【完結】皇帝を育てた男が帝王を育てる話 (兼六園)
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トレーナーが昔交わした約束を果たす話

ウマ娘の年齢の話はするな(先制攻撃)


 ──ボクね、大きくなったらおじさんと結婚する! だから誰とも結婚しないで! 

 

 恥ずかしげもなく、本心からそんな事を言ってのけた少女(ボク)の夢を見る。

 おじさん──まあ、当時は20代だったけど──は駄々をこねるボクを見て、困ったようにしながらも、わかったわかったと言ってその大きくてあたたかい手を頭に置いてくれた。

 

 しばらくしてからおもちゃの指輪をプレゼントしてくれたり、「大きくなってもそれを持ってたら考えてやる」なんて言ってくれたりで、ボクは凄く、ものすっっっごく嬉しかった。

 

 終いには、おじさん以外の人なんて好きになったりしないよ! なんて言った覚えもある。

 

 おじさんはボクから離れないし、ボクもおじさんといつも一緒に居ると信じて疑わなかった。でもずっとそのままで居られる筈もない。

 

 ──おじさんがトレーナーに転職してから、あの人はボクに言ったんだ。「とあるウマ娘の担当になった、暫く会えなくなる」って。

 

 ボクは当然荒れた。荒れたし泣いたし暴れたし丸一日おじさんの背中に引っ付いた。

 

 それでもおじさんの仕事の邪魔は出来ないし、自分のワガママに付き合わせて困らせたくない。だから、ボクは渋々おじさんを見送った。

 

 ──それから毎日、何度も、ボクのおじさんを取ったヤツは誰なんだって、そんな事を考えながらボクはレースの中継を見ていた。弱かったら許さない、負けたら許さないなんて、生意気なことを考えたのも今となっては懐かしい。

 

 ──そしてボクは、目を奪われた。おじさんの担当していたウマ娘は、なんと無敗での三冠を成し遂げたのだ。

 おじさんの育て方が上手いのかもしれないけど、それ以上に、あのウマ娘が──シンボリルドルフが強いことは当時のボクでも理解できた。

 

 あの強さに惹かれて、なによりおじさんに会いたくて、ボクはインタビューの現場に突撃して彼女に問答をしたこともあった。ボクが絶対にあの人と──カイチョーと同じ無敗の三冠ウマ娘になると誓ったのは、あの日が最初。

 

 ……それで、勝手にインタビュー兼記者会見の現場に突撃したことを、偶然予定が重なったのかその場に居なかったおじさんにあとで電話で怒られたのも生まれて初めてだった。

 

 

 ──でも、おじさんは約束してくれた。「ル……ドルフとの契約が終わったあと、お前が中央のトレセン学園に来たら担当してやる」って。「まっ、お前アホだし無理だろうけどな」って。

 

 ……むきーっ! 

 

 

 

 

 

 ──なんてこともあったなあ。

 とかそんな事を考えながら、あれから数年後。ボクは選抜レースのゲートに入っていた。

 シンボリルドルフことカイチョーが会長(カイチョー)になった中央のトレセン学園に無事入ることが出来たボクは、早速とトレーナーと契約するためのアピールの場──選抜レースに参加したのだ。

 

 観客席には座ってるトレーナーがいっぱい居て、ボクたちウマ娘をじっと見ている。

 

 おじさんも居るかな……って思ってキョロキョロ見回したけど、見つけられないままレースが始まってしまった。意識を切り替えて、開いたゲートを押し退けるように飛び出す。芝の距離2400m。中距離は──ボクの独壇場だ。

 

 ラストのスパートで逃げのウマ娘も、追込で迫っていたウマ娘も全てぶっちぎって、2バ身以上突き放してボクはゴールする。

 

 

 急ブレーキを掛けないように速度を落としつつ、ぐるっとレース場を回ってボクは新人トレーナーたちの前で足を止めると、ボクの耳に歓声が届いた。わっと声の壁みたいな圧が来て、ちょっとびっくりしながらも一人ずつ対応する。

 

『どこであんな走りを?』とか、『是非ともうちに来てくれ!』とか、ボクを中心にドーナツみたいに輪を作るトレーナーたちは、なにがなんでも自分のチームに引き入れたがってるみたいだった。だからこそ、ボクはある質問をした。

 

「──ボクの夢は無敗の三冠ウマ娘だけど、みんなはボクにその夢を見せてくれるの?」

 

 

 そう、ボクの夢は、カイチョーと同じ無敗の3冠ウマ娘。ボクと契約したいというのなら──トレーナーにも相応の覚悟を求める。

 

 ──でも、ボクの言葉を聞いて、新人トレーナーたちは渋い顔をした。

 

 ……それも当然だ。無敗の三冠ウマ娘になりたいということは、ボクに『次のシンボリルドルフを生み出せ』と言われてるってこと。

 

 ボクを見るトレーナーたちの顔からは色々と読み取れる。無理、傲慢、生意気。だんだんと、ボクの周りからトレーナーが離れて行く。

 

 

 ……ふーんだ、みんな分かってないんだからなー。それにしても、おじさんって本当に中央に来てるのかな。もしも中央のトレーナーライセンス持ってないとかだったらどうしよう。

 

 カイチョーに相談してみようかなあ、なんて考えて、離れていくトレーナーたちに踵を返してもう1レースしようかって思ったら。

 

「──なれるぞ、無敗の三冠ウマ娘」

「────っ!!」

 

 ふと、そんな声が聞こえてきた。ボクは思わず振り返ろうとして、足を止める。昔から聞いてきた声が更に低くなっていたけど、それでも絶対に聞き間違えたりなんてしないあの声。

 ずっと、ずっと会いたかった人の声に、ボクの返した声は上擦っていた。

 

「ふ、ふぅん、じゃあ言ってみてよ、ボクの強み。さっきのレース見てたんでしょ?」

 

「そうだな……お前の武器はもちろん脚だな。それも関節の柔らかさがあの速さを生んでいる。下手を打てば骨折の危険性もあるが、俺なら引き際を誤って怪我をさせるなんてしない」

 

「……よく見てるじゃん、もしかして、ボクのファンだったりするのかな?」

 

 振り返れない。振り返りたくない。

 こんなニヤけた顔を見られたら、恥ずかしすぎて爆発しちゃう。頬がカーッと熱くなって、心臓はバクバクと鳴っている。

 

「そりゃあな。まあ……なんだ、ちょっと見ない間に随分と大きくなったな、テイオー」

「っ……おじさんっ!」

 

 ──やっぱり無理だ。

 やっぱり、我慢なんて出来ない。ボクは、ばっと振り返っておじさんの胸に飛び込んだ。

 

「なんですぐ来てくれないんだよぉ!」

「30代のおっさんが若手トレーナーに混じってたら悪目立ちするだろ」

「もー! もーっ!」

 

 ゴンゴンゴンと頭突きするように押し当てて、顔をおじさんのヨレたワイシャツにうずめる。すうーっと匂いを嗅いで、肺をおじさんの香りでいっぱいにする。きっと普通なら、ボクくらいの年頃ならおじさんの匂いなんて嫌なんだろうなぁって思うけど、ボクにとっては実家の畳の臭い的な安心できるモノなんだ。

 

「そんじゃ、契約用の書類にサインしないとな。ほら、テイオーの名前書き込め」

 

 ぐいっと肩を押されて離れると、おじさんはボクに紙を挟んだボードを渡してくる。

 

「ふっふーん、『む、は、い、の、トウカイテイオー様』っと!」

「バ鹿、書き直せ」

「え──っ!? 駄目なの!? 将来的には名乗るんだからいーじゃーん」

「将来的には、な。今は普通のトウカイテイオーなんだから、普通に書いとけ」

「ぶー」

 

 渋々と紙に書いたボクの名前を書き直し、返──す前に、おじさんに言った。

 

「おじさんの名前ってなんだっけ」

「オイ」

「……だってボクずっと『おじさん』って呼んでたんだもん。そういえば名前で呼んだこと一回もなかったなーって思い出したの」

「……ったく」

 

 ガリガリと頭を掻いて、呆れた顔をしながら、おじさんは改めてボクと向き直る。

 そんなおじさんの胸元と、ボクの左の小指で、安っぽいプラスチックのリングが輝いていた。

 

「一回しか言わねえからよーく聞いて覚えろよ? ……俺の名前は────」




阿僧祇(あそうぎ) (やまと)
・ルドルフと契約していた当時は20代後半、テイオーと契約した現在は大体30代前半。
無敗の三冠と七冠を達成したシンボリルドルフを育てたある意味伝説的なトレーナーだが、当時から記者もカメラもルドルフの方に注目を向けていた為、つい最近中央に来た新参の若手トレーナーは和の顔や名前を知らない。
結婚の話はたかがガキんちょの口約束だからと雑に返事をしていたが、テイオーが本気なら自分も真剣に応えないといけないと考えている。
トレーナーとしての才能はそれなりにあり、現在はトレセン学園で会長をしているルドルフからの信頼も今尚昔と変わらずかなり厚い。


トウカイテイオー
・幼い頃から自分の傍に居た和に、淡くも純情な恋心を向けているウマ娘。
和を横取りしたウマ娘(ルドルフ)に対して嫉妬しつつ敵視もしていたが、無敗の三冠を成し遂げたその実力に惚れ込んで、自身も無敗の三冠を成し遂げようと決意する。
本作におけるテイオーはかなりプライドが高く、仮に和以外のトレーナーと契約していても、自分の実力を引き出せないようなら容易く契約を切っていただろう。今ではルドルフも和も両方好きではあるが、ルドルフが直感で自分のライバルであると察している。恋はダービー。


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会長になった皇帝と再会する話

「──久しぶりだな、阿僧祇(あそうぎ)トレーナー」

「おう……あーいや、お久しぶり……ですかね。シンボリルドルフ会長」

 

 トウカイテイオーとの契約から数ヵ月後。幾つかのレースで圧勝という結果を生んだ(やまと)は、あるとき理事長室から帰る途中、偶然生徒会室の前を通った際に部屋の中から呼び出されていた。

 

「ふふ、君からの敬語とは新鮮だ。良いのだぞ、私には変わらずタメ口で」

「親しき仲にもなんとやらですよ」

「む……そうか」

 

 会長専用の机を背に和と面と向かって立っているシンボリルドルフは、和からでは窓の逆光で見辛いがどことなくシュンとしている。

 

「……あの日無敗の三冠を成し遂げ、それから合わせて七冠。阿僧祇トレーナーには返そうにも返しきれない恩があったな」

「よしてください。俺はトレーナーとして会長を勝利に導く手伝いをしただけです」

「その『だけ』が無ければ、私は今頃無敗の三冠ウマ娘などとは呼ばれていないよ」

 

 はっはっはっ、と演技ぶった高笑いをするシンボリルドルフに、和は眉をひそめながらおもむろに気になったことを問い掛けた。

 

「エアグルーヴとナリタブライアンは?」

「ああ、二人には席を外してもらっている。とはいえ片方はサボっているだろうがね。

 ふふ……折角の再会なのだ、これくらいのワガママは許されるだろう」

「…………あんたまさか、俺と雑談したくてわざわざこんな時間を作ったのか?」

「……? 何か問題が?」

 

 きょとんとした顔で、シンボリルドルフは和にそう言って返した。和は小さくため息をこぼして、さあさあと言ってソファに促す彼女に背を押されて大人しく座る。

 

「覚えているかな、私が菊花賞ではなくジャパンカップに出ようと提案したとき、阿僧祇トレーナーは『出るべきだ』と言っただろう」

「……そうですね。まあ……結果的に菊花賞で勝てて無敗の三冠は取れたにしても、結局ジャパンカップでは勝たせられなかった」

 

 和の隣にすとんと座るシンボリルドルフに、彼は言う。和は今でも、あの選択で良かったのかと自問自答していた。無敗での三冠制覇という、過去のウマ娘たちの栄光を手にしたかった訳ではないと言えば嘘になる。

 ジャパンカップでは負けたけど、有馬記念では勝てたし、四冠目も達成したのだから結果的には良いのではないか? 

 

 ──そんな考えが脳裏を過ったりもした。

 

「あの時……俺が先人たちの栄光に目を眩ませたのも確かだった。ずっと聞くのが怖かったんだが……なあ、ルドルフ」

「──恨んでいないよ、トレーナー君」

 

 和がシンボリルドルフの顔を見ようと横を向いたとき、その視界には彼女の凛とした瞳が収まる。和が何年も見てきたあの目が真っ直ぐ自分を捉え、不可抗力で心拍数が高まるのを感じた。

 シンボリルドルフは和の膝に置かれている彼の手にそっと自分の手を重ねると、目尻を緩めて、それからゆっくりと口を開く。

 

「それこそ、私がジャパンカップを選んだのも、強者と戦いたかったからというワガママに過ぎない。貴方が私に菊花賞に出ろと言ったのは、確かに無敗の三冠という称号に憧れたからなのかもしれない。だけど、だけどねトレーナー君」

 

 重ねた手を掴み上げ、和の手のひらに頬を擦り寄せて、シンボリルドルフは続ける。

 

「貴方がそう言ってくれたのは、()()()()()()と確信していたからだろう? 

 ──相手の事を信じていたからこそ出た言葉に応えないウマ娘が何処に居る」

 

「ルドルフ……」

 

 シンボリルドルフの頬に触れた手に力が入る。ピクリと硬直した顔を指が撫で、頬をなぞる親指にきめ細かい柔肌の感触があった。

 

「……トレーナー君」

「呼び方が戻ってるぞ」

「っ……だ、だって……」

 

 和の目に映るシンボリルドルフの顔から凛々しさが薄れ、見慣れた幼い顔が表に出てきた。それもそうだろう、七冠を達成したのちにレースから離れ、今では中央で生徒会長をしている。

 

 和とは一回りも歳が離れているが、それでも彼女に最も距離が近く親しい相手は和だ。

 引退を経て互いに数年距離を取れば、寂しさが募るのは当然であった。

 

「……今は、二人きりだぞ」

「あ? ああ、そうだな?」

「二人きり、だな」

「…………あー、まあ」

「トレーナー君」

 

 なにかをねだるような上目遣いをするシンボリルドルフに、和は察した様子で、仕方なくといった重いため息をついてから言った。

 

「──ルナ」

「っ……トレーナー君!」

 

 シンボリルドルフは、和の言葉にパッと表情を明るくしてその胸に飛び付く。

 

「トレーナー君っ、トレーナー君! 会いたかった……ずっと貴方に会いたかった」

「俺もだよ、生徒会長なんて……ルナにしちゃあ立派になりやがって」

「──貴方の匂いを、熱を、声を……もう一度感じたかったんだ……っ」

 

 ぐりぐりと顔を胸元に押し付け、鼻声でそう言って肩を震わせる。

 和が彼女の背中をさすると、シンボリルドルフは自然な動きで膝枕の姿勢に移った。

 

「お前、昔より甘ったれになってないか?」

「……いいじゃないか……本当ならもっと早くに呼ぶつもりだったのに、テイオーのトレーナーになってからああも忙しくなるとは思ってもいなかったのだからな」

「……俺が誰とも契約しなかったらどうするつもりだったんだ」

「そうだな、生徒会に所属させて仕事を手伝ってもらうのも良かったかもしれん」

 

 ……酷い職権濫用だ、と和は呟く。

 冗談めかして言っているが、シンボリルドルフが本気なのは余談である。

 

「それで、テイオーの夢は変わらないのだな」

「ああ、ルナと同じ無敗の三冠だ」

 

 だが、と続けて和は言う。

 

「お前の時は俺の夢だったが、テイオーの夢はテイオーの物だ。……ルナに憧れたテイオーに、俺も憧れてんのかもな」

「……トレーナー君とテイオーは古馴染みだったね。なにやら運命を感じるよ」

 

 くつくつと喉を鳴らして笑うシンボリルドルフは、それとなく和の手を自分の腹に向けさせる。昔の癖でつい反射的に横になる彼女の腹を撫でてしまい、彼はハッとしてオイと声をかけた。

 

「嫁入り前になぁにやってんだ。元トレーナーに気を許しすぎじゃねえか?」

「貴方が貰ってくれれば何も問題はないだろう。結構居るのだぞ、契約を終えた二人がそのまま結婚するというパターンは」

「いや、それは困る」

「ほう、何故かな?」

 

 仰向けになり自分を見上げてくるシンボリルドルフに、和はうっと喉を詰まらせる。

 しかし言い訳をしないとこのまま言いくるめられそうな雰囲気を前に、まるで罪人が懺悔をするような面持ちで苦々しく口を開いた。

 

「……テイオーと昔から結婚の約束をしてんだよ。あいつが今でも忘れてねぇってんなら、俺も真剣に返してやらないといけない」

 

「それはつまり、『テイオーが約束を忘れている』か『貴方と結婚するつもりがなかった』ら、私と結婚してくれるのだな」

 

 言われてみれば確かにと、和は口をつぐむ。それはつまり、テイオーとの約束を果たせなかったらシンボリルドルフの言葉を受け入れても良いと言っているような物だった。

 

「もしくは、だ。貴方が史上初の『担当ウマ娘二人と結婚した男』になる道もある」

「入ります、会長」

「っ────!?」

 

 ガチャリと音を立てて開けられた扉の奥から、気の強そうな──正に女帝という言葉の似合う雰囲気を纏ったウマ娘が現れた。

 彼女は和を一瞥してから、ふんと鼻を鳴らして会話を続ける。

 

「ん……貴様か。会長の元担当という立場にあぐらをかかない所は評価するが……誰がそこまで甘やかして良いと言った」

「いいかエアグルーヴ、ルナは皇帝なんて呼ばれちゃいるが昔からこんな感じだ」

 

 表舞台に立てば皇帝。しかし和と二人きりになれば、今も昔も変わらず幼名で呼ぶことをねだる甘えたがり。それがシンボリルドルフだった。

 

「ルナ……?」

「っ──と、トレーナー君! そろそろテイオーのトレーニングを見てやらねばならないのではないかね? そうだ、違いない!」

 

 シンボリルドルフの幼名を知らないエアグルーヴは首を傾げ、和は慌てた彼女に立たされ背中を押される。扉を開けられた和が振り返り、シンボリルドルフに向き合うと片眉を上げた。

 

「恥ずかしいのか?」

「……う、うるさい……」

「はっは、わかったわかった。そんじゃあ俺は戻るよ。また今度な」

「ぁっ──トレーナー君」

 

 ん? と返した和の肩に額をそっと当てて、シンボリルドルフは片手を胸元に置く。

 ぺたんと耳を垂れさせ、尻尾を力なく左右に揺らしながら彼女は続けた。

 

「…………テイオーばかり見ないで」

「ルナ……」

「たまにで、いいから、会いに来て」

 

 それは紛れもなく、自分のトレーナーが大事にしているトウカイテイオーへの嫉妬。

 

「────」

 

 和は何も言わなかったが、返事の代わりにと、シンボリルドルフの頭を抱き締めてわしゃわしゃと髪を掻き乱していった。

 

 

 

 

 

「あれが会長の想い人ですか」

「……はて、なんのことかな。私はただ、元トレーナーとのスキンシップを欠かしていないだけであって、まさかそんな感情なんて」

「机にあのトレーナーの写真を飾ってるのは私もブライアンも知っているので誤魔化さなくても結構。お気になさらず」

 

 手を右往左往させてあたふたとするシンボリルドルフに、エアグルーヴは特に何を言うでもなく仕事に戻る。シンボリルドルフは会長の席に戻ると、くだんの写真立てに目を向けた。

 

「──ふふ、懐かしい」

 

 そこには、菊花賞で勝利した時の──勢い余って和の背中に飛び付いた自分が写っていた。その写真の、満面の笑みを浮かべる自分に、シンボリルドルフは感慨深い顔を向けるのだった。




シンボリルドルフ
・無敗の三冠および七冠を成し遂げたウマ娘。それも自分の実力ではなく和の指示あってこそと考えており、未だに彼とならまた共にレースを走ることも吝かではないと思っている。
当時から二人きりの時は幼名のルナと呼ばせることをねだる程に懐いていたが、それも幼少期から不安な時もレースが苦になりそうな時も傍に居てくれたという事実あってこそ。和の献身的な態度と愛情が彼女の感情を恩人から愛する人に向ける物へ変えたと言っても過言ではない。
余談だが、不思議なことに、甘え方がトウカイテイオーと似ているらしい。


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帝王を育てた男が約束を果たす話

紆余曲折あったけど無敗の三冠達成!URA優勝!いやあハッピーミークは強敵でしたね……


「おじさん、カイチョー! 早く早くっ!」

「落ち着けテイオー、温泉旅館は逃げねえから。ったく……ルドルフからも言ってくれ」

「ああ。テイオー、転んでしまうぞ」

「へーきだもーん」

 

 早いもので、阿僧祇(あそうぎ)(やまと)がトウカイテイオーと契約したあの日から、無敗の三冠とURAファイナルズの優勝を果たすという壮絶な3年間が過ぎ去った。頑張った御褒美として、和は某所の温泉街にテイオーとルドルフを連れてきていた。

 

 私服に眼鏡を着用した珍しい格好のルドルフは和の隣にぴったりと寄り添って歩き、テイオーは温泉街の物珍しさに気分を高揚させる。

 

「……ところでルドルフ」

「何かな?」

「なんでお前まで居るんだ?」

「はて、なんのことやら」

 

 土産店の店先の商品を眺めているテイオーを余所に、和はルドルフに問い掛ける。

 

「この旅行はテイオーが引いた温泉旅行のペアチケットを使う為の旅行なのに、なんだって三人目(ルドルフ)が当然のように着いてきてるんだ」

 

「ああ、それならテイオーにこの話を聞かされてね、どうせなら一緒に行こうと誘われてしまったんだ。ペアチケットの予約に人数を追加して、今に至るわけだよ」

 

 自慢気に指を立ててそう言ったルドルフに、和は深いため息をついた。

 

「こそこそやらないで、俺に言えば良かっただろうが。相手がお前なら断らねえよ」

「……当日に合流した件については申し訳ない。ただ……あくまでもテイオーの為の旅行だ、万が一あなたに断られでもしたらと思うと──」

 

 ルドルフの言葉が尻窄みして、耳がぺたんと倒れる。気弱な処がある彼女に、再度ため息をついた和は、組んでいた手を腰へと回して言う。

 

「断らねえよ。寧ろ……お前のトレーナーだったときにこういうところに連れていってやらなくて、悪かったよ……ルナ」

「──! ふふ、じゃあ、これからは遠慮なくワガママを言おうかな?」

 

 表情を明るくして、パタパタと尻尾を振るうルドルフ。たんったんっと和の足を叩く動きに苦笑をこぼすと、戻ってきたテイオーが声を荒らげて二人の間に和って入って頬を膨らませた。

 

「こらこらこらーっ! 二人だけで何をイチャついてるのかな?」

「別に問題ないだろ、俺、一応ルドルフの元トレーナーだし」

「そーいう問題じゃないんだけど! これ、ボクとおじさんの慰安旅行なんだよ」

 

 ルドルフから和を離すようにして、ガルルルと威嚇をする。テイオーのことを良く知っている二人からすれば、可愛いげのある行動だった。

 

 くつくつと喉を鳴らして笑うルドルフが、テイオーの頭をそっと撫でながら返す。

 

「彼は君のトレーナーであり私のトレーナー君なのだから、何も問題はないだろう? 私だって、トレーナー君との旅行は初めてなのだぞ」

「えー……それは酷いよおじさん」

「お前はどっちの味方なんだよ」

 

 手のひらを返して和を非難するテイオーに、彼はツッコミを入れる。とはいえ現役時代に旅行なんかに連れていかなかったことは事実な為、強く言い返す事が出来ない。

 

「──あっ、あっちに足湯があるって! ねぇおじさ~ん、温泉卵食べよーよー」

「わかったわかった」

 

 ──やったー! と言って、一転して走って行くテイオーの背中を見て、現金だなと和は呟く。そしてふと、彼女の成長に気が付いた。

 

「……テイオーのやつ、この三年でずいぶんと成長したな。なんとなくルナに似てる」

「そうだろうか?」

「髪の量もあるが……なんだろうな、どことなく雰囲気が血縁者っぽいんだよ」

 

 ふうむ、と首を傾げる二人は、テイオーに呼ばれて意識を切り替える。足湯を堪能しながら温泉卵を味わう三人が温泉宿に向かうのは、それから暫くのことだった。

 

 

 

 

 

 ──夕方、宿での夕食を終えた和は、一人貸し切り状態の温泉に体を落ち着けていた。

 

「っだあ゛~~~……」

 

 胸元までを濁ったお湯に沈め、ゆったりと全身を癒す。なんだかんだとウマ娘二人の相手をしながらではどうしても心身ともに疲れが溜まるため、だらしなく風呂を堪能する和を責められる者は誰もいない。彼はさらりと対応できているが、ルドルフもテイオーも、端から見ればかなり気難しいウマ娘なのだ。

 

「……さて、どうしたもんかね」

 

 露天風呂であるため、ぼんやりと空を見上げながらそんなことを吐露する。

 

「テイオーとの約束も大事だが……ルナの気持ちを無下にするわけにもいかねえしなぁ」

 

 しかし、二人を纏めて選ぶとなると、和本人にそこまでの度胸や甲斐性があるかと問われれば、彼は首を横に振るだろう。

 確かに歴史上で和より以前に、複数のウマ娘から想いを寄せられたトレーナーは何人か存在する。存在するが、そのトレーナーが全員を娶ったという事実は一つとして無い。

 

 理由は簡単。法的に難しく、倫理的に怪しく、そしてなにより──人間のアスリートを上回る身体能力とスタミナを持つウマ娘の相手をしていては、男側の()()()()()()のだ。

 

「……流石に、男として笑えねえ死に方は勘弁願うぞ。まったく……」

 

 和は考えを纏めて、熱い温泉を掬い顔を洗う。それから風呂を上がると、浴衣に着替えて二人の待つ部屋に戻った。

 さも当然のように相部屋にされている事を指摘することすらバ鹿らしくなってきた和だが、部屋に戻れば意識が二人に向けられる。

 

「お帰り~おじさん」

「お帰り。お湯加減はどうだった?」

 

「……ああ、良かったよ」

 

 和と同じ浴衣に身を包む二人が、敷かれた布団の上で雑誌を広げていた。若干はだけた服装に、ちらりと覗ける色白の美肌。風呂上がりで僅かに汗が滲み、無警戒な二人の谷間に流れて行く。

 

「………………っ」

「ほらっ、おじさんも座りなよ~」

「この雑誌、覚えているかい? 私とあなたの、当時のレースでの記事だ」

「あ、ああ……」

 

 三つ並んだ布団の真ん中にストンと座り、広げられた雑誌に目線を移す。

 そこには今とそう変わらない美貌のルドルフが写ったページがあった。

 

「菊花賞で勝って、無敗の三冠を果たした私を見て、あなたは大層嬉しそうだったね」

「……俺のワガママで走らせて、それでも勝ってくれて……嬉しかったに決まってる」

「またそうやって卑下する。あなたの悪い癖だ、もっと胸を張って良いだろうに」

 

 やれやれ、と頭を振ったルドルフに、和もまた苦い表情を作る。だが、雑誌を読んでいたテイオーが疑問の声を上げた。

 

「ねーねー、これ変じゃない? なんでカイチョーの事ばっかりでおじさんの話が無いの?」

「そりゃあルドルフのことを目的とした記事なんだから、俺はお呼びじゃねーんだろ」

 

「いいや、それは違う。そもそも、根本的に間違っているぞトレーナー君」

 

「る、ルドルフ……?」

 

 ゆらりと髪を揺らし、ルドルフはテイオーから雑誌を奪い取るように手にすると続けた。

 

「人バ一体という言葉があるように、我々ウマ娘とはトレーナーがあってようやく完成するのだ。昔から続くこのウマ娘を優先しトレーナーを見向きもしない記事は多々あるが、まったく嘆かわしい……私はウマ娘全員が幸せになる世界を目指しているが、しかして影に埋もれるトレーナーという立派な人達をも幸せにしたいんだ」

 

 まるで演説のように仰々しい言葉に、二人は気圧される。荒々しい雰囲気を落ち着かせると、雑誌を傍らに置いて、ルドルフはおもむろに和の体にしなだれかかった。

 

「……トレーナー君」

「おい……急にどうした」

「例えば、ウマ娘とトレーナーを平等な立ち位置にするには、前例が必要だと思うんだ」

「……そ、それで?」

「そんな素晴らしく、愛に溢れた、尊い関係の第一人者になりたい、と言ったら──あなたは私を受け入れてくれる?」

 

 そのままの勢いで、ルドルフは和に顔を近付ける。思わずキスでも出来そうな距離に首を曲げて逸らすが、不意に後ろから熱が伝わった。

 

「っ──テイオー?」

「……カイチョーだけじゃなくて、ボクだって同じ気持ちだよ」

 

 首に腕を回され、耳元にテイオーの口が、背中にはこの三年で成長したふくよかな部分が当てられた。優しく回されている筈なのに、その腕を外すことが出来ないでいる。

 

「…………あなた」

「…………おじさん」

 

 熱のこもった声が、和の理性を溶かす。そして激流に身を任せるように、二人に布団の上へと転がされ──明かりを消された部屋の中へと姿を隠した。薄々こうなるだろうとは思っていた和だが、その通りになるとは思っていなかった。

 

 どこで間違えたのか。いや、間違えた部分など無いのだろう。ルドルフに好かれ、テイオーに好かれたのだ。ここで有耶無耶にしても、いつかのどこかでこうなっていたと確信している。

 

 ──せめて温泉旅行のチケットの裏面を読み込んでさえいれば、もう少し心の準備をすることが出来たのに、と。そんな後悔をしながら、彼の意識は凄まじい脱力感で途切れるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──キタサンブラックは、トウカイテイオーに憧れたウマ娘である。無敗の三冠を成し遂げ、その後に二冠を達成した五冠のウマ娘。

 

 そんなウマ娘に憧れた彼女は、数年後にトレセン学園に友人のサトノダイヤモンドと共に入学し、早速と別行動して学園内を見学していた。

 

 そしてキタサンブラックは──とある男性と共に模擬レースのパドックを観察している、()()()()()()()()()()()()テイオーと再会した。

 

「──! テイオーさんっ」

「およ、おーキタちゃん! 大きくなったねぇ、そっかあ……もうそんな時期かぁ」

「ん──ああ、あの時のちびっ子か」

「……あ、阿僧祇トレーナーさん……!」

 

 キタサンブラックはテイオーの隣に立っている和を見て、ぶるりと身震いをする。当然だろう。彼はトウカイテイオーを、そしてシンボリルドルフを無敗の三冠バに育てた男だ。

 

 阿僧祇和とは、紆余曲折を経てそんな二人と結婚したある意味伝説のトレーナーである。

 

「あの、テイオーさんとシンボリルドルフさんの二人と結婚したって、本当なんですか?」

 

「そこ掘り返されると色々辛いものがあるんだけどな……まあ、事実だよ。あれからテイオーも引退して、あいつも生徒会から退いたけど」

 

「今はカイチョーじゃなくてリジチョー補佐だもんね。時代は変わったよ~」

 

 しみじみとする二人に、キタサンブラックはおずおずと質問をした。

 

「あの、テイオーさんもトレーナーさんの服を着てるってことは、もしかして……」

 

「うん、あれから全盛期も過ぎてレースを引退したからねっ。ボクの走りとレースの経験を後輩の育成に使えないかと思って、おじさんのサブトレーナーとして改めて学園に入ったんだ」

 

「これはこれで『身内贔屓か』って一時期荒れたけどな。いやはや、裏で炎上を鎮火してくれた乙名史記者には頭が上がらない」

 

 そんなことが……と小声で独りごつキタサンブラックは、二人が顔を見合わせてアイコンタクトを交わしているのに気付き、それから二人のイタズラっ子のような笑みに一歩後ずさる。

 

「ねえキタちゃ~ん、ボクたちに鍛えられてみない? キタちゃんなら強くなれるよ~?」

 

「えっ?」

 

「来週の選抜レースまでに仕上げるとなるとまあまあハードになるが……端から見ても体つきはしっかりしてる。1着、狙えるな」

 

「えっ?」

 

 テイオーが一歩近づき、キタサンブラックは一歩下がる。和に近づかれて、キタサンブラックは更に一歩下がる。二人の手に握られた契約書を交互に見て──彼女はこんなことを言われた。

 

「キタサンブラック、俺とテイオーとお前で──最強の伝説を作らないか?」

「ボクやカイチョー……じゃなくてリジチョー補佐のような無敗の三冠を──いや、それを超える無敗の四冠だって夢じゃないよ!」

 

 ポカンと、キタサンブラックは口を開けて惚ける。それから一拍置いて──

 

 

「えっ、えぇえええっ!!?」

 

 

 晴天の青空に響き渡る、そんな声を上げていた。これは、皇帝を育てた男が帝王を育てた話。

 そして同時に、帝王とその夫が、これから最強を作り上げる話でもある。

 

 ──キタサンブラックが無敗の四冠を目指す激動の三年が始まるのは、また別の話。

 

 

 

 

 

『完』




温泉旅行チケット
・裏面を良く読むことでカップルor夫婦向けの割引券であることが察することが出来る。そのため、従業員は最低限しか部屋に近付かない。


阿僧祇 和
・ルドルフとテイオーに押し切られて二人と結婚。世間からの多少のバッシングはあったが、無敗の三冠を二度成し遂げさせたトレーナーという実績もあってか、あまり波風が立つことは無かった。現在は引退したテイオーをサブトレーナーに据えてトレセン学園で育成を続けている。次の担当はキタサンブラック。


トウカイテイオー
・無敗の三冠を達成したのちに二冠を果たし、五冠のウマ娘として名を轟かせる。その後は和と結婚して引退し、彼のサブトレーナーとしてトレセン学園に所属することとした。書類上の名前には、和の名字が付け加えられている。


シンボリルドルフ
・テイオーと同じく和と結婚したウマ娘。現在は次期理事長候補として、たづな共々理事長補佐を勤めてトレセン学園を駆け回っている。テイオー共々、書類上の名字は和のモノを使っている。


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