グリモア【黒の転校生】 (レジェン・オルタ)
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プロローグ【始まり】
プロローグ1 覚醒


 ……地べたの上で、うつ伏せになって寝転んでいた。

 別に寝転びたくてやってるわけじゃない。背後から突然、爆風が俺の体を建物ごと吹き飛ばしたのだ。

「…………いっ、た」

 頭が痛くて割れそうだ。おそらく、吹き飛ばされた時に頭を打ったのが原因だろう。

 痛みを誤魔化そうと横に頭を強く振る。少しはマシになるかと思ったが頭痛は治らず、仕方なく激痛を抱えたまま体を起こす。

 起き上がってまず目に入ったのは、真っ黒に染まった空と、真っ赤に染まった世界だった。

 建物だけでなく、街中にある僅かな木々からも、黒煙が立ち上っていた。

 右からも左からも、逃げ惑う奴らの悲鳴が聞こえていた。多分、街のどこへ逃げてもこの悲鳴が絶えることはないのだろう。

「……ゲホッ」

 呼吸すると、肺が焼けそうになるほどの熱が酸素と共に入ってくる。おかげで、深く息を吸うたびに咽せ返る。

 汗を拭いながら立ち上がり、辺りを見回すが、景色が変わることはない。火は家から家へと移り、逃げ道を塞いでいく。

 早いところ逃げた方が良さそうだ。だがどこに? 逃げた先には、おそらく“奴ら”がいる。もはやこの街に安全な場所などないのだろう。

 その結論に至った時、俺は──対して何も感じなかった。

 死ぬことが怖い。そんな感情は特になく。

「あーあ……そっかぁ……」

 立ち尽くしたまま、黒煙に彩られた空を見上げていた。

 よくよく考えてみれば、身寄りのない俺からすれば、別にいつまで生きようがどこで死のうがどうでもいい話……なのだが。

「…………!」

 ふと、頭の中に一人の少女の顔が浮かぶ。

 行く当てもなく、一人彷徨ってた俺のことをしつこく気にかけてきたそいつは、無事なのだろうか。こんな状況じゃ、逃げるなんてとても──。

 何もなかった胸の中に、不安と焦りが満ちていく。

 頭はまだ痛いし、熱と煙のせいで視界も変にぼやけている。だが、そんなことよりも、今は一人の少女の安否だけが頭を埋め尽くしており、気がつけば俺は、

「刹那……ッ!」

 その場から、駆け出していた。

 

 

***

 

 

 霧の魔物。

 江戸時代に、どこからともなく現れたそれは、人類最大の脅威となった。

 人類は三百年以上もの間、魔物と戦いを繰り広げ、そして後退を余儀なくされていた。

 仕方のないことだ。銃や剣どころか、戦車といった兵器が通用しない。軍隊で挑んだところで、未知の生物に対して勝ち目も薄い。

 結果として、世界各地が魔物によって蹂躙され、いくつかの国は機能を失っていった。日本は、北海道を魔物に奪われる始末だ。

 

 それじゃあ、人類はどうやって今まで生き延びて、魔物との戦い続けることができたのか。それは、霧の魔物の出現とほぼ同時期に現れた、ある力を持った者達のおかげだ。

 その力は、まるで物語の中に出てくる魔法のようで。その力に目覚めた者たちは、何の捻りもなく、こう呼ばれる。

 

 魔法使い、と。

 

 

 

***

 

 

 炎に包まれた街の中を、俺はただひたすらに走っていた。

 逃げてるわけじゃない。一人の少女を見つけるために。

 駆け出したはいいが、どこに向かえばいいのか。そんなこと考えてる余裕はない。しらみつぶしに、街中を探して回る。

 街には、親と逸れて泣き叫ぶ子供がいたり、瓦礫に押し潰されて動けなくなった人もいて。中には、すでに死んでいる人もいた。

「ハァ──ハァ──」

 だが俺は、その全てを無視して、少女の行方を探っていた。

 あいつと無理に連れてこられた店。

 遊ぶために付き合わされた公園。

 思い当たる場所を探しても、そこには人の気配はない。残る場所といえば──

「……ヤベッ!」

 探すことに集中していたせいで、足元を気にかけていなかった。瓦礫に躓いて、勢いよく転倒する。

 運悪く、転んだ場所は坂になっていて、俺の体はそのまま坂の上を転がり落ちていった。

「──ッ、ちくしょうが……!」

 躓いてる余裕なんてないのに。すぐに立ち上がって、また探すために動き出す。

 だが。

「いっ──つ……」

 膝から全身へ、痺れるような痛みが走る。

 どうやら転んだ際に足を怪我したようだ。派手に出血していて、足首まで血が流れている。

「……ったく、今くらい大人しくしてろっての……!」

 痛みで震える膝を殴り、無理やり足を動かす。思い通りに足が動かず、仕方がないと、引きずりながら駅前を目指すことにした。

「た、助けて……!」

 しかし、それを遮るように、女性の声が俺を呼び止める。

 そこには、崩れ落ちた家の前で座り込む女性が一人。俺と同じように足を怪我しているようだが、状態は俺よりもひどく、あらぬ方向へと足が曲がっていた、

「あの子が……夫とあの子が、まだ中にいるの……!」

 震える手で、女性は崩れた家屋を指さす。助けてくれと、女性は泣きながら俺に向かって必死に叫ぶ。

 しかし、女性たちの一家が暮らしていたであろう家は、もう跡形も残っておらず、瓦礫が家を押し潰していた。おそらく、生きてはいないだろう。

「何してるの!? 早く助けてよ、ねえ!」

 俺の怪我が見えていないのか、女性の叫びは懇願から俺への罵倒へと変わる。

「自分のことしか守れないわけ!? 私の家族なんて、どうでもいいっての!?」

 当たり前だ。他人への興味なんて、俺には微塵もありはしない。ただ一人を除けば、だが。

 家族の身を案じるのもわかるが、家族が死んだと信じたくないのだろう。女性は早く助けろと、何の力も持たない見ず知らずの俺のことを罵りながら、身勝手なことばかり叫んでいた。

 ……呆れて言い返そうとも思えない。

 早く動こうにも足が言う事を聞かないせいで、ろくに動けない。女性の罵詈雑言が嫌でも聞こえてきて耳がキンキンする。

「どこ行くのよ、私たちを見捨てるの!?」

「……るせぇ」

 頭痛に加えて女性の甲高い声が響く。いい加減に黙ってほしい。一刻も早く、あいつを見つけなきゃならないのに。

「……もういい、いいわよ! あんたなんか魔物に殺されてしまえば──!」

「────!」

 女性の暴言が届くよりも早く、本能が突然避けろと警告する。それに従い、俺は足を庇いつつ横に飛んで逃げる。

 ──直後。

「うわ……っ!」

 女性がいた場所に、俺を遥かに上回る巨体が落ちてきた。

 爆発したかのような轟音を立てながら、魔物は女性ごとその家を下敷きにする。叫び散らしていた女性がどうなったのか。それは、魔物の着地と同時に飛んだ左腕が物語っていた。

「う、ぐっ……」

 ……魔物の奇襲を躱したまでは良かった。

 だが、魔物が着地した際に飛んできた瓦礫が、運悪く俺の足に直撃。ただでさえボロボロだった脚の骨が折られてしまった。

 青白く光る魔物の目が、こちらを捉える。唸り声を上げながら、魔物は徐々に脚を負傷した俺への距離を詰めてくる。

「くそ、おぉ……!」

 折れた脚は動かず、それでも地を揺らすような足音が近づいてくる。

 さっきまでとはわけが違う。あいつのことをまだ見つけてないのに、死ぬわけにはいかない。

 地面を這いずり、魔物から逃げることだけを考える。だが魔物の腕は俺に向かって伸びる。そして──

「撃てェ!」

 その腕は、謎の爆発によって防がれた。

「生存者発見! 保護します!」

「よし、このまま撃ち続けろ! この少年と魔物を引き離せ!」

 突然現れた武装した男たちの一人は動けない俺を引きずり、残りの数人は魔物に向けてライフルや爆発物を次々に撃ち込んでいく。

「おい、大丈夫か?」

 俺のことを引きずった男がヘルメットを脱ぎ捨て、すぐさま俺の状態を確認する。

「……骨折か。少し待っててくれ」

 そう言って男は、近くにあった長めの木材を俺の脚に当て、取り出した布で木材ごと俺の足を縛った。

「これで良い。だが……」

 男は応急処置を行うとすぐに立ち上がり、他の仲間たちの方へと走っていく。

「先輩! 少年の応急処置、完了しました。ですが、頭部及び脚部の出血が酷く、脚部は右脚が骨折しているようです。さらに、顔色も悪く……」

「ふむ……。すぐに駅前広場へ連れて行け。そこで救護班に引き渡す」

「了解!」

 上官への報告を終えると、男は再び俺に歩み寄り、そして優しく話しかけてきた。

「大丈夫。すぐに駅前広場へ連れて行くからね」

「……………………」

 この時、俺の意識はすでに限界だった。

 頭部から血を流してるなんて気づいておらず、多分それが原因だろう。血が足りないで頭が回らない状態だ。

 男は両手で俺のことを引っ張り背負いあげる。そして折れた脚が悪化しないよう注意しながら、仲間達と共に駅前への道を走っていった。

 

 

***

 

 

 俺がいた場所から、駅前広場まではそう離れていなかったらしい。

 男に背負われてから、十分も経たないうちにたどり着いてしまった。

 男達の会話を聞いたところ、駅前は現在、市民の避難所となっているらしい、が。

「……なんだ?」

 俺を背負った男の足が止まり、戸惑うような声で呟く。

 ぼんやりとした意識のまま、俺は目を開いて周囲を見渡す。

「……え」

 すると俺も、男と同じような声が出てしまった。

 小さな噴水のある駅前の広場。そこは、多くはないがいつも人が歩いていた。しかし、今は違う。

 魔物に襲われている街よりもずっと、不気味なくらいに静かで。人の気配が少しも感じられず、少し先の様子が全く見えないくらい濃い霧に覆われていた。

 その異様な光景に、男達は皆戸惑っているようだった。

「ど、どうなってる? 救護班はどこだ?」

「避難した人達もいないのか? しかもこの霧は……」

「あまり吸いすぎるなよ。吸い込めば体が侵蝕されるからな」

 悲鳴が聞こえていた時とは一変、物音一つ聞こえなかった。

「…………せつ、な……?」

 避難場所になっているならここにいるんじゃないかと思ったが、この様子だといないのかもしれない。

 貧血でクラクラする頭を押さえ、消え入りそうな意識を必死に保とうとする。

「……救護班に連絡は?」

「今してる。だが応答がない。こちらα。救護班、応答しろ!」

 通信機で相手に呼びかける隊員。だが、通信機からは声は聞こえず──

『おい、何かあったのか!? 返事をしてくれ!』

 代わりに聞こえてきたのは、機械を通じて聞こえる、呼びかけている男の声だった。

「……何?」

 俺を背負っている隊員がそれに気づき、そちらの方へ近づいて行く。

 ぼんやりとした視界の中、緑色のテントが現れ、声はその中からしているようだった。

「……救護所か?」

 テントの中に入ると、そこには医療道具が一式揃って置いてあった。どうやらここは、臨時の救護所で間違いないらしい。

 男はちょうどいいと、俺のことを簡易ベッドの上に乗せると、音の発生源を探る。

「……………………」

 それにしたって妙な話だ。今の俺にも、この状況がおかしいことはわかる。

 救護所に誰もいないなんて、絶対におかしい。医者の一人もいないし、怪我人すらいないなんて。

「……なんで」

 隊員が、机の上に置かれたトランシーバーを手に取る。それからは、外で呼びかけを続ける他の隊員の声が聞こえていた。

『おい、誰かいないのか!? 繰り返す、応答してくれ!』

「こちら坂口。救護所にいるが、誰もいないようだ。負傷している少年はこちらに連れてきているが、他には何も──」

 坂口という隊員は、トランシーバーを介して外の隊員に状況を報告しようとする。が、聞こえてきたのは坂口の状況に対する言葉ではなく、

『な、なんだ!?』

 戸惑いの声。そして、

『うわあああぁぁぁ────!』

 その悲鳴を最後に、通信は途切れた。

「お、おい! どうした!?」

 坂口がいくら呼び掛けても、返答は一切なく、怯えた様子で、腰に下げていた銃を手に取った。

「……ここにいてくれ」

 俺にそう告げると、坂口はテントの外へ飛び出す。

 だが俺が何もせず、ここで待っているわけにもいかない。まだ見つけていないのに。俺だけが休んでいいはずがない。

「…………刹那」

 近くにあった車輪付きのスタンドに体重を預け、折れた脚を引きずりながら外に出る。

 危険なことはわかっている。それでも、俺はじっとしてはいられなかった。

 外に出ると、やはり視界は真っ白で、何も見えない。とにかく前に進むしかない。

 広場といっても、大した広さではない。少し歩けば見つけられるはずだ。なんて思いながら足を進めていく。

 と、その時だった。

 

 ──バシャン。

 

 水溜りのようなものに、片足が踏み込んだらしい。両足を飛び散った生温かい水が汚した。

「え?」

 だが、俺の記憶が正しければ、昨日は雨など降っていない。もし降っていたとしても、すでに乾いているはずなのだが……。

 しかも、冷たいんじゃなくて、温かい。それじゃあ、これは……?

 不思議に思いながら水溜りに目をやると、そこにあったのは水溜りなんかじゃなくて。

 

 真っ赤な血溜まりと、武装した隊員の姿だった。

 

「────ぇ」

 言葉が出てこなかった。

 死体を見て怯えるようなことはなく、ただ呆然と、それを見つめていた。

 坂口とは違う、また別の隊員。まだ死んでから時間は経っていないようで、血溜まりはじわじわと大きくなっていく。

『────────』

 ぞわり、と背筋に寒気が走る。

 俺は、その寒気の正体を知っていた。

 人のものとは違うが、感覚はそれ近い。

 背後から感じる冷たい視線。

 その視線に込められた、明確なあるもの。

 地面に落ちた男のものであろう拳銃を手に取る。そして、一気に振り返って視線を感じる方向へ銃口を突きつける。

「…………あ」

 霧の中で蠢く、赤い瞳孔。鋭い牙の隙間から息を漏らし、じっとこちらを見ていた。

 自分よりもずっと大きい、獣。その手足は僅かだが赤く染まっていて。

 

 いつの間にか、俺の体は宙を舞っていた。

 

 獣の爪が俺を捉え、引っ掻いた勢いで俺の体は血と共に後ろへと飛ばされる。

 あまりにも唐突で、俺は受け身を取れずに地面に落下。飛ばされた勢いは死なずに、そのまま地面を転がっていく。

 俺が転がっていった場所には、赤い線が引かれていて。何か、肉のようなものが落ちていた。

 

「──ぁ、」

 

 これがトドメとなり、薄れかけていた意識がいよいよ閉ざされようとしていた。

 腹部からは焼けるような熱を感じ、呼吸もだんだんできなくなっていく。

 

 ──そうか、これが……“死”か。

 

 横に倒れた状態から、最後の力で仰向けになる。その時、転がった勢いで落ちた手が、何かに触れた。

 冷たく、硬い、人ではない何か。

 死の間際だというのにその正体が気になって、顔をそちらに向けてみる。

 俺の指先が触れたのは、金色の花を象ったネックレス。それについたチェーンを、誰かが握っているようで。

 

 ……そこにいたのは。

 

「……………………ぁ」

 

 この街中で唯一、見知った顔だった。

 いつも輝いていた目は光を失い、口の端からは血を流していて。

 それを見た途端、死にかけていた魂が目を覚ました。

「…………せ、つ…………な………………」

 ドクン、と。

 死にかけていた心臓が息を吹き返す。

 体は動かなくて。指先の感覚はもうないに等しい。

 それでも俺は、彼女に手を伸ばす。

「(嫌だ……)」

 声は出なかった。

 それでも、心は目の前の現実を否定する。

「(お前、だけは……失いたくなかったのに…………ッ)」

 目の前のから、光が消えていく。

 もう、息を吸うこともまともにできない。

「(俺は、()()……)」

 ドクン、ドクン、と。

 心臓が激しく鳴る。

「(そんな……そんなのは……もう嫌だ)」

 横から近づく、巨大な影。俺の息の根を止めようと、獣の爪が再び俺のことを捉える。

「……ッ、ぁ、ぁぁ……」

 最期の力を振り絞って、手を伸ばす。

 頭の中で渦巻く絶望を押し退けて、目の前にある小さな希望に、手を伸ばした。

 俺のことを押し潰そうと、獣は手を振り上げた。

「(……お前が……お前までいなくなったら……俺は……っ!)」

 動けない俺に、獣は容赦なく爪が降り下す。

 確実に近づく死。

 振り下ろされた爪は、間違いなく俺のことを切り裂く。もしくは押し潰しただろう。

 だがそれよりも早く、俺の手は冷たくなった彼女の手に触れて。

 

 俺に、最期の時が訪れることはなかった。

 

 

***

 

 

 眩い光が、駅前を包む暗い霧ごと呑み込んだ。

 少年を押し潰そうとした獣の手は、その光によって弾かれ、断末魔を上げながら消えていった。

「(何、が……起きた……?)

 状況が理解できないまま、少年は少女の手を優しく握る。

 その手には、消えたはずの温もりが確かにあって。少女はまるで何事もなかったかのように、静かに寝息を立てていた。

 少女は無事。それだけわかると、繋ぎ止めていた糸が完全に切れる。

 そのまま、少年の意識も途切れた。

 

「……ほう」

 その様子を、遠目から眺めていた男がいた。

 長い髪を後ろで束ねた黒スーツの男は、少年のことを見下ろしながら満足そうに笑う。

「クク……失敗しても構わないと思っていたが……まさか、ここまでとは」

「……何か、得られたのですか」

 男の後ろから、また別の男が姿を現す。

 メガネをかけた男を横目に、長髪の男は一言「ああ」とだけ答えた。

「さて。第一段階は終了した。第二段階へ移行したことを報告しなければ」

 長髪の男が振り返ると、もう一人の男は紳士のように一礼する。

「これより先は君に任せる。好きにやりたまえ、ヘイズ君」

 そう言いながら、長髪の男は部下の肩を軽く叩くとその場を去っていった。

 長髪の男がいなくなると、ヘイズと呼ばれた男は顔を上げ──

「了解しました」

 倒れた少年を見つめながら、怪しげな笑みを浮かべていた。



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プロローグ2 旅立ち

 音のない、静かな世界。

 光のない、真っ暗な世界。

 そこに俺は立っていた。

 記憶が曖昧なせいで、自分が何をしていたのか思い出せない。それどころか、俺がなぜここにいるのかも、何をしようとしていたのかも思い出せなくて。

 ただ呆然と、暗闇の中で立ち尽くすだけだった。

 だけど、一つだけわかることがある。

『……………………』

 白い髪をした少女が、暗闇の中で立っていることだった。

 白いワンピースを着た、俺よりもずっと小さい、十歳くらいの女の子。しかし、少女の顔はぼやけていてよく見えない。

『起きて……』

 女の子の声が、無音の世界に反響する。

 聞き覚えのある、懐かしい声。なのに俺はあの子を知らない。知らないはずだ。

 それなのに……胸の中が、苦しくなる。

「お前は……誰だ……」

 意識がぼんやりとしたまま、俺は女の子に向かって手を伸ばす。

 女の子はくるりとこちらを振り返り、静かに笑う。そして、再び身を翻し、暗闇の中を歩いていってしまう。

 

 ──ダメだ。行かせたらいけない。

 

 その時、なぜか俺はそんな思考に囚われていて、慌てて駆け出していた。

 歩く女の子に対して、走る俺。すぐに追いつけるはずなのに、距離は一向に縮まらない。

「待って……!」

 伸ばした手は女の子には届かず、女の子は暗闇の中に消えてしまう。

 その直後だった。闇の中に突然、強い光が現れ、世界を瞬く間に侵食していく。当然、その中にいる俺も例外ではなく──

「……ッ!」

 なすすべもなく、光に飲まれたのだった。

 

 

***

 

 

「………………」

 ……左手を伸ばした状態で、俺は見慣れない天井を見上げていた。

 光に呑み込まれた……そう思っていた。

 だがそれは当然夢の中の話で。暗闇の世界にいる時点で気づくべきだったのだろうが、それに気づけないから夢というのであって。

 意識が覚醒した俺は、冷静になって辺りを見回す。

 真っ白な部屋。だだっ広い部屋の中には、俺が寝転がっているベッドと、小さな棚くらい。すぐ真横にある窓からは、心地良い風と暖かな日差しが。

「……病院か? ここ」

 体を起こすと、自分の服装が変わっていることに気づく。患者服を着ているってことは、ここは病院で間違いないらしい……が。

「広すぎ……だよな」

 どうも気になって仕方ない。

 この部屋、ざっと見渡してもひとり用の病室にしてはやはり広すぎる。軽く六畳近くはあるんじゃないか?

 しかもベッドのサイズは個人用だし、まるで隔離されているような……。

「……あら、目が覚めたのね」

 と、病室の扉が横に開かれる。すると、金髪の黒い服を見に纏った女性が優しく微笑みながら入ってきた。

「よかった。あれだけの魔力を消費したんだもの。仕方ないと思うけど、あの子がちょっと騒いじゃってね? このまま起きなかったらどうしようって、泣き喚いちゃって」

 女は突然入ってきたと思えば、今度はベラベラとよくわからないことを話し始める。

 状況が読み込めずに頭がはてなだらけのまま女を見ていると、俺の言いたいことを理解したのか、女性は「ごめんなさいね」と一言謝罪をして、咳払いを一つ。

「マリア。マリア・サンディエルよ。国軍の対霧の魔物部隊で、隊長を務めてるわ」

「国軍……って確か」

 日本国軍。その略称だったはずだ。そういえば、俺のことを運んだ男たちもマリアが身に纏っている服装と同じように黒をベースに武装していた。そいつらも、多分そうだったのだろう。

「で? その隊長さんが何の用だよ」

「……そうね。ちゃんと話さないといけないわね」

 と、棚の横に積み重ねられた椅子の一つをベッドの横に置き、その上に腰掛ける。

「いい? 心して聞いて」

 柔らかな笑みから一変、真面目な表情へと変わり、彼女の周囲の空気までピリピリとしていた。

 マリアの雰囲気に釣られて、俺まで緊張してしまう。ごくりと生唾を飲み込み、真剣な眼差しで彼女の言葉を待つ。

 

「貴方、魔法使いに覚醒したのよ」

 

「…………は?」

 たった一言。それだけで、俺の思考は停止した。

 

 ──覚醒した? 俺が? 魔法使いに?

 

 魔法使い。

 突如として現れた未知の生物である【霧の魔物(ミスティック)】。それと唯一戦える力である【魔法】を操る者たち。

 この世界で生きている者ならば必ず知っていることだ。魔法使いに覚醒した人間は、魔法学園に通うこと。そして、魔法使いとなった者は、強制的に霧の魔物との戦いの中に駆り出されるということ。

 覚醒する条件の詳細は明らかになっていない。よくある例であるとすれば、死の淵に立った時に覚醒することが多いというが──

「…………あ」

 死の淵。そう、確かにあの時、俺はそこに立っていた。

 獣の姿の魔物によって致命傷を負わされ、死にかけていたあいつの手に触れようとして……そのあとは覚えていない。恐らく、そこで気を失ってしまったのだろう。

「……なるほどな」

 覚醒した理由に納得し、頭をぐしゃぐしゃと掻き回す。

 ただ、いくつか腑に落ちない点がある。

 それは、魔法使いへの覚醒云々よりも重要と言っても過言ではないだろう。

「なあ、一つ聞いていいか?」

「何かしら」

「……俺、何で生きてんの」

 確かにあの時、俺は致命傷を負ったはずだ。なのにこうして生きている。

 感覚はなかったが、相当な量の血が流れていたはずだし、脚だって折れていた。それなのに脚も体の傷も完治している。

 その理由を、覚醒しただけで済ませることはできないだろう。

「……そうね。それについても、まとめて話させてもらうわ」

 と、マリアは一度立ち上がると、棚の中から何かのファイルを取り出し、また席に戻る。

「まず、貴方の魔力量のことから話させてもらうけれど」

 ファイルの、付箋のつけられたページを開き、そこから二枚の紙を抜き取って俺に渡す。

 その紙に書かれて、というより印刷されていたのは、手のひらのレントゲン写真のようなものだった。

 一つは、手のひらの輪郭を太く白い光が覆っているような写真。

 もう一つは、真っ白な手の上に、黒い歪んだ線がいくつか入っている写真。……この写真に関してはレントゲンとは呼べないな。

「これは、キルリアン法というやり方で、魔力量を測定した時の写真。この白い線は、その人の中にある魔力なの」

 マリアは、真っ白じゃない方の写真を指さしながら説明する。

「こっちのは私の魔力を取った写真。で、そっちの白い方が──」

「……まさか」

 もしマリアの言っていたことが本当なら、この俺の手の輪郭まで埋め尽くしている白いモヤモヤが、俺の魔力量ということになってしまう。

 マリアの手の写真と比べて見ても、やはり異常なくらい白い。俺の方の写真は、目を凝らさないと手の輪郭がはっきり見えないレベルに白い。

「嘘だろ……?」

「それ、こっちのセリフよ……」

 マリアも呆れた様子で、目元を押さえていた。

 これだけでも十分情報が多いってのに、まだ俺が何で生きてるのかとか、あいつの安否とか、まだわかってないことがいくつかある。

 頭痛で頭がどうにかなりそうだ……。

「……それで、さっきの質問の答えだけど」

 俺から写真を預かると、マリアは咳払いをして話の話題を変える。

 ずっと気になっていたことだったんで、俺も思わず体勢を変えて真剣な表情に切り替える。何があろうと、その事実を受け止めるために。

「あの日、あの場にいた私たち国軍の部隊、救護班の人たち、そして避難していた貴方を含めた一般人の合計八十三人。実は──」

 ……だが、俺が思っていた以上に、事は大きかったらしく。

「全員、一度死んでいるのよ」

「……………ん?」

 言葉の意味が理解できず、リアルに首を傾げる。

 死んだ? 一度? それも全員だって? そんなことあるわけが……。いや、だが事実として俺が生きている。

「だけど、貴方が覚醒した直後、あの場にいた全員が生還している。不思議なことに、全ての傷が癒えた状態で」

「……ってことは、あんたも?」

「……悔しいけどね。上半身全部持ってかれたのよ。なのにこうして生きている。絶対にありえないはずなのに」

 軍の人間がわからないことを俺みたいなやつが知るわけないだろう。

 あまりにも情報量が多すぎて頭がどうにかなりそうだ。だがそんな俺のことは知らずに、マリアは淡々と話を続ける。

「……死んだはずの人々が生き返った。貴方が覚醒したタイミング的に、原因は貴方である……と、私は考えてるわ」

 そこまで言い終えると、マリアは気怠そうにため息をついた。

「……異常な魔力量。約八十名の同時蘇生。前代未聞の出来事が連続で起きたせいで、色々と混乱状態でね」

 そう言いながら、マリアは手持ちのファイルから一枚の紙きれを取り出した。それを渡され、俺はその紙に書かれた内容に目を通す。

「入学案内……?」

 その紙に書かれていた内容は、ある学園へ編入する際の案内について書かれたものだった。

 

 ──私立グリモワール魔法学園。

 必ず一度は耳にする、日本で唯一の魔法学園。覚醒した魔法使いは、この学園に入学、魔法の使い方なんかを学ぶという。

 東京にあるのかと思っていたが、実は違うらしい。埼玉県にある風飛という場所にあるというが……この入学案内を見るまで、そんな地名があることすら知らなかった。

 未知の学園に未知の街。さらには俺が持つという異常な魔力と、前代未聞だという蘇生魔法。

 覚醒したってだけでいっぱいいっぱいなのに、こうも未知が連続して起こると、頭がパンクしそうになる。

 だが、そんな状況でもわかることが一つ。

「一応聞くが、入学を拒否することは?」

「無理ね。魔法が暴発するリスクがあるし、貴方みたいな“イレギュラー”を放っておくほうが難しいもの」

 俺はこれから強制的に、魔法学園に入学させられるということだ。

 ……わかっちゃいたが、やはり嫌だとは思う。人がわちゃわちゃしているような学園に行って、そこで魔法を勉強するなんてこと。

 俺の生活的に、勉強とは縁がないようなところにいたし、何よりも人間のことが嫌いな俺に、学業なんて務まるとは思えない。

 だが、メリットはある。

 魔法の使い方を学べば、何かを守るための力を得られる。

 加えて俺は他の魔法使いと比べて、桁違いの存在になれる可能性もある。まだ断言はできないが、ある種の方向では、規格外の存在になれるかもしれない。

 そうすれば今度こそ、あいつを守ることができるってわけだ。

「……オーケー。わかった」

 しばらくの沈黙の後、俺はため息混じりに口を開く。

 その一言だけで、マリアは俺が何を言いたいのか理解したようで、次の段階へと話を進める。

「学園側にはすでに申請を終えている。退院のための準備も進めてあるし、あとは貴方の意識が戻るのを待つだけだったの」

 マリアはニッコリと笑いながら、棚の影から大きなキャリーバッグを引っ張り出した。

 ケースの中身は、適当な衣服や生活用品。服のサイズ的に、おそらく俺のものだろう。いつの間に準備したんだか……って、なんで俺の服のサイズ知ってんだこいつ。

「さ、あとは着替えて退院準備! 病院の先生呼んでくるから、少し待ってなさい」

 そう言って、マリアは病室を後にする。

 残された俺は、キャリーケースの中身を確認しながら、医者が来るまでの時間を潰そうと……したのだが。

「……あ!」

 横から聞こえてきた声が、それを許さなかった。

 扉の影から現れたのは、一人の少女──俺が守ろうとしていた人物だった。

 黒茶色の髪の少女は、俺の姿を見るなり満面の笑みを見せると、俺の元へと駆け寄る。そして、

「レイくん!」

「うごっ!?」

 俺の腹に、頭を突っ込んできた。

 傷はないはずだが、見事に頭突きが直撃した箇所がズキズキと痛む。そこに、彼女は追い打ちをかけるように自分の頭をぐりぐりと当ててくる。

「痛ぇから頭突きすんな!」

「だって……だってぇ!」

 俺のことを見上げた時の彼女の表情は、さっきまでの笑みとは一変、目に涙を溜めていた。

「このまま起きなかったらどうしようって思って……!」

「…………」

 それはこちらのセリフだ。もしお前が死んでしまったのなら、俺は……。

「……安心しろ。こうして生きてる。俺も、お前も。無事で良かった」

 俺の言葉に、少女──刹那鈴は、目に涙を溜めたまま何度も頷く。

「ぐすっ……レイくんも無事で良かった……」

 涙を拭いながら、刹那は俺から離れる。

 俺よりもずっと酷い怪我を負っていたはずなのに、刹那は何事もなかったかのようだった。

「お前、体は平気なのか」

「うん……なんともないよ。マリアちゃんがね、レイくんのおかげだって言ってた」

「マリ……そ、そうか。ならいい」

 とりあえず無事で何よりだが……。

 マリアちゃんって、俺が眠ってる間にどんだけ仲良くなったんだ。

 しかも俺、変なあだ名で呼ばれてるし。

「レイくんってなんだ、レイくんって」

「え?」

 何かおかしい? みたいな顔の刹那。多分だが、純粋に思い付いたあだ名を使ってるだけなんだろうが。

「だって、レイくんの方がいいじゃん。苗字呼びより」

 予想通りすぎる回答に、思わず顔が引き攣る。しかもあだ名の付け方が安直。

「…………まあ、いいけど」

 いちいち文句を言うのも面倒だ。こういうのは、大人しく受け入れるに限る。

 しかし刹那は俺が承諾したことに対して嬉しそうに笑う。

 その顔があまりにも無邪気だったもので、無意識のうちに、つい口角が緩んでしまっていた。

 コンコン、と二回ノックする音が俺たちのことを遮り、俺たちの意識はお互いから音のした方へ向けられる。

 そこには、刹那とは別の意味であろう笑みを浮かべているマリアの姿。

「あら? お邪魔だったかしら」

 なんて言ってるが、邪魔する気満々だったのだろう。あの笑みがそう言ってる。

 しかし刹那はそれにすら気づかずに──

「大丈夫だよ! ただお話ししてただから」

 と、答えた。純粋にも程がある。

 その純真すぎる返しに、マリアも思わず吹き出していた。

「ごめんなさいね。先生を連れてきたから、席を少し外しててくれるかしら?」

 マリアの後ろに立つ、白衣の男。マリアが呼びに行った医者だろう。

 刹那は、マリアに言われた通り、病室を去っていった。去り際に「また後でね!」と目配せをしていたが。

「さて……と、始めましょうか。入学準備」

 ゆっくりしている時間などないのだろう。それは、マリアの表情の変わりようから理解できた。

 

 

***

 

 

 話を聞く限り、やはり俺は本来の魔法使いと比べても相当特異な存在らしい。

 つい一週間前、俺と同じような魔力量を持った人間がグリモアに現れたと言うが、その使える力もまた特殊だったという。

 その前例があるため、俺もまた特異な力を持つ存在である可能性が高い──とのこと。

 詳しいことは学園にて調べるが、この病院では調べることは無理だと言われた。無闇に魔法を使って、他の患者に影響が出てしまう恐れもあるからだという。

 まあ、判断としては間違いじゃない。未知の力を恐れるのは当然のことだ。俺ですらこの力がなんなのか把握できていない。

 だからこそ、少しでも早く監視できるように目覚めてすぐに退院できるよう手続きを進めていたのだろう。

 

「それじゃあ、これでいいわ」

 受付であれこれと手続きを終えると、俺はマリアが手配していた車の前に立っていた。

「学園にはこちらで送るわ。目を覚ましたばっかりなのに、色々と押し付けちゃったし」

「別にいい。着替えに日用品まで揃えてくれたんだ。文句を言う方がおかしいだろ」

 キャリーバッグを積荷を乗せ、風飛市とやらに行く準備を済ませる。

「……なあ、変じゃないか?」

 患者服からマリアがくれた服に着替えたのだが、思ってた以上に洒落てる服にかなり驚いている。

 白のシャツに黒のアウター。ジーンズもだが、まさか靴まで揃えてるとは。色合いも良い感じに合わせてるし、俺みたいなやつが着るような服ではない気がする。

「そんなことない! カッコいいよ! すっごく!」

 だが、刹那はどういうわけか目を輝かせ、超がつくほどの至近距離から俺のことを見ていた。

 その光景を、マリアが微笑ましそうに後ろで眺めているのが気になって仕方がない。

「……ほら鈴ちゃん。時間だから」

「えー……」

「えー、じゃないの。彼だって困ってるわよ?」

 マリアに言われて、刹那は本当に残念そうにしながら、ようやく俺のそばから離れる。

 ……何をそんなに残念がってるんだ、こいつは。

「それじゃ、行きましょう」

「ああ」

 別れの挨拶に、刹那に軽く手を振ってマリアは車に乗り込む。俺も乗り込もうとドアノブに右手をかける。

 だが。

「……待って」

 刹那の手が、俺の左手首を掴んでいた。

 ドアを開けようとしていた手を離し、俺は刹那の方を振り返る。

 気まずそうに笑いながら、刹那は俺の手首をそっと握っていた。

「……行っちゃうんだね」

 その声には、色々な感情が混ざっていたのだろう。悲しみとかだけじゃない。心配しているのも、その一言に込められていた。

 その笑顔は、とてもぎこちなくて。俺のことを笑って送り出そうとしてくれているんだろうが……。

「……ああ」

 仕方ないことではあるが、やはり寂しいのは当然あるだろう。

 俺がこの街に来てからずっと、刹那とは一緒にいた。幼馴染のように。

 両親が共働きでそう簡単に帰って来られない彼女にとって、共にいられる存在が遠くに行ってしまうことは辛いかもしれない。

 ……でも。

 目を閉じると、脳裏にあの時の刹那の姿が浮かぶ。

 流れる血。光を失った虚な瞳。今のこいつと比べて、生気をまるで感じなかったことに俺は……恐怖していた。

 もう二度と、あんな目に合わせたくない。

 もう、こいつを苦しませないためにも。辛い思いをさせないためにも。

 そのために俺は。強くなる。

「──刹那」

 彼女の手を、包むように握る。そして、

「必ず帰る。だから、待ってろ」

 できる限り、微笑んでみせた。

 大丈夫、そう思いを込めて。

 きっと不器用なのだろう。俺の笑みを見て、刹那はおかしそうに笑っていた。

「……笑うところじゃねぇだろ」

「だって……レイくんの顔が面白いから」

 刹那に笑われて、急に恥ずかしくなってきた。

 無理に笑ったりするもんじゃないな。そもそもの話、人前で笑うことなんて滅多にないわけで、こうやって安心させようと笑おうとすれば変になるってわかってた。

 ……けど。

「……わかった」

 刹那は空いているもう片方の手で俺の手に触れて。

「待ってるから」

 優しく微笑んで、そう答えた。

 ……まだ、不安は消えていない。

 だけど、逃げることはできない。それは、刹那もきっとわかってる。

 それでも俺は、こいつの笑顔を守りたい。そのために、行かないと。

「……ああ」

 たった一言。素っ気ないし、気の利いた言葉ですらない。当然、この状況に合う言葉でも。

 だけどこいつには、俺の思いが僅かに伝わったのか、明るい笑顔で一言。

「──いってらっしゃい!」

 不安や心配を押し殺して、彼女はこれから旅立つ俺に一番合うであろう応援を送る。

 ……それを受け取った俺は、やっぱりぎこちない笑顔で、

「……いってきます」

 そう答え、握られた手を離した。

 

 

***

 

 

 車に乗り込み、刹那に見送られ、俺は病院を去った。

 車の速さじゃ、刹那が見えなくなるのなんてあっという間で。すでに俺たちの乗る車は、高速道路の上を走っていた。

「いやー、青春ねー」

 流れていく窓の外の光景を眺めていると、隣から声をかけられた。

「……何が」

 少しだけ横目に声をかけてきた女の方を見ていたが、俺は振り返ることなく、窓の外を眺めながら女に言葉を返す。

「だって、あのやりとりは完全に恋人じゃない。なのに付き合ってないんだものね……。友達以上、恋人未満。うん、青春だわ……」

 一人で楽しそうに何度も頷いている。そんなやつに、呆れてため息しか出てこない。

 

 ……外の景色を呆然と眺めながら、これからのことを考えていた。

 新しい生活が始まる。けど、大して胸が躍るようなこともなく、期待に胸を膨らませることもなく。外の景色を眺め黄昏れているようだが、実はそうでもない。

 あるとすればそれは……羞恥。

 刹那に言ったあの言葉が。伝えていないが、心の中で思っていたことが。最後のあのやりとりが。今になってぶり返す。

 頭を横に強く振って、恥じらいを消そうとする。それで、心の中で必死に何度も自分に言いかける。

『あれは刹那の不安を消すため。決して勢いとかで言ったわけじゃない』

 そうやって、何度も何度も言い聞かせていたのだが……。

 “必ず帰る。だから待ってろ”……ねぇ。

「……ハッ」

 なんてクセェセリフだよ。漫画やアニメじゃあるまいし。まるで主人公みたいな……そんなセリフ。

「似合わねぇ……」

 自分で言っておいて自分で苦笑する 

 ……でも、その言葉は決して嘘ではない。

 あれは俺なりの“誓い”だ。

 二度と刹那をあんな目に合わせないために。守ることのできる力を得て、胸を張ってあいつのところへ帰る。

 そのために……俺は、グリモアに入る。

 そこで魔法を学んで、そこで強くなって。

 あいつを守るという誓いを果たすために。

 あいつからもらったものを返すために。

「(……ああ、約束だ)」

 待っていてくれ、刹那。

 必ず、帰るから──。

 

「ああ、そういえばだけど」

 俺が振り返らなかったからか、今度は俺の肩を二回叩く。

「貴方の名前、聞いてなかったわね」

「は?」

 マリアの言ったことの意味がわからず、思わず振り返ってしまった。

 思った通りの反応をしてしまったからか、しかめっ面になる俺を見て、マリアはいたずらな表情になっていた。

「聞いてないって、お前な……」

 手続きやら何やらをしてたんなら、俺の名前くらい知っているはずだ。

 それなら、わざわざ名前を聞く意味なんてない。

「あら。初対面の人にちゃんと名乗るのは人としての礼儀じゃない?」

「……それは」

 正論に何も言い返せない。

 確かに、初対面に対して名乗るのは当たり前のことだろう。嫌いなやつならともかく、世話になったやつに名乗らないのも失礼な話だ。

 特にマリアには、これから先も、きっと世話になることになる。だったら、そこら辺のことはちゃんと済ませておくべきだ。

「──麗矢だ」

「ん?」

「黒金麗矢。俺の名前」

 俺の自己紹介を聞けて、マリアは満足そうに笑う。俺としては、自分の名前を知ってるやつにわざわざ名乗るなんて面倒なことだが。

 そういえば、こうやって名前を名乗るのも刹那と会った時以来だ。

「……それじゃ、改めてよろしくね。麗矢君」

 さっきまで貴方呼びだったのが、名乗った途端に名前呼びになった。しかも下の方。この女、最初からそのつもりだったな……?

「……たくよ」

「うふふ……」

 楽しそうに笑うマリア。そんな彼女に呆れる俺は、特に何か言うような気力もなく、視線を外に戻す。

 そんな俺たちを乗せた車は、魔法使いとしての生活を送る学園──私立グリモワール魔法学園へと、向かうのだった。

 

 

***

 

 

 ……これより始まる、新たな物語。

 本来は存在し得ないはずの、もう一人の転校生。黒金麗矢。

 彼より一足先に学園に編入した、黒金麗矢とは別の力を持った転校生。

 彼の持つ魔力譲渡が、魔法使いに希望をもたらす“光”ならば、黒金麗矢は、それとは対をなす“影”となる力を宿す。

 光と影、対となる二つの存在は──本来の物語とは全く異なる、新たな物語を紡ぐこととなる。

 

 しかしそれは、その世界に暮らす誰もが知ることはなく、麗矢と魔力譲渡を持つ少年も、それを知ることはない……。

 



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序章【魔法学園】
序-1 魔法


 流れゆく景色。

 自分が乗る車のすぐ横を抜けていく車や、ひたすらに高速道路の防音壁、なんていう何の面白みもない景色を、退屈そうに眺めている。

 実際、マジで退屈なわけで。

 話し相手である隣に座る女はというと。

「はい、このまま彼を学園に送り次第……。了解です。はい、はい……」

 俺の名前を聞いたあのやりとりを最後に、長々と誰かと話をしている。内容から考えて彼女の上司なのだろうが。

 馴れ合うつもりはないのだが、やはり誰かと話しているってだけでいくらかは暇を潰すことができる。

 ……なんて、昔なら絶対にしなかった思考だ。これも刹那の影響なのかね。

「はい、それでは」

 と、ちょうど通話が終わったようだった。

 スマホを懐にしまい、ふぅ、と息をつく。

「はぁ……疲れるわね」

「上司か?」

「ええ。ちょっとね」

 笑ってはいるが、どこか不満そうなのは隠せていなかった。上司に何を言われたかなんて、聞く必要はない。

 ……だが、彼女の用事が終わったのなら、聞きたいことが聞ける。

「一応、聞いておきたいんだが」

「え?」

 俺の方から話しかけるのがそんなに意外だったのか、マリアは目を丸くする。

 だが俺は、そのまま話を続ける。

「魔法について」

「……ああ」

 聞くことの内容がわかると、マリアは何故だか残念そうな表情をしていた。何を残念がる必要があるのかは知らないが。

「それじゃ、基礎的なことだけ教えようかしら」

 だが、すぐに切り替えてさっきまでと同じような淑やかな笑顔を見せる。

「まず、魔法についてだけど」

 

 

***

 

 

 魔法。

 何らかのきっかけがあって覚醒した人間が扱うことのできる、体内にある魔力を用いて何かしらの現象を起こすことのできる力。

 簡単な例で言えば、火を出したり水を出したり。物を動かすことなんかもできる──かもしれないらしい。

 確認できている基本的な魔法は三種ほど。

 

 まず、先程例に挙げた火や水なんかの自然現象を引き起こす、基本的な【自然魔法】。

 

 次に、相性がいい者が比較的多く、大抵の魔法使いが使用できるという【強化魔法】。

 

 最後に、魔法の使い手の人工物や想像上の物体を呼び出すことができる【召喚魔法】。

 

 この三つを【現象魔法】といい、形而下魔法とも呼ぶらしい。

 また、現象魔法とは別に【非現象魔法】というものが存在するという。

 幻惑、予知。そんな特殊な魔法が多く、扱いが難しいとされる魔法らしい。

 

 そしてそれら全ての魔法には必ず【相性】というものが存在している。相性といっても

 AがBに強い、とかそういうのではなく。

 魔法を使うためには【命令式】というあらゆる物事を決定するための公式が必要になるらしい。

 自身の魔力をその公式に従い、練り上げることで魔法に変換するという。

 その際、命令式が簡単に見つかるか否かでそいつの使える魔法の得手不得手がわかるというが。

 

「私の場合は、雷の発生と召喚魔法。現象魔法に分類するわね」

 マリアが身につけていた手袋を外し、指と指の間に雷を発生させてみせる。

 バチバチと白く光る雷。

 何かの手品というわけでもなく、指先からスタンガンのように雷を放っていた。

「……てか、あんた魔法使いだったんだな」

「まあね。……言ってなかったかしら?」

 聞いてませんけど? そんな感じで、二回くらい頷いて答える。しかし、マリアはそんな俺をみてクスクスと笑い「ごめんなさいね」とだけ謝罪、話を続ける。

 

 魔法の中でも、扱うことが、そして相性が合う者が少ない魔法があるという。

 それが、非現象魔法と回復魔法。回復魔法は、人体の構造について詳しければ効果が高まるというが、相性が悪ければ習得は絶望的らしい。

 ……が、俺の使った魔法は、傷口の修復、何でものとは比べ物にならない。

 蘇生。死んだ人間を蘇らせるという、回復どうこうじゃ説明できない域の魔法だ。

 生命活動の停止した人体の完全な修復。なんて、本来はあり得ないらしい。回復魔法を使える適性があったとしても。

 

 稀、なんて話じゃない。

 前代未聞。世界初の、人体蘇生を可能とした魔法の使い手。

 上じゃ、そう騒がれている。そうマリアから聞いた。上というのは軍の上層部らしい。先程の電話も、俺への対応に関することらしい。

 随分ととんでもないことになったものだ。

 軍が騒ぐほどの力を持つ者の一人。そんな大事の中心に立つことになろうとは。

 現実離れしてはいるが、全て現実だ。

 魔法学園に入学したら、卒業するまでに六年の教育を受け、魔法を制御することが条件だというが……これはそう簡単に刹那のところに帰れそうにないな。

 

 

***

 

 

「と、ここまで説明したけど、質問は?」

 魔法に関する基礎的知識を説明し終え、マリアは他に知りたいことはないかと俺に聞く。

「いや、もう知りたいのは──」

 と、言い終える前に、あることが思い浮かぶ。

「……一つだけあるな」

 それは、病院にいた時の会話。

 俺の保持する魔力量。それについての会話の中で出た、もう一人の転校生の存在。

「俺と同じ魔力の持ち主がいるって話があるって言ってたが……それについては?」

「…………」

 難しい質問なのか、マリアの表情が曇っていく。そして、悩んでいた彼女の口から出てきた言葉は──

「詳細は、私も知らないの」

「…………はあ」

 解答不可。それだけだった。

 ……そうなると、ますます気になる。

 俺も十分異質らしいが、軍人で、しかも隊長を務める彼女ですら知らない情報……。

 異常な量の魔力。そして、俺とはまた別に騒がれてるという力。一体、どんな力なのか。持ち主はどんなやつなのか……。

 気になることは増えていくばかりだった。

「ごめんなさいね。答えられなくて」

「いいさ。わからないもんは仕方ねぇだろ」

「けど、その疑問の答えはもう少ししたらわかるわよ」

 そう言って、マリアは窓の外を指さす。

 俺も釣られて、指さした方へと視線を移した。

 いつの間にか高速道路から降り、俺たちを乗せた車は都会の街中を走っていた。

 その光景は、まるでテレビなんかで見る東京のようだが……少々違うらしい。

 運転席横のナビマップを見てみると、すでにここは、話に聞いていた埼玉県にある『風飛市』という場所だった。

 しかし、だ。その街並みは俺がいた街よりもずっと大都会で、東京に負けないんじゃないかというくらい、店やビルが並んでいる。

 想像していたものより数十倍も都会だ。

「さ、あと数分でグリモアに着くわ。準備、しておきなさい?」

 準備、とはいうが何も用意するものはない。荷物は全て後ろの荷室に置いてある。あとはただ、のんびりと到着を待つだけだ。

「了解、と」

 適当な返事をして、背もたれに寄りかかる。適当にぼーっとして到着を待とう。……なんて、そう考えていた。

『緊急、緊急──応答せよ!』

 が、気の抜けた空気が一瞬で張り詰める。

 ナビの横に取り付けられたトランシーバーから、緊迫した男の声が車内に響く。

「こちらマリア! どうしたの!?」

 すぐさまマリアがトランシーバーを手に取り、通信に応じる。

『隊長! 風飛市郊外、神凪神社に魔物出現! 現在グリモアの生徒が応戦中とのことです!』

「神凪神社……すぐそこね。了解、現場に急行するわ!」

『我々もこれより神凪神社へ向かいます! 御武運を!』

 それを最後に、通信は途切れた。

 マリアから、先程までの淑やかな笑顔は消え、真剣な顔つきに変わる。

「影浦! 現場に急行!」

「了解」

 今まで無言だった運転手が突然口を開いたことに一瞬驚いた。その隙を突くように、車が突然横に大きく揺れる。

 シートベルトをしていたとはいえ、のしかかる重力に押され、窓に強く頭をぶつけてしまった。

「い、っつ……」

 揺れが収まると、車はさっきとは真逆の方向に進んでいく。通信にあった“神凪神社”という場所に向かっているのだろう。

「魔物が出たって?」

 頭を打った箇所を摩りながら、詳しく内容を聞いてみる。

「ええ。ごめんなさい、学園に行くのはまた後で。先にこちらを済ませちゃうわ」

「現着まで残り五分です」

「戦闘準備を進めるわ。影浦、急いで!」

「了解」

 その会話の直後、俺たちの乗った車が一気に加速。正面からの重力に押しつけられ、座席に体が押し付けられる。

「や、ば──」

「麗矢君ごめんなさい、我慢して!」

 車内からも、タイヤが激しく擦れる音が聞こえた。どれだけスピードで車が走っているのかも、身体中にのしかかる重力が物語っていた。

 そして車は、風飛市内の道路を凄まじい速度で駆け抜けていった。

 



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序-2 襲撃

 ──風飛市郊外、神凪神社周辺。

 

「……うぇ」

 魔物襲来の報告を受けてから五分。

 しかしその五分間の間に、俺はとんでもない地獄を見た。

 前方から襲いくる重力。曲がるたびに揺れる車と身体。外から見れば、ものすごいドラテクを披露しているのだろうが、乗っている人間としては悪夢だった。

 ……まさか、車に乗ってリアルに吐くことになろうとは思ってなかった。

「ご、ごめんなさいね……緊急事態だったから……」

「わ、わかって……おぶっ」

 喋っているだけで、また吐きそうになる。そんな俺の背中を、マリアはそっとさすっていた。

「隊長。他の部隊への報告を完了、これより制圧に向かう」

「ええ、わかった。影浦、行くわよ」

「御意」

 影浦と呼ばれた男は、いつの間にか武装しており、アサルトライフルと持って神凪神社という場所の参道を走っていく。

「麗矢君。ここは危険だから、なるべく遠くに避難して。大丈夫、後で迎えにいくわ」

「え? あ、ちょっ、おい!」

 吐き気を堪えながら、影浦の跡を追って走るマリアを呼び止める。しかしマリアは止まることなく、参道を走って行ってしまった。

 扱いが雑すぎないか? とは思ったが、まあ彼女なりの判断なのだろう。俺なら冷静に避難、危険の及ばぬ場所まで逃げられると。

 信頼しすぎだとは思うが、まあ逃げられないわけじゃない。

 ……酔っていなければの話だが。

「……やれやれ」

 魔法使いに覚醒したばかりで魔物と遭遇。おまけに、一人取り残されて逃げろと来た。

 魔法を覚えたのなら戦うこともできるだろうが……残念ながら、俺はまだ戦い方どころか魔法の使い方も、自分の使える魔法すら把握できていない。

 無闇矢鱈に突っ込むより、マリアの言う通り遠くに避難するべきなのだろう。

 気持ち悪いのを我慢しながら、来た方向とは真逆の方へと振り向き──

「お?」

 謎の物体を目にして、足を止めた。

 その謎の物体は、ウヨウヨと動いており、何かの生き物であることは間違いない。さらに言えば、その物体はアスファルトを下からぶち破っているわけで。

「…………」

 まるで木の根のようなそれは、明らかに自然のものではなくて。

 ──あ、魔物だこれ。

 そう気がついた頃にはもう遅く。

「へぶっ!」

 木の根のような魔物の強烈なスイングをモロに受け、俺の体は車に激突した。

「……おえぇ」

 その影響で、残っていた胃の中身がほぼ全て吐き出されそうになってしまう。だがそれを堪える……まではいい。

 昨日の今日で、なぜこんなに魔物に遭遇するのか。どうやら最近の俺の運勢はとことん悪いらしい。

「……まずいな」

 と、そんなことを分析している場合じゃない。

 木の根のような魔物は、明らかにこちらのことを認識している。別に動けるわけでもないが……もし、これが本当に木の根のようなものなら。

「──っ!」

 読み通り、俺の足元のアスファルトがひび割れ、盛り上がる。

 本能に従い、咄嗟に横に飛び退く。と、ほぼ同時に、俺の先程までいた場所からやつと同じ木の根のようなものが地面を突き破ってきた。

 あの場に留まっていれば、俺の体は間違いなく貫かれていた。……そう思うとゾッとする。

 だが、恐怖で動けなくなっている場合でもない。

 今の攻撃で、俺の予想がほぼ当たっていると確信した。

 おそらくこの魔物の本体は木のような魔物であり、そして根を張って獲物を攻撃する。しかも、本物の木の根のように、あの触手のような根はいくつも存在している。

「……さて、と」

 逃げようとしても、逃げ道を塞がれればそれで終わり。正面から戦おうとしても、魔法の使い方もわからずにやられる。そんなオチもある。

 考えろ。この状況を打開する方法を。

 街へ逃げようとしても、やはり逃げ道を塞がれる可能性が大きい。

 だからといってマリアと合流しようにも、こんな触手のような木の根が追ってくるんじゃ、彼女の手間を増やして、逆に状況は悪化してしまうかもしれない。

 ……そう考えているうちに、根の数は三本、四本と増えていく。

 迷ってる暇はない。とにかくここを抜け出すことを考えろ。前の時の俺とは違う。

 

 今の俺には、力がある──!

 

「……命令式、ね」

 車の中で教わった魔法の知識。ほんの一部分の情報を整理して、今必要な情報だけを抜き取る。

 命令式、相性、現象魔法……。

 要は頭の中で魔法を使うための公式を組み立て、それに従って魔法を使えばいい。そうすれば、あれこれと魔法が使える。

 そう簡単な話じゃないんだろう……が、こうしている間にも木の根の数は増えていく。一本だけだったのが、すでに十本ほど。

「ま、とりあえず──」

 左手を掲げ、それと同時に、頭の中で組み立てた──わけでもないが、とりあえず炎が手からでるように想像してみる。

「燃えておけッ!」

 炎が手から出るイメージ。

 そのイメージを持ったまま、掲げた左手を根に向けて一気に振り下ろす──!

 

 ごうっ。

 肌が強い熱風を浴びた。

 左手からはイメージ通り……とは程遠いが、微弱な炎が放たれた。

 だが火力は申し分なく、一本だけだが、木の根を呑み込み、焼き払った。

 木の根は炎に包まれ、苦しそうに悶えながら、静かに霧散していく。

 とりあえず、成功……。安心するのも束の間、

「うおっ!?」

 燃やされたやつの仇を討つためか、別の木の根が俺の身体目掛け、刃のように鋭い先端を突きつける。

 間一髪、横に飛び退いて攻撃を受けることはなかった。俺に当たらなかった木の根は、アスファルトを貫き、見事に穴を開けてみせた。もしあと一歩遅かったら、と思うとゾッとする。

 だが魔物の攻撃は、俺のことなんて知らずに木の根を俺に叩きつける。

「がっ……!」

 なぎ払われた木の根は、見事に俺の腹に叩きつけられた。

「うぐっ、──ぁ」

 何が起きているのか理解できなかった。

 殴られた俺の身体は、その場に留まることはなく、空中を待っていた。

「ごはっ……!」

 ガシャンッと背が鉄の塊と衝突した。

 背骨が折れるような衝撃を受け、車にぶつかった身体はずるりと地面に落下する。

「うぐっ、おぇ……」

 内臓を圧迫する一撃に、胃の中のものが逆流するが、車酔いして吐いたことが幸運だったか、対して吐き出されることはなかった。

「──ハッ、ハァ……く、ぁぁ……!」

 呼吸ができない。視界が霞む。たった一撃で、両手が痺れて仕方がない。

 霞む視界の中に、ゆらりと人ではない何かの影があった。それは、振り上げられた凶器で、

「────────!!」

 全身を使って、横に飛び退く。

 叩きつけられた根は、俺が衝突しても傷付かなかった車を、たった一発で凹ませてしまった。

 しかし、残りの根はまだ数本も存在している。

「く、そがぁ……!」

 地面の上を転がり、無防備な俺を叩き潰そうと、魔物は次々に根を叩きつけ、その猛攻をひたすらに避けることしかできなかった。

 くそっ、もぐらたたきのもぐらになった気分だ……! 

 このまま逃げ続けていても、いずれ体力が切れる。どうにかして現状を打開する策を練らなければ…………。

 打開……策を……。

「……は、ははは」

 現状の打開? 前の俺とは違う?

 馬鹿馬鹿しい。

 俺の力は普通ではないと。

 たった一回、魔法が使えたってだけで。

 心のどこかで慢心していたんだろう。

 その結果がこれだ。戦える力がある、なんでほざいておきながら、ただ逃げ回ってるだけじゃねぇか。

 何が異常な魔力量だ。何が前代未聞の魔法使いだ。

 結局俺は……何も変わらないままだ。少し知識を得ただけの付け焼き刃でどうにかできるなんて、世の中そんな甘いわけねぇだろうが……!

「……くそっ、笑えてくる」

 だからって、ここで折れるわけにはいかない。ここで死ぬんなら、それはあの時から少しだけ寿命が伸びたってだけだろう。

 生き延びたのにまた死ぬなんて。

 こんなところで、意味もなく死ぬなんて。

 

『レイくん!』

 

 脳裏に、あいつの顔が浮かぶ。

 帰るって約束したのに、こんな場所でくたばるなんて……!

「ふざ、けんじゃ──ねェ──!」

 俺の腹を穿とうとする根を、また地べたを転がって避ける。

 側から見れば、とんでもなく不恰好だろうが、そんなの関係ない。

「クソ触手どもが……さっきっからバカスカ好き勝手しやがって!」

 木の根は俺を仕留めるために、後ろに下がる俺のことを追ってくる。

 地面を砕き、穿ち、俺を殺そうと周りのものを次々に破壊していく。

 ……俺が何を企んでいるのかも知らずに。

 先程、魔物によって叩き潰された車。そこから、妙な臭いを放つ液体が流れ出ていた。

 あの一撃によって、燃料タンクに穴が空いたのだろう。アスファルトの上に、ガソリンが広がっていく。

「いい加減に──」

 車を横切り、根を引きつける。

 まんまと俺の誘いに乗った木の根は、俺のことをよほど仕留めたいのだろうか、一つの束になって俺に襲いかかる。

 だが、

「しやがれェェェ──‼︎」

 根が俺に届くよりも先に、振り払われた左手から放たれる火球が車の下に広がる液体に触れる。

 直後、激しい爆発音とともに爆炎が全ての木の根を呑み込んだ。

 目も開けていられないような熱風が、炎を中心に吹き荒れる。木の根は炎に呑まれ、悲鳴を上げることもなく、次々に他の根も燃えていった。

『ギィィィィイイイィィィィ────‼︎」

 甲高い悲鳴のような音が、耳を通じて脳に響く。気色悪い悲鳴が上がると同時に、木の根が苦しむように暴れ始めた。

 その悲鳴が聞こえた方向に、自然と俺の視線は向けられる。

 そこには、大木──のようなものに顔の付いた化け物の姿。あれが、本体!

「そこかァ──!」

 本体を捉えると、俺は魔物に向かって左手から炎を放射する。だがこれだと、ただ炎で炙るだけ。トドメを刺すには火力が足りない。

 火力を補うため、右手からは別の命令式を組み立てた魔法で強風を起こす。炎があえて地を這わせ、風を魔物を囲うように渦巻かせる。

 風が火を掬い上げ、烈風は炎を纏う竜巻となり、魔物を襲った。

『ギ、ギギ──………』

 醜い断末魔を上げながら、樹木型の魔物は形を失い、霧となった消えていく。

 それと同時に、燃えカスとなっていた木の根も全て消滅していった。

「……………ッ、ハァァァァ……」

 魔物が完全に霧散したのを見届けると、力が抜けたようにその場に座り込む。

 背後に取り憑いていた死の恐怖が消え失せた途端、緊張の糸が切れてしまったのだろう。

 休んでいる暇なんてない。そう頭ではわかっているのだが、身体が言うことを聞いてくれない。

 呼吸を整え、ごちゃごちゃになった思考と強ばった身体をほぐす。

 木の魔物と遭遇してから、おそらく五分程度。その間に一体どれだけ思考を巡らせ、無理やり身体を動かしたのだろうか。

 大体、魔法が使えるようになってからまだ一週間程度。そして僅かな魔法の知識を得たのは三十分くらい前。

 ……改めて考えるとめちゃくちゃだ。

 転校初日から──まだ学園に着いてすらいないってのに、初っ端から戦闘することになるとは思わなかった。

 だが、初戦闘で魔物一体を討伐できた。魔法初心者の力で倒せるくらいの雑魚な魔物だったんだろうが、悪くはない。

「……さて」

 脅威を退けて、完全にではないが、身の安全は確保した。

 ここからどうするべきか。

 魔法が使えるようになったからマリアの加勢に行くか、それともこのまま逃げるか、ここに留まるか。

 ……逃げるのが最善だ。やっと一体倒せた程度の初心者が加勢に行ったところで、足手まといになるのは確実だろう。

「……逃げるっつってもなぁ」

 問題はこの街を理解していないことだ。変に動いて迷子にでもなれば、それもまた面倒になる。世話かけてる以上、変に迷惑をかけるわけにもいかないだろうし……。

 かと言って、ここを動かないってのもまた危険な話だ。

 道路に座ったまま、次に取るべき行動を模索、そして出た結果は──

「よし、歩くか」

 適当に歩く。

 ……まあなんとも馬鹿らしい答えだが、仕方ない。足手まといになる、魔物の的になる。それらの危険性を考えれば、避難すると同時に風飛という街の把握……という名目でこの場を離れた方がいい。

 考えがまとまり、立ち上がってとりあえず目の前に広がる街を歩こう。

 俺は一歩前に右足を──

 

 ──ガシッ。

 

 ……何、今の音。

 足元からした謎の音。まるで、何かを掴むような……そんな。しかも、なんか右足に触れてるし。足首にぐるって巻きついてるような……。

 確認するために、俺の視線はゆっくりと足元へ移る。

 そこには、何やら見覚えのある木の根のようなものが……俺の右足首にガッチリと巻きついていらっしゃる。

「…………は?」

 この時、俺の口からはマジで困惑した声が出ていた。

 そして状況を理解した途端、俺の表情はどんどん引き攣っていき、そして、

「はぁぁぁぁぁ────────!!?」

 俺の身体は、思いっきり森の中へと引きずり込まれていったのだった。

 



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序-3 参道にて

 ──神凪神社、参道。

 

 神凪神社への道をひたすらに駆ける。

 参道を阻む木に擬態した魔物は、器用に根を伸ばしながら一人の女性を襲おうとする。

「あら、お生憎様!」

 しかし、彼女は襲いくる木の根を華麗に躱すと、人面樹の額を手元に召喚した銃で撃ち抜く。

 断末魔をあげることなく、魔物は霧散し消えていく。

「隊長、前方に三体確認した!」

「オッケー!」

 分身体がやられたことを焦ったのか、他の人面樹が隊長と呼ばれた女性を仕留めるべく根を伸ばし、鋭く尖らせる。

 そして、女性の腹部めがけて尖らせた根を突き刺す──!

 だが。

「遅い!」

 根は空気を貫き、女性の身体はいつの間にか宙を舞っていた。踊るように空中で回る女性の手には、新たな銃が二つ。

 余裕の笑みを見せながら、魔物が反応するより早く放たれた弾丸は二体の額を貫き、

「ごめんなさいね?」

 着地と同時に背後の人面樹を撃ち抜いた。

「見事だ、隊長」

「どうも。さ、行くわよ」

 五秒という短い間に、三体の魔物を同時に討伐してみせた女性は、優雅に一礼。再び魔物の本体が潜伏しているであろう神凪神社を目指して走り始めた。

「しかし、参道だけですでに五体以上。魔物名、人面樹が過去に自らを分身させる術を持っていると判明しているとはいえ、この数は」

「ええ、多分だけど貴方が思ってる通りよ」

 参道の階段を登りながら、マリアとその部下の影浦は、ここまでの道のりでの出来事を思い返し、そしてそこから繋がる危険性を考えていた。

 

 霧の魔物は本来、街中に現れれば即座に排除される。

 理由は、街の人々への被害が出る可能性を危惧して。そしてもう一つ、霧の魔物の性質が理由となっていた。

 霧の魔物は、出現してから時間が経てば経つほどに強さが増す。最初は弱く、すぐ倒せる。だが、時間がある程度経過すれば討伐の難易度もずっと上がる。

 『タイコンデロガ級』とされる魔物は、二階建ての家屋程度の大きさと通常の魔物よりずっと強大な力を持つ。それよりも上の魔物はいるが、それは過去に一度出現以来、まったく確認されていない。

 今回の問題点はそこではなく、人面樹もタイコンデロガ級ほどの強さではない。

 しかし、人里に出現。討伐から逃れた魔物がこうして現れた。さらに、数日前にも、街中に魔物が出現するという事件が起こっている。

 本来、魔物は人里に現れることは少ない。にもかかわらず、こうして街やその周辺に当然のように現れる。

 この現象が起こった場合、それは“ある出来事”の予兆である可能性が高くなる。その出来事……というのは。

 

「おそらく大規模侵攻が起こる。それも、かなり近いうちに」

 

 ──大規模侵攻。

 魔物の出現量が通常よりもはるかに多く現れるようなことが起きた時、その名で呼ばれる。

 人類はこれまで、六回の大規模侵攻を乗り越えてきたが、失ったものはあまりにも大きかった。

 前回、つまり第六次侵攻が起こった際、日本は魔物による北海道への集中攻撃を受け、人類は撤退。北海道の地は魔物によって奪われてしまったのだ。

 大勢の犠牲者が出る、魔物による侵攻。

 その予兆が今、この風飛市で起きている。

「どうする隊長。頭に報告するか?」

「……いえ。まずは目の前のことと、麗矢君を第一に。早いところ、本体を片付けるわよ!」

「御意」

 大規模侵攻の前触れ。軍人として放ってはおけないが、そのせいで怪我をしたら元も子もない。

 流れるように目先の魔物を撃ち抜き、マリアは影浦と共に参道を走り、神凪神社の本殿へと向かう。

「……! 隊長、避けろ!」

「ッ!?」

 突然、物陰から猛スピードで根が伸びて襲いかかる。影浦が叫んだおかげで、マリアに怪我はなく服を掠める程度で済んだ。

 しかし──

 木の根はマリアへの追撃ではなく、何かを目指して一直線に伸びていく。

「……嘘でしょ、そっちは!」

 木の根の伸びていく先を見て、マリアは焦りながらも駆け出す。

 その方向は、マリアたちが通ってきた道。遠目で認識したころには、木の根は参道へと続いている階段を降りていく。

 瞬間、木の根の狙いが何であるかをマリアは理解した。

「(まさか知性が……? いや、そんなはずはない!)」

 今いる位置から階段までは大した距離ではない。手元に銃を召喚し、弾丸を木の根に撃ち込みつつ、根が伸びる方を目指す。

「……!」

 マリアが撃ち込んだ弾丸は全て根に当たる。だが大したダメージは与えることができなかったのか、木の根は瞬時に傷口を塞いでしまう。

「まさかこれ……本体の……!」

 そう判断した後の行動は早かった。

 足を止め、根の追跡から根の破壊へと目的を変え、二丁の銃を喚び出す。

雷鳴散弾(サンダガバレッド)──装填(チャージ)!」

 花の装飾が施された二丁の銃は雷を帯び、その銃口を伸びる根に突きつける。

 そして──

発射(ショット)──!」

 引き金を引き、号令のような掛け声。

 その直後。銃口が激しい光と雷が落ちるような音と共に、高熱の弾丸が木の根を焼き切った。

 巨大な穴が作られた木の根は、痙攣しながら地に落ちる。整備された道が伸びていた勢いによって破壊されるが、焼き切られた木の根の活動は完全に停止したようだった。

 それを確認すると、マリアは再び階段の先にいるであろう彼の元へと走り出す。

「隊長! まだだ!」

「──‼︎」

 影浦の声に、マリアは新たに別の銃を喚び出す。左右前後、あらゆる方向からの攻撃を警戒しながらも足を止めない。

「(どう来る……)」

 目を瞑り、周囲の音を逃さぬよう聴覚を研ぎ澄ます。

 倒す。その意思を持てば、必ずその一撃に敵意や殺意が込められるのだが、それを一切感じられない。

 魔物の目的は理解している。なら後は、その目的のための行動を予測し、攻撃を仕掛けるだけ。

「…………!」

 一瞬。一秒にも満たなかったが、何かの蠢く音を、マリアは聞き逃さなかった。

 音が聞こえ、マリアの視線はそこに向く。一切の躊躇なく銃口を地面に突きつけ、今度は詠唱はなしに──

「そこ!」

 凄まじい熱を帯びた雷弾を、地中に向けて撃ち放つ。

 すると、地面の下から現れたのは、穴を開けられた木の根の一部だった。地中から現れた根は、ダメージを受けたからか次々にその姿を露わにしていく。

「──────…………ぉぉぉぉ」

「……ん?」

 木の根が地の底から這い出るのとは別に、か細い声が聞こえた。それも、先程目指していた方向から。

「…………ぉぉぉぉおおおおおおおお!?」

 木の根が完全に露わになり、振り上げられたその先端。そこに声の主はいた。

「れ、麗矢君!?」

 足首に木の根を巻きつけられた麗矢は、まるで魚のように木の根に釣り上げられてた。

 そしてすでに根は機能を失っており、木の根から開放された彼は不安定な体勢のまま、地面に落下──

「──よいしょっと」

「ゔっ」

 するよりも早く、マリアは麗矢の体に手持ちのリボンのようなものを巻きつけ、麗矢のことを引き寄せた。

「大丈夫? 王子様」

 引き寄せた麗矢を、お姫様のように捕まえると、マリアは騎士のように凛々しく笑ってみせる。

「……手ェ離せ」

 一方で、麗矢は不満全開の顔をしていた。

 マリアが力を緩めた瞬間にその手を解き、そのまま横に動いてマリアの手から離れる。

「あら、つれないわね」

「女騎士に姫様持ちされる王子とかダサすぎるだろ」

 肩の埃を払いながら、麗矢はマリアから距離を置く。純粋に恥ずかしかったから。それもあるが、一番の理由は……彼女の後ろにいる男だ。

「貴様……隊長に何してる……」

 と、影浦の視線が自分に対して強い負の感情を飛ばしているのを感じてしまったから。

 別に怖いとかそういう感情はなく、彼は純粋に、

「(めんどくさっ……)」

 厄介ごとを避けたかっただけである。

「ごめんなさいね。結局、貴方を巻き込んじゃったわ」

 マリアは影浦のことなど気にかけず、麗矢を巻き込んだことを気にしていた。

「いや、初心者を戦闘に駆り出さないのは当然だ。間違った判断じゃねぇ。それに……」

 

 麗矢は、あの場所で起きた出来事についてを二人に簡潔に伝えた。

 人面樹が自分を殺そうとしたこと。初めて戦闘で魔法を使用できたこと。そして何故か魔物が自分を狙っているであろうこと。

 

「……なるほどね」

 話を聞き終えると、マリアは不思議そうな目で麗矢のことを見ていた。

「……貴方、魔法使えたの?」

 魔法使いになったばかりでは、魔法の制御や使い方が理解できずに暴走、あるいは不発するケースが多い。

 だが麗矢はキョトンとした顔で、右手に炎を出して見せる。

「ああ。思ったより簡単にいってよかった。あんたに教わってなきゃ、多分死んでたな、俺」

「…………」

 手の上で揺れる炎を見つめながら、麗矢は真剣な表情で手を握りしめ、炎を消す。

 その一連の動作を容易くこなしてみせた麗矢のことを、信じられないという目でマリアは見ていた。

「(私が教えたのは、ほんの基礎。それもかなり大雑把。なのにこんなに早く……)」

 マリアの説明した知識だけで魔法を使えるようになるなんて、まずありえない。しかし実際に、麗矢は使うどころか魔物を倒してみせている。

 その事実が、マリアの中での麗矢の評価をぐんと押し上げた。

「(この子……天性の素質がある。それも、魔法に特化した形で……!)」

 なんて存在だ、と自分の手を開いたり閉じたりしながら魔法を出す麗矢のことを、マリアは驚愕しつつも興奮していた。

 魔法の才能がある人間は存在するが、初日の戦闘で単独討伐をしてみせるほどの逸材はグリモアの現生徒会長や、始祖十家と呼ばれる者たちくらいだ。

 そんな逸材が今、目の前にいる。

 無尽蔵の魔力。前代未聞の魔法。それだけでなく戦闘と魔法の使用のセンス。

 それらを見て、マリアは確信した。

 黒金麗矢は、間違いなく魔法使いという存在の支柱となりうる人物であると。

「……ねえ麗矢君。卒業したらうちの部隊に来ない? 貴方はきっと──いいえ、絶対にうちのエースになれる。それどころか、私の後継者になれるかも」

 これだけの才の持ち主を放っておくのが勿体無い。と、マリアは麗矢にマーキングしておこうと企む。だが、

「悪いが、軍に所属する気はない。守らなきゃならない奴がいるんでね」

「あら、残念」

 その誘いを、麗矢は簡単に断ってしまった。

 まだ詳細すら話していないのに即断るというのは、卒業後の目的がすでに固まっているということ。

 刹那鈴の守護。それが、麗矢が魔法学園に行くと決心した主な理由だ。麗矢の中に、魔法使いの評判や軍に所属するという考えなどあるはしない。

 あるのはただ、護りたい人のために強くなる。その意志だった。

「……妬けちゃうわね」

「あ? なんか言ったか?」

「いえ、別に? 鈴ちゃんが羨ましいなって思っただけよ」

「んだよそれ」

 普通に会話して和んでいるが、依然としてここが戦場であることは変わりない。

 二人が会話しているその裏で、影浦は小さな端末を開き、周辺の情報を探っていた。

「隊長。本殿に魔物の本体はいないらしい」

「詳しい位置情報は?」

「参道を外れ、少し奥に進んだ先に潜んでいるようだ。が、そこ目掛けて真っ直ぐ突き進んでいく人影が二つ確認できた」

 少し駄弁っていた間に、本体の位置を特定したことに、麗矢は関心の目を向けていた。

「すでに動いてるってわけね。影浦! その子たちの援護向かうわよ!」

「御意」

 隊長の指示を受けるより先に、影浦は端末を片付けて次の行動に移る。

「(こんなんでも立派な国軍の軍人ってわけな……)」

 なんて麗矢は思っているが、マリアや影浦が所属する部隊は、彼が想像しているよりずっと上の位置にある。

 特殊部隊『霧を狩る者たち(Hound Mist Squad)』こと『HMS』。

 対霧の魔物に特化した国軍の精鋭部隊。隊長であるマリアを筆頭に、部隊の指揮官が選出した精鋭を集結させた国軍の切り札とも言える部隊。

 つまり、国軍のトップとも言える部隊だ。

 それを知らない麗矢は、マリアたちのことを国軍の一部隊とそこに所属する軍人程度にしか思ってなかった。

「麗矢君。これから先、貴方を守りながら戦うわ。しっかり着いてきて」

 戦闘時のスイッチが入ったマリアは、麗矢と会話していた時の雰囲気とはまるで違っていた。

「わーってるよ。それに、自衛だってできると思う。油断はしないが、それなりに援護させてもらうよ」

 マリアの雰囲気が変わったのと同じように、麗矢もまた気を引き締める。

 ここまで来てしまったら、引き返すことはできないと理解している。そうなると、強制的に同行することになるということも。

 だがそれは逆にさらに魔法を練習できるチャンスであり、同じ魔法使いであるマリアの戦いを観察できるいい機会でもあった。

「隊長。指定ポイントまで先導する。魔物は任せた」

 準備が終わり、影浦は銃を手に先に森の中へと足を踏み入れた。

 マリアと麗矢はその魔物がいるという森の中に目を向ける。

 魔物が出現しているせいか、神社周辺の森も若干だが禍々しくなっているようにも見えた。

「麗矢君、あまり無理はしないで」

「ああ。あまり前線には出ないよ」

「それじゃ、行くわよ!」

「りょーかい」

 それでも、二人は臆することなく森の中へと入り、魔物がいるという場所へと走って向かうのだった。

 

 

***

 

 

「……そういえばだけどよ」

「何?」

 森の中を駆けながら、麗矢はマリアに話しかける。

「ずっと引っかかってたんだけどな? 先に動いてるっていう二人って、誰なんだ?」

 先程、魔物の居場所に関する報告の中で出た一言。

 二人の人影。すでに動いている。

 この文から察するに、マリアの部下か他の国軍の部隊のどちらかなのだろうが、その二人がなんなのか、麗矢はわずかではあるが自問に感じていた。

「ああ……それね」

 麗矢の質問の内容を理解すると、マリアは走る足を止めず、麗矢を横目で見ながらその質問に答える。

「おそらくなんだけどね。その子たち──」

 

***

 

 

──同時刻。神凪神社近辺、山奥。

 

 マリアたちが魔物の本体を目指すその一方で、そこまでではないが、険しい道を駆け抜ける二人がいた。

「ハァ──!」

 猛々しい声と共に振り下ろされた刀が、魔物を一閃する。魔物は断末魔を上げながら霧散していく。

 それを確認すると、刀を持った少女はその魔物を踏み越え、意図せずに魔物の本体が潜むポイントに向かっていた。

「すごい気迫……! 怜、あまり無茶はしないで!」

 それを後ろから追いかける、一人の少年。

 大した特徴のない、茶髪頭の平凡そうな少年は、怜という名の少女のことを気にかけていた。

「わかっている! お前も無理のないようにしてくれ!」

 巫女服を見に纏った少女。彼女もまた、自分の後ろを着いて走る少年のことを、焦りつつも気にかける。

「頼りにしているぞ、大地!」

「うん!」

 二人は慎重に、しかし全速力で、神凪神社へと向かっていた。

 

 

 ……この少年。

 名を、空野大地。十六歳。

 彼こそが、世界唯一の魔法『魔力譲渡』を使う“転校生”と呼ばれる少年だった。



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序-4 邂逅

 ……あの日から何年が経っただろう。

 故郷が炎に包まれたあの日。霧の魔物に襲われ、死を覚悟したあの時。

 僕は、ある人に救われた。

 

『大丈夫かい? 少年君』

 

 その人は、どこからともなく颯爽と現れ、僕と妹を殺そうとした魔物を倒した。

 傷を負っていた妹と、妹を庇っていた僕が生存することはその人が現れなければ絶対になかった。

 そんなところを、僕らは救われた。

 魔法使い。人類の希望を担う存在であり、異質な存在として他の人類から恐れられている者。

 そんな人に、僕は魔法使いに強い憧れを抱いていた。

 魔法使いに憧れる人は数少ない。だけど僕は、救われたその日から憧れ続け──

 

 2014年。

 十六歳になった僕は、ある悲劇と引き換えに、魔法使いに覚醒した。

 心身ともに傷を負い、そのショックで魔法使いになった。

 ついに念願の魔法使いに……! 覚醒したと聞いた時、後悔とは別に喜びの感情があった。

 不謹慎なのはよくわかっている。だけど、だからこそ僕は魔法使いとして、僕を救ってくれたあの人のようになろうと決意した。

 そして僕は、私立グリモワール魔法学園として入学した。

  ……だけど、すぐに予想外のことが起きた。

 無尽蔵に近い魔力量。

 自分の魔力を誰かに渡す力。

 魔法使いにとってあり得ない事態が、僕の体に起きている。そう聞かされた時、嘘じゃないかって思った。

 この学園に来る前は、特に目立つようなこともない、魔法使いに憧れるだけの一般人。そんな僕が、魔法使いの常識をひっくり返す力を持っているだなんて。

 しかし、その力とは引き換えに、僕はあらゆる魔法に適性を持たないらしい。炎を出そうにも、指先からライター程度の火しか出せない。

 異常な力は、後方支援特化型だったのは少しだけショックだったけど、今はこの力と向き合って、少しでも誰かの役に立つために、この力を使おうと決めた。

 

 空野大地、十六歳。

 理想の魔法使い像とは少し違っていたけれど、覚醒した魔法使いの一人として、グリモアの一生徒として。

 皆を支えられる希望になれるよう、僕なりのやり方で戦おうと、そう決意した。

 

 

 そして、入学してから数日が経った。

 

 

 

***

 

 

 クエストが発令された。

 内容は、神凪神社周辺に現れたという霧の魔物を討伐すること。

 魔物名は人面樹。本体から何体かの分身を作り出すことができるという魔物。

 戦うことのできない僕は、彼女と共に神凪神社に向かって、参道からかなり離れた山奥を走っていた。

「ふっ──!」

 青白い閃光が、人面樹の分身を一刀両断する。

 分身は跡形もなく霧散し、それを確認すると、巫女服のような戦闘服を纏った少女──神凪怜は実家である神凪神社を目指し走る。

 僕はその後ろを、必死に追いかけていた。

「……この近辺にはいないな」

 ふと、怜の足が止まる。そして僕の方を振り返ると、凛々しい表情のまま「休憩しよう」と懐から水の入ったペットボトルを取り出した。

「……ふぅ。すごいなぁ、怜は」

 水分をとりながら来た道を振り返る。

 今いる場所に来るまでに、五体ほど人面樹の分身体を倒してきた。

 学園から最短距離で神凪神社へ行くには、参道からではなく、本殿に続く森の中を突っ切っていくのが一番早いのは確かだ。その分、道はかなり険しく、おまけに今は魔物もいる。体力だってかなり消耗するはずだ。

 なのに怜は、息一つ切らすことなく走り続けていたのだ。家族が心配だからゆえか、それとも彼女自身の身体能力が高いのか。

 どちらにしても、汗を全くかいていないのは、息切れしている僕よりもずっと体作りができているということだろう。

「すまないな。もう少し、お前のペースに合わせてやれればいいが……」

 申し訳なさそうな目で僕を見る怜。こんな時にまで、僕の気を使う必要なんてないのに、彼女はどこまでも共にいる誰かのことを気にかけてくれる。

「大丈夫。ご家族が危険かもしれないなんて言われて、落ち着いていられる人なんてそういないからさ」

「……すまない。結局、お前に無理を強いる形になってしまって」

 彼女は僕に謝罪を何度も繰り返す。

 しかし、彼女の焦る理由もわかるから何も責めるようなことは言わない。言えるわけがない。

 それに僕自身、彼女を責める気なんてさらさらない。神凪神社に助けるべき人がいる。その事実だけで十分だ。

「先を急ごう。休憩はもう大丈夫だから!」

「……っ、ああ!」

 喉元まで出かかった謝罪の言葉を飲み込んで、怜は再び前を向く。

 ──と、そこで僕らは気がついた。

「……煙?」

 僕らがこれから向かうはずである、神凪神社の本殿。そこから、煙が立ち上っていた。

 しかも、それは白い煙ではなく。

 

 ──黒。

 曇り空を覆い隠してしまうほど、黒くて、恐ろしい、不吉な黒煙。

 それが、ちょうど本殿の方から立ち上っていたのだ。

 

「────ッ!」

 当然、そんなものを目にして神凪神社の巫女は落ち着いていられるはずもなく。

「怜、待って! 落ち着いて!」

 僕の静止も聞かず、怜は走り出した。

 さっきまでの冷静な彼女から一変、焦り、戸惑い、そして怯えるような表情で山道を駆け抜ける。

 その速度は、魔物を倒しながら進んでいた時とは比べ物にならない速さだった。僕の足じゃ、とても追いつけないような。

「(皆、無事でいてくれ……!)」

 僕の声は彼女には届かず、怜は刀を強く握りしめたまま木々をかわして進む。今の彼女は、家族が最優先。それ以外のことは何も考えられずにいた。

 ……それが、彼女の視野を狭くしてしまった。

「怜!」

 怜がかわしたうちの一本の木が、まるで生きているかのようにぐるりとその身を捻る。

 その木は、魔物が化けていた偽物。人面樹の分身体。不気味に笑いながら、まんまと自分の横を通り過ぎた少女に狙いを定め、鋭い凶器で怜の身体を貫かんとする。

「──、しまっ」

 咄嗟に刀を抜こうとするが、魔物の一撃の方が早かった。

「怜──ッ!」

 今僕が立つ位置からでは、彼女を守ることは間に合わない。

 

 いや、諦めるな──!

 

 全力で走っても、彼女の元に行くまでに魔物の攻撃が届いてしまう。

 

 何か策を考えろ──!

 

 近くに使えそうなものもなく……どう足掻いたところで、僕の手は怜には届かない。

 

 ふと、脳裏によぎった過去。

 魔物に襲われ、無惨な姿に成り果てた姿。瞼に焼き付いて離れない記憶が、思い出せと叫ぶように蘇る。

 

「────あああああああああ!!」

 

 無我夢中で叫び、地面を強く蹴り進む。木の枝で腕を切ろうが、自分がどうなろうとお構いなし。

 ただ、全力で走る。

 魔物の枝が届くより先に、何としても彼女を──!

 

「燃えろ──」

 

 どこからともなく聞こえた、誰かの声。

 何かを命令するようなその言葉に、僕と怜は動揺する。

 それは、人面樹も同じだった。知性のない魔物が、人の言葉を理解できるとは思えない。それなのに人面樹は、目の前の獲物ではなく、聞こえてきた声に反応した。

 その一言に込められていたもの。それはおそらく、自分に向けられた強い“殺意”。獣ように、魔物は本能でそれを感じ取った。

「今だっ……! 怜!」

「え……っ!?」

 魔物の動きが硬直したその一瞬。それが、怜を救い出す隙を与えた。

 声の主も、聞こえてきた言葉も、何なのかはわからないが、僕は必死で怜に飛びつき、そして彼女を魔物の攻撃範囲から自分の身体ごと押し出す。

 魔物の意識はすでに怜ではなく、聞こえてきた声に向けられていた。

 

 チカッと、赤い光が木々の隙間から覗く。魔物はその光目掛けて、自分の凶器を突き出し、赤い光に襲いかかる。

 そして、魔物の一撃は光を突き穿ち──

「…………………!!?」

 魔物の木の根は、何故か消滅していた。

「え……」

 何が起こったのか。魔物の攻撃は、逆に自らの一部が霧散する結果に終わっていた。

 苦い臭いが鼻をつく。何かが焦げたような。そんなあの光の中心からしていた。

「……火力不足か。もう一回──」

 今度は、ハッキリと声が聞こえた。

 男性の声。木が影になっているせいで姿は見えないが、男性の手から赤い光が放たれていた。

「燃えろ……!」

 振り払われた右腕から、炎の球が人面樹に向かって放たれた。

 周囲の木々を掠め、焦がしながら魔物目掛けて火球は真っ直ぐに進む。

 当然、魔物もやられまいと抵抗する。新たに木の根を伸ばし、火球を押し潰そうと叩きつけるように木の根を振り下ろす。

「────…………‼︎」

 しかし、その抵抗も虚しく、木の根は炎に呑まれ消滅。直後、人面樹の身体も炎に呑み込まれ──

 瞬間、爆発によって生み出された火柱が、人面樹を閉じ込め、跡形もなく燃やし尽くした。

 

 ……断末魔をあげることもなく、火柱が消える頃には、人面樹は黒焦げの状態になり、そのまま徐々に霧散していった。

「…………」

 たった一瞬の間に何があったのかわからないまま、霧散していく魔物を呆然と眺めることしかできなかった。

「……地。大地……」

「……あ」

 と、自分の下から聞こえてきた声で、ハッと我に帰る。視線を下に落とすと、そこには頬を赤らめる怜の姿。

「す、すまない。助けてくれたことはありがたいが……その、退いてくれないか」

 ……彼女のことを見て、ようやく今の状況を思い出す。

 怜を庇うように飛びついた後、押し倒すような形になってしまっていた。それを思い出した途端に、今まで感じていなかった感覚が一気に押し寄せてくる。

 彼女の体温や、ほのかに感じる甘い香り。そして、腹部に当たる柔らかな感触……!

「う、うわっ、わわわ!」

 その感触の正体に気づくと、慌てて怜の上から飛び退く。

「ご、ごめん! そんなつもりじゃ……!」

「わ、わかっている。助けようとしてくれたのだろう? だ、だが……その……」

 いつも冷静で凛々しい彼女だが、こういうことになるとかなり弱々しくなる……と、彼女の友達である女の子から聞いていたが。

 クールビューティーな女の子が赤面しているというだけで、なんとも言えない感情になる。そして何より、腹部に感じたあの感触。

 ……柔らかかった。制服姿でもかなりの大きさだと思っていたけど、もしかして着痩せする人なのかな……。

 って、そんなこと考えてる場合じゃないだろ、僕のバカ!

「……そ、それより。今の炎は?」

 話を逸らし、頭の中に悶々と広がるやましいものを追い出そうとする。そう、こんなことよりも解き明かすべきことがある。

 魔物を焼き払った火球を放った男性のことだ。

 グリモアには、南智花という火の魔法を主に扱う少女がいるが、声が男のものという時点で彼女ではないことは明らかだ。

 もう一人、ずっと強い炎魔法の使い手がいるが、今回の一件は彼が出るほどでもないものだ。

「……ああ。先程の声は、私も聞いたことがないものだ」

「なら、一体誰が……?」

 在学期間の長い怜でも知らないとなると、一体誰なのか……。その疑問は、すぐにわかることになった。

「……案外できるものだな。燃焼、からの爆発」

 木の影にいた男性。そのシルエットが、徐々に露わになる。

 黒い髪と、横髪だけが白い特徴的な髪色。

その男性は、少年……というより、青年と呼ぶべきであろう体格をしていた。

「……あ?」

 青年の目が、こちらを睨みつける。

 

 ……その時、無意識に息を呑んでいた。

 

 すらりとしたスタイルと、薄く白い肌。同じ男性のはずなのに、思わず美しいと思ってしまった。

 美形男子、という言葉がこれほどまでにピッタリ当てはまるような人は初めてだ。それほど、彼という人が美しく見えた。

「誰だ、お前ら」

 ……思ったよりも声は低いけど。

「──もしかして、お前は新しく来るという転校生か?」

 思わず見惚れていた僕に代わって、怜が聞くべき疑問をぶつけてくれた。

「え、それってまさか……!」

 “転校生”と聞いて、思わず青年の顔を二度見する。

 一週間ほど前にあった、霧の魔物によるとある町の襲撃。その際に、魔法使いとして覚醒した男性がいたという。

 その彼に関して細かい話は聞いていない。わかっているのは、僕と同じく測定不能量の魔力を身に宿していることだけだ。

 今まで意識が戻っていなかったというが、まさか彼がその……?

「てんこうせい……ってことは、あんたらがグリモアってとこの魔法使いか」

 しばらく顔を顰めていた彼だったが、何か納得したらしく、表情がわずかに晴れる。

 この話で納得したってことは、彼がその転校生で間違いないようだ。

「あ、いたいた。麗矢君!」

 青年の背後から、黒い服を身に纏った女性が駆け寄ってきた。

 レイヤと呼ばれた青年は、少し嫌そうな顔をするが、すぐに振り返りその女性の方に歩み寄る。

「マリア。こいつら、例の」

「え? ……ああ! ってことは、彼が大地君って子ね」

 金髪の女性は、レイヤという青年と知り合いなのか。

 いや、待て。そもそも──

「どうして、僕の名前を!?」

 マリアと呼ばれていた女性とは初対面のはずなのに、何でこの人は僕の名前を知ってるんだ。

 『魔力譲渡』はこの世界で唯一無二の力だという。もしこの力が世間一般に知れ渡れば、僕は酷い扱いを受けることになる……と、入学した時に説明された。

 それ故、僕の力は各魔法学園や国際連盟の一部の人にしか知らされず、僕がしっかりと学園生活を送れるように生徒会の人たちがしてくれた。そう聞いていたのに……。

「ああ、先せ──いや、うちの司令がね、貴方のとこを教えてくれたのよ。司令って、国軍じゃ結構すごい立場の人だから。そういう情報が回ってくるのよ。魔力譲渡を持つ転校生。君のこととかね」

 淑やかな笑顔で、女性はそう語る。

 なるほど、と話を聞いて納得した。軍の上層部の人なら、何人か知っててもおかしくはない……のだろう。てことは、彼女もなかなかの地位の人なのだろうか。

 と、女性はコホンと咳払いをすると、自分の胸元に手を当てる。

「マリア・サンディエル。一応、国軍の軍人で、階級は少佐よ。ちょっと特別な部隊の隊長をしてるけどね」

 軽い自己紹介でウィンクをしてみせるが、今さらっと色々とすごいこと聞いたぞ。将校クラスである部隊の隊長って。とんでもない大物じゃないか。

「そして横にいる彼が、貴方たちが噂しているであろう転校生。黒金麗矢君。一応、君と同じ無尽蔵に近い魔力の持ち主よ」

 そして流れるように紹介された、マリアさんの横で腕を組む青年。何やら苛立っているようで、すごい目でマリアさんのことを睨んでいた。

「あのな、ペラペラと俺のこと話すんじゃねぇ。軍人が誰かの個人情報話していいのかよ」

「あら、グリモアの子とは仲良くしておいた方がいいわよ? 特にそこの大地君は、これからかなりお世話になると思うから」

「……けっ、そうかよ」

 外見の割に、口が悪い。これがギャップというやつなのだろうか。

 黒金麗矢。彼が、二人目の無尽蔵の魔力の持ち主……。

「二人目……」

 そう、二人目。

 唯一無二。そう言われている僕の力。

 無尽蔵の魔力と、魔力の譲渡。それだけで結構な騒ぎになったし大変だったけど、少し嬉しい自分もいた……のに。

 あっという間に二人目の無尽蔵の持ち主が現れちゃって……。なんだか悲しいような、そんな気がする。

「短かったなぁ……唯一無二」

 戦力が増えるのは喜ぶべきこと。なのに、やっぱり特別感が薄れるだけでこうもテンションって下がるものなのか……。

「黒金、と言ったな」

 僕が落ち込むその横で、怜はマリアさんと会話している黒金くんに近づく。

「神凪怜だ。いきなり戦場に駆り出されて困惑しているだろうが、今は手を貸してくれないか」

 真剣に頼む彼女の顔を、黒金くんはじっと見つめる。頭から爪先まで、全身をサッと確認するように見ると、

「手ェ貸すも何も、魔物討伐に来てんだろ。だったらこんなとこで駄弁ったり、わざわざ頼んだりする暇があんのか? なあ、神凪神社の巫女さんよ」

 腕を組みながら、正論を投げてきた。

 確かに話をしてる場合じゃない。新しい転校生に気を取られて、魔物が怜の家族を襲ったりしたら大変なことになる。

 その通り……なんだけど。

「(言い方、どうにかならないのかな)」

 妙に威圧的というか、何というか。発言も視線も、態度もさっきから上から目線だ。魔法使いの人にも色々な性格のこがいるけど、こんな尖った言い方しなくてもいいと思うけど。

「……ああ、その通りだな。すまない、ありがとう」

 けど怜は彼の言葉を素直に受け取ると、刀を強く握り、実家のある方角を睨むように見ていた。

「大地、行こう。今は、我々がすべきことを果たす」

「う、うん! わかった!」

 そして再び、怜の実家がある方を目指し、森の中を駆けていく。

 黒金くんは僕らの後をついてくるわけでもなく、ただ走っていく僕らの背を見送る。

「(黒金麗矢くん、か)」

 初対面の相手に随分と高圧的な態度だったけど、何故か僕は、彼に対して強く興味を惹かれていた。

 だけど、今はそれを胸の中にしまっておくことにしよう。そうして、僕はまた怜の後ろを必死についていくのだった。

 



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序-5 赤い魔物

前回から書き方少し変えています。
違和感あったらすみません。


 魔物の出現から約三十分。

 空野と神凪という二人の魔法使いと別れ、俺はマリアと共に森林の中を歩いている。

 

「随分と進んで来た気がするが……」

「あら。これでも大して進んでないわよ?」

 

 どこまで行っても木、木、木。森だから当然なんだが、そのせいでどこまで進んでいるのかさっぱりわからない。

 これだけの自然、ゆっくりしたらさぞ気持ち良さそうだが……今の雰囲気で寛げるとは思えない。

 

「で? 本当にこっちにいるって?」

「ええ。影浦が言うには、こっちの方に魔物の反応があるって言うの。もう応援も到着した頃でしょうし、あとは本体を狩るだけね」

 

 本体を狩るだけ。それだけの仕事だと、マリアは余裕の笑みを浮かべる。

 確かに、あとは本体を狩るだけなら楽勝だろう。間近で見て直感したが、この女は強い。それもかなり。

 

「さ、早いとこ終わらせて学園にいきましょうか」

 

 俺の方を見たまま、横から襲いくる魔物の分身を一発の弾丸で霧散させてしまった。

 弱点も的確に撃ち抜いてるし、流れ作業みたく魔物を掃討していく。年齢は俺と二つ三つ違う程度だと予想しているが……それでもこんなに強いものなのか。

 

 ……だからこそ、わからない点がある。

 

「なら、どうして伝えなかった」

 

 足を止めることなく、その疑問をぶつける。

 

「……何を?」

「とぼけんな」

 

 マリアのしていることは、効率的とは言い難い。

 魔物の討伐を目的とするなら、先程の二人も連れて来ればよかった。なのに彼女はそれをせず、神凪神社の方へと黙って行かせた。

 さらに言えば、俺を連れて本隊の討伐に向かうこともわからない。魔法覚えたての初心者を抱えて戦うのはどう考えてもリスクが高い。

 

「答えろ。なんで俺を連れてきた。なんであいつらを向こうに行かせた」

「…………」

 

 ふざけてはいない。真面目な話だ。

 それなのにマリアは、きょとんとした顔でしばらく俺を見た後、

 

「……ふふ」

 

 可笑しそうに笑った。

 なぜ笑ってるのかはわからない。だが、しばらくの間が空くと、彼女は足を止めることなく語り出した。

 

「まず、貴方を連れてきた理由だけど。これは貴方が魔物に狙われているから」

「……!」

「なぜ魔物が貴方を狙っているのかはわからない。でも、影浦や神凪ちゃん達の近くに置いておくより、私の監視できるとこにいてもらうのが一番安全だって判断したからよ」

 

 納得できる理由ではある。だが、マリアの言葉を聞いて、改めて確信した。

 単独で魔物から狙われる俺を守ると堂々と言えるということは、それだけ自分の腕に自信があるということ。

 このマリアという女、魔法使いの中でも相当強いのだろう。

 

「それと、神凪ちゃん達を神凪神社の方へ向かわせた理由。これは……霧の魔物──というよりかは、霧の性質に関係があるわ」

「霧の……?」

 

 霧の性質について、マリアは簡潔にまとめて説明し始める。

 霧の魔物は、出現してから時間が経てば経つほど強くなるという。三十分経ってもなお魔物が強くなり続けているとするなら。やはり戦力は多い方がいいと思うのだが……。

 

「分身は未だに存在してる。なら、本殿の方に魔物の分身現れる可能性もある。つまり」

「……なるほど。あいつらには分身の処理をさせるってわけか」

「そうね。私でも十分に対応はできるけど、集団相手となると、彼女たち……彼がいれば圧倒的に有利になるから」

「彼……」

 

 彼、と言われたのは、例の空野大地という男だろう。

 

「彼の得意とする魔法は、自分の持つ魔力を相手に渡す『魔力譲渡』というもの。彼もまた前例のない力で、魔法使いの戦い方をたった一人で大きくひっくり返してしまえるの」

 

 魔力譲渡……後方支援特化型か。

 魔力がなくなれば戦えなくなるという魔法使いの弱点を完全にカバーできる魔法。それも、その力の持ち主は無尽蔵の魔力持ちと。

 なるほど、それは確かに強い。マリアの言う通りたった一人で魔法使いの常識をぶち壊す力を持ってるってわけか。

 ……ん? そういえばあの時、マリアのやつあの男の名前と力……。

 

「おい待て、お前あの男のこと知らないって言ってなかったか?」

「あら? 言ったかしら」

「言ってたろ! 車ん中で! 無尽蔵の魔力の持ち主について聞いた時にお前「あまり知らないわ」って言ってたじゃねぇか!」

「そうだった?」

「……! …………ッ!!」

 

 思わず足を止めて声にならない声をあげていた。

 くそっ、最初から知ってやがったな。こいつ普通に嘘ついていやがった。あの時真面目そうな顔してたからまんまと騙されたってわけかよ。

 

「ふふ、ごめんなさい。機密情報だったの。彼、魔法使いからも世界からも貴重な存在だから、あまり公にはできなくてね?」

 

 マリアが言うには、魔力譲渡という前代未聞の力。そして一人で戦況をひっくり返す力を持つ空野大地は、全世界で最も貴重な存在となっているらしい。

 だがそれを国際連盟や日本国軍に伝えれば、そいつが非人道的扱いを受ける可能性が高く、危険な組織に狙われることもあるとか。

 それを防ぐため、軍の要人数名とグリモアの生徒たち、その関係者しかその存在を知らされていないという。

 

「だから貴方にも、会うことは決まっていたとしても直接出会うまでは伏せてたってわけなの。ごめんなさい」

「……なら最初からそう言えよ」

「言えないわよ。機密なんだもの」

 

 ごもっともみたいなこと言ってるけど、なら初めから「知らない」じゃなくて「言えない」って言えば納得したのに。

 ……こいつの性格からして面白そうだからとか言いそうだ。

 

「……わかったよ。そういうことにしとく」

 

 これ以上指摘してたらもっと弄ばれる。それを避けるため、無理矢理納得したことにした。……多分その考えも見透かされてるんだろうけど。

 

「まあ要するに。彼は魔物単体に対しても集団に対しても通用する万能型サポーターだから、この場合は雑魚処理にまわってもらったって感じね」

「なるほどな……」

「あと、単純に──」

 

 他に理由があるのかとマリアの方に視線を向けると、

 

「足手まといね」

「……は?」

 

 悪意なんて微塵もないような、そんな表情でそう言った。

 足手まといて……さっきと言ってること違くないか?

 

「彼、戦力としては申し分ない。でも、直接の戦闘となると足手まといなのよ」

「なんでだ。魔力譲渡ってのがあれば魔法使いは優勢になるんだろ」

「それだけならね。でも彼自身の戦闘力はゼロに等しいらしいの」

 

 他の魔法が使えないってことか。なかなかに不便な話だ。それってほぼ魔力のタンクみたいなものじゃないのか?

 

「それなら、後方にずっと置いときゃいいだろ」

「そうなんだけどね。問題は怜ちゃんの方」

「レイ……ああ、神凪ってやつか」

 

 巫女服を纏い、刀を持っていたあの女か。

 空野と違って戦い慣れているように見えたが……それもかなり。

 

「実力は確か。でもね、今の彼女は逆に足手まといになる。家族が襲われて冷静な判断ができているか怪しい」

 

 感情的になれば、周りが見えなくなって意図せずに味方の邪魔になる可能性があるという。そうなれば、戦闘で自分の魔法が神凪に当たるかもしれない……と、彼女は言った。

 しかし、さっき会話していた時は落ち着いているように見えたが……。

 

「でもその前に、麗矢君が魔法を使ってなかったら、彼女大怪我してた。周りが見えてないっていうのは、味方の邪魔にもなれば、敵にとっては格好の的になるってわけね」

「……え、あいつそんなピンチだったの」

「あら? それに気がついて魔法使ったんじゃないの?」

 

 正直、あの時は何も考えてなかった。ただ魔法がどれだけ使えるのか、みたいな実験でたまたま見かけた魔物に、炎と風の組み合わせを試しただけであって……。

 

「……本当に偶然だったわけね」

「そういうこった。誰かを助けようなんざ気はこれっぽっちもなかったぞ」

 

 真相を知り、呆れたように笑う。

 魔物が出てるっていうのに、なんだか緩い空気感。空野と神凪も変なやりとりしてたし、魔法使いってのはみんなこうなのか?

 ……なんて思ったその時だった。

 

「着いたわ」

 

 突然、マリアが足を止める。どうやら、雑談はここまでらしい。

 歩みを止め、周囲を見渡してみる……が、やはり木しかない。相手は木型の魔物。数多くの木の中に擬態することも容易いだろう。

 その証拠に、神凪に対して奇襲をかけていた……らしいからな。

 

「で、どこにいる」

 

 耳を澄ませて不審な音を探すが、聞こえてくるのは風の音と、それによって枯葉が擦れ合う音だけだ。

 擬態しているのだとしたら、この中から見つけようとするのはかなりの時間がかかる。

 だが。

 

「……見つけた」

 

 隣にいる女は違ったらしい。

 囁くような声量。それが聞こえ振り向いた頃には、マリアはすでに森に潜む標的を睨み、その手にはマスケット銃が握られていた。

 

「──ッ」

 

 その時、彼女の表情を見て、不思議な感覚に襲われた。

 背筋どころか、血まで凍りそうな、そんな感覚。自分に向けられているものではないのに、横に立っているというだけで気圧されるような──殺気だった。

 

「そこ──」

 

 雷光を纏い、銃口が魔物がいるという方向に向く。

 そして一秒も経つ前に引き金が引かれた。

 まるで、雷が落ちたような轟音。目も開けられないほどの閃光と肌が焼けるような高熱。それら全てが、一体の標的を撃ち抜く。

 

「────────ギァ」

 

 断末魔のような、掠れた声がした。悲鳴をあげる間も無く、霧の魔物の胴体に穴が空けられ。音もなく魔物は枝先から徐々に霧散していった。

 

「…………」

 

 あまりにも一瞬の出来事で、口をぽかんと開けたまま立ち尽くす。雷光を撃ち出した銃口は黒く焦げ、威力に耐えられず破裂したようにパックリと開いてしまっている。

 

「あら。また怒られちゃうかしら」

 

 ありえない壊れ方をした銃を見ながら、マリアは嫌そうに呟く。

 ……この女、スケールが違いすぎる。人間としても、多分魔法使いとしても。

 

「麗矢君? どうかした?」

「…………いや、なんでもない」

 

 一仕事終え、身体をぐーっと伸ばす。その表情は清々しいもので、先程の一瞬に垣間見えたものとは全く別人のように思える。

 ……殺気を感じたのは初めてではない。だが今、彼女から溢れ出た殺気は、これまで感じた何よりも恐怖を感じた。

 まるで、蛇に睨まれた蛙のように心臓が萎縮していた。もし長時間、こんな殺気を浴び続けていたら……と思うとゾッとする。

 

「(……この女)」

 

 ただ者ではない。いや、それはそうなんだが。

 人としても、まるまる別の次元に立っているような、そんな感じがする。やはり経験値の違いなのだろうか。

 

 無意識のうちに、通信機を取り出して会話する女性の背を、睨むように見ていた。

 呆れたわけでもなく、面倒だからというわけでもなく。あの一時、刹那の間に浴びせられた殺気。

 会話している時とはまるで雰囲気であった彼女の認識を変えざるをえなかった。

 

「……わかった。引き続き周囲の警戒を。念のためにね。魔物は討伐したから、我々も下山するわ。その後、彼を学園に送り届けるから。……ええ、お願いね」

 

 軍の仲間との通信を終えると、マリアは相変わらず優雅に笑ったまま、

 

「さ、行きましょ」

 

 と先を歩いていく。

 

「(……気にしすぎか)」

 

 普段の彼女と、戦闘時の彼女。多分、仕事スイッチのオンオフって話だろう。いつもマリアと話す時に彼女の殺気に怯えてたら、こっちが疲れるだけだ。

 

「…………やれやれ」

 

 とんだ入学初日になりそうだ、と俺もマリアの後を追って山を降りていく。

 

「────っ?」

 

 その時、背筋に寒気が走った。

 

 ──何かに、見られてる。

 

 咄嗟に振り返るも、そこにはここに来てからずっと変わらない景色だけ。

 魔物は討伐したはずだし、こんな森林の中に民間人がいるとも思えないが、彼女の同僚なら隠れる必要はないだろう。

 

「麗矢君? どうかしたの?」

 

 マリアは立ち止まった俺を見て戻って来ている。どうやら、彼女は視線を感じなかったらしい。

 俺に向けられた視線……その中には、マリアほどではないが、確かな殺気のようなものを感じた。

 

「……あら?」

 

 俺が視線の正体を探る中、マリアの通信機に新たに通信が入る。

 

「こちらマリア」

 

 すぐに通信機を取り出し、通話に応じる。

 

『隊長、無事か!?』

 

 すると、通信機から男の叫び声が飛び出した。聞き覚えのある声……どうやら影浦から通信が入ったらしい。

 しかしその声色は、明らかに何か焦っているように聞こえた。

 

「そんな焦らずとも、私は無事よ。魔物も討伐したし、これからそっちに戻るわ」

『違うんだ隊長、まだ終わってない!』

「え?」

 

 通信機越しでもわかるその焦りように、マリアは困惑していた。

 ……一方で、俺はなぜ影浦が焦っているのか、わかってしまった。

 

「マリア!」

 

 それに気づき、注意を促すように叫ぶ。

 マリアもこちらを見て、異変にようやく気がついた。

 

 地を這う何か。ぐねぐねとうねるそれは、間違いなく人のものじゃない。まるで木の根のような……。

 それに気づいた途端、マリアも俺も状況を理解した。

 

『新たに二つ、魔物の反応を感知した! 場所は、今隊長達がいる箇所。そしてここ、神凪神社本殿! 気をつけろ! 霧の魔物、個体名《人面樹》はまだ存在している!』

 

 影浦の叫びと同時に、地面の下から勢いよく一本の樹が飛び出してきた。

 木の中心に顔面がくっついたそいつは、紛れもなくさっきまでの魔物と同じ存在。違う点を挙げるとすればそれは……木の色だろうか。

 先程の魔物は茶色っぽかったのだが、今目の前にいるコイツは、少しだけ赤く見える。さらに言えば、先程のやつよりも少しだけ体長がでかい。

 一目見て、さっきの魔物とは違うと理解できるほどに。

 

「嘘でしょ──」

 

 魔物による強襲に、マリアも動揺による声を漏らす。

 しかし、すぐにスイッチを切り替え、通信機に向けて指示を出す。

 

「影浦! 今すぐに神凪神社にいる人たちを避難させて! そこにいるグリモアの生徒達と協力して魔物の討伐を──影浦!?」

 

 しかし向こうから帰ってくるのは『ザザーッ』というノイズだけ。少し前まで聞こえてきた影浦の声が、一切聞こえなくなってしまった。

 

「──おい! どうすんだこれ!」

 

 向こうで何かあったのは間違いない。だがこちらはこちらで対処しなければやられてしまう。

 目の前の魔物は、こちらを見下してケタケタと笑っている。不意打ちが成功したことに喜んでいるのか、それとも何の理由もなく笑っているのか。

 そんな魔物を見上げながら、マリアは通信機を強く握る。あちらが心配な気持ちをグッと押し殺し、通信機を腰に下げるとまた別のマスケット銃をどこからか出現させる。

 

「木が赤い……まさかこいつ、奇種……!」

 

 聞き慣れない単語がマリアの口から出てきた。奇種……おそらく、同じ人面樹でも全く違う存在の人面樹なのだろう。

 赤い人面樹は、こちらを見下して下衆な笑みを浮かべている。魔物に知性はないというが、この笑みは果たして動揺する人間を見て笑っているのか、意味もなくその不気味な笑みを浮かべているのか。

 ……いや、そんなことはどうでもいい。

 

「おい、マリア」

「なに?」

 

 通常より強い個体。先程の人面樹は、魔法をうまく組み合わせて攻撃した結果、簡単に霧散した。それは、その人面樹が分身体だったからというのもある。

 本体はマリアが一瞬で討伐してしまったし、試す機会というものがなかったが……。

 

「こいつ、強いんだよな」

「え、ええ。通常個体よりずっと」

 

 ……多分、今俺が考えていることは、とんでもねぇ死にたがりと思われてもおかしくない。

 ただ、マリアが言っていたこと。

 

 ──俺は特別な魔法使いである。

 

「……そうか。ならよかった」

 

 自分の両手に、炎を呼び起こす。

 ヘマするかもしれない。またあの時のように大怪我を負うかもしれない。

 

「貴方まさか、こいつと戦う気!?」

 

 俺の目的を察したマリアが、嘘でしょと声を上げる。だが残念。マジで戦う気だ。

 

「悪い。危険なのはわかってる。でもよ」

 

 魔法を使う感覚はわかった。敵の動きを読むことは、昔っからやってきた。

 ならあとは、死なないよう立ち回る。それだけだ。

 

「試したいんだ。自分が、どんな魔法使いなのか」

 

 敵を見上げ、嘘偽りのない本心を彼女に伝える。

 俺の顔を見て、彼女は心底驚いたような表情になっていた。

 今の俺、一体どんな顔なのだろう。

 

「……やれやれね」

 

 呆れたようにそう言うと、マリアは一歩後ろに下がる。

 そして銃を手に持ち、人面樹に向けるのではなく肩に担いだ。

 

「いいわ。私が全力で援護してあげる」

「──!」

 

 意外な返答に、思わず振り返る。止められると思っていたから、まさか承諾されるとは思わなかった。

 

「その代わり、貴方が危険だと判断したら、私が一気にこいつを倒す。それでいい?」

「……いいのかよ」

「自分で言っておいてそれ聞く?」

「いや、いいってんなら甘える」

 

 許可をもらい、改めて魔物の方に向き直る。

 木の枝を触手のようにうねらせる魔物は、相変わらずこちらをムカつく笑みで見下している。

 

「……まったく」

 

 向かい合う俺と魔物。その様子を、少し後ろで見守るマリア。だが今の彼女の表情は、穏やかだった。

 

「そんな目で言われたら、断れないわよ」

 

 そう小声で呟いた彼女の声は俺には聞こえていない。 

 

「全力でやりなさい! そして私に見せてみなさい、貴方がどれだけ戦えるのか!」

 

 鼓舞するような叫びに背中を押され、俺は前に出る。俺が動くのとほぼ同時のタイミングで、魔物の視線が俺に向けられた。

 

「行くぞ枯れ枝──簡単にくたばんじゃねぇぞ!」

 

 自身の奥底で何かの昂りを感じながら、魔物目掛けて走り出す。燃え上がる火を拳に纏い、自分に向かってくる触手に思いっきり殴りかかった。

 

 黒金麗矢、十八歳。

 初めての戦闘の幕が、魔法使いとしての人生の幕が、今上がったのだった。



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