デート・ア・ライブ 士道ロールバック (日々の未来)
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十香クライシス
第1話 4月10日


デート・ア・ライブ10周年おめでとうございます。


 燃えている。

 人が、家が、町が。

 そこで積み上げてられてきた幸福を、一片の塵さえ残さず焼き尽くすように、真っ赤な炎が世界を覆っていた。火災の原因となった光の雨は尚も上空から降り注ぎ、更に被害を拡大させていく。

 そんな地獄のような光景を横目に、士道は走り続けていた。

 救わなければならない。折紙の両親を。そして折紙自身を。大切な人を守ろうとした優しい少女の心を、もう2度と壊してなるものか。

 そう考えていたところで、ようやく見つける1組の家族。両親の無事を確認し安堵している折紙の瞳には、未だ復讐の炎は灯っていない。

 まだ間に合う。今まさに放たれた一際大きな破滅の光が、尊い命を奪うその瞬間までは。

 それ以上は考えるだけ無駄だった。否、考える前に足が動き、士道は折紙の両親を突き飛ばした。

 一瞬、折紙と目が合う。驚いた顔が見て取れた。

 ――嗚呼、どうか願わくば、彼女の未来が幸せなものでありますように。

 

 死が迫りくる中で、士道は思い出していた。

 確か以前にもこんなことがあった気がする。

 壊れた町で、誰かを求めて走り続け、そして――。

 突如湧き上がる寂寥感。胸を締め付ける感情がどこから来るものなのか分からないまま、そこで思考ごと少年は光の中へ消えていった。

 

 

 

 どこかで、サイレンの音が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 ふわふわと、士道は輝く海の中を漂っていた。 

 ぼんやりと輝く優しい光に全身が包まれて、気持ちがいい。

 なのにどうしてか、心の中は懐かしさと哀愁に溢れていた。

 まるで自分によく似た誰かの想いが流れ込んでくるかのように。

 

 ――俺は何をしていたんだっけ?

 

 頭の中は霞がかかった様に不鮮明で、なんだか意識がはっきりとしない。

 でもなんとなく、辛いことがあったのは覚えていた。

 

 ――それを変えようとして……どうなったんだ? 分からない。分からないが……なんだかすごく疲れた。身体が動かすのも億劫だ。何もかも忘れて、ずっとここでこうしていたい。

 

 そんな考えが、ふと頭をよぎった。

 今までにも、辛いことは沢山あった。

 そしてこれからも、それは続いていくのだろう。

 それが自分の記憶かは定かではないが、そういう確信が士道にはあった。

 

 ――もう誰も、何も失いたくない。だったらいっそのこと、誰とも関わらなければいいんじゃないか。

 

『駄目よ』

 

 どこからか、優しく諭すような声が聞こえてくる。

 

 ――出会わなければ、失わない。失わなければ、辛くない。

 

『逃げては駄目』

 

 ――どうして? 失うことは辛いことだ。俺はもう、辛い思いなんかしたくないのに。

 

『あの子たちはどうするの?』

 

 ――あの子たち?

 

『そう。あの子たちは、貴方のことをずっと待ってる。深い深い絶望の中で、それでも希望を信じて待ってるの』

 

 ――あの子たちって、誰だよ?

 

『貴方のよく知っている、大切な人たちのことよ』

 

 ――大切な人? そんなもの、俺にはもう……。

 

 いない。

 そう思いかけて、しかし、胸の奥がチクリと痛んだ。

 

 ――いや、確かにいたような気がする。それは誰だ?  顔は?  名前は?

 

『思い出して』

 

 頭の中の霞が少しずつ薄れて、同時に暖かいものが流れ込んでくる。

 

『士道』

 突飛な行動ばかりとる、けれど一途に自分を想ってくれる少女。

 

『士道さん』

 気弱だけど本当は強い心を持っている、誰よりも優しい少女。

 

『おにーちゃん』

 無茶なことばかり注文してくる、それでも絶対の信頼を置いてくれる少女。

 

『士道さん』

 問題ばかり起こすくせに、何度も自分を助けてくれた少女。

 

『士道』

 格好をつけているのに揶揄われるとすぐに取り乱す、いつも元気な少女。

 

『士道』

 突拍子のないことを言って驚かせる、冷静なようで熱い心を持った少女。

 

『だーりん』

 誰よりも深い愛情を向けてくれる、歌声の素敵な少女。

 

『士道』

 ネガティブなことを考えてはすぐに暴走する、可愛らしい少女。

 

 そして――。

 

『シドー』

 いつも一生懸命で、天真爛漫に笑う少女。

 

 辛いときはいつも近くに居てくれて、励ましてくれた。勇気をくれた。

 そして自分を愛してくれた、そんな彼女たちに。

 

 ――逢いたい。

 

 嗚呼、どうして忘れていたのだろうか。

 確かに辛いことはたくさんあった。

 でも、みんなと過ごしてきた時間の中には、それ以上に楽しいことや嬉しいことがあったのだ。

 いつの間にか士道の周囲には、色とりどりの光の結晶が集まっていた。

 動けない士道を支えるように、そして何かを伝えるように、時折強い輝きを放っている。

 それを見ていると、自然と身体に力が漲ってくるようだった。

 

 ――俺は……。

 

『忘れないで。貴方の周りには、必ず助けてくれる仲間がいることを』

 

 ――俺は……!

 

『行きましょう、士道。今度こそ、みんなを救いに』

 

 ――俺はまた、あいつらに逢いたい!!

 

 士道の思いに呼応するように、辺りを漂っていた光たちが収束し、一際眩い光となって目の前に現れた。

 それはやがてひとりの少女のシルエットを形作る。

 顔は見えないが、傍にいるだけで優しい温もりを伝えてくれる。

 ゆっくりと手のひらをこちらに向けると、そこには可愛らしい花飾りの付いた鍵が乗せられていた。

 士道はそれに向かって手を伸ばす。

 もう迷わない。もう立ち止まらない。

 目的を果たす、その時までは。

 

『私も手伝ってあげる。最期の、その瞬間まで』

 

 士道が鍵を掴み取った瞬間、()()はこの世界から忽然と姿を消した。

 あとに残されたのは、先ほどまでのやり取りをじっと見つめていた、ノイズのようなもの。

 それは男とも女とも分からない感情の読み辛い声で、しかしどこか楽しそうに呟いた。

 

「随分と勝手なことをしてくれるじゃないか…………万由里」

 

 やがてノイズも後を追うように姿を消した。

 そこにはもう、何も残らなかった。

 

 

 

 

 

 夢を見ていた気がする。

 楽しくて、キラキラと輝いていて、少し切なくて。

 そしてどうしようもなく終焉へ向かっていく、そんな悲しい夢。

 でも、夢はいつか覚めるもので。

 

『……もう、絶対に離さない』

『……ちょっと、起きなさい』

 

 士道を待っている人たちがいるから。

 悲しい運命を変えるために。

 彼女たちと笑いあえる未来へ進むために。

 

『もう、絶対間違わない。だから、』

『いつまで寝てるわけ? ねぇ、』

 

 ――俺は……お前を、お前たちを……!

 

『『 し――』』

「――ッ!」

 

 近くで誰かに名前を呼ばれたような気がして、士道は慌てて飛び起きた。否、近くというのは語弊があるかもしれない。あれはまるで頭の中に直接声が響くような……。

 と、そこまで考えたところで、士道はようやく周りの状況を把握し始める。

 

 目の前に広がっていたのは見慣れた自分の部屋……ではなく、何やらハイテクそうなコンピュータやら精密機械やらが所狭しと並べられた、しかし何度か見たことのある部屋だった。

 あれは忘れもしない。十香と出会い、折紙との戦闘に巻き込まれてフラクシナスに初めて乗った際、運び込まれたのがこの部屋だったのである。 

「ここは……」

「……ん、起きたかね」

 声のした方に目を向けると、そこには胸ポケットから傷だらけのクマのぬいぐるみを覗かせた、眠たげな顔の女性がいた。

「令音さん。どうして俺、こんなところに……?」

 いまいち自分の状況が把握できない士道は説明を求める。

 村雨令音。フラクシナスの解析官であり常に冷静に物事を判断する彼女ならば、丁寧かつ分かりやすい説明してくれるだろう、と思ったのだが。

 自分の身体を弄り異常がないか確認しつつ言葉を待つも、一向に返事がない。不思議に思い士道が再び令音に目を向けると、彼女にしては珍しく、少し困ったような表情をしてこちらを見ていた。

「……令音さん?  どうかしたんですか?」

 彼女が言葉を失うくらいの何かが自分の身に起こっているのだろうか。例えばあの愛らしい妹にとてつもない落書きを顔に施されたとか、或いはスーパーサ〇ヤ人級の寝癖がついているとか。いや、頭を触ってみてもそんな感触はない。ならばやはり落書きの線が濃厚か……。 

 ぺたぺたと顔を触りながらそんなことを考えていると、短い沈黙を破り令音が口を開いた。

「……いくつか訊きたいことはあるのだが。まずは君の質問に答えよう。ここは空中艦フラクシナスの医務室。君は先ほど、精霊とASTの戦いに巻き込まれて、ここへ運ばれてきたという訳だ」

「……あ」

 その瞬間、頭の中で細切れにされていた記憶が次々と繋がっていく。

(そうだ、俺は折紙の両親を助けようとして、天使の攻撃を受けて……)

 幸い身体はどこも異常は無いようだ。琴里の治癒の炎のおかげなのか、あるいはギリギリのタイミングで狂三の力の効果限界が訪れて、元の時代に帰ってきたのか、判断はつかないが。

 しかし妙な点がある。先ほど令音はここがフラクシナスの中だと言った。士道の記憶が確かならば、狂三の能力で過去に行く前、この艦は反転した折紙の攻撃を受けて撃墜されたはずだ。

 そもそも、その折紙と最後まで戦っていたのはASTではなく士道たちだったはずだ。

 うまく情報を整理できず、頭の中がこんがらがってくる。

(俺の記憶がおかしいのか? 時間跳躍をした影響か? いや、それよりも)

 自分のことよりも、まず確認しなければならないことがある。

「みんなは無事なんですか!? 十香たちは……折紙は!」

 思わず詰め寄りながら令音を問いただすと、静かな声色が返ってきた。

「落ち着きたまえ。戦闘はさっき終わったし大した怪我人も出ていないよ。……町は酷い有様だがね」

 宥める様な声で自分の語気が荒くなっていたことに気付き、僅かだが頭が冷える。

「……そうですか。 すみません、取り乱しました」

 怪我人がいないと分かり、士道はとりあえず息を落ち着けた。

 しかし、そこへ更なる混乱をもたらす言葉が飛んでこようなどと、士道は思ってもみなかった。

 

「……あまり驚かないのだね」

「いえ、十分驚いてますよ。目が覚めたらいきなり医務室にいるんですから」

「……いや、そうじゃない。“精霊”や“AST”といった存在に対して、だ」

「へ?」

 士道は彼女の言っている意味が全く理解できなかった。これまで何人もの精霊を封印してきた士道が、今更どうしてその存在に驚かなければならないのだろうか。

 更に令音は言葉を続ける。

「……いったい君は何者だ? どこまで知っている?」

 困惑。

 今の士道の心境を表す言葉として、それ以外のものはない。

(何者? どこまで知っている? なんの話だ? 俺は精霊を封印する力を持っているだけのただの高校生だ。隠していることなんて黒歴史を綴ったノートの存在くらいしか――)

 思考処理が追いつかず、混乱がピークに達したとき、トドメの一撃が放たれた。

 

 

 

「……そういえば、自己紹介がまだだったね。私の名前は村雨令音だ」

 

 

 

 今までに無いほどの、何かとてつもないことに巻き込まれているのだ、と。

 そんな確信めいた予感がした。

 

 

 

「初めまして」

 

 

 

 

 

 

「で、これが精霊って呼ばれてる怪物で、こっちがAST。陸自の対精霊部隊よ。厄介なものに巻き込まれてくれたわね。私たちが回収してなかったら、今頃2、3回くらい死んでたかもしれないわよ? で、次に行くけど――」

「…………」

 あの後士道が令音に連れられてやってきたフラクシナスの艦橋には、待ってましたと言わんばかりの顔で琴里が待ち構えていた。そして士道に対しておざなりな挨拶をした後、いきなり精霊についての説明を開始したのである。

 まるで何も知らない彼に初めて世界の秘密を明かした、あのときのように。

「――という訳よ。 ……ちょっと士道、話聞いてるの?」

 説明を中断し、琴里は士道の様子を伺う。

 当初の予想では、突然聞かされた突拍子も無い話と妹の態度の豹変により、士道はこの上ないほどの動揺見せると思っていたのだ。

 しかしどうだろう。大方の予想を裏切り、士道は全く狼狽えないどころか心ここにあらずといった様子で、ぼけっと空を見据えている。視線の先にあるモニターに映っているプリンセスに釘付けになっているのかと思ったが、そうでもないらしい。

 それもそのはず。士道は現在、情報の整理に頭の全リソースを割いているのだ。

 見知った相手から突然の初対面発言。

 先ほどここに来る前にスマートフォンを確認してみたが、日付が示すのは士道の通う来禅高校の始業式の日であり、十香と初めて出会った日。つまり、4月10日だったのである。琴里ならば何か知っているのでは、と淡い期待をしていたが、その様子もない。

 ここまでくれば、凡そ平均的な知能しか持たない士道でも流石に状況を把握できる。

 自分はまた、過去へ跳ばされたのだと。

(いや、直前までいたのは5年前の世界だったから、ここは未来か? はは……もう訳分かんね)

「ちょっと! 無視するなって言ってるのよこの阿保兄!」

 思考停止しかけた士道の意識を無理矢理呼び戻したのは、苛立だしげに椅子に肘をついてこちらを見つめる琴里だった。

「なに? この程度の説明で頭がパンクしちゃったわけ? まだ本題にも入ってないってのに。 流石は毛蟹にも劣る脳味噌ね!」

「司令、蟹味噌は脳ではなく中腸腺です」

「黙りなさい」

「アォォォン!!」

 容赦なくキャンディの棒を目に突き刺す妹と、それに喜ぶ大の大人。シュールすぎるこの光景も士道にとっては過去に1度見たものなので、今更いちいちツッこんだりしない。

 代わりに、質問を投げかける。

「そんなことより琴里、1つ訊きたいことがあるんだけど」

 その士道の言葉に、フラクシナスのクルーたちから驚愕の声が上がった。

「そんなこと!? 士道くんはこの光景を見てなんとも思ってないのか!?」

「私たちですら慣れるのにしばらくかかったっていうのに……!」

「指令って家では猫かぶってるはずですよね?」

「突然豹変した妹の常軌を逸した公開SMプレイ! そんなものをいきなり見せられても涼しい顔で許容してしまうなんて……士道くん、恐ろしい子!」

「流石は司令の兄だ。懐の大きさが半端じゃない」

「放置プレイですか……それもイイ!」

「もしかして単にあんまり興味ないだけなんじゃないの?」

 

「……煩い。 少し黙りなさい」

 

 琴里が声を発した瞬間、それまで好き放題喋っていたクルーたちがシンと静まりかえる。

 ――キレてる。

 全員が一瞬でそうと分かるほどの怒気が、言葉に込められていたからだ。

 もっとも、それが士道が思い通りの反応を示してくれなかった所為なのか、クルーの最後の一言に対するものなのかは分からないが。

「ずっと黙ってたくせに今更質問って何よ士道。まさか、『聞いてなかったからもう1回説明してくれ〜』とかだったら、あんたの黒歴史を学校中にばら撒くわよ」

「いや、聞いてなかったのはその通りなんだけど」

「あ”ぁ”!?︎」

「「「ひぃぃ〜」」」

 琴里が女の子がしてはいけない表情をしたせいで、周囲から悲鳴が上がる。構わず士道は続けた。

「茶化さないで、真面目に聞いてほしいんだ」

「なっ! ……なんなのよ」

 いきなり真面目な顔でじっと顔を見つめられ、思わずドキリとする琴里。心なしか顔に赤みがさした気がする。

 その様子を慈愛の目で見守るクルーたち。

 なんだこいつら、と思いつつも士道は問う。

「……身体はなんともないか? どこか痛いところとか、怪我を隠してたりはしないよな?」

 琴里が無事なのは見れば分かることだ。まして彼女には〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の回復能力がある。だが、時間遡行前のあの地獄のような光景が、どうしても頭から離れない。

 士道にとっては、愛する妹の安否を確認するための、この上なく重要な質問だった。

「……はぁ?」

 しかし、琴里にとっては全くの予想外。

 世界を蝕む化物や、そいつらと戦う秘密組織。そんな健全な10代男子ならば少なからず思うところがあるはずであろう存在よりも、優先されたのは自分の安否。

 その理由を考え、彼女はここが待ち合わせをしていたファミレスの真上だということを思い出した。携帯のGPSを見て警報発令中にも関わらず駆けつけてくれたのか、と考えが及んだところで、ようやく合点がいったように琴里はニヤリと笑みを浮かべた。

 実際は少し違うのだが、前回の士道がとった行動は事実その通りなのである。悪い気はしない。とういうか実はめちゃくちゃいい気分だったが、自分はフラクシナスの司令官で今は部下たちの前だと自分を律し、浮き立つ心を悟られないように、琴里は口を開いた。

「私をどれだけ馬鹿だと思っているのかしらこのボケ兄は。一体どこをどうしたら私が怪我をしてるように見えるわけ? アメーバだってもう少し頭使うわよこの半細胞生物」

 因みにいつもより少し早口になった上官の精神状態など、無駄に優秀なクルーたちには筒抜けである。

「いや、それならいいんだ。琴里、いつだって俺はお前の味方だ。何かあればすぐにお兄ちゃんに相談するんだぞ。いいな?」

「ふん、世界が終わるくらいの事件でも起きれば相談するかもね」

 心底安堵した上に更に優しい言葉を投げかけられ、そっぽを向きながらもぴこぴこと黒いリボンを揺らして答える琴里。

「でもまあ……ありがと」

 聞かせるつもりもないので僅かに呟いただけの言葉は、1番近くにいた副指令、神無月の耳にしっかりと収められた。ついでにフラクシナスのレコーダーにも記録され、目覚まし音声や着信音などに加工され、クルーたちに出回っていることを知った琴里が怒りの鉄槌を下すのは、そう遠くない日の出来事である。

 観測していれば3回くらいは余裕で封印できるんじゃないか、と思えるほど機嫌を良くした琴里と、それを慈愛の目で見守る愉快な仲間たちを尻目に、士道はひとりごちた。

「世界が終わるくらいの事件……か」

 背中に冷たいものが流れ、ぞわりと体を震わせる少年を、令音は感情の読めない瞳で見つめていた。




6年前に投稿していた同名作品のリメイクになります。
ご興味のある方はお付き合いくださいませ。


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第2話 頭の中の少女

10周年記念企画の集合絵が大好きです。


 自分の置かれた状況を再確認した後。

 精霊についてや今後の方針、つまりデートしてデレさせるという突拍子もない方法について琴里からレクチャーを受けた士道は、明日から本格的な訓練をするということで一旦解放された。琴里はこれから十香攻略に向けて色々と準備することがあるそうなので、今は士道一人である。

 因みに自分が未来からやってきたという話はしなかった。今の状態で話したところで恐らくは信じてもらえないだろうし、士道もうまく説明できる自信がなかったからである。

 家まで送るという申し出を断り、ぶらぶらと町を歩く。夕飯の買い出しをするという名目だったが、本当は帰る前にいくつか確認したいことがあったためだ。

 1つは町の様子。見慣れた景色の中に変わったところがないか目を配りながら、足早に歩く。やがてあまり人が通らないであろう裏路地を見つけると、2つ目の目的を果たすためにそこへ身体を滑り込ませ、薄暗い物陰に向かって声をかけた。

「……聞こえるか、狂三」

 1秒、2秒、3秒……。少し緊張しながら待つも、暗い影は当然のように動いたりなどせず、頭の中に声が響くこともない。知らず息を止めていたことに気づき、ふう、と吐き出した。

(やっぱり狂三とのリンクは切れてるみたいだな。あいつの力が関係してるなら、もしかしたらと思ったんだが)

 5年前の世界では狂三のナビゲーションもあって、なんとか立ち回ることができた。しかしどうやら、今回はそうもいかないようである。

(まあ、【九の弾(テット)】で繋がってるならすぐにアプローチがあるはずだからな。ここまでなんの動きもないし、予想はできてたさ)

 そう納得したふりをするも、やはり同じ情報を共有できる仲間が居ないことに、少し不安を覚える士道だった。

 

 目的がないのなら長居をするような場所でもない。踵を返し立ち去ろうとしたところで、風に乗って話し声が聞こえてきた。姿は見えないが、どうやら若い女性と複数の男がいるようだ。

(この声、まさか)

 男の方は分からないが、女性の声には聞き覚えがある。声の主を確かめようと細い道を進み、建物同士の間、通りからは死角になる様な場所に目を向けると、そこに居たのは。

「あらあら、申し訳ありませんわ」

(やっぱり……!)

 漆黒の衣装に身を包み、長い髪で顔の半分を覆い隠した少女。士道が探し求めていた張本人、時崎狂三その人だった。しかし、どうやら再会の喜びをゆっくり分かち合えるような状況ではないらしい。狂三はやたら屈強な男2人組に詰め寄られていた。

「待ちなお嬢ちゃん、そっちからぶつかってきておいて、それで終わりはねえだろう」

「阿賀武の兄貴、この子マジかわいいっすね! どうします、やっちゃいます? やっちゃいましょうよ!」

「俺も本当はこんなことしたくないんだけどな。世間知らずのお嬢ちゃんには大人の怖さを教えてやらないとなぁ……ククク」

「あら、あら。困ったことになりましたわね」

 全然困ってない顔でそう呟く狂三。どうやら知り合いというわけではなく、ぶつかるか何かして絡まれてしまっているらしい。下卑た視線を向ける男たちは気づいていないが、彼女の目に怪しい光が灯っていることを士道は見逃さない。

 2人のうち特に大柄な男、兄貴とか呼ばれていた男がニヤニヤと笑みを浮かべ、ゆっくりと狂三に手を伸ばした。

(やばい! このままじゃ死人が出る!)

 思うが早いか、士道は咄嗟に狂三の前に躍り出て、男の手首を掴んだ。

「待て! それ以上は駄目だ!」

「……あら?」

「あぁ!? なんだテメェ! 俺の邪魔しようってのか!!」

「ヒュー! ガキがいっちょ前にヒーロー気取りかぁ? かっこいいね♡ ……舐めてんのか殺すぞ。死んで♡」

 狂三はまさかこんなところに他の人が来るとは思っていなかったのだろう。驚いた表情で士道の顔を見ている。

 一方これからというタイミングで予想外の妨害を受けた男2人は、本気で頭にきているらしく額に青筋を浮かべながら睨みつけてくる。その迫力に思わず心臓がバクバクと鳴り始めるが、ここで引くわけにはいかない。なにせ(こいつらの)命がかかっているのだ。

「1度しか言わないからよく聞けよ。早くここからいなくなったほうが身のためだ。……死ぬぞ」

 士道は思ったよりも気が動転しているらしく、意図せず挑発的な言葉が口をついて出る。

(あれ、なんか言い方間違ったような)

 気付いたときにはもう遅い。一瞬で怒りのメーターを振り切った男は、丸太程の太さがある腕を大きく振りかぶった。見た目からしてかなりの腕力がありそうだ。相当なダメージを受けることを覚悟した士道が目をつぶった、その瞬間。

 

『しゃがみなさい!』

 

「……ッ!?」

 突如聞こえた声に従い姿勢を落とすと、先ほどまで頭があった位置にブォン!と音を立てて腕が通り過ぎていくのが見えた。

『そのまま右手を真上に突き出して!』

 どうやらこの声は頭の中に直接響いているようだ。しかし狂三のものではない。よく分からないままに言われた通り右腕を突き出すと、うぐ、というくぐもった悲鳴とともに重い手応えが伝わってきた。なんとパンチを空振りして無防備になった男の顎に、士道の掌底がクリーンヒットしたらしい。脳を揺らす一撃は男の意識を刈り取るまではいかずとも、相当のダメージを与えたようである。そもまま崩れるように倒れこみ、苦しそうにうめき声をあげている。

「あ、兄貴ぃ! てめぇふざけやがって! もう許さねぇからなぁ?」

「す、すみません。俺にも何がなんだか。今のは事故みたいなもので」

「黙りやがれぇぇぇ!」

 絶叫し、今度は子分(仮)が胸倉を掴み上げてくる。兄貴の方には劣るものの、こちらもかなり鍛え上げられている。普段から凶暴な野生動物とでも戦っているのだろうか。純粋な腕力では振りほどけそうにない。しかし迷う暇もなく、頭の中に声が響く。

『逃がさないように左手で手首を掴んで。右手で相手の親指第一関節を思いっきり押し曲げてやりなさい』

 今度はやたらと具体的な指示だ。他にできることもないので、士道は言われた通りにしてみる。

「えっと、左手で、手首を……。右手で、親指を……こう」

「あ? 何してんだてめぇあああ痛たたたたたた! 何これ! すごい痛い!」

 突如走った激痛に耐えかねて、男は悶えながら大きく距離を取った。

(さっきからなんだってんだよこの声は。色々なことがありすぎてついに頭がおかしくなったのか?)

 辺りをキョロキョロと見回してみるも、声の主らしき人物は見つからない。

『安心なさいな、あんたは正常よ』

(会話できるのかよ! 一体誰なんだお前!)

『説明は後。ほら来るわよ! 右に跳んで!』

「くっ……!」

 謎の声に促されるままノールックで回避行動をとると、空気を切り裂く音ともにナイフが横切った。どうやら男は武器を隠し持っていたらしい。一瞬反応が遅れたため左腕に掠ってしまい、触れた部分からじわりと血が滲む。

(これは……ちょっとやばいんじゃないか?)

『もっとやばいのと今まで散々戦ってきたくせに、今更こんな奴に何弱気になってんのよ。私が合図したらまた跳ぶのよ。しっかり合わせなさい。いいわね? 3、2、1――』

「くそっ! やるしかないか!」

 0、という言葉に合わせようと足に力を込めた、その直後。

 パァン!という乾いた音が士道の後ろから鳴り響き、今まさに襲い掛かろうとしていた男の足元に弾痕が刻み込まれる。

「貴方……ちょっとおいたが過ぎますわよ」

 たった一言。狂三が言葉を発した、ただそれだけで周囲の温度が下がった。そう錯覚させるほどの殺意が込められた言葉だった。つい先刻、士道が男たちに向けられたそれとは比較にもならない。

 いつの間にか赤と黒のドレスのような霊装を纏った狂三の手には、細緻な装飾が施された短銃が握られており、先端からは僅かに白煙が上がっている。

「ああ、ああ。でも許してさしあげますわ。ほんの少し小腹を満たそうとしただけですのに、こぉんな素敵な出会いをプレゼントしてくださったんですもの。本当に、感謝いたしますわ。ですから――」

 露になった時計の左目を金色に光らせながら、その顔にニィっと捕食者のような壮絶な笑みが浮かぶ。

「せめて苦しまないように、殺してさしあげますわ」

「ぅ……ぁ……」

 銃口を向けられ、驚きと恐怖のあまりその場にへたり込んでしまった男は、満足に声を出すことすらできずガタガタと震えている。まるで生物的本能が目の前に迫るものの強さを感じ取ってしまったようだ。このまま放っておいても勝手に息の根が止まりそうな勢いである。

『士道!』

「分かってる!」

 謎の声に指示されるまでもなく、士道は今度は狂三の前に立ちふさがった。

「あらあら、一体どういうおつもりですの。貴方はわたくしを助けに来てくれたナイト様だったのではなくって?」

「生憎ナイトの免許はまだ持ってなくてな。明日から研修の予定なんだ」

「その割には随分と勇敢な様ですけど。わたくしのこの姿を見ても立ち向かっていらっしゃるなんて、貴方一体何者ですの?」

「ッ! ……そうか、俺のことが分からないか」

 会話の内容から、この狂三はどうやら士道のことを知らないということが分かる。そしてそれは同時に、今がかなりの危機的状況であることを示していた。

 単にこの世界についての情報交換ができないというだけではない。初めて会った時の狂三、最悪の精霊〈ナイトメア〉は、士道の力が欲しいという理由で来禅高校の生徒全員を人質にとり、挙句琴里と大立ち回りを演じた危険な存在だった。それから長い時間をかけ、目的の一致もあって何度か共闘し、危険な存在というスタンスは崩さないまでも、やっとのことである程度打ち解けることができたのである。

 だが今の狂三は違う。純度100%の悪意で構成された存在であり、士道が大量の霊力を保有しているということが分かればすぐにでも狙ってくる可能性がある。

『名前を呼んだのはさっさと逃げろっていう意味だったんだけど。言っておくけどこの子はあんたのこと知らないわよ』

(できればもっと早くに教えてほしかったぜ……)

 どうやら声の主様は結構なお茶目さんらしい。

『勝手に人のせいにしないでほしいわね。どうせ駄目って言っても止まらないくせに』

(そんなこと……あるかも)

『よく分かってるじゃない。それと、私の声はあんたにしか聞こえてないからね。狂三に変なこと聞いてこれ以上話をややこしくしないでちょうだいよ』

(ご忠告どうも。なんとなくそんな気はしてたよ)

「早く答えてくださいまし」

 脳内会話に花を割かせていると、狂三がしびれを切らしたように催促してくる。こちらを警戒しているのか、銃口はこちらを向いたままだ。その間に、倒れていた男たちはいくらか回復したのか、短い悲鳴を上げながら走って逃げていった。横目で見送り、士道は狂三に向き直る。

「お、俺は……」

(どうする。未来から来たってことを素直に話すか?)

 そう考えたがすぐに断念する。5年前の狂三と初めて会ったときに、それであまり良い方向へ転ばなかったことを思い出したのだ。あの時は頭の中の狂三が話をつないでくれたからなんとかなったが、今は状況が違う。

(……なぁあんた、狂三と交渉してくれたりは……?)

『できるわけないでしょうが。目の前の不審者を警戒してる相手に新しい不審者紹介してどうすんのよ』

(だよなぁ)

『さっきみたいに親指押さえてどうにかなる相手でもないし、自分で何とかしてみなさいな。……幸い、実はあんたが思ってるほど狂三も警戒してないみたいだしね』

(え?)

 言われて、狂三の目を見てみる。先ほどまでは気が動転していて気付かなかったが、成程チンピラ2人に向けていた視線とは確かに違うようだ。とりあえず抵抗の意思はないことを両手を挙げてアピールしつつ、自己紹介をしてみる。

「俺の名前は五河士道だ。人気のない道から女の子の声が聞こえたんでな。気になって来てみたんだ」

「そうでしたの。それは素晴らしい心がけですわね。丸腰であんなに体格の違う相手に立ち向かえるなんて、そうそうできることではありませんわよ」

 名前を聞いた瞬間、狂三がすっと目を細めたように、士道には見えた。

「かわいい女の子が困ってたんだ。当然のことさ」

「なら今度はそこをどいてくれませんこと? 悪い子にはお仕置きをしなければいけませんの」

「女の子が簡単に手を汚すもんじゃないぜ。せっかくの綺麗な手が台無しになる」

「あらあら、喧嘩の強さに加えて、口までお上手だなんて。今までさぞ多くの女性を泣かせてきたんでしょうね」

「ソ、ソンナコトハナイデスヨ……?」

『目が泳いでるわよ』

「目が泳いでますわよ」

 しどろもどろになりつつ答える士道を見て、狂三はクスクスと笑みを漏らし、握っていた短銃は闇に溶けるように消えていった。どうやら無害なことを証明できたらしい。ひとしきり笑った後、改めて向き直る。

「ふふ、敵意がないのは分かりましたわ。()()()()()()()()()()()()()()()ようですし、本当に偶然ここにいらしただけのようですわね」

「え?」

「わたくしの名前は時崎狂三。見ての通り、少し普通の人間とは違いますの」

「そ、そうか」

「まぁ、貴方もただの一般人というわけではないようですけれど」

「ッ!」

 吸い込まれるような美しい瞳がいきなり視界いっぱいに広がり、思わず息をのむ。

『むっ』

「最初からあのお2人を助けるつもりでいらしたんでしょう? わたくしの洩らした僅かな殺気に気付けたのがその証拠。……わたくしのこと、一体どこまでご存じですの」

 唇と唇が触れ合いそうな距離で更に狂三が囁いてくる。

「安心してくださいまし。もう攻撃したりしませんわ。だから教えてほしいんですの。貴方が何者なのか、すごく興味がありますわ」

 ふわりと香る甘い匂い。温かい吐息が肌をくすぐり、思考が溶かされていく。

『むむむっ』

「あ、あぁ。俺、実は――」

 まるで言霊に操られるように、未来から来た、そう言いかけた瞬間、遠くからパトカーらしきサイレンの音が聞こえてきた。段々とこちらに近付いてくるように思える。逃げた男たちが助けを求めたのか、或いは先ほどの銃声を聞きつけた近隣住民が通報したのか。どうやら狂三も事態を把握したらしい。すっと身を引き、名残惜しそうな表情を浮かべた。

「あらあら、どうやらタイムアップのようですわね。本当はもっとお話ししたかったのですけれど」

「……そうみたいだな」

「このお話の続きは、いずれ。またお会いしましょう、素敵なナイト見習い様?」

「はは……楽しみにしておくよ」

 そう言って、狂三はスカートの裾を持ち上げて恭しくお辞儀をした後、暗闇の中へ消えていった。

「…………」

『なに呆けた面してぼーっと突っ立ってんのよ! 警察が来ちゃうわよ! さっさと動く!』

「お、おう!」

 やたらと苛立ちを滲ませた声に叱咤され、慌てて士道もその場を離れた。

 風に吹かれてじくりと痛む左腕の傷が塞がっていないことに、気付く余裕もなかった。

 

 

 

 

 

 

「ぜぇ……はぁ……つ、疲れた……」

 士道は自室に戻るなり上着を床に放り投げ、ワイシャツが皺になる事も気にせずベッドに身を投げた。額から落ちる汗で髪の毛が張り付いて気持ち悪いが、今はそれを拭う気力もない。それほどまでに疲労していた。

 なにせあの後警察に捕まらないよう、身を隠しながら町中を駆けずり回ったのだ。思いのほかパトカーの数が多く、家までの道を大きく迂回する必要があった。おかげで町が自分の知る天宮市と変わりないことが確認できたが、家に着く頃には日はとっぷりと暮れ、闇が辺りを包み込んでいた。

(そういえば、フラクシナスに運び込まれる前も走り回ってたんだっけ。……琴里を探して)

 はるか昔のことのように感じるが、肉体的には今日1日で相当走り回ったことになる。やたらと重く感じる身体に確かな疲労を認めながら、士道は思わず苦笑した。

 いつの間にか自分よりも強く、聡明になっていた妹。泣きながら兄のことを待つ姿を勝手に想像し、事情も知らないまま一心不乱に脚を動かし続けた自分。

 思い返してみるとあまりにも滑稽で、なんだか泣けてくる。

「と、思い出に浸るのは後だな。……そろそろ話をしようぜ、声だけの誰かさん」

『あら、もう少し休まなくて大丈夫なの? 心臓病で倒れた孫〇空みたいな顔してるけど』

「それは休んでも治らねえよ!」

 どうやら声の主の少女(声色から推測)は、士道に味方してくれるようだった。暴漢を撃退したときもそうだったし、帰宅中に度々あった危ない場面も、彼女のサポートのおかげでなんとか切り抜けることができた。まるで憂さ晴らしとばかりにやたらと走らされたことも記憶に新しいが。

「まずは色々とありがとな。おかげで助かったよ」

『ふふん、どういたしまして。私のことは太陽のように熱く崇め讃えるといいわ』

「別に俺は太陽信仰なんかしてないんだが……。それで? 助けてくれたのはありがたいけど。お前は一体どこの誰なんだよ」

『恩人に対してお前とは失礼ね。そういえばまだ言ってなかったっけ? 私には万由里っていうちゃんとした名前があるんだから』

 姿が見えないので勝手に「えへん!」と胸を張る姿をなんとなく想像した。

「はぁ……。それで、その万由里さんは一体どこから話しかけてきてるので?」

『そんなの、あんたの頭の中からに決まってるじゃない』

 なにやら聞き捨てならないことを言われた気がして、士道は恐る恐る聞き返した。

「え、ちょっと待ってくれ。それってもしかして」

『そ。そのままの意味よ。 私は今あんたの頭の中にいるの。 五河士道にしか認識出来ない存在で、五河士道にしか聞こえない声で話しかける。 実体のない霊力の塊、それが私』

「そりゃ確かに頭の中から声がするとは思ってたけど……まじか」

 今まで話していた相手がまさかのイマジナリーフレンドだということがわかり、士道は愕然とした。鏡に映る口を開けた自分の間抜け面を見ても、笑う気さえ起きない。

『誰が妄想の産物よ。私には実体は無いけど実在はしてるんだからね。むしろこのスーパーウルトラ美少女であるところの万由里様にこんなにも構ってもらえるんだから、光栄に思いなさいな』

「勝手に人の頭を間借りしてるやつの台詞とは思えないな! というか、美少女って言われても、声しか聞こえないからどうにも」 

『何よ、私の言うことが信じられないってわけ? 仕方ないわね。ちょっと待ってなさい』

 そう言うと、士道の目の前にいきなりノイズが走った。それは段々と大きくなり、やがてテレビの砂嵐のように視界を完全に覆い尽くす。

(おい、なんか俺の頭にやばいことしてないか!? 重度の立ち眩みみたいになってるんですけど!)

 その問いに答えは返ってこず、代わりに頭の奥の方から『うんしょ、うんしょ』と可愛らしい声がする。たまに聞こえてくるブチっと何かが切れるような音や、『あ、やば……』とかいう声は気のせいだ。気のせいに違いなかった。

 そうこうしている間に段々と視界が晴れ、目の前には何故か腰をくねらせてセクシーポーズを決める、長い金色の髪をサイドテールに括った少女がいた。

『はぁい』

 成程、自分のことを美少女と言うのも納得の可愛さである。士道はしばし時間を忘れて、目を奪われていた。

『……え、えっと……。 そんなに見つめられると照れるんだけど……』

「あ、あぁ、悪い。……本当にかわいいんだな。疑って悪かったよ」

『かっ、かわっ! ……ふ、ふん! 今更気付いたって遅いんだからね!』

「すまん……」

 思わず妙なことを口走ってしまったことに気づいた士道。2人で顔を真っ赤にして目を逸らし合い、そこには初心な恋人のような雰囲気が漂っていた。

 気まずさを断ち切るように一旦咳払いをし、士道は口を開く。

「ゴホンッ、それで万由里はどうして俺の頭の中なんかに?」

『正確には、私の本体は鍵の方に封印してあるんだけどね。あんたのポケットに入ってるでしょ? 花飾りのついた鍵』

 ズボンのポケットを漁ると、確かに言われた通りの鍵が入っていた。初めて見るはずなのに、これが自分のものだという確信がある。持っていると不思議と心が温かくなる鍵だった。

『この世界に来るときに私の持ってる霊力全部使っちゃってね、そのままだと私の存在自体が消えかねなかったし、士道の頭(丁度いい入れ物)があったから間借りさせてもらったってわけ』

「丁度いいってなぁ……。いやそれよりこの世界にって。そういえば、狂三の事情にも詳しかったな。何か知ってるのか? この世界について ……ッ!?」

 士道は思わず万由里の腕に触れようとして、その手は身体をすり抜けて空を切った。驚く士道に万由里はいたずらっぽく話しかける。

『残念でした。私には触れられないわよ。言ったでしょ?  私には実体がない。こうして今あんたの目に写っているのは、私があんたの目に細工を施したからなのよ』

「まじで大丈夫なんだろうな俺の身体は!?」

 不安に汗を垂らす士道に構わず、万由里は続ける。

『あんたの思っている通り、この世界に跳んできたのは私の仕業。初めてで自信なかったけど、いや~うまくいって良かったわ。なにせ次元跳躍なんて初めてだったし』

「次元跳躍!?」

『その様子だと憶えていないみたいだから、順を追って説明するわね』

 そして万由里は語り始めた。

 2人がここに至るまでの経緯を。

 

 

 

 

 

 

 〈絶滅天使(メタトロン)〉の攻撃を受ける瞬間、あんたは隣界に無理やり引きずり込まれたのよ。その瞬間を見たわけではないけど、犯人は分かってるわ。あんたらの言うところの「ファントム」ってやつね。散々人の命を弄ぶような真似をしてきたあいつに助けられるなんて、よっぽど気に入られてるのね。一体どういう関係なんだか。

 え? 身に覚えがない? ふーーーん。ま、今はそういうことにしといてあげるわ。

 あのときは本当に驚いたわよ。自分の出番が来るのを待ってたら、いきなりあんたの方から私のところに来ちゃうんだから。ん? ああ、なんでもないわ、こっちの話よ。

 それでまぁ、どうしようかと悩んでたら、あいつがやってきたのよ。そう、ファントム。後を追うように現れたからあんたを連れてきた犯人だって分かったのよね。

 先に言っとくけど、あいつの事について私に訊いても無駄よ。私もほとんど知らないからね。ま、なんとなく気にくわない奴だってことは分かるんだけど。

 話を戻すわね。ファントムにあんたをどうするつもりなのか訊いたらなんて言ったと思う? 『このままでいい』、ですって。

 霊力ってのは本来人間にとって毒なのよ。使うたびにダメージを受けてたあんたなら嫌ってほど知ってるでしょ? 隣界はそんなヤバい力で溢れかえる世界であり、人ならざる者たちの巣窟なの。時間や空間さえも歪んで、常識なんか通用しない。

 そんなところにあんたを放置したんじゃ一体どうなるか分かったもんじゃないわ。廃人になるくらいならまだ良い方。最悪今のあんたとは全然違う存在に変わってしまうことだってあり得た。ファントムがそれを許容するとは思えないから、何かしらの手を打つつもりではあったと思うけどね。

 どうしてそこまで入れ込むのかって? 知らないわよそんなこと。でも私はそれを待つ気にはなれなかった。だって絶対碌なことにならないじゃない? それに、あんたのあんな顔見ちゃったら放っておけるわけ……。な、なんでもないわよ!

 とにかく、ファントムの言うことに従うのが嫌だった私は、あんたに訊いたのよ。どうしたいか、ってね。そしたらみんなに逢いたいって言うから、あんたの持ってた霊力と、私の持ってた霊力を全部使って無理矢理隣界から抜け出してきたってわけ。やり方が強引すぎたせいで時間軸が大きくずれちゃったみたいだけどね。

 せめて場所だけは離ればなれにならないように事前に(本体)を渡しておいて助かったわ。まあ、力のほとんどを失ったせいで、あんたの身体を借りないといけなくなっちゃったんだけどね。

 そんな訳で、霊力が戻るまでは頭の中に居候させてもらうから。まさか嫌とは言わないわよね? うん、よろしい。

 以上、説明終わり!

 

 

 

 

 

 

 説明を終え、万由里はもう言うことはないとばかりに満足げな表情でベッドに横になった。正確には実体がないわけだから、そう見えるように上手いこと位置を調節しているだけなのだろうが。まったく器用なことである。

「成程な。狂三の力で過去に来たわけじゃないから、狂三が俺のことを知らなかったのも当然、てことか」

『そういうこと。時間の流れに干渉する能力があるからって、その事象の全てをあの子が把握できるという訳ではないわ』

「ところで、万由里は俺のことよく知ってるみたいだけど、それはどうしてなんだ? 今までに会ったことない……よな?」

『……そうね。私たちは初対面よ』

 何故だか少し寂しそうな顔をして、万由里は目を逸らした。

『……あのね、士道。私たちって実は結構深く繋がってるのよ。それこそ、あんたが声を出さなくても心の中で会話できるくらいには』

「そういえばそうだな。姿が見えるから普通に会話してたけど、別にその必要もないのか。

…………え、ちょっと待ってくれ。それってつまり」

『うん。あんたが考えてることはほとんど丸わかりだし、あんたの過去の記憶とかも勝手に入ってきちゃうのよね。強く残ってる記憶なら、そのとき何を思ってたかーとかまで……。あはは』

「あはは、じゃねぇよ! 俺のプライバシーはどこ行っちまったんだよ!」

『しょうがないじゃない! 咄嗟に入り込んじゃったから調節してる暇なんてなかったのよ! もう少し遅かったら私消えちゃってたかもしれないんだからね!?』

「それにしても限度ってもんがあるだろ! 今からでもいいからオンオフ機能つけろ!」

『人を電化製品みたいに言わないで! あー怒った怒りましたよ万由里さんは! あんた命の恩人に対して感謝の気持ちとかないわけ!?』

「それとこれとは話が別だろ! 怒りたいのはこっちの方だよこの野郎!」

『なによ! 私だってやりたくてやったわけじゃないのに! ちょっと間違っちゃっただけなのに! 流石にひどいわよ謝って! 早く私に謝ってよ!』

「いいや謝らないね! これに関しては俺は何を言われようと絶対に引かないからな! 何か弁明があるなら言ってみろ!」

『腐食した世界に捧ぐエチュード。作詞、五河士道』

「ごめええええええええん!!」

 完全に上下関係が決まった瞬間だった。

 絶望に打ちひしがれ床に崩れ落ちる士道に、少し冷静になった万由里が心配げに声をかけてくる。

『ご、ごめん。まさかそんなにダメージ受けるとは思わなかったのよ……。その、完全にシャットアウトするのは無理だけど、あんまり踏み込みすぎないように気を付けるから……』

「……いや、いいよ。これからしばらく一緒にいるんだろ? 変に気を使って疲れるのは嫌だからな。……俺の背負ってる業が他人より深い、ただそれだけの話だ」

 ふっ、と自嘲気味に嗤う。

『今の台詞、一晩寝て起きたら新しい黒歴史になってそうね』

「うわああああああああああ」

 もうなってた。

『どうして自分から傷口に塩を塗っていくの!?』

「業を持たぬ者には……分かるまい……!」

 血反吐でも吐くように呻く士道。熱したナイフのように鋭く心を抉るそれは、しかし我が子のように愛おしい存在でもあるのだ。人はそれを黒歴史と呼ぶ。

 その後なんとか落ち着いた士道は、2人の持つ情報を出し合い、そしてこれからやるべきことを決定したのだった。

「とりあえずは精霊の迅速な封印。それと、過去をなぞるだけじゃなく、少しでも良い方向に変えられるように動く」

『ええ。せっかく未来から来たんだもの。それを活かさない手はないわ。戻る方法も今のところないしね』

「ああ。もうあいつらに……そして折紙に辛い思いはさせない。絶対に」

 静かに、しかし確かな決意を胸に秘めて拳を強く握った。そこへ、スラリと伸びた手が重ねられる。 

『それでこそ士道ね。安心なさい、絶対大丈夫よ。なんたってこの私がついてるんだからね!』

 赤みがかった目が真っ直ぐ士道を見つめている。迷いのない瞳を見ていると、不安な心が消えていくような気がした。

「ああ、頼りにしてるぜ。それと、改めて本当にありがとう。万由里は巻き込まれただけなのに、ここまでしてくれるなんて」

『何言ってんのよ。私たちはもう一蓮托生なんだから、そんなこと気にしなくていいのよ。ただし、私が協力するからには、中途半端は許さないんだからね。 目指すのは完全無欠のハッピーエンド! それ以外はありえないわ』

「ああ、最初からそのつもりだ!」

 2人はしばし見つめあい、心からの笑みを浮かべた。

 

 これから2人を待ち受けるのは、数多の困難。

 しかし、この先何があろうとも。

 彼らがその歩みを止めることはない。

 

 世界を変える、その時までは。

 

「『さあ、俺(私)たちの戦争(デート)を始めよう!』」




万由里のキャラが某駄女神みたいになってますが、声が同じなので許してください。


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第3話 戦争の始まり

「おはよう、お兄ちゃん! 今日もいい天気だね!」

 

『なんなのこのあざといキャラ。 私の方が100倍魅力的ね』

(結局こうなるのか……)

 画面の中の小柄な妹キャラと頭の中の声を聴きながら、士道は面倒臭そうに溜息を吐いた。

 そう、士道は今まさにギャルゲープレイの真っ最中なのである。

 ――リアル妹と大の大人、それに脳内彼女に見守られながら。

 話は昨晩まで遡る。

 

 

 

 

 

 

 あの後すぐに琴里が帰宅してきたため、万由里との話し合いは打ち切られた。そこでまだ夕飯の準備をしていないことを思い出し、取り掛かろうとしたのだが。琴里は士道の姿を見るや否や、慌てて駆け寄ってきた。そこでやっと士道は自分の身なりの異質さに気付いたのだった。

 走り回ったせいで髪は乱れ、ズボンにはあちこちに泥撥ねの跡。胸倉を掴まれた際にワイシャツの首元が伸びてボタンがはじけ飛んでいたらしく、おまけに二の腕は血で真っ赤に染まっていた。

「おにーちゃん! 一体どうしたのよそれ!」

 琴里は黒いリボンを付けているにもかかわらず、かなり取り乱しているようで口調が崩れていた。

「あ、そういえば怪我してたっけ。いろいろあって忘れてたよ」

「いや忘れてたって! めっちゃ血が出てるじゃないの! 大丈夫なの!?」

「平気だよ。見た目ほど傷は深くないし、もう止まってるから」

 それを聞いて、琴里の勢いが少しだけ落ちる。

「そう、それならいい……訳ないでしょ! 夕飯の買い出しに行くだけでどうしてこんなことになるのよ!?」

 狂三のことを話すわけにもいかず、士道は困ったように頬をぽりぽりと掻く。少し考えた後、仕方ないので掻い摘んで話すことにした。

「うーん、簡単に言うとだな。裏路地で女の子を助けたと思ったらボディビルダーみたいな奴らと喧嘩になって」

「!?」

「兄貴は倒したんだけど子分に腕切られちゃって」

「!?!?」

「女の子が子分を捕食しようとしたところで警察が来て町内追いかけっこが始まったんだ」

「????????」

「…………」

「…………」

「? 終わりだけど」

「嘘でしょ!? 全然分からなかったんだけど!?」

「まあまあ。五体満足ならそれでいいじゃないか。それよりほら、ご飯作るから早く手洗ってこい」

「あ、ちょっと! 話はまだ……」

 琴里が声を上げるが、事実である以上は他に説明のしようもない。それに、士道には早く切り上げたい理由があった。話はこれで終わりとばかりにひらひらと手を振り、着替えを取りに2階の自室へ向かう。

 琴里は何か言いたげな顔をしていたが、とりあえず諦めたのかそれ以上追及はしてこなかった。

『危なかったわね。あれ以上話してたら多分ボロが出てたわよ』

(あぁ、気を付けないとな)

 血染めのシャツを脱ぎ、洗濯するかどうか一瞬迷ってそのままゴミ箱に入れる。傷口を指でなぞると、まだ完全に塞がっていないのか、ズキリと刺すような痛みが走った。

『次元跳躍の後遺症……ってとこかしらね。 ま、存在が消えかけるほどの霊力を使ったんだから、当然といえば当然なんだけど』

「…………」

 そう、琴里が帰ってくる前に話し合っていた、重要な事案。士道が本当のことを話せない理由。

『まさかここまでスッカラカンになるとはねぇ』

 

 今の士道は、霊力を持っていない。時系列的には既に封印しているはずの、琴里の力すらも。

 ――つまり。

 

(死ぬほどの怪我を負ったら……そこで終わる)

 かつて、跡形も無く消し飛んで、何事も無かったかのように修繕されたはずの脇腹が、ズキリと痛んだ気がした。

 

 

 

 

 

 

『あんたの再生能力が失われていることを知ったら、琴里ちゃんは間違いなく作戦を中止するでしょうね』

(あぁ。 それだけは絶対に阻止しなきゃいけない)

 十香と初めて出会ったのは4月10日。反転した折紙と戦ったのは11月7日だから、約7か月。それほど長い時間ではない。しかし、その時間以上にに濃密な日々を、十香と、そして精霊のみんなと一緒に過ごしてきたのだ。笑って、泣いて、毎日が輝いて。こんな日々がずっと続けばいいと、本気で願っていた。

 しかし、それでも。初めて十香と出会ったときの、世界に絶望したような彼女の顔は、色褪せることなく士道の脳に焼き付いていた。

 この世界の十香は、きっとまだあんな顔をしているのだろう。ならば、一刻も早く救わなければいけない。例え今の士道が、なんの能力も持たないちっぽけな存在に成り下がったのだとしても。

(待ってろ十香……すぐに助けてやるからな!)

 

「うん! お兄ちゃん大好き!」

 

「……っと。 やっとエンディングか」

 気付けば、画面の中ではスタッフロールが流れていた。琴里の言う特訓とは勿論、フラクシナスで開発したギャルゲー『恋してマイ・リトル・シドー』をプレイさせること。ゲーム開始から約2時間、士道は以前の記憶を頼りに、ほとんど間違った選択肢を選ぶことなく1人目の攻略を終えたのだった。

『意気込んだ割に、やってることは唯のギャルゲーっていうね』

(う……仕方ないだろ。 下手に拒否して怪しまれる訳にはいかないんだし)

 しかし、端から見ても中々手際の良い攻略だったとひとりごちる。これならば琴里も褒めてくれるだろうと思い、彼女の様子を伺うと。

「…………ちっ」

 何故かめちゃくちゃ不満そうにしていた。

「な、なぁ琴里? 1人目終わったんだけど……今日はまだ続けるのか?」

 若干ビビりながら声をかけると、琴里は今考え事をしてるから黙ってろ、と言わんばかりの視線を投げかけてくる。

『なにビビってるのよ、妹相手に情けない。「俺の手にかかれば女の1人や2人楽勝だぜグヘヘヘェ〜」くらい言ってみなさいよ』

(お前の中の俺はどんなキャラなんだよ! ったく……仕方ないだろ。 あいつは今、人質をとってるんだ。 迂闊なことは出来ない……!)

 そう、士道の記憶が確かならば、琴里は士道の黒歴史を持った工作員を何人も校内に配置し、隙あらばそれをばら撒こうと画策しているはずなのである。士道としては、精霊を絶望させることの次くらいに阻止しなければいけない案件だった。だって自分が絶望するから。

『大袈裟ね。 ちょっと恥ずかしいポエムとかオリジナルキャラが世に広まるだけじゃない』

(他人事だと思いやがって。 あんなもんばら撒かれてみろ……五河士道反転体の完成だ)

『成程それは恐ろしいわ。 ……奥義、しゅ、瞬閃轟爆破で……ぶふっ。 て、敵を、な、なぎ倒していきそうだもんねぶははっ』

「はっ倒すぞこの野郎!!」

「あ?」

「いえ、なんでもないです琴里様」

 万由里に対する文句が思わず口をついて出るが、琴里に睨まれて一瞬で縮こまる。

(あいつめ、これを狙って琴里の横に立ってやがったな……!)

 怨みがましく万由里に目をやると、彼女はいまだに床に蹲って腹を抱えて笑っていた。

 士道のこめかみに青筋が浮かぶが、暴れだしそうになる衝動をぐっと堪える。その隣でやっと琴里が口を開いた。

「随分と手際が良かったじゃない士道。 ……まるで女の扱いに慣れてるようだったわ」

 しまった、と今更ながらに気付く。初めてやるゲームにしては、手際が良すぎたのだ。選択肢を間違えたときの罰ゲームに気を取られすぎて、そこまで頭が回っていなかった。

「そ、そんな訳ないだろ! ギャルゲーなんて殿町とたまにシェアするくらいで……」

「そういう意味じゃないわよ……。てかあんた普段そんなことしてんの? キモ」

「人にギャルゲーをやらせてる奴の台詞じゃねぇ!」

「ま、いいわ。 今日はもう終わり。 さっさと帰って休みなさい」

 最初に何か言った気がしたが、琴里はそれ以上追求してこなかった。ホッとする間もなく、しっしっと手を振る琴里に促され士道は部屋を出る。

 

 扉を閉め、頭上に取り付けられたプレートを見る。そこには「物理準備室」と書いたプレートが掲げられていた。

 改めて考えると、学校でギャルゲーとは結構ハードルの高いことをしたものである。まぁ、知り合いに1人余裕でそういうことをしている奴はいるが。もしかして自分は殿町と同類なのか、と恐ろしい考えが頭をよぎり、士道は首を振って思考を切り替えた。

「さて、夕飯の材料でも買って帰るか。昨日は結局余りもので済ませたしな」

『私ハンバーグがいい!』

 いつの間にか隣に立っていた万由里が元気よく話しかけてくる。

「いや、お前食べられないだろ……」

『士道とのシンクロ率を上げれば味覚の共有くらいチョロいもんよ』

「またなんかヤバい細工をするんじゃないだろうな? 俺の身体で遊ぶんじゃねえ」

 そんな他愛もない会話をしながら歩いていると。

「五河士道」

 抑揚の少ない声で、後ろから声を掛けてくる者がいた。

 

 

 

 

 

 

 士道が去った後の物理準備室では、琴里と令音がゲームのプレイデータの見直しをしていた。

「選択肢の正答率9割以上……初見でここまでの数値って出せるものかしらね」

「……ほぼ不可能だろうね。 普通の選択式のものならば話は別だが、このゲームは時間経過によってもルート分岐が発生する特殊なタイプだ。 それをほとんど説明もなしにクリアしたとなると……」

「…………」

「……ゲームの内容を既に知っていたか」

「ありえないわね。対精霊用の極秘プロジェクトで作られたゲームなのよ?」

「それならば、或いは」

「或いは?」

「……天性のプレイボーイか、だ」

 僅かな沈黙が辺りを包み、やがて琴里は重々しく口を開いた。

「……そういえば昨日、帰り道で女の子を助けたとか言ってたわね」

「へぇ、そんなことが。やるじゃないかシン。しかしそれがどうかしたのかな?」

「ほら、士道ってちょーかっこいいじゃない?」

「うん」

「たぶんピンチに颯爽と駆けつけられたら、一発でその女は惚れちゃうと思うのよ」

「うん」

「しかもあの阿保兄はきっとその優しさをいろんなところで振り撒いてるわ」

「うん」

「今まで気付かなかっただけで、私の知らない女が何人も近くにいるのかも……」

「それは……由々しき事態だね」

「しかもそいつに女の扱いを手取り足取り仕込まれて……!」

「吐きそう」

「令音!」

「あぁ」

「すぐに士道の周囲にカメラを飛ばして。これからは24時間監視するわよ」

「既に手配済みさ」

「流石ね。私のおにーちゃんに手を出した女……。必ず見つけ出してやるんだから」

 未来の知識を活かしても、状況が悪くなることがこの世には――ある。

 

 

 

 

 

 

「どうしたんだよ折紙、こんな時間に」

 士道に声をかけてきたのは折紙だった。重要な話があるとのことだったので、2人はとりあえず屋上近くの階段の踊り場まで場所を移す。

「昨日のことについて話がある」

『昨日ってことは、十香ちゃんとの戦闘に巻き込まれたときのことね。折紙に顔を見られたんだっけか』

「そうか。 ところで、下校時刻から結構経ってるけど、もしかして俺を待ってたのか?」

「そう。 それが何か?」

「いや、悪いな。 ちょっと用事があってさ。 もうすぐ暗くなるし、帰りは送っていくよ」

「……そう。 …………ありがとう」

 表情をほとんど変えずに、折紙はそう呟いた。

『この子は最重要警戒対象よ。今のうちに好感度は稼げるだけ稼いでおいた方がいいわ。……伸びしろあんのかこれ? カンストしてんじゃないの?』

(フラクシナスのAIを使えば分かるんだけどなぁ)

 そんなことを考えている間に、彼女は語り出す。精霊のこと、ASTのこと、そして自分の両親のこと。

 淡々と紡ぐ言葉の中にどれだけの憎悪が込められているのか、今の士道にはよくわかる。

(そして、その先に待つのがどれだけ悲しい未来なのかも、俺は知っている)

 だから。それ以上黙って話を聞いていることができなかった。

「……折紙」

「なに」

 話を途中で遮られた折紙は、士道の言葉に耳を傾ける。

 これだけはどうしても伝えておかなければならない。

「折紙は、精霊と話をしたことはあるか?」

「ない。その必要もない。奴らは存在するだけで世界を蝕む化け物。話し合いの余地はない」

「なら、表情を見たことはあるか? 誰かと戦ってるときの、辛そうな……苦しそうな顔をする理由を、考えたことはあるか?」

「……何が言いたいの」

 折紙は士道の言おうとしていることが理解できず、首を傾げた。

「あいつらはな、言葉を話せるんだ。呼びかければ答えてくれる。楽しかったら笑うし、悲しかったら泣くんだよ。人と同じように考えて、人と同じように……生きたいと願ってるんだ」

「いくら似ていようと奴らは人間ではない。悪意を持って人に害をなす。あのときもそうだった」

「それは一部の精霊だけだ! ほとんどの精霊は違うんだよ! 望まない力に振り回されて……誰かを攻撃するのも、先に攻撃をしてくる奴がいるからだ!」

「五河士道、あなたは精霊の何を知っているの……? それに、仮にそうだったとしても、あの強大な力がある限り人間がその存在を許容することはない。共存できない以上、どちらかが消えるしかない」

「違う! なら力を持った人間はどうなる! 悪意を持った人間はどうなるんだ! 精霊よりも質の悪い人間なんていっぱいいるじゃないか!」

 取り付く島もない折紙に思わず声を荒げてしまうが、ここで辞める訳にはいかなかった。

「どうしてそうなっちまうんだよ! お前だって本当はこんなことしたくないはずだ! 本当は優しいお前が誰かに刃を向けることに心を痛めていない訳がないだろ!」

「何を……」

「俺が昔お前に絶望しないでくれって言ったのは、こんなことをさせるためじゃない……!」

「ッ!! やっぱり覚えて……。そう。なら分かるはず。あのとき私は貴方に全てを預けた。笑顔も、喜びも全部。お母さんとお父さんを殺したあの精霊を殺すまでは、私は止まれない」

「……ッ」

 青い瞳が真っすぐに士道を射貫く。どこまでも純粋で、そして悲しいほどに強く、復讐の炎が燃えている。

『分かってはいたけど、過去の世界でのあんたの頑張りは無かったことになってるみたいね』

(あぁ。だとするとこの場で説得するのは無理、か。でも……)

「なら、仮にだ。なんの力も持たない、悪意もない。そんな精霊が現れて、人と一緒に生きることを望んだとしたら、お前はどうする? それでも倒さなきゃいけないと思うか?」

「……どんなに無害だろうと精霊は精霊。例外はない」

「折紙!」

「でも」

 言葉を続けようとした士道の声を遮り、折紙は口を開く。

「そんな状況であれば、ASTが戦闘許可を出すとは思えない。軍人である私は、命令に背くことはできない」

「!! それって」

「貴方が何を考えているのかは分からない。こんなありえない仮定の話をして意味があるとも思えない。でも、どうかお願い。もう危ないことはしないで。……五河士道に何かあったら、私は本当に帰る場所を失ってしまう」

(あぁ……。やっぱり折紙は折紙だ)

 心の底から士道の身を案じる折紙を見て、まだ手遅れでないことを確信した。

「分かった。今はそれでいいよ。それに俺も無理はしないさ。折紙が心の底から笑う姿を、1番の特等席で見なきゃいけないんでね」

「それはつまり結婚式で誓いのキスをする瞬間ということ」

「違ぇよ!」

「? チャペルじゃなくて式場の方が好み? 私はどちらでも構わない」

『ふふ、やっぱり折紙は折紙ね』

「場所はいくつかピックアップしているから心配しなくていい。子供は最初は女の子がいい。名前は五河千代紙。新居を建てるなら日当たりの良いところで――」

 突如始まった折紙の人生プラン講話を聞き流しながらも、士道は決意を新たにした。

(もう折紙を絶望させない。未来を変えてみせる……必ず!)

『幸い時間はあるしね。折紙が精霊のみんなと笑い合えるような世界にしてやりましょう!』

 

 ふと外を見ると、だいぶ日が傾いてきていた。あと30分もしないうちに辺りは闇に包まれるだろう。

「そろそろ行かなきゃいけない」

「あぁ。色々話してくれてありがとうな。何かあればすぐ言ってくれ。いつでも相談に乗るから」

 その言葉を聞くと、折紙はもう話すことはないとばかりに階段を降りていった。と、中頃まで進んだところで、振り返り士道を見上げる。

「今日は、名前で呼んでくれて嬉しかった。また明日、学校で。――士道」

 それだけ言うと、彼女は今度こそ歩いて行った。表情は相変わらず固かったが、少しだけ頬に赤みがさしているような気がした。夕日のせいなのか、或いは。

「ミスった。最初は苗字で呼んでたっけか? …… ま、いいか」

『いや良くないでしょ。 最初に送って行くって約束したじゃない。 なに突っ立ってるわけ?』

「あ」

『ほら、走って追いかける!』

「ま、待ってくれ折紙ー!」

 格好をつける場面でも、いまいち締まりのない士道だった。

 因みに、士道が学校一の美少女と下校しているところを監視カメラで発見し、琴里が激昂するのはまた別の話。

 

 

 

 そして迎える、一週間後。

 

「お前は、何者だ」

「あぁ、俺は――」

 

 ついに始まる。

 士道の戦争(デート)が。



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第4話 化物と悪魔

 先ほどまでのけたたましいサイレンの音が嘘のように、辺りは静まり返っている。まるで世界から誰もいなくなってしまったかのような、そんな静寂。

 いや、実際に誰もいないのだ。空間震警報の発令によって、近隣の住民は全てシェルターに避難しているのだから。

 ――ただひとりの少年を除いて。

 無残に姿を変えた校舎は、どことなく世界の終わりを連想させる。普段であれば部活や下校中の生徒で賑わいを見せる学校も、今は見る影もない。

 そんな場所でひとり、士道は佇んでいた。

 優しい夕陽に照らされた、誰もいない世界。崩壊していく町。

 こんな光景を、以前もどこかで見たような気がする。

 なんとなく切ない気分になっていると、右耳に詰めたインカムから琴里の声が聞こえてきた。

《何ぼさっとしてるのよ? 急ぎなさい、ASTが来てない今が最大のチャンスなんだから》

「……? あ、あぁ。了解」

『士道、1度体験したことだからって油断は禁物よ。 今のあんたは怪我をしたらタダじゃ済まないんだからね』

(分かってる。肝に銘じておくよ)

 記憶の通りなら既にASTが待機しているはずだが、どういう訳か今回はまだ到着していないらしい。少しだけ胸騒ぎを感じた士道だったが、万由里に言われ気を引き締め直す。

 琴里によると、現在空間震と共に顕現した十香は校舎内を移動している。ASTの姿も見えず、十香と落ち着いて対話するならば今しかないという訳だ。

 琴里のナビゲートによって半壊状態の校舎を進んでいくと、最上階のとある教室の中に、彼女はいた。

「……ッ!」

 思わず、息をのむ。

 長い闇色の髪。金属のような、布のような不思議なドレス。そして女神でさえ嫉妬するほどの、暴力的なまでの美しさ。しかし、士道が何よりも目を奪われたのは、彼女の表情。

 覚悟はしていた。だが、それでも――。

 生きていることがつまらないとでも言いたいような十香の物憂げな表情を見て、士道は胸を抉られるような気持ちになった。

「……ぬ?」

 十香は侵入者に気付いた瞬間、掌を士道へ向ける。その手には、闇色の輝きを放つ球体が浮かんでいた。

(ヤバい!)

 その瞬間思い出した。出会った頃の十香は人間全てが自分の敵だと思い込んでいて、近付いてくる者に対して死なない程度に攻撃を加えようとする癖があることを。そしてそれは、相手が士道とて例外ではない。

 咄嗟に目を閉じて身を竦める士道だったが、いつまでたっても衝撃が襲ってこない。恐る恐る十香の様子を伺うと、今度は何やら難しい顔をして頭を押さえていた。

「お、おい。 どうかしたのか?」

《あんたの顔を見て吐き気でも催したんじゃない?》

『あんたの顔を見て生きるのが辛くなったのかしら?』

「いちいち人を馬鹿にしないと気が済まないのかお前らは」

 同時に2箇所から罵倒が飛んできて、士道はちょっと凹んだ。と、こそで十香が顔を上げる。

「貴様、どこかで会ったことがあるな……?」

「!!」

『落ちついて。十香ちゃんが言っているのは恐らく1週間前のことよ。未来の世界の記憶を持っているのは、あんただけ』

(あ……あぁ。 分かってる)

 そう、分かっていたことだ。この世界の誰も、士道のことなんて覚えていない。

 彼女たちと一緒に積み上げてきた時間は、思い出は。光の中に消えていったのだ。

 ふらつきそうになる脚に力を入れ、真っ直ぐと十香を見据える。壊れたのならまた作り直せばいい。今ここで下を向く訳にはいかなかった。

「あぁ。1週間前の、4月10日。町の中で、俺たちは初めて出会ったんだ」

 その言葉は、自分自身に言い聞かせるものでもあった。

「……? そう、だったか」

「どうかしたのか?」

「いや、なんでもない。思い出したぞ。何やらおかしなことを言っていたやつだ」

 十香の目からは僅かに険しさが薄れたが、相変わらず警戒しているようで、腕を組んだまま近寄ろうとはしなかった。

《お姫様は随分とご機嫌斜めのようね士道。任せなさい。今から私たちが全力でサポートを――》

「いや、待ってくれ琴里。もう少し話をさせてくれ」

《なっ……! ちょっと、勝手な行動は――》

 琴里は反論しようとするも、そこで十香が話し始めたので仕方なくといった様子で矛を収める。

「確か、私を殺すつもりはないと言っていたな。どうせ油断させておいて後ろから襲うつもりなのだろう?」

「そんなことない! 人間はお前を殺そうとする奴らばかりじゃないんだ。少なくとも俺は、お前に危害を加えるつもりはない!」

 その言葉を聞いた十香は少しだけ驚いたような顔をした後、小さく唇を動かした。

「だが、私が出会った人間たちは、皆私は死なねばならないと言っていたぞ」

「そんな奴らのことなんて気にするな。お前はここに居ていいんだ」

「……!」

 彼女の顔があまりにも悲痛で。本当の顔を、まるでお日さまのように眩しく笑う彼女の顔を知っているからこそ。士道は哀しみの中に囚われた十香を放っておくことができなかった。

「例え世界中の奴らがお前の存在を否定しても。 俺は、俺だけは! それ以上にお前を肯定してやる!!」

 士道がよほど必死に訴えかけてくるからだろうか、十香は少々圧倒された様子で、しかし僅かに笑みを浮かべた。

「何故だろうな……。 会ったばかりだというのに、お前の言葉は心に響く。 私を受け入れる者などいないとわかっているのに、ほんの少し……お前を信じてみたくなる」

「なら……!」

「だが、だからといってお前が敵ではないと断言できる訳ではない。 そもそも、私を殺しに来たのでなければ、お前は何をしにここへ来たのだ?」

「そんなの……」

 お前を救う為だ。

 そう言いかけたところで、インカムから声が聞こえてきた。

《ストップ士道、選択肢よ。ここで言葉を間違えればどうなるか分からないからね。任せてもらうわよ》

 琴里の冷静な声によって、ヒートアップしていた士道も押し黙る。

(くそっ……ふざけてる場合じゃないのに!)

『割と辛辣なこと言うわねあんた』

 焦る士道に、琴里が選択肢を読み上げる。

 

①「君に会いにきたんだ」

②「なんでもいいだろ、そんなの」

③「今何色のパンツ穿いてるの?」

 

『あ駄目だわコレ。 完全にふざけてるわ』

《ちょっと! 何なのよ最後の選択肢は!?︎》

「俺が訊きてぇよ!」

「なんだ、自分でも何をしに来たか分からないのか?」

「あ、あぁいや! そうじゃない! そうじゃないんだ」

《ええい、総員選択!》

 一部意味不明な選択肢に狼狽する兄妹だったが、琴里はいち早く判断を下し皆に指示を出す。集計した結果、①が最も得票率が高かった。

『これ選ぶ必要あったのかしら?』

 余りにも当然の結果に、万由里は呆れ顔で呟く。因みに③を選択し、理由を熱弁していた約1名は、屈強な男たちに連行されて奥へと消えていった。

「お前に会いにきたんだ」

 そう言うと、十香はますます訳が分からないといった表情になる。

「だから、なんのために」

 その声に反応し、フラクシナスのモニターには再び選択肢が表示された。

《また選択肢よ》

 

①君に興味があるんだ

②君と愛し合うために

③子作りのため

 

「…………」

《ちょっ! ちょっと待ちなさい士道!》

 無言でインカムを引っこ抜こうとした士道を、琴里は慌てて止める。

《フラクシナスのAIは優秀よ。 一見ふざけたような選択肢であっても、必ず何かしらの理由があるのよ。 ……たぶん》

 なんとも頼りないフォローだった。優秀なAIと聞いて、何故だか可愛らしく首をかしげる少女の姿を想像し、更に不安を覚えた。

 と、その間に結果が出た様で、再びインカムから指示が飛ぶ。

《士道、②よ》

 ――君と愛し合うために。

 士道の記憶が確かならば、前回はこの台詞で十香の機嫌を損ねてしまった。

(ならばここは多少アレンジを加えて……)

「お前を、愛してるからだ」

『《ぶふぉっ》』

「あ」

 何故か普通に告白してしまっていた。まぁ十香のことは好きだし、別に士道は嘘を吐いた訳ではないのだが。普段の彼からは考えられない大胆すぎる行動に、脳内とインカムから同時に吹き出す声が聞こえてくる。

『あはははははっ! あ、アレンジの方向が、斜め上すぎでしょ! 「愛してるからだ」キリッ! だってさ……ぷっ、くははははは!!』

《あんた馬鹿なの!? なんでいきなり愛の告白なんかしてるのよ! 段階ってモンがあるでしょうがっ!!》

 士道としては真剣にやっているつもりだったのだが、同時に2方向から笑いと非難が飛んできてちょっと恥ずかしくなった。

 十香の様子を伺うと、「何言ってるんだコイツ」みたいな顔でこっちを睨んでいる。

「何を言っているのだ貴様」

 違った。みたいなじゃなかった。

「私のことをよく知りもしないくせに、愛しているだと? 冗談にしても笑えないな」

 吐き捨てるように言葉を放つ。

(違う)

 そんな顔をさせるために、ここに来た訳ではないのに。士道はグッと拳を握ると、一歩前に踏み出し宣言する。

「俺は! ……俺は冗談のつもりで言った訳じゃない。でも、何も知らないならこれから知ればいい! 教えてくれ、お前のことを。俺はお前のことをもっと知りたいんだ!」

「!」

 士道の真剣さが伝わったのか、十香は少し驚いたような顔をした。

「貴様はつくづく妙な男だな。今まで出会った人間たちは会話どころか、目を合わせようとする者もいなかったというのに。一体私の何を知りたいというのだ?」

 僅かではあるが、先ほどまでの剣呑な雰囲気は緩和された気がする。攻めるなら今しかない。

「例えば……名前、とか」

 そう、十香を攻略する上での重要な課題。それは名前を付けてあげることだった。

「そんなものはない」

「なら、俺が付けてやる」

 ――来た。

 そう思った瞬間、士道は間髪入れずにそう返す。

「何? お前がか?」

「駄目……か?」

 少し強引すぎたかと心配になる士道だったが、十香は考えるような仕草をした後、なんでもないといった顔で答えた。

「いや、会話を交わす相手がいるのなら必要だろうからな。ただし、妙な名前を付けたらただでは済まさんぞ」

「あ、あぁ。善処するよ……」

 掌に再び光球を発生させながらドスの効いた声を出す十香に睨みつけられ、士道は冷や汗を流す。

『これは前回みたくトメなんて言ったらその瞬間ミンチ確定ね。慎重にいきましょう』

(慎重にいくも何も、名前はもう決まってるんだから選びようが……)

 その瞬間、インカムから意気揚々とした声が聞こえてきた。

《これまたヘビーな題材ね。でも任せなさい士道、うちはクルーも優秀よ! 今すぐイカした名前を考えてあげるわ!》

「……」

『ミンチ確定ね。慎重にいきましょう』

(2回も言うんじゃねぇ)

 あーでもないこーでもないというフラクシナスの会議擬きを聞きながら、士道はちょっと気が遠くなった。

「どうした、早くせんか」

「あ、あぁ。お前の名前は……」

(早くしろ琴里! どうせトメなんだろ! 俺を殺したいのならそう言え!)

 

《待たせたわね士道! 彼女の名前が決まったわ。満場一致で「麗鐘(くららべる)」よ!》

 

「麗鐘だ」

(じゃあな万由里、お前と過ごした1週間、悪くなかったぜ)

 言いながら、今度こそ士道は素晴らしい投球フォームでインカムを窓から投げ捨てた。

『死を覚悟しながらも妹の期待に応えるなんて……ピッコr、士道さぁぁぁん!!』

 脳内で最期のコントを繰り広げていると、目の前の少女から死刑宣告が――。

「くららべる……中々良い名前だな」

「『嘘ぉ⁉︎』」

 こなかった。

「べ、別に気に入った訳ではないぞ。人間にしてはマシなセンスだと思っただけだ。 ……それで、文字は? 文字はどう書く」

『どどどどうするのよ士道! めちゃくちゃ気に入っちゃってるじゃないのよ!』

「落ちつけ万由里。 もう1度ときを戻そう」

「まゆり? それも私の名なのか?」

『あんたこそ落ちつきなさいよ!』

 予想外の事態に、2人とも思考が追いつかない。こういうときの頼みの綱だった琴里も、先ほどの見事な投球の所為で連絡不可能だ。

 混乱する頭で、士道は考える。

(駄目だ……このまま十香の名前が麗鐘なんかになったりしたら……)

 

 麗鐘と化した十香の転入。

 クラスメイトから向けられる嘲笑の視線。

 次第に広がっていく噂の波。

 囁かれる陰口。

 ばら撒かれるベースを持った俺の写真。

 混沌の支配者(笑)。

 

(ぐあああああやめろおおおおおおおおおお)

『それただのあんたの過去話でしょうが!』

「ごめん! 俺が悪かった!」

 焦りがピークに達し、気付けば士道は頭を下げていた。

「む、どうした。何故謝る」

「お前にあんな辛い思いはさせない! お前は俺が守る!!」

 勢いよく頭を上げ、今度は十香の手を握り真っ直ぐと目を合わせる。

「な、なんだいきなり。その……か、顔が近いぞ」

 顔を赤らめ、そわそわと落ち着かない彼女の様子にも構わず、士道は続けた。

「お前の名前はとおか。十香だ。な、いい名前だろ? な?」

「む、とーか……。悪くはないが、私はくららべるの方が」

「いいや! 絶対に十香の方がいい! 似合ってる! かわいい!」

「かわ!? 貴様からかっているのか! やはりここで……!」

「ちょ!」

 目を釣り上げた十香が今度こそ士道に手を伸ばそうとした、その瞬間。

 

 轟音とともに校舎の壁と天井をブチ抜き、レーザーが飛んできた。驚き身を竦める士道だったが、身体には傷一つ付いていない。十香の周囲に不可視の壁があり、それが守ってくれているようだった。

 しかし、士道の心に芽生えたのは安堵とは正反対の感情だった。何故なら、壊れた壁から姿を現したのは、ASTでも、まして救援でもない。

(こいつらがいるなら……そりゃASTがいらないわけだ)

 今更になって胸騒ぎの正体が分かったが、もう何もかも手遅れだった。

 

「あららァ? どうして一般人がこんなところにいるのかしラ?」

 

 釣り目がちの双眸を更に吊り上げ、凄惨な笑みを浮かべる悪魔の様な女。

 そしてその後ろで待つのは、悪魔よりも恐ろしい死神たちだったからだ。

 

「あーあー、まだ攻撃許可は出てねーのに。 相変わらずの血の気の多さですね、ジェシカは」

 

 一旦言葉を切り、泣き黒子と妙な敬語が特徴的な小柄の少女は、傍らで待機しているもう1人の女に顔を向ける。

 

「そう思いやがりませんか? ――エレン」

 

「…………」

 

 名前を呼ばれた女は、感情の灯らない冷たい目で静かに少年たちを見降ろしていた。

 

 

 

 

 

 

「ったく、なーにが『頻発する精霊被害区域における人員増強』よ! こんなもん乗っ取られたも同然じゃない!」

 そう怒鳴り散らし、苛立たしげにモニターを見つめるのは、AST隊長であり現場の指揮を任せられている筈の、日下部燎子だ。

 事の発端は1週間前にに遡る。

 彼女はいつものように精霊の顕現及び戦闘の記録をまとめ、上層部に提出した。数日前に一瞬観測された強い霊力反応の件を除けば、普段と変わらない報告書。

 しかし、どういう訳か今回はそれがDEMのお偉方の目にとまり、AAAランクという圧倒的な力を誇るプリンセスに対抗するという名目で人員増強が為されたのが3日前だった。

 更に、やってきた3人はASTの指揮下に入らず各々が自由に行動できること、必要があれば最大限のサポートをすることを要求してきたのだ。

 もちろん、燎子にもAST隊長としての面子というものがあり、当初は余りにも身勝手なやり方に表立って意を唱えていた。

 しかし、上層部のDEMに対する弱腰な姿勢と、訓練と称した3人による現隊員たちへの見せしめにより、ほとんどの者が従わざるを得ない状況に陥ってしまったのだ。

 そんな中、再びのプリンセス出現に際し、戦闘準備をする隊員たちを「邪魔」の一言で切り捨てた3人は、誰の指示を受けるでもなく各々が勝手に出撃して行ったのだった。

「好き勝手やらかして私の可愛い部下たちを痛めつけてくれやがって……。 あんなやつら、プリンセスに殺られちまえばいいのよ!」

「た、隊長ぉ……。 まずいですよそんなこと言ったら……」

「こんな状態じゃ文句の1つでも言わなきゃやってらんないわよ!」

 燎子は相当頭にきているらしく、脚を組んで椅子に腰掛け、トントンとひっきりなしに机を指で叩いている。

「ところで、折紙の姿が見えないのだけれど。どこに行ったか知ってる?」

「そ、それが……」

 気の弱そうな隊員の1人が、恐る恐るといった感じでモニターの1つを指差す。そこには、全速力で空を駆ける折紙の姿が映し出されていた。

「モニターに男の子の姿が映ったと思ったら、止める間もなく出て行っちゃって……」

「…………この、どいつもこいつもぉぉぉ!!」

 作戦室に、悲痛な叫び声が木霊した。

 

 

 

 

 

 

 ――ヤバい。

 そんな認識では甘すぎると自分でもわかるほど、士道は今危機的状況に瀕していた。

 突如現れたこの女に、士道は見覚えがある。かつて美九と共にDEMに攻め込んだ際に襲ってきた女だ。詳細は知らないが、DEMでNo.2を誇る実妹、崇宮真那と互角に戦ったと聞いている以上、相当な実力者であることは間違いない。

 しかもその後方に見えるのは、本来彼女を止める役割を担うはずだった真那と、人類最強の魔術師エレン・メイザース。威圧感のあるCR-ユニットを展開しながらも、眼下で暴れる赤髪の女をまったく止めようとしないことから、彼女たちが少なくとも味方ではないことがうかがえる。

(ヤバいヤバいヤバい! なんだこの状況は!? どうしてあいつらがここにいる!? いくら十香でもこの3人を同時に相手するのは無理だ!! どうすればこの場を切り抜けられる!? 一体どうすれば――)

 焦る士道を他所に、十香は天使を顕現させ一触即発の雰囲気を醸し出していた。

「なんだ貴様らは。私は今大事な話をしているのだ。邪魔をするのなら容赦はしないぞ」

「随分とイキのいい精霊だこト。少しは楽しめそう?」

「…………ッ!」

 ジェシカが獲物を前にした肉食獣の様に舌なめずりをすると、その瞬間十香は顔を顰めて一気に懐に斬り込んだ。

「お前……いや、お前たちか。いつものメカメカ団とは違うな。凄く……嫌な感じがする」

「あはははは! 当然ヨ! あんな雑魚共と一緒にされちゃア……たまんないわネッ!」

 十香の斬撃をレーザーブレードで平然と受け止め、強引に押し返したかと思うと、彼女たちはここでは戦うのに狭すぎると判断したのか、夕暮れの空へと飛び出していった。

「駄目だ十香! そいつらは危険だ! 逃げろ!!」

 慌てて窓際へと駆け寄り、身を乗り出して叫ぶも、2人の姿は既に声の届くところにはなかった。

「クソッ……何か、なんとかできないのか!?」

『落ち着いて士道。十香は未封印の完全な状態。3対1でも簡単にはやられたりしないわ。最悪隣界に逃げることもできるしね。それより今は自分の身の心配をしなさい』

 確かに琴里との連絡が取れない今、士道の置かれた状況は最悪と言ってもいい。

「でも! このままじゃ十香が……!」

 と、そのとき。士道の姿が影に覆われた。空中で待機していた2人のうちの片方が、士道の前に降り立ったのだ。

「あーもしもしお兄さん? ここは危険でいやがりますので、さっさと避難を……え?」

 喋るのを途中で止め、少女は驚愕に満ちた顔になる。

「兄……様?」

「…………真那」

 再会を喜びたいところだが、今は他にやることがある。

「真那、話は後だ。今すぐあいつらを止めてくれ。このままじゃ十香が!」

「やっぱり兄様でいやがるんですね! どうしてこんなところに……。それに、十香ってのはプリンセスのことですか? あいつは人間じゃねぇ危険な存在でいやがります。今から討伐するので、すぐ避難を――」

「あいつが人間じゃないなんて百も承知だ! 危ない力を持ってることも知ってる! でも、あいつは今の今まで俺と話してたんだ! 普通の女の子みたいに笑ってたんだよ! 殺されなきゃいけない理由なんて何もない!!」

「理由なんてどうでもいいんです。あいつらは存在そのものが罪。生きていてはいけない存在で――」

「あいつが精霊だなんてことは最初から知ってるんだよ! この世界の誰よりも! 俺が1番十香のことを知ってるんだ!」

『士道、駄目よ』

 真那の口から十香を卑下する言葉が出たことで、ただでさえ焦燥していた士道のタガが外れてしまった。万由里の制止も振り切って、感情が溢れだす。

「お前らはあいつの何を知ってる!? 望んで暴れているように見えるか? 破壊を楽しんでるように見えるのかよ!?」

『お願い士道、話を聞いて。すぐにここから避難して』

「兄、様……?」

「何も知らないくせに勝手な理屈ばっかり押し付けやがって! あいつがどんなに辛い思いをしてるかも知らないで!」

『このままじゃ貴方が危ないの! お願いだから逃げて!!』

「ただそこにいるってだけで殺されそうになるあいつの気持ちを、あんなに悲しい顔をしてるあいつの気持ちを、お前らは少しでも考えたことがあるのかよ!!」

「私、は……。人類のために……私を救ってくれたDEMのために、仕方なく……」

「あいつはもう人を傷つけたりなんかしない! 人類の敵なんかじゃない! 俺がそうさせてみせる、だから……」

 頼むから、十香を助けてくれ。そう願う士道の心は容易く踏みにじられた。空から何かが降ってきたのだ。それは鈍い音を立てて床に叩きつけられ、ボロボロになった霊装を身に纏い、苦悶の表情を浮かべた――。

「十香!!」

 苦しげに呻く十香だった。彼女の後を追ってきたのだろう、続いて2つの機械音も近づいてくる。

「期待外れネェ。 もう少し楽しませてくれると思ったのだけれド」

「私たち2人を同時に相手をしたのだから、むしろまだ息があることを褒めてあげるべきでは?」

 十香に対し余裕の笑みを浮かべるジェシカ。エレンの方もいつの間にか戦闘に参加していたようだった。真那と話している間に結構な時間が経ってしまったのか、それともDEMの精鋭が強すぎるのか、予想よりも早い十香の敗北に、士道は言葉を失う。

「ぐっ……このっ」

 〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を床に突き立て、フラつきながらも立ち上がろうとする十香に走り寄り、士道は慌てて抱きとめた。

「大丈夫か!? 酷い怪我じゃないか……」

 触れる身体はいたるところから出血がみられ、無事な箇所の方が少ないくらいだった。

「離れていろ、こいつらは私が倒す。 ……ッ痛ぅ!」

 強がってはいるが、相当なダメージを負っていることは明白だ。その証拠に、十香は横から身体を支えてやらないと立つことすらままならない。

「……もうやめろ、やめてくれ! ここまですることないだろ!?」

 目の前の惨状に、士道は思わず悲痛な叫びを上げる。

「なぁにボウヤ、悲劇のヒロインを庇うヒーロー気取りかしラ? でも残念、そいつはか弱いお姫様でもなければ人間でもなイ。ただの……化物ヨ」

「!!」

『駄目よ士道! 下がって!!』

 万由里が何か言っているようだったが、士道の耳には入らない。

(こいつは今何て言った? 十香が化物?)

「……ふざけんなよ」

 誰の言葉だっただろうか、魔術師(ウィザード)は精霊に対抗するために生み出された、人間以上化物未満の存在。そんな話を聞いたことがある。

(でも、そんなのは嘘っぱちだ。だって、傷ついた女の子を前にして、こんなにも楽しそうに笑っていられるこいつらの方がよっぽど……!)

「化物は……テメェらの方だろうが!!」

 怒りに我を忘れ、敵意を剥き出しにして叫ぶ。その態度が気に食わなかったのだろうか、ジェシカは薄ら笑いをやめて目を細めると、無言のまま指先を士道に向けた。

「ジェシカ!」

 真那が声を上げるも間に合わず、次の瞬間、士道の身体は紙切れの様に宙を舞い、背後の壁に叩きつけられた。

「お前!!」

『士道!!』

 苦悶の表情を浮かべながら十香が、泣きながら万由里が駆け寄ってくる。

(あぁ……また、そんな顔させちまった……。笑顔にするって、そう……誓ったはずなのに)

 頭を打ったのか、額からドロリと熱いものが流れ、視界を真っ赤に染め上げていく。薄れゆく意識の中で、士道は自分の弱さを呪った。

(力が……欲しい。 みんなを守れるだけの、絶対的な、力が……)

 涙を浮かべ士道を抱き上げる十香の背後に、笑いながらレーザーブレードを振り上げる女の姿が見える。

 最後の力を振り絞り、全力で十香を突き飛ばすと、そこで士道の意識は途切れた。



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第5話 命の輝き

どうやら戦闘描写があるとR15タグが必要らしいので、今回から入れておきます。


 士道との通信が途切れた後、フラクシナスは喧騒に包まれていた。インカムを投げ捨てた士道を非難する間もなく、とてつもない力を持った乱入者が3人も現れたからである。

「AST……じゃないわね。操縦者もCR‐ユニットも見たことがない。解析急いで!」

魔術師(ウィザード)のランクはAとAA、それに……S!? これはまさか!?」

「解析結果出ました! 所属はDEM……デウス・エクス・マキナ社です!」

「聞いたことがあります。DEMの懐刀、人類最強の魔術師。エレン・メイザース……!!」

「こちとら初陣だってのに、随分と物騒なのが出てきてくれたじゃないの」

 琴里は苛ただし気に手元のコンソールをとんとんと叩き、咥えていた飴を噛み砕く。

「琴里。すぐにシンの回収を」

「え? えぇ、そうね。今回は流石に分が悪すぎるか。士道の映像回して!」

 普段通りの冷静で眠たげな令音の姿。しかし、長年の付き合いである琴里にはどこか彼女が焦っているように見えた。その様子に何か嫌な気配を感じ、すぐさまクルーへと指示を飛ばす。

 インカムは投げ捨てられてしまったが、自律カメラは生きている。士道の方に向かっていった魔術師もいるようだし、様子を伺うためにメインモニターに映すと、そこにはどことなく士道に似た雰囲気を纏った、小柄な少女が一緒に映っていた。

『兄……様?』

「え?」

『…………真那』

 琴里は驚愕に目を見開いた。自分以外に士道を兄と呼ぶ者がいたこともそうだが、どうやら士道がその存在を知っているらしいからである。そんな琴里の困惑を余所に、2人の会話は続く。

『真那、話は後だ。今すぐあいつらを止めてくれ。このままじゃ十香が!』

『やっぱり兄様でいやがるんですね! どうしてこんなところに……。それに、十香ってのはプリンセスのことですか? あいつは人間じゃねぇ危険な存在でいやがります。今から討伐するので、すぐ避難を――』

『あいつが人間じゃないなんて百も承知だ! 危険な力を持ってることも知ってる! でも、あいつは今の今まで俺と話してたんだ! 普通の女の子みたいに笑ってたんだよ! 殺されなきゃいけない理由なんて何もない!!』

 声を荒げる士道に、琴里は違和感を覚えた。いくら士道が他人の感情に敏感だからと言って、過去に1度会っただけの相手にここまで執着できるものだろうか。その答えはすぐに分かった。

『理由なんてどうでもいいんです。あいつらは存在そのものが罪。生きていてはいけない存在で――』

『あいつが精霊だなんてことは最初から知ってるんだよ! この世界の誰よりも! 俺が1番十香のことを知ってるんだ!』

「!?」

(誰よりも十香のことを知ってる……? そんなのまるで)

 まるで、昔から十香のことを知っているような、そんな言い方。

(士道は、どこかで精霊と会ったことがあるの?)

 思い返してみれば、心当たりはある。琴里が初めて正体を明かした後、士道はすんなりと精霊の攻略を引き受けてくれた。あのときは浮かれていて気付かなかったが、あまりにも物分かりがよすぎなかっただろうか。

(だとすれば、士道は意図的に精霊の情報を伏せていたことになる。誰にも悟られることなく、精霊との交流を? 何の目的で……?)

『お前らはあいつの何を知ってる!? 望んで暴れているように見えるか? 破壊を楽しんでるように見えるのかよ!?』

『兄、様……?』

『何も知らないくせに勝手な理屈ばっかり押し付けやがって! あいつがどんなに辛い思いをしてるかも知らないで! ただそこにいるってだけで殺されそうになるあいつの気持ちを、あんなに悲しい顔をしてるあいつの気持ちを、お前らは少しでも考えたことがあるのかよ!!』

『私、は……。人類のために……私を救ってくれたDEMのために、仕方なく……』

『あいつはもう人を傷つけたりなんかしない! 人類の敵なんかじゃない! ()()()()()()()()()()、だから……』

「!!」

 そこで、モニターに新たな人物が追加される。今回の攻略対象である〈プリンセス〉、士道が十香と名付けた少女だ。

『十香!!』

 苦しげに呻く彼女に駆け寄り、大切なものを守るように抱き支える士道。その姿は、とても1度しか会ったことのない者に向ける仕草ではなかった。間を置かず、続いて他の魔術師たちも空から降りてくる。

『期待外れネェ。 もう少し楽しませてくれると思ったのだけれド』

『私たち2人を同時に相手をしたのだから、むしろまだ息があることを褒めてあげるべきでは?』

 危険度AAAのプリンセスを相手にしながら、大した怪我もなく平然と立つその姿から、この魔術師たちの戦闘力の高さがよく分かる。

 立ち上がることすら困難なほど打ちのめされたプリンセスに士道は寄り添い、彼女たちを睨みつけている。

『……もうやめろ、やめてくれ! ここまですることないだろ!?』

『なぁにボウヤ、悲劇のヒロインを庇うヒーロー気取りかしラ? でも残念、そいつはか弱いお姫様でもなければ人間でもなイ。ただの……化物ヨ』

『……ふざけんなよ』

「駄目よ士道! 下がって!!」

 士道がキレたことを一瞬で察し、琴里は思わず立ち上がって叫ぶが、その声が届くことはない。

『化物は……テメェらの方だろうが!!』

 その態度が気に食わなかったのか、ジェシカと呼ばれた女は仲間の制止も聞かず、羽虫でも追い払うような仕草で士道を壁に叩きつけた。

「!!」

『お前!!』

 倒れた士道の頭からは、大量の血が流れ落ちている。琴里は一瞬息が詰まったが、すぐに冷静さを取り戻す。

「指令! 士道君が怪我を!」

「頭を強く打ったようです! このままでは危険です!」

「分かってるわ。あいつらが離れたらすぐに回収する。それにね、士道は大丈夫よ。こんなに早く披露することになるとは思ってもみなかったけど、直に回復を……」

 

 

 

 …………しない。

 

 

 

 何秒経っても、士道の怪我が回復する様子はなかった。その間にも血は流れ落ち、周囲を紅く染め上げる。

「な、なんで……? どうして……? 嫌、待って! おにーちゃん!!」

 そこで思い出す。1週間前、士道が腕に怪我を負っていたことを。あのときは大きな傷ではないから〈灼爛殲鬼(カマエル)〉が発動しなかったのだと思っていたが、よく考えれば袖が赤く染まるほどの血が出ていて傷が小さいわけがない。その後2、3日は左腕を庇うように生活していたところを見るに、結局完治まで力は発動しなかったのだろう。

(いや……まさか。使わなかったんじゃなく……使えなかった?)

「士道の霊力値を調べて」

「え? いやしかし」

「いいから早く!!」

 今まではあえて避けていた。フラクシナスのクルーたちにはまだ士道の体質のことは話しておらず、士道が大量の霊力、それこそ精霊1人分にも匹敵する力を有していることが分かれば、作戦の遂行に支障をきたすと考えたからである。しかし。

「解析結果、出ました。ランクは……F、測定不能です。霊力反応はありません」

「あ…………そん、な」

 手足がガクガクと震え、思わずその場にへたり込む。クルーたちが案じる声を掛けてくるが、全く耳に入ってこない。

(士道が霊力を持っていない? どうして? いや、それよりも、そんな士道を私は戦場に立たせて――)

 パン!

 と、小気味の好い音が鳴り響き、少し遅れて琴里の頬がジンジンと痛みだす。どうやら目の前にいる部下であり友人、村雨令音にぶたれたのだと、遅れながら気付いた。

「今すべきことは後悔することか? 違うだろう。まだ間に合う。すぐにシンを回収する準備をするんだ」

「あ……そう、ね。……ごめんなさい、少し気が動転してたわ。〈世界樹の葉(ユグド・フォリウム)〉展開! 必ず奴らを後退させて、士道を救出するわよ!」

「は。既に準備はできています」

 いつの間にか戻ってきていた神無月から頼もしい返事を貰い、琴里は少しだけ勇気付けられる。

「流石ね神無月。それに令音もありがとう。おかげで目が覚めたわ」

「礼なら後で。今はそれよりも」

「えぇ。これ以上好き勝手はさせないわ」

 様々な思いを全て飲み込み、今は目的のために全力を尽くす。こういった切り替えの早さが、軍人として鍛え上げられてきた琴里の長所でもあった。

「〈世界樹の葉〉展開中は不可視迷彩が切れるわ。みんな、覚悟しておいて頂戴」

 如何に迅速に行動できたとしても、あのクラスの魔術師たちを相手にこちらの存在を気付かせず任務を遂行することは不可能だ。そう分かっているからこその言葉だった。

 モニターを見れば、士道のすぐ傍まで凶刃が迫っている。プリンセスを突き飛ばした士道をレーザーブレードがとらえる直前、展開した〈葉〉から放たれた光弾が、近くにいた女の随意領域(テリトリー)に接触した。

『『なっ!?』』

 驚いた顔で上空を見上げる魔術師たち。どうやら間一髪間に合ったようだ。

「攻撃を続けて。一定距離離れたら即座に回収するわよ」

「「了解!」」

 モニターを見ると、魔術師たちは予想外の方向から攻撃を受けたことに動揺するのも束の間、すぐに随意領域の密度を上げ、冷静に襲撃者の分析を行っていた。

「並の魔術師なら抵抗すらできないほどの威力なのに……。どういう鍛え方してんのよ」

「足止めはできていますが、後退させるまではいかないようですね。全く、私は人をいたぶるよりいたぶられる方が好みなのですが」

「バカなこと言ってないで集中しなさい神無月。士道に擦らせでもしたら焼き土下座30秒の刑よ」

「あまり興奮させないでください司令。手元が狂います」

 軽口を叩きながらも、相手の死角を的確に狙い雨のような砲撃を浴びせ続ける。流石の腕前と嘆息しつつも、琴里は士道救出にあと一手足りないことを歯噛みした。

 やがて自称士道の妹と目つきの悪い女は〈世界樹の葉〉撃墜のためにその場を離れたが、エレンメイザースは砲撃を容易く防ぎつつそこに留まり、決してプリンセスから意識を逸らさない。

 隙をみて逃げようとする度にライフルで牽制しているところを見るに、自力での脱出は難しそうだ。プリンセスも怪我で身体が思うように動かない上に、意識のない士道を抱き抱えながら応戦しているため、ジリ貧状態だった。

「あんなに密集されるとミストルティンも使えないし、これ以上は士道が……。こうなったら私が――」

「十時の方角より高速で飛来する熱源確認! この霊力反応……ASTです!」

「なっ!? これ以上は士道が持たないわ! なんとしても撃ち落としなさい!」

「駄目です止まりません! こちらの砲撃を全て斬り落として真っ直ぐ向かってきます!」

「なんですって!? ASTにそんなことできる奴がいるわけ……ッ! あの女!!」

 

 

 

 

 

 

 鳶一折紙は軍人である。上官の命令は絶対であり、組織の為に動く。いついかなる場合でも、例外は存在しない。

(士道が危ない)

 鳶一折紙はASTである。人類を守るために日夜暗躍する、対精霊部隊。その存在は秘匿されており、機密保持のため独断専行は決して許されない。

(士道が危ない!)

 鳶一折紙はエースである。他の者の模範となるべき行動を心掛け、類稀なる戦闘力を私利私欲のために使うなどあってはならない。

(士道が危ない!!)

 鳶一折紙は恋する少女である。愛する人を守るためならば、全ての常識は意味を成さない。

 停止を呼びかける上官からの通信を切断し、人目を気にせず最短距離を一気に突き抜け、迫る凶弾を切り裂き空を駆ける。

「……見つけ……!?」

 瓦礫の山の中で精霊に抱かれ、ぐったりとしている士道。周辺の血溜まりをみて、折紙は心臓が締め付けられるような感覚に陥った。

(精霊が人質を……? いや、あれは)

 むしろDEMや正体不明の砲撃から士道を守るように剣を突き立てる精霊を見て、困惑した。しかし、それも一瞬。どのような状況であれ、折紙の中での最優先は士道の安全である。スラスターを噴かし、最高速度のまま愛しい人へ銃を向けるエレンに斬りかかった。

 これは流石にエレンも予想外だったらしく、自身のレーザーブレードを展開して防ぎつつ僅かに距離を取った。折紙はプリンセスとエレンの間に立ち、油断なく構える。

「どういうつもりですか。ASTの所属でありながら私に牙を剥くとは」

「あなたこそ何を考えているの。民間人の保護は最優先事項のはず」

「それは貴女たちの都合でしょう。私の任務は精霊の捕獲もしくは討伐。多少の犠牲が出たところで知ったことではありません」

「……多少、だと?」

 ギリ、と歯を食いしばり睨みつける。本気で他人の生き死にに興味がないのだろう。その目からは僅かな感情すらも読み取れなかった。

「お前はメカメカ団の……。どういうつもりだ」

 後ろから声を掛けられ、折紙はチラリと様子を伺う。自分たちがどれほど必死になっても傷ひとつつけられなかったプリンセスの霊装は見る影もない。肌が大きく露出しており、絶えず血が流れ落ちていた。

 今なら首を獲れる、いとも簡単に。しかし――。

「この人間に危害を加えるつもりなら……くっ。容赦は……しないぞ……!」

 ボロボロになりながらも士道を決して離さず、立ち上がって剣を構える精霊の姿を見て、折紙は不思議な感覚を覚えた。

 更にこの場に立って気付いたことがある。どうやら空からの砲撃は士道とプリンセスを守るように動いているという点だ。しかし、段々と頻度が落ちているところを見るに、ジェシカと真那が砲身を破壊して回っているようだ。

 待っているだけでは状況は悪くなるばかり。だからといって、今の状態のプリンセスに士道を渡せと言っても応じることはないだろう。ならば折紙のやることは1つ。

「その人を連れて逃げて。……私が時間を稼ぐ」

「なっ」

「ほう。私を前にして時間を稼ぐと。随分と大きく出たものですね」

 プリンセスは折紙の意図が分からず、訝しげな目を向けてくる。会話を聞きつけてきたのか、ジェシカがエレンの隣に降り立った。

「ふざけてんじゃないわヨ。ソイツらはあたしの獲物。クソむかつくそのガキも纏めて叩っ斬ってやるから、そこを退きなサイ」

「民間人は好きにして構いません。しかし精霊は殺してはいけませんよ。可能であれば捕獲を優先せよとの命令です」

「知ったことじゃないワ。今すぐコイツらをぶち殺さないとあたしの気が……ッ!?」

 怒りに我を忘れて声を荒げるジェシカだったが、突如隣から放たれた殺気に言葉を無くし、顔を青くしている。

「アイクの命令は絶対です。邪魔するなら私が貴女を殺しますよ?」

「わ、悪かったわヨ。少し頭に血が上ってたワ」

「それより砲撃の出どころはわかったのですか?」

「え、えぇ。上空に所属不明の空中艦を発見したワ。おそらくそいつが」

「なら貴女たちはそちらの対応をしてください。こちらは私1人で十分です」

「でも」

「2度は言いませんよ」

「……! 分かった……わヨ」

 ジェシカは納得していないようだったが、これ以上ここにいるとまずいと判断したのだろう。プリンセスたちを睨みつけ、再び空に舞い戻っていった。

 

 そんなやりとりをしている一方で、折紙はプリンセスへ小声で語りかける。

「そのままの意味。その人をすぐに安全な場所に連れていって」

「……どの口が言っている。今まで散々私を殺そうとしてきた癖に、今更頼み事だと?」

「今までのことを詫びるつもりはない。貴女が応じないのならその人を力ずくでも返してもらう」

「ふざけるな! お前たちなどに渡したらこの男がどうなるか分かったものではない!」

「お前こそふざけるなッ! 私が士道に危害を加えるなんてある訳がない! ……でも、それを今証明する手段はないし、そんな暇もない。だったらせめて、その人を連れて逃げて」

 それは折紙にとって正に苦渋の選択。本来であれば精霊に士道を預けるなどあってはならないことだが、目の前にそれ以上の脅威が迫っている以上、他に道はない。

(あのジェシカとかいう女は明らかに士道に敵意を持っている。恐らくあの怪我もあいつのせいで……。私が士道を連れて逃げても、確実に追ってくる。なら、手負いのコイツよりも私が足止めをする方が確実……!)

 感情を押し殺し、ただ合理的に、少しでも士道が生き残る可能性の高い選択をする。それが今すべきことだと、折紙は自分に言い聞かせた。

「早く逃げて……そしてその人を絶対に死なせないで。……お願い。これ以上、私の大切な人を奪わないで」

「お前は……。そうか、分かった」

 折紙の表情を見て、十香は何かを察したように頷いた。脚に力を籠め、折紙に背を向けて飛び立つ瞬間、少しだけ寂しそうに目を細め、呟く。

「礼は言わん。……死ぬなよ」

 数瞬の後には米粒ほどにも小さくなったプリンセスの背を見送り、折紙は目の前に集中する。

「意外。素直に見送るとは思わなかった」

「あの怪我では大して遠くへはいけないでしょう。……貴女の首を刎ねてから追いかけても大して手間は変わりません」

 とてつもない殺気をぶつけられ、それだけで折紙は全身を鋭い針で貫かれたような錯覚に陥った。意識が飛びそうになるが、絶対に引くわけにはいかない。見つめ合い、間合いを測る。そのたった数秒が、まるで永遠のように感じる。今まで幾度となく死線を潜り抜けてきた彼女だからこそ理解できる。

(こいつは強い……今まで戦った誰よりも)

 ふと、気付く。いつの間にか砲撃の音が止んでいる。代わりに聴こえてくる、別のCR‐ユニットの駆動音。

 ――死が、近づいてきた。

 

 

 

 

 

 

 十香は混乱していた。戦場を離れようと空を駆けていたら突如視界が一変し、見知らぬ機械に囲まれた部屋にいたのだから。抱いていた少年を確認すると、しっかりと自分の腕の中に納まっている。しかし、血を流しすぎたのか先ほどよりも更に顔色が悪い。

「くっ! どこなのだここは! これ以上時間をかけるわけには――」

 そのとき。正面の扉が大きな音を立てて開かれたと思うと、紅い髪の少女が勢いよく飛び込んできた。

「おにーちゃん!」

「なっ! おい貴様! それ以上近づくと――」

 〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を掲げ制止を促そうとするも、それより先に少女は懐に、否、懐に抱いた少年に抱きついた。向けられた剣先に一瞬も臆することなく距離を詰めてきたため、刃が頬を切り裂き血が噴き出す。しかしそんなことを気にも留めず、少女は少年に縋りついて泣いていた。

「おにーちゃん! おにーちゃん! ごめん、ごめんね。私のせいでこんな……。すぐに治療するから。だから、お願いだから死なないで、おにーちゃん……!」

 十香のことなど一切目に入らない少女の様子を見て、少なくともここが少年にとっての敵地ではないことを悟る。剣を収め、少年をゆっくりと床に寝かせた。少女に続いて慌ただしく入ってきた全身を覆うような服を着た男たちが、士道を担架へ乗せどこかへ運んでいく。紅髪の少女はその傍へぴったりと寄り添い、顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら一緒に部屋を出ていった。

 その様子を見送って立ち尽くす十香に、ひとりの女性が声をかける。

「……碌な挨拶もできずすまなかったね。ようこそフラクシナスへ」

 眠たげな目をした女性はこちらに向け、手を差し出してくる。十香は警戒を解かず、一歩距離をとって口を開いた。

「挨拶などいらん。それよりも、あの男は助かるのだろうな?」

「……もちろんだ。フラクシナスの全精力を挙げて必ず助ける。……約束しよう」

「ならば良い。絶対に死なせるなと頼まれてしまったからな。礼を言うぞ」

「……それはこちらの台詞だよ。あの状況からよくシンを連れて来てくれた。……本当にありがとう」

 深々と頭を下げる女性の姿を見て、十香は背中がむず痒くなるのを感じた。誰かから感謝されるなどという初めての体験をし、なんとなく居心地が悪かったのだ。誤魔化すように口を開く。

「あやつは……そういえばまだ名も聞いていなかったな。オニーチャンだのシンだのと呼ばれていたが。人に名を尋ねておきながら自分は名乗らないとは、失礼なやつだ」

「……あの状況では仕方ないさ。あぁ、彼の名は――」

「いや、いい。絶対に死なないのだろう? 次に会ったとき本人から直接聞くさ」

 照れたようにそっぽを向く十香を見て、女性は思わず笑みを浮かべる。

「む……何がおかしい」

「……いやなに。君もそんなふうにコロコロと表情を変えられるのだと思ってね。黙って険しい顔をしているよりもずっと良い」

「なっ! そんなに人の顔をじっと見るな! 斬るぞ!」

「……ふふ、済まないね。もうしないよ」

 そうは言いつつも微笑みの視線を向けられ、十香はますます落ち着かなくなった。

「……仕方ないではないか。こちらにいる間は、ずっとメカメカ団と戦っていたのだ。こんな風に誰かと話すのも初めてで……。どうしたら良いのか私にも分からん」

「……そうか。でも今の君を見ていると、満更でもないように見えるがね?」

「何? 私が?」

「……そうさ。少なくとも彼と話している間の君は、とても楽しそうだったよ。違うかな?」

「……そんなところから見ていたのか。趣味の悪い奴め。しかし……そう、か。これが楽しいという感情であれば、そうなのかもしれんな。貴様と話していると何故か落ち着く。それに、あの男と話していたときは……何か、暖かいものを感じた」

 今までに感じたことのない感情に思いを馳せていると、不意に足元が揺れた。近くはないが、どこからか地響きのような低い音が聴こえてくる。同時に女性の持つ端末から声が聴こえてきた。詳細は分からないが、どうやら緊急事態のようだ。

「……あぁ、うん。……分かった。シンの安全だけはなんとしても確保するんだ。私もすぐに戻る」

 通信を終えたことを確認し、十香は口を開く。

「あの男は皆から慕われているのだな。まぁ、あんな風に誰彼構わず愛想を振り撒いているのなら当然か」

「……ひとつ訂正するが。彼は誰にでも優しい訳ではないよ。君を傷付けた者に向かって怒るのを、君は1番近くで見ていただろう?」

「それは……」

「彼は君のことを知りたくて話をした。君が辛い思いをしたからあんなにも怒った。君ともっと分かり合いたいと思ったからこそ、名前を送ったんだ。……違うかな、十香?」

 そう問われて思い出す。あの男はこともあろうに十香に対して愛していると言った。とても真剣な顔で。からかったり嘘をついているようには見えなかった。

「私、だから……」

「そうさ。目を覚ましたら1番に話しかけてあげると良い。きっと彼は驚いて、でもそれ以上に喜んでくれるさ」

「そうか……。それはとても素晴らしいな。……そんな世界があれば、きっと私もいつか心から笑える日が来るんだろう」

「……十香?」

「でも駄目だ。それではあの男は心から笑うことができない。……今私の代わりに戦っているメカメカ団の女。あれも大切な存在なのだろう? あやつにとっては」

 そう言うと、目の前の女性は一瞬驚いたような顔をして、すぐに目を逸らした。

「……そう、だね。でも彼女ならきっと大丈夫さ。彼女らの目的は本来同じ。そこまで手荒な真似は――」

「殺されるぞ」

 十香の残酷な言葉に、言葉が止まる。

「あの女は殺される、絶対に。奴らはそれを簡単にやってのける。そういう目をしていた。本当は分かっているのではないか?」

「……」

「私はもう行く。あやつが起きたら、私のことなど忘れろと伝えてくれ。」

「行くって、何処へだい?」

「決まっているだろう。戦場に残してきた者を置いて逃げる訳にはいかないのだ」

 

 予想外の言葉に、令音は目を見開いた。

「……駄目だ。さっき自分で言っていただろう!? 殺されるだけならまだマシだ。捕まってしまえば何をされるか――」

「分かっている。だからこそだ。メカメカ団の女が殺されれば、あの男は絶対に悲しむ。私は……あやつにそんな顔をしてほしくない」

「……それは君が死んでも同じことだ」

「同じではない。私が死んでも、元に戻るだけだ。私と知り合う前の平和な日常に戻って、そこで平穏に暮らす。なんの不都合もないだろう?」

 自嘲気味にそう零す十香に、令音は実感の籠った口調で返す。

「彼は……。シンはそんな損得感情で納得できるほど、冷たい男ではないよ」

「ふっ、そうか。……なんとも厄介な男に目をつけられたものだ」

 そう呟くと、十香は背を向けた。もうこれ以上話すことはないという意思表示のようだ。

「ここから君を出さない……と言ったら」

「悪いが、力尽くでも通してもらうぞ。ここを壊されたら困るのは貴様らだろう?」

 僅かに覗かせた瞳からは、彼女の本気具合が伝わってくる。令音はひとつため息を吐くと、真っすぐに十香を見つめた。

「……分かった。でもこれだけは約束してくれ。危なくなったらすぐに逃げると」

「言われずともすぐに消えるさ。用事が済んだらな。……それと、せめてもの礼だ。露払いはしておいてやる」

 先ほどから断続的に続く振動。それは正に今、フラクシナスが襲撃を受けていることの表れだった。

 令音に届いた通信は2つ。〈世界樹の葉〉を全て撃墜した2人の魔術師のうち1人が艦を攻撃し、大きな損傷を与えたこと。そして、突如飛来した大量の機械人形たちが、艦の進路を妨害しているということ。

 十香は艦内の緊迫した雰囲気を察して、自分のやるべきことを決めたようだった。

「……私たちの目的は十香。君のように理不尽に苦しめられている精霊たちを救うことだ。それなのに逆に守らせてしまって……本当にすまない」

「成程……。そういうことだったのか。物好きな連中もいたものだな」

「私たちは組織だ。大勢の人間がいて、様々な思惑で動いている。中には打算や利益で精霊に関わろうとするものもいる。でもね……」

「分かっている。あの男は違うと言いたいのだろう? 私も馬鹿ではない。自分の目で見て少しは信用できると判断したからこそ、死ぬには惜しいと思ったのだ」

 話をしながら令音は外へと繋がるゲートを開く。十香の傷は既に塞がっているようだが、失った体力や霊力が戻っているわけではない。

「今すぐは無理かもしれない。でも……必ず。必ず彼はまた君の前に現れる。覚えておくといい。五河士道は、世界で1番、諦めの悪い男だ」

 それを聞いた十香は少し困ったように笑い、次の瞬間にはもう、そこから消えていた。

 

「…………真那。それにバンダースナッチ……。一体どうなっている」

 

 

 

 

 

 

「はあああああ!!」

 咆哮を上げ、折紙はレーザーブレードを一閃する。否、渾身の力で振り切ったはずの刃はエレンを捉える前に見えない壁、彼女の分厚い随意領域に衝突し動きを止めた。

 しかしこれは予想の範囲内。送っていた魔力を止めて刃を消失させ、距離を取ると同時にありったけのガトリングを発射する。

 発生した硝煙に紛れて背後に回り込もうとしたところで、後ろから迫る風切り音に気付き、咄嗟に地を這うほどに体勢を落とす。ジェシカが振るった刃が頭上の僅か数センチを通過して、折紙のCR-ユニットの羽をいとも簡単に切り裂いた。

 倒れた体勢のまま両手を地面につき、ジェシカに渾身のドロップキックを放つ。確かな出応えと共に僅かにうめき声が聴こえたが、ジェシカはその脚を掴み、折紙を力任せに地面に叩きつけた。肺の中の空気が一気に放出され呼吸ができなくなり、脳が揺れて吐き気に襲われる。

 休む間もなくエレンが頭上からレーザーブレードを振り下ろしてきたことを、ほとんど勘で察知し、身体を捻ってなんとか躱した。かと思った次の瞬間には別の方向から刃が振るわれ、すんでのところでブレードで受け止める。

 しかし威力を殺しきれずにバランスを崩したところで、視界の端にジェシカがこちらに銃口を向けているのを捉えた。

(避けきれない……!)

 そう判断した瞬間には既に背中のスラスターをパージし、ありったけの魔力を流し込む。破損して制御の効かなくなったユニットは行き場をなくした魔力でオーバーロードし、小規模な爆発を引き起こした。

 丈夫なはずのワイヤリングスーツを貫通して破片が身体中に突き刺さるも、爆風で吹き飛ばされることによって銃弾を躱すことに成功する。

「このクソガキッ!! 姑息な真似を……!!」

 再び遮られた視界の中でジェシカは悪態を吐くと、いつの間にか自分の脚に光る鎖が巻きついていることに気付いた。同じタイミングでエレンも異常に気付く。

 折紙は先ほどの自爆攻撃で緊急回避をするのと同時に、2人の足元に仕掛けを施したのだった。殺意の篭った攻撃ではないため反応が遅れたのか、今までの攻撃と違い成果はあったようだ。

((バインドアンカー!!))

 魔力で編まれた鎖は殺傷能力こそないが、僅かな魔力で作り出すことができかなりの強度を誇る優れものだ。無論、最強クラスの魔術師である2人ならば引きちぎるのに3秒もかからないだろう。しかし。

(やっとみせた……隙!)

 2人の丁度中間地点で、赤いランプが高速点滅する物体があった。

 

「なっ! これハ――」

「爆弾――」

 

 次の瞬間には大気を揺らすほどの轟音が響き、辺りを黒煙が覆った。ありったけの爆薬を使用したため離れていた折紙も爆発に巻き込まれ、数メートル転がったところで瓦礫に叩きつけられやっと動きを止める。

 衝撃で内臓がやられたのか、なんとか意識を保ちつつも大量に吐血し立つことすらできない。

(あの2人は……?)

 様子を伺おうと顔を上げると、徐々に黒煙が晴れていくところだった。そこにいたのは片膝をつき、半身に大きな火傷を負ったジェシカと――。

(……まさか)

 

 

 

 全くの無傷。平然と立ちこちらを見据える、エレンの姿があった。

 

 

 

「今のは良い攻撃でしたよ。捨て身とはいえよくここまで戦えたものです。褒めて差し上げましょう」

「ッ! この! ……ぐっ」

 全ての兵装を失い、全身が悲鳴を上げているのが分かる。しかしまだ、まだ止まるわけにはいかない。せめて意識があるうちは抵抗し、少しでも士道が生き残る可能性を上げる。その思いが今の折紙を突き動かしていた。

「……ほう、まだやるつもりですか。見上げた心意気ですね。貴女、うちで働くつもりはありませんか? 今までのような子供のお遊びではなく、もっと良い環境とCR-ユニットを提供できると思いますよ。私の次くらいには強くなれるかもしれません」

「……ふざけ――」

 折紙は答えることができなかった。今までの努力や仲間を馬鹿にされた怒りのせいではない。突如脇腹に走った痛みのせいだ。

 ゆっくりと触れ、ドロドロと赤い液体が溢れるのを確認したところで、やっと自分が撃たれたのだと理解する。その凶弾の主は目をむいて殺意を剥き出しにしている。

「殺す。殺す殺す殺す殺す殺す……ぶっ殺すゥゥゥ!!」

 起き上がったジェシカは手足から血が噴き出すのも構わず、折紙の前まで来ると髪の毛を掴んで強引に持ち上げた。

 苦痛に呻く折紙だったが、もはや腕を上げることも叶わない。折紙が抵抗できないと悟ると、ジェシカは醜悪な笑みを浮かべ、暴力の雨を降らせた。

 顔を、腹を、腕を足を。全身余すところなく拳で痛めつける。辺りには血が飛び散り、目を覆いたくなるような凄惨な光景が広がっていた。

「死ね死ね死ね死ね。小娘風情がふざけた真似しやがっテ! ただ殺すだけじゃ気が済まなイ。お前が泣いて許しを請うまでいたぶってから殺してやるからナァ!」

「ジェシカ。それ以上は本当に死にますよ。……聴こえていないようですね。あなたは腕は良いのに感情のコントロールがお粗末すぎる。だから永遠に3番手なんですよ」

 エレンはやれやれといった風に呟くが、止めに入るつもりはないようだ。最早痛みすらも認識できなくなった折紙は、朦朧とする意識の中で先日の士道の言葉を思い出していた。

 

『――なら力を持った人間はどうなる! 悪意を持った人間はどうなるんだ! 精霊よりも質の悪い人間なんていっぱいいるじゃないか!』

 

(だとしても……私は……)

「精霊の味方なんかしやがって人類の面汚しガ! 今すぐここで死んで詫びろォォォ!」

 

『あいつらはな、言葉を話せるんだ。呼びかければ答えてくれる。楽しかったら笑うし、悲しかったら泣くんだよ。人と同じように考えて、人と同じように……生きたいと願ってるんだ』

 

(笑いながら人を傷付ける人間と……泣きながら人のために戦った精霊。私が守るべきなのは……)

「アハハハハハハ! どうした、もう声も出ないのカ!? もっと泣き叫んでくれないとつまらないわヨォ!」

 

『俺が昔お前に絶望しないでくれって言ったのは、こんなことをさせるためじゃない!』

 

(今までの私も……コイツと同じだったの?)

「……とうとう反応もしなくなったカ。もういい、死ネ」

(士道、私は、一体どうすればいいの……?)

 ジェシカは折紙の首を掴むと、ゆっくりと力を込め、そして――。

 

 そのとき、上空から巨大な霊力爆発が起きた。空中艦の足止めをしていた100体近くのバンダースナッチはほとんどが破壊され、エンジン部の破壊を試みていた真那も大きく弾き飛ばされる。

「くっ! 今度は何でいやがりますか! 早く兄様を助けにいかなくちゃなんねーってのに!」

 移動砲台を潰した後、真那はすぐさまプリンセスの後を追った。しかし空中艦の近くで姿が消失するのを確認し、その艦が2人を回収したのだと当たりを付けたのだ。

 流石に個別兵装で空中艦を相手にするのは不利だと判断した真那は、()()()()()()()()()バンダースナッチ隊の出動を要請し、結果フラクシナスに大きな損害を与えることに成功していた。

 このまま攻撃を継続すれば墜とせる――。

 そう思った矢先、強力な霊力反応を察知。咄嗟に随意領域を展開し難を逃れたものの、物言わぬ機械兵たちは無残な姿に変えられ、地上へ落下していった。

「まだ砲台が残っていやがりましたか? いや、この反応は……!」

 CR-ユニットからけたたましいアラートが鳴り響き空を仰ぐ。そこには、虹のような幻想的な輝きを放つ剣を携えた、1人の精霊がいた。

「プリンセス……! 兄様はどこでいやがりますか!」

「ニーサマ? また新しい呼び名か。あの男なら少なくとも貴様らよりは信頼できる者たちに預けてきた。約束だったからな」

「やはりこの艦はお前の仲間でいやがりましたか。どんな組織か知らねーですが、ここで墜として兄様を取り戻す。それでしめーです」

「させると思うか?」

「はっ! 偉そうなことを抜かすんじゃねーです。さっきは手も足も出なかった癖に……ッ!?」

 プリンセスが無造作に振った剣。それが発生させた光の刃は真那のすぐ隣を通過し、空へと消えていった。余りにも速く、そして鋭い攻撃に反応さえできなかった。

(違う)

 先ほどまでのプリンセスとは明らかに違う。霊装はひび割れ、霊力値も明らかに落ちているのに、最初に会ったときよりも遥かに威圧感が増していた。

「信念なき力は唯の暴力だ。触れるものを皆傷付ける癖に、芯が通っていないからすぐに折れる。私は今まで、そんなことも知らなかった」

「一体どこからこんな力が!?」

「誰かを守るために振るう刃はこんなにも強く、美しいものだったのだな。それを私に教えてくれた者のためにも、私はここで引くわけにはいかないのだ」

「守る……?」

 その言葉に真那は違和感を覚える。プリンセスはてっきり保身のために人間を人質に取って逃げ出したのだと思っていたが、その言い方ではまるで――。

「む? 貴様はどことなくあの男と似た匂いがするな。染み付いた血の臭いと濁った瞳は、似ても似つかないが」

「なっ……黙れ! 私だって好きでこうなった訳じゃ……。人類を守るために仕方なく!」

「戯けが。戦う理由を他人のせいにするな。奪った命に責任を持てぬのなら、初めから被害者面して大人しくしていろ」

 自分の生き方を頭ごなしに否定され、真那は吠える。

「お前に何が分かる! 戦わなければ生きることすら許されない人間の気持ちが、お前に理解できるのか!!」

 それを聞くと、プリンセスはなんでもないといった風に答えた。

「分かるぞ。生まれたときからそうだったからな、私は」

「あ……」

 ふと考える。自分は精霊を殺すことが使命だと教えられた。昔の記憶がない真那にとって、自分を拾ってくれたDEMの命令は絶対だった。疑うこともせず、毎日戦い、殺し、戦い、殺し、殺し、殺し――。

(でも、もし。今までに奪った命の中に、望まない戦いを強いられた者がいたとしたら? 私のように、生まれた意味も分からず戦うことしかできない者がいたとしたら――)

『お前らはあいつの何を知ってる!? 望んで暴れているように見えるか? 破壊を楽しんでるように見えるのかよ!?』

 兄の言葉が頭の中に反響する。圧倒的な力を持つ精霊に対して、なんの武器も持たず向き合った彼は、はたして何をしようとしていたのか。

(兄様は、一体何を知っていやがるのですか……?)

 数えきれないほど精霊を殺し、擦り切れそうになった真那の心に、2人の言葉が重く圧し掛かる。思わず剣を下ろしてしまいそうになったところで、後ろから声が掛けられた。

「少し見ないうちに随分と雰囲気が変わりましたねプリンセス。強さだの美しさだのと聴こえてきましたが、ならばその強さというのを見せてもらいましょうか」

「アハハハハハ! 死に損ないが粋がってんじゃないわよォプリンセスゥ!」

「エレン、ジェシカ……」

 いつの間にか真那の近くに2人の魔術師が合流していた。先ほどまで下で鳶一一曹と戦っていたと思ったが、どうやら捨て置いてきたようだ。僅かに生体反応があるところを見るに、どうやらまだ息があるらしい。

「違う」

 凛とした声は声量があるわけではないのに、不思議とよく響く。

「何が違うと?」

「プリンセスではない。我が名は十香。心優しき者を守る剣だ。……心して掛かれよ人間共。今の私は……強いぞ」

 迷いのない瞳で前を見据えるプリンセス。その周囲に溢れんばかりの光が生まれ、それが天使に吸い込まれて眩い輝きを放つ。

 

「行くぞ〈鏖殺公(サンダルフォン)〉――【最後の剣(ハルヴァンヘレヴ)】!!」

 

 薄明の空に、勇壮な声が木霊した。

 十香の剣戟は美しかった。それはまるで彼女の心を、生き様を体現しているかのようで。

 見る者がいれば思わず見惚れてしまうような命の輝きが、そこにはあった。

 しかし、それを最後まで見届けることなく、フラクシナスは空を駆ける。

 守るべき存在に守られ、命を賭して戦った少女たちを置き去りにして、高く高く、天へと昇っていく。

「とお……か…………」

 呼吸器に繋がれ、苦しげに呻く士道。その手を握り、涙を流す琴里。

 激しく損傷し、葉を焼き尽くされたフラクシナス。

 彼らの戦争は、完全なる敗北という形で幕を下ろした。

 

 

 

 機体から流れ落ちていく黒煙は、まるで空が流す涙のように見えた。




バインドアンカーを出した理由は好きだからです。
原作には出てきません。


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第6話 ヒーローの帰還

琴里の笑顔を曇らせ隊


 燃えている。

 人が、家が、町が。

 そこで積み上げてられてきた幸福を、一片の塵さえ残さず焼き尽くすように、真っ赤な炎が世界を覆っていた。そんな炎すらも霞むほどの眩い輝きを放つ光の柱が、町の中心から天に向かって伸びている。

 あそこに行かなければならない。そして救わなければならない。もう2度と、手を離してはいけない。そんな想いに突き動かされるように、少年は走り続けていた。

 やがて見つける1人の少女。謝りたいことがあった。言わなければならないことがあった。一緒にやりたいことがたくさんあった。

 手を伸ばす。もう少し。もう少しで届く、その刹那。

 乾いた銃声が木霊した。

 崩れ落ちる身体。誰かの悲鳴が聞こえる。でも、もう何も見えない。世界が遠ざかっていく。舞い落ちる雪が、少年の体温を奪っていく。

 最後の力を振り絞り、光に向かって手を伸ばし、その名を呼んだ。

 

 

 

「…………澪」

 

 

 

 夢を見ていた気がする。

 世界の終焉。僅かな救いすらなく、絶望に染まっていくのをただ眺めることしかできなかった、消えゆく少年の夢。

 あれは何だったのかと思いを巡らせたところで、士道は自分の置かれた状況に気付いた。

(何処だ、ここ……?)

 目の前に広がるのは無限に続く白。自分の置かれている状況が全く理解できず、身体を動かそうにも上手く力が入らない。せめて周囲を確認したいと思い、首を捻ることに悪戦苦闘していると。

 

「起きてから開口一番に私以外の女の名前を呼ぶなんて、良い度胸してるじゃない士道」

 

「うおっ!」

 いきなり目の前に、逆さまの万由里の顔が現れた。

「みおって誰なのかしら? 昔の彼女? それともガールフレンド?」

 やけに威圧感のある笑顔を向けられ、焦る。

「一緒じゃねえか! というか俺そんなこと言ってたか? そういえば妙な夢を見た気はするけど……。いやそれよりも、 なんで上から万由里が……って」

 口に出してようやく気付く。逆さまの顔、後頭部に感じる柔らかさと温もり。士道は現在、万由里に膝枕をされている状態だった。

「わ、悪い! すぐに退くから……って、あれ?」

 慌てて立ち上がろうとするものの、身体は僅かに動くだけで力を入れることができない。というか、万由里に触れられているという妙な状況に、士道は軽く混乱した。

「ふーん。……別にいいけど。ここはあんたの精神世界。 現実じゃないから私に触れることもできるのよ。 ま、慣れてない士道にとっては動くのも一苦労でしょうけどね」

 半目を作りながら、万由里は士道の頬をぷにぷにと突いてくる。なんだか恥ずかしくなってそっぽを向きたくなるが、相変わらず身体が動かないため必然的に見つめ合う形になってしまった。顔を赤くした士道を見て気を良くしたのか、万由里は耳元に唇を近づけると、優しく囁いた。

「どうしたの? 顔赤くなってるけど。もしかして私の顔を見て照れちゃったのかなー? ふふっ、かーわいー」

 耳元にふわりと息がかかり、ぞわぞわと身体が震える。が、今はそれよりも、万由里が膝枕の状態で身体を折り曲げるので、視界いっぱいに胸元が広がってどうにかなりそうだった。花のような甘い香りを吸い込みながら、動揺を面に出さないように言葉を返す。

「からかうなよ。 ところで、俺はどうしてこんなところにいるんだ?」

 それを聞き、万由里は身体を起こして答える。

「覚えてないのも無理はないわね。 あのときかなり強く頭を打ったみたいだったし」

「頭を打った? ……ッ!!」

 頭を撫でられて思い出す。十香と出会い、名前を送ったこと。そして突如襲来したDEMの魔術師(ウィザード)たち。

「十香! 十香はどうなったんだ!?」

 寝ている場合ではないと、無理矢理もがいて身体を起こす。何度も地面を転がり、かなり手間取ったもののなんとか立ち上がることができた。

「……」

「万由里、答えてくれ! 十香は……無事なのか?」 

 視線を落とし顔を歪める万由里を見て、答えは分かったようなものだった。しかし、士道は一縷の望みをかけてじっと言葉を待つ。やがて万由里はぽつりぽつりと語り始めた。

「落ち着いて聞いて。あんたが気を失った後、十香ちゃんはあんたを守るために必死に戦ったわ。折紙や琴里ちゃん、フラクシナスも助けに来てくれて……。でも、あいつらを倒すことはできなくて……」

「……それで、どうなったんだ?」

 ゴクリと喉を鳴らし、士道は問う。

「フラクシナスはダメージを受けて現在修理中。ラタトスクの情報によると、折紙はかなりの重傷で今は近くの病院で入院してる。十香ちゃんは……」

 言葉を切り、吐き出すように呟いた。

 

「フラクシナスが逃げる時間を稼ぐために最後まで戦って……DEMに連れて行かれた。あんたはずっと眠り続けていて……あれから3日経ったわ」

 

 それを聞き、足元が崩れるような感覚に陥った。目を開いているはずなのに、視界がぐにゃりと歪んで見える。

「なんだよ、それ。俺が十香を助けなきゃいけなかったのに、みんなが俺を助けるために戦って、十香が連れて行かれた? そんな状況なのに、俺はのうのうと寝てたってのかよ……!」

「そんなことない! あんただって大怪我したのよ!? もう少し打ち所が悪かったら死んじゃってたかもしれない! だから、お願いだから自分を責めないでよ……」

「でも俺は結局何もできなかった! ただ吠えるだけで、お前の言葉にも耳を貸さないで……ゴミみたいに、遇らわれて。これじゃあなんのために過去に戻ってきたんだ、俺は……」

 言っているうちに情けなさややるせなさが込み上げてきて、涙が溢れそうになり士道は口をつぐむ。これ以上情けないところを、たとえ万由里にでも見られたくはなかった。

 そんな、力一杯握り締めてブルブルと震える士道の拳を、そっと暖かい手が包み込んだ。視線を上げるとすぐ目の前には万由里がいる。その目元には光る雫があった。

「お願いだからそんなこと言わないでよ。あんなにも荒れていた十香ちゃんが折紙と協力してあんたのために戦ったのよ? それはあんたが十香ちゃんの心を動かした証拠なんだから。それに……」

 万由里は不安げに瞳を揺らす。

「あんたがここにいることを後悔したら、私はどうしたらいいか分からなくなるわ……。だから、お願いだからそんなこと言わないで」

 万由里の涙を見て、士道は自分の愚かさに気付いた。

(……あぁ、俺は大馬鹿野郎だ)

 そうだ。万由里が存在が消えかけるほどの決死の覚悟で起こしてくれた奇跡を、意味がないだなんて。士道は一瞬でもそう思ってしまった自分をぶん殴ってやりたい気分だった。

 しかし、そんなことをしても更に万由里を悲しませるだけだ。代わりに彼女の手を優しく解き、両手で思い切り抱きしめた。

「……し、どう?」

「ごめん。 動揺して、馬鹿なこと言っちまった。 せっかく万由里が俺のために頑張ってくれたってのにな。 ……本当にごめん」

「……ううん、いいわ。 士道が大変な目にあってるのは私がよく知ってるもの」

 言いながら、万由里も士道の胸に顔を埋めて抱きしめ返してくる。今にも折れてしまいそうな細い腕と僅かな温もりを感じながら、士道は決意を新たにする。

(……そうだ。今するべきなのは後悔じゃない、これからどうするか考えることだ。 十香は連れていかれただけで殺されたわけじゃない。必ず救ってみせる!)

 その決意に満ちた士道の瞳を見て、万由里の顔に僅かな笑みが浮かんだ。

「助けに行くつもりなのね、十香ちゃんを」

「あぁ。決まってるだろ?」

「はぁ……馬鹿は死ななきゃ治らないって言うけど、あんたは死んでも治らなそうね。ま、それでこそ士道だけど」

「誉め言葉として受け取っておくよ」

 軽口を叩きながら笑い合う。お互いやっと調子が戻ってきたようだ。万由里は満足したのか、士道の腕の中から出て改めて向き合った。

「じゃあ改めて状況を整理しましょうか」

「手短に頼む。できればすぐにでも行動を起こしたい」

「焦らなくても大丈夫よ。ここは外とは時間の流れが違うの。言うなれば精◯と時の部屋ってところね」

「どっから仕入れてくるんだよそういう知識は……。あ、俺の記憶からか。とりあえず猶予はあるってことなんだな?」

「そういうこと。話を戻すわね。まずは十香ちゃんだけど、現在は天宮市の駐屯所、ASTの本拠地に監禁されているわ。情報によると、捕まった後もかなり抵抗したらしくてね。弱るのを待って、DEMの日本支社に連れて行く手筈らしいわ。それが今日じゃないかって言われてる」

 十香の置かれた状況を想像し、士道は歯噛みした。しかし、今すぐ駆け出したい気持ちをぐっと堪えて話を続ける。

「生きてるのは間違いないってことだな。あまり酷いことされてなきゃいいけど……」

「それについては祈るしかないわね……。次はフラクシナスについてだけど。機体の損傷はそこまで大きくはなかったけど、戦闘の要である〈世界樹の葉(ユグドフォリウム)〉が軒並み破壊されてしまってるわ。急ピッチで復旧作業はしてるけど……。すぐに十香ちゃんを救出しに行くのなら、今回は……」

「フラクシナスの援護は期待できない、ってことか。それはかなり厳しいな」

「ま、クルーが全員無事だっただけでも良しとしましょう。後は折紙についてね。あの子ったら凄かったのよ。十香ちゃんが手も足も出なかった2人を相手に大健闘して。ジェシカってやつには大怪我を負わせたんだから!」

 興奮気味に話す万由里に、苦笑しながら士道は返した。

「確かに凄いけど、折紙も重傷なんだろ? そっちの方が心配だよ」

「うっ……確かにそうね。相当無理したみたいだし、しばらくは入院したままでしょうね。それで、これからのことなんだけど」

「あぁ。状況を聞いた限りだと絶望的だな。敵の戦力は多少削れたものの、こっちの被害は甚大で俺は相変わらず霊力が無い状態だ。一体どうすれば……」

 再び気持ちが落ちかけた士道に、万由里は意を決したように告げる。

「……方法が無いわけではないわ」

「本当か!」

「でも! うまくいく補償なんてない……。ううん、むしろ失敗する可能性の方が大きいわ。それでも――」

「それでも。俺は十香を救いたいんだ。頼む万由里、教えてくれ。俺は何をすればいい?」

 即答する士道に一瞬驚くも、万由里は諦めたように苦笑して続けた。

「答えは1つよ。今ある戦力をかき集めて敵を叩く。それだけ」

「今ある戦力って、そんなの――」

「十香ちゃんの状況を教えてくれたのは、真那なのよ」

「!!」

「あんたや十香ちゃんの話を聞いて、何かしら思うところがあったんだと思うわ。フラクシナスの情報は得られなかったけど、あんたのことはすぐに調べられたみたいでね。家の近くに居るところをクルーが偶然発見したらしいわ」

「そう、だったのか。やっぱり真那は真那だったな。本当に良かった……」

「案外心配することでもなかったのかもね。きちんと話せば分かってくれる。なんたってあんたの妹なんだから」

「あぁ。自慢の妹だよ」

 正直なところ、士道にとってかなり気掛かりではあったのだ。このまま対立するようであれば、フラクシナスと真那が戦うなんて事態にも発展したかもしれない。ひとまずその心配がなくなり、ほっと息を吐いた。

「彼女を仲間に引き込めれば、戦力は大きく向上するわ。……家族を利用するのは気が引けるかしら?」

「……できることなら、あいつにも危ないことはしてほしくない。でも、今は少しでも仲間がほしい」

「そうね。こうなったら腹を括るしかないわ。括るついでに、もう1人の妹にも力を借りましょう」

「もう1人って、琴里のことか? でもフラクシナスは――」

「私が言ってるのは霊力のことよ。確かに今士道は霊力を持っていない。でもそれは、あくまで士道の中にあった分が消えただけの話。琴里ちゃんを再封印してパスを繋ぎ直せば、もしかしたら」

 万由里の言わんとしていることを理解し、口を開く。

「琴里に残っている霊力を受け取って、回復能力が使えるようになる、ってことか」

「えぇ。力を分けてもらうためにキスするのはちょっと不誠実な気もするけど」

「後で何されるか分かったもんじゃないな……」

 恐ろしい未来を想像して、頬を汗が伝った。因みにそもそも好感度が足りなければ封印はできないのだが、2人はその可能性を一切考慮していなかった。

 

「最後はあんた自身よ、士道」

「え、俺?」

「人に頼ってばかりじゃ格好がつかないでしょう? いくら引けって言っても聞く耳持たないし。それにあんた願ったじゃない。みんなを守れる力がほしいって」

「それはそうだけど、でも一体どうすればいいんだよ? 今の俺は唯の人間で――ッ!?」

 ヒュッと、顔の横を鋭いものが通過していった。なんの気なしに顔を傾けたから避けられたものの、そうでなければ今頃眉間に穴が開いていたかもしれない。

「何すんだよ、万由里!」

 見れば、万由里の手にはいつの間にか漆黒の槍が握られていた。それは一切の光すら通さないようなあまりにも暗い黒。見ているだけで寒気が走るような天使だった。いつもの白い学校制服の様な恰好に、身の丈以上もあろうかという武器を持つその姿は、あまりにも異質に見える。

「強くなるには実戦あるのみ。今からあんたを殺す気で攻撃するから、あんたも死ぬ気で掛かってきなさい。あぁ、安心して。ここは精神世界。心臓を貫かれようが頭を潰されようが、死にはしないわ。……死ぬほど痛いけど、ねッ!!」

「うわぁ!」

 横っ飛びに躱し、なんとか一撃を避ける。しかし、地面に倒れこんで顔を上げた瞬間には、既に顔前に槍の切っ先が突きつけられていた。思わず息が止まる。

「立ちなさい士道。今からあんたが飛び込もうとしている世界は、日常的に命のやり取りをしているような奴らがひしめき合うところ。そんな世界に、なんの力もない、経験もないド素人が飛び込んで、誰ひとり死なせず自分も無事に帰ってくるなんていう馬鹿みたいな夢物語を叶えなければいけないのよ。あんたにその覚悟はある?」

(……馬鹿みたいな夢物語、か)

 確かにそうだ。今まで幾度となく戦場に立ってきた士道だが、それはあくまで〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の力を持っていたときの話。何かあっても再生できるから大丈夫、というある種の保険があったのだ。

 無論士道は毎回命懸けで戦っていたつもりだが、全く当てにしていなかったと言えば嘘になる。

 しかし、今はそれがない。事実、先の戦いでももう少し運が悪ければ死んでいたところだった。士道は敵の気まぐれで生かされたに過ぎない。しかし。

「……当たり前だ。夢でもなんでも関係ない。十香が苦しんでるのに、迷ってる暇なんてねぇんだよ……!」

 槍の先端を掴み、力任せにはね除ける。霊力が通っていたのか触った手が焼け爛れてしまったが、すぐに完治した。それに気付き、思わず手のひらを見つめる。

「気付いたようね。今あんたの身体には疑似的な霊力が流れてるわ。天使を顕現できるほどではないけどね」

「……ようやく状況がつかめてきたぜ。つまりこれは琴里を封印した後、十香を助けに行くときの俺の状態を再現してるって訳か」

「そういうこと、理解が早くて助かるわ。限られた霊力でもうまく使って立ち回ることができれば、生存率は格段に上がる。今からあんたにはその使い方を身体で覚えてもらうから」

 槍を構えなおし攻撃を再開しようとする万由里を余所に、1つ疑問の疑問が浮かんだ。

「ん? 天使を使う以外に霊力の使い道ってあるのか?」

「……今まで相当ピーキーな戦い方してきたみたいね。いい機会だから教えてあげるわ。簡単に言ってしまえば霊力ってのは人智を超越した現象を起こす力。武器の具現化や身体強化、果ては空中飛行まで、使い方なんていくらでもあるのよ」

「そういえば俺も何度かやったことあるな」

 何故かものすごく呆れた顔で万由里が見てくるが、気にしない。

「天使を使えばその辺りはある程度オートで処理してくれるからね。でも、その力を使っていたのはあくまで士道自身よ。『この天使の力はこうだ』っていう認識があるからこそ、あんたは精霊と同じ力を使うことができた」

「……えーっと、つまりどういうことだ?」

「要は想像力の問題よ。『強い自分になりたい』『こういう力を使いたい』、そういう願いによって霊力はいかようにも変化する。あんたは今までそれを天使という変換器(コンバータ)を通して実行してたけど、やろうと思えば自分でもできるってことよ。ま、流石に出力は天地の差だけどね」

 それを聞き、やっと納得がいった。

「成程な。天使を使えない今だからこそ必要な技術ってことか」

「……別に天使を使えるときは不要って訳でもないんだけどね。身体強化を使えれば少なくとも鏖殺公(サンダルフォン)振るたびに灼爛殲鬼のお世話になることはなかったはずだけど」

「ふっ、照れるぜ」

「褒めてないわよ! どうしてそんなドヤ顔なのコイツ……。とにかく、あんたにまず必要なのは身体強化、強い自分をイメージして実行すること。身体が頑丈になれば、前回みたく簡単にやられることはなくなるわ。出力さえコントロールできれば燃費も悪くないしね」

 自分のやるべきことが分かり、やっと道が開けたように思えた。しかし、まだほんのきっかけを掴んだだけに過ぎない。十香を救出できるかどうかは、これからの自分の頑張り次第だと改めて心に刻み込む。

「気合い入れ直したみたいね、よろしい。それじゃお喋りは終わり! ガンガン行くから覚悟なさい。身体強化の基本は、霊力が体中を巡って覆い尽くすイメージ! 気を開放しなさい! あたかも界〇拳の様に!」

「お前ちょっとドラゴ〇ボール好きすぎじゃね!?」

「碌に見たこともないくせにGTを批判する奴は……嫌いよ!」

「なんの話だよ!!」

 怒気の籠った声が発せられると同時、槍と拳が交差した。

 

 

 

 

 

 

 あの戦いから、既に3日が経過していた。メディカルルームのベッドに横たわる士道は、救護班の必死の治療により一命を取り留めた。しかし、顕現装置(リアライザ)によって傷自体はすぐに完治したものの、未だに目を覚ましてはいない。

 その間、琴里は議会から招集が掛かったり、真那との接触があったりと大忙しだったが、時間を見つけては何度もここへ足を運ぶのだった。

(士道……)

 力なく手を握り兄を見つめるその顔には、疲労が色濃く見て取れる。碌に寝ていないのか唇はガサガサに乾燥して血が滲み、目の下には大きな隈ができていた。

 少しでも元気付けようと令音が気を使い、「私とお揃いだねワハハ」なんて意味の分からない冗談を飛ばすが、最早愛想笑いを返す気力もない。

 日に日に憔悴していく琴里を他のクルーたちも気にかけていたが、フラクシナス復旧のために奔走しており手が回らない状態だった。

 2人きりの部屋で、静かに時間が流れていく。やがて琴里はぽつぽつと語り始めた。

「……あのね士道、私怒られちゃったの。あんな一般人を精霊との交渉役に選ぶなんて何考えてるんだー、だってさ。当然よね。なんの力もない唯の高校生を化け物の前に立たせて、『はいなんとかしろ』だなんて。あはは、こうなることなんて小学生にだって予想できた筈よね。ほんと、何考えてるんだか……」

 おどけてみせても、いつものように優しい声が返ってくることはない。大きな手が頭を撫でてくれることは――ない。

 カチコチと時計の針の音だけが部屋に響き、琴里の孤独感をより一層に煽った。ここへ運び込まれた後、士道の体をくまなく検査したが、彼は間違いなく普通の人間だった。5年前に封印したはずの琴里の霊力はきれいさっぱり無くなっていて、分かったことといえば他人より脳の使用領域が大きいことくらい。しかし、それがいったいどれほどの意味を持つというのか。

 結果として残されたのは、保護するはずだった精霊が誘拐され、フラクシナスは損傷。五河士道という無力な一般人が、いつ目覚めるかも分からない眠りについたということだけ。

 ――ただ、それだけだった。

(士道は怒るでしょうね。絶対に安全だなんて言う私に騙されて。よく分からないまま大怪我を負って。もしかしたら愛想つかされちゃうのかな? もう口きいてくれないかも。それはちょっと……嫌だなぁ)

 無理やり笑顔を作ろうとして、出来なかった。頭の中はネガティブな思考が波紋のように広がっていき、涙が溢れ出るのを堪えることができない。

「ごめん……。ごめんなさい士道。こんなはずじゃなかったの。私はただ、絶望の中にいる精霊を私のときみたいに救って欲しかっただけなのに。誰の期待にも応えられなくて。貴方をこんな目に合わせて……。全部、全部私のせいなの。……うっ……うあぁぁ」

 小さく嗚咽を洩らしながら、琴里は泣いた。

(駄目なのに。私には泣く資格なんてない。本当に泣きたいのは士道の方なのに)

 必死に涙を堪えようとしても堪えることができないその姿は、精悍な軍人でも頼れる司令官でもない、唯の年相応の少女だった。弱音を吐くことすら許されない状況で、琴里は14歳という若さで背負うには大きすぎるものを背負わされていた。そんな琴里がここまで頑張ってこられたのは、士道の存在があったからに他ならない。

 何も知らずとも家に帰れば温かく出迎えてくれる。家を空けがちな両親に代わって家事をこなし、琴里が寂しくないように、少しでも一緒にいられるようにと部活にも入らずに過ごしてきた。

 感謝の言葉を伝えると、頭を撫でながらなんでもないといった風に返してくれるのだ。『好きでやってるからいい』と。その優しい微笑みは、どんなアイドルやヒーローよりも格好よく見えた。

 だから、士道に対して家族以上の感情が芽生えるのに、そう時間は掛からなかった。

 そんな琴里にとっての帰るべき場所、生きる理由が、今目の前で失われようとしている。他ならぬ琴里自身の手によって。逃げることは許されない。目を背けることも許されない。しかし何かが出来る訳でもない。

 いずれ十香は殺され、何ひとつ成果を残せなかったフラクシナスは解体されるだろう。議会に呼ばれた際に告げられたのは、そういった類の話だった。

 精霊を救いたいと思うのは傲慢だったか? 私と士道にならそれができると思うのは慢心だったのか? 積み上げてきたものが全て崩れ落ちていくのを感じながら、琴里はそんなことを考えていた。もう、どうしたらいいのか分からなくなる。だから――。

 

「…………助けて、おにーちゃん」

 

 それが浅ましく、自分勝手なことだと分かっていながらも、琴里はそう願わずにはいられなかった。困ったときはいつも士道が傍にいてくれた。なんとかしてくれた。琴里が泣いていて、士道が助けに来なかったことなど、唯の1度もないのだ。

 

 だから、その願いを聞き入れたヒーローが帰ってくるのは、当然だった。

 

 

 

「任せとけ。……お兄ちゃんがなんとかしてやる」

 

 

 

 そう言って琴里の手を力強く握り返し、ニヤリと笑う士道の顔を見て。琴里は今度こそ声を上げて泣いた。




琴里の笑顔を取り戻し隊


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第7話 狂宴と告白

デート回です。


 時計の針が指し示すのはちょうど午前10時。琴里と士道は現在、天宮市のショッピングモールに来ていた。十香救出に必要な物資調達のため……ではもちろんない。士道が目を覚ますや否や、琴里をデートに誘ったからである。記憶が飛んでいるのか、或いは現実逃避なのかと心配になる琴里だったが、どうやら頭ははっきりしているらしい。

 

『令音さん、しばらく琴里を借りてもいいですか?』

『いいよ』

『すみません神無月さん、後を頼みます』

『お任せください。あ、ゴムは持ってた方がいいですよ』

 

 といった感じにあまりにもスムーズに話が進んだため、琴里は自分がおかしいのかと混乱し、その間にあれよあれよと事が進められたのだった。

 そんなこんなで、2人は現在様々な店をひやかして回っていた。デートの定番、所謂ウィンドウショッピングというやつである。しかし、そこにデート特有の甘酸っぱい雰囲気は皆無であった。なぜなら――。

「おい見てみろ琴里! 挽き肉半額セールだってよ! 今夜はハンバーグだ!」

「ステンレス包丁ほしいなぁ。でも今のやつまだまだ使えるんだよなぁ……。琴里はどう思う?」

「え!? この炊飯器1つで煮物も揚げ物もできるのか!? まじかよ炊飯器界のチェ・ゲバラと名付けよう」

「なあ琴里、スコップとレンガ買ってもいいか? 今度家庭菜園始めようかと――」

「うがああああああああああ!!」

 士道がずっとこの調子だったからである。

「うわびっくりした。 どうした? ぽんぽん痛いのか?」

「違うわよ!」

 耐え切れずに爆発する琴里。しかし特に焦ることもなく軽く受け流されてしまい、それに納得がいかず更に噛みついていく。

「折角のデートなのにどうして日用品店ばっか回るのよ! もっと他にあるでしょうがスイーツの店とか可愛い服選んだりとか!」

「や、俺もちょっと考えたんだけどな。でもそういうのって今まで結構やってきたじゃん? せっかくのデートなんだしどうせなら違う方向性でいこうかと思ってさ。大体ちょっとエッチな下着選んで照れる~みたいなイベント俺たちにいるか?」

「悪くないわよ!!」

「え!? そ、そうか……。じゃあ……する?」

「しないわよ! その言い方辞めなさいよ気持ち悪い! というかなんで急にデートなのよ!!」

「えー……。もう始まってるのに今更そこに触れるか?」

 何言ってるんだコイツみたいな視線で見られるが、そう言いたいのは琴里の方だった。今は一刻を争う状況で、一分一秒ですら無駄にはできないのだ。矢継ぎ早に捲し立てる琴里を余所に、士道はやれやれといった様子で肩に手を置いてきた。

「時間が無いのは知ってる。令音さんから状況は聞いてるしな。でも言ったろ? お兄ちゃんがなんとかしてやるって。これは必要なことなんだ」

「で……でも」

 目の前で真っすぐに見つめられ、琴里の顔が赤くなる。言いたいことはたくさんあったはずなのに、力強い士道の言葉を聞いてそれらは霧散してしまった。

「約束だ、十香は必ず助ける。だから今は俺を信じてくれ」

「……分かったわよ」

 どうするつもりかは分からないが、士道があまりにも自信に満ち溢れた顔をするので、それ以上はもう何も言えなかった。琴里の返事を聞いて安心したのか、士道は肩を放し、手を握って微笑む。

「よし、んじゃデートの続きだ。確かに俺の行きたいとこばっか行って退屈させちまったな。琴里はどこ行きたい?」

「別に退屈はしてないけど……。じゃあ、ゲーセンとか?」

「この時間なら開いてるな。よっしゃ、善は急げだ!」

「あ、ちょっと!」

 士道に手を引かれ、揃って歩き出す。そのまま自然と手を繋いでしまったことに気付き人目を気にする琴里だったが、その温もりを決して振り払おうとはしなかった。

 

 ゆっくり目に歩いたつもりだったが、5分も経たない内に目的の場所へとたどり着く。今日は平日だが学校はどこも臨時休校なのだろう。パラパラと人出があるようだ。

「久しぶりに来たなゲーセン。中学の頃はよく通ってたっけ」

「あぁ、そういえばナントカって音ゲーに嵌ってたものね士道。影響されて無駄に楽器まで買っちゃって」

「『バンドの達人』な。どうしてあんなにやりこんだんだろうなぁ俺。しかもメインはギターだったのに買ったのは間違えてベースだったし」

 バンドの達人とはその名の通り付属の楽器を演奏して得点を競うゲームである。最大5人まで同時に遊ぶことができ、チームバトルや精密採点、全国ランキングといったコンテンツが充実しているため、かつて中高生の間で爆発的な人気を博したゲームだった。現在でも使用楽曲を増やし続け、コアなファンも多いらしい。

「にわかってレベルじゃないわね……。せっかくだし腕前を見せてもらおうかしら、シドー・ヘンドリックス?」

「恐れ多いにもほどがあるわ! ブランクありすぎて自信ねぇな……。ん?」

 かつて足しげく通った筐体が置いてあるコーナー近付いていくと、なにやら人混みが出来ていた。しかし、賑わっているわけではなくどちらかといえば重い雰囲気が漂っている。その原因は、どうやら筐体を占拠している2人組のようだった。

「オラオラ、次の挑戦者はいねえのか!? 兄貴を倒すって息まいてた連中はどこいっちまったんだよ情けねえなぁ。情けなくない?」

「誰も俺を倒せないんじゃ仕方ないな。約束通り今日も俺たちの貸し切りだ」

「そ、そんなぁ~。困るよお客さん」

 見れば、やたらとガタイの良い2人組が遊びに来た別の客を威嚇して遠ざけている。士道は状況が気になったのか、肩を落としとぼとぼと歩く見知った顔を見つけ、近付いていった。

「店長、何かあったんですか?」

「あぁ、ここ数日あの2人が『バン達』の筐体を占拠しててね。自分らが対戦で負けるまでは貸切だって騒いで迷惑してるんだよ。……って〈シド〉!?」

「あはは、お久しぶりです。あとその名前で呼ぶのは辞めてください」

「しど?」

「忘れろ琴里。今すぐにだ」

 店長と呼ばれた男はかなり驚いた表情で士道の顔を見ている。しかしそれよりも、自分の兄が妙な呼び方をされていたのが気になった琴里だが、士道が真剣なトーンで返してきたのでそれ以上の追及はできなかった。

 首をかしげる彼女の隣で、店長は地獄で仏に会ったかのような様子で士道に詰め寄っている。

「頼むよシド! 君ならあんな奴らひと捻りだろう? 腕に覚えのある子たちはみんな負けちゃって本当に困ってるんだよ、店を助けてくれ!」

「マジで勘弁してください! というか倒すったってあいつらアベレージ100万超えっぽいじゃないですか。簡単に勝てる相手じゃないですよ。他のお客さんも迷惑してるんだし、普通に注意するのは駄目なんですか?」

「そうしたいのは山々なんだけどね。ほら、彼らボディビルダーみたいな体格してるだろう? 正直めっちゃ怖くてさ」

「いや知らねぇよ! 琴里、今日は駄目みたいだしあっちのクレーンゲームで遊ぼうぜ?」

「と”お”し”て”そ”ん”な”ひ”と”い”こ”と”い”う”の”お”お”お”!!」

 めんどくさそうにあしらう士道の腰に縋りつき、大の大人が喚き散らす姿はなかなかに悲惨な光景だった。琴里はいたたまれなくなり、思わず助け舟を出す。

「ね、ねぇ士道。なんとかしてあげられないかしら? この人ガチ泣きしてるじゃない」

「んなこと言ってもなぁ……。ラタトスクの諜報員でなんとかできないか?」

「あら、いいとこに目を付けるわね。でも残念。普段なら有事に備えて待機してるんだけど、今は他に手を回さなきゃいけないから引き上げてるのよ」

「そっか。うーん、どうすっかなぁ」

「ん、五河じゃないか。どうしたんだこの騒ぎは」

 どうしようか悩んでいると、後ろから士道を呼ぶ声がする。振り返ると、そこにはよく知ったクラスメートの顔があった。

「殿町か。お前も来てたんだな」

「殿町さん。お久しぶりです」

「琴里ちゃん久しぶりー。ん? なんかちょっと見ないうちにすげぇ大人っぽくなった気が……」

 殿町は士道と一緒に行動することも多いので、琴里とも顔なじみだった。しかし司令官モードは別なようで、普段と違う様子に目を白黒させている。説明する気はないので、士道は強引に話題を逸らした。

「そうか? それより珍しいな。お前がここに来るなんて」

「ん? あぁ。普段は隣町のゲーセンに通ってるんだけどな。今月はちょっと金欠で」

「へぇ。そこまでしてやりたいゲームがあるのか」

「マジッ〇アカデミーはグリム〇ロエちゃんに会うための手段にすぎん。俺はゲームのためじゃなくて好きな女の子に会いたくて通ってるんだ。……分かるだろ?」

「知らねぇよ」

「くっ、このメスガキめ! 負けてない、俺はまだ負けてないぞ!」

「目を合わせちゃ駄目だぞ琴里。馬鹿が感染る」

 相変わらずの殿町節に琴里は付いていけず、あははと苦笑いを浮かべる。と、そこへ涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔の店長が割り込み、殿町の肩を勢いよく掴んだ。

「〈HIRO〉! 〈HIRO〉じゃないか!! 君も戻ってきてくれたんだね!?」

「うわ、店長いたんすか」

「このタイミングで2人が揃うなんて、これはもう偶然じゃない! 神様のお導きだよ! おぉ、アーメン……」

「いいからあいつらを警察にお導きしてもらえよさっさと」

 周りが引くほどのテンションで天に感謝の祈りを捧げる店長を見て、3人は今すぐここから離れたい気持ちでいっぱいになった。一応、という感じで殿町が問いかける。

「状況が読めないんだが……。何かあったのか?」

「タチの悪い客にバンドの達人の筐体を占拠されてるんです。それで店長さんがおにーちゃんに助けを求めてきて……」

「あー、成程。気持ちは分かるけど、俺たちにはどうしようもないな。店長、悪いけど他を当たってくれ」

「そんなぁ……」

 店長が更に何か言おうとしていたので、琴里たちがそそくさと退散しようとしたところで、男たちの無駄に大きな声が店内に響き渡った。

「ハッ! この町のバンドマン共は雑魚ばっかでつまんねぇな! ね、兄貴!」

「全くだな。昔ちょっと強い奴らが居たってんで期待してたんだが、こんだけ騒いでなんの反応も無いとなると、しっぽ巻いて逃げたんだろうさ。ま、仕方ねぇか。そいつらも所詮、ここで見てることしかできない連中と同じ“敗北者”ってことだ……!」

 

「………………敗北者?」

 

「え、急にどうしたの士道?」

 いきなり立ち止まり、無表情で立ち尽くす士道。どうやら連中の言葉に耳を傾けているようだ。尚も会話は続く。

「俺たちが1番強いわけだし、ここはもう俺たちの縄張りってことでいいっすよね。おいお前ら、これからこの店使うときはショバ代払いな! それともしっぽ巻いて逃げるか? “敗北者”みたによぉ!」

 

「……やめやめろ」

 

「と、殿町さん? なんか目つきがヤバいことになってますよ?」

「腰抜けどもはそこで見てな! じゃあ景気づけってことで一曲派手にいくぜ! 選曲は――」

 チャリン、と。男たちの演説を遮るように、1枚のコインが筐体に投入された。見れば、琴里の隣にいたはずの士道がいつの間にか壇上に上がっている。更に隣へと続く、もう1人の男。殿町も無言でコインを投入し、ギターを手に取りコードを確認している。

「あぁん? 誰だ人がせっかく盛り上がってるところで……って! テメェは!」

「あのときのクソガキ!!」

「え!? 士道知り合いだったの!?」

 琴里が驚いて声を上げるが、士道はすぐには答えずゆっくりと男たちへ向き直り、何故か片目を右の手のひらで覆い隠すようなポーズを取った。若干身体を傾けるその仕草には一切の淀みがなく、まるで何十回何百回と繰り返してきたかような流麗さだった。そのまま冷たい声で言い放つ。

「ふん、貴様らのような塵芥共と知り合いになった覚えなどない。普段なら地を這う蟻など捨て置くところだが、なかなかどうして愉快な戯言を吐くではないか。ここが貴様らの縄張りだと?」

「「「!?」」」

 固唾を呑んで見守っていたギャラリーたちが騒然とする。しかし、そんな周囲の様子を気にも留めず、更に殿町が続く。

「相手を挑発する言葉は非常に人をふるかいにする……。お前、ハイスラでボコるわ」

 こちらは片手でギターを持ち、まるで剣のように掲げるポーズだ。その姿に、何故かその場にいた全員は〈メイン盾〉という単語を思い浮かべた。

「……はっ! この間とは随分と様子が違うじゃねぇか。ラッキーパンチが当たったくらいで調子に乗ってんじゃねぇぞ。あ?」

「今度こそ俺のナイフの錆にしてやろうかぁ? そのための右手」

 雰囲気に飲まれ少々戸惑った男たちだったが、我に返ったとたん士道に敵意をむき出しにしている。暴力沙汰になるのかと心配になる琴里だったが、周囲の声を聞くと、どうやら違う理由でざわついている様だった。

「シド……やっぱりシドだよ! あの闇言語と堂に入った構え、どう見ても本物だ!」「じゃあ隣はHIRO!? 嘘だろ、KKKは解散したはずじゃあ……」「帰ってきたのよ。私たちのピンチを聞きつけて帰ってきてくれたのよ! うおぉ、KKK!」「きひひ、面白いことになってきましたわね。まさか彼があの伝説のシド様だったなんて……。あとでサイン貰えないかしら」「「KKK! KKK!」」

 突如始まったKKKコールに、何がなんだか分からず混乱する琴里。そんな彼女を余所に、会場のボルテージはどんどん上がっていった。

「喚くな類人猿。ステージの上で拳の勝負をしようなど無粋にもほどがある。ふっ、それとも言葉を解さない猿には人の世の情緒など理解できぬか?」

「本当に強いやつは強さを口で説明したりはしないからな。口で説明するくらいなら俺は牙をむくだろうな俺はパンチングマシンで100とか普通に出すし」

「兄貴、なんかこいつら変ですよ……。会場の連中もおかしくなっちまったし」

「待てよ、聞いたことがある。妙なしゃべり方と仕草、そしてとてつもない演奏テクニックで観客を魅了する奴らが天宮市にいると。まさかこいつらが噂に聞くKKK……。確かめてみるか」

「ふん。過去の栄光に興味はない。過ぎた日々を懐かしむのは死ぬ時だけで十分だ」

「黄金の鉄の塊で出来ているナイトが皮装備のジョブに遅れをとるはずはない!」

 そうこうしている間に準備が整ったのだろう。士道と殿町はかっこいいポーズ(本人談)をとって待機している。モニターにはいっそ不釣り合いとも思えるような、コミカルな選曲画面が表示されていた。

「曲は好きに選ぶと良い。だが慎重に選ぶことだな。それが貴様らへの鎮魂歌(レクイエム)となるのだから」

「どれを選ぼうと結果は火を見るより確定的に明らか」

 突然豹変した2人を見て、もはやドン引きを通り越して恥ずかしくなってくる琴里だったが、周囲は謎の言葉を聞くたびに盛り上がりを増していくようだった。

「はっ! 言ってくれるじゃねぇか。なら負けた方は土下座で謝罪、2度とこの店には近付かないってことにしようや! でかい口叩くだけの実力はあるんだろうな?」

「今更ビビったって遅ぇぞ。この曲ぶち込んでやるぜ!」

 画面にデカデカと表示された文字を見て、会場の一部からは悲鳴が上がる。しかし、壇上に立つ2人はそれを意に介さず、余裕の表情で難易度選択画面に進む。

「ほう、未だに最難関との呼び声も高い『テンスフローラル☆デッドエンド』。この試合は早くも終了ですね」

「これ以上の言葉は意味をなさない。始めるぞ……悪夢の宴を!」

「逃げ出すなら今のうち……って、迷うことなく難易度ナイトメアを選択だとぉ!?」

「馬鹿な、全国で数える程度しかフルコンできていないこの曲を最高難易度でだと!? くっ、俺たちも続くぞ!」

「おっすお願いしまーす」

 そんなこんなでよく分からないまま、バンドバトルの幕が上がった――。

 

 曲が始まってすぐに、琴里は驚愕に襲われた。会場の異常な熱気もそうだが、何よりも士道と殿町の演奏が圧倒的だったからである。

「なっ……! 士道、あんなにうまかったの!? それに殿町さんまで」

 困惑する琴里を安心させるように、隣にいた店長が肩に手を置いてきた。

「君は士道君の妹さんだね。あんなお兄さんを見るのは初めてかい?」

「え、えぇ。あの変な言い回しは昔うちでもたまにあったけど……。というか店長さん、兄の名前知ってたんですね」

「あはは、そりゃあそうだよ。ここは商店街からも近いからね。買い物袋片手に主婦と夕飯の相談する男の子はちょっとした有名人だよ」

「そんなことしてたのね……。どおりでご近所さんがやたらとうちの食事事情に詳しい訳だわ」

 名前もよく知らないような近所の住人がやたらと親しくしてくるのは、どうやら士道のせいだったようだ。何故か店長が誇らしげな顔をしながら、話を続ける。

「それだけじゃない。彼は困ってる人を見ると放っておけないようでね。おばあちゃんの荷物を持ってあげたり、交番に落とし物を届けてる姿なんかもよく目にするよ。士道君に感謝してる人も結構多いんじゃないかなぁ」

「あはは、兄らしいですね。……私もいつも助けてもらってます」

「そうか……。何を隠そう、僕も彼、いや彼らか。士道君たちに助けてもらったうちの1人でね」

「え? そうなんですか?」

 意外な言葉が飛び出し、琴里は顔を上げる。店長は演奏中の2人を見つめ、懐かしそうに目を細めていた。

「うん。3年くらい前かな。この店は不良のたまり場みたいになっててね。当時から大人気だった『バン達』をやりにくる若いお客さんも多かったから、小さな諍いが絶えなかったんだよ」

「そういえばニュースで見たことがあります。確か警察も来たとか」

「そうなんだよ。お客さんの笑顔が見たくて始めたこの商売だったけど、ご近所さんには小さい子供も多かったからね。これ以上怪我人が出るようなら店を畳むしかないって、一時は本気で考えていたよ」

 当時を思い出し苦い記憶が蘇ったのか、店長の言葉が詰まった。また泣きだされては堪らないので、琴里は先を促す。

「それを解決したのが、もしかして……?」

「そう……。謙虚なナイト〈HIRO〉、慈愛の戦士〈ザ・ラヴァ―〉、無垢なる暴力〈オーガ〉、猛毒舌〈ウィステリア〉、そして混沌の支配者〈シド〉。何を隠そう、君のお兄さんたちだよ」

「いや誰よそいつら! あたかも私の知り合いです、みたいに言わないでほしいんですけど!?」

「突如として現れたこの5人組、通称〈KKK(クレイジー・キングダム・ナイツ)〉は、その卓越した演奏によってお客さんたちを瞬く間に魅了してね。『この店は私たちの縄張りだ、文句があるなら力を示せ』って言うもんだから、みんな大人しくなっちゃったんだよ」

(綴りを間違ってる……)

 どうやら後3人も馬鹿仲間がいるらしい。今の本人たちが聞いたら顔から火が噴き出しそうな単語がゴロゴロ飛び出してきて、琴里は思わず頭を抱える。

 しかしそのままでは話が進まないので、それは一旦置いておくことにした。

「名前はともかくとして。そのやり方だとやってることはあいつらと同じなんじゃ……?」

「全然違うよ。彼らはゲームを独占することなんて決してしなかった。みんなが彼らに順番を譲るのは、彼らの演奏が好きだからで、それを強制したことなんか1回もない。むしろ、順番を守らない人やマナーの悪い人を取り締まる側だったんだよ」

 それを聞いて琴里は少し安心した。変な名前で活動しているうえに素行も悪かったら目も当てられない。それどころか店長はどうやら士道たちのことをえらく慕っているようだった。言葉の端々からそれが伝わってくる。

「懐かしいなぁ。ふふ、破壊と混沌を謳いながら、やってることは正反対なんだから。それから熱狂的なバンドブームも収まって、店もすっかり落ち着いた頃、彼らは忽然と姿を消したんだ。何も言わずに去っていった……。本当に救世主か何かのようだったよ」

「それってもしかして、1年くらい前ですか?」

「うん、そうだよ丁度1年前の春だ。よく分かったね?」

「えぇ、まぁ……」

(中学卒業して正気に戻った辺りだわ)

 当時の士道の心境を想像し、琴里の頬を汗が伝った。

「彼らは消えてしまったけど、彼らの残したものは残り続けた。こうしてみんなが演奏に聴き入っているのがその証拠さ。あの子たちは僕らにとってのヒーローなんだよ」

 

 見れば、いつの間にか演奏も終盤だった。スコアの差は僅かではあるが、士道たちがリードしている。意外と実力が拮抗していたのだろうか。

「すげぇ……。スコアボーナス盛り盛りの廃課金アバターを、レベル1のゲストアバターで追いつめてる……」「スコアなんか関係ないわ。あの心に響く美しい旋律……。やっぱり最高よKKKは」「演奏だけじゃない。見る人を魅了するあの体捌き。これが本当のエンターテイナーってやつか」「きひひ、サイン色紙の用意感謝いたしますわわたくし」「ずるいですわずるいですわ。わたくしも演奏聴きたかったですのに」「「KKK! KKK!」」

 よく分からないが、やっぱり凄いらしい。どこから湧いて出たのか、いつの間にか店内は溢れんばかりのギャラリーでごった返していた。やがて疾走感のある曲が終わり、男たちはがっくりと膝を着く。スコアは見るまでもない、士道たちの勝利だ。

 その瞬間、ギャラリーは盛大な喝采に沸いた。

「馬鹿な……。こんなことが……」

「ど、どうします兄貴、やっちゃいます? やっちゃいましょうよ!」

「やめろ! こんな大勢の前で負けたんだ。俺たちの……完敗だ」

 項垂れる男たちのもとへ、士道と殿町はゆっくりと歩を進める。その背には勝者の風格が漂っていた。

「おっと? グーの音も出ないくらいに凹ませてしまった感」

「ふん。意外に物分かりが良いではないか。だがそれでいい。それ以上進めばそこは2度と後戻りのできぬ暗黒の海なのだからな」

 琴里が意外に穏便に済ませるつもりなのだと安心しかけたところで、その予想はあっさりと覆された。悪魔のような笑みを湛えた2人が、残酷に言い放つ。

「それはそれとして、貴様ら勝負の前に何か言っていたな? 土下座、がどうとか聞こえた気がしたが?」

「俺のログにもあるな、2度とこの店に近付かないとも。死にたくないなら謝るべき。早く謝って、今まで迷惑を掛けた全てのやつらに」

「うっ……ぐぅ……」

「あ、兄貴……」

 男たちがギャラリーを見やると、刺すような視線が返ってくる。この場にいる全員が、2人を逃がすまいと構えているようだった。

「聞こえなかったか? ……詫びろ。詫びろ詫びろ詫びろ詫びろ詫びろ! この俺に敗北者と言ったことを詫びろぉぉぉ!!」

(え、そっち!?)

「「うがあああああ!! すみませんでしたあああああ!!」」

 楽器を放りだし、勢いよく額を地面に擦り付ける2人。やがて起き上がると、人混みをかき分け逃げるように走っていった。数秒の静寂の後、店内は再びの喝采に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 嵐の様なゲーセン訪問の後、琴里と士道は昼食を食べ終えてここ、天宮市を一望できる高台公園にやってきていた。時刻は正午を少し回ったところ。春の暖かな日差しに照らされ、時折吹いてくるそよ風が心地よい。

 因みに士道はゲームセンターを出た後、昼食を終えるまではずっと死んだような目をしていたのだが、やっといくらか回復したようだった。

「いやー驚いたわほんと。士道ってあんなにギター上手だったのね」

「あ、あぁ。まあな……」

「あんなに大勢の前で堂々と演奏して、それに台詞やポーズだって――」

「うわあああああ! 頼むからやめてくれ! だからあのゲーセンには近付かないようにしてたんだよ!」

「そう? その割にはノリノリだったじゃない。『過去を懐かしむのは死ぬ時だけで十分だ!』だっけ?」

「ぐはっ」

「いやーかっこよかったわー。最後なんか可愛い女の子にサインくれって言われてたし」

「違っ! あれは周りに求められたらで、ガイアが俺に囁いてきて……」

「また〈シド〉が出てきてるわよ。突発性の病気か何かなのかしらね?」

 サインを求めてきた少女になんとなく見覚えがある気がした琴里だったが、士道が逃げるように手を引いて走り出したのでよく見ることができなかった。

「勘弁してくれよ、卒業したんだよああいうのは。もう2度と戻ることはない、今度こそな」

「ふーん。ま、いいけどね」

 自分の知らない士道の姿をあんなにも多くの人が知っていると分かり、琴里はなんとなくモヤモヤした気持ちになっていたのだが。こうして2人きりになり弄り倒すことによって、それもすっかり解消することができた。士道を困らせてこんな顔を見ることができるのは、世界で唯1人、妹である五河琴里だけなのだ。

 琴里と士道は落下防止柵に手を掛け、しばし町を眺めていた。お互いに何も喋らないが、決して気まずい沈黙ではない。むしろゆっくりと流れる時間を感じることができて、琴里は心が満たされていくのを感じた。隣にいる兄のことを、1人の男として見ていることを改めて意識する。

 しかし今は、それよりどうしても確認しなければいけないことがあった。意を決したように、琴里は口を開く。

「……私ね。精霊を救うことは自分の義務だって、そう考えてた。ただそこにいるってだけで殺されそうになって、仕方ないから戦って、そしてまた誰かに恨まれて……。そんなの絶対に許しちゃいけないって、本気で思ってた……つもりだった」

「……うん」

「でもね、分からなくなっちゃった。どんなに呼びかけても士道が目を覚まさなくて。このまま死んじゃうんじゃないかって思ったら、怖くて立ちあがることもできなくなってた。ほんと馬鹿よね……。自分で招いた結果なのに」

「そんなに心配してくれてたんだな、ありがとう。でもほら、お兄ちゃんはもう大丈夫、なんの心配もいらないぞ」

 そう言って力瘤を作るポーズでおどけてみせる士道だったが、琴里の笑顔を引き出すことはできなかった。泣きそうな顔で、琴里は士道に向き直る。

「大丈夫じゃないわよ……。私が全然大丈夫じゃない! また士道があんな風になったらって思うと、怖くてたまらないのよ。ほら見て、今だって手が震えてる。あんなに救いたいって思ってた精霊だって、今は貴方を失うくらいならもう……。私、自分がこんなに弱いままだなんて知らなかった」

 こうして弱さを曝け出すことで士道が慰めてくれる。それを分かっていながら、琴里は不安を吐露することを止められないでいた。そんな自分に吐き気すらしてくる。

 そしてそれを知ってか知らずか、やはり士道は琴里に優しい言葉を投げかけるのだった。

「そんなことない。琴里は今までずっと頑張ってきたんだろ? 誰にも秘密を打ち明けず、弱音も吐かずに頑張ってきたからこそ、今こうやって組織のリーダーとしてみんなを引っ張ってる。違うか?」

「でも! 偉そうなこと言うだけで実際は何もできなくて! そのせいで貴方を危険に曝して……! 私が今までやってきたことは結局ただのエゴだったのよ! 自分の理想を他人に押し付けて、私は……」

 涙を堪え震える琴里の手を、士道が両手で優しく包み込んだ。そんな不安など知らないとばかりに、士道は優しい笑みを浮かべている。その仕草を、その表情を見て。琴里の心をせき止めていた何かが決壊してしまった。押さえこんでいた本当の感情が、涙と共に溢れ出て止めることができない。

「大丈夫、大丈夫だぞ琴里。……あはは、懐かしいな。昔は琴里が泣くたびによくこうしてあやしたっけか。あのときは泣き虫だったからなぁ」

「なんで……どうしてそんなに優しいのよ! 私のことなんか嫌いになったでしょう!? 幻滅したでしょう!? 唯の人間である貴方を戦場に立たせて! 自分は安全なところから見ているだけで!」

「そういう役割ってだけの話だろ? おかしなところなんて無いじゃないか」

「それがおかしいって言ってるのよ! 本来なら私が前線に立たなきゃいけないのに! 巻き込まれただけの貴方が1番危ないところにいて……。変だって思うでしょ!?」

「まぁ、確かに説明不足ってのはあるよな。よっぽどのお人好しじゃなきゃあんな所には立てないかもしれない」

「ならどうして文句の1つも言ってこないのよ! 殺されかけたのよ! もう少しで死ぬところだった! そんな目に合わせた私のこと、恨んで当然でしょう!?」

「別に琴里のせいじゃないだろ、あれは」

「私のせいよ! そんな優しさなんかいらないから本当のことを言ってよ! 恨んでるんでしょ私を! 私のことなんか大っ嫌いだって、そう言えばいいじゃない!! 精霊を救えないのも、フラクシナスが解体されるのも、悪いのは全部私で――」

 琴里はそれ以上、言葉を紡ぐことができなかった。士道に抱きしめられ、その唇で口を塞がれてしまったからだ。勢いよくキスされたため、歯と歯がぶつかって唇が切れたのか、口の中に鉄の味が広がる。驚いて動けないことをいいことに、士道はたっぷり10秒は待ってから唇を離した。

「あはは、ちょっと痛かったな」

「い、いきなり何を――」

「愛してるよ、琴里」

「――っ!!」

 囁かれると同時、琴里の全身は温もりに包まれた。どうやらまた士道に抱きしめられているらしい。突然のことが多すぎて、脳の処理が追いつかず軽くパニックを起こしている。

「琴里、愛してる。……まったく、元気がないと思ったらそんなことを心配してたのかよ。司令官なんて呼ばれてても、やっぱりまだまだ子供だな。俺が琴里を嫌いになるなんてある訳ないだろ」

「でも、でも……」

「不安なら何度でも言ってやる。愛してるよ琴里。……大好きだ」

 その瞬間、琴里の司令官としてのメッキは完全に剥がされた。そこにいるのはもう、唯の少女で、泣き虫な女の子で。そしてお兄ちゃんのことが大好きな、1人の妹だった。

 

「う、うあぁぁぁ! ごめん、ごめんなさいおにーちゃん、うあぁぁぁぁぁ」

 

「うぅっ……ぐすっ」

「ほら、ハンカチ。あははすごいな、さっきの店長より酷い顔してるぞ」

「笑わないでよ! 嫌われたんじゃないかって本当に怖かったんだから……」

 士道から受け取ったハンカチで顔を拭くと、ぐっしょりと汚れてしまっていた。琴里の顔がどんなに酷い状態だったかがよく分かる。

「今更こんなことぐらいで嫌いになるかよ。10年も一緒にいたんだぜ俺たち。不安ならもう1回言ってやろうか?」

「いっ! ……いいわよもう。十分伝わったから。その、士道が……私のこと好きだってこと」

「そうか。いや、でもなぁ」

「な、何よ?」

 恥ずかしいのでもう十分だと言いたかったが、士道はどうやら満足していないようだった。勝手に人の唇まで奪っておいて、これ以上何が足りないというのだろうか。

「いやほら、俺は琴里のこと大好きだって伝えたけど、そういえば琴里は何も言ってくれてないなーと思ってさ。あれー琴里は俺のこと好きなのかなぁ。お兄ちゃん不安だなぁ~」

「んなっ!?」

「ん? どうなんだ琴里。言ってみ? ほら」

 ニヤニヤと笑いながら近付けてくるその顔に、1発ぶち込んでやろうかという考えが浮かぶ。しかし、立ち直るきっかけを、そして何より深い愛情を与えてくれた手前、流石にそれはできないと自重した。

「ぐっ、この! 後で覚えてなさいよ……」

「え、なんだって? よく聞こえないぞ?」

 惚れた弱み、とでもいうのだろうか。きっと士道が向けてくれるものと琴里のそれは、少し違うものなのだろう。しかし、今はそれでも良いと思えた。

(いつか……必ず振り向かせてみせるんだから)

 そんな思いを込めて、琴里は宣言する。

「……………………きよ」

「ん?」

「あぁもう! 好きよ! 好き好き大好き! 私もおにーちゃんのこと大好き! 世界一愛してるんだからッ!」

「お、おぉー」

 ぜぇぜぇと息を切らしながら、顔を真っ赤にして士道の顔を睨みつける。達成感と羞恥心が混ざりあって、しかし悪くない気分だった。

「はぁ、はぁ……。ほら、これで満足したでしょ。おにーちゃんの馬鹿」

「う、うん。なんかごめん。あと、謝るついでにもう1つ悪い知らせだ」

「え?」

 士道が後ろを指さしているので、嫌な予感がしながらも琴里はおそるおそる振り向いた。はたしてそこには。

 

「……DEMに動きがあったので伝えに来たんですが。……お邪魔でいやがりまいたか?」

 

 引きつった笑みで頬に汗を垂らす士道の実妹、真那の姿があった。

「……ちょっとタイミングが悪かったみたいだな」

 数秒後、琴里の絶叫が木霊したのは言うまでもない。




七罪から攻略しちゃう士道君と中二病真っ盛りの士道君を尊敬してます。
どうすればあんな台詞思いつくんでしょうか。


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第8話 決戦の火蓋

感想評価ありがとうございます。
引き続きお楽しみください。


 フラクシナスの艦橋では、天宮駐屯地の映像が映し出されていた。集まったメンバーの中にはいつものクルーたちに加え、士道と真那の姿もある。

「状況を教えてちょうだい」

 中央の一際大きな艦長席に座り、そう短く指示を出す琴里の声に反応して、各々がすぐさま状況報告を開始する。

「はっ! 観測していた〈プリンセス〉……十香ちゃんの霊力が急速に減少するのを確認! 数値が0ではないことから、消失(ロスト)せず活動限界を迎えたと思われます! にやにや」

「それと同時に搬送列車の配備を確認! DEM日本支社に向けて発車準備を進めているとの情報です! にやにや」

「駐屯地内にエレン・メイザース、ジェシカ・ベイリー及び18名のDEM魔術師(ウィザード)の反応を確認! 十香ちゃんの護送には彼女らが当たるものと思われます! にやにや」

「ん、報告ありがとう。あんたたち3人は後できつい罰(ご褒美)を与えてあげるから楽しみにしてなさい」

「「「ありがとうございます!!」」」

「兄様、大丈夫でいやがりますかこの人たちは」

「気持ちはわかるけど悪い人たちじゃないんだよ。気にしたら負けだ」

 当然だが琴里とのデートはフラクシナスで全て観測していたらしい。弱音を吐くところやキスでしおらしくなるところを見られていただけでなく、戻ってきてからずっとクルーたちが生暖かい目線を送ってくるので、琴里の機嫌は急転直下だった。因みに士道は今更キスを見られるくらいで動揺などする訳がないので、平然としている。

『現実逃避は良くないわよ? 最初っから観測されてたならゲーセンの様子もばっちり見られてたでしょうね』

「うごごごごごごご」

「兄様!?」

 万由里のいらんフォローのおかげで無事にダメージを負った士道だったが、心配する真那を制して話を続けた。

「大丈夫だ。それより真那の方には何か情報は入ってないのか?」

「えぇ、実は少し前に招集命令が下ったところです。緊急の任務があるから13時までに集合するように、と。間違いなくプリンセス護送の件でいやがりますね」

「13時……。あと30分もないわね。かなり急だけど、作戦を開始するならそのタイミングしかないわ。みんな、覚悟はできてるかしら?」

「「「はっ!」」」

 一瞬のずれもなく揃って敬礼を返すメンバーたちを見て、琴里は満足げに頷いた。

「それじゃあ神無月。改めて作戦概要を」

「はっ! 天宮駐屯地は現在、ASTとDEMによる厳重な警備によって要塞化しております。ここを突破する戦力は現在のラタトスクにはありません。そこで、プリンセス奪還作戦の開始は列車での護送が始まった後。ASTの増援に時間がかかる位置まで移動したタイミングがベストと考えられます」

「位置的には丁度山間部の辺りね。周りに民家は無いし都合が良いわ」

「成程……。でも列車内にはDEMの魔術師たちが待機してるんだろ? そもそもASTの搬送列車は地下深くを走行するって話だし。どうやって十香を連れ出すんだ?」

「ミストルティンを使うわ」

「ミストルティン……でいやがりますか?」

 聞き慣れない言葉に、真那がはてなマークを浮かべている。

「えぇ。我がフラクシナスの誇る高性能の収束魔力砲よ。これなら地面の分厚い岩盤をブチ抜いて敵にダメージを与えられるわ」

「おいおい、そんなもん当てて大丈夫なのかよ? 弱った十香も乗ってるんだぞ?」

「ご安心ください。当てるのは車体ではなく進行方向のレールです。進路さえ壊してしまえば列車は動けない。奴らを閉じ込める監獄同然です」

「神無月のエイムは世界トップクラスよ。安心なさい、狙いを外すなんてこと絶対にないから」

「それならいいんだけどな」

『普段の言動がアレだからねぇ。信じろって言われても不安なのはよく分かるわ』

「動きを止めた後は修復が完了した〈世界樹の葉(ユグドフォリウム)〉3機で牽制、その隙に――」

「私がプリンセスを保護、周囲の連中と距離を取ったところでフラクシナスに回収してもらう。って流れでいいんでいやがりますね、司令官殿?」

「そうなるわ。貴女にばかり負担が大きい作戦で申し訳ないのだけれど……」

「構いません。私から言い出したことですから。むしろついこの間まで敵だった私を信用してくれて礼を言いてーくらいですよ」

「大丈夫なのか、真那?」

「なんてことねーです……とは言い切れねーですね。何せエレンとジェシカを相手に逃げおおせなきゃなんねーんですから。ま、やれるだけやってみますよ」

「お願いするわ。こっちも最大限のサポートはする。とは言っても、その余裕があればの話だけどね」

「気は使わなくて結構でいやがります。恐らく……。いや確実に〈バンダースナッチ〉と〈アルバテル〉の妨害が入りやがるでしょうから」

 中央のモニターには大型の空中艦の写真が映し出されている。威圧感を感じさせる紅いボディは、いかにも悪の組織が使いそうな雰囲気を醸し出していた。

『〈アルバテル〉……。バンダースナッチの制御装置を積んだDEMの空中艦ね。フラクシナスと違って戦闘に特化した機体で、顕現装置(リアライザ)の数も倍近い。今の私たちには厳しい相手よ』

(随分と詳しいんだな、万由里)

『説明書を読んだのよ』

(???)

「敵が空中艦を持ってるなら、それで十香を連れて行くってことはないのか?」

「それはねーです。結果はどうであれ、先日の戦いでDEMはフラクシナスの存在を確認していやがります。敵が不可視迷彩(インビジブル)を搭載した正体不明の空中艦を所有してるのに、空路を選ぶのはリスクが大きすぎますから」

 成程、と士道は嘆息する。確かに敵からしてみれば精霊討伐を邪魔する組織など、得体の知れない存在でしかない。どんな戦力を保持しているか分からない以上、少しでも安全策を取るのは当然のことと思えた。

 そんな風にひとり納得していると、琴里にしては珍しく遠慮がちに話しかけてくる。

「そして士道。貴方の役割だけど。その……」

「分かってるよ。俺には救出した十香をデレさせるって大事な役目があるからな。今回は家で大人しくしてるさ」

「……そう、ね。ごめんなさい、気を使ってもらって」

 妙な間があったような気がしたが、深くは考えないことにした。重苦しい雰囲気を少しでも緩和しようと、あえて明るい話題を出す。

「謝るくらいならさっさと帰ってきてくれよ。今夜はハンバーグだからな」

「……えぇ! 必ず十香を連れて帰るわ。それで、作戦中の分担についてだけど――」

 

 

 

 

 

 

「兄様」

 これ以上ここに居ても仕方ないと判断し、士道が艦橋から退室したところで、後ろから声が掛けられた。振り返ると、真那が少しバツの悪そうな顔をして佇んでいる。

『そういえばこの間は喧嘩別れみたいになっちゃってたわね。フォローした方がいいんじゃないかしら?』

 言われて思い出す。そういえば前回会ったときは緊急事態だったこともあってか、結構強い口調で責め立ててしまったような気がする。今更になって士道の胸中に罪悪感が湧き上がってくるのだった。

「兄様、その……」

「ごめん!」

「え!?」

「俺、あのとき結構テンパっちゃってて……。そっちの事情も考えないで酷いこと言っちゃったよな。本当にごめん」

 何かを言おうとする真那を遮って、士道は勢いよく頭を下げる。真那が怒っていないということは態度を見れば分かることだったが、なあなあで済ませるのは士道の許すところではなかった。

「頭を上げてください! ……怒るのも無理ねーです。琴里さんから聞きました。ラタトスク機関は精霊と対話するための組織だと。兄様はその手伝いをしていやがるんですよね?」

「あぁ。精霊は悪意を持って暴れてる奴ばかりじゃないんだ。そういう奴らが人と争わなくて済むようにしたいと俺は思ってる」

 士道の記憶が確かならば、真那は最悪の精霊〈ナイトメア〉、時崎狂三と幾度となく戦い、殺害しているはずである。悪意のない精霊と言われても納得するのは難しいと思っていたが、そこはどうやらフラクシナスが上手く説明してくれたようだった。

「殺す以外の対処方法なんて考えたことも無かったんで、最初はかなり驚きましたけど。その辺りの思想はまぁ理解できました。……でも正直、なんの訓練も受けていない兄様が交渉役ってのはリスクが高すぎます」

「それは重々承知してるさ。でも、これは俺にしかできないことなんだ」

「そこが理解できねーんですよ。ナンパ紛いの方法で懐柔したいのなら、それこそもっと顔が良くて口の回る男なんていくらでもいやがります!」

 曇りのない瞳で断言する真那の言葉が突き刺さる。言葉の刃は時としてレーザーブレードよりも鋭い武器と成り得るのだ。

『この子心配するフリしてちょっとあんたのこと馬鹿にしてない?』

(やめてくれ万由里。その言葉は俺に効く)

 心の中で涙を流す士道を余所に、真那は心配そうな顔で士道の服を摘まんだ。

「どうしても兄様がやらなくちゃなんねーんですか? ……やっと会えた肉親が目の前で傷つくところなんて、真那は見たくねーです」

「……あぁ、どうしてもだ。誰かにやってもらえば済むって話じゃないんだよ。それに、そういうのはお互い様だろ? 真那だって今まで散々危ないことしてきたらしいじゃないか」

 急にしおらしい態度を取られて少し心が痛んだが、ぐっと我慢して言い返すと、真那は痛いところを突かれたといった風に目を逸らし、掴んでいた服を離すのだった。

「うぅ、それは……。分かりました。この件については一旦保留ということで手を打ちましょう。それより、兄様は真那のことを覚えていやがるんですか?」

「ごめん、正直昔のことは全然覚えてないんだ。真那が本当に妹だってことは分かるんだけど」

「そうですか……。もし知っているのであれば、色々と訊きてーことがあったんですが……。でも、流石は兄様です。真那はこのロケットの写真があったからこそ兄様だと分かったのに、兄様は一発で真那を真那だと言ってくれました。やっぱり兄妹の絆ってやつでいやがるんですかね?」

 言いながら、真那は胸元から銀色のロケットを取り出し中を見せてくる。そこには10歳位の士道と、それよりも少し幼い真那の写真が収められていた。

『あら可愛い。こうして見るとやっぱり兄妹よねあんたたち。そっくりだもん』

(けど、なーんにも覚えてないんだよなぁ。この写真と五河家に引き取られた時期も一致しないし、相変わらず謎だ)

 この件についてじっくりと話をしたかったが、それよりも確認したいことが他にあった。

「訊きたいことと言えば、そういえば俺も気になることがあったんだ。真那たち、というかDEMはもともとイギリスが活動拠点なんだろ? どうして急に日本に来たんだ?」

「あぁ、それはですね。表向きは精霊被害頻発地域の戦力増強ってことにはなっていやがるんですが、本当はここ、天宮市で妙な霊力反応をキャッチしたからでいやがります」

『ん?』

「妙な霊力反応?」

「えぇ。確か4月10日の正午辺りでしたか。超高密度の霊力反応が一瞬だけ観測されて、すぐに消えちまったんですよ」

『んん?』

 初めて聞く現象に、士道は首を傾げた。これは前の世界では無かったことである。或いは、あったことを士道が知らなかっただけなのかもしれないが。

 何故か妙に引っかかっている万由里の様子が気になり、声を掛ける。

(さっきからどうしたんだよ万由里?)

『いや、ちょっとね……。続けてもらってちょうだい』

「……? それで、それがどうかしたのか?」

「はい。そのときは丁度プリンセスが暴れてた時間だったんで、最初は彼女の能力の1つかとも思ったんですが。よくよく調べてみるどうやら霊力のパターンが全く違うものだったんですよ。それが上層部の目に留まって、念のため調査が必要ってことになりやがりましてね」

「へぇ。それで何か分かったのか?」

「いえ何も。同じような霊力はあれ以来1回も観測されねーですし、正直計器の故障か誤作動ってことでケリがつきそうです」

「成程。つまりたまたまタイミングが悪くて十香は捕まっちまったってことか」

『…………』

 半ば事故のようなもので十香が苦しめられているということに怒りを覚えたが、それを今更言っても仕方ない。深く息を吸い込み、なんとか気持ちを落ち着けた。

「本当に申し訳ねーです。彼女と話してみて、少なくとも悪人ではねーってのは分かりました。兄様の代わりに、なんとしても彼女を救い出してみやがります」

「あぁ、頼んだぞ」

 DEMの戦力ナンバー2である実の妹。敵としては恐ろしいが、味方になるとこんなにも頼もしいのだと改めて実感する。と、何故か真那は士道の顔を覗き込み、疑るような目でぐいっと顔を近付けてきた。

「……本当に作戦中大人しくしていやがりますか?」

「…………トウゼンデスヨ?」

「………………本当の本当に?」

「……………………」

「あ、目を逸らした」

 心の中を見透かすような瞳を直視できず、汗が吹き出す。妙に勘が鋭いのは兵士として訓練を受けたからか、或いは血の繋がりからか。

 しどろもどろになりながらも、とりあえず弁明を試みる。

「何もしないに決まってるだろ! というかしたくてもできないっての。たった1発くらっただけで3日も寝込んだ男を舐めるなよ」

「威張ることではないんですが……。ま、分かってるならいいです。自分の力量を見誤らないことも、戦場で生き抜くコツでいやがります」

「そ、そうか。肝に銘じておくよ」

 追及が終わった安堵よりも、真那が生き死にを経験するような戦場を渡り歩いてきたことを改めて実感し、士道の心に暗い影が差した。

「それはそれとして、これを兄様に渡しておきます」

 そう言って真那が差し出したのは、手のひらに収まるくらいの銀色のカードのようなもの。よく見ると細微な装飾が施されており、機械的な物だということが分かる。

「これは?」

基礎顕現装置(ベーシック・リアライザ)を搭載した携帯型デバイスでいやがります。真那のアカウントが保存されているので、一部であればASTの施設にも出入り可能ですよ。あ、見つかれば当然即取っ捕まるのでご注意を」

「そんなものを、どうして俺に?」

「兄様はどうも見ていて危なっかしいですからね。緊急用に持っていてもらえば少しは安心できます。因みに顕現装置と言っても真那の予備なので搭載されてるのはワイヤリングスーツのみ。CR-ユニットは積んでませんのでご理解を。まぁ、搭載されてても簡単に使えるもんでもねーですが」

 どうやら護身用に持っていろということらしい。「わいやりんぐすーつ」というものがよく分からず、万由里の解説も飛んでこないので、自分でなんとか記憶を探ると該当するものがあった。確か折紙やASTが戦闘時に着用しているものだ。

「ワイヤリングスーツ……。あの全身ぴっちりタイツのことか」

「ぴっ……。み、見た目はともかく、身に付ければ防御力が上がったり、感覚が研ぎ澄まされたりしやがります。使用者の体格に応じて自動でフィッティングしてくれやがるので、その点も心配ありませんよ」

「そ、そうか。良かった。もし真那のサイズに合わせてあるんだったら、お兄ちゃん身体は守れても心が粉々になるとことだったよ」

 自分の恐ろしい姿を思い浮かべ、思わず頬を汗が伝う。また1つ黒歴史が生まれるところだった。

「一体何を想像していやがるのですか兄様は……。それに、同じワイヤリングスーツでもASTとは性能がちげーのですよ。いくらか装甲や武器があるので、これだけでもある程度戦うことはできます。ま、今回渡したものは小型のレーザーエッジ以外は抜いてありますけど」

「そうなのか?」

「兄様が他人に向けて引き金を引けるとは思えねーです。エッジもあくまで護身用。使えねー武器は持っていても邪魔になるだけです」

「……おっしゃる通りで」

 そういえば、以前十香を救いにDEMを襲撃した際に、何人かと戦ったことを思い出した。よく覚えてはいないが、胸部装甲やフルフェイスマスクがあったりと、見た目的には結構悪くなかったような気がする。なんにせよ、相変わらず防御面に不安のある士道にとってはかなりありがたい代物だった。

「これでいくらかは生存率を上げられるはずです。……でも、本当に気休めにしかならねーですからね。ちゃんと大人しくしててくださいよ?」

「あぁ、分かってるって。恩に着るよ、ありがとう真那」

「……本当に分かってるならいいんですけどね。それじゃあ、真那はそろそろ行きます」

「あぁ。気を付けて」

 真那は未だ疑り深い顔をしていたが、士道の返答を聞くととりあえずは納得したようで、横を通り抜け早足に歩いて行った。と、少し進んだところで思い出したように振り返る。

「あ、そうそう兄様」

「ん、どうした?」

 

「兄妹同士でキスすることは、その……。あまり人に言いふらさねー方が良いですよ」

 

「しょっちゅうしてる訳じゃねーよ!?」

 それだけ言うと、今度こそ真那は去っていった。残された士道は「義妹とキスしているところを実妹に見られた」という恐ろしい現実を突きつけられ、未だ心臓がバクバクしている。

「……はぁー、まさかそんなとこから見られていたとはな。気を付けないと」

『…………』

「さっきからどうしたんだよ万由里。随分静かじゃないか」

 いつもならうるさいくらいに話しかけてくる万由里だが、どういう訳か会話に茶々を入れず黙り込んでしまっている。しばらく待ってみると、やがて重い口を開くように語り始めた。

『……DEMが10日に観測したっていう霊力反応、恐らく私たちがこの世界に来たときに発生したものだわ』

「なんだって?」

『あのときは相当量の霊力を使って制御不能だったから……。奴らにとって脅威となりえるほどの力が漏れ出ていたとしても不思議じゃないわ』

 そういえば、と記憶を探る。士道がこの世界で最初に目を覚ましたのはフラクシナスの医務室。4月10日に十香と出会った直後のタイミングだ。言われてみれば謎の霊力反応があった時間と一致する。

「ってことは……。十香が今危ない目に合ってるのは、俺のせいってことじゃねぇか!」

 ギリッと奥歯をかみしめる士道に対して、万由里は優しく語りかけた。

『俺「たち」ね。そうやって1人で抱え込もうとしないでよ。でも、原因が私たちにあるってんなら、尚更黙って見てる訳にはいかない……。そうでしょ? 士道』

「あぁ。琴里は大丈夫って言ってたけど、今回の戦いが相当厳しいってのは素人の俺でも分かる。足手纏いだったこの間とは違うってとこ見せてやるぜ」

 手のひらを見つめ、ゆっくりと握る。見た目に変化があったわけではないが、そこには確かな力が秘められていることを、今の士道は感じとることができた。

『その意気よ。男子三日会わざればなんとやら。実妹から素敵なプレゼントも貰ったみたいだし、調子に乗ってる奴らの常識にどでかい風穴開けてやりましょう!』

「おう!」

 

 

 

 

 

 

 時刻は14時10分。フラクシナスは不可視迷彩を展開しながら、天宮駐屯地近くの上空に待機していた。

 優雅に空中を漂う姿とは裏腹に、艦内は今までにない緊張感に包まれている。潜入した真那からの報告によれば、十香は搬送列車の最後尾車両に幽閉されているらしい。

 その情報を最後に、彼女からの通信も途絶えている。限られた情報と武装しかないが、今はただ、そのときが訪れるのを待つのみだった。

 そして、時計の秒針が何度目かの周回を終えたとき――。

「搬送列車の始動を確認! 車内に複数の魔力反応を感知、間違いありません!」

「来たわね。総員戦闘配置! 厳しい戦いになると思うわ。みんな、気合い入れていくわよ!!」

「「「はいっ!!」」」

「いい返事ね。……さぁ、私たちの戦争を始めましょう!」

 モニターに映る熱源を追いながら、フラクシナスは移動を開始する。相変わらず真那からの連絡は無いが、周囲に魔術師がいる状況で迂闊に動けないのでは、との見解が多数だったためひとまずは置いておく。些細な変化も見逃さないよう、聞き逃さないよう全員が集中しているので、時間の経過と共に艦内は静寂に包まれていった。

 

 重い沈黙の中でどれほど時間が経っただろうと時計を見やると、10分も経っていないことに驚く。極度の緊張で時間の感覚がおかしくなっているようだ。作戦開始ポイントが目前に迫ることろで、琴里はふと気付く。

「静かね……。いえ、余りにも静かすぎる。〈アルバテル〉はまだ現れないの?」

「はっ! 上空2万メートルまで探索していますが、姿はありません」

「車内の魔力反応にも変化なし! 何の動きもありません」

「…………」

 追跡は順調、作戦を遂行する上で僅かな障害も無いはずだ。しかし、まるで背中にじっとりとへばりつくような不快な感覚を、琴里は覚えていた。その正体が分からず苛立ちが募る。

 フラクシナスは現在、飛行できる限界まで高度を落として進行中だ。全長がこの艦の2倍近いアルバテルが航行するには、当然それよりも高度を上げなければならないが、未だに上空には影も形もない。ならば本当にこのまま現れないのか、それともそもそも襲撃を予測すらしていなかったのか。不安を散らすように、あえてそんな楽観的な想像をしてみたところで、通信機器に僅かなノイズが走った。

 

『ザザッ……です…………げやがっ…………ザザッ――』

 

(いや違う。何かを見落としてる。空中艦が航行しているなら空の上にいるのは当然。でも……)

「この通信は……真那さんからのようです! 良かった、無事だったんですね!」

「いえ、何か様子がおかしいですね。このノイズ、まるでジャミングを受けているような――」

(なら、もしも航行していなかったら? 例えば私たちの襲撃ポイントを予測して、あらかじめ地上で待機していたとしたら――)

 

『ザーザザッ……罠です……ザザッ…………逃げやがって……ザザ――」

 

「琴里!!」

 罠。その単語が聞こえた瞬間、令音は今まで誰も聞いたことが無いような大声で琴里の名を呼ぶ。一瞬遅れて琴里が敵の真意に気付き、ありったけの声で叫んだ。

「ッ! 今すぐ高度を上げなさい! 全速力!!」

『ザザッ……罠です! 今すぐ逃げやがってってください! 罠です!!』

 その瞬間、轟音と共に下方向からの砲撃がフラクシナスの随意領域(テリトリー)に着弾し、艦体が大きく揺れ動いた。

「きゃっ! 何、一体どこから!?」

「まさかこの反応……。下です! 地表から巨大な魔力反応を感知! 〈アルバテル〉です!!」

「…………やってくれるじゃない、DEM!!」

 なんと、アルバテルは突如として地表から現れ、フラクシナスに砲撃を浴びせたのだった。否、実際は最初からこのポイントに待機していて、数瞬前に起動を開始したに過ぎない。余りにも単純で、だからこそ効果的。しかし、こちらの動きをあらかじめ知っていなければできないような作戦に、琴里は背筋に冷たいものが走るのを感じた。

「待ち伏せされてたってことね。不可視迷彩に加えて自動回避(アヴォイド)張ってるフラクシナスに攻撃当てるなんて……。いい腕してるじゃない。被害の報告を!」

制御顕現装置(コントロール・リアライザ)2基に重度と中度の損傷! 1基は……駄目です機能を停止しています!」

「制御室に火災が発生、1分以内に消火完了の見込みです!」

「ちっ! 幸先悪いわね全く! 神無月、制御サポートは任せたわよ!」

「お任せください。サポートと言わず顕現装置は1基以外魔力生成に回して問題ありませんよ。制御は全て(ここ)でできます」

「頼りにしてるわ。令音、真那の様子は?」

「通信は回復している。……が、今は取り込み中だ」

「取り込み中?」

「……どうやら最初から泳がされていたようだ。現在トンネル内で交戦中、相手はバンダースナッチ数体と……エレン・メイザース」

「!!」

 通信機器から聞こえてくる会話の内容から察するに、状況はかなり悪いようだ。最悪琴里自身が出撃する可能性も考慮するが、最強の魔術師相手に一体どこまで戦えるだろうか。

 いつの間にか空は分厚い雲に覆われ、今にも泣きだしそうな色に変わっていた。

 

 すぐ傍に黒い影が迫るのが、見えた気がした。

 

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……。ひでーじゃねーですかエレン。同僚に刃を向けるなんて」

「元、同僚ですよ。裏切り者に手心を加える理由はありません」

 出血した腕を押さえ荒く息を吐く真那の前に、レーザーブレードを携えたエレンが悠然と立ち塞がる。その眼には冷たい光が灯っていた。

 数分前。十香救出のために最後尾車両まで移動した真那は、扉をくぐり愕然とした。車両の中には十香がいないどころか、数機のバンダースナッチが待機しており一斉に銃を掃射してきたのだから。

 咄嗟に随意領域を展開し攻撃を防いだものの、罠に嵌められたことをフラクシナスに報告している隙を突かれ、天井を突き破り襲撃してきたエレンに手痛い一撃をくらってしまった。

 顕現装置で治療を試みるも傷は深く、戦いで使い物になるかどうかは怪しいところだ。利き腕をやられたことに内心相当な焦りを抱えながらも、真那は努めて冷静に対処を試みる。

「どういう了見でいやがりますか。私はただプリンセスの様子が気になったので見に来ただけでいやがります。急に暴れださねーか心配で――」

「取り繕わなくても結構ですよ。先ほどの通信は傍受させてもらいました。それに、ここ数日の貴女の行動は全て監視していましたから」

 その言葉で自分が最初から泳がされていたことを知り、真那は今更になって自分の失態を悟る。心中で琴里に謝りながらも、この場を切り抜けるための策を考える。

「……随分と信用がねーんですね、ちょっとショックです。会社のために今までそれなりの働きはしてきたつもりでいやがりますが?」

「プリンセスと戦闘した後から様子がおかしかったもので、念のため。それに、これでも結構心配していたんですよ?」

「はっ、どうせ裏切るかどうかの心配に決まってます。あんたが誰かを思いやるなんてありえねーですから」

 それを聞いたエレンは不愉快そうに顔をしかめると、ブレードを構え息をつく暇もなく距離を詰めてきた。

「くっ!?」

「その傷で大言壮語とは大したものです。威勢が良いのは口だけでなければいいのですが、ねッ!」

 真那はそれを片手に構えたブレードで受け止めつつ、随意領域を全力展開する。並みの魔術師ならそれだけで圧死してしまいそうな密度の魔力を平然と受け止め、それどころか押し返してくるエレンを見て、改めて人類最強の恐ろしさを実感した。

 絶対の壁であるはずの随意領域が、ミシミシと不気味な音を立ててひび割れていく。後ろに下がろうにもバンダースナッチが弾幕を張っており、身動きが取れない。

「プリンセスは……十香さんはどこでいやがりますか」

「ほう、この期に及んで情報収集ですか。仲間に最後の希望を託そうと? いいですよ、もうジャミングも解除済みですし、教えてあげます。どうせ全員ここで死ぬんですから」

 そう言いながらも、決して力を緩めることはしない。話すのは油断でもなんでもなく、本当に皆殺しにできるという自信の表れのようだった。

「簡単な話です。搬送列車は2台用意していたんですよ。本命は既にプリンセスを乗せて別ルートを進行中、こちらは敵対勢力を炙り出すための囮、という訳です」

 薄ら笑いを浮かべるエレンに一泡吹かせてやりたかったが、話を聞く限り既に事態は最悪の展開を迎えているようだ。一矢報いることもできない歯がゆさでせめてもの抵抗にと、真那も引きつった笑みを浮かべてみせた。

「ご協力感謝しますよエレン。貴女が馬鹿なおかげで有益な情報を得ることができました。これでこちらも切り札を切ることができやがります。今からでも戻ったほうが良いんじゃねーですか?」

「……本当に口が減らないですね貴女は。おとぎ話に出てくるようなヒーローでも現れて助けてくれるんですか? くだらない。これ以上見苦しい姿を晒すのもいい加減不憫ですし、そろそろ終わりにしましょう」

 そう言うと同時、エレンの随意領域の密度が一段階上がり、とてつもない圧力が襲い掛かる。真那は既に身体を支えきれなくなっており、片膝を着いてどうにか耐えている状態だった。

「残念です。私に次ぐ魔術師である貴女の最期が、こんなにもつまらないものだなんて」

 本当に。心の底から「つまらない」という感想以外を抱いていない様子で、更に力を込めたエレンはあっさりと真那の障壁を切り捨てた。そして――。

 

「さよなら」

 

 真那の視界を、暗闇が覆った。

 

 

 

 

 

 

「折紙さん!? 駄目ですよまだ寝てなくちゃ!」

「平気。ちょっと内臓の損傷があるだけ。もう歩ける」

「歩く以外できませんよね!? 大丈夫の基準がおかしいですよ!」

「大きな声を出さないで。傷に響く」

「あ、ご、ごめんなさい……。ってやっぱり全然大丈夫じゃないじゃないですか!」

 そう言って折紙の身体を支えるのは、岡峰美紀恵二等陸士。折紙のことを慕うASTの隊員である。捕獲したプリンセスの搬送作戦が開始されるということで、様子が気になった折紙は居ても立っても居られず病院を飛び出してきたのだった。

 2人は現在、天宮駐屯地観測室のモニターで作戦の様子を確認している。

 先日の戦いの後、集中治療室で目を覚ました折紙に告げられたのは、まさかの「処分なし」という通達。表向きは民間人の保護活動を考慮してとのことだったが、こともあろうか精霊と手を組んでDEMの魔術師を負傷させたのに問題にならないはずがない。AST上層部に何かしらの圧力が掛かったに違いなかった。事実、周囲にいるASTの隊員たちからは訝し気な目を向けられている。恐らく折紙の行動と処遇に対して、あられもない噂が飛び交っているのだろう。

 しかし、誰のどんな思惑があろうと折紙の知ったことではない。精霊を殺す、そして士道を守る。この2つさえ実行できるのであれば、悪魔に魂を売っても構わない。そう思っていた。

 ――そう、思っていたはずなのに。

 士道の言葉が、プリンセスの行動が。折紙の心を揺さぶって止まなかった。今まで盲目的に精霊と戦うだけだった自分が、これで正しいのかと考える日が来るなんて思ってもみなかった。否、本当は心のどこかに常にあった思いなのかもしれない。精霊と会話してこなかったのは何故か。表情を見ないようにしていたのは何故か。ぐるぐると同じ疑問が頭の中に浮かび、答えの出ないまま沈んでいった。

「うわ、本当にいたんですね、空中艦……」

 と、思考の波に呑まれかけていた折紙を、美紀恵の声が引き戻した。中央の1番大きなメインモニターを見ると、激しい砲撃に曝される見たこともないような機体の姿が見える。白銀の装甲に木の枝のようなものを生やしたそれは、ある種の神々しささえ感じさせる。

(あれが、士道の……?)

 折紙は目を覚ました後、自分のIDが凍結されていないことを確認してすぐにASTのデータベースにアクセスし、ことの顛末を知った。しかし、そこに記載されていたのは「プリンセスを捕獲した」ということだけであり、一緒にいたはずの士道の情報は一切無かったのである。

 ならば、空中艦を逃がすためにプリンセスが戦ったという記述から、士道はそれに保護されたと考えるのが妥当だろう。DEMにも匹敵する技術力を持ち、尚且つ一切の情報を秘匿できるほどの組織となれば、裏の世界でも相当な権力を持っていることになる。そんな組織と士道がどういう関係なのか気になるところではあったが、今心配なのはそこではない。

 この3日間、士道は家に帰っていないようなのである。玄関付近に設置した防犯カメラ(士道を守るためなのだから、防犯)の映像を見る限り、人の出入りは一切なかった。それはつまり士道だけでなく妹も家に帰っていないということである。念のため携帯番号(自主取得)と固定電話の番号(自主取得)にも掛けてみたが、繋がらない。

 ということはもしや。士道はまだ、あの空中艦の中にいるのではないか? 今まさに命の危機に瀕していて、折紙の助けを待っているのではないか?

 そう思った矢先、一際大きな爆発が起き、折紙は思わず目を逸らしてしまった。と、視界の端に入った小さなモニターに、奇妙なものが映る。

 今この場には多くのAST隊員が居るが、ほとんどの者がメインモニターに釘付けで気付いていないだろう。因みに今回の作戦にASTのメンバーは誰一人として関与していない。DEMの精鋭3人と追加で派遣された18人の魔術師、そしてバンダースナッチのみで行われているため、彼女らは自分たちが自動人形にも劣るのかと憤慨していた。実際はエレンと真那の戦闘に巻き込まれないようにするための配慮だったりするのだが、それはまた別の話。

 折紙は部屋の隅に移動し手持ちのタブレットでカメラにアクセスすると、先ほどの映像を拡大し、スロー再生させた。不思議そうな顔で後ろから美紀恵も覗き込んでくるが、気にしている余裕はない。

 そこに映っていたのは、プリンセスを乗せ今まさに走り出しプラットホームを後にしようとする搬送列車と、その最後尾の展望デッキに飛び乗る1人の人物の姿。フルフェイスタイプのDEM製ワイヤリングスーツに身を包んでいるため顔は分からないが、体格からいって恐らく男だろう。

 しかし、その体格、仕草、果ては手足の長さや重心の傾きなどから、折紙はそれ以上の情報を読み取っていた。あれは間違いなく――。

「うわわ、遅刻しちゃったんですかねあの人。DEMにもおっちょこちょいな人がいるんですね~、って。折紙さん、どうしたんですか? 急に立ち上がって」

「急用を思い立った」

「思い立った!?」

 それだけ言うと、折紙は驚く美紀恵にタブレットを無理やり押し付け、ものすごい勢いで部屋を飛び出していった。

「折紙さん、歩くのがやっとのはずじゃあ……」

 鳶一折紙は恋する少女である。愛する人を守るためならば、全ての常識は意味を成さない。

 天宮駐屯地内に異常を知らせる警報が鳴り響いたのは、その直後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 暗い。痛い。寒い。何度も気絶し、何度も目を覚ました十香が最初に感じるのは、いつもこれだった。しかし、今回は少し状況が違うようである。

(ここは……?)

 瞼を開くと、そこに映るのは無機質な壁に囲まれた狭い空間。小刻みに揺れていることろを見ると、どうやら何処かへ運ばれていく際中であることが窺える。僅かに首を動かし部屋を見渡すが、それ以上のことは何も分からなかった。身体はガッチリと椅子に固定され、指を動かすことすらままならない。最も、それは今に始まったことではないのだが。

 捕まってすぐにこの拘束椅子に縛り付けられた十香は、力任せに振り解こうと暴れ続けた。しかし、その度に電流やらガスやらを浴びせられ、眠ることすらも許されずありとあらゆる責め苦を受け続けた。苦痛によって気絶し、苦痛によって起こされる。そんな時間が延々と続き、いつしか十香は話す気力さえも削ぎ落されていた。

 気が狂いそうな状況に疲弊しきった肉体と精神でいつも思い出すのは、あの不思議な少年のことだ。

 

『そんな奴らのことなんて気にするな。 お前はここに居ていいんだ』

『例え世界中の奴らがお前の存在を否定しても。 俺は、俺だけは! それ以上にお前を肯定してやる!!』

『お前を、愛してるからだ』

『何も知らないならこれから知ればいい! 教えてくれ、お前のことを。 俺はお前のことをもっと知りたいんだ!』

『お前の名前はとおか。十香だ。な、いい名前だろ?』

 

 彼の言葉が心の中で蘇る度に、ほんの少しだけ心が温かくなるのを感じる。これが現実逃避であることは分かっていた。暗闇の中で、もう2度と聞くことはないであろう彼の声を思い出し、なんとか精神を繋ぎとめる。しかし、それももう限界だった。

(あやつは……無事に逃げきれただろうか……)

 そんなギリギリの状態になっても、浮かび上がるのは彼への思い。自分でもおかしいと思いつつ、触れ合った僅かな時間で随分と毒されたものだと苦笑する。

 思い返せば今日まで、随分と多くの人間に敵意を向けられてきた。捕まってからは尚のこと、目の前で直接罵られ、中には手を上げる者もいた。

 家族を殺されただの、生きるすべを失っただの。

 そのほとんどが身に覚えのないものだったが、十香はなんとなく理解してしまったのだ。そんな人間たちにも家族がいて、友達がいて、そして愛する人がいる。そしてその者たちの大切な存在を、自分は今まで奪ってきたのだと。悪意の有無など関係なく、自分が存在しているだけで、これほどまで多くの人間を苦しめてきたのだと。

 あの少年は、たまたまそうならなかっただけにすぎない。もしも彼や、彼の身近な人が被害を被ったならば、きっとあんな風に声をかけてくれることもなかったのだろう。

(私は……なんのために生まれてきたのだろうな)

 あの少年ならば、その問いに答えてくれるのだろうか。

(……あぁ、まただ)

 どれほど否定しようと必ず彼のことを考えてしまう。

 今なら分かる。初めて会ったときに感じた既視感は、気のせいなんかではなかったのだ。

 もっとずっと前に知り合っていて、もっとずっと深いところで繋がっている。そんな確信が、十香にはあった。

 しかし、それも今となってはなんの意味もない。この場所には十香の味方なんて誰もいない。彼と積み上げていくはずだった時間は、思い出は。闇の中に消えていったのだ。

 身体から力が抜け、だらりと下を向く。

 きっと今進んでいる先が、自分の人生の終着点なのだろう。だが、それでもいいと思う。これまで散々他人の命を奪ってきたのだから、今更自分の生に執着などあろうはずもない。

 「精霊は死ぬべき」というのが、この世界の総意なのだから。

 唯ひとつ心残りがあるとすれば、それは。

 

(もう1度だけでいい。会って、名前を訊きたかったな――)

 

 と、そのとき。壁に備え付けられたスピーカーから、僅かにノイズが走った。なんてことはない、単なる通信の乱れ。そのはずなのに、何故か十香はとある人物の言葉を思い出していた。

『今すぐは無理かもしれない。でも……必ず。必ず彼はまた君の前に現れる。覚えておくといい』

(何故……今更、こんなことを……)

 尚もノイズは続き、やがてそれはクリアな音声となって耳に届き始めた。とはいっても、それは人の言葉ではなく、轟轟と唸る風の音だ。しかし、そこに混ざる何者かの吐息を、十香は確かに聞いた。

(まさか……そんな、ありえない……)

 一際大きな、まるで叫ぶ直前のように大きく息を吸う音が聞こえた直後、耳をつんざくような大音量が放出された。

 

 それは絶対に聞こえるはずのない声で。

 あまりにも都合の良い、おとぎ話みたいな出来事で。

 死に瀕した自分の頭が勝手に作り出した妄想ではないかと疑ってしまうほどの、出来すぎた夢。

 しかし、それは夢でも幻でもなく、確かにその存在を伝えてくるのだった。

 

「あぁ…………。あぁあ…………!」

 

 あのとき彼は確かに言った。世界がお前を否定しようとも、俺だけは否定しないと。

 あのとき彼女は確かに言った。五河士道は世界で1番、諦めの悪い男だと。

 

 

 

『十香あああああ!! 助けにきたぞおおおおおおおおおお!!!』

 

 

 

 あまりにも小さくて、無力だったはずの少年が今、たった1人で。

 ――世界を相手に、戦いの火蓋を切った。




次回から士道視点です。
勢いで巨大組織に喧嘩売っちゃう士道君すき。


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第9話 変身

サブタイの意味はご想像の通りです。


 時は1時間ほど遡る。フラクシナスを降りた士道は、家に帰って大人しく待機。なんてことはもちろんなく、天宮駐屯地に向かって足を進めていた。

『んじゃもっかい作戦を確認するわよ? まずはなんとかして基地内に侵入。その後はなんとかして列車に乗り込んで、最終的にはなんとかして十香ちゃんを救出。おーけー?』

「オーケーオーケー完璧だ、ってんなわきゃねーだろ!! お前今『なんとかして』って何回言ったよ!?」

『え、3回ですけど……』

「何『そんなことも分からないんですか?』みたいな顔してんだよ! 俺はもうお前が分からねーよ!!」

『ふっ……女の秘密を詮索するもんじゃ……ないわよ』

「ドヤ顔で決めポーズ取ってんじゃねーよ! お前の秘密を教えてやろうか!? それはお前が超ド級の馬鹿だってことだよ!!」

『んだとこのヤロー!! この作戦のどこに不満があるってのよ!?』

「どこに不満がないか言ってみろおおおおお!!」

 ぜいぜいと息を吐く士道を見て、通行人たちが距離を取るのが分かる。しかし、今はそれどころではなかった。万由里があんまりにも自信ありげに「作戦は任せろーバリバリ」とか言うものだから、具体的な十香救出の方法に関しては士道は今まで全く考えていなかったのである。

 それが直前になって聞いてみれば、出てきたのは生クリームもびっくりのふわふわスカスカな作戦とも言えないようなもの。士道は眩暈のあまり横の電柱にもたれかかろうとした。すると――。

 

「あらあら、立ち眩みですの? わたくしの肩でよければいくらでも貸して差し上げますわ、士道さん」

 

「って狂三!?」

『むっ』

「はい、貴方の狂三ですわよ」

 ふわりと優しく抱きとめられたと思えば、そこにいたのはなんと〈最悪の精霊〉時崎狂三その人だった。漆黒の衣装に身を包み優雅に日傘をさすその姿は、どこかの深窓の令嬢のようである。その眼に怪しい光を灯していなければ、の話だが。

「そんなに警戒しないでくださいな。せっかく良い情報をお持ちしましたのに」

「良い情報?」

「えぇ。きっと役に立つと思いますわ。これから囚われのお姫様を助けに行くつもりなのでしょう?」

「なっ! どうしてそれを……」

「あらあら、乙女に秘密は付き物でしてよ。それに、今はそんなことを気にしている余裕なんて無いのではなくて?」

「うぐっ、確かに……。いやでも俺の個人情報駄々洩れすぎないか?」

 いたずらっぽく片目を閉じてみせる狂三に思わず心臓が高鳴る。さっき似たような台詞を聞いたはずなのに、ここまで差があるのは一体何故なのだろうか。

『ちょっと聞きまして士道さん! この女わたくしのネタをおパクリになりましてよ! あーいやらしいいやらしい』

(今真面目な話をしてるから黙っててくれないか)

『!?』

 一瞬で疑問に答えてくれた万由里を適当にあしらっていると、狂三は何か思いついたような顔をして意味ありげに笑うのだった。

「ふふ、貴方は自分が有名人だということをもっと自覚した方がよろしくてよ。情報というのはDEMの展開している作戦のことですけれど……」

「どうした?」

「いえ、ただ教えるのもつまらないかと思いまして。そうですわね……。情報を提供する代わりに、士道さんの大切なものをいただく、というのはいかがですの?」

「た、大切なもの……?」

「えぇ、えぇ。失ってしまえば2度と戻らない、貴方の大切なもの。士道さんにはそれを捨てる覚悟はありまして?」

 ずいっと顔を寄せられたため、思わずたじろぐ。あまりの妖艶さについゴクリと喉を鳴らしてしまうが、ここで流されたら絶対に碌なことにならない。冷静になれと強く心に刻む士道だった。

『まさか……童貞を!?』

(やかましいわ)

 一瞬で頭が冷えた。わざとなのか素なのか分からないが、素直に感謝するのは癪なのでとりあえず黙っておくことにする。

「……分かった。今すぐは無理かもしれなけど、出来る範囲でなら協力するよ。だから――」

「いいお返事ですわ。では、後で必ずいたしましょう。わたくしとデート」

「俺の命はお前に……って、え? デート?」

「はい。デート。言ったではありませんの。貴方の大切なものをいただくと。時間は全ての生物にとって1番大切なもの。違いまして?」

『ぷっぷー! なーにが命よ全然違うじゃないの! やーい早とちり~』

(てめぇ後で覚えてろよなマジで)

 2人に対して心底呆れるが、とりあえず声を押し殺しておかしそうに笑みを漏らす狂三に文句のひとつも言ってやりたくなり、士道は口を開く。

「お前なぁ……。絶対わざとだろ」

「くすくす。一体なんのことやら」

「あのなぁ……。はぁ、分かったよ。そんなんでよければいくらでもするから」

「あらあら、そんなのとはひどいですわ。これでもわたくし勇気をふり絞ってお誘いしましたのに」

 一転して今度はしくしくと大げさに泣くふりをすると、1度は散った周囲の視線が再び集まるのを感じて、頬を汗が伝った。

「分かった、分かったから勘弁してくれ!」

「ふふ、士道さんはからかい甲斐がありますわ」

「やっぱり嘘泣きかよ!」

 万由里はそんな狂三の仕草にイラっと来たのか、横から無言でシャドーを叩きこんでいた。このままでは永遠に本題に入れないのでは、と危惧した士道は狂三に先を促す。

「それで? 情報ってのは一体なんなんだよ?」

「えぇ。まずは確認ですけれど、士道さんたちは〈プリンセス〉……十香さんを乗せた列車を追跡、駐屯地から十分離れたところで真那さんが救出した彼女ごと回収、という流れで間違いありませんの?」

「情報が早すぎるだろ……。あぁ、でも列車内にはDEMの魔術師(ウィザード)がうようよしてるらしいから、()()()()忍び込んで陽動でもしようかと思ってな」

『!!』

(嬉しそうな顔するんじゃねえお前がちゃんとした作戦考えないからだろうが)

「なんとかって、何か具体的な方法はありますの?」

「…………」

「あらあら、それは流石に無謀が過ぎるのではなくて?」

「仰る通りです……」

 流石に呆れられてしまったかと心配になったが、どうやらさして気にするほどのことでもなかったようだ。狂三は話を続ける。

「まぁ、それについては大した障害もありませんし、ひとまず置いておくといたしましょう。問題はあちらの用意した列車自体がブラフ、士道さんたちを誘き出すための罠ということですわ」

「なっ! どういうことだ!?」

「言葉通りですのよ。基地内に潜入した『わたくしたち』からの情報によると、どうやら搬送列車は2台用意されているようですの。真那さんは最初から泳がされていて、都合の良い情報を流すための駒として使われたようですわね。そして運ばれていった十香さんは今待機している列車に乗せられた形跡は無い。となれば――」

「1台目で俺たちを引きつけておいて、2台目で十香を安全に運び出す、ってことか……。なんてこった、すぐに琴里に伝えないと!」

「お待ちになって士道さん」

 士道がスマホを取り出しコールしようとすると、狂三が画面の上へそっと手を乗せてきた。意図が分からず、焦りからつい大きな声を上げてしまう。

「どうして止めるんだよ!」

「冷静になってくださいな。敵を誘き出して一網打尽にする作戦なら、DEMは囮の方にも相当の戦力を割くということ。わざわざ自分から戦力を分断してくれるというのなら、こんな好機を逃す手はありませんわよ」

「あえて策に乗るってことか……。でもそれなら、尚更対策を練らなきゃいけないんじゃ――」

「士道さんのお仲間が二手に分かれても十分戦えるくらいの戦力を有している、というのならそれでも構いませんわ」

「ッ! それは……」

 言われてハッとする。確かに今のフラクシナスは万全の状態ではない。否、万全の状態であったとしても、そもそも戦闘に特化していないフラクシナスでは複数展開した相手の対応は難しいだろう。前回の戦いで何もできずに敗北を喫したのがその証拠だ。

(そうか……。どちらにせよ敵の足止めは必要になってくる。下手に動くと却って逆効果……か)

『士道。リスクを負わずに良い結果だけを得ようだなんてぬるい考えが通じるほど、相手は甘くないわ。それに琴里ちゃんも真那も強い子よ。信じてあげてもいいんじゃないかしら?』

 万由里の言うことも最もだ。本来であればこうなった時点で詰み。それをなんとかしようというのであれば、イレギュラーの要素に賭けるしかない。それはつまり、士道のことだ。

「……分かった。あっちのことは琴里たちに任せておこう。俺は俺で算段を考え直さないとな」

「微力ながらわたくしもお手伝いいたしますわ。デートの約束もあることですし」

 いつの間にかスマホの画面を離し、代わりに士道の手を握る狂三。そんな彼女に感謝しつつも、1つの疑問が浮かんだ。

「……どうしてそんなに協力してくれるんだ? この前会ったばかりの良く知らない奴なんかのために」

「会ったばかり……。そう、ですわね。あのとき助けていただいたことですし、そのご恩返し、ということではいけませんの?」

「いや、結局助けられたのは俺の方だったじゃないか」

「そんなこと、大した問題ではありませんわ。ただ、わたくしの正体を知っていて普通に接してくる方がどんな酔狂な人物なのか、興味がありますの」

『旦那、士道の旦那。こいつ絶対旦那にほの字ですぜ。擦り切れるまで使った後はボロ雑巾みたいに捨ててやりましょうよぉぐへへ』

(情緒不安定すぎるだろお前……。さっきの真面目な顔が見る影もないぞ。というか狂三になんか恨みでもあるのか?)

 狂三は何故か少し言い淀んでいたようだったが、今深入りすべきことでもないと判断し、士道は気持ちを切り替えた。集中するべきなのは十香の救出と、その方法についてだ。

「そんな大したことじゃ無いと思うんだけどな……。でも助かるよ。じゃあ早速だけど頼みがあるんだ――」

 

 

 

 

 

 

 真那のIDを使い天宮駐屯地に侵入した士道は、狂三のナビゲーションのもと、搬送列車の待機している地下区画を目指していた。道中は狂三が闇に紛れ進路の安全確認をしてくれているので、今のところ大きな戦闘もない(時折前方から短い悲鳴が聞こえることはあったが)。

 潜入ミッションということで最初はかなり緊張していた士道だったが、思いの外スムーズに進んでいるため今は雑談できるほどの余裕を取り戻していた。話題に上がったのは真那のことだ。

「しかし驚きましたわ。まさか真那さんが士道さんの妹だったなんて」

「あぁ、俺も覚えてるわけじゃないんだけどな。でもなんとなく分かるんだよ、あいつが本当の妹だってこと」

「ふ~ん。美しき兄妹の絆、というわけですの」

「な、なんだよ……。そりゃ狂三は真那とは随分と因縁があるようだけど、頼むからあんまり手荒なことはしないでくれよな。お前らが戦う姿なんて見たくない」

「あちらから手を出してこないというのであれば、わたくしが戦う理由もありませんわ。それよりも、真那さんのことは分かってもわたくしのことは分かりませんの……?」

「え? それって……」

 いきなり出てきた言葉の意味が分からず目を向けると、そこには不安そうな顔をして佇む狂三の姿があった。いつもの自信にあふれた態度ではなく、今までに見たことのない儚げな雰囲気を纏っている。思わず目を奪われ無言になっていると、狂三はふっと表情を崩し、いつもの様子に戻っていた。

「なーんて、冗談ですわよ。士道さんたらすぐに騙されてしまうんですもの。からかいがいがありますわ」

「お、お前なぁ……」

「さ、到着いたしましたわ。ここが天宮駐屯地のプラットホームですわよ」

 そう言う狂三の視線の先、曲がり角から少し顔を出して見てみると、そこには巨大な空間が広がっていた。奥の方には銀色の車体が威圧感を放って鎮座している。

「あれが搬送列車か……。列車ってより新幹線みたいな見た目だな。状況はどうなってる?」

「新幹線よりももっと速いですわよ。時速は400km近いとか。1台目、囮の方は既に出発しているようですわね。乗っているのは真那さんとバンダースナッチ18機、それにエレン・メイザース」

「ッ! そうか、エレンはあっちに乗ったのか」

「予想通りですわね。とはいえ気は抜けませんわよ。こちらにもジェシカ・ベイリーを含めた20人近いDEM魔術師がいるんですもの」

「あぁ、分かってる。それと、十香は間違いなくこれに乗ってるんだな?」

「えぇ、それも確認済みですわ。見た限りでは先頭車両に運び込まれたようですわね。そこに直接乗り込めれば楽なんですけれど」

 現在士道たちがいるのは最後尾車両付近の通路だ。ホーム内はいかついワイヤリングスーツを着た魔術師たちが慌ただしく走り回っており、物陰に潜伏している士道たちがバレずにそこまで移動するのは現時点だと不可能に近い。焦る雰囲気を察したのか、狂三が肩に手を置いてきた。

「急いては事を仕損じる、ですわよ士道さん」

「そうだな……。今はタイミングを待つしかないか。それより狂三、1台目が出発済みって話だけど、あの件は――」

「安心してくださいまし。既に仕込みは済んでおりますわ。……でも、良かったんですの? いくら真那さんが危ないとはいえ、士道さんだって安全なわけでは……」

「いいんだ。エレン・メイザースがどれだけ危険なやつかってのは俺が良く知ってる。対策しすぎて悪いことなんてないさ」

「……そのお願いを大人しくわたくしが聞くとも限りませんのに?」

 探るような目線を送ってくる狂三。士道はあえてそれには応えず、車両に目を向けたまま時崎狂三という少女のことを考えた。

 前の世界でも常々気にはなっていたのだ。彼女の真意はどこにあるのか、彼女はなぜ事あるごとに士道を手を貸してくれるのか。封印した霊力の回収だけが目的なら、今の士道を助ける理由は無いはずだ。

 だが考えたところで答えが出る訳でもない。

(いつか話してくれる日が来るのかな……)

 それならば、士道の言うべきことは1つだけだ。

「狂三が今までどんな思いで生きてきて、どんな目的で戦ってるのかを、俺は知らない」

「…………」

「最悪の精霊とか何人殺してきたとか、知ってるのはそういう話ばっかりだ」

「なら――」

「でも! それでも、俺はお前を信じる。信じたいと思ってるから今こうやって一緒にいるんだ。だからたとえ裏切られたとしても後悔なんてしない。ただそれだけだよ。……はは、理由になってないな、こんなの」

「……。心の底からお人好しなんですのね、士道さんは。そこまで言われたからには、わたくしも期待を裏切る訳にはいきませんわ」

「……ありがとう。恩に着るよ」

「対価はしっかりといただきますわ、覚悟しておいてくださいな」

 そう言う狂三の声色は優しくて、どこか寂しげなものを含んでいた。

 

 それっきり会話は無くなったので、確認作業に没頭する。どういう訳か今回の作戦にASTはほとんど関与していないようだ。気付けば人の出入りがほとんどなくなり、見張りを勤める最後の1人が列車に乗り込むのが見えた。それを確認したのと同時、モーターの駆動音が響き渡る。

 ホームに人の姿はない。出ていけば監視カメラに映ってしまうだろうが、今が最大のチャンスであることに間違いなないだろう。

 そう判断し走り出そうとしたところで、一発の銃弾が足元に撃ち込まれた。

「止まりなさい! 貴方たちそこで何をして……って、精霊!?」

「あらあら、見つかってしまいましたわね」

 銃口をこちらに向けて立つのは細身で20台半ばくらいの女性。士道にとっていくらか馴染みのある、ASTのワイヤリングスーツに身を包んだその人物には見覚えがあった。以前資料で見かけたことがある、確か折紙の直属の上司だったはずだ。

「くそっ! こんなときに……!」

 列車の方を伺うと、既にゆっくりと動き始めている。このままではあと数秒も経たないうちに視界から消え去ってしまうだろう。

「士道さん、行ってくださいまし」

「狂三、お前も――」

「こちらのお方がそうはさせてくれないようですわね。あの身のこなし、なかなかの手練れのようですわ。すぐに増援も来るでしょうし、わたくしは足止めに回るといたしましょう」

 見れば先ほどの女性はCR-ユニットを展開し、巧みな体捌きと分厚い随意領域(テリトリー)で狂三の銃弾を防いでいる。

「ッ! すまん、後は任せた!」

 迷っている暇はない。士道は身を翻すと、列車に向かって一直線に駆け出す。後ろからはAST隊員の制止を促す声と銃声が聞こえてくるが、その中でも狂三の透き通った声はよく響いた。

 

「1つ聞き忘れておりましたわ! 士道さん、ナイトの免許は無事に取れまして?」

 

 それはこの世界で狂三と初めて出逢ったときに交わした言葉だ。こんなときまで冗談を飛ばす余裕のある狂三に苦笑しつつも、士道は自信に満ちた声でそれに返した。

「おかげさまでな! これから初仕事に行ってくるよ!」

 狂三の返事は待たない。士道の脚は既にトップスピードまで加速しているが、ホームの中頃を過ぎた列車に間に合うかは微妙なところだ。だというのに、万由里は嬉々とした声で士道に語りかけてきた。

『いよいよ戦闘開始ね。いっちょ気合い入れて「アレ」やりましょうよ!』

「ったく、しゃーねぇな!」

 返す士道の声にも焦りの色はない。ポケットから銀色のカードを取り出すと、口元へ持っていき起動コードを音声入力する。

 ――要は想像力の問題よ。『強い自分になりたい』『こういう力を使いたい』、そういう願いによって霊力はいかようにも変化する。

 ――あんたにまず必要なのは身体強化、強い自分をイメージして実行すること。

 万由里との特訓を思い出す。力を使うには強い自分を想像するのが効率的だ。天使での戦闘経験しかない士道は悪戦苦闘しながらも、1つの答えに辿り着いた。

 参考にしたのは、命を賭した戦いに身を置き悪を成敗する伝説の戦士。非日常的な存在でありながら日常で触れることができる、この上ない理想像。それが――。

 

 

 

「『変身ッ!!』」

 

 

 

 ――かつて士道が憧れた、ヒーローの姿だった。

 身体の表面に白色のラインが走り、そこから広がるようにワイヤリングスーツが展開、全身を覆いつくす。どうやら正常に起動できたようだ。顔全体を装甲が覆っているにも関わらず五感が研ぎ澄まされ、身体能力が大幅に向上するのが分かる。体が軽くなり、羽でも生えたような気分だった。

 因みにデバイスの起動コードは本来自分の所属と名前を入力しなければならないのだが、妹の名前で変身するヒーローは嫌だと万由里が駄々をこねたので、変更済みである。力の扱いに長けているから魔力や霊力で動いている物ならばある程度ハッキングできる、と豪語する彼女の力の使い道に多少言いたいことはあったが、この件に関しては士道の悪乗りもあったので良しとした。

(これなら!)

 強く踏みしめた足から巨大な推進力が生まれ、一気に加速した士道は列車に追いつき、最後尾車両の展望デッキに飛び乗った。呼吸を整え後ろを振り向くのと、非常事態を告げるアラームが鳴り響くのは同時だった。既に時速数百キロに達した列車からはホームの様子は見えないが、恐らくすぐにでも大量のAST隊員たちが増援に駆けつけることだろう。

(狂三……無事でいてくれ)

『心配する相手が違うでしょうが。あの子は大丈夫だから今は自分のことに集中しなさい。さっきの騒ぎでこっちも警戒態勢のはずよ』

(分かってる。十香、今行くからな……!)

 

「くっ! 1人逃したか! こちら日下部、増援はまだなの!?」

 AST隊長日下部燎子は歯噛みした。今回の作戦から外されたことで苛立ちつつも、心のどこかではDEMの実力を評価していたのだ。だからこそ同じように荒れる部下たちを宥め、ひとまずは大人しくしているようにと言いくるめた。

 それが念の為と思って見回りに来てみれば、あろうことか基地内に精霊の侵入を許すなどという前代未聞の大失態。奴らの警戒能力はザルなのかと叫び出したい気分だったが、それは後だと頭の中の冷静な自分が語りかけてくる。代わりに列車に警戒するようにと告げようとして、回線が無断でプライベートチャンネルに変更されていることに気付き、結局キレた。

「あらあら、ふたりきりはお気に召しませんの? もっと楽しみましょう」

「どこが2人よこの化け物が! わらわらと虫みたいに湧いてきやがって、あんたらの目的は何!? まさか仲間を取り返しに来たとでもいうの!?」

 全ての対応がうまくいかない苛立ちから思わず悪態を吐くも、目の前の精霊は飄々とした様子でこちらの攻撃を躱し、代わりに通路を覆い尽くすほどの弾幕を放ってくる。燎子の進路を塞ぐように立ち回っているのは明らかだ。

「わたくしに仲間などおりませんわ。仮に居ても危険を冒してまで助けに行くなんて考えられませんわね」

「だったらさっきの奴はなんなの!? 適当なこと言ってないで今すぐそこをどきなさい!」

 ここにはもうすぐ増援が到着する。となればこの場は仲間たちに任せて列車を追うのがベストだと判断するも、実行するのは不可能に近い状況だ。

 そもそも、と根本的な疑問が反芻する。常に2人セットの〈ベルセルク〉を除いて精霊同士が接触するなど今まで聞いたことがない。何か別の狙いがあるのだろうか。

「申し訳ないのですけれど、ここを退く訳には参りませんの。そういう約束ですので」

「約束だと!? 人間ですらないお前らが一体誰と手を組むってのよ! なんの目的で!?」

 少しでも気を逸らせられればと苦し紛れの質問攻めをしてみるも、答えが返ってくると期待した訳ではない。しかし、予想に反して聴こえてきた言葉に燎子は耳を疑った。

 

「貴女も無粋ですわね。殿方が大切な女性のために命を懸けているんですのよ? 手を貸すのにそれ以上の理由が要りまして?」

 

 からかっている訳でもふざけている訳でもない。そうするのが当然、というようなナイトメアの言葉に、燎子はしばらく言葉を失った。

 呆然とする彼女の横を、銀色の影が弾丸のようなスピードで追い越していった。




長くなったので2話に分けました。
次回は初陣です。


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第10話 覚悟

なんか変なのが出てきますが一応オリキャラではないです。
原作7巻辺りに出てます。


 士道は十香を救うという決意を新たにすると、目の前の扉をそっと開き、中の様子を伺った。この瞬間にも銃弾が霰の様に撃ち込まれるのではと冷や冷やしたが、内部は薄暗く、どうやらこの車両には誰も居ないようである。

『いや……魔力反応がある、誰か居るわね。真那クラスではないけれど……かなりの大きさよ。数は1』

「お客さんか! 遠慮せずに入ってくるがいい!」

 万由里の忠告と、中からやたらテンションの高い男の声が掛けられるのはほとんど同時だった。

『隠れる気無し……。罠も無し、それどころか武器も持ってないわアイツ。馬鹿なのかしら?』

 真意は読めないが、バレているのなら隠れる意味もない。士道は意を決して扉をくぐると、天井と壁面のライトが一斉に点灯した。急に明るくなり一瞬驚いたが、スーツが自動で光量調節をしてくれたためすぐに状況は把握できた。ガランとした箱の様な車内の中央に1人、大柄な男が腕を組んで仁王立ちしている。

 男は士道の姿を確認すると、興味深そうに観察を始めた。男性隊員にしては珍しく顔を装甲で覆っていないが、むさくるしい顔にじろじろ眺められるのは気分のいいものではない。ひとしきり眺め終わると、男は納得したように大きく首を縦に振った。

「侵入者がDEMのワイヤリングスーツを着ているとは驚いた! しかもそのコードはアデプタス2、崇宮三尉のものだな。彼女が裏切ったと聞いたときは耳を疑ったが、やはり本当だったか!」

「…………」

『真那の潜入がバレたってのは本当みたいね。士道、分かってると思うけど余計な話する必要なんてないわよ。これ以上情報を与えても不利になるだけだわ』

(あぁ、今は時間が惜しい。先手必勝、だッ!)

 士道は足裏に()()を集中して瞬時に駆けだすと、相手の顔面を目がけて右ストレートをぶち込んだ。しかし――。

 

「なっ……!」

 

 男は士道の拳を軽々と受け止めると、不敵に笑ってみせた。

「名乗りもしないとは無粋な奴だ! 貴様が誰かは知らないが、私と出会ったのが運の尽きよ。メイザース執行部長よりこの列車の守護を任せられた、このアンドリュー・カーシー・ダンスタン・フランシス・バルビローリ――」

「『なげぇよ!』」

 相手の鳩尾に渾身の膝蹴りを叩きこむと、掴まれていた腕の力が僅かに緩み、なんとか距離を取ることができた。しかし大して効いていないのかアンドリュー某は平然とその場に立ち続けている。

(攻撃が効いてないのか!?)

『おかしいわね。琴里ちゃんとシェアしてるとはいえ、こっちは精霊1人分の霊力使ってんのよ? いくらなんでもダメージが少なすぎる』

「なぜ自分の攻撃が効かないか分からない、といった様子だな」

「ッ!!」

 声が聞こえたと思った次の瞬間には既に、士道の眼前に大きな体躯が迫っていた。咄嗟に腕をクロスさせ防御体勢を取るが、その上から振るわれた剛腕によって士道の身体は軽々と吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。全身に恐ろしいまでの衝撃が走り、遅れて激痛が走った。

『士道!!』

「ぐ……ぁ……」

(大丈夫、だ……。ちゃんと〈灼爛殲鬼(カマエル)〉が発動してる……)

 目視はできないが、ワイヤリングスーツの中では治癒の炎が燃え盛り傷を癒していく。段々と痛みも引いていき、何とか立ち上がることができた。

『ん? この霊力の流れ……。まさか』

「ほう、今ので終わりだと思ったが、根性だけはあるようだな! だがそれだけでは一生掛かっても俺には勝てないぞ!」

 言うが早いか、男は再び距離を詰めて拳を振るってきた。今度はしっかりと警戒をしていたため躱すことができたが、休む暇もなく振るわれる暴力の雨に次第に対応が追いつかなくなり、被弾が増え始める。

 万由里の指示とスーツのサポートシステムを使っても捌ききれない非常事態。分かっていたことだが、町のチンピラたちを相手にするのとは訳が違う。士道が息切れを起こしているのに対して、男は笑みを浮かべて喋る余裕すらあるようだった。

「回避力もなかなかだな! その根性に免じて教えてやろう。今の貴様に足りないものを!」

(ッ! 俺に足りないものだと!?)

『士道、作戦変更よ。会話でもなんでもいいから、今はとにかく時間を稼いで』

(話ったって、この状況じゃあ、ッつあ!!)

 僅かに意識が攻撃から逸れた隙に、脇腹に大砲のような威力の蹴りを浴びせられ、士道の身体が再び宙を舞った。肉や骨がひしゃげるような嫌な音が聞こえ、喉奥からは吐瀉物があふれ出てくる。数回床をバウンドした後、やっと動きが止まり片膝をついて荒い息を吐く。

 頭の中をハンマーで叩かれているような激痛が走り回っている。あと数発攻撃を受ければ、回復はできても意識を保てなくなるだろう。今まで積み重ねてきた経験が、それを告げている。

「攻撃を受けてみて分かった。貴様には殺意がない。私を殺さずに倒そうという魂胆が見え見えだ。どこの組織の者かは知らないが、こんな軟弱者を単体で送り込んでくるなどDEMも舐められたものだな!」

「はぁはぁ……。殺す気がないから弱い……だと? はっ、どいつもこいつも二言目には殺意だの殺すだのと。お前らが物騒すぎるんだよ、民間企業のくせに」

 士道が初めて会話に応じたことに驚いたのだろう。男はほう、と息を吐くと、再び腕を組んでニヤリと笑みを浮かべた。

「やっと話す気になったか。思ったよりずっと若い声だな! 十代か二十代、といったところか。その様子だと、我社の実態も知っているようだ。だがあまり深入りしないほうがいいぞ? 過度な好奇心は身を滅ぼしかねないからな!」

「お前らになんざ興味も深入りするつもりもねぇよ。精霊に手出しさえしなければな」

 その士道の言葉を聞き、男は初めて不愉快そうに顔を歪めた。やれやれ、といった風に大袈裟に頭を振る仕草にイラッとくる。オーバーリアクションが癖なのだろうか。

「なんと愚かな……。少年、貴様あの女に(ほだ)されたのか! 悪いことは言わない、すぐに身を引け。あれは見た目こそ美しいが、中身は醜悪な化け物だ。関われば不幸になる」

 もう何度目かも分からない精霊への中傷の言葉。男は本気で憐れむような表情を浮かべ、それが堪らなく士道を苛立たせた。

「またそれかよ。お前らには何を言っても無駄だな。その件について話し合う気は更々ねぇよ!」

 震える脚に力を籠め、一気に距離を詰めて渾身の力で男の鳩尾に拳を叩きこむ。しかし――。

 

「優しいな少年。こんなときでも殺意の欠片も感じさせないとは。余りにも優しい……だから弱い」

 

「!!」

 気付いた時にはもう遅い。お返しとばかりに男の拳が士道の腹部に深々とめり込み、その瞬間士道の身体は全ての自由を奪われた。かろうじて意識を失わなかったのは奇跡に近い。しかし、崩れ落ちることも叶わず頭を鷲掴みにされ、軽々と持ち上げられる。

「パンチというのは相手を確実に仕留めるように1発1発殺意を持って打つんだ。こんな風にね」

 男が何かを言っているが、もはや士道の耳には入っていなかった。身体には力が入らず、痛みを送る信号ですら脳には届いていない。代わりに頭の中に浮かんだのは溢れるほどの悔しさだ。

 あれだけの啖呵を切っておきながら、結局またこのザマかと思うと、いっそ笑えてきた。

(誰かを殺したい訳じゃない……。ただもう1度十香と、みんなと会いたい。それだけなのに……。こんなところで終わってたまるかよ……! 十香、琴里、狂三…………万由里!!)

 どれだけ意識を強く持とうとも、士道は腕を上げることすら叶わない。ぐったりする士道の様子を見てもう抵抗の意思はないと見なされたのか、男は士道を無造作に壁際へ投げ捨て、興味をなくしたと言わんばかりに背を向けた。殺すどころか拘束する必要すらないと判断したのだろう。

 薄れゆく意識の中で、愛しい少女たちの顔が浮かんでは消えていく。何故か最後に物凄いドヤ顔の万由里の顔が思い浮かんだのが、少し心残りだった。

 

『いやいやいやいや! 最後が私で心残りってどういうこと!? あと私の顔は走馬灯でもなんでもないんですけど!』

 

「……うん?」

 騒がしい声に引かれ閉じかけていた目を開けると、少し涙目になった万由里が士道の周りをふよふよと飛び回っている。

『まぁその話は後よ! ワイヤリングスーツの調整が終わったわ。ずっとおかしいと思ってたのよ、脳筋な琴里ちゃんの霊力を使ってるはずなのに出力が低すぎるんだもの。調べてみたら今まではどうやら士道の()()が動力になっちゃってたみたいね。それを()()で動かせるように切り替えたのよ!』

(どういう、ことだ……?)

顕現装置(リアライザ)は本来魔力を運用する装置なのよ。変身するときにデフォルト設定であんたの魔力とリンクしちゃったから、あんたは今まで自前のカスみたいな魔力で戦ってたってわけ!』

(いやカスってお前……)

『当然でしょうが! あんたに魔術師(ウィザード)の適正なんてある訳ないでしょ。ランクはDマイナスってとこね。目の前のコイツも精々Bランクだけど、これじゃあ舐められるのも当然よ。でもそれも過去の話。こっからは文字通り桁違いの力が発揮できるわ!』

(よく分かんないけど、俺はアイツを倒せるのか……?)

『当たり前でしょ、誰が稽古つけたと思ってんのよ。ほら早く立って、もう1度起動コードを入力するのよ!』

「……あぁ、分かった」

 話している間になんとか身体は完治したようだ。〈灼爛殲鬼〉の性能に感謝しつつも、士道はゆっくりと身体を起こし、両の足でしっかりと地面を踏みしめる。気配に気づいたアンダーソン某は振り返り、その顔を驚愕に染め上げた。

「馬鹿な……! なぜ立ち上がれる!? 骨も内臓もズタズタのはずだぞ! 動くどころかもう死ぬ寸前だったはずだ!」

「可愛い妹たちの加護がついてるんでね。簡単にくたばるわけにはいかないんだよ」

「くっ、訳の分からないことを……! だが、何度立ち上がっても結果は同じだ。お前の半端な覚悟では私は――」

「お前らみたいに殺すことしか考えてない奴には一生分からないだろうな。俺には俺の覚悟――。大切な人を死んでも守るって覚悟があるんだよ」

 喚く男の言葉を遮って、士道は宣言する。自分の意思を再確認するように。仲間を苦しめる全てのものに告げるように。すると心の内に燃え盛る炎がいっそう勢いを増し、身体に力が満ちていくのを感じた。

『そうよ士道。あんたは今までどんな困難にも抗ってきた。そして多くの精霊を絶望の淵から救ってみせた! 見せてやりなさい、仲間を思う力がどれだけ強いかってことをね!』

(あぁ。行くぞ……!)

 

 

 

「よく見とけよ……俺の、変身ッ!!」

 

 

 

 士道の言葉に呼応したワイヤリングスーツは瞬時に分解され、()()()()()()と共に再構築される。ひしゃげた装甲は本来の姿を取り戻し、以前よりも輝いて見えた。

「なんだ……その姿は? スーツがそんな風に変化するなんて聞いたことがないぞ!? 一体なんなんだお前は!?」

 色が変わった。側から見ればただそれだけのことなのに、男は何故かとてつもない脅威を感じていた。数多くの死線をくぐってきた戦士の勘が告げている。さっきとは別物だ、と。

 一方で士道は身体中を巡る圧倒的な力を感じつつも、ギャーギャーと喚き散らす万由里の対応に辟易していた。

『「お前は何者だ」ですってよ士道! ついに来たわこのタイミングが! あれよ、あの決め台詞を使うときが来たのよ!!』

(うるせぇ……)

『早くしろタイミングを逃すぞ! ねぇお願いよ今が最高のチャンスなんだからぁぁぁ』

(だぁぁぁ! 分かったよ言うよ! 今回だけだからな!?)

『よっしゃ気合い入れてホラ、さんはいっ!』

 

「通りすがりの高校生だ。覚えておけ」

 

『決ぃまったぁぁぁぁぁ!! 完璧よ士道、ちょーかっこいい! 愛してるわ!!』

(なんなんだよこいつ……。大体参考はク◯ガじゃなかったのか? これ別の人のじゃん)

 どっと疲れた頭で目の前の男へ意識を切り替えると、どうやらあちらも戦闘態勢に入ったらしい。ピリピリと刺すような殺気が伝わってきた。

「話す気はないということだな……。ならば、お前を倒してゆっくりと聞き出すことにしよう!」

『来るわよ士道、構えなさい!』

「くっ!」

 先ほどと同じように咄嗟に防御体制を取る。するとすぐさま衝撃が――。

(来ない?)

 腕の隙間から様子を伺うと、男は確かに腕を引き絞ってこちらに向かってきていた。しかしどういう訳か、その動きはやけにスローモーションに見える。

(まさか、これって)

『そうよ士道、これが私たちの本来の力。あんたの脳の使用領域を極限まで広げることで、通常の何倍にも処理速度を上げることができる。世界を置き去りにするほどの速度まで、ね』

 視界の端で右手を天に掲げるポーズを取る万由里を無視しつつ、自分の状態を再確認する。身体は問題なく動かせるようだ。

(すげぇ、これなら……!)

 士道は一気に距離を詰め、相手の腕が振り切られる前に懐に入り込み、再び渾身のボディブローをお見舞いした。先ほどと同じ位置を、同じ力で。だが――。

 轟!という爆音が響いたと思った次の瞬間、士道の拳は男の身体に深々とめり込み、男は驚愕の表情を浮かべたままその場に崩れ落ちた。手を引き抜くとかなりの熱が発生したのか、砕けた装甲の一部が溶け崩れている。

 膝立ちになった男の顔が丁度良い位置にあったので追加で回し蹴りを叩き込むと、男はサッカーボールのように宙を舞い、壁面に大きなクレーターを作って動きを止めた。

「……まじか」

 自分のパワーが信じられず手のひらを見つめるが、これといった変化はない。それが余計に力の異質さを際立たせた。

「死んでない、よな?」

『大丈夫でしょ。無駄に鍛えてそうだし』

 なんでもなさそうに万由里が肯定するので、とりあえず同意して先へ進むことにした。しかし。

 

「ま、て……。まだ……終わりじゃない、ぞ」

 

 壁を背にしながら満身創痍といった風に立ちあがり、男は士道の進路を塞ぐ。虚勢を張っているのもあるだろうが、それだけではないことは目を見ればすぐに分かった。

(コイツはまだ折れちゃいない。本気でやる気だ)

『顕現装置で回復されても厄介ね。士道、コイツはここで完全に倒しておいた方がいいわ』

(あぁ、どうやらそうみたいだな!)

 呼吸を整えファイティングポーズを取る男には、最早油断も隙も見当たらない。それでもなお武器を取ろうとしないのは、プライドからか。

「参ったな……。完全に油断していたよ。まさかこんな力を隠していたとは」

「騙したみたいになって悪かったな。力の使い方にまだ慣れてないんだ」

 士道も男の正面に立ち、構えを取る。肩幅よりも少し広く脚を開き、左腕は少し伸ばして右拳は胸の辺りの高さで固定する。

 強襲して速攻で片を付けようかとも思ったが、安易に踏み込めばこちらがやられる。そう思わせるほどの気迫が男からは滲み出ていた。一呼吸置き、互いの視線が交差した次の瞬間。2人の距離は0になる。

 顔面に迫る拳を上体を下げることで躱し、そのまま低い位置から肝臓打ち(リバーブロー)、しかし倒れない。

 打ち下ろされた肘打ちを横回転して躱し、勢いを利用してこめかみへ裏拳、しかし倒れない。

 鞭のように放たれた中段蹴りは躱しきれないと判断、咄嗟に蹴り返し相殺、しかし倒れない。

 脚に意識を集中した所為で顔面に迫る拳に気付くのが一瞬遅れ、それを歯を食いしばって額で受け止める。顔面装甲のバイザーが割れ、男の左手がひしゃげる。

 しかし、倒れない。

 躱し、打ち込み、守り、打ち込む。明らかに士道が優勢だったが、それでも男は倒れず果敢に攻め込んできた。

『なんてやつなの!? こっちは正真正銘フルパワーだってのに、ここまで食い下がるなんて……。士道、長引くとこっちが不利になるわ。何か強烈な一撃をお見舞いしてやらないと』

(あぁ。だけどこっちも割といっぱいいっぱいだぞ)

 少ないとはいえ、士道も被弾によるダメージは確実に蓄積していた。現にバイザー部分は一部が砕け、右目が露出してしまっている。まして脳に負荷をかけて無理やりスペックを上げている状態なのだ。いずれ限界が来るのは目に見えていた。

 と、考えていたところで不意に攻撃が止み、男は数歩分距離を取った。かなり呼吸が乱れており、ワイヤリングスーツはいたるところが破れ、そこから血が滴り落ちている。

「はぁ……はぁ……。惜しいな、こんな状況でこんな逸材と出会ってしまうなんて……。もう1度訊く。精霊に加担するのは辞めてうちに来ないか? きっと素晴らしい戦士になれるよ、私が保証する」

「ぜぇ……はぁ……。聞く気はないって言ってるだろ。大体このご時世に戦士だぁ? 将来履歴書に書けんのかよそんなもん」

「そうか、残念だ……。君の実戦経験の少なさは戦った私がよく分かる。にも関わらず、当たれば命を落とすような攻撃にも一切躊躇せずに飛び込めるその豪胆さは、尊敬に値するよ、本当に」

「要は無鉄砲ってことだろ? 褒められても嬉しくねぇよ。それに、当たって砕ける訓練だけは積んできてるんでね。文字通り死ぬほどな」

『死んだ回数は5桁超えた辺りから数えてないわねぇ』

 万由里はケラケラと笑っているが、あの地獄のような特訓は今思い出しても背筋が凍る。しかしそのおかげでこうして格上相手にも戦えているという事実に、一応は感謝しているのだった。

「きっと私は君に勝てないだろう。だから今のうちに訊いておく。精霊と共に歩むのは茨の道だ。多くの人間たちが彼女らを恨み、憎み、殺したいと願っている。それだけのことを彼女らはしてきたんだ。それでもなお、君はその道を往くというのか?」

『…………』

 頭に浮かぶのは折紙の顔。少しずつではあるが、十香たちと友好な関係を築くことができたと、そう思っていた。

 しかしそんな幻想はいとも簡単に崩れ落ち、過去をやり直すという反則に近いやり方しか取ることができなかった。それでも救うことができなかった士道が、精霊の隣に立つ資格などあるのだろうか。

 万由里が何か言ってくるかと思ったが、どうやら黙って士道の答えを待っていようだ。もしかしたら、彼女も誰かを傷つけてしまった経験があるのだろうか。

 だが、仮にそうだったとしても。

 否、そうであればこそ。

(俺が精霊を救いたいと思うのは、俺に封印する力があるから? 琴里に頼まれたから? …………違う)

 思い出すのは優しく語り掛けてくる少女たちの笑顔。

 

『士道』

 突飛な行動ばかりとる、けれど一途に自分を想ってくれる少女。

 

『士道さん』

 気弱だけど本当は強い心を持っている、誰よりも優しい少女。

 

『おにーちゃん』

 無茶なことばかり注文してくる、それでも絶対の信頼を置いてくれる少女。

 

『士道さん』

 問題ばかり起こすくせに、いつも自分を助けてくれる少女。

 

『士道』

 格好をつけているのに揶揄われるとすぐに取り乱す、いつも元気な少女。

 

『士道』

 突拍子のないことを言って驚かせる、冷静なようで熱い心を持った少女。

 

『だーりん』

 誰よりも深い愛情を向けてくれる、歌声の素敵な少女。

 

『士道』

 ネガティブなことを考えてはすぐに暴走する、可愛らしい少女。

 

そして――。

 

『シドー』

 いつも一生懸命で、天真爛漫に笑う少女。

 

 辛いときはいつも近くにいてくれて、励ましてくれた。勇気をくれた。

 そして自分を愛してくれた、そんな彼女たちに。

 

「出逢っちまったからな」

「え?」

「もう知ってるから。一緒に過ごして、話をして、そして好きになったから。だから俺は精霊と一緒に生きるよ。アイツらが罪を背負ってるなら、俺も一緒に背負ってやる。誰になんと言われようと変えるつもりはない。これが俺の歩く道だ」

 望んで誰かを傷つけているわけじゃない。強大な力に翻弄され、苦しみ続け、それでもなお抗い続ける強さと優しさを持った少女たち。そんな彼女たちが笑顔を失っているのだとしたら、それを士道が放っておけるはずがないのだ。

『……それでこそ士道よね。…………ありがとう』

 真っすぐと前を見つめ、一切逸らすことなく言い切ってみせた士道。僅かに覗く瞳から本気さが伝わったのだろう。男は諦めたように苦笑し、再び構えを取った。

「ならばその覚悟、私を倒して証明してみるといい!」

「あぁ。……行くぞ」

 拳を握りしめ、想いを乗せて地を駆ける。腕がクロスしお互いの拳が頬にクリーンヒットした瞬間、理性のタガが外れたように咆哮を上げ、最後の攻防が始まった。否、お互いに防御は捨て相手を倒すことだけに集中している。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

「おりゃああああああああああああああああああ!!」

 

 殴り、蹴り。殴られ、蹴られる。そこには一切の躊躇も存在しない。まるで1歩でも引いてしまえば大切な何かを失うような、そんな激情に駆られてひたすら腕を振り上げる。

 5分か、10分か。あるいはほんの数十秒だったのだろうか、それすらも分からないほどに2人が疲弊しきった頃、唐突に終わりは訪れた。

 ぐらり、と男の巨体が傾き、士道の方へと倒れてくる。体力の限界が訪れたのだろう。しかし、それは士道も同じことだった。

 

 ――腕は? 駄目だ上がらない。

 ――脚は? 無理だ間に合わない。

 

(だったら――)

 士道は上半身を仰け反り、額にありったけの霊力を込めた。深紅のバイザーが高熱で白銀になるまで燃え上がり、危険を知らせるアラートが鳴り響いている。だが関係ない。もう止まれない。

 

(この一撃で、決める!)

 

 全ての力を注ぎ込み、相手の頭を目がけて額を叩きつける。その瞬間、巨大なガラスが粉々になったような甲高い音を響かせ、士道の顔面装甲は完全に砕け散った。

 今度こそもうどこも動かせない。結末を見届ける前に士道は後ろへ倒れ込むと、額から熱い液体が流れていることに気付いた。どうやら最後の一撃で負傷したらしい。

 少し待つと、炎が灯り傷口が塞がっていくのを感じた。

(万由里、あいつはどうなった……?)

 起き上がることが叶わず万由里に語り掛けると、仰向けに寝転ぶ士道の視界にニュっと顔を出した万由里が笑顔でピースサインを送ってくる。

『安心なさい。完ッ全に伸びちゃってるわ。ま、あれだけの攻撃を受けたら当然よね。ほんとアホみたいな打たれ強さだったわ』

「そうか。俺は勝ったのか」

 報告を聞くが、未だに実感が湧いてこない。しかし今はそれでいいのかもしれないとも考える。まだ目的を達成したわけではなく、これからやらなければならないことが山ほどあるのだ。

 士道はなんとか起き上がると、倒れている男に近付き、仰向けに転がして懐を弄り始めた。

「えーっと、通信機、通信機……」

「通信機はこれだよ」

「あぁ、ありがと……って、ええ!?」

 倒れたまま小型のマイクを差し出してくる男に驚き、士道は尻もちをつきながらも後退する。その様子を見て、男はくすくすと面白そうに笑うのだった。

「安心していい。目の前が歪みまくってもう立ち上がることも出来ないさ。何をするつもりか分からないが、勝者は君だろ? これくらいならお安い御用だ」

「は、はぁ。どうも……」

 おっかなびっくりマイクを受け取り一応万由里に見てもらうも、罠の類は見つからなかった。どうやら本当に協力してくれただけのようだ。

『マジでどうなってんのよコイツの身体? 頑丈さが人間のそれじゃないわよ。まさか、精霊……? 士道、ちょっとキスを――』

「なんで急に協力的になったんだ? まさか頭を打った所為でおかしく……」

 士道の訝しむような視線を受けても、男はどこ吹く風といった様子で相変わらず笑みを浮かべている。

「なに、ちょっとした気まぐれってやつだよ。拳を交わせば相手の本質が分かる。それで興味がわいてね。君がこれからどうするのか見てみたくなったんだよ」

『筋肉の精霊、識別名〈プロテイン〉と断定。所有天使は尺乱穿亀(カマホル)

「大丈夫なのか? そんなことして、上の奴に怒られるんじゃあ……」

「ははは、君は本当に優しいな。気にしなくていい。その通信機は意識を失った私から君が勝手に取り上げたものだ。違うかな?」

「……あぁ。ありがたく使わせてもらうよ」

 無視されて拗ねる万由里をなんとか宥めて通信チャンネルを列車内全域に拡大してもらうよう頼むと、士道はスピーカーの音に耳を澄ませた。先の戦闘で壁のいたるところに(ひび)や穴が開き、そこから風が轟轟と音を立てて入り込んでいる。その風音がスピーカーから聞こえてくるので、どうやらマイクは正常に繋がっているようだ。

 士道は目を閉じて大きく息を吸うと、ありったけの想いを籠めて声を張り上げた。

 

 

 

「十香あああああ!! 助けにきたぞおおおおおおおおおお!!!」

 

 

 

 それは世界に対する宣戦布告。精霊を憎む者たちに対しての、明確な意思表示。

 それは精霊に対する愛の言葉。人間を憎む者たちに対しての、明確な意思表示。

 誰に頼まれた訳でもない、士道自信の意思で。

 今度こそ精霊を救うと決めた、覚悟の証だった。

 

「ははははは! 面白い、これは期待以上だ! まさか()()()()()()()()()()()()()()()宣戦布告とは! 本当に愉快なやつだな君は!」

「……え?」

 なにやら不穏な言葉が聞こえたような気がする。ギギギ、という音を立てて万由里に顔を向けると、彼女は「つーん」と自分で言いながらそっぽを向いていた。

『ふんだ。私を無視した罰よ。DEMどころか届く範囲全部にチャンネル繋いでやったんだから、ちゃんと自分の言葉に責任取りなさいよね』

 それはつまり、列車だけでなくAST基地内や囮列車、果てはフラクシナスまで繋がってしまったということで。

 十香を安心させるため、そしてあわよくば列車を止めさせられればと軽い気持ちで起こした行動だったが、計画を遥かに上回る規模で事態が進行してしまい、士道は頭を抱えるのであった。

 

(なんてことしてくれてんだ万由里いいいいいいいいいい!!)




サポートに索敵、ハッキング等々。万由里の有能さには頭が下がりますね。
今後生じる細かい矛盾は全部「万由里がなんとかした」と思ってもらえると助かります。


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第11話 進撃の士道

度々琴里の笑顔が曇るのは嫌いだからではありません。
愛ゆえにです。


(どういうことでいやがりますか、これは……)

 真那は理解出来なかった。否、本能が理解を拒んでいた。

(なんでコイツがここにいて、私を……)

 幾度となく憎しみをぶつけ合い、殺し合った存在が目の前にいて、あろうことか。

 

「何故私を助けた、ナイトメア!!」

 

 エレン・メイザースの刃を銃身で受け止め、自分を守っているなんて、あまりにも理解の範疇を超えていたからだ。

 足元の影から伸びた無数の白い腕がエレンを拘束しようと迫ると、エレンは警戒して後ろへ飛び退き距離を取った。一方のナイトメアは相手に大して興味も無いようで、へたり込む真那へと見下す視線を送ってくる。

「あらあら、命の恩人に感謝の言葉もありませんの? 少しはお兄さんを見習ってほしいですわね」

「兄様だと!? お前、兄様に何かしやがったんですか!?」

「安心してくださいまし。まだ何もしておりませんわ。むしろ士道さんが貴女を助けて欲しいと頼んできたんですのよ? でなければこんなことしませんわ」

「兄様が!? どうしてお前なんかに……」

 真那が狂三に詰め寄ろうとした瞬間、迫る熱源を感知して咄嗟にその場を飛び退くと、規格外の威力のレーザーが通り過ぎて行った。出どころは勿論エレン・メイザースだ。

「ナイトメア、最悪の精霊ですか。DEMを裏切った上にそんな輩と手を組むとは。堕ちる所まで堕ちましたね真那」

「だ、誰がこんなやつと!」

「あら、助けは不要ですの? 先ほどは随分とピンチだったように見えましたけど」

「このっ……! 兄様が何を言ったか知らねーですが、お前に背中なんか任せらる訳ねーです! いつ背後から撃たれるか分かったもんじゃない!」

「別に信用してもらわなくても結構ですわ。わたくしの邪魔さえしなければの話ですが」

 そう言いながら狂三は発砲するが、その銃弾をエレンは随意領域(テリトリー)を展開することすらなく手持ちのブレードで斬り落としてみせた。その光景を見て真那は鼻で笑うと、立ち上がって狂三の前に躍り出る。

「はっ! 無理でいやがります。私より弱いお前がエレンに勝とうだなんて100年はえーんですよ。大人しく下がって……何を嗤っていやがるんですか」

「いえ、いえ。まさか今までのあれがわたくしの実力だと思っていらしたなんて。滑稽を通り越して哀れだと思いまして」

「やっぱりお前から殺してやります」

「私を無視しないでください!」

 エレンは大人しく様子を伺っているかと思ったが、痺れを切らしたのか眉根を吊り上げて斬りかかってきた。全く同じタイミングで回避する辺り、2人は案外相性がいいのかもしれない。

「冗談はこのくらいにして、本当に下がっていてくださいまし。巻き込んで怪我でもされたら士道さんに怒られてしまいますわ」

「まだそんなことを! それはこっちの――」

 台詞だ、という言葉を、真那は最後まで言い切ることができなかった。高密度の霊力を感じたと思った瞬間、狂三の左目の時計がぐるぐると回り、その背に巨大な天使を顕現させたからである。異様な雰囲気と威圧感に気圧され、知らず真那の頬を汗が伝った。

 〈刻々帝(ザフキエル)〉。人間が決して干渉できない時間という概念をねじ曲げる、唯一無二の力。狂三は今まで、真那との戦いで1度も能力を使ったことがなかった。それもそのはず、影で作った分身体は天使を顕現させることができないからである。そう、つまり。

「分かりませんの? 邪魔だと言っておりますの。()()()()()()()の攻撃に巻き込まれたら貴女といえどタダでは済みませんわよ」

 リスクを犯すことを何よりも嫌う狂三が、今この瞬間に、士道の願いに応じて人類最強の前に降り立ったということだった。

 今までにない気配を感じ取り、エレンは警戒態勢を取りながらもニヤリと笑ってみせる。

「悪名高いナイトメアの天使、見るのは初めてですね。面白い、実力を測ってあげましょう」

「その間に命を落とさなければいいのですけれどね……。〈刻々帝〉――【一の弾(アレフ)】」

 狂三が自分のこめかみに向けて引き金を引いたと思った瞬間、彼女の姿はもうそこにはなかった。殺された後に霞のように消えるのとは違う、文字通りの瞬間移動。そう思わせるほどのスピードで移動したのだと真那が気付いたのは、数秒経った後のことだった。

 上下左右前後から夥しい数の銃弾がエレンに襲いかかる。彼女も負けずに応戦し、そこは一瞬で人智を超えた領域の戦闘となった。数秒の後、スピードと手数で圧倒するナイトメアと真っ向勝負は少し分が悪いと判断したのか、エレンは随意領域を展開して防御体制に移行する。

「加速系の能力ですか。スピードは中々のようですが、その程度では私に傷ひとつ付けられませんよ」

「ご忠告痛み入りますわ。殻に閉じこもってガタガタ震えるだけの最強魔術師(ウィザード)の言葉、流石の説得力ですわね」

「ッ! この――」

 憤怒の表情を浮かべたエレンが強大な魔力を放出し周囲を薙ぎ払うと、僅かに怯み動きが止まった狂三に一瞬で距離を詰め、その心臓に深々とレーザーブレードを突き刺した。しかし。

「くすくす。自信家で負けず嫌い、少し刺激してやればすぐに実力行使に移る。士道さんの情報通りですわね」

 驚くべきことに、刺された狂三はエレンの腕をがっしりと掴むと、薄ら笑いを向けてきた。更に後ろにはもう1人の狂三が立ち、エレンの後頭部にゴツリと冷たい銃口を当てがっている。

「残念、ハズレですわ。意外と可愛らしいところもありますのね? こんな簡単な罠に引っかかってしまうなんて」

「ふっ……ざけるな!」

 その場で回転し振り抜いたブレードは空を切り、攻撃を躱した狂三は再び真那のと隣にふわりと降り立つ。

「私を舐めているのですか? あれほどの隙があればいくらでも攻撃出来たでしょうに」

 無表情を装っているが、その声色には怒気が溢れている。エレンがここまで翻弄されるのも、怒りに打ち震えるのも真那は初めて見る光景だった。ナイトメアが自称味方であることに内心安堵しつつも、1つの懸念があり真那は口を開く。

「お前がつえーのは良くわかりました。でも今のチャンスを逃すべきじゃなかったですね。エレンに同じ手は2度と通用しねーです。こんなチャンスがまた来るとは思わねー方がいいですよ?」

「彼女の言う通りです。遊びはもう終わり、次は本気で殺しますよ?」

 刺すような殺気を放ち、エレンはナイトメアに刃を向ける。しかしそれすらもどこ吹く風。困ったような表情を浮かべると、肩をすくめてみせた。

「わたくしもそう思いますわ。でも士道さんが殺すなと仰ったので仕方ありませんの」

 また士道だ。あのナイトメアを大人しく従わせるだけでなく、エレンの実力や癖を把握し、的確な助言をする。琴里から聞いた限りではつい先日まで一般人だったはずなのに、これは一体どういうことなのか。そう思ったのは真那だけではないようだ。

「イツカシドウ……先日プリンセスと一緒にいた少年ですね。軽く経歴を調査した限りでは出自不明なこと以外特筆する点は無かったはず。一体どこから私の情報を……。私と戦って生きている者はそう多くないはずですが」

「あらそうでしたの? なら今日で2人も増えますわね」

 真那と自分を交互に指さしながらエレンに向かって笑顔でそう言い放ったナイトメアに対して、エレンは間髪入れずに切りかかってきた。先ほどよりも更に速く、よく見ると額に青筋が浮かんでいる。

「よほど死にたいようですね……! まぁ良いでしょう。どうせ貴女たちがここで消えればあの無力な少年は何も出来はしない。気にするだけ無駄というものです」

「無力? 士道さんが? ……きひ、ひひ、ひひひひひひひひひひッ!」

「何がおかしいのですか!」

 エレンが不愉快そうに眉根を寄せるが、正直その意見には真那も同意だった。士道がいかに優れた情報網を持っていたとしても、戦う術がなければ宝の持ち腐れだ。事実、先日の戦いで士道は何もできずに大怪我をして退場してしまった。

 だというのに、ナイトメアのこの反応は一体どういうことだろうか。そんな風に真那が考えていると、彼女はどこか誇らしげな表情で宣言した。

「きひひ、真那さんまでそんな顔をされるんですのね。いいですわ、知らないのであれば教えてさしあげましょう。どうせすぐに分かることですけれど」

 そこで1度言葉を区切り、ナイトメアは自分の耳をトントンと指で叩いてみせた。その直後、静寂の中で通信機器に僅かにノイズが走る。

(通信……? それもオープンチャンネルで、いったい誰が――)

 やがてそれはクリアな音声となり、辺りに響き渡る。その声に、その内容に、通信を聞いた全ての者は言葉を失った。

「士道さんは貴女方が思っているよりもずっと、お強いんですのよ?」

 

『十香あああああ!! 助けにきたぞおおおおおおおおおお!!!』

 

 つい先刻まで会話をしていた相手だ、間違えようがない。五河士道、生き別れた自分の兄が、あろうことかでDEM全体に聞こえるように喧嘩を売ってきたのだ。発信源を探ると、DEM隊員の個人通信機器からだということが分かった。それはつまり、士道が十香を乗せた列車に乗り込み、既に誰かと接触したということである。

(確かに大人しくしているタイプじゃねーとは思ってました。だから念のためワイヤリングスーツを預けた……。でも、だからってこれは!)

 真那は声を抑えて笑い続けるナイトメアに詰め寄ると、その胸ぐらを勢いよく掴み上げた。抵抗なく捕まえられたことは予想外だったが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

「知っていやがったんですか!? 兄様がしようとしていたことを! それともお前が何かを吹き込みやがったんですか!? 答えろナイトメア!!」

「十香さんを助けに行くのは知っていましたわ。その手助けをしたのも認めましょう。でもまさか、ここまで愉快なことをしでかすとは思っていませんでしたの。許してくださいまし」

 とてつもない剣幕で迫るも、心底楽しいといった様子を崩さないナイトメア。自然と真那の腕に力が入り、そのまま締め上げそうになる。

「落ち着いてくださいな。士道さんなら大丈夫ですわよ」

「大丈夫なわけねーです! 兄様はなんの力もない一般人でいやがりますよ!? 戦闘にでもなったりしたらまた……!」

「彼女のあの様子を見てもまだ、そう思いますの?」

「何を……!?」

 真那がエレンに目を向けると、彼女にしては珍しく慌てた様子で何かを話している。おそらく先ほどの士道の通信を受けて、他の魔術師に確認を取っているのだろう。あちらで何かが起きている。

「どういうことでいやがりますか? あっちにはジェシカや他の隊員が居るはず……。兄様が乗り込んだところで脅威になんて――」

 そのとき、通信機器から再び声が聴こえてきた。今度は士道ではない、フラクシナスの琴里からだ。

『真那、聴こえる? 緊急事態よ』

「えぇ、聴こえてますよ。最初からずっと緊急事態だったような気もしやがりますが……。一体何が起きていやがるんですか?」

 真那の琴里に対するイメージは究極の二面性だった。士道が倒れ、組織の根幹が揺らぐような状況にあっても、リーダー然として振る舞い決して部下に弱さを見せない。

 そんな彼女が動揺を見せるのは、決まって士道が関わっているときなのだ。迅速な対応が必要なこの曲面ではあるが、自分で自分の言葉の内容を疑うような、ゆっくりとした口調で琴里は報告を行う。

 

『落ち着いて聞いて。士道が……士道が十香の救出に向かったわ。単身で、本隊の列車に乗り込んで……。今はDEMの魔術師たちを殴り飛ばしながら、前に進んでる……!』

 

「…………………………………………は?」

 意味が分からない。琴里の言葉が理解の範疇を越えていた。おそらくここにいる全員が同じ気持ちなのだろう。ただ、1人を除いては。

 

「見せてもらいますわよ士道さん。貴方の覚悟を」

 

 

 

 

 

 

 琴里はかつてないほどの窮地に立たされていた。敵の策略にまんまと嵌り、真那を、仲間を、十香を危険に晒している。

 だがここで動揺を見せるわけにはいかない。艦長である琴里が狼狽えてしまえば、それは必ず周囲に悪影響を及ぼすからだ。そうなれば、逆転の芽は完全に潰えてしまう。

 だからこそ、表面上だけでも気丈に振る舞い、クルーを鼓舞して戦いに挑む。例え勝てる可能性が1%に満たないとしても、それがラタトスク機関に所属する五河琴里の役目だった。

(思考を止めるな。考えろ、何かあるはずよ、この状況を打開するための方法が。援軍は無し、私が戦場に出るしかない。その場合の優先対象はエレン? アルバテル? 十香? フラクシナスの指揮を神無月に任せて士気に影響は――)

 思考の渦に呑み込まれた琴里の意識を、真那の絶叫が呼び起こした。

 

『何故私を助けた、ナイトメア!!』

 

「……………………は?」

 更に。

 

『十香あああああ!! 助けにきたぞおおおおおおおおおお!!!』

 

「…………………………………………は?」

 余りにもイレギュラーな事態が次々と起こり、琴里が考えることを辞めるのは仕方のないことだった。

「い、一体何が起こってるの……? 令音、状況を教えてちょうだい」

「ナイトメア……時崎狂三がシンに頼まれて真那を助けに来たようだ。そのシンはどうやら単身でもう一方の搬送列車に突入したらしい」

「どうしてそんなことになってるのよ!?」

「私に聞かれてもね……。とりあえずシンの映像をメインモニターに回すよ」

 そう言って令音は手元のコンソールを操作し、艦橋の中央モニターの映像を切り替える。

 10日ほど前の「士道実は超プレイボーイ疑惑」の一件から、2人は本当に監視カメラを24時間体制で士道の周りに飛ばしていたのだ。それが今回偶然功を奏したのだが、士道が何かしでかすのでは、といった懸念が琴里にあったことも間違いない。

 令音の作業を待つ間琴里は気が気ではなかった。それもそうだろう、士道がDEMの魔術師に攻撃されて生死の境を彷徨い、目を覚ましたのはつい数時間前のことだ。次の瞬間またその光景が映し出されないという保証はどこにも無い。

 しかし、モニターの映像を見て、琴里だけでなくその場にいた全員が言葉を失った。

 搬送列車の床と思しき場所には大柄なDEMの魔術師が横たわっており、身に付けた装備はもはや原型を留めていない。

 そしてそんな魔術師と同じくらい傷だらけの士道が、何故かDEMのワイヤリングスーツを身に纏い仁王立ちしていたのだ。その様子から、相当激しい戦闘が行われ、尚且つ士道がそれに勝利したことが見て取れる。

(なんなのこの状況は……? 士道が勝った? あの大男に、たった1人で?)

 混乱する琴里を余所に、映像の中では車両の扉が開かれ、そこから4人の魔術師が銃を構えて突入してきた。口々に何かを言っているようだが、それを気にしている余裕は琴里には無かった。否応なしに先日の光景がフラッシュバックする。

「やめて……。逃げておにーちゃん!!」

 思わず叫んでしまうが、その願いが士道に届くことはない。代わりに士道は両腕を軽く伸ばして構えを取ると、自分を取り囲む敵たちに向かって怒号を上げた。

 

『十香を……返せぇぇぇぇぇ!!』

 

 咆哮と共にビリビリと衝撃波が伝わり、僅かに映像が乱れる。すぐに回復したが、その場にはもう士道の姿はない。今の一瞬で近くにいた魔術師の懐に潜り込み、赤熱した拳を勢いよく顎に向けて振り抜いていた。

『ハァッ!!』

 グシャ、と金属が潰れる音が鳴り響き、魔術師の身体が真上に向かって打ち上がる。しかしいつまで経っても落ちてこない。それもそのはず、他の隊員たちが上を見上げると、衝突した頭がそのまま天井に突き刺さっていた。

『な、なんてパワぁべしっ』

『え? うぎゃっ』

 動揺し動きの止まった隙を士道は見逃さない。右の相手の首元に手刀を叩き込んで意識を奪うと、すぐさま左の敵に飛び膝蹴りをくらわせる。相手は短い悲鳴を上げ吹き飛ぶと、そのまま壁を突き破って外に放り出され、列車の遥か後方に消えて行った。

「逃げ、え? ……え、何これ」

 立ち上がりポカンと口を開けてフリーズする琴里。最も、それはこの場においてさして珍しい反応ではなかった。ぎぎぎ、という音が鳴りそうな感じの挙動で令音の方を向くと、彼女も似たような状態になり、ボソボソと呟きを漏らしている。

 

「……こんなん考慮しとらんよ」

 

 言葉の意味は分からなかったが、とりあえず動揺しまくっていることだけは確かだった。モニターに目を戻すと、残った1人が手を前に突き出している。跳ね上がる魔力反応には覚えがあった。

「随意領域……! あれに捕まったら終わりよ、躱し……て?」

 しかしまたしても、士道は予想外の動きを見せた。敵と同じように腕を伸ばし、掌底の構えで距離を詰める。魔術師は士道が間合いに入ってきたことに驚きつつも強靭な壁を展開し、上から士道を押し潰す、そのはずだった。

 だが、士道の掌に随意領域が触れた瞬間、パンっという小気味の良い音を立て、まるで風船が割れるようにあっさりと集まった魔力が霧散していった。

『え? え? なん――』

 何が起こったか分からない、と言った表情のまま、顎を拳で打ち抜かれて意識を失う。その場に立っているのは、両手と膝から僅かに白煙が登る士道だけだった。

 余りにも現実離れした光景に、フラクシナスには安堵よりも動揺が広がる。

「よ、よく分からないけど士道くん、めちゃくちゃ強くないですか?」

「最後は運良く敵が顕現装置(リアライザ)の扱いを失敗したみたいですけど、それにしても凄かったですねぇ」

「運も実力の内って言いますし。流石は司令のお兄さん、只者じゃあない」

(いや、違う)

 琴里の頬にはいつの間にか汗が伝っていた。しかしそれは士道の身を案じてではない。今しがた士道が行った、通常ではあり得ないような技術を目の当たりにしたからである。

(間違いない、あれは対消滅。でも一体どこであんな技、それもあれほどの練度で……)

 対消滅。それは発生した空間震に同規模の力をぶつけることで相殺されるという現象である。人類が唯一制御可能な精霊と、高度な技術力を持つ機関。つまり琴里の力を得たラタトスクが長年の研究を経て辿り着いた最高機密の内の1つだ。

 本来は霊力と霊力のぶつかり合いで発生する現象なのだが、魔力とはそもそも顕現装置が精霊の力を模して増幅させるものである。つまり、魔力と霊力、あるいは魔力と魔力でも理論上は不可能ではない。

 しかし、それを実際に行う者はいなかった。相手と同じ規模の力を発動させるためには、範囲と威力の計測を行い、尚且つ同じ出力で同じ場所に力を発生させる必要があるからである。技術云々はもとより、実戦においてそれを活用できる魔術師など数えるほどしかいない。そしてその一握りの魔術師たちは、そんな小細工を弄さずとも圧倒的な力で敵を蹂躙出来るのである。

 フラクシナスの高性能な計器は、士道の掌にほんの一瞬発生した霊力を捉えていた。琴里の手元にある小さなモニターがそれを伝えてくる。つまり士道は、手練れの魔術師たちの前で、先に述べた障害を全てクリアして力を行使したということだ。それも、いとも簡単に。それがいかに困難なことか理解しているのは、おそらくこの場で琴里以外には神無月と令音くらいだろう。

 そしてそれよりも、琴里には確かな確信が芽生えた。

(やっぱり士道は精霊の存在を知っていた。しかも、あれほどまでに霊力を使いこなせるということは恐らく……。既に精霊を封印したことが、ある)

 ならば何故、つい先日まで霊力を保持していなかったのか。一体どれだけの修羅場を潜り抜ければこれほどの戦闘力が身につくのか。

 琴里の願いに応え、ヒーローのように活躍する士道の姿。それが待ち望んだものだったはずなのに、琴里の胸中は晴れなかった。

(私を愛してるって言ってくれたのは、本心から? それとも、霊力を封印するために吐いた嘘だったの? 教えてよおにーちゃん……)

 そっと唇に触れてみるが、当然答えは分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 魔術師4人を苦もなく倒してみせた士道は己の力を再確認すると、十香を救うべく進行を開始しようとした。その背に声がかけられる。

「この先に進むなら注意するといい。ジェシカ・ベイリー、アデプタスナンバーズの戦闘力は別格だ。今の君でも勝てるかどうかは分からないぞ」

 声の主は先ほどから横たわって戦闘を眺めていた大男である。姿勢が変わっていないところを見るに、本当に動くこともままならないようだ。

『なんか急に仲間面してきたわねコイツ。やっぱあれなの? 拳を交えると男はみんな友達になっちゃう的なやつなの?』

 万由里の疑問に多少覚えのある士道だったが、それに関する記憶は大体薮蛇なので黙っておくことにした。士道は振り返ると、片膝をついて男と目を合わせる。

「忠告感謝するよ。でも生憎、どっちが強いかなんて気にしてる場合じゃないんだ。出来る出来ないじゃなく、俺は十香を助ける。そう決めたからここに来た。そのためなら誰だろうと倒してみせるさ」

「ふっ、勇ましいな。本当に惜しいよ、君とはもっと別の場所で出会いたかった」

 士道の真っ直ぐな視線を受け止め、満足そうに頬を緩める。それを見て、士道も少しだけ緊張を解いた。

「じゃあな、色々と世話になった。機会があったらまた会おう……アンダーソン」

「アンドリューだ」

 死ぬほど居心地が悪くなったので、士道は振り返ることなく駆け出した。

 

『列車の速度が落ちているわ。どうやらさっきの戦闘で顕現装置が1つ故障したようね』

「そりゃラッキーだ。つまり他の車両のも壊していけばいずれは止まるってことか」

『そういうこと。顕現装置は隔両ごと、床下部分にあるみたいよ。派手に暴れてぶっ壊してやりましょう!』

「おう!」

 会話をしつつ車両を駆け抜け、次の扉を蹴破る。すると、こちらに向けられた複数の銃口が一斉に火を吹いた。

「ッ!!」

『目を閉じるんじゃないわよ士道! 手足の先に霊力を集中! さっきと同じ要領で着弾予想地点のイメージを送るから全部避けるか叩き落としなさい!』

「簡単に言ってくれるなよ!」

 悪態をつきながらも、スローモーションの世界で士道は的確に銃弾を往なしていく。とは言っても、実はそこまで精密に霊力をコントロールしているわけではない。大まかに集中させた霊力を、着弾の瞬間に万由里が必要最低限の力で放出してくれているのだ。それが先ほどの対消滅を簡単にできた理由であり、スタミナに不安のある士道が長時間戦えている理由でもあった。

 最後の銃弾をハイキックで蹴り返し、それが魔術師のライフルに当たって派手な爆発が起こる。衝撃で手をやられ苦しげに呻く者以外は、士道の力を目の当たりにして驚愕の表情を浮かべている。

(今度は5人、でも今なら……!)

 先ほどと同じように近接戦闘に持ち込もうとすると、魔術師たちは士道の足元に向けて弾幕を放ち、足止めを行う。間合いに入られるのを阻止するような動きだった。

『情報が早いわね。こっちがインファイトしか出来ないことがバレてる。士道、プランBよ!』

「了解!」

 士道は拳に霊力を集中すると、そのまま床面を殴りつけた。するとそこから衝撃波が発生し、車両全体が大きく揺れ動く。

「なんて馬鹿力だコイツ!」

「目を離すな! 我々の動揺を誘うための罠だ!」

「近付きさえしなければこんな奴……!」

 すぐに揺れが収まり、結局魔術師たちが隙を見せることはなかった。士道は両膝を着き、がっくりと項垂れた姿勢のままそこを動かない。

「流石に観念したか……? いや、これは!?」

「ッ!! 全員退――」

 次の瞬間、床下からとてつもない爆発が起こり、その場にいた全員を吹き飛ばした。魔術師たちは咄嗟に随意領域で身を守るも、強大なエネルギーの奔流に抗えず車外へと放り出されていく。やがて黒煙が晴れ、そこにはかろうじて残った車輪とそれを繋ぐ基礎部分にしがみつく士道の姿が現れた。

「っぷはぁー! 危ねぇ! 俺も吹っ飛ばされるところだった!」

『むりやり霊力を流し込んで作る即席顕現装置爆弾。良いアイディアだと思ったんだけど、もうやらない方がいいかもしれないわね』

「そうだな……。でもこれで敵を減らすのと顕現装置の破壊どっちも達成できたわけだ。この調子で行こう」

『無茶苦茶言うようになったわねあんた。そういうのは私の役目だと思うんですけど?』

「誰かさんから悪い影響を受けてるからな」

 軽口を叩きながらも崩れかけの足場を慎重に動き、隣の車両に辿り着く。平らな床を踏みしめると、士道の身体がグラリと傾いた。

「っとと……」

『ちょっと、大丈夫? 流石に少し休んだ方が……』

「いや大丈夫だ。ちょっと踏み外しただけだよ。先を急ごう」

『……そうね。分かったわ』

 それが嘘であることは万由里も理解していた。それも当然、士道と万由里の心は繋がっているのだ。戦闘による疲労、大怪我と超回復によるストレス。それらは大きな鎖となって士道の身体を縛り付けていた。しかし万由里はあえて止めることはせず、代わりに力を送り続けるのだった。

 

 その後も戦闘を続け、列車の中ほどまで進んだ頃、士道に通信が入った。

《兄様、聞こえやがりますか!? 真那です、聞こえたら返事をしてください!》

「真那! よかった、無事だったんだな!」

《それはこっちの台詞でいやがります!! なんて無茶をしていやがるんですか!? 真那はそんなことをさせるためにスーツを渡した訳じゃねーんですよ!?》

「う……それはすまん。でも非常事態で――」

《だからって限度ってもんがあるでしょう! 生きてるから良いものの、兄様に何かあったら悲しむ人がいやがるんですよ! 分かっていやがりますか!?》

「は、はい……。すみませんでした……」

 割とガチのトーンで怒られてしまい、士道はシュンとしてしまう。真那はそんな士道の様子を察したのか、ひとしきりお説教をした後やっと追及の手を緩めてくれるのだった。

《はぁ……。まぁいいです。兄様が何かする気がしてたのに手助けしちまったのは真那の責任ですから。それよりも、もっと怖い妹からお話があるようでいやがります》

「『ヒェッ』」

 思わず揃って声を上げてしまい身構えていると、予想に反してか細い声が聞こえてきた。

《……………………士道》

「琴里? 元気が無いけどどうかしたのか? まさかどこかに怪我を!?」

《…………はぁ~~~。最初に出てくる言葉が私の心配って。無駄に悩んだ私が馬鹿だったわ》

「???」

 何故かものすごく呆れられてしまった。理由が分からず困惑していると、琴里は少しだけ柔らかい声で語りかけてくる。

《なんでもないわよ。ちょっと要らない心配をしちゃっただけ。それよりも、あんた大人しく家で待ってるって約束したわよね。どこをどう間違てそんな状況になっちゃってるわけ?》

「い、いやぁこれには深い訳がありましてですね」

『電話越しに叱られるサラリーマンみたいになってるわよあんた』

 姿が見えない琴里に対して必死に頭を下げていると、万由里がケラケラと笑いながら指差してくる。その様子を恨めしげに睨みつけていると、琴里の喋る雰囲気が変わるのが分かった。

《詳しい話は後で必ず聞かせてもらうからね。それよりも悪い知らせよ、エレン・メイザースがそっちに向かっているわ》

「!!」

《こっちも真那を回収して今向かってるところだけど、フラクシナスも結構ダメージを受けているから……。恐らくあの女の方が先にそっちに辿り着くことになる》

 やはり士道の宣戦布告は広範囲に届いてしまったようだ。まだ十香を見つけてもいない状況で制限時間まで追加され、自然と心臓が早鐘を打ち始める。

「成程、俺もちょっと急いだ方がよさそうだな。そういえば敵の空中艦は倒せたのか?」

《急ぐってあんたね、私は今すぐそこから逃げろって……。いえ、辞めておきましょう。〈アルバテル〉は倒してないわ。今は〈ナイトメア〉、時崎狂三に足止めをしてもらってる》

「ッ! そうか、狂三がそこまで……。分かった、じゃあそっちは大丈夫そうだな」

《随分と信頼してるようじゃない。彼女は最悪の精霊って呼ばれてるのよ、分かってるの?》

「分かってるさ。でも結局助けてくれたじゃないか。それともあいつがお前や真那を傷付けたりしたか?」

《それは……。ああもう! はいはい分かりましたよ士道は時崎狂三を信じてるってことなんでしょ! ……そういうことを教えるのは本当は私たちの役目なのに、これじゃ立つ瀬がないじゃないの》

 最後の辺りは良く聞こえなかったが、とりあえずは納得してくれたと判断し、士道は再び歩き始める。

「まぁそういうことだ。悪い琴里、こっちはまだやることがあるから。一旦切るぞ」

《あ、待ちなさい士道! 時崎狂三からの伝言よ。「約束は必ず果たしてもらう」ですって。一体どんな約束したのよ?》

「あー……。まぁ、ちょっとな」

 流石にこの場で「デートの約束です」なんて言える訳がない。そう思い士道は言葉を濁すが、聞こえてくる琴里の溜息からジト目を向けられているのが容易に想像できた。

《あの女との関係についても後でちゃーんと教えてもらうからね。それと、これは私からのお願い。士道、今は見てることしか出来ないけど、必ず迎えに行くから。それまで絶対に死んじゃ駄目よ。生きてみんなで帰りましょう》

《「私からの」じゃなくて「私たちからの」でいやがります! 兄様には今までの失った時間分可愛がってもらわねーといけないんですからね!》

 横から琴里を押し退けているのだろう、ガタガタと音を鳴らしながら真那の元気の良い声が割り込んできた。

《ちょっと何勝手なこと言ってるのよ! それは妹である私の特権で――》

《真那だって妹でいやがります! その気になれば琴里さんみたくキスだって――》

《きゃあああああ!! 黙りなさい真那!!》

「ははは……」

 音声が途切れ、それっきり何も聞こえなくなった。恐らく令音辺りが気を使ってくれたのだろう。愛する妹たちの声に励まされ、士道は少しだけ身体に力が戻るのを感じた。

『成程、近くに羽虫レベルの小さい魔力を感じると思ってたけど、フラクシナスの自律カメラの反応だったのね』

(最初から見張られてたってことか。用意が良いというかなんというか……。俺って信用ないのかなぁ)

『いや1週間以上前から飛んでるわよアレ』

「!!??」

 

 その後、士道は戦いながらも顕現装置を壊し続け、最後の一般兵を倒し、隠しきれないほどの疲労が動きに現れ始めた頃。十香のいる先頭車両を目前にして、ついにそれが姿を現した。

 

 

 

「ヒーロー気取りのボウヤがよくも1人でここまで来られたものネ。見違えたワ」

「男子三日会わざれば刮目して見よ、ってな。お前を倒しに来たぜ、ジェシカ・ベイリー!」

 

 

 

 最後の戦いが今、幕を上げる。




アンドリューさんとジェシカはナッパとベジータくらいの戦闘力差でしょうか。
なんとなくのイメージで。


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第12話 想いを力に

悪魔との決着。


 破壊された天井の上から、士道を見下ろす紅い悪魔。それはアデプタス3の超精鋭魔術師(ウィザード)、そして十香と士道、それに折紙を痛めつけた張本人である。

 3日前に折紙が深傷を与えたとのことだったが、凄惨な笑みを浮かべる女にその様子は見られない。分かっていたことだが、士道が寝込んでいる間に完全回復したようだ。

「アラ、誰から名前を聞いたのかしラ。お前のバックに付いている組織? それともナイトメア?」

「さぁ、どうだろうな」

「ふぅん、まあどっちでもいいワ。どうせ今日、全員死ぬんだからネ!」

 ジェシカがそう宣言した途端、解放された魔力が辺りに広がりビリビリと肌を刺激した。

(対峙しただけで分かる。今までのやつとはレベルが違う!)

『それが分かるようになっただけでも大きな進歩よ。大丈夫、あんたはあのときとは違う。これで最後、気合い入れなさい!』

「はぁああああああああああッ!!」

 万由里の声に勇気を貰い、全身に力を張り巡らせる。ワイヤリングスーツの赤いラインが輝き始めた次の瞬間、とてつもない重力が士道を襲った。

「ぐ、うあああああ!!」

 ジェシカの展開した随意領域(テリトリー)が、士道を押し潰さんと迫りくる。すんでのところで受け止めたが、両足は床にめり込み、全身が軋み悲鳴を上げている。

 それでも、耐えた。

「へぇ、やるじゃナイ。で? そこからどうするつもりかしラ?」

 士道は動けない。僅かでも気を抜いたらその瞬間士道の身体は原型すら分からなくなるほどの破壊を受けるだろう。だからといってこのままでは力尽きるのを待つだけだ。歯を食いしばり、ありったけの力を振り絞って上を向く。

「……てんじゃねぇぞ」

「ハァ?」

 

「いつまでも高いところから……見下してんじゃねぇぞォ!!」

『全ッッッ開ッッッッッ!!』

 

 万由里が士道にしか聞こえない声で絶叫すると、士道の掌が今までにない勢いの光と熱を放ち、次の瞬間目の前の壁が粉々に砕け散った。

「ッ!? 馬鹿ナ、こんな雑魚に私の随意領域が……!」

 発生した霊力は間髪入れず両脚に移行し、爆発的な推進力となって士道の身体を打ち上げる。

 

 ――圧倒的な力を持った、余りにも遠いと思っていた存在の元へ。

 ――大切な人を取り戻すために。

 

「ブチ抜けええええええええええ!!」

 

 熱エネルギーに耐えきれずスーツにバチバチと電流が発生するのにも構わず、士道は目を焼くほどの輝きを放つ拳をジェシカの顔面に叩き込んだ。

「ぐっがあああああ!!」

 大型車同士が衝突したのではないかと思うほどの爆音が鳴り響き、ジェシカの身体はバウンドしながら車両の上を転がっていく。

 士道もなんとか屋根に着地できたが、力を使いすぎたのか激しい倦怠感に襲われ、膝を着いて荒い息を吐いた。

「はぁ……はぁ……。見たかコンチクショウ!」

『ナイスファイトよ士道。技名を叫んでくれればなお良かったわ』

「はは……。次があれば善処するよ……」

 そんな機会は2度と訪れなくていいと願いつつ、士道は足元の車両をコツコツと叩く。

「ここに十香がいるんだな?」

『えぇ、僅かだけど霊力反応があるわ。間違いない』

「よし。じゃあ迎えに行くとするか」

 

 

 

「何処に行くのかしラ?」

 

 

 

「なっ!? ぐほッ!!」

 声が聞こえたと思った刹那、士道の身体は遥か後方へと吹っ飛んでいた。中央車両近くまで戻された士道はなんとか凹凸部分を掴み、落下するのを防ぐ。遅れてきた痛みを堪えつつゆっくりと顔を上げると、狂ったような高笑いを上げる悪魔がそこにいた。

「アハハハハハ! ハハハ、ハハハハハハハァ!! 良い攻撃だったわよクソガキィ? 少しだけ効いたワァ!」

 目が霞んで良く見えないが、両手を広げ悠然と歩いてくるその姿からは大したダメージは感じられない。吐血し激しく咳き込みながらも、士道は必死に頭を回転させる。

「ゲホッゴホッ! はぁはぁ……。ダメージが通ってないのか!? まさか霊力切れ?」

『いいえよく見て。ダメージは通ってる。ただ……』

 顔を見て気付く。歪んだジェシカの左頬は焼け爛れ、眼球は潰れ歯茎が露出していた。にも関わらず、心の底から愉快そうに笑う様子に寒気が走る。

『痛みを感じていないだけのようね。なんらかの肉体改造を受けていると見て間違いないわ』

「はぁはぁ……。んなもんどうやって倒せばいいんだよ」

『諦めちゃ駄目よ。きっと何か方法があるはず。……来るわよ避けて!!』

 万由里の声に反応し咄嗟に横へ転がると、先ほどまでいた場所に大きな孔が空いた。それだけでは終わらず、次々と迫りくる魔力反応をキャッチし、悲鳴を上げる身体に鞭打って駆け出す。着弾した場所から足元が崩されていくのを辛うじて避けつつ、〈灼爛殲鬼(カマエル)〉を発動させて必死に突破口を探った。

「どうする!? このままじゃ追い詰められるのも時間の問題だぞ!!」

『空を飛べるあいつを撒くには完全に行動不能にするか、CR-ユニットを破壊して引き摺り落とすしかない。でも現状じゃどちらも厳しいわね……! 何かあと1つ、きっかけさえ在れば――ッ!!』

「ダメもとでプランCを試すしかないか? でも失敗したらもう後が……。ん? どうした万由里」

 不意に万由里の声が聞こえなくなり、士道は辺りを見回す。すると万由里は列車の後方を見つめ、耳を澄ますように佇んでいた。もしやもうエレンが追いついてきたのかと危惧し、降り注ぐ銃弾を躱しながらそちらに走り込むと、そこには意外な表情の万由里がいた。

 

『朗報よ士道。欲しかったあと1手、なんとかなるかもしれないわ』

 

 浮かんでいるのは驚愕と、そして確かな笑みだった。

 

 

 

 

 

 

「士道危ない! あぁ!? 掠った、今絶対掠ったわよね!?」

「兄様負けちゃダメです! ジェシカこのヤロー、一般人に向けていい火力じゃねーってんですよ!」

 両手を握りしめ食い入るようにモニターを見つめているのは、士道の愛しい妹たちだ。フラクシナスは真那を救出した後すぐに戦場を離脱しており、令音に「シンの邪魔になるから」と通信を遮断されてしまったため、彼女らができるのは士道の応援くらいしかなかったのである。

 士道がジェシカの強大な随意領域を突破し、その顔面に拳を叩きつけた瞬間は歓喜に沸いた艦内だったが、今は一転。かろうじて致命傷を避けるだけのデスゲームと化した状況に悲鳴を上げている。

 クルーたちは固唾を呑んで見守っている一方で、琴里と真那は居ても立っても居られず艦長席の周りをうろうろしていた。

「もうすぐ最後尾まで戻されちゃうわ! あんなに頑張って進んできたのに……って、ええ!? 駄目よ士道!! ぐえっ!」

「どうして立ち止まるんですか兄様!? 動き続けてねーと格好の的でいやがります!! おげっ!」

 不意に動きを止めた士道を見て、思わず声を上げる2人。令音はそんな彼女らの首根っこを掴んで無理やり座らせると、冷静な声で語り掛けた。

「少し落ち着きたまえ。琴里、リーダーである君が取り乱すと艦全体の士気が下がる。真那、実の妹の君がシンを信じてやらなくてどうするんだ? 騒いでも状況は変わらないよ」

「「はい……すみませんでした……」」

 まるでお母さんと子供のようだと全員が同じ感想を抱いたが、それを口に出すものは居なかった。神無月は後ろで「ほう、母子プレイですか。侮れませんね」などと呟いているが、最早誰にも相手にされていない。

「それによく見てごらん。シンの表情、あれはまた何かをしでかす気だ」

「嘘よ、あの状況でできることなんて……」

「手持ちの武器は小型のレーザーエッジしかねーんですよ? 一体何を」

 見れば、ジェシカも動きを止めて訝しむ視線を士道に向けている。油断なく銃を構えながら、空中でその身体を固定した。

《ついに諦めたのかしラァ? よく頑張ったけどとうとう終わりのときが来たようネェ》

 その言葉を聞いた瞬間、何故か士道は隣の何もない空間に向かってビンタを繰り出したが、当然その腕は空を切った。理由は分からなかったが、特に何事もなかったように話は進んでいく。

《あぁ、正真正銘これで最後だよ。でもこれをくらったらお前は負ける。絶対にな。怖かったら今すぐ俺にトドメを刺した方が良いぞ? 臆病者のジェシカちゃん》

「馬鹿ッ! こんな状況で挑発なんかしたら……」

「いえ、これは良い作戦でいやがります! 何をするつもりか分かりませんが、これなら確実に時間を稼げる……!」

 その理由を琴里が問う前に、答えは明らかになった。

《へぇ、面白いじゃナイ。見え見えの作戦だけど、興味があるから待ってアゲル。これ以上どうやって私を楽しませてくれるのかしラ?》

 なんとジェシカが銃を下ろし、車両の上に降り立ったのだ。その表情からは何が起きても自分が負けることはないという絶対の自信が見て取れる。

「ジェシカは自分の力を過信しすぎる傾向にあるんですよ。だからああいう煽られ方をしたら確実に乗ってきやがります。……そんなんだからすぐに足元をすくわれる」

 ま、今はそれに助けられましたけどね、と真那が呆れたように呟くと同時、士道のワイヤリングスーツに再びの変化が訪れた。バチバチと放電しながら紅いラインが輝きだし、霊力が増大していく。

《じゃあ遠慮なくやらせてもらうぜ。これが俺の全力全開……ッ!!》

 計器が今までの倍以上に匹敵するような霊力値を叩きだしても、その上昇は終わる気配がない。

「まさか……こんなことって……」

「まだこれほどの力を! 兄様は一体いくつ奥の手を持っていやがるんですか!?」

 やがて輝きが全身に回った頃、士道は額に大量の汗を滲ませながら言い放った。

 

 

 

《…………超変身!!!!》

 

 

 

 その直後、爆発的に跳ね上がっていた霊力が弾け飛び、発生した光で見ていた全員が一瞬視界を奪われる。再び目を開けたとき、そこに居たのは黄金に輝くラインの入ったスーツを身に纏った士道だった。

 見た目の些細な変化とは裏腹に、内包する霊力値は紅いライン時の実に5倍ほど。ジェシカもそれを感じとっているのか、初めて見せる真剣な表情で銃を構えた。

《お前の――》

《――ッ!!》

 ジェシカが1発の銃弾を放ち、士道に語り掛けるのと同時。2人はモニターから姿を消した。放たれた弾丸が誰もいない暗闇に消えていく。

「士道はどこへ行ったの!?」

「分かりません、全く見えませんでした……。魔力反応を探って追跡できねーですか?」

「無理よ。自律カメラじゃ映ってる人や物の計測しかできないの。直接見つけない限りは……」

「先頭車両付近の上空だ。今落ちてくる」

「「えっ?」」

 令音の声に従いカメラを移動させると、そこには落下しながら戦う士道の姿があった。腹部に小型爆弾の直撃でも受けたかのような大怪我をしているジェシカと、激しくぶつかり合っている。

「いつの間にあんなところに!? ナイスよ令音。神無月、カメラを手動操作に切り替えて見失わないように追跡しなさい!」

「お安い御用です」

 フラクシナスのメンバーはすぐにまたモニターに注目し始めるが、真那だけは令音から目を離せないでいた。

(見えていやがったんですか? 今の攻撃を……?)

「ん。どうかしたかね」

「いえ、何も……」

 不思議な顔をして首を傾げる彼女に対して、真那は何も言うことができなかった。気にはなるが、今問いただすようなことではない。クルーたちの歓声に釣られ前を向くと、そこに映る士道の戦いに再び目を奪われていった。

「凄い、凄いですよ士道君! あのDEMの精鋭を相手に1歩も引かないどころか、むしろ押してる!」

「あの金色の霊力、今までとはパワーが段違いです! ずっと手加減してたってことなんでしょうか?」

「士道君! 超変身は色が変わるときの掛け声であって、ライ〇ング化の掛け声ではないぞ!」

「あんた何言ってるの? 色なら変わってるじゃない、ほら」

「違うのだ!!」

「あの強さ、正に革命的! 革命、かくめい……レボ⤵リュー⤴ション→」

 クルーたちは士道の活躍にお祭りムードだが、琴里は油断なく状況を見守っている。あれだけの劇的な強化だ。今まで使わなかったことを考えると、何かしらのリスクがあると見て間違いないだろう。その推測を裏付けるように、優勢なはずの士道は険しい表情を浮かべている。

《うおりゃああああああ!!》

《がっ!! このガキイイイイイイ!!》

 ここまでの士道の猛攻はかなりのダメージを与えていた。しかし、敵も相当な場数を踏んでいるいる兵士である。致命傷になりそうな攻撃を経験と勘で潜り抜け、士道に食い下がっていた。それでも士道は諦めず攻撃を当て続け、そして――。

 

《せやぁ!!》

 

「「「やったか!?」」」

 潰れた左目の死角を狙って放たれた士道の右腕が、確かにクリーンヒットした。

 

 

 

 

 

 

「うおりゃああああああ!!」

『急いで士道! 界○拳は30秒しか持たないわ! あと10秒もない!!』

(ライジン〇フォームって名前に決めたろ! あいつの台詞に引っ張られてんじゃねえよ!)

 ツッコミを入れることで焦る気持ちを抑えつつ、隙を探る。ジェシカはやはり最初に潰した左目の影響からか、向かって右からの攻撃に若干弱いようだ。

 最早卑怯などと言っている場合でもない。士道は意を決してインファイトに持ち込むと、なるべく違う場所に攻撃を当てて意識を逸らしつつ、最後の一撃への布石を打つ。そして渾身の右ストレートを放とうとした、最後の瞬間。

「ッ!? しまっ」

 これまでの疲労からか、脚の踏ん張りが利かず僅かに状態を崩してしまった。慌ててリカバリーし殴りつけるも、時すでに遅し。

 クリーンヒットしたのはガス欠で白いラインのスーツに戻った、悪魔を倒すにはあまりにも弱いパンチだった。

「アハ、アハハハハハハハ! アハハハハハハハハハァ! なんだそのゴミみたいな攻撃ハァ!?」

「うぐっ! がっ!! おげぇ!!」

『士道! 士道しっかりして! 躱すか守るかしないとあっという間に嬲り殺されるわ!』

 万由里の指示に従おうとするも、士道は元々限界だった身体を酷使して放った最後の力も使い果たしていた。最早歩くことすら困難な状況で、圧倒的な暴力に飲み込まれていく。

 ジェシカは倒れ込みそうになる士道の髪を掴んで無理矢理立たせると、その身体に深い傷痕を刻み込んでいった。

「どうしタ? ほらどうしタァ!? さっきまでの勢いはどうしちゃったのかしラァ!?」

「う…………ぁ…………」

「これくらいでくたばってんじゃア……ねぇゾォォォ!!」

「ぐっうぎゃああああああ!!」

「アハハハハハ!! そうそう、私を怒らせたんだからせめて死ぬまで叫んで楽しませてくれなきゃネェ!!」

 飛んでいた意識が激痛によって呼び戻されると、左腕があらぬ方向へ曲がっているのが見えた。どうやらへし折られたらしい。そのまま床に勢いよく叩きつけられると、今度は折れた腕を執拗に踏みつけられる。

「ぐああああああ!! うわあああああああ!!」

『士道、士道!! このっ、士道から離れろ!!』

 万由里が必死になってジェシカに掴みかかろうとするも、実体のない彼女が触れられるはずがない。しかし無駄と分かっていながらも、万由里はそれをやめようとはしなかった。両目からは大粒の涙がとめどなく溢れ、端正な顔はぐちゃぐちゃに汚れてしまっている。

《おにーちゃん! お願いおにーちゃん逃げて! 立ち上がって逃げるのよ!!》

《やめろジェシカ! 兄様から離れやがれ!》

 いつの間にかフラクシナスとの通信も繋がっており、耳元からは琴里と真那、それにクルーたちからの悲鳴に近い声援が送られてきた。しかし、その声を聞いてもなお、士道は僅かに身を捩るだけで立ち上がることができない。ジェシカの高笑いと踏みつけは、士道が悲鳴を上げなくなるまで続いた。

 

 それから数分の後。静かになったことにようやく気付いたのか、ジェシカは士道の前にしゃがみ込むと、再び髪を掴んで無理矢理上を向かせた。露になった士道の顔には生気がなく、目の焦点も合っていない。死んではいないが、もうすぐ死ぬ。そんな状態を確認し、興味を失ったように鼻を鳴らすと、士道の額に銃口を当て、そして。

『《やめろおおおおおおおおおお!!!!》』

 

 

 

《…………待て》

 

 

 

「!!」

 突如ジェシカの懐から男の声が発せられ、引き金から指を離した。

 

「馬鹿な、どうして貴方が直接通信を? ……ウェストコットMD!」

 

『!?』

「…………ぅ……?」

 ジェシカはワイヤリングスーツの内側から小型のスマートホンのような物を取り出すと、頬に汗を滴らしながら震える声で語りかける。

《君が勝手に通信を遮断してしまっていたからね。仕方なく端末を乗っ取らせてもらったよ》

「も、申し訳ございまセン! 戦闘に集中したくて、つい……」

《なに、構わないさ。例えそれが口からの出任せで、本当はエレンにあれこれ口出しされるのが嫌だったからだとしても。私はまったく気にしてないよ》

「ッ!? も、申し訳ございまセン……」

《い、一体何が起きたの? 士道は無事なの!?》

《首の皮一枚、ってところでしょうか。この声、間違いありません。アイザック・ウェストコット。DEMの業務執行取締役(マネージング・ディレクター)、諸悪の根源でいやがります!》

 ジェシカは今までに見せたことないような狼狽えた表情を見せ、額にはびっしりと脂汗を掻いている。フラクシナスでは真那以外何が起こったのか分からないのだろう、通信機器を通して混乱の声が伝えられてきた。

《やれやれ、本当に気にしていないのだがね……。それよりも、君の前にいる少年。私は彼に興味があるんだ。殺す前に是非話をさせてもらいたいのだが?》

「は、ハイ! 只今!」

 ジェシカは士道を仰向けに転がすと、その身体を膝で踏みつけて固定し、顔前に携帯端末を突きつけた。

「おいクソガキ。ウチのボス、本来ならお前ごときが会話するなんてあり得ないようなお方からのご指名ヨ。失礼なこと言ったらタダじゃおかないカラ」

 踏みつけられた衝撃と強烈な印象を持つ名前を聞いたことから、士道の意識はいくらか戻っていた。

「アイ……ザック…………」

『士道! 良かった、目が覚めたのね。大丈夫よ、今霊力を集めてるから、もう少しだけ待っていて。あと1回、絶対に〈灼爛殲鬼〉を発動させてみせるから……!』

 正直朦朧とする意識の中で万由里の言葉はあまり頭に入ってこなかったが、今この瞬間、精霊たちを苦しめる元凶が目の前に居ることだけは理解できた。士道は歯を食いしばって目を開くと、突き付けられた端末を睨みつける。

 画面は真っ暗で、中央に「SOUND ONLY」という文字だけが映し出されていた。

《やあ、初めまして。と言っても、君は私の姿が見えていないだろうがね。先ほどまでの戦闘、見せてもらったよ。実に面白い催しだった》

『この変態ヤロー、士道の頑張りをショーか何かだって言いたいわけ? 士道、耳を貸しちゃ駄目よ。今は回復に集中して』

「…………」

 喋るのも億劫なので、万由里に言われた通り目を閉じて霊力を集中させていると、端末からは困ったような笑い声が聞こえてきた。

《ははは、気分を害してしまったのなら謝るよ。お詫びと言ってはなんだが、君に良い提案があるんだ、聞いてくれないか? 私は君をDEMに迎え入れたいと思っている》

『《なっ!!》』

「何を仰っているのですカ!?」

 万由里たちとジェシカが同時に驚きの声を上げるが、ウェストコットは構わず話し続ける。

《人間でありながらそこまで自在に霊力を操る力は驚異的だ。どうだろう? 私の元でその力を磨いてみないかね?》

『はっ! 何を言い出すのかと思ったらそんなこと。そんなの士道が興味ある訳ないでしょーが、馬鹿馬鹿しい』

「…………」

『……士道?』

《ふむ、力を渇望しているように見えたのだが、当てが外れたかな? よろしい、ならば別の方向からアプローチしてみよう。イツカシドウ、私の下に来い。君が首を縦に振れば〈プリンセス〉は解放しよう。勿論君にもこれ以上危害を加えない》

「な……に…………?」

 思わず反応して目を開けると、クツクツと不愉快な笑い声が聞こえてくる。

《やっと反応を示してくれたね。君という人間が少し分かってきた気がするよ。安心していい。私は約束は守る男だ。逆に言えば、君がこの話を断るようであれば、そこにいるジェシカがプリンセスと君を確実に殺す。いや、いっそ死んだ方がマシと思えるような手段をとるかもしれないね》

 その言葉を聞いたジェシカは醜悪な笑みを浮かべ、士道を踏みつける膝をぐりぐりとめり込ませた。

『この腐れ外道が! そんなの選択肢なんか無いも同然じゃないの!!』

《さあどうするイツカシドウ? 今回の件で分かっただろう。精霊に対してどんな思い入れがあるかは知らないが、彼女たちを守るには君はあまりにも弱すぎる。そんな自分を変えたくはないか? 自分の欲望に素直になってみるといい》

「俺、は……」

 万由里のおかげで治癒が始まったのだろうか。折れた腕こそ治らないものの、少しずつではあるが痛みが和らいできた。おかげで段々と思考もクリアになり、その頭で今までのことを思い出していく。

(俺は弱い。いつだって琴里に、みんなに守られてばっかりで。そのせいで結局みんなを危ない目に合わせてきた……)

『士道、何を考えているの!?』

「俺は……」

(俺は変わらなきゃいけない。もっと強くなって、みんなを守れるくらいの力を付ける。そのためだったらなんでもしてやるよ。そして……)

『まさか……まさか士道、そんな!?』

 士道の決意に満ちた顔を見て、万由里が、琴里が、真那が、そしてフラクシナスのクルー全員が息を呑んだ。

《さぁ、答えを聞かせてもらおうか。来るか来ないか、今この場ではっきりと!》

 手足に力を込めながら、士道は静かに、だが全員に聞こえる声で宣言した。

 

「行くよ、お前のところに」

 

『嫌ぁ! 嘘だと言ってよ士道!!』

《馬鹿なことしないで士道! もう少し、もう少しでそっちに着くのよ! だから!!》

《兄様、せっかくまた会えたのに離れ離れになんかなりたくねーです!!》

 様々な声が士道を引き留めるが、もう心は決まっていた。最早誰であろうと彼の行く手を阻むことはできない。

《ふっ、そう言ってくれると信じていたよ。ジェシカ、彼を解放し――》

「ただし……」

《ん?》

 

 

 

「お前の顔をぶん殴りにだがな! アイザック・ウェストコット!!」

『《ってそっちかーい!!》』

 

 

 

 士道は無理やり上体を起こし、折れていない右腕でジェシカの脚をホールドすると不敵に笑ってみせた。予想外の行動に驚き、ジェシカは一瞬動きが止まる。

「なっ!? こいつまだ動けたのカ!! でもそんな攻撃なんの意味も――」

「お前、戦闘中に計器が故障しただろ? さっきから俺が霊力を使ってることに全然気付いてなかったもんな!」

「ハァ!? だったらどうだってんのよクソガキ! どうせもうカスみたいな力しか残ってないだろうガァ!!」

 訳の分からない指摘をされ、頭に血が昇ったジェシカは士道を引き剥がそうと顔を押さえつけてくる。しかし士道は残った力を総動員し、齧り付く勢いでしがみついて離れない。

「あぁそうさ、正解だよ! 俺にはもうほとんど力なんて残ってねぇよ、俺にはなぁ!!」

「あぁ!? 何を威張って……ってまさカ!?」

 

 次の瞬間背後にとてつもない殺気を感じ、ジェシカは振り返った。そして、ありえないものを見た。

 顔面数ミリということろまで迫るレーザーブレードと、それを振るう銀髪の少女。

 あれは3日前、確かに戦闘不能になったはずの――。

 

 

 

「サンキュー折紙。愛してるぜ」

「私の士道に、触れるなああああああああああああああああ!!!!!」

 

 

 

 響き渡る咆哮と同時、怒りの籠った渾身の一閃が紅い悪魔を切り裂いた。

「あ……ガ…………」

 ジェシカの腕はダラリと下がり、手からこぼれ落ちた携帯端末が列車から転がり落ちる。辛うじて顔を逸らしたのか、意外にも顔面は無事のようだった。しかしその代わり、肩からバッサリと袈裟懸けに切り裂かれている。

 士道が脚を離すと、ゆっくりと力無く後ろへと倒れていき。

 

「ガ…………ガアアアアアアアアアア!!」

 

 既の所で踏みとどまった。耳を劈くような雄叫びを上げ、とてつもない大きさの随意領域が辺りを押し潰していく。折紙はすぐさま士道の前に移動すると、同じく随意領域を展開してそれを受け止めた。

「士道下がって! くっ!」

「折紙!」

 なんとか押し留めているが、よく見れば折紙はかなり息が上がっており、全身から発汗しているのかワイヤリングスーツが身体にピッタリと張り付いて透けてしまっていた。

 しかしそれも仕方のないことである。折紙は列車が出てから今まで、ほとんど休み無し、全速力で士道を追いかけて来たのだ。消費魔力とCR-ユニットの稼働時間は既に限界を超えており、力尽きるのも時間の問題だ。

『DEMは一体どんな訓練してるのよ!? どいつもこいつもしぶとすぎでしょ、フリ◯ザかっての!』

(このままじゃ折紙が……! 万由里、あと1発でいい。最後の一撃を使わせてくれ!)

『ダメよ! 今残ってるのは正真正銘最後の霊力。それを使ってしまったら、もう致命傷を負っても回復できなくなるわ! 今だって腕の治癒を後回しにしてるのよ!?』

 士道の左腕はぷらぷらと力無く揺れており、肘の部分からは骨が飛び出してしまっている。列車が揺れるだけでも激痛が走るが、既にそれを治す余裕すらないのが現状だった。

(今やらなきゃ折紙が死ぬ! そんなの俺は死んでもごめんだ!)

『…………ったくあんたって人は……。これ以上言っても無駄みたいね。いいわよ分かったわよ! やってやろうじゃないの! その代わり士道、失敗したらただじゃおかないんだからね!』

(あぁ! 任せておけ!!)

 怒る万由里に対してニヤリと笑みを送ると、最後の作戦に向けて準備を始めた。

 

「ガアアアアアア!! シネ、シネエエエエエエエエ!! クタバレガキドモオオオオオオ!!」

「なんてパワー……! 士道、今すぐここから逃げて。もう長くは持たない!」

 その言葉を証明するように、折紙の随意領域はあちこちに罅が入り、列車全体がミシミシと悲鳴を上げている。

「折紙、悪いけど今更逃げる訳にはいかないんだ。一瞬でいい、あいつの注意を引いてくれないか? 後は俺がなんとかする。無茶を言ってるのは百も承知だ、でも! 今はお前しか頼れる人がいないんだ。頼む!」

「…………」

 折紙は首だけ僅かに後ろを向き、士道の様子を伺った。全身余す所なくボロボロで、特に左腕は目を背けたくなるほどの惨状だ。にも関わらず、脚を肩幅に開き、まるで右足に力を溜めるように佇んでいる。

「……分かった。でも、今のままでは無理。必要なものがある」

「何が必要なんだ? 俺に出来ることならなんだって――」

「言葉」

「え?」

「さっきの言葉。私がここへ来たときに掛けてくれたあの台詞が聞きたい」

 士道はしばし呆気に取られていたが、やがてその意味を理解し苦笑した。それも束の間、折紙を見つめて迷いの無い顔で言い放った。

「折紙。愛してるぜ」

「…………………………………………そう」

(あれ? それだけ?)

『馬鹿、嬉しくて声が出ないのよ。感情が昂ってるおかげで折紙の力が勢いを増してるわ』

 見た目の変化が無いのでよく分からないが、そういうことらしい。

 折紙が両腕に力を込めると、目の前の壁を僅かに押し戻した。

「タイミングは1度きり。準備はいい?」

「あぁ! いつでも来い!」

「了解。はああああああああああ!!」

 掛け声と共に出力全開になった折紙の随意領域が、バチバチと火花を散らしながらジェシカの随意領域とぶつかり合う。やがて接触部に小さな亀裂が生じると、折紙はそこへありったけの攻撃を放った。レーザーライフル、ショットガン、マシンガン、小型ミサイル、そして最後にレーザーブレード。突き刺さった魔力の刃を爆破させて直径1メートルほどの孔を開けると、折紙は躊躇うことなく飛び込んだ。

「コノクタバリゾコナイガァ! フユカイナンダヨォォォ!!」

 ジェシカは迫り来る人影を視認すると、一目散に襲いかかってくる。折紙が小型のレーザーエッジで斬り込むのに対して、飛行ユニットを失い手持ちの武器すら無い彼女は、素手で地上戦を繰り広げていく。それでも互角の戦いをする辺り、彼女の戦闘力の高さが如実に現れていた。

 やがて折紙が体勢を崩し、ガードごとエッジを吹き飛ばされたタイミングで、ジェシカはトドメを刺そうと腕を振り上げた。しかし、大振りでできた隙を折紙は見逃さない。

「今ッ!!」

 魔力を鎖状に生成し、それをジェシカの足元に発現させる。

 バインドアンカー。かつてエレンとジェシカを出し抜いた、誰も使わないような技の初歩の初歩。それを再び最適なタイミングで使用した。

 しかし。

 

「馬ァァァ鹿! そんなものが2度も通用するカァ!!」

 

 ジェシカはまるで最初から分かっていたかのように真上へ跳躍し、鎖は空を切った。そのまま脚を大きく振り上げ、踵落としの体勢で折紙の方へ落下してくる。

 折紙は最後の魔力を使い果たしたのか、その場を動けないでいた。

「これで終わりヨォ!!」

「そう、これで終わり。…………貴女が」

 

 

 

「うおりゃああああああああああ!!!!」

 

 

 

 折紙の背後から現れた士道が、右足を燃え上がらせながらジャンプキックを放つ。残った霊力を極限まで右足に集中させたため、その部分から〈灼爛殲鬼〉の力が溢れ出しているのだろう。

 気付いたジェシカは苦し紛れに腕をクロスに組み、その上から随意領域を展開、防御態勢を取った。そこへ士道のキックが直撃し、激しい火花を散らす。

 

「はああああああああああ!!」

「ガアアアアアアアアアア!!」

 

 互いに雄叫びを上げ、相手を押し潰さんと牙を剥く。しかし、力の拮抗は一瞬だった。ジェシカの随意領域に罅が入り、次第に広がっていく。

「何故ダ!? 何故お前らみたいな雑魚どもにこの私ガ! 私はエリートデ! アデプタス3デ! 最強の魔術師デェェェ!!」

「お前は強かったよジェシカ・ベイリー。でもな、俺は1人じゃない。仲間がいて、支え合って戦ってる。自分のためにしか戦えないようなお前なんかに、絶対負ける訳にはいかねぇんだよ!!」

 

『士道!!』

 万由里が。

《おにーちゃん!!》

 琴里が。

《兄様!!》

 真那が。

「士道!!」

 折紙が。

《士道くん!!》

 フラクシナスのクルーたちが。

「シ……ドー…………!」

 そして十香が。士道の勝利を信じ、想いが力に変わる。

 

 脚部の炎は更に勢いを増し、とうとう行く手を阻む壁は粉々に砕け散った。

 そして――。

 

「うおおおおおおおおおお!!!!」

『行っけええええええええ!!!!』

 

 そのキックが直撃した瞬間、大気を揺らすほどの衝撃が発生し、ジェシカは血を吐くような悲鳴と共に吹き飛んでいった。そのまま車両から落下して線路をバウンドし、暗闇の奥に消えて姿が見えなくなった数秒後。

 巨大な爆炎が上がり、少し遅れて爆発音が士道たちに届いた。

 

 今度こそ完全に、ジェシカは倒されたのだった。




1番好きなシーンはグローイングキック3連発です。


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第13話 雷霆聖堂

十香編もいよいよクライマックスです。


「勝った……のか……?」

『魔力反応完全にロスト。今度こそ終わったのよ士道!』

「っはぁ〜〜〜! 助かったぁ〜」

 万由里の言葉を聞いた途端、全身から力が抜け、士道は後ろに倒れ込んだ。しかし、その身体は冷たい床に叩きつけられることなく、優しく抱き止められる。

「っと……。サンキュー折紙」

「別にいい。構わない」

「構うさ。今日だけじゃなく、この前も助けに来てくれたんだろ? 本当になんとお礼を言ったらいいか……」

「お礼なら今貰っている」

「あ、やっぱり?」

 士道を後ろから抱き止めた折紙はそのまま離れず、首筋に顔を押し付けて思い切り深呼吸していた。おかげで生温かい吐息が当たってくすぐったいが、これくらいならまあいいかと思い、されるがままになっている。

 その間、やけに重くなった身体を万由里に調べてもらっていると、ワイヤリングスーツが完全に壊れてしまったことが判明した。通信機器もオシャカになり、琴里たちと会話できなくなってしまったが、まだカメラは飛んでいるらしいのでこちらの状況は伝わっているだろう。

「ところで折紙はどうやってここまで来たんだ? 乗り物の類は見えなかったけど」

 ふと疑問に思い士道が問うと、折紙はあっけらかんと答えてみせた。

「飛んできた」

「飛んできたって……。まさかCR-ユニットで!? この距離を!?」

「そう。道中に顕現装置(リアライザ)がいっぱい落ちてたからちょうど良かった」

「はえ〜……。頑張ったんだなぁ」

 落ちていたとはおそらく士道が車両から叩き落としたDEMのことだろう。怪我で動けない上に顕現装置を強奪された魔術師(ウィザード)たちを想像し、流石に不憫に思うのだった。

『いやいやいやおかしいでしょ!? いくら列車が遅くなってたからって、出発してからどんだけ経ってると思ってるのよ!? その間ずっと全速力で追いかけてきたってわけ? どうかしてるわ……』

(そこはまあ、折紙だし)

『それ言われると納得しそうになるのが怖いわホント』

 息が整うまで折紙の好きにさせていたが、段々と手付きが怪しくなってきたので引き剥がした。名残惜しそうに見つめてくるが、生憎と士道にはまだやることがある。

「すまん折紙、エレン・メイザースがこっちに向かってるらしくて。すぐに十香を迎えに行かなきゃならないんだ。帰ったらいくらでも付き合うから」

「十香……プリンセスのこと? 士道はあの精霊とどういう関係なの?」

 問いかけつつも、折紙の目が怪しく光ったのを万由里は見逃さなかった。

「話すと長くなるんだけど……。まあひと言で言えば、俺の大切な人だよ。そう、とても大切な……」

「ッ!?」

『うわぁ……。あんた今このタイミングで普通そういうこと言う? この子めっちゃショック受けてるじゃないの』

(え、なんでだ? 別に変なこと言った覚えはないんだけど)

『いっぺん馬に蹴られて死ねばいいわ』

 

 話しながらも足を動かし、やがて先頭車両にたどり着く。分厚い鉄の扉に手をかざすと、ゆっくりと開いていった。そして――。

「十香!!」

 果たしてそこには、大型の椅子に拘束されれ、ボロボロになった十香の姿があった。士道は身体の痛みも忘れ、駆け寄って声を掛ける。

「十香しっかりしろ! 助けにきたぞ、俺のことが分かるか!?」

 士道が問いかけると、十香はゆっくりと顔を上げた。疲労が色濃く滲んでいるが、しっかりと士道の顔を認識すると、僅かに笑みを浮かべた。

「うむ……。見ていたぞ、お前の勇姿を」

「えっ」

 十香の目線の先を辿ると、壁に備え付けてあるモニターに監視カメラの映像が映し出されていた。

「お前の声が聞こえた後、急に光り出してな。随分と無茶をするものだとハラハラしたぞ」

 士道が無言で横を見ると、万由里は目を逸らして口笛を吹く。なんだか無性に恥ずかしくなり、誤魔化すように手持ちのレーザーエッジで拘束具を切り始めた。

『ほ、ほら! あんたの頑張りを見たら好感度上がるかなーと思って! え、えへへ』

(やっぱりお前の仕業かよ。別にいいけどさぁ)

「あんまり戦い慣れてないもんで……。余計な心配かけちまったな。それよりほら、解けたぞ」

 四肢を縛るパーツを全て切り終えると、十香の手を取りゆっくりと立ち上がらせる。と、1歩踏み出したところで体勢を崩し、士道の胸にすっぽりと収まった。

「と、十香!? 大丈夫か?」

「う、うむ! すまない、上手く力が入らなくてな。すぐに退くから……む? 動かんぞ?」

「無理するなって! 大怪我してるんだから」

「何を言う。お前の方が酷い有様ではないか」

 そのまま2人でしばらく見つめ合うと、なんだかおかしくなり、どちらからともなく笑い合った。

 因みにその様子を無言で見つめる折紙の目からハイライトが消えており、死ぬほど怖かったというのは万由里の談。

 ひとしきり笑い合った後、改めて向かい合う。士道は右手で十香の手をしっかりと握ると、真っ直ぐ目線を合わせて微笑んだ。

「改めて、十香。俺の名前は五河士道だ。お前を救いにきた。俺と一緒に来てくれるか?」

「今更名乗らずともお前の名前などとっくに知っているぞ。ばーかばーか」

「うぇ!? そうなの!?」

『そりゃ色んな人が呼んでたからねぇ』

 満を辞してという気分で名乗りを上げたのに、なんだか肩透かしをくらった気分だった。だが、十香の楽しそうな顔を見ているだけで、そんなことはどうでもよくなってくる。

「うむ、そうなのだ。そしてお前が信じられる人間だということも、よく知っている。だからシドー。私を、連れて行ってくれ」

「……あぁ!」

 

 長かった。この世界に来て10日、うち3日間は眠っていただけだというのに、そう思うのも当然と言えるほどの濃密な時間を、士道は過ごしてきた。

 辛いことがあった。苦しいこともあった。だがやっと。

 十香という掛け替えのない仲間をその手に取り戻すことができたのだ。

 脱出する準備を進めながら、十香と様々な話をする。時折り折紙も会話に混ざるが、この世界でも和気藹々とはいかないようだ。しかし、元々殺し合いをしていたことを考えると、大きな進歩である。そんな2人の様子を眺めながら、士道はあの日のことを思い出していた。

(なんだか懐かしいな。初めて十香とデートしたときもこんな気持ちになったっけか。十香が笑うだけで嬉しくて。十香が怒るとハラハラして。そして最後の夕日の高台で――)

 

 

 

 

 

( こ ん な 風 に 嫌 な 気 配 が し た )

 

 

 

 

 

 それは本当に偶然だった。

 特に前兆があった訳ではない。

 ただ強いて言えば、前回がそうだったから。

 折紙の言葉に可愛い怒り顔を浮かべる十香の身体を、全力で突き飛ばした。そして。

「ッ!? 何をするシ…………ドー…………? え?」

「あ…………あぁ、そんな…………」

『嘘…………嫌、嫌よ…………』

 十香と折紙が驚きの視線を向ける、その先で。

 ――士道の腹部に、大きな孔が開いていた。

『嫌ああああああああああ!! いやぁ!! なんで、どうして!? 魔力反応なんて何処にも……ッ!! 誰か近付いてくる、まさか私の索敵範囲外から!?』

「シドー!! しっかりしろシドー! くっ、一旦伏せるのだ! 壁を貫いて攻撃が来る!!」

「ふっ……! ふっ……! くそっ、治療できるだけの魔力がもう無い! このままじゃ士道が……」

 何者かが超遠距離から搬送列車の壁ごと士道の身体を撃ち抜いたようだった。そんな離れ業をやってのける人物は、もう1人しか残っていない。

 突如壁に亀裂が入ったかと思うと、次の瞬間列車の屋根は消滅していた。そこから顔を覗かせる、最強最悪の魔術師。

 エレン・メイザースが冷たい瞳で見下ろしていた。

「そこまでです。誰も彼もDEMを相手に随分と好き勝手してくれましたね。覚悟はできていますか?」

 なんの、と問う必要もない。彼女から放たれ殺気は、十香と折紙に死を連想させるには十分なものだった。

 だが、それでも。

「おいメカメカ団の女、まだ動けるか?」

「それはこっちの台詞。足を引っ張ったら許さない」

 2人はゆっくりと立ち上がると、士道を守るようにエレンの前に立ち塞がった。満身創痍で武器もない、たとえ万全の状態であっても勝てる見込みの少ない相手。しかし、彼女たちに諦めるという選択肢は最初から存在しない。

「私に盾突きますか、いいですよ。あっさり死なれたら腹の虫が治りませんから」

 そう言ってレーザーブレードを構えるエレンから目を逸らすことなく、十香は呟いた。

「十香だ」

「……そう。私は鳶一折紙」

 仲間と認識するのに、今はそれで十分だった。そのまま合図もなしに呼吸を合わせ、同時に飛び出していった。

 

 

 

 

 

 

 人が死ぬときには一体何を考えるだろうか。楽しかったことや辛かったこと? 家族や友達のこと? それとも、大切な誰かのこと?

 こんなことを考えてしまうのはきっと、地に倒れ伏した自分の目の前に、彼の顔があるからなのだろう。

 血の気が失せ青白くなった肌を僅かに上下させ、未だ懸命に生きようとしていることが伝わってくる。

 だが、それももうすぐ終わる。

 そして自分はそれを見ていることしかできない。

 他人を壊すことはいくらでもできるのに、癒すことなどほんの少しもできはしない。

 話したいことが沢山あった。

 してみたいことも沢山あった。

 そして何より、この少年に生きてほしかった。

(私たちは、いつか繋がっていた)

 何故だろうか。かつて芽生えたその意識が、今頭の中にぐるぐると渦巻いている。

(その繋がりを、取り戻す)

 ――じゃあ、どうすればいい?

『……………………ょ』

(私とシドーの、心を繋ぐ方法)

 ――分からない? いや、知っているはずだ。思い出せ。今動かなければ、絶対に後悔する。

『……ス…………のよ』

(かつて、夕陽の空の下で。満天の星空の下で。温かい腕の中で、そうしたように)

 ――そうだ。本当に簡単なことなんだ。それは。

『キスするのよ、士道と!』

 涙まじりの少女の声が聞こえて、十香は閉じかけた瞼を見開いた。その瞳に映るのは、ぐったりと横たわる士道と、その奥で同じように倒れ伏している折紙の姿。

 そこへ近付いてくる者がいる。あれが到着する前に、なんとしても。

 十香は傷だらけの腕を動かし、身体を引き摺りながら士道の元へと辿り着いた。そのまま覆い被さるように身体を預ける。

「最後の抵抗のつもりですか? ではお望み通り、2人一緒にあの世へ送ってあげましょう」

 エレンが何か言っているが、十香の耳にはあまり入っていなかった。それよりも士道の唇に視線が吸い寄せられて離れない。

 「キス」という言葉を初めて聞いた十香だったが、何故かその意味は知っているような気がした。

(私の唇と、シドーの唇を……)

 そう意識した瞬間、頬が熱くなるのが分かる。だが、今は躊躇っている暇はない。

 エレンがレーザーブレードを掲げ、振り下ろすその瞬間。

 

 十香と士道は、再び繋がった。

 

「なっ!?」

 突如光り出した十香の身体から粒子のような物が溢れ出し、キラキラと舞っては消えていく。その後に現れたのは、傷付いた霊装が消え一糸纏わぬ姿となった少女だった。

 しかしその下で、それ以上に大きな変化が起きている。士道の傷口から大量の炎が溢れ出し、身体を修復し始めたのだ。

 安堵の表情を浮かべる十香とは裏腹に、驚きに目を見開くエレンと、そして折紙。

「この霊力反応……。まさか〈イフリート〉!?」

 かつて町1つを焼き尽くし、忽然と姿を消した精霊と同じ反応を検知し、エレンは空中へ退避する。

 やがて炎が消えると、そこには傷口が完全に消えた少年が立っていた。強い意思を宿した瞳でエレンを見上げている。

「ありがとう、十香。それと折紙、ごめん。後で必ず説明するから」

「うむ……。よく分からんが、おかえりだシドー!」

「嘘……そんな……」

 士道は少しだけ悲しげな目を折紙に向けると、上を向いて手を掲げた。

「今度こそ本当に最後だ。行くぞ、鏖殺……ッ!?」

 天使を顕現させようとした士道の右手に、予想よりも遥かに過剰な霊力が集まっていく。そこから明らかに〈鏖殺公(サンダルフォン)〉のものではない黒い雷が漏れ出し、周囲を焦がしていった。

「なんだこれ!? 何が起こって……ッ!! 万由里聞こえるか! 万由里!?」

 そういえば、と士道は今更気付く。いの一番に彼の復活を喜びそうな万由里の声が、先ほどから一切聞こえてこない。心の中で必死に呼びかけると、頭の片隅に微かな声が聞こえてきた。

 

『……どう、士道! ごめ……制御が……きない! その力を……たら、私は……』

 

(なんだ万由里!? よく聞こえない!!)

 まるで電波が途切れる直前の通信のように、途切れ途切れにしか声を聞き取ることができない。それでも、彼女に何か良くないことが起きていることは理解できた。

「くそっ!! どうすればいいんだ!?」

 暴走する雷はやがて士道の腕をも傷つけ始める。対処法が分からず狼狽の色を隠せないでいると、不意に腕が温かいものに包まれた。隣に目を向けると、十香が必死にしがみ付いている。

「シドー! 天使を顕現させようとしているのだろう? ならば信じるのだ。その天使は士道の願いによって呼び出される。ならば、士道の期待にきっと応えてくれるはずだ」

 肌を守るものは何もなく、雷に容赦なく焼かれているのに、十香は苦しい表情を浮かべながらも微笑んでみせた。こんなときでも士道を気遣う彼女を見て、士道の心は奮い立つ。

「あぁ、そうだな。……十香、いつも支えてくれて本当にありがとう。必ず助けてみせる」

「うむ。いつだって一緒だ、シドー。む? 私は何を言って……。今まで一緒にいたことがあったか?」

「はは、あったのかもな!」

 そう言って士道は再び霊力の流れに意識を集中させると、ズボンのポケットが温かくなっていることに気付いた。

 中のものを取り出してみると、それはこの世界に来てからいつの間にか所持していた、万由里の本体を封印しているという花飾りの付いた鍵だった。柔らかな光を放つそれは、士道に確かな温もりを伝えてくる。

 まるで万由里が何かを伝えたがっているように思え、強く握りしめて心の中で語りかける。

(お前が何者なのか俺には分からない。でも、今はお前を頼るしか方法がないんだ! 頼む、力を貸してくれ!!)

 士道の願いを聞き届けたのか、黒い雷は段々と収束していき、やがて士道の手の中で鍵を覆うようにして1つの武器を形造った。

「これは万由里の……!」

 現れたのは漆黒の長槍。あらゆる光を吸収してしまうのではと思わせるほどの黒は、異様な雰囲気を醸し出している。

『その子はちょっとじゃじゃ馬でね。もしかしたらあんたを傷つけるかもしれないけど、嫌いにならないであげてほしいのよ』

「万由里! よかった、無事だったん……万由里?」

 いつの間にか目の前には万由里が現れ、優しい笑みを浮かべていた。その表情がどこか儚げで、何故か士道の心を締め付けて止まない。

『そんな顔しないの。十香ちゃんが不安になっちゃうでしょ? 大丈夫、あんたは強くなった。もう私が居なくても、歩いていけるんだから』

「何言ってるんだよ! そんな、まるでこのまま消えちまうみたいなこと――」

 

『士道』

 

「ッ!」

 真っすぐに。まるで士道を見定めるように、万由里は目を合わせて問いかける。今までに見たことのないような真剣な表情に、思わず息をのんだ。

『あんたが本当に守りたい人は誰? なんのためにここへ戻ってきたの? それをよく思い出して』

 その言葉が、まるで檻のように士道を閉じ込める。

(俺がここに来たのは運命を変えるためだ。折紙を、十香を、みんなを。絶望の未来から救うために。……でも!!)

 それでも士道は、いつだってそんな常識という檻をぶち壊して、ここまで来た。

 

「お前だって大切な仲間だ! お前が辛い目に遭ってるってんなら、俺が救い出してやる! どこにいようと必ずだ!!」

 

『ッ!! ああもう、あんたって人は本当に……』

 その言葉は流石に予想外だったのだろう。万由里はポーカーフェイスを崩して頭をぐしゃぐしゃとかき乱す。やがて顔を上げると、泣きそうな顔で。今にも泣きだしそうな声で、言うのだった。

 その姿が、先ほどの十香の霊装と同じように粒子となって消えていく。

『その言葉、もしまた会えたなら……きっとまた言ってちょうだいね』

「万由里!!」

『構えなさい士道。その天使の名前は――』

 

「シドー?」

「……あぁ、大丈夫だよ。十香、危ないから少し下がって、折紙の側にいてやってくれ」

「う、うむ!」

 ()()()()()宙を僅かに見上げ、士道は静かに呟いた。

「お前の思い、絶対に無駄にはしないからな」

 

 

 

 

 

「行くぞ…………〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉」

 

 

 

 

 

 異様な気配を察知して空で待機していたエレンは、列車の進行に合わせて地上付近にバンダースナッチ部隊を並走させていた。その上空にはDEM日本支社から合流した空中艦が、更に2機。列車はもうすぐトンネルを抜け、中継地点のターミナルへ到着する。

(そうなれば瀕死の彼らなど袋の鼠。あの天使がどういうものかは分かりませんが、わざわざ危険を犯して確かめる必要もない)

 そんな風に考えた、その直後。計器が異常な霊力を検知し、けたたましいアラートが鳴り響いた。

「なんですかこの数値は……ッ!? これは数日前に観測された霊力反応――」

 次の瞬間、世界が破壊の光に包まれた。

 

 琴里は歯噛みしていた。士道のいる場所まであと一歩のところまで辿り着いたのに、そこに待機していたのは大量のバンダースナッチと空中艦が2機。

 士道たちを助けるには不可視迷彩(インビジブル)を解いてミストルティンを撃ち込むしかないが、不可視迷彩を解けば助ける前に集中砲火で艦が墜ちる。

(士道はまだ戦う気のようだけど、私や十香の天使を顕現させたところで勝ち目なんて……)

 だが、士道の手元に現れたのは、そのどちらでもない天使だった。

「ッ!? 退避だ琴里っ!!」

「え――」

『〈雷霆聖堂〉』

 士道が天使の名を宣言し、槍を横薙ぎに振るった、その瞬間。

 自律カメラの映像が途切れ、士道の前に立ち塞がるもの全てが消滅した。

 カメラも無しに何故それが分かったか。それは上空を飛んでいた琴里たちにも見えるほどの大規模な破壊が行われたからである。

 トンネル内に居たエレン・メイザース、分厚い岩盤、地上付近に居たバンダースナッチ部隊、その上を航行中だった空中艦。

 それら全てを吹き飛ばし、距離の離れていたフラクシナスの随意領域(テリトリー)を全壊寸前まで追い込んで尚止まらない破壊の奔流は、やがて天を貫く光の柱となって消えていった。

 地面には空間震ですら及びもつかない範囲の巨大なクレーターが生まれており、その中心で1人、少年が空を見上げていた。

 

「……見てるか万由里。俺、ちゃんとできたよ」

 

 〈雷霆聖堂〉の一撃は空を覆っていた分厚い雲をも貫き、そこから一筋の光が伸びて士道を照らした。光芒、天使の梯子とも呼ばれるそれは、まるで士道の勝利を祝福するかのように降り注ぎ続ける。

 しかし、どれだけ必死に笑顔を作ろうとしても。

 溢れ出すその雫を、士道は止めることができなかった。

 少年は約束通り大切な人を守り切ったのだ。あの騒がしくも愛おしい相棒と、そして自身の右腕を引き換えにして。

 肩口から大量の血を噴き出しながら倒れ込むと、やがてゆっくりと、意識が遠のいていった。




次回はエピローグになります。


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第14話 月の光の下で

エピローグです。


「おーい! 待ってくれよ十香!」

「遅いぞシドー! 早くしないときな粉が無くなってしまうぞ!」

 士道の少し前を歩き、子供のように手を振っているのは、数日前まで人類の敵だのなんだのと言われていた精霊〈プリンセス〉、夜刀神十香だ。

 春らしいヒラヒラとした薄い色のワンピースと士道に選んでもらったハットを身につけ、先ほどから走っては戻り、走っては戻りを繰り返してゆっくりと歩く士道を必死に急かしている。

「ははは、そんなに焦らなくてもきな粉は逃げないから安心しろって」

「逃げるぞ」

「逃げるの!?」

「きな子が持って逃げる」

「誰!?」

「親戚の名前はつなk――」

「それ以上いけない」

 急に真顔になった士道に口を塞がれ、頭の上にはてなマークを浮かべる彼女だったが、数秒後にはそんなことはどうでもいいとばかりに士道の()()()()()、走り出すのだった。

 

 あの後。右腕を失い大量の出血と共に倒れた士道と、介抱するために駆け寄った十香は、フラクシナスに保護されすぐさま治療を受けた。十香は持ち前の頑丈さですぐに完治したのだが、士道はしばらく昏睡状態が続き、目を覚ましたのは1週間も後のことだった。その間十香は決して傍を離れず、食事に連れ出すのも一苦労だったとは琴里の談。

 目を覚ましたら覚ましたであれこれと世話を焼こうとするものだから、本来封印直後に行われるはずだった精密検査も後回し。半壊したフラクシナスの件と共にラタトスクの悩みの種の1つになっていることは、もちろん本人の知るところではない。

 一方の士道も目覚めたあと段々と霊力が回復していき、〈灼爛殲鬼(カマエル)〉によって腕も完全復活を遂げた。霊力値が精霊2人分で頭打ちになったことに納得のいかない琴里に、〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉のことも含めて色々と追及を受けたが、そういえば彼女はあまり自分のことを話したがらなかったということを思い出し、一言だけを伝えておいた。

「大切な相棒が力を貸してくれたんだ」

 と。

 

 現在2人は何をしているのかというと、勿論デートである。

 「DEMやASTの報復があるかもしれないから学校に行く以外は家から出るな」と琴里にきつく言われていたものの、活発な十香が狭い室内で我慢できるはずもない。彼女の精神状態向上を理由に、渋る琴里を説得してなんとか町へと繰り出したのだった。監視と護衛を付けると言っていたので、きっとどこかでラタトスクの関係者が見守っているのだろう。

 しかしそんなことはお構いなしに、十香は商店街食べ歩きツアーを全力で楽しんでいた。目についた飲食店に片っ端から突撃し、気になったメニューを制覇して回る。士道も最初は付き合っていたが、限界寸前のところで十香の腹二分目発言を聞き、付いていくことを早々に諦めた。

 やがてほとんどの店に顔を出したのではと思い始めた頃、ようやくデザートを所望したため、満を持してきな粉を紹介したという訳である。

 

「どんな味がするのだろうな、きな粉と言うのは」

「そうだなぁ。甘くて柔らかくて、あといい匂いがするな。餅とか揚げパンもいいけど、お菓子にも使える万能食材だぞ」

「ふおぉ……! 聞いているだけでヨダレが止まらないのだ! やはり急がねばなるまい。民衆がきな粉を求めて暴動を起こすかもしれないぞ!」

「そこまでではねぇよ!?」

「何を言うか。シドーの1番のオススメなのだろう? 凄く美味しいに決まっているのだ」

「そ……そうか。うん、そうだな。きっと気に入ると思うよ」

 十香が目を合わせて満面の笑みでそんなことを言うものだから、士道は頬が熱くなって思わず目を逸らした。高鳴る胸は店に着くまで治ってはくれなかった。

 

「んん〜!! ふぉへもほいひぃぼ、ひぼー! ほっひも、ほっひもひひはほは!!」

「新しいグ◯ンギ語か何かか? とりあえず気に入ってくれたみたいで嬉しいよ」

 きな粉パンを頬張る十香は、それはもう幸せそうだった。キラキラと目が輝き、ひと口食べるたびに恍惚の表情を浮かべる。

 好みの味だとは知っていたが、ここまで喜んでくれると紹介した甲斐があるというものだ。士道は嬉しくなり、食べ物を掃除機のように吸い込んでいくその横顔を眺めていると、それに気付いた十香が餅を1つ差し出してきた。

「シドーも食べたいのか? ほら!」

「い、いや。俺はもう……」

「遠慮はいらないぞ! あーんだ!」

「……あーん」

 心の底から楽しそうな十香に水を差すことができず、士道は覚悟を決めて口を開いた。口いっぱいに甘い香りが広がり、お腹の苦しさに拍車がかかる。しかし、士道を躊躇わせる理由は他にあった。

「む……。あまり美味しくないか、シドー?」

「あぁいや、そんなことはないぞ! うん。凄く美味しい」

「そうか? その割にはなんだか難しい顔をしているのだ」

「いやその……。か、間接キスだなぁと……」

 そう。十香が差し出してきたのは、彼女がずっと使っていたプラスチックフォークだったのである。士道の言葉の意味をしばし考えてやっと意味が分かったのか、十香は急に顔を赤くしてフォークを引っ込めた。

「ッ!! な、何を言っているのだシドー!」

「ご、ごめん! いやでも、俺は全然嫌じゃないぞ! むしろありがとうございます!!」

 焦って訳の分からないことを言ってしまい、恐る恐る様子を伺うと、十香は俯いてフォークを凝視していた。そして。

「わ、私も嫌じゃない、ぞ……」

「え!?」

「な、なんでもないのだ! うがあああああ!!」

 そう言うと、十香はまたきな粉餅を掻き込み始めた。心なしか、さっきより顔の赤みが増したように見えた。

「十香!? 餅をそんなに1度に食べたら!」

「うっ!?」

「わああ!! 大丈夫か!?」

 穏やかな午後の昼下がりだった。

 

「シドー、あれはなんだ!? 何やら賑やかでキラキラしているのだ!」

「はいはいあれは……ッ! 十香、あそこは危険だ。近付いちゃいけない」

「そうなのか!? しかし頻繁に人が出入りしているようだぞ。避難させた方が良いのではないか?」

「いや、俺にとって危険な所なんだ……あのゲーセンって場所は」

 そう言って、士道は厳しい表情で入口を睨みつける。十香と話しているうちに、いつの間にかこんなところまで来てしまったらしい。今日が日曜日ということもあってか、店内は中々盛況なようだ。

「見つかると厄介だ。十香、すぐにここから――」

「だ・れ・に、見つかると厄介なのかなぁ〜?」

「うわあああああ!! 店長!!!」

「テンチョー?」

 背後からいきなり現れ肩を掴む店長に驚き、士道は白目を剥きながら絶叫した。

「んふふ士道くん。水臭いじゃないかぁ、そんな美人さんを連れているのに寄ってくれないだなんて。さ、遠慮せずこっち来て」

「嫌だぁ! 俺は戻りたくないぃ!!」

「待つのだテンチョー! シドーが嫌がっているではないか。それにゲーセンとやらは危険だとシドーが言っていたぞ!」

「だぁいじょうぶだよ彼女さん。それは士道君の嘘、冗談さ。ゲーセンは安全で楽しいところだよ。お茶とお菓子も用意してあるよ」

「騙されるな十香! 悪魔の囁きに耳を……あれ? 十香?」

「あの子ならお菓子って単語を聴いた途端に走っていったよ?」

「十香あああああああ!!」

 商店街に悲痛な叫びが木霊した。

 

 士道が重い足取りで店内に入ると、そこで信じられないものを見た。いつかの厳つい2人組が、十香を取り囲んでいたのである。

「なっ! なんでアイツらがここに!?」

「大丈夫、前みたいに暴れたりしないから安心していいよ」

 意外にも店長は落ち着いており、士道の隣に立ち様子を見守っている。

「彼らはうちでアルバイトを始めたんだよ。応募理由はちょっとアレだったけど……。それでも勤務態度は割と真面目なんだよ?」

 どうせいつでも『バン達』が練習できるから、とかそういう理由なのだろう。店長の懐の深さに嘆息しながらも近付いていくと、徐々に会話が聞こえてきた。

「お姉さーん! 今から俺らと遊ばない?」

「さっすが兄貴、すんげー美人ゲットォ!」

「俺、阿賀野丸武蔵乃介。略して阿賀武の兄貴。へへへぇ⤴付き合ってよ、素敵なおねぇさぁん」

「ぬ?」

「首傾げて『ぬ?』だって」

「きゃわいい~はは~!」

「どこが真面目な勤務態度だって?」

 士道が額に青筋を立てながら割って入ると、男たちは目を見開いて飛び退いた。

「シ、シドの兄貴!?」

「ご無沙汰しておりやす大兄貴!!」

「は?」

 なんだか聞き捨てならない単語が聞こえたような気がして士道が固まっていると、困り顔だった十香がまるで主人を見つけた子犬の如く駆け寄ってきて、その背に縋りついた。

「シドー! こやつらと知り合いだったのか? よく分からないことを言われて困っていたのだ」

「いや、知らない人たちだよ。行こう十香、あっちのレースゲームで遊ぼう」

 十香の手を引いて立ち去ろうとすると、ものすごい勢いで回り込んできた2人が、これまたものすごい勢いで頭を下げてくる。

 

「俺たち心を入れ替えたんです! あの敗北の後、ネットにアップされた勝負の動画を見て改めて思い知らされました。あんたらとのレベルの違いを……!」

 

「は? ねっとにあっぷ???」

 

「たった1曲演奏しただけで100万再生されるようなマネ、今の俺たちにゃ逆立ちしたってできません! それで思ったんです。初心に帰って一からやり直そうって!」

 

「は??? ひゃくまんさいせい?????」

「よく分からんが辞めるのだお前たち! シドーの顔がなんかエラいことになっているのだ!」

 心配した十香に抱き抱えられて色んなところが当たるが、今の士道はそれすらも感じ取れないほど自我を喪失していた。まさか自分の醜態が世界レベルで拡散されているなどと思ってもみなかったのである。

 十香の胸に埋もれながら現実逃避していると、騒ぎを聞きつけた他の客たちが徐々に集まってきた。

「おい、あれシドじゃねえか?」「間違いない、この間見たから分かる!」「やっぱり帰ってきたってのは本当だったんだよ!」「きゃー! 闇のポエム聴かせてぇ!!」

 みんな口々に好き放題言っているのを聞いて、ますます気が遠くなる。

「シドー、顔色が悪いのだ。やはりここを出よう、無理を言ってすまなかったのだ」

「あぁ、そうしてもらえると助かる……」

「あ待ってくださいよぉ」

 引き止める声を尻目にゲームセンターを出ようとすると、不意に出口を遮る影が現れた。

 

「待て!!」

 

 周囲の人々が声のした方へ目を向けると、そこにはひとりの男が仁王立ちしていた。地面に着きそうなほど長く白いコートに身を包むその姿からは、どこか威厳が滲み出ているような気がする。

「なっ!? お前はまさか……!」「かつてシドと対等に渡り合ったという西の高校生ゲーマー……」「人呼んで〈カイザーシーホース〉!!」「馬鹿な、どうしてこんなところに!?」

 頼んでもいない解説を始めるギャラリーに釣られて顔を上げると、士道にとってあまり見たくない顔がそこにはあった。思わず顔を顰めて目を逸らす。

(あいつ……。確か中学卒業まで何かと絡んできた隣町のやつじゃなかったか? なんでこんなところに……)

 そんな士道の疑問に答えるように、シーホースと呼ばれた男はふんぞり返ってこちらを見下すように話しかけてきた。

「ふぅん。KKK、シドが復活したと聞いて飛んできたのだ。文字通り自家用ジェット機でな!」

「あいつすげー金持ちだって聞いてたけどそんなもんまで持ってるのかよ!」「隣町から来るのに空路を選択しちゃったの!?」「やっぱボンボンの考えることは理解できねーな」

 周囲からは明らかに引かれているが、男は顔色ひとつ変えずに真っ直ぐ士道だけを見つめていた。その視線に、士道は嫌な予感をひしひしと感じる。

「俺のことなどどうでもいい。1年前、俺に勝ち逃げしたまま姿を消した男シド。遂に見つけたぞ。あのときの雪辱、今こそ果たさせてもらうぞ! ……って何処に行く!!」

「マジで勘弁してくれ……。俺はもうそういうのは卒業したんだよ。逃げたんじゃなく引退したんだ、頼むから放っておいてくれ」

「なんだと!?」

 自然に横を通り抜けようとしたのだが、やはり駄目だった。肩を掴まれ、強引に動きを止められる。

 その様子を見て十香は僅かに顔を顰めると、2人の間に割って入り、男の手首を掴み上げた。

「おい貝柱シーフードとやら、シドーは病み上がりなのだ。余りしつこいと――」

「女は黙っていろ! 暗黒に染めるぞ!!」

「あっ」

 シーフードが掴まれた手を咄嗟に振り払うと、その腕が十香の被っていた帽子に当たり、地面に落としてしまった。

 その瞬間、十香からとてつもない殺気が放たれる。

「シドーが選んでくれた帽子を……。貴様……!」

「ひっ!? な、なんだこのプレッシャーは!?」

 帽子を拾った十香が一歩踏み出すと、先ほどまでの高圧的な態度は何処へやら、男は顔を青くして震え上がった。しかし、殺気の出所は1つだけではなかった。

 十香の後ろからゆらりと出てきた士道が男に詰め寄ると、ハイライトの消えた瞳で語りかける。

 

「お前、今何をした……?」

 

「えっ」

「十香に手を上げたのか?」

「あ、あの……」

「十香は今日のデートを心の底から楽しみにしてたんだよ……」

「は、はい?」

「それを台無しにしやがって……。ステージに上がれこのキャベツ頭があああ!!」

「ウエエエ!?」

 その瞬間、待ってましたとばかりに周囲から歓声が上がる。

「そうだ、それでいいんだよ士道君。いやシド! 世界は君を待っているんだ!!」「出た! シドさんの〈闇の鎮魂歌(ダーク・レクイエム)〉モードだ!」「普段は光と闇が混在するシドさんの心の闇が暴走したときに現れる激レア状態よ!」「きひひ、ああなったらもう誰にも止められませんわ!」「勝ったな風呂入ってくる」

 一気に会場のボルテージが上がり、そこかしこから喝采の声が上がる。十香はそんな周囲の雰囲気に気圧され、すっかり怒りを忘れてしまっていた。

「い、一体なんなのだこれは……。シドーもみんなもどうしてしまったのだ?」

「あれは君のためだろうね」

「テンチョー! どういうことだ?」

 十香の隣に移動してきた店長は肩に手を置くと、諭すような優しい声で語りかけた。

「普段温厚な士道君が怒るのは、決まって自分以外の誰かが傷付けられたときなのさ。それもいきなり闇モードとは……。君は相当大事にされてるんだろうねぇ」

「そ、そうなのか? それはなんだか……むずむずするのだ」

 顔を赤らめ恥ずかしそうに身を捩る十香を、店長は微笑みながら見つめていた。

「おっと、ゆっくり眺めている場合じゃないか。店長としての役目を果たさないとね」

 そう言うと、店長は足早にステージの方へ向かっていった。その先では士道とシーフードが一触即発の雰囲気で対峙している。

「闘いの生態系、闘いの食物連鎖。女にうつつを抜かす軟弱者など誇り高き獅子に触れることすら許されぬと教えてやる!」

「みぞおち……。喉仏……。人中……。乳様突起……」

「人の急所を舐めるように見つめるのをやめろぉ!!」

「そこまでだよ! この勝負、店長権限により公平にジャッジさせてもらう! 2人の決着はこれより『EXTREME』にて執り行う!!」

 突如として乱入した店長の言葉で、会場は更なる熱気に包まれた。

 後ろの方ではてなマークを浮かべている十香の側で、屈強な男2人が神妙に頷く。

「『EXTREME』……。それは古より伝えられし伝説の決闘方法。お互いに競技種目を書いた紙を複数枚箱の中に入れ、そこからランダムに引いた紙に書かれていた競技で闘うというルールだ」

「オフィシャルでは先に3勝した方が勝者、ですな? 兄貴」

「うむ」

「解説ありがとうなのだ、でっかいの1号2号」

「「恐縮です十香の姉御!」」

「アナゴ?」

「十香さんはシドの兄貴の大事な人なんすよね? じゃあ俺らの姉御で違いねぇっす!」

「これって……勲章ですよ?」

「うむ……? よく分からないが、私とシドーは深いところで繋がった仲なのだ。大切な存在なのは間違いないぞ」

「「ヒュー!」」

 

 そんなやりとりを他所に、ステージの上では闘いの準備が完了したようだった。いつの間にか用意されたホワイトボードには、でかでかと「1回戦、バン達・ベースバトル」と書かれている。

「ふぅん。早速俺のフェイバリットを引いてしまったようだな。初戦は俺の勝利――」

「何勘違いしてるんだ?」

「ひょ?」

「俺の得物がギターだけだと思うなよ」

「なっ! まさか……!」

「ギターと間違えて買ったあと死ぬほど練習したんだよ、ベースもなぁ!!」

「な、なんだとぉ!?」

 頂点を決める戦いが、今始まった。

 

 

 

 

 

 

「シドー! 見るのだ、すごく綺麗な夕陽だぞ!」

「あぁ、そうだな……。俺には眩しすぎてやけに目に染みるよ……」

 時刻は18時に迫ろうかというところ。士道はデートの終わりにと、思い出の高台を訪れていた。初めてのデートで訪れ、紆余曲折有りながらも初めて十香とキスをした、この場所へ。

 柵に手を掛け辺りを見回す十香は、子供のようにキラキラと目を輝かせている。その表情からは出会った当初のような剣呑さは微塵も感じられない。

「これがシドーの暮らしている町なのだな……」

 天宮市を一望できるその場所で、十香は優しく微笑みながらしみじみと呟いた。士道はその横に立ち、そっと肩を抱き寄せる。

「これからは十香の暮らす町でもあるんだよ。一緒に学校に行って、勉強して、遊んで、それから帰りに美味しいものでも食べて……。そんな日常がこれから十香を待ってるんだ」

「そうか……。そんな日々が、本当に手の届くところにあるのだな……」

 十香は士道の肩に頭を預けると、これが現実であることを確かめるように、士道の手をしっかりと握った。

 

 そのままゆっくりと、時間が流れていく。

 暖かなそよ風に吹かれて、桜の花びらが飛んでいく。

 もうすぐ桜が散り、やがて夏がくるのだろう。きっとその頃にはもっと賑やかになり、騒がしくも愛おしい、掛け替えのない日々となる。

 そんな当たり前の日常を享受できることを、士道は何よりも望んでいた。

 例えそれが、どれほど難しいことだろうとも。

 

 あれから、折紙は1度も学校に来ていない。居留守なのか不在なのか、家を訪ねても会うことができず、そもそも連絡先すら交換していないことに気付いたのは今頃になってからだ。

 他の精霊たちとも未だにコンタクトを取れておらず、彼女たちがどこにいるのかすら分かっていない。

 未来の知識を活かすには、過去と現在の世界では状況があまりにも違いすぎていた。

 だがそれでも。士道は決して諦めたりはしない。

 消えてしまった彼女の前で、あのとき確かに誓ったのだから。精霊たちを絶望の未来から救ってみせると。

 もう2度と果たされることのないもうひとつの約束を大切に胸に仕舞い込み、今ある幸せを守り抜く決意を込めて十香の手を握り返した。

 士道の雰囲気が変わったことに気付いたのか、十香が潤んだ瞳で見上げてくる。士道はそれを察すると、どちらからともなく唇を寄せ合い、そして。

 

 ぐうぅぅぅぅぅ〜。

 

 触れ合う寸前、なんとも気の抜けた空腹を知らせる音が聞こえてきた。

「あ……」

「ぷっ! あはははは!」

「わ、笑うな! なんだかいい匂いがしたからつい……」

「いやだって! あれだけ食べたのに、あは、あははははは!」

「むぅぅぅ〜!」

 甘酸っぱい雰囲気は霧散し、ぽかぽかと胸を叩く十香が可笑しくて士道は更に笑うのだった。

 ひとしきり笑ったあと、どこからか軽やかな音楽が聴こえてくることに気付いた。どうやら近くに屋台か何かが来ているらしい。

「花見客用にお店でもやってるのかな? 見てきていいぞ。俺はもう少しここで休んでるからさ」

「いいのか!?」

「あぁ、もちろん。でもあんまり遠くには行かないでくれよ」

「分かったのだ!」

 返事をしながら、既に十香は走り出していた。その姿は段々と小さくなり、階段を降りてすぐに見えなくなる。

「昼間あれだけ食べたのに……。元気だなぁ」

 そう呟くと、士道は再び町を眺めるのだった。

 

 気付けば遠くの空では星が輝き、平和な町並みにはぽつぽつと光が灯り始めている。

 あの光ひとつひとつに人がいる。笑って、泣いて、そして支え合って、顔も名前も知らない誰かが大勢生きている。ふと、そんな当たり前のことが頭をよぎった。

(でも……。どこを探しても、万由里はいない)

 あの日、一方的に別れを告げて万由里は消えてしまった。士道にはそれが信じられず、時間が経った今でもふとした拍子に彼女の影を探してしまうのだ。

 人混みの中。

 教室の隅。

 廊下の曲がり角。

 木陰の下。

 ベッドの中。

 どこを探しても、どれだけ探しても万由里は見つからなかった。

 冗談の好きな彼女のことだ。そのうちひょっこり顔を出すんじゃないかと、そんな風に考えていた士道だったが、色々な場所を探すうちになんとなく理解してしまった。

 この世界に来てからずっと士道を支え、励ましてくれた彼女は、もうどこにも居ないのだと。

 

 ――何よ寂しいわけ? 男のくせに情けないわね。

 

「馬鹿言うなよ万由里。俺、すげー強いんだぜ? なんたってあのエレン・メイザースを倒した男だからな」

 ポケットから鍵を取り出し、空にかざしてみる。沈みかけの夕陽に照らされ金色に輝くそれを見ていると、人を小馬鹿にするような声が聴こえた気がして。思わず強がりを言ってみた。

 

 ――ほんとかしら? 怪しいわね。

 

「嘘じゃないさ。それに怪我も治ったし十香も元気になった。これ以上は無いってくらいのハッピーエンドだよ」

 誰に向ける訳でもなく、士道は胸を張って目を閉じた。同時に大きく息を吸い込む。そうしないと、何かが溢れ出してしまいそうだったから。

 

 ――それは大層なことね。じゃあ、もう他には何も要らないわね。

 

「そうだよ。お前がいなくなったって、俺は全然平気なんだ」

 周りに誰もいなくてよかった。きっとその声は震えていただろうから。

 

 ――じゃあどうしてよ。

「……やめろ」

 

 ――どうしてあんたは。

「もう、やめてくれよ」

 

 ――そんな風に、泣いてるのよ。

「やめろって言ってるだろ!!」

 

 気が付けば、士道の頬からは涙が零れ落ちていた。必死に拭い、流れ出さないように上を向いても、一向に収まる気配はない。

「くそっ! なんで、どうして止まらないんだよ! 泣かないって誓ったはずなのに! 俺はどうして……」

 

 こんなにも弱い。

 

 その理由は自分が1番良く分かっているから。きっとこの涙が止められないということを、誰よりも士道自身が理解していた。

 失ったのがどれほど大切なものだったか気付くのは、いつだって手遅れになってから。

 士道はそれを嫌というほど知っている。だから失くさないように必死に努力を重ねた。

 頑張って、頑張って、頑張り抜いて。そして結局、また手のひらから零れ落ちてしまった。

 

 声を上げてしまわないよう歯を食いしばる。肩を震わせて耐えるうちにすっかり日は落ち、辺りを優しい闇が包み込んでいた。

 花飾りの鍵を握りしめ、士道は顔を上げる。その目は赤く腫れ上がっていたが、確かな意志を感じさせる強さがあった。

「じゃあ、これからはどうするの?」

「もっと強くなるよ、俺。大切なもの全部、ちゃんと守れるように、今度こそ」

「うん、それでいいのよ。何があっても、あんたは前に進み続けなさい」

 

 最早懐かしいとも思える声を聞いた士道は涙を拭って振り返ると、後ろに立つ万由里を真っ直ぐ見据えた。

 

「ありがとう。それとごめん。色々と心配かけちまったな」

「気にしないでよ。私はあんたのパートナー、頼れる相棒なんだから」

 そう言っていたずらっぽく片目を閉じる彼女を、士道は力強く抱きしめた。

「ふぇ!?」

「俺、もう大丈夫だから。もう絶対、泣いたりしないから」

「う、うん……」

「お前に心配かけないように頑張るから」

「……うん」

「……だから万由里、安心して行ってくれ」

「どこに!?」

 本気で驚愕の声を上げる万由里の顔を至近距離から見つめ、なんだこの幻影全然消えねぇな、などと考える。試しにほっぺたを摘んでみると、確かな暖かさと柔らかさが伝わってきた。

「いひゃいいひゃい! ひょ、はらひて! は、はら……。離しなさいったら!」

 摘んでいた指をこれまた小さくて暖かい手に掴まれると、強引に引き剥がされてしまった。

「いきなり何すんよの! この美しいほっぺたが伸びたらどう責任取るつもりなの!」

 ぷりぷりと怒る彼女を、士道はぽかんと眺め続ける。そして。

 

 

 

 

 

「……………え?」

「え?」

 

 

 

 

 

「万由里?」

「なにさ」

「え?」

「え?」

「……成仏して、どうぞ?」

「しませんけど!?」

「え?」

「え!?」

 

 

 

 

 

「えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!???」

 

 

 

 

 

 人生の中でもトップクラスに驚いた士道は、目の前の現実を確かめるように万由里の身体を触りまくった。

「本物!? いつの間に!? というかどうして実体化してるんだ!?」

「あはは、くすぐったいってば! どうしても何も、力を使いすぎて消えたんだから力が回復したら元に戻るに決まってるじゃないの」

「充電式の電化製品かお前は!!」

「なんだとこのヤロー!」

「あれ、でも胸が薄……。まだ完全には回復してないのか?」

「ぶっ殺すぞ」

 その後もわちゃわちゃしているうちに、万由里の身体は以前のように透けて触れなくなってしまった。

「ま、万由里!」

『大丈夫、もう消えたりしないわよ。実体化が切れただけ。士道の保有霊力が増えたからできるようになったんだけど、どうやら持続時間は1分てとこね』

「そうだったのか……。良かった……本当に良かった」

 万由里が消えないことに本気で安堵した士道は、大きく息を吐きながら胸を撫で下ろした。

『そんなに喜んでくれるとは思わなかったわ。いや〜、隠れて練習した甲斐があったってもんね!』

「……………………は? 今なんて?」

『え? いやだから、ここ最近はずっとあんたに隠れて実体化の練習を……。あれ、なんか怒りの感情がひしひしと』

「万由里」

『は、はい』

「1発殴らせろ」

『ひぇぇぇ!!』

 暗がりの中、自分にしか見えない相手と追いかけっこをする士道。しかし、誰かに見られる心配などする余裕もないほど、士道の胸中には様々な思いが渦巻いていた。

 散々心配をかけさせた万由里への怒りと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことへの悲しみ、やるせなさ。そういうものが入り混じった感情だ。

 きっと士道の知らないところで、士道の想像もつかないような艱難辛苦を乗り越えて万由里はここに立っているのだろう。或いはもしかしたら、まだ。

 それを証明するように彼女の心に僅かに落ちる影を感じ取ることができても、かける言葉を見つけることが出来なかった。

 きっと今の士道が聞いたところで、どうしようもできないようなことなのだろう。万由里は何も言わない。ならば士道も何も聞かない。

 少なくとも今この瞬間、目の前に大切な少女がいてくれる。士道にはそれで十分だった。

 何故なら、彼女の顔を見るだけで、彼女の声を聴くだけで。今までのドロドロとした暗い気持ちを消し飛ばすほどの喜びが心の底から溢れ出てくるから。

 そしてこうして戯れ合うのが楽しいのは万由里も同じなのだろう。いつしか彼らは大笑いしながら、子供のように辺りを走り回っていた。

 この瞬間がずっと続けばいいのに。

 心の底から、士道はそう願った。

 

「ただいまなのだシドー! む? 何をしているのだ?」

「あぁ、お帰り十香! ちょっと暴れたい気分だったんでな。ひとっ走りしてたところだ! 美味しいものは見つかったか?」

「うむ! 外で食べるおやつというのも良いものだな! 端の店から順番に食べ進めたのだが、もう材料が無いと言われたのでな。お土産のお団子を貰って帰ってきたのだ!」

「そ、そうか……。それは残念だったな」

『あの細い身体のどこに消えてんのかしらね。相変わらず謎だわ』

 誇らしげに団子の入った袋を掲げる十香が士道の隣まで来ると、キョロキョロと辺りを見回した。

「どうした?」

「む? さっき誰かの声が聴こえたような気がしたのだが、誰も居ないのか?」

「『え!?』」

「それになんだか……」

 十香は目を閉じてくんくんと鼻を鳴らしながら辺りの匂いを確認していき、やがて士道の胸に顔を埋めた。

「お、おい十香?」

『オイオイオイこんな往来でお熱いことですなぁ! 帰ってきたばっかだけど席を外しましょうか旦那ぁ?』

 

「知らない女の匂いがする」

 

「『ひえっ』」

 顔を上げて真っ直ぐに士道を見つめる瞳が、今までに見たことのない冷たい輝きを放つ。別にやましいことはないのだが、何故か2人は震え上がった。

『じゃ、オラギャラ貰ってけえるから』

(オイふざけんなよ! それは悟○の台詞でもなんでもねぇから!)

「誰なのだシドー。誰とここで話していたのだ? なんの話を。なんの為に。答えるのだシドー」

「『ひぃぃぃ〜!!』」

 ぐいぐい来る。異様な雰囲気に気圧され口をぱくぱくさせていると、ふっと十香の圧が消えた。

「むぅ……」

「と、十香?」

「すまん、困らせてしまったな。シドーが話せないというなら、きっと私が無理に聞き出すべきでは無いのだろうな……」

「それは……」

「だが!」

 俯きながら上目遣いで士道を見つめるその表情に、不安さが滲んでいるのが見てとれた。

「目が覚めてからずっと、シドーはどこか辛そうにしていたのだ。私はそれを分かっていながら何も出来なかった」

「う……。気付いてたのか」

「当たり前だろう。シドーは私を救ってくれた恩人で、大切な人で……。だからシドーを元気付けられるように、私なりに色々やってきたつもりだったのだ」

「それであれこれ世話を焼いてくれてたんだな」

『健気ねぇ。こんなすけこましなんかのために』

 隣で万由里が頭をぐりぐりしてくるが、士道は十香から目を離さない。

「でも、それは私の役目ではなかったのだな。たった少しの間でシドーをこんなにも元気にすることは、私にはとても出来ないのだ」

「そんなことない! 十香はいつだって俺に元気を与えてくれたさ。それで俺がどれだけ助けられたことか」

「……本当か? こんな私でもシドーの側に居てもいいのか?」

「当然だろ! むしろ居てくれないと困るって。俺たちもう家族みたいなもんなんだから」

「かぞく……?」

 聞き慣れない単語に首を傾げる十香の手をしっかりと握り、安心させるのうにゆっくりと言葉を紡ぐ。

「家族ってのはな、一緒に居るのが当然なんだよ。楽しいときも辛いときも、いつでもそれを一緒に分かち合う。他のどんな絆よりも強い力で結ばれてるんだ。だから……」

「シドー……」

「良いとか悪いとか、そんなこと気にするな。ずっと一緒に居よう。十香」

「…………うむ! ありがとうなのだ!」

 そのまま手を繋ぎ、ゆっくりと家路を辿り始める。2人の表情には、もうなんの不安も迷いもなかった。

 大切な人が側に居てくれる。たったそれだけのことで、こんなにも心が晴れわたるのだと、士道は改めて知った。そんな彼らを、万由里は笑顔で見送るのだった。

 

 

 

(いや何ボーっとしてるんだよ。お前も帰るぞ万由里)

『えっ? いいの?』

(駄目な訳ないだろ。ほら)

 士道は十香に気付かれないようそっと空いた方の手を差し出すと、万由里はおずおずとそれを握り返した。

『この雰囲気に割り込むって、私ちょー空気読めてない気がするんですけど……』

(何訳分からないこと言ってるんだよ。さっき言ったろ? 家族なんだから遠慮すんなよ)

『っ! ま、まぁ? あんたがそこまで言うなら仕方ないわねぇ〜。……えへへ』

 士道を挟んで、3人仲良く歩みを進める。

 こんな光景を士道はずっと夢見ていた。そしてそれは、今やっと現実になったのだ。

 

 彼らは進む。

 数多の困難が待ち受ける世界で。

 それでも懸命にもがいて、生きていく。

 どれだけ辛くとも、仲間が居ればきっと乗り越えていける。

 

 そう願う彼らを優しく包み込むように、満天の星空から柔らかな月の光が降り注いでいた。




ありがとうございました。
これにて十香クライシス完結です。
連続更新は今日で一旦終了ですが、今後もゆっくりと更新していければなと思っています。
詳細が決まれば活動報告に上げる予定ですので、どうぞ気長にお待ちいただければ幸いです。


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幕間 ―真士君の日常―
幕間1 おわりがはじまる


オリジナル設定盛り盛りの本筋にしばらく関わらないおまけ話になりますので、苦手な方は読み飛ばしていただいて大丈夫です。


「青春」

 青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心のもち方を言う。

 たくましい意志、豊かな想像力、燃える情熱をさす。

 青春とは臆病さを退ける勇気、安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。

 年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いる。

 頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、80歳であろうと人は青春にして已む。

 

 

 

 誰の受け売りか知らないが、聞いてもいないのにあいつがあんまりしつこく高説を垂れるものだから、頭に焼き付いてしまった。こんなものを覚えたところで、俺には一生縁のないものだというのに。

 

「オイ新入りィ! ボサッとしてんじゃねぇぞ!」

「…………うす」

 

 余計なことを考えていたせいで、手が止まっていたようだ。俺は慌てて資材を担ぐと、軋む身体に鞭打って歩き始める。

 割の良い仕事があると聞いて飛びついた建設現場のバイトだったが、夜間工事だの長距離移動だのとなかなかにハードだ。おまけに身体を酷使する作業ばかりのため、痣や切り傷が絶えることはなく、重度の筋肉痛がここ最近の悩みの種だった。

 

 日付が変わってから更に時計の針が1周ほどしたところで、リーダーらしき男から本日の業務終了が告げられた。汗と埃に塗れた手で薄汚れた封筒を受け取り、飯屋に誘う鬱陶しい中年オヤジを無視して帰路に就く。

 

 家に着いても出迎えはない。当然だ、この家の住人共はとっくに寝ているか、そもそも帰ってすら来ないのである。むしろ起きているようならさっさと寝ろとゲンコツを喰らわせるところだが、幸いにもそういったことが今まで1度もないところを見るに、あいつらもそれを分かっているのだろう。シャワーを浴び、物音を立てないように着替えを済ます。

 ふとテーブルの上を見ると、丁寧にラップで包まれた晩飯が用意されていた。その上には、やけに達筆な文字で書かれたメモが1枚。

 

『お仕事お疲れさま。

 おみそ汁もあるから、温めて食べてね。

 明日の朝はちゃんと起こすから、寝坊しないように!』

 

 皿を手に取ると、まだ少し温かかった。

「あの馬鹿……。一体何時まで待ってやがったんだよ?」

 悪態を吐きながらも、ラップを剥がして手早く腹の中に収めていく。眠気に襲われながら身体に染みついた作業のように済ませた食事だったが、それでもなお「おいしい」と感じさせるものが、そこにはあった。

 

 ようやく布団に入った頃には、すでに午前3時を回っていた。あと2時間もすれば、東の空は白んでくることだろう。まだ昇ってもいないのに、これから睡眠を妨げるであろう朝日に苛立ちを覚えながら、目を閉じる。

 あれほど睡魔に襲われていたはずなのに、何故かなかなか眠ることができない。代わりに思い出したくもない今日の出来事が、頭の中に浮かんでは消えていった。

 周りから向けられる負の感情。恐怖、憐憫、戸惑い、怒り。とは言っても、それは別に今日に限った話ではない。周囲から浮きまくっている俺の存在は、他人から見れば異常そのものだから。

 

 人の輪に入れない。

 規律を守らない。

 素行不良で愛想も悪い。

 

 凡そ人から嫌われる要素をほとんど網羅しているのではないかと思うと、最早笑いさえ込み上げてくる。

 こんな俺に好意的な目を向ける奴がいるとすれば、それは詐欺師か頭のネジが外れたイカレ野郎だけだ。

 好きでこうなったわけではないのだが、直すのも億劫。それに、既に青春時代の大半を棒に振ってきた俺が、今更他人に好かれてなんになるってんだ。

 ……いや、そういえば青春ってのは年齢の話じゃないんだったか。

 

「希望持ってりゃ80でも青春……か」

 

 またあの言葉が蘇る。

 流石にそれは言い過ぎだろ。次の瞬間には寿命でぽっくり逝くかもしれないのに、夢も希望もあるもんか。

 

 でも、もし。

 仮に。

 仮に青春をやり直せるとしたら、俺は……。

 

 

 

 かつて憧れたような、誰かと笑い合えるような日々を。

 送ることができるのだろうか。

 

 

 

 そんなあり得ない想像をしているうちに、意識は薄れ、俺は深い眠りの中に落ちていった。

 誰かの温もりを、近くで感じた気がした。

 

 

 

 

 

 

 目を覚ますと、時刻は既に10時を回ろうかというところ。もっと前に起こされたような気もするが、今こうしているということは、たぶん俺は2度寝を決め込んだんだろう。

 今更急いでも仕方ないので、ゆっくりと布団から這い出て、眠い目を擦りながらリビングに移動する。

 するとテーブルの上には、昨夜と同じ位置に飯が用意されていた。食パンと目玉焼きとベーコン。お手本のような朝食だ。

「そういや昨日は片付けもせずに寝ちまったんだっけか」

 食器棚をみると、昨夜使った茶碗やら皿やらが綺麗に並べられているのが見えた。

「律儀な奴だなほんと」

 俺には到底真似できないことだ。きっと1人暮らしなんか始めたら、あっという間にそこはゴミ屋敷と化すだろう。今真っ当に人間らしい暮らしが出来ているのは、もしかしなくてもあいつのおかげなのかもしれない。

 そんなことを考えながらも食事を終え、一応使った皿は流しに置いておいた。

 軽く顔を洗い、制服に着替えて玄関を出る。既に俺以外誰もいないので、見送りの言葉はない。代わりに聞こえてきたのは、最近更に建付けの悪くなった扉の軋む音だった。

 ……いや、見送りならいた。以前からうちの床下に住み着いている猫。最近子供が何匹か産まれたらしく、そのうちの1匹、金色の毛並みをした子猫がこちらをじっと見つめていた。

 確か名前は……なんだっけ? なんか海賊っぽい感じだったような……。

 まぁいいや。猫に挨拶するほど人生に疲れてもいないので、一瞥をくれ歩き出す。

 

 今にも泣きだしそうな曇り空を見上げて、ふと思い出した。

「そういや雨漏りしてたっけか……。後で直しとかなきゃな」

 やや広いだけが取り柄のオンボロ木造建築2階建て。

 

 ――孤児院「たいようのいえ」。

 

 名前にそぐわない薄汚れたこの建物が、俺の暮らす場所で、俺の世界そのものだった。

 

 

 

 

 

 

 誰もいない廊下を歩く。何百人と生徒がいるはずのこの学校がこんなにも静かなのは、単純に授業中だからだ。

 自分のクラスに辿り着き、特に配慮もなく教室の扉を開けると、視線が一斉に集まってくる。好意的とは対照的な、不愉快な視線が。

 ……まぁ遅刻してきたのは俺なので、特に文句もない。

「崇宮か……。さっさと座りなさい」

 教壇に立つ男は面倒くさそうに一言吐き捨てるように言うと、再び黒板に向かい始めた。それに合わせて、他の生徒の視線も散っていく。

 俺はというと、特段遅刻に対する謝罪を述べるでもなく、窓際後方にある自分の席へ腰を下ろし、教科書すら出さずに突っ伏して睡眠へ移行した。

 仕方ないだろ? 眠いんだよ。

 俺の意識はすぐに沈んで、次に目が覚めたのは昼休憩に入ってからだった。

 

「ふあぁあぁあ〜」

「やぁ、ようやくお目覚めだね崇宮君」

「んぁ? ……なんだ五河か」

 寝起きの俺に馴れ馴れしく話しかけてきたのは、クラスメイトの五河竜雄だ。校内でも指折りの不良である(そういうことになっているらしい)俺に話しかけてくる、数少ない人物の内の1人。

 進級して同じクラスになり約1ヶ月。短い付き合いでしかないが、こいつの人当たりの良さはちょっと常軌を逸していることを、俺は感じ取っていた。ラノベの主人公か何かだろうか。いやラノベってなんだよ。

「あはは、なんだとは酷いなぁ。それより、今日も盛大に遅刻だったね。また嫁さんに怒られるんじゃないかい?」

「ほっとけ。あと誰が嫁さんだ誰が」

 驚くべきことに、五河は俺に対して一切の悪感情を抱いていないようなのである。こうして睨みつければほとんどの奴は顔を引き攣らせて離れていくのに、こいつはニコニコと人の良さそうな笑顔を浮かべ、俺の前の席に座ってきた。

 俺に好意的な人間は2種類いると言ったが、これは詐欺師ってタイプでもないので、たぶん頭がおかしいのだろう。

「用がないならどっか行ってくれ。俺はまだ眠いんだ」

「えぇ、まだ寝るのかい? 相当お疲れのようだね。工事現場のバイトってやっぱりキツいの?」

「……誰に聞いた、そんなこと」

 先ほどとは違うドスの効いた声で問うと、流石に地雷を踏んだと気付いたのだろう。慌てた様子で弁明を始めた。

「あぁいや、別に誰からってことでもないんだけど。だた、ちょっとした噂になってたからさ」

「あ? 噂だと?」

「うん。君のバイトの件っていうよりかは、彼女の武勇伝の一部って感じでさ」

「彼女……。澪のことか。今度は一体何をやらかしやがった?」

 なんだか嫌な予感がしつつも、俺は先を促す。すると五河はなんとも言い辛そうにしながら、少しだけ目を逸らした。

「どうせそのうち耳に入るだろうから言うけど、今朝方職員室から言い争う声が響いてきてさ。よくよく聞いたら、なんと澪さんが先生たちを相手に怒鳴り散らしてたんだよ」

「へぇ……。あのクソ真面目優等生がか、珍しいこともあるもんだ。一体どうして」

「うん、それが……その」

「さっさと言えっての!」

 五河が再び言い淀むので、いい加減イライラしてきた。思わず机を叩いた俺を見て、観念したように口を開く。

「先生たちが君のことを悪く言っていたのを、偶然耳にしたかららしいんだ。生活態度が悪すぎるとか、あまりにも遅刻が多いとか、夜な夜な出歩いては碌でもないことをしてる、とか。あとはまぁ、これ以上問題起こす前にさっさと退学にするべきだ、とかね」

「は? そんなことで? 全部本当のことだし至極真っ当な意見じゃねえか」

「それを聞いたらあの子はまた怒るだろうね……」

 澪が声を荒げるところなんて俺は見たことがなかったが、どうやら教師たちはあいつの数少ない逆鱗に触れてしまったらしい。

「よく分かんねぇけど、その流れで俺がバイトしてるって話になったわけだ」

「そうだね。『みんなの生活のために頑張ってるシンを馬鹿にするな!』って、それはもうすごい剣幕だったよ」

「やけに詳しいじゃねぇか。お前さては野次馬に混じってやがったな」

 俺が半目で睨むと、五河は観念したように苦笑いを浮かべた。余計なことに首を突っ込みたがるのは、お人好しの性みたいなもんなんだろう。

「彼女も君もうちの学校では相当な有名人だからね。もし僕がその場に居なくたってすぐに噂は耳に届いただろうさ」

「一緒にすんな。あいつは良い意味で有名だけど俺のは悪評ばっかだろ」

「そんなことないよ。君の良い話も僕は結構知ってるさ」

 ニヤリと気持ちの悪い笑みを浮かべる五河に若干引きつつも、内容は純粋に気になった。興味がなさそうな雰囲気を醸し出しつつもそれとなく探りを入れてみるか。

 いやこいつにどう思われようとも俺の知ったことじゃないのに、何を遠慮してるんだ俺は。

「嘘つくんじゃねぇよ。本当にあるなら言ってみろ」

「ここって結構な進学校だろ? そういうところの女子って、意外とアウトローに興味があるみたいでね」

 聞いてがっかりした。1番興味のないタイプの話だこれは。

「……んだよ、そういう話か。くだらねぇ。女絡み以外のネタ持って来いよ」

「じゃあ無いね」

「無ぇの!?」

「ごめん、ちょっと僕のデータには……。他はヤクザの女に手を出して命を狙われてるとか、商店街を幼女を連れて歩いてたとか、校内で着々とハーレムを築きつつあるとか、そんなことばっかりだし」

「良い噂はどこいったんだよ! クソみてぇな話ばっかじゃねぇか!!」

 思わず大きな声を上げると、クラスの連中が何事かと目を向けてきた。うざったいので睨みつけてその視線を散らしていく。

「すまない。無力な僕を許してくれ」

「テメェも何言ってやがんだ」

 

 なんとなく会話の区切りも付いたので時計を見やると、既に昼休みが15分近く浪費されているのに気付いた。これ以上眠りの邪魔はされたくないので、どこか空き教室にでも移動しようと考え席を立つ。

「おや、どこに行くんだい?」

「お前が居ないとこ」

「あはは、手厳しいね。でも僕も馬に蹴られたくないし、丁度良かったよ」

「あ? 何言って……」

 ゾワリ、と。背後から怒気を感じ取り、恐る恐る振り向く。するとそこには――。

 

 

 

「おはようシン。今朝は遅刻せずに登校できたのかな?」

 

 

 

 ニコニコと笑みを浮かべているはずなのに、何故か背後に燃え盛る炎が見える。

 神に愛されたとしか思えないほどの、整いすぎた容姿。

 しかしそれ故か、神に嫉妬され見放された存在。

 

 崇宮澪。

 

 俺と同じく「たいようのいえ」に住み、同じ学校に通う彼女が、長い髪を靡かせそこに立っていた。

 

「あ……あぁ。ばっちり間に合ったよ」

「そう。それは良かった。じゃあ授業の内容で訊きたいことがあるから、もちろんお昼、付き合ってくれるよね?」

「……はい」

 怖い。バイト先の親方でもこんな威圧感はねーぞ。

「五河君、足止めご苦労様」

「俺を裏切ったな」

「頼まれはしたけど、僕はそんなつもりはなかったよ。友人と楽しく話してただけさ」

「いつか殺す」

「五河なだけに……。フフッ」

「今殺す」

「その前に私と話そうか」

「ヒェッ」

 

 後ろ襟を掴まれた俺は、成す術もなく連行されるのだった。

 

 

 

 

 

 

 連れてこられたのは、部室棟にある物置部屋のようなところ。その一角に磨かれた机と椅子がポツリと置いてあり、2人座るには十分なスペースが用意されていた。

 この部屋は以前まで演劇部の部室として使用されていたのだが、部員の減少と共に自然消滅してしまい、以来倉庫として使われているらしい。心底どうでもいい情報だ。

 2つある椅子の片方には既に澪が座っており、所狭しと弁当を展開していた。

「……説教でもされるのかと思ってた」

「するよ?」

「するのか」

「でも食べた後にね。今日は朝から色々あってお腹空いちゃったから」

「……さいで」

 めんどくせぇな。食べたら逃げるか。

「逃がさないからね」

「人の思考を読むな」

「シンの考えてることならなんでもお見通しだよ。それよりほら、早く食べちゃわないとお昼休みが終わっちゃう」

 そう言って箸を差し出してくる澪。むりやり逃げてもいいが、それをやると後が怖すぎるので渋々受け取る。ひとつ屋根の下で暮らしていると、何かと不便なんだよ。

 目の前の弁当箱に詰められていたのは煮物にほうれん草、焼き魚に卵焼きなど。うろ覚えだが、昨夜食べたメニューに似ている気がした。

「ん……どっかで見た献立だな」

「そりゃそうだよ。晩御飯の残り物だからね」

「そうか」

 似てるんじゃなく同じのものだったようだ。

「もう少し時間があれば別のものも用意できたんだけどね。誰かさんを待ってたら遅くなっちゃったから」

「別に頼んでねぇよ。お前が勝手にやったことだろ」

「すぐそういうこと言うんだから。女の子にはもっと優しくしないとモテないんだよ?」

 またその手の話題かよ。どいつもこいつも2言目には愛だの恋だのと、発情期か?

 ジト目で睨んでくる澪を無視して、さっさと食べることにした。

「別に文句がある訳じゃない。何食っても大して変わりゃしねぇんだから」

「む。それは私の料理が全部マズイって意味かな?」

 箸を止めて頬を膨らませる澪。中々あざとい顔をしている。

 身内に対しての評価だから客観的な意見かどうかは怪しいが、こいつは相当整った顔をしていると思う。性格もいいし気配りもできる。

 おまけに恋愛うんぬん言ってるところをみるに、そっち方面への興味も人並みに持ち合わせているようだ。しかし、どういうわけかこいつも俺と同じく独り身らしい。

 本来なら性欲旺盛な男子高校生が放っておくわけがないんだが、なんでもバックにヤクザより怖い男が付いてるから手出しできないんだとか。

 誰だよそいつ、俺は見たことねぇぞ?

「膨れてねぇでさっさと食べろ。昼寝の時間が減る」

「酷い……。頑張って作ったのに……」

 無視して食べることに専念していると、今度はあからさまに落ち込み始めた。

 …………あぁもう、ほんとにめんどくせぇな!

「不味いなんてひと言もいってねぇだろ。どれ食ったって…………から」

「え?」

「……」

「……聞こえなかった」

「…………」

「うぅ……泣きそう」

「だあぁ!! 全部うめぇから一緒だって言ったんだよ! はっ倒すぞこの野郎!」

 澪と一緒にいるとペースが乱れる。ほんとになんなんだよクソッ!

 チラリと澪の様子を伺う。あ、コイツ口元押さえて笑ってやがる!!

「ふふ、ありがと。シンのそういうところ、私は大好きだよ」

「ッ!!」

 真っ直ぐに。

 余りにも真っ直ぐに俺の目を見てそんなことを言うもんだから、言いたいことなんか全部吹き飛んでしまって。

 

「……からかってんじゃねぇよ、馬鹿」

 

 目を逸らして、そう呟くので精一杯だった。

 

 たとえどんな答えだろうとも、俺には返す資格なんてない。

 

 

 

 ……あるわけがない。

 

 

 

 

 

「くあぁ〜! 終わった終わった。崇宮君もお疲れ様。じゃ、一緒に部活行こっか」

 最後の授業を終え、クラスメイトたちが談笑しながら散っていく。これから部活で切磋琢磨したり、あるいはどこかへ遊びに行ったりと、それぞれの青春を謳歌するのだろう。

 一方の俺は外を眺めながらぼ~っとしていた。特に誰かを待ってたわけじゃない。人混みを歩くのが億劫だから時間をおいて帰るってだけの話だ。

 いつもなら一目散に教室を出るんだが、午後の授業もぼんやりと外を眺めたり、居眠りしながらダラダラと過ごしていたため、終業に気付かず出遅れてしまった。

「おーい! あれ、聞こえていないのかな?」

 ……そのせいで面倒なのに絡まれてるわけだが。油断した、次から気を付けないとな。

「ん”ん”、ゴホンッ! お疲れ様崇宮君、一緒に部活行こっか」

「うるせぇな言い直さなくても聞こえてるっての。……行かねぇよ」

「え……!?」

「その意外そうな顔をやめろ。今まで1回たりともお前と部活に勤しんだことはねぇよ」

「そんな!? あの日の夕陽に誓ったじゃないか、共に全国大会を目指そうって!」

「幻覚でも見えてんのか。そもそもどこの所属なんだよお前」

「黒魔術研究会」

「大会開けるくらいの競技人口があるってことが1番の驚きだよ」

「知れば知るほど奥が深いものさ。ぜひ体験入部だけでも……」

「近寄るな。知り合いと思われたくない」

「そんなぁ」

 

 本気なんだかよく分からない五河を適当にあしらって校門を出ると、またしても後ろから追いかけてくるやつがいた。透き通る髪をはためかせて駆けてくるのはよく見知った顔、澪だ。

「はぁ、はぁ……。やっほーシン。今日はゆっくりなんだね? 一緒に帰ろ!」

「はぁ~~~……」

「む、人の顔を見るなりその大きな溜息とは。流石に失礼なんじゃないかな?」

「気にするな、油断した自分に嫌気がさしただけだ。それよりもわざわざ走ってくるなよ。危ねぇだろ」

「そういうわけにはいかないよ。シンは歩くのが速いからね、ちゃんと声をかけないと置いてかれちゃう」

 何がそんなに嬉しいのか、隣を歩く澪は息を切らしながらもニコニコと笑みを浮かべている。

「何笑ってんだよ? なんかいいことでもあったのか?」

「ふふっ、あったよ。シンが私の心配してくれた」

 予想外の台詞に面食らう。俺が澪の心配? なんの話をしてるんだこいつは。

「その様子だとやっぱり無意識だったんだね。さっき走ってきた私に向かって『危ない』って言ってくれたじゃない」

「あー……。言ったっけか」

 思い返してみると、確かに言ったような気がする。でもそれは仕方のないことだ。だって澪は初めて会った時からずっと……。

「ありがとね。でももう心配しなくて良いんだよ? あの人たちの治療を受けるようになってから、すっごく身体の調子が良いんだから」

「ッ……」

 

 

 

『このままでは彼女は助からない』

 

『我々の実験に協力してくれるなら……』

 

『予想以上の結果だよ。やはり彼女こそが神に選ばれた……』

 

 

 

「……? どうしたのシン、とっても怖い顔してる」

「…………別に。なんでもねぇよ」

 心配そうに顔を覗き込んでくる澪から目を逸らし、俺はまた歩き始めた。それを見て、澪は少し困ったような表情を浮かべながら後に続く。

「まだ疑ってるんだ、先生たちのこと。私のことこんなに元気にしてくれたのになぁ」

「疑ってるわけじゃねぇよ。腕が確かなのも認めてる。……でも胡散臭ぇ。あいつら絶対何か隠してやがる」

「あはは、出たよシンの疑心暗鬼。もしそれが本当だったとしても、ちゃんと私の治療してくれてるんだから良いじゃない」

「でも治療を受けてる間お前はずっと眠ってるんだろ? 何されてるか分かったもんじゃない」

「ははぁ~ん」

「あ? んだよその顔は」

「シンってば、もしかしなくても私が男の人たちに好き勝手されて妬いてるのかな? それとも眠ってる間にエッチなことでもされてたらどうしよ~、とか。そういう心配とかしちゃってるのかな~?」

「…………」

 その時俺はどんな顔をしていただろうか。少なくとも今までに感じたことのない不快感が滲み出ていたのは確かだ。

 その証拠に、澪が驚いたような怖がっているような表情で俺を見ている。

「っ! ご、ごめん。心配してくれてるのに流石に無神経……って、待ってよシン!」

 

 喋る気が失せたのでしばらく足速に歩いていると、それでも必死についてくる澪が口を開いた。

「怒らせちゃったのなら謝るよ。でもね、もう少しあの人たちを信用してあげてもいいと思うんだよ。現にこうやって私を普通に生活できるようにしてくれたんだから。しかも無償で」

「……だから余計胡散臭いんだよ」

 約1年前、出会った頃の澪は真っ当な日常生活を送れるような状態じゃなかった。それが半年前から治療と称した「何か」を受けるようになってからは、まるで別人にでもなったように回復し始めたのだ。

 俺みたいな世間知らずのガキでも、それが異常だってことくらい理解できる。

 

 ……それに無償なんかじゃない。

 人間は見返りもなしに誰かを助けたりしない。

 このまま行けば、何か取り返しのつかないことが起きてしまうのではないか。

 あるいはもう既に何かが起こっていて、そのことに俺が気付いていないだけなんじゃないのか。

 そんな焦燥感が、俺の中で渦を巻いて燻っていた。

 

 これ以上、あいつらと澪を会わせちゃいけない。そんな確信がある。

 でも、だからといって何かができるわけでもない。

 いつだってそうだ。

 俺は無力で、望んだものなんて1つも手に入らなくて。

 それならせめて、いつ何が起きてもいいように、少しでも金を稼いでおく。

 意味なんてないのかもしれない。

 でも、何かをしなければいけないという思いから、ある種の現実逃避のようにバイトに打ち込み続けてきた。

 こんな日々が、一体いつまで続くのだろう。

 いっそもう、全てを捨てて、楽になってしまえば……。

 

 そんな風に考えていたところで、ふと視界の端に小さな影が横切った。

 見覚えがある。

 

 あれは今朝、俺を見送った子猫で――。

 

 道路を渡ろうとしている。そこへ車が迫ってきて、そして――。

 

 無意識に俺は走り出していた。

 間に合うはずなんてないのに。

 仮に間に合ったとして、数十キロで迫る車に対して俺は何ができる?

 分からない。

 分からないけど、諦めたくない。

 

「やめろ……行くなおい! 止まれ!!」

 

 その声は、果たして届いただろうか。

 それとも届かなかったのだろうか。

 

 もうどっちでもよかった。

 だって、道路に駆け寄った俺の目の前には、もう子猫はいなかったから。

 

 ――さっきまで子猫だった「モノ」しか、落ちていなかったから。

 

「シン! はぁ……はぁ……一体どうし、っ!!」

「……………………」

 澪が追いかけてきたようだ。後ろから荒い息づかいが聞こえる。

 あぁ、またこいつ走ってきたのか。危ないからやめろってさっき言ったばかりなのに。

「……カリブ、ちゃん」

「…………カリ、ブ?」

 あぁ、思い出した。この猫の名前だったな。

 だから海賊みたいって思ったのか……。はは、小学生並みの思考かよ。

「シン、あの――」

「車は?」

「え?」

「こいつを撥ねた車はどこ行った」

「……分からないけど、もう行ったと思うよ。停まってる車なんて1台もないもん」

「…………そうか」

 ひしゃげた身体から紅い液体が止めどなく流れる様子を、俺は見つめていた。

 

 ――命名。真士、名前を付けてみてはどうかな。

 ――わたくしにも! わたくしにも撫でさせてください! はぁ、はぁ!!

 

 自分がどうしてこんな気持ちになっているのか理解できない。

 どうだっていいはずだ。

 

 ――真士、さん。エサをあげても……いいでしょうか?

 ――私は別に撫でたりなんて……ちょっと、そんなに近付けわぷっ! ……あ、ふわふわ。

 

 軒下に住み着いた、名前も覚えていないような汚い野良猫が1匹死んだ、ただそれだけ。

 

 ――ふふ、可愛いね。なんだか家族が増えたみたいで嬉しい。ね、シン?

 

 それだけの、はずなのに。

「……場所を移そう。流石にここじゃ……あんまりだ」

「うん……そうだね」

 そう言う澪の声は、どこまでも優しかった。

 

 

 

 

 

 

 血だらけの猫を抱えて歩く。

 周りの奴らの視線が刺さるが、構うもんか。

 最早数えることも億劫な俺の悪評が、今更1つ増えたところでなんになる。

 澪の案内で見晴らしの良い高台まで移動し、そっと猫を下ろしてやった。

「スコップかなんか持ってくりゃよかったな」

 夕暮れの町が見渡せる、綺麗な場所だった。周囲に人ひとり居ないのが、妙に寂しげではあったが。

「ううん、必要ないよ。だって埋めるわけじゃないから」

「え?」

 

 なら何を――。

 そう訊こうとして、でもそれは叶わなかった。

 燃えるような陽光に目を焼かれながら、俺はその光景に心奪われてしまったからだ。

 高台の端、夕陽を背負う澪の背中には、確かに――。

 

 

 

 真っ白な翼が、生えていた。

 

 

 

「シン。今からすること、誰にも言っちゃダメだからね」

「お前……それ…………」

 

 見た目だけじゃない。

 今までに感じたことのない気配に圧倒され、上手く声が出せなかった。

 澪は横たわる死体にそっと手をかざすと、そこから暖かな光が溢れ始める。

 するとどうだろう、損傷した身体は瞬く間に修復され、かすり傷ひとつない完全な子猫の姿へと、戻っていたのである。

 

 俺はその幻想的な光景から目を離せなかった。

 ありえない。

 完全に死んでたはずだ。

 腕の中で冷たくなっていくのを、俺は確かに感じていたのに。

 

 やがて目を開けたカリブはゆっくりと起き上がると、俺の方を見て礼でも告げるように「にゃあ」とひと鳴きすると、茂みの中へ消えていった。

 身体から力が抜けて、思わずその場に尻もちをついてしまう。

 目の前で起こったことが信じられず、頭が理解を拒んでいる。

 そんな俺を余所に、銀色の粒子を漂わせた澪はゆっくりと近付いてくると、動けないでいる俺に向かって優しく微笑んだ。差し伸べられた手を、俺は握ることができない。

 

「私ね、特別な力があるの」

 生物としての本能が告げている。

 

「誰にも言えない、とても大きな力」

 目の前の彼女は、人間としての枠組みを大きく超えた「何か」であると。

 

「シンにだけは、教えてあげる」

 例えるならば、そう――。

 

「私だけの、秘密を」

 

 

 

「…………天使」

 

 

 

 幼いころの記憶が、唐突に蘇る。

 

 憧れたことがあった。

 本で読むような、テレビで見るような。

 常識なんて吹き飛ばすような大きな出来事があって。

 俺はそれに巻き込まれて、口では文句を言いながらも。

 仲間たちと心の底から笑いあって、そして。

 

 ――楽しいと感じる日々を、過ごしてみたいのだと。

 

 俺の物語は、こうして動き始めた。

 それが果たして、俺の求めた「青春」というものなのかは、分からないけれど。

 もしかしたら、全く違う別のものなのかもしれないけれど。

 

 何かが始まろうとしていた。

 俺の背中を押すように、一際強い風が吹き抜けていった。

 その中に感じる熱を、俺は確かに感じたのだ。

 

 

 

 もうすぐ、夏が来る。

 今までにないほどの、暑い、夏が。




感想評価誤字報告等々ありがとうございます。
本編再開はもうしばらくお待ちください。


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四糸乃プリズン
第15話 変わる世界


4期の放送に間に合いました(白目)


「行くぞ…………〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉」

 

 士道が決死の覚悟で天使を発現させ、攻撃を行ったその瞬間。

 30年前のユーラシア大空災を彷彿とさせるほどの圧倒的な力の奔流が、天を貫いた。

 

 異能の力を有した者たちは、皆一斉に何かを感じ取り、空を見上げる。

 

 魔術師たちは本能で理解した。

 感じたのは脅威。

 私たちのような模倣品とは違う、絶対的な存在がそこには居る、と。

 

 精霊たちは思いを馳せた。

 感じたのは恵愛。

 世界に仇名す私たちを守るため、必死に戦う者がそこには居る、と。

 

 放たれた霊力は世界中に広がり、その余波で多くの顕現装置が一瞬、活動を停止した。

 そしてそれは、思わぬところにも影響を及ぼすことになる。

 

 その日、ダウンした設備の一瞬の隙を突き、捕えられていた彼女は自由を手にした。

 「資材A」と呼ばれる、神の如き力を持つ、精霊が。

 

 

 

 

 

 

 密閉された部屋の中に、男女の荒い息が木霊する。

「はっ、はっ……うぐっ。や、山吹、もう……限界だ」

「そんなことないでしょ五河君、こんなんじゃ私ちっとも満足できないんだから……!」

「もう許してくれ葉桜! こんなの間違ってる!!」

「そんなことないよ殿町君。そ、れ、に。私無理やりヤルのってぇ……結構好きなんだよねえ」

「ひぃっ!! ふ、藤袴! お前からもなんか言ってやってくれよ!?」

「だーめ♡ 精魂尽き果てるまで帰してあげないんだから」

「「う、うわあああああ!!」」

 

 

 とある梅雨の日の放課後。普段使われない空き教室の一角で、若い肉体を持て余した2人の男子と3人の女子たちが、四肢にじっとりと汗を滲ませながら、本能の赴くままに「その行為」に没頭していた。

 

 

 

 ……そう、拷問である。

 

 

 

 三角形の木の板を並べた床の上に正座させられ、膝の上に巨大な石を積まれた士道と殿町は、それはもう苦し気な表情を浮かべていた。

「本当に悪かった! 流石にやりすぎたよ反省してる!」

「でもあの場はああするしか方法がなかったんだよ! 店長も客もみんな困ってて……」

「その結果私たちは深~く傷つけられたわけだけど、何か釈明は?」

「うぐっ! そ、それは……」

「こ~んなものまで出回っちゃってぇ……。どうオトシマエ、着けてくれるのかな?」

「ひぃっ!! やめろ、そんなもの見せるな! 心が腐る!!」

「それはこっちの台詞だボケ。マジ引くわ」

 麻衣の手に握られたスマホを突きつけられ、哀れな男たちは思わず顔を逸らしてしまう。その画面には、なんとも頭の痛くなるようなタイトルの、とあるゲーセンの動画が映し出されていた。

 

【KKK最新映像】テンスフローラル☆デッドエンド フルコンプレイ【チンピラ公開処刑】

 

 以前確認した時よりも再生数が1桁増えている気がするが、そんなことは大した問題ではない。重要なのは、決して見つかってはならない3人組にその動画の存在が知られてしまったことである。

 

「ネットでは随分盛り上がってるみたいねぇ。『1年の沈黙を破り、KKKついに復活か!?』、『闇言語は健在! テクも健在!! 理性は限界!!!』、『残る3人の行方は!? 彼らの今後に迫る』 はぁ……ほんとどうしてくれんのこの惨状」

「私らがこの1年間どんな思いで過ごしてきたか……。息を潜めるように高校生活を送って、近頃やっと噂も聞かなくなったと思ってたのに」

「『今年の天央祭で復活ライブ決定! 関係者Aが語る衝撃の真実』なんて記事も出てるわね。なんなのこれ。頭湧いてんの?」

 本人たちそっちのけで出所も分からないような噂に盛り上がるネット記事を、空虚な目で見つめる3人。亜衣麻衣美衣は、深いため息を吐きながらそっと士道と殿町の膝の上に石を追加した。

 

「「うぎゃああああああ!!」

 

 彼女たちがこれほど怒りを見せるのには理由があった。何を隠そう、中学時代――士道の言うところの黒歴史である3年間、共にKKKと名乗り活動していたのが、この3人なのである。

 〈慈愛の戦士(ザ・ラヴァー)〉山吹亜衣。

 〈無垢なる暴力(オーガ)〉葉桜麻衣。

 〈猛毒舌(ウィステリア)〉藤袴美衣。

 彼女らもまた、心に深い傷を持つ破壊と混沌の使いなのだった。

 

「泣きたいのはこっちだっての! せっかく平穏な高校生活を手に入れられたと思ってたのに!!」

「昨日まで普通に話してた友達がねぇ! ネット記事見つけた途端若干引きつった笑みを向けてくるのよ! この苦しみがあんたたちに分かる!?」

「どうすんのよこの動画の再生数! 削除申請はしたけど、今更消えてももう手遅れなのよ!」

 3人は半狂乱になりながら、膝の上の石をバンバンと叩く。もう普通に傷害事件になりそうな勢いだった。

「いでででで! や、やめっ! 俺たちだってこの状況を作りたかったわけじゃない! できることならすぐにでも事態を収めたいと思ってるんだよ! ぐわああああ! 分かるだろ!?」

「そんなこと言ってこの間お前がキャベツ頭ともうひと悶着起こしたことも知ってんだからな!」

「ひぎぃ! 落ち着け、今はいがみ合ってる場合じゃない。協力して事に当たるべきなんだ! びゃあああああ!!」

「「「どの口が言うかああああああああああ!!」」」

 

 それからしばらくの後。

 血反吐を吐くような説得の結果、士道と殿町はひとまず拘束を逃れることができた。しかし、心身とも既に限界が近付いていた。

「はぁはぁ……。脚が、俺の脚がえらいことになってる……」

「死ぬかと思った……。川の向こうで手を振ってるひいじいちゃんが見えた……」

 荒い息を吐く彼らを3人は冷たい目で見降ろしながら、とあるものをカバンから取り出して床に放り投げた。

「これは……?」

「言葉だけなら何とでも言えるわよね。だから……誠意を見せてちょうだい」

 

 殿町は床に落ちた黒い物体――バリカンを拾い上げると、震える声で訊ねる。

 

「じょ、冗談だよな? いくらなんでもこれはあんまりだって、な?」

「いや石抱なんて拷問する時点でやりすぎだと思うけどな俺は」

「大人しく頭を丸めなさい。そうすれば今回のことは大目に見てあげる」

「待ってくれ! それだけは……それだけはどうか許してくれ!」

 死んだ魚のような目をする士道と、なんとか助かろうと必死に訴えかける殿町に、亜衣は一切取り合うことなく言葉を続けた。

「問答無用。あんたたちに選択肢はない」

「そんなぁ……」

 すると何を思ったか士道はバリカンを拾い上げ、静かにスイッチを入れた。あまりに躊躇いがないため、殿町の目が驚愕に見開かれる。

「殿町、ここは言う通りにするしかない。俺たちはそれだけのことをしでかしてしまったんだよ。それにここまできたら今更坊主くらい――」

「お前正気か!? 分かってんのかよ、坊主にしたら人気が下がる! 俺はT○UGHを愛読してるから分かるんだ!」

「あんたに下がるほどの人気なんて元々ないでしょ。ウンスタに失礼よ」

「怒らないでくださいね。勘違い男ってバカみたいじゃないですか」

「なにっ」

「うだうだ喋ってないでさっさとやれ。また石を抱きたいの?」

「もう覚悟を決めるしかないようだな……」

 諦めたような表情でそう呟く士道に、たまらず殿町は掴みかかる。

「どうしてそんなこと簡単に言えるんだよお前は! 丸坊主だぞ!? この場だけの苦しみじゃない、元に戻るのにいったいどれくらいかかるか分かって……あ――」

 しかし、それ以上言葉を続けることができなかった。

 なぜならば――。

「へぇ……。随分と潔いじゃない、五河君」

「あ……あぁ…………そんな」

「おい泣くな、男だろ?」

「……だってよ……!! 五河…………髪が!!!!」

 胸倉をつかまれ激しく揺さぶられた士道の頭から、パサリと。

 髪の毛が落ちたからである。

 

 

 

「安いもんだ、髪の1本や2本くらい」

 

 

 

 否、それは精巧に作られた、髪の毛に見える紛いもの。

 露になった士道の頭は、野球部もびっくりの見事な五厘刈りに姿を変えていたのだ。

「言うほど1本や2本か?」

「元を辿れば俺が原因だ。それに山吹が言ったように、俺は2回も騒ぎを起こしてる。申し訳ないとは思うが、贖罪の方法はこれぐらいしか思いつかなかったんだ」

「五河……」

「山吹、葉桜、藤袴。殿町は俺の尻ぬぐいに付き合わされただけなんだ。どうかこれで……許してほしい」

「いつかぁ……!」

 涙ぐむ殿町の前で深々と頭を下げる士道。

 そんな友だち思いの士道の姿に、3人娘たちは心を動かされ……。

 

「あんたが1番の罪人なんだからケジメをつけるのは当然よ」

「当たり前のことしただけで褒められるとでも思ってんの?」

「そんなこと猿でもできるわ。義務教育からやり直してこい」

 

 ……ることはなかった。

 これ以上刺激するのは良くないと判断した士道は、バリカンを殿町の手に握らせ、自嘲気味に笑うのだった。

「わり、駄目だったわ。いい加減腹くくろうぜ、殿町」

 

「嫌だああああああああああ!!!!」

 

 夕暮れの校舎に、悲痛な叫びが木霊した。

 

 

 

 

 

 

「うぅ……もうお婿にいけない……。俺のバラ色高校生活がぁ……」

『元々バラ色要素皆無でしょ、この人の高校生活』

(やめてやれ、これ以上痛めつけるのは流石に不憫だ)

 

 その後。散らばった自分の髪の毛をかき集めてむせび泣く殿町を見届け、亜衣麻衣美衣は退室していった。

 ツルツル頭の男2人を交互に眺めて顎が外れるくらい笑い転げていた万由里も、今はやっと落ち着きを取り戻している。

『そうね……。相当ショック受けてるみたいだし、()()()()()私たちもさっさと帰りましょ』

(そうだな)

 万由里に促され、士道もそっと教室を後にする。完全に扉がしまったことを確認し、深く息を吐いた。

 

 

 

「……………………計 画 通 り」

 

 

 

 士道は新世界の神のような笑みを浮かべて頭に手を乗せると、勢いよく頭皮を鷲掴みにした。すると坊主頭にみえていた部分が剥がれ落ち、なんとその下から青々とした髪の毛が姿を現したではないか。

 そう。士道はこうなることを予想し、初めから二重にヅラを被っていたのだ。亜衣麻衣美衣がバリカンを持って校舎を練り歩いているという、万由里からのリークがなければ危ないところだった。

「流石だよ万由里。お前の索敵能力は宇宙一だ」

『ふふん、当然よ。伊達に暇を持て余して徘徊してるわけじゃないわ。……常にハゲが視界に映ってると私も笑いすぎてぽんぽん痛くなっちゃうし』

「ハゲじゃない坊主頭と言え」

『誰に対する配慮なのよそれ』

 早足で歩き、教室から離れたところまで移動する。窓から見える夕暮れの空を見上げた士道は、少しだけ寂し気な笑みを浮かべ、誰に聴かせるでもなく独り言ちる。

「すまないな殿町。俺はこれから四糸乃をデレさせるという重要なミッションがあるんだ。ナイーブな四糸乃のことだ、いきなり坊主頭が近付いてきたらきっと驚いてしまうだろう。だから……」

『ごちゃごちゃ言ってるけど普通に嫌だっただけでしょ?』

「うん」

『いっそ清々しいくらいの裏切りっぷりね……』

 万由里は頬に汗を垂らし若干引いているが、終わってしまったことはもうどうしようもない。士道は頭を振って気持ちを切り替えると、ポケットからスマホを取り出して通話アプリを立ち上げる。待たせていた十香と連絡を取るためだ。

「悪いとは思ってるさ。だから土産を置いてきたんだ。あのズラ被っときゃいくらかダメージも軽減できるだろ」

 最初に士道が取ってみせた例のカツラは、何を隠そうフラクシナスの技術の粋を結集して作られたものである。誰の頭にも完璧にフィットし、ちょっとやそっとじゃ落ちたりしない。

 前の世界で士織ちゃんとして活動する際にその性能の高さに驚き、記憶に残っていたのだ。ただ、いきなり兄から大急ぎでヅラを用意してほしいと言われた妹の心境や如何に。

 

「俺の髪型と被るけど、まあそこは我慢してもらうしかないな」

『あんたの髪型ってラノベとかエロゲの量産型主人公みたいに特徴無いし大丈夫でしょ』

「そうだな。でも俺、もっといいカツラがあるの知ってるんだよ」

「量産型言うな。これはこれでこだわりってもんがな……って、え?」

『え?』

 

 ギギギ、と。

 背後からかけられた声に反応してゆっくりと振り向くと、そこにはさっきまで打ちひしがれていたのが嘘のように、満面の笑みを浮かべる殿町が立っていた。

 ただし、目は全く笑っていない。おまけにその手には士道が置いてきた高性能カツラと、そして。

 

 ――バリカンが握られていた。

 

「五河……。その手に握ってるそれ…………なんだ?」

「手? ……あ、やべ」

 士道の手には、先ほど頭から取り外した坊主のカツラがしっかりと握られていた。慌てて隠すも時すでに遅し。殿町からは笑みが消え、段々と無表情になってくる。

「い、1/1パーフェクトグレード石ころ帽子だよ」

『なにそれずるい! じゃあフエール銀行! 私フエール銀行が欲しいわ!』

「へぇ。ところで、お前が忘れていったヅラを届けにきたんだけど……その頭、一体どうしたんだ?」

「え、あ、これ? 別のヅラ被ってるんだよ。アハハ……よ、よくできてるだろー?」

「あぁ、本当によくできてるな……。まるで本物みたいだ」

「ウェ!?」

 喋っているうちに今度は無表情を通り越し、般若もかくやという風貌になっている。

 動揺と恐怖をなんとか抑えながら、士道は言葉を返す。

「そ、そうだろうそうだろう。良いヅラ専門店知ってるんだよ。『フラ櫛ナス』っていうんだけどな? 今度お前にも紹介を――」

「いらない」

「そ、そうですか」

「あぁ。だって……」

『これちょっとまずいんじゃない?』

(……やっぱダメかぁ)

 

 

 

「今からお前の髪を刈り取ってヅラを作るんだからなああああああああああ!!!!」

 

 

 

 世にも恐ろしい校内追いかけっこが今、幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

「士道遅いのだ……何かあったのだろうか。はっ! もしやメカメカ団の奴らが報復に!?」

「おーい! お待たせ十香!」

「シドー! 遅いから心配し、て……?」

「ごめんごめん、思ったより長引いちゃってな。さ、帰ろうか」

「ま、待つのだシドー! いったいどうしたのだその頭は!? ゴマ塩おにぎりみたいになっているではないか!!」

「あはは……色々あってな。食べないでくれよ?」

「食べないが……。むう、よく分からないが大丈夫、なのか?」

「あぁ、大丈夫だよ。俺は大丈夫、誰がなんと言おうと大丈夫なんだ……」

「それは大丈夫な者の言う台詞ではないのだ!?」

 

 帰宅後、琴里から散々追及を受けたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 しとしとと降り注ぐ雨の中を、ひとり歩く。時折立ち止まっては誰かを探すように辺りを見回し、また歩き始める。

 その少年――五河士道は、学校から帰宅すると決まって外へ繰り出し、四糸乃の捜索を続けていた。この時間は十香の定期検診があるので、琴里も揃って不在にしているのである。

 未だに1人で出歩くことにいい顔をされない士道が、自由に行動できる貴重な時間だった。

 

『四糸乃ちゃんとのファーストコンタクトはほんとに偶然だったからねぇ。近くにさえ居てくれれば場所はすぐに特定できるんだけど』

(あぁ。十香の時と違って時間も場所もはっきり覚えてるわけじゃない。しばらくはこうして地道にやっていくしかないだろうな)

 そう思いはするものの、捜索開始から既に2週間。全く収穫のない日々が続き、不安は募るばかりだった。

 士道の胸に去来するのは十香の一件。自分の知る歴史とは大きくかけ離れた道を辿った世界。それが果たして、今後どのような影響を与えるのか想像もつかない。

 また、捜索の途中で必ず折紙のマンションの様子も確認する。しかし、いつ訪れても折紙に出会うことはなかった。

 あの日。彼女の目の前で天使を顕現させた時から、折紙は1度も士道の前に姿を現していない。

 

(俺の行動で未来は大きく変わってしまった。もしかしたらみんなとはこのまま……)

『何弱気になってるのよ。折紙はともかく、まだ出会ってもいない精霊たちに影響なんてあるわけないでしょ』

(どこでどうなるかなんて分からないだろ? バタフライエフェクトって言葉もあるんだし)

『はぁぁぁ〜。ちょっとアニメ見たくらいでSFの知識身に付けた気になるのは中二病の悪い癖ね。結果が収束するのはデマだって狂三も言ってたじゃない!』

(誰が中二病だ誰が。でも実際に四糸乃はどこにも居ないじゃないか)

『偶然に決まってますぅー! 自分の行動が簡単に世界を変えるなんて思い上がってんじゃないわよ。あんたを中心に世の中が回ってるとでも言いたいわけ? はいはい中二病乙!』

「中二病はやめろって言ってるだろ! 俺はあくまで可能性の話をだな」

『考えすぎよ。か、ん、が、え、す、ぎ! もしこれ以上イレギュラーが起きたら、そんときゃお詫びに目でピーナッツ噛んで鼻からスパゲッティ啜ってやるわ!』

「絵面が汚いからやめろ」

『!?』

 

 あえて憎まれ口を叩いてくれたのだろう。万由里と話しているうちに、士道の心のモヤはいくらか解消されていた。

 目下のところ1番の不安は風通しの良すぎる頭部だろうか。

 溜息を吐きながら頭頂部を擦っていると、ふと視界の端に神社が映った。境内の中央には寂れた社が鎮座しており、雨に打たれて余計に哀愁が漂っている。

『雨が強くなってきたわね……。ちょっと休憩していきましょうか』

(そうするか。結構歩いて流石に疲れたしな)

『神社で雨宿りなんてちょっとワクワクするわね!』

(何がお前の琴線に触れたのか全く分かんねぇよ……)

 

 やたらとウキウキオーラを放つ万由里を横目に、士道は神社の軒下に移動する。知らぬ間に気を張りすぎていたのだろうか、腰を下ろした瞬間、深い溜息が口から溢れ出した。

『ジジくさいわねぇ。若いんだからもっとシャキっとしなさいな』

(万由里が元気すぎるんだよ。一体どこからそんな活力が湧いてくるんだ……。俺から生命力でも吸ってるんじゃないだろうな?)

 士道が半目になって視線を送ると、あっけらかんとした顔で万由里は答えた。

『あんたから霊力貰って活動してるわけだし、あながち間違いとも言えないわね』

(まじかよ。ってことは、最近俺の燃費がやけに悪くなったのも?)

『私のせいね』

(独り言が増えて周りから白い目で見られるのも……)

『もちろん私のせいよ』

(夜中に琴里のプリンを勝手に食べたのも!)

『それは十香ちゃんでしょ』

(未だに彼女ができなくて童貞なのも!!)

『あんたがヘタレなせいでしょうが!!』

 

 

 

「『…………』」

 

 

 

「だよな」

『いや……なんかごめん』

 

 万由里が帰ってきてからよくあることなのだが、2人きりになると妙にテンションが上がって暴走することがある。原因に心当たりがないか訊いてみると、たぶん心がリンクしていることの副作用だろうとのことだった。士道が楽しければ万由里も楽しいし、万由里が悲しければ士道も悲しい。それが相手にも伝わるから、まるで共鳴するように感情の振れ幅が大きくなるのだとか。

 そういう時の万由里は目に見えて索敵能力が下がる。日常生活にはなんの支障もないが、戦闘中は特に気を付けなければいけない。万由里がそんなことを珍しく真剣な表情で言っていたので、士道も気を付けるようにはしているのだった。

(とはいえそん時は俺も結構ハイになってるから、止められるかは微妙なところなんだけどな……ん?)

 ふと顔を上げると、少し離れたところで万由里が雨に打たれているのが見えた。白い制服がぐっしょりと濡れて肌に張り付き、肌が透けてしまっている。

「お、おい。何して……っていうか、どうして実体化してるんだ?」

「いやほら、ちょっとはしゃぎすぎたから頭冷やそうと思って」

「だからって土砂降りの中に出ていくか? ワイルドすぎるだろ」

「常識に縛られない女、それが私よ」

「全然頭冷えてねぇじゃん」

「そんなことよりほら、雨に打たれるのって意外と気持ちいいわよ! 士道もこっち来てみなさいな!」

「えぇ……いいよ俺は。頭は寒いくらいだし」

 そう断ってみるも、万由里は不満そうに口を尖らせて一向に戻ってくる気配はない。

「ぶーぶー! 何よノリ悪いわね! 最近はすぐそうやって暗い顔するんだから。ちょっとくらいバカやったって罰は当たらないわよ」

「だからそんな気分じゃないんだって。少し休んだらすぐ四糸乃を探しにいかないと……」

 そう言う士道が気に食わなかったのか、万由里はバシャバシャと水飛沫をあげながら走り寄り、手をつかんで無理やり立ち上がらせた。不敵に笑う彼女の歯が、無駄に白く輝いて見える。

「暗い顔してたって四糸乃ちゃんが見つかるわけでもないでしょ! それより私にいい考えがあるわ。一緒にこっち来なさい!」

「お、おい!」

 そのまま士道を引きずるようにして歩き出す。あっという間に境内の中央まで連れてこられ、そのタイミングで万由里はタイムリミットを迎えたのか、半透明の身体に戻っていった。

 

『今のあんたに必要なのは、当てもなく精霊を探し回ることでも、ましてうだうだ悩むことでもない。ストレスを解消することよ!』

「ストレス? 別に俺はそんなもの――」

『おもいっきし抱えてるわよ! 繋がってる私が言うんだから間違いない! そういう時は何をやっても上手くいかないもんなのよ、私には分かる』

 1人で納得してうんうんと頷く万由里。こうもキッパリと断言されると、士道も返す言葉が出てこない。それに、これも彼女なりの励ましの1つであるのならば、いっそのこと従ってしまった方が良いのではないか。そう考えて目線で先を促すと、万由里は満足そうに笑みを浮かべた。

『納得してくれたようで良かったわ。それじゃ早速始めましょう』

「別に納得したわけでもないんだけど……。それで? こんな場所で一体何をやらせる気なんだ?」

『難しいことなんてないわ。ただ抱えてる不安や不満を思いっきり叫ぶだけでいいのよ』

「アナログかよ」

『シンプルなのが効果あるって昔から言われてるから。じゃあ気合い入れてやるわよ……「未成年の主張」を!』

「…………古っ!!」

 

 

 

 

 

 

 私は雨が好きだ。

 降り注ぐ水滴たちが、見たくないものを遮ってくれるから。

 私は雨が好きだ。

 奏でる雨音が、聞きたくないものを飲み込んでくれるから。

 私は雨が好きだ。

 街から人が消えて、ふたりだけの世界を作ってくれるから。

 ――そう、普段であれば。

 

 常に雨を引き連れて歩く四糸乃にとって、世界は静かなものであった。人々は家に籠り、時折見かける通行人も、みな足早に過ぎ去っていく。

 うっかり()()()()を立てて顕現さえしなければ、私にとってそれほど悪い場所ではない。そう思えるほどには、四糸乃はこの世界に慣れ親しんでいた。

 今日も右手の愉快な親友と仲良く話をしながら、ガランとした道を歩く。

 

 ふと、誰かの声が聞こえてきた。内容までは分からない。

 姿が見えないのに声だけ届くということは、遠くで大声を出しているのだろうか。

 

 何かあったのかな?

 気になる。

 

 じゃあ見に行く?

 ……怖い。

 

《だ~いじょうぶ! よしのんが付いてるんだから!》

「う、うん……。ちょっとだけ、なら……」

 

 可愛らしくも頼れる友の言葉に背を押され、恐る恐る声のする方へ近付いていく。

 はたしてそこには――。

 

 

 

 

 

 

「バラ色の青春を、送りたいいいいい!!」

『声が小さい! 大声出せタマ落としたのか!』

 

「彼女が、欲しいいいいい!!」

『そんなんでできるか! 気合いを入れろ!』

 

「童貞を、卒業したいいいいい!!」

『「うおおおおお!!」 これが卒業したいやつの顔だ、真似してみろ!』

 

「今後の人生が不安だあああああ!!」

『えっいきなりそんな重いこと言われても……』

 

 俺は何をしているんだろう。

 最初はそう思いながら始めた行動だったが、やってみると思いの外気持ちが良い。

 普段できないことをしているという開放感と万由里の悪ノリが合わさり、知らず士道の気を大きくしてしまっていた。

 そのテンションのせいで、普段は絶対に言わないようなことが口を衝いて出る。

 

「割と小さい女の子が好きだあああああ!!」

『オブラートに包むな! そういうのを世間ではなんていうのか言ってみろ!』

 

「俺はロリコンで、あとついでにシスコンだあああああ!!!!」

『よく言った! 家に帰って妹をFA○Kしていいぞ! あっちもどうせ満更でもねぇ!』

 

 はあはあと荒い息を吐き、顔にへばりついた汗とも雨とも分からない液体を拭う。

 顔を上げると、目の前に居る万由里と目が合う。いい顔をしている。1つの大きなことをやり遂げたやつの顔だ。

 そしてそれは士道も同じだった。この空のように分厚い雲に覆われていた心はすっきりと晴れ渡り、今ならなんだってできるような気がする。

 なんだか随分と最低なことを口走った気もするが、不思議と悪くない気分だった。

「ま、たまにはこういうのも……」

 

 

 

 本当に、悪くない気分だった。

 ――木の後ろからこちらを覗き込む、怯えた少女の姿を見るまでは。

 

 

 

《や、やは~……。なんだか凄いものを見ちゃったねぇ》

「あ……あぅ…………」

 ずっと雨に打たれていたはずなのに、今更頭から水をぶっかけられたような、冷たい感覚が全身を襲う。今起きている現実を否定したくて、士道は必死に言葉を探した。

「あ、あの。これは、違うんだ何かの間違いで……」

「ひっ!! こ、来ないでください!!」

「うぐっ!?」

 無理やり笑顔を作って近付こうとするも、それが余計に恐怖感を与えてしまったらしい。

 本気で怯えた顔を見せる少女――四糸乃は震えながら拒絶するように腕を突き出し、じりじりと後ずさりをしていく。

 

『むっ、マユリー感覚に感知あり! 士道朗報よ、四糸乃ちゃんが近くに居るわ!』

(状況見てボケろこのポンコツレーダーが! 何が「近くに居れば居場所が分かる」だよ!? うぅ……頭が痛い)

『は、はあああ!? 誰がポンコツよアンタ今までどんだけ私の世話になってきたと思ってるの!? 謝って! 早く私に謝ってよ!!』

 万由里がぎゃあぎゃあと喚いているが、士道はそれどころではない。ズキズキと痛む頭を抑えながら、どうすればこの状況を打破できるかと必死に思考を巡らせる。

(クソッ、よりにもよって最悪のタイミングだ! なんだよロリコンのシスコンって!? 第一印象悪いなんてもんじゃないぞ!! どうする、どう釈明すれば四糸乃を落ち着かせられ……っああもう、頭が痛ぇ! なんだってこんな時に!! ってこれ、あれ? ちょっと、シャレにならない、いた……み…………)

『さあ今すぐひざまづいて! 命乞いをして! 小僧から石を……って、士道? 士道!! ちょっと、しっかり――』

 

 痛みと一緒に、知らない記憶が津波のような勢いで頭に流れ込んでくる。

 

 ――お……さん! おか…さんはどこ!? …たしをひとりに……いで!

 ――し……さんも、いつかわたしを置いて……こ…に……ちゃうんですか?

 ――おね……です、き…いに…ら……でくだ……。

(なんだ……これ…………? 誰の記憶……………………よし、の?)

 

 

 

 ――いつまでも一緒です、※※※さんっ!

 

 

 

「っぐ……うあああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 知らない風景。

 知らない時間。

 知らない場所。

 しかしそこに立つ彼女のことだけは、よく知っている。

 

 ――四糸乃。

 彼女と過ごした自分ではない自分の記憶に塗りつぶされるように、あっという間に士道の意識は闇へと沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

「……しの…………四糸乃ッ!!」

『士道! よかった、目が覚めたのね』

 目を覚ました士道は勢いよく身体を起こすと、慌てて辺りを見回した。空の明るさを見るに、どうやらそこまで時間は経っていないらしい。

 幸いなことにあの時感じた頭痛は嘘のように消え去っていたので、今度は落ち着いて思考を巡らせる。

 士道は神社の軒下に横たわっており、倒れた時に汚れたのか全身泥塗れになってしまっていた。

「一体なんだったんだ、あれ……。いやそれよりも四糸乃だ。万由里、四糸乃はどうなった?」

『あんたねぇ、いきなりぶっ倒れたんだから少しは自分の心配もしなさいよ。四糸乃ちゃんならもう行っちゃったけど……。身体は大丈夫なの?』

「そうか……。あぁ、よく分からないけど問題ないよ。悪いな、心配かけた」

 万由里の説明によると、あの後四糸乃は涙目になりながら士道を軒下まで運び、脱兎のごとく走り去っていったらしい。それから15分程経ち、ようやく士道が目を覚ましたというわけだ。

 あれだけ怖がらせてしまったのに介抱してくれた四糸乃に感謝するとともに、申し訳ない気持ちでいっぱいになる士道だった。

 

『それで? あの時何が起こったのか説明できる?』

(俺にもよく分からない。ただ、四糸乃の顔を見た瞬間いきなり頭が痛みだして……。誰かの……()()()()()()()()()()()四糸乃の記憶、みたいなのが頭に流れ込んできたんだ)

『…………そう』

(でも肝心の内容を全く思い出せないんだよな。というか万由里は何か分からないのか? 俺の頭とリンクしてるんだろ?)

 士道が問いかけると、万由里はバツの悪そうな顔で俯いた。遠慮なく物を言う彼女にしては珍しい反応だ。

『その……ごめんなさい。私にも分からないわ。すごく強い感情が流れ込んできたのは感じたんだけど、それ以上は』

(そっか。まぁそれならしょうがないさ。終わったことを悔やむよりも、これから何をするべきかを考えようぜ)

『……うん、そうね。少なくとも四糸乃ちゃんが無事にこの辺りをうろついてることが分かったんだし、振り出しではないはずよ』

(好感度的には振り出しの方がマシなんだよなぁ)

 ため息を吐きながら、士道は神社を後にした。

 いつの間にか雨は止んでいたが、胸中は相変わらずの雨模様だった。

 

 

 

 

 

 

 商店街から少し離れた場所に、古い店舗が立ち並ぶ通りがある。通称「昭和通り」。

 かつては繁華街と並ぶほどの賑わいを見せたというこの場所は、時代の流れと共に衰退していき、今やシャッター通りと化してしまっている。

 平成生まれの士道でもなんとなく懐かしさを感じるような、不思議な空気の流れる場所。

 その一画に、老婦が細々と営業を続ける駄菓子屋がある。幼いころによく琴里と買い物に来た、士道にとって思い出の店だった。

 今でも近所の子供がよく利用しているらしいが、客はそれだけ。地元の子供以外が来ているところを誰も見たことがないので、閉店するのも時間の問題なのでは、ともっぱらの噂だ。

 

 

 

 ――そんな場所に、彼女は居た。

 

 

 

 四糸乃は人混みを嫌うが、決して孤独が好きなわけではない。だから案外、こういう場所にひょっこり顔を出すのでは、と考えて足を運んだ士道だったが、どうやら当てが外れたらしい。

 そこに居たのは四糸乃でも、まして地元の子供でもない。

 微妙に寝ぐせのついた髪に、皺の寄った部屋着。靴下も履かずにサンダルをひっかけただけの眠たげな目をした少女は、士道のよく知る3つ入りの球状ガムの1つを口に含むと、口を窄めて天を仰いだ。

 

「すっ…………ぱぁぁぁ〜! ちくしょー当たり引いちゃったかー。ん、なに見てんの少年。あ、これ食べる? もうハズレ確定してるけどね〜」

 

 

 

(『……………………な』)

 

 

 

(『なんだこのおっさんくさい女!!』)

 

 

 

 世界は変わっていく。

 士道の想いを嘲笑うように、刻々と。




デートアライブのすごいところは、ヒロインが増えても誰も存在感を失わないところだと思っています。
2巻以降に出てくる、メインヒロインではないが、かといって物語の根幹を担うほどの立ち位置でもないキャラクター。
そういう子でも他ヒロインと平等に愛されるような作品というのは、実はなかなか貴重ではないでしょうか。
何が言いたいかというと四糸乃可愛い。


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第16話 囁告篇帙

会話があっちこっちに飛び火するせいで纏めるのに時間がかかりました。


「うぅ……。何度やっても慣れないのだ、あのせーみつけんさとやらは」

「そりゃ抵抗あるわよね、よく分からない機械に囲まれるのって。今まで散々ASTの連中とやりあってきたわけだし。でも大丈夫、ラタトスクは十香を傷付けることは絶対にしないわ。約束する」

「う、うむ。それは分かっているのだ。琴里もみんなもすごく気を使ってくれているのは、流石に私でも理解している。ただ……」

「ただ?」

「士道が傍に居てくれないと、どうしても不安なのだ」

「あー……そっちね」

 フラクシナスでの定期検診を終えた後、十香は目に見えて調子を崩していた。気分転換のつもりで外出に誘った琴里だったが、解決方法を間違ったかと独り言ちる。

(こりゃ散歩するよりもさっさと帰って士道に会わせた方が良かったかしらね……。それにしても)

 ちらりと横目で十香を見やると、どうにも落ち着かないといった様子だ。まるで飼い主を見失った子犬のようだと、そっとため息を漏らす。

(ほんの1、2時間離れただけでこれって、結構まずいわよね。そりゃあんな攻略のされ方したら好きになるのも分かるけど。でもこれ、恋っていうより依存に近くないかしら? 少しでも士道離れできるように、何か手を打たないといけないわね……)

 とはいえこうなってしまった原因は自分にもあると、琴里は考えていた。

 

 実は十香の好感度が高いのをいいことに、ことあるごとに彼女を使って士道の劣情を煽るようけしかけていたのだ。眠っている十香を士道のベッドに放り込む、入浴中に乱入させる、果てはトイレの中でバッティングさせる、等々。

 年頃の女性と親しくした経験など、士道はないに違いない(と琴里は思い込んでいる)。そういった状況でも冷静に対処できるよう、普段から鍛えてやろうという妹からのありがたい教育のつもりだったのだが。

 十香がベッドに潜り込んでくれば、優しく抱き留めてそのまま添い寝。

 風呂場でかち合えばそっとバスタオルをかけてやり退室する。

 トイレで遭遇した時は流石に動揺したようだが、上手く十香を宥めて事なきを得るなど、お前は英国紳士かと突っ込みたくなるほどのイケメンっぷりを披露。

 終わってみれば慌てるどころか、シチュエーションにかこつけてイチャイチャするだけだったので、「どうしてこうなった」と驚くほかないのだった。

 

(あんな対応一朝一夕で身に付けられるものじゃない。やっぱり過去に女の扱いを手取り足取り教え込まれたんだわ。一体誰に? そんなの1人しかいない……。おのれ鳶一折紙! 私のおにーちゃんに手出しやがって、タダじゃおかないわ)

 教え込んだのはお前だ。そう教えてくれる者は、ここにはいない。

(……っと、今はそれどころじゃないわね。なんとか十香の気を紛らわせないと)

 十香に1番好きなものは何かと訊けば、間違いなく「シドー」と答えるだろう。では2番目は?

「うぅ……。シドー、シドーに会いたい。シドーにきなこを付けて食べたいのだ」

「……」

 訊くまでもなかった。多少錯乱しているところはあるものの、きなこで間違いない。

(というか食べること全般よね。縁日の屋台を数十分で壊滅させたのは記憶に新しい。となればここは……!)

「ねぇ十香。もう少しだけ寄り道していかない? お菓子がたくさん売ってるお店でね、もちろんきなこを使ったものだって置いてるわよ」

「む? うむ……でも」

「駄菓子屋っていうんだけど、昔からあるお店でね。士道も大好きでよく通ってたのよ」

「そうなのか? ……分かったのだ。シドーへのお土産も買っていいか?」

「もちろん! さ、これ以上暗くならないうちに早く行きましょ」

 つい士道の名前で釣ってしまった。とはいえ、十香自立作戦の第一歩としては悪くない。今後の展開を頭の中で組み立てながら、2人は仲良く昭和通りを目指すのだった。

 

 

 

 

 

 

 雨が軒先のトタンを叩く音を聴きながら、駄菓子屋の前で士道と1人の少女は向かい合っていた。店主の老婦は店の奥に下がっているようで、今は2人きりだ。

「キミには直接お礼を言っとかなきゃと思ってね。()()()()()()()()()()()()()から、待ってたんだよ」

「お礼……? それに、ここに来ることが分かってたって、一体」

「あはは、ピンとこないのも無理ないよね。あたしが勝手に助かったってだけの話だし。まぁでも、こういうのは気持ちの問題だから。ありがとね、イツカシドウ、君」

「ッ!?」

 ぐっと顔を覗き込まれながらそう呼ばれ、士道は気付く。その瞳の奥に宿る、人間にはない不思議な光。そして何より、名乗ってもいないのに名前を言い当ててみせたこと。

(万由里、この子って……)

『えぇ、間違いないわ精霊よ。四糸乃ちゃんを探しに来たつもりが、とんだサプライズね』

 確証が得られたことで、士道に僅かな緊張が走る。この世界どころか、時間遡行前の世界でも会ったことのない未知の精霊。万が一好戦的な性格であれば、市街地に被害が及ぶかもしれない。

 そんな士道の心情をまるで見透かしたかのように、少女はにへらっと気の抜けた笑みを浮かべると、親しげに肩を叩いてきた。

「そんな怖い顔しなさんなって~。大丈夫だよ暴れたりなんてしないから。こんなナリでも30年近く精霊やってるからね。そこら辺は弁えてるつもりだよ」

「30年!?」

『ババアじゃん!』

「ん? 今なんか不愉快な声が聞こえたような……」

 少女は軒下のベンチに腰かけると、隣に座るよう士道に手招きをする。士道がそれに応じると、暗闇に染まりつつある街並みを眺めながら、まるで昔話でもするように柔らかい口調で、これまでのことを語り始めた。

「そんじゃ改めて。あたしの名前は本条二亜。あ、本条蒼二って名前で漫画家もやってたりするんだけど、知らないかな? 『silver bullet』って作品」

 二亜と名乗る少女は眼前の風景よりももっと遠くの、ここにはない何かを見つめているような気がした。

 

 

 

 

 

 

 決して笑い話にできるような内容ではない。

 士道は話を聞きながらそう思った。しかし、まるで創作話でも紹介するように、コロコロと表情を変えながら続けられる二亜の語りのおかげで、必要以上に暗い雰囲気にならずに済んでいる。

 士道はともかく、万由里は本人曰く「シリアス空間に長く居すぎると頭がおかしくなる」らしいので、ある意味人間以上に人間らしい豊かな感情表現を見せる二亜に対して、少しだけ感謝するのだった。

 彼女の話で特に気を引いたのが、5年前からのことについて。なんと彼女は、つい先日までDEMに囚われていたのだという。それが士道の放った〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉の余波で、偶然解放されたとのことだった。

 

「DEMに囚われてたって……。大丈夫だったのか? その、色々と……」

 先日救出した時の十香の惨状を思い出し、思わず身がすくむ。比較的穏健派(士道基準)のASTに捕えられても、たった数日であそこまでボロボロにされたのだ。それが悪逆非道のDEMともなれば、その被害はいかほどのものか。

 背中に冷たいものが走る士道だったが、恐る恐る二亜に顔を向けると、以外にもあっけらかんとした表情をしていた。

「いやー全然大丈夫じゃなかったよ! こっちが頑丈なのをいいことにやりたい放題してくれちゃってさぁ。特にあの虚弱体質……。いつかお礼参りしてやらんと気が済まないね! 怖いからやらんけど」

 そう言うと彼女は、いつの間にか膝に抱えていた大きなビンの中からスルメを取り出し、無造作に口の中へ放り投げる。恨みでもぶつけるように勢いよく嚙みちぎると、今度は銀色の缶をプシュッと開け、仕事終わりのサラリーマン顔負けの風貌で(あお)るのだった。

 

『この子メンタル化け物なの? 気が狂ってもおかしくない状況だったと思うんですけど』

(元々なのか、それとも精霊として生きてきた過程で鍛えられたのか……。いやそれよりも、ここ駄菓子屋だよな? 今飲んでるのどう見てもビールなんだけど)

 いろんな意味で圧倒されつつも、2人は本条二亜という精霊の人となりを理解し始めていた。もっとも、掴みどころがない、という意味合いでだが。

「っぷは~! ん? なーに人の顔じろじろ見てるのさ。お、まさか少年アレか。お姉さんに惚れちゃった? いやーあたしも罪な女だねぇ、こんないたいけな少年の心を奪っちゃうとは。そうだね、助けてくれたお礼にハグくらいならしてもいいよ」

「別にいいです」

「うわ即決! どうしてさ!? 確かにおっぱいはちっちゃいけど、みてくれは悪くないって自覚はあるよ!」

「酒臭いから」

「おのれAs○hi、二亜ちゃんの美貌を妨げるとは許さん! 絶対に許、ゆる……。っぷはぁ~! 美味いから許す!」

(万由里、俺この子の攻略無理かもしれない)

『見た目は美少女中身はおっさん、これは攻略のし甲斐がありそうね……!』

(なんでそんな燃えてんの?)

 

 過去にも個性的な精霊をたくさん相手にしてきたが、本条二亜という精霊は今までのどのタイプとも違う。男友達のように親しげに話しかけてくる割に、心の深いところまでは見せてこない。そんな微妙な距離感をどうしたものか、経験の浅い士道には判断がつかなかった。

 しかし、せっかく見つけた精霊をみすみす見逃す手はない。ましてDEMから逃げてきたとあっては、今後も狙われる可能性だってある。そう判断し、攻略の糸口を探そうと気持ちを切り替えたところで、不意に二亜が口火を切った。

 

「あ、そうそう言い忘れてた。少年には感謝してるけど、あたし攻略される気はないから。そのつもりでよろしく~」

 

「『なっ!?』」

 驚愕。まるでこちらの思考を読んだかのようなタイミングでの、明らかな拒絶。

 たったそれだけで、士道は全ての動きを封じられてしまった。

「あ、すんげー驚いてる。あはは、ってことはやっぱりそのつもりだったんだ。いやぁ残念だったねぇ。あたしとしても現役男子高校生に口説かれるってのは、ちょっと魅力的ではあるんだけどね。こっちにも事情があるのさ」

 

 あまりにも完璧なタイミングでの牽制だが、驚いたのはそこではない。否、そうでもあるのだが、本題は別だ。

 

 士道はここまで、自分の素性を一切話してはいない。

 

 思い返せば最初から妙だった。

 初対面なのにまるで以前から士道を知っているかのような発言、そして旧知の友人とでも話しているようなあの態度。

 そして今の「攻略」というワード。

 

「なぁ本条さん。君の能力って――」

「やだなぁ本条さんだなんて他人行儀すぎ! あたしたちの仲なんだから、親しみを込めて『二亜ちゃん』でいいよ~」

 わざとらしく身体をくねらせながら頬に手を当てる二亜に対して冷ややかな目を向けながらも、士道は続ける。

「……最初に会った時も、俺のことを知ってるような口ぶりだったな。もしかしてお前の能力に関係してるのか? 二亜」

「いやんっ。そんなに真っすぐ見つめながら名前呼ばれたら、あたし……」

『士道、こいつちょっと殴りなさい』

(そうしたいのは山々だが、これ以上話をややこしくしたくないからダメだ)

 頭が痛くなるのをなんとかしようとこめかみをぐりぐりしていると、流石に二亜も雰囲気を察したのか、少しだけ申し訳なさそうな笑みを浮かべる。

「ごめんごめん。少年のリアクションが良いからついやりすぎちゃったよ。お察しの通り、あたしの能力はこの世の全てを見通すことができる。全知の天使〈囁告篇帙(ラジエル)〉だよ」

 そう言うのと同時、二亜の身体は光に包まれて、一瞬の後には修道女のような霊装を纏った姿が現れた。その手には件の天使と思しき十字の意匠が施された本が握られている。

 そっと本の表紙をなぞると、まるで心の奥まで見透かされているような、そう思わせる瞳で士道を見据えた。思わずゾクリと身体を震わせるが、二亜は構わずページをめくる。

 そして、信じられないことを口にするのだった。

 

「五河士道。来禅高校に通う2年生。両親は海外で仕事をしており妹と2人暮らし。5歳の時に五河家に拾われて以来平和な日常生活を送る。精霊を封印する能力を買われてプリンセスの攻略に挑むも、DEMの妨害を受けて失敗。生死の境を彷徨ったのち単独でプリンセス救出に向かい、ジェシカ・ベイリーとエレン・メイザースを撃破。見事奪還に成功し、現在は3人で仲睦まじく暮らしている。趣味は料理で特技はギター。ベースの腕もそれなり、と。……こんなとこで合ってるかな?」

 驚いたことに、目の前の少女は士道の来歴を、日記でも読むような気軽さで言い当ててみせた。家族構成に関してはともかく、先日の戦闘記録についてはトップシークレットのはずだ。だが、この天使の前では人間の情報操作などなんの役にも立たないのだろう。

「……あぁ。その様子だと、琴里やラタトスクのことも既に知ってるみたいだな」

「もっちろん! 〈囁告篇帙〉にかかればどんな秘密でも丸裸だよ。例えば、そう――」

 

「君がこの世界の人間じゃないってことも、ね」

 

「『なっ!?』」

 全知の力。頭では理解したつもりだったが、これは流石に予想外だった。

 先ほど二亜は「この世の全てを見通す」と言っていたが、それすら生温い。別の世界の情報すら手に入るとあっては、チートもいいところだ。

「……そんなことまで分かるのか。とんでもない能力だな」

「えへへ、まぁね。後はそうだねぇ」

「まだあるのかよ。これ以上は心臓に悪いから勘弁してくれ」

 その言葉は紛れもない本心だった。それもそのはず、士道にはもう1つ、まだこの世界の誰にも話していない秘密があるからである。それはもちろん、頭の中に住む彼女のことだ。

(まさか万由里のことまで?)

『いえ、そんなはずは……』

 

「君の机の引き出しに入ってる二重底の下に――」

 

「やめろバカ! マジでとんでもねぇ能力だな!!」

『使用者のせいで碌でもない能力にランクダウンしてるのが泣けるわね』

 そっと胸をなでおろすも、別の意味で寿命が縮まる士道だった。

「しかしまぁ、そこまで分かってるなら話は早い。そんな便利な能力を手放したくないってのも分かるけどな、封印云々はとりあえず置いといて、ラタトスクの庇護下に入るってのも悪くないんじゃないか?」

 そう言うと、二亜は少しだけ俯いて言葉を濁す。

「便利、ね……。そうだね、あたしもそう思うよ。でもね少年、人並みの言葉だけど、世の中には知らない方がいいこともたくさんあるんだよ」

「…………」

「長い間囚われてた所為か、大きな組織ってのがどうも苦手でねぇ。君の妹ちゃんが所属してるところ、確かにDEMに比べたら随分と真っ当に見えるよね。でも、決して一枚岩じゃない。核兵器も凌駕するほどの馬鹿げた力を持つ存在を、なんの打算もなく保護して養ってくれるなんて、夢みたいな話あるわけないんだよ」

「それは……そうかもしれない。俺も内部事情なんて語れるほど詳しくは知らないけど、それでも!」

「『それでもフラクシナスなら信頼できる』とでも言うつもり? それは流石に笑えないね。少年、君も本当は気付いてるんでしょ。いつまで目を逸らし続けるつもり?」

「ッ!!」

 

 相手が悪い。当然だが、後ろめたさを隠しながらどうこうできる相手ではないようだ。

 士道はフラクシナスで見せてもらった、先日の戦闘記録のことを思い出していた。

 

 十香の奪還作戦の最中、フラクシナスは待ち伏せしていた敵の攻撃を受けて大きなダメージを負った。

 琴里たちが丁度行動を起こそうとしたその瞬間、僅かな隙をついて。

 記録によると、当時は艦全体を不可視迷彩で覆い、加えて自動回避なるものも発動していたようだ。敵はそんな状況でピンポイントに制御顕現装置(コントロール・リアライザ)を破壊し、フラクシナスを行動不能寸前まで追い込んだ。

 

 流石に出来すぎていないか? というかそもそもの話、作戦の内容があまりにも敵に流れすぎていた。

 そう考えた士道と万由里は、1つの可能性に辿り着いた。

 

 

 

 ――ラタトスク機関に、DEMの内通者がいる。

 

 

 

(……今までは単なる憶測でしかなかったけど、二亜が言うんだったら話は変わってくるな)

『えぇ。〈囁告篇帙〉の能力が本当に全知の力だとしたら、裏切り者は本当にいて、尚且つそれが誰なのかもすぐに分かるってことよね……。士道、なんとかして聞き出せないかしら?』

 チラリと横目で伺うと、ばっちり目が合ってしまった。どうやら士道たちの思惑も既にお見通しらしい。

「悪いけど、詳細をあたしから聞き出そうったって無駄だよ。そこまでは調べてないからね。言ったでしょ? 組織って苦手なのさ。報復とか怖いし、出来ることなら関わりたくもないんだ」

「……そうか、それもそうだよな。分かった。この件については何も訊かないよ」

 〈囁告篇帙〉の力は全ての情報が勝手に入り込んでくるわけではなく、自分の知りたいことだけを調べられるようだ。例えるなら超高性能の検索エンジンといったところだろうか。

「あり? 随分とあっさり引くんだね。てっきりもっと食い下がると思ってたけど」

「この話をしてる時点でもう内通者がいるって分かったようなもんだからな。それに、女の子のトラウマをほじくり返すような趣味はない」

「へぇ……」

 ニヤリと笑いながら、値踏みするような目を向けてくる二亜。そのまま距離を詰め、何故か人差し指で士道の胸板をつつき始める。

「な、なんだよくすぐったいな」

「流石女の子を7人もオトしてきた男は違うなーと思ってさ。童貞なのにがっついてないところはお姉さん的にポイント高いぞっ!」

「どどど童貞ちゃうわ!」

『見栄張る相手が悪すぎでしょ』

 使い方次第では神にも悪魔にでもなれる。それほど強大な力を悪戯に使う程度に留めてくれているのだから、協力を断られても不満はない。だが、それはそれとして文句の1つでも言ってやらねば士道の気が済まないのだった。男の子にはちっぽけだが譲れないプライドがあるのだ。

「はぁ……。くだらないことばっか調べやがって。本当になんでもお見通しってわけだな」

「なんでもは知らないわよ。知ってることだけ」

「その台詞はもっと胸が成長してから言え」

「なにおう!? 貧乳はステータスなんだぞぅ!」

『ちょっと年代を感じるネタばっかりってのは指摘しない方がいいのかしら……?』

 その後も二亜が振ってくるコアな話題を、万由里にフォローしてもらいながらなんとか捌いていると、生まれかけていた重い空気もいつの間にかすっかり霧散していた。

 

 雑談に乗ってあげたおかげで気を良くしたのか、或いは協力できない彼女なりに引け目を感じてなのか。二亜は〈囁告篇帙〉の能力を少しだけ解説してくれた。

「実は本当に全てが分かるってわけでもないんだよ。例えばあたしを精霊にした〈ファントム〉の正体は、どんなに調べても出てこない。たぶん〈囁告篇帙〉の力を阻害できるほど強い力を持った奴には効かないってことなんだろうね」

「ファントム……! そうか、二亜も元は人間だったんだな」

「あたし‶も″って言うか……まぁそれはいいか。うん、特殊能力は力量に差がありすぎると効かないってのは、ゲームでも現実(リアル)でも変わらないってことだね」

『まぁ当然よね。ドラ○ンボールでア○クマンが最強とか言ってるやつはいい加減目を覚ますべきだわ』

(また微妙なとこ突いてきたなぁお前)

「あれ、ちょっと分かりづらかったかな? つまりアク○イト光線でフリ○ザは倒せないってことさ」

「…………」

『士道、私この子ちょっと好きかも』

「分かった分かった、イメージはもう十分伝わったから」

 

 ふと二亜に目を向けると、すぐ傍の曲がり角を見つめている。何かあるのかと士道もそちらを見やるが、特に変わったものはない。代わりにあることに気付いた。

(やっべ、もうすっかり暗くなってるじゃん。早く帰らないと琴里に怒られる)

 そう思い、ひとまず今日のところは別れを告げようとすると、二亜は視線をこちらに向けないままポツリと呟いた。

「そういえば、もう1つ分からないことがあるんだよね」

「え?」

「君がもってるその天使、〈雷霆聖堂〉って言ったっけ。DEMの連中を一撃で壊滅させるようなヤバい力。……一体どこで手に入れたのかな?」

「…………」

 何故このタイミングで訊いてくるのか。その真意を確かめたかったが、相変わらず二亜は顔を合わせてくれないので、分かりようもない。

「あたしが調べた限りでは、過去のどのタイミングでもその力を手に入れた形跡はなかったんだよね。更に言えば、DEMの兵士を相手に天使なしで戦うようなスキルだって、君は持っていなかったはずだよ」

「気になるなら、調べてみればいいんじゃないか?」

「もうっ! 分かってるくせに。出来ないんだよ言ったでしょ、強すぎる相手に〈囁告篇帙〉は効かない。君の持っている天使……或いはその元々の持ち主の精霊は、あたしなんかじゃ触れることすらできないほど強大な存在……でしょ?」

 そう言って、二亜はようやく士道に顔を向ける。そこに浮かんでいたのは、僅かな好奇心と……まるで面白い悪戯を思いついたような、笑み。

 何か良くないことを考えていると、士道の勘が告げている。

 

「余計なことには首を突っ込まない主義なんだろ」

「そうだね。でも君個人に関しては別だよ少年。あたしを助けてくれたのがどんな人かってのは、やっぱ気になるもんなんだよね」

 やけに甘えた声でにじり寄ってくる二亜。これは絶対に裏がある。そう確信するも、吐息が掛かるほどの距離まで顔を近付けられ、思考がうまく纏まらない。

『ちょっと何照れてんのよ! こんな酒臭い吐息に惑わされないでよね!』

(あ、あぁ……)

「別に教えても構わないよ。俺に封印された後でならな」

「ま、当然そうなるよねー。じゃあ……」

 

 ようやく離れてくれた。そう思い気を緩めた瞬間、士道の身体に変化が起きた。

「君の記憶から無理やりにでも探ってみようか!」

「なっ!?」

 二亜がそう宣言した途端、士道の身体は金縛りにでもあったかのように動かなくなる。物理的に拘束されているわけではなく、まるで身体が脳の命令を受け付けていないような、そんな感覚。

「驚いた? 〈囁告篇帙〉は未来の出来事を記載することもできるんだよ。これに関しちゃそこまで大きなことはできないけど、『少年を少しの間大人しくさせる』くらいなら簡単さ」

 そう言って見せられた本のページには、いつの間にか拘束された士道のイラストが描かれている。

「くっ! お前、最初からこうするつもりだったな!?」

「わはは! 素直に教えてくれない君が悪いんだよーだ! さぁさぁ、少年は一体どんな性癖をひた隠しにしてるのかな~?」

「目的が変わってる!?」

 

 記憶を探られる。それはつまり、万由里の存在が二亜に知られてしまうということだ。

 そもそも万由里のことを誰にも話していないのは、何が起こるか分からない世界へ対抗するための、最後の切り札として残しておきたかったから。

 だから別に、敵対する存在でない二亜に知られてしまっても、なんの問題もない。

 ――ない、はずである。

 

(なのにどうして…………こんなにも、胸が騒ぐ?)

 得体の知れない不快感の正体が分からず、困惑する。

 

(無理やり秘密を暴かれるから? いや、別に知られて困ることはないはずだ)

「やっぱり直接会って正解だったよ。君の記憶情報、相当固いロックがかかってるけど、この至近距離ならもうちょいで……!」

 

(万由里が実体化していられるのは僅かな間だけ。1分間っていう短い時間が過ぎれば、俺以外の誰にも認知できない。寂しがりやの万由里のことを考えるなら、知っている人が増えた方がいいとさえ思える。だったら……)

「お、おおお、ついに来たか、これ……は…………」

 

(俺が恐れているのは、俺自身の記憶を探られること、そのもの……?)

 

 

 

『おい』

 

 

 

「え?」

 興奮した面持ちで本に手をかざしていた二亜の動きが、ぴたりと止まる。

 

 

 

『調子に乗るな、小娘』

 

 

 

「う……ぁ…………」

 呻き声に意識を引き戻されて士道が二亜に目を向けると、そこにはページを見つめながら顔中に脂汗を浮かべる彼女の姿があった。いつの間にか金縛りは解け、今度は代わりに二亜が蛇に睨まれた蛙のように身動きを取れないでいる。

「お、おい……? 大丈夫か?」

 

 

 

()()はお前如きが触れていいものじゃない』

 

 

 

『失せろ』

 

 

 

「ひっ!!」

「二亜!」

 突然〈囁告篇帙〉が眩い光を放ったと思うと、次の瞬間には粒子のように消滅し、同時に二亜の霊装も解除されて元のだらしない部屋着姿に戻っていた。

 士道は放心状態となってその場に倒れ込みそうになる二亜を慌てて抱き留める。触れた肩は汗でぐっしょりと濡れており、尋常ではない様子が伺えた。

「大丈夫か!? 一体何が起きたんだ?」

「わ、分からない……。君の記憶の深いところに触れようとしたら、お、女の子が……」

「女の子?」

(万由里、お前なんかしたのか?)

『べっつにー? あんたの中学時代の記憶でも見て驚いちゃったんじゃないの?』

(他人を過呼吸にするほど悲惨な記憶は無ぇよ! ……え、無いよね……?)

 それからしばらく二亜は肩を震わせていたが、士道が肩を支えてゆっくりとベンチに座らせると、段々と落ち着きを取り戻していった。

 

「いやー申し訳ない。調子に乗った上にみっともないところを見せちゃったね」

「これに懲りたらもう勝手に他人の過去を詮索するなよ。……ってのは今は置いといて、もう大丈夫なのか?」

「うん、だいぶ落ち着いたよ。少年がずっと肩を抱いてくれてたおかげかな?」

「茶化すなっての」

 自然と距離が近くなっていたことに気付き、今更恥ずかしくなって手を放す士道。二亜はその様子を見て満足げに笑うと、「どっこいしょ」とおっさん臭い掛け声を出しながら立ち上がった。

「気まぐれで会いに来ただけだったけど、今日は話せてよかったよ。ありがとね」

「あぁ、もう行くのか?」

「うん。あたしこれでも売れっ子作家だからね。結構忙しいんだよ」

「昼間っからビール呑んでるやつの台詞じゃないな」

「何言ってるのさ。給油しないと車は走らないでしょ? それと一緒だよ」

「はは、のんべぇがなんか言ってら」

 

 士道も立ち上がり、ぐっと伸びをする。短い間だったが濃い体験をして、僅かに疲れを感じていた。だが休んでもいられない。急いで帰らなければ、十香がお腹を空かせて暴れ出すかもしれないからだ。

 別れの挨拶を切り出す前に連絡先を交換していると、二亜から声が掛けられた。

「少年。あたしは君のことを気に入ったから、1つだけ忠告しといてあげる」

「急にどうした、改まって」

「まぁ聞きなって。強い力を行使するのは構わない。それで大事なものを守れるなら、あたしだってそうするよ。でもね、過ぎた力は時に人を不幸にする。それを努々(ゆめゆめ)忘れちゃいけないよ」

「……まるで見てきたような言い方だな。経験者としてのアドバイスってやつか?」

「さぁ? どうだろうね。近所のせくしーなお姉さんからの、ありがたいお言葉だよ」

 それだけ言うと、二亜は背を向けて歩き始めた。踏み出すたびにペタペタと音を鳴らすサンダルから、やけに哀愁が漂っているように感じる。

「〈雷霆聖堂〉……並みの精霊じゃ及びもつかない、それこそ神の如き力で裁きを下す審判の天使。それは一個人が持っていていい力じゃないと、あたしは思うけどね」

 

 ――そんなことはない。

 ――この力はきっとみんなを幸せにできる。

 

 そう、言葉が喉から出かかって、何故か口にすることはできなかった。結局二亜の背中が見えなくなるまで、士道はその場に立ち尽くすのだった。

 

 

 

 

 

 

「人間には過ぎた力……か。関係ねぇよそんなもん。俺は俺の目的を果たすだけだ。…………でも」

『話し相手があんた1人だと私が寂しいんじゃないかって? バカねぇ』

(いやバカって……。お前だってみんなと話してみたいだろ? 一緒に遊んだり、学校に通ったり――)

『別に私は現状に満足してるからそういうのはないわよ。まぁ、やってみたいことならあるけどね』

(それって?)

『言わない。今のままじゃどうあがいても出来っこないし。それよりも、私を退屈させたくないのなら、これからもいーっぱいお喋りしてくれないとダメなんだからね!』

(へいへい)

『何よその気の抜けた返事は! こんな美少女を独り占めできる現状に感謝して咽び泣きなさいよ!』

(ははは、めんどくせぇ~)

 いつもの脳内会話に花を咲かせながら歩き始める。と、曲がり角に差し掛かったところで、万由里が思い出したように声を上げた。

『あ、そうそう。さっきの会話、途中から2人に聴かれてたから。適当にごまかしといてね』

「は? 一体誰……に…………」

 

 

 

「随分と楽しそうだったわね士道。で? 私に黙って家を抜け出した挙句、精霊と密会してたことについて、何か言い訳はある?」

「シドー誰なのだあの女はシドーをへんな能力で縛り付けおって琴里が止めなければすぐにでも〈鏖殺公(サンダルフォン)〉のサビにしてやれたのにシドー身体は大丈夫なのかシドーシドーシドーシドー……」

「ひえっ」

 

 

 

 角を曲がると、家で待っているはずの愛すべき家族たちが、牙をむき出しにした肉食獣のように待ち構えていた。笑顔の琴里と、無表情の十香。彼女たちに共通しているのは、背後からどす黒いオーラを放っていることだ。

 曲がり角を見つめて二亜が悪戯っぽい笑みを浮かべていた理由が、やっと分かった。

(あれ、俺たち結構聴かれたらまずい会話してなかったか?)

『安心なさいな。異世界だなんだって話は2人が聞き耳を立て始めた後は一切してないわ。そういうところも含めて会話をコントロールされてたみたいね』

(まじかよ、あいつホントおっかねぇな。絶対に敵に回したくないタイプだ……。っていうか気付いてたんなら教えてくれよ!)

『問題ありそうだったら流石に止めたわよ。それよりほら、敵に回すと厄介なのは目の前にも居るでしょ。早く何とかしなさい』

「何故黙っているのだシドー! 私ではなくあの女が良いのか!? もっとすれんだぁな身体でなくてはダメなのか!!」

「え、細いのが好みなの? じゃなかった。報復があるから気を付けなさいってあれだけ教えたのに、一体どういう了見なのよ! 何かあったらすぐ連絡してって言ったわよね! だいたいその泥だらけの服はなんなのよ。まさか誰かに襲われたんじゃないでしょうね!?」

「あ、これは神社で奇声を上げてたら幼女に見られたショックで気絶して……」

「「!!??」」

 

 いつの間にか雨は止んでいたが、空は相変わらず分厚い雲に覆われている。これからしなければいけないことが多すぎて、先は全く見えていない状況だ。だが、今は1つずつ確実に解決していくしかない。

(当面の目標は、ラタトスク内にいる内通者を見つけること)

『それができなきゃ、今後精霊を攻略するたびに仲間を危険にさらすことになるわ』

(そのためにするべきことは……)

『えぇ。手っ取り早く済ませるならこれしかない』

 

 

 

(『フラクシナスのサーバーにハッキングをしかける!』)

 

 

 

『DEMからあそこまで正確な砲撃を受けたってことは、内通者はフラクシナスの位置情報をぶっこ抜いて敵に伝えたはず』

(その形跡さえ発見できれば、犯人特定への大きな手掛かりになる。お前のハッキングテク、頼りにしてるぜ万由里)

『まっかせときなさい! でもまぁ、ひとまずは』

(あぁ……)

 

 

 

「「こら! 無視するなシドー(士道)!!」」

 

 

 

 目の前の脅威をどうするか。

 それが先決だ。

 

 

 

~おまけ~

深夜に二亜から届いたメッセージ

『髪の毛って身体の一部だし、妹ちゃんの天使で再生できるんじゃないの?』

「『…………な、なるほどぉ~』」

二亜に深く感謝する2人だった。




アニメ4期はとりあえず来期ではなさそうですね。
待ち遠しいです。


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第17話 ダブルバトル

デートアライブ4期おめでとうございます(白目)


「……と、いうわけです……」

「ふ~ん」

 

 二亜と密会しているところを見つかった日から3日後。士道は再び訪れた十香の定期検診に同行していた。

 もちろんだだ付き添いで来たわけではない。捨てられた子犬のような表情で検査室に消えていく十香を見送った後、すぐに琴里に首根っこを掴まれ、フラクシナスのブリーフィングルームへと連行された。

 備え付けのホワイトボードにはでかでかと「第1回 五河士道、妹に隠し事してごめんなさい反省会」と書かれている。

 

『第1回ってことは2回目以降の開催も期待していいのかしら』

(勘弁してくれよ……)

 

 目の前には出荷前の豚を見るような冷たい目で椅子に腰かけている琴里。苛だたしさを見せつけるようにキャンディを噛み砕く姿を見ていると、それだけで胃が痛む気がした。

 ちなみに士道は床に正座している。決して強要されたわけではない。琴里と同じ目線の高さに座ることを本能が勝手に回避したのだ。

 根掘り葉掘り追及されたため、たっぷり1時間ほどかけて今までの道のりを説明し、先ほどやっと()()の話しを終えて、琴里の判断(ジャッジメント)を待っているところである。

 

「はぁ……。鳶一折紙の両親を救うために過去へ行って? そこで戦闘に巻き込まれたと思ったら4月10日にタイムスリップ? いやそれよりも、すでに7人の精霊を攻略してきたって……あんたねぇそんな話」

「あはは、やっぱり信じられない——」

「どうして今まで黙ってたのよ!!」

「そりゃそうなりますよね」

 

 なんとか茶化してやりすごせないか。そんな甘い考えが一瞬にして霧散するほどの剣幕。間違いなく琴里は本気で怒っている。

 だが、渦巻く感情がそれだけではないことを、士道は感じ取っていた。

 

「ごめん……。正直俺も混乱しててさ、上手く状況を伝える自信が無かったんだよ。そんな状態で話をしたところで、頭の良いお前ならまず俺の正気を疑うだろ?」

「何よ、真剣に取り合わないであろう私に責任があるとでも言いたいわけ?」

「そうは言ってないさ。でも考えてみろよ。精霊だのASTだの、そういう裏の事情を全く知らないはずの俺が、いきなり『未来からやってきました』なんて言い出したらどう思う?」

「…………」

 

 琴里は思わず言葉に詰まる。そういった時に自分がどのような反応をするのか、火を見るよりも明らかだからだ。

『確実に中二病の再発と断定されて、それはもう冷たい目を向けてくるでしょうね。今も大概だけど』

(勘弁してくれよ。心の傷は流石に〈灼爛殲鬼(カマエル)〉でも治せない)

『どっかの副指令みたくダメージを快楽に変換出来たらいいのにねぇ』

(何も良くないわ)

 

 少しの間考え込んでいた琴里だったが、やがて諦めたように深い溜息を吐いた。

「普段の態度が裏目に出たってわけね……。えぇ認めるわよ、恐らく信じないでしょうね。でもそれなら、せめて十香を封印した直後にでも教えてくれれば良かったんじゃないかしら?」

「それも説明した通りだよ。前の世界とこの世界とじゃ状況が違いすぎるんだ。下手な情報を共有して取り返しのつかないことにでもなったら、って考えたら、なかなか言い出せなかったんだよ」

「舐めないでちょうだい。フラクシナスはどんな状況にも的確に対処してみせるわ。……って、以前なら胸を張って言えたんでしょうけどね。あんな醜態を晒した後じゃ士道の意見ももっともか……。今回の一件、あんたの頑張りがなければ十香を助けることは確かに不可能だった」

 

 言いながら琴里はそっと目を伏せる。僅かに覗く表情からは、隠しきれない後悔が見て取れた。何年も準備を重ねて華々しくデビュー戦を飾る予定が、既に撤回されているとはいえチーム解散の危機にまで追い込まれたのだ。

 そして何より、五河士道(大好きなお兄ちゃん)を危険にさらしたことを、琴里はずっと悔やんでいた。

 しかしそれでも。否、そうであるからこそ、琴里は立ち止まるわけにはいかない。今度こそ万全の態勢で、誰も傷つかない方法で精霊を封印する。それが人間として、そして精霊として生きる自分の使命だと確信しているのだから。

 

「でもこれからはそう都合よくはいかないわ。フラクシナスが、そして何より五河士道という一個人がDEMやASTの敵として認識されてしまった以上、あんな不意打ち紛いのやり方は2度と通用しない。だからこそ、少しでも情報を共有しておく必要がある。違うかしら?」

「そうだな、それに関しては俺も同意見だよ。でも誰にだってこんな話をできるわけじゃない。だからこそ、まずは琴里にだけ話して判断を委ねようと思ったんだ。正直俺もここまでの事態になるとは想像してなかったしな」

 

 実はここに連れ込まれた際、始めのうちは令音も同席していたのだ。それを「どうしても琴里と2人で話したい」という士道たっての希望から退席してもらい、現在に至る。

 最も信頼する仲間の1人である令音を除け者にすることに対して、当然琴里は不満を口にした。士道も令音くらいにならば聞かれても構わないと思ったのだが、万由里が断固として拒否したのだ。

 時間が無かったので理由を詳しく訊くことはできなかったが、きっと彼女なりの考えがあるのだろう。

 

「それにしても、八舞姉妹に誘宵美九、それに七罪……。話を聞いた限りじゃ、とんでもない厄介者ばかりじゃないの。よくもまぁここまで個性的なのが揃ったものね」

『聞いた士道? この子ったら自分を棚に上げて人様を個性的ですって』

 ケラケラと笑う万由里に対して「お前もな」と心中でツッコミを入れつつ、愛しい仲間たちに思いを馳せる。

 

「そうだな、でもみんな良い子たちなんだよ。今回も必ず救ってみせる」

「あのねぇ、だからなんでもかんでも自分1人で解決しようとするんじゃないわよ。今度こそちゃんとバックアップするって言ってるんだから、少しは私を頼りなさいこのバカ兄」

「そうだったな」

 

 呆れた表情で溜息をつく琴里に指摘され、思わず苦笑を漏らす士道。洗いざらい話すことに恐怖はあったが、終わってみれば随分と心が軽くなった。皆を救いたいという気持ちばかり先行して、自分でも気付かないうちに気負いすぎていたようだ。

 

「まぁいいわ。今までのこと諸々、納得したわけじゃないけど、とりあえずは飲み込んであげる。あんたも苦労してきたみたいだしね」

「ご理解いただけたようで良かったよ」

 

 反省会という名の尋問からやっと解放される。安心した士道はようやく冷たい床での正座をやめると、軽く伸びをして部屋を後にしようとした。

 しかし、これで逃がしてくれるほど、琴里は甘い存在ではない。

 

「もうひとついいかしら」

「どうした?」

「あの時……。一撃でDEMの戦闘部隊を壊滅に追いやった天使。〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉、って言ってたわよね。相棒に借りたとか言ってたけど、その相棒とやらはどこにいるの?」

「…………」

『やっぱ突っ込まれるわよねそりゃ。意図的にはぐらかしてたし』

 明らかに声のトーンが下がっている。下手なことを言えば、また琴里の怒りが爆発しかねないが、士道としても今それを話すわけにはいかないのだ。

 

「あー、相棒ね。近くにはいるんだけどな。今はちょっと、その……会えないんだ」

「は? どういうことよ。あのね士道、何度も言ってる通り、ラタトスクは精霊の保護を目的とした組織なのよ。決して悪いようには——」

「いやいや、琴里たちを信頼してないとかそういう意味じゃないんだよ。ただ本当に物理的に会うのが難しいってだけなんだ。いつかきっと紹介するから」

「近くにいるのに物理的に会えないって一体どういうことなのよ!? 意味が分からないわ!」

 

 琴里は鋭い視線で回答を促してくるが、何も言えることなどない。士道が困った表情を浮かべて黙っていると、本日何度目かもわからない溜息を吐いて、先に琴里が折れるのだった。

「はぁ~、なんなのよほんともう……。だったらこれだけは言っておくけど、あの〈雷霆聖堂〉って天使。分かってるでしょうけど、あれは相当にヤバい力よ。よっぽどのことがない限り……いえ、できることなら今後一切使わないで」

 

 そもそも天使と呼んでいいのかも分からない。精霊である琴里ですら畏怖するほどの、異質すぎる気配。

 駄菓子屋で盗み聞きした二亜の言葉が、脳裏にべったりとこびり付いて離れない。

 

 

 

『神の如き力で裁きを下す審判の天使——』

『一個人が持っていていい力じゃないと、あたしは思うけどね——』

 

 

 

 なぜそんな力を兄が持っているのか。

 その力を行使することで、一体どんな災いが降りかかるのか。

 得体の知れない不安感が心の奥底で渦巻いている。琴里はただ本気で士道の身を案じているのだが、当の本人はどこ吹く風といった様子で笑うのだった。

 

「ははは、ヤバいなんて大げさだな。ちょっとでかいビームが出るだけの黒い棒じゃないか」

「あのね、あんたあの攻撃の余波で周囲がどんな影響を受けたか知らないの!? 大気がプラズマ化するほどのエネルギーがそこら中に拡散して、離れてたフラクシナスにだって大きなダメージがね——」

『棒って何よ棒って! せめて槍って言いなさいよね、ほんとは槍でもないんだけど! あとあれはビームじゃなくって〈ラハット——』

 

 信じられないものを見るような目を向けてくる琴里と、ぎゃあぎゃあと喚き散らす万由里。やっと解放されかけていたところに、この追撃は正直堪える。

 何より士道にはこの後大事な予定が入っているのだ。妹の剣幕に追いつめられるふりをしてじりじりと入り口に近付くと、扉が開いた瞬間一目散に逃げ出すのだった。

 

「ちょっと待ちなさい! 士道、話はまだ——」

『あーあ、これ後で絶対怒られるやつよ。大丈夫なの?』

「仕方ないだろ。もたもたしてたら十香の検診が終わっちまう。それに……」

 

 〈雷霆聖堂〉を使用したのは他でもない士道なのだ。その異常性など、今更誰かに言われずとも分かっている。

 フラクシナスの長い通路を駆け抜けながら、士道は先日の会話を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

「天使にはそれぞれ固有の能力があるわ。って、こんなこと今更言われなくても分かってるでしょうけどね」

 そう万由里が切り出したのは、彼女が士道の元へ帰ってきてから数日経ったある日のことだった。

「あぁ、そりゃ知ってるけど……それがどうかしたのか?」

「いい機会だから、今のうちに〈雷霆聖堂〉の能力について説明しておこうかと思ってね。いつまたこの力が必要になるか分からないし」

 

 現在2人がいるのは、万由里が作り出した精神世界の中。以前の戦いで自分の力不足を痛感した士道は、ほぼ毎日眠りに落ちた後、夢の中で戦闘のレクチャーを受けているのだった。

 万由里の手にはいつの間にか、彼女の透き通る肌とあまりにも対照的な漆黒の長槍が握られている。士道を鍛えるためだったとはいえ、その槍に()()()()()記憶は今でも鮮明に思い出せるほど、脳裏に焼き付いていた。

 

「能力って言うと、〈灼爛殲鬼〉の治癒の炎とか〈刻々帝(ザフキエル)〉の時間操作とか、そういう不思議な力のことだろ。〈雷霆聖堂〉にもなんかあるのか?」

 士道がそう問いかけると、万由里は待ってましたと言わんばかりに「ふふんっ」と鼻を鳴らしながら胸を張る。

「よくぞ訊いてくれたわ。この天使には『審判』に『再生』、それに『束縛』とか色んな力があるけど……。1番の特徴はやっぱり『破壊』ね」

「『破壊』……? 物を壊すっ力てことか? それなら精霊は誰でも持ってそうな気がするけど」

「ちっちっち。この子をそんじょそこらの天使と一緒にしちゃいけないわ。実際に使ったあんたなら分かるでしょ? 僅かな魔力で発動したにも関わらず、空に穴をあけるほどのあの威力。これはそう……『消滅』って言った方がしっくりくるかしらね」

 まるで虫取り網でも振り回すように、身の丈以上の武器をブンブンと回して見せる万由里。心臓に悪いのでやめてほしい。

 

「相手の防御力や能力に関係なく、立ちはだかる全てを存在ごと消してしまう。それが〈雷霆聖堂〉の力。この子の前では分厚い岩盤だろうが鉄壁の随意領域(テリトリー)だろうが、大した意味は成さないの」

「…………」

「……言うなればブルー○イズを並べて高笑いする相手にエク○ディアを叩きつけるような——」

「いや理解はしてるから。びっくりして声でなかっただけだから。しかも微妙に分かりづらいし」

「そう? まぁでも安心なさいな。今のあんたじゃ霊力が少なすぎて、そこまでの力を引き出すことは不可能だから」

「霊力不足って……。精霊を2人も封印してるんだぞ? それでも足りないってのかよ」

「全然よ。実際前回は〈雷霆聖堂〉があんたの()()()()()()無理やり霊力に変換したから、ようやく発動できたんだもの。ま、本来の威力に比べたらだいぶお粗末だったけどね」

「あー、それであの時腕が無くなったのか。てっきり攻撃の反動で吹き飛んだのかと思ってた」

 

 あの時は直後に意識を失ったので痛みを感じる暇も無かったが、目が覚めてから腕がないことに気付いた時の衝撃はかなりのものだった。もっとも、当時の士道は更に大切なものを失ったことを知り、すぐに記憶の彼方へ消えていったのだが。

 大事な人が突然消えてしまった時のことを思い出し、少しだけ胸を締め付けられる士道を見て、万由里は愛おしそうに微笑んでいた。

 

「まともに使おうと思ったら、そうねぇ……。あと4人くらい封印すればいいかしらね」

「順調にいけば美九辺りか。……その前に使おうとしたらどうなる?」

「基本的には発動しないわ。でも以前説明した通り、霊力は使用者の願いによって変化するもの。前みたくあんたが本気で『使いたい』と願えば、不完全でも顕現はしてくれるでしょうね……ただ——」

「俺の腕が喰われる、か」

「腕とは限らないわ。でも身体や精神、どこかしらに必ずダメージを受けることは覚悟してちょうだい。あとは持っている霊力を全部強制的に攻撃力へ変換するから、一時的に私とのリンクも切れる……ってのはまぁ、よく知ってるわよね」

「……あぁ、そうだな。あんな思いはもうごめんだ」

「んん? ほほぉ~、士道君は万由里ちゃんとお話しできないのがそんなに悲しいのかなぁ~?」

「当たり前だろ。もうどこにも行くな」

「っ!! さ、さーて休憩終わり! トレーニングの続きでもしましょうかね! まずは父さんを超えた(スーパー)トラ○クスになれることろまで——」

「いやそれ失敗形態だろ! あー……それにどうやらタイムアップだ」

「あら、もうそんな時間なのね」

 

 誰も触れていないはずの士道の首が、何かに締め上げられるように狭窄していく。現実世界の身体の状態が反映されているのだ。

「また十香ちゃんが布団に潜り込んできたのね。いいわ、今日はこれでおしまい。早く行かないと抱きしめ殺されちゃうわ」

「昨日はあばらが軋んでたからそれとなく注意したんだけど、今回は首に来ちゃったかー」

「抱きつく場所じゃなくて、力加減を教えてあげた方がいいんじゃない?」

「それは最初から言ってる」

「そりゃそうか」

 

 

 

 

 

 

 〈雷霆聖堂〉の力を要約すると、

①当たれば勝ち確

②使用すると自分にも大ダメージ

③使用後は霊力スッカラカン+万由里がしばらく行動不能

④他にもおっかない能力がいろいろ

ということらしい。

 自傷ダメージが大きいのに霊力不足で回復できないというのは正直、高威力だけというメリットに見合っていないような気がする。

 だが戦力が敵に大きく劣る現状では、やはりいざという時に使う必要があるのだろう、というのが2人の共通認識だった。

 デメリットを可能な限り抑えるために、使用するのは基本的に誰かが側にいる時だけ、という取り決めもしてあるが、果たして〈雷霆聖堂〉が必要なほどの窮地に、そんな余裕があるのかどうか。

 結局のところ、その時になってみないと分からないのだった。

 

「さて、と。とりあえずどうしたらいい?」

『まずは末端でもいいからフラクシナスのシステムにアクセスできる場所を探して。1度中に入ってさえしまえば、私ならどんなセキュリティでも突破してみせるわ』

「おっかねえなぁ……。よし、それなら資料室だ。あそこなら俺でも入れたはず」

 

 琴里との会話をかなり強引に切り上げてしまったが、幸い追ってはこないようだ。艦内は常に監視カメラが作動しているため、捕まえようとすれば簡単にできるはずなのだが、そこまでする必要はないと判断したのだろう。他の職員とすれ違うこともなく、士道は資料室に到着した。

 

 一般に「資料室」と呼ばれるもののイメージからはかけ離れた、世間には出回らない超高性能なPCがいくつも並べられ、フラクシナスの関係者なら誰でも利用できるフリースペース。それがこの場所だ。

 政界や金融業界など、ここからなら相当グレーな情報にも簡単にアクセスすることができ、誰が補充しているのかドリンクバーやスナック菓子も置いているため、ネカフェ代わりに使うクルー(中津川)もいるくらいだ。

 部屋の中を見渡し、ハッキングするのに適当な場所に当たりを付ける。

(この辺でいいか)

『えぇ。入口や監視カメラから見えにくくて、かつ人が近付いてくればすぐに視認できるベストポジション。流石ね、伊達に長いこと童貞やってないわ』

(黙ってろ)

 

 椅子に座り、軽く深呼吸して速くなり始めた鼓動を落ち着ける。PCは起動してあったので、すぐにでも行動を起こせそうだ。

『準備ができたら私の「本体」をPCに近付けて』

(鍵のことか。……これでいいのか? おお)

 ポケットから取り出した花飾りの鍵をディスプレイの前に持ってくると、温かさと僅かな光を発生させながら形状を変えていく。数秒ののち光が消えると、先端がUSBポートに変形していた。

 

(どうやってサーバーに入り込むのかと思ってたけど、こんなこともできるのか。やるじゃないか)

『ふふん、それほどでもあるわね! もっと褒めてくれてもいいのよ?』

(すごいなー憧れちゃうなー。こんな有能なやつ今まで見たことないぜ)

『うむ。くるしゅうないぞよ』

(最早できないことの方が少ないじゃん。誇らしくないの?)

『あぁ~たまらねぇぜ』

(その上めっちゃ美人とかずるいよ。ビジュアルモンスター。モナリザ)

『あっ、ちょっとイクッ!』

(これ容量どのくらいなんだ?)

『8MB』

(ざっっっこ!!)

 

 キレて実体化して襲い掛かろうとする万由里をなんとか収め、改めてPCに向き直る。

『じゃあ行ってくるわ。ハッキング中は私の意識をサーバー内に飛ばして作業するから、しばらくはお別れね』

(何か手伝えることはないのか?)

『ふふ、大丈夫よ。あんたは大船に乗ったつもりで待ってなさい。あ、一応作業の進行状況はモニターに表示しておくから』

(そりゃありがたいけど……誰かに画面を見られたら怪しまれないか?)

『その辺も抜かりなし。エンターキーを1回押すとダミー画面に切り替えられるから、いざってときは使ってちょうだい』

(流石だな。じゃあ……頼んだぞ。みんなの未来はお前の働きにかかってるんだ)

『えぇ。内通者の情報をばっちり見つけてきてやるから期待してなさい。それじゃ……プラグイン! マユリ.EXE!』

(トランスミッション! あ、USBの上下逆だわ)

『ズコーっ』

 

 なんとも気の抜けた声を上げながら、万由里は電子の海に消えていくのだった。

 

 

 

 

 

 

「さて、と……。()()()()()()()とはいえ、相手は世界最高峰のセキュリティ。気合い入れてかからないとね」

 人間の脳を遥かに超えた容量と処理速度で構築された電脳空間。そこから必要な情報を見つけ出すのは、砂漠に落とした1粒の石ころを見つけるのにも等しい。

 敵の顕現装置を無理やりハッキングする時とは違い、システムを破壊せず、さらに痕跡を残さないように進んでいくのは、正に至難の業だ。

 

「とはいえ文句は言ってられないわよね……。時間もあまりないだろうし、何より私と離ればなれになって、士道が泣いてるかもしれない。お目当てのものを見つけてさっさと帰りましょう」

 

 無限とも思える広大な0と1の世界を、万由里の意識は光の速さで移動していく。しかしそんな環境の中でも、彼女は正確に情報を読み取っていた。

 使い方次第で世の中をひっくり返せるような情報や、個人のプライバシーを著しく侵害するような情報。触れるどころか本来は目にすることさえ許されないようなデータが、道中にはごろごろ転がっていたが、今必要なのはそんなものではない。

 

「『婚活 必勝法』『エロゲ 最新作』『女上司 踏んでほしい』……クルーたちの検索履歴かしら。世界レベルのPCを使って調べるのがコレってのも泣けてくるわね……。っと、あれは?」

 ふと視界の端に違和感を感じ、立ち止まる。万由里の目に飛び込んできたのは、目的の情報でもなければ世界を動かすような大それたものでもない。だが、ある意味()()ではトップレベルに重要な情報だった。

 

〈五河士道のすべて~これを見ればあなたも士道マイスター~ ポロリもあるよ〉

 

 

 

「…………」

 

 

 

「……………………」

 

 

 

「………………………………!!!!」

 

 

 

 そのデータに触れた瞬間。

 万由里の意識は一瞬で別の空間に飛ばされた。

 

 飛んだ先は、それほど広くない球状のエリアの中だった。壁面には異常を知らせるように「WARNING! WARNING!」と赤く表示されている。

 そしてその中央には、メカメカしい霊装のようなものを身に纏った、白い髪の少女が浮かんでいた。

 

 

 

「こんにちは。フラクシナスの管理システム兼セキュリティシステム〈MARIA〉です。早速ですが侵入者は排除します」

 

 

 

「やっべ! 罠だこれ!!」

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、士道も危機的状況に直面していた。

 

「やあ士道君。こんなところで何をしているんですか?」

「……か、神無月、さん」

 

 万由里が電脳空間へ旅立った後、ディスプレイには〈マユリチャン2 裏切り者の謎〉の表示とともに、チープな音楽が流れ始めた。ご丁寧に万由里と思しき少女がビルの上に立つドット絵も添えられている。

 「エグゼじゃないじゃん」と胸中でツッコミを入れながらも、タイトル下の「達成率2%」という文字で作業の進行状況を伝えてくれているのだと気付き、安心したのも束の間。

 フラクシナスの副指令、神無月恭平が資料室に姿を現したのだ。

 

「今日は司令と一緒だと伺っていたのですが。もう用事は済まされたので?」

「は、はい! そうなんですよ。十香の検査が終わるまで暇だから、どこかで時間をつぶせないかな~と思って。はは……」

「そうだったんですか。確かにここは暇つぶしに最適ですからね。流石は士道君、この艦のことをもう理解してらっしゃる」

 神無月は喋りながらもどんどんと近付いてくる。やがてPCをはさんで士道の向かい側に立つと、少しだけ困ったような表情を浮かべた。

 

「ただ、アカウントが制限されているとはいえ、ここのシステムは普段使いするにはちょっと優秀すぎるんですよ。悪いんですが士道君、ちょっとだけログを調べさせてもらってもいいですか?」

「え!?」

「あぁ、別に士道君が悪いことをしているんじゃないかと疑っているわけではないんですよ。ただ意図せず良くない情報にアクセスしていないか心配で」

「い、いやー! 大丈夫だと思いますけどね!」

 

 思わず声を上擦らせながら視線を逸らしてしまう。まさかこんなに早く誰かに見つかるとは思っていなかったのだ。

 そして普段と違う士道の様子を、副司令ともあろう者が見逃すはずもない。

 

「ん? 何か焦ってます?」

「そんなことないですけど!? 俺を焦らせたら大したもんですけど!!」

「はぁ……。その割に少し汗が滲んでいるような……」

「さっきまでここでドラゴンフラッグしてたせいかな!? いやーきつかったなあ!!」

「あの最強の筋トレをこの椅子で!? 筋力とバランス感覚半端ないですね……。まぁそれは置いといて、今はPCを確認をさせてください。……一応訊きますけど、何もやましいことはしていないんですよね?」

「はい……」

 

 流石に誤魔化し切れない。

 観念した士道は、万由里の残してくれたダミー画面とやらに全てを託し、エンターキーを素早く押して席を空ける。

「どれどれ、それじゃあちょっと失礼して……こ、これは!!」

 神無月の横からディスプレイを覗き込むと、そこには誰もが見慣れた検索エンジンが映し出されていた。

 そして検索ボックスには短い単語が2つ。

 

 

 

 

 

〈金髪ロング エロ画像〉

 

 

 

 

 

(万由里いいいいいいいいいい!!)

 

 

 

「なるほど……。焦っていた理由はこれですか」

「納得しないで!?」

「しかし不可解ですね。士道君!」

「はいっ!?」

「私の知る限り、あなたの性癖に『金髪ロング』なんてものは無かったはずです」

「他の性癖は知ってるみたいな言い方!!」

「性癖はそう簡単に変わるものではありません。そう、私が確固たるMであるように……」

「知らねぇよ!? いや知ってるけども!」

「もしも性癖に大きな変化があったとすれば、その原因はそう……出会い」

「!?」

「ここ最近で、士道君の心を大きく動かすような出会いがあった。……違いますか?」

「そ、それは……」

「そして私は、その人物に心当たりがあります」

「なっ!?」

「驚かなくてもいいでしょう。心を鷲掴みにするほど美しい金髪ロングなんて、1人しか思い当たりませんから」

「神無月さん、あんたまさか……!」

「えぇえぇ士道君、分かっていますとも」

 

 

 

 

 

「私でしょう?」

 

 

 

 

 

「俺の周りはバカばっか!!」

 

「照れなくてもいいんですよ。大丈夫、私は理解があります」

「俺にはねぇよ!」

「もう画面の中で満足する必要はないんですよ? さぁ、共に新しい扉を開きましょう」

「いやあああ!! 誰か助けてえええええ!!」

 

 

 

 士道と万由里。

 世界の命運を賭けた、2人の戦いが始まった。




デートアライブ5期おめでとうございます!

まさか1年も投稿できないとは思っていませんでした。
休んでいる間に誤字報告やメッセージをくれた方、ありがとうございます。

今後も気を長くしてお付き合いいただければ幸いです。


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