆    ◆

 

 

『キャロルちゃんの配信画面にうさぎのキャラが追加された件について』

『マスコットのブランな。可愛いよなあれ』

『GW後あたりから飼い始めたんだっけ。たまに画面遮ってアバターを乱す憎い奴』

『憎いかどうかはつぶやいたーアカウントに載ってる生写真を見てから判断するのだ』

『ああ、うん。これは許した。可愛い』

『うわ裸じゃんこいつやべえな』

『美少女の画像かと思ったらうさぎだった。くそう』

『白い毛並みの美少女の画像だっただろう?』

 

『うさぎはいいとして、隅っこでぷよぷよしてるスライムはなんなんです?』

『うさぎと一緒に飼ってる? らしい』

『スライムを飼ってる? 妙だな……?』

『あれだろ。エロいことに使って──』

『生ごみとか食べて分解してくれるらしい』

『なにそれすごい。うちにも一匹ください』

 

『あー。早く祭壇作ってくれないかな。そしたらお布施するのに』

『お前が今お布施をすれば祭壇が早くできるんだぞ』

『っていうか作ってるだろ。手作り祭壇』

『業者に頼むのも検討しているらしいが、場所の問題があるらしいな』

『世知辛い話やめろ』

『近所で庭に祭壇作り始めた家があったら教えてくれ』

『ガチで特定できそうだから止めろ』

 

『お布施か。スパチャ以外の方法があればいいんだがな』

『あれじゃね。依頼サイトみたいなところで人生相談とか祈祷とか受け付けてもらうとか』

『大丈夫? 宗教はNGってBANされない?』

『某サイトだとこんな感じ 禁止行為 第十四項:宗教活動または宗教団体への勧誘行為』

『だめじゃねーか』

『祈祷じゃなくて人生相談だけなら平気じゃない? 聖職者はあくまでキャラだし』

『キャラってあんまり言わないでやれ。キャロルちゃんが泣くぞ』



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聖女、拝まれる

「おかえりー、アリス。きょうはあそべるー?」

「すみません、スララさん。今日は行かないといけないところがあるんです」

 

 ある日。

 部屋に戻るなり寄ってきたスララに、俺はそう返した。

 人間の子供くらいのぷよぷよした塊の傍──白い羽毛を持ったうさぎのブランに視線を合わせると、彼女は「皆まで言わないで、任せなさい」とでも言うように鼻をすぴすぴと動かした。「ありがとうございます」と軽く撫でてから、急いで支度を始める。

 と、部屋のドアが開かれて、

 

「アリス、手伝いいる?」

 

 俺と同様、学校から帰ったばかりの朱華が入ってきた。

 

「いえ、大丈夫です。さすがにもう慣れましたし」

「にしちゃ慌ただしいけど……まあ、二件じゃ仕方ないか」

「はい、二件ですからね」

 

 今日、俺は帰りのHRが終わってすぐ帰路についた。

 園芸部にも寄らなかったし、クラスメートと雑談もしなかった。もちろん「帰りにどこか寄って行こう」という誘いも断った。

 宿題は休み時間中に無理矢理終わらせてある。

 普段ならもう少し余裕があるのだが、今日は治療の仕事がなんと二件も予定されている。

 連日は前にあったが、一日に二件は初めてのことだ。まあ、身バレ防止の着替えを考えると一度で済む方が気楽ではあるのだが──予定が詰まる分、スケジュールが慌ただしくなるのは避けられない。

 

 ぱぱっとシャワーを浴びて汗を流し、いつも使っているものとは違う無香料のシャンプー・ボディソープで洗う。

 髪と身体をしっかり乾かしたら胸にさらしを巻いて平に(前より苦しくなった)。逆に腰には男装用の補正下着を付けてラインをフラットに見せる。下着はショーツではなく男物のボクサーパンツ。上にはワイシャツ──だけだと肌に擦れて気になるので、透けにくい色のキャミソールを下に着ける。

 少しはしたないが、この格好の上からタオルで隠しつつ部屋に戻り、メンズのスーツを身に着ける。だいぶ伸びた髪は無理矢理まとめてウィッグを被り、シックなデザインの帽子で隠す。ごくごくナチュラルな化粧をし、目にはカラコン+伊達眼鏡、手には薄いグローブをはめる。

 

「どうですか、朱華さん? 変なところないですか?」

「手際は完璧じゃない? ……ただ、男装してる女の子感はかなり強いかな」

「うーん……まあ、女子ですからね」

 

 やっぱり、だいぶ無理が出てきている。

 体型は極力誤魔化しているし、アリシア・ブライトネスにも見えないが、男子に見えるかと言うと微妙なところ。これだけいろいろやってこれなのだから、後は諦めるしかないだろう。

 すると朱華は笑って、

 

「あんたもう、男に戻った方が苦労しそうよね」

「それはそうですよ。私と会った頃の朱華さんたちと今の私って、そんなに経過日数変わらないんですよ?」

「あー。……そう考えると早いもんよね、本当」

 

 持って行く鞄やハンカチ、財布もいつもとは違う男物。

 今のところ問題ない相手しか招いていないからいいものの、考えてみるとこの辺りのグッズを下手な相手に見られたら変な誤解をされそうだ。彼氏がいて、その人の服が部屋に置いてあるとか。

 ……そうなったら「縫子に無茶振りされてもいいように男装用の衣装を揃えてある」と言い訳しよう。たぶん納得してくれる。

 

「では、行ってきます」

「行ってらっしゃい。一応、気をつけるのよ」

「承知しています」

 

 シュヴァルツの教育を絶賛継続中のノワール(+扱かれているシュヴァルツ)、リビングでごろごろしていたアッシェらも見送りをしてくれた。

 なお、ラペーシュは小桃モードのままクラスメートと寄り道中。俺が一緒に行けない分を引き受けてくれているわけなのでとても有難い。

 その分、俺はしっかり務めを果たして来なければ。

 といっても、特に変なことは起こらないと思うのだが──。

 

 

 

 

「ありがとうございます! ありがとうございます!」

 

 と、思いきや。

 二件目の治療時にちょっとした事件が起こってしまった。

 

 一件目は無事に終了。

 俺はとある病院での治療を終え、政府関係の車で次の仕事場所──当人の家へと移動していた。治療相手は怪我人や重病人なので、必然的に向こうが来るのではなく俺が出向くことになる。すると、中には入院ではなく自宅療養をしている人もいるのだ。

 挨拶などは政府のスタッフがやってくれるし、可能な限りの人払いは必須条件になっているので、俺は変装+マスクをした状態で治療をすればいいだけ。小さな声で魔法を使えば何を言ったのかも聞き取れないはず。

 

 神聖魔法を駆使すれば大概の症状は治癒できる。

 怪我や一般的な病気、毒物ならそれぞれに対応した魔法があるし、ウイルスやがん細胞は浄化の魔法で無力化可能。

 今回もその要領で治療を済ませ、念のために治っているか検査を受けてもらうように指示。これで終わりだとほっとしたその時、

 

「ありがとうございます、アリシア様!」

「───」

 

 なんでバレてるんですか、と、そこで取り乱さなかった俺を褒めて欲しい。

 顔が半分隠れているのを良いことに無反応を貫いた俺はスタッフに対応を任せた上でその家を後にした。

 治療対象は見るからに弱ったお婆ちゃんで、依頼人はその娘だという中年女性だったのだが、

 

「あの、どうして私の名前が……?」

「申し訳ありません。こちら側の不手際が原因と思われます」

 

 ここでしらばっくれても無駄だと判断したのだろう。スタッフは素直に答えてくれた。

(俺から教授に伝わる→教授が殴りこんでくる、のパターンだと余計に話が面倒臭くなる)

 

「政府はアリシアさんをはじめとする変身者の存在を秘匿する方向で動いていますが──事情を知る限られた者の中にも『むしろ公表すべき』と考えている者がいるのです」

「それは、私たちの力が役に立つから、でしょうか」

「ええ。特にアリシアさんの能力はもっと広く活用されるべき、という考え方が根強く、これまではなんとか抑えてきたのですが──どうやら強硬策に出てきたようです」

 

 本人を担ぎ上げてしまえば隠しようもなくなる、という話。

 とりあえず俺がしらばっくれたことで最悪の事態は避けられたようだが、

 

「……ずっと隠し続ける、というのも無理がありますよね」

「……そうですね」

 

 俺の呟きに、やや躊躇いがちな肯定が返ってきた。

 

「皆様が我が国の所属である、と明確に示しておくことで未来のトラブルを避けられる、という意見もあるのです。残念ながら、その意見にも一理あるかと」

 

 俺なら各宗教。朱華なら各種研究機関。シルビアも薬学系の企業・機関がこぞって欲しがるだろう。シュヴァルツなんか手に入れた国の技術レベルが跳ね上がりかねないし、ノワールがFBIとかCIAには入るのもなかなかヤバイことになる。

 スララは国のゴミ問題を一人で解決しかねないし、アッシェだって絶滅危惧動物の発見とかに役立ちそうだ。ラペーシュは言うまでもないので割愛。

 そう考えると瑠璃は割と平和そうだが、

 

「早月瑠璃さんに関してはやんごとなき血統と婚姻を行っていただければ……などという、不敬になりかねない意見もあります」

「わ」

 

 霊力を扱える上、不思議な刀に認められている大和撫子だ。権威を重んじる派閥からすれば当然の流れなのかもしれない。

 

「加えて、変身者の出現パターンも掴めていませんから」

「皆さんが生み出しているわけではないんですね?」

「違います。……もし、そうだったとしても否定するしかない、というのが現状ではありますが」

 

 まあ、本当に違うのだろう。

 原因を作った人間が政府にいるのなら、もう少し俺たちをコントロールしているはず。未知の現状だからこそ彼らも困っているのだ。

 その上、ラペーシュみたいな存在まで現れるのだからたまったものではないだろう。

 

「仲間が増えたら楽になるとは思うんですけど、難しいですね」

「ええ。今のところ変身者は全員、和を重んじる方々ばかりですが、今後もそうとは限りません。そういう意味でも人数の急増は望むところではないと」

 

 邪気を祓えば世の中は良くなる。

 しかし、それだって実証しきれたわけではない。ラペーシュの証言もあるが、信じない者は信じないだろう。人の考え方というのは一つではないのだ。

 

「……暗くなってしまいましたね」

 

 車の窓から見上げた空は完全に暗くなって月が昇っている。

 二件治療をこなした上、現場も近いとは言えなかった。この分だと夕飯は先に食べてもらった方がいい。俺はノワールにメッセージを入れた。

 

「あの、どこかでトイレに行かせてもらえませんか? さすがに限界が近くて……」

「わかりました。確か、近くに公園があったはずです」

 

 公園には基本的に公衆トイレが設置されている。この時間ならそうそう利用者もいないだろうし、人目に触れるのを避ける意味ではちょうどいい。

 上手く発見できたので、俺は「すぐ戻ります」と言って車を降りた。

 人はいないようだが……この格好だと男子トイレに入った方がいいか。なんだか物凄く久しぶりな気分だ。男女で分かれている場所というのはなんだか結界でも張られているような入りにくさを感じる。

 

「……ふう」

 

 幸い、中は清潔に保たれていた。個室で用を済ませて外に出たところで──。

 

「え?」

 

 俺は、うぞぞぞ、と、嫌な気配が集まってくるのを感じた。

 振り返る。常夜灯に照らされた公園内に、尋常のものではない黒いモノが集まり始めている。量的には大したことないが──邪気だ。

 

「一人の時は大丈夫なはずでしたよね……!?」

 

 俺は迷った。このまま公園を出てしまえば邪気は散る。バイトのつもりで来たわけではないのだからそうしても構わないだろう。

 しかし、祓える機会を逃すのも気持ちが悪い。

 ここは、現象の意味を確かめるためにも。

 

「やりましょう」

 

 結界を張り、錫杖を召喚して敵と対峙する。

 実体化していく敵──なんだか戦隊ヒーローものの怪人のような姿をしたそれを見据えつつ、服の中から聖印を取り出して、

 

「《聖光(ホーリーライト)》!!」

 

 聖なる光を解き放った。

 

 

 

 

「アリスが成長した結果でしょうね」

 

 夕食は鱚と縞海老をメインとした天ぷらだった。

 俺の分を帰って来てからわざわざ揚げてくれたので、アツアツかつサクサク。なんとも贅沢すぎる食事に、ぺこぺこだった腹も歓喜の声を上げた。

 天ぷらを味わいつつ、早いペースで口に運びながら、俺は今回の出来事を仲間たちに話した。それについて見解を示したのはラペーシュだ。

 

「聖職者だもの。邪気を祓う能力は高いのは当然。以前からそういう傾向はあったんでしょう? なら、それが強化されただけじゃないかしら」

「あんたがアリスにけしかけたわけじゃないのね?」

「不意打ちで雑魚を出す理由がないもの。契約でアリスを殺すことはできないし、修行させるのが目的なら準備の上、もっと強い敵を出すでしょう?」

 

 仰々しく現れた怪人っぽい奴は《聖光》一発で吹き飛んでいった。巨大化して復活したりもしていない。なので俺は怪我をしていないどころか、汗一つかく暇もなかった。

 車で待っていた政府のスタッフも「さっき、何か光りましたか?」くらいの反応しかしてくれなかったくらいだ。

 

「ですが、これだとアリス先輩は深夜にコンビニへ行くのも難しくなってしまいますね……」

 

 いや、コンビニ行ってまで夜食を買うくらいなら我慢するが。

 少し前、突発的に買い出しを頼まれた時のようなことがないとも限らない。学校の友人と遊びに行って少し遅くなった結果、魔物を召喚してしまう、なんていうこともあるかもしれない。

 俺は箸を止めつつ首を傾げて、

 

「何時を門限にすればいいんでしょうか」

「わからん。日が落ちたらもう危ない可能性はある」

「それでは外でのディナーも難しいではありませんか」

 

 ノワールが「由々しき事態だ」と言うように眉を寄せる。その隣でシュヴァルツは「食事がそんなに大事か」という顔をしていた。

 

「まあ、そうですね。アリシア・ブライトネスは旅行の予定もあるのでしょう? 旅先で敵と出くわすのはまずいのでは?」

「あ」

 

 海水浴で遊び過ぎたら巨大イカタコが出現。

 テニスの帰りにダークエルフの群れから雨のように矢を射かけられる。

 バーベキューをしていたら巨大猪が突っ込んでくる。

 ……なんていう可能性も確かになくはない。

 

「教授、何かいい方法ないー?」

 

 シルビアが水を向けると、それまで我らがリーダーは「そう言われてもな」と渋面を作った。

 

「ひとまずはアリスの言った通り門限を設定して様子を見るしかないのではないか」

「まあ、さすがにアリシアさんに悪行をさせて聖職者としての格を落とす……などというわけにもいきませんしね」

 

 アッシェが頷き、話はまとまったとでも言うように席を立つ。

 魔物使いの主である魔王は部下の勝手を咎めるでもなく俺を見て、

 

「特訓して、邪気を集める能力をコントロールすればいいのよ。アリスならできるでしょう?」

「そんなこと、簡単にできたら苦労しませんよ」

 

 ラペーシュは時々、俺への期待が大きすぎるような気がする。



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聖女、大暴れする

「アリスの外出問題はまあ、なんとかなるだろう。……問題は、我々の存在が公表されようとしている件だ」

「アリスさまの件も心配ですが、確かにその通りですね」

 

 教授の発言に、ノワールが眉を寄せて答えた。

 政府内に「秘匿派」と「公開派」がいて、後者が強硬手段を取り始めている。俺が治療に行った先で名前を呼ばれたのは彼らの動きによるものらしい。

 とりあえずしらばっくれはしたものの、それで無事終了、と行くわけがない。

 

「あたし達のこと広めたいなら、ぱぱっと記者会見でも開いちゃえばいいのに」

「いや朱華ちゃん。それやられたら困るんだってば」

「いえ、おそらくできないのではないでしょうか? その方達も、世の中を騒がせたいのではなく私達を守りたいと考えているのですよね?」

 

 ばばーんと公表してしまえば事実を隠すことはできなくなる。

 ただ、公表した後のことは成り行き任せになってしまう。政府は派閥が二分したまま騒動への対応に追われる羽目になり──もし、俺たちを何かに利用しようとする第三者が介入してきた場合、逆に隙を突かれてしまいかねない。

 

「うむ。瑠璃の意見が正解だろう。奴らは有力者へ少しずつ我々の存在を広め、もはや公表するしかない、という状態を作り出そうとしているに違いない。そうなれば秘匿派も協力せざるを得ないからな」

「でも、そうなると困るんですよね……」

 

 不思議な力を持っていることがバレてしまえば、今までのように学校へは通えなくなる。

 俺は毎日治療に追われることになるだろうし、他の面々もそれぞれの役割を与えられて散り散りになってしまうだろう。

 シェアハウスは必要なくなって、下手をすれば世界が俺たちを中心に動き出してしまう。

 正直言って、それは望むところではない。

 

「どうしたら今の生活を続けていられるでしょうか」

「その公開派とやらを皆殺──脅して黙らせればいいのですわ」

 

 帰りかけのところで立ち止まったアッシェが物凄く物騒なことを言った。ビーフジャーキーを取り出して齧りながらうさぎにちょっかいをかけているあたり、あまりやる気がなさそうである。まあ、彼女の場合は最悪、山の中に一人でも生きていけそうだ。

 

「あはは、さすがに口封じはちょっと……」

「必要とあらば実行する覚悟はありますが」

「ノワールさん!?」

 

 我が家のメイドさんが仕事人の目をしていた。やろうと思えば本当にできそうだから怖い。

 

「うーん。一応、自白剤とか遅効性の毒とか、あとその解毒剤とか用意しておく?」

「シルビアさんまでそっちの話を進めるんじゃないわよ!?」

 

 あまり手段を選んでいる場合ではないが、それにしても物騒すぎる。それに、そんなことをして「あいつらは危険だ」と認定されたら逆効果である。

 教授はそんな俺たちを見て「やれやれ」と息を吐き、桃色の髪の少女へ視線を向けた。

 

「ラペーシュよ。これに関しては何か見解があるか?」

「あるわ」

 

 異世界で魔族・魔物の王を務めていた少女。

 意見の相違なんてしょっちゅうだっただろう魔王は、いともあっさりと答えて胸を張った。

 

「要は『黙っていて欲しい』と()()()したいわけでしょう? なら、それを伝えればいいわ。……ちょっとしたパフォーマンス付きでね」

 

 そうして彼女が視線を向けたのは、他でもない俺だった。

 

「アリス。この子たちのためにひと頑張りできるかしら?」

「……はい?」

 

 いったいなにをさせられるのか。

 続いて行われたラペーシュの策は、なかなかにぶっ飛んだものだった。

 

 

   ◇    ◇    ◇

 

 

 事件は、唐突に起こった。

 国会の終了直後。何の前触れもなく議事堂の出入り口が全て封鎖されたかと思うと、中継を終えて撤収にかかるところだったマスコミ関係者がばたばたと倒れた。規則正しい呼吸から眠っているだけだということはすぐに知れたが、尋常ではない事態に『彼』は一瞬テロの可能性を考えた。

 しかし、幸か不幸か、そうした最悪の想定はすぐに裏切られた。

 照明が半分程度まで落とされたかと思うと目立つ位置に突如、二人の美少女が姿を現すという、斜め上の事態によって、である。

 

「初めまして、かしら。私はラペーシュ。ラペーシュ・デモンズロード。魔の者達を統べる王よ」

 

 全員の注目を集める中、進み出て名乗りを上げたのは桃色というおかしな髪色・目の色をした抜群の美少女だった。

 見た目の年齢で言えば議員達の誰よりも若いが、肝の据わり方は尋常ではない。『彼ら』の知らされている情報、そして当人が名乗った肩書きから考えれば、そもそも見た通りの年齢ではないのだろうが。

 一体、彼女がどうして。

 ラペーシュ・デモンズロード。それは、数年前から現れ始めた『変身者』ともまた異なる存在。邪気、負の気などと呼ばれる力の集合体であり、生粋の異端存在。変身者達一人一人を遥かに超える力を有していることもあって、どうしようもない目の上のたんこぶとされている。

 しかし。

 彼が驚いたのは、そんなラペーシュの後ろに立つもう一人の少女だった。

 

 金糸のような髪。

 奥深さと優しさを併せ持つ碧色の瞳。白く滑らかな肌に、女性への羽化を始めたばかりという印象の可愛らしく美しい顔立ち。ファンタジーの聖職者めいた衣装を身に纏い、凛と立つその姿からは、神を信じていない彼でさえ感じられるほどに清浄な気配が発散されている。

 アリシア・ブライトネス。

 写真や動画で目にしたことはあったが、こうして実際に見るのは初めてだ。

 美しいとは思っていた。他にない異能を保持しているのも知っていた。しかし、実物がこれほどまでに「飛びぬけている」とは思わなかった。

 あれは『本物』だ。

 科学に満ちた時代。神秘の力は迷信として遠ざけられており、現存する聖職者達についても「所詮はただの職業」と思っていた。だというのに。

 

「今日はね。あなたたちにお願いがあって来たの。……いえ、命令かしら?」

 

 嘯く魔王。

 聖女(アリシア)のすぐ傍にいながら全く気負った様子がない。それが当然とでも言うように立つ彼女は、当のアリシアが「ラペーシュさん」と静かに発すると「ごめんなさい」と苦笑を浮かべた。

 

「でも、率直な気持ちよ。アリス──アリシア・ブライトネスの心の平穏を乱すような輩は、たとえこの国の中核を担う者であっても必要ない。私にとっては、この場にいる有象無象全ての命よりもアリスの笑顔の方が大事なの。……だからね」

 

 そこで、アリシアが進み出た。

 魔王と聖女が立ち位置を交代する。そして響いたのはよく通る、澄んだ美しい声だった。

 

「皆さんにお願いがあります」

 

 聖女、アリシア・ブライトネスが直々に、彼らに向けて告げた。

 

「多くの方はご存じでしょう。私は皆さんが言うところの変身者──ある日突然、物語の中の登場人物へと変わってしまった者です」

 

 政治家や権力者の間では公然の秘密。

 マスコミには明かすことができないため国会で話されることは無いに等しいが、彼女達は確かにこうして存在している。

 

「私たちには特別な力があります。そして、それを守ってくれようとしてくれている方々がいます。けれど、守り方は人それぞれに違うようです」

「──っ」

「人によって考え方が異なる。それは当然のことですが、どうかお願いです」

 

 端正な顔立ちが悲しげに歪められる。

 その聖性と若干幼さの残る顔立ちから恋慕の情は湧いて来ないものの、庇護欲と崇拝めいた感情から彼は胸が締め付けられるような思いを抱いた。

 

「私たちも人だということを忘れないでください。……そして、私たちに人並みの生活を許してください」

 

 釘を刺されるような思いだった。

 彼はアリシア達『変身者』の存在を公表しようとしている一派だ。そのための策として、特殊な治療を求めている有力者に癒し手の正体を教えたこともある。

 それが。

 そのために、彼女らはここへ。

 

「私からのお願いはそれだけです。どうか、お願いします」

 

 深く、上品に一礼するアリシア。その一挙手一投足から彼は目が話せなかった。

 直後。

 

「時間ね」

 

 魔王の呟き。

 何が、と思う間もなく、彼は背筋に悪寒を覚えた。議事堂の中央に「何か嫌な感じ」。人々はそこから離れようとするように部屋の端へと移動していく。

 その間にも嫌な気配は膨れ上がり、やがて具体的な形を成していく。

 黒く太い足。どこか恐竜的な印象を持つ巨大な二本の足から、彼はある架空の生き物を連想した。驕った人々への警鐘を担っているともされる怪物。足の大きさから言っても、到底その全身は議事堂に収まらない。そもそも、そんなものが実際に現れるという時点で人知を超えているが──。

 

「アリス」

「はい。……全てが実体化しきる前に仕留めましょう」

 

 とん、と。

 虚空から生み出された錫杖を聖女が床へつく。しゃらん、と、音が響き、

 

「《聖光連撃(ホーリー・ファランクス)》」

 

 眩い光が一同の目をくらませ、そして、黒い足を撃った。

 

「足が……!」

 

 誰かが言った。実体化部分が半分ほどにまで減っている。それだけでなく、残った部分のサイズも縮んだように見える。『削った』のだ。聖なる力をぶつけることで、邪気でできた怪物を『祓った』。

 

「もう一度」

 

 光が瞬く。

 アリシアが魔法を解き放つ度に祓われ、怪物は弱く小さくなっていく。そして遂には全身を現すこともなく完全に消滅して──議事堂には静寂が戻ってきた。

 彼女は。

 見れば、錫杖を溶かすように消したアリシアがラペーシュと手を繋いでいた。行ってしまう。直感的に思った彼は何かを叫ぼうとして、

 

「───」

「───」

 

 一瞬、目が合ったような気がした。

 たったそれだけで言うべき言葉を忘れた彼は、聖女が姿を消すまで呆けていた。議事堂の入り口は何事もなかったように開かれ、眠っていた者たちも目を覚まし始める。

 

「今のは夢か?」

「いや、そんなはずがない。紛れもない現実だ」

「ああ。……我々は忠告されたのだ」

 

 余計なことをするな、と。

 ああ。

 聖女と魔王から同じように釘を刺されて逆らえる者が、果たしてこの世にいるというのか。

 

 

   ◇    ◇    ◇

 

 

「……すごいことをしてしまいました」

 

 ラペーシュの転移魔法で帰ってきた俺は自室の床にぐったりと崩れ落ちた。

 一方の魔王様は余裕の表情で、

 

「記録には残せないように処理したし、起きてた人間にも暗示をかけたから大丈夫よ。悪いようにはならないわ」

「そうじゃなくて、あんな偉い人たちの前で啖呵を切っちゃったことです!」

 

 いや、もう、なんでOKしてしまったのか。

 別に他のメンバーでも良かったんじゃないのか。いや、あそこで敵を火だるまにしたり酸で溶かしたり銃で撃ったり本でぶっ飛ばしたり、おまけに刀でぶった切ったりしたらそれはもうストレートに危険人物だが。

 

「さすがに聖女ムーブが過ぎたのでは……?」

「偉い人の中に信仰が広がるかもしれないわね」

「駄目じゃないですか!」

 

 枕を抱えてベッドをごろごろしたくなってきた。いや、もう、しばらく配信にも影響が出そうである。羞恥心的な意味で。

 

「でもまあ、これで皆さん大人しくしてくれますよね?」

「ひとまずはね。……状況が変わることもあるだろうから、完全に安心はできないけれど」

 

 新しいメンバーが今、この瞬間に生まれる可能性もある。

 邪気がなんかよくわからないことになって星そのものの悪意が具現化する可能性もゼロじゃない。なので、ひとまずは現状維持が可能になったというだけだ。

 まあ、同類がばんばん増えて当たり前になるならそれはそれでいいのだ。

 そうしたら俺たちに振られる役割も減るし、特別感も薄れるので、普通に学校へも通えるだろう。そもそも変身の条件や原因が不明なので何とも言えないが、

 

「ねえ、アリス?」

 

 ラペーシュに後ろから抱きしめられ、そっと囁かれる。

 ここで「天国へ連れて行ってあげましょうか?」なんて言われたらぶっ飛ばしてでも逃れるつもりだったが、幸い、言われたのはいたって真面目な内容だった。

 

「あなたは心当たり、ないのかしら? あなたたちが『そう』なった原因について」

「……実を言えば一つだけ、思い当たることはあります」

 

 言い当てたところでどうにもならないし、外れていたら困るので言い出せない仮説。

 頭に思い浮かべた「それ」をラペーシュは語れとは言わない。ただ「ならいいわ」と言っただけだった。

 

「でも、確かめないと後悔するかもしれないわよ?」

「……いいんです」

 

 俺は首を振って、小さく笑った。

 

「確かめるのなら、戦いが終わってからにします。勝つのは私たちですから」

「言ってなさい」

 

 魔王もまだ、どこか嬉しそうに笑ってくれた。



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聖女、夏の予定が増える

「これを着けなさい、アリス」

 

 差しだされたのは短いベルト状のものだった。

 材質は革のしなやかさとエナメル的な滑らかさを併せ持った何か。色は黒だが、若干の透明度があるのか奥深い色合いが作り出されている。

 ベルト穴はなく、シンプルなバックルにかちっと嵌めるだけのデザイン。

 銀色の金属でできたハートチャームが付属しており、可愛らしいと言えば可愛らしい。

 

「これがあればあなたの邪気集積能力を抑えることができるわ」

 

 まあ、いわゆるチョーカーである。

 コスプレ系の趣味がある女子が店頭で見つけたら手に取ることもあるだろうが、

 

「いえ、これ首輪ですよね?」

 

 お洒落アイテムで済ませるにはベルトが少々幅広過ぎる。

 ついでにバックルには小さなフックが付いており、そこに細いチェーンが繋がっているのだから疑う余地はない。

 俺にそれを差し出してきた桃色の髪の美少女──ラペーシュは心外だという風に首を傾げて、

 

「名前の違いなんて些細なことでしょう? さあ、早く着けなさい。一度嵌めれば私以外には外せない親切な作りだから、失くす心配はないわ」

「正体を現しましたね魑魅魍魎。アリス先輩から離れなさい」

 

 気合いの問題か、あるいはラペーシュは敵判定なのか、にわかに召喚された秘刀『俄雨』の切っ先がラペーシュの細い喉に突きつけられる。

 部屋の中でやるには物騒すぎるやりとりだが、当の魔王は余裕の笑みを浮かべるだけで、

 

「私を傷つけられない癖に、その刀でどうするつもり? それに、着けるか着けないかはアリスの自由でしょう?」

「詭弁です。……どうせ、その首輪に余計な機能も付いているでしょうに」

「あら。邪気集積能力のついでにアリスの神聖力も制限されるだけよ? 契約魔法の応用だから同意のない効果は得られないもの」

「十分危険ではありませんか!」

 

 いや、うん、俺もこの首輪は物騒だと思うが、瑠璃の剣幕を見ていると逆に冷静になってしまう。

 というか床や天井が傷つくと困るのだが。

 

「あの、朱華さんも何か言ってください」

「ん? ……そうね。着けるんなら衣装着てからにしなさい。メイド服もいいけど、ここはやっぱりいつもの聖職者コスで」

「もの凄く絵面が駄目そうですよ!?」

「それがいいんじゃない。魔王に敗北した聖職者が首輪を嵌められて隷属するプレイ。……興奮しない?」

「百歩譲って、当事者でなければ同意してもいいですけど」

 

 さすがに聖職者としての能力まで制限されると困る。

 俺はラペーシュに首輪を返して「他の方法を考えます」と言った。

 半ば冗談だったのだろう。魔王もあっさりと受け取って「あら、残念」と笑う。

 

「絶対似合うと思ったのに」

「でもそれ、どっちかっていうと瑠璃の管轄よね?」

「そう? せっかくだし着けさせてあげましょうか」

 

 さらっとパスされた首輪を、瑠璃は「思わず」といった様子でキャッチ。しげしげと眺めてから呻くように言った。

 

「外せない専用サイズの首輪。これ見よがしなチャーム。これがアリス先輩から渡されたのなら喜んで付けるところですが……」

「いえ、私はそういう趣味ないですからね?」

「そう? 別にいいじゃない。女神様もプレイとしてやる分には許してくれるでしょ?」

「それはまあ、夫婦や恋人同士の関係改善は子供を増やす意味でも重要ですけど」

 

 結局、首輪は誰も着けなかった。

 

 

 

 

「アリス。コミフェに参加しましょう」

 

 中庭にていつもの四人での昼食時、縫子(ほうこ)がややテンションの上がった声音で俺に提案してきた。

 夏休みにどこへ行こう、という話の延長でのことだ。

 言われた俺は軽く首を傾げてから、ああ、と思い至る。

 

「同人誌の即売会ですね? 有明の方でやる」

 

 正式名称はコミックフェスティバルだったか。

 美少女アバターで配信なんてやっている都合上、その名前は結構目にする。朱華や千歌さんも話題にすることがあるし。

 主な内容としては同人誌──ファンが製作した二次創作系の本やゲーム等の他、個人製作のオリジナル作品、コアな研究本などの販売である。企業として参加することも可能で、その場合は限定だったり先行販売だったりするグッズが売られることが多い。

 鈴香(すずか)芽愛(めい)も縫子の影響で知っているのか「ああ、あれね」といった感じの反応だ。

 

「安芸さんが行きたがるということは……コスプレですか?」

「はい。せっかくですから『キャロル・スターライト』のコスプレで広場に行きましょう。衣装はもう用意できています」

 

 なんという早業……ではなく、千歌さんとの配信用に前から作っていたためだ。

 コスプレもまたイベントにおける目玉の一つ。有名なコスプレイヤーになると何十という人に囲まれて撮影を受ける。写真はSNSなどにもアップされ、興味のある人々に拡散される。

 

「でも、さすがに恥ずかしいです」

「有名になるためには欠かせないイベントです。私としても自分の衣装を広く認めてもらうチャンスですし」

「安芸さんはコスプレしないんですよね?」

「私は作る専門ですから」

 

 縫子はさらっと答えてから、「また始まった」という顔の鈴香たちを見た。

 

「一人だと恥ずかしいのであれば、鈴香達を誘いましょう」

「嫌」「嫌です」

 

 即答だった。

 

「だって、暑いんでしょう? 強い日差しは肌に良くないし、海水浴と違って日焼け止めを塗り直すのも大変じゃない」

「ああいったイベントの食べ物って高いのに味はいまいちですし」

 

 さもありなん。

 好みのはっきりしている三人なので、こういう極端なイベントだとなかなか意見が一致しない。当然の流れだと思っていると、今回の縫子は一味違った。

 

「芽愛は料理マンガ、好きでしたよね? 夏フェのサークル一覧には有名マンガのレシピ再現本を出すサークルがありました」

「うっ……ちょっと見たい。ううん、かなり見たい」

「鈴香。芽愛が来るのなら一人だけ仲間外れですね。写真、たくさん撮ってきますので、帰ったら『一部だけ』見せますね」

「縫子、それはズルいんじゃないかしら」

「ズルくありません。参加するという労力を払うのですから正当な報酬です」

 

 結局、折れたのは芽愛たちの方だった。

 芽愛は「好きなマンガのキャラのコスプレなら」ということで承諾、鈴香はコスプレしない代わりに芽愛の欲しい同人誌を購入することになった。

 ただ、一人で歩くのも危ないので、後者は理緒さんの役割になりそうだ。その分は写真を撮ったり、制汗スプレーを提供したりして補ってくれるらしい。

 

「二人とも、大丈夫ですか? 無理はしなくても……」

「大丈夫です。せっかくの夏休みですし」

「代わりに私の希望にも付き合ってもらうから、それでお相子にしましょう」

 

 じゃあ、それぞれ一つずつ行きたいところに行くことにしよう、ということで決定。

 鈴香は前にも言っていたダイビングをチョイス。近場なら日帰りも可能だが、余裕を持って泊まりコースが前提だ。海の近くなら海産物も美味しいに決まっているし、海中の様子からインスピレーションが湧くということで二人も快諾。

 芽愛の希望はホテルのデザートビュッフェ。どうせならこれも泊まりにしてショッピングか何かを一緒に楽しもうということに。

 

「アリスは? 何か希望はないの?」

「私ですか? 私は……」

 

 美味しい物が食べたい、という欲求は黙っていても芽愛が満たしてくれるし、ダイビングも楽しそうだ。コスプレすれば配信関係の知名度も上がる。

 となると、

 

「滝行か、どこかの神事を見学するとか……あ! 農業体験なんかも興味あります!」

「さすがアリスさん」

「アリスも本当、そういうの好きね。まあ、煩悩ばかりでは問題かもしれないし……」

 

 どこかで滝行+写経を体験し、ついでに近くで果物狩りでもして帰ってくればいいのでは、ということになった。詳しい場所や日程は各々調べたり調整したりする方向。

 

「今年の夏も楽しくなりそうね」

「あ、アリスさん。もしも鴨間(おうま)さんを呼ぶなら事前に言ってくださいね? 部屋割りなどを考えないといけませんから」

「わ、わかりました」

 

 夏休みの予定がどんどん増えてしまった。

 その前にあるラペーシュとの決戦はもう、本気で頑張るしかないとして、みんなで遊びに行く前には邪気誘引体質? をなんとかしておかなければ。

 

 

 

 

「ラペーシュさん。要は私の力が増したから邪気を集めやすくなった、ということなんですよね?」

 

 夕食時、邪気の専門家(?)に尋ねると、彼女は「おそらくね」と答えてくれた。

 この日のメニューはすき焼き。具材を炊くのではなく、薄い鍋で焼くタイプだった。

 こうすると高級感が出て上品な感じがあるので、魔王様も満足してくれた様子。焼いた肉や長葱、焼き豆腐などを笑顔で味わっている。

 

「あなたと瑠璃が突出しているということは、そういうことでしょう? 邪気に対する能力が突出しているからこそ『祓いやすい』状態が作られるわけ」

「じゃあ、このまま能力が高まったら昼間でも敵が現れたりするんでしょうか」

「可能性はあるでしょう。夜は魔の統べる時間だけれど、昼間だからと言って邪気が全く存在しないわけではないもの」

 

 そう答えた上で、少し考えるようにしてから、

 

「実体化が起こるのは一定以上の邪気があればこそ。この国の邪気を大きく発散させることさえできればある程度、状況を抑えることはできると思う」

「何よ。結局あんたをぶっ飛ばせば全部解決するってわけ?」

「全部ではないと言っているでしょう。マシになるだけ」

 

 俺としては日没後に出歩ければそれでいいわけだが、だからこそ「邪気の少ない場所なら日が暮れても平気」みたいな中途半端が一番困る。

 生卵につけた具材をはふはふしてビールを煽っていた教授が「ふむ」と声を上げ、

 

「この際、本当に訓練とやらをしておいた方が良いではないか?」

「そんな気がします」

「あら? アリシアさんだけではなく、他の方にも同じ危険はあるのではなくて?」

「吾輩達の性能が三倍になることはあるまい」

 

 身も蓋も無いが、確かに想像しづらい。ラペーシュも教授たちは成長率が低いと言っていたわけだし。

 

「ちなみに、何か特訓方法があるんでしょうか?」

「私はある意味、アリスと対極の存在よ? うまい方法を知っているわけが──と、言いたいところだけど、外部への影響を抑えたいのなら、漏れ出る力を抑えればいいんじゃないかしら」

 

 曰く、魔力などの力は積極的に行使していない時にも少しずつ漏れ出している。

 その漏れ出す力を少なくし、体内に留めることで理論上は邪気の集合も抑えられるはずだという。

 

「えっと、私、そんなに普段から神聖な気配放ってるんですか?」

「うん」

「ええ」

「はい」

「そうだよー」

「アリスさまはとても清浄な気配をお持ちです」

 

 ほぼ満場一致だった。

 日中は太陽という「最大級の神聖力を持つ存在」があるため紛れるし、日常生活を送る分にはある程度印象も薄れる。シェアハウスのメンバーや学校のクラスメートなども見慣れているのであまり気にしてはいないだろうが、この間の政治家の方々などはそれはもう、立っているだけで神聖な存在に見えただろうとのこと。

 聖職者なのだからそれっぽく見えても問題はないのだが、そうか、そんなにか……と微妙な気分になった。

 

「いいじゃない。夜道を一人で歩いてても不審者から襲われにくいだろうし」

「その理屈だと、朱華さんは必要以上にいやらしく見えてるんでしょうか?」

「でしょうね。ちなみに、そうだとしたらそこの魔王も一緒よ」

「人を巻き込まないでくれるかしら? そもそも、私は知的生物全てを魅了してしかるべき存在なのだから、そんな因縁はあってもなくても同じことよ」

「はいはい、そうね。すごいわねー」

「全く信じてないでしょうあなた……!」

 

 うん、ラペーシュと朱華はやっぱり気が合うらしい。

 ともあれ。

 邪気対策の訓練はある意味オーソドックスというかなんというか、俺の放つオーラ的なものを抑制する形になるらしい。

 ラペーシュの力を使えば簡単に可能なのだが、その方法だと神聖魔法そのものを弱くされてしまう。

 必要な時に力を解き放つ逆、必要ない時はしっかり元栓を締める訓練。

 

「とりあえず、空いた時間にイメージトレーニングしてみます」

「頑張ってー、アリスちゃん」

 

 こうして、俺の日課が一つ増えることになった。



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聖女、仲間の鍛錬を見守る

 夏前に待ち受けるラペーシュとの決戦。

 それに向け、俺は心身を鍛え直すと共に人々からの信仰を集め、神聖魔法の強化を図っている。単独で邪気を実体化させられるように()()()()()()()ことから見ても効果は出ている。

 しかし、もちろん俺だけが自己鍛錬に励んでいるわけではない。

 シェアハウスの他メンバーもそれぞれ、自分なりの方法で魔王との戦いに備えようとしていた。

 

 

【ノワールの場合】

 

「お姉様は人使いが荒すぎると思います」

 

 シュヴァルツが部屋にやってきたかと思うと、ローテーブルを占領された。

 愚痴を吐きながら何やらかちゃかちゃとやり始めた彼女。

 きっと話を聞いて欲しいんだろうな、と思った俺はデスクチェアをくるりと回転させて「どうしたんですか?」と尋ねた。

 すると、

 

「戦いに必要だから、と、私に武器の改造を依頼してきたんです」

 

 彼女が弄っているのはプラモデルでも知恵の輪でもなく、本物の銃だった。

 知っての通り、ノワールとシュヴァルツはここよりも技術の進んだ世界出身である。当然、彼女たちの用いる武器も現代のものより性能が良い。

 原作マンガを見ている限りでは形状等にそこまでの差は見受けられないのだが、拳銃一つ取っても見る人によっては「宝箱のような先進技術の結晶」らしい。

 当然、性能も高いのだが、その分、この時代の技術者では整備や改造を行うことができない。

 

「シュヴァルツさんなら手先が器用ですし、ノワールさんと違って指を怪我したりしづらいもんね」

「逆に言えば、私の損傷を医者が治すことはできないわけですが」

「お手数おかけします」

 

 シュヴァルツには俺の治癒魔法も効かない。

 一部パーツの触り心地は極めて人間に近いのだが、とはいえ、プログラムと電力供給によって動き栄養補給を必要としない彼女を「生命活動を行っている」とは言い難い。

 その辺りの影響で、彼女がもし壊れた場合は修理というか「損傷個所をまるごと交換」するしかない。パーツの調達はラペーシュに頼んで再度人形公園へアタックすることになる。

 さすが未来のロボット、耐用年数はざっと二、三十年はあるらしいのだが、なかなか難儀な身体である。

 

 しかし、身体の操作に慣れた今、その仕事ぶりは見事なものだ。ノワールに教わりながら料理の手伝いもしているのだから凄いと思う。

 

「それで、どんな改造をしているんですか?」

「威力や正確性の向上、弾倉の増設。後はお姉様に合わせたチューニングですね。グリップの形状を微調整したり、トリガーの感度を弄ったりといった作業になります」

「それは……職人芸としか言いようがないですね」

 

 しげしげと眺めてみても俺には全くわからない。

 俺にできるのはせいぜい工作レベルである。……そうだ、プラモ製作なんかも配信のネタになるかもしれない。間を持たせながら雑談するのにもちょうど良さそうだ。後でスマホの中にメモしておこう。

 

「しかも、しかもですよ? 人に改造を任せながらお姉様が何をやっていると思いますか? 貴女にわかりますか、アリシア・ブライトネス」

「え? ええっと、なんでしょう……?」

「ゲームです。この時代の一般人を相手にFPSで無双して得意になっているのです」

「それはまた」

 

 もちろん、ノワールもただ遊んでいるわけではないはずだ。

 日々の家事をこなし、声優としてのデビューを控えながら反射神経や戦闘センスを磨くための訓練なのだろう。

 ノワールならさぞ良いスコアを取れるはずだ。

 俺なんか、その手のゲームで褒められたのはゾンビを討伐した時だけなのだが。

 

「しかも、時折私まで付き合わされるのです。マウントを取る、と言うのでしたか? 戦闘プログラムを失った私相手に得意になるとはお姉様は子供なのでしょうか」

「えっと、楽しそうですね?」

「どこをどう聞いたらそうなるのです。……本当に、アリシア・ブライトネスは変わった感性をしていますね」

「ありがとうございます」

 

 殺伐とした世界で生きていたシュヴァルツから「変わっている」と言われるのだから、聖職者としては褒められたと思っていいだろう。

 

「手伝います、と言いたいところですが、私じゃお役に立てないので心の中で応援していますね」

「わかっています。気持ちだけ受け取っておきましょう」

 

 ノートパソコンでSNSのチェック等を行う俺の背中からは、かちゃかちゃという音がしばらくの間、響き続けていた。

 

 

【朱華の場合】

 

「あたしも放熱フィンとか装備できればいいんだけどね」

「なんのネタですか。……あ、あの車のやつですね?」

「よくわかったじゃない」

「わかりますよ。大き目の玩具屋さんだとコーナーがあったりするらしいじゃないですか」

 

 親世代が子供の頃にあったブームが最近になって再燃したとか、男子高校生だった頃に聞いた覚えがある。

 懐かしがった親の影響で始める人や、あとはプラモなんかに興味のある層が延長線上で手を出したりするとかしないとか。

 

「色々種類があるんでしょう? 死霊(レイス)の名前を冠した機体には驚きました」

「いや、それ『レイ』で切るのが正しいやつだから。所有者の名前だけど、かかってるとしたら光線(レイ)とかの方がありえるわよ。あんた好きそうじゃない」

「それなら『シャイニング』とか冠した機体があったと思うので、そっちの方がいいかな、と。なんだか光るみたいですし」

「言っとくけど売ってる奴は光らないわよ。……今の技術なら『光らせてみた』とかありそうな気もするけど」

 

 なんだか猛烈に話が逸れたが、なんの話だったか。

 

「えっと、放熱でしたっけ。超能力の件ですよね?」

「そ。身体に溜まる熱量さえどうにかできればもう少し連発できるでしょ?」

 

 なので、外付けアイテムでなんとかできないか、という話らしい。

 特殊素材の衣類の中には冷感を謳うものなんかもあるし、科学の力を使えば冷却装備みたいなのを用意できなくもないが、前者は多少冷たくなる程度だし下手に着こむと暑くなる。後者は重い上に壊れやすい。

 

「熱の反動を減らす特訓とかはできないんですか?」

「んー、威力を上げるほど反動も大きくなるから、小さいのをほぼ無反動で使えるようにとかは練習してるんだけどね。でかいのはなかなか練習できないのよ。暑いし」

「水風呂に浸かりながら能力を使う特訓とか」

「あたしはあんたみたいに特殊な訓練積んでないの」

 

 聖職者をなんだと思っているのか。

 いやまあ、暑さというのは馬鹿にできない。寒さ同様、体調をモロに左右するので我慢しろとも言いづらい。

 じゃあ南国の人はどうなのかと言えば、それは体質や長年の慣れによるものだろうし。

 

「まあ、慣れようっていう発想はないわけじゃないのよ。実際、前よりは連発できるようになったしね。でも、我慢するだけじゃ限界があるから……」

「から」

「いっそ暑いのを好きになるっていうのはアリだと思う?」

「頭が茹ってるわけじゃありませんよね?」

「失礼なこと言うじゃない」

「今のは朱華さんが悪いと思うんですけど……!?」

 

 軽く頬を抓られた俺が抗議すると、朱華はしぶしぶ手を離してくれた。

 

「というか、それが難しいから困っているんじゃ?」

「だから、我慢するんじゃなくて好きになるって話。ほら、興奮してると身体が火照ってくるわけじゃない? だから、暑い時はそういう状態だって錯覚させればって」

「……あー」

 

 言いたいことはわかった。要は朱華の出身世界(エロゲ)的な話だ。

 

「よくわかりました。わかったので、そういう話はラペーシュさんにお願いします」

「敵に聞いてどうするんのよ」

「確かに。……でもそれ、私にはなんとも言い難いです。あらゆる意味で経験がなさすぎますし」

「それもそうか」

 

 今度こそ、朱華は納得したように頷いてくれた。

 

「ま、でも、お風呂で特訓ってのはアリかもね。簡単に冷やせるし」

「やるなら昼間か、みんながお風呂終わってからお願いしますね」

「はいはい。そのへんはわかってるから安心しなさい」

 

 そして、彼女は苦笑しながら俺の頭をぽんぽんと叩いた。

 いつも飄々としていて明るい彼女。

 伸び悩んでいるようだが、きっとまた自分なりの方法で俺たちを助けてくれるはずだ。

 実は俺に負けず劣らず無茶をしがちなので、俺としては彼女に負担をかけすぎないようにもっと強くならなければ……と思った。

 

 

【瑠璃とシルビアの場合】

 

 ざん、と。

 最後の首が秘刀『俄雨』によって断たれると、オロチは身体の端から少しずつ光の粒子となって消滅していく。

 

「瑠璃ちゃん!」

「心得ています」

 

 手早く刀を引き戻した瑠璃が、まだ消えていない胴体を両断。その中心を確認するも──残念ながら、と言うべきか、大方の予想通り、と言うべきか、復活オロチの身体にはオリジナルが保有していた『賢者の石(不完全版)』は内蔵されていなかった。

 他の敵が現れないのを確認した俺はふう、と息を吐き、錫杖を消す。

 場所は前回オロチと戦った神社。今回は政府スタッフにお願いして俺、シルビア、瑠璃、それから邪気コントロール役のラペーシュというメンバーでやってきた。

 

「意外と楽に終わりましたね」

 

 前回フルメンバーでギリギリだったオロチ戦。

 俺も瑠璃も前回よりレベルアップしているとはいえ、今回は格段に楽だった。具体的にはオロチの再生能力が低かったせいだ。

 付けた傷は少しずつ治っていくものの、深手がすぐに再生するレベルではない。首の猛攻をかいくぐりつつ『俄雨』で薙げば、それは確かな足がかりとなって次に繋がっていく。多少のダメージは俺の魔法で癒せるし、開幕で《聖光連撃(ホーリー・ファランクス)》を二、三発叩き込んだお陰でオロチの動き自体も鈍っていた。

 で、結果は快勝。

 

「私としては残念だったけどねー」

 

 しょぼん、と肩を落とすのは石が目当てだったシルビアだ。

 前回手に入れた石はそれ自体の研究および製薬への利用でばんばん使っているものの、あまり無理をさせすぎると壊れてしまうかもしれない。スペアがあるに越したことはないからとこうしてやってきたのだが、二体目のシュヴァルツに魂が宿らなかったのと同じように石が手に入ることもなかった。

 一人でオロチ相手に前衛を張った瑠璃は対照的に清々しい表情。軽く血糊を払うようにしてから『俄雨』を消すと、俺たちの方へと歩いてきた。

 

「ですが、シルビア先輩の製薬も順調なのでしょう?」

「まあねー。一応、思いつく限りの薬は作ってるよー」

 

 シルビアが最も得意とするのは製薬。

 これまでも自作の酸などを用いて戦ってきたように、決戦にもそのスタンスで臨もうとしている。あらかじめみんなに回復アイテムやドーピングアイテムを配っておいてもらえれば俺の手が足りない時に役立つし、彼女の酸は生物相手ならだいたい通用する強力な攻撃手段だ。

 賢者の石(不完全版)のお陰で効果の高い薬が作れるようになり、それを用いて「低用量で従来と同じ効果のポーション」や「従来の用量のまま効果を高めたポーション」なども製作しているらしい。

 難点としてポーションは使い捨てというのがあり、しかも補充には時間がかかるということで、今回の戦闘への参加は控えめだった。

 あまりばんばんポーションを使うと政府からの報酬がどんどん目減りしてしまう。戦うのに元手がかかるというのもなかなか困りものである。

 

「まあ、オロチの血や皮は手に入ったから、これでまた薬を作るよー」

「いつも助かります」

「……そういえば、シルビア先輩は他の錬金術は使えないのですか? 例えば、戦況に応じて武器を変形させて攻撃するとか」

 

 素材を抱えてほくほく顔の彼女に俺が礼を言えば、瑠璃がふと思いついたように疑問を呈した。

 確かに、マンガなどではたまにそういった錬金術も見るが──。

 

「瑠璃ちゃん。錬金術を舐めちゃいけないよ」

 

 地雷だったのか、シルビアの目が据わった。

 

「両手をぱん、と打ち合わせただけで錬成が終わるとかあるけど、あんなの普通ありえないんだよ。あれはあの世界がそういうシステムで成り立っているからできる話なの。材料があって結果を想定できているから経過を無視できるとかほとんど魔法だよ魔法。格好いいとは思うけど史実の錬金術師の苦悩をなんだと思っているのかと──」

「ストップ! ストップです、シルビアさん!」

「わかりました! わかりました! 私が悪かったですから落ち着いてください!」

 

 以後、シルビアの前で「両手でぱんとして錬成」の話は禁句となった。

 

 

【教授の場合】

 

「吾輩は直接戦闘では役に立たんからな。その分、対魔王用の作戦を考えている。あまり深くは聞くなよ。あやつに聞かれたら元も子もないからな」

「わかりました」

 

 話が十秒で終わった。



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聖女、生徒指導室に行く

 ある雨の日の休み時間、廊下で吉野先生を見かけた

 会釈してすれ違おうとすると、向こうから声をかけられる。

 

「ブライトネスさん、調子はどう?」

「はい。お陰さまで毎日楽しく過ごしています。吉野先生は──」

 

 どうですか、と尋ねようとした俺は、先生の顔色があまり良くないことに気づいた。

 なにかあったのだろうか。

 さすがにここで魔法を使うわけにもいかないし、どうしたものかと考えて、

 

「そうだ。先生。たまには一緒にご飯を食べませんか?」

 

 幸い、先生はこれをOKしてくれた。

 昼休み、中庭が使えないのでちょうど良い。俺は「一緒に食べよう」と言うクラスメートに謝ると、弁当の包みを持って指定された場所へと向かった。

 『生徒指導室』。

 二人用のテーブルと椅子が置かれた狭い部屋。人目を避けられるのである意味、落ち着いて話をするにはうってつけだが、

 

「なんだか悪いことをしたような気分になります」

「良い話の時も使うんだから大丈夫」

 

 先生はそう言ってくれるが、やはりどうにもどうにも緊張してしまう。

 取調室を連想するせいだろうか。

 ともあれ、小さめのテーブルに向かい合って座る。俺が通路側で、先生が奥側。警察に捕まったのなら逆に座るだろうから少し安心だ。

 吉野先生がテーブルに載せたのはちょこん、としたお弁当。

 中身は玉子そぼろの載ったご飯に野菜とこんにゃくの煮物、肉団子らしきもの、間仕切りの代わりに投入されたレタス、それからプチトマト。

 

「先生の手作りですか?」

 

 美味しそうだと思いながら尋ねると「一応ね」と苦笑してくれる。

 

「花嫁修業をしないといけない立場だったから、当時は習慣になってて。せっかく覚えたのに鈍らせるのも嫌でしょう?」

「立派だと思います。私はノワールさんに作ってもらっているだけですし」

 

 というか、このお弁当もそろそろ自分で作るべきか。

 ノワールが外出する日だけでもそうできないか、相談してみよう……と思いながらお弁当の蓋を開けると、先生はそれをしげしげと覗き込んで「健啖ね」と呟いた。

 俺のお弁当もノワール作だけあって彩、味、栄養すべて文句のつけようがない。ただし、量は先生のものよりだいぶ多かった。

 なんとなく女子としては少し恥ずかしい。

 

「その、しっかり食べないとお腹が空いてしまって」

「いいんじゃない? 若い子はダイエットを考えるより、栄養バランスを整えてたくさん食べるべきだと思う」

「そうですね。健康な身体こそ全ての基本ですから」

「ブライトネスさんは全然、ダイエットとか必要なさそうだけどね」

「幸い、カロリーはきちんと消費されているみたいです」

 

 朱華たちに比べれば小食な方だが、それはシェアハウスのメンバーが揃いも揃ってよく食べるからだ。おそらく、魔法だの超能力だのといった力のせいで人よりエネルギーを使いやすいのだろう。

 箸を手に取り、それぞれのお弁当をしばし口に運んで、

 

「ねえ、ブライトネスさんは恋愛とか興味ある?」

 

 いきなりの速球に箸が止まった。

 いや、その、なんと答えたらいいものか。これがクラスメートや鈴香たち相手なら「私にはまだ早いです」とか言うところなのだが。

 

「ないわけじゃないんですが……その、私、少し特殊な事情でしょう?」

「……そうね」

 

 僅かな間を置いてから先生はこくんと頷く。

 

「こうして話していると普通の女の子だから、忘れそうになってたけど」

「そう言っていただけると嬉しいです」

 

 すっかり今の自分(アリシア・ブライトネス)が板についたつもりの俺だが、恋愛的な好みばかりはなかなか変わらない。

 男子と恋愛する自分の姿というのはどうにも想像ができない。小学生くらいの男の子相手なら可愛いと思えるが、それは慈愛的な意味なので話が別だ。

 それに、無理に男とくっつく必要性もそこまでない。

 

「ここだけの話、私の使える魔法には同性で子供を作るものもありまして」

「……それって他人にも使えるの?」

「使えます。身体への負担がないわけではないので、あまりお勧めはしませんが」

 

 男性同士の場合は特に負担が大きい。そもそも子供を育む器官がないからだ。

 女性同士の場合もそこまでとはいかないものの、多少疲労が大きくなったり、というのはある。

 

「あと、女性同士の場合は女の子しか生まれないので」

「あまり大勢に広めてしまうと支障が出るんだ」

「はい」

 

 それもあって、この魔法はあまり推奨されていない。使っていいのは聖職者本人が絡む場合と、後は「どうしても」と言う相手がせいぜいだ。

 

「先生。もしかして、好きな人が……?」

 

 尋ねると、先生は「ううん」と首を振った。

 

「ただ、世間の目がね。実家からもプレッシャーがかかるし……」

 

 心なしか目が虚ろになっている。

 特殊な環境とはいえお金は持っていただろうシルビアの実家。そことの縁談を勝手に断り、挙句、勤め先まで移ったのだから色々あるだろう。いっそのこと俺たちのように変身してしまった方がしがらみが切れる分、ある意味楽かもしれない。

 結婚。

 大学を出て数年程度で周囲から「しろ」と圧力が来るというのもなかなか大変な話である。

 それを言うとファンタジー世界では二十歳前の結婚が当たり前なわけだが……ああいう世界だと女はさっさと結婚するものだ。生まれてからずっと花嫁修業をしていると思えばむしろ猶予時間は長い。

 

「やることが多すぎるんですよね。それなのに、なるべく早く結婚するべきなんて言うからおかしいんです」

「まあね。適齢期っていうのがあるから仕方ないんだけど……」

 

 先生はそこまで言ってから「ごめんなさい」と苦笑した。

 

「高校生の女の子にこんな話、良くないよね」

「いえ。私も十年後くらいには直面する問題ですから」

「十年? ……十年か。十年かあ……」

 

 あ、先生がさらに遠い目をしてしまった。

 しまった。「自分はまだ若い」アピールのつもりはなかったのだ。いや、だからこそ無自覚アピールがきつかったのか。なかなかに難しい。

 ここは、なんとかして場を和ませなければ。

 

「政府に圧力をかけて法律を改正させましょうか」

「え、何言ってるの? できるの?」

「冗談です。たぶん、やろうと思えばできますけど」

「できるの!?」

 

 驚かれた。

 ちなみにもちろん、やるとなったら頼るのはラペーシュである。だから俺の力とは言えない。そういう問題ではない気もするが。

 

「先生のこと、シルビアさんも嫌ってはいないと思います」

「な、なんのこと? そういう話じゃないんだけど」

 

 話の終わり際に本題(だろう話題)を振ってみると、動揺気味にとぼけられた。

 なんというか、シルビアも先生も素直じゃないと思う。

 

 

 

 

 

《キャロル様 心ばかりの寄進です。何かの足しにしてください》

《キャロルちゃん様 祭壇の進捗マダー?》

《これで甘い物でも食べてください》

 

 最近、コメント欄が赤い。

 もちろん赤だけじゃなくて緑とか他の色もあるのだが、そういう問題ではない。

 通常色(黒)以外の色はスパチャ、つまりお布施、課金を表している。赤はその中でも額が大きい場合の色なので、それが目立つということは推して知るべし。

 

「まずいです。これでは悪徳宗教待ったなしです」

「Atuberなんてどこも悪徳宗教みたいなもんじゃない」

 

 ※個人の感想です。

 あまりにも危険な気がするので注釈をつけておくが。

 配信終了後、労いがてら雑談をしに来た朱華に愚痴をこぼすと、返ってきたのはあっけらかんとした回答だった。

 確かに、Atuberに限らず何かしらのコンテンツの熱烈なファンを指して「信者」と呼ぶ文化はある。そういう意味では新興宗教なんてありふれているし、課金の存在するコンテンツではばんばんお金が飛ぶのが普通なのだが。

 半分以上素で喋っているだけの配信で万単位のお金がばんばん入ってくるのは心臓に悪い。

 

 祭壇を作るくらいのお金は余裕で貯まってしまったので、とりあえず作成の発注は飛ばした。シルビアと吉野先生に「どこか大きい石の加工ができるところ知りませんか」と尋ねたところ(後者からは「誰か亡くなったの……?」と心配された)いいところが見つかったのでそこにお願いしている。

 結構いい石でお願いしたのと、ある程度の丈夫かつ軽量化を図ったデザインにしたこと、そしてもちろんフルオーダーになることからかなりの額──車が買えるくらいの値段になってしまったが、俺自身の懐は痛んでいない。普通にやっていたらさすがに大きな出費だっただろうから、視聴者の皆さんさまさまである。

 聖職者というのは神の素晴らしさを説く役割ではあるのだが、一般信者やパトロンの方がいなければやっていけないわけで、皆さんには足を向けて眠れない。

 

「そんなに怖いなら何かしらで還元したら? プレゼント……は難しいだろうから、何かいい方法を考えないとだけど」

「はい。とりあえず、千歌さんからもアドバイスをもらって、リクエストサイトで格安のボイスを提供したりしてみています」

 

 目安としては一分間のボイスで500円くらい。

 受付は無理のない範囲で、と決めているのだが、募集を開始する度にリミットを軽く超える件数のリクエストが来ている。

 

「あー……あんたが演技に関して素人じゃなかったら物凄い価格破壊になってるわね、それ」

「こっちで頂いたお金は本当に甘い物食べたりするのに使うつもりなので、私としてはもうこの価格で十分すぎるくらいなんですが」

 

 ついでに言うと「ホーリーライトの詠唱してください」なんてリクエストもあった。

 応えるために魔法を発動せず魔法の詠唱を発動する必要があり、奇しくも神聖力を抑える訓練に役立ってしまった。

 

「これが宣伝になって配信の視聴者数も増えているので、なんというか、あらためて千歌さんは凄いなと」

 

 千歌さん的にはそのうち同人ボイス作品も作りたいと考えているようで、現在は台本をどこかに依頼中だとか。

 そういえば昨夜、シルビアが「久々に腱鞘炎になりそうだよー」なんて言っていた気がするが……まあ、関係ないだろう。

 

「あはは。まあ、信者が増えるわけだし何よりじゃない?」

「それはそれで、そのうち宗教活動でBANされそうで怖いんですよね……」

 

 と、そこで俺はあることを思い出した。

 

「そういえば、反響の割に神聖魔法の威力が上がってない気がするんですよね」

「瑠璃と二人でオロチ討伐しておいてそれ言う?」

「あれは向こうの性能も下がっていましたから……。それに、考えてみてください。今まで、私の祈りを伝わりやすくしただけで大きな効果があったんですよ? 信者が増えたのに『あ、強くなってるなー』くらいの効果では釣り合わないじゃないですか」

「いや、あんたほど真剣に祈らないでしょ、みんな」

「それを言われると……」

 

 信仰の質が与える影響についてはなんとも言えない。十分強くなっているのだからそれでいいのかもしれないが……。

 強くなりたいというよりは、みんなの想いが過小評価されているようで少し物足りない。

 と。

 

「あ。あれじゃない? アリシア・ブライトネスじゃなくてキャロル・スターライトに信仰が行ってるから、うまくパワーが受信できてないとか」

「じゃあ、キャロルの衣装に着替えたら威力が上がるんでしょうか」

「上がるかもよ。やってみたら?」

「一応、試してみましょうか」

 

 前に注文していたキャロルの衣装はもう届いている。

 例によって試着だけして大事に保存してあったそれをクローゼットから取り出す。

 

「外出てましょうか?」

「別にそのままでいいですよ。でも、あんまりじっと見ないでくださいね?」

「OK、見てくれってことね」

「《沈静化(サニティ)》」

 

 問答無用で精神を落ち着かせてやったら朱華はちゃんとそっぽを向いてくれた。

 

「これ、ベッドの上で男にやったらテロよね」

「何か言いました?」

「なんでも。……って、やたら似合うわね、あんた」

「だって、もともと私をベースに作ったキャラじゃないですか」

 

 着替えてウィッグを被るだけなので男装より格段にお手軽だ。

 せっかくなので錫杖も召喚して、

 

「さて、どうしましょうか。まさか《聖光(ホーリーライト)》を撃つわけにもいきませんし」

「さっきの魔法でいいんじゃない? ちょうどいい奴連れてくるから」

「?」

 

 首を傾げて待っていると、部屋の外に出て行った朱華が「アリスが押し倒して欲しいって」と誰かに伝えるのが聞こえた。

 数秒後、目をきらきらと輝かせてラペーシュと、それを追ってきた瑠璃が現れて、

 

「さ、《沈静化(サニティ)》!」

 

 一発で二人とも完璧に落ち着いた。

 

「うん、使えるわねその衣装」

「いえ、使えるのはいいんですが……」

「朱華?」

「朱華先輩?」

 

 朱華は怒った二人からこっぴどく叱られた。



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聖女、またデートする(前編)

「アリス、デートをしましょう」

 

 金曜日の夕食時。

 いつも通り優雅に席へつき、箸の持ち方も上品に食事を始めたラペーシュは、とうもろこしのたっぷり入った炊き込みご飯を半分ほど口にしたところで、まるで世間話でもするかのように提案してきた。

 副菜である大根とにんじんのきんぴらを食していた俺は、あまりの自然さに「はい?」と首を傾げてしまった。

 ごくん、と、口の中の物を呑み込んでから、

 

「デート、って、どっちのデートですか?」

「女同士で遊びに行くのだから、どちらでも大差ないと思うけれど」

「それもそうですね」

「全然違います。騙されないでください、アリス先輩」

 

 慌てて瑠璃が言ってくるも、

 

「でも、私だって少しくらい、女の子にドキドキすることありますし」

 

 同族という意識が強くなっているので普段は平気なのだが、ふとした瞬間に「あ、可愛いな」と思うことは結構ある。

 友達同士で遊びに行くという意味のデートだとしても、普段と違うシチュエーションであることには違いないわけで、意外と危険である。

 

「大丈夫です。遊びに行く以上のことは拒否しますから」

「……それなら、まあ、構いませんが」

「ふふっ。なら、アリスがその気になるようにエスコートすればいいのね?」

 

 渋々頷く瑠璃と、笑顔を浮かべるラペーシュ。

 女の子しかいない世界で幾多の女の子を落としてきたであろう女の子に言われると、いったい何をされるのか不安になってくるが。

 

「でも、どうして急に? なにか欲しい物でもあるんですか?」

 

 ラペーシュは普段、欲しい物は通販で買うことが多い。

 いわく「その方が楽じゃない」とのこと。魔王時代も買った物を城に届けさせるのが当然だったらしいので、そうした感覚の延長なのだろう。

 だから、何か大きな買い物なのかと思えば、

 

「だってお互い、思い残すことは減らしておきたいでしょう?」

「あ……」

 

 俺たちは近く、敵同士として戦う約束をしている。

 殺し合いにするつもりはないが、勢い余って殺してしまう可能性は互いにある。だからこそ殺されないように、殺さないと生き残れない程の苦戦を強いられないように力を蓄えている。

 そして、タイムリミットはもうだいぶ近づいている。

 ラペーシュが言っているのは「少しくらい餌を与えてくれないか」ということだ。俺は彼女の求婚を袖にし続けている。

 ことがことであるとはいえ、不義理なのは確かだ。

 

「わかりました。明後日の日曜で良ければ一日、私の時間を使ってください」

 

 深く頷いて答えると、ラペーシュはとびきりの笑顔を見せてくれた。

 

「ありがとう。後悔させないような楽しいデートにしてみせるわ」

 

 さらに「当日はおめかししてちょうだいね?」と言われてしまう。

 普段から結構いい服を着ている俺だが、そう言われたからには特に高い服とか、秘蔵の下着を使うしかないか。

 俺が頭の中でコーデの内容を考えていると、

 

「ずるいです」

「え?」

 

 俺たちの話が気に入らなかったのか、後輩が頬を膨らませていた。

 

「それなら、私ともデートしてください。アリス先輩」

「えええ?」

 

 なんだか大変なことになってしまった。

 

 

 

 

「で、どうして三人でデートすることになるのよ?」

「私に聞かないでください」

 

 部屋に戻った後。

 俺は一緒に部屋までやってきた朱華の問いかけに首を振って答えた。

 

「ラペーシュさんがそれで良いって言うんですから、問題ないんでしょう」

 

 そう。

 さすがの俺でも、あの流れで「じゃあ三人で出かけましょうか」などとは言わない。

 とはいえ、そうするとラペーシュか瑠璃、どちらかを優先しなければならない。当然、先に言い出したラペーシュを先にするのが筋なのだが、ここで当の魔王が言ったのだ。

 

『いいわ。それじゃあ、私とその子のデート、いっぺんに終わらせましょう』

 

 この提案、俺としては異存がない。

 メンバー的にどういう流れになるか全く予想ができないが、俺にとってはどちらも仲が良い相手。楽しいに決まっている。

 困惑したのは瑠璃だったが、

 

『どういう風の吹き回しです?』

『別に? 私はアリスに惚れているけれど、他の女の子にだって優しくできるの。人数が多いのも楽しいじゃない』

 

 こんな風に言われてしまえば毒気が抜かれる。

 というわけで、日曜日は三人でデートということになったのだった。

 

「瑠璃さんとラペーシュさんが相手じゃ、本当、服に手を抜けませんね」

「防犯ブザーはちゃんと持ちなさいよ。で、物陰には行かないように。それから抵抗力を上げる魔法とかあるなら先にかけときなさい」

「朱華さんは二人をなんだと思ってるんですか」

「魔王と元イケメン大学生?」

 

 だいぶ違う人種な気がするが。

 

「何言ってんの。魔王って言ったらお姫様攫って『ぐへへ』が定番じゃない」

「全年齢作品では監禁だけで済まされますが、まあ、そうですね」

「で、男子大学生って言ったら女の子監禁したり泥酔させてホテル連れ込んだりして『ぐへへ』じゃない」

「いや、あの、ええと、成人向け作品だとそういう傾向はありそうですが」

「ほら大差ない」

 

 胸を張る朱華。

 本人が「あたしはあんまり成長しない」と言っていた通り、見た目の印象はあまり変わらない彼女だが、心なしか胸は少し大きくなっているような。

 エロゲ出身だけあって見事なプロポーションだと今更感心してしまう。

 

「というか、そんな言い方したら聖職者だって『ぐへへ』になりません?」

「女聖職者がする場合、やることは合意の上と大差ないじゃない。泣き叫ぶ相手を滅茶苦茶にするような奴は邪教徒よ」

「……確かに」

 

 いや、納得するのもアレなんだが。

 ともあれ俺はにっこり笑って、

 

「大丈夫ですよ。デートは初めてじゃありませんし」

「あんた、あたしとのアレをカウントする気?」

「自分で言いますか」

 

 サブカル系のショップ行ってラーメン食べてメイド喫茶行って、と、かなり特殊なプランではあったが、あれはあれで楽しかった。

 そういう趣味があるなら本当の恋人同士でも十分デートだろう。

 と、ここで朱華は遠い目になって。

 

「ま、大丈夫か。魔王の方は契約があるし、瑠璃はどうせヘタレるでしょ」

「……一応、身を守る準備はしておきます」

 

 少しばかり「彼女たちだってやる時はやる」と擁護してあげたい気分になった俺は、朱華の言いつけをしっかり守ることにした。

 

 

 

 

 そうして、土曜日を挟み当日。

 手持ちから色々服を悩んだ末、俺はフリル付きの白ブラウスに黒のスカートを選んだ。

 だんだん暑くなってきた時期なので重ね着はせず、けれど肌の露出は抑え目。膝下丈の黒スカートは広がりすぎないデザインなのである程度活動的な印象も出せるし、薄手の白いニーソックスを身に着けることで重い印象もカバー。

 若干ロリータ系のファッションに近い感じ。

 

「本当、あんたそういうの似合うわよね」

「とても素敵です、アリスさま」

「アリシア・ブライトネスの武器が何かを良く把握したチョイスかと」

 

 出来栄えを見に来てくれた朱華、ノワール、シュヴァルツに「ありがとうございます」と微笑んで答える。

 おめかし、ということなので正直色々悩んだ。

 男装まで脳内候補に挙がったりしたのだが、やっぱり俺らしい服装が一番だろう。

 

「問題はラペーシュさんたちがどういう服で来るかですね」

 

 二人とも系統の違う美人なのでなんでも似合う。

 エスコートされる側だってなんなくこなせるだろうから、俺なんか霞んでしまうのではないか……と心配しつつ、リビングでしばし、二人の到着を待って。

 

「お待たせ、アリス」

「アリス先輩。よくお似合いです」

 

 やってきたラペーシュたちはやはり、それぞれに気合いを入れた服装だった。

 

 ラペーシュはワインレッドを基調としたスーツ風のドレス姿。

 なんと言えばいいのだろう。

 制服っぽいデザインというか、そう、歌劇団の正装か少女騎士の装束辺りを思わせる、可憐さと凛々しさを合わせたスタイル。

 桃色の髪と瞳とも相性が良く、これなら彼女自身が主役になることも、俺を引き立ててエスコートすることも可能だろう。

 

「どうかしら? アリスは白を選ぶだろうから、私は赤にしようと思ったのだけれど」

「素敵です。男装ではないですけど、格好いいですね」

「ありがとう。アリスもばっちり、エスコートされるお姫様になっているわ」

 

 柔らかい笑顔と共に服装を褒められると、なんとも言えない心地良さが来る。

 

「……いつも通りのポンコツ魔王で構わないというのに」

「あら。瑠璃も素敵よ? あなたも自分のスタイルを分かっていたようね」

 

 瑠璃は紺のパンツスーツ風スタイルだ。

 男装ではなくレディースで、かっちりしすぎないカジュアルな雰囲気。

 ジャケットの前は留めずにラフさを演出しつつ、首につけたボウタイが可愛らしさをプラス。長い黒髪は緩めに束ねられており、割と瑠璃の背が高いこともあってこれまた格好いい。

 

「同性をあっさり落とせそうです……」

「他の女性をナンパする気はないのでご安心ください」

 

 思わず素直過ぎる感想を漏らせば、瑠璃は微笑んで答えてくれた。

 

「二人とも、アリスをエスコートする気満々って感じじゃない」

「それはもちろん、そう言ったもの」

「ラペーシュに任せてはおけませんから」

 

 軽く睨み合った二人の間でばちばちと火花が散る。

 本当、この二人はこういう時に気が合う。お陰で俺が二人から取り合いを受ける令嬢のようである。

 

「それで、お二人とも。今日はどこに行くんですか?」

 

 俺の問いに、二人はふっと笑って答えた。

 

 

 

 

「デートの定番と言えば、やっぱり歌劇でしょう?」

「それなりに正装してしまいましたから、映画がいいのではないかと」

 

 ラペーシュの魔法で移動した先は、とある映画館。

 大きくもなく小さくもなく。日曜ということもあってそれなりの人で賑わっているものの、話題のスポットとまでは行かない、そんな場所だった。

 俺も名前くらいは聞いたことがあったものの行ったことはない。クラスメートと遊びに行った際、近くまで来たことがある程度だ。

 

「私──っていうか小桃もそんな感じよ。たまたま通りかかってたから来られただけ」

「調べてみたらちょうど良かったので、ここに決定しました」

 

 二人の言い方からして、何かしら目的があってこの映画館を選んだらしい。

 俺は上映映画のポスターを見上げながら瑠璃たちに尋ねた。

 

「なにを見るのかも決まっているんですか?」

「ええ。瑠璃、チケットを取ってきてもらえる?」

「従うのは癪ですが、仕方ありませんね」

 

 既にスマホから予約を終えていたらしく、瑠璃はあっさりと三人分のチケットを持って戻ってきた。

 ファンタジー世界の魔王であるラペーシュはさすがにスマホアプリでの細々とした操作までは得意じゃないらしい。

 代わりにと、瑠璃が戻ってくるのと入れ替わりに食べ物や飲み物を買って来てくれる。

 

「ドリンクはアリスと私の分がアイスティー、瑠璃の分はブレンド茶。それから食べ物はポップコーンね」

「やっぱりこれが定番ですよね」

 

 他にホットドッグなども売っているようだが、落としてしまったり、手にケチャップが付いたりしないか心配になる。多少落ちても拾って捨てれば問題ないポップコーンはその点でも優秀だ。

 味はキャラメルと塩の二種類。

 

「さ、温かいうちに一口どうぞ」

「わ。ありがとうございます」

 

 せっかくなので口に運ぶと、どちらも良い味だ。特に気に入ったのはやはりキャラメルの方。ポップコーンの香ばしさに適度な甘さが加わって美味しい。

 そんな俺に二人はくすりと笑って、

 

「アリスが真ん中に座るのだから、心配しなくても両方味わえるわ」

「え、いいんですか?」

「エスコートするって言ったでしょう?」

 

 チケットの購入にフードの手配までしてもらって、なんだか本当にお姫様にでもなった気分だ。

 

「あの、もしかしてこうやって女の子を落としてるんですか? なんて」

「そうよ?」

「人聞きの悪い事を言わないでください」

 

 冗談めかして尋ねると正反対の答えが返ってきた。

 なるほど、ラペーシュは自覚的に繰り返しているタイプ。千歌さんから聞いたあれこれを考慮するに、瑠璃は無自覚でやっていたタイプか。

 どっちにしてもモテない男からしたら敵かもしれない。

 ところで、結局今日の映画はなんなのだろう。

 俺はもらったチケットに目を落とし、そこに書かれていたタイトルを見て「あ」と声を上げた。

 

「まさか、アニメ映画で来るとは思いませんでした」

 

 それは、俺たちにも関わりの深い映画。

 何年か前に公開されたオリジナル劇場アニメーション──教授のオリジナルが登場する作品のリバイバル上映だった。




エイプリルフールネタを書いたりしていたら遅くなりました。


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聖女、またデートする(後編)

 物語の始まりは時空の狭間に存在する大図書館。

 図書館を管理する大賢者──通称『教授』は時空そのものを脅かす敵の出現を察知、それを倒すために世界の過去、現在、未来から英雄を召喚。

 呼び出された英雄達は思想や価値観の相違から衝突しながらも次第に協調し、敵と交戦を続け、最終的には大図書館そのものを狙った最大最強の敵との決戦に挑む。

 全てが破壊されるギリギリのところで敵は打倒され、『教授』はボロボロになった図書館と時空間の再建に乗り出す、ということで話は終わりを迎える。

 

「スケールの大きい話でしたね」

 

 映画を見終えた後、お洒落なレストランに入って感想を言いあう。

 ポップコーンを食べた後だが、映画がある程度長かったのと二つを三人で分けたのもあってお腹は十分に空いていた。

 注文した料理も見るからに美味しそうで、実際美味しかった。

 写真も撮ったので後で芽愛(めい)に送っておこうと思う。

 

「まあ、時空なんていうものを股にかけた事態なのに、呼ばれた英雄がたったの五人ってどうなのかと思うけれど」

「それは予算と作画とストーリーの都合でしょうね」

 

 俺としての素直な感想は「面白かったけど、ツッコミどころは色々あるなあ」という感じ。

 ラペーシュと瑠璃もおおむね同じなのか、苦笑に近い笑顔と言った感じだ。

 

「端的に言えば、アメコミ映画がやりそうなことをファンタジーアニメでやったと」

「瑠璃さん、ぶっちゃけ過ぎです」

 

 確かに、ハリウッド映画なら最終決戦で敵も味方もずらりと並んで入り乱れたりしただろうが。

 そんなことを言いだしたら俺の出身であるファンタジーSRPGだって、魔王を討伐するのに「出撃制限があるのでユニットを絞ってください」とか言われるわけで。その辺りは様式美として呑み込んでおかなければ気持ち良く鑑賞できない。

 すると瑠璃は「そうですね」と頷いた上で、

 

「昔のとある先輩なんかは『教授が戦えばいいじゃない。なんでこいつ見てるだけなの?』って文句言ってました」

「千歌さんもぶっちゃけ過ぎじゃないですか……?」

「つぶやいたーでは『キャラのかけあいがエモい』って呟いてたのでおそらく大丈夫かと」

 

 プライベートと公の場でコメントの内容を使い分けていたのか。

 声優さんとして自然と色んな作品に触れるはずで目も肥えている分、言いたくなるところもあるのだろう。

 

「教授には戦闘能力がないんでしょうね。教授もそうですし」

「でかい本で必死に雑魚を殴っていたものね」

 

 あらためてオリジナルの教授を見て「ああ、教授だなあ」と納得した。貴重な物だろうに、あのでかい本は酷使されすぎである。

 

「私としては敵側にも文句があるわ。全部破壊するだけ破壊して一体何が得られるというの。戦争というのは領土なりなんなり、何かしらの利益のために行うものでしょう?」

「教授も横暴ですよね。もちろん、全世界の危機で、他に戦える人がいないのなら戦うしかありませんけど」

「アリス先輩が『横暴だ』と感じるのであれば、教授の横暴さも相当ですね……」

 

 俺が横暴だという意味ではなく「聖職者でもムッとするレベル」という意味だろう。そういう意味のはずだ。

 

「主人公たちもよく世界を救ってくれたと思います」

「ろくに補給もできない状況でしたからね……」

「私なら教授の権限を奪いとることを検討していたと思うわ」

 

 立場上、俺たちが見るとどうしても登場人物に感情移入してしまう。

 本来の世界から離れて戦っているなんて、どこか今の俺たちに似ている。それだけに彼らの苦労もわかるというものだ。

 

「今の教授には図書館もないから安心ですね」

「リーダーの座が奪い取られるとか」

「そんなの教授(あいつ)、嬉々として引退しそうじゃない」

「「たしかに」」

 

 アドバイザーと称してお金だけ入ってくる地位を確立したら楽隠居しそうだ。いや、リーダーとして知恵を出してくれるだけで十分ありがたいので、そうしてもらっても全然構わないのだが。

 ナイフとフォークで優雅に料理を口にしつつ、ラペーシュは笑って、

 

「まあ、あの話は私達と状況が違い過ぎるわ」

「ですね」

 

 俺たちの敵はこうして話ができるほどに理性的だし、時空を股にかけた殺し合いになる予定もない。

 

「ラペーシュさんに会えて良かったです」

「あら。じゃあ私と付き合ってくれる?」

「それとこれとは話が別です」

「残念」

 

 

 

 

 食事の後は再びジャンプし、三人で美術館に入った。

 

「こんなところ、来たことあったんですか?」

「この間、都心の方まで遠出したでしょう? その時に窓から景色をチェックしておいたの」

「なるほど」

 

 国会議事堂を襲撃(!)した際はラペーシュが行ったことのない場所だったため、行きは普通に移動する必要があった。

 ノワールに車を頼むと帰りが面倒、ということで電車で移動したのだが、車より視点が高くなって見渡しやすいという利点もあったらしい。

 なお、ラペーシュは黒髪に変身した上で認識阻害をかけていたので騒ぎにはならなかった。

 偉い人が大勢集まっているところに突然現れた(ように見えた)のは姿を消して普通に中へ入り、頃合いを見て出現しただけ。あの瞬間にテレポートしたわけではない。

 

「宗教画の展示を行っていたので、アリス先輩は興味があるかと思いまして」

「残念ながら複製画だけどね」

「ありがとうございます、嬉しいです」

 

 そういえば、美術館という場所にはこれまで縁がなかった。

 男子時代に社会科見学で行ったような気もするが、当時の俺はそんなものにさっぱり興味がなかった。例えば、「ヴィーナスの誕生」とか見ても「裸だー!」という感想にしかならなかっただろう。

 アリシアになってからもさすがにそうそう機会がない。お嬢様が多い萌桜(ほうおう)とはいえみんな今時の女子なので、わかりやすいスポットが優先なのだ。

 鈴香たちとなら来てもおかしくなさそうだが──帰りに食事をするコースじゃない限り芽愛が来なさそうではある。

 

「どうかしら、アリス? 何か感じる?」

 

 静かな館内に名画の複製がずらり、と並んでいる。

 俺たちはゆっくりと歩きながら、その一つ一つを瞳に映した。

 

「そうですね。……とても綺麗だな、と」

「アリス先輩、それだけですか?」

「そう言われても複製画ですし、それに、宗派が違いますから」

 

 宗教に関する逸話などをこうして美しい絵にする、という点に感心する部分はあるが、描いているのは宗教家ではなく画家だ。

 直接的に聖職者として参考になるかと言われると難しい部分はある。

 

「ただ、なんとなく心が洗われる感覚はあります」

「そう。それなら良かった」

 

 微笑むラペーシュ。

 

「ラペーシュさんとしてはどうですか?」

「ええ、素晴らしいと思うわ。権力の横暴によって描ける題材を制限されてなお、良いものを作ろうとする気概に溢れている」

「もうちょっと言葉を選びませんか……?」

 

 率直過ぎる物言いに瑠璃がドン引きした。

 

「眺めて『良い絵だ』でいいではありませんか」

「あら。どうしてその絵に惹かれるのか言葉にするのは大切なことでしょう?」

「言い方が悪すぎると言っているのです」

「大丈夫よ。この国は平和だもの。こんなことで処罰されたりしないわ」

「平和なのはいいことですよね」

 

 しかし、この世界には本当に神がいないんだろうか。

 神は死んだ、なんていう言葉もあるが、もしこの世界の神も信仰を力にしているのならば、死んでしまったとは考えづらい。何者かが殺した? あるいは、この世界の宗教家は神聖魔法の使い方を忘れてしまったのか。

 一度高名な聖職者に会ってみたい……って、止めよう。本気で動いたらローマ法王とかが相手でも会えてしまいそうだし、そうなったら平和な生活が送れなくなる。

 

「そういえば、日本の宗教画はあまり有名ではないですよね?」

「存在しないわけではありませんが、確かにマイナーかもしれませんね。そもそも古い日本画自体があまり注目されていないのかもしれません」

「私が知っているのも富士山の絵くらいですね……」

「アリス先輩、せめて富岳三十六景と言ってください」

 

 怒られてしまった。

 いや、学校でも習ったし知らないわけではないのだが、気を抜いていたというかなんというか。

 やっぱり瑠璃は日本画の方が好きなんだろう。俺も西洋画の方がなんとなく馴染みがあるので、これはもう性分としか言いようがない。

 ここは一つ、ラペーシュに話を振ろうと視線を向けると、彼女はふと思いついたようにぽつりと、

 

「そういえば、あれを見てみたいわ。ミロのヴィーナスだったかしら。裸の女体を彫刻しようだなんてなかなか熱意に溢れているじゃない?」

「作者を変態みたいに言わないでください」

「やろうと思えばあれ、私なら復元できると思うのだけれど」

「世紀の大事件どころか、下手したら損害賠償ですから止めてください」

 

 何しろ元の姿に復元されたのかどうか証明しようがない。

 カメラの前で実演すればなんとかなるかもしれないが……。それはそれで「夢がなくなった」とか「腕が無いのが良かったのに」とか言われそうな気もする。

 

「腕はあった説となかった説があるんでしたっけ」

「言い争いができるお陰で有名になったってことね」

 

 朱華なら「きのことたけのこもそうよね」とか言いそうだ。

 

 

 

 

 最後に訪れたのは少し大きめの写真館。

 

「予約していた早月(はやつき)だけれど」

「早月様ですね。お待ちしておりました」

 

 ラペーシュが瑠璃の名前を出すとスタッフはすぐに応じてくれる。

 ……「デモンズロード」で予約していなくて本当に良かったと思う。

 

「ここでは何を?」

「もちろん、ドレスで着飾って写真を撮るのよ」

「それは楽しそうですね」

 

 そうして連れて行かれた部屋には何着ものドレスが用意されていた。その色は主に()()である。

 

「ウェディングドレスじゃないですか!」

「あら、婚期が遅れるとか本気にしているの?」

「そんなことはありませんけど」

 

 むしろ、今のところ遅れてもあまり困らない。

 するとラペーシュが耳元へ顔を近づけてきて、

 

「結婚したくなったら、いつでも私がもらってあげる」

「もう、またそういうことを言って」

 

 頬を膨らませつつ、俺は衣装替えを了承した。

 と、その前に、写真館の人が今の服でも記念写真を撮ってくれた。「その衣装もとても素敵なので」とのことだ。

 それから三人でウェディングドレスに着替える。

 

「ラペーシュさんたちもドレスなんですね」

「タキシードも考えたけれど、この方がアリスも気楽でしょう?」

「ありがとうございます」

 

 彼女の言う通りだった。

 みんなで着るというのもそうだし、ラペーシュたちが男役をすると本当っぽくなりすぎる。いっそ男不在の方が単なるお遊びと割り切りやすい。

 スタッフによる着付けを受けながら、瑠璃も微笑んで、

 

「私としても、本番では着る機会がないかもしれませんし、ちょうど良かったです」

「瑠璃さんはやっぱり白無垢派ですか?」

「そうですね。なんとなく心惹かれるものがあります」

「きっと似合うでしょうね。瑠璃さんの白無垢姿」

「アリス先輩のウェディングドレス姿も、本番に取っておきたい気持ちはあるのですが」

 

 着付けと化粧を済ませた俺たちは鏡の前に立ち、自分たちの変貌ぶりに感嘆の声を上げた。

 

「これは、すごいですね」

「ええ。我ながら美しいわ」

「やはり着飾るのは楽しいですね」

 

 金と白の俺。ピンクに白のラペーシュ。黒と白のコントラストの瑠璃。

 白という色自体が割と何にでも合うというのはあるが、三人ともとてもいい感じである。本来はありえない「花嫁が何人も並ぶ」というシチュエーションもまた非日常感があって楽しかった。

 調子に乗って結構写真を撮ってもらってしまったくらいだ。

 出来上がった写真は後日送ってくれるという。スタッフにお礼を言って写真館を後にした。

 少し時間が余ったので喫茶店でお茶にする。

 

「ありがとうございました。とても楽しかったです」

「楽しんでくれたのなら何よりだわ」

 

 お金を払うと言ったら「野暮なこと言わないで頂戴」と鼻で笑われた。

 

「なんとしてでも口説きたい女が相手ならいくら払ったって惜しくないわ。金を惜しむような相手は所詮その程度だってこと」

「ラペーシュさん、ちょっと格好良すぎませんか……?」

「ええ、まあ、男性だったら男から怨嗟を向けられていたでしょうね……」

 

 しかし、果たして彼女が本気になったら性別の壁程度で止められるかどうか。

 

「どう? 少しは心残りが減ったでしょう?」

「そうですね。減った代わりに、楽しみが増えてしまいました」

 

 出来上がった写真をぜひ見てみたい。

 ついでに、コスプレ好きなのだから、と、夏の同人誌即売会に瑠璃も誘った。彼女は「いいんですか?」と最初遠慮がちだったものの、やっぱり興味があるらしく、最終的には快諾してくれた。

 

「手加減はしますけど、遠慮はしませんからね」

「こちらこそ」

 

 魔王との決戦は、もうすぐそこである。



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聖女、決戦準備をする

「夏休みまであと少しだけど、みんな、この時期に風邪とか引かないように気をつけてね」

 

 担任である吉野先生の声に、クラスメートたちが「はーい」と答える。

 終業式を来週に控えた金曜日。

 高校一年生には受験のプレッシャーもないせいか、あるいは去年の夏とは俺自身の心がまえが異なるせいか、クラスの雰囲気は去年よりものんびりとしていて楽しそうに見える。

 

 風邪、というフレーズから、俺は鴨間(おうま)小桃(こもも)の席に目をやる。

 小桃はここ三日、学校を休んでいる。

 といっても風邪ではなく「外せない用事」だと事前に伝えられている。なので友人たちも「本当に風邪じゃないのかな?」「ちょっと心配だねー」程度のノリである。

 もちろん、本当に風邪ではなく、

 

『決戦前はしばらくあなたたちから離れるわ』

 

 という、ラペーシュの方針が原因だった。

 

『そっちも作戦会議の時間が欲しいでしょうし。こっちも気持ちを戦闘モードに持って行きたいしね』

 

 当日までは政府スタッフの監視の下、ホテルで暮らすという。

 俺たちから離れることに文句が出るかと思ったが、この要求は割とあっさり受理された。却下したところでラペーシュを止める手段がない、というのが理由だろうが。

 わざわざ会わないようにしたのに学校では顔を合わせるのはなんとなく気まずい、というわけで、ラペーシュのアバターである小桃も学校を休んでいる。

 こっちが休むという手もあったわけだが、中等部である瑠璃はいいとして俺、朱華、シルビアが全員休むのでは大変だし、ラペーシュ自身が「私は学校にそこまで執着がないもの」とこの形を希望した。

 少し寂しい気もするが、それ以上に、そこまでして仕上げて来るという事実が怖い。

 

 ……と、考えごとをしているうちに帰りのHRは終了した。

 

「ブライトネスさんは少しだけ残ってください」

「はい」

 

 先生からの指示に答え、日直の号令に従う。

 

「じゃあね、アリスちゃん」

「また月曜日に」

「はい。また来週に」

 

 吉野先生はみんなとの挨拶が終わるまで待っていてくれた。

 教室から人気が減り始めたところで教壇の方まで歩いていくと、先生は少し声をひそめるようにして言ってきた。

 

「今日なんでしょう?」

「はい。今日の夜からです」

 

 こくん、と頷く。

 決戦は今晩を予定している。終わった後でへとへとになったり重傷を負ったりする可能性もあるので、回復の時間を用意するためだ。

 できるだけやりたくはないが最悪、体調を崩したことにして夏休みまで欠席、という手もある。

 俺の返事に先生は同じように頷くと、そっと小さな品物を差し出してきた。上部が紐で結ばれた、四角い袋状のもの。ラペーシュとスララ、アッシェ、それからシュヴァルツを除いたシェアハウスの人数分ある。

 

「お守り。これくらいしかできないけど、良かったら持って行って」

「いただいていいんですか?」

 

 微弱だが、瑠璃の霊力に近い気配を感じる。

 持っていればきっとご利益があるだろう。魔王の力の前では吹き飛んでしまうかもしれないが、心遣いが何よりありがたい。

 

「ブライトネスさんには必要ないかもしれないけど。……それから、あの子に渡すかどうかも好きにしてくれていいから」

「……ありがとうございます」

 

 その言葉でわかった。

 このお守りはシルビアの実家のものだ。きっと当人が見れば一発でわかるだろう。顔をしかめて嫌がるかもしれない。

 それでも。

 

「必ずシルビアさんに渡します」

「ええ」

 

 俺は微笑んでお守りを受け取った。

 先生は素っ気なく頷いただけだったが、その表情はどことなく嬉しそうに見えた。

 

 

 

 

 

 帰りに園芸部へ顔を出し、植物にひとつひとつ声をかけた。

 

「元気に育ってくださいね」

 

 声をかけ終わって立ち上がると、他の部員たちがじっとこちらを見つめていた。

 

「どうしました?」

「あ、ううん。その、アリスちゃんがそうしてるとなんだか似合うなって」

「別れの挨拶とかじゃないよね?」

 

 彼女たちに俺は「まさか」と笑って答えた。

 

「夏休み前の挨拶を忘れないうちに、と思ったんです。お休みに入ると会える日が少なくなるでしょう?」

「……うん。そうだね。そういうのって大事だよね」

 

 なんだか妙に感心された。

 以後、桜萌(ほうおう)の園芸部では「育てている植物には声をかける」のが伝統になるのだが、それはまた別のお話。

 

「ただいま帰りました……っと?」

「あ、アリスちゃん。お帰りなさい」

「ただいまです、椎名さん」

 

 シェアハウスに帰ると玄関で椎名に会った。

 ちょうど帰るところだったらしい。表情に疲れと達成感を滲ませながら挨拶してくれる。

 

「お仕事ですか?」

「うん。ちょっとマシンの搬入とセッティングをね。……いや本当、私がアリスちゃん達と親しいからって人使い荒すぎだよね」

「いつもありがとうございます」

 

 深く頭を下げると、椎名は笑って俺の頭をぽんぽん叩いた。

 

「また料理勝負しようね。……いや、もう教えを乞う立場かも?」

「いえ、私なんてまだまだです」

「そりゃあ上を見たらキリがないよね」

 

 今日は直帰だという椎名を見送り、リビングへ移動すると、メインテーブルの上に贈答品の山ができていた。

 肉に魚に果物、クッキー、チョコレート、和菓子もあるし、緑茶や紅茶の茶葉だったり、さらには日本酒やワインまである。

 

「あ、アリス。お帰りー」

「アリシアさんも食べますか? なかなかの美味です」

 

 テーブルの傍には朱華とアッシェがいて、それも贈答品と思われる高級ビーフジャーキーをもぐもぐしていた。ついでに贈答品の仕分けと整理もしているが、そっちが「ついで」扱いになっているのは若干どうかと思う。

 せっかくなのでジャーキーを一本受け取りつつ、朱華たちに尋ねる。

 

「これも皆さんからの贈り物ですか?」

「ええ、そのようですわ」

「主にあんたと魔王宛てのね。今日になって届いてもどうしようもないと思うんだけど」

「あはは……。一日にどさっと届くよりは良かったんじゃないかと」

 

 ここ数日、家にはたくさんの贈り物が届いている。

 送り主は主に政治家、資産家、大企業の社長にプロスポーツ選手などだ。

 ラペーシュのプロデュースでデモンストレーションをした一件以来、俺が神聖魔法を用いることは著名人の間で公然の秘密となっている。その代わり、俺たち自身が平穏な生活を望んでいることも広まり、強固な緘口令も敷かれているのだが……。

 こういう機会にご機嫌を取っておこうと思う者、贈り先がわかったので治療のお礼を贈ろうという者がどさーっと物を送ってきてこの有様である。

 昨日までに送られてきた物の中には宝石やアクセサリー、面白いところでは月の権利書なんかもあった。少数だが服もあって、特に高級メイド服は約一名──というかノワールの心をぐっと掴んでいた。

 

「アリシアさんはこれから配信ですの?」

「はい。夜は忙しいので、今のうちに済ませておこうかと」

「あんたも本当大変よね。ま、頑張りなさい」

「はい」

 

 まあ、アッシェもいるし、そのうち仕分けは終わるだろう。

 朱華たちをそのままにしてリビングを出る。と、シュヴァルツの部屋ということになっている部屋からノワールが顔を出した。

 

「お帰りなさいませ、アリスさま。お出迎えができず申し訳ありません」

「気にしないでください。それより、機械いじりですか?」

 

 メイド服が心なしか汚れている。

 ノワールは少し恥ずかしそうに頬を染めると「ええ」と頷いて、

 

「シュヴァルツと一緒に秘密兵器の準備をしております。これで少しはお役に立てるのではないかと」

「お姉様? 人をこき使っておいて、自分が主体のような言い方はどうかと思います」

「ああ、ごめんなさいシュヴァルツ」

 

 部屋の中からシュヴァルツの声。

 ノワールはおっとりと妹に謝ると、俺へ会釈と共に微笑みかけて部屋の中へと戻っていった。なんだかんだ言いつつ、姉妹仲は悪くなさそうである。

 二階へ上がると、シルビアの部屋からは何やら荷造りでもするような音が響いていた。用意したポーションを整理しつつ詰め込むのに苦労しているのだろう。俺は苦笑しつつ、お守りを配るのは後に回すことにして、自室へと入った。

 

「あー、おかえりー、アリス」

「ただいま帰りました。スララさんもブランも、いい子にしていましたか?」

「ちゃんとブランのめんどー見てたよー」

 

 ぷよぷよした身体で器用に胸を張るスララ。

 すると、一緒に寄ってきたブランが「面倒見てたのはこっちだから」という顔で俺を見上げてくる。感謝をこめて撫でてやるとなんとなく嬉しそうな顔になった。

 

「あー、ずるいー」

「わ、スララさん、いきなり乗っかって来ないでください」

「だってー」

 

 スララの身体はぷよぷよしていて気持ちいいのだが、動物の毛並みとはだいぶ種類が違う。撫でるよりは戯れたい感じなのだが、実際に乗っかられると若干重い。

 

「と、とりあえず着替えさせてください。それが終わったら配信しないといけないので……」

「てきとーにアリス……じゃない、キャロルにさわっていいんだねー」

 

 先日、アバターを管理しているプログラムが更新され、スライムやウサギと戯れていても俺の姿を検知できるようになった。

 椎名たちが頑張ってくれたお陰であり、これによって表現の幅は大きく広がった。その代わり、スララを頭に乗せたり膝にうさぎを乗せたまま配信することが増えたが。

 

「今日はみなさんにお知らせがあります。

 実は、明日から何日か少し用事がありまして、配信をお休みするかもしれません。

 用事の内容ですか? 実は、現代に復活した魔王と決戦をしなくてはいけなくて……って言ってもみなさんどうせ信じないんですよね? 私、もうわかってるんですからね?」

 

 周りにスララを纏わりつかせつつ配信を開始した俺は、視聴者から「はいはい」とか「そういう設定ね」とか言われながら休みの予定を伝えた。

 

 

 

 

 

 夕食のメインはトンカツにステーキという豪華なものだった。

 

「安直ではありますが、せっかくですので験を担いでみました」

「うむ。良いのではないか? 気休め程度かもしれないが、まじない的な効果はあるかもしれん」

「めちゃくちゃ元気は出そうだしね。あたしとしては大歓迎よ」

「そうだねー。でも、どうせ豚と牛があるなら鶏も欲しかったかも」

「そう仰ると思って唐揚げも用意してあります」

「あるんですか!?」

 

 メインだけで三種類とか、さすがに大丈夫かと思うような大盤振る舞いだった。

 いろいろ送られてきたせいで消費しないと冷蔵庫がやばい、という事情もあるらしい。それに、揚げ物系に関しては余ったらお弁当にして夜食代わりに食べてもいい。戦いが終わった後はどうせお腹が空くだろう。

 さらにサラダやスープが並べられた食卓に、ラペーシュを除くメンバーが自然と集まってくる。

 最後に顔を出したのは、学校から帰ってからずっと瞑想をしていた瑠璃だった。

 

「これはまた、豪勢なお料理ですね」

 

 リビングへとやってきた瑠璃の姿は、俺の目からは清浄な気配を纏って見えた。

 

「瑠璃さま。もし肉類が駄目なようでしたら、精進料理風の夕食もご用意できますが」

「いえ、こちらをいただきます。腹が減っては戦ができないとも言いますから」

 

 言って席につく彼女はいつにもまして凛としている。

 

「瑠璃さんは私たちの主力ですからね」

 

 微笑んで言うと、彼女はさっと頬を染めて、

 

「対魔王用の切り札はアリス先輩ではありませんか」

 

 その日の夕食はいつにもまして賑やかだった。

 みんな可能な限り精をつけておこうとする上、料理自体も美味しかったせいだ。俺自身、少々お腹が苦しいくらいに食べてしまった。

 しかし、お陰で気力は十分。

 まだ入浴していなかった面々で交代に風呂へ入り、身を清めたらいよいよ本格的な決戦準備。

 

 迷った末、身に着ける衣装はキャロル・スターライトのものに決めた。

 

 着心地はアリシアの衣装とほぼ変わらないし、神聖魔法の威力はこちらの方が出る。キャロルとして集めた信仰の力はきっと俺たちの助けになってくれるだろう。

 下着はこの日のために買っておいた新品の白。

 キャロル用のウィッグも身に着け、いつもの聖印を首にかける。錫杖は当然アリシアのものなので、結果としてはアリシア・ブライトネスとキャロル・スターライトの中間のような姿が完成する。

 

「ブラン、お留守番をよろしくお願いしますね」

 

 すっかり家族の一員となった白いうさぎに挨拶をしてから、

 

「では、行きましょうか」

 

 部屋を出て、仲間たちの集まるリビングへと向かった。



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聖女、先陣を切る

 予定された時刻になると、リビングにいた生物(うさぎは除く)が全員光に包まれ──気づくと俺たちは、全く別の場所に立っていた。

 天井付きの広い建物。

 芝生の地面がだーっ、と広がり、その周囲には高い位置に座席が設置されている。複数設置されたライトのお陰で、辺りはまるで昼のように明るい。

 実際に来るのは初めてだが、テレビでは何度も見たことがある。具体的には父親が見ていた野球中継とかで。

 

「よく、こんなところが借りられましたね……」

 

 感心して呟くと、俺たちをここへ招待した張本人がくすりと笑って答えた。

 

「だって、私たちが思い切り戦える場所が必要でしょう?」

 

 魔王ラペーシュ・デモンズロード。

 彼女は既に角と翼、尻尾を解放し、本来の姿を取っている。纏うのはタイトなデザインかつ、深いスリットが入った深紅のドレス。胸と肩、腰回り、それから手首と足首は材質のわからない漆黒の鎧を装着している。

 全身からは見ただけで気が遠くなりそうなほどの邪悪なオーラが湧きだしており、この妖艶な美少女が今まで戦ったどの敵よりも強いと直感させる。

 

 ラペーシュの周囲には、彼女が召喚したと思しき取り巻きたち。

 不死鳥にオロチ、そしてボスオークがそれぞれ二体。さらに、まるで雑魚敵の如く群れを作っているのはコピー・シュヴァルツ。

 なんというか、これだけで「馬鹿じゃないのか」と思う戦力だ。

 

「……あんた、いくらなんでも大盤振る舞いが過ぎるっていうか、本当にあたし達を殺さないんでしょうね?」

 

 朱華が半眼になって尋ねたのも無理はない。

 ちなみに今回の彼女は放熱と動きやすさを重視した特別仕様。

 髪は二つのお団子を作った上で残りも頭の上で纏め、紅いチャイナドレスは丈をギリギリまで切り詰めた上、胸の谷間や脇、背中が大きく開いたなんとも煽情的なデザインだ。黒で統一されたブラと紐ショーツはもはや「見たければ見ろ」とばかりに一部が露出している。

 最低限の装備──瑠璃の霊力、および俺の神聖力が籠もったコンバットナイフ二本に緊急回復用のポーション、油の入ったボトルが一本ずつは太腿のホルダーに装着済み。

 そんな朱華を見たラペーシュは楽しそうに目を細めて、

 

「さすがの私でも一人では手が足りないでしょう? だから、前もって呼んでおいたの」

 

 ラペーシュの能力は契約魔法。

 他人との間に「破れない約束」を結ぶだけでなく、MP上限を減らして「世界と契約」することで任意の能力を得ることができる。

 当然、魔物を召喚することも可能だが、魔王のMPにも限りがある。

 能力を取得し直すには時間がかかるので、戦いが始まってから手下を増やすのではなくあらかじめ召喚しておき、召喚に割くはずだったMPは別の能力に割り振ったのだろう。

 これ以上、雑魚が増えることはない、という意味では朗報だが、露払いの維持に余力を割いてくれないというのは正直痛い。さすがは魔王と言うべきか。

 

「むう。……今度は我らの手が足りないのだが、その辺りはどうなのだ、ラペーシュよ」

 

 と、これは教授。

 彼女はいつも通りぶかぶかのローブ姿。オリジナルの教授からして酷使していたことが発覚したあのでかい本は手にしていない。好きな時に呼べるので必要になったら取り出すつもりらしく、代わりにウェストポーチやら何やらを複数装着してアイテムを準備している。

 身体は小さいが頭脳は人一倍、我らのリーダーからの苦言には、

 

「知らないわ。そっちにはアリスがいるのだから、むしろこれでも足りないくらいよ」

「さすがに過大評価じゃないかと……」

 

 俺は苦笑して控えめに文句を言う。

 わかっていたことだが、やっぱり俺がヒーラーに徹するのは無理らしい。

 

「ご安心ください、アリスさま」

「今更あの程度の敵に後れを取るつもりはありません。何体来ようと斬り伏せてみせましょう」

 

 ノワールはお馴染みの改造メイド服。

 使い慣れた物の方が結局威力を発揮する、ということで、メインウェポンがPDW二挺、サブとして拳銃とコンバットナイフ、手榴弾を携帯している。

 ただし、シュヴァルツの手を借りた改造によって銃の威力は底上げされているし、ノワールの真価はその機動力だ。今回も臨機応変な活躍をしてくれるはず。

 

 瑠璃は着物と巫女服の中間というか、ゲームなんかの和風女剣士が着ていそうな衣装に身を包んでいる。

 主武器は秘刀『俄雨』だが、折られた時のために実物の刀、短刀も装備している。

 加入したての頃は不慣れだった彼女だが急速な成長を見せ、今となっては俺たちパーティに欠かせない戦力となっている。

 このあいだのオロチ戦にて実質ソロで前衛を務めてくれたように、縦横無尽の活躍だって決して夢想だけの話とは言えない。

 

「まだまだアリスちゃんをお嫁には行かせられないからねー」

 

 シルビアはノースリーブのトレーニングウェア上下にプラスして、白衣とコートの中間のようなものを羽織ったスタイル。

 コートの裏にはびっしりとポーションやら油やらが収納されており、右手に持ったシューターから発射できる態勢。さらに足元には予備アイテムが詰まったアタッシュケースが二つも存在し、在庫切れを起こさない備えが取られている。

 

「私としては素直に結婚して欲しいところだけれど。……まあ、どちらにせよ一度暴れておくに越したことはないのよね」

 

 ラペーシュが笑みと共に息を吐き──それから、俺たちと一緒に立つ「二人」を見て、

 

「それで? どうしてあなたたちが一緒にいるのかしら?」

 

 尋ねられた二人は「心外だ」とでも言うように首を傾げる。

 

「別に私は貴女方の仲間ではありませんし。お姉様やアリシア・ブライトネスに死なれるのも寝覚めが悪いと思っただけです」

「今回は魔王様個人の戦いでしょう? ですのでわたくしは一宿一飯の恩でしたか? 食事と寝床の礼をしようかと」

 

 通常のメイド服を着たシュヴァルツと、朱華に負けず劣らず露出度の高い格好をしたアッシェ。

 二人にまで俺たちの側に付かれたラペーシュは「あーあ」と笑った。

 

「これじゃあ私、完全に悪役じゃない」

「いや、聖女を娶ろうと戦いを吹っかけてくる魔王はどう考えても悪役だろう」

「まあそうなんだけど。薄情な部下を持って悲しいわ」

 

 そんなことを言いながら、その気になれば単独で俺たち全員を打倒しうる強者──それがラペーシュである。

 桃色の美しい髪をさらりとかき上げた彼女はあらためて俺たちを見据えて、

 

「それじゃあ、ルールを確認しておきましょうか?」

 

 

 

 

 

 俺たちとラペーシュの間には「友達になる」という契約が結ばれている。

 戦いにあたってこの契約を解除し、あらためて契約をし直すという方法もあったが、契約という枷がなくなった途端にラペーシュが大暴れ、という可能性もなくはないので断念。

 代わりにアッシェなど、ラペーシュと契約していなかったメンバーにも友達契約を結んでもらい、この戦いが殺し合いにならないようにする。

 

「これは紳士協定に基づく本気の戦いよ。参加者は相手を殺してしまわないように細心の注意を払わなければならない。けれど、必死に戦った結果、殺傷したりされたりする可能性については全員が了承しているものとするわ」

「問題ありません」

 

 これで最低限のルールが保証される。

 契約がなくならない限り「友達を止める」ことはできないので、友人同士として相手を不当に出し抜くことはできない。友達を平気で騙したり殺したりできる性格なら話は別だが、ラペーシュがそんな人物なら仲良くなっていない。

 「できるだけ殺さない」というルールも別の契約として全員が同意し、これで準備は整った。

 

「では、私は観客席に移動します」

 

 くるりと背を向けて場を離れていくシュヴァルツ。

 彼女の参戦については詳しく聞いていなかったが、別にシュヴァルツ自身が戦うわけではないらしい。となると、ノワール達と一緒に大きな荷物が転送されてきているのだが、これが関係あるのだろうか。

 

「戦場と客席の境には結界を張ったわ。ある程度の防御効果と音・光を防ぐ効果があるから、基本的には安全でしょう」

「じゃあ、念のため私の結界も重ねておきますね」

「聖魔の二重結界か。そんなものを破れる人間はそういないでしょうね」

 

 俺の結界はドームの外に。これによってドームに無関係の人間が寄り付くことを防げる。

 そうしているうちにシュヴァルツは観客席に到着。

 

「通信環境に問題はありません。……リンク成功。()()()()()

 

 そうして、荷物の中から起き上がったのは機械仕掛けの人形。

 シュヴァルツではなく、彼女の取り巻きとして出てきた雑魚の方だ。どうやらそれを遠隔操作で操っているらしい。

 

「戦闘能力としては劣りますが、この人形もまた未来技術の産物です。ある程度の戦力にはなるかと」

 

 ノワールの説明を聞いてなるほど、と納得。

 単に戦力とするのであればシュヴァルツ本人が戦うか、あるいはシュヴァルツのボディをもう一つ回収してくれば良い話だが、それはシュヴァルツに大きな力を持たせない、という方針に反する。

 参戦に際して政府関係者が了承したギリギリのラインが量産型人形の遠隔操作だったのだろう。シュヴァルツ本人からは戦闘プログラムが取り除かれているため、頼りはFPSで培った感覚のみ。量産型人形には武装が施されているが、その程度の戦力なら反逆しても簡単に潰せるし、なんなら操っているシュヴァルツの方を取り押さえればいい。

 政府スタッフも見届け役や緊急時の対応のために観客席に何人か控えている。

 

「じゃあ、私たちも少し離れようかしら」

 

 ラペーシュと魔物が俺たちから二十メートル程度の距離を取る。

 戦闘開始と同時に襲い掛かられないのは有り難い、と思う反面、これでラペーシュだけを狙った短期決戦という手が使えなくなってしまった。

 戦闘中、魔王に「能力の取得し直し」をさせてはいけない。

 ボスラッシュにも程がある魔物の群れをなんとかして早急に排除し、魔王が手隙になる時間をなくさなければならない。

 大まかな作戦については事前に話し合っているが、

 

「ここまでは予想からそう外れておらん。正面対決なら結局、やることはいつも通りだろう」

「開幕からフルパワー、ね。……ま、わかりやすくていいんじゃない?」

 

 こちらの陣形は中央に俺。その左右にアッシェと朱華。

 ノワールと瑠璃は左と右に大きく散開。シルビアは俺のやや後方。教授はシルビアのさらに後方へ待機。シルビアのアタッシュケース等々も教授のところだ。

 人形inシュヴァルツはシルビアの脇を守るような位置に。

 

「両者見合って、なんて、なかなかないシチュエーションですね」

「わたくし達の時もこうでしたが……アリシアさん達は目覚めて間もない魔物を一方的に狩って勝利を収めて来たのでしたか」

「人聞きの悪い言い方ですが、まあその、そうです」

 

 なので、最初から敵が臨戦態勢なのは正直きつい。

 それでも、やれるだけのことをやるしかない。

 俺は深呼吸を一つして気持ちを整え、錫杖を握った。風呂に入った後、聖水を使って清めた身には、配信のお陰か、かつてない程に力が満ちている。

 

「じゃあ、この羽根が落ちたら開始としましょうか」

 

 ラペーシュの翼から一枚の羽根が飛び、両者の中間地点、その上空に。

 ゆっくりと落下していく羽根を俺たちはじっと見守り、そして、羽根が落ち切った瞬間。

 

「──《神光波撃(ディバイン・ウェーブ)》!」

 

 俺は、即座に神聖魔法を解き放った。

 ゲームにおけるアリシア・ブライトネスには使用できなかった魔法。隠しダンジョンに登場する女神が用いるこれは、正真正銘、神聖魔法としては最上級。

 これを用いることができる時点で、少なくとも俺はゲーム内のアリシアを超えていることになる。仲間たちと共に魔王を討ち果たした彼女を、だ。

 だから、生み出された神聖なる輝きはたとえボスの群れであろうとも大きなダメージを──。

 

「させないわ」

「……え?」

 

 瞬間、不思議なことが起こった。

 俺の中で膨れ上がった神聖なる力。間違いなく解き放たれたはずのそれが、俺の身体から出た途端、ふっ、と消失していく。

 《禁則強制(イリーガル・レギュレーション)》。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()よ。アリシア・ブライトネスの《神光波撃》は不発する。私がこの力を放棄するまで、ね」

 

 打ち消された、どころか、戦闘中の再使用さえ封じられた。

 禁則と言うからにはラペーシュとしてもかなりの余力を使うか、あるいはぽんぽんなんでもかんでも封じられるわけではないのだろうが──。

 《聖光連撃(ホーリー・ファランクス)》ではもはや力不足な現状、これはあまりにも痛いと言わざるをえない。

 何しろ敵はこれまで戦ってきたボスたち。生半可な相手ではないのだから。

 しかし。

 

「おっけ。よくやったわ、アリス! これであいつは切り札を一つ使った!」

「ふふっ。魔王様。禁じ手を繰り出した上で『これ』も止められるというのなら、どうぞやってくださいませ」

 

 朱華とアッシェが動いた。

 彼女たちがやったことは単純。朱華は不死鳥の一匹に、アッシェはオロチの一匹に片手を突き出しただけ。

 

「ねえ? 同士討ちって怖いわよね!?」

「そこに魔物がいるのでしたら、利用しない手はありませんわ」

 

 しかし、それによって。

 二人にコントロールを奪取された魔物が、近くにいた同族へと攻撃を始めた。



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聖女、連携する

 不死鳥がもう一羽の同胞に頭から突っ込み、もつれあいながら宙を飛ぶ。

 二匹のオロチが首を絡ませあいながら相手に牙を突き立てる。

 

 魔物使いであるアッシェにはモンスターのコントロール能力がある。

 朱華がやっているのもそこからヒントを得たものだろう。身体の大部分が炎であることを利用した、パイロキネシスによる疑似支配。

 この効果は絶大だった。

 操れたのはでかい敵(不死鳥、オロチ、ボスオークが二体ずつの計六体)のうちの三分の一に過ぎないが、それが同士討ちを始めたことで効果は倍。

 更に、俺たちへと向けて動き出そうとしていたボスオーク、コピー・シュヴァルツたちも味方の異常に動揺を見せた。ラペーシュはモンスターたちを召喚するだけしてコントロールはしていない。つまり奴らは自身の知能で動いているので、異常事態には弱い。

 

 そしてもちろん、俺たちはその隙を見逃さない。

 

「──《聖光連撃(ホーリー・ファランクス)》!」

 

 《神光波撃(ディバイン・ウェーブ)》を封じられたのは痛いが、使えないものは仕方ない。俺は聖なる光を敵の一団に降り注がせ、更なる動揺を誘うと共にその体力を削り取る。

 直後、動きの止まったコピー・シュヴァルツの一体にノワール操るPDWの銃弾が殺到、装甲に無数の傷を作り、関節を砕き、センサーを停止させる。

 慌てるように動き出したコピー・シュヴァルツたち。高速で接近してくる瑠璃に銃弾が降り注ぐも──霊力の足場を用いた三次元軌道がそれを華麗にかわしていく。そうして敵の一団へと舞い降りれば一閃。コピーの一体が首と胴を切り離されて実質的に無力化した。

 

「朱華ちゃん、それ、もうちょっともたせてねー」

「はいはい。……って、つめたっ!? これ、普通の人間にやったらテロよ!?」

 

 後方支援のために待機していたシルビアからは朱華へと冷却剤が飛ぶ。市販のスプレーなんかとは段違いの効き目があるらしく、かかったところからしゅうしゅう音と湯気が出始めた。さすがに朱華の負担も大きそうだが、ポーションのお陰で放熱問題は多少解決──。

 

「兵をたくさん用意したのが裏目に出たかしら」

 

 小さな影が鋭く飛んだかと思うと、俺の目に銀色の輝きが映った。

 一閃。

 朱華がコントロール中の不死鳥がたったの一振りで片翼を切り飛ばされ、ぐらりとバランスを崩す。ここぞとばかりにもう一羽が勢いを増し、同胞を喰らおうと動きだす。「あ、駄目だわこれ」。呟いた朱華は突き出していた手のひらをぐっと握りこみ、操作していた不死鳥を爆発させた。

 

「あら。なかなか派手ね?」

 

 少女魔王は爆発に煽られるでもなくすとんと着地。

 配下の魔物が炎によって足止めされ火傷を負う中、銀の刀身を持つ宝剣を手にラペーシュは駆けた。「あら、これはこれは」。呑気な声と共にアッシェがオロチに迎撃させるも、鮮やかな剣捌きと常人離れした身体能力は複数の首をあっという間に解体してのける。

 

「むう。物理で殴ってくるのは正直勘弁して欲しかったのだが……!」

 

 教授の悪態を聞きながら、俺は爆発に巻き込まれた瑠璃へ回復魔法と防御魔法を飛ばす。能力を止めた朱華が後退を始める間にオロチが胴をぶった切られて消滅。

 

「アッシェ。あまりおいたが過ぎると怪我をするわよ?」

 

 鋭い銀色の短剣が虚空から生み出されたか取り出されるかして、ラペーシュの左手に握られる。それが投擲されようとした瞬間、ライフルの銃弾がそれを阻止した。雑魚人形を遠隔操作中のシュヴァルツだ。舌打ちしたラペーシュはナイフをそちらに飛ばし、シュヴァルツはかわしきれないと判断したのかライフルを犠牲に直撃を避けた。

 

「《聖光連撃》!」

「悪いけれど、その魔法なら大して怖くないわ」

 

 足止めのために一点集中した俺の主力魔法をラペーシュはステップにより回避、あるいは剣で打ち払うことによりあっさりと防いだ。かと思えば最後の一発が冗談のように直撃、失敗した? と思ったのも束の間、なんの傷も負っていない魔王の姿が現れる。

 別に避けなくてもろくにダメージ入らないアピール──って、性質が悪い。

 

「うーん……オークは操作が難しいので、もう一度蛇を狙いましょうか」

「それは困る──と言いたいところだけど、勝手にしなさい」

 

 アッシェがもう一匹のオロチを支配にかかると、ラペーシュはくすりと笑ってそれを放置した。代わりに残った一羽の不死鳥がそれに襲い掛かる。「くっ……!」アッシェは小さく唇を嚙みしめるも、支配を止めるわけにもいかない。

 

「《聖光連撃》!」

「だから効かないったら。……とはいえ、それなりに躍らされてしまったかしら」

 

 そう。

 魔王が俺の攻撃に付き合ってくれている間に、コピー・シュヴァルツには大きな被害が出ていた。瑠璃とノワールが両翼をかき乱し続けた結果だ。

 

「シュヴァルツの戦闘プログラムをそのまま利用した弊害でしょうか。同等の複数個体との連携がなっていません。本来は単独での戦闘、あるいは指揮官役を務めるはずの機体ですから当然ですが」

「一寸法師の話ではありませんが、懐に入った上で動き続ければ、銃器などそう恐ろしくはありません。……まして、アリス先輩の癒しがあれば」

 

 オロチを焼き蛇(?)にした不死鳥もここで爆発。「あーもう、あっつ……」。朱華が胸元をぱたぱたやりながら肌に直接冷却ポーションをぶっかける。政府スタッフには男性もいるので目に毒だと思うのだが……さすがにそんなこと考えている余裕はないか。

 敵の戦線は半壊。

 コピー・シュヴァルツが少しとボスオーク二体を残すのみとなった状況で、ラペーシュはむしろ楽しそうに笑い、

 

「これは、仕方ないかしら……ねっ!」

「くっ!?」

 

 目にも留まらぬ速さで瑠璃に接近、振るわれた剣が秘刀『俄雨』と衝突して大きな音を響かせる。

 

「瑠璃さまっ!」

「あら。懐に入れば銃は怖くないそうだけれど?」

「この……っ!?」

 

 霊力を用いた瑠璃も十分に人並み外れた能力だが、ラペーシュの白兵戦能力は更にその上を行っている。二度、三度と剣を振るっては瑠璃に防御させ、さりげなく互いの位置を調整してノワールの射線を塞いでみせた。

 主力二人の手が止まったところで残る敵戦力が動き出す。

 俺は《聖光連撃》をさらに連打し、コピー・シュヴァルツとボスオークを迎撃した。

 

「ノワールさん! 先にできることを!」

「っ。そうですね、先に雑魚の掃討を──」

「だめ。こっちへの注意も忘れてもらっては困るわ」

「今度はこちらに……っ!?」

 

 軽やかに芝生の地面を蹴ったラペーシュが今度はノワールへと肉薄する。我らがメイドさんもこれにはさすがに動揺。それでも魔王の剣をギリギリでかわしたのはさすがと言うべきか。しかし、メイド服の胸元がざっくりと斬られ、下に着こんだ特殊ジャケットにも大きな傷ができた。

 

「お主、最初から一人で十分だったのではないか!?」

「この子たちも、あなたたちを疲れさせる役には立ったでしょう?」

「ならば……っ!」

「皆さま、ラペーシュさまはしばらく我々で食い止めます! その間に他の敵を!」

 

 瑠璃は刀を握り直すと、自分から積極的に切り込んでいく。瑠璃とノワールの距離が縮まればラペーシュは二人を同時に意識しなくてはならなくなる。もちろん急速離脱は可能だろうが──主力二人を食い止める方が得策だと考えたらしい。

 

「いいわ、しばらく遊んであげる。──ちゃんと遊び相手になってくれれば、だけれど」

 

 ノワールは片手にPDWを持ったままコンバットナイフを手にし、反撃の機会を窺いながら魔王の剣を必死にパリィする。しかし、丈夫なはずの刀身は剣の軌道を逸らしただけの一瞬で目に見えて刃こぼれしている。

 あの剣、さらっと出てきた割に相当な業物のようだ。

 瑠璃の『俄雨』なら打ち合えているが、それでも、刀の方がややきしんだ音を立てているような。

 

「仕方ありませんわね」

 

 ふう、と息を吐いたアッシェが俺に並び、素早く尋ねてくる。

 

「アリシアさん。小物と大物、どちらに消えて欲しいですか?」

「では、コピー・シュヴァルツをお願いします。オークは私たちで」

「かしこまりました」

 

 駆け出すアッシェ。反応したコピー・シュヴァルツたちが銃を放っても動じない。何発かは実際に命中したはずだが──傷は、アッシェの身体が()()()()()()()()()()()過程でついでのように塞がってしまう。

 あっという間に巨大な白狼へと変じたアッシェは、身体に銃弾を浴びながらも文字通りに機械人形を『蹴散らして』いく。

 俺は慌てて彼女へ治癒魔法と防御魔法をかけながら、

 

「では、私はボスオークを」

「待って、アリスちゃん。あれの片方は私が受け持つよー」

「え? シルビアさん?」

 

 まさかの宣言に俺は目を瞬いた。

 シュヴァルツに支援射撃してもらいつつ朱華を頼るか、最悪、俺が魔法を打ち込み続けて二体とも倒すつもりだったのだが。

 

「お姉さんにもいいとこ見せさせてよ。……お守りまで貰っちゃったしね」

「……わかりました、お願いします」

「おっけー」

 

 頷くと、シルビアはボスオークの一体に向かって駆け出した。

 素早くシューターへポーションをセットし、立て続けに攻撃。命中したポーションは爆発するものだったり、酸だったり、スパイスでも煮詰めたのか目つぶしの効果を発揮したりした。錬金術師の本領発揮。ポーションの在庫が続く限り色んなことができるのはシルビアの強みだ。

 問題は大技がないことだが……そこはもう信じるしかない。

 俺は《聖光連撃》でもう一体のオークを注目させ、自分の方へと引っ張りながらドーム内を駆ける。朱華は──まだ暑そうだ。とはいえ、実質、不死鳥二体を一人で倒してくれたわけで、彼女に頼りすぎるのも良くない。

 となると、どうするか。

 ぶっちゃけ、このまま魔法を打ち込み続けるだけでも勝てはするだろうが。

 

「……お願いしてもいいですか、()()()()()

「はいはーい」

 

 うにょん、と、俺の衣装の中から飛び出したスライム娘は、みるみるうちに体積を増しながらボスオークへと飛びかかっていく。

 巨大な金属武器による一撃が振るわれるも、スララの軟体には碌なダメージが入らない。むしろ武器ににゅるんと巻き付いてそのまま腕へと取り付き、魔物の全身を呑み込んでいく。

 実のところ、部屋を出る時、俺が挨拶したのはうさぎのブランシュだけだった。

 リビングから転送されるときもしっかり「うさぎ以外の生き物」を転送してくれたので助かった。せっかくなのでサプライズ的に活躍してもらおうと思っていたのだが、どうせラペーシュは気付いてるんだろうし、あの剣で斬られたら危険そうな気がするのでここが頃合いだろう。

 

「おっきなごはんー」

「うわ、えっぐ」

 

 思わず、と言った感じで朱華が呟くのが聞こえたが、うん、まあ、気持ちはわかる。

 いったん身体に取り付かれたら引き剥がすのは至難の業。なんなら蜥蜴の尻尾切りの如く掴まれた箇所だけを分離することだってできる。そうしてもたついているうちに身体はどんどん溶け、スライムに吸収されていく。

 俺たちがあのボスオークにどれだけ苦戦したと思っているのか。いや、今となっては俺も「一人で倒せる」とか息巻いているわけだが、それにしたってスライム強すぎないか。

 ともあれ。

 なんか楽しそうに食事しているスララはしばらく放っておくとして、シルビアの方は──。

 

「そろそろ余裕なくなってきたみたいだねー」

 

 敵の攻撃をギリギリでかわしながら、散発的な攻撃を続けていた。

 彼女の言った通り、ボスオークの攻撃はいつシルビアに当たってもおかしくない。ポーションだってどんどん減っているはずだし、敵は怒りに我を忘れたのか大声で鳴きながら武器を振り回して、

 

「じゃあ、はい。飲んでねー」

 

 不意に撃ちだされたポーションの容器がボスオークの口内へ。

 おそらくは口の中か胃の中で割れて中の液体が広がったのだろうが──途端、奴は武器を放り出してお腹と首を押さえだした。

 何事か、と思っているうちに泡を吹きはじめ、かと思ったらみるみるうちに肌が青ざめて、ばたん、と倒れた。絶命したことを示すようにその身体は光の粒になって消えていく。

 

「え、いまのなんですか?」

「研究の過程で精製できちゃったネガ・生命の水」

 

 飲むと不老不死になる水の失敗作で、飲んだら死ぬ究極の毒らしい。

 念のために用意していたものの、ラペーシュ相手じゃ撃ってる暇がない、というか誤射が怖すぎるのでここで使ったのだという。

 

「うわあ、シルビアさんえっぐ……」

「シルビアさん、薬品のラベル管理は徹底してくださいね? シールやインクが切れたからって面倒臭がるのは絶対駄目ですよ?」

 

 なんというか、スララのもぐもぐなんて可愛いものだった。



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聖女、最後を託す

「そっちは終わったみたいね」

 

 軽い調子で投げかけられた声が、もう一方の戦いがどう推移したかを象徴していた。

 無残にも切り裂かれた着物とメイド服。

 魔王への抗戦を続けていた瑠璃とノワールは身体のあちこちに小さな傷を作り、服の下──インナーさえも覗かせる有様だった。

 大した時間は経っていないというのに。

 ノワールのコンバットナイフは二本までが砕け、PDWと拳銃も一挺ずつが破壊されてしまっている。瑠璃の短刀も折れて芝生の上に投げ出され、秘刀『俄雨』の刀身にも無数の傷が見て取れる。

 

 対して、ラペーシュ・デモンズロードは無傷だ。

 服に汚れすらついていない。前後左右へ踊るように動き回る彼女を食い止めるのに、瑠璃たちが極度の集中を強いられているというのに、だ。

 

『ラペーシュに白兵戦を挑まれるのが一番厄介だ、と、吾輩は思っている』

 

 事前の作戦会議にて我らがリーダー、教授はそう口にしていた。

 

『なんでよ。前みたいに火の球とかたくさん出される焼かれる方が嫌じゃない?』

『いや。来るとわかっていれば朱華も対抗手段を準備できる。火力勝負ならアリスとの撃ちあいに持っていけるだろうし、瑠璃を強行突破させることで短期決戦も狙える』

『耐火や耐冷のポーションなら私も用意できるしねー」

 

 しかし、豊富な魔力を身体強化等、単純な個人戦力に注ぎこまれると対抗手段がない。

 まともに接近戦ができるメンバーは瑠璃とノワールだけ。彼女たちにしても仲間との連携が持ち味であって、同サイズの相手にあっちこっち動き回られては苦戦は免れない。

 

「じゃあ、そろそろこっちも終わらせましょうか」

「《聖光連撃(ホーリー・ファランクス)》!」

 

 終わらせられてたまるかと、俺は聖なる光をラペーシュに向けて殺到させる。

 美少女魔王はこれを律儀に防御。当たっても痛くないと言いつつ多少は嫌なのか、それとも俺に対する礼儀なのか。

 お陰で多少の隙が生まれたので、シルビアが白衣からポーションを二本引きぬく。回復用だろうそれをノワールたちへ投げ渡そうとして、

 

「少し大人しくしていなさい」

 

 最小限の動作で投擲された短剣がポーション容器と共にシルビアの肌を浅く傷つける。ふりかけても効果のある薬だったのか、こぼれた液体によって傷はすぐさま癒されるも、ほっとする間もなく、ラペーシュが錬金術師へと肉薄した。

 

「シルビアさんっ!?」

「やばっ」

 

 慌てて防御姿勢を作るシルビア。

 契約が無ければ即死だったかもしれない。しかし、魔王はくすり、と笑みをこぼすとシルビアを一発殴りつけ、軽く拭き飛ばすだけに留めた。

 たったそれだけでもシルビアは肺の空気を吐き出してよろめき、ポーションが割れないように姿勢を整えるのがやっとだったが。

 その間にラペーシュはさらなる移動を開始している。

 瑠璃とノワールが追撃しようとするも、初速も最高速も上回られていては追いつけない。

 

「《聖光(ホーリーライト)》!」

「当たらないわ、そんな攻撃」

 

 当然、俺の魔法もあっさりかわされる。

 

「っ、この……っ!」

「もう少し休んでいなさい」

「かはっ!?」

 

 蹴りつけられた朱華が悲鳴を上げ、お腹を押さえる。

 ワンテンポ遅れてシュヴァルツが銃口を向ければ、

 

「こいつは破壊しても問題ない、と」

 

 遠隔操作された機械人形がいともあっさり真っ二つに切り離された。

 

「少しは遠慮というものを覚えたらどうだ!」

 

 怒声と共に消火器を手にしたのは教授。発射される粉末に攻撃力はないものの、吸い込むと咳き込むなりなんなり多少の効果はあるだろう。

 しかし、これもラペーシュには無意味だった。

 彼女を包むように張られた防御膜が粉末を通さなかったからだ。舌打ちした教授は消火器そのものを投げつけるも当然のようにひょいっとかわされ──。

 

「ちょっと寝ていなさい」

「ぐ、おっ!?」

「教授っ!!」

 

 召喚されたでかい本──防御的な魔法がかかっているはずの教授専用武器ごと、小さな身体に大きな斬り傷が生まれた。

 じわり、ローブに広がり始める血の染み。

 どさり、と倒れた教授は痛みに顔をしかめ、呻き声を上げながらも懐からポーションを取り出し始める。俺は彼女へと《大治癒(メジャー・ヒーリング)》を飛ばした。みるみるうちに治っていく傷。

 と、そこへ。

 

「じゃあもう一回」

「がああぁっ!?」

 

 肩口に突き立てられる銀色の刃。

 致死レベルのダメージではない。命に別状はないが、これでは回復してもキリがない。

 むしろ、俺が治さない方が教授が休める……?

 その考えに至ったところで、ラペーシュと目が合った。彼女は笑顔だ。俺の魔法を無駄撃ちさせることも考慮に入っているのか。

 

「アリス、もうよい! 残りの魔法は勝利のために使え!」

 

 教授が咳き込みながら叫び、開栓したポーションを煽る。続けて二本目を手にしているが、このまま休んでいる分にはなんとかなるだろう。

 下手に余力を持たない方が死んでしまう危険があるのでラペーシュから攻撃されにくい。

 

 これで、シュヴァルツと教授が戦闘不能。

 止めようのない早業。

 しかし俺たちもただ見ていたわけではない。ラペーシュへの攻撃に《聖光連撃》ではなく《聖光》を用いたのは余力を他に割くため。

 俺が《聖光》に続けて飛ばしていた回復魔法で、瑠璃とノワールは最低限の活力を取り戻している。

 

「これ以上好き放題は──!」

「ノワールはもうちょっと痛めつけても大丈夫よね」

「くっ……!」

 

 一体何本出てくるのか、飛来した短剣によってノワールの拳銃がまた一つ壊れた。下手に身体に当たるよりはもちろんいいのだが、

 

「──追いつきました!」

 

 ここで、瑠璃が刀を振りかぶる。

 すかさず俺はかけられる支援魔法を立て続けに使用。強化された少女の上段からの一撃は、すくい上げるように持ち上げられたラペーシュの刃と鋭く衝突。

 力は、一瞬だけ拮抗。

 その後、押し勝ったのはラペーシュの方だった。『俄雨』の刀身にみるみるヒビが入ったかと思うと、ざん、と銀色の剣が宙を薙ぐ。巻き込まれた瑠璃の前髪が一センチほど斬られて散った。

 

「───!」

 

 愛刀の最期に瞳を見開く瑠璃。

 それでも彼女は止まらなかった。専用武器は修復に時間こそかかるものの、また召喚できるようになる。折られることも想定済みだった。すぐに予備の刀を引きぬこうとして「邪魔よ」ラペーシュの拳が深々と、少女剣士の腹へ食い込んだ。

 教授や朱華の時よりも深く、重い。

 さすがの瑠璃も白目を剥いて唇を歪める。俺は彼女に再び回復魔法を飛ばすしかなかった。

 

 ふう、と、息を吐いた魔王は銀色の剣をひゅん、と振って、

 

『お相手願えますか、魔王様?』

「おなかいっぱいだからげんきいっぱいだよー!」

 

 スライムに身を包んだ白い大狼が、四本の足で躍り出る。

 アッシェとスララの合体形態。

 あの姿は単なる防御モードではない。筋力を始めとする身体能力をもスララによってブーストされた彼女たちの切り札。

 振り下ろされた鋭い爪は、並の人間なら一発で「ぐしゃ」っと終わりだろう。

 さすがのラペーシュもこれには顔をしかめ、

 

「私だって疲労は感じるのだけれど」

 

 瑠璃の時と同じように剣でもって爪を迎え撃った。

 各種攻撃に耐性を持つスライムコーティング。大きさに見合うだけの筋力と、硬質の爪。それらの威力が魔王の剣を一瞬軋ませ、次の瞬間には、バターでも切り裂くように剣が狼の身体へと食い込んだ。悲鳴がドーム内に轟くも、アッシェは身を引こうとしない。

 むしろ自分から身体を食い込ませ、剣の動きを封じ込めると、

 

『アリシアさん!』

「アリスー、いまだよー!」

「──《聖光連撃》!」

 

 いい加減、俺も体力がきつくなってきた。

 身体がふらつき、視界が霞む。それでもここでは終われない。今用いられる最高の攻撃魔法を解き放つ。それも、一発ではなく二発、三発と。

 ラペーシュは剣を手放してかわすか、それとも魔法を甘んじて受け、アッシェたちを倒しきるかの二択となる。

 

「さすがは私の部下、と、褒めるところなのかしら──っ!?」

 

 選ばれたのは、後者だった。

 降り注ぐ聖なる光はラペーシュが纏うバリアによって防がれる。そしてその間に魔王の剣が白狼の手から腕、そして胴へと到達し、

 

「これで、あなたたちももう動けない」

『ぐ、う』

「……いたいー」

 

 合体を解かないまま、アッシェたちはどう、と倒れた。

 食い込んだ剣をそのままにして、だ。

 ちょうど俺の魔法攻撃も打ち止めだ。苦笑したラペーシュは剣から手を離し、身を翻そうとして──。

 

「隙あり、かなー?」

「っ!?」

 

 飛来した()()()()()()()()()()を、ラペーシュは今までで最も焦った様子で回避した。

 手で払いのけることもできただろうにそうしなかったのは、万一にも容器を割りたくなかったからだろう。もし、あの「ネガ生命の水」なら、肌に降りかかっただけで皮膚組織が()()()()()()()可能性もゼロではない。

 

『再生し続けなければ死ぬ、というだけなら殺すことにはならないものね?』

 

 と、後にラペーシュ本人が語ってくれた。

 実際には地面に置ちた容器はぼん、と爆発したわけだが、過剰に警戒して必死に避けてくれたお陰で新たな隙が生まれた。

 安堵の息を吐くラペーシュの懐へと紅髪の少女が飛び込み、その細い腕でぐっと掴む。さっさと背後へ回り込んだ朱華は胸や太腿を押さえつけることも気にせず魔王を羽交い絞めにした。

 

「っ、朱華……!」

「掴まえたわ。あんたの身体、たっぷりと火照らせてあげる」

「う、あ……っ!?」

 

 びくん、と、ラペーシュの身体が跳ねるように動く。

 体内温度が急上昇しているのだろう。ボスオークの時だってあの巨体が一撃だったのだ。傷口からのアクセスではないとはいえ、威力は十分。

 もがいて脱出しようとするも、朱華が必死にしがみついて離れない。そうしているうちにぱきん、と、何かが割れるような音。

 

「どうやら、防御障壁には耐久力があったようですね」

 

 復帰したノワールが呟くように言い、新たな拳銃を構える。未だ回復中の教授が投げ渡したものだ。何発も立て続けに銃声が響き、ラペーシュの四肢へと正確に傷が生まれる。魔王にくっついたままの朱華が「うわ、怖」という表情を浮かべる。

 生まれた傷口はゆっくりと再生を始める。

 人並み外れた身体能力にバリア、更には再生。絶望したくなるような万端さだ。

 それでも、ようやく底が見え始めた。

 

「っ、いい加減にしなさいよ……っ!」

 

 焦った声で叫ぶラペーシュ。

 みし、という音が聞こえそうな勢いで朱華の腕に指をめり込ませると、力の緩んだ腕を振りほどく。そのまま朱華を遮蔽物代わりにしたかと思うと、ノワールへ力いっぱいぶん投げた。さすがのノワールももうかわす余力がなかったのか、もろに喰らって二人で転がる。

 

「《聖光(ホーリーライト)》!」

「……アリス」

 

 聖なる光を挑発の如く叩き込み、朱華たちへの追撃を妨害。

 振り返った魔王は俺の顔を睨みつけてきた。

 

「打ち止めにしておきなさい。でないと身体に障るわ」

「生憎ですが、私の神聖魔法は振り絞れてしまうので」

「知ってる。……あなたの()()()()()()は決戦後に用いられたのだものね」

 

 《神威召喚(コール・ゴッド)》。

 存在と引き換えにした最終手段。正確には神聖魔法とさえ呼べないものではあるが、ラペーシュの言った通り、あれはゲーム上のラストバトル後、イベントシーンで用いられた。直前の戦闘で主人公のHPやMPがどんなに減っていようが関係なく発動し、魔王を完全に討ち果たすのだ。

 ゲームをプレイすれば簡単にわかる情報。

 それが今、このタイミングで口にされたことで、俺は一つの答えにたどり着いた。俺には《神威召喚》を行うつもりがない。だが、ラペーシュの方は()()()使()()()()()()()()()()()()()()()

 おそらくは《神光波撃(ディバイン・ウェーブ)》を封じたのと同じ力か。二発は撃てないと思っていたが、最初から最後の最期のために温存していたのだろう。

 

 ──アリシア・ブライトネスの自害を防ぐために。

 

 剣の召喚、身体強化、バリア、再生。確かに強力だが、魔王の全力と呼ぶには少々不足だ。何故かと言えば、聖女に全力を出させないために力の大半を使っていたから。

 ならば。

 

「いいから、大人しくしていなさい」

 

 目にも留まらぬ速さで肉薄してきたラペーシュの攻撃を、俺は自分の身体で甘んじて受けた。

 痛い。

 残り少ない体力がみるみるうちに奪われていく。ポーションを飲めばまだいけるかもしれないが──そこまでして抗戦した場合、ラペーシュの側も「殺すしか勝つ方法がない」となりかねない。

 がくり、と、膝をついて崩れ落ちる。

 ほっとした表情で笑みを浮かべるラペーシュ。仲間たちももうボロボロ。対して魔王はまだ、戦い続けられる程度の力を残している。

 だから。

 

「後はお願いします──瑠璃さん」

 

 俺は、最後まで握っていた錫杖を()()()

 

「お任せください、アリス先輩」

 

 黒髪の少女が錫杖の柄をしっかりと受け止め、握りしめる。

 まるで棒か薙刀でも操るような構え。武家の娘というのなら当然、長物だってお手のもの。

 そして、隠しダンジョン産の最終装備『聖女の杖』は、支援型のアリシア・ブライトネスが握ってもなお、ぶん殴っただけでそこらの雑魚を滅殺する。

 耐久力もまた、推して知るべし。

 

「──これはまた、どうしようもないわね」

 

 杖を構えた瑠璃と正面から見つめ合い、ラペーシュは苦笑めいた笑みを浮かべた。

 

「剣があればなんとかなったかしら。……いえ。いい加減負荷もかかっていたし、アリスの杖と打ち合ったら負けるでしょう」

「降参しますか、ラペーシュ・デモンズロード」

 

 ふっ、と、今度こそ魔王は晴れやかな笑顔。

 

「ええ。降参よ、早月瑠璃」

 

 その瞬間。

 魔王との決戦が『変身者』側の勝利で確定した。



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聖女、ほっとする

「……誰も犠牲にならずに済んで、本当に良かったです」

 

 最も傷のひどかったアッシェへ治療を施しながら、俺は戦いが終わったことをしみじみと実感した。

 戦いでギリギリまで消耗したので今はシルビア謹製ポーションにてドーピング中。効果が切れたら反動が来るだろうが、緊張は抜けているのでだいぶ楽だ。

 他のメンバーもポーションでひとまずの治療・回復を行っている。

 

「ほら、あんたもそれ、飲んどきなさい」

「──あら、いいのかしら?」

 

 丈の短いチャイナドレスをさらにたくし上げた状態の朱華がポーションを投げ渡すと、一人、目立った傷も汚れもないラペーシュは意外そうな顔をした。

 自分で色々できることを考えれば、まあ、別にポーションは必要ないという話になるが、

 

「いいでしょ、そのくらい。戦いは終わったんだし」

 

 傷を再生できても身体は疲れているはず。それを癒して欲しいと思うのは当然のこと。ラペーシュの協力がなければこの戦いは無被害で終われなかった。

 

「お疲れさまでした、ラペーシュさん。……邪気、どのくらい減りましたか?」

 

 俺がそっと尋ねると、メンバーの視線が魔王へと集中する。

 

「そうね。向こう数年、この国の状態は安定するんじゃないかしら」

「そっかー。すごいようなすごくないような、ってところだねー」

 

 コピー・シュヴァルツを0.5ボス、オロチや不死鳥、ボスオークを1ボスとして換算すると取り巻きだけで2、30ボス分くらい倒したのだから、それくらいは楽になってくれないと困る。

 するとラペーシュは肩をすくめて、

 

「あくまでも『安定』レベルだけどね。期間を伸ばしたり繁栄させたいならバイトとやらを継続した方がいいかもしれない」

「報酬が出るのでしたら、もちろんやらせていただきますが」

「先に今回の報酬をもらわないとやってられないわね」

 

 取り巻きの分だけで2、30ボス分くらいもらわないと計算が合わない。

 前回ふっかけまくって家を建ててもらっている手前、そこまで欲張らなくてもいいとは思うが──それでも、しばらく遊んで暮らせるくらいはもらっても罰は当たらないだろう。

 

「国が平穏になるのは良いことです。夏休みにはやりたいこともありますし、軍資金も嬉しい限りです」

 

 しみじみと頷く瑠璃。

 何気に彼女は金遣いが荒い。ノワールやシルビアの趣味はまだ仕事着と仕事道具などと言い訳できるが、瑠璃の場合はプライベート用の服と下着とコスメとアクセサリー、さらにコスプレ衣装と完全に趣味である。

 なお、朱華のエロゲは意外とコスパが良い。ゲームや本なので一つでしばらく暇が潰せるし、昨今はダウンロード販売が勢いを伸ばしているので場所も取らない。遊びながらお菓子を食べまくっているあたり、不健全なのはダントツで彼女だが。

 と、シュヴァルツ(本体)が政府スタッフと共に降りてきて、

 

「当然、私にも分け前はいただけるのでしょう?」

「シュヴァルツもメイド服を買いますかっ!?」

「その手の衣装は放っておいてもお姉様が買うでしょう。……私はもう少し普通の服を買います」

 

 そろそろ彼女の自由を広げてあげても良い頃合いだ。

 普通の服を手に入れれば外出もできるようになるだろうし、そうしたらノワールと一緒に買い物にも行けそうだ。二人が並んでショッピングしている姿は見ているだけでも楽しいだろう。

 

「では、わたくしにも少々いただきたいですわ」

「あたしにもー」

「もちろんお礼はしたいけど、スララちゃんは何に使うの?」

「? えーっと……ごはん買う?」

 

 スララの場合、「要らなくなった家具引き取ります」とでも言ってネット広告を出せば吸収するアイテムを確保しつつ、逆に稼げそうな気もしないでもない。

 

「ところで魔王。あんた、ここの後片付けくらいできるわよね?」

「ええ。あなたたちが手作業でやるんじゃ時間がかかりすぎるでしょうし。魔法で手早く終わらせましょうか」

 

 ポーションを飲み終えたラペーシュは容器をどこかで消失させると、軽く片手を振る。それだけで銃弾やら何やらのゴミが消え、地面等の損傷個所が徐々に修復されていく。

 そうして、彼女は俺の方へと歩いてきた。

 

「本当にありがとう、アリス。こんな戦いにわざわざ付き合ってくれて」

「そんな……。こちらこそ、ありがとうございます。ラペーシュさんなら本当は私達に勝てたんじゃないですか?」

 

 彼女は俺の最大魔法を封じ、さらに切り札をも封じるつもりで戦っていた。そんなことをしなければ──それこそ本気の殺し合いなら、俺たちは簡単に全滅していたんじゃないか。

 すると「どうしかしら」と柔らかな笑みが返ってくる。

 溜まっていた邪気が減って気分が楽になったせいだろうか。前にも増して優しい気がする。

 

「手加減したつもりはないわ。聖女を──アリスを野放しにしていたら、あなた一人に敗れていた可能性もある。それを避けなければ戦いにもならなかった。ただそれだけのこと」

 

 俺は苦笑して「そういうことにしておきます」と答えた。

 俺とラペーシュはお互いに相手を過大評価しているらしい。そしてお互い、その評価を覆す気がない。

 

「教授も悪かったわね。思いっきり斬ったり刺したりして。痛かったでしょう?」

「あの、ラペーシュ様? わたくし達にも謝っていただきたいのですが」

「アッシェとスララはいいのよ。私を裏切ってアリス達についたんだし。ちゃんと殺さなかったんだからむしろ感謝しなさい」

 

 部下たちはこれに「そんなー!」と悲鳴を上げたが、まあ、彼女たちなりのじゃれ合いだろう。

 斬ったり刺されたりした謝罪に教授は「いや」と首を振って、

 

「吾輩からはもう何も言うことはない。勝てたのはアリス達の力。斬られて時間を稼いだことはむしろ『少しは役に立てた』と喜ぶべきだろう」

「ふうん。いつになく殊勝な態度じゃない?」

「ある意味、これが最後の戦いだからな。金に困っていないのなら戦わないという選択肢もある。本格的に隠居も考えようかと思っている」

 

 バイトしなくても金に困らないメンバーの筆頭は教授だ。何しろ大学教授という本業があるのだから、そもそも副業は必要なかったという話もある。

 まあ、それを言ってしまうとノワールは声優デビューするし、シルビアは薬を売れば稼げるし、俺も治療と配信があるし、瑠璃だってバイトをしているわけだが。

 俺は微笑んで、ラペーシュや教授に言う。

 

「邪気祓いが足りないのなら、私がその分働きます。週一でボス格を二、三体、《神光波撃(ディバイン・ウェーブ)》で吹き飛ばせばだいぶ変わるでしょう?」

 

 出現直後の硬直時間に必殺技を叩き込んで殲滅。これを繰り返すだけのある意味簡単なお仕事。まるでゲームの経験値稼ぎだが、倒せば倒すだけ世界が平和になるのならやって損はない。

 

「あらあら、アリスはどれだけ稼ぐ気なのかしら。……まあ、週に一回、夜のデートと洒落込むのも悪くないかしら」

「待ってください。先輩とラペーシュが二人きりになるのは許せません。私も連れて行ってください」

「……もう、あなたはもう少し空気を読めないのかしら」

 

 不満そうに頬を膨らませるラペーシュ。

 彼女はそれから表情を戻して「戦後処理を行っておきましょうか」と告げる。

 

「私は勝利の報酬に『アリスとの結婚』を望んでいたわ」

「OKした覚えはないんですが」

 

 念のためツッコミを入れたが無視された。

 

「なら、負けた私はアリスの望みを一つ、なんでも聞く。それが公平だと思うのだけれど、どうかしら?」

「異存はない。アリス、煮るなり焼くなり好きにしていいぞ」

「ま、別にこいつから欲しい物もないしね。いいんじゃない?」

「私も。ちゃんとバイト代が入ってくれば十分だよー」

「アリスさまでしたら安心してお任せできます」

「アリス先輩。厳しい罰を与えて構いませんからね?」

 

 仲間たちも了承してくれたので、俺はこくん、と頷いて勝利報酬を受け取る。

 

「じゃあ、そうですね……」

 

 何がいいだろうか。

 少し考えてから、告げる。

 

「私は、ラペーシュさんに私たちと一緒に生きて欲しいです。できるだけ危ないことはしないで、学校に行ったり買い物をしたり、この世界を楽しんで欲しいです。魔王としての世界征服なんて止めましょう」

「……いいわ」

 

 ふっと笑ったラペーシュは俺の願いを了承する。

 

「アリスの奴隷になって永遠に服従すればいいのね?」

「そんなこと言ってませんよね!?」

「冗談よ。でも、ルールに落とし込むならそういう形でしょう? アリスが私のストッパーになればいい。アリスの許しがない限り、私は力の行使に制限を受ける。どう?」

「はい。そういうことなら、問題ないです」

「良かった。それじゃあ、契約よ」

 

 実体のない光の鎖が俺たち二人の身体に絡みつき、消える。

 少女魔王は嬉しそうに自分の肩を撫でると、虚空から何やら指輪を取り出し、俺に差し出した。

 

「契約の証に着けてくれないかしら?」

「え。あの、契約は終わったんですよね? しかも、どうして指輪なんですか?」

「いいじゃない。記念よ、記念」

 

 その後、ラペーシュが左手の薬指に欲しがったりしたためリテイクを要求。

 すると今度は前に俺に差し出されたような首輪が出てきたりしたものの、最終的にお洒落なチョーカーで落ち着いた。

 首を持ち上げ、生の首を差し出すラペーシュに俺はチョーカーを巻きつけた。

 チョーカーについたチャームは俺の聖印と同じ形だ。言わばお揃い。魔王が聖女と仲良しだというこれ以上ない証になるだろう。

 

「できればアリスを所有したかったけど、アリスに所有されるのも悪くないかしら」

「ラペーシュさん。それ、今すぐ外しましょうか?」

「嫌。嫌だから、本気で命令するのは止めなさい。あなたの命令には従わないといけないのだから」

 

 本気で嫌がったのでチョーカー没収は断念した。

 涙目でチャームを手にしていたラペーシュはほっと息を吐くと「鴨間(おうま)小桃(こもも)の役割も終わりね」と言った。

 

「え、小桃さん、消しちゃうんですか?」

「消すというか、私という存在で上書きしようかと思って。高等部からの新入生にしてアリスの親友は最初から私、ラペーシュ・デモンズロードだった……という風にね」

 

 そうすると、周囲の記憶や認識も徐々に置き換わっていく。

 最初は違和感を覚えるかもしれないが、次第にそれが当たり前だったことになる。十分世界に定着してしまえば、勝手に記録も書き換わるという。

 もうすぐ夏休みなのはそういう意味で都合がいい。このまま休んで夏休みに突入してしまえば書き換えの時間は十分に取れる。

 若干、寂しい部分もなくはないが……もともとラペーシュを知っている俺たちの記憶は書き換わらないし、そもそも小桃=ラペーシュなのだから、何が変わるわけでもない。むしろ「小桃さん」と「ラペーシュさん」を使い分けなくて良くなるのだから気楽だ。

 

「じゃあ、これからは気兼ねなく一緒に登校できますね」

「ええ。気兼ねなくアリスに愛を囁けるようになるわ」

「それは止めてください」

「ちょっ、だから本気の命令は止めなさいって言っているでしょう、アリス!」

 

 どうやら本気度に応じて制約が強くなるらしい。

 俺の一存で暴れさせられるほどの強制力はないようだし、遊びの範疇でやり取りできるのはいいかもしれない。俺は慌てるラペーシュを見てくすくすと笑った。

 

「それじゃあ、そろそろ帰りましょうか」

 

 もう深夜だし、着替えたりシャワーを浴びたりも必要だ。

 帰ってベッドに入ったらさぞかし気持ち良く眠れるだろう。一日くらい目覚めないかもしれない。休日前で良かったと心底思う。

 しかし、ここから休息が入るとなると──。

 

「あの、ラペーシュさん」

 

 俺は「とある件」を思い出してラペーシュを呼んだ。

 具体的に何を言わず目配せだけをすると、聡い少女は全てを理解してくれたようだった。小さく頷いてから口を開いて、

 

「ねえ? この場所、もう少し使っても問題ないのよね?」

 

 と、スタッフに尋ねた。

 回答は「翌朝までに元通りになっていれば問題ない」とのこと。戦いで全壊する可能性もゼロではなかったと考えると大丈夫かと言いたくなるが、まあ、最悪の事態は避けられたわけで。

 

「そ。じゃあ、せっかくだし酒でも飲んで行きましょう。教授、付き合いなさい」

「吾輩か?」

「ええ。どうせノワールは家事で忙しいでしょう?」

「そうですね。洗濯機を回したいですし、武器も最低限の整備はしておかなければ」

 

 すると酒に付き合える大人は教授一人になる。

 

「じゃあ、結界もあるので私も付き合いますね」

「あら。アリスも飲んでくれるの?」

「私は本当に付き合うだけです」

 

 というわけで、俺とラペーシュ、教授だけを残して他のメンバーが家へと転送されていく。

 朱華や瑠璃は少し心配そうにしてくれたが、他ならぬラペーシュの契約によって悪事は封じられている。そもそも俺たちを害したいならさっきの戦いですればいい話だ。

 さらにラペーシュは魔法を行使、周りにいる政府スタッフには話し声が聞こえないようにする。どこからともなくワインが取り出され、グラスが一つ教授に差し出された。

 

「吾輩はビールが好みなのだが……まあよかろう」

 

 静かな広いドームにチン、と、グラスの音が響く。

 深い色合いの赤が照明に光にきらきらと映えた。

 

「で?」

 

 いい味だったのか、一口飲んだ教授は目を細め、それから俺たちへ尋ねてくる。

 

「話があるのだろう?」

「はい。前から気になっていたことを確かめようかと」

 

 その問いに、俺は静かに答えたのだった。



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聖女、疑問を晴らす

「それで? 何が聞きたいのだ?」

「確かめたいんです。私達がどうして『こう』なったのか」

「ほう」

 

 教授は落ち着いていた。

 いつも通りの泰然とした表情で、動揺は見られない。それがどういう意味なのか、俺にはまだ判断できない。

 グラスの中のワインがゆらゆらと揺れる。

 

「その件は『不明』ということになっていたはずだが」

「でも、よくわからないことがあるんです」

「よくわからないこと、か」

「はい。それは、()()()()()()()()()()ということです」

 

 疑問に思っていなかったわけじゃない。

 ただ、わざわざ聞いても仕方ない、と、流していた案件。

 

「みなさんが『こう』なったのは私が変身する一、二年前──今からだと最大で三年くらい前、でしたよね?」

「そうだ」

「じゃあ、教授が大学教授になったのはいつなんでしょう?」

「変身する前から大学教授だったから仕事を続けている。ただそれだけのことかもしれないだろう?」

「それだと辻褄が合わないんです」

 

 政府は俺たちの変身を隠そうとしていた。

 なら、大学教授なんていう目立つ人間が「変わって」しまったことを公にさせるだろうか。教授の背格好なら萌桜(ほうおう)の中等部に一年生から入れる方がありそうな話だ。

 政府の方針が嘘、というのはほぼありえない。となると……。

 

「一応、私も調べてみたのよ。そうしたら面白いことがわかったわ」

 

 ラペーシュがくすりと笑って言う。

 

「教授は既に五、六年程度大学にいる。検索してもあなたの変身前と思われる名前は出てこない。つまり、少なくともあなたは最初から今の姿で大学に所属したことになる」

 

 これはおかしい。

 

「だとするとどういうことになるかしら?」

「教授はもっと前から変身していて、一から大学教授になったか──それとも、()()()()()()()()()()()()()

「後者だとすると不思議ね? 教授の本を出す能力や老いない能力は全てトリックだったのかしら」

 

 ラペーシュが大学の学生にも話を聞いたところ、教授は昔からあの姿で見た目は変わっていないそうだ。つまり、最低でもマンガみたいに老けない体質は持っている。

 前者なら能力があって当たり前だが、俺たちに変身時期をズラして教える必要はあったのだろうか? それに、もし教授が昔、例えば十年前とかに変身していたのだとすると、一人だけ不自然に間が空いていることになる。朱華たちと俺、瑠璃に関しては半年から一年程度の間隔である程度安定しているのに。

 もし、空白期間にも『変身者』が現れていたのなら辻褄は合うが、だとすると俺たちの他にも一つか二つのグループが存在することになる。そんな存在がいればラペーシュが察知しているはずだし、政府が俺たちに拘る必要もない。

 

「………」

 

 教授は黙ったまま動かない。

 俺たちはゆっくりと話を続けた。

 

「私の考えはこうです。教授は、あの映画の()()()()()()()()()()()()()?」

「……どうしてそう思う?」

「映画の中で教授は異世界の英雄たちを呼び寄せていたじゃないですか。あれって大きく言えば私たちの身に起こっているのと同じことじゃないかな、って」

 

 何故か召喚ではなく憑依? 転生? になってしまっているが。

 ラペーシュがさりげなく俺に歩み寄り、傍らに立ちながら。

 

「どうかしら? 当たっていても外れていてもそれはそれでいいのだけれど」

「私たちは別に教授をどうこうしたいわけじゃありません。ただ疑問を解消したいだけです」

 

 よからぬことを企んでいるのならとっくにやっているだろう。

 だから、俺は追及を後回しにしていた。追及したところで戦いがなくなるわけではなかっただろうし。

 それからしばらくの沈黙。

 教授はふっと笑うと、グラスの中のワインを飲み干した。

 

「ああ、その通り。吾輩は教授。大図書館の司書にして、あの大戦(おおいくさ)を引き起こした張本人だ」

 

 やっぱり。

 すると、教授とラペーシュはある意味似たような立場だったわけだ。邪気を呼び寄せたりしていない時点で教授は素の転移者なんだろうが。

 

「どうしてこの世界に来たの? 敵は倒したんでしょう?」

「うむ。……しかし、倒した時点で既に時空はボロボロになっていてな」

 

 遠い目でドームの天井を見上げる教授。

 ラペーシュが指を振ってワインのお代わりを注いだ。

 

「英雄達を送還した後、図書館の修復に取り掛かった吾輩だったが、誤って自分自身を転移させてしまったのだ。あの戦で力の大半を使ってしまったため、うまくコントロールができなかったのだろう」

 

 一人、この世界に落ちて来た時は途方に暮れたという。

 

「幸い、上手く政府に保護してもらい、身元と最低限の生活資金を用意してもらうことはできたのだがな」

「随分頑張ったわね」

「異世界については多少詳しかったからな。()()()()()()()()()()()()()()と知っているだけでもやり方は随分楽になる。売り物になる知識もあった」

 

 知識と知恵を餌にこの世界で暮らし始めた教授は当然、図書館に帰ることを考えた。しかし、やはり力が上手く使えなかった。

 敵によって与えられたダメージと、それから教授自身が図書館から出てしまったことが原因と思われる。

 仕方なく彼女は長い目で見ることにして、少しずつ力を回復させながら学校に通い、飛び級で次々と進学していった。そうして今の大学教授という地位を手に入れたのだ。

 教授の専門は民間伝承。

 

「この世界には魔法がない。しかし、過去に起こった『不思議』の記録は多く残っている。例えば神隠しとかな」

 

 そうした現象が転移の助けになるかもしれないと思ったらしい。

 

「とはいえ、なかなか状況は好転しない。業を煮やした吾輩は回復してきた力を用い、強引に転移を試みようとした」

 

 試みは当然のように失敗した。

 

「力が足りなかった。この世界で力を用いるのにも慣れていなかった。結果として起こったのは世界の歪みを大きくすることと、それから不完全な召喚だった」

「それが邪気の顕在化と『変身者』の登場かしら?」

「そうだ」

 

 自嘲気味な笑み。

 

「お主たちがそうなったのも、化け物と戦う羽目になったのも全て吾輩のせいなのだ」

「原因が分からないって言っていたのは嘘だったということ?」

「全くの嘘ではない。どこをどうしてそうなったのか吾輩にも理解しきれていないのだから。……とはいえ、それは言い訳か」

 

 世界の歪みが広がったことで、この世界は少しだけ『不思議』が起こりやすくなった。

 存在自体が『不思議』なものである変身者の登場によってそれはさらに顕著となり、邪気の集積や実体化、それを祓うことによる世界の安定などが起こるようになった。

 

「私たちがこうなったのは意図した結果じゃなかったんですね」

「ああ。おそらくお主ら──というか、お主らのオリジナルは『敵』によって損壊した世界の住人だろう。その魂、というか存在がこの世界にいる同一存在と重なり、変身者が生まれたと思われる」

 

 教授が前に語った推測もあながち嘘ではなかったらしい。

 ラペーシュが小さな大賢者の姿をじっと見つめて、

 

「元の世界へ帰るのは諦めたのかしら?」

「いや。まだ完全に諦めたわけではない。力は引き続き回復させているし、吾輩は不老だからな。時間はいくらでもある。それに、もう一つの望みもあった」

「もう一つ?」

「世界の歪みというのなら、吾輩自身もその一つだ。お主らと共に邪気を祓って行けば歪みが正され、余分なものは排除・送還される可能性がある」

 

 世界中の邪気を祓い尽くせば帰れるかもしれない、ということか。

 

「……壮大すぎる計画ですね」

「そうだな。実際、微速前進しているかと思えば魔王なんぞに大半を吸われていた」

「悪かったわね」

 

 そう言いつつ、ラペーシュはあんまり申し訳なさそうじゃなかった。

 

「じゃあ、今のあなたには本当に余計な力がないわけね。一応、これでも警戒していたのだけれど」

「やはり、吾輩を無力化しに来たのはそれが理由か」

「当然でしょう? 世界を跨いだ魔法なんて何が起こるかわからない。万が一にもアリスを巻き込ませたくはなかったもの」

「……いえ、あの、ラペーシュさんって本当に私のこと大好きなんですね?」

「まだ伝わりきっていなかった? なら、今ここで押し倒してあげても」

「ストップ! ストップです!」

 

 美少女魔王様は舌打ちして止まってくれた。

 それを見ていた教授はジト目で、

 

「何をやっているのだお主らは」

「いえ、いつものことと言いますか……」

 

 苦笑して居住まいを正す俺。締まらないことこの上ない。

 

「じゃあ、やっぱり邪気祓いは続けた方が良いですね。週にボス二、三体程度じゃ世界中の分まではまかないきれないでしょうけど」

「待ちなさい。世界中の邪気を祓われたら私まで死ぬじゃない。存在の置換が終わってからにしてもらわないと」

「できるんですか?」

「この世界の人間として作った小桃と置き換えを行っているでしょう? アリスの傍にいれば邪気は浄化されて、徐々に独立存在へ生まれ変われるはずよ」

「それならゆっくりやっていけばいいですね。私が大学生になれば週二くらいでボスを討伐できるかもしれませんし」

 

 その頃にはもっと仲間も増えているかもしれない。

 世界の歪みが正されきったら俺たちはどうなるのか、という問題があるが、そこはもう考えても仕方ない。

 今更元に戻られるのは困るが、既にアリシアになってしまっている以上、どっちかというと俺がゲームの世界に送られる? 戻される? 方がありそうな気もする。そうなったらそうなったで楽しそうだ。ただ、もう少し学生も満喫したいので今すぐは困る。

 

「いや、待て」

 

 ここで教授が口を挟んでくる。

 

「吾輩が黒幕だとわかったのだぞ? 恨み言を言うなり、排除しようとするなりあるのではないのか?」

「いえ、そういうのは特に」

「しても仕方ないでしょう、そんなこと」

 

 俺とラペーシュは顔を見合わせて首を傾げた。

 

「だって、教授だってやりたくてやったわけじゃないんですよね? もちろん最初は戸惑いましたけど、今となってはこの生活が楽しくて仕方ないわけですし」

「あなたの理論で行くと私の世界だってどうなっているかわからないのでしょう? 必死に戻っても仕方ないし、アリスといるのは楽しいし。何より、契約もしてしまったもの」

 

 教授と戦いやら殺し合いやらをするつもりならみんなを送ったりはしない。彼女がそういう人ではないと思ったからこそ、このタイミングでこうして話をしたのだ。

 俺はパーティリーダーとしての教授に十分すぎるほど感謝しているし、黙っていたことに恨みもない。

 だいたい、本気で隠し通すつもりならもうちょっと何かしら方法があるだろう。

 

「教授は隠居していてもいいですよ。あの本を出すにも力が必要だったりするんじゃないですか?」

「そうね。っていうか、ここまで来たらあなた一人くらいいてもいなくても大差ないでしょう。むしろ、積極的に仲間を増やせるならそっちに注力した方がいいくらい」

「……お主ら」

 

 はあ、と、ため息をついて二杯目のワインを飲み干す教授。

 彼女はぺたん、と、芝生の地面に座りこむと苦笑を浮かべた。

 

「こちらは殺される覚悟もしていたのだぞ。せめて引っぱたくくらいしたらどうだ」

「悪人じゃない人を叩いても仕方ありません」

「ベッドの上で懲らしめる方なら考えてもいいけれど、あいにく年上は好みじゃないのよね」

「じゃあラペーシュさんって百歳は超えてないんですか?」

「アリス? レディに歳を聞くのは失礼じゃないかしら?」

「これは失礼しました」

 

 慌てて謝ると、ラペーシュは笑って「冗談よ」と言ってくれた。

 

「教授? ワインのお代わりはいるかしら?」

 

 尋ねられた教授は立ち上がると「いや」と首を振った。

 

「どうせなら帰って飲み直す。このワインも美味いが、吾輩にはビールが合っている」

「そう」

 

 ラペーシュもまたワインを飲み干すと、二つのワイングラスを消失させた。

 

「あなたって変なところで年寄りくさいのよね。おじさん臭い、とでも言った方がいいかしら?」

「なにおう!? ビールは別におっさんの飲み物ではないぞ! ファンタジー世界なら女子供も飲んでいる!」

「あ、いつもの教授ですね」

 

 俺は思わず噴き出した。

 すると教授はバツの悪そうな顔になって「別によかろう」と目を逸らす。そういう表情をしていると普通に見た目通りに見えるから不思議だ。

 

「……はあ。どうせなら、アリスにも実際に飲み比べて判断して欲しいものだな」

「そうですね。二十歳になったら飲ませてください」

「二十歳になったら押し倒してもいいかしら?」

 

 そうして、俺たちは結界を解除してシェアハウスに戻った。

 ラペーシュの魔法のせいで会話が聞こえていなかったスタッフの皆さんには酒飲んで帰ったようにしか見えなかっただろう。



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起きたら金髪碧眼の美少女聖女だったので、似たような奴らと共同生活を続けます

「すみません、私。私のせいで迷惑をかけてしまって」

「突然どうしたんですか、私?」

 

 決戦が終わった後、眠りについた俺は、夢の中でもう一人の俺に呼びかけられた。

 アリシア・ブライトネス。

 俺が変身したばかりの頃の姿とそっくりな彼女と正面から向かい合う。まるで鏡映しのようだが、あれから少しばかり成長したせいか、実際に鏡に映る姿は少し違うだろう。

 もう一人の俺は申し訳なさそうに眉を下げて、

 

「私がいなければ、あなたの元の生活がなくなることはありませんでした」

 

 なんだ、そんなことか。

 

「気にしないでください。過ぎたことですし、あなたがそうしたわけでもないんですから」

「でも、これからもう、()()()()()()ことがはっきりしてしまいました」

 

 そう。

 教授と話をしたことで変身の原因がはっきりした。俺たちが「ある日突然元に戻る」ことはないだろう。邪気を大量に祓った際にどうなるかはわからないものの、少なくともそれは「ある日突然」ではない。

 俺は微笑み、胸に手を当てて。

 

「ほっとしました。突然戻されても困ってしまいますから」

「……私。本当にいいのですか?」

「もちろんです」

 

 しっかりと頷く。

 俺としては本当に今更だ。アリシアとして生きて行くと決めた約一年前から覚悟は決まっていた。

 教授にも告げた通り、俺は今の生活が楽しい。このまま、これからも続けていきたいと思っている。

 朱華あたりからはまた「お人好し」と言われそうだが。

 

「あなただって、逆の立場なら同じことを言ったでしょう?」

「……そうですね」

 

 くすりと微笑んだアリシアは、俺の方へとゆっくりと歩いてくる。

 俺もまた、彼女を迎えるように足を踏み出した。

 二人の距離が十分に縮まったところで、アリシアは俺に手を差しのべてきた。

 

「もう、こうして会う必要もないでしょう」

「そうですね。私たちはもともと同じ存在なのですから」

 

 答えて、アリシアのそれに自分の手を重ねる。

 聖女の身体がゆっくりとほどけ、俺の中へと入り込んでくる。ここで同化するわけではない。俺たちは元からひとつだった。

 心と身体を慣らすために少しずつ「思い出して」きたそれが十分に馴染んだことを俺自身が認識し、受け入れたという証。

 

「これからも頑張りましょうね、私」

「はい。頑張りましょう、私」

 

 これからは二人になって話し合うまでもない。考えも答えも、全て自分の中にある。

 アリシアの記憶を全て思い出した()は、胸の前でぎゅっと手を握りしめた。

 

 私は、アリシア・ブライトネスになった。

 けれど、それはオリジナルのアリシア・ブライトネスに全てを侵食されたわけじゃない。

 男子高校生としての『俺』の記憶も感情も考え方も消えてはいない。『俺』とオリジナルのアリシアが一つになった、この世界で生きるアリシア・ブライトネス。それが私だ。

 

「まだ、一年半も経っていないんですよね」

 

 たったそれだけの間に色々なことがあった。

 これからもきっと、色々なことがあるだろう。

 過去と未来に想いを馳せながら空を見上げて、

 

「さあ、行きましょう」

 

 自分の身体をゆっくりと目覚めさせた。

 

 

 

 

 

「あ。アリスー、やっと起きた?」

 

 目を覚ますと、ぷよぷよした女の子に見下ろされていた。

 お腹の上に乗られている格好だけれど、あまり重さは感じない。もともと軽いのと、ベッドにも広がって体重を分散してくれているせいだろう。むしろ柔らかくて少し心地いい。

 眠気は十分に取れている。

 身体はまだ若干重い。やっぱり疲れていたようだ。

 私はスライムの少女に「おはようございます、スララさん」と微笑みかける。

 

「えっと、今は何曜日の何時でしょう?」

「えっとねー、日曜日の九時だよー」

 

 やっぱり、そんなことだろうと思った。

 眠りについたのが土曜日の午前二時とか三時とか。それから丸一日以上眠っていたらしい。前にも似たようなことがあったので驚きはない。

 配信の連続記録が途切れてしまったが、前もって予告しておいたので視聴者のみんなも許してくれるだろう。

 優しく撫でて感謝を伝えると、スララはぽよぽよしながら下りてくれた。起き上がってぐっと伸びをする。とん、と床に足を下ろすと、白いうさぎのブランシュが「だいじょうぶ?」というように寄ってきた。抱き上げて羽毛を撫でてやる。

 

「おはようございます、ブラン。心配かけてすみません。お腹、空いてませんか?」

「あたしがごはんあげたからだいじょうぶだよー」

「そうだったんですね。何から何までありがとうございます、スララさん」

「えへへー」

 

 嬉しそうにするスララがなんとも可愛い。もちろんブランも同じくらい可愛い。しばらく二人と戯れていると、ぐう、とお腹が鳴った。

 

「……私もご飯を食べないといけませんね」

 

 お祈りもしたいしシャワーも浴びたい。ただ、先に栄養を補給しないと辛そうだ。パジャマから部屋着に着替え、スララたちに挨拶してから部屋を出る。

 一階へ下りてリビングへ行くと、ノワールにシュヴァルツ、朱華、教授にラペーシュと結構なメンバーが揃っていた。

 

「おはようございます、アリスさま。体調はいかがですか?」

「おはようございます。お陰さまで、明日からも学校に通えそうです」

「アリシア・ブライトネスのことですから心配はしていませんでしたが、エネルギー残量や充電時間が表示できないのは不便なものですね」

 

 未来世界の姉妹はいつも通りメイド服姿。シュヴァルツも不本意そうながらだんだんメイドが板についてきていて、その分、ノワールも楽になっているようだ。

 

「はよー、アリス。……なんかあんた、疲れて寝てた割に肌とかつやつやしてない?」

「そうでしょうか?」

 

 朱華も寝起きなのか、眠そうにしながらもそもそと朝食を口に運んでいる。

 肌艶に関しては自覚がなかったが、十分に睡眠時間を取ったせいだろうか。それとも、気にするべき事項が減ったせいか。

 ちらりと視線を向ければ、大きく広げられた新聞が見えた。

 

「その、なんだ。いい朝だな、アリス」

「もう。どうしてそんなにぎこちないんですか、教授」

「し、仕方ないだろう! 吾輩としては少々気まずいのだ!」

 

 ときどき幼女みたいになるのはずるいと思う。

 私はくすりと笑って、最後に桃色の髪の少女を見た。彼女は食後のティータイムなのか、のんびりと紅茶の香りをあ楽しんでいる。

 

「おはようございます、ラペーシュさん」

「おはよう、アリス。私が最後なのは不満だけれど……今日は一段と綺麗だから許してあげる」

「ふふっ、ありがとうございます」

「アリスさま。朝食を召し上がりますか?」

「はい。お願いします」

 

 ノワールたちが俺の分を用意してくれている間に洗面所へ行って顔や髪を整える。ふと気になって鏡を注視すると、金色の髪に碧色の瞳をした白い肌の女の子がいた。きょとん、とした表情。ここ一年以上、鏡で見てきた私の姿に間違いない。

 男子高校生の姿に戻っていたり、全く別の人物になっていたりはしない。

 

「なにか変わったでしょうか……?」

 

 自分ではよくわからず首を傾げた。やはり、外見というよりは内面の変化なのだろう。自分のことだからこそ、自分のことがわからない時もある。

 リビングに戻った私は、ノワールたちの作ってくれた朝食を噛みしめるように味わった。身体がエネルギーを欲していたのか、いつもよりも多めに平らげ、満足感を覚えながら食後の紅茶を飲む。そんな私の様子をラペーシュや朱華、さらにはノワールとシュヴァルツ、教授までもがじっと見ていた。

 

「ど、どうしたんですか、みなさん」

「や、幸せそうな顔するな―って」

 

 朱華の返答に思わず顔が真っ赤になる。

 

「それは、だって、幸せに決まっているじゃないですか。……こんなに素敵な仲間がいて、毎日楽しくて、美味しいご飯まで食べられるんですよ?」

「魔王と戦ってへとへとになったばかりの子が言う台詞じゃないわね」

「当の魔王本人が言う台詞でもないが」

 

 ラペーシュが苦笑し、そんな魔王の様子に教授が苦笑する。

 

「美味しいご飯だなんて……シュヴァルツ、アリスさまに褒められましたよ」

「いえ、今のはお姉様を褒めたのでしょう」

 

 淡々と答えるシュヴァルツだったが、若干嬉しそうに見えるのは人間そっくりのボディが無駄と思えるほど精巧にできているせいか。

 

「ところでアリス、シャワーを浴びるなら早めの方がいいわよ」

「そうね。暑い時期だし、そんな匂いを嗅がされたら少し変な気分になりそうだもの」

「そ、そういうことは先に言ってください!」

 

 私は慌てて紅茶を飲み干し、いつもより長めにシャワーを浴びた。

 

「……ふう」

 

 洗濯済みの下着を身に着け、部屋着をあらためて纏う。女神様の聖印も忘れずに首にかけてから部屋に戻ろうとして──。

 

「あ、アリスちゃんおはようー」

「わっ。……おはようございます、シルビアさん」

 

 階段の下まで来たところで、下りてきた少女に抱きしめられた。

 消耗したポーションを補充していたのか、いつも通り眠そうな表情。入浴などは不精していそうなのにふわりと香る独特の匂い。

 そういえば、この家に来た時もいきなり抱きしめられた。

 あの時はメンバーの奇抜さに驚いたものだ。今は……驚くまでもなく、みんなが個性的なことを知っている。

 

「そうだ。アリスちゃん。また聖水作ってくれる? あれ素材にすると結構効くんだよねー」

「わかりました。じゃあ、後で容器をいただきに行きますね」

 

 今日の朝食も美味しかったと伝えると、シルビアは目を輝かせてリビングに向かっていった。

 一人が動き出すとみんなつられるのか、今度はアッシェが下りてきて、

 

「ああ、アリシアさん。一昨日? 昨日? はありがとうございました。お陰で傷痕も残りませんでしたわ」

「そんな。むしろ、こちらこそ助けていただいてありがとうございます」

 

 深く頭を下げれば、アッシェは微笑み、

 

「でしたらお礼を身体で払っていただいても?」

「労働ということでしたら喜んで」

「……もう、わかっていらっしゃるくせに」

 

 アッシェもまたリビングに向かって歩いていく。ノワールたちに「今朝のお肉はなんですの?」と尋ねる声が聞こえた。前から思っていたが、魔物使いになると食の好みまで動物に近くなるのだろうか。

 というか、私を二階に上がらせまいという力でも働いているのか。

 シェアハウスのメンバーが増えたことを実感する。今度は玄関から音が聞こえてきたと思ったら、トレーニングウェア姿の瑠璃が顔を出した。さすが、真面目な彼女はさっさと朝のルーティンをこなしていたらしい。

 

「おはようございます、瑠璃さん。ランニングですか? 私も見習わないといけませんね」

 

 ドアを開けたら私がいたからか、瑠璃は少し目を丸くしながら「おはようございます、アリス先輩」と柔らかく微笑んでくれた。

 

「私の場合は『やれ』と瑠璃の感性がうるさいので。むしろ、アリス先輩は少し頑張りすぎです」

 

 後半、むっとした表情で睨まれた私は「……あはは」と苦笑した。

 

「すみません、性分なもので。でも、瑠璃さんだっていつも頑張っているでしょう?」

「わ、私はいいんです」

「どういう理屈ですか」

 

 結局、私たちは似た者同士なのだろう。軽く睨み合って、それから笑いあったところで、瑠璃は「シャワーを浴びてきます」と思い出したように去って行った。

 これで、メンバーは全員のはず。

 これ以上誰かが現れることはないとほっとしながら階段へと足をかける。すると、半分程上がったところで家のチャイムが鳴り「こんにちはー」と椎名の声が聞こえてきた。用はノワールかシュヴァルツだろうから、対応は彼女たちに任せることにする。

 部屋に戻ってスマホを手に取ると、眠る前に送っておいた戦いの報告に、千歌さんと吉野先生から返信が来ていた。未読のままで心配をかけただろうからお詫びと共にこちらからもメッセージを送信。友人たちから来ていた他愛ないメッセージにも返信をしながらノートパソコンを起動する。

 

「それじゃあ、配信の準備を始めましょう」

 

 現代式の布教活動はまだまだ続けたい。

 これから夏休み。他にもやりたいことはたくさんあるし、どれからやっていいのか迷うくらいだ。

 

 朝起きたら金髪碧眼の美少女聖女になっていた『俺』の生活は、この一年ちょっとで大きく変わった。

 辛いことも苦しいこともあったけれど、私は今、こうして幸せでいられている。

 これからもこんな生活を続けていこう。

 似たような境遇の仲間たちと一緒に、一歩ずつ。

 

 変身してしまった私たちなりの方法で。




「起きたら金髪碧眼の美少女聖女だったので、似たような奴らと共同生活始めました」はこれにてひとまず完結とさせていただきます。
ここまでお読みいただきました皆様、感想・評価等をくださった方々、とても励みになりました。まことにありがとうございます。

書き始めた当初は第一章の最後でアリスが教授と対峙、名探偵的な謎解きをして終了、といった予定もあったのですが、文庫一冊分程度の文量では書ききれないと判断、書いているうちに書きたいことが増えたのもあってこんな量になってしまいました。
ただ、そのお陰でやりたいことはだいたいできたと思います。

それでもエピソードとして書ききれていない部分もありますので……。

この後は番外編的なものとして主要キャラとの個別エンディング?(このキャラが将来のパートナーになった場合のエピローグ)を幾つか投稿したいと思っております。
章立ててまとまったストーリーを用意して、という意味での続きはネタ的な問題で難しそうな気がしておりますが、二回目の夏休みなど、書けそうな話があればそちらも番外編として投稿したいと思います。

投稿された際にはそちらも読んでいただけたら大変嬉しく思います。


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こぼれ話・番外編・後日談
【番外編】早月瑠璃の一番幸せな日


Skebにてご依頼いただいて書いた瑠璃メインの番外編です。
瑠璃ルートの前段階みたいな感じになりました。


 遠足を明日に控えた小学生のような状態、とでも言えばいいだろうか。

 その日。早月瑠璃は人生最大の緊張と興奮で、朝からいっぱいいっぱいになっていた。

 

「落ち着きましょう。……そう、こういう時こそ深呼吸です」

 

 刀を振るい、魔を祓うようになって以来、精神統一は何度も繰り返してきた。戦いを経て獲得した『早月瑠璃』の感覚も、こういう時こそ落ち着くべきだと告げている。

 深く息を吸って、吐く。何度か繰り返すと鼓動がゆっくりになってくる。

 

「そう。何も慌てる事はありません。戦場に赴くわけでもなし。ただ、人を出迎えるだけです」

 

 まあ、その出迎えるべき相手が問題なのだが。

 気を抜くと『彼女』のことを思い浮かべてしまう自分に苦笑しながら、瑠璃は誰もいないリビングをぐるりと見渡した。

 ノワール・クロシェットが拘りに基づいて整えたシェアハウスのくつろぎ空間──ではない。

ここは瑠璃の実家、店舗の裏に建つ母屋である(正確に言えば『変身する前の』実家だが)。

父が子供の頃に建て替えたらしく、まだまだガタが来るほど古くはない。生活設備も十分整っており、住んでいた頃も不便は感じなかった。キッチンやトイレは瑠璃が瑠璃になってからリフォームしたらしく、見違えるほど綺麗になっている。

 懐かしさと目新しさが同居する空間も落ち着かない原因かもしれない。

 

 

 

 

 

 瑠璃が何故、変身前の実家に一人でいるかと言えば、夏休みが始まってすぐ、アルバイト先の店主夫妻──つまりは両親からちょっとした頼みごとをされたせいだ。

 

『数日間、店を休んで帰省するので、その間の掃除を任せたい』

 

 四月からバイトで入っているだけの中学生に頼む話ではない。

 他の従業員──大学生の男女には自分達の家や予定があるだろうから頼めないとしても、別にほんの二、三日、留守にしたって構わないだろう。

 ならば何故、わざわざ瑠璃に頼んだかと言えば、それはもちろん、瑠璃が単なるアルバイトの中学生ではないからだ。

 一緒に帰省はできないにしても最低限の義理を立てろ、という裏の意図を肉親の直感から受け取った瑠璃は若干の面倒くささを感じながらもこれを了承した。

 大学生になった『年上の妹』などは「私の代わりに行ってきてよ」という勢いだったが、もちろんそんなわけにはいかない。瑠璃の正体は祖父母にも他の従業員にも秘密だ。

 留守番する代わりにバイト代を含めた雑費をもらったし、奮発して美味しいものでも食べるか、節約してファッションに回してもいい。

 お盆休みは和菓子屋にとってかき入れ時の一つ。両親たちはズラして帰省するので、(例年お盆休みに開催される)同人誌即売会と日程が被ることもない。

 邪気祓いの方も大きな仕事を終えたばかりだし問題ないだろうと、シェアハウスのメンバーには承諾後に報告をしたのだが、

 

『瑠璃さまお一人で食事は大丈夫でしょうか』

 

 思わぬ人物が思わぬ点に難色を示した。

 ノワールの懸念も事実無根ではない。瑠璃は掃除や裁縫こそ得意であるものの、料理は不得手としている。

 もちろん、ほんの何日かであれば出来合いの物でも不自由はしないが、

 

『それだと栄養が偏ってしまうではありませんか』

 

 メイドという仕事に誇りを持つノワールだ。瑠璃が来る前には、こっそり宅配ピザを頼んだ教授たちがまとめて説教される、などという一件まであったらしい。

 彼女は自分も声優の件で忙しいにも関わらず、お弁当を作って届けようかだの、シュヴァルツを派遣しようかだのとあれこれ対策を講じようとした。

 このままでは「鰻重でも注文してやろう」という計画が狂──もとい、余計な手間をかけさせてしまう。瑠璃が危機感を覚えた時、

 

『それなら、私が瑠璃さんのお手伝いをしましょうか?』

 

 救いの手は、思わぬところから差しのべられた。

 

 

 

 

 

『もうすぐ到着します』

 

 ぽこん、と、グループチャットに新着のメッセージが入った。合わせて送られてきたスタンプは、可愛らしいうさぎのキャラクターが「まっててね」と言っているものだ。

 その愛らしさにくすりと笑みをこぼし、了解の意を返信する。

 そして。

 玄関のチャイムが鳴らされると、瑠璃は素早く彼女を出迎えに出た。

 

「いらっしゃいませ、アリス先輩」

「こんにちは。お邪魔します、瑠璃さん」

 

 そう。ノワールの代わりに瑠璃の食事を担当する、と言ってくれたのは、アリシア・ブライトネス。シェアハウスメンバーの一人であり、ノワールから日々料理の手ほどきを受けている少女だった。

 アリスは淡いブルーのブラウスにチェックのスカート、日よけに帽子を被り、大きめの鞄を両手に下げていた。その中には食材やお泊まり道具が入っているのだろう。

 お泊まり。お泊まりである。

 

「先輩。荷物お持ちします」

「大丈夫です。私、こう見えても他の人よりは力持ちなんですよ?」

 

 申し出を断られてしまったので、瑠璃は仕方なくアリスをそのまま家の中へと通した。

 女の子を家に上げるなんてほぼ初めての経験だ。

 正確には妹の友人を代わりに出迎えたり、女子を含む大学の仲間と自室でTRPGをしたこともあるが、まあ、カウントするかどうかは微妙なところだろう。

 

「ご家族はもう出発されたんですか?」

「はい。先輩にくれぐれもよろしく、と言っていました」

 

 瑠璃はアリスより二時間ほど前に来て、家族との挨拶やらを済ませていた。アリスに準備があったのと、わざわざ家族と引き合わなくてもいいだろう、と思ったからだ。

 そもそも、変身後も家族と交流していること自体がイレギュラーである。

 ノワールや教授は客として顔見知りだし、家族とも面識のある千歌はアリスにとっても親しい人物なので、神経質になる必要もないのだが。アリスを家族に何と言って紹介すればいいか悩ましかったのもあってこういう形を取った。

 

「先輩。妹の部屋と和室、どちらがいいですか?」

「一泊させてもらうだけですし、物置きでもなんでも構わないのですが……」

「お客様を物置きに泊められるはずがありません」

 

 とんでもないことを言いだすものだが、アリス曰く「オリジナルのアリシアは納屋に泊まったこともありますし」とのことだった。確かにファンタジー世界ならそういうこともあるだろうが……聖女を納屋に泊めた人物には少々説教をしてやりたい。

 しかし、アリスがオリジナルの昔話をするとは。

 夏休み直前、ラペーシュとの決戦が終わった後、アリスはちょっとした心境の変化があったらしい。オリジナルの自分を完全に受け入れた彼女は以前にも増して『自然体に』なった。

 煌めく金髪も、吸い込まれそうな碧眼も、すべすべの白い肌も変わっていない。むしろ成長によって美しさを増しているのだが、何よりも『聖女らしさ』が上がった。

 配信をしたり、ラノベやマンガを鑑賞したり、きちんと趣味も持っているのだが、一方で自分を取り巻くあらゆるものを慈しみ、楽しむ傾向が強くなった。

 瑠璃は、そんなアリスの姿に見惚れてしまうことも多い。

 しかし、それは仕方のないことだ。

 何故ならアリスは瑠璃にとって特別な女性なのだから。

 

 

 

 変身前の瑠璃は女性に特別な憧れを抱く青年だった。

 性的な意味ではない。ただ、女性が身に着ける可愛らしく美しいデザインの衣装がたまらなく好きだった。成長にするにつれてその感情は大きくなり、やがて変身願望にまで昇華された。

 女装をしていたのも、家を継ぐことに消極的だったのもそのせいだ。

 だから、なのだろうか。家の手伝いで赴いた文化祭。そこで出会ったアリスの姿に心を奪われ、一目で惚れこんでしまったのは。

 惚れたと言っても単なる恋愛感情ではない。

 憧れ。嫉妬。羨望。様々な感情が入り混じった気持ち。今ならその理由がわかる。一介の男子高校生から聖女に変わり、そしてそれを葛藤の末に自ら受け入れたアリスという存在、精神性そのものが瑠璃の心を強く打ったのだと。

 シェアハウスで生活を共にするようになり、ノワールや朱華など他の『変身者』を知ってからも気持ちは変わっていない。それどころか強くなっている。

 同時に、男だった頃はありえないと諦めていた「アリスと特別な関係になりたい」という気持ちも、ある。

 今の関係を壊す恐ろしさや、自分なんかがという想いから、未だ気持ちを伝えられてはいないのだが。

 

 

 

 結局、アリスには妹の部屋を使ってもらうことになった。

 本人からは「女の子なんでしょ? 好きに使ってもらっていいよ」と言われている。四月から大学に入学し一人暮らしを始めたので、どのみち最近は殆ど使われていなかった。

 荷物を置いたアリスはふう、と小さく息を吐くと、瑠璃の方を振り返って言った。

 

「あの、せっかくですし、瑠璃さんの部屋を見せてもらえませんか?」

「え……⁉」

 

 意外な要望だった。

 

「でも、この家にあるのは私の部屋と言いますか、変身前の私の部屋です。あまり面白いものではないと思うのですが……」

 

 女性ものの服やメイク道具などは引っ越す時に持って行ってしまった。今回泊まるにあたって最低限の物は持ち込んでいるが、基本的には単なる男子大学生の部屋である。

 しかし、

 

「駄目ですか……?」

 

 少ししゅんとした表情で言われてしまえば、断固拒否など到底できない。

 

「わ、わかりました。こちらへどうぞ」

 部屋に通すと、アリスは「わあ……」と小さく声を上げた。なんだか妙にむず痒い。久しぶりに男の感覚を思い出した気分だ。

 

「普通の部屋でしょう?」

「そうですね。でも、なんだか瑠璃さんの部屋らしいです」

「そうでしょうか……?」

 

 瑠璃は変身したことを後悔していない。むしろ、男性時代の自分なんて黒歴史くらいに思っているのだが、そう言われると照れくさくなる。

 

「はい。なんだか清潔で格好いい男性っていう感じです」

「そんなことはありません。アリス先輩こそ、昔から格好良かったのでは?」

「私なんて、ただの汗臭い剣道少年でしたよ」

 

 アリスは家族と別れて暮らしているし、男性時代の私物もほぼ持っていない。実の妹とも今は友人として接しているらしく、あまり変身前のイメージが湧かない。

 今の自分が変身前のアリスと出会っていたら、どうだっただろうか。

 恋に落ちる可能性がゼロとは言えない。ただ、あまり想像できないのも事実だった。思わずため息をつく。

 

「どうしました、瑠璃さん?」

「いえ。私は面食いなのだと、あらためて実感しただけです」

 

 アリスの顔を含めて好きなので、姿が変わってしまったらがっかりする。

 すると、アリスは微笑んで、

 

「誰でもそうだと思います。私だって、綺麗な人や格好いい人と話をするとどきどきします」

「例えばラペーシュですか?」

 

 端正な顔立ちをした同居人(仲間とは呼びたくない)を思い出しながら言うと、「瑠璃さんもですよ」と気負いのない表情で返ってくる。

 

「っ」

 

 まずい。熱くなった頬を制御できない。ついでに口元まで緩むのを感じながら、瑠璃は慌てて顔を背けた。

 

「? 瑠璃さん?」

「な、なんでもありません。それより、アリス先輩。お昼ご飯はどうしましょうか?」

 

 話し合いの結果、面倒な仕事に付き合ってくれたお礼も兼ね、最初の食事は奮発して外食することになった。出前ではなく店に行くことになったのは、食器が残ると親にバレるからだ。

 

「鰻なんて豪勢ですね」

 

 このあたりアリスは融通が利く。鰻が食べたいと言えば「仕方ないですね」と笑って了承してくれた。

 

「でも、他のものじゃなくていいんですか? 一月くらい前にも食べましたよね?」

「はい。でも、美味しいお店がありまして」

 

 ノワールは大晦日に年越しそば、正月におせちなど、時節にちなんだ料理も外さない。お陰で土用の丑の日には一般住宅で作ったとは思えない出来栄えのうな丼を食べられたのだが、お陰でうっかり名店の味を思い出してしまった。

 家族で何度か訪れ、大学生になってから千歌とも一度来たことのある日本料理店は実家からそう遠くない距離にある。

 

「これは、女子二人で入ったら目立ちそうなお店ですね……」

 

 しっかりとした店の佇まいを見てアリスが呟く。

 

「そういえば、この姿になってから来るのは初めてでしたね」

「大丈夫ですよね? 怒られたりしませんよね?」

「大丈夫です。客には違いないわけですし、お酒を頼んだりしない限りは怒られたりはしないでしょう」

 

 来たことのある瑠璃が先んじてのれんをくぐり、引き戸を開けると、アリスも恐る恐るといった様子でついてきた。

 

「! いらっしゃいませ」

 

 若干、二人を見て驚いたような雰囲気があったが、店員の反応はいたって丁寧なものだった。店内を見渡し、二人掛けの席に腰を下ろす。アリスの分の椅子を引いてやると「ありがとうございます」と柔らかな笑みが返ってきた。

 

「今日は私が御馳走しますから、お好きなものをどうぞ」

「本当にいいんですか?」

「もちろんです。他の食事はお任せしてしまう形になりますし」

 

 食材だってタダじゃないだろうに、アリスときたら「わざわざ請求するほどの額では」とお金を受け取ってくれない。ならば、こういう形で還元するのがちょうどいい。

 

「では、お言葉に甘えて。その分、夕食は期待してくださいね」

「楽しみにしておきます」

 

 そうすると昼は軽めにした方がいいだろうか。……いや、せっかく精のつく料理を食べに来たのだから、思いっきり行かないと勿体ない。

 

「あの、瑠璃さん。私、白焼きって食べたことがないんですが……どんな感じなんでしょう?」

「すみません、白焼きは私も食べたことが……。せっかくですし、頼んでみましょうか」

 

 他にそれぞれ鰻を注文する。白焼きをシェアするとして、鰻重の方は「梅」にしておいた。松竹梅の違いは主にうなぎの量。梅でもしっかりとした鰻重が出てくる。

 

「いただきます」

 

 箸を手に、いざ鰻重に挑む。ふっくらとした鰻の身、香ばしさとタレのうま味。もちろんご飯も丁寧に炊かれていて、タレを吸った白米だけでも食が進む。

 合間に漬物やお吸い物を挟む事で舌がリセットされてまた美味しく味わえる。

 お吸い物は追加料金で肝吸いに変更することもできたが、うなぎづくしにしてしまうよりむしろこの方が正解かもしれない。

 

「それじゃあ、そろそろ白焼きの方も……」

「そうですね」

 

 白焼きは同じうなぎでも、蒲焼きに比べてだいぶさっぱりとしていた。白いご飯に合わせるなら蒲焼きの方がパワーがあって良いが、例えば炊き込みご飯と一緒に食べるとか、鰻重ではなくう巻きなどを注文するならこちらもかなり魅力的だ。

 

「教授なら白焼きにお酒かもしれませんね」

「ありありと想像できます。……ところで、教授はうなぎと合わせるのもビールなのでしょうか」

「旅行に行った時は日本酒を飲んでいましたね……?」

 

 朱華なら「うな丼が一番コスパいいじゃない」などと言いそうだし、シルビアは白焼きを頼まず鰻重を「松」にしそうだ。仲間たちの話題に華を咲かせているうちに料理は胃袋に消え、二人は満足感を抱きながらゆっくりとお茶を飲んだ。

 

「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」

 

 アリスと二人、お礼を言って店を後にすれば、二人の背中に「またお越しください」と声がかけられた。思わず顔を見合わせ、ほっと胸をなでおろしてしまった。

 

「帰ったらお掃除ですね」

「はい。しっかりと精もつけましたし、さっと片付けてしまいましょう」

 

 店舗と母屋、両方となると範囲は広いが、日頃からちゃんと掃除はされているし、頼まれたのは「大掃除」ではなく単なる掃除だ。瑠璃にとっては慣れた場所だしアリスも掃除は得意としている。

 連携して作業をしていけば、そう苦労することもなく終わった。むしろ、物足りないので細かいところまで手を出してしまったくらいだ。

 

「明日もありますし、このくらいにしておきましょう」

「そうですね」

 

 掃除が終わると……終わると、何をすればいいのだろう?

 

「手持ち無沙汰になってしまいましたね」

「……そうですね」

 

 特にこれといってする事がない。これがシェアハウスの自室ならいくらでも暇が潰せるのだが。

 

「アリス先輩、配信はどうしますか?」

「今日はお休みする予定です。どの道、連続記録は途切れてしまいましたし……。それに、夏休みに毎日配信していると『暇なの?』って言われるもので……」

「時間を作って配信しているのに、酷い話ですね」

 

 テレビでも見ようか? しかし、シェアハウスにはみんなでテレビを見る文化がない。見る習慣がなくなってみると「別に無理して見なくてもいいのでは?」という気持ちが強くなる。

 少し早いがお茶にでもしようか。ああ、それなら。

 

「アリス先輩。せっかくですから専門の道具での和菓子作り、見てみますか?」

「あ、見てみたいです!」

 

 掃除する前にすれば良かったが、まあ、後片付けはさほど苦ではない。

 店舗の作業場に移動して、和菓子作りの道具と一緒にどのようなことをしているのかを説明する。菓子作りにも興味があるアリスはふんふんと楽しそうに聞いてくれた。

 アリスが普段作るのは洋菓子だが、一緒に和菓子作りができたら楽しいかもしれない。

 そもそも瑠璃が店を継ぐのに消極的だったのは「制服が可愛くないから」であり、着物を纏って店に立てるならむしろ喜んで継ぐ。もし、アリスがその隣にいてくれたりしたら、もう最高だろう。

 ……と、そうではなく。

 

「あんこを少量だけ作るのも手間なので、落雁を作りましょうか」

 

 でんぷんを含む粉と砂糖などを用いて作る和菓子。強いて洋菓子で近いものを探すならクッキーだろうか。口に入れるとほろほろと崩れ、素朴な味わいが感じられる。

 型を変えることで色んな形にできるのも魅力だ。

 

「せっかくなので一緒にやりますか、アリス先輩?」

「はい。是非お願いします」

 

 髪を纏め、エプロンを身につけたアリスに作り方を説明しながら、肩を並べて作業する。

 実家でアリスとこんな風に作業できるなんて思いもしなかった。この話を持ってきた両親に感謝しないといけないかもしれない。

 隣にいるアリスはとても楽しそうだ。

 和菓子と金髪聖女。不思議な取り合わせだが、驚くほど絵になっている。きっとアリスが看板娘になれば、店はもっと繁盛するだろう。

 そういうのも悪くないかもしれない。

 やや身が入っていなかった和菓子修行。中学三年生になったことで時間的猶予が三年分以上も増えてしまった。高校卒業後に大学ではなく製菓学校へ入ったり、本格的にどこかの店へと修行に行くことだってできる。

 どこかに女性向けの武術道場を開く、なんていうのも魅力的だし、悩ましいところだ。

 

「できましたね……!」

「はい。いい出来栄えです」

 

 完成した落雁は母屋に運んで、熱い緑茶と一緒にいただくことにした。暑いのでエアコンを入れながらである。どうせ実家だし遠慮してやることもない。

 

「どうですか、アリス先輩?」

 

 手を皿にしながら落雁を口にしたアリスは「ん……!」と小さく声を上げて、

 

「美味しいです。お茶に合いますし、簡単に崩れてしまうところも赴きがありますね」

「気に入っていただけて良かったです」

 

 瑠璃も一つ口に入れ、口に広がる味を楽しみながらお茶を口にする。リビングにのんびりとした時間が流れた。

 ずっとこうしていられたらいいのに。

 不意にそんなことを考えてしまう。アリスは明日の夕方には帰ってしまう予定だ。両親、妹だって明後日には帰ってくるので、もちろんそんなことはありえない。

 シェアハウスだって新しく建設中だし、お互いの進路によっては別々に暮らすことだって考えられる。ずっと一緒にいるにはお互いの道を揃えるしかない。

 

「……いっそのこと、コンセプトカフェでも作ってしまいましょうか」

 

 アリスが「?」と首を傾げて、

 

「ええと、テーマに沿った営業をするカフェのこと──でしたか?」

「はい。メイド喫茶もその一種ですね。テーマ次第で内容も大きく異なるのですが……例えば執事ですとか、忍者ですとか」

 

 中にはキャスト(店員)が全員お嬢様学校の生徒(という設定)なんていうものや、キャストがそれぞれ固有の属性(この場合はツンデレなどの萌え属性のことだ)を持っているカフェなんていうのもある。

 

「あ。もしかして、そういう場所なら私が聖女を名乗っても……?」

「はい。アリス先輩の場合、ネット上で存分に名乗っていらっしゃいますが……。それなら私が剣士を名乗ったり、シルビア先輩が錬金術師を名乗っても問題ないかと」

「それは楽しそうですね……!」

 

 聖女のホーリーパンケーキとか、錬金術師のハーブティーとか、メニューも色々凝ることができる。その中でなら瑠璃が和菓子を作って提供するのも簡単だろう。

 

「開業資金がいくらくらいかかるのか調べてみましょう」

「判断が早いですアリス先輩」

「あはは、冗談です。興味本位で調べるだけですよ」

 

 調べたいのは本当だったらしい。

 せっかくなので(どきどきしながら)肩を寄せてアリスのスマホを覗き込む。ちなみに二人のスマホは色違いのお揃いである。

 結果は、店舗のスタイルなどによってピンキリだが、一千万くらいあれば割と行けそうだった。

 

「……意外と手の届きそうな額ですね」

「落ち着いてください瑠璃さん。中学生があっさり手を出せる額じゃありません」

「アリス先輩、現在の預金残高はおいくらくらいですか?」

 

 アリスが目を逸らした。彼女の場合、現時点で私立の医学部に四年間通えるくらい持っていてもおかしくない。というか、おそらく普通にそれ以上は持っている。

 いや、特殊すぎる例ではあるが。とはいえシルビアもその気になれば病院を買えるくらい稼げるはずだし、仲間たちでカフェをやるとなったら初期費用は全く問題にならなさそうだ。

 

「むしろ、私はもう少し稼がないとまずいのでは……?」

「女の子が服を欲しがるのは当然の欲求ですし、あまり我慢するのも良くないんじゃないでしょうか」

 

 ちなみにアリス自身は買いすぎて着ない服が出るのは嫌、というタイプである。彼女に言われると少し負けた気分になるが、同時に、所有欲を満たすことを否定しない態度に救われる。

 

「いっそコスプレで稼いでしまいましょうか」

「趣味と実益を兼ねるんですね。でも、儲かるんでしょうか?」

「大学時代の先輩が『脱げば儲かる』って言ってました」

「それは……。声優のお友達から私も聞いた気がします」

 

 おそらく、というか間違いなく同一人物である。

 

「駄目ですよ、瑠璃さん。大学に入るまでえっちなのは禁止ですからね?」

「前から思っていたんですが、十六歳から結婚できるのにアダルト関連は十八禁、って不思議ですよね」

「朱華さんも似たようなことを言っていた気がしますが、無事に十八歳からになったじゃないですか」

「朱華先輩は本当、欲望に忠実ですね……」

 

 この際、自分の事は棚上げした。

 

 

 

 

 

 なんだかんだ、他愛ない話をしているうちに時間は過ぎ──外が暗くなり始めたのを見たアリスは「それじゃあ、夕飯の支度を始めますね」と席を立った。

 

「お手伝いすることはありますか?」

「大丈夫です。二人分くらいなら大変でもありませんし、瑠璃さんはのんびりしていてください」

「わかりました。では、お言葉に甘えます」

 

 アリスはにこりと笑ってキッチンへと移動していく。長い髪をポニーテールにし、前髪をカチューシャでまとめたエプロン姿の彼女はとても可愛らしく、思わず目で追ってしまう。

 憧れの人が自分のために料理を作ってくれる。

 男時代に経験したかったような、今だからこそこうして味わえる幸せのような。そのまましばらくアリスの料理する姿を眺めてから、瑠璃はゆっくりと席を立った。

 

「アリス先輩。私、お風呂の準備してきますね」

「はい」

 

 手早く浴槽を洗い、タイマーをセット。食後に湯がいっぱいになるように調整しておく。

 夕食までの時間は夏休みの宿題を消化して過ごした。一度高校を出ているので内容自体は難しくないが、単純に量がそこそこあるので終わらせるには時間がかかる。

 夕食はどんなメニューだろう。

 いい匂いが漂ってくるのでとても気になる。ただ、先に知ってしまうとつまらない気もするので、敢えて調理内容は覗かないようにした。

 

「できました」

 

 アリスがそう言って皿を運んできたのは、ちょうどお腹が良い具合に空いた頃だった。わくわくしながらテーブルを片付け、彼女を迎える。

 

「これは……!」

 

 メインの料理は鶏の唐揚げだった。

 ただし、ただの唐揚げではない。こんもりと盛られた皿の横にはいくつかのソースが並べられる。タルタルソースに油淋鶏風のネギ醤油ダレ、おろしポン酢に、かけるとフライドチキン風になる特性パウダー。

 

「瑠璃さんは洋食の方が好きでしょう? でも、ノワールさんも洋の料理が一番得意ですし、そればかりだと飽きてしまうと思ったので……どうせならと色々な味を用意してみました」

 

 女子らしく、こんもり盛られた野菜サラダも用意されている。こちらは玉ねぎベースのさっぱりとしたドレッシングのようだ。更にわかめのたっぷり入った塩ベースのスープや、家の冷蔵庫にあったらしい漬物に冷奴なども用意されている。

 これは。

 

「アリス先輩。白いご飯は、あるんでしょうか?」

「もちろん、たっぷり用意してあります」

 

 こんなものを出されてしまったら我慢できるわけがない。気を抜くとお腹が鳴ってしまいそうなのを感じながら、瑠璃は「ありがとうございます」と笑顔を作った。

 

「いただきます」

 

 ノワールの薫陶を受け、料理人志望だという親友の影響も受けているアリスの料理はとても美味しかった。

 瑠璃は洋風の料理に憧れがあるが、胃袋自体は和風を好むように調教されている。鶏の唐揚げで食が進まないわけがない。しかも、今回はソースによって和洋中と味に変化がつけられる。

 白米が止まらない。

 

「油淋鶏風のタレを冷奴にかけても美味しいんじゃないかと」

「でしたらラー油も持って来ましょう。麻婆風になるはずです」

「あ、いいですね……!」

 

 二人では到底食べきれないと思えるような量が用意されていたが、気づけばかなりの量を平らげてしまった。さすがに残ったが、それは明日に回せばいい。

 

「コッペパンを用意してあるので、軽くトーストしたパンに唐揚げや野菜を挟んでサンドイッチにしましょうか。それにスクランブルエッグとコーンポタージュをつけます」

「アリス先輩。最高です」

 

 アリスは「褒め過ぎです」と照れ笑いを浮かべたが、瑠璃としては全くの本心だった。こんな女性が嫁に来てくれたらもう、死んでも悔いはないだろう。

 いや、死んだら新婚生活を味わえないのだが。

 

「……ふう。ですが、食べ過ぎたので少し休みたい気分です」

「お茶を入れますから、休んだら二人でお風呂に入りましょうか」

 

 お風呂。

 好きな人と一緒なんて、普段なら大慌てするところだ。しかし今日はずっと二人きりだった。お腹がいっぱいになった幸福感も手伝ってか、瑠璃は素直に「はい」と返事をしていた。

 

「アリス先輩。少しずつ胸、大きくなってますよね?」

「やっぱり、わかりますか? 昔買ったブラがだんだん着けられなくなってきたので、少しずつ買い替えているんです。身長も少し伸びてきているみたいで」

「大人っぽくなったアリス先輩も楽しみです」

 

 脱衣所で服を脱ぎながらこぼすと、アリスは微笑んで、

 

「大きくなっても、瑠璃さんのスタイルには負けてしまいそうですね」

「そんなこと……」

 

 瑠璃の胸はそれほど大きくない。他のシェアハウスの住人よりは基本小さめだ。スレンダーという意味で言えばスタイルは良いし、一般女子と比べた場合は決して小さすぎるわけではないが。

 西洋人種であるアリスならば十分、バストサイズで瑠璃を上回る可能性はあるだろう。身長が大きく伸びなかった場合、男性を大きく惹きつける容姿にだってなるかもしれない。

 別に男にモテる気はないので構わないが、

 

「アリス先輩。しつこくナンパしてくる輩がいたら遠慮なく言ってくださいね。私が適度に成敗します」

「ふふっ。瑠璃さんは頼もしいですね。ありがとうございます。その時はお願いしますね」

 

 おそらく、そうそうそんな場面は巡って来ないだろう。

 並の輩ならアリスの能力でも対処できてしまうし、彼女には沈静化魔法もある。

 それでも、もし彼女に乞われたら快く引き受けようと思う。

 アリスの白い肌。一糸まとわぬ姿も、今日はどきどきこそすれ、必要以上に興奮してしまうことは不思議となかった。彼女のどこか神秘的な雰囲気のせいだろうか。

 むしろ、彼女を守りたいという気持ちを強く感じる。

 

「そうだ。瑠璃さん、良かったら今日は一緒に寝ませんか?」

「ええ……⁉」

 

 と、思ったら、アリスの一言で胸が大きく跳ねた。

 

「で、でも、妹のベッドに二人は厳しいのでは……?」

「和室に布団を敷いて寝るのも修学旅行みたいで楽しいかな、と思ったのですが、駄目ですか……?」

 

 駄目、などと言えるわけがなかった。

 というか素直に言えば瑠璃だってそうしたい。

 是非、と言ってしまいそうになる自分を必死に抑え、最後の防衛ラインを作る。

 

「布団が一組しかなかったら、だいぶ狭いことになりますが……」

「もちろん、私は気にしません」

 

 残念ながら布団は二組あった。

 どうせならもっとお泊まりムードを味わおうということで、寝る前にノートPCで映画を見た。

 

「私たちの故郷って、教授のアニメ映画以外は映像作品がないんですよね」

「ノワールさんのマンガがアニメになれば一つ増えますね」

 

 ちょっとしたお菓子をつまみつつ、だらだらと鑑賞する時間が妙に楽しかった。普段ならこんな不摂生はしないのだが、今日は特別だ。

 結局二本を続けてみて、軽く感想を語りあってから布団に入った。

 隣にアリスがいる。

 お互いに寝間着を纏っただけの無防備な姿。静かな家の中にいると、まるで世界に二人きりになったかのようだ。

 

「おやすみなさい、アリス先輩」

「おやすみなさい、瑠璃さん」

 

 横になったまま見つめ合って挨拶を交わす。ホテルの同じ部屋で眠った時よりも近い距離に胸がときめく。

 目を閉じてもなお、アリスを感じる。

 あまりにも幸せすぎて瑠璃はなかなか寝付けなかった。薄く目を開いて、隣にいるアリスを見つめる。暗闇に目が慣れてくると、目を閉じて規則正しい呼吸をする少女の顔が見えた。

 もう寝てしまっただろうか。

 起こしてしまうと申し訳ないが、眠っている彼女になら──少し、大胆な事を言っても大丈夫かもしれない。

 鼓動が余計に早くなるのを感じながら、瑠璃は恐る恐る口を開いた。

 

「アリス先輩。あなたさえ良ければ、どうか、私と──」

 

 室内に少女の声が静かに響き、そして、アリシア・ブライトネスがゆっくりと瞳を開いた。

 紡がれた答えは、イエス、だった。

 その日の出来事は、瑠璃にとって一生忘れられない大事な思い出になった。




最後の瑠璃の台詞が

・「私と人生を共にしていただけませんか?」 →瑠璃ルート突入
・「私と、これからも仲良くしてくれますか?」→瑠璃ルート突入ならず


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【瑠璃エンド】聖女、店長になる

 朝の陽光に、ステンドグラスの窓がきらきらと輝く。

 目にも鮮やかなステンドグラスは現代的な技術で強化を施されていて、見た目よりずっと丈夫にできている。重厚な質感のある壁や白く滑らかな床も同じように御影石風・大理石風の現代素材──と見せかけて、こっちは本物の石を使っている。

 畳数に直すと十二畳ほどになる長方形の空間は、過去のどの宗教様式とも似ているようで違う、独特の様式で作られている。

 奥に設置した祭壇も、しつらえられた四本の柱も、こだわりの装飾が施された立派なものだ。

 

 そんな空間で、私は清らかな衣を纏い、ゆっくりと舞う。

 

 しゃらん、と。

 舞いに従い、手にした錫杖が音を響かせる。十分な長さのあるそれは取り回しに不便であるものの、正式の錫杖舞いはその長さを考慮に入れた振りつけになっている。

 というか、力において劣りがちな巫女に最低限の戦う力を持たせるため、舞い自体に杖術の基礎が盛り込まれていたりする。

 舞い始めた頃はブランクもあって若干ぎこちなかったけれど、今はもう、すっかり動作が染みついている。これならば聖女の名に恥じることはないだろう、と思う一方、まだまだ研鑽を続けなければ、という想いも強い。

 修行というのは一生終わらないものなのだ。

 この舞いを真に見せるべき相手は人ではなく神。女神様が満足してくださっているかどうかは、死して御許に送られるまでわからない。

 考えると少し恐ろしくもなるものの。

 舞っていると、余計なあれこれを全て忘れて気持ちをすっきりとさせることができる。神への敬意、感謝、愛で心を満たし、清浄な音を響かせる時間が私はたまらなく好きだった。至福の喜びだと言っていい。

 

 だから、ついつい時間を忘れて長く続けてしまい。

 

 小さな神殿の外──とあるビルの屋上にある庭園から、刀が空を斬る音が規則正しく響いているのに、私は遅れて気づくことになった。

 錫杖を消して外へ出ると、そこでは、一人の女性が美麗な舞いを披露していた。

 腰ほどまである長い黒髪は動きの邪魔にならないように結われ、均整の取れた長身は下着の上から白い薄手の着物を纏っているだけ。深い漆黒の双眸は真っすぐに前を向き、ただ刀の動きだけを正確に捉えている。彼女の動作には微塵の淀みも歪みも存在しない。

 剣舞。

 神に捧げる祈りの舞いとはまた異なる、けれど、どこか似通った部分のある『それ』に、私はしばし黙って見惚れる。

 いつまでも続きそうだし、いつまででも見ていられそうだ。

 これを誰も見ていないなんて勿体ない。公開したらきっといいお金になるだろう、などと俗なことを考えていると、不意に黒髪の女性がこちら──正確には神殿の入り口へと視線を向け、そこに立っている私と目が合った。

 

 ゆっくり、余韻を残しながら舞いが止まる。

 

「おはようございます、アリスさん」

 

 高校、大学を経て非のうちどころのない和風美女へと成長した早月(はやつき)瑠璃(るり)が、柔らかな笑みを浮かべてこちらへと歩いてくる。

 

「また朝早くから舞っていらしたのですね。……目覚めたら隣に誰もいないのは、結構寂しいものなのですよ?」

 

 若干、恨みがましい台詞と視線に私はうっと言葉に詰まる。

 

「ごめんなさい。習慣になっているというか……気持ちのいい朝だな、と思ったらつい舞いたくなってしまって」

 

 朝早いので起こすのも申し訳ないし。

 同じベッドに眠っている彼女を起こさないように抜け出すのも結構大変だったりする。

 いや、じゃあそもそも起きるなよという話だし、お婆ちゃんじゃないんだから……とかツッコミを入れられたら泣きたくなってしまうけれど。

 

「瑠璃だって、逆の立場ならそうするでしょう?」

「それは、まあ、そうですけれど」

 

 軽く頬を膨らませた彼女はこちらを可愛らしく睨んでくる。

 

「もう。アリスさんはずるいです」

「こんな私に付き合ってくれて本当にありがとう。……ところで、今、何時?」

「もう」

 

 これだから、と、ため息をついた瑠璃は答えを口にしようとして、「あ」とばかりに一瞬停止。誤魔化すように微笑むと、腕に装着したスマートウォッチへと目を落とした。

 彼女も舞いに熱中していて時間を忘れていたらしい。

 結局、私と彼女は似た者同士なのである。

 

 

 

 

 私たちが現在時刻を確認したところで、「そろそろいいかな?」とばかりに、屋上庭園で放し飼いになっている動物たちが挨拶に来てくれた。

 

「おはようございます、ブラン。みんなも、変わりないですか?」

 

 うさぎに猫、小型犬にリス、その他たくさん。

 初代シェアハウス時代から付き合いになる白いうさぎのブランはその中でも最年長。さすがにそろそろ無理がきかなくなってきているみたいだけれど、まだ元気は失っていない。私や仲間たちを見ると駆け寄ってきて挨拶してくれるのが可愛くて仕方ない。

 このビルの屋上は奥まった場所に私の神殿、中央にちょっとした広場(瑠璃の練習場を兼ねている)があり、その周りは緑がいっぱいの空間になっている。動物たちの憩いの空間であると同時に、野菜やハーブが生育する菜園・植物園でもある。

 ここにいる動物たちはみんな話せばわかってくれる優しい子たちなので、食べていい植物と食べてはいけない植物はちゃんと区別してくれる。むしろ、野鳥などがやってきて荒そうとするのを阻止してくれたりもしている。

 動物たちの飼い主、というかリーダーである魔物使いのアッシェとしてはもっと種類を増やしたい、特に鳥系を仲間に入れたいらしいのだが、さすがに翼のある子たちはどこかに飛んで行ってしまうと困るので今のところは断念している。

 本当にアッシェが話せば動物たちはわかってくれるのだが、屋上に鳥が放し飼いというだけでも昨今は苦情があったりするのである。

 

 ブランたちに挨拶した後は部屋に戻る。

 このビルは私が大学四年生の時にみんなで建てたものだ。お金はみんなで出しあったものの、名義人は一番多くお金を出したのもあって私になっている。

 全七階建てで、屋上は既に言った通りの状態。

 二階から六階までは『変身者』の仲間が自宅だったりオフィスだったり研究室だったりに使っていて、神殿に近い七階は私と瑠璃が共同で使っている。

 ルームシェア、というかまあ、その、同棲だ。

 

『アリス先輩。……私と、人生を共にしていただけませんか?』

 

 高校一年生の夏休み、私は瑠璃から告白された。

 二人きりで一日過ごして、一緒にお風呂に入って、隣同士の布団に横になって。予感が全くなかったと言えば嘘になってしまう。

 だから、私は独り言のような瑠璃の呟きを聞き逃さなかったし、思いのほか素直に、その言葉に答えることができていた。

 

『はい。私で良ければ、喜んで』

 

 それから、私と瑠璃の関係は「先輩後輩」から「恋人同士」に変わった。

 驚かれたかというと、ちゃんと反応してくれたのは学校関係の友達ばかりだった。シェアハウスの仲間たちは「知ってた」と言わんばかりの反応。

 朱華などはあっけらかんと「瑠璃ってば、やっと告白したんだ?」と言い放ったし、ラペーシュは「あの子は絶対ヘタレると思ったのに」と変な悔しがり方をしていた。

 敬語を止めたのは付き合いだしてしばらくしてからだ。自分にだけは素でいて欲しい、と言われて「いや、素なんだけど……」と思いつつ、数か月どころか年単位の練習を経てようやく自然に喋れるようになった。

 瑠璃が「私は後輩なので」と未だに敬語なのは若干納得いかない。まあ、私が大学に入ったところで直接の先輩後輩じゃなくなり、呼び方が「アリス先輩」から「アリスさん」になったので一応よしとしている。

 以前から下の名前で呼んでいたため、こういうところは少し特別感がなくて寂しい気もする。

 けれど、もちろん後悔はしていない。

 

「朝ご飯、すぐ支度しますね」

「手伝おうか?」

「大丈夫ですから、アリスさんはシャワーを浴びてきてください」

 

 食事の支度は交代制だ。

 一緒にシャワーを浴びよう、なんてやっていると無駄に時間がかかってしまうので、ここは素直に甘える。二人とも髪が長いのもあって、一人で入っても結構時間がかかるのだ。

 時間は有効に使わないといけない。

 

「……やっぱり、瑠璃さんの身長には勝てませんでしたね」

 

 脱衣所の鏡に映る自分を見て、しみじみと呟く。

 私も昔に比べればぐんと成長し、友人たちから「小っちゃい」と言われることは少なくなった。

 体型の方はむしろ「ずるい」と羨ましがられるくらいに女性らしくなり、私にパートナーがいることを知らない男性からアプローチを受けることもある。

 異性に全く興味がないかというと、そんなこともない。

 女子になって八年も経つと、主観的には人生の半分くらいが女子としての生活だ。身体の変化に戸惑っていた頃とは違う。とはいえ、最愛の女性がいる以上、女神様の教えがなくとも浮気なんてする気はない。

 

(自然を尊ぶ我が神は一夫多妻制やその逆にも寛容で、国の制度によって対応を変える柔軟性を持っていたりもするのだが……閑話休題)

 

 大人っぽくなってからは身体の成長が遅くなった気がする。

 衰えた後の姿が原作で描かれていない影響なのだろうか。案外、美魔女のまま老衰できたりするかもしれない。そのくせ現代的な食生活で長生きはできてしまったりすると、少し都合が良すぎる気もするが。

 綺麗な姿で長くいられるのは正直有難い。

 シャワーを終えた私は髪を乾かすのに悪戦苦闘した後、さっぱりとした私服に身を包んでリビングへ戻った。女同士なのであまり気を遣う必要もないのだが、恋人にだらしない姿を見せるのも若干プライドが許さない。そういうところ、瑠璃もそつなくこなすタイプなので猶更だ。

 食卓に並んでいたのは白いご飯に味噌汁、玉子焼き、にんじんとこんにゃくの煮物にいんげんのごま和え、後は漬物という純和風のメニューだった。

 

「いい匂い」

 

 やはり和食では瑠璃に敵いそうもない。

 昔は下手だったはずなのに、習い始めたと思ったらあっさり私より上手くなっていた。さすが武家の姫。生まれ持ったセンスの問題なのだろうか。

 ずるい、と冗談めかして言うと「私は和食以外作れませんから」と言われるのだが。

 

「お味噌汁の匂いで落ち着くあたり、やっぱり日本人の心は忘れられないなあ」

「アリスさんの容姿で言われると、物凄く違和感があるのですが」

 

 瑠璃の苦笑も、もはやいつものことだ。

 朝食は和やかに、それでいててきぱきと食べることが多い。早朝から起きたアドバンテージを舞いに費やした結果、時間が足りなくなることが多いというのが一つ。お互い、食事の際にはテレビを見ないというのが染みついているのが一つ。

 落ち着く味を堪能しつつしっかりと平らげた後は、瑠璃にシャワーを浴びてもらって洗い物を済ませる。ビルのワンフロア分をまるまる使った我が家は広く、キッチンもこだわり(とノワールからの詳細すぎるアドバイス)によって多機能かつ使いやすいものになっている。

 基本は洋室であるものの、広めの和室も完備。たまには気分を変えたいと瑠璃にせがまれ、布団を敷いて寝ることもある。

 ふかふかのソファなんかも用意してあるし、できるならもっとのんびりしていたいくらいなのだけれど、そうも言っていられない。

 

「瑠璃。先に『店』に行ってるね」

「はい。私もすぐに追いつきますので」

 

 私たちにはやることがあった。

 浴室にいる瑠璃に「ゆっくりでいいよ」と呼びかけてから、エレベーターで一階へ。

 すると、床を這っていた不定形の生き物がふにょんと女の子の形になって、

 

「おはよー、アリス」

「おはようございます、スララさん」

 

 一階には()()()()()がある。

 きっかけは、瑠璃がかつて語った将来の展望。私たち変身者がありのままで振る舞えるコンセプトカフェが、実際に形になったものだ。

 スララはこの店を寝床にし、警備員と掃除係と生ごみ処理係を兼ねるという大活躍をしてくれている。お陰では店はいつもぴかぴかかつ清潔。私たちはスムーズに開店準備へと取りかかれる。

 うちの店はフードメニューも充実しているのが売り。

 お客様に美味しい料理を届けるため調理は個々の専門家に任せるけれど、下拵えは私でもできる。私の担当料理は素朴な料理やお菓子が多いので、こういうところで少しでも貢献しておかなければ。

 せっせと手を動かしていると、黒髪を束ねエプロンを付けた瑠璃が加わった。

 午前中シフトに入っているスタッフももう少ししたら来るはず。

 

 あれから変身者も増え、邪気祓いはより安定するようになった。

 

 未だ世界中の邪気を祓いきれてはいないものの、世界もだいぶ平和になっている。

 私たちの店は後進たちに平和なバイト先を提供する役にも立っている。あと、たまに初代規模な邪気祓いに参加したり、

 お店の経営方針について過去のデータを眺めつつ頭を悩ませたり。

 

「そろそろ来月のコスプレイベント、何をするか決めないといけないんじゃない?」

「そうですね。それから、アリスさんの店内ライブの日程も」

 

 しまった、それもあったか。

 思考を整理するためにも予定を呟けば、瑠璃から私担当の「考えること」を思い出させられてしまう。

 アバターでの配信から顔出し配信をして、コスプレイベントに出るようになって。気づいたら店でアイドルのようにライブをするようになっていた。

 正直恥ずかしさもあるのだけれど、お客様が喜んでくれるし、何より楽しいので止められない。

 日々接客をして、イベントをして、ライブをやってと励んでいると、時が経つのもあっという間だ。ついつい、それ以外のことを忘れてしまいそうになるくらいに。

 

 私はふう、と息を吐いて、瑠璃の顔を見上げた。

 

「結婚式も、いつにしよっか」

 

 法改正により、今の日本では同性婚も認められている。

 私たちの場合は問題なく子供も作れる。表向きは人工授精などと言って誤魔化すことになるだろうけれど、実際は紛れもない愛する人との子が産める。

 私の大学卒業と同時にこの店を始めて、瑠璃が卒業してからも忙しかったので、ついつい後回しになってしまっている。ついでにどっちが子供を産むかでも揉めていたりするのだけれど。

 一番の問題は、

 

「……い、今は忙しいですし、もう少し後でもいいのではないでしょうか」

 

 ぴくり、と、怖がるように反応する彼女。

 付き合い始めて何年も経っている。もちろん、恋人らしいこともたくさんしてきたし、同棲だってしているのだから今更恥ずかしがらなくてもいいと思うのだけれど。

 肝心なところで駄目になるこの子が覚悟を決めてくれないことには始まらない。

 

 それに、焦る必要は確かにない。

 

 私たちにはまだまだ時間があるのだ。

 私はくすりと笑い、瑠璃にこくんと頷きを返すと、軽く背伸びをした。

 そうして彼女の耳に囁くように、

 

「じゃあ、いいタイミングまで、待ってるね」

 

 永遠の誓いに代えた言葉を投げかけたのだった。




その、エンディング、書こうとしてみたら意外と難しいんですが……(今更


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【ラペーシュエンド】聖女、偶像になる

 周囲を歓声が埋め尽くしている。

 とあるドームのステージ上に立った私は、装着した小型マイクに向けて声を上げる。

 

「みなさん、今日はお集りいただきありがとうございます」

 

 身に纏っているのは白を基調とするステージ衣装。

 衣装の袖には「しゃらしゃら」と音の鳴る仕掛けが施されており、儀礼的な装束としてもある程度の役割を果たす。ローヒールのブーツはタップシューズに似た造りで、靴音が響きやすくなっている。

 首にかけた聖印はチェーンを短めの物にチェンジし、踊っている最中に揺れるように。

 ウィッグは着けず、長い金髪をアクセサリーで飾り、顔にはナチュラルメイク。

 必要以上に媚びることはせず、心から生まれる自然の笑顔を観客へと向ける。

 

「待たせたわね、下僕ども。熱狂する覚悟はいいかしら?」

 

 並んで立つのは、桃色の髪をした少女だ。

 私とは対照的な黒ベースのドレス。肩の露出する煽情的なデザインながら、下へ向かうにつれて大きく広がり、ボリューム感を演出している。

 漆黒のロンググローブとガーターベルトが彼女の妖艶な魅力を十二分に引き出すと同時、常人には手が届かない、手を伸ばしてはいけないものだということを強くアピール。

 靴は私と違ってハイヒールだが、そんなことで彼女の動きは妨げられない。

 

 アリシア・ブライトネスとラペーシュ・デモンズロード。

 

 対照的な私たちのパフォーマンスに、観客は更なる歓声で返してくる。

 私たちはちらりと視線をかわし、小さく頷き合うと、みんなに答えて。

 

「どうか、今日は心ゆくまで楽しんでいってください」

「いい夢を見せてあげる。興奮しすぎて倒れても、責任は持てないから」

 

 流れだした音楽に合わせて、私たちは唇から歌を紡いだ。

 

 

 

 

 

「お疲れさまでした、ラペーシュ様」

「アリシア様。とても感動的なステージでした」

 

 約三時間後。

 ライブを終えた私たちは会場である某ドームの控え室に戻ってきた。

 すかさず声をかけてきたのはスタッフたち。会場のスタッフではなく、()()()()()()()が擁するメンバーだ。

 誰が誰をメインの担当にしているかは腕章やチョーカーの色などで区別できるようになっていて、当然、黒がラペーシュ、白が私を表している。

 ちなみに、事務所のスタッフはほぼ全員が女性だ。

 

「ありがとうございます。大事なく進行できて何よりでした」

「あら。そんなこと当然じゃない。問題なくステージを進行すること、そして、不測の事態が起きてもなんとかするのがこの子たちの仕事だもの」

「もう。また、そういうことばかり言うんですから」

 

 二、三人がかりで衣装を脱がせてもらいながら、私はラペーシュを軽く睨んだ。

 

「私たち二人だけではこんなステージ、絶対できないんですから。ちゃんとみなさんに感謝しなければ」

 

 けれど、ラペーシュは意に介した様子もなく笑って、

 

「いいのよ。この子たちは私の下僕なんだもの。ね?」

「「はい、ラペーシュ様」」

 

 ラペーシュを信奉するスタッフたちが声を揃えて答える。

 いや、その、なんというか凄い結束力である。朱華あたりなら「全員調教済み」となんの遠慮もなく評するだろう。

 実際、その表現はそう外れてもいない。

 うちの事務所は発案から出資、中核メンバーの人選までをラペーシュが行っている。社長は別の人間が務めているものの、彼女にもしっかりラペーシュの息がかかっており……やろうと思えばどこまでも好き放題できる体制が整っている。

 私は思わず遠い目になって、

 

「やっぱり、これはやりすぎだったと思うんですが」

 

 いったい、私たちのために何人が動いているのか。

 計算しようとしたら途方もない数字になりかけたので断念していると、

 

「アリスったら。……もしかして、妬いてるのかしら?」

 

 下着姿になったラペーシュが歩み寄ってきて、私の頬に手を伸ばしてくる。

 細く白く、柔らかな指先。

 あの頃から、その感触は全く変わっていない。

 熱っぽく私を見つめてくる瞳の色も。

 

「安心しなさい。私はこれまでも、これからも、あなたを一番に思っているわ」

「……そうですね」

 

 私は微笑み、目を細めて、ラペーシュの手に自分の手を重ねた。

 

「知っています。……そして、そうありたいと願っています。これからも」

 

 

 

 

 

 私たちの関係が大きな転機を迎えたのは、高校一年生の文化祭だった。

 一学期の終わり、夏休み直前に鴨間(おうま)小桃(こもも)を捨て、ラペーシュ・デモンズロードとしての素の自分を表に出したラペーシュは、二学期が始まるとすぐにクラス、学校に馴染んだ。

 

『おはよう、鴨間さ……あれ? えーっと?』

『どうしたの? もしかして、夏休みの間に私の名前、忘れてしまったのかしら?』

『あ、ううん。ごめんね、ラペーシュさん。私、変なこと言ったよね?』

 

 当初こそ小さな違和感を覚える者がいたものの、それもすぐに収まり、元からクラスの人気者だったこともあって、私とセットで注目の的になった。

 見た目的には小桃よりもずっとうさん臭くなったと思うのだけれど、不思議なことに鈴香(すずか)などはむしろ、前よりも好意的になった。

 

『ラペーシュ。アリスとの結婚式には必ず呼んでね?』

『もちろん。きちんと祝ってくれるなら大歓迎よ』

 

 ラペーシュが以前よりも大々的に私への好意をアピールしだしたのも原因かもしれない。

 過去がないせいでどこか信頼しきれない雰囲気のあった少女が「女の子が大好きな我が儘お嬢様(?)」になったわけで。裏表がなくなって付き合いやすくなったのはあるだろう。

 その気のない子を強引に口説いたりはさすがのラペーシュもしないので、みんなとも普通に付き合える。

 一方、告白してくるような子には誠実に答えていた。

 

『知っていると思うけれど、私はアリスのことを愛しているの。それでもよければ、可愛がってあげてもいいけれど』

 

 いや、うん、これで男だったら一発ひっぱたいた方がいいというか、美少女でも若干許されないんじゃないか、という気はしないでもないけれど、なんの嘘も隠し立てもしないという意味では格好いいし、誠実だった。

 それでもいい、と答えた子も中にはいたみたいで──そんな子たちとどんなことを話してどんなことをしたのかは詳しく知らない。知っても仕方のないことだったし、想像しただけで胸がざわざわして落ち着かなくなるので意識しないようにしていたのだ。

 多分、嫉妬だったのだろう。

 

『結局、ラペーシュさんは平和に暮らせない人なんですね』

 

 拗ねて、妬いて。私は一時的にラペーシュを遠ざけた。

 喧嘩というにはあまりに一方的な確執。

 それを打ち破ったのは、文化祭のミスコンであっさりと一位をもぎ取ったラペーシュが、大勢の生徒の前で放った告白だった。

 

『アリシア・ブライトネス。私はあなたを愛している。私の人生をあげるから、あなたの人生を私に頂戴』

 

 好きだとか、愛してるとか、既に数えきれないくらい言われていた。

 けれど、まさかあんな大勢の前で堂々と告白するとは思わなかった。

 しかもミスコンの席だ。普通に流しておけば後で女の子からの告白が山ほどきただろうに、そういうのを全部放棄して、私に告白してくれた。

 気が付いたら、こみ上げる涙を堪えきれなくなっていた。

 客席にいた私にも注目が集まり、人込みが割れて道ができた。

 

『返事をもらえるかしら、アリス?』

 

 そう言ってマイクを差し出してきた彼女に、私は「はい」と答えた。

 

『……浮気しないでくれるなら、喜んで』

『……それについてはじっくりと話し合いましょうか』

 

 正妻(それ)正妻(それ)愛人(これ)愛人(これ)、というスタンスは譲れないらしい。

 若干動揺しつつもきっぱりと返してくる彼女を見て、ついつい、くすりと笑ってしまった。

 

『もう、しょうがないですね』

 

 話し合いを重ねた結果、どちらがどのように折れたのかは、今の私たちを見ればわかると思う。

 晴れて恋人同士になった以上、ラペーシュは恋人らしいことをどんどん求めてきた。その分だけ恋人扱いもしてくれるので、私もついつい流されてしまうことが多くて……。

 まあ、その、なんというか、せめて広くて個室があって防音も利いている二代目シェアハウスに移るまで()()()()()は避けて欲しかったのだけれど、ラペーシュは「聞きたい人間には聞かせればいいじゃない」とお構いなしだった。

 翌朝とか、私がどれだけ恥ずかしかったか少し考えてみて欲しい。

 朱華とかシルビアとかアッシェは妙にニヤニヤしてくるし、教授は気を遣いすぎて挙動不審になるし、瑠璃なんかラペーシュと刺し違えるんじゃないかっていうくらいの過剰反応を見せるし──ノワールなんか「おめでとうございます」と言ってくれた上で「よろしければ、とっておきの技術をお教えしましょうか?」である。

 うん、正直ノワールの反応がトドメだった気がする。

 

 それでも別れずに今日まで来てしまったのはもう「惚れた弱み」としか言いようがない。

 超をつけてもいいレベルの美少女が何度断られてもめげずに告白してくれて、しかも付き合いだしてからも欠かさず愛を囁いてくれるのだ。いったん好意を自覚してしまったらもう駄目だった。欠点でさえ「そういうところも可愛いんですよね」と見えてしまって、大抵のことは笑って許せてしまう。

 刺し違えてでも魔王を倒そうとした私が、あれとは別人とはいえ魔王と愛を育むことになるなんて、人生何があるかわからないものである。

 

 と、話が長くなってしまったが……どうして私たちがアイドルとしてライブをすることになったかというと、私の大学進学が決まって間もなく、ラペーシュが言い放った一言のせいだった。

 

『私がアリスを本物の偶像にしてあげる』

 

 配信をしたり、同人誌即売会でコスプレをしたり、千歌さんなんかと共同で音声作品を作ったり、例のSRPGがOVAになるにあたって主人公の声優を担当することになったり、細々と(?)活動をしていた私だったが、それまでは特に事務所所属もしていなければ明確なアイドルというわけでもない存在だった。

 それがラペーシュには許せなかったらしい。

 

『私のアリスが一番だってこと、愚民どもに教えてあげましょう。……あ、まあ、正確には私と同率一位なのだけれど』

 

 それまでに稼いだ資金と人脈をぱーっと使い、芸能事務所を新規で設立。

 変身者もどんどん増え、そろそろ隠匿も限界だったのをいいことに政府に情報公開を促し、私や自分自身の素性や能力を世間へ周知。

 そして、芸能活動を主軸とする私たちの()()()()が始まった。

 

 ラペーシュはファンを『下僕』と称して。私はファンを『信仰への賛同者』として。ライブその他の活動を通してどんどん増やしていった。

 正直、ドームを満員にできるとは思っていなかったのだけれど。

 男性ファンなど本気で眼中になく「別に応援してくれる分にはいいけど、私の視界に入らないでくれるかしら? 目ざわりだから」と平然と言ってのけるラペーシュの態度が受けたのか、はたまた異世界の宗教を楽しそうに語る一見電波系の私が特定層にヒットしたのか、私たちのユニットは大ヒット。

 自ら志願してラペーシュの下僕や私(というか女神様)の信者になりたがる人もかなりの数登場し、私たちのユニット以外運用するつもりのなかった事務所は複数の姉妹グループ、子グループを抱えるまでに。

 

 こうして、ラペーシュはこの世界でも『魔王』に、私は『偶像』あるいは『聖女』になった。

 

 

 

 

「あらためてお疲れ様、アリス」

「ラペーシュさんこそ。少し頑張りすぎたんじゃないですか?」

 

 大学を卒業後、私たちは新居を購入して同棲を始めた。

 二人で住むには贅沢過ぎる、豪邸と言っていい家。当初、ラペーシュは二代目シェアハウスと同等の屋敷を希望していたのだが、さすがにそれは広すぎると却下した。

 最終的に決定した間取りですら十人から二十人くらいは生活できてしまうレベルなのだ。中には祭壇を置いた部屋や、舞いや歌を練習するための部屋まであるし、あまりにも十分すぎる。

 ……と、思っていたら、住み始めて一年ちょっとの現在、ラペーシュのメイドを志願した下僕さん(全員容姿の整った女性)や私の弟子志願が押し寄せてきて手狭になりつつあったりはするのだけれど。

 夜。

 二人でのんびりする時間は誰も邪魔しないよう、お互いのフォロワーにしっかり言い含めてある。

 

 ドームから家までの移動に魔法を使い、時間消費をキャンセルしたラペーシュは、ついでとばかりに魔法でナイトドレスに着替えると、冷蔵庫からワインとチーズを取り出した。

 二人分のグラスに美しい色合いの酒が注がれ、私たちは二人だけで乾杯する。

 

「……それにしても、お酒は何度飲んでも慣れませんね」

 

 美味しいのだが、飲み過ぎるといつの間にか理性が飛んでいる。

 自分を律することが求められる聖職者としては不甲斐ない限りだ。もちろん、できるだけ飲み過ぎないようセーブしようとしたり、つまみやチェイサーで酔いの軽減を図ったりするのだけれど。

 

「いいじゃない。酔いつぶれたらちゃんと、私が介抱してあげる」

 

 酒が減っていないとすかさず指摘し、グラスが空になるとすかさずお代わりを注いでくれる恋人がいるせいで、ついつい飲み過ぎてしまう。

 

「……そうやって、今度は私に何をする気ですか?」

 

 頬を膨らませて言えば、ラペーシュはとぼけるように笑って。

 

「さあ、なにかしら?」

 

 グラスに半分ほども残っていたワインを彼女はぐいっと飲み干すと、酒を口に含んだままキスをしてきた。

 拒めない。

 流し込まれる芳醇な香りと酒精を含んだ液体に、理性がとろんと蕩けていく。駄目だと思っても止められない。軽くもたれかかるように体重を預ければ、優しく肩を抱かれた。

 

「愛しているわ、アリス」

 

 その夜は、妙にゆっくりと更けていった。



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【ノワールエンド】聖女、お嬢様になる

 うららかな日差しがカーテンの隙間から射し込んでいる。

 幸福な微睡みの中、クイーンサイズのベッドで寝返りを打っていた私は、こんこん、というノックの音にゆっくりと意識を浮上させた。

 ドアの開く音を極小にまで抑える、という、大したことないようでありながらとんでもないプロ技を用いながら部屋に入ってきたのは、黒をベースとした豪奢なメイド服に身を包んだ美女だった。

 彼女は身を起こした私へにこりと笑いかけると、恭しく一礼する。

 

「おはようございます、アリシアお嬢様」

 

 柔らかく、そして聞き取りやすい声。

 声をかけられただけでつい微笑みを返したくなってしまうけれど──私は、彼女の声と視線を敢えて無視した。

 

「………」

「え」

 

 小さく、女性が呟く。

 困惑の表情を浮かべた彼女は「アリシア様? アリシアお嬢様?」と何度も私に呼びかけてくる。さらにはベッドへ近づいて顔を覗き込んできて、

 

「あの、わたし、何か粗相をいたしましたでしょうか? いえ、自分で気づくべきだというのは重々承知しております。主人の意図を汲み取れないなどメイド失格です。……ですが、その、お嬢様が何も仰ってくださらないと、不安で」

 

 だんだん可哀そうになってきた私は、仕方なくため息をついて無視を中断する。

 代わりに軽く彼女を睨みつけて、

 

「ノワール? 二人きりの時は私のことをなんと呼べ、と命じましたか?」

「……あ」

 

 ようやく思い至った、とばかりに口を開いたノワールは、さっと姿勢を正した。

 

「失礼いたしました。……アリスさま」

「わかってくれたならいいんです」

 

 私は微笑みを浮かべて「無視してごめんなさい」と彼女へ謝る。

 

「でも、ノワールさんがいけないんですよ? 二人っきりの時は昔からの呼び方で、って、二人で決めたのに」

「申し訳ありません。その、少々、お客様のお話し相手をしていたものですから、つい意識がそちらの方に」

 

 そんなことだろうとは思った。

 呼び名を使い分けているのも大変ではあるし、ノワールだけが悪いわけではない。それでも、私はついつい甘えるように文句を言ってしまう。

 

「昨夜だって一緒に寝たのに、ノワールさんだけ先に起きてますし」

「それは仕方がありません。わたしはあくまでもメイド。主人と同じ時間まで眠っていたり、あまつさえ主人に起こされるようでは失格です」

「でも、夜更かしは私のせいでもあるわけですし……」

 

 呟くように私が言うと、ノワールは「何のことかわからない」という風にそっぽを向いた。

 言った私も、絡み合うお互いの髪やノワールの一糸纏わぬ肢体を思い出して赤面してしまう。淫らな意味合いで言ったつもりは全くなかったのだけれど、それを示した以上、そういう意味になってしまうのは当然のこと。

 こほん、と咳ばらいをして話題を変える。

 

「やっぱり、私もメイドになれば良かったです」

 

 すると今度はノワールが私を(可愛く)睨んでくる。

 

「いけません。何度もお話させていただいた通り、アリスさまがメイドをなさっては、お嬢様()の方が可哀想過ぎます」

「ラペーシュさんやシルビアさんなら十分いけると思うんですけど……」

「あの方々に主人役を任せるわけにはまいりません」

 

 それはまあ、確かに。

 お客様を片っ端から篭絡しそうな魔王と、お客様そっちのけで研究室に籠もりそうな錬金術師。どちらも役としてのお嬢様に向いているとは言えない。

 まさかこんな話、本当のお嬢様である鈴香に持って行くわけにもいかないし。

 私は仕方なく「納得しました」と答えた。

 ノワールはそれに満足そうに微笑んで、

 

「では、アリシアお嬢様。まずは朝のお仕度をいたしましょう。それが済みましたら……」

「はい。皆さまへ朝のご挨拶に」

 

 私たちは頷き合って、それぞれに行動を開始した。

 

 

 

 

 朝のルーチンワークは大学を卒業した今も、高校生の頃とそう変わっていない。

 洗顔。シャワーで身を清めたり、身嗜みを整えてから朝のお祈り。ただ、あの頃とは住む部屋というか、住む家自体が変わった。

 なので、階段を下りてリビングに行き、ノワールに朝食のメニューを尋ねることはない。メニューが知りたければ起こしに来てくれた時に聞けばいいわけだし。

 

「おはようございます、皆さま」

 

 私が今、住んでいるのはとある『お屋敷』だ。

 映画やドラマでしか見ないような縦長の食堂に顔を出すと、そこには既に何人かの『お客様』がやってきていた。彼ら(割合で言うなら彼女らの方が多いが)は長方形のテーブルの長辺に座って歓談を楽しんだり、食堂内を見回したりしていた。

 上品なドレスを着た私が座る席は屋敷の主人が座る位置──つまり、玄関から遠い方のテーブルの短辺。

 私が席に近づくと、見習い用のメイド服を纏った女性が椅子を引いてくれる。少し緊張しているのか少しがたつく。焦った表情を浮かべる彼女に「大丈夫ですよ」というように微笑んでから、そっと椅子に腰かけた。

 すると、別の見習いメイドが食前のお茶を持ってきてくれる。

 

「ありがとう」

 

 それぞれに名前を呼んでお礼を言うと、見習いメイドたちは嬉しそうに笑顔を浮かべた。

 メイドたちが若干足を弾ませながら離れていくと、待っていたようにお客様方が話しかけてくる。私はそれから朝食の用意が整うまで、そして朝食が始まってからも、彼らとの歓談を楽しんだ。

 そして。

 食事の後は何をするかといえば──その、正直大したことはしなかったりする。

 大学は卒業してしまったし、あれから変身者も増えたので私が邪気祓いに駆り出されることも少ない。どうしてもやらないといけないことがないので、ある意味では暇を持て余している。

 なので、私は神に祈ってみたり、(暗記していたのをPCに打ち出して印刷所に製本してもらった)聖典を手書きで写本してみたり、ごく普通に読書をしたり、映画鑑賞をしたり、メイドたちの淹れてくれたお茶を飲んだり、お客様と話をしたりといった程度だ。

 ほとんど遊んでいるようなものなのだけれど、遊んでいるのか、と聞かれれば半分だけノーだったりする。

 何故かと言うと、このお屋敷でお嬢様として過ごすことそのものが私の『お仕事』だからだ。

 

 

 

 

 私、というか私たちがこのお屋敷を建て、このお仕事を始めたきっかけは二代目シェアハウスである屋敷での生活だった。

 シルビア専用の研究室に私用の祭壇、舞いの練習にも使えるレッスンルーム、しっかりとした広さのある道場などを備えたその快適さにはメンバーの誰もが喜んだものの、中でも一番喜んでいたのはやっぱりノワールだった。

 

『このような広いお屋敷で働けるとは……感無量です』

 

 仕事が増えて喜んでいるあたりがさすがノワールだが、彼女が楽しそうにしていると私も嬉しかった。幸い、シュヴァルツもいたので広い屋敷をノワール一人で切り盛りする必要もない。

 時間のある時は私が手伝うこともできたし、なんならラペーシュが魔法で汚れを消し去ったり、スララが通路いっぱいに広がって散歩したりすることもできた。

 掃除をしたり洗濯をしたり料理をしたり、思う存分、ちょうどいい具合に仕事に熱中できるようになった当時のノワールは本当に水を得た魚のようだった。

 ただ、私にはそんな彼女の様子に不満なところもあった。

 メンバー中で一番働いているのは間違いなくノワールだ。彼女はアニメの声優を始めた上、私のプロデュースまでしてくれていた。なのに、みんなから給料をもらうどころか生活費の一部を支払ってまでいた。しかし、お給料を払うと言っても本人は頑として受け取らない。

 なんとかならないか、と、考えた時にふと、閃いたことがあった。

 

『ノワールさんが好きなことをしているだけでお金を稼げるシステムを作ればいいんです』

 

 発想のヒントになったのは、昔、瑠璃と話したコンセプトカフェの構想だった。

 あれを応用すればいいのでは、ということで考えたのが、お屋敷型の宿泊施設を作ってお客様に泊まってもらい、メイドとして『ご奉仕』することでお金をもらうというビジネスモデル。

 

『で、ですが、そんなことでお金をもらうなんてあまりにも都合が良すぎるのでは……?』

『そんなことはありません。私なんて、布教するだけでどんどんお金が入ってきているんですよ?』

 

 聖職者が信者からお金をもらうのは当たり前では? なんてツッコミを入れられたりもしたものの、ノワールに幸せになって欲しい、と真摯に説得したら納得してくれた。

 ただし、一つだけ条件を出されて、

 

『アリスさまがわたしのご主人様──お嬢様として共に過ごしてくださること。それを了承いただけるのであれば、喜んで』

 

 私は、その条件を二つ返事で呑んだ。

 ノワールからは「好きなお相手を見つけてくださって構いません」なんて言われたものの、そっちの話は即座に断った。

 

『ノワールさん。ご主人様と使用人の身分違いの恋、なんて、むしろ定番だと思いませんか?』

『それは……その、そうですけれど。いい、のでしょうか。わたしなんかのために、アリスさまの貴重な人生をいただいてしまって』

『ノワールさん? 私は、条件を出された時点で「そういうこと」だと思っていたんですけど……違いましたか?』

 

 彼女は、最後には笑顔で私を受け入れてくれた。

 そうして、私たちは自分たちが住むためプラス、お客様を迎えるための新しいお屋敷を建設した。

 都内だと土地代がかかりすぎる上に広い土地を確保できない、ということで、やや都会から離れた場所に建てることになってしまったものの、結果的にはそのお陰で観光ついでに宿泊予約をしてくれるお客様なんかも出てくれるようになった。

 土地代が安いとは言っても初期投資が明らかに多すぎるという問題に関しては私もノワールもお金には困っていないどころか貯金が有り余っていたこと、そして半ば趣味だから問題ない、ということで強引にスルー。

 こうして出来上がったお屋敷は、私とノワール、それから一緒に来ることになったシュヴァルツ、それから「面白そうだから」だったり「心配だから」で首を突っ込んでくれたみんなのアドバイスもあって、単に宿泊するだけの施設ではなく体験型施設を兼ねることになった。

 まず、屋敷の主人()は私──アリシア・ブライトネスが務め、宿泊客は私の招待客という設定に。

 宿泊客は手入れの行き届いた部屋や美味しい食事でもてなされる他、私の日常生活を共有することもできる。メイド長のノワール、副メイド長のシュヴァルツを始めとするスタッフは全員メイドに扮している、というかメイド教育を受けた者が務める。

 施設利用者は希望すれば『招待客』ではなく『見習いメイド』として屋敷に入り、一定期間、メイド業務を体験することもできる。もちろん、この場合もお給料を出すのではなく体験料金を徴収する。

 

 メイド体験については「本当に利用してもらえるか」と恐る恐るのスタートだったものの、蓋を開けてみれば希望者がコンスタントに集まり、今では「知る人ぞ知るメイドの聖地」としてメイド好きに知られるようになった。

 お金を払って働きたいという奇特な人が意外といる、という事実に驚いたものの、考えてみるとそもそもノワールがそういうタイプだった。

 というわけで、大学の途中から始まったこの事業は私が大学を卒業してからも続き、今に至っている。

 収支は黒字続きだし、見習い体験から正式雇用を希望する人も一定数いてくれるので、スタッフにも困っていない。

 ノワールは屋敷の維持や見習いメイドへの教育で大忙し。私も私的な用で外出する時と夜、寝る時以外はお嬢様役としてお客様の目につくところにいる生活。なかなか気を遣うことも多いものの、なんだかんだで楽しんでいる。

 

 

 

 

「それはいいのですが、アリシア・ブライトネス。お姉様とはいつ結婚するのですか」

 

 若い頃のノワールのような顔をしたロボメイドことシュヴァルツの「ごもっとも」な問いかけに、私は笑みを浮かべるとこう答えた。

 

「シュヴァルツ。主人を呼び捨てにするとはどういうことですか」

「誤魔化さないでください。結婚するならするで、式の予定を出してもらわなければ今後の展望が立てられないでしょう」

 

 すっかり人間らしくなった仕草と表情でじろりと睨まれる。

 いや、まあ、言っていることはもっともだし、私だってもちろん結婚したい気持ちはある。なんのしがらみもなければノワールだって一発OKしてくれると思うのだけれど。

 

「仕方ないでしょう。……さすがに結婚してしまうと、ノワールをメイドとして使うわけにはいきません」

「……はあ。お姉様にも困ったものですね」

 

 うん、言いにくいけれど、正直同意したい気持ちもある。

 私の返答にしばらく考えるようにしたシュヴァルツは「では」と続けて言ってきた。

 

「いっそのこと、お姉様との子を作ってしまったらどうです」

 

 さすがにそれは最終手段だな、と思いつつ、ノワールならきっといいお母さんになるだろうな、とも思ってしまう私だった。



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【朱華エンド】聖女、超能力者と声優を目指す

「ねえ、アリス? えっちな演技ってどうやったら上手くなると思う?」

 

 引っ越しの際、スララやブランが乗るのも考えて大きめサイズに買い替えた私のベッド。その上にごろん、と寝転がってリラックスモードの朱華が、急にというかいつも通りというか、変なことを言いだした。

 長い方が希少価値あるから、という理由で伸ばしている紅の髪が無造作に広がり、さすがはエロゲキャラと言うしかない見事なプロポーションはキャミソールとショートパンツというラフな衣装に包まれている。まあ、当然包み切れていないのだけれど。

 ノートPCで音楽編集ソフトを操作していた私は作業の手をいったん止めると顔を上げて答える。

 

「知りませんよ。どうして私に聞くんですか」

「必要になったからよ。ほら、あんただって声の仕事してるんだし、何かコツとか知ってるかもしれないでしょ?」

「……ああ」

 

 朱華が「必要になった」と口にする理由はすぐに分かった。

 私たちは現在、高校三年生。

 高校入学あたりからアバターでの動画配信を始め、一年生の夏休みに同人誌即売会へ行ったのを機に同人音声なんかにも出演するようになった私。朱華もそれを追いかけるように、というか私を誘った張本人である千歌さんから誘われる形で同人音声に出るようになったのだけれど……。

 音声の仕事がそこそこ順調でファンが増えたこともあって、私たちのところに千歌さんから新しい誘いが来た。

 

 高校を卒業すればアダルト作品に出演できるようになるので、これからはそっちをメインにしてみないか、と。

 

 私はその話をお断りした。

 例のシミュレーションRPGのOVA化にあたって主人公の声優をやったり、ノワール(デビュー以降ちょこちょこ声優の仕事が来るようになった)と同じ作品に出させてもらったり、Atuber『キャロル・スターライト』として各種お仕事を依頼されたり、コスプレイヤーとして(健全な)グッズを販売したりと、既に全年齢でかなりの活動をしているからだ。

 ただ、朱華は違う考えだったらしい。

 

「やるんですか、そっちのお仕事?」

「そりゃあやるわよ。だって好きだし。むしろ愛してるし」

 

 真顔でさらりと言われると感心するべきかドン引きするべきか悩むのだけれど。

 

「朱華さん、エロゲ大好きですもんね……。本当はまだ買っちゃいけない年齢のはずなんですけど」

「本当の歳ならとっくに買えるのよ。っていうか買ってたのよ。……って、それはまあ、どうでもよくて。問題なのは『やりたいかどうか』じゃなくて『ちゃんと務められるかどうか』ってことよ」

 

 それはわかる。

 私だってそこは苦労したというか、現在進行形で苦労している。剣道部だった頃の経験もあって発声自体は問題なかったものの、声を張りながら演技をするとなると全く別の技術・センスがいる。素の自分に近いキャラクターから徐々に幅を広げていき、今なお勉強中という感じだ。

 アダルト作品の声優となれば猶更だろう。

 何しろ経験がない。上手い演技をする手っ取り早い方法は実践してみることだ。その証拠に(?)私たちはバトルの演技で褒められることが多い。

 

「……そうですね。朱華さん、声はとても良いと思うんですけど」

「エロゲ声優の声だしね。そこは助かってるし、あの人に迷惑がかからないように挨拶しに行くつもりだけど……あたしはあんなエロい演技できないわけ」

「あれだけたくさんプレイしてるのに、ですか?」

「ラノベ千冊読んだだけでラノベ作家になれるのは才能のある奴だけよ」

 

 なるほど。

 

「じゃあ、千歌さんに聞くのが一番早いんじゃないかと」

「『じゃあ、私と経験してみる?』とか言われたらどうする?」

「瑠璃さんに電話してください」

 

 二人は去年あたりから付き合い始めた。

 当初は「断りきれなかったんです……」とか言っていた瑠璃だが、なんだかんだ楽しそうなので、千歌さんが浮気しようとしたら怒るはずだ。というか、恋人にバレるとわかった時点で千歌さんも止めるだろう。

 朱華は「むう」と呻りながら、手近にいたブランを抱いてベッドに座り、

 

「……いっそのこと、シルビアさんにでも試しに抱いてもらうか」

「……そこまでしてエロゲ声優になりたいんですね」

 

 いや、朱華のエロゲ好きは良く知っているのだが。初めてを恋人でもない相手と済ませる理由が「演技のため」というのは面倒臭がりの彼女らしくない。

 それとも、シルビアのことが好きだったりするのだろうか。

 

「朱華さんがそれでいいのなら、私は良いと思います。でも、できればちゃんと告白してお付き合いした方がいいと思います」

 

 話は終わった、ということでPC画面に目を向け直す。

 恋人を作るにしてもアダルト方面の声優になるにしても、今までのように朱華とだらだら喋ったりはできなくなるかもしれない。一緒に作品を作るのも楽しかった。けれど、いつまでも昔のままではいられないのだから仕方がない。

 今の生活は充実している。後悔はしていないが、こんなことならラペーシュの告白を断ったりしなければ良かったか。いや、今からでも遅くはないのだろうけれど、身体目当てとわかっている誘いに乗るのはあまり良くない。とはいえ、身体目当てでない告白なんてあるのかという問題も、

 

「あのさ。アリスって意外と面倒くさいわよね」

「……え?」

 

 顔を上げる。

 朱華は私をじっと見つめながら、行け、とばかりにブランを離した。促された白いうさぎは真っすぐ私に向けて走ってくると、ぺし、と足を叩いてくる。もちろん痛くはない。でも、一体なんだというのか。

 

「朱華さんに『面倒臭い』って言われたくないです」

 

 若干むすっとして言えば、朱華は「まあ、そうよね」と苦笑して、

 

「それは自覚してるわ。でも、あたしは瑠璃とかノワールさんみたいに格好良くないし、シルビアさんみたいに趣味と実益が嚙み合ってもいないじゃない。なかなか自信も持てないでしょ?」

 

 それこそ『趣味と実益を兼ねる』ためのエロゲ声優だと思うが、

 

「朱華さんは十分、格好いいですよ。それに可愛いです。ナンパとか告白だってされたことありますよね?」

「全部断ったけどね」

「なんでですか?」

「なんでだと思う?」

 

 相変わらず、紅の瞳はこっちを見ている。

 正面から見返すと、ああ、綺麗だな、と心の底から思う。私は彼女と話をしている時間が好きだ。作業の邪魔と言えばそうなのだけれど、役に立たない会話だけで一緒にいられるからこそ、朱華とは本当の意味で親しいのだと感じられる。

 

「ねえ、アリス? あんたはどうして、今まで誰とも付き合わなかったの?」

「……それは」

 

 女の子になってはや数年。男としての感覚はとっくに薄れて、恋に恋するような気持ちも胸の中にはある。友人の恋バナにはしゃいでしまうこともあるし、告白された経験だってある。それなのに、今まで恋人なしで来てしまったのは──。

 

「好きになった相手以外とは、お付き合いしたくなかったから、でしょうか」

「付き合う前にあんたを惚れさせろってこと? ハードル高すぎじゃない。一緒に旅して世界でも救わない限り無理でしょ」

 

 アリシアの出自であるゲームはシミュレーションRPG。エンディング相手は好感度の高い味方ユニットから選ばれるので、必然的に旅の仲間の誰かになる。

 寝食を共にし、協力し合って戦い、笑ったり泣いたりした絆は並大抵のものではないだろう。

 

「一緒に旅をしたり、戦ったりした仲間なら今の私にもいますよ」

「瑠璃とか?」

 

 だから、どうしてそこで彼女持ちの名前を出すのか。

 

「面倒臭いのは朱華さんじゃないですか」

「あたしそれ、まだ言われるの?」

「言いますよ。面倒臭い子じゃなかったらヘタレです」

 

 押し倒されたこともあるし、マッサージをしたこともある。耳掃除は今でもお互いにし合っている。初めてのデートは彼女とだった。

 気が合うのだろう。

 昔は冗談だと思ってスルーしていたけれど、いつからだろう。別にこのまま先に進んでもいいと思うようになったのは。そして、それを態度に出すようになったのは。

 

「前に『いいですよ』って言ったら逃げましたよね?」

「………」

「私が食べていたプリンが欲しいって言うから『あーん』してあげたら恥ずかしそうにして食べなかったり」

「………」

「二つくらい前の同人作品録った時、これからもこういうのやりたいですね、って言ったら『売れたらね』とか言って誤魔化しました」

「何よ」

 

 ブラン──ではなく、ゲームセンターで取ったうさぎのぬいぐるみが飛んでくる。

 

「あんたがモテる上に誰にでも優しいからいけないんじゃない」

「ヘタレ」

 

 ジト目で睨むと、朱華は頬を膨らませて私を睨み返してきた。

 

「あんた、ちょっとこっちに来なさい」

「………」

 

 ノートPCをスリープ状態にしてからベッドまで歩いていく。

 すると、ぐいっと腕を引かれた。

 勢い余って壁に激突しないよう身体の向きを咄嗟に変えたら──朱華と折り重なるようにしてベッドに倒れ込んでしまった。

 柔らかくて、いい匂いがする。

 成長するにつれ、朱華はだんだん「女の子の匂い」から「女性の匂い」に変わっている。高校三年生になった今となってはもう、容姿自体はそこまで前と変わっていないはずなのに、ちょっとした仕草や雰囲気も込みで無意識に誘ってくるような色っぽさがある。

 整った顔立ちが、綺麗な瞳が、形のいい唇が、私の目の前にある。

 お互いの服越しに心臓の鼓動が聞こえてくる。緊張しているのが手に取るまでもなくわかる。

 ベッドを押そうとする朱華の手に自分の手を重ねてぎゅっと握りこむ。下半身が暴れようとするのも、同じようにして封じ込めた。

 

「アリス」

「……いいですよ、って、言ったらどうしますか?」

 

 少女の手に力が籠もる。

 

「駄目」

 

 なのに、紡がれたのは逆の言葉だった。

 

「そんなこと言って、実際にしたら『そんなつもりじゃなかった』って言うんでしょ。あたし、そういうの良く知ってるんだから」

 

 全く、この子は本当に素直じゃない。

 エロゲのヒロインなんて男に都合のいい子が勢ぞろいだろうに、どうしてそういうところだけ現実を見ようとするのか。

 なら、わかりやすくしよう。

 意味ありげな態度なんて止めて、好きなようにすればいいのだ。

 

「好きです、朱華さん」

 

 私は、想いの全てを短い言葉にこめて、彼女に告げた。

 

「だから、あなたの好きなようにしてください」

「……っ!」

 

 堪えきれなくなったように、少女の唇が私のそれに重ねられる。

 甘い。

 実際の味はスナック菓子の塩気を感じたけれど──それ以上に、とろけるような心の甘さが、一瞬にして私の心を支配してしまった。

 そのせいで、自分が何秒くらい、どんなことをしていたのか記憶にあまり残らなかったけれど、とにかく気づいた時には唇が離れていて、私は呆けたような状態で朱華を見つめていた。

 小さなため息。

 熱っぽい視線が私に、私だけに注がれる。

 

「知らないわよ。……あんたがなんて言ったって、もう止まれないから」

「はい。仕方ないので、ぜんぶ、許してあげます」

 

 そして、私たちはもう一度、唇を重ねた。

 

 

 

 

 翌朝。

 

「……しちゃったじゃない」

「しちゃいましたね」

 

 呆然と呟く朱華に、くすりと笑って答える。

 不思議な気分だ。疲れは確かにあるのに、気持ちはとても満たされている。そのせいで今日一日、このまま頑張れてしまいそうな気がする。そもそも女の子というのはそういうところがある。忍耐によって精神の摩耗をギリギリまでそぎ落として動き続けるのが男なら、女は幸せを感じることで気力を補充して動き続ける生き物。

 

「後悔、してますか、朱華さん?」

「……ううん」

 

 尋ねると、彼女は苦笑しながらそう答えた。

 

「してない。……どうせなら賢者モードになってくれたら、もう少し冷静になれたんだけどね」

「いいじゃないですか。そんなもの、ない方が楽しいですよ」

「あー、もう、本当。そういうところよ、アリス」

 

 頬を引っ張られそうになったので、その手を取って指を絡めた。

 

「言っとくけど、あたし、こういうところは超ネガティブだから。他の奴に浮気したりしたらどうなるかわかんないわよ」

「わかってます。浮気なんてしませんよ。……不安なら、何かお揃いの物でも買いましょうか」

 

 ノリで言ってみただけだったけれど、それはとても楽しそうだ。

 これからの新しい二人の関係に想いを馳せながら、私は幸せを噛みしめる。

 

「それはそれとして、朝のお祈りをしてもいいですか、朱華さん?」

「……はいはい。たまにはしっかり付き合ってあげるから、その前にシャワーを浴びましょ、アリス」

 

 こうして、私たちは親友から恋人同士になったのだった。



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【シルビアエンド】聖女、神殿を建てる

 早起きは三文の徳、という言葉がある。

 現代のお金に直すと大した金額でないということで「寝てた方がマシだな」とネタにされているけれど、私の意見は少し違っている。

 仮に三文=90円とした場合、一年で32,850円。成人してから五十年くらい続けたとしたら164万円ほどになる。五十年間、時間ギリギリまで二度寝できる権利が164万で買えるとしたら、なるほど、確かに買う人は結構いるだろう。

 それなら、代わりにその164万円を人助けに使ったらどうだろう?

 規則正しい生活を生涯続けるだけでそれだけの金額を費すのと同じくらい善行になる。それは、とても素晴らしいことではないだろうか。

 

「んっ……今日もいい朝ですね」

 

 大学を卒業して新しい生活を送るようになってから、私は前より早起きしている。

 最初は新しいリズムに慣らすためにスマホのアラームが必要だったものの、しばらくすると自然に目が覚めるようになった。

 二人が並んで寝られるサイズの広いベッドから身を起こして、ぐっと伸びをひとつ。温かいパジャマを脱いでシャワーを浴び、聖衣を身に付けたら、靴を履いて廊下に出る。

 私の生活拠点はとある建物の奥まった場所に位置している。

 出た先は石づくりの床になっていて、靴がこつこつと床を鳴らすのが心地いい。天窓から朝日が射し込みきらきらと輝くのも良いものだ。

 

「あっ。おはようございます、聖女様」

「おはようございます」

 

 道中、二人の()()()()()()と一緒になった。

 私が身に着けているものよりはだいぶ簡素な、けれど、しっかりとした生地を用いた丈夫な衣装を纏い、首からは聖印を下げている。

 ちなみに一人は日本人。もう一人はイギリス人だ。

 

「お祈り、ご一緒してもよろしいですか?」

「もちろんです」

 

 こくりと頷いて、この建物の中である意味最も重要な場所──祭壇の間へと一緒に移動する。

 祭壇の間には他にも何人かの見習いがいた。さすがに日本人が多いものの、出身国はバラバラ。髪の色や目の色が違う人もかなりいる。

 けれど、集った目的は同じ。私たちは静かに挨拶を交わすと、既に供物の捧げられている祭壇に向かって跪き、祈りを捧げた。

 

 ──顔を上げると、周りにいる顔ぶれはさっきとは異なるものになっている。

 

 同じ信仰を持った見習いたちから見ても、私の祈りは「とにかく長い」らしい。そもそもそんなに長く同じ姿勢でいるのが辛い、と言われるのだが、こればかりは慣れとしか言えない。

 それに、他のみんながこまごました仕事をしてくれるからこそ、ゆっくり祈りを捧げられるというのもある。

 くう、と小さく悲鳴を上げるお腹に苦笑を浮かべると、私は()殿()の食堂へと向かった。

 

「おはようございます、聖女様」

「おはようございます、皆さん」

 

 食堂は数十人がいっぺんに食事を摂れるよう、広く造られている。

 調理は食事当番の()()が担当していて、カウンターのような場所でトレイに載せた料理を受け取る形だ。メニューは基本的に一種類。ただし、量はある程度増減してもらえるし、食べられないものを無理に食べろとも言われない。

 とは言え、ここの性質上「宗教上の理由でこれが食べられない」という人間は基本的にいないのだけれど。

 

「いただきます」

 

 食事前の作法はみんなの意思に任せている。

 私は神への感謝の祈りを捧げてから「いただきます」を言うスタイル。ただ、別に祈りは省略しても咎めないし、故郷の言葉でいただきますをするのも推奨している。食事中は黙っていないといけない、というルールはないし、聖女だからメニューが違ったりもしない。

 私も、みんなと言葉を交わしながら食事を摂ることが多かった。

 

「ここの食事、美味しいですよね。しかも、どんどん美味しくなっているような」

「みなさんの腕も上がってきていますし、レシピも改良されていっていますからね」

「お米や野菜が美味しいのもありますよ。でないとこの味は出ません」

 

 楽しくお腹いっぱい食べて、食べたら動くのがここでの基本だ。

 

「では、美味しい食事のためにも、うちの畑を見て来なければいけませんね」

 

 綺麗に平らげて食器だけになったトレイを返却し、私は外出の準備を始めた。

 

 

 

 

 私たちが神殿を構えることになったのは、とある地方都市の一角──山にほど近いエリアだった。

 費用は邪気祓いや著名人の治療等々で貯めていたお金でなんとかした。石を多く使っている上に規模が大きいのでかなりの額が飛んで行ったものの、後悔はしていない。

 むしろ大変だったのはここを神殿として認めてもらう手続きの方だ。

 日本では信教の自由が認められているものの、同時に新興宗教の関係者は煙たがられたり敬遠されたりする傾向がある。私の出自と果たしてきた役割的に政府からの承認自体は得るのが簡単だけれど、一般人からの理解と承認を得るには地道に活動をするしかなかった。

 神聖魔法の扱いも問題で、一定のルールのもと、行使が公に許されるようにするのは本当に大変だった。

 けれど、その甲斐あって、私は念願だった女神の神殿を実現させることができた。

 信仰が知られるようになるにつれて各地から「自分も仲間に入れて欲しい」という人々が集うようになり、今ではかなりの大所帯になっている。彼らのお陰で分担しての共同生活もスムーズに送れている。もちろん、中には「思っていたのと違った」と離れていく人もいるのだけれど、そこは去る者追わず、だ。

 

 ここでは質素倹約がモットー。

 できるだけ自分たちで家事をし、神殿で作った田んぼや畑で作物も育てる。早寝早起きは当たり前だし、生活の合間を縫って女神の教えを学ぶ時間もある。

 ゆるやかなようでいて決して楽ではないものの、そうした生活を気に入ってくれる人もいる。新興の宗教に過ぎないここが評価されているのはきっと、神聖魔法の存在だけではないはずだ。

 

 それから。

 もう一人、ここでの生活に欠かせない人物がいて。

 

 

 

 

「あ、アリスちゃん。おはよー」

「おはようございます、シルビアさん。……また今日も眠そうですね」

 

 田んぼや畑を自分の目で見て回り、作物に声と魔法をかけ、農作業をしてくれている信者たちも労った後、私は神殿の一角にある()()()で彼女と出会った。

 見慣れた白衣姿。

 周りに数人の()()を連れた銀髪の美女は、私の姿を見るとのんびりとした声を上げた。

 

「昨夜も徹夜ですか?」

「うん。熱中するとついついねー。最近は薬の注文も増えてきてるし、頑張らないと」

「では、そろそろ薬草畑の拡張も必要そうですね」

「そうだねー。管理は信頼できる人だけに任せたいんだけど」

 

 神殿は私一人で作ったものではなく、シルビアとの共同事業だ。

 私の神聖魔法とシルビアのポーションには「人の治療に役立つ」という共通点がある。自然に触れたい私と質の良い薬草を自前で生産したいシルビアの希望も合致したため、神殿と併設する形で研究施設を作る条件で共同出資、共同経営が決まった。

 神聖魔法の行使と一緒にポーションの販売も法律的な取り決めをしてもらったため、シルビアとその弟子が作る各種のポーションもまたここの大事な収入源になっている。

 他にも、ここで育てた作物は質が良いからと購入したがる人なんかもいて、神殿とは言いつつも十分なお金が入ってきている。私たちの信者や弟子も無償のボランティアなどではなく、一定のお給料は出している。

 この辺りは現代社会で暮らす以上は当然というかなんというか。

 オフやプライベートの時間に何をするかも厳しく管理していないので、例えばお給料で焼き肉を食べに行こうがスマホゲームのガチャに費やそうがそこは個人の自由だ。私自身、配信は週一くらいで続けていたりするし、毎シーズン気になるアニメは視聴しているのでうるさくは言えない。

 もちろん、衣・食・住の大部分を保障していること、給料目当ての人が来ても困ることから支給金額自体は控えめなのだけれど。

 

「これで何日目でしたっけ?」

 

 私は、あまり目線が変わらなくなった二歳年上の彼女に近づいて、尋ねる。

 

「えーっと……四日目? でも、昼間に仮眠は取ってるから完徹じゃないし……って、アリスちゃん?」

「そういう問題じゃない、って、わかってて言ってますよね?」

「……あははー、ごめんね」

 

 軽く背伸びをして顔を上げると、優しく笑ったシルビアが唇を重ねてくれる。

 数秒。

 唇を離すと、インドア生活のせいか細く白い指が私の頭を撫でて、

 

「アリスちゃんが可愛いからついつい、意地悪しちゃうんだよー」

「嘘です。絶対、研究に気を取られて忘れてるだけです」

「うん、まあ、それもあるけど。ちゃんとアリスちゃんのことも愛してるんだよー?」

「わかってます」

「う」

 

 硬直するシルビア。私はにっこり笑って、

 

「今日はちゃんと寝に帰ってきてくださいね?」

 

 これに「しょうがないなあ」と苦笑を浮かべた彼女は、

 

「結婚相手に言われちゃったらしょうがないよね」

 

 と、首から下げた指輪を取り出した。

 普段は作業の邪魔になるからと、丈夫なチェーンにつないでいるのだ。ちなみに私はちゃんと指に嵌めている。さすがに農作業する時などは外すようにしているけれど。

 これに助手の面々が笑顔を浮かべて、

 

「ありがとうございます。所長は私たちが言っても全然聞いてくれないので」

「だって自分には残業代とか出さなくていいし」

 

 代わりに基本給を自分で決められるわけなのだけれど。

 

「いいから、帰ってきてください。どうせご飯だってちゃんと食べていないんでしょう?」

「あ、それは一応ちゃんと食べてるよ。アリスちゃんとこの子達が作って持ってきてくれるし」

「おにぎりとか、食べやすい形にして欲しいというお願いは効果があったみたいですね」

 

 私は「じゃあ、待ってますから」とシルビアに再度念を押す。

 

「うん。そろそろ子どものこととかも考えたいし」

「え。……いえ、その。それはまだ先でもいいんですが」

 

 すると「だーめ」と額を指でこつん、とされた。

 

「仮面夫婦とか言われたらまた面倒くさいからねー」

 

 

 

 

 シルビアとの関係がこうなったのは、私が高校三年生、シルビアが大学二年生だった頃のこと。

 二学期にさしかかり、そろそろ進路を本決定しないといけない時期に「助けて」と請われたのがきっかけだった。

 

『あの人のアプローチがやばいんだよ。どうにかして、アリスちゃん』

 

 あの人、というのは吉野先生のことだ。

 何の縁か三年間、私の担任を務めてくれており、プライベートで連絡を取り合うくらいに仲良くなった。私にとっても他人とは言えない人物で、結婚に関する愚痴も確かにときどき聞いていたのだけれど、まさかそんなことになっていたとは。

 

『吉野先生のこと、嫌いなんですか?』

『嫌いじゃないけど、あの人と一緒になったら気ままな研究生活なんて絶対無理なんだよー』

『確かに』

 

 吉野先生はもともと寺の嫁になるはずだった人だ。家柄も良く、礼儀もしっかりしているし、良い学校だって出ている。もちろん容姿もかなりの美人。

 その分、自他共に厳しいところがあり、世話好きというか、生活がだらしなくなるのを許せないところがある。生徒相手なら融通もきくものの、結婚相手となったら遠慮なく言うだろう。

 

『振っちゃうしかないのでは?』

『あの人とのつながり、アリスちゃんも知ってるでしょ? 何年もアプローチされてるくらいには根気強いんだよ。ただ振っても諦めてくれないと思う』

『じゃあ、どうするんですか?』

『アリスちゃんが結婚してくれたら助かるんだけど』

 

 さすがに、私もその申し出には硬直するしかなかった。

 

『け、結婚って。いきなり過ぎませんか?』

『アリスちゃん、私のこと嫌い? 私が相手じゃ都合が悪い?』

『いえ、まさか嫌いなんて。……それに、シルビアさんと一緒なら、たくさんの人を治したり、ハーブの品種改良をしたりとか楽しそうですけど』

『じゃあ、何が問題?』

 

 その時のシルビアは本当に真剣だったらしい。「瑠璃ちゃん達になびかなかったんならチャンスがあるかなーって」と後に語ってくれた。

 じっと見つめられた私は、しどろもどろになりながら答えた。

 

『……聖職者と結婚するの、嫌じゃないですか?』

 

 彼女は、実家の寺から逃げ出した人間だ。

 全然別の宗教とはいえ思うところもあるのではないか。そう思ったのけれど、返ってきたのは優しい笑顔だった。

 

『嫌なわけないよ。アリスちゃんのことも、女神様のことももう良く知ってるし。……それに、アリスちゃんは私の研究、邪魔したりしないでしょ?』

 

 その笑顔に、私は目を逸らすことができなくなった。

 

『愛情表現は何度もしてたと思うんだけど、伝わってなかった?』

『いいえ。……私だって、何も思ってなかったわけじゃありません。シルビアさんなら、いいですよ』

 

 まあ、今こうして「たまにはちゃんと眠れ」とお説教しているのもある種「研究の邪魔」なのだろうけれど。

 私とシルビアはなんだかんだで上手くやっている。

 私の部屋に帰ってきた翌日のシルビアは昼くらいまで寝て肌がつやつやしているし。逆に起きる時間の決まっている私は寝不足になるのだけれど、それくらいは必要経費だ。

 

『結婚しましょう、シルビアさん』

 

 これからも、私たちは聖女と錬金術師として、多くの人を育て、助けていくだろう。

 それが私たちの望んだ道。

 彼女と一緒ならどこまでも歩んでいけると、私はそう信じている。



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【芽愛エンド】聖女、パティシエになる

「あのね、アリス。相談があるんだけど」

 

 私──アリシア・ブライトネスにとって親友の一人である里梨(さとなし)芽愛(めい)は、ニンジン型のクッションを抱きしめながら真剣な面持ちで切り出してきた。

 今日は芽愛の家でお泊まり会。

 昼間、お洒落なキッチンで思う存分、料理に興じた後、作った料理を一生懸命平らげ、お風呂に入って今に至る。鈴香(すずか)縫子(ほうこ)、ラペーシュは料理メインの会とわかった時点で不参加を表明しており、いるのは私と芽愛だけである。

 

 親友である三人の中で、芽愛とは一番仲が良い。

 鈴香たちに比べると性格が庶民的なのが大きいだろう。そういう私も「お嬢様みたい」と言われることが結構あるけれど……まあ、それは置いておいて。

 二人でこうして集まって料理→お泊まりコースも初めてではない。高校三年生になった今ではすっかりご両親とも顔見知りで、会う度にお店でのアルバイトを勧められている。配信やら何やらで忙しくて結局実現していないのだけれど。

 

「どんな相談ですか?」

 

 私は長ネギ型のクッションを抱きしめながら首を傾げる。

 実を言うと、何か話がありそうだというのは誘われた時点で察していた。このところ彼女は何か悩んでいる様子だったからだ。

 悩みの内容自体もなんとなくは想像できるのだけれど、

 

「うん。相談っていうかお願いみたいな感じなんだけど──」

 

 そうして、私たちはじっと見つめ合い、

 

「わ、私と一緒に、調理師学校に来て欲しいの!」

 

 私は、芽愛の『お願い』を聞いた。

 それは、私たちの進学先に関すること。

 いつもの中庭グループにおいて、(途中加入かつ魔王様なラペーシュを除くと)私以外の三人は前々から進路がほぼ決まっていた。名門女子大あるいは一流大学に入って経営を学びつつ教員免許を取る鈴香、服飾系の専門学校に入る縫子、それから専門学校で調理師を取るつもりの芽愛だ。

 進路を決めかねているのは私一人。

 選択肢が広すぎて一つに絞り切れないのが原因だ。それこそ料理の道にも興味があったし、吉野先生から教員や保育士を薦められたりもしていたし、裁縫をしっかり学んで自分で衣装を作れるようになるというのも魅力的だし、大学で宗教学を学ぶというのももちろんアリ。

 だから、こうして親友から誘われるというのももちろん、考えられることだった。

 

「やっぱり、芽愛は料理人の道を目指すんですね」

「うん、もちろん。大学で経営もあわせて勉強する、っていうのも考えたけど、やっぱり専門学校の方が実技が多いんだよね」

 

 進路を広く取れる、という意味では大学に行くのも良い選択肢だ。

 ただ、最初から料理人になるつもりなら専門学校の方がやっぱり強い。短期間に必要なことだけを学び、卒業後は実際にどこかのお店で働いてノウハウを身に着けることができる。

 芽愛は学校のパンフレットを取り出してきて「ここにしようと思ってるの」と教えてくれた。ご両親やその知り合いとも相談して目星をつけた学校らしく、確かに良さそうなところだ。

 

「楽しそうですね。芽愛と一緒に、料理の勉強をするの」

 

 私も進路のことでは悩んでいた。

 その中には「芽愛と同じ学校に入る」というのももちろんあった。

 この返答に親友の表情はぱっと輝いて、

 

「でしょ? だからね、もしアリスさえ良かったら──」

「でも、ごめんなさい。私は芽愛と一緒には行けません」

「……え」

 

 少女の笑顔は途中で凍り付いてしまった。

 

「どうして……?」

 

 身を乗り出し、切迫した顔で見つめてくる芽愛。そんな彼女の様子に申し訳ない気持ちになりながら、私は、パンフレットの一点を示した。

 

「私は、行くならこっちがいいです」

 

 それは、製菓を中心とした別のコース。つまり、

 

「……パティシエ?」

「はい。もちろん料理も好きなんですけど、どちらかというと、私はお菓子作りの方をやってみたいな、と」

 

 これも前々から考えていたことの一つだ。

 切っ掛けはおそらく、中三の時の文化祭。あれの準備で芽愛とお菓子作りをしたことが私にとって大きな意味を持っている。

 これに芽愛はきょとん、とした顔になった。

 

「一緒に行ってくれるの?」

「一緒ではありません。学校は同じになるかもしれませんが、授業は別々ですし。案外会える時間は少ないかも──」

「それでも……!」

 

 がばっ、と、芽愛が抱き着いてきた。

 

「それでも、嬉しい」

 

 慌ててクッションを放り出し、少女を抱き留めた私はごろん、と床に転がってしまう。お互いに女の子らしい体型になったこともあって、その柔らかさが衝撃を包み込んでくれる。

 残ったのは、パジャマ姿で至近距離から見つめ合う私たち。

 普段から私は可愛い可愛いと言われているけれど、実は芽愛たちだって十分すぎるほどに可愛い。

 芽愛なんかそのうえ趣味が料理とお菓子作りだ。共学校だったら告白されている回数は片手で収まらないだろう。というか萌桜(ほうおう)でも何回か告白されているらしいし。

 

「芽愛」

「アリス」

 

 いや、アリス、ではなく。

 

「あの、芽愛? 離れてくれないと、その、困るんですが……」

「どうして困るの、アリス?」

「それは、必要以上にどきどきしてしまうと言いますか……」

 

 芽愛はくすりと笑って、私の頭の左右に手をついた。

 まるで少女マンガか何かのように追い詰められた格好で見下ろされる。

 

「ラペーシュはもうアレだけど、アリスも結構、女の子好きだよね?」

「……仕方ないじゃないですか。私、男の人は苦手なんです。そのうえ、周りに可愛い女の子がたくさんいたら」

「それって、私も入ってる?」

 

 その質問に若干むっとする。

 

「入ってないわけ、ないじゃないですか」

 

 下から見つめ返すと、芽愛はさっと頬を赤らめさせて「そっか」と言った。彼女の身体が離れるのを見て、ほっとしながら起き上がる。

 と思ったら今度は後ろから抱き着かれた。

 

「ね、どうしてパティシエなの?」

 

 明るい声。さっきの変なムードはだいぶ薄くなっているものの、芽愛と私の鼓動はまだドキドキしている。

 

「それは、その。お菓子作りが好きなのと……」

「それだけ?」

「……笑いませんか?」

「笑わないよ。大丈夫」

 

 太鼓判を押されたので、私はゆっくりと答える。

 

「前に『一緒にお店をやるのも楽しそう』みたいなことを話したじゃないですか」

「うん」

「それで、だったら二人で料理人をやるより、別のことができた方がいいかな……って思ったんです」

 

 例えば芽愛がメインシェフをして、私が接客とか。

 パティシエの道を考えたのもその方向性。芽愛が料理を作り、私はデザートを作る。どっちも美味しければより一層、お客さんが集まるだろうし話題になるだろうと──。

 

「なにそれ」

 

 芽愛の腕に力が籠もる。

 

「なにそれ、すごく楽しそう!」

 

 振り返ると、芽愛の目はなんだかとてもきらきらしていた。もう、さっきのムードは完全になくなっている。今、ここにいるのは美味しいもので人を楽しませたい純粋な女の子だけだ。

 

「アリス、そんなこと考えてたんだ。言ってくれればいいのに」

「恥ずかしいじゃないですか。……それに、私もこのところ、一生懸命考えていたんです」

 

 自分が一番やりたいことは何か。

 自問自答を繰り返しているうちにふと気づいたのだ。経営を学べば芽愛のお店を助けられるかもしれない、服飾を学べば可愛い制服を自分で作れる……みたいに、他のルートでもいつの間にか、芽愛とお店をやることを考えている自分に。

 

「きっと、私は芽愛のことが大好きなんだと思います」

 

 朱華たちシェアハウスメンバーのことも好きだけれど、彼女たちはもともと一蓮托生。家族であると同時に戦友だ。

 けれど、芽愛たちはアリシア・ブライトネスとしての私が一から作った友達。親しみも愛着も人一倍。これからもずっと一緒にいたいという気持ちが強い。

 

「うん。……私も、アリスのこと好きだよ。大好き」

「本当、ですか?」

「もちろん。可愛いし、趣味が合うし。……一緒にお店をやりたいな、って思ったのはアリスが初めて」

 

 そんなことを言われたらまたドキドキしてしまう。

 けれど、今度のドキドキはさっきまでのものと少し違う。いけないことをしている感じじゃなくて、芽愛も同じ気持ちでいてくれるんだという、ここから先に進んでもいいんじゃないか、というドキドキ。

 

「じゃあさ、アリス。いっそのこと二人で住まない?」

「卒業したら、ですか?」

「うん。ほら、どうせ家でも練習したりしないとでしょ? そうしたら家は近い方がいいし、キッチンが整っているところじゃないと」

「それ、一人で借りると高そうですね……」

 

 だから二人で、か。

 折半ならちょっとお高いところでも借りやすい。幸い芽愛の家も結構裕福だし、私もお金はちょっとその、有り余るくらい持っている。

 

「それとも、ルームシェアとか抵抗ある?」

「芽愛? 抵抗あると思いますか?」

「ないよね。アリスの家、シェアハウスだもん」

 

 二代目シェアハウスは大きな屋敷なので、あまりルームシェアという感じはしなくなったけれど。それでも血の繋がらない相手と一緒に住むのは私にとって当たり前のことだ。相手が芽愛ならむしろ、シェアハウスに来た当初よりはずっと緊張しないだろう。

 

「芽愛さえ良ければ是非、そうしましょう」

 

 芽愛は「やった」と呟くように言うと、それから私の瞳を覗き込んで、

 

「でも、いいの? こんなにあっさり決めちゃって」

「もう十分悩みました。それに、一番大事なことはもう分かりましたから」

 

 見つめ返して微笑む。

 一番大事なこと。それは芽愛の気持ちだ。私の描いた未来予想図は一人では絶対に実現できない。芽愛が「やりたい」と言ってくれなければ意味がなかった。

 気づいたのは「やりたい」と言ってもらってからだったけれど。

 芽愛はこれに「そっか」と笑って、

 

「なんかテンション上がってきた。じゃあさ、アリス、将来どんなお店作りたいか考えようよ」

「いいですけど、ご両親のお店は継がなくていいんですか?」

「継ぎたいけど、二人共『そう簡単に引退はしない』って張り切ってるんだよね。だからまだまだ自由にはできないし、そうなると待ちくたびれて自分のお店作りたくなっちゃいそうじゃない」

「それは、わかります」

「でしょ? じゃあほら、まずは立地と面積から決めよ?」

「もの凄く本格的にやりますね!?」

 

 ツッコミを入れつつ、私自身もわくわくしてくるのを感じた。

 なまじ予算とか現実的なことを考える段階ではないので、妄想はわりと自由にできる。費用が欲しければ専門学校卒業後に頑張って修行すればいい。というわけで、私たちはスマホやノートパソコンを取り出してああだこうだと話し合いを始めた。

 そうこうしているうちに夜は更けていく。

 もちろん、実際には思うようにいかないだろう。けれど、こうやって考えた「具体的な夢の形」はきっと私たちの力になる。それに実現できる部分だってきっとある。だから真剣に、楽しみながら妄想を続けた。

 

 きっと、私たちは似ているところがあるのだろう。

 

 私の神聖魔法は人を助けるためにある。芽愛の料理も人を喜ばせるためにある。

 だったら、私たちは二人で人を幸せにする方法を模索していけばいい。私たちなりのやり方で。私たちなりのペースで。

 

「お店の名前も決めないとね。何がいいと思う?」

「え? ええと、キッチン里梨とか?」

「ダサい。人の名前だからって適当言ってるでしょ。アリス、それ『キッチン・ブライトネス』と同レベル──いや、いいかも、ブライトネス」

「駄目です。っていうか、恥ずかしいですよ!?」

「うん、こういう時、横文字の名前って得だよね」

 

 きっと、私たちならこうやって将来もやっていけるだろうな。

 他愛のない言いあいをしながら、私は自然とそう思った。



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【縫子エンド】聖女、コスプレイヤーになる

「……さすがにそろそろ、バストサイズの上昇も打ち止めのようですね」

 

 ほとんど裸の状態で身体にメジャーを当てられる。

 恥ずかしさはあるけれど、何度も繰り返しているうちに慣れてしまった。ただ、それでも具体的な数字を告げられる時はドキドキする。

 幸い、今回も目に見えて太ったりとかそういうことはなかったようで、私はほっと胸を撫で下ろした。

 

「それはそうですよ。もう大学生ですし」

「そうは言ってもアリスの場合、高校三年間で大きく変わりましたからね」

 

 淡々とした口調で告げるのは、中学三年生で出会ってからの付き合いになる一人の女の子。

 芸術家の家系で、当人は服飾の道を志している。また、私にとっていろいろな意味で先輩にあたる千歌(ちか)さんの妹でもある──安芸(あき)縫子(ほうこ)だ。

 若干眠そうにも見える無表情は相変わらず。と言っても、付き合いの長い私には彼女のテンションの変化がなんとなくわかる。澄ました表情が崩れないところが良い、という隠れファンもいるらしく、男性から告白されるところを見たこともある。 

 

「さすがに成長期も終わりですよ」

 

 苦笑しながら部屋着を手早く身に着けていく。

 確かに、昔に比べるとブラのサイズが大きくなった。もう少し小さい方がデザインを選びやすくて良いのだけれど、元男子としては大きい胸にロマンを感じるところもある。異性どころか同性からも羨望の眼差しを向けられると気分が良かったりもする。

 縫子はと言えば、数値のメモを片手にさっそく新しい衣装のデザインを検討し始めていた。

 

 大学進学を機にルームシェアを始めた私たち。

 縫子が作業しやすいようにと、部屋には広めのテーブルが置かれている。それぞれの部屋にあるクローゼットも大きめ。かつ、ワードローブも買って収納できる量を増やしている。

 まあ、縫子の部屋にある衣装も大半が私用だったりするのだけれど。

 

『調整中や修復中の物は自分の部屋に置いておいた方が楽ですし、見返したい衣装もありますから』

 

 とのこと。

 ファッションには並々ならぬ関心を抱いている縫子だが、自分の服にはそれほど頓着しない。私がそれを知ったのは割と最近のことだ。余所行きの服はいつもきっちり決めていたので、素の姿を頻繁に見るようになるまでは気づかなかった。

 

『体面もありますから、人前では取り繕います。でも、家では楽な格好の方がいいでしょう?』

 

 と言って、部屋着はスウェットだったりキャミソールだったりする。

 幻滅した……という事実は特にない。これまでの同居人にも下着だけで廊下に出たり、基本いつでも白衣だったりしたのでそれほど気にならなかった。まあ、それはそれとして、私は家でもある程度、身嗜みに気を遣っているのだけれど。

 縫子も私の格好や体調管理には厳しい。

 ヘアケアやスキンケアはしっかりしろ、栄養バランスは大丈夫か、体重は毎日測れ、夜はしっかり寝ろ、と、口うるさいくらいに言ってくる。それは全てクオリティに影響するからだ。

 

 何のクオリティかと言えば、コスプレの、だ。

 私が初めてコスプレのイベントに参加したのは高校一年生の時。夏冬にある同人誌即売会でそれに触れた後、縫子と千歌さんからの強い勧めもあって、コスプレをして笑顔を振りまく側としてイベントに参加するようになった。

 もともとその前から配信や文化祭ではコスプレしていたし、そもそも邪気祓いの際のコスチュームも似たようなところがあったわけで。大勢に見られる恥ずかしさにさえ慣れてしまえばそれほど違和感のあるものではない。むしろ、可愛い衣装を着られるのは楽しかった。

 

 縫子としてもコスプレの世界は性に合ったらしい。

 フォーマルな装いともカジュアルな服装とも違う、非日常の衣装。そこには製作者の腕とこだわりを盛り込める余地がいくらでも存在するらしく、私の衣装を製作するようになってからはそっちにどっぷり浸かっていった。

 姉である千歌さんの領分に踏み込むことには抵抗があるようだったけれど、そもそも私も千歌さんとは仲が良い。そのうち縫子も諦めてくれて、むしろ、キャロル・スターライトとしてのアバター配信にも関わってくれるようになった。

 今は、シェアハウスを離れたこともあってノワールにプロデュースしてもらうのは難しくなったため、代わりに縫子がマネージャーのような役割を果たしてくれている。

 

 縫子は服飾系の専門学校に、私は大学に通っているものの、私が配信者&コスプレイヤー&声優みたいな状態なので、そのマネージャーである縫子も込みで既に業界に足を突っ込んでいるような状態。

 千歌さん経由でも商業・同人問わずお仕事が舞い込んでくるものだから、かなり忙しい日々を送っている。

 

「今度の衣装はどうですか?」

「まだわかりません。新しい挑戦をしたいので、それが上手くいくかどうか次第です」

 

 次回のコスプレは某人気スマホゲームのキャラクターだ。次は何がいいか、と二人で相談していた時にガチャの更新予定がアップされ、そのビジュアルが印象的だったので「これだ!」と決定した。

 ガチャに追加され、その評判が広まるまでにはしばらく時間がある。次回参加予定のイベント時期とも重なるのでちょうど良かった。

 ただ、スケジュール的には結構タイトだ。

 出られるイベントにはなるべく出る、という方針で動いているので、その度に新衣装を作るのは物凄く大変だ。技術のいらない部分は私も手伝っているものの、ほとんどは縫子の力。

 

「いつもありがとうございます」

 

 日頃の感謝を込めてお礼を言うと、縫子は作業する手を止めて顔を上げる。

 

「それは私の台詞です。アリスがいなければ、こんなに充実した日々は送れませんでした」

「私のせいで縫子を悪い道に引きずりこんでしまった気もするんですが」

 

 コスプレの道にハマらなければ、縫子は真っ当にファッションデザイナーを志していただろう。そして、きっと成功したはずだ。いちコスプレイヤーの衣装担当でいさせるのは勿体ない。

 けれど、縫子はむっとした雰囲気を見せて私の服を掴んできた。

 

「アリスと私はもう一蓮托生です。今更逃がしません」

「引きずり込まれたのは私の方、ですか?」

「ええ。こんな貴重な素材を他の人に渡すわけにはいきませんから」

 

 服は着る人がいてこその物だ、と、縫子はよく言っている。

 

『既製服の方が流通には適していますが、理想は全ての人がフルオーダーメイドすることだと思うんです』

 

 着る人間の希望を取り入れながら、細かな体型やイメージに合わせた最高の服を作る。

 あらゆる意味でコストがかかりすぎるのでそんなことできるわけがない。洋服のフルオーダーだって今の時代、普通の人はそうそう利用できないけれど、コスプレなら個人に合わせた最高の一着を目指すことができる。

 つまり、縫子にとっては私も服の一部なのだ。

 私以外が着てもフルのパフォーマンスを発揮しない衣装。それをとことん追求している縫子は、私のコスプレ衣装を作ることにかけては誰にも負けないだろう。

 

「なら、仕方ありませんね」

 

 微笑んで言えば、彼女もふっと笑って、

 

「わかってくれましたか」

「でも、お礼は言います」

「アリス」

「縫子のお陰で毎日楽しいのは本当なんですから、仕方ないでしょう?」

 

 しばらく前から、私は縫子のことを名前で呼んでいる。

 

『アリスは、姉と随分親しいですよね』

 

 拗ねたように言われたのが直接のきっかけ。頃合いを見て呼んでみたところ許してくれたので、それからは名前で統一している。

 ちなみに、名前で呼ばれるのが大丈夫になったわけではないようで、芽愛や鈴香が呼ぶと今でも怒る。私だけは特別なのだと思うと悪い気はしない。

 

「……仕方ないですね」

 

 息を吐き、作業に戻る縫子。

 私はお茶を淹れて二人分のカップを(少し離れた場所にある)ミニテーブルへ置くと、縫子が手を動かすのをのんびりと眺める。

 お茶を飲み終わったらストレッチでもしよう。体型が大きく崩れた経験は未だにないものの、それが年齢によるものか『設定』によるものかわからない。崩れた時が怖いのもあって、できる努力は続けている。その分、こまめにやっていかないと時間が足りない。

 そうして、せわしないようなゆったりしたような、不思議な時間が流れて、

 

「アリス。対象の年齢層を上げたコスプレに手を出す気はありませんか?」

 

 手を止めないままに縫子が尋ねてくる。

 ぼかした言い方をしているが、要は年齢制限のあるコスプレだ。コスプレはただするだけだとお金が稼げない。グッズを売ったりしないと材料費や交通費が出ていくだけになる。その点、女性的魅力を強く押し出したコスプレは売れ行きが良い。

 前にも何度か打診されたことがある。

 大学生になったので私たちがやっても問題はないのだけれど、これまではやんわりと断ってきた。

 

「私、幸いお金には困っていないので。手間賃や技術料、足りなければもっと増やしましょうか?」

「お金の問題だけじゃありません。わかりやすい人気の指標になるので売れ行きは重要ですが、贅沢がしたいわけではありませんし」

「じゃあ……」

「表現の幅が広がります。今までできなかったことにも挑戦していけると思うんです」

 

 縫子の言いたいことはわかった。

 芸術は「美」の追求だ。美しさを表現するのに男性、女性という「性」を隠すのは悪手といえる。むしろ、深く追求する芸術家ほど過激になりがちだと思う。

 宗教画の中には裸身を描きながら神聖性を表現したものもある。裸や下着姿がイコールいやらしいものだとは限らない。

 

「売るためだけの表現をする気はありません。私はアリスの魅力をもっと引き出してみたい。別の制約の中でどんなアプローチができるかを試してみたいんです」

「なるほど」

 

 私は深く頷いて、

 

「下着のデザインが溜まってきたから使いたい、とかでもないんですね」

「───」

 

 縫子は不自然に間を置いた後で「駄目ですか?」と尋ねてきた。若干、開き直ったように聞こえるのは気のせいだろうか。

 ともあれ、尋ねられた私はむう、と思案する。

 言い分はわかった。乗り気でなかったのはコスプレをビジネスにしたくないから、というのが大きかった。特殊なコスプレとなれば相応の指定がついたイベントでないとできない(あるいは撮影したデータでの販売などになる)ので、一般の人に広く見られる心配もない。どの程度の露出を目指すかはその都度、相談すればいいことだろう。

 私では荷が重いかもしれないけれど、女神の持つ神秘的な美を目指すこともできるかもしれない。

 どうしても嫌、という理由がない。

 ただ、

 

「縫子は、私のそういう姿がたくさんの人に見られてもいいんですか?」

 

 私たちはお互いの身体を全て知っている。

 同性だし、ルームシェアをしているのだから不思議なことではない。そもそも中学生の時点で一緒にお風呂に入ったことがある仲だ。

 けれど、それだけでもない。

 お互いに言葉にしたことはないものの、何気なく、一緒にシャワーを浴びたり、一緒のベッドで眠ることがある。着飾った私に触れる縫子の指に乗った何らかの感情に気づいたこともある。

 だから、確認する。

 

「……綺麗だから、他の人にも見て欲しいんです」

 

 顔を上げた縫子が真っすぐに私を見つめてくる。

 キスをされたわけでも、押し倒されたわけでもない。服も着ているのに、何故か強い動揺を覚えた。

 胸の鼓動が早くなるのを感じながら、私は彼女を見つめ返して、

 

「見せる部分はきちんと選びます。アリスの近くにいて、全てに触れられるのは衣装担当の特権ですから」

 

 そこは「パートナー」とか言ってくれてもいいのだけれど。

 

「わかりました」

 

 私は笑顔を浮かべて頷いた。

 そういうことなら付き合おう。彼女の表現したい私を、私の力でより美しく見せられるようにしてみよう。

 

 こうして、私たちはさらなる一歩を踏み出すことになった。

 

 まあ、私たちのプライベートでの関係が進展するのはもっと先のことになるのだけれど──それはまた別のお話、ということにさせてもらいたい。



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【鈴香エンド】聖女、教師になる

 学生の頃はファッション楽だったなあ、と、最近しみじみと思う。

 レディーススーツという便利アイテムはあるけれど、大人の女性に対する女の子の目線というのはなかなかにシビアだ。

 同じスーツばかり着ていたら『ダサい』と思われるし、ローテーションするにしてもスカーフやアクセサリーを上手く使って印象を変えていきたいところ。

 スーツ以外の服を着る場合はより一層難しくて、カジュアルになりすぎず、かといって堅苦しくなりすぎず、もう子供ではないけれど若さも適度にアピールする必要がある。

 

 なので、毎回少しドキドキしてしまうのだけれど、幸い、今日も()()()()からは明るく声をかけられた。

 

「アリス先生、おはようございます」

「先生、今日もすごく綺麗です」

「おはようございます。それから、ありがとう。今日も一日頑張りましょうね」

「はーい」

 

 校庭にある桜の木が枯れなくなってから約十年。

 私立萌桜(ほうおう)学園には今日も女の子たちの元気な声が満ちている。

 適度に補修・改修工事を挟んでいるお陰か、それとも、不死鳥を何度かしばき倒した効果が出ていたりするのか、校舎もまだまだ美しさと風格を保っている。私たちが通っていた頃とはところどころ変わっているものの、全体の雰囲気は「ああ、変わらないなあ」という感じだ。

 通い始めたのは中三の途中からだったものの、ここで過ごした日々はとても長く、そして楽しく感じた。だから、ここにいると自然に心が和む。

 

 体育祭や文化祭のミスコンが行われたグラウンド。

 クリスマスパーティなどでも訪れた体育館。

 始業式や終業式でお世話になった講堂。もちろん何気ない廊下や教室の風景も、何もかもが愛おしい。

 

 戻ってきて良かった。

 私は口元に笑みを浮かべ、行き会った生徒たちに挨拶をしながら、職員室の戸を開いた。

 

「おはようございます、ブライトネス先生」

「おはようございます、吉野先生」

 

 女性教師が多いお陰か清潔に整えられた職員室。

 中堅どころと言っていい立場になった吉野先生や、学生の頃にもお世話になった先生方、さらにここに来てから初めて会った先生方にも挨拶をする。

 吉野先生、きりっとしているけど少し眠そうだ。自分に厳しい彼女が『そう』だということは、夜更かしする理由が仕事以外にもあったのだろうか。

 

「吉野先生、疲れた時には栄養ドリンクが効きますよ」

「良く知っています」

 

 一瞬、じとっとした目を私に向けてから、先生はふっと口元を緩めた。

 

()()から特製ドリンクの追加分を受け取っています。いつも通り、部室の冷蔵庫に補充しておきましたので、後で確認してくださいね」

「わかりました。いつもありがとうございます」

 

 ドリンクの製造責任者である銀髪の美女には私からも別途お礼のメッセージを送っておこう。それでもし、返信として「お礼はキスがいいなー」とか送られてきたら丁重にお断りしなければならない。

 恋人がいるのになかなか落ち着いてくれないあたりはさすがというか、相変わらずで安心するというか。

 吉野先生からも「研究ばかりであまり会いに来てくれない」とときどき愚痴を聞かされる。

 

「あ、ブライトネス先生。特製といえば、例の肥料の追加をお願いしたいんですが」

「わかりました。私から業者に連絡しておきますね」

 

 と、これは園芸部の顧問をしている先生から。

 わが校の園芸部は私が入部した頃に比べて部員数が増えており、また、ここの土だといい植物が育つと界隈では話題になっていたりするらしい。

 なかなか熱心な部員も多いようで、私が紹介したとある業者の肥料は大好評である。いやまあ、紹介というのは建前で私が作っているのだけれど。

 女神の祝福を受けているので効果はお墨付きである。

 

 さて、もうすぐ職員会議。

 朝の職員室というのは結構バタバタしていて忙しい。授業中、かつ自分の授業のない時間なんかは結構のんびりできる時もあるのだが──。

 

「皆さん、おはようございます」

 

 そんな時、学年主任と教頭、()()()()、それからお洒落かつ高級そうなスーツを着た一人の女性教師が職員室へとやってきた。

 引き締まる教師たちの表情。

 職員会議の開始が告げられるのを聞きながら、私はやってきた若い教師──緋桜(ひおう)鈴香(すずか)へさりげなく「お疲れ様」とアイコンタクトを送った。

 

 

 

 

「お待たせ、アリス。遅れてごめんなさい」

「お疲れ様です、鈴香。大丈夫。そんなに待っていませんよ」

 

 いくつかある生徒指導室の一つ。

 狭い部屋の中央にあるテーブルにお弁当箱を載せた私は、少し遅れてやってきた鈴香を見て笑顔を浮かべた。

 鈴香もまた私に笑顔を返しながら、手に持った二本の缶を示してくる。その一方──レモンティーに私が手を伸ばすと、冷たい缶がぴと、と頬に押し当てられた。

 

「もう」

 

 軽く頬を膨らませ、視線で抗議を示してから缶を受け取る。それから、私たちはどちらからともなく身を寄せ合い、唇を合わせた。

 

「毎日大変ですね、()()()()

 

 さっきのお返しの意味も込めて言えば、鈴香は椅子に腰かけながら苦笑を浮かべた。

 

「アリスが世界史の先生じゃなくて、私の秘書になってくれていればもう少し楽だったんだけどね」

「う。それは、何度も話したじゃないですか。未経験同士でコンビを組んだってあんまり意味がないって」

「まあね。アリスがいてくれるお陰で、私も他の先生方と馴染めているわけだし」

 

 頂戴、とばかりに手を伸ばしてくる鈴香に、私は二つ用意してあるお弁当箱のうち一つを手渡す。

 お嬢様の嗜みとして料理も修得している鈴香だが、「そんな時間はないわ」と自炊をサボり気味。当然、お弁当なんて作っている余裕もないため、代わりに私が二人分作っている。

 

「こうして、美味しいお弁当にもありつけるわけだしね」

「鈴香だって本気を出せば料理できるじゃないですか」

「ダメよ。私の料理は応用が利かないし、それに、未だに芽愛(めい)と情報交換しているアリスに追いつけるわけがないでしょう」

 

 確かに、鈴香の料理は教科書通りというか、料理教室で習うような手順をそのままなぞるところがある。

 良い食材と良い設備で丁寧に仕事をすれば美味しいものを作れるのだが、あり合わせの食材で作るとか手早く美味しいものを作るとかは苦手としている。

 一方、街の定食屋も高級レストランも等しく愛している芽愛の料理は自由自在。そんな芽愛と、家庭用のキッチンを縦横無尽に駆使する凄腕のメイドさん(ノワール)から薫陶を受けた私もそこそこ筆を選ばず料理できる自信がある。

 ここで私はくすりと笑って、

 

「仕方ないですね。私は鈴香の女房役みたいなものですから」

 

 これには彼女も素直な答えを返してきた。

 

「ええ。頼りにしているわ、アリス」

 

 私と鈴香は同僚であり、上司と部下であり、そして恋人同士でもある。

 進路の最終選択が迫った高校三年生の当時──私は悩んだ末にとある大学の教育学部を志望した。決断する最後の一押しとなったのは、他でもない鈴香の言葉だった。

 

『ねえ、アリス? 将来、萌桜で教師をする気はない?』

 

 当時、鈴香もまた人生の岐路にいた。

 偉大な祖母を持ち、その祖母と(漢字こそ違うものの)同じ名前を与えられた彼女は、一族から多大なる期待を寄せられていた。

 一族の持つ会社を継ぐもよし、自分で起業するもよし、医者や弁護士、はたまた国会議員になるのもよし、ただしどの道を選ぶにせよ失敗は許されない──そんな空気のある中、彼女が望んだのは、祖母が愛し、自らも六年間通った萌桜学園を継ぐという道だった。

 大学では教育学と経営を学び、卒業後は教師として経験を積んだ後に学園の経営側につく。言うだけなら簡単だが、そのプランは決して楽なものではない。

 真剣に決めた道であることは、二人きりで私をじっと見つめる彼女の表情から手に取るようにわかった。

 私は一瞬だけ悩み、すぐに頷いた。

 

『はい。いいですよ』

 

 実のところ、その時点で私は教師になることをほぼ確定させていた。

 吉野先生と三年かけて仲良くなったこと、友人の弟や妹と触れ合って「子供を教えるのもいいなあ」と思ったこともあって、私の中には教師という選択肢が大きく存在していたのだ。

 悩んでいたのは小中高どれにするか、あるいは少しズレるけれど保育士の資格を取ろうか、それからどの大学に進むのが一番いいかというところだったので、鈴香と一緒の大学に進んで高校教師になる、と一本化できたのはむしろ渡りに船だった。

 けれど、私がほぼ即答したのが意外だったのか、誘った鈴香自身が目を丸くして、

 

『いいの? アリスなら他の道だって選べるでしょう? 芽愛と料理の道を究めるとか、縫子と専門学校に行くとか、なんならアイドルにだって──』

『いいんです。私が、そうしたいと思って決めたことですから』

 

 私は、鈴香の言葉をきっぱりとシャットアウトした。

 

『これからも、あなたの隣を歩かせてください』

 

 鈴香は飄々としているようで意外と不器用だ。

 鈴香を嫌っている子は少ないが、特に親しい相手というのは数少ない。親友となれば芽愛、縫子、それから私、そこへ後からラペーシュが何食わぬ顔をして滑り込んできた程度で、後は鈴香自身がさりげなく遠ざけ、適度な距離から近づけないようにしていた。

 気の置けない人付き合いというのが苦手な子なのだ。

 だから、私は踏み込んだ。進学に際してこれまでの交友関係がリセットされ、鈴香が一人ぼっちになってしまわないように。

 大切な人が寂しさから壊れてしまわないように。彼女でなければ成し遂げられない大きなことを成し遂げてくれるように。

 じっと見つめ返された鈴香は瞳に涙を溜めながら笑って、言った。

 

『二言はない? ……決めたからには逃がさないわよ、アリス?』

 

 私は『望むところです』と返した。

 

 私たちは同じ大学、同じ学部へと進学。

 共同生活を送りながら、鈴香は経営学部の授業を、私は文学部や国際教養学部の授業を積極的につまみ食いし、今後のための知識を蓄えた。

 鈴香が一人暮らしをするにあたってはひと悶着どころかかなりのやり取りがあったらしい。中でも鈴香のお付きである理緒さんの説得はかなり大変だったようなのだけれど、最終的には無事に許可が下りたらしい。

 

『アリス様。お嬢様をよろしくお願いします』

 

 私の存在が決め手となった、という話も聞いたけれど、それがどこまで本当だったのかはわからない。

 私には鈴香の使用人になることはできない。理緒さんやお屋敷のメイドさんと同じ役割なんてできるわけがない。だから、パートナーとして傍にいるのがやっとだったのだが、法改正があって同性婚が認められるようになったという追い風もあって、私は「緋桜鈴香のパートナー」として名実共になんとか認められることができた。

 

 私たちの大学在学中に、残念ながら鈴香の祖母は亡くなった。

 

 鈴香は祖母から萌桜学園の所有権を相続し、実質的な学園のオーナーになった。校長の仕事は代行となる人を雇い、そちらに大部分を任せているものの、一教師として働いている現時点で既に「理事会の末席」を有しており、また、学園の「経営」ではなく「教育」に関わる分野では最高権力者として君臨している。

 大学を出て間もない教師でありながら理事の一人であり校長でもある。そんな鈴香の立場に多くの教師は困惑した。当然、風当りも強かったが──鈴香の言った通り、彼女の同期であり古くからの友人であり、プライベートにおける恋人でもある私の存在が矛先を逸らす役に立っている。

 私を通すことでお互い忌憚のない意見を言いやすいし、私が緩衝材となることで仲良くなる切っ掛けも掴みやすい。このまま鈴香が経験を積んでいけば、名実共に頼れる校長先生になれるだろう。

 そうなった時には、私が秘書になってもいい。

 

 

 

 

 そんな私たちだけれど、今は同居せず別々に暮らしている。

 理由として一番大きいのは、

 

「アリスは放課後、今日も部活?」

「はい。将来有望だけど危なっかしい一年生の子がいるので、できるだけ見守っていてあげたいんです」

 

 私が顧問になった『部活動』だ。

 私と同じ『変身者』で構成されたこの部は、変身者たちの受け皿兼、定期的な邪気祓いを行うための組織として機能している。ラペーシュや教授の奮闘により、昔と違って戦闘中は隔離空間を形成できるようになり、死亡や負傷のリスクも低くなった。

 初代顧問である吉野先生から部を引き継いだ私は日々、みんなのメンタルケアや鍛錬に気を配りながら、学園の敷地内に設けられた部室兼生活スペースにて寝泊まりしている。

 鈴香に私の秘密がバレたのは、彼女の祖母の治療を引き受けたのがきっかけだった。

 人は寿命には逆らえない。私が治療してから一年後には結局、亡くなられてしまったのだが、病気ではなく老衰によって亡くなられたお陰で安らかな最後を迎えられたらしい。

 それから、鈴香は私にとっても最大の理解者となっている。将来は学園に小さな神殿を建てたり、選択科目として女神の教えを説く授業を入れる計画もある。

 

「それじゃあ、お互いに頑張りましょうか、アリス」

「はい。頑張りましょう、鈴香」

 

 空になったお弁当箱を受け取った私は、最愛の女性に笑顔を返しながら、明るい未来に想いを馳せた。




個別エンディング編はこれでひとまず終了でしょうか。

ハーレムルートとして「アリスは顕性の金髪遺伝子を持っていることが発覚(創作作品ではハーフの金髪が普通に生まれるから)、国どころか諸外国からも多くの子孫を残すように依頼されて……」なんていうネタを思いつきましたが、さすがにアレかなと思ったのでここでネタだけ供養します。


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【番外編】瑠璃、即売会でコスプレする

Skebでリクエストいただいて書いたものです。
即売会回。


 早月瑠璃は、普段から早起きを心がけている。

 早寝の方は諸々の事情──メイク動画やファッション動画に夢中になったり、スマホゲームのイベントを走ったり、撮りためたアニメを一気見したりで守れないことも多いものの、剣を振るう者として自堕落な生活はできる限り避けたいからだ。

 お陰で、中学校の同級生からは「真面目過ぎ」「格好いい」と言われている。シェアハウスの先輩方と比べても、紅と銀の二人よりはよほど自制できているはずだ。

まあ、家の家事全般を楽しそうにこなしつつ声優まで始めたメイドさんや、興味を持った事に片っ端から挑戦し続ける金髪の少女にはさすがに敵わないが。

 

「んっ……」

 

 そんな瑠璃にとっても、その日の起床時刻はひときわ早いものだった。学校のある日なら確実に二度寝を決め込む時刻。

 しかし、今日ばかりはここで起きなければならない。

 可愛いクッションとぬいぐるみが散りばめられたふかふかのベッドから身を起こし、ぐっと伸びをひとつ。眠気はいい感じに取れている。

 

「昨日はさすがに早く寝ましたからね……!」

 

 決戦の日である。ある意味、『人に言えない方のアルバイト』でボスに挑む時よりも気合いが入っているかもしれない。ぐっと両手を握って朝の身支度のために動き始める。

 

「天気予報は快晴、ですか」

 

 夏真っ只中。気温もかなり高い予想。シェアハウスは各部屋にエアコンが設置されていて過ごしやすく、今年の夏は寝苦しさも感じていないものの、外に出るなら対策は必須。

 まずは一階に降りてシャワーを浴びる。夜中に爆発音が響いたり、エロゲをプレイ中の某少女が奇声を上げたりすることもある家なので騒音はあまり気にされないが、一応、早い時間なので足音は殺しておいた。

 冷水に近いシャワーで身を清め、同時に気分をすっきりさせた後、全身に日焼け止めを塗る。海水浴に行くわけではないので防水よりも効能重視のものを選んだ。

 

「よし。こんなところでしょうか」

 

 上機嫌で頷き、下着と服を身に着けたところで脱衣所に人の気配が近づいてきた。

 

「おはようございます、瑠璃さん。早いですね」

「おはようございます。アリス先輩こそ、さすがです」

 

 金髪碧眼の妖精、もとい天使、じゃない聖女、アリシア・ブライトネス。淡いクリーム色の寝間着を身に着けた彼女は照れくさそうに笑って、首を振った。

 

「興奮して早く目が覚めてしまったんです。それで、今日の予定をチェックしてから寝汗を流しに」

「戦場に赴くわけですからね。入念な準備は大事です」

 

 真剣に答えると、アリスは「怖くなってくるじゃないですか!」と小声で抗議してきた。そうは言っても事実なので仕方ない。

 

「アリス先輩。日焼け止めの用意は大丈夫ですか?」

「はい。私も自分のがあるので大丈夫です」

 

 アリスは「後で日よけや虫よけの魔法をかけますね」と言って微笑んだ。彼女と入れ替わりで浴室を離れ、あらかじめまとめてあった荷物をリビングへと移動させる。

 

「あ、おはようございます、瑠璃さま」

「ノワールさん。わざわざ起きてくださったんですか?」

 

 さすがに朝早いので朝食は自分で……と言っておいたのだが、キッチンには当然のようにいつもの女性が立っていた。眠気を感じさせない笑顔で挨拶を送ってくる彼女に感謝しつつも驚いてしまう。

 

「はいっ。出発前にきちんと食べて英気を養っていただきたいですから」

「あ、ありがとうございます」

 

 人生経験をどれくらい積んだらこの人のようになれるのか。定位置に腰かけてその仕事ぶりを眺めていたら、シャワーを終えたアリスがやってきて流れるように手伝いを始めた。

 やっぱり、もう少し料理の勉強をした方がいいかもしれない。

 

「いただきます」

「いただきます」

「はい。たくさん食べてくださいね」

 

 ノワールのお陰で美味しい朝食をたっぷり味わうことができ、戦場に赴く準備はばっちり整った。食後のお茶まで飲み干して、食休みの時間も取ってからアリスと二人、席を立つ。

 

「それじゃあ、行ってまいります」

「お土産、買ってきますね。ノワールさん」

「行ってらっしゃいませ、アリスさま。瑠璃さま」

 

 向かうのは萌桜学園の最寄り駅。スマホで連絡を取り合いつつ他のメンバーと駅前で合流する。

 

「やっほー、瑠璃。アリスちゃんも」

 

 四人の女子のうち、唯一の成人女性が駆け寄ってきて瑠璃の腕を絡めとってくる。昔からノリの良すぎる人だったが、同性になったことでさらに気安くなった。

 というか、荷物も多いんだから疲れさせないで欲しい。

 

「おはようございます、先輩」

 

 適当に腕を払いのけつつ挨拶をする。その間にアリスは他のメンバーと声をかけあっていた。腐れ縁の先輩──安芸千歌はひとまず放っておいて、瑠璃も彼女たちに挨拶する。

 

「今日はよろしくお願いします、先輩方」

「うん、よろしくね。えっと、瑠璃ちゃんだよね?」

「はい。早月瑠璃と申します」

 

 芽愛に縫子、それから鈴香。三人は瑠璃の参加を快く受け入れてくれた。鈴香などは「ラペーシュじゃなくてこの子ならいつでも歓迎なんだけど」とまで言ってくれる。少しいい気分だった。

 縫子は瑠璃へぺこりと会釈を返しつつ首を傾げて、

 

「瑠璃さんは姉と仲が良いんですね。どこで知り合ったんですか?」

「私が行きつけの和菓子屋で瑠璃がバイト始めたのがきっかけかな。趣味が合うんだよ、ね?」

「バイトは事実ですけど趣味は合っていません」

「へー? 私の演ってるキャラの推し率高い癖に」

「中の人で決めているわけではありませんので」

 

 大学時代の延長でじゃれ合っていたら、芽愛達に「仲がいいんだ」と納得されてしまった。甚だ不本意である。

 合流後はさっそく電車に乗って目的地へと向かう。

 

「……結局、来てしまったわ」

「まあまあ鈴香。来たからには楽しもうよ」

 

 今日の目的は、国際展示場で行われる大規模な同人誌即売会だ。鈴香と芽愛は縫子から、そして瑠璃はアリスから誘われての参加であり、そういう意味では立場が似ているが、モチベーションには大きな差がある。

 

「瑠璃さんは何のコスをするんですか?」

 

 縫子の質問に、瑠璃は笑顔で答える。

 

「はい。『Mode:Curse』の新作スマホゲーム──『ミスメモ』の真綾を」

「なるほど。瑠璃さんならとても似合いそうですね」

 

 黒髪の学生キャラなので相性は良い。最近の流行りから良いキャラを探した結果だ。問題は普段着が黒いうえにやや地味なことだろうか。

 

「私も香蓮コス用意したから併せしようね」

「本当はアリス先輩と作品を揃えたかったんですが……」

「私は縫子の作ってくれた『キャロル・スターライト』の衣装で決まりだったので……」

「アリスのそれはコスプレって言うのかしらね……?」

 

 アリスをイメージして作った二次元のキャラクターをアリス自身がコスプレするわけで、ぶっちゃけほぼ本人である。ただし、もちろん、それだけにハマり役なのは間違いない。

 

「楽しみです。実際に体験すると、どんな世界が広がるんでしょう……?」

「本当に楽しそうだね、瑠璃ちゃん」

「はい。何しろ初めてですから」

 

 瑠璃はコスプレイベントに参加したことがない。正確に言うと千歌に連れられて見る側、同人グッズを買う側では参加したことがあるが、コスプレイヤーとしては未経験だ。

 理由は単純。

 男子大学生だった頃は女装して街を歩くだけで十分コスプレだったし、それで手いっぱいだったからだ。女性に憧れがあった分、自分との違いや差は認識していたのでなかなか自信も出なかった。

(ついでに、もし千歌に見つかったら絶対にからかわれると思ったから、というのもある)

 しかし、今の瑠璃は女子。

 女性にまざってコスプレしていけないわけがない。しかもアリスまで一緒となれば、これはもう夢のような話だった。

 この日のために衣装も頑張って用意した。こうなればもう、後は全力で楽しむだけである。

 

 

 

 

「想像以上に暑いわね……」

「しかもすごい人だよ⁉」

 

 最寄り駅から出た瞬間、いや、最寄り駅に着いた瞬間からイベントの規模が察せられた。夏の日差しだけが理由ではない熱気に、明らかに多い来場者たち。

 知識としてはあったものの、開場までまだかなり時間があるというのに長い列ができている。

 

「鈴香。理緒さんは後から合流するんですよね?」

「ええ。ホテルにチェックインして、駐車場に車を置いてから来ることになっているわ」

 

 アリスや芽愛達と一緒に列を乱さないように並ぶ。日傘は邪魔になるので代わりに帽子を用意している。ただ、この炎天下に長時間だとどこまで効果があるか。

 

 瑠璃はさりげなくアリスを背に隠し、彼女が日よけ虫よけ等、各種魔法をかけるのを助けた。

 千歌も先輩らしく他のメンバーに向けて注意事項を告げる。

 

「いい? 一応あらためて言っておくけど、人の多いところだから各種対策はしっかりすること。水分と塩分の補給はもちろんだし、怪我とか盗難、後は痴漢なんかも無いとは限らないから」

「はーい」

 

 参加者の大部分は欲しいもの、見たいものがあって来ている善良な人間。悪意を持った者はごく一部だろうが、女子の場合は特に用心しておいた方がいい。

 瑠璃自身がセクハラに遭った場合は容赦なく関節技でも極めてやるが。

 

「あの、すみません。入場前のコスプレは控えていただけると……」

「あ、すみません。これ地毛なんです」

「!? そ、それは失礼しました!」

 

 アリスが係員に勘違いされた。帽子を被るなどして目立たなくしてはいるものの、金髪に白いワンピースはさすがにハマりすぎだったらしい。なお、動きやすさを考えてワンピースの裾は絞りショートパンツ、白ストッキングを合わせている。

 瑠璃も同じように暑さ対策プラス動きやすい服装だが、本番は着替えてからである。

 

「鈴香、大丈夫? 私の影にいていいよ?」

「ありがとう。……芽愛は意外と平気そうね?」

「あはは。夏場の厨房も結構凄い事になるからねー」

 

 心頭滅却すれば火もまた涼し。意外なところに暑さ慣れしている人物がいたものである。

 

「そうだ。良いものをもらったんです」

 

 シルビアが「実験も兼ねて」と提供してくれた、仮称コールドドロップ。見た目も味もただの飴だが、舐めるとしばらく身体がひんやりするという優れもの。

 舐めてみると実際、夏の暑さがかなり和らいで感じられた。鈴香達からも歓声が上がる。難点は舐めるタイミングを考えないと屋内で凍えかねない事か。

 

「そういえば、先輩、お仕事での参加はないんですか?」

「明日は企業ブースで売り子やる予定。今日はホテルに前入りさえしてれば問題ないから宣伝がてらコスしに来たわけ」

「なるほど。さすが、売り込みの機会は逃しませんね……って、つねらないでください!」

 そんな風に、開場までの時間は会話などでひたすら潰すことになった。周りの参加者もアニメやゲーム、マンガなどの話題で結構盛り上がっている。単独の参加者はスマホを弄ってみたり、あるいは修行僧のような形相で立ち尽くしてみたり。

「あっ、動き出した」

「お、ようやく始まったかな」

 そして、イベントの幕が上がった。

 

 

 

 

「ここもかなりの人ですね……」

「コスプレする人ってこんなにいるんだ。すっご……。これならコスプレで接客するお店とかやっても結構応募来るだろうなあ」

「あはは、芽愛は相変わらずすぐ食べ物に結び付けるんだから」

 

 アリス、芽愛、千歌と共にコスプレ用の更衣スペースへと移動する。縫子と鈴香はコスしないので別行動である。縫子は自分の衣装を自分で世話したがっていたが、コスプレイヤーしか更衣スペースには入れないルールなので仕方ない。

 

「アリス、大丈夫? 一人でそれ着られる?」

「はい。それなりに慣れているので大丈夫だと思います」

「あはは。文化祭でもコスプレしたもんね」

 

 女子ばかりの賑やかなスペース。空いている場所を探すだけでも大変な有様の中、それぞれ服を脱いで自分の衣装を纏う。

 

 アリスは縫子が作った『キャロル・スターライト』の衣装。

 アバターの方は製作会社によって「普段着バージョン」「メイド服バージョン」「浴衣バージョン」などが追加されているが、今回の衣装は最初の聖職者風コスチュームを元にしている。

 美しく長い金髪を纏めて銀髪のウィッグを被るという暴挙の末、カラーコンタクトを装着。ファンタジーに和風テイストを加えた独特の衣装は三次元に起こすにあたってのアレンジや通気性を良くする工夫も加えられた上、しっかりとした完成度を保っている。

 ぶつかっても痛くない素材で作られた錫杖を併せた立ち姿は、オーダーメイドしたアリス本来の衣装を見ている瑠璃でさえ、ほう、と息を漏らしてしまうほど見事だった。

 ウィッグとカラコンによって作り物感が出ていて逆に良かったかもしれない。アリスの華奢な身体つきと素の色白さはそれだけで強力だ。これで金髪と碧眼まで天然で晒したらコスプレ以前に素の魅力だけで周囲を圧倒してしまいかねない。

 

「良くお似合いです、アリス先輩」

「ありがとうございます。……あ、でも、ここからは『キャロル』でお願いしますね」

「了解しました」

 

 ハンドルネームというかなんというか。一応、最低限の身バレ防止はしておこうという配慮である。配信の件は芽愛も聞いているらしく、素直に「キャロルちゃん」と言い換えてくれた。

 

「ね、私のはどうかな?」

「はい。とても可愛いと思います」

「えへへ、そっか。良かった」

 

 芽愛は「私、あんまりアニメとか詳しくないから」ということで、特定の作品知識が無くても着られるメイド服だ。一応、瑠璃や千歌のコスプレと同じ作品に出てくるメイドさんのイメージ。

 なお、メイド服自体はノワールが所蔵していた物を借り受けている。実家の店を手伝う関係でウェイトレスは慣れている芽愛なので、メイド服の着こなしもばっちりだ。

 元の容姿が良いのもあって、メイド喫茶で働けば売れっ子間違いなしだろう。

 

「瑠璃さんもとても綺麗です。黒で統一すると凛々しい感じもしますね」

「ありがとうございます、アリス先輩」

 

 瑠璃のコスプレ衣装は制服なのか私服なのか原作でも触れられていないっぽい女子用の黒ブレザー+スカート。作中の学園は男子が黒、女子が淡いイエロー系の制服なのだが、男子制服を着ているわけでもない。似合っているが若干、謎のあるコーデだ。

 リボンではなくネクタイなのもあって可愛らしさ+清楚さ+凛々しさの良いとこ取りをしたような印象。最近出たばかりのゲームなのでショップ等で購入した衣装ではなく普通の服を(ノワールやアリスにも相談しながら)上手く組み合わせたり改造したりして完成させたのだが、瑠璃としても良くできたと思っている。

 早月瑠璃も元キャラは武家の姫という設定だ。戦っていない時は(時代や世界設定はともかく)可愛い女の子だったはずである。

 

「ね、瑠璃。私はどう?」

「はいはい。先輩ももちろん可愛いですよ。決まってます」

「そ、そっか。もちろん可愛いかあ……えへへ」

 

 千歌が扮したキャラクターは、瑠璃の扮するゲーム主人公とある意味対を成すキャラクター。同じ人物をリーダーと仰ぎ、その指示に従って行動する紅の髪の戦士だ。

 彼女も黒ベースのコスチューム。こちらは学校ではなく所属組織の制服だが、瑠璃のコスともある種似通った雰囲気がある。

 

「先輩はもともと凶暴なところがありますから、あまり演じなくても大丈夫そうですね」

「そうね。うん、噛みついて欲しい? それとも引っかかれたい?」

「え、ええと、話は変わりますが、原作アニメだとソックスでしたよね? スカートの下、タイツか何か履いてます?」

 

 ソックスと太腿の間、いわゆる絶対領域があるべき部分は光沢のある何かで覆われている。アダルトコスプレ禁止のイベントなのでその対策かとも思ったが、もしかすると、

 

「瑠璃だって似たようなこと考えてるんじゃないの?」

「っ!? ……なるほど、そういうことですか」

 

 千歌に衣装の胸元、というかその奥にあるインナーを突かれた瑠璃は悲鳴じみた吐息を上げながら頷いた。どうやらお互いにちょっと仕掛けを用意しているらしい。

 

「まあ、そのせいで暑いんですが……」

「これ、そもそも色が黒いしね……」

 

 組織のリーダーである原作主人公のセンスだと思われるので仕方ない。組織の名前もいかにも男の子って感じでどうなのか、と話しつつ、メイクも手早く済ませる。

 最近は顔をキャラに近づける方法も色々増えていて、目の印象までがらっと変えられる。千歌の友人情報やヒットしたコスプレマンガの影響で知って大変驚いた。もはやちょっとした特殊メイクである。

 見れば、アリスと芽愛も互いにメイクをし合っていた。

 

「……ああ。キャロル先輩とペアを組むチャンスが」

「あんたね。キャロルちゃんは原作詳しくないんだから上手くメイクできないでしょ」

「同じ声でも中身には大きな違いがありますよね」

「何か言った?」

「痛いです」

 

 頬をつねられた。

 ともあれ、メイクも完成。

 

「みんな、トイレは大丈夫?」

「大丈夫ですけど……先輩。そういうことは着替える前に言ってください」

「あはは。まあほら、女子トイレはいつ行っても超混んでると思った方がいいから、行く回数はできるだけ少なめの方がいいかもね」

 

 誤魔化し笑いを浮かべる千歌のことはとりあえずジト目で見ておいた。そんな瑠璃たちを見てアリスと芽愛が顔を見合わせ、くすりと笑って、

 

「じゃ、鈴香たちと合流しよっか」

「そうですね」

 

 スマホの通信も重い感があったものの、なんとか待ち合わせることに成功。すぐさま「ここはもう少し調整の余地が……」とか言い始めた縫子を鈴香が「後にしなさい」と窘め、

 

「さあ、会場に行きましょう……!」

「ああもう、この子ったら水を得た魚みたいに」

「これは瑠璃さんも今のうちに捕まえておいた方がいい人材かもしれませんね……」

 

 縫子の呟きはどういう意味かよくわからなかったが、それはさておき。

 どうしてもっと早く来なかったのか。いや、男子だった頃は「羨ましい」「どうして女に生まれて来なかったのか」とフラストレーションが溜まってばかりだったからだが。

 屋外のコスプレスペースへと移動すると、そこは早くも多くの人で賑わっていた。

 

「わぁ……」

 

 同人誌即売会と銘打ってはいるものの、コスプレもこのイベントの目玉の一つだ。当然、コスプレをしに来るレイヤーも、そしてそれを撮影しに来るカメラマンの数も多い。

 カメラマンの目に留まったコスプレイヤーは撮影され、SNSなどにもアップされる。現地に来ていないファンも一大イベントに注目しているため、上手くすれば一躍有名人になることも可能だ。

 

「ふむ。やっぱり、コス数の多い作品は人気のスマホゲームね。後は広い世代に人気がある育成ゲームのヒロイン、今期のアニメキャラか」

 

 千歌は現役声優らしく市場調査(?)っぽいことを呟いている。そう言う瑠璃もあちこち目移りしているが、

 

「あのコスプレは出来がいいです。あっちのあのコスはどうやって作っているんでしょう。近くで見てみたいです」

「わかります」

 

 くいくいと服の裾が引っ張られ、縫子に握手を求められた。瑠璃は自分が着るためなら作ることも辞さない派、縫子は作る専門のようだが、作る側の視点を持つ者同士としての共感が生まれた。がっしりと握手して微笑みあう。

 

「さて。それじゃあ適当な場所に移動しましょうか。ネタ的に私と瑠璃。キャロルちゃんが一人だと可哀そうだから芽愛とキャロルちゃんがペアかな。それでいい?」

「いや、先輩、そんなに私とキャロル先輩を引き離したいんですか。芽愛先輩と一緒でも併せになるじゃないですか」

「原作だと二人の絡みないじゃない。まあ、それはそれで美味しいけど」

「ま、まあまあ。みなさん一緒でも楽しいんじゃないでしょうか」

 

 と、アリスの仲裁を受けた結果、千歌の提案したペアで分かれるものの、付かず離れずの距離を保って合流したりペアを入れ替えたりする、ということになった。

 

「あっちで『May』と『ミウ』が併せしてるって」

「マジか。とりあえずチェックしておかないとまずいな」

 

 周囲の参加者達も楽しそうだ。自分でコスプレもしたいが、周りのコスプレもじっくり眺めたい。いくら時間があっても足りなさそうだ。でも、そんな状況が楽しい。

 四人+二人でちょうどよく空いていたスペースに移動する。さすがにすぐカメラが寄ってくることはなかったが、鈴香と縫子が当然のように高そうな一眼レフを取り出し始める。

 

「なんで二人ともそんなに本格的なんですか!?」

「なんでって、ねえ?」

「貴重な資料──もとい、皆さんの晴れ姿を収めるのにスマホのカメラでは足りません」

「縫子は絶対違うこと考えてる。あ、ううん、やっぱり鈴香もダメ。面白がってるでしょ!」

「あの、キャロル先輩? 皆さんいつもこんなに仲良しなんですか?」

「はい。とっても楽しいです」

 

 どうやらアリスは良い友人を持ったらしい。羨ましいような嫉妬してしまうような複雑な気持ちになりながら、鈴香達の向けるカメラに向かってポーズを取っていく。

 

「すみません、撮影いいですか?」

「あ、はい。もちろんです」

 

 そうしているうちに他のカメラマンも少しずつ寄ってきた。鈴香達が意識していたかは謎だが、サクラとしての役割も果たしてくれたらしい。

 シャッター音が響く中、笑顔を浮かべながらポーズを変えていく。

 

「……楽しい」

 

 着飾った姿を撮られるのにはある種の快感がある。モデルと呼ばれる職業の中にはその快感に取り付かれた人間もいるだろう。

 自分の容姿が、あるいは美に対する努力と探求心が評価されたような感覚。それが嬉しくないはずがない。

 

「ね。楽しいよね」

 

 この時ばかりは千歌の囁きに「はい」と素直に答えることができた。

 昔からの腐れ縁。色んな意味で可愛がられて若干鬱陶しい時もあった。気兼ねなく接することのできる先輩なのでついつい憎まれ口ばかりきいてしまうが、同性になった事でお互いの視点、考え方が近くなった気がする。

 同じことをして楽しめるようになったのは、お互いにとって良かったのかもしれない。

 

「でも、キャロル先輩とも一緒に撮られたいです」

 

 臆面もなく言うと、千歌は「仕方ないなあ」とばかりに苦笑し「でもって何よ」と言った。

 

「ま、じゃあ交代しましょうか」

 

 今度はキャロルとペアを組ませてもらう。若干コスの系統が違うのでアンバランスだが、まあ、キャロルも設定が設定だし、現代風のコスと並んでも特に問題はない。あるいは瑠璃の方を魔法学校の生徒か何かに見立ててもいい。

 

「あの、瑠璃さん? 私、決めポーズとかないんですが」

「魔法を使ってるつもりでポーズを取ればいいのでは」

「な、なるほど……!」

 

 納得したアリスは手のひらを突き出したり錫杖を掲げたりと自然に動くようになった。彼女の動きは何度も戦場(本物)で見ているので、瑠璃がそれに上手く合わせる。

 ポーズの度にぼそっと「ホーリーライト」とか口走っていてとても可愛く思えるのも隣にいる瑠璃だけの役得だ。

 

「あれ? っていうか、香蓮コスの人、もしかして千秋和歌?」

「はあい、そうでーす♪ 来期のアニメにも出るから視てくださいね♪」

 

 千歌の正体もぼちぼち気づかれ出したようだ。気づけばカメラマンの数も増えてきている。縫子は自作コスの威力に満足したのかふっと笑い、瑠璃達に「本を買ってきます」と囁いてきた。

 

「補給物資は鈴香に預けておきますので、適宜受け取ってください」

「了解しました。……と、その鈴香先輩は……?」

 

 程なく、邪魔にならないところで日傘を広げる鈴香が見つかった。と、思ったら普通に「写真を撮らせて欲しい」と声をかけられている。カジュアルではあるが日焼け防止に長袖のお嬢様風のコーデなので、コスプレっぽく見られたらしい。

 

「いっそ私、鈴香と並んだらそれっぽいんじゃない?」

「さすがです芽愛先輩」

 

 鈴香のところへ移動した芽愛が日傘を受け取り、鈴香を日光から遮る──と見せかけて自分も恩恵に預かり始めた。撮影も続いているが、まあ、鈴香も撮られるのは慣れているようなので問題はなさそうだ。

 瑠璃も千歌とアリスと三人で撮影を続ける。千歌と瑠璃がサイドに着くとアリスの重要人物っぽさが上がってSPっぽく見えるのでこれはこれでアリである。

 なお、ギャラリーから聞こえた「あの作品にあんなキャラいたっけ?」という声は無視した。

 

「あの、それってキャロル・スターライトちゃんのコスですよね? めっちゃ出来いいですね」

 

 とかやっていると、アリスの方もバレ始めた。

 

「それと、キャロルちゃんの中の人もイベント来てるらしいんですけど、どこにいるか知りませんか?」

「あ、えっと、私がキャロルです」

「は?」

「初めまして、キャロル・スターライトの中の人です」

「はああああああっ!?」

 

 通りすがりのカメラマンの発した奇声によって周囲の注目が集まり、結果、不可抗力的にキャロル・スターライト(中身)の存在が広まった。千歌のネームバリューもあって人が加速度的に増えていき──一日が終わってホテルに着いてからチェックしたところ、SNSやら掲示板で「美少女Atuberの中の人がガチで美少女だった件」が祭りになっていた。

 千歌と二人で同じ声で喋っている動画もバズり、瑠璃もオマケとして若干有名になった。

 周りに人が増え、囲いと呼ばれる現象が起きるようになると熱気はさらに上昇、さすがに辛くなってきた瑠璃は温存していた手段に出る。

 

「……暑くなってきたので、脱ごうと思います」

「る、瑠璃さん!? 暑さでおかしくなっていませんか!?」

「大丈夫です。この衣装、最初から二段構えなんですよ」

 

 ギャラリーから歓声が上がったような気がしつつ(男は馬鹿だな、と、元同類としてつくづく思う)、衣装に手をかけると、これに千歌が乗ってきた。

 

「いいわね。じゃあ、私も脱いじゃおっと」

 

 二人は制服の本体をキャストオフ。すると、その下から黒いレオタード的な衣装が現れる。作中に登場するパイロットスーツを元にした隠し玉である。このせいで余計に暑かったわけだが、こうして上にあった衣装を脱ぐと、

 

「だいぶ涼しくなりましたね」

 

 黒なので目立ちにくいのをいいことにところどころメッシュ素材を入れたりしたお陰だ。動きやすさも抜群だし、肌はしっかり覆っているので露出度も無い。

 

「まあ、確かに露出はないけれど……」

「ちょっとえっちだよね」

「め、芽愛。もうちょっと言葉を選んだ方が……!?」

 

 脱いだ衣装を畳んで荷物と一緒に避難させてから、あらためて二人でポーズを決めると、ぱしゃぱしゃというシャッター音が前よりも強くなった。

 訂正。

 後日、瑠璃もそこそこ話題になった。

 

 

 

 

「あぁー、もう疲れたー。お腹空いたー」

「あの後で食欲があるのは流石ね、芽愛」

「それはそうだよ。私にとってはご飯がメインイベントだもん。ホテルのディナーでも外のお店でもいいけど、しっかりチェックしなくちゃ!」

 

 初めてのコスプレイベントはとても楽しいものだったが、同時にとても体力を使うものだった。

 日焼け止めだけでは追いつかないほどの日差し。そして暑さも良い勉強になった。瑠璃達にはアリスの魔法とシルビアの飴があったのでだいぶマシだったが、他の女性コスプレイヤー達はこんな中で戦っているのかと戦慄を覚えた。

 なお、お昼ご飯はノワールが持たせてくれたお弁当+芽愛が作ってきてくれたお弁当+鈴香の使用人が作ったお弁当という豪華メニューだった。ファストフードやコンビニをあたっていたら地獄を見たと思われるのでこれは良かった点である。

 

「皆さん、お疲れ様でした。お土産は私と縫子様でしっかり確保しましたのでご安心ください」

 

 鈴香のお付きである理緒も途中から参加していたらしい。同人誌・グッズの確保において獅子奮迅の活躍をしてくれたと縫子が教えてくれた。ホテルの手配も理緒の担当なので、もう頭が上がらない。

 

「ありがとうございました。宿も、これから家に帰ると思うと眩暈がします……」

「とんでもありません。先回りして不安を潰すのが使用人の務めですので」

 

 ノワールを思い出し、アリスと二人「なるほど」と頷く。

 なお、そのノワールには彼女のベースとなったラブコメの二次創作本がお土産だ。瑠璃達は同人誌購入に回る余裕などなかったのだが、そこは縫子の希望に協力した報酬ということになっている。

 ちなみに、他のシェアハウスメンバー用のお土産もあるが、中でもラペーシュと朱華へのお土産は千歌か理緒でないと買えないものだった。まあ、流石である。

 

「ホテルに泊まるのなら二日目も参加できますね。どうしますか?」

「私は縫子のその元気に驚くわ……」

「ええと……私としてはコスプレを撮影する側に回ってみたい気もします」

 

 別の衣装を用意していればもう一日撮られる側も悪くないが、生憎そうではない。だったら、それこそ参考資料として色々見てみたい。

 アリスもこれに頷いて、

 

「それも面白そうですね。普通の格好をしていれば目立たないでしょうし、お祭りを見て回るような感覚で──」

「うん、アリスと瑠璃ちゃん以外ならそれでいいと思うけど」

「私も駄目なんですか……⁉」

 

 アリスはともかく、と思ったら「瑠璃ちゃん、コスの時とあんまり印象変わらないし」と言われた。扮しやすいキャラを選んだ弊害だった。

 一日でだいぶ堪能したらしい鈴香がぐったりしながら「まあ、いいじゃない」と呟く。

 

「行きたい人だけ行けばいいわ。私は明日、お洒落なカフェか何かでのんびりしているから」

「そうですね」

 

 こくりと頷く。

 即売会は全部で三日間ある。お祭りはまだ終わりじゃない。泊りがけになる可能性はノワールにも伝えてあったし、泊まることになった事もメッセージを送った。

 明日もこのお祭りを続けられる。

 

「全力投球できるのは学生のうちだけです。今のうちにしっかり堪能しておきましょう」

 

 笑って言ったら、千歌に後ろから抱きつかれた。

 

「まだまだ学生でいられる子が何を言ってるんだか」

 

 大学卒業を待たずにデビューしてしまった千歌からしたら羨ましい話かもしれない。変身によって猶予期間が伸びるというミラクルを起こしている瑠璃は、同じ境遇のアリスと顔を見合わせ、苦笑を浮かべる。

 しかし、声優である千歌はお祭りを開催する側に回ったとも言える。ある意味では引退するまで、彼女はお祭り騒ぎを続けられるわけだ。

 

「瑠璃さんなら、服飾の道に進むのもおススメします」

「何言ってるの。どうせなら声優目指しなさいよ。あんたもなかなかいい声してるんだから」

「えー、瑠璃ちゃん和菓子作り勉強してるんでしょ? そのまま職人さんになるのもいいと思うけど」

 

 縫子、千歌、芽愛が瑠璃の方を見て口々に言う。なんだか将来の選択肢が増えてしまった。漠然と「道場でも開けばいいかな」と考えていたのだが、一体どれを選べばいいのか。

 しかし、不思議と悪い気分ではなかった。

 瑠璃は心からの笑顔を浮かべ、仲間達に答えた。

 

「とりあえず、シャワーを浴びたいです」

 

 全員が「それだ」と同意してくれた。



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【番外編】変身者たちとTRPG

完全に趣味で書きました


「アリス、あんたたまには支援役以外をやりなさいよ」

「でも、私、神聖魔法を使っていないと落ち着かなくて。……というか、そう言う朱華さんだって魔法使い選ぼうとしてるじゃないですか」

「いいじゃない。ゲームの世界でくらい好きなだけファイアーボール撃たせなさいよ」

「私は錬金術師に拘りないかなー。MMOとかならまだしも、この手のゲームだと魔法使いとあんまり変わらないし。……ノワールさんはどうするのー?」

「わたしは皆さまが選ばなかったもので構いません。……強いて言えば盗賊が性に合ってはおりますが」

「せっかくだから吾輩はエルフになるぞ! なんといっても身長が高いからな!」

「教授。身長はゲーム的にあまり関係ないんですが、構いませんか?」

 

 ある休日。

 俺たちはシェアハウスのリビングに集まってわいわいと騒いでいた。それぞれの手にはラノベ調の表紙イラストが描かれた厚手の本。テーブルの上にはサイコロや筆記用具、お菓子や飲み物が置かれている。事情を知らない人がこの場面だけ見たら「?」となるだろう。

 今、俺たちは瑠璃の勧めでTRPGを遊ぼうとしている。

 誰かがふと「具体的にどういう遊びなの?」と聞いたのがきっかけだ。なら実際に一度やってみようという話になり、こうして時間を作ったわけである。

 TRPG──テーブルトークRPGは簡単に言うとネットを介したMMORPGのような事を紙とペン、会話だけで行う遊びだ。参加者の一人がGM(ゲームマスター)という役割になって進行役を務め、他のプレイヤーは一人につき一キャラずつ持ちキャラを作成してGMの用意したシナリオに挑む。

 作品によって現代ものだったりSFだったりホラーだったりとジャンルは色々なのだが、経験者ということでGMを買って出てくれた瑠璃が選んだのはオーソドックスなファンタジーものだった。

 なお、ルールブックと呼ばれるゲームの手引書は人数分ネットで購入した。本来学生には結構高い代物なのだが、俺達の財布はこの程度ではびくともしない。

 で。

 問題になったのはプレイヤー内の役割分担である。ファンタジーものなので戦士や魔法使い、盗賊、聖職者を用意するのがセオリーなのだが、

 

「まあ、アリスちゃんがヒーラーやったらリアルと変わらないよねー」

「そうですね……」

 

 リアルで慣れている役をやるか、それとも別のことに挑戦するかという独特すぎる問題が発生した。

 

「じゃあ私は戦士にしようと思います。前に立って皆さんを守るのも大事な役目ですよね」

「あんた剣道やってたんだしちょうどいいんじゃない? あ、あたしは魔法使い譲らないから」

「まあよかろう。五人いるのだから一人はどのみち自由枠だ。ふむ。では吾輩が盗賊をやるか。エルフは筋力以外のステータスが高めだからな」

 

 盗賊なら小人が一番向いている、とわざわざ教授に告げる者はさすがに誰もいなかった。

 

「じゃあ私が聖職者かなー。アリスちゃんの代わりにばんばん癒すよー」

「シルビアさんがヒーラーだと『実験のため』とか言ってわざと怪我させられそうね」

「朱華さま。さすがにそこまでは……しませんよね、シルビアさま?」

「やらないよ。魔法使う度に経験値が入るとかならともかく」

 

 恩恵があったらやるのか。

 

「では、わたしが自由枠なのですね。瑠璃さま。どうするのが一番良いのでしょうか」

「五人目はかなり自由度が高いです。戦士を増やしても安定しますし、二人目の魔法使いがいると火力が出ます。聖職者は前衛とヒーラーのサブを兼任できますし、二人めの盗賊は軽戦士の要領で前に立ってもいいですね」

「なるほど。では……聖職者にします。ヒーラーは多い方がいいですから」

「支援魔法もかけやすくなるし助かるよー。……あ、じゃあ私は攻撃魔法よりにしてもいいかも?」

「構わんが、シルビアよ。それだとお主が五人目枠だぞ」

 

 というわけで、役柄の割り振りは次のようになった。

 なお、プレイヤーの名前からして横文字が入り乱れてわかりづらいのでキャラの名前はプレイヤーと同じとした。

 

◆アリス :ファイター/モンク  人間、男

◆朱華  :メイジ  /メイジ  人間、女

◆シルビア:アコライト/メイジ  ハーフエルフ、女

◆ノワール:アコライト/サモナー ハーフフェザーフォルク、女

◆教授  :シーフ  /ダンサー エルフ、女

 

 このゲームはメインのクラスを四つから選んだあと、十以上あるサブのクラスから一つを選ぶシステム。俺はサブクラスの中から徒手格闘を得意とするモンクをチョイスした。

 

「あんた、モンクじゃ結局修行僧じゃない」

「いえ、朱華先輩。このゲームのモンクは信仰関係ないので、イメージとしてはむしろグラップラーです」

「あはは……その、防具を優先しようとしたら武器にお金が回らなかったので、じゃあ素手が強くなるクラスにしようかと」

「初期キャラの所持金がカツカツなのはよくある話だな。吾輩も七つ道具を買ったらだいぶ厳しくなったぞ」

「っていうかアリスちゃん男の子なの!?」

 

 シルビアの悲鳴に俺は苦笑して、

 

「女の子ばっかりになりそうだったので変えてみました。アリスなら男の子もいなくはないでしょうし、中性的な見た目の少年ということで」

「ああ、つまり男の娘ね。なにその美味しいキャラ」

「……アリス先輩が総受けということでしょうか?」

「瑠璃ちゃん? その単語は洒落にならないから後でお姉さんとじっくり語り合おうね」

「お二人とも後でお話があります」

 

 アコライトは侍祭、要するに下級の聖職者のことだ。

 サモナーは幻獣を召喚したり使い魔を手に入れて恩恵を受けたりできる。ノワールは最大MP上昇のスキルと使い魔に一回きりのバリアを張らせるスキルをここから得た。

 教授は「背が高い方が映えるだろう」と言って踊って戦うダンサーのクラスを選択した。シーフとの相性は良いので特に問題ない。

 

「で、瑠璃? あたしたちってもう仲間ってことでいいの?」

「ここからはGMと呼んでください。……そうですね。キャラ個別の導入を用意するやり方もありますが、今回は皆さん既にパーティーを組んでいる仲間とします。既に一度くらいは冒険をこなしているかもしれません」

「レベルは1だけどねー」

「世の中には続編が出る度にレベル1に戻る主人公もいるらしいではないか。フレーバーの経験でレベルが上がらないくらい不思議ではない」

 

 現実だと何もしなければ強くならないし、訓練なり実践を積めばそれは身になるのでこのあたりはゲームならではだ。

 

「こほん。……さて。皆さんには今回、なんとゴブリン退治をしていただきます」

「ゴブリンですね。相手にとって不足はありません」

「ゴブリンね。不思議な事に顔がありありと想像できるわ」

 

 そりゃ、リアルでは飽きるくらい倒してるからな……。

 

 

 

 

 

 というわけで。

 とある村に立ち寄った俺達が村長からゴブリン退治の依頼を受けるところから話はスタート。

 

「GMよ。これは断っても良いのか?」

「教授。依頼を断るのは悪いプレイヤーのやることだよー」

「断っても構いませんよ。その場合はこちらのランダム遭遇表でイベントを決めます」

「待ちなさい瑠璃。あたしでも知ってる有名ゲームのタイトルが見えるわよ!? それ別ゲーじゃない!?」

 

 太古の昔(誇張表現)には「わざと依頼を断ろうとするプレイヤー」の対策として依頼を受けたところからスタートする手法や事件に巻き込まれるところから始まるホットスタートの手法などが開発され、テクニックとして広められたりしたらしい。

 現代のTRPGはこうした歴史を経て「今回のあらすじ」をプレイ開始前に語るのが主流となり、その内容は確定事項として扱うようになった。

 

「もちろん、困っている人がいるのなら助けるべきです。受けましょう、教授」

「むう。そうは言うがこちらも慈善事業ではない。必要経費を差し引いて何日分の生活費になるのかきちんと計算してからだな……」

「教授。このゲームに生活費という概念はないので安心してください」

 

 宿代などは目安があるがプレイ中に特に必要な場合だけ所持金から消費する。それ以外の生活費は何かしらの方法で稼いでいるか、あらかじめ依頼料から差し引かれているものとして扱うのだそうだ。

 ふむふむとノワールが感心して、

 

「よくできているのですね……。寮完備の会社のようなものでしょうか」

「やめてよノワールさん。冒険者が単発の依頼で食いつないでる個人事業主だなんて現実は」

 

 世知辛い話すぎる。

 率先して依頼を受けようとした俺はみんなから羨望の眼差しを向けられ、照れくさくなって「話を進めましょう」と言った。

 ゴブリンが住んでいるのは歩いて数時間ほどの距離にある洞窟。詳しい数はわからないが十数匹程度ではないかという。

 

「ちなみに明かりも基本的に確保されているものとして扱います」

 

 なお太古の(中略)たいまつを何本持っていてどれに火が付いていて誰が持っているか、あとどれくらいで燃え尽きるかを真面目に管理していたケースがあるらしい。

 基本的に夜に戦っている俺たちとしては「当たり前だよな?」という思いもあるが、ゲームでいちいちそれをやっていては話が進まないし絶対忘れたり間違えたりする。ゲームなのにパーティー内に経理の人間とか置かないといけなくなる。

 と、なんだかんだ言いつつ移動を省略して洞窟の前に。

 

「見張りのゴブリンが二匹います。まだ向こうは気付いていません」

「狙撃しましょう」

「遠距離攻撃なら一人一回ずつ可能としましょう」

「私は何もできないので皆さんに任せます」

「波動拳とか撃てないの?」

「レベルが上がれば覚えられなくもないんですが、今は無理ですね」

 

 結局、朱華のファイアーボールとシルビアのホーリーライトで一匹が死亡、もう一匹には教授が「吾輩の武器は短剣なので投擲可能だ」とダメージを与えた。さすがに投げた武器は回収するまで使えないルールだが、教授は短剣二刀流なのでもう一本持っている。

 俺の拳と合わせて無傷で倒しきり、落ちた短剣も回収できた。

 

「見張りは大したことなかったわね」

「ですが、不意打ちで仕留めきれなかったので中に警告が飛んでいます。以降の展開が少し難しくなると思ってください」

「ほほう。となるとここからはシーフの出番か」

 

 教授が意気揚々とダイスを振り、幾つかの罠を発見して解除していく。

 しかし、さすがに全ての判定に成功できるわけではない。念のためにと挑戦した他のメンバーも失敗し、仕方ないからと進行した途端、

 

「はい。では前方からゴブリンによる狙撃です」

「今度はこっちが撃たれるんだ!?」

「これはトラップ扱いなので感知できれば解除の目があったんですが、残念でしたね」

 

 そして不意打ち扱いで出現する敵。弓持ちのゴブリンから一方的に攻撃を受けながらもなんとか耐え、態勢を立て直すと俺たちは敵との距離を詰めて、

 

「移動しましたね?」

「な!? まさかまだトラップがあるというのか?」

「いえ、ありません。移動は無事に完了します」

「怖がらせないでください……」

 

 二戦目が終わった頃には俺たちはだいぶ疲弊していた。

 

「ゴブリンって強かったんですね」

「あたしたちが弱いんじゃない?」

「アリス先輩とノワールさんこのゲームで言うと間違いなく10レベルを超えていますからね。……ちなみに朱華先輩は別のゲームのキャラです」

「まあ、ファンタジーに超能力者はいないわよね」

「それもそうですが、条件さえ整えれば誰が相手でもほぼ確殺はそういうゲームじゃないとありえません」

 

 思わぬところでゴブリンの強さを実感させられた俺たち。とはいえこれで倒したゴブリンは七体になった。戦いはあと一、二回だろうとポーション等を使って回復しつつ慎重に探索を進め、いくらかの戦利品を獲得しながらボス部屋へたどり着いた。

 

「ボス戦はゴブリンが四体、アーチャーが二体、さらにゴブリンメイジが一体です。メイジがボス格という扱いですね」

「多いな!?」

「GM、メイジを倒せば戦闘は終わるのですか?」

「いいえ。棲み処を追われると困るので彼らは死ぬまで戦います」

「やはり説得の通じない妖魔は滅ぼすしか……」

「アリスちゃん、中の人が漏れてるから!」

 

 戦々恐々としながらも俺たちは持てる力の限りを尽くして戦った。

 中でも役に立ったのは、

 

「ファイアーボールのくせに範囲化スキルがないと爆発しないのよね」

 

 その範囲化スキルで複数体を対象に取った朱華のファイアーボールだった。なんだかんだ言って頼りになるのが彼女である。

 俺と教授の拳と短剣もノワールの強化魔法によって威力を増し、確実にゴブリンの命を削り取った。なおシルビアはメイジの範囲化スキルでホーリーライトを拡大して攻撃していた。

 使い魔バリアにも助けられ、無事敵パーティーを撃破。

 ボスの隠し持っていた宝を手に入れて帰還し、村長から依頼料を貰ってシナリオは終了となった。お金と経験値の分配が行われ、次回があればこれを引き継ぐことができる。

 

「お疲れ様でした、皆さん。どうでしたか?」

「うん。今度ゴブリンの顔見たら燃やすわ」

 

 完全な八つ当たりだが同意見だ。

 

「機会があれば続きをやりたいですね」

「その頃には新入りが入っているかもしれんな」

 

 シェアハウスの珍しくのんびりとした一日だった。



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