[完結]わすれじの 1203年 (高鹿)
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一二〇三年四月
04/10 チーム結成
────これは、とある人物が大切な相手を得てしまう物語だ。
01
1203/04/10(金)
入学式も終わり、各授業のオリエンテーションで概要説明が済んで、新入生の大半がこれから本当にやっていけるのだろうかと不安になり、そうして無情にもライノの白い花が散り始める時期。
私は朝のHR終了後に、本日放課後に学院敷地の端の方にある旧校舎へ出頭するようにというお達しを担当教官から受け取った。そうして夕暮れに染まる道を歩いてそちらへ顔を出すと、既に数人が談笑をしていたのだ。遅れて入ってきた私の音に対してか、全員がこちらを見る。一応、全員顔と名前は知っていた。
「えっと……」
一番手前にいるのが、ハーシェルさん。学院切っての才女だとかで、既に先生たちの覚えもめでたいらしい主席入学者だ。この学年で知らない人間はいないだろう。
そのハーシェルさんに抱きついているのが、この中で唯一貴族生徒制服を着用しているログナー嬢。四大名門ログナー侯の一人娘であり、後継であると噂をされているが、噂の域を出ない。まぁそんな重要なことを学生生活の話の種で言うわけもないだろう。さもありなん。
その二人の対面にいるのがノームさんと、アームブラストさん。ノームさんは技術生枠で入った人材でまだ四月半ばだというのに制服よりも作業服で見かける回数の方が多いぐらいの人だ。アームブラストさんは他クラスの自分にもギャンブル話を持ちかけられたら断っておけという話が回ってくるほどの人物。それなりに腕はいいらしい。
まぁどれもこれも、差し障りのない表面だけさらったような人物評だけれど。共通するのは、誰も彼もそれなりに有名人だということだ。実技一年トップクラスと名高いログナー嬢とアームブラストさん。エプスタイン博士の三高弟と名高いシュミット博士の弟子であるノームさん。そして一年生だというのに生徒会入りを熱望されているハーシェルさん。
そしてどうやら談笑していた通り、四人はお互い面識がある面子らしい。けれどここに自分が追加で呼ばれる理由が全くもって分からないので、もしかして伝達される生徒が自分ではなかったのだろうか、と考え始めた。ところで。
「あら、全員揃ってるわね」
どうやら生徒では自分が一番遅かったらしく、後ろの扉からサラ教官とマカロフ教官が現れた。急いで退こうとして、とっととと、とすこしつんのめって歩を進めると、そっとハーシェルさんが隣を指し示してくれた。一緒に聞こうということだろうか。
「ありがとう」
小さく感謝を述べると、柔和な笑みが返ってきたので、つられて自分も笑ってしまった。壇上へ二人が昇り、表情を引き締めるとサラ教官が大層楽しそうに口を開く。
「さて、君たちに集まってもらったのは他でもない相談があるからなんだけど」
カツリ、カツリ、何だか嫌な予感がする。この二週間、あの笑みでロクなことが起きたような気がしない。
「とりあえず落ちてもらうわ」
ポチり。壇上の奥の柱あったらしい小さな蓋を開いた教官が何かのボタンを押した瞬間、私たちの足場から平衡さが消えた。強制的な急角度の坂の先、見えるのは真っ暗闇で、最後に壇上へ視線を投げたときに見えたのは変わらず楽しそうなサラ教官と、頭を抱えたマカロフ教官の姿だった。
「……あてて」
一応空気の移り変わりから底が近いと受け身を取ったはいいけれど、さすがに勢いを殺しきれなかったみたいで右肩をそこそこ強く打ってしまった。左腰ポーチに入っているカメラの破損は免れたと、思う、多分。免れていて欲しい。それに他の四人は大丈夫だろうか、と周りを見渡したけれど無情にも上は閉められたらしく生憎の暗闇であまり視界が通らない。
「あ、アンちゃん!? 下敷きにしちゃった!?」
「あぁ、トワは無事かい?」
そんな声が聞こえてくる限り、あの二人は大丈夫だろう。わりと近くにいたのに離れているということから推測としては、坂道そのまま滑っていってしまい加速がついたハーシェルさんをログナー嬢が庇うために下へ潜り込んだとかそういったところだろうか。……噂通りの人物だ。
「あっ、一応みんなの無事を確認しておきたいな。トワ・ハーシェル、無事です」
暗闇の向こうからそんな声が聞こえてきた。なるほど。
「最後に校舎へ入ったセリ・ローランドに怪我はナシ」
「クロウ・アームブラストおなじく」
「ジョルジュ・ノーム、無事だよ」
「アンゼリカ・ログナーも五体満足さ」
「アンちゃん本当に怪我してない?」
「当たり前さ。勿論トワが私の体をくまなく確認したいというのならやぶさかではないけれど」
そんな戯言を聞き流しながら立ち上がってズボンの埃などを払うと、うっすら暗闇に慣れてきた視界と反響音などを鑑みて少し広い場所に落とされたらしいと予測を立てる。
『はぁい、それじゃ本題に入るわね』
こちらの無事を疑っていないのか、天井に埋め込まれたスピーカーから機械分解されたサラ教官の声が広場に響いた。
『君たちにはそこに置いてある武器と戦術オーブメントを今から使ってもらって、地上を目指してもらうことになるわ』
その声で、ぱっと一部に明かりがつき、壁際にある一つの台に視線が吸い寄せられる。
そっと各々警戒しながら近づいて行くと、それぞれが授業で使っているであろう学院側へ預けている得物と、その戦術オーブメントらしき端末を重しとして名札メモがともに置かれていた。
手に取って、ぱかり、と開いてみると汎用戦術オーブメントとは全く違う回路が組まれているのが見える。中心にはまっている一際大きな結晶回路を撫でると、瞬間、きぃん、と耳鳴りとともに端末が青く光り、『繋がった』感覚を得た。……これは。
『それは第五世代戦術オーブメント、通称《ARCUS》。ラインフォルト社とエプスタイン財団が共同開発したもので、君たちにはその試験運用を行ってもらいたいの』
その言葉にARCUSへ視線を落としていた全員が顔を見合わせる。
『どうして自分たちが、って言いたいところでしょうけど、適性があった。それが一番大きな理由ね。他の細かいことは後で説明するから、まずは一階まで上がってきなさい。以上』
言いたいことばっかり言って、プツン、とスピーカーからの音は途絶えた。と思ったら何かノイズがまだ聞こえ、あー、とテストするような男性の声が入ってくる。
『マカロフだ。補足しておくとだな、一応戦力として問題ないだろうと判断したチームを組んじゃいる。ただどうしても踏破が無理だと判断したら置いてあるメモの緊急連絡先に連絡を寄越すように。ARCUSには従来の戦術オーブメントにはなかった通信機能も組み込まれている。バッテリーを考慮して今回の連絡はスピーカーでやってるが、使えることは確認済みだ』
それじゃあな、と今度こそ静けさが訪れ、それにつられて天井へ視線を上げたところでいつの間にかうっすらと明かりがついていることに気がついた。
「えっと、どう、しようか」
全員が困惑の気配を出しているところで、ハーシェルさんが控えめに口火を切る。
「どうするも何も、文句を言うにしたって上に上がらなけりゃ話にならねえってことだろ」
「みたいだね。サラ教官もスパルタだ。僕はもう参加が決まってるのに」
「あぁ、ジョルジュは技術枠で参加の話が通っているのか」
「そういうこと」
そんな話を聞きながら、腰のポーチから導力カメラを取り出し点検する。うん、目に見える破損はない……と思う。薄暗くてよく分からないけれど。取り敢えずそれに頷いて、台の上に置いてあった片手剣とガード用のダガーを腰に差した。
「両剣使いか?」
「ええ。斥候兼ねて軽装めで。そういうそちらは……双銃ですか、格好いいですね」
話しかけられた相手──アームブラストさんへ視線を向けると相手も腰のホルスターに銃を収めているところだった。ちらりとノームさんへ視線を向けると、足元に置いていた大きなモノを見せてくれる。
「巨大重槌……まぁハンマーだね」
小回りは利かないけれど大きなダメージは期待できる武器、という認識で合っているだろうか。私のクラスにハンマー使いはいないので印象だけれど。
「私もクロウ君とおんなじ導力銃が武器だけど、基本的には導力魔法の方が得意かな」
台に残っていた銃を一丁、ハーシェルさんが手に取る。少し手に余るグリップのような気がするけれど大丈夫なんだろうかとぼんやり心配になってしまった。
「そしてこれは私のだね」
残っている籠手をログナー嬢が慣れた手つきで腕へと固定し、がん、と両拳を合わせて金属音が鳴る。拳闘士。完全な前衛だ。……なるほど。バランスを取った、なんだなぁ。一応取れている。
「えぇと、四人は友人同士……ということで?」
貴族生徒一人と平民生徒三人なんて、珍しいどころの騒ぎではない。取り巻きという雰囲気もないのだから尚更だ。
「まぁそんなようなものかな。私とジョルジュは元々知り合いで、他の二人とは出会ってからそこまで経ってはいないけれど……それにしても、セリ君と言ったか。君も大層美しい少女だね。他クラスにここまでの逸材がいただなんてチェックし損ねていた、ここでお近づきの印に」
言い寄られながらするりと取られた手を、握り込まれる前にするりと抜き、一歩さがる。
「おや」
「取り敢えずこの面子だと私が斥候役っぽいので、先に」
行ってきますね、と爪先の方向を変え離脱しようとしたところで、ぐい、とハーシェルさんが私の手を両手で掴んで引っ張った。
「あの、さっき安否確認したときに名前は教えてもらったけど、一応、改めて自己紹介してもいいかな」
健気さを思わせる金糸雀色の瞳が、真っ直ぐと私を見て、そんな提案をしてきた。自己紹介。それもそうだ。これから一応、最短でなら上階までだけれど、命を預け合う相手になる。それに斥候なんてそこそこ重要だろう職務だ。初めましてで挨拶も簡易に、というのはあまりよろしくなかっただろう。失敗。
「えっと、じゃあ、お願い出来ますか」
にこり、私の手を離して彼女は自分の胸に手を当てる。
「一年IV組、トワ・ハーシェルです。戦闘訓練は一通り受けてはいるけど、サポートがメインになると思います。よろしくね」
「それじゃあ次は私かな。I組のアンゼリカだ。あまり身分は気にせず接してくれると嬉しいな。君みたいな可愛い子なら大歓迎さ」
ぱちん、とウインクをされて、はは、と苦笑いをしてしまう。
「僕はIII組のジョルジュ。すこし話していたけどこの試験運用には技術支援として既に参加が決定してる身でね。でもチームを組むならこういう機会は貴重かなと思ってる」
「V組にいるクロウだ。まぁ二丁銃だが、ある程度ならアーツもこなせるからいざって時は中衛よりも後ろに下がることもある、ってくらいか」
次々に自己紹介をされていき、最後に私の番になる。いやこの面子、どうやってこの二週間で友人になれるのか全く分からない。不思議が過ぎる、と思いながら、少し咳払い。
「VI組のセリ・ローランドです。割と身軽なので偵察とか担当かなと勝手に思っています。一応前に出ますが、攻撃を受ける形の盾は不得意です。アーツは……あんまり適性がないので、その辺りはよろしくお願いします」
この二週間の模擬練で、アーツの適性が本当にないことがわかっている。私だって広域導力魔法を使ってみたかったけれどこればっかりはもう仕方のないことだ。
「うん、ありがとう。よろしくね、セリちゃん!」
セリちゃん。
「あっ、ご、ごめんね。名前で呼ばれるのイヤだったかなぁ」
「あぁ、いえ、別に。大丈夫です」
「というか女子でいいんだよな」
「そうですけど、何か問題でもありますか?」
「いや、スカートじゃないから一応の確認ってだけだ」
言われて、あぁなるほど、と思い至る。制服の上着は女生徒支給よろしく腰にリボンがついているものだけれど、下はスカートではなくズボンだ。選択制なので特に校則違反というわけではなく、まぁスカートが可愛いのであまりそれを選ぶ人がいないというだけで。実はネクタイもカラーバリエーションがあるので、士官学院というわりにあまりガチガチではないのが意外だったりする。名門ゆえの自由さと提携学用品店のセンスということだろうか。
「バトルスタイル的にそこそこ動き回るので、引っ掛ける可能性やその他考慮すべきことが多いスカートは不適当かなと」
というか、ログナー嬢も貴族制服且つズボンなので、実はこの面子だとスカートなのは一人しかいない。うっかりすると女性一人に男性四人の紅一点パーティに見えるかもしれないなぁ、とぼんやり思考する。まぁそれはいいか。
「取り敢えず、よろしくお願いしますね」
言いながら拳をすこし前に出すと、四者四様で返事をしながら拳をぶつけてくれる。
そんな姿を眺めながら、何となく、長い付き合いになりそうだとすこし楽しそうな予感を覚えつつ私たちは広場の扉へ歩を進めた。
全員武器を構えながら扉を開けてすこし進んだところで、左手を後ろへ出して止める。
「10アージュ先、飛び猫系統の魔獣二体」
すこし暗がりで見え辛いけれど、羽音や魔獣図鑑で見たシルエットから敵を認識する。もちろん完全に接敵・分析する前に確定するのは危ないけれど、それは全員わかっている。
「……射撃が弱点なことが多い魔獣か」
アームブラストさんがすこし私の横へ進みでながらくるりと片銃を掌で遊ばせたけれど、その横顔に笑顔は浮かんでいなかった。……いつも笑っているような雰囲気だったのに、こんな顔もするのかと勝手ながら思ってしまった。
「一応、僕が突っ込んで盾になりつつ撃破する案もあるけど」
重槌を両手で構えているであろうノームさんがしんがり方向から提案をしてきたけれど、それは私が否定する前にハーシェルさんが首を振った。
「相手が視認出来ていない状態なら、それを守るべきだと思う」
「まあ、要らぬリスクを抱え込む必要はないね」
話が早い四人だと思う。そして、作戦の最終的な決定権がハーシェルさんにある、と信頼を寄せているというのも大きいのだろう。そこにぽっと出の私が加わっているので、もしかしたらお邪魔かもしれないけれど。
「オレが右をやる。トワ、お前は左を狙えるか」
アームブラストさんは一丁だけ構えてそう言った。
そう。これは当たればいいわけじゃない。騒ぎを聞きつけて他の魔獣が集まってくるかもしれないことを考えると、同時に、静かに、絶対に逃さないという意志で以って倒さなければならない。つまりヘッドショットだ。
銃を構えるハーシェルさんが前に出てきたので、ちょいちょい、と片膝ついてしゃがんだ自分の肩を指す。意図が伝わったのか、それを支えにして彼女は銃を両手で構えた。うっすらとした闇の中に羽音だけが反響する場所で、自分の指サインによるカウントダウンのゼロと共に導力銃が起動し、飛び猫二体を無事葬り去り、魔獣は光となった。
「ナイスです」
立ち上がりながら親指を立ててハーシェルさんへ示すと、彼女は嬉しそうに手を同じようにしてこつんと当ててくれる。
事実、アームブラストさんと私は、ハーシェルさんが外した時の追撃をする準備がおそらく出来ていた。仲間を呼ぶ隙を与えないというのが大前提だったので、もしもを考慮するのは大切だ。ログナー嬢もその可能性には気が付いていただろうけれど、ハーシェルさんを信用しているからかそういったそぶりは見せなかった。
だからその追撃が要らなかったというのは大きい。そもそも私にとっては四人がどれだけの戦力なのか、というのはイマイチわからないというのもある。ログナー嬢とアームブラストさんの実技に関する噂は聞いてはいるけれど、他二人に関しては未知数だ。そして現時点から、丁寧に照準を合わせられるのなら彼女の腕はアテにしてもいい。
「お前さんもな」
ぐしゃり、隣から急に髪を乱される。
「……いきなり頭を触らないで下さい」
他人の急所を撫でていいのはとても親しい相手だけだ。私にとってアームブラストさんは特にそういう範疇に入っていないし、相手にとっても私がそこに入っているわけではないだろう。というか入っていたら怖い。
「おっと、悪い」
大して悪いとも思っていない、悪様に言うのであれば軽薄な笑いと共に両手を上げてすこし離れる。"そういうポーズ"を取る、お兄さんポジションでいたいかのような。……まぁいいか。あんまり他人を勝手に分析して決めつけるのも良くない。悪いクセだ。
「取り敢えず進みましょうか」
私の言葉へ特に異論は出ず、そのまま五人で連れ立ってまた歩き始めた。
「……5アージュ先の曲がり角を右に行ったところに、ドローメ種が複数いますね」
ぬちゃ、ぬちゃ、と粘度の高いこの音は特徴的だ。けれど音から属性を特定できるほど場数を踏んでいないのでそこまでにとどまる。ドローメ種は視認しないと数の特定がしにくいのが厄介だ。
「ドローメというと、ぬめっとした魔獣であっているかい?」
「はい。斬撃以外ほぼ無効なため、剣か魔法での攻撃が有効ですね」
突撃も射撃も剛撃もあまり意味をなさない。
「じゃあ接敵し次第、私がディフェクターをかけて分析するのがいいかな」
「いや、トワはアーツに集中してくれるほうがいい。分析は僕が請け負うよ」
ハーシェルさんの分析戦技は彼女のアーツの威力を後押しするけれど、その分本人のアーツ駆動が遅くなってしまうのが難点だ。もう一人アーツが得意な人がいたら生かせるのに。まぁ現状無い物ねだりにしかなるまい。
「今回は私も前に出るけれど、単純に引きつけるだけになるかな」
「そうですね。私と一緒に前へお願いします」
「ふふ、美少女の頼みなら是非もないさ」
……ぞわっとする物言いだけれど、ぐっと飲み込んで、代わりのように片手剣を両手で握り込む。粘性魔獣にはガードのダガーは効果が薄い。なら斬撃に力を入れた方が効率がいいはずだ。
「では行きます」
姿勢を低くし、曲がり角の直前まで呼吸を殺して近づく。三体。前衛二人が視認したところで、挑発戦技を使いつつ同時に踏み出した。奇襲された魔獣は体勢を整えようとするけれど、すかさずノームさんの分析戦技が割り込みその体勢をさらに崩す。
脳天を叩き割るように私の一撃が一体に入り、ログナー嬢が気を引いていた二体へハーシェルさんとアームブラストさんの魔法が入りその身体を燃やした。想定以上によく燃える。ランタンの火種にいいんじゃないだろうかと全く関係のないことを考えてしまうほどに。まぁ導力灯が普及した今、アナログな灯りの出番は殆どないけれど。
しかし二人のアーツも致命傷までにしかならなかったのか、最後の最後で悪あがきをしようとする気配を感じた瞬間、ノームさんが重槌をスイングをすることで一瞬だけ斬撃属性を作り出したのか全個体が無事に沈黙を果たした。
「……」
凄い。全員が全員、その場で出来ることを考えて、行動し、実行し終える。その精度が高い。
いや、こう表現すると何様だという目線になってしまうけれど、すこし、わくわくしてしまった。出来ることならもっとこの五人で戦ってみたいと。いろんな景色が、見られるんじゃないかと。……ログナー嬢の行動だけはどうにかするなり、自分が慣れるなりしなければならないけれど。
「セリちゃん?」
「あっ、すみません」
もうみんな次に進むことを考えて、私を待ってくれていた。
「いま行きます」
出会ったばかりの自分の能力を、信頼してくれる人がいる。これはもしかして幸福なんじゃないだろうか、なんて。
「……」
「遠距離続いて戦闘に参加できないからって微妙な顔すんなよ」
「二人の綺麗な顔に傷がつかないのは私にとっては歓迎したいことだけどね」
「機器バックアップなら僕の範疇だけどそういうわけにもいかないしなぁ」
「このままみんなで力合わせて行こっ」
「コインビートルの羽音って、結構きれいな音だと思うんですよね」
「そーかぁ? 結構耳障りだろあれ」
「ふむ、あまり羽音を意識したことはなかったな。今度きちんと聞いてみよう」
「戦闘記録としては録音しておく方がいいのかもね」
「そうそう、みんな戦闘記録ちゃんとつけておかないとたぶん泣くことになるよ」
「……っ」
そうして、呆気なく、とまではいかないけれど、自分の偵察を信じてくれる人がいるというのはこんなにも勇気がもらえるものなのか、と考えたりしてしまったのは確かで(勿論このテストに使われている旧校舎は既に教官のチェックが入っているだろうというのは自明の理ではあるのだが)。
だから。
「アンゼリカ!」
「ARCUS駆動……!」
「ディフェクター!」
まさか安全だと判断した最後の広場に、こんな暗黒時代の魔導による産物──ガーゴイルが立ちはだかるだなんて思ってもいなかった。確かな自分の判断ミス。だれど、ここで自分だけが突貫しても決定打は与えられないだろう。石は斬撃よりも剛撃に弱い。つまり自分がすることは一つだ。
挑発戦技を使って敵の気を引き、その時まで耐える。回避も防御もし損なうとかなり一発一発が重いけれど、すかさずハーシェルさんの回復魔法が胴体に入ってくる。
吹っ飛ばされて一瞬戦線離脱をしていたログナー嬢も復帰し、私の意図を読み取ってくれたのかこちらに攻撃を集めた、そうして。
「スクリュー・ドライブ!」
ノームさんの重槌による渾身の一撃が魔導器物の背中へ穿たれる。
よし、と気分が高揚した。刹那、全員の一挙手一投足が見えるようにすべてがクリアになっていく。何が起きるのか。何をしなければならないのか。全員が自分の得物を握り、フレンドリーファイアーにならないところを見極め踏み込み、総攻撃を果たしたところで石の守護者は物言わぬ塵となり消え去った。
「……っあ」
その光景にがくりと力が抜け、地面に手をついて首を垂れる。いや、まだ安全確認が終っちゃいないので膝をつくなという話なのだけれど。それでも全員疲労困憊なのか、各々自由に地面へ腰を落ち着けている。
「ティア」
ふわり、回復魔法が入ってきて何だと思って見てみると、疲れた表情のアームブラストさんがこちらに腕を伸ばしてきていた。ハーシェルさんはログナー嬢へ。
「気がついてねえかもだけどよ、酷い状態だぜ」
「あは、それは、どうも。アームブラストさん」
まぁでもそんなん全員なのだろうけれど、失敗したということを重く背に乗せてしまっていたのかもしれない。気を張りすぎたともいう。
そんな戦闘後処置をしていたところで階段の上から、キィ、と扉が開く音がして弾かれたように得物を握り込んで視線を上げると、現れたのはサラ教官とマカロフ教官だった。ドッ、とその瞬間疲れが肩にのしかかってきたのを自覚する。
「はーい、全員揃ってるわね! うんうん、重畳重畳」
「本当に落とすとは思いませんでしたよ、サラ教官」
そんなことを言いながら階段を降りてきた教官たちはぼろぼろの私たちの前に立っていろんな説明をし始めた。ARCUSのこと、中心結晶回路のこと、ARCUSの最大の特徴である戦術リンクと呼ばれる画期的機能のこと、試験運用メンバーになるならある程度外部への特殊課外活動が発生することなど。そしてその担当が新任のサラ教官になる、ということなど。
ちなみにARCUSについてはbeta版にあたるので、まだまだ解放されていない機能もあるのだとか。
「さて、今回の初期運用を受けて辞退するなら辞退するで構わないわ。残りの面子が困るとかも考えなくていいわよ。その辺りのことはちゃんとこちらで巻き取るから」
つまり、このまま続けるか否か。
この数日授業を受けた印象としては、サラ教官が本当にそういう補充人員や対応策を考えているのか怪しいものだとは思ってしまう。とはいえ、私の答えは決まっているようなもので。
「はい。一年VI組、セリ・ローランドは参加を希望します」
「ジョルジュを除けば一番乗りね」
「楽しくなりそうだなと思ったので」
私は、正直軍属になる予定はないけれど自立手段への道がいろいろありそうだと思ってここへ来た。学院カリキュラムに+αはきっと学生生活的にはキツいこともあるだろう。でもまぁ何とかなるんじゃないだろうか。
そして何より。見てみたいと思ってしまったのだ。この先の風景を。出来ればこの五人で。
「私も参加しようかな。正直模擬練だけでは体が鈍ってしまいそうだと思っていたしね」
「じゃあオレも参加ってことで」
口々に手が上がっていく。教官が立っているのに生徒は座っていて、士官学院としてはあるまじき規律のなさかもしれないが、それを気にする教官はいなかった。
「……」
最後の一人であるハーシェルさんはすこし悩んでいるみたいだった。賢い人だから、きっとこれから起こり得るいろんなことを考えてしまうのだろう。視野が広いというのも大変そうだなとぼんやり思った。
「まぁ、ここで判断が難しかったら来週でも構わんぞ。なんせ急な話だからな」
このままでは埒が明かないと思ったのか、マカロフ教官がそう提案を口にする。うーん、主導としてはサラ教官で、戦術オーブメントに関することなので導力学専攻のマカロフ教官がサポートに入っている形なんだろうか。
「──いえ、一年IV組、トワ・ハーシェルもARCUS試験運用に参加させて頂きます」
それはすこし悲壮感がありそうな声ではあったけれど、何かを決めたのだろうと容易に感じさせ、また踏み込むことを許可しないようなものでもあった。彼女は彼女で、何か思うところがあるのだろう。
サラ教官は満足そうに頷いて、私たちに立ち上がること促す。
「それでは、本日よりARCUS試験運用チームを発足する。詳細は後日また連絡するわ」
そうして、私たちの散々な放課後はようやく終わりを迎えた。
これがまさかずっと後まで続く縁になるとは誰も思わぬまま、歯車は回り始めたのだ。
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04/15 夜の語らい
「そういやチーム組むわけだし、タメっていうか取り敢えず名前で呼んでくれねえか」
そんな提案がされたのは旧校舎から帰ろうというところでだった。
「……私?」
一応それを請われている対象を確認しようと、アームブラストさんに向いたまま自分を指差ししてみると頷かれる。まぁ自分しかいないよなと思う。だって他の四人はもう友人同士で名前を呼び合っているのだから。
「"アームブラストさん"ってめちゃくちゃ長いから咄嗟の指示出ししたい時に絶対ラグるだろ。クロウなら三文字だしな」
一理ある。しかし私は彼をそう呼んだだろうか。基本的に長いから口に出さないようにしていたはずだけれど。いや、呼んだな。さっき。ティアをかけてもらった時に。
「うーん、他の人も名前で呼んだりタメでいい、なら」
コミュニティ内で名前を呼ぶ、名字で呼ぶ、タメ口、というのを人によって分けると面倒くさいので全部一律にしたかったのだけれど、どうだろう。しかしそんな懸念とは裏腹に、全員快く頷いてくれたので、何というかみんな人がいいなぁ、なんて考えてしまう。
「じゃあ、改めてよろしく。クロウ、トワ、ジョルジュにアンゼリカ」
この一年は退屈しなさそうだななんて思いながら、私はそう挨拶をした。
02
1203/04/15(水) 放課後
結局あの日からすこし導力カメラの調子が悪いので技術棟に顔を出してみると、カウンター奥の方にジョルジュがいた。けれど何やら別の作業をやっているみたいなのでどうしようかな、と悩んだところで顔が上がり見つかってしまう。
「あぁ、セリか。どうしたんだい」
「……カメラのシャッターがこの間の落下からちょっと調子悪くて」
声をかけてくれたのだし、と腰のポーチから取り出してカウンターに置くと、すこし振ったり何だりをして、内部でパーツがズレているのかもしれない、とアタリをつけてくれた。
「それって直ぐに直せるもの?」
あとあんまりカメラの修理にお金をかけられるほど余裕はないのだけれど。
「うん。まぁ数十分くらいかな。何なら今直ぐ直そうか」
「……幾らぐらい?」
技術棟に物を持ち込んだことがないので、相場がわからない。つまるところ吹っかけられても分かりはしないのだけれど、それはそこ、ジョルジュという人物を信じるしかないだろう。あんまりそういう波風立てるようなことはしなさそうではあるし。
そんなことを考えていると、ははっ、と笑われてしまい、疑問符が頭の上を巡る。
「いや、こういった案件は学院公認で補助も出てるから気にしなくていいんだよ」
曰く。専門の技術者を雇うより学生がやった方が技術向上並びに近隣住民との交流ともなるので、学院生やトリスタ住民の持ち込みに関しては無償引受をして、その実績を学院に提出することでいろいろな単位となったり技術棟の備品が良くなったり、そういうことらしい。なあんだ。
「それなら遠慮せずに頼もうかな。あ、でも別に今直ぐじゃなくてもいいよ」
急ぎの用事があるならそっち優先してくれて全然構わないのだ。
「いやいや、肌身離さず持ってるってことは、それだけ大事なんだろ? 直ぐにやるよ」
大事。まぁ。うん。大事な物だ。入学祝いにお世話になっている叔父さん叔母さんから買ってもらったもので、大切にしたいものの一つでもある。
「それに確か……一人新聞部、だっけ? それでカメラ構えてるって聞いたけど」
「まあね。いろんなこと知りたいな、知って欲しいなって思ったらそれがいいかなって」
なんせこの学院、写真部はあっても新聞部はないのだ。なら一人でやるしかない。クラス担当の教官に相談したら、それなら私が顧問になりますよ、と言ってくださったのは僥倖にすぎる話だった。
「なるほどね」
世の中、うっかりしていると葬り去られることも多く、そのことに直面してただ嘆いていた時期もある。どうしてなんだろうって。いろいろ悩んで、聞いたりして、調べて、つまりそれは誰も知ることが出来ないからだと私は思った。誰もが知る情報流通に載せられないからだ、と。
だからその情報を私はまず取得することから始めようと考えたのだ。もちろんそれが握り潰されることもあると知っているけれど。
ジョルジュは直ぐに工具を並べて作業を始めてくれたので、私は室内にある椅子を一つ持ってきて最近集めた記事を書きつつ作業を眺めることにした。
「うん、調整終わったよ。少し試してくれるかい」
「わ、ありがとう!」
購買部の入荷情報や食堂の一週間の予定メニューなどをちまちままとめていたら、作業が終わったらしくカメラを渡される。少し汚れていたところもしっかり拭われていて、あぁもっと自分が大切にしてあげるべきだったなと反省。
「ちょっと撮ってくるね!」
ショルダーストラップをかちゃんと取り付け、ばたばたと書き物もそのままに技術棟を飛び出した。どうしようかなと悩んだところで風が吹いたのでグラウンドの方へ足がむく。グラウンドを見渡せるベンチが置いてあるところから、誰もいない閑散とした風景にシャッターを切った。自由行動日だったらたぶん人が残っていたりしたんだろうけれど、まぁこういう風景も悪くはないと思う。ライノの葉っぱが太陽で赤くなっているのも綺麗じゃなかろうか。
「あれ、カメラ直ったの?」
声をかけられて振り向くと、II組のフィデリオがそこにいた。
「うん。ジョルジュが直してくれたんだ」
カメラを胸の前に掲げると、よかったよかった、と彼は喜んでくれる。
フィデリオとは写真部に見学に行った際にかちあって、そこからいろいろカメラ談議をした仲なのだけれど、貴族だというのに面倒見がいいというか、気さくというか。自分は貴族というものに少なからず偏見を持ってしまっていたので、よくなかったな、なんて一人反省したりもした。
「ジョルジュ君はカメラのメンテナンスまで出来るなんてね。僕も頼んでみようかなぁ」
「うん、いま試した限りシャッター時の変なつっかかりもなくなってるし、やっぱ技術枠で入ってるだけあって腕はいいみたいだね。また何かあったら私も頼むと思う」
とはいえ、あんな不意打ちの落下は今後そうないと思いたいのだけれど。
そんな風に話していると、本館屋上から最終下校鈴が敷地内に鳴り響いた。
「あ、荷物置きっぱなしで来ちゃったから戻らないと。じゃあね」
「うん。気をつけて」
「そっちもねー」
手を振りながら技術棟へ戻ると、さすがに閉めるのかジョルジュが後片付けしていた。
「荷物置きっぱでごめん」
「あぁ、帰ってきてくれて良かったよ。通信するところだった」
「初通信がそんな情けない用件は避けたいなぁ」
カメラを丁寧に腰のポーチへ仕舞ってから、放り出していたノートなどをまとめ始める。
「でも数回は使い方きちんと確かめるために通信しておくべきだろうね」
「それは確かに」
一応全員の通信番号はメモっているとはいえ、使い方自体が覚束ないというのはそもそもよろしくない。筆記用具などを全部鞄に入れたところで、ジョルジュの片付けも終わったのかカウンターから出てくる。
「作業服のまま帰るの?」
「ああ、今日はちょっとこのまま出てきたから」
「合理的だねぇ」
うん。機械油とかで汚れるのがわかっているなら、わざわざ制服を着る機会も少ないというのもわかる話だ。二人で技術棟を出て、しっかり施錠する。
「でもハインリッヒ教頭とかは何も言わないの?」
校則にかなりうるさい人を引き合いに出すと、それがあんまり、と返事が返ってきたので、彼がシュミット博士の愛弟子だというところからコネ的なものを感じているのかもしれないな、と推測をしてしまった。でもこれはジョルジュの腕を認めていないようでなんだかなぁ、という気分にもなるのだけれど、教頭がそれを考慮していると信じられるかというと。……うん。
「あれ」
ジョルジュが声を上げたのでいつの間にか落ちていた視線をあげてみると、前方に青い腕章をつけた貴族制服の男子生徒と歩いているトワが見えた。男子生徒はたぶん生徒会役員だ。
「……勧誘かなぁ」
「十中八九そうだろ」
声がして二人で振り向くと、よっ、と手をあげたクロウが学生会館から出てくるところだった。今日は食堂にいたらしい。
「まぁ220期生どころか、ここ十数年以上見渡して才女って言われてるもんねぇ」
「本人はそれに納得してねえみたいだけどな」
謙虚が過ぎると傲慢というものだけれど、彼女に関しては自己評価が低いという感じもしないので、なんというか印象としては不思議な人だ。どうもこの試験運用チームに選ばれたこともいまだに悩んでいるらしいのが、それに拍車をかけるのだけれど。
「……」
ぱちりと目が覚めた。窓から外を見るとまだまだ月が輝いていて明らかに夜だということを教えてくれる。妙にはっきりとした意識を鑑みるに、滅多にない気配を感じたのかも、と少し意識を警戒へチューニングし、護身用にダガーベルトを腰に回してから部屋を出る。
Tシャツにズボンという出で立ちもどうにかした方が良かったかもしれないけれど、杞憂だったらさすがに恥ずかしいのでまぁいいかと思ったのだ。
音を殺しつつ階段を降りながら気配を探る。
ここは士官学院の学生寮で、女子生徒は防犯のために三階に住んでいる。二階には男子生徒もいるわけで、つまりどんな思惑があってもここには手を出さないとされている。でもその裏をかく人間がいないとも限らないのではないか、と。
二階から一階へ降りる階段のところで呼吸を整え、階下に意識を譲ると。……厨房から音がする。いや、これは、うん。たぶん。知ってる。
「……」
そっと食堂へ通じる扉をあけ、奥のカウンターにいる人影を視界に捉えるとやっぱり想定していた人物がそこでお湯を沸かしていた。月光の薄明かりと僅かなコンロ上の導力灯に照らされているのは大地を思わせる茶色の髪を下ろし、薄水色の寝巻きを着て赤と緑のチェックなストールを肩からかけている小柄な影……トワだ。
「眠れなかったの?」
そう声をかけると、まるで気が付いていなかったのか驚いた表情で彼女はこちらを見た。
まさかトワを妙な気配と勘違いするとは。自分もまだまだだなぁ、と内心苦笑する。
「あ……セリちゃん。うん、ちょっとね」
「紅茶淹れるなら自分もご相伴にあずかっていいかな」
食堂と厨房の境目にあるカウンターから声をかけると、うんいいよ、と。本当に優しい。
トワがお湯を沸かしているので、自分も何か出来ないかなと考えたみたところでハッと思い出す。ちょっと上に行くね、と言って部屋へ戻り、ダガーベルトを腰から外し、代わりに故郷の街で作られているメープルシロップを取ってきた。ロビーのソファ席で待っていてくれた彼女にミルクティーに入れても美味しいよ、と渡すと、丁寧に匙に出して薄茶色の液体を掻き混ぜ、そっとカップを両手で持って口につける。
まるでその光景は、絵画になってもおかしくないような情景だった。こういう風景を残したくて人は筆やカメラを手にするのかもしれないと思わせるほどの。
「……セリちゃんは、どうしてARCUSの試験運用に参加したの?」
静かなお茶会の中で、ぽつり、ティーカップに視線を落としたトワがそうこぼした。
どうして。
「一言で言えば面白そうだったからだけど……」
「けど?」
ぼんやりと薄明かりに照らされたトワの瞳は、不思議そうな色をたたえて私を見上げてくる。別に自分の心の内をさらけ出すような間柄ではまだ特にないけれど、なんとなく、話してもいいかなと思ったのも事実で。
「うん」
こくり、と紅茶を飲んで喉を湿らせて、言葉を続けた。美味しい、は心をゆるませる。
「正直なところ高等学校って土地によっては贅沢なことだよね。私は……その、両親がいないから、学校へ通いたいって言いづらかったけどここなら奨学生制度があったし、自分が生きるための術を学べるかなって思って来たんだ。そしてARCUSって戦術オーブメントはきっとこれからの礎になる。それを先に知っていられるってのは、いいアドバンテージになるから日照りに雨だった、っていうのが、一つ目」
自分語りがすぎただろうか、とちらり反応を確認してみると、トワは思っていた以上に真剣に話を聞いてくれていて、すこし恥ずかしくなってしまった。自分にはない真っ直ぐさを目の当たりにさせられているというか。
「二つ目は……まぁ、自分が偵察した結果を受け入れてくれるチームっていうのが、なんというか、楽しかったんだよね」
故郷はトリスタに比べればだいぶ田舎ではあるけれど、辺境というほどではなかった。とはいえ子供がたくさんいたというわけでもなく、同い年の人がおらず一歳二歳上のクラスの人と通うということも当たり前だった。森に入って遊んだり、魔獣との戦闘も勝手にしたりして、退屈はなかったと思う。それでも、今考えればあれらは単なる遊びに過ぎなかったのだろう。
「誰かときちんとチームを組んで、お互いの戦技を信頼して、進んでいく。きっとこれから当たり前になるかもしれないけれど、あの時の私にはちょっとだけ輝いて見えた。探索中に提案してくれる作戦も納得できる物ばっかりだったしね。命を預けるのは気持ちよかったよ」
これは嘘偽りがない気持ちだ。たとえ彼女が自分の選出に疑問を持っていたとしても。
「まー、そうは言っても最後は失敗しちゃったけどさ」
「そんな。みんな気が付かなかったんだよ」
フォローを入れるように即座に言葉が飛んできて、ありがとう、と感謝を述べる。
「でも自分からチームの斥候だっていうなら、私こそは気が付かなければいけなかった。そう思うから、あの気配はもう間違えないよ」
暗黒時代の魔導の産物、石の守護者。今まで接敵したことがなかった、だなんてチームを窮地に陥れていい言い訳にはならない。きっと本当にやばくなったらサラ教官たちが割って入ってくる手筈だったのかもしれないけれど、そんな考えがこれから始まる運用テストで通じるとは思えない。過酷な状況でこそ戦術リンクが活きてくるのだろうから。
「セリちゃんは……凄いね」
「私が凄く見えるなら、それはトワにないものを持ってるってだけだよ。私からしたらトワの方が凄く見えるから」
後ろから戦場を見渡して、可能であれば自分で弱点を看破し、発動させた導力魔法の威力を的確に増幅させる。そして、誰より何より、彼女の俯瞰視点というのはみんなに信用されている。過去の積み重ねで言葉が力を持つ。それは紛れもない彼女の能力だというのに。
「わがままを言ってもいいなら、初回ぐらいまではとりあえずチームを組んでいたいかなぁ」
「……」
ぴくり、とトワの肩が動いたのが見える。やっぱり。
「ARCUS試験運用に自分が選ばれたことに納得いってない、って顔ずっとしてるよ」
カップを置いて、頬杖をつきつつ空いた手で自分の眉間を叩くと、トワははっとしてから表情を曇らせる。きっと私以外も気が付いているだろうけれど。まぁ、友人だから踏み込めないってことはあるだろう。それにログナー嬢……アンゼリカは第一寮だし、他二人は男性陣だ。それなりに一番近いのが私だったってだけ。
「……わかる?」
「うん。私もおなじだし」
「そうなの?」
「いやー、だって新入生トップレベルの戦闘技能持ってる二人と、三高弟の愛弟子と、学院切っての才女のチームに放り込まれたんだよ? さすがに劣等感持つって」
畳んでいた指を開きながら箇条上げして改めてちょっと、うっ、となったけれどその気持ちは即座に飲み込んだ。
「でも、セリちゃんは偵察ができる、し、書類仕事が少し出来るだけの私なんかよりずっと」
「うん。そうそう、それそれ」
またもや疑問符が飛んでくる。
「私たちが出来ることを、トワは引き受けなくていいんだよ。全員でチームなんだから」
そうなのだ。私が出来ることを、他の人が出来たらいいけれど、それはオマケで、保険で、出来なければならないわけではない、そんな程度の話なのだ。
「だから、トワは私たちが出来ないことを引き受けてくれたら助かるんだ。さしあたってはきっとあるだろうレポートの添削とか、もしかしたら学生という権利で以て何かと闘うことになるかもしれないし」
何が起きるかわからないから、出来ることが全く別な人がいてくれるというのは大層心強い。
「だからさ、とりあえず、初回まではやってみようよ。それでやっぱり駄目そうならその時は一緒にサラ教官のところへ直談判しに行くし」
すっかり冷めてしまった紅茶を流し込んでソーサーに置くと、そうだね、と彼女はなんとか笑ってくれた。本当に納得してくれたのかどうかはわからないけれど、私に言えることはもうこれだけだ。願わくは、このまま続いてくれたらいいのだけれど。
……それにしても、本当に、あの妙な気配はトワを間違えただけなんだろうか、なんて詮ないことを考えつつ、私たちは食器の片付けを始めた。
また明日が来る。
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04/20 第一回特殊課外活動1
03
1203/04/20(月) 放課後
「さて、待ちに待った課外活動の詳細を発表するわよ」
全員クラスが異なるので、こうして放課後にミーティングルームへ召集されるのが当たり前になるのだろう。サラ教官から渡された資料に目を通すと、どうやらトリスタを南下したところにあるトラヴィス湖畔にある町、ラントで課外活動をするらしい。……ん?
「日程は25日の放課後に出発して、徒歩で移動ね。町に着いたらそのまま宿場で就寝して、本格活動は26日を予定しているわ。活動内容自体は向こうと傾向を話してはいるけれど、具体的なことに関しては一任しているから、向こうで依頼を受け取るように。はい、何か質問は?」
「すみません、これ公欠扱いですか?」
4月の自由行動日は昨日のため、日曜日といえども昼までの授業が入っているはずだ。
「公欠扱いよ。ただし、赤点取られるとあたしがハインリッヒ教頭に怒られるんだから、6月の中間はきっちり点数取ってね」
「ってことは特例とか加算はねえのかー」
「あるわけないじゃない。学生の本分は勉強よ」
クロウが勢いよく顔を覆って嘆いたところで、バッサリ切り捨てられて更に屍になっている。うーん、授業のある日にも容赦なく課外活動が入ってくるなら、クラスの人にノート見せてもらう約束しておいた方がいいかな。あと予習復習もきっちりやっておかないと絶対ひどい目に遭う。やることたくさんすぎる。
「それじゃ、ルートとかも自分たちで模索していいからあとよろしく」
忙しいのかなんなのか、サラ教官はそのままミーティングルームを飛び出して行ってしまい、後にはなにがなんだかという五人だけが残ってしまった。
「とりあえずこれは図書館で地図を借りてくるべきかな?」
「だね」
アンゼリカの提案に全員で頷きつつ、図書館へ行くトワ・アンゼリカ組と、話すために食堂の席を確保しておくクロウ・ジョルジュ・私組で分かれて外へ出た。
「それにしても行き帰り徒歩っつーのは予想だにしてなかったな」
「はは、僕も鉄道圏内かなと勝手に思ってたよ」
「まぁARCUS戦闘回数増えるなら街道行かせるのもやぶさかではないって感じなのでは」
あとは公欠になるとはいえクラス単位のカリキュラムではないので予算が下りないという推測も立てられるけれど。まぁでもそこそこ手がかかっている端末の試験運用だしそこまで予算繰りが苦しいってこともなかろうので、近場の宿場町で都合の良いところがラントだったってだけかもしれない。
……ケルディックやリーヴスでもよかったんじゃないかなぁとちょっと思うけれど。
「っと、おお、あっち空いてんな」
食堂に入ってみると放課後だというのに学生が普段より少し多く、机あるかなと不安になったところで背の高いクロウが奥の方を指差した。
「その身長便利だねぇ」
「まぁな」
一人でいる学生から椅子を借りて五人座れるように調整して座ったところで、図書館組が気になってきた。
「トワ大丈夫かなぁ」
「何か心配事でも?」
「いや、アンゼリカに絡まれていないか心配で」
とはいえ、彼女は私よりあの接触を嫌がってはいないみたいなので、こうして心配することは過干渉かもしれないのだけれど。
「あー、お前ってアイツの抱きつき執拗に避けてるもんな」
「わからないではないけれどね」
「……バレてる?」
「モロバレだろ」
バレてるかぁ~、とため息をついて机に肘をついて顔を覆ってしまったけれど許してほしい。
「でもトワに手を取られるのは別に気にしてないよね」
「まぁね。……っと、二人が入ってきた」
入り口の方へ向けていた視界の中に影が二つ入ってきたので、おーい、と手を振ったところではたと気がついた。クロウと私でジョルジュを挟んだ形で座っているので、うっかりすると私の隣に彼女が来てしまうのではなかろうか。
「おお、今日はこうして座れるってことは両手に花で話し合いが出来るってわけだ!」
案の定私の隣に座ってきて、ぎゅっと、トワと私を抱きしめるアンゼリカに一瞬体が強張りはしたけれど、モロバレだと言われた声が脳裏を過ぎってまぁいいかという気分に若干させられた。貴族というのは自分の権力に鈍感なものだ。偏見だけれど。
「……今日は逃げないのかい?」
やはりクロウやジョルジュの言うとおりバレていたらしい。
「まぁ、そろそろ恥ずかしくはなくなったので」
「そうか、嬉しいな」
ということにしておこう。クロウが妙に怪訝そうな顔をしていたけれど、見なかったことにした。いいんだ。これで。
「ARCUSの試験運用だから、戦術リンクの組み合わせは回していきたいかな」
「じゃあマトリクス作っておいて数戦ごとに切り替えていく?」
「それ誰が回数の記録つけんだ」
「バックアップに一人回ることになるわけだし、それがやればいいんじゃないか?」
「アンの意見採用でいいと思う」
何を目的とした課外活動なのか、それをハッキリさせておこうと言うことになり、とりあえず基本の機能をきちんと把握しようという話が出た。
旧校舎……校舎の体を成していないけれど旧校舎で、戦術オーブメントとしての機能は使ったけれど、その戦術リンクと呼ばれるものに関しては完全に意識の外にあったせいでうまく使えなかった、というのが全員の見解一致となった。最後の総攻撃だけは"繋がった"ような感覚もあったけれど。
「サラ教官はbeta版って言っていたけれど、その戦術リンクが不安定とかなのかな」
自分の掌よりは大きい端末を開いて、回路を眺めてみる。4LINE。前衛特化回路だ。他の四人は2LINEや3LINEなので、少し羨ましい。基本は個人に合わせた作りになっているので羨んでも仕方がないのだけれど。
「まだ本人の資質依存度が高いと言っていたし、そもそも一年生の適性者がこの五人だけだったならそれを広げるっていうのも目標の一つだろうね」
ジョルジュが技術者観点で試験運用について語ってくれて、なるほど、と肯く。
まぁある程度面子を考慮した的な発言もあったので、得意武器や戦術以外にも貴族平民のなかでもお互いに組んで問題ない背景を考慮した、というのもありそうだけれど。
「ある程度レポートの焦点はまとまったし、当日の道のりについて話そっか」
トワの提案に全員異存ナシでそのまままた話は進んでいった。
1203/04/25(土)
ラント──帝都の南東、トリスタの真南にあるトラヴィス湖のほとりにある小さな宿場町だ。
クロイツェン州と都州の境に位置し、西ケルディック街道に接続している北ラント街道だけが基本的な経路となっている。古くより馬車道であったが、昨今は業者の導力車などが行き交う光景がよく見られる。
また、交通量が減ったとはいえエベル湖のあるレグラムや旧都セントアークへの街道とも接続していることから街道としては交通の要衝とも言われており、今でもそれなりの導力車の通行は確認されている。とはいえ鉄道網からは若干外れているため、ケルディックやトリスタへ出ていく者もそれなりに見受けられる。
主な産業は湖で行われる漁業と、盆地における果樹栽培、そして果実酒づくり。
人口としては400人ほど。
「っていう土地みたい」
24日の学院の授業が終わり、トリスタから南下していく途中でとりあえず表面上さらっとした情報を共有することにした。
順調にいくと徒歩で二時間ほどのようなので、夜が更ける前にはつけるだろうという見込みになっている。それなりの頻度で車が通っているだけあって、石畳とかが引かれていないにしろかなり均されてはいるので歩きやすい。そうはいっても、やはり手入れが行き届いていないところもあり魔獣避けの外灯も切れかかっていたり、少し外れたら直ぐに森になってしまうので気は抜けないのだけれど。
「ちゃんと下調べしてんのな、えらいえらい」
ぐしゃりぐしゃりとクロウに頭を撫でられて、ぐしゃぐしゃになる、と言いながらその手を外す。まぁ戦闘が始まれば走って跳んでをするのでまた髪の毛はぼさぼさになったりするのだけれど、それとこれは全くの別物なので。
「トワ的に何か追加することあったりする?」
「んー、セリちゃんが言った通りラントは都州とクロイツェン州の境目にあるから、何かあった時にどちらの憲兵隊が動くかで最近ちょっと揉めてるみたいなんだよね。もちろん皇族の方への反乱と見做されないようアルバレア公も慎重ではあるみたいなんだけど」
なるほど。風俗について調べてはいたけれど、トワが補足してくれたような政治的観点からは特に調べていなかったな、と自分の穴を自覚させられた。ありがたいことだ。うん、トワの強みっていうのはアーツも正直頼もしいけれど、こういうところもだと思う。
「いくら大陸横断鉄道が走ったとはいえ、鉄道だけで輸送を賄えるほどではないからね。もしかしたらちょっとしたいざこざくらいは遭遇するかも」
「まぁ公も愚かではないだろうから、そこまで露骨に境界侵犯はしないさ」
ジョルジュやアンゼリカが懸念や安心材料を追加し、何が起きるやらと魔獣を撃退しながら進んでいく。車が通る道だけれど逆に徒歩の人間は襲いやすく見えるのか、思っていたより頻度が高く、番がくるくる回って後ろになってすこしした回。
「────」
何だか妙な気配がして後ろを振り向いた。けれども特に魔獣の姿も人の姿もなくて、なんだろうなと首を傾げてしまう。夜中の寮で感じたものとはまた違うし、嫌な感じとかではないのだけれど。
「セリ、どうしたんだい? 次は私と組む番じゃないかな」
「あー、ううん、何でもない。ありがとう」
そっとその違和感を断ち切って、私はまた前衛に復帰した。
「セリ! 頼んだ!」
「任されましたっと」
戦術リンクが体に馴染んで、追撃の瞬間が見えるようになってきた辺りで、アンゼリカが場から離脱した隙間を狙い踏み込んで致命傷を与え切る。どうやらそれで終わってくれたようで腰に剣を差した、ところ、背中に衝撃。あ。
「さっすがセリだ! 可愛い君がトワとともにこのチームに参加してくれて私は嬉しいよ!」
ぎゅっと体を抱きしめられる。それはチームとしての親愛の行動なんだろう。わかっている。
でも駄目だ。気を抜いて、しまった。言いようもない嫌悪感が背筋を突き抜ける。
瞬
間
、バチン、と盛大な精神振動が体を駆け巡った。それは後ろにいたアンゼリカも同じだったようで、尻もちをつくような無様を見せることはなかったけれど、たたらを踏みながら私から距離を取る。
────戦術リンクの決裂。
「ご、めん」
謝っても、いくら戦術リンクとARCUSを再起動しても、私とアンゼリカのそれが再接続することは、道中なかった。
(自分が気にしているだけかもしれないけれど)チーム内の空気が若干重いまま、予定より早い形でラントに到着する。土曜日の夜へ差し掛かった時間帯なだけあって、思っていたより人通りが多い。
取り敢えず一枚撮っておこう。ぱしゃり。
「えぇと、宿場はすこし外れにある"羽飾りの果実亭"ってところみたい」
「取り敢えずそこへ向かうとしようか。三人ともそれでいいかい?」
月曜に渡された資料を見ながらトワが先導し、ジョルジュが確認をしてくる。別に反対する理由はないので頷いておいた。
……戦術リンクの決裂。原因はわかっている。どう考えたって自分の方にある。でもそれは自分の力だけではどうにも出来ないので、あぁ面倒だなぁ、なんて感じてしまったのだ。どうでもいいことであるわけではないけれど、自分で解決ができない物事というのは得てして面倒くさい。
中央通りからすこし脇道へ入ったところで件の宿場を無事見つけ、からんからん、とドアベルを鳴らしながら入店する。と。
「あ、ようやく来たわね~」
「サラ教官!?」
そう驚いたのは誰の声だったのか。トリスタで私たちを見送った教官が、既に寛いだ状態で宿場にいるというのはどういうマジックか。確かに何度か導力車は通って行ったけれど、その中にサラ教官はいなかった筈だ。
驚く私たちを尻目に教官はラントの名産だという果実酒をおかわりしている。
「……あっ」
そこで私は道中にあった"妙な気配"を思い出す。
「まさか私が後ろに下がっていた時にあった気配って」
「そ、あたしよ。感知範囲内にちょーっと入ってみたんだけどちゃんと警戒したんだからよくやったもんよ。まあ具体的に"誰"かはわからなかったみたいだけど」
「……」
いや、森に囲われた道の後方30アージュで殺気も特にない気配を感じ取り切れっていうのは無茶な気がする。そこに割く労力は必要なのかと。思わずすこし脱力して膝に手をついてしまった。深いため息をついても怒らないで欲しい。
つまり、サラ教官は私の感知能力を試した上で、そのまま森をぐるりと遠回りする形で抜けて私たちを追い越しラントでお酒を飲んでいた、ということだ。
「サラ教官、あんまりセリちゃんいじらないで下さい」
「あは、ごめんごめん。でも大事なことよ」
教官の言葉が、じくりと心にのしかかる。そう。斥候はチームの生命線だ。可能不可能であれば、可能であるほうがいいに決まっている。瞬間的に索敵を伸ばせて確定できるならそれにこしたことはない。────悔しい。
「戦術リンクの課題も多少見えたみたいだし、頑張んなさいよ」
「……」
どうやら教官はそれ以上話すつもりはないようで、まぁいいかと全員言外の納得をし、女将さんに身分と宿泊の旨を伝えると「待っていたよ」と二階の奥部屋に通された。五人部屋に。
「……宿場町だからまぁ、うん、私たちが二部屋借りるよりは、いい、のかなあ」
「いや、さすがにトワとセリの寝姿を見る機会を男共に与えるのは容赦出来ないが」
「ま、士官学院だし今後こういうことも増えるのでは」
「いや~、さすがに僕たちは気後れしちゃうかな」
「オレは別に構やしないぜ」
全員はちゃめちゃに言い合うけれど、逆に全員部屋にいる場合は妙なことはしづらいだろうと思うので、個人的にあまり反対する気は起きなかった。アンゼリカと一対一になる可能性が極力低いほうがいいというのもあるけれど。
というかこういう時に困るのは大概男性陣なのだろうが。良識がある限り。
「とりあえず、着替えは私たちと君らで部屋を交互に使い合うことに反対はないね?」
アンゼリカの確認に、面倒ごとはごめんだと言わんばかりの表情で全員が肯いた。いやどう考えてもこの狭いコミュニティでそういうことやりたくはないだろうと。やるなら後腐れがない相手のほうがまだいい。理解が出来る。してもいいとは思わないけれど。
そんなことを考えていたら、ぐぅ、とお腹が鳴った。クロウとアンゼリカがこちらを向いたので、それなりに大きな音だったかなと恥ずかしくなる。ので自分から控えめに手をあげた。
「……ごめん、そろそろお腹空いた」
「授業終わってから歩き通しだったもんね、私もお腹空いちゃった」
えへへ、とトワが自分のお腹をおさえるので、いい人だなぁ、なんてじんわりしてしまう。
「ま、取り敢えず明日のことは明日考えるでいいだろ」
クロウがそうまとめて、五人でとたとたと下の食堂へ降りていろいろ頼むことになった。人数が多いといろいろメニューが頼めて美味しいなぁと思ったのは内緒だ。
「あ、川魚の林檎煮、あまじょっぱくて美味しいね」
「こっちの香草焼きも旨いぞ」
「ケルディックが近いせいかパンの香りがすごくいい」
「可愛い子がご飯食べてる姿は心のアルバムに何枚でも収めたくなってしまうね」
「はいはい、そういうのはほどほどにしておきなよ」
そんなこんなである程度和気藹々としながら、シャワーを浴びたり借りた寝巻きに着替えたり、特にハプニングもなく、夜が更けていった。
「眠れねえのか」
何となく目が覚めてしまって、宿場入口にあるウッドデッキ部分で手すりに肘を預けて夜風に当たっていたら、クロウが出てきたらしい。街中なのであまり警戒していなかったけれど、顔だけそちらへ向けると、相手は当たり前のように隣に来て手すりに背中をもたれて私を見下ろしてきた。
「眠れないというか、まぁ、昼間の戦術リンクがどうしてもね」
明日はどうしよう、そもそも繋げるようになるのだろうか、なんて考えてしまっても仕方のないことじゃないだろうか。繋げない面子を、試験運用面子として稼働させることの是非もあるだろう。そうして抜けるとしたら、自分だ。元々仲がいい四人プラス自分という形になっているのだから、そうするのが合理的だろう。
「まぁなるようになんだろ」
はは、とクロウは笑う。それは、すこし空虚で。別に笑いたくて笑っているわけではなくて、こういう場面だから笑って空気を軽くしようとしているような。うまく言語化出来ないけれど、今までもたびたびあったやつだ。
笑いたくなければ笑わなければいいのに、とは、さすがに今の自分には言えなかった。
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04/26 第一回特殊課外活動2
04
1203/04/26(日) 朝
「はい、というわけでこれが運用試験用課題らしい、です」
着替えも朝食も終わり、全員食堂の席につきながらトワが宿の女将さんから預かった封筒をすこし掲げて宣言する。
「試験運用に関するってことは大体、こう、荒事なのかな」
「まぁ開いてみればわかるよ、たぶん」
疑問を呈したところでジョルジュがそういうので、まぁそうか、と頷いて開封を待つ。封蝋されたものを開けて中にあった紙を全員で覗き込んでみると。
・北ラント街道に出現している畑あらしの討伐
・南トラヴィス古道の暴れ魔獣の解決(倒木街道封鎖の被害多発)
・湖畔林の謎の声の調査
※それぞれの出現地点などは未確定のため注意されたし。また、討伐の報告は町長へ。
「全部荒事だねぇ」
「いや最後のは荒事と決まったわけじゃ」
「ジョルジュ、本当にそう思ってる?」
「……二割くらいは」
しかしいまだ朝8時とは言え、北から南へ徒歩で移動し場所を確定させて討伐し、場所が不明な声の調査をするとなればすこし時間が足りないかもしれないなぁと思案する。なんせ明日も授業があると言うのに徒歩で帰ることも考慮しなければいけないので、少なくとも17時にはラントを出発したい。
疲労が蓄積した状態で街道を歩きながら魔獣をいなさなければならないので、四月とはいえあまり遅い時間に出歩きたいとは思わない、というのは共通見解だろう。
「地図広げるね」
トワが学校から持ってきた近隣街道まで含めた写しの地図を広げ、場所の推定を開始する。
「北ラント街道というのは、昨日通ってきた道か。森ばかりかと思ったが」
「脇の方に窪地になった方へ降りる道とかあったろ。ああいうのじゃねえか」
「うん。ラントの畑があるのは町の周囲30から40セルジュで、徒歩圏内だけどすこし広いね」
「南トラヴィスの方は初めて行く場所だから北より手間取りそうではあるよ」
「湖畔林の方はそもそも町の人に聞いてからでないと難しそうだなぁ」
いろいろと懸念事項などを出し合って、20分。宿屋の女将さんにラントにおける交通手段事情なども聞いてある程度の方針が定まった。
「じゃあ、北ラント街道の畑あらしはこのまま全員で向かって退治する。その後は、二班と町に残るバックアップのジョルジュ君に分かれて、情報収集、南トラヴィスで魔獣の位置確認と分析が終わったところで合流、討伐。そして湖畔林の方へシフトする……って形でいいかな」
畑あらしの討伐で行き帰り二時間はみたい。それだけで即出立しても10時半。別行動を開始して、特定・討伐まで少なくとも昼までかかるとして、そこからお昼ご飯を食べて、湖畔林の具体的な調査は13時とかからになるだろう。残り四時間。徒歩でいくなら時間が足りないところだけれど。
「いいんじゃないか? この面子だと馬に乗れるのが三人いるわけだしね」
「あんまり期待はすんなよ?」
「私は士官学院入るまではちょいちょい乗ってたから、たぶん大丈夫」
そう。アンゼリカはもちろんのことだけれど、クロウも乗れるらしい。そしてついでに私も。故郷の街は林業が盛んで、その分入り組んだ山にも入っていくためいまだに馬と暮らしているといっても過言ではないのだ。ご多分に漏れず自分もそう生きてきていた。
つまり三手に分かれる際には町中で馬を借りようという話になったのだ。
「さ、そうと決まれば行動あるのみだ」
アンゼリカの言葉を合図にするようにみんな立ち上がり、宿の女将さんにお礼と挨拶をして北ラント街道へ向かうことにした。
……そういえば後で馬を借りるけれど、こういうのって経費で落ちるんだろうか。落ちるような気が全くしないけれども。町の商店でセピス塊を換金しておいた方がいいかもなぁ。
一晩経ったところで案の定アンゼリカと私の戦術リンクは再接続を果たせなかったので、とりあえず組めるところで回数をこなしていこうという話に。
そうして脇道を探索しながら戦闘もしつつ一時間が経過しようというところで、果樹園を食い漁っている畑あらしの一群が見つかった。低木の影から大畑あらしの姿も確認出来たので、取り敢えずあれを倒すのが最優先として目標を定め、二手に分かれる。
「っし」
まずクロウが小石を投げ、畑あらしたちがこちらへ気が付いたところで挑発戦技を使用して意識をロックする。ある程度単純な生物の場合は私を攻撃したくて堪らなくなるわけで、この戦技はこういう時にも便利だ。そのまま畑から引き剥がすようにひた走り、戦技のかけ直しやクロウの小石投擲を経てポイントへ辿り着く。
「そろそろだね」
「あぁ」
十分に畑から距離を取ったところでぐるりと身体を反転させて武器を構えて見せた。こちらが牙を向いたことに気がついた魔獣は、人里で悪さをするからにそこそこ知能が回るらしく撤退の気配を見せたけれどもう遅い。
「残念ながらこちらは通行止めさ」
「分析は済んでいるからね、トワ!」
「うん、ARCUS駆動────フロストエッジ!」
氷の刃が畑あらしたちへ直撃し、それに合わせるように前衛三人で踏み込んでその凍結した体を砕いた。運よく凍結を免れた個体も追撃し、大畑あらしもこちらの数の暴力の前では携帯食料による体力増強虚しく、程なくしてその巨体を地面へ沈めることになる。
「ナーイス」
後ろから射撃をしてくれていたクロウが手を掲げて近づいてきたので、いえーい、とハイタッチする。いや本当に隣にいて頼もしかった。小石の投擲も的確だったし、挟み撃ちに転じた時には背中を預ける安心感があったものだと。
「やっぱ最初は銃使わないで正解だったね」
「ああ」
銃の使用は畑に傷がついてしまう可能性と、単純に畑あらしが怯えて逃げてしまうのではという懸念から誘い出しには使えないとしていたのだけれど、予想通り武器を構えたところで"それ"が何を意味しているのか彼らは理解をしていた。
「人里に降りてこなければ討伐しないでも良かったんだけどね」
魔獣が光となった場所へ黙祷を捧げていたのか、そっとトワが両手を解いてそう呟く。
「しかし仕方ないことさ。現実はこうして降りてきて、人に害を為してしまったんだから」
アンゼリカがその肩を優しく抱きしめて、慰める。
そう。力を持つ者がいる縄張りに入ってしまった、というただそれだけの話なのだ。それはそれとして畑の周りに何か設置をするなどの措置を取るという行動は必要だと思う。傲慢かもしれないけれど、自然の隣で生きるというのはそういう配慮まで含めてだ。
「現在……午前10時。探索してたからすこし時間かかりはしたけれど、ストレートに帰るなら10時半には帰れるかな」
ジョルジュがポケットに入れているらしい懐中時計でそう時間を告げてくる。作業者だからあまり腕時計を使わないのだろう。厚手のグローブを着けたりもするし、さもありなん。私も手首のスナップのために腕時計は使わないから似たようなものだ。
町長殿に報告もしなければいけないし、それを除いたってまだまだやることも多いので黙祷もほどほどにしてその場を後にし、私たちは再びラントへ向かった。
「……本当にこの振り分けなのかい?」
町へ戻り町長殿へ報告をしたところ被害が結構甚大だったようで大層感謝され、その方のご厚意で馬を三頭借りられることに。馬宿に着いて馬を選んでもらったところでアンゼリカが地を這うような声でそう呟く。
「仕方ないじゃないか。私と君は現状戦術リンクが繋げないうえ、トワと私なら重さもそんなにないから馬の速度も出て偵察にはもってこいだし」
「理解はするんだが……せめてトワ、別れの前に抱きしめてもいいかい」
「アンちゃん、直ぐに会えるからね、大丈夫だよ」
ぽんぽん、と抱きついてきたアンゼリカの背中を撫でるトワは本当によく出来た人すぎて逆に心配になってしまうのだけれど、いやこれは口に出さなくていいことだなとすこし口元を押さえる。本人がいいと言っているのだし、いいのだろう。たぶん。おそらく。
「取り敢えず、オレとアンゼリカが湖畔林の方の探索、トワとセリが南の古道で暴れ魔獣の調査分析、ジョルジュがジャンクション的に通信の中継地点となりつつ町で情報収集ってことで」
「オーケーオーケー」
全員のARCUS識別番号はメモってARCUSの蓋の裏に貼り付けてある。かなり原始的ではあるけれど間違い無いだろう。
「あとは進展があろうとなかろうと11時と11時半には通信、正午にはラントへ、だね」
「そうだね。きちんとお互いが今どうなっているのかの確認は大事だから」
アンゼリカがトワとの別行動を惜しんでいる間に、いろいろな確認を三人で終えていく。まぁいざとなったらトワ一人を逃すぐらいは出来るだろう。というか、それはしなければならない。
「ま、あんまり気張りすぎんなよ」
ぽん、と軽く背中を叩かれて、クロウに連れていかれるアンゼリカという奇妙な形の二人を見送る。……まるで見透かされたような言葉で、ちくしょう、とすこし心の中で悪態をついてしまった。
「セリちゃん?」
「あ、あぁ、ごめん。私たちも行こうか」
私がクロウ……とまではいかなくともアンゼリカ並みに体格がよければトワを前に乗せて囲う形で馬に乗る選択肢もあったろうけれど、残念ながらそうではないので馬に挨拶をしたのち先に自分が乗って、トワの補助をして後ろに乗ってもらう。
「それじゃ二人とも気を付けて」
「うん、ジョルジュ君も情報収集お願いね」
「行ってきます」
ジョルジュの見送りを背中に受けながら、私たちは南トラヴィス古道へ馬を走らせた。
久々に風を近く感じて気持ちがいい。
「ねぇ、セリちゃん」
暫く林や丘に囲まれた道沿いに速足で歩かせていると、背中からそんな声が聞こえてきた。
「どうかした? 遅い?」
馬に慣れていないとのことなので駆足まで速度を上げると辛いかもというのと、単純に暴れ魔獣を見逃す可能性を考えて速足にしていたのだけれど、そういう勝手な配慮は良くなかっただろうかとすこし手綱を握る手が強張ってしまう。
「ううん、そうじゃないの。この間、話を聞いてくれてありがとうって、言ってなかったから」
ぎゅっと、腰に回っている手の力が強くなり、あの夜のことが思い出された。
あの夜はすこしでもつついてしまうとこぼれてしまいそうな感情を、私が自分の我儘で堰き止めてしまったような気がしてすこし内心咎めていたのだけれど。
「何か参考になったならいいんだけど」
「なったよ。すごくすごく、助かっちゃった」
「……」
助かったと言ってくれるのなら、どうしてそんなに、無理をしたように気丈に振る舞うのだろう。私にはどうしてもそれが理解できず、沈黙してしまった。きっと気付かれたくないのだろうとも思ったし、何よりかける言葉が分からなくて。
「────あ」
前方に街道を横たわるようにした倒木が見えたので、馬の速度を緩めて止まる。これが依頼書に書いてあったものの一つだろう。トワに一言断ってから自分だけ馬から降り、倒木の根本を見ると赤い液体と灰色の毛らしきものが付着していた。
「ぶつかって倒した、のかな」
「うん、おそらく手配された魔獣のだろう毛と血がついてるしそうだと思う」
それなりに大きな木をこうまで見事に倒すというのは並大抵の動物に出来ることではないし、自分が傷ついてもそれを何度も成すというのは、どうにもすこし違和感がつきまとう。
「……この案件の背景、もう少し調べたいね」
トワももしかしたら似たようなことを考えているのかそう言うので、同意見だよ、と返しながらまた馬の背へ。倒木の向こうへ行くためには、馬をここに繋げておいて生身で行くという手もあるけれど、馬が食べられてしまう可能性を考えるとさすがに避けたい。迂回もうまくいかない気配があるので、それならやることは一つ。
「トワ、倒木を飛び越すからもっと密着して、口は絶対に閉じておいて。舌噛むと危ないから」
馬の首を撫でてやってから後ろへそう声をかけると、トワの体が強く強く身を寄せてくる。よし、とすこし下がったところで手綱と足で馬に意図を伝え、速度が瞬間的に上がり、軽い浮遊感を伴った強い衝撃とともに私たちは無事街道の向こうへと渡り終えた。
ぎゅっとしがみついてくれているトワの手をとんとんと叩いて、終わりを知らせる。
「もう大丈夫だよ」
「す、すごかった……」
初めての乗馬に、初めての障害物越えというのはなかなかにハードな一日だなと思ったけれど、まぁ大丈夫そうで良かった良かったと頷くだけにしておいた。
そのまま手綱を手繰っていると定時連絡の時間になり、トワが対応してくれるのを聞きながら、すこし森がざわめいたような。
そうして、すこし遠くで、何かが倒れるような音がする。
「あ、また」
道を進んでいくと倒木が街道を封鎖しており、周囲の気配をすこし掴んでから問題ないと判断して再度下馬する。さっきの倒木にあったのと似たような毛と、光を反射する赤い液体。
「……」
「ねぇ、セリちゃん。その倒木、なんか変じゃない?」
馬に乗ったままだというのにそう指摘ができるトワはさすがだと思う。分析戦技を持っているというのは伊達じゃない。
「うん。ちょっと嫌な感じだね」
即離脱が出来るようにまず馬に乗り、辺りをもう一度見やる。
馬に乗ると平素より格段に視界が高くなるので、感覚が普段と異なるのは確かだ。けれど地面と繋がっているという強さが、周囲へのアンテナを強固なものに。そうしてそれは、"森"の警戒をすり抜けて違和感を教えてくれるのだ。
「……セリちゃん」
呟くトワが体を寄せてくる。
森の奥から感じる、殺気。いや、憎悪。これは二人でどうにかなるものじゃない。そもそも真正面から対峙していいものでもない。身体の芯の奥から恐怖が内臓へ噛み付いてくる。
そろり、そろり、と見えない相手を刺激しないよう馬を後退させる。こんな状態になって、私たちよりも危機察知能力は高いだろうにパニックにならないというのは、いい馬の証拠だ。あとできちんとご飯をたっぷりあげよう。差しあたってはこの状況から脱出をしなければいけないのだけれど。
目の前の倒木に一瞬視線をやって、よし、と気合を入れた次の瞬間、手綱を引っ張り馬を反転させ足による腹への合図で駆足まで速度を上げる。馬もこの異様なものを感じ取っているのか暴れずにいてくれて、背中を睨めつけるような気配を感じながら私たちはその場を後にした。
「……っは、あ」
一本目の倒木のところまで戻ってきて、額の汗を袖で拭う。冷や汗と、単純な汗が混ざって、これ以上このまま走らせていると目に入って事故りかねないというレベルだった。まだすこし手が震えているような気がする。
「あれは、」
息を飲むようにトワが問いかけてきて、腰に回っている手を安心させるように片手で覆う。とはいえ私の震えも伝わってしまっているだろうけれど。
「たぶんシシ……猪だろうね」
付着した毛と血液の臭い、そしてあの巨大な気配からそう判断する。もしかしたら森の主かもしれないレベルの話だ。
「それと、二本目の倒木って、つい最近というか、ついさっきみたいな感じじゃなかった?」
「うん。ほぼ生木だったし、血液も乾いていなかったから一本目を飛び越した後に聞こえた音の正体だと思う」
私たちをあれ以上踏み込ませないための、あからさまな境界線。
「だけど、あそこまでやるってことは、私たちのことが分かっているし、逆に入らなければ害を為すつもりはない、ってこと、なのかな……?」
「……わからない」
少なくとも人里に突貫するということではないと、思う。思うけれど魔獣の考えることなんてわかるわけがない。だけどあれだけ策を巡らせられる魔獣なら、人里を襲ったって大したメリットがないことぐらいはわかるだろう。よしんば町を壊滅に追い込めたとしても、討伐隊が組まれ逆に森焼きになる程度のことは理解出来る筈。
そもそも、このトラヴィス湖周辺は森とそれなりに仲良くやってきて町が発展している歴史がある。昨今はそんなことになるまで森に対して敬意のないことをしていたのだろうか、などいろいろと疑問が尽きない。
……いっそ、トワを町に返して、馬を置いて、一人で行くべきだろうか。森の中に身を隠せるならもう少し、深く。
そんなことを考えていたら、どん、と背中に衝撃がくる。言わずもがな、トワが私をつよくつよく抱きしめてきたのだ。震える体と、伝わってくる通常より早い心臓の音。
「セリちゃん。それは、駄目だよ」
硬い静かな声。「何が」と彼女は言わなかったし、私も「何が」とは問わなかった。
「……そうだね」
それでも、私はそう言うしかなかったのだ。
見透かされてしまったなぁ。
それから二度目の定時連絡を行い、とりあえず私たちはラントへ戻ることにした。このまま二人で周囲探索をしても埒があかないし、通信でなく顔を合わせた状態で他の三人の意見も聞きたいところだと思ったので。通信向こうの三人も異論はないようで、馬を預けてから"羽飾りの果実亭"へ向かった。馬宿のご主人にはすこし事情を説明し、自腹でチップも払って彼を労ってくれるように頼んだので大丈夫だと思いたい。
……それにしても、なんだかクロウとアンゼリカの様子がおかしかったような気がしたけれど、気のせいだろうか。
「周辺調査じゃなかったの!?」
早めに切り上げたおかげでジョルジュと先に合流し情報交換をしながら残りの二人の帰りを待っていたところで、宿場に入ってきた二つの人影を視認して真っ先にそんな声が出てしまった。
クロウの方は鼻血を乱暴に拭ったのか、顔のところどころに血の痕が残っているし、袖捲りで露出する腕などにも打撃を加えられたような痣があちこちに見える。
アンゼリカの方は顔面こそそこそこ綺麗なままだけれど、やはり頬にうっすら擦過傷があったり、白い制服の方も別行動前にはなかった盛大な泥跳ねがあったりしてうす汚れている。短い髪の毛もところどころ跳ねていてスマートさの欠片もない。
トワが直ぐに救急キットを宿場の女将さんに要請するので、同じように席を立った私は横の店員さんに濡れタオルと蒸しタオルを追加で頼んだ。いや、どうして、こうなっているのだろう。
入ってきた二人は直ぐに私たちを見つけて、座っていたジョルジュの横、つまり元々トワの席だった場所にクロウが座り、一つ空けてアンゼリカが座る。異様な空気の中で、トワと私は顔を見合わせながら間を埋めるように腰を下ろした。
「……取り敢えず、調査進捗報告兼ねてお昼でいいかな」
そう。馬を手繰っていてお腹が空いているのだ。それはまず間違いがないのだけれど、この空気の中であんな間抜けな音は鳴らしたくない。二人とも声は出さなかったけれど頷いてはくれたので、適当に頼みつつ待つ間に素早く報告とあいなった。
ついでに救急キットもタオルも借りられたので、トワと私で二人の治療をしたと言うことも記しておきたい。どこかに。
「と言う感じで、私たちの方はセリちゃん曰く、暴れ猪がいるんだろうって話になったんだけど、すこし様子がおかしいから今度はみんなでもう一回見に行きたいかなって思ってます」
取り敢えずトワと私の報告は終えて、一段落。治療もおなじく。
「僕の方は湖畔林のどのあたりで謎の声が起きているのか、そもそも何なのかっていう目撃調査だね。幽霊の声だの何だのって話から始まって、幽霊の声に誘われて子供が拐われたって話も出てきたりしたけど、町長さんに聞いてみたらここ十年以上はそんな拐かしみたいなのは起きていないって裏が取れた。逆に何でそんな噂が発生したのか疑問に思ってたくらいかな。あと音の発生源については森の中だから詳しい場所の特定は口頭からだと難しかったけど、おそらくこの辺っていう当たりはついたよ」
学院から写してきたのより、もう少し詳しい周辺地図を雑貨屋から手に入れたのかジョルジュが机に広げる。見るとトラヴィス湖を眼前にいただくラントの北西あたりにバッテンが集中していた。
「それを受けて私達が馬を駆って現地へ行ってみたんだが、見事に洞窟があってね。こう、繁茂した草で隠れるようにではあったけれど」
洞窟。そうなると下手人……下手魔獣がいない可能性も想定しておくべきだろう。特に向こう側へ抜けることができる洞窟などだと、条件が揃えば洞窟反響音が螺貝のように遠くへ聞こえてしまうこともままある。
「ただ斥候のセリもいねえからな、流石に中の調査はせずに戻ってきたってわけだ」
それは正しい判断だと思う。二人で洞窟に入るというのは自殺行為だ。斥候も、背後警戒も、もし挟撃された際に対する戦力も、何もかもが足りない。
というか、(状況証拠的に)殴り合いをしただろうにも関わらず一応、チームに迷惑をかけるつもりはないようで安心した。いや、そこまで頭が回らない二人だとはもちろん考えてはいないけれど。
「……あれ、セリちゃん、これ」
トワが広げられた地図を見ながら呟き落とし、自分が持っていた地図をすこし広げて何か確認をする。どうやら後ろに乗りながらたまにメモを取っていたらしい。確認が終わったのか地図をしまったトワが指差した机の上の詳細地図。……あぁ、本当だ。
「洞窟がある場所と、二本目の倒木、高低差があるけれど近いね」
倒木側の街道が崖のように切り立っているため現地にいるとそうとは認識しづらいだろうけれど、こうして平面に落とし込んでしまえばとても理解がしやすい。
「これは……うん。先に洞窟の方を調べた方がいいかもしれない」
何か物理的な計算をしているのか、ジョルジュがそう提案した。
「洞窟がなんらかの要因で笛のような構造になり音が鳴っているとしたら、それは人間より聴覚範囲が広い周囲の動物たちへの影響が強い筈だ。もしかしたら」
暴れシシもそのせいなのかもしれない、と言外に意図が落ちる。
全然別個にあった話が繋がったような気配を感じて、しん、と机が静かになる。お昼時で宿場はそれなりに賑わっているというのに。
「……わかった、それじゃあ猪の方は保留にして、洞窟の方の調査を先にしよう」
トワのまとめに四人とも頷き、タイミングよく運ばれてきたお昼に舌鼓を打ちながら午後への英気を養った。それはそれとして机の上の空気は多少重かったけれど。
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04/26 第一回特殊課外活動3
05
「あっ」
件の洞窟へ向かおうというところで、町を出て少ししてから大切な懸念事項を思い出す。
先頭に立っていたのでみんなを振り返り、クロウとアンゼリカに視線をやると二人とも何を言われるのか理解したのか分かりやすく顔をしかめた。
「もしかしなくても、そこの二人の戦術リンク破綻してるよね」
ARCUSを取り出して戦術リンクを手動起動しても、同期された端末内であれば見える筈のリンクが二人の間には浮かび上がってこない。
「まぁ私も決裂してるのを抱えてるからとやかくは言えないけど、危ないし、取り敢えずクロウはジョルジュと組んで、アンゼリカはトワでいい?」
「あぁ、そうだね、無難な分け方だと思うよ」
「オレもそれでいい」
斥候なのでリンクが繋がっているメリットよりは一人で動ける方を取った提案をしたのだけれど、突っ込まれずに承諾され、それぞれARCUSを操作してリンクを接続し直す。それを見届けて私はまた周囲警戒しながら歩き始めた。それにしても魔獣、いないなぁ。
「ここが例の洞窟?」
「おう」
私はもちろん、一番背が高いクロウでさえも立ったまま入れるだろう洞窟が、封鎖もされず、そこそこ人里に近いところにあるというのは奇妙な話だ。
入口近くで全員を停止させ膝をつき、地面に視線を落とす。残っている跡に手を翳しながら簡単な計測をして、自分の顔が歪んでいくのがわかる。蔦の向こうは真っ暗闇で、空気が向こう側へ抜けている気配もない。そして中には小型……一般的な犬程度以上の生き物はいないこともうっすら気取れた。
「……」
洞窟の入口には複数種の獣の足跡と、巧妙に偽装されているけれど、人間の、足跡。それも複数人分。
仮に人間の足跡が古いものだとしても、ここまで出入りがあるというのに洞窟の入口が蔦で覆われているというのは奇妙を通り越して不自然極まりない。いやな感じがするな、とぼんやり思った。
すると、ぽん、と肩を叩かれて見上げてみるとクロウが人差し指を口に当てながら、湖側へ行こうともう片手でジェスチャーをする。なんとなく意図を理解して、先に歩き始めていた三人の後を黙ったまま追った。
「で、何が見えたんだ?」
その言葉から、私の沈黙からヤバいことを感じ取り洞窟から離れる選択をしたのだと驚いた。自分の調査がそこまで信用されているということもそうだし、それを一人ではなく全員が疑わないでいてくれるということも。
それに気がついて、それを言語化出来てしまって、ぎゅっと思わず両手を握り締めてしまう。だってそうでもしないと、何だか目頭が熱くなってしまいそうだったから。
「……洞窟の前に、動物の足跡と、人間の足跡が複数人分あった」
あの凹み具合や靴の跡からして一般人というよりは、何らかの装備を持った人間であること。古さからして洞窟内に潜伏している可能性は低いけれど、それなりに出入りがあるのにもかかわらず蔦が繁茂しているのはおかしいということ。洞窟の中には現状何の獣もいないこと。
自分が察知したことを一つ一つ説明していく。もしかしたらこれは単なる思い違いかもしれないけれど、私は、私を信じたいと思うのだ。みんなの命を最初に預かる者として。
「……」
単なる自然現象の中の案件だと思っていたものに人間が関わってくる可能性が上がり、四人とも少し気難しい表情をする。それはそうだ。学生が対処できる問題なのかも怪しいということになる。
「サラ教官に一旦報告しよう」
トワが何か決めたかのようにそう言った。確かに。現状はまだわからないけれど、帝都区域憲兵隊や領邦軍の介入が必要になる可能性だって十分に考えられる。
既に通信番号を覚えているのか、淀みなくトワは通信番号を打ち込んでコールする。自分たちも会話を聞くためにトワのARCUSへ通信を接続し、程なくしてサラ教官の声が聞こえた。
『なるほどねぇ』
ある程度省きはしたけれど、トワの的確な説明が一段落したところで教官が理解の言葉を落とす。
『それで、あんたたちはどうしたいの?』
どうしたい。問われて、そういえば考えていなかったなと思い至る。
『このままだと町長経由で憲兵隊に連絡して暴れ猪の方はそのまま討伐する、ってことになるわよ。あるいは、両方とも憲兵隊に任せるか、ね』
そう言われて、あの気配を思い出しそっとトワと視線が合う。あれに対峙するのもそうだし、もしかしたら人間のせいでああなっているかもしれない、と知った以上、ただ単純に討伐することが正義ではないだろう、とも考えてしまった。
自分たちで討伐せず、憲兵隊に任せるでもなく、全く別の道を。
「私は、このまま見過ごすのは気分が良くないな」
今まで黙っていたアンゼリカがそう呟いた。その横顔は、良い意味で貴族然としていて、学院の女子が熱を上げてしまうのもなんとなく場違いにわかってしまう。なるほど。
「トワも、出来ることならその暴れシシを森に返したいんだろう?」
「……」
午前中にあった討伐での出来事が脳裏をよぎる。そりゃまぁ、今まで街に住んでいた女の子が襲ってきたわけでもない生き物を討伐することに何ら思うところがないということも、ないか。ましてやまだ数時間前の話だ。
「ま、解決したいってんならオレも力を貸すぜ」
「もちろん僕もね」
二人がそう口々に意思表明をするので、自分も同意する。
トワは一瞬だけ俯いて、次に顔を上げたときは金糸雀のような色の瞳に、光が差し込んだような気がした。高潔な光。────嗚呼。きっと、誰も彼も、彼女のこの"色"に魅せられている。
「みんな……一緒に解決しよう」
『決まりね』
ことの成り行きを見守ってくれていた教官の言葉で、私たちはまた洞窟へと足を向けた。
「とは言っても、現状生き物の気配はないんだよね」
「それも妙だよね。こういう洞窟は何かの巣穴になったりしやすいだろうし」
洞窟を覗きながらもう一度伝えると、トワが疑問を提示してくる。まぁ小さなネズミとか虫はいるかもしれないけれど、そう、本当に妙なのだ。
ARCUSの便利機能として付いているライトを点灯させながら歩いていくと、10分もしないうちに最奥に行きついてしまった。やっぱり向こう側に抜けていない。空気の通り道がない。そして。
「これは……導力器、かな」
ジョルジュが膝をつきながら、足元にあるラジオぐらいの大きさの機械に触れた。まだ稼働しているようで、何だかカリカリと気が落ち着かない音を出している。洞窟自体は天然ものなのだろうけれど、明らかに異質なものだ。
「トワ、顔色が悪くないかい?」
「う、ううん、平気だよ、アンちゃん。それより、あの地面の筒みたいなのなんだろう」
アンゼリカとトワのそんな会話が聞こえてきて、照らされた方向にある竹筒のようなものを視認して、パチリパチリとピースがハマっていく。────。
「ジョルジュ、その導力器って持ち出せそう!?」
「あ、ああ、うん!」
「じゃあとりあえず持ち出して全員洞窟から離脱!なるべく呼吸しないよう!アンゼリカはトワを支えてクロウは自分と前方警戒!」
閉鎖空間でも取り回しのしやすいダガーだけは腰から抜いて洞窟を疾走する。それで理解してくれたのかクロウも銃を構えながら後方直ぐのところで並走し始めてくれた。歩いてもそんなになかった洞窟は、さすがに走ってしまえば直ぐに脱出出来るもので、警戒した入口にも何事もなく、そのまま視界が通る湖の方へ進路を取った。
「ごめん。失敗した」
唐突な撤退に応じてくれた四人の呼吸が落ち着いたところで、私はそう謝罪する。
「な、何があったの?」
いまだにすこし顔色が悪く、アンゼリカに付き添われ座ったトワの疑問は尤もだ。
「……ガスが充満してた、だな」
私が口を開く前にクロウが解答を差し込んでくる。紅い瞳がそうだろ、と聞いてくるので、黙ったまま頷いた。
「そう。たまに洞窟……鉱山とかでもあるんだけど、地中から出てきた天然ガスが溜まって、天然トラップみたいになっていることがあるんだ」
嫌な予感というのは当たってしまうもので。よくよく考えてみると『出て行った獣の足跡』があまりにも少なかった。加えてトワは私たちの中では一番体躯が小さく、身長も低い。空気より重いガスの影響をモロに受けてしまったんだろう。金糸雀のような瞳だからといって、そんな役割を押し付けるつもりはなかった。
「なるほど、そういうことか」
さっき持って出てもらった導力器を検分していたジョルジュから、合点のいった声が上がる。
「これ、おそらくだけど獣を誘引する音を出す装置だ」
その言葉にすこし利き手が緊張したけれど、もう電源が切ってあるのか今はカリカリとした音は鳴っていない。
「それは、あの場所に動物を集めていた存在がいる、ってことだよね」
「そしてそれはおそらく人間だということか。面倒極まりない話になってきた」
もしあのガスが致死性でないのなら動物は洞窟の奥で弱り、蹲るだろう。そこを襲えば自分たちは傷付かず、獣を傷をつけずに生体を手に入れることができる。毛皮目的にしてはさすがに迂遠すぎるのでおそらく別の目的があると見るべきだ。それは今の状態だと何かわからないけれど。
「一旦町に戻らねえか?」
クロウはそう提案しながらも、崖の上へ視線をやっている。あぁ、そうか。
「音の発生で気が立っていた可能性、だね」
「おう、そういうこった。ジョルジュのそれも回収するにしても荷物だしな」
そんなこんなで目的地も決まり、休憩も切り上げて動き出す。
腰のポーチに入れていた懐中時計を取り出してみると、針は15時を差していた。
トワの体調も考慮して"羽飾りの果実亭"へ戻り、荷物を預けるとともに奥まった対面ソファー席が空いていたのでそこを陣取ることに。ジョルジュ/クロウ、アンゼリカ/トワ/自分という無難な形で。
「ごめんね、みんな……」
「いや、そもそもガスに即気がつけていたらこんなことにはならなかったわけだし」
水を数杯飲んで落ち着いたのかグラスを両手で握りながらトワがそう謝罪を口にしたけれど、自分のミスによるものだということはハッキリさせておく。旧校舎から数えて二回目だ。
「まぁとはいえ斥候任せるってのはチームの判断なんだしよ、そこまで一人思い詰めることもねーだろ。重症化もしてないっぽいしな。これで降りるってのはナシだぜ」
「そうだね、クロウの言う通りだよ、セリ」
クロウとジョルジュにそう言われて、確かにまだ落ち込んじゃいられない、と自分の胸を軽く叩いて息を吐き、気を落ち着かせた。
「うん、頑張るよ。ありがとう」
失敗は得てして先に来るものだ。それを恐れるのなら経験や書物や人から知識を得て、次に繋げるしかない。
「それにしても結局謎の声っていうのは集団幻覚……というよりは、一種の集団パニック扱いでいいのかな」
「僕はその線が高いと思ってるよ。あの洞窟に人を近付けさせないための噂を流した集団がいるんだろう。メモを改めて読み返すと、大体三ヶ月くらい前から始まっているみたいだし」
「それに尾鰭がついて人拐いのウワサまで出たってか」
「結局行方不明者はいないって話だし、そうなんだろうね」
もしかしたらあそこで意識不明に陥った獣の声が洞窟内から聴こえてきていた、という可能性もあるわけだし。まぁバンシーとかの霊的存在じゃなくて良かったなぁとは思っていたりする。特にアンゼリカみたいな武器をほぼ介さない前衛がいる場合、敵性霊体への接触は精神汚染で何が起きるかわからないので本当によかった。
「取り敢えずこの後はその例の倒木の二本目まで確認しに行って、どうするか、出たとこ勝負ということになるのかな」
「アンちゃんの言う通り、それしかないかなぁ」
"アレ"を知っている身としては再度あそこへ行くというだけで少し身が竦んでしまう思いだけれど、もしかしたらという思いがそれなりに強くもあるので複雑な心境だ。
「あぁ、それについてなんだが、オレから提案ひとつ」
クロウが珍しく手を上げて発言するので、全員の視線が集まる。
「一人はバックアップに回すべきだろ」
バックアップ。主にこの状況で言うのなら、後衛の更に後ろ。前進後退を把握し、危険があれば離脱命令を即座に下せ、また壊滅した場合は教官へ知らせる役目になる。
「トワとセリが昼間に行って、危険を感じて帰ってきたってのには意味がある話だ。そこにもう一度顔を出そうってんならそういう準備はしておいて然るべきじゃねえかって」
その場におらず、冷静に戦場を俯瞰出来る立場。確かに私たちは学生であり正規軍人の方のように精神熟達をしていない面子であるわけで、そういう役割を担う人材は必要かもしれない。
「それなら」
「私がそれを担おう」
ジョルジュの声を遮って、アンゼリカが名乗りをあげた。
「四人中二人と戦術リンクが切れているのだから、私が後ろに回るのが適任だろうさ」
てっきりトワを物理的に守るために一緒に行くものだと思っていたけれど、そういう判断もするのかと驚いてしまった。いや、今日は驚きすぎだ。これじゃ自分が勝手に相手を決めつけていたといっているような……いや、実際そうなんだろう。
「いいのかい?」
「あぁ。それに話に聞く限り暴れシシと万が一戦闘になったら、ジョルジュの方が戦闘面において役に立つだろう。君はいざって時に盾にもなれるのだからね」
つまり生半な防御力では紙同然ということを言いたいのだと理解する。一理ある。
「だからこれは消極的な選択じゃなく、最善を考えた結果さ」
そう真っ直ぐ言い切る彼女は、ああ貴族なのだと、おそろしいほどに痛感した。
「私はそれに異論ないよ」
「そうだね、アンに考えがあるなら僕が前線に立とう」
「ったく、カッコつけやがって」
その信頼に今度こそ自分も過不足なく応えよう。
「私も少し話をしたいかな」
軽く手をあげて全員の注目を集め、それを確認して軽く咳払いをした。
「私は、今後全員が生還する道を絶対に諦めないって、今ここで空の女神に誓う」
自分を犠牲にすることは、策に上らせない。そんなのは残された側が困るだけだ。人員的にも、感情的にも。それでももしかしたら考えてしまうことはあるだろうけれど、採用はしない。女神に誓うことで自分の規範の外に置いておくことにした。
そんな私の突拍子もない言葉を、みんな真剣な眼差しで受け取ってくれる。きっとバレていたんだろう。何度か考えてしまっていたものを。トワやクロウには、特に。
「あぁ、よろしく頼むよ」
アンゼリカが真っ先に拳を差し出してくれて、私もそれに続き、全員の拳がそこへ集まった。
バックアップ通信を開始したままスピーカー機能もONにしたARCUSを、太腿につけているポーチへ蓋が閉じないよう細工してから放り込んで私たちは二本目の倒木の前に来た。アンゼリカ自体は後方1セルジュほどのところで馬をつれて待機している手筈だ。教官には通信が繋がらなかったので宿に伝言を頼んだけれど、伝わっているかどうかは知らないし、正直アテにするものでもないだろう。
「……」
倒木の向こうから溢れ出ている気配は例の倒木を倒したであろう獣と同じではあったけれど、あの時のような立っているだけで身が竦むような敵意は、なくなっている。
すう、と呼吸を整えてから制服の上着を脱ぎ、腰のベルトを外し、がちゃりと片手剣とダガー、ついでに腰の後ろにつけているカメラポーチ、ARCUSは抜き出してクロウに投げ渡してから端末ポーチもそっと下ろした。
その状態で一歩前に出ると、トワも導力銃とARCUSを地面に置いて私の横に立ってくれる。
果たして。今までどうやって隠れていたのか、と疑問を持ちたくなるほどの街道幅殆どを占有する巨体がのそりと森の向こうから現れた。まるで、森が隠していたかのように。
シロガネのような毛をもつ猪。大きなまなこが私たちを見据えた。
唾液を飲み込むタイミングがトワと重なったような気がする。それでも、私は、私たちはこの森の主どのの前に立つと決めたのだ。そうしなければならないと。そう。
もう一度深呼吸をする。
"森の主"に相対するには、恐怖ではいけない。憐憫でもいけない。ましてや威圧でもいけない。あっていいのは自然に対する敬意と正しい理解の上にある畏怖だ。
音はない。風も、鳥の声も、導力車の音も、湖面がさざめく音も、葉が擦れる音も、なにもかにも。だからか自分の鼓動の音がやけに大きく聞こえた。
見つめ合いは、幾ばく続いただろう。もしかしたら数秒かもしれないし、十数分以上かもしれない。それほどまでに圧縮された緊張は、巨猪の一歩で物理的に踏み破られた。歩くだけで振動が伝わってくるそれは、倒木の上へ乗り上げ、樹木を破壊する。後ろの二人が警戒するのがわかり、私もそうするべきかと利き手を緊張させ覚悟しかけた。
────けれど、トワは動かなかったのだ。
そして踏み出した巨猪は、倒木よりこちらへは来ないまま数歩後退し、また、前へ出る。まるで地面を倒木を踏み均しているかのような、動きを。
それを眺め続けてある程度終わったところで、巨猪は私たちなどまるで最初からいなかったかのように、何をするわけでもなく、森の奥へと帰っていった。
「……っ」
声にならない悲鳴とため息をもらしながらトワの体が傾くのが見え、下から入り込むように支えようとする。けれど、あたたかな体温とともに自分の体もそのまま落ちて。
「あれ……ご、ごめんね」
「いや、よく動かないでいられたね、トワにセリ」
「ああ、よくやったよくやった!」
つまり支えたと言っても自分も崩れ落ちているようなもので、ジョルジュのやさしい声を聴き、髪の毛をぐしゃぐしゃするクロウにされるがまま、遠くから聞こえてくるアンゼリカの心配する声に、顔を見合わせたトワと一緒にただ笑っていた。
森の主である巨猪に、私たちの意図が伝わったのか確かめる術はない。
それでも、人間すべてが森の生き物に害を為そうとしているわけではない、という程度は伝わったのではなかろうか。倒木を踏み越えて来た故に追い返した人間が、獣の悩みの種である装置を取り除き、武装を解除して進み出たことの意味を。そうだといいと、思う。
とはいえ獣がどうしてあんな面倒な形で集められていたのか、どこに連れて行かれたのか、どういった組織が行動しているのか、そういう人間的な側面は一切合切不明で、手がかりといえばジョルジュが回収してくれた導力器ぐらいなもの。
取り敢えず、巨猪が踏み潰した倒木の破片は全員である程度端に押しやって片付け、町に近い方の倒木は向かう際には残しておいていたのでジョルジュに壊してもらった。そうして町長殿にもあらかたの顛末を(主にトワが)話したところで、私たちの今回の課外活動は一旦の終わりを見せたと言ってもいいだろう。
「はぁい、お疲れさま」
五人で町長宅から出てきたところで、サラ教官がタイミングを見透かしたかのように立っている。いや、実際見透かしているんだろう。この人は。はっと気が付いてポーチから懐中時計を引き出すと、18時。そんなに明かりもないラントの夜は早く、陽もだいぶ傾いて暗い。
「初めての実習にしてはよく頑張ったじゃない」
「……まさか、かなり拗れてる案件だって知ってて渡しました?」
「いやいや、依頼内容は町に一任しているって言ったじゃない。そんなに信用ないかしら」
その言葉に、あるわけないだろう、という心の声が数人でハモったような気がした。
「まぁそんなことはいいわ。取り敢えずこれからトリスタに帰って、そのままレポート仕上げてくれるとおねーさん助かるんだけどなぁ」
「はぁ!?」
「今から急いで帰って徒歩だと最速20時ですよ!」
「さ、サラ教官、さすがにそれは」
クロウの驚愕の声から始まり、温厚なジョルジュやトワの珍しい抗議の声が教官へ。
明日の準備だってあるし、予習もしたいし、そもそも夕食だって食べたいのに。どこにそんな時間があるというのだろうか。
「もー、士官学院生なんだからこの程度で文句言わないの」
いや、さすがに、言ってもいいのでは?
そんなことを思いながらどうやって教官を説得するか頭を巡らせていると、後ろの家からそっと玄関扉の開く音がした。結果を言うと福音だった。
「全く、町長のご厚意に甘えすぎよアンタたち」
とか言いながらちゃっかり自分も送ってもらっているのだから抜け目ない。
現在18時23分。この時間なら余裕でキルシェは開いているし、ご飯は人が作ったのを食べられる。この状態で自炊したくないのはもう第二学生寮勢の言外の一致だと勝手に思っているけれどどうだろう。第一はよくわからない。
「いやでもまさかトラックの荷台で運ばれるというのは中々ない体験だった」
「だけど確かに全員運ぶにはいい案だったね」
貴族であるアンゼリカも、意外にジョルジュも、帝都住みだったトワも、何気にクロウも、トラックの荷台に乗ったことがなかったらしい。四人とも降りた時にお尻を押さえていたのはちょっと可愛かった。サラ教官はさすがに涼しい顔をしているけれど。
そう、あの後出てこられた町長殿に話を聞かれてしまっていたようで(いやまぁ玄関出たすぐのところで若干の大声で話していたこちらが十割悪いのだけれど)、よければトリスタまでお送りしましょうか、と提案してくださったのだ。そうして当初よりずっと早い時間帯に帰ってこられた、というわけだ。うん、導力車は、……いいものだ。
「取り敢えず、キルシェ行く人ー」
トリスタ駅の近くにある夜もやっている喫茶店の名前を出して挙手を募ると、1、2、3、4、5……5?
「って、何で教官まで手を挙げてるんですか」
「えー、いいじゃない。別に一緒にご飯食べようとかは思っちゃいないわよ」
それならいいですけど、と別に教官と食べるのが嫌なわけではないけれど、なんか、なんか、嫌な予感があるというか。いやまぁいいのだけれど。
まぁもうお腹の限界なので気にせずぞろぞろとキルシェに移動すると、時間帯のおかげか他の一年生もいて私たちのやつれ具合に何かを察したのかとても労ってくれたのは嬉しかった。いや本当に。持つべきものは友人である。そうしてご飯をたくさんたくさん食べて、結局もう覚えている間にレポートを書いてしまおうと五人でわちゃわちゃしながら、戦術リンクのデータをまとめたり記録を出したり、トラヴィス湖とラント周辺の地図をレポート用紙に手描きしたり、そんな阿鼻叫喚の中、レポートは着々と出来上がっていった。
「いやー、生徒の悲鳴の横で飲むお酒は美味しいわね~」
「それが目的ですか鬼ー!!!!!」
たっぷりと時間を使い、店を出たのは22時だった。やばい。レポートはその場でサラ教官に提出して退店してきたわけだけれど、お酒を飲んでいる人に提出したものはきちんと受理されるのだろうか。まぁでもいざとなったらフレッドさんや他の生徒が証人になってくれる。
はず。
そんなことを考えつつゆるゆる五人で他愛無い会話をしながら歩いて、学生寮の分岐点まで。
「また明日」
そう各々声をかけたりかけなかったり手を振ったり振らなかったりしたところで。
「セリ」
引き止められた。トワではなく、自分が。寮の方向へ向けかけていた爪先を戻してアンゼリカを眼前に捉えると、特に何も言わないので聞き間違いでも言い間違いでもないらしい。
「近いうちに時間をくれないか」
その真っ直ぐな瞳から、何を話したいのかわかってしまった。
ということは、つまり、自分が話さなければいけないことも自動的に確定してしまうわけで。……この課外活動を経る前なら、自分はこうして呼び出されたとしても何かにつけ断っていたかもしれない。だけど。
「いいよ。明日の授業が終わったあと……16時ぐらいに旧校舎のところとかどう?」
「うん、それでいい。ありがとう」
私は私の意思で、個人として、アンゼリカに向き合いたいと、強く思ったのだ。
……思ったから、頑張れ、明日の自分。
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04/27 歩み寄り
06
1203/04/27(月) 夕方
授業も終わり、いろいろ覚悟も決めて、旧校舎に足を向ける。
技術棟の前を通り、入るだけでうっすら周りが暗くなったような気がする道を抜け、手入れされていない樹木と落ち葉が軽く続く場所を通ると、アンゼリカはもうそこにいた。普段はすこしルーズだというのに、こんな時には遅刻をしない。
「来てくれてありがとう」
あからさまにほっとしたような気配を隠さないものだから、ああこういうところが人気の秘訣なのかな、いやどうだろう所謂王子様ムーブではないし見せないか、と考えてしまったり。現実逃避をしたいともいう。
私が彼女の前に立つと、真っ直ぐな視線が突き刺さる。
「端的に言おう。戦術リンクが決裂した時のことについて話がしたい」
うん。アンゼリカが私を呼ぶ理由なんてそれだけだろう。
「……たぶん、君にキツい物言いをすることになると思うよ」
「構わない。何を言おうと、権力を振りかざし罰することはないと女神に誓おう」
それで引き下がるような相手ではないとさすがに理解しているというのに、こんな、言葉を。わかってる。これは単なる引き延ばしで、何か意味のある時間稼ぎでもない、本当に生産性のない行為だって。
口の中に、唾液が溜まる。頭の中がぐるぐるして、平衡感覚が失われそうな気さえする。
私はすこし俯き、体の前で遊ばせていた両手を、握って。
「私は、正直に言うと、君がよくする行為について、好意的に見れていないんだ」
「……」
こういう話をする時、きっと真っ直ぐ相手を見た方がいいのかもしれない。誠意とやらを伝えるためには。それでも、私は……怖かったし、どうしても目が見られなくて彼女の黒い革靴の爪先だけを眺めていた。そこさえわかっていれば相手がどう動くのかわかるから。
「相手が肉体的に女性の際、その容姿をジャッジし、自分の好みであらば己のテリトリーに入れて、あまつさえ愛でるというわけのわからない視点から相手の体に触ろうとする」
声は震えているのに、飛び出し始めた言葉は止まらない。
「……わた、しは、自分のこの顔が概ね好意的に見られる容姿だっていうのは流石にここまで生きていれば把握しているけれどそれでもそんなジャッジをされたくないし自分の体に触れられたくない。あなたのルッキズムに私を巻き込まないで欲しい。……それに、」
自分で続けておいて、言葉に詰まる。舌が乾いて、だのに冷や汗は背筋を通り、指先は冷たくなる一方で。唇を一旦引きむすんで、奥歯を噛み締める。
自分の心の、やわらかい場所に、ふれなければならない。
それは本当に怖いことだ。恐ろしいことだ。ズタズタにされたら、当分抱えなければいけないのは自分なのだから。もしかしたら、下手したら、一生。
「……これは、八つ当たり、なん、だけれど、…………貴族というのが、わたしはこわい」
幼い頃の記憶が高速で蘇る。
母が、父が、わたしに覆い被さって、暗闇をつくったことがある。その記憶以降、彼らがわたしの世界に生きて出てくることはなかった。ぽん、と、チェスの駒を取り除くように、消えてしまったのだ。それで、この話はおしまいになってしまう。
だからこれは、後から聞いた話だ。今お世話になっている父方の叔父叔母から。繁忙期も終わった冬の明け、春先に、久しぶりに休むことができた母と父と帝都へ三人で遊びに行った時、貴族が運転させる導力車が突っ込んできたらしい。それからわたしを守ろうとして二人は亡くなったのだと。そうして、その事件は、揉み消されたとも。叔父叔母もきっと頑張ってその証言を集めてくれたのだろう。それでも、この帝国で身分というのは絶対だ。いくらすこしお金があったとしても、敵に回せるものは限られている。
わたしの世界から、わたしのたいせつな人たちはいなくなったのに、世界は相変わらず回っていて、意味が分からなくて、どうしようもなくて。
「……」
もちろん、アンゼリカにそんなことは関係がない。わかっている。理解している。それでも。
『貴族だからその振る舞いが許されているわけではない』とは、完全には誰にも言えないだろう。貴族というのはいるだけで"力"なのだ。たとえそれを相手に対して言語化などしていなくとも。事実、私は、問われるまで彼女の振る舞いを『力あるものの振る舞い』としていた。
本来であれば貴族というだけならここまで恐怖も抵抗感も抱かないけれど、アンゼリカは条件を満たしてしまった。双方にとって運が悪かった、ということなんだろう。
「そう、か」
思い出話などは特に語ってはいないけれど、私の様子と言葉で、何となく何があったのか察したようだった。そう、察することができるぐらい、"よくある"話なのだ。それでもたとえどれだけ起きていたとしても私にとっては巻き戻せない一回だった。ただ、それだけ。
沈黙が落ちる。
結局私も何を言われたいのか、言いたいのか、わからない。ずっとあの頃から心はぐちゃぐちゃなままなんだ、と改めて突きつけられたような気がした。
「まず一つ」
しばらく考えていたのだろうアンゼリカの声が真っ直ぐ飛んでくる。私はいまだに顔をあげることが出来ないで、ぎゅ、と自分の手の指先同士を絡めて掴んだ。
「話をしてくれて、ありがとう」
ありがとう。
理解語彙ではあるけれど、浸透するのに、すこし時間がかかった。
「自分の行動を完全に変えるのは難しいが、君に対してそれを行わない、というのは私の裁量内で確実に出来る約束だ。今まで不快な思いを、そして我慢させてしまったことを、申し訳なく思うよ。すまない」
その誓いに、すこし、肩の力が抜けたような気がする。ああ、私は、ことここに至っても、彼女が私に勝手に触れてくるのではないか、と警戒していたのだ。
「だが、関わらないというのは、無理だろう」
俯いたまま聞いていた言葉がそう続き、思わずすこし目を見開いて相手を見る。空色の瞳と視線がかち合う。関わらない話に、どうしてなるのだろう。
けれど私の驚いた顔をとんでもないことを言い出した的な否定だと見たのか、珍しく一瞬視線を横に滑らせて、口を開く。
「ARCUS試験運用において、私はいま戦術リンクの決裂を2つ抱えている。そして君への影響を考えると抜けるべきは私の方だ。けれどそれは」
「────アンゼリカ、それは、違うよ」
声は、震えずに出た。
「ARCUSの戦術リンクは確かに画期的だけれど、それが繋げられる相手が限られるのも確かで、リンクの破綻さえも有用なデータになる。私はそもそも君にこの課題から降りてもらいたいなんて思っていないんだ。……その、いま驚いたのはそういう方向性の話になると予想していなくて面食らったというか」
ごめん、とフランクな謝罪が自然に口をついて。
「とにかく。これからも……いや、改めてこれから、よろしく、アン。でいいかな」
相手の利き手に合わせた手を出して、握手を求める。その手を見下ろして、一瞬、本当に一瞬だけ泣きそうな顔をした彼女は、だけど直ぐにその表情の形を潜めさせて、私の手を取ってくれた。
「ああ、よろしく、セリ」
────そうして、また、彼女との"繋がり"を把握する。
それはきっと戦術リンクを起動させた見た目としては何にも変わらないのだろうけれど、破綻する前よりもずっと上手くやれるような、そんな妙な確信があった。
「なぁ、セリ」
「うん?」
握手を交わしてもう戻ろうとしたところで、またもや引き止められる。見えた笑顔はわりととんでもないことを言い出しそうな気がして、憚ることなくすこし渋面を作ってしまった。
「せっかくだしちょっと確かめて行かないか、リンクを」
「え、まぁ、うん、いいけど。街道にでも出る? さすがに危なくない?」
とはいえ昼間だしまぁ教官の誰かに声をかけてから出る分には問題ないだろうか。
「いやいや、実は旧校舎の窓の鍵をこの間入った時にちょろっと外しておいてね。何かに使えるかもと思って」
"何かに使えるかも"……深くは考えないでおこう。
とりあえず手招きされるままに藪をかき分けて旧校舎のサイドへ回り込み、すこし高いところにある窓へ取り付いたアンはそれと多少格闘して開ける。ダイレクトに埃が落ちてきて、ごほ、と咳込んでしまった。
見上げた窓は開いていて、人一人が通る分には何ら問題ない状態を示される。
「……わるいやつだな~、君は」
「知っていてここを指定したんだとばかり」
「単に人が来ないところを選んだだけだよ」
「じゃあ入らないかい?」
「いや入るけどね」
友人とも言えない間柄の私たちかもしれないけれど、まぁ、他でもない自分自身が楽しそうだと思ったし、何より本当に今直ぐにリンクを試してみたくて、私も旧校舎の中へ入り込んだ。
「そういえば、課外活動中にクロウと何かあったのか聞いてもいいの?」
二人とも特に何も言わないし、別にそれで活動が困難になるほどの決裂を含んでいるわけではなかったので活動中の追及はしなかったけれどすこし気になってしまった。
話をしながらアンに飛びかかろうとしていたコインビートルを蹴りで吹っ飛ばし腹を見せたところで切り刻み、アンはアンで私の右後ろから来ていた飛び猫のキックを籠手で弾き返し掌底を喰らわせる。
「あぁ、あれはあいつの空虚な笑いがカンに触ってね」
「あー」
思わず声が出た。
「何だ、やっぱりセリにも覚えがあるのか」
「覚えがあるというか、何というか、こういう場面だからこう返しておく、みたいなテンプレート的笑顔の時はあるなぁって思ってたよ」
「そう、それだ」
靴についた魔獣の体液をすこし床で拭いながら、ダガーを持つ手の二の腕で汗を拭う。体液は別に拭わなくても魔獣と共に消えるのだけれど、まぁ何となくだ。
「それで円滑に行く人間関係だと思われているのが腹立つ」
「あは、アンらしいね」
さっき見た真っ直ぐな瞳を思い出す。気になったら真正面から行く性分なんだろう。それがたとえ貴族という立場で育まれたものだとしても、気質としては間違いなく彼女のものだ。
「ま、気長にやって行こうよ」
クロウはもしかしたら実はこの五人の中で一番面倒な相手だったりするかもしれないけれど、どうせこれから共に課外活動をしていく仲には違いない。その中で、何かに触れられる機会もあるだろう。それを見逃さず、手繰り寄せて、ぶつかって、そうして友人になれたらいいと、図々しくも考えてしまったのだ。
「もう! ふたりとも! 本当に本当に心配したんだからね!」
そうして例の落とされた穴を起動して二人だけで旧校舎を踏破していたのだけれど、うっかりうっかり、時間が経つのを忘れてしまっていたようで。仲違いしていた(ように見える)私たちが揃って二人ともいないということを危惧したトワが探しに来てくれたらしい。場所の特定はジョルジュが通信波の強度を探ることでしたとかなんとか。通信機能を使わずとも凄いなぁARCUS。こわい。そしてクロウも何でか知らないけれどいる。
そして私たちは旧校舎のロビーで並んで正座をさせられ、トワの言葉を粛々と聞いているというわけだ。普段怒らない人が怒ったらとてもこわいという言葉の意味を噛みしめるしかない。
「……でも、本当に良かったぁ」
ふにゃり。空気が弛緩し、膝をついたトワが私たちをやさしく抱きしめてきた。思っていたよりも心を砕かせてしまっていたのかもしれない。頬にやわらかな髪の毛を感じつつ、その小さな肩に手を置いて、心配かけてごめんありがとう、と。
こうして私のはじめての課外活動は、本当の意味で終わりを見せてくれた。
すごく疲れたけれど、でも、うん。この疲労感は悪くない。
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五月
05/17 自由行動日
07
1203/05/17(日) 自由行動日
一人新聞部と意気込むのもいいけれど、今の自分に必要なのは実体験ではない斥候技術だろう、ということで図書館に所蔵されている資料をこの間からずっとあさり続けている。
もちろん建物内外それぞれの索敵行動などのカリキュラムは予定されているのは知っているし、事前に配られているシラバスにどれくらいの時期に習うのかうっすら記載はされているけれど、六月。それでは遅いのだ。
開架されている資料はもちろんのこと、閉架資料にもアクセスがしたくて実技訓練担当であるナイトハルト教官と司書のキャロルさんの許可を頂いて書庫へ入らせてもらったりもした。
────ローランドさんですから問題ないとは思いますが、閉架書庫を移動させる際にはきちんと誰もいないことを確かめる、また棚の間に入る場合はストッパーを必ずかける、以上を徹底してくださいね。
そんな注意事項を毎回聞きながら、たまに棚の間に巣を作ろうとしているトマス教官を引きずったり、ハインリッヒ教頭に実技以外にもその熱意を向けたらどうだねと少し嫌味を言われてしまったり(奨学生の成績は満たしているのだから放っておいてほしい)、担任であるフェルマ美術教官の大判書籍を運ぶのを手伝ったり、案外閉架書庫は話題に事欠かなかった。
今日はそういうことはなく、よさげな山野と都市それぞれの斥候専門書が見つかったので数冊借りて鞄の中にしまい外へ。天気もいいのでキルシェのテラス席の軒先の影でのんびり読み進めようかと、珈琲を注文して腰を落ち着けた。
「おーっす」
ハンドサインの項目を読んでいると慣れた足音と気配が近づいて来て、横からわしゃわしゃと髪の毛を巻き込んで頭を撫でられた。もう慣れたものだ。何度腕を退かしてもしてくるのだからそろそろ諦めも入る。
「うん」
一瞬だけ視線をやってから、直ぐに紙面に視線を落として反応すると、反応わりぃなぁ、なんてボヤきと共に斜め隣に座られた。今の時間帯は軒先と黄色いパラソルの下はともかく、私の対面である商店街の道に近い席は影もなく眩しいからそういう選択をしたのだろうけれど、それにしてもここいいかぐらい聞くべきではなかろうか。まぁ、クロウにそんなことを言っても仕方ないのだろうけれど。
席に座るなら注文ぐらいして来なよ、と言うとすこし『そんくらいいいだろ』みたいな視線が返って来たので、目を細めて首を振った。するとため息を吐きながら自分の荷物を置いて行くので、どうやらちゃんと注文をしに行くらしい。
「あ、ついでにブレンド頼んで来てー。ミルクつけて」
「あいよー」
すっかり冷めてしまった茶色の液体を飲み干し、ぱたんと本を閉じて膝に置き、クロウの対面席に置いてある鞄から財布を取り出し珈琲代をクロウの席の方へちゃらりと置いた。ちょうど小銭があってよかった。
「頼んで来たぜ」
「ありがとう、お代はそこに置いといた」
本を膝に抱えたまま後ろに背を預け、目を閉じる。
そよそよ。ライノの白い花はとうに散り、目の前にある公園では緑が盛りになっている。五月特有の、涼しいようなくすぐったいようなあたたかさの風を頬と耳で感じるのは楽しい。葉っぱがこすれる音に、すこし里心がついてしまいそうになる。
そっと目を開けて顔を上げると、何やら赤いカードのようなものを弄っているクロウが見えた。
「そういえば今度の模擬戦、V組VI組の合同だよね」
「げ、マジかよ」
先週の話を聴いていなかったのか。サラ教官ならともかくナイトハルト教官ならそれを言い忘れることもあるまいに、たぶん余所事を考えていたオチとかだろう。
「普段背中預けてる分、クロウとは戦いたくないなぁ」
大きめな課外活動以外でも街道に魔獣が出たとかの届け出が学院へ舞い込み、それに私たち試験運用チームが駆り出されるということは、正直ちょいちょいある。便利屋扱いになっていないだろうか。……まぁとにかく、そういった際に、私の戦闘時の挙動を見る時間が多いのはたぶんこの男なのだ。
あ、でもこれって普段仲良くしているから戦いたくない、みたいな意味に取られないだろうか。全然違うけれど。むしろ隙がバレバレだから戦いたく……いやむしろ戦うべきかな。指摘されたい。敵に指摘されるより、敵の顔をした味方が指摘してくれるならこれ以上ない話なのだし。
「そうか? オレは戦いたいぜ」
前言撤回をしようとしたところで、にやり、と、お前の足を掬ってやると言わんばかりの笑みでそんなことを言われてしまい、なんだかすこしカチンと来た。宣戦布告と受け取っておこう。
差し当たって本でも読んでおこうか、とさっき閉じた膝のやつを机上に構えようとしたところで、机がコンコンと指先で叩かれた。顔をそちらに向けると、さっき弄っていたカードを扇のように見せられる。
「《ブレード》やらねえか?」
「……ブレード?」
聴いたことのない名称が出て来て首を傾げる。察するに、カードゲーム?
「あぁ。オレもこの間知ったんだけどよ、これが中々戦略性のあるゲームでな」
戦略性。すこし気になって、膝に置いていた本を鞄の上に置いてカード束を受け取った。いろいろな武器の絵が描かれていて、左上と右下に数字が添えてある。どうやら武器ごとに強さ?が違うのだろう。そして束の後ろの方には雷を纏った刀や、鏡などのいかにも特殊っぽいものが。
「……手札から武器を出したりして、場にある戦闘力で競うの?」
「お、イイ線ついてるぜ」
そう言いながら素早く自分の荷物を置いていた対面に座り直し、鞄からずるりと緑色のプレイマットを出して来るものだから、もしかして最初からここでやるつもりだったのでは?、と疑問符が頭の上に巡る。まぁいいか、とカードを使いながらルールを説明していくクロウの手元をぼんやりと眺めていた。
「ってことで、やろうぜ!」
「いいよ」
「よっしゃ」
本当に嬉しそうにガッツポーズをするクロウを、すこしかわいいと思ってしまった。時々ある空虚な笑いは一体なんなのかというほどに。それにしてもなかなかに楽しそうに説明をしてくれたので、数回ぐらいは負けても勝っても付き合おうかな、なんて。説明の途中で届けられた珈琲を口に含みながらそんな風に考えた。
「手札で結構ランダム性が出てくるね」
「それをどう使うかってのが面白いんだよなぁ」
「人によってファストで大数値を出したりとか、確かに分かれそう」
「そういうことだな。よっしゃ、行くぜ」
「あ、負けだ」
「カード配ったばっかだろ! 諦めんなよ」
「いやいや本当本当」
「……手札がオールボルトミラーとか見たことねえぞ」
「こういうこともある」
「いやねえわ」
「うーん、それ困るね」
「まぁ降参してもいいぜ」
「困るなぁ」
「言いながらボルト三連チャンとかエグすぎねぇか」
「私にこんな手を取らせた君が悪い」
そんな感じで、途中から街の子供もやって来て、大人げなくも真剣にやっている横顔を見たり喧騒を聞きながら、自分はお役御免らしいのでとりあえず戦況を眺めつつ本を読み進めることにした。まぁ勝負を年齢を理由にして手を抜くのは相手にも自分にも失礼だからさもありなん。
「これからどーするよ」
「どうって、いつも通り寮に帰ってご飯作るよ」
陽も傾き、建物の影も濃く長くなった時間帯。子供たちも帰っていった。
だいぶ読み進められた本を閉じて鞄にしまい、お店にカップを戻そうと立ち上がったところで、カードの傷を確かめていたクロウがそんなことを問うて来た。
「ああ、お前自炊組か」
自炊組。まぁそうなのかな。課外活動の帰りの日みたいなとても疲れている時以外はあんまり外食はする気にならない。けれど寮生によっては学生会館の食堂へ行ったり、それこそキルシェに寄ったり、かなり人による。そういえばクロウを台所で見ることはあんまりないなと思った。
「じゃあね」
鞄を肩にかけ、空になったカップとミルクポットを手に店内の方へ。
あぁそうだ。ブランドンさんのお店に寄って食材見て行こうかな。いくら一応巨大な冷蔵庫があると言ってもあれだけ寮生がいると各自が使えるスペースなんて微々たるものだし、間違って食べられてしまうこともある。
いつものようにドリーさんへカップを渡し(以前どっちが楽ですかと聞いたらどっちでもいいと言われたので好きにしている)、そのまま公園を挟んで向かいのブランドン商店へ。入ってみると、見慣れた人たちがそれなりにいる。一ヶ月で結構ここに寄る寮生も固定化されて来たなぁ、なんて考えながらカウンター前に置かれている看板の生鮮食料品の本日の値段を見た。
……鶏肉が安い。トマトも安い。すこし多めにトマト煮を一気に作って、今日明日のご飯にしてしまおうか。煮込み料理はたくさん作った方がいい。主食はご飯を炊いて突っ込んでリゾット風でもいいけれど、穀倉地帯ケルディックが近いおかげかトリスタはパンが結構安く手に入るのですこし悩んでしまう。ああでも最近魚食べてない気がするなぁ。
「シチューとかどうよ」
「……」
店内に気配が入って来たかと思ったら、真横からそんな言葉が落ちてくる。見上げると今日は本当によく見た赤い瞳が私を見下ろして、にっ、と笑って来た。
「つーかお前本当に驚かねえなぁ」
「わかってる気配にどう驚けっていうのさ。鶏肉のトマト煮でいい?」
「おう」
ため息を吐きながらカウンターに進んで、鶏肉とトマトとパン、その他あれこれを多めに買う。すると店主のブランドンさんが、あ、と何かに気が付いたかのように感嘆詞を落とした。
「あんたら新型導力器の試験運用チームだかなんだかに入ってる人だろ? 魔獣退治とか助かってるからな、オマケ入れといたぜ」
「えっ、いいんですか、ありがとうございます」
「なんのなんの」
魔獣討伐はそれはそれで実技授業の加点になっているらしいのでそれだけでも別にいいのだけれど、こうして街の方に直接感謝されてしまうと、なんか、なんというか、面映い。
照れながら会計をして紙袋に入れてもらった食材を手に持とうとしたら、半分以上をクロウが持っていく。まぁ持ってくれるというならお言葉に甘えようと思う。いや、というかこの流れだと作るの私なんだし全部持ってくれてもいいのでは?
ほんのすこしだけ腑に落ちないものを感じながら、夕暮れの商店街をゆるゆる歩いていく。普段は隣にない影が一緒というのは、なんというか不思議な感じがした。
「というか普段別にご飯一緒に食べてるわけでもないのにどういう風の吹き回し?」
「んー。ま、なんとなくだな」
なんとなくで人の晩のメニューを決めないで欲しい。概ね決めかけてはいたけれど。
寮に着き、両手が塞がっているクロウの代わりに扉を開けて二人で台所へ進む。まだ夕食にはすこし早い時間だからか他に人はいない。台所のど真ん中にある大きな作業台に紙袋を乗せ、手を差し出した。
「折半」
「はいよ。……わり、300ミラしか入ってねえわ」
後ろポケットから長財布を取り出した相手は困った風に笑いながら、そう。
「ってぇ!」
「あっ、ごめん」
思わず脇腹に平手が飛んでしまった。いや、君、財布の中がそんなことになっているなんてキルシェで注文した時にわかっていたことだろうに。明らかにそれ狙いじゃないか。しかしうっかり申し訳ないことに叩いてしまったけれどそんなことをしても仕方ないわけで。どうしよう、この食材。他の寮生に割安で譲るか、それとも大量に作って料理にしたところで譲るか。
取り敢えず手を洗って着替えてエプロンつけて下ごしらえを……。
ふと思いついたことに対してすこし逡巡し、ARCUSを取り出して発信した。
二時間後。
「ただいまー。セリちゃん、なにか手伝うことある?」
「やあ、ご相伴に預かりに来たよ」
「そんなわけで僕も」
「おかえりー。もう直ぐ出来るから寮生二人は先に着替えて来ていいよ」
トワに連絡をしたところちょうど三人とも一緒に居たようで、経緯を説明して夕食を一緒に食べないかと打診してみたのだ。アンが普段食事をしている第一寮の噂を聞く限り誘っていいものかどうか、とすこし悩みはしたけれど、嫌なら断るだろうと思ったら来た。
火にかけた鉄鍋に視線をやりながら、後ろ……貴族制服のアンへ声をかける。
「言っておくけどただの鶏肉のトマト煮だからね、アン」
「フフ、それが楽しみなんだよ」
多少野菜は多めに入れてとろかしてはいるけれど、家庭料理中の家庭料理だ。叔父さん叔母さんが森での指示だしとかでくたくたになって帰って来たときに、肉も野菜も一気にどっと取れるということで重宝していた料理ともいう。
コトコトコトコト。五人分の煮込み料理はさすがに量が多い。でも煮込み料理、本当に量を一気に作った方が美味しく出来るんだよなぁ。今回は時間かけられなかったけど、もしコンスタントに五人で食べられるなら大量作成が美味しいご飯をもっと作れるかもしれない。たとえば……カレーとか。これから暑くなる季節だし悪くない。うん。もし誰か得意な人がいたらそっちに任せるのもいい。
「で、そのクロウは? 見当たらないけど」
「セリちゃん、何か手伝うことある?」
どうやらさっさと着替えて来てくれたようで、ジョルジュとトワも台所に入ってくる。食器出したり、焼いたパンをトースターから乗せてー、と指示を出すと二人はさっと取りかかってくれた。
「ちなみにクロウは『金欠なら魔獣狩ってセピス稼ぐ?』って冗談言ったら出て行った」
「えっ、大丈夫かなぁ」
「まぁしかし、そうそう遅れは取らないだろうさ」
私もそう思う。死にかける前に離脱するぐらいの力はある。筈。たぶん。……いや大丈夫だよね?そういえば出て行ってからしばらく経っているような気がしてすこし背筋が寒くなる。
「おーっす」
噂をすればなんとやら。玄関の方からいつもの気怠そうな声が聞こえて来た。ほっとする。
鍋の中身もいい頃合いだ。器によそっていくと、アンがトワから渡されたらしいお盆に乗せて食堂の方へ運んでいく。たぶんパンも既にそっちの方へ行っているだろう。
エプロンを脱いでぐるぐるとまとめて食卓の方へ自分も向かう。
「お、いい匂いじゃねえか」
「クロウ君、ちゃんとお金は払わないと駄目だよ?」
「わーってるわーってる」
手を洗ってちゃっかりと食卓についているクロウに四人でため息をつきながら、冷める前にご飯にしようということで手を合わせた。いただきます。
「ん、美味しい!」
「ああ、かなりイケるぜ」
「かなり素材の味が強いけれど、これはこれでオツなものだ」
「ホッとする味だね」
口々に褒めてもらえて、良かったと胸を撫で下ろす。ありがとう叔父さん。私が料理を頑張り始めた頃にこれは覚えておけ、これは自信ある、ってすごく丁寧に教えてくれて。おかげで今や得意料理です。
「よかった、西の味付けだから合わない人もいるかもと正直思ってた」
「セリちゃん西部の出なんだ」
「うん。林業が盛んなティルフィルっていう街で、綺麗なところだよ」
ティルフィルの人間は森と共に生きて、森に生かされてきた。林業だけでなく木造工芸品なども盛んで、石の扱いではバリアハートには及ばないけれど木工に関しては帝国随一の職人街も築かれている。
「えへへ、こうしてみんなでご飯食べるの楽しいねえ」
何のてらいも含みもない楽しそうな表情でトワがそんなことを言うので、そうだね、と私も自然に笑みと言葉が零れた。ちょっとした大きな家だったので、働き手の人とご飯を食べて賑やかだったりした夜を思い出す。
「可能ならまた集まりたいものだね」
「ああ、いいんじゃないかな。得意料理もそれぞれ違うだろうし」
「そうだね、みんなの料理食べてみたいかも」
「それなら課外活動で倒した魔獣から拾ったセピス塊とかを共同財布に入れて、そこから材料費を出すとかどうだろう」
「お、それいいな」
今のところ持て余していたセピス塊などの使い道を思いついて提案すると、クロウを筆頭にみんな同意してくれた。よしよし。じゃあ今回のはそこから貰おう。クロウは命拾いをしたなぁ。
「そういえばさっき、着替える前にトワの左腕に青い腕章があったけど」
話題が一段落したのでふと思い出した疑問を口にする。記憶違いじゃなければ、あれは生徒会の腕章じゃなかったろうか、と。もしかして。
「うん、生徒会に入ることにしたんだ」
「課外活動やりながら、生徒会?」
望みをかけながら平常を装って問うてみると、大きな瞳をすこし瞬かせて、相手は肯く。
「そうだよ」
「……勧誘されたからってそこまで茨の道を進まなくても」
「それは私たちも言ったのだけれどね」
課外活動を一緒に続けられるのは嬉しいけれど、人間、体が二つあるわけでも作れるわけでもないのに、とすこし心配になってしまう。それでも、トワは真っ直ぐ私を見つめて、にこりと静かに笑った。
「無茶かもしれないけど、どっちかしか選べないわけじゃなかったから」
「真面目かよ」
課外活動だけの道でもなく、生徒会だけの道でもなく、両方やる第三の道。
どこにそんなポテンシャルがあるのだろうかと不思議になるけれど、それでも彼女の能力の高さは私たちが一番よく知っている。そしてそれをきっとやり遂げられるだろうことも。
「そっか、決めたんだね」
「うん」
あの夜のことを、あの馬の背でのことを、思い出す。今はもう、揺らいでいた彼女の姿などどこにもない。なんだか妙にそれが嬉しかった。
それなら私は傍らで応援させてもらおう。この凸凹の仲間たちと一緒に。彼女の道を。
もらったオマケはキウイで、みんなで美味しく食べた。
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05/25 クラス合同訓練
08
1203/05/25(月) 放課後
「はい、これが今月の課外活動の詳細ね」
自由行動日も終わったしそろそろかなと思っていたら、すこし遅い日付でミーティングルームに呼ばれ、いつもの面子でサラ教官の楽しそうな表情を眺めることになった。何かあったんだろうか。まぁいいか。
とりあえず渡されたレジュメに目を通すと、今度は打って変わって西のラマール州にあるグレンヴィル市。リーヴスとミルサンテのちょうど真ん中にある街だ。南にトリシュ川をいただく田園風景が綺麗で、ミルサンテのガラ湖と並んでちょっとした観光資源になっているそれなりに大きい街のはず。
「往復はしやすいけど、向こうの市長さんが話したいことがあるみたいで今回も前日から出発を予定しているわ」
それじゃあね~、とまた説明もそぞろにサラ教官はミーティングルームを去っていく。こういう事態になるだろうと思って予め持ってきていた帝都全土の地図を机に広げ、全員でそれを見下ろした。
「今回は鉄道沿線の街かぁ」
「大陸横断鉄道本線で、帝都乗り換えでラマール行きに乗って総二時間ぐらい?」
「乗り換え含めてもそんくらいなのか」
放課後すぐに出たら18時頃には到着出来るだろうか。まぁラント到着と似たような感じだけれど、街道を歩いての二時間と鉄道乗り継ぎでの二時間はワケが違う。
「……これ鉄道のチケットも手配自分たち?」
基本の疑問を呟くと、全員一律で若干不安があるような顔をしてしまい、そういった事務的なことにおいてはサラ教官への信用がないというのがありありとわかる。
「さすがにお金は学校から出る……とおもう、けど……、うん」
「サラ教官よりマカロフ教官に聞いた方が良さげだね」
「なんだ、じゃあジョルジュが聞くのが早いじゃないか。兄弟子なんだろう?」
「そうなのか?」
「……まぁあの人からの無茶なオーダーに付き合わされてた同士ではあるかな」
この一ヶ月半でその温厚さがようくわかったあのジョルジュが、うんざりしたような表情を見せるというのは大層珍しいのではなかろうか。G・シュミット博士、三高弟の一人であり今でも精力的に活動されている高名な研究者の方で、ゼムリア大陸で最も有名な人に数えられる。導力革命辺りの話は日曜学校でもやっていたし、たぶん。……まぁ日曜学校が普及していない地域もあるのであまり言うとあれかもしれないけれど。
「なら確認するのは、チケット、風土、周辺地域の魔獣、出来れば地図、の四つかなぁ」
「じゃあトワ以外で巻き取ればいっか。私が風土やるし」
「そうだね。じゃあ僕はチケットについて」
「ならオレは地図」
「一番簡単なのを持って行ったなクロウ。まぁいい、魔獣を調べるさ」
流れるように、まるで打ち合わせでもしていたかのような速さで各々分担を決めていく。トワだけが、えっえっえっ、と狼狽えているのだけれど、まぁたぶんみんな考えていることが似ているってことなんだろう。
「生徒会、忙しいんだろ?」
ぽん、と頭で弾ませるようにクロウがトワの頭を撫でる。そう。トワは本当に忙しくなっているのだ。生来の気質に加えて、生徒会故に見えるもの、生徒会故にやらなければならないもの、権利があるからこそ出来るもの、そういったものが見えてしまい、そして見えたものを放っては置けない。それで最近帰りが遅いというのはもう全員承知している。
「あ……」
「大丈夫大丈夫、資料集めるぐらいさすがに出来るって」
そこまでトワに面倒を見てもらわないといけないというのは、同学年として情けない限りだ。
「うん、じゃあ、お願いしちゃうね」
誰かに寄りかかるのが苦手だろう彼女が、そう言ってくれる。個人的にはそれがすこし誇らしかったりするのは、おかしなことだろうか。ううん、そうでもないと、思う。
「私は麗しのトワのお願いならいくらでも聞く準備はできているけれどね」
「はいはい」
アンとジョルジュのいつものやりとりを見つつ、私たちはミーティングルームを後にしてそれぞれやるべきことに足を向けた。
「ミヒュトさーん」
「帰れ」
図書館でグレンヴィル周辺ついて調べてから、トリスタ商店街の外れにある質屋に顔を出すと店主であるミヒュトさんは新聞を広げタバコを咥えたまますげないことを言い放った。
「開口一番に酷くないですか。……って、ジョルジュがいる」
確か教官室にマカロフ教官はいなかったみたいだけれど、見つかったんだろうか。まぁいいや。クロウならともかくジョルジュが疎かにしているとは全く思わないし。
「持ち込まれたラジオの修理を頼まれててね。セリは?」
「ミヒュトさん妙に物知りって話だから、今度行くグレンヴィル市で何か起きてるとか知らないかなと」
街の人から噂を聞いてちょいちょい立ち寄って何かを買ったり話を試みたりしているのだけれど、どうやらそろそろウザいらしく、わりとさっきのような応対をされることもままあったりする。客を追い返すのはどうかと思う。
「は? グレンヴィルに行くのかお前ら」
けれど、思っていた以上の反応が返されて、二人で真顔に。
「それ、どういう意味ですか」
「あー、いや、用心して行けよ」
クックック、と笑ったっきり、ミヒュトさんは黙ってしまった。あぁこれはもう教えてもらえないなと判断して、ちょっと使いそうな消耗品でも適当に買って行こう、と棚を見たところで"それ"が目に入った。透明なケースに入った赤いカード。
「……」
「それ買ってくなら500ミラだぞ」
目線の先を目敏く取られてしまい、一瞬悩んだところで、包んでくださいとお願いしてしまった。なんの確信があるわけでもないけれど、たぶん、あいつが流したんだろうな、なんて。とはいえ楽しかったのは事実なので、まぁ気が向けば布教に力を貸すのもやぶさかじゃない。
ちゃりんと500ミラを払い、適当な紙袋に入れられたカードを手にジョルジュと一緒に店を出た。夕方の、影が伸びる商店街をゆるゆると歩いていく。
「さっきの反応、気になるねぇ、ジョルジュ」
「うん。他の三人にも共有しておきたいかな」
グレンヴィル。州の境というわけでもなく、現状政治的にそこまで不安定という感じでもなさそうだし、あれは本当にどういう反応だったんだろう。というか、やっぱりミヒュトさんってそっち系の仕事を生業にしている人だったりするのだろうか。確定事項でも言いふらすことでもないから口にはしないけれど。
「セリはこれから寮に?」
「うーん、そうしようかと思ったけど、端末室使えないかなぁ」
「あぁ、導力ネット」
「そうそう。まぁでもそんなに繋がってる場所もないから手に入る情報もないかぁ」
授業で使わせてもらっている端末室や導力ネットは技術の進歩の賜物だと思う。離れた場所にある情報を、取得できる。それも通信機よりずっと遠くまで。もちろん、それが偽証であるということも考えなければならないけれど、とにもかくにも、革命とも言っていいレベルのものだ。
「……技術棟の使うかい?」
「えっ、あるの」
「うん。ルーレにある工科大学とすこし連携したりしてるから、その関係で」
「じゃあ貸してもらおっかな」
ピアノをやっていたせいか、端末のキーボードはあまり苦じゃなかったし。同級生にはまだキーボードを見ながら打っている人もいるので、大変だなぁと思う。それでもあれだけ高価な端末を生徒に触らせてくれるというのは、本当にいい学校なんだなとしみじみしてしまうほどだ。まぁ戦争によって技術が発達するというのは世の常なのだろうけれど。軍事大国というのは、そういうことだ。
「そうだ、例の導力器、何かわかった?」
「構造解析はしたけど、さすがに市販で出回ってるものじゃない、ってくらいかな」
「フルスクラッチ?」
「というよりは、いろんなものをつなぎ合わせてだから応用系かな」
「そっか」
フルスクラッチなら逆にその技術の出所と流出を考えて、技術者の動きから何かわかったりするかもしれないと思ったけれど、応用系だと範囲が広すぎてさすがに絞り切れる気がしない。
「でも、ツギハギ部分がすこし雑だから、専門の技術者じゃないかもしれないね」
やっぱりジョルジュは私たちが見えているものとは全く異なる観点で物事を見られるので、本当にチームにとって要だと思う。そういう点で、自分は何か担えているだろうか。……まぁあんまり気にしすぎても空回りするだけだし、斥候に関してはそれなりに頑張っていると思う。うん。でもまだまだというところも自覚しているので向上あるのみだ。
「わからないものはしょうがない、か」
「気にはなるけどね」
そんな風に言いながら技術棟へ二人で向かい、端末でネットに潜っては見たけれど、結局『わからない』ということが分かっただけに終わってしまった。まぁグレンヴィル自体がそういうネットが発達した場所ではないので、さもありなんなのだけれど。
1203/05/27(水) 二限目
カメラポーチをロッカーに押し込んで、足の端末ケースと腰に乗る武器の重さだけを確かめながらグラウンドへ向かうと、珍しくクロウが遅刻もせずにそこにいてV組の面々と楽しそうに話していた。……あ、でもまただ。アンゼリカに殴られたとはいえ、妙な笑顔は健在で、すこし次の課外活動が心配になってしまう。せめて目の前で殴り合ってくれたら止められるのだけれど。
階段を降りていくところで相手も気づいたのか、ぱちん、とウインクをされてとりあえず手を振っておいた。隣を歩いていたおなじクラスの人からは、あれクロウと知り合い?大丈夫?、と心配されてしまい、まぁいいところもあるんだよ、とだけはフォローしておいた。駄目なところもあるけれど。
「今日はそれぞれにとって初めての相手と戦うことになる。とはいえ部活動で戦っている者、また共闘している者もいるだろう。それによる隙は思う存分突いて戦うといい」
整列した二組の生徒たちの前で、クリップボードを持ったナイトハルト教官が私たちを見据える。通常授業でも手を抜いたら即容赦なく《剛撃》の名に違わず叩き伏せてくるのだから、ここでも友人同士だからといって和気藹々行動をしてしまったら容赦のない檄が飛んでくることだろう。うっかりすると物理的なものが。
挙げられた手に合わせ、ザッ、と全員揃って爪先を90度動かしV組とVI組が向き合った。この一ヶ月でだいぶ訓練されてきたと思う。
「なお、スリーマンセルで行うが、このクラスには一部戦術オーブメントが異なる者もいるため、それも含めて対戦相手は考慮している」
言われて、対面に並ぶV組の後ろの方にいるクロウと視線が合った。あ、どうしよう。戦術リンク切断していない気がするから、ARCUS起動したらうっかり敵同士でリンクが繋がってしまうかもしれない。そんなことが筒抜けているのかいないのか、にやりと笑ってきた相手にはすこしだけ目を眇めて対応しておいた。
「第一組は────」
「第三組!」
同級生たちの戦いを見ながら、あそこでなら自分はどう動くだろう、なるほどそう動く、動ける、といろいろ勉強させて貰っていたところで、クロウの名前が呼ばれ、対戦相手として当たり前だけれど自分の名前も呼ばれた。
こちらの構成としては大剣・片手剣・導力銃でバランスがいい。向こうは重槌・双銃・短剣だろうか。クロウは短剣より前でありつつもやや後ろに位置しているとはいえ、フィジカルの強さから前へ突っ込んでくる可能性があるし、後衛にスイッチする臨機応変さも兼ね備えている。ただ戦い方を知っているからこそ警戒が引っ張られてしまうけれど、情報を知らない相手は一番おそろしい。────戦術リンク、OFF。
逆手ダガーと片手剣を構え、横にいる大剣の同級生にアイコンタクトを。速攻で前衛を叩き潰す。ただしクロウが直接牽制してくるだろうからそこをどうやっていなすかだろうか。
「構え! ────始め!」
戦闘開始し暫くしてお互いの後衛が相打ちで倒れ、先にこちらが相手の重槌を持つ前衛を倒したっていうのにヒットアンドウェイのクイックスイッチが上手いクロウへ致命傷が与えられずにこちらのもう一人も削り切られてしまった。
「────っ」
剣の腹で銃撃を受け、奥歯を噛み切りなんとか耐える。あと一撃。お互いそう思っているのか距離を取り、息を整える。背筋を通る汗が気持ち悪い。赤い瞳が私を射すくめてきて、嗚呼、普段魔獣たちはあんな瞳で見られているのかと思ったらなんだかすこし羨ましくなってしまった。こんな感情、戦場では笑い話にしかならないけれど。
ふ、ふ、ふ、と呼吸をクロウと、かさね、て。
瞬間、飛び出して銃弾が頬を掠めるギリギリの脇を通り過ぎ、奇策として地面に手をつき側転の要領で持ち上げた足でクロウの片腕を引っ掛け全体重をかける。銃を使うにもARCUSを使うにも腕が取られているというのは対応できないだろうし、あわよくばそのままバランスを崩してくれという賭けも あった。
結果は。
思いの外相手の体幹が強く、逆に絡ませた足を肘に挟まれぐるりと回転、からの、背中に衝撃。がは、と息を全部吐き出してしまい意識が体に追いついた時には、青空を背景にして汗だくのクロウが傷だらけになりつつも逆光の中で笑っていた。喉に押し付けられた導力銃の、ひやりとした感触だけが現実感のあるもので。
「そこまで!」
教官の無情な声と共にクロウが退き、既に出番が終わった生徒たちが飛び出してきて他の戦闘不能勢を回復したり起こしたりしている。まだまだ後のグループもいる、とさっさと退場するために軋む上体をなんとか起こしたところで、手が差し出された。当たり前のように。印象や見た目よりも分厚いそれに自分の手を重ねながら、私は自分の敗北をまざまざと思い知ることになったのだ。
「ひっでえ顔」
夜中、喉が乾いて階下の食堂奥にある台所へ水を飲みにきたところで、Tシャツにラフなズボンのクロウが入ってきた。階段上付近にいるあたりから気配はうっすらわかっていたけれど、わざわざ煽りに来たのだろうか。私が導力灯をつけていなかったせいか向こうもつけるつもりはないらしく、窓から採光される月だけが唯一のあかりになる。
そんな暗い食堂の入口に肩を預けて、奥まった冷蔵庫前の私への一言がさっきの言葉だ。
「……」
ごっごっごっ、とコップ一杯を飲み干し、即片手に持ったままの水差しから次を入れる。またごっごっごっ、と勢いよく飲み干した。こういう時にお酒が飲める年齢でなくて本当に良かったと思う。負けて酒を盛大に飲む人間になりたいとは思わないけれど、うっかり手を出してしまう弱さがあるかもしれない。成人までにそういう節度を持つ強さを持ちたいものだと切に考える。
────というより、自分が、こんなに負けず嫌いだとは思わなかった、とも、言う。
「正直危ないと思ったぜ」
当たり前のように食器棚からコップをとり差し出してくるので、とくとく、とそこに注いだ。あんがとさん、と涼しい顔でクロウはそれを飲み始める。私はと言えば水差しの中身を補充するためにヤカンに水を汲み蓋を閉めてコンロにかけた。
ゆらゆら揺れる炎の前、暗い部屋の中、コンロの前で作業台に体を預けながら並んでいる。
「……術者への駆動解除の判断を早いうちに下すべきだった」
「そうだな、お前ならそれが出来たろうよ」
「あともう一人の前衛のフォローに入れなかったのがなぁ、痛かった」
「存分に動かれると面倒だってのは百も承知だったからな」
ちみちみちみちみ、水を飲みながら今日の反省点を上げていくと的確に答えが返ってくる。あぁもう本当に、こういう感想戦が存分に出来てしまうところが、にくい。いつもちゃらんぽらんなら覚えていないと言ってくれたらいいのに。
「しかしあんな簡単にぶん回されるなんて想定が完全に甘かった」
「思ってるより鍛えてるだろ」
「うん」
ちらりと横を見上げると、普段髪の毛を上げているバンダナがないせいか平素より少し大人びて見えた。1~2歳ぐらい。いや、それはさすがに言い過ぎか。顔から視線を下ろして、シャツの袖から覗く二の腕を見る。うん、確かに。普段制服で隠れているけれどこうしてみるとなかなかに自分との差を感じた。存外胸板も厚い。
「ウェイト差はどうしようもないなぁ」
すこし落とした頭の両の目頭を、空いている手で押さえ支えて嘆いてしまう。回避メインにしている自分にとって体重を増やすのはあまりよくない選択肢だ。攻撃を与えるためにある程度の体重は必要だとはわかっているけれど、体重が増えたときの、あの、自分の体がうまく動かない泥のような感覚が本当に好きじゃない。感覚が果てしなく狂ってしまう。
まぁそれならそれで体重を使う博打なんて打つなという話だ。情けない。判断を誤りすぎている。あの時の自分は、賭けるなら導力銃を叩き落とす方にベットするべきだった。
「ま、お前はそれでいいと思うし、隙はオレが潰してやるっての」
ぐしゃぐしゃと髪の毛を掻き乱されて、ここでもされるがままというのは多少腹が立ったのでその腕をすこし前にしていたみたいにしりぞける。その時に見えた笑い顔が、そうそう、みたいな表情だったので、つられて私もすこし笑ってしまった。
「次は勝つよ」
「期待しとくぜ」
かちん、と今更ながらお疲れの乾杯をして、沸騰した水を暫くそのままにして火から下ろすまで、他愛のない話を私たちは続けていた。
……あーあ、それでも本当に、悔しかったなぁ。
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08.5
夜中、《C》としての活動を行なって帰ってきたところで、上階から誰かの歩く音が聞こえてきた。まさか気付かれたのか、と若干、ほんの薄い膜程度の警戒をしたところでその足音が更に降っていくのがわかる。探った気配はよく見知ったもので、なんとなく好奇心がもたげた。
薄暗い廊下を通り、階段を軋ませないよう降りたところで食堂の扉の向こうにあるのは明確なそれだった。月の光だけが照らすロビーを通り扉をあけてみると、これまた薄暗い食堂からカウンター向こうにある台所で水差しとコップを持ったそいつがオレを振り返る。昼間に組み伏せた相手だ。
「ひっでえ顔」
実のところ暗くてあんまり見えちゃないがそう笑うと、そいつは無言で水を煽る。一杯、二杯。煽り酒ならぬ煽り水と言うべきか。
「正直危ないと思ったぜ」
だけどこれは素直な言葉だ。
自分も台所の方へ向かい、棚からコップを出して水をねだると、何も言われないまま水を注がれた。お人好し。たとえ負けたとしてもそれで八つ当たりできないっつーのは、まぁ人がいいと言うか、倫理観があると言うか。正直ムカつくところもである。
水差しの中身が心許ないのか、隣の奴は三杯目の水をコップへ汲んだあたりで一旦それを置いてヤカンに水を入れ火にかける。ヤカンをちろちろと舐める炎の前で、二人して馬鹿みたいにぼんやりしちまった。
「……術者への駆動解除の判断を早いうちに下すべきだった」
唐突な言葉に一瞬面食らったが、なるほど、と喉の奥で笑って同意する。もしかしてこいつ、ずっとあの戦闘を頭ん中でリフレインしてたのか。学院生にしては悪くねえと思うけどな。……俺も応えてやろうってそれなりにやる気出しちまったし。まぁ双刃剣ならそういう場面になることもなかったろうけどよ。
あの最後に相対した、一瞬。獣のような瞳にすこし胸を突かれた。あんな表情をしているのかって。絶対に負けたくねえっていう気概が、闘志が、実直さがあそこにはあった。
その上で、地面へ叩き落とし銃口を突きつけた時に見えた、呆然としたところからの悔しそうな顔ったらなかった。差し出した手を取るときの自分への情けなさを噛み潰したような表情も、お前なんだろうと。
「しかしあんな簡単にぶん回されるなんて想定が完全に甘かった」
「思ってるより鍛えてるだろ」
「うん」
想像以上に素直に返されて、そういうところなんだよなぁと思っちまう。薄い身体。細い腕。それだから故の身軽さ。防御力の紙さ。だっていうのに負けん気だけは人一倍で。その小さい背中を俺はトワの隣でこの一ヶ月見続けてんだ。
だからお前がキルシェで『戦いたくない』って言った時、そんなんぜってえ嘘だろって思ったもんだ。結果はこの通りなわけだが。自覚のなさは危うさに繋がる。だけど。
「ま、お前はそれでいいと思うし、隙はオレが潰してやるっての」
言いながらぐしゃぐしゃと頭をかき回すと、そんなことをしてくるな、と言わんばかりに腕を退かされる。懐かしい行動に笑っちまって、相手もほんの僅かに笑っていた。
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05/30 第二回特殊課外活動1
09
1203/05/30(土) 放課後
結局、チケットはこちらで手配しつつ請求は学院の方へ、という取り決めをして鉄道の駅へと向かった土曜日。サラ教官は本当に事務作業向いていないのだから、こういうことの取りまとめは別の人がやったほうがいいのではなかろうか、なんて考えてしまう。
もちろん、サラ教官が無能ということはない。実技訓練においては大変勉強をさせてもらっている。この間なんてナイトハルト教官に斥候技術について更に指導を乞うたら、「自分は軍人であり複数人で行動する者であるから、教わるのであればバレスタイン教官の方がいいだろう」という水と油のような二人ではあるけれど実力を認めているような発言がされた。
そして実際に個別指導を頼んだら妙に乗り気になった教官に街道に出てコテンパンにされたのも記憶に新しい。クロウにしてやられた記憶もあってすこし落ち込んでしまったけれど、そんな暇はないのだとも思った。教官が強いなんて当たり前で、私たち士官学院生はいかにその技術を盗むかだ。でもやっぱりクロウのチームに負けたのは悔しい。非常に。
そんな他愛のないことを思い出しながら、私たちは鉄道員のマチルダさんに見送られ二番線のホームから帝都行きの列車に乗り込んだ。
グレンヴィル市──帝都のほぼ真西にあるラマール州の都市だ。
"市"とつくだけあり、前に行ったラントより規模が数倍で学校なども独自に設立されている。トリシュ川が南にあり、そこを水源とした田畑も広大でかなりの自給自足がなされている、第一次産業と第三次産業のバランスが良い都市らしい。
鉄道で更に二~三十分ほど西に向かうと湖の宿場町ミルサンテもある。その名の通り、目の前には美しいガラ湖や大滝、天気が良ければグレイボーン連峰を臨むことが出来る観光地として賑わっている町だ。出入りのしやすさや宿の多さから、ミルサンテではなくグレンヴィルで宿を取る人も多いのだとか。
ちなみに政治的軋轢はないように思われるが、周辺情報に明るいらしい質屋のミヒュトさんが妙な反応を見せていたので、警戒するにこしたことはない。
「市長さんがお話があるってことだから、到着したらまず市庁舎へ向かうね」
ボックス席でトワが広げた街の地図を見る限り、駅からまっすぐの大通りを行けば市庁舎が見えてくるような位置関係なので迷うことはないだろう。
「にしても鉄道のおかげで前回のラントと似たような時刻に着けるけど、今回はすこし遠くなったね」
帝国国土省が出している地図上の距離にしてみると4~5倍はあるのではなかろうか。もしかしたら日曜日だけでなく前日の土曜日まで公欠にさせられる課題などが出てくるのでは、とすこし背筋がうすら寒くなる。まぁ大変になるというのはもちろん覚悟の上ではあったけど。
「ああ、鉄道沿線なだけマシという考え方もあるんじゃないか?」
「それは本当にそう思うよ」
アンやジョルジュが口々にこの課外活動についていろいろ喋っているところで、ちょうど対面に座っているクロウが妙に考え込んでいるのが見えた。
「どうしたの?」
「ん、ああ、ミヒュトのおっさんが驚いてたってのが気になってよ」
うん。それは本当に気になる。きっと確証のない情報であんな反応はしない人だ。ただ惑わせるようなことをするとも思えない。食えない人ではあるけれど、虚偽を掴ませるというのはいろいろリスクもあるからだ。
「頭の片隅に入れておくべきことだけど、それに囚われるのも良くないよ」
トワがそうまとめ、確かに、と頷いたところでクロウが「じゃあブレードでもやっか」とカードを唐突に取り出してきた。本当に布教に余念がないなぁとすこし笑ってしまうのも仕方ないことだろう。どれだけ好きなのか。
18時過ぎ。グレンヴィル駅を出ると、目の前に夕焼けに照らされた大通りがすきっと入った街構造が目の前に現れ、なんだかすこしだけ帝都に似ているな、というのが第一印象となった。太陽が沈んで行くところから、大通りの方角が東西だというのがわかりやすい。ラマール本線も西に抜けていくので、鉄橋の上から街を眺めるのもなかなかに壮観そうだ。
余所事を考えていてもトワが地図を見ながら先導してくれるから、そのまま五人連れ立って歩いていく。学生自体はそれなりにいるのだけれど、やはり見たことのない制服集団が歩いていると注目を集めてしまうというのは仕方ないかとちょっとだけため息をついてしまった。
────あ。はっし、と逸れそうになるアンの襟首を掴んだ。
「アン、あんまりナンパしない」
「子猫ちゃんたちが私を離してくれないのは仕方ないことさ」
「はいはい、歩く歩く」
ジョルジュと二人でアンを道行く女性から引き剥がしながら歩いていく。いや、まぁ、白い貴族制服に光を反射すると深い紫水晶のような美しさの髪があり、加えて容姿と行動も相まって『物語の中のすこし危ない王子さま』に見えてしまうのかもしれない。中には実態を知ってもついていくと意気込んでいる人もいるみたいだけれど。わからないなぁ。本当に。
とはいえ本当にアンはあれ以降、私の容姿を褒めないし、無闇に抱きついたりしてこないし、口説いてもこないので心の平穏が保たれている。その分他に被害が行っていないかという懸念もあるけれど、まずは自分のことを大切にしたい。うん。それに他人が本当に嫌がっているかどうかは私がジャッジするべきではないのだ(嫌だと言える人ばかりではないとは思うけれど)(この辺は塩梅だ)。
「クロウ、どうしたの?」
「んー? いや、アンゼリカも勝手な奴だなって思ってよ」
「生活素行に関しては君も大概だと思うけど」
後ろでゆるゆると頭の後ろで腕を組みながら歩いているクロウに話しかけるとそんな返事がきたので、思わず突っ込んでしまった。寮や学校でギャンブルするわ私の朝ごはん横からつまんで行くわよく遅刻しているわ授業中にも寝ていることが多いらしいわ、どうかと思う行動を挙げれば枚挙にいとまがないというのはこういうことなのだなと。思う。
アンはジョルジュに任せて少し歩調をゆるめクロウの隣に行き、ちらりと横目に見上げた。でもそれだけ生活態度ちゃらんぽらんでも先日負けたのは塗り替えようのない事実で、少し心の暗いものが顔を覗かせてしまいそうになるので、いやいやよくない、と内心首を振った。
……帰ったら七耀教会に行った方がいいかもしれない。あまり敬虔な信徒ではないけれどたぶん話ぐらいは聞いてくださるだろう。
「あ、みんな、見えてきたよ!」
地図を持っていたトワが嬉しそうな声で示すので視線をそっちへ投げると、赤煉瓦の立派な建物が大通りの突き当たり、T字路になっている道路の向こうに存在していた。今まで歩いてきた感じかなり区画整理がされているみたいで、なるほど、"市"なだけはあると思った。
私が見てきた街だと帝都や旧都よりはもちろん小さいけれど、その次の次ぐらいには入るんじゃないだろうか。
帝都に近いからか案外導力車も通っているので注意深く道を渡り切って、無事に市庁舎の前へ来られた。鉄血宰相殿が進めているという噂の交通法、はやく施行されないかなぁ。施行されたら絶対にハインリッヒ教頭のテストに出てくるだろうけれど。
庁舎の扉をくぐると受付があり、カウンターの方に身分を明かしたところで、あぁ皆さまが、とすぐに話が通る。さほど待つこともなく応接室に通され市長殿に面会を果たした。進められた椅子は足りなかったので男性陣は立つことになってしまったけど。こういう時、すこしそわそわする。
そうして市長殿曰く、ここ数ヶ月ほど妙な集団が街の外で散見されるらしく、主にそれらの調査を頼みたいと。撃退に関しては流石に学院の生徒に頼むものではないため憲兵隊で巻き取ると仰ってくれた。良い方だ。サラ教官なら絶対にそのままぶっ飛ばせと言っている。
そしてそれとは別に細々とした依頼があるため、明日の朝には宿に届けさせるということで今日の話は終わりを迎えた。その依頼自体はやってもやらなくてもいいらしい。
市庁舎から出た時にはもうとっぷりと陽は沈み、大通りが目の前にすきっと真っ直ぐ通っているため夜のグレンヴィルが一望できる。そこそこ人口が多いからか、導力灯もふんだんに使われそれなりに街は明るい。
「で、今日の宿って"銀の鍵亭"だっけ」
「うん、ここからすぐのところみたい」
トワが広げた地図を覗き込み、あっちの方かな、と言いながら歩き始める。何だかんだこの五人移動も最初は人数多いなと思ったけど、なかなかに楽しいので、私は好きだなと思ったりなんだり。言わないけどね。
1203/05/31(日) 朝
大きい宿のおかげか男女別々の部屋に通されたので、着替えの時とかに時間のロスがなくなったのはとても助かるなぁ、なんて思いながら朝の支度をして三人で階下へ。
まだジョルジュとクロウは来ておらず、朝食先に頼んじゃおうか、と全員自分の分を頼む。夜の大皿系ならともかく朝は勝手に他人の分を頼むわけにはいかない。
「……昨日のお話、すこし変だったよね」
注文を終えたところでトワが話を切り出すので、アンと私は頷いた。
「たったあれだけの話を、わざわざ前日に呼びつけて市長直々に話す意味がない」
そうなのだ。確かに『見慣れない集団』が街の外をうろついているというのは治安的によろしくはないし、早急に対処したい話ではあるだろう。けれどたとえ人手が足りないとしても士官学院生にわざわざ市長殿が直接話す内容でもあるまい、というのが第一の心情だった。
「もしかして猟兵が動く事態が進行している、とか」
私の声を潜めた発言に、ピリ、と空気がすこし緊張する。
猟兵。優秀な傭兵部隊のことを特にそう呼んだりする。金銭の授受による契約で殺人を含む大抵のことは行うため、契約自体を禁止している国も多い。けれど帝国の現行法でそれは特に禁じられておらず、むしろ政府側が極秘裏に使っている、なんて噂もあったりするほどだ。貴族に限らず資産家であれば私兵として雇っているということも少なくない。
どれだけ小さな規模だとしても人数としては確実に私たちよりは多いだろうし、また武器も殺傷非殺傷問わずそれなりのものが揃えられているだろう。
「そうなるとさすがに私たちの手には負えないぞ」
「そう、だね。でもそのことも可能性に入れて動こう」
二人ともミヒュトさんの情報が脳裏に過っているのかもしれない。『用心していけよ』。まさか本当にそういう意味だったりするんだろうか。
「……それにしても二人ともなんか遅くない?」
「ジョルジュが起きていないとは考えづらいから、クロウに巻き込まれているんだろうさ」
「クロウ君、普段の授業でも遅刻したりしてるみたいだから心配だよ」
中間試験もまだなのに既に単位大丈夫なんだろうか、と他人事ながら私もちょっとだけ心配になってしまった。これクロウが赤点取ったらチームの君たちは何をしていたんだね、とかハインリッヒ教頭に言われるのかなぁ。言われそう。
私たちの朝食が来てから暫くして。のたのたと歩くクロウとすこし疲れた表情のジョルジュが現れ、嗚呼……、と朝の一仕事を感じてしまいジョルジュに三人で甘いものを奢った。おつかれさま。
「はい、というわけでこれが今回の課題、です」
朝食も無事に終わり、宿の人に預けられていた封筒から中身を取り出し全員で覗き込む。
・トリシュ川付近で目撃される謎の集団の調査
・ガラ間道に出現している飛行型手配魔獣の討伐
・故人へ捧げる花の採集
「……集団の調査は必須で、魔獣の討伐もわかるけど、花の採集?」
「いきなり平和なもんが出てきたな」
「依頼人は……七耀教会にいるようだから、まず話を聞きに行くべきだね」
「教会は東に、手配魔獣は西に、集団は南。見事にバラバラだ」
全員で依頼書と地図を眺めながら、すこし唸ってしまう。ここに入ってきている、浮いた依頼の花の採集。もしかしたら昔は大丈夫だったけど今は花の群生地が魔獣のテリトリーになってしまっているとかそういうオチな気がする。
「おっきな街だし、出来ればみんなで行動したいんだけどどうかな」
トワの提案に全員同意したので、とりあえず外に出る二つを後回しにして教会の方へ向かうことにした。現在、朝8時。
グレンヴィル市の七耀教会はそれなりに大きいらしく、街行く人に尋ねたらみな親切に教えてくれたし、そこが近くなったらなんとなくそちらの雰囲気だろう、というのが伝わってくる街区に切り替わっていった。
「おー……」
トリスタにある教会も別に粗末ではないのだけれど、それよりは倍ほどは確実に大きく、礼拝堂も広く取られていて、ステンドグラスから採光される明かりが大層綺麗に教会内を彩っていた。硝子工芸品はあまり触れてこなかったので、なんだか新鮮に見える。
中にいた助祭らしき方に話を聞いてみると、ああ、と依頼を出してくれたであろう方に引き合わせてくれた。依頼を出してくれたのはお年を召した上品な男性で、教会に相談をしたところ行政に話がいき、私たちが担当することになったらしい。
「女の子もいるというのに、こんな依頼を申し訳ないです」
「いいえ、亡くなられた伴侶の方のお墓にお花を添えたいと思うの、すごく素敵です」
トワは身長が小さいからか、とても年配の方のウケがいい。うっかりすると本当に孫のように可愛がられるので、それを見ているとすこし和んでしまう。
まぁつまり、要約すると亡くなった方の好きだった橙色の花──ロシタンの花を供えたいが花の群生地に魔獣が住み着いてしまい花屋が普段使っている採集グループもおいそれと近寄れない、ということで取り寄せも出来ない状態になっているとのことだ。どうやら今日がその方の命日だそうで、藁にもすがる思いだというのが伝わってくる。
「任せてください、私たちこう見えても士官学院生で荒事には慣れていますから」
にこりと笑い、胸を軽く叩く。愛する人のお墓に、相手の大好きな花を供えたい。トワも言ったけれどそれは本当に素敵なことだし、出来ることなら力になりたいと思う。
「あぁ、ありがとう……花屋の方が言うには、ガラ間道の方の水気のあるところを好むらしいです。どうか、くれぐれも怪我のないよう」
「はい」
そう心配をされながら見送られ、今日の計画を確認しながら東の方へ歩いて行った。
花を摘む前に手配魔獣をやってしまおうという話になり、ガラ間道を注意深く警戒しながら歩いていたらある高台のところにその影を見つけた。赤と青を基調とした雄々しいロックバード。鋼のような羽根を持ち、上空からそれによる雨のような攻撃を得意とする飛行魔獣だ。
広範囲攻撃から他者を守るという点で私は不適当なため、アンとジョルジュが前に出てクロウとトワを守り、その後ろで二人が呪文を詠唱し撃破する、という手筈になった。挑発戦技を駆使するという案もあったけれど、一切効かない可能性も考慮してそういう布陣に。クロウとアンの戦術リンクはいまだ不安定だけれど、四の五は言っていられない。
……撤退を判断しなければいけないバックアップは大事な仕事とはいえ、最近自覚したことではあるけれど前にでるのが自分は好きなんだと思う。だけど四人が戦っているのを低木に身を隠しながら見守る。大丈夫。アンはトワを守るという意志のポテンシャルがおそろしく高いし、ジョルジュはクロウの腕前を信じてハンマーを振りかぶって羽根をなぎ払う。それを信用し、的確にARCUSを起動して詠唱を開始する二人も本当にすごい。
そうしてほどなくしてロックバードは地に伏し、トワに倣うようにして私も黙祷した。
「なあ、アレじゃないか?」
高地からガラ湖方面を見渡していたアンが何か地面の方を指差すので、近寄って隣から崖を見下ろしてみると橙色の花が風に揺られているのが見える。レースのような花弁に、水辺に生えている橙色の花。それがわさっと生えており、確かに群生地の様相を呈している。
「あぁ、それっぽいねえ」
奥にはうっすらガラ湖も見えるため切り取って絵画にでも出来そうな風景で、思わず導力カメラを構えて撮影した。こうして自分がトリスタにいたままじゃ撮影出来なかった光景を、みんなと一緒になら見られる。あの日の旧校舎の高揚から続いているようなそれが、何だか嬉しかった。
「ここからあそこだと、ぐるりと回り込みながら降りていく感じかな」
地図を見ながらジョルジュがそう言う。この高さなら装備を置いていけば降りられそうだけど、魔獣の住処になったって話もあるしあんまり単独行動するべきじゃない。たかだか三十分一時間の短縮に命を差し出すのは流石に割りに合わないだろう。
「……うん、みんなで行こうか。どうせ結構早いペースで焦る時間じゃないし」
「まだ9時半だもんね」
「ああ、そうだな」
トワに微笑まれ、クロウに背中を叩かれる。
敵わないなぁ、なんて苦笑しながら、私たちは全員で花の元へ向かった。
結論として、ロシタンの花は手に入れられた。ただし魔獣の気配はなく、おそらく手配魔獣として討伐したロックバードがこの辺り近辺を縄張りにしていたのだろうという推測がたち、道中も細かい戦闘はあれど大きなことは何もなく教会へと戻っていけたのだ。
「本当に嬉しそうでよかったね」
我が事のように両手を合わせて相好を崩すトワを見て、本当にやさしいな、と思う。花を手に入れるときには既に安全が確保されていた、というのは結果論だからあの判断が間違っていたわけじゃないだろう。うん。
「しっかしえらく早く二つとも片付いちまったな」
「だが残る一つは警戒に警戒を重ねても足りないくらいだろう」
『謎の集団』。情報があまりにも不明すぎて、何が起きてもおかしくない、というのが非常にやっかいだし、ミヒュトさんの言葉と笑いがその不安を助長させる。徒にそういうことをする人ではないと信用できるからこそ、この案件のきな臭さが増していると言っても過言じゃない。
「情報集めるにしても広い街だからねえ」
「……街じゃなくて田畑の作業している農家の人ならどうかなぁ」
トワがそう提案をする。
「グレンヴィルの畑ってトリシュ川沿いにあって、農家の人たちもその付近に家を構えてる筈だよね。だから街の人より何か目撃してる可能性は高いんじゃないかなって」
「ああ、加えてグレンヴィル市からは道が通っているからその不審者たちと遭遇する率も低い、か。うん、僕はいいと思う」
ジョルジュの補足と同意に私含む他の三人も頷いて、行動の指針がさっくりと定まった。
やっぱりトワはすごいな。
「あ、でもちょっと休憩もいいと思うな~」
「セリがそんなことを言うなんて珍しいじゃないか」
「あそこのジェラート屋さんが美味しそうで」
「食いもんかよ」
「ふふ、知らない場所の索敵疲れるもんね」
「ジェラートいいね。僕も食べようかな」
「ジョルジュお前もかよ」
「あっ、おいしい! 苺がすっごい濃厚」
「お米のアイスって初めて食べたけど美味しいねえ」
「トワ、こっちのやつ一口食べる?」
「じゃあ私のも食べていいよ」
「……うわ、お米のほのかな甘さがすごい」
「セリちゃんのも自然な苺の甘さが贅沢って感じだね」
「……女って本当に何でもシェアすんなぁ」
「かわいい子たちがジェラートを差し出しあっている、いい光景じゃないか」
「お前そのクセ辞めたんじゃなかったのかよ」
「セリに直接言わないくらいならいいだろう」
「あぁ、やっぱり本人に釘刺されたんだ、それ」
そうして英気も養い、街を出て暫くしたところで昼になることを考え"銀の鍵亭"で追加料金を支払い弁当を拵えてもらうことにした。それを持って南に抜け田園の方へ。道は土とはいえかなり平らに舗装されていて歩きやすく、魔獣は多少居れども足場がしっかりしているなら基本は苦にならない。襲ってくるなら迎え撃つまでだ。
暫く道を進み、畑の所有者の方のだろう家々が見え始めた。
「すみません、どなたかいらっしゃいますか?」
コンコン、とトワが先頭に立って住居のドアノッカーを使う。後ろに控えるのは私だけで、他の三人にはすこし離れたところで待機してもらった。見知らぬ学生服を着た集団が来たら警戒しちゃうよねえ、ということなのだけど、腰にダガーと剣を下げている私もだいぶやばいのではなかろうか。見た目の圧の弱さとしてはトワと私が適任というのは間違いないが。
「はいはいどちらさま。っと、お嬢ちゃんたち見ない顔だけどどうしたんだい」
出てきてくれたのは人の良さそうな方で、こちらの事情を話すと、あぁ、と困り顔で頷かれた。
「正直ねえ、夜中に足音が聞こえたり、関係ないけど獣の唸り声とか、畑がすこし荒らされたり、あとは人によっては幽霊の声を聞いたなんて噂まで流れちまってほとほと困ってるんだ」
「そうなんですか……」
幽霊。ラントでも似たような噂を聞いたけれど、偶然なんだろうか。
「まぁこれといって人が襲われたって話とかはないけどさ、調査するなら気をつけてくれよ」
「あ、すみません。最後に一つだけ。その足音や幽霊の噂っていつ頃から流れてましたか?」
「ええっと、年越しはしてたから……三~四ヶ月くらい前かな」
「そうですか、ありがとうございました」
そんな風に田園に居を構える農業や畜産業を営む方々に話を聞いて回り、地図に方向や頻度を書き込んでいくとある程度の絞り込みが可能になってきた。
とりあえず情報をまとめようと言うことでグレンヴィルの田畑にある街道の端っこ、放っておかれた空き地に立ち止まって私たち五人は額を突き合わせる。
「……偶然だと思う?」
「幽霊の話?」
「うん」
ラントでは当時三ヶ月前、グレンヴィルでは三~四ヶ月前。時期が妙に一致している。
「ただ私たちが任されたのはあくまで調査だろう?」
「あんまり頼まれてねえことに首突っ込むのもなぁ」
アンとクロウが止めに来るのもわかるけれど、何だか妙に引っかかるのがこの案件の嫌なところだと思う。とはいえ、自分だけが固執しても仕方のないことだ。あくまでチームで動くというのを前提とすると決めているのだし、私が単独行動をするにしてもバックアップは必要不可欠だ。
「うん、調査なんだよね」
そっと地図を見ながらトワが呟く。
「現状だと噂の発生時期や活動場所だけで、実際どういった集団が動いてるのはわからない」
「……いや、トワまさかお前」
「私はセリちゃんにこの場所を探索してもらうのも手だと思ってる」
全員行動はあまりに目立ちすぎる。だから私もそれを提案したかったのだけれど、まさかトワからそれを言ってもらえるとは思っていなかった。
「私は反対だ。集団がベースを築いていたらそれこそ危ないだろう」
「ベースが築かれてるレベルなら市の憲兵団がとっくに調査完了してるよ」
アンの発言に自分が反論する。いかに統治者であるカイエン公がいらっしゃる海都オルディスから遠いとはいえ、帝都との重要中継地点たり得るグレンヴィル市を見捨てるような愚行は犯すまい。
「……君はどう思う」
「アン、もし多数決で決めようっていうなら、僕はノーコメントを貫かせてもらうよ。これは全員で話し合うべき問題だ」
賛成と反対が同数状態の中、問われたジョルジュはそう言い切った。多数決は簡単ではあるけれど、禍根が残りやすい決め方の一つでもある。確かにチーム内で行うにはリスキーだ。
「それもそうか」
アンはそれ以上その決め方を通すつもりはないようで、腕を組んですこしため息を漏らしただけに留めた。賛成派の私たちは、反対派に納得してもらわないといけない。危険がないって言うことを。
「賛成の私から提案させてもらうけれど、ARCUSの通信は常時ONにしてずっと持ってるし、可能ならアンかクロウに後方100アージュぐらい離れて追跡してもらい、その追跡者との通信は絶対に切らないで行く、とかでどうだろう。ラントでやったみたいにジャンクションにするには遠く離れる可能性が高そうだから無理だろうし」
「加えて私がかけられる強化はセリちゃんに全部かけるつもりだよ」
可能ならARCUSに手ぶらになれるアタッチメントなどがあればよかったのだけれど、現状ないのだから仕方ない。今度レポートに記載し、開発の検討を頼めないかRF社や財団の方にお伝えしたい限りだ。
「────いや、先行で入るならARCUS持ってんのは邪魔だろ」
「それはまぁそうなんだけど」
出来ることならこの間みたいに閉じない細工をして端末ポーチに入れておくぐらいに留めたいとは思っている。でもそれだと瞬時の撤退命令が聴けないのが困りどころ。
「……ARCUSは接続切れないようにしてからポーチに入れて、50アージュ後方でオレがつくなら妥協はする」
と、クロウが意見を翻した。それに対して同じく反対意見を述べていたアンがすこし眉を顰めて口を開く。
「なぜ君なのか理由を聞いても?」
「単純に身体能力と支援距離考えたらそうなるだろ」
確かに、ある程度ついてくるぐらいなら二人とも出来るだろうけれど、何かあった際に50アージュのロスが確実に発生するのか、しないのか、というのはことこういう場合において命取りになりかねない。
暫く考え込むようにしていたアンは、諦めたように組んでいた腕を解いて頷いた。
「わかった、私もそれでいい。但し、セリ。言語化出来なくとも違和感を覚えたら直ぐに撤退することを肝に銘じてくれ」
何かあってからでは遅いんだ、と。
「大丈夫。この命を粗末にはしないよ」
ぽんぽん、と自分の胸を叩く。
前にみんなと女神に誓ったこともあるし、それに思い出したのだ。前にアンに戦術リンクの破綻を問い詰められた時、母さんと父さんのことを。もう最近は思い出さないようになっていたけれど、私に覆い被さってくれたあれは、間違いなく愛だったのだと思う。二人にもらった自分の名前と、命を、これからも大事にしようと私は改めて誓うのだ。
とはいえ、グレンヴィル市を南下して情報を集めていたのでそれなりに太陽は天辺を通り過ぎ、既に13時を回ろうという時間になっていた。噂や目撃情報が多い場所を調査するにしても腹ごしらえはすべきだろう、という話になり、調査場所に近付きつつ適当なところを探して腰を下ろし昼食を取ることに。
「この甘辛なタレの鶏サンドイッチ美味しい」
「ラントでもそうだったけど、ご飯の美味しい場所ばっかりだね」
「サラ教官のことだから酒のツマミが美味い宿を指定しているんじゃないか?」
「あー、そりゃありそうだな」
「林檎の紙包み焼き、これなら僕でも出来そうだなぁ」
もう少ししたら体を動かすから、あんまり物を入れるわけにいかないのが実に惜しい。でもこの陽気だと残していても行って帰ってきたら駄目になっている可能性が高いので、誰かの腹に入れてもらうのが一番だ。
「ごちそうさまでした」
2/3ほど食べて手を合わせ、作った方や空の女神に感謝を捧げる。
「あれ、セリちゃんそれだけでいいの?」
「森に入るから少なめにね。誰か食べられそうなら食べてくれると嬉しいな。口つける前に分けてはいたから」
「じゃあオレが」
「クロウ以外で」
「除外かよ!」
当たり前だと思う。私が食べられないものを君が食べられる道理がないだろうというか全部食べた上で食べようとしているのかこの男。
「ったく、しゃーねーなぁ」
「自分が言い出したことじゃないか」
嘆きながらごろりと腕頭の後ろで組んで寝転がるクロウ。そんな風に言うなら自分がついていくなんて条件出して妥協せず、そのまま反対し続けていればよかったのに。あれで風向きが変わったと言っても過言じゃない。
「仕方ねえだろ、お前が探索すんのが一番いい手だとは思ってたんだからよ。妥協点見つかればそりゃ賛成もするっつーの」
その言葉に、少し面食らってしまった。そんな私が何か言う前に、ちょいと寝るぜ、なんて言ってクロウは額のバンダナを目元まで下ろし、すぐに寝息が聞こえ始める。
空を見上げると鳥が飛び、雲もちょうど良く、風は気持ちよくて、みんなの会話が聞こえてくるピクニック日和のような春の暖かさに、すこしだけ課外活動できていると言うことを忘れてしまいそうになった。いけないいけない。
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05/31 第二回特殊課外活動2
10
行動再開、14時。
グレンヴィルの南西、ガラ間道から少し外れた場所は丘陵となっていて、山ほど大きいわけではないけれど平地というには起伏がある地形になっている。音の出どころとして集中している場所へ今は身を隠しながら向かっているところだ。
一応ついてきてくれているクロウに合わせてあまり木の上は行かないようにしているけれど、案外大丈夫そうな気がする。でも打ち合わせなしでやったら後でなんか言われそうなのでやめておこう。とりあえず地道に手持ちのダガーで枝を切り落として行くしかない。
息を潜めて、地面を確かめつつ、歩いていく。入った時の違和感が輪郭を得ていき、森に秩序がない、という結論に達した。獣の手も人の手も入っていない。完全なる無秩序。歩く存在がいないのだ。この辺り一帯。それはおかしい。これほど豊かな場所でそんなことが起きるだろうか。けれど確かに獣が死んでいる臭いも、息遣いも、足跡も、全てがない。辛うじて虫はいるにしても、数が少ない。
「────」
口内に溜まる唾液を嚥下しながら、存外草が枯れている道を歩いた。これ自体は上部の枝の伐採がされない、人の手によって管理されてはいない森ではよくある光景だと思う。
生物の気配はいまだ、後方についてくれているクロウのものだけだ。
進んでいくと開けた場所に出るのか、明かりがつよく差している。しゃがんでにじりよって行くと、窪地を見渡せる場所に出てきたことに気がついた。いわゆる"沢"と呼んでもいい場所で、小川が流れており、もう少し人地に近ければアウトドア観光地になったかもしれない、という風に綺麗で整えられている。……不自然なほどに。
暫く観察していると、水辺のそばに石を組んだ跡があったり、火を起こしたのか炭が捨てられていたり、何かを引きずったようなこすれが見て取れたり、かと思えば獣の足跡もあったり、あまり隠そうとはしていないのか雑な処理で人間がいた気配がそこかしこに見てとれた。
「……こちらセリ。山間に人間がいた痕跡を発見」
『こちらクロウ、了解した。周囲に人影はないんだな?』
「ない」
ARCUSをポーチから出してそう吹き込みつつ、地図を出して歩数と角度で場所を特定する。うん、人里から離れすぎているし、どっかの貴族が来たとしても多くの獣と一緒には来ない。もう既に痕跡は薄くなっているため数の特定は困難だけれど、二十は下らないだろう。
出来れば沢に降りてもっと痕跡を近くで見てみたいけれど、さすがにそれはこの状態でリスクが高すぎるため却下だ。
「────」
一旦身体をほぐす意味で立ち上がりかけたところで肌が粟立ち、ARCUSと地図をポーチへ突っ込み手近な樹の上に急いで登り息を詰めた。慌てた音で何かが起きたのはクロウも察知しただろう。知覚範囲外からそれでも判る殺気が迫ってきている。その方向を注視していると、黒い獣が木々の合間から現れいでた。拘束具にも似た何かをつけられたそれは、おそらく私を探している。
手の中でダガーを回転させ重心を改めて確かめ、相手がこちらへ気が付いたと判断した瞬間それを囮として投げる。そのままそれを追うように太い枝を伝い遠心力で距離と勢いを稼ぎ、囮の筈だったダガーで手傷を負った獣へ携えた片手剣を両手で構え頭上から突き刺した。血の噴水。魔獣の血液を盛大に浴びてしまったけれど、死体が光となると共にそれも消えて行く。静かにそれを見下ろしていたところで、魔獣の脚部に弾痕がちらりと見えた。
「……」
ため息をつきながら投げたダガーと地面に残った拘束具のようなものを手にする。地点特定用の導力器がついている可能性もあるけれど、街までは直線距離で少なくとも40セルジュはあるから流石に追跡も出来なくなるだろうし、諸々考慮をして回収しておくべきだろうと判断した。
そうして30アージュほど歩いたところにいるクロウに合流する。相手は分かっていたかのように動かなかった。
「ありがとう。脚を撃ち抜いてくれたからダガーが当たった」
「おう、感謝してくれよ」
流石に投擲用でもないダガーが命中する確率は低いと思って、気が引けたら程度で投げたのだけれど、クロウの針の穴を通すような射撃のおかげで余裕が持てた。歩き出しながら、今いる場所から元々いた場所を見やる。
陽が傾き始めた森はそれなりに暗く、木々だって不均等に生えていて視界はあまり開けていない。いや、本当に、ここからどうやってあそこで当てられるんだろう。自分との自力の差を感じさせられたところで、ぐしゃぐしゃと頭を撫でられた。
見上げてみれば相手は笑っていて、そういう余裕そうなところが本当に気に入らない。
……本当に気に入らないのは、自分の不甲斐なさについてだけれども。
「セリちゃん!」
17時半。丘陵から出て元々入った場所へ二人で歩いて行くと、身を隠しつつ待機してくれていたトワがこちらを視認した途端駆け寄ってきて、抱きしめられた。
「ちょ、ちょちょちょ、制服汚れるよ」
魔獣の血液は消えるけれど、土汚れとかは当たり前だけど消えないのだ。ある程度歩きながら落としたとはいえ汚いことに違いはない。
「いいよそんなの……っ」
ぐりぐりと頭を肩口に押さえつけられ、柔らかな髪の毛を頬に感じてしまい何だか居た堪れなくなってしまう。隣のクロウを見上げれば肩を竦められた。
でも通信も出来ない状態で遠くから銃声とかが聞こえたら心配もするだろうと思うので、甘んじてこれは受け入れよう。一応ARCUSの通信が入るところまで来たら無事の報告はしていたけれど、それでも姿を見るまでここで心を砕いていてくれたのだろうから。
「で、どうやら収穫はあったみたいだね」
「さっき通信で言ってたのがそれかい?」
「うん」
近寄ってきた二人に手で挨拶しながら抱きしめられたまま、持っていた拘束具をジョルジュへ渡す。同時にトワが離れ、案の定緑の制服の一部が茶色くなっているので軽くパラパラと落とした。
「追撃はなかったし、たぶん警戒用に置かれた個体だと思う。他には確認出来なかったけど、正直調教魔獣の気配を探るのは分が悪いかな」
私はそれなりに気配を探るのも絶つのも上手いのだろうけれど、人にしては、という枕詞がもちろんつく。あの魔獣がもっと賢く、気配を隠すのが上手ければ私の喉笛が切り裂かれていた可能性は十分あった。
「しかしそれは逆に『なんかありますよ』と言わんばかりじゃないか」
腕を組んだアンの言う通り、こうやって証拠を回収されるリスクを負ってまで魔獣を置いて行くと言うのは雑な仕事か、それとも殺し切れると踏んだのか。
「調教済みの魔獣が絡んでるってことは、相当危ない案件だと思う」
ぎゅ、と両手を握りしめたトワがそう言い切った。
「そうだな。さすがにオレたちの手に負える案件じゃねーわ」
その言葉には全員同意する。こうして生還出来たのだから、拘束具の件もあるしとっとと街へ戻り、教官へ報告し、市へも報告を済ませるべきだろう。方針も再度決まったし、と歩き始めたらトワがそっと隣へ来た。どうかしたのかな、と首を傾げてると、申し訳なさそうな瞳と視線がかち合った。
「ごめんね、本当なら休憩が取れたらいいんだけど」
「いいよ、そこそこ急を要する話だし、このまま帰ったら鉄道でトリスタまで一本じゃん」
そしたらまたキルシェで晩御飯食べようよ勿論みんなで、なんて手を取りながら言ったら、そうだね、とトワは微笑んでくれた。
途中、地図で場所の共有をしていると郊外から街へ出ていたのか楽しそうな男の子の集団とすれ違ったりする。年齢としては日曜学校の年長組ぐらいだろうか。ちょうど私たちの少し下あたりだろう子達で、元気がいいねとみんなで笑っていた。
「あれ、何か揉めてる……?」
18時過ぎ。グレンヴィル市の南口が見える位置まで帰ってきたところで、門兵の人と女性男性複数入り混じりの集団が何やら言い合いをしているようなのが見えてくる。
「本当にこっちには来てないんですか!」
「交代の際に一瞬人はいなくなったが、基本的に17時以降ここを出て行った者はいない」
「でも幽霊の噂を見に行くんだって言ってたらしいんです!」
どうやら人探しのようで、子供が肝試しでいなくなったのを親が探しているという感じだろうか。でも何か引っかかる。
「……ねぇ、もしかして、さっきの子たち」
トワが震えた声で呟き、つま先を揉めている集団へ向けた。私たちもその行動に異論は唱えず後ろに続く。
「すみません! もしかして、13歳くらいの男の子たちを探してますか?」
「あなたたち見たの!?」
「は、はい、茶髪や金髪の男の子たちが道を走って行くのとすれ違って」
「確か、カレルだとかシドニーだとか、そう呼び合ってたか」
肩を揺さぶられるトワをアンが支えたところで、クロウがそう補足をすると、ああやっぱりと女性一人が顔を覆った。
「最近は特に危ないから森に行ってはいけないと言ったのに……!」
「──アンちゃん、セリちゃん、クロウ君」
「言わずもがなさ、トワ。私たちが先行しよう」
トワの硬い声に対して、パシン、と事情を察したアンが拳を平手に合わせそう言う。
ここに残るトワとジョルジュは市庁舎の方に行って事情を説明しつつ、山狩りをする人員を必ず確保してくれるだろう。もしかしたらサラ教官も来てくれるかもしれない。だけどこれは時間との戦いだ。
「────女神の加護を!」
そう全員で拳を合わせて、各々の役割のために三人でまた森へ走り出した。
「とりあえずさっきの沢か?」
「そうだね、でも低所から高所へ上がるのは面倒だから、結局さっき襲われた地点に戻ることになると思う」
「さっきの子供たちが入っていなければそれでいいんだがね」
「そりゃ楽観視しすぎってもんだろーよ」
そんな軽口の応酬をしつつもしっかと全員で走りながら方針を決めていく。
すれ違ったのは何分ぐらい前だろうか。地図を出して場所の特定と共有をしていたところだから、会話の始めだと思う。合流したのが17時半、南口に着いたのが18時過ぎ、既に30分以上は経っている。とっくのとうに森へ入っていてもおかしくはない時間だ。
「あの森は極端に獣が少なかった。たぶん調教魔獣に襲われたり、それを警戒して別の場所へ逃げた後だったんだと思う。……だから」
「日曜学校の年長組でも森の奥まで行けてしまう、か」
「加えてもしオレたちが昼間通った道が偶然見つけられてたら道も確保できてるわけだ」
二人の回答に、こくり、と頷いた。そう、森の奥へ入っていける条件が整ってしまっている。丘陵の奥へ至る道はそれこそ無限大だし人の通りづらい場所を通って行った自覚はあるので、クロウの言ったことは殆どあり得ない話ではあるけれど、それでも、あり得ないなんてことはあり得ない。悪魔の証明になってしまうのだから。
「ったく、それにしてもやたら魔獣が出やがる!」
「それに関しては同意見、だッ!」
アンが出てきたヒツジンに蹴りを入れて盛大に吹っ飛ばす。あんなのに構ってる暇はないというのに、暗くなってきたということもあってかこちらが少人数だからかぞろぞろと出てくるのだからタチが悪い。
ガラ間道の方は観光地ということもあってそれなりに街道灯が整備されていたけれど、ここらは農地なだけあってかぽつりぽつりとしかなく、魔獣避けが徹底されていない。そこに例の調教騒ぎで居場所を追われた魔獣もいたりするのだろう。
「ARCUS駆動────クロノドライブ!」
クロウが魔獣を振り切るために全員の身体強化を図る。軽くなった身体と共に、またつよくつよく地面を蹴った。
丘陵に近づいて来たところで、ARCUSの明かりをつけてくれるようアンに頼み、麓を注視して行く。確か五人だ。五人もあの年齢の男の子が歩けば絶対にどこかしら痕跡が残るはず。
「……ス トップ!」
急ブレーキをかけて制止を求め、見えた場所へ急いで近づいていく。クマザサの群生の一部が折れたりひしゃげたりして、足跡も複数人分そこに集中しているのがわかった。昼間はこんなことになっていなかった。間違いない、ここから入ったんだ。私たちが使った丘陵の入口よりも多少は街に近く、これなら彼らが沢へたどり着くより前に捕捉して連れて帰れるかもしれない。
「────」
顔を上げると、暗闇が手招きをしている。
夜の森。知らない森。どの存在の手も入っていない森。
どれもこれも、侵入するのは躊躇われる条件ばかりが揃っているけれど、見据えたその場所がどれだけ暗かろうとも私たちは伸ばす手を諦めないと全員思っている筈だ。
「行こう、セリ」
「とっとと悪ガキを連れて帰ってやるとしようや」
二人のその力強い言葉に、うん、と返して三人で森へ入った。
素人集団のため、比較的歩きやすい道を見つけて歩いていたようで、追跡はそれなりに容易だと思われた。隠密も何もなく音を立てているのは、何かがいるならこちらに引きつけたいと言うのもあるし、少年たちから視認してほしいという願いもあるけれど、そもそも危ない目に遭っていない少年たちがこちらを認識して声をかけてくれるだろうかという懸念も勿論ある。何が最善かなんてわかりはしないのだ。
「……いた!」
月明かりがあって助かった。前方、500アージュほど前にうっすらと動く人間のような影がある。二人にはまだ見えていないのか、どこだ!、と叫んでいるけれど私が先導するので問題はない、はず────!
「調教魔獣の姿を確認!」
騒ぐ少年たちの背後へ忍び寄る複数の影。1、2、3、4。嘘だろう。そんなにいるのか。
「先行する! 見つけて!」
体力を計算して走ってはいられないとギアを上げて地面を蹴る。森の中で走ると言うのは、思う以上に技術でどうにかなる話だけれど、技術がないと走りづらいと言うのも確かな話で。
「おっと、私を置いていかないでくれたまえよ!」
それでもアンはついて来た。クロウは後ろで支援にまわってくれるんだろう。
「上ッ等!」
私は笑って更に速度を上げた。見えてくる影の動作が、既に狩りを始める溜め動作に入り、思わずダガーに手が伸びた。いける?いけるか?あと30アージュ。25。20。絶対にこの速度じゃ間に合わない。
『獲物を狙うんじゃねえ、着地地点を見極めんだよ。ようは観察だな』
帰り際、クロウが動く獲物を定めるときに使うコツを話してくれて、なんてことのないように喋るなぁとすこし眉を顰めてしまったのだけれど、今この瞬間、それは正解だった。
ダガーを振りかぶり、現在の速度を乗せて投擲する。
果たして。魔獣の悲鳴が上がり、次いで少年たちの悲鳴もあがり、二人して魔獣と少年たちの間へ割り込んだ。見えた人影は全部で四つ。一人足りない。
「残り一人は!?」
「君たちは私たちの後ろへ!」
雪崩れ込んできた私たちに目を白黒させる少年たち。ああ、ちくしょう、説明する時間ももどかしいっていうのに!
「あっ、し、シドニー!」
声が叫んだ方向へ見やると、腰を抜かした少年の前に見えづらいけれど黒い調教魔獣が唸りを上げて構えていた。
「────!」
お互い今すべきことを、と残っている片手剣で一匹斬り伏せて少年の元へ急行する。一歩一歩が遅く感じる。魔獣が私の存在に気がつき、まずはと少年へ襲いかかろうとするのが見えた。
「ああ、あああああああ!」
最後、跳躍し、硬い鋼の音が響く。──間に合った。間に合いはしたけれど、逆手で盾のように持った剣に魔獣の牙がギギギと食い込み止まり、空いていた片手は少年を胸に抱きこんで安全を確保するように使っているためどうしようもない。アンも四人を守りながら二匹と戦っている最中だろう。ここから、どうやって打開を。
「やらせるかよ!」
瞬間、クロウの声がして自分の目の前と離れたところから魔獣の悲鳴が聞こえた。弱まった噛みつきから魔獣の腹に蹴りを入れ無理やり剣を抜き、即座に突き立て絶命させる。同時にもう一匹の悲鳴も聞こえ、森に一瞬だけ光が溢れた。
「あー、めちゃくちゃイイところ取って行くじゃん……」
「ああ、本当にそうだな」
はは、と笑いながら、走りっぱなし緊張しっぱなしで震える膝に手をついて立ち上がり、暗闇の中から出てくるクロウにそう声をかけると、近寄って来たアンも同意をしてくれる。
私の後ろにいた少年は他の少年たちと合流し、お互い抱きしめあって号泣して、それを背景に、私たちは拳を合わせた。
そうして、遠く、街道の方から統率の取れた音が聞こえ始めたのだ。
トワたちの説得もあり、グレンヴィル市の市長殿の要請で街に若干駐留していたラマール領邦軍による山狩りが正式に行われることになり、残っていた魔獣も程なくして掃討されるだろうという見込みが到着した領邦軍の分隊長殿から伝えられた。
私たちはと言えば、疲れからか申し訳なさからか静かにしている少年たちを軍と共に街へ送り届け、南口で心配そうにしていた彼らの保護者らしき人々に怒られるのを横目に待ち合わせ場所の駅へ。辿り着いたそこにはトワと、ジョルジュと、サラ教官が立っていた。
口々にお疲れさまと労ってくれたけれど、残ってくれた三人だって領邦軍を動かすのに尽力してくれたことだろう。それは私たちじゃ絶対に出来なかったことだ。トワやジョルジュ、そして実のところ見守ってくれているんだろうサラ教官。私たち前衛が後顧の憂いなく動けるのは彼らがいてくれるからだ。
ああ、でも今日はもう疲れた。眠りたい。
サラは「やることがある」だとかでグレンヴィルに残って、結局オレたちだけが先にトリスタに帰ることになった。ボックス席で、大体いつも通りの組み合わせで向かい合う。と言ってもトワとセリは仲良しに眠りこけて静かになって、ジョルジュはといえば客が少ないのもあり別のボックス席で回収した例の魔獣の拘束具の簡易解析を始めちまった。
つまり、目の前にいて意識があるのはアンゼリカ一人だ。この課題じゃリンクが妙な挙動をして繋がったり切れたり、散々な相手とも言う。
「今回も大分ハードだったか」
二人の寝顔を眺めるようにしてそいつが呟いた。
「ああ、ほんとにな」
勘弁してほしいぜ、と言いながら、最後のセリのダイブが脳裏をよぎる。他人のためにああまでして必死になれるって言うのは、本当にお人好しにも程があるって話だ。もしかしたら即死はしなかったとしても、片腕持っていかれてたって可能性もあったろうに。馬鹿な奴だ。
「クロウ」
「あんだよ」
「どうしてそんな顔でセリを見ているんだ?」
────それは、トラヴィス湖畔で問いかけられた時と似たような瞳だった。空虚さの指摘。んなもんあるわけねえだろ言いがかりつけんなって返して、殴り合いになった時の。
「もし君が彼女の行動を嘲笑うと言うのなら私はそれを許しはしない」
今ここが、もし外だったなら、"俺"は問答無用でアンゼリカに殴られていたんだろう。だが実際のところここは車内で、二人が寝ているからしないってだけだ。
「嗤っちゃいねえよ。ただ底抜けのお人好しだと思ってただけだ」
アンゼリカは貴族だからか、人の感情の気配ついて敏感だ。そしてそれを正面から問いかけてくる。セリに関して精度が狂ってたのは、本人がそもそも可愛いだのなんだので狂ってたんだろう。どうでもいい話だ。
だからまぁとりあえず、嘘でもないラインで濁しておいた。
「……そうか」
完全には納得しちゃいない顔ではあったが、牙を収めるくらいには理解してもらえたようで何よりだと内心安堵する。全く、こいつら全員気が抜けねえ。それでも俺は自分のやりたいようにやるって決めてここに来た。
────だから、せいぜい隠れ蓑になってくれよと、自分の心に言い聞かせるように呟く必要はどこにあったのか。どこにもない筈だったっていうのに。
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六月
06/09 指先の彩り
11
1203/06/09(火) 放課後
「あ、やっぱりみんなここにいた」
「そういうお前も来てんじゃねえか」
技術棟に顔を出してみると、トワを除く全員がそこに勢揃いをしていて笑いながら私も入る。ジョルジュはもちろん自分の作業をしているのだけれど、何となくここが私たちの溜まり場になってしまっていると言うのが現状だ。
「私は自分の作業やりに来ただけですー。ジョルジュ、机借りるよ」
「うん、いつものだろ。いいよ」
クロウとアンがいる机ではないもう一つの空いてる方にカバンを置いて、筆記用具を出す。そろそろ導力カメラで写真を撮るだけじゃなくて記事も書かないと、うっかり写真部にそのまま吸収されかねない。いやフィデリオもその写真部の先輩もいい人なんだけどね。
まぁ一応一月に一枚、購買部の新作や食堂のメニュー表などをまとめたり、すごく小さな校内事件の話や捜し物の掲示など当たり障りのない紙面を作ってはいるのだけれど、もう少し何とかしたいと言うのも仕方ない欲求なのではなかろうか。トリスタ商店街の話も書いておこうかな。
「四月五月の話が実は繋がってて、なんてオチなら記事にしたんだけどなぁ」
「あれがオチるってことは逆に教頭とかからNG食らいそうな気がすんだが」
うん。それはそうかもしれない。
なんせ調教魔獣がいる……つまり猟兵が関わっている可能性が高い、というのが示唆されてしまったのだ。結局あれは領邦軍が巻き取ることになったらしく、そのまま今でも調査が進められているのだとか。もしかしたらTMP──鉄道憲兵隊も割り込んでくる事態になったりするのかな、なんてぼんやり考えたりしている。とはいえ自分たちの手からはもう離れてしまった案件には違いない。
学院外のことを調べて載せようにも、正直公欠授業についていく勉強と日々の予習復習と蔵書を読みあさるので案外と帝都とか他の街へ行く時間がなかったりする。鉄道で三十分という立地なのに(発着時間を考えなければの話だけれど)。帝都あんまり行ったことないからなぁ、七月末の夏至祭前に一度行ってみたいんだけど中々タイミングが。
いやでもそうだ、今月の自由行動日は21日。中間試験が終わった後なので試験勉強とか考えずに帝都に遊びに行ってもいいんじゃなかろうか。もちろん自己採点は終わらせた上で、という注釈がついて回りはするけれど。
「うーん、このままだとずっとほのぼの学院新聞になってしまう」
「平和じゃねえか」
まぁ確かに平和は平和でいいのだけれどね。
「……あれ、今日って何日? 9日?」
ふと嫌な予感がして誰となく問いかける。
「9日だね」
自分の武器──籠手の手入れをしていたらしいアンがそう答えてくれて、さあっ、と自分が青ざめるのがわかる。懐中時計をポーチから引き出して時間を見ると17時。ばたばたと机から荷物を鞄にまとめて肩にかける。
「どうしたどうした、恋人と待ち合わせでもしてたか?」
「そんな色っぽい話じゃないよ!」
大体こんな生活で恋人を作る余裕がどこにあるというのだろうか。ほとんどみんなとつるんでいるっていうのに。そもそもあんまりそういう話に興味がないというのもあるけれど。自分が誰かと、というのもそうだし、誰と誰が、というのにも興味が持てない。まぁそんなことはどうでもいいのだ。
「ジョルジュ、机貸してくれてありがとう!」
「はいはい、例の奴も試作続けてるから楽しみにしててくれよ」
「うん、そっちもありがとう!」
急いで技術棟を飛び出して、私はトリスタの街へ駆けた。今日は荷物が届く日じゃないか!
「ミヒュトさん!」
トリスタ商店街の、少し外れた店に夕陽を背負って私は飛び込んだ。眩しいからとっとと閉めろ、とジェスチャーをするミヒュトさんに申し訳なく思いつつ、そっと扉を閉めると、店内はうっすら暗くなる。少し古びた匂いがこもるこの店はわりと落ち着くので好きだった。
「注文してた品だろ、届いてるぜ」
ごとり、とそこそこ大きめな木箱がカウンターの上に置かれる。肩にかけていた鞄を床に落として、蓋を開けても?、と視線でカウンター向こうへ問いかけると、やれやれといった風情で頷かれた。木箱の蓋に手をかけようとしたところで、ハッ、としゃがみ鞄の中をあさる。目当てのものを掴んで立ち上がり、今日の為に買って突っ込んでおいた綿手袋を両手につけた。
改めて。
そっと木箱の蓋を開けると、そこには真新しい腰につけるナイフケースと、七本の投げナイフが綺麗に収められていた。濃い革のナイフケースは持つとすこしかたく、それでも綺麗に腰に収まってくれそうなときめきをもたらしてくれる。使い込んでいけばきっと滑らかになっていい色になってくれるだろう。投げナイフの方も一本手に取ってみると、刃が美しい。反射しないよう非光沢加工が施されていてもその麗しさは隠せない。
片方手袋を脱ぎ、少し手の中で回してみる。重心、重さ、ともに"投げ"に特化されているものはやはり扱いやすそうだと思った。
そう、私は投げナイフをサブ武器として学院に申請を出し、注文したのだ。
前回、投げられるものがあればと何度となく痛感したのもあって、ミヒュトさんに前金で全額を渡して希望のナイフを探してもらっていた。購買だとこういうのはさすがに専門ではないらしいのでこちらを頼ったのだけれど、うん、本当に頼んでよかった。
木箱の蓋を閉めて、ミヒュトさんを見る。
「本当にありがとうございます。代金足りましたか?」
「予算内で探してやるっていうのも腕の一つだからな」
当たり前のように言うけれど、それを本当にやりきるというのがこの人の凄いところだと思う。きっとこれからもお世話になることだろう。
手袋をもう片方も脱いで、鞄に入れそのままそれを肩にかける。木箱を両腕に抱えて、嬉しくなって少し笑ってしまった。これからよろしく、私の新しい相棒。
「あぁ、そうだ。それ本格的にやるんだったらよ────」
もう一度最後のお礼を言って店を後にしようとしたところで、ミヒュトさんに呼び止められた。なんだろう。革の手入れ用品なら既に買ってあるけれども。
1203/06/10(水) 放課後
「……」
授業後、技術棟にも学生会館にも寄らずそのまま第二学生寮へ戻ってきたのだけれど、自室で作業する気が起きずに一階のロビー兼共同リビングで一人、爪やすりと自分の爪を睨んでいた。
すると見知った気配が寮に近づいてくるのがわかりそっと顔を上げると、案の定玄関をアンが開けるのが見える。
「おや、セリ」
「アンがこっちに来るなんて珍しいね。トワならいないよ」
大体の彼女のお目当ては最近だと学生会館にいるのだけれど、わざわざこっちに来たということはいなかったのだろうか。まぁ最近中間試験前でいろんなところの設備点検に駆り出されているとかで、慌ただしく動き回っているのでさもありなんではある。そういうのは用務員のガイラーさんがやってくれるよ、と言っても、試験後の部活動がやりやすいほうがいいから、と。妙なところでトワは頑固なので、まぁいいか、と思ったのも少し前のことだ。
「いや目的は君さ。これを渡してくれって頼まれてね」
差し出された藍色の封筒。たぶん叔母さんからだ。寮に入った私のことを、こうしていつも気にかけてくれていて本当にありがたさしかない。でもなんでこれをアンが。
「アンを雑用に使うなんて随分と肝が据わった相手だねぇ」
こう見えて一応貴族、というか四大名門であるログナー侯爵家の一人娘であるのだけれど。あまりにもいろんな女性に声をかけるものだから顔はめちゃくちゃ広くなっているとか何とか。
「事務の女性が困ってたからね」
「あー、なんか事故って学院の方に混ざっちゃったのか。ありがとう」
手紙は後でゆっくり読もう、と机の上に置いたところで、アンが退かないことに気が付いて顔をまたあげた。
「で、セリは何をしているんだい」
「……」
いま私が机の上に広げているのは、爪切りと爪やすりとマニキュアの、いわゆる単純なネイルケア用品。今までそんなものに手を出しているのを見たこともないだろうので問われるのも無理からぬ話かもしれない。
「投げナイフ注文したのが届いたんだけど、それなら爪ちゃんと手入れしろってミヒュトさんに言われて悪戦苦闘しているところ」
特に指に力を入れることが多くなるため、指先の保護のためにケアしとかないと酷い目に遭うぞ、と忠告をされてしまい今に至る。諸々のこともあり基本的にミヒュトさんのそういう言葉には素直に頷いておくことにしているというのもあった。案外優しいのだあの人は。
「ふむ。何なら私がやっても構わないが」
と、そんな途方に暮れている私に天の声が降り注いだ。いつの間にか落ちていた視線をまた上げると、どうする、といわんばかりのアンと視線が絡む。
「いいの!? いやもう何からやればいいのかわからなくて!」
恵みだと言わんばかりに両の手を絡み合わせると、彼女はふっと笑って当たり前のように私の頭を撫でた。
「それじゃあ少し待っているといい。寮に戻って道具を持ってこよう」
「……」
それを見送って、そっと自分の頭に手を当てる。今のは、別に嫌じゃなかったな。なんだかクロウに撫でられたみたいなのとおんなじ感じだ。
「おお……綺麗な小瓶……」
戻ってきたアンは小さめとはいえ抱える程度の箱を持って来て蓋を開き、とんとんとん、とリズミカルに中身を出していった中のひとつにそれがあった。
「親父殿に持たされたものの持て余していてね」
「なるほど」
一応貴族の女性の身嗜み必需品、みたいなものは持たされているわけだ。それを誰かに渡しもせずに持っていると言うのも義理堅いのだろうけれど。
「まず爪は切っているみたいだからやすりからか。隣に失礼するよ」
ソファの隣に座られ、体をそっちに向けつつ膝に布を広げて手を取られる。あぁ、でもよく見るとアンの手や爪は綺麗に手入れされていた。身体の細かい手入れをするというのは大変なことだろうに、多分彼女は当たり前のようにやっているのだろう。
そり、そり、と平たい板のようなもので爪がヤスリがけされていく。
「……今更だが、こういう接触はいいのかい?」
自分で出来るようにならなければ、とアンの挙動をじっと眺めていたところで、遠慮がちなそんな言葉が聞こえてきた。いまいち言葉の意図をはかりかねて一瞬考え、ああと合点がいく。
「私、別にアンに触られるのが嫌なんじゃないんだよ」
"そういう意味"で触ってくるのなら、アンでも、たとえいま気安く人の頭を撫でてくるクロウでも、誰かれ問わず嫌だと言うだけの話だ。見知っていようが見知っていまいが関係ない。
「あの時は感情的で言葉が少なかったかな。ごめんね。触れられる時に、下心を感じるというか、ぬるっと触られるのが苦手なんだ」
そもそもそれを許容できる人間がどれだけいるのだろうか、という疑問もあるけれど、世間は案外(貴族とかを抜きにしても)アンに優しい気配があるのでもしかして自分が少数派なのかもしれないと最近思い始めている。
「なるほど」
「なのでさっき撫でられたのは別に嫌じゃなかったよ」
ぱちくり。珍しい表情のアンが私を見て、あれ、と首を傾げた。
「さっき頭撫でてから寮出て行ったよね。無意識?」
「……無意識、うん、無意識だろう。たぶん」
だから下心もなかったのか、なんて心の中で納得する。『みんなの王子さま、アンゼリカ・ログナー』ではなく『アン』としてとかそういうことなのかな。それなら私は後者の方が好きだけれど、きっと両方とも"アンゼリカ"なのだから、どちらか一方だけと言うわけにはいかない。人間というのは難しい。
「よし」
両方の爪のやすりが終わったのか、アンが板を机の上に置く。爪を切った後の角張った感じがなくなり、なにやら表面も手入れされてはいたけれど、なんかこれだけで綺麗に見える。すごい。爪切りで角を落とすだけじゃ駄目だったのか。
「これで塗れるようになるの?」
「いや、甘皮といって爪の根本にある部分を少し処理すると上手く塗れるからそれも教えていこう。私はお湯の用意をしてくるから、このクリームを該当箇所に塗り込んでおいてくれ」
立ち上がりながら言われて、ぽん、と容器を渡されるので、蓋を捻って開けるとふわり、花の香りがした。無香料のってあるんだろうか。取り敢えず言われた通りに塗り込んで暫く待っていると桶に液体を張ったらしいアンが戻って来た。
手をつけるように言われて指を浸けると、ぬるい感じのお湯。
「いろいろ工程があるんだねぇ」
「慣れれば気にならなくなるさ」
「そんなものかな」
「あぁ」
それならアンの言葉を信じよう。取り敢えず今はじんわり手が気持ちいいのだけど、これシャワーの後とかにやったら工程省略出来ないのかな。後で聞いてみよう。
そんなこんなでようやくネイルを塗れるという段階に来た。
「セリの爪は小さいから少し丁寧にやらないとはみ出してしまいそうだね」
「あぁ、それはそうかも」
そういう意味では、男性陣の四角い爪とかは塗りやすそうだと思う。
「明日も授業があるし、目立ちにくい薄いピンクのにしておこう」
元々私が用意していたのではなく彼女が持ってきた可愛らしい小瓶を手にして、丁寧に塗っていってくれる。乾いていないだけかもしれないけれど爪がきらきらして、なんだか心がくすぐったい気がした。いや、でも、うん、なるほどなぁ。新しい知見を一つ得た。
「これって利き手じゃない方で塗る時は慣れ?」
「慣れだね。あるいは人に塗ってもらうとかだけれど、セリはそっちの方が面倒だろう?」
「おっしゃる通りで」
自分の細かい都合のために他人のスケジュールを押さえるとかやりたくなさすぎる。
「とは言っても、小指を掌のこの部分に当てて固定すると塗る時に安定するとか、いろいろ小技はあるけどね」
するっと自分の爪を塗るふりをして、そっと教えてくれる。なるほど。支点をそこにつくるのか。ためになる。
静かに塗ってくれるアンを見下ろしていると、世の中の女の子はこう言うふうに彼女に傅かれたいのかもしれないなぁ、とぼんやり考えてしまった。いや、そういう思考はいろんな方面に失礼だろうと少し頭を振る。と、手も揺れてしまったのか、ぎゅ、と少し強く握られた。はい。おとなしくしてます。
……あ。
「だー、予習復習なんかしてられっかよ!」
「だけどクロウは単位危ないだろ? まだ中間なのに」
顔を上げたところで見知った顔パート2が玄関から二人ほど入ってきた。
いや本当にクロウ、遅刻するわ授業中寝るわたまにサボってるらしいわっていうのはどうかと思うよ。
「お、珍しい組み合わせじゃねえか」
一番にクロウが近づいてきて私たちを見下ろすと、マニキュアか?、と首を傾げる。
「投げナイフ使うなら指先もっとケアしろ、ってミヒュトさんに言われちゃって」
「ああ、なるほどな」
「……よっし」
二本目の手も終わったようで、アンが顔をあげると、げ、という顔をする。
「嫌そうな顔すんな」
「細かい作業をした後には麗しい少女の笑顔があればいいと思っただけさ」
「いやー、本当にありがとうね」
まだまだ全然乾いていないので私は当分しばらく何も出来ないけれど。
「今回はカラーがあるものを使ったけれど、透明なものや無香料のクリームもあるから、帝都に出る余裕があったら自分に合ったものを見つけるといいさ。あとは可能ならトップにこれを塗るのをおすすめするね」
私のチーム内での立ち位置を理解してくれているのか、そうアンはアドバイスをしてくれる。今日は取り敢えず全体的な流れの話を教えてくれたんだろう。テスト前なのに悪いなぁ。
そして勧められたのは透明な液体が入っている小瓶。なるほど、ニスみたいなものだ。
「そうだ、アンがいるならこのまま全員で晩御飯でもどうかな」
ジョルジュがそう提案をするので、いいと思う、と同意する。とは言っても自分は何も出来ないので完全に他の三人に任せることになってしまうけれど。
「トワに差し入れ出来るものなら、みんなでおんなじもの食べられるかな」
ああでも、トワに差し入れとなると自動的に生徒会役員への差し入れとなっちゃうからすこし面倒だろうか。それを言い出しっぺの自分が手伝えないというのもよろしくない。そう私が考えたところでクロウが何か思い付いたのか、よし、と呟く。
「じゃあ適当に摘んで食えるもんでも作るか。ジョルジュも手伝ってくれや」
「お安い御用だよ」
そう言いながらクロウとジョルジュが買い出しに行くのを、私とアンは二人で見送った。
すごいてもちぶさた。
ネイルというのは思っていたよりずっと乾くのが遅いらしく、そして乾かそうと思って手を動かすのも駄目で、どこかに引っ掛けるといけないからとロビーのソファにいることを厳命されてしまった(ケア用品の片付けもアンがやってくれて申し訳ない限りだったというのに)。
なので今は靴を脱いでソファの手すりに背中を預けて手を掲げながら、食堂の奥の奥にある台所で料理をしている遠い三人の声をぼんやり聞いている。楽しそう。たまにクロウとアンが衝突しそうになるのをジョルジュがやんわりと間に立って軌道をずらすのは、すごいなさすがだなと思った。
天井を背景にきらきらする自分の爪。それはそこだけが何だか別世界みたいで、すこしだけ心がちりちりする。どうしてだろう。可愛いと思う気持ちはあるのに、相反するものも多少存在しているのも確かで。
少し頭を巡らせて、たぶん、これが高級品だからだろうという結論に至った。爪に色を施すというのは、淑女の嗜みであり、いわゆる『財力に余裕のある貴族の装い』という偏見があったのかもと。事実、現状そこまで平民に広く浸透している趣味というわけでもない。私がどうという話ではなく。
だけどこうしてそういうのと(失礼かもしれないけれど)無縁そうなミヒュトさんから勧められ、クロウも即座に理解を示した。戦う人間の間でも当たり前、ということがわかる。
だけどやっぱりこれは、"かわいい"色なのだ。薄紅で、うっすらと色がついている。自分に似合っているかどうかも現状はよくわからない。……うん、やっぱり今度の自由行動日は帝都に行って、百貨店のプラザ・ビフロストを覗いてこよう。こういうのははやく習慣化させてしまうに限るのだから。そうは言っても10日以上先のことだけど。
と、そんな風に物思いに耽っていると、机の上に置いていたARCUSが通信音を上げる。おあ、おわ。おわわ。慌てないよう、急かないよう、指の腹でARCUSをそっと開けて、スピーカーモードにしてから通信ボタンを押した。よし、たぶん、よれてない。
「こちら、セリ・ローランドです」
そうは出てみたけれど、台所に三人がいるのだからARCUSに通信をかけてくる人なんてもうだいぶ限られてくる。
『あ、もしもしセリちゃん? トワです』
「うん、どうしたの?」
予想通りトワの声が聞こえてきて、首を傾げた。何か急ぎの用事でもあるんだろうか。
『さっきどうしても取れない時に通信が来てたから、誰か何かあったのかなぁって』
「あー、それ、今日の晩は五人で食べようって話をしてたから、クロウかジョルジュがかけたんだと思うよ。ご飯どうする?って」
『え、そうなんだ。いいなぁ。私も食べたいけど大丈夫かな?』
「うん、材料的にはイケるんじゃないかな。今帰って来てるの?」
『もう少しで帰れそう、って感じかな』
「オッケー、オッケー。ちょっと待ってて」
立ち上がって食堂に続く扉を肘と肩で開け、奥の方にいる仲間たちへ声をかける。
「クロウー。トワがもう少しで上がって帰ってくるらしいけど、大丈夫だよねー」
「おう、じゃあその分もこのまま用意しとくわ」
「案外手際がいいから楽しみにしててくれって伝えておくれ」
「はーい」
食堂の扉を閉じると、案外ってなんだよ、と言う声が聞こえてくる。本当に仲が悪いんだろうかあの二人。よくわからないなぁと最近は思うようになってきた。
「待たせてごめん。大丈夫だって。だから気を付けて帰ってきてね」
『うん。わかった、ありがとう』
「あ、あとアンがクロウの手際がいいから期待できそうだって」
『へえ、そうなんだ。じゃあ楽しみにしちゃお』
すこしわくわくした声が向こうから聞こえてきて、二人ですこし笑う。じゃあね、と小さな声で通信が切れて、また食堂からの微かな賑やかな音だけになった。それでも、すこしだけあった寂しさはもうない。不思議だなぁ、なんて笑いながら、私はそっと乾いたらしい爪を少し撫でた。うん、大丈夫。
「というわけで今日はオレの得意料理のフィッシュバーガーだ」
「おー、美味しそう」
「本当に手際が良かったからね、期待していいんじゃないか」
「お前それ何回言うんだよ」
「まぁクロウだって別に今まで料理してこなかったわけじゃないだろ? 滅多に作らないだけで」
「まぁな」
「ふふ、クロウ君が作ってくれたの初めてだねぇ」
「これにチリソース入れても美味いんだけどな、辛いの駄目なやつがいんのかわかんなかったから今回はプレーンなやつにしといた」
「チリソース……それも気になる」
そんな風に、夜が更けていく。楽しく、あざやかに。
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06/15 中間試験
12
1203/06/15(月) 放課後
17日から中間試験が始まるため今日はさすがに生徒会もお休みということで、技術棟に四人で詰めて勉強をしていた。
導力学とかはかなり基礎中の基礎から出るという話なので、七耀石がどういったものなのか、それに伴って発明された導力器とはどういうものなのか、さっくりおさらいするためにテキストを開く。
「気になったんだけどさぁ」
とはいえ静かだとやはり寂しくもなるので少し口を開いてしまった。人の勉強を邪魔するのは良くないのに。
「うん?」
それでも三人は律儀に顔を上げてくれて私の言葉を待ってくれる。
「もし誰かが赤点どっかで取ったら、課外活動強制停止とかあり得るのかなー、とか」
期待されている戦術オーブメントの試験運用なんだから、一人が赤点取ったぐらいでどうにかなるわけはないと思いつつも、懸念されるクロウは普段の素行の悪さからこの学院で学院長に次ぐ権力を持つハインリッヒ教頭から目の敵にされている。正直それは仕方ないと思うけど。
「誰か、ってそれセリが気にしているの一人だろう」
「いやまぁ、うん、そうなんだけど」
トワはもちろん、アンもジョルジュも別に心配なんて一切していない。自分のことはどうなんだという話だけど、赤点を取るなら奨学生なんてやっていないのだ。というか学院にいるために勉学に励まないといけない立場なので。
しかしこの学院の奨学生制度は、進路が特に決められていないというのが不思議なところではある。大体こういうものは『自分のところに優秀な者を引き込む』ためのものであるので、お金をかけて外部流出する可能性のある契約にするだろうか、という。それでも規約に絶対軍属的なものがなかったので申し込んだのだけれど。
まぁでも、その疑問は入学式のヴァンダイク学院長が仰っていた『若者よ、世の礎たれ』に集約されて解決するのだろう。かのドライケルス大帝の言葉を用い、『世の中』という曖昧なものに対して日々何かをし続けている。そういう人材育成という、軍に限らない帝国、ひいては世界の未来を見据えているのだ。おそらく。それを国費でやっていいのかという疑問はあるけれど。
「……試験運用が中止になることはまずないと思うんだけど、」
控えめなトワの声に私も小さく頷く。まぁそれはそうだろう。一人が勉学を疎かにしたからといって止められる計画でもない。聞いたところによると既に軍内部でも運用が始まっているとか。私たちはいわゆる士官学院配備に関するところの試験なのだろう。
「クロウ君だけが外されるっていうことは、ある得るよね」
それは。
「それは困る」
思っていたより硬い声が自分から出て、少しびっくりした。
だけど課外活動でも、街周辺の細かい手配魔獣の討伐依頼でも、クロウのフォローには本当に助けられているのだ。情けない話かもしれないけれど、それでもなんでも出来るわけではないし、なんでも出来なきゃいけないものでもないとは自分がトワに言ったことでもある。
「まあ、いろいろ思うところがないわけではないけれど、私もあいつの能力は認めるさ」
「何だかんだコミュ力も高いからそういう意味で助かったりもするしねえ」
そう、この二ヶ月と少し。私たちはお互いの力を知って、いい意味で当てにして、うまく回っていたと思う。それが今更崩れるなんて頭を抱えるレベルじゃない。それにバックアップに回せる手がなくなるっていうのは、たぶん字面以上に危険が伴う。教頭はここに配属されている以上多少軍事がわかるとはいえ戦闘を行う人じゃない。困ると言ってもうまく通じないだろうし、成績を盾にされたらこちらは何とも言えないというのはアリアリと見える未来だ。
……試験運用チームを辞めたからと言ってクロウが勉強するとも思えないけれど。
「ねぇ、今日、クロウを校内で見た人いる?」
何だか嫌な予感がして三人に問いかけると、芳しい答えが帰ってこないことに頭を抱える。
立ち上がって部屋の隅に歩を進めながら腰のポーチからARCUSを取り出し、蓋の裏に貼っつけているメモを見て該当のARCUSへ通信をかける。暫くのリングバックトーン。腕を組みながら待機していると、ぷつり、と繋がる手応え。……通信が繋がるってことはそれぐらいの距離だったのかと杞憂にほっと胸を撫で下ろした。
『はいよ、こちらクロウ』
「セリだけど、今どこにいるの? 朝から見てないけど」
『あー』
口籠るクロウの向こう側が少し騒がしくて、何だろうと耳をすませてみると、帝都中央駅のアナウンスのようなものが聴こえる。そういえばトリスタと帝都間は通信強度の試験の兼ね合いで中継機が設置されているのだったか。つまり、そういう。
「……クロウ、まさか、中間試験の前に帝都に行ってるとかないよね」
『まさかそんな、ははは』
それでも聞こえ始めてしまえばハッキリと耳に入る鉄道員の方の声。
「……君ねぇ。いや、まぁ、いいや。試験だけはちゃんとやりなよ」
同年代にあんまり小言を言うのもどうだろうと思い直して、そう話題を終える。これ以上言うのは過干渉というものだ。いや今でも十分過干渉かもしれないけれど。
『おう、じゃあな』
意図が伝わっているのかいないのか、そんな明るい声で通信が切られ、ぱたんとARCUSを閉じてポーチへと落とす。振り向いたところで三人とも諦め顔をしていたのが印象的だった。私も多分そんな顔をしていたのだろう。
夜。
自室で帝国史をざっくり流れを掴もうと大きな流れを書き出していたところでノックが聞こえた。座卓を持ち込みそこでテキストを広げていたので、はいはーい、と立ち上がって扉を外に開ける。と。
「クロウ」
昼間いなかった相手がTシャツにラフなズボンでサンダルの、まぁたぶん自分と同じくシャワーを終えた状態でそこに立っていた。やっぱりバンダナがないだけでだいぶ印象が変わる。
「何の用? 過去問とかは貸せないけど」
いや、そんなもの私に頼るより自分で手に入れたほうが早いか。ことこの顔の広さを考えればそっちの方が確実だ。
「いや、ちっと勉強教えてくんねーかなって」
「はあ?」
テキスト数冊を構えながら言われた内容が、あまりにもあんまりでそんな声が出てしまった。おっと、いけないいけない。
「さすがのオレも赤点取ったらチームに迷惑かけるって思っちゃいるんだぜ」
なら何で帝都に行っていたのか、という言葉が本当に口の先の先まで出かかったけれど今この状況でそんな言い合いをしても仕方ないとグッと飲み込んだ。時間は金だ。
「……まぁいいよ。靴脱いで上がって」
「サンキュー」
靴を自室で履きたくなくて部屋にタイルカーペットを敷き詰めているため土足厳禁なのだけれど、相手はそういう(他人のテリトリーで靴を脱ぐ)のには抵抗がないみたいでサラッと部屋に入り込んできた。あとクロウと私の間で何があると思っているわけではないけれど、他の寮生に何かを勘繰られても嫌なので開け放し用にドアストッパーをかます。
もう後は勉強して寝るだけだったので長ズボンではあっても薄着だったのもあり、ちょっと厚手のストールをクローゼットから出して肩にかけた。まったく、こういう時はARCUSがあるんだから連絡してからきてほしい。こっちにも都合があるのだし。
「というか何でこっち来るのさ。ジョルジュの方が近いのに」
第二学生寮は性別で居住階数が区切られている。クロウの部屋は確か私の部屋の立体対角にある角部屋のはずだ。つまり一番遠い。
「いやー、お前なら面倒みてくれそうだと思って」
「……」
あっけらかんというので、すこしこうべを垂れて額を押さえてしまう。
いやもう考えても仕方ないか、と手で座卓を勧めると机の空いているところにテキストを置いて腰を下ろした。自分は元々広げていたものをそっと片付けて対面に座る。
「で、何が心配なの?」
「暗記系の科目はまぁいいとして、導力学の回路計算とかが危ねえかなって」
「ああ」
授業でも電子系の簡素図を書かされたりしていたので、その辺を懸念にするのは正しいと思う。マカロフ教官だからそんなに意地悪なものはそんなに出してこないと思うけれど、どうだろうな。
「じゃあそれやった後は何したい? 明日も含めていいし」
教えている間に次のことも考えておきたいので問いかけると、意外そうな顔が私を見た。
「明日も付き合ってくれんのか」
「まぁ今日明日ぐらいならいいよ」
どうせもう試験直前だし。クロウの勉強を見るついでに復習するのも身につくというものだ。理解していないと他人に教えるのは難しいので、自分の理解度の把握にも繋がる。
「あんがとよ」
人懐っこい笑顔でお礼を言われてしまう。みんな、自分も含めてこれに絆されているんだろうなぁ、なんて考えてしまって、だからこそたまに見せるあの笑い方が逆に浮き彫りになるのか、とそんなことを本人を目の前に考えてしまった。
……勉強に集中しよう。
1203/06/17(水) 中間試験初日 朝
「あ、珍しく起きてる」
試験時間に覚醒時間を合わせたくて早起きしたらうまく台所が空いてくれていたので、予定より早く朝食を終えて食堂から出てくることが出来た。すると階段から降りてくる眠そうなクロウと鉢合わせたのでそんな言葉が出てしまう。
「そんなに信用ねえかなぁ」
「あると思う方が間違っているのでは」
まぁ一昨日から昨日の夜に至るまで一応勉強を見た身としては起きていてくれるのはありがたいか。それに何だかんだ自分の復習にもなったし。絶対に言うことはしないけども。せめて期末の時はもう少し前に言い出して欲しい。まぁわかりづらくて次は頼みたくないと思われている可能性もあるかもしれないけれど。
玄関から出ると、クロウも一緒についてくる。朝食はキルシェか学生会館の食堂で食べるのだろうか。
「赤点だけは取らないで欲しいな」
活動停止とかがなかったとしても、補習とかはあるのでもしもその間に手配魔獣の話が出てきたらクロウ抜きで対処することになる。今までもクロウが後ろに回ることはもちろんあったし出来ないことはないだろうし、それもいい経験になるかもしれないけれど、それとこれは話が別だ。
「クク、そんなにオレが必要ってか?」
そんなことをまたあの軽薄で空虚な笑みで言うものだから、何だかすこしカチンとしてしまった。
「そうだよ。あんだけフォローされてクロウがいてもいなくても変わらない、なんてどの口で言えるのさ。もちろん頼りにしてるよ。出来ればこれからもね」
だから真っ直ぐとクロウを見てそう伝える。会話に温度差があるとかそんなの知らない。自分を下げるような発言をしたクロウが悪いのだ。……いや、自分の苛つきを相手にぶつけるなと言う話ではあるのだけれど。
落ちる沈黙。止まってしまっていた足を動かすと、相手も動いてくれた。学院へ向かう坂を歩く道中、ずっとお互い無言だった。正門に着いて、図書館へ向かおうと思っていたけれどこのまま進路が被るのはすこし気まずいと思って、本校舎の方へそのまま進めようとして、止める。
「……ごめ「いや、さっきのは言わせたオレが悪い」
言い過ぎた、と謝罪を口にしようとしたところでそれは堰き止められた。
「あー、その、なんだ」
首の後ろを掻きながら、口籠るクロウ。珍しい。アンといいクロウといい、今月は何だかちょっと珍しいものを見過ぎている気がする。いや、お互い『見せてもいい』ラインが変わってきているだけかもしれない。だからきっと私も、珍しいと思われている行動をしたりしているんだろう。それが何かはわからないけれど。
「取り敢えず赤点回避だけは何とかしてみるわ」
「……うん、応援してる」
へにゃりとお互い笑って、そのまま別れた。
1203/06/22(月) 放課後
中間試験期間が終わって決めていた通り、自由行動日に帝都をプチ観光した翌日。
予想通りに担任教官から放課後ミーティングルームへ顔を出すように、というお達しがあったので顔を出して面子が集まってきたところで最後にサラ教官が入ってきた。
「試験大丈夫だったー? 下手するとあたしが怒られるんだから」
そんな風に言いながら渡されるレジュメに視線を落とすと、知らない町の名前が記載されていた。ルズウェル。双龍橋の北北東にある森の近くある小さな町らしい。クロイツェン本線と大陸横断鉄道を接続する中継地点の砦駅だ。
「いつも通り27日出発で28日に行動開始。その辺は慣れたもんよね」
「チケットの手配は自分たちでですか?」
「うっ。し、しておくわよ、ちゃんと」
「途中のケルディックでお酒飲めるとか思ってたりとか」
「……思ってないわよ」
トワとアンが鋭い質問をしたところでサラ教官がすこしつらそうに胸を押さえる。この反応、わりと図星だったりするんじゃなかろうか。お酒のことはよくわからないけれど、穀倉地帯だから有名なのは麦酒とかかな。
「とーにーかーく、町長にあんたちのことは頼んであるから! よろしくやってきなさい!」
そして説明もほどほどにいつも通り教官が出ていく。
「今回の分担どうしようか?」
まぁいつものことか、と全員そのままに、分担を話し始めた。
それにしても森が近くにある町かぁ。今までも多少そうだったけど、すこしわくわくする。自分が慣れ親しんだ森とはまた違うだろうから、楽しみだな。課外活動だとは分かってはいるけれど。
1203/06/24(水) 試験結果発表日 朝
文武両道を掲げる帝国の気風を表しているのか、この学校の試験結果は廊下に全員分張り出されるらしくわりと容赦ないなと思ってしまった。問題ないだろうとは思っていても試験は水物だ。それに自己採点が良くても周りも高かったら結局順位は下がってしまうわけで。
一喜一憂する人の隙間から何とか覗こうとしていたところで、いつもの面子が合流してきた。
「うわ、トワお前一位じゃねえか」
一位。百人はいる一年生のトップということだ。なるほど、成績掲示の周りに悔しそうな貴族クラスの人たちがいるのはそのせいか、と納得する。
「え、本当? やった、嬉しいな」
「すごいすごい! おめでとう、トワ」
ぱん、と二人で喜びの両手タッチをする。いや本当に、ARCUS試験運用に生徒会にその他諸々すごく忙しかったろうに、一位なんて本当にすごい。たとえ基礎学が中心だったとはいえ、それでも落とさないというのは並大抵のことじゃない。
「ありがとう! セリちゃん何位だった?」
「いやそれが人垣に阻まれてまだ見えてない」
「セリは七位だね」
これまた平均より身長が高いアンが確認してくれて、そう言葉が落ちてきた。
自分もそこまで身長が低いわけではない……と思うけれど、士官学院という場所の性質上ガタイのいい男性陣が多いのだ。それが人垣となったらさすがに太刀打ちできないので、こういうさらっとした親切は本当に助かる。
「ありがとう。七位かぁ」
まぁ十分な順位だ。これで奨学生でいるのを打ち切られることもないだろう、とほっと胸を撫で下ろす。ちらりと見たアンとジョルジュもそれなりに満足そうな顔をしているので、問題ない範囲だったのだろうと安心した。そして、この試験において最大の懸念といえば。
「オレは……六十位だな。クラス平均よりちょいと上ってところか」
別途掲示されているらしいクラス平均をちらりと見てそのクロウが言う。クラス平均より上。学年順位としては半分より下ではあるけれど、クラス平均ならそこまでまずい成績じゃないだろう。たぶん。
「よ、かったぁ~」
はぁ、と息を吐いて後ろの壁にもたれかかってしまう。これで一月の期末までは取り敢えずハインリッヒ教頭が口を出してくる大きな口実はなくなったんじゃなかろうか。まぁ授業内の小テストは知らないけれど。それは自分で何とかしてほしい。
「いやー、マジであんがとな。教えんの上手かったしまた頼むわ」
ぐしゃりぐしゃり。また遠慮なく人の頭を撫でてくるクロウだけど、その顔が嬉しそうなので、まぁいいかと好きにさせることにした。
「もしかしてクロウ、セリに勉強見てもらったのかい?」
ジョルジュが、おや、という顔でそう問いかけてくる。
「そうだよジョルジュ聞いてよ。試験開始の二日前の夜にいきなりアポなしで部屋に来て勉強教えてくれって言ったんだよクロウ、非常識だと思わない?」
「いやオレの成績を一番案じてくれてるのがセリだと思ったから見捨てられねえと思って」
「そういうところだよ」
いつぞやのように、だけど今度は明確に、脇腹をかるく小突こうとして、パシン、と手のひらで受け止められてしまった。読んでいましたと言わんばかりのにやり顔が私を見下ろす。こういう時ぐらい受けておいて欲しいと思うので、もう一度だけその手のひらを小突いて拳を退けた。
「夜に女性の部屋を訪れるのはどうかと思うよ」
「クロウのそれが許されるなら私もトワに教わりに行けばよかったかな」
「アンちゃん別に成績悪くないよね?」
「試験にかこつけてトワの寝巻き姿が見たいということさ」
まぁクロウの行動の是非はともかくとして、このまま五人でまた月末を迎えられそうで良かった、と心の底からそれを喜んでおこう。
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06/26 第三回特殊課外活動1
13
1203/06/26(金) 放課後
修練場の地下にある射撃訓練場で吊り下げ型の動くダミー相手にひたすらにナイフを投げていた。
ナイフを受け取った次の日から、中間試験前は授業後に30分だけ、中間試験後は授業後1時間、休憩を挟みつつも的当てに費やしている。元々石を投げたりするのは得意だったので両手ともに精度は悪くない。暑くなってきたのでブレザーを脱ぐべきだろうか、と一瞬考えて、いや普段の戦闘では着ているのだからとそのままにしておくことに決めた。
そんなことを考えつつ降りてきた気配へ振り向けば、印象的な赤い髪が揺れるのが見える。
「サラ教官、お疲れさまです」
「精が出るわね」
ピッ、と背筋を伸ばして手を後ろで組むと、いいわよ、と手を振られて体勢を楽にした。学院外であったり、いつものミーティングルームであればここまではしないのだけれど、ここは士官学院内の誰が入ってくるともわからない校内設備だ。教官と学生という立場で、他の教官に見られる可能性を考えるとついそうしてしまうのだけれど、教官に気を使わせているだけかもしれない。
「それが申請出してた投げナイフ?」
「はい」
私の腰に収まっているナイフを興味深そうにサラ教官が眺めるので一本出して差し出すと、ありがと、と受け取られる。重心、重量、それを確かめるためにか手の中で一回転させたと思ったら、そっと踏み出して──投げた。反応が遅れたと思ってダミーの方へ視線を走らせると、そこには頭を射抜かれたダミーがぷらりとぶら下がってゆらゆらと。
────見えなかった。
「いいナイフね」
悪戯っ子のようにサラ教官が笑う。精度を上げた後は、次は速度ということだ。そしてその速度について来られる精度を叩き出せということに他ならない。じわり、心の何かが笑う。
「……そう思います。購買では取り寄せなどが難しかったので、商店街の外れにある質屋さんにちょっと頼んで探してもらいました」
「へぇ、あの人が?」
ふうん、と何かを考えるサラ教官。……もしかしなくとも、ミヒュトさんとお知り合いなのだろうか。教官とはあの店で出会ったことはないけれど、もしかしたらいつかばったり遭遇する日もあるかもしれない。
そんなことを考えていると、コツリコツリ、聞き慣れた足音が修練場へ繋がる階段から降りてくる。教官も気がついているようで、二人でそっちを向いたらちょうどクロウが入ってきた。
「やっほー」
「おお、って、げ」
「あら、人の顔を見るなり随分な挨拶じゃない」
「いやー、そんなことそんなこと」
そんなやりとりをしている二人の横を通ってダミーのスイッチを切ってから、ナイフ回収します、と声を出してダミーの方へ走っていった。クロウがここを使うなら早々に空けなければ。
「ナイフ回収しました」
投げていたナイフを腰に収めて帰ってくると、二人ともじっと私の方向を見てきて、すこしだけぐっと喉が詰まる。何かしただろうか。
「ねえ」
「お前、その腰に入れてるのなんだ?」
腰……そう問われて、あぁ、と思い当たるものを腰の後ろから出して二人に差し出した。
「ちっさな……導力銃?」
「はい。ジョルジュに特注で作ってもらってたやつなんですけど、まさかこんな早くできるとは思ってなくて……」
私の掌から少しはみ出す程度の飾り気も何もない簡素な導力銃。市販のものでここまでのサイズを実現させたものはないはずだ。一応試し撃ちはしたけれど、さすがのジョルジュで申し分なかった。……とはいえ今はナイフの方に注力しようと保留にしているところだ。それ自体はジョルジュも、そうだね二兎を追う者は一兎をも得ずだ、と納得してくれている。
常に腰に入れて、"入れている感覚"だけでも無くしておこうと思ったのだけれど。そんなにすぐに分かってしまうなら隠し場所をもう少し考えるべきだろうか。と言っても次の課外活動には制服の改造などは間に合わないのでそのまま行くしかない。
「使ってみてもいいか」
クロウが見たことないぐらい真剣な表情で問いかけてくるので、うん、と頷いた。クロウの手に渡ったそれは本当に小さくて、グリップを握ったら小指どころか薬指が遊んでしまうぐらいだった。それなのに。
「さすがジョルジュだな」
二年生を含めても射撃の腕であいつに勝てる奴はいないだろう。ナイトハルト教官はクロウのことをそう表現していた。サイズが合っていない初めて扱った銃で、ダミーのヘッドを速射で正確に撃ち抜いている。たとえ動いてはいないとはいえ、そんな芸当自分にできるだろうか。
「返すぜ、サンキューな」
言われて両手を差し出すと、ぽとり、と置かれた。銃のサイズは変わっていないのに私の手の上ではさっき見た通りの具合で、やっぱりクロウって大きいんだなぁなんて当たり前のことを考えてしまった。
1203/06/27(土)
ルズウェル──双龍橋を降りて北北東にあるクロイツェン州に属する小さな町だ。
ヴェスチーア大森林の西の外に位置していて、帝国東部の森林業を担っているらしい。そういうところはイストミア大森林を北に抱く私の故郷と少し似ているところがある気がする。けれど故郷と違うのは、双龍橋という軍の拠点が近くにあるというところだろう。大陸横断鉄道が通っていることから各地への輸出もされていて、またバリアハートの職人街で使われる木材の殆どがヴェスチーア大森林のものだとか。
また、平地も広がっているため畜産業を営み、特に放牧牛の肉牛生産がさかんでもある。
比較的国境も近くにあり、有事の際は緊張感に包まれるが近年は平和。
アルバレア公もここの森林は手厚く保護しており、政治的軋轢は特にない。
「ルズウェル、どんな町なんだろうね」
「本当に楽しみにしてるね、セリちゃん」
クロイツェン本線直通大陸横断鉄道でケルディックを通過し暫くしたところで私が言うと、トワにそう返された。だって森林業を主産業にしている他の町に課外活動で行けるなんてラッキーもラッキーだ。もしかしたら普通に観光に行ったら入ることができなかった場所に入れるかもしれない。いや、もちろん、あくまで課外活動ではあるのだけれど。
「オレとしちゃそのまま大陸横断鉄道でクロスベルの方まで行きたいところだな」
「あぁ、カジノがあるんだろう? 私としては東方街も気になるところだがね」
「アン、クロウ、空想はほどほどにしておきなよ」
ジョルジュがいつものように二人を嗜める。この光景も見慣れてきたなぁ。
「クロスベル……難しい都市だよね」
ぽつり、トワが呟いた。
クロスベル。国際貿易経済都市、帝国と共和国を宗主国とする自治州だ。その位置関係や透明度が高く質のいい七耀石が産出される鉱山を有することから、たびたび争いの火種となっている。別名、魔都とも呼ばれている因果な土地だ。たしか100年ほど前までは帝国が占領していたけれど、共和国が領有権を主張し、諸々あって今の形に落ち着いたのだとか。
「そうだね、帝国の中には今でもあそこは自国の領土だと主張する人たちもいるし」
「そもそも自治州ってのも名ばかりで、都市の利益の殆どは帝国と共和国に分配されているんだろう?」
アンが話にのってきた。もしかしたらいずれログナー侯の跡を継ぐ可能性があるせいか、こういった話には造詣が深いらしい。まぁ、そうでなくても帝国人ならクロスベルについて目を背けてはいけないのだと私は思っているけれど。帝国史を語る上で蔑ろにしてはいけない場所だ。
『──クロスベル方面行き、大陸横断鉄道。まもなく、双龍橋、双龍橋。ヴェスチーア大森林、ルズウェルへお越しのお客様はこちらでお降りください。どなた様もお忘れ物の無いよう、よろしくお願いいたします。次は、ガレリア要塞を通過し、クロスベル自治州です』
と、そんなことを話していたらいつの間にか時間が経っていたらしい。車内アナウンスが天井から聞こえてきて、みんな降車の準備をする。
「まぁ、私たちが学生の間はどうにも出来ないかもしれないけど、何かあった時には動けるようになっておきたいよね」
荷物を網棚から下ろして、トワに言う。きっと彼女なら、そういう立場になれると私は思う。軍という力とはまた違う場所で、クロスベルだけでなく帝国を取り巻く諸処の問題のことに心を砕いて、奔走し、それを為す。そんな場所に行くことになるんじゃないかなと。まぁ勝手な想像だし、まだまだ一年生だけど。
「うん、そうだね」
だけどトワはそう笑ってくれたから、二人で軽く拳を合わせた。
ルズウェルはトリスタから二時間鉄道に揺られ、一時間ほど歩いたところになる。
グレンヴィルと違って駅と直結ではないので到着する頃にはとっぷりと夜になっていた。だけど到着したルズウェルの町は明かりがあふれ、布などが飾り付けられささやかだけれど華やいだ雰囲気になっている。
「わぁ」
感嘆の声をこぼしたトワにつられ上を見れば、導力灯ではあるのだけれど、携帯用ランタンを繋ぎ吊るすことで無機質じゃない賑やかさを演出しているのがわかった。あぁ、そうか。六月末。夏至祭だ。旧都とかだと盛大な夜祭が一週間弱続くけれど、ここでも祝っているのだとじんわりする。帝都に近いトリスタはその辺簡素だからなぁ。だから着くまで忘れていたのだけれど。
写真を撮りながらあちこちで交わされる乾杯の声の間を抜け、事前に渡されていたレジュメによると今日の宿は"キノコのヤドリギ亭"らしい。なんというか、ジョークなのかジョークじゃないのか少し考えあぐねてしまうネーミングセンスだと思う。
宿に入ると宿屋というよりは宿酒場のようで、屈強な人たちが夏至祭を祝いながらお酒を飲んでいた。気のあった人同士が軽口を叩き合って、明日のことを話しているこの喧騒は何だかすこしだけ懐かしい。
「すみません、トールズ士官学院の者です」
「あぁ、連絡もらってるわよ。ごめんなさいね、ちょっと騒がしくて」
「いえ、こちらこそ楽しそうなところへお邪魔してしまったようで」
うっかりするとそのまま騒ぎに混ざってお酒をもらいに行きかねないクロウとアンを三人で捕まえながら、宿の女将さんとお話をする。お酒を飲むにしてもせめて学院生だとわからない服装でわからない土地でやってほしい。いや、トワはそれでも許さないだろうし、そっちの方が正しいんだろうけど。
「食事はどうする? 何なら上に運ばせてもらってもいいけど」
その質問に五人で顔を見合わせて、頷きあった。
「下でお願いします」
多少ブレつつも、全員一致の言葉に女将さんはころころ笑う。だって宿酒場だ。この雰囲気込みで課外活動に来たという感じもあるし、何よりどこに情報が転がっているかわからない。町の雰囲気をいち早く掴むためにも、ここに来て部屋で食事というのはありえない選択肢だろう。
女将さんの計らいで五人全員座れるソファ席を案内してもらい、いつもの並びで腰を落ち着ける。すこし暗くなっていたのもあって、少し索敵に気を配りすぎたかもしれない。脳と目が疲れた。目頭をちょっと揉もう。
「お、肉がある肉」
「肉かぁ、多少なり歩いて疲れたしガッツリ食べたいところだね」
「お鍋あるけど、それもいいんじゃない?」
「ごめん、ミルク鍋だと私は厳しいかなぁ」
「おや、トワは牛乳苦手だったかな」
「うん……あっ、クロウ君、だから小さいんだよって顔に出てるよ!」
「バレたか」
そんな会話をしながら適当に注文したところで、トワがそっと蒸しタオルも頼んでいたのでどこか打ち身したのかとみたら、アイマスクみたいにしたらセリちゃんちょっと楽かなぁ、なんて。……あ、私用にか。びっくりするぐらい気配りの鬼だ。
もしかしたら生徒会の仕事もトワがいないといよいよ回らないようになって来ていそうだけれど、トワのことだからそれも見越して自分がいなくても回せるよう整えているという確信がある。うん。来年は生徒会長になっていてもおかしくないんじゃないだろうか。この学院のそういうのが指名制か選挙制か推挙制かは知らないけれど。
「だから、クロウ、その笑い方を止めろって言っているだろう」
「その難癖つけてくんのいい加減止めろってこっちも言ってんだろアンゼリカ」
名産のお肉や山菜の盛り合わせなどを美味しく食べ終わり明日のことについて話していただか、もしくは全然別のことについて話していただか、話題のことなんてクロウとアンの唐突な険悪な雰囲気で全て消し飛んでしまった。
「なんでいつもいきなりにそういう雰囲気になるの二人とも……!」
「どうどう、アンもクロウもいい加減にした方がいいよ」
この面子の良心である二人がそれぞれ宥めに入っているので、机をひっくり返されたら嫌だなと運ばれてきたデザートのタルトタタンを食べ始めた私はぼんやり考える。仲がいいのか悪いのか本当にわからないんだよなぁ、この二人。前に料理していた時は楽しそうだったのに。
でもアンの言いたいことは分かってしまうし、それについて突っ込んでくるなというクロウの言い分もわかるのだ。誰だって心のやわらかい場所は無遠慮に突っつかれたくないだろう。アンのそういうところは強みであり、弱みでもある。
「いやー、もう思いっきりやりあうのを見守った方がいいんじゃない?」
「セリちゃん諦めないで!」
そろそろこの言い合いも見飽きたところがある。いや別に見世物ではないのだからそんなことを言われる筋合いはないだろうけれど。噂では私たちがいないところだとそのまま殴り合いに発展していることもあるだとか何とか。
I組とV組はそれなりに教室が離れている筈なのにどういう経緯でそうなるのか不明だけれど、そもそもこの四人がチームを組む前に友人だったというのも不思議なのでそのことを気にする方が間違っているのかもしれない。あぁ、というか、そうか。ハインリッヒ教頭がクロウをやけに目の敵にしているのは四大名門貴族アンゼリカ・ログナーと喧嘩するからというのもあるのかもしれない。うん。いろいろな線が繋がるのはやっぱり面白い。
というかそういう意味ではトワとジョルジュの制止というのは効いているということだ。それにしても貴族と殴り合う平民って聞いたことないな。クロウも大概肝が据わっている。
「おお、じゃあ表出ろアンゼリカ」
「ふふ、明日泣き言を言わないことだね」
私の発言が発端になってしまったのか、二人がソファから同時に立ち上がる。
「あ、本当にやるの? じゃあ審判したほうがいいかな」
剣呑な雰囲気を受け、急いでデザートを食べ終わり私も立ち上がった。こういうのは止めるよりいっそ第三者が積極的に面倒を見る方が何かと都合がいい。そしてそれは言い出してしまった私がするべきだろう。
「もー! そういうことじゃないよ!!!」
だけど善性が強いトワはそう叫んでいた。ごめん、後で説明するから待っててほしい。
喧嘩は一応村の外で行ったというのに夏至祭で人が多かったため若干見世物のようになってしまったけれど、基本は打撲でついでに謎の切り傷の五分五分の勝負をしていた。でもそろそろ明日に響きかねないと審判である私が終了させ(審判は武器も戦技も使っていいのだ)、それぞれの部屋で手当てをし、二人を寝かしつけた。
もう23時。飾り付けのランタンも消灯し、騒動で疲れてトワも寝ている。明日も早いので自分もさっさと寝ようかと思ったけれど、宿場の外からとある気配を感じて誘われているような気を覚えてしまう。
「……」
ひとつため息をつき、寝巻きだけれどダガーを装備し、しっかと部屋には鍵をかけて外へ。
六月だけど少し肌寒さを感じつつウッドデッキテラスを抜けて、私たちが入ってきた南にある町の入口とは反対方向、つまり森の方へ歩いていく。入った時とは打って変わった静かな町を抜けるというところで、赤い髪が月の光に綺麗に照らされ風に吹かれていた。
「教官、あんまりちらちら誘わないでくださいよ」
「あら、気付かないフリしてくれても良かったのよ?」
そう笑うけれど、そんなことをしたら後日何を言われるか分かったものではない。ここは学院外なので多少フランクになってしまうけれど、教官は気にした様子は一切ないので、まぁ単純に私のペルソナの問題なのだ。これは。
「というかさっきの、見てましたよね」
「いやー、青春って感じでいいじゃない。殴り合ってわかりあう、うんうん」
「わかり合ってはいないと思いますけど」
とはいえ、何だかんだ嫌いあってはいないのだろうとは思う。お互いにお互いの実力はもう認め切った上でああしている。あとは本当に『理解できないことを理解し合う』ぐらいなのではなかろうか。いつかのアンと私のように。……クロウにとってはもしかしたらそう簡単なことじゃないかもしれないけれど。
「……で、言いたいことってそれだけですか?」
「うん、キミがあたしに気が付いてくれたからそれだけになったわ」
サラ教官にしては妙な、もってまわった言い回しをすると思った。だけどミヒュトさんとおなじく追求してもあんまり大した成果は出ないだろう。それならその時間を睡眠に充てた方が建設的な気がする。
「そうですか。じゃあ帰りますね。おやすみなさい」
「ええ、明日は頑張りなさい」
がんばりなさい。殆ど聞いたことない言葉だったので首を傾げたけれど、直ぐに、まぁいいかとお辞儀をして背中を向けた。明日もみんなでやることをやるだけだ。
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06/28 第三回特殊課外活動2
14
1203/06/28(日) 朝
朝食後、朝8時。毎度のことのように女将さんに届けられていた課外活動が封入されている封筒をトワが開けて、テーブル席でそれを読む。
・薬草採集の護衛(朝のうちに)
・放牧地に現れる魔獣の討伐
・森の作業路の外灯の点検、修理
「……今回は謎の系ないんだね」
ぽつりと呟いてしまう。ラントでは『湖畔林の謎の声の調査』、グレンヴィルでは『トリシュ川付近で目撃される謎の集団の調査』がそれぞれ調査項目に上がっていた筈だ。今回はどれも時間がかかりそうではあるけれど開始も終了も明確でわかりやすい。
サラ教官が昨日あんなことをわざわざしたので正直すこし緊張していたのだけれど、単純に中間試験後だったり、新しい武器を導入しているのでそういう意味だったのだろうか。
「とは言ってもどれも時間を取られそうだね」
「アンの言う通り、朝の依頼を受けて可能なら帰ってきたところで昼をさっと食べて討伐、そして点検ってところかな。魔獣避けの外灯が後回しになってしまうのは申し訳ないけど……」
「まぁ仕方ねえだろ。それに関しちゃジョルジュがいればさっさと終わるだろうしな。問題ないと思うぜ」
昨日、町の外で盛大に殴り合いをしていた二人は、朝起きた時は特に問題を起こすことなく同卓について食事をした。誰もそれについて触れやしない。まぁ、戦術リンクの接続はともかくとして課外活動に大きな影響を及ぼすつもりはないんだろう。昨日だってちょっとヒートアップしたところに挑発戦技で意識を引っ張りはしたけれど、それだけで止まってはくれたし。
ようは止める人間がいるから、喧嘩ができる、というやつかもしれない。それならこの関係性は当分変わらないかもなぁ。ハインリッヒ教頭にはもう少し胃を痛めてもらうことになりそうだ。
「うん、そういう流れで大丈夫だと思う。一番上の活動は朝のうちに、って但し書きもあるしもう出発しちゃおうか。七耀教会の司祭さんからみたいだね」
いつものようにトワが取りまとめてくれたので、全員で立ち上がり宿の女将さんに挨拶をして教会の方へ足を進めた。
それにしても、何だかどんどん戦術リンクとか戦闘とか関係のない活動も混ざってきているような気がして何かを彷彿とさせるんだけど、何だろう。思い出せない。
「おお、皆さんが護衛をしてくださるという、士官学院の方ですね」
七耀教会に入ったところで、作業がしやすそうな服を着て礼拝堂の掃除などををしていた方が私たちを見てそういった。辺りを確認してみると、女性らしい気配が厨房の方に一人だけ。ということはこの方が司祭殿なのだろうか。町の規模としては妥当な人数なので、司祭殿といえどもこうして教会の整備をしているのだろう。
「はい。精一杯やらせていただきます。朝のうちということで参りましたが、ご都合はいかがですか?」
「ええ、もちろん大丈夫です。シスターに声をかけて来ますので、このままお待ちください」
朝に森に入ることから司祭服を着ないで待っててくださっていたということだ。準備がいい人も話の早い人も好きだ。勝手に好感を持ってしまう。
厨房へ行った司祭殿はすぐに戻ってきたので、六人で連れ立って町の外、森の方へ。
「それにしても士官学院の学生さんということですから、男性ばかりだと思っておりました。ああ、いえ御三方の実力を疑っているわけではありません。これは私が狭い世界に生きていたということです」
森へ向かう道中でもこの人数に怯まない魔獣はいるもので、それを何度かいなしたところで司祭殿がそう言った。言わんとしていることはわかるし侮られている気配もないので別に注釈の必要性は感じなかったけれど、とにもかくにも誠実な方なんだろうなという印象を受ける。
「トールズ士官学院は確かに割合としては男性が多いですが、女性も2/5は占めているんですよ。軍と言っても様々な配置がありますし、私もそうですが必ずしも前衛に出るわけではないんです。といっても、彼女たちはすごく戦闘に優れている人たちなんですけど」
後ろ、チームの中間にいるトワが司祭殿の横について説明をしている。そう、半分よりは少ないけれど、1/3というほどでもない。他の士官学院がどうかは知らないけれどトールズはそれなりに男女比が極端ではないという気はする。それに導力端末を使った通信士としての仕事も男女共に仕込まれているし、栄養学・調理技術の授業も(性別で時間が分けられてはいるが)等しく行われているし、性別問わず自分の得意なことを見つけて伸ばせる環境を整えよう、という空気だ。
そうこうしているうちに森の入り口に到着。道すがらの雑談のなかでご所望の薬草を導力写真で共有してもらえたので、ある程度なら私たちでも見つけられる筈だ。
そしてその通り、道から外れるように森へ分け入ったわけだけれどそこで一部の群生地を見つけ必要な数を採集したり、森に出てくる帽子を被った緑色のヒツジンと戦い小さな蹄痕を肩に食らったり、食べられる木の実・植物を教えてもらったり(植生が西の故郷とはそれなりに違ったのでこれは本当にありがたかった)、いろいろなことに遭遇したけれど概ねつつがなく活動は終えられたと思う。
「皆さんの発見による助力もあったので、考えていたよりずっと早く終わりました!」
「確か今回採集したものたちは午前のうちに採集すると薬効が高いのだったか」
「はい。夜に採集したいものもありますが、そちらは最近手が出ませんね。遊撃士協会などが軒並み帝国から撤退を余儀なくされているみたいで依頼もなかなか」
遊撃士。レマン自治州に総本部があり、『支える籠手』をエンブレムに活動をする民間組織の総称だ。魔獣の討伐やこういった採集の手伝い、はたまた要人の警護など、依頼は多岐に渡るけれどあくまで民間組織のため国ごとの諍いに手が出せないのが弱点だという(中立使者という形で関わることはあるのだけれど)。但し民間人の安全並びに地域の平和を理念として掲げ、それが脅かされる場合はどのようにしてでも介入をしてくるという、まぁ一部の人間にとっては頭の痛い組織だとか。
けれど、そうか、何か気になると思っていたけれどこれは遊撃士の真似事に似ている。帝国では馴染みが薄いのでわからなかった。でもまぁいいか、司祭殿のお話の方に戻ろう。
「例えばどのようなものなんですか?」
もしかしたら何かの折に見つけて、自分たちで使うことになるかもしれないので質問をしてみた。すると司祭殿は嬉しそうに話をしてくれる。道中いろいろなことを教えてくれたところからわかる通り、知識というものは広めてこそ、という方なのだ。
「特に今在庫がないのは、夜に咲く白い花ですね。うっすらと光るのが特徴ですが、それ以上に香りが強く、半径30アージュ以内に入ればその存在はすぐにわかります。甘くどこか懐かしさを思い起こさせるので、残郷の花とも。別種のべアズクローと合わせて、効果の高い傷薬が作れますね」
べアズクローはその名の通り熊の爪のような棘が多い薬草で、主にリベールから輸入されている。故郷と近い分すこし植生が似ているので、私もたまに山で見かけていた薬草だ。しかしそこそこ距離があるのでこの知識は現状あまり活かせそうにない。未来に期待しておこう。
「べアズクローもこの山で採れんのか?」
「いいえ。ですが近くに大市が開かれている交易町ケルディックがありますからね。そちらの教会が入手したものを分けていただいたりなどはしています」
なるほど。ケルディックなら季節にもよるけれどそういったものが取り扱われる可能性は高いだろう。それにあそこなら線路も町に通っているので空輸から鉄道便で素早く品物を運んで来られる下地が整っていると言ってもいい。教会同士のネットワークというのは大事だと改めて痛感した。
そうして帰りもそれなりの魔獣を返り討ちにはしたけれど司祭殿はもちろん、全員大した怪我もなく12時過ぎには教会へ到着した。
お世話になったので皆さんお昼などいかがでしょうか、とお誘いを受けたので是非にと招待にあずかったらシスター殿が準備をしてくださっていたようで、美味しい地域料理を堪能させてもらった。
ご飯だけでなくお茶まで頂いてすこしまったりしてしまったため、教会を出たときは13時を回っていた。とはいえ午前いっぱい採集をしてから帰るという予定だったので、時間が逼迫しているということはない。こういう時間も必要だろうと思うので、トワも後がつかえているとは特に言わなかったのだろう。
それに司祭殿とシスター殿のお話は大変興味深かったし、おもしろかった。説法を日常的にしている為か話術もすごかった。いつか旅をすることがあれば教会には必ず立ち寄ろう。その土地のことがよく見えるかもしれない。もちろん、視点が一方向であるということは念頭におくべきだけれど。
「さーて、次は放牧地に現れる魔獣の討伐だったか?」
「うん、そうだね。責任者の方は現地にいらっしゃるらしいから直接向かえば大丈夫みたい」
護衛というのは想像以上に肩が凝るもので、ちょっと暴れたい気持ちが少し溜まっているのは否めないなぁと思ってしまった。でもこれは否定はしない。力を持つ者は自分の暴力性には自覚的であるべきだからだ。
「そういえば、護衛でセリの挑発戦技は重宝したよ。投げナイフでより効力が上がったんじゃないか?」
隣を歩くアンがそう褒めてくれた。
「うん、ナイフと相性がいいみたい。見つけてくれたミヒュトさんには感謝しなきゃ。あとアンから教わった爪の手入れも助かってるよ」
出発の土曜日には手入れの時間は取れないとわかっていたので、金曜日にすべて塗り直して今回の課題に臨んでいる。透明でマットなものを使っているので反射することも少ない。やっぱりあの大通りに構えている百貨店は帝都一と言われる品揃えなだけはある。ちょっと高かったけど、ペイとしては十分だ。
「それはよかった」
アンが笑う。いつものことではあるけれど、私はいろんな人に助けられている。私もそれだけのものを返せているだろうか、とたまに考えたりするけれど、きっとそれに答えはないんだろう。
「あぁ、あんたたちか」
村の北側から出て、森と反対方向に暫く歩いていくと大きな放牧地が見えてくる。柵で囲われているのはわかるけれど広大なので柵がどこまで広がっているのかはわからなかった。
「はい、トールズ士官学院として魔獣の討伐依頼を頂いて参りました」
「ふぅん」
作業を取り行っている男性の前にトワが前に立ち、そう告げると彼女と私とアンをじろじろと見てきて、ああそういう類の人かと内心ため息をついてしまった。午前中の司祭殿が人格者だっただけにその差が際立ってしまうのでこれはお互いタイミングが悪かったなぁと思う。
「本当に出来んのかねぇ、遠足じゃねえんだぞ」
その言葉に一歩、トワの横へ踏み出た。
「──万が一私たちで討伐が不可能と判断した場合は、担当教官もこの町に来ておりますので、そちらに対処して頂きます。どうかご安心下さい」
心底丁寧な笑みを心がけ、手は腹の前で組み腰を折る。自分のような顔はこういう時に使うのだ。そりゃもちろん心情としてはあまりこういった用途で使いたくはないけれど、それでも多少のプライド殺して案件がサクサク進むなら時間を無為に経過させるよりはマシというものだろう。
「ま、まぁそれならいいんだけどよ」
「はい。ありがとうございます」
くるりと後ろを振り返って、それじゃあ行こうかと目線で合図した。
そうして全員で放牧地へ入るためのちょっとした手順を踏んで、牛たちを怯えさせないよう距離を取りながら歩いて行った。暫く黙々と歩いていたところで、例の失礼な男性が見えなくなり、少し詰めてしまっていた息を吐いた。
「いやー、セリが前に出た時は殴るのかと思ったぜ」
「お、私がそこまで暴力的に見えてるのは誰かなー」
一般人を殴るわけないだろうに。まぁこういう時のクロウの空気を読んで敢えてする軽口はちょいちょい救われているところはある。これでアンと喧嘩しなければなぁ。
「それにしてもああいう露骨なのはさすがにね」
気分を害したようにジョルジュが言ってくれるので、こういう時に怒ってくれるのがチーム面子にいてくれるというだけで心は助かるというもので。学院代表として来ている手前あそこで怒ることなど出来ないというのはわかっているし、こうして意思表明してくれるだけありがたいというものだ。
「午前中の司祭様へのお話じゃないけど、女性の軍人さんも珍しく無くなったとはいえ航空艦隊とか通信士への配備で表にはあまり出てこないから仕方ない話かも」
それでもそういった『いかにも前線へ出ることがないように感じられる』配置だとしても、その辺の一般男性よりは強かったりするのだけれど、イマイチそういうのは実感が伴わないせいか理解されづらいところはある。テクニックだけという言い方をされたこともあるけれど、筋肉や技術が『人を殺す』形に特化しているというのは、まぁわからないのかもしれない。特に近代戦争は機甲化が進み兵器による殺し合いで一対一の人間同士の戦いなんて殆どないのもあるだろう。
「何にせよ、サラ教官が出る幕はないと思うけれどね」
不敵に笑ったアンが自分の掌に拳を打ち付ける。そうだね、と同意しながら放牧地を突っ切って行った。
そもそもさっきはサラ教官がルズウェルにいるとは言ったけれど、連絡がつくかはわからないというか、課題中に連絡がついたのなんて例のラントの湖畔でガスに巻かれた時ぐらいなもんで。今回負けたら連絡がつくようになるのかな。まぁいいか。そんなことにならないよう立ち回るのは決定事項なわけだし。
そこまで思考して、ああ自覚以上に自分は怒っていたのだなと理解した。遅い。
そうして、目撃証言が多いと聞いていたところに赴いてみると、くさはらに何かが蛇行し這いずり回った跡がちらほら散見された。牛たちもこの辺りには嫌なものを感じるのか、近寄る個体は少ない。這いずりの痕跡は近くにある森の中から始まっているようで、取り敢えず近辺に獲物となる牛がいないのであれば狩場を移動している可能性があると仮定し、森に入る自分と、外で森伝いに警戒する四人に分かれて歩いて行った。
「巣穴らしき場所に来たけど、空振りだなぁ。そっちに出現するかも。合流するよ」
『わかった、気を付けてね』
ARCUS片手に這い跡を遡りながら、トワに進捗を報告し、ARCUSの蓋を閉じない細工をしてからまたポーチへ突っ込んだ。膝をついて巣穴を見る。這い跡は幅30リジュ。かなり巨大な個体だ。跡としてスラッグ系ではないし、スネイク系と見ていいだろう。
このサイズに噛みつかれたらそりゃ牛だってひとたまりもないし、怯えていい乳にも肉にもならなくなる。昨日と今日食べて、林業と畜産業がこのルズウェルを支えているのは間違いない。だから本当に頭の痛い話なんだろう。……だからって、ああいう不躾な視線を送っていい理由にはならないけれど。侮られるのとはまた別のものがあったと、私は思う。
ため息をついて巣穴の検分を終え立ち上がりかけたところで、頭の上から空気を圧縮して吐くような音が聞こえた。瞬間、前へ転がり出ると同時に落下音がしそちらに向かって体勢を整える。土煙の向こうには、一瞬前まで自分が立っていた場所に影がある。大きさは私と同じぐらいだ。まず投げナイフで先制し、推定両の目を潰す。そうでなくても頭部への攻撃だ。果たしてそれは為されたようで、片手剣を抜いて苦悶の声をあげる魔獣の懐へ入り切り上げてから両手で握り込んで振りかぶりその胴体を真っ二つにし光とした。
やっぱり魔獣の一部の中には気配を隠すのが異常に上手いのがいる、と自分の索敵を過信してしまった反省をしつつポーチのARCUSから声が聞こえる。
「こちらセリ。ごめん、巣穴から出たらしき魔獣と戦ってた」
『って、一人で倒したのか!?』
トワがスピーカーモードにしているのか、クロウの声が割って入って来た。
「いや、これ小さいからたぶん報告にあった個体じゃないと思う。だからそっち要警戒。自分は周辺もう少し探索してから戻るよ」
『うん、了解。セリちゃんに女神の加護を』
「四人に女神の加護を」
会話を終え、ARCUSをポーチへ収める。大型に紛れて小個体の痕跡が見え辛くなるというのはままある話だ。それでも巧妙にここまで隠せるものなんだろうか。
何だか引っかかるものを感じながら、道中更に追加で二匹の蛇型魔獣を屠って森の外へ出た。四人と合流すると、ちょうど手配魔獣らしき大型個体を倒したところだった。
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06/28 第三回特殊課外活動3
15
取り敢えず手配されていただろう個体の討伐は終え、森の中もざっくりチェックはしてみたけれど他に魔獣は現れなかった。五人で歩いていたのもあるかもしれないけれど、小型三体に大型一体倒したのだから成果としては上々だろうと判断できる。
報告に行ったら訝しまれはしたけれど一応納得はしてくれたようで、完了の旨を受け取ってくれた。魔獣討伐というのは依頼側と討伐側の信頼関係の上で為されるものだなぁとしみじみする。言葉が信用できない相手に依頼するものではないのだ。だから、遊撃士というある種の保証された立場が尊ばれる。
14時。次は魔獣避けとして使われている林道灯の整備ということでこの町の工房仕事を一手に担っているというお店へ足を運んだ。
きぃ、と扉を開けて入ると機械油のにおいがして、少しだけ技術棟を思い出す。もうすっかりあそこは私たちにとって大切な場所なんだな、と初めての場所で想起させられるのは面白い。
「いらっしゃ……もしかして士官学院の方たちかな」
「はい。林道灯の整備ということで参りました」
ジョルジュが前に進み出てカウンターの人から話を聞いている。奥にいるのが親方さんだろうか。灯りが現状どういった様子なのか、扉の解除キーについてとか、その他諸注意を丁寧に案内してくれる。手帳に軽くメモっておいたけど、多分使わないだろうな。
「では全体数の2/3から奥の灯りの確認をしてくる、ということで大丈夫ですか」
「あぁ、手前側は先日やったからな。たぶん灯り自体を交換しなきゃいけないレベルのは少ないだろうが、そっちが大丈夫でも他のパーツが傷んでるってことはままある。簡単でいいからよろしく頼むぜ」
「はい」
魔獣避けランプと、その他細かいパーツなどを受け取ってジョルジュが身支度を整える。使用する工具などを店の人と確認するらしいので、その間店内を見て回ることにした。
そうして店の壁際にあったショーケース飾られているダガーに引き寄せられ見下ろすと、確かな実用品でありながらも工芸品といっても差し支えない美しさがあって、感嘆の吐息が出る。
「セリちゃん何見てるの?」
「うん? ダガーだよ。ほら、ここの柄の部分がカーブしているけどこれは順手で持った際に握り込みがしやすい、つまり力を伝えやすいから極端に力を入れなくても物が上手く切れるんだ。だから薄刃でもブレード部分が痛まないように工夫されているってことだね。薄刃のものはよく切れるし差し込みやすいけれど薄い分折れたりしやすいから、これはその辺りの兼ね合いがよく考えられていてうつくしいなって」
トワが隣に来てくれたので解説し始めたけれど、喋り終えたところではたとあっ喋りすぎてしまったと思った。だけど口を引き結んだら、職人さんの技術が詰まってるんだねえ、と頷いてくれたので、ああそういうところが好きだなとじんわり心があたたかくなる。すきだなぁ。
「セリはやっぱりそういった物に造詣が深いのかい?」
「深いってほどじゃないかな。こういう時に刃物の方にふらふら寄っちゃうだけで。でも知識はともかく、好きだよ。見るのも使うのもね」
とはいえ薄刃のナイフはガードには使えないので、自分がこういった物を購入することは殆どないだろうけれど。購入するなら、手にするなら、その道具が望まれた仕事の中で果てさせたいというのは使う側のエゴだ。でも自分はそう思うので、誰かいい人に出会えるといいね、とケースに入ったナイフに対してそっと胸に手を当てた。
「林道灯は左右に設置されていて、数は全部で30対。だから奥側10対20ヶ所の林道灯の点検をしなきゃいかないわけだね」
町の北から出て森へはいって暫く歩きつつ林道灯の数を数えていたジョルジュが言う。20。それなりに多い気がする。一ヶ所10分でも200分だ。灯りの裏に回ってみると、刻印は21-B。つまり道を挟んで向こうにある方がAなんだろう。
「どれくらいかかるだろうね、現在14時半だが」
「取り敢えずひとつやってみてからかな、計算するのは」
「確かに」
アンとジョルジュの会話に頷いて、自分の役目は周囲警戒だな、と森が奥まっていく方に視線を向ける。朝も別のところから入ったけれど、すぅ、と深呼吸をした。整備された道には傾いていく太陽が木漏れ日を作っていて六月の爽やかさを感じさせてくれる。このまま道を進んでいくと、ある地点で切れるのだろう。これは切り倒した木をある程度運びやすくするための道で、山の向こうとこちらを繋げるためのものじゃないからだ。
18時前。陽が暮れてしまったので、トワがARCUSで灯りをつけながら最後の一つにとりかかるジョルジュの側で補助をしている。森の夜は早い。すこしざわついているような気がして、なんだかすこし背筋がぞっとした。こういう時の森に入らない方がいい。でももう直ぐ作業も終わりそうだし問題ないか、と安堵の息を漏らしかけた、瞬間。
手が腰に自動で回り、逆手でダガーを抜いて、目を閉じ辺りの音に意識を全集中させる。呼吸をことさらゆっくりに落としていく。殺気だ。それも、獣だけじゃない。人間の。装備が整えられた生き物の音だ。
「────ねえ、誰か一人逃げ出して教官呼んでくるのと、五人全員でここにとどまって戦うの、どっちがいいかなぁ」
「そりゃ、どっちも良くねえってことかよ」
この人数で分断するのはあり得ないだろうと思うけれど、五人全員で走ればそのまま見つかってしまう。教官を呼びにいくなら適任は森に身を隠せて足の速い自分だと思う。だけどそれでも賭けだ。速度は調教魔獣には及ばないし、枝落としされている森では木々を伝っていくのもままならない。
「分断して勝算あるかなぁ」
「ま、食い殺されるのがオチだろうさ」
「なら全員で迎え撃つしかないってことだ……よし! 終わり!」
結論は出た。こんな状況でも点検を諦めなかったジョルジュの声を皮切りに、武器を納めてトワとジョルジュを先頭にし速度を合わせながら道を下り始める。私は一番最後尾につきながら音の出どころと数に気を配った。
「四つ足調教魔獣少なくとも五体、それに並走する人間五人。囲もうとしてそのまま追いかけて来てるね。いやー、もしかしたらこれアタリだったかな」
────四月五月の話が実は繋がってて、なんてオチなら記事にしたんだけどなぁ。
中間試験が始まる前辺りに、自分はそんなことを言っていたような気がする。まさか三ヶ月も連続でこんなのに遭遇するだなんて思わないだろう。そもそも、あんまりにも出来すぎているというのもある。課外活動で毎回こんなに偶然ぶち当たるか?という疑問が湧くのも当たり前なほどに。
「止まれ!!!」
威嚇射撃なのか右手にある崖の壁面に射撃が当たる。声の方向と距離を考えて、相手が猟兵なら外すことはまずないだろう。このまま背中にそれをもらうわけにはいかないと、くるりと踵を回転させ、ダガーを引き抜きながら相手を見据える。黒赤の猟兵装束を身にまとい、銃二人に大剣三人、そしてグレンヴィルで見かけた黒い調教魔獣。
「トールズ士官学院の学生たちだな。我ら猟兵団『赤の咆哮』のために少しばかり痛い目を見てもらおうか」
「猟兵に追われるようなことした記憶はねえんだけどなぁ」
「ほう、先月も先々月も我らの邪魔をしておいて良く言う」
後ろにいるクロウが応えると、そんな言葉が返ってきた。
やっぱり。あれは猟兵が関連した案件だったのだ。マジかよ、と呟きが聞こえる。いや本当にまじかよって感じだし夢だと思いたい。まさか的確に猟兵の邪魔をしていただなんて。
「いやー、でも町から出た案件を解決していっただけなんだけど」
本当にあえて邪魔をしようと考えてしたわけじゃない。猟兵に恨まれる可能性があるならなるべく避けて通っただろう。それでもあの装置は見つけることになったろうし、元拠点だった沢を見つけてしまうかもしれないけれど。でもそもそもそれはそっちの不始末や気の緩みのよる物なのでは?という気分も否めない。猟兵と言っていいレベルなんだろうか。
「あぁ、だからこれからも流れで邪魔される可能性があると考えて排除しに来た」
「それは、その、どうも手間をかけさせてしまって」
「だが我らも金にならない殺しをしたくはないからな。貴様らが試験運用中らしい戦術オーブメントを置いて試験の中止を宣言するなら見逃してもいい」
見逃してもいい。この場面では金にならない話ではあるけれど、今後得る金額のことを考えると彼らはその契約は守るだろう。そうでなければ、傭兵だの猟兵だのなんて口に出せるはずがない。でも。
「フフ、それに従うとでも思っているのかい?」
「アンタらがいい加減な仕事してっから学生に邪魔されんだよ」
「私有地への不法侵入、許可のない演習、一般市民への魔獣被害、どれも見過ごせるものじゃありません」
「やれやれ、こうなると思ったよ。とはいえ看過出来ないのは確かだ」
アンを筆頭に、思い思いの感情を吐き出していく。トワが躊躇わずに、震えずに、そう言い切ったのは申し訳ないけれど少し意外だった。うん、みんながそうであると言うのなら。──握り込んだ剣に誓って私もそれに応えよう。
「愚かなガキどもめ」
そうして、私たちと猟兵団の戦いが始まった。
とは言ってもこちらは追加戦力なんてまるで見込めない。相手がどうだかはわからないけれど、こちらがそうであるというのはもう判断されているだろう。
挑発戦技をナイフに乗せて魔獣を引きつけ片手剣で薙ぎ払う。噛み付こうとしてきたその腹に蹴りを入れクロウの追撃が入る。アンは対人戦が得意なため反対側で大剣の相手をしてくれているようだ。
私たちの敗北条件はなんだ。猟兵に殺される────いや、殺害までいけば士官学院生ということで公的権力である軍が猟兵の捕縛に動く可能性がある。それは織り込み済みだろう。さっきのは脅しだ。じゃあ、捕縛だ。そして私たちからしたら特に、トワの。彼女が奪取されるのが一番まずい。
ジョルジュもそれがわかっているのか銃撃からトワを守り空いた手で魔獣の横っ腹に槌をぶちかましている。その後ろでARCUSを駆動させて攻撃詠唱をしてくれているのが希望だ。そう、これは前衛の私たちじゃなくて、導力魔法で一気に制圧し切らなければならない。技量としては圧倒的にあちらが上なのは分かっているのだから。
「────っ」
猟兵の敗北条件は私たちを無事に帰還させてしまうことだ。ここで猟兵が何かをやっていたという証言を持ち帰ってしまうのだから。やっぱり、それなら誰か応援を呼びにいくべきだっただろうか。それでも賭けだったことに変わりはない。今更そこを後悔しても仕方ないから思考として切り捨てよう。
「────グランドプレス!」
トワの声と共にサイドに展開していた猟兵の足場が光り、中域導力魔法でアンが対峙している幾人か足が取られ膝をつく。そこを見逃さずナイフを膝関節に投げた。防具があるとはいえ横から隙間に投げれば刺さる。膝は武力行使するものとしては大切だろう。だからこそ切る。
「ふ、ふふ、やるな……」
魔獣がなおも襲いかかってくる。ちょっと待ってこいつらどこから出てきた!まだいるっていうのか。剣に噛み付いてきた魔獣にまたも蹴りを入れようとした瞬間。
「────トワ!」
ジョルジュの叫ぶ声が聞こえる。後ろに視線を走らせると、崖上から降りてきた魔獣にトワが襟元に噛みつかれるのが見えた。対応できる全員が魔獣に手を取られていて、クロウもARCUSを駆動していたのか反応が遅れる。魔獣へ蹴りを入れ、必死に伸ばされる手へ自分のを伸ばしたけれど、魔獣はトワの襟元を咥えたまま大きく跳躍し向こう側へ降り立った。
「……チッ」
即座に体を翻し体勢を整えていた魔獣を殺し切り、正面を向く。トワを魔獣から受け取って首に腕を回し、足を浮かせて銃を突きつける猟兵は笑っていた。残っているのは5アージュの距離で獣一匹にそいつ一人。だっていうのに。
「とんでもない損害を出してしまったが、やはり学生か」
「み、んな、ごめ、んね……」
「喋っていいとは言っていない」
「……っ」
「やめろ!」
導力銃のグリップでトワを殴りつける相手にアンの叫びが走る。
「……」
かしゃん、と持っていたダガーと片手剣を手前側に投げ、両手を挙げた。意図を察してくれたのか、全員武器を地面に落とす。トワが泣きそうな顔をして私たちを見ていた。
呼吸が浅くなる。……今ので全員の位置は把握した。アンが私の少し右後ろで、クロウが私の真後ろ、ジョルジュが少し離れている。この配置ならもしかしたらいけるかもしれない。
「殊勝な心がけじゃないか」
「心がけついでに、腰のナイフとARCUSを置きたいのだけれど許可を頂いても?」
「何かしようとしたらこの娘のことはわかっているだろうな」
「もちろん」
制服の前を開け、ベルトを緩めレザーケースごとナイフを落とす。ここじゃない。ついでに腰のカメラケースもそっと地面へ。ここでもない。震える手で、太ももにつけているポーチからARCUSを取り出し、それが、手からこぼれた。
ARCUSが地面に衝突する────瞬間。背中からとてつもない衝撃が加えられ前へ。
「……っ」
「ゼリカ!」
けれど何かあるとは分かっていた。背中にもらった勢いを借りて踏み出しダガーを拾い、一気に距離を詰め魔獣の眉間を突き刺すと、同時に隣に立っていた男が悲鳴と共に倒れる音がした。体を翻しその男に跨ってダガーを更に振りかぶろうとしたところで、その男がもう気絶していることに気がつく。は、と詰めていた息がこぼれた。
「トワ、無事かい!」
「アンちゃん、うん……!」
膝に手をつきながら立ち上がり、男の全身を見下ろす。手と足の甲に銃痕。射撃と私の加速に気を取られた一瞬でアンも飛び出し掌底を喰らわせたんだろう。緊張が解けて、ふらふらと数歩離れたところで膝をつく。背中が痛い。めちゃくちゃ痛い。
「ティアラ」
膝と片手を地面につきながら、残った手で背中を少し労っているとクロウの声で回復魔法が飛んできた。多少は痛みが和らぎ、歩いてくる音に顔を向けると、その手には────私の導力銃があった。
更に見上げると、ボロボロだって言うのに満更でもない顔をしているクロウ。それがどうしようもないほどに嬉しくて、体を支えていた手を土から離し、足に力を入れて、地面を蹴って、背中の痛みなんてこの瞬間だけは置いといて、その胸に勢いよく抱きついた。
いてぇとか聞こえたけれど今回は無視をする。なんなら私だって痛い。
「ありがとう……!」
そう、クロウなら私の腰の導力銃に気が付いてくれると、半ば押し付けのような信用でやった。戦術リンクも切れて、アイコンタクトも出来ない状態だったのに見事なタイミングで作戦を起爆させてくれて、本当に、本当に、クロウじゃなかったら私はこんなことしようとも思わなかった。でも、君なら手を挙げた時に絶対気が付いてくれると思ったんだ。
……蹴られるとは思わなかったけど、ああでもしないと虚をつくことも出来なかったろうし、速度も足りなかったと思う。だから最適解だ。
「クロウじゃなかったら頼めなかった……」
「……ま、オレだって、お前じゃなかったら作戦だとは思わなかったわ。痛かったろ」
「へへ、ん、まぁ痛いけど、いいよ」
労るように背中に手が回ってきた。たぶんアザにはなっているだろうけど、それでも、まぁどうせ消える。この窮地を乗り切れたならそれでいい。
「あー、その、いいところで悪いんだけど捕縛に手を貸してくれるかな」
ジョルジュの声か聞こえてきて、それもそうだとパッとお互い離れる。あっ、いてて。回復魔法かけてもらったとはいえやっぱりまだ背中痛い。
「ごめん、まだそこそこ背中痛いから見学でいい?」
「はは、わかったよ。じゃあクロウ手伝ってくれ」
「あいよ、だりぃなぁ」
ジョルジュへ振り返りながら導力銃が返されるので、それをそっとまた腰に入れる。地面に落としたものは拾っておこうと身をかがめると体が悲鳴を上げて変な声が出た。すると視界の中に手が入ってきてそれらを拾っていく。視線を上げると、額に血の痕が僅かに残るトワがそこにいた。傷は既に回復魔法で塞いでいるだろうけれど痛々しいものに違いはない。
「はい、セリちゃん」
「ありがとう」
ナイフとカメラのケースは腰に回して装着し、ARCUSはポーチの中に。うん、しっくりくる。投げた中身も拾って回収しておかないと。
「トワの落ち度じゃないよ」
「……」
「言うなら全員の落ち度だね」
導力カメラを取り出し、捕縛されていく猟兵を写真に収める。何枚も何枚も。
「でもさ、こうして全員生き残ってる。怪我はしてるけど。結構大勝利だと思わない? ────サラ教官もそう思いますよね」
「えっ」
「そうね、十分やったと思うわよ」
さっき魔獣が来た崖の上に視線をやると、青いコートをはためかせてサラ教官が立っていた。すとん、と軽い身のこなしで私たちと同じ高さに降りる。
「憲兵隊なり領邦軍なり呼んでくれました?」
「双龍橋からもう直ぐ来る手筈かしら」
「えっ、えっ、セリちゃん気付いてたの!?」
「いや、気が付いたのは全部終わった後だけど……たぶん全部見てましたよね」
この人なら気付かれずに戦闘中の私の警戒網の中へ入ってくるぐらい容易いのだろう。非常に腹立たしいけれど、それが教官と私の力の差というやつだ。
「どうかしら? 今まさに駆けつけたばっかりかもよ?」
「……そうですか」
まぁ、全てを見ていたと肯定するなら、トワが猟兵の手に落ちた段階であれを撃ち殺すべきだった。それをしなかったのは私たちの技量を見たかったのか、それとも"殺害"を見せたくなかったのか。どっちなのかはイマイチわからない。……でも、銃声は二発だった。銃痕も二発。大きさからして手の方がクロウが撃ったものだろう。じゃあ、足の方は?ってなると、角度的に一人しかいない。
「どうかした?」
「いや、上手くはめられた気がしてならないだけです」
ため息を吐いて、軍が来るのを私たちはそこで待っていた。
「今回もつっかれた……」
教官が呼んでくれた領邦軍が来るのを待って事情聴取され、その後流石にこのまま鉄道に乗るのはキツいと思ったので教会で薬を塗ってもらってから鉄道の最終便に滑り込んだ(ジョルジュはこの間に工房へ報告と部品を返しに行ったらしい)。もう二十時だ。トリスタに着くのは二十二時。明日も授業があるのに大層キツい。宿酒場の女将さんが晩御飯を包んでくれたのだけが幸いというべきか。キャベツたくさんのカツサンドが身にしみる。
「あはは、本当にお疲れさま。……それと、みんなありがとう」
謝罪じゃなくて、感謝の言葉。今までのトワだったら謝っていた気がするけれど、そう言ってくれるのが私は嬉しかった。
「トワに何かあったら私の名折れさ」
「その点、僕はちょっと情けなかったけどね」
「ううん、ジョルジュ君はずっと私の前に立っててくれたよ! 頼もしかった!」
「そうそう、あそこで必要だったのは速度だってだけだろーよ」
その言葉に、あることを思い出す。
「そうだね、クロウがアンを略称するぐらい逼迫してたもん」
「ああ、そう言えば」
「……」
頑なにアンを愛称で呼ばなかったクロウが、あの時確かに『ゼリカ』と呼んだのだ。
自然と四人の視線がクロウに集中すると、ぐっ、と喉が詰まったような表情をして、珍しく視線を逸らした。
「いや、その、"アン"だと最後に音が落ちるから他の音と咄嗟に聞き分けづらかったり次の音に繋げにくいだろ。その点"ゼリカ"なら」
「"ラグらずに誰かわかる"?」
「そう、合理的な呼び方ってわけだ」
私が『アームブラストさん』と呼んでいた時に言われたことを思い返して言ってみると、肯定されて思わずみんなで笑ってしまった。クロウらしいなぁ。
「ンな笑うことかよ」
「いやいや、笑うところだろう。まぁこれからもよろしく、クロウ」
「あー、ま、そうだな。よろしく頼まぁ。ゼリカ」
ぱしん、と二人が手を叩き交わし合うので、あぁ、また課外活動に出るのが楽しみだななんて、思ってしまったのだ。こんな目に遭っていると言うのに。それでも。次があると信じて疑わなかった。
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15.5
夜、全員でなんとか寮に帰って、シャワーを浴びてくたくたになりながらベッドに倒れ込んで、今日のことを思い出す。
『ありがとう……! クロウじゃなかったら頼めなかった……』
そう言ってあいつは無防備に胸に飛び込んできた。
正直、無謀だと思った。どう考えたって現役の猟兵相手に喧嘩売って、人質取られて、それでも武装解除して手を挙げる際にオレにこの銃を取れって背中で誘ってきたあいつは頭がおかしい。
それでもオレは、その意図をおそらく正しく理解しちまって、ARCUSを落とすっていう何気ない合図を引き取って、背中を蹴り飛ばしながらその腰の銃を抜いて速射したんだ。まぁ別の発砲音もあったわけだが。
あんなギリギリの博打を打ち切ったっていうのに、抱きついてきたその身体はいつもみたいに小さくて、正直どうしていいのかわからなかった。だから、ああやって抱きしめたのが正解だったのか"俺"にはわからなくて、今でもなんか腕に感覚が残って、どうしようもねえことを考えてる。
だけど本当に、あいつからじゃなかった場合にあの意図を自分が受け取れたかどうか。且つ、それを実行しようと思ったかどうか。たぶんNOだ。だから、オレにしか頼めなかったってのはそうなんだろう。実行したオレもオレだ。サラがいることには気がついちゃいたが、手を出すかどうかは五分五分、いや、こんな案件に突っ込ませてる段階で手助けするつもりがあるのかどうかっていう疑問が湧くわけだから、二分くらいだったか。
たった三ヶ月だ。
鉄道憲兵隊や帝都憲兵隊の目を欺くためにこの士官学院に入った。身分の偽造に偽造を重ねて。名前だけは捨てられやしなかったけど、まぁ六年前に街から消えたガキの話なんてもうどっかにいっちまってるだろう。戸籍の改竄だって祖父さんが死んだ後に市庁に忍び込んでやり切るくらいワケなかった。アームブラスト姓もあの辺じゃ珍しいもんじゃない。帝国にだっていたりするだろう。だから、おそらく俺は見つからない。
そういう空虚な存在だ。誰でもない、どこにもいない、あの男を恨む貴族どもをパトロンにしたただのテロリスト。正義を謳うつもりは毛頭ない。ただ、してやられた事実があるってだけで、俺はエゴで仇を討つって決めただけだ。祖父さんが生きてりゃ止めたろうが、ま、死んじまってる。どうしようもない話だ。
だって言うのによ。無茶振り無謀な作戦を誘われて、それに乗っかって、やり切っちまった。違う。情じゃない。あそこで見捨てるよりは、見捨てない方がこれからが楽だったって計算をしただけだ。トワはどう考えてもあのチームの要だ。精神的支柱であり、まとめ役。どうしようもねえ我の強い奴らをとりまとめられる稀有な人材。
つまり、あそこでトワを助けるのは良手だった。これからも俺がオレでいるために。あの四人は上手い隠れ蓑になってくれる。仲良しこよしの、単なる一人の学院生として俺をそう規定してくれる。
だからあれは間違っちゃいなかった。
いなかったんだ。
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七月
07/03 学院長の呼び出し
16
1203/07/03(金) 二限終了、昼休憩前
「ローランドさん、学院長室に出頭してください」
事務員の方が授業終わりを見計らって入ってきて、そう私を呼んだ。一瞬止まってしまったけれど心当たりがすぐに思い当たったので、わかりましたと硬い声で返答し、授業の後片付けもそれなりにして向かう。中央階段を降りて、早鐘のように鳴る心臓を少し叩いて、学院長室の前へ。
は、と短く息を吐いてから背筋を伸ばしノックし、入室了承の声。
「失礼致します」
入ると、左手の学院長机にヴァンダイク学院長がお座りになられているのは想像していたけれど、その机の前に金色の髪の毛に緑を基調とした衣服を纏ったいかにも貴族といった風情の方が立っていた。
「ああ、来たかね。こちらへ」
学院長の指示に従い、机の前に出て、手を後ろに組む。このいかにもな貴族の方が同席しているということは、私がやらかしたことに無関係ではない、ということなのだろうと思う。でなければ私のような一介の学生のことなんて待たせておけば良いのだから。
「一年VI組、セリ・ローランド、ただいま参りました」
「うむ。来てもらったのは他でもない、先日出してもらった校内新聞についてだ」
やっぱり。
「はい」
「結論から言おう。これは発行できない」
少し目線が落ちそうになったけれど、わかりました、と努めて静かに返事をした。
四月から始まり、六月におそらく終わりを見せた私たちARCUS試験運用チームが遭遇した案件。それを一旦バラしてから筋道を立てつつ再度まとめなおし今回の件を解説した記事を、書いたのだ。そうして発行する前にいつもと同じ形で、いま顧問になってくださっている美術担当のフェルマ教官に提出したところ、すこし預からせて欲しいと言われてしまった。それが先月の30日のこと。
「お話は以上でしょうか」
「まぁそう焦ることはない」
そこでようやく、貴族の方が口を開いた。そちらに体と視線を少し向けると、金の髪の毛の間から翠耀石のような綺麗な緑の瞳が見える。本当に、どっからどうみても貴族だろうという感想から、ようやく記憶が引き摺り出された。確かこの学校には理事長とは別に常任理事が三人いる筈で、その内のお一方が確か。
「この学院の理事を務める、ルーファス・アルバレアだ。セリ・ローランド君」
翡翠の公都治めるアルバレア家のご長男だ。
「はは、そう硬くなることはない」
けれど私の緊張とは裏腹に、その方は柔和に笑う。いや、緊張しないでいられるだろうか。
ルーファス・アルバレア────四大名門貴族の筆頭たるアルバレア公爵家の次期当主と目されている方だ。アンも似たような立場とはいえ、彼女はそういった立場ではまだないし、そういう気質でもない。けれどこの方は違う。目の前に立ってみればようくわかる。私を潰そうと思えばなんの感慨もなく潰せるお方だ。
「いや何、君の記事は読ませてもらったが素晴らしいものだった。だが表に出せない。理由はわかるかな?」
「……まず第一に、記事を書いた人間の名前が出ますが、猟兵絡みでは私はまだ自分の安全を確保できるという技量がないからです。第二に、それに付随し学院生全体が何がしかの危険に巻き込まれる可能性が発生します。第三に、私の記事ではARCUSという戦術オーブメントのことが表に出てしまうかもしれません。……そのようなところでしょうか」
第四に、猟兵運用や州を跨いだ事件という政治的圧力もあるだろうけれど、それは言わなくていいことだ。
「うん。正しく理解しているようだね」
「そうだ、君がたとえ強くとも猟兵に関してはまだ一人で戦えるものではなく、また戦うべきではない。そして学院生全体が危険に陥る可能性をワシは是とは出来ぬ」
「……はい」
「ゆえにここからは私の提案なのだが、帝国時報などの一般流通している新聞社へこの記事を提供することはどうだろうか、とね」
新聞社へ記事を提供。間抜けな声を出さなかったのを褒められたいほど予想だにしていなかった言葉で、反応が遅れてしまった。
「えっと、それは、どういうことでしょうか。すみません、理解が遅く」
「例えば帝国時報へ君の持つ記事と写真の権利を提供すると、記事の書き直しがされ、新聞社の誰かの名前がそこに記され一般流通記事として市民の目に入るだろう。そういった形で構わないのであれば君たちが成した功績は表に出る、代わりに君の名前は一切秘匿される。そういうことだ」
揉み消されるのではなく、もっとたくさんの人の目に触れる場所へ。この記事が羽ばたくということでいいのだろうか。それは、願ってもないことだ。
「────はい、私にとって名前が出るかどうかは重要ではありません」
記者としてはそんなことを言うのは三流もいいところだろう。自分の名前で記事に責任が持てないのであれば、世に出すべきではない。それでも、私は、『無かったことにさせない』ことを選んだのだ。功名心のためじゃない。帝国で、確かに事件があったというのを記録しておくために。たとえそれがすぐに忘れ去られるものだと分かっていても。
「決まりだ。あとはヴァンダイク殿、お任せしてよろしいかな?」
「ええ、こちらで取り計いましょう」
「では、そのように。ローランド君も息災で」
既に話は終わったと言わんばかりに、ルーファス公子は爪先を扉の方へ向ける。あっ。一瞬問いかけそうになって、閉ざして、いやこれを逃したらもう直接聞くチャンスなんてないとまた口を開いた。
「あ、あの、なぜ、こんな提案をしてくださったのですか?」
「……私としても学院の生徒の功績が世に知られるのは嬉しい、ということさ」
すこしだけ振り返ってくださったその方はそう言い残して、今度こそ学院長室を後にした。えっ、とんでもなく忙しいだろうに、この案件のために来られたのだろうか……いやそんなわけはないか。
「少しワシと話す用事があったのは確かじゃよ」
「あ、そ、うですか」
どもってしまった。いや流石に(幾分かはマシになったとはいえ)この身分制度が色濃い帝国で四大名門の跡継ぎの方がなんの前触れもなしに目の前に現れたらビビるだろうと思う。私は小市民なので。……いや、アンに無言の喧嘩を売っていたのは確かなのだけれど。ある程度慣れたとはいえ、私にとって貴族というものは未だ恐怖の対象ということなのかもしれない。情けない限りだ。
「では、放課後で構わんから使用した写真と感光クオーツを提出してもらえるか」
「クオーツもですか……わかりました。放課後すぐに持って参ります」
管理しやすいように課外活動へ出る際にはいつも新しくしているので、それが幸いした。ルズウェルの夏至祭の様子も一応既に現像しているし、何か必要になったらそれをどうにかすればいい。
「では、失礼致します」
学院長へ踵を合わせ頭を下げ、部屋を後にする。
静かに扉を閉めてから暫く中央階段の方へ廊下を歩いて折れ曲がる直前で、とすん、と右肩を壁に預け詰めていた息を吐きながら顔を覆ってしまった。いや、びっくりした。びっくりした。とんでもなくびっくりした。除籍になるとは流石に思っていなかったけれど、差し止めは予想の範囲内ではあったけれど、それ以降のことが想定外のことすぎる。
それでも一般流通に乗ることで先の三点……いや四点は全て解決ができる。
第一の問題点である私の名前は秘匿されるのでまず大丈夫。第二の点は『一般市民に実害のあった案件を士官学院生が解決した』というのを大勢の人が知ることになることによって、仮に学院生が襲われた際にその猟兵の仕業ではないかという世論を作るそのことによって猟兵を動きづらくさせる、という話だ。第三は書き直されるのだから適当に生徒が課外活動する方便が立てられるのだろう。プロというのはすごいので。第四は公爵家が関わってくる段階で私の理解の範疇を超えている。そして何よりルズウェルはクロイツェン州……アルバレア公爵家の管轄なのだ。猟兵は領邦軍に引き渡されて、その後どうなったかは私たちは知らない。
つまり、そういうことなんだろう。たぶん。
「あ、セリ君。大丈夫だったかい」
「あー……」
顔をあげると写真部の友人であるフィデリオがそこにいた。例の写真の現像を手伝ってくれたこともあり、記事の内容を知る数少ない一人だ。もちろん、試験運用チームは全員知っているのだけれど。
「学院長室に呼ばれたって聞いてさ、たぶん新聞記事のことだろうって」
「うん、まぁ、なんとか。記事の差し止めはされたけど、想像よりは……いいオチかなぁ」
「うん? まぁ君が納得できる形になったなら良かったよ」
よかったよかった、と笑ってくれるフィデリオは本当にいい人だなぁ、なんて若干現実逃避したい自分がぼんやりそんなことを考えていた。あぁ、後でみんなにも報告しないと。
「お前が学院長室に呼ばれたのは知ってたけど、ンなことになってたのかよ」
「正直心臓が死ぬかと思った」
「おや、セリにもそういう感情があるのかい?」
「えー、すみませんねありますよ。その節はごめんなさい」
「まぁ何にせよ、無事でよかったよ。記事にはなるんだろう?」
「うん。ただみんなの写真使ってたからその辺ちゃんともう一回許可取ろうと思って」
「セリちゃんそういうところ律儀だよね」
「校内新聞と帝国時報だと目にする量が文字通り桁違いだからねぇ……」
そうして実際に発売された帝国時報に(かなり書き直しはされていたけれど)本当に記事が載っていた。それで私たちの身の回りが少し騒然としたり、ブランドンさんからまたオマケを頂いたり、フレッドさんから頼もしいぜと言葉をかけられたり、ミヒュトさんから生きててよかったなと言われたり。
まぁいろいろあったけれど、とりあえず悪いことはなさそうでホッとした。
自分で自分の責任が取れないというのは、本当に歯痒い。つよくなりたい。
1203/07/10(金) 放課後
授業から帰ってきて寮の一階にある自分のポストを開けてみると、藍色の封筒が入っていた。あ、と思ってポスト内に置いているペーパーカッターと共に手に取り、扉を閉めてロビーのソファに座る。普段より分厚い封筒を丁寧にピリピリ開くと、中にいつもの手紙と、珍しく写真が同封されていた。
取り出してみると、故郷ティルフィルの夏至祭の写真だ。いつも見ている光景ではあるけれど、写真のなかに見えるみんなが楽しそうで私も笑みが溢れる。
木工細工が盛んなティルフィルは飾り付けに透かし飾りのランタンを作る風習があって、それは見習いさんや新人さんのデビューを兼ねていたりするので結構賑やかなのだ。たまに大人げなくベテランの職人さんが入ってきたりして、飾り終わった後に売りに出されたりもするのでそれを目当てにやってくる商人さんもいたりする。ベテランさんがやる気を出すのは年によりけりだけれども。
「……その写真はなんだ?」
かけられた声に顔を向けると、確かIII組のクララがそこにいた。珍しい。基本的に授業以外は美術室にこもっているから寮では殆どその姿を見ないというのに。何か部屋に忘れ物でもしたんだろうか。
「あぁ、これは私の故郷の夏至祭の様子だよ」
「そういうことを聞いているんじゃない。その木製細工の話をしている」
持っていた写真のある一点を指差され、なるほど、と合点がいく。美術部の彼女は彫刻を専門にしていてあまり二年生とも話さないという噂を聞いてはいたけれど、そもそも芸術以外に興味がないというだけなのだ。
「これは……たぶんダンバルさんっていう職人さんの透かし細工だろうね。今回は彫刻みたいだけど、別の時は木材を寄せて柄を作ったランタン飾りを出してる年もあったよ」
私の家によく出入りをしていた人のものなので、まぁ物が変わってもある程度わかる。家に来て叔父さんとよく飲んでいたのを、あんまり飲みすぎたら駄目だよと怒った日も懐かしい。今も壮健でいらっしゃるようでよかった。
「なるほど……だがやはり職人の手のものは現物を見るに限る……。どこ出身だ?」
「え、ああ、サザーラントのティレニア台地近くにある、ティルフィルって街だね。旧都の西街道を行った先の。……もし行くつもりがあるなら、紹介状書いておこうか? たぶんその方がスムーズに作品見せてもらえるだろうし」
人と接しない彼女がここまで饒舌になるということは、それだけ何か彼女にしかわからない価値があるのだろう。そういう人が、なんだかんだ私は好きなのだと思う。私に理解出来る以上の職人さんの良さを、彼女は感じ取れるということでもあるのだから。
「頼む」
「うん、頼まれました」
そして別れの挨拶もとんとなく、どたどたと足早に上階へ昇っていくので、面白いなー、と一人で笑ってしまった。かなり自力で生きている感じがする。その上で利用できるものは利用して自分の糧にしようとするのは、この世界で生きる上できっと正しい。
さて、と手紙を開いてみると、夏至祭のことや近況が書かれていて、いつも通り二人も街も元気なようで何よりだ。ティレニア台地は比較的涼しいとはいえ夏が近いとどうしても体調を崩す人がいるから、みんな健康であるのならばこれほど嬉しいことはない。
そうして読み進めていくと、帝国時報の記事のことについて触れられていた。うっ、と少し身構えてしまう。叔母さんは保護者であるため私が最新の戦術オーブメントの試験運用に携わっている、と言うのは報告がいっている筈。ゆえに、私たちの名前は出ないまでもあの記事の内容で誰がそこにいたのか勘付いてしまったのだろう。身内ながらさすがの観察眼。それが今は憎い。
けれど手紙の文面としては怒るものではなく、私を心配することと、恵まれた仲間に喜ぶことと、士官学院でしっかりやっていることへの嬉しさがしたためられていた。……心配、かけてるんだなぁ。それもそうだ。亡き身内の忘れ形見である私が、一人娘が、奨学生として士官学院に入ると言いだしたのだから。それでも最終的に頑張ってと送り出してくれて、お小遣いや食料や雑貨を送ってくれたりしている。私はやさしいひとたちに生かされている。
「よっす、何読んでんだ?」
「故郷の家族からの手紙。夏至祭の写真も一緒にね」
クロウが寮に入ってきて、目敏く私を見つけたらしくそのまま対面に座られた。
「ああ、そういやルズウェルでも夏至祭やってたしな。帝都は今月末だったか」
「みたいだね。大帝が獅子戦役を終結させた終戦記念に因んで行われるらしいから」
「夏至賞っていう競馬のでっかいレースがあるって聞いてよ、それが楽しみなんだよなあ」
「いや、20歳未満は馬券買えないでしょ」
そう突っ込みを入れながら、そういえばクロウの故郷の話は聞いたことないなと思った。まぁでも話したくないこともあるだろうし、特に聞いたりはしないけど。その辺が今いるチームの距離感としていいところだと思う。家庭環境は千差万別でうっかりすると複雑で深淵だ。首を突っ込まないでいられるならその方がいい。
「少しくらい夢みてもいーだろうがよ」
「というか、夏至祭自体行けるのかちょっと怪しいよね」
「ん? ……あ」
「課外活動」
「だよなあ、そいつがあったわ」
「正式カリキュラムじゃないから休みに合わせてズレたり日程延長するかもしれないし」
夏至祭中は学院も休みのようだし、ここぞとばかりに二泊三日を入れてくる可能性も捨てきれない。と思う。もし帝都の夏至祭と活動日が重ならなければそっちの方も行ってみたいと思いつつ、近くに住んでいるのに人が多い時にわざわざ行くこともないかという気分になったりしないでもない。屋台は気になるけど。
ただ警備的に忙しいだろう夏至祭前後に遠征活動を組むかという懸念もあって、となると一週ズラすと自由行動日が完全に潰れることになり、それはそれでどうだろう。もしかしたら平日とか?そうなると短縮授業の日曜以上に授業の取り返しがし辛くなるので勘弁願いたいところではあるけれど。うーん。
「まぁ何にせよクロウは馬券買えないから諦めなって」
「ハッキリハキハキ言うな。見るだけでも面白いんだぜ」
そんな間の抜けた会話をしながら私たちは暫くおんなじ時間を過ごしたのだった。
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07/14 夏風邪
17
1203/07/14(火)
「だりぃ……」
風邪をひいた。徹頭徹尾容赦なく、体温上がってるわ目ェ霞んでるわ心臓ずっと速いわで夏風邪以外のなにものでもない。正直辛い。一応ARCUSでジョルジュに連絡は入れといたから学院の方には適当に伝わってるだろう。
全員出払ってる寮はすげー静かで、やることもなんにもねえのがすげえ暇なのに、何にもできねえっていう堂々巡りの悪循環な思考が止まらない。夏真っ盛りで暑いってのに毛布を退けると寒いんだから世話がねえ。
暫くは《C》としての活動は保留にしてあいつらに任せて、俺の方は学院の方で埋没するのに注力するつもりだったっつうのに。再度動くにしても来年、早くて年明け、遅くとも四月にはまた動き始める予定だ。帝都の地下水路は思っていた以上の広がりを見せてくれてた。あれならどこにだって行ける。どこにだって顔を出せる。
《帝国解放戦線》────まあ名前は何でもいいと言っちゃいたが、パトロン共に決定を委ねたらあんまりにも直球すぎてこいつらのセンス大丈夫かと頭が痛くなったが、譲歩できるところは譲歩しておけばいい。名前がなんであろうと俺たちがやることはたったひとつだ。鉄血宰相を殺す。取り敢えずただそれだけの為に俺たちは生きている。後のことは特に考えちゃいない。
……ま、俺に関して言えば収拾つくところまで付き合うのが筋ってもんだろうが。ヴィータも何か考えてることがあるみたいだしな。『魔女によって導かれた起動者』の役割くらいはこなしてやるってのが後腐れなくていい。
────俺の本分は、《C》だ。
それを忘れなければ、この安穏な日々を是としたって、もしかしたら。
「……」
いつの間にか寝落ちてたらしく、窓から入ってくる陽の光に気がついた。
唾液を飲み込むのも喉が痛え。頭もこめかみがズキズキと持続する痛みが襲ってきて思考をまとめようとしても上手くまとまらない。やべえな、これ、悪化してんじゃねえか。
とは言ってもここが第一ならともかく第二だ。具体的な時間はわかんねえけど、今の時間帯に頼れる相手なんて誰もいやしない。こういうのはとっととまた寝て痛みを忘れるに限る。
と、ノックが聞こえた。幻聴か?
「クロウー? 起きてる?」
「あ? セリか……?」
クソ真面目な奴が何で昼間だろうこんな時間にここにいるんだ。おまえ授業どうしたんだよ。奨学生だろ。さっさと行って来いよ。ああくそ何か考えると頭痛え。
「風邪って聞いたから昼ご飯にパン粥作ったんだけど食べるかなーって」
「あーーー、食う。食いたい。扉は開いてっから」
掠れる声でそれだけ言うと、わかった持ってくるね、と廊下を走っていく音。どうにも身体は正直なもんで、飯が食えると分かったら途端に空腹を主張してきやがった。取り敢えず上半身だけでも起こすかとずるりと何とか起き上がって、ぐっちゃぐちゃのTシャツが汗だくで少し笑う。気持ち悪ぃ。
「あ、起きてるね」
片腕で盆を抱えてもう一方で水差しを持って器用に扉を開けたそいつは確かにセリで、いやマジでなんでこいつここにいるんだ。頭痛が響く頭ん中に冷静にそのツッコミが差し込まれる。
「私もお昼まだだからここで食べていくよ」
とんと使ってない学習机に盆を一旦置いて、水差しからコップへ中身を注ぐ。そうして器一つを避けて、盆をオレの膝へ。ベーコンと玉ねぎが絡まったミルクパン粥に、オレンジ色のゼリー。
セリはと言えばさっき避けた器を片手に、机備え付けの椅子をガタガタと持ってきて座り粥に口をつけ始め、ようとしたところでこっちの視線に気が付いたのか顔が上がる。
「あ、そのゼリーは朝のうちにフレッドさんに頼んで作っておいてもらったんだ。パン粥とか主食が駄目そうならそれだけでもと思って」
「……わりぃ」
「あは、いいよ。寮生活なんて持ちつ持たれつだし。っと、早く食べなきゃ」
慌てて食べ出すセリを見ながら俺も水を飲み干してからスプーンを手に取った。セリの方をちらりと横目で見たら、ついでに時計が目に入る。まだ昼だ。窓から入る光もそれを告げている。そっと水が注がれた。
ああ、こいつ、昼休み使って帰ってきたのか。
しんと静かな寮の中で、二人してパン粥を食ってるシチュエーションがそれを如実に知らせてくる。何だかなかなかに贅沢な気がした。しかもキルシェは商店街の方にあるわけで、一度学生寮を通り過ぎて行かなきゃいけねえわけだ。ほんの少し、ああ家族っつーのはこういうもんだったかな、と、もうずっと昔に捨てた何かが思い起こされそうになって、懸命に蓋をした。見ないフリを、した。
ぱん、と手を軽く打つ音がしてハッと意識が戻る。
「ごちそうさまでした。……口に合わなかった? 正直に言ってくれていいけど。もしかして柔らかい食べ物は米食の方が良かったとかあったかな、リゾットとか。あとは具合悪い時パスタって地域もあったっけ」
「あ、いや、違う違う。ちっと考えごとしちまってただけだ」
あぐ、と口に含めば牛乳で柔らかくなったパンがするりとやわらかく喉を通っていく。具材の玉ねぎとベーコンの味付けも悪くねえ。つうかこれ普通に美味いな。粥っていっても水分は飛んでるし、卵とかも合うんじゃねえか。簡単に安く出来そうなところもいい。
「食べきれなかったりしたらそのまんまでいいけど、お盆あっちに置くぐらいはいける? 駄目そうなら床に置いといて」
指差されたのはまぁ備え付けの学習机だ。距離にしたら3アージュ弱ってところか。まあ大丈夫だろ。飯食って水飲んでそれなりに頭痛も火照りも落ち着いてきてる。
「おう、できる、と思う。だからとっとと戻っとけよ」
ひらひらと手を振ると、わかった、とそいつはにっと笑う。
そんでそのまま行くのかと思ったら、ばたばたと枕元のキャビネットの上に中身を補充した水差しを置くだの、ベアトリクス教官から受け取ってきた解熱剤を置いとくだの、替えの毛布を持ってくるだのなんだのいろんなことをして、それから学院へ戻っていった。
「……」
お節介。その一言で片付くだろうに、それでも一連のことにどうにも落ち着かない感情を抱いた俺は、昼飯を食い終わって言われた通り机に盆を置いて、少し悩んでから渡された解熱剤も飲んで、そのまま泥へ沈むがごとくまた眠りに落ちた。
「あ、クロウ君どうだった?」
「ご飯自分で食べられるぐらいには回復してたかな」
「やれやれ、セリも案外甲斐甲斐しい。寝ていれば治るだろうに」
「うーん、熱で寝込んでる時って想像以上に心細いから、そういうのが大切だと思ってるんだよね。特に私も含めてみんな保護者の元を離れているわけだし」
「ああ、確かにそれは大事かもしれないね、特にクロウには」
「そうそう。煩くしてもアレだから足速い私が代表して行ったけど、ゼリーは割り勘だし自分が大事にされてることを思い知ればいいよ」
「あはは、なんにせよはやく治るといいねぇ」
1203/07/18(土) 短縮授業終了後
さすがに極端に学院側から目をつけられんのも良くねえと思ってある程度は勉強しておくかとそのまま明るいうちに寮へ帰って教本開いたはいいが、全っ然頭に入んねえ。この間の続きを今日授業でやったら若干ついていけねえって思っちまったからどうにかしてえんだけどな。
明日は自由行動日だから帝都の方に出て、夏至祭前の帝都を少し見て回りてえところだが。まぁ《C》は控えるってったって学生姿でそれくらいなら平気だろ。
……背に腹は変えられねえか。ため息をついてARCUSを手に取った。
「おーい、来たぜ」
「うん、そのまま入って来ていいよ」
ドアストッパーで開けっ放しにされた部屋を覗き込むと、このクソ暑いのに長ズボンを着用してストールを肩からかけたセリが部屋の座卓でいつものように座っている。オレも当たり前のようにつっかけを脱いで部屋に上がって隣に腰を下ろした。持って来たのは政経と導力学と数学だ。
「V組の進度わからないんだけど、先週それぞれどこまでやったって?」
「あー、たぶんこの辺だな」
「……寝てたってことかな」
「おう」
堂々と胸を張って言うことじゃない、と本当に軽く背中をぺしんと叩かれて、まぁそうかもな、なんて笑ったらため息をつかれた。それにしてもこいつ、自分の時間削って他人の勉強を見るのに嫌な顔ひとつしないで応じんだから、お人好しに輪をかけてお人好しだっつーか。対面じゃなく隣に座っても問題ねえみたいだし。まぁどうせ教えるときに近寄ってくるんだから一緒と言えば一緒なんだが。
「まぁでも進度そこまで変わらないみたいだね。うん、大丈夫。導力学に関してはプログラミングだったから、これは後回しにしておこう。手を動かした方がたぶんクロウは覚えやすいだろうし。というか得意まであるでしょ」
言いながら座り直して、自前の数学教本を開きつつノートに数式の解説を書き込んでいく。数学っつーか物理学は戦術計算に使うから、出来るようになっておいて損はねえよな、と思う。まあそういう実戦レベルのやつは手勝手でわかっちまうけど、理論を頭に叩き込んでおくのも大事だ。
「……あふ」
小休憩入れたところでセリが口を手で隠しながら珍しく欠伸する。若干ふにゃふにゃし始めてるぞ、大丈夫かこいつ。
「寝不足か?」
「んー、そうかも。ちょっと暑いせいか夢見悪くて」
確かに連日じわじわ暑い夜が続いてその言葉には説得力があるというか、正直オレも暑くて夜中に起きたりするしな。RF社の最新導力器には冷たい風を出すもんがあるとか聞いたが、そんなん高価中の高価なもんだ。学生寮に配備されるわけがねえ。第一ならともかく。
「そんじゃこの間の借りもあっから、寝るのにオレの胸貸してやるよ」
両腕を広げてそんな冗談を言うと、ピリッとセリの雰囲気が若干やばいものに変わったのがわかる。あ、これは流石に怒られるか?
「………………そうだね、それもいいかもしれない」
「へっ」
だけど眉間に皺をつくったそいつは、数秒考えた末にそんなことを言い出しやがった。いや、言い出したのはオレだけどよ!まさかクソ真面目で勉強教えるってだけで扉開けっぱなしにするこいつが乗ってくると思わねえだろ。出した結論間違ってんだろ。頭働いてねえだろ。ああ、寝不足だったか。ちくしょう。オレの頭が働いてねえ。
「君を抱き枕にしてやろう。言った責任は取りたまえよクロウくん」
すっくと立ったセリはベッドから枕を引っ掴んでオレの横にぱすんと若干叩きつけるように落とす。……おっと、これは随分お怒りだな?そんでセリは座卓を適当に動かして寝られるスペースを作り、そのままごろんとストールと一緒に寝転がった。
「はい、はやく、君も」
パンパン、と床を叩き隣にくることを強要されるので、無言のまま肘をついて寝っ転がってみると、そうそれでいい、と言わんばかりに頷いて、そのまま。静かな寝息。あっ、こいつ本当に寝やがった。いや、マジか?寝るか?というか寝付き良すぎだろ寝不足って嘘なんじゃねえか。……いや、でも眠れてなかったから寝付きがいいとかも、まあ、あるか。
それに抱き枕と言っちゃあいたが、別に腰に手を回してくるでもなく、ただただ胸の前でストールを手繰り寄せて寝ているだけだ。小さな爪がマットにすこしだけ光を反射する。
「……」
静かな状態で見下ろして、改めて思うことがある。まずこいつ、顔がいい。ゼリカがあんだけ熱心になっていただけはあるっつーか。あいつ自身も顔がいいってのにトワとこいつを合わせて両手に花だと言っていたのもそこそこわかる話だ。それをこいつ自身はよく思っちゃいなかったみたいだが。
この見目をフル活用するだけで困らずやっていけるだろうに、こいつはそれを良しとはしなかった。奨学生として扱われるレベルの勉強をやって、実技でも結果を出し続けて、チームでもそれなりにいい人間関係を構築して、ずっと走り続けてる。
そんでトワとは別ベクトルの真面目女子かと思ったら貴族のゼリカと真正面からぶつかるわ、戦闘訓練で本っ当に悔しそうな顔をするわ、やべえ博打の作戦を誘ってくる頭のおかしい部分もあるわってのが手に負えねえ。
ンなことを考えてたら、聞き覚えのある足音が部屋の外から聞こえてきた。いや、ちょっと待て。さすがにこの状況見られたらまずいだろ、と考えたところで、いやこいつの部屋角部屋だからその手前に用事があったりするか。
「セ……」
という願いも虚しく、トワが部屋を覗いて来た。息が止まる。部屋の中を見て何かを察したのか、口元に両手を当てたトワが、うんうん、といった仕草をした後に、ごめんね、と言わんばかりに両手を合わせてそのままぱたぱたと走っていく。
……いや、これ、どう考えても勘違いされてると思うんだが。どうせ誤解を解く機会なんか幾らでもあるだろうけどよ。
オレの葛藤も今の焦燥も、全部知らないですやすやと安穏と寝ている寝姿に若干苛つきがないと言ったら嘘になるが、まあ、ぶつけるのは起きた後でいいかとオレも適当に寝ることにした。
「んー、よく寝たよく寝た。抱き枕……というか添い寝か。ありがとう」
眠ってからきっかり一時間。こいつの体内時計どうなってんだ。
タイルカーペットが敷いてあるとはいえマットレスもない硬い床の上で寝たからか、身体をほぐすように自分の腕を掴んで脇の筋肉を伸ばして笑いかけてくるそいつに、オレも起き上がって口を開く。
「オレが言うのも何だが、お前こういうのはよした方がいいぞ」
さすがに断ってくんだろって言ったことを真に受けるんじゃねえ。わかっててやったろ。恋人でもねえ男の胸借りて寝るとか嫁入り前の女がやるこっちゃないっつーの。顔の半分を手で覆いながらため息をついちまう。なんでオレがこんなこと心配してやんなきゃいけねえんだ。
「なら、私も言おうか。ああ言うのはよくないよ、クロウ」
「?」
だけど、んな風に返されるとは思わず顔をあげると、さっきとはまた異なった、だけど真面目な顔でセリはオレを見て来ている。────あ、こいつは。この瞳は見たことがある。一番強く覚えてるのは、中間試験初日に「そんなにオレが必要か?」って茶化した時のあれだ。
「君、お調子者でおちゃらけの人間で通ってるけれど『他人が断ることが前提の発言』を日に何回やってる?」
「……」
「別にそれを止めろと言える立場でも何でもないけど、人を諭すならまず言葉を売るのを控えるべきだと思うね」
ずり落ちたストールを肩にかけ直しながら、セリはそう呟く。
今までのことを鑑みて、貞操観念が緩いわけじゃねえんだろう。たぶん。扉は開けっ放し。夏だって言うのに長ズボンで、上にはストールを必ずかけて、オレを部屋に招く。だから、これは。
「お前はそれを買っただけ、ってか」
「うん。まぁ無理やりは否めないけど。よく眠れたし買ってよかったよ」
「そりゃどーも」
本当にただの忠告だ。
いつかそういう発言やってっと揚げ足を取られて身を滅ぼすぞ、っていう。こういう話なら色事関係で身に覚えのないコトを吹聴されたりするぞっていうわりと洒落にならねえやつだな。
「悪かった。軽口叩きすぎたきらいはある」
両手をあげて目を閉じて降参すると、ふふ、と笑い声。ちらりと目を開くと、小さくクスクス笑うセリが目に入って少し頭をぐしゃぐしゃにしてやった。
「こっちこそ無理やりごめん。途中でトワ来てたみたいだから後で誤解解いておかないと」
「……おま、起きて」
「うん? 部屋に人が近付いて来て声かけかけてたら流石にうっすら目は覚ますよ」
っつーことは、もしかしてだ。眠るまでこいつの顔を眺めてたオレの視線もバレてたんじゃねえかと思っちまうわけで。いや、バレて何か不都合があるわけじゃねえんだけど。
「さ、続きやろうか」
そんなオレの心中はお構いなしなのか、いつもの顔でセリは座卓を戻した。
「セリちゃん、クロウ君と付き合ってたの?」
「あ、それ誤解誤解」
「あんなに近くで眠ってたのに?」
「恋人同士なら扉閉めるでしょ」
「クロウ、どんな手を使ったんだ」
「さすがにちょっと引くよクロウ」
「何でオレがやらかしたことになってんだよ」
「まぁ発端はクロウが寝不足の私に、寝るのに胸貸すぜ、と軽口叩いたことなんだけどね」
「セリちゃんそれで本当に眠ったの!?」
「うん。腹が立って」
「あー、それは……クロウがやっぱり悪いんじゃないか?」
「セリの性格を考えたら売り言葉は買われる可能性が十分あるね」
「ん、んんん、いや結構セリちゃんもどうかなって気はするけど……」
「まぁどっちも悪いってことで!」
「当事者のお前がそれ言うか」
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07/20 第四回特殊課外活動1
18
1203/07/20(月)
初夏も始まり、学院の制服も夏服に切り替わり始めた。
と言ってもトールズの制服は機能的でオールシーズン着られるようになっていることもあり、一部の一般生徒に生徒会や貴族生徒などそれなりの人数が冬服のまま過ごしていたりする。私もあまり人前で肌を晒すのが得意ではないので中のシャツだけ半袖にしてブレザーを腕まくりし過ごしてみて、これがなかなか塩梅がいいと思っている。技術棟じゃ脱いで作業したりするだろうけれど。
ル・サージュの店員の方が言っていた通り『夏は涼しく、冬は暖かい』というのを実感する。冬も学院と寮の行き来程度ならコートもいらないかもしれない。今からその機能性を確かめるのがちょっと楽しみだ。
「はーい、みんな大好き課外活動の発表よ」
いつも通りの放課後、ミーティングルームでサラ教官がそう朗らかに言った。
明らかに四月から六月までの課外活動の内容が恣意的だっただろうに、それを公言しないのは、まぁ、正しいんじゃなかろうか。助かったとはいえ学生を猟兵が関わる案件に突っ込ませて解決させることになったのだから。一応最後の最後に手を出してくれてはいたので、見捨てるつもりはなかったのだろうと思うけれど。
「ハザウ……ギリギリ、ノルティア州ですか?」
「都州とノルティアの境目だね。一応ノルティアに属してはいるけれど」
地図を取り出して簡単に位置を確認すると、アンの指がすいっと山林間部を差す。ああ、そうかアンはこの辺の地理はよく知っているか。なんせログナー侯のお膝元だ。仮に領地運営に興味がなくともそういった知識は詰め込まれている筈だし、自分の地元に興味がない、と言い切れるほど情が死んでいるわけではないのだから。
「ザクセンやアルゴンほどではないけれど、この辺も良質な鉄鉱石が採掘できるね。課題には事欠かないだろう」
「そういうこと。後はいつも通りよろしく」
もう当たり前のように最低限の確認だけで教官は部屋を出て行くので、私たちも部屋備え付けの机に改めて地図を広げる。トワがトリスタを指差し、そのまま路線を辿っていく。
「トリスタから帝都を経由して黒竜関、そこからは徒歩かな?」
「いや、軍用トラックの下げ渡しを使った交通機関があるからそれを使おう。徒歩だと夜の森を歩くことになってオススメ出来ない」
「じゃあそうしようか。時間も調べておかないとね」
夜の森。先月のこともあって少し警戒対象区域になってしまっているのは否めないだろう。さすがにああいうレベルのものがまたあるとは思わないけれど、それでも警戒するに越したことはない。あんな博打作戦がそう何度もうまく行くとは思わないし。一応今回も腰に導力銃は入れていくけれど。
「日程として変わり映えはねえけど、お楽しみが直後にあるな」
「そうだねぇ」
今年の夏至祭は7月27日。諸々の事情あってか夏至祭前日まで含めて士官学院は臨時休暇になるらしい。おそらくトリスタが都州に含まれるからというのがあるのだろう。とはいえ月に一回の自由行動日が実質三回あるのは七月だけなのだけれど、取り敢えずそのうちの一日は確実にいま潰れた。あるとは思っていなかったからいいけどね。
「それにしても夏至祭前によりにもよって帝都通過かぁ……」
絶対に人が多い。混雑してる。乗り換えがスムーズにいかない可能性を考慮するべきだ。まあ混雑を避ける、つまり帝都を通過しないとなると必然的にクロイツェン州か……あるいはクロスベル方面になる。クロスベルはあまりに情勢的にありえないため却下だし、クロイツェンも先月行ったので連続はないだろう。
「まあ、そこまで悲観的にならなくていいと思うよ。前にみんなのARCUSを預かったけど、あれで通信範囲の拡大が実装出来たしね。もしはぐれたとしても目的地はわかってるから」
そう、ジョルジュがARCUSを財団と共同開発しているRF社から新しい部品が届いたとかなんとかでそれを私たちのARCUSに搭載してくれた。おかげで今まで中継地点を挟まないARCUS同士の通信は半径10セルジュ程度だったのが30セルジュまでに伸びた。もちろんこれは最新機器であるARCUSに対応出来るジョルジュがいてこその結果だ。
もしいなかったらRF社にARCUSを送付するなどしないといけないので、最短でやってもらったとしても戦闘訓練数回は慣れない戦術オーブメントを使うことになっただろう。
それに通信範囲が格段に伸びたことで私の偵察可能範囲も伸びたことになる。なので是非はやめに耳介装着型通信器を開発してもらいたいのだけれど、小型にするというのは思うよりずっと難しいのだろうと思う。ARCUSをハブにしてもらって耳につける通信機の方は送受信器だけ仕込んでもらえたらいいのだけど。とはいえ、これはきっと言うは易しの類だ。具体的な技術のこととなると全くわからない。
「それじゃ、いつも通りの手筈で行こうか」
トワが普段とおなじ、変わらない形でまとめてくれる。
それがどれだけ尊いことなのか。たまにあの夜のことを夢に見て、ぞっとして飛び起きてしまうことがあるから、改めてそのことを強く感じてしまう。一歩、一瞬、間違えていたら、噛み合わなかったら、トワは死んでいたかもしれない。
だから。あの判断をした私は、少なくとも一回は彼女のためだけに命を張ろうと決めたのだ。心の中で、誰にも知られない場所で。命を捨てるつもりはもちろん毛頭ないけれど。だってそんなことをしたら守りたかった相手が一生気に病む。それを背負わせるほど馬鹿じゃない。
……でも、クロウの側で寝た時の、あの感覚は悪くなかったな。なんて。
1203/07/25(土) 放課後
いつものように16時過ぎに終わる四限の授業をこなし次第、各自用意していた荷物を持って駅に集合する。改札を通る際にマチルダさんから、頑張ってください、といつも以上に熱の入った応援をもらったのでこれは鉄道やばいかなぁと全員で察してしまった。
「帝都までは立ちっぱになりそう」
「仕方ないよ。夏至祭だもん」
「30分だけで良かったと思うべきかね」
あいも変わらず二番線で列車が来るのを待っていると、窓から見える場所の殆どに人がいて、入れないほどではないのだけれど、スカスカというわけでもない。取り敢えずどうせ一駅でノルティア本線への乗り換えが発生するので乗降部分にたむろすることにした。乗ってくる人もいないし。
「いやー、想像以上にやばいね、帝都の夏至祭」
「すげえお上りさんみたいなこと言うなよ」
「実際お上りさんなので……」
旧都の夏至祭である夜祭はさすがに見たことがあるけれど、わざわざ帝都まで出ることは滅多にない。そも、近くもない帝都に一人で行こうという気分には積極的にならなかったというのもある。でもトリスタからは30分だ。それなら心のハードルを飛び越えて行けてしまう距離なので今はちょいちょい足を伸ばしていたりする。
「夏至祭といえば、セントアークと並んでオルディスも有名だよね」
トワが肩の荷物をすこしかけ直しながらそう言った。
オルディス──帝都からほぼ真西にあり、帝都に次ぐ規模の紺碧の海都とも呼ばれる巨大海港都市だ。白い街並みが美しいとは聞いたことがあるので一度行ってみたい。そもそも、海を見たことがないのでそう言う意味でも訪れたい場所だ。
「どういう感じなの?」
「あのね、オルディスは湾岸の都市なんだけどその湾内を埋め尽くす形で夜に篝火が流されて行くのを見守るんだって。籠めるものはその一年の航海の安全とか、逆に安全に過ごせたことへの女神さまや精霊への祈りとか、あるいはもう会えない相手への想いとか、流す人によっていろいろみたい」
遠い海都でも昼ではなく夜がメインなんだ、と親近感が心に灯る。紺碧と呼びたくなるような、人を生かしも殺しもするだろう海へ大事な感情を流すというのはどういう気分なんだろう。観光客でもその篝火を焚くことは出来るのかな、調べてみようかな、と帰った時の楽しみが一つ増えた気がした。
「きっと綺麗なんだろうね。いつか見に行きたいな」
そんなことを話していたらあっという間に30分は過ぎて、帝都ヘイムダルでの乗り換えになった。本当にごった返す人の波ではあったけれど制服というのは存外見えやすいもので、ジョルジュとクロウを目印にしながらトワと手を繋いで何とかホーム間を移動する連絡橋の上に辿り着く。見下ろした人混みは壮観の一言に尽きた。当日じゃなくてもこれなら、明日明後日は一体どうなってしまうのだろう。
「ルーレ方面は四番線だ、行こう」
今度は後ろにいてくれたアンが先導して、ホームで暫く待った後に無事にルーレ行きの列車に乗ることができた。下りなので車内に人は少なく、いつものようにボックス席へ座ったところで、はぁ、と深いため息が。
「凄い人だったねえ。みんなありがとう」
「本当に。絶対にみんながいなかったら流されてた。あ、でもトワは帝都出身だから実は人混み慣れてたり?」
「うーん、そういう時期は人の多い時間帯に大きく動かないようにしてたから、慣れてはいないかなあ。直ぐに流されちゃうし」
「そっか、そうだよね」
帝都民だからこそ人混みを避けて動きやすい時間帯というのが見えるので、どうにか動きたい時はそういう隙間を狙っていたということだろう。さもありなん。すごくわかりやすい。フィジカルが強いならそれでもそれなりに自由に行動できるんだろうけれども生憎そうじゃないので。
「ここから黒竜関までは一時間半ぐらいだね」
「ジョルジュとゼリカはある程度知ってんのか?」
「そうだね。じゃあその辺の解説と行こうか」
ハザウ──帝都の真北にあり、帝都に造成されているヘイムダル港と繋がっている巨大河川アノール河の上流に位置しているね。故に貨物などの移動は陸路よりも航路の方が現代でも重視されていて、造船業が盛んな街だ。
帝国内の鉱山といえばルーレのザクセン鉱山と、ノーザンブリアへ続くナイバー門の手前にあるアラゴン鉱山が二大鉱山ではあるけれど、ハザウにある鉄鉱山も良質な鉄鉱石が産出されそれを加工して造船することが出来るため、そういった人材が集まっている。ただし、正直なところそれなりに荒くれが多いので、トワとセリは特に私たちから離れない方がいい。
これは私の趣味嗜好とは全く関係のない話だよ。
アンが本当に真剣な目でそう言うので、わかった、とトワと二人で頷いた。
「おっと、脅かし過ぎてしまったかな」
「いや、でもアンの言う通りだ。何かあってからじゃ遅いっていうのは肝に銘じておいてほしい。まあ、アンの連れに手を出そうって相手はそうそういないだろうけど」
「それも私が傍にいたらの話さ。見ていない相手には通用しない」
「そういうことだね」
ジョルジュもハザウについてそれなりに知っているらしい。ルーレにある工科大学でシュミット博士が発する無理難題に直面させられていた関係だろうか。まぁとにかく、ほぼ地元っ子とそれに類するだろう二人がここまで言うのだ。どんな時間帯でも一人で出歩かないというのは心に厳命しておくべき事柄なんだろう。
「ま、オレらが傍にいりゃいいんだろ。いつも通りだ」
ラントとルズウェルのことを思い出す限りどうやら自分は出先の夜に一人になるクセがあるようで、すこし不安になってしまったところクロウが当たり前のように言う。そのいつも通りがありがたいんだよなぁ、とさり気ないやさしさに嬉しくなった。本当にフォローが上手い。
「ありがとね」
「おう」
そうして車内でブレードに興じたりしながら、陽が沈むのが遅くなった風景を眺めつつ黒竜関までの時間を過ごした。そういえばクロウとアンが戦術リンクまともに組めるようになって初めての課外活動だから、ちょっと楽しみだ。うん。
そうして18時40分に黒龍関に到着し、ハザウ行きの乗り合いトラックの最終便が19時に出発のようで停留所で少し待ってから幌を被る軍用トラックへ乗り込んだ。乗客は私たちとほんの数名で、到着は20時頃らしい。授業が終わってから四時間。そう考えると、本当にいろんなところに行かせてもらっていると感じる距離と時間だ。それでも見ている景色は帝国の数十分の一なのだろうけれど。
人数が多く最後に乗り込んだこともあって出入り口近くの席を陣取り、幌に開けられている警戒用の穴から外を見ていると、流石に日が暮れて暗くなっている。街道灯に照らされる道だけが頼りで、見通すことも出来ない暗闇が広がっている。森に入ると一層それは深まるんだろう。
鉱山があって、鉄を鍛えるための薪となる森もあり、そして豊富な水源となり重量のある貨物のやり取りに適している河もある。いろんなピースが上手くピタリとハマったのがハザウという街を成立させた。そういうのが歴史の面白いところだなぁ、としみじみ思う。
「な────!」
運転士の方の悲鳴とともに、甲高い急ブレーキ音と衝撃。座面に手を当てて体勢を直ぐに立て直し運転席に繋がる窓へ視線を走らせると、大型に分類されるオッサー系だと見られる魔獣が少なくとも二匹バスの前に躍り出ているのが見えた。
あれこれ考える前に移動用に解除していた武装を手に取って座席から飛び出る。軍用制式トラックとはいえ幌で覆っているだけでもあるため、攻撃されたらまずいと真っ先にナイフを抜き挑発戦技を使って前に出たところで後ろから二人飛び出してきたのがわかった。状況的に考えてクロウとアンだ。二匹見えていたオッサーは三匹だったようで渋面になってしまった。
「二匹釣って時間稼ぐ、一匹即撃破よろしく」
それだけ言い残してオッサーを追い越し、視線がこちらに来ているのを確認する際にその向こうも視界に入って思わず笑ってしまった。クロウとアンがリンクを繋いでオッサーに対峙しているのを、一番の特等席から見られる。とは言ってもよそ見厳禁な戦場ではあるのだけれど。
街道灯も導力車の明かりもあるので回避はそれほど困難じゃない。だけどオッサー系の一撃は当たったら致命傷になり得るのですこし背筋がひやっとする。それでもステップを過たずに回避し続けられるのは。
「ディフェクター!」
「ARCUS駆動────ヒートウェイブ!」
そう、間違いなく背中を預けられる仲間がいるからだってことに他ならない。
すこし遅れたのはおそらく中の方々に説明してくれていたのだろう。そういう瞬時の役割分担を私たちはもう無理なくこなせてしまう。
アンの重い一撃が入ったのか向こうの魔獣がえぐい音と共に倒れ、クロウの銃口がこっちに向いているのが見えたので多少無理をしてでも戦技の範囲外へ急ぎ退避する。刹那、二匹のオッサーを取り巻くように氷柱が地面から現れ範囲内の全てを凍りつかせ、そこへ間髪入れずにアンが蹴りによる真空斬を放ち魔獣は粉々に砕け散った。細かな氷の間から見えるは満足そうな二人。
「ま、こんなもんか」
「フフ、クロウ相手でもリンクが上手く繋がるとさすがに気持ちがいい」
「オレ相手でもってなんだよおい」
そんな軽口を言い合っているのが聞こえてきて、ブレないなぁ、なんて笑いがこぼれた。
それから運転士の方と乗客の方に大層お礼を言われて、そのまままたハザウへの道程が再開された。少し予定より遅れるだろうけど、ここに私たちが居合わせたのも女神の導きというやつなんだろう。とりあえず、なにより、怪我人が出なくてよかった。
「先に街道への魔獣出現含めた到着報告を元締めにしてしまおう」
そう言ってアンが先陣切って歩くので、四人で少し顔を見合わせてから急いでその背中を追いかける。好き勝手やらせてもらっているさ、と言っている彼女ではあるけれど、やはりノルティア州ということでいろいろ思うところがあるのかもしれない。
背筋をまっすぐ伸ばし、白い制服に袖通す。その覚悟を、私は知らない。知り得ない。彼女はたぶん、権力があると同時に、そこにある義務を見据えているのだろうと最近は思うようになってきた。アンはもちろん、アンではない貴族生徒と話すことでも、彼女や貴族というものの在り方の輪郭を少しずつ理解、出来ていたらいいと、思う。愛でられたくはないけども。
一番後ろを歩くジョルジュの横にしっかりついて街をきょろりと見回す。確かにアンが言っていた通り、腕っぷしに自信がありそうな男性ばかりだ。少し遠くに運河のようなものが見え、その向こうにも建物が立ち並んでいる。まさしくアノール河が中心に。
夜の向こうから、何かの嘶きのような音が聴こえてくる。
「おお、アンゼリカ! 大きくなったなあ!」
「はは、トト爺も壮健そうで何より」
アンの案内で入ったハザウの元締め殿の家で、二人は抱き合って近況報告を兼ねた挨拶を暫く交わす。どうやら会話を聞いている限りここハザウで暫くお世話になっていたことがあるらしい。アンのことだから各地でやっていそうだなそういうこと。そして判明した時に周りの肝が冷えるんだ。それでもこうして関係性が崩れずにいられるのは彼女の人徳とも言える。
「士官学院から人が来るって聞いちゃいたがまさかな」
「フフ、驚いたろう。まあ活動地がハザウだと言うのは私もこの間知ったのだけれどね」
楽しそうに嬉しそうにそう告げるアンの横顔は今まであんまり見たことがないもので、うん個人的にはそういう方が好きだな、なんて心の中だからと好き勝手を言ってしまう。
「で、そいつらか。小さい娘っこたちもおるじゃねえか」
「ああ、と言っても私の仲間たちだ。侮らないでくれ」
「初めまして。ARCUS試験運用チーム、トールズ士官学院生のトワ・ハーシェルと申します」
続けて私を含めた三人が挨拶をしていく。
「元気でいいこった。ただそうさな、トワさんとセリさんと言ったか。あんたらは、その」
「ああ、二人には必ず私か、残りの男のどちらかとは一緒にいるよう話している。しかしどうにかならないかね、トト爺」
「……ならねえなぁ。この街は大きくなり過ぎた。来る時に見えただろ。運河の向こうにも居住区や工房地が広がってる」
「そうか。いや、無理を言ってすまない。どうせ全員で行動するのだからあまり不都合もないだろう」
「詫びと言うわけじゃねえが、まあ歓迎含めて今日の飯は俺にツケといてくれや。飯がウマイ宿を見繕っといたからな、たくさん食ってくれ。宿自体は出て右にちょっと進んだところにある赤い看板の"紅耀石の欠片亭"だ」
「ああ、ありがとう。活動内容自体は朝、宿の人から貰えばいいのかな」
「そういうこった。今日は魔獣退治もしてくれたんだろ。ゆっくり休んでくれや」
そう手を振って見送ってくれるトト元締め殿の家を後にして、紹介してもらったお店へ。
「夜でも結構、活気があるんだねぇ」
「まぁ、男が多い分そういう店の需要もあるからね」
「ああなるほど」
歓楽街のようなものがちらほらあるのか。大きな歓楽街がある帝都にほど近いとはいえ、黒竜関発の最終便が19時だと出発はもっと前にしなくちゃいけない。乗り遅れした際のロスを考えると17時には帝都を出発しておきたいところだ。まだ陽も落ち切っていない時間に戻らないといけない、そういう意味ではパーっと遊ぶというのもしづらかろう。
「つまりオレらも行っていいってことか?」
「行くなら私服じゃないと門前払いじゃない? お金あるのか知らないけど」
「お前のツッコミは冷静な分ボディにクるわ」
つまりいつも通り金欠なのだ。お金がないのにそういう発言をするのは生業としている方々に失礼なのではなかろうか。だからその気もない発言をするなって言ったのに。まぁそれで止めるも止めないも本人の自由なんだけど。
「というか"ら"ってさりげなく巻き込まないでくれよ」
「そもそも未成年でしょクロウ君!」
「フッ、私もこの街の子猫ちゃんたちに会いにいくのは控えるつもりだよクロウ。そういうのはプライベートな来訪に取っておくべきだろう」
そんな風にクロウが集中砲火を浴びながら、私たちは今日の宿に到着する。
なんにせよ、お腹が空いた。
制服集団が珍しいせいか酒場に来ていた人たちにすこし絡まれながらも、元締め殿の言っていた通り美味しい料理を食べて明日への英気を養いベッドに入って暫く。
「────っ」
ここ最近かなりの頻度で起きる中途覚醒がまた起きた。トワが傷つけられる、否、死んでしまう夢。猟兵を、この手で完膚なきまでに殺す夢。どう考えても悪夢の類だ。ベッドの上で顔を両手で覆いながら、荒れかける呼吸を落ち着かせて静かに深いため息をつく。目線を動かせば、すやすやと眠るトワが確認できた。
たらればに意味はない。意味はないんだ。いまここで彼女は生きている。その事実だけがあればいい。そう、ぐ、と引き攣りそうになる喉をすこし叩いて顔をあげると、カーテンの隙間から入る月明かりが目に入った。そういえばここはこういう宿にしては珍しくベランダがあって、外へ出られるらしい。いつもみたいに宿の正面入口から出て夜風に当たるのは状況的に憚られたので、山間部だからと一応持って来ていた薄手のストールを肩からかけてスリッパに足を突っ込み、キィ、と掃き出し窓を開けてベランダへ足を進めた。
広がる風景の向こうにぽっかりと暗闇が横たわっている。運河だ。吹いた風が夏ではあるのにどこか涼しい。山間で、河も近くにあるからだろうか。空を見るとうっすら月に雲がかかっている。少しだけ欠けているので、明日が満月かなとぼんやり手すりに肘をつきながら眺めた。
そういえば七耀教会は精神の治療もやっていると聞いたことがある。私がいた街ではそういうことが出来る施術師の方はいらっしゃらなかったけれど、トリスタや帝都とかにはいるんだろうか。さすがにこうも頻繁に目が覚めては今はまだ誤魔化せているコンディションも徐々に崩れていくのが目に見えている。早急にどうにかするべきだ。
「一人で月見か?」
そんなことを考えていたら隣のベランダからそんな声と共にクロウが出てくる。タイミングが良すぎじゃないかこの男。
「んな怪訝そうな顔すんなよ。隣から出ていく音が聞こえたら気になんだろ」
つまり私がベランダに出たのに気がつき、部屋に帰る気配がないので自分もこちらへ来たということだ。なんというか妙なところで面倒見がいい。そういう気遣いを他の人にもいかんなく発揮すればナンパした女の子が目の前でアンになびくということもないんじゃないか。いや気遣いを見せる隙もないか、なんて考えてしまうあたり少し二人に毒されているかもしれない。
すると、ちょいちょい、と手招きをされるので、小さくため息をついて隣の部屋のベランダ側に近づいて行く。同時にクロウもこっちに来て、お互い手を伸ばせば簡単に触れられる距離になった。こういうところは作りが甘い。
それでも対面はせず、お互い運河の方を見る。風が吹いて、月が完全に姿を現した。
「案外涼しいな」
「そうだね。盆地だったりしたら蒸し暑いとかあったかもだけど」
「暑くて起きるには気温が足りねえな」
言われて、空を眺めていた視線をクロウへ。頬杖を手すりについて首を傾げた相手の紅耀石よりすこし暗い瞳が、下ろした銀灰色の合間から私を見ている。ぞっとした。何もかにもが見透かされるようで。ぎゅ、とストールを押さえる手に力が入る。
「なん、の、話」
声が引き攣った。何もないなら、もっと簡単に言える筈なのに。
「いや、単なる世間話だ」
世間話にしてはちょっと鋭利過ぎないだろうか。そもそも、クロウがそんな風に立ち入ってくると思っていなかった。軽口を叩きながらそれなりの距離感を、保っていたから。……いや、ちがう。そういう人間がわざわざ踏み込むと決めるほど、私のコンディションがもうぐずぐずに崩れて始めていたとしたらどうだろう。人間、体調が悪い時ほどそれに気がつかない。
ちらり、と少し落ちていた顔を戻すと、視線を外してくれていたクロウがすこし目をすがめて笑ってくれる。
「……たらればの話で、意味はないんだけどさ」
「おう」
「先月の、課外活動、から」
それだけで声が震え始めた。もしかして自覚していた以上に自分はもうぐちゃぐちゃだったのかもしれない。それならクロウに看破されるどころか指摘されるのも頷ける。
「トワがしぬゆめをみる」
肘をついて、片手拳に額を預けて、何とかそれだけは言い切った。
「だろうな」
すると即肯定の返事が返ってきて、横目にクロウを見やる。相手はこっちを見ていなかった。
「お前は勝手にトワの命をベットしたんだ」
的確な指摘が返って来て、頷いた。戦術リンクは使えなかった。アイコンタクトは出来なかった。あらゆるサインは封じられていた。それでも、私が独断であんな博打にトワの命を巻き込んだのは間違いのない、厳然たる事実だ。たとえそれをトワが自覚していなくても。
「だけどよ、そう後悔出来るなら次はもっと上手くやれる、だろ?」
「……そうかな」
「一番お前の背中を見てるオレが保証してやるよ」
言葉が耳に届いて、自然と顔が上がり、ゆっくり、おもむろにクロウを見た。
「それともオレの言葉じゃ役不足か?」
「……それを言うなら、力不足だと思うよ」
「マジか。キマんねえな」
ははっ、と笑うクロウに釣られて私も笑ってしまう。
「ねぇ、手、貸して。片手でいいから」
運河側に向けていた体をクロウに向けて、少し体を乗り出す。相手も同じように。届いた手にするりと指を絡めて、ぎゅっと握った。大きな手。この手が操る双銃が見守ってくれている。それだけで今までよりも高く跳べそうな気がした。
「あのさ。これからもたくさんミスすると思うし突拍子もないこと考えるかもしれないけど、頼んでいいかな」
「……しゃーねえから頼まれてやるよ」
「うん、ありがと」
私の背中をクロウが見ていてくれる。守ってくれる。諌めてくれる。
────そしていつか、私が、とんでもないことをしでかそうとした時にきっと迷いなく背中から撃ってくれるだろう。そう心から信じられる相手がいるというのは、本当に幸福だ。私は周りの人に生かされている。
「そろそろ寝るか」
「そうだね。よく眠れそう」
すこし名残惜しかったけれど手を離して、私たちはそれぞれの部屋へ。
身体は結構冷えていたけれど、心は、どこまでもあたたかかった。
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07/26 第四回特殊課外活動2
19
1203/07/26(日) 朝
8時。いつものように朝食を食べてトワが預かって貰っていた課外活動の課題を封切る。
・鉱山奥に棲みついた魔獣の討伐
・川魚の調達(夕方までに)
・黒竜関側街道沿いにある森の警邏、及びある程度の魔獣駆除
「お、討伐系多いな」
「じゃあ今日もクロウとアンがリンク接続して、他三人でローテ回す?」
「ちょっと待ってくれセリ、今日もか?」
「貴重なデータだし優先して取りたいでしょ。三ヶ月不安定だった自分らを恨んで」
私たちがやっているのはあくまでARCUSの試験運用なのだ。おそろしく不安定だった二人の関係がそれなりに改善したというのなら、それがどう戦術結果に影響を与えるのか。データとしてここぞとばかりに調べたいし、調べるべきだ。
「せめて五回に一回オアシスを」
「……どう?」
「アンちゃん昨日頑張ってくれてたし、息抜きに私かセリちゃんに繋げるのはいいと思うよ」
「じゃあそういうことで」
戦術リンクで性別・顔その他諸々が好みの相手と繋がって何になるんだという気持ちもあるけれど、感情が及ぼす影響は案外馬鹿にならないので仕方ない。でもクロウとアンの戦術リンク、相性悪いわけじゃないと思うんだけどなぁ。昨日も上手く決まってたし。
「順番としては上からでいいかな。鉱山となると優先度は高そうだ」
「ジョルジュ君の言う通りで大丈夫だと思う。日曜だけど働いてる人もいそうだもんね」
「この川魚って、釣りかな。経験者いる? 私は釣りしたことないんだよね」
質問を投げかけるとクロウとアンが手を挙げてお互いに、うわ、という顔をするので仲の良さにちょっと笑う。きちんと依頼主のところに赴いてから決定する話ではあるけれど、経験者がいるなら問題なかろう。たぶん。
「最後のはトト爺が昨日の報告を受けてか」
「ちっと時間かかりそうだがイケんだろ」
「うん、方向性も決まったね」
それじゃ行こうか、という声を合図に立ち上がり、宿の人に挨拶をして店を出た。
「アンゼリカじゃねえか! 生きてたのかよ!」
「おっと鉱山長、随分な挨拶じゃないか」
豪快に笑って肩を叩きあいながら挨拶をするアンを眺めつつ、顔が広いなぁ、なんてぼんやり考えていると、そうそう今日は課外活動で来たんだ、と本題に入ってくれた。
「あー、第四坑道の奥の奥に現れてなあ。普通の魔獣なら俺たちでもどうにかしたりすんだけどよ、ありゃ駄目だ。発破使ってもびくともしやがらねえ」
「おっさん火薬使えんのか?」
「まあな。今のやつはあんまりねえだろうが、導力革命だのが起きてからだって鉱山じゃそれなりに使われてるぜ」
導力革命が起きる以前は銃火器は火薬式のものだけで、ARCUSでお世話になっているRF社も確か火薬式の武器工房の側面が強かった筈だ。それを導力関係に方向転換して今の国際企業になったのだから当時のトップのバランス感覚がおそろしく良かったのだろう。まぁでも鉱山長殿の言う通り、私たちの世代は火薬式武器どころか火薬自体を扱ったことが殆どない。たぶん昔なら士官学院でもその辺の取り扱いを勉強させられたろうけど。ああでも、工兵特化するなら今もかな。
「ふむ。では物理攻撃が効きづらい可能性が高い、と。ありがとう。あとは私たちの役目だ」
「おう、頼んだぜ。これが鍵だ」
「預かろう。行こう、第四坑道は少し奥にある」
ここで働いていたのか、鉱山長殿と仲良くなって出入りしていたのか、澱みのない足取りでアンが歩いていく。白い制服が汚れそうだけど、まぁ今更か。
危険から第四坑道は一時閉鎖されているようで、アンが鍵を開けたところ漏れ出た淀んだ空気に噎せてしまった。手で空気を軽く払いながら前に出る。
「結構魔獣蔓延ってるねぇ」
「空気の流れ的にだいぶ閉鎖していたようだね」
いろいろな気配や足音がそこかしこから聞こえて来ているので、時間がかかりそうだなと全員で覚悟を決めた。とはいえ、どうせ消える時に出てくるセピス塊とかは私たちのご飯の材料費になるし、ARCUSの運用という点に於いても戦闘回数が多い分には決して困らないため掃討することに異論はないのだけれど。
「……」
空気の流れから最奥が近いのでは、と判断し20アージュほど私が先行して偵察すると、確かにいる。設置されている導力灯は正常稼働しているようで、金属光沢のある甲羅を持った亀のような魔獣が見える。鉱石を食べて成長する系だろうか。斬撃や突撃はあまり効果がなさそうなので、今回は自分がバックアップに回る番だな、と判断しつつ若干後退してから合流用の通信を。
そうして魔獣の外見情報などを共有し四人を送り出した。魔獣の感知範囲・攻撃範囲外から俯瞰するように他人の戦いを見るのは、本当に勉強になる。偵察を買って出ているので戦闘に参加する機会は多く、案外こういうのは貴重だ。もちろん戦闘訓練の時にたくさん見てはいるけれど、やっぱりARCUSならではの戦術というのはあるもので。
ジョルジュのハンマーが的確に魔獣の甲羅の薄いところに叩き込まれ、ヒビが入る。すかさずアンの重い一撃が炸裂し、その穴を穿つようにトワのヴォルカンレインが穿たれ体表が融解していくのが見えた。そこにクロウが放つ氷の弾丸が急速に冷却することで甲羅の強度を極端に落とし、あとはもう、煮るなり焼くなりだ。
ああいう属性に依った攻撃は私には出来ない。リンクした相手、現在盤面にある手段、それらをお互いが有機的に組み合わせ、最善を導こうとする。その判断の速さが、本当にすごい。四月の時よりもずっと洗練されている。今はもうまるで一つの生き物のダンスのようで、見ていると自分の心も一緒に踊るのがわかる。
「お疲れさま」
魔獣を討伐して戻ってきた面々にハイタッチ準備して声をかけると、全員手を叩いてくれた。
川魚の依頼は今日団体の宴会予約が入っているお店からの頼みごとで、アノール河の支流で特定魚種を10匹ほど釣ってきてくれというものだった。釣りをしている二人を護衛という形でトワとジョルジュと自分で待機していたけれど、驚くほど平和で眠くなってくるほどに。
「そういえばセリちゃん、水練の授業どう?」
「なんと水の中で目が開けられるようになったし40アージュは泳げるようになった」
「お、かなり進歩してるじゃないか」
そう。故郷のティルフィルは海から遠く、川は流れが速いため入るなと厳命されていたこともあり、今年の七月になるまで『泳ぐ』という行為をしたことがなかった。というかそういう概念もあんまりなかった。ただトールズは士官学院なので『泳げる』というのは特別な理由がない限りほぼ必須とも言っていい。なので水練の授業が始まってからは水練部の人にプールの一部を貸してもらって練習していたのだ。
そうしてまず全身の力を抜いて浮くことから始めたわけだけれど、水の中で目を開けられるようになって、光のうつくしさを知った。ゆらゆらと水面が揺れて、景色はぼんやりとしているのに、逆に掴めないもの筆頭である『光』が形を得たかのようにはっきり見えて、本当に不思議な心地を得た。
生い茂った森の中から空を見上げ、葉っぱの隙間がきらきらと輝いているのを目にした時と少し似ている気もしたけど、やっぱりそれとは違う。
「おーい、オレたちに任せて雑談してんな」
「でもやることないしねぇ」
魔獣が来ないのであれば私たちの出番はない。娯楽ならやったことのない釣りはやってみたいけれど、この後も課題があるのであれば無闇矢鱈に魚を警戒させて長引かせるのは上手くないだろう。同様の意味で血抜きもまとめてやるべきだ。
「しょうがねえなあ。あとで血抜きの仕方教えっからそっちがやれよ」
「あ、教えてくれるんだ嬉しい」
さすがにブランドン商店では魚は買えるけれど生簀ではないのでそういう技術が学べるタイミングがなかったため、クロウたちが教えてくれるなら万々歳である。
そうして暫くして、規定の数を釣り上げたらしく、クロウとアンが釣竿を置き私たちを呼ぶので近寄ってみると軍手をはめたクロウが川の中に作っていた簡易生簀の網場から一匹掬い上げた。
持ち運び用に貸し出された箱の上に置いたまな板の上に魚を押さえつけ、エラのところからぐいとナイフを刺し込む。それで魚は息絶えたのか、びくりと大きく一度跳ねた以降その体が逃げるように暴れることはなかった。それからそのままエラの中の一部をナイフで貫通させ、川に魚を突っ込んでざばざばと手を振ると魚体から赤いものが流れ出ていく。次第に血が流れなくなったそれを蓋に加工蒼耀石が嵌め込まれた冷却箱の内袋へ放り込んで閉じた。
二分もかかっていないんじゃなかろうか。しかもその内の大半は血抜きのための時間だ。
「っと、こんなもんだな」
「クロウ君、手際いいねえ」
「まーな。そんじゃ説明しながらやんぞ」
今のはざっと流れを見せることで、説明時に頭へ入りやすいようにというものだったようで、説明の導入が上手いなぁと感心しながらクロウの手元を後ろからトワとジョルジュと一緒に眺めることになった。初心者の私たちがやるよりきっと経験者がやった方が速いだろうに、面倒見がいい。
無事に魚も締められて、お店に納品したところで昼になったので宿酒場に戻って昼食をとることに。昨日もそうだったけれど場所柄かスタミナ系の料理ばかりなので、三つ目の課題の長丁場を考えると大変ありがたく味も美味しいので最高だなぁと思いながら食べ切った。
「それにしても魚締めるの結構面白かった。今度は釣りからやりたいな」
「まー、お前はナイフの扱いは慣れてっからコツさえ覚えてりゃいつでも使えんだろ。トワはナイフより鋏とかでやった方が危なくねえかもな」
「そっか、ナイフが手から外れたらそれだけで危ないもんね」
帝国は海に近い街はあまりないので海釣りが盛んではない代わりに、川釣りは結構嗜んでいる方も多いらしく今度トリスタ近くの川に釣り竿を持って出かけてみるのもありかもしれない。せっかくこっちに出てきているので、地元じゃ出来ないことをたくさんやりたい。
「で、だ。午後は夕方……17時くらいまで警邏ということでみんな大丈夫かな」
「たった四時間強だから、ある程度エリアを区切ってそこにかけられる時間の最大限度を決定しておいた方がいいかもしれないね」
アンとジョルジュが午後のことを話し始めたので、異論がない私は頷く。黒竜関からハザウは乗り合いトラックだったからトリスタを16時過ぎに出発してもギリギリだったけれど、トリスタは鉄道が通っているのである程度余裕が持つことができる。うん、やっぱり鉄道便利だ。いいなぁ。
「じゃあみんな行こっか」
いつものようにトワが立ち上がり、みんなでそれに続いていった。
黒竜関側の街道沿いの森は、あんまり人の手が入っていないようで見通しが悪い。とはいっても不意打ちを受けることはなく、魔獣を討伐していく。
彼らの生息地に入っているという自覚はあるけれど、昨日のようなことが頻繁に起きても困るのだ。これについてはきっとずっと考えることになるんだろう。バランスをとっていると言ってもそれは人間側の押し付けでしかない。
「今回はイレギュラーなさそうかな」
戦闘が終わり、腰に武器を収めてナイフを拾ったところでそう呟く。時間は16時。地図的にはもう3/4ぐらい探索したところなので、このままいけば予定通りに見て回れるだろう。
「あはは、そういえば毎回いろいろあったもんね」
「たしか四月は猟兵の痕跡と猪との対面だったか」
「その次の五月は肝試しに行った男の子たちの救出に、」
「そんで先月はその猟兵との戦闘だろ? 想定外の問題起きすぎだっつーの」
しかし果たして本当に想定外なんだろうか、と考えずにはいられない。私たちの想定外だったとしても、サラ教官はある程度見えていたのかもしれないという話だ。教官、結構スパルタだからなぁ。そういえば今回は教官の姿を見てないな。忙しいのだろうか。
「まぁこのまま終われば……」
言いかけたところでふっと口が閉じ、森の向こうに視線が吸い寄せられる。特におかしなものは視界内にないのだけれど、たぶん、何かが引っかかった。唇に人差し指をそっと一瞬添えてから片手を地面と平行にしてから下ろし四人に待機を頼んで歩いて行く。たとえ言語化が出来なくても、違和感というのは気にしておきたい。
がさりがさりと藪を抜けたところで、岩肌にぽっかりと穴が空いていた。自然洞窟。なのか。ちょっと判別がつかない。入口周囲の地面は草もなく地面が露出していてすこし広場のようになっている。足跡はない。周囲に何かを盛り返したような跡もないので、地雷が埋まっているということもたぶんないだろう。
「……」
イレギュラー、かもしれない。見て見ぬふりはこの段階ならまだ出来る。でもその判断をするのは自分じゃないのだ。五人全員で、ARCUS試験運用チームなのだから。
薮の道を遡り、四人の下へ戻る。そこにあった洞窟の話をしたところで、アンが首を傾げた。
「この近くにそういう洞窟があるとは聞いたことがないし、見たこともないな」
「じゃあ人工物かな?」
「どう、だろう。ただ生き物もいないのに距離にして30アージュ離れたところから私が違和感を覚えた、ってことは念頭に置いておいて欲しいかな。何か、ちょっとゾッとする感じ」
「取り敢えず全員で向かってみるかい?」
そうしてみよう、と案内をしたらやっぱり岩肌の横っ腹に相変わらず穴が開いている。入口に近付いてみると肌が粟立つ。やっぱり、何か、よくわからない気配だ。たまに森で遊んでいる時に感じたものに似ているような、そうでもないような。はっきりしない。
「うーん……」
全員ただならぬものを感じ取っているのか、唸ってしまう。放っておくのも嫌だけれど、このまま入るというのもあまり気が進まない。どうしてだろう。
「トト爺に来てもらうのはどうだろう。そこで依頼があれば正式な課外活動に出来る」
「そう、だね。アンちゃんの意見はいいかも。もしかしたら今までもあった穴で不思議でもなんでもないかもしれないし」
「じゃあ一走りして、必要なら御足労頂くってことで」
片手剣を外して近くにいたクロウに預け、軽くストレッチする。もし来ることになったら流石に途中までは導力車を使ってもらおう。じきに夜になる。
「セリちゃん、気をつけてね」
「うん。行ってきます」
「じゃ、バフっておくか」
クロウがそう言うので、クロノドライブをかけてもらったところで走り始めた。
「おお、マジか……」
結局、元締め殿も穴のことは知らなかったようで、急いで導力車で駆けつけたわけだけれど、まさかトラックだからといってそのまま森に突っ込むとは思わなかった。街道の脇に止めてそこからは徒歩かなと覚悟していたので、予想以上に早くとんぼ返りができたけれど。
荷台から飛び降り、クロウから預けていた剣を渡され装着しながら状況の確認に入る。
「トワ、どう? 変化なし?」
「うん。取り敢えず変わったことはないかなぁ」
「トト爺、どうする? もしこれを調査するなら私たちだけで入ることになる」
元締め殿に話して現地へ向かうという話を通信でした際、トワたちは教官と連絡を取っていたようでそちらの方の問題は無くなった。好きにやりなさい、とのことだ。相変わらず。
「そう、だな。心配っちゃ心配だが……第四坑道を取り戻してくれたお前さんたちなら信用に値する。何より、放っておいちゃなんねえ感じがビンビンよ」
「では正式に課題に組み込むとしよう。それでいいかい、みんな」
籠手の紐を確かめながらアンが私たちを見渡すので、全員頷いた。アンは、土地の人々に何かあるかもしれないことに敏感だ。四月もそうだった。ノルティアであれば、さらにそうなんだろう。守るべき存在。どれだけ気安くとも、彼女にとってそれは変わらない。
「じゃあ行こう」
私たちが出てくるまで入口で元締め殿は導力車の中で待機してくださるようで、何かあればハザウに戻って教官を呼んできてくれるとのことだ。もちろん、身の危険が迫った時はそのまま逃げてくださいと伝えて、私たちは穴の中へ。
入る直前に空を見上げると、そこには黒い空に満月がぽかりと浮かんでいた。
入った洞窟の中はしんと静かで、少し肌寒ささえ感じる。ARCUSの携帯ライト機能で最低限の明かりは確保出来ているけれど、不安は拭えない。魔獣の気配はなく、それだけが救いと言えるだろうか。
「寒いな」
アンが言う。確かに夏だからといって上着ナシの半袖で行動していなくてよかったと思うぐらいの気温だ。そうだね、と肯定しようと横を見た時、アンの口から漏れる呼吸が白くなっているのが見てとれる。明らかな異常事態。────瞬間、突き当たりに行き着いたところで何もない空間に炎が現れた。人間の頭部骨を肥大化させた存在が、青黒い炎を纏って私たちの行方を妨げる。
「敵性霊体!?」
咄嗟にナイフを一本投げてからダガーと剣を抜いたところで、驚くべきことにその額にナイフが刺さった。隣にいるアンと顔を見合わせて頷き合う。物理攻撃が効くならどうにだってなる。
そうしてそれは事実で、私とアンが抑えている間に三人が交代しつつ後ろから戦技やARCUSを駆動し魔法を発動させ、その骸骨らしき敵性霊体は黒い霧のように霧散した。魔獣が光となる時とは全然別の色だ。
「────そっか」
周囲警戒し、新手が来る気配がないことを確認してから武器を納めたところでトワが呟いた。全員がライトを切っていたため暗闇だったけれど、先頭と殿にいる自分とジョルジュが明かりをつける。
「ここ上位三属性が働いてるんだ。魔法の効き方が何だか少し違ったもん」
上位三属性。七属性の中でも時・空・幻を指す言葉で、それは本来なら働く筈のない属性だ。あるいは古い言い伝えがある場所であったり、霊脈の上であったり、とにかく正常ではない状態や場所でしか稼働することはないと授業で習った。
だけど、そんな馬鹿な、と笑い飛ばせる状況じゃない。確かに実体化した敵性霊体を私たちは観測したし、それにこのずっと肌が粟立つ感覚もそれなら納得が出来る。
「いざとなったら後退することも視野に入れよう」
ジョルジュが硬い声で言う。異論は出ない。
取り敢えず先に進むかという空気になったところで、突き当たりかと思われた場所はT字路になっていることに気が付いた。情報がないならどっちに行っても一緒だろうと右を選択したところで、今度こそ行き止まりだった。だけど、何か赤い宝玉のようなものが土壁にハマっている。
いきなり触れるのは怖いので保留にして、分岐点の反対側へ。するとやはりと言うべきか、同じような形で今度は青い宝玉がそこにあった。
話し合いの末、四人が後方待機し、トワにはいざという時用の状態異常回復のレキュリア発動を頼んだところで自分が宝玉にそっと触れた。なんにもない。ひやりとつるりと冷たい感覚だけがそこにある。見事な曲面。こんな岩肌に埋まっているのに瑕疵がまるでない。ダガーの持ち手部分を思い切り叩きつけてみたけれど、傷一つつかなかった。
こちらを見ている四人に首を振って、合流する。
「……同時に触れるか、同時に破壊か」
「しかしこの人数でパーティ分割したくない、よね」
「応援呼ぶか? サラさえ来てくれたら3-3で分けられるだろ。バックアップはナシになるけどよ」
その言葉に即トワが反応し、ARCUSで通信をかけ始めるがどうやら芳しくないようで首を横に振る。一旦T字路に戻ろうかということになり、戻って、全員喉が引き攣った。道がない。一応、道があった痕跡だけはある。わずかな天井まで続く凹み。けれど、そこは全て土で覆われ、ジョルジュがハンマーで穿っても土が抉れるばかりでどうにもならない。土壁に耳をつけても向こう側に空間があるようには到底思えなかった。
「……最悪呼吸が出来なくなるね。冷静でいないと無駄に酸素を消費する」
風の流れが読めないので一応それを共有しておく。ここが霊的ダンジョンならどんなことでもあり得るかもしれないけれど、それに賭けるにはまだ早すぎる。
「火属性アーツはご法度かな」
「そうだね。控えておこう」
そんな風にクオーツの組み換えをしながら気をつけるべきことや全員の装備を確認するけれど、あいにく誰もまともな食料を持ち込んではいない。辛うじて保存食が少しだけ。まさか閉じるとは思わなかったので仕方ないけれど。
さてどうしようかというところで、ジョルジュが手を挙げた。
「パーティ分割の件だけど、現状で一番戦術リンクの連携が取れるペアにするべきだ。そして僕は可能ならバックアップに回りたい。なんとか手持ちの工具でARCUSの通信出力を上げられないか試したいしね」
つまり、トワとアン、クロウと私のペアになるということだ。それが一番お互いがお互いをわかっている組み合わせだと思う。
「まあ構わねえだろ。理に適ってるしな」
言いながらクロウがアンと戦術リンクを解除し、私に接続をする。アンも同様にトワへ接続を果たした。ヴン、と一瞬だけ足元が光るのを見て、これ探索中もスイッチか何かでずっと光るように出来たらいいのになぁ、なんて考えてしまう。採用されるかどうかはともかくとしてレポートには書いておこう。
そうして準備が終わり、全員で頷いて拳を出した。
「────女神の加護を」
さあ、ダンジョン攻略を始めよう。
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07/26 第四回特殊課外活動3
20
「まさか転位させられるとは思わなかった……」
「何でもアリすぎんだろ」
分かれた後、通信機でオレとトワがタイミングを取りセリとゼリカが例の玉に触ったら、次の瞬間には完全に別の場所へ移動させられたことに気が付いた。別の場所と断定した理由であるうっすらと発光する土壁のおかげで視界の確保は問題なくなったとはいえ、それ以上の問題が山積みだ。
戻る道が無くなりはしたが、一応ARCUSはノイズが入りつつもジョルジュには繋がったのでそこはよしとする。ここからはオレとセリで対処しなきゃなんねえとはいっても、斥候要員であるこいつがこっちにいるのはラク出来っからジョルジュに感謝だ。オレは、俺を出さないでいられる方が都合がいい。
「そして歓迎会にしちゃ早すぎないかなぁ」
空間がゆらめき、前を歩くセリがすらっとダガーと剣を抜くのに合わせオレも銃を腰から抜く。まず先制一発。フリーズバレットで一瞬でも足止めをすりゃその間にセリが辿り着く。そこからはARCUSを駆動してアーツをぶち込んでやればいい。
そしてその通り、危なげもなく撃破して銃をホルスターに。双刃剣使えりゃもう少し前に出てもいいんだろうが、まあ持ってきちゃいねえし使うつもりもないが。
「あっ、この組み合わせだと情報分析出来るのがいないね」
「今更かよ。バトルスコープはトワと2:1で分配済みだ」
「さすがクロウ、頼りになる」
へへ、と笑うセリに少し肩の力が抜けた。
「だけど向こう大丈夫かなぁ」
「何がだ?」
「うん。霊体にはアンみたいなほぼ素手の攻撃って本当はあんまりしない方がいいんだよね。ほら、ほぼほぼ精神体だから」
「ああなるほどな」
そういやヴィータも言ってたか。敵性霊体には武器を介さない攻撃は極力避けた方がいいとかなんとか。生者の精神の防護膜はそれなりだが、疲弊してくるとその隙間を突かれ身体が乗っ取られやすくなるらしい。そういう意味で"ダンジョン"てのはうってつけな舞台装置だ。いつ終わるかわからない、そもそもこの状態だと脱出ができるかどうか。そういう不安が精神疲弊に直結しているわけだ。
「その辺のケアはトワがやんだろ」
「うん……ま、トワが一緒なら滅多なことはないか。アンが取り憑かれてもトワに攻撃しようものなら怒りで身体の主導権取り返しそうだし」
「すげーありそうだなそれ」
だよねぇ、と同意が来る。
「それより自分の心配しろって話か、なっと」
今度はセリがラグを計算に入れて完全出現前にナイフを投げた。挑発戦技を入れていたのか肩関節部にナイフを受けた甲冑騎士はオレに見向きもせず鈍い金属音を鳴り響かせながら猪突猛進にセリへ駆け寄っていく。おいおい、時代錯誤すぎやしねえか。
「ARCUS駆動────」
当のセリは瞬間的に斬撃は有効でないと判断したのか片手剣を両手で持ち腰辺りで構えて突撃する。甲冑の隙間に差し込み、確実に胴体へ剣は突き立てられたにも関わらず、甲冑は意に介した様子もなくその剣を振り下ろした。────っ。しかし甲冑の腹を蹴りながら剣を抜き後退したセリの行動を見計らい、アーツを発動し切る。
「デモンサイズ!」
歪んだ空間より現れいでた黒い鎌が絶叫と共に甲冑を消滅させた。終了警戒をして辺りを見回し、剣を手にしたまま二の腕で汗を拭うセリに近付いて頭を軽くはたくと、恨みがましい目がこっちを向く。
「ヒヤッとさせんな」
「クロウならきっちり駆動し切ってくれると信じてたって」
術者の精神と密接に関係している導力魔法は、それが乱れると発動出来ない。戦闘訓練では何度もそれを見てきた。攻撃が当たってなくともオーブメントの駆動を中断しちまったり、あるいは仲間が倒れるのを見て恐怖で平静が保てなくなったり。
だから多かれ少なかれ、アーツの適性があるやつっていうのは図太いというか、芯があるというか、精神的に強いことが多い。適性のないやつが弱いってわけじゃねえが。
「ったく」
無邪気に笑う相手の頭をぐしゃぐしゃとこれでもかとかき混ぜる。
その信頼が心地いいなんて、思っていい筈がないんだ。
「おう、ジョルジュか?」
「…あ、もう…………つ……のか…? す…し……てて…………な」
また青い玉がハマった壁に道が行き止まって通信をかける。ずいぶん離れたのかノイズでガビガビで殆ど聴こえやしねえ、もう一回かけ直すか、と切ろうとした途端デカめのノイズがした。思わずARCUSを耳から離す。するとある瞬間それが収まった。
「ごめんごめん。さっき通信波増強出来ないか弄ってたから安定してなかったみたいだ」
クリアに聞こえる通信。一瞬首筋にひやりとしたものが通った、ような。いや気のせいか?
「今さっきあったみてえな玉の前にいるんだけどよ、あっちの方は進捗どうかわかるか?」
『ああ、ついさっき連絡があったからこっちからかけ直してタイミングを合わせよう』
取り敢えず違和感は無視して要件を伝えると、どうやら進行度は大体おんなじようでジョルジュをジャンクションとして通信が繋がる。そうしてタイミングを合わせて玉に触れると、またぞろ転位させられ今度は石畳で組まれた通路に出やがった。辺りはやっぱり発光している。どんどん文明化してきてねえか。
「クロウ、次はちょっと私に連絡やらせてね」
「ん? ああ」
何か考えていたのか静かだったセリが、ARCUSを少し弄りながらそう言った。
そのまま戦術リンクの追撃もまあ恐ろしいことに順調に決まって敵を葬り続けて進んだところで、再度例の青い玉が見えてきた。当たり前のように近づいて行ったセリがARCUSでジョルジュに発信し、繋がったらしい瞬間に眉を顰める。
「ああ、うん。あ、そっちも着いたの? 無事でよかった。じゃあいくよ。3、2、1、」
青い玉にセリの手がかざされ、オレへ視線がすべらされた。
「0」
カウントダウンと共にやっぱりまた転位が発生し、正直なところもうどこにいるんだかわかりゃしねえ。オルディーネと念話すりゃ多分特定くらいは出来んだろうが、まあそこまで差し迫った危険もねえからいいだろ。
「……クロウ」
ため息を吐いて、セリが自分のARCUSを渡してくる。
そういやさっき底面カバー開けてなんかやってたな。それに倣ってARCUSを開けて更に通信機器部を背面カバーから上げ指先で探ると、あり得ない状態になっていた。ああそういうことかとオレもため息をつくしかねえ。
ARCUSの通信ON/OFFの切り替えスイッチは、裏側を少し力入れて開いた通信機器の基部にある。うっかり入っても切れても問題だからだ。だから背面カバーで保護してあるわけだが、それが、いま、セリのやつはOFFになってやがる。通信を終えてからオレに渡されるまでセリが背面カバーを開けた様子はなかった。
「そういうこと、だよねぇ」
バックアップは絶望的だ。どころか相手はARCUSの通信にすら介入して来やがってる。つまりもしかしたら土壇場でARCUSが使えなくなる可能性だってあるってわけだ。危険度が跳ね上がった。
「────待つか?」
目に見えて青白くなったセリにそう問いかけると、一瞬目を閉じて、頭を振る。
「場に留まると逆に危ない、気が、する。満月だし」
「そうか。じゃあ進むしかねえな」
ARCUSを閉じて返してから歩き始めると、躊躇いがちな声が聞こえて振り返る。なんて顔してんだよお前。まるで、まさに今、迷子になったのに気が付いたガキみてえな。
気付かれない程度にゆっくりため息を吐いて、踵を返して近づき、俯きかけてるそいつの額に指を弾いた。だけど痛いも何にも言わねえから、頬を両手で掴んで顔を上向かせる。揺れる瞳と視線がかち合って、ああそういやこいつ歳下なんだよなあ、なんて気が付いた。居心地が良すぎるってのも考えもんだ。
「あのな、オレは、お前を信用してる。だからお前の判断に乗っかるし、その判断の責任をお前だけに背負わせようなんざ思っちゃいねえ。オレを頼るっつうならオレにも頼らせろ。……いつも通りでいいんだよ」
昨日言ってた通りトワの命を自分の判断でベットしたのが許せねえんだろう。それを今の状況に重ねてやがる。だけどオレはオレの意思でお前のコールに命をかけるってんだ。遠慮してんじゃねえ。
見下ろしたそいつはオレの手を掴んで剥がしながら、ぐっ、と口を引き結んでから顔を俯け深呼吸する。何度も何度も。震えていた手に力が戻ってきたところでそっと手が離され、一歩後ろに。上がった顔は覚悟を決めた奴の表情だった。
「ごめん、弱気になってた。一番良くないやつだったね。クロウの命預かるよ」
「おう、オレもお前の命を預かってやるよ」
そう笑って、また二人で歩き始めた。
────信用してるなんてどの口で言ってんだか。
「最奥、かな」
結局通信してタイミングを合わせなくても玉に触れれば転位するダンジョンを歩いて、敵性霊体をぶっ倒して、広場のような場所に出た。直径30アージュの半円地面でドーム状天井のその中心には、はふよふよと浮かび上がる、人の頭大の黒い玉。見せびらかすようなその配置に、嫌なもんが背筋を這いずり回る。
「……? おい」
そのあからさまな罠が見えてるってのに前を歩いていた奴がそのまま歩みを止めない。声をかけてもその足が停止する気配がない。普段なら命を最前線で預かる者として警戒に警戒を重ねるそいつが、なんの対策も声かけもハンドサインもせずにンなことするのは明らかにおかしい。
「おい、止まれ!」
駆け寄ってその手首を、掴んだ瞬間、戦術リンクが可視化され、既に半分黒くなっていたセリのそこからオレへと色が伸ばされ濁り始める。────戦術リンクのハック!?
ヴィータから精神防護をかけられてるオレに手出しが出来ないと見て、セリを生き餌にARCUSを介してこっちまで取り込もうって魂胆だったらしい。銃を抜こうとした時にはすでに身体が硬直し始めていて、小さな手がしっかとオレを掴んでいた。
「……ちっ、くしょう」
潮の音が聴こえる。海鳥が鳴く声も。風に頬を撫でられ、寝転がり背中を預けたコンクリートがぽかぽかと身体をあっためてくれる。沿岸から突き出た船着場は昼寝にちょうどいい。今日はどこの船も出払ってるから本当に静かだ。
「クロウ、ここにいたんだ」
その声に閉じていた目を開けると、逆さまになったセリの顔があった。何だか違和感があるような、ないような。いや気のせいか。
「なんか約束してたか?」
あくびをしながら起き上がると、とすんと隣に座ってきて、いや別に、とこともなげに。隣を見ると真横にセリの顔があって、やっぱりどうも違和感を覚える。なんだ?
「どうかした?」
「いんや」
ずいぶんと頭が霧がかったみたいな感じで、どうもまだ寝ぼけてるみたいだ。そんなに寝た記憶はねえんだけど。
そよそよと風に吹かれながら、二人でしばらく海を眺める。
ジュライが臨むこの海をずっと沖に出て、北上してぐるりと行けばレミフェリアにつく。塩の異変に巻き込まれたノーザンブリアをどうにか出来ないかと対症療法的に支援をしつつ、土壌の回復をどうにか出来ないかと技術者のやりとりをしていると祖父さんが言っていた。もし土壌異変が微小生物の仕業なら、その辺りの研究をしているレミフェリアが何か気付けるかもしれないと。薬物っていうのはそういう研究から精製されることが多いからだとかなんとか。
「クロウはいつかジュライから出ていくの?」
「んー、まあ祖父さんの話聞いてるといろいろ見て回りてえなって思ったりはする。お前は?」
「私、は……学校に行きたいなぁ」
セリが言うのは日曜学校のことじゃなくて、高等教育の学校のことだ。ジュライにもあるっちゃあるが、本当に学ぼうと思うならエレボニアか、それこそレミフェリアか。その辺りに留学するとかの方がいいんだろう。
「でもさぁ」
「おじさんとおばさんに悪いってか?」
投げ出していた足を胸の前で抱えて、うん、と。
セリの親は昔、交通事故で死んだ。俺も小さい頃から世話になってた人たちで驚いた。でも幼馴染のセリの沈みようは本当に見ちゃいられなくて、俺に悲しむ暇もなかったのはよかったんだろうと思う。あそこでこっちまで落ち込んでたら、逆にもっと辛かったろうから。
「でもよ、話さないとわかんないだろ」
「……」
「それに反対されても俺たちまだ14歳だぜ? 説得する時間もあんだろーが」
日曜学校は原則15歳まで通える。それでも目覚ましい成績を残したやつは教会から更に高等教育を学ぶための機会が打診がされたりするらしい。教会を味方につけたら第三者の説得ってことで留学の話も通りやすくなるってもんだ。ま、身内を外国で亡くした二人にとっちゃセリを一人送り出すことの是非は考えちまうだろうけど。
「そんなに心配なら俺も一緒に行ってやるよ」
ぐしゃり、とセリの頭を撫でる。調子のいい言葉だったからか隠しもしない訝しげな表情でセリが顔を上げるもんで思わず笑っちまって、ムッとした表情でそっぽを向かれる。悪い悪い。
「二人で外に行こうぜ。どうせなら遠くまで」
俺が勉強して帰ってきたらきっと祖父さんの役に立てるだろうし。ジュライがノーザンブリアと共倒れにならないよう頭回すってのも悪くない人生だ。まあその前にちょっくら大陸一周ぐらいはしときたいが。それくらいは許してくれんだろ。
「……ありがとう。じゃあ、頼んじゃおうかな」
膝を抱えて重ねた腕の上に、こてんと頭を預けてセリが笑う。ああ、お前はやっぱり笑ってたほうがかわいいと思うぜ。悔しそうにしてるのもまあ、それはそれで、だけども。
「おーい! クロウにいちゃーん、セリねえちゃーん!」
「お、スタークだ」
遠くからぶんぶんと手を振る弟分が見えて二人で立ち上がった。きっと森に遊びに行こうって誘いだろう。また木登り対決してセリに負けるのが目に見える。それでも釣りは俺の方が得意だか、ら……。
────釣り、したことないんだよね。
幾分か声が変わった、でも確かにはっきりとセリだと断定できる声が唐突に脳裏へよぎる。
「クロウ?」
煩くなり始める心臓を押さえて、そっと顔を上げて遠くを見渡すと森が見えた。強烈な違和感に頭が痛くなる。森、森なんて俺の故郷の近くにあったか?そもそも、俺に、セリなんて幼馴染いたか?頭も、喉も、目も灼かれたように熱い。この事実に気づいちゃならねえ、その言葉を出しちゃいけねえと言われているような。
────知るかよ。俺はこんな茶番をするためにこの街を捨てたわけじゃねえんだ。
「ねぇ、クロ……」
呼びに来たスタークへ向けていた足を戻して俺を心配するセリの両肩を掴む。
「俺も、お前も、ここにいるワケがない」
はっきりと、口に出した。
ああそうだ。俺は祖父さんが死んだ後に13でジュライを捨てたし、セリに至っては帝国の人間だ。遠く遠く、イストミア大森林の南にある街だって言ってたろ。だから。
俺の言葉を咀嚼するようにセリはゆっくりと辺りを見回して、ほんの少しだけ俯いた。
「……うん、そっか。ここは、あり得ざる街なんだね」
セリは海を見たことがない。お互いの記憶が混ざり合って、存在しない場所を作り上げた。……だって言うのに、セリと出会ったこの十年分の記憶は確かにある。楽しい日々だったって感情もここにある。頭がおかしくなりそうだ。だけどあり得ない。あり得るはずがない。
ぐしゃりとセリの両目から大粒の涙がこぼれ、顎から雫が落ち、コンクリートが濡れた。
「────!」
「セリちゃん! クロウ君!」
トワの声が耳を突いて跳ね起きる。隣に倒れてるセリを視認して取り敢えず脇に引っかけて何も考えずに声の方へ。そこには泣きそうなトワと呆れたようなゼリカがオレたちを迎え入れた。
「セリちゃん!」
「ん……」
地面へおろしたセリにトワが声をかける。ARCUSを駆動し始めたからレキュリアでもかけるんだろう。黒い玉の方は諦めたのかそれとも定置罠なのか、最初見た時と変わらずに馬鹿みてえにふよふよ浮いている。
「何があったんだ? 私たちはここに来たら二人して倒れているというのに、明らかに近付くのはアウトでどうしようかと立ち往生していたところだったわけだが」
「あー、……たぶん、戦術リンクがハックされて精神汚染された」
「なんと」
オレが最初平気だったのはヴィータの魔術がかかってたからだ。セリを責める気にはさすがにならねえ。そもそもあいつが毎回玉に触ってたしな。それで何か溜まったか解析されたか。つまるところリスクヘッジの結果だ。
ずきり、と頭が痛む。ああ畜生、あのあり得なかった十年の記憶も持ってきちまってる。忘れさせてくれたらよかったってのに。……いやちょっと待て。じゃあ、俺の故郷がジュライだってことをセリが持って出てる可能性もあるってことか。
一呼吸置いて思考し、結論を出す。────そん時は殺すしかない。
誰に気付かれてもアウトだ。俺がジュライ出身だなんて知られたら面倒なことになる。今ここでそんな隠しようもないパーソナルデータを公開するわけにはいかねえんだ。
「あ、セリちゃん気が付いた……?」
「う、ん……」
「おい、何があったか覚えてるか」
膝をついて目線を合わせる。焦点の合わない瞳が段々と意識を取り戻してきて、オレたちと視線を繋ぐ。
「クロウ、と、転位して、黒い宝玉をみつけ、て……それから……?」
頭が痛むのか手で額を押さえながら顔を顰めて口を閉じる。これは、俺が精神防護があったから記憶を持って帰ってきた、ってことなのか、それとも混乱してるだけなのか。……様子見して大丈夫か?
「わからない……思い出せない……」
絞り出すような囁く声で歯痒そうにするセリに、そうか、と呟き頭を撫でて立ち上がる。黒い玉から殺気があふれ始めてんのがわかったからだ。セリもそれを理解したのか両手で武器を抜きながら膝を地面から離した。
「とにかくアレを倒さねえとおちおち話も出来やしねえ」
「ああ。────セリ、行けるかい」
「うん、大丈夫。武器を振るには問題ない」
「じゃあ、戦闘開始だよ……!」
そして不死の王だとか呼ばれるノスフェラトゥと戦って、それを下すことに成功したオレたちは崩れるダンジョンから弾き出され、黒い玉と一緒に例の元締めのおっさんが待機すると言っていた小さな広場に転位させられた。そこにはジョルジュとサラも。
三人にすげえ心配されて、22時っつう時間とセリの体調も相まってそのままハザウにもう一泊することになった。ついでに黒い水晶玉みてえなのは古代遺物だとかで、サラが一番近いルーレ大聖堂に連絡をしたところ明日の朝イチに教会の人間を派遣するから詳しい話を聞かせてくれだとか。つまりたとえセリの体調が良くても帰るのが延びたのは想像に難くない話だ。
宿で飯食って、シャワー浴びて、だあとベッドに倒れ込む。
あー、くそ、めちゃくちゃ眠い。
「お疲れ、クロウ」
「そっちもな。いつ気が付いた?」
「最初に違和感を覚えたのはノイズ音だね。いわゆる距離による断裂や、回路が焼き切れたりした時とは若干違う音だったから、いろいろ条件変えて試行錯誤していま会話しているクロウたちが偽物だって確信に至った形かな」
それを聞いて、うわこいつも大概やべえなと思っちまった。まあこの面子多かれ少なかれ全員やばいんだろうな。オレも含めて。試験運用に抜擢されてるって段階である程度の能力が見込まれてる筈だ。特にジョルジュは最初から参加が決められてたっつうし。
「じゃ、シャワー入ってくるよ」
「おー。つか寝てるかも知んねえ」
「はは、おやすみ」
苦笑するジョルジュを見送って、薄手の毛布とベッドの間に潜り込んだところにARCUSの通信音が響く。煩えなと毛布を被ろうとしてはたと気が付いた。どう考えても鳴ってるのオレのだろこれ。迷いつつも仕方ねえと諦めて通信に出る。
『あ、もしもし。セリです。寝てた?』
「寝かけてた」
『あー……、ごめん』
「昨日みたいにベランダでいいか」
『! うん』
嬉しそうな声に笑っちまって、ARCUSをベッドに放り出してベランダに出ると、ベランダのこっちに一番近いところにストールを肩にかけるセリがいた。さっきよりは顔色がいい。たぶん。月明かりだとイマイチわかんねえけど。
「今日はありがとう」
「おう」
風に僅かに煽られる髪を押さえながらセリが笑う。それがあの"14歳の頃"を思い出させて、妙に息が詰まった。
「その、宝玉に取り込まれた時のことはよく覚えてないんだけど……クロウはどう?」
「オレもあんま覚えちゃねえな。お前がなんか近くにいたってくらいか」
嘘だ。セリと出会ってからの十年を全部覚えてる。あの短時間でどこまで俺たちの深層を覗き込んでどういう演算したんだあのクソ古代遺物は。記憶を植え付けるとか上級モンだろ。なんであんな街の近くにいきなり出現してんだ。
「そっか……実は私も隣にクロウがいたような気がしたから、思い出したかったんだ。なんだか覚えていないのがもったいない気がして」
でも仕方ないね、と。
覚えてたってそんなんあり得なかった話だ。覚えてなくていい話だ。覚えていられたら困る話だ。それでも、ほっとした感情とはまた別のこれはなんなのか。理解したくねえと頭が拒否してる。
「うん、それだけ。明日になったら消えちゃうかもって思って。起こしてごめん」
「明日は教会の事情聴取だろ、オレたち忙しいぜ」
「そうだね。寝ようか」
手を振って部屋へ戻っていくセリを見送り、空を見上げる。
そこには満月が、空に穴を開けたみたいにぽっかりと浮かんでいた。まるで嗤うように。
1203/07/27(月) 朝
「意外に早く終わったね」
「だな」
朝飯食って直ぐに教会の司祭がやってきて、オレとセリは別室でそれぞれ話を聞かしてくれと。とはいえ昨日セリがどれだけ覚えてるのか知れてたこともあり正直覚えてねえから話せることは殆どないと伝えたら、法術で頭ん中を整理するかと提案されたのには焦った。しかし断るわけにもいかずかけられたが、まあ忘れてるわけじゃねえから大した意味はなかった。それにたぶん、ヴィータの精神防護は法術対策もあるんだろう。
ただオレはともかくセリもそれをかけられたとしたら問題だ。一難去ってまた一難と言うべき事態。ただ結果として、それは効果がなかったらしい。夢を見ても、それを覚えていられないみたいなのと似た現象かもしれねえな。たしかレミフェリアかどっかでそんな医学論文が上がってた気がする。だからもしかしたら昨日なら。
だけど機を逸したもんは戻らねえ。これで完全にセリの記憶からあの幻覚は喪われたと見てもいいだろう。
「セリちゃんとクロウ君が教会の司祭様とお話してる間に、レポートすこし進めといたよ」
「正直私たちは殆ど話すこともなかったからね」
「まあダンジョンの詳しい説明とかはさせられたけど」
それでもオレたちほど根掘り葉掘りってワケじゃなかったんだろう。古代遺物を回収するのが教会の役目とはいえ、ダルすぎる。こんなめんどくせえもんによくもまあオレたちは引っかかったもんだ。
「じゃあ帰るか。さすがに疲れたしな」
「そうだねえ」
「現在10時……元締め殿が車で黒竜関まで送ってくれるみたいだし、もしかしたら間に合うんじゃない?」
腰のポーチから懐中時計を取り出したセリがオレに向かってそう言うもんで、首を傾げちまった。なんの話だ。
「夏至賞、楽しみにしてたでしょ」
そういえばそんな話をしたっけか。よく覚えてんな。まあ競馬自体が好きだって言うのはフェイクでもなんでもなくわりとガチなんだが。ギャンブル抜きにしても面白いとオレは思う。馬券を買えたらもっと面白いとは思うけどよ。本当なら来年買えるはずなんだが。
「そんじゃ夏至祭繰り出すか?」
全員で見て回るのも悪かねえかと思った瞬間、いや駄目だろと理性がツッコむ。そして案の定セリは首を振った。
「さすがに私は戻るよ。でも帝都までは少なくともみんなと一緒だし、中央駅まで行けばトリスタまで一本というか一駅だからね。大丈夫大丈夫」
おんなじ夢を見たと言っても、防護壁があるかないかってのは結構デカかったんだろう。あるいはもしかしたら、あの宝玉自体が幻覚の演算をしたってよりは、オレたちの脳を勝手に使って計算したとかもあるかもしれねえ。そう考えると介入がしづらい俺よりセリを重点的に使った可能性だってある。ンなことは言えねえが。
「そんじゃオレは帝都でちょっと見てくるかね。気ィ使われんのもヤだろ」
「うん。ありがとう」
そんな会話をしつつオレたちは黒竜関までサラと一緒に送ってもらい、そのまま帝都への上り列車に乗り込んだ。体調の悪いセリとちっこいトワを壁際に置きつつ、揺れる列車の中、脳内で帝都の地図と地下水路図を重ね合わせながらいつか起き得ることを考えていた。
とは言っても、だ。夏至祭中のイベントに興味があるのがオレだけだったみたいで、結局全員と別れてそのまま見送った。トワも帝都で世話んなってるところに顔出すかは考えたみたいだが、鉄道で30分だ。わざわざ今日顔を出すこともないだろって判断したらしい。
それじゃ、暫く一人行動だな。
趣味ってこともあり夏至賞はそのまま楽しんで、夏至祭中の帝都の様子を確かめつつ、適当なところでトリスタに戻ることにした。夕方の皇族のパレード後は帰宅勢が多く出るからその前に早めに帰っちまうのが得策だ。どうせ毎年ルートは変わるんだからその辺見たってしょうがねえ。
若干混み合いつつも殺人的ってほどじゃねえ列車に揺られながらトリスタに着き、第二学生寮に戻ったところで食堂……というよか台所から聞き慣れた奴らの声が聞こえた。
扉を開けてみると三人が他の生徒もいる中で何か話し合っている。そこに気配に敏いゼリカがこっちを振り向き、指を揃えて上に向ける形で手招きしてきやがった。めんどくせえ。一瞬無視してやろうかと思ったが、無視したら無視したでぜってえ面倒なことになると諦めて台所に足を進める。
「お前ら何やってんだよ」
「セリが気丈に振る舞ってはいたがさすがに部屋に戻るなり即ダウンしたようで、夕飯を作って持っていこうという話になったんだが」
「疲れてる時に何が食べられるかなあ、って」
「それぞれの家庭で食べられてた物を話し合ってたんだ」
なるほど。つーかやっぱりここまでオレと全く違うってことはだいぶあいつが酷使されたみたいだな。オレの分までおっつけちまったか。罪悪感がわかねえといったら、若干嘘にはなる。だから。
「あいつが食うとしたらパン粥だろ」
前に食わせてもらって、あとでレシピを教わったそれを提案すると、全員がああなるほど、的な顔をするのに腹が立つ。お前らあとでぜってー覚えておけよ。
「ふふ、まさに情けは人の為ならず、だね。でもセリちゃん打算とかナシだからなあ。そういうところ格好いいよね」
「よりにもよってそれトワが言うのかい?」
「ああ、私のトワもまさしくその言葉が似合う。もちろんセリもだが」
コントでもやってんのかこいつら、と思いながら手ェ洗って、適当に買い出されてた材料の中からパンを見つけ一口サイズに切っていく。まあ確かに、あいつは"誰かを救ける"という点に於いちゃすこしヤバそうなきらいがある。グレンヴィルのが分かり易い例だ。それが良いか悪いかは別として、事実そういう傾向があるのは確かな話で。
「あー、お前ら喋ってる暇あったら材料切れ。もしくはオレらの晩飯作れ。どーせセリが平気そうだったらあいつの部屋で食うんだろ」
そう指示出しをしながら、夕方は夜へと色を変えていった。
「卵落としてあるのいいね、美味しい」
すったもんだの後の夕飯時、セリはベッドの上でそう笑う。
大粒の涙をこぼしていた子供は、もういない。
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八月
08/02 帝都中央病院
21
1203/08/02(日) 放課後
具合が悪い。
といっても風邪とかそういうモノではなくて、なんとなく、体の動きが悪いというか、妙に太陽が気になったりとか、たまにキツめの頭痛がするだとか、なんかそういう些細だけれどどこか引っかかる感じなのだ。この間の実技訓練でもナイトハルト教官に授業中叱責されてしまった。自分の踏み込みのタイミングが、振り返った時に視界が開くのが、遅い。
叱責されたと言っても授業後は大層体調を心配されてしまった。なのでベアトリクス教官に相談をしてみたら、帝都の中央病院に知り合いがいるから紹介状書いて連絡しておくわね、と言ってくださり、それが数日前のことだ。
あれよあれよと段取りが進んでしまったけれど、頭痛や視界の異常を甘くみたら駄目ですよ、と諭されてしまい、確かにと納得したのだった。反応速度が必要なことをしているわけだし、その一瞬が命取りになりかねない。私ではなく仲間の命も。そういった意味で放っておく場合のリスクは高いと判断した。
それにこの体調不良がいつからなのかを考えたら放っておくのは薄気味悪かった、とも。
「ここ、かな」
導力車がばしばしと走るヴァンクール大通りをなんとか北上して、大きな建物の前に辿り着いた。病院の扉をくぐり受付の方に初診・予約・紹介状などの話をして待合室の椅子に腰掛ける。こんな大きな病院が鉄道で30分の街にあるのだから、やっぱりトリスタは近郊都市なんだなぁとしみじみした。ティルフィルからは考えられない。
……あの導力車の数も。
今でも導力車に関する法整備は遅々と進まないようで、帝都知事の方には頑張ってほしいなぁと思ってしまう。これは私の過去の経験からくる願いだけれど。
法整備を進めようとしているのが例の宰相殿で、それもあってか導力車のメインユーザーである貴族階級者たちから猛反発を食らっているらしい。個人的には宰相殿のやりかたに疑問を全く覚えないというわけではないけれど、それでも、あんな速度のものが何の縛りもなく走っているのは恐ろしい。
身体能力的に多少は自信がある自分がそうなのだから、戦闘訓練を受けていない方は更に恐ろしかろうと思う。ぽつりぽつりと街角に帝都憲兵隊の方々は立ってくださっているけれど、それでも割ける人員と予算には限りがあるものだ。法で決まっていないと言うのなら尚更。
────何人死ねば、導力車の事故は減らせるんだろう。世論は動くのだろう。
つい、そんな風に考えてしまった。
「ローランドさん、診察室五番にどうぞ」
名前を呼ばれて、ハッと立ち上がり移動する。駄目だ駄目だ。そういうことを考えるのは良くない。世界は、昨日よりも今日が、今日よりも明日がマシになっていると信じよう。
そうして教官に紹介して頂いた方は丁寧に私の話を聞いてくれて、ライトで目を見たり、何だか私には馴染みのない検査をいろいろしてもらった。
そうして暫く、一時間ほど待合室で待機して再度呼ばれたところで、難しい顔をされていたから何を言われるのかなんとなく理解してしまう。
「話が早いほうが良い方だと判断したので結論から申しますが、この病院……というより私では調べ切れません」
「そうですか」
さもありなん。人間の頭というのはどうも複雑怪奇なようで、わかっていることの方が少ないのだとか。それでも、これだけ大きな病院で調べ切れないのならもう仕方ないとも思える。困るけれど、それをこの方に言ってもしょうがないのだ。出来ないものは出来ない。仕方がない。むしろそれをハッキリと言ってくださるというのは誠意ある方なのだろう。
「なので、私の知り合いに紹介状を書きます。ウルスラ病院……遠くて申し訳ないのですがクロスベルにある病院で、神経内科というもっと細かい分野の研究をされている方がいるので。今月中で長めに取れる時間はありますか?」
神経内科。聞いたことのない言葉だ。どういう分野なのか見当もつかない。けれど、誠実に私の困りごとに向き合おうとしてくださるこの方が、それが必要と思ってくれたのならそれを受け取るのが患者たる私の仕事だろう。どうにか出来るならどうにかしたいし。
「そうですね、今月でしたら13日から18日にかけて学院が短期休暇になるので、その間だとありがたいです」
「わかりました。検査のことを考えると日帰り可能な場所ではありませんし、学業のことを考えて出来る限りそこで調整して頂けるよう頼んでみます。来週の9日には結果が出ると思いますので、その日にまた来ていただけますか?」
「わかりました。よろしくお願いいたします」
深々とお辞儀をして、診察室を出て諸々手続きをし病院を後にする。授業が終わってすぐ来たのに大通りはもう既に赤く染まっていた。
クロスベル。いつか行ってみたいとは思っていたけれど、まさか行けるかもしれない機会がこんな形で訪れるとは考えもしていなかった。……いや、聞いたことのない分野の先生なのできっとお忙しいだろうし診てもらえるかはまだわからないけれど。
どうせこのまま通り沿いに歩いて駅に帰るだけだから、プラザ・ビフロストでマニキュアの補充でもして行こう。最近は上手く塗れるようになってきた気がして嬉しい。
「あれ」
慣れないことをする日だったので疲れたし、ご飯はキルシェで食べてしまおうと扉を開けたらジョルジュとアンがいた。邪魔しちゃ悪いかな、と思った矢先に二人とも自分に気が付いて手招きをしてくれる。……。まあ、一緒に座っていいならお言葉に甘えようと近付いて座る。
さっと水を持ってきてくれたドリーさんにラザニアを頼んで改めて二人を見た。
「一応聞いておくけど、私ここにいていいやつ?」
「ん? ああ、単純に私たちも居合わせただけさ。約束をしていたとかではないよ」
「そうそう。それに何だか珍しい組み合わせだし悪くないんじゃないかな」
それもそうか。この三人は前衛ということもあって、後衛を庇ったりすることを鑑みると戦術リンクを繋いだ回数が他より少ないかもしれない。それでもバックアップに回る頻度が私は低いのでそれなりではあるのだけれど、次の活動では薄いところを洗い出して重点的にする提案でもしてみようか。その場合は後衛同士のトワとクロウで繋ぐことになるけれど、それはそれでアリな編成だと思う。何だかんだバランスが取れている面子だ。
「セリは買い物帰りかい?」
「うん。あとこの間の課外活動後から妙な頭痛が発生するからそれの相談で病院」
明日登校したらベアトリクス教官へ一応ことの報告をしよう。教官が紹介状を書いて勧めてくださったおかげでこれだけとんとんと物事が動いているのは間違いがないので。
「ああ、例の古代遺物。クロウはなんともなさそうなのがなぁ」
「それね。私の身体が脆弱というだけかもしれないけどさ」
おなじく遺物に取り込まれていただろうクロウが本当にぴんぴんしているし、なんなら夏至祭もそれなりに楽しんで来てあまつさえパン粥を作ってくれるなんていう、そんな剛健さを目の当たりにさせられてすこし落ち込んだりもした。
ただ何となくの勘だけれど、これは性差がどうのという話ではないような気もする。
「いや、セリは私と同じく珠に触れ続けただろう。そのせいもあるんじゃないか? 私たちが先についていたら、私が頭痛で悩むことに、というのは大いにあり得たろう」
「そう、そうかな。極端に私の能力とかが低くて起きてるんじゃないといいけど」
本当にどうしようもない話なのか、わからない。わからないのに考えてしまう。加えて常時いつ起きるかわからないデバフをもらっているような状態なので、正直疲れ始めてしまっているところもある。
でも悪化したら試験運用チームも抜けざるを得ないかと考えたりして、それは嫌だな、なんて結論を出すのは何回もやった。それぐらい私にとって五人でいられることは大切なものになっている。チームを抜けたからって邪険にされるとは露ほども思ってはいないけれど、疎遠になる可能性はあるだろうな、とは。
「それはないよ。セリにはずっと感謝しっぱなしなくらいさ」
「ああ。自分の能力はきちんと正しく評価するべき、だろう?」
二人にそう言葉をかけてもらって、ああこれ慰められたくて言ってしまった形になったな、と反省をする。でも、この数ヶ月でいろんな場所に行って、死線をくぐらせることになって、それでもそう言ってくれるのなら、信じたいと思った。クロウにも怒られたし。うん。
「ありがとう」
「それで、結果はどうだったのか聞いても?」
ドリーさんがピザを運んで来たのでそれを手で切り取りながらアンが話を戻す。ジョルジュには大盛りのミートスパゲティだ。両方とも美味しそう。というかフレッドさん何気にレパートリー多いんだよなぁ。たまに開発中の試作品もらったりするし。どれも美味しいので嬉しいけども。
「検査結果的によくわからないから詳しい人がいるクロスベルの病院を紹介したいって言われて、向こうの予約が取れるか結果待ち」
「クロスベルとは。随分とまた」
「まぁ一度行ってみたいとは思ってたし、行けるなら行きたいけどね」
帝国の東の果て。かの列車砲を格納しているガレリア要塞を越えた先。そこにその街はある。大陸横断鉄道で文字通り帝国国土を横断しないと行けない場所だ。帝国南西部に位置する街の出としてはあまりにも遠い。だからタイミングが合うのなら行くべきだと思う。
「親御さんには?」
「行くことになったら連絡はすると思うけど、出てきてもらうこともないかなぁと。遠いし」
両親は亡くなっているけど、別にわざわざ話の腰を折って言うことでもないしとそのまま会話を続ける。
「そうか。まあそういう判断もアリだと思う。セリは無理なら無理と言えるから」
「あは、その節はお世話になりました」
課外活動から帰ったその日、行けるかもと思ったけれど部屋についた途端だめだめになってしまったので、トワに通信してもしかしたら何か頼むかも、と予め伝えておいたのだ。たぶんそれについて言っているのだと思う。寮やチームという集団行動をしている以上、我慢しても治るのが遅くなって迷惑をさらにかけるだけだ。まぁそれを無理なく行わせてくれたのはARCUSなのだけれど。
あの日のパン粥は美味しかったし、みんなが部屋に来てご飯一緒に食べてくれたのも楽しかった。叔母さん叔父さんには子供がいないので一人で育てられているけれど、職人さんたちがよく来るので独りということはあんまりなかった。だから、ルズウェルや昨日みたいな賑やかなのは懐かしい。
そんな話をしているとラザニアが運ばれてきて、とろりと美味しそうに溶けたチーズ、トマトの赤さが食欲をそそる。絶対に美味しい。いただきます、と手を合わせてフォークを手に取った。
当たり前のようにすぎていく日々は、何よりも愛おしい。
1203/08/03(月) 放課後
貴族生徒たちが一ヶ月の長期休暇に入ったところで、サラ教官から呼び出しがあった。アンは帰省する気がないのか貴族生徒の中で唯一残っていたので、今はトワの勧めもあって教官の許可を取り第二学生寮で寝泊まりしている。授業もないので訓練場で鍛錬をしたり、帝都に出たりしているらしい。
そしていつもより随分と早い日付でミーティングルームに呼ばれることになった私たちが五人揃って部屋に入ると、珍しく先に待っていたらしいサラ教官がレジュメを渡してくる。もしかして夏期休暇中にあるんだろうか、と内容に視線を落として。ぐしゃり。驚いて両手で持つ紙に皺がよった。
「きょ、教官?」
「短いとは言えせっかく連続した休みがあるんだから、それに合わせてちょっと遠くの街に課外活動できないかって打診したのよ」
「えっ、いや、そりゃ確かに遠いですけど!」
「だからよろしくね」
そうハートが出そうなウインクをした教官はやっぱりそのまま部屋を出て行ってしまう。あんなことを言われるということはやっぱりこの紙面にある文字は間違いではないのだ。改めて視線を落としたそこにはやっぱり変わらずその名前がある。
「次の活動地のティルフィルってセリちゃんの故郷、だよね」
そう。イストミア大森林の南、旧都セントアークの西南西、ティレニア台地近くの街であるティルフィルの名前がレジュメに印字されていたのだ。
「…………聞いてないよう」
「活動地については基本流出しないようにしているだろう。特に猟兵のこともあるし」
アンの鋭いツッコミはわかる。理解できる。打診があった、許可をした、というのをいくら身内がそれの試験に参加しているからといって情報流出させるというのはあり得ない。情報というのは統制されていて初めて意味を持つ。士官学院生なのでさすがにわかってはいるけれど。
「ま、なんにせよ楽しいコトになりそうだな」
「ティルフィルって木工細工が有名な街なんだよね。僕も楽しみだな」
呑気な二人の言葉を聞きながら、街や周辺の案内は任せて、とだけ言った。
ミーティングの後、急いで直ぐに帝都へ向かって診察して頂いた方に16-18日が埋まった旨を伝えて寮に戻り、着替えずに夕飯を作って食べて、頃合いを見計らって駅へと向かった。トリスタの街の長距離導力通信業務は駅に一任されており、そこそこお金がかかるけれど超長距離の連絡も大きめの街ならケーブルも通されていて可能なのだ。
街の通信士さんに連絡を取り、ティルフィルだとそこから本人を呼びに行ってもらうのでこの通信費というのは殆ど人件費みたいなものなのだろう。
『通信代わりました。アルデ・ローランドです』
「あ、叔父さん。セリです」
音が分解されて再構築されたせいかすこし記憶と違う気がするけれど、やっぱり懐かしい、しっかりお腹の底に響くような声。半年前までは毎日聞いていた叔父さんの声だ。
『久しぶり、セリ。その様子だと聞いたみたいだな』
「そう、びっくりした! まさか課外活動でそっちに行くなんて」
『悪い悪い。実は結構前から打診頂いていてな。お前の顔も見られるしと直ぐにOKを出していたんだ。いつ連絡してくるか正直わくわくしていたさ』
「い、いじわる……。いや漏らせないのはわかるんだけど」
本当に楽しそうな声で言うものだから、思わず力が抜けてしまいそうになる。でもそうやって楽しみにしてくれるなら、まあ、うん、悪くないかな。みんなと故郷を歩ける機会ってたぶんすごく頑張ってセッティングしないとないだろうし。
『まあむくれてくれるな。頼もしい人たちと来るんだろう? 歓迎させてもらうよ』
「うん、みんなと一緒に帰るね。……あ」
そうだ。予定とは違ったけれど通信をかけてしまったし、この際だからもう伝えておいた方がいいかもしれない。
『どうした?』
「えっと、今度もしかしたらクロスベルの病院へ行くことになるかもしれなくて」
『クロスベル……? 具合が、悪いのか?』
一転して心配そうな声が聞こえて慌てて手を振る。いや、相手には見えないんだけど。
「ちょっとだけね。ただ帝都のお医者さんがそっちにいる専門家の方を紹介して下さって、近々行くかもしれないってことだけ伝えておこうと思って。もしかしたら流れるかもしれないけど」
『そうか……。おそらく付き添ってはやれないが、宿代まで含めて送金はしておく。行くとなったら憂なく話してきなさい』
「……うん、ありがとう、叔父さん」
連絡をしたらそういう話になるとは思っていた。父さん母さんの遺産についてはお前が大人になって、やりたいことやしたいことが出来たときに使えるようとっておきなさい、とずっと言われていたから。私の生活費は叔父さんたちから出してもらっている。
それが申し訳ないと思っていた時期ももちろんあった。だけど、そう思うことが二人への恩返しにはならないと私はもう知っているので、甘やかせてもらうことを昔決めた。いつか私が街に戻った時に、うんと二人を楽させてあげればいいんだから。
「それじゃ、叔母さんにもよろしくね」
『ああ、おやすみ。セリ』
「おやすみ」
かちゃん、と通信機を置いて通信士の方に挨拶をして、ガラス窓のはまった扉を押して出るとちょうどクロウが改札から出てくるところだった。二人して駅を出てそのまま寮へ。
「また帝都? 好きだねえ」
「あんだけでっかい街があったら行きたくなんだろーが」
「そういうものかな」
個人的には帝都は便利だとは思うけれど、やっぱりあの底知れなさというか、猥雑さにはすこし怯んでしまうところがある。導力車もすごく通っているし、足元の下だって何だか広がっているし。いや後者は好奇心の方が強いところもあるけれど。でもそういうポジティブな感情までひっくるめて、だ。
「お前は長距離通信か?」
「うん、叔父さんに連絡してて」
言ってから、あっ、と思った。親ではなく親戚になのか、という話になりかねない。別に隠しているわけじゃないけど、気を使われるのも嫌なのだ。わがままではあるかもだが。
だけどクロウは別に気にしていないのか、突っ込んでくる気配がまるでなくて、もしかして自分は気にしすぎかなぁと腕を組んでみる。……うん、気にしすぎかもしれない。過剰反応よくない。
「どんな街で育ってそんな風になったのか楽しませてもらうぜ」
ぐしゃり、といつものように髪の毛をかきまぜられてクロウを見上げる。もう慣れてしまったものだと思った。最初はあんなに煩わしいというか、距離が妙に近くて嫌だったのに。あたたかくて大きな手のひら。トワと私は撫でやすいのか特に撫でられている気がする。
「自分で言うのも何だけど、いいところだよ」
「それはお前見てりゃわかるっつーの」
────そんな、風に、言われるとは思っていなくて、顔が熱くなるのがわかって視線を前に戻す。いいところだろうというのを、私を見て判断されるというのは、何というか、こそばゆいというか、何というか、嬉しいというか、ううん、なんだろうこの気持ちは。うまく言い表せない。
「そ、う」
だから変な返事になってしまった。
だけどその言葉で、私の好きな街を、大切な人たちにも好きだと思ってもらいたいという欲が湧き出てきた。私に出来ることはなんだろう。とにかく、課外活動を無事に終わらせることだろうか。それなら、無事に活動前に何とか不調の軽減が出来ますように、予約が問題なく取れますように、と心の中で強く強く空の女神に祈ったのだ。
その祈りの甲斐もあってか、9日の診察では13日の昼頃に診察してもらえるよう取り計らったと言う紹介状を頂けた。数日後にはクロスベル入りだ。
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08/11 聖ウルスラ病院
22
1203/08/11(火) 夜
明日は授業が終わり次第寮に戻って荷物を引っ掴んで鉄道に飛び乗る予定を立てているので、自室でそれの荷物準備をしていると控えめなノックが聞こえてきた。トワとアンだ。どうぞ、と声をかけるとそっと開いて部屋着のトワが顔を覗かせ、その後ろからアンも。
「ごめんに夜遅くに……って、課外活動の準備?」
「ああ、これは違うよ。明日からクロスベルに行くからそっち。ばたばたしててごめんね、作業しながら聞ける話かな」
クロスベルから帰ってきて一日置いて今度はティルフィルに向かうので、着替えのやりくりが少し面倒くさい。まぁとはいっても課外活動時は制服なので持っていくとしたらシャツとか下着とかそういった部類なのだけれど、そんなに替えを持っていないのでいっそどこかで新しいのを買った方がいいかもしれない。……いや、ティルフィルで家に泊まるならそこに置いてある服を私は着てもいいのでは……?ちょっとズルっこかもしれないけれど。
「あ、そっか。病院に行くって言ってたもんね」
「うん。それで、どうかした?」
数少ない私服を畳んでくるくると巻きながら尋ねると、後ろにいたアンが口を開く。
「トワが『みんなこっちにいるならお泊まり会とかしてみたいね』と言ってね。それの提案に来たんだが」
お泊まり会。
「あ、楽しそうだね。それならタイルカーペット引いてるし、布団が汚れづらいこの部屋に持ってきたらみんなで寝られるんじゃない?」
「いいの?」
「うん。15日は出発前日だから夜更かしは厳禁だし、帰ってくる14日の夜とかどうかな」
「ああ、いいんじゃないか」
クロスベル自治州は隣とはいえ、トリスタからは広大な帝国の土地を渡らなければ辿り着けない。長旅とまでは行かなくてもしっかりとした長距離移動だ。だから帰ってきた時に楽しいことがある、というのはありがたいので日照りに雨と言ってもいい。
「楽しみが増えちゃったな」
三人で川の字で寝るのも、ティルフィルにみんなで行くのも、本当に今からわくわくして仕方がない。この良さそうな流れに乗って頭痛とかの原因もさくっと突き止めて取り除けたらいいんだけども。
「それじゃあ布団とかは私たちで準備しておくから」
「何かしら進展があることを祈っているよ」
「うん、ありがとう」
そんな風に応援されて、おやすみ、と言い交わし二人は部屋へ帰っていった。
1203/08/12(水) 放課後
授業が終わって直ぐに帰寮し、私服に着替えて支度を終えた鞄を取る。
着替えヨシ、ARCUSヨシ、武器梱包ヨシ、武器携行許可証ヨシ、紹介状ヨシ、財布ヨシ、鉄道のチケットヨシ、学生身分証明書ヨシ。……うん、大丈夫。これだけ揃っていれば取り敢えず街に着きさえすれば何とかなる、と思う。クロスベルにある宿も調べてあるし。
姿見の前で頷いて外に出る。
今日はクロスベル入りは出来ないけれど、昼までに着けるよう一気に移動ができる距離ではないので双龍橋近くの待合所で一泊する予定だ。始発鉄道に乗れたら、少なくとも10時頃にはクロスベルに到着するはず。
心配なのはガレリア要塞で停車するかどうかだけれど、時勢的に荷下ろしが長々と必要になるようなことはない、と思いたい。こればっかりは軍事機密事項なので行ってみないとわからないというのが実情だ。なので気にしても仕方ないともいう。
もうすっかり馴染み深くなった鉄道員のマチルダさんに挨拶をして、鉄道に乗り込む。途中まではルズウェルへ向かう時とおんなじ。ボックス席で鞄を膝に抱えながら赤と藍色が混ざっていく窓の外を眺めていると、前は五人で座っていた場所に一人で座っていることに少しだけ寂しさを感じてしまいそうになった。
夕陽に照らされる穀倉地帯を抜け、そのまましばらくして双龍橋に到着。19時前ですっかり辺りは暗くなっている。軍関係の車両や貨物列車を除けばこれが最終便みたいなものだ。一応寝台列車もあるにはあるけれど、個室は高いので見送る他なかった。明日は早めに起きる必要があるので、とっととご飯を食べてとっとと寝よう。
鞄を肩にかけ直し、待合所の扉を叩いた。
1203/08/13(木)
早朝。それでも夏の朝は早いもので、5時でもそれなりに空が明るい。
朝食を食べて、双龍橋の待合所でのご飯は次はないな、と思いながら始発鉄道に乗る。士官学院生としては常在戦場を心に刻みそういう食事でも耐えられるように訓練するべきなのだろうけれど、プライベートでもそうするべきなのかと考えたら個人的にはごめん被りたい。
出発からだいぶ経ったところで、車内アナウンスが流れた。
『────まもなく、ガレリア要塞、ガレリア要塞。10分ほどの停車となりますが、関係者以外の降車は認められておりません。また、ガレリア要塞内を導力カメラなどで撮影することは帝国法で固く禁じられております。カメラの没収、および取調べの対象になる可能性がありますのでくれぐれもご注意ください』
乗客がいたら少しざわつきそうな威圧的アナウンスを伴い、鉄道は要塞へ入る。そうして、窓から見える範囲だけでもその異様さがわかった。鋼で固められた建物。山と山の間に、渓谷のように建造されている。流れるのは川ではなくて鉄道だけれど、ここはまさしく"砦"ではなく"要塞"なのだということを思い知らされた。通過は一瞬、停車するのは貨物ホーム。それでもその物々しさは強く肌に伝わってきた。
授業で教わった通りであるのなら、ここにあの列車砲が格納されている。常時表に出ていると言うわけでは無論ないけれど、モノの性質上いつどのような事態でもクロスベルに砲門を向けられる状態は維持されている筈だ。要塞からクロスベル市までは200セルジュ以上離れているというけれど、そのすべてを射程範囲にしていると、そう。
帝国民であることを、恥じたことはない。それでもそれは外の国を知らないからゆえなのではないかと、クロスベルで胸を張っていられるかというと、よくわからないな、と思ってしまった。武力だけじゃない強さを手に入れたら、少しはわかるのだろうか。
『────本日は大陸横断鉄道をご利用頂き、誠にありがとうございました。次はクロスベル自治州、クロスベル市です。リベール、レミフェリア各方面への定期飛行船をご利用のお客様はこちらでお乗り換えください。なお、大陸鉄道公社規約に基づき、当列車はクロスベル駅にて30分ほど停車させていただきます。カルバード方面へ向かわれる方は入国申請書をご記入の上、臨検官への提出をお願いいたします。どなた様もお忘れ物の無いよう、よろしくお願い申し上げます』
初めて降り立ったクロスベルの駅は、石造りの駅舎ではあったけれど新しさがあり、駅員の方の制服もどこか洗練されているように感じた。チケットを見せて改札を通り、駅を出ると太陽が眩しくて少し目が眩んだ。通りを横断して線路を見下ろす。この先が帝国に続いていて、駅舎を挟んで向こう側に共和国がある。本当に境目の都市なのだ。
駅舎から出てきた人たちが進んでいく方を見ると、『Welcome Crossbell』という看板が掲げられていて、事前に調べていた地図を広げて頷き、私もそっちの方へ足を向けた。
クロスベルはその都市の性質上、宿がそれなりにある。高級ホテルから、裏通りの安宿まで。ただ学生とはいえ帝国人なのであまり治安の悪いところを選んで何かあった場合、絶対に面倒になると思ったのでガイドブックに載っているそれなりそうな宿を取ることにした。お金と面倒は引き換えられない。それに安心も。
「……」
そうして地図を頼りに東方街の赤い街並みを抜けた先、金の装飾で縁取られた白い看板を見上げる。《龍老飯店》。店の名前からして東方民族系とは思っていたけれど、ここまでこてこてだとは思っていなくてびっくりしてしまった。というかここも東方街の奥の奥なので、きょろきょろしながら辿り着いた。
どうしようかな、と少し迷ったけれど、中から香ってくる気配が本当に美味しそうだったので、ええいままよ、とその扉を開く。
昼前だからかそこまでお店は混んでいないけれど、厨房の多くから炒め物を豪快にゆする音が聞こえてきたり、楽しそうにしている人がちらほらいる。観光客が集まる街で、地元らしき人たちで賑わっているということは本当に美味しいかもしれない。
朝食が散々だったので、ここでお昼を食べて行ってもいいかも。他に良さそうな店がなかったらそうしよう。
「お客さんね? お一人?」
「あ、はい。一泊宿泊したいんですが大丈夫ですか?」
「お部屋空いてるから大丈夫よ。こっちこっち」
目を見張るような鮮やかな赤い服を着た女性が迎え入れてくれて、店の奥に案内してくれる。も、もうチェックインしていいんだろうか。取り敢えずついていくとシングルの部屋に通された。赤い梁が部屋を縁取っているようで、調度品とかもすごく綺麗でいいお部屋な気がする。
「あ、宿泊料金の話してなかったね、ごめん。ちょっと待っててね」
ピャッと部屋を飛び出て、ピャッと戻ってきたその人が差し出してきた紙を見て、ああうんガイドブックにあった通りの値段帯だと頷く。朝食もあってこの値段なら良心的だと思う。
「大丈夫です。これでお願いします。何か記入するものとかありますか?」
「それならこの二枚目書いてくれたらいいよ」
部屋に備え付けのソファに座り、注意事項を確認してさらりさらりと記入していく。
「うん、それじゃあ帰る際に鍵とお金よろしくね。朝ごはんは7時から9時の間よ」
「はい。ありがとうございます」
いろいろ世話を焼いてくれたその女性が退室したので、ふう、とそのまま背もたれに背中を預けて息を吐いた。まさか午前中に宿に入れるとは思わなかった。荷物だけ預けてそのまま街をぶらつこうかと考えていたので助かる。
取り敢えず外出用の鞄を引っ張り出し、紹介状やその他を詰め込んでいく。予約は14時で、現在時刻10時30分。駅前通りを抜けたところに定期便の停留所があるらしいのでそこから行くとして、多めに見積もって30分。時刻表的には13時のに乗れたら大丈夫かな。
武器は取り敢えず全部置いていこう。病院へ行くときだけダガーと投げナイフを装備でいい。片手剣も一応持ってきたけどさすがに腰に帯びると見た目が物々しすぎるし、一般人が持っていていい装備じゃないだろう。ここは自国内でもないのだし。
東方街も気になりつつ、市内の起点となるだろう中央広場に戻ると、午前中の盛りということもあるのか結構な賑わいだった。帝都ほどではないにせよたしか人口50万都市だとかなので、帝国第二規模の海都より住民が多いというのが公式発表のはず。
その人口の多さもあってか導力車の運用も多いけれど、軍……ではなく、ええと、自治州の治安維持機構は警察および警備隊と呼ばれるのだったか。その方たちが街頭に立ち、テキパキと道を整えている。市民の方々にも導力車が走っていることへの、道を歩くことへの不安は少なそうだ。
クロスベルに身分制度はない。だから車を動かしているのも貴族といった階級の異なる相手ではなく、同じ一般市民。もちろん運転が荒い人もいるのだろうけれど、概ね権力を翳して道路を我が物にしようというのは見受けられない。
だから、こんな場所が既にあったのか、という感想を持ってしまった。
ビルも多く立ち並び、車が走り、その交通に関してきちんと整備が行われている。大陸横断鉄道も飛行船の発着場もあり交通と貨物の要衝。金融機関に関してもIBCが担っており、そういう意味でも捨て置ける場所じゃない。完全な最先端の都市。
おそらく帝国民や共和国民が暴走をしたら取り締まれないなどの政治的弱点はあるのだろうけれど、それでも、他の特区や自治州とはまるで違う。北西のジュライや北のノーザンブリアとは置かれている状況が、根本的に。ジュライは経済的な特別区になってはいるけれど、殆ど帝国資本だけになっているという点に於いてやはり異なる。
来て、良かったと思った。いつか線を接している他の二つにも足を運びたい。特にジュライには。その名前を考えるとどこか心がざわついてしまうから、きっと行くべきなんだろう。
どうしてかはわからない、けれど。
中央広場にあるレストランでこれまた美味しいご飯を食べて、一度宿に戻って装備を整え停留所で待っていると時刻通り細長い導力車がターミナルに入ってきた。待っている人たちの話を総合すると導力バスと呼ばれる人間の運搬に特化した特殊車両らしい。今から向かうウルスラ病院は高頻度で直通便があるという程度にはクロスベル市にとって大きな場所なのだろう。
利用する人はおそらく通院しているのだろう方や、あるいは保護者とお土産のようなものを持った子供の組み合わせだったり、色々で、なんだか不思議な感じ。私もその一人だけれど。
そうしてバスに乗っていると左手の方に綺麗な湖が見えてくる。白い遺跡のようなものが水没しているのがみえるので、何か謂れがあったりするのかとわくわくした。
遺跡。そういえばあの古代遺物が作成したのだろうあのダンジョンも進んだ先はまさしく遺跡と言ってもいいものだった。霊体の使役、空間の構築、そして生者の精神汚染。どれもこれも一つだけでも恐ろしさがある。
こつん、と窓に頭を預けて、瞼をおろす。
よく生きて帰って来られたと思った。私には後遺症……らしき頭痛やその他があるけれどクロウには出ていないみたいだし、話を聞くと私が精神汚染されたせいでクロウも巻き込んでしまったみたいで。いや、それは気にするなと言われたし仕方のないことだと他の三人どころか教官も司祭殿もよってたかって慰めてくれたので本当に気にすることではない、んだろう、たぶん。
つくづく仲間に恵まれたなぁと思う。あんな出会いだったのに。四人はもう友人同士で、そこに入っていけるのかすこし心配だったけれどいつの間にか何の問題もなくなっていた。トワは人当たりの良さと視点の広さが素晴らしくていつも助けられているし、アンともあれ以降もきちんと話して今はいい関係を築けていると思うし、ジョルジュには武器や導力器の手入れや銃のことについていろいろ聞いたり形にしてもらったり。
クロウは、言わずもがなで。私の無茶振りに応えてくれるし駄目なら駄目だと言ってくれる。どれだけ感謝してもし足りない……よき相棒、みたいな。でも最近なんか一緒にいると妙に懐かしいような気持ちになったりするけれど、これも古代遺物の後遺症だったりするのだろうか。自分の認識と異なる感情が差し込まれるのはちょっと困る。
『まもなく終点に到着いたします。バスが停車するまでそのままでお待ちください』
そんなことを考えていると意外に呆気なく時間は過ぎて、アナウンスが。
窓の外を見ると木漏れ日が落ちる森を抜けた先、視界がひらけ白い大きな建物が現れる。あれがウルスラ病院────聖ウルスラ医科大学病院。医学技術最先端であるというレミフェリア公国からも技術支援を受け、クロスベルという金融集積地で行われる近代医療の研究施設。私は紹介されるまでは知らなかったけれど、どうやらクロスベル近郊だけではなく、立地・技術などの要素から諸外国の重篤者も受け入れていたりすると聞いた。
頭痛から大ごとになってしまったかもしれないと思っていたけれど、ベアトリクス教官が侮ってはいけないというし、事実戦闘訓練に支障が出ているのは確かなので取り敢えず少しでも軽減する道が見つかればいい。うん。怖がってない。大丈夫。
バスのステップを降り、建物を目の前にするとなんというか、改めて驚いてしまった。
大陸最先端の街であるクロスベルというのは病院の雰囲気というか、建物の雰囲気まで違うらしい。これは多分建物内の構造も結構違うのではなかろうか。でも青い空に白い建物というのはなんだか元気になるカラーリングだなとなんとなく。
さて、行こう。
病院の正面入り口の扉から入り、受付の方に名前と紹介状その他諸々をお渡しして待合所のソファに腰掛けた。予定よりも早いというか、午後の診察も始まっていないのでのんびりゆっくり待つことになるだろう。予約に遅れるよりずっといい。
暇つぶしに何か読もうかな、とマガジンラックを覗いたら新聞があったので手に取って開いてみると、クロスベルタイムズ。地域新聞みたいで、クロスベル州で起きた事件やその解決にあたった人の話、果ては子猫の捜索願いや今月の一押しレストランの紹介などがされていて、ざっと眺めた限りなかなかに濃ゆそうな記事が集まっていた。うん、これにしよう。
『ローランドさん、診察室三番へどうぞ』
天井のスピーカーから落ち着いた女性の声が聞こえて来て、看護師さんが呼びにくるんじゃないのかとびっくりしたまま新聞をラックに戻して診察室の方へ進む。
それにしてもクロスベルタイムズには遊撃士の方の活躍がたくさん載っていて驚いた。ここではかなり身近な存在なんだなぁ。帝国ではとんと見かけないけれど、もしかして政府の意向とかが関わっているのかもしれない。前に軒並み帝国から撤退を余儀なくされているという話も聞いたし。遊撃士の理念的に帝国が軍事大国だからといって背を向けるようなことをしているとは思えないので、いろいろな思惑の結果なんだろう。
「失礼いたします」
「あぁ、そちらの椅子にどうぞ。荷物は横の棚に」
診察室へ入ると、茶色の髪を後ろで束ね、タートルネックと白衣を合わせた女性がそこにいた。勧められるままに椅子に座り、相対する。
「さっそくだが、紹介状を読ませてもらった。しかし少し要領を得ないので申し訳ないがまた一から説明してもらっても構わないだろうか」
「はい。大丈夫です。では……」
私は先月の末にあった出来事、特に古代遺物が生成したと思しきダンジョンで起きたことを話していった。自分がそう感じた・見たということと、友人の証言についてはきちんと区別をして。それとルーレという大きな街から七耀教会の司祭殿が訪れ法術を行使されたということも。
色々あったので少し長くなってしまった話をまとめ、ふう、と一息ついたところで看護師さんが水を持ってきてくださったのでありがたく飲む。話し続けて乾いた喉にしみる水分は心地いい。
「なるほど、彼の説明が珍しく分かりづらかったわけだ。ああそうだ、今日は検査だけになり検査結果自体は元々の病院へ発送する、ということでよろしいかな。もちろん私の所感も添付する。本来であれば説明は直にすべきだが、帝都近郊からここは通いづらいだろう。特に学生ともなれば」
「はい、そうして頂けると助かります」
たまたま夏期休暇があったからこんな風に来ることが出来たけれど、そうでなければかなりの日数とお金を割かなければいけない。もちろん来るだけなら日帰りでなんとかなるかもしれないけれど、検査や診察も含まれるとなれば別だ。
「では簡単なものから始めよう」
そうして目にライトを当てられたり、認識テストのようなものをさせられたり、知らない導力器に繋がれたり、何か妙な検査機器で写真を撮られたり、いろいろいろいろ目の回るような数の検査をして、今日は一日が終わった。もう18時だ。
「お疲れさま。泣き言を言わないいい患者だったと検査技師から喜びが入っていた」
「それは、その、何よりです」
普段の医療従事者の方の苦労が偲ばれてしまう。
「それと……私の立場でこういったことを勧めるのはあまりよくないのかもしれないが」
「? はい」
「クロスベルのウルスラ間道口とは正反対の場所、マインツ山道口にクロスベル大聖堂というのがある。そこのシスター・マーブルが法術に詳しいと聞いたことがあってな。もしかしたら法術をかけた後に後遺症が発生するものなのかどうか教えてくれるかもしれない。知り合いではないが一応紹介状を書いておこう。無くとも無下にはされないだろうが」
「あ、はい。ありがとうございます!」
クロスベルにも教会があるのはもちろん知っていたので行くつもりだったけれど、どうにか出来る手立てが増やせるならそれに越したことはない。というよりも、そうか、古代遺物の後遺症ではなく、法術の後遺症ということもあるのか。あるいはそれが絡み合って異変が起きている可能性も。有機的にそういうことを考えなければいけないのだなぁ……。
専門家の方ってやっぱりすごい。
病院を出たらちょうどバスの出発時間だったみたいで、急いで乗車したところで扉が閉められた。そっと席に座り、夕方になりかけの森を走っていく。
最先端医療ということで、古代遺物の話などは妄想かと言われるかという覚悟をしていたけれど、そうでなくてよかった。それどころか教会の方の話もしてくれたので、出来ることから一つずつ潰していく、というのが何よりも大事だと言うことを改めて思わせてくれる人だった。
でもさすがに検査の連続は疲れたので、夕食はあの宿で取るのがいいだろう。食べたらすぐに部屋へ戻れるし、なにより美味しそうな香りだったから。うん、そうしよう、と内心頷いたところで、森の中の妙な気配に気がついた。並走する魔獣が複数体いる。
席から立ち上がって急いで運転席の方へ向かう。
「すみません、バスを先の停留所の手前で止めてください!」
「えっ?」
「魔獣がおそらくこの先の広場で出てきます、ぶつかったらただじゃすみません」
私の突拍子もない話をそれでも信じてくれたのか停車し、予想通りそのすこし先の方で魔獣が森から飛び出してきた。オッサー系二体にモンチ系三体。私一人で討伐出来るだろうか。一応乗客の方に視線を走らせたけれど、誰も立ち上がってはいない。つまり、戦えるのは私一人だ。
武器の携行証明書があったとしても、それは戦闘をしていい許可じゃない。でもそんなこと、戦わないでいい理由にはならないのだ。
「みなさん、絶対に車内から出ないでください。私が出たら窓も戸締りを!」
「あっ、おい!」
誰かの制止を振り切り、窓を開けて飛び出した。
腰からナイフを取り出して投擲可能範囲に入ったところでオッサー二体に挑発戦技を打ち込む。これで大型が私を狙えばバスとは距離があるためモンチも自動的に私を狙ってくれるだろう。あとはヒットアンドウェイでどうにか。腰に片手剣はない。支援も援護もメインアタッカーもいない。増援だって見込めやしない。
それでも、見過ごすことなんて出来やしなかった。
モンチ二体を倒し、オッサーへ駆け上りその額へダガーを突き刺す。抜いてそのまま一旦離脱しようとしたところで、激しい頭痛が一瞬こめかみに走りダガーを抜き損ねた。攻撃を喰らうよりマシだと武器を手放し、後ろからのオッサーの振りかぶりを回避する。死亡したオッサーの死体は消え、からんとダガーが地面へ。武器は敵の向こう。ナイフは全部投げてしまっている。取りに行けるだろうか。いや、やるしかない。とにかくオッサーさえ倒せれば、なんとか。────嗚呼、ここにみんながいればなんて、思っちゃいけないんだ。
落ち着くために腕で額の汗を拭いた瞬間、市側から街道を猛スピードで走り込んでくる二つの気配。人間だ。だけどこれが山賊じゃないって言えるか?拳を構えて背後の気配にも気を配った瞬間。
「──ティアラ!」
体が青い光に包まれ傷が癒えていく。何者か。そう問う暇はないけれど回復をしてくれたということは少なくとも現状敵ではないと考えていいんだろう。前を改めて見据えた途端、モンチが撃ち抜かれる。素早く動き続けるモンチの額を射抜くのは至難の業に近い。出来る人たちだ!それに合わせて私もオッサーへ挑発戦技をかけて動き出す。前からナイフがなくても行使していたんだ、それぐらいは!
「助太刀する!」
そうして絶妙なタイミングで切り込んできた男性は、こちらが引きつけていたオッサーを背中から一刀両断にし、そのままバスへと走り乗客の安全をすぐに確保した。……あの防具の胸にある、支える籠手のエンブレム。そうか、あの人たちが遊撃士と呼ばれる方々なのだ。
その光景に緊張の糸が切れたのかうっかり座り込みそうになるのを膝に手をついてなんとか耐え、ダガーとナイフを拾っていくと、最後のナイフが拾われ差し出される。
「直ぐに警戒を解いてくれて助かった。バスが遅れているということで確認しにきた遊撃士のスコットだ。こっちはヴェンツェル。君は見たところ……一般の方のようだけど」
「申し訳ないが所属を尋ねても良いだろうか」
焦茶の髪の方と、金の髪の方。それぞれの質問に対して、私は一言で答えられる。一瞬迷ってしまったけれど、いや、自分が選択したことだ。たとえ罰されても臆してはいけない。それが自身を誇りに思うということなのだと思う。
武器を納め、踵を揃え、腕は腰の後ろで組む。真っ直ぐとお二方を見据え私は口を開いた。
「エレボニア帝国、トールズ士官学院所属、セリ・ローランドと申します。武器の携行証明書は発行しておりますが、自治州内での抜剣および戦闘が許可されたものではありません。……何か問題があれば、拘束をお願いいたします」
間違ったことをしていないとは言い切れる。けれどそれは私の規範の中の話であり、他国で通用するものではない。帝国内では帝国国民だから許されていた振る舞いとも言える。
「いや、むしろ乗客を守ってくれてありがとう。一人で大変だったろう」
「君がいなければもっと被害が出ていた。おなじ帝国人として誇りに思う」
「これが問題になるようであれば、遊撃士協会から正式に抗議させてもらうくらいさ」
だから、そんな風に当たり前のように言われるとは……いや、遊撃士の方達だ。一般市民の安全と平和を守ると言う理念を掲げた組織。その方々が一般市民を守る人間を拘束するはずは、ない、か。遊撃士というのは確かに高潔な方々なのだ。
ああ、これは、たしかに帝国政府や貴族階級の方々にとっては邪魔な存在かもしれない。内心でそう苦笑してしまった。帝国人だと言ってくれた金髪の方は、己の信念などが自国と違えてしまい今ここにいらっしゃるのだろう、とも。私はそういう国の民なのだ。
「それなら、良かったです」
「ただ詳しいことは聞きたいから、バスの中で少し話をさせてもらっても?」
「大丈夫です」
そうしてバスの運転手の方のエンジンチェックも終わり、周囲警戒をしていた私たちがバスに乗り込むと、市民の方から口々にお礼を言われた。私の所属宣言は聞こえていた人もいるだろう。帝国民だ。自治州を取り込もうとして、暗躍する大国の片割れ。
それでも、ありがとうと手を握ってくれた年配の女性、ありがとうと抱きついてくれた小さな男の子、ありがとうと涙を流す人、ありがとうと背中を叩いてくる人。いろんな方が、感謝の言葉を。
こんな私でも誰かを守れるようになっただろうか。
今はそれが、何よりも嬉しい。
「オッサー二体にモンチ三体が街道に? 好戦的な時期はまだ先の筈だが」
「しかしそれで乗客、バスともにほぼ無傷だったとは」
「いえ、それでも私の力だけでは終えられませんでした」
「いやいや、一人でそれだけ出来れば十分だろ」
「それで学生というのだから、末恐ろしいな」
「……ありがとうございます」
そうしてもし何かあれば自分たちの名前を出していい、とスコットさんとヴェンツェルさんの連絡先、つまり東方街にある遊撃士協会のアドレスその他を教えてもらった。どうやらクロスベル市は市内全域に導力通信の有線ケーブルが張り巡らされているようで、一部外国とも繋がっているらしい。本当に最先端都市だ。帝国からでもやろうと思えば通信ができるのだとか。いや、そんな端末流石に……ジョルジュに頼めばもしかしたらどうにかなってしまうかもしれない。
とりあえずその厚意はありがたく受け取り、観光する気力も尽きた私はそのまま龍老飯店に戻り、簡単な晩御飯を食べて、シャワーをさっと浴びてどろりと沈むように眠りに落ちた。
ああ、炒飯美味し、かった。
1203/08/14(金)
5時。あまりにも早く寝たせいか、始発鉄道のような時間に目が覚めてしまった。といってもここから寝直すのもどうにも具合が良くはない気がして、どうしようかなと考えたところ、教会に行ってみようと思った。もちろんシスターを訪ねるつもりはない。宗教家の方であれば起きていらっしゃるかもしれないがさすがに非常識な時間だ、だけど散歩にはいい場所じゃないかなと。市内を横断することにもなるので運動にもなりそうだ。
よし、と簡単な身支度だけして、そっと外へ出る。夏の暑さもなりをひそめすこし肌寒いぐらい。
露店で賑わっていた東の通りはしんと静かで、なんだか別の世界へ迷い込んだような気分になった。私にとっては異国風の建物が立ち並んでいるので、その向きが本当に強い。そのまま歩いて港湾区へ行くと、ジョギングをしている方がいてお互い会釈する。
「わぁ」
港の方へ足を進めたら、対岸の方に何か妙な形の建造物群が見えた。たぶんあれが、エルム湖にある保養地ミシュラムに併設建造されたテーマパークなんだろう。どんなところなんだろう。そもそも、テーマパークってなんだろう。ガイドブックに写真はあったけれどいまいちイメージがわかない。
……卒業旅行に行こうって提案したら、みんな乗ってくれるだろうか。まだ一年で気が早いけども、大丈夫そうなら言ってみたい。
とこり、とこり。街の殆どは眠っているみたいで、歓楽街も眠りに落ちたのか静かだった。路地裏のような場所はまだネオンサインが煌々とついていたけれど、クロウやアンじゃあるまいしさすがにそういうところに近付こうとは思わない。
そうして住宅が立ち並ぶ通りを抜けて、山道に出たところで話に聞いていた階段を昇っていく。昇った先には大きな大きな聖堂があり、クロスベルがいかに大きな街なのかと言うのを教えられたような気がした。そっと近付いて扉の取っ手に手をかけ引っ張ると、ぎぃ、と重い音を立てながらも開くような気配が。
一瞬躊躇ってから、入ってはいけなければ鍵がかかっているだろう、と判断して中へ入る。
もう6時を回っているのでステンドグラスから太陽光が入り、誰もいない聖堂の中をうつくしく照らしていた。静かに静かに進んで、ある程度のところで両膝をついて手を組んだ。
────いろいろな人の縁で私は今ここにいて、生きていて、自身の行いが誰かの助けになれていたらいいと思うのです。そうしてこれからもそうでありたいと。
暫くそうして、立ち上がる。聖堂の前で分岐していた道は墓地へ続く道だろうか。丘の上にあるので眺めがいいかもしれない。
大聖堂から出て歩を進める途中で墓守らしき男性と出会う。会釈をして墓地の奥へ進んでいくと、ずあっと、風に吹かれるように視界がひらけた。眺めがいいどころじゃない。薄靄のなかで向こうに山々が見える。太陽がそれを照らし、一種の宗教画のような趣さえある場所だ。
風景に圧倒されて辺りを見回すと、近くにあった石碑に何か文字が書かれているのが見てとれた。読める言語だ。ええと、と視線をおろして読み進める。
──鐘の下より生まれし子羊たちよ どうか安らかに眠りたまえ
──純白の雲間から差す黄金の陽光が 蒼き大空へと続く一筋の道となりて
──魂を女神の元へと導かん
鐘の下。中央広場に掲げられていた鐘といい、クロスベルという名前といい、そういう謂れのある土地だったりするのかもしれない。そしてこれは、その方々のためだけに、まさにここで紡がれた詩だ。この光景を見ればわかる。
土地に根差す、うつくしい言葉だと思った。
軍事大国の士官学院生である私がここで祈りの手を組むのはエゴだ。
それでも、私も静かに祈った。
そうして一度宿に戻り、ちょうど時間になっていたので朝食を頂く。朝粥というらしく、とろとろのご飯をいろんな付け合わせで食べる料理なのだとか。これが付け合わせの漬物とかが本当に美味しくて、寮でも出来ないだろうか、なんて考えてしまった。
だけどまずお米が少し違う気がするので、その入手からになってしまいそうだ。割高になる材料は流石に使えない。いつかまた来よう。あるいは、大人になって稼げるようになってからやろう。
元気を充填したので部屋に戻り、軽くシャワーを浴びて荷物の整理を。暫くベッドでだらっとしてから、いい時間になったので外出用の鞄に紹介状を入れてチェックアウトをする。武器その他荷物は預かっていてもらえるらしいのでよかった。
おんなじ場所に行くけれどルートを変えれば楽しいだろう、と思って今度は中央広場と西通りを経由してマインツ山道口へ。西通りのパン屋さんの脇を通った際、すごく美味しそうな香りがしたので鉄道に乗る前に軽食をあそこで買っていくのが賢いかもしれないと思った。
呑気なことを考えつつ再度大聖堂を訪れると、シスターの方が箒で道を掃き清めていた。
「おはようございます。いい天気ですね」
「ふふ、おはようございます」
挨拶をすると柔和に微笑みかけられる。和やかさと清廉さがある、凛とした佇まいの方だ。
「シスター・マーブルという方がこちらにいらっしゃると聞いて来たのですが」
「あら、私ですね。何か御用でしょうか」
その方はにこりと笑い、立ち話もなんですから、と言って聖堂の中にある小部屋の方へ案内してくださった。椅子を勧められて座ったところでセイランド教授からの紹介状を渡し、暫く内容を読んでもらっていると終わったのか手紙が折り畳まれる。
「事情は把握いたしました。法術が何かしらの悪影響を与えるか否か、ですが、今回のものは記憶領域に働きかけるものですからあり得ないことではありません。すみません」
「いえ、謝らないでください。古代遺物の調査も教会のお仕事と伺っていますから」
回収してくれる機関があるならそこに連絡をすればいい。そういうルールが確立されている状態でそれにものを申したいとは思わないし、可能な限りは協力もしたいと思っている。わからないものをわからないままにするというのはどうにも気持ちが悪いので。
「その、大変申し訳ないのですが、私も法術で診てもよろしいですか?」
「あぁ、はい。どうぞ」
目を瞑って顔を気持ち上に向けると、手をかざされたような気配と共に言葉が落ちてくる。
「空の女神の名において聖別されし七耀、ここに在り」
ふわり、瞼を閉じているのにどこか頭の中が白くなっていくような気分になる。それに合わさって落ち着いた声がじわりじわりと溶けるように体の中へ。
「空の金耀、識の銀耀──その融合をもって彼の者の世界への不均衡を示したまえ」
ふっと、その言葉ですこし頭が軽くなったような気がした。目を開いた私の表情がわかりやすかったのか、シスター・マーブルがふわりと笑う。
「上手くいったようですね。どうやら古代遺物の働きと、それを法術で呼び起こそうとした際に術式の衝突が起きてしまったのでしょう。暫く頭痛は続くかもしれませんが、段々と収まっていくと思いますよ」
「あ……ありがとうございます……!」
思わず立ち上がって掲げられていた手を両手で掴む。
術式の衝突。そんなこともあるのか。いや、まさか解決するとは思わなかった。ここ三週間ぐらい続いていた頭の靄がすっきりと晴れたような気がする。シスター・マーブルにはもちろん感謝だけれど、可能性を示してくれたセイランド教授にも感謝だ。そしてそこへ繋いでくださった帝都の方や教官にも。
「いいえ、こちらこそ申し訳ありません。法術を使う者にあってはならないミスです」
けれど私の喜びとは裏腹に、重く沈痛そうな顔をされる。まぁ、でも、そういうこともあるんじゃないだろうか。絶対にミスをしない人間というのはいない。アフターケアもしてくれたらそれは確かによかったろうけれど、そもそもあんな古代遺物が規格外なのだろうから。
「シスター・マーブル。やはり、どうか謝らないでください。私はこれをきっかけにずっと気になっていたクロスベルへ来ることが出来ました。帝国の人間として、良い経験になったと思います。きっとそういう女神の導きだったのでしょう」
「あなたは……強い方ですね」
「そうであれたらとは常々思っています」
に、と笑って手を放し、一歩下がった。
「この度は本当にありがとうございました」
「また何かあれば、いいえ、何もなくても機会があれば顔を見せてください」
「はい。クロスベルへ来ることがありましたらまた是非」
深く頭を下げ、私は大聖堂の敷地を後にする。
大聖堂のある丘の上からは少しクロスベル市が見渡せた。うん、来ることが出来て本当によかった。いろいろ観光して回りたい気もするけれど、なんだかすごくいま、みんなに会いたい。観光はまた今度にとっておいて今は荷物を受け取って駅へ急ごう。
もちろんパンを西通りで買ってから!
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08/14 お泊り会
23
1203/08/14(金) 夜
布団は大きめのものを二組用意した。お盆にお茶菓子たくさん、ティーコゼーを被せたポットも抜かりなく。寝巻きも身にまとい準備は万端。今日はベッドを使わない。用意した布団二組を並べて、繋ぎ目を跨ぐように三人寝転がれば誰も隙間に落ちない。まぁまだ寝っ転がりはしないけども。掛け布団は畳んだまま、盆を中心に円座だ。
「お泊まり会なんて初めて」
クッションを抱きしめながら私がそう言うと、私も、私も、と二人とも挙手をする。あ、そうなんだ。手際がいいから地元とかでもやっていたのかと思ってた。
「私がやると仔猫ちゃんたちの可愛いパーティーになってしまうからね」
「私は帝都だから結構遅くまでトラム走ってるし、お泊まりはなかったかなぁ」
「ああ、納得」
帝都のトラムは本当に便利だと思う。縦横無尽に張り巡らされて、しかもかなり安価に乗れる。定期券などを買っていれば乗り放題らしいので通勤通学者には大層有難いのだとか。まぁそれはもう、自分も帝都民であれば絶対に買う。あれだけ広い街だと何か欲しいものはいろんな街区に行けば大概はどうにかなりそうだし。
「そうそう、クロスベルどうだった? ご飯の時に頭痛は何とかなりそうって聞いたけど」
「じゃあそれから話そうか」
お盆の上にあるクッキーをつまみながら昨日今日あったことを話し始めた。
「えっ、車両に乗っててまた魔獣に遭遇したの?」
「うん。オッサー二体にモンチ三体で、死ぬとは思わなかったけど乗客の方の安全確保できないかもなぁって正直覚悟しかけた」
「最近その手の話が領地の方でも聞くが……ふむ」
どうやらアンは他の地域でもそういったことが起きていると話に聞いているらしい。つまり魔獣の活動が活発になってきている、ということなんだろうか。どこかでそういうのをデータベース化して数値として出せたら軍なども動きやすいのかもしれないけれど、肝心の数値を共有するシステムがまだ全然構築できる状態じゃないよなぁとも、思う。導力ネットが発達すればもう少し便利そうなのだけれど。
「そんなこともあって、みんなと戦えるのは幸せで助かるなって強く思ったよ。ありがとね」
「フフ、それは私たちもおんなじさ。セリの戦技はいつも惚れ惚れする」
あそこでみんながいたら、あんな風にはならなかった。それは間違いない。もっとずっと上手く、武器がなくたってやれていたろう。それでもそうではなかったし、一人で凌ぐしかなかった。そのことは確かな私の自信になったと思う。
「遊撃士の人が来てくれて良かったね」
「まさに。今度助けてくれた方にお礼の手紙送らなきゃなぁ」
一応セイランド教授にはクロスベルを発つ前に、遺物と法術の術式衝突があったようです、といった旨の手紙は書いておいたのだけれど(それでも最新技術での検査結果は気になるのでそのままお願いしますとも)。
「なんにせよ、セリにとって今回のことが糧になったようでなによりだ」
「いやー、何がどう転ぶかわからないね。クロスベルに行けたのは本当に良かったと思うし」
「やっぱり帝国と全然違う?」
「違うね。建っているビルの数も、導力車に対する気構えも、住んでいる人たちも、もう全く。観光は全然しなかったけど、何とか在学中にもう一回ぐらい行きたいかなぁ」
年末年始に長期休暇があるとはいえ、その時期は流石に帰省するつもりだし、やるとなったら春期休暇か夏期休暇か。どちらも短くはあるけれど、それなりにまとまっている休みなので使わない手はない。もちろん叔母さん叔父さんとの相談の上で。
「そっか、私も行きたいな」
「うん、きっとトワなら私よりもずっといろんなことをキャッチ出来ると思うよ」
彼女の能力は何といってもその視野の広さだ。元々それはわかる人間にはわかる状態ではあったけれど五月に入った生徒会で更にその頭角を現し、今はもう私たちにとっても生徒会の面々にとっても欠かせない人員になっている。
だから、そんな彼女がクロスベルに降り立ってどんなことを考えるのか。想像を巡らせてみるとかなり楽しみな部類に入るだろう。それはもう絶対に。
「ほ、褒めすぎだよ、セリちゃん」
「いや、トワのそう言うところは本当に誇るべき長所さ」
アンもそう思っているらしくて援護射撃がきた。顔を真っ赤にして抱いた枕にぎゅうぎゅうと顔を埋めるトワが可愛い。アンの気持ちが多少なりともわかってしまったかもしれない。すこし小動物感があるというか。同学年の女性に失礼な感情ではあると思うのだけれど。いやでもトワ可愛いんだよね。いろんな人が彼女を撫でたくなる気持ちも実はわかってしまう。
「そ、んなこといったらアンちゃんだって、いつもちょっとどうかなって感じの素行なのに、市民の方々に大事があるかもしれないって案件だと絶対に引かないよね」
お、矛先を変える作戦だ。面白そうなので私も乗っておこう。
「そうだねえ、アンはその辺で護るべき立場っていうのが強く出たりするよね。いい意味で貴族らしいというか。そういうところは私も好きだよ」
私たちの中では唯一の貴族階級の人間だ。だからといって権力で自覚のある暴力を行なっていたりはしないので、やっぱり変人の部類だとは思う。いや、好みの女性とあらば声をかけるのは本当に理解ができないし、彼女の姿やナンパに権力を見てとってしまう女性がいないとも限らないとはずっと考えてしまうだろうけども。
「な、なんだなんだ。いきなり。特にセリ、君は私のことあんまり好きじゃないだろう」
「あ、それ前にも言ってたけどアンのよくわからない博愛主義に理解が示せないだけで、アンの能力やそういうところは好ましいと思ってるぐらいだよ。というか徹頭徹尾好きじゃないなら部屋に入れないって」
誰も彼も、その人のことを肯定できるところばかりじゃない。深く付き合っていけばいくほどそれはどんどん顕著になる。それとどう折り合いつけていくかだ。理解できなくとも傍にいるということはあり得るし、出来るのだと思う。
「ふふ、アンちゃんがそうやって慌てるの珍しいねえ」
トワがころころ笑ってそう言った。うん確かに珍しい。
「そんな風に思わせてたのは私が悪いね。ごめん」
手を伸ばしてアンの頭を撫でる。すると狼狽えていた相手が一瞬固まってから、さらに赤くなって私の手首を掴んできた。お、やりすぎたかな、と思ったけれど、手首を掴んでいない方の手で顔を覆って、覆いきれていない耳は僅かに赤らんでいる。トワと顔を見合わせて、にっと笑いアンを思う存分撫でた。
「わっ、二人とも!」
「アンちゃんかわいい!」
「背が大きいから撫でられ慣れてないんだねぇ」
私はクロウによく撫でられているし、トワに至っては二人から撫でられている。だからあんまり気にしていなかったけれど、そうかそうか、アンは背が高いし立場的にも性格的にもそういう機会があまりなかったろう。
「ええい、そんな風にするなら……こうだ!」
アンが私たちを抱きしめて思う存分髪の毛をかき混ぜる。その手がわしゃわしゃと力強くて、ネイルを塗ろうと言ってくれた時みたいに全然嫌じゃなかった。
一頻り笑いあって、そろそろ眠ろうかとお盆を学習机の上に避難させ全員で就寝準備などをして寝転んだ。アン、トワ、私の川の字で、ぱちりと部屋の電気を消す。自室で寝転んでいるのに他の人の気配がするって言うのは何だかちょっとそわそわするような、ふわふわするような、不思議な気分。
「あのね」
暗闇の中でトワの声がするので、うん、と返事をする。
「私、ARCUSの試験運用に参加して本当に良かった。生徒会と兼任で忙しいけど、セリちゃんやアンちゃん、クロウ君にジョルジュ君、みんなといるとすごく楽しいし、いろんな場所に行けて、いろんな風景が見られて、自分が持つ力についても自覚的でいられる」
きっと普通に学院生活を送ってたら得られなかったと思うんだ、と。
いろいろな風景。トワもそう思ってくれていたということに何だかじんわりと胸があつくなる。そう、私もおんなじだ。あの日、真っ先に参加を希望したのは先の風景が見たかった。それがこういう形になるとはまるで想像もしていなかったけれど。
「フフ、そんなこと言ったら私だってそうさ。親父殿はどうやら私を聖アストライア女学院に入れたがっていたようだが、まあいろいろとやりあってこちらに入学させてもらった。そんな中で、まさかこんな……仲間たちに恵まれるとはね」
暗闇だから言える言葉というのが、きっとある。顔を見ていない、見られていないからこそ。人によっては面と向かって言えない言葉に意味なんてないという人もいるかもしれないけれど、それはそれでいいと思う。壁を隔てていないと言えないものもあるだろうし。
「私は面白そうだからって理由が強いけどARCUSに関わることで自分の道が見えるかもとは打算したし、自分だけじゃ見られない場所まで行けるかなとも期待してた。ただ、いの一番に参加決めたけど、そうじゃなかったら気後れして辞退したかもレベルだから、ほんと、こんなことになるなんて想像出来てなかったよ」
トワにはこの辺の話はしていたからか、ふふっ、と小さな笑い声が聞こえてくる。
「みんなのいろんな考えがここで交わってるって不思議だね」
「確かに」
「だからこそ面白いんだろう」
「うん。これからもよろしくね」
その言葉に、先のことを考える。
課外活動が月に一回という状態で続けば、実はもう半分程度は過ぎている。10月は学院祭のこともあって活動があるとは思えないし、1月には期末試験だ。年度末が近づいてくる。それらを加味すると11月か12月が最終と見るのはおかしいことじゃない。
二年生に上がってもこの縁が切れることはないと思うけれど、こうして全員で帝国各地に赴けるのは最高でもあと四回ぐらいということ。だから、その全部大切にしたい。差し当たっては明後日のティルフィル行きを頑張ろう。
「任せてくれ、この間のようなことは、もう」
この間のダンジョン探索でアンにも思うところがあったみたいで、そう呟いた。わかる。前衛だからこそ、後衛を張ってくれる仲間のことをどうしても考えずにはいられない。大切にしたいという思いが溢れそうになる時が、絶対的にある。私にとってはトワもそうだけれど、クロウが特に。だからもしかして、この妙に強い感情は仲間としておかしなものじゃないのかもしれない。
そっと手を胸に当てて、また今度ちゃんと向き合ってみようと思えた。
そんな風に話していると、とろり、と睡魔が襲ってきて、瞼が重くなってくる。二人も同じみたいで、寝息が聞こえてきているような、そんな。
嗚呼、本当に、今日は楽しかった。
1203/08/16(日) 早朝
ティルフィルは遠い。本当に、遠い。正直まぁ田舎と言ってしまってもいいぐらいの場所だ。だからこんな時間に出発することになるのだけれど。欠伸をしつつもクロウも何とか揃ったのでみんなでぞろぞろと移動し、商店街にあるキルシェでフレッドさんに頼んでいた朝用のお弁当を受け取る。気を付けて行ってこいよ、と言葉をかけてもらって駅へ。
トリスタからティルフィルは乗り換えが全部上手くいって7時間ぐらいだ。帝都でサザーラント本線に乗り換えたらあとは数時間乗りっぱなしだ。旧都に着いたら乗合馬車に乗って1~2時間ほど。徒歩で行けない距離ではないけれど、お昼には着いておきたいと考えれば馬車に乗る方がいい。そう、ハザウでの軍から買い取った制式トラックによる定期便や、クロスベルにあったような導力バスが通っているような街道ではないのだ。林業も相まって本当に今でも馬と生きている。
「楽しみだね、セリちゃんの故郷」
「いいところではあるけど、そうやって期待されると恥ずかしいなぁ」
列車に乗り込みいつものようにボックス席に座るけれど、流石にこの時間帯だと乗客が少ない。というかこの車両には私たちだけだ。なら季節柄的にお弁当が痛んでも嫌なので遠慮なくさっさと食べてしまおうと蓋を開けると、中身はミートボールスパゲティにブロッコリーとかのマリネとポテトなど。朝には少し重めかもしれないけど、これを食べたら暫くは食べられないしありがたく。食べられる時に食べるのも士官学院生の素養の一つだ。いただきます。
「そういえばいきなり課外活動が休みに入れられたけれど、みんなスケジュール的に大丈夫だった?」
普段よりは告知が早かったとはいえ、想定よりずっと前倒しというか、そもそも帰省を考えていたりしたらすべて段取りが狂ったりしたのではなかろうかと危惧をする。そういう意味で課外活動で帰省できてしまった私は少しだけ申し訳ない気持ちになっていた。
「私は学院祭の諸々がちょっと大変だったかなぁ。六月から準備はしていたんだけど」
「私は特に。一ヶ月休みになってしまっているしね」
「帝都とかにもうちょい遊びに行く予定だったんだが、まあしゃーねえわ」
「僕も工房に籠るつもりだったからなぁ」
アンを除けば短期集中休みなせいか、案外みんな帰省とかは考えていなかったみたいでほっとする。もしかしたら気を使われたのかもしれないけど、まぁその辺りは勝手に考えてもわからないので切り捨てるとしよう。
もぐ、とミートボールを齧って咀嚼する。うんいつも通り美味しい。多少冷えても大丈夫っていうのは何かコツとかあるんだろうか。今度聞いたら教えてくれるかな。
「学院祭って10月末だよね」
「うん。みんなのクラスは何か話とか出てる?」
トワの質問に全員が首を振るので、まぁ休み明けのHRとかで委員長が話題提示をするのではなかろうか。
「貴族クラスとか結構凄そうなことやりそうだよね」
「まあ多少意地的なものが入るだろうことは想像に難くないね」
「そういう話なら怖いのはジョルジュんとこだろ。この技術を好きに使えんだぞ」
「はは、買ってくれるのは嬉しいけどそういう方向になるかどうか」
「オレがクラスメイトなら使わねえ選択肢はないレベルだわ」
確かに。ジョルジュにはいつもお世話になっているのでその技術力の高さは学院生では私たちが一番知っていると言っても過言じゃなかろう。ARCUSという最新戦術オーブメントのメンテナンスから導力銃やアナログ的な武器のメンテナンスまで。専門は一体どこにあるんだと疑問に持ってしまうのも致し方ない幅広さだ。
元々ルーレ工科大学に入るのに待ったをかけてトールズに入学し、卒業したら改めて入学が決まっていると前に聞いたのだけれど、さもありなんと頷いてしまうのもむべなるかな。
「ふふ、学院祭楽しみだねえ」
「そうだね、今からちょっとでも考えておこうかな」
何がいいだろう。喫茶店とかは他のクラスもやりそうだし、衛生面のことも考えると個人的にはちょっと避けたい部類でもある。その辺を念頭に思考を保留しておこう。
そんなこんなでお弁当に残った最後のブロッコリーを食べて手を合わせる。ごちそうさまでした。
『本日はクロイツェン本線、準急列車をご利用いただき誠にありがとうございます。次は終点、帝都ヘイムダルでございます。ルーレ、オルディス、セントアークへ向かわれる方はお乗り間違えのないようお気を付けください。どなた様もお忘れ物のないよう、よろしくお願いいたします』
ちょうど乗り換えのターミナル駅である帝都に到着したところ、お弁当のゴミをトワが集めてくれたので感謝の言葉を述べながら差し出された袋に入れる。確か駅にもゴミ箱があったのでそこに捨てるんだろう。
普段より多い荷物を持って降車し、サザーラント本線が接続しているホームへ。やっぱりまだまだ朝が早いため、乗り込んだ車両にも殆ど人はいなかった。
「さて、じゃあこの時間にティルフィルについて聞かせてもらおうか、セリ?」
「さすがにこれを誰かに任せるのもあれだからね」
アンに若干煽られつつ、咳払いをして話し始めた。
ティルフィル──帝国南西部サザーラント州・ティレニア台地近くにある森林地帯を頂く街。イストミア大森林の南にあり、あらゆる方向が森に囲まれている肥沃な土地で、大陸の森林業は東のルズウェルと双璧を成している場所と言っていい。
その木材を利用した木工細工も盛んで、大きな職人街が今も拡大し続けている。夏至祭などにはランタンの透かし飾りなどを飾るが、それは新規の職人たちがこぞって自分の技術を外部の人に見てもらうお披露目も兼ねており、とても活気付くため機会があれば訪れてほしい。
また、各方面に対する専門の職人も多数おり、木工細工については帝国随一と表現してもよいのではなかろうと。
四大名門ハイアームズ侯爵家が統括する地で、貴族派ではあるが穏健派とも名高く、ここ数年は特に平和。
「ま、とにもかくにも森林業と木工細工で有名な街ってところかな」
「ピアノなども作っているんだろう?」
「うん。楽器メーカーが職人さんを囲ってたりもするよ。7~8年ぐらい前には旧都に有名な楽器メーカーの本店があってそのまま納入したりしてたよ」
そういう背景と叔母さんの趣味もあって、自分もピアノが多少弾けたりする。導力端末の授業をやった時に、あれほど鍵盤に慣れていてよかったなと思ったことはなかった。多少違うけれどまぁ似たようなものに自分は感じたので。
「そっかぁ。それだとルズウェルと比較したレポートとかになるかな」
「職人街ってことはハザウとの比較もいいかもしれないね」
今まで行った地域との比較というのは、なるほど、面白そうだと思う。特に自分はティルフィルの出なのでどうしてもバイアスのかかったレポートになってしまうと思うけれど、他のみんながあの街をどう表現してくれるのか楽しみというか、役得というか。
「随分と顔ゆるんでんぞ」
「えっ、そう?」
クロウに指摘されて、もにもに、と自分の頬をこねる。そんなに顔に出やすい性質だったっけな、と思いながらでもみんなといるとどうしても心がゆるんでしまうので、そのせいかもしれないと自分ながらに理由をつける。
ちらりと確認するためにクロウを見ると何だかよくわからない瞳で私を見ていたので、落ち着かないなぁなんて思いながらその視線から逃れるように更に頬をこねてしまった。
『本日はセントアーク方面行き特別急行列車をご利用頂き、誠にありがとうございました。次はセントアークです。この列車は以降タイタス支線に直通となり、パルムへは参りません。どなた様もお忘れ物の無いよう、よろしくお願いいたします』
鉄道を旧都の駅で降りて、西街道の方にある待合場へ。もう昼前だからか、既に待っている人も。私たちもおなじように並んで、街道の先に視線をやって懐かしい空気に少し心が躍る。まだトリスタに行ってから五ヶ月ぐらいだけど、案外里心がついていたみたいで内心笑ってしまう。独り立ち出来るように、って出てきたのに。
「こっから今度は馬車って本当に遠いな」
「でしょう。少しストレッチしておくといいよ。来るまでまだ時間あるし」
夏期休暇を使うならオルディスとかいっそノルド方面でも良かっただろうに、なんでまたこんな田舎に打診をしたのか少し疑問になる立地ではあるけれど、教官殿たちにも何かしら考えがあるのだろう。うん。たぶん。
「あれ、お嬢?」
言った通り他の方の迷惑にならない形で自分も腕を伸ばしたりしているとそんな言葉が上から落ちてきて、見上げると今から街道へ向かうのだろうトラックの運転席から見慣れた人が顔を出していた。
「あ、お久しぶりです!」
「いや、久しぶり久しぶり! 帰ってきたんか?」
「学院の課外活動で実習地にティルフィルが選ばれて」
「ああ、そんじゃ馬車待ちか。よかったら乗ってくか? 荷台だけども」
その申し出にくるりと振り返るとみんな頷いてくれたので、よろしくお願いします、と頭を下げた。それとちょっとだけ街の入口でやりたいことがあったので、そっと耳打ちもして。
「ってかお嬢ってなんだよ、どこぞのカルバディッシュマフィアか?」
「ふむ。所作が綺麗だとは思っていたから地位のある立場でも納得ではあるね」
「いや、それについては、その、ノーコメントでお願いします」
「でもこの分だとどうせ街中でも呼ばれると思うよ、セリ」
「セリちゃん顔真っ赤だけど大丈夫?」
「だいじょうぶじゃない……」
そんな会話をしながらトラックでお尻を叩かれつつも予定より早く街が見えてきた。全体的に茶色と白色の見慣れた街並み。あちこちから煙が上がっている風景も変わっていない。なんだかそれだけのことなのに、また頬がゆるむのを感じてしまった。いけないいけない。
そうして出発する前にお願いしていた通り、入口から10アージュほどの停留所近くでトラックは停車し私たちを下ろしてくれる。
「そんじゃ、アルデさんによろしく」
「はい、ありがとうございました!」
全員で揃って頭を下げ、トラックを見送る。それじゃ行こうか、と促して、少し歩いたところで数歩、早歩きし入口の門のところでみんなを振り返って両手を広げた。すこし驚いたような四人を見渡してにこりと笑う。
「森薫る街《ティルフィル》へようこそ、みんな! 歓迎させてもらうよ」
そう、ここが私の生まれ育った場所。私の大好きな街。そこにみんなを迎え入れられるのが本当に嬉しくて、これがやりたかった。
ああでもすこしクサかったかな、とへらりと表情を崩した瞬間、トワとアンが笑って腕にダイブしてきて、珍しくジョルジュが私の頭を掻き混ぜてくれた。クロウだけは一瞬何か呆けていてどうしたのかなと首を傾げたら直ぐにいつものように撫でてきたのだけれど、何か変なことでもしたかな。いや別に撫でられたいわけじゃないんだけどさ!
嗚呼、でも本当に嬉しい。
そうこうしながら街中を歩き道々に声をかけられつつ、久しぶりに見る顔に驚かれたりもして、最初に尋ねるように言われていた家へ案内する。おそらくみんな薄々気が付いているだろうけれど、私は何も言わずに歩を進めた。見慣れた家の前に到着して、手前のステップを昇りドアノッカーで扉を叩く。すると。
「おかえりなさい、セリ!」
扉を引いて出てきた人にそのまま有無を言わさず抱きしめられてしまった。ああもう、ここまで頑張ったのに!でも本当に喜んでくれているものだから引き離すことも出来ず嬉しさとすこしの諦め混じりで、ただいま、とその背中に手を回した。あったかい。
「おー、いい顔が揃ってるじゃないか」
すると後ろから叔父さんも顔を出し、そっと叔母さんが離れてくれたので、片手を腰の後ろにもう片手を胸に、前を見据えて。
「トールズ士官学院、戦術オーブメント試験運用チーム、セリ・ローランド以下五名、ティルフィルに到着致しました」
一応、そう、報告をした。いやでもこれ身内の前でやるの恥ずかしいな!きゅう、と私が顔を赤くしていると、ははは、と笑った叔父さんは立ち話もなんだと言って家の奥に招き入れてくれる。みんなの反応がちょっと恥ずかしくて自分に見えないよう、急いでそれに乗っかってしまった。未熟者!
そんな感じで来客が多い時に使われる部屋に通され、長机にそれぞれ着席する。私、アン、トワ、クロウ、ジョルジュで、長辺で相対する形だ。元締めの叔父さんとこうして真正面から向き合うことは殆どなかったから、すごく新鮮な気持ちになる。
「まずは遠いところご苦労、士官学院の皆さん。私がティルフィルの元締めのアルデ・ローランドだ。そこにいるセリの叔父でもある」
「そして私がエッタ・ローランド、セリの叔母です」
二人の自己紹介が終わるに合わせてトワを始めとし、みんなもおなじように。うんうん、と頷く叔父さんはなんだか嬉しそうで、私はといえば居心地がいいやら悪いやらですこし落ち着かない。
「今回は少し滞在が長いということで、それに合わせて課題も選ばせてもらった。とはいえまずは昼食としようか。エッタ」
「はい。用意していましたから今お持ちします」
「私も手伝うよ。人数多いから大変でしょ。お昼の準備して来ていい? おじ……元締め」
「ああ、頼めるか? それと呼び方は無理しなくていいさ」
立ち上がりながら説明役を担っている叔父さんの許可をもらったので、既に部屋の出口にいた叔母さんと、いいのいいの、みたいな応酬を一瞬しつつそのまま押し切るように台所へついていった。
「騒がしくてすまないね」
セリちゃんがエッタさんとお昼の準備に退席したところで、アルデさんが少し苦笑しながらそう言った。苦笑といっても愛しさがこぼれたみたいで、すごくセリちゃんを大切にしているんだなってのが伝わるものだったから、私もなんだかそれに嬉しくなる。
「あの子は……セリは学院で楽しくやっているだろうか」
前にご両親が亡くなっているとは聞いていたから、アルデさんたちがセリちゃんの今の保護者なんだと思う。故郷が大好きだって思えて、気負わずにただいまって言えて、さっきみたいに当たり前のようにエッタさんを気遣えるセリちゃんを形作ったのはきっとこの方たちだ。
私と似ていて、少し違う私のともだち。
「はい、セリちゃんにはいつも課外活動で助けられてますし、放課後には導力カメラを持ってお散歩してたりしますよ」
記事の写真を撮るのをお散歩と言っていいのかはわからないけれど、動物写真や風景写真も撮っているみたいなので、たぶん、大丈夫。というよりたまに生徒会室に来て生徒会メンバーの写真を撮ったりしてるし、本当にお散歩の比重の方が高かったりしないかなぁ?
「技術部に来て武器の手入れも楽しそうにやっていますし、かと思えば新しい導力器や開発品のアイデアを持ってきたりいろいろ精力的ですよ」
「そうか。……いや、元締めとしてはこういう話はここですべきではないのだろうが」
「子供の立場の女の子を遠くにやるとなったら、気になるのは仕方ないでしょう」
アンちゃんがそっとフォローする。アルデさんはその気遣いに、ありがとう、と頷いて私たちを見た。
「帝国時報で君達の活躍を読んだりもした。保護者という立場ならそのままにするべきではないと思っていたが、今一度試験運用チーム自体を見てから判断したいと考えたのも事実だ」
それは、この課外活動で私たちの働き如何によってはセリちゃんを呼び戻すという話、で。
「セリの身内ならわかっちゃいると思うんだがよ」
私がすこし緊張したところで、頬杖をついたクロウ君が喋り始めた。いつも通りの、誰にも敬語を使わないクロウ君。すこし私が心配になっているのもお構いなしなところも本当に変わらない。
「あいつの斥候技術にはオレたちも世話んなってる。今更そのバランス崩されても困るぜ」
……たまに、いろんなことがどうでもいい、みたいな表情で笑っていたクロウ君がそんなことを言うなんて思ってなくてびっくりしちゃったけど、ああでも一番セリちゃんの実力を買ってるのはクロウ君なんだろうな、っていう納得も同時に訪れた。
私がアンちゃんの背中をよく預かってるのとおんなじように、クロウ君もセリちゃんの背中を見続けてる。そしてジョルジュ君は私たち全員の背中を見てくれてる。そのチームの形がもう出来上がってるんだ。うん、誰が欠けてる姿ももう思い付かない。
クロウ君のすこし失礼な物言いだけど事実ではある言葉に、アルデさんは微笑んだ。
「そう引き留めてくれる仲間に恵まれたなら、本当に良かった。……ああいや、試したわけではないんだ。セリが君達と並んで、信頼しているのは伝わってきたから中途退学をさせるつもりはとうに消えていたよ」
「なるほど。……クロウ、セリがいなくて良かったじゃないか」
背もたれに体重をかけて椅子を漕ぐアンちゃんが、歯を見せて笑いつつクロウ君にそう声をかける。別に言って悪いことじゃなかったと思うけどクロウ君は先走ってしまったのが恥ずかしかったみたいで、うるせえ黙ってくれゼリカ、と掌で額を押さえながら呟くのは何だかおかしかった。
「はいはーい、昼食持ってきたよー」
そこでタイミングよくお盆を持ったセリちゃんとエッタさんが入ってきて、薄い豚肉を茹でたのに野菜を合わせたサラダみたいなご飯に、ミネストローネ、そしてカトラリーが小気味よく置かれていく。わ、美味しそう。
「夏だけど体力仕事もあるみたいだから、肉と野菜を軽くぺろっと食べられるようにっていううちの定番メニューなんだけど……クロウはどうかしたの?」
「あー、放っておくのがいいと思うよ、セリ。うん。僕の方で何とかするから」
「そう?」
たぶんさっきのやりとりはセリちゃん聞いてなかったと思うけど、クロウ君にとっては思っていた以上に恥ずかしかったのかすこし撃沈しているので、私もそっとその背中を撫でることにした。クロウ君そういうところあるよねえ。
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08/16 第五回特殊課外活動1
24
1203/08/16(日) 昼過ぎ
昼食中、みんなから私の学院生活の話をされて貝のように黙っていたけれど、それでも叔父さん叔母さんが楽しそうにそれを聞いてくれているのは嬉しいなと思いながら眺めていた。実際のところいろいろ言えないヤバいことに巻き込まれたりはしたけれど、概ね大丈夫だし。心配しない、ってのは無理かもしれないけれど問題ないよとは伝えられたらいいな。
……なんだか課外活動を私物化しているみたいで気が引けるけど。
「さて、これが今回の課題だ」
叔父さんから差し出された封筒。相変わらず封蝋で閉じられているのでそれをトワの手がぺりぺり剥がしていく間に、端にいたジョルジュと私はトワの後ろへと。
・南部森林にいる魔獣の討伐
・イストミア大森林から薬草三種を採って旧都の大聖堂へ
・工房の作品片付けの手伝い
書いてある内容に若干渋面を作ってしまった。魔獣の討伐はいい。うん。ARCUSの戦術リンクにも関わってくるので。でもその他二つがかなり問題だ。トワの椅子の背もたれに腕を預けながら目の前にいる叔父さんに視線をやる。
「……まず、薬草三種の内訳は?」
「花影草、猫目草、月精の涙」
厄介極まりない三種類だ。だから割ける人手もなくこっちにお鉢が回って来たのだろうけれど。まぁ私が来ることがわかっているなら私にやらせるのが楽だとは自分でも思う。うん理解できる話だ。一番時間はかかるだろうけれど。
だけど最下の項目はさすがに。
「この工房って、まさかまた?」
「またなんだよ。悪いな」
「何か問題でもあるのかい?」
アンが首を傾げて見上げてくるので、背もたれから腕を外して腕を組んで唸ってしまう。
「そこの親方がすごい勢いで作品を作る方なんだけど」
「いいことなんじゃねえのか?」
「作品に触る人間を選ぶんだよね。でも本人は整理整頓ができないので」
「……なるほど、商人に卸すにしても何を出したのか出していないのか把握が出来ないのか」
「ジョルジュ正解。そう。だから私は触れるけど、他何人が出来るかな。触れない面子は作品除けたところから順に掃除に駆り出されると思う」
だから制服じゃなくて何か汚れてもいい作業着をこっちで貸し出すべき案件だ。トワは少し大きくても私のを貸すとして、他三人は叔父さんの方から何か出してもらわないと困る。あの工房の掃除はそういうレベルの話だ。
「そっか。セリちゃんはどういう順番でこなしていくのがいいと思う?」
「んー、今日は魔獣の討伐を先にやって後は工房の掃除かな。薬草探しは正直所要時間が見当つかないし、旧都に行くなら少なくとも往路は徒歩だし一日仕事だと思う」
帰りはもしかしたら運が良ければ一部の面子は馬車に乗れるだろうけれど、朝から駆けずり回っても夕方前にはなる見積もりだ。今から森に入ったっていいことにはならない。
「うん、じゃあみんなもそれでいい?」
「地元民が言うなら文句ねーよ」
「工房見られるのは楽しみかな」
「何か問題があれば都度修正するとしよう」
取り敢えず指摘出来るような問題点は浮上しなかったようなので、うん、と一人頷いた。あとは荷物を置く部屋に案内して装備の準備完了で出る感じでいいかな。
「あ、そうだ。叔父さん。今から討伐に行ってくるけど、三人が袖通せそうなツナギ見繕っといてね。掃除を制服でさせられないし。トワには私の貸すけど」
「ああ、その辺は任せておきなさい」
「えっ、いいんですか?」
「ええ、本当に汚れてもいい服じゃないとさすがにあそこには行かせられないから」
困った表情で首肯する叔母さんの表情に四人とも、どれだけなんだ、という言外の思考がだだ漏れているのがわかってしまい少し笑ってしまった。目にして驚いて一緒に絶望してほしい。
「じゃ、二階の部屋に案内するから荷物持ってきて。男女で分かれて私は自室使うから」
さっき昼食の準備をしている際に聞いた手筈でみんなを案内し始めた。
「セリちゃん、叔父さん叔母さんと仲良いんだね」
南にある森林へ向かっていると、リンク切り替えついでにトワが話しかけてきた。
「そう、かな。結構甘えさせてもらってるとは思うけど」
「うん、何だか見てて嬉しくなっちゃった」
「……そっか」
身内への態度を友人に見られるというのは結構な気恥ずかしさがあったけれど、そう言われるのは案外悪くない気がして現金な自分に内心笑う。
歩きながら少し木々が生い茂って地面に露出した根っこや斜面で足場が悪い場所に差し掛かったので、トワに手を差し出せば小さな手が重なってきた。当たり前のようにかけられる体重にいつも少しだけ嬉しさがある。
「それに街の人にもたくさん話しかけられてたよね」
「あー、ほら、叔父さんが元締めだからいろんな人が家に顔出してさ、その関係で私の顔を知ってくれてる人も多いっていうか」
「まあそれでも可愛がられているのはセリの人徳だろう」
ぐしゃりとアンが私の髪を掻き混ぜるので、そうだといいけど、なんて笑った。
出来れば工房に行くついでにちょっとだけでも街の案内が出来たらいいのだけれど、やっぱりそれは公私混同になってしまうのだろうか、なんて考える。この辺の線引き難しいなぁ。
「そ────」
返答しかけた瞬間、大型の気配を察知し腕を横に出して全員を牽制。自分だけが先行するハンドサインを示してから静かに100アージュほど前進し物陰から気配を感じ取った広場を見る。そこには大型ワームのアビス属魔獣が五体そこにいた。攻撃を受けると地響きで範囲攻撃を行ってくるので大変厄介だ。
息をひそめながら待機地に戻り偵察結果を伝える。相談の結果ワーム系は総じて体が柔らかいのでトワをバックアップに、物理攻撃勢で集中して各個撃破という結論に至った。リンクはアン・クロウ、ジョルジュ・私で。
ジョルジュのディフェクターを皮切りに戦闘が開始され、まず手前にいる個体の撃破が全員の総意となった。私はといえばその個体を素通りし、他四体を全部引き付ける形になる。とはいえナイフを使った挑発は迂闊に出来ないので、少しばかり爪の甘いかかりになってしまうけれどそこは致し方ないと割り切って。
私の分担は最初を如何に耐えるかにかかっていたけれど、やっぱりジョルジュの一撃は頼りになるもので数発で最初の魔獣の胴体はあっという間に引き裂かれる。慣れていないとちょっとグロいけれど、それを気にするような面子ではもうないだろう。
あとはそれを繰り返すだけで、私はジョルジュのリンクに乗っかり追撃をこなす他は殆ど回避行動に専念し、最後の最後だけ手を出させてもらったぐらいだ。
「みんな、お疲れさま!」
戦闘が終了し、警戒も終わったところで待機していたトワが労いながら近づいて来た。アビス属はうっかりすると大型の事故に繋がるし、そうでなくとも生息地は穴が開くわ地震を起こすわで地盤が緩むので、森林業としては見つけたら即叩きたい魔獣筆頭なため倒せて良かったと思う。放置しておくと洒落にならない損害が出るのだ。
「取り敢えず討伐は終わりでいいかな」
「しかし次はあれだろう、片付けか」
「あはは、ちょっと怖いねえ」
「そこんところどうなんだよ、セリ」
クロウに話を振られて、思わず眉間に皺が寄ってしまう。私の表情を見てか、やっぱりどれだけやばいのか、というのを理解してくれたのか四人が黙ってしまったので、いやあんまり脅かしすぎてもあれかなと思いつつ、いやでもどれだけ覚悟をしても初見は驚くよな、という気持ちでいっぱいになってしまい言葉を紡げなくなってしまった。
「セリ、そこまで言いづらいものなのか?」
「……その、最大の覚悟でどうぞって感じかな……今どうなってるかは具体的にはわからないけど、元締めのところに依頼が来るぐらいだし生半可ではないと思う」
アンの問いかけに両腕を組んで何とか絞り出してはみたものの、それが的確かどうかイマイチ判断がつかない。だって私も今回の惨状はまだ見ていないし、何度も見続けるうちに私の感覚が若干狂っている可能性もある。
「まぁ、何にせよ直ぐにわかるよ。休憩がてら家で着替えて向かおう」
うん、と流した私のことを後でみんな恨むかもしれない。でも恨んでくれるぐらいであれが片付くならそれでもいいかと思ってしまったのだ。
全員ツナギの作業着に着替えて、髪を纏め三角巾をつけ、首元から引き上げる形の防塵マスクも首元に該当の工房の前へ。すると連絡が行っていたのか中からいつもの商人さんが転がるように出てきて私の目の前で両手を祈りの形に組んだ。この人も相変わらず苦労してるんだなぁ。
「セリさん、来てくださったんですね! ……っと、そちらの方々は?」
「こんにちは。今回は学院の課外活動で来たので、彼らはそのチームメンバーです。もしかしたら親方のお眼鏡に適う人がいるかも、と」
「ああ、それはありがたいですね。みなさん初めまして。私はグウィン工房と取引をさせて頂いている者です。私も細工品に手を出すのは許されていますが、あまりに膨大で困っておりました」
さあさあ、と案内されるがままに裏手から倉庫の中へ入ると、木彫りの飾り枠や色の異なる木材を組み合わせて作られた模様板や、一木彫りのランプシェードらしきものなど、ありとあらゆるものが混然としていてため息をつくしかない。
私が首元のマスクを上げるとみんなも同じように着用する。作業場自体は綺麗なのに、倉庫となるとこれだ。出来上がったものに興味がないにも程がある。
「……グウィンと聞いてまさかとは思ったが、"御業神"グウィンその人か」
「あぁ、アンは芸術品に触れる機会もあるのかな」
「うん、何作か見たことがあるが、いや、ここにあるのはどれもそれ以上だな」
「周りが放っておかないからこんなんでもやっていけてるんだよねえ」
辛うじて作業場への道は閉ざされていないので、作品を踏み壊さないよう壁に手をつきながら床を爪先でさがしつつ、辿り着いた扉にノック。他の人たちはその場で待っていてくれているのは私の言動から判断してくれたのだろう。懸命だと思う。中から、入れ、というぶっきらぼうな声が聞こえてきたのでその通りに開けると、ノミを振るっていた白髭の人影がこちらを見やる。
「おお、お嬢じゃねえか! いつ帰って来たんだ!」
「帰ってきてないよ。課外活動で街に来て元締めからここの整理頼まれただけ。だから活動チームのみんなの顔見せもしたいけど、いい?」
「お嬢の友だちか。初めてだな。いいぞ」
「私に友だちがいないようなことを言うのはやめてよ。……ちゃんと森で遊んでくれる人はいたし、ちょっと上世代だったりはしたけど。おーい、入って来ていいって」
倉庫に声をかけると私が作った足場を辿って後ろにいた五人もぞろりぞろりと入ってくる。そのなかで、一瞬だけ親方の表情が変わったのがわかった。やっぱりなぁ。
「それで倉庫整理の人員なんだけど……」
「そこのふとっちょ」
「あ、はい!」
「お前はいい。創る側だろう。他は悪いが触らんでくれ」
それだけ言って、もう話し終わったとばかりにノミに玄能を打ち付け作業を開始してしまった。んー、まぁいいか。私が振り返って頷くとまた全員同じように来た道を戻って行った。
倉庫の掃き出し用壁扉を開け風を通しつつ、その前に布を引いて細工品を置いていくスペースを陣取る。取り敢えずそこに三人で手分けして細工品を取り出していくことにした。残りの三人は暫し待機だけれど後で存分に働いてもらうことになる。
「セリ、一つ聞いてもいいかい」
「うん? どうぞ」
倉庫から細工品をひとつひとつ取り出しながら、ジョルジュが声をかけてきた。
「さっきグウィンさんは"創る側"って言ったけれど、セリもそうだったりするのかなと」
その疑問に、あぁ、と合点がいく。
「私はそれに該当しないよ。本当に昔、グウィンさんが私に木工技術教えてくれたってだけだし、今も触らせてくれるのは元締めへのケジメみたいなものじゃないかな」
出入りを許された歴代の商人さんたちは全員見事に何かしら、(日曜大工程度でも)ものづくりを嗜む人たちばかりだったらしいけど、私はそこに引っかからない。たぶん倉庫があふれたらさすがに元締めに迷惑がかかるとは思ってはいるのだろう。だからつまり、ローランド家の人間はここに立ち入ることが許されていると言うだけのこと。
そして叔父さんも叔母さんも街の維持や調整にいろいろと忙しいので余った私がよくここに整理をしに来ていたに過ぎず、私個人がどうという話ではない。
「だけどものづくりをしてる人間ならここに沢山いるんじゃ」
「うん、だからものづくり以外にも何か基準があるんだろうけど、それはわからないんだ」
その基準が判明すればもう少しいろいろと手が尽くせると思うのだけれど。あるいは弟子を取ってくれるとか。そういう。もう少し外部と関わる術を持って欲しい。
「でもね、正直、親方ならジョルジュの腕は見抜いてくれるって思った。私の仲間はこんなにすごいんだよ、って。その通りで良かった」
「はは、そいつはありがとう」
とはいえ、ここで三人遊ばせたままで細工品を持ち運ぶのはキツいし時間の無駄にもほどがある。なんなら他にやれることがないか家に戻って聞いてもらうレベルだ。
「あいつ、あれで無自覚なんだから恐ろしいよな」
「口説いているのかと見紛って妬いてしまうね」
「はいはいそこ聞こえてるよー」
全く、軽口にも程度があると思う。口説いているとまで言われるほど……ほど……いや口説いていないと思うんだけれど外部基準的にはどうだろう?少し自信がなくなってしまう。ちらりとジョルジュを見てみると、いつものように柔和に笑ってくれるのでつられて自分も笑う。
うん、後で二人はかるくはたいておこう。
「一部分空いたからそこから掃除していけるかな。道具はここ」
「うわ、改めて見ると埃すげえな。こうか?」
「あっ、クロウ君、掃除はまず上から下、奥から手前が基本だよ」
「ふむ、ではこちらはトワを中心にチームを組もうか」
「お、そいつは賛成だ」
「が、がんばるね!」
「取り敢えず全部取り出せましたかね?」
「ですねぇ。今回もすごい量ですけど」
「これだけの作品を一挙に見る機会はそうそうないから勉強になったよ」
「ジョルジュの糧になったようでそれだけは何より」
「僕たちはこれから作品の埃落としかな?」
「察しが良くて助かるなぁ」
「ゴーグルねえとキッツイだろこれ」
「うう、高いところ二人に任せっぱなしでごめんね……」
「いやトワの指示が的確で助かってるところさ」
「オレらだけだったらとっ散らかってるだろうな」
「そうかなぁ? それならいいんだけど」
「細工の緻密なところに埃が結構入り込んでて困るねこれ」
「今回特に細かいからなぁ。家から機材借りてこようか」
「ああ、ダストブロワー?」
「うん。導力のじゃなくて調整しやすい足踏みふいご式のやつ。ちょっと待ってて」
そうこうしながら細工品の簡単な手入れも終わり、商人さんは目録作成に回って、ジョルジュと私も掃除に合流して、導力灯を照らすような時間になりそこからもとっぷりと過ぎて20時。
「おわ」
「っただろちくしょう疲れた!暑ぃ!」
頭の三角巾を取り外しながらクロウが地面に座り込む。うん、見違えるほど倉庫は広くなったし、目録作りも撮影は後日に回して記録作りに入っているみたいだけれどそこは私たちが関与できることではないのでそのままお任せとなる。
「みんなお疲れさま。親方に終わりの報告してくるから、このまま休んどいて」
私も頭と首の布を外しながらぱたぱたと服の大まかな埃を落としつつ声をかけると、トワが背中の方をたたいてくれてある程度は室内に入ってもいいレベルになった。
そっと倉庫を通りアクセスがしやすくなった作業場への扉を叩けばやっぱりぶっきらぼうな声が。入ると来た時よりも随分と進んだ作品の前に親方は座っている。
「嵌め込みの壁飾り?」
道具を置いているのでそそっと近付いて尋ねると、ああ、と短い返答。
細長い枠の中に蔦と花と鳥が入り交じる綺麗な透かし彫刻。扉の横の壁とかに埋め込んだら少しだけ向こうが見えて内装のうつくしさを引き立てるだろう。
「きれいだね」
グウィンさんの作品を私はたった十年とちょっとしか見ていないし、初めて見た時は自分が触って良いのかわからないぐらいで、今でもそれはちっとも変わらない恐ろしさでそこにある。だからたとえ私がローランド家の人間だからふれるのを許されているのだとしても、それに見合った敬意は自覚的に持ち合わせることが出来る。その自負があるから私はいつもここに来るのだ。
結局のところ、私もグウィンさんの作品に魅せられてしまった一人なのだろう。
「掃除は終わったよ。目録はまだかかりそう」
「そうか、悪かったな」
「私もずっとここにいられるわけじゃないから、整理の人を本腰入れて探さない?」
「そうだな」
「その返事から前に進んだことないんだけど」
「お嬢はいつまでここにいるんだ?」
「え? えーと、明後日の朝までかな。明日はずっと薬草取りしてると思う」
「わかった。気を付けて帰れ」
「……そっか、じゃあ今日はこの辺で帰るね」
何が伝わったのか、何が伝わっていないのか。よくわからないけれど、会話を切り上げられた上で畳み掛けてもしょうがない。こぼれそうになるため息を堪えて、そのまま倉庫の外まで歩いて行った。思い思いの体勢で休憩しているみんなをみて少し笑いが落ちる。トワが、どうだった?、と首を傾げるので頷いて応えた。
「終わりでいいって。……目録作成の方はいつも通りお任せで大丈夫ですか?」
「はい。随分と捗りましたし、撮影は私の方で行いますので」
ではよろしくお願いします、と頭を下げてから家から持ってきた機材等々を持ち上げると、さっき疲れただのなんだの叫んでいたクロウとその横で宥めていたジョルジュがするりとそれを持っていく。鍛えているしそれぐらい持てるのにな。まあ持ってくれるというのだからその優しさに甘えよう。
「トワもアンもお疲れ。掃除見事だったよ」
「トワの指示のおかげさ」
「私じゃ届かないところもたくさんあったし、みんなのおかげだよ」
たぶん帰ったらお風呂を沸かして、私が外から薪をくべつつ様子を見て全員を入れることになるだろう。……でも今日と明日、どっちが疲れるかな。そんなことを考えながら家路に着いた。
「えっ、導力式のお風呂!? いつから!?」
「セリがお友達と来るって分かってからかなぁ」
「お湯溜めるだけじゃなくて追加温めもいけるの?」
「もちろん。追い焚きっていうのよ」
「えー、すごい、便利だね! お風呂……寮にもあればいいのに」
「セリちゃんすごく楽しそうだね」
「まあ家に帰って馴染みの設備が変わっていたら驚くだろうさ」
「取り敢えず風呂入れんのか?」
「汗と埃でどろどろだからありがたい話だよ」
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08/17 第五回特殊課外活動2
────森薫る街《ティルフィル》へようこそ、みんな!
そう笑って腕を広げて、自分の街がこんなに好きなんだと体現していたあいつを見た時、俺はどうしようもない気持ちになった。だってそうだろう。自分の中にある"記憶"よりもずっと明るくこれでもかってくらいの笑顔で、故郷を好きだと言える姿が眩しく見えるだなんて。
そんなこと、あっていい筈がない。
25
1203/08/17(月) 朝
昨日の昼も晩も美味かったが、朝飯のトーストにサラダにオムレツもシンプルなのにすげえ美味いし何よりあいつの作る朝飯の味に似てたもんだから「ああ本当にこの家で育って来たんだな」っていうのが言外のところでめちゃくちゃ分かっちまった。
故郷の街に来て、いろんな姿を見た。死んじまったんだろう親の代わりに育ててくれる親戚と話す顔、街の人間たちにやたら可愛がられて満更でもなさそうに笑う顔、街の風景にオレたちがいるのが本当に嬉しくてたまらないんだろうっていう顔。ここに来なけりゃ見る機会もなかったろう。
「やっぱり大森林の南から入って、西からぐるっと中央通りつつ南東の旧都へ向かう形?」
「地図を見る限りそれが無駄なさそうだねえ」
「それらの薬草は広く分布しているのかい?」
「採集効率を考えたら少しは散開したいところだけど」
「大森林内は蜘蛛とか結構厄介な敵が多いからなるべく固まって移動したいかな」
「トワ中心に身軽に動けるセリとゼリカが別々に動くくらいなら平気だろ。周囲警戒はオレとジョルジュでもそこそこ出来んだろーし」
食卓に地図を広げて行動指針を話しているところに意見を投げ入れると、確かにね、と。セリが襲われるってことはほぼねえだろうし、ゼリカがタイマンで無理な相手に出会ってオレたちが気付かない可能性も低いわけで、そんで中央が襲われたら多少は保つからその間に二人とも合流出来るだろう布陣。合理的だ。
ある程度の方向性が決まったからか全員武装や道具やカゴの確認をして出るかってところで、セリの叔母がでかいランチボックスみたいなのを持って台所からやって来た。
「お昼、多分帰って来られないでしょ? 冷却ボックスだから痛みも少ないと思うし、しっかり食べて」
「えっ、あ、ありがとう。朝食も作ってくれたのに」
「いいのいいの。張り切ると健康にいいって言うしね」
「あは、叔母さんの元気の秘訣はそれかな」
そんな風に当たり前のようにゆるんだ顔を見せる。それにいつかのなにかの面影を見出しちまいそうで、昼が楽しみだな、なんて言いながらさっさと先に出た。
オレはいつも通りでいられているだろうか。
「今回1-1-3で分かれるけど、戦術リンクが三人で組めたら面白いのにね」
「現状でも難しい技術だからね、研究はされているだろうけど実用化はどうかな」
前衛同士のデータが少ないからとリンクを組んでいる二人が前に出つつそんな会話を後ろから聞いている。案外こいつら揃うとこういう話ばっかしてんだよなあ。前は導力カメラにつける小型フラッシュライトの話とかしてたか?あとはやっぱり通信受話器を耳につけられねえかとかの相談もまだしてたか。諦めねえなあ。
「ね、クロウ」
他所事を考えながら歩いていたせいで振り返ってきたセリに話題を振られても話題が繋がらず首を傾げるしかなかった。
「ん? 悪ぃ聞いてなかったわ」
「そっか。いやね、結構みんなリンク組んできたわけだけどそれぞれやりやすい相手っているのかなー、って話になって」
「あー」
言われて頭を回してみる。
まずセリは戦闘中にたまにあるノーモーションの切り込みさえも呼吸が手に取るように分かりすぎて、逆に境界が曖昧になっていく感覚で最近は若干気持ち悪ささえある。他人の身体が自分の手の延長線になった、ような。
次にゼリカだ。ここ最近ずっと組んでいたせいか、射線に入って来ないどころか射線が通りやすいところに無自覚で獲物を飛ばしてきてるきらいがあってまあ正直やりやすい。
前衛三人目のジョルジュは安定感があるしそこまで派手に動かねえから予測しやすいのがいい。オレはわりと動く方だからお互い邪魔になりにくいってところはかなり楽だ。
最後のトワはあれだ、さすがに似たような立ち位置のせいか何がどう必要でどの手札がいま手元にあるのか把握し切ってるわけで、コンボが決まると最高に気持ちがいい。だけど追撃が腐りやすいからそこが難点か。
「……ジョルジュだな」
「お、ジョルジュ二票目だ。やっぱ安心感あるよね。不沈の盾というか」
「そう言ってもらえるとありがたいね」
「前衛がそこにいてくれるって頼もしいと思うよ。私は走って跳んでどっか行っちゃうし」
「セリは挑発戦技使って回避メインだからそれが仕事だろ? 助かるよ」
「ありがと」
ジョルジュが不沈盾でそこに存在するなら、セリは回避盾だ。攻撃を受けず、攻撃自体の余波も計算に入れて敵を引きつけるから自然と多対一の構図になる。それをこなすのだって並大抵の精神力じゃもたねえだろう。だっていうのにこいつときたら一発当たったら大怪我必至の敵と対峙したって笑ってたりするからな。バトルジャンキーかっつうの。
「随分と熱い視線を送ってるじゃないか」
どん、と背中を叩かれてそっちを見ると、ローテでランチボックス係として後ろに回ってるゼリカがにやけ顔でそこにいた。ロクでもねえこと考えてる時の顔だろそれ。
「何がだよ」
「おや、熱心にセリを見ていたと思ったんだが。違うかい?」
敢えてすっとぼけてやればそのまま切り込んできやがった。こいつ他人のところにズケズケ踏み込んでくるところは本当に変わんねえな。もう一回殴り合ったっていいんだぞ。しねえけど。
「そういうんじゃねえよ。後ろから見てるとジョルジュと比べて危なっかしいってだけだ」
「ジョルジュは"動かないこと"が仕事だろう。比較はナンセンスだ」
的確に突っ込んでくるなコイツ。いや、もう抉り込んできてるって表現してもいいくらいだ。
「それにセリも当初にあった自己犠牲的なところはかなり改善されているし、安定感はあるだろう。ああ、それともそれでも危なっかしいと言い切れるほど細かいところに目がいっていると言うことかな」
「……お前ほんっとうに腹立つな」
結論ありきで人と話すんじゃねえ。
くそ、と悪態をつきながら頭を掻きながら前の方を歩いてる三人を見る。トワにジョルジュにセリ。楽しそうに何か話して、遠足かよって心が緩み始めちまうがそれはならねえ話だ。まあこういうのを見透かされたんだろう。
「そんなんじゃねえよ。本当に」
「……そうかい。そいつは済まなかったね」
降参するようにゼリカがボックスを持ち上げつつ肩を竦めるもんだから、ああ、と短く肯定した。
「おーい、何かあったー?」
前の方で随分と離れた三人がオレたちを振り返ってるから、何でもねえよ、と速度を上げて近付いていく。
「本当にキミはそれでいいのかい」
だから、その言葉は聞こえなかったフリをした。
「これが花影草。ガクの部分が多重になっていて花に見える薬草で、ちょっと他にない形だから分かりやすいと思う。猫目草は……」
イストミア大森林に入ってからセリが探す薬草の具体的な話をし始める。ちょうど花影草はあったらしく手袋を嵌めてスコップで根まで掘り起こした解説を聞きつつ、辺りの気配を探って若干眉を顰めちまった。
「ここ上位属性が働いてんのか」
とはいえ変に歪んで強く働いてるとかでもねえから、常からこんな感じなんだろう。見上げると空は枝と葉に覆われて、その間からうっすら光が落ちてきてるもんだから妙に幻惑的で納得させられる。
「ああ、みたいだね。子供の頃はこの気配がそうだって気付いてなかったけど」
まあ日曜学校程度の話じゃ魔獣に効く属性の話なんかはしねえわな。その辺に関するって言えば七耀石の色と属性と名前くらいか。経験に知識が結びつくこともほとんどねえだろう。そんな場所に子供を連れて行くわけにもいかねえっつうか、そもそも理由がねえ。
しっかし、んな場所を遊び場にしてたってんだからコイツよっぽどだな。あの身軽さも必要に応じて伸びたってことか。
「イストミア大森林は魔女とか吸血鬼の伝承が古くからあるんだよね。その魔女が住むおかげで薬草が豊富なんじゃないか、って言われてたり。四月とかなら鎮静効果のあるラベンダーとかも咲いてたりして綺麗なんだけど」
魔女。言われて、ああそうか、と合点がいった。ヴィータがかつて住んでいたっていう里はこの中にあるんだろう。隠れ里。招かれた者だけが入れる不可視の里。たまたまとはいえその近くに導かれた起動者の俺がいるのにアイツはいねえってんだから、妙な心持ちになっちまう。
故郷に帰らないと決めたもん同士だからってワケじゃねえが、さすがに長い付き合いだから何も感じないのも無理な話だ。
「それじゃあトワを起点にちょっとずつ探索して行こうか。種類も必要数も多いし、長丁場になるけど頑張ろ」
森を駆け回るのが楽しみなことが抑えきれてない表情でストレッチをするセリの言葉に全員で、おう、と拳を突き合わせて薬草採取を開始した。
「南の森とは植生や……音?も結構違うんだね」
「ああうん、働いてる属性も違うし、音に関しては南だとスピナ蝉がいるからね」
「ほう、スピナ蝉はこちらの地方にもいるのか」
「ルーレの方でもユミル方面へ進むと結構いたりするよね」
「蝉の抜け殻で遊ぶやつ絶対一人はいるよな」
「あ」
多少高い場所にあるのを見つけたのか、たっ、と走り出して苔むしてるだろうに滑ることもなくクライミングをしきる。ざくざくと手にしたスコップで根を掘り出しているのは月精の涙とか呼ばれる水滴のような形の実を持つ植物だ。毒性のあるすげえ似た草もあるらしいが、行動を見るにあれは当たりだったらしい。
警戒ついでに暫くそれを眺めていると、後ろからすぅっと、蜘蛛型のやつが糸を枝に巻きつけて音もなく背後に降り立とうとしているのが見えた。大声を出したら他の要らねえもんまで引き付ける可能性がある。幸い降下速度はゆっくりだ。オレは腰から一丁引き抜き丁寧に照準を合わせた。
そうしてトリガーに指をかけて力を入れようとした瞬間、脳に嫌な予感が響いてそれを止める。それと同時かあるいは少し速いか。セリがそんなそぶりも無かったつうのに腰の片手剣を引き抜きながら回転し、遠心力で稼いだインパクトで蜘蛛を一撃のもとに斬り伏せる。
なんの感慨もない風情で死体を見下ろしていたそいつは銃を構えるオレに気が付いたのか、にっ、と笑ってピースを差し出してきた。まるで『いつまでもフォローされてるばっかじゃないよ』と言わんばかりに。
森の中を歩いて水辺を見つけたところで昼だってことで美味いサンドイッチを食って、そのまままた薬草採取を再開して、15時くらいには渡されたカゴそれぞれに三種の薬草が詰まるほど集まった。今はちょうど大森林の端に当たる場所らしく区切りにするにはもってこいだ。
「うん、量も十分だしもうこのまま大森林出て線路沿いに旧都に向かおうか。さすがに街道の方が魔獣も少ないし戦いやすいし」
「これならかなりの備蓄になるんじゃないか?」
高いところでも構わず登りまくってたせいで泥だのなんだので汚れた格好のセリとゼリカが言う。特にゼリカは貴族制服の白が台無しってくらいの汚れ具合だ。昨日借りた作業着を今日も借りた方が良かったんじゃねえかとオレが思っちまうくらいの。
だが学院制服はよく出来てて、よく稼働させる肩回りの縫製が上手い具合になってたり、特殊繊維が混紡されてたりで攻撃に強い。だから戦闘が想定される場所へ赴くなら着ておくべきもんだっつう。そんでなまじそれで戦闘してきちまってるからうっかり通常服で戦った場合にどれだけ生身にダメージを喰らうか……想像もしたくねえ。
「セリちゃん、アンちゃん、本当にお疲れさま!」
「三人もお疲れさま。分かりやすい帰投ポイントになってくれたから助かったよ」
「しかしこの格好で街に入るわけにも行かないだろうから、薬草を大聖堂に届けるのは三人に任せることになってしまいそうだが」
泥だらけって自覚からゼリカがそんな発言をする横でセリも頷いている。まあさもありなんだ。あんだけデカい街だとあんまりねえだろうが、教会ってのは怪我人も運ばれてきて収容されたりもする。つまり清潔第一ってことだ。
「そっか……。うん、きちんと届けてくるね!」
つーかでもこのまんまだとあれだろ。馬車にも乗らず徒歩で帰るとか言い出しかねないぞこいつら。さすがに二人置いて帰るって選択肢はねえだろうしなあ。とはいえ徒歩ってなるとオレらはともかくトワの体力もだいぶ心配になる距離だ。
んな懸念事項を考えつつ線路沿いに歩いていき街の外までは適当に魔獣を蹴散らしセントアークへ。南下してたどり着いたところが都合よく西サザーラント街道口だってことで、セリとゼリカはそのままそこで休んどくと腰を落ち着けて俺たちに手を振った。
「……セリちゃんたち、馬車に乗ってくれなそうだよねえ」
「うん、そうだね」
全員で一つずつカゴを持ちつつ住宅街を真っ直ぐ抜け聖堂広場へ向かっている最中、ぽつりとトワがこぼす。さすがに気付いてるか。街に入るのを躊躇うやつらが公共交通機関に乗るのをOKとするかっていったらしねえだろうしな。賭けてもいい。100ミラくらいなら。
「ま、そん時はトワ、ジョルジュ、お前たちだけでも先に帰ってろ」
「えっ、私も歩くよ!」
「僕もそこまで体力ないわけじゃないけど」
「トワの方はさすがに体力限度だろ。あと三時間無駄に歩くのなんかやめとけやめとけ。ジョルジュの方は保険みたいなもんだ。一応課外活動中だしな」
まあンなこと言ったらオレが残る意味も薄いんだが。その点に関しては完全にオレを見て何か考えていたらしいゼリカをよりにもよってセリと二人っきりにするのはマズい気がするってだけだしな。理由は適当に尤もらしく、そうだな、アーツ要員が必要だろとかでいいか。
「……そんなに、体力」
「ねえこと気に病むなよ。あんなバケモンみてえな森で遊んでたり帝国ほっつき歩いてたガチガチの前衛張れる奴らだぜ? 比較すんなって」
ぐしゃりとトワの頭を撫でて揺らす。むしろ今日途中で音を上げなかったのがすげえと思ってるくらいだ。ただ歩くだけでもだいぶキツいぞあの森。
「お前には別のこと期待してんだっつーの。……どしたよ」
ぐしゃぐしゃにした髪の下で、困惑と嬉しさの間みたいな表情でトワがいるもんだから思わず尋ねちまう。乱れた髪を直しながら、えへへ、とトワが笑ってオレを見た。
「……前にセリちゃんにも似たこと言われちゃったなあ、って」
「マジか」
「はは、二番煎じだったみたいだね」
うるせえ、とボヤいたところで大聖堂に到着する。確かマルコ司祭ってやつに渡せば大体察してくれるだとかセリが言ってたが。
教会に入ると教壇の方に司祭服の男がいたのでぞろぞろと歩いていく。
「すみません。マルコ司祭様でいらっしゃいますか?」
「はい、私がマルコです。本日は……もしかしてティルフィルの方でしょうか」
曰く、ティルフィルの元締めから足りていない薬草がないか数日前に質問されそのまま依頼をしたのがこいつらしい。三種の薬草も大まかに確認してもらったところ大丈夫だったようだ。
「こんなにありがとうございます。いつも通りセリさんが来ると思っていました」
「あ、セリちゃんは街の外で待っててくれています。彼女ともう一人の子が集めてくれたので」
「なんと。こちらに顔を出していないのは何か怪我でも……?」
「いえ、その……泥で汚れてしまったから、と」
「ああ、なるほど。ではもしやお帰りは」
「たぶん徒歩だろうな」
オレの言葉に、そうなりますよね、とそいつは難しい表情を作る。ジョルジュも加わり三人揃って、どうしたもんだか、という顔で言葉を出しあぐねていると、おい、と声が聞こえた。振り返ると、教会の長椅子に座ってたんだろう位置に麦わら帽子を被ったじーさんが立っている。
「話を聞いてたがよ、いつも薬草担いできてる嬢ちゃんが困ってるってことか?」
「ルークさん。ええ、そういうことですね。擦過傷用の軟膏などに使うものだったり、他にも少しばかり入手しづらいもので」
「ならワシが送ろう。トラックの荷台だが、逆に気兼ねせんでええだろ」
渡りに船っていうのはこういう時に使うんだろうと思うような言葉が飛び出してきた。
「え、いいんですか!」
「おう。ついでだから嬢ちゃんたちも乗っていくといい。西街道で待っとけ。農作業で怪我した時にはここの薬によくお世話になってるからなあ」
帝国の人間は荷台に人間を乗せるのに躊躇なさすぎだろ。いや嫌いじゃねえけど。
「これはこれは……良かったです。女神のお導きですね」
「はいっ」
女神の導き。当たり前のように交わされる定型句。
流れでオレも使うことはあるが、そんなもんが本当にあるんだとしたら、俺がやろうとしてることもそうなんだろうかと、誰からも慕われていた祖父さんがあんな最期を迎えたのもそうなのかと、そう考えずにはいられなくて内心反吐が出ると、頭を掻き混ぜたくなる。
だけど駄目だ。この国……どころかこの大陸の殆どは七耀教会の女神信仰者だ。そんなことを考える方が異端だ。
話がまとまり、司祭に見送られて聖堂を出る。
別に悪魔を崇拝してるわけじゃねえ。
ただ、女神を信仰したままでいられたならどれだけよかったろうな。
「そういや普段はお前一人で薬草採取してたんだろ? そん時はどうしてたんだよ」
「ツナギを普通の服の上に着て、街へ入る前に脱いで袋かな。それにいつもそこまで量を求められてはいなかったからそんな長距離移動もなかったしね」
「なるほど、納得がいく話だ」
そうしてじーさんに送ってもらい(乗る時も降りる時もセリとトワはめちゃくちゃ丁寧に挨拶していた)、セリの家に帰ったら泥だらけのオレたちを見てセリの叔母は風呂に入りなさいとちゃっちゃと湯の準備をしてオレたちは存分に湯に浸かった。
昨日と変わらず美味い晩飯を食って、長距離歩いたせいか全員健やかな時間に寝落ちた。
だから、オレが早朝に目を覚ましたのは特におかしいことじゃないだろう。
寝転がったまま窓を見ればカーテンの隙間から入る外の気配はまだ薄暗い。まだ寝られるじゃねえかと早朝覚醒に悪態をつこうとしたところで"上"から何かの気配がする。オレたちがいるのは二階建ての二階だ。これより上は屋根裏か屋根上になる。一瞬考えて、気付いちまったもんをそのまんまにすんのも気持ち悪ぃと寝床を出て靴を適当に履いた。
部屋を出て一階に続く階段がある主廊下の方へ歩いていくと天井部分から木製の梯子が下されている。それだけで誰がいるのか何となくわかっちまって、頭を押さえた。いや、何でだよ。前にタイミング良すぎだろって顔はされたが、オレだって聞きたい。何でお前の気配に起きるようになってんのかって。いやお前が夜中だのなんだのに起きるだけで、お前だからってワケじゃないのかもしれねえけど。いや多分そうだろ。きっとそうだ。
ため息をはいて踵を返そうとした瞬間。
「クロウ?」
遠くに声だけ聞こえる。屋根上に続いてるんだろう場所からオレの気配を探り当てたのか。こいつの気配察知能力が最近若干化け物じみてんだよなあ。
「起こしちゃったかな。ごめん。来たいなら来ていいよ」
若干聞こえづらいから見えてる梯子よりももっと昇るんだろう。だから、いや眠いから二度寝するわって言えばいい。それだけだ。
「そうだな」
だっていうのに俺は馬鹿か。
「あ、本当に来た」
「……お前、なんつー格好してんだよ」
上がってみると半袖に短パンでストールを肩にかけてストラップ付きのサンダルを引っ掛けた、薄着も薄着のセリが立った状態でそこにいた。
「だって他に人が来るなんて思ってなかったし」
「じゃあ呼ぶなよ」
嗚呼ちくしょう、と内心ボヤきながら屋根の上へ完全に上がる。ここで帰るのもなんか癪だ。
緩やかな傾きの屋根に座って辺りを見ると、たった数アージュ高くなっただけだっつうのに妙に空が近く感じる。太陽はうっすらと森や丘の向こうから昇ってきているのがわかる空模様で、薄暗いような、ほの明るいような。そんな時間らしい。
「お前も起きちまったクチか?」
「んー、まあそうかな。でも私、この時間の街の空気がいいなぁって思うんだ」
視線の先を辿ると、工房やパン屋が既に稼働しているのかあちらこちらの煙突から煙が立ち上っているのが見えた。明け方。街が動き、一日がまたはじまる。その気配が徐々に満たされていく時間帯。まあ、わからんではないけどよ。
「お前、本当に自分の故郷が好きだな」
「うん? うん、好きだよ。クロウはそうじゃない?」
問われて、好きじゃないなんてことあるわけねえだろと心の中で呟いちまって驚いた。鉄血の野郎の計画に踊らされて、市長である祖父さんの言葉に耳を傾けず、どころかその事件の黒幕は祖父さんだったなんて言い出したあいつらが今でものうのうと住んでる街だっていうのに、それでも、俺は嫌いになりきれていないらしい。
ああまったくの大馬鹿野郎だ。
「まぁいろいろあるよね」
俺の沈黙に何を考えたのかセリはそう呟く。
「取り敢えず私はこの街が好きだし、たぶん、何があっても嫌いで染まることはないと思う」
明け方のうっすらと太陽が昇る空の下、目の前の奴はオレを見下ろしながら今までで一等きれいに微笑んだ。まるで心を見透かしたかのような言葉を添えて。
「そう思える街に、みんなといられたのが本当に嬉しい」
風が吹いて髪とストールが僅かに巻き上げられる。それを押さえる手が、その隙間から見える横顔が、故郷を愛しいと誰にも憚らないその感情が、"俺"を掴んで離しちゃくれない。
唇を引き縛って奥歯を噛み締め、崩れそうになる表情を抑えて、嗚呼、と心に波紋が落ちる。
────俺はこいつが好きなんだ。
その気付きは、どうしようもないほどに昏いさざなみと似ていた。
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08/31 購買アイス
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1203/08/31(月)
故郷での課外活動も今回こそイレギュラーなく無事終わり、領地運営の勉強などの名目で長期帰省が認められていた貴族生徒も帰ってきて、学院はまた賑やかさを取り戻した日のHR。
「さて、今日は二ヶ月後に迫った学院祭の出し物について話したいと思います」
委員長副委員長が教室の前の方に立ってそう切り出した。まあ前にと言っても委員長は教壇に、副委員長は黒板板書待機といった立ち位置ではあるのだけれど。
一年生は強制参加なためこの八月中それなりにみんな考えていたのか、いろいろ意見が出る。東方仮装喫茶、お化け屋敷、クレープ屋、プラネタリウム、などなど。けれどどうも、コレ、という決め手がないのか話し合いの空気がダレ始めたところで、女子の一人がすっと手を挙げ立ち上がった。
「ひとつ確認したいことがあるんだけど、このクラスで導力カメラ使える人って何人いる?」
促されて、自分含む何人かが手を挙げる。六人。十七人のクラスでこれはだいぶ多いんじゃなかろうか。この学院にも写真部があるとはいえ、まだそこまで値段として手が出しやすいというものでもない。感光クオーツだって安くはない消耗品だ。
立ち上がった彼女は少し考えるそぶりを見せて、うん、と頷く。
「貸衣装屋はどうかな。衣装の方はクラスの面子的にいろいろ集められそうだし、なんなら他のクラスに打診してもいいと思う。カメラ扱える人がこれだけいるなら二日間のローテーションも組みやすいんじゃないかな」
つまり、その場で衣装を選んでもらい撮影し後日郵送、そして希望するなら追加料金でその衣装を着たまま学院祭を回ることもOK、という。なるほど。これは他のクラスと被ることもなさそうだし、アトラクション系じゃないのでそこまで安全管理も要らない(それにアトラクション系はクロウの言っていた通りほぼほぼIII組が出してくるだろうし、クオリティ的に勝てるとも思えない)。
「賛成、いいアイディアだと思う」
さきほどカメラが扱えると手を挙げていたひとりがそう発言をするので、私も手を挙げる。
「私も。面白そうだしやってみたいかな」
そうしてVI組の学院祭の出し物は、貸衣装撮影屋となったのだ。うん、楽しそう。
授業も終わりいつものようにちょっとだけ技術棟に行こうかな、と思ったところで、何となく購買部のジェイムズさんのところに顔を出そうと足を向ける。衣装についても何か相談出来るかもしれないし。あとツテとして使えそうなのは商店街で店を構えるミヒュトさんとか、文句を言いながら協力してくれるのではなかろうか。
「こんにちはー」
「お、タイミングいいな」
何かと生徒と雑談をしていて学院内の結構な噂を知っているジェイムズさんが嬉しそうに手を振る。何か変なネタありますか?、と首を傾げると、いやいや、と指を振って取り出された紙に書いてあるのは。
「……アイス、ですか?」
「そう。せっかく食堂が近くにあるワケだしよ、業務用冷凍室の一角を借りてアイスを入荷してみたんだ。今からチラシ掲示するところでな」
暑い夏に、アイス。そんなの。
「ジェイムズさん、五つください」
「景気がいいな! ちょっと高いぜ?」
「大丈夫です、いま懐があったかいので」
実は帝国時報から例の写真と情報と記事の提供で賃金がこの間支払われたのだ。いや賃金というよりは元々あそこには情報提供者謝礼規定があるそうなので、扱いとしてはそちらなのかもしれないけれど。とにかく(もしかしたら公子経由の口止めも込みで)結構な額を頂いてしまったので、これをみんなに還元するのは悪いことじゃないと思う。なにせあの記事は私だけのものではないからだ。
「おうおう、幸先良くて嬉しいねえ。何ならちょっと宣伝してきてくれよ。どうせまた校内散歩するんだろ?」
「技術棟に顔出してからは一応そのつもりですね。いやでもこれ売れますよ」
「だったらいいんだけどなあ。お試しだから博打っちゃ博打なんだよ」
そんな会話をしながら会計を済ませ、購買所から出たジェイムズさんは食堂へ入っていきアイスと同数の木製スプーンをつけて渡してくれた。ひんやりとした感覚が奇妙に手のひらへ収まっている。溶ける前に急いで渡してしまおう、と挨拶もそこそこに二階へ急いだ。
学生会館の二階。生徒会室。いろいろ案件はあるけれど、最近はやはり二ヶ月後の学院祭の調整で多忙を極めているらしい。学院のあちこちで青い腕章をつけた生徒が走り回っているのを確かによく見る。
ここん、とノックをするとトワの声。入ってみるとトワとアンだけがそこにいた。他の人は出払っているらしく、入って左手の応接セットで書類仕事を。アンはたまに手伝いをするためにこうして生徒会に出入りしていたりするのだけど、まあたぶん、トワの傍にいたいという話なのだろう。一種のボディガードというか。
「あ、セリちゃん。どうかした?」
「うん、これ差し入れにって」
ととん、と二つアイスとスプーンを置くと、おや、とアンが首を傾げる。
「これはアイスか? また珍しいものを」
「実はついさっき購買で売りに出されたらしくてね」
こういう時の自分のタイミングの良さはなかなかのものだと思う。
「わあ、本当にいいの?」
「いいのいいの。あと二人にも届けてくるから今日はこれで退散するよ」
暑い中、窓全開にして書類仕事をするトワになにかしら出来たならそれでいい。ありがとう、という二人の言葉に軽く手を振って、残りの三つを腕に抱えて私はまた走った。
学生会館を飛び出して右手、技術棟。重い扉を肩で開けて入るとそこには作業中のジョルジュと机でだらりとしているクロウが。そう、最近夏バテでもしたのか妙にクロウの元気がないような気がするのもあって差し入れをしようと思ったのだ。これだけで元気になるものではないかもしれないけれど、少しぐらいは気分があがるといいな。
「よかった、二人ともいるね」
「おー? どしたどした」
「アイスの差し入れ」
腕に乗っけていた残りのアイスを、クロウの前に一つ、その隣に一つ、クロウの対面の席に座る自分に一つ。うん、よし。
「トリスタにジェラート屋でも来てたのかい?」
ジョルジュが作業を一旦止めて机にやってくるので、購買部で今日から売りに出されたんだよ、とすこしニヤリ顔で解説してしまう。いや偶然なのだけれど。でもそういう偶然に当たれるかどうかも大事だと思う。
「へえ、それじゃあありがたく頂こうかな」
「オレも」
二人がスプーンを手に取ったので、私も手を軽く合わせてカップの蓋を取る。勿体無いので蓋の裏をスプーンでこそげていると、まあ二人も似たようなことをやっていて少し笑ってしまった。
まずは一口。ひんやりとしたなかに牛乳の味が濃い甘さが広がって思わず顔が緩んでしまう。おいしい。うん、これは絶対に売れると思う。売り切れて買えなくなるのが勿体無いような気もするぐらい……でも頼まれたし後で号外的なチラシ新聞書いて複製機で各所に貼っておこう。
「そういえば二人のところは学院祭の出し物について何か話した?」
「話したよ。ちょっとしたコースター系アトラクションになりそうかな。具体的な構想はまだ詰めるところだけど」
やっぱりIII組はそっちの方向から攻めるのか、そうだよな、と頷いてしまう。ジョルジュがいるならそのジョルジュの手腕を存分に使って何かしたいと思うのは仕方のないことだ。私だって同級生ならいかにそれでアピール出来るか考えると思うし。何ならアンケート優秀賞も狙っていけるポジションだ。
「クロウは?」
「オレんとこはボドゲ場だな。トリスタってそれなりにガキが多いだろ?図書館で児童書コーナーもあるみたいだけどよ、保護者と子供が一緒くたに遊べたら楽しいんじゃねえかって話が出てな。近くの街にボドゲ専門にしてそうな店も見つけてるし仕入れもなんとかなんだろ」
「おー、楽しそうだね。時間があれば覗きに行きたいな」
特に大人と子供が遊べるというのは、うん、いいと思う。何なら購買とかで取り寄せてもらい後日取りに来て家庭でまた遊ぶというのも全然ありだ。そういう発想すごくいいなぁと感心するし、さすがだなと。
「あとはまあ、他にも色々やりてえな」
「有志系にも参加……いやクロウだから企画側かな」
「おう、楽しみにしとけよ」
ニヤッとした笑顔が久しぶりに見られて、こういう企画モノで動くの好きそうだし要らない心配だったかも、とアイスを口に運ぶ。あ、溶けてきたアイスもなかなかに美味しい。コーンに収まったジェラートじゃないから急いで食べなくても垂れてこないのはカップ系の利点かな。
「セリのところは決まったのかい?」
「VI組は貸衣装撮影だよ。カメラ扱える人が結構いたのと、結構みんな実家が帝国のあっちこっちで各地の衣装みたいなのが集まりそうなんだ。もしかしたら他クラスにも衣装提供呼びかけるかも」
「へえ、楽しそうじゃねえか」
「うん、私も楽しみ」
出来ることなら衣装撮影だけでなく、背景ボードとかも作って凝りたいけど、時間あるだろうか。ケインズ書房に写真集とかを取り寄せてもらって、それを参考に各地の風景を描くとかになりそうだけど。いやでもそもそも衣装がどういう傾向になるのかある程度出揃ってからでないと無駄になる可能性も。
「たぶん10月の課外活動はないよねぇ」
「あったら地獄すぎんだろ」
「恐らくないとは思うけど、スケジュールにも影響するし早めに聞いておくのがいいかな」
「だよねー」
ジョルジュの言葉に頷きながらアイスを食べ終えたので、白い紙を取り出して号外チラシ新聞を書き始める。どんなふうに書こうかな。ジェイムズさんが少し驚いた通りちょっと値が張りはするものの、アイスが帝都に出ずとも学院で友人と食べられるというだけでなんか非日常感があっていいと思う。ジェラートはジェラートでいいと思うけど。ドライケルス広場でいつも屋台出してくれているあそこも美味しいしね。
うん、感想混じりにドンと直球に行こう。
「こんにちはー」
「お、昨日は号外新聞ありがとうな!」
「その様子だと売れ行きいいみたいですね?」
「なんと完売」
「わお、おめでとうございます」
「来年はも少し早く仕入れてもいいかもなー」
「今から楽しみにしておきます」
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九月
09/04 お料理チャレンジ
「セリさんって自炊されてますか!?」
放課後、いつも通りブランドン商店へ食材を買いに来たら店先にいたティゼルさんにそう問いかけられてしまった。それなりにはしているけれど何かあったのだろうか。
27
1203/09/04(金) 放課後
「いきなりすみません……」
「いや、それは別にいいよ。何かあったの?」
落ち着いてもらうために公園のベンチに座ってもらい、キルシェでアイスティーをテイクアウトしてきて渡すと、ありがとうございますのあとに謝罪が始まった。
「その、父さん今年もトールズの学院祭を商店街ぐるみでバックアップしようって言っていて、私もそれは賛成なんですけど、そんな父さんに何か、こう、」
「美味しいものを作って応援してあげたい?」
言葉を予想して引き継いでみると、すこし耳まで赤くしたティゼルさんがこくりと頷く。いいなあ、大好きな人が頑張っているのを応援するために、料理をしたい。とてもいいと思う。私もそんな風に、料理をしたい、二人に楽してもらいたい、と願って台所に立ち始めたのを思い出す。結局叔母さんから教わることになって、楽させることが出来ていたのかは不明だけれど。
「セリさんも学院祭で忙しいと思うので、もしあれなら」
「まだ忙しくないから大丈夫だよ」
事実だ。衣装の手配が終わらないと背景ボードも、着用イメージ写真も、何もしようがない。そもそもたぶん導力カメラ扱える人員はそれなりに準備免除されるのではなかろうか。何故なら当日、少なくとも一日は休憩時間があってもそれなりに拘束されるだろうので。いやこれは単に私の想像と希望だけれど。
「だから、そうだね、とりあえず日曜の15時ぐらいに第二学生寮の台所でいろいろ作ってみようか。折角ならひた隠しにしてあっとブランドンさん驚かせよう。あ、でもきちんと行き先だけは伝えておいてね。心配なされるだろうし」
「は、はい! ありがとうございます!」
私もブランドンさんには常日頃お世話になっているので間接的に恩返しが出来たらいいなと思うし、何より本当に『頑張る家族のために頑張りたい』という気持ちを応援したい。それはとても尊いものだと感じるし、そのお手伝いを私が出来るなら何よりだ。
15時以降なら日曜学校も終わっているとみたけれど、ティゼルさんも予定を入れていなかったみたいでよかった。
「じゃあ明日も夕方までにお店に寄らせてもらうから、どんなものを作りたいか今日明日で考えておいてくれるかな。具体的じゃなくても、バテ防止料理とか、お肉料理ですこし凝ったものとか、そういうレベルで大丈夫だから」
「わかりました。考えてみます!」
いつも元気なティゼルさんが嬉しそうに笑ってくれたので、私もつられて笑顔になる。
でも肉体労働に効く料理とか大鍋料理とかならそれなりに得意だけれど、モノによっては調理部のニコラスにレシピの協力を仰ぐ必要があるかもしれない。今から戻って協力してもらうかも、という感じのことは言っておくべきかな。寮で会えるとも限らないし。
「それにしても9月入ったけどまだ暑いねぇ」
すっかりぬるくなってしまったアイスティーに口をつけると、ティゼルさんもおなじように。でもぬるくても多少薄くなってもキルシェの紅茶は美味しい。うん。
「はい。でも私、セリさんは上着ずっと着てるので暑くないんだと思ってました」
Tシャツにオーバーオールがトレードマークのような彼女から見たら、確かに腕まくりしているとはいえ学院の上着着用姿は厚着に見えるのかもしれない。
「案外風を通してくれるんだよ。残暑は湿度あってちょっとキツいけど」
「へえ、不思議な服なんですね」
その言葉に、うん、と頷く。
言ってしまえば単なる学院制服だというのに特殊繊維混紡で実戦に強く、デザインと制作はあのル・サージュに頼んでいるという。そういういろんな意味で不思議な服と言っても差し支えはない気がする。夏服も注文から二ヶ月ほどかかることもあるらしく、五月下旬から受け付けているというのは驚いた。というかそれだから一年生に夏服着用者が少ないのではという気もする。
「さて、それじゃあそろそろ今日の分の買い物をしてこようかな」
「あっ、えっと、今日はありがとうございました。日曜、楽しみにしてますね」
立ち上がって歩き出そうとしたところで隣に座っていた彼女も同じように立ち、頭を下げられた。私も楽しみにしてるね、と告げると、また嬉しそうに笑ってくれたのだ。もし妹がいたらこんな感じだったのかなぁ、なんて。それはティゼルさんに失礼かもしれないけれど。
1203/09/06(日) 放課後
時間通りに授業も終わったし、必要そうな材料は昨日ティゼルさんに作りたい傾向を聞いて買い込んだので大丈夫な筈だ。高等生向けのキッチンだから10歳くらいの子が使うなら台があると便利だよ、とニコラスにアドバイスをもらったのでそっちの準備も万全にしたし。
そうこうしてHRが終わって即帰り支度をして寮に戻ると、トートバッグを膝に抱えたティゼルさんが建物の前に併設されているベンチに座っていた。
「あ、中に入って待っててって言うの忘れちゃったね、ごめんなさい」
「いえ、ここの木陰気持ちよくて好きですし、待ってる間に白い猫が来て遊んでました」
それならよかった、と言いながら第二寮へ招く。着替えだけしてくるからロビーのソファで待っててね、と言い残して三階に。上着とズボンをハンガーにかけて、シャツは後で洗濯に出す。それなりに整った私服へ適当に着替えてエプロンを持ち出しまた一階へ。
春先は昇降が面倒くさいという三階勢の嘆きがよく聞こえてきたけれど、もうみんな慣れたのか体力がついたのかそういう声は聞こえなくなった。まぁ流石に半年弱も生活していれば慣れでも体力でもなく諦めがつくのも道理だけれど。嘆いても部屋割りが変わるわけではないし。
「お待たせ。人が少ないうちに台所存分に使おう。レシピは後で文字起こししたものをちゃんと渡すから、まずは一緒に作ってみようか」
「はいっ」
二人でエプロンをつけながら食堂の扉を開けると誰もいないので広々と使えることに内心嬉しくなる。寮に来て初めて知ったけれど、大きな台所というのはそれだけで楽しくなってしまう場所らしい。そういう意味では調理部に入るのも良かったかな。
「わあ、おっきいですね」
「ピークタイムだとさすがに待ち時間発生しちゃうけどね。朝だとオーブントースター足りなくてフライパンでパン焼く生徒がいたりするし」
「えっ、フライパンで焼けるんですか!」
「うん。バター溶かして焼くから案外速く出来上がるし、トースターより好みってフライパン焼きにハマった人もいるよ」
「へえ~、私もやってみようかな……」
新しいことに目を輝かせているティゼルさんが可愛くて思わず笑みが溢れてしまう。
取り敢えず調理を開始するので一緒に手を洗い、冷蔵庫に入れていたものを取り出した。もちろんすべてブランドン商店で買ったものだ。
「これ……豚肉ですか?」
「疲労回復には豚肉がいいんだよ」
「あ、そっか、そういうことも考えて料理すると良いんですね」
「ある程度余裕があればでいいけどね」
栄養素の概念は私も後から徐々に足していったし、そういうのがあるんだ、ぐらいから始めるのが良いと思う。肉体労働に明け暮れた人たちがだだっと家に来たりすることもあったし、必要に駆られたところはあるけれど。
「今日は豚肉のジンジャー焼きを作ります。まずは一人分」
「ジンジャー……ハーブって難しそうであんまり使ったことないんですけど」
「大丈夫大丈夫、これはほぼすりおろすだけだから」
それとこっちでは少し特殊な東方系調味料の醤油を使ったりもするけれど、今日使うものはブランドン商会で手に入れたものなので手に入らないってことはまずない。昨日も試しに作ってみて美味しかったと個人的には思う。
「まずはジンジャーをすったり、付け合わせの野菜を切ったりしてからお肉を焼こう。焼き始めたら結構直ぐだから」
「わかりました」
そんな風に付け合わせに使える季節の生野菜を切って水にさらしたり、肉の筋を切ったりの下拵えを丁寧にやっていく。ティゼルさんは忙しいブランドンさんの代わりにご飯をよく作っていると言っていた通り、包丁を扱う手は澱みなく結構見事なものだと思った。
「セリさんは昔から料理出来たんですか?」
「んー。私も最初は家族にご飯作りたい、って思って台所に立ち始めたよ。でもその頃は失敗も結構したかな」
うっかり鍋の底を焦げつかせてしまったり、生地を混ぜすぎて食感が堅くなってしまったり、それなりにそれなりでやらかしてきてはいる。
フライパンに並べたお肉を弱火で両面とも焼き終えたので、一旦お皿に取り出してフライパンの上でそのままタレを作り始める。これも調味料を混ぜ合わせて煮詰めるだけなので案外簡単だ。ポイントを押さえて説明をしながらおろしたジンジャーを加え混ぜたら、最後に肉をタレと絡めるためにフライパンへ再度投入。
香ばしい香りが漂ってきて授業後ということもあって空腹を自覚させられた。
「っと、こんな感じで最後に強火で絡められたらさっさと火は止めちゃっていいよ。硬くなっちゃうし。そんでお皿に盛り付けて、さっき用意した生野菜も添えて、出来上がり」
「わあ、美味しそう……!」
今の季節なら緑のキャベツと赤のトマトと肉の茶色でなかなかに彩りもいいメニューだと思う。行儀は悪いけれどそのままティゼルさんにナイフとフォークを渡し、二人で実食。うん、上手くいってるいってる。
「あ、ジンジャー結構入れてるからキツいかと思ってましたけど」
「ちょっと甘いタレと絡めるから意外にマイルドになるよね」
「これなら私も出来そうです!」
「よーし、じゃあやってみよう」
用意していたレシピメモを渡してティゼルさんが一読する間にもう一切れ口に放り込む。
これ教えてくれたのはジョルジュだったよなぁ。結構みんな得意分野が分かれているおかげで、チームの面子でご飯会をするとそんな料理あるんだ状態が多発するのがわりと面白いと思う。クロウのフィッシュバーガーとかはアンが結構手伝ってて、もう皆伝なんじゃないか?、とこの間笑っていたっけ。
「セリさん、作るので見ていてください!」
「オッケー」
そうしてティゼルさんが一人で豚肉を焼くのを私はただ見守っていた。手際がいい。
「ちょっぴり焦げちゃいました……」
調理場の後片付けをしてせっかくだからと食堂の方に移動したところで、席に着いたティゼルさんがそう呟く。
「多少焦げてても香ばしいで済ませられるのがジンジャー焼きのいいところだよ」
絡み付いたタレの部分がすこし焦げても美味しいと思う。個人的には。
「でも家でやるときはもっと気をつけます」
「その意気その意気」
うんうん、と頷きながら誰もいない食堂で二人並んで食べていく。これをサンドイッチにしたらパンがタレを吸ってそれはそれで美味しいんだよなぁ。今度生徒会室への差し入れで持っていこうかな。
「セリさんって他にどんな料理作るんですか?」
「うん? 結構煮込み系が多いかな。大勢に振る舞う機会が多かったから。逆にお菓子系とかは得意じゃなかったけど、友達のおかげで最近少しは作れるようになったよ」
「わあ、いいですね」
トワはケーキ系が大得意でパンケーキを焼いてくれたりして、秋になったらかぼちゃケーキ作りたいな、と言っていたのを思い出す。アンも得意料理はさすがに少ないけれど東方系含む麺料理が得意だったり、ジョルジュは肉料理や計量の必要なもの、クロウは肉料理に加えてざっくり大鍋系や魚介料理が得意で、本当に色々みんなから知識を得ている。
「も、もし良かったら、また料理教えてくれませんか!」
意を決したように告げられた言葉に、ふふ、と少し笑ってしまう。かわいい。
「いいよ。毎月下旬は忙しいことが多いけど、上旬なら空いてることも多いと思うし」
「わあ、ありがとうございます!」
大好きな父親のためにこうして、相手が常連とはいえ他人にお願いが出来るというのはとても強いと思う。人に頼るというのを今のうちに覚えておくというのは大層いいことだ。
「でも一つ聞いていいかな」
「はい、何でしょう」
「どうして私に声をかけたのかなって」
常連なら買い物好きのマリンダさんだっているし、料理上手でいうなら私よりもニコラスの方がずっと上手いというのはわりとわかりそうなものだ。まぁ男性に頼むよりも女性の方がという気持ちもわかるけど、それならたまに商店で会うおしどり夫婦なハンナさんでもいい筈で。
問いかけてみたところですこしティゼルさんが視線を落として、笑わないでくれますか、と。もちろん、と答えたらそっと琥耀石のような瞳が私を見る。
「私、セリさんに憧れてるんです」
憧れている。理解語彙ではある。
でもそんな風に心を寄せてもらえるようなことを私は彼女にしていただろうか。毎週ブランドンさんのお店で買い物はするし、ティゼルさんにもよく声はかけてもらっていたけれど。むしろいつもお店の手伝いをしていてすごいな、と私が言いたいぐらいなのだけれど。
「こんなこと急に言われても困るとは思うんですけど、セリさんは街の外の強い魔獣を倒してくれたりしてるってお父さんから聞いて、それでうちの店にもよく来てくれるから自炊してるんだろうなって思ったりとか、あとすごく、きれい、な人だから、私もこんな風になれたらって」
ぎゅっと目を瞑って両手を握り締めながら胸の内を告白してくれる彼女が本当に可愛くて、ああ妹ってこんな感じなのかな、なんて改めて考えてしまう。正直、心臓がきゅうっとなった。
「それは……光栄かな」
「呆れませんか?」
「そんなことないよ。嬉しいぐらい」
私の答えに、そっかぁ、とティゼルさんが両手指をゆるめて笑ってくれた。ほっとしてくれたことが嬉しくて暫く眺めてしまっていたら、私の視線に気が付いたのか彼女が僅かに顔を赤らめて視線を外される。
「あの、私一人っ子なんですけど、お姉ちゃんがいたらこんな感じだったのかな、って。いや私が妹なんて失礼かもしれないんですけど!」
その言葉に、そうかそう思ってもいいのだ、と自分の心が救われるのがわかった。そして誰かに憧れてもらえる自分になっていたのなら、それは私を形作ってくれたいろんな人を褒められているも同然で、つまるところとても嬉しい。
慌てるティゼルさんの頭を軽く撫でて、上げられた視線をしっかりつなげる。
「実は私も、妹がいたらこんな感じだったのかなって思ってた。お揃いだね」
「そ、そうなんですか? やった、嬉しいです」
えへ、とまた彼女が笑ってくれたので、私もそれに頷いた。
1203/09/11(金) 放課後
そろそろみんな忙しくなるだろうしここらで一回ご飯会やりたいです、とつい先日技術棟で全員集まっていたので提案したら、トワが金曜だけは遅くなりそうだから無理、と言っていた。それを帰り際に思い出したので、サンドイッチでも差し入れするかな、といろいろ食材を買い込んでみる。どうせ学院に戻るから上着だけ脱いでエプロンだ。
この間のジンジャーの残りで例のメニューに、照り焼きチキン、オーソドックスにタマゴは鉄板だし、ポテトサラダも美味しいし、きゅうりチーズもいいと思うし、……といろいろ食べられたら楽しいと思って作っていたらうっかり作りすぎた。
まぁ今日中に食べられなかったら明日の私の朝ご飯になるだけか、と一つずつ紙に包んで包丁で切ってバスケットランチボックスに詰めていく。うんたくさんあっていい、と頷いて蓋を閉じて再び学院へ。
夏は夕方でもまだ日が高いから何だかお得な気がしてしまうけれど、気を抜くと気付かない間に暗くなるので一長一短かな、と何でもないことを考えながら坂を登っていった。
学生会館が見えてきたところでやっぱり端にある生徒会室の灯りはついていて、いつも通り購買の前を抜けて二階の奥へ。コンコン、とノックをするとトワを含めた複数人の声。
ガチャリと開ければ、そこそこ顔馴染みになった生徒会メンバーがちらほら見える。トワはいつも通り入って左側のソファという定位置で書類仕事をこなしているようだ。アンはいないようでアテが外れたなとちょっと思う。
「あれ、セリちゃん。どうしたの? VI組の出し物に変更あった?」
「おつかれさま。そういう話じゃなくて単にご飯の差し入れなんだけど、食べる?」
「えっ」
ボックスを掲げると、トワが目をぱちくりとしばたたかせた。
「忙しいみたいだからどうかな、って。結構あるので生徒会の皆さんもよければ」
「それなら御相伴にあずかろうか、みんな。ハーシェル君も休んでくれ」
言った瞬間、生徒会長の席に座っていた白い貴族制服の男性が笑ってそう言った。
「私、紅茶淹れますね! あっ、ローランドさんも一緒にどうぞ!」
「……邪魔じゃないですかね」
想像より人数がいたので自分は置くだけ置いて帰ろうと踵を返しかけていたのだけれど。
「いや、もし時間が許すのならぜひ」
「ではお言葉に甘えて」
ふふ、と生徒会長につられ笑いをして、トワに隣が大丈夫か確認して座ると相手は私を見上げてきて、セリちゃんどうしたの?、と。いや本当にご飯差し入れに来ただよ、と告げると、そっか、と笑いながらすこし頭を肩に預けられた。どうしたのかな、と思いながら私もトワの頭に頭を預けてみると、ふふっ、と笑ってくれたのでまぁ笑ってくれているならいいかと思う。
そっと預けられた頭が離れ、サンドイッチへ手が伸ばされた。私はタマゴサンドにしよう。
「あ、これ美味しい」
「豚肉のジンジャー焼きだね。タレをパンが吸うから割とマッチするんだよ。この間ティゼルさんと作ったから手がきちんと覚えている間に何回か作っておこうと思って」
「ティゼルちゃんって、ブランドンさんのところの?」
「うん。妹みたいで可愛かったなぁ」
まぁ私は一人っ子なのだけれど、と考えた瞬間、すこし、何か、兆しのようなものがよぎったような気がした。……。
「ねぇ、トワ」
気を使われたのか部屋にいた生徒会面子は部屋の奥に並べられている長机で楽しそうに食べているため、すこし声をひそめたらこちらの声は聞こえないだろう。トワも私の意図に気が付いたのか、どうしたの、と目線で問いかけてくる。
「嫌なら答えなくていいんだけど、トワもご両親が亡くなってるんだよね」
「あ、うん。叔父さん叔母さんのお世話になってるっていう意味だとセリちゃんとおんなじ」
「そっか、ありがとう」
私もトワも両親がおらず、親戚のところで世話になっている。アンは確か前に母親を早くに亡くして父親に淑女教育をされかけている、というのを何かで話していた。クロウやジョルジュのことがわからないとなんとも言えないけれど、戦術リンクには素質が必要というのは、もしかして、そういう。
若干深く考えかけて、いや、情報もサンプルも足りないし下手したら軍の暗部に足を突っ込みそうな話だと考えるのをあえて止めた。立ち入ったらいけない。人間には生きて帰ってこられる情報ラインというのが確かに存在するのだから。それを、前にルーファス公子を見て強く思った。ああいう人物は誰かがそれを越えたら残念だと言いながら斬り捨てられる。そういう怖い人だ。
「セリちゃん、具合悪い?」
声をかけられてハッと意識が浮上する。声の方を見ると心配そうな色をたたえた瞳が私を見上げてきていた。
「いや、ごめんごめん、大丈夫だよ」
そう笑う私の嘘をきっとトワは見抜いただろうけれど、同時に話すつもりもないのだろうと理解してくれたのかそれ以上は追求されなかった。労いに来たのに心配させるのは友人失格だったな、と内心ため息をついて、手に持っていた握り潰しかけたタマゴサンドを口にした。
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09/某 学院祭準備
28
あいつのことが好きだって気付いちまって、でもそれはどうすることも出来ない感情だってのは重々理解していることだ。俺はテロリストとして生きることを決めもう血に汚れているようなもんで、あいつは両親はいなくとも街ぐるみで愛されている。完全なる断絶がある存在だ。
オレに対してそういう好意があるのかは正直不明だが、少なくとも嫌われてはいないだろうと、思う。じゃなかったらあんな気配に聡いやつが、貞操観念がそれなりに高いだろうやつが、早朝に薄着でオレと気が付いて声をかけてこねえだろ。いくらストールがあるにしたって脚は丸見えだったしよ。鍛えられて綺麗な脚をあんな惜しげもなく晒して。
いや違う、そういう話じゃない。
そう。いつ"その日"が来るかは未だ俺にもわからねえけど、それでもいつかは"その日"が来る。来させてみせる。その為に俺たちは生きているんだ。たった一人を殺す、その為に、その末にこの帝国を破壊することを、ずっと前に決めた。その準備として細々と破壊工作や人員配置を施して、起爆の日を今か今かと待っている。
だから頭がおかしくなりそうなんだ。
お前がジュライにいて、俺の幼馴染のような顔をして、未来について語ったあの日のことをたまに夢に見る。そんなことはあり得なかった。わかってる。知ってる。俺は、オレとしてセリとあの四月に初めて会話をした。そう一つ一つ丁寧に辿らないと訳がわからなくなっちまいそうなほどに、あれはあんまりにもリアルだった。人間の脳は導力端末よりずっと高性能だってことなのかもしれねえ。ンなことわかりたくもなかったが。
覚えていなくて良かったと思う反面、この記憶を共有できる唯一の相手をオレは喪った。
それは、本当に幸福だったのか。わからない。
自分の感情に気が付く前に殺した方が良かったんじゃないかと、そう考えることもある。でも結局、それは無意味なんだろうとさすがにわかるわけで。単に気が付いたのがあの瞬間ってだけで、おそらく、俺はもうずっと前からあいつに惹かれていたんだろう。
だから夜中に気配を感じて度々顔を出しちまった。今考えればタイミングが良かったんじゃねえ、合わせてたんだ。マメな自分に笑うしかない。自分から深みにハマりに行ってるじゃねえか。
単なる隠れ蓑の為に入った学院で、最新の戦術オーブメントを使えるアドバンテージを手に入れられるってんなら受けない理由はなかった。やることある方が動いてても目立たなそうだったしな。
そんで最初のチームアップで頭を撫でた時のクソ迷惑そうな顔。だけどそこに同居する、トワに向ける信頼を置き始めた顔。初課外活動で森のヌシだとかと対峙した後にされるがままに笑っていた顔。
ブレードに付き合う人よさの後ろにある、知識欲と戦闘欲の面。戦闘訓練で見た本当に悔しそうな表情はきっと今でもオレだけのものだ。そして躊躇なく魔獣と救助対象の間へ割って入る危うさ。あいつは自分の命をいとも簡単にベットする。
オレが作った料理になんの疑問も持たずに(いや持つ筈がないように誘導しているのは俺だが)、旨そうに食う姿。他人の赤点を心配して勉強を見るバカみてえなお人好しさと、茶化した時に茶化されてくれねえ真っ直ぐさ。そして他人の命をベットしたことに気が付いて精神を砕いちまう、よくわからねえ常識人側面(これは本人の瞬発的な倫理観と、冷静な思考で発露する倫理観の乖離によるもんだと推測している)(俺が言うのもなんだが生きづらそうだ)。
風邪をひいた人間を見舞いにくる優しさに、茶化した言葉をいっそ真っ直ぐに受け取るひねくれた素直さ。古代遺物に魅入られたのも(俺が精神防護魔術をかけられていたってのも大いにあるだろうが)、そういう地味にある実直さのせいかもしれねえ。
そして。
故郷をこれでもかと愛している姿。俺が、ずっとそうでありたかったモノを、あいつは今も心に抱えられている。そうだ。俺は、あの国を、あの街を、愛していたかった。両親が早くに亡くなった俺を引き取ってくれた祖父さんが何よりも誰よりも愛していた、あの場所を。
それでも、感情はそれだけじゃいられなかった。
この行動を祖父さんが望むとか望まないとかじゃねえ。俺が、そうすると決めた。俺自身のための戦いだ。
嗚呼、本当に感情ってのは厄介なモンだ。一度自覚しちまえばなかったことにも、無視をすることも難しい。だけど。オレがこれからあいつに唯一出来ることは、これ以上の仲にならないってことだけだ。
いつかの未来、道が違わない筈がない。逆説的で自虐的だが、テロリストである俺の横に笑ってあのままいてくれるあいつは、俺が好いちまったあいつじゃないんだろう。今なら押し方を考えれば絆されて落ちてくれるんじゃないかって考えちまうけど。それでも、それだけは。
まあ、トワやジョルジュやゼリカと似た程度には、きっと傷付けるんだろうが。
それくらいならあいつらがどうにでもしてくれんだろ。たぶんな。
俺は《C》を捨てられない。そう決めちまったから。
1203/09/15(火) 放課後
今年のトールズの学院祭は来月の24と25だ。あとひと月強しかねえ。有志に話持ちかけていくつかイベントは企画したけどそれを全部取りまとめんのも大変だと参加してくれた二年に押し付……まあもといある程度の裁量を頼んで来たところで妙に騒がしい教室にかち合った。
どこだ?と視線を向けたところで一年VI組。嫌な予感しかしねえ。
「あー! アイツどこで油売ってんだ!」
距離を取るって誓ったろとUターンしかけたところで件の教室から女子が一人怒り心頭に扉を開けたのが見えた。見えちまった。視線があって、やべえと逸らして歩き出そうとした。のに。
「クロウ! いいところに!」
人間にあるまじき速さでオレの肩をそいつは掴んだ。いやオレも忙しいんだけどよ、と渋面作って対応すると、前のブレードの負け金貰ってないなぁチャラにしてあげてもいいんだけど、とニヤり笑い。いやどう考えたってそれ含みがあるやつだろ。オレを巻き込むな頼む。金なら今度払うっつーの。今度な。
「おーい、ロシュ。カメラ扱える奴が出て行くなよーい」
「あ、アイツ来ない代わりにクロウ取っ捕まえたわ! 借金のカタに!」
「捕まえられてねえ!」
オレの意思とは裏腹にずるずると首根っこを掴まれて教室に持ち帰られちまう。いや、まあ、話だけなら聞いてやるか。あんまり勝ち続けるのもアレだからってこいつに負けたのは事実だしな。
「ねー、誰かファスナーあげ……あれ、クロウ」
「……なんだお前その格好」
教室に入った瞬間、簡易更衣室的なカーテンがついた折り畳みボックスから出てきたそいつは、セリは、真っ白なドレスらしきもんを身につけて上半身だけ覗かせている。いや、どう言う状況だこれ本当に!
「あー、セリごめんクロウいるから出てこないで出てこないで」
「じゃあ誰か入ってきて」
「手ぇ空いてるウチが入るわー」
そして宣言通り他の女子がカーテン内へ入ってファスナーを上げる音。どう言う状況だ。
諦めて教室を見渡すと複数のハンガーラックにおおよそ普段着じゃねえ衣装が所狭しと置かれているのが見えて、教室の中央には導力カメラが三脚に固定されて、そのレンズの向く方向にはビロードの光沢がある布が吊り下げられて。つまり、写真撮影。想像しやすいように衣装の着用写真とかを撮ってんのか。……いや?ちょっと待て。セリの写真が来場者たちに公開されるってことかそれ。まぁ本人が了承してるならオレがなんやかんや言うもんじゃねえが。
「ドレス着せたよー」
「ありがとね」
その言葉と共に姿を表したセリは、白くレースとフリルがふんだんに使われた、いわゆる、おそらく、ウェディングドレスに相当するだろうもんを着用して出てきやがった。胸上から首がレースで覆われてるデザインだから背中とかが露出してるわけじゃねえんだろうが、いや、これは。
「……傷だらけの身体には似合わないよねえ」
オレが眉を顰めたのを見てかセリが苦笑する。確かに腕まくりで通常露出させている部分に生傷はそれなりにあるが、普段は隠れている肩から肘までは綺麗なもんだと思う(多少筋肉質ではあるがそれはそれでオツなもんだろ)。指先から肘までなら手袋しちまえば隠れるんじゃねえか。
いや違う。そう言う話じゃない。
「ってえ!」
何て答えたらいいんだ、と逡巡したところで背中をドンッとかなり強めに叩かれた。いやどう控えめに表現しても殴られた。
「ドレス姿の女子を前にして褒めることもできんのかクロウ貴様」
「いいよ、クロウは普段の私を知ってるし、困ってるって」
いや、掛け値なしに、綺麗、なんだが。言っていいのかこれ。言ったらまずくねえか。どうなんだ頭が働かねえ。こんなところでポンコツになるなオレの頭。
「いーや、セリ、アンタの顔は最高にいい! 被写体として! それはアタシが保証する!」
「ロシュ、それ本当に外では言わないでね嫌味じゃなく気にしてるから」
常日頃からいわれてるのか若干呆れ気味の声音でセリは突っ込む。あー、これは本人に言われてしっかり対応してるゼリカの方がまだマシだな。そりゃセリからあいつへの好感度も上がるわ。……いやでもその顔で目立つの嫌いだろうになんでこんなん請け負ってるんだか謎すぎるんだが。
「はいはい、クロウ、アンタはこれ」
「あ?」
そう言いながらオレを引き込んだやつが持ってきたのは白いタキシード。それを無理矢理持たされ更衣室に押し込まれそうに。いや、もしかして。おいちょっと待て。
「あ、でもアンタ銀灰色か。微妙に飛んじゃうかな~。今から黒髪にならない?」
「ならねえよ!」
はちゃめちゃすぎるだろこのクラスの女子は。
ったく、と困惑しているところに案の定手袋をつけてドレスのスカートを持ち上げてセリが寄ってきて、ぱん、と申し訳なさそうに手を合わせて見上げてきた。
「ごめん、クロウ、着用イメージ作成今日中に今の分は終わらせたいから協力してくれないかな。衣装二着分だけでいいから」
「……つったってオレ別クラだぞ」
「まあそこは約束の時間に来なかったヤツが悪いって」
せっかくセリのパートナー役なのにねえ、と導力カメラをいじる奴が後ろから答えてくる。あー、つまりここでオレが逃げるとセリの横にこの衣装を着た別のヤローが立つってことなんだなちくしょう。
目元を押さえて項垂れてから、借金チャラなんだよな、とだけ何とか絞り出した。
「はーい、予備含めてカメラの設定変えながら四枚撮るから。それじゃ最初のいちまーい」
背もたれのある椅子に座って、しっかりと背筋を伸ばすセリの右後ろに立ち、背もたれに軽く手をかける。背中と触れちゃいないが何か妙にざわざわする気分にさせられるのは確かな話で、ああくそ早く終われと内心悪態をついちまった。
それがどうも気配で伝わったのか、「ごめんね」と前を真っ直ぐ見ながらセリが小さく謝る。いや、お前に謝られることじゃないんだが、と言いかけたところで「姿勢崩すな!」と声が飛んでくる。おっかねえ。ちらりと見下ろしたセリは、変わらず微笑みをレンズに向けていた。
一枚目の撮影が終わり、セリだけドレスを変えて二枚目の写真を撮るらしい。衣装二着分ってそういうことか。めんどくせえなあ。
「いやー、あんがとね。あそこでアンタが通ってくれなかったらセリがドレス着た時間がまるまる無駄になったわ。やっぱああいうのはピン写よりペアの方が雰囲気伝わるしね」
「そいつはどーも。……ところで学院祭終わったら全部ちゃんと破棄すんだろうな」
声を潜めて暗に『横流しとかすんじゃねえぞ』と問いかけると、「そこまで腐っちゃいないよ」とため息を吐きながら肩を竦められちまった。
「確かに何枚か貰えないか焼き増ししてくれないかって内密依頼で言われたけど全部断ってる。アタシはセリを撮るのが楽しいけど、カメラマンとしては本人の許可のないブロマイドには何の価値もない。感光クオーツも光に当ててデータを全部削除する予定だって。まあ何枚かは本人希望の焼き増しがあるけど、それぐらいだね」
ああ、ティルフィルにでも送んのか。普段着ない服でお淑やかに座ってる姿は結構見栄えいいだろうしな。あの人たちなら勝手に本人の意思を無視して見合い写真に流用するとかもねえだろう。
「はいはい、その話そこまで」
ジャっとカーテンを開けて眉間に皺を寄せるセリが会話に割り込んできた。あ、やべえ。オレが声潜めてたってのに会話相手が全然声潜めなかったら意味ねえ。
「クロウが心配して質問してきたから答えただけだよ」
「だから怒ってはいないでしょう」
もっと怒った方がいいんじゃねえか、と思うが明らかに戦闘経験値が違っちまってる同クラスの相手にあんまり言うと角が立つってのはあるか。それも顔を褒めるなっていう、一部の奴からしたら自慢とも取られかねねえ。幸いこの部屋にいるやつにそれを露わにするようなのはいないっぽいが。いや、ま、仮にクラスにいたとしても呼ばねえか。
しかし着替えてきた今度の格好は、後ろがスナップボタンの少しデザインが古めかしい手首までゆったりとした布で覆われているタイプのドレスだ。フリルよか細かいレースが多めの。なるほど、クラスの親世代とかその前が使って死蔵されてたドレスが到着し始めてるってところなんだなこれ。個人的にはこっちよりさっきの方がこの……いや違うそう言う話じゃねえ。
「そんじゃ再度四枚、いくよー」
そんなこんなで都合一時間かかった写真撮影は終わりを迎えた。
クッソ疲れたもうやらねえ。
「本当にありがとう、今度何か奢るよ」
セリが写真撮影の時の感情の読めない笑みじゃなく、いつも通りの表情で労うようにオレの背中を軽く叩いてきた。さっき叩かれた箇所を避けてるのは優しさなのか偶然か。
「ま、滅多にない経験だから気にすんなよ。借金もチャラだしな」
「ああ、そう言えば。これに懲りて後に引くような校内賭博はやめときなって」
面倒の極みだよ、と崩した表情で笑われる。あー、そうだな、そういう表情の方が何倍もいい気もするんだが、人形のような方が写真映えはするんだろう。大変だな。
「じゃ、私はもう少し残るけど」
「着替えてオレはとっとと帰るわ」
「うん、じゃあね」
簡易更衣室は譲って、教室の端でささっと着替える。男ってのは気楽なもんだ。
「クロウ、今日は本当にあんがとさん」
着替えて教室を出たところで例のヤツも一緒に出てきやがった。
「あんだよ。オレはもう帰んぞ」
「それはいいんだけどさ、さっきセリがペア写真焼き増し出来るかなあってボヤいててアンタの許可もらいに来たんだよ」
「は?」
「だから」
「いや聞こえてたし理解してるちょっと待て」
……賭けてもいい。アイツにぜってえ下心はねえ。わかる。1000ミラ賭けたっていい。こんな服着たんだよ、ってティルフィルに送る気だろ。セリの叔父だかなんだか駆け込んでこないか大丈夫か?……まあ常識人っぽいし大丈夫か。結構遠いしな。
「まあセリが持つ分には構わねえよ」
「良かったらアンタの分も作っておくけど」
「あー」
コイツに弱みを握られるのは嫌だ。最高に。拡声機みたいなもんだろ。
「いや、要らねえ。使ったのも適当に処分しといてくれや」
そんな未練を残すようなことはしたくねえ。オレは、セリに、この感情を伝えないって決めたんだ。それはもう自分の思考の外側に置くべきレベルの話だ。だから、それを誰かに悟られるなんてのももっての外なわけで。
それだけ告げてオレはとっとと学院の外に足を向けた。
帰る途中、寮を通り過ぎて質屋へ向かう。有志企画の方で使う購買じゃ頼めないもんをミヒュトのおっさんに頼む算段をつけるためだ。いろいろあれやこれや頼んだら、ここは便利屋でも何でも屋でもねえぞ、と文句を言いながら受注してくれんだからおっさん好きだぜ。こなせない仕事を振る愚行はしてねえつもりだし、おっさんも出来ねえ仕事を受けるこたないだろ。
そういう意地の張り合いで話はうまく落ち着いたと思う。まあ少し時間かかっちまったが。
そんでその足で久しぶりに雑貨店にも向かって魚だのバンズだのなんだのを買う。久しぶりだなセリの嬢ちゃんは一緒じゃねえのか、なんて言われちまって、いつも一緒ってわけじゃねえって、と笑うしかなかった。
店を出たときにはそれなりに日も傾いていて、さっさと戻るか、と足早に商店街を抜ける。
「あっ」
「お」
橋を渡って第一と第二の寮分岐のところで学院坂を下ってきたセリと鉢合った。もうそんな時間か?と思ったがまあミヒュトのおっさんのところで結構時間使っちまったしな。セリは今日の買い物は不要なのか一緒に曲がって寮の道を。
「買い物してきたの?」
「おう、フィッシュバーガー久しぶりに食いたくてな。ついでにチリソース版も」
ジュライのソウルフードであるフィッシュバーガーは、もちろん旨いってのものあるがまざまざと初心を思い出させてくれる。つまり心を引き締めるために食うにはもってこい、なんだが。オレの言葉を聞いたところでぴたりと寮の扉前でセリが立ち止まる。
「美味しいやつじゃん……私もブランドンさんのところに……いや……」
本気で材料買いに行くかどうか苦悩してるそいつをみて思わず吹き出しちまった。いや、お前、美味しいやつじゃんってなんだよ、面白すぎるだろ。たかが飯一つでそんなに悩むなっつーの。
「わ、笑うことなくない!? クロウがそんなこと言うからその口になっちゃったのに!」
ああ、あるよな。そういう、もうそれしか受け付けねえみたいな。どんだけ旨いもん食ってもなんかこれじゃねえになる時。それにしてもやべえツボった。つーか聞かれたから答えたってのにそのキレ方は理不尽にも程がある。
「いや本当にお前、食うこと好きだよなあ」
どんな街に行っても、いつもの面子で料理作って食っても、それが旨かった時にすげえ顔輝かせてるもんな。屋台のジェラート屋に引っかかってる時もあったか。自炊した飯がそれなりに旨いのも頷ける話だ。ある程度必要に駆られたんだろ、自分のために。
クックック、と笑ってたところで正面が妙に静かなのが気になって視線を上げると、顔を真っ赤にしたそいつが、片手の甲で表情を隠すように固まっていた。
「そ、んなに、わかりやすかった……?」
窺うような目線。いや、うわ、やべえ。
「わ、かりやすいもわかりやすいぜ。他の奴に聞いても満場一致間違いなしだっつーの」
「そっか……ちょっと恥ずかしいな」
「あー、その、顔に出てるの自覚なかったのか?」
「あんまり」
恥ずかしさからか逸らされた視線。あ、これガチだな、と思わせるには十分な仕草で、頭を掻いちまう。無自覚だったもんをうっかり暴いちまって絶妙に気まずい。
「……フィッシュバーガー作ったら食うか?」
「……たべる。作りおきのピクルス出すね……」
頬を両手で捏ね始めたそいつはすこし平時の顔色を取り戻し、じゃあ入ろっか、と下がり眉で笑った。あほほどにかわいい。
「そう言えば、お前目立つの嫌いだろうに何で宣材写真モドキ撮られてんだよ」
フィッシュバーガーを作り、空いていた席の関係上で横に並んで飯を食う。ん、このピクルスやっぱ旨いな。酸っぱさがいい感じだ。こいつで作ったタルタルもマッチしてる。
「ああ、それ。……んー、伝わるかな」
「取り敢えず言ってみろよ」
「そうだね」
あぐりと一口食って、考えをまとめているのかしっかり咀嚼してからそいつは口を開く。
「私たちって課外活動が入ったら日曜公欠で、土曜もばたばたと慌ただしく出ていくよね」
「おう」
「その分、寮のメンテナンス作業とか出来ないわけでさ。もちろん当番作業はやるけど、ローテーション組む時に気にしてもらわざるを得ないのは確かで」
第二寮は第一寮と違って、世話を焼いてくれる所謂管理人的存在はいない。掃除も食事も洗濯も全部自分たちでこなしていかねえと生活が回らねえ。一部には洗濯代行で小金を稼いでるヤツもいるが。まあとにかく、寮の共有部分の掃除とかは全員がやるってことになってる。
「だから申し訳なさ五割と、自分で多少何か役に立てるならって気持ち二割と、あとは……撮影してくれてた彼女の目を通した自分がどう写るのか気になったのが残りかな。いろんな人の写真入り乱れるみたいだからそこまで目立たないと思ったし」
「あいつそんなに上手いのか?」
「私は好きかな。写真部は予算の関係で行動制限されるから嫌だ、って抜けたみたいだけど」
「自由奔放すぎるだろ」
しかしなるほど、そう評価を聞いちまうと実際の写真の出来上がりが気になる。当日はちょっと覗きに行くかね。もしかしたらこっちの企画に参加してもらうことにもなるかもだしな。
「だから焼き増し頼んだんだよね。作品として」
「……ティルフィルに送るとかじゃねえのか?」
「ん? まあ、それもするかもしれないけど。あ、でもさすがにクロウとのやつは送らないよ。君に許可取ってないし」
オレがバーガーを齧ろうとしたところでビシッと片手のひらをこっちに向けながら真面目に真っ直ぐ言われて、うっかり舌を噛みそうになる。あぶねえ。
「楽しみだなぁ」
そう顔を正面に戻して笑うそいつの横顔で心臓が痛くなっちまって、ああ本当に知らなかった頃には戻れねえな、なんて自嘲するしかなかった。
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09/14 日常の恐怖
29
時を少し遡り。
1203/09/14(月) 放課後
「次の活動先はルーレよ。日程は二週間後ね」
いつものごとくミーティングルームに召集され告げられた言葉は、メンバーの視線を二人に集中させるには十分なものだった。つまり、アンとジョルジュに縁が深い場所ということだ。
「あと今回で外へ出る活動は基本終わりと思ってもらって構わないわ」
あ、そうなのか。案外思っていたより早く終わりが来てしまった。だから告知がいつもより早いのかもしれない。整えておけ的な。
「一応11月に一回あるけど、それは今までみたいに長距離移動するものじゃないわね」
「結構早く終わった印象なんだけどよ、予算ヤバかったとかか?」
「そんなわけないでしょ。というか、逆に時間あると思ってるの? 来月は学院祭だし、12月は年末年始で1月には期末試験じゃない」
そう言われると、確かに、ごもっともなのだけれど。終わりが見えてしまうともっとみんなと一緒に帝国各地を回ってみたかったなという気持ちが際限なく湧いてしまいそうになる。よくないよくない。あくまでこれは、ARCUSの試験運用なのだから。
それにしては途中なんか遊撃士めいた案件もあったような気がしなくはないけれど。
しかしつまり今回は課外活動としての総括になるということだ。
そう考えると、11月の遠出をしない活動というのは、戦術リンクの総括だったりするのではなかろうかと。であるのならばサラ教官やナイトハルト教官と戦うということになったり……するのかな。授業中に訓練として手合わせをしてもらうことは今まであったけれど、もちろん戦術リンクを使ったものじゃない。何故なら全員クラスが違うからだ。それなら、どこまで通用するのだろうかと好奇心がもたげてしまうもの仕方ない話じゃなかろうか。
「ま、ルーレに関しては詳しいのが二人もいるわね。あとはよろしく」
今までも詳しい人がいてもいなくても説明はあんまりなかっただろうに、という私の思考は当たり前だけれど教官には届かなかったようで、いつものようにミーティングルームから去っていく。もう六回目だから慣れたものだけれど。
「ふむ。まあこの学院の常任理事であるイリーナ会長のお膝元という点では遠征の最後に相応しいと言えなくもないか」
アンがすこし思案顔でそう評価を下すので、ああそういえばと。ルーファス公子が介入してきたあの件をきっかけに調べてみたらまずこの学院は皇族を理事長職に据える規定があるようで、今代はオリヴァルト皇子がそれを務めていらっしゃるようだ。その下にRF社会長イリーナ・ラインフォルト、クロイツェン州を治めるアルバレア公爵家の嫡男ルーファス・アルバレア、そして帝都知事であるカール・レーグニッツの三人が常任理事を任されているのだとか。
企業的中立、貴族、平民、というあからさまな立場の人物たちの集まり具合に息が詰まったのを思い出してしまった。この学院はおそろしいようなバランスで運営されている。ヴァンダイク学院長の手腕のなせる技なのだろうけれど。
「それに戦術オーブメントの開発元でもあるしね」
「そんじゃあその辺はお前らに任せるわ」
いつも通り分担を話し合い、その場は解散になった。
明日の着用イメージ撮影のために衣装の仕分けを終わらせて、誰がどれを着るのかも話し合わなければ。
1203/09/18(金) 朝
朝早く目が覚めたので、人がまばらな台所で朝食を作り、そのまま早めの登校をして教室に到着する。一番乗りだったようで誰もいない机の合間を通って席に着く。
鞄の中から教本を取り出し机に入れたとき、変な手応えを感じた。もしかしてレジュメを入れっぱなしにしていたかな、と一旦取り出して中をあさると何かが指先に当たったので引き出してみるとすこしよれてしまった白い封筒。なんだろう。これ。表面には自分の名前が記載されていたけれど、くるりと裏返しても特に差出人情報はない。
幸い、教室には誰もいないのでそのまま封を開ける。すこし雑になってしまった。申し訳ない。気を取り直して中身を開いてみると────『金曜の放課後、旧校舎の前に来て下さい。』とだけ。曜日だけで日付は書いていないけれど、昨日はなかった手紙なので、おそらく今日に違いはないだろう。
果たし状、だとはさすがに思わない。
つまり、これは、そういうことなんだろうか。
透かしてみても情報は特に増えない。差出人の記載のない手紙。責任能力のない手紙。
もうそれだけで悪戯の可能性が結構高いような気がするし、そうでなくても無責任だろうという気分にさせられる。でも誰かの思いを無下にするかもしれない行為をするのと、待ちぼうけをくらう可能性を天秤にかけるならそれは、秤に乗せる必要すらないことなのだ。
それでも気が重い。
数学、帝国史、導力学、栄養学調理実習を無事に終えて至った放課後。
誰が相手でも基本的に断ることになるだろう場所に向かわなければならないというのは本当に気が向かない。時間の指定もないから直ぐに行かないといけないし、それによる時間のロスの発生も無視できない。
ああでも旧校舎前なら、投げナイフの練習ぐらいしてもバレないのじゃなかろうか。いやでも生の樹をそのまま的にするというのも樹に申し訳ない。かといって的を訓練場から持ち出すのはバレるだろうし備品紛失に繋がりかねない行為なのでNGだ。
もし誰もいなかったらダガーで素振りぐらいにしておこう、と心に決めて鞄を肩にかける。
「あ、セリ。写真見てもらうから明日の放課後は時間空けといて」
「うん、わかった。じゃあまた明日」
教室から出る間際にそう声をかけられて、いつも通り正面玄関口の方へ降りていく。校舎を出てから、中庭を通った方が早かったのではと気がついて、行動が自分の気の向かなさを如実に表しているなあと苦笑して左の方へ足を向けた。学生会館の横を通り、技術棟の前も通り、夏が終わりかけで緑が生い茂った旧校舎の方へ。うん、この先に誰かいるな。
用務員のガイラーさんもここまでは仕事がし切れていないのか、それとも掃除するタイミングを決めているのか、雑草が元気よく繁茂している。この無秩序さは嫌いじゃないな、と緑の匂いに気を預けながら歩いて行ったところで建物の前に、一人立っていた。
小さい学院なので顔ぐらいは見たことがあるけれど、名前は特に知らない。さすがに同クラスの人であれば全員覚えているので、他クラスの人なんだろう。
「来てくれたんだ」
「悪戯じゃなかったことに驚いているぐらいです」
「はは、ひどいなぁ」
差出人も書かない手紙で人を呼びつけておいて酷いも何もあるだろうか。それだけで少しうんざりしてしまった。名前も日付も具体的な時間も書かれていない手紙を出すことが特に不躾だと思わない類の相手らしい。会話が成立するのか疑わしくなってきた。
彼我の距離が2アージュほどになったところでようやく相手はまた口を開く。名乗られたけれどやっぱり聞き覚えのない名前だった。
「そして何となく用件は察してくれているかもしれないけど」
「はい」
別にこのまま決闘を挑まれても構わないのだけれど、たぶんそうじゃないことは理解している。ごほん、と相手は拳を口に添えて咳払いをする。
「好きだ。俺と付き合って欲しい」
「お断りします」
申し訳ないもすみませんも謝罪の言葉は一切口にせず、それだけ告げる。すると相手は不快そうに顔を顰めた。
「付き合っている相手はいないんだろう? お試しとかも駄目か? 学院祭も近いんだし、お互い独り身っていうのも悲しいだろ。ちょうどいいじゃないか」
「少なくとも私は貴方を知らないですし、そもそも学院祭で恋人がいなくて悲しいというのはそちらの価値観なので私を巻き込まないでください」
うすくため息をついてしまう。
駄目だ。手紙の書き方からしてそうだったけれど、価値基準が異なる相手なことが明白になってしまった。しかしそういえば最近周りで告白しただの告白されただのという話が少し飛び交っていたかもしれない。他人のそういう話にも自分のそういう話にも興味がないので放っておいたけれど、なるほど、学院祭関連なのかと現実逃避で思考する。
「付き合って知ってくれたらいいじゃないか」
「ここまで会話してあなたへの興味が特に持てないので」
そもそもほとんど初対面なのにどうも、何というか、馴れ馴れしい。クロウやアンとはなんか異なる類の馴れ馴れしさだ。結局のところ下心の有無というのは態度に出るというやつなんだろうか。
「もしかして好いた相手でもいるのか? そうならそうと」
「……私と貴方の関係性でそこまで開示する必要が?」
さすがに土足で内面に踏み入りかけられたような気分になって、眉間に皺がよるのがわかる。クロウでなくてもみんなでなくても、今の私の表情はわかってくれると思うのだけれど、相手にとってそれは特に気にかかるものではなかったようだ。
そうして一歩踏み出され、こちらは一歩後退する。
「じゃあ、好きなタイプは?」
「それも特に話す必要性が。……お互い時間の無駄だと思うので、ここらで失礼します」
そう一度だけ頭を下げて、踵を返す。もう一秒だって相手と一緒にいたくない。
「待てって!」
帰ろうとした瞬間に背後から近付いてくる気配に回避をして、避けられると思っていなかったのか相手が転けて私を見上げる。それは、"あの日"見た光景によく似ていた。単なる軽い執着が憎悪に変わる瞬間のような、そんな。脳裏によぎった記憶にぞっとして走り出す。教官室。保健室。学生会館。いや、技術棟が一番近い。
肩にかけた鞄を両手で掴んで、後ろも振り返らずに私は舗装も手入れもされていない路地のような道を走り抜け、なんとか技術棟に飛び込んだ。バタン、と大きな音を立てて扉を後ろ手に勢いよく閉める。ぜえはあと、大して走っていないはずなのに息が上がっている。肩から鞄が落ちて肘に引っかかっているけれど、そんなこと気にしていられなかった。
暫くして震えが若干収まったので顔を上げてみると、鍵は開いていたけれど誰の姿もない。ジョルジュすらいない。どこかに修理品の配達でもしに行っているのだろうか。
……鍵を開けているのに誰も留守番を置かずに?導力端末や工具、クオーツ精製機、セピスなどそれなりに高価なものや貴重品がここにはあるのに。珍しいな、と思うと同時に何だか嫌なものが背筋を這う。
口内に溜まる唾液を嚥下した瞬間、ガタッ、と扉が開けられそうになる。冷静でないせいか外の気配が全然わからない。ジョルジュか、クロウか、アンか、トワか、一般生徒か、それとも。
「だ、だれですか」
それはおおよそ自分から出たとは信じたくないか細い声だったけれど、それでも何とか絞り出した。どうか、どうか。女神さま。
「ん? そこにいるのセリか? 扉閉めてどうかしたのかよ」
────クロウだ。それを認識した瞬間、どわっと緊張が解けたおかげか少しだけ動けるようになりそのままよろめくように扉から右側へ離れる。鞄が腕から抜けるのも厭わず、近くの壁にあるスチール製の工具棚に背中を寄りかからせた。すると私の気配が移動したのを理解してかクロウがそっと扉を押しあける。その姿を見て、その後ろに誰もいないことを確認して、ずるりとそのまま床にへたり込んでしまった。
「っおい、どうかしたのか!?」
大丈夫、そう口にしたいのに声が出ない。
落ちた視界の中で床についた手が震えている。……ああ、そうか。怖かったのだ。自分は。きっと真正面から戦ったら勝てるだろうけれど、それでも腕力の差は如何ともし難い。そもそも戦ったとして負けを認めるのか、それを受け入れるのかという信用がまるでない相手とは決闘が出来ないものなのだと今更ながら理解する。
「息吸え。オレがいいって言うまでな」
大きな手が私の背中に当てられる。一瞬びくりとしたけれど、そのあたたかさは私が知っているもので、大丈夫、この手は私を害さない。だから言う通りにする。
肺の中にもう入らないんじゃないかってぐらい息を吸って吸って吸ってもう無理咳き込むという直前で、よし、と軽く背中の手が跳ねて叩かれる。暫くそうして深呼吸を管理され、あるところで、はあ、と強張っていた肩が落ちた。
「……ごめん、ありがとう」
まだ心臓は少し早いけれど、随分と落ち着けたと思う。
「トワ呼ぶか?」
何かを感じ取ったのかARCUSを構えながらクロウが問うてくる。呼んだらトワはきっと来てくれるだろうけれど、学院祭を前にしてとてつもなく忙しいだろう彼女にそんな迷惑はかけられないしかけたくない。ふるりとかぶりを振って、代わりにというわけではないけれどクロウの袖口を掴んだ。
「もし、だい、じょうぶなら、しばらく、このまま」
学院生活でここまで明確に恐怖を感じることはなかった。それでもあれは確かに。
「……わあった、一緒にいてやるよ」
どさりとそのまま私の前で腰を下ろし棚に背中を預けてクロウが笑う。向こうに机も椅子もあるのに、促しもせず地べたに座ってくれた。何だかそれが嬉しくて、ひどくホッとした。
クロウに落とした鞄を引き寄せてもらい、横に置きながら膝を抱えるように三角座りで工具棚に背中を預ける。本来であればあまりよくはないだろうけれど、まあ今はあんまり上に中身が入っていないから大丈夫だと思う。
そうやって暫く黙ったまま、時折息が荒れそうになったら深呼吸をして時間が過ぎていった。
「……」
組んだ両手に額を預けて、思案する。ここまで助けてもらっておいて事情を話さないと言うのは不義理だろうと。だけど話して逆に気を遣わせないかというような思いもあって、どうしたものだかと頭をめぐらす。うん、でも。
「あのさ」
口を開いたところで、ちょっと待て、と制止がかけられる。
「それオレが聞いてもいい話か?」
「あー……」
どうだろう。あった事実を認識してもらうことについては特に問題がないと思うのだけれど、クロウの感情面についてはわからない。それでもそれは私が判断する領域ではないとも、思う。
「聞いてもいい話だし、人に話して整理したい、かも」
「そうか。じゃあ続けていいぜ」
冷静でない私から、本来自分が聞いたらいけない話が飛び出してくるんじゃないかと危惧してくれたのだろうか。そつのない配慮だ。いや本当に。
は、と息を吐いて、少し離れかけていた膝を両手で引き寄せて膝の上で腕を組む。
「……さっき、その、告白らしきものをされたんだけど」
あれは告白と言っていいのだろうかという疑問が発生するのも仕方ないレベルでも、一応、告白の体ではあったと思う。たぶん。学院祭で連れ歩くアクセサリーとして選ばれたような気配が強かったような気もするけれど。
「結構強引で、相手を振り払うようにここに逃げ込んだから、さっき、その、扉を閉めてた」
「そいつは……タイミング悪かったな。悪ぃ」
「いやいや、クロウのせいじゃないよ」
本当にタイミングの問題だ。ジョルジュに留守番を任されたところでちょっとだけ購買に行って席を外していたとか、なんかそういうのなんだろう。そう言う意味ではむしろ私が悪い。
「昔、学院に来る前にも似たようなことがあったんだけど、駄目だね、やっぱ慣れないや」
組んだ腕に額を預ける。脳裏にチラつくは数年前の出来事。
具体的なことはもう思い出したくもないけれど、あれから、自分の容姿を褒められるのが苦手になった。あんな目に遭うなら、あんなことがこれからもっと多くなるなら、こんな顔なんて要らないとナイフで傷をつけようとしたけれど、あの時は確か叔父さんに見つかったのだっけな。あんな顔をさせたかったわけじゃなかった。だから、自傷は封印した。
代わりに、殊更容姿を褒めてくる人が本当に無理になってしまった。この間撮影してくれた彼女──ロシュは写真が自分の好みすぎるので若干許してしまっているけれど、やっぱり明日にでも強く言うべきだと心に誓う。無理だ。この精神状態であの言葉は受け止め切れない。
やっぱ顔に薬品でもぶっかけるかな、と考えたりしたけれど、それはそれで学院の責任問題になるし、叔父さんにあのことを思い出させてしまうだろうから却下だ却下。それに目が焼けて視覚を失う可能性も加味するとやっぱり上手い方法じゃない。
たまに自分の顔を利用することもあるけれど、基本的には振り回されることの方がまだ多い。いつか自分のこれと折り合いがつけられる時期が来るだろうか。もっと強くなったら気にしなくて良くなるだろうか。……そんな日が、来ることがあるんだろうか。
「いや、慣れなきゃいけないもんじゃねえだろそれ」
「……そう、だね」
慣れたら、諦められたら、楽になれるんじゃないかって。思ってしまっていた。でもそんなことはないんだろう。他者なんてこんなもんだって諦めるのは、これから出会う全ての人に失礼すぎるし、そんな風に生きてはいたくない。たかだか20年にも満たない年数で諦めるには早すぎるし傲慢にすぎる。
「まあ、そういう事情ならやること決まったな」
「え?」
想像していなかった言葉にクロウの方を見ると、指を一本立てて口を開き始めていた。
「まずお前の担任教官に事情話して、相手の教官に話を通してもらう。そんでもし何かあったら即、お前に近付かない誓約書を書かせる手筈を整えておく。お前がそんだけ頭抱えてるってことはなんか無茶されそうになったってことだろ? あとはクラスの信頼できる奴にくっついて絶対一人にはならねえようにする、とかか。学院祭で忙しい時期だけどよ、オレらも帰り一緒するくらいなら何とか出来んだろ」
びっくりするほど具体的な対処法がすらすらと出されて、一瞬あっけにとられて、ああそうか、と頷く。自分だけで何とかしなくていいんだ。これを、自分と相手だけの問題にしなくても構わないのだ。
「根回しは早い方がいいな。立てるか?」
立ち上がったクロウから手を差し出されて、うん、と腰を上げるとクロウが扉を開ける。
「えっ、あ、でもジョルジュに留守番頼まれてるんじゃないの?」
「鍵は渡されてっから行きながら連絡入れりゃいいだろ。さっきはすぐ戻ってくるつもりだったからかけなかっただけだしな」
ああやっぱそうなんだ、と思うと同時に多少ジョルジュに申し訳なくなる。
「あいつだってお前の問題放置してまで留守番してろなんて言わねえだろ」
「……あは、そうだね」
いつもの面子が優しいなんてこと、とっくに知ってる。私の知っているみんなは、ジョルジュは、そう言う時はきちんと自分を優先させるんだよ、と怒ってくれる人だ。その人がその人自身を大事に出来るように、そう。
技術棟を出て二人で教官室へ歩みをとる。
「確認なんだけどよ、その告白とやらはハッキリ断ったってことだよな」
「それは確かだよ。よく知らない人だったし、それに」
それに?それに、なんだろう。
「ああ、好きなヤツがいるとかか」
当たり前のように言われて、いやだからそんな相手いないよ、と言いかけて口を噤んだ。
その言葉によってぽとんと落ちるように胸に現れた感情は、じわりじわりと広がって、あっという間に無視できない大きさに膨らんでしまった。夕焼けの中で、隣にある銀灰色がきらきらと輝いているように見える。
「……うん、そう。好きな人もいるから」
告げた時、どうしてだか速度がゆるみ立ち止まってしまって、数歩先にいるクロウの表情は見えなかった。どんな顔を、しているのだろうか。
ぎゅ、と鞄の持ち手を両手で握りしめその僅かな距離を詰めたところで、くるりとクロウが振り返ってきた。そこには目を眇めた笑顔が。
「なら上手くいくよう祈っててやるよ。フラれたらオレの胸だって貸してやるしな。今度は冗談抜きだぜ」
そんな言葉と共に頭をいつものごとくぐしゃぐしゃされる。
「……ありがとう」
それはいつもなら嬉しい筈なのに、どうしてだかすこし、痛かった。
流せなかった自分が、隠せなかった自分が、見て見ぬ振りを出来なかった自分が、悪いのだけれど。君に嘘をつきたくなかったなんて、言い訳かな。
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09/26 第六回特殊課外活動1
30
あれから朝は早く出るトワについていき、日中はクラスの友人にヒヨコのようについて回り、帰りはジョルジュのところで小論文のレポートを書いたりして、取り敢えず何事もなく課外活動の日を迎えられた。まぁ見せびらかし用のお誘いだったろうので、そう言う意味では私個人に執着する意味は薄かったということなのかもしれない。
その後日にあったことでだいぶいろんなことが吹っ飛んでしまった節もあるのだけれど。
────あの時、のっぴきならない状況で誰かに会えたと言うのは僥倖だったと思う。混乱していたが故に、どうにもならないと判断をして助けを求められた。それは決して悪いことじゃなかったろうと。
それでもそれがクロウだったのは、自分にとってよかったのかわからないけれど。
1203/09/26(土) 放課後
いつものように土曜の授業が終わって全員荷物を持って駅へ集合する。マチルダさんに見送られて相変わらずの二番ホーム。もう慣れたもので、帝都に到着してそこからはまたノルティア本線に乗り継ぎ黒竜関を通過して終点の鋼都まで。
人によってはユミル支線で温泉郷へ行ったり、アイゼンガルド支線で国境を越えノルド高原へ向かったりする鉄路の要衝だ。ノルドは帝国・共和国その両方と国境を接していつつもどちらの属領ともなっていない、遊牧民族が暮らす高原地帯だ。馬に乗るのならあの高原の風を知れ、とはたまに聞くのでいつか行ってみたい場所でもある。
乗り換えをしてボックス席に座り込んだところでほっと一息。
「今回はゼリカの家が課題も宿も提供してんだよな」
「ああ、そのようだね」
ログナー侯爵家。帝国貴族の中でも四大名門と呼ばれる大貴族のうちの一つであり、貴族派の中でも結構な強硬派と知られているお方だ。先月の活動が我が家だったこともあり、もしかしたらと少しだけ考えていなくはなかったけれど、まさか自分が貴族中の貴族の家に行くことがあるだなんて学院へ来る前は想像もしていなかった。
学院生活というかARCUS試験運用活動はいろんな意味で価値観や偏見が破壊される。
「さて、それではルーレについて私から話すとしよう」
これ以上にないというぐらいの人材であるアンがにやりと笑いながらそう切り出した。
鋼都ルーレ──帝都の北、ノルティア州の中心に位置し、鋼の名を冠する通り鉄鋼と重工業によって発展してきた人口20万人ほどの巨大導力都市だ。北には帝国二大鉱山の一つであるザクセン鉄鉱山を有し、その鉄によって軍事大国である帝国が支えられていると評しても過言ではないだろう。導力革命以前よりこの国にある、いわば屋台骨のようなものだ。
そして我が実家であるログナー侯爵家が治める土地でもある。とは言っても鉄鉱山の方はあまりにも国の生命線に近しいと言うこともあってアルノール家、つまり皇帝家に裁量・管理が任されているのだがね。
そして我が親父殿はかなり貴族というものに誇りを持っていて、領邦軍と鉄道憲兵隊がいさかいを起こすというのは恥ずかしい話だが日常茶飯事と言ってもいい。そういう微妙な土地でもある。
街に関する具体的な話は……まあ見てもらった方が早いだろう。
「私から話す基礎的なところはこんなところか」
ふう、と一区切りをしたアンに車内販売していたお茶を渡しながら、少しお腹が空いてしまったので同様に買ったサンドイッチを口にする。結構美味しい。鉄道路線の名前は各地で異なるけれど、車内販売の内容も違ったりするんだろうか。
「ジョルジュもルーレには縁があるんだよな」
「まあ元々は工科大学の方へ入る予定だったからね」
「そのジョルジュが兄弟子であるマカロフ殿についていきトールズへ入るという話を聞いてね、面白そうだと女学院を蹴ってこちらに来たというわけだ」
前にも少し耳にしていた話だ。フフ、と笑うアンは大層楽しそうではあるけれど、蹴られた方の女学院の運営の方々は気が気ではなかったろうなあと思う。貴族子女が通う名門校というのはその子女たちの親である貴族からの寄付金で運営がある程度成立していると聞く。四大名門ともなれば寄付金は膨大になるだろう。それがなくなったとあらば、他人事ながら少し胃がいたい。……それでも彼女に会えたことは私の人生にとってはよかったと思う。
「私としては領邦軍と鉄道憲兵隊が険悪ってところが気になるかなあ」
政治的側面に強いトワがそう発言をする。
領主のお膝元ともなれば領邦軍が強いと言うのは理解できる話なのだけれど、鉄道憲兵隊──通称TMPはTMPで鉄道が敷設されていたらどこへでも介入をするという。彼らは正規軍きってのエリート部隊らしいので、お互い引かないというのはプライドの問題もあるのだろう。
「そうは言っても私たちの活動はあくまで『トールズ士官学院』のものだ。鉄道憲兵隊などが入ってくる余地はあまりない……と思いたいがね」
「フラグだろそれ」
クロウのツッコミに、それが予知じゃないといいけれど、何て思いながらサンドイッチを食べ終える。目の前に座るみんなと笑うクロウをそっと眺めてみるけれど、一週間ほど前に理解した自分の感情がおそらく幻ではないことを確認する結果になった。ときめいてしまった。
けれどそれは平常ではないと言うことだ。こんな精神状態でリンク繋げるだろうか。もしそれだけでまろび出てしまったらどうしよう。そんな危惧が隣り合わせで心に囁いてくる。
「どうした、列車酔いでもしたか?」
私の視線に気が付いたのか、クロウの赤い瞳が疑問を投げかけてきた。
「ううん、ただ課外活動で行く最後の街が一番大きいなって。楽しみ半分、怖さ半分だよ」
この活動中に今まで行った中で一番大きいのはグレンヴィル市だったけれどルーレはそれを遥かに凌駕する大都市だ。だからこの返答はきっと不自然じゃない。
そう誤魔化して、私は窓の外に視線を移した。ルーレには22時頃に着く。
『本日はルーレ方面行き特別急行列車をご利用頂き、誠にありがとうございました。──次は終点、ルーレです。どなた様もお忘れ物の無いよう、よろしくお願いいたします』
到着する頃にはとっぷりと日が暮れていて、車内販売のお弁当で夕食も済ませてあるしもう今日は寝るだけだな、と考えながらアンに続く形でルーレへ降り立ってびっくりした。駅前にあるRF社の直営店だろう店が、いま、まさに、閉店作業をしているのが見えたからだ。夜中にカウントをしていいだろう22時にそんなことをしている店を私は今まで見たことがない。
驚いて見渡してみるとこの街は二階層構造の街のようで、街の上に街が建造されているのが見て取れる。単純表面積が他の都市と比べて少なくとも1.5倍ほどにはなるということだ。いやこれは雑な計算だけれど。
そして街の中心に聳え立つ鋼鉄の建物はRFの看板を掲げていることから、あれがかの本社なのだろうという推測が立てられた。街の象徴のような位置に立っている。
腰から導力カメラを取り出しその威容を撮影した。夜景だけれど上手く現像できるだろうか。
「驚いたかい?」
「うん……びっくりした」
「いや、帝都より規格外だろ」
「アンちゃんが言葉を濁したのよくわかるかなあ」
私とクロウとトワが並んで街を見上げていると、アンの言葉が聞こえてきたので返答する。いや本当に。人口としては帝都の方が数倍上なのだろうけれど、あそこは歴史的街並みがあることもあって、ある種の雑然とした雰囲気が残る場所も多々見受けられるのだ。
けれどこの街は違う。完全なる計画都市で、機能美が敷き詰められている。そして何より、都市全体が『まだ起きている』。ようやく今から眠りにつこうという気配が漂っているけれど、何というか、歓楽街ではなくこういう状況になっている街というのが不思議でならない。
「私の実家は上階にある。そこのエスカレーターを使おう」
えすかれーたー。聞き慣れない単語だけれど、アンが進み始めた先を見るにおそらくあの動く階段のようなもののこと、だろう、たぶん。
「ステップに足だけを持って行かれないよう気をつけるといい」
そんなアドバイスを聞きながら、動く持ち手に手をかけ導かれるようにステップを踏む。うわ。向かう途中、見ていればどういうものかは理解をして心構えもしたけれど、何というか、自分が動いていないのに位置が高さが動いていくというのは、奇妙な感覚しかない。
「す、すごいね。これもルーレの技術なの?」
動く階段もそうだけれど、同速度で見事に動く持ち手も素晴らしい。少しでも速度が違えばうっかり掴んだまま転んでしまう人も出てくるだろうに、制御が完璧でないとこうはならないはずだ。
私の疑問にはジョルジュが口を開いてくれた。
「元々はリベールの工房都市が最初だね。そこへ行ったRFの技術者の方が感銘を受けてルーレにもエスカレーターを、と研究したんだよ」
リベール。帝国の南にありタイタス門を抜けた先にある君主制の王政国家だったか。規模としてはそれほど大きいとはいえないれけど、帝国・共和国という二大国家と国境を接しつつそれなりに国交も安定していることから、政治の基盤が安定しているのだろうと思う。そしてそうか。リベールにはあのツァイス中央工房があるのだ。
「それで作っちゃうってすごいねえ」
「全くだぜ」
「そろそろエスカレーターも終わる。トワ、手を」
「あ、うん。ありがとう、アンちゃん」
速度の変化時が危ない、ということなのかアンがトワの手を取りするりと降り際をエスコートする。その足元を観察して私も危なげなく上階へ降り立った。エスカレーターの出口から少しはけ、正面にあったRFの建物を見る。上を見ようとすると首が痛くなりそうだ。その横にある大聖堂も立派なものの筈なのに、小さく思えてしまう。相対というものは残酷だなぁと思った。
「……RF本社はまだ開いてるの?」
「RFのロビーは23時過ぎまで開いてるよ」
煌々と明るい建物の入口を眺めて呟くと、ジョルジュがそっと教えてくれる。23時過ぎ。えっ。23時過ぎ?イマイチ理解がしきれなくて、少し考えてそういう場所なんだろうと知識として刻むことで納得を諦めた。夜眠らない街、というわけではないのだろうと思うけれど、それでも今まで見てきた中で一番奇妙な街だなという印象がまず根付いてしまった。
友人の故郷にする評価ではないかも知れない。
アンに先導されながら歩いていく中で、後ろを振り返って街を眺める。上階の足場の影が下階に落ち、開けた中央広場の向こうにある通りは少しだけ暗い森の淵を思い出してしまい、その気配を振り切るように四人を追いかけた。
ログナー侯爵家館の入口にいるオレンジ色の領邦軍制服を着た方々が、アンゼリカお嬢様!と敬礼をするので、ああ本当に貴族なのだなぁとしみじみする。そしてどうやらログナー侯はお忙しい方のようで今日の目通りは叶わなかった。少しほっとしてしまったけれど、一度も顔を合わせないということもなかろうので、その間に心の準備をしておきたい。
客間はいろいろ事前に整えられたのか、三人部屋と二人部屋が隣同士に用意されていた。アンは自分の部屋を使わないのだろうかと首を傾げたけれど、大きな館だから合流だけで時間がロストしそうだなと内心一人頷く。合理的だ。
1203/09/27(日) 朝
朝起きると既にトワは起きていて、おはよう、と声をかけるとおなじように返してくれる。アンはまだ寝ているけれど起こさなくても適当に起きてくるだろう。
着替える前にベランダに面した窓に近付いてカーテンの隙間からそっと外へ出てみると、さすがに侯爵家館は眺めがいい場所に建てられているのか、カラブリア丘陵が一面に広がっているのが見えた。九月も末なので少しずつ赤みが差している自然の光景は美しく、これをいただく形で館が建てられた理由もわかるな、と得心した。アイゼンガルド連峰も近いここなら冬になれば雪も降るだろうし、季節折々の姿が一望できるというのはなかなかに贅沢なことだろうと。
朝ということもあって肌寒さに部屋へ戻るとアンもベッドで上体を起こしているのが見える。朝の挨拶を交わして私も着替え始めた。さすがに動き始めたら暑いとは思うけれど腕まくりはやめておこう、としっかり上着に腕を通す。
「朝食の後に一旦戻ってきて準備するよね」
「武器を預けておいて玄関口で受け取っても構わないけれど」
「それが出来るならそうした方がいいかもねえ」
知らない相手に武器を預けるというのはあまり気は進まないけれど、アンの実家だし変なことにはならないだろうと思う。それに課題がどんなものなのか不明ということもあって時間を無駄にするのは良くない。
一応こちらの結論は出したけれど男性陣にも判断を仰いでから決定になるだろう。
鞄を整理しながら装備の確認をしていると、アンが白い制服を着終えたところが目に入る。片目を瞑り両手でフレーム作ってそれを収めてみると、しっくり来た。
「どうしたんだい、セリ」
「んー、いややっぱり君って貴族なんだなぁって。嫌味でなくね」
壁紙や柱の造り、調度品など諸々の要素を背景にしたこの一枚に違和感なく収まっている。それは本人が持つ雰囲気にかなり左右されるものだから、生まれ持ったものや培ったものが『そう』であるということだと思う。
「褒め言葉として受け取っておくよ」
そう言われるということは、私の言葉は何か失言だったのだろう。けれどここでそれを謝ると流してくれた彼女の気持ちを更に蔑ろにしてしまうことになると考えて、ありがとう、と感謝を述べた。
そうして朝食はいわゆる帝国風ブレックファーストが並べられた。サラダ、ベーコン、目玉焼き、トーストにコンソメスープ。個人の嗜好に合わせて珈琲紅茶その他まで。
さすがに目玉焼きは個別に焼き加減が調整されているものではなかったけれど、おそらく要望を出したりしたら次からはそれが対個人用のデフォルトとなるのだろうことは想像に難くない。
口に運ぶとシンプルなのにどれもこれも美味しくて、自分が同じものを作ってもこうは行かないだろうな、とプロの凄さを思い知った。
「あ~、珈琲美味いな」
朝食の終わり際、ハートマークでもつきそうな声でクロウがそう言う。私も珈琲にミルクをつける形で頼んだけれど、うん、本当に香りがよく苦味と酸味のバランスがいい感じにまとまっているように感じた。
「お嬢様、こちらをお持ち致しました」
「おや、親父殿はそれほどまでに忙しいのかな」
昨日も出迎えてくださった執事長だろう方が封筒をアンへ手渡す。
「そのことについては私の口からは何も申せません」
「……なるほど、理解した。ありがとう」
今のやりとりの間にどれだけの情報量があったのだろうか、と平民ながら愚考する。顔を出さない代わりに、ある程度のやんちゃなら見逃してくれるという話なのだろうか。いやイレギュラーが起きるような事態にはやっぱり今回もなりたくないけれど。
軽いため息と共にアンが封筒の口を開ける。さすがにこの空気の中でぞろぞろ立ち上がるのも憚られたので、彼女が口頭で内容を読み上げてくれた。
・ARCUSのバージョンアップ
・特殊精製した金属による武器の耐久試験
・カラブリア間道にいる魔獣の討伐
「……ARCUSのバージョンアップ?」
「ああ、それに関しては僕の方にも連絡が入ってる。どうも大型らしくて個人の工房規模だと対応出来ないらしいんだ」
そもそも課外活動も一旦終わるというのに、いいのだろうか。まあいいというのだからいいのだろう。問題なく全端末に組み込めるかどうか、というのも試験運用の一環だろうので。ARCUSは使用者本人と同期する。つまり内部データが個々でかなり異なるという性質を持つため、こういうアップデートの可能不可能や問題点も今のうちに洗い出しておきたいというのはわかる。導力学で軽いプログラミングをした程度の人間が何を、という生意気さではあるけれど。
「武器の耐久試験の方は……工科大学のようだね。ジョルジュ?」
「そっちの方は僕も知らないかな。行ってみればわかると思うけど」
「魔獣に関しては武器を受け取ってからの方が無駄がなさそうだねえ」
「そうだな。しっかし最後にしては簡単つうかなんつうか」
そんな風にいつも通りのみんなの掛け合いを珈琲飲みながらぼんやりと眺める。こんなやりとりも、もう、今日が最後なのかと。それが少し寂しくて、でも、まあ別に会えなくなるわけじゃないものな、と自分を納得させる。うん。たぶん。……そうだといいなぁ。
「セリちゃん、どうかした?」
「ん? ううん、なんでも」
まさか今日が終わるのが寂しくてすこしセンチメンタルになっていた、なんて言えるはずもない。ああ、だけどこのチームが解散したら、クロウと戦術リンクを組むことも、こうやって何気ない姿を盗み見て心臓がぎゅっとすることも、少なくなるんだろうと思う。
それなら、ちゃんと最後まで仕事をやり切るから、君の前衛という立場でいたい。昨日は感情が転び出てしまうことを考えていたけれど、やっぱり、最後の最後まで繋がっていたいんだ。なんて私利私欲なんだろう。それでもどうか。
そうしてRF社に訪れトールズ士官学院の者ですが、と受付で告げたところ第四開発部門にお回りください、と鍵を渡された。エレベーターという上下階を移動する導力器の中にあるスイッチには蓋がついていて、鍵でそれを開けることである程度移動を制限出来る、ということらしい。
かなり物理的だけれど、いつかはこれももっと便利になるんだろうなと思った。……差した鍵によって押せるボタンが制御されるとか。なんか煩雑な気がする。まあいいか。
そんなことを考えているとすこし気の抜けるような音ともに扉が開き、白衣を着た男性に迎えられそのまま応接室へ通される。導力通信技術や戦術導力器を主に研究テーマとする第四開発部門の主任を務めるヨハンという方のようだ。
曰く、今回のアップデートは7月のレポートが関与しているらしく、『敵性霊体に戦術リンクがハックされた』ことから精神防護機能をつけようとしていたと。さらりと述べられたけれどだいぶ高度な技術の話をされているのではなかろうか。
「君たちが実際のレポートを上げてくれた人たちだね」
柔和な笑みで問いかけられるので、はい、と二人で頷く。
「ARCUSは現在我々が一番力を入れている研究テーマのひとつだ。危ない目に遭った君たちにこういう言葉をかけるのは間違っているかもしれないが、あのレポートは大きな一歩だった。ありがとう」
「──いえ、そう言っていただければ私たちも報われます。正規軍の方々や後進たちが危機に陥る可能性が低くなった、ということでしょうし」
そう声をかけながら、例のことを思い出す。戦術導力器ARCUSの適性の話を。いやまさか、こんな一介の学生に頭を下げてくれる方がそんな条件を施すわけないと、思い、たくて、やっぱりまた見て見ぬフリをした。
「さて、そういうワケでARCUSを暫く預からせて欲しいんだ。ルーレからトールズには有線の導力ケーブルはまだ直接通っていないし、中継機を置いて無線で飛ばすにも結構データが大きくてね。破損なく送信が出来るのか少し危ういため君たちに来てもらった、というわけさ」
導力ネットもまだまだ発展途上の技術ということだろう。
「わかりました。アップデートはどれくらいで終わりますか?」
トワがARCUSを腰のポーチから取り出しながら問いかけるので、私たちもガチャガチャと自身のARCUSを卓上へ。こうして並べてみると整備はジョルジュがやってくれているとはいえその頻度の違いや、所々傷がついている箇所の差異などが見えて、ARCUS自体の個性に何だか微笑ましくなった。
「2時間ほどは見てほしいかな。こちらの通信機を渡しておくから、終わったらそちらに連絡するよ。街の中であれば基本繋がると思うから間道へ出るのは控えてほしい。まあ出ないとは思うが」
「わかりました。お預かりします」
ARCUSがなくても学院に入る前はどうにかなっていたので、ある程度なら戦えはするだろうけれどそれも所詮ある程度までだ。ARCUS前提で出されている課題などにはさすがに突貫出来ない。
そのままARCUSは回収され、私たちは鍵を受付に戻してRF本社を出る。さてどうしよう。
「つまり2時間くらいルーレを観光してろってことだよな」
「あ、でも先に武器だけ取りに行っちゃおうか?」
「それもそうだね。工科大学ならこっちだ」
明るくなったルーレは昨日とはまた全然違う風景で、いろんな顔がある街だなと思う。幾重にも積み重なっているように見えるような階層構造の街。音からしてたぶんまだ増改築が繰り返されているのだろう。
「うっかりすると迷子になりそう」
「実際、生まれも育ちもルーレである私の友人でさえ今でも迷ったりしているらしい」
「うへ、昨日のクロウじゃないけどやっぱ規格外だね」
一番最初に来ていたらびっくりしすぎて目を回していたかもしれない。帝国各地を、特に帝都やクロスベルを先に見ていて良かったと思う。まあ足元に何かの気配があるというのは少し落ち着かないところではあるけれど。
暫く歩いたところで工科大学に到着しジョルジュを先頭にして入ったところで、ロビーのソファで頭を抱えていた工科大学生だろう男性二人が顔を上げ、こちらを見るなりその表情を明るいものにした。
「ジョルジュ!」
「わ、先輩方。お久しぶりです」
「おいおい、こっちに戻ってきたのか。どうした?ようやく編入か?」
「いえトールズの仲間と課外活動です」
苦笑しながら絡まれても満更ではない顔をしているジョルジュが何だか珍しくて、少し可愛いと思ってしまった。何だか親戚のお兄さんに絡まれているみたいで。
「おお、君たちが。ジョルジュは凄いやつだろ?」
「はい、いつも助けてもらってますっ」
トワが両の拳を握りしめてそう力説すると、驚いた表情でジョルジュの先輩たちが首を傾げる。あ、何が飛び出してくるかわかってしまった。別に私がそう思っているわけでは決してないけれど。
「トールズは飛び級も採用してるのか」
「いえ、先輩。彼女は僕と同い年です」
「マジか。いやすまん!」
「い、いえ、慣れてますから」
慣れているからといって失礼を許さなければならないわけではないけれど、まぁトワはそう言ってしまうよな、と内心嘆息する。
「それじゃあちょっと受付に行ってきます」
「おう、行ってら行ってら~」
六人でジョルジュを見送り、クロウが参考資料を横に積み上げ何か論文のようなものが広げてられている机に近づいてそれを見下ろす。
「で、これは書かなくていいのか?」
「……書けない時に無理に書いても仕方ないという戦略的撤退をだな」
それは大学生としてよろしくないのではなかろうか。
「じゃあやることは一つ、息抜きだな」
そう言って腰のポーチから取り出されるカードの束。あの赤い色はブレードだ。いや、鉄道の旅の暇つぶしに持ってきているんだろうそれを、なんで大半の荷物を館に置いてきているはずの今現在当たり前のように身につけているのか疑問しかない。もしかして今までも持ち歩いていたんだろうか。
「息抜き、いいな! カードゲームか」
「よし、やろうやろう、机の上片付けるな!」
そしてそれに乗ってしまうのか。まぁ別にいいのだけれど。こうして遊んでいても実はちゃんとスケジュール管理しているとかかもしれないし。……しているといいなぁ。私が気にすることではないのはわかっていても気になってしまうのは性分かもしれない。
そんなことを考えていたら受付から困った顔のジョルジュが戻ってくる。
「ごめん、依頼くれた教授呼び出してもらってるんだけど没頭してるのか連絡が取れないから直接行ってくるよ……クロウも遊び始めてるみたいだし」
「まあここだとままあることだね。私たちはここで待つことにしよう」
「うん、行ってらっしゃいジョルジュ君」
手を振って中へ入っていくジョルジュを見送る。
さて、どうしようかな。ロビーを見ていると掲示板のようなものがあったのでとりあえずそちらに歩いていく。大学側から学生へのお知らせを始めとして、学生主導の企画案内や、人手が足りないから特定日時にどこそこへ集合で謝礼は出席点1などそれはいいのかみたいなものまで。
トールズも結構好きにさせてくれていると思うけれど、技術のある人たちが好きにすると本当に行動力があって楽しそうだなと感じた。いわゆる一見役に立たなそうでも基礎研究というのはそういうものだと思うので、やっぱり遊びも大事なのかな、と腕を組んで考えてみたり。
結構な時間を潰してくれた掲示板から興味を移し、陰からそっとさっきブレードを誘われていた二人の方に視線をやる。どうやらクロウが勝ち続けているようで笑顔だ。あどけないああいう顔がかわいい。その思考にすこしだけ心臓の上に手を当てて、小さく深呼吸をする。意識したら直ぐに跳ねてしまうこの心臓を最近頻繁に取り替えたいと考えてしまう。もうすこし落ち着きというものを持って欲しい。
「セリちゃん?」
「ん!? な、なに?」
意識が前方に集中していて後ろにいるトワに気が払えていなかった。不覚。痛恨のミス。
「ジョルジュ君が帰ってきたみたいだよ、って。何か見てたの?」
「あー、クロウがアコギに初心者相手に賭けブレードしてるなー、って」
「えっ、クロウ君そんなことしてるの!」
ぽこぽこっ、と怒った擬音語でもつきそうなトワがソファの方へ行く。話題逸らせたかな、と胸を撫で下ろしたところで帰ってきたらしいジョルジュと合流した。
「……基本構造は変わらない?」
「重心その他はデータとして送っておいたからね」
「ふむ、握りとしての違和感は私の方は直ぐに慣れそうだが」
ジョルジュが預かってきた武器は金属精製ということもあって、前衛勢が普段使う武器に寄せた形をしていた。大学入口の前庭部分で少し取り出してくるりと片手剣を振ってみる。
「体感で風を斬りやすいから、これがどう影響してくるかってところかな」
とはいえあんまり振り回しても物騒なのでほどほどにして腰に収め評する。あとは魔獣とやりあってどれだけ出来るかだ。硬度も使い勝手もわからないので元々の剣を置いていくわけにもいかないのが少し面倒な気もするけれど、まぁどうにでもなるか。
「新しい武器いいよなー」
「まあまあ、私とクロウ君は銃だもんね」
そうは言ってもシャーシ部分が置き換わったら熱伝導率も変わるだろうので、それはそれで研究対象だと思うけどたぶんタイミングの問題なんだろうなと。
「そんじゃ今度こそ観光行くか」
ポーチから懐中時計を引き出して時間を見るとあれから45分ほど経過したぐらいらしい。
「それは構わないが、今からだと下階の中央広場をすこし見て回るくらいしか出来ないな」
私の時計を覗いて見下ろしたアンがそう言う。
「あ、それならRFストアみたい。最新の導力器が揃ってるんだよね」
「ああ、あそこもルーレならではと言えるだろう」
「クロウやトワもそれで大丈夫かい?」
二人ともアンの言葉に惹かれてくれたのか特に異論もなく今度は大学近くのエレベーターを使って下へ降り、日陰から光射す中央広場方面へ。足元になんか不思議な気配を覚えつつ、硝子の自動ドアにこれまた驚いてしまいクロウに笑われつつ入店する。先月でわかっていると思うけれど私は田舎者なのであんまり笑わないでほしい!
まぁいいか、と日曜だからか人が多くて少し息が詰まるけれど、きょろりきょろりと店内を眺めていると導力楽器のコーナーにピアノを模したものが見えたのでふらふらと寄っていく。鍵盤の一つを押すとARCUS越しに音楽を聞いた時のような音がする。ポンポンポン、と鍵盤を順番に押していくと音はアレだけれど音階としてはピアノと同じようで、軽く腕まくりをして短い曲を奏でてみる。うん、案外これは、いいのでは。
導力で音を出しているってことは調律も基本的に不要ということだろうし。小さいから家庭にも置きやすく、音の大きさも調整できるから集合住宅でも使いやすい。音の違いはあるからピアノが全てとって変わられることはないだろうけれどこういうのもあるのか、と感心しきりになってしまう。
「なんだ、お前キーボードやれんのか?」
肩越しにクロウが覗いてきてびっくり、して、しまったけれど、それを悟られるのはなんか癪だったのでそっと心臓を落ち着かせる。
「うん。ティルフィルはピアノも作ってるし、叔母さん叔父さんどっちも弾けるからね」
「マジかよ。……しかしなるほどな」
うんうん、と頷いて歩いていくクロウは何か考えているようで、残された私は首を傾げるだけだった。なんだろう。まぁいいか。
そうして広い店内でトワが持つ通信機が鳴り響くまで、私たちは最新導力器を楽しんだ。
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09/27 第六回特殊課外活動2
31
1203/09/27(日) 昼前
「はい、というわけでバージョンアップが終わったARCUSがこちら」
渡されたARCUSは細かい整備もしてくださったのか綺麗になって返ってきた。いや貸与品ではあるのだけれど、それでも通信機などの共通機能でなければ本人以外は使えないオーダーメイド品なので『自分の』という意識は確かにある。
「それとセリさんにはこの外部パーツのレポートもお願いしたく」
「え?」
取り出されたトレーの上にあったのはひっかけるようなフックのついた小さな機械、のような。……。
まさか、と見下ろしていた顔をあげると頷かれたので手に取って片耳につけてみる。するとARCUSの通信音が響いて端末を操作したら、ああ繋がりましたね、と知らない人の声がした。おそらく技術者の方がテスト発信をしてくれたのだろう。
ぱたん、とARCUSを閉じてみる。向こうとは繋がったままのような気配。
「こ、これこのまま今話せているんですか……?」
『はい、きちんと聴こえておりますよ』
切望していた耳介装着型通信機だ!いや、おそらくこの導力器ひとつで通信が可能にされているわけではないのと思うのだけれど、それでも、それでも大層画期的なアタッチメントには違いない。テスト通信切ります、という言葉とともに通信が切断され、私も耳からそれを外す。
「これ、なんで」
「いやー、5月にレポート頂いてから大変お待たせしました。こんな終盤に渡すことになって申し訳ない限りですよ。人数分量産出来たらよかったのですけど、希少金属を使っているのとARCUS本体との相性もありましてね。取り敢えずセリさんのにだけ送受信回路を組み込ませてもらいました」
「ありがとうございます!」
今日で課外活動が一旦の終わりとはいえ、こうして開発してくださったのならきちんとレポートをあげてフィードバックをしたい。試験運用チームが解散になったとしてもARCUSは所持したままにしてもらえるよう掛け合うべきだろうか。
「新しいオモチャ貰ったガキみてーだな」
「い、いいじゃん」
クロウに笑われたけれど、でも本当に嬉しいのだから仕方がない。これさえあれば両手を空けたまま偵察が出来る。保持することに気を払わなくて良くなる。……問題は今回の案件に偵察が必要そうなものがないということなのだけれど。
「それでは、ありがたくお預かりいたします」
現状できる精一杯の感情を込めて、ヨハン主任殿に頭を下げた。
そうしてRF本社から出て、それじゃあカラブリア間道の方へ魔獣と戦闘しつつ向かうかということで下階へ降りたときに、やっぱり下に何かの気配を感じた。うーん、と首を傾げて何かに似ているなと考えたところでピンとくる。帝都と似ているんだこれ。たしかあそこも暗黒時代の地下水道が張り巡らされているとか聞いたのでルーレもそういう街なんだなぁと。
確かに工場がたくさんあるので排水とかそういうのにも気を遣わなければならないものな。
「行け!」
「……っ」
クロウの氷結弾で翅を封じられた巨大クマンバを駆け上がる。喚くように物を言うように私の足を引っ張ろうとする多脚を蹴り切って、その眉間に剣を深々と突き刺した。ぶよぶよしたその身体が光となっていくところから自由落下し、着地する。息をゆっくり吐き終えて剣を腰に収めると足音。
「おつかれさん」
言葉と共に掲げられた手に眩しさを覚えながら、おなじように私も手を掲げて小気味いい音を出した。
そんなこんなでカラブリア間道での武器耐久確認用の戦闘規定回数も魔獣討伐もスムーズに終わり、それでもまだ陽は高い。14時。帰ったら昼食にするだろうけれど、その後はどうなるだろう。帰るか、観光か。今から直ぐに帰っても20時ぐらいにはなってしまうので本来であれば直ぐに鉄道に乗るべきかもしれない。でもここまで来たなら。
「そうだ、アンの家ってルーレの管理者なんだよね」
「うん? ああそうだね」
「じゃあさ、ちょっと地下道見せてもらえないかなー、って。職権濫用かな」
帝都の地下水道も正直見てみたいのだけれど、コネも何もないしさすがに勝手に鍵を外して侵入するのは違法なので諦めている。でも街の各所に走っているというのに誰も全貌を把握出来ていない地下水道なんてそんなの歩測してめちゃくちゃ地図作りたくなっちゃうじゃん、と思うのだけれどどうだろうな。
まあルーレは計画都市なのできちんとした設計図があるだろうけれど。
「……セリ、ルーレに地下道はない」
「えっ」
しかし告げられた言葉は無情なものだった。
じゃあ勘違いかな、とこうべを垂れたところでガツリと両肩を掴まれる。久しぶりに真正面で捉えたアンの空のような瞳には、今まで見た中でもかなり上位に入る警戒の色が見えた。
「それは、どこで感じた?」
「え、いや、中央広場辺りには結構はっきり感じたけど勘違いかもしれないし」
「セリの空間把握能力……いや、気配察知能力は正直僕らが出会ってきた誰よりも優れている。だからキミがそう言うならそうなんだろう」
そう信頼を置いてくれるのは嬉しいけど、4月にトワの気配を妙なものだと勘違いしているところもあったからなぁと一人で反省のしどころを思い出してしまう。いや、あの時よりはもちろん自分でも上達していると思うけれど。
「つーかアパートの下の階とかじゃなくて地下まで察知範囲かよ。バケモンだな」
「あー、実はちょっと感知範囲広げてたから若干人酔いはしてた」
「へえ?」
人の多いところだと基本かなり範囲を狭めているのだけれど、それだと狭めている分近くにいるクロウの気配を如実に感じてしまうので広げていたのだ。だからその分個人認識が薄くなり今日は人に驚くことが多かった。いやまさか、こんなことになるとは思っていなかったけれど。
「アンちゃんとジョルジュ君の反応的に、許可のない地下道が掘られている可能性がある、ってことだよね」
「まあ私が知らない間に地下道計画が持ち上がっていた可能性は大いにあり得るから確認は必要だろうけれどね。私が首を突っ込んではいけない話なら親父殿ないしは誰かが止めるだろう」
斥候の役目とはいえいつも何かトラブルの種を感知してしまって申し訳ないなぁ、とほんの少し勝手に気まずくなってしまう。まぁ今回は本当に私のせいではないんだけれど。
「方針としてはアンちゃんがお家の方に行っている間にセリちゃんが穴の端っこを探す感じ?」
「アンだけ家に向かうのもアレだし、チーム分割するかい?」
「するならルーレ民のジョルジュはこっちに欲しいな」
さすがに地下道に意識を集めたら絶対に外のことが疎かになると思うしつまり迷子になって合流出来なくなる可能性がある。それだけは絶対に嫌だ。そしてこのルーレの恐ろしいところは迷子になった時の最終手段として屋根に登ればいいじゃないかが出来ない。いやしないけど。したことはないけれど。考えたことはちょっとある。
「じゃあトワは私の方だからクロウはそっちか」
「話し合うってことを知らねえのかお前」
「別に構わないだろう?」
「構わねえことと意思確認しなくていいことは別だろ」
相変わらずのクロウとアンのやりとりを聞きつつさっきの感覚を思い出す。本当に、結構地下深かかったのだ。だからイマイチ自分の感覚に自信が持てないのだけれど、私の能力を信じてくれる仲間の言葉は信じようと思う。
そうこうしている間にルーレへ帰ってきて飛行船の発着場を横目に見ながら東口に入る。中央広場へ戻ると人はまばらで、ああこれなら大丈夫かなとホッとする。トワとアンに荷物になっていた元々の剣を預けつつ送り出した私たちは中央広場、帝都の地下水道のことを思い出した場所まで移動する。
うーん、今はやっぱりすこし感覚が遠い。もしかしたらあの瞬間何かがいたのかもしれない。
「空洞はあるような気がするけど、今はすっごく感覚として遠いからこれを延々と辿るとなると私が使い物にならなくなるかも」
「ああ、そうだね。集中力の問題か」
穴の端を探した後にもしかしたら中を探索する可能性を考慮すると自分が潰れるのはあんまりよくないだろう。とは言ってもこのまま強行するしか現状方法ないので一応気に留めておいてもらいたい程度の話だ。
「────いや、ちょっと待っててくれるかい二人とも」
けれど何かを思いついたのか私たちが返答をする前にジョルジュは動き出し、上階へ続くエスカレーターを駆け上がっていく。足音的に工科大学方面だろうか。
「……ベンチ座っとくか?」
「そうしようか」
腰に帯びていた剣を外し足の間に挟みながらベンチに座る。深く息を吐いて感知範囲を本当に自分の周りだけにして目を閉じた。もしこのまま探すなら脳を酷使するから少しでも情報を遮断しておきたい。
すると隣に座られる気配がないので、何かあったのかなと見上げたら掌で視界を塞がれる。
「ちょっくら散歩してくっけど気にしなくていいぜ。あと生命線だってこと忘れんなよ」
瞼にあった体温が離れていく。いきなりの光に目が眩みつつクロウを目で追いかけようとしたけれど、いやまぁいいか、と言われた通り瞼をまた下ろしてゆるやかな呼吸を心がけた。
「セリ」
名前を呼ばれて瞼を開けて顔をあげると先ほどどこかへ歩いて行ったクロウが立っている。……。何だかこの場を離れる前にはしていなかった美味しそうな気配がして少し首を傾げてしまった。もしかして、と疑いかけたところで茶色い紙袋が差し出される。よく見ると油の染みが。
「腹減ってんだろ。雰囲気に流されて飯食う感じじゃなかったからな」
「……ありがとう」
支えていた剣を太腿で挟みきって両手を出してみると紙袋をぽすんと置かれるので、そのまま下ろして折り閉じられた口を開けると美味しそうな揚げ物のにおいが広がった。取り出してみると薄めのチキンフライが出てきて、まだあったかい。美味しそうでごくりと喉がなる。
隣に座ったクロウの方を見ると、揚げたてらしいからとっとと食っちまえよ、と言われたのでいただきますと断ってから、さくり、一口。
「……!」
カリカリな端っこの香ばしさとスパイシーさが絶妙でなるほどこの薄さはこれのために、と瞬間的に理解した。ジューシーさは薄いけれどこのちょっとジャンクな感じがたまらない。寮でも試してみようかな。普通に揚げてもこうはならないだろうので何事も研究だ。
あっという間に一枚食べ終わってしまったので紙袋の中身を見ると更に二枚残っている。
「全部食えんだろ」
横目で見てすらいないのに思考を先読みされたかのような言葉が落ちてくる。私そんなに他の人を押し除けてまでご飯足りないみたいな感じだろうか。かなり普通だと思うけど。動いていればお腹空くのは仕方がないし。
まぁでもここで固辞しても仕方ない、とさっくりと残りも食べ終えた。
「ごちそうさまでした。ありがとう、結構しっかりお腹空いてたみたい」
「探してる最中に燃料切れになっても困るしな」
……いや、最中、は、たぶん大丈夫だと思う。気付かないので。事実差し出されるまで忘れられていたし。但し終わった時に更にひどいことにはなるかもしれないけれど。そういう意味で未来の私はクロウに助けられた。
「クロウにはなんでもお見通しだなぁ」
もしかしたらこの感情も既に見透かされているとかもあるかもしれない。それでもクロウなら気付いていると気取られずにいつも通り過ごせというか、たまにそういうちょっとした底知れなさが僅かに覗く気がするというか。気のせいかも知れないけれど。
「どうだろうな、わかんねえことばっかりだろ」
軽口で肯定を返されると思っていたのにそんな返答にすこし驚いて横を見ると、そこには私の知らないクロウの横顔があった。何を見ているんだろう。
「クロ──」
「ああ、二人ともお待たせ!」
その声に顔をあげると汗だくのジョルジュが台車で何やらを運んできた。積載されているのは箱のようなものとそれに繋がれた……何だろう、形容し難いものがついている。アイロンの鉄ゴテ部分を丸くしたような。取っ手がついているところも似ている気がする。
立ち上がってセッティングを眺めていると、箱はモニタっぽい。推測するにこの丸アイロンみたいなものが取得した情報をそれに表示するのだろう。
「先輩に無理言って研究中の導力器を借りてきたんだ」
「ってことは最新技術か」
「どういうものかは見てもらった方が早いかな。セリ、この近辺で地下がありそうな場所は?」
「エスカレーターの下かな」
「よしわかった」
言いながら私たちの足元に取っ手のついたそれを当てて起動する。けれどモニタに表示されたのはたまに上下に僅かにブレる横棒一本だけだ。うんうん、と満足そうな顔をしたジョルジュが台車を移動させ始め、何をしたいかはわかったので先導する。するとやはりジョルジュは同じように手順を踏む。すると。
「あれ、途中からブレが出始めたね」
「これは波を出すことで地中探査をするモノなんだ」
「あ、つまり」
「波の反射で空洞があるかどうか確定出来るってことだな」
「そういうこと」
紛うことなく物理学だ。学問が技術と紐づいて形になる。こういうのを目の当たりにすると実に面白いのでルーレにはまた来たいなと思う。まぁ今はこっちの案件に集中するべきだけれど。
くだんの地中探査機は工事の前段階としての地質調査などに使われるものの一種なのだろうけれど、こと今回に限っていえば百人力にも等しいものだ。私がそこまで集中しなくても足元にある違和感だけを追っていけばそれを確定情報に出来る機械があるというのは、自分の感覚からしたら革命といってもいい。
「ありがとう、これなら何とかなりそう」
さて、じゃあ探索を開始しようと視線を道の向こうにやったところでジョルジュのARCUSが鳴り始め、通信に出ると同時にスピーカーモードへ。耳を傾けると館へ向かっていたアンとトワからのもので、端的に言えばそういった事業計画は現状ない、という見解がなされたらしい。これで介入する憂いは無くなった。
通信が切られ、二人とも、と声をかけてきたジョルジュの瞳からは柔和さが消えている。
「ルーレは、僕にとっても大事な街なんだ。そして」
「みなまで言うなよ、ジョルジュ」
「うん、そうだね」
彼女が育ち、彼女を慈しんだ街だ。私たちの大切な仲間の。
「行こう」
鋼都ルーレは、ルーレ工科大学の学生が街中で実験をしている姿がよく見られるせいか、はたまたいまだに増改築が繰り返されているせいか、私たちの行動は案外と『ああいつものか』といった視線であまり注目されなかった。それが結果的には良かったと思う。
中央広場の気配はエスカレーターの下を潜っていきそうなものと、別方面へ繋がりそうなものがあったので、とりあえず地上から辿っていけそうな方へ足を進めることに。
時折建物に阻まれたりしてその周囲を探ったりしながら、途中で屋敷の方へ行っていた二人が合流しつつ工場街を抜け屋台で昼食兼おやつのようなものを買ったりして、とうとう西口に着く。
「気配は街の外まで?」
「うん、続いてるね」
「スピナ間道は狭い道が多いけれど起伏も大きい場所だ。それにユミルへ行くなら支線が通っているから人通りも昨今は少なくなってる」
「つまり疚しいことを隠すなら持ってこいってことだな」
ここまでようやく来られたことに深い息を吐く。街の中ならともかく、間道ならとりあえず脇道を気にしながら歩いていく形の捜索で大丈夫だろう。
「お疲れ、セリ」
背中を軽くアンに叩かれて、ジョルジュのおかげでだいぶ楽はできたよと笑っておく。
気配感知範囲を調整しつつ街の外に出たところで、何やら思案げなトワが、ねえ、と口を開いた。
「街の外から中心の広場の地下に繋がっていて、北の方へ伸びていたのは最終的に何処に繋がっているかはわからないんだよね」
「ああ。だがこの街で北といえば……」
「うん」
ルーレの北にあるといえば誰しもが思い浮かべる場所がある。ザクセン鉄鉱山。皇帝家が管理をするという帝国の屋台骨。まさかそこに手を出そうという輩がいるというのだろうか。もし本当にそうならあまりに不敬が過ぎる。
そんな懸念を話しながら暫く歩いていると、私の代わりに前へ出ていたアンが足を止めた。
「……あれは」
主間道からは的確な死角に築かれている、ぽっかりと空いた洞穴。十中八九、例の地下道に続いているものだろう。五人で静かに降りて穴に近づいて見ると【立入禁止】の札と鎖が入口を申し訳程度に塞いでいる。中は暗いけれどぽつんぽつんとかなり低間隔で導力灯が設置されているのが見えた。足跡や轍の痕跡などからしてここが廃道ということもない。
そっとポーチから例の耳介装着型通信機を取り出し耳につける。腰の剣は、持っていこう。いざとなれば捨てるしかないかも知れないけれど。
「セリ」
「五人で行くのは危ないよ」
私の準備を見てアンが名前を呼んでくる。
「……いや、だが私だけでもついていこう。これはノルティア州の話だ」
「三人はそれでいいの?」
問いかけると、全員から肯定が。まぁ意思の統一が出来ているなら別にいいか。この面子なら下手を打つことはないだろうから、サポートとして後方に誰かついて来てくれると言うなら元々それを拒否するつもりはなかったし。
「セリちゃん、絶対に撤退はこっちの指示に従ってね。通信が途切れたら、命を大事にして」
「わかってる。後方支援の命令は絶対だよ」
その心構えは士官学生として嫌と言うほど叩き込まれているのだから。
三人には私たちが偵察に入ったら即、間道から外れて身を隠してもらうことにした。もし誰かが入ってこようとしても不意打ちが出来るかどうかは生死に直結する。そして仮に本当にザクセン鉄鉱山までこの地下道が続いているなら現状のARCUSでは通信圏外になる筈だ。たとえルーレが通信中継地だとしても鉱山までは届かない。そうなったらいよいよ、領邦軍を呼ぶ選択は免れないだろう。皇帝家の鉄鉱山違法採掘の話なんて一介の学生の手に余る。
そしてすべての準備を整えトワから通信をもらい、通信機に問題がないことを確認。
私とアンは暗い洞穴に足を踏み入れた。
暫く下り坂だった道は次第に緩やかになり、ついに傾斜のない道になった。さすがにこんな地下では方角もわからないので方位磁石と歩測で現在地を推定するに、今はもうルーレに入ったところだ。
街で探しているときは建物で迂回せざるを得ずあっちこっち歩き回る羽目になったけれど道自体は真っ直ぐ伸びていたようで歩き易い。通信の感度もまだ良好だ。ここは例の古代遺物が発生させたダンジョンや大森林のような妙な気配はないので、上位三属性が働き通信妨害をしている、という懸念も薄い。
「こちらセリ。おそらく中央広場の真下に着いたよ」
そこはまさしく地下広場と言ってもいい空洞で、とりあえず生き物の気配はない。しかし魔獣まで含めてこうまでいないってのは不可解だ。導力灯に魔獣避けが施されているようには見えないし、人体の可聴域外の音でも出して追い払っているのだろうか。あるいは誰かが通った後で駆除した後なのか。
ここもほのかな灯り程度で、けれど資材置き場なせいか隠れる場所は多そうだ。
広場を抜ける道は想定通り北に。
調べている間にアンも到着したらしく、そっと近付き声を潜めて話し始める。
「この規模の地下道を掘削出来ること、資材置き場の小さな重機の品揃え、素人じゃないよ」
「……ああ、そうだろう。だが家の者の反応を見るに我が家が何かをしているとは思えないし、RF社が関与しているにしては雑だ。あそこには鉄鉱山直通の貨物線路がある」
『察するにもう領邦軍に連絡した方がいい案件、ってことだね』
「少なくとも私はそう判断するかな」
『わかった。私たちは領邦軍の詰所に行くよ』
『オレも応援でそっち向かうわ。罠とかは特になかったんだよな』
「うん、なかったよ。ありがとう」
『セリ、アン、どうか君たちに女神の加護を』
女神の加護を、とジョルジュの言葉に全員で返答し、立ち上がる。クロウは適当に走ってくるだろうから先行していていい。
見据えた地下道は、何かがが手招いているようにも見えた。
足音と気配を殺して歩いていくと段々と通信の電波状況が悪くなり、とうとうトワとの完全な断絶が訪れた。現在はまだルーレから鉄鉱山への道程の1/3ぐらいだ。こちらが地中ということもあって元々のスペックより短い範囲で切れてしまったのだろう。
後ろでクロウがアンに合流した旨を聞きつつ前に進んでいく。
ゆるやかなカーブが続き資材が置かれ始めたと思ったら、人の気配もし始めた。短くそれを通信機に吹き込んでさらに進んでいく。資材などの影に身をかがめ灯りが一際強くなっている場所を覗き込んだ時、一瞬息を呑むことしか出来なかった。坑道らしきものが何本も掘られている痕跡。そして働く人々。あまりにも堂々としすぎているそれにただただ驚くしか出来なかった。
もしかしてこれは領邦軍じゃなく正規軍の案件なのでは?とさえ思ってしまうほどの規模だ。
一応導力カメラで撮影だけしておこう。遮音性高いアタッチメントつけているけどそもそもこの坑道、派手に掘削してるせいか結構音がうるさいから気付かれることもないだろう。数枚記録したところで二人と合流するために後退する。
「……どうする? マジのマジで違法採掘だったみたいだけど」
「いやー、これここで待機か、隠れ場所の多い中央まで戻るのが得策じゃねえか?」
「私としてはバレる可能性の低い広場まで戻るのがいいような気もするが」
さくさくと歩いて片道2時間弱。走ったら短縮は出来るだろうけれどどうしたものだか、と三人で額を付き合わせて相談をしていたところに地鳴りが響き渡る。地中ということでヒュッと喉が狭まったが違う、これは。
「魔獣だ!」
その言葉と皮切りにして作業員らしき人影が悲鳴を上げながら数名走っていく。影に紛れていた私たちは特に気付かれなかったようだけれど重要参考人たちが次々に我先にと走っていく。けれど今はそうじゃない。それじゃない。坑道の方へ視線を走らせると巨大な影の前に逃げ遅れた人たちが見えた。
「……っ」
犯罪者だからって、見殺しにしていい理由にはならない。そう考えて二人に視線を走らせた時には既にアンは走り出していた。反応が遅れた。けれど即座に行動を修正しクロウと一緒に追いかける。
目の前にした魔獣はモグラ属だろう風体をしており、あまり戦闘を長引かせると坑道が土で埋まる可能性がある。ああ、命のかかったタイムアタックか。参ったな。
「あ、アンタらは……!?」
「うるせえ死にたくなけりゃとっとと逃げろ!」
後ろでクロウの怒号が飛ぶのを聴きながら武器を片手剣だけ構える。どうせ巨大なツメに対してダガーなんて棒切れみたいなものだ。
「震えているぞ、セリ」
「武者震いってやつだよ」
生きるか死ぬか。まさかまたこんなことに巻き込まれるなんて思ってなかったな。ああそうか、と突っ込んでいくアンへ戦術リンク繋ぎ直し前衛特攻を示唆する。せめてもの挑発戦技をぶち込みモグラの視線を自分へ固定させる。鉄鉱山に住む巨大魔獣だ。そのツメは金属すらも引き裂くだろう。それをアンに当てさせるわけにはいかない。絶対に。
それなりに広い坑道広場を縦横無尽に駆け回り、私から気が逸れないよう紙一重で避けながらタイミングを見計らいその腕に攻撃を蓄積していく。アンが背中から掌底を喰らわせターゲットが移りそうになったらまた挑発を打つ。駄目だお前の相手は私だよ。私だけだ。
「────っ」
「「セリ!」」
けれどここまでの疲労が溜まっていたのか、かい、ひ、し損ねて派手に吹っ飛ばされる。追撃を避けるために無理矢理体を起こし、自分の体で穿つことになった穴から脱出し即座に武器をまた構えた。
「大丈夫か!」
「死ななきゃ全部かすり傷!」
金属を裂くのなら、布である制服なんて紙に等しい。じわりじわりと腹から赤く染まっていく緑の制服。それでも膝をつくことが許されるわけがないのだ。
走りながらナイフを投げてモグラの視線はまた私に固定される。振りかぶられた腕。それを今度こそ避け、その手を剣を突き刺し地面に固定する。さすが最新技術の武器。切れ味がちっとも衰えない。
そんな私の行動の先がわかっていたのか、絶妙なタイミングで背中から飛び出してきたアンが絶叫し身悶えする魔獣の顎を的確に打ち抜き、その生命を終わらせるに至った。魔獣が確かに光になったのを見届け、突き刺した剣から手を離してそのまま地面へ仰向けに倒れ瞼を閉じた。腹が痛い。
は、と荒れる息がこだまする世界に二人の心配する声が差し入ってくる。腹に集中するほのかな暖かさに、回復魔法が施されたのがわかった。
「おい、大丈夫か!」
ぺちぺちと頬を叩かれ、目を開けると逆さまのクロウが視界にいる。
「だい、じょうぶ、だよ。生きてる、生きてる」
ふふ、と笑うと、ほんの一瞬だけ、私の見間違いかもしれないけれどクロウが泣きそうな顔をつくる。まさ、か、そんな顔をするだなんて、思ってなかったから、驚いて少しの間痛みを忘れかけた。でも回復魔法は最低限皮膚を繋げるだけだから、やっぱりまだ痛い。この痛みはほんのちょっとだけ内臓にもダメージが入っているかもしれないけど、まあでも学院祭には問題ない範囲、だと、思う。
「オレの相棒は目が離せねえなあ」
安堵と失血と疲労と空腹でぐるぐるとする意識の中、その言葉だけが、やけにクリアで。
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09/27 第六回特殊課外活動3
32
1203/09/27(日) 夜
あの後、オレたちが魔獣を倒して休憩していたところへ真っ先に飛び込んできたのは灰色の制服、つまり鉄道憲兵隊だった。そして夜も更け始めようって時間から事情聴取という名の拘束をされそうになったところで、領邦軍を連れて来たトワが交渉を開始したわけだ。
一体どういう話術を駆使したのか。内容その他は不明だがオレたちが不利にはならない条件を鉄道憲兵隊に飲ませることが出来たようで取り敢えず今、鉄道憲兵隊所属の特急列車でトリスタへ戻っている最中になる。
「TMPの列車にはさすがに寝台がついてるんだねぇ」
いわゆる仮眠室に相当するだろうそれなりの広さの部屋に五人ぶっ込まれ、セリだけはそれに寝転がってトリスタへの到着を待っている。事情聴取を個別に取られはしたが、まあ今回の活動は別に帝国解放戦線が絡んでるでもなし、嘘をつくような意味合いはなかったから簡単なもんだ。
「しっかし到着まで起きるなっていうのは過保護だと思う」
「オレがどれだけ肝を冷やしたのか思い知れよお前」
「別に死ぬ怪我じゃなかったよ。現に回復魔法で塞がる程度のものだったし」
「仮に傷が浅くても血ィ垂れ流しながら走り回ってんじゃねーって話をしてんだ。お前が無茶したら止めるって約束させられてんだぞこっちは」
そうだったね、と笑うセリに手を伸ばし眉間をぐりぐりと指で押す。ぐぐう、と苦悶の声で抗議されて思わず笑っちまう。
────あん時は、本当に、誇張なしで心臓が止まるかとすら思った。目の前で死なれるなんて勘弁だっつーの。……だから、お前の傍にいる為の複数の道の内から一つを俺は選んだんだ。"相棒"って名前で関係を縛り付けることを。この感情の封印に名前を付けることを。
愚かだっていつか罵ってくれや。
「まあまあ、みんな無事でよかったよ」
「それは二人もそうだろう。領邦軍と鉄道憲兵隊との板挟み、想像に絶する」
「はは、博士の無茶振りに晒されるよりはマシだったかな」
ゼリカの言う通り、対外的な交渉は全部トワとジョルジュが行ってくれたようで、オレたちがあれからやったのなんて事情聴取に答えるくらいだ。あとはゼリカ自身の立場とかもフル活用だったみたいだが。
「でももう、こういうのも終わりなんだね」
ぽつりとセリがそう呟いた。寂しそうなそれが波及してか、全員黙りこくっちまう。課外活動が終わりってだけで別に会えなくなるわけじゃねえだろうに、ったく、仕方ねえな。
手を軽く叩いて全員の注目を集める。おうおう、どいつもこいつもセンチメンタルな顔しやがって。まー、こんな提案しようとしてるオレもその一人なんだろうけどよ。
「終わりが寂しいってんなら提案なんだがよ、学院祭で出し物やらねえか?」
「えっ、今から申請するの!?」
一番スケジュールを把握してんだろうトワが驚いた声を出すもんで、いいや違う、と否定する。
「講堂を全員でジャックすんだよ。ロックなライブでな」
申請なんてまだるっこしくて全員に出し物の概要が見えちまうような状態はサプライズに相応しいとは言えねえ。こういうのはいきなりやってド派手に決めるのが王道ってもんだ。
「ライブ? ああ、確かノーザンブリアやジュライなどの北の方でそういう形態の音楽発表舞台が存在するとは聞いたことはあるが」
「話が早えな、ゼリカ。そう、今はまだ北の方にしか殆どねえそれを持ってきてよ、学院祭をオレたちの手で盛り上げて終わろうぜ」
どうせならこんな泥くせえ思い出を上書きして終わりにするってのもありだろ。
ああ、本当になんでこんな提案してんだか。クラスの出し物に学院祭の他の企画だってある。忙しいにも程はあるが、まあ思いついちまったもんは仕方がねえ。パーツが揃ってそうなら提案するべきなんだよこういうのは。
「そう自信満々に言うってことは、音楽の目処や奏者の目処はついてるの?」
「おうよ。音楽イチから作ってる暇はねえからカバーだとして、まずお前鍵盤弾けんだろ?」
「まあ、一応。それなりには。ピアノとキーボードじゃちょっと勝手は違うけど」
「そんでオレがベース。ゼリカだってRFと仲良いんだからなんか弾けんじゃねーか?」
「ん、導力楽器のギターを手慰みに弾いたことは」
「最高だな。ジョルジュは」
「あー……ドラムを工科大学の先輩にやらされたことがちょっとだけ」
ギター、ベース、キーボード、ドラム。やっぱりなこんだけ揃ってりゃもう運命みたいなもんだろ。そんでボーカルにトワを据えたら目立つこと間違いなしだ。……まあ、ンなこと言ったらセリも表に立たせる方がいいし前の話を聞くからに頼み込めば了承してくれそうではあるが、これは俺の感情の問題がないとは言わねえ。
「なるほど、では私の愛しいトワがボーカルということか」
「ふえっ!?」
「まあそうなんだろ」
トントントントンと進んでいく会話の中で傍観者のように話を聞いていたトワが素っ頓狂な声を出しやがった。言っただろ、全員でジャックするって。それにはもちろんお前だって含まれてるっつーの。
「え、そ、それ私は後ろで演出とかじゃ駄目かなあ!? 確かに楽器は出来ないけど!」
「駄目だろ」
「ええー……」
まるで想像しちゃいなかったようで頭を抱えるトワの頭を撫でくりまわして、諦めろってと声をかけていたら、寝台から笑い声がする。
「……トワが渋るのはわかるけど、私は、みんなでステージに立てたら嬉しいな」
ベッドに寝転がったセリが肩を下に寝返りを打ってそう言った。
「無論、私もさ」
「僕も楽しそうだと思ったよ。クロウの無茶振りに乗るのもね」
次々に案外と賛成意見が集まり、自然、トワに視線が集まる。目を瞑って、眉間に皺を寄せて、腕を組んで、どうしたもんだかという顔をして、ついに諦めたのか「そうだね」とため息とともに肩が落ちた。
「楽しそうっていうのは私も同意するし……でも、ううん、ジャックかあ……」
「まあその辺の整合性は後で取ろうぜ。取り敢えず学院祭まで一ヶ月もねえから練習気合入れんぞお前ら」
ニヤリと笑って焚き付けてやれば、乗り気な三人が笑って拳を突き出してきた。
さあて地獄の月間の始まりだ。馬鹿騒ぎするなら踊らなきゃ損ってな。
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十月
10/01 獅子心勲章授与
33
1203/10/01(木) 放課後
学院祭まで一ヶ月を切り、トールズの中が一層賑やかに華やかになって行く中、私たちARCUS試験運用チームの面子は学院長室へ呼び出されていた。
試験運用チームを取りまとめ、課外活動などの外的交渉をしているらしいサラ教官。
いつもはくたびれた白衣なのに今日だけはノリが効いたモノを着用したマカロフ教官。
柔和な瞳でいつも生徒を見守ってくださっている保健医であるベアトリクス教官。
芸術全般を請け負っており、その教養の高さは他の追随を許さないフェルマ教官。
たまに貴族贔屓が見受けられるけれどそれでも生徒思いではあるハインリッヒ教頭。
そして、我らが学院生を慈しみ見守ってくださっているヴァンダイク学院長。
「アンゼリカ・ログナー、クロウ・アームブラスト、セリ・ローランド、以上三名前へ」
マカロフ教官に名を呼ばれ前へ出る。こんな時でもクロウは腕まくりをしているし前を開けているので、いつも通りだなぁと内心笑ってしまった。
「あー、貴殿らは特殊課外活動に於ける戦闘行為で類稀なる功績を修めた者として、ここに獅子心勇士章を授与する」
聞いたところによると普段はこういう儀式的なことはしないそうなのだけれど、さすがに五人揃っているというのと、軍部から任されているARCUS試験運用の面子へ授与するということもあってこういう場が設けられたのだとか。
マカロフ教官の言葉と共に他の教官も前に出てきて、丁寧に勲章装着をしてくださった。私たちの胸に勲章がキラリと光る。功績のために戦っていたわけではないけれど、こうして認めてもらえると言うのは嬉しい話だ。
そうして頭を下げ、後ろへ下がる。
「ジョルジュ・ノーム、トワ・ハーシェル、以上二名前へ」
今度はベアトリクス教官が二人の名前を。前へ出て並ぶその背中に友人として、仲間として、どこか誇らしさがある。二人とも凄いだろうって。学院内という狭いコミュニティの話ではあるけれど、大事な人たちが立場ある人に認められるというのはやはり嬉しいことだ。
「あなた方は特殊課外活動や学院生活を通し、学院内外問わず人々の助けとなるよう奔走していました。その誇り高さを祝し、ここに獅子心善行章を授けます」
そうして、二人の胸にも勲章が取り付けられ、二人とも先程の私たちと同じように頭を下げて戻ってくる。そうして学院長が私たちの前へ立ち、一拍。
「諸君らが立派に成長した姿を見せてくれたこと、誇りに思う。これからも共に切磋琢磨し、かけがえのない時間を得られるようこちらも尽力しよう。────それでは、これにて五名の獅子心勲章授与式を終了する」
パチパチパチ、と教官たちから拍手をもらう中、私たちは部屋の端に置いていた鞄を回収しつつ、サラ教官から勲章保管用の赤い箱を貰って退室する。傷をつけてしまう前に収納しようかと思ったところで、外す手を止めた。
「ねぇ、みんな」
「ん、どうかしたか?」
「あのさ、勲章つけたままどっかで記念写真撮れないかな」
今まであんまりみんなで写真撮っていなかったけれど、こういう時ぐらいいいような気もした。まぁ私自身が被写体に自分が混ざった写真にすこしだけ肯定的になれたというのも、この発言に多分に関係していると思う。
「あ、それすごくいいと思う」
「ふむ、ならば私たちらしい場所といったらどこだろうな」
「溜まり場って意味なら技術棟だろうけど」
じゃあそれだ、と学院長室近くにある中庭から外へ。すると撮影中のフィデリオがいたので、事情を説明したら快く協力してくれることになった。六人連れ立って技術棟の前へ向かい、カメラを渡して何枚か写真を撮ってもらう。
少しポーズ指導というか、配置についても考えてくれてきっといい写真になったんじゃないかなと。現像するのが楽しみだ。
「助かったよ、フィデリオ」
「お役に立てたなら何よりさ。それと勲章授与おめでとう。君なら納得だ」
「あは、ありがとう」
お礼を言いながら勲章を外し、貰ったケースの中に入れる。蓋を閉じると赤いビロードの布に有角の獅子紋が刻まれているのが視界に入った。この紋章と勲章に見合う人間でいたいと思わせてくれる。
「それじゃ、展示に向けた写真撮影中だったから戻るよ」
「うん、本当にありがとう!」
フィデリオを見送ったところでさてとみんなに振り返ると、意外そうな顔をしたアンと目があった。どうしたのだろう、と首を傾げると、ああいや、と澱んだ返事が。
「セリが貴族生徒と仲がいいのを初めて見たものだから」
「ああ、フィデリオとは仲いいよ。写真部見学仲間だし。それに今は貴族生徒だからってそこまで……ああでもI組のフロラルド家の人とは今でも相性悪いかな」
「フロラルド……ヴィンセントか。確かにあれはセリと相性悪いだろう」
出会うなり口説かれたけれど噂は聞いていたので、今は気配を察知したらかち合わないようにルート選択をしている。正直こちらが移動のコストを支払わされているのが気にはなるけれど、まぁ仕方がないと自分に言い聞かせているところもある。ハッキリ断れば案外大丈夫という話も聞くけどどうなんだろう。真偽がわからないし、私にとってはリスクにしか思えないからあまりやりたくない。
「そうだ。導力楽器届いたから全員自分のクラスに顔出した後でいいから音出ししようぜ」
考えの淵にいたところでクロウが思い出したかのようにそう言い出した。楽器。そうだ、ライブの練習もしなきゃいけないんだよなぁ。
「旧校舎での練習許可取れたんだっけ?」
「うん、サラ教官が担当だったから二つ返事だったよ」
「楽器はもう運んであるけど、各自触った後に調整するからよろしく」
サプライズと言うからには他のクラスに勘付かれる講堂練習は自ずと出来ないし、技術棟も防音対策が万全というわけではないのでこの間聞かせて貰ったロックなるジャンルの音楽は結構目立ってしまうだろう。その意味で基本的に生徒が寄り付かず、また本校舎から離れていて多少騒いでも大丈夫な旧校舎というのはぴったりな場所だ。
「17時ぐらいに集合?」
実のところ私は当日まであまり仕事がない割り振りになったので、このままキーボードの練習をしていてもいいぐらいなのだけれど。あ、でも学院長室呼び出しってことでHR終わって即出てきたから一応その後何かあったか聞きに行くぐらいはした方がいいかな。
「そうだな。早めに入りたいヤツはサラんところに自分で鍵借りに行くでいいだろ」
了解、と全員頷いて一旦解散となった。
「戻ったよ。何か手伝うことある?」
さりげなく送ってくれたアンと別れて教室の方へ顔を出すと、最近当たり前になった光景として後ろの方に衣装がずらりと並んでいる。呼びかけたら貴族生徒からも結構協力してもらえたので、体型性別年齢様々なものが集まってなかなかに豪華な衣装群になったんじゃなかろうか。
そして今は机を窓側に寄せて背景用の布を裁断しているところらしい。背景ボードはさすがに時間が足りないと言うことだったけれど、小物とかで工夫すれば一色背景でも見栄えがするんじゃないか、という提案があってそれの準備最中のよう。
「おーっす。でも衣装撮影も一段落してるし、カメラ係は当日まで休んでてもらうかなあ」
「あ、アルバムそれなりに揃ったしそれの確認は? みんないい顔してたよ」
渡されるアルバム。そういえば撮影してくれた彼女──ロシュから課外活動行く前に自分の写真の確認はさせられてびっくりしたけれど、他の人の写真はまだ見ていなかったな、とぱらりぱらりとめくってみた。……やっぱり彼女の撮る人物写真、好きだなぁ。最初は衣装一覧に人物の顔は要らないだろう、という話だったけれどこの写真を見てそう言える人はいなかった。どれもこれも楽しそうで、影や光の入り方、濃淡などが計算されて衣装の良さがよく映えている。
時折混ざる自分の写真にも、正直感嘆しかない。あまり写真が好きではない自分の感情が表に出てしまっていないだろうか、と危惧していたけれど、彼女はそれを綺麗に取り除いて撮影してくれた。自分はカメラに対してこんな表情も出来るのかと、驚いたぐらいで。
クラスのみんなの写真も本当にいい写真だと思う。あまり会話したことのない人ももちろんいるけれど、あああの人はこんな風に笑うのか、と知らない一面を見られるのは何だか得した気分というか。
ポーズ集の一環として撮られた例のウェディングもどきな写真も、クロウへ黒髪にならないかと言っていたわりに綺麗に光が映えている。いま、見ると、ちょっと、いやだいぶかなり心臓に悪いけれど。あの時に自覚していなくて本当によかった。自覚していたらこんな落ち着いた写真にはならなかったろう。
「ああ、それよく撮れたと思うよ」
ひょいっとロシュが肩から現れ、本当にね、と笑ってアルバムを閉じた。当日までにこれを何冊か作成して、前の人が着替えを待つ間に選んでもらうという段取りになる。
「やることないみたいだし、別の用事に行こうかな」
「なんか頼まれごと? よくつるんでるクロウとかやたら張り切ってるみたいだし」
「そんなところ」
頼まれごとと言うわけではないけれど、適当に濁しておこう。
じゃあね、と足早に気配を探りながら人のいないルートを通って教官室へ。折良くサラ教官がいたので声をかけたら、ああこれね、と鍵を渡された。私たちなら万が一魔獣が上がってきても対処できると思ってもらえているのだろう。
ありがとうございます、と頭を下げてそのまま中庭を通って今度は旧校舎。鍵を開ける前にもう一度あたりをよく注意して、誰もいないことを確認してから中へ滑り込んだ。一人だし一応鍵はかけておいた方がいいだろう。いつもの面子なら誰が来たかはわかるわけだし。
10月で誰もいないということもあってか底冷えする旧校舎の明かりをつけてみると、舞台下の隅にいろいろ新しそうな箱が積み上げてあるのが見えた。あれかな、と近付いていろいろ蓋を開けていく。その内の一つに例の導力楽器──キーボードがあった。おそらくフットペダルユニットだろうものも。
本体を取り出し、不用品としてか置かれている机の埃を軽く払ってから設置して説明書を見ながら電源を入れてみる。いろいろセッティング出来るみたいだけれど取り敢えずそのままデフォルトで、自分が覚えている曲を奏でてみると聞き慣れない感じではあるけれど確かに音階としてはきちんとしているようだと改めて実感した。RF社すごい。
それで、ええと、ロック。さっき開けた箱に楽譜あったな。眺めてみよう。
舞台下に腰を落ち着けて開いたそこには、知らない世界があった。知らない場所の、知らない音楽。今まで触れてこなかったリズム。けれどそれが不快かというと、そうではない。この間クロウが聴かせてくれた音楽を思い返してみれば、腹の底から響くリズムに身体が自然と揺れていた気がする。
ああ、うん、一般音楽ではないけれど、街で叔母さんが宴会の時にリクエストされて弾いていた曲と雰囲気というか、在り方は似ているかもしれない。奏者と観客が見るからに一体となって場を作り上げる。うん、楽しく弾けそう。
そういえばこのロックという音楽ジャンル、ジュライやノーザンブリアで流行っているんだったっけか。……カードゲームのブレードもジュライ発祥だったっけ。何かと縁があるな、と少し笑いがこぼれた。これはやっぱり卒業後どっか折を見て行かないといけないかもしれない。
鼻歌で楽譜を追っていると聞き慣れた気配が旧校舎に近付いてくるのが分かった。楽譜を片手に立ち上がり口遊みながら歩いて扉を開いたら、予想通り、クロウが。まあアンは演劇練習をしているしジョルジュは開発があるしトワは準備の根回しで忙しいだろうので、次に合流するとなったらクロウだろうとは思っていた。
「来んの早いな」
「カメラ班は当日まで休んでろって言われちゃって」
肩を竦めながら踵を返すと、クロウも扉を閉めて一緒にさっきまでいた舞台下へ。
「当日休めねえやつだろそれ」
「休憩ぐらいはあるんじゃないかなぁ」
まぁその分こっちの練習に充てられるので悪いことではないのだけれど。学院祭当日の二日目はこれのために抜けさせてもらう交渉が済んでいるので、その分初日は頑張りたい。
「あ、そうだ。例の手伝って貰った写真、現像されてたよ」
「あー」
「学院祭前でも当日でも、時間があったら見に来るといいと思う」
「出来よかったのか」
「かなり」
人に自分が写っている写真を勧めるのが意外だったのかクロウからそんな疑問が出てくるけれど、あれは掛け値なしにいい写真だったと思う。被写体が自分ではあるけれど、撮影者が誰かで表情はがらりと変わるのだ。あれは、彼女にしか撮れない写真だったと思う。
……深く考えると何故士官学院にいるんだろう、という疑問が湧いてくる。帝都なら写真関連の芸術学校もあるはずなのだけれど。まあそれはクララも同じか。そういう面子が集まってくる学年なのかもしれない。不思議とそういう縁は侮れないものだ。
「で、キーボードの感触はどうよ」
「いい感じ。面白い楽器だと思う」
といってもピアノとキーボードの感触はそこそこ違うし、そもそもここ数ヶ月は鍵盤に触れられていなかったのでリハビリは必要だけども。使ってないとやっぱり鈍る。導力端末とかナイフ投擲とかで指先や手首は結構使い込んでいたと思ったけどさすがに使う筋肉が箇所が違うよなとしみじみするしかない。
「それにしてもあれやこれや企画して他クラスにも顔出してるけど、身体壊さないようにね」
「まーその辺はきちんとしてるっつの。授業中に寝たりとかな」
「寝るな。サラ教官も言ってたけど期末もあるんだし」
「そん時はテスト前にまた頼むわ」
ベースらしき楽器を取り出しながら笑ってそんなことを言われてしまうと、ぐっ、となってしまう。ああちくしょう、その顔に弱いんだよなぁ。
いろんなことに対して諦めの小さなため息を落としてから、さっき口遊んだ曲を楽譜を開いて辿ってみて、うん?、と一瞬首を傾げたところで舞台側から音が飛んできた。振り向くと舞台に座って私を見下ろすクロウがにやりと笑っている。そこだろうと言わんばかりに。まぁ合っているのでそのまま何も言わずに進めていくと一緒について来る。次に蹴っ躓いたところでは手拍子でリズムを取ってきた。
その過不足のなさが、そつのなさが、クロウらしいなと思った。なんだろう、たぶんこれが四月とか五月なら、それも壁に感じられてしまったかもしれないけれど、今はその距離感もクロウならではなんじゃないかと。踏み込んできているようで、案外踏み込んできていない。だけど相棒って言ってくれて、私が何を望んでいるのか困っているのかなんて分かってしまって。私は君のことをちっともわからないのに。でもなんでもお見通しだって言うと、どうだろうな、なんて。
もしかしたら私も自分が思っているよりクロウのことがわかっているのかもしれない。……いや、それこそどうだろうな。わからない。でも、暴くだけが理解するということじゃないのだろうとも、思ったりして。
この感情の変化にじんわりと、ああ好きなんだな、と自分の熱が広がっていくのがわかる。恋っていうのはこういうものなんだろうって、すこし他人事のように眺める。だってまるで我が事のように認識をしてしまったら、今、もう、少しでもつついたらあふれそうな何かが瞬く間に零れてしまいそうで。
────今はまだ、この感情を誰の目にも触れない場所に置いておけないかと。
だから私はただひたすら、楽譜を追うふりをして、君に背を向けていたのだ。
きっと赤いだろうこの顔が、"誰か"に見られてしまわないように。
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10/09 分水嶺の夕方
34
1203/10/09(金) 放課後
「デザイン画確認頼むわ」
学院祭まであと二週間というクソみてえにギリギリまで待ってもらってるわけだが、今日こいつを見てもらってメンバーのGOサインが出たらそのまま帝都まですっ飛んでいってル・サージュ本店に持ち込む予定だ。いやー、コネがあるっていいな!普通一介の学生じゃ手が出ねえだろあんなん。
「……露出多いよクロウ君!」
そんでもって、いの一番にトワの叫びが耳に入ってくる。
極ミニ丈の足の付け根のラインが見えそうなレザーパンツに、ホルターネック。足は太ももまでを覆うニーハイブーツ。まあ言わんとしていることはわかるが。
「ロックだかんな。出すとこ出さねえと映えねえんだよ。あざといくらいが丁度いいっつか」
「ということは別にこれは君の趣味ではないと?」
ゼリカと一緒にああでもねえこうでもねえと詰めたデザインを眺めながら、セリがそういう。
……オレの趣味が入っちゃないとは言わねえが、抑え目にはしたつもりだ。好きな女に好きな服を着せられるチャンスなんざおそらくこれっきりだが、好きなヤローがいるって聞いてるし目の当たりもした上でそんなん出来るほど精神強くねえ。どう考えてもあの写真部だろ。
「私の意見も入っているが、セリに関しては概ねクロウの意見のままだね」
黒い半袖のYシャツを胸の下で結び、臍を出した上でスキニーの革パンにゴツいブーツ。顔もスタイルもいいしシンプルなのは無難に似合いはするだろうがオレの趣味だけに走るんなら、ホットパンツにノースリーブとかか。薄着ってよりは脚線とか筋肉のラインが見えるとすげー綺麗だろうなっていう。まあそんなん他のヤツに見せてやる義理はないわけだが。
……正直なところ自分の"こういう感情"が独占欲的な形で発露するとは思っちゃいなかった。好きなもんは箱に入れておきたいカラスかなんかか俺は。
「でもこれは結構際どくないかな?」
「ジョルジュ君もそう思うよね!!! よかった!!!」
トワは若干人身御供的なノリで差し出してるのは申し訳ないような気もするが、まあその辺の罪はゼリカに押し付けられんだろ。それにやっぱボーカルは華になってなんぼだしな。
「無論トワのかわいさが世に知れ渡ってしまう可能性はあるが、しかし確かに舞台の上でこれを着た姿を想像するとたまらないだろうなと思ってね。この辺はかなり私も口を出した」
「あ、アンちゃん……」
ううう、と項垂れるトワが暫く渋い顔をした数秒後「ここ、ここだけ」とデザイン画の一部分を指先で叩いた。注視すると際どい上半身の丈に物を申しているようだ。
「あー、じゃあそこだけな。ゼリカも問題ねえよな」
「ふむ、まあ稼働域に差し障りはないだろう」
振り付け担当のゼリカから許しも出たので、じゃあ肋骨隠れるくらいには伸ばすか、とデザインに赤を入れてトワのは決定稿にする。他はどうかね、と反応を見るとじっとセリが自分のところと女子二人のところを見比べてみるのが見えた。
「どうかしたか?」
「や、二人ともホットパンツにニーハイブーツだなぁと思って」
「……それが良かったか?」
「そうは別に思わないよ。ニーハイブーツだとペダルユニット踏みづらそうだし。あ、私の方はリテイクとかはないのでこのままで大丈夫」
……こいつはもしかしてオレの趣味をこっちの二人に詰めてるって勘違いされたんじゃねえか?いやトワはホルターネックでゼリカはノースリ水着ブラで確かにお前が着てくれたらすげえ嬉しいラインナップではあるんだが!いやしかしこれを否定したり深掘りするとマジの墓穴掘っちまいそうだから追及はやめておく。それが賢明だ。
「ジョルジュ、お前の方はどうだ?」
「うーん、まあ特にはないかな。というか、女性陣に注力して結構適当だろ」
「バレたか。ヤローのデザインとかやる気でねーからなあ」
ボーカル・ギター・キーボードが女子ならそこに注力してオレたちは裏方に徹するのがいいってもんだ。いなくちゃ寂しいが目立ったら邪魔になる、まあそういう塩梅のもんだろ。
それに本人たちに自覚があるかどうかは謎だが、学院内でもかなり高レベルな顔立ち面子だしな。実際オレとジョルジュなんかは代われって言われたことも何度もあったっけか。戦術オーブメントとの相性の関係で無理なわけだが、まあそもそも代われたとしてこいつらについていけるとも思えねえ。トワはともかく残り二人はだいぶ頭おかしいぞ。幻滅までがセットだ。
「おっし、そんじゃさっさと行ってくるか」
ゼリカ経由でオレの名前は伝わってる筈だから、一人で行っても問題はないはずだ。
「あ、そうだ。クロウ、帰ってくる時に夕食買ってきて欲しいから連絡して。たぶん一人で持って帰る量じゃないだろうし」
扉の方に足を向けたところでセリがンなことをいうもんで振り向く。
「お前らそんな時間までやんのか?」
「残念ながらロックとやらの経験者が君だけなのでね」
「ご、ごめんねセリちゃんやっぱりキーボードで主旋律あると歌いやすいから……」
「それは大丈夫大丈夫。無茶振りの借りは全部クロウに返してもらうし」
「お前なあ……。まあオレに出来ることならやってもいいけどよ。ミラはねえが」
「クロウにお金を借りたいとか願う愚行はしないよ」
ふふ、と呑気に笑われちまって、それに対してため息をついて表情を誤魔化したオレは、「まあそうだろうな」とだけ返して帝都に向かった。
デザイン画をル・サージュのオーナー兼デザイナーであるハワードのおっさんに託して(その場でこうした方がいいんじゃないかとアドバイスをもらい露出が変わるわけでもなしと若干変更が加えられはしたが)、納期に問題なしと言質をとってオレはトリスタにトンボ返りするために鉄道に飛び乗った。10月なだけあって陽は殆ど落ち切った時間だ。
ある程度規則正しい振動に揺られながら窓の外を見る。……鉄道なあ。嫌いじゃねえというか便利なのはわかるんだが、やっぱ微妙な気分にはなるな。慣れた慣れたとは思いはしても、一人で乗ると思考の時間が多くてどうしてもジュライのことがよぎっちまう。帝都調査とかで何十回目だって頻度のはずなんだが。
とはいえ、俺からあの出来事が切り離せるわけもねえ。だからこそ俺はここにいるし、こうしてのんびりと学院生なんてもんをやってる。あいつらと一緒にいたら忘れられるかともたまに思ったけどな。やっぱり無理な話だ。
トリスタに着く直前にもう通信圏内だろとセリに連絡を取り、晩飯のオーダーを聞く。めんどくせえからピザ四つにミートボールにコーヒーをポット注文らしい。ポットがなけりゃ一人でも行けたろうが、まあ誰か来るってんならそれでいいかと了承した。
到着したところでとっととキルシェに足を運んでフレッドに晩飯頼むわと注文したところで「どうせお前なんかやらかすんだろ、楽しみにしてるわ」って笑われちまう。「やらかすとは失礼だな」なんて返しつつ、まあ否定はしなかった。講堂ジャックって自分で言ってるしな。
そんな風にカウンターに座りながら雑談をしていたらセリも合流して、「お前が来たのかよ」とか言っちまったが、まあ他三人の練習時間を削るくらいなら来るかと瞬時に納得する。案の定そんな感じの答えが返ってきて頷いた。
キルシェで注文を受け取って、オレがポット二台抱えて、セリが飯を抱えている状態でたらたらと陽も暮れ切ったトリスタの街を歩いていく。季節柄太陽が隠れるのが早いこって。
「しっかし、トワもいろいろ渋ってた割には現時点で完成度高えんだよな」
「元々理解力は高いからねえ。戸惑ってても行動は早いし、振り付けはアンでしょ? どんな風に作ればトワが可愛く見えるか、且つ負担がないか、そしてどこまでなら可能なのか、ってギリギリ攻めることが出来そうだからあんまり不思議はないけど」
「あー、能力把握な。それもそうか」
振り付けの打ち合わせでもそんなことを言ってたか。観察眼の賜物ってやつかね。トワに関しちゃだいぶなんつーかヤバめなもんを感じるが。かわいい系が好きってのはガチなんだろうなあれ。だからセリからはわりとごねずに手を引いたってところもあったりすんのか。
「まあ何にせよフォローに回んなくていいならラクでいいわ」
「あは、クロウのそういう何だかんだ面倒見のいいところ好きだよ」
『好きだよ』。ドキッとするようなことを言うんじゃねえと内心で若干悪態をついちまう。……これが好きでも何でもなかったら、だろ、って流せただろうが、さすがに他のヤツに言ってるのを聞きたくねえなと思って口を開いた。開いちまった。
「言い出しっぺだかんな。つーか、あんまりそういう言葉を男に使うもんじゃねえぞ。特にお前だと勘違いする奴が出やすいっつーか」
言った瞬間、コンマ数秒程度、妙な沈黙があった。
そしておそらく、それがオレたちの分水嶺だったんだろう。
「なら、恋愛感情持ってる君には使っていいわけだ」
その言葉にオレの足が止まり、並んで歩いていたから数歩先にいったセリが振り返る。その時、俺はどんな表情を作れていたんだろうか。少なくとも、笑顔じゃなかったんだろう。目の前にいるヤツを見ればそれくらいはさすがにわかった。
ちょうど外灯の真下で、すこし強めの影が落ちているそいつは申し訳なさそうに笑う。
「そんな顔させたかったわけじゃないけど、ごめんね。大丈夫大丈夫、振り振られた相手同士でも友人関係は継続できるって」
数歩戻ってきたそいつが、ぱしん、と俺の二の腕をかるく叩く。いつものような表情で。
……お前はオレがなんでもお前のことわかるって言ってくれたけどよ、全然わかんねえんだっつの。今だって気付かず、言わせちまって。つまりオレがすべきだったのは関係の継続じゃなくてさりげなく距離を取るべきだったって────いや、違う。セリのそういう好意に気付けたかどうかは置いとくとして、オレは、俺自身が、こいつといるのが楽しかったんだ。それは自覚すべきで、そうして。だから。
「……悪ぃ」
「クロウにその気がないのはわかってたけど、その、あふれちゃった」
小首を傾げながら下り眉の表情を作られて、いや違うんだ、と。そんな顔をさせたかったわけじゃねえなんてそんなん俺の台詞だ。でも言葉がうまく紡げない。だってそうだろ。写真部のヤツとイイ関係そうでああそういうことかって自分の感情にケリつけて諦められると思った矢先に、まさかそれがド真ん中だったなんて誰が信じられるってんだ。
「……先に戻っておいた方がいいかな」
オレが微妙な顔をしていたせいかそう問われちまう。それに対して「三秒待ってくれ」と告げてから一瞬顔を俯け掌で目元を押さえ、息を長めに吐いてから表情をなんとか戻した。惚れた女にンなこと言わせておいて更に先行ってもらうってだいぶ情けねえだろ。
「大丈夫だ。お前が言った通りオレたちならいつも通りでいられる────だろ、相棒」
「そっか。うん」
そう言って歩き出してセリの横に立つと、視線を進行方向に向けながら「ありがとう」と小さく言葉が落とされる。それをどんなツラして受け取ればいいのか、俺にはまるでわからなかった。
キルシェで買って帰った夕食は美味しくいただき、練習も恙無く終え、すこし全体像が見え始めたかなってぐらいで解散していつものように揃って帰寮した夜。ごろりごろりと自室のタイルカーペットの上で、何をするでもなく横になって目を閉じたり開いたり。
今日のことにいろいろ思うところがないわけではないけれど、どうにも、落ち着かないというか、自分の中で整理のつけられない感覚がずっと蹲っていて感情がすこしふわふわしている。これが恋が破れた感覚と呼ばれるものなのかな、とぼんやり。図書館にある小説を読んでみれば自分の感情を明確にする表現が見つかるだろうかと一瞬考えたけれど、いやそれは結局誰かの物であって私のではないと思って諦めた。無理やり言語化するものでもない。
そんなことを考えていて、勉強にも練習にも鍛錬にも筋トレにすらも身が入らないのなら寝てしまった方がいいんじゃないだろうか、と立ち上がったところでノック。トワとアンだ。
何か連絡事項でもあったかなと思いながら、はーい、と出てみるとそこには二人とも既に寝巻きに着替え何故か寝具を抱えて立っている。肩にはふくらんだトートバッグを下げて。どういうことだろう、と目をしばたたかせている間にするりと入ってきた二人は寝具を前の時のように床に二枚並べて落とす。
「どうしたの?」
鍵を落として布団を整えている二人のところへ向かいながら疑問を口にした。
いきなりのお泊まり会だろうか。別にいいけれど、アンはともかくトワが事前のスケジュールのすり合わせをしないなんて珍しいというか初めてなのではなかろうか。
「今日、なんか様子がおかしかったなって」
トワのその言葉に、敷き布団に座りかけた動作が一瞬止まる。
何かあったと言えばもちろん何かはあったのだけれど、そんなにわかりやすかっただろうかと思ってしまった。あれだけクロウに啖呵を切ったというのに不甲斐ない結果である。
取り敢えず腰は落ち着けようと片膝を抱えるような形で座りはした。
「いや何、会話などのテンポが一瞬、ほんのすこし遅れるのが気になってね。おそらく私たちでなければ気付けはしない程度のロスさ」
「……」
「だから、様子を見に来たんだ」
私の思考を見透かしたような反応。二人は何があったのか具体的にはわかっていないんだろう。それでも、話さない、話せない私であることは理解して、わざと心のなかに入ってくる。それをおそらく的確に判断出来るだろう二人が私に介入して来ることを選択したのだ。この数ヶ月をずっと一緒にいてくれた仲間が。
「……ふたりには、敵わないなぁ」
それはきっとやさしさというもので、どうしてか涙がこぼれ始めるのを私は止められなかった。
暫く、立てた膝に両手を重ねて額を預ける私は何を問われるでもなく、時折背中を撫でられるあたたかさに心を落ち着けながら、しずかにしずかに膝を涙で濡らしていた。涙による身体の跳ねや震える呼吸がなんとか会話できる程度におさまってきたので、一回長いため息を吐く。
乾く口内を一回嚥下し、両手に一瞬強く力を入れてから、は、と顔を上げた。すこし洟をすすりながら目元を両手で拭おうとしたところでティッシュの箱が視界の中に現れる。ありがとう、と返して二つ折りにしたやわらかいそれを目元に。
そろそろ大丈夫かなと、声を、言葉を音にしようとして、それでもやっぱり息が詰まる。ただあったことを報告する、そんな簡単なことすら出来ないほど、わたしは────ああ、うん、かなしかったんだ。
感情に意識がようやく追いつき始めた。
別にわかっていたんだから悲しむ必要なんてないのに。これからも友人として傍にいること自体を拒絶されたわけでもないし。
そう思考を上らせたところで、瞬間、奥歯を噛み締めて両手を絡み合わせて強く強く握る。違う。そんなのは綺麗事だ。自由行動中に課外活動中にナンパするクロウのことを思い出して、もしかして自分にもチャンスがあるんじゃないかって、本当に考えなかっただろうか。1リジュたりとも?
「今日の夕方、クロウに告白したんだ。……その、恋愛感情を」
自分への怒りですこし感情が落ち着き始めたのか、ようやくそう言葉に出せた。傍にいてくれていた二人はただただ泣く私を見てある程度のアタリはつけていたのか、静かに頭を撫でてくる。それで引っ込んでいた涙がまたあふれそうになって、またティッシュに目尻から涙を吸わせた。
「結構いきなり、だね」
「なんかするっと出ちゃってさ」
本当に当たり前のように、口から出てしまった。つるんと。でもそのこと自体にあんまり後悔はないので、なるべくしてなったのだろうと思う。もうずっとぎりぎりの表面張力でたもっていたようなものだったような気もするし。
それに逃げられる道を提示されたにも関わらず言葉を重ねたのは、紛れもない自分の意志だ。
「でも、その、驚いた表情のクロウ見たらああやっぱりなって思っちゃって、……振り振られた同士でも友人関係は、継続、でき、るよって」
逸れていく視線や震える声に合わせて、視界が滲んできてぎゅっと顔を俯かせる。
あの時の自分はきちんとその通りに笑っていられただろうか。これからも笑っていられるだろうか。当たり前のように友人の顔をして隣にいられるような、三人以外には誰にも勘繰られないような、そんな。
「がんばったね、セリちゃん」
「ああ、セリをフるようなやつは放っておきたまえ」
そんな言葉とともに、自分の膝を抱える私をトワの体温が覆い、その私たちごとアンが腕を広げて抱きしめてくる。ふれる指先から、身体から、あたたかさから、ふたりの優しさがじんわりと体の中に満ちていくのがわかった。
「……うん、とりあえず、これは今日区切りをつけて、学院祭に全力するよ」
クラスの催しもあるし、みんなとのステージもあるしね、なんて、笑って。
「そうだね、セリちゃんとステージに立つの楽しみ」
「キーボードだからジョルジュと揃って一番後ろというのが難点だけれどね」
「あぁ、そういえば立ち位置が普段と結構反対かぁ」
後衛のトワが一番前で、前衛のジョルジュと私が一番後ろだ。そういう意味では、本当にいい思い出になってくれるかもしれない。
ベースを奏でるクロウは、きっと格好いいだろうから。
「ふたりとも、本当にありがとう」
もうそろそろ寝入り端かというところで、天井を眺めながらそっとお礼を言う。聞こえたかはわからないけれど、たぶん、伝わっているんじゃないかなって。楽観的にすぎるかもしれない。でも今日は、今夜だけは、そう甘えてもいいって、思わせてくれた。
朝。
部屋へ来たとき肩に下げていたトートバッグの中身は朝の身支度セットだったらしく、寮が別であるアンはともかくトワも私の部屋でいろいろと身支度を済ませて、三人で共用洗面所を使ったりしながら階下へ朝食を作りに降りていく。
私たちが降りて食堂を向かうところで、二階から降りる階段にクロウがさしかかったのがわかった。アンが足を止めるのもさすがに理解したけれど、トワと談笑する私はそれに気が付かなかったふりをしたのだ。もしかしたら今までもその位置の友人に気が付いていなかったことはあるかもしれないし。わからない。確かめようもない。
でもこの一瞬だけは確かに私の意思でそれを『あり得るだろう朝の光景』にしたのだ。
明日からまた君におはようって言うために、これぐらいは。
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10/13 ライブ練習
35
1203/10/13(火) 放課後
恋が叶わなかったとはいえ、別に日常が劇的に変わるわけじゃない。
授業は受けなければならないし、予復習は欠かせないし、あと十日後に差し迫った学院祭の準備に結局当日班も駆り出されるし、放課後空き時間を作って音合わせもしなければならない。何かが変わるとしたら、きっと学院祭の後なのだと思う。
たとえば、テスト勉強を一緒にしなくなるとか。それは悲しいなと思う。どうせなら私の感情を利用してくれたって構わないとちょっと考えてしまうけれど、案外そう言うことが出来ないというのがクロウだと思うし、そういうところも好きだな、なんて。
……フられはしたけれど、好きでいてはいけないわけではないと思うから、この想いはゆっくり少しずつ溶かしていこうと思っている。いつか笑って誰かに自分から話せる日が来たりするんだろうか。あの頃、本当にクロウが好きだったんだよって。
「ジョルジュー、いる?」
「ああ、セリ。何か用事かい?」
技術棟の扉を開けると、ジョルジュが一人、カウンター前の作業場で何か導力器を組み立ている。予算の関係上フルスクラッチらしくて、ジョルジュの気苦労が窺えてしまった。
「実は背景に使う布にバリエーション出したいって話になったから、どういう機構がいいかなっていう相談なんだけど、時間大丈夫?」
「なるほど。三分だけ待ってくれるかい」
「わかった、机借りるね」
近くの机の壁側に着席し、ジョルジュの背中を一瞬眺めてから背景布の条件を書き出した紙を読む。ひだはない方がいい、なるべく簡易で、落下の危険性を極力少なく、などなど。
今更だけれど、ジョルジュが卒業した後に学院ひいてはトリスタ全体の導力機器関係の技術低下が危ぶまれるような気がするけれど技術特科クラスでも作ったりするのだろうか。あと学院祭関係でいうのならアトラクション系が少なくなったとか一般来場者に言われる未来が見えなくもない。
まぁ学院祭については私のクラスも似たようなことが起こりそうですこしこわいといえばこわいか。見本の着用写真その他はロシュが殆ど撮ってくれたけれど、当日を彼女だけで回すのは不可能だ。けれど直前に彼女の写真を見た来場者の方が、後日郵送した写真を見て「なんか違う」と感じたりしないだろうかと。いやもうその辺は割り切るしかないのだけど。
技術というのはその人に属するものなので、それを平均化するのは難しいことだなぁと改めて感じてしまう。それをある程度どうにかしてしまえるのが導力器というものなのだろうけれど、やはりそれはそれで道具をいかに上手く使えるか、という技術になってしまうので完全な平均化というのは夢のまた夢だ。
学院にいると戦車の自動化技術などが漏れ聞こえてくるので少し見てみたいなと思う。
「よし。待たせてごめん」
ジョルジュが立ち上がり対面に着席してくれたので、私は持っていた紙を差し出す。絶対欲しい条件と、出来ればな条件と、これは勘弁してという条件を羅列して、一応こちらでも形などはデザインしてみたけれどあんまり必要なかったかもしれない。
受け取った紙を真剣に眺めるジョルジュはぶつぶつと呟いている。言語化、発声による思考の整理。私ももう少し言葉に出すべきなのかもしれないな、なんてぼんやり。現にトワとアンに話した後はふわふわしていたのが少し収まったし。
「うん、これなら簡単に作れるんじゃないかな」
「えっ、すごい」
私が全然関係のないことを考えているうちにジョルジュは解決策を見出したようだ。紙を裏返し、さらさらと簡単な図面をジョルジュが描き始める。頭の中にもう完成図が見ているようでその手に淀みはない。
じっとそれを追いかけていると、シリンダーを複数つけられるハンドル回転式機構を床に設置し、そこにロール状の布を取り付け、それを引き出して天井金具に引っ掛けて固定する、というものらしいことを把握した。天井から引き出すプロジェクタースクリーンの反対版だ。
なるほど。これなら布の位置が変わることもないからカメラ調整が楽だし、突貫工事が災いして万が一天井からすべてが落下する危険性もほぼほぼ排除出来ている。
「こんな感じでどうかな」
描き終えて私に丁寧に説明してくれた内容は殆ど推測した通りで、この短時間でこれを思いつくんだからやっぱりジョルジュはすごい。
「ありがとう! 作成はこっちで頑張ってみるよ」
導力器を使った工作授業自体は私たちもやっているし、忙しそうなジョルジュの手をこれ以上借りるのはさすがに申し訳ない。
「何か困ったことがあればいつでも聞いてくれていいからね」
「うん、助かる」
がたりと立ち上がったところで外から聴き慣れた足音が近付いてくるのがわかった。相手も私が中にいるのがわかってしまったのか一瞬外で足を緩めたけれど、お互い次の瞬間には動作を再開させて扉を開いたところでかち合う。赤い瞳と視線が交差して、二人して笑った。
「クロウもジョルジュに相談?」
「おう。照明の配線関係でな」
「頼ってる私が言うのもなんだけど、施設の話ならマカロフ教官の方が良くない?」
「めんどくさがられるんだよ」
その状況が容易に想像出来てしまって、あー、と苦笑する。マカロフ教官そういうところあるよなぁ。それでも授業はわかりやすいから好きだけど。そもそも放課後に相談に乗るという行為は完全なるボランティア的なものだし。
「それなら仕方ないか。いや私が仕方ないって言っていいことではないけれど。じゃあね、ジョルジュ。ありがと」
クロウの横を通り抜けて二階の自分の教室まで。扉を開けるとありがたいことにかなりの数になった衣装にタグ付け・番号付・本体と小物の紐付けなどの作業をしている面々がいた。ジョルジュに相談してきたよ、と紙を渡すとそれを見た工作に強い系の人員たちが、なるほど、と頷いて今日からでも制作に取り掛かろうと言い合っている。
そんな反応を聞きながら、陽と木々の葉が落ちていく窓の外を漫然と眺めていた。眩しい。
1203/10/17(土) 放課後
授業が終わって即、全員で旧校舎に集まった。学院祭まであと一週間だ。明日の自由行動日は全員の都合がつけられるのが夕方からなので今日は結構がっつりやりたい。ちょっと前からそれなりに形になってきたとはいえ、それなりに過ぎないといえばそれまでだ。
未だ帝国の一般市民に浸透していない音楽ジャンルで講堂をジャックすると言うのなら圧倒的クオリティで叩き伏せなければそれは失敗になる。
全員それがわかっているからか練習時間を増やすという方向にはいけども削る発想は出ないし、経験者であるっぽいクロウから飛ばされる容赦のないアドバイスも最終的には受け入れて何とかいいものにしようと足掻いていた。
「っし、取り敢えず通しでやってみっか。ジョルジュ」
汗を拭いながらクロウの発言にトワがマイクを持つ手に力を籠めるのが後ろからでも見えた。一番前で歌って踊らなければならないというのは、まぁ、いろいろとある気もする。
声をかけられたジョルジュは、ルーレ工科大学で開発されテストとしてつい最近借りてきた導力器を舞台下にセットし始める。映像と音楽を同時に記録結晶に封入できる画期的な技術なんだとか。まだまだ一般流通する目処は立っていないらしいけれど、導力カメラのようにいつかはそうなるんだろう。
そんなことを考えていたらセッティング諸々が終わったのか開始の、合図が。
クロウ曰く、ロックというのは一般音楽でいうところの指揮者に当たるのがベースかドラムになるらしい。今回はクロウがリード側に回って支えてくれているのだけれど、なるほど。目安になる楽器に安定感があってそこにいてくれるというのは本当に心強い。
鍵盤を叩きながら、みんなに視線を走らせる。懸命に小さな手足を広げて舞台の上を走り回るトワ、何が手慰みにというレベルだと思ったけれど練習開始より本当にずっと滑らかにギターを弾くようになったアン、気質が合っていたのか安定したリズムを作り出してくれるジョルジュ、そして舞台上をギターと位置を時折スイッチしながら楽しそうにベースを弾くクロウ。
私はといえば舞台の感覚は高揚するし、どんどん表現出来ることの幅が広がっていくのも面白いし、ロックというジャンルは今までとはまた違う技術をとても求められるので興味深さが日に日に増していく。つまり、うん、楽しい。誘われたことではあったけれど今は自分で楽しんでいると思う。
それにしてもアドリブを今から入れていると当日本番困らないかな、と考えてしまうけれど、クロウとアンならそんなヘマをすることもないだろうと思考を切り捨てる。最新戦術オーブメントARCUSの戦術リンクというのはそれほどまでに強力で、日々の私たちにも影響を与えていると言っても過言ではない。事実、今もあの繋がった感覚で引っ張られているなとも思うし。
そうして演奏をやり遂げ、余韻。
旧校舎が静けさを取り戻したところでベースのストラップをかけたままクロウは舞台を飛び降り、導力器をいじる。おそらくスイッチを切ったとかだろう。そうしてから、おつかれさん、と笑った。
その一言で空気が弛緩するので、やっぱりクロウの何というか、場をまとめる才能というのは結構すごいものだと思う。というかこの面子、改めて考えてみてもだいぶ能力が突出しているんだよなぁなんて考えてしまう。四月の頃と比べたら劣等感が苛まれるようなことはもうないけれど。私にだって出来ることはあるので。
「無事撮影出来たかな」
「さあな。取り敢えず映写機にセットしてみりゃわかんだろ。おあつらえ向きに壁白いしな」
ジョルジュも続いて降りてそんな会話をし始めるので、私たちもとすんと降りて映写機の方へ。旧校舎は倉庫的な意味合いもあるのか荷物が雑多に置かれていたけれど事前に一角だけは退けておいたので、すぐにでも上映会は出来る。すこしトワが震えていたけれど、大丈夫大丈夫、とアンと一緒に背中を軽く叩いて映像が見えるところに全員で座った。
そうして流れたものに、正直びっくりした。今まさにそこに先程の光景が映し出され、臨場感が場を支配する。うっかりするとこういう形で流してもいいんじゃないか、なんて考えてしまうほどで。いや駄目だけど。
導力映像複写機、とでも言えばいいんだろうか。自分が記憶しているものと同時間帯なのに別の視点のもので、もしかしたらちょっと記憶が混乱しかねないな、なんて考えたりもする。そうして音楽が終わりを迎え、クロウが舞台を降りて機材に近付いてきたところでプツリと映写機は沈黙を落とした。
「……」
おもわず、手をゆるく叩く。ぱちぱちぱち。まさかここまでのものだなんて思っていなかったし、そもそもの内容も悪くないのでは?と心の中で自画自賛してしまった。
「想定通りくらいだな」
「えっ!」「は!?」
クロウの淡白な第一声に思わずトワと一緒に変な声が出てしまった。
「あんだよ、まさかここで満足とか言わねえよな」
そりゃもちろん、あと一週間はあるわけだしここから更にクオリティ上げるつもりはある。でももう少し、こう、労いの言葉が一言あってもいいのでは?特にトワなんて主催である生徒会を掛け持ちしながら頑張ったのだし。
そんな私のもだもだを察知したのかアンが背中を軽く叩いてきて、そういう言葉は当日まで取っておくということだろうさ、なんて笑う。……まぁ、うん、それもそうか。お互いを労うのは全部が終わってからでいい。
「……なら、及第点レベルだって言ったんだからアドバイスは出来るんだろうね」
好いた相手フられた相手だからってツッコミどころがあるならそこは突いていくべきだ。きっと私たちはそうやってこの半年を過ごしていたんだから。それが、クロウが"相棒"と言ってくれた私の姿だろうから。
そうしてクロウは、もちに決まってんだろ、なんて言いながら笑うのだ。眩しい。
結局、今日のところは映写機を再度回しながら大雑把なところの確認にとどめ、細かい箇所については明日の夕方から全員で詰めていこうという話になった。夕食は食堂でさっくり取ったし、明日は自由行動日だ。ちょっとだけ帝都に出る予定もあるしさっさと寝てしまおう。
とっぷりと夜にさらされた坂道を降りながら、お互いのクラスの出し物の話をしたりして寮への分岐に差し掛かる。
また明日ね、とアンに手を振ろうとしたところで、このあと時間はあるかいセリ、と言い出された。時計を確認して、21時。肯くとじゃあ私の部屋に来てくれ、なんて。……何か呼び出されるようなことでもあったかな、と首を傾げつつ、まぁ直ぐに判明するだろうとアンの後ろを素直についていった。
今まで特に入る理由もなかったので、第一寮──通称貴族寮に初めて足を踏み入れて何というかびっくりしてしまった。こんな調度品、学生寮にいるか?みたいなものばかりが目に入ってしまい目がしぱしぱする。
そして当たり前だけれどいるのは貴族生徒の白い制服の人たちばかりで、緑色の標準服があまりにも浮いている気がする。あっ、これもしかして誘いを断った方がよかったのでは?と一瞬思いかけて、いや友人の誘いを無下にするほど大切にするものでもないなと切り捨てた。
私もずいぶん図太くなったものだ。半年前からは考えられない。
こっちだ、と三階最上階まで歩き、階段一番近くの部屋へ。中央側の端っこだ。どうもでいいけれどいつもの面子の部屋、端っこ勢が多いな。まぁ端の部屋が一番楽だと思うけど。もしかしたらアンの部屋の割り当てはそういう思惑が絡んでいるかもしれない。ないかもしれない。
「第一に入るのは初めてだったかな?」
「うん。アンがいつもこっちに来るしね」
そっちの方が早いからね、と言いながら部屋の鍵を開け招かれる。それだけでまた驚いてしまった。部屋が第二の倍ぐらいはある。えっ。これ学生寮だよね?なんかこっちよりずっと人数は少ないのに妙に敷地面積多いな?とは思っていたけれど。
びびるなー、と内心呆れていると、そこにでも腰掛けておいてくれ、とソファを示され大人しく身体を落ち着ける。うわ。思った以上に腰が沈んだ。何とか身体の位置を模索していると、ふふ、と笑われながら対面にアンが座った。
「良かったらこれを塗らせてくれないかと思って呼んだんだ」
言われて差し出されたのは、赤いマニキュア。特に深い赤だ。私は色付きのマニキュアは塗らないので意図がイマイチわからない。
「セリに似合うと思って。ロックならこういう色を指先に置いても映えるだろう? 三人それぞれ塗るのもいいんじゃないかなと」
「つまりトワにもプレゼントしたの?」
「トワには前日私が塗る予定を入れている。ただセリは明日、帝都に出るだろう? 新しいのを買ってきてしまうかもしれないなと思ってね。加えてキーボードを弾く際に邪魔にならないよう今から目を慣れさせておくほうがいいかもと」
ああ、なるほど。それはある。もうだいぶ習慣になってしまったネイルの手入れ用品も、時間があれば仕入れておこうとはちょっと考えていた。しかし、うん。そういう発想はなかったけれど学院祭用の特別な色っていうのは更にテンションが上がる魔法かもしれない。
「ありがとう。今から塗ってくれるの?」
「セリさえよければね」
「じゃあお願いしようかな」
四大名門ログナー家の跡取り第一候補にネイルを塗らせるなんて、他の貴族生徒にバレたら大目玉を喰らうかもしれない。だけどまぁここはアンの部屋の中だし、それをわかっているからわざわざ最上階の自室へ招き入れたんだろう。
任せてくれ、と隣に座り直してきたアンが除光液で丁寧に今ついているネイルを落としていくと、きゅっきゅ、と鈍く高い音がする。
「それとネイルのことは本音ではあるが、少し話したかったのもある」
「うん?」
「クロウのことだ」
「……それ突っ込んでくる?」
苦笑しながら返事をすると、ああ、と大真面目に返され怯んでしまった。
「必要とあらば突っ込むさ。大切な友人のことだからね」
フフ、と何だか……気のせいじゃなければ慈愛がこもったような目線で笑われてしまい、すこし斜に構えた返答をしてしまった自分を恥じる。普段と反対だなぁ。でもこういう真っ直ぐさがアンのいいところでもあるんだよな。どうかと思う側面もあるけど、それもまたアンだ。
爪の手入れはこまめにしているのでネイルを落とした爪にすこしだけ手が加えられただけで、まずベースコートが丁寧に塗られていく。
「いや正直なところ、クロウがセリをフったというのが解せなくてね」
「……でもクロウって私に恋愛感情ないでしょ」
まぁあれだけ課外活動地でナンパしておいて明確な恋愛感情ある相手からは逃げるというのが、若干臆病者と言えなくもないかもしれないけれど。でも逆に遊びじゃないから逃げるっていうのはあるだろうたぶん。そういう相手を好きになってしまった自覚は多少なりともある。
「そこだ。私はクロウからセリへの恋愛感情はあると見ていた」
「そんなまさか」
「あれは本心を隠すのが病的に上手い男だよ。ナチュラルにそれをやる」
言われて、最初の三ヶ月のことを思い出す。笑いたくもないのに笑うなと食ってかかって殴り合ったりしていたのを、トワとジョルジュが止めようとしたりしてもういっそ気の済むまで殴り合えばいいのではと匙を投げていたのも今となっては結構遠い日の思い出だ。
そしてアンはこう見えて、それなりに他人の観察が上手い。私との関係は多少バグってはいたけれど、まぁそれもたったの一月に満たない間の話だし。そのアンが、わざわざ私を呼び出してこの話をするということはそれなりの意図と確信があってのことなんじゃないだろうか。
「今はナリを潜めている気もするが、少し引っかかってね。すまない、とりとめのない話だ」
「ううん、ありがとう。気にかけてもらえるってのは嬉しいよ」
どうでもいい相手にこんな時間を割いてそんな話はしないだろう。だからこれは本心だ。たとえそれが合っていようと合っていなかろうと。……まぁ、自分に都合が良すぎる気もする話なので、真正面から受け止めるには少し勇気がいる話ではあるけれど。
そんな話や学院祭のことなどいろいろなことを話しながら私の爪は赤を迎える準備が整えられ、例の置かれたマニキュアがそっと刷毛で塗られ指に彩りが与えられていく。
赤い花が灯ったようで。何だか不思議な感覚。でも、うん、わるくない。
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10/18 自由行動日
36
1203/10/18(日) 自由行動日
「お出かけですか?」
寮から駅までの道で公園を突っ切ろうとしたところで、朝の掃除をしているのか箒を持ったティゼルさんに声をかけられた。
「うん、自前の導力カメラ使う出し物をするから、メンテナンスしてもらおうと思って」
普段ならジョルジュに頼んでいるけれど、III組のアトラクション作成の佳境に入っているみたいで作業を追加するのはちょっと申し訳ないという感じだ。もちろん頼んだらやってくれるのだろうけれど、ジョルジュ依存をしすぎるのも良くないのではないか、なんて。
ただ酷使する直前に知らない人の調整で上手く撮影できるだろうかという懸念は残念ながらあるので、この一週間でセッティングの癖に慣れようという魂胆だ。
「セリさんたちは何されるんですか?」
「私たちのクラスは貸衣装屋で、ドレスとかスーツとか揃えたんだ。もちろんティゼルさんが着られそうな服もたくさんあるよ」
貴族生徒の実家の物持ちの良さに驚いたのは私だけではなく、少しクラスがざわついたのが面白かった。母校の学院祭で使われるのなら服も本望だろうという意見を何回か聞いたので、そういう意識の共通さ加減は興味深いなとも。
「楽しそうですね! 学院祭は父さんと毎年一緒に行ってるので絶対に行きます!」
「うん。よろしく。また今度、近いうちに料理会もやろうね」
「はいっ」
両手で握り拳を作ってくれた彼女はそのまま駅へ向かう私を見送ってくれる。
いい子だなぁ、ティゼルさん。ブランドンさんが溺愛するのも無理からぬ話というか。そもそも男親的には一人娘というのはわけのわからない生き物であると同時に、だからこそ愛おしかったりするんだろうかと勝手に推測する。
連絡橋を渡って二番ホームへ。もう慣れたものではあるけれど、うっかり一番ホームのケルディック方面行きに乗ってしまおうものなら三~四時間は無駄になる。いくら鉄道が便利とは言っても即反対方向へのものが来るわけじゃない。
先日ぐらいに鉄道に慣れていないクラスメイトからそれをやってしまったという恐怖体験を聞いたので、今日は特に気をつけてホームにある行先案内板を確認した。
鉄道が来るまでベンチで待つこと10分ほど。速度を落としながら入ってきた列車に乗り込み席に座る。シーズンというわけでもないので帝都行きといえどあまり人はいない。ここからのんびり窓の外を30分眺めていれば到着だ。
学院祭の準備はクラスの方もライブの方もスムーズに進んでいると思う。
例のシリンダー回転式の背景布変更装置は昨日完成したのを見届けたし、取扱い時の注意事項もきちんとメモをした。動かないよう一方向回転のツメがついているので、カチリカチリと丁寧に動かすのが肝要らしい。
ライブの方は今日の夕方に細かいところを詰めていき、最終的に学院祭一日目の夜……つまり前日に衣装が届いてリハーサルという形になるだろうか。こうして考えると結構ぎちぎちというか、ある程度の形によくなったと思う。もちろんクロウの教え方やリードが上手いとか、みんなのやる気や元々の技術があったというのはあるのだけれど。
こつんと窓に頭を預けて、そっと目を閉じる。
学院祭が終わったら、11月になる。そうなったら、本当の終わりの日が来る。最新型戦術オーブメントARCUSの性能実戦テストになるだろう。サラ教官かナイトハルト教官か、はたまた両方と戦うというのが順当な試験内容だろうか。学院長やベアトリクス教官もお強いと聞いているけれど、さすがに出張っては来ない……と思う。たぶん。戦ってみたいか戦ってみたくないかで言えば、胸を借りてはみたいけれど。
なんにせよこれからは今までの半年のような、課題に向き合いつつ自分たちに何が出来るのかという択を迫られるようなことは殆どなくなるだろう。ほっとしつつも、寂しい気持ちもある。あの半年がかけがえのないものというのは、たぶん、チームメンバー全員の共通認識なんじゃないかなと。ARCUSがなければ話さなかった、喧嘩をしなかった、仲良くならなかった、……恋をしなかった。
いろんな感情が渦巻いて、私の心に複雑な色を抱かせる。
それでもそれは、全然不快ではなかったのだ。
まず最初にトラムに乗ってヴァンクール大通りのリュミエール工房へ。帝都で導力製品について何か頼んだり探すならここだという話を聞いていたので足を運んでみたら、思っていたより古めかしい外観でそっと中に入る。
工房という名を冠しているだけあって作業場と店内がつながっているようで、普段嗅いでいるのとはすこし違う気もするけれど機械油特有の匂いが少しする。換気に気をつけているのか慣れていない人が顔を顰めるレベルではもちろんないけれど。
「いらっしゃいませ! 何かお探しですか?」
カウンターにいた店員の方に、導力カメラのメンテナンスをお願いしたいんです、と腰のポーチから取り出し本日中の引き渡しで見積もりを出してもらうと案外と高くついた。まぁでも仕方ないかとそのままお願いする。あとできちんと領収書はもらっておこう。予算として通るかは知らないけれど。
三時間ほどかかると言われたので、わかりましたと頷いたところで壁のポスターが目に入った。RF社協力加盟店。先行メンテナンス品の項目にARCUSの文字がちらっと見える。
もしかして、とARCUSを取り出して終わったらここに連絡を入れてもらうことって出来ますかと言ったら大層驚かれてしまった。学生らしき人物が最新技術の粋であるARCUSを持っていることもそうだし、それを持ってきたのが女子というのも更に驚く一端となったのだとか。
トールズ士官学院の半数弱は女性なんですよ、という言葉は飲み込んだ。実のところ勇士章を貰った三人中二人の性別もそうだし、更にたしかフェンシング部の一年筆頭も女性だと聞いたことがある。貴族生徒らしいので現状あまり交流はないけれど。
とりあえず、通信圏内にいたら連絡はくれることになったし、そうでなくても三時間後に店を訪ねたら大丈夫だと言われた。ありがとうございます、とお願いして店を出る。現在10時半。お昼を跨いだぐらいだから、まぁ時間潰しにはあまり困らないだろう。
せっかく大通りに来ているのだし、とその足で百貨店ビフロストに。ネイル用品を最初にここで買ってしまったが故に他の店の品揃えに満足出来なくなっているのは多分、幸福と不幸の狭間にいるようなものなんだと思う。安価なものが悪いわけではないけれど、値段相応というのはそうだ。そして命を預ける指先にお金をかけないというのは個人的に無理だった。
それと色のついたネイルにすこし興味が出てきたので色々手に取ってみたけれど、こうして並べるとアンが塗ってくれたやつは段違いで発色がいい。ビフロストに置いてあるのだから決して悪いものではない筈なのに、視界に入る指先の色は綺麗だし何より自分に合っているのがわかる色だ。どうして本人がおらずとも絶妙な色を選ぶことが出来るのか。アンの謎はたまに深まる。
まぁ今は補充もいいか、と棚に戻してふらりと外に出て他の店に。
百貨店の前の大通りはすごい速度で導力車が行き交っていて、通りを横断するのだけでも一苦労だ。導力車に対する法整備は遅々として進んでいないのだとか。それもそうだ。導力車というのはクロスベルとは違って帝国こと帝都では基本的に貴族が所有するものになる。それに対して法整備を行うということは、既得権益とのぶつかり合いとなり、現状の結果としては平民出身の宰相殿都知事殿と貴族一派の対立構造となってしまっている。
とはいえ、大通りはまだ帝都憲兵隊──通称HMPの方がぽつりぽつりと立ってくださっているので渡りやすい方だというのはこの間気が付いた。サンクト地区などは貴族街も近く、平民兵が多いHMPでは身分の差もあって取り締まりがしづらいのだとか。
どうにもこうにも困った話である。帝都にトラムが通っていて本当によかった。
すこし楽譜とレコードも覗いてみようと大通り近くにある音楽店に入ってみると、圧倒されるぐらいのレコード棚が出迎えてくれた。きょろりきょろりと、楽譜の棚の方にも足を進めてみて一つ手に取ってみる。ぱらりと開いた目次にはよく知っている曲名が並んでおり、うん、やっぱり普通はこういう方向性だよなぁ。
音楽院も近いせいか、入門からかなりコアなものまで網羅されているけれどやはりロック調のものは存在しない。そもそもジュライとノーザンブリアで流行っている北帝音楽というのはレコードとかになって一般流通していたりするのだろうか。クロウはあれをどこで手に入れたのだろう。今日はなんだか仲間の謎が深まる日だ。
「何か探しているのかい?」
「あ、ええと、ロックと呼ばれる音楽ジャンルに関するものなんですが」
「おっと、嬢ちゃんロックわかるのか」
「キーボードで多少弾いたりしているので」
これはなかなか良い反応なのでは?とカウンターに近づいてみると、あんまり表には出しちゃいないんだがな、と店主殿の後ろにある棚から一冊取り出され渡された。めくってみると楽譜で、少しカウンターを指先で軽く叩きながら鼻歌で追ってみる。へえ、こういうのもあるんだ。運指がちょっと難しいけど、弾くのは楽しそう。
「確か今ちょうど開いてるやつの盤をどっかの喫茶店におろした気がすんだよな」
「レコードもあるんですか?」
「たまーに入荷してるぜ。たまにな」
納品書だか伝票だからしき紙の束を確かめている店主殿の言葉を聞きながら、そうかレコードも流通しているんだなぁとなった。音源を結晶に記録する技術は未だ高価すぎるため、比較的安価なレコードで手に入るなら嬉しい。どうせなら今やってるやつの盤とかないかな。
取り敢えずこの楽譜集は買っていこう。
「ああ、あったあった。ええと、アルト通りにある喫茶店だな」
楽譜購入の会計をしたあと、親切にも件の喫茶店への簡単な地図を書いてくれてお礼を言う。更に、レコード探すならまずはビフロストの受付で在庫確認してもらうと系列店縦断検索してくれるからまず手っ取り早いぜ、ともアドバイスを頂き、次に探すときはそうしてみます、と改めて頭を下げて店舗を出た。
現在時刻11時半。喫茶店が目的地なら、そこでご飯の提供もあれば頂いていこう。
トラムで帝都の東側へ移動し、アルト通りへ。
例の喫茶店はトラム降りて直ぐのところにあるから分かりやすいよと教えてもらったけれど、たぶんあれだろう店が確かに向こうに見える。近付いて店の前に置いてある手書きの看板を見ると、音楽喫茶という文言が記されていた。なるほど。帝都の喫茶店でロックレコードを入荷するって尖っているなぁと勝手ながら思っていたのだけれど、音楽ジャンルに対して多趣味な方なのか。
からんからん、と押したドアに合わせて鳴るベルと共に店内に入ると店内は扉から全体を見渡せる大きさで、それゆえにか店内にかかる音楽には心地よさがあった。カウンター席を選んで座り、店前にあった看板のオムレツサラダセットを頼む。位置による音楽の差があまりないので、店内設計に音の反射など組み込まれているのだろうなぁ、なんてことを考える。
本当にここは音楽喫茶なのだ。
カウンター向こうで店主らしき男性が、私のオーダーのためにフライパンをふるっている。黄色いたまごの色が鉄の色によく映えて綺麗だなと思った。ほどなくして暖かいお皿に乗ったオムレツとサラダとトーストに調味料が並べられ、お腹が空いていたこともあって喉が鳴る。冷めないうちに、とバターをトーストに塗ってからフォークをオムレツに差し込むと、あ、これは、感触だけで美味しい。
曲名はわからないけれど店内のゆるやかな音楽、昼時の少しだけ賑やかな雑談の声、名物だそうなハーブティーの香り、いろんなものが合わさって、この喫茶店の居心地をよくしているんだろうなと。最近凝っていた気がする心がすこし解けていく。
「あの」
「どうかされましたか?」
食後の紅茶を頼んだところで、店主殿に声をかける。
「ここにこの音楽のレコードがあると聞いてきたのですが」
つい先ほど購入した楽譜を紙袋から出し、該当のタイトルが記載されたページを開く。カウンター向こうの方は数秒眺めて、ああ、といった風情のあとに少しだけ表情を歪めた。あ、もしかして趣味ではなかったからもう既に売却している、とか。
「実は友人に貸し出しておりまして。そこも店ではありますが夕方から開くバーなんです」
バー。お酒を提供する店舗。つまりそれは学生である私は入店するのはあまりよくないお店ということだ。そもそも入っても飲めるものが何もないとかもあるかもしれない。バーというのがどういう場所かいまいちわかっていないけれど。
「それは……私が入っていい場所ではないですね」
「申し訳ありません。ただ、そうですね。もしよろしければこちらから連絡をしておきますので、後日ソフトドリンクでの注文で音楽を聞けるように取り計らっておきましょうか」
「えっ、いいんですか」
私はこの店の常連でもなんでもないのに。
すると店主殿は、ふふ、と柔和に笑って後ろの棚から何か紙を出して書き始める。
「音楽を求めて訪ねてきた方を無下にするというのは性に合いませんから」
言われて、うつくしいポリシーだなと思った。自分の好きなもののために、他人の利となることへ自分が動くことを厭わない。まぁひいては自分の利、ということなのだろうけれどそれでもそうやって直ぐに行動に移せる方がどれだけいるのかという。
正直、ここでルートが途切れるならそれもある種の縁だな、と一旦諦めるつもりではあったのだけれど、こうして繋いでくれる方がいるのならそれは全力で乗っかっていこうと思う。……案外と私は、自覚以上にロックに魅せられているのかもしれない。それは嬉しさ楽しさ半分、複雑さも半分だなと内心で自嘲した。
そうしてお腹と心を満たし簡易的な紹介状も頂いたところで店を出た頃には既に時刻は午後を回っていて、腹ごなしついでに少し歩こうかなと動き出した。こうして歩いているとやっぱり足の下には何かがいる気配があって、帝都に住んでいる人は大変だなぁと思う。
地下水路があるということはまぁ大概魔獣の住処にもなっているだろうし、小型魔獣がいるならそれを餌とする大型魔獣が棲みつく可能性もゼロじゃない。遊撃士も少ないのであれば、それの討伐は誰が今請け負ってくれているのだろうか。やっぱりHMP?帝都知事の方はそういう案件も通してくれるという噂だけは聞くけれど実情のところはよくわからない。
道を歩いていると別の街区に入ったのか少し通りが広くなり、導力車を頻繁に見かけるようになった。ここからはトラムに乗った方が安全かな、と辺りを見回したところで少し気になる人が見える。
ご年配の女性のようで、どうやら通りを横断したいみたいなのだけれどタイミングをはかりかねているような気配が見受けられる。少し考えて、声をかけることにした。
「すみません、何かお手伝いできることはありますか?」
私が声をかけると、あらまあありがとう、とまだ何もしていないのにお礼を言われてしまう。その方をよくよく見ると、少し大きめのキャリーケースが足元に置かれていた。旅行者の方なのだろう。
「向こうへ行きたいのですけどね、荷物が大きくて難儀してしまっていて。石畳ですから荷物もちょっと動かしづらくて」
「では私がそちらの荷物をお持ちしますよ。あちらの角に憲兵隊の方がいる横断区域もありますし、まずはそちらへ向かうのはどうでしょうか」
「そうね。なら、そうしましょうかしら。お願いできます?」
「はい」
返事をしてから許可をもらいキャリーケースを横にして持ち上げる。うん、確かにこれは自分は特に困らないけれどすこし重い部類かもしれない。帝都の歩道はローラーのあるこういった個人の荷物を運ぶものにはあまり適していない。音もそうだし、何よりパーツの損耗が激しいため慣れている人はリュックや肩掛けが出来るボストンバッグなどで来るのだとか。
「あなた力持ちなのねえ」
「日々鍛えてはおりますので」
そんな風に談笑しながらゆっくり歩き、一旦の目的地である角の横断区域へ到着する。憲兵隊の方が確認をして歩行を許可してくれたところで渡り始め、あと数アージュで向こうへ辿り着くというところでその"音"があらゆる感覚の中に割って入ってきた。気がつくのが遅すぎた。否、導力車というのは圧倒的な速度で走行する。人間の反射神経でどうにかなるものじゃない。
つまり、帝都憲兵隊が管理するその道路を、私たちが横断するその道を、一台の導力車が脇目も振らずに突っ込んできた。瞬間、私の選択肢は一つを残してすべて消え去ったのは言うまでもないことで。ただ無我夢中にキャリーケースを投げ滑らせると同時に、傍にいるその人をあと少しだった歩道へまず突き飛ばして、それから。
それ、から。
七耀暦一二〇三年十月十八日 日曜日 十三時三十二分 帝都・バステア通り
一台の導力車が横断区域へ走行侵入し、多数の人々を撥ね、建物に追突して停車した。それにより道路は一時混乱し、導力車同士の追突や回転、およびそれに巻き込まれた市民が多数発生。昼下がりの通りには緊急車両がサイレンと共に辺りへひしめいた。
【死 者】貴族一名 平民五名
【重傷者】貴族三名 平民二十一名
【軽傷者】多数
こうして帝都の歴史に類を見ない最大級の導力車事故がその日、記録されることとなった。
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10/18 見舞い
37
1203/10/18(日) 夕方
旧校舎には珍しくセリがまだ来ちゃいなくて、オレとゼリカとジョルジュの三人で楽器を準備し始める。しっかしこの時間になってもあいつがいないってのが不自然というか。……フることになっちまった次の日にだって練習には来てたわけだし、オレと一緒にいるのが嫌だってことは、ない、はず。昨日も楽しそうに演奏してるのは見たしな。
そう。あの日を経ても、オレたちは"オレたち"であることを明示的に選んだ。
特別な行動は、対応の変化は、周囲への喧伝になる。翌朝のゼリカのやろうの意味深な笑いと、トワと一緒にいたあいつをみて口を割らされたことは理解したがそれでも、その日の夕方もその次の日もいつものように笑いかけてきた。何も変わらない日常。
あの日、セリにはオレの軽口に乗って自分の感情を誤魔化す選択肢があった。そいつは理解しちゃいたろうが、それを無視して自分の感情をオレに伝えるっていう選択をした。
それでも、その覚悟を投げ捨ててもわかりやすい逃げ道を提示してきて、俺は、残酷だろうにそれに付き合うことにしたんだ。それがセリのためにはならねえとわかっちゃいるのに。傍にいることを許してくれるならと。五人でいられるならと。
「セリから連絡来てるやついねえよな」
「私が聞いているのは帝都に行くと言っていたくらいか」
返ってきた言葉に思考する。帝都に行って時間を忘れてる……正直そいつは考えづらい。あいつはトワとおんなじくらいオレたちのタイムキーパーだ。時間感覚は優れてる方だろう。じゃあ、どうして今ここにいないのか。普段ならあり得ないことにざわざわと腹の下が落ち着かないような気分になる。
そうしたなかに慌てたトワが飛び込んできて、帝都で事故があったと伝えられた。
「具体的な状況・状態がわからないため連れていけない」というサラとセリの担任であるフェルマを全員で説得して、訪れた帝都中央総合病院。ここに例の事故による重軽傷者の大半が運び込まれているらしい。
受付で教官二人が許可をもらい、向かいながら病室は五階の個人病室だと聞かされてオレたちに緊張が走った。隔離されるほどの怪我なのかと。トワの手をゼリカが握り落ち着かせる。階段を上がったところで、とある病室から何人か憲兵隊の人間が出てくる。まさかと思ったがその出てきた病室がセリが寝かされている部屋らしい。すれ違う憲兵隊の表情からは何も読み取れずそのまま扉の前に。
気分は落ち着くことを知らないかのようで、喉がひりつくように渇いている。
担当教官であるフェルマが手の甲でノックをすると、開いてますよー、と妙に、なんというか、場に似合わねえ呑気な声がしたような。気がした。スライド式の扉を開け、2アージュほどの通路を通ったところで白いベッド上で起き上がっているそいつが。
「あれ、教官たちとみんな勢揃いで」
頭に包帯を巻いて、顔にガーゼが貼られて、病院の検査着から見える腕にも白い包帯が見え隠れして、広範囲の怪我をしているのは間違いねえが、それでも。
────生きてる。
生きて、動いて、話して、そこに存在して。る。たったそれだけのことだって言うのに、と頭で自分を落ち着かせようとしても、全然それだけじゃねえと心臓が早鐘を打ち始めるのがわかった。生きてる。
「ローランドさん。意識はハッキリとあるようですね」
「はい。ご心配をおかけしてしまい申し訳ありません」
担任と担当であるフェルマとサラが近付き二、三だけ言葉を交わしてそれだけで教官勢は帰ることにしたらしい。詳しいことは今から医者に聞きに行くのと、必要とあらば憲兵隊の方へ事情申請をするのと、あとは個室だからといってさすがに見舞いが六人は部屋面積に対して多すぎると。
外出延長届出しておくわね、とサラが言い残して二人が帰ったところで、トワがベッドの傍に膝をついた。布団の上に置かれていた手の片方におそるおそるといった風情で自分のそれを重ねて、祈るように額へ。
「セリちゃん、セリちゃんだよね。生きてるよね」
「うん、まぁ、一応まだ生きてるつもり」
はは、と苦笑するセリが握られていない手でトワの頭を撫でる。そうしてオレたち全員を見渡して、あのさ、と口を開いた。
「来てくれてありがとう。早速お願いで悪いんだけど、誰かキーボード持ってきてくれない?」
「……あ?」
キーボード?いや、キーボードがなんなのかを問うているわけじゃねえが、もしかしてこいつもしかすんのか?
「セリちゃんもしかして学院祭出るつもり!?」
「えっ、当たり前だけど!?」
「……セリ、私たちは君が大事故に遭ったという程度の話しかまだ知らないわけだが、説明の体力や時間はあるだろうか」
「ああ、そうなんだ。じゃあ椅子足りないから立たせたままで申し訳ないけど話すよ」
曰く。
13時半頃、帝都東側にあるバステア通りで一台の導力車が使用中の横断用区域に突っ込んだ。セリは案内中のばーさんとばーさんの荷物を何とか追突線上から押し出して、自分はそのまま向かってくる車に撥ねられた。
と言っても咄嗟に跳躍して体を捻りながら撥ねられつつもボンネットの上に退避出来たところまでは良かったが、減速しない車に新しく車上へ撥ねあげられた歩行者とぶつかり、さすがにそのまま落下して再度混乱する車道へ投げ出され、別の車にもう一度撥ねられたと。
その時に頭に怪我を負いはしたが意識は失わなかったので、倒れている一般人をぐちゃぐちゃの車道から担ぎ上げ避難させたりして、その場の混乱の鎮静に走り回っていただとか。
その内緊急車両が続々と到着し有無を言わさない形で車両に押し込まれ、治療ののちに憲兵隊が事情聴取に来て、その後、今に至ると。
「だからさ、心配しなくても平気だよ。たぶん」
「心配する要素しかなかったよ今の話!!!」
トワの叫びに、オレも含めて全員頷いた。いや、撥ねられた後に更に後続に撥ねられるってなんだよそれでなんでそんなにピンピンしてんだよ。いやお前のことだからしっかり周囲把握して受け身とってたんだろうけどよ。
「骨折とかは?」
「ないない」
ゼリカが問いながらベッドを窓側へ回り込み、セリの背中に手を当てつつ胸に伸ばした手で力を込める。特に反応はない。続けて両腕、両脚、それぞれに軽く力をかけて反応を見るも、特に普段と変わった様子はねえ。もしかしてマジで擦過傷程度で済んでるのか?あり得ねえ。
「ふむ、嘘をついているわけではないと」
「疑われている。ひどい」
「そりゃ疑うよ」
苦笑いでそう返すジョルジュに、そこまで信用ないかなぁ、と首を傾げるセリが本当にいつも通りで、一人でこっそりため息を吐いちまった。生きてる。
「そう、で、キーボード。一応裏庭での演奏はお医者さまや憲兵隊の許可も取ってるし、学院祭前には最低でも一時退院許可の可能性も高いとは確認済み。だからさ」
「……本当にやるのかよ」
言い出したのはオレだが、さすがに怪我人担ぎ出してまでやりたいことじゃない。パートナーじゃないにしたって、仲間や相棒としてはお前を心配しちまえるし、ここに来るまでだって、いま話してるこの状態でだって、実のところ気が気じゃねえ。
「やりたいよ」
それでもセリは間髪入れずにそう言い切った。
「企画始めたのはクロウだけどさ、でももう、これは私の企画でもあるんだ。……もちろん、みんなが私のことを心配してくれているのは、わかる。わかってるつもり。でも、来年は二年生で、進路とかいろんなことが山積みになって、きっとこんな風にはもう出来ない。今、今年だけなんだ。みんなとライブできるの。そのチャンスを逃したくない」
お願い、と震えが混じる声でオレたちは見上げられて、黙るしかない。だけど膝にかけた白い布団の上で、だいぶハゲたネイルの色がまざまざと事故のことを示している。
……とはいえ確かに、来年の今頃、俺がどうなっているのかだいぶ不明だ。もしかしたらクーデターを起こしきって、表の世界から消えてる可能性すらある。そういう意味で不確定要素が強いのは俺で、それがわかっているのも自分だけっていう。
「ま、別にいいんじゃないか」
小さく息を吐きながら、ゼリカが口火を切った。
「セリが強情なのは今に始まった事ではないし、私もせっかくならこのままステージでやり切りたい思いはある。もちろん、体調面に関して医者への確認等は必要だと思うが」
「それはそうだね。僕たちが来年どうなっているのかはわからないけれど、忙しくしているのはまず間違いなさそうだ。そういう意味で、僕もセリの気持ちに賛成するよ」
「アンちゃん、ジョルジュ君……」
ベッド脇に膝をついていたトワが立ち上がり、ぐすり、と袖で涙を拭う。
「セリちゃん、これだけは約束して。頭痛がするとか、体が軋むとか、何だかいつもより調子がおかしいなってなったら、必ず、絶対に、病院へ行くって」
「約束する約束する」
「もう、言葉が軽いよ」
トワの笑い声には安堵と許可が含まれているのは明らかで。そんでもって、全員の視線がオレに集まる。ったく。多数決にしちまえばいいってのに、話し合いで大事なことを決めるっつーのはあれだな、この面子のクセみたいなもんだ。
「お前らそいつに甘すぎんだろ」
首の後ろを掻きながらため息をわざとらしく吐いて、苦し紛れにそう呟いた。だけど、ああ、そうだな。オレもお前らと舞台に立てたらいいと、思う。そう思っちまった。
隠れ蓑のためにここにいるオレの手で確定事項にするっていうのは因果な話だとも。
「ま、やりたいってんなら反対はしねえよ。でもギリギリまで合わせられねえ分、前日のリハーサルでびしばししごくからな。覚悟しておけよ」
「上等だよ」
笑いながら拳を突き出してくるもんだから、オレも、ジョルジュも、ゼリカも、トワも、全員でその拳に自分のをぶつけた。生きてる。
確かにここに生きてるんだ。だから心配に思うことなんて、なんにも。
1203/10/21(水) 昼過ぎ
病院の門の前でため息を吐く。
さすがに制服で街中を歩くのはサボってる手前面倒臭えことになりそうだから適当な私服で来たわけだが、来て何かするわけでもどうにかなるわけでもねえんだよなと。生きてるのは、確認した。オレの幻覚でも妄想でもなく、あの後教官陣が確認した医者の言葉を信じるなら、本当に奇跡的なほどに軽傷で済んでいるんだとか。死者も多数出た事故で、一番最初にぶつかったあいつが一番事態を把握していたらしい。
いややっぱり適当に帝都をブラついて帰るか、と踵を返したところで、音が聴こえてきた。つい最近ずっと聴きまくってるやつだ。そんなんここで奏でるやつなんて一人っきりなわけで。本当にあいつ練習してんだな、と顔だけ覗いて帰るつもりで、うっかり中庭の方に足を向けた。
駐車場を抜けて、裏手の方に行くと休憩所のようにベンチと机が何組か置いてあって、その中の一つにカーディガンを着たセリが立ってこっちに背を向ける形で、机の短辺に鍵盤を置いて叩いている。姿は見れたしこのまま帰るか、と後ずさったところで逆にその行動があいつの感知に引っかかったのか唐突に振り向かれ、て、見つかった。そのまま数秒。怪訝そうな顔で首を傾げながら視線を外そうとはしねえから、思わず両手を上げて前に進み出た。
机の上にはブックスタンドに立てかけられた複製楽譜。書き込みその他でボロボロになってるのが、こいつの意気込みみたいなもんを如実に表している。
「……サボり」
「まあ、そういうこったな」
「怪我人の前で堂々とサボり宣言とはいいご身分ですね」
こっちは授業に出たいのにさ、と少し拗ねたような声音で皮肉が飛んできて、まあこういうヤツだよなと一人内心頷く。ビビるほどにいつも通りだ。
「それで、サボりってことはわざわざ一人で?」
「おう。……来ちゃまずかったかよ」
「……それ本気で言ってる? サボりに関してじゃなく、一人で来たことについて」
問われて、セリが何を言いたいのかいまいち判然としない。今度はこっちが首を傾げる番だ。オレのその行動に相手は自分を落ち着かせるように嘆息し、眉を顰める。
「何を考えてるのか知らないけど、事故当日にみんなで来てくれたのに後日わざわざ一人でも会いに来るなんてさ……私は、その、勘違いしそうになる」
視線を切って、キーボードに目線を落として、セリはそう言った。友人や仲間としてなら、相棒としてなら、あれだけでよかっただろうって。言外にそう訴えてくる。この距離感は許されるものじゃないと。
「……」
「君は何がそういったことに繋がるのかわかってるから、あの日以降も本当に何もなかったかのように、でも頭を撫でたりとかはせず、そう振る舞ってくれているんだと思っていたんだけれど」
言われて、それは、そうだと。ある程度意識していたことではある。
好いてるからこそ恋人にはなれねえって断って、五人でいたいっていうお互いの望みを叶えるために茶番みてえに相棒名乗って。それをよしとした。つまるところ甘えたんだ。
打算としては一分の隙もなく、ただ安穏とした隠れ蓑として関係性を崩さないように。トワ、ゼリカ、ジョルジュに、セリ。ただ五人でいられたらよかった。そうすることで、ただの、無価値な学生でいようと。
「何でクロウの方がそんな顔するのかなぁ。正直私の方が泣きたいんだけど」
いつの間にかセリの視線はこっちに戻ってきていて、指摘されても今自分がどんな表情をしているのかまるでわからねえ。だけど今のセリはきっとオレの鏡なんだろうとだけ思った。
「……ま、とにかく座ろうか。私たちは改めて話す必要がありそうだし」
着席を勧められながらキーボードと楽譜を自分側のベンチに片付けて、セリは座る。《C》としては、帰るべきなんだろう。それでも、おれは、"クロウ・アームブラスト"個人を棄てられず、だからこそここに来ちまったのかも知れねえ、なんて、心の中で呟いて、諦めたように座るしかなかった。
「で、一体どういうつもりだったのかな。私にはそれを訊く権利があると思う」
詰問する言葉が飛んできて、そうだな、と同意する。断った手前、甘えた手前、オレはせめてこいつの意を汲むように動くべきだった。本当に相棒として傍にいることを選択したのなら。
「……心配だった。お前が本当に生きてるのか、確かめたくて」
「は?」
容赦のない冷えた声。その言葉に思わず視線を下に、机の上で組んだ手に落としちまう。
「クロウ、悪いけれどそれは私への侮辱だ」
「……」
「君は、私の告白を断った。それはいい。構わない。君に私への恋愛感情はないと思っていたから。伝えたのは私のエゴだ。だけど!」
僅かな怒鳴り声が上がった瞬間ヒートアップしかけたのを自覚してか、無理やり言葉を切って、震える呼気が長めに吐かれる。怒りを抑え込もうとしている挙動だ。普段そこまでネガティブな感情を表出させることのないこいつに、そんなことをさせた。やっぱりオレはまた間違えたんだろう。
「……だけど、相棒だって、言ってくれるなら、私の強さを信じるぐらいはしてほしい」
震える声で、か細い声で、言葉が落ちた。
────嗚呼、そうか。その言葉でようやく自覚した。オレは、女としてのこいつも、仲間としてのこいつも、両方の意味で踏み躙ったのか。強くないと思っていたわけじゃもちろんないが、殊更に心配をするって言うのは能力の不足を疑っているのと同義だ。オレの矛盾した感情と立場の身勝手さで傷付けた。どうしようもねえ野郎だ。
「わる、かった」
「……うん。その謝罪は受け取っておく」
許すとは言わない。そういう、まっすぐなところが、欺瞞のない姿が俺とは全くの正反対で、眩しくて、強く、つよくつよく、この期に及んで、愛しいなって。
「────お前が好きだから」
思った瞬間、口からそう転がり出た。
駄目だ。これは、よくねえ。最大級のやらかしだ。
思わず口を押さえてセリに視線を走らせると、えも言えないような渋面に似た不可思議な表情でそこに居た。
「……今なら、聞かなかったことに、するけれど」
呆れたような声。いや、わかる。そうだよな。わかる。どう足掻いたってなんだこいつってタイミングだろ。俺だってそう思うわ。
────でも、駄目だ。現状大国特有みてえな大事故に巻き込まれたって聞いて、本当に肝が冷えた。また、大切な人間が自分の手が届かないところで帝国という化け物に殺されるかもしれないと思ったら、足がここに向いちまった。お前の存在をこの腕で確かめたいって思っちまった。それは、無かったことにできない。このままここでまた甘えたってどうしようもねえ感情には違いない。
「本心だ。……おまえを喪いたくない」
肘を机について、祈るように組んだ手へ額を預ける。
「って、死んでないよ。この通り、ピンピンしてる」
「違う」
たとえ、これから起きるであろう戦争のなかでも。お前にだけは生きていてほしいと願っちまった。そしてその生存を確実なものにしようって言うんなら、俺の傍に。それでもそれを告げることは断じてならねえわけだし、こいつが俺の手を取るとも思えないんだが。
「お前はオレが自分に対して恋愛感情がないって言ったけどそもそもそれが違うんだ。ただ"俺"は絶対にお前を傷付けるって、そう、思ってる。それでも」
それでもその日まで、もしかしたらその日を超えても、隣にいてくれるんじゃないかって。隣にいるように何か出来ちまうんじゃないかって。考えて、否定する、その繰り返し。だけど結局のところオレに出来ることなんか傷を浅く済ませるように頭回すくらいしかねえ、って、そう。
言葉を切って言い淀んだところで、ぽすん、と頭に体温を感じる。思わず顔を上げると、身を乗り出してきていたセリと視線が合う。伸びてきた手がさすりさすりと頭を撫でるように。
さっきまでマジで怒っていたろうに、それでもオレを案じてか困ったようにしつつも笑いかけられて、退くあたたかさに寂しさを覚えて、嗚呼やっぱり俺はこいつが好きなんだと痛感させられた。だからこそ告白を断ったっていうのに。ザマァねえ。
────深く息を吸って、吐いて、呼吸を整える。相棒だって呼称してそれでも傷付けるなら、いっそ修復不可能なレベルに傷をつける覚悟をした方がいい。それが俺の選択する道だ。
「……今更だとは思うが、俺の、恋人になっちゃくれねえか」
偽の学院生活だというのに。腰掛けのつもりで、偽装に偽装を重ねた身分で入学しているというのに、楽しく馬鹿をやれる仲間に、そして唯一の相手に出逢っちまった。赦されるわけがない。いつかは破綻する。だけどそれまでの間。そして、破綻した後に、その心が俺から離れたとしても消えない傷がお前につけばいいって。そう。どうしようもない身勝手な願いを籠めた。
「それは無理だね」
一刀両断。
「君が何に対して思い詰めているのか本当にわからないけれど、別に君と恋人関係になっても私の生存率が変わるとは思えないし、仮に上がるとしたらそれは君の生存率の低下に結びつきそうだし、お互いに同レベルの安心を提供できるとは思えない。だからこの場でそういう恋人契約を結ぶのを私は、是とは出来ないかな」
驚くほど丁重に断られた。
まあ確かに生存率が上がるわけねえと思うわな、理由も言えねえし、と引き下がろうとしたところで、座ったセリから両手を差し出される。意図が分からずそれを眺めていると、手が開閉するので、もしかして繋げってことか?とオレも同じように腕を伸ばしてそれに重ねた。ぎゅ、と手が閉じてオレは小さな手に捕まえられる。
緊張から体温が下がっていたのか、冷えた指先にセリのあたたかさが、じわり。
「私は、生きているよ。ここに、こうして」
「……あぁ」
同意して、オレも、少し動かしてその手を握り返した。
「だから、その言葉は私が退院して、学院祭が終わって、それでも変わらなかったらまた言ってくれる? 今ここで私がイエスを言うのは簡単だけど、今の君はどう見ても冷静ではないから私はいつかこの日を後悔してしまう。それに私は君の一時の感傷に付き合えるほど……好きな人の、そういう言葉に、浮かれないほど、心臓、強くないから」
今度はセリが俯くように、萎んでいくように、つむじを俺に見せて言葉を落としていく。
あぁ、なるほど。心配して、ただの瞬間的な激情で言っているんじゃないかと、また逃げ道を作ってくれようとしてんのか。髪の毛から覗く耳は大層赤くて、きっと喜んでくれているだろうに、オレのことを慮って。
それが多少癇に障るところもあるが、まあ、そうだな。冷静じゃないってのはそうなんだろうし、付き合ってる間、もしかして憐憫だの庇護欲だのなんだのと感情を疑われ続けるのも癪だ。
「わかった」
繋いだ両手はそのままにベンチから腰を上げて、机から回り込みセリの前へ。どうしたのか、と目線で問いかけてくるそいつに少しだけ屈んで耳元に口を寄せた。たった一人にだけ届けばいいから、誰にも、世界にも聞かれないように。
「お前が退院したら、また改めて告げに行く。それまでに心臓もう少し強くしておけよ」
そう言うと、ばか、と言わんばかりにセリは、俺の胸に軽く頭突きした。
生きていてほしいってだけのことが、こんなにも難しい。
そんなのはわかっちゃいたのに。愚かな話だ。
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10/23 1203年度学院祭
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あの後、叔母さん叔父さんもばたばたと帝都に現れてしまい、私や医師の方から何があったのか説明をしたところ、本当に本当に、生きていて良かったと抱きしめられてしまった。
まぁ私もそう思うけれど、私は、私だけは、導力車で死んではいけないと思っているのだ。だから日々、実は帝都に足を運ぶたびにイメージトレーニングをしていた。だって私まで帝都の導力車事故で死ぬようなことになったら二人は自分を責めたりしてしまうだろうと。学院になんてやらなければよかったとか、そう。私はおそらく愛されているから。
だけどそんな風に後悔してほしくない。私は、私にとっては、トールズ士官学院で得たあらゆるものが宝物だ。それを私の大切な人が否定してしまうようなことにはならないで、というわがまま。その為にならいろんな努力だってする。今回だって大した怪我もせず生還し切った。運に味方された結果だとは強く思うけれど。
そうして、仕事は数日ほどなら大丈夫だからと、そのまま学院祭まで帝都に滞在することにしたのだとか。これは予想外だったけれど、二人の写真を自分が撮らせてもらえるならそれはいいなって思った。入学前に買ってもらった導力カメラ、結構上達したんだよって。
1203/10/23(土) 学院祭一日目
話を聞くところによると前日にいろいろありはしたらしいけれど、取り敢えず私は退院許可をもらい無事に当日を迎えることができた。カメラもキーボードを病院へ持ってくるついでにジョルジュに回収してもらっていたし(時間に取りに来ないので心配されてしまったのだとか。今度顔を出しに行こう)、クラスメイトにも心配されてしまったけれど今日は基本的にクラスに詰まりっぱなしだ。
位置としては一年の貴族教室二つを使わせてもらうことになった。VI組は二階の奥の奥なので教室を使わないのならと借り切ったのだ。前日に飾り付けも機材の取り付けなども終えてくれていたので、本当に今日私は撮影することに注力するだけになっていた。
それと写真を撮る人間も仮装していた方がテンション上げやすいだろう、と言うことで私も普段着ない衣装を着させてもらっている。口元だけの簡易ガスマスクに燕尾服という、少しはっちゃけつつ色は抑え目に。
対応者が若干怪しいと逆に衣装が選びやすいだろう的なそれなのだけれど、ガスマスクは指示出しをする際に毎回外すことになるので失敗選択だったかもしれないと思い始めた。でも服と小物の組み合わせはいいと思う。わりとクラスメイトにもウケたし。ドレスは動きづらいので勧められてもNGを出すしかなかった。
晴天なこともあって気温の上がる中、暑いな、とガスマスクを首元にかけて涼んでいると次の方が案内されて入ってくる。こんにちはー、と挨拶をしたところでおどろいた。
「叔母さん叔父さん! 来てくれたんだ!」
見れば叔母さんは北の方の出身の人が持ってきたブラウスコルセット付きエプロンを着て、叔父さんの方は誰が着るんだこんなんと笑われていた騎士甲冑を身に纏っていた。
着られる人、いたなぁ……。身内に。
「そりゃ来るさ。元々、その為にスケジュール調整はしていたからな」
「ふふ、いろんな服があって迷っちゃった」
そう楽しそうに二人が笑ってくれて、私も表情を崩す。背景の布色を決めて、あとはポーズかな。ちょいちょい細かい指示を出して、結局叔父さんが叔母さんを横抱きにして、村の女性を守る自衛団のような風情の写真が撮れた。うん、楽しそう。
「ではこちらは現像して後日送らせてもらいますね」
身内とはいえ一応来場者なため、さっきはうっかり素で話してしまったけれど気を引き締めて対応する。うん。綺麗に撮れたと思う。まぁ身内だから気合い入れたというよりは、甲冑を着る人が現れるとは思っていなかったので自分の技術に勝負を挑んだ的なところもある。
「そういえば、クロウ君とは恋人同士なの?」
「────っ!?」
あわやカメラを取り落としそうになるようなことを言われて、しかしカメラを三脚からパージはしていなかったためことなきを得た。あぶない。こわい。びっくりした。
「な、なんでそんな発想に……?」
あの日の話は誰にもしていないし、誰にする気もない。それはたとえトワやアンにだってそうだ。あれは、不確定な、心の奥底にしまっておきたい思い出で。そんな何かを見透かされてしまうようなことを私は今までの会話でしていただろうか。いや、していない。
「ウェディングドレスとタキシードを着てる二人の写真があったからてっきり……違うの?」
「ち、がうねえ……あれは今回用に撮っただけだよ」
そういうことか、とこっそり早鐘のようになる心臓をそっと落ち着ける。なるほどね。確かに全員別のクラスという話は伝わっているだろうので、他クラスのクロウが私とああいう形で写っていたらそりゃ恋人だから呼ばれたのだろうと思うかもしれない。いや思うかな。どうだろう。まぁいいや。この辺を深掘りするとドツボにハマりそうなので捨て置こう。
「なんだ、違うのか。それならとクロウ君を探そうかという話をしていたんだが」
「違うから探さなくていいよ」
というか何を話すつもりなんだろうこの二人。ブランドンさんについてティゼルさんを溺愛しているな、と思っていたけれどもしかして叔父さんもそういうタイプの人なのかな。十年以上一緒に暮らしているけれどこんな素振りは初めて見た。よく知っている人の知らない一面というのは、とても不思議な気分にさせられる。
「まぁまぁ、とりあえず着替えて学院祭を回りましょう。他も楽しそうですし」
「ああ、そうだな。こうしてデートをするのも最近はなかったしな」
「そうですね」
うん、相変わらずお互いゾッコン同士。楽しそうにしている二人を見て、すこし、すこしだけ、クロウと自分もそうなれるだろうかと重ねてしまった。別にそういう関係ではないので完全にこれは不遜というか絵に描いたパンというか、そういうものなのだけれど。
手を振って二人を見送ったところでまた別の人が入ってくる。今日は忙しいけれど、忙しいというのは盛況ということで。喜ぶべきことだ。うん。頑張ろう。
「っかれた……」
午前は口コミとかもあって人が殺到し、午後は緩やかにはなりつつも人は途切れなくて、気が付けばお昼はとうに回ってもう14時半だ。お昼というよりおやつの時間。でも結構いろんな人が来てくれて、楽しそうな写真を撮るお手伝いをさせてもらって、それは本当に良かったなと心底思う。
ティゼルさんも貴族のお嬢様の服を着て、恥ずかしそうにはにかみながらブランドンさんと写真を撮っていたのは感慨深い。
人によっては数回来ていて、企画として大成功じゃん、とクラスメイトと笑ったりもした。
そんなこんなで遅めの昼食を摂ろうと人のいないVI組の窓際席で昼食休憩がてらだらけていたら、聞き馴染みのある足音がして思わず反応してしまった。明らかにこっちに指向性のある音だ。がらり。
「おーっす」
案の定後ろの扉からクロウが現れて、当たり前のように私の前の席に座る。そういうことをするなら人の許可を取って欲しい。言っても仕方ないんだろうけれど。クロウのそういうところはずっとそうだ。変わらない。
買ってきた紙に包まれたサンドイッチを開き、まくり、と口に運ぶ。ベーコンのカリカリさと脂とトマトの酸味やレタスのみずみずしさが美味しくて、これならもう一つ買ってきたオムレツサンドも美味しいかな、と期待が膨らんだ。
「そういや写真、見たぜ」
「あ、どうだった? やっぱロシュの写真すごいと思うんだよね。まずあのライティングが」
「きれいかった。お前が」
写真はいかに撮影者の技量が問われるのか今回それがいかに凄いかという話をしかけたところで、遮るようにそんなことを、言われて、しまって、顔の温度が上がるのがわかる。持っていたサンドイッチを潰しかけて、ちらりと視線をやると頬杖をついたクロウと目が合う。合ってしまう。微笑まれた。ぐしゃり。
「あっ」
「何やってんだよ」
いや潰れてもサンドイッチは食べられますからね、と言いながらもそもそ口に運ぶ。美味しい、ような気がするけれど、ぐるぐるとさっき言われた言葉が頭の中で渦巻いて、いまいち味がわからないことになってしまった。もったいない。しっかり咀嚼だけはしておく。
「お前、いますげえかわいい顔してんぞ」
容赦のない追撃!あんまりにもあんまりなので、ぎゅっと目を瞑りながらクロウの口元に手を当てて発言を抑えた。そんな挙動、今まで全然なかったのにそういうことを連発するのは良くないと思う。
「態度が以前と違いすぎて困る」
当てた手の手首を掴まれて、普段脈を測るところに唇を落とされてしまい、それはそれでピャッと手を自分の方に引き寄せるしかなかった。だめだなんかだめだ翻弄されている。困った。困っているのに、嫌じゃないところが、さらに困る。
「だってもう、お前の言葉で言うならあふれちまったし隠す気もねえよ。……お前の好きなヤツがオレだってわかってるなら尚更な」
言われて、おや、と思った。
「もしかしてクロウ、私の好きな人を誰かと勘違いした?」
「……本人に向かって好きなヤツがいるって言うとは思わねえだろ」
「でも事実だし」
「そこで嘘つけねえのがお前なんだよなあ」
「いや、でもさ、好きな人がいないって言ったらそれはそれで、ああ自分は範疇外なんだなって思うのでは?」
「否定はできねえな」
「詰んでる」
詰んでるな、と無邪気にクロウが笑うので、笑いことじゃない、と返しながらサンドイッチをアイスコーヒーと共に食べるのを再開する。
お互い言った通り、詰みの壁が崩れて、いろいろぐちゃぐちゃになって、そも今もまだきっとぐちゃぐちゃで、私とクロウの間柄は、どうにも中途半端なところにある。友人というには距離が近くて、相棒というにはお互いを恋愛的に想い合いすぎていて、恋人というにはその口頭契約を結んでいない。
それでもクロウは私に触れることをもう躊躇わない、その理由がないと言わんばかりに、今こうして私の傍で微笑んでいる。心臓がぎゅうっとなってしまう。私の心臓は仕事熱心がすぎる。
「それにしても、あっという間だったな。この半年」
三角のガーランドがたなびく窓の外に視線をやって、外のすこし遠い喧騒に耳を傾けながら、クロウがつぶやいた。私も同じように外に目線を向ける。明るい青い空。晴れて良かった。
「そうだね。四月からいろいろあったけど、楽しかった」
「オレはゼリカに殴られたりしたけどな」
「リンク繋げたり繋げなかったりしてたねぇ。周りとしても困ったというか」
「お前はお前でとんでもねえ作戦にオレを巻き込んでくるし」
「その節は大変お世話になりました。……ハザウでも弱音聞いてもらったしね」
「あったな」
二人でぽつりぽつり、半年のことを思い出す。戦闘訓練でクロウに叩き落とされて負けたのは今でもリベンジしたいと思っているとか、お前は他人のために身体を張るのをいい加減やめろと言われたりとか、今まで何となく言えていなかったことを、たくさん。
「そろそろ休憩あがらなきゃ」
すっかり氷が溶けて薄くなってしまったコーヒーを飲み干して、机の上を片付け始める。
「終わったら衣装届いてるかんな、それ着て最後のリハーサルすんぞ」
「うん。楽しみ。……でも全然合わせられなかったから、練習の方向性間違えてたらごめん」
不安から先んじてそんなことを言ってしまうと、ぐしゃりと頭を撫でられた。
「オレらなら出来るだろ、相棒」
そう笑う目の前の相手は確かに私の"相棒"で、逃げとかそういうのじゃなくて、ただひたすらに真っ直ぐ、確固たる音で私を呼んでくれた。あの日とは全然違う音。
ああそうか、恋愛関係でも、相棒っていうのは成立するのかもしれない。そうであってもいいのだ。それをあっさりと当たり前のように教えてくれた君に、私はまた恋をする。溶かしきれなかった想いと、溶かせていた想いが混ざり合って、火種となり、ほのかな熱を作る。
それが何だか無性に嬉しい。
「うん、任せてよ」
そう笑って休憩を終え、私の学院祭一日目は恙無く終わりを迎えた。
1203/10/24(日) 学院祭二日目/ライブ当日
今日は午前中から昼にかけて自由時間をもらったので、トワのクラスがやっているという喫茶店に顔を覗かせた、ところで、びっくりする。
教室に並べられた机の間を猫の着ぐるみを着た生徒が所狭しに、人によってはちょっとぶつかったりしながらてこてこてこてこと歩いている。えっ。かわいい。席に案内されてそれっぽい気配を追いかけると、ビンゴだったようでトワの顔が覗く着ぐるみが私に振り向いた。
トワ、と手を挙げながら呼びかけると一瞬止まってから、ああ!、と驚いてぽってぽってと近づいてきてくれる。今日も今日とて私も仮装しているからだろうけれど。
「セリちゃん?」
「いやー、こんなにかわいい企画だったんだね」
少し前にミヒュトさんから、お前さんとよくいるあのちみっこに無理難題押し付けられたぜ、と愚痴を聞かされていたので何を頼んだのだろうと首を傾げていたのだが、まさかこんな着ぐるみだったとは。
「うう、何かひょいひょいと決まって、裏方に回りたかったんだけど……」
「いや、似合ってるよ。一緒に写真とか撮ってもいいやつ?」
「あ、うん。というかセリちゃんの格好も結構面白いことになってない?」
「そうかな。……そうかも」
昨日とは少しテイストを変えて、男性的な貴族衣装に目元に装飾が施された仮面を嵌めている。これはこれで歩いていると写真を求められるけれど、顔が出ていないのでだいぶ気楽だ。とはいえトワと写真を撮るなら仮面は外して、少しカメラを調整してからトワのクラスメイトに頼んで写真を撮ってもらった。
「そうだ、アンちゃんのやつ観に行く?」
「もちろん」
その直後に私たちが講堂ジャックをするので、まぁそれの準備もあるし潜り込んでおくつもりだ。いやー、それにしてもよくここまでバレずに来てるなと思う。いや本当に。I組とクロウは基本的に相性が悪いのであそこに協力者がいるとも思えないけれど。でも段取り的には完璧なんだよなぁ。不思議すぎる。
「そうだ、注文もう聞いてるかな?」
「あ、ごめんしてないや。このおすすめセットと」
メニューにある軽めなものを頼んでぱたぱたと店内を歩くトワを見送って、視界に入ってくるたくさんの猫ぐるみを眺めて、なるほどな、と一人で勝手に何かを納得していた。なるほどな。
ジョルジュのクラスはプールを借り切って何かしているというので足を向けてみると、どうやら水流式流鏑馬のようなものだとわかった。ミニアトラクションと言っていたけれど結構大掛かりな装置になっているんじゃなかろうか。ここのプールは大きいらしいので水流を作るだけでも一苦労な気がする。
仮面を外しながら受付の方へ寄っていくと、いつもの柔和な表情が私に向いた。
「やあ、セリ。やっていくかい?」
「いやー、私がやったらアトラク荒らしみたいになってしまうのでは」
受付近くで動作確認のためかつきっきりになっているっぽいジョルジュとそんな会話をしつつ、楽しそうなお客さんを二人でぼんやり眺める。親子連れも多いけれど、なかなかに学院生同士のペアも多い。というか一人でやってる人は殆どいないな。
「あれ姿勢制御というか転覆防止策どうなってるの?」
「三軸感知のセンサーを使って一定角度を超えたらスラスターが反応するようにしてるけど、そもそも安定感は出してるからまだ一回も作動していないんじゃないかな。僕が片側に乗っても大丈夫なように設計してるし」
「あー、なるほど。やっぱその辺の発想が違うよね」
技術者というのはひらめきというのは本当にそうなんだろう。技術があっても、それを組み合わせていけなければいけない。そういう意味で発明と設計と開発はすべて異なるスキルだ。ジョルジュに関してはそのいずれもがずば抜けているのだけれど。
「そうだ、うちの企画で使う装置の助言ありがとう。無事に何とか回せてる」
「それならよかった。そういえばクロウのクラスのには行ったかい?」
「ん? いや、行ってないけど、行く余裕あるかなぁ」
ちらりと懐中時計を引き出して時刻の確認をするともうそろそろ自分のクラスへ行った方がいい時間だ。なるべくなら見たいけれど、人混みの中の移動だけで結構な時間を取られてしまったし、クラスの人には迷惑と心配をかけてしまったし、今日も午後に抜ける予定なのであんまりわがままを言える立場じゃない。
「たぶんセリが好きな感じだよ」
「期待値あげるねぇ」
「後から写真部の記録で後悔するなら言っておいた方がいいかなって」
「それなら何とか時間捻出してみるよ」
じゃあね、とひらひら手を振って取り敢えずスケジュール通り自分のクラスへ向かった。
道中外部から来た女性を引っ掛けているアンを遠目にしながら戻った教室は案外と落ち着いていて、初日の凄さが際立ったなぁ、と所定の位置に座る。更衣室と撮影所は別の教室なので、人手が余っている場合はみんな更衣室の方へ行く段取りになっている。ただカメラの人間は部屋にいろという形なので、今現在、部屋には私一人だ。すこし欠伸をしてしまう。
昨日のセッションはいい手応えだった。デザイン画から想像した衣装よりトワがだいぶ際どかったけれど、今更文句を言っても仕方がないので覚悟を決めて今日はステージに立つらしい。クロウも確信的というか。リテイク出来ない前日到着を狙ったんじゃないかという気さえする。いやそもそもがギリギリ納期ではあったろうけれど。
いろいろ準備してきたことが今日、終わる。達成感よりも寂しさが勝ってしまいそうで、自分のよわさに少し笑ってしまう。
「お客さん案内するよー」
「了解」
詮ないことを考えていたところに声が割って入ってきて、ドレスを着た女性二人が。いらっしゃいませ、お嬢様、と自分の仮装に合わせた迎え入れの言葉と共に撮影場所までエスコートをし、撮影に入った。
今は訪れる寂しさを考えず、ただこの喧騒に身を委ねていよう。きっとその方がいい。
午後の抜け出す時間になって、まだI組の出し物が始まるまでは15分ぐらいはありそうだとV組が使っている教室へ向かう。道中で既に楽しそうな声が聞こえてきて、見学です、と入口の生徒に断りを入れながら覗くとたくさんの人が各種様々な盤上遊戯で遊んでいる。確かボードゲームの遊び場だったっけ。ちらほら生徒が混ざっている卓もあるので、おそらくプレイヤーが足りない場合は補充要員として入るのだろう。
ジョルジュの言っていた意味がわかる。なるほど。こういう色んな人が楽しそうな顔をしている場所というのは確かに私が好むところだ。家でも叔父さんが主催して結構宴会をしていたりしたから、そこそこ賑やかなのが好きなのかもしれない。
そんなことを考えていると慣れた気配が顔を覗かせる。すると私を見つけるなり、お、という表情をして近づいて来た。
「よっす、来てたのか」
「アンの出し物の前にちょっとね……というかよくわかったね」
今は特に外す必要もなかったので仮面をつけたままだったのだけれど、と装着していたそれを外して内ポケットに差し込みながらクロウに視線をやれば、わかるっつーの、と小突かれた。そんなものかな。
「っと、そろそろ向かわないと。クロウはどうする?」
「あー、まあ見てやるのが義理ってもんかねえ」
「じゃあさくさく歩く歩く」
そう言って、クロウ借りていくね、とクラスの人に声をかけつつ背中を押して教室を出る。講堂は正面玄関を出て右手だ。たぶんもう席とかはなくなっているだろうので、適当に二階左右に広がっているギャラリーから見よう。そこも埋まっていたら……まぁどうにかなるんじゃないだろうか。
「そういやお前の保護者に会ったぞ」
「……何か言われました?」
思わず変な言葉遣いになってしまった。
「あー、その、セリをよろしく頼むとか言われた」
「そ、れは、あの、着用写真を見て誤解されたんだけど一応解いたと思ったんだけどな?」
解けていなかったらしい。人の話はきちんと聞いてほしい。クロウもきちんと否定したのか聞こうとしたところで、まあ別にいいだろ、なんて。……いや、よくない!よくはない!事実と違っていることではあるのだし!
私の無言の抗議を無視してクロウは歩いて行き、そんな感じで講堂に到着した。それなりに人が入ってはいたけれどまぁまだ入れる感じだったので薄暗い室内へ潜り込む。その時に、左手を掴まれた。するりと、指を絡ませて。えっ、あっ、と何かを言う暇もなくそのまま引っ張られ、一般客立ち入り禁止のギャラリーに繋がる階段の方へ連れて行かれる。
人の気配のないところで私の手を掴んだままクロウが座るので、私もそれに倣って座る。普段だったら冷える床が気になるのに、今日は、左にある体温が、絡んだ自分より大きな手が、気になってしまって、もう片腕で抱えた膝のせいもあってか心臓が跳ねているのがわかる。いやもうこれ絶対に顔赤くなってる。そしてそれは隣のヤツにバレている。
ちらりと横目で見たクロウは涼しい顔をしていて、こんなに慌てているの自分だけなのかな、なんて少し膝に額を預けながら幕が上がるまでの少しの間、そうしていた。ずるい。
I組の舞台は御伽噺をモチーフにした舞台のようで、男装したアンが役を務める王子が出てきて勇ましく言葉を発したり、殺陣をやったりする度に講堂に女性の声が響き渡る。すごい人気だなぁ、と普段見慣れてしまっている私は苦笑するしかない。
「そろそろ準備に入るとすっか」
クロウが立ち上がり、手が放される。
その瞬間、ほっとした感情と、さびしいという感情が入り混じってしまったのを理解して、いやいやいやと内心で首を振った。今からやるのは五人での話だ。今はそっちにスイッチを切り替えよう。
I組が使っていない方の舞台袖に入ると、アンを除いたみんながそこにいた。暫く段取りの最終確認をしていたら客席の方から拍手が起きたのを鑑みるに、舞台が終わったのだろう。本来のスケジュールならここで講堂の使用は終わる。そういうつもりでI組も客席もいるだろう。
アンが舞台に続く方向から姿を表し、I組での舞台衣装を脱ぎ始めながら笑っている。
「裏方班を誘導してこちらの撤退はもうすぐ終わる。ドラムはすぐに出せるように、でも気付かれないようセッティングしてあるし、直ぐにでもいけるだろう。いや、行くべきだ」
「導力カメラも設置完了、回し始めてるよ」
「い、いよいよだね……!」
「ま、ここまで来たらなるようになるって」
「そんじゃ、いっちょぶちかましてやろうぜ」
全員で笑って、拳を合わせて各々の得物を持ち、舞台へ飛び出した。
さあ、学院祭最後の花火をあげよう!
大切な人たちと、こうして空間を作り上げられるのはなんて幸福なんだろうと思った。たったの一ヶ月前に言い出すなと散々みんな言ったけれど、結局乗ったのは私たちの選択で、それを提案してくれたクロウには感謝している。
目の前でクロウが客席を煽っている。手拍子を強請る。それに合わせて誰かが手を叩き始め、それが講堂中に広がっていく。当たり前のように場を掌握していく。ああ、やっぱり、格好いいんだよなあ。
その中でトワが扇情的な衣装でステップを踏みながら観客を魅了し、視線を釘付けにする。それは一般入場者よりも普段の姿を見慣れている在校生の方が動揺が凄いだろう。高嶺の花というのはトワのような相手に使うのが相応しいのかもしれない。それはそれで、相手を人間扱いしていない気もするけれど。
アンはさっきと打って変わった露出の多い衣装で楽器を掻き鳴らし、隙あらばウインクを客席に送っているみたいであちらこちらから舞台の時と似た悲鳴のような嬌声のような、いまいち判別の付きづらい声が聞こえてきている気がする。よくやる。
ジョルジュは私の反対方向にいて音楽を支えている。私の視線に気が付いたのか、にっ、と笑われてしまい、私も微笑み返しておいた。普段はお互い前衛だから、こうして後ろでみんなを見る機会というのは案外ない。だから目に焼き付けておこう。
じわり。あ、だめだ。少し泣きそうになってきた。曲の終わりは近いから、それまで私の涙腺には緊張を保って欲しい。
なんとか最後の最後まで弾き切り、余韻が消え、講堂に静寂が落ちる。は、とこぼれた息は一体誰のものだったのか。私のかもしれないし、他の人のかもしれない。それだけ、この空間はひとつになっていたんじゃないかなって、私は思うのだけれど。
顔を上げ顎から汗が落ちた瞬間────拍手の洪水が起きた。肩で息をしている全員の緊張がほどけるのがわかる。クロウがトワからマイクを預かってMCをし始める。アンケートよろしくって言っても無効票なんだよなあ。
ああ、それにしても気持ちよかった。
「お前、こんなところにいたのかよ」
あの後、ハインリッヒ教頭が走ってきたので全員で各々のクラスへ逃げることになった。しかし結局、講堂の無断使用かと思ったらちゃっかりトワは使用申請をしていたので、私たちへのお咎めは不問ということに。すごい。さすが。申請して今日まで隠し切っていた手腕も凄い。但し出し物としての申請はしていなかったので、その点を吸収するためにアンケートはやはり無効票らしい。
そうして一般入場者の退場が終わり、後夜祭の準備が整いキャンプファイヤーが始まったところで、私は上から見たら綺麗かろうな、と思って誰もいない校舎の階段を抜けて屋上の手すりに身体を預けて眺めていた。そこにクロウが。
「ここから見ると綺麗だよ」
指差すと、そうだな、なんて言いながらおんなじような体勢で隣に。
「……格好良かった、今日」
今を逃すと言えないだろうと思ったので、そう口にする。けれど何も返ってこないので、何か言ってほしい、と隣を見たら、……なんというか、暗い中での見間違いじゃなければ、珍しく顔を赤くしているような。
「クロウ?」
「あー、こっちみんな。不意打ちでそれはナシだろ」
「……いや、ナシでは全然ない」
判定急転変更。最高に可愛い。顔を覗こうとして、だめだだめだ、と顔面上部を掴まれてしまう。私の顔をそんな簡単に覆わないでほしい。もごもごと外そうと奮闘したところで、更にぎゅっと掴まれてしまう。なんで。
「……例の話に関しては、もすこし、あとでやるから待っててくれるか」
例の。それだけで何を指しているのかわかる。
緩んだ手を外して、暗い中でもうっすら見える、赤い、紅耀石よりも少し黒みがかった瞳と視線が交差した。
「うん。わかった。期待して待ってていい?」
「おう」
そんな風に笑い合ってからまた下に視線を落としたらこっちを見ている三人がグラウンドに見えたので手を振って、下に降りて合流しようか、とクロウに提案し二人で降りていく。
こうして私たちの、1203年度の学院祭は無事に終わりを迎えた。
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十一月
11/02 ARCUS総括試験
39
1203/11/02(月) 朝
その日発行の帝国時報に、鉄血宰相殿が改めて帝国交通法の導入について強行的な姿勢を示している、という見出しの記事があり、それは例の事故が引き金となったことは火を見るよりも明らかだった。
憲兵隊の方に聞いたところによると今回のことは貴族階級の人間が誰に運転させるでもなく自分の手で操縦していて起きた出来事だったようで、本人以外にも貴族階級者の重傷者が出ているところを鑑みるに流石にこれは早急に可決されるだろう未来が見える。自身らを脅かす可能性が出てきたことについては固辞出来まい。
心底、良かったと思った。これで事故が減るのだろうと。
私の事情聴取をしてくれた憲兵隊の方が、あまり表沙汰にはなっていなかったけれど帝都での導力車事故は正直褒められたものではない件数が上がっているんだ、とこぼしていた。やるせなかった。あの頃から何にも帝国は変わっていないのだと。それが変わりつつある。
《鉄血》の名を冠するその人の手腕は、決して明るみに出せるものばかりではないのだろうとはわかっている。それでも、私は。
そっと紙面に視線を落として、導力車で親しい相手を亡くすような人がこれ以上増えなければいいと、そうただただ願うしかなかった。それが傲慢な願い方だとわかっていても。
「……何か大きなものをつくっている?」
いつものように放課後に技術棟に顔を出すと、小さいような、大きいような、取り敢えず人を横たえたぐらいの大きさの骨組みのようなものがビニールシートの上にあった。
「それは導力バイクと呼ばれるもののフレームさ」
私よりも先に来ていたアンがしたり顏でそう説明をしてくれたけれど、まったくもってわからない。しかし考えるに、おそらく機械工業都市ルーレの開発品だというのは想像に難くない話ではある。そしてアンが関わっているとなれば懇意にしているらしいRF社関連のものか。
「端的に言うと乗り物で、馬のように跨る導力車のようなものさ」
「RF社を発端にしてルーレ工科大学が開発していたんだけれど、ちょっといろいろあって計画が頓挫していてね。それを僕が引き継いでいじっていたのをアンに見つかったんだ」
「そして構想や設計を聞いて私が出資することにし」
「試験運用終了の目処も立ったから腰を落ち着けて僕の一年次修了課題として組み上げることにしたって感じかな」
なるほど。計画が頓挫していると言うことは導力器部分が複雑な機構なのか、単純に研究をしたがった人間がいなかったのか。あるいはRF社との提携関係の問題だろうか。
「馬のように……速度はどれくらい?」
「想定スペックとしては、そうだなぁ、ここから帝都まで40分強くらいかな」
「……結構サラッと言ってるけどとんでもなく画期的なものでは?」
ここトリスタから帝都は鉄道で30分だ。それより多少到着が遅くとも個人の自由に発車時間を定められて、サイズ的におそらく小回りが利くだなんてあまりにもびっくりすぎる。鉄道の発着時刻の兼ね合いを考えたら、思い立った時間によっては鉄道より速く帝都に到着する可能性すらある。
「ああ、だからこそジョルジュに完成を頼んでいるのさ」
「僕は面白そうだからやってるだけだけどね」
「技術者にはその"好きにやれる"環境が大切だろう。それにもしこの開発がうまく行けばRF社から商業展開してもらえる可能性もある」
「それは……夢が広がるねぇ」
トリスタ・帝都間が約500~600セルジュ程度だとすると、大体時速700セルジュぐらいで移動出来ることになる。もちろんその速度での操舵技術、ルート選択技術、そもそもの整備が出来る環境は必要だと思うけれどそれでもそんな乗り物があったら私だってほしい。いろんなところに行けそうだ。
「何ならセリも一口噛むかい? 人手はあればあるほど嬉しいものだしね」
「そうだね、じゃあ乗っかろうかな」
「ふぅ、アンは直ぐにそうやって勧誘する」
「つまり他にも?」
「クロウにも見つかって二つ返事だったよ」
「ああー、好きそう」
「そしてトワを後ろに乗せるという野望もあるからトワも誘っているのさ」
「じゃあ私がいつもの面子だと最後だ」
「セリは入院していたり通院で暫くいなかったろう?」
「それもそうだね」
ちなみに外観はこういう感じで、と設計図以前の段階であるラフスケッチを見せてもらったら、なるほど、後ろに乗せるという意味がわかった。しかし鉄道より若干遅い程度の速度で風を受けると言うのは寒そうだなとも思ったり。まぁその辺は試作機が出来上がる段階で問題提起すればいいか。
楽しそうにいろんなことを話してくれるアンやジョルジュの話を聞きながら、少し笑う。
「またみんなと何か出来るのは嬉しいなぁ」
学院祭が終わって、もうすぐARCUSの試験運用も終わって、そうして二年生になる。クラスは変わらないけれどきっといろんなものが変わるんだろうなってのはわかるから、正直なところすこしそれが寂しくて、ぽつりとそう本音をこぼしてしまった。
「セリ」
するとやけに真っ直ぐなアンの声が飛んできて、反応する前に私は抱きしめられてしまい非常に驚いたけれど、どうしてか特段嫌じゃなかったので好きにさせてみた。すると肩口に頭を預けさせられ、ゆっくりと頭を撫でられる。
「何をしていても、何をしていなくても、私たちはきっと、何年ぶりに会ったとしても、昨日まで一緒にいたように笑っていられるさ。離れることは決して怖いことじゃない」
アンは、そう、私の寂しさなんてまるでお見通しだったかのように言葉を紡ぐ。今まで誰かと何かを達成したことなんて、殆どなかったから、だから、みんなとの繋がりを手放すのが惜しくなっていたのかもしれない。手を放したらそれは消えてしまうものなんじゃないかって。
でも違うんだと。そう言い切ってくれる。最初は一番遠い世界の住人だと遠ざけていた友人が。
「……アンは格好いいねぇ」
「フフ、今更知ったのかい?」
笑いながら指先を腰のサイドに指を引っ掛けるようにして白い貴族制服に涙が滲み始めた目元を押し付けると、建物の外からやっぱり聞き慣れた気配がするので顔を上げたら扉が開いた。
「よーっす、……って、お前ら何してんだよ!」
「おや、クロウには私とセリが抱き合っていようと何か言う権利はないだろう?」
そんな言葉をかけるアンはいつもの彼女で、だけど慌てるクロウがちょっと面白くてぎゅっとアンに抱きついた。ら、そのまま抱きしめ返される。あー、換気のいい技術棟は屋内とはいえそれなりに季節の寒さを実感させられる造りなので、他人の体温は存外気持ちがいい。
「ジョルジュも黙ってんなっつの! あれ野放しにすると不純同性交友が始まりかねねえ!」
「いやー、あんまりにも見事に始まったものだから口が挟めなくて」
いつもよりどたばたしだした技術棟の喧騒を聞きながら、私の涙は寂しさと一緒にどこかへ飛んでいってしまった。うん、本当に、何年後でも再会した途端にこういうノリでいられたらいいなぁ。
1203/11/04(水) 放課後
「来週の実技訓練の内容として、あんたたちのARCUS総括試験を行うわ」
久しぶりにミーティングルームに招集をかけられ、告げられた言葉は殆ど推測していた通りのものだった。けれど、来週の実技訓練。一応全クラス火曜か水曜に実技訓練が課せられているのでつまりもしかして。
「あー、来週は少し変則の時間割となり、水曜日に全クラス合同、というかお前さん方の試験運用の総括を全員に見学してもらう予定だ」
「げえ、マジかよ」
マカロフ教官の言葉にクロウが悪態をつきながら肩を竦めたところで、普段ならこの場にいないその方が鋭い視線でその態度を制した。
実戦教練担当──ナイトハルト教官。正規軍から出向する形でこの学校に籍を置いている現役の軍人教官。もちろん私たちも大層お世話になっているのだけれど、ARCUS試験運用に関しては今まで表立っては関わってこなかった人でもある。
「ARCUSの全軍配備はまだされるものではないが、現時点での最新型戦術オーブメントが如何なるものなのか、というのは共有しておくべき事柄だ。無論、全員が軍部に所属するわけではないという理解の上でな」
つまり、この情報が国外に持ち出されることまで含めて、それでも、ということだと。私たちの働きは機密情報になり得ないということなのだろうか。……まぁ本当に機密なのであれば学生にやらせるわけもないのだけれど。
「そして今回の試験には、私とバレスタイン教官が当たることとなった」
ある程度予測はしていた。それでも、この二人が相手となるのなら気は一切抜けない。水と油の仲の二人ではあるだろうけれど、それでも戦闘中にそういう私情を持ち込む愚かな人たちではないことを私たち学院生は身に刻みつけられている。
「そちらは五人だがバックアップとのスイッチは常時可能とする。本気で攻めてくるがいい」
「楽しみにしてるわよ」
「まあ、精々怪我せんようにな」
三者三様、好きなことを言ってミーティングルームを退室していき一抹の静けさが落ちる。
「勝算があるとすればこっちには後衛がいることと、バックアップと交代し放題なところ?」
何とか勝機を見つけたくて私がそう発言をすると、そんな簡単なことではないだろう、とアンがため息を吐きながら否定してきた。だよねぇ、と苦笑する。
「サラはスピードと射撃精度がやべえし、ナイトハルトは一撃が重すぎてガチンコで対抗できるのはジョルジュくらいだろ」
「加えてその二人が組んでくると言うのは悪夢以外の何物でもないね」
「……それにたぶん二人もARCUS使ってくるんだろうねぇ」
私の推測に全員が沈黙を落とす。そうなったら手がつけられないどころの騒ぎではない。でも5対2で相手側にARCUSナシというのは些かに手を抜き過ぎているという見方もあるのではなかろうか。それで勝ったとしてそれはARCUSの試験になるのか、という。
「いろいろ言うけど、みんな『勝てない』って決めつけたりはしないよね」
トワのそんな言葉が議論に波紋を作る。それは、だって、そんなの。
「決めつけてたらつまんねえだろ」
「折角教官殿たちが胸を貸してくれると言うのだから膝をつかせると言うのが礼儀だろうさ」
「わかる。一矢報いるどころか十矢ぐらいは報いて正直勝ちたい。楽しみ」
「いやあ、これが獅子心勇士章を授けられる人材の精神かって感じがするね」
「あはは、サラ教官とナイトハルト教官を前にしてそう言えるのは頼もしいかな」
二人の教官は私たちの日々の戦闘を見て指導して下さっているお二方だ。その二人が私たちと相対した時、確実にこちらが持っている『惜しい』ところを突いてくる。そうでなければならない。けれど全員別のクラスである私たちは戦術リンクを用いた状態で教官たちの前で戦ったことは殆どない。……サラ教官はこっそり見ている可能性は大いにあるけれど。
それでも私たちは戦術リンクの精度もそうだし、お互いの手の内も把握している。だからいい戦いにしてみせるという気概を持ち、そしてその果てに打ち倒さなければいけないのだ。
全員でぞろぞろとミーティングルームを出たところで、あ、と声をこぼした。みんなに聞きたいことがあったんだ。どうしたの、とトワが目線で問いかけてくるので、まぁ歩きながらでいいんだけど、と言いながらいつのもの中庭ルートへ。
「みんなさぁ、ライブの後の生活でそこそこ視線とか感じなかった?」
質問を投げると全員、覚えがあるような表情をした。ああ、やっぱり。私の自意識過剰とかではなかったんだとちょっとホッとする。
「ある程度は仕方ないだろう。例の舞台を写した写真も出回っていると私は聞いたよ」
「えっ、何それ。トワは身の周り大丈夫?」
あの舞台が撮られたとなればまず真っ先にトワが心配になってしまう。あの際どい衣装はあまり外に持ち出していいたぐいのものではなかろう。けれど当の本人は首を傾げているので、物理的に接触しようとする人はあまりいないということなんだろうか。
「まあその辺は衣装デザインした私が責任を持たせてもらおう。トワの周囲まで含めてね」
「うん、頼むよ。……そっちの二人は?」
話を男性陣に振ると、まあオレらは男だしな、と肩を竦めながらさして変わりはないということを言われてジョルジュも頷いている。トリスタの住民の方々から楽器についての相談は多くなったかな、というのはいいことなのか。まぁでも変なことではない。うん。
「なんだ、クロウは告白されていただろう」
その言葉に少し、喉が引き攣ってしまった。いや、今の私にそれに何かを言う権利は、ない。そもそも恋人であろうとないような気もする。するもされるも基本当人達間の話なのだから。
しかし告白したくなる気持ちはわかってしまう。うん。だってステージのクロウは本当に格好良かった。私から見ると完全に贔屓目が入るけれど。
「ばっ、何でお前、それ」
「たまたま偶然通りかかっただけさ」
それは本当に偶然なのかな、と内心で一人ごちた。ちらりとクロウを見ると、バツが悪そうな顔をしながら横目でこっちを見ているので思わず笑ってしまう。かわいい。
「なーに慌ててるのさ」
クロウの背中を軽くぽんと叩くと、お前なあ、と呆れ顔の相手に頭をぐしゃぐしゃにされた。まぁ私にしてくれた約束もあるし、この反応を見るに断ったのだろうと思う。告白をした相手には申し訳ないけれどホッとする自分がいるのも確かだ。自分の心の醜さに呆れと自嘲が内心こぼれる。それでも、モテてよかったね、とは冗談でも相手への申し訳なさが勝って言えなかった。
どうしてかはよくわからないけれどクロウが私への想いを諦めようとしていたという話は聞いたので、もしあの事故がなかったらその告白を受けていたかもしれないな、なんて。……だからといってあの事故を正当化できるわけでは全くないけれど。まぁ誰とも恋愛的に付き合わないと決めていた可能性もあるか。
そんなことを話していたらあっという間に目的地に辿り着く。
「まー、取り敢えず今はバイクと来週のARCUS試験についてだねぇ」
「だな」
現状の五人用タスクを上げながら当たり前のように技術棟へ入っていった。
本当に来週どうなることだろう。
1203/11/11(水) 三限目
お昼は抑えめに体を軽く、武器はいつものナイフとダガーとルーレ工科大学製の頂いたやつを腰に携え、ARCUSに嵌めるクオーツの確認も万端に。各クラスそれぞれ、グラウンドの周囲を取り囲むように待機していた。II組以外は運用面子にいるので、各クラス代表みたいになってしまっている。
「この日が来ちゃったねえ」
「ああ」
「そうだな」
さすがにアンもクロウも緊張しているのか口数が少ない。まぁ自分も緊張を多少ほぐしたくて話しかけたところはあるので人のことは言えないのだけれど。
作戦として戦場での大まかな役割や方向性は決めてはいつつも、どうせそんなものにガチガチに縛られたら泣きを見るのがオチだという結論になっている。戦術リンクを上手く使って即座の意思疎通をしていくしかない。
「こうして見ると思ってるより一学年の人数が多いんだよねえ」
「うん、これだけ人がいると無様な戦いは出来ないかな」
「するつもりもねえだろ、ジョルジュ」
「はは、まあ君達と一緒にいればね」
それは肝が座ると言う意味なのかやるしかないから諦めが早くなったという意味なのかはたまた全然違うのか。個人的にはチーム分割時にバックアップをしてくれることの多いジョルジュは、私たちの危うさと言うのを一番目の当たりにしているのかもしれない。トワもその類まれな俯瞰視点で見える物事も多かろうので、二人には感謝してもし切れない。もちろんクロウとアンにもそれぞれ感謝していることは多い。
いろんな人に生かされてここにいる。
そんな風に話していると空気がピリ、と強張るのが分かり視線を階段の方へやると案の定赤と金が悠々と歩いて来ている。その後ろに立会人としてかマカロフ教官も。
覚悟はとうに終えた。胸を借りるなんてもんじゃない。今日は、絶対にその膝を地面に叩きつけてやるという意志を持ってここにいる。そうでなければ、ここにこうして立つことも難しいぐらいだ。強い。二人は。だからこそ。
昼の終わりを告げる本鈴が響く。
「さぁて、全員揃ってるわね」
「本日はARCUS試験運用の最終統括を行う。────見学の者も、気を抜かないよう」
教官たちの視線が私たちに向いたことで弛緩しかけていた空気を一瞬で戻す。
それに合わせて私たちも初期の隊列を作る。最初は比較的体力のないトワが後ろに回り、戦場を冷静に俯瞰する役目だ。私の前にはサラ教官。やっぱり君があたしの相手ね、と言わんばかりに笑っている。
各々得物を抜き、号令を待つ。
「それではARCUS総括試験────始め!」
甲高い金属のぶつかり合う音が遠いような近いような場所でする。音の出どころの状況を把握する前にこちらは目の前の底意地の悪い教官をなんとかしなければならないわけだけれど──ダガーで凌ぎきれない一撃を見舞われ続け、呼吸を整える暇すら与えてくれない。
しかし回避だって十分に出来ているわけではないけれど、後衛の詠唱時間ぐらい稼げなくて何が前衛だというのか。絶対にこのラインは越えさせない。それが私の矜持だ。
一歩踏み出し、前へ出る。瞬間、クロウのクロノドライブが私をブーストし加速する。その一瞬で教官は牽制判断をし銃で正確にこちらを狙い偏差射撃までしてくる、けれど、ぎりぎりまで最高速度を出していなかったため紙一重で避けながら挑発戦技を乗せたナイフを投げた。瞬間、視線と意識の矛盾が起きたところへクロウが氷結弾を撃ち込む。
「っるあああ!」
それに合わせてダガーを捨て両手で剣を振りかぶったのを銃身でいなされてしまった。即座に後退しながらダガーを拾い距離を取って、クロウへ流れるように放たれた弾丸との間に割って入り剣の腹で受け止める。何度もしたいことではないけれど、詠唱者は最優先保護対象だ。
割り込みのために転身したところでリンクが消え、後ろにいたアンとクロウの前衛をスイッチする。呼吸を整えて盤面をよく見ろと言うことだ。ぜ、ぜ、とこちらは呼吸が荒れていると言うのに教官はあいも変わらず涼しく不敵な笑みを浮かべている。平素と違うのはうっすら汗をかいているという程度の話だ。
戦場から目を離さず調息する。ジョルジュはやっぱり剛撃の名を冠するナイトハルト教官とやりあっているけれど、持ち前のタフさと戦技で何とか凌いでいるというところのようだ。……あれ、この形は誰が持ち込んだ?
「トワ! クロウ!」
「大丈夫! ────ユグドラシエル!」
「こっちもだ! ────クリスタルフラッド!」
既に二人は気が付いていたのか、トワは地属性魔法で二人の足を一瞬動けなくさせ、クロウはその瞬間を見計らい二人を直線で繋ぐ形で氷の道を作り砕く。そう、これは1対2を二つ作るんじゃない。1対1と1対3を作ってまず一人の撃破を狙うべきなんだ。耐えるだけなら前衛の全員、何とかできる。特にジョルジュと私は系統は違うけれど囮役だ。
「────っ」
ジョルジュ・トワ間のリンクを奪取しジョルジュとバックアップ役をスイッチする。先に落とすならサラ教官だ。そして教官に攻撃を当てるなら私よりもアンの方が適しているし、次にナイトハルト教官と相対する時までにジョルジュには体力を回復しておいてもらいたい。だからこれは堅実な戦略的交代……なわけだけれど。
目の前にしてわかる。思わず震えてしまう。剛撃の名の由来。その手に持った剣が何をどれだけ割って来たのか。斬るのではない。割るのだ。その膂力と腕力で以って。
挑発戦技のナイフを投げると教官は敢えて精神抵抗しなかったのかこちらに剣を迷わず向けてくる。数撃でも当たったらだいぶやばい人と正面衝突することになってしまった。それでも大丈夫、背中を預ける仲間は頼もしいから。
ナイトハルト教官の容赦のない蹴りがモロに腹に入って吹っ飛ばされ、戦場での前衛ロスを消すためにジョルジュがリンク奪取をして前に出た瞬間、アンが右腕を掲げるのが見えた。サラ教官の後退条件を満たしたのか、教官が後ろに下がっている。
やった────その感情で緊張が解けそうになって自分の足を叩いて未だ戦闘中であることを自覚させた。まだだ。越えるべき山はまだもう一つ残っている。そう奥歯を噛み締めると詰めていた息が溢れ出し、盛大に噎せて気管を抉る。腹は痛いし呼吸はしづらいし制服はボロボロだし正直もう立ちあがるのもやっとこさっとだ。それでも。
胸を軽く叩いて呼吸を正常に戻し、走り出す。
「セリ! 頼む!」
私の最低限の回復まで待っていてくれた功労者のアンとスイッチ。ああ、後衛陣は出ずっぱりで申し訳ないな、と思いつつ回復魔法の温かさが身体を包んでくれるのがわかった。
ジョルジュが完全なる盾として機能してくれている間にこっちは背後からナイトハルト教官を削りにかかる。固まっていると範囲戦技の餌食だけれど、それでももうここで押し切らなきゃならないんだ。距離を取っている体力なんて残っちゃない。
トワとクロウのARCUSのバッテリーもそろそろ尽きる。
ジョルジュにリンクを繋ぎ直し教官を挟撃した刹那、ジョルジュの重槌が剣を砕きそのまま振り抜いたら身体の真芯を捉えていたのか軍服に包まれた身体が大きく吹っ飛んだ。それでも無様に転ぶようなことにはなっていないので余力があったと判断し追撃に、入ろうとしたところでマカロフ教官の腕が上がった。速度を上げかけたところだったので咄嗟に片手剣を手放しつつ前転で勢いを殺し、ダガーは構えながら地面に片膝片手をついて起き上がりその腕を見上げる。
「────勝負アリ。ARCUS試験運用チームの勝ちとする」
おそらくナイトハルト教官も事前に敗北条件を設定していて、それを私たちが何とか満たした。そういうことなんだろう。現に両教官は疲れた顔をしながらも当たり前のように立ち上がっているのだから、現時点でどれだけ実力差があるのだろう。くやしい。
それでも、それでも勝利条件を満たしたのはこちらだ。
どっと疲れが落ちてきて、は、と息を溢しながらこうべを垂れて奥歯を噛み締める。深く息を吸って、吐いて、どうにかこうにか呼吸をゆっくり落ち着かせていくと肩を叩かれた。見上げると満身創痍で傷だらけのクロウが私に手を差し出している。力の入らない手を持ち上げてその手を取ると簡単に立ち上がらせられた。
手にしていた武器は収め、散り散りになっていた面々が横一列に並び、その前に教官たち。
「ARCUSの性能については最早疑いようもないだろう」
ナイトハルト教官が口を開いて頷き、私たちに向けられていた視線を周囲へ走らせる。
「見学者も! この戦いを見て大いに勉強になったと思う。来週には今の戦闘のレポートを提出。そしてまた他クラス合同訓練を行う。今までを踏まえて自分がどのように動くのか考えるように! 以上、予定より早いが解散!」
教官の言葉に緊張の糸がほどけ、どあっ、と疲労が来て傾ぐ身体のために両膝へ手をつく。そうだ。剣。ナイフ。回収しないと。ため息を吐きながらグラウンドに散らばった刃物を回収していくと、今の号令で帰らなかった人たちが寄って来て私たちにいろんな言葉をかけていく。
すごかったよ、やばかった、あんな風に戦えるもんなんだね、交代の基準とかは作っていたの?、など諸々諸々。問われているのを聞いて、そういう"明確な基準"を決めていなくても何となくでわかるのが戦術リンクの真骨頂なんだろうなぁと思う。けれど確かに外野から見たらあまりにも見事な流動運用に感じられるのかもしれない。
「やっほ」
「あー、ロシュ。……もしかしなくてもカメラを構えていたね」
「もっちろん。あ、教官にはちゃんと授業中の稼働は許可取ってるよ」
「ならいいけど」
拾った最後の一本を腰に収め、息を長めに吐く。ようやく意識のクールダウンが終わったらしい。次は軽いストレッチをして身体の方も興奮を落としていかないといけない。
「その写真、後でこっちにも回してくれる?」
「いいけど速すぎてブレてるかもよ。戦闘写真なんて初めて撮ったし」
「その辺はまぁ適当に、いい感じに。君なら撮れてるだろうし」
「信用があるなぁ。わかったよ。そんじゃあね、格好良かった」
言いながら校舎へ戻っていくロシュを見送り、立ったまま出来るストレッチをする。各部位をきちんとやらないと酷い目に遭いそうだ。
「いやー、やっぱあの二人バケモンだろ」
「本当に」
隣に来たクロウがクールダウンに合流するので同意して笑う。制服はお互いボロボロなので、また学院に申請をしないといけないだろう。半年で何着駄目にしただろうか。まぁこの費用もARCUS予算から出ると言うので新しいのはありがたく受け取っておこう。
向こうの方ではアンが疲れているだろうに王子様ムーブをかましていて、駆け寄ってきていた女生徒から黄色い声が上がっているのが見える。よくやるなぁ。
「腹、大丈夫かよ」
「まー、何とか? 痣にはなってるだろうけど」
ナイトハルト教官は『軍内部における平均技能の向上』を考える人でつまり基本に煩い。ゆえにああいう泥くさい戦法をあまり取ることが少ないので、蹴りを使わせた、という点ではしてやった感はちょっとある。だからこの痛みは満足感に変換出来なくもない。痛いけど。
腹をさすりながらいまだ囲まれるアンを見て、そういえば、と思い至る。
「ライブもそうだけど総括試験も結構目立つよねぇ」
今回は致し方ないとはいえ若干うんざりしてしまった声を出したところで、クロウが笑う。何がおかしいと言うのだろう、と言うか活躍した君もまた告白されたりするんじゃないか、と横目で見たところで頭をぐしゃぐしゃにされる。
「たぶんな、お前へ走ってた一部の視線は消えるぜ」
「……?」
いまいち関連性がわからなかったけれど、クロウがそう言うのならそうなのかもしれない。そうだといいけど、と言いながら両手を組み、上に身体を伸ばし取り敢えずクールダウンを終わらせる。
校舎の壁に飾ってある時計を見上げると三限が終わるまではまだ時間がありそうだ。軽く済ませた昼を取り戻すために食堂へ行こうかなと思案。
「おーい、ゼリカにジョルジュにトワ、オレら食堂行くけどどうするよー?」
したところで、隣にいるクロウが三人に声をかけ始めた。
いや、私は何も言っていないのだけれど、確定事項かな?疑問を視線で流すと、それに気がついたクロウからウインクされたので、お見通しか、と自分のわかりやすさにため息をつくしかなかった。腹部は未だ鈍痛に苛まれてはいるけれどそれでも空腹には、抗えない。
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11/13 バー
40
1203/11/13(金) 放課後
ARCUS試験運用の活動も正式に終わり、総括戦闘とまとめをしたためたレポートもある程度形にしたので一息ついて、週末。今月の自由行動日のことを考えて教官室の前に足を運んではみたけれどこんなことを頼んでいいものなのかと悩んでしまう。けれど現状の人脈で頼めるというか、頼んでも良さそうな人というのが該当者一人だけなのは確かな話で。
扉の脇で立ち止まったまま、怒られたら怒られたまでだ、と意気込んで顔を上げた瞬間、肩を叩かれ振り向いてみたらお目当ての人がそこにいて心底驚いた。どれだけ思考に耽っていたのだろうかとそう自分を問いただしたくなったのも無理からぬ話なほどに。
1203/11/22(日) 自由行動日
のんびりと学生らしく導力バイクの組み立ての手伝いをしたり(それなりに汚れるのと動きづらいのでツナギで校内を歩くことが多くなった)、ティゼルさんと料理会をして主食があれば一品で何とか形になる鶏肉のトマト煮込みを一緒に作ったり、そんな風に過ごして10日ほど経った自由行動日の15時。
「まさか君から外出に誘われるとはねえ」
「私もまさか快諾が返ってくるとは思いませんでした」
サラ教官とトリスタ駅にて私服で待ち合わせをして二番ホームへ向かう。
「いやー、だって行きたいのバーなんでしょ? 知らないお酒があるかもしれないし」
「教官って本当にお酒好きですよねぇ」
ブランドン商店で顔を合わせる時は大概紙袋にお酒ないしは調理しなくても食べられるツマミが詰まっていることが殆どだ。あとはキルシェのカウンターで飲んでいたりとか。課外活動時もお酒を頼んでいる姿を見かけたことがある気がする。それでも監督業を放棄していないのだろうという不思議とした信用はあるのだが。
「飲めるような年齢になったら教えてあげるわ。あたしがそうしてもらったようにね」
流れるようにウインクをされて、そういえば教官の過去というものは聞いたことがないなと思った。凄腕だというのはもちろん嫌というほど身に染み込まされているのは確かなのに、経歴とかは一切知らない。たまに質屋でミヒュトさんと親しそうに話している声は聞こえてくるのでそういう系統の人なのかなと勝手に思っているけれど。
「そうですね、その時はよろしくお願いします」
とはいえ、相手が喋らないことにあまり首を突っ込むもんじゃないだろう。私だって話せる過去ばかりではないし。これは相手に気遣っているとかではなく、聞かれたくないから聞かないという処世術のようなものだ。
「つくづく真っ直ぐよねえ」
「そうですか? 結構捻くれているところもあると思いますけど」
「自分でそう言っちゃうのが真っ直ぐなのよ」
フフ、とまるで雛鳥を愛でる人みたいな目で見られてしまい少し落ち着かない気分になる。いやいや、とりあえず今日誘ったのは自分なのでしっかりしていないと。
「で、どの辺にあるんだったかしら」
「帝都の西側、リルテ街区ですね。かなりしっかりした音楽喫茶の店主殿から教えてもらった場所なので、わりと楽しみにしているのですがどういう場所なのかは私にも不明で」
そう、今日は以前教えて頂いた音楽バーへ足を運ぶことにしたのだ。教官を連れて。
暫く待っていると列車がホームへ入ってきて乗り込む。トリスタから帝都へは30分ほどの時間なので本当に出やすい位置だなぁと思う。帝都郊外と名乗れるトリスタとリーヴスは治安も良く程よく人気なのだとか。
「一応紹介してくださった店主さんはソフトドリンクの入店も認めてくれるよう紹介状を書いてくださったんでしょ?」
「そう、なんですけど、やっぱりお酒飲める人と一緒に行った方がお店的にいいのかなぁと考えた結果がこれです」
「まぁあたし以外は誘っても駄目って言いそうよね」
「そうなんです。だから正直サラ教官を誘うのも若干諦めまじりでしたし」
「そうね」
思い出し笑いをこぼされてしまったけれど、これに関しては仕方ない。
「ま、優秀な生徒にちょっとくらいご褒美をあげたってバチは当たらないわよ」
「ありがとうございます」
サラ教官が快諾してくれて本当によかった。いくら店内でアルコールの入っていないドリンクだけを頼んでいたとしても、外部からそれを観測することは出来ない。万が一トールズ士官学院の学生が一人でバーに入っていったという話が持ち込まれたら、学院としてはそれを看過することは難しいし、訊かれたら私も嘘はつけない。
疚しいことをするつもりは毛頭ないし、ある程度の人数には信じてもらえるに足りるぐらいの成績とそれなりの品行方正さで学院に籍を置いているつもりだ。それでも軽率な行動に対する何がしかの処分は下ることになる可能性は高く、もしそうなったらティルフィルへも連絡がいくことになる。もちろん二人も信じてくれはすると思う、けれど、心配をかけることには違いない。
だから、万全を期すなら行かないのが一番いいのはわかっている。でも指がロックに慣れている間にちょっとだけ、もう少しだけ踏み込んでみたいと思った。ロック自体も好きになれそうだし、あの音楽を連れてきたのはクロウだから、もしかしたら何かどこかに触れられるかもしれないって、そう。
私は、クロウの過去についてなんにも知らないから。
「……ここ、ですね」
「そうみたいね」
描いて貰った地図と名前を照合して、目の前にある紫色の扉に小さな窓が嵌まった店の入り口に立つ。教官曰く飲み屋が開くには少し早い時間らしいけれど、目の前にした扉にあるプレートは"OPEN"と掲げられてそこにあった。
「ま、入ってみればいいのよ。違ったら梯子すればいいじゃない」
「あっ」
そんなことを言いながら教官が慣れたように扉を開けて入っていくので、閉まる前に私も店の中へ飛び込んだ。
初めて入ったバーという場所は薄暗くて、香りのついた煙がうっすらと残っている気配があって、全く知らない雰囲気の空間ですこしどきどきする。教官の後ろを追って行くとさっとカウンター席に座り、勧められるままに私は壁際の方に腰を落ち着けた。
カウンターの中にいる年配の男性は私たちを見てわずかに眉を顰める。私が明らかに未成年だからだろう。未成年をバーに連れてくる成人は碌なものじゃないと判断されているのなら教官に申し訳ない。
「いらっしゃいませ。ですがここは酒を出す店ですよ」
「あの、わかってはいるのですが、アルト通りにある喫茶エトワールの店主の方からこちらを」
紹介状を差し出したところで既に話を通してくださっていたのか、ああ貴方が、と受け取りながら合点がいったように頷かれる。よかった。
「では隣の人はお目付役の方ですか」
「ええ、でもあたしはお酒を飲むので」
「なるほど。わかりました」
一応紹介状に目を通してくれるようで、ペーパーナイフによって取り出された手紙をここのマスターだろう方が読む。文面を追っていったところで、ふっと笑みが溢れたのが見えた。
「ではゆっくり聴けるよう、注文をひとつ頂いてからかけましょう。何に致しますか? 紅茶、珈琲、あるいはフレッシュジュースもご用意出来ますよ」
マスターの方は大人である教官ではなく、まず私にそう尋ねてきた。このお出かけの主導権は私にあるのだと言われたような気がして、初めて入って緊張する場所なのに一人の人間としてきちんと尊重されているような感覚にすこし肩から力が抜ける。
「えっと、じゃあ、珈琲にミルクをつけてください」
「かしこまりました。そちらの方は?」
「じゃああたしは、彼女のリクエスト曲を聴きながら飲むのに適したお酒を」
そんな頼み方もありなのか、と少し驚いて教官を見た後にカウンターの方へ視線を向けたけれどその人は特に困った顔などはせずに頷いた。いろんなお酒が飲めるならそういう注文もありなんだなぁ、と一人で知見を深める。
「そういえば、この半年どうだった?」
「……最初は他四人の人間関係が出来上がっているところに放り込まれて鬼かと思いました」
忌憚のない感想を言うと、あっはっは、と笑われてしまったけれど、いやでも本当に自分以外の人間関係がそれなりに構築されているところにチーム面子として加われと言うのは些かちょっとひどいところがあるんじゃないだろうかと今でも思う。
「あの四人が仲良くなってたのは偶然なんだけどね」
「その四人で回そうって話にはならなかったんですか?」
その方が人間関係的に軋轢も生み出されにくく円滑に回るのが見込めたのではなかろうか。ああでも戦術リンクの基礎データを集めると言う意味では軋轢が生まれて破綻した方が、収集側としては美味しくはある。私がいなくてもクロウとアンの仲違いは起きただろうけれど。
「あるにはあったんだけど、ほら、あの四人だけだとあれじゃない」
「バランスはまぁ悪いですけど」
「そゆこと」
それでもアンやクロウがある程度はカバー出来るんじゃなかろうかと思う。現に私が山を走った時についてきてくれた二人だし。とはいえメインの斥候として働けるのは誰かと言われたら、四人の中にはいないのかもしれないけれど。その中で私はきちんと仕事を果たせていたと、思う。うん。それは自分を信じてあげないと酷い話になってしまう。
「だけど、そうね。アンタたちは期待以上だったわ」
「それは、レポートの成果としてですか? それとも」
「いろんな意味でよ。来年もやっていけそうだわ」
ということは来年もサラ教官はトールズにいてくれるのだ。いろいろまだ訊きたいことや教えてもらいたいことはたくさんあるので、ほっとする。もしかしたら風のようにいなくなって、来年度はいないんじゃないかとちょっと考えたりもしていたので。
会話の切れ目を見越してくれたのか、ことん、と静かに芳しい珈琲が目の前に置かれる。温められたミルクポットも。初めて飲む珈琲だから少しだけ口をつけて、味を見てから牛乳をそそぐ。くるりくるりと添えられたスプーンでかき混ぜたら茶色くなった液体が。
こくりと飲んでみると、美味しい。
「……サラ教官が、見えないところで私たちを守ってくださっていたのは知っています。本当にありがとうございました」
「あら。勘違いかもしれないわよ?」
「それでも。少なくとも教官がいてくれたから、あんな事件があっても課外活動が中止にならなかったんだと思っていますし」
猟兵絡みのあの案件は、下手をすれば本当にチーム解散の危機だったと思う。もう随分と前の出来事のような気がするけれど。私の言葉に、ふふ、と満更でもないように笑みがこぼされる。
「子供ってすーぐに大人になっちゃうわねえ」
頬杖をついた教官が目を眇めながらそう言う。
成長は、うん、出来ていると思う。さすがにあれだけの修羅場をくぐらされたら肝も据わるしヘルプだって出せるようになるし対話もするようになる。私が野山を駆けて偵察をするかどうかで対立した時、ジョルジュが言った『多数決じゃなくて話し合いで決めるべきことだ』っていうのはずっと私たちの芯にある。ああいうことをさらっと言える人がチームにいたと言うのは僥倖以外の何物でもない。
「こちらを」
会話の中に、無理なくそっと入ってくる声。細長い円筒のグラスに、綺麗な液体が収まって教官の前に提供される。マスターの説明を聞きながら教官は口をつけて、顔を緩ませる。おいしかったみたいだ。こんな風に隣で飲む人がいると、いつか自分も飲めるようになったらこういう場で楽しく静かに飲んでみたいなと思わせてくれる。
「ではレコードの準備をしましょうか」
そっとマスターがこちらに背を向け、カウンターにあった蓄音機に手を伸ばして準備を始める。音楽鑑賞といえば記録結晶も出始めて来ているけれど、それでもまだまだ回数制限のあるレコードが主流なのには変わりない。針を痛め、溝を削る。いずれは物理的に聴くことが出来なくなる記録媒体。
お店はまだ開いたばかりで店内にはマスターと教官と私しかいない。そういう状態で聞いていいものなのかというレコードに対する申し訳なさと、人の少ないところで邪魔されずに聴きたい音楽に耽る贅沢という欲ですこし頭がぐちゃぐちゃになる。いや、でも、聴きたい。
蓄音機の速度などもセッティングできたのか、丁寧に取り出されたレコード。蓄音機に嵌められ、針が、落ちる。
決して広くはない店内に音が響く。心地よい音量で、聴いたことのない音楽が流れる。耳に入ってくる。帝国の北にある土地から入ってきたまだまだ知られていない音楽ジャンル。どうしてそんなものをクロウが知っているのか私にはわからないけれど、でも、こうしていろんなところを歩くきっかけをくれて、世界を広げてくれたのは紛れもなく────。
「今日はありがとうございました」
何度も針を変えて音楽を聴かせてくれたバーの方には僭越ながらチップを包ませてもらい、11月とはいえはっきりと日も傾き始めた帝都を歩いていく。
鉄血宰相殿の強行策で先日から交通法が先行施行された帝都は見違えるようだ。街角にはHMPの方が立ち、横断用区域もきちんと整備され、通りを渡るのに困った顔をする人は全く見かけない。十年以上かけて帝国はようやく事態に環境が追いついてきているということだと思う。
それが嬉しくてうっかりトラムの駅を通り過ぎてしまったのだけれど、教官は何も言わずに一緒に歩いてくれている。
「あたしも楽しめたから、こちらこそ、ってところね。あれってクロウが持ち込んできた曲から趣味が広がった感じ? 学院祭でやったバンドの映像は見させてもらったけど」
「ご明察です」
「ふうん、君たちがねえ」
その言葉に少し引っかかりを感じる。
「教官、私とクロウは別に付き合っていませんよ」
「……えっ」
まるで意外なものを見るかのようにこちらに視線が向く。事実だ。
私とクロウの距離が近いものになっていると言うのは、まぁ、ある程度親しい人たちなら直ぐに把握出来ることだろうけれどそれでも、本当に付き合っていない。その為の口頭契約を交わしていない。いや世の中にはふんわりと恋人になるという事例もあるらしいけれど、少なくとも私たちの間にそれは当てはまらないのだ。
「そうなの? てっきり」
「教官でもそういうの見誤ることあるんですね」
「絶対そうだと思ったのに」
距離感でいえば、間違っていないのだろうけれど。あとはお互いの自認の話だけだから。
お調子者で、ギャンブルが好きで、女癖が悪いように見えて案外悪くなくて、でもナンパはいつもアンに横取りされて失敗して。かといって別に気遣いが出来ないわけじゃなくて、私が辛い時やぐちゃぐちゃになっている時には的確に手を差し伸べてくれる。
それと私の考えていることは大体お見通しされてしまっている気がして少し悔しい。私が特にわかりやすいというだけなのかもしれないけれど。
そんなクロウのことを明確に、好きだと、思う。だけどそれは単に表面を浚っているだけなんじゃないかと考えたりもする。知っているようで、何も知らない。触れることを許されるのかもわからなくて、こんな風に外から知っていこうと。臆病者なのだ。いやロックに惹かれているのはまた別の意味で本当の話ではあるのでこの辺は深掘りすると少し複雑になってしまう。
「ま、そうだとしてもいいチームに仕上がったわよ。見違えるほどね」
「半年間、ずっと見守ってくれた教官にそう評してもらえるなら嬉しいです」
「そういうところが真っ直ぐって言うのよ」
「本音ですよ」
「わかってるわ」
夕陽の中で笑う教官と一緒にご機嫌なまま歩いて、ヴァンクール大通りに出たのでもうこのまま駅まで歩きましょうかと言って徒歩で向かう。
案外と遠かったけど、話が尽きることはなく私たちはずっと笑っていた。
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11/22 自由行動日
41
"それ"はこの時期に手に入れるのはかなり難しいと言う話もされ、それに高くつくと言う話もされ、それでも何とか入荷の目処が立ったら連絡をくれととある店に連絡先を置いていった。帝都散策の副産物としてあの店で入荷出来ないなら他の店も駄目だという噂は聞いていたので連絡先を置いていったのはそこだけだ。
それでもそこから、22日に少しだけ入荷出来そうだ、という導力通信で急ぎの連絡をもらった時には、本当に高くついたなと笑うしかなかった。それでもそれくらいはしないとなんというか、釣り合いが取れねえと思ったんだ。
何と何の釣り合いなのかはいまいち自分にもわかんねえけど。
1203/11/22(日) 自由行動日
入荷の予定がどうも夕方らしく、技術棟でジョルジュのバイク製作に付き合ってから用事に合わせてトリスタを出る。技術棟にも寮の中にもセリの姿は見当たらず、部屋にいるのかそれとも自由行動日だから出かけているのか。もし後者だとしたら帰寮前に連絡がつかねえ可能性もあるなと僅かばかりに想定する。
まぁでも帰ってこないってこたないだろう。たぶん。あいつが外泊をしたことなんか例の頭痛をなんとかするためにクロスベルへ向かった時ぐらいだ。それも短期集中休暇を使っての遠出。帝都程度なら宿代が勿体無いレベルの近さなわけだし。だから、最悪の最悪として今日中に渡せない可能性は無視出来る。
もうだいぶ慣れ親しんだ鉄道で帝都へ向かう景色はだいぶ様変わりして、木々の一部が赤く染まったりしている。ライノの花で白かった四月から、色づく十一月に。どっちも植生の異なるジュライでは見ることもなかった光景だ。確かな時間の経過。
大人しくしてた帝国解放戦線のリーダーとしての活動もそろそろ再開する時期になる。
あとどれだけオレはここにいられるんだろうか。
あとどれだけあいつらと馬鹿をやっていられるんだろうか。
……あとどれだけ、あいつの傍にいることが出来るんだろうか。
正確なカウントダウンは出来ない。俺のやるべきことは水物で、その時その場の判断でベットしレイズしショーダウン、ってなもんだ。必要ならオールインだってあり得る。そんな場所に連れて行けるわけもねえ。いやそもそもついてきてくれるとも思っちゃない。
それでも俺はあいつをどれだけ傷つけても、今の自分の想いを優先した。スカーレットに話したらまあ詰られんだろうな。女心をなんだと思っているんだ、とか。正直自分でもそう思うから始末に負えねえ。
────恋なんて、正常な判断を下せなくなる愚感情だ。少なくとも、帝国解放戦線のリーダーである《C》としては愚行中の愚行と評してもいいだろう。だけどそれを理解した上で決めたんだ。士官学院生クロウ・アームブラストとしていられる間はあいつの隣に立てる立場を求めた自分を是とするって。
回りくどい結論だと自分でも思う。だけどそうでもしないと俺はオレを保てない。
「見る目ねえよなあ、お前」
今ここにいない相手に聞こえるわけもなく、瞼を下ろしてそう独りごちた。
帝都に到着して適当なトラムに乗って目的地に。大通りから一つ路地に入ったところにある、個人店だって言うのにやたらと品揃えがいい奇妙な店だ。
オレが顔を覗かせると、おお、と覚えられちまっていたのか店主の男が注文も聞かずに奥から頼んだもんを出してくる。季節外れのそれはそれでも見事なもんで、若干開ききっちゃいないが明日には見栄えが良くなってるだろう。そういうのを選んでくる手腕が噂通りだと。
「それにしても急ぎでこれってのは、もしかしてそういうことか?」
「まーな。男の意地みてえなもんだ」
「男ってのは馬鹿だからなあ。ま、こんな注文を受けるこっちも馬鹿なんだが」
二人して笑いながら、薄い綺麗な紙で外からは見えないよう包まれたそれを代金と引き換えに渡される。あんな無様な告白をしちまったんだから、仕切り直すんならと無理を言って注文した。このくらいしか方法が思い浮かばなかったっつー自分の発想の貧困さはこの際目を瞑る。これが帝国民のセリに通じねえってことはないだろう。たぶん。直接聞いたことはねえけど。
「じゃあな、おっさん。あんがとよ」
「おう、武運を祈ってるぜ。フラれたら話ぐらいは聞いてやっからよ」
「はは、ならそん時は頼むわ」
手を振ってその場を後にする。
赤いグランローズ一輪────『熱烈な求愛』が花言葉であるそれを携えて。
トリスタに着いた頃にはもう随分と日が暮れていた。グランローズを片手に商店街を突っ切るのは正直避けたい事態だってのもあって(どう考えても誰か一人に見つかったらそれだけで明日には知れ渡ってる可能性がある)、一番ホームの端っこでARCUSを開きセリに通信をかけると何コール目かで繋がった。喉が異常に渇く。
『はい、こちらセリ・ローランドです』
「あー、クロウだけどよ。今ヒマか?」
『用件による』
情緒もなくバッサリ言い切るところに駄目だときめきを感じちまった。お前の弱いところも好きだけどそう言うところも好きなんだよなあ。いやマジで嫌味とかじゃなく。
「そうだよな。……ま、ちっと大事な話があるから、よけりゃトリスタの東街道で」
『うん? わかった、じゃあ暇になったので向かうね。15分ぐらいかかるけど』
「オッケーオッケー、あんがとさん」
通信を切ってARCUSを閉じる。あと15分か。ここで呆けててもしょうがねえ、と歩き出して花の包みはさりげなく駅員の死角になるようにして駅舎を出た。ここから右手にまっすぐ歩いていけば東の街道だ。多少暗くなり始めちゃいるが、ま、魔獣避けの外灯もあるから平気だろ。
片手をポケットに突っ込みながら歩いて、冷えた指先から『柄にもなく緊張してるな』と自己分析をする。まあでも、そうだな、緊張もするわ。さすがに初恋じゃないにしろ、殆ど返事は決まってるような勝負みたいなもんだったとしても、自分の感情を改めて曝け出すってのは覚悟のいることだ。それに好いちゃならねえ相手を好いて、その好いた女を確実に傷付ける道に誘おうってんだからクソ野郎もいいところだっつう。
……セリとの関係は強固な隠れ蓑にはなるだろうが、そういうつもりじゃ、ない、だけど結果的にはそうなる。それは確かでこの選択をするなら逃れられない話だ。俺がどう考えていようとそれは事実になる。
結果に感情は見えない。見えないもんは考慮に値しない。俺の感情はいつかフェイクになる。いやむしろそうでないと困る。本当にお前のことが好きだったんだぜ、なんて伝えられる日はきっと来ない。
だけどそれでもと思っちまうくらい、お前の傍に。
ぱたぱたと近づいて来る気配に顔を上げ、オレが見えていることを理解したのか手を大きく振られてセリが走ってくる。薄手のパーカーにニットのベストを合わせて、シンプルなズボンに装飾が普段よりちっと多いブーツ。かわいい。やっぱ今日はどっか出てたんだろうなって思う。
なんの含みもなく笑って、オレの呼び出しに応じてくれる。その姿が眩しい。
「来ーたよ!」
それに反し嘘で塗り固めて、偽装に偽装を重ねて、なんの真実も開示しちゃいない俺だけど。
今、この瞬間だけは。
「これ、を、お前に」
用事が何かと切り出される前に、問われる前に、でも思わず視線を逸らしながら手に持っていたそれを差し出す。七分咲きのグランローズ。帝国ではよく告白に使われるって聞いたわけだがつまりそれは共通認識が出来上がってるってことだろう。だから、いま差し出して。
「……」
だってのに一向に返事も受け取られもしねえ。
もしかして伝わっていないのかと顔を上げたところで、目の前には手を出しかけてんだが出しかけてないんだが微妙な高さで両手を構えている真っ赤なセリがいた。あ、これどう考えても伝わってるな。確定だ。
「……あの、これ、その」
「……告白の仕切り直しのつもり、だな」
改めてきちんと伝えると、緊張が砕けたように、ふにゃりと笑って、すこしばかり震えるままにそっと俺の手ごと花の包み紙に触れる小さなそいつの手。あたたかい。生きてる。侮辱だなんだと言われても、やっぱり俺はことあるごとにお前が生きてることに安堵しちまうんだろう。
嗚呼ほんと、どうしようもなく、好きになっちまった。
「ありがとう。まさかグランローズなんて……うれしい」
「そりゃよかった」
「季節外れで高かったんじゃない?」
「あー、まあそれなりだな。でも少しくらいカッコつけてちょうどいいだろ」
例の病院の中庭でのことを思い出したのかセリが笑う。あの日は本当に情けねえ告白をしちまった。しかも丁寧に丁寧に断られるし。まあその馬鹿みてえなほど真っ直ぐに筋を通そうとするところも好きなんだけどよ。
というか正直今までの感覚としてあんまりそういうことに興味なさそうな顔をしてたから、こういうセッティングも空振るかと思っちゃいたが、わりと効果は絶大だったみたいだ。ほらな、知らないことばっかりだ。でもそれを知っていける時間があればいいとはさすがに思っちまう。
外灯でほのかに照らされながら、両手で持ったグランローズにすこし顔を近づけるセリはきれいで、カメラを扱うやつはこういう時に構えるんだろうなとぼんやり眺める。そんなオレの視線に気が付いたのか、ふっ、と微笑まれてどきっとした。
「その、これからもよろしくね、クロウ」
「……あぁ、よろしく頼むわ」
未来へ続く約束の言葉。
たとえこのずっと先にいるお前の隣に自分がいなくても、今この時だけはただひたすらに想っていたいと、その手をその心を自分に繋ぎたいと、
どうしようもねえ。
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41.5
「……夕食どうする?」
グランローズを持ちながら後ろ手に組んで、街道からトリスタへ歩いていく。
一度は破れて諦めたけれど何故か想いが成就した相手に対してどういう距離感でいたらいいのか正直ちょっとわからなくて、手は繋げなかった。なんでクロウはあんな簡単に繋いで来られたんだろう。不思議すぎる。
……もしかしたら慣れているのかもしれない。クロウだからそういうこともありそうだ。
「あー、久々に二人で作るか?」
「そうだねぇ、花も萎れる前に部屋に飾りたいし」
まだ咲き切っていないグランローズはきちんと水を変え栄養も与えたら暫くは楽しめるだろうと思うので、ガーデニングショップのジェーンさんや、あるいは園芸部に所属している人に相談してみるのがいいかも。ああでもそもそも一輪挿しや花瓶を持っていないのだけれどこの為に買うと言うのも不経済な気がする。どうしようかな。
「あと、ええと」
「三人にどう言うかだな」
「そう、それ」
まぁ別に言わなくても察されるかもしれないけれど、いろいろと気にしてくれていただろうというのは想像に難くないので、結局こういう形になりましたという報告はしておきたい心情もある。恥ずかしい気持ちはもちろんあるのだけれど、それは私の感情を大切にしてくれた友人の想いを無下にするほどのものでは、ない。
「あいつらまだ技術棟にいたりすっかな」
呟いたクロウがARCUSを手にして通信を誰かにかけ、数コールでジョルジュに繋がったようでいろいろ確認している。そこに誰がいるのかとかいつまでいるのかとか。どうやら技術棟にいるのは二人だけで、トワは生徒会の用事で抜けたらしい。ちらりと視線が寄越されたのでトワへの通信を開始しながら頷けば、じゃあ晩飯持ってオレらも合流するわ、とクロウが告げた。
それとほぼ同時に今度は私の方で通信が繋がり、さっくり話して技術棟の方でみんなで夕食を食べる約束を取り付けて終了する。
「何作ろうか」
「簡単に食えるもんがいいよな」
「冷蔵庫にある材料だとサンドイッチかラップサンドかフィッシュバーガー辺り?」
「サンドイッチはこないだ持ってったから、バーガーにポテトフライにすっか」
「うわ、最高にジャンク」
でも何でか工学系の作業した時って油物が美味しいんだよなぁ。これは自分だけかもしれないけれど。あとはジョルジュ用に甘い何か、型も使わない混ぜて匙で落として焼くだけのクッキーでも焼いていこうか。卵やバターは夏とかであれば冷蔵保存するけれど、秋はいろんなものが常温保存で大丈夫だ。そういう意味で秋冬は思い立った時にお菓子を作りやすい季節だと思う。
トリスタに入って、お互い商店街のメインストリートを通るのは気持ち的に憚ったのか質屋方面からするっと抜けていく進路を取る。ああそっか。ミヒュトさんのお店なら手頃な一輪挿しとかあるかもしれない。要検討事項の選択肢に入れておこう。
まぁ咲かせ続けるだけならコップとか水差しでもいいのかもしれないと思いつつ、保存出来ないならせめて写真だけでも綺麗に撮っておきたいというやつだ。今日のところはコップで凌ぐことになりそうだけれど。
渡されたグランローズの花言葉は『熱烈な求愛』。まさかそんな告白をされると思っていなくって、気を抜くと本当にすごく顔がにやけてしまう。今が夜になりかけでよかった。
「……ねぇ、クロウ」
路地から出る直前、隣を歩く相手の袖をつかむ。
私も告げないといけない言葉があると、気が付いたので。
「ん?」
「好きだよ」
見上げたクロウは口を引き縛って、自由な片手で顔の下半分を押さえ目を閉じる。かわいい。クロウのそういう表情、本人は恥ずかしいのか情けないと思うのか隠そうとするけれど、私はもっと見たいなと思う。いや今の言葉はその為に言ったわけではないのだけれど。
「不意打ち好きだよなあ、お前……」
「奇襲は任せてよ」
あは、と普段のバトルスタイルで返せば、そういうことじゃねえっつの、と小突かれる。袖を放して歩き始めると、立ち止まっていたクロウも一緒に。まるで光景としてはあの日みたいだけれど、全然違う。
「改めては言ってなかったと思って」
「お前がオレのこと好きでいてくれてんのは知ってる」
「かもね。でもたぶん私は口下手だから、はっきり伝えないと」
自分の感情を口に出すということをあまりして来なかった。自分の思考を開示するのはこの半年でだいぶ慣れたけれど、感情を表現するのはまだまだ課題が多い。と思う。でもクロウに言わせたら私はわかりやすいみたいなので認識の齟齬があるかも知れない。
でもこの感情をもう躊躇わなくていいってことが嬉しくて、もしかしたら事あるごとに言ってしまうかもな、なんて考える。
「……あんがとな」
さらりと、普段とは全く違って、静かに頭を撫でられた。眼を眇めて、まるで、大切なものに触れるみたいに、やさしい指先が私の頭の形をなぞって。たったそれだけなのに心臓がぎゅっとしてしまって、敵わないなぁ、って私は当分言うことになりそうな気がした。
それをずっとクロウの隣で許されていたい、って告げたら君はどんな表情をするんだろう。
笑ってくれるだろうか。
そうだったら、いいと思う。
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十二月
12/上 導力バイク
42
例のARCUS運用最終戦闘暫くしてから、戦術オーブメントの返却はしなくていいというお達しが正式に下された。可能なら追加でレポートを提出してくれたら嬉しい限りだとも。基本的にオーダーメイド品なので戻してバラすよりはそのまま使ってもらった方がいいって判断だろうね、とはジョルジュ談だ。
特製アタッチメントである耳介装着型通信器もそのまま使っていいと言われた。曰く、希少金属とARCUSの内部データの構築の相性があるようで大量生産は出来ないらしい。残念ではあるけれどそれならレポートをなるべく上げようと思った。
それと、妙な視線はあの日を境に本当に減少したのでクロウに、予見がすごい、と伝えたら気概のねえ奴らばっかだなと笑っていた。その言葉からつまりそう言うことなのかもしれないと思ったけれど、まぁ深く聞かなくてもいい話なのだろうと判断した。私が把握していた方がいい話なら濁さず言うだろう。それぐらいの怠惰は許されたい。
1203/12/上旬某日 放課後
「あ、ごめんそっちにあるウエス取って」
「あいよー」
最近の放課後は技術棟にこもりながら導力バイクの組み立ての手伝いをしているのだけれど、これが結構楽しい。もちろんいろいろと汚れてしまうので学院指定のツナギに着替えて。個人的にクロウはツナギが似合うと思うので眼福だなぁと思う。これは私情だけれど。
今日はトワを抜いた四人でバイクを弄ったり工具の手入れをしたりで、なかなかに人手がある状態だ。
「うん、何とか形になってきたかな」
「年内にはbeta版としては動かしたいところだね」
ジョルジュとアンが楽しそうに話している。一年次の修了課題としてということだから期末試験後ぐらいには正式稼働をさせたいというスケジュールなので、この辺りで動くなら上々だろうと思う。
「今更だけどさ、服どうするの?」
「うん?」
座りっぱなしだったので立ち上がって軽いストレッチをしながら問いかけると、アンが首を傾げた。
「いや、時速700セルジュとか出すならどんな服でも大概寒そうだよなぁって。特にこれからは冬になっていくわけだし、並大抵の素材だとコントロールするどころじゃなくなったりしそうだなー、って」
といってもじゃあどんな素材で作ればいいんだ、というツッコミもありそうだ。例えば通気性がないといえば革素材だけれど、装飾品とかではよく見るとはいえ服に使うとなるとどんなデザインになるのか。まぁでもアンは立場上服飾デザイナーの方の知り合いはそれなりにいるだろうので、私が気を揉まなくてもいい感じもするけれど。
「ふむ。一考の価値はありそうな話だ。考えてみよう」
頷くアンに、使えないアイディアなら気にしないでね、と告げつつ、誰かが技術棟に近づいて来たのを感知して顔を正面扉のほうに向ける。歩調、気配、これは学院受付のビアンカさんじゃなかろうか。すこし急いだような足取りなので誰かに来客でもあったのかもしれない。可能性として高いのはジョルジュかアンかな。私はこっちに知り合いはいないし、トワを訪ねるならまず真っ先に生徒会室へ行くべきだし。クロウは知らないけど。
近付いて来る気配に合わせて扉を引いて開くと、ビアンカさんはすこし驚いたような表情でこちらを見た。ノックの前に扉を開くのは無作法だったかな、と申し訳ない気分になる。でも来るとわかっているのに重い扉の前で突っ立ってるだけというのも微妙に落ち着かないのも確かな話で。
「こんにちは。誰かに用事ですか?」
とはいえやり直すものでもないだろうと続けると短い肯定が。じゃあやっぱり二人のうちどちらかかなと視線を動かしたところで、あの、と声がかけられた。
「ローランドさん、ご来客です」
ご来客。誰かを迎えるような格好をしていないしそもそも誰だ?という疑問しかないので固まってしまっていたところで、取り敢えず来てください、とビアンカさんに手を引かれるままに中庭経由のルートで受付カウンターの方まで歩いていった。
格好はともかく考えても考えても本当に僅かばかりと言う可能性でも該当者がいない。繁忙期に差し掛かろうという叔母さんたちではなかろうとは判断できるし、街の人も然り。あるとして旧都の商人さんだけれど、だとしても私を訪ねてくる必要が思い付かない。親方関連だとしても直前でも連絡がありそうなもので。
うーん、と首を傾げていたらそっとカウンターが見えてくる手前の曲がり角で手が放され、視線が来る。別に逃げようとしていたわけではないんですよ、と内心苦笑しながら一緒に進んでいくと、上品な仕立ての服を着た誰かがそこにいた。横顔と帽子でいまいちわからない。
「お待たせ致しました。先ほど仰っていた内容に該当する生徒は彼女ですね」
ということは一般の方なのだろう。名前も知らない私のことを訪ねて来たどなたか。ビアンカさんが声をかけて振り向いたその人は、それでも確かに見覚えがあった。
「あっ」
「ああ、本当にあなた無事だったのね!」
10月の事故に巻き込まれた際に私が案内をしていた年配の女性だ。
取り敢えず話をするにも腰を落ち着けましょうか、と食堂に案内してから、一瞬だけ離席し技術棟でツナギを脱いで置いていた上着を引っ掛けて飛び出した。みんなには心配されたけれど親指を立てて問題ないとアピールしておいたけれど伝わっただろうか。
食堂に帰った時には紅茶が既に注文されていて、感謝を告げるところころと笑われてしまう。
「本当はもっと早く会いに来たかったんですけどね、一旦戻ってしまうとなかなか」
「確かクロスベルからお越しでしたよね」
歩きながらそんな話をしたような記憶がある。帝国国土の東の果てにあるクロスベルから帝都近辺であるトリスタは大層離れているため、体力的にも金銭的にも来るだけでそれなりに消耗する土地だ。夜行寝台列車の特別車両に乗れるならそれなりに体力は温存出来るとはいえ、年配の方には辛かろう距離には違いない。
「ええ。それでもやっぱり、命の恩人であるあなたにはきちんとお礼を言いたくて」
「むしろあの時は咄嗟に突き飛ばしてしまったので、ご無事な姿が見られて安心しました」
憲兵隊からの要請の兼ね合いで顔写真付きの死傷者リストに載っていないことは確認していたけれど、事故直前の突き飛ばしで怪我をされていたらリストには載らないかもしれないな、と危惧をしたりもしていた。
「あの事故は本当に、酷いものだったわ」
「……はい」
国の物理的にも政としても中心地である帝都で、交通法による規制その他が働いていない、というのはクロスベル市に住んでいらっしゃる方にはにわかには信じ難いことだっただろう。クロスベルでの導力車に対する対応というのは素晴らしいものだった。市民が慌てて車道を横切る必要もなく、街中での低速運転なども守られていて歩きやすい街づくりがあそこにはあったから。
「けれど二ヶ月前とは見違えるほどで驚いてしまったわ」
「ああ、それは宰相殿と帝都知事の方が尽力されていたみたいで」
「ええ、ええ、そうするに値するほどの事故でしたもの」
ただ過去のこともあって実はあの事故のことは思い出すだけで、すこし指先が冷たくなる。だからあまり話題に出したいことではなかったけれど、どう話題を切り上げればいいのかわからず会話してしまう。どうしよう。
「あなたと会おうとしても面会謝絶だったし、そうこうしている間に息子夫婦も来て帰る日になってしまって、後悔したの。だからこうして会いに来てしまったのだけれど、いきなりごめんなさい」
「いえ、ありがとうございます」
私の身柄は重要参考人として事故後の政策を推し進めるためにか、貴族に消されたりしないようそれなりに帝都側から手厚く保護されていたらしい。そうは言ってもずっと監視がついていたとかではないので、中庭にキーボードを持ち出して練習するぐらいには自由ではあったけれど。
「それで、甘いものはお好きかしら」
「甘いものですか? はい、自分でも作ったりしますし」
答えると、ならよかった、と先程から傍らにあった紙袋から大きな長方形の箱のようなものが取り出され渡される。見ると例の中央広場にあった百貨店・タイムズの包み紙だ。
「お見舞い品として受け取ってくれないかしら」
「えっ、いや、でも当然のことをしただけですし、自分は殆ど怪我もなく」
「そう言い切れる人が傍にいてくれたから、私はここにいることが出来るの」
スパッと言い返されてしまい、物品を受け取るというのはどうだろう、と思いつつもここで固辞をしたらこの重そうな箱をこの方が持って帰ることになるのだよなぁといろいろ考えがめぐり、結局。
「では、ありがたく頂戴いたします」
「私の好きなお店の焼き菓子なの。多かったらお友達とどうぞ」
百貨店のこのレベルの焼き菓子、だいぶお高いのではなかろうかと考えそうになったけれどお礼にそういうことを考えてしまうのは品がよろしくない、と自分を内心で叩く。しかし丁寧な方だなぁとびっくりしてしまった。紅茶もご馳走になってしまったし。ただあの場にいたのが私だったというだけのことなのに。
「さ、何かしている途中だったのでしょうし、私はそろそろ帰りますね」
ふふ、と笑ってその方は立ち上がるので、頂いた紙袋に焼き菓子を入れながら自分も同じように。
「駅までお送り致します」
「あら。いいのよ、そんな」
「いえ、その……よろしければ、あの日の続きとして。坂もありますから」
仕方がなかったとはいえ完遂できなかったタスクには違いない。
私の言葉が何に繋がっているのか相手の方は理解してくださったようで、それじゃあお願いできます?、と了承してくださった。私は頷き、木枯らしの吹く道を辿り揃ってトリスタの駅まで。
改札前のベンチで鉄道が来るまでまた少しお話をして、鉄道が定刻通り運行しているという到着予告アナウンスでホームへ歩いて行くその方を見送った。そうして一段落した心の気配に気が付いて、もしかしたら今日、ようやく私にとってあの事故は終わったのかもしれない、と。そういう意味で、救われたのは私の方だったのじゃないか、なんて。
そんなことをぼんやり考えながら寮に一旦寄ってから学院──技術棟へ再度足を向けた。
頂いたお菓子はみんなで食べよう。
「で、結局何だったんだ?」
技術棟の施錠作業を終わらせ、食後のお菓子もあるしと今日は五人でご飯を食べようかと食材の買い出しをしに先に行ったアンとジョルジュを見送り、私とクロウは生徒会で遅くなりそうなトワを食堂で待っていようとなったところで尋ねられた。
「んー、10月の事故で一緒に歩いていた方がいたって話はしたよね」
「ああ」
「その方がお礼を持って来てくれたんだ」
「……そりゃまたなんつーか律儀な」
「だよねぇ」
おなじ感想を抱く人がいたので、自分がズレているわけじゃないんだなと頷く。本当に、あそこにいて、自分が信じる最善を尽くそうと出来ることをした、ただそれだけ。ハザウやクロスベルでのバス襲撃撃退時にお礼を言われるのとは違う。来訪するというのはそれだけの価値があったという意思表明に他ならない。
でももし自分がそういう、結果的に命を助けられたにも関わらず感謝を告げられない側になったらどういう行動を取るだろう。そのことを考えると、今日のことが重すぎると言うことはないのかも。
「まぁ、事故はともかく帝都は格段に歩きやすくなったよ」
「例の帝国交通法か」
「そうそう。時事問題として教頭が出題して来そうなやつ」
「お前それ出てきたら絶対に落とせねえヤツだろ」
確かに、なんて笑いながら、交通法の名前を出すときに少しだけ、ほんの僅かにクロウの表情に剣呑なものが浮かんだ気がしたけれど気のせいだったのか、単に頭痛とかでそう見えたのか、今はもうそんな気配はない。────ああでも、何か、似たような空気をどこかで感じたような、気が。確かずっと前。
「お待たせっ」
思考の淵に沈みかけた瞬間、トワの声が聞こえて来てそちらに意識を切り替える。時計を見ると既に19時。生徒会というのはこんな時間まで稼働しているのかと思うと、トワの勉学時間などいろいろ気になってしまうのだがこの学院はどうなっているのか。いくら生徒の自主性に重きを置いていると言っても限度というのはある。今度またお泊まり会でもするかな。
「お疲れさま」
「あれ、アンちゃんとジョルジュ君は」
「二人は今日のご飯当番してくれるみたいで買い出しついでに先に帰ったよ」
「えっ、それなら私も遠慮したのに」
遠慮。どういう文脈かいまいちわからず首を傾げ、数瞬後にあぁと思い至った。
「クロウは気にしなくていいよ。この時間帯に一人で帰すなんて選択肢はないし」
いくら寮がそれなりに近いとは言っても夜道には変わりない。それにアンからも頼まれているのだ。頼まれなくても待ったことに変わりはないけれど。でも、とクロウへトワが視線をやるとそれを受けたクロウがぐしゃぐしゃとトワの頭を撫でる。
「別にいんだよ。こいつがこういう気質だってのはわかってることだし、それにオレにとってもお前は大事なんだぜ」
恋人が出来ることで友人を大事にすることを疎かにしなければならないのが普通なら、私はどうにかそうでない道を選びたいと思う。感情や思考のリソースは限られているとはいえ、だ。それはクロウにとってもおなじことだと思いたいけれどどうだろうな。私の考えを優先してくれているだけかもしれない。でもクロウにとってトワが大事な人だというのは、まぁ間違いではないと思うのでよしとしておこう。
「そっか……えへへ、ありがとう、二人とも」
「うん、そう言ってくれる方がいいな。でもトワが気にするなら今後クロウには先に帰っててもらった方がいいかなぁ」
「ちょっと待て待てお前も心配だからな!」
「セリちゃんそれはさすがにクロウ君がかわいそうだと思う」
二人から総ツッコミを受けて、冗談だよ、と言ったら、冗談じゃなかっただろう、みたいな視線をもらったのでほんとほんと、と重ねて笑うしかなかった。いや本当に冗談だったのだけれど。信用がない。いや、ありすぎるというべきなのかもしれないけれど。
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12/中 夜会話
43
1203/12/中旬某日 夜
『シャワー浴びた後にちょっと話せねえか』
夜、予復習を済ませてあとはもうそれこそ少しだけ筋トレしてシャワーを浴びて寝るだけ、という感じの時にそんな通信が飛んできた。珍しいなと思いながら、一時間後にロビーでならいいよ、と答えると、じゃあそれで、と決まる。部屋じゃないと話せないものではないということなので、そこまで切羽詰まった何かではないのだろうと思う。
シャワー室は各階にあるので、ロビーに行くまでクロウと遭遇することはない。だから、この間トワとアンの二人からお祝いみたいな感じでそっと贈られたちょっといい柑橘系のお風呂セットを持ち込んでも特にパッケージバレとかはしないのだ。うん。
ドライヤーがこの世の中にあってよかった、と思いながら指定した時間ぎりぎりに厚手のストールを肩からかけて降りると、ロビーのソファには壁側の方にクロウが座っていて手を挙げてくる。バンダナをつけていないクロウはまぁさすがに見慣れたものではあるのだけれど、それでもVネックの長袖の寝巻きは見慣れていないものでどきっとしてしまい、感情っていうのは厄介だなとしみじみしてしまった。
それなりに夜も更けているので他の寮生の気配はなく二人きり。といっても共有区域だ。何があるということもなかろうと。
「お待たせ」
対面に座ると呼び出したクロウは片肘を膝に頬杖をつきながら私を眺めるだけで、その口が開かれる気配はない。別に何か話したいことがあったとかではないのかな。まぁそういう時間もいいけれど。
「何か飲み物でも淹れる?」
「あー、珈琲飲むとビミョーに眠れなくなっからなぁ」
「じゃあ甘いホットミルクとか」
最近は多少使われてもいいかと食堂の常温棚に置いているメープルシロップを思い浮かべながら提案すると、たまにはそういうのもいいな、とクロウが笑う。じゃあ作ってくるよと立ち上がったらクロウもついてきた。一緒に作るというレベルのものでもないけれど、まぁいっか、と揃って灯りが消えた食堂を抜けて調理場に入りマグカップを出しことこと牛乳を温める。今日は月明かりだけだと心許ないので、換気扇をつけるついでに導力灯も起動させて。
二人でいつかのように調理台に背中を預けながらコンロの火を見ていると、するりとクロウの手が髪の毛に伸びてきた。うっすらと指先がうなじを通っていって、それだけですこし心が跳ねてしまうのがわかる。私の感情と心臓はいつも働きものだ。いい感じに休んで欲しい。
「なんかいつもと違うな」
すん、と鼻先を近付けられてまたしても心臓がぎゅっとなる。クロウの距離感がわからない。いやでも、そう、たぶん、それが許される関係性をお互い手に入れているということなのではないだろうか。恋愛初心者には困ることが多いけれど、……嫌、では、ない。ないのだ。
「……普段と違うシャンプー使ったから」
それと最近気がついたけれど自分は誤魔化したりが下手なので、今回もそう馬鹿正直に話してしまう。するとなんというか、クロウのことなのでそれがどういう意味なのかわかってしまったんだろう。指が離れると共に、ああ、と端的な返事が落ちてきた。
1を聞くだけで5も10も理解するその頭の回転の速さが憎い。いやむしろ1を聞く前に0状態で既に理解されている時もある気がする。あれはなんなんだろう。例えばお腹空いている時とか。戦場でのチームワークならある程度選択肢が狭められているのでわかるのだけれど(それでもクラスの人とは合わない時は合わないので、いつもの面子はありがたいな、と改めて感謝することになる状況は多い)(つまり私がARCUSにあぐらかいていたり、いつも合わしてもらっているという反省でもある)。
そんなどうでもいいことを考えて心を落ち着けようとしているところに、下ろしていた手の指先にちょっと何か冷えたものが当たる。見るとさっき私の髪に触れていたクロウの指先で、隣を見上げると澄ましているのに、でも耳が少しだけ赤くなっている横顔があって今日最大に心臓がぎゅっとしてしまった。かわいい。
私もそっとコンロの方に視線を戻しつつ少しだけ距離を詰めて、相手側に手を潜り込ませてから指先を更に、絡む関節を深くする。大きくて、結構骨張ってて、すこしひんやりしている自分とは全く違う手。ハザウの時は頼もしさ以外意識していなかったし、学院祭の時は結構いっぱいいっぱいだったから、こうしてカタチを、輪郭を辿るような繋ぎ方は、今日が初めてだ。
手を繋いでいる。たった、言葉にするとそれだけなのに、そんなことがこんなに嬉しい。
昔の私は感情と勢いに任せてクロウに抱きついたりしたこともあったけれど、今考えるとかなり大胆さを感じる。まぁ仲間と健闘を称えて抱きしめ合うのは何もおかしいことでは、ないと、信じたい。どうだろう。わからない。
そんなまたもやどうでもいいことを考えていたら、ゆらりと視界の端を炎が掠めた。
「あっ」
「あ」
牛乳からうっかり意識を外してしまったので、若干ふつふつと言い始めてしまっていた。慌てて空いている手で火を消したけれど掻き混ぜるのも忘れていたので膜が張ってしまっている。やってしまった。けれどやってしまったものは仕方ない。気を取り直してマグカップに注ごうと手を放したところですこしひんやりするのを感じた。
11月の夜だ。それなりに外は冷えているので、火を使っていたとはいえ調理場もそこそこ冷えていたんだろう。そのことに今気がつくなんて浮かれすぎじゃないだろうか。
すこし反省をしつつ棚から出したメープルシロップを匙で好みの量入れてクロウに渡すと相手も自分のところに適量。くるくるとそのままかき混ぜた匙が返ってきたので、自分もカップの中身をくるくる回す。鍋と匙は取り敢えず水を張ってシンクに置いてソファーの方に戻ってさっきとおんなじように。
温めすぎたホットミルクを冷ましながらちびちびと飲んでいると、やっぱりクロウは私を見ている。首を傾げると微笑まれてしまった。心臓に悪い。
「……確認しておくけど、何か話したいことがある、って雰囲気じゃないよね」
一応切り出してみると、まあな、と首肯。
「最近バイクにかかりっきりであんま二人で話してなかったと思ってよ」
「あー、まぁ、そうだね。五人ないしは四人でいることが多かったっけ」
「それはそれでいいんだけどな。完成が楽しみってのは事実だし」
そもそも私とクロウが二人で話すというのは、特別課外活動時の夜が多かったかもしれない。今はもうその課外活動自体が終了しているので、自然とそのタイミングがなくなっているというのは確かだ。考えてみるといろいろ相談に乗ってもらったな、と笑いがこぼれる。
……いやよくよく思い返すと迷惑しかかけていないのでは?私のどこを好いてくれたのだろうと疑問を持ちそうになって、いやでもこれ尋ねると絶対に自分もクロウの好きなところを話さなきゃいけないよな、とぐるぐるし始めて、………………取り敢えず蓋をしておくことにした。曝け出したり暴くだけが人間関係じゃない。
内心を整えてミルクに口をつけて、ゆるりと時間が過ぎていく。
いつものように立て板に水という会話じゃなくて、ぽつりぽつりと、言葉がこぼれほろほろと落ちていくようなリズム。まるで愛おしさを煮詰めたような。
「もうすっかり冬で寒いね」
「そうだな」
カップの中身がだいぶなくなったところでストールを体の前で手繰り寄せて、片手でしっかり閉める。じんわり体内を飲み物が温めてくれたけれどそれでも若干湯冷めしかけているかな、なんて。そろそろ帰った方がいいのだろうけれど、クロウとのこの時間を切り上げるのは惜しいというのも確かな話で。
「あと三ヶ月ちょいでオレらも二年生ってわけだ」
そう喋りながらクロウが立ち上がり、流れるように私の隣に座り直してきた。ぎゅっと。
私はトワほどではないにせよ体格はそれなりにそれなりで、だから元々大きめなこの共有ソファに対しては一人で座る分にはかなり余裕があるのだけれど、クロウがそこそこ印象より体格がしっかりしているので私が真ん中に座っていると必然、密着する形になる。狭いかな、と少しだけ横にズレるとさっきみたいに手が絡み、こてんと頭の上に頭が乗ってきたような重みが。
「……」
まるで全身が心臓になったみたいに、どくどくと耳に鼓動が響いてくる。すり、と親指で手の甲をすこし撫でられて、なんか、もう、それだけで。頭がぐちゃぐちゃになりそうになる。でも翻弄されっぱなしな気がして、なんだかそれが悔しくて、私も隣の肩に頭を預けて手に力を入れた。大きさの関係で私の指の可動域は結構狭まっていたけれど、その代わりに頭をすこしぐりぐりしたら、楽しそうな声が小さく落ちてくる。
「来年、どんな年になるかな」
「まぁ少なくともあいつらといたら退屈はしねえだろ」
「そうだね。あと来年はARCUS用の特科クラスが出来るって噂もあるけどどうなんだろう」
「マジかよ」
「あくまで噂だけどね」
正式に決まったら、おそらく試験運用チームである私たちにも協力要請的なものが飛んでくるだろう。たぶん。結局元々存在していた部活動への所属はしていなかったので、先輩後輩という関係はすこし希薄だ。だからもしそうなったら、きちんと先達として立てるか不安ではあるけれど、でもひとりで立たなくていいというのはみんなが教えてくれた。
「あ、そうだ。クロウはちゃんと授業受けなよ。最近サボり気味って聞いたけど」
「まーその辺はちゃんと計算してるっつの」
「ほんとかなぁ。……一緒に二年生になろうね」
「おう、任せとけって。でもテスト前はよろしくな」
「じゃあ予定空けておくよ」
二人で暫く笑いながら、そんななんでもないこれからのことを話していた。
さすがにもう寝るか、ってくらいの時間になって、二人でカップだの鍋だの洗って、階段で別れる時に名残惜しそうなセリの頭を撫でたらゆるんだ笑顔で見送られる。じゃあまた明日な、そう告げて一番端の自分の部屋に入って、扉を閉めるなり背中を扉に預けてそのままずるずると腰が落ちた。
深く深く息を吐いて、跳ねる心臓を落ち着けて、トドメにもう一度息を吐く。
いや、結構、意図的に距離を詰めてみたわけだが、拒否しねえんだもんな。無防備すぎてこっちがビビる。湯上がり姿もやばいし普段と違うちょっと高そうなシャンプーの香りもやばいしそっと手ェ握ってきてくれんのもやばいし肩に頭預けてくんのもやばいしなんだあれ。なんだあの生き物。オレ特攻か。オレだけ特攻でいいから誰にも見せないでくれ。
……まあそんなわけにもいかねえんだが。
わりとふわふわした気持ちから一瞬で落ちるのは精神に良くないような気もするが、見て見ぬふりが出来るほど感情が死んでるわけでもないところが厄介というか。いやそもそも感情が死んでたらこんなことになってねえ。
もっと殺せたら、こんな風に置いてきた青春を謳歌しちまうこともなかったろうと。《C》って立場でなく、つるんでる奴らと楽しくやって、学院の内外に知り合い作って普段から色々やりつつ学院祭で助けてもらって、ああ本当に、楽しく過ごしちまってる。
そんな中で手を取り取られして、フェイクとして割り切っちまえばいいんだろうが、簡単に感情を割り切れるならそもそも俺がこんなことになってない。……ここ最近堂々巡りしてんだよなあ。
は、と短く息を吐いてから立ち上がり、適当に尻をはたいてベッドに向かう。
いつかオレが手放したあいつの手を誰かが取るんだろう。
オレじゃない誰かの隣で笑う未来があればいいと思う。
ただ、それを直接見ることはないだろうなと思ってるってのが、傲慢だな。
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12/20 試運転
44
1203/12/20(日) 自由行動日
日々少しずつ技術棟に放課後に顔を出して材料の切り出しをしたり買い出しに行ったり差し入れをしたり、そんな風に過ごしていたある日、導力バイクのbeta版が出来上がった。
「うん、これはいいものだ!」
満足げな声を出すアンの方を見ると、革ツナギ、と言う表現が一番しっくりきそうな上下繋がったワンピースのタイトな服を着こなしてそこにいる。鈍く光が反射するそれは見慣れない格好ではあるけれど、導力バイクの傍に立つ彼女はもうそれだけで一枚の絵のようだと思った。何でもル・サージュのデザイナーの方に相談したらノリノリで作ってくださったのだとか。思いついたアイディアを形にせずにはいられない、という方なのだろう。
そしてそのアンの横にある導力バイクのシルエットも当たり前のように見慣れないものだけれど、ステップなどの位置調節のためにアンが跨るとなるほど、いつだったか"鋼鉄の馬"と表現したクロウの言葉はかなり的を射ているものだと腑に落ちる。
完全に出資者であるアンの体格に合わせたフルスクラッチ品なので想定されていない私が乗るのは推奨できないと言われたけれど、クロウは乗れるらしい。羨ましい限りだけれどこればっかりは生まれ持ったものの話なので羨んでも仕方がない。でも羨ましい。もし商業展開されるなら重量軽めでもう少し足つきがいい高さのものがあれば、と思ってしまいつつ、しかしバイクに乗りたがるだろうターゲット層を想定すると難しいだろうなとも理解してしまう。
「試運転が年内に間に合ってよかった」
「そうだね。年明けちゃうと結構直ぐに期末試験だし」
「うへ、思い出させるなよ」
「君は先ず授業に出なよ」
どうにも課外活動が終わってから妙にサボりがちという情報が私のところに寄せられるのだけれど、私は別にクロウの学院生活を健康的に送らせる機構でも何でもないので私に言うのはやめて欲しい。一応言いはするけれど、落第しようが何しようが本人の勝手ではある。いや一緒に二年生に上がりたくないのかと言われたら上がりたいけれど!
「取り敢えず動かしてみよう」
「うん、結果はきちんとフィードバックしてくれよ」
「もちろんさ」
アンがハンドルを握ってバイクをごろごろと動かしながら街道の方へ。それにジョルジュを始めとし全員でついて行くと道々に、またあそこの面子は何かやってんのか、って顔をされてしまう。まぁ学院祭での講堂ジャックはほぼ全校生徒の知るところにはなっているのでさもありなん。
正門を抜け、東トリスタ街道──ケルディック方面へ。西の帝都側だとさすがに東より通行量があるので、安全を期してこちらということだ。鉄道が出来てからはトリスタ・ケルディック間の街道が使われるということも少なくなっていると聞くし。
街道入口まで来たところでアンが両手にグローブをはめてから跨り、その姿を写真に収める。RF社への提出レポートに添付するので結構遠慮なく撮ってくれと言われているけれど、これ例のルーレ工科大学製の導力映像複写機の方が良かったのでは、と思ったり。まぁもう既に向こうへ返してしまっているのが惜しい。
鍵を差し、アクセルに手をかけレバーに指を。その動作は街道に出るまで何回も何回も繰り返しシミュレーションしていただけあって様になっている。一応放課後のグラウンドの貸切使用申請をして走らせたりはしていたけれど、街道となるとまた話は別だ。なんせこの企画が転ければ導力バイクの商業展開は絶望的と言ってもいい。それは出資者兼搭乗者であるアンの安全もそうだし、それ以上に街道通行者の安全も気にしなければならない。
今は導力車のみに適用が限定されている帝国交通法に関しても何らかの修正が必要になってくるだろうし、念には念を入れてもまだ足りないものだ。
「うん、良さそうだ」
けれど私たちの緊張も何のそので朗らかに高揚した風に笑うアンは、それじゃあ行ってくるよ、とアクセルを回しエンジンをかけ、問題なく走り始めたバイクはそこそこの音を携えて直ぐに街道の向こうへ消えていった。
「おおー、やっぱいいね」
「最初っから当たり前みてえに操ってたがあの格好だと妙にキマってんな」
「新型導力器やスーツまで作っちゃうなんて、行動力すごいねえアンちゃん」
「うん、僕はアンのそういうところが好きなんだなって思うよ」
『好き』。それはどういう意味なのか一瞬迷ったけれど、アンとジョルジュは学院に来る前からの友人で、たった一言だとしてもいろいろ言い表せない感情がこもっているんじゃないかと勝手に想像して口を噤んだ。例えば仲間としての好きと、恋愛としての好きは両立するのだろうと今の私は信じているから。ジョルジュの中にもいろんな色がまざっているんじゃなかろうか。
「頼んだらトワの後で後ろに乗せてくれるかなぁ」
「お前なら二つ返事だろ」
「ふふ、セリちゃんずっと乗りたそうな顔してたもんね」
「……そんなにわかりやすかった?」
うん、と三人全員に頷かれてしまったので、ポーカーフェイスを習得したいと強く願ってしまった。この年齢で感情が明け透けだというのはさすがに恥ずかしい。
そんな会話をしているところで、ぴゅうっと風が吹き、さすがに12月の風は寒さを伴っている。トワなんて両腕で体を抱きしめているので、帰ってくるまでここにいるのもどうかな、と考え始めたところでそう言えばここトリスタの入口だったと思い出した。
「みんなここで暫く待ってるよね」
「うん、そうだね。もしアンから連絡があったら直ぐに出ないといけないし」
「じゃあキルシェであったかい飲み物でも買ってくるよ」
「あ、いいねえ」
ほっぺたを赤くしたトワが両手を叩いて賛成してくれる。それぞれのリクエストをメモって、じゃあ行ってくるよと踵を返して歩き出したところで一緒についてくる足音。見ればまあわかっていた通りクロウだ。
「さっみぃなあ」
「寒いなら腕まくり止めれば?」
「それするくらいならこうすりゃあったかいだろ」
こうすれば?と首を傾げたところで、どん、と背中から肩に重さが乗ってきてなんだと思っている間にそのまま腕が首前を回って体重をかけられる。
「重っ! 邪魔!」
「なんだよー、あっためてくれっつーの」
「これ私の体温取られるだけでは!?」
首と肩に回っている腕は顎とかに当たっているけれどひんやりとしていて正直冷たい。背中は多少あったかいけれど制服同士なんだから大して体温は伝わらないし、本当に体温が如実に取られて行くのを感じてしまう。
まぁでも慣れてしまえば歩くのには問題なくなってきてしまったのでそのまま進んでいく。ついには頭に顎を置き始めたのでなんだこいつはと思ってしまった。
「セリさん! こんにち……わ……?」
日曜学校から帰ってきたのかさっきは店先にいなかったティゼルが店先を箒で掃いているところに出会した。今日もお父さんのお手伝いを熱心にしている彼女は眩しい。
「こんにちわ、ティゼル。昨日貰ったクッキー美味しかったよ。あと後ろのは気にしないで」
この間一緒に作ったクッキーとケーキはいろいろアレンジ出来るからと伝えておいたらアレンジ品を持ってきてくれたので、昨日ありがたく食後のティータイムに頂いたのだ。調理後の試食時に出来れば呼び捨てにしてほしいとはにかんた彼女はとても可愛らしかった。
そして後ろの男は本当に気にしないでほしい。逆に恥ずかしい。いやもたれかかられている私が恥ずかしがるのはおかしな話なのだけれど!
「もう、クロウさん、セリさんに迷惑ばっかりかけてたら駄目ですよ!」
「こいつ迷惑かけられるのが結構好きだから大丈夫だっつの」
「おっとそんな実績はないんだが?」
とはいえ人を待たせているので会話もそこそこに別れ、キルシェに辿り着く。さすがにクロウも店に入る前には腕を解除してくれたので入店を果たすと、じわり、耳の辺りがきゅっとなった。ああ寒かったんだなぁと実感する。はやく飲み物頼んで二人のところに戻らないと。
「お、クロウ最近顔見せねえじゃねえか」
「いやー、金足んなくて自炊してんだよ」
最近は折半でちょいちょい一緒にご飯を作っているのだけれど、寮生はわりとそういうところがいいなと思う。クロウは結構大鍋料理が得意なので傾向としては私と被っているのだけれど、ブイヤベースとか材料的には得意料理があまり被っていないのですごく頼もしい。教えてもらうこともそれなりにあるぐらい。
「今日はポットで注文したいんだけどよ、大丈夫か?」
「おう、イケるぜ」
そうして飲み物を頼んで、出来上がるまで座ってろよ、とカウンター席に腰掛ける。
「いやー、ポットで飲みもん出してみればってお前に言われた時はびっくりしたけど結構評判いいしやってみてよかったわ」
「だろ? 子連れ家庭多いから公園とか秋ピクニックとかで需要あると思ったんだわ」
「お前らみたいな学生も食堂よりこっちに来たりするしな」
ひひ、と笑いながら話しつつも作業の手は止まっていないので、店員のドリーさんにいろいろ言われていたりするけれどやっぱり店長さんなんだなぁと改めて実感する。
というかこの持ち出し可のポットメニュー、クロウの発案だったのか。キルシェの珈琲は好きだから始まった時は寮でも勉強中に飲めると嬉しかったんだよね。
クロウは趣味が合うらしいフレッドさんと話している時は私たちとの会話より少し幼くて、その横顔も好きだ。自分は決して正面から見られない表情だけれど、学院祭の時にいろんな企画で走り回っていたのもそうだし、他の人と楽しそうにしている姿を見るのは悪くない。
しかし出会った時からだけど、クロウは他人の頭を気やすく撫でたり、さりげなくフォローに回れたり、ちょいちょい年上……というよりは概念的な兄っぽさがある、ような気がする。一応同い年の筈なんだけど。まぁそういう気質なんだろう。
そんなクロウがこうして笑える相手がいてくれて本当によかったなとしみじみ感じた。
「そいやお前ら付き合うようになったんだよな~、おめっとさん」
代金は支払ったしポットと使い捨てコップを差し出されてさぁもう帰るだけだというところでフレッドさんがそんなことを言い始めた。隠してはいないけれど別に喧伝するものでもないと考えていたのに街の喫茶店のマスターが知っているのは何ゆえ……?
「学生の噂は結構入ってくるフレッドさんを舐めんなよ」
ぱちんとウインクをされて、ああそういえばそうだったなと諦める。ミヒュトさんほどではないにしろ街中に限定するとフレッドさんも結構な情報通だ。しかし噂になるようなことはしていないつもりだったけれど、人間関係に興味津々な学生でもいたりしたんだろうか。
「こいつずっとセリちゃんに片想いしてたからマジで嬉しいぜ」
「は!?」
フレッドさんの言葉に私も驚いたけれど声を出したのはクロウだ。……クロウがずっと私に片想い?えっ?アンもクロウは恋愛的に私を好いているって推測していたけれどそんなにわかりやすかったのか?
「おっと、違ったか?」
「なっ、いやっ」
「クロウ」
慌てるクロウの袖を引っ張って視線をこちらに向けさせる。クロウは日焼けしづらいのかあれだけ課外活動に勤しんでいたのに未だ白い肌は羞恥のためか赤くなっていて、うんそういう表情も私はとても好きだなと内心大きく頷いてしまった。ありがとうフレッドさん。
「とにかく飲み物届けよう、トワが凍えてるかもしれない。あとフレッドさん絶対その話は後日聞きにきますから」
「あいよー」
「セリお前!」
「はいはい行くよー」
ずるずるとクロウの腕を引っぱり、両手塞がっているので肩で扉を押し開けながらキルシェを出る。耳や指先が寒さへ即座に反応して少し肩を竦め、暫くお互い黙ったまま歩き東口へ繋がる住宅地路地へ入ったところで隣から重く長い息が落ちてきた。
「そんなに恥ずかしい?」
「……誰にもバレてねえと思ってたかんな」
「追い討ちかけるようで申し訳ないけれど、アンにもバレてたよ」
「マジかよ。やっぱあいつ動物だろ」
野生の勘が鋭すぎると言いたいんだろう。まぁ観察眼が鋭すぎるせいで思考やキャッチした情報を言語化する前に結論に至れてしまう、という意味では野生の勘とも表現出来るのかもしれない。
「私は、嬉しかった、けどね」
「……そうかよ」
もしかしたら私が事故ったせいで世話焼きクロウの精神を刺激してしまったのかもしれない、とちょっとだけ、ほんのちょっっっとだけ疑っていた時期もあったので。ちょいちょいスキンシップが増えてきた今はさすがにそんなこと考えたりしないけれど。……それなりに深かったり強い情がないと相手するのはすこし面倒なところが自分にはあると思っているし。だからクロウとの"それっぽい"触れ合いは嬉しかったりする。心臓は簡単に痛くなるけど。
そしてまた沈黙が落ちて、でもそれは気まずいものでは全くなかった。
「あ、セリちゃんクロウ君おかえり!」
「遅くなってごめんごめん。アンはまだ?」
「うん、あんまり遠く行かないようにとは言っておいたんだけど」
「……何かあったとかじゃないといいけど」
ポットからコップに飲み物を注ぎながら心配を口にしてしまう。アンなら万が一ということもないとは思う、けど、でもやっぱり傍にいられないというのは勝手に心を砕いてしまう理由にはなる。……ああ、クロウもこういう気持ちだったのかな。侮っているとかではなく。
いやでもやっぱりそれを行動に起こすとか本人に言うかどうかとかは別問題だと思う。
湯気のたつ珈琲に口をつけると、じんわり、人体には出せない熱さが喉を通って身体の中心から熱を広げてくれる。
ちらりと横目でさっきまで真っ赤になっていたクロウはいつもと変わらない顔でジョルジュと話しているのが見えた。さっき、フレッドさんと話す表情は私が正面で見ることは出来ないと考えたけれど、真っ赤なクロウっていうのは概ね私だけの表情なのかもしれないな、なんて。
「寒いねえ」
トワに声をかけられ、ぎゅっとお互い寒さを凌ぐように体を寄せて笑う。
「ほんとほんと。飲み物の温かさが指先にしみる」
「この寒さが来るともう直ぐ新年なんだって感じするけどね」
そっか。新年。寮は完全に閉まるけれどクロウの帰省先はどこなんだろう。今まで全く本人が喋っていないものを、聞いてもいいものなのか。それは今の関係で許されるのか。誰にも当てはまる正解なんてないのだから手探りしていくしかないのだろうけれど。
「────あ」
とても遠くからエンジンの音が聴こえてきた。ここ最近聴き慣れたそれは導力車のものじゃない。それだけははっきりと判る。
私が顔をあげたからかみんな街道の先を見始める。その音は徐々に近づいて来て、ついにはずっと向こうに黒い点が現れ、それが大きくなってアンが姿を見せてくれた。キィッ、とトリスタの入口で綺麗に止まるその表情で、どれだけ成功なのかはもう判るほど。
サイドスタンドを下ろして興奮したアンは、勢いを殺さずそのままジョルジュを抱きしめた。アンの腕では背中に手が回り切っていないけれど、それが二人の関係性を表しているようで何だか微笑ましささえある。
「ありがとう、本当に君という友人がいてくれて私は果報者だ!」
「はは、こちらこそ。楽しくやらせてもらったよ。まぁまだまだ弄るけどね」
「勿論そうだが、今日この日を私は忘れないよ」
心の底からそう感じていることを疑わせないアンの言葉は、この場の総意なんじゃないかな、と勝手に考えてしまう。そんな風に考えられるこの場に私もいられて嬉しい。
ジョルジュに言わせたらまだまだ手を加えるところはあるんだろうけれど、本当によかった。
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12/26 冬期休暇開始
45
1203/12/26(土) 冬期休暇開始 朝
授業も終わり、ようやくオレら平民生徒にとっては初めての長い休みが来た。
昨日は一年二年問わず、寮生ほぼ全員巻き込んだ食材消費パーティーで結構てんやわんやというか、かなり賑やかしかった。ああいう馬鹿騒ぎは悪くねえ。その後の食堂台所の掃除まで含めてな。どうやら年度末の春には二年生追い出しで似たようなことをやるらしい。
そんで今は荷物をまとめてロビーでセリを待っている最中なわけだ。
取り敢えず年末年始はオルディーネのいる海都まで戻って、これからのスケジュールを《G》《V》《S》やヴィータだのカイエン公だのと話して詰めていく予定だ。来年、鉄血の野郎がどう動いてくるのかわかったもんじゃねえが、ヴィータが言うには間違いなく動乱の年になるだろうと。それは魔女の勘か?と問うたら単純に《結社》の方の別計画が動いているからだとか。
正直なところ鉄血宰相を引きずり落とす勢力だって一枚岩じゃない。貴族連合は未だ全員を引き込めているわけじゃねえみたいだし、ヴィータだって幻焔計画について貴族連合はおろか俺にだって全貌を明かしちゃいないだろう。帝国解放戦線の面々だって話しちゃいないことはたくさんあるわけで。それでも俺たちはあの野郎の首を獲らなきゃならねえって目的だけは一致してる。そこだけはお互いを信用しても良い筈だ。信頼があるかどうかはわからねえが。
「ごめん、お待たせ」
「おー」
階段の上に見知った気配が降りてきたのは分かってたが、声をかけられたところで顔を上げると軽い荷物を肩にかけたセリがそこにいた。ニット系のゆるめタートルネックに厚めのコートでスキニージーンズにいつものブーツ。上は厚めで下が細い。いい。似合ってる。厚着好きなところが自分にあったとは驚きだ。
「それじゃ行こうか。お互い遠いし」
「そだな」
二人で年末年始の話になった時に躊躇いがちに「クロウはどうするの?」と問いかけられた際、コンマ2秒くらい考えて「オルディスに戻るぜ、言ってなかったか?」なんて何でもないことのように喋ったのを思い出す。実際のところは戻るなんて言える場所はもうないんだけどな。
寮を出て木枯らしに吹かれながら商店街を抜けて駅まで。道々に知り合いに挨拶しながら駅舎にたどり着いて入ると、オレらと似たような寮生が待ち合いのベンチでちょいちょい談笑しているのが見えた。予約しておいた切符を駅員から貰ってポケットに突っ込む。
指定席とかはねえけど長距離移動なもんで予約しておくと駅で一括の切符が貰えて便利って話だ。何枚もあると紛失の可能性も高くなるしな。安いもんでもねえ。
「そろそろ到着しそうだしホームの方に行っておこうか」
「連絡橋あるしな」
帝都行きの鉄道は二番ホーム、改札からすると向こう側だ。もう何度も何度も課外活動以外でも使ってるせいですっかり馴染み深くなっちまった。
入って進んでホームに立つと風が入ってくるもんでさすがに若干寒い。出身地がかなり北の方ではあるから寒さには強い方だと思っていたんだが、こっちは『寒さ』の形が異なるような気もする。
「さっみぃ」
「……それでも風上に立ってくれてるあたりクロウってクロウだよねぇ」
ふっと隣でセリが笑ったかと思ったら手を差し出され、珍しいなと重ねると冷えた指先には結構な温度に感じる体温が伝わってきてそれだけで心がゆるむのがわかった。だって言うのにそれどころかコートのポケットにずぼりと。もちろん手は握ったままだ。
「本当に指先冷えてるね」
「お前があったかすぎんだよなあ」
「うん、クロウの手を取った時ちょっと背筋ぞわっとした」
女は末端が冷えやすいって聞いたことがあるんだが、オレたちはどうやら反対らしい。代謝や筋肉量の問題ならオレもそれなりにあると思うんだが、体質にもよるんだろう。たぶん。
「まぁでもこうやってあっためる名目で手が繋げるなら役得かな」
「どんな名目で手を繋いでても単なるバカップルだと思うんだが」
「こういうのは本人の気の持ちようだから」
少し前までは手を繋ぐだけで顔を真っ赤にしてたやつとは思えねえ順応性を見せられて、もうちょい堪能させてくれても良かったんだがな、と考えちまったりなんだり。いやこれはこれで悪かねえが。
「あ、来た来た」
セリの言葉に続けて発されたアナウンスの直後、列車がホームへ入ってくる。多少速度が落ちているとはいえやっぱり入線時に吹き荒ぶ風は寒冷だ。
その寒さでコートに首をうずめているとまた笑ったセリに手を引かれ車両のステップに足をかけ、俺たちは隣り合わせに座って手を繋いだまま、今年最後の30分を過ごすことにした。
「海都ってやっぱ海が近いんだよね」
「その名の通りな。湾岸沿いに作られてる上にちょっと丘になっててよ、視界さえ開けてれば大体どっからでも海が見える作りになってるぜ」
「へぇ……やっぱり一度は行きたいなぁ」
以前課外活動で見たティルフィルは見事に山森の街だったせいか、セリは妙に海へ憧れがあるみたいだ。そういやなんかの時にオルディスの夏至祭の話になって目を輝かせてたか。
「うん、でもクロウが海街の出っていうのはすごく納得する」
「……そうか?」
あんま出身地が特定出来るような行動はしてない、わりとニュートラルな立ち回りをしていたと思ったんだが……まあ本人の常識は他人の非常識だからな。わかんねえところで滲み出てたところはあるか。
「だって釣りが出来るし捌けるし魚料理得意だし、むしろこれで海や湖が近くなかったら不思議だったぐらいだよ」
ころころと笑われて、ああそれもそうかと。祖父さんに仕込まれて当たり前だと思っちまってたが、そう考えるとセリのレパートリーに魚系が少ないのも頷ける話だ。それでも教えたらわりとさくさく捌けるようになったし料理だって上手くなったろうと思うが。
「あとブレードもロックも北方系の文化でしょ? 海都ならそういうの入ってくるんだなー、って納得したというか。うちのところは山間だから他地方の文化には特に疎いんだよね」
その言葉に、芯を突かれたような気が、した。そうだ。やっちまった。その両方はジュライ近辺のものだ。これで1組36枚のトランプを出していようものならお前の出身地はあそこだろうと看破されてもおかしくないレベルのもんで、セリが勝手に納得してくれて助かった部類の話だ。というかブレードの発祥地まで知ってんのかこいつ。
「まぁオルディスはルーレほどじゃないにしろ交通の要衝だからな。そういう娯楽の流入も結構あるっつーか」
他人の当たり前を上手く掬い取って、セリは"俺"を見つけそうになった。もし、万が一、そんなことになったら今度こそ殺さなきゃならねえ。計画の障害になるならそれは絶対だ。個人の感情でポシャらせていい類の話じゃない。ああそうだ────俺は、セリを殺せる人間だ。必要なら。たとえゲロや血反吐を吐いたって。
だから、これは、まさに紙一重の行動だったんだろうと思う。変に気を回して内陸とかにしなくてよかった。……声は、震えちゃいなかっただろうか。
「船の積載量を考えると貨物的な意味ではルーレより断然荷運び多そうだしね」
「ああ」
聞こえてくる声は普段通りで、何かを疑っている節もない。助かった。あらゆる多重の意味で。
殺せることと、殺したいかどうかはまた別だ。だから、本当に、助かった。俺はこいつを喪うことが怖いんだってことを改めてわからされた気分だ。もうそんなのとっくに理解させられていたと思ったのに。怖いってのに殺せるだなんてとんだ矛盾だ。
「寒い?」
その声でハッと我に返ると、心配そうな顔をしたセリがオレを覗き込んでいた。
は、と短い息が落ちる。
「あ、ああ、ちっとな」
「寒がりなのにそんな首元開けた格好してるからだよ」
呆れたような声と共に鞄を開けてマフラーをぐるぐると巻かれ、鼻先をかすめるにおい。セリのだ。部屋に備え付けのクロゼット使ってんだから保管状況としては大して違わねえしそんなに使ってる様子もなかった気がするんだが、こうも本人の気配が残るもんなのか。
「……お前に比べたら大概の人間が寒がりなんじゃねえかなあ」
「格好がよくないって話をしてるんだって」
そうして巻いてきたマフラーを、よし、と満足気に軽くぽんと叩くセリ。そうしてまた手が繋がれる。ぎゅっとしてくる体温は俺には勿体無いもんで、だっていうのに放してやるつもりは毛頭なくて、自分の強欲さを思い知った。まあテロリストなんて強欲で夢見がちで自分勝手なもんだ。
だからどうか、俺がオレじゃなくなるその日まで、このまま。
帝都中央駅に停車してホームへ降りるとさすが年末年始という様相だった。帰省する人間でそれなりにごった返していて手を握ってねえとはぐれそうだと嫌気がさす。とはいえ夏至祭ん時よりかはマシだなと思いながら連絡橋へ上がって壁際に寄って一息。
「さすがに人が多いねぇ」
「年末だかんな」
ここからオレは西のラマール線、セリは南のサザーラント線だ。そっと手が離れ、随分とあったかくなったマフラーも返すかと手をかけたところで外す手を静かに止められる。
「もし何だったらそのまま持ってっていいよ。なんか今年あったかいし」
「あったかくはねえと思う……けど、ありがたく借りてくわ」
「うん、どうぞどうぞ」
朗らかに笑うこいつは、自分の持ち物を男に貸したら何に使われるかなんて考えたこともねえんだろう。たとえそれが恋人だから許されているんだとしても。オレの脳内でどんだけぐちゃぐちゃにされてるかも知らないで。
「つってもオレも心配だからこれ貸すわ」
鞄からネックウォーマーを取り出してがばりと被せる。ゆるめタートルネックを着てるせいで若干不恰好だが、ま、どう見ても男モンをつけてる女にナンパしようなんて時間の無駄をしたいヤローは殆どいないだろ。
「……防寒具持ってるんじゃん」
「持ってないとは言ってねえだろ」
「そ……うなんだけど」
自分の早とちりが恥ずかしいのか、ごす、と胸に頭突きをされる。いてえ。でもセリはそのまま退く気配がない。そのまま肩に腕を回してみるともぞもぞと肩の鞄を足の間に器用に下ろして、腰骨あたりでコートがぎゅっと掴まれた。
「元気のチャージ」
「おう、オレも」
今日別れたら次に会うのは新年。二週間後だ。人の多い帝都駅で抱き合ってるカップルなんて珍しくもないもんを気に留める暇なヤツはいない。腕の中にあるあったかさとやわらかさを堪能する。とくんとくんと伝わってくる鼓動は自分のもんなのかセリのもんなのか。
と言ってもずっとこうしてるわけにもいかねえよなあ、とぼんやり考え始めたところで、すう、と胸元で強い呼吸を感じた。お。これは。吸われた。吸われてる。だけど振りほどく気には当たり前だけどなんなくて、暫く好きにさせていたらそっとセリが離れた。真っ赤な顔で。
「……ごめん、ちょっとはしたないことした」
目尻赤くしてオレのネックウォーマーを目の下まであげて見上げてくるそいつが世界一かわいいと思う男のことをおそらく誰も責められるわけがねえ。
まあ誰にも見せるわけもねえから判定なんざ必要ないんだが。
「じゃ、も、次の列車出る時間だから行くね」
こんな時でもきっちり時間は把握してんだから恐れ入る。
下ろしていた鞄を手にして目的のホームへ行こうとするその腕を掴んで視線を繋いだ。さっきよりは赤みが引いてるとはいえ、それでも高揚が見え隠れするそれに相好を崩しちまう。
「また来年、よろしく頼むぜ、セリ」
「……うん、よろしく、クロウ」
へにゃりと笑ったそいつの腕を離して今度こそオレたちは自分が向かう路線のホームへ降りていった。二週間会えない程度でこうなっちまうなんてちょっとやべえかもなあ。
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一二〇四年一月
01/上 紺碧の海都
46
1204/01/上旬某日 夜
諸々の打ち合わせを終え、新年を迎えて浮かれる街も落ちつき、人の気配がとうに鎮まった海都の港。冬のせいか空はやけに澄んでいて星がよく見える。吐息は白くなって寒さを助長させるような気がしたが、マフラーは置いてきた。あいつが貸したのはクロウ・アームブラストであって《C》である俺じゃないからだ。……なんてのは言い訳か。
寒空の下、港の一番端にある下水道へと繋がる扉に鍵を差し込む。実際のところはカイエン公の城館脱出に使える隠し通路の一つだ。だからか使う人間がいないもんで若干蝶番の軋む音を立てながら開いたそこは暗闇。誰かに見られてもめんどくせえからとっとと入りARCUSのライトをつけて道を進んでいく。もうとっくに慣れた道だ。適当に沸いていた魔獣は双刃剣で薙ぎ倒しながら目的地に。
銃も悪くはないんだがなあ。性に合うのはやっぱりこっちなんだよなと。
道を進んでいくと四つ花弁のような紋章が描かれた壁の袋小路に辿り着く。そっと手を当てると紋章が鳴動するように光り、そうして軽い地響きを立てながら壁は二つに割れていった。そこまでやれば周囲の壁がほのかに発光しているもんで、足元が覚束ないこともねえとライトを消してARCUSをポケットに突っ込む。閉まる音を背中に狭い道を進んでいくとそこには待機するように膝をついた"本当の相棒"がいた。
僅かな灯りの中でもわかる蒼い騎神。二年前に一人で這いずりながら認めさせた結果。歴代の騎神起動者はあれを超えてきてるっつーが、なんというかやっぱ歴史の教本に載る奴らってのはどいつもこいつも規格外なんだなと笑っちまった。俺はただの、どこにでもある話に固執したテロリストだけどよ。
「よう、オルディーネ」
声をかけると長期の待機状態が解除されたのか、視界デバイスに光が灯る。
「アア、クロウカ」
「長い間待たせちまって悪いな」
学院にいる間は西の果てである海都には殆ど戻って来られない。かといって帝都や他州の近くにこいつを長期間保管しておくというのも据わりが悪い。というか正直あぶねえ。瞬間転位も出来なかねえが霊力を大幅に使うもんでそうほいほい使えるもんでもない。
現状起動している騎神はほぼいないって話だが、それはあくまでヴィータや《結社》が把握している中で、ってだけだ。もし判明していない起動者がピンポイントでそこにいた場合、起動している騎神が近づけば何をしてくるかはわかったもんじゃない。その点で言えばオルディーネの名の通り、オルディスに待機状態の騎神がいるというのはおかしな話じゃない。そしてこの中にいればそれは悟られない。水面下で行うこの計画に於いてそれは絶対だ。
「元々ソウイウ話ダッタダロウ」
「まあそうなんだけどよ」
手を伸ばすとオルディーネは当たり前のように俺をケルンへと導いた。久しぶりに座った内部はそれでも動作に支障はなく、問題なくオルディーネを操れる。
「そんじゃ久々に行くか」
「ウム」
地精が作った謎空間。魔女の末裔であるヴィータはあんまり入りたがらねえけど、個人的には悪くねえと思ってる。オルディーネをここから出すのはそう好き勝手には出来ることじゃねえけど、人智の超えた場所でならいくら暴れても問題はないかんな。それを二年前から俺らは証明してる。
空間にいる大型魔獣は餌を摂らなくても死ぬことはない存在なのか、それとも定期的に循環してるのか、見た目が変わることは殆どない。とは言ってもこちらの力量とかを空間が分析しているのか、手合わせ場所として使えなくなるっつーこともない。行動パターンが増えることも多々あった。俺一人で入ってるのか、オルディーネと入っているのかでも異なる。一体全体どういう空間なんだかわかりゃしねえ。
ヴィータ曰く、地精はかつて魔女と袂を分かった存在で正直なところ現在も存続しているのか不明な一族らしい。地脈に接続ができる魔女にそう言わせる工学者集団。いや、現代の単語による工学が内包する意味を考えるとそう呼ぶのも馬鹿馬鹿しい技術者集団らしい。だからそれらの粋を集めて隠遁すればあるいは、とは言っていた。
もしその地精とやらが生きているのであればこうして俺が謎空間で駆ってる騎神のデータもフィードバックされてるんだろうか、と若干薄寒くなる。とはいえわかんねえもんに怯えて使えるもんを使わねえのは無理だ。地精がどうだかは知らねえが、さすがに人間が人間に復讐するところに割って入ってくるような存在でもねえだろうと。
オルディーネ用に調整された巨大双刃剣を振るい最奥の間の前に位置する魔獣を両断する。
「……ま、こんなもんか」
久しぶりと言ってもオルディーネと深く繋がってる感覚はずっと存在しているわけで、大したブランクも感じない。おそらく起動者っていうのはそういうもんなんだろう。戦闘者であると規定された存在。
────必ず、動乱に巻き込まれる運命の保持者。
ヴィータは起動者のことをそう評していた。笑うしかねえだろ。動乱を引き起こそうとしてる男を導いた魔女がそんなことを言うだなんてよ。とはいえそれは表の世界の出来事だってのも分かってる。裏の世界で何が起きるのかは分からねえ。それでも俺はこいつと共に自分が成したことの果てを見届ける。そう、決めた。
だから、学院での出来事は全部フェイクだと、その時になったら言い切らなきゃならねえ。万が一にもあいつらに飛び火がないように。テロリストに騙されていた被害者であれるように。
「良キ出会イガアッタヨウダナ」
考え事をしていたら、オルディーネにそう声をかけられた。騎神と起動者は繋がっている。遠く離れている場合は感情その他の流入は抑えられるらしいが、こうして搭乗している時はあらゆるヘルスチェックは常時されているらしく俺の何かからこの一年弱のことを感じ取ったんだろう。それを口に出さなくても良いと思うんだが。
「よせよ。俺が何をしたいのか、するつもりなのか分かってんだろ」
どうして学院に入ったのかも。んな場所のことを相棒にまでそう言われちまったら、辛くなっちまう。まあどんだけ辛かろうとも破綻する未来は必ず来るし、遂行に足る目的への執念だけは自分にある。そうあらなきゃならない。
「無論、理解シテイル。ダガ己ヲ騙ストイウノモ良イコトデハナイ」
出会った時は堅物一辺倒だったこいつも、人間のようなことを言うようになった。
瞼を閉じて、背もたれに体重を預ける。今の俺には友人と呼べる存在はいない。ジュライでのすべては誇張なくあそこに全部置いてきて、解放戦線の面子は同志とは言えると思うが気やすい仲でもなく、学院のあいつらといるのは仮初の自分だ。そういう意味で、オルディーネは、今の俺にとって唯一の『友』と呼んでもいい存在なのかもしれないと、ふとそんなことを考えちまった。
「あー……今から言う話は別に流してくれても構わねえんだが」
「他ナラヌオ前ガ話スト決メタコトナラバ私ハ聞コウ」
言いながら話しやすいようにか内部の光量が少し落とされ、その気遣いのそつのなさに笑っちまった。いったい誰に似たんだか。
そうして、四月から始め課外活動の話も含めながら学院がどう言う場所なのか、心の整理もつけるつもりでこぼしていった。
最初に突っかかってきたゼリカのやつは本当に気が抜けねえと思ったもんだ。笑っていないのに笑うななんてどんだけ的確なんだっつう。看破されてる俺が未熟ってものあっただろうが。それでも戦術リンクが繋がり追撃が決まるようになって、正直、気持ちよかった。なんつうか、武器の違いはあれど元々のバトルスタイルが似てるのもあるんだろう。あらゆる行動の確信度が違う。
性格は過度の女好きでチャランポランかと思えば、貴族として培われた観察眼なのか一番冷静に場を見ている時すらある。それが恐ろしくもあるし、頼もしくもあるところが難しいというかなんというか。
そのゼリカが猫可愛がりしているトワだって、見た目こそあれだが実のところだいぶ芯が強いタイプだ。戦争を好くようには見えねえし、なんならオレらの中で一番士官学院生って肩書きが似合わねえとも思う。だけど軍事大国である帝国が持つ"力"と向き合うために自分から渦中になりかねない場所へ飛び込んだ。よく出来るよな。そうでなきゃならなかったのかもしれねえけど。
それにあらゆる交渉ごとと指揮官としての才能があいつにはある。戦場にいながら場を俯瞰し計算する。そのこともあってオレたちはわりと頼っちまってる。精神支柱でもあるというか。案外一番肝が据わっているやつかもしれねえ。
ジョルジュは本当に一つ年下なのか不思議なくらいなんだが、オレたちを円にする仲介者というか、柔和な顔しておいてはっきりと物を言うやつだ。まあそれはトワもおんなじか。ARCUSの試験運用が開始されたのだってジョルジュが入学するからってのは大きかったろう。でなけりゃ最新の戦術導力器だなんてもん専門の整備士を派遣してもらうレベルの話だかんな。
前衛としては心強いの一言に尽きる。素早くはない。手数も少ない。だが不沈艦だ。中衛・後衛にとってこれだけ信頼できる前衛がいるかっていうとそうそういない。倒れないってのはそれだけで安心に繋がる。
トリスタの街もいいもんだ。商店街に活気があって、ガキも元気に走ってて、近くには川があるから釣り欲が湧いた時はそっちに釣竿持って行けばある程度はどうにかなる。美味い飯屋もある。それに人によっては過干渉に思えるかもしれねえ距離感が、どうにも懐かしい。さすがに俺が市長の孫ってのは知られてたし、両親がいないこともみんなわかってたからいろんな大人が気にして、時には怒ってくれて、そうやって過ごしていたあの頃にたまに重なる。
……そうして、本当の誤算に俺は出会っちまった。
正直なところ最初は戦闘狂のクセにマトモぶってなんだこいつと思ったもんだ。勝つことじゃねえ、戦うこと自体があいつは好きだ。ただ自覚はなかったんだろう。あの五月までは。獣のような鋭い瞳。どれだけ体格差があって、技量差があっても、絶対に俺の喉笛に噛み付いてやるとギラついた感情。殺す気はなかったろうが、似たようなもんだ。現実、オレは、せめてもの礼儀として殺すつもりで迎撃した。引鉄を引かなかっただけだ。
かと思えば目の前の他人を助けるためなら瞬間の思考もなく自分の身体を差し出し、それについてなんとも思っていない危うさ。後悔すらしねえ。いや、きっと、差し出さなかったことを後悔するんだ。あいつは。今ならわかる。
だからこそトワの命を勝手にベットしたことに対して不眠を患いかけるくらい後悔をする。オレの軽口が気に障って眠ったのだってあれ寝不足だったから導火線が短くなってただけじゃねえか。傍迷惑なヤツだ。
そんで古代遺物に取り込まれて記憶が混ざって再構築された時はさすがにやばいと思ったが、結局、虚空に消えたんだろう。オレだけが覚えている架空の過去。幼馴染だったあいつ。架空なだけあってさすがにもうわりと薄れがかっちゃいるが、それでもあの時に得た感情が今の俺に影響していないとは言い切れねえのが厄介だ。あんな夢を見なければ、この感情を持つこともなかったかもしれねえなんて。
まあでもそれはきっと逃避だ。あいつの故郷で、自分が生まれ育った街が好きだと、誰に憚ることもなく言い切ったその横顔で、オレは自分の感情を自覚しちまったんだ。どうしようもなく好きだって。あの時に恋に落ちたんじゃない。ずっと前から、その片鱗はあった。だけどあって良いことじゃない。存在して良いもんじゃない。好きであるのなら、せめて、傷を浅く済ませるのが最良だって。
そう考えていたっていうのに何が起きたのか告白されちまって、そりゃ大層都合は良かったが隠れ蓑にしていい存在じゃなかった。なんでも利用してやるつもりでいたっていうのに。おかしな話だろ。
それでも結局、あいつの生命が揺らいだ時、どうしても、それが許せなかった。傍観できなかった。ただ生きていて欲しいっていうだけのことが難しくて。混乱するオレの告白を断るところも最終的には好きな部分だ。そういう、誠実さの塊みてえな生き物で、俺とは全くの正反対。だから惹かれちまったのかもしれねえ。あいつといたら自分も少しくらいまともになれるんじゃないかって。そんなわけもないってのに。
「好いた女の生涯の傷になれたらって、思っちまったんだよなあ」
それ以外で俺があいつの心に残れる理由はない。俺は、テロリストで、人を殺すからだ。鉄血の野郎だけじゃねえ。帝国解放戦線が起こす事件で死傷者が出た場合、実際手を下したのが誰であろうと俺の咎になる。
それを、あいつが、赦す筈もない。俺が恋をした存在はそういうやつだ。
「……ナルホド、難儀ナ恋ダナ」
「はは、違いねえ」
周りから見たら学院の高嶺の花の一つを手折った野郎ってだけだろうが。
とはいえ元々例のARCUS試験運用最終戦闘でお手上げになったやつは読み通り多かったみたいで今のところ嫌がらせもなく平和な日々だ。あの戦闘は、まあ勘弁してくれと言いたくなるくらいキツかったはキツかったが、その分楽しくもあった。つまり、傍からすれば想像の倍以上に苛烈に見えたろう。
チームの女三人は全員、本人たちの預かり知らぬところで高嶺の花だと言われていた。まあゼリカは本人の行動もあって早々にその括りからスピンアウトしたわけだが、それでもトワとあいつは顔面も成績も上の上、しかも二人でタイプが違うせいでトワ派かあいつ派かで平民男子生徒の人気を二分してるところもあった。
その高嶺の君があんな戦闘をこなすだなんて思ってもなかったろうよ。通常の実技戦闘だとARCUSによる恩恵はない。つまり頭に巡らす思考が多くなる。普段オレたちと組んでる時より絶対に鈍る筈だ。そんでもって、あいつの身体能力と要求についてこられる奴もそうそういない。だからそれが見えることはなかった。
個人的にはああいうところも良いと思うんだけどな。
ああ、そうだ。俺はきっとあいつを信じてる。たとえ俺が帝国解放戦線の首魁だと知って、何かがあって対峙することになった時、折れることなく、迷いなく、その刃を向けて来られるやつだって。たとえ膝をついたとしても、立ち上がってくると。
その時は全身全霊で、本来の得物である双刃剣で相手してやろうと思う。
「本当ニ、ソノ者ヲ愛シテイルノガ伝ワッテクル」
「……まーな」
これが愛なのかどうかは、わかんねえけどよ。
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01/上 森薫る街
47
1204/01/上旬某日
ティルフィルに帰ってきてからは、年末年始は毎度の如くトラブルも多いのでそれの対応人員として駆り出されたり忙しい日々を送っていた。12月の晦日は叔父さん主催の一年お疲れ来年もよろしく宴会のために家の一番大きな部屋から家具を移動させたりして、たくさんの人が入る立食形式のパーティをしたり。いつからかそういう時に戦力に数えてもらったりして嬉しかったことをなんとなく思い出した。
「っかれた……」
それでも酔っ払いの集団の相手というのはえてして疲れるもので。晦日に宴会をしたのに年始にも宴会をしていて、叔母さんが救出してくれたからふらふらと自室に戻ってベッドに倒れ込んでしまった。もう動きたくない。つかれた。懐かしいし楽しかったけど久々のあのノリは体力を使ってしまう。
みんな顔馴染みの職人さんたちで、私が帝都近郊の学校に行ったのが心配みたいですごくとてもかなりいろんなことを聞かれてしまった。というか完全に酒の肴にされた。だけど心配されるようなことはあんまりない……こともないけれど今は解決しているし、事故には遭ったけれど私は軽傷だったし。でも、やっぱり、帝都の事故っていうとみんな昔のことを思い出すみたいで、案外それについては訊かれなかったな。よかった。
あ、そうだ。家にいる間にやっておきたいことがあったんだ。明日も何かありそうだし、タイミングを逃さないようやっておこうかな。
のろりとベッドから立ち上がり、のたのたと足を進めて扉脇にあるコートラックへかけておいたポーチからARCUSを取り出す。使う予定もないから入れっぱなしだったけど、良くなかったかな、と思いつつ目的もなく出して入れ忘れたらそれはそれで結構大事だからまあいいかと自分を納得させた。
そのまま壁際にあるいつもの座卓の前に座って、あらかじめ叔父さんから借りておいた金属用の彫刻刀に手を伸ばし用意する。ARCUSを開くとカバーの裏には何度も取り替えたみんなの端末番号を記した紙。ジョルジュに整備してもらったり、色々する度に剥がしてから渡すのだけれど、さすがに面倒になったのでカバー内側に刻んでしまおうと思ったのだ。一応RF社にも問い合わせたけれどOKの返答はもらったし。
ARCUSのカバーを外し軽くしたところで、カリカリ、とペンのように持ったそれで紙の一番上にあるトワのをまず刻み始める。
結構かけることも多いのでもう指が覚えてしまっているけれど、ド忘れすることもたぶんある。連絡帳とか開いている暇がない時もあるだろうし。こういう意味ではなんというか、ワンボタンで登録した端末へ通信をかけられたりしたら便利なのにな、と考えたり。でも物理ボタンだと登録できる数が限られるので逆に不便かもしれない。
トワにはもういろんなことでお世話になっている。
課外活動のレポートの作成もそうだったし、グレンヴィルで二手に分かれた時に領邦軍を動かす手配をとってくれたり、あとはやっぱり印象深いのはルーレ活動時に鉄道憲兵隊を相手取って交渉してくれたこととか。そして、恋が破れた私のことを本当に、丁寧に、心配してくれた。涙をこぼす私の心に寄り添って、それでいいんだよと言ってくれた。私がクロウを好きだという感情を否定せずに、クロウが私を振ったことも否定せず、ただ隣にいてくれたというのがあの時の私にはどれほど嬉しかったことか。
だけど私はそんな優しいトワの命を危険な賭けに巻き込んだ。ルズウェル、六月二十八日のこと。クロウのおかげでもう夢は見ないけれど、それでもたまに考えて心にしっかと刻みつけている。何かあれば彼女のために命を張ろうって。それは、例の生存の誓いよりも私の深いところにある。
他人の命を勝手にベットしたのだ。それでもきっとトワは気にしないでというだろうからこれは私のエゴで、それがどうしても、譲れない。もちろんそもそもそんな事態にならないよう頭を働かせて、状況の悪化を避けるようにはするつもりだ。別に死にたいわけじゃないし……クロウに言わせたら私は他人のために身体を張りすぎらしいけれど。
トワの番号を刻み終えて、一旦彫刻刀を置く。最近は機械工具ばっかりだったから逆に手に力が入ってしまっているみたいで、もにもに、と持っていた手の親指の付け根を揉んだり指を伸ばしたり、少しストレッチをさせてやる。
次はアンだ。
アンは本当に、なんというか、仲良くなれると思わなかった。
私の一番触れられたら嫌なところに真っ先に触れてきて、悪気もなくルッキズムをかざして、そのことに心底嫌気がさしていた時期が短くもあったのは確かな事実だ。それでも彼女はARCUS試験運用チームの一員として原因をなんとかしようと私に対話を試みてくれた。貴族がだ。もうそれだけで私にとっては、うん、天変地異みたいなものだった。もちろんそれまでにフィデリオと交流したりして、貴族の中にも話のわかる人がいるのだという偏見の払拭はある程度進んでいたのはある。それでも私は彼女に人の意思を確認しようともしない人間だとレッテルを貼ってしまっていたから、本当に自分を恥じた。
そうして、友人ではなくとも背中を預けられる仲間の第一歩を踏み出せたと思う。
でもやっぱりあれかな、アンでいの一番に思い出せるのはお泊まり会の時の表情。口々に褒めたら慌てたようにして、頭を撫でたら顔を赤くしていたこととか。あれは可愛かったなぁ。アンは女性の中では結構身長が高めだし、本人の気質もあってあんまりああいうことをされてこなかったんだろう。嫌がるならもちろんしないけれど嫌がっている気配はなかった、と思う。うん。アンはそういう時きちんと言ってくれる……そういう間柄を今なら築けていると信じたい。
は、と息を吐いてまた少し休憩を入れる。あと二人分。
ジョルジュは技術的なところはもちろん、なんだろう、個人というよりチームをそっと支えてくれている気配がある。
ARCUS試験運用チームの指揮官相当なのはもちろんトワだろうけれど、帝国におけるルーレが屋台骨という言葉を借りるならジョルジュは私たちにとってのそれだ。骨組み。基礎的な部分。彼がいてくれなければこのチームは空中分解をしていただろうということが何度もある。もちろん、最初から参加が決まっていたという話からジョルジュがいなければ成り立たない特殊活動だというのは理解しているけれど違う。そういう話ではなく。
クロウとアンの諍いをトワと一緒に止めてくれていたり、あるいは反対派と賛成派が2-2で分かれた際に反対賛成を求められたら対話をするべきだと諭したり、学院祭の講堂ジャックではドラムとキーボードという違いはあれどお互い音楽の下支えをしたり。
リンクを組んだ時も安定感が段違いだと思う。私は基本的に回避特化の盾だけれど、ジョルジュは鋼鉄の盾だ。攻撃を受けることが前提になっている。だから組んだ時は回避に専念するのではなく、敵の急所を刺すことだけに思考を回していればいいというのはかなり楽というか、助かる。後衛陣としてもジョルジュの存在はありがたい限りだろう。精神を乱さず駆動し切れる──それは引いて前衛の私たちに恩恵が降り注ぐ。例の試験戦闘でも、教官二人を前にしてもトワのそれが精神起因で途切れることはなかった。
だから、共に戦場に立つパートナーとしてジョルジュは心強い。
ジョルジュのを刻み終わったところで、ふあ、とあくびが出てきたので、この状態で刃物を扱うのは危ないとまた一旦止める。階下に降りて珈琲でも淹れたいけれど、降りていってまだ起きている人に絡まれたりしたら面倒だなとちょっと考えて、気配を探って、まぁ大丈夫かと立ち上がった。
冬用の室内履きを足に引っ掛けて、二階にある自室から降りて行きそっと台所に入るとコンロに鍋がある。美味しそうな気配がしたので蓋を取ってみるとベーコンの入った野菜スープだ。……夜中にスープ。若干葛藤したところで、ぐう、とお腹がちいさく鳴るのを自覚する。つまり仕方のないことなのだと己に言い聞かせてコンロのツマミを回し鍋をあたため始めた。このコンロは家庭用導力器としてすぐに各家庭に普及したものらしいけれど、普及前はもっと原始的で面倒だったらしく技術の発展はすごいなぁとしみじみする。
鍋の底が焦げ付かないよう時折かき混ぜながら、いい感じに温かくなったスープをカップに注いで台所に置いてある簡易椅子に座って一口。おいしい。じんわりと身体があたためられる感覚に、これも冬ならではの贅沢だなぁと思う。
匙で具材を掬いながら堪能していると台所に近づいてくる気配が一つ。
「まだ起きてたの?」
そう言いながら入ってきたのは叔母さんで、ちょっとやりたい作業があって、と笑えば、そういうところは本当に兄さんに似てるわよね、と苦笑されてしまった。私は幼くて覚えていないけれどどうやらそうらしい。血の繋がりというのは不思議なもので。
「ね、クロウ君とどうなの?」
叔母さんもスープを自分の分注いで、私と同じように簡易椅子を取り出してきて近くに座る。
どう、どうとは……?
「学院祭で『オレなりに大事にします』って言ってくれてたから進展あったのかなぁって」
おっとそんなことを言ったとは聞いていないな!というか学院祭って一応正式には告白を受ける前なのだけれどその段階で人の外堀を埋めようとするのはやめてほしい。そもそもそういうの嫌がりそうな気がするんだけど案外、案外なんというか、私が思っている以上に愛されているのかもしれないと思ってしまって顔が赤くなるのがわかる。
いやしかし学院祭時だし、オレなりに仲間として大事にします、の意味では?と思っていつの間にか落ちてしまっていた顔を上げたら感慨深げな表情が見えてしまった。
「……そっか」
私は何も言っていないというのに、叔母さんは理解顔で私の頭を撫でてくる。一応反論しようとはしたけれど、正直その理解が間違っている気もしないので訂正もできない。なでり、なでり。可愛がるような、子供をあやすような、やさしい指先。幼い頃から私を慈しんでくれた指先。
「私たちはいわゆる血の繋がった子供が出来なかったけど、兄さんたちが懸命に守ったあなたをこうして育めたことは、本当に幸せなの」
「……」
カップを持つ両手に、僅かに力が入る。
叔母さん叔父さんに子供が出来ないことを、幼い頃は自分がいるせいなのではないかと考えたこともあった。だけどそんな二人じゃないと今ならわかっている。そして、実子であろうとなかろうと、二人は確かに私を愛してくれた。時にはきちんと怒ってくれた。家のことに巻き込んでくれた。私の世界から消えた家族というものを、もう一度一緒に構築してくれた。
「あのね、叔母さん。父さんや母さんが亡くなったのは、すごく、悲しいことだし、今でもまだもしかしたら整理がついていないことかもしれないってたまに思う」
だけど。
「二人に育ててもらって、私もしあわせだよ」
それだけは間違いのないことだから、ちゃんと伝えておきたいと、思った。そりゃ多少は恥ずかしいけれど、でもそれは感謝を伝えられないことに比べたらなんでもないことなのだ。
「士官学院に進学を決めたのは、まぁ、その、家を出る準備みたいなものではあるんだけど、それは二人が嫌だとかこの街が嫌だとかじゃなくて、自分の足で世界に立ってみたいって思ったからで、だから」
「……うん、わかってる」
そっと叔母さんはカップをコンロの脇に置いて、ゆるく立ち上がり、私の頭を抱きしめた。とくんとくんと鼓動が耳に響いてきて、頭を軽く預ける。
「あなたが世界を識りたいと思うのは止められないし、止める気もない。でもいつでも帰ってきていい場所でありたいから、それだけは覚えていてね」
「────ありがとう」
そう言ってくれる人がいるというだけで、私はきっともっと高く跳べるのだ。
それから二人で洗い物をして、洗面所に寄ってから部屋に戻って机の前に腰を下ろす。叔母さんのおかげで目もそれなりに冴えたし、今夜中にやり切っちゃおう。最後はクロウだ。
そっとARCUSを片手にカリカリと金属に刻みをつけていく。最初からそうではあるのだけれど、自分だけのARCUSという気分が高まっていく作業だ。11月の正式通告までは完全に貸与品だと思っていたから多少不便でも紙を挟んでいたのに。でもそれも私たちの活動が認められた結果だろうので嬉しいことには違いない。
そっと削りカスを刷毛で払ってから、刻み途中の番号を指先でなぞる。
……クロウ、は、本当にどうしてこんな関係になったのかわからない。それでもこうして考えるだけで心臓はやっぱり跳ねてしまうし、好きだなって気持ちがとどまることを知らないかのようで、少し困ってしまうぐらい。
自覚したのは10月の、あの出来事がきっかけだ。それは間違いない。夕陽に照らされるクロウの髪がきれいだったことをよく覚えている。私がこれはプライベートな話だから自分で解決しないといけないと思っていたことを、まるで何でもないことのように他人を頼っていいんだと方策を見出してくれて頼もしかった。きっとクロウにとっては本当に何でもないことだったんだろうけれど。
5月にあった戦闘訓練にしたって、真正面から私と向き合ってくれた。私が女だからということもなく、いつもつるんでいる相手だからということもなく、徹頭徹尾容赦なく叩き落として銃口を突きつけてきた。そう真剣に対峙してくれたクロウには感謝しかない。
こう言ってはなんだけれど生活態度としては傍から見る分にはチャランポランなのに、感想戦に付き合ってくれるマメさとかもずるいと思う。感想戦に付き合えるというのは、つまりその場その場の行き当たりばったりではなくきちんと思考して戦っていたということに他ならない。瞬発的に発動する戦技とかもあるけれど、それでもそれは意識に乗せなくても出来るようにしていたことなのだ。一挙手一投足に意味を乗せていなければ、感想戦を交わすことは難しい。無意味な動きは死に繋がる。
その観察眼を信じて私はルズウェルであんなことをしでかした。あれをやり切れたのはどう考えてもクロウのおかげだ。私の意思を過不足なく汲み取って、不安なところはきちんと改変して作戦を起爆してくれた。そうして、流れではあったけれどハザウでは精神のフォローまで。たぶん、あの時から、その少し前から、クロウの横だと深く息が出来るような、そういう心持ちがあったと思う。戦術リンクの相性がいい、命を預け合う相手として。
そうしてルーレで、クロウは私のことを相棒と呼んでくれた。
いま、思えば。いろんな話を統合すれば、もしかしたらクロウは私との関係性にそう名前をつけることで自分の恋心を封印しようとしていたのかもしれない。だけどそれに私はちっとも気が付かず、ただただその言葉を享受した。どうしてクロウがそうしようとしたのか具体的なことは全くわからないけれど、そうしようとしたのは事実なんだろう。
だけど私はそんなクロウの思惑に反して恋を自覚してしまって、10月は本当にいろんなことがあった。驚くほどに。学院祭でベースを奏でるクロウは格好良くて、今思い出してもちょっと悶絶しそうになる。
かと思えば街の子どもたちと真面目に遊んだりしていて、フレッドさんとはギャンブルの話で盛り上がったりもして、でもその幼く見える横顔が今は可愛いと感じてしまう。感情というのは厄介だと、つくづく。
そういう一つ一つの積み重ねが、私の恋を育てたのだと思う。
だから、どこが好きなのかと問われても、ちょっと困ってしまう。あえて言葉にするならやさしいところとかわいいところ、になるのかもしれないけれど、なんかそれも違うような気がしてならない。
私がそう悩んでしまうので、クロウもそうなんじゃないかなと考えているけどどうだろう。でもいつか訊いたり話してみたいとは思う。どういうところを好きになったのかとか、いつ自分の感情に気が付いたのかって。一言じゃなくてもお互いじっくり話せる日があったらいい。
グランローズはもうとうに枯れてしまったけれど、あの色は、記憶の中では褪せないままだ。
刻み終わった箇所をまた刷毛ではたきバリ取りなどの最後の処理をして、カバーをARCUS本体に合流させて忘れないようポーチに。そうしてその日の作業は終わりを迎えた。
ベッドにもぐり込んで毛布にくるまる。学院の再開が待ち遠しい。
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01/10 冬期休暇終了
48
1204/01/10(日) 冬期休暇最終日
「あ、おかえり」
今日は試験前なので勉強をするか、街道に出て年末年始で少し鈍りかけた身体のために魔獣の相手をちょっとするかどうしようかと迷い、とりあえず玄関ロビーの方でのんびり朝食のサンドイッチを摂っていたらクロウの帰寮にかちあった。……いや、もしかしたら万が一で帰ってくるところに出くわせるかなー、とは思ってここを陣取っていたのだけれど。
「おー、ただいま」
にっと笑うクロウには行動の意味が見透かされているのか当たり前のように対面に座られたので、手は洗ってきなよ、と言うと面倒くさそうな顔をしつつ手洗い場へ。
手洗いから帰ってきたところで姿をよくよく見れば首元には二週間前に無理やり渡したマフラーが巻かれていて、何だか今更ながらに自分の行動が恥ずかしくなり珈琲を飲むふりをして顔を隠した。その間に目の前の相手はマフラーを外したりコートを脱いだり。
「実家どうだったよ」
「叔母さんに学院祭時に君から『大事にする』って言われたって聞きましたよ」
「だよなあ」
お見通しだったみたいでクロウがクックックと笑う。全く。まあでも、誤魔化すことだって何だって出来たのにわざわざあの二人にそう宣言するってことは、たぶん本当に大事にしてくれるつもりがあるんだろう。クロウにとってはさらっと話題を流すことぐらいそう大した手間じゃないだろうし。
「……私も君の保護者の方にご挨拶したほうがいいのかなぁ」
学院祭のことは不可抗力だとしても、クロウがそういう気持ちであるというのなら、私も同じだけ返したいというのはあるのだ。だいぶ話が早いような気配も大いにあるけれど。いやでも不可抗力か……?改めて考えるとすこし疑問がもたげてしまう。
「あー、いや、いいだろ。別に」
「……不仲?」
けれど意外にもバッサリ断られてしまい一瞬考えて、周りに人もいないしと、すこしだけ踏み込んでみる。この話題を振ったのはそもそもクロウなので話題を開始するかどうかはクロウに操作できた話だ。だから私も触れていいんじゃないかと、思ってしまった。
けれどどうも珍しく明らかに言い淀んだクロウはお皿に残っていた私のサンドイッチに手を伸ばし、ゆっくりゆっくり咀嚼し、ごくりと嚥下する。
「……両親は死んでてな。ま、よくある話だわ」
「あ、そっ、か。ごめん」
つまり今はそもそも誰の世話にもなっていないか、あるいは世話になっていたとしてもあまり折り合いがよろしくないという感じだろうか。たったその一言を言うためにこれだけ迷っていたのだから、やっぱり踏み込むべきではなかった。ご両親が亡くなったことをよくある話なんて、言わせたかったのではないのに。
「いやいや、でもそう思ってくれたのは嬉しいかんな」
あっという間に見慣れた表情で笑うクロウがなんだか寂しくて、それでもそれを寂しく思う権利なんて私にはないんだろう。
そうしてサンドイッチを食べ終えて、今日はどうするんだと問いかけられた。勉強か戦闘かで迷っていたけれど、こんな状態で武器を扱っても碌なことにはならないと判断して、勉強かな、と告げる。じゃあオレも後で合流していいかと訊ねられたので、うん一日部屋にいるから好きな時に来なよと笑った。
朝食の片付けをしてクロウと二階で別れ、自室に。ぱたんと部屋の扉を閉めたところで、そういえば、といつかトワに投げかけた質問を思い出す。
ARCUS試験運用面子の五人中三人が両親死亡、一人は片親で仲はよろしくない。……いや、さすがに。ジョルジュの家族関係は一切不明だけどもあまりにも条件が合い過ぎているような気がする。やっぱりARCUSというのは稼働者の裡にある何らかの欠如に起因するものなんじゃなかろうか。まあそれがわかったところで何なんだという話、ではあるのだけれど。別に適性者を増やす為に何かをしているわけではない……と思うので人道に反してはいない。
あれ、でも。適性者が少ないのがARCUSの問題点と言っていたような気がするのだけれど、もしかして開発元も適性条件が不明だったりするのでは。
暫し、そのまま思考の淵に立ち尽くす。
……レポートに、したためるべきなんだろうか。学校側だって私たちの家族関係を全て洗っているわけではないのだろうし、もしかしたら条件を把握していない可能性は大いにあるわけで。でも家庭環境というのはセンシティブな話題だ。私が勝手に書いて提出するというのは事実誤認の可能性もあるし、かといって全員が集まっているところで開示していいものでもない。一人一人にレポートの草稿を見せて、データとしての提出が構わないかということと、内容が正しいか、という段階を踏まなければならない話だ。
そしてサンプル数で言うのなら軍部での試験運用の方が圧倒的に揃うわけで、たかだか四人だか五人だかのデータを提出して意味があるのかという。データを精査する部署がそれを見逃しているというと……。
────いや、誰も言い出していない個人の考えがくだらないものである、という思い込みこそ大事につながりかねないとナイトハルト教官も工兵訓練でずっと言っていた。一笑に付されても提出すると言うのが大事なのだ。それに以前の課外活動でお会いした責任者のあの方なら、たとえ一生徒の意見だろうと真摯に聞いてくださるだろうと、そう思える。
うん、と頷き、タスクを自分で増やしてしまうことにトワを笑えないなと一人自嘲した。
「よーっす」
昼過ぎの夕方前、15時。ノックもなく扉を開けた相手に、気配に気付いていたからいいけれど、とため息をついてしまう。いつも通り開けっぱなしにしておいてね、と頼めば一瞬止まったクロウはそれでも私の望み通りにしてくれた。そう、一見我儘なのにこういうところ好き。
座卓で書いていたARCUSの考察レポートを一旦まとめて備え付けの学習机の方へ。まだ開示出来る状態ではないので伏せておくに限る。
「いま何してたんだ?」
「ちょっとARCUSの追加レポート作成」
「うわ、余裕だな」
「書き留めておかないと忘れそうってだけだよ」
試験勉強なら重要タスクとして置いていられるけれど、レポートに使えそうなひらめきというのはなかなかに脳内での風化が早いと知っている。大体作業中でメモが取れず、提出後に思い出して何度頭を抱えたことか。
「で、今日は何持ってきたの?」
「帝国史と美術史」
「あー」
どちらもそれなりに込み入っている部類のものだ。エレボニア帝国の歴史は謂わば侵略とともにあるため、文化の吸収といえば聞こえがいいけれど土着のそれを踏み潰してきたという側面がある。そういう意味で帝国史も美術史もいろいろなものが複雑に絡み合っていると言っても過言じゃない。だけどそれが面白いとも思うのだ。……帝国国民としては少々複雑なところもあるけれど。
「よし、それじゃあ帝国史の方から始めよう」
「おっし、よろしく頼むぜ」
机から自分のノートと資料を取り出して来たらクロウが笑ってそう返事をしてくれた。かわいい。
「腹減ったな」
試験範囲内のざっくりとした流れを浚ったあたりでぽつりとそんな呟きが落とされる。そういえば勉強会を始めたのが夕方前だから、もうそれなりにいい時間だ。食堂も落ち着いているだろうし夕食を作ってもいいかもしれない。
「何か作ろうか。といっても二人分なら買い出し行かなきゃいけないけど」
「そんならオレが作るからちっと待っててくれや」
「二人で作った方が早いのでは」
「勉強の礼だかんな」
少し得意げに笑ったクロウは立ち上がってさっさと出て行ってしまう。……まぁ、お礼だというのなら受け取っておくのが礼儀だろう。それにクロウのご飯は美味しいのだ。あと実は珈琲を淹れるのも上手い。なのに何でキルシェでよく飲んでいるのか聞いたら、豆の管理大変だろ、と返されたのでなるほどなぁと納得したことを思い出す。
夕食後のことを考えつつノートを見直しながら、この時代のちょっと面白エピソードとかなかったっけ、と副読本の方を開いたら銃についての歴史コラムがあった。そういえば今や世界有数の導力器メーカーであるRF社も最初は銃火器が始まりだったんだっけ。しかも火薬式のものだ。七耀石由来としたエネルギーを使う導力銃と異なり弾薬制限が明確にあった時代。
ああ、それなら銃を絡めて歴史を追っていくと楽しく覚えやすいかもしれない。幸い……というと語弊がありそうだけれど、軍事大国である帝国ならばそういう話には枚挙に暇がない。早速さっき流れを把握するために書き出した年表に大まかな戦争の年と名前を書き加え、記録にある部隊の動かし方などを記していく。軍事学ではこういう過去の戦争の具体的な兵法ついても学ばされるので、厳しく座学も教えてくれるナイトハルト教官に感謝だ。まぁこのやり方がクロウにいいとは限らないので都度修正は必要だろうけれど。
美術史に関してはどうしよう。私もあまり美術関係に造詣が深いわけではないので、教本一辺倒のことしか教えられない。歴史の話だから好きな絵、苦手な絵、という話をしてもあまり意味はないだろうし。これに関しては正直私も覚えているという感覚しかない。興味が持てる覚え方が出来れば一番いいのだけども。
そういえば美術教官であるフェルマ教官が今年度をもって退職されるとのことで、来年の私たちのクラス担任は誰になるのだろうとすこし気が逸れる。今いる常任教官でクラス担任でないのはサラ教官ぐらいだけれど、あの人は来年開設される噂のARCUSクラスを任されるのではなかろうか。まぁ順当に考えれば現二年の担当か、後任の美術教官になるのだろう。
ペンをすこし指先で遊ばせながらいろいろ考えていると、ふわり、いい香りと共にクロウの気配が二階に上がってきた。どうやら部屋で食べるらしい。食器は流石に部屋にないけれど大丈夫かな、と思いながら軽く机の上を片付けて場所をつくる。
「お、机あんがとな」
「おかえり……鍋?」
「寒い日って言ったらこれだろ」
確かに今日は少し冷えるのでカーテンを閉めているぐらいだけれど、まさか鍋とは。お盆の上に食器や調味料その他と一緒に乗せられているこれはあれだ、土鍋。誰かが共有食器棚に突っ込んだやつ。共有棚にあるものは使われて困らないものだけにしておけという了解があるのだけれど、持ってきた本人も別に異論はないらしく特に回収はされていない代物だ。
鍋敷を置いた机に布巾で持ち手を掴み乗せられる。中には白菜、豆腐、鶏肉、ネギ、ニンジン、茸類などオーソドックスだけど美味しそう。食べていいのかと視線で問えば、食器にクロウがよそってくれる。ついでに柑橘系調味料もずずいと勧められそっと入れた。
「いただきます」
「たくさん食ってくれよ」
東方文化に詳しいアンから、ラーメンを食べるなら箸だろう、と習ったそれを手にし、まず白菜。あ、くたくたかと思ったらちょっとシャキッとしているけれどそれがまた美味しい。ふわりとじんわりと体内に熱が通っていく。余熱でやわらかくなっていくだろうから、最初だけの贅沢だ。
「寄せ鍋いいねぇ」
「鍋は誰かとつついてこその美味さがあるよな」
それはつまり、私と食べるご飯は美味しいと思ってくれているということなんだろうか。そうだったらいいと、思うけど。でも確かに鍋は囲んで食べるのが美味しいものだから、いつもの面子ともつつけたら美味しかろうなと想像だけで頬がゆるんだ。
「お前ほんっとにわかりやすいよなあ」
クク、とクロウが笑うので、そういうお見通しな発言よくないよ、と少し口を尖らせてしまった。悪ぃ悪ぃ、と言うけれど、これがまたちっとも悪いと思っていないのだからタチが悪いし、その上自分の方も別に本当によくないと思っているわけでもないのでどうしようもない。
好きなんだよなぁ。
そうしてご飯の後片付けをして勉強が捗り、夜のお茶の時間を堪能していた時にクロウがすこし部屋を見渡すような素振りを見せた。
「そういや何か来た時から気になってたんだけどよ」
「うん?」
「何か普段と香りが違う気がすんの気のせいか?」
言われて、直ぐに合点がいく。膝立ちで枕元に置いていたちいさな麻のふくろを手にして、これじゃない?、と差し出すと鼻先を寄せたクロウが頷いた。
「サシェって言ってようは香り袋なんだけど、私の実家って林業中心でしょ? だから樹を切り倒して加工処理する際に出る木くずをこう袋に入れてね」
「なるほど、実家に行った時に貰って帰ってきたのか」
「うん。林業は冬が繁忙期だから、香り袋の新しいのが作れるのもこの時期なんだ」
クロゼットとかにも吊るしているから暫く私の香りはこれになるだろうと思うけど、クロウ的にはどうだろう。
「いい香りだな」
そう言ってくれたのが嬉しくて、へへ、と表情が崩れる。すると、するり。顎のラインを辿るようにクロウの指先が私に触れ、距離を詰められる。あっ、扉。視線だけで確認するとさっきお茶を淹れたあたりで閉められていたみたいで、用意周到さを実感する。いや、でも。
咄嗟に手の甲を自分の唇に当て、止まらなかったクロウの唇の感覚をふにゃりと掌で得てしまい何だかそれだけで照れてしまう。もう、本当に掌一枚分の距離しかない。
微妙な沈黙が一瞬、クロウがちょっと寂しそうな顔でそれでもきちんと離れてくれた。
「あ、あのね、その、クロウとするのが嫌なんじゃないんだ」
床につかれている相手の手にそっと自分のを重ねる。
さっき赤い瞳と視線がかちあって、今までで一番近くなって、掌に唇が落ちて、それだけで心臓が跳ねて跳ねて仕方がない。好きなのに、好きだから。
「でもたぶん、初めてきちんと手を繋いだ時だってびっくりして混乱したから、その、キス、するだけで試験に手がつかなくなっちゃいそうだなって。バイクだってまだ完成してないし。だから」
自分の胸中を言い募っていると、ぽん、と空いている方の手で頭を撫でられ、そのまままた距離を詰めてきたクロウの胸に頭を預けさせられる。
とくんとくん、と普段聞いている心臓の音よりすこし早い気がしたそれはクロウも緊張して行動したんだなってことがわかって、僅かに申し訳ない気持ちになった。でも試験は私にとって奨学生としてここにいられるかの話だから疎かには出来ない。
「……ごめんね」
「そういう真面目なところも好きだから謝んなっつの。ハッキリ言ってくれる方がいいしな。そもそも悪かったって言うのはオレの方だろ」
クロウは私のよくわからない、妙なところで融通の利かないところをいい感じに言ってくれた。というかそうなのか。初めて聞いた。自分ではあまり長所じゃないと思っていたけれど、好きな人にそう言ってもらえるなら悪くないと感じるのもむべなるかな。
「……私も、クロウの何だかんだ意思を尊重してくれるところ、好きだよ」
「初めて聞いたな」
「あは、お互いどんなところが好きかなんて話してないもんね」
二人でそんな風に笑うのが楽しくて、今暫くクロウの優しさに甘えることにした。
……手を繋ぐのは自分からも出来るようになったし、キスも自分から出来るように、なれたらいいと思う。がんばろう。クロウにばっかしてもらうのはフェアじゃないし、なにより、私が君にふれたいから。
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01/24 自由行動日
49
1204/01/24 自由行動日
無事に期末試験も終わり、伸び晴れやかな自由行動日。
クロウに手応えを訊いてみたら、結果が出るまでオレは無敵だ、とイイ顔で言っていたので脇腹を軽くぐりぐりしてしまった。まぁでもそんなことを言っていても単位を落とすような真似はしないだろうと思うのであまり心配はしていないのだけれど。
そうして今日は導力バイクの正式完成日だ。あれからどうやら長期休暇中も貨物列車で運んだバイクをチューンアップしていたらしく、ハンドルまわりのスムースさやペダルの反応速度などが向上しているのだとか。何より、安定感が増したことで後部席に人を座らせることが出来るようになったと。
相変わらずのトリスタ東街道に出てアンがバイクに跨り、その後ろに防寒対策をしっかりとったトワが座る。それを見ていつかの課外活動のことを思い出して少し微笑ましくなった。でも私じゃバイクでこうはいかないなぁ。
「それじゃ、行ってくるよ」
「わかってるとは思うけど安全第一でね、アン」
「もちろんさ」
「トワ、楽しんできてね」
「うん、一足先に堪能しちゃうね」
「いやー、やっぱ導力バイクいいよなあ。オレも乗り回してえ」
そんな風に二人を見送り、今回はと最初から用意していたシートの上に三人で座り帰りを待つことに。キルシェで買ってきた珈琲とドーナツは寒空の下のお茶会に程よく合う。全員制服やツナギの上にコートを羽織っているので、広がる裾を考慮してもう少し大きめのシートが良かったかなとかぼんやり。
「よくあれ完成させたねえ、さすがジョルジュ」
「いやいや四人にも手伝ってもらって助かったよ」
「課外活動終わった後も何だかんだつるむ口実になってたな」
クロウの言葉に私も頷く。
半年強のARCUS試験運用から引き続いて一緒にいることが多かった。トワは生徒会で技術棟にいないことも多かったけれどそれでも私たちは五人でチームだ。みんなで部品を作ったり組み立てたり試験したり、楽しい日々だったと言える。
珈琲とミルクを注いだカップを両手で包んで、黄土色の水面に視線を落とした。
「私さ、まさかみんなとここまで仲良くなれるなんて思ってなかったんだよね」
だってそうだろう。まず四人が楽しく談笑しているところに一人追加で入るという人間関係構築苦手者にはハードにも程がある。その上チームメンバーは全員何らかの意味で名高い人ばかりで、トワは自分はただの書類仕事がすこし出来るだけ的なを言っていたけれど、そんなこと言ったら自分だってちょっと斥候が出来る一般生徒だ。
「あー、それオレもだな。まさか活動中にいきなり殴ってきたゼリカと気持ちよくリンク出来るようになるなんざ思ってなかったつーか」
「その点で言うと僕はもう参加が決まってたから、そういう不安はなかったな」
「ジョルジュはマカロフ教官と一緒にこっちに来たんだっけ」
「そうそう。実はシュミット博士が後見人になってくれてるんだけど、正直兄弟子のマカロフ教官の方がそれっぽいかな」
後見人。ここでいうところの使い方としては未成年後見人だろうその言葉は、法律上として父母または養親または親権を行使できる立場の人間がいない際に決定される立場の人間の存在を明確にした。
「……その、訊いたらいけないことだったら申し訳ないんだけど」
「ああ、僕も両親いないんだ。だからマカロフ教官は本当に気にかけてくれてて」
「あ、やっぱりそう、なんだ。教えてくれてありがとう」
いつもの顔で柔和に笑うジョルジュ。
────士官学院においてのARCUS試験運用メンバー中、両親不在が四人、片親が一人。やっぱりこれはレポートとしてまとめるべき事柄だ。単なる偶然なんだとしても、不測の仕様として大きなファクターとなっている可能性すらある。
「何か気になることでもあんのか?」
相変わらず私の表情はクロウにとってはわかりやすいようでそんな言葉が。とはいえあれだけ言いづらそうにしていたクロウにこの話をするのは申し訳ないという感情はあるのに、それとおなじぐらいARCUSの謎を解き明かせそうな好奇心がもたげているのも事実だ。自分はひどい人間かもしれない。他人の感情と知的好奇心を天秤にかけるだなんて。
「……あの、クロウ」
「ん?」
「君が寮に帰ってきた日の朝に話してくれたこと覚えてる?」
それでも好奇心に勝てなくて問うてしまった。
会話の繋がりから前半に話していたことではなく、サンドイッチを食べた後半のあたりだと理解してくれたのだろう。肯定の旨が直ぐに返ってきた。
「その話をここでしていい?」
「あー、隠してるわけじゃないぜ。言う機会がなかっただけっつうか」
「そうなんだ。うん、でもありがとう」
何かあるかもしれない、暇だったらレポートの草稿でも進めようと思って持ってきた鞄から下敷きと真っ白の用紙を取り出し二人の前に出す。そこへペンの蓋を取ってARCUSについて現在考えていることの概要を書き始めた。
新型戦術導力器ARCUSはレマン自治州にあるエプスタイン財団と帝国のRF社による共同開発品であり、戦場の革命となるポテンシャルを秘め次代の主力となり得るとされている。だが稼働には適性が必要で、その条件は現在不明なため軍部での配備は難航している。
ゆえに試験運用として士官学院にて一年生から適性のある五人が選出され、データのレポート提出などを求められた。
「ここまではいいかな」
「前提条件だな。大丈夫だぜ」
二人が頷いてくれたので、うん、と一旦口内に溜まる唾液を嚥下して次の句を紡いだ。
「それで、適性の条件なんだけれど、私もクロウもジョルジュも両親がいないんだ」
「……加えてゼリカはログナー侯の父親だけで」
「トワに至っては僕らと同じく両親が亡くなられている筈、だよね」
「そう。全員何らかの形で肉親を喪っている。あまりに不自然な共通項じゃないかな」
これが適性の条件であると言うのなら、個人の精神に対してかなりグロテスクすぎると思う。何らかの欠如に付け込んだシステム、それが戦術リンクの本性なのではとも言えるのだから。
だけどこれが正式な仕様であるとも思いたくないという感情がある。幾ら軍事大国でありARCUSが大層な能力を秘めているとしても、そんな条件を付与するのはあまりにもナンセンスだ。配備が遅れるだけじゃない、選出に無駄な条件がついて回ることになる。それは引いて国家の損失となる。
「私は、これがARCUSの戦術リンクに関する要の条件でありながら不測のモノだと思ってる」
「軍の薄暗い場所に関わることじゃないっつー根拠は?」
「適性条件が不明である、というのを開示している点じゃないかな」
そう。適性条件を把握しているのなら不明であるだなんて言わなければいい。特に高い適性があった五人を集めただけ、とした方が簡単に済ませられるし気にする生徒も出てこないだろう。けれど実際は適性条件が不明で適性者が少ないから困っていると明言されているし、こうして考える自分のような存在が出てきてしまっている。
「なるほどな。この間書いてたやつこれか」
「うん。もっとちゃんと煮詰めてデータ掲載許可の為に話したかったんだけど、最後のピースだったジョルジュの情報が思わぬところで出てきてテンションが上がりました。ごめんなさい」
「あは、構わないよ。技術の進歩は僕の望むところだからね」
「ジョルジュ優しい。ありがとう」
ペンの蓋を閉めて一息つく。二人からあり得ないという声があがらない以上、これが否定出来る絶対の根拠の所持はないとしていいのだろう。方向性はこのままでいい。残りの二人にもきちんと話して、改めて全員の合意を取った上で提出を急ごう。もしかしたら来年度増設されるARCUS専用クラスの配備に間に合うかもしれない。
「にしてもよくこんなん思いつくよなあ」
「……戦術リンクは私にとって、ちょっとびっくりするシステムだったからね。気になって」
ティルフィルにももちろん友人はいるけれど、それはもう本当にうんと幼い頃からお互いを知ることが出来た相手だからだ。今は自我はとうに確立し、自分が人と関係を構築するのが得意ではないと理解している状態で、こんな風に誰かと深く結びつくことが出来るだなんて想像……いや願望を持っていなかった。だって無理だと思っていたから。
そんな自分の価値観を破壊してくれたARCUS────戦術リンクは本当に画期的なのだと思う。戦場ではもちろんのこと、戦闘外での人間関係にもしばしば影響を与えているだろうことは想像に難くない。私たちの関係はARCUSが取り持ってくれたのだ。戦術器に人心が左右されるなどと言うのは、その言葉だけ聞いたら精神汚染にも思えるかもしれない。軍による利己的な操作だ、と。けれどそれは違う。
「僕もARCUSの整備をしてはいるけれど、根本的なところはブラックボックスに近いんだ。もしかしたらエプスタイン財団なら把握しているかもしれないけれど」
「まぁそれに賭けるぐらいなら提出した方が早いよね」
「そういうこと。僕はセリの考察を支持するよ」
まだレポートの草稿も上げていないのに、ジョルジュは頼もしいことを言ってくれた。ソフトにもハードにも精通している人物からそんなことを言われたら、今直ぐにでも完成させたい気分になってしまう。
「ある程度書けたら力を借りると思う」
「うん、技術的なところなら建設的なアドバイスが出来ると思うしね」
お互い力を借り借りられの関係というのは存外気持ちがいいもので、本当にいろんな人に生かされていると思うし助けられていると思うし、嬉しいことだと、心の底からそういう感情が湧いてくる。そして信頼できる相手に支えられ、己も仲間を支えることが出来ているという確かな自負があるというのも、芯を強くしてくれる。
ARCUSの試験運用に参加しなければ私はきっとこんな風にはなれなかった。だから、どうか出来るだけ恩返しをしたいと思ってしまうのだ。これがそうなるとはまだわからないけれど。
「アンが帰ってきたみたい」
導力バイクは一旦の完成としてもまだまだ弄る予定だよ、というジョルジュの構想を話題の中心に談笑していたら遠くから導力エンジンの音が聞こえ始めた。
自分ではない、ある種の外部装置である導力バイクを己の手足のように乗りこなせるアンは乗り物に関して才があるのかもしれない。もしいつか彼女が導力車を操る時、同乗できたならそれはきっと楽しかろうなとそんな未来を想像しながら、帰ってくる二人に手を振った。
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二月
02/03 入学試験一日目
50
1204/02/03(水) 士官学院入学試験一日目
ライノの木に緑が見え始める二月初旬。
今日は生徒会の仕事の臨時手伝いで入学試験の道案内のようなことをしている。連絡用に耳介装着型通信器をつけつつ、前を開けたコートの上から青い腕章を。そんないでたちでトリスタ駅近くに立ち受験生の方々が迷子にならないよう案内をしていたらいいのかと思っていたら、これがまぁまたトラブルが枚挙に暇なく舞い込んでくる。『受験票を忘れた』『筆記用具を忘れた』『具合が悪い』『朝食が食べられるところありますか』エトセトラエトセトラ。
トワが作ってくれていた【対受験生用問答集】をしっかり読み込んでいたおかげで大概のことには対応が出来たので、やっぱりトワの想定能力というのは段違いにすごいのだとつくづく感じる。しかし食事処を聞いてきた受験生は結構強かだ。フレッドさんなら悪いようにはしないだろうけれど。
ある程度の受験生は時間前にしっかり学院へ向かい、トリスタ駅から出てくる人の流れは落ち着いた時刻。あとは20分後にある列車から出てくるかもしれない遅刻者のためにこのまま待機。今日のことを思い出すと気難しい顔をした受験生ばかりで、自分もあんな表情をしていたのかなと懐かしくなる。
もう既に慣れてしまったけれど、トールズ士官学院は帝国各地から人が集まる名門校だ。
およそ二百年前にドライケルス帝が帝都近郊であるトリスタにて兵法・砲術などを教える学院として設立された。無論、導力革命が起こるずっと前であるので当時のカリキュラムは剣と体術と火薬銃火器を中心としていたのだろう。しかし戦術導力器、そして装甲車をはじめとし重戦車などによる機甲化で"戦争"の形が変わりつつあるこの時代──士官学院というものが担う仕事というのは大きく変化している。ここはそうした時代の移りを肌で感じられる場所の一つだ。
現に入学前に調べた卒業後の進路ひとつ取っても、軍関係者になる人はさほど多くない。多くて四割だ。そもそも奨学生であってもそれは強制されていないというのも他校とは一線を画す。故に、自分の道を見定めながら成長したいという人にとっては大層都合のいい場所とも言える。だから軍関係施設にも関わらず年々受験者数が増えているのだとか。帝国の文武両道という気質も相まっての話なのだろうけれど。
一日目は筆記試験、二日目は実技試験。去年もおなじ日程で、帝都に宿を取ったことを思い出す。この時期は木々を倒すのに適しているから、叔父さんも叔母さんも手が離せずに一人で上都したんだったな、と。正直一人で帝都を歩くというのは結構心細かった記憶がある。だからせめてここを通る受験生に、頑張れ、と心を解くエールを送れていたらいいと思うけど、どうだろう。余計なお世話かもしれない。
そんなことを考えていると耳元でコール音。所定のスイッチを押し通信に出る。
「はい、こちらセリ・ローランドです」
『あ、セリちゃん? トワです』
「お疲れさま。こっちはさすがに落ち着いてるけど、そっちはどう?」
『うん、お疲れ様。受験票の再発行とか、不正チェックとか、体調不良の子の保健室受験の手配とかも終わって小康中かな』
去年も生徒会の面々や臨時メンバーがこうして助けてくれていたのだろうか。たった一年前のことだっていうのに実のところ試験のこと以外はあまり覚えていない。きっと随分と緊張していたんだろうなと苦笑してしまう。
『待機については打ち合わせ通りで、後はそのまま帰ってもらって大丈夫。明日のこともあるし』
「うん、こちらもその認識でいるよ。ありがとう」
それから二、三言葉を交わし通信を切って、トワの言った"明日のこと"に想いを馳せる。
実は受験者数に対して実技試験教官が足りないらしく、支給されるスーツを着て士官学院生の相手をするという大役を仰せつかったのだ。なんせ戦闘側・評点側で1チームに対して最低二人要るというのに、時間と人数の制約で同時並行試験が四つも行われる。貴族生徒のフリーデルさんを始めとし、ある程度の近接戦闘優秀者が招集されているのだとか。
取り出した懐中時計に視線を落としながら、次の列車の時刻について考える。特に遅れている気配はないし、交通トラブルはないと見ていいだろう。何よりだ。本人にはどうにもならないトラブルというのは少ないに越したことはない。
と、そこで見知った気配が近付いてきたので顔を上げるとマフラーをつけたクロウ。いつの間にか交換になっていたそれはよく相手の首元を彩っている。まぁ、私も人のことは言えないのだけれども。
「おーっす」
「ギリギリ進級クロウくんじゃないですか」
「おま、進級決定したんだからいいだろうがよ」
そう。ちょうど一週間前の期末試験結果発表でクロウはギリギリのギリギリで進級評点を得たのだ。私の教え方が悪かったのかなと思ったら、一緒に勉強をしなかった教科で軒並み赤点直前みたいな点数を叩き出していたと。一部赤点も出したみたいだけど、レポートその他でどうにか出来るように取り計らってもらったらしい。
「まぁそれはそうなんだけど」
だけど無事進級したなら次は卒業だ。一部生徒の成績に頭を抱えていたハインリッヒ教頭曰く、ここ50年で単位不足で卒業が出来なかった生徒はいないらしい。とはいえ名門の名を傷つけないよう自主退学でなかったことになった事例もあるのでは、と疑ってしまうのも無理からぬ話ではなかろうか。
「で、どうしたの?」
「そろそろ上がりだろ? キルシェで一緒に朝飯でも食わねーかと思ってな」
「ああ、いいね。あと10分ぐらいしたら自由だからお誘い受けようかな」
手にしていた懐中時計をしまいながら返事をすると、やりぃ、と笑うクロウはポケットに両手を突っ込んで私の隣に。
「キルシェで待っててくれていいよ?」
「10分なら大して変わんねーだろ」
鼻の頭を赤くしておいて何を言っているんだか、と思いつつ、さりげなく一緒にいる時間を取ってくれる、そういうところも好きだなと思う。
あと一年。一年後、私たちはどうしているんだろう。実は自分が進路をどうするのかも全然考えていなくって、たぶん軍関係には進まないと思うけれど、地元に戻るかと言えばそういうつもりもそんなにない。出来るなら報道関係とか、あるいは、就職する前に帝国各地を回ってみたいなとか。大陸を回るにはそもそもあまりに自国のことを知らなすぎる。課外活動でいろいろ見聞を広げられたとはもちろん思うけれど。
「みんな去年の今頃、ここにいたんだよねぇ」
「そうだな。そんでその二ヶ月後に穴に落とされて始まったわけだ」
そうそう、とサラ教官のとんでもな行動と、呆れたようなマカロフ教官の表情が思い出され笑ってしまった。もうずっと前のことのように感じるけれど、まだ一年経っていない。
「クロウはやっぱり銃で受けてたの?」
「おう。メンバーに近接が多かったせいで後衛の仕事は結構オレに回ってきちまってな」
「なるほど。私は知らない相手とどう連携するかでずっと頭が一杯だったなぁ」
それもあって、『初対面の相手と戦場を共にする』ということについてあまり積極的になれなかったというのがある。四月頃の自分は本当に態度がよろしくなかった。必要以上にツンケンしていたとはもちろん、思わな……思いたくない。これは逃避思考だ。
「でも奨学生枠もぎ取ってんだろ?」
「今考えると何が評価されたのかわからないけどね」
それこそもしかしたら実技試験前に行われる戦術導力器の試運転時にARCUSの適性がアリと判断され色をつけられた可能性だってあるのだし。実力と言い切っていいものだかどうか。
「ネガティブすぎんだろ」
爪先に視線を落としたのに何かを感じ取られてしまったのか、ぐしゃぐしゃと頭を髪ごと撫でられてしまい、いやこれから受験生通るかもしれないから、と久々にその腕を退けることになった。髪の毛を整えていると、入学だけじゃなく上位枠に入ったのはお前の実力だろ、と言葉が落ちてくる。
……それも、そうか。ARCUS適性だけなら入学だけでいい。うん、本当に。
「ありがとう」
へへ、と笑って、最後の受験生が乗っているかもしれない列車の到着を二人で待った。
バタバタと走る受験生数名に最後の案内をして、約束通りキルシェに入り腕章を外しながら珈琲と朝食にオムレツとサラダを頼んだ。直ぐに出てきた珈琲にミルクを入れて一息つく。寒暖差で耳と指先がじわじわしている。
「今日はこのまま帰寮か?」
「ああ、このあとは帝都に出ようと思ってるよ」
試験前日の昨日から日曜まで、試験の流出にも関わりかねないので招集生徒以外は休みとなっている。もちろん名目上は自習期間ではあるものの、この授業もない期間に武器のメンテナンスとかで帝都に出たりする生徒もいるのであまり煩くは言われない。試験も終わった後なのである程度はゆるいのだ。受験生のデータ管理で手一杯で在校生のことに気を配っていられない、というのもありそうだけど。
まぁこの辺の自由さが名門校ということなんだろう。つまるところ生徒への信頼だ。
「じゃあオレも着いて行っていいか?」
「……別にいいけど、そんな大した用事じゃないよ?」
「お前オレのこと何だと思ってるんだよ」
私の買い物に着いてきて何か楽しいことがあるとも思えないけれど、それでも同行を拒否する理由も特にはないので了承した。ところでレポート大丈夫なのかな。まぁいいか。
「お待たせしました」
ドリーさんが二人分の朝食を届けてくれたので、いただきます、とフォークを手に。ここのオムレツはふわりととろりとしていて、しかも塩胡椒が絶妙でそのままで本当に美味しい。でもたまにトマトソースもかけたくなるし、夕食の時分だとたまにホワイトソースがかかっているのもあったりしてそれもいい。
「ドリーさんが朝にいるってことは、毎年受験生がそれなりに入ってくるのかな」
「どうなんだろうな。オレは食ったけど」
「あ、当事者だった」
私は宿屋のある通りに人気のパン屋さんがあると道々に聞いたので、朝の焼き立てを店内で頂いてから来た記憶がある。あそこのパンは本当に美味しかったので帝都へ出た時はたまに行っているけれどいつも繁盛しているみたいで喜ばしい。美味しいお店が長く続いてくれるのはありがたいことだ。パン屋さんといえばクロスベルにあったあそこも美味しかった。
「帝都には何しに行くんだ?」
「ネイル用品がそろそろ尽きそうだから、明日のこともあるし補充しておこうかなって」
「なるほどな、そりゃ大事だ」
最近だと速乾系のものも出ているみたいでそういうのを重宝している。学院祭の時にアンから貰ったような派手なやつはあまりつけられる機会がないけれど、自由行動日前日の夜とか授業がない日が続く期間につけたりしている。綺麗な色が目に入るのはなかなか嬉しいし、友人から貰った物ならそれを渡された時の感情を思い出したりして気分が上がるのだ。……多少面倒ではあるのだけれど。
会話をしながら時計を見ると10時過ぎ。結構のんびり食事をしたけれど朝が早かったので今から鉄道に乗って、のんびり大通りを歩いて行けばビフロストの開店ちょうどぐらいになるだろうか。
クロウの方を見ると珈琲も飲み終えたようで、二人して立ち上がりお会計を済ませる。外に出るとさすがにまだ風は寒くてささっと駅の中へ駆け込んだ。
二人で寄り添いながらヴァンクール大通りまで歩いたら開店ちょうどだったようで、よかったと喜びながら自動ドアを抜けて入る。前は店員の方が押してくださっていたけれど、帝都もルーレのようになりつつあるんだなぁと技術の波及を見た気分になった。年末年始の閉まっている期間に改装したんだろうか。
「あ、かわいい」
「薄紅だな。綺麗じゃねえか」
そうして化粧品売り場まで取り敢えず直行してネイルを見ていると、春に向けた新色が並べられていた。淡い色なのでうっかり学院につけていってもバレないんじゃないだろうかと少し考えてしまう色合い。見本は少しパールのような質感で、肌の色とも合いそうだなと思案する。
「でも今あるのもあんまり使えてないしなぁ、増やすと勿体無いことになりそう」
「そんなもんか」
「そんなもんだねぇ」
棚に戻して普段使ってるものを二本手に取った。結局透明なやつを買ってしまうのは冒険心が足りないと言うのだろうか。でもうっかりハインリッヒ教頭に見つかった日には煩いことになりそうで正直面倒くさい。
そのまま会計をして階下の雑貨店の方に向かって消耗品を補充したり、服飾を扱っているところで織物で有名なパルム産の手袋を見たりしてはたと気がついた。クロウとはぐれてる。あたりを一瞬だけ見回してから少し考えて、まぁいいかと一人頷いた。百貨店出る時に合流出来ていなかったら連絡すればいい。こういう時ARCUSは便利だ。
食料品や本屋も見て回ったけれど、特に買いたいものもなかったので何となく二階に移動したらカフェの方のカウンター席にクロウが見えた。あちらも私に気が付いたのか手を振ってくるので足を進めて隣に座る。いい時間だし昼食食べてもいいかな、とナポリタンを注文して隣を見ると頬杖をついたクロウ。
「……どうしたの」
「恋人置いて買い物続行とは薄情なやつだなと思ってよ」
「えー、でも別にデートじゃない、し……」
そこまで口に出したところで、いやしかし恋人関係である者同士が帝都に来て買い物というシチュエーションはデートに該当するのでは?、と思考を巡らせて改めてクロウに視線をやると少し拗ねたような顔。………………かわいい。
「クロウ、今月の21日空いてる?」
「……空いてる」
「じゃあそこでちゃんと帝都デートしよ。ね」
今日は本当に消耗品の補充のつもりで来たから構うつもりもなかったし、そもそも制服だからスイッチも切り替わっていなかったけれど、クロウはそういうつもりでいてくれたらしい。それは申し訳ないと同時に、言ってくれたら寮に戻って着替えてから出掛けてもよかったのにな、と思ったりもする。どっちが悪いとかではなく、意識のすり合わせの問題だ。
「……お前ずるいよなあ」
「そう? クロウの方が大概ずるいと思うけど」
目元を押さえながら深いため息をつくクロウ。
「そしてそんなんで嬉しくなっちまうオレもチョロいっつーか」
「……つまり似た者同士なのでは?」
私だってクロウのそういう、なんというか、可愛いところで簡単にグッと来たりしているのだし。それで貴重な自由行動日をクロウに捧げてもいいと思ったりしてしまうのだし。大好きな恋人の機嫌を取れてデートも出来るなら万事が全て私得だ。若干頭が悪い理論な気もするけど別に構うことはない。
「そういうことにしておくか」
困ったような、嬉しいような、感情がない混ぜになった表情でクロウはそう笑うので、ああその顔もかわいいな、なんて私は場違いにも思ってしまう。きっと君はそういう言葉はあまり好まないのだろうけれど。
というところでちょうど煮込みハンバーグとナポリタンがそれぞれ運ばれてきたので頂きますと二人で食べ始める。ん、もちっとした麺が美味しい。
「そういや明日ってどんなことやるんだ?」
「あー……緘口令敷かれているので何にも言えない」
「それもそうか。試験だもんな」
「明日の夕食時とかなら話せるよ。それなら寮の方がいいけど」
「じゃあそうすっか」
恋人といっても約束をしているわけではないので、一人で食べるということも大いにある。特に朝とかは。だけど合流出来そうならする、という方向にすこしだけ力を入れているのも事実ではあったりするわけで。そういうゆるい感じを許してくれるクロウはもしかしたらとてもやさしいのではないだろうかとたまに考えるけれど実際のところどうなんだろう。
「どうしたよ」
「いや、クロウのそういう優しいところ好きだなと思って」
「……脈絡のない口説きはやめてくれねえか。不意打ちだと恥ずいだろ」
脈絡。私にとってはあったけれど確かに話の流れとしては意味不明かもしれないと納得して流れを話そうとしたところで、いや説明はいい、と先手を打たれてしまった。
「どーせ小っ恥ずかしい話が出てくんだろ」
「……そう、でもないと思うけど」
だけどクロウの恥ずかしがりポイントはいまいち私にはわからないので、もしかしたらそういうこともあるかもしれないけれど、恥ずかしがっている姿は可愛いので取り敢えず聞いてから判断してくれてもいいのではないだろうかと考えたりしてしまう。ああでもそういう顔を公共の場で晒すということはあまり歓迎したいモノではないか。
「で、この後はどうすんだ?」
「爪の手入れもあるしさっさと帰るつもりだよ。本当なら街道なり修練場なり旧校舎なりでコンディション整えたいところではあるけど、万が一受験者に見られたら公平さに欠くから禁止されてるし」
まぁ手入れといってもいろいろ戦闘に制限をかけられているので意味があるのかといえば薄いかもしれないけれど、もうこれは自分の儀式でもあるので。あとはARCUSのレポートもジョルジュに見てもらったところを含めてさっさとあげちゃいたいし。
「じゃあオレはもうちょっと帝都見ていくかな」
「そう? ならここで解散かな」
何やかやと言っていた割にはいろいろ溜飲が下がったのか解散という言葉には頷いてくれた。
こうしてみるとクロウは私との時間を作ろうとしてくれている気がするので、私もどうにかそうありたいけれど物事への認識の問題も絡んだりして難しいなと考えた。難しい。
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02/04 入学試験二日目
51
1204/02/04(木) 士官学院入学試験ニ日目
招集された面子で健闘を称えながら帰寮した夕方前、自室に何とか戻って倒れ込む前に支給のスーツを脱いでハンガーにかけたところで力が尽きた。床にタイルカーペットを貼っていて良かった。いやでもこの後ご飯、ご飯を作らなければならないので人として最低限の身嗜みを整えなければいけない。いやでももう無理だ動きたくない。びっくりするほど疲れた。
うう、と呻き寝転びながらしかし脳裏を過ぎるはクロウの顔で、夕食一緒に食べる約束したからなぁ、と立ち上がって適当な部屋着を身につけ着替えを持ってシャワー室へ。既にいくつか使われていたのでみんな考えることは同じだなと苦笑した。
ドライヤーも終わらせて部屋に戻るとちょうどARCUSに着信の音が。いつものように出てみると相手はクロウだった。夕食をどうするかということらしいけれど、今日はお肉と野菜が食べたいのでグリル料理をすると宣言をしたら笑って主食用意しておくわと返され時間の調整をして通信が終わる。
……うん、元気出た。チョロい。
眠気覚ましに多少ストレッチをしてからARCUSをポケットに突っ込み、エプロンを持って食堂に向かう。この時期は自炊に慣れた人も多く、且つ外に出たくない人も多いせいか多少台所が混んだりするのだけれど、17時前だとちょっと人がいるぐらいだ。もう少し経てば混み始めるのでさっさと料理に取り掛かろう。
まずはオーブンの予熱開始。そこから買ってきておいた鶏肉にハーブを揉み込んで一旦放置し、その間に野菜の処理だ。かぼちゃにブロッコリーに大根にきゃべつなどなどをざっくり切り終えグリル用の耐熱皿にお肉共々並べた。ごろごろの野菜が所狭しと詰まっているのは気分がいい。タイミングよく予熱が終わったようなので耐熱皿を入れて時間を入力。
あとは放っておけばいいので簡単なスープでも作るかと鍋を用意する。にんじんや玉ねぎをスライサーで細切りにして、オリーブオイルでみじん切りのニンニクを炒めたりベーコンを炒めたりなんだりで適当に水を入れたりしつつ、最後に溶き卵を回し入れて熱が通ったらOK。
調理をしている間にクロウも来ていたみたいで薄切りにしたバゲットを焼き始めていた。
グリルもう少しみたいだし調理器具洗っておこう。
「疲れた声してた割には凝ったもん作ってんのか?」
「んー、いや、そこまでではないと思う」
グリルにしろスープにしろ手を入れている時間は案外少ない。一番手間がかかりそうなスープの野菜だって角切りの方がいいのかもしれないけれど今日はスライサーで細切りだ。文明の利器万歳。
「まあお前が作るなら何が出てきてもいいけどな」
「ありがとう。私もクロウの作るご飯好きだよ」
そんな会話をしているとオーブンの加熱時間が終わったみたいで少し扉を開けて、うんいい感じ。耐熱皿に引っ掛けるタイプの取手で取り出しお盆に載せた鍋敷に。スープもよそって乗せると、クロウが焼いていたパンをそこに乗っけてそのまま流れるようにお盆と共に食堂の方へ。片付けもあらかた終わっていたので、水差しと食器を携えてその背中を追いかけた。
「すげえ美味そう」
「上手く出来たと思う」
対面席に陣取りながらナイフを入れると皮はパリパリに、本体の方はパサつかず。野菜の方もなかなかいい感じに油を吸っていて美味しそうだ。お腹空いた。いただきます。
「そんで、どうだったよ」
「いやー、もう、つっっっかれた」
「そんなにか」
クロウが笑うので、いや本当に、と念を押したくなるぐらいに疲れた。
「そもそも戦技禁止、サブ武器禁止、魔法禁止だったから結構キツかったんだよねえ。戦術器禁止はそもそもARCUSの特性は一人だとほぼ使えないから大したことなかったんだけど」
「サブってえと、投げナイフと導力銃か?」
「そうそう。一応受験生と戦う前に招集面子で手合わせして確認はしてたけど、最初から最後まで条件同じに出来ていたかというとちょっと自信ないなぁって」
「つってもそこまで考えて判定下すのが教官の仕事だろ。そもそも全員おんなじ得物ってわけでもバトルスタイルってわけでもねえんだから細かいとこ気にしたってしょうがねえよ」
「それは、そうなんだけど……」
試験なのだから篩いにかける作業には違いない。だけど、その篩いである自分が公平であれたかどうか。今回初めての試みだから教官勢にとってもイレギュラーなことはあったろう。そういう意味では来年も生徒の招集があるかどうかで今回の出来の判定が下ると言ってもいい。気が重いなぁ。
「面白そうなヤツとかはいなかったのか?」
バゲットに鶏肉と油を乗せて齧るクロウの質問に少し考えて、ああいたよ、と返事をする。
「別の班だったけどちょっとここらじゃ見ない形の剣を使ってた人がいて、出来るなら私が対応したかった。あと初めて触っただろう戦術器で結構派手にアーツ使った人も居たんだけどあれはたぶん受かるだろうね」
「へえ、その妙な剣ってのが気になるな」
「遠目で戦闘中だったから正確じゃないけど、東方の刀とかそういうのに似てた気がする」
何にせよ、初めて見る武器とは相対したい欲が湧いてしまう。彼が無事に入学出来ていたら手合わせを申し込んでみるのもアリかもしれない。いやでも二年生からいきなりそれは……こう、怖がらせてしまう可能性もあるか。まずは知り合いになってから?そんな打算的な人間関係の構築が自分に出来るのだろうか。いや多分出来ない。無理だ。諦めよう。
「話を聞いてると来年も愉快なことになりそうな予感がすんな」
「課外活動に匹敵する愉快なことは起きないでほしい」
一応来年度も私たちはそのままARCUSで授業を受けていいことにはなっているけれど、課外活動的なカリキュラムは予定されていない。筈。二年生になってもああいう公欠活動が月に一回あるのは授業について行くと言う意味でもキツくなるだろうしたぶん本当にないと思う。というか今回のを受けてハインリッヒ教頭が反対しそう。
「そうは言っても穏やかすぎてもつまんねえだろ」
「……ま、特科クラスが出来る噂は本当っぽいし、何かに巻き込まれそうではあるけどさ」
それでも後輩が困っていたら手を差し伸べるのが先輩の役目だと思う。
肩を竦める私にクロウはまた笑った。
主菜を作ってもらったから片付けはやっておいてくれるというクロウの言葉に甘えて部屋に上がることにした。というよりも、一緒にやるよと言ったら、そういう台詞はまた今度に取っとけ、って頭を撫でられたら従うしかないだろう。
でも後で部屋には行くから起きといてくれるか、と言うのはどう言う意味なのか。もう既に結構眠いから目的もなく待っていると寝落ちそうだし……ネイルでも塗り直そうかな。あんまりない連戦のせいで昨日塗ったのに剥げているところもある。数日休みだしどうせなら普段つけられない色を塗るのもいいんじゃなかろうか。うん、とりあえずリムーバー。
きゅっきゅ、と透明なそれを落とし、諸々処理をしてベースを塗ろうかと言うところでクロウの気配が三階に上がってきたのがわかる。がちゃりとノックもなしに開けた相手は私を見てか、おっと、という顔をするので首を傾げるしかない。
「もう塗っちまったか?」
「え、いや、まだ落としたところ」
「そんならよかった」
よかった?何が?と疑問符を飛ばしていたところに扉を閉めて靴を脱いで上がってきたクロウがコトンと座卓に置いたのは、昨日私が悩んでいたマニキュアだった。
「おつかれさんってことでな」
「……使いきれないって話を」
「おう、聞いてたぜ。でもほれ、お前ペディキュアはしてないだろ?」
「あー」
なるほど。手の爪で使えないなら足の爪で使うと言うのは一つの案だ。そもそもこれは戦闘の為に始めたのでその発想はなかった。だけど爪の被覆剤としてのネイルじゃなくて色を載せるならきちんとベースを塗らないといけないし、正直手の方に色を載せる時にそれをやるのも若干手間だなぁと思っているぐらいなのでつまり。
「めんどい」
「まあまあそう言うなって。オレが塗るからよ」
クロウが塗る?足の爪を?
「えっ」
「なんなら手の方もやっていいぜ」
「で、出来るの……?」
「おう」
当たり前のように頷かれてしまった。自分で塗っていたことがあるんだろうか。……それとも、以前誰かにそういうことをしていた、とか。あ、駄目だ。今のは駄目だ。嫌な状態になりかけている。よくない。クロウが私より前に誰かと付き合っていそうなんてそんなの分かりきっている話じゃないか。
「じゃあ……頼もっかな」
「何だよ、心配すんなって」
見知らぬ誰かに、過去に妙な感情なんて持ちたくない。今、ここで、クロウが私の目の前で笑ってくれていると言うのは事実なのだから。────ああ、でもそうか、結構自分って欲深いんだなぁ。己の未熟さに反省するしかない。
そんな私の胸中知らず、ベースこれか?、なんて問いに頷きながら手を差し出して、取り敢えずもう片手で顎を支えながらクロウのつむじを眺めて気持ちを落ち着けることにした。確定情報では、ないのだし。うん。
「爪ちっせえなあ」
「それアンにも言われた」
私の手を支えるクロウの手は当たり前だけれど大きくて、アンはなんだかんだ鍛えていても女性の手なのだなぁと実感する。本人が歓迎する類の言葉ではないと思うので今後も言いはしないだろうけれど。
「でもさすがにしっかり手入れされてるから塗りやすいぜ」
「ならよかった。それ速乾のやつだからもう片方塗ってる間に乾くと思うよ」
「便利なもんだ」
そんな何でもない会話をしながら、ただただ時間は過ぎていった。
▼
眠いのか少しどこか上の空のセリと話しながら手の方は終え、塗りやすいようにベッドに移動してくれと言ったら眠りそうと言い出したもんで、よれないように見張っててやるから寝てもいいぞと。そうしたら掛け布団を避けながら腰掛けて、身体を横たえたら直ぐに健やかな寝息が聞こえてきたのはちょっと笑っちまった。両手は腹の上に違い違いに置かれてるのでよし。
とはいえ、だ。力をセーブしながら戦うってのはかなり疲れることだっつうのはわかる。実際オレがそうなわけだしな。得物が違うから感覚が違うとはいえ、自分が持てる技術を駆使し時には取捨選択しながら格上と戦う方が正直言って何倍もマシだ。抑えるってのは思考をそっちに割かれる意味でもある。通常とは別の技能が求められるわけだ。教官陣も何考えてんだか。
そんなことを考えつつ、オレはだらりと落とされた足を踵から支えてやってベースコートを塗っていく。手もそうだけど足の爪もちっせえ。そもそも身長のわりに手足が小さいんだろうが、こんな手足でいつも前衛張って笑ってるってんだからちょっとグッときちまう。
そんでそんな手足を自分が彩ってるっていう事実にもちょっとクるものがある。男ってのはそういうもんだと思う。
……しっかしこいつ気付いてんのか?ほぼ唯一の出口を押さえられかねねえってことに。まあ気が付いてたら寝るなんて言い出さねえだろうが。そういう意味じゃマフラーと合わせてマジな意味で男としては見られてないのかもな、なんて考えちまうというか。我ながらビビりというか。
好きな女がいるなら深く考えずに抱いて仕込んじまえとか《V》なら言ってきそうだし、《G》も建設的な話をする気がしねえからまぁ相談することはないだろう。たぶん。
自分とは全く違う手足を彩る色。薄紅貝のようにもみえるそれはすこしだけあの街を思い出す。オレが置いてきた場所。捨てた場所。思い出という言葉を色にしたらこんな色になるんだろうか、なんてのは感傷にすぎるか。
……本当は、塗るなら蒼がいいと思った。俺の色だから。でもたぶんお前に蒼は似合わねえんだよな。ゼリカが贈った通り、赤がよく似合う。繋ぎ止められるワケもねえのに、そんなことを考えちまうなんて女々しいったらありゃしねえ。
頭を軽く振り、すうすうと静かな寝息の中でボトルを持ち替え薄紅を乗せるのに注力した。
あとは残すところトップだけってところで、取り敢えず作業が終わった。まぁ普段は補修用のやつを数回塗ってるだけっぽいから面倒くさがるのも無理はねえが、オレ個人としてはこういうのも悪かねえと思う。案外尽くし系ってか。笑えねえ。
ぎし、とベッドにオレも腰掛けると見えるのは寝顔。隣に座られて身じろぎもしねえって、結構これガチ寝してるような気がすんだが大丈夫か?
腹の上に乗ってる手を取り、爪を撫でてみると大体乾いたみたいで塗りムラもなく綺麗にうっすら輝いてる。うん、さすがオレ。たまに《S》の爪を塗らせて貰って褒められてたが鈍っちゃいないな。本人はリーダーにさせることじゃないって最初言ってたが、まあ出来ることが増えんのはいいだろ。
「おーい、セリ、大体終わったぞ」
ぺちぺちと頬を軽く叩いて起こすと、んん、と若干寝起きの悪い声。こいつ結構覚醒早いと思ってたけどそうでもないのか?むにゃむにゃと起き上がって口元を隠しながら欠伸をする。ふにゃっとしたその顔も正直可愛いと思っちまう。
「……すごく綺麗に塗られている」
自分の手を若干光にかざしながらセリが言うので、だろ、と笑った。私よりも得意かもねえ、と爪を撫でるので、トップはまだ塗ってないぜと。小さな頷きは返ってきたが、座卓に移動するつもりはないみたいだ。
「あの、クロウ」
つい、とシャツの袖を引っ張られ視線をやると少し寝癖のついたセリがオレを見上げていた。何かを言いたげに一瞬口を開きかけて、申し訳なさそうに目を伏せて。それが誘われてんのかと思っちまって、顎を掬って目尻にキスをした。跳ねる身体。
少し顔を離して見下ろすと、顔を赤くしたそいつがそれでも逃げずにそこにいる。
「……拒否んねえのか」
「……した、かったのは、間違いない、から」
今度は私からしたかったんだけど、と消えそうな声と共に袖を小さな手で掴まれて思わず喉が鳴っちまう。このままなし崩しは駄目だ。ゴム持ってねえ。いや、そもそもその前に、だ。
期待されるような目で見つめられたらそんなん応えないわけにはいかねえだろ。
ぐっと身体を近づけて、背中に片手を回し空いてる方で顎を上げて、そっと合わせた。
冬ですこし冷たくて乾燥してるのかさらつく唇。すこし啄んでからぬるりと舌を這わせると腕の中で小さな身体が分かりやすく強張る。背中に回ってきた指が布を掴んで正直たまんねえ。
それでも応えるようにゆっくり開いた唇から、舌が伸ばされて、オレのと絡まりぐちゃりと音がたつ。息が苦しいのか鼻から抜ける声がエロくて勃つかと思った。己の精神力を褒めたい。
それでももっともっと貪りたくて、前へ前へとがっついていたらぼすんとベッドに寝転ばせちまった。思わず身を引きかけたところで、両腕の中で横たわる頬を染めて息を荒げるセリが、視界の中いっぱいに。また喉が鳴る。
「く、ろう」
畳まれていた掛け布団に埋もれるように、恥ずかしそうに、片腕で目元を隠されて、暴いていいのか悩んじまう。
「これ以上、は、」
それには、どこか懇願にも似たような音が籠っているような気がして、嗚呼、とそのかわいそうな声が酷くかわいく思えちまった。
身体を引いたところで震える呼気をこぼしながらセリも上体を起こし、沈黙が訪れる。
「あの、クロウがどうとかじゃなくて、その、私の感情の問題で……ごめんね」
両手を胸の前で重ねて、こうべを垂れて申し訳なさそうに言われる。手を伸ばすと一瞬だけ身体が強張ったのが見えたけど、そのまま頭を撫でた。やさしく、やさしく、殊更ゆっくり、丁寧に。
こいつは男って存在にあんまいい思い出がないってわかってたってのに。性急すぎた。
「あのな、お前の気持ちがついてきてねえのにシたいなんて思わねえよ。……そりゃ、オレだって健全な男だからよ、好きな奴とはって考えたりはしちまうけど、それでも、オレだけが気持ちよけりゃいい話じゃないだろ」
本心だ。どれだけじっくりコトを運んでも、受け入れる側の負担はデカいって聞く。どうせいつか派手に傷付けるんだとしても、せめて今は丁寧にあばいてやりたい。
……やさしくすればするほど結果がキツくなるんだろうが。だからこれはエゴだ。お前に笑っていてほしい。そしてオレが生涯の瑕になってほしいっていう。
「クロウのそういうとこ、ほんと、すきだよ」
すると、ぎゅっと胸の前で重ねた手に力込めながら、泣きそうな顔でそう言われちまって、オレはどう反応したらいいのかわからなかった。なんで、そんな。
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51.5
クロウにさわられると、心がざわつくようになってしまった。
それはいつのものように心臓が跳ねるとか、顔が赤くなるとか、そういったポジティブな感情の発露ではなくて、ああきっと自分以外にもこの優しさに触れることを許された相手がいたのだろうなと、考えてしまって、自分の醜さに辟易してしまう。そういう類のものだ。
クロウの紅耀石よりもすこし暗い赤が私を見てくれているのは、すごくわかる。私だっておなじように相手を見ているのだから、その視線が自分に注がれているのは自明だ。それはきっとトワに訊いても、アンに訊いても、ジョルジュに訊いても、認識は変わらないだろう。
だからこれは、私の問題なのだ。
あのやさしい指先に"そういう意味"で撫でられた人に、ネイルを整えられた人に、笑顔を向けられた人に、唇を合わせた人に……暗い感情を抱いてしまう。過去のことなんて今更どうしようもないというのに。
もちろん、クロウが今まで誰とも付き合っていない可能性だってある。それでも自分はそれを質問して詳らかにすることを是とは出来ずに、堂々巡りにしかならないとわかっていながらこうして一人で考え続けて。答えは相手しか持っていないというのに。
────でも、もし、本当に、誰かと付き合っていたと知った時に自分がどんな感情を得るのかわからない。そもそも人付き合いが苦手で、こんな感情を誰かに抱いたのだって初めてで、誰かとこういう関係になったのだってもちろん初めてで、だから、自分の感情は重いんじゃないかって。もっと軽い気持ちでいた方が、釣り合いが取れるんじゃないかって。
クロウが私のことを大切にしてくれているのは、わかる。さっきだって、過去の誰かに嫉妬してキスをしたがった私に応えてくれて、それなのにその先は駄目だと我儘を言ったのにそれすらも尊重してくれて、こんな自分にはもったいないぐらい、やさしく、されてしまった。
乱暴にされたかったわけじゃない。そんなことをされたら、過去のことを思い出して……下手したら触られることすら駄目になってしまうかもしれない。別に、誰かにそうやって抱かれたことがあるとかそういう話ではないけれど、それでも、自分の意思と全く異なる形で触られるというのは、たぶん、名前の知らない誰かじゃなくても、アンでも、クロウでも、無理なんだろうと思う。
はぁ、と寝転がったままため息をつきながら厳密には未完成の爪を見て、いろいろな感情が波のように寄せてくるけれど、やっぱり大事にはしたくて被覆剤を塗ろうとベッドを降りた。
クロウが塗ってくれた薄紅色は塗りのムラもまったくなくて、本当に綺麗に私の指を彩ってくれている。それを台無しにしないよう、透明なそれで丁寧に覆っていく。
塗り終わって、乾燥時間を経て軽く手を動かすと、やっぱり普段と塗っている量やメーカーの問題か、少し感覚が違う。面倒さを加味するとやっぱり普段使いはできないな、と思いながら薄紅に、唇を。……キスは、きもちよかったな。
浅ましい自分にため息がまたこぼれる。
好きなのに……いや、好きだから、気になって、心がぐちゃぐちゃになってしまう。それでも好きにならなければ、応えてもらわなければ、なんて考えないところが本当に、強欲。
こんな自分を知られて、呆れられてしまったら、どうしよう。
そんな不安が胸中に広がっていくのを、まざまざと理解しつつも止められはしなかった。
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02/21 自由行動日
52
1204/02/21(日) 自由行動日 朝
予定を入れていた通り、今日はセリと帝都に出掛ける日だ。
玄関ロビーで待っていると階段の方から足音が聴こえてきた。見えた姿は前にも見たゆるめのニットにスキニージーンズでブーツの、春よか少し寒くも暖かいこの時期には妥当な服装。爪は塗り直したんだろう薄紅が飾ってる。
最近しんどそうに見えてたが、別にマニキュアが気に入らなかったとかじゃねえみたいだな?
「お待たせっ」
「おう、じゃあ行くか」
今日は付き合い始めて実のところ初めてのデートらしいデートだ。なもんでこの間の買い物でちょっと放置されちまったのに大人げなく拗ねちまったが、あれは良くなかったな。
寮を出たところで声をかけて手を繋ぐと、嬉しそうに笑うそいつが本当に可愛くてどうしようもねえ。
「どこか行きたいとこあったりすんのか?」
「気になってるパンケーキのお店と、あとレコード屋さんかな。クロウは?」
「あー、オスト地区にある中古屋少し覗きてえのと、ル・サージュにもちっと」
「ならトラムの一日乗車券買っちゃった方がいいかもね」
ゼリカからバイク借りて向かうって案もあったが、どうやら今日は本人が使うみたいでまあいいかといつも通り鉄道だ。駅員から、いってらっしゃい、と妙に微笑ましさがこもった台詞に二人で笑いながら二番ホーム。時刻表通りに来た車両に乗り込んでボックス席に並んで座った。
「そういや例のレポートはもう出したんだよな」
「うん、二月頭の休みの時期に完成させてね。何かに繋がるといいんだけど」
あのレポートのことを言い出した時にも若干肝が冷えたが、嘘を上手く吐くコツってのは真実を混ぜ込んでおくことだ。あんまり全部を作り込んでおくと些細なところでボロが出たりすっからな。特にいつもの面子は妙に記憶力がいい奴らが揃ってる。まあARCUS試験運用ってことでそれなりの人材を起用したってことでもあるんだろう。
繋いだ手の甲を親指で撫でてみると、こてんと肩に頭がもたれかかって来る。挑発戦技を使うバトルスタイルもあってか戦闘してる際の存在感は結構なもんだと思うんだが、こうしてみるとやっぱりオレよかずっと小さい。その背中を見てきた身としては、か弱いなんて間違っても思えねえわけだが、まあ周囲からはそう思われてた節は見え隠れすんのが笑える。本人にとっては笑いごとじゃねえだろうが。
カタンカタン、と静かな振動の中で、珍しく会話もせず、だからといってそれが苦しいわけでもなく、肩に乗る重みとあたたかさにただただ思いを馳せていた。
「そういやお前が行きたい店ってどの地区にあるんだ?」
「レコード屋さんがヴァンクール大通り近くで、パンケーキがドライケルス広場の方かな」
「つーことは大通り先にしてオスト行って広場って感じか?」
「ル・サージュってそんな早く開いてたっけ」
「11時からだな」
「じゃあのんびり前みたいに歩いて行こうか。レコード屋さんも開店似たようなものだし」
「そだな」
二人で大通りを歩いていると、街角には帝都憲兵隊の姿が前よりずっと多くなってるなと改めて感じる。鉄血の野郎が可決させた帝国交通法によるもんだろう。オレが、こいつを喪うかもしれない、そのことに耐えきれないと音を上げた原因となった事故の結果。この間歩いた時も、今も、道路を渡ることへの不安は軽減されてる。いいこと、だったんだろう。
それでも俺は許せるわけもなく、今もずっとこれからもずっと、牙を研いでその日を待つ。
「クロウ?」
「ん?」
「いや、難しい顔してたけどどうしたのかなって」
「あー、二月になっても風吹くとさみぃなって思ってよ」
「……そうだね。でも春になるとマフラーに首をうずめるクロウが見れなくなっちゃう」
オレの違和感に気が付いたのか、すこし意味深な表情を見せつつも軽口に乗ってきた。帝都の風はジュライとは全然違って、何でだろうなと思う。結構平地に作られてるから山から吹き込むような強い風も、海が近いわけでもねえから海風もねえってのに。
「春になったら何するよ」
「うーん、取り敢えず新入生向けの部活動紹介記事載せた新聞書いたりしたいかな」
「……お前がその活動してんの久々な気がすんだけど気のせいか?」
「気のせいではないね。いろいろ忙しかったのと、教官に没食らってたりしたから」
「あー、お前またギリギリな記事書いてたのか?」
「個人的にはそこまでじゃないと思うんだけど、記事を書くのはなかなかに難しいねえ」
「そんで代替記事書けずにそのままってか?」
「そういうこと。細々と他にもやることもあったし」
「奨学生維持しつつ試験運用しつつ一人部活動は結構無茶だったんじゃねえか?」
「それなんだよねぇ。やっぱりトワの時間効率はちょっと常軌を逸していると思う」
士官学院は他の学校と比べて自由時間が極端に少ない。まぁ二年で最低限の軍人に仕上げなきゃならねえってんだからしょうがない部分もあるんだろうが。それでも正規軍・領邦軍を合わせても軍人になるのは半数に満たないらしい。
「つっても自由行動日をこう使ってるオレらがそれ言ってもギャグにしかなんねーだろ」
「それはそう。……でもクロウと出掛けられるのは嬉しいよ?」
ちらりと様子を窺うような視線が投げられて、ぐっ、となっちまった。短いのに破壊力高い台詞を言うんじゃねえ。
「そんなん、……オレもだっつうの」
「そっか、よかった」
安堵の声とともに繋いだ手の力が強まり、視線は進行方向へ戻される。
……やっぱここ最近、なんか変なんだよな。確かめられてる、ともまた違う気がすんだが。まさか例の古代遺物で受けた記憶が蘇って……とかじゃねえよなあさすがに。もしそうだとしたら────いや、そんな想定、するにこしたことないだろうが精神が削れる音が明確にするからやめとけ自分。
「あ、そろそろル・サージュのある通りだよ」
「オーナーいるかねえ」
ル・サージュを立ち上げたデザイナーのおっさんは店にいる時は妙に遭遇するらしいんだが、どうも学院祭の時の礼を言いたくて顔を出す時は絶妙にニアミスっちまう。店員の姉さんに言付けしときゃいいんだろうがもうこうなりゃ意地でも面と向かって礼を言ってやるという気分になっちまってるというか。
「あ、学院祭の時の」
「そうそう。まだ写真渡せてねえんだよなあ」
店の紫色の印象的な看板が見えてきてそのままカランカランと中に入ると、目当ての人物がカウンターの人間と話しているのが見えた。
「オーナー!」
「お、クロウじゃねえか。今さっきお前さんが最近来てるって話聞いてたぜ」
「そうそう、こいつを届けたくってよ」
写真部やその他生徒が撮影したステージ写真を焼き増ししてもらい、まとめて突っ込んだ封筒を渡すと、中身を検めたオーナーが笑った。
「お前さんも律儀だねえ。実はあのステージ、見に行ってたんだぜ?」
「マジか」
「え、そうなんですか?」
「お、あんたキーボードの嬢ちゃんだな。ばっちり似合ってたからよ」
「あ、ありがとうございます」
セリはオレの一存で露出が抑え目になってるわけだが、あんまり変に思われなかったらしくこっそり胸を撫で下ろした。……いやだって恥ずいだろ。好きな女の肌を見せたくねえなんてンな独占欲丸出しっつーか。
「学院祭では本当にギリギリの発注でお世話になりました。ステージが無事成功したのも、ハワードさんの衣装が世界観を統一してくださったおかげだと思います」
「そう言ってもらえるならデザイナー冥利に尽きる話だねえ」
「もしまた何かあったら頼むぜ」
「おう、任しとけって」
そう笑うオーナーの後ろから、そうやって安請け合いするから!、と秘書らしき人物が苦言を呈しているのが聞こえてきたが、まあでもオーナーは言い出したら聞かねえからな。デザイナーってのは大なり小なりそうなんだろうけどよ。我が強くないとやっていけねえというか。
二人で挨拶もそこそこに、店内を軽く見て回って外へ出た。気さくな方だったねえ、と多少緊張していたのかさっきよりゆるんだ顔でそんな言葉が聞こえてくる。
「まあオレのこんな言葉遣いも許してくれるかんな」
「あは、確かに」
くすくすと笑うセリに、そんなに笑うところかよ、と背中を軽く叩く。いや実際その通りだったから、と楽しそうに言うもんでまあいいかとなっちまった。
「そんで、レコード屋も近いんだよな?」
「うん、そこの道を行ってすこし路地に入ったところだよ」
そうセリの道案内のままにレコード屋に行って目当てのもんを見つけたり、トラムに乗って街ん中を滑るように走る景色に二人でちょっとはしゃいじまったり、オスト地区の中古屋で掘り出しもんを見つけたり。
なんやかんやでいい時間になったもんで、昼飯兼ねてそのお目当ての店にでも行くかって話になった。まあパンケーキの店でも何か軽食くらいあんだろ。たぶん。
「で、これか」
「そう、ここ食事系パンケーキもあるから気になってたんだ」
オープンカフェな席に座るオレとセリの前に運ばれてきたのは、一つはパンケーキに目玉焼きとスライスされたウィンナーが乗っかったかなりシンプルなやつで、もう一つがクリームチーズにカリカリのベーコンと玉ねぎや野菜とかが添えてある一風変わったサラダ風のやつ。
取り皿を貰って半分ずつシェアするとセリが今日一番の笑顔を見せて、本当にこいつ食べること好きなんだよなあと笑っちまった。
「ありがとう。あんまりこういうの好きじゃないだろうに」
「……いや、まあ、お前とトワほどシェア好きかっていうと違うだろうけど嫌じゃないぜ」
たぶん前に、女ってシェア好きだよな、ってボヤいたのが聞こえてたんだろう。やっぱり記憶力いいんだよこいつっていうかこいつに限んねえけど。
まあ取り敢えずあったかいうちに食っちまおうぜ、と。さっきナイフを入れた時の表面のサクサク具合がすげえいい感じだったんだよな。ウィンナーと卵の白身を重ねて頬張るとパンケーキ部分と塩気がマッチしてていい感じだ。美味い。セリの方はバラけそうな野菜をさっとフォークで器用にまとめて食べてるわけだが、食べた時のへにゃっと表情の緩む瞬間がああ本当に最高だなと思う。
もしあのままだったとしたら、単なる友人だの相棒だののポジションに収まっていたとしたら、こういう表情を見る機会も少なくなって、下手すると別のヤローが堪能することになったのかと。そんなことを考えちまう自分の心の狭さというか嫉妬深さには笑うしかねえ。
「おいしい」
「ああ、美味いな」
それでもセリにとってはその方が良かったんだろうと思う。
だっていうのに、俺は強欲だから、お前の今が欲しくて、お前の未来も欲しくて。個人としての欲を殺しきれずに手を伸ばしちまった。いつかきっとお前が俺を恨んでくれますようにって。そんなことを願いながら、こんな、矛盾に満ちた束の間の幸福を。
案外見た目よりずっと腹に溜まった昼飯を食い終わった後、デザートメニューを見ながらセリが悩んだ表情を見せてる。オレはといえば珈琲先に頼んじまってもいいかなと考え始めたところだ。
「ワッフル……いや、でもなぁ」
「食い切れなかったら食ってやろうか?」
何に悩んでいるのかわかんねえけどそう口を出すと、メニューの向こうから視線が戻ってきて首を小さく横に振られる。
「いや、量の問題ではなくて単純に最近運動出来るタイミングが少なくて」
「そっちかよ」
「いやでもまあいざとなれば街道に出ればいっか」
そこで修練場で誰かに相手してもらおう、とかじゃないところが本当にバトルジャンキーっつうか人付き合い下手くそっつうか。らしいっちゃらしいんだが。貴族でもフリーデル嬢とか頼めば嬉々として付き合ってくれそうなもんなのにな。力加減の問題か?
まあ仮にそういう意味であれば対人戦で延々と力を抑えるって言うのは本人の自覚以上にフラストレーション溜まったろうから、要請があれば付き合ってやろうとはちっと思う。つってもトリスタ近辺の魔獣程度じゃ束になってもセリの相手は務まんねえだろうけど。
ふっと笑うと、頼むもんを決めたらしいセリがオレの珈琲も一緒に注文をして、メニューを畳んで所定の位置に戻しながら首を傾げてきた。
「いや、最近元気なかったように見えてたからよ」
「……そんな風に、見えてた?」
「おう。ってなんだよその心当たりがあるみてーな表情」
「う」
バツの悪そうな表情をするもんで思わず突っ込んじまった。いや本当にお前ポーカーフェイス苦手すぎだろ。どっかの男子評で『何を考えているのか分からないミステリアスなところがいい』とか言われてたけど実態こんなんだからな。黙ってる美人は全員ミステリアスに見えるだけだわ。……まあそれを知ってるのが一部だけだったのは認めるけどよ。だけど戦闘狂なところは前にお披露目されてっから、恋人としては安泰というか。違う今はそういう話じゃない。
「いや、でもこれは私の問題だから」
「……徹頭徹尾自分の問題ならそんな風に言い淀むこともないだろお前」
更に追撃すると、にがトマトを生で噛み潰したような顔をする。隠し事が下手くそなんだよなあ。そこが可愛いといえばそこも可愛いんだが。
「………………ここじゃ話したくない」
「じゃあ寮に戻ったら話せることなのか?」
伏せたまま泳ぐ視線、机の上で忙しなく組み替えられる両手、何かを言いかけて閉じる唇。指先にあるパールみたいな薄紅は、昼間の光だとよく映えるなとぼんやり場違いに考えちまった。
「うん、そうだね、帰ったら、話すよ」
自分の中で覚悟を決めたのか、真っ直ぐとセリは俺の目を見てそう言った。あれだけ泳いでたのに、決めたとなったらこれだもんな。さて、何が出てくんのか。別れ話じゃねえとは思うが、思いたいだけかもしんねえな。
そうしてお互い上手くスイッチを切り替え追加メニューをそれなりに楽しんでから帰寮して、どっちの部屋で話すかってことで、オレの部屋にした。セリの部屋で話したとしたら、靴も脱ぐから咄嗟にセリが逃げられる状態が維持できねえし、何より逃げ込む先がなくなっちまう。そういう意味では椅子に座って、鍵もかけず、靴も履いたまま、っていうオレの部屋の方が合理的だ。セリもそれをわかっているからか、提案には反対しなかった。
部屋に入って奥側の椅子に俺が座り、扉側にセリが座る。机の上で両手を組んで、目の前の相手が深呼吸をした。
「……幻滅、させたら申し訳ないんだけど、でも、もし、今から話すことで私との関係を続けられないと思ったらきちんと言ってね」
「……おう」
思っていた以上に剣呑な言葉が初っ端に飛び出してきて、多少背筋を伸ばす。
「クロウは、その、以前に誰かと恋人関係になったこととか、ある?」
だけど次の句は思いもよらない質問で、は?、となっちまった。誰かと付き合ったことがあるかだって?いや、ねえ、けど。なんでそんなもん。
「あっ、ちがう、本題はこれじゃなくて……自分でも感情の整理がついてない事柄だからもう全く支離滅裂な話をしかねないんだけど」
オレのうっかりした沈黙をどう受け取ったのか、慌てたように両手で自分の顔を覆うセリ。
いや、まさか。そんなことあったりするのか?
暫し静寂が落ちて、気持ちが落ち着いたのかまたセリの顔が見えるようになる。恥ずかしさからなのか火照っているような、若干涙ぐんでいるような、悔しさが滲んでいるような、感情がないまぜになった表情。
「……クロウはさ、やさしいし格好いいしそつがないし、ネイルだって自分で使ってる気配とかはないのに上手く塗れちゃうし、誰かと以前付き合ってても全然おかしくはないんだけど、でも、もしそうだったらって考えたら何だか自分の中に澱のように暗い感情が溜まっていくのがわかって、こんな感情よくないって思ったからせめて気付かれる前に、自分でどうにかしたかったんだけど……」
ぐっと何かを堪えるように、それでも堰き止められなかった想いが怒涛のように零されて。
それはつまり。セリの感情がどういったものを起因とするのかわかっちまって、ぐっと心臓が掴まれたような気分にさせられた。だってこれはもうそういうことだろ。まさかこいつがそんな風に思ってくれるだなんて考えもしなかった。オレだけが好きなんだろうなんて馬鹿な考えはさすがにしちゃいなかったが、それでも。
「一つハッキリさせておくとな」
「……うん」
「オレは、お前が初カノです」
「えっ」
「これは女神に誓ってもいい。マジで」
ジュライにいた頃は恋だのなんだのより祖父さんやスタークやその他ダチと遊ぶ方がずっと楽しくって男同士でつるんでたのもあって、そういう浮いた話は一度だってなかった。というかまあ正直悪ガキだったしな。さすがに初恋とは言えねえが、まあ近所の姉さんとかそういう淡い淡い話でもある。それを暴露する気にはなれねえけど。
「そんなことありえる!? クロウそんなにやさしくて格好いいのに!?」
「やさしいもカッコいいもお前にしか殆ど言われたことねえよ!ARCUSの面子にいるのだって不釣り合いだって言われてたくらいだしよ! つうかそう思えるのはたぶん……お前だからだろ」
お前だから優しく出来たし、お前の前だからカッコいいところ見せたかったみてえな、そういう。いやクソカッコ悪いところもさんざ見られてる筈なんだがなあ。ナンパ失敗とか。ギャンブル負けとか。……こいつ男を見る目がマジでないんじゃないか?オレが言うこっちゃないが。
「じゃ、じゃあ、ネイルは」
「あー、それは、近所の姉さんにパシられてやらされてたというか、いつか彼女が出来た時にしてやれって言われながら塗らされてたというか」
悪い、《S》。今だけお前はオレの近所の姉さんになってくれ。さすがにテロリスト仲間の爪を息抜きに塗ってたなんて言えねえから。バレた時には最高に笑われそうだが、まあ二人が顔を合わせることなんざ万に一つもないだろ。
「そう、なんだ……」
自分の思い込みからの早とちりを自覚したのか、ぷしゅ、と音が出そうなくらい顔を真っ赤にしたセリが机へ腕と共に突っ伏して深いため息をつく。
「ごめん……すごく恥ずかしい……穴があったら入りたい」
そんな小さな頭に手を伸ばして撫でると、腕から少し顔を上げて目線がオレの方にくる。それでも構わず撫で続けていると、一旦また視線は引っ込んで、それから直ぐに腕に顎を乗せて顔全体を見せてくれた。まだ赤みが目尻や耳に残ってる。いい。
「オレとしてはセリが嫉妬してくれたのは正直嬉しかったけどな」
「……嫉妬が嬉しいなんて、クロウも大概私のこと好きだよね」
「おう」
珍しく皮肉で言ったんだろう言葉に大真面目に返すと、また顔を赤くして言葉を詰まらせる。いやー、自爆芸ってこういうことだろうな。
撫でる手を頭から耳辺りに移動させて、親指でふにふにとしながら、中指や薬指で首の付け根ラインを辿るとくすぐったそうに破顔する。それにほんの少しだけいたずら心が湧いて、手をゆるいニットの襟口より中に入れたところで、ぴくりと身体が跳ねた。
体が強張ったそれじゃない、いつもと違う反応。
セリも自分の反応に気が付いたのか、ガタンと乱暴に立ち上がり扉の方へ。あっ、これは、やっちまったかなと思ったところで、かちゃん、と鍵の閉まる音が、静かに、それでもしっかりと聞こえた。自己嫌悪に顔を押さえていたところにそれだったもんだから思わず顔を上げると、真っ赤なセリが戻ってきて、椅子をオレの方に進めて、ちょこんと自分の膝に手を置いてそこへ。
まな板の上のサモーナってのはまさしくこう言う時に使うんだろうかと場違いにも。
「おま、え」
「……ク、クロウに、もっと触って欲しいって、おもう、の……だ、駄目、かな」
ぎゅっと、両手を握って目を瞑って、そんな風に。
いや駄目なことあるわけあるか。
「……はしたない?」
「いや、めちゃくちゃそそられる」
窺うような目線がオレの一言でふにゃりとほどけていく。その、瞬間が、やばいほどやばくて、語彙がおっつかねえ。こいつのこんな表情未来永劫誰にも見せたくねえなんてそんなことまで思っちまうくらいに。
オレの方からも椅子を進めてそっと顎のラインを辿るように指先を這わせると、瞼が降りる。前にキスした時とは比べもんにならねえくらい、どうしてか心臓が痛くて、は、と荒れそうになる呼吸を抑えながら唇をまた重ねた。外気が暖かいからかリップが塗られてるからか今日はやらかいそこを食みながら、舌を捻じ込むとすこし逃げるように身体が跳ねるもんで抱き止めるように背もたれの間に腕を入れると、また背中に手が回ってくる。嫌がってねえ。よかった。
「わっ」
「っと」
そんなことをしていたら前に押し込みすぎたのか、セリが座る椅子のバランスが崩れそうになったのをなんとか止める。別の意味で心臓に悪かったぞ今の。後頭部ぶつけてたら洒落になんねえ。
はあ、と一息ついていたところで見下ろすと、手の甲で唇を隠すようなセリが見えて、静かに荒いだ呼吸を丁寧に落ち着かせてる。その動作だけでもエロいんだが、ニットのゆるい襟から首元が見えて、それもまた、やばい。
気を落ち着かせるためにゴムどこに置いてたっけなと思考を巡らせて、ベッド脇のキャビネットの中だわと用意周到な過去の自分に感謝するしかない。
「……ベッド、連れてって大丈夫か?」
「う、ん」
しっかり立ち上がりながら尋ねると、そっと頷きながらブーツの内ファスナーをおろして足を靴から抜いて両腕を伸ばしてくる。それだけでまた感情を噛み殺さねえといけない気分になるってんだからもうどうしようもねえくらい深みにハマってる。背中と膝裏に手を入れてひょいと持ち上げると、ぎゅっと首に腕が回ってきて胸が押しつけられた。はあ、と耳元でこぼれる吐息に、どくどくいってる心臓。支える両腕から器用さが抜けそうになる。
それでもこれだけは乱暴にするわけにいかねえと、逸る気持ちを抑えつけながら朝起きたまんまで掛け布団が押しのけられてるベッドにセリを寝かすと、それだけで頭のどこかが焼き切れるような、そんな気持ちにさせられた。
雑にブーツを脱いでそっと頬に手を添えると冷たかったのか、ん、と震えた短い声が落ちる。
「……その、これ以上進んで、それで駄目な瞬間があったら、言えるか? オレもなるたけ汲みたいけどよ、無理なこともあると、思う」
「大、丈夫。本当に駄目だったら、言えると、思う。クロウは、聞いてくれるでしょ?」
相手が自分の意思を尊重してくれるという、そういう信頼。だからこそ身体をゆるせる。
それは、おそろしいくらいきれいなもんだと思っちまった。
「可能な限り、善処はする」
「ふふ、それでいいよ。……ありがとう」
そうやって、枕に頭を乗せて、髪の毛を散らばせて、微笑むそいつの顔を、この世界でオレだけが知っている。
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三月
03/上 要塞見学
53
1204/03/上旬某日
毎年一年生はこの時期にガレリア要塞の見学が年間行事として入っているらしく、御多分に洩れず220期生である私たちもそれが決行された。今期一年生は全六組、合計百八人。夜行車両の一部を貸し切った状態で帝国国土を横断する。
無論、士官学院生であるので就寝起床は規律通りに、夜間の部屋の移動はもちろんのこと、不眠を理由に部屋を出ることなど、寮で許されているあらゆることも罰則になる徹底っぷりだ。けれどそういう簡単な命ですら守れないのであれば、要塞内の見学などさせることは出来ないと言うことなのだろう。
────私たちが今から赴く場所は、そういうところなのだと。
朝5時半。予定起床時刻になったので身支度を整え洗面台を使っていると他の部屋の人も来始めたので早々に部屋に戻り、前日に配られていた朝食用乾パンを食べつつカバンの中身の確認や整理をして列車の到着を待った。
鉄道は緻密なダイヤで運行されているため、学生の降車が遅れた程度でダイヤを乱すことはまかりならない。故にキビキビと降車しホームの一区画に整列する。隣のクラスのクロウと視線があったと思ったらウインクをされたので、こんな空気の中でもいつも通りだなぁと笑ってしまった。
正規軍より学院へ出向しているナイトハルト教官が前に立ち、要塞内での注意事項などを改めて説明される。以後は所定の時間まで解散という手筈で、事前に配布されていた遠征計画書を見た時からにわかには信じ難かったけれど、いわゆるツアー系とかではないのだなぁとしみじみしてしまった。どこを見るのかと言うのも本人の資質──ひいてはレポート内容ということなのだろうか。
そんなことに考えを巡らしながら鞄を肩に掛け直し、貨物ホームの動きの邪魔にならないよう端に移動して全体の目測計算をする。この空間だけでもかなりの広さだ。出来ることなら歩測もしたいけれど、全体像が把握出来ていないのであまり詳細に記録を取るのは危ない。詳細な地図もレジュメにはないので自分で歩けということなのだろう。あとはたとえ簡易的なものだとしても情報流出の可能性を考えると配布資料には出来ないのも頷ける話だ。
軽く一つの街程度の大きさはあると噂されているガレリア要塞。クロスベル自治州との境にあるここは帝国屈指の要塞であり、大陸横断鉄道が停車する際にも物々しいアナウンスがされるほどの駅。つまり士官学院生だとしてもここに入る機会はそう多くはないと思うのでしっかり歩いて、可能なら現場の人の話とかも聞かせてもらおう。
両手を握ってそう意気込み、歩き始めた。
「あれ、トワにアン。こんなところでどうしたの?」
「おや」
「あ、セリちゃん」
備品管理所の前を通りかかったところで二人とはち合わせた。
あ、そうか。クラスごとの行動というわけじゃないから、他クラスの友人と合流して自分じゃ得られない観点の話をしながら回ると言うのも一つの手だったんだな、と思い至る。
「うん、実は……ガレリア要塞がどういったものなのか、きちんと知識の前準備はしてから来たんだけどすこしクラクラしちゃって」
「ああ……なるほど」
トワは『帝国の"力"の一つである武力と向き合う』ために士官学院へやって来た。その中でもここはぶっちぎりでその"帝国"というのがどういう場所で、どういう国家で、どのようにして国土を広げて来たのかという体現の場所でもあるだろう。将来、彼女がどういった道を取るのかはわからないけれど、もしかしたらここに切り込んでいくかもしれない。
「アンはトワの付き添い?」
「そういうつもりも多少はあるが、それ以上にトワの視点というのは私よりもずっと広い。かなり勉強させてもらっているよ」
「そんな、アンちゃんだって軍事学の成績悪くないでしょ。褒めすぎだよ」
「いいや、トワの説明は非常にわかりやすいさ」
「なるほど、トワの解説付きツアー……」
それはかなり心惹かれるけれど、私が今したいこととはすこしズレるかと腕組みをする。
「セリは一人で散策かい?」
「んー、うん。とりあえずぐるっと一周したくて」
うっかり煮え切らない返事をしてしまい、何かを察されてしまったのかトワがずいっと近づいてきて、袖を掴まれ耳元に。
「セリちゃん、もしかして要塞内の歩測しようとしてる?」
「……いや、そんなまさか」
「下手したら放校になっちゃわない……?」
一応表面上は否定をしていると言うのに全く信頼されていない信頼があるなぁ、と一人内心笑ってしまった。いや徹頭徹尾笑いどころではないのだけれど。
「ま、そん時はなんとか代替レポート書くことで勘弁してもらえると……いいなぁ」
確かにうっかりすると消されかねない話ではあるが、そこは、その、ナイトハルト教官のところで止めていただいて延命をお願いしたいなという感じだ。あの人も生徒を見捨てるほど鬼ではないだろう。たぶん。軍人に内部情報と人情を天秤にかけさせるなといえばそうなのだけれど。
しかしそもそも主要教官陣にARCUSのレポートが読まれていないとは思っていないし、故に私が歩測するタイプの斥候だというのは把握されていると考えて然るべきで、その上でそんな生徒が混ざっている状態で解散見学を許しているという時点で何が起きるかというのはあらかた想定されていると見てもいいのではなかろうか。
ARCUS試験運用チームは良くも悪くも個々の能力を他生徒より深く理解されている筈だ。
「セリちゃん、結構ナチュラルに危ない橋を渡ろうとするよねえ」
「そこがセリのいいところもであり、悪いところでもあるな」
言っても聞かないと思われたのかそっとトワがため息を吐きながら離れ、アンが笑いながら揶揄ってきた。まぁ、貴族のアンからしてみれば後ろ盾も何もない状態で綱の上を走り回っている私は見ていて危なっかしいのだろう。アンがそういう後ろ盾をアテにして立ち回っているという話ではなく、見える側の立場の人間として。
「忠告はきちんと受け取っておくよ。心配ありがとう」
そろそろ行かないと、と二人に手を振って別れ、また要塞内を歩き始めた。
ある程度見終わって戦車第一格納庫へ行くと作業員の方々が所狭しと慌ただしく走っていて、機甲訓練用の整備だろうか、と思案する。そんな風に端から歩いて行っていたら、とある戦車の足元で行われている整備にジョルジュが混ざっているのが見えた。さすがに今日はツナギじゃなく制服ではあるけれど、こうして作業に首を突っ込んでいてもあまり邪険にされていないのは本人の為せる技だなぁとしみじみしてしまう。
それを横目に、L字型の倉庫は想像以上に格納されている台数が多く、導力器の改良が進むと立体的に格納できるようになったりするのだろうか、と考えたりした。ルーレにあるエレベーターを参考にしたら地下格納庫とかも出来そうだけれど。立体格納が可能になれば、土地面積に対して用意できる戦車・装甲車の数は爆発的に増える筈。
そこまで考えて、かぶりを振った。……こんなこと、あえて私が書くことでもあるまいと。
最後に格納庫から外に抜け、鉄道線路を跨る形で架けられている連絡橋の上に立つと要塞の内部が一望できた。西から東へ。ここから200セルジュほど行けばクロスベル市内に到達する。
クロスベルひいては共和国との前哨戦を担うことになるであろうこの要塞を管理するのは正規軍第五機甲師団だけれど、有事の際にはその何十倍もの兵がここに駐屯し、且つそれを支えられるだけの設備がここにはある。
トワではないけれど、すこしクラクラしてしまう。
足元を通っていく貨物列車の音を聴きながら、たまにRF社のシンボルマークが刻まれているコンテナがちらちら出ていくのを見送った。
「どうしたよ、ボーッとして」
足音からそうだろうな、と思っていた気配は確かにクロウのものだったようで、一瞬だけ視線をそっちにやってからまた線路に落とす。
「……クロスベルの目と鼻の先にある要塞の中が……想像以上だったなって」
以前クロスベル市に向かった時に見えた貨物ホームからある程度の推測はしていた。運び込まれる荷物、作業員の数、クレーンの稼働距離、その他諸々からとんでもない規模の要塞だとはわかっていた。帝国が今、戦端を開くとしたら共和国であり、その最前線に当たるここが疎かにされているわけもないだろうと。
「帝国屈指の要塞なんだからそりゃそうだろうよ」
「そうなんだけど、ここにあの列車砲もあるんだなって考えたらさ、ずっと喉元に銃口突きつけられてる感覚なのかなって」
東側の崖になっている切り立った場所にその砲門はあると聞いている。200セルジュをものともしない超長距離砲。二時間あれば、50万人が住む街を壊滅させることが出来るというスペックを持つ大量破壊兵器。……そう、共和国には、届かない。それがどういう意味なのかわからないほど愚鈍ではないし、クロスベル市の人々も愚かではないだろう。
無論、共和国にレンジが届く兵器を置くとなったらそれはそれで紛糾するのだけれど。
「まあ、それはそうだろうな。確か市内全域が射程圏内だろ」
「そういうスペックとか、こういう現場を見ると、自分が帝国国民であることに誇りを本当に持てるのかってたまに揺らぐことがある」
自分が成してきたことについて、後悔することはある。たくさんある。それでも、太陽の下を歩けないようなことはしていないと女神に誓うことは出来ると、そう。だけどそもそもの帝国国民として、諸外国の方たちと対面した時に、自分がそうであるということを胸を張って言えるだろうか。
「軍事大国として豊かになった国で、安寧と富を享受して何を言ってるんだって話だけどさ」
「……いや、分かるぜ。地盤が揺らぐ感じだよな」
私の独り言のような感傷に、クロウは肯定を返してくれた。
そう、地盤が揺らぐ。自分の信じていたものが、本当にそのまま信じていいのかどうか、まずそこから始めなければならないんじゃないかと疑うことになる感覚。帝国が、大国だからといって正義というわけじゃない。……もちろん、国を存続させると言うことは綺麗事だけでは収まらない政治的手腕が必要なのはわかっているのだけれど。
「今、クロスベルは二大国を宗主として独立しているけれど、いつか」
「ジュライみたいな末路を辿るんじゃないかってか?」
その言葉に思わず隣にいるクロウを見やる。その物言いはあんまりじゃないかと何かを言い返そうとしてしまって、それでも何も言えずに口を閉じた。士官学院生である道を選んだ自分に、あの街について何か言えることなんて何もないのだから。
「……そうだね。どう言葉を取り繕っても、あれは侵略だったんだろう」
「そこまでは言ってねえだろ」
「言ったも同然だよ。君も、ジュライの帰属については怪しんでるんでしょ?」
クロウが教えてくれたロックの歴史を知りたくて、北方文化について調べていたとき、気になってジュライについて調べてみたことがある。
旧ジュライ市国──現ジュライ経済特区となったその街は、帝国の最北東にある。
海辺の、塩の杭に侵されたノーザンブリアや医療大国であるレミフェリアと船による貿易をしていた、小さな国だったという記録を読んだ。そして帝国の鉄道路線延伸の末、市国という姿を捨て帝国への帰属を果たしたということも。
だけど当時の記録は、帝国内ではタブーなのかあまり表には残っていない。当時の政治的指導者の名前さえも。あるのはただただ、ジュライは帝国に迎え入れられて本望だったろう、という記録とも呼べない記事ばかりが気味の悪いほど残っていただけ。……一応公式発表通りに帰属だと表現はしたけれど、その情報の薄さが"従属"なのだと物語っているように感じた。
「国土が増えるのはいいことなんじゃねえのか?」
「国としては、それが豊かになる道なのは理解するよ。でも個人がそれを歓迎するかって言うのはまた別の問題だと思う。少なくとも、小国と大国という程度の違いはあれど、国同士というおなじ土俵の上で行われた話し合いの結果では、ないんじゃないかなと」
辛うじて残されていた記録の帝国政府代表者の名前に、あの鉄血宰相の名があったから。
けれどそれ以上の詳細記録は今の私では閲覧することすら許されない。アクセスが出来るのは表面を帝国側の視点でさらっただけのものだ。それこそ機密事項にアクセスするとなれば、軍属となって階級を上げるか、あるいは現地に行って情報を自分の足で集めるなりだ。
「残念なことに、現状帝国はそういったことをするだろうって思ってる。リスクとメリットの天秤の掛け方が異常に上手い人がいるから」
「……ああ、そうだな。いるな」
つまり否定する材料がないのだ。むしろ、猟兵さえ使っているという噂さえある帝国政府だから補強する材料しかないと言うべきか。
「それでも、私は自分の国を誇らしく思える日を諦めたくない。胸を張って帝国国民なんだって、言えるように」
クロスベルであったバス襲撃の後、遊撃士であるスコットさんとヴェンツェルさんに所属の宣言をする時に、一瞬だけ躊躇ったことを思い出す。あの日、確かに私は自分が帝国国民であると明かすことを、迷ったのだ。一個人としてではなく、帝国人というレッテルを貼られることを恐れた。
だけど本当はそんな風に迷いたくない。
「だから、私は私の方法でこの国をどうにか変えて行けたらいいと思う。……一人の力じゃ出来ることはたかが知れてるだろうけどさ」
せめて己の行動が、いつかの未来、光に繋がればいいと願いながら歩んでいきたい。
「つーことは、軍属になるのか?」
クロウのその質問は至極もっともなものだ。だけどたぶん私は軍属者としてじっとしては居られないだろう。だから首を横に振る。
「さっきトワとアンに言われて気が付いたんだけど、たぶん私は暴く人間なんだと思う。暴いて晒して広めることだけが正義じゃないとはわかってる。だけど、帝国という概念をまず解体して、理解して、それがどういう道に繋がるのか、見極めながら生きようと思う。……具体的にどうするのかってのは、まだ検討中だけど」
最後のオチが格好つかなくて笑ってしまいながらクロウの方に視線をやると、やけに真っ直ぐな赤い瞳が私を見ていた。きゅ、と自分の口元が自然と引き締まるのがわかる。
「なぁ、もしもの話だ」
硬い声。今までついぞ聴いたことがない、暗闇が寄り添っていそうな音だ。
「もしも、オレが……お前の敵になったら、お前はそれを暴いてくれるか?」
────それは、どういう意味なのだろうか。もしかしてクロウは共和国の密偵だったとか、そういう?いや多分違う。もっと、私の知らない深淵を覗かされているような。なら私が言うべきことはただひとつきりだ。
「なんて」
「君が、それを私に望んでくれるのなら」
具体的なことは何もわからない。けれど自分からそんなことを言い出すっていうことは、若干でも確かな暴露感情があるのだろう。であるのなら、私は暴かれたいという君の感情の発露を優先して、理性では嫌がったとしても君のナカを暴いてあげたいと思う。
自分の発言を茶化して誤魔化してなかったことにしようとして、それすら出来ずに下手な笑顔をつくる頬にそっと手を伸ばすと、クロウは泣き出しそうな顔をして自分のそれを重ねてきた。
一体君は、何を言いたかったのだろう。
昼の鐘が鳴り、集合まで幾ばくの猶予もないことを知らせてくる。
どちらからともなく動き出し、ただ二人で鋼鉄の要塞の風に吹かれながら歩いて行った。
私にはまだわからないことだらけだ。
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03/13 会長就任
54
1204/03/13(土)
ガレリア要塞の見学レポートは結局、目測・歩測した見取り地図を添付して要塞内の改善案や要塞の在り方を論じ、ナイトハルト教官に提出したところ特にお咎めもなしにそのまま受理され今に至る。トワはああ言っていたし、自分も簡易見取り図すらないことに警戒はしたけれど、結局のところ学生に見学を許している範囲の施設の見取り図など大したことがないということなのだろう。あるいは、てんで的外れだったか。
兎にも角にも問題もなかったのでよかったとしよう。
まぁそんな過ぎたことは取り敢えず横において、今日はトワの生徒会長就任のお祝いだ。
課外活動で得たセピス塊も食事会でそれなりに減ってきてはいたけれど、今日のお祝いでパーっと全部使ってしまおうと言うことになった。
もちろん食事は自分たちで作るので材料費ということになるのだけれど、大量に買い込んだらブランドンさんに用途を尋ねられたので素直に答えたらかなりオマケをつけてもらったのでなんでも作れそうだ。メインはクロウとアン、サイドをジョルジュ、デザートが私という布陣なのでかなりバラエティ豊かになるだろう。
四月から始まった私たちの活動も導力バイクで延長戦に入っていたけれど、今日の料理で本当の本当に一段落になるだろうか。四月のラントでの活動のことを思い返すと、まさかクロウとアンが肩を並べて料理をする未来があるだなんて想像だにしていなかった。きっとそれは本人たちもだろうけれど、まぁ、こんな話は今更か。だってアンはジョルジュに差し入れるためにフィッシュバーガーの作り方をクロウから教わったりして、ずっと前から仲良くしている。
「楽しそうだね」
工程の関係上で少し離れたところで料理をしている二人を眺めていたら、隣にいたジョルジュからそんな言葉をかけられた。クッキー生地を混ぜる手が止まっていたな、と思いながら手を再開して笑う。
「楽しいよ。トワのためにご飯を作るのもだし、好きな人たちが仲良くしてるのもね」
「はは、まさかセリの"好きな人"の枠にアンが入るとはね」
言われて、そうかジョルジュにとってはそうだよな、とここにきて初めて思い至る。
「アンとは付き合い長いんだっけ」
「うん、それなりかな」
「だったら初期のアンと私の関係とか胃が痛かったでしょ」
笑って言うと、それはもうね、なんて言葉が肩を竦めながら返ってきたものだから更に笑ってしまった。ジョルジュも散々アンに困らされて来たんだろうなぁ。そして、おんなじぐらい、彼女の気高さと牽引力に惹かれているんだろう。それはカリスマという言葉にまとめたら陳腐だろうけれど、確かな光がアンにはある。
「アンはさ、どうしても私の許せないところに踏み込んできた」
「……そうなんだろうね」
「でも、その許せないことを理解してくれて、謝って、誓ってくれたんだ。真っ直ぐ」
「そういうところがアンらしいというか、何というか」
「本当に」
謝罪されたからと言って、それを許すかどうかは謝られた側の感情ひとつだ。それでもあの時の私は……そう、たとえ友人としてじゃなくても、お互いの領分を侵さない範囲で上手くやっていけるんじゃないかと願いを込めた。結果はこれ以上にないってぐらいになってくれたけれど、それは私の努力と言うよりかはアンはもちろん、三人の在り方のおかげだと思っている。
ボウルの中で生地がまとまってきたので、少しだけ四角く整形し、かたく絞った濡れ布巾で包みバットに乗せて冷蔵庫へ。これで30分ほどなので、休ませている間にきちんと使った器材は洗っておこう。こういう細かな洗い物が後々効いてくるというのをティゼルとのお菓子作りで心底学んだ。クッキーが終わったらかぼちゃのパイの方も作りたい。
「ジョルジュには本当にお世話になったよ」
「まあ元々僕は試験要員だったから」
「ううん、ARCUSだけじゃなくて、人間関係的にも」
試験運用チームとしての要は誰がどう見たってトワだった。だけどこんなにアクの強い面子を彼女がまとめ切れたのは、影ながらもチームの空中分解を防いでくれていたジョルジュの功績もあるだろう。……私は、その、どちらかと言えば分解させる側だったと思う。
そっと意見を出したり、誰かを嗜めたり、そういうことを当たり前のようにいつも出来るというのは案外難しいことだ。それをジョルジュはずっとやってくれていた。バトルスタイルで言うと柔和なジョルジュが不沈盾というのは一見結びつかない気もするけれど、緩衝的存在と言い換えればわりと納得があるのではなかろうか。
「きっとね、誰が欠けてもこんな結末にはならなかったんじゃないかなぁって」
「はは、同意するよ。そしてこれが、全員にとって好ましいものであって欲しいと思う」
「うん」
課外活動が終わり、導力バイクの試作も概ね終わり、私たちはもうあと二週間ちょっとで二年生になる。元々全員クラスはバラバラだし、卒業後のことだって考えなければいけないし、どう考えても将来の道が重なることはないと分かっている。
だけど、アンが前に技術棟で言ってくれたように『何年ぶりに会ったとしても、昨日まで一緒にいたように笑っていられる』、そう信じられる仲間たちだ。
「トワの生徒会長就任を祝し、乾杯!」
「「「「「「かんぱーい!」」」」」」
アンの乾杯の音頭に食堂のあちらこちらから声が上がった。
料理をしていたらうっかりいろんな人が合流してしまい、結構な大人数によるパーティになってしまった。さすがに先週やった二年生追い出しパーティよりは少ないけれど、一人を祝うためにと言うのなら十分すぎる人数だ。これもトワの人徳のなせる技だなぁと一人で震えてしまったのは内緒の話にしたい。
そして私は台所の方で食器が足りるか確認を終えたところで、棚の扉をそっと閉めてパーティの中心に視線をおくる。
「み、みんなありがとう。生徒会長、精一杯頑張らせてもらいます!」
主役のトワは生徒会長を引き受けるかどうかかなり悩んでいたみたいだけれど、結局のところ周りから推しに推されて断れずに引き受けることにしたようだ。貴族生徒ではないから、と最初固辞していたのに。生徒の中では一番の権力を持つのでこれ以上にないと言うぐらい適任ではあるのだろうけれど、いろんなものを抱え込んでしまわないかという不安もある。そういう意味ではある程度気心の知れた私たちが傍で見ていたほうがいいかもしれない。
とは言っても、誰かに仕事を割り振るのも不得意ではないので心配しすぎかな。でも心配ぐらいさせて欲しいなと言うのも本音なわけで。
いろんな人からお祝いの言葉をもらってグラスを鳴らし合わせるトワを眺めていると、じわじわ嬉しさが込み上げてくる。ずうっと、トールズ……いやトリスタに住む人たちのために奔走し続けていた姿がいろんな人に認められていたんだなぁと。もちろん獅子心善行章を受け取っているのだからそれは当たり前ではあるのだけれど、こういう集まりに我も我もと合流する人が増えて賑やかになっていったのは本当に面白かった。
「結局お前何作ったんだ?」
台所から戻り壁際でちみちみといろんな料理をつまみながら飲み物に口をつけていたところでクロウが尋ねてくる。
「あの辺にあるクッキーとメインディッシュの付け合わせぐらいだね。ケーキは調理部のニコラスが合流して来たから補助はしたけど大部分を任せちゃった」
クッキーはいろいろ混ぜ込んだのとか、アイシングを施したのとか、種類は用意したけれど結局クッキーだ。デザートのメインにはなり得ない。まぁこの人数を考えるとケーキの類が複数あっても問題なかったかもしれないけどね、と笑えば、そんじゃ今度作ってくれよと頭を撫でられる。……そんなこと初めて言われたような気がして、内心驚いてしまった。
クロウは結構なんでも好き嫌いなく食べるから逆に今度食べたいなんてリクエストはもらったことなかったのに。実は楽しみにしてくれていたとか?ありえるんだろうか。まぁいいか。作った時に訊いてみよう。
そんな風に暫く食堂の端から全体を眺めていると、人の波が一旦途切れたっぽいので自分も今日の主役に近付いていく。小柄な我らの次期生徒会長の隣の椅子へ。
「トワ、食事できてる?」
「あ、セリちゃん。うん、えへへ、みんな気にして持って来てくれるから」
「そっか」
確かにトワがいる食卓にはご飯が載せられたお皿が並べられているけれど、これ全員別々に持ってきた結果だったのか、と笑いがこぼれる。愛されてるなぁ。大事な人がいろんな人に大切に想われている姿を見るというのはどことなく気分がいいものだ。
私がグラスを掲げると両手で持ったそれを、かちん、と静かに合わせてくれる。
「トワ、おめでとう。これからもっと忙しくなると思うけど、手が必要そうに見えたら要請がなくても駆けて行っちゃうかも。なんて、トワに手を貸したい人間なんてたくさんいるかな」
「セリちゃん……うん、本当にありがとう。入学試験の時にもお世話になっちゃったのに」
「あは、あれはあれでいい経験になったよ」
緊張する受験生たちを見送る立場というのも、それを阻む立場というのも、どちらも面白い役割をもらったと思っているし。ああやってセーブしなければならないことも今後出てくるかもしれない。……あんまり歓迎したいことではないけれど、まぁ、うん。想定するに越したことはないかな、なんて。
「……心配?」
グラスを両手に視線を落としていたトワに問いかけると、金糸雀色の瞳がすこしだけ揺れたのが見える。だけどそれは出会った当初にあったような弱々しいものでは決してなく、自分の能力に確固たる自信がある人の色だった。傲慢ではなく、ただただ事実として自分の能力を把握している。だから私の質問は愚問だったろう。だけどトワは微笑んでくれた。
「心配、とはちょっと違うかな。この一年を通して、私にも出来ることがあるんだってみんなに教えてもらったもん」
「ふふ、出来ることがたくさんたくさん増えたからね、お互い」
「うん」
人間関係も、戦技も、スキルも、いろんなことが磨かれていった。誰か一人が完璧超人にならなくていい。チームだから、誰かが出来ないことを自分は出来る、自分が出来ないことを他人にやってもらう、そういう分担を最初はぎこちなく、いつしか当たり前のように。
「セリちゃん、ありがとう」
「それ、さっきも言ってもらったよ」
「ううん、違うの。就任お祝いの言葉へのものじゃなくて」
真っ直ぐ、トワに見上げられる。それはどうしてか、いつものことでもあるのにすこしだけ心臓が跳ねてしまった。
「あの日、あの夜、私の話を聞いてくれたのがセリちゃんでよかった。あの時背中を押してもらって、取り敢えず一回でもいいからARCUSに携わってみようって思えたから今の私がここにいるんだと思う」
トワのその言葉を聞いて、うっすら視界がボヤけ始めてしまった。まさかそんな風に言ってもらえるだなんて思っていなかったというか、いや、クロウじゃないけど不意打ちのそういう言葉は本当に胸が詰まってしまう。……嬉しさと、愛しさで。
「私も、あの夜にトワと話せてよかった」
最初は単なる気配の勘違いだったけど、今思えばそういうことまで含めて人は────出会いを運命と呼ぶのかもしれない。
「そうそう、明日の登校前に提案なんだけどさ……」
1204/03/14(日)
「ねぇ、アンってば本当にそれで写真撮るの?」
「うん? 何か問題がある格好かな」
「セリ、アンは言い出したら聞かないよ」
「まぁ制服よりバイクスーツの方が似合ってる気がしないでもねえだろ」
「あはは、先生たちもそれで登校してももう何も言わないもんねえ」
昨日、登校前に校舎の前でみんなで記念写真を撮ろうと提案したら全員乗ってくれて、朝に弱いクロウもなんだかんだきちんと起きてくれた。……ARCUSで朝にモーニングコール寄越してくれっていうのは通信の無駄遣いだと思うけど。でもまぁ朝にシャワー室を使って半裸で廊下に出てくる人もたまにいたりするらしいので、直接行くよりは穏便だったのだろう。
「はいはい、五人ともさっさと中心に集まる! 太陽光がいい具合だから!」
写真撮影を頼んだロシュからそんな言葉が飛んできて、ごめんごめん、とトワを中心に五人で並んで、アンがトワをぎゅっと抱きしめ、クロウは私の頭に腕を乗せてきて、ジョルジュが苦笑して、そんな風に私たちはチームでの活動を一葉の写真で締めくくったのだ。
大切な仲間たちと一緒にいられたこの日々を、きっと私は忘れない。
閃2アンゼリカがトマトバーガーの独自料理扱いであるフィッシュバーガーを作成可能なのでシステムデータの観点から1203年組の仲の良さを目の当たりにさせられたのはやばかったよ。
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03/31 221期生入学式
55
1204/03/31 221期生入学式
「いやー、まさかまさか」
「ARCUS特科クラスが出来るとは聞いちゃいたが」
「直接の準備に駆り出されるとは思ってもいなかったね」
数日前、入学式に先駆けてサラ教官から打診があった。
内容としてはARCUS特科クラス専用オリエンテーションに例の旧校舎を使うからその手伝いをして欲しいというものだ。もうそれだけで教官が何をするのか全員察してしまい苦い顔をしたのだけれど、人数が九人というのを聞いて、なんだそれなら大丈夫かと思ってしまったのは完全に感覚が麻痺っていたかもしれないと少しだけ。
ARCUSクラスに振り分けられた当人たちの大事な武器を講堂案内前に預かり、旧校舎の最奥ホールに設置をする。つまり例の穴から落ちて適当に、というわけにはいかないのだ。だから正攻法で階段を降りて三人で配置しに行っているのだけれど、さすがに広間のガーゴイル以外は魔獣も本能で力量差がわかるのか怯えて襲ってくることはない。石造魔獣はおそらく命令が下してあって、相手の力量を測るという機構がない故の襲撃なのだろうけれど。
そしてそのガーゴイルはクロウと私が武器を抜くまでもなく、アンの掌底一撃で粉々に砕けてしまった。入学式終了までに復活するのは以前測っているので大丈夫……な筈。再生しなかったらどうしよう。まぁその時は多分私たちの誰かが駆り出されることになるだろう。
「あん時のガーゴイル、結構強かったよなあ」
「そうだね、判断ミスを思い出してちょっと脇腹痛くなるぐらいには」
「はは、ジョルジュの重槌が炸裂しなかったらどうなっていたことやら」
台車を使いながらゴロゴロと運んでいくその中に、例の東方の太刀があった。東方文化に何かと詳しいトワがそうだと言い切ったから間違いない。彼も無事に合格して、なんの奇妙な偶然か私たちの直接の後輩となった。喜ばしい。
そして他に注目するべきは二振りの魔導杖。これもRF社が開発した新技術を駆使した武器だそうで、魔法発動時の威力増幅はもちろん、通常攻撃時に駆動時間ナシでアーツを発動しているのと同等の効果が得られるらしい。私たちには残念ながら高適性者はいなかったけれど、貴族クラスには若干名魔導杖へ持ち替えている人もいる。
前々から分かっていたけれど、RF社の実権を握るイリーナ会長が理事を務めているだけあってトールズ士官学院は中規模な実験場だ。しかもARCUS特科クラスに配備すると言うことは、実践データをレポートとして寄越せ、ということでもあるのだろう。
そしてそのARCUSは私が提出した例のレポートが最初の指摘だったようで、適合者の条件緩和に繋がったとお礼の手紙をヨハン主任から頂いた。いつかARCUSの特性を引き継いだ次世代機が出る時にはもっと幅広く使えるように出来る筈だ、とも書いてあって嬉しくなった。
耳介装着型通信器を作ってもらったお礼がすこしでも出来ていたらいい。
「そういえば前年度のよしみで生徒データの概要は見せてもらったけど、どう見る?」
「ありゃあ一筋縄じゃ行かねえだろ。っていうか大物揃いすぎねえか?」
「ふむ、親のことを持ち出すのはあまりいい趣味ではないが……そうだね、難アリというか訳アリというか。そういう言葉が似合うクラスにはなるだろう」
やっぱりそういう総評になるよなぁ、と苦笑してしまう。
例の太刀を使う彼の男爵家という肩書きが可愛く思えるほどで、RF社の一人娘、正規軍で名を馳せている人物の息子、帝国武門片翼のアルゼイド流の後継者、革新派帝都知事の身内、かと思えば貴族派筆頭アルバレア家、猟兵上がりの少女にノルドからの留学生。ここに入れられる辺境出身の女の子に若干同情を禁じ得ない。
トールズ士官学院は貴族は貴族、平民は平民、という帝国の在り方の縮図のようなクラス構成をしているのに、VII組は貴族も平民もごった混ぜという言葉が似合うクラスだ。これで軋轢が生まれないはずがない。だけどそれでいいんだろう。現に前年度、クロウとアンがしばしばリンク断絶に陥っても特にメンバー交代の動きなどはなかった。というか逆にそういうデータの方が欲しいまであるんじゃなかろうか。なかなか内部試験では再現しにくい事象だから。
話しながら最奥ホールまで辿り着き、クロウが扉を開けてくれたのでお礼を言いながら中へ入る。導力灯を点けて、昨日みんなで運び込んだ机にそれぞれ武器とARCUSとマスタークオーツを置いていった。武器はその人の心でもあるわけで、こうして預かったものはきちんと誠意ある対応をしたい。……私の相棒も、ちゃんとまた整備しないとな。
「うっし、これで取り敢えず終わったか」
「そうだね、アンの方も大丈夫?」
「ああ」
すべての配置と確認をトリプルチェックし、前に私たちが落とされた時は導力灯は消されていたけれどそれはあんまりだろうので明かりは点けたまま、最奥ホールの扉をゆっくり閉めた。
そうして入学式も終わり、サラ教官が率いるVII組が旧校舎へ入っていくのを小高い丘から三人で見送る。トワとジョルジュは他の新入生のサポートで走り回っていることだろう。
「あれがオレたちの後輩ってわけか」
「まあ、名目こそ違うが似たようなものだろうね」
クロウとアンがそんな会話をし始めたところで、最後尾を歩いていた黒髪の男子生徒が旧校舎内に入りその扉が閉まる。なんというか、どういうクラスになるんだろうなぁ。でも全員同じクラスってことはカリキュラムも特別だろうし、課外活動をするとしても私たちみたいに日曜欠席とかしなくてもいいのは少し羨ましいと感じてしまう。いいなぁ。少し遠くの土地に行くのだって組み方次第じゃ自由だ。メンバーを見るにノルドへの遠征もあったりするんじゃないだろうかと。
「コナをかけるな男子が寂しい思いをしたとはいうが、クロウにはセリがいるだろう?」
「ん? 呼んだ?」
あまり自分には関係のない話だろうと途中から会話をスルーしていたところで自分の名前が聞こえたので思わず反応してしまった。するとアンが笑って私を抱きしめようとしてきたので、それは丁重にお断りした。今のは下心があったでしょ、と指摘をすると、あったね、とあっけらかんと悪びれもなく。全く。
「いや何、クロウが寂しい思いをする暇なんてないだろうって話さ」
「あー……まぁ、なんというか、浮気したら即別れるから言ってね?」
「即別れるって言われて律儀に言う男いるか?! いやするつもりはねえけどよ!」
ナンパも浮気の内だと思うけどなぁ、とボヤいたところで、見捨てないでくれよー、とクロウが背中から抱きついて肩に頭を預けてきたので、はいはいと剥がしもせずにその頭を撫でる。まるで大型犬だ。かわいい。
「も~、クロウ君、セリちゃん、学院内だよ!」
そんなことをしているとトワとジョルジュがやってきて第一声がそれだ。まぁ確かにあまり褒められた行動ではない。トワの言う通りにクロウが離れるので、すこしだけ寒さを感じた。春先だって言うのにまだ寒い風が吹くのかな。
「おや、二人ともお疲れ」
「他のヒヨコどもは一通り仕分け終わったみてーだな?」
クロウの問いかけにトワが嬉しそうに両手を握り拳にして肯定を返すものだから、四人で笑いがこぼれる。本当にトワが会長就任したのは的確な人材配置だったと思う。これだけ誰かのために奔走できる人もそうそういないだろう。
ARCUS特科クラスVII組の特別実習は全面的に生徒会……というかトワがサポートに回ることになった。昨年度のサラ教官の事務仕事の雑さを思えば誰かそういう作業員がいた方がいいのはわかるのだけれど、些かトワに頼りすぎじゃなかろうかとも思うわけで。やっぱり何かにつけてまた生徒会へ覗きに行く必要がありそうだ。
「そちらの準備も一通り終わったみたいだね?」
「ああ、教官の指示通りにね。しかし何というか……彼らには同情を禁じ得ないな」
「何事もなくまるく平穏に、とは一切いかないだろうねぇ」
ジョルジュへの返答をしたアンの言葉には苦笑とともに首肯を返すしかなく、これからのことを思うと波乱万丈という言葉が似合うことになるだろう。けれど出来ることなら、彼らにとってかけがえのない学生生活になればいい。かつての私たちがそうだったように。
「ま、本年度から発足する"訳アリ"の特別クラス……精々お手並みを拝見するとしようかね」
こうして、私たちの最終学年の幕も上がったのだ。
【あとがき】
1203年ARCUS試験運用組の話は一旦ここで終了となります。
個人的にめちゃくちゃ楽しく書いた話でしたが、いかがだったでしょうか。
2020年4月末に何となく零碧を再プレイし(プレイしようかなと調べた日が改発売の二日後だったので勝手に運命を感じました)、創で独立調印式の話をするようだと知り、どうやら三ルート方式で内二ルートが閃関係者だということでとりあえず6月半ば辺りから閃をプレイしたところ見事に転がり落ちて今に至ります。どうしてこうなった。
閃Iプレイ中に「二年生組って斥候担当者誰?」「学院祭ライブでキーボード担当がいない!?」など数々の疑問を持った末に『これは……もう一人いる……?』という妙に(自分の中で)確度の高い幻覚を見始めてしまい、閃IVまでプレイして結局その立場の人物が出てこなかったので書くに至ったお話でした。原作ではあの段階では技量が飛び抜けていたであろうクロウがこっそりフォローする形で務めていたのかな、と考えていますがどうなんでしょう。謎が深まります。
ともかく、『VII組発足の前年度にあった、ARCUS試験運用チーム』の一年をこうして載せきることが出来て本当に良かったです。
クロウとアンゼリカの喧嘩や、二年生組がガレリア要塞に訪れていたとか、ジョルジュがルーレの先輩方に無茶ぶりをしたとか、その先輩方にクロウがブレードで勝ち続けたとか、トワさんが断り切れずに生徒会長になっただとか、帝国交通法のこととか、その他こまごまと原作軸で漏れ聞こえてくる前年度を形にできていたら嬉しいです。
そんな中で苦悩するクロウを書くのはとても楽しかったですし、オリ主が西ゼムリアにいる感じが伝わっていたらいいな、なんて。
とはいっても、この一年は本当に、原作軸と比べたらとても平穏です。クロウは動き出していないですし、本心もさらけ出しておらず、恋仲相手は何も知らない状態という。なので今回の話は単純な前提として書きました。この話がないと原作軸の話を書いても伝わりづらいというか、意味が不明だろうなぁと思ったので。
続きは細々と書いていますし、可能であればIVまで書きたい気持ちはありますが、どこまで走れるかはわかりません。ですがもしよろしければ、縁が合えばまた読んで頂けたら幸いです。
おまけとして帝国全土地図を載せておきます。縮尺とかわりと適当。
【挿絵表示】
改めてとなりますが、読了ありがとうございました。
(加えて予告通り一年というのんびりした更新にお付き合い頂いた方々はお疲れさまでした。)
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