男が英雄でなければならない世界 〜男女比1:20の世界に来たけど簡単にはちやほやしてくれません〜 (タナん)
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序章

 目の前から大斧を構えた大男が腰を落としてゆっくりと近づいてくる。

 

 大男は全身を獣の皮に腕や胸を鉄で補強した鎧、手には身の丈ほどもある大斧を構えている。

 顎が露出した兜のため、立派な口ひげが見えているのだが、その装備も相まって、男の風貌は山賊そのものだ。

 格子状に穴の開いた鉄兜、その隙間から覗く目が俺を射抜く。その瞳は荒々しい山賊じみた風貌とは裏腹に静かな理性の光が宿っていた。

 こちらの一挙手一投足、胸の呼吸の膨らみすらも、決して逃すまいと観察してくるこの男、はったりではない。

 

 ヒリヒリと肌を焼くこのプレッシャー。

 このプレッシャーは長年にわたり女を守り続けた英雄の物に間違いない。

 

 この世界に来てから八年になる。八年間、俺はありとあらゆる敵と戦ってきた。

 

 そしてこの男、俺の持つ全てを奪おうとしてきた山賊どもよりも。

 

 自らの価値を誇示するために闘ってきた全ての戦士よりも。

 

 生きるために砕いてきた全ての獣共よりも。

 

 この男は強い。

 

 未だ刃を交えていないにも関わらず、はっきりとそれだけはわかる。

 

 俺自身も彼と同じような毛皮と鉄でできた鎧に身を包み、身の丈ほどもある片刃の大剣の切っ先を地面につけ、横に構えている。

 心臓が激しく脈打ち、緊張により目が乾いてくるが、命のやり取りという極限状態に集中力を高め、決して瞬きをすることはない。

 

 リーチはこちらの方が上だ。

 だが俺の持つ大剣の重量は大男の持つ大斧より明らかに重く、同時に動けば歴戦の戦士である大男の振るう大斧が、こちらの大剣が届く前に俺の体が引き裂かれるのは目に見えている。

 

 お互いの得物は人間より遥かに強大な獣を殺すための物である。故に人に振るえばそれは一撃必殺。

 鎧で身を守っていようがその上から相手の体を破壊するのは難しくない。

 

 本当に厄介な相手だ。

 

 俺は息を吐いて呼吸を整えると、切っ先を引きずりながら、すり足で近づき始めた。

 ゆっくりと、だが確実に距離が縮む。

 

 時間にして数十秒、体感としては無限ともいえる時間、ついにこちらの大剣を振るった時、切っ先が腹を裂くことができる距離になった。

 

 目の前の大男は相変わらずその場に留まっている。まだ動かない。

 大男は大斧を頭上に構え、姿勢をやや前傾させた踏み込みからの一刀両断を狙う構えだ。

 それに対して俺は重心を体の中心に置き、体をリラックスさせて、あらゆる方向に動くことができる姿勢をとる。

 

 相手が前傾している以上、俺が横薙ぎの一撃を出せば左右には逃げられないし、後ろへ飛んで避けようとしてもワンテンポ遅れるはずだ。

 相手が避けられず、必殺の一撃を狙える絶好の間合い、にも拘らず、俺は未だに自分の体が真っ二つになる未来しか見えず、大剣を振るうことはできなかった。

 

 大男の武器のリーチではギリギリ俺には届かない距離ではあるが、その前傾姿勢から繰り出される踏み込みを考慮すると、既にこちらも相手の間合いに入っている。

 

 攻めるか守るか。

 この選択肢を誤れば死である。

 

 そこで俺は覚悟を決めた。足を止めて肩の力を抜き、両手で握っていた柄を右手のみ逆手にして握り締めた。

 その柄を握り締めた瞬間だ。それを好機と見た戦士が一歩踏み込み全身の力を解放してきた。

 踏み込んだ足に大地が砕かれるほどの力を伝えられた大斧は、一瞬で最高速に達し、俺の頭に向かって振り下ろされる。

 

 俺は柄から左手を柄から離すと、残る逆手に持った右手を全力で前に突きだした。

 

 こちらに来て八年間、誇張なく血反吐を吐きながら鍛えた体と鎧。その二つを合わせた重量以上の重さを誇る大剣は、俺が大地を踏みしめることなく動かそうとしたためビクともしない。

 だが、動くことを拒否した大剣の代わりに突き出した腕は、俺自身の体を後方へと追いやった。その大剣から跳ね返ってきた力により、足が地面を離れ、体ごと後ろへと跳んだのだ。

 

 大斧が迫ってくる。

 極限の集中でスローになった世界では、頭上に迫る大斧の速度に対して、後方へと流れる俺の体の速度がやけに遅く感じる。

 そして大斧が俺の兜を引き裂いた。肉を裂き、頭蓋骨を薄く削る。だが致命傷ではなく、大斧は地面を砕いた。

 

 あまりの衝撃に軽い脳震盪をおこし、視界が揺れるが体はまだ動く。

 この程度の脳震盪なんて珍しくもない。

 

 俺は後ろに下がった反動のまま体を、右足を軸にして後ろに回転させ、大地を踏みしめて力を足、腹、胸、腕そして右手の大剣へと伝える。

 勝負が始まってから目を離すことのなかった戦士から、嫌がる本能を理性で抑え込んで視線を外した。

 完全に戦士に対して後頭部を向け、俺はただ大剣を片手で振るう事だけに全力を傾ける。

 

 片手で振るうには重すぎる大剣に全身の筋肉がぶちぶちと音を立てて千切れていくが、俺は歯を食いしばり最初で最後の好機に全力で大剣を振るう。

 俺の倍以上は重い大剣は、重々しくも確実に地面から離れ、勢いを増し、回転する体に合わせて足を踏みかえた時、ついに戦士の両腕を横から叩き斬った。

 鉄を引き裂き、骨を砕く感覚が見ずとも手から伝わってくる。

 

 戦士の腕を落としてなお動きを止めない大剣は勢いそのままに、元あった地面へと突き断つことでようやく動きを止める。。

 

 俺は揺れる視界に堪らず膝をつくが、何とか視線を戦士の方に合わせる。

 呼吸を荒げ、肩で息をしながら戦士を見ると、失った両腕から血を噴き出しながらも力強い目でこちらを見つめていた。

 

「……見事。俺の負けだ」

 

 戦士の敗北の宣言を聞いた俺は、膝をつき、

 吠えた。

 地と血が震え、体が沸騰する。

 その瞬間、俺の後ろに控える鎧に身を包んだ女たちの勝ち鬨を身に受けた。

 

 極度の集中により、俺の視界には戦士しか映っていなかったが、元々俺と戦士の側に分かれてお互いにおよそ百人程の女と十人程の男が勝負を見守っていた。

 

 戦士の側にいた女達は急いで戦士の側に寄って腕を縛り、止血を始めた。

 女の一人が傷口に手をかざすと、その手から淡い光の粒子が降り注ぎ、戦士の傷口が少しづつ塞がり始める。

 

「約束通り俺たちはお前の配下に加わる。俺は両腕を失ってもう闘う事はできない。

 だが、虫のいい話なのは分かっているがどうかこいつらを不当に扱う事はやめてほしい。お前が望むならこの首でも何でも差し出そう」

「そんなものはいらない」

 

 文字通り差し出された命を俺は撥ね退ける。

 

「だが、誓おう。俺はお前の分まで彼女たちを守る事を」

 

 正々堂々と闘った相手の願いを俺は断ることなどできない。

 

「恩に着る」

 

 俺は戦士に背を向けて歩きだした。

 

 俺が彼から背負った何かはとてつもなく重い。

 

 

 

 だが、俺は絶対につぶれない。

 

 俺が男だからだ




大体二月に1回くらいで他サイトで連載している一般向け小説てす。
最新話である27話までは毎日投稿します。


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1話 異世界へ

 気付いた時には森の中にいた。

 俺はさっきまでゲームをしていたのだが急に塩気が欲しくなり、コンビニにポテトチップスを買うために夜道を歩いていた筈だ。

 

 コンクリートジャングルのど真ん中から、見渡す限り木しかない森に急に迷いこんだというだけでも凄まじい違和感があるが、この森自体にもなにか違和感を感じる。

 

「いや……まさか……」

 

 この幻覚でも見てるかのような状況に、普段からラノベを読むオタクな俺は直ぐに一つの可能性を思い浮かべる。

 

「いや!まだ判断は早い!落ち着け……先ずは証拠を集めるんだ。」

 

 叫びたくなる気持ちを抑え、周りを見渡す。

 近くに生えている木に手を触れ、感触を確かめる。

 

 背が高く、細い葉の形状から杉のような針葉樹のようにみえる。だが木同士の間隔が全く揃っておらず、雑多に生えていることから植林された木ではない事が伺える。

 

 細い葉はよく見ると細かい網目状になっていて全く見覚えのない形だ。少なくとも自分の浅い知識の中には存在しない木である。

 

 よく見れば地面に生えている草も肉眼ギリギリ確認できる程度の網目状になっている。

 どうやら最初に覚えた違和感は、周りに生えている草木が、自分に馴染みがある植生ではなかったからみたいだ。

 日本の何の変哲もない森も、外国人から見たら異国感が凄いらしいので、俺の違和感も同じだろう。

 

「少なくとも日本っぽくないな。これはひょっとしてひょっとするかも?」

 

 より異世界転移の可能性が高まって興奮してくる。

 眠っていたならともかく、立った状態でいきなり景色が変わるなんて、気絶させられたり、薬で眠らされて拉致されたという線は薄そうだ。

 

 俺の名前は原田 湊 15歳 近所の高校に通う普通の男子高校生で嫌いな科目は体育のオタクに属する人間だ。

 一人っ子として育てられ、帰宅部ながらもオタク仲間とそこそこ楽しい毎日を送っている。

 今の服装は上下のジャージと使い古したスニーカーで財布も携帯も家を出た時の記憶のままだ。

 

 記憶喪失の可能性を疑って自分の経歴や行動を思い返すが自覚できるような記憶の欠落はなさそうだ。

 

「ステータスオープン!」

 

 ラノベお決まりのセリフを叫んでみたが、声が深い森の中に吸い込まれるだけだ。

 その後魔法を使えないか知っている限りのゲームの魔法の名前を叫んだり、子どもの頃本気で出そうとした両手を突き出して気を放出する技を試してみたりしたが、ただ空しくなるだけだった。

 

「おかしいな…やっぱり異世界じゃないのか?」 

 

 これ以上この場に留まっていても得るものはなさそうなので移動することにする。

 

 とりあえずは木々の間から洩れる日の光の方向に歩き始めて約1時間程が経った。

 森の中を延々と歩くことは、学校へ行く以外にはゲームやアニメばっかり見ているもやしっことしてはかなりきつい。

 よれよれになった自分のスニーカーに土汚れがついて、いつもより一層みすぼらしく見えて気が滅入ってくる。

 

 最初はなんとかなるだろうと楽観的に考えていたがどうやら考えが甘かったようだ。

 1時間も彷徨って何も見つからない事を考えると、最悪野宿を覚悟しなければならないが、水も食料もない現状でそれは避けたい。

 

「せめてコンビニで買い物してからだったらな……」

 

 たらればの意味のない考えだが不安からぐるぐると思考が後ろ向きになっていく。

 スニーカーの汚れが妙に気になるのも、顔が俯いて足元ばかり見ているからなのかもしれない。

 

「しょうがない……休憩すっか……」

 

 疲労困憊の体を引きずって近くにあった倒木に近寄って腰をかけることにした。

 山道とはいえ一時間歩いただけとは思えない疲労が体に溜まっている。

 どうも空気が肌に纏わりつく気持ち悪い感覚があって、行動の一つ一つを邪魔しているような気が、この地に降り立ってからするのだ。

 この肌で感じる妙な感覚は、最初は湿度が高いとか空気が薄いのかとか考えたが、普通に呼吸はできるようなので取り敢えずは気にしないようにして行動していた。

 

 動きを邪魔する謎の空気は元気な内はそれほど気にもならなかったが、少しづつ、だが確実に体力を削ってくる。疲れるにつれてそのわずかな抵抗がどんどん重く感じてきて、ついには座り込むほどまで体力を奪われていた。

 

「くそっ…どうなってんだ……」

 

 丸太に座った姿勢で肘を膝につき手に顔をうずめる。

 少しでも体力を回復して行動に移さないと夜が来てしまう。それだけはまずい。

 体感では現在の温度は25℃前後で比較的過ごしやすいが、もし夜になれば気温がどれだけ下がるかわかったものではない。

 もし気温が低くなるような場所であればジャージだけの今の姿ではなんとも心もとない。

 

 焦りばかりが募るが、疲労した体を動かすことを脳が拒否している。

 元々体育会系ではないオタクなため、こういう時の意志の弱さは折り紙つきだ。

 

 そうしていると微かに地面に落ちた枝を踏みしめて折るような音が聞こえてきた。

 俺は素早く立ち上がり、周りを見渡す。

 

 ……いた。木々の間から僅かに見えたその生物は確実にこちらに向かっている。

 

「デカイ……」

 

 全身の毛穴から汗が噴き出してくる。

 その生物を遠目で見ただけで絶対に勝てないことが本能でわかったのだ。

 その生物は四足歩行で全身を毛でおおわれており、周りの木との対比から2mほどの体高はありそうだ。

 一見熊のようにも見えるが、四肢は太く、顔は毛で覆われていて目は見えない。

 遠くで見える情報としてはこのくらいだろうか。すくなくとも生身で勝てるような相手ではないのは確かだ。

 

「やばい! やばい! やばい!」

 

 疲弊した体を無理やり動かし、俺は一目散に逃げ出す。

 

(頼む! 追いかけてくるな! 気付かれていないでくれ!)

 

 走りながら、獣がたまたま自分の方向に歩いてきているだけという可能性に願ったが、どうやらその願いは叶わなかったようだ。

 後ろから地面を踏みしめる音が近づいてくるのがわかる。

 

 走りながら後ろを振り返ると獣が、四足で走ってくるのが見えた。やはり獲物として認識されてしまったらしい。

 必死に走り続けるが死を告げる足音がどんどん迫ってくる。

 心臓が、肺が痛い!

 足がもつれる!

 しかも足音がすぐ後ろで聞こえ、さらには獣の息すら聞こえてくる!

 

 喉をからしながら必死に逃げていると、背筋に悪寒が走った。

 

 直感が告げている。

 死ぬぞと。

 

 俺は直感に従い、無理やり体を捻って左方向へと投げ出す。

 

 飛び込みながら視線を獣の方にむけると、自分の頭があった位置を、発達した太い前足が通り過ぎて行った。

 振りぬいた獣の腕はそのままそばにあった木にぶつかるが、勢いをとめることなく木をへし折る。

 その木は細っこい小枝のような木ではなく、直径40㎝はある立派な木だ。

 それをへし折る程の膂力、避けなければ確実に死んでいた。その事実に背筋が凍る。

 

 なんとか獣の攻撃をよけることに成功したが、地面へへたり込んだ俺は、恐怖と疲労で足が震えて立ち上がることができない。

 

(あっ死んだ)

 

 獣は後ろ脚で立ちあがり、鉤爪の生えた前足を振り上げる。

 やはり熊に似た生き物らしい。

 熊とは違い、顔は鼻が突き出しておらず、人や猿のように平らでビッグフッドとかそういう印象だ。

 呑気にそんな事を考え、今にも自分に振り下ろされようとされている前足を茫然とみつめる。

 

(あーせめて彼女つくりたかった……)

 

 下らない心残りを最後に、死を覚悟した瞬間、その獣の腕に何かが突き刺さった。

 

「え?」

 

 獣は声を上げることもなく自分の前足を傷つけた飛来物が飛んできた方向に目を向ける。

 自分もつられてそちらに目を向けると、そこには10人ほどの毛皮と鉄で補強された鎧に身を包んだ人が弓を構えていた。

 

「放て!」

 

 鋭くも美しい声が響くと一斉に獣に矢が突き刺さる。どうやら声と体の線からして全員女性らしい。

 女性の一人が笛を大きく鳴らす。

 獣はその笛に反応したのか、標的を俺から女達に切り替えて走り出した。

 

「分かれろ!」

 

 号令とともに女性たちは左右に分かれて走り出す。

 獣は左右に分かれた女達の内、向かって左方向にいる鎧の女達の方向へと舵を切った。

 

 やはり足の速さは獣の方が上なようで、あっという間に鎧の女性達に追いついたが、右に分かれた鎧の女性が立ち止まると獣の後ろから矢を放つ。

 獣の背中に矢が刺さるが、どうやら効果は薄いようで、完全に目の前の標的を潰すことに注力して、矢の事は意にも返さない。

 

 すると追いかけられていた女性達は、反転し、弓を捨て、背中に刺した槍をもって構えるた。

 女達の数は5人、横並びになって槍を構えているうちの、真ん中の女性に向かって獣は飛び掛かりながら腕を振り下ろした。

 女性は大きくバックステップをして獣の腕をよけるが、獣は一歩さらに踏み込み、追撃を加えようとする。

 すかさず左右にいた女性たちが槍を突き出して動きを止めようとする。槍を突き立てられた獣は、流石に動きが僅かに鈍り、真ん中の女性は追撃を回避することに成功した。

 

 だが獣は腕を振り回して刺さった槍を弾き飛ばすと、再び突進を仕掛けてくる。その動きは鈍っているようには見えず、やはり効果は薄いようだった。

 

 女たちは、獣に狙われた人間は回避に専念し、手の空いた者が攻撃を加える見事な連携で獣の攻撃をしのぎ続ける。

 追いかけられていない方の女性たちも武器を槍に持ち替え、連携に加わって獣を囲うように布陣する。

 その様子を呆けた顔で観ていた俺に、リーダーと思わしき号令をかけていた女性の一人が駆け寄ってくる。

 

「お前……線が細いが男か! 助かった! 見ての通り決定打に欠けている手を貸してくれ!」

 

 そう言うや否や女は腰に差していた剣を俺の方に突き出してくる。

 

「いや…俺剣なんか使った事がないんだ……」

「武器の選り好みしている場合か! いいから手伝え! 私たちの男は今こっちに向かっているはずだが、いつ到着するかわからん!」

 

 剣を押しつけるように俺の方に渡すと女性は獣の方にむかって走り出した。

 

「重っ!」

 

 軽々と渡された剣はかなり肉厚であり、両手で持つのが精いっぱいだ。

 俺がよろよろとしながらも鞘から何とか剣を引きぬくと、獣を囲う一人の女性が槍を捨て、腰の帯びていた剣を引き抜いて獣に向かって走り出す。

 

 女の迎撃のために振り下ろされた獣の腕が、金属でできた肩当ての表面を削るが、女性は腰を折って身を極限まで低くして攻撃を避けきると、そのまま獣の足もとのそばを駆け抜ける。

 女は駆け抜けざまに剣を獣の足に向かって振り下ろし、獣の指の一本を半ばまで叩き斬った。

 

 今まで大きな隙を見せなかった獣はバランスを崩し、そこにダメ押しの槍を獣を囲う9人の女性が突き立てる。

 

「今だ!こいつの頭を!」

「はぇ? あ! くそ!」

 

 俺は恐怖で震える脚に力を込め、なんとか剣を持ちあげて獣のもとに駆け寄る。

 俺は身動きを封じられた獣に向かって俺は剣を頭上に振り上げ、渾身の力で獣の頭に振り下ろす。

 

「おおおお!」

 

 振り下ろした俺の渾身の一撃は、狙い通り獣の頭をとらえ、ごん!っと鈍い音と共に、手に衝撃が伝わってくる。

 

「え?」

 

 だが剣の刃は厚く覆われた体毛により通らず、衝撃は獣の分厚い頭蓋骨に弾かれた。

 剣が弾かれ、俺は無様に万歳した無防備な姿勢をさらす。

 

 その一撃に怒ったのか獣は槍がより深く刺さるのも構わず、腕を振り回して槍の拘束を振りほどいた。

 獣は万歳した間抜け面をさらしているであろう俺に向かって爪を振り下ろしてくるが、避けようにも全身全霊の渾身の一撃が弾かれたばかりの俺には成すすべがなかった。

 

 獣の爪がゆっくりとこちらに近寄ってくる。

 俺の脳が死を感じ取ったのか視界がスローモーションになる。

 

(動けよ俺の体! なんかないか! 目覚めろよ俺の隠された力! 今しかないだろ!)

 

 二回目の生命の危機に、俺はよく読むラノベのような不思議な力に目覚めることを祈る事しかできない。

 だが、無情にも俺が力に目覚めるのは今ではなかったらしい。

 

 ゆっくりと迫る獣の爪と俺の間に割り込む人が見えた。

 いつからそこにいたのか、その人は手に持った巨大な鉄の塊を既に振りあげていた。

 後ろからなのでよく見えないが、背中ごしに伝わる獣以上の鬼気迫る圧力に、俺はコンマ数秒前まで自分の命の危険にさらされていたことなど忘れ、魅入っていた。

 

 男が振り下ろした鉄塊は獣の腕にめり込み、体毛に弾かれることなくそのまま沈んでいく。

 鉄塊はそのまま地面まで動きを止めることなく、地面を砕いて舞い上がった土に混じって、獣の太い腕が宙を舞っていた。

 

 ゆっくりと流れていた世界は元の速さを取り戻すと、獣の腕から血が噴き出し、男と俺の体を汚した。

 

「~~!!!」

 

 獣はどうやら叫んでいるようだが俺の耳には何も聞き取ることはできない。

 開かれた口からは牙ではなく人間のような平べったい歯が見えた。

 男はその隙を逃すことなく鉄塊を再度もちあげ、一気に振り下ろす。

 その時初めて獣は顔をゆがませ、恐怖を感じた表情を見せたように俺には見えた。

 

 獣の頭に振り下ろされた鉄塊は分厚い頭蓋骨を両断し、背骨を左右に割り、胸を分け、腹のあたりでようやく失速した。

 獣はその一撃により絶命。

 男が鉄塊を引き抜くと、獣の体は地面へと倒れ込んだ。

 

「遅くなって済まんな」

 



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2話 サンの村

「遅くなってすまんな」

 

 男の一言により女性達の緊張が緩んだ。

 あれだけのタフさを見せていた獣を一瞬で叩き割った男の元に女性達が集まってくる。

 

「いや、よく来てくれたよ。むしろ思ったより早かったくらいさ。」

「そうか、だがどうしたんだ?戦士のだれかが到着するまでは戦う事は禁じていた筈だが。」

「そこの男が丸腰で襲われそうになってたからね。仕方がなかったのさ。

 合図の笛は吹いてあんたが着くまでなんとか耐えてたんだ。」

「男?……確かに細いが男だな。」

 

 男はこちらの顔をまじまじと見てくる。

 俺は別に女顔というわけでは全くなく、ただのフツメンで女に見られるような事は今までなかった。

 疑問は残るが今はいいだろう。

 

「あの…助けてもらってありがとうございます。

 俺は原田湊といいます。

 家の近くを歩いていたらいつの間にか森の中にいたんです。

 本当に助かりました。」

 

「無事で何よりだ。どこも男手は貴重だからな。

 お前はどこの村の男だ?近くには俺たちの村しかない筈だが……」

 

「俺は日本という国から来たんですが、聞き覚えはありますか?」

 

 俺は先程の見たことのない獣と、普通の人間では持ち上げる事すら難しい大剣をこの男が振るっていた事からここが異世界だと考えていた。

 この質問は念の為だ。

 

「日本?聞いたことのない国だな。ここはアズマの国だが…?お前ら知ってるか?」

 

 男の問いかけに女達は一様に首を振る。

 マイナー言語である日本語が通じているはずなのに日本を知らないわけがない。

 この問いかけで俺はここが異世界だと確信した。

 

「異世界キター!」

「大丈夫かお前……」

 

 憧れていたシチュエーションに俺は喜びの声をあげる。

 異世界転移といえば能力を貰って好きなように生きるのがお約束である。

 それが今俺自身に起きたのだ。嬉しくない訳がない。

 周りが胡散臭そうな目で俺の事を見てくるが、つい発作的に叫んでしまっても仕方がないだろう。

 とにかく、そうと分かればやる事は一つ。なんとか保護を求め、生活基盤を整えることだ。

 

「すいません。お願いがあります。俺をあなた達の村へ連れて行ってもらえませんか?

 俺はアズマ国という名前に聞き覚えがなくて帰り道がわからず途方に暮れているんです。」

 

「アズマ国を聞いたことが無いだと?一体どれだけ迷ったらこんな所にくるんだ……」

「怪しいとは思うんだけどあなた達しか頼れる人がいないんです!」

 

 どうやら俺の事を怪しんでいるようだが、ここで見捨てられたら本当に死んでしまう。

 さっきの様な獣がうろついている森に、武器も食料も無く置いていかれるわけにはいかない。

 俺は頭を下げてとにかく誠意をアピールする。

 

「図々しいとは思いますが、帰る目処がつくまであなた達の村にいさせてください!しっかり働きますんで!」

 

「仕方がない…仮にも男を死なせるわけにはいかんか。

 嘘をついてるようにも悪人のようにも見えない。

 いいだろう。ついてこい。」

 

 以外なほどあっさりと保護を求める事が出来た。

 いい人なようで本当に運が良かった。

 

「っ!ありがとうございます!」

 

「俺はサンの村の戦士アンジだ。」

 

 男は兜を脱いで脇に抱え、アンジという名前を名乗る。

 身長は190cm程で、その体の分厚さから鎧の上でもその肉体が鍛え抜かれていることがわかる。

 髪は灰色で髪は短く刈り上げており、後ろだけ伸ばして編み込んでいる。

 精悍な顔つきで歳は40歳くらいだろうか?

 

「私はサンの村のアイラだよ。狩猟衆の長をしている。」

 

 続いて兜を取って名乗ったアイラは号令をしていたリーダーと思わしき女である。

 赤い髪色で歳はこちらも40歳くらいに見える。

 目は赤色で意志の強さが伺える。

 ウェーブのかかった長い髪ですこし皺があるが、若い頃はさぞ美人だっただろう。

 

 サンの村の女達が次々に兜を取り、自己紹介をする。

 皆色とりどりの髪色をしており、ここが異世界だという事を強く匂わせた。

 年齢はバラバラで、10代〜40代くらいのようだ。

 日本語が通じることから、黄色人種なのかと思ったが肌は白い。

 といってもどちらかというと白人に近いが、きつすぎる印象はなく、日本人とのハーフというのがしっくりくる。

 

 その中でも一際目を引いたのは剣で獣の動きを止めた女だった。

 

「私はサンの村の狩猟衆の一人、セツ。」

 

 髪はショートヘアで色は処女雪のような透き通る白。これ程汚れの無い色はないだろう。

 目はやや吊り目で色は純銀。その色は深く、何処までも吸い込まれそうだ。

 肌は顔しか露出していないがきっと全てを包み込む柔らかさをしているのだろう。

 

 歳は恐らくこの女性達の中では一番若いのだろう。俺とそんなに変わらないように見える。

 彼女が醸し出している神秘的な雰囲気に目を逸らすことが出来ない。

 

「……何?」

「えっ!いや!なななんでもないでふ!」

 

 セツの事を見つめる俺の視線が気になったのか、不機嫌そうな顔でジロリとこちらを睨んでくる。

 焦って目が泳ぎまくりの上、吃って最後には噛むという醜態を晒してしまった。

 

(やっちまった!キモいとか思われてんのかな?ヤバい!顔が熱い!あ、なんかいい匂いが……)

 

「なんだ、セツの事が気にいったのかい?」

「うぇ?!」

 

 俺の様子を見てアイラが目敏く質問してくる。

 

「そっ!そんなんじゃ……」

「まあそんな細腕じゃセツはやれないけどね。」

「……はい。」

 

 アイラと俺のやり取りをセツは興味がないようで冷めた顔で明後日の方向を見ている。

 どうやらファーストコンタクトは失敗したらしい。死にたい。

 

「行くぞ。」

 

 そうこうしているとアンジが出発を告げる。

 いつの間にか先程の獣の足にロープがくくりつけられ、アンジと3人の女性がそのロープの先を持っている。

 アンジと女性はそのまま獣を引き摺って持ち帰るようだ。

 

「あの!手伝います!」

 

 体は疲労困憊で動くのも嫌な状態だったが、アンジに見捨てられないように少しでも役に立とうと思ったのだ。

 ロープの余りはそれ程余裕がないため、女性の一人と引く役を変わってもらう。

 残り少ない体力をかき集め、汗をだらだら流しながら獣を引き摺って行く。

 だが5分ほどしたところでアンジから待ったがかかった。

 

「頑張っている所悪いが狩猟衆と代わってくれ。非力すぎて役に立たん。」

「え?…すいま…せん……」

 

 セツが俺に近寄って来て手を差し出してくる。

 ハッキリと役立たず宣言をされた俺は素直にロープをセツに渡した。

 

 セツにロープを渡してからの獣を引く速度は明らかに俺の時より速い。

 自分がセツより非力な役立たずだという事。それと疲労困憊で代われと言われた事に喜びを感じてしまった事が只々惨めだった。

 

 気落ちした俺の足取りは更に重くなり、獣を引っ張っているアンジ達に着いていくのにも精一杯だ。

 謎の体にまとわりつく空気が憎らしい。

 この事を質問しようにも疲労のあまりそれどころじゃない。

 俺は無言で歩き続けた。

 

 

 

 30分ほど歩くとようやくサンの村にたどり着いた。

 

「ここが俺たちの住んでいるサンの村だ。」

「ここが……」

 

 サンの村の家は木造でできており、入口付近の屋根はせり出している。

 窓にはガラスが嵌っていない、この世界にガラスは存在しないか高価な存在のようだ。

 ドアノブは金属でできており、建物の所々に丸い錆びた金属のような物が見えるので恐らく釘を使っているのだろう。

 

「こっちだ。」

 

 獣を引き摺って歩くアンジについて村の中を歩いていると、子供を見守る老婆や、家の窓から女性が顔を出したり、アンジに気付いた女性全員がアンジにお帰りなさいと声をかける。

 

「ここが俺の家だ。」

 

 アンジの家は一際大きい家だった。

 やはり今までの立ち振る舞いからしてサンの村では力を持った人のようだ。

 アンジはそのまま家の横にある屋根と台だけで壁のない東屋に獣を引き摺って行く。

 東屋の台にはいくつかの種類が違う刃物が置かれていた。

 

「「父様お帰りなさい!」」

 

 東屋の床に獣を置くとアンジの家の中から子供がワラワラと出てくる。一人を覗いて全員女の子だ。

 続いて涙黒子のある黒髪の妙齢の美女がアンジを出迎える。

 

「解体しておけ。」

「はい、承知いたしました。あなた達手伝いなさい。」

 

 妙齢の女性は少女達と共に獣の解体作業を行うようだ。

 東屋を妙齢の女性に任せて家の中に入る。

 アイラとセツを含めた狩猟衆の内5人も一緒に家の中に入り、残りの5人の狩猟衆とは分かれた。

 

 家の中に入ると8人の女がアンジを出迎える。

 

「こいつはミナト。森で迷っていた所を拾った。暫くは泊めてやることになったから面倒見てやれ。」

「はい、旦那様」

「湊といいます。アンジさんには森で助けてもらいました。暫くはお世話になります。」

 

(あれ?さっきの黒髪の女の人は奥さんじゃなかったのかな?)

 

 家の中で出迎えてくれた女性の一人の言葉に疑問を覚える。だがその疑問は直ぐに解消される。

 アンジは鎧を女に脱がせながら疑問の答えを話した。

 

「紹介しよう。」

 

アイラとセツを含めた狩猟衆と出迎えてくれた女性達が並ぶ。

 

「こいつ等が俺の女だ。」

 

 俺は初恋が終わった事を知り、疲労が限界を迎え意識を失った。



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3話 実力確認

「やっぱ夢じゃないよな。」

 

 どうやら俺は一日中寝ていたらしく、冷たい空気と明るさからして今は朝らしい。

 俺は目を覚ますとベッドの上に寝かされており、全く見覚えのない部屋とベッドに昨日のことが夢ではない事を知る。

 ぐっすりと眠ったおかげか疲労が抜けるどころか調子がいい。あれだけ俺を苦しめた体にまとわりつく謎の空気の抵抗は、心なしかましになっている。

 そうやってベッドから身をおこし体調を確かめているとアンジが部屋に入ってきた。

 

「起きたか。体調はどうだ?急に倒れたから驚いたぞ。」

「はい。体調はむしろいいくらいで大丈夫です。心配かけてすいません。ベッドまで運んでくれたんですね、何から何までありかとうございます。」

「ならいい、まずは食事にしよう。その後に鍛錬の時間だ。」

 

 食事は女性達は先に食べ終えてるらしく、アンジ、昨日出迎えてくれた少年、俺の3人のみで食卓についた。

 狩猟衆ではない女性達が近くに控えており、給仕をしてくれる。 

 食事は肉中心で香辛料で味付けされている。昨日の獣の肉らしい。

 

「お前はまだ戦士の試練は受けていないのか?」

「戦士の試練?すいません…それはどんなものなんでしょうか?俺の国では存在しない風習だと思うんですが……」

「ミナト戦士の洗礼知らないの?変なの!」

 

 食事を勧めながら会話を勧めていると、さも当たり前のように戦士の試練という言葉が出てきた。

 その口ぶりからして戦士の試練というのは受けて当然のような物らしい。

 名前からして物騒な匂いしかしない。

 

 ちなみにこの物怖じしない少年の名前はボロといい、アンジとアイラの息子で、歳は10歳。

 髪色は燃えるような鮮やかな赤色で、くりくりとした瞳には好奇心の光を写している。

 

「戦う訓練を積んだ男が一人で森に入り、ケシャを仕留めてくる試練の事だ。その試練を乗り越えた者は戦士として、真の男として認められる。」

「俺は昨日初めて剣に触れたくらいで、狩りとか訓練とかした事がありません。それにケシャとはどんな生き物なんでしょうか?」

 

「なに?その年齢でか?ケシャは昨日のあの獣ことだが……今まで何をして生きてきたんだ?」

 

 俺はアンジの疑問に、俺は今まで勉学に励んでおり、狩りや戦いの訓練をする必要がなかった旨を説明した。

 アンジは男が戦士にならないなど、信じがたいと言っていたが一応納得はしてくれたようだ。

 

「その戦士の試練は男なら誰でも受けるようなものなんですか?」

「そうだ、男は例外なく5歳から訓練を始め、15歳になると戦士の試練を受け乗り越えることで一人前の男として認められ、女を娶ることが許される。」

 

 あの尋常ではないタフさと怪力を備えた化け物と呼ぶにふさわしい獣は、少なくともこの村の男なら誰でも一人で狩らないといけないらしい。

 あんな化け物倒す様な訓練とは一体……

 

「そういえば昨日はなんで女性だけで森を彷徨いていたんですか?昨日は戦士が来るまではとか言ってましたが……」

「この村には戦士が俺含めて5人しかいないからな、狩猟衆とは別れてケシャを探していた。ケシャを見つけ次第、笛で戦士を呼ぶことになっている。」

 

「え?5人?男は皆戦士になるんじゃないんですか?」

「そうだが?」

「それじゃ5人って少なすぎませんか?やっぱりそれだけ試練が危険て事ですか?」

「勿論試練は危険なものだが、そうやすやすとやられる程このサンの村の男は弱くは無い。それに少なすぎるとは?」

 

 俺はここでこの村に訪れてからでずっと感じていた違和感の正体に気付く。

 この村に来てから殆ど女しか見てない。今まで見かけた男といえば目の前にいるアンジとボロの二人だけだ。

 もしかしてこの世界は男の夢の一つである、あのジャンルの世界なのかも知れない。

 

「あの…もしかして子供って男のほうが女より産まれにくかったりします?」

「ん?そんなの当然だろう?」

 

 俺の仮説は正しかったようだ。この世界は俺がチート能力授かって暴れまわるような世界ではない。俺はこの世界でやるべき事は唯一つ。

 

(ハーーーーーーレム!)

 

 男女比が偏った世界に日本人が飛ばされる展開は、成人向けのWEB小説ではよく題材にされている。

 そういう小説では得てして男は貴重なため、男は努力せずとも女にモテモテで酒池肉林を築くのがお約束だ。

 だが残念ながら、俺が踏み込んだこの世界では戦士の試練を受けないと嫁は取れないらしい。

 ならば俺のやる事は一つ。

 

「アンジさん一つお願いがあります。」

「なんだ?」

「俺に戦い方を教えて下さい!お世話になりっぱなしで申し訳ないんですが、どうしてもアンジさんの役に立ちたいんです!」

 

 俺はなんとか戦う術を身に着け、あの化け物を倒してハーレムを作らなければならない。

 お世話になったお礼に、何とか役に立ちたいのもあるが、一番の理由は男の夢たるハーレムである。

 彼女いない歴=年齢の俺からしてみれば、彼女どころかハーレムが目の前に転がっていてやる気が出ない筈がない。

 

「全く戦う訓練をして来なかったとは思わなかったが、元々狩りを手伝わせようとは思っていた所だ。男手はいくらあってもいいからな。」

「ありがとうございます!」

 

 その後食事を終えた俺は訓練のため、木刀を持って家の横にある訓練場に立っていた。

 訓練場では30人程の女性達が、的に向かって矢を射っていたり、槍による組手などそれぞれ訓練を行っている。その中にはアイラもセツもいる。

 

 最初は狩猟衆の女達が使っていた剣を持たされたのだが、その肉厚の剣の重量の前に敢え無く断念。ボロが使っているのと同じ木刀の一本をかりたのだ。

 

「先ずはどの程度お前がやれるのか見極める。セツ!来い!」

 

 アンジはセツの名前を大声で呼んだ。

 剣で訓練相手の槍を弾き飛ばしたセツがこちらに歩いてくる。

 

「なんでしょうか?」

「こいつの今の実力を見極める。相手してやれ。」

「わかりました。」

 

 相変わらず無愛想な顔のセツが、俺が木刀を持っているのを見て剣を木刀に持ち代える。

 

「よっ!よろしくお願いします!」

「……」

「本気でやれ。……始め!」

 

 俺の挨拶は無視されるが、アンジはお構い無しに試合の合図を出す。

 俺は慌てて木刀を剣道の構えを思い出し、見様見真似で正面に構える。

 対して、セツは足を開いてどっしりと腰を落とし、両手で木刀を握り横に構える。

 

 俺は木刀を構えたものの、どっしりと構えて待ちの姿勢であるセツにどう攻めたらいいのかさっぱり分からない。

 しかも訓練しているとはいえ相手は女だ。思わず一目惚れしてしまうほどの美少女に、木刀とはいえ武器で攻撃をするのは躊躇してしまう。

 

 だが何時までもここで棒立ちというわけには行かない。俺はついに決心を決め、心を鬼にして木刀を振りかぶった。

 その瞬間セツは動き出し、俺の腹に向かって木刀を薙ぎ払う。

 俺はセツの木刀をただ見ている事しかできず、食べたばかりの朝食をぶちまけるのだった。



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4話 訓練開始

(痛い…苦しい……)

 

 俺は木刀で腹を殴打され、堪らず地面に蹲った

 鈍い痛みが全身を侵食し身動き取れない。

 容赦なく俺の腹を殴りつけた張本人は不機嫌そうに眉をひそめこちらを見つめている。

 

「なにしてんの?」

「なっ…何って…お前……」

 

 セツの全く罪悪感を抱いていない様子に、俺は苛立ちを覚え抗議しようとする。だがまだダメージが抜けないため続きの言葉を紡ぐことができない。

 

「早く立って。」

「ちょっ…まって……」

 

 この女は一体何を言ってるんだろうか。俺は木刀を持ったのは初めてだし、朝食を吐き出すほどのダメージを受けているのが分からないんだろうか?

 俺は理不尽だろと心の中で悪態をつきながら震える足に力を込め何とか立ち上がる。

 

「立ったぞ……っ!」

 

 俺がなんとか立ち上がり、前を向いた時には既にセツが木刀を振り上げていた。

 咄嗟に自分の木刀を上に掲げてセツの一撃を受け止める。だがセツは最も破壊力の高い上段からの一撃、対する俺はスポーツ経験もない非力な男で、足はフラフラな状態。

 セツの一撃を受け止めきれず、木刀を押し込まれ左肩を殴打される。

 その衝撃で膝が地面に崩れ落ちる。セツはそのまま丁度いい高さになったであろう俺の頭に、長い足を撓らせた鞭のような蹴りを叩き込んだ。

 

「油断するな。獣は待ってくれない。」

 

 俺は為す術無く地面に倒れ込む。顔が地面の感触を感じとり、土の香りが鼻をつく。そして遅れて肩と頭に痛みが走る。

 意識こそ飛ばなかったものの、セツに言い返す余裕は無い。

 俺が立ち上がれない様子を見てアンジが口を開く。

 

「そこまで。ミナトはどうやら本当に戦士の訓練を積んでこなかったようだな。力が弱い。」

「心構えが甘い。」

「技もない。」

「加護も殆ど感じられない。」

 

 アンジとセツが代わる代わる俺を酷評する。

 訓練も口撃も、もう少し手加減してもらえないだろうか。女の人に力負けした上で酷評されるのは堪えるものがある。

 

「とにかくミナトが遠くから来たのは本当のようだ。俺の知る限り男が戦いと無縁でいられるような村は近くにはない。」

「……信じて貰えて良かったです。」

 

 俺はボロ雑巾にされる代わりに悲しい形で少しだけ信用を得ることができたみたいだ。

 明らかに割にあわない気がするがそう思い込むことで、何とか理不尽に対する怒りを抑えるのだった。

 

「父様、もういい?」

「ああ、大体こいつの事はわかった。ここからは基礎訓練をさせる。」

「え、あれ、父様って?」

 

 セツは俺の事を面倒くさそうな目で見ながら聞き捨てならない言葉を発する。セツはアンジの女では無かったのか?

 

「?セツは俺とアイラの娘だが。」

「でも昨日俺の女だって……」

「その通り。あの場にいた女は全て俺が守る女だ。」

「えっと…すいません。ちょっとお聞きしたいんですが、親子で結婚とか言う風習とかあったりします?」

「そんなわけ無いだろう。」

 

 どうやら俺は文化の違い故の勘違いをしていたらしい。セツがアンジの嫁ではないと聞き、砕け散ったはずの恋心が形を取り戻し始める。ついつい痛みも忘れて顔が緩む。

 そうなると不思議と今までの悪態を許せてしまった。

 顔が緩んでしまっているため、面と向かっては見れないが、横目でセツの顔をこっそり伺う。するとそこには超絶美少女が嫌そうな顔をしてこっちを見ている。

 

「私はお前の嫁は嫌。」

 

 形を取り戻し始めていた俺の恋心は更に細かく砕け散った。

 その後セツは自分の訓練に戻り、俺は薪割りをする事になった。

 全身の力の使い方を覚えるのに丁度いいらしい。

 俺は薪にやるせない気持ちをぶつける。

 

「うおおお!」

「気持ちのこもった良い振りだ。これは鍛錬だ。その調子で一回一回全てに手を抜くなよ。」

 

 アンジは本日初の褒め言葉を俺に授けて自分の鍛錬に戻る。俺はアンジからの褒めに対して喜ぶ気になれず、セツへのイライラを薪にぶつけ続けた。

 

 俺が薪割りを始めて一ヶ月、四日に一度は休養に当て、それ以外はひたすら薪割りを続けた。

 最初、手はズル向けになり、全身筋肉痛で動く事すら厳しい状態になった。

 休ませてほしいとアンジに願いでてみたが、

 

「続けろ、大地の加護を身に賜る絶好の機会だ。」

 

 と言われ、たまたま近くにいたセツからは、

 

「男がその程度で音を上げるな。」

 

 と言われ、セツが俺の天敵だと再認識して斧を振るう事になっただけだった。

 ちなみにこの意見には他の女性も同意見らしい。

 

 大地の加護とはこの世界に満ちている力であり、鍛錬をする事でその身に力を宿すことが出来る。

 この大地の加護は肉体を酷使すればするほど、大きな力を宿すことができる。経験則として、効率のいいとされる鍛錬のサイクルが3日の鍛錬をした後、1日の休息を取る事らしく、休息の日はひたすら呼吸を深めて大地の加護を取り込む。

 そうしていると俺を悩ましていた謎の体にまとわりつく空気が一週間後には消えていた。

 

 また、この世界には魔法があることが分かった。

 アンジと女性達が訓練しているのを見ていると、木刀が体に当たるかと思うと触れる前に何かに木刀が弾かれていたり、涙ボクロの妙齢の美女が俺のズル向けの手に手を翳すと光を発し始め、皮膚が再生するといった魔法を目撃した。

 ちなみにこの美女もアンジの娘らしく、名前はクロエという。

 

 この魔法も身に宿した大地の加護を使って行うらしい。

 世界に満ちている大地の加護は人は干渉する事ができない。だが、一度体内に取り込んだ大地の加護は外へ出す事で形を変えて何らかの現象をもたらす。この力をマナと呼び、この時起こる現象は人それぞれで、ゲーム風に言うと人によって使える属性魔法があるという事みたいだ。

 

 薪割りを二週間続けると大分体に余裕が出てきた。余裕ができた分薪割りを早めに終わらせ、木刀の素振りをする。アンジと狩猟衆の女性達がどうやって剣や槍を扱っているのか観察し、見様見真似で木刀を振る。

 

 薪割りを始めて一ヶ月、呼吸から力が肺に入り込み、体内を行き渡るのを感じるようになった。

 力の使い方も大分わかるようになった。体の軸が振れると腕や足の先に負担がかかり、負荷の割に力が込められない。力とは体の中心から生み出すものなのだ。

 

 今日も薪割りをしているとアンジから声がかかった。

 

「そろそろいいだろう。模擬戦を再開する。ボロ!相手してやれ!」

「分かった!」

 

 相手は俺より遥かに体が小さい子供である。だが、俺はこの一ヶ月の皆の訓練を見ていたのだが、その中には当然ボロも入っている。この子供は確実に俺より強い。

 俺は油断することなく木刀を構えた。



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5話 男の心得

 ボロの木刀はこの一カ月で分厚いものに変わっていた。

 元々は俺と同じ重さが1.5kgほどの木刀を使っていたが、ボロが持っている木刀は刀身部分が倍ほどに分厚くなっている。

 この世界の生物は大きく力が強いものが多く、人はそれに対抗するためにより大きく、重い武器を求めた。そのためこの村にいる人間の剣術はいかに力を込めることができるかに特化しており、その訓練で扱う木刀も大きく重いものになる。

 

 その木刀は地球にいる普通の子供であれば振り回す事は不可能な重さだろう。だがこの世界の人には大地の加護が宿る。ボロは俺より遥かに長い間マナを取り込んでいる上、この一カ月で体自体成長している。

 ボロの素振りする時の初速と振り終わった後の体の振れを見たところ俺より力は上だろう。

 

 ボロは木刀を頭上に構えた。重い武器を最も効率的に最速で振り下ろす構えだ。

 俺は木刀を正眼に構える。

 様子見の時間は一瞬だけであった。ボロは直ぐに踏み込み全力の振り下ろしをする。俺は前に出していた右足の親指に力を込め、後ろに飛ぶ。ボロの一撃は髪先をかすめるに留まり回避に成功する。

 俺は木刀を振り下ろしたばかりのボロの腕に向かって振り下ろすが、ボロは歯を食いしばりながら腕を振り上げて俺の木刀を迎撃する。

 

 重い木刀を重力と逆方向の切り上げに無理やりしたにも関わらず、俺の木刀は弾かれる。

 ボロは両手を木刀から離し、そのまま踏み込んで片手で俺の服を掴む。俺はあわててボロに木刀を振り下ろそうとするが、掴まれた服を引っ張られる事で体勢を崩した上に密着状態になったため木刀を振り下ろすことができない。

 ボロは半身の状態で左腕で俺の服を掴んで引っ張り、体を回転させるようにして小さいが重い拳を腹に叩き込んでくる。拳は俺の腹に深く突き刺さり、俺は空気を吐き出しながら木刀を取り落とし、体をくの字に曲げ膝を着いた。

 さらに顔面に向かって膝の追撃が向かってくる。俺は思わず目を固く瞑り衝撃に備える。

 だがいつまでも衝撃が襲ってこない。恐る恐る目をあけるとボロの膝が目の前で静止していた。

 

「ミナト、目を瞑っちゃだめだよ。戦いにおいて目を瞑るのは戦いをあきらめた時。僕たち男が負けると言う事は女達の命が奪われるというのと同義だ。だから僕たちは死ぬ最後の瞬間まで諦める事は許されない」

 

 真っ直ぐ俺を見つめるボロの目は訓練終わりにいつも遊んでやってる無邪気な目ではなく、どこまでも深い決意の目だった。

 獣を殺すためには尋常ではなく重く巨大な武器が必要だ。だが力に劣る女ではそれらを扱う事が出来ない。魔法というものもあるがそれらは決して決定打になり得るような物ではなく、獣相手には目くらまし程度の効果しかない。それゆえ男は強くあらねばならないのだ。

 このボロと言う少年は10歳と言う若さにして、その身に背負う使命を十全に理解している。

 静かに語るこの少年が俺には不思議と大きく見えた。

 

 その後何度かボロと模擬戦を行い、一度たりとも勝つことができなかった。

 夜庭に寝転びながら考える。

 俺は一体何をしているのだろうか。

 この世界に来てやったことといえば薪割りくらいで、別に俺がやらなくても子供達がかわりにやるだろう。この世界では男が生まれにくいが男が強いので、ハーレムを作るのはむしろ義務のような物だ。

 だが俺は弱い。女に負け、子供にも負け、挙句の果てには男の在り様を教えられる。

 この世界において弱い男には価値がない。最初は俺に興味を示していた村の女性たちは今では興味を失い、見向きもされない。

 

 俺はぐるぐると出口のない考えを一人巡らせていると、足音が近づいてきた。

 

「何やってるの?」

 

 顔を覗き込むように俺に声を掛けてきたのは俺の天敵であるセツだった。

 いつもの分厚い戦闘用の皮鎧ではなく、ゆったりとした服を着ている。いつもブーツに包まれたサンダルをはいた素足が妙に気になる。

 俺は目を逸らしながら答える。

 

「ちょっと自分自身の不甲斐無さに落ち込んでただけだよ。今の状態じゃただの穀潰しだからな」

 

 多分また嫌な顔されるんだろうなと若干うんざりしながらセツの返事を待つ。

 セツは父親であるアンジを尊敬しているようで、彼女自身も若いながら村でも上位に入るほどの天才だ。そのためか弱い俺に対して当たりが強い。口を開けば情けないや、男のくせに弱いといった言葉ばかり出てくる。そんな態度なので歳が近いというのもあるが、俺の方も既にセツに対しては敬語を使うのをやめている。

 だが返ってきた答えは意外にも棘のないものだった。

 

「お前は目がいい。動きの本質を理解しようとする。多分いい戦士になる」

「え?それってどういう……」

 

 セツは俺の質問に応えず既に家に向かっていた。

 

「どういう風の吹きまわしだ……」

 

 突然の肯定に何か企んでいるんだろうかと思わず考えてしまう。

 だが彼女はハッキリと物を言う人間だ。

 そんな彼女から言われた肯定の言葉はスッと俺の胸の中に入ってくる。

 

「もうちょっと頑張ってみるか」

 

 俺は満点の星空に向かってそう呟いた。

 明日はいつもより上手くいきそうな気がした。



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6話 狩りへ

 この世界に来てから4カ月、俺は狩りに同行するようになっていた。狩りは2つの目的を持って行われる。一つ目は冬に向けて食料や毛皮を手に入れる事。もう一つは俺が初日に出会ったケシャのような強力な獣を駆除して非戦闘員もいる村に近づけない事だ。

 

 この村では通常、食料を得るための狩りは女性が行う。この世界の大多数を占める女性は、地球で男が担ってきたような仕事もこなさなければならないため、強く逞しい。弓や槍を使いこなし、鹿くらいの大きさの獣であればナイフ一本で仕留めてしまう。

 

 そんな強い狩猟衆の女性達だが一人で森に入ることは禁じられており、必ず複数人で森に入ることになっている。

 森には強力な獣が徘徊しており、もし一人で遭遇した上、獲物と認識された場合、獣相手では逃げることも難しい。戦おうにも圧倒的なタフネスと膂力の前に勝つことも難しい。

 ならどうするか。複数人で弓や槍を用いて連携して遅延戦闘を行うのだ。その間に笛を吹いて待機している戦士と認められた男を呼んで止めをさしてもらう。これがこの村の狩猟衆の基本的な戦い方だ。

 

 強力な獣の目撃情報が無いときは、狩猟衆は3人ほどの人数で森のあちこちに狩りや山菜などを取りに出掛ける。そのため、戦士と認められた男が5人しかいないこの村では男手が足りないのでこのような方法を取っている。

 

 当然、戦士としても村の人間としても認められていない俺は、狩猟衆の女性達に混じって森に入っていた。

 一緒に森に入っているメンバーは俺を含めて4人。

 

「この蹄の跡はイノシシですねぇ。」

 

 おっとりとした口調で周りを安心させるこの女性はセリア、18歳らしい。

 セリアは明るい栗色の髪を腰まで伸ばしている。全体的にややふっくらした体形だが、太りすぎというわけではなく、むしろ多くの男が好むであろう包容力を宿している。そして特筆すべきはその胸だ。その大きさたるや天を衝く山脈を想起させる。登山に目覚めてしまいそうだ。

 

「近いな。足跡がついてからまだ2,3時間と言った所か。」

 

 思わず背筋が伸びるような凛とした声の持ち主はシオ、17歳。

 シオは綺麗な黒髪をポニーテールにした、まさに美人という言葉がぴったりの女性で、いわゆるモデル体形で背が高く手足も長い。もし彼女が日本の学校に通っているならば、男子より女子からラブレターを貰いそうだ。

 

「今日は肉が食えそう。」

 

 最後に言葉を発したのはセツだ。俗っぽい事を言っているのにも関わらず、周りを自分の空間にしてしまうような神秘的な雰囲気を発している。

 

 初めて出会った時はケシャという強力な獣の目撃情報があったため、10人という大所帯で鎧もしっかりと着こんでいた。だが最近はそういう強力な大型の獣は見つかっていない。こういう時は動きやすさ重視の普通の服に弓矢と槍と必要最低限の道具しか持たない。なので今回は兜で顔が見えない事もないし、鎧で色んなところの揺れが見えない事もない。

 

 狩りに同行することになって1月、このセリア、シオ、セツ、俺のメンバーで森に入る事が多い。年齢は皆若く、俺とそれほど変わらないように見える。もしかしたらアンジは俺をこの3人とくっつけようとしているのかもしれない。

 

「これがイノシシの足跡か。」

 

 魅力的な未来予想図はこの辺りにして、俺は膝をついて蹄を観察し始める。

 地面の足跡には2つの大きな蹄とその後ろに小さな2つの蹄が並んでいる。俺はこの形を記憶に焼きつけようとする。何度か狩りに同行しているが、まだシカの足跡との見分けがつかないため特徴を必死に覚えようとしているのだ。

 そうしているとセリアが胸を揺らしながら俺の様子を覗き込んでくる。

 

「ミナトさん。足跡は覚えられそうですかぁ?」

「うーんこういう4つの跡がついてたら分かり易いんですけど、後ろの小さい跡が残ってない時は分からないですね。」

「その場合は僕でも判別は難しいから気にしなくてもいいんじゃないか?」

 

 経験のあるシオでさえ見分けるのは難しいらしいが、俺は昔から凝り性な所があるのでなんとか見分けようとする。だがあまり時間を無駄にする訳にはいかない。こうしている間にも獲物は動いているのだ。

 言い忘れていたがシオさんはまさかの僕っ子である。

 

「私はニオイで分かる。」

「…すげーな。」

 

 どうやらセツは鼻がいいらしい。俺には全く分からないが、重要な判断材料なのだろう。これも訓練が必要そうだ。

 

「すいません。お待たせしました。行きましょう。」

 

 俺のために待たせてしまった3人に謝罪をしながら立ち上がり、先を促す。

 1時間ほど足跡を追いかけていると一匹のイノシシが川で水を飲んでいた。

 

「いた。いつも通りミナトが最初に射るんだ。もし外しても僕がなんとかする。」

「はい。いつもありがとうございます。」

 

 俺はこの4カ月の間に弓の訓練も行っていた。最初は普段使わない筋肉を使うため、全く引く事が出来なかったが、今ではそれなりに引けるようになっている。

 俺は目いっぱい力を込めて弓を限界まで引き絞る。弓を持っている左手は肩を入れて真っ直ぐ骨で支える。右手は広背筋をつかって頭の後ろまで目一杯引く。弓を持つ左手が呼吸によってブレてしまうため、息を止める。

 狙いを定めるがすぐには矢を放たない。獲物はまだこちらに気付いていないため焦る必要はない。絶対に当たる確信を持てる時まで待つ。

 

(まだ…まだ…まだ………いける!)

 

 俺の直感が今なら当たることを確信する。俺の手から放たれた矢はイノシシへ向かって飛んでいき、イノシシの足の間を通り過ぎる。矢は川の中に吸い込まれた。外したようだ。

 イノシシは音に反応してこちらに振り向くが、振り向いて目がこちらから見えた瞬間、すかさずシオの放った矢がイノシシの目に命中する。矢は目を潰しそのまま頭蓋骨を砕いてイノシシを一撃で絶命させた。

 

「シオさん流石ですね。助かりました。」

「ああ、どういたしまして。」

「あんたはいつになったら上達するの?」

「まあ、セツちゃんまたそんなこと言ってぇ。」

 

 見ての通り俺の弓の腕は未だに未熟だ。止まっている的にさえまともに当たらない。セツの嫌味にぐうの音が出ないほど自分の弓の腕前に上達の兆しが見えない。はたして俺が獲物を仕留める日が来るのだろうか。

 俺はため息を吐きながらイノシシに近づいていく。狩りで役に立たないのならば、せめて血抜きや獲物を運ぶのを受け持とうとしたのだ。

 俺はナイフを腰から取り出し、イノシシの首に近づける。イノシシの首を切り裂こうとしたその時、襟を掴まれ後ろに引き倒された。

 

「いってぇ…一体何が……」

「獲物をしとめたからって油断しすぎ。」

「油断って…なんだこれ……」

 

 俺が血抜きしようと近づいたイノシシの頭には20cm程の石がめり込んでいた。もし、セツが俺を引っ張っていなければ、俺の頭が石に砕かれていた事は想像に難くない。背筋にゾッとした感覚が走る。

 セツ達の方を見ると後ろの森の方に向けて弓を向けている。

 弓の差す方向を目で追う。どうやら木の上を狙っているようだ。視線を上にあげていく。

 ……いた。木の上に白い体毛の生物がいる。見た目は端的に言うと大きな猿だ。人と同じくらいの大きさはあるだろうか。器用そうに発達した手には石が握られており、恐らく先ほども投げてきたのだろう。

 セツがそいつから決して目を離すことなく口を開く。

 

「面倒な奴に見つかった。」



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7話 初戦闘 命の賭け

「猩々か。どうする?リスクはあるが僕達だけでやるか?」

 

 白い猿は猩々と言うらしい。たしか猩々といえば赤い猿のようなイメージがあるが何故そう呼んでいるのだろうか。

 日本語が通じたり、名前が日本っぽい人がいたりこの世界はよくわからない。

 

「今は鎧も着ていない。戦士を呼ぼう。」

「了解。」

 

 シオの問いかけにセツが直ぐに救援を求める判断を下す。この中で最も年若いが一番腕が立って信頼されている。そのためこういう重要な判断はセツに委ねられることが多かった。

 シオが首にかけている笛を力一杯吹く。これで暫くしたら戦士が来るはずだ。

 

「頭を潰されたくなければ絶対に背中を向けないで。」

「わかった。」

「無視してくれたら良いんだけどねぇ。」

 

 セリアが願望を口にするも期待はあっさりと裏切られる。

 猩々は手に持った石を木の上で振りかぶる。

 不安定な足場だが、発達した足の指でガッチリ木を掴んで安定させている。弓のように体をしならせて石が放たれた。

 石は真っ直ぐセリアの方に向かっていく。セリアはその場から動かない。俺もセリアを庇おうにも位置が離れており、間に合いそうにない。

 

 だがセリアは焦らない。セリアの体から赤い粒子が吹き出して前面に滞留する。

 大砲のような勢いだった石は粒子の塊に突っ込んだ瞬間、粉々に弾け飛んだ。

 これは彼女の魔法、炸裂魔法だ。

 この赤い粒子に衝撃が加わると爆発を起こす。

 先輩に対していらない心配をしてしまったようだ。

 

 その間にセツとシオが弓を射掛ける。

 そのまま猩々の体に吸い込まれるかと思われた2本の矢は投擲後の体勢を更に深く捻り回避。

 そのうち一本は逆の腕で矢をつかみ取り、木の上でグルッと回転して威力を吸収してまた元の位置に戻った。

 

 俺も遅れて矢を射かけるが、猩々のもう片方の腕を前に突き出して掴み取られた。

 猩々は矢を握り折ってこちらに見せつけるように地面に落とす。猩々はニタリと笑って枝を支点に後ろ回転して勢いをつけそのまま別の枝に飛び移る。

 

 途轍もない反応速度と身軽さだ。それにこちらを馬鹿にするようなあの邪悪な笑みは知性を感じさせる。確かにセツの言うとおり面倒な相手のようだ。

 

 猩々はこちらが中々狙いをつけられない間に木々の間に飛び込んで俺たちの視線を切る。

 そうするとあっという間に猩々の姿が見えなくなった。

 

「やっぱり面倒。」

「あの様子だと逃げたという訳ではなさそうだね。」

「あいつは何で俺達を襲ってきたんですかね。」 

「不明ですねぇ。でも聞くところによると猩々は意味もなく生き物を殺して喜んでいる所を見た人がいるらしいです。」

 

 虐待趣味の猿とはまたとんでもない生物だ。だが野生動物が他の生物を遊びでなぶり殺すのは、地球でもシャチなど特に知能が高い生物に見られる行動だ。

 やはり猿の見た目通り頭がいいのだろう。

 

 猩々が見えなくなり、4人で別の方向を向いて警戒に当たる。

 時折木の上からガサリと音が立つのでまだ近くにいるのは間違いない。

 

 また石が俺に向かって飛んでくる。

 投げるには重く大きすぎる石だ。俺の膂力では受け止めたら最後、衝撃で盾代わりの剣を持った腕が駄目に成るに違いない。

 なので俺が取れる選択肢は回避の一択だ。

 俺は地面にしゃがみ込んで回避した。石は俺の頭上を突き進み、髪をかすらせて地面に突き刺さった。

 

(こえー!ギリギリだった!)

 

 一歩間違えば俺は死んでいただろう。

 俺は今更ながらこれが命のやりとりだと思い出す。

 理解しているつもりではいた。だが、実際に殺し合いをしてみてどうだ。

 死と限り無く近い位置にいる恐怖が俺の体を侵食し始める。

 

「後ろ!」

 

 一際強くガサッと音がなった瞬間セツが叫ぶ。

 俺は振り向くことなく横に飛びだし回避に専念する。

 誰に向かって言っているかは分からないが、もしまた俺が狙われていた場合、振り向いて確認している暇などない。

 

 案の定、俺が元いた位置に石がめり込む。

 この中では俺が一番弱いという事を見抜かれたのだろうか?

 俺が狙われているという事に背筋が凍って喉が乾く。心臓が強く脈打ってうるさくて仕方がない。

 

「大丈夫ぅ?まだやれそうですかぁ?」

「はぁ…はぁ…まだ…大丈夫です……」

 

 正直言うとかなり辛い。だがなけなしの男としてのプライドが弱音を吐く事は許さない。

 恐怖と何度も行われる死のロシアンルーレットに体力が何時もの何倍もの速度で削られていく。

 

「このままいくと、僕達はともかくミナトが持たないね。」

「仕方がない。私が木に登って追い立てる。その間にミナトを逃がす。」

 

 悔しいが俺が足手まといなのは事実だ。

 弱いが故に狙われ、どんどん追い詰められていく。

 もしこれが狙われているのが他の三人だだとしたら危なげなく石を回避して戦士の到着を待つことができただろう。

 

 だが俺がガチガチになりギリギリの所で回避してどんどん体力が奪われていく。

 このままではいつ避け切れなくなってもおかしくはない。

 

 セツが槍や矢筒等装備を手放す。

 残ったのは解体用のナイフのみ、彼女はこれから奴のフィールドに自ら飛び込もうとしている。

 

 俺のせいで。

 

 いらぬ危険を犯そうとしている。

 

 いいのか?

 

 俺は経験が浅いからと初心者なんですと言って甘やかされていいのだろうか。

 現代日本ならばそれで良かっただろう。優しい世界でみんな手を取り合い助けて育てていく。

 

 だがこの死の世界では、代わりに差し出すのは他人の命だ。

 勿論優れた狩人であるセツは死なないかもしれない。だが俺のせいで確実に死の確率は何倍にも膨れ上がる。

 

 それでいいのだろうか?

 

 否。それは良くない。人としても男としても命の責任は他人に賭けさせるべきではない。

 

「はぁ…俺が…はぁ…川の向こうに…行くのはどうですか?」

 

 川を渡る際は機動力が大幅に下がって無防備になる。だが、木を伝って移動する奴は追いかけて来れなくなるだろう。

 かなり危険だ。だが俺の命のための賭けにベットするのは他人ではなく、俺自身の命ではなくてはならない。

 俺は覚悟を決める。

 

「無理だね。」

「無理でしょうねぇ。」

「意味が無い。」

「…へ?」

 

 俺の命を賭けた提案が満場一致で否決される。

 俺はポカンとしたところをまた石が投げ込まれギリギリで回避する。

 

「これくらいの川の幅じゃ、あいつはやすやすと飛び移るだろうね。」

「一人きりになったらいよいよ直接襲われるでしょうねぇ。」

「…はい。」

 

 どうやら俺の考えたことくらい彼女達も考えていたらしい。俺が少し気落ちしているとセツが口を開く。

 

「でも悪くないかもしれない。川を渡る際は姿を表す。セリアなら落とせる?」

「んー飛び出す位置をある程度絞れれば行けるかもしれませんねぇ。」

「なら後は賭けに出る。もしセリアの魔法範囲外であいつが川を渡ったら、弓でカバーする。当てられるかは分からないけど。」

「了解。」

 

 トントン拍子で話が進んでいく。

 幼い頃からは一緒に育ってきた彼女達にお互いの信頼が垣間見える。

 

「そういう訳でミナトは川を渡って。後は私達がやる。」

「ふぅ…任せてくれ。」

 

 深呼吸をして気持ちを落ち着ける。

 セツが命を賭けようとしたんだ。俺が怖がってる場合じゃない。頼もしい三人を見ていると不思議と恐怖が和らいだ。

 先程まで俺の体に絡みついていた恐怖は消えたわけではない。

 ただ俺の体を支配したのが責任と信頼に置き換わったのだ。

 

「行きます!」

 

 俺は川に飛び込む。水深は深くなく腰くらいまでだ。

 だが俺の機動力を奪うのには十分な量でもある。

 

「潜って!」

 

 セツの声で咄嗟に川に潜り込む。すると背中に衝撃が走った。

 空気が肺の中から吐き出され、水を飲み込んでしまう。

 慌てて俺は水面に顔を出す。どうやら石をぶつけられたようだ。潜ったことで水が威力を減衰してくれたのだろう。

 俺はまた前へ進む。

 それほど広くは無い川だ。俺は程なくして川の対岸に到着した。

 

 後は猩々が釣れるかどうか。

 

 来い。

 

 来い。

 

 来い。

 

 来た。

 

 猩々が俺達の正面の木から飛び出してくる。

 このまま行くと、放物線を描きながら真っ直ぐと俺の頭上を越えるだろう。

 だがそうは行かない。

 

 セリアの体から大量の赤い粒子が吹き出す。

 大量の粒子はそのまま頭上で滞留し、空中に機雷源の壁を作り出す。

 かなり広い壁だ。範囲は10mくらいだろうか。

 猩々の憎たらしい笑顔が崩れたのを俺は見た。

 この粒子に触れればどうなるか?先程の石がどうなったのか覚えているのだろう。

 

 猩々が手足をバタつかせるがもう手遅れだ。空中で極端な移動などできるはずもない。

 なすすべも無く赤い粒子に突っ込んだ猩々は爆発する。

 川の対岸は飛び出していた運動エネルギーは、炸裂魔法による爆発で相殺されるどころか、反対のエネルギーを生み出し、セツ達の前まで飛んできて地面に落ちた。

 

 倒れ伏す猩々にシオとセツが飛び出す。

 シオは槍を、セツは剣を手に持っている。

 猩々は苦し紛れに腕を振るうが、シオが間合いの外から槍を振り下ろして、猩々の頭を撃ちすえる。

 やや遅れてセツが突き出された腕に剣を上段から歯を食いしばり全力で振るう。

 

 猩々は脳を揺らされてフラ付きながら手を差し出し、その腕を断ち切られた。

 猩々がキイーと苦痛の声を上げる。

 それでも狩人達の攻撃の手は緩まらない。

 

 シオが今度は横から槍をフルスイングして猩々の後頭部を打つ。

 猩々が衝撃で体をくの字曲げると、そこには剣を構えたセツが待ち構えていた。

 猩々は処刑人に対して首を差し出す形になる。

 

 断頭台(セツ)は、もう一度剣を振り下ろす。

 首に吸い込まれた剣は途中で止まることはなく地面に到達した。

 猩々の頭は血圧により吹き飛び離れた位置に落ちる。猩々の体はそのまま倒れ付した。



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8話 死闘

 なんとか猩々を倒した俺達は頭の潰れたイノシシと、頭のない猩々を持ち帰るため、槍に足をくくりつけていた。

 セリアは魔法の使用で体内のマナが枯渇寸前になって地面にへたり込んでいる。

 体内のマナの減少で大地の加護は弱まるらしく、その分、筋力が下がってしまうらしい。

 

「若い個体で助かったね。」

「本当ですねぇ。魔法の使いすぎでもう体が重くて動けません。」

「結構大きかったですけどあれで若いんですか……」

 

 散々苦労させられた相手だったがこれでもまだ若い個体で、これより強い奴がいるのかとげんなりする。もしもっと強い個体が襲ってきた場合、俺は今頃ミンチになっているかもしれない。

 

「成長した猩々は体毛が赤くなる。体毛が赤ければ赤いほど刃が通り辛く強くなる。」

「セツは赤い奴と戦ったことあるのか?」

「ない、でも死体を見たことはある。体毛が薄い赤だったけど狩猟衆が3人殺された。」

「3人……」

 

 訓練を受けた狩猟衆が3人も殺されたらしい。

 もしこいつが強い個体だったら俺達は皆殺しに合っていたということだ。俺はいても居なくても変わらないし。

 もしもの話ではあるが死が身近にあるこの世界では、かなり現実味のある話に感じて背筋が寒くなる。

 

「それにしてもセリアさんの魔法凄かったですね。訓練で何度か見たことがあったけど、あんな広範囲に魔法を出しているのは初めて見ました。」

「わたしは槍も弓も上手じゃないですからぁ。せめて魔法だけはと思ってるんです。」

 

 えへへと照れ臭そうに笑う姿は周りを安心させる力がある。ポワポワとした雰囲気は、俺より強い人と分かっていてもなんだか守ってあげたくなる。

 間延びした語尾は普通の人が言うとぶりっ子ぽくて腹立つだけだが、この人が言うと嫌味がなくて許せてしまう。

 

「それよりミナトさんは背中大丈夫ですかぁ?」

 

 セリアがそう言うと立ち上がって俺の背中に手を当てて擦ってくれる。

 

「少し痛みますけど水で威力が弱くなってたんで大丈夫です。」

「そうですかぁ。ごめんなさい、私のマナが残ってたら治してあげれたんだけど……」

 

 この人は女神なのだろうか?守ってあげたくなったばかりなのに甘えたくなってきた。膝枕されたい……。

 

「セリアばかり褒めて僕たちにはないのかい?そんなにセリアの事が気に入ったの?」

「イヤイヤ!シオさんの槍さばきもセツの剣の腕前も凄まじかったです!

 セリアさんの事はそんなんじゃなくて!あ、セリアさんは凄くお綺麗だと思うんですけど……」

「うーん、ごめんねぇわたしは強い人が好きかな〜。」

「……はい。」

 

 このパターンは前にも経験した気がする。何故告白してもいないのに振られなければならないのだろうか。俺はそんなに悪い事をしたのだろうか。

 

「じゃあそろそろしゅっ…!」

 

 セツが出発の号令を言いかけたその時、焦ったように目を見開いて森の方を見る。

 俺もつられて森の方を見ようとすると、倒した猩々の目の前に何かがズシンっとおちてきた。

 

 むせ返るような血の匂いがする。

 全身がぶわっと鳥肌が立つ。こいつは駄目だ。関わって良いものじゃないと本能が警告してくる。

 

 赤い…あまりにも深く暗い赤だ。全身が赤い毛に覆われている。

 2足の足で立ち、足も手も指が長い。

 間違いない猩々だ。それも途轍もなく赤い。

 倒した猩々より二回りは大きい。

 

 こいつを見た瞬間俺は何故こいつの体毛が赤いのか理解した。

 血だ。こいつの体毛には何百という生き物の命が染み付いている。

 むせ返るような血の匂い、野生動物としては致命的なまでの匂いの強さだ。だが、こいつはそんなの問題にしないだろう。

 襲われれば殺せばいいだけの話なのだ。そうやってまた血を浴び毛が赤くなる。

 こいつはそれだけの事ができる強者だ。

 

「離れて!」

 

 俺が赤い猩々に気圧され動けないでいると、セツが剣を抜いて走り出す。

 地面に足がめり込むほどの踏み込みから剣を薙ぎ払う。

 猩々の首を安安と切り落とした豪剣を赤い猩々は避ける様子もなく、身動き一つせずに腕に受ける。

 そう、受けたのだ。ぶらんと垂らした腕に剣は横から命中し、それ以上進むことはない。

 

「はあああ!」

 叫び声をあげながらシオが槍を突き出す。

 それを赤い猩々が腕を出して掴んで止めてしまう。

 赤い猩々は槍を引っ張り、シオの手から奪い去ると

そのまま槍を使ってシオをぶっ叩いた。

 シオはボキボキと嫌な音を鳴らしながら吹っ飛び、木にぶつかって動かなくなった。

 

 俺はその光景を見てハッとなって剣を抜いて目の前にいる赤い猩々に斬りかかる。

 同時にセリアが炸裂魔法の粒子を赤い猩々の顔に飛ばして爆発させ、セツも再度斬りかかる。

 赤い猩々は顔面に爆発を受けて何も見えないはずだがセツの剣を持っている手ごと足でつかみ取り、俺の剣は無視される。

 俺は何度も何度も剣を叩きつけるが刃が全く通らない。

 

 爆煙が晴れて見えた赤い猩々は当然のように無傷で、手に持った槍を持ち直してセリアに向かって投擲する。

 セリアは避けようとするも、無理に魔法を使ったせいか足がもつれてしまい、背の高い赤い猩々から投げられた槍が腹部を突き破り、地面に縫いつけられた。

 暫く槍をなんとかしようとセリアがもがくが、やがて限界が来たのか頭ががくりと下がり、意識を失った。

 

 赤い猩々の足の指が徐々に力がこめられ、握られたセツの手はミシミシと音を軋む音を立て遂にゴキリと音を立てる。

 

「ああああああ!」

 

 セツは痛みに叫び声あげ、膝を地面につける。俺は必死に何度も、何度も何度も何度も剣を赤い猩々の足に叩きつけるが全く怯む様子はない。

 

「くそ!お前!離せよ!」

 

 セツの皮製の腕当てに爪が食い込んでいき、皮膚も突き破って流血する。

 赤い猩々が俺の方を見ると笑った。無力な俺を、滑稽な俺を嘲笑ったのだろう。

 赤い猩々はセツの腕を握った足を振るって、セツを鈍器にして俺を殴り飛ばした。

 

「がはっ!」

 

 俺はセツごと川の反対側の森の中まで吹っ飛ばされた。

 俺とセツはもみくちゃになり、今がどうなっているのか訳が分からなくなりながら地面に倒れる。

 なんとか意識は飛ばずに済んだ。だがどうにもならない無力感が俺を襲う。

 

 こんな理不尽があっていいのだろうか。

 俺だってこの世界に来てから努力した。毎日毎日、手を血まみれにしながら辛い訓練をこなし、少しは強くなれた。

 それがどうだ、俺が最も練習した剣はまったく奴には通じなかった。

 あれだけ鋭かったセツの槍が軽く止められた。

 あれだけ頼りになったセリアの魔法が役に立たなかった。

 あれだけ強かったセツの剣ですら歯が立たなかった。

 

 日本では勉強は努力すればいい点が取れるようになっていたし、バイトを頑張ればお金がもらえる。努力すれば全て報われるわけではなかったが、こんな全てを理不尽に潰されるようなことはなかった。

 恐怖で歯がガチガチと音を立て、足が震えて止まらない。

 

「…あんただけでも逃げて……」

「え?」

 

 セツがなんとか腕をかばいながら立ち上がる。赤い猩々は川向こうの木に登っている。恐らく倒した猩々と同じようにして飛び移ってくるのだろう。

 

「男をここで無駄死にさせるわけにはいかない。ここは私が……」

 

 セツはなにをいっているんだろう。自分がボロボロなのに俺に逃げろと言う。

 俺が男だからという理由で役立たずの俺を逃がすために自分が犠牲になろうとしている。

 ふらつきながら俺が持っていた剣を片手で持ちあげる。

 

 なんて強い女なんだろう。俺と歳はほとんど変わらないのに強く、高潔だ。

 口は悪いがこれほどの素晴らしい女性が他に存在するのだろうか?

 俺は彼女の痛々しくも美しい姿に心を奪われた。

 いつの間にか震えは止まり、覚悟が決まる。

 

 こんな美しい女を失うわけにはいかない。

 

 俺は後ろからセツの剣を取り上げ、前に立つ。

 

「それは俺のセリフだ。男は女に守られるためにいるんじゃない。」

「な?!そんな事言ってる場合じゃない!あんたはまだ未熟だ!今失うわけにはいかない!」

 

 奴が川を飛び越えこちら側に着地する。

 

「うるさい。いいから逃げろ。」

「待っ……」

 

 俺はセツの静止の言葉を最後まで聞かずに走り出す。

 多少は大地の加護を得る事ができた俺の体は、地球の人間では考えられないほど頑丈になっている。そのためここまで吹き飛ばされても動く事ができる。訓練の成果が出ているようだ。

 もう少し、奴に怪我させられるくらいになってたら良かったのに。

 

「おい猿!お前の相手は俺だ!今度は無視すんなよ!

 

 俺は赤い猩々の耳に向けて斬りかかる。毛が堅いのなら狙うは毛のない顔、指先、足先、耳。

 指はさっき散々叩いて効果が無かった。顔はさっきセリアが魔法で攻撃していたが全くの無傷だった。

 耳も爆発の範囲だったが、とにかく試すしかない。

 

 俺の剣は体をずらして避けられた。赤い猩々が俺の顔に向けて拳を振るってくる。

 

(逃げるな!前へ!)

 

 俺は拳の方へ向って体を倒しこむ。拳が頭に当たる寸前で首を曲げぎりぎりで避けることに成功する。

 俺は拳に向かって飛び込み回避に成功した事により懐に潜り込む事が出来た。

 そのまま赤い猩々の脇に抜け、横から耳に剣を振るうと浅く傷をつけることに成功した。

 再び腕が振るわれるが、俺は走り抜けていたので既に間合いの外だ。

 

(ふぅーいけるか?)

 

 ぎりぎりの攻防に心臓がうるさいが、浅くなっていた呼吸を息を深く吸い気持ちを整える。もう一度だ。

 

(致命傷は無理でも嫌がらせくらいになら……)

 

 今度は赤い猩々が雄たけびを上げながら両腕を振り上げてくる。どうやら怒らせたようだ。

 俺は体を横にしながらまた踏み込む。

 幅の狭くなった俺の体は赤い猩々の腕の間に入り込み、目の前に奴の不細工な顔が迫ってくる。

 俺は腰のナイフを抜き、奴の左目を狙う。だが瞼が閉じられ傷はつかない。

 

 俺は閉じられた左目の方向に走り抜け、また間合いの外に出る。

 赤い猩々がさらに怒った様子で右腕を振りかぶった。

 

(怒れ!そんな大雑把な攻撃何度だって避けてやる!)

 

 俺は心の中で啖呵を切るが、油断したのだろう。

 また懐に飛び込むと見せかけて急制動してバックステップで間合いの外に出る。

 これで空振りだと考えていると赤い猩々の顔がまた不気味に笑った。

 

 振るわれる赤い猩々の手にはいつの間にか太い木が握られていた。

 完全に身誤った。こいつは怒ったふりをしていただけだ。

 太い木が俺の顔に向かってくる。

 

(あーやらかした。セツは逃げれるかな。)

 

 視界がゆっくりになり、迫りくる木を見ながらセツの事を考える。

 もしセツ(初恋の人)が逃げる時間を稼ぐ事が出来たなら俺の人生にも意味があったんだろう。

 そんなくさい事を考えていると、顔に白と赤の物体が回され俺を引っ張る。

 

 セツだ。セツが俺の顔に傷ついた腕をまわして引っ張り何とか攻撃を避ける事が出来た。

 セツの左手から青い粒子が噴き出す。

 青い粒子は赤い猩々の顔に触れた瞬間、顔が白く凍りつく。

 セツの凍結魔法を受けた赤い猩々は怒り狂いながら顔の氷をはがそうとする。

 

「勝手に行動するな!」

 

 なぜセツは逃げてくれなかったんだろうか?そんな疑問が湧いてくるが、それ以上に気になる事があった。

 俺は何故かそうするべきだと感じたので行動した。普段なら絶対しない行動だ。ありえない。

 俺は首に回された血濡れた右腕を手に取り傷口に口をつける。

 

「な?!」

 

 セツの戸惑う声が聞こえるが俺は無視してセツの血を飲み続ける。

 なんだろう。血が乾いていた体に染みわたる感覚がする。

 血なんて鉄くさいし飲めたものではないはずだ。だが今は体がこれを必要だと言っている。

 

「お前!なんで!」

 

 セツが腕を振り払う。当然の事だろう。

 赤い猩々が氷を剥がし終えたようで俺に向かってくる。

 俺は歯を食いしばり、剣を奴の伸ばされた指に振るう。

 さっきまでは全く歯が立たなかった赤い猩々の指に刃が沈み込む。剣を通して伝わってくる。今俺は肉を切った、骨を切った、また肉を切った。

 

 赤い猩々の人さし指と中指が宙に舞う。

 俺は奴の指を断ち切った。



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9話 俺が学んだ事

(斬れた…!)

 

 体毛のない指を斬り落とされ怯む赤い猩々に、俺はもう一度剣を振り上げて肩を袈裟斬りする。

 薪割の要領で後先を考えない全身の力を伝える事だけに重きを置いた全力の一撃だ。

 剣から伝わってくる体毛の感触はやはり恐ろしく硬い。だがここで斬れないようでは到底致命傷など与える事が出来ない。

 堅い体毛に阻まれた剣を無理やり押しこむ。全身の筋肉に入り込んだマナが活性化し筋肉が膨れ上がる。

踏み込んだ地面は砕け、活性化した俺のマナに反応した大気中のマナがバチバチと弾ける。

 

「あああああ!」

 

 剣は赤い毛を皮膚ごと毟り取り、肉に食い込んだ。剣が鎖骨にあたると俺は一瞬でこれは斬れないと悟る。咄嗟に剣を引いて表面の肉だけを裂くように太刀筋をかえた。剣を振り抜く。

 赤い猩々は痛みでのけ反りながらも、視線は俺の事を捉えており、足を振り上げてくる。

 赤い猩々の蹴りを、全力の一撃を加えた俺は十分に避ける事ができず、脇腹に足がめり込んだ。

 

 俺は吹っ飛び地面を転がる。まともに地面に叩きつけられたらしばらく衝撃で行動不能になってしまうだろう。アバラが折れたようだが冷静にできるだけダメージの少ないようあえて転がって衝撃を逃がす。

 

 俺は急いで立ち上がると、赤い猩々の姿を探す。

 

(まずい!見失った!)

 

 姿が見当たらず周りを見回していると、偶然視界の端に何かが向かってくるのが見える。

 俺は首を傾げて何かを避けた。

 ボンと音を立てて地面を抉ったのは石だ。石が飛んできた方向を見ると赤い猩々が木の上で石を抱えている姿が見えた。

 

(まずい…投石に専念されたら打つ手がない……)

 

 赤い猩々が石を振りかぶった。俺が与えた胸の傷から血が流れているが、表面の肉を斬っただけで致命傷とはほど遠い。

 それに対して俺はろっ骨が折れ、呼吸するたびに激痛が走る。

 

(指落としたんだからもっと痛がれよ……)

 

 赤い猩々の投石が俺に向かって飛んでくるが、俺は真っすぐ走り抜ける。高い位置から放たれた石は俺の頭上をかすめるだけだ。

 赤い猩々は投石を終えると別の木へ飛び移る。毛の白い猩々と同じように樹上を移動して姿を消し、一方的に攻撃してくるつもりなのだろう。

 ここで見逃すわけにはいかない。すくなくとも奴は今石を持っていない。

 もし攻撃しようとすれば一度地面に降りる必要があるはずだ。とにかく追いかけてその隙を与えない。もし降りてくればそのまま斬ってやる。

 

 俺は奴を追いかけて走る。途中奴は移動中に折った枝を投げてくるが、剣で斬り落として構わず進む。

 だが直ぐに限界が訪れる。今の傷ついた体ではまともに呼吸ができないため、走っているとすぐに酸欠状態になってしまった。

 俺が激しい息切れを起こしている姿を、赤い猩々は移動しながら愉快そうに見ている。

 すると突然、俺の方を見ながら木々を移動していた赤い猩々が、移動のために掴んだ枝が急に折れた。

 

 赤い猩々が地面に落ちてくる。折れた枝は白く凍りついている。

 

(セツか!)

 

 横目に見るとセツが手を下げ、地面に倒れようとしているセツが見える。

 腕の出血に加えてマナが枯渇して限界を迎えたのだろう。

 

 俺は地面に落ちた赤い猩々の毛のない顔面に向かって剣を振り下ろす。

 だが腕をかざして受け止められ、その腕も表面の肉を浅く斬るに留まる。

 赤い猩々はまだ指のある右手で殴りかかってくるが、俺は拳に対して後ろに下がりながら剣を薙ぎ払う。拳と剣がぶつかり合い、剣が拳にめり込むが奴はそのまま拳を振り抜き、俺を殴打する。

 

 剣を通じて腕でまず衝撃を受け止めたため、拳が俺の体に当たる時には足が既に浮いていた。そのため力をまともに受けずに済んだが、俺は5m程吹っ飛び木に背中を叩きつけられる。

 

 後頭部を打ち頭がぐわんぐわんと揺れる。

 俺はなんとか、直ぐに立ち上がろうとするが体が言う事を聞かず、地面に倒れてしまった。

 まずい、体のどこにも力が入らない。全身の至る所から痛みを訴えてくる。もはや無事な所の方が少ないんじゃないだろうか。

 

 赤い猩々が倒れる俺の皮の鎧を掴んで持ち上げる。俺の脚が地面から離れ、何とか抜け出そうと腕を殴るが全く聞いている様子はない。

 赤い猩々が人差し指と中指のなくなった腕を後ろに引く。

 

「がっ…はっ……」

 

 俺の腹が殴られた。肺の中の空気が一気に吐き出されてしまう。

 顔を殴られた。前歯が砕け砕けた歯で口の中が傷だらけになる。

 足を握りつぶされた。俺の左足首が残った3本の指で握りつぶされる。

 赤い猩々は愉快そうに顔を歪ませている。どうやらあえて止めを刺さず俺で遊んでいるらしい。

 

 何度も何度も殴られた。俺はもはやされるがままで手足を宙でブランと垂れて抵抗する気力がない。

 赤い猩々がフンっと鼻を鳴らす。腕を引き拳を握ると筋肉が膨れ上がり、今までとは訳が違う力が込められているのがわかる。

 どうやらこいつは俺に飽きたようだ。

 

(やっと終わる……)

 

 俺は朦朧とする頭でやっと楽になれる事に安堵する。

 この拷問は人生で最も長い数分だった。

 全力を尽くしたが、こいつには勝てなかった。仕方がないんだ。

 俺はそう自分に言い訳して目をゆっくりと閉じていく。

 

『ミナト、目を瞑っちゃだめだよ。戦いにおいて目を瞑るのは戦いをあきらめた時。僕たち男が負けると言う事は女達の命が奪われるというのと同義だ。だから僕たちは死ぬ最後の瞬間まで諦める事は許されない。』

 

 俺は目を見開く。俺は何をしているんだ。俺が死ねば他の3人も死ぬ。

 お前はあんなに可愛くて気高い女性を死なせるのか?それでも男か?

 俺は俺自身に問いかける。

 

(いい訳ねぇだろ!)

 

 俺は意識が飛びそうな激痛を無視し、頬が膨らむほど大きく息を吸い込み、一気に吐き出す。

 俺の口からは折れた歯が飛び出した。歯は赤い猩々の胸の傷に入り込み、奴は痛みでうめき声を上げると皮鎧を掴む手が緩む。

 俺は全力で足を持ち上げ、俺を掴む腕を両足で挟む。

 俺が木に頭を打った時、出血していたのが良かったのだろう。俺が激しく動いた事で、血に濡れた皮鎧がズルっと滑る。

 拘束を抜けた俺は両手で赤い猩々の腕を掴み、全力で後ろに引き倒す。

 

 怯んでいる上、みた事もない動きをする俺に戸惑ったのか、あっさりと腕十字固めの形をとる事に成功する。

 

「ああああ!」

(人型なら使えるだろう!)

 

 赤い猩々は鳴きわめきながら俺を振りほどこうとする。

 俺は単純な腕力のみで関節技を破られそうになるが、必死に力を掛け続ける。

 ここでもし振りほどかれたら確実に俺は、いや、俺達は死ぬ。文字通り決死の覚悟だ。

 死の覚悟で脳のリミッターが外れたのだろう。俺の全身の筋肉からぶちぶちという筋繊維が千切れる音が聞こえてくる。

 だが絶対に離すわけにはいかない。赤い猩々の肘がミシミシと音を立て始める。

 

(もう少しだ!折れろ!)

 

 軋む赤い猩々の肘に最後の力を俺は込めると腕を振りほどかれた。

 

「なっ……?」

 

 俺は訳も分からず立ち上がる赤い猩々を見る。俺は立ち上がろうとするが体が全く動かない事に気付いた。どうやら俺の体が限界を迎えてしまったようだ。

 赤い猩々が肘を抑えながらこっちを睨みつける。相当怒っているようだ。

 俺の頭を踏みつぶそうと足を上げるのが見える。

 

 体が全く動かない。もうどうしようもない。でも諦めるわけにはいかない。

 俺は何とか噛みついてやろうと、地面をもぞもぞと動く。

 

(絶対に生き伸びてやる!)

 

 俺は目の前の足を睨みつけながら必死に這う。

 俺の頭に奴の足が振り下ろされるのが見える。俺はしっかりとその足を見続けた。

 

 足が俺の頭を踏みつぶす直前、矢が足に命中した。

 足に矢が突き刺さり、横からの運動エネルギーを得た足は俺の頭の横に振り下ろされる。

 

 すぐに次の矢が飛んでくる。矢は赤い猩々の腕に命中すると毛皮を突き破って腕を貫通した。

 赤い猩々はシャーと威嚇する声を上げながら近くの木に飛び移って次の矢を避ける。

 木にあっという間に登った赤い猩々は矢が飛んできた方向に木を盾にしながら近づいていく。

 

 その方向には黒い大弓を構えた男がいた。

 男は木から木へ飛び移る赤い猩々をその場から動かず観察し続ける。

 そして木のしなりを利用して勢いよく男に向かって飛びかかってくる。

 男はその間ずっと引き絞っていた矢を放った。

 

 木から木へ移っている間は狙いをつけることは難しい。

 だが飛びかかってくる時は必ず動きが横から点になる。たとえわかっていてもそれを実行するのには相当な自信が必要だろう。

 矢は赤い猩々の威嚇のためにあけた口の中に突き刺さり、男の目の前に墜落した。

 赤い猩々は動かない。

 

「す…げぇ……」

 

 俺は一部始終を這いつくばりながら見ていた。

 あれだけの存在をあっという間に倒してしまった。

 襟足を長くのばして結んでいる。後頭部を髪を長く伸ばしているのは戦士の証だ。

 これが本当の戦士と言う物なのか。

 戦士はまだ比較的若い男だった。

 

「大丈夫か!」

 

 戦士は駆け寄ってくる。

 彼はジーク、サンの村の戦士だ。



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10話 戦いの後

 助けに現れた戦士の名はジーク。

 歳は比較的若く、戦士と認められている者の中で一番若い25歳だ。

 歳が戦士の中では俺と近いためよく訓練後に話をしていた。落ち着いた雰囲気でよく俺の事を目にかけてくれている。

 

「ジ…ク…さん…皆…手当を……」

 

 俺はジークに先に皆の手当をするようお願いする。

 ほっておけば皆が失血死してしまいかねない出血をしていた。

 もし彼女達が死んでしまえば俺の頑張りが無駄になってしまう。

 

「安心して、大丈夫だよ。一緒に合流した狩猟衆が手当している。むしろ君が一番の重症だ」

「よかった……」

 

 ジークは俺を仰向けに寝かせ、怪我の具合を確認していく。

 

「殆どが打撲で出血死する心配はなさそうだね。でも呼吸音が心配だ。肋骨が肺に刺さってる可能性がある」

 

 ジークは俺の怪我を口に出していく。いつまで経っても骨折やら打撲やら断裂やらの読み上げが止まらない。相当俺は危険な状態なようだ。

 そうしていると狩猟衆の一人が近寄ってくる。

 

「ヨア、彼を頼む優先するのは……」

 

 ジークが狩猟衆の女に俺の体の事を伝えている。

 ヨアと呼ばれた女性が俺の側に膝をついて胸に手をかざす。すると彼女の手から暖かい光の粒子が漏れてくる。

 粒子が着用している皮鎧をすり抜け、俺の体の中にしみ込んでくる。

 肺に粒子が付着して変質し、破れた部分を修復していくのが分かる。

 

「よくやったね。皆の傷や地面の跡を見ればわかる。ミナトが頑張ってくれたから僕が間に合ったんだ。

誇っていい。君は立派に男の役目を果たしたんだ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、俺の中の何かが一杯になり涙があふれた。

 怖かった、痛かった、本当に死ぬかと思った。俺が死んだら3人の命もなくなるところだった。

 この世界に来てからずっと不安だった。いい歳なのに、男のくせに弱い、直接そう言われる事もあれば、男として見れないと言われる事もあった。

 それでも俺は村にしがみつくことしかできなかった。見捨てられては生きていけない。

 でもまったく村の役に立てずに無駄飯食らい状態が続いて申し訳なさと焦りが募っていく。

 ずっと張っていた緊張の糸がジークの言葉で切れてしまった。

 泣いている俺の元に腕に包帯を巻かれたセツが歩いてきた

 

 セツが膝をついて俺の頭を持ちあげると俺に膝枕をする。

 

「ミナト…ありがとうおかげで助かった」

「セツ……」

 

 セツが俺の頭を優しくなでる。

 

「おれ…やぐに…だでたか……」

「ああ、ミナトのおかげで私達が救われた」

「おれ…むらにいで…いいか……」

「勿論、お前はもうサンの村の一員」

 

 俺は人目もはばからず泣きじゃくった。涙を止めようと思っても胸の内から溢れてきて止まらない。

 最も認めてほしい人に認められた。事あるごとに自分の力の無さを彼女に教えられてきた。内心こいつは天敵だと思ったこともあった。でもそれは全て彼女に認められたい裏返しだった。

 そんな俺の最も欲しかった言葉を、最も言って欲しい彼女が語ってくれたのだ。俺の心の壁が溶けていく。

 

「もう私とミナトは一心同体。だから安心して今は眠って」

 

 俺は安心すると意識が薄れいく。

 どういう意味だろう。薄れ行く意識の中でセツのそんな言葉に疑問を抱く。

 でも今まで笑う姿を見た事が無い彼女が優しく微笑んでいるのを見て、全てがどうでもよくなった。

 

(疲れた…少し休もう……)

 

 俺は瞼を閉じる。

 

(またセツが笑う所見れたらいいな……)

 

 彼女が纏う神秘的な空気が今は優しい色をおびている。俺はそんな優しい色に包まれながら意識を手放した。

 

 俺が目を覚ましたのは3日後だった。

 ベッドに寝かされた俺は全身包帯ぐるぐるのミイラ状態。包帯には薬草が染み込ませてあり体から青臭い臭いがする。

 全身痛くない所を探すほうが難しく、身動きが取れない日々が続いた。

 涙黒子がエロいクロエに毎日回復魔法をかけてもらうが、全治まで一カ月はかかるらしい。

 彼女の魔法は肉体の代謝を促進して回復を促す物で、軽い切り傷程度なら数十秒で直してしまうが、流石に粉々になった骨を直すには色々手順があるらしく、時間がかかるとのことだった。

 クロエが様子を見に来るたびに俺は妙にドキドキするのだが、彼女はアンジの嫁の一人だ。

 

 俺が身動きをとれない間はセツが身の回りの世話をしてくれた。

 食べ物をあーんしてくれたり、嫌がる俺を黙殺してトイレの世話をしてくれたりと甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。

 まだ腕の怪我が癒えていないため、片手での世話で四苦八苦することもあるが、文句ひとつ言うこともない。

 

「おいしい?」

「う…うんおいしい……」

「そう」

 

 食べる所をじっと見つめる彼女の表情が読めない。

 そんなに見つめられると食べにくいと言ってみても気にしないでと言われるだけだった。

 

「脱がすから腰上げて」

「いやいやいや!トイレまで連れてってもらえればいいから!」

「駄目、怪我に触る。大丈夫だからこれにして」

 

 尿瓶を脇においたセツに抵抗虚しく脱がされてしまった。まだ女の人に見られたことなかったのに。

 

 ある日傷の癒えたシオとセリアも様子を見に来てくれた。

 

「僕が気を失っている間に大立ち回りをしたようだね。セツから聞いてるよ。本当にありがとう」

「ごめんなさい。ミナトさんのこと頼りないと思ってましたぁ」

「いえいえそんな…俺が頼りないのは事実ですよ」

「それは直ぐに気を失った僕が頼りないってことになるよ?」

「そんなつもりじゃ?!」

「ミナトさんは胸をはってください。私達の命の恩人なんですからぁ」

「…わかりました。ありがとうございます。僕は頼りになります」

 

 シオとセリアの礼に咄嗟に謙遜してしまうが、正されてしまった。日本人的な謙遜は彼女達にとっては侮辱でしかないのだろう。ならば俺は胸を張ろう。

 

「ミナトはいい戦士になるかもしれないね」

「歳も近いのも好印象ですねぇ」

「えっと……」

 

 なんだろう俺を見る目が以前と変わったのはわかる。だけどなんだか俺を見る二人の目が怖い。

 ベッドに横たわる俺の左側にシオが、右側にセリアが近寄ってくる。

 

「大分逞しい体になってきたね。私が歯が立たなかったあいつの体に傷をつけたみたいだし」

「頼りない顔だって思ってましたけどぉなんだか可愛く見えてきましたぁ」

 

 二人が妖しい雰囲気で俺の手を握ってくる。シオは俺の手を握るとコスコスと優しく擦り、反対の手で体を撫でてくる。

 

(なんかエロい!)

 

 セリアは俺の手を自分の方に引き寄せて胸元で優しく包み込んでくる。

 

(ふわふわだぁ!)

 

 これがモテ期と言うやつだろうか、美少女に囲まれての接待についつい鼻の下が伸びてしまう。

 彼女いない歴=歳の数が永遠に続くかと思っていた。だがここに来て美少女二人に誘惑を受けているのだ。こんな幸せでいいのだろうか。

 

(生きてて良かった〜!)

 

「なんで泣いてるんだい?」

「何処か痛むの?」

「いえ、気にしないで下さい。ちょっと生命の誕生について考えていたところです」

 

 感動のあまり男泣きをしてしまった。いけない、彼女達には良いところを見せないと。

 そう考えてせめて顔だけ自分が一番カッコいいと思う顔をする。

 そんなことをしていると冷たい声が扉の方からしてきた。

 

「なにしてるの?」

 

 扉の方にはセツが包帯の替えを抱えて立っている。

 表情が読めない顔は相変わらず人形のように綺麗だが、何故だろう恐ろしくてたまらない。

 別に俺にやましい事など無いはずだ。そう自分に言い聞かせても冷や汗が出てくる。

 

「あ、セツちゃん今ミナトさんにお礼を言ってたのぉ」

「そうだ。僕たちも看病を手伝う……」

「要らない」

「でもぉセツちゃん手を……」

「もう動かせるから問題ない。私一人で十分。今から包帯変えるから帰って」

 

 有無を言わせぬセツの雰囲気に押されてシオとセリアが部屋をすごすごと出ていく。

 

「じゃあまた明日来るよ」

「困ったことあれば教えてねぇ。私看病は得意だからぁ」

 

 セリアとシオを追い出したセツがベッドに腰をかけると俺の顔を覗き込んでくる。

 

「あの二人は危険」

「え、でもセツも仲良さそうに……」

「とにかく気を付けて」

「……はい」

 

 仲が悪いんだろうか?少し考え辛いが、もし俺の事をセツが好意を寄せているとしても、ハーレムが当たり前のこの世界で嫉妬するような事はないはずだ。

 理由を聞こうかと思ったが、多分機嫌の悪いセツに聞くのは憚れて聞くことは出来なかった。

 

 1ヶ月後俺は傷が治り、セツと共に訓練を始めていた。

 死闘を乗り越え、俺の体に宿る大地の加護が強くなったのを感じる。

 いつも使っている剣が軽い、怪我でしばらく体を動かしてなかったにも関わらず確実に今の方が強い事がわかる。

 剣を上段から一気に振り下ろして地面につく直前で止める。俺の体が全く剣の重さに振られることなくピタッと剣を静止させる事ができる。

 

「やあミナト、調子は良さそうだね」

「ジークさん」

 

 俺が剣や弓のを使って体の調子を確かめているとジークが話しかけてきた。

 

「随分力が強くなったみたいだね」

「そうなんですよ、怪我する前よりむしろいいくらいで…なんでなんでしょう。戦ってる途中で急に力が強くなったんですよ」

「戦ってる途中に?うーん厳しい戦いをすれば大地の加護が強くなりやすいとは言うけど、あくまでその後休息に当てた場合だしな〜。心当たりはないのかい?」

 

 力が湧いてきた時のことを思い出してみる。

 たしか俺の攻撃が通らなくて、その後セツと一緒に吹き飛ばされて……。そう考えて行くと一つ心当たりがある。

 なぜ自分でもしたのかわからないセツの吹き出す血を飲んだ事だ。なにか関係があるのだろうか。

 

「あの、たしかあの時セ」

「ミナトの剣がそろそろ軽くなってきたと思う。そろそろ重い剣に変えるべき」

 

 セツが俺の言葉を遮って俺の剣について言及してくる。どういうつもりなんだろうか。

 

「ん?確かにそうだけど…セツは何か心当たりがあるのかい?」

「ない。とにかく早く新しい剣を用意するべき」

 

 セツはジークの質問もバッサリと切り、俺の剣の話に繋げる。

 

「でも」

「ない」

 

 ジークはなおもくい下がろうとするが即答で潰してくる。ジークはセツを怪しみながらも諦めて次の話題に移った。

 

「ミナトの剣だけど狩猟衆の女のための剣だともう軽すぎるようだね。となると今この村には君に合う武器の貯蔵は無いはずだ」

「え、そうなんですか?じゃあどうすれば……」

「そろそろ冬になる、冬になれば危険なケモノは冬眠に入って危険は少なくなる」

 

 ジークの言うように、来た頃と比べてかなり寒くなってきた。体を動かすため今は脱いでいるが、普段は毛皮でできた分厚い服を着用している。

 

「だから君のための武器を作って貰いにアナンの村へ行く」



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11話 俺が欲しい物

「ジーク、セツ達の事を頼んだぞ」

「ええ、任せてください」

 

 俺達は旅の支度を整え、アンジに見送られていた。俺の武器を作るために優秀な鍛冶師の村であるアナンの村へ向かうため、俺達は旅の支度を整えて出発しようとしていた。

 既に冬に入っており、深い雪が積もって当たり一面銀世界だ。

 そのため俺達の服装はいつもより分厚くてフードにファーのついた毛皮装備になっていた。

 足には金属製の長穴形状のかんじきが括りつけられている。

 

 金属製の鎧類は置いていく。金属を身に着けているとその冷たさから体温を奪われてしまうためだ。

 また、大型の獣は冬の間は冬眠に入るため、危険が少ないので必要ないというのもある。

 

 普通は雪が積もるような冬は村同士の往来が少なくなると思うが、この世界では危険な獣がいるため、むしろ冬のほうが往来が多くなるらしい。

 雪が積もっている事に関しては、この世界の住人は女でも大地の加護を宿しているため、地球の人間より遥かに強靭だ。そのため雪が腰まで積もっていてもダンプカーのようにかき分けて歩いてしまうため問題ないのだ。

 

「では行ってきます」

「ミナト」

「なんですか?」

 

 俺達が出発しようとした時、アンジに呼び止められた。

 

「俺がお前に自分のための武器を作るのを認めたという事は、お前を村の正式な一員として認めるということだ」

「俺の事を……」

 

「お前がもし村の一員になるという事を受け入れるなら武器を持って村に帰ってこい。その時は戦士の試練を受けてもらう。だがもしお前がそれを良しとしないのであればそのまま何処へなりともいけばいい」

「……アンジさん俺は本当に感謝してるんです。なにもできない俺に飯食わせてくれた上に訓練つけてくれて。

 だから俺は絶対に帰ってきます。その時は戦士の試練を受けさせてください」

 

「そうか……なら楽しみにしている。行ってこい」

「はい!行ってきます!」

 

 200人にも満たない小さな村だ。わざわざ無駄飯食らいを養う余裕なんて無いはずだ。

 そんな中、身元不明で何も知らない怪しさしかない俺を受け入れてくれた。

 俺はそんなこの村の一員になりたいと思うようになるのに時間はかからなかった。

 

 俺はアンジの言葉に俄然やる気を出して足を踏み出した。

 旅のメンバーはジーク、セツ、セリア、シオ、俺の5人だ。

 雪は腰の辺りまで積もっていてかんじきをつけていても膝くらいまで沈んでしまう。

 一列になって進む、そうすると先頭の人が雪を崩して踏み固めた後を歩く事が出来るので、後ろの人が楽になるからだ。

 そうやって先頭を交代しながら体力を温存する。

 この程度の雪の抵抗は大地の加護を得た俺には何でもないが、それでも多少は体力を奪われるし、わざわざ歩きにくいところを進む意味もない。

 特に問題もなく順調に旅は進み、6時間ほど歩くと一日目の野営地に到着した。アナンの村まで徒歩で5日かかる。

 その途中の3日目には町に立ち寄る予定で、大人びているとはいえまだ若い3人娘はそれを楽しみについてきたようである。

 他にも村の若い女達がついてきたがっていたが、体を鍛えていない狩猟衆以外の畑などを生業としている女には大地の加護が狩猟衆ほど宿らないため、この雪道を俺達のペースでついてくるのは難しい。なので狩猟衆の中でも最も若いこの3人娘が優先され、いつものメンバー+引率のジークというメンバーになった。

 

 皮のテントの設営と雪を竈にして火を起こす。食糧は十分な量を持ってきているので後は休むだけだ。

 

「ミナトもいよいよ戦士の試練を受けるのか。これは僕が子供を産む日も近そうだ」

「子供?!」

 

 たき火を囲んで丸太の上に座ってくつろいでいるとシオがとんでもない事を言い出した。

 

「雪解けしたら私たちの家を建ててもらわないといけませんねぇ。ミナトさん早く強くなってくださいねぇ」

「順序飛ばしすぎてませんか?!」

 

 続けてセリアが当たり前のように一緒に住む家を建てると言いだす。俺の人生設計が勝手に決められている。

 そうなのだ。この二人は赤い猩々との戦い以来露骨にアピールしてくるようになった。美人のお姉さんに言い寄られて嬉しくない訳がないが、セツの事が気にかかったため泣く泣くアプローチをかわしていた。

 だがこの世界の女は男に厳しいが、これと決めた男には積極的になるようで俺は狩りの標的のように外堀を埋められていた。

 ちなみにセツはというと無言で俺の隣を陣取っている。

 

 この二人の誘惑にまだ陥落していないのは俺がセツの事が好きだからというのもあるが、どうもセツがこの二人をブロックしているようで、俺への二人のアプローチが緩まりなんとか気を保てている。

 セツが二人をブロックする理由は不明だ。

 嫉妬してくれているのか?!と思ったがハーレムが当たり前のこの世界で果たして嫉妬するのか?

 それに怪我が癒えた頃、セツと模擬戦をしたのだが俺は惨敗した。

 その時にセツが言った言葉が

 

「まだまだ弱い」

 

 と評価されたためわからなくなった。だが以前のように俺の事を嫌そうな表情では見ないし、話しかけたら普通に会話するため嫌われてはいないはずだ。

 腕力だけなら俺の方が既に強いが、戦闘技術はまだまだセツやシオの方が上で、魔法ありならセリアにも負ける。

 とにかくその時にセツの心を射止めるために強くなる事を心に決めた。

 

「このままいくと3人はミナトの所に行く事になりそうだね。少し寂しい気はするけど仕方がない」

「えっと…俺が3人と結婚するかは置いといて、寂しいというと3人とジークさんはやっぱり仲が良かったんですか?」

「そうだね。やっぱり歳が比較的近い事もあってよく面倒を見ていたよ。3人の悪戯には手を焼かされたもんさ」

 

 どうやら3人の兄のような存在だったようだ。3人が悪戯をするような時期があったかと思うとその時の事に俄然興味が湧いてくる。俺はジークさんにその時の事を聞こうとする。だがシオの衝撃的な言葉にそんな好奇心は消え去る。

 

「確かに寂しい気はするね。ミナトが来るまでは僕たちはジークの嫁になるんだとばっかり思ってたから」

「え?」

「そうですねぇ。でももしミナトさんが戦士の試練を乗り越えたらの話ですから、ジークさんのお嫁さんになるのはまだ可能性はありますよぉ」

「……」

 

 ジークと二人の発言にえ?という間抜けな言葉しかでない。ちなみにセツは我関せずと無言を貫いている。

 

「あの…ジークさんと3人は婚約関係にあったんですか?」

「そうだね。戦士の中では一番僕が若いし、3人もそろそろ結婚する歳だからね。近々そうなっていたと思うよ」

「ジークでも悪くはないんだけど、やっぱり歳が近い方がいいからミナトが来てくれて良かったよ」

「ジークさんはお兄さんって感じがしますから丁度可愛い子が来てくれて嬉しいですぅ」

 

 衝撃だった。どうやら二人は俺に惚れた訳ではなく丁度いい相手だから結婚するという感覚らしい。それも俺が戦士の試練に失敗すればジークに乗り換える程度の感覚。

 なんだろうこのやるせなさは。俺はうぬぼれていたのかもしれない。俺なんかにこんな美少女が本気で惚れてくれるはずがなかった。

 やっぱりここは異世界だ。根本的な恋愛感覚が俺とは全然違う。

 セリアとシオはまだいい。彼女達のアプローチは正直満更でもなかったが、本気で好きになっていた訳ではない。

 問題はセツだ。セツもジークと婚約関係にあったそうだ。彼女も二人と同様軽い気持ちなのだろうか?いや、セツはそもそも俺と結婚するなんてことは言っていない。

 セツはどう思っているんだろう。セツは相変わらず無言を貫いている。

 

 俺はセツの事が好きだ。それは間違いない。

 彼女は無愛想ではあるが、気配りが上手な所、厳しいけど的確に駄目な所を教えてくれる所、命を他人のために捨てる覚悟のある所、一度しかみたことないけどすごく優しく笑う所。最初は一目ぼれで一度は幻滅したけど知れば知るほど好きになっていく。

 周りの空気でもしかしたらこのまま結婚できるのか?と浮かれていた。だけど俺はこのまま流されているようでは駄目なようだ。

 

 なぜなら俺はセツの心が欲しいから。



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12話 ここは異世界

 サンの村を出発して2日目、今俺達は武器を持った一人の男と10人ほどの女に囲まれていた。

 女達は道のど真ん中に陣取っていて俺達を呼び止めた。

 そのまま女達は左右に別れて俺達を囲んで現在に至る。

 

「荷物を置いて行ってもらおうか」

 

 まさかとは思ったが野盗のようだ。野盗のリーダーはこの男らしい。

 野盗といえば男のイメージだったので殆どの野盗が女だというこの光景はちょっとした衝撃だった。

 

 野盗の武器は斧や剣など様々だ。

 リーダーの男は斧と盾を持ったひげもじゃの男でまさに野盗といった風体である。

 俺は剣を抜いてこれからどうするか確認するためジークを見る。

 ジークは一歩前に出るとリーダーらしき男と話しだした。

 

「通してもらえないかな。僕らはアナンの村に行かなくちゃならないんだ。荷物を失ったらアナンの村まで行けなくなってしまう」

「それは俺には関係ないな。早く武器をおいて……」

 

 ひげもじゃ男が話してる途中でその首に矢が突きたった。

 横を見ると矢筒から矢を取りだすジークが見える。そのままジークは矢尻を人差し指と中指で挟んで振りかぶって投げつける。

 矢は隣の女の首に突きたった。

 野盗達は呆けた顔をしている中、ジークが叫んだ。

 

「やるぞ!」

 

 セツ、シオ、セリアの三人が武器を抜いてそれぞれ野盗に斬りかかった。

 俺は遅れて後ろにいた野盗の方へ向かう。

 

 セツは野盗が突き出して来た槍を紙一重で避けると姿勢を低くしたまま両足を斬り離す。

 

 横から野盗が剣で斬りかかってくるがセツは剣で受け止めて鍔迫り合いになる。

 野盗は剣を持つ手がセツより低い位置に構え、セツは出来るだけ腕を上にして鍔迫り合いに持ち込んでいる。

 セツは左肘を上げて野盗の剣を支点に剣を返した。

 セツの剣が野盗の剣を横にずらして野盗の頭を横から斬りつけた。

 

 シオが槍を突き出すと野盗は反応できず喉を貫かれた。

 他の野盗二人が武器を振り上げて走り寄ってくるがシオは二度腕を動かすと、野盗二人の首から血が吹き出た。

 シオの突きが野盗には見えなかったようで何が起こったかわからないといった表情で倒れ伏す。

 

 セリアは剣で野盗に斬りかかると野盗が武器を前に突き出して鍔迫り合いになる。

 そのまましばらく鍔迫り合いになっていると、二人の野盗がセリアに襲いかかる。

 

 その時、セリアの全身から炸裂魔法の赤い粒子が吹き出した。

 赤い粒子の壁に走り寄っていた野盗は止まることができずぶつかってしまう。

 赤い粒子の壁に突っ込んだ野盗は全身を爆発に巻き込まれ、セリアと逆方向に吹き飛んだ。

 当然目の前で鍔迫り合いをしていた野盗にも赤い粒子が直撃して吹き飛んでいる。

 

 俺は上段から渾身の力で振るった剣は一撃で野盗の防御につかった剣を弾き落とした。

 俺は踏み込んだ右足と逆の左足を前に突き出して野盗の腹を蹴り飛ばす。

 野盗は腹を抑えて膝を付き、俺は剣を首に添える。

 だがそこまでだった。

 

 セツ達はあっさりと人を殺してしまった。

 俺はその光景にショックを受け、用意していたにも関わらず出遅れてしまった。

 何とかパニックになる体を抑えこんで力任せの筋力差で何とか勝ちを拾った。

 

 だが俺は彼女の生殺与奪権を握った瞬間動けなくなる。

 剣が震え、歯がガチガチと音を立てる。

 俺は人を殺すのか?それも女を?

 

「お願い!殺さないで!」

 

 野盗が命乞いをしてくる。

 それを聞いた俺は悟る、俺には殺す事はできないと。

 

「ミナト、殺すんだ」

「え、でも…何も殺さなくても……」

「駄目だ。こいつを逃せばまた他の人間が襲われる」

「何でもするから!お願い!」

 

 女は鼻水を垂らしながら泣き叫んでいる。

 

「無理です…殺せません!」

 

 俺はなおも食い下がる。別に殺さなくても牢屋にでも入れれば住む話だ。

 

「町まで行けば牢屋とか……」

 

 俺は何とかジークを説得しようとする。

 だが俺が剣を動かしていないにも関わらず、女の首が飛んだ。

 俺は呆然として血が吹き出る頭のない女の体を見つめる。

 女は膝から崩れ落ち地面に倒れた。

 

「野盗は衛兵に突き出しても死罪」

 

 そう言ったセツは剣に付いた血を振り払って鞘に収めた。

 俺は呆然とする。当然のように人を殺してしまった。

 どうやらまだ俺はここが異世界だと本当の意味で分かっていなかったようだ。

 この世界の命はどうしようもなく軽い、俺は死にかけたというのにそれを全く分かっていなかった。

 

 

 

 

 

 サンの村を出発して3日目俺達は町に到着した。

 町の名前はマルツ、この辺りで最も栄えている交易の町だ。

 街の周囲はレンガで作られた城壁に囲われていて根本には鋭く削られた木の杭が外側に向けて植えられている。

 

 門の周辺には大きな荷物を背負っている人たちが集まっており、町の入口に向かう道の雪は人の往来により踏み固められている。

 

 門番は女性がしており、特になにか検査することもなく人の往来を見守っている。

 俺達が通る時もジークと俺の事を見てくるだけで何も言わずに通してくれた。

 

 門をすぎると大通りがあり、道の両脇には商店が立ち並ぶ。

 雪が降り積もるほど気温が低いにも関わらず、人が行き交い、活気に溢れている。

 建物はレンガ造りで箱などの道具は木で作られていることが多い。

 金属の道具もよく見かけるので鍛冶技術も発達しているのだろう。

 

 行き交う人は殆ど女性だが、男もたまに見かける。

 サンの村の戦士ほどではないが体を鍛えているようで皆ガタイがいい。

 

「この町の男も皆戦士になるんですか?」

「戦士として日頃から訓練しているのは20人くらいだね。幼い頃は皆訓練を受かるんだけどその中でも優秀なものが戦士として町を守る役割につく。

 それ以外の男は女と同じように商売や鍛冶とかして生計を立てることが多い。

 でも幼い頃は皆訓練をして育ったから殆どの男がいざという時は戦える」

 

 人が多いと男全員が戦士になる必要はないらしい。

 門番のような女性の兵士もいるだろうし精鋭の20人がいれば事足りるということだろう。

 

 大通りを脇にそれるとレンガの民家が立ち並ぶ。

 小さな女の子が雪合戦してたり、女性が井戸端会議していたり、思い思いに生活している。

 男が普通にいるとはいえやはり目立つのだろう。俺達が通ると皆がチラチラと見てくる。

 小さな女の子に至ってはこちらを見ながらヒソヒソと何かを話してキャーと叫んでいた。

 

 女性達の視線を集めながら歩いているとジークが、建物の中に入る。どうやらここが今日の宿のようだ。

 宿の中入ると頬杖をついた若い娘が面倒さそうに店番をしている。

 ドアが開いた音に顔を上げると目を見開きガン!っと音を立てながら立ち上がった。どうやら座っていた椅子を倒したらしい。

 

「い、いらっしゃいませ!」

「2部屋欲しいんだけど空いてるかい?」

「は、はい!空いてます!」

 

 滅多に来ない男の客に緊張しているのだろう。宿屋の娘は声が上擦って矢鱈と大きい。

 

「一泊一人4000アルトです!」

「わかった2部屋頼むよ」

 

 今まで気にしてなかったがこの世界にも通貨はあるらしい。

 早急に物の価値を覚える必要がありそうだ。

 顔を赤くした宿屋の娘に鍵を貰って部屋に向かう。

 

「じゃあ今日は自由行動としようか。また明日の朝に会おう」

 

 ジークはそう言って扉の中にはいるとガチャっと鍵をかける。

 ちなみに俺はまだ廊下に立っている。

 

「あれ?ジークさん俺まだ入ってないですよ!」

「ミナトさんは私達と一緒ですよぉ?」

「へ?」

「ジークは多分これから稼ぐからね。一緒の部屋にいるわけには行かないよ」

「稼ぐ?」

 

 セリアから同室だという事を伝えられる。ジークの稼ぎとはなんの事かはわからないがこの状況はよろしくない。

 

「あの…もう一部屋……」

「ほら入って入って」

「あ、いや……」

「ミナトさんのベッドはここにしましょう」

 

 もう一部屋取ってもらおうと声を出すがシオに背中を押されて部屋に入ってしまった。

 俺はセリアに荷物を奪われて二段ベッドが2つ並ぶうちの奥側に決められてしまう。そこで俺はもう逃げ場がないことを悟った。

 

「あっち向いてて」

 

 まあセツもいるし変なことにはならないかと諦めてベッドに腰をかけるとセツからの指示が来る。

 俺はセツに従い、ベッドの上に上がって反対側を向く。

 すると後ろからパサッと言う音が聞こえた。

 しゅるしゅるという衣擦れの音が後ろの3箇所から聞こえてくる。

 どうやら後ろで美少女3人が着替えているようだ。

 

 俺は全神経を耳に集中させる。

 この世界に来てから研ぎ澄ませ続けた五感をフルに発揮して少しでも情報を読み取る。

 

 この音の軽さはセツだな。布が落ちる音がしたから下を脱いでるってことか。

 こっちはセリアか?なにかに引っかかって取れたときのような布を弾く音がする。ま、まさか胸か?!そんなバカな?!

 となるとこっちはシオだな。上からも下からも衣擦れの音がなったということは今下着姿ということか。素晴らしい。

 

 俺は音から3人の状況を事細かに推測しているとokの声がかかった。

 俺が振り向くと3匹の妖精がそこにいた。

 

 白い毛皮でできたワンピースのような服を着ている。

 全員似たような服だが、服には刺繍がされていてそれぞれ模様が違う。

 セリアは花柄のシオは羊のセツは蝶の刺繍をしている。

 今まで着ていた実用一辺倒の服ではなく、女の子がおしゃれするための服だということがわかる。

 モコモコの位置やスカートが女性らしいデザインで、刺繍も可愛らしい。

 

「どうかな?僕達が自分で作ったんだ」

「暖かかったらもっとかわいい服持ってきたんですけどねぇ」

「似合う?」

 

 どうやら町で遊ぶために服を作っていたらしく、自慢したくて仕方がなかったようだ。

 セツでさえ似合うかどうか聞いてくる。

 

 彼女達にこんな一面があるなんて知らなかった。今まで彼女達の武器を持った強い姿しか見たことがなく、お洒落とか普通の女の子が好きなような事とは無縁のなのかと思っていた。

 だけど彼女達も年頃の娘らしく、普通にお洒落を楽しむために自分で服を作っていたようだ。

 

「…3人とも凄いかわいいです……」

「それだけ?僕達すごい頑張って作ったんだよ?」

「えっとシオさんは……」

 

 俺はその後3人にどういう所がかわいいか一人一人に伝えて満足するまで褒め続けた。

 3人とも嬉しいのかこだわった所を教えてくる。

 セリアはイメージ的にわかるけどシオとセツの反応が意外だった。

 

 セリアは俺が気に入った所を根掘り葉掘り聞いてくる。

 シオはクルリとまわってどうかな?と聞いてくるし、セツは普段必要最低限のことしか話さないイメージだが、この場所が苦労したっと一生懸命作るときの話を伝えてくる。

 俺は3人のそんな様子に癒やされながら相槌をうっていると満足したらしく外へ出ることになった。

 

 露天や商店を回る。

 女の子らしくアクセサリー類を見て回ったかと思ったら、鍛冶屋に入ってナイフや槍などを物色しはじめた。

 お眼鏡に叶う武器はなかったらしく、結局何も買わなかった。

 屋台で串に刺して焼いた鹿の肉が売っていたので皆で食べた。

 ソースがかかっていて、非常に味が濃くてうまい。

 セツの口にソースがついた姿を見て皆で笑う。

 シオがハンカチを取り出してセツの口を拭ってあげる。

 

 俺はお金を持っていないのでついていくだけだが、3人が嬉しそうにしているのを見ているとこっちまで楽しくなってくる。

 3人は本当の姉妹のように仲が良くて微笑ましい。

 人を平気で殺したとは思えない笑顔だ。

 でもこの世界ではこれが普通なのだろう。俺はこの世界に馴染むことができるのだろうか。

 

 ふと露天に並んでいるアクセサリーが目に入る。

 雪の結晶の形をした蒼い髪飾りだ。

 きっとセツに似合うだろう。もしセツにプレゼントしたら喜んでくれるだろうか。

 そんな事を考えるが俺は無一文なので意味のない考えだ。

 俺は離れてしまったセツ達を小走りで追いかける。

 

(いつか絶対プレゼントしよう。)

 

 今の俺はまだ何者にもなれていない。

 お金を稼ぐための技術は何もないし、狩人としても戦士としても半人前だ。

 人を殺す事についてどうしたらいいかわからない。

 ああ、悩んでいても仕方がない、兎に角今は戦士の試練を乗り越え、いつか胸を張ってセツにこの髪飾りをプレゼントしよう。

 

 

 

 

 翌朝、部屋を出ると丁度隣のジークの部屋が開く。

 だがジークの部屋から出てきたのはジークではなく女だった。ジークはその後ろにいる。

 

「またお願いね」

「僕も楽しかったよ。こちらこそまた利用してね」

 

 女とジークがちゅっとキスをすると女は出口に向かっていった。

 あのただならぬ雰囲気、ジークの言っていた稼ぐという言葉、恐らくそういう事だろう。

 

「よしじゃあ行こうか」

「…ジークさんまじパないっす……」

「パ…何だって?」

「凄いってことです」

 

 子供な俺にはよくわからないが兎に角ジークさんは凄い。



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13話 アナンの村のリタ

 サンの村を出発して5日目、俺達はアナンの村に到着した。

 村は山の斜面に存在し、段々畑のように山を切り開いて家が建てられている。

 この村は非常に頑丈な黒鋼という金属がよく取れるため優秀な鍛冶師が多く集まっているらしい。

 

 鍛冶屋に寄る前に先ずは宿をとって荷物を部屋に置く。

 武器を一から作ってもらうとなると日を要するためしばらくはここに滞在する予定だ。

 ちなみに今日も部屋の数は二部屋だ。

 

 三人娘はまた別の鍛冶屋の元へ向かうようで一旦分かれて鍛冶屋に向かう。

 ジークに案内された鍛冶屋はアンジの大剣を打った所らしく、ここなら間違いないとのこと。

 

「もし実力が足りないと判断されたら断られる事もあるから気をつけてね」

「そんな漫画みたいな人が……」

「まんが?」

「物語の中の人ってことです」

 

 扉を開けて鍛冶屋の中に入ると様々な武器が並べられている。

 扉の開いた音を聞きつけたのか奥から一人の男が現れた。

 その男は白いひげをたっぷり蓄えていて、体は筋骨隆々で非常に鍛えられている。

 背は低く頭は禿げていてまるでドワーフだなと思った。

 

「おう、ジークか」

「こんにちは、ガリアさん。紹介します。彼はミナト、新しい戦士になる予定の男です」

「ミナトです。今日は俺の武器を作るお願いをしに来ました」

「ほう」

 

 ガリアは俺の事をじろじろと観察してくる。

 どうやら俺はガリアに値踏みされているようだ、俺はお眼鏡に叶うのかと緊張しながら視線に耐える。

 するとガリアが指をさして口を開いた。

 

「そこの剣を順番に振ってみろ」

 

 ガリアが指差した先には大きさの違う3つの黒い大剣が立てかけられている。

 俺は言われた通り大剣に近づき、一番小さい物を手に取った。

 小さいとは言っても普段使っている剣より大きく、肉厚だ。およそ10kgはあるだろう。

 もはや地球人が扱える重さではない。

 刃は研がれておらず、もしかしたら試しに持って見るためのものかもしれない。

 俺は剣を握ると構えてみる。

 

(これならいける。)

 

 たしかに今までの剣より重いが、今の俺なら扱えそうだ。

 大剣を上段から真っ直ぐ振り下ろして地面ぎりぎりでピタッと止める。

 

「よし、次だ」

 

 俺は次の一回り大きい大剣を手に取る。

 

(お、丁度いいかも。)

 

 大剣を振ってみると重さはあるものの扱えないほどではない。

 重さは20kgほどだろうか。

 縦に振った大剣を止めて切り上げる。そこから真横に持ってきて横に振る。

 大剣の重量で体が振られそうになるが体幹で押さえつける。

 

「次だ」

 

(重い……。)

 

 重量は40kgくらいだ。

 かなりの重量を感じる。

 振り上げただけで体が振られてしまいそうになる。

 もしこの大剣を振り下ろすと慣性を止める事が出来ず、床にしたたかにぶつけてしまう事だろう。

 俺の力ではこの体剣を振るうと体幹が支えきれずに軸がぶれてしまうはずだ。なら、体を投げ出して大剣との重心の位置をつじつま合わせしてみることにする。

 俺は体を投げ出して大剣を振り回し、遠心力を利用して横に振る。

 ぶおん!っと重い風斬り音を鳴らしながら振られる大剣に、俺は無理やり止めようとせずに一回転してなんとかとまる。

 

「こんな感じです」

「ちと非力だが、まあなんとかなるだろう」

「よかったじゃないかミナト、武器を作ってくれそうで」

 

 どうやら彼のお眼鏡にぎりぎり叶ったようだ。

 俺はほっと息をはいて安心する。

 

「お前何歳だ?」

「もう少しで16歳になります」

「なるほどな……」

 

 ガリアに年齢を聞かれたので素直に答える。

 深く考えなかったが何か意味があるのだろうか。

 ガリアは指を顎に当て何か考えている。

 

「支払い方法はどうする?」

「この子を好きに働かせていいですよ。戦士の試練を受けさせる程度には使えるはずですから」

「え?!」

「当然じゃないか。武器は高いんだよ?自分の相棒の分くらい自分で稼がなきゃ。ある程度不足分は出してあげるけどね」

 

 初耳だった。たしかに宿代から食費までお世話になった上に武器まで買ってもらえるなんていいのかな?とは思っていた。

 勿論働く事に不満はない。だけどせめて一言あって欲しかった……。

 

「そうですね。自分が甘かったです。ガリアさん俺、何でも働きますんで武器を作ってください。お願いします」

 

 気を取り直して俺はガリアさんにお願いする。金を払わずに作ってもらおうとしてるんだ。せめて誠意だけでも伝えようと頭を下げる。

 

「ジーク、またかよ。お前らの村の戦士はなんでこんなに金を払おうとしねぇんだ」

「その分包丁とか半分くらいの狩猟衆の武器とか頼んでるじゃないですか」

「足りないんだよ。男の武器作んのは重いし材料めちゃくちゃいるし大変なんだぞ……」

「じゃあミナトがいるから少し楽になりますね。大丈夫です。少しは払いますから少しは」

「ちっしょうがねぇな…おいミナトっていったか今日からこき使ってやるから覚悟しとけよ」

 

 話が進んでしまった。これはおじいちゃんから聞いた話だけど、日本でもお金の代わりに働いて高い物買ったりする文化があったらしい。現代っ子の俺にはない感覚だ。

 昔の日本のようにコンプライアンスという言葉がないこの世界においてもそこまで珍しい事ではないのかもしれない。

 

「さて、どんな武器を作るかだが剣でいいのか?」

「はい、そのつもりです」

 

 俺はこの世界にきてから剣と槍と弓を訓練してきたが特に剣に力を入れていた。

 ケシャの腕を切り落としたアンジの一撃が俺の心に強烈に焼き付いていたからだ。

 俺もアンジのようになれるかもしれない。その一心で剣の腕を磨いてきた。

 ようやく俺もアンジのような力強い攻撃をするための剣を手に入れることができる。

 ケシャの腕を一撃で切り落とす自分の姿に思いを馳せていると出口の扉が開いて誰かが入ってきた。

 

「ただいま〜」

「おう、リタいいところに帰ってきた、いい機会だ。こいつの剣の設計をどうするかお前が考えろ」

 

 リタと呼ばれた扉から現れたのはツナギを来た少女だった。

 長い髪を乱雑に後ろでくくっており、首にはゴーグルがかけてある。

 気の強そうな印象を受ける顔立ちで多分革ジャンとかタンクトップとか似合いそうなタイプだ。

 歳は恐らく俺とそこまで変わらないだろう。

 どうやら俺のための剣を作る相談に乗ってくれるようだ。

 

「俺はミナトといいます。サンの村の戦士になるための武器を作ってもらいに来ました。よろしくお願いします」

「うおっ…びっくりした男か…あたいはリタ。ガリアの娘で鍛冶師見習いだ。よろしくな」

 

 やはりガリアの娘だったようだ。

 リタは俺が男の客だと知って少しびっくりしたようだが、特に取り乱すことなく話してくる。

 話し方からして見た目通りの男勝りな女性のようだ。

 

「親父、こいつの武器は大剣でいいのか?」

「そうだ、そこにある大剣を扱える程度には鍛えてるみたいだ」

「へぇあれを持ち上げたんだ、戦士目指してるだけはあるわけだ。ついてきな」

 

 リタに連れられて外に出る。

 ちなみにジークは用事はもう済んだと先に帰った。

 案内されたのは家の真横にある柵にかこまれた庭でカカシや的が置かれている。

 庭に面している家の壁立て掛けられているのは剣のような見た目をしているが、刃がついていない。

 その剣もどきは刀身に細長い穴が開けられていてその穴を通すように金属の塊が取り付けられている。

 

「今から剣の重心が何処にあるのがあんたにとって使いやすいか調べる」

 

 リタはそう言うと剣もどきに取り付けられた金属の塊の位置をスライドさせて一番根本の方にする。

 金属塊を上から紐で縛り付けて固定させると俺に持つよう促す。

 

「じゃあ好きなように振ってみてくれ」

 

 俺は言われたように好きなように振ってみる。

 重心の位置が手元に来ているので取り回しはしやすい。

 重量が20kgはありそうなので決して楽ではないが体が流されることなく振るうことができた。

 

「もういいよ」

 

 一通り振っているとリタから静止の声が聞こえる。

 再びリタの手に渡った剣もどきは金属塊を一番先端にスライドさせて括りつけられた。

 

 剣もどきを降ってみると重心が先端によったため全く別の武器に変わったような印象を受ける。

 取り回しは圧倒的にし辛くなったが、より遠心力が働き、一撃の威力がかなり上がったように感じる。

 剣もどきの行きたい方向に逆らわずに少し力の方向を変えてやるのが上手く扱うコツだ。

 

「どっちのほうが好き?」

「うーんどちらかというと後のほうが好きですかね」

「じゃあこれは?」

 

 俺の答えを聞いたリタは次は先端から少しだけ根本側に重りをずらして俺に渡してきた。

 俺はそれを受け取り振ってみて感想を答える。

 こういう風に徐々に重心の位置を変えたり重りの量を増やしたりして俺の好みの重心位置を探っていく。

 

 そうして何度も修正を繰り返してついに丁度いい位置を探り当てた。

 リタはその位置を剣もどきにメジャーを当ててクリップボードに取り付けられた紙に記録する。

 

「こんなもんかな。あんたの事が大体分かったよ」

「ありがとうございました。いつもこんなふうにして武器を作っているんですか?」

「悔しいけどこの重さは女には扱えねぇからな。男なんて滅多に来ないし数えるくらいしか使った事がねぇよ」

「あまり使わないのによく用意してましたね。おかげで自分の癖とかがよく分かりましたよ」

「そうだろ?あたいが考えて作ったんだ」

 

 この剣もどきはリタが作ったらしい。

 中々発想力に優れた女性のようだ。

 こういう新しい発想ができる人が人類の技術を進化させるのだろう。

 

「本当に凄いです。こういうより良い物を作るための発想ができるなんてリタさんは凄い鍛冶屋なんですね」

「お…おう、なんかそこまで褒められると照れくさいな……親父には怒られてばっかだしそんな凄くねえよ……」

 

 リタは俺の言葉に恥ずかしそうに頭をかきながら目をそらす。

 なんだろうこの可愛い生き物は。

 男勝りな女の子が褒められて恥ずかしそうにしているのを見ると、なんだかもっと意地悪したくなってきた。

 

「そんなことないですよ。凄い丁寧に俺のふわっとした感覚的な感想をしっかり言語化してくれて、自分の事を見つめ直すことができました。こんな優秀なんですからきっとガリアさんもリタさんの事褒めてますよ」

「そ、そんなこと……」

「真摯にモノづくりと向き合ってる女性はカッコいいと思います!」

「う……と、兎に角!もう調べたい事は終わったから戻るぞ!」

 

 俺の褒め殺しをリタは顔を真っ赤にさせながら終わらせに来た。

 どうも褒められなれてないようだ。

 足早に家に戻る彼女は腕を口に当てている。

 恐らくニヤケ顔を隠しているのだろう。

 なんだか見てるとほっこりする。

 

 リタを追いかけて店に戻るとガリアがリタの様子を見ると俺の方を向いてニヤリと嫌な笑いをした。

 何か勘違いさせてしまったんだろうか。

 

「終わったようだな。まだ今日この村についたばっかのようだし働くのは明日からにしよう。どうやらリタと仲良くなれたみたいだしリタに村を案内してもらえ」

「え、そんなの悪いですよ」

「仕事させんのに村の事を知ってたほうが都合いいんだよ。分かったら行け」

「そういうことでしたら……リタさんお願いできますか?」

「…おう」

 

 リタと俺をくっつけようとする意思を感じるが、取り敢えずは村を案内してもらう事にする。

 ジークさんも三人娘もいない今村を案内してもらえるのでは非常に助かる。

 

「リタのことが気に入ったんなら貰ってやってくれ。こいつ中々相手を決めやがらねぇんだ」

「親父!な…なにいってんだよ!そ…そんな事言ったらミナトが困んだろうが……」

 

 やっぱりガリアは勘違いしていたようだ。

 

 だけどリタさんなんで満更でもない感じを出してるんですか?まだ合って1時間くらいですよ?少し褒めたくらいでチョロすぎませんか?



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14話 皆肉食

 俺はガリアの言葉に甘え、リタにアナンの村を案内してもらっていた。

 アナンの村の住居は木造建築が多いサンの村と違い石造りが殆どのようだ。

 リタ曰く鉄鉱石が取れるこの村では、鉄鉱石から鉄を取り出す製錬と鍛冶が盛んで、何かと火を使うことが多いからだそうだ。

 

「あっちが鉄を取るための採掘場、その下にあるのが製錬場、あそこで製錬された黒鋼をあたい達が買い取って形にするんだ。あそこには黒鋼を取りに行くことになると思うから覚えときな」

「ん?鉄が取れて黒鋼になるんですか?」

 

「黒鋼は鉄鉱石と木炭と鎧山羊の血を一緒に炉に入れて作るんだ。

 鎧山羊は硬化の魔法を使う山羊でな。その血に含まれるマナを鉄に混ぜると途轍もなく頑丈になるのさ」

 

 この世界の鉄も俺のよく知る地球の鉄と同じものなのだろうか?

 そこに鎧山羊の血を使うことで頑丈になっているのか?

 あまり鉄とか詳しくない俺には色々考えるがわからない。

 ただ分かることは黒鋼が俺が知る鉄より途轍もなく頑丈と言うことだ。

 俺が使ってる剣も黒鋼で作られているらしいが、今まで散々使ってきて刃こぼれする気配はない。

 

「これもあたいが作った道具で黒鋼で出来てんだ」

 

 リタは窓から身を乗り出して指を指しながら色々教えてくれる。

 どうやらリタは教えたがりの気があるらしく、一通り村の主要施設を教えてくれた後は、窓から離れると部屋の中に置かれた道具を説明してくれる。

 

 ガリアは今日から働いてもらうって言っときながら、リタに村の案内をさせるあたり俺とくっつけようとしてるんだろう。

 少なくとも娘をやっても大丈夫な程度には男としてガリアに認められたのだろうか。

 それなら今まで必死にやってきた事が認められたようで嬉しい。

 

 俺はこの世界に来た当初はハーレムを作るぞ!っと意気込んでいた。

 だがセツをはっきりと好きだと自覚してからはそんな気はいつの間にか失せてしまっていた。

 その事がセリアとシオに言い寄られてはっきりとわかってしまった、勿論二人の好意は愛かどうかはおいといて嬉しい。

 だけどそれ以上にセツの気持ちを物にできるかどうかのほうが俺には重要なのだ。

 

 なのでリタと俺がどうにかなる事はない。

 今、彼女の部屋で二人きりでも問題はないのだ。

 

「さっき使ってたこの紙をとめる板はもしかしてリタさんが?」

「そうだ。この板の上についたこの部分には、叩いて細くした鋼を丸めて仕込んであって、元に戻ろうとする力を利用して紙を挟んで落ちなくなるようになってんだ」

「やっぱりリタさんは凄いですね。こんなものを思いつくなんて……」

「そんな大した事じゃねえよ……」

 

 さっきガリアさんの前で褒めた時と同じように、俺の褒め言葉にリタさんは顔を赤くしながら目をそむける。

 女らしからぬ言葉使いの割にもじもじするその様は実に女性らしい。

 ちらちらと時折こちらを見る目はうぬぼれでなければ意識してもらえてるのだろう。

 なぜリタと部屋に二人きりなっているかは、ガリアさんに村を案内してもらえと言われた後の事だ。

 俺はリタさんに連れられ、外に出た。

 

 しばらくリタに井戸の場所や村長の家など普通に案内してもらっていると、俺とリタが歩いている様子を見て一人の女性が声を掛けてきた。

 

「あれ?リタあんたついに結婚する気になったの?」

「っ……そんなんじゃねえよ!」

 

 女性の言葉は顔を一瞬で赤くして力強く否定の言葉を上げる。

 

「顔そんなに赤くして説得力無いよ?」

「は?…いやっこいつはただの客で……」

「客の男にびびっと来ちゃったんだ?どこの男なの?」

「そ…そんなんじゃ……」

 

 案の定、女性のからかいにリタは初心な反応を見せた。

 その様子に女性はニヤリと笑う。どうみてもリタの言葉を信用していない様子だ。

 追求されて言葉に詰まってしまうあたり、もう駄目なようなので取り敢えず自己紹介をする事にする。

 

「俺は湊って言います。サンの村から来ました。戦士の試練を受けるため武器をリタさんに依頼したんです」

「へー、サンの村から。リタったらいい男つかまえたじゃないの。絶対逃がしちゃ駄目よ」

「だからただの客なんだって……」

「ははは……」

 

 女性の猛攻に普段は勇ましい口調のリタとは思えない弱弱しさだ。

 その様子に俺は苦笑いすることしかできない。

 女性はリタに何か耳打ちして去って行った。リタはできるか!っと叫んでいたが一体なにをふきこまれたんだろうか。

 

 気を取り直して村を歩いていると、また別のリタと同じ歳くらいの少女が話しかけてきた。

 

「あれ?その横にいる男の人は?」

 

 少女は俺の事を目を細めて見つめてくる。

 どうやら値踏みされているようだ。

 

「私の家の客だ」

「ということは戦士?どこの人?」

「俺はサンの村から来ました。まだ戦士じゃなくて、今日は戦士の試練を受けるための武器を作ってもらいに来たんです」

「サンの村……」

 

 少女の俺を見る目が変わった。その目はセツが獲物をしとめようとゆっくり近寄っている時と同質に感じる。

 

「サンの村の戦士になるって事はお兄さん強いんだ」

「いえ、俺はまだ全然強くないです……」

「リタと一緒に私もどう?今の私の婚約者も戦士になる予定なんだけどいまいちなのよ」

「なにいってんだ!あたいとこいつはそんなんじゃねえよ!」

 

 この村の女性はなぜこんなにも逞しいのだろうか。

 こんな気の強そうなリタに対して全く遠慮する気配がない。

 それともリタのこのすぐ赤くなる様子からして可愛がられキャラなのだろうか。

 

「ありがたい話なんですが俺は心に決めた人がいるので申し出を受ける訳にはいきません。ごめんなさい」

「?なにか問題でもあるの?」

「俺が結婚するのはその人ただ一人のみと思ってます」

「変なの。男がそんなの許されるの?」

「許されるも何も決めた事なんで」

 

 やはりこの世界においては一人を愛そうと言うのは異質の存在なのだろう。

 セツが俺を愛しているかどうかはわからないが、少なくとも結婚する流れになっている現状を嫌がっているようには見えない。

 そのためなのかセツはどうも独占欲が強い面をみせている。もしそうなら俺はハーレムを築く訳にはいかない。

 俺は初めて他人に言葉に出す事でそう決意を固めた。

 

 そんなこんなで村を歩いていると声を掛けられ続けた。

 内容はリタが男を連れている!か、お前強いの?じゃあ私と結婚どう?のほぼ二択である。

 その度にリタが顔を赤くしたり、もじもじしたり、何か言いたそうな顔をしたりしていた。

 リタは恥ずかしさのあまり我慢ならなくなったようで、俺を鍛冶場とは別にある自宅に連れ込んで二階の窓から村を紹介することにしたのだ。

 

「そういえばここにはガリアさんと住んでるんですか?」

「いや、この家にはあたいとお袋だけだ。親父はまた別の家に住んでる」

 

 この世界の女は結婚したからといって相手の男と必ずしも一緒に暮らす訳ではない。

 ハーレムを築いた男が、全員と一緒に住もうとすれば家が手狭になってしまう、そのため女の人が近くで家を構える事は珍しい事ではないらしい。

 ガリアとリタの関係は悪い物ではなさそうだったし、普通に別に暮らしているだけなのだろう。

 俺とリタがそんな他愛もない話をしていた所、誰かが階段を駆け上がる音が聞こえ、急に扉が開かれた。

 

「リタあんた男捕まえたんだって?!」

「お袋?!ちがっ……」

「男に言い寄るのを恥ずかしがって婚約者をつくれなかったあんたがお客さんを連れ込んだって聞いて安心したよ……絶対逃がすんじゃないよ!」

「お袋やめろって!ミナト、違うからな?別にそんなつもりで連れてきたんじゃないからな?」

「分かってますからリタさん落ち着いて」

 

 リタと良く似た女性が扉を開けるなりぶっ込んできた。

 リタが必死に否定するが、リタの母親はリタの肩を掴んで男を逃がすなと発破を掛ける。

 

「ミナトさんといいましたね。話は聞いております。ここを自分の家だと思ってくつろいでください。

 泊まってもらっても結構ですので今日はリタを女にしてやってくださいね」

 

 俺の方に向き直り、頭を下げながらド直球を投げ込んでくるリタの母親に、女性経験のない俺は面食らいながら顔を赤くしてしまう。

 リタの母親は俺が茫然としているうちにではごゆっくりと言って扉からそそくさと出て行ってしまった。

 部屋を出る時リタを睨みつけていたが恐らく分かってんだろうな?逃がしたら飯抜きだよ?とでもアイコンタクトしていたのだろう。

 ほどなくして扉の外から何か大きなものを引き摺る音が聞こえる。

 扉に手を掛けてみるとどうやら何か大きなものを置いたようで扉が開かない。

 完全に決めに来たようだ。

 

「えっと…すごい元気な方でしたね」

「…うん……」

 

 リタは予想通りもじもじモードに入ってしまったようだ。

 ベッドに腰を掛けると俯きながらちらちらこちらを見てくる。

 俺に何を期待しているのだろうか。やっぱり子供な俺にはわからない、わからないのだ。

 

「さて……」

 

 しばらく無言の途轍もない何かの時間が過ぎるが、外の物をどけてくれる気配がないのでどうしようか思案する。

 力に任せて扉を開けるか窓から飛び降りるか。

 力がついた今では前者は扉や物を壊してしまいかねないし、後者が無難か。

 俺は部屋の脱出の算段を整え、リタに部屋を出ることを伝えようとする。

 するとなにやら外から男の声が聞こえてきた。

 

「ここにミナトという男がいると聞いた!出てきて俺と闘え!」



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15話 戦士見習いタロウ

「ここにミナトという男がいると聞いた!出てきて俺と闘え!」

 

 俺を物騒に呼ぶ声が外から聞こえる。

 

「なんだ?」

 

 俺は窓から顔を出すと一人の男が立っていた。

 歳はまだ若そうだ。

 男は二階の窓から除く俺の顔を発見するとまた声を上げる。

 

「お前がミナトか!」

「そうですけど……あなたは?」

「俺はアナンの村の戦士見習いタロウだ!お前に決闘を申し込む!」

「はあ?」

 

 いきなり何を言っているんだろうか?

 もしかして他の村の男が来たら決闘する文化がここにはあるのか?

 タロウと言う男の事は、見たことも聞いたこともない。

 全くの初対面だと思う。

 俺は少なくとも初対面の男に喧嘩を売られるようなことはしてない筈だが……。

 

「ちょっと待っててくださ〜い……リタさんなんか決闘挑まれたんですがあの人知ってます?俺初対面だと思うんですけど……」

「ああ戦士見習いのタロウだな。今日アンタに求婚してきた女の一人が婚約者だった筈だ」

「ええ…婚約者いるのに求婚してきたんですか……」

 

 リタの言葉を聞いてガクッとくる。

 ということは女関係のクレームってことか?

 俺がこの世界の女性の肉食っぷりを受け入れられる時が来るのだろうか。

 

「ミナト!早く降りてこい!」

 

 どうするべきか?

 正直面倒くさくてたまらない。

 降りたところで俺に何一つメリットがない。

 だけど彼の気持ちもわからないでもないし、やはり降りるべきなんだろう。

 

「仕方がないか……」

「タロウ!今取り込んでんだ!また出直しな!」

 

 渋々だが降りて話をしようかと決心した時だった。

 リタが俺を押しのけ、窓から顔を出して啖呵を切ったのだ。

 戦士見習いのタロウが何か言おうとしていたが、リタはそれを無視し、木窓を締めてしまった。

 

「人の家まで来て面倒くさい男だな」

「えーリタさん、ちょっと俺あの人と話してこようかと思ってるんですが……」

「いいんだよ。あんなやつほっとけば」

 

 そう言いながらリタは金具を下ろして窓の鍵を締める。

 ちなみに日本でよく使われている半回転させるクレセント錠ではなく、南京錠を使っている。

 部屋は暗闇に包まれたが、直ぐにリタがランタンに火をともしてうっすらと明るくなる。

 

(あれ?これどうやって出れば……)

 

「その…よろしくお願いします」

 

 先程タロウに啖呵を切ったときは、何時もの勇ましさを取り戻していたが、またあのもじもじモードになってしまった。

 それも明らかにさっきまでと違い覚悟完了の様子である。

 あんな邪魔があったというのに続けようとする辺り、初心でもやはりこの世界の女と言うことだろうか。

 リタがぱさっとベッドに倒れ込んだ。

 まずい、女にここまでさせて恥かかせるのは忍びないが、これ以上はいけない。

 

「リタさん鍵開けてくれませんか?」

「……なんでだよ……」

「さっきも言いましたがちょっと外の奴と話してきます。それに僕は心に決めた人がいるんです」

「やっぱりあたいみたいな女らしく無い奴じゃ駄目ってことか?」

「うぐっ!」

 

 これは反則だ。

 リタがもじもじモードから不安そうなうるうるモードになってしまった。

 普段強気で男勝りな口調のリタだが、同時にコンプレックスだということだろうか。

 そのいじらしさに胸がキュンとしてしまった。

 だがここは心を鬼にしなければならない。

 

「あなたは凄く魅力的です。でも俺は相手が誰であろうと靡きません。鍵を渡してください」

 

 俺は語気を強くして、決して折れない意志を示そうとする。

 リタはそんな俺に少し怯んだのか肩をビクッと震わせたが、やはりこの世界の女は逞しかった。

 手をかざして何かを見せてきた。

 

「…ほら、これが鍵だ。これが欲しいなら力付くで奪いな」

 

 目をそらしながらリタはそう言うと、分厚い上着を脱ぎ、タンクトップ姿になる。

 するとタンクトップの胸元を開き、見せつけるようにしながら鍵を胸の谷間に収めてしまった。

 

「好きにしろよ…その代わり、お…おっぱいに触ったらせせせ…責任…とれ!」

「ええ…?」

 

 やばい!この女、既に王手を決めにかかっている!

 俺が鍵を渡すように説得しようとしても頑なに拒んでくる。

 それどころか説得するたびにリタが薄着になっていき、もうパンツとブラだけだ。

 毎日鎚でも振ってるのだろうか?

 よく鍛えられた健康的な体が眩しい。

 

(考えろ…何か生き残る手段はあるはずだ…俺はあの生死をかけた戦いを生き延びたんだ!ここで終わるわけには行かない!) 

 

 俺は部屋中に視線を巡らせ何か手はないか考える。

 出口はない。

 使えそうなもの…物はあるが何に使えと言うんだ。

 鈍器として使ってリタを気絶させるか?

 いや、いくらなんでも好意を寄せてもらってる相手にそれはありえない。

 

(なにか…なにか……あ。)

 

「パンツも脱ぐぞ!もし見たら責任とるんだぞ!いいな!……ミナト?」

 

 俺は何も持たずに窓に近づく。

 その様子を不思議そうにリタが観察している。

 なぜ直ぐに思いつかなかったんだ。

 俺の起死回生の究極の一手、それはただ窓を開けることだったんだ。

 

 俺は木窓を押すと、当然鍵が邪魔してくる。

 だが俺は男だ。

 こんな物で俺の進む道を阻む事などできない。

 床を蹴り、腰を回して腕に回転の力を伝える。

 窓に当てられた手により窓に力は伝えられ、窓から金属の鍵にまで伝搬した。

 鍵はガチン!っと音を響かせて俺に抵抗しようとする。

 だが鍛え抜かれた俺の力を受け止めるには、鍵を止めている窓側が貧弱すぎた。

 

 鍵を止めている窓から釘が抜け、窓が勢いよく開く。

 

(外だ!)

 

 俺は窓から身を乗り出して二階から飛び降りた。

 この程度の高さは今の俺には椅子から降りるくらいに簡単なことだ。

 俺は着地に成功し、顔を上げる。

 

「タロウさん!お待たせしました!話を聞き…ましょ…う……」

 

 タロウは諦めずにまだ外にいたようだ。

 だが、タロウは正座しており、リタの母親がその前に立っている。

 俺が飛び降りたことで二人の視線は俺に集中している。

 

「あら?うるさくしてごめんなさいねぇ。今この男に静かにするように言い聞かせてたところだから、安心して部屋に戻って下さい」

 

 どうやらリタの邪魔はさせまいとタロウを母親が説教していたようだ。

 俺をすごい剣幕で見ていたタロウが、今では俺に助けを求めるような目で見てくる。

 

「えっと…その人と話があるんで……」

 

 

 

 

「ミナト!俺と勝負しろ!それとさっきは助かった……」

「先ずは話し合いませんか?あとどういたしまして」

 

 勝負しろと叫んだあとにペコッと頭を下げるタロウ。

 どうやら悪い人ではなさそうだ。

 俺はあの後、引き止めるリタの母親から用事があると言ってなんとか逃げてきた。

 その際、タロウもこっちでなんとかすると言って連れてきた。

 今は的やカカシが立ててあるアナンの村の訓練場に来ている。

 

「なんで俺と戦おうとしてたんですか?」

「俺の唯一の婚約者がお前に求婚したと聞いたからだ!」

「あーやっぱりですか…その事なら俺は断った筈なので心配しなくても大丈夫ですよ」

「俺もそう聞いているが、今ここで俺の強さを示しとかないと逃げられるんだよ!」

 

 やっぱり女絡みだったようだ。

 それも質の悪い事に、俺の対応をわかった上で喧嘩をふっかけてるらしい。

 

「俺にメリット無いし嫌なんですけど……」

「くっ…確かにそうだが…頼む!俺を助けると思って正々堂々と決闘してくれ!」

 

 なんで決闘を頭を下げられて申し込まれてるんだろうか?

 まあ彼の気持ちも分からないでもないし、命の取り合いじゃなければいいか……。

 メリットないと言ったが知らない人と訓練できると思えばメリットはある。

 

「分かりました。やりましょう。勿論、命のやり取りや障害の残る様な怪我はなしでお願いします」

「本当か!恩に切る!」

 

 そういうわけで俺とタロウは決闘することになった。

 訓練場の雪は少し残っているものの、殆ど除雪されており、踏ん張りはしっかり効きそうだ。

 どこからか騒ぎを聞きつけ、いつの間にか村の人間達が俺達を見ている。

 その中には俺に求婚してきたタロウの婚約者もいる。

 

 タロウの武器は女の狩猟衆が使うような普通の木刀だ。

 大して俺が訓練場から借りたのは、3倍は分厚い、もはや棍棒というべき木刀だ。

 

(落ち着け、同じ戦士見習いだ。俺の力が通用しないはずはない。)

「では行くぞ!」

 

 タロウは剣を振りかぶり切りかかってきたのに対し、俺も同じように切りかかって剣同士がぶつかる。

 鍔迫り合いになったのは一瞬で、タロウは直ぐに俺の攻撃で押し出されるように後ろに飛んだ。

 俺はすかさず追いかけるが、木刀を前に突き出し、踏み込む俺の顔を狙ってくる。

 

 俺はひるまずに更に踏み込んで地面と体が水平になるほど体を低くした。

 俺の背中には木刀が擦る感触を感じる。

 倒れる体を足を大きく開いて前に出して支えると、右手に持った棍棒を太腿に向かって振った。

 

 タロウの足に棍棒が触れる。

 だがタロウは俺の棍棒が骨に到達してダメージを与える前に、頭を横に投げ出して手を地面につけない側転でダメージを逃した。

 

(マジかよ!)

 

 キマったと思っただけにこの回避のされ方は驚いた。

 このタロウもという男はなかなかの使い手のようだ。

 

 俺は横に流れた棍棒の動きをそのまま活かし、円を描くように頭の上まで持ってきて、タロウの肩に向かって振り下ろす。

 タロウは木刀で俺の棍棒を受けた。

 だが武器の重量は遥かにこちらのほうが上で、なおかつ重量を活かせる振り下ろしだ。

 このまま行けると判断して、ガードの上からタロウの肩を狙うべく更に力を込める。

 

 だが次の瞬間、俺の腕に棍棒を通じて感じる抵抗が消え去った。

 タロウは棍棒を受けた木刀を縦にしながら受け流し、タロウの木刀を押し出す俺の力も利用して半歩

横にずれて回避したのだ。

 

(こんな重い武器の一撃を受け流された?!)

 

 タロウは俺が攻撃を受け流されたことで、体勢を崩すしたところを狙い、木刀を薙ぎ払ってくる。

 

(軽い……)

 

 木刀は俺の腕に当たるが、この程度の威力なら問題ない。

 俺は木刀を無視して棍棒を薙払ってタロウを後ろに下がらせた。

 

 タロウは離れて直ぐに一気に踏み込んで突きを放ってきた。

 突きは腹に向かっている。

 俺は体を右足を後ろに下げ、半身になって避けると、左手で突きを放ったタロウの右腕を掴む。

 

「もう逃さねえぞ!」

 

 タロウは必死に俺の腕を振りほどこうとするが、俺は握力を強めて絶対に離してやらない。

 ミシミシと俺が掴んだタロウの腕から骨がきしむ音が聞こえる。

 抵抗する力はそうでもない。

 右腕で棍棒を振りおろす。

 流石に腕を掴まれた状態では避けることができなかったようだ。

 棍棒は今度こそタロウの肩をガードの上から打ち据えた。

 

「がっ!」

 

 タロウはたまらず膝をついた、俺は握った腕を後ろにまわして一気にひねりあげる。

 タロウは俺の捻り上げで、顔を雪の地面につけて身動きが取れなくなった。

 

「はぁ…はぁ…俺の…勝ちです……」

「……俺の負けだ」

 

 ギリギリの戦いに、いつの間にか息を止めていたようだ。

 肺が空気を求めて呼吸が荒くなっている。

 だがなんとかなった。

 俺の初のサンの村以外の人間との戦いに無事勝利する事ができた。



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16話 男らしさとは

 危なかった。

 技量では完全に負けていた。

 なんとか腕力の差で勝ちを拾う事ができたが、もしタロウにもう少しの腕力があれば俺の腕は使えなくなっていただろうし、俺の掴みを振り解くことができただろう。

 俺がこの世界にきて半年ほどだが通用してよかった。

 だけど産まれた時からこの厳しい世界で育てられてきた男が、たった半年鍛えた俺に腕力で負けるものなのだろうか?

 

「俺も男だ潔くフランの事は諦める。ミナト、彼女の事をよろしく頼んだぞ」

「待って!そんなものをかけて勝負した覚えはないですよ!やる前に求婚は断ったっていいましたよね?!」

 

 拘束を解かれたタロウが変な事を言い出した。

 たしかタロウの力を示すための決闘だったはずだ。

 彼の目的を達成することはできなかった訳だが、だからといって俺に託されても困る。

 そんな事を話していると俺に求婚してきたタロウの婚約者、フランが近づいてきた。

 

「タロウやっぱり負けちゃったんだね」

「フラン……」

「ごめんね。私達婚約してたけどやっぱりなしで!」

「ああ、オレに力が足りなかっただけのことだ。気に病む必要はない」

「ありがとうねタロウ」

 不味い、俺のせいでタロウの婚約破棄が決まってしまった。

 タロウは潔い答えを返してるが、落胆の色を隠せていない。

 そんな落ち込むなら俺に結婚の責任なんて背負わせないでほしい。

 俺はなんとか二人の婚約破棄を止めなければと思い、声をかけようとしたらフランがくるりとこっちに振り向いた。

 

「やっぱり強いんだね。私、さっき貴方に振られたばっかりだけど益々興味持っちゃった」

 

 タロウの方をチラリと見てみると、目を瞑り我関せずという様子。

 しつこく決闘しろと行ったり落ち込んだりしてるわりに、いらない所で潔さを出さないでほしい。

 とにかくもう一度しっかりと断ろう。

 

「ごめんなさい。さっきも言いましたが俺には好きな人がいるんです。

 それに戦いはギリギリでした。

 タロウさんは決して弱くありませんし、考え直されては?」

「そうなの?でも戦士になれないようじゃねー。

 職人とか別の仕事でも始めてくれたらいいんだけど……」

「戦士になれない?それってどういうことなんですか?」

「そろそろ家帰って手伝いしないとお母さんに怒られるからもう行くね。結婚の件考えといてね」

 

 フランはそう言うと走り去ってしまった。

 なんと言うか…本当に逞しい女性だった。

 それにしても戦士になれないとはどういう事なんだろうか。

 俺とタロウの実力差はそれ程でない様に感じる。

 もしタロウが筋トレをしっかり頑張ればそれだけで俺は負けてしまう自信がある。

 そんなタロウが戦士になれないとしたら、俺も戦士になれるか不安になってくる。

 

「取り敢えず一旦落ち着いて話しましょうか」

 

 さすがにこのまま別るのは後味が悪すぎる。

 事情を聴こうとした提案をタロウは受け入れ、彼の自宅に案内された。

 

「お兄ちゃんお帰りなさい!」

「おっと!ただいま」

 

 10歳くらいだろうか。

 ポニーテールにした黒髪を元気に跳ねさせた女の子がタロウに飛びついてきた。

 タロウは女の子を受け止めるとくるりと回転して抱き上げる。

 

「カオリ、お客さんだ挨拶しなさい」

 

 タロウが優しくカオリと呼ばれた女の子を地面に降ろす。

 カオリは俺のほうに向きなおり、ペコリと頭を下げる。

 

「お客様いらっしゃいませ、私はカオリと言います」

「お邪魔します。俺はミナトっていいます。よろしくねカオリちゃん」

「俺の妹のカオリだ。

 カオリ、お兄ちゃんはこの人と話があるから部屋にいく」

「わかった!」

 

 カオリは二パっと笑い元気のいい返事をする。

 カオリの元気な返事にタロウは優しく笑いかけ、待ってなさいとカオリの頭をなでた。

 仲のいい兄妹のようだ。

 

 俺はタロウについていき奥の部屋に入る。

 部屋にはいるとタロウは帯びていた剣と、被っていた皮の帽子を外して、十字にして建てられている棒に引っ掛ける。

 タロウの髪はカオリと同じように短い黒髪で、目は切れ長でまつげが長い。

 見た目だけでいうなら王子様キャラだろうか?

 歳は俺とそう変わらないように見える。

 黙っていれば女がほっとかなさそうだが……

 

「フランさん諦めてもいいんですか?俺に決闘を申し込まずにはいられないくらいには好きだったんですよね?」

 

 とにかくまずは単刀直入に状況を聞こう。

 多分であって間もないがこの男なら気を悪くすることはないはずだ。

 

「その決闘の結果、俺の弱さが証明されて愛想をつかされただけのことだ。

 俺に勝ったお前なら彼女を安心して任せられる」

 

 潔い性格なのはわかったが、もっと詳しいことを言ってほしい。

 多分言い訳は嫌だというタイプなんだろう。

 

「あの…タロウさん。フランさんが言ってた戦士になれないってどういう……」

「俺は力が弱いからまだ男の武器を扱えないだけで戦士になれないと決まったわけじゃない」

「力が弱いって…なにか理由があるんですか?

 正直戦ってて俺も気になってたんです。

 これだけの技量がある人が鍛錬してない筈がないですし……」

 

 俺の渾身の一撃を反らしたタロウの技量は中々のものだと思う。

 あれだけの技量は鍛錬をしないと身につかない。

 そして筋肉は剣を振っていれば嫌でも身につくはずだ。

 彼の腕力はセツ達狩猟衆の女性達より低い気がする。

 

「俺は産まれつき力が弱いんだ」

「産まれつき……」

「戦士に向いていないと師からいわれている。

 だけど俺は師のような戦士になりたい、諦めるつもりもない。

 だから俺は村の誰よりも鍛錬を積んでいる。

 まあ結果は見てのとおりだがな」

 

 そう語るタロウの目は一点も曇りもない強い意志を宿して俺の目を真っ直ぐ見ている。

 自分が戦士になると信じて疑っていない目だ。

 タロウは婚約者であるフランのことも戦いの結果のことも潔さを見せていた。

 だが戦士になるという夢に関しては何処までも泥臭くやってやろうという決意を感じる。

 

「同じ戦士見習いであるミナトと戦って分かった。

 まだまだ俺の努力が足りていないということが」

「そんなこと……」

 

 ないと言おうとしたが、この男にはそれは侮辱でしかないだろう。

 まだ言葉は数えるほどしか数えていないがわかる。

 この男もまた戦士と呼ぶにふさわしい覚悟を持っているのだ。

 

「ではフランさんの事は諦めるんですか?」

「それは仕方がない事だ。

 むしろなかなか戦士見習いから卒業できない俺を今までよく待っていてくれた。

 他の女はとうの昔に愛想を尽かしてしまって、彼女が最後の一人だったんだぞ」

 

 さっき迄の強い意志を秘めた目とは打って変わって寂しそうな表情になる。

 彼はあっさりフランの事を諦めてしまったようだが、恐らく未練があるのだろう。

 他の女に逃げられたとはいえ、ハーレムが当たり前のこの世界において一人の女にこんな表情を見せるなんて、少なからず彼女の事を好きだったんではないのだろうか。

 それを今回の俺との決闘で分かれることになってしまった。

 正直いい気分はしない。

 

 もし俺が決闘に負け、セツがその相手に目の前で求婚したとしたらどうだろうか?

 悔しさで憤死してしまうかもしれない。

 もし男がこの世界で情けない所を見せればどうなるか?

 その答えが目の前の男が体現している。

 俺も一歩間違えばこの男のようになる未来が待っているのだ。

 

(なんとかできないのか?)

 

 俺も一人の女を愛する男だ。

自分で言ってて恥ずかしくなるが、なんとかしてやりたい気持ちが湧いてくる。

 

「強くなればいいんですよ」

「なに?」

 

 タロウの顔が目が釣り上がり、苛立ちを見せた。

 当然だろう。そんなこと他人に言われずとも彼は分かっている。

 

「フランさんが他の男に取られる前に、戦士になって彼女に結婚を申し込むんです」

「俺はもうその資格はない。

 それにミナトお前は彼女を受け入れるつもりはないと言うつもりか?」

 

 徐々にタロウの語気が荒くなる。

 俺は求婚をずっと断ってるはずだが、彼の中ではフランと俺が結婚する事は決定事項なのだろう。

 いい方にも悪い方にも思い込みが強い男だ。

 

「最初からそう言っているでしょう。

 それにタロウさん、何を男らしくない事を言ってるんです?」

「なに?」

 

 でも俺には関係ない。

 文化の違い?考え方の違い?女が決めること?

 そんなの知らない。理解したくもない。

 

「好きな女に逃げられたから諦める?何言ってんですか。

 逃げられたならもう一回惚れさせれば良いだけでしょうが。

 知らなかったんですか?戦士は戦いを諦めたら駄目なんですよ?

 相手が敵だろうが女だろうか諦めるなんて許されませんよ」

 

 多分俺は滅茶苦茶言ってるんだろう。

 でも俺なら諦めない。

 セツの気持ちを確かめるのが怖い俺が言うのもおかしいかもしれない。

 でも目の前でセツが他の男の元に行こうとしていたら絶対に止める。

 

「た…たしかに……」

 

 反論してくるかと思ったが、納得してしまった。

 純粋すぎて、すこし心配だな……。

 

「俺もこの村にいる間、時間があるときは手伝いますから強くなりましょう」

「そう…か…そうだな……ミナト、図々しいお願いだが頼む、俺が強くなるのに協力してくれ!」

「もちろんです!」

 

 俺達はガシッと手を握る。

 今日会ったばっかりの男だが、たしかに今心が通じ合った。

 会ったばかりとはいえ喧嘩して、恋バナしたのだ。

 漫画でもここまですればもう友達だろう。

 そうと決まれば、問題である彼の腕力についてなんとか考えてみよう。

 

「力が弱いのなんですが、人の血を飲んで見るのはどうでしょうか?」

「なんだと?!」

「俺も実は少し前まで力が弱かったんです。

 でもある時、獣に襲われて命の危機に陥りました。

 その時一緒にいた女の子の怪我した腕が目の前にあって、その怪我から血を飲むと急に力が湧いてきて、それ以来俺の力は今のようになったんです」

 

 紅い猩々との死闘、ジークさんが来るまで俺が時間を稼ぐ事ができたのは間違いなく、セツの血を飲んだからだ。

 それまで非力だった俺が一気に腕力が強くなり、奴に傷を与えられるようになった。

 タロウももしかしたら同じ方法で何とかなるかもしれない。

 

「お前…体はなんともないのか?!」

「?それ以来凄く調子がいいですけど……」

「他人の血を飲むことは禁忌だ。

 人の血を飲むと大地の加護が失われ、大量に飲むと最悪死に至る」

「死……」

 

「人の血はマナを狂わせる猛毒だ」



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17話 まだ14歳

「セツ、ちょっと外で話せないか?」

「何?構わないけど」

 

 タロウとの訓練を終え、宿に戻った俺は食事を終えてどこか満足げな様子のセツに話しかけた。

 俺はセツを連れて宿の外に出る。

 外はすっかり暗くなっているが、横を見ると山の斜面に沿って段々畑に建てられた家の窓からちらほらと明かりが見える。

 山の斜面は上から見たときに曲線を描いているため、左右を見るとアナンの村全体が見渡せるようになっているのだ。

 そして空には冷たく澄んだ空気で遮られるものがない星明りと、地球に比べるとはるかに大きい月が空に浮かんでいる。

 

 無言で歩く。

 聞こえるのは静かな冬の夜にサクサクという音だけ。

 明かりのついた家の前を通ると中からかすかに楽し気な声が聞こえてくるが、それも大した音ではない。

 

 暫くセツを連れて二人で歩くと民家のあるエリアから外れ、雪で平らになった土地が段々と連なっている場所についた。今は雪で何も見えないが、恐らく夏の間は畑でもしているのだろう。

 周りに民家も人の気配もないことを確認した俺は振り返ると、セツが話が始まるということを感じ取ったようで足を止めてこちらを見てくる。

 

「話って?」

「えっと……あの赤い猩々に襲われたときなんだけど、俺がセツの腕から出た血を飲んだの覚えてる?」

「……もちろん。忘れるわけない」

 

 俺の言葉を聞いたセツは口をきゅっと結んで目を反らした。

 腕は右腕を曲げて体の前で左の腕を掴んでいる。

 セツは何を感じているのだろうか。

 諦め?後悔?少なくとも喜んでいないことは確かだ。

 やはり俺が血を飲んだ事は禁忌だという事をセツは知っていたらしい。

 

「今日この村の戦士見習いのタロウから聞いたんだ。

 他人の血は猛毒で多くの村で禁忌とされているって」

「……」

「その様子だとサンの村でも禁忌にされてるようだな」

 

 セツは何も言わず首を縦に振る。

 セツは顔を俯かせ、雪のような白い髪が落ちてきて目元が見えない。

 

「本当にごめん、無理やりセツの血を飲んで…」

 

 俺はセツに頭を下げる。

 

「禁忌を犯すとどうなるんだ?

 罰があるなら俺は受けるつもりだ」

「……禁忌を犯した者は村から追放される」

 

 俺はセツの言葉を聞いて深く息を吐いた。

 白い吐息が月明りに照らされる。

 ようやく戦士の試練を受けることが許され、村の一員として認められることができると思っていた。

 身元不明の俺を受け入れてくれた村への恩返しがやっとできると思っていた。

 命の恩人であるアンジやルーク、セツ達狩猟衆の背中を守ることが、できるはずだった。

 だがそれは叶わないようだ。

 

(こんなに頑張ったの生まれて初めてだったんだけどな……)

 

「なあ、なんで教えてくれなかったんだ?」

「あんたには関係ないから」

「関係ないって……」

 

 そんな訳がないだろう。

 俺はそう言おうとしたがセツの言葉に茫然とする。

 

「追放されるのは私。

 禁忌とは貴重な男に血を飲ませて危険にさらすという事。

 だから……あなたには関係ない」

「……え?」

 

 村を追放されるのは俺じゃなくて…セツ?

 意味が分からない。

 なんで?俺のせいで?血を飲んだのは俺なのに?

 

「そんなの…駄目だろ……。

 俺が悪いのにセツが村を追い出されるなんて……。

 なにかの間違いだろ?俺が出ていくのじゃ駄目なのか!」

「駄目。私が村を出ることは変えられない」

 

「じゃあ秘密にしよう!

 俺もまだタロウにしか言っていない!

 それに俺が誰の血を飲んだかは言っていないし、あいつも胸に秘めておくと言ってくれている!

 俺がセツの血を飲んだことは誰にもわからない!」

「もう父様には伝えてある」

「な?!」

 

 アンジは知っていた。

 俺がアンジの娘であるセツの血を飲み、村にいられなくさせた事を。

 アンジは俺に何も言わなかった。

 

「じゃあ…どうしてセツはまだ……」

「ミナトが戦士として認められ次第私は村を出る。

 それまでは父様に村にいることを許してもらった」

 

(俺の戦士と認められるまでだって?)

 

「もう決まったこと。

 あんたは何も気にしなくていい」

 

セツはそう言うと話は終わりと背を向けて歩き始めた。

 

「セツ!待てよ!」

 

 俺はまだ納得していない。

 そんな理不尽を俺のせいで年下の女の子に味合わせるわけにはいかない。

 彼女を止めようと追いかけて肩に手をかけようとした。

 だがセツは俺の手を後ろを向いたまま掴むと、腕を引いて腰を落として俺を腰で持ち上げる。

 俺が気付いた時には雪の上に大の字で転がっていた。

 

「これはもう決まったこと。我儘言わないで」

 

 そうセツは言うと再び歩き始めた。

 俺は茫然として星を眺める事しかできなくてセツを止める事ができない。

 

「なんて顔してんだよ……」

 

 俺が戦士の試練を乗り越えるのは正しいことなのだろうか。

 投げられ倒れた俺が見た星空を背景にしたセツの顔はくしゃっと歪んでいて、涙を必死にこらえていた。

 初めて会った時、俺に見つめられて不機嫌そうにしたセツ。

 無表情というわけではないが、感情があまり表にでないセツ。

 俺を木刀で殴り、さっさと立てと悪態をついたセツ。

 そのどれとも当てはまらない表情をしていた。

 

 強く気高いと思っていた彼女は、まだ14歳の少女だった。




お気に入り登録してくれると、俺、嬉しい


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18話 鍛錬

 悩もうが唸ろうが時間は過ぎていく。

 時間が経てば動かなければならないのが人間だ。

 腹は減るし、食えばうんこをする。

 その飯を食うのにも働かなければ死んでしまう。

 

 昨日は部屋に戻ると、セツは悲しいことなど何もなかったかのように「おかえり。」と言い、寝るときは「おやすみ。」と言った。

 

「告白は上手く行ったかい?」

「やっぱりセツちゃんが本妻になりそうですねぇ。」

「いや…そんなんじゃないですよ……。」

 

 セリアの発言からして、どうやら二人にはセツが村を出ることは伝わっていないようだ。

 姉妹のように仲のいい二人にさえ伝えていないなんて、セツはどんな気持ちなのだろうか。

 

(泣くほど辛いはずなのに……。)

 

「順番がつかえてるんだから早く一人前になってほしいな。」

「私も早くしないと行き遅れになっちゃうしミナトさんには期待してますよ?」

「ええと…頑張ります。」

 

 シオは17歳、セリアは18歳、日本人的感覚でいうとまだまだ若いのだが、この世界では15〜20歳までには結婚しているのが普通らしい。

 俺は15歳、まだまだ結婚は遠い事だと思っていたが、もう他人事ではないのだ。

 

 そんなやり取りを俺達がしている時にはセツはベッドに入っていた。

 ベッドで横になるセツは背中しか見えず、何を思っているのか伺い知る事はできない。

 

 そして夜は更け、朝が来る。

 俺は約束がある。

 なのでガリアの鍛冶場へと向かう。

 鍛冶場の前に着く。

 扉をあける。

 そして顔面目掛けてハンマーが飛んでくる。

 

「うお!」

 

 俺はあまりの出来事に、ボケッとしていた頭が一瞬で覚醒した。

 頭を反らしてギリギリで回避すると、横目で腕を振り抜いたリタが見えた。

 

「ちっ!」

「……忘れてた……。」

 

 完全に忘れていた。

 俺は昨日リタの誘いを袖にしたんだった。

 当然リタは怒っている様子でまるで親の仇でも見るような目で俺を見ている。

 

「リタさん昨日は……。」

「ふんっ!」

 

 昨日の事を謝ろうと話しかけようとすると、リタはそっぽを向いて奥の部屋へ入って行ってしまった。

 あまりの事態に口を開けて愕然としているとガリアが入れ替わりで部屋から出てきた。

 

「ミナトどうなってんだ、昨日リタと何かあったのか?

 あいつに何があったのか聞いても逆切れしてきて手がつけられん。」

「え~と…まあ…少し喧嘩のようなものを……。」

 

 俺の言葉を聞いたガリアの気配が変わる。

 目が吊り上がり、筋肉は膨れ、髪が逆立つ。

 気配どころではない。明確に見た目からして怒っている。

 感情の高ぶりが見た目に変化を与えるのは、その身に多くのマナを宿す証だ。

 ガリアは戦士ではないが、毎日、何十年、鉄を叩き続けたこの男の筋肉に宿ったマナは俺をはるかに凌駕するだろう。

 もし次の言葉を間違えれば、その右手に持ったハンマーで襲い掛かってきてもおかしくない。

 

「お前…リタに何かしやがったのか?」

「何もしてません!本当です!訳は言えませんが何もしてないから怒られたんです!」

「はあ?そんな訳の分からない言い訳で何とかなると思ってんのか?!」

 

 まずい事になった。

 リタが誘惑してしてきて俺が袖にしたなんて言えるわけがない。

 こんなことリタの父親であるガリアに正直に話せば、リタにこれ以上の恥をかかせてしまうことになる。

 童貞の俺には全くいい言い訳が思い浮かばない。

 できることはパクパクと言葉にならない声を上げることだけだ。

 今はマッチョになりつつあるとはいえ、冴えない高校生だった俺にはこの状況はつらい。

 こういう時は筋肉は何も助けてくれないのだ。

 だが、困っているときには助けがあるものである。

 

「親父!なにしてんだ!別にあたいは何もされちゃいないよ!」

 

 俺たちに割って入ったのは俺が恥をかかせた本人であるリタだ。

 俺たちの叫び声を聞いたのだろう。

 奥の部屋から出てきたリタは、その意志の強そうな目をさらに吊り上げ、ガリアを睨みつけている。

 

「じゃあ何でお前はそんなに機嫌が悪いんだ!こいつとなにかあったんじゃないのか!」

「あたいの求婚が断られただけだよ!これ以上恥かかせんな!」

 

(あ、言っちゃっていいの?)

 俺が気を使っていたのは余計なお世話だったんだろうか。

 いや、やはり俺から言うべきことではないだろう。

 ただリタが自分を振った男に、怒りながらも気を使える素晴らしい女性だっただけだ。

 

「ミナト!うちの娘の何が不満なんだ!」

「ええと…はい……申し訳ありません。」

「謝んな!余計惨めになんだろうが!」

 

 鍛冶場がギャーギャーと愉快な声が響き渡る。

 程なくして他ならぬリタの説得もあり、ガリアの怒りを納めることができた。

 

「…ありがとうリタさん。」

「……ふん…。」

 

 リタの言葉でガリアから放たれるプレッシャーは萎み、怒り現れていた体も元に戻る。

 もし先にセツとあっていなければリタに惚れていたかもしれない。

 

「まあそういうことなら…仕事始めるぞ。」

 

 

 俺が命じられた初仕事は、掃除、水くみ、そして炉に空気を送り込む作業だ。

 炉にはハンドルを回すことで風を送る自分の身長程の大きさの、カタツムリの殻のような丸い形をした送風機が取り付けられている。

 中心部からハンドルが伸びており、これを回すと炉に空気が送り込まれる。

 

 中の様子はわからないが、聞こえて来る風切り音からして、明らかに自分が回すハンドルより多く回っている。

 もしかしたら歯車でも付いているのかもしれない。

 それにこれだけの回転するということはベアリングもあるのかもしれない。

 

「もっと回せ!熱下がってんぞ!」

「はい!」

 

 鍛冶場は、雪が降り積もる季節にも関わらず灼熱地獄になっていた。

 炉の中の温度を上げるため、俺は送風機を回し続けると、部屋の温度も上がって汗が吹き出してくる。

 

 当然、炉の温度など素人の僕にはわからない。

 ガリアが炉へと繋がる送風口を、仕切りで狭めることで送り込む空気を調整して温度を調整している。

 

 木炭が真っ赤に燃え上がっている。

 火を見るガリアの目は真剣だ。俺に対して怒った時くらい真剣だ。

 時折炭を掻き出したり、中に戻したりしている。

 

 ようやくガリアは炉の温度に満足したらしく、棒に乗せた穴が沢山空いた石を炉の中に突っ込んだ。

 石は熱され赤くなると炉の中から取り出し、並べられたハンマーでは小さい方で叩き始めた。

 

 石はガリアの手により形を変えて薄くなっていく。

 ただ赤くなった石を叩いているだけ、だがそこには確かな経験と技術に裏打ちされた物があるのだろう。

 魔法のように形を変える石に俺は目が離せなくなった。

 

 後ろではリタも食い入るようにガリアの手元を見ており、どんな技術も見逃さまいという気迫に溢れている。

 この親子はやはり職人なのだろう、先程までの騒動は忘れ、今はただ目の前の仕事にのみ意識を割いている。

 決して仕事に対して妥協しない。

 そういう意思を感じる。

 

(この人が俺の剣を打つのか……)

 

 ジークが何故俺に手伝いをさせようとしたのかわかる気がする。

 きっと俺の命を預ける相棒をどんな人が、どういうふうに作っているのかを見せたかったのだと思う。

 

 その後、様々な工程を経て一本の鉈が作られた。

 

「まあこんなもんだろ。」

 

 その鉈は太く、分厚く、無骨だ。

 だが美しい。

 きっとこの鉈は折れず、曲がらず、どんな時も主を裏切らない。

 

 

「ガリアさん凄かったですね。

 よくわからないけど動きの一つ一つに意味があるって感じられて見惚れました。」

「そうだろ?あたいも色々作ってきたが親父には全く敵わねえよ。」

 

 仕事が終わり、リタと二人で帰路につく。

 すっかりリタは機嫌を直してくれたようで、父親の凄さを嬉々として語ってくれる。

 その様子からガリアの事を、父親としても職人としても尊敬しているのが伝わってくる。

 

 一緒に暮らしていない上、何人もいる女の内の一人の娘のだ。

 こういうと日本の価値観でいうとガリアはクズ男だ。

 だがガリアはこうやって尊敬も愛されてもいる。

 日本の価値観を持っている俺も、将来何人もの嫁を貰ったとき、皆を愛せるのだろうか。

 

 この世界は本当に不安な事ばかりだ。

 

「じゃあここで。」

「あ…あのよ……。」

 

 リタの家と俺の宿の分かれ道。

 俺が別れの挨拶をしようとすると、リタが恥ずかしそうに口を開いた。

 

「家で飯でもどうだ?は…腹減った…だろ?」

 

 リタは目をそらし、両手を前で握ってもにゆもにゅと動かしている。

 なる程、これがギャップ萌えというやつか。

 だがここでOKしてしまえば俺が晩飯になってしまう事は確実だ。

 

「ごめんなさい。待っている人がいるので今日は帰ります。」

「そっそっか。わりいな…呼び止めちまって……。」

 

 俺の断りにリタは、さも何でもないですよという声を装おうとして失敗したような声を出す。

 暗くてよく見えないが少し涙目になってる気がする。

 喜怒哀楽が激しい人だ。

 本当に可愛らしい。

 

「ではリタさん、また明日。」

「おう……」

 

 リタは肩を落としてトボトボと歩き始める。

 なんだろう本当に心が痛い。

 これから毎日この痛みを味わわないといけないと思うと辛い。

 

 断った俺も肩を落としてトボトボと歩く。

 するとタロウと決闘した練兵場から風斬り音が聞こえる。

 俺は興味を惹かれ練兵場を囲む柵まで近づくと、誰かはわからないが剣を振っている姿が見えた。

 剣を振るたびに体は流れ、足取りも覚束ない酷いものだ。

 

「フラフラじゃないか……。」

 

 恐らく疲労困憊なのだろう。

 肩をゆらした人影からここまで息の荒さが聞こえてくる。

 俺はどんな人何だろうと興味を持ち練兵場に入ろうとすると、誰かが道を歩く足音が聞こえる。

 

「あ!ミナトさん!」

「カオリちゃん?」

 

 元気よく幼い声で俺を呼ぶのはタロウの妹のカオリだった。

 こんな時間にどうしたんだろうか。

 男性が少なく、皆顔見知りのような村において夜に女が出歩くのは珍しくはないのだが、こんな10歳くらいの子供が出歩くのは少し心配だ。

 

「カオリちゃんこんな時間にどうしたの?」

「お兄ちゃん迎えに来たの。」

「タロウさんを?ああそういうことか。」

 

 練兵場で剣を振るのはタロウなのだろう。

 そう言われてみれば背格好や、たまに聞こえるうめき声がタロウの物だ。

 

「偉いね。何時もこうやって迎えに来てるの?」

「うん!お兄ちゃん呼びに来ないとずっとずっと!こうやってるんだもん。」

「そうなんだ。お兄さんは頑張り屋さんだね。お兄さんはいつからこうやってるの?」

「えっと朝から師匠のとこに行って、狩りとかお稽古終わったらそのあとずっと一人でああやってるの。」

「毎日?」

「うん毎日。」

 

 タロウのあの剣を指先のような繊細さで扱う技量は、この並外れた努力からきているのだろう。

 己を叩いて叩いて何度も叩いて鍛え上げる。

 そうして鍛え上げた肉体は自分を、女を守る剣となる。

 だけどタロウ、叩きすぎると折れてしまうよ。



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19話 女は強し

「お兄ちゃん!ミナトさん来たよ!」

「こんばんは」

「ぜぇ…ミナ…ぜぇ…トか……」

 

 カオリが息も絶え絶えな様子のタロウにタオルを持って走り寄る。

 俺もその後ろについていきタロウに挨拶する。

 暗くてよく見えなかったが、近づくとタロウの様子がうっすらと見えるようになった。

 

 タロウは雪が積もる冬だというのに、汗をぐっしょりとかいていて、靴は泥まみれ、上着を脱ぎ棄ててシャツ一枚という軽装だ。

 彼から発せられる熱気は地面まで伝わっているようで、あたり一面はタロウによって踏まれた雪は水になり、土がむき出しになって泥になっている。

 

 こうなるまで一体どれほどの間そうしていたのだろうか。

 タロウの疲労具合は、明らかに無酸素運動の領域まで自分を追い込んでいる。

 

「タロウさん、凄い追い込み。今日はどんな訓練をしたんですか?」

 

 タロウは俺の問いに、しばらく荒い息を整うまで深呼吸してから答える。

 

「少し素振りをしていただけだ」

 

 タロウはカオリからタオルを受け取って汗を拭いている。

 その顔は本当に取るに足らない当たり前の事をしているという顔だ。

 だけど今はその詳細が知りたい。

 まだ出会って二日だが、なんとなくこの男の事が分かってきた。

 

 真面目、一途、素直。

 

 目標に向かってひたすら努力を惜しまず、自分の決めた道を真っすぐに走り抜ける。

 日本のクラスメイトにもこういう人種はいた。

 野球やサッカーなど部活動で本気で全国へ行くつもりで努力している人達。

 そもそも試合に出られるかすらわからないのに、それでも夢に向かって愚直に努力し続けるその人達とタロウは同じなのだ。

 もしタロウが日本で生まれていたとしたら、きっと今と変わらず、なにかに向かって努力していただろう。

 

 だからこそ俺は疑っていた。

 現代のスポーツ界では常識になっているオーバートレーニング症候群ではないのかと。

 

「タロウさんは訓練を休む日とかあるんですか?」

「ない、オレはそんな怠け者ではない」

「それは……凄いですね……」

「男として当然の事だ、そんな大したことではない」

 

 俺の賞賛の言葉に、口ではなんでもないようなことを言っているが、顔が少し緩んでいて嬉しそうだ。

 だが俺の中でタロウがオーバートレーニング症候群の疑いが強くなってしまった。

 

「太郎さんの訓練内容詳しく教えてもらえませんか?僕がしてる訓練内容も教えるので」

「いいだろう。サンの村との訓練方法の違いを知れるのはオレもありがたい」

 

 そうして語られるタロウの訓練内容は過酷の一言だった。

 朝早くから昼まで師匠のもとで槍や剣を持っての組手、師匠とはそこで別れてから自主訓練に入る。

 訓練場を倒れるまで全力走でのシャトルラン。

 木刀ではなく、本物の剣を使っての素振り。

 ダンベルなどを使っての筋力トレーニング。

 

 一つ一つは非常に有用なトレーニングを行っている。

 その全てを自分に負けることなく全力で行い、暗くなるまで追い込み続ける。

 

毎日。

 休まずに。

 

 鍛えれば鍛える程、宿る大地の加護が強くなるこの世界の住人が、オーバートレーニング症候群になるかはわからない。

 オーバートレーニング症候群とは筋肉を適度な休息をとることなく、過度に鍛え続けることで肉体が傷つき、慢性的に疲労状態に陥る症状の事だ。

 だが、大地の加護、つまりマナは肉体に宿るといわれている。

 

 狩猟衆達の事を見ていると、筋肉質であったりグラマーな人ほど、力は強く、魔法の使用回数が多くなる傾向があるため、マナは確かに存在する物質で、筋肉や脂肪に蓄積するものなんではないかと俺は考えている。

 人体の構造は俺自身にも大地の加護が宿っていることから、地球人とほとんど変わりがないと思われるので、この世界の住人にも『鍛えすぎて弱くなる』事があるのではないだろうか。

 訓練を手伝うといった以上、この知識を伝える義務が俺にはある。

 

「タロウさん、しっかりと休む日は設けるべきだと思います。」

「…?訓練をか?」

「はい、人の体っていうのは「できるわけがないだろう」」

「えっと……」

 

 静かで、でも激しく俺の言葉を遮ったタロウに俺は驚く。

 タロウは先ほどの機嫌のいい様子とは違い、眉にしわが寄り、歯を食いしばっている。目は真っすぐと俺の目を射抜き、何かに耐えるように震えている。

 

「オレは……オレには休んでいる時間なんかない!」

 

 握られた手から地面に血が落ちる。

 タロウは今何を感じているのか。

 怒り?悔しさ?情けなさ?

 あるいは全てか?

 

「ミナトまでオレが戦士になれないっていうのか!協力するといったあの言葉は!なんだ!嘘か!」

「違います!俺はただ強くなるアドバイスをしようと思ったんです!」

「じゃあなぜ訓練をやめろと言うんだ!」 

 

 タロウの言葉に熱を帯びる。何度もタロウに説明しようとするが、俺の言葉はタロウに全く伝わる様子がなく、俺も徐々にヒートアップしてしまう。

 暫く不毛な言い争いが続く。

 

「やめて!」

 

 雪が積もる晴れた夜、言い合いう俺たちの間に幼い声が割って入る。

 男の大声の中でもよく通る声だ。

 

「お兄ちゃんもミナトさんも喧嘩しないで!」

「カオリは先に帰ってろ!」

 

 言い争いに割って入ったのはカオリだった。

 カオリは怒鳴るタロウに涙を蓄えながらも気丈に立ち向かう。

 止められて更にヒートアップするタロウだが、カオリも一歩も引かない。

 

「お母さんに言いつけるよ!」

「う……」

 

 戦士へなるために日々努力を続ける彼は、努力しても結果が出ていない現状を誰よりもわかっているはずだ。

 周りから向いていないと言われている事が、先ほどの発言からわかる。

 それでも諦めることができない夢が戦士になるということなんだろう。

 つまり戦士になる事はタロウにとって夢であり、トラウマ。

 俺の発言はそんなタロウのトラウマに刺激してしまったらしい。

 

 そのタロウがお母さんの一言であっという間にひるんだ。

 

「いや…カオリ…これは譲れないことなんだぞ……」

「知らないもん!喧嘩は駄目なんだから!」

 

 やはりこの世界の女性は強い。

 怒ったタロウをひるませる母親もそうだが、10歳の少女が泣きながらも引くことなく喧嘩をとめようとしているのだ。

 カオリはまだ幼いが紛れもなくこの世界の女だ。

 

「タロウさん、一度落ち着いて話を聞いてもらえませんか?」

「お兄ちゃん!」

「……わかった」

 

 カオリの説得もあってタロウはやっと俺の話を聞く冷静さを取り戻してくれたようだ。

 カオリが作ってくれたこのチャンス、無駄にするわけにはいかない。

 

「俺はあなたに協力する事について嘘を言ったつもりはありません。

 タロウさんは恐らくオーバートレーニング症候群だと思われ「ミナトさん!もうごはんの時間なの!難しい話はまた明日にしてください!」」

「はい……」

 

 10歳の女の子に怒られてしまい、俺も意気消沈する。

 

「タ、タロウさん、明日の朝は時間はあります?」

「あ、ああ、明日の朝もここで師匠と訓練する予定だからここに来てくれたら話せる」

「じゃあ明日の朝また話しましょう」

 

 そうして微妙な空気のまま、俺は二人と別れた。

 明日は仕事に遅れることを伝える必要ができたため、再び火事場に足を向ける。

 とりあえず昼までにタロウとの用事を済ませるようにしよう。

 

 

 翌日、俺は約束り訓練場に来ていた。

 今日はなぜかセリアもついてきている。

 昨日の夜、寝る前の雑談で俺がタロウと喧嘩したことを話すと、面白がってついてくると言い出したのだ。

 

 ちなみにセツは最低限の会話はしてくれるがよそよそしい態度で、シアと一緒に狩りをしに冬の森へむかった。

 ジークはというと、部屋から出てきていないため何をしているのかわからない。

 セリア曰く、昼間は訓練をしに外に出ているらしい。…昼間は。

 

 訓練場には武器を持った女性達と3人ほどの男が集まっていた。

 勿論、男のうちの一人はタロウだ。

 

「おはようございます。タロウさん。」

「ああ、おはようミナト、昨日はすまなかった。オレとしたことが冷静さを欠いていた」

「いえいえ、そんな謝らなくても大丈夫です。タロウさんにも譲れない思いがあるのは伝わりましたから」

「この方がミナトさんの話を勝手に盛って、勝手に怒ったタロウさんですかぁ?」

「セリアさん?!」

 

 朝の挨拶をして昨日の件を謝罪するタロウに、セリアはニコニコと聖母のような笑いを浮かべながら毒を吐いた。

 せっかく仲直りしようという時にこの人は何を考えているんだろう。

 見事なまでの不意打ち、この出会い頭の一撃にタロウは面食らっている。

 

「た、確かにオレがタロウだが……」

「負けたくせに勝者の助言を頭ごなしに否定するなんて情けないですねぇ~」

「やめてください!セリアさん何言ってるんですか?!」

 

 これではまるで俺がタロウの悪口をセリアに言ったみたいになってしまう。

 慌てて止めようとする俺にセリアは、ニコニコ笑顔のまま、ぐりんっとこちらに振り向いた。

 

「ミナトさんもミナトさんですよぉ?私の男になるのなら敗者に対して媚びへつらわないでください」

「別に媚びへつらってるわけでは……」

「強い者には弱者を率いり、導く義務があるのです。

 ミナトさんはいずれ多くの人を率いる戦士になるでしょう。

 今のうちから立ち振る舞いには気を付けて欲しいですねぇ。」

「それは…ちょっと……」

 

 ニコニコと笑いながらおっとりとした口調で語られる言葉は途轍もなく重い。

 正直そんな責任を俺に押し付けられてもピンとこないし、強いやつが弱いやつに偉そうにするとかパワハラな感じがしてとてもいいとは思えない。

 セリアの謎の説教が続き、男二人はただ小さくなるのみ。

 だがそこに割って入る救世主が現れた。

 

「面白そうな話してんじゃねえか、タロウ俺も混ぜてくれよ」 

「あ、師匠!」

 

 その人物は話に聞いていたタロウの師匠らしい。

 タロウの師匠は野性的な印象を受ける女だった。

 背の180㎝ほどだろうか、女性としては身長が高くガタイもいい。

 片目を眼帯で隠し、髪は短く刈り上げて坊主に近い。

 肌はこの辺りでは珍しい事に浅黒く焼けていて、身にまとった厚い毛皮の服の上からでも胸が大きく膨らんでいる。

 

「こいつがどうしたって?」

「いたたた!師匠!離してください!

 

 タロウの師匠はタロウに近寄るとその頭を鷲掴みにした。

 タロウの頭からミシミシと音が鳴り、タロウは痛みから逃れようと師匠の手を振りほどこうとするがびくともしない。

 

「俺はミナトっていいます。昨日少しタロウさんと意見の食い違いがありまして……」

「お前がミナトってやつか、話は聞いてるぜ。

 こいつの婚約者を奪った男だってな」

「違いますよ!…結果的にそうなっちゃいましたけど……」

「俺はアニカっていうんだ。ちょっと話聞かせてくれよ」

 

 タロウにアイアンクローを決めながら二カッと笑ってくるアニカ。

 この世界の女は笑顔の使い方を間違えていないだろうか。



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20話 師匠のタロウ

 頭を鷲掴みにしたタロウの師匠、アニカから、タロウは必死に抜け出そうと暴れる。

 だが、外から見ててもタロウの頭からミシミシという音がでているように見えるアイアンクローから抜け出すことは難しいようだ。

 

 暴れる人間を完全に封じ込めてしまうなんて、もしかしたら俺より力が強いかもしれない。

 その力強さに思わず、女性でもここまで鍛える事ができるのかと感動を覚えた。

 女でありながら男であるタロウの師匠をやっているだけはある。

 もしかしたら師匠の言葉なら頑固なタロウも気が変わるかもしれない。

 この人に事情を説明して協力を仰いでみるか。

 

「タロウさんが男としては非力だという事の原因が、鍛錬方法に問題があるんじゃないかという話をしていたんです」

 

 アニカの俺を見る目が少し細くなる。

 相変わらずニヤついた顔をしているが、俺の言葉に興味を持ってくれたようだ。

 タロウのように頭ごなしに拒絶されず、少しホッとした。

 

「へえ……それで?」

「師匠、別にオレには問題なんてありませんよ」

「あんたは黙ってな」

「もがっ!」

 

 アニカが口を挟んできたタロウの頭から手を離し、すかさず腕を頭の後ろに回して豊かな胸に抱き込んだ。

 アニカの身長はタロウより拳一つ分は高く、胸も体も色々大きな女性のため、まるで母親に抱かれているように見える。

 豊満な胸に顔を埋めたタロウはジタバタと必死に拘束から抜け出そうと暴れるが、アニカの鍛えられた腕の前に抜け出すことはできないようだ。

 

「タロウさんの場合休む事なく、鍛錬をしてるのが問題なんじゃないでしょうか。幾ら鍛えても休ませる暇がなければ弱る一方です」

「ま〜たしかに昔からそういうわな〜」

 

 俺のこの考えが否定されなくて、もう一つホッとした。

 この世界には昔の日本のように、休む事なくひたすら鍛えるのが美徳という考えがある可能性があったからだ。

 もしかするとタロウの自主トレをアニカが知らないだけなのかもしれないが。

 

「ではアニカさんからもタロウさんに無茶な鍛錬はやめるように言って「やだね」あげ……へ?」

「こいつは俺が見込んだ男なんだ。この程度でつぶれる様な玉じゃないよ」

 

 アニカは胸に抱えるタロウをギュッと抱え込む。

 服を押し上げる豊満な胸がタロウの頭でむにむにと形を変えていく。腕の隙間から見えるタロウの耳が心なしか赤く染まっている。

 野性的な美女の熱烈な抱擁とは……ちょっとタロウがうらやましい。

 

「でも現に……」

「しつけえな。師匠の俺がいいって言ってんだからほっとけ」

 

 アニカは俺の言葉を面倒臭そうに遮ると、胸に抱き込んだタロウを今度は横に投げ捨てた。

 タロウはどうしてこうも色々ボコボコなんだろうか。

 女に振られ、決闘でやられ、師匠からの扱いは雑。

 最後のに関しては役得もあるのでむしろ羨ましい気はするけど。

 

 それはともかく、師匠であるアニカさんもその言葉からしてオーバートレーニング症候群のことは知っている?

 そしてタロウの現在の状態も把握した上でオーバートレーニングを許可しているように聞こえる。

 

「それにもうちょいだから大丈夫だよ」

「もうちょい? アニカさんには何か考えがあるってことですか?」

「ミナトさんそこまでにしましょう」

 

 俺は強くなることに協力するとタロウに約束したのだ。本人が望んでいないとはいえ、黙って見過ごすわけにはいかない。

 まずは師匠であるアニカの考えを理解しようと、その言葉の意味を問おうと口を開いた。

 だが俺の問いにアニカが口を開く前に、隣で出合い頭に口撃をぶちかましたっきり、黙って話を聞いていたセリアが口を開いた。

 

「ミナトさん?他所の村の戦士のやり方に口出しをしちゃだめですよぉ」

 

 相変わらずの力の抜ける話し方だが、その言葉に込められた意志は有無を言わせぬものを感じさせた。

 

「セリアさん、俺はタロウさんが強くなるのを手伝う約束をしたんです」

「でもタロウさんが望まぬ道なんでしょう?」

「それはそうですが……」

「男が本気で選んだ道なんです。たとえそれが間違ってようが止めるのは野暮です。ましてや私達は余所者なんですからぁ」

 

 本当にそうなのか?

 

 セリアは男に厳しい。

 力の抜ける話し方と、母性の塊のような見た目をしているが、サンの村三人娘の中で最も俺に、というか男に対して求めるものが大きく、常に強くあれと促してくる。

 肉体的にはもちろん、精神的にもだ。

 

 男だろうが女だろうが人は間違える。

 えてして自分が間違った事をしていることなどわからないだし、ましてやこれはタロウの命がかかっている。

 危険な獣から村を守り、時には自分から狩りに出る俺たちは、強くなれない=死を意味する。

 

 タロウの生き方を尊重するのは結構だが、それは命あってこそのものだ。

 まだ出会ったばかりだが、少なくとも俺は彼に死んでほしくはないと思っている。

 

 そんな事をつらつら考えていると、俺の顔を見たアニカは俺が腑に落ちていないことを察したようで「ハァ~」と大きくため息をついた。

 

「納得してねえみたいだな。しゃあねぇからお前の実力ちょっと見せてやれ」

 

 タロウの実力?

 まだ一度だけとはいえ俺とタロウは剣を交わした。それはアニカも知るところだとは思うが、まさかタロウが手加減していたとでも言うのだろうか。

 タロウはそんな事をするとは思えないが……

 

「師匠、既にオレとミナトは一度剣を交わしています」

 

 地面に倒れていたタロウが顔をあげて、俺とは反対意見にもかかわらず、正直に答えてくれる。

 あの戦いは俺にとっては下らない理由で始まったことではあるが、戦いそのものは自分の誇りをかけて全力で行った。それはきっとタロウも同じ、いや、俺以上に意地をかけた戦いだったはずだ。

 だが、

 

「それだけじゃわかんねえよ。お前の実力は」

「ぐふっ」

 

 アニカは地面に横たわるタロウの背中に全く遠慮することなくドカッと座りこんだ。

 

「ちょっと肉でもとってこい」

 

 片手をタロウの頬に伸ばし、ゆっくりと、優しく撫で上げた。

 まるで自慢のコレクションを愛でるかのように。



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21話 盗賊団

「あいつらいいんじゃねえか?」

 

 行商のためアナンの村を出た商人を観察する2人の男と10人の女がいた。

 彼らがアナンの村から近隣の村へと続く道を張り込んで3日、やっと彼らにとってうま味のありそうな獲物が現れた。

 アナンの村は上質な金属製品を作る職人の村である。

 作るという事は売る相手がいるという事。そのためアナンの村で作られた金属製品は商人、もしくは職人が直接、近隣の町や村へ卸すため、この道を通るのだ。

 

 そして彼らは盗賊、その積み荷を狙ってこの道を張り込んでいた。

 寒空の中、ようやく獲物が現れた盗賊たちは木の上に身を潜め、その時を今か今かと待っている。その様子はご馳走を目の前に舌なめずりする獣だ。

 だがその気持ちに水を差す若い男がいた。

 

「お前らは見てろよ。親父もだ」

「……しくじるなよ」

 

 親父と呼ばれた男はあきれた様子で答える。恐らく彼の我儘はいつもの事なのだろう。

 獲物が近づいているため小さな声でのやり取りだが、盗賊の女たちははっきりとその声を聞き取ったようで、気合いが行き場を失って不満そうだ。

 

「誰に言ってんだ」

 

 そう言いながら挑発的な笑みを見せると、若い盗賊の男は木の上から倒れるように背中から落ちた。

 

 頭を真下に地面へとだ。

 

 木の半ばに達した時、若い盗賊の男は強靭な肉体で無理矢理、足を空中で引っこ抜くように宙を回り態勢をかえて木を蹴り飛ばす。

 何人もの人間を乗せるに足るだけの大木は、小さな人間の踏み付けにより大きく揺らされ、雪が落ちて白から緑へと本来の色を取り戻した。

 

 盗賊は羽を持つ燕の滑空のように水平に弾かれると、木の揺れる音を聞いた護衛の人間がその方向を見た時には、既に盗賊の持つ刃が首を飛ばしていた。

 

 護衛の戦士は首を失い、噴水のように血を吹き出すが、その血は盗賊を濡らす事はない。

 既に次の獲物へと向かっているからだ。

 

「敵しゅ……」

 

 盗賊の左右の手に持った黒い大鉈が、叫ぶ護衛の女を黙らせる。

 

 盗賊の着地は既に跳躍だ。

 彼に狙いを定められれば声を発する暇などない。

 

 更に一人腹を裂かれた頃に、やっと異変に気付いた護衛達が次々に剣を抜き、弓を構えはじめた。

 

 盗賊は剣を抜いた二人の女の方へと走る。

 女たちの目には盗賊の足に弾かれた雪が、女とは反対方向に吹き飛んでいるにもかかわらず、まるで雪崩が襲い掛かってきているかのように映った。

 女たちは気圧されながらも、長年の鍛錬で染みついた動きで、雪崩のごとく走る盗賊へと剣を振る。

 

「ビビってんぞ」

 

 だが盗賊は左右から向かってきた剣を、右の大鉈の横薙ぎの一振りで纏めて吹き飛ばし、左の大鉈で二人の胴を斬り飛ばす。

 血は相変わらず返り血とはならず、雪を染めるのみ。

 

 足を一切緩めず走る盗賊へ、3本の矢が飛んできた。

 1本は盗賊のいる位置へ、他の2本は盗賊のいない左右へ飛んできている。この盗賊から外れた2本の矢は、外したのではなく避けられないためにあえてそこを狙ったのだろう。

 突然の襲撃にもかかわらず、弓でそのような連携を取れることから、彼女たちのたゆまぬ鍛錬が伺える。

 

 たとえ女より男が強いこの世界においても、この矢による攻撃を避けるのは至難の業だ。だがこの盗賊は矢を見ていた。

 

 飛来する3本の矢のうち、2本はこのままいけば自分には当たらない。正面の矢のみ対応すればいい。

 

 そう考える時間がある程、盗賊には余裕があった。

 盗賊は右手の大鉈を逆手に持って頭の前に掲げ矢を弾く盾とする。

 矢は盗賊の狙い通り大鉈に弾かれると、歩みを止めなかった盗賊が弓を射った女の一人に詰め寄って、左の大鉈で手に持った弓ごと切りこうとした時、突如鉄塊があらわれ大鉈を受け止める。

 

「貴様……どういうつもりだ」

 

 言葉に静かな怒りを燃やしながら女を助けたのは、この隊商の中で唯一の男である戦士だった。

 男の武器はこの世界の男が使うには一般的な大剣である。

 その巨獣を砕くために作られた重く頑丈な武器は、盗賊の大鉈の一撃では一切動かない。

 

「やっと出てきたか。おせぇんだよもう5人やっちまったぞ」

「……ふん!」

 

 戦士は殿を務めていて直ぐに異変に気付いて走ってきていた。この間、盗賊が現れてから僅か数秒の事で、決して彼は遅くはない。ただ、盗賊の殺傷速度が速すぎただけである。

 

 盗賊の挑発に戦士は、大鉈を受け止めている大剣を力付く振るって大鉈を頭上へとかち上げる。

 盗賊はまだ20歳にもなっていない若者のようで、刻んだ年数が違う分、どうやら膂力は戦士の方が上のようだ。

 片方の大鉈は盗賊の手から弾き飛ばされ、戦士がそのまま頭上から大剣を振り下ろす。

 

「余計なことすんなよ親父……」

 

 大剣は盗賊の頭上へ振ることはなく、頭上で構えた状態のままで、その首に盗賊の大鉈が突き刺さっていた。

 大剣は後ろに現れた盗賊の父親が握っており、戦士の全力の一撃を片手の握力で無に帰したようだ。

 

 望まぬ父親の助太刀に、不機嫌そうに文句を言う若い盗賊。

 弾かれた大鉈は一本、盗賊は膂力の違いを攻撃を受け止められた時には理解し、かち上げられた左手の大鉈を自分の腕ごと持ち上げられる前に手放して、右手に残った大鉈で隙をつこうとしていたのだ。

 

「人は首を斬られようが暫くは動く」

「そんなことはわかってんだよ。親父が邪魔しなければ最後の攻撃も避けれたっつうの!」

「そうかもな」

 

 怒る盗賊にそれを受け流す盗賊の父親。その様子を見た残りの護衛達は、撤退の判断を下した。

 

「逃げろ!」

 

 護衛の女が叫んだ。

 最大戦力である戦士をやられ、新たな男の盗賊が現れた今、護衛達に勝ち目はない。護衛の叫び声に隊商の人間たちは直ぐに荷物を捨てて逃走し始めた。

 その迷いなく商品を捨てる動きは、焦っての動きではなく、普段から生き残るために、そうするよう訓練していたのだろう。

 

 対する護衛の女達はその場に残って盗賊の男二人を遠巻きに取り囲む。彼女たちは護衛だ。たとえ勝てない相手だとしても、せめて逃げる時間を稼ごうというのだろう。女たちには覚悟を決めた顔が浮かんでいる。

 

「ああ~お前らもういいよ」

 

 だが、もう興味がなくなったという様子で、しっしっと手で女たちを払うしぐさをする。

 

「荷物置いてったんならもういいからどっかいけ」

 

 彼らは盗賊ではあって殺人が目的ではない。若い盗賊は闘争を求めたようだが、それも戦士との戦いに水を差され、代わりになるような相手がいないとなるともうどうでもよくなったようだ。

 女たちは警戒し、しばらくその場から動かなかったが、どうやら本当にこちらに興味を失ったと見ると一斉に撤退を始めた。

 

「そろそろ向こうの奴らも帰ってる頃だろう」

「へ~い」

 

 盗賊は手を挙げて合図を送って、待機させていた女たちを呼んで戦利品を回収させる。

 

 彼らが隊商を襲ったのはミナト達が来た道とは、アナンの村を挟んで反対方向。

 そして彼らが言う向こうの奴らとは、ミナト達を襲った盗賊である。彼らは最近この辺りに現れた盗賊団だ。

 

 この若い盗賊の名前はグリード。

 そしてその父親は盗賊団の頭、ダグラス。

 

 かつて最強と謳われた獣狩り集団、レギオンの生き残りである。



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22話 護衛

 アナンの村に来てから二週間が経った。俺は朝起きたらガリアの鍛冶屋まで行って夕方まで手伝いをし、手伝いを終えたら訓練をするという生活をしていた。

 

 セツとはあれ以来気まずいままで、話しかければ反応はするが、彼女はいつも以上に言葉が少なく会話が上手く続けることができない。

 好きな子と毎日顔を合わせているのに、心の距離は離れているようで正直辛い。

 

 タロウとはアニカに言われた通り森へ狩りに一緒に行き、いつの間にか仲直りして特に何か残ることなく、普通に一緒に訓練するようになった。

 

「遅い!もっと早く振れ!」

「はい!」

 

 そして今、俺は長い柄のついた大槌を両手で持ち上げ、ガリアの手元にある金属塊へ向けて振り下ろしている。

 金属塊から火花が飛び散り、薄暗い鍛冶場の中、ガリアとリタの顔を赤く照らす。

 

「真っすぐ振れ! ひん曲がった剣でも作るつもりか!」

「すいません!」

 

 最初はいくつものサンゴの死骸のような穴ぼこの石ころだったものが、今では一つの塊となっている。火花が散るたびにキーンという甲高い音を鳴らし、少しづつ形を変えて、細く、長くなる。

 

 時折、ガリアが俺の大槌より小さい片手で持てる程度の小槌を振り下ろしたり、金属塊を動かして俺の大槌の当たる場所を変えたりしているが、俺にはその一つ一つの動作の意味を理解する事はまだできない。

 

 大槌を打ちおろすときの角度や強弱、タイミングなどさっぱりわからず、ガリアから怒鳴られっぱなしだが、ガリアが手を加えるたびに金属塊が剣へと確かに近づいていっている。

 

 隣では、何も言わず炉の中の火をじっと見つめるリタがいる。

 いつもなら、リタが俺の大槌を振る役目をするのだが、俺が代わりにその役目を担う分、彼女は炉の火の管理に集中することになった。

 

 俺には同じにしか見えない火の色で温度を見分け、時には直接手をかざして理想的な炉の状態を維持する。 

 こと火の扱いに関しては、リタが産まれる前から鍛冶師として生きている父のガリアより上手いらしく、ある日、彼女を指してガリアは言った。

 

『リタは炉の神に愛されている』

 

 セツに惚れていると自認する俺が言うのもなんだが、炉を見守る彼女の横顔は……美しい。

 俺の語彙ではそのカッコいいとか美しいとかしか表現する言葉が思いつかない。

 リタは、普段は男勝りな口調で荒々しい印象を受けるが、恋愛が絡むと途端に駄目になってしまうイメージのポンコツキャラだ。

 それでも、炉の神様が彼女に惚れたのは、俺には自然なことに思えた。

 多分、彼女の美しさは、この火に照らされた空間にあって完成するものなんだろう。

 

「何ボサッとしてんだ! リタに欲情すんのは後にしろ!」

「え?! うそっ?!」

「誤解です!」

 

 そんな事を考えていると怒られてしまった。

 リタの集中力も一瞬で途切れ、(ふいご)を誤操作したのか炉から火花が凄い勢いで噴き出してくる。

 耳まで真っ赤にしたリタは、炉の神様に惚れられたというより、可愛がられているのかもしれない。

 

 

 

 作業が一段落して椅子に座って休憩していると、ガリアが俺の前の椅子へと眉間にしわを寄せながら腰を掛けた。さっきまで村人が鍛冶場まで訪ねてきていて、ガリアと何かを話していた。

 

 ガリアが眉間にしわを寄せているのはいつもの事で、いつもはムスッとしている感じだが、今はなんだか困ったような表情に見える。

 俺はこの数週間で、怒られ慣れてきて、ガリアの怒り顔にも種類があることが分かってきたのだが、何かあったのだろうか。

 

「何かあったんですか?」

「盗賊に行商人が襲われたらしい」

「盗賊ですか?」

「ああ、この辺りの町や村へ卸そうとしていた商品を奪われたようだ。中には届けてもらう予定だった俺の武器もある」

 

「えっと……俺もこの村に来るときに盗賊に襲われたんですけど……護衛とかは雇っていなかったんですか?」

「当然護衛はいた。だが狩猟衆の女が五人、戦士の男が一人殺された」

「戦士が……ですか?」

 

 ガリアのその話を理解するのに俺には少し時間がかかった。

 俺にとって、戦士とは何者にも負けない最強の称号だったからだ。

 俺のよく知る戦士であるジークも、アンジも、鋼の意志を持ち、俺が敵わなかった獣を軽々と倒してしまう実力者である。

 

 俺は毎日訓練しているが、その背中はいまだ見えず、俺の中では戦士という称号が途轍もないものに思えていたのだ。

 その戦士になる準備が整ったと判断され、そのための武器を作ってもらうためにこの村に来たわけだが、正直、自分が戦士になっている未来が俺には未だ見えない。

 

 その戦士を殺した盗賊はいったい何者なんだろう。

 もしこの村へ来るときに俺たちを襲った盗賊が、そいつらだったとしたら俺は生き残れただろうか。

 

 犠牲者が出ているのに、こんなことを思いたくはなかったが、少しほっとしてしまった。

 そいつらに襲われなくて本当に良かったと思ってしまったのだ。

 

 そんな自分が本当に……情けない。

 

「男がやられたってことで村は大騒ぎだ」

 

 ただでさえ数の少ない男を失った痛手は相当なものだろう。 

 男は全て戦士となるサンの村と違い、このアナンの村で生まれた男は、戦士か鍛冶師となるらしく、職業が二分している分、戦士は貴重な存在だ。

 

「生きて帰ってきたやつらが言うには、どうやら待ち伏せされていたようでな。もしかしたら今も奴らがいるかもしれん」

「この村の人たちはどうするつもりなんですか?」

 

「正直、手詰まりだ。戦える女はまだいるが、戦士がやられたとなると、護衛の数を増やさねばまたやられるからな。これ以上はこの村の護りもあるし護衛につけられる男の余裕もない」

 

 戦士を倒すほどの力を持った盗賊団が現れるとなると、しっかり戦力を整えて討伐隊を組みたいところだが、盗賊団の居場所がはっきりしない今、村の護りを疎かにするわけにはいかないようだ。

 

「それって……大丈夫なんですか?」

「大丈夫とはいえねぇな……俺も武器やらなんやらの注文を受けてるしな……」

「うーん……」

 

 どうすればいいのだろうか。

 俺がその盗賊を倒せればいいのだが、戦士を倒すほどの盗賊に半人前の俺が敵うはずもない。

 いつになったら俺の武器を作ってくれるかはわからないが、こうして鍛冶の技術を教えてくれたりして世話になっているし、なんとか力になってやりたい。

 

 なんとか日本の知識を生かして起死回生の一手は打てないだろうか。

 重苦しい空気の中、二人でどうすればいいのかうんうん唸っていると、扉を開ける音が聞こえた。

 

「ミナト、いるかい?」

 

 ガリアの鍛冶場を訪れたのはジークだった。

 最近の彼は、訓練をしていたり、かと思えばウサギを片手にふらっと様子を見に来てくれたりする。

 

「どうしたんですか?」

「行商人がやられた話は聞いた?」

 

 今聞いたばかりの話をするジークは、いつも通りの軽い感じの様子だった。

 戦士が死んだという話は聞いていないのかと思うくらいの気安さだが、この人はいまいち感情が読めないので、俺にはどう思っているかわからない。

 

「はい、今その話を聞いていたところです」

「なら話は早い、僕達で護衛をすることになったから」

 

 どういう訳か、まあ、そういう訳で、俺は怖い盗賊から行商の護衛をすることになった。



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23話 いざ行商へ

 俺は雪に埋もれるように身を低くして弓を引く。

 獲物との距離は30m程、膝まで積もった雪に出来るだけ体を隠し、弓は雪に埋もれさせないため、横に寝かせた水平撃ちの構えだ。

 キリキリという弓を引き絞る音、獲物がサクサクと雪に足跡をつける音。

 

 雪の世界はとても静かだ。

 

 それなのに呼吸、心拍音、そんな普段見向きもしないような音に溢れているから不思議だ。

 

 獲物は体長が40cm程のウサギ。

 この30mという距離から照準器のない弓で狙うにはあまりにも小さい。

 

 万全を期すならもっと近くで狙いたいが、隣にいるジークが人差し指と中指を立てた手をウサギの方へと振っている。

 これは狩りをする時に使う弓で射てというジェスチャーだ。

 

 俺はそれを見て、これも練習だと近づくことを諦め、狙いを定めることに集中することにする。

 

 ただ腕の力だけで弓を引いては矢を狙った通りに飛ばすことはできない。

 

 矢を狙い通りに飛ばすのにまず必要なのは弓の安定と再現だ。

 どれだけ腕力があろうとも、筋肉の状態は日によって違うし、感覚もずれてしまう。

 そのため、もし筋肉の力だけに頼って弓を引けば、震えて安定しないし、毎回違う引き方になってあらぬ方向に飛んでしまう。

 

 弓を支えるのは骨だ。

 左肩を内側に入れ込み、肘を真っ直ぐ伸ばすことで筋肉ではなく、骨を突っ張り棒のようにして支える。

 こうやって骨という状態が筋肉に比べて変化しづらく、堅い部分で支える事で弓は毎回同じ位置で構えることができる。

 

 弦を引く右腕はより大きい筋肉のある背中で引く。

 腕より体の中心に近い筋肉を基点に使うことで体の安定感が増して、手の震えを抑える事ができる。

 

 一度大きく息を吸って呼吸を止める。

 

 呼吸が減ると脈拍が落ち、心臓の動きで生じる僅かな手のブレがすくなくなる。

 

 狙いは定まり、構えも終わった。

 

 後は弦を離すだけだ。

 

 ……当たれ。

 

 放たれた矢が重力にしたがって少しづつ落ちていく。

 それも見越して定めていた狙いに従い、矢はウサギの方へと飛ぶ。

 弓の力を受けた矢がグネグネと蛇のようにうねりながら飛んでいき、そしてウサギの腹の下の雪を吹き飛ばした。

 

「あっ」

 

 異変に気付いたウサギは文字通り脱兎のごとく逃げ出した。

 俺はすぐに薬指と小指で掴んでいた予備の矢をつがえようとするが、その頃にはウサギの姿は見えなくなっていた。

 

「ミナトは弓の才能がないね~」

 

 ジークはそう言いながら自分の弓を構えると、俺のようにじっくり狙いを定めるのではなくあっという間に矢を放った。

 矢はウサギが消えた方向にある木の一本にぶっすりと突き刺さり、羽しか見えない程埋まる。

 

「ミナト取ってきて」

「え? あっはい」

 

 俺はジークに言われた通り矢を取りに行く。

 矢が刺さった木に近づいた俺は、こんなに刺さって抜けるかな? と思いながら矢尻はどうなっているか見ようと木の裏側に回り込む。

 するとそこには木と共に矢に串刺しにされた白いウサギの姿があった。

 

「確かに俺、才能ないかも……」

 

 何気なく行われたジークの絶技に、俺は自分がそうなれる想像ができなかった。

 

 

 

 

 

 

 リタもゲイルが作った剣や包丁などを届けなければならないらしく、商隊に加わっていた。

 俺達はその護衛だ。

 

 何日かかけて移動しているため、野営の時にジークに弓について教わりながら狩りをしていたのだがジークの凄さに圧倒されるばかりだった。

 

 リタの他にも町に出来た商品を届ける職人や商人は5人ほどで、その護衛は20人の大所帯だ。

 

 護衛メンバーはサンの村のメンバー、俺、セツ、セリア、シオ、ジークと、アナンの村からはタロウとその師匠であるアニカ、狩猟衆の女12人、最後に戦士の男が一人ついている。

 

 見習いが二人とはいえ、男が4人がいるあたり今回の遠征は本気で達成させるつもりなんだろう。

 

 ジークが引き受けたこの護衛の任務にはきちんと謝礼は払われるらしく、俺の分は剣の代金へと回されることになっている。

 隊商の先頭は俺とタロウが務め、二列になって雪をかき分けて後続の体力を温存する。

 

 この世界の人間特有の怪力を持って、嘘のような量の商品を背負った人は雪に背負った物が引っかかるため一列になっている。

 

 俺の体はこの世界に来たばかりの時はあばらが浮いているようなガリガリの体だったが、今では腹筋が割れているし、腕や足も我ながらなかなかのものだ。

 

 前は筋トレが趣味だという人の気持ちは全く分からなかったが、筋肉を愛でる人の気持ちがわかってきた。

 自分が強くなったという実感を得ることが出来、その筋肉を手に入れるために乗り越えてきた辛いトレーニングは成功体験として自信を生む。

 自信をつけたければ筋トレしろという話を聞いたことがあるが、どうやら本当の事の様だ。

 俺の場合は、いまだに女のセツ達に模擬戦で勝てないため、やや微妙だが……

 

「それにしても逞しくなりましたねぇ」

「本当だね。サンの村に来たばかりのときは、剣もまともに触れなかったのに、力だけなら僕より強くなったしね」

 

 俺のすぐ後ろに付いているセリアとシオが話しかけてきた。

 頬に手を当ててため息をつくように話すセリアと、目を細めてどこか遠くを見るような目をしているシオ。

 彼女らは俺のすぐ後ろに付いており、残るセツとジークは殿を務めているためこの場にはいない。

 

「……ありがとうございます。」

 

 俺はそんな二人の誉め言葉にお礼の言葉を口にしたが、内心は素直に受け取ることができなかった。

 

 俺は弱い。

 

 強さが求められるこの世界において、俺はまだまだ弱いというのもあるが、それは嘆いても仕方がないことだ。

 俺が弱いと感じているのは心とか、覚悟とか、そういう内面的なことである。

 

 今まであってきたこの世界の男は皆、自分の女を守るための心構えができている。

 まだ子供であるボロでさえ、その小さな胸の内に秘めた覚悟は俺を戦慄させるほどだ。

 

 赤い猩々の時の俺は……まあ頑張ったと自分で言えると思う。

 でも、アナンの村に来る時に襲われた盗賊の女の命がこの手の中に納まった時、俺は何もできず、女にその判断を委ねてしまった。

 

 俺が思い描くのはケシャと俺の間に立ちはだかったアンジの背中だ。

 俺がこの世界に足を踏み入れ、毛むくじゃらの化け物であるケシャに襲われた時、俺はアンジの事を何も知らなかったが、その大きな背中を見た瞬間、もう大丈夫だと安心できた。

 

 男に生まれたからにはあんなふうに女に頼られたい。

 

 俺達が通ったサンの村方向とは反対側に進む事二日、特に何事もなく俺たちは一つ目の目的の村に着いた。

 商人や職人たちがそれぞれの客の所へ向かうため、一旦商隊は解散となり、二日後に次の村に出発する予定だ。

 

 サンの村のメンバーにリタとタロウを加えた何時ものメンバーで先ずは食事にしようと村の酒場に入った。

 木の分厚い扉ので締め切られていた店内は大きな暖炉により温められており、二日間味わってなかった暖かさにホッとする。

 

「あ~寒かった~」

 

 俺がそう言いながら案内された席に座るとリタが話しかけて来た。

 

「あのさ……アンタの武器なんだけど、ちょっと変わった構造にしようと思ってんだ」

「?! 俺のって……俺の武器か!」

 

「そのまんまじゃんか……ああ、そうだよ」

「おお……いよいよか……」

 

 リタとの関係はやや気まずい物はあるが、普通に会話できる程度にはなっていた。

 俺の武器は元々はガリアが作ることになっていたのだが、ある日ガリアが、

 

「リタ、お前もそろそろいけるだろ。ミナトのはお前が作れ」

 

 と言い出し、リタが作ることになったのだ。

 

「実はその変わった部分だけ試しに作ってみたからちょっと試しに振ってみて欲しいんだ」

「あるんですか! やりますやります!」

 

 まだ俺の武器がどんなものになるか全く決まっていたのでかなり気になる。

 リタのところに来て結構な日数になるので、それがいよいよ報われるとなると胸が熱くなってくる。

 

「なんかミナトさん可愛いです」

 

 とセリア。

 

「そんなに興奮する事?」

 

 多分悪意ゼロのセツ。

 

「僕はその気持ちわかるけどな~」

 

 シオは頬杖をつきながら同意してくれた。

 

 

「もっと酒持ってこいや!」

 

 その時、荒い言葉遣いで酒を要求する若い男の声が聞こえた。

 やはり女が多いこの世界で男の声は目立つようで、店内にいた女たちがその男の方へ目を向けている。

 

 店内がなんだかざわついているように感じていたのだが、そいつが原因だったようだ。

 俺はどんな奴か気になり、男の声がした方へ目を向ける。

 

 そこには女を左右に侍らせ、椅子の上に股を開いてどっかりと座り込んだ男がいた。

 

 オールバックにして逆立たせた灰色の髪、体は俺より大きいが歳はあまり変わらないように見える、

 

 その姿は地球の不良を思わせるガラの悪さを思わせ、目立たないグループにいた俺の苦手なタイプそのもの。正直関わりたくない人種だ。

 

「食べてる時くらい静かにしろ」

「別にいいじゃねぇか。聞こえないよりいいだろ」

 

 女を侍らせたガラの悪そうな男の対面にも男が座っている。

 こちらは更に体が大きく、手に持った大きなジョッキが普通のコップのように見える程だ。

 若い男と同じく灰色の髪を持っているが、若い男の方とは違い長く伸ばされており、やや癖のある髪質をしている。

 若い男の見るからに野性的な雰囲気とは対照的に、落ち着いた空気を纏っているが若い男とどことなく似ている。親子なのだろうか。

 

 そんな風にどんな男なんだろうと観察していたからか、若い男と目が合ってしまった。

 

「おう! そこのお前! こっち来いよ!」

「え?」

 

 俺は目があってすぐに目をそらしたのだが、男が俺の方へ向けて指を指して呼んできた。俺はきょろきょろと周りを見回すが、他にそれらしい人はおらず、残念ながら俺が指名されているようだ。

 

 俺は無視するわけにはいかず、渋々その男の元へ歩みを進める。

 

 近づくとよくわかる。発達した前腕、冬用の分厚い毛皮の服の上からでもわかる鍛えられた体。

 この世界の男は一部の例外を除いて、ほとんどは戦うために生きているので当然だが、この男は明らかに戦いに身を置く者の体をしている。

 

「グリードだ」

 

 グリードと名乗った男は女の肩に回していた腕を俺の方へ差し出してくる。

 

「男同士仲良くしようや」

 

 グリードはそう言ってニカッと歯をむき出しにした。



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24話 ナンパ

「こっちは俺の親父」

「ダグラスだ」

 

 どうやらこの二人の男は親子だったようだ。

 歳を重ねているせいか、ダグラスはグリードより落ち着いた雰囲気を持っているのだが、その目を見るとぞくりと背筋が冷たくなる。

 

 深くて溺れてしまいそうな何か。

 ジークやアンジのような強者が纏う圧力とも違う。

 

 俺はこの男に何を感じ取ったのかは、初めて感じる種類の感覚のため、よくわからない。

 だが、多分俺はこの男を好きにはなれないとなぜか思った。

 

「こいつらは俺の女だ」

「はーい」

「よろしくね~」

 

 次はグリードの両隣に座っている女達の紹介だ。

 グリードは両隣の女の肩に手を回しており、わかりやすいハーレム状態である。

 

 手を振って挨拶するその様子は、軽いノリの良さを思わせてなんだかギャルっぽい。

 それでも腰に剣を差しているのでこの女達もまた、戦いに身を置く者らしい。

 

 グリードやジークを見る限り、この世界の男は地球の男と同程度に性欲があるのかもしれない。

 そういう話題を避けてきたため、詳しいことはわからないが、何人もの妻との間に子供をもうけている男を何人も見てきた。

 男が少ないのに千人規模の町があったりするあたり、恐らくこの考えはあっているように思う。

 

「そいつらはお前の女か?」

「違います」

 

 グリードは両腕が塞がっているため、顎でセツ達を指した。

 勿論、そういう訳ではないので直ぐに俺は否定する。

 

「つれないですねぇ」

「その予定なんだけどね」

「違うよ……」

 

 シオとセリアは俺の答えに不満そうである。

 リタの様子が少し気になるが、ここで譲歩を見せれば、なし崩し的に嫁が決まってしまうので、俺は何も答えず苦笑いで誤魔化すしかない。

 

「違う」

 

 そしてセツは、はっきりと否定してきた。

 何時ものことで、ただの事実。

 わかっていた。でもあの夜のセツを思い出して……少し……胸が苦しくなった。

 

「じゃあお前は誰の女なんだ?」

 

 何時ものように、表情が分かりにくい人形のようなセツ。

 グリードは話を掘り下げてくる。

 

「いない」

「ほーじゃあそっちの……」

「タロウだ」

「タロウか、お前の女でもないのか?」

 

「俺は……いなくなった……」

「いなくなった? どういう意味だ?」

 

「……俺の不甲斐なさに見切りをつけられた」

「くはっ! 女に逃げられたのか?!」

 

 グリードはゲラゲラと笑い出した。

 どうやらデリカシーがないタイプの様だ。第一印象通りのあまり関わりたくないタイプ。

 タロウも事実だけに渋い顔をするだけで言い返せないみたいでいたたまれない……

 

 グリードは、腹を抱えて息も絶え絶えになるくらい一通り笑うと、ジークの方を見る。

 

「僕の妻達は村に残してきた」

 

 ちなみにジークはあんな商売をしているが、普通に子供も妻もいる。

 そこら辺の貞操観念に関しては男に都合がいいようだ。

 

「じゃあお前はまだ誰の女でもないのか?」

「そうだけど」

 

「じゃあ俺の女になれよ」

「は?!」

 

 思わず声が出てしまった。こいつは何を言ってるんだ?

 まさかセツを口説いてるのか?

 

「結構顔は好みだし、食うのに不自由はさせねぇぞ」

 

 いきなりの事で混乱する俺の顔はさぞ間抜けだっただろう。

 グリードはそんな俺の顔を一瞥すると更にセツを口説きにかかろうとする。

 

「俺は強いし、身内には優しいぜ?」

「遠慮しとく」

 

 速攻で腐れヤンキーが振られた。

 流石セツだ。

 

 とうの振られたグリードは、特に気にする様子もなく、再び俺の方へと向き直った。

 

「じゃあミナト、俺と勝負しろよ。それでお前は勝ったほうの女になる。分かりやすいだろ?」

「はあ?」

 

 確かにこの世界の女の男を選ぶ基準は強さが重要な要素である。

 でも、だからと言って、どこの馬の骨とも知らない強いだけの男に惚れたりはしないはずだ。

 そんなのライオンとかそういう獣みたいじゃないか。

 

 その時、ふとタロウの元婚約者の事を思い出した。

 もしかしたらそう言う事もあるのか?

 

「その勝負、俺が受けよう!」

「タロウ?!」

 

 色々考えていると、隣で立ち上がったタロウが叫び出した。

 モテた過ぎて頭がどうかしたのか?

 

「私はいいとは言ってない……」

 

 なぜか賞品となってしまったセツは面倒臭そうな様子だ。

 セツはライオンではないようでホッとした。

 

 そんな惚れた腫れたというか、馬鹿な話がしばらく続いた。

 このグリードという男は自分の欲望に忠実らしく、会話の途中で急に侍らせた女といちゃつき始めたり、別のテーブルへ行くはずの店員が持った酒を奪ったり、欲しいと思ったものをそのまま手に入れようとする性格らしい。

 

 俺の横で飲んでいたジークが口数の少ないダグラスに問いかけた。

 

「君たちはどこから来たのかな?」

「ちょっと南の方からな」

「へぇ~」

 

「飲まねえのか?」

「お酒はちょっと……」

 

 拒否する俺に酒を進めてくるグリードは南の方から来たらしい。

 この村の人間ではないということか。

 

「ところで……」

「はあ? 一滴も?」

「ええ……まあ……凄く弱くて……」

 

「ここら辺を荒らしている盗賊は君たちかな?」



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25話 嫌い

 今なんて言った?

 こいつらが盗賊って言ったように聞こえた。

 たしかに俺とは相容れない、ガラの悪そうな感じは盗賊にぴったりだが……

 

「何のことだ?」

 

 当然、ダグラスはなんの事か分からないといった表情をしている。

 真実はどうかはわからないが、あなたは犯罪者ですか? と聞いてそうですと答える訳がない。

 ジークはなにか確信があるんだろうか。

 

「ああ、そうだぜ」   

「お、合ってた」

 

 だが、グリードが正反対の事を言いだした。

 ジークの反応もラッキーと言わんばかりの軽さである。

 どうやら確信はなかったようだ。

 

「こいつの言ってることは気にしないでくれ」

「アナンの村の戦士を殺ったのは俺だ」

 

 ダグラスが否定しようとするが、グリードは被せる様に自分の行いを告白する。

 まるで自分の功績を誇るかのように全く隠す気がない。

 

 からかっているのか?

 普通に考えればメリットなどないし、こんな堂々と村で飲んでいるとは思えない。

 

 こいつの考えが分からない、分かりたくもない。

 

 こいつは人を殺しておきながらなんでこんなに楽しそうなんだ。

 これがこの世界の普通の感覚なのだろうか。

 

 脳裏に泣いているアナンの村の人たちがよぎる。

 俺達が殺したあの盗賊の女たちにも泣いてくれる人がいたのかもしれない。

 

 俺はこいつが嫌いだ。

 人を殺したことをこんなに笑顔で語れる奴と友人になれるはずがない。

 でもグリードを嫌悪する資格は俺にあるのか?

 

「それで? やるのか?」

 

 グリードは続けて挑発してくる。

 その様子にダグラスは目に手を当てて、深いため息をついた。

 

「やらん」

「じゃあ、親父は見とけよ」

 

 グリードが席から立つ。

 

「お前ら手ぇ出すなよ」

 

 そう言って手の平を上に向けて左右に手を出すと、侍らせていた女が武器を彼に手渡した。

 

 片刃で幅の広い刀身、先端部分がピッケルのような突起、武器は大鉈か。

 

「ミナト……死んじゃ駄目だよ」

 

 グリードはそのまま大鉈を頭上に構えると目の前の机を叩き割った。

 机に載っていた酒と料理が、俺とグリードの間で宙を舞う中、俺達は臨戦態勢を取る。

 肉や野菜の雨越しに見えたグリードは歯をむき出しに笑うのが見えた。

 

「そりゃ無理だ!」

「ぐっ!!」

 

 重い……

 俺の腹へ向かってグリードは突き刺すような蹴りを放ってきた。

 俺は咄嗟に剣で受け止めたが、勢いを殺しきれずに後ろへと吹き飛ばされてしまう。

 

 俺と入れ替わるようにしてセツがグリードへと剣を抜いて斬りかかる。遅れてシオとセリアが左右に回り込んだ。

 

 セツの狙いは俺を蹴り飛ばしすために、体をやや倒して足を上げるグリードの軸足だ。

 セツは地面すれすれまで体を倒して疾走する。

 

 グリードの足を切断せんと迫るセツの剣は速く、鋭い。

 彼女の剣は、刃を通さない異常なまでのタフネスを持った獣相手には破壊力が足りないが、人間相手であれば骨ごと一刀両断することができる。

 

 そんなセツの一撃をグリードは蹴りを放った後の不自然な体勢で、軸足でそのまま飛び上がって避けた。

 セツは突進した勢いのまま、グリードが倒した後ろの椅子を剣で砕きながら床を滑ってすれ違う。

 

 次の攻撃はシオだ。

 片足を前に伸ばした不自然な状態に宙に飛んだグリードにシオが、その宙に浮いている体を一刀両断しようと頭上から剣を振り下ろす。

 

 金属がぶつかる音が響く。

 グリードの両手に持った大鉈の内、右の大鉈を頭上に構えてシオの剣を受け止める。

 シオの一撃でグリードは地面へと再び叩き落された。

 

「セリア!」

 

 グリードを立ち上がれないように、シオが鍔迫り合いでグリードへ抑え込み、セリアがとどめを刺すため、剣を首へと向ける。

 

「おっと!」

 

 頭上からシオに抑え込まれて、片膝をついた状態のグリードは、もう片方に持った大鉈でセリアの剣を受け止める。

 すかさずグリードは二人の剣を受け止めたまま、足を出してセリアに足払いをかけ、セリアを転ばせた。

 

()ぜなさい」

 

 だがセリアもただでは転ばない。

 セリアは倒れ行く体から、触れれば爆発するマナを吹き出している。

 

 シオは既に下がっており、セリアの爆裂魔法の巻き込まれることはない。

 直後、店内で爆発が起きた。

 

 耳を貫く爆音と共に店内にいた女性たちの悲鳴が響き渡る。

 あの距離、タイミング、避けるのは難しいはず。

 だが、俺にはグリードがやられていない確信があり、急いで立ち上がり爆炎の中へと突っ込む。

 

「お~こっわ!」

「うっ……」

 

 鈍い音とセツのうめき声が煙の中から聞こえた。

 あいつセツに何をしたんだ。

 煙でグリードの姿が見えないが、勘であたりをつけて剣を振り上げる。

 

 すると煙の中から左右に開いた大鉈が、俺を挟むように突如現れた。

 

 俺は慌ててグリードへ振り下ろすはずの剣を下げて、受け止めざる得なくなった。

 だが、剣で受けようにも、剣は一本しか持っていないため、片方の斬撃を止められたとしても、もう片方の大鉈で腹を裂かれてしまう。

 では地に伏せるか? それとも前へ出て一か八かのカウンターを仕掛けるか?

 

「ミナト!」

 

 タロウの声だ。なら俺は一本受け止めることに集中しよう。

 

「っ!」

 

 俺は右から迫る横薙ぎの一撃を受けとめた。

 手から、痺れが全身に回るほどの衝撃。

 踏ん張った足が、木の床の上を滑る。

 

 だが、俺が止めることができなかったグリードの左の一撃は、俺の腹を裂くことはない。

 

「おっ仲いいなお前ら」

 

 思った通り、タロウが左の大鉈を受け止めてくれた。

 これでグリードの片手に対して、こっちは両手の全力で抑えることができるはずだが……

 

「この……馬鹿力が……!」

 

 いくら剣に力を込めても、どれだけ踏ん張っても、グリードの大鉈を押し返すことができない。

 それどころかジリジリと押されている。

 すぐそばで聞こえるタロウのうめき声からして、タロウも同じ状況のようだ。

 

「ミナトォ! なんとかしろ!」

「出来たらっ! やってる!」

 

 グリードが両手に持った大鉈で作り出したハサミが閉じていく。

 反らそうにも、少しでも気を緩めれば均衡が崩れて、剣を取り落として体を真っ二つにされてしまうに違いない。

 

「なんていうか……お前ら……軽いんだよ」

 

 グリードはつまらなそうに言うと、ゆっくりと力を籠め始めた。

 

 押し込まれ、ついにタロウと肩が触れる。

 触れたタロウの肩を通してお互いの体で支えあうが、剣を保持する腕が限界を迎えつつある。

 歯が砕けそうになるほど食いしばっても、グリードと俺の膂力の差は埋まることなく、スタミナも一方的に削られてしまう。

 

「ジークさん……」

 

 歯を食いしばりながらくぐもった声で助けを呼ぶ。

 

 隣でそんな大立ち回りをしているが、相変わらずダグラスはグリードに加勢せずにジークと見つめあったまま動く様子はない。

 

「そこまでにしよう。 いいよね?」

 

 ジークは動かないが戦いの終わりを告げる。

 

「ああ、また日を改めよう。グリード帰るぞ」

「はあ?! 何言ってんだ親父!」

 

 この二人の間になにがあったんだ。

 ただにらみ合っていただけのはずだが、どんなやり取りが行われたんだろうか。

 

「この男、酒を入れて対峙するには……少々勿体ない」

「へぇ……親父が……」

 

 グリードの目つきが変わった。

 俺達への興味を失った目とは違う、新たな獲物を見つけた獣の目だ。

 その目は、常に刺激に飢え、いくら欲を満たしても次の身を焦がすような戦いを求める、餓狼。

 明らかに俺たちの時とは気持ちの入り方が違う。

 

「グリード、今は抑えろ。直ぐに機会は作ってやる」

「直ぐっていつだよ」

 

 グリードはジークから目を離さずにダグラスへ問う。

 

「三日だ。三日後に仲間を集め、この村を襲う」

「それは穏やかじゃないね」

「逃げてもいいが、この小さな村の戦力では俺達は止められん。お前が居なければこの村の人間は皆殺しだ」

「わかった。僕はこの村に残って君たちを待とう」

 

「文句はないだろうな?」

 

 空気がズンっと重くなったような気がした。

 ダグラスのその問いは、問いかけの様で、命令だ。

 強者特有の威圧感が俺達を包み込み、否が応でも彼がグリード以上の実力者だという事が理解させられてしまう。

 

「……ちっしょうがねぇな」

 

 ダグラスの命令にグリードも逆らう気が失せたようだ。

 

「命拾いしたな」

 

 俺を襲っていた大鉈の圧力が消え、甲高い音が鳴り響いた。

 目の前には大鉈を横に突き出し、横薙ぎの一撃を振り終えたような恰好のグリード。

 俺はグリードから視線を外し、やけに軽い剣を見る。

 

 剣が折れていた。

 グリードからしたらなんて事のない一撃なのかもしれない。

 でも、俺からすれば今まで努力してきた俺自身が折れた気がした。

 

 俺を眼中から外したグリードは思いついたように、立ち上がったセツの方へと向き直った。

 

「あっそうそう、そこの女。お前気に入った。嫁に迎えてやるよ」

 

 誰に何を言っているんだこいつ?

 

「……盗賊の相手はお断り」

 

 セツは血を流した頭を押さえながら立ち上がる。

 

「じゃっ三日後迎えに来るから」

 

 グリードはセツのそんな断りも聞こえてないかのように無視して、出口へと歩き始めた。

 

 俺はあいつが嫌いだ。

 

「ジークさん」

「なんだい?」

 

「何でですか?」

「それは逃がしたこと?」

「はい」

 

 あの悪いのがカッコいいと勘違いしたような性格が嫌いだ。

 

「わざわざ盗賊団かって聞いたこと?」

「はい」

 

 俺の好きな人を既に自分の物のように扱う所が嫌いだ。

 

「最後まで手を出さなかったこと?」

「全部です」

 

 なにより……

 

「逃がしたのは弓が得意な僕はこの室内で勝てる確信がなかったから」

「盗賊っていう確信がなかったから」

「ミナトにいい経験をさせられると思ったから」

 

 そんな奴が俺より強いのが悔しくてたまらない。

 

「ジークさん」

「なんだい?」

 

「俺、あいつに勝ちたいです」

 

 そんな俺を見て満足そうにジークは頷くと、

 

「うん、無理だね」

 

 俺は疲れがどっと押し寄せ、ガックリと膝をついた。



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26話 開始

 三日後にこの辺りを荒らしまわっている盗賊が来るという宣言を受け、俺達は村の護りを固めることになった。

 

 村人や護衛対象の職人たちを、よその村へ避難させることも検討された。

 だが、盗賊の三日後と言う発言を信用するわけにはいかないし、道中で奇襲を受ける可能性があるため迎え撃つことになった。

 

 グリードと出会ったこの村は名前すら存在せず、ただアナンの北の村といわれている人口が100人にも満たない小さな村である。

 

 良質な鉄が取れるため、アナンの村には多くの商人が訪れる。

 この北の村は、そんな商人たちの宿場(しゅくば)としてよく利用されているらしく、村の人口に対して宿や空き家が多い。

 そのため、大所帯の俺達も受け入れ可能だった。

 

 俺は、リタから卸す予定だった商品の剣を借り受け、新しい剣の感覚を訓練して手に馴染ませる。

 

 黒い刀身は鎧山羊の血と共に作られた黒鋼の証、両刃の直刀で、刃渡りは80cmというところか。

 俺が使っていた剣より肉厚で、材質も、ジークの弓やアンジの大剣のように、獣との戦いに用いられる武器と同じものが使われている。

 より太く頑丈になったとはいえ、グリードの使う大鉈に比べればまだ細い。女が使う予定だっただけあって、また折られるんじゃないかと思ったが、

 

「今回持ってきた親父の剣の中で一番いいやつだ。男相手とは言えそう簡単には折れないよ」

 

 と、リタが太鼓判を押してくれた。

 

「貸すだけだよ。それはあんたの剣じゃない」

「約束はできないですけど……ちゃんと返しに戻ります」

 

 一度完膚なきまでに負けた相手に再び挑むのだ。

 生きて帰れるかはわからない。

 だからこそ、俺は生きて戻るという思いを込めて約束する。

 

「なんだそれ? 男なんだったらはっきりしろ!」

 

 そんな俺の心情を知ってか知らずか、リタはいまいち煮え切らない俺を怒鳴りつける。

 たしかにそうだ。つい癖で予防線を引いてしまった。

 ここでは日本にいた時のようなどっちつかずな答えなどいらない。

 俺は俺の意思を絶対に通す。

 それでいいんだ。

 

「そうですね……俺は……絶対にあいつに勝ちます」

「待ってな。お前の剣は戦いには間に合わせてやるよ」

 

 そう言うとニヤリと彼女は笑った。

 どうやらこの鍛冶場もない小さな村で、俺の剣を()()()ではなく、()作ろうとしているようだ。

 

 

 

 二日後、深夜。

 

 そろそろ日付も変わろうかという時間、当然辺りは真っ暗になっているが、村の中からはリタが鉄を打つ音が未だに響いている。

 

 この二日、彼女は眠ることなく作業を続けてくれている。

 俺も手伝おうとしたのだが、お前は訓練をしろと作業場を追い出されてしまった。

 

 俺は、村の防壁越しに村の外へ目を向ける。

 

 強靭な獣を村に入れないため、俺が今まで訪れたどの人里にも、必ず獣と人の領域を隔てる壁が存在していた。

 この村も例にもれず、丸太をそのまま地面に突き立てたような高さ3mほどの立派な壁が村を囲んでいる。

 この丸太の壁には、壁の上から頭を出して外を見るために、足場が設置されており、俺達はその足場に立って外を見張っていた。

 

 すっかり夜も更けて明かりは篝火と月の光だけ、村の外は森になっていて、そのわずかな光すら届かない暗闇が広がっている。

 

 俺が見張りを受け持ったのは村の北側で、俺のほかにジークと3人の女が目を光らせている。

 当然見張りは交代制で、セツ達は今は眠っている。

 

 この世界の一日の基準は夜明けが来れば次の日というのが一般的だ。

 俺の感覚では深夜0時を迎えれば次の日であるが、それはこの世界ではあまりない感覚らしい。

 そのため、ダグラスが嘘をついていないのであれば、朝になってからのはずである。

 

 そのため、俺とジークはそろそろ見張りを交代して朝まで眠って、万全の状態を整えることになっている。

 俺よりセツ達の方が戦力になると思うのだが、男というだけで俺もジークと共に一番楽な時間に回されてしまった。

 早くその期待に見合った強さを手に入れたいものだ。

 

 そんな事を考えながら吐いた白い息。

 ふわりと上がった薄い煙の向こう、雪で覆われた地面の上、木々の間の闇の中、赤い何かが見えた。

 

「ん?」

 

 暗闇の中にゆらゆらとゆれる赤い不定形の何か、それは一つだけではなく、次々と数が増え、まるで人魂の様だ。

 

 次々と現れるその赤い人魂は、パキン! という聞き覚えのある音と共に、一斉に空に飛びあがってこちらへと向かってきた。

 この音、前向きに反りのある弓特有の、弦が弓を叩く音に違いない。

 つまりこの人魂は、

 

 火矢だ。

 

「敵襲!」

 

 俺は叫んで戦いの火蓋が切られたことを皆に告げる。

 次々と振ってくる火矢は防壁や家に突き刺さり、俺達の周りを赤く照らす。

 やはり盗賊らしく、馬鹿正直には襲ってこなかった様だ。

 

「36人ってところか、宣戦布告するだけあって数が多いね」

「呑気ですね!」

 

 ジークは撃ってくる矢の数で盗賊達のおおよその数を把握しているらしい。

 俺はいつ自分の方に矢が飛んでくるか気が気でないのに、ジークは姿勢を低くする素振りすら見せない。

 

「でも使ってくるのが火矢でよかったよ」

「どこがですか!」

「火矢を使ってくれなかったら流石に見えないしね」

 

 そういうとジークは腰の矢筒から矢を抜き取り、弓を構える。

 弓を頭上で持ち上げ、頭上で左手を延ばし、弓を引くとともに口元までおろしてくる。

 

 ジークは俺では足で弓を支えて両手を使って引いたとしても、まともに引くことができない程の剛弓を目一杯引き切った。その体は弓の力に一切負けることなく、震えもゆがみも存在しない。

 

 火矢がジークの弓と頭の間を通り、髪をかすめて地面に突き立つ。それでもジークは構えが崩れることはなく、矢は森へと放たれた。

 一瞬、遅れて女性特有の甲高い悲鳴が夜の闇に通る。

 

「暗くてよく見えなかったけど、いい目印になったよ」

 

 そういいながらジークは次の矢を放つ。

 木製の防壁や、防壁の傍にある家に火矢が刺さっているが、雪で湿っているのか、それほど燃え広がってはいない。

 

 とにかく俺はジークに続いて、防壁を守っている女達と共に矢を森の中へ撃って撃って撃ちまくる。

 俺たちの矢がどれほど効果が出ているかはわからないが、ジークが撃つたびに悲鳴が上がっているのは確かだ。

 この矢の応酬はジーク一人によってこちらに軍配はあがりそうだ。

 

「弾かれた……あそこにダグラスがいるね」

「え? 見えてるんですか?」

「まあそれはなんとなく」

 

 戦士が超人なのは筋肉だけではなく勘もらしい。もはや超能力の領域に思える。

 

 

「近寄らせるわけにはいかないか……」

「え?」

「ミナト、ちょっとあいつの相手してくる」

 

 そう言うとジークは壁の外へと降り立った。

 俺は自分も行くべきが迷っていると、森の中から月明りの中、人が現れた。

 ダグラスだ。

 

 それに続いて盗賊であろう女達が次々と森の中から現れる。

 みんなそれぞれ手には体を覆い隠すほどの大きな盾を持っており、俺達の矢をものともせず、横一列になって前へ進んでくる。

 

 俺にはジークのように盾を貫くほどの強弓はつかえないし、盾の端からちらちらと見える足を狙い撃つほどの技量もない。

 ならばとジークと相対するダグラスへ向けて弓を向ける。

 

 ダグラスは盾を持っていないが、その手には身の丈はある片刃の大剣を持っており、それを前に突き出してすっぽりと体を覆い隠している。それでも盾よりは露出している部分が多いため、横から狙えば狙えなくもない。

 

 そう思い、俺は足場の上を走り、ダグラスの正面から外れた場所まで移動する。

 

「ここなら……」

 

 ジークとの狩りを思い出し、弓を引く。

 狙いは一瞬でいい、とにかく数を撃て、一本正確に狙ったところで多分当たらない気がする。

 俺は続けざまに4本の矢をダグラスへ放った。

 

 だが、奴は盾にした大剣により、矢を防ぐどころか、時折大剣の位置をずらして横からはみ出た、本来体に当たるはずの矢も防いでいる。

 やはりこの程度では倒せないようだ。

 

 当然、いつまでも矢の雨に晒されているつもりはないらしく、ダグラスは走り出した。

 

 鉄塊とも言うべき巨大な剣を持った大男の突進は、暴走列車のごとく、いくら矢を撃っても止める事はできない。

 その速度、質量を合わせた莫大なエネルギーを秘めたこの男を止めるには、機関銃があってもきっと火力が足りない。そう思わせるほどの疾走だった。

 

 ジークもその剛弓を持ってダグラスへ矢を放つが、大剣に弾かれ、一瞬動きが遅くなるだけで止まることはない。

 撃たれても撃たれても止まらない暴走列車は、正面に立っていたジークも避けるしかない。

 ダグラスは横に避けたジークを気にすることなく、そのまま直進し、あっという間に丸太で出来た防壁の傍に到達してしまった。

 

 暴走列車のような疾走から、たった一歩で速度をゼロへする急制動。

 一気に足を止めたことによる、その爆発的な運動エネルギーの行き先は踏みしめた地面から体を伝い、腕の延長となった大剣へと集約される。

 

 大剣に込められた力は、防壁に使われている俺が両腕で輪を作ったくらいの立派な丸太を、大剣の届く限りの範囲を一息にへし折った。

 

「きゃあああ!」

 

 ちょうどダグラスがへし折った防壁の上にいた狩猟衆の女が地面へと投げ出されてしまった。

 女は地面に這いつくばり、低くなった防壁をまたいでくるダグラスを見て怯えた声を上げる。

 

「ひっ……」

 

 だが、這いつくばる女からダグラスは興味がないようで、視線を外して横を向く。

 

「やあ、約束通り僕が相手するよ」

「出迎えご苦労」

 

 足場から降りたジークがダグラスと対峙する。

 

 二人に備わるのは圧倒的な武力。

 

 この世界に求められる男の象徴である。

 

 

 

「ジークさんにあいつは任せよう!」

 

 防壁が破られるのは俺達の想定内だ。

 計画通りダグラスの事はジークに任せて、俺達は他の奴らの相手をするため外へ向き直る。

 なんせ今この壁を守っているのは、ジークを除けば僅か4人、味方が走ってきているのが見えるが、ジーク曰く36人の敵がいるのだ。

 

 なんとしてでもこの壁を越えさせるわけにはいかない。

 

「グリードだ! あの男が東側に出たぞ!」

 

 多分だが、味方の見張りの声だ。

 どうやらグリードが出たらしい。

 東側……あっちはたしかタロウがいるほうだ。

 

「死ぬなよ……タロウ」

 

 俺はここを増援が来るまで守り切り、出来るだけ早くタロウの元へ助けに行く。

 それが今の俺の役目だ。

 

 

 

 

 

 

 村の東側には畑が広がっている。

 防壁の内側に収まる程度の小さな畑ではあるが、この村で一番開けた場所である。

 

 アニカとタロウが防壁の上に並んで立ち、敵襲に備えている。

 師匠であるアニカと共に見張りをするのは特に異論のないタロウであるが、タロウには一つ気になっていたことがあった。

 

「師匠、あれなんですか?」

「お前の武器だよ」

「俺の?」

 

 雪で覆われていて真っ白な雪原となった農地。

 

 積もったばかりの雲海を思わせる風景の中に紛れ込む明らかな異物があった。

 それは無数の剣だ。

 

 大きさはバラバラ、品質も鋳造の量産品から職人による鍛造品まで多種多様な剣が、不規則に雪に突き立っている。

 これは、この村から出る事が出来なくなった商人や職人達から、アニカが半ば無理やり奪ったものだ。

 これではどちらが盗賊かわからないが、この辺りを荒らす盗賊団を倒すためという大義名分を振りかざせばギリギリ納得させることができたらしい。

 

「俺にはこの剣がありますけど……」

「喜べ、使い放題だぞ」

「俺の腕は二本なんですが……」

 

 タロウはアニカの考えが分からずに困惑する。

 いくら剣の数があったところでタロウの腕は二本、しかも特に二刀流の練習をしていたわけではない。

 

「多分お前ならできる気がする。昨日思いついた」

 

 師匠であるアニカは、タロウがこの剣の山を使いこなせると踏んでいるようだが、タロウにはどう扱えばいいか想像すらつかない。

 タロウはアニカを信頼しているが、ぶっつけ本番で思いつきに命をかけるのは流石に抵抗がある。

 タロウはせめてどう使えばいいのか、アニカになんとか聞き出そうとするが、

 

「自分で考えろ。いや、なんも考えるな」

 

 ますます混乱するだけであった。

 

「意味が分からないです……なんで教えてくれないんですか……」

 

 タロウはげんなりしながら、師匠の無茶ぶりに付き合うしかないのかと諦めかける。

 せめて教えない理由を、期待せずに問いかける。

 すると、アニカは隣に立つタロウの頭を掴んで自分の方に引き寄せ、耳元で囁いた。

 

「そっちの方が俺の好みだからだ」

「え?」

『――――――やるよ』

 

 

 

 

 

 

 

「なんだ? これ?」

 

 グリードは周りに広がる奇妙な光景に首をかしげた。

 

 グリードは村の東側から防壁の内側へと侵入を果たしていた。

 村には3mの防壁に囲まれていたが、グリードの身体能力であれば一息に飛び越えることができる。

 

 他の盗賊達は、ダグラスがいる村の北側のほうに集中させて、グリードは単独での侵入である。

 侵入と言っても、グリードの跳躍は防壁の内側にいる武装した女たちの頭上を堂々と飛び越えたため、見張りの者達には既に見つかってしまっている。

 

 それはいい、グリードは戦いのために、あえて堂々と侵入を果たしたのだ。

 グリードが気になっているのは着地した先、雪の広場に突き刺さった謎の剣の山である。

 グリードの記憶では、三日前に村に訪れた時は、こんなものはなかったはずである。

 その証拠に、雪に刺さった剣はどれも錆びておらず、真新しい。

 

 ザク……ザク……ザク……

 

 そう謎の剣の山に混乱していると、雪を踏みしめる音が聞こえ、グリードは考えるのをやめてが振り向く。

 その時、グリードは思った。

 これはおかしい。防壁の中に侵入したのに近づいてくる足音が一つしかないと。

 

「一人か?」

 

 グリードへ近づいてきたのはタロウただ一人だった。

 アニカや他の女達は、外を警戒してグリードの方へ向かう様子はない。

 

「師匠が言うにはここは俺の場所らしい」

「はあ?」

「俺にもよくわからないが……要はお前は俺が倒さなければならんということだ」

「お前には興味ねえんだよ……あの男はどこにいんだ? 早く教えろ」

 

 グリードはジークの居場所を探すため、視線をタロウから外す。

 当然、その隙に、タロウはグリードへと斬りかかるが、

 

「だから……軽いんだよ!」

「ぐっ!」

 

 足音なのか、勘なのか、グリードはその一撃を右手に持った大鉈でよそ見をしながら軽々受け止める。

 それどころか、出会ったときと同じく、圧倒的な力の差でタロウは弾き飛ばされるが、咄嗟に体を空中で不自然に捻った。

 空中で無理やり体を捻ったためバランスを崩し、タロウは雪の上を無様に転がっていく。

 

「ん? おまえ……」

 

 グリードは自分の力で吹き飛ばされたタロウに対して興味を覚えた。グリードはタロウを突き立った剣にぶつけるつもりで弾き飛ばしたのだ。

 その様子をよく見ていなかったが、タロウが弾き飛ばされた時、後ろを見ている余裕があったとは思えない。

 

「ちょっと付き合ってやるよ」

 

 タロウは急に自分に興味を持ったグリードへ疑問を覚えるが、戦う気になってくれたならば好都合と次の攻撃に向けて意識を集中する。

 

 内心、タロウはグリードに勝てるビジョンが浮かんでいない。

 ミナトにもグリードにも負け、いくら努力しても強くならない肉体。

 それでもいつか強くなろうと努力は続けるが、いつしかタロウの中の冷静な部分がお前には無理だ。才能がないと常に囁くようになっていた。

 

 だが、それでも引けないのがこのタロウという男である。

 理屈ではない、ただのプライドだ。

 いや、実力が伴っていない以上、それはただの虚勢である。

 

 これが、犬でも食わせるようなチンケな虚勢であることもタロウは理解しているが、それでもタロウは戦士への道を諦めるつもりはなかった。

 大した理由などない。

 ただ、産まれた瞬間からそうあれと育てられ、タロウ自身も村の戦士たちの強さにあこがれを抱いただけのこと。

 

 つまりタロウにとって強くなる事とは、戦士になるという事は、夢なのである。

 

 それに、この戦いに限ってはもう一つ理由があった。

 それは戦いの前、師匠であるアニカから言われた一言。

 

『勝ったら俺がお前の嫁になってやるよ』

 

 アニカはタロウにとって、あくまで師匠であり、異性と認識していなかった相手である。

 当然、タロウは困惑する。

 

 なぜ師匠が俺なんかに?

 

 師匠は師匠であり、そういう対象では…… 

 

 俺の方が力が弱いし……

 

 でもよくよく見ると師匠は美人だ。

 

 様々な思いがタロウの中で渦巻き、数分悩んだ結果、彼の中で答えは出た。

 タロウは戦士を夢見る男であり、タロウは男であるということだ。

 

「俺と勝負しろグリード!!」

 

いつでもなんにでも全力で挑むタロウは、今日は120%の全力である。



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27話 無力感

 時間がない。防壁に空いた穴に向かって敵が走ってきている。

 俺達見張りの声で、直ぐ近くで待機していた狩猟衆の女達が続々と防壁の上に集まっているが、もし防壁の内側に侵入を許せば戦いは泥沼化し、多くの被害が出てしまうだろう。

 

「くそっ!」

 

 俺は悪態をつきながら防壁の上を走り、盗賊の方へ向かって飛び降りた。

 盾の隙間から見える盗賊達は、やはり女性。

 これから彼女達にすることに嫌悪感を覚えるが、一度飛び出した俺の体は止まることはなく、あっという間に目前にせまった盾を力いっぱい踏みつけた。

 

 バキッという木特有の乾いた音が鳴ると同時、踏みつけた盾と共に盗賊が後ろに倒れ、俺は反動で後ろへ飛ぶ。

 俺が着地した位置は盾を構えた盗賊の隊列から数メートル離れた位置、丁度ダグラスがあけた防壁の穴の前だ。

 

「近づくな! 魔法か弓を使え!」

 

 駄目だ。その前に近付かせてもらう。

 俺は弓を捨て、剣を抜きながら前方へ疾走する。

 増援がもう到着したのか、走る俺の横を何本もの矢が追い越して一足先に盗賊団の盾へと突き立っていく。

 

 矢を防ぐために盗賊達は完全に盾の後ろへ身を隠した。

 俺が攻撃する隙間など一切存在しなくなってしまったが、視界が盾で遮られたはずなので、盾の隙間から突き出されている槍や剣の攻撃を受けづらくなったはずだ。

 俺の方から完全に顔が見えない盗賊、つまり完全に視界が塞がれているであろう左手側の盗賊へと方向転換する。

 

 全員が全員、盾で視界が塞がれているわけではないため、俺が狙った盗賊の右隣の盗賊から槍が突き出された。

 俺は前へ踏み出していた右足を左足へと繋げず、一瞬踏ん張る。

 すると僅かにだがタイミングがずれたことで、槍が俺に届かずに差し出す形となった。俺はそれを袈裟斬りで地面へと叩き落す。

 槍は雪へと埋まり、踏ん張ったとはいえ未だ前へ進み続ける体を、左脇へと振り下ろした剣の重さに持っていかれる腕の慣性に逆らわず、体ごと回転しながら地面を蹴った。

 

 槍の上を飛び越え、空中で一瞬敵に背を向けながら剣を両手持ちから右手のみへと持ち替え、大きく右腕を背中側へと引き絞る。

 回転しながらジャンプした俺の目に映るのは大きな盾のみ。

 いざ目の前にしてみると身の丈ほどある盾が並ぶ様子はまさに壁、防壁の上から見下ろしていた時よりはるかに圧迫感を感じる。

 一瞬、弾かれて終わりなんじゃ? という弱音が沸き上がったが、直ぐに理性でその感情を押さえつけて歯を食いしばる。

 

(ぶち壊す!)

 

 盗賊の持つ盾へと振り下ろされた剣は、金属で縁を補強した木製の盾に対して斜めに命中。半ばまでバキバキと音を立てながら引き裂いた。

 深々と盾に埋まった剣。

 だが、まだ深さが足りない。

 

 肉を切った感触が一切ないのだ。

 俺の攻撃は盾を保持している手にも届いていない。

 

 引き裂かれた盾の隙間から女と目が合った。

 しっかりと目を見開き、俺の次の動きを冷静に観察している。

 盾を半ばまで破壊したのに怯みもしていない。

 やはりこの程度は出来て当然だと思っているのかもしれない。

 

「うぉらあ!」

 

 俺は埋まった剣を引き抜くために、盾に食い込んだ剣をそのままに力まかせに振り払う。

 人一人を吹き飛ばす気持ちで振り払った剣は、一瞬抵抗を感じたものの、あっさりと、拍子抜けするくらい容易く飛んで行った。

 盗賊は盾に固執せずに手を離したようだ。

 そのため盗賊は体勢を崩しておらず、盾で隠れた全身が見えた時には、バックステップで俺から距離を取ろうとしていた。

 

 目で確認している暇はないが、両隣に並んでいる盗賊達から攻撃の気配を感じる。

 周りは敵だらけ、このままでは囲まれて磨り潰されてしまう。その前に俺は少しでも安全な位置、正面のバックステップをした盗賊の懐へと飛び込んだ。

 

 俺が彼女たちに確実に勝っているといえるのは身体能力のみだ。

 まだまだ戦闘技術では、幼い頃より戦いに生きてきた女達に勝つことはできない。

 俺がこの場で生き残るためには、力勝負に持ち込んでまともに斬りあわないようにするしかない。

 

 体勢を崩しながらも盗賊は剣を俺に向かって振ってくる。

 それを俺は真正面から剣で受け止め、そのまま体ごとぶつけるように押し込んだ。

 鍔迫り合いで盗賊を戦列から後方へと運んでいくと、盗賊はただでさえバックステップで不安定になっていた体勢を保つことができず、俺に押し倒された。

 仰向けで倒れた盗賊と、覆いかぶさるようにして鍔迫り合いになった俺は、そのまま剣を体重を込めて押し込んでいく。

 

 体重も力も女である盗賊より俺の方が上、盗賊の持った剣は、峰のない両刃の剣のためこのまま押し込めば倒せるはずだ。

 助けが来る前に少なくとも戦闘不能にさせておきたいため、一気に剣を盗賊へと押し込むと、力は拮抗することはなく、盗賊の方へと剣は吸い込まれていく。

 

 だが、あと少しで盗賊の肌を刃が切り裂こうとした時、俺は動けなくなった。

 俺と盗賊の重なった剣の下にあるのは盗賊の顔。

 女。

 女の顔だ。

 まだ若い。俺とそれほど変わらないように見える。

 

 髪はくすんだ灰色で、目つきは鋭い。

 俺を押し返そうと食いしばる歯を縁取る唇も薄くて形がいい。

 紛れもなく美少女だ。

 

 俺はこの女の人の顔に傷をつけるのか?

 そう思うと剣が止まってしまった。

 

 足をばたつかせたりして圧し掛かった俺をどかそうとしながら、女は突然止まった俺を怪訝な顔で見ている。

 ざくざくと雪を踏みしめる音が後ろから聞こえてきた。もう時間はない。

 

 俺はあの初めての盗賊との戦いからずっと考えていた。

 俺は人を殺せるのか?

 殺す必要があるのか?

 いくら考えても答えは出ていない。今、この瞬間も。

 

 いますぐ止めを。後ろから増援が来ている。

 

 鍔迫り合いをしながらちらりと後ろを盗み見る。

 俺が攻撃を仕掛けた盗賊の左右の二人だけが俺の方へと向かってきて、他はそのまま防壁の方へと走りだしている。

 

 足止めにもなっていないのか俺は。

 

 防壁の上にはセツ達も到着したようで弓を構えていた。

 他にもずらりと防壁の上には狩猟衆の女達がならんでおり、既に戦闘体勢を整えている。

 

 そもそも俺が飛び出す必要もなかったようだ。

 

 ならばこの女に刃を振り下ろすことにどれほどの意味がある?

 上手い事気絶だけさせればいいんじゃないか?

 

 いつのまにか横一列の隊列から二列になっていた盗賊達が防壁へと到達した。

 防壁へ取りついた盗賊達が盾を頭上に構えると、別の盗賊がそれを踏みつけて防壁の上へと飛び上がる。

 あの大きな盾は防御だけではなく、足場の役目も持っていたようだ。

 穴の前周りでも攻防が繰り広げられている。

 

 再び目の前に目を向ける。

 

 気絶させる方法なんて知らないし、したところでまたセツに人殺しの役目を肩代わりさせるだけだ。

 

 故郷から追放される事を悲しむ、あの14歳の少女に。

 

 いくら考えても答えは出なかった。

 

 今、この瞬間までは。

 

 ガチン!

 

 俺は止めていた剣に再び体重を乗せ、一気に押し込むとそのまま刃を滑らせながら後ろへと振り抜いた。

 俺の黒い剣と女の鈍い銀色の剣から火花が散り、メシャリと嫌な音を立てて女の顔へと剣が喰い込む。

 女の顔へ喰いこんで固定された鈍い銀色の剣は動かず、俺の剣に刃が削られていく。

 

 後ろへと振りぬいた剣の先は、すぐそばまで迫っているはずの盗賊の方へと向かう。

 手に衝撃が走った。見ると俺へと突き出していた槍にぶつかったようで、槍が宙を回りながら飛んでいた。

 

 後ろを取ることに失敗した二人の盗賊は、俺の間合いの外で足を止め、俺に近づきすぎないように左右に分かれて俺を挟み込んでくる。

 

「近づくな!」 

 

 槍を弾き飛ばされた右側の盗賊がそう叫ぶと、盾の横から手を突き出してこちらへ向けると、伸ばされた手の平からキラキラと光る赤い粒子があふれ出していく。

 それは魔法の光、その色は千差万別、一人一人違う色をしている。

 

 体内に取り入れられたマナが、その宿主の色に染まると、体外に出た時になにかしらの現象が起きるようになる。

 故に現象、ラノベ的で言うと属性は、一人につき一つしか使う事が出来ないらしい。

 同じ火を出す魔法でも微妙に色が人によって違ったりする。

 

 そしてこの盗賊は赤い色のイメージ通り、火の魔法の様だったようだ。

 手の平に溢れた粒子がバチバチと音を立てて燃え盛っている。

 

 俺は後ろへと跳んだ。

 こうすることで大きく左右に分かれていた二人を、視界内に収めることができるようになった。

 

 動き出した俺に合わせるように炎が発射されると、炎は螺旋を描きながら俺へと向かってくる。

 俺が跳んで着地する間もなく着弾する弾速だ。

 

(なんだあの動きは?!)

 

 真っすぐ飛んでくることを予測していたため、その物理法則を無視した螺旋の動きに混乱してしまった。

 俺は予定していた剣で炎を叩き落とすことを諦め、息を止めながら頭上で剣を逆さに構え、顔を剣の平らな部分と、あいた腕で覆い隠した。

 肺と目さえ焼かれなければ直ちに戦闘不能にはならないはずだ。

 

 剣に軽い圧力を感じると、頬を撫でていた冬の冷気が一瞬で灼熱と化す。

 バチバチと炎が俺に纏わりつき、激しい燃焼音を立てながら俺の全身を焼いていく。

 

 だが、この炎の魔法は本命じゃない。

 本命はもう一人の盗賊が持つ槍の一撃のはずだ。

 

(くそっ! なんで燃え続けんだよ!)

 

 一瞬燃えて終わりではなく、体に纏わりついて燃え続ける炎に、目を開けるわけにはいかず次の攻撃を見ることができない。

 失敗した。後ろに跳んだのは悪手だった。

 

 戦闘中に目を瞑るという行為に凄まじいストレスを感じる。

 燃え盛る音で足音も聞こえず、完全に敵を見失った俺はやけくそ気味に地面へと体を投げ出し、雪面を転がり回った。

 

 この回避行動で槍の一撃を避けられたかはわからないが、体に穴は開いていない。

 また、雪面を転がる事で、炎が雪を蒸発させる音を立てながら勢いを弱めることができたようだ。

 

「ぶっはぁ!」

(死ぬかと思った)

 

 俺は立ち上がりながら、顔で感じていた熱波が消えたことで止めていた呼吸を再開する。

 大した時間息を止めていたわけではないが、戦闘中のため、全身が酸素不足を訴えている。 

 

 目を開けた瞬間、槍が目の前に現れた。

 息をつく間もなく繰り出された槍は、首をかしげることで頬をかすめながらなんとか避けることに成功する。

 だが、当然攻撃はそれで終わりではない。

 

 引き戻された槍が俺が剣を触れ合わせる前に引き戻され、再び襲ってきた。

 次はなんとか剣で槍の柄を叩くことができ、横っ腹部分の皮鎧をかすめるだけで済んだ。

 次は心臓狙いだ。剣を引き戻す前に襲ってきた槍が胸に命中し、皮鎧を突き破ってきたが、槍に合わせて半身を反らすことで、薄く肉を削がれるだけで済んだ。

 

 俺は必死に次々と襲ってくる槍を紙一重でさばいていく。

 駄目だ。この人、強い。

 

 間合いは完全に負けているため距離を詰めようにも、次々と繰り出される槍に隙を見出すことができず防戦一方だ。

 身を覆い隠すほどの大盾を持ちながら、俺が着ている皮鎧を貫通するだけの力強さを片手で繰り出してくる。

 もし俺が皮鎧無しの生身ならもう動けなくなっているはずだ。

 

 しかもまたあの螺旋を描く炎が飛んできた。

 俺は無様にまた地面に体を投げ出し、炎を避けると、すかさず槍が俺を狙ってくる。

 剣の腹でそれを受け止め、槍を掴もうと手を延ばすが、すぐに引き戻されて空を切った。

 

 そんな攻防がどれくらい続いただろうか?

 ハッハッハッという短く苦しい呼吸だけが俺がまだ生きていることを保証している。

 溶けた雪と土で泥だらけ、それだけではなく皮鎧のあちこちから血がにじみ出ている。

 耳に手を当てれば、耳全体はまだ無事だが、耳たぶだけが頭から切り離されている。

 

(クソッ……なにも出来ねぇ……)

 

 一方的にいたぶられ、打開策がないかと頭を回そうとする。

 だが、考える余裕など与えてくれるはずもなく、次の攻撃が始まり、攻撃をしのぐので一杯一杯になってしまう。

 正真正銘の八方塞がりだ。

 

「諦めるかああああ!」

 

 だが、俺の心は折れることはない。

 男が死ぬ時は女が死ぬ時というボロの言葉が俺を奮い立たせる。

 どうしようもない精神論だが、俺は心を切らさず必死に耐え続けた。

 

 そして紙一重で耐え続けたことで、俺に奇跡のような勝機が巡ってくる。

 俺へ槍を突き出そうとした盗賊の足元に、俺が鍔迫り合いで顔面を破壊した盗賊がいたのだ。

 俺は必死で攻撃をさばいていたため、地面に横たわる彼女の事を気にせず踏みしめて後退していた。

 対して、目の前の盗賊は、仲間を踏むことに躊躇し踏み込むことをやめた。

 しかも後ろの螺旋の炎を放つ盗賊も、まだ次の炎を生み出している最中だ。

 

 俺は行き先を失った槍を、顔面を破壊した盗賊の槍と同じように、剣を振り下ろして槍を切断する。

 盗賊は槍を手放し、素早く剣を引き抜くが、その時には既に、俺は盗賊を間合いに捉えていた。

 盗賊は焦ったように剣を振り下ろし、俺の鎖骨にズシンという衝撃が重く響くが、皮鎧が刃までは通さなかったため致命傷ではない。

 

 猩々との死闘以来、俺の筋力は跳ね上がっていたが、あの死闘で出ていた筋力を出せていない気がしていた。

 その理由がようやくわかった。

 魔法や大地の加護なんて曖昧なものがある世界なんだ。

 殺すことにおびえていた俺の心に従って力を抑えていたのだろう。

 

 俺は肩で剣を受けながら自分の剣を大きく引き絞ると、盗賊の体を覆い隠す盾へ叩き込んだ。

 その結果は盾は真っ二つに破壊され、中指と薬指の間が引き裂かれた盗賊の腕が現れた。

 俺は苦悶の声を上げる裂けた女の腕を左手で掴み取り、右手に持った剣をもう一度上段に構えると、俺と同じく皮鎧で全身を守っている盗賊の肩へ剣を叩き込んだ。

 

「うごっ! あっ……あ゛あ゛あ゛あ゛」

 

 俺の剣は皮鎧に弾かれることなく人体を破壊していた。

 一刀両断とまではいかないが、鎖骨も胸骨も切り裂いて胸まで到達している。

 もうこの女は助からないだろう。

 

「レイコォォォ!」

 

 炎を出していた盗賊が叫び声をあげた。

 どうやらこの人はレイコというらしい。

 レイコは心臓を破壊されながらも、震える手にもった剣は落とさず、俺を攻撃しようとしている。

 俺は剣を引き抜き、レイコを蹴り飛ばして、炎を操る盗賊の方へと走った。

 

 俺は剣を引き抜くときに拾っていた真っ二つになった盾を突き出し、向かってきていた炎を受け止める。

 真っ二つになったとはいえ、元々は人一人覆い隠すほどの大盾だ。半分になっても十分な防御能力はある。

 

 俺の足はあっという間に泣きながら炎を出す盗賊へと接近し、その腕と、首を、斬り落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 俺は守り切れなかった防壁を見た。

 防壁の上には既に人はおらず、戦場は村の中に切り替わっているようだ。 

 俺は村の方へと走り出した。




これで連続更新は終わりです。
次は未定


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28話 ファーストキス

 タロウと対峙するのはグリード、同じ男であり歳もほとんど変わらない二人だが、その戦闘力には隔絶した差があった。

 一刀の元、受けた剣ごと押し切られ敗北する。そうなるはずだ。

 

 現実はどうか。

 

 グリードの右手に持った大鉈の横薙ぎ、それをタロウは咄嗟に受け止めるが、剣を通じて与えられる衝撃にタロウの握力では耐えきることが出来ず、剣を取り落としてしまう。

 阻むものが無くなったグリードの大鉈は、タロウの胸に当たると皮の胸当てを難なく引き裂いた。

 

 やはりタロウとグリードの腕力には大きな差がある。

 それでもタロウはこの攻撃では死ななかった。

 タロウはグリードの攻撃を受けた瞬間に、受け切ることが出来ないと判断。直ぐに体を後方に反らしていたのだ。

 

 だが、グリードの大鉈には先端が鉤爪のようになっており、その先端の鉤爪をよけきることが出来ずタロウの胸を引き裂いていた。

 幸い傷は浅く、肋骨を痛めたが内臓には到達しておらず致命傷には程遠い。

 タロウがまだ戦闘不能ではないのは、グリードも手応えで把握しており、直ぐに左手に持った同じ形状の大鉈で追撃を始める。

 

 それに対してタロウは着ている皮鎧を切り裂かれたことで、体を大鉈に引っ張られ、体勢を崩してしまっていた。

 武器はない、避けるのは不可能。グリードの次の斬撃は必中である。

 迫る死に選択肢を迫られるタロウ。

 

 タロウは考えた。生き残る方法を。

 使えそうな情報が並列してタロウの脳内に描写される。

 

 自分の今の体勢、弾き飛ばされた剣の位置、雪面の状況、アニカの立ち位置、グリードの攻撃の軌跡、背中の方の雪面に刺さる剣。

 

 タロウの脳内で鮮明に映し出されるそれらの情報は、彼が生き残る唯一の方法を導き出した。

 

 タロウは腕を可動域限界まで後ろに延ばし手を握る。

 そこにはタロウの記憶通り、剣の柄があった。

 

 地面に刺さった剣を握ったタロウは、無理やり体を剣に引き寄せ、体勢を崩した体を後方へと投げ出す。

 グリードの二の太刀は空振りに終わり、タロウは雪面を転がりながらも直ぐに立ち上がった。

 

「はっ! やるじゃねぇか!」

 

 予想外の避け方で生き延びたタロウにグリードは笑みを浮かべる。

 グリードはタロウがどうやって今の攻撃を避けたのかは見えていた。

 身体能力的にはグリードも同じことはできる。だが実際にはグリードにタロウの真似は出来ない。 

 タロウは今、体の後ろにある剣、つまり視界の外にある剣を握ったのだ。 

 

「お前後ろにも目がついてんのか!」

「そんなわけないだろ!」

 

 そんなわけない。

 が、タロウは目を瞑ってでも、この剣の平野を歩き回ることができる。

 昔から体が弱く、肉体的才能に乏しい彼には一つの特技があった。

 物覚えがいい事。

 幼い頃からタロウは見た物をいつまでも鮮明に思い出すことが出来た。その時気に留めていなかった所も、視界に一度入っていれば思い出すことが出来る。

 

 そう、彼には才能があったのだ。

 無いのは戦う才能のみ。

 もし日本で生まれていれば、彼の能力は何かの分野で花開いていただろうし、アナンの村生まれならば鍛冶師を目指すのもよかっただろう。

 だが、彼の選んだ道、戦いの道においては意味をなさなかった。

 簡単な読み書きくらいは教育されてきたが、戦士を夢見る少年には戦い以外の生き方はない。

 この能力が、強くなることに全く役立っていないわけではないが、体の弱さを補えるほどの優位性はなかったのだ。

 今までは。

 

 次はタロウから仕掛けた。

 タロウは剣を振りかぶると力いっぱい振り下ろす。

 タロウが剣を振ったのはまだまだ間合い外である。

 なのでタロウは剣を途中で手放して剣を投げた。

 剣は回転しながらグリードへと向かっていく。

 

 グリードは右手の大鉈で難なく剣を弾き飛ばすが、既に新しい剣を拾ったタロウが近くで剣を構えていた。

 次は投げるのではなく、本当の斬撃だ。

 グリードの右腹目掛けて、タロウの斬撃が一直線に向かう。

 グリードの右手は剣を弾くために大鉈振り上げた状態で、わき腹ががら空きになっている。

 

 絶好の隙ではあったが、グリードは左手に持った大鉈でタロウの受け止め、振り上げていた右手の大鉈をタロウの頭へ向かって振り下ろす。

 タロウはグリードに攻撃を防御される直前に剣を手放して横に回り込む。

 剣を失ったタロウは手を上空に上げると、タロウが投げつけ、グリードが弾き上げた剣がタロウの手へと収まってグリードの頭を狙う。

 攻撃を空ぶって隙が生まれたグリードは、なんとか頭を反らせてタロウの剣を避けるが頬を薄く切り裂かれた。

 

 アニカが用意した無数の剣が突き立ったこの剣の平野。

 この場において、タロウはついにグリードへと剣を届かせることに成功する。

 

 タロウはわかった。

 力がないのなら受けなければいい、剣を手放せばいいと。

 

 武器を失っても直ぐに近くに刺さっている剣を手に取ることができる。

 攻撃を避けるか、一瞬の時間稼ぎで受け止める

 それは非常に高度な回避技術が必要であるが、彼のこれまで積み上げてきた努力がそれを可能にしていた。

 

 武器への固執をやめたタロウの手数が増えていく。

 本来、剣技にとってそれは邪道だ。

 

 剣技とはいかに剣の重さを操るかは重要である。

 あるいは力の流れを作り、あるいは筋力鍛錬により自在に操る術を身に着ける。

 そうして重さを操ることは剣技の基本である。

 

 だが、タロウはそれを捨てた。

 力がないのなら操らなければいいのだ。

 非力ゆえに人の何倍も剣を操ろうとしたタロウが行きついた先は、剣を操らない事だった。

 この用意された場で、彼の記憶能力があって初めて意味を成す限定的な剣術だった。

 

 グリードは大鉈で頬を切り裂いたタロウを、足を刈り取るように大鉈を振って牽制する。

 タロウはバックステップすると、左後ろの地面に刺さっていた剣を握り締めた。

 刺さっていた剣は丁度グリードの大鉈の軌道に存在し、グリードの大鉈とぶつかった。

 剣は地面から抜けようとするが、タロウは剣を柄を握る手に力を込めて抑えこむ。

 タロウの力のみではグリードの剣戟を受け止めることはできない。だが、地面に突き立てた上でならば受け止めることは可能だった。

 グリードの攻撃を受けた剣は地面を割りながらも、かろうじて止まる。

 

「止めやがったな! お前名前はなんて言った!」

「タロウだ!」

 

 次はグリードの腹を狙った斬撃。

 タロウは手に持っていた剣でそれを受ける。

 当然、力で圧倒的に劣るタロウが両刃の剣で受け止めようとすると、押し負け、自らの刃で傷ついてしまう。

 タロウは受けた攻撃に逆らわず、押される勢いのまま後ろに跳んだ。押し込んでくるグリードの大鉈から、タロウ自身が飛ばされるだけの力を剣で受けとった後は、手に持っていた剣を手放す。

 タロウの剣を弾き飛ばしながら、タロウが居たはずの場所を攻撃すれば、すでにタロウは吹き飛んだ後であるため空振りに終わる。

 

 当然、グリードは下がったタロウに対して二撃目に移る。

 タロウは後ろに跳びながら、手を横に出す。

 そしてまた次の地面に突き立った剣を握ると、空中で剣を支点にして体をコンパスのように回転させた。

 タロウは遠心力で体が回り、雪面に着いた足が白いキャンパスに丸を描く。

 空中でのあり得ない方向転換をしたタロウに、グリードの斬撃は雪面に埋まるだけだった。

 

 タロウは必死に活路を見出す。

 タロウはグリードの猛攻を避け続けているが余裕はない。

 単純な戦闘力ではグリードの方が圧倒的に上である。

 タロウに攻撃に移る暇はほとんどなく、数秒毎に訪れる死に対してギリギリで命を延ばすための判断を下し続ける。

 タロウのグリードの攻撃を避ける曲芸じみた今までの攻防は、訓練でしたことのない動きばかりだ。

 全てギリギリになってのアドリブである。

 

 いくら完全記憶能力者だとしても、このような無茶な動きは通常は不可能である。

 たゆまぬ鍛錬を通じて、彼は足の先から指の先まで思った通りに、寸分たがわず脳内で描いた動きを実行することが出来るようになっていた。

 完全記憶能力と身体操作技術。彼の体を使う事への理解がこの動きを可能としていた。

 今までの彼の努力は無駄ではなかったのだ。

 

 だが、細い糸を渡るぎりぎりの攻防はいずれ失敗する。

 何度目の攻防だろうか。

 タロウはまた地面に突き立った剣を押さえてグリードの攻撃を受け止めようとする。

 が、攻撃は軌跡を変えることなく、剣がへし折れた。

 

 タロウは剣の位置も形状も全て把握している。

 だが、その剣が粗悪品なのかどうかまではタロウは把握していなかった。

 普通の剣であれば折れた所で、一瞬だけ稼いだ時間で避けるなり出来ただろう。

 しかし粗悪品の剣はタロウに避けるだけの一瞬の時間も稼ぐことはできず、タロウの右肩から左脇にかけて引き裂いた。

 即死ではないが致命傷だ。

 手当をしなければタロウは死ぬ。

 タロウの周りには次の剣はもうない。

 

「なかなか楽しかったぜ」

 

 グリードは大鉈を振り上げると、タロウへととどめの一撃が放たれた。

 まともに受ければ人体を一刀両断するグリードの斬撃。

 

(ああ……クソ……)

 

 血を吹き出しながらタロウはこの攻撃を避けることは出来ないと悟る。

 今まで自分を安全なところに運んでくれた足が、力が抜けて足枷のように動かない。

 

(結婚したかった……)

 

 タロウはギリギリになって出てきた自身の最後の望みに驚く。

 戦士になる事が夢と言っておきながら、出てきた望みは酷く本能的だ。

 生き残ることに何の意味もない事を考えたタロウに迫る大鉈。

 それはタロウの正中線を二つに分けることなく、雪面に埋まった。

 

「ああ? 手ぇ出さないんじゃなかったのか?」

「こいつを本当に殺させるわけにはいかねぇからな」

「し……しょう……」

 

 アニカだ。

 アニカがグリードの攻撃を受け止め、反らしていた。 

 手を出さないと宣言していたアニカの乱入にグリードは眉を顰める。

 

「女のくせに生意気だ……な!」

 

 グリードは雪に埋まった右の大鉈の刃をアニカの方へ向けて返すと、雪を吹き飛ばしながら振り上げた。

 大鉈の後に続く雪の軌跡がアニカの左の太ももに向かう。

 大鉈の切っ先が埋まっていたのは、アニカのすぐ足元だ。アニカの太ももと距離が近すぎるため、速度を乗せづらいはずだが、腕力に任せてアニカの皮鎧ごと太ももを切断するには十分な加速を大鉈は得ている。

 

 対するアニカは襲ってくる大鉈は足元すぐ近くから放たれており、距離が近すぎるため避けるどころか反応も難しいはずである。

 だがアニカは反応して見せた。

 グリードの攻撃を予想していたのか、アニカは手を地面につかない側転、つまり側方宙返りをすることで両足を空中に逃がすことで、グリードの斬撃を避けることに成功する。

 アニカはそれだけではなく、頭上を地面に向けながら曲刀を一閃し、グリードの頬を切り裂いた。

 グリードはその攻撃を予測していなかったため、反応が遅れたが、彼が持つ野性動物のような勘により、体を仰け反らせて致命傷を避ける。

 重い大鉈を振り上げながら無理な体勢を取ったことで、グリードはたたらを踏んで後ろに下がることになった。

 アニカは側方宙返りから危なげなく雪面に着地すると、曲刀の切っ先から刃を伝って流れる血を見せつけるようにグリードに向けて笑って挑発する。

 

「女がなんだって? クソガキ」

「ババアが」

 

 グリードの言葉を合図にアニカがグリードに向けた切っ先をそのままに突進する。

 その踏み込みは、この世界の女の中でも驚異的な加速力を見せた。

 

 グリードは近づいてくるアニカに、受けを選択せず同じく踏み込む。その加速はやはり力の差によりアニカのはるか上を行っている。

 アニカの刺突に対し、グリードは両手の大鉈を上下にずらし、左右から同時に振る。

 

 グリードの右の大鉈はアニカの肩、左の大鉈は腹狙いである。

 左右から迫り、上下に分かれた攻撃は先ほどのような側方宙返りで避けられる隙間は存在しないが、アニカは怯むことなく突進を続ける。

 左右から迫るグリードの斬撃に対し、アニカ姿勢を低くしながら曲刀の切っ先をやや右に傾けて、腹を狙うグリードの左の大鉈の方へ向ける。

 

 グリードの肩を狙った斬撃は姿勢を低くすることで当たらないようになった。だがそれは、同時に腹を狙ってきた方の大鉈がアニカの首に直撃する位置でもある。

 大鉈に向けていた曲刀の切っ先と大鉈が触れ、ジリジリと金属がこすれ合う音と火花が咲く。

 アニカの曲刀は、グリードの大鉈の軌道を変えない。

 

 このままいけばグリードはアニカの首を落として勝利を収める事になる。

 だが、曲刀がグリードの大鉈の上を滑り、アニカに大鉈が迫る程、曲刀がグリードに近付いていく。

 グリードの大鉈には、鍔迫り合いになった時に、剣を受けるための鍔がない。

 

 しかもアニカの曲刀は、グリードの弧を描く斬撃ではなく、最短距離をいく刺突である。

 この先に待つのはグリードの指の切断だった。

 

 グリードは指を落とされたとしても、無理やりアニカの首を切断することは可能だ。

 アニカの首とグリードの何本かの指の交換、それはグリードには重すぎる対価だった。

 

 大鉈を手放して急制動するグリード、アニカは慣性に従って未だ自分に迫る大鉈を、曲刀で押し返しながら追う。

 グリードの驚異的な身体能力によって得た加速は、本人であっても止めるのは難しい。

 雪の上をすべるグリードの腹にアニカの曲刀が突き刺さった。

 

「お前ら男は力だけの筋肉馬鹿ばっかりだ」

 

 アニカの曲刀はグリードの皮鎧を突き破るが、分厚い筋肉を傷つけながらも内臓まで突破するには至らなかった。

 

「女はなぁお前ら男と違ってそんな半端じゃねぇんだよ」

 

 すぐさまアニカは曲刀を翻し、皮鎧で守られていない大鉈を手放した左腕の肘関節を斬り付ける。

 グリードは腕を引きながらも右の大鉈を振るが、アニカは避けながらグリードの肘を薄く傷つける。

 一歩足を後ろに引き、振った大鉈の勢いをその場で踏ん張って止めたグリードが、次の斬撃を放つ。

 

 アニカはそれを下から曲刀をぶつけ、頭上にそらす。

 振り上げた曲刀を流れるように力の向きを変え、今度は振り下ろしてグリードの胸鎧を切り裂く。

 これも致命傷ではないが、皮鎧を切り裂いてグリードの体に傷をつける。

 グリードの体に小さな傷が増えていく。

 対するアニカはグリードの斬撃を全ていなしきり、防御と攻撃の隙間を縫うように斬撃を加えていく。

 

「がああああ!」

 

 苛立ったグリードが怒声を上げながらアニカの斬撃で体を傷つけられながらも大鉈を振る。

 アニカはバックステップでその大鉈をよけ、ようやくグリードから離れた。

 グリードは今の攻防の中、呼吸を忘れていたのか、大きく息を切らせている。

 

「俺ら女は獣を殺せない。それは事実だ」

 

 先ほどより血で汚れた切っ先をまたグリードへ向けアニカは再び挑発を始める。

 

「でもな」

 

 男は修練の果てに超人的な力を手に入れることが出来る。

 だが、刃を通さない体毛や甲殻が身に着くことはない。

 分厚い筋肉がある程度刃を止めてはくれるが、斬られるたびに筋繊維は切断され無傷とはいかない。

 獣と違い、ダメージはある。それはつまり、斬ればいずれ死ぬという事。

 

「女は男を殺せるんだぜ?」

 

 その一言にグリードの髪が総毛立つ。

 グリードが震え出す。

 

「上等だよ……」

 

 恐怖ではない。アニカに対する怒りで全身の血液に流れるマナが暴れ出したのだ。

 本来、体内から漏れ出ることが少ない男性のマナが全身から溢れ、雪を吹き飛ばす。

 

「もう一回見せてみろよ……その女ってやつを……」

 

 手玉に取られたことで怒りに震えるグリードだが、アニカの方は冷静である。

 が、アニカも余裕があるわけではなかった。

 

(タロウの手当てをしたいが……こいつをやるにはもう少し時間がかかる……それに捨て身で来られると流石にキツイかもしれない。さてどうするかな……)

 

 タロウはアニカがかばった後、血を流しながら気を失っている。

 早く手当てしなければ命に関わる出血量だ。

 アニカは時間を掛けてグリードの体力を削っているが、向こうは一撃でアニカを殺す力を持つ。

 それに並の男であれば、既にアニカは倒すことはできているはずだが、グリードは天性の戦闘センスで咄嗟にダメージを最小限にするように動いているため、決定打を与えられずにいた。

 時間を掛ければかけるほどタロウの命もアニカの集中力も削られていく。

 

(参ったな……こいつ強くなってやがる)

 

 しかもアニカの戦いを通じてグリードは驚異的な成長を見せていた。

 身体能力に任せた攻撃に技術が宿りはじめ、アニカの攻撃も徐々に浅くなっている

 冷静さを失わせるために挑発して怒らせてみたが、やりやすくなるかはわからない。

 それに挑発しても突撃してこないことから、カッとなっていきなり襲い掛かってくるタイプではないようで、もしかしたら逆効果かもしれない。

 故にアニカは冷静ではあっても、余裕はなかった。

 

「タロウ!」

 

 そこに現れたのはミナトだ。

 アニカはミナトの声を聞いて少しがっかりする。

 足止めにもならない奴が来たと。

 来たのがジークなら文句はないが、この色んな意味で半人前の男に時間稼ぎも期待できない。

 アニカの中で、それほど面識のないにも関わらず、ミナトの評価は低かった。

 ミナトの拭いきれない気の弱さを感じ取っているのかもしれない。

 

 だがアニカはミナトの血濡れの顔を見て笑う。

 

「ちょっと見ない間にいい顔するようになったじゃないか」

 

 ミナトはアニカの横に立って剣を構えて口を開く。 

 

「加勢します」

「いいや、俺はやめた」

「え?」

「タロウとお前でやれ」

「え? でもタロウは……」

「少し時間稼いどけ」

 

 アニカはそう言うとくるりとグリードに背中を向けてタロウの元へと走っていった。

 

「は?」

 

 これにはグリードも予想外だったらしく怒る暇もなくぽかんと口を開けている。

 

「はぁ……またやられに来たのか?」

 

 グリードはため息をつきながら頭をかいてミナトに向きなおる。

 面倒臭そうにしながらもその目はギラギラと闘争心に溢れ、ミナトを倒した後、アニカを殺すことを誓っている。

 ミナトもアニカの予想外の行動にびっくりしたが、直ぐに気持ちを整え、グリードに向きなおる。

 

「第二ラウンドだ」

 

 ミナトはグリードに対して剣を構えた。

 

 その剣は今までの剣より黒く……大きく……重い。

 そして奇抜だ。

 

 剣の根本から先にかけて中心部分に長いスリットが入っており、そこには丸い金属がはめられている。

 ミナトが剣の角度を変えるたびに、丸い金属がスリットに沿って滑っている。

 

 それはリタがミナトためだけに考え、鍛えられた唯一無二の剣。

 リタはこの今までにない新たな剣に名前を付けた。その名も偏心式器械大剣。

 そしてその一振り目であるこの剣自身の名を、

 

『撃鉄』

 

 ミナトが剣を構えると、丸い金属が柄の方へスリットに沿って動き、根本で金属同士がぶつかる音が鳴る。

 

「なんだ? その妙な剣は」

「受けてみればわかるさ」

 

 ミナトはそう言うと、撃鉄を振り上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミナトとグリードが戦いを前にして、アニカは倒れるタロウの傍で膝をついていた。

 タロウの傍に寄ったアニカは、曲刀で自らの腕を切り裂いた。

 どくどくと血があふれ出す腕。

 

「タロウ、童貞のままじゃ死にきれねぇよな」

 

 アニカは血が溢れる腕を自らの唇に押し当て、赤い紅を引く。

 

「刺激が強いかもしれねぇな」

 

 月明りと篝火の光のかすか光の中、タロウのファーストキスが行われた。



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29話 防衛線①

 時はミナトが防壁の上から飛び降りた時に遡る。

 

「馬鹿じゃないの……」

 

 襲撃の知らせを聞いたセツが到着したと同時、ミナトは防壁の上から飛び降りた。

 その無茶な行動にセツは背筋が寒くなるが、彼女の優秀な狩人としての理性がすぐに冷静さを取り戻させる。

 すこしでもミナトの生存確率あげるため、盗賊達に生まれた隙をつくためセツは矢を放つ。

 それに続いて防壁の上に集まった狩猟衆達が弓を構えて矢を放っていく。

 ミナトが飛び出したことで、敵が足を止めた数十秒間はセツ達が防壁の上に布陣するには十分な時間だった。

 

 防壁の上で防御に当たる人数は盗賊の約半分である。

 そもそもの数で負けている上に、盗賊達の全身を覆い隠すほどの巨大な盾に阻まれ、弓矢では有効打を与えることは出来ない。

 地の利があるとはいえ形勢は完全に不利だった。

 

 ズンズンと盗賊達は力強く歩みを進める。

 盗賊の隊列は一糸乱れることはなく、前進しても盾と盾の間に隙間が開くことはない。

 このまま乱戦に持ち込まれるのが数で劣る防衛側にとっての最悪のパターンだ。

 

 なんとか近づかれる前に戦力を削りたいとセツが考えていたその時、ミナトが盾による壁を作る盗賊の一人を押し込んで隊列に穴をあけた。

 セツはすかさずそこに弓を射る。

 一人いなくなったことで出来た僅かな射線をセツは見事に通し、矢は盗賊のわき腹を貫いた。

 盾を構える事で上げられた腕と鎧の隙間に命中した矢は、深々と盗賊に穴をあけ戦闘不能に至らしめた。

 

 これはたまたまだ。

 セツは弓の扱いは上手いが、ジークのように人間離れした腕はしていない。

 だがセツのはたまたまでも、何十本も矢を射かければどれかは当たるものである。

 セツに続いて狩猟衆が一人欠けたことで出来た斜めから見える盗賊の体に一斉に矢を射かけた。

 そうするとまた一人盗賊は傷を負って膝をついた。

 

「……堅い」

 

 これで流れがこちらに傾くかに思えたが、盗賊は冷静に隊列を組みなおして再び鉄壁の構えを取ったのを見て思わずセツが内心を漏らした。

 相当な練度だ。

 

 盗賊がこのまま進めば落とし穴や、木の杭が飛び出すブービートラップを仕掛けたエリアに到達する。

 襲撃を予告されていたため、それくらいの準備は当然している。

 その上、前日は雪が降ったためより深く積もっており、盗賊の機動力を奪いって罠を覆い隠す。

 そう簡単には村にたどり着けないはずだった。

 

 一人の盗賊が盾の隙間から腕を突き出すと、突風が噴き出し、雪が舞い散った。

 そこにもう一人の盗賊が同調するように腕を突き出すと、今度は炎が噴き出す。

 

 突風により大量の酸素を得た炎は大きな炎の渦となって雪面を溶かし出した。

 矢を撃って邪魔しようにも風で狙いが定まらず見ている事しかできない。

 また、雪と炎で出来た突風は盗賊達の姿が見えなくなる効果もある。

 セツの隣でシオが盗賊の行動にため息を吐いた。

 

「苦労したんだけどな」

 

 そう言いながらセツの隣に立つシオは苦笑いを浮かべた。

 接敵前に削れた戦力はほとんどない。

 精々ジークが最初に射抜いた森の奥で倒れているであろう女だけだ。

 

「ちょっとこれは不味いかもしれませんねぇ」

 

 セリアがその魔法の威力を見て盗賊達の強さに暑さからではない冷や汗を垂らす。

 決定打を与えるほどの魔法を使える女はそれほど多くない。

 風や水を生み出してぶつけたところでダメージを与えることは難しく、斬った方が早いからだ。

 そのため魔法は多くの場合、目くらましに用いられる。

 だがあの二人の盗賊はどうだ。

 

 風を生み出す魔法と、炎を生み出す魔法。

 どちらも威力、規模、セリアが見てきたどの魔法よりも強力だった。

 間違いなく殺傷力を持っている。

 

 そんな魔法の成り行きをなすすべなく防壁の上で見守ったセツ達。

 

 やがて魔法が消えると、そこにはむき出しになった地面と罠があった。

 熱で雪は蒸発し、突風でカモフラージュの土や藁は吹き飛ばされている。

 それを見た盗賊は、今までの一糸乱れぬ隊列を捨てて突然走り出した。

 

 罠の場所さえわかれば怖いものなどないと言わんばかりの突撃だ。

 狩猟衆達がそれに矢を射かけるが、風の魔法使いが再び突風を巻き起こして無力化してしまう。

 

 進軍から突撃へと歩みを変えた盗賊達が防壁にたどり着くのは一瞬だった。

 一人が防壁にとりつくと、くるりと後ろを向いて盾を斜めに構える。そこに別の盗賊が大盾を踏みつけて壁の上へと飛び上がる。

 身の丈ほどもある盾は、壁を登るための足場となった。

 

 防壁の上に飛び上がった盗賊達は盾を捨て、守りを固める狩猟衆達の方へ落ちながら剣を抜く。

 

「この罠は見えませんでしたぁ?」

 

 だが、爆音と共に数人の盗賊が元居た地面へと送り返された。

 セリアの炸裂魔法である。

 彼女の魔法は触れれば爆発する粒子を広範囲にばらまける上、人相手なら一撃で戦闘不能に至らしめる威力を持つ魔法だ。

 その威力はトラップを無効化した盗賊達にも決して引けを取ることはない。

 

 今の爆発を起こした主を見つけたのだろう。炸裂魔法を抜けて二人の盗賊がセリアの横に降り立った。

 一人は突風によりセリアの炸裂魔法を吹き飛ばし、もう一人は炎を前方に吐き出すことで自分の体に当たる前に炸裂魔法を爆発させる事で突破してきた。

 

 それを見てセリアは剣と盾を構え全身のマナを活性化させる。

 

「魔法勝負は初めてですねぇ」

 

 セリアにとって自分と同等の破壊力を持った魔法使いと出会うのは初めての事だった。



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30話 防衛線②

 セリアのおかげで防壁の上へと着地したのは二人だけだが、何人かの盗賊が防壁を飛び越してそのまま村の中へと侵入を果たした。

 あと少しすれば足場となった盗賊達がよじ登ってくるか、防壁に空いた穴から村内に侵入して来てこちらが数的不利に陥ってしまう。

 

 それらの不利な事実に早々に気付いたセツだが、彼女にやれることは少なかった。

 精々セツ自身が早く相手を倒し、味方の増援に駆け付ける事だけ。

 

「セリア!」

 

 セツは隣にいたセリアの名を呼びながら剣を抜いて防壁の上を駆けた。

 防壁を飛び越えた盗賊達は他の狩猟衆に任せ、狙っているのは目の前にいる火と風の魔法使いである。

 

 もし、さっきの炎の嵐をこの狭い防壁の上で起こされればこちらは一網打尽にされてしまう。 

 あと何回あの魔法が使えるのかは不明だが危険度は他の者とは段違いなのは間違いない。

 この防衛戦の行く末を左右する戦いが早々に訪れた。

 

 防壁の上の足場は二人並べる程度幅はあるが、二人並んで戦闘を行うには狭くて一人分しかない。

 そのためセツから見て手前に炎の魔法使い、奥側に風の魔法使いが待ち構えていて、盗賊二人を同時に攻撃することは出来ないが反対側にいる狩猟衆と挟み撃ちに出来る。

 

 一足で炎の魔法使いへと接近したセツは口内で息を吐いて頬を膨らませながら剣を振りかぶった。

 走りながらの攻撃のため接地しているのは片足のみだが、セツの運動能力の高い者特有のふくらはぎが細く、臀部と体幹が発達したセツの肉体は余すことなく剣先に力が乗せることができる。

 

 それに対して炎の魔法使いはセツの接近に気付くと、左腕を体の横に構えて横薙ぎのセツの一撃を防御する構えを取る。

 勿論その腕は生身などではなく、分厚い金属で作られた籠手が両腕に嵌められていた。

 

 それに対してセツはそのまま斬撃を正面からぶつけることを選択した。

 炎の魔法使いは右腕は後ろに引いて攻撃の用意、そして左腕でセツの斬撃を受け止める。

 鉄と鉄がぶつかり火花が散る。

 

「ちっ!」

 

 炎の魔法使いはセツの攻撃を片腕で正面から受け止め切った。

 セツは手に伝わってきた想像以上の重い感触に舌打ちをする。

 セツは助走をつけた上、剣と言う単純に重さと長さのある武器を使っているため、立ち止まって籠手のみの相手に完全に受け止められるとは思っていなかったのだ。

 

「ふん!!」

「ぅぶっ……」

 

 完全にセツの攻撃を受け止め切った炎の魔法使いは用意していた右の拳をセツの腹に向けて突き出した。

 放たれたボディブローをセツは避けきれずに腹に突き刺さる。

 剣を振るときに腹筋に力を込めていた上に分厚い皮鎧に守られていたため、膝をつく程ではないが相当な衝撃がセツの内臓を揺らした。

 

 セツはバックステップして体勢を立て直そうとする。

 炎の魔法使いはそんなセツを追おうとはせず、セツを殴った腕をそのまま手の平を前にして構えるとマナを活性化させた。

 

 セツは失策を悟った。

 何が何でも奴から離れるべきではない。

 彼女は拳を武器に戦う格闘家ではなく、魔法使いなのだ。

 距離を離せばあの凄まじい火力の炎の魔法が襲ってくる。

 直前までセツはその事を忘れていなかったが、腹を殴られて咄嗟に離れてしまった。

 セツは自分がこの状況を打破する術を持たない。

 このままでは丸焦げである。

 だからセツは、すれ違うシオに任せる事にした。

 

 セツに向けられた手の平に集まった赤い粒子が炎に変わる直前、シオの槍が籠手にぶつかる。

 突如与えられた衝撃に炎の魔法が発動する前にマナは霧散したが、炎の魔法使いはすかさず逆の手をシオに向ける。

 槍を使うシオの間合いはセツより遠く、近づくより魔法を使うほうがいいと判断したのだろう。

 

 シオは炎の魔法使いの右手に向けて突き出していた槍をしならせ、自分に手が向く前に上から炎の魔法使いの左手を叩き落す。

 踏ん張って防御しようとしていない緩々の腕の方向を変えるなどシオの槍には簡単だった。

 

 両腕を弾いたシオは最小限の動きで槍を引き戻して次の攻撃へと移る。

 炎の魔法使いはシオの槍を体を捻って避けるが、すかさず次の刺突が襲ってくる。

 避けるために捻った体が戻る前にシオの槍が再び炎の魔法使いを襲う。

 槍の達人であるシオの槍を連続で避けるのは不可能である。

 突く、戻す、シオはこの槍の一連の動作を、炎の魔法使いが捻った体を戻す間に二度は行うことができる。

 そのため、不可能。

 

 それを察知した炎の魔法使いは捻った体をさらに捻り、蹴りへと体勢を移した。

 蹴りは槍の側面を打って槍を横合いに弾く。

 危機を脱した炎の盗賊はそのまま体を伏せると、後ろの待機していた風の魔法使いが手を突き出していた。

 

 どうやらセツ達と反対側にいた狩猟衆は落とすなり倒すなりしてしまったようだ。

 

 シオは横合いに弾かれた槍をぐるっと回転させて衝撃を逃がして最後は背中で受け止めると、炎の魔法使いと同じように地面へと体を伏せた。

 

 セツの後ろにもまた、セリアという魔法使いがいるのだ。

 

 爆風と暴風が両者の間で爆発した。

 

 

 

 

 

 

 セツ達が戦っている間に、他の狩猟衆は防壁の上から外や内側の盗賊と戦っていた。

 全員が防壁の上で守っていたわけではなく、防壁の内側にも狩猟衆を配置していたが、その数は少なく侵入した盗賊に押され気味である。

 集団戦とはいえ、何千という数同士の戦争ではないため戦線が崩壊すればあっという間に決着がついてしまう。

 どうやら練度も数も盗賊達の方が上、それでもかろうじて直ぐには全滅にならなかったのは、時折飛んでくるジークの矢の援護があるからだ。

 

 一人の狩猟衆が二人の盗賊に囲まれて止めを刺されようとした時、ジークが放った矢が盗賊の手を撃ち抜いて狩猟衆が包囲から抜ける隙を作った。

 狩猟衆が手を撃ち抜かれて戦闘不能になった盗賊を押しのけ、もう一人の健在な盗賊へと向き直る。

 狩猟衆がチラリと矢が飛んできた方に目を向けると、そこには既にジークは居なかった。

 

 戦場を駆けまわるジークとダグラスの戦いは熾烈を極めていた。

 ダグラスが大剣を振れば家の壁一面全てが吹き飛び、ジークはその攻撃を避けながら僅かな隙を見つけて矢を射る。

 ダグラスはジークの矢を受けると再びジークへと大剣を立てにしながら突進し、ジークはそれを避けるために家の上まで一気に跳躍する。

 ダグラスがそれを追って跳躍しようとするが、そのわずかな隙にジークはダグラスではなく狩猟衆と盗賊達の方へと弓を向けて矢を撃つ。

 

「余裕だな!! ジークよ!!」

「そう見えるなら手を緩めて欲しいね……」

 

 この世界の男として最高峰の肉体を持った二人の戦いはまだ終わりそうにない。



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31話 防衛戦③

 セリアと風の魔法使いが起こした爆風は一人残らず防壁の上から吹き飛ばし、敵も味方も誰も残らなかった。

 

 防壁の上にいた全員が雪面へと着地する。

 セツ達の目的は防壁を死守し、地の利を維持して有利に叩く事である。

 敵も味方も全員雪面に落とされた今、戦況は数の上で優る盗賊側に大きく傾いた。

 セツ達の防壁をめぐる戦いは敗北である。 

 

 シオは至近距離で魔法の余波を受けたためか、立ち上がろうにも体に力が入らず再び崩れ落ち、セリアはそんなシオの前に立って、風の魔法使いと対峙する。

 暗い夜の中、セリアは炸裂魔法を宿した光の玉を浮かばせながら風の魔法使から視線を外さずに口を開いた。

 

「セツちゃん、そっちは頼みましたぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ……」

 

 セリアの声が聞こえたセツはハッと意識を取り戻すと悪態をついて立ち上がった。

 揺れる視界を頭を振って戻そうとすると、セツの白い頭髪からハラハラと雪がこぼれ落ちる。

 

 炎の魔法使いもダメージを受けているのか、セツ同様立ち上がるのが遅い。

 セツは体中に走る鈍い痛みを無視して先制攻撃を加えるため走り出した。

 

 セツが剣の間合いに炎の魔法使いを収めるが、残念ながら既にあちらも立ち上がっている。

 再びセツの剣と炎の魔法使いの拳が火花を散らせた。

 

 剣を受け止められたセツはその攻撃に固執せず、すぐに剣を引き戻して次の斬撃を放つ。

 セツの剣は太ももを狙った横薙ぎだ。

 

 炎の魔法使いはそれを膝を上げて金属製の脛当てで防御すると、そのまま軸足で地面を蹴って後ろに跳ぶ。

 距離を離して魔法を使うつもりだと察知したセツは、炎の魔法使いと全く同じだけの距離を前方に移動すると剣を振り下ろす。

 セツの斬撃は再び小手に阻まれるが魔法の使用を止める事に成功した。

 

 魔法を止められた炎の魔法使いはさっきとは逆に、両腕で体の前で防御を固め、踏み込んで距離を詰めにかかってくる。

 セツはそれを迎え撃つのではなく、再び炎の魔法使いと同じ速度、同じ距離だけバックステップを踏む。

 結果、炎の魔法使いが距離を詰めてきたが、間合いは相変わらず剣の間合いだ。

 

 そんな打ち合いと駆け引きが一合、二合と続いていく。

 一手間違えれば終わりの戦い。

 両者は自分が生き残るための最適解を模索し続ける。

 

「くそっ!」

 

 そして数える事13合、先ほど立ち上がる時にセツが吐いた悪態と同様の言葉を炎の魔法使いが吐いた。

 徹底的に距離を支配しようとするセツに苛立っているようだ。

 

 時間は炎の魔法使いの味方である。

 盗賊の方が数で優るため、狩猟衆達がやられるのは時間の問題だ。

 今、セツ達が他の盗賊に襲われていないのは時折飛んでくるジークの矢の援護があるため、狩猟衆達が決定的な敗北をしていないためである。

 

 そのため、セツのこの決定打のない戦いは炎の魔法使いの圧倒的有利である。

 炎の魔法使いもそれは理解しているが、生来の気性の粗さが理屈ではなく怒りを優先させていた。

 そうなれば冷静に隙を伺うセツに勝機が訪れる……はずだった。

 

 セツの背中側から突風が吹いた。

 セリアと風の魔法使いの魔法のぶつかり合いがたまたまセツの近くで起こったのだ。

 セツが戦っている間も二人の魔法はぶつかり合っていたが、セツの戦いに影響のない範囲だった。

 だが、常に移動しながら戦っていたため、いつのまにか魔法合戦で巻き起こる突風で体勢を崩すほど近くに来てしまっていたらしい。

 

 背中から不意に突風を受けたセツはバランスを崩してしまう。

 

「うううぅるぅあああ!」

「うぐっ!」

 

 そこに炎の魔法使いが雄たけびを上げながらセツの顔面めがけて殴りかかってきた。

 咄嗟にセツは左腕で受け止める。

 重い金属製の小手をつけた拳はセツの腕を骨まで軋ませ、防御した腕そのものにダメージを与えた。

 

 ギチチ!

 

 セツは歯を食いしばる。

 痛みをこらえるためではない、反撃の為だ。

 

 セツはの右手には剣がある。

 吹き飛ばされながらも決して手放すことのなかった剣だ。

 厳しい鍛錬の果てに体の髄まで染みついた剣への執着がそこには現れていた。

 

「ふッ!」

 

 炎の魔法使いの第二の拳がすぐそばまで迫っている。

 セツはその拳に剣をぶち込むと拳と剣は拮抗した。

 力勝負の結果は防壁の上で行った一合の打ち合いと同じ。

 ダメージを受け、不完全な体勢での一撃にも拘らず同じだった。

 

 セツは呼吸を止め、さらなる連撃を狙う。

 

 まずは剣を引き戻すのと同時に足を一歩後ろに下げ間合いを開ける。

 拳が届くということは剣にとって近すぎるということだ。

 そのためセツは自分の間合いを取ろうとする。

 

 熟練の格闘家でもある炎の魔法使いの最も苦手とするのは、拳が届かず、魔法を使う暇のない剣の間合いである。

 当然、炎の魔法使いは踏み込んでくる。 

 

 力は同等、速度は炎の魔法使いが上、魔法の破壊力など比べ物にならない。

 片腕はしばらく使えない。

 突風にバランスを崩されるという運も悪い事が起こった。

 

(そういえばあの時も腕潰されたっけ)

 

 セツの脳裏に浮かぶのは赤い猩々との戦い。

 あの時はどうしようもなかった。

 

 ありとあらゆる面でセツは劣っており、有利に戦いを進めることが出来る要素が皆無だった。

 暫くの間、あの時の恐怖が蘇って一人では寝られなかった。

 まだ14歳の少女なのだ

 徹底的なまでの理不尽、どうしようもなく突き付けられた死が恐怖を植え付けた。

 

 だがそれは恐怖を乗り越えたセツに強さも与えていた。

 繰り返すが、炎の魔法使いとセツの能力は力は同等、速度は炎の魔法使いが上、魔法の破壊力など比べ物にならない。

 その上、片腕はしばらく使えない。

 

 そして魔法の応用力は明確に勝っている。

 

 勝ってる要素があるのなら問題ない。

 

「?!」

 

 炎の魔法使いは踏み込んだ足を滑らせた。

 炎の魔法使いが踏み込んだ場所はセツがいた場所。

 そこは雪面ではなく、氷となっていた。

 

 驚愕する炎の魔法使いに対して、セツは引き戻していた剣を鎖骨の間から突き入れ心臓を貫いた。

 炎の魔法使いは一瞬抵抗のそぶりを見せるが、直ぐに絶命した。

 

「ふぅ……」

 

 セツは息を吐いて一息つく。

 セツはこの一息の間、この一瞬だけ休むことにした。

 セツは雪が積もるようなこの極寒の夜に汗だくになるほど疲弊している。

 まだまだ戦いは続くため、一瞬でもいいから呼吸を整え、他の者の援軍に向かおうとしたのだ。

 

 そうやって勝利を確信したセツだが、自分の失態を悟った。

 

 セツが振り向いてセリアの援護に向かおうと振り向いたその時、視界の端に背後から迫る盗賊の姿が見えたのだ。

 

 セツは見えた。自分の身に迫る盗賊の剣が、だが避けるすべがない。

 

(本当に嫌になる)

 

 セツは自分の弱さに今度は心の中でため息を吐いた。

 

(今日は何度負けたんだろう)

 

 だが同時にセツは自分が非常に運がよく、このまま避ける必要の無いことも理解した。

 セツと盗賊の間に一人の人物が割って入ったのだ。

 

(本当に嫌だ)

 

 その人物はセツに迫る斬撃を正面から剣で受け止め、それどころかそのまま盗賊の剣を弾き飛ばすとと、盗賊を切り伏せた。

 

(私はこいつより強いのに……)

 

 ミナトと背中合わせになったセツは剣を構えながら表情を変えない。

 

(ずっと長く剣に生きてきたのにな……)

 

 セツはいつものように。

 

「生きてたんだ」

「当然」

 

 本音を言う。



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32話 任せろ

「待たせた!」

「遅い」

 

 相変わらず手厳しいな。

 一応はピンチを救ったと思うんだが……

 もしかしたらセツは一人でもなんとかできたんだろうか。

 

「さっきの男だ! 見習いでも油断するな!」

 

 盗賊達が俺を見つけたようだ。

 見事に俺が見習いだとバラてしまっている。

 

「助けただろ」 

「最初からお前が居ればここまで疲れなかった」

「お」

 

 戦いの最中にも関わらず笑ってしまった。

 何時でも強いセツの隙のようなものが見えた気がする。

 

「なに?」

「なんでもない!」

 

 よし、元気出た。

 

「それで……やれるの?」

 

 背中越しにセツに問われる。

 俺にはその言葉が何通りにも解釈できた。

 

 お前は戦えるのか?

 殺せるのか?

 背中を預けていいのか?

 

 馬鹿な俺にはセツの言わんとしていることが精確にはわからない。

 でも、どれにしたって俺の答えは同じだ。

 

「任せろ」

 

 ああ、なんだろう。

 この言葉をずっと言いたかった気がする。

 言ったからには背負うことになる。

 責任の代償は命で賄われる世界で背負うのはとても重いことだ。

 だから嘘にならないように頑張ろう。

 

「私に続いて。お前は全力で叩くことを考えろ」

 

 そう言うとセツは前方へと駆け出した。

 俺もセツに続く。

 

 俺達と盗賊達は走る。

 近づいてくるのは三人だが、纏まっているわけではなく、ばらばらと集まっている様子。

 盗賊が集まるまで時間差があるということは、刹那の間一対二に持ち込めるということだ。

 

 それは盗賊もわかっているようで、先頭の盗賊は踏みとどまると背中に背負っていた丸い小盾を取り出した。

 防御に徹し後続が来るまで持ちこたえる気だ。

 

 対するセツはそんなことはお構いなく走る速度を緩めない。

 近づくセツに、盗賊は小盾を体から外すことなく剣を突き出した。

 

 相対速度はかなりものだが、セツは突き出された盗賊の剣を横から叩いて迎撃し、体ごとぶつかるようにして鍔迫り合いに持ち込んだ。

 

 盗賊の動きが止まった。

 

 ここか。俺の使い道は。

 

 俺はセツの横に飛び出すと奥歯をかみしめた。

 狙うは盗賊の首。

 

 盗賊は俺の狙いに気付いて肘を曲げて盾を首の横に構えるが関係ない。

 セツに言われた通り全身全霊の力を叩き込む。

 

 剣と盾がぶつかった時に聞こえたバキバキという乾いた破砕音は盾か腕の骨か。

 どちらにしろ盗賊の腕を切るところまではいかないまでも破壊した。

 痛みに呻いた盗賊はまだ生きているが、鍔迫り合いの力は緩む。

 生まれた隙を逃がすことなく、セツは流れるように鍔迫り合いしていた剣の先を盗賊の喉へと突き込んだ。

 

 次だ。

 

 今度は左右に分かれた二人組が同時に襲ってきた。

 俺はセツと別れて左右の盗賊を受け持つことを考えたがセツは相変わらず前に出る。

 やり方はこのままという事か。

 

 二人の盗賊はセツに向かって左右から剣を薙いできた。

 二本の剣を受け止めるにはセツの腕力が足りない。

 セツは膝を地面に落とすのと同時に体を除けらせ、雪面の上を滑らせる。

 二本の剣のはセツのスライディングの上を通るだけ、剣戟をくぐり抜けたセツは背中側に回り込むことになる。

 

 俺はセツを三等分にするはず、もしくは空振りするはずだった二本の横薙ぎの剣を、全力で正面から剣を叩き込んで応戦する。

 二人がかりの剣戟は俺一人の力と対等、いや、俺のほうがやや有利だ。

 

 俺が剣を受け止めたせいで盗賊の動きはその場から動く事ができなくなり、後ろに回ったセツの方を振り向きたくても振り向けない。

 盗賊は立ち上がったセツの姿を見ようと、頭を後ろに向けようとするが俺の剣の圧が増して精々横目になるのが精いっぱいの様子だ。

 

 盗賊は俺の正面に立っていないため剣を手放せば俺の剣は雪面を叩くだけなのだが、そうすればすぐに腕力に任せた二の太刀をいれてやる。

 それをわかっているのか盗賊は拮抗した鍔迫り合い状態をやめるか悩む素振りを見せている。

 セツはそんな二人の盗賊を後ろから兜と鎧の間にある首に剣を通した。

 

「次……」

「応!」

 

 セツは直ぐに走り出した。

 俺も直ぐに続く。

 

 俺とセツはあちこちで戦っている味方の方へと向かい、一瞬のうちに盗賊を切り伏せる。

 こちらの狩猟衆も既に半分以上やられてしまっていたが、倍はいた盗賊の数も今はほぼ同数である。

 

 盗賊を倒しているのは俺とセツだけではない。

 時折飛んでくるジークの矢が盗賊を撃ち抜いているのだ。

 

 今、俺達の方へと戦況は傾いた。

 

「あとはまかせましたぁ……」

「頭……痛い……ミナト~癒してくれよ~」

 

 セリアとシオが雪が吹き飛ばされてむき出しになった地面にへたり込んでいるのに遭遇した。

 なんだかまだ余裕そうなセリフだが、体はドロドロに汚れ、傷まみれで息も絶え絶えだ。

 セツは二人の様子を見てフッと笑うとまた走り出した。

 

「「任せて「ろ」」」

 

 俺とセツの言葉が被ってしまった。

 セツはジトっと俺を睨んでくるが今はそれどころではないので無視する。

 セツと話すのはまた後でいい。

 後でもいい。

 俺がセツを死なせないから。

 

 

 

 

 

「燃えてる……」

 

 振り向くと村が燃えていた。

 一軒や二軒ではない。

 どうやら俺達が守っていた方向とは別の場所が破られたようだ。 

 新手の盗賊の姿が火の明かりに照らされて遠くに見える。

 

「これは……」

「はぁ……はぁ……しつこい……」

 

 盗賊の別動隊だ。

 ここにきて増援は不味い。

 

 アナンの村の戦士はどうしたんだ?

 もしかしてやられたのか?

 セツも他の狩猟衆達も体力の限界が近い。

 

「シオ! セリア! 立って!」

 

 セツが荒げた呼吸の間にシオとセリアに向かって叫ぶ。

 満身創痍だからと言って休ませていられる状況ではなくなった。

 

 シオとセリアを含めてこちらの数は僅か八人まで減っていた。

 狩猟衆全員が息絶えたわけではないが、多くの死者を出している。

 新手の数はどう見てもこちらより多く、もう一度数の差をひっくり返す力は残っていない。

 

 俺はセツ達の前に立ち息を大きく吸い込む。

 

「止まれ!!!」

 

 俺の叫びに盗賊が足を止めた。

 

 俺の不甲斐ない姿はこいつらにはまだ見られてないはずだ。

 グリードから話を聞いているかもしれないが、男というだけで奴らは警戒していた。

 ならば俺が上手く囮になれば警戒して時間を稼げるはずだ。

 

 時間を稼いでどうするかは全く考えていないが、とにかく今すぐ接敵するよりはましなはずだ。

 

 盗賊が次々と集まってきて俺を中心に半円状になって剣や槍を突き出して包囲してくる。

 俺が前に出れば前の盗賊は下がり、他の盗賊は近づいてくる。

 この戦術は見覚えがある。

 獣に対する遅延戦闘だ。

 

 俺を警戒してまだ攻撃に移ってこないが、もう数秒もすれば俺は串刺しになるだろう。

 一旦逃げる事を考えたが包囲が出来た時点でそのチャンスはない。

 

「どうした? 来ないのか?」

 

 まずはさっきと同じように虚勢を張って盗賊を威圧してみる。

 盗賊達は警戒するが包囲をやめる様子はない。

 そりゃそうか。

 俺が百人力の戦士である事前提での包囲だもんな。

 

 俺は状況を打破する方法がないか周りを見渡すと、見覚えのある蔵に盗賊が入ろうとしているのが見えた。

 

「リタ!」

 

 俺はその瞬間、戦士のフリをして盗賊を威圧しているのも忘れて叫んでしまった。

 そこはリタが俺の剣を作っているはずの場所。

 俺は走り出そうとしたが、すぐさま周りの盗賊が槍を突きだして咎めてきた。

 戦っている間も剣を作り続けていたリタがどこか別の場所に逃げている可能性は低い。

 

 ……作り続けている?

 

「音が聞こえない……?」

 

 戦いが始まる前までは確かに鉄を打つ甲高い音が聞こえていた。

 それがいつからだろうか、何も聞こえなくなっている。

 

 既に他の盗賊があの扉の向こうにいてリタを襲ったのだろうか。

 そう考えると背筋がゾクりと寒くなった。

 

 ジークは戦いの場が移ったのか近くに姿が見えず、援護射撃も期待できない。

 考えをめぐらすが、駄目だ。

 俺の力ではこの状況を打破することは出来ない。

 だからと言って引くわけにも考えを止めるわけにはいかない。

 

 ダメージを受ける覚悟で強引に包囲を破るか? 

 それで果たして包囲を突破できるのか?

 出来たとして後ろにいるセツ達は俺のいない間どれだけ持ちこたえることが出来る?

 

 考えで時間が消費されていく。

 いい案が出ない。

 心はまだ諦めてはいないが、タイムリミットが迫っていた。

 

 するとリタのいる蔵の扉が突如開いた。

 中からはリタでも盗賊でもなく、灼熱の業火が噴き出して盗賊の全身を焦がす。

 盗賊は火だるまになりながら慌てて扉から離れ、雪の上を転がって火を消そうとする。

 蔵の中は真っ赤に燃える灼熱地獄で、他の家よりはるかに勢いよく燃えている。

 石を積み上げて出来た蔵は炎で燃えず、煙突から黒煙を上げているだけで崩壊する様子はない。

 

 扉の奥に見えるのは炎だけで、リタの姿は見えない。

 その代わり、赤く光る物体が飛び出してきた。

 

 それは巨大な質量を持っているにもかかわらず、十数メートルの距離がある俺の方まで回転しながら飛来する。

 それが何か理解した俺は宙へ向けて手を延ばす。

 

 盗賊が俺が動いたのを見て一気に武器を突き出してくるが、俺は構わず回転する物体を空中で掴み取った。

 

 それを掴んだ瞬間、その重さに俺の肩が抜けそうになるが俺は決して手を離さない。

 

 来たじゃないか好機が。

 

 全身がバラバラになりそうな衝撃を噛み殺しながら踏ん張るが、俺の後ろへ飛んでいこうとするソレに引っ張られ、数歩分俺の体が引きずられる。

 大きく万歳をした体勢となった隙だらけの俺を、盗賊の剣や槍が串刺しにするまであとコンマ数秒。

 引きずられていた足が止まった。

 

 これなら踏ん張れる。

 

 俺は背中の筋繊維が千切れる感触を味わいながら死ぬ気でソレをぶん回した。

  

「あ……」

 

 盗賊が気の抜けた声をあげる。

 何人もの盗賊が同時に武器を俺を串刺しにしようとしていたはずだが、彼女たちの手に今は何もない。

 先ほどまで盗賊達の手にあった武器は回転しながら空を飛んでいる。

 

 俺は振り払ったソレを頭上に構えると正面の盗賊に向かって振り下ろした。

 

 俺の振り下ろしたソレは、赤く染まった雪面に埋まっている。

 

 赤く光る物体、それは熱く熱された鉄塊だった。

 俺の手の中で熱を持った金属が周りの雪を水蒸気に変えていく。

 それどころか持ち手も赤く熱されており、俺の手も焼く。

 

 俺はそれを体のマナを活性化させることで肉体の強度を上げて耐える。

 バチバチと過剰なマナが空気中に漏れ出すが、赤い大剣が俺のマナ吸収し、体内のマナを活性化させた傍からマナを奪い去っていく。

 すると、俺のマナを吸収する柄から、赤く熱された鉄が徐々に黒く変色していった。

 

 これは剣だ。

 マナを喰らって完成する戦士のための特別な剣。

 

 一刀両断した盗賊の体の間から剣が飛び出してきた蔵が見える。

 炎の海と化した蔵から現れたのは、全身を火に包まれた裸体のリタだった。

 

 彼女の魔法は全身から超高温の炎を生み出す炎の魔法の一種。

 蔵の中の炎は彼女の体から生み出したものである。

 

 彼女の父、ガリアには数多くの子供がいる。

 リタは姉妹の中では下の方で、まだまだ姉がおり、その中には男もいる。 

 

 それでも父であるガリアが鍛冶士の後継者に選んだのはリタだった。

 

 この村には鍛冶が出来るほどの炉は存在しない。

 だけど彼女には関係ない。

 鉄を溶かすほどの炎を彼女自身が作り出せるからだ。

 

 人を殺傷する能力がある魔法が使える人間は一握り。

 その中でも鉄を溶かすほどの魔法を使える者はほとんどいない。

 ガリアは、彼女が魔法を初めて使った時、鍛冶の神を見たという。

 

「砥ぎはまだ完璧じゃないが……十分だろ?」

 

 俺は新しく得た大剣を離れようとする盗賊の一人に向かって叩きつける。

 武器は全員纏めてこの大剣で吹き飛ばしたが、こいつはまだ盾を持っている。

 だが関係なかった。

 

 俺がさっきまで使っていた剣をはるかに上回る重量で出来た大剣は、女が使う盾で受けに回るにはあまりにも重すぎた。

 正面から受けるのは不味いと判断した盗賊が、盾に角度をつけて受け流そうとするが、無情にも盾に大剣は喰いこんでいき、その後ろにある体を引き裂く。

 盗賊の盾と体では支えきれなかった俺の大剣は雪面に墜落し、雪を爆破したかのように吹き飛ばした。

 

 防御無視の一撃必殺はここに成った。

 

「まだ……やるか」 

 

 俺は片刃の大剣を肩に担ぎ周りを囲む盗賊を睨む。

 武器を失い、手元にあるのは頼りない盾と鎧だけ。

 どうだ。これでもまだやるのか?

 

 盗賊達はじっと俺の方を見て動かない。

 俺が背中から斬りかからないか警戒しているんだろう。

 

「今なら追わない」 

 

 静寂が流れる。

 俺の後ろにはセツ達の気配がする。

 こちらの戦闘態勢は整っているようだ。

 

「……退け」

 

 盗賊の一人がそう言うと盗賊達は包囲を解き、撤退を始めた。

 

 俺は周りを見渡す。

 周りには死体と狩猟衆のみ。

 

 戦っているものはもういない。

 

「グリードが出たらしいぞ」

「ちょっ! リタ?!」

 

 敵の姿が見えず、気を緩めようとした時、俺の傍まで歩いてきていたリタに俺はぎょっとした。

 セリフにではない。

 それも気になるがそれよりもリタの格好だ。

 相変わらず服は着ておらず、性格に反して可愛らしい突起がすぐ目の前で震えている。

 よく鍛えられているが、女性らしさを失わない彫刻のような美しい肢体に目が吸い寄せられてしまう。

 いや……違う、それどころではない。

 

「グリードが?」

 

 忘れていた。

 俺の嫌いなあの男を。

 

「お前は負けたままの男じゃないよな?」

 

 リタはニヤリと俺を笑う。

 どうやらまだ俺の戦いは終わっていないようだ。

 

「もう負けは許さない。できる?」

「……ああ! 当たり前だ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当……いい男だよ……」

 

 リタはグリードが現れた方角へ向かうミナトの背中を見て、そう呟いた。

 気になる男は少し見ない間に大きくなっていた。

 

 リタの記憶にあるミナトはどこか幼さを残す可愛らしい男の子だった。

 頼りにできそうで頼りにできない。

 恥ずかしがりな男の子。

 

 だが彼が隣に立つリタではない少女に見せた顔にハッとする。

 リタは思った。

 あの男が欲しいと。

 だが休まず作ったプレゼントを渡しても、隣に立つ女は別の女。

 

 魔法で熱を持ったリタの体と心を雪が冷ましていた。



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33話 してるよ

 ダグラスの持つ身の丈ほどもある大剣は易々と木造の建物を破壊した。

 重い大剣はダグラスの膂力により目にもとまらぬ剣速を与えられている。この重さと速さを併せ持ったダグラスの大剣の一撃を受けて耐えられる物はこの村には存在しないだろう。

 

 そんな一撃を身をかがめることで避けたジークは、目の前にあるダグラスの腹を攻撃することなく横合いに飛びだし距離をとることを選んだ。

 身を宙に投げ出した一瞬の時間で矢をつがえ終えていたジークはこちらに向き直るダグラスの眉間に向けて矢を放つ。

 

 赤い猩々のような獣すら貫く一矢の狙いは精密である。

 

 寸分たがわぬ狙い通りの場所、目を見開いたダグラスは眉間に飛来する絶死の矢を視線に捕らえ剣を上段に構える。

 上段に構えた大剣をダグラスは破壊力に似合わぬ精密さで自分の正中線を割るよう、真っ直ぐに大剣を振り下ろした。 

 

 暗くて白い夜を火花が照らす。

 

 獣を貫く矢と大剣の衝突は矢の敗北で終わった。

 

 いくら獣を貫く威力を持った矢とはいえ、ダグラスの持つ大剣とあまりにも重さが違いすぎる。

 速さでは矢の方が上とはいえあまりにも軽すぎた。

 

 ジークの矢を叩き落したダグラスは超重量の大剣を支えるにふさわしい脚力をもってジークの方へと疾走する。

 それに対し、ジークは既に第二、第三の矢を放っているが、ダグラスはそれを大剣を前に構えて突進することで正面から弾き飛ばす。

 防壁での攻防の焼き直しの光景にジークは表情を殺し、再び回避に移ることにした。

 

 ジークの手前で右足を前に出して急制動をかけたダグラスは大剣を横一文字に振り回す。

 ジークはそれを後ろに倒れこむように体をそらせることで鼻先かすめながら大剣を避けた。

 

 一撃を避けられたダグラスの攻撃はまだ続く。

 

 ダグラスは重い大剣の空振りを筋力にものを言わせ空中でびたりと止める。

 振り切ったはずの大剣を返す刀で切りかかるその様は慣性の法則が働いていないかのように不自然だった。

 だが地面をえぐりながら踏ん張るダグラスの足が、これもまた物理法則に則った動きである証拠となっている。

 

 ダグラスのその二撃目は、間合いの外に逃げたジークをさらに一歩踏み込むことで再び間合いに捕らえている。

 

 ジークにはもう一歩飛んでダグラスの間合いの外に逃げる時間はない。

 

 ジークは右手に持っていた矢を後ろにバックステップしている態勢から振り上げ、迫りくるダグラスの大剣に合わせる。

 ジークを上下に千切ろうとする大剣の側面にぶつけられた矢は、速度の乗った大剣をそらす程の重さは備えていないためダグラスの大剣は変わらずジークに迫っている。

 ジークはそれでも構わず矢をダグラスの大剣を下からかち上げ続けた。

 

「惜しいな。なぜ剣を選ばなかった?」

 

 避けも反らしもできないはずのダグラスの大剣は空を切った。

 ジークが振り上げた矢は大剣を反らすことはできなかったが、代わりにより軽いジーク自身を反作用の力が大剣の下方向へと押しやっていた。

 

 ダグラスは今の攻防に驚き、称賛した。

 鍛錬を積んだ男の超人的な筋力を持ってすれば、矢という棒一本で自分の体を動かすことは造作もない。

 だが幾らそれだけの筋力を持っているとはいえ、ダグラスの神速の大剣の一振りに、側面から不安定な態勢で矢をたたきつける技量と反射神経を持つものは少ない。いや、皆無と言っていいだろう。

 

 なぜならダグラスの長い戦いの経験則から判断して今の一撃で終わったと思ったからだ。

 故にダグラスは自分の予想を超えたジークを称賛し、前述の言葉を述べたのだった。

 

「駄目かな?」

「距離を離したとしても一撃を凌ぐことさえできれば後退するお前に前進する俺が追い付けないはずがない」

 

 距離をとるだジークにダグラスは今度は距離を詰めず語る。

 

「故にお前は防戦に回るしかない。にもかかわらず一歩間違えればお前の矢は俺を射抜いていた。もしお前が剣でっ」

 

 語るダグラスの横をジークの矢が通り過ぎた。

 戦士と戦士の戦いは誇りを賭けたものである。

 ジークも戦士との正々堂々の戦いであれば戦いの途中でも言葉に耳を傾けたはずだ。

 だがこの戦いは盗賊との戦いである。ジークはまともに会話する気はなく、攻撃の手が緩んだ瞬間を狙って矢を放った。 

 

「だってさ……これなら……」

 

 ジークが放った矢はダグラスから頭三つ分は反れていた。

 正確無比なジークらしくない外れ方である。

 

「手が届くだろ?」

 

 矢を外したにもかかわらず、日常会話のように静かに話すジークの言葉の意味は女の悲鳴が聞こえてきたことでダグラスは理解した。

 ダグラスの耳に聞こえてきた悲鳴は自分の女の一人である盗賊の声だった。

 

 ダグラスが振り返ると離れた場所で狩猟衆に馬乗りになる盗賊の女が、矢が突き刺さった腕を抑えて痛みに呻いている。

 

「貴様……集中せんか!」

 

 怒るダグラス。

 その怒りは一向に自分との戦いに集中しないことへなのか、自分の女が傷つけられたことへなのか。

 ジークには興味がない。

 

 ジークの目にはこの戦場のありとあらゆるものが見えていた。

 誰がどんな相手と何人で戦っているのか。

 優勢なのか劣勢なのか。

 

 視界の端に入ったどんな小さな情報も脳で処理し、頭の中で俯瞰図を更新し続ける。

 ジークはダグラスと死闘を演じながらも常に戦況を把握し続けていた。

 

 勿論ダグラスも出来るだけジークが女達を狙うのを阻止しようと動いているが、ジークの卓越した位置取りにより女を狙う隙を作りだす。

 

 ダグラスという同格の相手を前にそれを続けるのがどれほどの集中力が必要なのか。

 

「してるよ……この上なくね」

 

 ジークは決して油断しない。



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34話 敗因

 ジークの目に遠くで戦うミナトの姿が目に入った。

 ちょっと前まで人を斬る事に怯えて動けなくなっていたミナト。

 最初に盗賊と戦った時から日は開いたが、ジークにはミナトがまだ人を斬る覚悟が出来ているとは思っていなかった。

 

 まだミナトは若いが、十何年も積み上げてきた人格がある。

 ミナトが酷く甘く優しい世界で生きてきて形成されたであろうミナトの人格をジークは好ましく思っている。

 

 だがミナトは男だ。今のままでは何も守ることは出来ない。

 ミナトが好きなセツどころか、村にいる女達を全てを。

 

 だからこそジークは強くミナトに願う。

 女を失うくらいならば優しい人格など捨ててしまえと。

 僕の女まで危険にさらすなと。

 

 そして同時に期待する。

 

 それが出来ないのなら優しい人格をねじ伏せる覚悟と理性を持って欲しいと。

 心を捨てるか、増やすか。二つに一つ。

 

 ジークはそんな事を考えて彼と共にこの戦いに赴いたのだった。

 

 そしてミナトは女を守るために女を斬った。

 ミナトがどちらを選んだのかはわからないが、彼は戦士になったのだとジークは理解した。

 

 

 

 

 

 ダグラスが村中に配置された篝火の一つに向かって大剣を薙ぐと、燃え盛る木片と熱された金属製の籠がジークへ向かって弾け飛んだ。

 ジークはその燃える木片については皮鎧が防いでくれると判断し無視する。体中に燃える木片がぶつかり、ジークの頬を切り裂いて一筋の血が流れ出るがつがえた矢を一切ぶらさず解き放った。

 

 ジークの矢筒には数種類の矢が入れられている。獲物や距離に応じて長さ、重さ、材質の違う矢を使い分けているのである。

 通常使うのは鏃のみ鉄で作られた木製の矢だ。どこでも材料が手に入り、鏃さえ回収できればそこらの木を削って補充ができるからだ。

 そして今回放った矢はというとジークの持つ矢の中でも【とっておき】、黒鋼製の人の背ほどもある長大な矢だ。

 

 一度放つと失くしてしまう可能性のある矢を戦士の武器と同じように鍛え上げ、それ単体でも鈍器として成立する重量に仕上がっている。

 長いのは弓を通常口元までしか引かない所を耳の後ろ名一杯まで引くため。また、重くすることで貫通力を上げるためだ。

 ただでさえ並みの鎧を貫く威力を秘めた弓の力を、更に限界ギリギリまで引き絞ったジークの黒い弓の力を矢に乗せると、通常の矢では耐えられず獲物に命中しても十分な効果を発揮できない。

 そこで用意したのがこの黒鋼製の矢だ。

 

 重く、頑強な矢はジークの弓の力を十分に受け止めきり、彼に強力な獣と弓で戦う権利を与える。

 

 その矢が今回射止めんとするのは人間。

 ジークが唯一脅威と判断した燃える木片に混ざった金属製の籠に命中しながらも、その程度の重さの金属では向きを変えることもない。

 

 ダグラスからすると吹き飛ばした燃える木片や、それを入れていた金属製の籠に隠れて見えづらい。その上黒い矢は夜の闇に溶けてしまい、ジークが放った矢を認識できたのはすぐ目の前に現れてからだった。

 

 必中のタイミング。

 

 獣を殺す貫通力。

 

 ここで選択肢を間違えればダグラスは死に至るだろう。

 

 死神に試されたダグラスは――――

 

 大口を開け、矢を歯で受け止めた。

 ダグラスの顎に血管が盛り上がり、歯を削られながら奥へ奥へと進む矢を止めようとする。

 だが矢を止めるには咬合力が足りない。このままではダグラスの喉奥を矢が貫く事になる。

 

 ダグラスは唸り声をあげながら食いしばった矢を支点とし、顔をそむけた。

 噛まれてなお真っすぐ突き進もうとする矢は、ダグラスの喉奥ではなく頬の肉へと内側から命中する。

 

 矢の羽が突き破った頬の穴の周りの肉を引っかけながらも貫通した矢は生命維持に脅威を及ぼすことはなかった。

 左の頬の肉が破れて歯がむき出しになったダグラスに対して、ジークはさらに畳みかける。

 

 ジークはいつの間にか拾っていた剣を重心を確かめるように一度クルリと手の中で回して弓につがえた。

 この動作で瞬時に剣を弓で飛ばせばどのような軌跡を描くか感覚で把握したジークは、一瞬の溜めもの時間もなく弓を引いた瞬間ダグラスに向かって剣を撃ちはなった。

 

 まるで元々矢として作られたかのような完璧な軌跡でダグラスの腹へ向けて飛ぶ剣をダグラスは大剣を返す刀で振り払って弾き飛ばす。

 ダグラスは頬を突き破られながらもジークから視線を外さず次の攻撃に備えていた故の防御成功である。

 

 ダグラスは痛みなど感じていないかのように直ぐに前進を開始する。

 ジークの目には左頬の皮膚を失って歯が剥き出しになったダグラスの顔がまるで笑っているかのように映った。

 

 深い前傾姿勢でジークに向かって突進するダグラス。

 ジークはもう一本拾っていた剣を弓につがえて続けざまに撃った。再び矢の代わりに撃った剣は縦方向に高速回転しながらダグラスの頭部へと向かう。

 

 ダグラスは前に向かうための蹴り足を、足首から先だけの力で進行方向をずらした。

 分厚い頭蓋骨を両断する勢いの剣を普段なら大剣で弾き飛ばす所だが、ダグラスは大剣による防御ではなく回避を選んだ。

 あと数歩でジークを間合いに捕らえることができるタイミングで、頭部を大きな大剣で防御することでジークのことを一瞬でも見失うのを嫌ったためである。

 

 無理やり進行方向を変えたため減速は免れない。

 その間にジークに再び距離を取られるリスクがあった。

 果たしてダグラスが選んだ回避という選択は――――

 

「なんだ使えるじゃないか!」

「鍛錬をやめた覚えはないからね」 

 

 正しい。

 

 何時の間にか弓から剣に持ち替えたジークの斬撃を、ダグラスは大剣を正面に構えて盾とし、受け止めていた。

 ジークは剣を弓で放った瞬間、弓の握りと弦の間に体を通して弓を保管し、腰に差してあった剣を抜いて前進をはじめたのだ。

 お互いが同時に走り寄るのなら斬り結ぶまでは一瞬しかない。

 もし、ダグラスが大剣でジークの飛ばした剣を防いでいたのならば、反応が遅れ、斬られていただろう。

 

 ジークはダグラスがとの鍔迫り合いを放棄し、すぐに剣を引き戻して次の斬撃に移った。

 腰の横まで引き戻した剣を、低く薙ぎ払って足を狙う。

 ジークが剣を引き戻したことで、ダグラスも次の攻撃に移るために大剣を肩に担ぐように振り上げていたため足元はがら空きである。

 

 ただ、がら空きと言っても避ける余裕はある。

 ダグラスは狙われていた右足を上げ、剣が足の下を通過する瞬間踏みつけた。

 

 その踏みつけは同時に大剣を振り下ろすための動作でもあった。

 大剣で斬りつけるには近すぎるが、ダグラスは体を回すように半歩引き、腕を畳むように引きながら振ることでその問題を解決する。

 

 剣を踏み付けられているがジークは力に任せて剣をダグラスの足元から強引に引き抜くと、ダグラスのバランスが崩れ、紙一重でジークの傍を大剣が通過した。

 ジークは引き抜いた剣を左脇に構え、再びの横薙ぎを行う。今度の狙いは大剣を振りおろしているダグラスの右腕だ。

 

 ダグラスは二の腕を狙う剣を防ぐための大剣は、現在重力の鎖に囚われ引き戻すのは困難。無理やり軌道を変えたとしても剣速で優るジークの軽い剣が届く方が早いと判断した。

 ダグラスは右手を大剣の柄から離し、右ひじを外へ持ち上げ、頭を全力で左手側にのけぞらせる。

 神がかりなタイミングで行われたその動作は、ジークの剣を下から肘でかち上げる事となる。

 力の向きを反らされたジークの剣は、ダグラスの右腕の上を滑りながら、ダグラスの右耳の端を切りとばすが、それだけだ。

 

 中途半端な力では皮鎧に防がれてしまうため、両者の一合一合は全て全力である。

 

 両者の膂力は大きな差はない。すこしジークの方が弱い程度で正面から打ち合って一方的にやられるほどではないが、それは両者が同じ武器を持っていればの話だ。

 ジークの剣もまた黒鋼製の非常に頑丈な剣ではあるが、普通の女でも扱える剣だ。

 ダグラスの持つ身の丈ほどの鉄の塊を受け止めるにはあまりにも心もとない。

 

 ジークの持つ剣はダグラスの大剣より軽くて短い分、非常に取り回しがしやすいため、ジークは自分の距離に持ち込むことが出来たこの連撃でダグラスを仕留めたかった。

 

 ジークは彼から見て右手側にかち上げられた剣をそのままバックブローの要領で右腕を使って薙ぎ払いに移る。

 ジークは弓を引く腕である右腕を引く力が最も強い。そのためその動作が最も彼にとって自然だったのだ。

 

 だがダグラスはこの戦いの中でジークの好む動きを知っていた。

 

 ダグラスは左手にのぞけりながらも左手は大剣から手を離していない。

 また、ジークの剣をかち上げるために肘を上げていた右手を再び大剣の柄に戻す。肘は立てたままである。

 

 そしてダグラスの頬から見える歯がミシリと音を立てると、雪に埋まった大剣がさらに沈んだ。

 左手を離し、右腕で超重量の大剣を支点にし、体を柄の上で回転させながら飛び上がる。

 所謂ソバットと呼ばれるような動作でジークの背中に蹴りを放ったのだ。

 

 まさか崩れた体勢からこのタイミングで攻撃が来るとは思っていなかったジークはまともに蹴りを受けてしまう。

 ジークはダグラスに背を向けた状態で前方に弾き飛ばされ雪の上を転がっていく。

 

 すかさずダグラスは追走する。

 ダメージを受けながらもジークは立ち上がるが、いまだダグラスに背を向けた状態である。

 ジークは転がりながらも優れた三半規管で自分がダグラスに背を向けた状態で立ち上がってしまったことを理解しているが、振り向くだけの時間がもうない事を足音で察知した。

 

――ミシリ

 

 またダグラスのむき出しになった歯から軋む音がジークの耳に届いた。

 

 気付けばジークは弾けるように吹き飛ばされ民家の壁を突き抜け、反対側まで吹き飛んで雪面を転がっていった。

 

 鎧による防御力の発達より、並外れた筋力での攻撃力の方が発達したこの世界の人間という生物。

 その戦いはたった一撃ですべてが決することも多い。

 そしてこの世界の男の中でもダグラスは上位に位置する力を持っている。

 ジークが受けたのはそんな一撃だった。

 

「……まだ」

 

 それでも、ダグラスの大剣をまともに受けながらもジークは血を口から吐き捨てながら立ち上がった。

 

 ジークはダグラスの大剣の一撃を背中に背負った矢筒によって受けていたのだ。

 かろうじて大剣の刃がジークの皮膚を切り裂くことは防ぐことができた。

 だが矢筒とその中に入った矢は黒鋼の矢を含め全てへし折られ、重い大剣の衝撃を殺しきれずジークの体は甚大なダメージを受けていた。

 

 立ち上がったことから背骨は無事なようだが、間違いなく肋骨は折れており、その上折れた肋骨が肺に突き刺さったのかジークの呼吸に異音が混ざっている。

 体中の内外全てから痛みが生じ、自分のどの部分がダメージを受けたのかジークは把握すらできない。

 

 呼吸を失えば生物は戦闘行為が不可能、ジークにとってほぼ積みの状況だった。

 

「手が届く……」

 

 口の中ジークはでそう小さくつぶやくと体に掛けていた弓を持ち上げ、再び手に取った。

 その動作でさえジークは意識が飛びそうな激痛に苛まれる。

 

「もう矢がないようだが……」

「…………」

 

 立ち上がったことに驚いた様子のダグラスは再び大剣を持ち上げ、重心を前に移す。

 ジークが弓につがえるための何かを拾うそぶりを見せれば、即踏み込みジークを一刀両断するつもりである。

 

 ダグラスの圧倒的有利な状況、それでもダグラスは油断せず最強の一撃を用意する。

 

 対するジークは集中する。

 ぜぇぜぇと酷く乱れた呼吸をするたびに生じる痛みを無視し、酸素を深く取り込んでいく。 

 ジークの認識世界に必要なのはダグラスのみだ。

 

 他人は見えない。

 

 もう見る必要はない。

 

 痛みは忘れた。

 

 だが手の中にある弓の感覚は持ち手に巻かれた皮の筋すらわかるほど鋭敏である。

 

 たとえ今が夜でなかったとしてもジークの目にはこの世界が黒く映っていただろう。

 

 それほどの集中力を見せるジークにダグラスもまた集中力を高めていく。

 

 もはや攻撃手段といえば弓を鈍器として振り回すのみ。

 

 満身創痍のジークだが、命の危険を前にして集中力が深まっていく。

 

「ふぅ……」

 

 視界がぼやけ、何重にも見えていたダグラスが一つになる。

 ジークは弓を左手に持ち右手はだらっと下げたまま、ただ立つだけのごく自然体である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「参る」

 

 ジークの目の前に踏み込みの余波で雪を吹き飛ばしてクレーターのようにしたダグラスが現れた。

 筋力も、つぎ込まれたマナも、この戦いが始まって最強の一撃である。

 

 彼らの戦いを見る者がいれば、頭上に構えた大剣の振りおろしはおろか、近づく動作さえ見えなかっただろう。

 

 そしてダグラスが剣を振り切った後、ジークの目は動いておらず虚ろに避ける意志がない様にまっすぐ前を見たままだ。 

 

 ダグラスの剣により、一度天から降り、水になるのを待つだけだったはずの雪が吹き飛ばされ、再び天より降ってくる。

 

 

 

「なんだそれは……」

 

 人を割った手応えのないダグラスは自分の手元を見る。そこには不可思議な光景。

 地面を割る大剣を持つ自分の腕が、黒い弓の弦と持ち手の間に通っている。

 

 その黒い弓はダグラスの傍に立つジークがギリギリと音を立てて引き絞られている。

 その引き絞られた弓につがえられておらず、代わりにつがえられているのはダグラスの腕。

 ジークは静かに右手に持つ弦を、ただ離す。

 

 

 それは剣を使っていれば無用の回りくどい攻撃手段である。

 にもかかわらずジークはこの攻撃手段を鍛錬し、用意していた。

 だからこそ自由に体が動かない中、自然と行うことができる。

 

 弓と言う遠距離武器で近接戦闘を行うため。

 矢を全て失った時のため。

 剣を失った時のため。

 

 そして今、ジークが使う大木をも穿つ剛弓、その弓力を人の身にぶつけた。

 

 獣の厚い毛皮を貫く力を秘めた弓の力が、細いワイヤーで出来た弦により一点集中する。

 ダグラスの身に着けている獣の皮で出来た防具は、見事に弦による腕の切断を防いだが、衝撃は通した。

 ダグラスの左腕は受けた弓の力を吸収しきれず破裂するように弾け飛ぶ。

 左腕はかろうじて骨でつながっているが筋肉が弾けて物理的に動かなくなった。 

 

 それでもダグラスは止まらない。

 

 残った右腕から大剣を手放すと拳を握りしめジークの腹へと叩き込む。

 右腕を破壊されながらも、ノータイムで繰り出される拳にジークは避けることが出来なかった。

 超重量の武器を扱う戦士の力は、武器がなくとも十分な殺傷力を持つ。

 

 鎧越しにダメージを受け、くの字に曲がって持ちやすくなったジークの首元を掴むと、片腕で一気に頭上へと持ち上げ地面へと振り下ろす。

 ジークよりも重い大剣を普段から使用しているダグラスにとって人一人剣のように振り回すのは十分可能である。

 このまま地面へジークを叩きつければ勝負は決する。

 

 その時、ダグラスののどが絞まり呼吸が詰まった。

 持ち上げられたジークは咄嗟に弓の持ち手をダグラスの首に引っ掛けており、ダグラスがジークを地面にたたきつけるのを首を引っ張って抵抗していたのだ。

 ダグラスは首を引っかけられ、強制的に上を向けられたため持ち上げたジークと目が合う。

 

 未だジークの目は暗く死体のような虚ろな目をしている。

 

 だからだろうか。

 

 ダグラスはジークの目がダグラスの剣を捉えていなかったように見えてしまったのは。

 

 気付けばダグラスが頭上に構えた大剣の軌道から、一歩。一歩のみフラリと動いてその軌道にいない事に気付けなかったのは。

 

 否、ダグラスの攻撃が正真正銘、微塵も油断もない全身全霊の一撃をだったからだ。

 手負いの相手に油断しないあまり、無意識にジークの動きより、自身の出せる最強の一撃を出すことに集中してしまった。

 

 故にジークは視界の端に映るどんな戦いも見逃さなかったのを忘れていた。

 ジークの目は何かを見る時、目で追う必要がないのだ。

 

 ダグラスは自分の敗因の結論に達し、最後の最後で思った。

 

 これぞ戦いよ

 

 ダグラスの首に掛けられた弓を引いたジークの手から弦が放れ、ダグラスの首を打ち払う。

 

 この勝負、ジークの勝ちである。



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35話 撃鉄

 グリードは俺が振りおろした新しい大剣【撃鉄】の一撃を、両手に持った二本の大鉈を重ねて受け止めた。

 俺の新しい武器と、本気の覚悟、その一撃は以前より格段に強くなっているはずだが、グリードは受け止めた瞬間も表情を動かすことなく、奴の想定を上回ることが出来なかった様だ。

 でも……

 

「両手、使ったな」

「はあ?」

 

 こいつはあの時、俺の攻撃を片手で受け止めやがった。

 馬鹿にしやがった。

 それがどうだ。俺の一撃を受け止めるのにこいつは両腕を使った。

 

「なに満足そうな顔してんだっ!」

 

 顔に出てたか。

 撃鉄を受け止める大鉈の圧が増したかと思うと、撃鉄が俺の体ごと弾かれた。

 武器の差は縮まっても膂力の差はまだまだあるらしい。

 俺は押し込まれる力に逆らわず、ステップするように俺は後ろに数歩下がると、グリードは追撃を仕掛けてきた。

 

 俺は撃鉄を立てるようにして構え、柄を引っ張る。するとガチリと撃鉄の柄が伸び、大剣に沿わせるように入ったスリットに沿って、円形の鉄の塊が重力に従って落ちていく。

 スリットの最下部、つまり手元側まで落ち、手に衝撃が来るのと同時に延ばしていた柄を手放すと、柄が元の長さに戻り、鉄の塊が固定される。

 重い鉄の塊が、手元に近いところで固定されたことで重心が手元に近い場所で固定され、撃鉄の小回りが格段に良くなったのがわかる。

 

 後退する数歩の間に、次の攻撃の準備をする俺に対し、あの時のようにグリードがハサミのように大鉈を左右に広げ、俺を真っ二つにしようとしてきた。

 俺は右肩を前にするようにして体を横に向け、撃鉄を逆さにして頭上に持ち上げて刀身で体を隠すようにする。

 そして一歩、グリードの攻撃が命中する瞬間に前進する。

 

「受けたぞ」

 

 俺の体の分厚さよりなお広い撃鉄の刀身は、左右から挟み込んできた大鉈から俺の体を完全に隠しきって受け止めた。

 力で負けているが、黒鋼で出来た撃鉄の刀身を潰して俺の体に到達する程の膂力は流石にない。

 気を付けるとしたら先端がかぎづめ状になっているため、切っ先が撃鉄を回り込んでいるという事だ。

 鉤爪をさけるために後退すればグリードはさらに踏み込んでくるだけ、そのため命中する瞬間、一歩前進して鉤爪が俺の後ろにくるように調整した。

 

「だから?」

 

 グリードは大鉈を引き、俺の背中側にある鉤爪で背中を斬る。という動作をしようとしているのが見えた。

 肩が、支えるための足が、前ではなく後ろへ力を入れるために動いているのだ。

 両脇は大鉈により塞がっている。

 まだ予備動作でどれほどこの攻撃に力を入れてくるかはわからないが、こいつの事だから皮鎧の上から致命傷を与えられる程度の力は込めてくるはず。

 想定内だ。

 俺は体を横に向け、撃鉄を片手で支えたまま、あらかじめ抜いていた剣をグリードへ向けて突き放った。

 

「っぶねぇなあ!」

 

 俺はグリードから撃鉄の刀身で全身を隠すのと同時に、腰に差してあった剣を抜いてあった。

 俺はこの剣を撃鉄の中央に走るスリットの間に通すことで、防御を解除せずに攻撃を可能にした。

 この武器をリタと一緒に考案した時から考えていた戦法の一つだ。

 だから、想定内。

 だが想定外のはずのグリードには体をのけぞらせることで避けられた。

 後退がてら俺の背中を、大鉈の鉤爪で引っ掻いていったが、皮鎧を浅く傷つけるくらいで俺は無傷だ。

 

 でもグリードの重心が後ろに寄った。攻守交代だ。

 俺は剣を手放し、切っ先を地面につけていた撃鉄をグリードの腹目掛けて振りあげるが、グリードは左手の大鉈で受け止めてくる。が、俺は歯を食いしばり、そのまま渾身の力で振り切った。 

 突然出した全力の一撃、目が一瞬カッと明滅し筋肉が熱くなる。

 

 グリードは片手で受けたため、たたらを踏んで更に後退した。

 俺はすぐに剣を引き戻して撃鉄を頭上に持ち上げながら柄を引っ張り、鉄塊のロックを解除、二本の大鉈を掲げて受けようとするグリードに真正面から振り下ろした。

 

「ぐっ!!」

 

 グリードは両手の大鉈を交差させるように掲げ、俺の撃鉄を受け止めた。

 その瞬間グリードがうめき声をあげたのを俺は聞き逃さなかった。

 今度は想定を上回れたようだ。

 

 俺は今、撃鉄の柄を引いてロックを解除した鉄の塊が遠心力により切っ先の方に移動することで威力をあげた。

 ハンマー投げだとか、てこの原理とか、モーメントとかそんな感じの原理だ。

 この現象が俺にはどの原理のことなのか、というかそれって違うのかとかもわからないが、なんせ長くして先端に重いものをつけた方が威力が増すという事だ。

 重さを変化させることで俺が本来使える重さ以上の重さを使いこなすことが出来る。

 俺はこの鉄の塊を【心鉄】と呼んでいる。

 理由はカッコいいからだ。それ以上でもそれ以下でもない。

 

 俺は振り下ろした撃鉄を直ぐに引き戻しながら再び柄を引くと、心鉄のロックが解放される。

 心鉄が手元に移動したため右脇に構えなおすまでの時間は、わずかだが短縮されている。

 俺は絵をそのまま戻すことなく、横なぎに撃鉄を振ると心鉄が先端までスリットを移動する。

 遠心力が増した俺の攻撃にグリードは両手の大鉈を縦にして受け止めると、グリードの足が地面を滑った。

 

 俺は柄を引くと、また心鉄のストッパーを開放すると柄の方に向かって心鉄が落ちて、手元の方でぶつかる。

 ズンと手首に衝撃が発生するが、同時に衝撃を利用するようにして撃鉄を引き戻し、手首を返すようにして逆袈裟斬りを放った。

 

 道具と歯重心を中心に回すようにすると、より少ない力で無理なく動かすことが出来る。

 心鉄を手元側に固定することで取り回しをよくし、二刀流であるグリードの手数に対抗するのが目的だ。

 

「ちっ!」 

(お前の想像の範囲内だろうな)

 

 グリードの右腕が分厚い皮鎧の上からわかるくらい盛り上がる。

 今度はグリードが右手の大鉈のみで俺の攻撃を受け止めてきたのだ。

 何度か俺の攻撃を受けて片手で受けるための力加減がわかったようだ。

 グリードはすかさず残った左手の大鉈で、がら空きとなった俺の右腹を狙い大鉈を振るおうとする。

 

(受ける瞬間まではな)

 

 だが、グリードが撃鉄を受け止めた一瞬あと、ほんの僅かに遅れてガチンと金属がぶつかる音が爆発した。

 グリードが止めていた撃鉄が、そのいけ好かない顔に触れるギリギリまで押し込まれる。

 重たい金属塊である心鉄が剣を振った遠心力でスライドし、先端の方にぶつかった事で衝撃を生んだのだ。

 予想外のタイミングで衝撃が来たことで戸惑ったのだろう。

 まあ、構造は外目にでもわかるのでわかってても初めての感覚に戸惑っただけなのかもしれないが。

 

 俺は再びグリードが左手の大鉈を動かす前に、軸足である左足を踏みしめ、撃鉄を引き戻しながらその腹を蹴り飛ばす。

 足裏に感じたのは確かな重み、グリードは間違いなく避けることなく、俺の蹴りを腹に受けたはずだ。

 

 この世界の男特有の筋力に比して軽すぎる体重のグリードは、俺の蹴りで数メートル吹き飛び、雪面に筋を残しながら着地した。

 その顔は苦痛に歪んでおり、俺の攻撃が通ったことがわかる。

 勝負所だ。

 そう思った全力の蹴りだしをすることで、たった一歩で数メートルの距離を詰め、撃鉄を持ち上げ、柄を引きながら振り下ろした。

 痛みでグリードの動きは鈍くなっているはず。

 

 間合いは両手武器である俺の方が間違いなく長い。

 そのため俺の攻撃が一方的にあたる位置のため、反撃は考えず、最速=最強の一撃を加えることに集中する。

 俺の全身のマナもここが勝負所だとわかってくれ、ここ一番の輝きで俺の筋肉を動かしてくれる。

 

「まあ、大体わかったわ」

 

 俺のグリードの頭を真っ二つにするはずだった撃鉄は、地面に埋まっていた。

 手に雪の下の地面を叩いた衝撃が返ってきて手がしびれる。

 同時に俺の右頬に衝撃が走った。

 ほんの一瞬遅れて腹を電信柱で殴られたかのような衝撃が襲う。

 

「がっ……は……」

 

 なすすべなく俺は雪面を転がり、ギュッと内臓が絞られるような痛みに目を白黒させる。

 それでもなんとか俺はすぐに立ち上がると、グリードが突き出していた足をゆっくりと下すところだった。

 

 グリードは俺の撃鉄の一撃を、重い両手の大鉈を手放し身軽になることで、立ち上がりながら紙一重で避けていた。

 俺のそばで立ち上がったグリードは撃鉄を地面に叩き込んでいる俺の頬を、右フックで殴り飛ばし、さっきの仕返しをするように俺の腹に左足で蹴りを入れてきたのだ。

 

「たく……痛てぇじゃねぇか」

「……嘘つけ」

 

 腹をさするグリードに俺は息も絶え絶えに悪態をつく。

 どうやら俺はこの男に勝てないらしい。

 

 ここまでは俺の変わった機構の武器による攻撃での奇襲であった。

 だからグリードは虚を突かれ、実力が下のはずの俺に対してここまで苦戦し、あまり効いていないようだが一撃をくらわすことができた。

 正攻法で行くのなら、俺は多分もう負けている。

 悔しいが、これまでの打ち合いでそれが分かった。

 グリードが言った「わかった」とは、撃鉄による攻撃を見切ったという事だろう。

 この勘のいい男には、もうこの武器を使った奇襲は通用しない。

 だからこの勝負、俺の負けだ。

 

「ミナト、合わせるぞ」

「ああ」

 

 俺だけでは勝てない。

 撃鉄だけでは勝てない。

 

 だからここからは

 

「第三ラウンドだ」

 

 二対一だ。

 いいよな?

 あの時いいって言ったもんな。

 

 俺はタロウと並んでグリードに向き合った。



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36話 覚えたぞ

「第三ラウンドだ」

 

 駆け付けたタロウとの言葉は不要だった。

 

 ちらりと横に立つタロウを盗み見ると、どういうわけか血は止まっているようでしっかりと二本足で立っている。

 戦えるのなら今はそれで充分。

 今は共闘するのみ。

 

 俺とタロウはゆっくりと動き出す。

 

 一歩、一歩、グリードを中心として、左右に円を描くように別れる。

 

 グリードは俺たちの動きを視線で追うだけで、両手に持った大鉈の切っ先は雪に刺さったままだ。

 

 暗い雪の夜、パチパチと聞こえる篝火の音と、ギュッと足で潰される雪の音。

 

 雑音のように混じる俺たちの息遣いは粗い。

 

 タロウはあとどれくらい動けるんだろうか。

 

 グリードはあちこちに浅い切り傷ができているが、戦意の衰えは見えない。

 

 そして俺の体力はこれまでの戦いにより限界に近い。

 

 正直に言うと、手に持った大剣、撃鉄はあまりにも重く、今にも捨ててしまいたいほどには腕に疲労がたまっている。

 

 これがグリードと撃ち合う資格を得るための重さだとすれば、振るうたびに体が悲鳴を上げている俺はグリードを相手するには軽すぎるのだろう。

 

「ふぅ……」

 

 息が整った。と同時に俺とタロウはグリードを挟んだ対角線上で足を止める。

 

 タロウとの挟み撃ちだ。

 

 整えたはずの呼吸が、ドクンッドクンッと跳ね上がる鼓動にあわせて深くなっていく。

 

 タロウと合わせる。

 

 そのタイミングは今か?

 

 違う。

 

 ほんの数cmだけ足を進める。

 

 此処か?

 

 まだだ。

 

 タロウがほんの少しだけグリードの背中側へ足をずらす。

 

 次か!

 

 俺とタロウの動きに反応することのないグリードが視線を合わせてきた

 

 駄目だ。攻撃を仕掛けるタイミングがわからない。

 

 タロウと同時に仕掛ける必要がある。

 

 息を吸い込み、止める。

 

 聞こえやしないが、タロウも息を止めた。

 

 ここだ。

 

 俺の踏み込みを支えるには弱すぎる雪が爆ぜた。

 

 蹴り足から得た推進力に比例して、慣性の法則通りその場に残ろうとする撃鉄が俺の腕を引っ張ってくる。

 

 まるで駄々っ子してその場に残ろうとする子供のようだが、俺はそれを許さない。

 

 俺を置いてその場に残ろうとした撃鉄だが、時と共に俺と共に動き出し、やがて追い抜き、我先にと敵へ向かう。

 

 俺が選んだ攻撃はグリードの腹を真っ二つにするための横なぎだ。

 

 死ね。死ね。片手で受けようと思うなよ。

 

 そうすればそのまま真っ二つにしてやる。

 

 それだけの一撃。

 

「っ?!」

 

 グリードが俺に背を向けた。

 

 俺を完全に無視し、タロウに向かって両腕の大鉈を振り上げている。

 

 それは俺と同じく、一撃必殺しか考えていない、全力の一撃だった。

 

 俺とタロウは同時に動いた。それと同じく、同時、まったくの同時に、グリードもタロウへと向かったんだ。

 非力なタロウが受け止めればそのまま真っ二つにして前へ、受け流せばそのまま体当たりなり、なんなりして押しのけてやはり前へ。

 そうすることで俺の一撃の間合いの外へ逃げる気だったんだろう。

 

 タロウは非力。

 それは純然たる事実、のはず――――――

 

「ぐぅっがああ!ミナト!!」

「はあ?!」

 

 タロウを押し込もうとしたグリードの背中は、変わらず俺の間合いから離れていない。

 タロウは雪に足を埋もれさせながら、膝をつきながら、受け流すこともなく、受け切った。

 あのタロウがだ。

 

 どうやったんだろう。

 男としては非力なタロウが、俺より遥かに強いグリードの攻撃を正面から受け止められるはずがない。が、今はどうでもいい。

 好機。

 

「ああ!!」

 

 迫る俺に対して、グリードが何かしようと肩が膨らませた。だが、タロウがそれをさせない。

 

「俺を忘れるなああ!!」

「ちっ!!」

 

 グリードの大鉈の力がそれ掛けた瞬間、タロウは剣を押し上げ、あわよくばグリードの首を狙おうとした。

 その圧力に一瞬グリードの動きが止まる。

 そして、初めて俺の撃鉄がグリードの背中を真横から叩いて吹き飛ばした。

 

「硬い……」

 

 グリードが雪面を何度も跳ねる。

 重たい鉄の塊は人に使えば一撃必殺だ。

 人より遥かに大きい獣を狩るための武器。

 

 にもかかわらず、グリードの背骨は未だ繋がっている。

 三度雪面をはねた瞬間、グリードは猫のように空中で態勢を立て直し、雪面に足の筋を残しながら立ち上がった。

 

「……ってぇなぁ……」

 

 悪態をついたグリードは気怠そうにしているが健在。

 撃鉄に感じた感触は明らかに硬い何かにぶつかっており、毛皮を割いた感覚ではない。

 

「どんな鎧だよ……」

「……」

 

 グリードの鎧の防御力が俺の攻撃力を上回っていたという事。

 一見、毛皮で出来た鎧だが、その下には金属も仕込まれているのだろうか。やたらと硬かった。

 また、どんな獣の毛皮を使っているのかわからないが、その毛皮自体も切断できていない。

 

 戦っている間、金属が擦れる音が聞こえなかったためわからなかったが、正面がアニカに斬られているという事は背中側だけ補強してあるという事か?

 背中のみ手厚く守る意味が分からない。

 

 グリードが深くため息をついた。

 グリードが夜空へ見上げ、大鉈をだらりと下げたまま口を開く。

 

「戦いの音が聞こえねぇ。親父はどうなった?」

「そうだ!ミナト!あっちはどうした!」

 

 相変わらずタロウはうるさい。

 肩で息をしているし、ふらふらしているし、衣服についた血の量的に元気なはずがないのだが……

 

「お前がいるってことは……親父が…負けた…のか…」

「そうだ」

「てことは……アッシュもだな」

「……」

 

 アッシュていうのが誰かはわからないが、多分戦っていた女達の一人なのだろう。

 わざわざ名前を出してきたっていうことは恋人だったんだろうか?

 意味が分からない。

 こんなことをしてきたくせに。

 

「やっぱお前嫌いだわ」

 

 俺は撃鉄を大きく振り上げ接近する。

 

 グリードが俺のがら空きとなった腹に向けて右手の大鉈で薙ごうとする。

 俺の大剣がグリードの脳天をカチ割るより先に、大鉈が俺を真っ二つにする方が早い。

 攻撃を中断し、重い武器を捨てて回避に専念するか、明らかに俺より速い攻撃に構わず振り切るかという究極の二択。

 タロウがいる今、俺は当然後者を選んだ。

 

「ふんっっぐ!!」

 

 そこにタロウが大鉈に対して剣ごと体当たりするように割り込んでくる。

 

 グリードの右腕の大鉈はタロウにより受け止められ、残る左手の大鉈を頭上に掲げる。

 すると大鉈と俺の撃鉄がぶつかった。

 

 武器同士のぶつかり合いに骨まで重く響く衝撃が手に伝わってくる。そのせいで一瞬視界が途切れた気がするが、俺の意識はまだあるため斬られたわけではない。

 が、俺の足が地面を掴んでいる感覚が消えた。

 

(マジかよ……)

 

 俺の体は、振り下ろした撃鉄ごと迎え撃ってきた大鉈により持ち上げられ、宙に浮きあがってしまったようだ。 

 やはり真正面からの力比べでは分が悪い。

 だが俺が驚いたのは勿論俺の攻撃が弾かれたことにもあるのだが、それよりタロウだ。

 

 速い。

 

 タロウの脚力、剣速、明らかに昨日より速い。

 技術云々ではない。

 明らかにタロウの筋力が増している。

 

 故にタロウにグリードの攻撃に対する防御を任せたわけだが、俺の思っている以上に力強い。

 

 タロウは剣を手放しながら一瞬後退し、グリードの大鉈から力を抜いて振りぬかせるが、すぐに新たな剣は引き抜いてグリードの腹に向けて斬撃を見舞う。

 グリードの左腕は俺を打ち上げたため頭上に、右手は大鉈を振った勢いのまま雪面に刺さる。

 両手が違う方向に動いているグリードは大きな隙を見せている。

 

 そこをタロウが狙う。

 

 だがグリードは横なぎを繰り出していた右手の大鉈の力をそのままに、回るように飛んで剣を下から蹴り上げた。

 

 タロウの剣はグリードの体の上に反らされてしまったが、タロウはその剣を手放して既に次の剣を地面から引き抜いている。

 足を上げたグリードに、タロウがその足を斬り落とそうと地面から雪煙を上げながら振り上げる。

 

 そして俺はやっと地面に足が着いた。

 

 すぐに撃鉄と共にグリードへと向かう。

 

 やれる。

 

 タロウと俺なら。

 

 あまりの攻撃の当たらなさに、心のどこかでグリードに本当に勝てるのか?という疑念を持ってしまっていた。

 だが、グリードはアニカにより傷つき、鎧に防がれたとはいえ攻撃が当たった。

 アニカが傷つけているという事は、俺の攻撃を防いだ毛皮の下の金属は全身を覆っているわけではないということ。

 

 非力なだけで、俺より遥かに剣の技量があるタロウが、どういうわけか足りない筋力をこの短時間で身に着けてきた。

 

 今の俺とタロウならグリードに勝てる。

 

 そう思い、俺はタロウの横をすり抜け、グリードに斬りかかろうとしたのだが、グリードはまた俺に背をむけていた。

 

「逃げるのか卑怯者!!」  

 

 タロウが横で叫んでいる。

 意味が分からなかった。

 

 お前たちが襲ってきたんだろう?

 

 戦いが好きなんだろう?

 

 アッシュとかいう女の仇じゃないのか?

 

 混乱する俺をよそにグリードは森へ向けて走る。

 

 グリードは逃げたのだ。

 

 

 

 

 

 敗走するグリードは森へ向けて走る。

 その疾走はまさに獣のごとく。

 いつの間に現れていた狩猟衆達に背後から矢が飛んでくるが、まるで見えているかのように恐ろしいほど精確なタイミングで向きを変えて避け続ける。

 

 

 このまま森へ入れば、グリードの身体能力を考えればミナト達が追いつくのは不可能だろう。

 身体能力で劣る女達が走ったところで追いつくはずもないため、矢を射るだけで女たちが追うことはない。

 

 矢を避け続ければグリードは森へと逃げ込むことができる。

 あとは一人だけ先回りしていたのか、一人迎え撃つように森の前に立つ女だけなんとかすればグリードの逃走は完了するだろう。

 

 グリードは森の前で立つ女に対して、注意を払うことなく片付けようとした。

 いつも通り少し力を込めて叩いてやれば女は壊れる。

 

 先ほどやりあったアニカのような女などほんの一握りの存在で、目の前の女がそういう類の女だとグリードは認識していなかった。

 故に、無感動にグリードは女に向けて右手に持った大鉈を振り回した。

 

 避ければそのまま逃げる。

 受ければ殺して走り抜ける。

 

 それだけのことだとグリードは考えていた。

 だが現実は違った。

 大鉈は空を切り、グリードの腹から血が噴き出す。

 行われた攻防は極単純、グリードの右手に持った大鉈を上から下へ向かって振り下ろされるのを、鋭く、自然に、避けて斬りつけただけ。

 

「覚えたぞ」

「願い下げ」

 

 グリードはその女の顔を覚えた。

 同時に思い出した。グリードがこの村で飲んでいる時に現れた同年代の男と一緒にいた女の一人だということを。

 確かセツと呼ばれていたということも。

 彼は脳裏に刻み込んだ。



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37話 もう一人

 戦いが終わった。

 

「痛ってぇ……」

 

 歩くたびに全身が強烈な筋肉痛に襲われる。

 サンの村で新しい武器をつくることになってから、重い武器を振り回す鍛錬を積んではいたにも拘らずこの痛みは理不尽だ。

 やはりどれだけ本気でやろうと、練習は練習で、生きるか死ぬかをかけた全力は自分への負荷が高いみたいだ。

 

 「さむっ……」

 

 体の酷使で火照る体を、冬の外気で冷ますために村の中を一人歩く。

 俺は戦いの後、気を失うように眠ってしまったのだが、その間にもう一日だけ休んでからサンの村に戻ることが決まったらしい。

 

 俺は集められた死体の顔を覗き込む。

 真冬だからだろうか。血の匂いはするが腐敗臭はしない。

 それとも一日程度では人が腐らないのだろうか。

 どちらにしろあまりいい臭いではない。

 

 俺がここに来たのは人を手にかけたという実感を得るためだ。

 

 眠って起きれば昨晩の戦いが、まるで夢だったかのように感じたのだ。

 たしかに全身を襲う痛みは本物で、俺が人を斬った時の手の感触もはっきり覚えている。

 それなのにいまだに夢だったかもしれないと思ってしまうのはなんでだろう。

 

 一人一人遺体の顔を見て回る。

 

 彼女の顔は覚えている。

 この真っ二つになった女性の顔も覚えている。

 覚えている。

 

 やはり俺は人を、それも女性を殺したようだ。

 一晩に何人も。

 

 その事実を自分に刻み込む。

 

 罪悪感はある。

 

 でも後悔はない。

 

 だから、これでいい。 

 

 これは日本人として生まれた俺のけじめだ。人を手にかけることはあっても、戦いに狂ってしまわない様に。

 

「あれ?」

 

 そこで俺は気付いた。

 俺が一番最初に戦ったあの少女の姿が見当たらないのだ。

 

 防壁の外で戦ったからそのままにされている可能性もあるので、防壁の穴まで移動して俺が戦っていた辺りを見て見るがなにもない。

 

 見逃しがあったのかもしれないと、もう一度村の中に戻って何度か確認しなおす。

 だが俺が探す最初に斬ったはずのあの少女、その遺体は見つからなかった。

 

「もしかして生きてるのか?」

 

 今思えば顔を斬りつけたとはいえ、浅かったかもしれない。

 少なくとも骨は砕けるくらい深く入ったようにも思うが、人を殺したことなんてないため、どれくらいの傷の深さで人が死ぬかなんて俺にはわからない。

 もしかしたら気を失っていただけなのか。

 

「まあそれならそれでいいか」

 

 別に人を殺したいわけではない。

 村を守りたかっただけだ。

 

 もしかしたら恨みを買ったかもしれないが、人を殺すという事はそう言う事だ。

 覚悟の上である。

 

 そのことは一旦忘れ、死体の横に戻ってきたことで、また昨日の戦いについて複雑な感情が出てくる。

 

「本当に勝ったのかな……」

 

 並べられている遺体は殆どが盗賊だ。

 だが、当然こちらの被害がゼロというわけではなく、共に戦った狩猟衆の遺体もある。

 彼女達の顔はよく覚えている。

 サンの村に来てから結構な日数が立っているし、行商に出てからもセツ達のような身内意外とも会話はあった。

 少なくとも、この村の守る全員と世間話程度はしたことがある。

 

 涙は出ないが、胸が張り裂けそうになる。その程度の関係だ。

 

 今回、不利な戦いで盗賊たちに比べて圧倒的に死者の数が少なくすんだ。

 だからこの戦いは勝利のはずだ。

 そしてこの結果はジークの力によるものだ。

 

「しんどいなー」

 

 ジークはまさに一騎当千で、たった一人で戦況を塗り替えてしまった。

 もし彼がいなければ、ダグラスにより防壁が破壊された時点で俺たちは詰んでいた。

 なんならダグラス一人に俺達は皆殺しにあっていたかもしれない。

 剣を交えなくてもわかるほどに、あの男は化け物だった。

 

 そんな化け物を倒したジークには英雄という言葉がしっくりくる。

 

「あれが男かー」

 

 だから想う。

 もしもう一人、ここにいる男が戦士であり……英雄であれば、と。

 

 英雄が一人、一人いれば戦いに勝てる。

 ならば二人ならばどうだったんだろうか。

 

 彼女達は死なずに済んだんじゃないのか?

 

「俺が英雄……か」

「英雄?」

「うおあおぉ!?」

 

 突然現れた声に俺の体が文字通り飛び上がった。

 大地の加護を宿した俺の体は、びっくりしただけでNBA選手も真っ青な垂直飛びを可能にするようだ。

 

「リタさん……驚かさないでくださいよ」

「こっちのセリフだよ……」

 

 声をかけてきたのはリタだった。

 あまりの俺の驚き様にリタも驚いたらしく、目を真ん丸にしている。

 

 

「なにやってんだい?」

「いや……散歩ですかね?」

「あっそう」

「……」

「……」

 

 会話が終わってしまった。

 リタは世間話をするつもりはないのか、緊張した面持ちだ。

 

 なぜだろう。例のお誘い逃亡事件直後のような謎の緊張感がある。

 あの時は暫く口もきいてくれなかったが、撃鉄を作る時はどんな武器にするか様々な議論をし、今ではかなり打ち解けたように思う。

 少なくとも日常会話くらいはする程度にはなっているはずだ。

 死が身近なこの世界とはいえ、リタは鍛冶士、戦いで損傷した死体を見て思うところがあるのかもしれない。

 

「リタさんはなにしてるんだんですか?」

「……」

 

 リタは数秒の沈黙で答えたあと、息を大きく吸い込み、口を開いた。

 

「なあ」

 

 リタの一言目、口調は重い。

 

「アタイの剣はどうだった?」

 

 求められたのはリタの剣の感想だった。

 俺達が負ければ自分も殺されるかもしれない。そんな戦場で鍛えてくれた剣は、俺に生きるための力を与えてくれた。

 その感想は当然。

 

「最高でした!」

「そりゃよかった!」

 

 リタはくしゃっと歯を大きく見せるように笑った。

 野性的で、無邪気な、そんな笑顔はとても彼女らしい笑顔だと思った。

 

「あっ! あのさ!」

 

 続ける声はどんどん大きな声になっていく。

 

「アタシの鍛冶の腕! 役に立つだろ?!」

「勿論ですよ!」

 

 こんな鍛冶のための施設がなにもない小さな村で撃鉄を作り出すことができたのは、彼女が火の魔法に愛されているのは勿論のこと、冶金技術の高さゆえだ。

 

 撃鉄の特徴であるスリットを移動する重りの機構だけはもう完成しており、あとは刃をつけるだけという状態だった。

 俺はその刃のない状態の撃鉄を使って練習していたため、この本番である程度使いこなすことが出来たというわけだ。

 

 そんな、あとは刃だけとはいえ大きな刀身を形作るには、原材料も足りず、行商で回る予定の村に卸す予定の武器を鋳潰して撃鉄は作られた。

 本来、一度鍛えて鋼にした金属を溶かして再利用しようとしても、炭素の量が足りず、まともな鋼にはならない。

 それを炭や火の入れ方は勿論、鎧山羊の血をどれだけ混ぜ、仕上げに俺のマナを吸わせたときにどうなるか計算した上で撃ち合えるだけの鋼に仕上げてくれた。

 

 そんな彼女の鍛冶の腕を今更疑う事などあるわけがなかった。

 

「アタイを! おっおっおお……」

「お?」

 

「お嫁に!」

「え?!」

 

「貰ってくれても!!」

「ちょ!」

 

「……くれたら……」

「……」

 

「嬉しいん……だけど……」

「……」

 

 死体の真横で行われた逆プロポーズ。

 相変わらずリタの距離の詰め方はバグっているようだ。



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38話 クズ

 俺の両親は離婚している。

 原因は母さんの浮気だ。

 

 表向きは仲睦まじい両親だった。

 それが勘違いだったと気づいたのは俺がちょっとした反抗期を迎えた中学二年の時、何となく学校に行きたくなくて通学路を引き返して家に帰っくると、リビングの扉越しに母さんの話声が聞こえてきた。

 

『あいつは金だけ家に入れとけばいいんだって~』

 

 それは父さんに対する母さんの認識だった。

 最初は耳を疑がったが、それから始まったのは父さんに対する罵詈雑言だ。

 

『私の事愛してる~だって! キモ!』

 

 父さんは気が弱くて少し頼りないが、母さんの言うような屑野郎では決してない。

 まじめに働いてるし、休みの日は出来るだけ家事を手伝ったり、どこかに一緒に出掛けてくれようとする。

 反抗期で父さんと俺は喧嘩しがちだったが、母さんが父さんの悪口を一言を言うたびに俺の心がそれは違うと叫んだ。

 

『家の事なんもしてくれないし』

 

 違う。

 俺の弁当を自分の分と合わせて毎日作ってくれているのは父さんだ。

 夕飯の片づけは進んでやってくれるし、風呂掃除は仕事から帰ってきた父さんの役目だ。

 

『意思がないっていうか情けないっていうかなんて言うか……男らしくないんだよね~』

 

 違う。

 情けないんじゃない。優しいんだ。

 父さんは自分は仕事でくたくたなくせに、俺達家族のことを優先してくれているだけだ。

 

 それに情けなくなんかない。

 俺が小さい頃、急に後ろから野良犬に押し倒されたことがある。

 

 すぐに父さんは野良犬を蹴飛ばしたが、それだけでは逃げてはくれず、父さんの腕に噛み付いてきた。

 父さんは腕を血まみれにしながらも何とか野良犬を撃退、その時、痛いだろうに俺を安心させるように『怪我無いか?』と声をかけてくれた。

 父さんの腕には今でもその時の傷跡がはっきりと残っている。

 

 

 そんな知りたくなかった母さんの本音を聞いてしまった俺は、色んな思いが湧いてきて涙で顔をぐちゃぐちゃにして廊下に立ち尽くしかなかった。

 俺が動き出したのは母さんが電話を終えてリビングから廊下に出てきてからだ。

 両親が離婚したのはその半年後である。

 

 

 

 俺がそんな体験をしたからなんだろうか。

 セリアやシオを始めとする女達にアピールされて踏ん切りがつかないのは。

 

 俺も男だからこの世界に来たときはモテモテになってハーレムを作ってやると息巻いた。

 だが、いざ女たちと関わりを持つとどうだ。湧いてきたのは裏切るんじゃないかという猜疑心。

 

 つまるところ俺は女が怖いらしい。

 

 だからリタに告白された俺は咄嗟に逃げに走ったんだろう。

 

「ごめん! 俺はセツが好きだ!」

「お……おう……そうか……」

「だから……俺の本妻はセツに決めてるから……今はごめん!」

 

 異邦人である俺が、どこまで彼らの結婚観を理解できているかはわからない。

 

 一人前の男はハーレムを築くのはこの世界では当たり前だ。

 男の少ないこの世界は、少しでも子供を増やすために日本のように浮気=悪というより、浮気と言う概念がない。

 だからといって女の嫉妬や独占欲がないわけではない。

 

 この世界の男にとってもやはり最初の妻は特別だからだ。

 初めての妻は男から最も大事にされ、全てにおいて優先される。

 逆に男が怪我や病気によりハーレムを維持する力を失った時、他の女達は離婚することを許されているが、本妻は最後まで添い遂げなければならない。

 つまり本妻は結婚した男がクズだろうが、動けなくなろうが、別れられないし、最後まで介護してでも見届ける義務がある。

 一見、本妻になることのメリットに対してデメリットが大きいように見えるが、だからこそ女は憧れるらしい。

 

 何人の女を囲おうが男の本当の愛は最初の妻である私だけの物。そこに女はグッとくるとのこと。

 

 つまり何かにつけて逞しいこの世界の女も、女の子だということだ。

 

 だから俺は最初の妻をセツにしたい。

 彼女の心を独占したい。

 たとえ俺が動けなくなっても、俺の心が他の女に移ることがあっても、最後はセツの元で眠りたい。

 

 俺はそう思っている事にした。

 

 ただ女が怖いだけのくせに。



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二章エピローグ

 一週間後。

 

 紆余曲折あったが、俺達はなんとかサンの村に帰ってきた。

 ジークはかなりの大怪我を負っていて、歩くこともままならない状態だったが、セリアの回復魔法で何とか移動できるまで回復した。その時ジークはセリアに治療してもらいながらボヤいていた。

 

『あ~死ぬほど痛い……本当死ぬかと思った……もう戦いたくない……』

 

 ジークがそう話す口調は相変わらず呑気で、危機感を周囲に感じさせなかったが、傷の様子からして途轍もない激痛に苛まれていたのは本当のはずだ。

 情けないことを言っているにも拘らず、不思議と彼が頼りになるという印象を周りに与えるのは、本当に凄いと思う。

 

 こういう周りを安心させる頼りがいと言うか、カリスマ性を俺も持ちたいものである。

 

 セリアの回復魔法はゲームのように一瞬で傷を治すようなものではなく、治癒力を高めてゆっくりと傷を塞ぐものだ。

 ゆっくりといってもジッと見ていれば、肉が盛り上がって傷が塞がるのがわかるくらい速い。

 

 そういえば猩々に折られた俺の歯も、拾い集めて元の位置に戻した状態で回復魔法をかけて貰った所なんと元通りに。

 むしろきれいに並べて治療したせいか、歯並びが良くなった。

 

 一分一秒を争う戦闘中には使うことが出来ないが、後方支援としてや戦いが終わった後にはもはや欠かせない魔法といえるだろう。

 

 通常、魔法は一人につき一種類のはずだが、セリアは炸裂魔法と回復魔法の二種類使えるという特異体質だ。もし彼女の使う魔法の原理を解明して地球でも再現することが出来れば、歴史に名を刻むことになるのは間違いなしだ。

 残念ながら俺には光ってるだけにしか見えないし、セリア自身も何となくでやれてしまっているため、この魔法の原理は一生謎のままかもしれない。

 

 

 そして今、俺はサンの村の中にある広場のベンチに座っていた。

 

「ほぅ……」

 

 空が青い。

 所々に浮かぶ雲が空の奥行きを強調させ、この空がどこまでも高いという事を教えてくれる。

 冬のため、あまり肌で感じる事のない太陽の光も、こうして見て見るとしっかり俺達の事を照らしてくれていたらしい。

 

「何ぼうっとしてるんだ?」

「ん? ああちょっと……」

 

 いつの間にか傍まで来ていたタロウが話しかけてきた。

 何をするでもない。

 ただボケっと気を抜いていただけだ。

 

 いや、何も考えないようにしていたと言った方が正しいかもしれない。

 

「将来について考えるのに疲れてきたから休憩中……」

「はあ?」

 

 俺はリタに逆プロポーズをされてからの一週間をモヤモヤしながら過ごしていた。

 勿体ない。

 なんで断ってしまった?

 そもそも俺は本当にセツが好きなのか?

 いや、断った内に入らないのか?

 寝ても覚めてもそんな考えがぐるぐると頭の中を回ってしまい、なんとかリタの事を忘れようと無心になろうとしていたというわけだ。

 

 残念ながらそれにも限界を感じていたのだが、このタイミングで話しかけてきてくれたのが数少ない同性であるタロウなのはナイスタイミングなのかもしれない。

 俺は椅子から立ち上がると、怪訝な顔を浮かべるタロウに向き直った。

 

「まあ……俺の事は置いといて」

 

 改めてタロウを見て見ると、戦いを終えてタロウの体がひとまわり大きくなったように見える。

 

 雰囲気や勘違いとかの問題ではない。

 明らかに筋肉が大きくなっている。

 

 出血が止まったことといい、どうやってこうなったのか非常に興味がある。

 

「タロウはどうやって傷をふさいだんだ?」

「師匠が傷を塞いでくれたみたいだ」

 

 アニカが治してくれたのはわかる。俺はその方法が知りたいんだ。

 文脈で具体的な方法を聞いているということが分かりそうなものだが、俺の言い方が悪かったのだろうか。

 そう思った俺はもう一度問い直す。

 

「どうやって?」

「……知らん」

「知らんって」

「聞くな」

「え? ああ……おお……」

 

 タロウがあらぬ方を向いて俺と目を反らした。

 どんな表情をしているのか伺い知ることは出来ないが、耳が赤くなっているように見える。

 

 様子のおかしい。

 俺の言葉の意味が理解できていないのではなく、何かをはぐらかしているのは明らかだ。

 門外不出の秘伝の技術で話すことが出来ないというのなら仕方がないが、そういうのとは違う理由に見える。

 なぜなら……

 

「タロウなんか照れてる?」

「うるさい」

 

 明らかに照れているからだ。

 後学のためにも傷を塞いだ方法が気になるが、それ以上になぜ照れているのかの方が気になってきた。

 アニカが回復魔法を使えるというのなら話はそれまでの話だし、非常に怪しい。

 

「…………」

 

 俺は無言を貫くタロウをじっと見つめる。

 食らえ俺の目力を。

 ちなみに俺はどちらかというと童顔なほうなせいなのか、友人には怒っても怖くないと言われていたので効果はない。

 

「……………………」

「……………………」

 

 無言の時間が続く。

 俺の目力に圧力はないが、聞きたいという意思は伝えられる。

 そんな俺の様子にタロウは諦めたのか、タメ息を吐くとポツリと呟いた。

 

「村を出ることになった」

「え? なんかしたのか?!」

「ああ……まあそうだな……うむ……そんな感じだ」

「どういうことだよ」

「師匠が村を出ることになってな。俺もついていく」

「アニカさんが?」

「師匠……がな……俺の妻になった……」

「はあ?!」

 

 タロウとその師匠であるアニカが結婚するなんて寝耳に水だ。

 出会ったときのタロウは結婚相手に困っていたし、俺達がこの村に来てから二人の仲は急接近したのだろうか。

 とんでもない好奇心が俺の中で育っていく。

 

「いつから?! どこに行くんだ?!」

「南の方とだけ聞いている。師匠の故郷があるらしいが詳しいことは何も」

 

 アニカの肌の色は、白い肌の多いこのあたりの人間とは違い、浅黒く焼けている。

 俺は見たことのない髪の色をした人がいる異世界だから、肌が黒い人も生まれるのかとアニカの肌の色について深く考えていなかったのだが、当たり前といえば当たり前の話だ。

 この世界にも地域による気候の差があり、アニカは南国出身だという事で肌の色は説明がつく。

 

「まあそれはいい」

「え? いやいやよくないって!」

 

 あまりの急展開に俺はタロウを問いただそうとするが、タロウが剣を抜いて俺の喉元に突き付けてきた。

 話は終わりだというタロウの意志に俺は黙らざる得なくなる。

 

「これが最後だ。 立て」

「……わかった」

 

 さっきまでの馬鹿な空気はどこへやら、俺は立ち上がって腰の剣を抜く。

 俺の新しい武器である撃鉄は突貫工事で作り上げたため、最終仕上げをするためにリタに預けている。

 そのため使うのは予備として携帯している普通の剣だ。

 

 俺は剣を上段に、タロウは正面に構える。

 

「俺達の関係はこれだけでいい」

「だな」

 

 俺は今日、この村を出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タロウとの戦いを終えた俺は、リタとガリアの鍛冶場に立ち寄った。

 逆プロポーズ事件のこともあってリタとは非常に顔を合わせ辛いのだが、今日サンの村を離れるため寄らないわけにはいかなかった。

 

「おう! ミナト! 出来てるよ!」

「あ……ありがとうございます」

 

 気まずい俺の心情とは逆に、出迎えてくれたリタはニコニコと機嫌がよさそうだ。

 リタのこの笑顔は見せかけで内心怒り狂っているとか、気が狂ったというわけではない。

 というのも俺はあの時、リタとある約束をしたためだ。

 その約束をリタとしてからというもの、俺は罪悪感で一杯で、リタは幸せ一杯な様子だった。

 

 そんなウキウキのリタが、予めカウンターの上に置いてあった撃鉄を叩いて俺の方へ寄せてきた。

 

 俺は最終仕上げを終えた撃鉄をカウンターの上から持ち上げる。

 片手では支え続けるのが難しい程の重量の大剣のため、持ち上がると木でできたカウンターが軋みを上げた。

 

 元々、撃鉄はグリード達との戦いが始まる前から、鉄の塊を移動させて重心を変える機構部分、つまりロックを解除する柄と錘が移動する刀身の部分をお試しで作っていた。

 あの戦いの最中、リタが行ったのはその未完成品の撃鉄に黒鋼の刃を取り付ける事だった。

 

 戦士の武器に使われる黒鋼は、刃を通さない硬質化した鎧のような毛と、下手な鎧なら貫いてしまう程の角を持った獣である鎧山羊の血を鉄に混ぜて作られる。

 黒鋼を精錬するにはただ血を混ぜればいいというわけではなく、適切な温度、冷やすタイミング、鉄と炭と血の分量、そして男の持つマナを喰わせるタイミング等、非常に複雑だ。

 そのため、剣の重心の位置を変えることが出来るという複雑な機構が設けられた中心部分は、クソ堅くて精錬に手間のかかる黒鋼と比べて加工のしやすい鉄製となっている。

 

 俺がリタに対して発案したは良いが、これが本当に戦いにおいて有効かどうかわからないし、この武器特有の重心が移動する感覚にあらかじめ慣れておくためにも、試作と素振り用の意味を込めて撃鉄の中心部分を鉄で作ってもらっていた。

 俺はその試作品を護衛任務の間も素振りするつもりで持って行っていたため、あの戦場で突貫工事とはいえ武器として仕上げることが出来たのだ。

 

 

「っしょっと」

 

 俺は撃鉄を正眼に構え、柄を引く。

 

 甲高く重い金属音が鍛冶場を揺らす。

 解放された錘が刀身のスリットを移動し手元に落ちてぶつかった音だ。

 錘のロックを解除する機構の精度が上がったのか恐ろしくスムーズだ。

 さらに戦いの時は剥き出しだった金属の持ち手に皮が巻かれていて手の平に吸い付くように感じる。

 

「気に入ったか?」

「はい……とても」

「そりゃよかった」

 

 俺とリタがあーでもないこーでもないと話し合って考えたこの武器は役に立った。

 この武器がなければ俺はグリードどころか、盗賊の女達に殺されていただろう。

 とてもいい武器だ。

 

 だがなぜか俺はこの武器にどこかしっくりこない感覚を覚えていた。

 俺は自分でも上手く言語化できないその感覚を、作ってもらったリタの手前言うことが出来なかった。

 

 リタとの世間話もそこそこに、俺は鍛冶場の奥で作業するガリアの元に向かった。

 

「お世話になりました」

「……」

 

 俺は鍛冶仕事をするガリアに対して深々と頭を下げる。

 この世界でお辞儀は作法として通用するかは正直分からない。

 それでも俺の感謝の気持ちは本物で、その気持ちを表すためにも俺の知っている精いっぱいの方法を実行しようと思った。

 

「何もできない俺に仕事をさせてくれて本当に感謝しています」

「……」

 

 何も言わず赤くなった鉄を叩き続けるガリア。

 鉄を叩く音が少し高い。

 

「……ではお元気で」

 

 沈黙を続けるガリアの邪魔をしてはいけない。

 そう思い俺は出口の方へ向き直った。

 

「ミナト」

 

 俺は振り返った。

 ガリアが手を止めて俺の方を向いている。

 

「またいつでも来い」

 

 ガリアはひげ面をクシャっとさせて笑っていた。

 勿論彼の笑う所を見たことがないわけではないのだが、こんな茶目っ気のある笑顔は初めてだ。

 リタの件でまたギクシャクさせてしまったと心を痛めていたが、それも一気に吹き飛んだ。

 

「はい!」

 

 俺は嬉しくなり、返事につい力が入ってしまう。

 来るときとは打って変わって、足取り軽く出口を出ようとした俺の手が急に掴まれた。

 

「うおっと!」

「待ってるからな……」

 

 すると耳元でぼそりと囁く声がした。

 甘く怪しい声に背筋がゾクゾクとこそばゆくなる。

 

 俺は慌てながら耳を抑えて振り返ると、リタがニヤニヤとして立っていた。

 

「忘れんなよ♡」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 撃鉄を受け取り、滞在中お世話になった村の人々に挨拶を終えた俺は、村の出口でセツ達と合流した。

 来た時は腰くらいまで積もっていた雪が、今では脛が埋まるくらいまで薄くなっている。

 一面銀世界というのは変わりないが、雪が薄くなったため木が高く見えて違う場所のように見える。

 

 この村に来て何か月だろう?

 最初は一日が凄く長く感じたが、帰ることになった今は凄く短かったような気がする。

 

「楽しかったな……」

 

 ふとそんな言葉が口から漏れた。

 

 そういえばいつの間にかタロウとため口で話せるようになっていたことに気付いた。

 この世界に来てからというもの、周りは大人や女ばかりなだし、子供でも働くのが当たり前の世界のためか同年代の女の子が凄く大人びて見える。

 そのため、俺は自然と周りと壁を作り、普段から敬語で話す癖がついていた。

 

 だから自然とため口で話せるタロウは、この世界で初めてできた友達。

 

「恥ず!」

 

 その形は戦友とも悪友ともいえる。

 

 タロウとの出会いはとんでもないものだった。

 

 タロウの婚約者を俺が不本意ながら奪ってしまって決闘を申し込まれる。

 その時俺は別の女の子から迫られていたというとんでもない状況。

 我ながら寝込みを襲われても文句は言えない出会いだったと思う。

 

 そこから俺は鍛冶屋の手伝いをしながら一緒に修業を始め、実戦を経験する。

 修業はつらいし、アルバイトもしたことない俺が、コンプライアンスも何もないガリアに怒鳴られながら働くのはきつかった。

 それでも……終わった今となっては、人に笑いながらこの事を話せる。

 

「まっ! どっかでまた会えるだろ!」

 

 雪の中歩きながら俺は空に向かって独り言を言った。

 俺にはサンの村に帰ってからやることを決めてある。

 

「なに?」

「なんでもない!」

 

 セツが俺に見られていることに気付いて怪訝な顔を浮かべる。

 眉をひそめながら首を傾げたそんな顔も可愛いと感じてしまう俺はもう駄目なんだろう。

 

 この世界に来てから初めて決めた俺の道、それを進む限りタロウにもまた会えるはずだ。

 

「さ! 帰りましょう!」

「元気ですねぇ~」

「いいことがあったのかい? お姉さんにも教えてよ」

「ちょ! シオさん近いですって!」

 

 セリアはニコニコと見守る様に、シオは腕を俺の首に回すと揶揄う様に何があったのか聞いてくる。

 俺は鼻をくすぐるいい香りにドキドキしながら、口ではやめてくださいと言ってみる。

 するとシオがスリーパーホールドを決めてきて、セリアが俺の脇をツンツンとつついてきた。

 敏感なわき腹をつつかれて、これはたまらんと俺は逃げ出そうとするが、戦える系女子から逃げることは出来ない。

 

「ミナト、背伸びたね」

「え? 本当ですか!」

 

 そんな風にじゃれる俺達の後ろを歩くジークが話しかけてくる。

 

「俺も戦士らしくなってきましたかね?!」

「うん、いい感じがするよ」

「いい感じですか!」

 

 誉めるところが思いつかなかった時のような事を言ってきたジークだが、背が伸びたのは本当のことのはずだ。

 俺の体に合わせて作られた皮鎧が少し窮屈になっているし、確実に縦にも横にも大きくなっている。

 

「いつか俺もジークさんみたいな戦士になれますか?」

「ははっどうだろうね」

「そこはいい感じにしといて下さいよ~」

「はっはっはっ」

 

 シオのスリーパーホールドから解放された俺は前へと歩き出す。

 

 じゃあ帰ろうか。

 

 戦士になる準備は整った。



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三章 プロローグ

 この世界には……というと主語が大きすぎるか。サンの村には暦がしっかりとあるわけではない。

 春夏秋冬という季節の概念はあるのだが、春の始めとか冬の終わりとかざっくりな感覚でみんな生きているようだ。

 

 かといって正確な日付を把握するだけの知識がないかというとそういうわけでもない。サンの村の人たちは季節ごとに見ることが出来る星を把握していて、方角とか季節がそろそろ変わるころだとかを把握する天文学的知識は存在するため、やろうと思えば暦を作ることは可能だと思う。

 その証拠に最近俺が来てからもう一年は経っている頃だとを教えられた。

 多分彼女達には必要ないだけなんだろう。

 

「っと」

 

 森の中で跨がって越えなればいけない程大きな根っこに腰かけて休んでいると、俺の耳に狩猟衆の使う笛の音が飛び込んできた。

 方角は北の方で距離はそれほど離れていない。

 

 俺は意識を切り替え立ち上がると、足に力を込めた。

 

 腰かけていた木の根を蹴ると、凄い速度で視界の端を木が流れはじめた。

 

 走る。

 

 森の中を走るのに必要な情報を捉えた瞬間、次の体の動きが決定される。

 このままの歩幅だと二歩先の左足の着地地点に大きな石があるが、地面に埋まっておらず踏むと転がり落ちる可能性がある。

 だがあえて俺はその石を踏む。

 

 予想通り石は俺の体を支えきれずぐらりと動き出すが、俺はあえて着地する瞬間にあえて足首を固めず、石の表面を滑らせてそのまま石の横の地面へと着地する。

 足は滑ってもいい、滑る事さえわかっていれば滑らないところまで滑らせてやってから力を入れればいい。

 

 下りに入った。

 脚力に加え、重力が体を無理やり加速させようとしてくる。

 一瞬足を踏ん張ってブレーキをしたくなるが、それを理性で抑え込んで足をより大きく蹴り出す。

 

 ブレーキすればその分足へ負担がかかる。ましてや今はとんでもない重さの大剣を背中に背負っている。

 大地の加護を得た今の体なら耐えることはできるが、わざわざ負担がかかるような走り方をする必要がない。

 

 体が落ちる前に足を踏みこみ、体を斜面に合わせてスライドさせるイメージで後ろへ蹴り出す。

 下りは速ければ速いほど膝への負担は少ない。

 

 ブレーキをしない体は、一歩一歩走るたびに重力の力で加速する。

 

 加速すればするほど一歩で飛ぶ距離が長くなり、地面に足をつけている時間より宙を飛んでいる時間の方が長くなっていく。

 

 雨水で浸食され、すり鉢状になった斜面を駆け抜けると下りは終わり、また平地に戻る。

 

 体に必要な酸素の量が鼻では賄う事ができなくなり、鼻呼吸から口呼吸へと自然に変わる。

 ハッハッと大きいが規則正しく行われる呼吸は、まだまだ自分の体のギアは先がある事を教えてくれる。

 

 見えた。

 

 五人の狩猟衆が身長ほどもある巨大な獣を囲んでいる。

 その獣の体毛は基本は茶色だが白い斑模様が横二列にある。額から鼻先に前方に向かって生えた巨大な角を有しており、その長さは体長の半分ほどにもなる。

 その巨大な角を頭を支えるためなのか、前足の蹄が後ろ脚より太く、首回りの筋肉が異常発達し背中に筋肉でできたコブがある。

 

 この獣を地球の生き物で例えるとするならば角の生えた巨大なイノシシだろうか。

 俺はこの獣の名前を知らないため、一旦イノシシと呼ぶことにする。

 

 狩猟衆がイノシシへ向けて矢を射かける。その矢はイノシシの毛皮に刺さり、血が体毛を赤く汚すが怯む様子はない。

 分厚い体毛と筋肉に阻まれて致命傷には程遠いのだろう。

 イノシシは身を少しかがめると、一瞬土に覆われた地面が陥没し、次の瞬間弾丸のように前進を開始した。

 イノシシの突進に狙われた狩猟衆は、弓を手放し全力で身を投げ出して避けた。

 

 だが避けるのが早かった。

 

 イノシシは強靭なその前足を地面に突き刺し、勢いで後ろ脚が宙に浮きあがりながら急停止した。

 あの巨体が一瞬で動きを止めるその様子は、まるでその体が張りぼてで重さなどないかのように見える。が、地面に深々と刺さった前足がその巨体が見た目に見合うだけの重さを備えていることを表している。

 さらにイノシシは大きく伸びた角を、地面へと倒れこんだ狩猟衆へと向けて振り上げた。

 

 倒れこんだ狩猟衆の女は目を見開きながら手と足を地面につき、回避に移ろうとするが間に合わない。

 

 周りの狩猟衆は槍を突き出し助けに入ろうと走り出しているが届かない。

 

 だけど俺が間に合った。

 

「ミナト君!」

 

 衝撃で歯が軋み、肺から空気が全て抜けた。

 俺は倒れこんだ狩猟衆の女の体の上を跨ぎながら大剣を上に構え、イノシシの大角を受け止めていた。

 

 イノシシは突如現れた俺へと目を向けると、そのまま圧力を強め圧し潰そうとしてくる。

 骨が軋み、筋肉がぶちぶちと音を立てるが、俺は潰されない。

 

 余裕なんてない。

 

 それでも俺は食いしばった歯を見せつけるように口角を上げる。

 

 俺がここをどけば潰されるのは女だ。

 決してここを引くわけにも、それを悟られる訳にもいかない。

 

 俺の威嚇を見たのかイノシシの体が少し揺れる。

 

「ああ”!!」

 

 俺はイノシシの巨体ごと吹き飛ばすつもりで大角を弾いた。

 驚いたイノシシは、イノシシ特有の高い声で鳴く。

 

 力負けした。そうこいつは悟ったのだろう。

 

 再び自慢の大角で俺と撃ち合おうとはせず、前足を地面から引き抜いて距離を取ろうとしたのか、それとも逃げようとしたのか走り出そうとする。

 だけど地面から足を引き抜く動作の時点で、もう俺の攻撃の準備は済んでいた。

 

 大角の圧力がなくなった偏心式機械大剣【撃鉄】の柄を引きながら持ち上げる。

 すると持ち上げられた【撃鉄】の刀身に設けられたスリットの中を、重たい鉄の塊が手元まで落ちる。左手は伸びた柄の端を持ち、右手は鍔ギリギリを持って出来るだけ両手の幅を広く。

 

 手に鈍い音と衝撃が走る。

 

 俺は踏み込み、硬い大角で守られた正面ではなく、逃げるために横を向いてしまったイノシシのどてっぱらへ撃鉄を叩きこんだ。

 

 遠心力によりスリットの中の錘が先端に移動し、イノシシの体毛に撃鉄が食い込む瞬間、錘が撃鉄の先端にぶつかりその衝撃が斬撃力へと変わる。

 

 矢が効かない程の体毛と分厚い筋肉を切断し、骨を砕きながら内臓を破壊する。

 

 一刀両断。

 

 イノシシは真っ二つになり暴れることもなく事切れた。

 

「……ふぅ……」

 

 この世界に来て一年と少し、俺は十六歳になったらしい。



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1話 一週間後に

 巨大な肉を手に入れたため狩りを終えることを決めた俺たちは村への帰路につくことになった。

 狩りの最中に遭遇した巨大なイノシシは、真っ二つにした前半分は前足に、後ろ半分は後ろ脚にロープで結んで引き摺って運ぶことにする。

 【撃鉄】と俺の体重を合わせても届かない程の体重のイノシシは、俺一人が引き摺って運ぶには体重も力も足りないため、集まってきた女達にも手伝ってもらっての大仕事だ。

 少しでも運ぶのを楽にするため、この巨大イノシシの特徴でもある角を叩き折ってその場に捨てることになった。

 

 狩りゲーに中学生時代の青春を費やした俺の感覚では、この角を使って何か武器とか防具とか作れるんじゃないかという勿体ない気持ちで一杯なのだが、使い道がないから捨てろと言われて泣く泣く俺がへし折る。

 

 勿論使い道が無いことはないらしいのだが、木材や鉄の方が加工しやすいため、わざわざ材料として使う事は少ないらしい。

 俺が倒した証として部屋に飾るとかしたいのだが、居候の身な上、いついなくなるかもわからない俺がわがままを言うわけにはいかない。

 そうしてイノシシを運ぶ準備が終わると、狩りの終わりを告げる笛を狩猟衆の女が鳴らす。

 ちょうどそのタイミングで土を踏みしめる音がした。また獣かもしれないと、俺はすぐに振り返ると現れたのは獣ではなく、一人の男だった。

 

「剣頭獣か。上出来だミナト」

 

 サンの村の数少ない男、戦士であり、顔役であるアンジだ。

 アンジは筋骨隆々の見上げるような大男のため、視認した後も一瞬獣が現れたのかと思った。

 

「危なかったですが……ありがとうございます」

 

 上出来という言葉に少し照れ臭く感じながら、獣が現れたのかと思って掴んでいた撃鉄の柄から手を離し、再びロープを持つ。

 彼が言うにはこの巨大なイノシシは剣頭獣というらしい。

 

 この村にきて一年と少し経つが初めて見る獣だ。

 後ろ脚が浮き上がるほどの急ブレーキからの角の振り回しは、正直予想外だった。あの巨体と鋭い角、もしミスすれば真っ二つになっていたのはこっちの方だったこと考えると、落ち着いてきたはずの心臓がバクバクしてくる。

 

「初めて見る獣だったので正直どうなるかと思いました……」

「こいつらはバカでかい角があるせいで急な斜面が登れない。だから起伏のあるこのあたりではあまり見かけないが、たまに縄張り争いに負けて流れてくることがある。こいつもそうなのかもしれないな」

 

 今日の狩猟衆の狩りに同行していた男は俺とアンジの二人だ。

 サンの村の人たちの狩りの仕方は、狩猟衆の女が数人のグループになってあちこちに別れて行う。

 この森には魔法が使え、地球の男より力のある女達が男の助けを必要とするような巨大な”獣”だけが生息しているわけではなく、普通に小動物や大人しい草食動物もおり、基本的には狩猟衆はそういう動物を狙う。

 ゾロゾロと大人数で一緒に行動するのは獲物に勘づかれやすくなるし、ウサギみたいな小さな動物一匹を狩るために大人数を割くのは非常に効率が悪い。

 

 そのため、いつも巨大な”獣”に出会う訳ではないし、狩猟衆の女達は少人数で分かれて狩りを行う。

 ただ、万が一”獣”に出会い、やり過ごせなくなった不測の事態に備え、散らばった狩猟衆の元へ駆けつけられる範囲に男を待機させることで足りない男の数を補なっている。

 

 今回はその男の役割を俺にも体験させるため、アンジが少し離れた位置に待機していてくれた。

 この役目を引率がいるとはいえ任せてくれた事は、俺の成長を村の皆が認め始めてくれている気がして素直に嬉しい。

 

 ちなみにこれはあくまでサンの村のやり方らしく、アナンの村では最初から男を中心としたグループを作って狩りを行うらしい。

 狩りより鉄の採掘と加工により成り立たせている村のため、よそから食べ物を買う事も多い上に人口自体がサンの村より多く、男の数が少ないこの世界でも男の狩人の数が足りるからだとリタから聞いた。

 

 当たり前の話だが、人口や地域により男の扱いや風習は違うという事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜。

 広間でアンジと囲炉裏を挟み胡坐をかいて座る。

 

 サンの村では机も椅子もあるが、同時に床に座る文化も存在する。

 アンジのようなハーレムを気付いた男を中心として、大きな家族を形成するのだが、全員分の椅子や大きな机を用意するのは骨が折れるため、大きな広間の床に直接座って皆で食事をとるスタイルが定着したらしい。

 これは人それぞれらしく、ジークは通い妻ならぬ、通い夫をしているため大きな家には住んでおらず、普通に机と椅子を使って食事をとるようだ。

 

 そんなだだっ広いアンジの家の広間には、今は俺とアンジの二人だけ。

 虫の泣く声が開いた窓から漏れ聞こえ、焚火がパチパチと燃える。

 

 俺はこの音が好きだ。

 

 地球にいた頃の窓から聞こえる車の音とは違ってうるさくない。

 聞こえてくる音量だけで言えば、隙間だらけの木造建築のこの世界の家のほうが圧倒的に大きく聞こえるが、不思議と心地よいBGMのように感じられ心が落ち着く。

 都会に住んでいたため、あまり夜の虫の音というものは知らないが、元の世界と比べて違いはあるんだろうか。

 

 火で赤く照らされたアンジの瞳は、無感情に揺れる火を見つめている。

 普段はアンジの嫁や娘でにぎやかな家だが、今は俺とアンジの二人きり。

 狩りから帰ってきた夜に話があるとアンジに呼ばれ、こうして対面している。

 

 酒を静かに飲むアンジは何を考えているんだろうか。

 すぐに要件を言わず、無言の時間が続く。

 俺は用意されていた口から棒を通した焼き魚を口に運ぶ。

 

 無言だが俺とアンジの間にきまずさはない。

 

 夜にアンジが酒を飲んでいるとき、俺はこうして一緒に夜食を取ることがある。

 いつもアンジは色んな事を話してくれる。

 村の事、昔の事、アンジはベラベラと喋るタイプではないが、豊富な経験に裏付けされた説得力が、俺の話への興味を掻き立てる。

 だから俺はアンジと話すこの時間が好きだ。

 

 焼き魚をゆっくりと半分ほど食べた頃、アンジが息を吸い込み口を開いた。

 

「一週間後に成人の儀を行う」

 

 来た……と思った。

 俺がこの世界に来てからずっと目標にしてきた日だ。

 

「この成人の儀を以てしてお前は村の一員と認められる」

 

「一人で森に入り、”獣”を狩ってこい。ただそれだけだ」

 

「場所は今日狩りをした森の奥深く、”霧の地”と呼ぶ場所だ。」

 

「一度成人の儀が始まれば助けを呼ぶことは出来ない」

 

「獣の名はケシャ。ミナトも知っているな? 俺達と出会った時にお前が追いかけられていた獣だ」

 

「奴らは強い。時折霧の地から現れ人を襲う。奴らとの戦いは古く、数多の女が犠牲になってきた。いわばこの村の天敵だ」

 

「彼の地は深く、見えず、敵地だ」

 

「たとえお前が闘いに破れ、助けを求めたとしても誰の耳にも届くことはない」

 

「お前は元々はよそ者だ。この試練を受ける義務はない。それでもお前はこの試練を受ける気はあるか?」

 

 

 成人の儀。

 

 俺が男として認められる日。

 

 命を賭けることで人間になる日。

 俺は拳を床に付け、頭を下げながら決意を口にする。

 

「お前が生きて戻ることを祈る」

 

 そしてセツが村を去る日だ。



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2話 趣味

 まだ暗いが早朝、試練が始まるまで残り六日。

 俺は一心不乱に剣を振る。

 

 俺は恵まれていたと思う。

 突然この世界に迷い込み、森の中で獣に襲われた俺はサンの村の人たちに偶然助けられ、以来面倒を見てもらっている。

 

 キャンプすら行ったことがない俺にはサバイバル能力はなく、神様に何か特別な力を貰ったわけでもない。そんな俺が突然森に放り出されたのだから、森から出る事すらできずに死んでいた可能性が大いにある。

 

 何か能力を貰ったわけではない以上、異世界転生ものでお約束の、お嬢様が乗った馬車が盗賊に襲われている所を助け、お礼に衣食住を得るなんて展開もありえない訳だ。

 

 例え人里に無事に降りることが出来たとしても、働いた経験のない俺が一文無しから生活基盤を整えるところを想像ができない。

 

 唯一俺がこの世界に対するアドバンテージがあるとすれば、男の俺が迷い込んだのが、この男女比の偏った世界だったことくらいだろう。

 

 男だから拾ってもらえ、何の役にも立たないのに衣食住を貰えた。

 畑があり、肥沃な森に囲まれたこの村でも食料は貴重だ。

 

 日本とは違って日々生きるのに必死で、例え子供でも遊ばせている余裕はないため働いている。

 

 そんな村で果たして俺が女だった場合、ここまでしてくれただろうか。

 

 俺はそんな雑念を振り払うように撃鉄を、振り下ろし、地面ギリギリで止める。振り下ろす時以上の負荷が止める時に全身を襲い、体がもっていかれそうになるがなんとか耐える。

 

「ふぅ……」

 

 日が昇った。

 

 木々と家の間から漏れる光に、目が少し痛くなるが同時にホッとするのは人としての本能なんだろうか。

 明るくなったという事は、試練までの猶予が少なくなったという事なのに、我ながら呑気なものだ。

 

 俺は汗を服の裾で拭い、一息つくことにする。

 

 そんな俺が一年と少しで戦士の試練を受けることになった。

 

 実力がなければ死ぬ、あれば生き残って一人前。

 極端な話だ。

 

 想い返せば、いつも誰かに助けて貰って生き延びてきたが、今回は俺一人。

 

 自分が命を落とすかもしれないという不安は勿論あるが、果たして俺に皆の期待に応えることが出来るだろうかという方の不安が大きい。

 期待に答えられないというのは、つまり命を落とすことでもあるので同じ事を言っているように聞こえるかもしれないが、俺の中では明確に違う種類の不安だと思う。

 

 今の俺のこの不安を例えるなら、スポーツ特待生として高校入学したのに未だそのスポーツで結果を残せていない学生だ。

 詳しく言うと、このままそのスポーツで活躍できなければ、授業料免除の資格を失うため、学費を払えなって退学するしかなくなる崖っぷちの学生。

 退学は怖い。でもそれ以上に自分への失望が怖い。そんな感じだ。

 俺はスポーツ推薦を受けたことがないので、想像でしかないが。

 

 とにかく、今俺にやるべきなのは強くなる事だ。

 

 俺の中の不安を消す方法は試練に生き残った時のみ解消される。

 いくらここで鍛錬をし強くなったとしても、消えることはない。

 

「よし……もういっちょ……」

 

 だからこそ俺はこうやってまだ日が昇る前から鍛錬を繰り返す。

 

 

 

 そうやって全身に乳酸が溜まり、腕を上げるのもきつくなってきた頃、見慣れた人物が訓練場の前を横切るのが見えた。

 

 日が昇り、皆活動し出したようだ。

 

 体は既にボロボロだ。だが素振りだけでは強くなれるか不安だし、模擬戦もしておきたい。

 そう思っていた俺は丁度いいと思い、その人物、セツに向かって叫んだ。

 

「おーい! セツ! 何してるんだ?」

 

 歩いていたセツは、俺の声に気付いたようでこちらの方を向くと、歩いてきてくれた。

 良かった。相手が出来た。

 

「なに?」

 

 と思ったが、セツはどうやら今日は訓練する日ではないようで、服装が狩りの時に使う頑丈で動きやすい装備ではなく、ひらひらと揺れるロングスカートに肩の出た薄い服のいわゆるお洒落着だった。

 その服はつい最近セリアやシオ達と作ったお気に入りらしく、最近時間があれば袖を通している気がする。

 

 となると訓練の誘いは無粋かもしれない。

 そう思った俺は訓練ではない別の話題を考えようとした所、セツ俺の前で立ち止まり、顔を少し傾け口を開いた。

 

「ねえこれどう思う?」

「え?」

 

 俺の方へと向けられたセツの髪には、薄い綺麗な緑色の、花を模した髪飾りが付けられていた。

 

 似合っている。

 

 素直にそう思った。この綺麗な色は翡翠だろうか?

 表面を削って花が彫られた翡翠色の髪飾りは、セツの白い髪の上でよく映えており、服装も相まってセツの魅力を際立たせている。

 

 よほど機嫌がいいのか、相変わらず表情筋はそれほど動いていないにも関わらず、ムッフーという鼻息が聞こえてきそうな得意げな様子が伝わってくる。

 

「あ……えと……髪の……」

 

 あまり見たことがないくらい上機嫌なセツの様子に戸惑ってしまい、俺は言葉に詰まってしまった。

 元の世界では女の子と縁のなかった俺だが、この世界に来てからは女の子に囲まれて生活してきた。

 

 それなりに女性への耐性はついてきたつもりだったが、女の子を褒めると思うとなんで言葉に詰まってしまうんだろうか。

 俺は一旦息を吐き、気持ちを落ち着かせて口を再度開く。

 

「その髪飾りどうした?」

「母さんから貰った」

「そうか……アイラさんから……」

「……」

「…………」

 

 セツが俺の目を真っすぐ目を合わせ続きを待っている。

 

 無言の時間が痛い。これは答えないと許してくれなさそうだ。

 

「えっと……まあ……似合ってる……」

「よし」

 

 クッとセツの口角が少し上がった。俺の煮え切らない言葉でも満足してくれたようだ。

 

 セツの笑顔は嬉しいというより、どこか挑戦的で勝ち誇っているようにもみえる。

 

 なんだろう。これはセツに確信犯的に照れさせられたんだろうか。

 

 セツの考えはわからないが、そう考えると無性に悔しい上、自分の言動にも腹が立ってきた。

 『えっと』をつけた上に、なんで『まあ』をつけてしまったんだろう。明らかに余計だ。

 

 そんな内心悶絶する俺の様子を知ってか知らずか、セツはよく櫛を通された綺麗な髪をサラリと耳にかけ、改めて要件を聞いてきた。

 

「それでどうしたの?」

「……ちょっと剣の相手をして欲しかったんだけど……今日は難しそうだな」

「うん。無理。今日はシオとセリアと服を縫う日」

 

 だよな。と言いながら俺は地面に突き立てていた撃鉄を持ち上げた。

 

 セツは無理だったが、ジークやアンジもそろそろ起きてくるはずだ。あとで稽古をお願いしに行こう。

 そう思いながらもう少しの間素振りをするため、撃鉄を握る手に力を込める。

 

 するとそのタイミングで起きてきたらしいセリアとシオが訓練場に入ってきた。

 

「おはよーございますぅ」

「やあおはようミナト、セツ」

 

 セツは俺から視線を外し、そんな二人の方へ向き直るとさっそく髪飾りを二人に見せ始めた。

 

「あ、セリア、シオ、これどう思う?」

「セツちゃん可愛いですぅ!」

「あ! いいなあ! そんなのどうやって手に入れたんだい?」

 

 訓練場が一気に姦しくなる。

 

 セツは口数が少ないが、感情が薄いわけではない。

 また、人一倍厳しい鍛錬をすることで、若いながらも村で有数の剣の使い手になるような女傑だが、実はお洒落が趣味だ。

 髪はよく櫛を通しているし、汚れがちな肌も水浴びを毎日して清潔に保っている。

 

 それは周知の事実で、布が手に入ればセリアとシオも含めた若い娘たちで集まって、新しい服を縫っていたりする。

 布自体が貴重な物なので、一からまったく新しい服限られを作る機会は多くないそうだが、限られた条件の中でお洒落を楽しんでいる。

 セリアとシオがここに来たのも 服を一緒に作ると言っていたし、セツと待ち合わせでもしていたんだろう。

 

 こうなるとしばらくは男の俺は蚊帳の外だ。

 美少女三人がはしゃいでいる所をもう少し眺めていたい気持ちはあるが、時間は無駄にできない。

 

 俺は気の緩むような平和な声を意識から排除し、鍛錬へと戻った。

 もうちょっとだけ頑張ってから朝飯にするとしよう。



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3話 祭り

「ついにこの日が来たか……」

 

 俺は気合が入っていた。

 

「ミナト、君は今日この儀式を乗り越えて男になる」

 

 ジークが俺の前で腕組みをして語り掛けてくる。

 真っすぐ俺を映した瞳は、俺の全てを見透かしているようで、言外に覚悟を問いかけくるようだ。

 

「これから行われるのは地獄だ。君は敗北を、無力さを、そして屈辱を味わうことになる」

「それでも俺は……」

 

 去年の俺には力が足りなかった。

 村の一員として認められておらず、参加する事すら敵わない。

 

 俺は見ていた。

 

 ジークの屈辱を。

 

 そして尊敬した。

 

 それでも立とうとするジークを。

 

 だから何を言われようと俺の答えは決まっている。

 

「俺も……参加します」

 

 

 

 

 

 

「ふん! ぐぅおおおお!」

「おい! あんた! しっかりしな!」

「まだ私が残ってるよ!!」

「ふんぐぉおお!!」

 

 アンジが聞いたことのないような唸り声をあげた。

 

 アンジは今、村の広場にて何枚もの木の板を張り合わせて作った床の下にいる。

 床の形は円形で、その大きさは直径5mほどだろうか。それをアンジは下から曲げた首、肩、両腕でもち上げている。

 

 床を支える物はアンジのみ、床を支える支柱などは存在しない。

 上半身裸で小細工など一切ない純粋な筋力による支え。アンジが支柱だ。

 

 その床に繋がるように隣に丸太のスロープがある。片方は地面に着いており、もう片方が床と同じ高さくらいまで持ち上がる様に、丸太の丸みに沿って半円状に削られた木の台座に持ち上げられている。

 

 本来なら土台とか巨大な板とか表現するべきであろう、この円形の木の板で出来た物を【床】と表現したのはその用途のためだ。

 

 床の上には現在10人の女が乗っている。

 アンジが床を一人で支え、その床の上に女達が立っているのだ。

 

 下にいるアンジの体重より、明らかに上に乗っている女達の方が重い。

 それにアンジは床を安定させようと必死に床を支えるが、床の上にいる女達はアンジの苦労を知らないかのように、飛んだり跳ねたり全く安定させる気がない。

 なんなら踊っている女までいる。

 

 同じ重さの、動かない只の物であればアンジの腕力なら支えることはそう難しくないはずだが、直径約5mという大きな床の上を縦横無尽に重さが移り変わっていくため、アンジも必死の形相だ。

 アンジの真上、つまり中心に皆が固まっているうちはいい、だが床の端の方に女が移動動すれば、アンジの腕に途轍もない負担がかかる。

 すると床が傾き、キャーという地球の女と変わらない黄色い叫び声をあげながら傾いた方に女が寄っていき、さらに片方に重さが集中してしまう。

 

 だがアンジはこの催しの大ベテランだ。

 

 アンジはすかさず床の下で体の位置を端に寄った女達の真下まで移動させ、床を安定させることに成功した。

 

 この大勢の女達の乗った床を、たった一人の腕力のみで支えるというアンバランスな光景は、見る者をひやひやさせ、興奮した村人たちが囃し立てる。

 女達は村に伝わる民謡を歌い、笛や太鼓、弦楽器で音楽を奏でる。

 

 皆が笑うこの光景はそう、祭りだ。

 

「アンジ! まだまだ余裕そうだね!」

「次は私が行くから受け止めなよ!」

 

 アンジは10人の女の体重を見事に支えており、床の上に立つ女達はバランスを崩す事がない。

 だが次はどうだろうか。

 

 新しい女が丸太のスロープを駆け上がった。

 床と同じ高さまであるスロープ先には何も繋がっておらず、代わりにアンジの支える床が上に立つ女の動きに合わせてゆらゆらと動いている。

 女はニヤリと悪戯な笑みを浮かべるとスロープから飛び上がり、アンジが支える床へとドン! と音を立てて着地した。

 

「ぐっ……おい! 普通に乗れんのか!」

 

 その衝撃にアンジは見事耐えきり、床を支えつづけたアンジだが、たまらず上に向かって文句を言った。

 

「これくらいアンタなら大丈夫でしょ!」

 

 その言葉に村中の女と床の上の女がケラケラと笑う。

 そして次々と女達が丸太を駆け上がり、アンジの支える床の上に飛び乗り始めた。

 

「おっ! おいっ! 無理だ! やめろ! うぉおお!」

 「「「キャーーー!!」」」

 

 一人だけならまだしも、続けざまに飛び乗られたアンジは、流石に床を支えきることが出来ず、床をひっくり返す様に地面に落としてしまった。

 床の上に乗った逞しい女達は、半分くらいは地面に綺麗に着地し、もう半分くらいはもつれるながら床の上を滑って地面に落ちてしまった。

 

 アンジが床の下から這い出して来る。

 すると床に乗っていた女の一人であるアンジの一番の嫁、アイラが這い出してきたアンジの後ろに立ち、声を張り上げた。

 

「お前は男の癖に自分の家族すら支えられないのか!!」

 

 その言葉を言い終えるのと同時に、スパーン! と気持ちよくアンジの尻を蹴とばした。

 普段男が家長としてえらぶっているアンジが、尻を蹴られる。その様子が女達には面白くてたまらないらしく、皆が腹を抱えて笑っている。

 

 そして床の上に乗っていた女達が代わる代わるアンジの尻を蹴り始めた。

 アンジはうめき声をあげながらも、文句も抵抗もする様子は見せず、四つん這いという情けない姿のまま尻を蹴られ続ける。

 

 アンジの尻を蹴っていた女の中には、明らかに床に乗っていなかった女もいたが、アンジは最後まで文句も言わず蹴られ続け、ため息を吐いて立ち上がった。

 

 このなんとも珍妙な光景が、この村伝統の祭りらしい。

 

 この祭りを少し説明すると、床の上に乗るのは基本的に男の嫁や子供といった家族だ。

 男が支える床の上に家族が乗り、全員を支えきることで女達を守り切る力があることを示すという。そして見ての通り失敗すれば情けない男として家族に尻を蹴られるという謎の祭りだ。

 

 自分の女すら持ち上げられない男=情けないということで生まれたらしい風習なのだが、どう見ても家族以外の女が乗っているし、乗ってもいない女がアンジの尻を蹴っている。

 

「もっ……! もう無理だ! ちょっと勘弁してほしい!」

 

 それにモテまくる強い男ほど乗せる女の数が増えて難易度があがっている。

 丁度今、アンジの後に続いたジークがあっという間に潰されて大勢の女性に尻を蹴られまくっている。

 

 俺が密かに憧れていた理想の大人像に近い二人がなんということか。

 尻を抑えながら退場するジークの後姿になんともいえない哀愁を感じる。

 

「次はどいつだい!」

 

 このお祭りの音頭を取っているアイラが、楽しくて仕方がないという様子で次の獲物を探し始めた。

 基本健康な村の男は強制参加だ。

 

 アンジとジークを合わせて数えるほどしかいない男たちの様子は三者三様だ。

 やれやれと言いながら参加する男、嫁にいいところを見せようと気合を入れる男、腰を気遣う中年の男。

 

 殆どの男が次々と失敗していき、背中に哀愁を漂わせながら退場していくが、男たちに共通するのはケラケラと楽しそうな女達を見てフッと笑う事だ。

 家長として、男として、あの笑みと全く同じものを俺もいつか浮かべることになるんだろうか。

 

 俺にはまだ想像できない。

 

 けどいつかそうなりたいと思った。

 

「次、俺が!」

 

 覚悟を決め、俺は手を挙げて一歩足を進めた。

 

「お? ミナト、今年は大丈夫かい?」

「知ってるでしょ。去年の俺とは違うんですよ」

 

 俺は力こぶを作り、服を脱ぎ捨てながら地面に置かれた床に向かう。

 去年はこのバカ重い木の床単体でさえ持ち上げる事ができなかったため、俺は参加できなかった。

 俺の歳なら持ち上げられて当たり前だと馬鹿にされたのをよく覚えている。というか根に持っている。

 

 だが今の俺ならできるはずだ。

 いや、できるできないというより、これは必要な事だ。

 俺を認めさせる。何より任せてもらう。

 

 そのための通過儀礼なのだ。

 

 ちなみにボロはまだ持ち上げることが出来ないため、歳が近い少女達と一緒に骨付き肉を片手に踊っている。

 

「ふぅ……いきます!」

 

 俺は地面に置かれた床に手を差し込み持ち上げると、見た目の重さにそぐわぬズシッとした重さが腕にかかる。

 

 だが問題ない。

 

 踏み固められた広場の土の上で足に力を入れ、持ちあがった床の下に体を滑り込ませる。

 

 そして俺は床の中心で床を持ち上げた。

 

 俺の視界を塞ぐように斜めになっていた床が持ち上がり、俺を見る村の女達と対面する。

 

「やるじゃない!」

「あの骨みたいだったミナト君が……」

 

 女達が床を持ち上げた俺に歓声を上げた。

 女達の持ったジョッキが一気に煽られ、歌っている女の声に力が籠る。

 俺は期待されている。

 

「来てください!」

 

 気合を入れる様に地面を踏みつけ、俺は女達を呼んだ。

 俺を見ろ! そういう思いを込めて。

 

「……」

「……」

「……」

「……あれ?」

 

 だが、どういうわけか俺の持ち上げた床は重くなることはない。

 

「ミナト……あんた一年もいてまだなのかい……」

「あ……」

 

 アイラの言葉で俺は自分の考えの浅さを理解した。

 誰も乗る女がいないのだ。

 この祭りは【自分の家族】を持ち上げるというものだ。

 

 俺は今、アンジの家に居候の身であり、家族というものがいない。

 アイラが言うまだというのは、まだ俺の家族になってくれるような人、つまり嫁ができていないのか? という事だろう。

 その場のノリで家族でもない女が床に乗ることもある緩いお祭りだが、本来の嫁を差し置いて一番乗りで他人の夫の上に乗ってくるようなことはしないんだろう。

 

 このままでは俺は男を見せることが出来ず、()()()を任せてもらうことが出来ない。

 俺は焦りながら広場を見回した。

 

 セリアは?

 

 駄目だ。見あたらない。

 

 シオは?

 

 ボロや少女達と一緒に踊りに夢中でこっちを見ていない。

 

 じゃあ……セツは……見てる。こっちを見ている。

 

 皆が集まって飲んで騒いて踊っている広場から少し離れた場所で、地面に膝を立てて座り込み、膝の上で腕を枕にして白い頬を潰している。

 セツはこっちを見ているが、どことなく俺に焦点が合っていない気がする。

 俺を見ているというより、俺達みんなの様子をぼうっと眺めているような感じだ。

 

 つまらなそう。

 

 たしか去年は皆と一緒にアンジの尻を蹴飛ばしていたはずだ。

 その時の表情は生き生きとしていて楽しそうだったのを覚えている。

 

 セツはなにもない時は表情が分かりづらく、口数はやや少なめであるが、笑うし、こういうお祭りを楽しむ少女のはずだ。

 彼女が今楽しめていない理由……

 俺に心当たりは……ある。

 セツは俺の試練の後、村を出ることになる。

 

 それはあのセツが俺の前で泣く程嫌な事で、その嫌なことがあと数日に迫っている。

 そんな時に祭りを楽しめるわけがない。

 

 俺がセツの血を勝手に飲んだせいで……だ。

 つまり俺はセツを悲しませた責任を取らなければいけない。

 決心した俺は大声でセツに向かって叫んだ。

 

「セッセセっ……セツぅ!」

 

 緊張で声が裏返った。

 やばい。俺の顔絶対真っ赤になってる。

 

 セツがなに? と言わんばかりのめんどくさそうな目線だが俺に焦点があった。

 俺は床を持ち上げながらセツの方へと歩いた。

 何をするのか察したのか、村の人々の目線が黄色い声と共に俺に突き刺さる。

 

「セツ!」

「……なに?」

 

 いつかの時のような嫌そうな返事だ。

 俺を拒絶する意志の込められた目に心が萎えかける。

 だけど俺はもう決めてある。アンジにも俺の決意は言ってある。

 

「乗ってくれ!」

「……乗らない……」

 

 セツはそう言うと目の前まで来ていた俺から離れようと立ち上がった。

 

「頼む! ほら! 俺を助けると思って!」

「え……やだ……」

「うっ……」

 

 シンプルな拒絶の言葉に胸がキュッとなった。

 もしかして俺の一人相撲だったのか?

 そう思うとさっきまでの決意が鈍りそうになる。

 

「私がどうなるか……ミナトも知ってるでしょ……」

 

 だけどセツが横を向きながらそんな事を言った。

 セツが俺の前から去ろうとする。

 だから俺は去ろうとするセツの前に回り込み、叫んだ。

 

「乗れ!」

「……」

「セツ! ほら祭りだし! 楽しめよ!」

 

 だがセツは床の上に乗ろうとしない。俺は床を投げ捨てた。

 

「え?」

 

 突然の俺の奇行に驚くセツの足に一瞬で掴みかかる。俺に襲われるなんて予想していなかったのか、完全に虚を突けたようであっさり俺のタックルは成功し、セツの足に組み付いた俺はセツを持ち上げた。

 

「は?! ちょっと! ミナト! やめっ……」

「俺も一緒にアンジさんの家に住んでんだから家族みたいなもんだろ!」

 

 セツの両足を抱っこするように抱えたまま顔を上に上げてみると、セツが目を真ん丸にしている。

 セツのこんな顔初めて見た。

 俺は未だに混乱している様子のセツの体をさらに持ち上げて反転させ、俺の肩に腰かけさせた。

 

「アイラさん! 参加者確保しました!!」

 

 セツを肩に乗せた俺は広場の中心へと走り出した。

 

「セツ」

「いい加減に……」

 

 セツが右肩に乗っていたはずのセツが、左足を俺の左肩にかけ、俺の頭を太ももで挟み込んだ。

 

「しろ!!」

 

 そしてセツは体を後ろに倒しながら体を捻り、俺の頭を足で投げた。

 俺は地面に体を叩きつけられ、あまりの衝撃に一瞬息が詰まる。

 

「ヘッド……シザ……スボム……」

 

 そして地面に倒れ伏した俺の尻をセツは踏みつけ、俺から離れていった。

 

「我が娘ながら言い投げっぷりだよ」

「セツちゃんの初恋はまだみたいね~」

「ミナト君……がんばれ!」

「はは……」

 

 一連の様子を見ていたアイラをはじめとする女達に代わる代わる慰められる。

 地面から手をついて起き上がりながら乾いた笑いでお茶を濁す。何も言いたくない。

 

「はぁ……俺……ださ……」

 

 ため息をついた俺は出番を他の男に譲り、アンジやジーク達男が何とも言えない空気で食事をしている場所へと向かう。

 どうやら空回りしすぎたらしい俺の背中は、きっと煤けていることだろう。

 俺は大分強くなったはずだが、まだまだセツのお眼鏡には敵わないらしい。

 

 俺は未練たらしくセツを探すと広場の反対側にセツはいた。

 セツはいつの間にかやってきていたセリアと合流しており、セリアからでかい骨に肉のついた、いわゆるマンガ肉を受け取ると、豪快にかぶりついていた。

 どうやら食欲は出たらしい。

 

「まあ……いっか」




申し訳ありません。
執筆してるような状況ではなくなっていました。
もうしばらく今の状況は続きそうです。


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