彼と彼女は運命に抗う (宮川アスカ)
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第1話 彼女の名は

ウマの沼にハマった。


 

 有名な調教師がいた。

 

 多くの名馬を育てあげた彼は、とある出来事をきっかけに調教師を引退した。

 

 その出来事というのは、とある一頭の馬が関係している。

 その馬は、ジャングルポケット、クロフネ、マンハッタンカフェという素質馬揃いのライバル達を圧倒し、三冠をも狙えると言われていた名馬。しかしその名馬は、屈腱炎を発症し、早すぎる引退を余儀なくされた。

 

 その責任を感じた彼は、自らクビを決意。

 多くの人間が彼の引退を止めたが、彼の思いが揺らぐことはなかった。

 結局その馬が、彼の調教師としての最後の馬となったのだった。

 

 そんな彼は、2021年4月6日現在。この世を後にした。

 

 若すぎる死。悔いがないと言えば嘘になる。ただ、自身が熱意を注いだ愛馬達を看取ることは出来た。それだけが彼にとっての唯一の救い。

 

「あぁ、やっとこの苦しみから解放される」

 

 これが彼の最後の言葉。苦しくて苦しくて、それでも逃げ出せなかった、いや、自身が逃げ出す事を拒んだ現実。

 

 ただそれでも、やっと本当の意味で調教師という鎖から解放された。

 

 しかし現実は常に非情。

 

 彼は前世の記憶を持ったまま、次の世界へと命を宿したのだ。

 所為、転生。しかし、漫画やアニメでよくある様な異世界転生ではない。

 いや、異なる世界という点では異世界なのかもしれないが。

 

 彼が転生した先は、前世と変わらず地球だ。技術の進歩も前世と殆ど変わらず。輪廻転生かとも考えたが、これは間違いなく別世界だろう。

 

 何故そう言えるのか。それは、ウマ娘という存在にあった。

 

 ウマ娘。それは、一種の種族。

 彼女達は走る為に生まれ、ときに輝かしい歴史を持つ別世界の馬の名前と共に、その名を受け継いで走るとされている。

 つまり、その別世界というのが、彼のいた世界なのだ。

 

 腐っても元調教師だ。苦しい過去を持っていようと、彼が馬を、競走馬を、競馬を嫌いになる事など出来るはずもない。

 

 そのウマ娘という存在に、彼は胸を高鳴らせていた。

 特に興味深かったのが、世代と言う垣根を越えて、多くの名馬が1つの時代に集まっているということ。

 どの馬が1番強いのかという明確な答えがない議論。戦う事の出来なかった名馬達が競い合う。史実を知っている彼からしたら、こんなにも興奮するものはなかった。

 

 では何が非情なのか。

 

 それは、現世での彼の職業。それが、もう二度となる事はないと心に決めた調教師、基、この世界で言う所のトレーナーだったのだ。

 

 家系の影響から、彼は生まれた時からトレーナーになる事を余儀なくされた。

 

 

 そんな彼は、トレセン学園にて選抜レースを見に来ていた。

 せめてもの抵抗。トレーナー人生を終了したく、トレセン学園へのスカウトを断ろうとしたところ、理事長である秋川に無理やりこの場へと連れてこられたのだ。

 なんでも、せめて我が校のウマ娘達を見てから決めて欲しいとの事。

 どうせ見ても何も変わらない。それで諦めてくれるなら、と彼はその提案にのった。

 

 選抜レース。本格化を迎え、走力が開花したウマ娘達がその実力を披露する。

 

 秋川の狙いは、ここで未来あるウマ娘の可能性を見出させ、彼にウマ娘をスカウトしてほしいのだろう。

 

「トレーナーさん。これが本日の出走表です」

 

「……ありがとうございます」

 

 彼は理事長秘書の駿川たづなから出走表の紙を受け取る。

 その紙を見て、彼は少々驚く。そこにはマンハッタンカフェの名前が。

 

(ただまぁ、それだけだ……)

 

 確かに彼女の走りは素晴らしかった。しかし、それだけ。彼の心を動かす程のものでは無い。愛馬のライバルを見ても、彼の気持ちが変わることはなかった。

 

 

 

 その日の夕方、なんの気まぐれか。秋川へ最後の断りを言いに行く前に、ウマ娘達の練習場に彼は足を運んでいた。

 

「ん?」

 

 ボーっと彼女達の練習を眺めていると、彼は一際目立った2人のウマ娘に目がいった。

 周りとは明らかに違うレベルで走る2人。そのうちの1人に目を向けた時、彼の動きが止まった。

 

 そしてその次の瞬間、彼は理事長室へと走り出していた。

 

 あの走り方。彼には酷く見覚えがあった。見た目だけでは分からない。しかし彼には確かな自信があった。

 

(なんで今まで気づかなかったんだ! マンハッタンカフェがいるなら! 名馬が集まると言うのであれば! アイツだって──)

 

 バン! と息を切らしながら勢いよく理事長室の扉を開ける。

 

「何事!? おや! これはトレーナーくんじゃないか! 答えはもう決まったか!?」

 

 その言葉を聞いた彼は、高鳴る鼓動を抑え、口を開く。

 

「ええ。彼女の担当になれるのであれば」

 

 現実は常に非情だ。運命は残酷だ。

 

 ただ、この世界でなら…… 彼は、彼女は運命に抗えるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 2001年、皐月賞。

 

 その馬は、わずか4度の戦いで神話になった。

 

 異次元から現れ、瞬く間に駆け抜けていった。

 

 ライバル達を絶望させ、見る者の目を眩ませる。

 

 超光速の粒子。

 

 その馬の名は──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──アグネスタキオン




まぁ、プロローグ的な感じなんで今回は短めで。


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第2話 研究対象

タキオン星3にしてぇ〜


 あの後、俺は彼女との面会の為に部屋を1つ用意してもらった。

 

 それにしても随分と上質な部屋だ。座ると体が沈む程のソファに座っていると、目の前の扉が開かれる。

 

「おや? 呼び出しとの事だったから退学の話かと思っていたんだが…… 君は誰かな?」

 

 ピコっと立ったウマ娘特有の耳。無造作に肩口辺りまで伸ばされた茶色い髪。そのてっぺんには、長いアホ毛がユラユラと揺れている。

 赤い瞳にはハイライトがなく、どこか怪しげな目をしているものの、表情は死んでいない。

 

「はじめまして。俺はこの学園のトレーナー。に、なるかもしれない人間だ。まぁ、それもこれも君次第だけどな」

 

 俺の言葉に、ふむ。と彼女、アグネスタキオンは腕を組む。

 

「つまり君は私をスカウトしたいという事かい? なら諦めた方がいい。これ以上研究を遅延させるつもりはないんだ」

 

「研究?」

 

 俺がそう聞くと、タキオンは得意そうにツラツラと話し始める。

 

「ああ。特殊相対性理論に矛盾することなく、高速度より速く動く仮想粒子の存在は、未だ完全に否定されていないんだ。定説ではウマ娘の最高速度は時速70kmと言われているが、それ以上に到達しえる可能性を否定できる根拠は未だ見つかっていないんだよ!」

 

 タキオンはそう言うと、バッと手を広げる。

 

「分かるかい!? 可能性なのだよ! この脚は! この身体は! 

 

 可能性に満ち溢れている! 速く! もっと速く! 

 

 ──可能性の果ては、遥か彼方にあるのだから!!」

 

 その言葉に俺は驚愕し、目を見開き、そして、思わず笑みが込み上げてくる。

 

「ハハッ……。ハハハッ。アッハッハッハッハッ!」

 

 可能性の果ては遥か彼方にある。か……

 

 その言葉は、俺が前世で何度もタキオンに言ってきたものだ。

 それを彼女が口にしたのだ。そんなの、嬉しくないはずがないだろう!? 

 

「つまり、お前はウマ娘の肉体改造の為の健康な実験体が欲しいんだろう?」

 

「ああ。そういう事になるね」

 

「なら、いるじゃないか。うってつけの被検体が」

 

「ふむ。それはいったい……」

 

 首を傾げるタキオンに、俺はゆっくりと指をさす。

 

「お前だよ、タキオン。自分が構築した理論を他人に委ねるな。己で体現してみせろ。お前にはそれを実現できるだけの脚が、身体が、才能がある。そして俺にはそれを最大限まで引き出せる腕がある」

 

 タキオンが求めるのは月並みのトレーニングじゃない。

 必要なのはトレーナーが定めた価値基準か? いいや、ウマ娘達の価値基準だ。

 だから俺のトレーニングが必要でないと感じたのならやらなくても良い。何故なら日々のトレーニングでさえタキオンにとっては研究の一環でしかないのだから。

 

「ただそのかわり、証明しろ。他の誰でもない、己が最速だと。その超光速の粒子の先こそが、遥か彼方の可能性なのだと!」

 

 それを聞いていたタキオンは、驚いた様に笑い始める。

 

「クッ、クク……アッハッハッハッハッ! いやぁ、驚いた。面白いなぁ、君は。ウマ娘の価値基準に合わせる? そんな事を言ってきたトレーナーは君が初めてだよ!」

 

 タキオンはそう言い、ふふっとマッドな笑みを浮かべる。

 

「私が言うのもなんだが、君は相当狂っている」

 

「嫌か?」

 

「いや、気に入った。そうと決まれば早速職員室に向かおう。トレーナーが決まったというのに、このままでは退学になってしまうからね」

 

 タキオンはそう言うと、部屋を出て行こうとする。そして、ふと何かを思い出したかのように足を止め、首だけこちらを振り返る。

 

「なんだか君とは初めて会った気がしないよ。トレーナーくん」

 

「ああ、俺もだ。アグネスタキオン」

 

 窓から差し込む茜色の夕焼けを浴びた彼女は、この世のどんなものより美しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな事から始まったタキオンとのトレーニング生活。

 

 ──1日目。

 

「……来ない」

 

 早速だが、タキオンがトレーニングコースに現れる事はなかった。

 まぁ、それは良い。自由にさせるとは言ったからな。ただ、これが何日も続くようなら、それはそれで困る。必要最低限の練習には来て欲しい。そうでないと俺がいる意味がない。

 

 しかしなるほど。競走馬とウマ娘を同じとは考えない方が良さそうだ。ウマ娘にも心がある。もちろん競走馬にも心はあるが、ウマ娘はそれが人間に限りなく近い。

 

「今日は来なさそうだな」

 

 日も沈み始め、ウマ娘達も疎らにトレーニングを終了し始めている。とりあえず今日のところは帰ろうと思っていると、突然後ろから声をかけられる。

 

「おや? 待ちたまえよトレーナーくん。どこへ行こうとしているのかな?」

 

 そこには、初めて彼女を見た時と同じように、ジャージ姿のタキオンが立っていた。

 

「驚いた。今日は来ないものかと思っていたが」

 

「いやぁ、すまない。今日は最初から来る予定だったんだがね。想像以上に研究に没頭してしまったよ」

 

「いや、来るという意思があるのなら問題ない」

 

 俺はそう言うと、数枚の紙をタキオンに渡す。

 

「これは?」

 

「デビュー戦までにやってもらう必要最低限の練習メニューだ。余裕を持って組んである。研究を邪魔するつもりは無いが、この量だけは取り組んでくれ」

 

 俺の言葉を聞きながら、紙に目を通すタキオンはどこか怪訝そうな顔をする。

 

「ん? どうした?」

 

「いやぁ、なに。気にしないでくれ。思いのほかメニューが少なかったのでね」

 

 まぁ、確かに普通のメニューに比べればかなり少ない方だろう。

 ただこれは、タキオンのモチベーションと研究への時間を考慮したものだ。それにタキオンの研究が速くなる為のものだとは理解している。

 

「ただし、その研究が目標に繋がらないものだと判断した場合は止めに行くけどな」

 

「ほぉ。それは気をつけるとしよう。それにしても、このトレーニング。足腰や体幹。筋力強化がメインなんだねぇ」

 

「意外か?」

 

「……まぁ、そうだね。君も私の脚質は理解しているのだろう? ならばスピードに関するトレーニングをすると思っていたのだが……」

 

「普通はそうだろうな。だが、このトレーニングにもちゃんと理由はある」

 

 まぁ、その理由は教えないがな。

 

「そのほうがタキオンは研究意欲がますだろ?」

 

「へぇ、君は随分と私の性格を理解しているらしい」

 

 タキオンは紙で口元を隠し嬉しそうにこちらを見上げてくる。

 

「それにこの時間。俺としても中々有意義な時間だったしな」

 

「ほぉ、その理由は?」

 

「多くのウマ娘達のトレーニングを見る事ができた。例えば、あそこで走ってる彼女」

 

 俺はそう言うと、長く淡い茶髪のウマ娘を指さす。

 

「軽くしなやかな脚に、スタート直後の加速力。馬群の中での精神力と言うよりかは、最後の直線で抜かれまいという粘り強さがある。理由は分からないが今は先行での練習をしているようだが、これを逃げの脚質にすれば恐らく相当化けるだろうな」

 

「……驚いたな。彼女の事は元々知っていたのかい?」

 

「ん? いや、今日初めてみたよ。まだデビューしてないみたいだしな。確か彼女がここに来たのが15時位だから……丁度2時間前くらいか?」

 

(いやはや、本当に驚いた。1日どころか2時間見ただけで、君はそこまで理解したと言うのかい? ……全く。これは困ったものだね)

 

 俺がそう伝えると、タキオンは笑い始める。

 

「まったく、君のせいでまた新たな研究が出来てしまったよ」

 

 タキオンはそう言うと、手を横にし、やれやれと首を振る。

 

「君という1人の人間を解明したくなってしまった」

 

 手を顎に添え、こちら覗き込む様に、彼女は怪しく微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、きたるデビュー戦。

 

 光を超える素粒子と名ずけられたそのウマ娘は、瞬きすらも許さぬ圧倒的なスピードで、今、先頭でゴール板を駆け抜けていった。




評価や感想等貰えるとモチベに繋がります。
タキオンのアホ毛可愛いよね。


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第3話 プレゼント

3話目!自分はファル子ゲット出来ました!
Twitterやってるので是非覗いてみてください。https://twitter.com/Asuka_Miyakawa


 デビュー戦を終え、今日も今日とて俺はタキオンとトレーニングに励んでいた。

 タキオンは俺の想像以上にトレーニングに参加している。それこそ事前に考えていたトレーニングメニューに上乗せして計画を立て直さなくてはならない程に。

 理由を聞いてみると「君の事を知るにはトレーニングに来るのが1番効率的だからね」とのことらしい。あの時の怪しい笑みを思い出すと身の毛がよだつ。まぁ、やる気があるのはいい事なのだが……

 

 何はともあれ、デビュー戦はなんの不安要素もなく勝利出来た。

 クラシック期。目標は勿論あの時、幻に終わったクラシック三冠。その最初の関門が皐月賞。そこに帳じりを合わせる為に、このジュニア期にラジオたんぱ杯3歳S、クラシック期には皐月賞への切符を手にする為に弥生賞に出走する。勿論タキオンにもこのことは了承を得ている。

 前世と同じ3レース。未練がましいかもしれない。それでも俺は、運命に真っ向から抗いたい。タキオンには申し訳ないが、これは単なる俺のエゴ。もう一度、彼女とあの舞台を目指す為に。

 

 ただ……

 

「タキオン。どうかしたか?」

 

 今日のタキオンはどこか様子がおかしい。タイムが落ちているわけでも体調が悪そうに見えるわけでもない。ただ、フォームにブレが見られる。普通では気づかないような僅かな変化ではあるが、ここ半年でしっかりと体幹トレーニングをしてきたタキオンには珍しい事だ。

 

「おや、やはり君には隠しきれないようだ。いや、なに。どうにも最近研究に行き詰っていてねぇ」

 

 タキオンはそう言いながら額に手をやり、少し顰めた表情で首を振る。

 

 なるほど。しかしそうだな。最近練習に研究続き。気づかなぬうちに疲労が溜まっているのだろう。こういう時は基本何をやっても上手くいかないものだ。

 

「よし。今日のトレーニングはここで切り上げよう」

 

「ん? なに。気にしないでくれ。まだノルマの半分しか終わっていない」

 

「いや、集中力が散漫な状態で走っても怪我のリスクが上がるだけだ。それにたまにはリフレッシュも大切だろ?」

 

 俺は笑いながらそう言うと、ポン。とタキオンの頭に手を乗せる。

 その時、タキオンの右耳にピアスの穴が空いてるのが目に入る。

 興味本位で軽く触ってみると──

 

「ひゃァ!」

 

 体がビクンとはぬ上がり、普段のタキオンからは想像出来ないような可愛らしい声が耳に入る。

 

「……トレーナーく〜ん?」

 

「いや、その。あ〜……すまない」

 

 少し黙り込み、プルプルと震えているタキオンの顔は真っ赤に染っており、羞恥心のある目がこちらをキッと睨みつけてくる。

 

「はぁ、まったく。君はもう少しデリカシーを学んだ方が良い」

 

 タキオンがそれを言うか。と思ったが、ここはおとなしく黙っておく。

 

「まぁ、いい。それじゃあ、トレーナーくん。1時間後に寮前でまた会おう」

 

「ああ。……は?」

 

「おやおや。何を面食らった顔をしているんだい? 今日はリフレッシュなのだろう? 君からの提案なんだ、荷物持ちくらいは手伝ってくれたまえよ。トレーナーくん」

 

 タキオンはそう楽しそうに悪い笑みを見せると、トレーニングコースを後にし、スタスタと寮の方へと歩いていく。

 どうやら俺に拒否権は無いらしい。

 

 とはいえ、特に出かける事を拒否する理由もない。1時間後、寮の前で待っていると、肩を出した紫色の服を着たタキオンの姿が。

 ふむ。普段、研究の為に研究室に籠ることが多いタキオン。私服姿などあまり拝めるものでは無いが……

 

「可愛いな」

 

「かっ、かわ……!」

 

 おっと……。思っていた事をつい口に出してしまっていたらしい。

 

「どうして君はこうも、無表情でそんな事が言えるんだ!」

 

 顔を赤くし、ポカポカと俺の事を叩くタキオン。

 なんだろう。ここ数時間でタキオンの新たな面を多く見れた気がする。

 突然決まった事だが、今日の休暇。思った以上に楽しめるかもしれない。

 

 

 

「トマト1つでそこそこの栄養は摂取できるが、それでも足りないのがこの体の不便な所だな」

 

 商店街にて、タキオンは並べられた多くの食材を物色していた。

 

「トマトと……あとはサラダ用の蒸されたチキンを3つ買おう。たんぱく源がなければ筋肉機能の成長は見込めない」

 

「タキオンって、料理とかするのか?」

 

「料理ぃ? そんなものするわけないだろう。食事とは不足している栄養を補うための行為だよ? 大方の栄養素は生で食べても体内に入る。私は基本ミキサー派だよ」

 

 ……なんだミキサー派って。もしかしてあれか? 食材を適当にミキサーにぶち込んで飲んでいると言うことか? 

 彼女の私生活にまで口出しするつもりはないが、トレーナーとしてこの食生活は些か不安になる。

 

「はぁ。カフェテリアが毎日開いていればこんな面倒な事をしなくて済むのに」

 

「ならマンハッタンカフェの所に行ったらどうだ?」

 

「正気かい君? 彼女は珈琲しか入れてくれないよ。あんなもののどこがいいんだか」

 

 タキオンは研究の為カフェインを求める事が多いが意外にも珈琲が大の苦手だ。彼女の友人であるマンハッタンカフェが珈琲党であるのに対して、タキオンは紅茶党である。

 

「ふむ。なら、俺が弁当でも作ってやろうか?」

 

「君が食事を? そもそも君は料理ができるのかい?」

 

「まぁ、一人暮らしだしな。一般的な料理なら」

 

「ほぉ。君は一人暮らしなのか。それは良い事を聞いた。しかし随分と寂しいものだね」

 

 おい、それは別にいいだろ。ニヤニヤするタキオン。彼女はそれを聞いて随分と嬉しそうにしている。

 

「まぁ、何にせよ良いだろう。私にデメリットがあるわけではない。食に関しては君に任せてみようじゃないか。ただし、栄養バランスには気をつけてくれよ」

 

 こうして試しに今日の夕食は俺が作ることとなった。

 

 

 

「うーん。今日は良いリフレッシュになった。感謝するよトレーナーくん」

 

 日も沈み、夕日の光が街頭の光へと変わっていく中、タキオンは大きく伸びをする。

 タキオンの宣言通り俺は完全なる荷物持ちであったが、俺としても悪くない休暇であった。

 

「タキオン、ちょっとこっちこっち」

 

「うん? どうしたんだい?」

 

 前を歩くタキオンを呼び止め、こちら側へと手招きをする。

 不思議そうな顔をするタキオンの前で、彼女の荷物を手首にぶら下げながら、俺は胸ポケットから小さな箱を取り出す。

 

「ちょっと失礼」

 

 俺はそう言うと、箱の中身を取り出しそっとタキオンの耳元に手を運ぶ。

 

「これは?」

 

 タキオンはそう言いながら、自身の耳に付けられたピアスを触る。

 アイスグリーンの六角形が2つ連なったデザイン。何となくタキオンに似合いそうだと思いこっそり買っていた。

 

「ピアスホールは空いてるのにピアスつけってなかっただろ?」

 

「つまりこれは君から私へのプレゼントという事かい?」

 

「ん? まぁ、そうなるな」

 

「ふふっ。そうかそうか」

 

 タキオンはそう言うと、再び前へと向き直る。

 

「おい、なんだその含みのある笑いは」

 

「いや、なんでもないさ」

 

 彼女の表情を見る事は出来ないが、俺の前を歩いていくタキオンの尻尾は左右に揺れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『さぁ、やって参りました。本日の目玉、ラジオたんぱ杯3歳S。GⅢであるにも関わらず普段より大勢の客入りとなっています阪神競馬場』

 

 ラジオたんぱ杯3歳S当日。阪神競馬場に実況の男性の声が響き渡る。

 

『やはり、それだけ出走ウマ娘達に期待が高まっていると言う事なんでしょうね』

 

 落ち着きのある解説の声。彼女の言う通り、人気上位3人のウマ娘達に大きな注目が寄せられていた。

 

『ダービーが外国産馬のウマ娘に解放される事から、開国を促したペリー提督にちなんで名付けられたと言う彼女、クロフネ。現在は2連勝中です』

 

 クロフネ。彼女が今回のレースの1番人気である。

 

『1戦1勝中のアグネスタキオン、そして彼女達に対抗するのがジャングルポケット。順にゲートへと入っていきます』

 

 2番人気がタキオン、3番人気がジャングルポケットだ。この3人。誰が勝ってもおかしくない面子。

 前世でもそうだったが、3コーナーが1つのポイント。そして最終第4コーナーが仕掛けどころだと踏んでいる。

 

 そして12番、スターリーロマンスがゲートに入り、ゲートイン完了。

 ゲートが開き、今、勝負の火花が落とされたのだが、それからおよそ2分と経たずに観客席は熱狂の渦に包まれる。

 

『外からアグネスタキオン! アグネスタキオンが先頭だ! 

 

 2番手にクロフネですが、ジャングルポケット追い込んで! さぁ、クロフネを交わす勢い! ジャングルポケットが2番手に上がるか!? クロフネと接戦! 

 

 しかし強い強い! アグネスタキオン先頭! ジャングルポケット2番手! 

 

 アグネスタキオン快勝、ゴールイン!! アグネスタキオン、楽勝でした』

 

 スローペースを理解したタキオンは、3コーナーで早くもまくりはじめ、4コーナーでは先頭に並ぶ早仕掛け。出走したウマ娘達の中では最速となる上がり3ハロン34秒1を記録するという勝ち方で、2番手のジャングルポケットと2馬身以上の差をつけ、2分0秒8というレコードタイムを叩きつけた。

 

 これで2戦2勝。抜け出した彼女の影を、未だ踏むものは現れない。




ラジオたんぱ杯3歳Sは今のホープフルSの事です。トゥインクルシリーズではホープフルSですが、ここは史実にのっとってラジオたんぱ杯3歳Sにしています。
さて、それにしてもクロフネとかバチバチに出しちゃったけど大丈夫だろうか……


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第4話 皐月賞

4話目!


「──ラジオたんぱ杯3歳S、弥生賞、共に余裕の走り。弥生賞では良馬場ではないうえに少頭数では実験の参考にはならないとコメント。3戦3勝、早くも迎えるアグネスの春。底知れぬ走りはまさしく音速の貴公子。……ねぇ」

 

 トレーナールーム。ミーティングの為に足を運んでいたタキオンは俺の目の前で競馬雑誌を読みながらそう呟いた。

 タキオンがポイッと机に投げ捨てたその雑誌には【皐月賞目前! 注目のウマ娘特集】と書かれており、数人のウマ娘の中でも、大々的にタキオンの事が取り上げられていた。

 

「まったく。記者というものはコロコロと意見が変わるものだねぇ」

 

「まぁ、大抵はそんなものだ。あまり気にしない方が良い」

 

 デビュー前は、才能はあるのにレースに出走しないとの事で問題児扱いされていたが、活躍しだした瞬間清々しいほど綺麗な手のひら返し。

 しかし、タキオンはそういうのを気にしないタイプだと思っていたから意外だな。

 

 タキオンはあまり良い顔をしていないが、正直記者達の気持ちも分かる。トレーナーとしての主観的感情を抜きにしても、ここ直近の2戦は同世代の中でも群を抜いた走りだった。

 

 それを証拠づけるのが弥生賞。皐月賞への切符を手にできるトライアルレースでありながら、出走したのは僅か8人。タキオンが出ると知ったウマ娘やトレーナーが次々に辞退したのだ。

 これには、あのマルゼンスキーを彷彿させた人も少なくないだろう。

 そしてそこに拍車をかけたのがレース後のタキオンのコメント。

 

 ──今回のレースは馬場状態が悪かったからねぇ。本来欲しかったベストでの実験結果は得られなかったよ。

 

 この言葉に多くの人が衝撃を受けた。あれだけ余裕の走りをみせておきながら、これが彼女本来の走りでは無いのだと。

 

「何より私が1番気に入らないのはここだよ」

 

 タキオンはそう言うと、とある文字を指さす。

 

「……音速の貴公子。なんだ、かっこいいじゃないか」

 

 確かに厨二臭くはあるが、競馬における異名の多くはこんな感じだ。

 この世界では彼ではなく彼女であるタキオンに貴公子なんだな。とは思ったが、この学園の会長であるシンボリルドルフも皇帝だし、その辺は前世の異名をそのまま引き継いでいるのだろう。

 

「違う違う。まったく! 分かってないなぁ、君は。私はこの音速ってところが気に入らないんだよ!」

 

「えっ、そこ?」

 

「ないだい、その反応。侵害だなぁ。いいかい? 音速と言うのはMachの事だよ? 確かに速くはあるが、光速よりは遅いんだ。タキオン、それは超高速の粒子の事だ。音速では私の求める遥か彼方の可能性とは程遠いのだよ」

 

「なんだ、そういう事か」

 

「むっ、これを聞いてもその反応とは。薄情な奴だな君は」

 

 不機嫌そうな顔でこちらを見てくるが、俺からしたらそれこそ問題ではない。

 

「それなら、走りで証明すれば良いだろ。さっきも言ったけど、記者なんてのは、その場で見たものしか知らない」

 

 密着記者なんかはそうじゃないのかもしれない。ただ、そんな記者は圧倒的少数だ。

 記者と言うのはあくまで、読者の需要、誰かに読んでもらう為のインパクトのある記事を書くものだ。だから時には話を少々盛ったり、手のひら返しだってする。

 それに、たとえ密着記者だろうが、それよりも親身に向き合っている人がいる。

 

「タキオンの可能性は俺が1番分かってる。それ以外の言葉、いるか?」

 

「君が1番理解している、ねぇ。ふふっ。確かにその通りだ。それにしても、あぁ、その狂気じみた瞳。相変わらずゾクゾクするよ」

 

 タキオンはそう言うと、ずいっと顔を近づけてくる。

 

「近い近い」

 

 俺はお前のそのマッドな笑みにゾクゾクするよ。多分タキオンとは少し違う意味で。

 

 確かに俺はトレーナーとしては何処か狂気じみているのかもしれない。というか、狂気じみていなきゃ、同じくらい狂気じみているタキオンのトレーナーは勤まらないだろう。

 

 しかしそれでいい。レースで1番勝ちたいと思っているのは彼女達だ。

 

 だけど、1番勝たせてやりたいと思っているのは誰でもない、俺達トレーナーなんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、来たる4月。皐月賞。

 控え室で待機していると、ガチャりと扉が開かれる。

 

「やあやあ。どうかな? トレーナーくん」

 

 そこには、勝負服を身にまとったタキオンの姿があった。

 勝負服。それはGⅠを走るウマ娘達に与えらる衣装。

 

「それで? あれ、見せてくれよ」

 

 そんな俺の言葉にタキオンがピシッと固まる。

 

「あれって。い、今ここでやるのかい?」

 

 あれ。それは少し前の話。弥生賞を勝利し、皐月賞の出走が決まった事で勝負服のデザインを決める事になった時の出来事。

 

 

「タキオンって、いつもレース後に腕回してるけどさ。あれってなんなんだ?」

 

「ん? あぁ、普段は袖丈の長い白衣を着ているからね。白衣の袖を回すのが癖になってしまってるんだよ」

 

「ふむ。じゃあ、それもデザインに組み込んでおくか」

 

 

 と、いうのがタキオンの衣装が白衣のようなデザインの理由である。そして、あれ。つまりタキオンにその萌え袖状態で腕をグルグルと回して欲しいのだが……

 

「断る! 言われてやるのは恥ずかしというか、なんというか……」

 

「そこをなんとか」

 

「いーやーだ〜」

 

 くそ。相変わらずこういう所で羞恥心だしやがる。

 そんな会話を繰り返していると、レース出走の為にタキオンが呼ばれる。

 

「おっと。時間のようだ。私は行かせてもらうよ」

 

 タキオンはそう言うと、どこか勝ち誇った様な顔で入場口へと歩き出す。

 そんな彼女に、あの言葉をまだ言ってないないことを思い出す。

 

「タキオン」

 

「むっ。だから何度言われたって、絶対に──」

 

「全力でやってこい」

 

「……はぁ。これはあくまで独り言だが、レースに勝てば普段の癖が出てしまうかもしれないなぁ。あぁ、やれやれ困った困った」

 

 タキオンは立ち止まる事も、振り返ることもない。

 

 ──なら、見れそうだ。タキオンが勝てることは俺が保証する。

 

 ──ああ。だから私から目を離すんじゃないよ? トレーナーくん。

 

 今の俺達に、言葉は必要そうにない。

 

 

 

『クラシック三冠。その大きな夢に向けて、戦いの前に確信を持てる力とは。光を超える素粒子と名付けられた彼女にとって、ここまでの3戦はプレリュード。いよいよここからタクトが振られるクラシック第1楽章、皐月賞です。今回のレース、どう見られますか?』

 

『そうですね。皐月賞は中山の小回りコース。紛れが多いレースだと思いますけどね。ただ、やはり能力的には7番のアグネスタキオンが抜けていますね。そんな中で、ジャングルポケット、ダンツフレーム辺りがどう対抗するかが見ものですね』

 

 皐月賞。それは最も速いウマ娘が勝つレース。

 そんな中山競技場にスターターが足を踏み入れ、場内のボルテージは加速していく。

 誰もをアツくさせる金管楽器の音を耳に、俺はふと気になる事が。

 

『アグネスタキオンが少しゲート前で立ち止まっていますね』

 

『ええ。彼女は賢いウマ娘ですから。こういったケースは珍しいですね』

 

 どうやらそれは実況解説も同じらしい。

 そんな時、タキオンと一瞬目が合った気がした、

 

 ハハッ。何を気にする事があるんだタキオン。大丈夫だ。お前の脚と、俺を信じろ。俺はもう、二度とあんな思いはしないし、お前にもさせない。

 

 そんな俺の思いが通じたのか、タキオンは僅かに微笑み、ゲートに入っていく。

 

『最後に18番のシャワーパーティーがゲートに収まりまして、さぁ、ゲートが開きました!』

 

 全てのウマ娘が走り出す。伝説の始まりを一瞬たりとも見逃すな。

 

 

 

 

 

 さて、どうしたものかねぇ。

 

 3コーナーに差し掛かった。

 

 本来なら、ここで仕掛け始めたい所なんだが……

 

 少し、嫌な予感がする。

 

 スタート直前に感じた違和感。これがGⅠの魔物。プレッシャーだと思っていたがスタートしてからもその違和感が拭えない。

 

 18頭立て、更には前2人が逃げる様にペースを作っている。以前と違ってスローペースとは言い難い。

 

 私の脚の性質は私が1番理解している。だからこそここで抜け出したいが、最悪な未来が頭にチラつく。

 

 ポケットくんはスタートで少し出遅れたのが僅かに影響している。序盤から中段前方につけているし、レース運びは順調だ。ここはこのまま……

 

 

 ──全力でやってこい

 

 

 そんな時だ。彼の言葉が脳裏をよぎった。

 

 

『さぁ、アグネスタキオンがゆっくりと動き出した! 3、4コーナーの中間に向かって馬群がひとかたまりになっていきます!』

 

 私はね、私自身がレースで走る事なんて、大した興味はなかった。

 

『ジャングルポケットもジワッジワッと差を詰めて、大外に持ち出している! さぁ、ここからジャングルとアグネスの一騎打ちになるのか!? 直線コースに向かって参りました!!』

 

 ただ君が現れて、この1年で私も大きく変わったようだ。

 

『アグネスは依然先頭だ! ジャングルポケット食い下がる! 最後の坂に差し掛かり、アグネス先頭! アグネス先頭!』

 

 まさかここまで、自身が勝利に貪欲になっていたなんてね。

 

『ジャングル、その内ダンツフレームも来ている! ジャングルポケット、ダンツフレームが追いかける!!』

 

 実況の声が、観客の声援が、うるさいくらいに良く聞こえる。ゴール前には誰もいない。視界がクリアだ。脚はよく回る。

 

 あぁ。私は今、最高に高揚しているよ! トレーナーくん! 

 

『しかし! アグネス! アグネス!! 大丈夫ー!! 

 

 中山2000m! まずは道を繋ぎました! アグネスタキオンまず一冠!!』

 

 クラシック三冠。私の夢の前に、まずは君の夢を叶えようと思うよ。

 

 

 

 

 

 まず一冠。か……

 

 これ程シンプルかつ強さを表す言葉はない。

 まず一冠。それは三冠を取れるという確信があると言う事なのだから。

 

「やあやあ、トレーナーくん。何をそんな感傷に浸っているんだい? まだ皐月賞を勝っただけだよ?」

 

「タキオン……お疲れ様。いい走りだったぞ」

 

「当たり前さ。と、言いたいところだが、今回ばかりは君に感謝しなくてはいけないな」

 

 俺に感謝? 確かに俺はトレーナーだが、実際にトレーニングをし、レースで走り、結果を残したをタキオンだ。

 

「君の少し不可解なトレーニングメニュー。あれの謎が解けたよ」

 

 あっ、そういう。

 

「それで? タキオンの推理を聞かせてもらっても?」

 

「ああ。簡単に言うと、私の故障を防ぎたかったのだろう?」

 

「……その通りだ」

 

 タキオンの強さの理由。それは彼女の脚にある。

 タキオンの脚は、先行の脚質。その先行の脚質でありながらその末脚はまるで差しの様に延びる。

 考えれば簡単な話だ。先行と差し。同じ末脚を持っているのであれば、より前でスタートを切れる方が有利に決まっている。

 

 しかし、先行や逃げというのは、差しや追い込み以上にスタミナを使う。スローペースならまだしも、ハイペースなレースとなれば、その驚異的な末脚に、自身の脚が耐えきれるはずもなかった。まさに諸刃の剣。

 

 それを気付けずに、俺は一頭の夢を、多くの人々の夢を潰してしまった。

 故に俺は今世でタキオンに、体幹や足腰の強化を長きにわたってやらせたのだ。自身の末脚に耐えきれるだけの脚を作る為に。

 

「それで? どうだった?」

 

「は? え? どうだったって、何が?」

 

「だーかーら〜! 私のゴール後の腕振りだよ! 君が見たいって言ってきたんだろ?」

 

 えぇ、今それ聞く? こっちはちょっと昔の事思いだしてしんみりしてたんですけど。

 

 ただまぁ……

 

「クッ、クハハ」

 

「なっ! 何を笑っているんだ!」

 

 こーらー! と怒るタキオン。まったく。お前には敵わないな。

 過去が消える事はない。ならばせめて、俺は今の夢に向き合うしないんだ。それが今、俺が出来ることなのだから。

 

「いや、なに。最高に可愛かったぞ」

 

「ふふっ。そうかいそうかい。全くもって月並みな言葉だが、悪い気はしないねぇ」

 

 俺がそういうと、タキオンは嬉しそうにウンウンと頷く。

 そしてタキオンが歩き出そうとした時、ガクリと体制が崩れる。

 

「!」

 

 俺は急いでタキオンの元へ向かい、タキオンを支える。

 

「すまないね。どうやら気付かぬうちに、疲労はたまっていたようだ」

 

 緊張の糸が切れたんだろう。アドレナリンだけじゃ保てない。

 

「トレーナーくん! おーんーぶー! 疲労した私を運びたまえよー」

 

「はいはい。分かりましたよお嬢様」

 

 俺はタキオンを背に乗せ、夕日の中を歩き出す。

 

「祝勝会はまた今度だな」

 

「ふむ。私としてはご褒美に飲んで欲しい薬があるんだがねぇ」

 

「えぇー。タキオンの薬ってあの怪しいやつだろ?」

 

「なに、死にはしないさ。ただ、少し発光はするがね」

 

「発光!? 何それ怖いんだけど」

 

 しかしまぁ、これだけ元気があれば怪我はしてないみたいだな。

 

 皐月賞は制した。ここからは未知のストーリー。

 

 運命に抗うための、ストーリーだ。




うーむ。久しぶりに伸び悩んでますなぁ


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第5話 夜の公園とスランプウマ娘

「はぁ。どうしたもんかねぇ」

 

 俺は、秋川理事長に言われた言葉を思い出し、小さくため息をついた。

 

 ──チームを作って欲しい。

 

 それを言われたのが少し前の事。皐月賞までのタキオンの活躍をみての事らしい。優秀なウマ娘を育てる為に優秀なトレーナーが多くのウマ娘を見る。非常に理にかなった制度だ。

 それに調教師時代も、1人が数頭の馬を調教するなんて事はざらにあった。

 故にチームという制度に文句はないが、いかんせん今はタキオンのトレーニングに集中したい。

 

「あぁ! やめだやめ! 今は考えるだけ無駄だ」

 

 ただ、幸い直ぐにとの事ではない。

 俺は重くなった頭を切り替える為に、1度家を出た。

 4月の夜はまだ冷える。白い息を吐きながら、俺はコンビニで買ったお茶を片手に公園のベンチに腰掛ける。

 

 幻の三冠馬。その言葉は、タキオンに三冠を取るだけの力がある事の証明だが、三冠を取れる確証はない。競馬に、絶対はない。

 前世で日本ダービーを制したジャングルポケット。彼女もまた今世でもベストに近いコンディションを持ってくるだろう。

 菊花賞を制したマンハッタンカフェも、タキオンに敗れた弥生賞以降、長距離路線へとトレーニングを変え菊花賞に照準を合わせてきている。

 

 今後に向けたトレーニングメニューを考えていると、ふと、1人のウマ娘が走っているのが目に映った。

 

 ……まだ走ってたのか。

 

 最初はあまり気にしていなかったが、彼女は俺がここに来る前から走っていた。

 ただ、少し気になる事が。

 俺は職業柄、普段から持ち歩いているストップウォッチを取り出す。

 

「まさかと思ったが、これは……」

 

 感覚ではあったが、それが数字で表れた事によって確信に変わった。そしてそれと同時に驚愕と興味心が込み上げてくる。

 勝手ながら彼女のラップタイムを5度に渡って計らせてもらったが、驚くべき事にその全てのタイムが同じなのだ。

 彼女がどのようなコースを走っているかは分からないが、恐らくは同じだろう。

 

「お疲れさん」

 

 気づけば俺は、彼女に話しかけていた。

 

 公園の入口。6度目の周回が終わったところで、脚を止めた彼女に先程お茶と共に買っていた水を差し出す。

 

「貴方はタキオンの……」

 

「ん? 俺の事知ってるのか?」

 

「それは勿論。今、世間ではタキオンの話題で持ちきりですから。そうなれば必然的にそのトレーナーさんの事も」

 

 彼女は、ありがとうございますと言い、水を受け取るとそう答える。

 

 それにしても何処かで見た事があると思ったら……。そうか、そういう事か。道理で何か引っかかると思ったんだ。

 

 オレンジがかった淡い茶髪に翡翠色の瞳。遠目では分からなかったが、近くに来てようやく気づいた。彼女は、タキオンとのトレーニング初日の時に見たウマ娘だ。

 

 ラップタイムを計りながら、素晴らしい走りをすると同時に、少し懸念点があったのだ。

 

「相変わらず、窮屈そうな走りをしてるな」

 

「! ……それはどういう事ですか?」

 

 おっと。どうやら声に出てしまっていたようだ。

 

「どういう事も何も……いや、まて。まさかと思うがまだ先行で走っているんじゃないだろうな」

 

「? そうですけど…… それより私の質問に答えてください!」

 

 彼女はそう言うと、ズイっと近ずいてくる。

 

「その前に1つだけ教えてくれ。君、レースに勝ててないだろ」

 

「! 

 

 

 ……はい」

 

 核心を突かれたのか、彼女は今にも消えてしまいそうな、か細い声で頷いた。

 そりゃそうだろう。恐らく今の彼女ではOP戦は勝てても重賞で勝つことは難しい。

 

「理由は簡単だ。そもそも君は先行に向いてない。断言しよう。先行で走っている限り君は重賞を取ることはできない」

 

「! じゃあ! どうすれば!」

 

 その言葉に、彼女はまるで怒りと懇願が混じりあった様に、勢いよく俺の服を掴んでくる。

 

「どうすれば勝てるんですか!? 私は勝ちたい…… 私は、私らしく走りたいのに……」

 

 俺の服をギュッと握りしめた手は震えており、嘆く様に叫ぶ彼女の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。

 俯きながら、俺の胸に預ける様に乗せた彼女の頭を、俺はそっと撫でおろす。

 

「簡単な話だ。逃げ、いや、大逃げだ。メリット、デメリットは考えるな。必要なのは先頭を譲らないという事実と、勝った時の快感が全て」

 

「大逃げ……」

 

 そう呟いた彼女は少し離れ、何処か覚悟を決めた様な目で此方を見てくる。

 

「私からも1つ質問です。貴方の下でなら私は勝てますか?」

 

 あぁ、くそ……

 

 今はそんな事してる場合じゃない。日本ダービーまで約1ヶ月しかないんだぞ。目先のレースに集中すべきだと理解はしている。

 

 ただ──

 

「絶対に勝てるレースなんてのは約束出来ない。が、今よりかは自分が見たい本当の景色が見れるだろうよ」

 

 理解はしているが、彼女の可能性を見てみたいと本能が告げているのだ。

 

「お願いします。私に、私にその景色を見させてください」

 

 ここでYESと答えれば後戻りは出来ない。ただもう、答えなど決まっている。

 

「今日から毎日この時間にこの公園で1時間。次のレースまで面倒見てやる。その後どうするかはその時決めれば良い」

 

「ありがとうございます!!」

 

 儚げで、何処か物静かな印象を持たせる彼女の顔が、パァっと明るくなる。

 そして、深く頭を下げた彼女の一言が、俺の今後を大きく変える。

 

「私の名前は──」

 

 

 

 

 

 1998年、宝塚記念。

 

 最速の機能美、異次元の逃亡者。

 

 その馬の顔を見る事ができるものおらず。

 

 速さとは自由で、時に孤独だ。

 

 常に先頭をひた走る

 

 その馬の名は──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──サイレンススズカ



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