東方被常識 あべこべなこの世界で俺は (自律他律)
しおりを挟む

序章 とある青年の幻想入り
暗闇の森、そして鬼ごっこ


 いきなりお詫びと言いますかお知らせを
 あべこべ要素は数話先になりそうです



 

 走る、走る。

 

 真夜中の雑木林。光源は頭上から僅かに差し込む月明かりのみ。

 平時であれば幻想的な風景だなぁと呑気に眺めるところではあるが、こんな差し迫った状況下でそんな悠長なことをする余裕なんてあるわけがない。

 前を見据えて、目を凝らし、うっかり木の根なんかに足を引っ掛けないように注意しながらも全力で逃げる。

 

 逃げる、逃げる。

 

 いつまで? どこまで?

 そんなの決まっている、『アイツ』が諦めるまでだ。

 その後のことはまたその時になってから考えればいい。まずは、身の安全を確保せねば。

 

 みっともなく酸素を求め、忙しなく喘ぐ自分の呼吸音が鬱陶しい。

 むせかえるような腐葉土の匂いもこの苛立ちに一役買っていた。

 ぬかるんだ地面、積もった落ち葉が足に余計な負担を強いている。

 

……何だ? 心なしか先程から周囲がますます暗くなっていくような──ああ、チクショウ!

 

 恐らくは、通りがかりの雲が月光を遮った所為だろう。急速にあたり一面が暗くなり、一寸先も見えなくなってしまった。

 

 真夜中の森の暗さがここまで恐怖を駆り立てるものだったとは知りたくなかった。

 足元の覚束無いままにこのまま走って樹木に激突してはたまらない。その場で身を低くし息を潜める。

 

 

 

 そうすること数分、呼吸を整えながら周囲を見渡してみる。

 だが、こんな真っ暗な状況では視覚的な情報はあまりにも頼りにならなかった。

 今度は、聴覚を頼って耳を澄ませる。

 

 …………。

 

 聞こえてくるのは木々が互いに擦れ合う音と虫の鳴き声のみだ。

 

 ここまで苦労して逃げ回ったのだ、きっと『アイツ』は俺を見失ったのだろう。

 そう思い、安心してほっと息をついた。

 

 

 

──しかし、

 

 

 

 

「あら、鬼ごっこはもうおわり?」

 

 

 頭上から、声をかけられた。

 

 目を向けるとそこには、宙に浮かびこちらを見下ろす少女の姿があった。

 闇夜を凝縮したかのような、黒のワンピース。アニメやゲームや映画で見るような、ともすれば作り物と見紛う程の鮮やかなブロンドヘア、そこに赤いリボンを付けていた。

 そしてなによりも印象的なのは、妖しい光を湛える赤の双眼だった。

 無邪気で無垢なその瞳。初めはそれを、見た目相応の幼さの現れだと感じていたのだが。

 今こうして見合っているとあながちその感想も間違いではなかった、となんとなく理解することが出来た。

 

──アレは、腹ペコな子供がご馳走を目の前にした時にする面持ちだ。

 

 『これは全て私のモノなのだ』、と。

 

 そういう目を、あの可憐な少女が、この俺に向けている。

 この事実を前に、ただただ恐怖することしかできなかった。

 

 

 

 そもそも、此処は一体どこなのか。何故あの少女は宙を浮いているのか。何故俺に襲いかかってくるのか。先程から訳の分からない事ばかりだった。

 

 どうしてこんな状況になってしまったのだろうか。

 

 半ば自棄になって、この突発的な逃走劇が始まるより以前のことを。

 真っ暗闇の森の中で、俺が人喰い少女に追い詰められるまでに至ったこれまでの経緯を思い返す。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 

「あ?」

 

 ふと気がつくといつの間にか薄暗い雑木林で立ち尽くしていた。辺りを見渡しても当然木々が立ち並ぶのみで何も変わったものはない。

 服装はいつも通りシンプルなもの、普段から外出時に持ち歩くトートバッグ、その中にはいつも持ち歩いているスマホと財布が入っていた。

 

 いつもと同じ格好であることに安堵し、そしていつもと違う場所にいることに違和感を覚えた。

 

 どうして、俺はこんな森の只中で突っ立っているんだ?

 

 記憶を整理してみる。

 確か、大学の長期休暇の合間を利用して趣味の心霊スポット巡りを計画して──そして実際に県を跨いで数カ所巡って──そうそう、『神隠しの森』という、オカルト掲示板で取り上げられていた場所目掛けて移動していたんだった。

 

 そして──そして。

 その後の俺は、一体何をしていたのだろう?

 

 懸命にその後の記憶を掘り起こそうと試みたのだが、残念な事にそれ以上は思い出せそうになかった。……ただ、一瞬だけ刺すような痛みが脳を襲ってきただけだった。

 

 

 

 

 

 どうやら考え込んでも、事態は良い方向へと進みはしないようだ。

 

 こういう非常時に頼れるものは、とスマホを起動させたが圏外、GPSもワールドワイドに旅行でもしているのか各地を転々としているのを確認して、文明の利器が役に立たないことを悟った。通報や知人との連絡を試みても当然何処にも繋がる事はなく。

 

「あれ、もしかして本格的にやばい?」

 

 それから森を当てもなく彷徨うことしばらく、すっかり日が沈んでしまった。

 俺はスマホのライト機能と仄かな月明かりを頼りにして、ひたすらに進む事しか出来なかった。

 

 

 

 無言で、当てもなく薄暗い森の中を彷徨う。電力節約のため、気晴らしにでもと陽気な音楽すら流せない。このままずっと歩き続けないといけないのか?

 

 不安が加速度的に膨らんでいる。

 心細くなる一方だった。

 

 

 

 問題の少女と接触したのは、しばらくそうして進んで行った後のことだ。

 

 当初、童話から抜け出してきたかのような風貌の少女を見かけた時は、肉体、精神共に疲弊したせいで幻覚でも見ているのかと勘違いしてしまった。

 そして、会話ができること、自分の頬をつねることで今見ているものは本物で夢幻の類ではないと確信し、俺は歓喜した。

 

 やっとここを脱出できる手がかりを見つけた!

 

 一気に不安が解消され、気が緩んでしまったせいか。

 

 

 

 俺は──

 

 どうして子どもがこんな遅い時間に一人森を歩いているのかを疑問に思わなかった。

 明らかに浮世離れした髪、目の色、装いなどから異常さを感じ取れなかった。

 子どもが使用するにはまだ早いであろう、真っ赤な口紅の不自然さに気づかなかった。

 そして、出会った当初から少女が後ろ手に隠していたモノに対して、意識を向けなかった。

 

 俺は、知らなかった。

 その少女が幻覚や夢幻の類であった方が、ずっとマシであったことを。

 

 

 

 

 

 少女は出し抜けにこう質問してきた。

 

「ねえ、あなたは食べていい人間?」

 

 彼女の手は欠損した人の腕を掴んでおり──それは赤い水滴を垂らしながら、だらしなく揺れていた。

 

 

 

 

 

 そこからは、ただあの人喰い少女から逃れたい思い一心で、真っ暗な森を駆け抜けた。

 スマホもバッグもどこかに落としてしまった。あるのは自分の身一つ。ポケットにも何も入っていない。

 

 全力で逃げ続けていたのだが、唯一の光源である月明かりがなくなってしまい、こうして追い詰められてしまった。

 

 

 

──たった今、逃走劇の幕が降りようとしている。

 

 

 

 俺は人喰い少女を見上げながら思案する。

 何とか息が整ってきたが、

 

……駄目だ、この暗闇じゃこの場を凌げてもろくに逃げられない。

 

 アイツはそれを理解しているのか、上からゆっくりと近づいて来る。

 これまで非凡な人生を送って来た自覚はあるが、ここまで明確に命の危機を感じ取ったことは初めてだ。

 

 危機的状況に陥った時。

 今まではどうやって切り抜けてきたんだっけ?

 

 そう思うと、唐突に思い出される事があった。

 

 

 

──そうだ、なんで今まで逃げる事しかしてなかったんだ。恐ろしさのあまり、自分が反撃の手段を持っている事を忘れていたのか。

 

 『恐怖! 真夜中の森に現れる人喰い少女』などというある種“オカルト”な手合いには、過去俺は何度も半強制的に立ち会わされてきた。

 

 そう考えると、あの少女はむしろ俺の得意分野だ。

 

 

 

 ふう、と息を吐き。

 自身に流れる“力”を、右手の人差し指へと凝縮させる。

 イメージするのは一発の弾丸だ。

 

 

 

 何故、心霊スポット巡りなどという場合によっては本当に危険な目に遭いかねないものを趣味に出来るのか。

 それはこの“霊力”を幼少の頃から認識し、超常的な存在に対する自衛の手段として活用できるのではと思いついていたからだ。

 

 

 指先を、降りてくる少女へと向ける。

 

 少女は、そんな俺の行動を見て可愛らしく小首を傾げた。

 

 

 正直、子どもの顔を吹き飛ばすのは本当に気が引けるのだが……これは身を守る為だ。仕方ない、か。

 生命の危機を察知しアドレナリンが脳内で放出されているのか、これまでにない“力”の高まりを感じる。

 

 

──霊力の弾丸を、放つ。

 

 

「喰らいやがれ!」

 

 

 それは、自分の放てる最大火力の弾丸だった。

 それは狙いを過たず少女の額に吸い込むように命中した。

 そして──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いったーい!」

 

 そしてその少女は赤く腫れたおでこを抑えながら、森の暗闇へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

──や、やったか?

 

 

 しばらく、彼女が去って行った方向に指先を向けて、照準を絞っていた。

 

 戻ってくる気配はない。

 負わせた怪我が想定よりも遥かに軽微で、再び襲ってくるのではと不安になるが、どうやら撃退には成功したみたいだ。

 

「…………はぁ」

 

 窮地を脱したのだと理解すると一気に張り詰めていた緊張がほぐれていき、遂には腰が抜けてしまった。

 

 そのまま近くの樹木へずるずる体を預けると、自然、夜空を見上げる形になった。美しい光景を前に一息つく。

 雲一つない満天の星空には、綺麗な月が浮かんでいる──あれ? ()()()()()

 

「なんだ、全然明るいじゃないか」

 

 逃走中、急に辺りが真っ暗になったのは分厚い雲が月を遮ったからだと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。

 

 じゃあ先程の真っ暗闇の原因は何だったんだ…? なんて疑問に思っていると、途端に先程の決死のやり取りが思い返された。

 

 さっきの一撃は紛れもなく自分の人生で最高の威力を秘めていた。

 俺の全力の攻撃をもろにくらって涙目程度で済ませるとは。あの少女はさぞ、強力無比な化け物だったに違いない。

 もし、こちらの攻撃でむしろ激昂して襲い掛かられていたら──

 

 今頃、彼女に美味しく戴かれていたに違いない。

 

 そう考えると逃げている際に感じていた恐怖が再び蘇ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 脅威を退けて万々歳だと思っていたが、結局何一つとして事態が進展していないことに気がついた。

 

 ひとまずこの森から脱出しなければ。

 

 何の装備も無しに野宿など正気の沙汰では無いし、このまままごついていては復帰してきた人喰い少女にまた捕捉されてしまうかもしれない。

 

──あの少女が持っていた人の腕って本物だったのかなあ。

 もしかしたら精巧な贋作だったかもなあ。いや現実から目を逸らすな、アレは確かに本物だったぞ。などと、ぼんやり考えながら歩いていると。

 

「……!」

 

 前方から、木陰を貫くようにして一筋の灯りがチラリと差し込んで来た。

 自然と駆け足になりながら更に近づいてみると、いつの間にやら俺は鬱蒼とした雑木林から抜け出せていて。

 

「あれは、村か?」

 

 広々とした田畑の先で、何やら前時代的な木造建築が立ち並んでいた。

 時代劇のセットか何かと思ったがどうやら違ったようだ。近付いてみて分かったがそこには確かに、人の営みの賑々しい気配が感じられる。

 実際に、着物を着用する人たちの往来も遠目からではあるが確認できた。

 

 もしかすると、俺は日本の山奥にある超のつく田舎の村に来てしまったのかもしれない。

 そんな予感を抱きながらも、村の外で先程からこちらに視線を向けてくる門番らしき人に声をかける。

 

「こんばんは、夜分遅くにすみません。変な質問かもしれないですけど、ここは何県の何市でしょうか。どうやら道に迷ってしまったみたいで──」

 





 このオリ主の最大火力について補足説明
 まずどの作品でも良いので東方を起動します 体験版でも可
 自機は誰でもいいです 早速ゲームスタートしましょう
 ショットボタンありますよね、それを一瞬だけ押します
 ちょろっとだけ弾が出ますよね
 それがオリ主の全開火力です 凡人なのでそんなもんです

 以下 ちゃんとした後書き
 オリ主の名前を出せなかったことに驚き
 つい出来心で読み専から転向しましたが、小説って表現するのが大変でぶっちゃけ後悔しています 見ると書くでこんなに差があるとは、やってみないと分からんもんですね(東方でルナノーコン動画見て楽勝そうだと手を出して火傷するイージーシューター並感)

 非ログインユーザーでも気軽に評価、感想できます
 奇特な方は是非
 誤字脱字も報告してくれたらありがたいです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ここはどこだ?帰り方は?

 せめて最初の方くらいは連日投稿を決めたいところ
 ちゃんとルビが機能してるか不安があります
 何度も確認したし大丈夫だよね



 

「おい、外来人だ! あの方を呼んできてくれ」

「私がですか? はあ、あんまりあの顔を直視したくないんですが。気分が悪くなりますし」

「……気持ちは分かるが早く動け、今度飯奢ってやるから」

 

 

 

 

 

 やっと人の気配がある場所への到達が叶った事と、話しかけた門番さんが思っていたよりも親身に話を聞いてくれたお陰で、ようやく人心地つくことが出来た。

 現在、俺はこの集落の詰め所のような家屋に案内され、腰を落ち着け、出されたお茶を飲みすっかりカラカラになっていた喉を潤している。

 

 一体どのくらいの時間、あの森を彷徨っていたのだろうか。この集落に辿り着けたのは幸運だったと言えるだろう。

 

 あのまま遭難し続けていたら──

 なんて想像するだけで身体が震えてしまった。

 

 ギィ、と戸が鳴る音がして部屋に人が入って来た。あの門番の人だ。

 

 真夜中に、それも土塗れになり小汚くなった(森の中を必死になって駆け回った所為)俺を追い返さないでくれた。不審人物と見做されても可笑しくはなかったというのに。

 その上、いつの間にやら森で遭難していたこと、人を食べるメルヘンチックな風貌の空を飛ぶ少女に追いかけ回されたことなど、荒唐無稽な話をしても疑念を持っていない様子だった。

 

 どうやら、あの非現実的な話を受け入れてくれているらしい。

 

 四十歳後半の男性で、体格がいい。

 毛皮を防具にして着込んでいて、集落の前で話しかけた時は鉄製の槍で武装していた。……ぶっちゃけ、時代錯誤も甚だしい珍妙な装いである。

 

 待たせてすまなかった。

 

 と、軽く詫びを入れた彼は俺の向かい側の席に座り込んだ。

 

「えっと、さっきからお世話になりっぱなしですみません。でも正直なところ今も混乱してて。もう何が何やら……」

 

「いや全然構わない、その気持ちはよく分かる。自分も外の世界から来てここに定住した身だからな」

 

……外の世界、という妙なワードに少々の引っ掛かりを覚える。だがそれを聞くよりも第一に、自分がいま居る現在地について質問する方が優先だろう。

 

「では早速ですが。結局、ここは何県なんですか?」

 

 別に、都でも道でも府でも何でもいいが。心の中でそんな事を付け加えながら答えを待つ。

 

 初めは、山奥にある消滅寸前の限界集落と当たりをつけていたのだが。しかしその割にはあまりに閑静さが足りていない。こんな夜中でもまるで居酒屋の喧騒の様な賑わいが、木製の窓から窺えた。

 

──さて、ここは本当にどこなんだろうか?

 

 門番さんは懐かしむような顔をして、こう答えた。

 

「県って、懐かしいな。──ああ悪い、質問に答えよう。ここは『幻想郷』の中に位置する『人間の里』という場所だ。どこの県? さあな、そんなのは最早関係ない事さ、気にしても仕方のない事だ」

 

「げんそうきょう…?人間の、里…?」

 

 人間の里などという広義的過ぎる名称にツッコミを入れたくなったが、話によるとここは“只の人間”が安心して暮らすことの出来る唯一の場所であるという。

 

 何? ここ以外は人間が安心して生活していけないところばかりであると主張したげな、その言い回しは。

 そう聞くと衝撃的な事実が発覚した。

 

──幻想郷とは醜い人外たちが跋扈する、妖怪たちによる楽園である。

 

 森で俺に襲いかかって来たあの少女(聞くところによると妖怪らしい)はまだまだ序の口で、人里の外はあんな化け物たちで溢れているらしい。

 

 それが本当だとすると非常にまずい。

 ここで帰路に着く手段を確保して、明日の朝にでも移動を開始する腹積りだったのだ。

 早くここから脱出して日常生活に戻らなければ、あと数日で大学が始まってしまう。

 

「ま、里の外れにある妖怪寺なんか物好きな奴は参拝しに行ったりもするし、鍛治で名の通った妖怪に自分はよく世話になる。見た目は醜悪だが腕は確かなんでな。──そうそう。今あんたを外の世界へ帰すなり何なりするために呼び出しているお方がいるんだが、見かけで判断して顔を顰めるなよ? あれでも、この里有数の人格者だからな」

 

「帰す? 呼び出し?」

 

 なんとかここを脱出する方法を思案せねばとウンウン唸って考えていると、門番さんが何か重大そうなことを言ったような気がした。って、

 

「外の世界へ帰すって言いました今!?」

 

 つい前のめりになりながら問いただす。急に大声を出したので驚かせてしまった。

 

「お、おう。と言っても選択次第だ。ここに残ることも、外の世界へ帰ることも出来る。俺は──訳あってここで暮らすことを選んだが、あんたのその様子だと帰る方を選ぶみたいだな」

 

 当然だ。

 

 誰が好き好んで危険な妖怪だらけな世界で生きていこうなどと思うだろうか。門番さんはそうではないようだが──ん?

 

「ええっと。あなたはどうして、こんな危険な場所に残ろうだなんて選択を? 『訳あって』というのは、一体どういう……」

 

 外の世界では命の危険など、ここと比較しては無いも同然だ。なのに何故彼はわざわざここに残ることにしたのだろうか?

 

 不自然に思い聞いてみると、門番さんは人の良さそうな顔を引っ込めて、あからさまに不機嫌そうな顔をした。

 

──しまった。何か気に障るような事を言ってしまったか。

 

 そう思い謝罪しようとしたが、彼の方が先に口を開いた。その顔には明らかに自嘲の色が見て取れ、活発な印象だったが突然老け込んでしまったように錯覚した。

 急な様子の変化に俺は戸惑った。

 

「外の世界を捨てて、ここに居座る訳──か。ハッ、あんたもこの世界に迷い込んだんだ。言わずとも察することが出来るはずだが?」

 

……いいえ、全然察せてないです。

 

 そんなことを言い出せる雰囲気ではなく、黙ってしまう。彼の方もそれ以上口を開くつもりはないようだ。

 

 気まずい、微妙な空気になりかけたが──

 

 コンコンと扉を控え目に叩く音、どうやら誰かが来たらしい。

 門番さんは立ち上がり、その扉へと進む。

 だが、このまま何も言わずに出て行くのは後味が悪いと判断したらしい、振り返ってこう言葉を残した。

 

「懸命に生きていれば、そのうち報われる時が来る。あんたも、それまで気張って生きろよ」

 

 じゃあな、と部屋を出て行った。……その少し寂れた男の後ろ姿に、未だ鮮明に思い出される記憶があったりするのだけれども。

 ひとまず俺は、どうして励まされたんだ? と困惑するしかなかった。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 詰所を出て、彼にここのことをどれだけ説明したのか、呼び出された彼女に伝えて門番の平常業務に戻る。今晩も星が良く見える。

 

 思えば、外の世界で体に鞭打って終わらぬ仕事に忙殺されていた頃は、こうしてゆっくり夜空を眺めようだなんて気持ちの余裕はなかった。

 あっさりと鬱を発症し、退職してこのどうしようもない人生に幕を引こうと試行錯誤していたら、いつの間にかこの世界にやってきていた。

 

 噂では、この世界は、身寄りもなく、周囲の人間からも忘れ去られてしまったような人間を引き込んでしまうらしい。

 恐らくあの青年も同じ苦しみを味わって、人生に絶望してしまったのだろう。

 

「あんなに若いんだ、まだまだ挽回出来るさ」

 

 久しぶりにセンチメンタルな気分になってしまった。そうだ、ちょうど奢ると約束していたんだった。仕事が終わったら他にも何人か捕まえてどこかで一杯やるか。

 うっかり泥酔しないよう気をつけないとな、後で家内に迷惑をかけてしまう。

 

 

 

 そうして、男は人里の外を見つめる。

 あちらには、あの青年が出会ったという妖怪のみならず、雑多な化け物が生息している。時には、人の形を取らない小型の妖怪共が作物を荒らすこともある。

 その時になれば自警団総出で追い出すのが常であるが、今のところその予兆もなさそうだ。

 そう考え、リラックスした体勢になる。

 もう少しで交代の時間だ、それまでこの夜空でも眺めていよう。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 門番さんと入れ替わるように入ってきたのは、森でエンカウントした少女のように、現実離れした容貌の女性であった。

 あまり背は高くない。見たところ俺よりも年下のように思える。

 しかし身に纏う雰囲気は何処となく理知的で、落ち着いた印象がある。

 明るい銀色の髪に青いメッシュが入っていて、頭にはリボンの付いたなにやら角張った帽子。青を基調としたワンピースには規則的なフリルが付いている。そして顔は──

 

 

 

 

 

──彼女の顔、それを自分の感性はかなり整ったものであると断じた。

 

 

 

 

 

 先程の門番さんの言葉を思い出す。

 

『今あんたを外の世界へ帰すなり何なりするために呼び出しているお方がいるんだが、見かけで判断して顔を顰めるなよ?』

 

 更に遡って、自然と聞こえてきた屋外からの会話。

 

『おい、外来人だ! あの方を呼んできてくれ』

『私がですか? はあ、あんまりあの顔を直視したくないんですが。気分が悪くなりますし』

『……気持ちは分かるが早く動け、今度飯奢ってやるから』

 

──どうやら、外の世界と断絶されたようなここ『幻想郷』であっても、自分を長年悩ませ続けた価値観のズレは、等しく俺を苦しめるらしい。

 

 すなわち、美醜感覚のズレである。

 おそらく、外と同じであれば『女性の容姿』のみに限定された、たったそれだけの──しかし、俺の人生に於いては決定的で致命的だったソレだ。

 

 

 

 想像してみてほしい。

 自身が美しいと感じる存在が誰にも見向きされずにいるどころか、裏でヒソヒソと貶されている。

 その一方でそうと思わないものが周囲に持て囃されたり、熱狂されたり、メディアなどで取り沙汰され、脚光を浴びている。

 

 趣味や音楽の趣向など、さっきまで「アレいいよね」とか「コレ面白いよね」などと気の合う皆と仲良く話していたと思っても、“ソノ”話題になった途端、彼らが見た目そのままに、中身を宇宙人にでもそっくり移し替えられてしまったように急に話が噛み合わなくなる。

 

 いっそのこと、全ての価値観が逆転していたのなら、むしろその逆転を楽しんで生きることが出来たのかもしれない。

 しかしあべこべなのは女性の容姿に対してのみだった。

 

 その中途半端さが最悪だった。

 

 なまじ周囲の人と同じ感性を持っているためか、それがズレてしまったとき、なんとも言えない不快感が襲いかかってくる。

 

──ああ、気持ち悪い、気持ち悪い。

 

 自分の中でなんとか折り合いをつけられたのがここ数年のことだった。

 それでも、未だに、違和感を払拭する事は出来ていない。

 

 

 

 

 

 

 

「その、大丈夫か?」

 

 ふと意識が浮上した。

 目の前には端正な面持ちの少女が立っていて、こちらを心配そうに見つめている。“上白沢(かみしらさわ) 慧音(けいね)”──彼女はそう名乗っていた。

 

「い、いいえ、大丈夫です。ええっと、上白沢さんとお呼びすればいいんですかね?」

 

「ああ、好きなように呼んでくれていい」

 

 見た目に反して口調が中性的で少し面を食らってしまった。

 

 物思いに耽ってしまい、自己紹介の最中であるのにボケっと立ち尽くしてしまったようだ。そうだよ、自己紹介だ自己紹介、確かまだこちらの名前を言ってなかったな。

 こういうとき、一人称をどうするべきか少しだけ迷ったりするものだ。楽な「俺」にするか、オフィシャルな「私」にするか。

 

 まあ、どうでもいいか。

 

「俺の名前は“藤宮(ふじみや) 慎人(しんと)”です」

 

 えっと、

 そういや何で彼女が来たんだっけ?

 そう、そうだ。思い出した。

 

「あ、あの、外の世界に帰るのに協力してくれるってさっき門番の人から聞いたんですけど」

 

「その通りだ。ということは、君はこの人間の里に暮らすのではなく、外の世界へ帰るつもりだということだな?」

 

 頷いて、肯定の意を示す。

 

「わかった。その意思を尊重しよう。だが今日はもう遅い、行動を起こすのは明日の朝からになるが構わないか?」

 

「ええ、大丈夫です。むしろその方が助かります。もう疲れが溜まってしまって、結構しんどいので」

 

 ちょっと前まで森という慣れない足場の中で、命の危機を感じながら全力逃走していたのだ。

 もう足がパンパンで筋肉痛が怖い。喉は潤ったが空腹が酷くなってきた。眠気も忍び寄ってきている。

 

 いやぁ、参った参った。

 

「……ふむ」

 

 痩せ我慢がてら愚痴っぽくおどけて笑ってみせると、上白沢さんは何故だか意外そうな目をこちらに向けてくる。

 どうしたのだろう。

 案外余裕そうだなぁとか、性格はお調子者タイプかなぁとか思われているのだろうか?

 その実、どちらも全くそんな事はないのだが。

 

 ふと正気に戻ったようにして、上白沢さんはコホンと態とらしく咳をした。

 結局、彼女が何を考えていたのかは分からなかった。きっと然程気にするような事でもないのだろう。

 

「……里には君のような外来人の為の宿がある。そこまで私が案内しよう」

 

 

 

 

 

 上白沢さんが言うには、人間の里には外来人を一時的に受け入れる宿泊施設のようなものがあるらしい。しかもタダ。道中で持っているもの全てを落としてきた俺にとっては、とても有り難い話だ。

 なんでもその施設の責任者は元外来人で、自身が苦労した経験をもとにして始めた無料サービスなんだとか。

 

 門番さんといい、外の世界から来てここに住む人は多いのだろうか?

 そう質問してみると、割合的には半々くらい、と答えてくれた。

 妖怪の楽園と聞いて恐れて帰る者、それを聞いてもどうせ身寄りもないし、元々死ぬつもりだったのだからと残る者に分かれるとのこと。

 

「個人的なことを詮索されるのは気に食わないだろうが、君も自殺なんて虚しいことは二度とするんじゃないぞ」

 

 上白沢さんは可愛らしくも重々しい表情で、そう締めくくった。

 

……いやいやいや、何故だか大変な誤解をされているようだ。訂正せねば。

 

「俺は自殺なんて考えた事も、試みた事もありませんよ? まあ、頼れる身内がいないのは確かですが」

 

「──そうなのか? それは失礼した」

 

 もしかして、ここの人達の言う『外来人』というのは、親族から縁を切られていたり自分の死を望んでいたり、そういった後ろ暗い背景を持つ傾向にあったりするのではなかろうか? だからこそ、今このようにして彼女は励まして(?)くれたのではないか?

 

 朧げながら、そんな考えが頭に浮かんできた。

 

 門番さんが去り際に妙なことを言っていたのは、俺がそんな暗い境遇と考えに悩まされてきたのだと勘違いからということか。

 そうなるとあの別れ際、色良い返答が出来なかったことが心苦しい。

 結構良いこと言ってたような気が──いや、それより誤解を正す方が先か。

 

 

 

 

 

「では明日の朝、案内の者をここへ寄越す。では、外の世界でも達者でな」

 

 木造建ての大きな平屋まで案内してくれた上白沢さんは、そう言って去っていった。

 てっきり明日も案内してくれると思っていたので少し残念だった。

 あれほどの(自分にとって)美しい女性はそうはいないだろう。

 

 出された素朴な食事はジャンクフードに慣れた自分には正直物足りなかったし、部屋も普段は倉庫にでもしていたのか埃っぽかった。

 しかし、無償でやってくれているのだ。

 感謝はすれど、文句を言えるはずがない。

 

 銭湯で疲弊した身体を労ると、いよいよ活動の限界が訪れる。

 

 眠い、とても眠い。寝坊しないようにしなければ──そう思いながら薄い布団に横になると、すぐさまに意識は彼方へと沈んでいった。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 幾ら上白沢慧音の知り合いの数は多けれども、あの外来人を博麗神社まで案内する道中、万一妖怪に襲われても危なげなく撃退できる人物など中々いない。

 さらに、一日中暇をしている──もとい、明日の朝という急な予定に都合がつく人物の心当たりなど、彼女には一つしかなかった。

 

「藤宮慎人、か」

 

 迷いの竹林目掛けて飛翔しながら、彼の名前を呟く。

 

──珍しく、不快そうな顔を向けられなかった。

 

 幻想郷に迷い込んだ外来人への対応は、はっきりと文言で定められているわけではないが、私が一応の責任者として取り持っていた。それが里での暗黙の了解となって、どれほどの年月が過ぎ去っただろうか。

 

 私の風貌を目の前にした外来人の反応は、男女問わず、大まかに二つに分かれる。

 

 一つは、頼る相手の機嫌を損ねないようこちらの様子を慎重に観察する者。悪印象を持たれないように、にこやかな顔を偽るのが特徴的だ。長く生きていれば、その表情が本物かどうかを見破るのは容易い。しかし、私の容姿の醜さは誰しもが認めるところ。それでも上手く折り合いをつけようとする分、もう一つと比べると圧倒的に理性的だった。

 もう一つは、外の世界への帰還が叶うと知った途端、不愉快そうな様子を隠そうともしなくなる者。見苦しさ故か、それとも半妖の身故か。しかし一番酷かったのは顔を見た瞬間に逃げ出されてしまったこと。その心情を慮れば致し方無い事ではあったが、さすがに傷ついた。こちらの方は少数派なのだが、やはり悪い印象とは尾を引くものだった。

 

 彼は、それらの誰とも違っていた。

 こちらを見ても、嫌悪したような素振りは全く見せなかった。

 

 これがもし高名な僧侶であったり、鍛錬を重ねた仙人などであれば、何の疑念もなかった。私が本意を看破できると自負出来るのは、普通の人間を相手にしたときだけだから。

 会話したところ、彼は見た目相応の年齢と精神性であり、術で容姿や年齢を偽っているわけでもなかった。では何故私の顔を見ても嫌そうにしないのか、いや寧ろ態とらしく戯けて笑いかけてくる始末だ。ますます理由がわからない。

 

 いずれにせよ、あの外来人は明日の昼頃には大結界を超えて外の世界へと帰ってしまう。もう二度と彼と出会うことはない。

 人との永遠の別れは幾度もなく体験したが、彼と関わったのはあの短時間だけだった。

 

 それなのに、これほど心残りになるとは。

 

 

 

 

 

 目的地に到着した。相変わらず今にも倒壊してしまいそうなあばら屋だ。この調子だと、いつものように中も酷い有様であることは想像に難くない。

 

 明日の依頼をする前に、軽く説教しないといけないな。

 

 寺子屋の教鞭に立つ者として、そしてこの中に住まう彼女の友人として、腕の見せ所だなと自分に喝を入れた。

 






 前半にいる門番さんはモブです、なんか色々主張してるけどモブなんです
 メモ帳には「里の門番 上(上白沢慧音の略称)へバトンパス」としか書いてないんですけどねえ
 まあそんなこと言い出したらキリがありませんけど
 前回ルーミア出したのだってアドリブだし 
 ホントは野良妖怪にオリ主を襲わせるはずでした
 思い通りに話が展開できないこの三文小説の明日はどっちだ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

紅蓮少女とささやかな収穫

 

 悪夢を見る。

 

 とてもとても恐ろしい夢だ。そこからなんとか脱出しようと、目覚めようと足掻くのは道理だ。

 しかし、夢を観ている最中に、これは夢だと認識出来ることなど殆どない。そこで何か致命的なことが起きたとき、或いは外部から何かしらの刺激を受けたときにやっと目を覚ますことができる。そしてほっと胸を撫で下ろすのだ。

 

──ああ、なんて恐ろしい夢だったのだろう、と。

 

 そうして、目覚めてものの数分の内にその夢の些細を忘却の彼方へと押しやってしまう。きっと無意識下で、防衛本能が働いているのだろう。

 嫌な記憶、怖かった記憶、目を逸らしたくなるような忌々しい記憶。

 寝ても覚めても、俺のやる事は一切変わる事はない。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

──はあ、最悪の目覚めだった。

 

 外来人を無償で保護してくれる宿にて、従業員さんが朝食として運んでくれたアンパンを食す。もそもそと。

 形は整っていないが、たまにコンビニで買うアンパンと遜色ない味で満足している。

 

 槍で武装していたり、飲み水も水道なんてものはなく井戸から水瓶に汲み置きする必要があったり、もしやこの幻想郷という世界の文明レベルは相当低いのではという懸念があった。

 

 まぁ外の世界と比較してしまえば言わずもがな。今日の昼には帰ることができるという話だし、ちょっと本格的に昔の暮らしを体験できたのだと考えると、その不便さも楽しみの一つとして思えるようになった。

 

 

 

 アンパンが日本で普及したのはいつの時代なんだっけ?

 こういう時に頼りになるスマホは森で紛失したままだ。

 俺も現代っ子の端くれだ。出来れば回収してしまいたいのだが、時間的にも自分の実力的にも、もう諦めてしまうのが賢明だろう。

 無理を通して捜索したとしても、具体的にどの辺りに落としたかなど覚えている筈も無く。精々、そこでうろうろしてるうちに妖怪に捕まって八つ裂きにされるのがオチだ。

 最後の一口、ゆっくり噛んで飲み込む。

 手に付着したパン屑を落とすために両手を拭っていると、左腕に軽い痛みがやってきた。

 

 あの悪夢の影響か。

 

 もう細かいことは忘れてしまったが、昨晩は悪夢に魘されたのだった。

 よく考えずとも理由は明白、暗い森で遭遇したあの忌々しい人喰い妖怪のせいである。

 

 そいつは、なんと夢の中でも俺を追いかけてきやがった。

 霊力の弾丸を額に打ち込んだことへの意趣返しなのか、自分がしたように霊力(妖怪が使うから妖力というべきか)を弾丸状にして打ってきた。

 しかも、俺の放てる何百、何千倍もの弾数で。

 這う這うの体で逃げ出すものの、地を走るこちらと空を飛ぶあちらとでは機動力に差があり過ぎてあっという間に何発か被弾してしまった。

 動きが鈍ったところ、次の瞬間には無数の弾が俺に押し寄せてきて──

 

 そしてその直後、飛び上がるようにして目覚めたのだ。

 

 そのとき咄嗟に左腕で身体を庇ったせいか、起きてしばらく時間が経過した今でも若干の痛みを感じている。多分プラシーボ効果ってやつだ、やたらとリアルな夢だったような気がするから。この痛みは、きっと思い込みに違いない。

 

──よもや、夢で受けたダメージが現実の体にフィードバックされているわけでもあるまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 アンパンでぱさついた喉を潤したり、所々ほつれてしまった衣服の確認などをしていると、部屋の扉を叩く音がした。

 きっと上白沢さんの言っていた、外の世界へ返す所にまで案内してくれるという人がやって来たのだろう。

 はぁい、と返事をして迎えようと立ち上がったところ。その人物は返事をする前に扉を開け、躊躇う様子もなくズカズカと部屋に上がりこんできた。

 

 そういえば、昨日は疲れ過ぎて鍵かけるのを忘れてたな。

 

 そんなことを思う間もなく、眼前に立つ少女を見て息を呑んだ。

 昨日、上白沢さんに見た目で匹敵する人物はなかなかいないと思っていたが……早速その翌日に見つけることになるとは、ちょっと予想外だった。

 

 

 

 服装は、白い上着と、御札みたいなものが散発的に貼られている赤い──確かもんぺといったか、をサスペンダーで吊るしている。

 とても長い白髪を髪留めで束ねているが、今にも床に付いてしまいそうだ。

 そしてあの赤い瞳、引き込まれてしまうような深い赤に、つい反射的に昨晩の人喰い妖怪を連想してしまった。

 

「あんたが、慧音の言ってた外来人?」

 

 彼女はジロジロと無遠慮に視線を向けてきた。

 

 急にパーソナルスペースまで詰められたものだから、少したじろいでしまう。

 そ、そんなに見つめられても困るんですけど。あ、外の世界の服が珍しいのかな? でもね正直、貴女の方がずっと珍妙なファッションだと思うんですよ。

 

──無論、そんな失礼なことは誤っても口にはしない。

 

 見つめられるのはそう長い間ではなかった。

 ふぅん? という声とともに視線が外された。どうやら満足したようだ、その割には納得いかないといった表情をしているが。

 

「準備はできてるだろ? ついてきてくれ」

 

 素っ気無い態度でそう言って、少女は部屋から出て行ってしまった。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ!せめて少し部屋を掃除してからだな──って待ってくれないのかよ!」

 

 お世話になった手前、従業員の方には本当に心苦しいが、部屋はそのままに、しかも出立を知らせることが出来ぬままに宿を飛び出した。

 

 

 

 

 

 目が覚めてから大分時間が経っていて、そろそろ正午になるかといえばそうではない。というのも悪夢のせいで日が差し込む前に起床したからだ。

 これは再び寝付けそうにないなぁと悟り提灯を灯してボケーとしてると、それに気づいた従業員さんが朝食を早めに持ってきてくれたのだ。

 それを食べ終え彼女が入ってくるまでの間も、それほど長くなかった。

 

 つまり現在、やっと太陽の光が出てきた時分なのである。

 

 それでも人間の里の朝は早いらしく、昨晩ほどではないが人の往来があった。皆が皆、当然のようにして和服を着流している。

 

 つまり、何が言いたいのかというと──

 

 外の世界の格好をした俺と、奇抜な髪色とファッションセンスをしてる彼女が横並びになって歩いていると、とんでもなく目立つということである。

 先ほどからすれ違う人たちがチラリとこちらを盗み見しているのが分かる。

 視線を感じてそちらの方を見ると、サッと目を逸らされる。ずっとその繰り返しだった。

 

──はっきり言って、かなり面白くない。

 

 それは彼女も同様のようで、

 

「ああもう、だから引き受けたくなかったんだ」

 

 そんな愚痴をこぼしていた。なんだかすごく申し訳ない気持ちになってきた。

 幸い、人里の外は目の前だ。

 やっとこの居心地の悪さから解放される。ほっとして肩の力を抜いた。

 

 

 

 

 

 

「え、妹紅さんって人里に住んでいないんですか?」

 

 人間の里の門を抜けて、田んぼのあぜ道を抜けて、俺たちは雑木林の中を歩いていた。

 道らしき痕跡は存在するものの、滅多に利用されることがないのだろうか。

 雑草は生えまくっているし、握り拳くらいの大きさの石がゴロゴロと転がっている。

 

 そんなもはや道とは呼べない代物に沿って、並行して歩いている。

 

 そのスピードは遅い。というのも、昨日の逃走劇による筋肉痛が今になって両足に直撃したからである。彼女はそれに合わせてくれているという形。

 その上、二人して黙々と進む気まずさに負けて、場を和ませようと俺が彼女に話しかけまくったせいでもある。

 これにより、お世辞にも早いと言えないペースがさらに遅くなってしまっていた。

 

 初めはただ、居心地の悪い沈黙から逃れるために始めただけなのだが──

 

 遠くにある見事なお花畑や、遥か先の上空に浮かぶ逆さまになったお城など、取り敢えず移動中に見つけた気になったものについて質問してみる。

 初めは答える気がなかったのかはぐらかされていたのだが、挫けず質問し続けると根負けしたのか彼女はぼそっと答えた。

 そうなればこちらのもの、答えの内容にさらに突っ込んで、ガンガン幻想郷についての話題を広げまくった。

 

 かなりウザったいだろうが、こんな世間と隔離された異世界に迷い込むという貴重な経験は、二度と体験できないだろう。

 丁度、そんな経験談に食いついてくる知り合いに心当たりがある。オカルト話に目がない『彼女』のことだ、きっと仰天して羨むに違いない。

 

 調子に乗って質問する様子に、白髪の少女はやや引き気味ながらも応えてくれた。

 自己紹介は、とうに済ませてしまっていた。

 彼女の名前は“藤原 妹紅(ふじわらのもこう)”という。

 「藤原さん」と呼ぶと何故か嫌がられてしまったので、失礼ながら「妹紅さん」と呼ぶことになった。

 

 なんと彼女は安全な人間の里に居を構えずに、『迷いの竹林』という場所で暮らしているそうだ。これなら人里で、かなりの注目を集めていたことに説明がつく。

 人里の皆は、妹紅さんのことを見慣れていなかったのだ。

 

 では、その迷いの竹林とやらは安全なのかというとそうでもないらしく。

 普通に妖怪は出没するし、その最奥には一眼見るだけで末代まで呪われてしまうという、途轍もなく悍ましい化け物が潜んでいるらしい。

 

 どうしてそんな魔境で生活を送れるのかと質問すると、彼女はあっけらかんとこう答えた。

 

「最奥の化け物はこちらから突っかからない限り無害だし、それ以外の雑多な妖怪どもは自衛がてら燃やしてやった。今じゃ私が恐れられているくらいさ」

 

 自慢をするわけでもなく、ただ単に事実を述べている、そんな様子だ。

 俺はその話に半信半疑だった──幸か不幸か、その疑いはすぐ立ち消えてしまう事になったわけだが。

 

 

 

 

 

 木々の隙間から、ぬらりと姿を見せる一匹の妖怪。

 自動車ほどにもなろうかという大きさだ。

 赤い目が幾重にも重なり、牙は長く、鈍く光っている。

 六本の脚を不規則に動かす様は、特別虫を嫌うわけでもない俺でも嫌悪感を抱かせた。

 蜘蛛のような形をしたその化け物は、俺たちに襲いかかる。

 

 逃げろ! と声を張り上げようとして、しかし彼女が異形の前にふらりと歩み出るのを見た。そして、

 

「よっ」

 

 気の抜けた掛け声と同時に、彼女の指先に灯火ができた。

 その灯火は一瞬で大きく、少女の半身に迫るほど巨大化し、放たれ、その妖怪を飲み込んでいった。

 眩しさにやられかけ、目を細める。そして肌が灼けるかと錯覚するほどの、圧倒的な熱量。

 そのとき鳴り響いたギィィという不快な反響音は、きっとあの化け物の放った断末魔だったのだろう。

 

……なんともあっさりした幕引きであった。

 

 

 

 

 

 そこに残ったのはすっかり焼け焦げた草木のみ、妖怪はサラサラと塵となって風に運ばれていった。

 あれだけやって、周りの木や雑草に延焼しないのは奇跡的だ。

 

 俺はすっかり腰を抜かしてしまった。ただただ彼女に対して畏怖の念を抱くことしかできない。

 そんな視線に気がついた彼女は、がりがりと頭を掻きながら歩み寄ってきた。

 

……少しやりすぎたか。あー、その、大丈夫か?」

 

 そして手を差し出した、引き上げてくれるのだろう。

 

 俺は、その手を取ることができない。

 何故ならば、

 

 

 

「──か、格好いい……」

 

「──は?」

 

 

 

 化け物を葬ったあの炎に、すっかり見惚れてしまったからである。

 

 

 

 不意に、懐かしい情景が思い浮かんだ。

 

 人目のない校舎裏で、自分が編み出した技をお互いに見せ合って、『先輩の霊力は相変わらずしょっぱいですねえ』と小馬鹿にされ、見返してやろうと一人で試行しても上手くいかず、悔しがるしかなかった。

 

 そんな、人には明かせないほろ苦い青春の一ページ。

 なんというか、失われた少年心が動き始めたような気がした。

 

 何やら呆気に取られた表情の彼女の手を取って立ち上がり、向き合う。

 

「妹紅さん、お願いがあります」

 

 

 

 

 

 

 再び歩き始めたのは日が天辺から傾き始める頃だった。

 本来ならばとっくに目的地に着く頃合いだったらしいのだが、……仕方のないことだ。

 筋肉痛も、つい話に夢中になったことも、

 

 そして妹紅さんにさっきの技を俺に教えてくださいと駄々を──いや、真摯に訴えて少し時間を借りて練習したことも、仕方のないことだったのだ。そう、仕方ない、仕方ない。

 

「ふっふっふ」

 

 自分の指先に灯った火を見て、ほくそ笑む。

 

 意識的に霊力を弾丸として放つことは、中学時代からできていたのだ。ただそれを少し応用しただけのことである。

 正直に白状すると、霊力ではない“何か”(例えば火、水、雷とか)を代わりに発射できないか四苦八苦して、結局実現できずに断念したことがある。

 

 足りなかったのは、適切な指導者の存在だった。

 

 天才児のやることは模倣できない、俺はどうあがいても凡人なのだから。

 地道に目先の課題を片付けていけば、いずれは──

 

「うわ熱っ」

 

 風に煽られ、火が指の腹を舐めた。幸い咄嗟に消したため、火傷はしていないようだ。…ちょっぴり背中から冷や汗が出た。

 

 何やってんだコイツ、と言わんばかりに突き刺さる視線を口笛を吹いて上手いこと誤魔化して、これを使うときは風向き注意、とそっと内心メモをする。

 

 今後、つまりこの術の将来に想いを馳せる。

 

 現状はライターの火程度の規模の炎しか作り出せないが、ゆくゆくは妹紅さんがさっきやったような、いやそれを超える派手な火球を作れるようになれるかもしれない。割とすんなり習得できたのだ、資質的に向いているかもしれない。

 

 根拠のない謎の全能感に包まれる俺を横目に、妹紅さんは祝福してくれているのか微笑んでいる。

 

 それは俗に言う愛想笑いではないか? という可能性に気付いたのは、再び目的地へと出立する時になってからの事だった。まあ、すぐにそんな訳ないかと却下してしまったけれど。

 

 

 

 

 

 外来人を外の世界に送り出す手段を持つという『博麗神社』、それを擁する山の麓に到着した。

 妹紅さんとも、ここでお別れとなる。

 

「色々お世話になりました。特に、修行つけてくれたのは本当に嬉しかったです」

 

「いや、私も、なんだかんだ久々に楽しめたよ。──それとちゃんと火の用心をしろよ? 正直、見ていてあんたは危なっかしいからな」

 

 苦笑まじりにそう言い残した彼女は宙に浮かび、人里とは違う方角へ飛んでいった。

 おそらく迷いの竹林にあるという自宅へと帰るのだろう。

 

 あ、妹紅さんも空を飛べたんだな……いや、あんな見事な火球を放てるんだ。きっと彼女にとって飛行など朝飯前なのだ、そう納得する。

 

──そういえば、彼女は人間だったのだろうか?

 

 人喰い少女は妖怪だったし、慧音さんも門番さんのあの言い回しだと恐らくそれに近い存在なのだろう。

 普通じゃない格好に、普通じゃないあの実力。俺の方が年が上のはずなのだが、なんだか年下扱いされていたような気もする。

 

 無性に気になったが、後の祭り。もう質問することは叶わないのだ。

 

 

 

 

 

 長く、高く続く石の階段。

 視線を上げてよくよく目を凝らせば、その先にゴール(大きな朱色の鳥居)を見つけることが出来た。

 

 俺は日の出から移動を開始した。

 そして、多分現在時刻はオヤツを食べるにはまだ早いかな〜と思う程度の時間帯だ。

 その間ずっと歩いていた──もちろん休憩は挟んではいたが。

 

……正味、かなり足に“キテ”いる。ただいま絶賛筋肉痛中であることを忘れてはならない。この状態でこれを駆け上がるのは、無理じゃないかなあ。

 

 石の階段はこれまでの無惨な道に張り合うかのようにぼろぼろで、ところどころ苔むしている。

 

 高いとこで滑ったら死ぬんじゃねーのコレ?

 

 足を踏み出す勇気が出ない、がここを動かずというわけにはいかない。

 休憩するという選択もあるか? いや、日が暮れてしまうと非常に困る。

 もう暗い中を彷徨うのは勘弁だ。

 

──よし、腹を決めた。

 

 俺は石段に向けて歩き出す。そしてどうか夕暮れ前に登頂できますようにと博麗神社の神にお祈りした。

 まあ、何を祀っているのか知らないんだけど。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 

「これから毎日きちんとした生活を送っているのか逐一監視される事と、私からの簡単な依頼を引き受ける事、どちらを選ぶ?」

 

 いつものように慧音の説教を受け流していると、突然そう問いかけられた。

 

「そんなの、実質一択じゃないか」

 

「そうか、それは良かった。ではさっそくだが依頼内容を説明するぞ? そも、事の始まりは妖怪の賢者がこの地に『幻と実体の境界』を張り巡らせた事に始まり、その後『博麗大結界』並びに『常識と非常識の境界』を新たに……」

 

 

 始まった。

 

 説明が冗長過ぎるのは彼女の悪い癖だ。

 あと、世話好きなのも悪い癖だな。本気で心配していることが伝わってくる分、よりタチが悪い。

 それにしても、慧音が私に頼みごととは珍しい。なにか火急の用であるのかもしれない、そう思って長話に耳を傾ける。

 

 

 

 結局のところ。彼女の提案を両方とも蹴ってしまえば、面倒事にならなかったのではと気がついた。

 だが、そう思いついたのは満足そうに立ち去る慧音を見送った後のことだった。

 

 

 

 翌朝、依頼を引き受けたことを早くも後悔した。

 彼には常人には持ち得ない何かがある──彼女にしては珍しく抽象的な表現に留めた件の藤宮慎人という外来人は、観察したところ特に大した人物であるようには思えなかった。

 人の行き交いもほとんどないだろうと踏んで日の出と共に急いで出発したが、想定外に沢山の人が歩いていて、不審な目を向けられ続けた。

 

 不愉快な目にあったが、後は黙って案内するだけ。

 やれ筋肉痛がとうるさく主張する外来人に仕方なく合わせ、徒歩で移動する。

 

──はぁ、飛べばこんな面倒な頼まれごともすぐ済んだのに。

 

 少し、むかついていた。

 

 

 

 急に『向こうに見えるお花畑って…』とか何とかなんの脈絡のない質問をされたときは、八つ当たりで無視してやった。

 それでもなお、必死に話しかけてくる彼をいなしながら、慧音が言っていたことを思い出す。

 

『私の顔を見ても、どうやら彼はなんの痛痒も、不快感も覚えないらしい』

 

 そんな馬鹿な、とその時は聞き流したが、慧音の所感はよく当たる。試しに返事をしてみると、彼はとても嬉しそうな表情を見せた。

 

 

 

 話題が迷いの竹林になり、ちょっとした悪戯心で永遠亭の連中のことを若干脚色して吹き込む。少し鬱憤が晴れて、アイツを殺しに行くまでの日程を延ばすことに成功した。

 アイツとの闘いは、まず己(の吐き気)との闘いになる。

 胃の内容物で窒息死しないようここ数日断食していたが、その備えも必要無くなった。今晩は鰻の蒲焼きでも食べるとしようかな……

 

 

 

 

 

 彼と別れた少し後、迷いの竹林の小屋で、私は指先に灯した炎をじっと見つめていた。

 

──格好いい、だなんてこの力を形容されるのは、初めてのことだった。

 

 幻想郷に来る前だって、この顔や白髪、術を見て、好意的に接する者など殆どいなかったというのに──と、つい暗い気持ちになるのを堪える。

 

 飲み込みが早かった割に、彼は才に乏しいようで、懇願されて仕方なく教えた火の術はあまりにも小さかった。

 弟子をとったことなどないので断言は避けるが、あと数十年訓練したところでその熟達のほどは今とさして変わることはないだろう。

 そう伝えようとしたのだが、物凄く楽しげにしていたので言い出すことが出来なかった。

 

 もし彼がそれを知ったらどんな顔をするのだろうか。

 

 沈んだ気持ちを慰めるため、頭の中で彼に百面相させてみると、プフッと少し吹き出してしまった。

 





 シリアスな描写というのが苦手だと自覚して、もこたんの過去回想をいろいろとこねていたのですが已む無く先延ばしすることに
 まだ三話目なんだしオリ主の方の描写に集中しましょう
 きっと未来のわたしが素敵な文章を作るはずだと期待しつつ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

さらば愛しき?幻想郷

 オリ主は大学生と書きましたが、具体的な年齢は大きく大雑把に見積もってくれると大変助かります
 あまりに細かく決めちゃうと設定破綻が怖くなりますからね



 

 人間、頑張ればエベレストにだって、新大陸にだって、深海にだって、宇宙にだって突き進むことが出来るのだ。

 それらの偉業に比べて、俺が今登っている石段のなんと矮小なことか。

 人類は、階段などという原始的なものなんかには決して屈しない。絶対に、屈しないんだからぁ!

 

 

 

──嘘です、普通に屈します。見ておくれこの震える両脚を。まるで生まれたての子鹿のようだろう…?

 

 ぷるぷると身体を揺らしながら、一歩ずつ着実に足を上げる。

 足が棒のよう、とはまさにこのことか、正直もう泣きそうだ。

 

 エベレストも新大陸も深海も宇宙も、入念な準備や度重なる幸運が積み重なってやっとのことで進めたステージなのだ。

 

 翻って俺はどうだろう。準備するどころか最初の一段目の時点で体力をほぼ使い切っていて、階段を登るというこんな単純な作業に幸運が介在する余地などない。

 

 結論。とっても苦しい。

 

 適宜、座って休憩を挟んでいくかとも思ったが、一度座り込んで気を抜いたが最後、もう立ち上がれなくなるだろう。

 

 そんな確信を胸に、ひたすら登る。泣き言をいっても事態は進展しない、無心で只々取り組むのがいいだろう。

 そう思いつつも愚痴は止まらない。

 

──ひぃ、まだ半分かよお。勘弁してください。

 

 

 

 

 

 人間、頑張ればエベレストにだって、新大陸にだって、深海にだって、宇宙にだって──ってさっき言ったわこれ。

 おかしいな、疲れているはずなのに気分が脈絡もなく上がってきた。

 

 疲労がピークに到達してもなお、足を動かし続けていると急にスッと太腿の痛みが引いた。

 これ幸いとペースを上げる。なにかとんでもなく身体に悪いことをしている感覚があって冷や汗がすごい。

 

 

 

 もうゴールは目の前だ、苔に足を取られて滑らないよう細心の注意を払って残りの十段を踏み締める。

 深呼吸して息を整える。なんとか夜になる前に到着することが出来た。大きな朱色の鳥居をくぐり抜けて、目の前の寂れた神社を見据えて境内に入る。

 

 ここが、博麗神社か。

 

 聞くところによれば、ここには外来人を外の世界へと帰してくれるという巫女さんが住んでいるという。

 人間を害する妖怪を調伏したり、幻想郷で偶に発生する“騒動”を解決するという、謂わば調整役のような役割を担っており、実際に解決した“騒動”──妹紅さん曰く『異変』──は過去多数存在するらしい。

 その時の博麗の巫女の様相は──まるで災害のようだった、とも言っていた。

 

 

 

 神社の手前、縁側に座ってお茶を飲むこの子こそが、きっと博麗の巫女に違いない……んだよな?

 目の前に映るこの少女が『災害のよう』なんて言われても、俺には到底理解出来そうにない。

 

 

 確かに、巫女っぽい格好をしているのだが、外の世界の神社で見かける上が白、下に赤という一般的に想像される服装とは違い、全身赤を基調とした装いだった。白の部分を担当するのは何故か独立している両袖。そのせいで肩と腋が露出してしまっている。

 

 言葉を選ばずして率直な感想を述べてしまうと、所謂コスプレのようなデザインだった。

 

 しかし、その自然な着こなしはそんな感想を叩き落とし、これこそがこの幻想郷の由緒正しい装衣なのだと主張している。

 艶やかな黒髪の後頭部には模様が入った赤い大きなリボン、同じく赤い髪留めが両サイドにもつけられていた。

 

 

 

 そんな巫女さんは先程からこちらを大層胡乱げな目をして観察していたが、俺の顔──いや服を見てどこか得心がいった、というように軽く鼻を鳴らす。

 こっちも不躾に観察していたのだ、せめて失礼のないようにしよう。外への帰還に協力してくれるという話だったはずだ。

 

「すみません、外の世界に帰ることが出来ると聞いてやってきたんですが──」

 

 そう言うと彼女は立ち上がり、慣れた様子で縁側に座って待つよう指図した。

 

「あなた外来人ね? ここで座って待ってなさい。準備するから」

 

 こちらに一瞥もせず、建物の奥へと向かっていった。

 

 

 

……なんだか雑に対応されている気がするが、よく考えてみれば当然のこと。

 

 無料宿泊施設の外来人用客室が埃っぽかったので、そう頻繁に外の人間がこの世界へ迷い込んでいるわけではなさそうだが、俺のように帰還する事を選択した過去の人たちも同様、この神社を頼っているのだ。

 あの巫女さんも、きっと何人もの外来人を外の世界まで帰してきたのだろう。つまり、慣れたことだからさして気負う必要性を感じていないということだ。

 そう思うとあの流れ作業的な対応も、なんだか頼もしいものに思えてきた。

 

 

 

 

 

 どっかりと座って疲労した己の両足を労わる。

 ここから望むオレンジの夕日が美しい。

 

 思えばこの幻想郷へ来てからそろそろ丸一日が経過したことになる。

 森で遭難し、妖怪に襲われ、人間の里で保護してもらい、ここまでの道中ではいまいち進歩のなかった“力”に新たな光明が差した。

 

 ああ、本当に激動の二十四時間だった。

 これほど濃密な時間を過ごしたのは初めてと言ってもいいかもしれない。

 

 博麗の巫女は、なにやら呪術的な雰囲気のする道具をいくつか持って出て来た。そのまま、この神社の入り口の鳥居を前に、何やらぶつくさと念仏染みた事を唱えている。

 

 俺はその様子をただ眺めている。

 道具を用いて儀式めいたことをしている少女の風貌は、とても可憐で……

 

──そういえば、結局こんな異世界であっても、俺のこの美醜感覚が異常であることに変わりはなかったんだなぁ。

 

 はぁ、と気を落としていると、巫女さんは儀式を切り上げてこちらに視線をよこしてきた。頷いて腰を上げる。

 どうやら、準備が整ったらしい。

 

 

 

 俺が博麗神社を訪れた時はごくごく普通の鳥居であったのだが、現在では全体に薄い膜の様なモヤがかかっていて、神秘的な雰囲気を醸し出している。直観的に、アレを通る事で外の世界へとテレポートするのだろうと察することが出来た。

 

 説明しないと煩い奴がいるから、と巫女さんから鳥居の前で禁則事項──のようなものの説明を受けていた。「面倒くさいから一度しか言わないわ」と言われたので、うっかり聞き漏らさないよう集中して聞いていた。

 

 彼女はスラスラと諳んじる。

 

『その鳥居に入ってからは、只々道を進み続けよ、決して引き返してはならない』

『その道を外れてはならない、振り返ってはならない』

 

 などなど。

 

 その中に、少し了承し難いものがあった。

 

 言い終えた巫女さんに質問する。

 若干動揺して地の口調が出てしまった。

 

 

 

「『幻想郷に関する記憶の一切を封じる』──つまり、ここのことを俺は忘れてしまうってことだよな? 正直、受け入れ難いんだが」

 

 

 

 記憶を弄られると聞いていい顔をする者はいないし、ここで親しくできた人のことを忘れたいとは思わない。

 そしてなにより、幻想郷のことを知り合いへの土産話に出来ないではないか。

 

──記憶を保持したまま外の世界へ戻れないのか?

 

 暗にそう質問すると、彼女はさっぱりと答えてくれた。

 

「受け入れなさい、そういう仕組みになっているのだからどうしようもないわ」

 

 にべもない、そんな様子だった。

 

 

 

 

 

 

「お世話になりました」

 

「ん」

 

 博麗の巫女は箒で境内を掃きながら、どうでも良さげに応じる。

 

 非常に遺憾であり本当に名残惜しいのだが、それでも、脳の記憶領域を侵されてでも外の世界に帰りたいという意思は、結局曲がらなかった。

 

──まだ、外の世界にはやり残したことがある。

 

 鳥居の前に立ってそのまま進み、鳥居を覆うモヤを突き破ると、辺りが極彩色の空間に放り出された。さまざまな色を放つ光の背景が、まるで生き物のようにうねっている。

 

 一瞬呆けたが気を持ち直し、巫女さんの言っていた警告を思い出す。

 きっとこの糸の様な光が『道』なのだろう、自分の足元からまっすぐ彼方まで伸びている。分かりやすくて助かる助かる。

 

 それに沿って、歩いて行く。

 

 まだ、幻想郷のことを忘れていない。だが、きっと次の瞬間にでも忘れてしまうのだろう。それまではその思い出を噛み締めながら歩いていこう。たった一日だけの、異世界旅行。終わってみればなんて事のない、日常に潜む非日常であったのだなぁ、なんて、それっぽく総括しちゃったりね……

 

 そうやって取り留めの無い思考をするうちに、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐおっ…!」

 

 不意に、『何か』によって身体が後方へと引っ張られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふと気がつくと、俺は博麗神社の鳥居の前で立ち尽くしていた。

 境内を箒で掃除していた巫女さんがこちらに気付いて不思議そうな顔をしていた。きっと、送り出したと思っていた外来人が戻ってきたことに驚いているのだろう。

 

 しかし、驚いているのは俺も一緒だ。

 

 警告に反することをしたわけではない、巫女さんの警告を間違えて記憶してしまったわけでもない。

 

 

 

 何故。どうして。外の世界へ帰れるはずじゃあなかったのか? 引っ張られた。抵抗する間も無く引っ張られた。いったい何が起きたんだ? 自分と光しかなかったあの空間で一体何が…?

 

 混乱していると、

 

 

 

「へえ、貴方、面白い能力を持っているのね」

 

 

 

 いきなり眼前の空間が裂けて、そこから女性が現れた。

 

 紫色のドレス。長い金髪に蝶々結びのリボンがついた白い帽子。日傘をさしている。

 どういうわけか、成熟した女性のようにも見えるし、儚げな少女のようにも見える。

 

 その女性は俺と巫女さんの間に降り立った。

 

 

 

──自分の価値観のほんの一部が周囲のそれと真逆なのだと気づいた幼少期から、相手がどんな人物かを推し量るために、見た目だけで判断することはかなり少なくなった。

 

 しかしそれは決して、外見を軽視することを意味するわけではない。

 

 仕草や表情などから相手が何を考え、どういった感情にあるのか漠然とではあるが察することは出来る。見る人が見れば、顔色や肌の調子からも、健康状態なんかを知ることもできるそうだ。社会的通念上、第一印象がいかに重要であるものなのかを熱心に説く者もいる。

 

 一部の美的感覚が狂っている俺でも、初対面の人に対しては外見からの情報だけを頼りにするしかないのである。

 

 

 

 

「ご機嫌よう」

 

 そう挨拶して薄く微笑みかけてくる紫色の少女と向かい合って、俺は内心、彼女に対してこういう印象を抱いた。

 

──なんだか非常に胡散臭いやつだな、と。

 

 

 

 

 博麗神社の縁側で腰を下ろす人影が二つ。

 

 一つは俺、出されたお茶の薄さに驚きながらも文句を言わずに啜る。

 もう一つの巫女さん──“博麗(はくれい) 霊夢(れいむ)” と名乗った──は、どこ吹く風といった様子でぼんやりと夕日を眺めている。

 

 そして、丁度俺と巫女さんと正三角になるように、突然現れた少女──“八雲(やくも) (ゆかり)”──はぽっかりと開いた空間に座って俺たちを交互に見やった。

 開かれた空間の中には、漆黒の闇にいくつもの眼が蠢いていた。

 

 なんだ、あれは。

 余りにも悍まし過ぎる。

 

 俺はその空間の裂け目から目を逸らしながら、彼女の先程の話を受けて問いただす。

 

「──どういうことですか」

 

 少し声が震えてしまった。

 

 それを受けて彼女は答える。

 何がおかしいのか。その口元に浮かんでいるであろう笑みを、手に持つ扇子にてひた隠しながら。

 

 

 

「どういうことも何も、さっき言った通りよ?

 ──今の貴方では外の世界へ帰ることは不可能だ、ということよ」

 

 

 

 自分の顔が引き攣っているのを自覚し、なんとか表情を元に戻す。

 冷静になれ、冷静に。

 しかしそう必死に言い聞かせても、動揺は抑えられない。

 

 どうすればいいってんだ。

 




 
 話の展開を優先すると、あべこべ要素が薄くなってしまうというジレンマ
 もう暫くお付き合いください



 初感想、初評価を頂きました
 つい口角があがっちゃうのは仕方のないことだと思います

 励みになると同時にプレッシャーを感じてしまうのは私だけしょうか?
 人参を目の前にした馬の如く(流行りに乗る)、駆け抜けていきたいものです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

素人による華麗なる推理ショー

 試しに予約投稿なんてやってみたり
 今回ごちゃごちゃしてます 鬱陶しくなったら斜め読みしてもらって構いません 後書きで簡潔な流れを載せておきますので



 

 

 外の世界への帰還は不可能である。

 

 そう聞いて平静さを保てるほど俺は達観しているつもりはないし、外の世界に未練がないわけでもない。

 親は既に他界し、兄弟もおらず、頼れる親戚もいない身分ではあるのだが、俺には友が、そしてやり残したことがある。

 

 考えろ、考えろ。本当にもう取れる手段がないとはまだ決まっていないじゃないか。博麗神社を頼ることの他に、何か帰還できる方法があるに違いない。

 そうだ、今からでも人間の里へ戻って上白沢さんや妹紅さん、門番さんや宿の人でも誰でも構わない、話を聞きに行けないか。

 うっかり俺に伝えてなかった手段があるはずだ。そうに違いない。そうであってくれ。

 

 真剣になって思考する。

 

 そんな俺の様子を見てほくそ笑んでいる八雲紫の表情が、全くもって気に入らなかった。

 

──今の貴方では外の世界へ帰ることは不可能だ、ということよ。

 

 彼女の言葉が再び脳裏を駆け巡った。

 

 いや待てよ? その言い回しは『今は無理であってもいずれは帰ることができるようになる』。そう解釈できるのではないか?

 

 弾けるように思考に沈んだ頭を上げ、手持ち無沙汰であるように日傘を弄ぶ少女の顔を見つめる。

 するとまるでこちらの思考を盗み聞きしたかの如く、彼女は俺の視線に応えてみせた。

 なるほど?

 

「確認したいんですが、外の世界に戻るためにはここの鳥居を抜けて行く以外の方法は存在しないんですか?」

 

「無い──とは言えないけれど、貴方が利用可能なのがここしかないから、実質的に存在しないのに変わりないわね」

 

……ふむ。だとすれば、やはりあの言い回しにツッコむしかないか。

 

「今の俺では無理。ということは、時期を窺えばいつかは帰れるようになる。先程の言葉はそう捉えていいんですか?」

 

 ええ、と短く首肯された。

 ならば、と意気込み畳み掛ける。知らずのうちに早口になってしまう。

 

「じゃあ教えてください。どれほどの時間を待てばいいんですか。一日?一週間?一ヶ月?一年? まさかそれ以上なんてことは──」

 

「まあ、落ち着きなさいな」

 

「むぐ…」

 

 長期間この世界に拘束されると想像して顔を青くし、問い詰めようと身を乗り出すと、気付けば唇に細い指が押し付けられていた。

 

 見ると、彼女は腕の先を空間の裂け目に入れている。

 自分の眼前にも裂け目ができていて、そこから彼女の手が俺の口元へと伸ばされていた。

 

 あまりの光景に目を白黒させると、イタズラ成功とばかりに八雲紫は満足そうに笑った。

 

 少し、頭に血が上りすぎた。

 一つ深呼吸を挟んでクールダウンする。

 

 話を聞く体勢がやっと整ったわね、と俺の様子を見て日傘をクルクルと回して微笑んでいる少女にジト目を向けて、さっきと同じ質問を繰り返す。

 でもこの際、敬語は無しだ。なんか腹が立つ。

 

「で、答えてくれ。どれだけ待てばいいんだよ?」

 

 なんだか急に拗ねてしまった子供の様な調子の声が出てしまって、内心頭を抱える。そんな俺を気にすることなく八雲紫は滔々と語り出した。

 

「まずは、私の『程度の能力』と博麗大結界の仕組みについて軽く説明する必要があるわね。程度の能力というのは……」

 

 いや、まずは俺の質問に答えてくれよ、なんでスルーするんだよ。

 

 何やら非現実的で荒唐無稽な話を始めた少女の話に耳を傾けながら、沈黙と表情でもって抗議のメッセージを送り続ける。

 

……全く相手にされていない。

 

 この年齢不詳な女性に、俺は苦手意識を植え付けられかけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人、妖怪、神、霊、種別を問わず、ごく稀に特殊な性質を持って生まれてくる者──或いは後天的に取得する者──がこの世には存在する。

 そんな特殊な性質、すなわち能力は、『〇〇する程度の能力』と呼称されている。

 例えば、八雲紫の『境界を操る程度の能力』、隣に座っていつの間にか持ち出した茶菓子を美味しそうに頬張る博麗霊夢さんの『空を飛ぶ程度の能力』、などである。

 

 博麗大結界とは、ここ幻想郷と外の世界とを隔てるバリアである。

 なんでもここが成り立っているのはその障壁のお陰なんだとか。

 その大結界と範囲を同じくして、八雲紫の能力でさらに『幻と実体の境界』、『常識と非常識の境界』を敷いて補強している。それらの境界は忘れ去られた妖怪や、非現実な存在を引き寄せる性質を持っている。

 

 

 

 といったことを、口頭で説明された。

 

 正直言って、充分に理解出来ているとは言い難いのだが、それでもちょっと疑問に思ったことがある。

 

 神秘的なモヤを纏ったあの鳥居、あれは博麗大結界に空けた『穴』であったらしい。

 外来人はそこを通過することで、つまり大結界を通り抜けることで外の世界へ帰ることができるのだ。

 つまり、俺は本当にあと一歩のところで帰ることが出来たはずなのである。

 

 途中で何かに引っ張られた──いや引き寄せられたと言い表した方が感覚的に適切か──ともかくそれを思い出す。

 

 じゃあ、その『幻と実体の境界』や『常識と非常識の境界』とやらに俺は引き寄せられたっていうのか? いいや違う筈だ。なにせ俺はただの人間だ。忘れ去られた妖怪や非現実的な存在なんかではない──

 

 ああでもないこうでもないと盛んに思考を重ねていると、八雲紫は呆れた表情で話しかけてきた。

 

「貴方、随分とやんちゃなのね。かなり、存在が()()()側に寄っているわよ?」

 

 ええい、人が考えごとをしているのを邪魔するんじゃない。

 まあ、俺の頭では理解できそうにないか。諦めて話を聞くことにする。

 

「……どういうことだよ、()()()って」

 

「見たところ、半々ってとこね」

 

 だから質問に答えろっつーの。

 

 俺の困惑した様子を見て、彼女は控えめに笑う。ただ流石に言葉足らずだったとは理解しているのか、一言付け加えた。

 

「『常識と非常識の境界』よ、それと恐らく貴方が外の世界でやってきたことも原因でしょうね。──これ以上は自分で考えなさいな、何も知らない赤ん坊じゃないんだから」

 

 どうやらそれで全部説明したつもりらしく、裂け目から湯呑みを取り出して巫女さんと一緒にお茶をしばき始めた。断りなく茶菓子を掴もうとしているところを巫女さんに見咎められて手を叩かれている。

 

──ホント、いい性格してるよ。

 

 見ていて気が抜けるような二人のやり取りを傍目に、俺は再び頭を思考の海へと沈ませる。

 

 

 

 

 

 そうすること暫し。なんとかして、俺が博麗大結界を越えられなかったそれらしい理由を思いつくことが出来た。

 

 非現実的な存在を引き寄せる博麗大結界と同規模の『境界』──鳥居の中で俺を引き寄せた『何か』。

 

 『随分とやんちゃ』『貴方が外の世界でやってきたこと』──俺の趣味である心霊スポット巡り。

 

 ()()()とは幻想郷、もっと言えば『忘れ去られた妖怪や非現実的な存在』のことを指しているとしたならば、『存在が()()()側に寄っている』、その言葉が意味するところは、つまり……

 

 

 

 

 

 少女二人は神社に上がって寛いでいた。

 しっかり家主の断りを入れて俺も上がる。足裏に返ってくる畳特有の感触とい草の香りに、なんだか懐かしさを感じた。

 

──昨日の宿は全面板張りだったからなあ、この昔ながらの感触はあの忌々しい実家以来か。

 

 なんてことを、ぼんやり思った。

 

 同じ卓を囲んで八雲紫と向かい合う。

 巫女さんのこいつらまだ居座るつもりかという顔に苦笑しつつ、自分なりに推理した『俺が博麗大結界を越えられなかった理由』を披露する。

 まるでテストの答案を提出する時の気分だ。無論、採点するのは目の前の胡散臭い少女である。

 

 

 

──まず前提として、俺は自分自身が極々平凡な人間であることを自覚している。

 

 ではその人生経験までも平凡であるのかと聞かれたら、自信を持って否と答えるだろう。

 

 物心ついた頃から霊力を認識して干渉することが出来た。

 小学生になる頃には周りとの美的感覚のズレを自覚した。

 中学生、高校生では俺なんかよりももっとすごい奴らと関わることが出来た。

 大学に合格していざ入学というときに事故で親を亡くし、八つ当たりしても良い相手を求めて彷徨い、人に害をなす悪霊たちが心霊スポットを中心に集まることを発見して霊力を用いて追い払いまくった。

 今はもう落ち着いたが、暇があれば心霊スポットで悪い霊がいないか見て回る様になっていた。

 

 我ながら、非凡な人生だと思う。今だって幻想郷という異世界に迷い込んでいるわけだし。

 話が脱線した。つまり何か言いたいのかというとこうだ。

 

 

 

 そういう非凡な生活を送り続けたせいで、『常識と非常識の境界』は『俺』という存在を『忘れ去られた妖怪や非現実的な存在』であると誤認して引き寄せてしまったのだ。

 

 

 

 『神隠しの森』というネットで信憑性の程が議論されていたその場所は、偶々幻想郷の立地するところから程近く、やってきた俺はその境界に引き込まれた。

 俺が外の世界へ帰ることが出来なかったのも道理だ。

 博麗大結界の『穴』を潜り抜けようとしても、その範囲を同じくする『境界』の機能によって強制的に連れ戻されてしまうのだから。

 

……以上が、俺が幻想郷に流れ着き、そして博麗大結界を越えられなかったその理由である。

 

 

 

 

 

 パチパチと拍手する彼女の姿を見て、俺はつい得意げになる。

 どうやら、この推理に満足していただけたらしい。まあまあまあ自分の事だからな、完璧(パーフェクト)に把握してこそ当然と言うべきか。

 

「悪くないわね、六十点ってとこかしら」

 

 あっそう。……及第点、というにも少々低すぎるか。だがまぁ赤点なんぞよりはまだマシか。

 

 

 

 ちょっと鼻白んだ心地になっていると、そんな推理を話半分に聞いていた巫女さんが、ふと気付いた様子で八雲紫に発言する。

 

「ねえ。そいつの言うことが正しいんだったら、あんたの能力で万事解決するじゃない。なに勿体ぶってるのよ」

 

 

 

 

 

 

 

────はあ?

 

 ええと八雲紫は確か、『境界を操る程度の能力』を持っていて……まぁ彼女が自己申告するところの『境界』ってのが具体的に何を指しているのかは知らないが……ともあれ、話の肝は『境界』が俺の事を超自然的な何かしらであると見誤った点にある。

 そこを正すのだとすれば。

 

「もしかして、あんたの能力で俺を『現実』の方に寄らせることが出来るってのか? ……具体的な理屈や原理はさっぱり思い付かないが」

 

「あら感心、そんな発想ができるなんてね。たくさん加点してあげたいところだけど……自力で気付けなかったから、そうねぇ。五点差し引いて、八十五点ってとこね」

 

 うわめっちゃ加点してくれるじゃん…結構嬉し、って違え。別に、この際点数のことはどうでもいい。

 

 なんだ。じゃあ彼女の能力を俺に使ってもらって、その上でまた巫女さんに頼んで大結界に穴を開けてもらえば、無事外の世界に戻れるということではないか。

 

 そう提案してみれば、巫女さんは是非やろうと同意してくれた。

 

 なんだか、やっと面倒ごと片付けられるとでも言いたげな様子だったので文句をつけたくなったが、本来なら初めに俺が鳥居を抜けた時点で彼女の仕事は終わっていたはずなのだ。

 今ここに巫女さんが居るのは、いわばサービス残業の様なもの。

 こんな年下の少女が──と思うとちょっと、いやかなり申し訳ない。

 

 八雲紫と再び向き合って、頭を下げる。

 

「じゃあ今すぐ俺にその境界がどうとかいう能力を使ってください、お願いします」

 

 勿論、敬語は忘れない。

 

 彼女はため息をついた。

 俺の変わり身の速さに呆れているのだと思ったのだが、どうやら違ったようでこんなことを言ってきた。

 

「実はもう試したのだけど、貴方の能力で無効化されてしまったようなのよ」

 

 

 

 

 

『へえ、貴方、面白い能力を持っているのね』

 

 最初に彼女が俺の前に現れた時、そういえばそんな事を言っていたなと思い出した。

 

「思い出したようね。自分で気づけたのなら今ので九十五点だったんだけど」

 

 残念だったわねぇという言葉を聞きながら、俺はまた彼女に、今度は自分が持つという能力について質問しなければならないのだと悟った。

 

 が、どうせ質問したってまともに答えてはくれないだろう。と、にやにやとこちらの顔を覗く彼女を見て確信する。

 

 

 

 チクショウ、推理してやろうじゃないか。

 気合を入れて考え込む。

 

 『〇〇する程度の能力』。それは先天的、後天的問わずその者が持つ特殊な性質、特異な能力を示す呼称であると聞いた。

 

 俺の特異性──真っ先に美醜感覚の逆転が思いつく。

 

 そう、名付けるのであれば『女性相手にだけ美醜逆転する程度の能力』──女性に対してのみ効果が発揮されるとか対象の選別基準が謎過ぎるだろ、と思わなくもないが、実際どうだろうか。

 違うか。全く『境界を操る程度の能力』を無効化したことへの説明になっていないな。却下だ。

 

 

 

 他には、生まれつき霊力を扱うことが出来ることぐらい?

 

 名付けて、『霊力を操る程度の能力』──いや、これもかなり微妙なところだ。

 何故なら、俺以上に霊力を上手く使いこなしていた人と出会った事があるし、直近では妹紅さんも俺以上に霊力について熟知していた──火の術をアッサリ習得できたのはそれが大きい──し、鳥居の前で儀式していた巫女さんも物凄い霊力をその小さい身体から吹き出していた。

 彼女らを差し置いてこんな名前じゃ……と思ったが意外とそうでもないのか?

 『空を飛ぶ程度の能力』、巫女さんの能力はそんな名だった。

 この幻想郷で一日経過したが、その短い間だけでも空を飛べる者と俺は二回も遭遇している。妹紅さんとあの金髪赤目の人喰い妖怪だ。

 別にオンリーワンじゃなくてもいいのなら、俺の霊力だって──って結局これも彼女の能力を無効化したことに理屈が通らんか。却下。

 

 候補がもうない。何か他にないか。

 無効化、無効化──あ。別に小難しく考える必要は無いか? シンプルに行けばいいのか、これは。

 

 

 

 バッと八雲紫と目が合った。

 

──わかったぞ、と心の中で高らかに宣言する。

 

「俺の能力は、

 『ありとあらゆるものを無効化する程度の能力』だ!」

 

 これは決まった!

 と、内心でガッツポーズする。

 

 

 

 紫の少女はにこりと微笑むと、

 

「ではその身で受けて見せなさいな」

 

 空き缶サイズの太い弾丸を飛ばしてきた。

 

 

 

 

 

 

「あー、大丈夫?」

 

「──はい、なんとか、ええ」

 

 その弾は見事、俺の額にクリーンヒットした。痛みは凄まじく、しばらくの間じっとして蹲る必要があるほどであった。

 これでも男である。少女たちの手前、無様に額を抑えて転げ回るのを我慢出来たことを褒めて欲しいくらいだった。

 

 巫女さんからの残念そうなものを見る目に耐えていると、やっと八雲紫が口を開いた。

 

「今の貴方の推理は赤点ものだったけれど、あながち間違いではないわ。私の能力の干渉を拒否しているのには変わらないのだし。付け加えると、その能力は貴方の意思とは関係なく常に発動してるようね」

 

 そう言って、徐ろに目を閉じて何かしらを唱え、目を開けた。

 何をしているのだろうと訝しげな表情をする俺を見て、ふむと納得した様子で頷き、今度は両腕を空間の裂け目に伸ばす。

 

「──なぁにふぅるんふぇすか」

 

 俺の頬が軽くつねられている。見なくても分かる、顔の真横に出現した裂け目から手を出しているのだろう。

 なるほど、と納得したように彼女は深く頷いた。

 

 ううむ、察するに、彼女は俺に対して様々な“アプローチ”を仕掛けている、といったところか?

 

 何かしら彼女の中で結論が出たのか、最後の念押しとばかりに質問してきた。

 

「物理的に殴られたり蹴られたりしたら、痛いと思う?」

 

──程度によるが、そりゃ痛いだろう。

 

「霊力や妖力の塊をぶつけられたら?」

 

──俺の額が見えるか?

 

「それらの力は存在して当然のものだと思う?」

 

──そう思っているし、実際そうだろ?

 

「『境界を操る程度の能力』が具体的にどういったもので、どう作用しているか理解してる?」

 

──いんや、全く。知る訳がない。

 

 まだまだ、質問は続く。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 

「貴方、やっぱり中途半端なのね」

 

「はあ」

 

 矢継ぎ早に質問を投げかけられ、正直に解答していってのこの言われようである。

 

「そんなに常識と非常識を混濁させる人間はそういないわ。今までよくこの地に流れ着かずにいられたものね。──もし貴方が本当に“常識的”だったのなら、その額にたんこぶを作らずに済んだのでしょうけど」

 

 どういう意味だと問いかける。

 

「貴方は、自分が納得し認識しているものからは『これは存在して当然のものだから』と素直に干渉を受け入れる。逆に、貴方の理解の及ばない概念や未知の現象を『そんなものはありえない』と拒絶してしまう」

 

 つまりはなんだ。さっき色々と彼女が俺に対して仕掛けてきたり質問したりしたのは、その『ありえる』と『ありえない』の境目を探るためだった、ということなのだろうか。

 

「随分と受け身な性質だけれどそこそこ気に入ったわ、その能力、私が名付けてあげましょう」

 

 いえ結構です──

 と、なんとなく芽生えた反抗心から否定したくなったが言い出す前に、彼女は胸を張り上げ、高らかに命名した。

 

 

 

 

 

──貴方の能力の名は、『常識に囚われる程度の能力』ね。

 

 

 

 

 





 某常識に囚われない風祝(かぜはふり) (ガタッ

 ゆかりんの能力を無効化する常時展開型の能力
 なんか字面だけで見ると強そうです これはチートですね間違いない





 ここで少し真面目な話を一つ
 今回、原作の設定と作者独自の設定が混ざって物凄くごちゃごちゃしてんな、という印象を受けた方がいらっしゃるかと思います
 かなりわかり易い表現にするよう心掛けたつもりなのですが、あんまり自信を持てません 話の都合でオリ主も超速理解しちゃってる部分もありますので

 ということでここでもっと噛み砕いて説明します


一、非現実的な人生を送ってきたオリ主、うっかり幻想郷に近づく
二、境界、オリ主を幻想側と判断しご招待、出ようとしたら引き寄せる
三、ゆかりん、能力でオリ主を現実側にしてやろうとするが出来なかった
四、何故なら、オリ主の能力で干渉することが不可能だから



 これで充分把握してくれたでしょう 頼む、そうであってくれ

 なんでここまでするのかというと、話が作者の頭の中だけで完結してしてしまって読者がそれに追いついていけなくなるという現象がなによりも恐ろしいからです
 実際そんな現象に立ち会ってしまって凄く嫌な気分になったので、被害者を増やしてはならないと配慮した結果、こんな場を作ることになったのでした
 自分に対する警鐘でもあります もしかするともう手遅れなのかもしれませんが




 誤字報告ありがとうございます
 濁点つけ忘れただけなのですが、記念すべき第一話ということもあって念入りにチェックしてただけに残念
 ボタン一つで修正出来ると知って驚きました 有難いことです


 高評価を頂けてるのに何で色がつかないんだろと不思議に思ってたら、五人から評価されないと無色のままなんですね 知りませんでした(精一杯の評価くださいアピール) 別に高評価して欲しいわけではないんですよ?(迫真の高評価くださいアピール)

 まあ過分に持ち上げられると滑稽になってしまいますから、どうか各々の正直な評価をお願いします

 まだまだ序盤で評価しようがないなという方は、ゆっくりしていって話数が貯まるのをお待ち下さい いつでも歓迎します


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

こんな最低で最高な人生の始まりは

 いいですね 予約投稿 便利ですね (字余り)
 サブタイトルはその話の概要だったり、パロディだったり、何となくだったり、色々考えたり考えなかったりで決めてます



 

 

──『常識に囚われる程度の能力』

 

 

 八雲紫は俺の能力をそう名付けた。

 

 なるほど。常識的な事象は受け入れて、非常識な事象は受け付けない。

 その上、自分の意思で能力のオンオフが出来ていないから“囚われる”なんてネガティブな表現なのか。

 

 もしや、この能力をオフにしたら、『境界を操る程度の能力』の干渉を受けることが出来るようになるのでは?

 

 うんうんと身体の奥を意識して、能力を止めようとする。

 そうしつつも俺は頭を抱えた。

 

 そもそも自分にそんな能力が備わっているだなんて今の今まで知らなかったのだ。能力を止めようとしてもその方法なんて分かるわけがないじゃないか。

 

 では、目の前の少女たちに能力の止め方を聞いてみたらどうだろう。

 『〇〇する程度の能力』に関しては、少なくとも俺よりは詳しいはずだ。

 

 質問してみるが、その返事はあまり芳しいものではなかった。

 

 どうやら、『名付ける』という行為自体に意味があったらしい。

 それをすることによって、その能力の使用者はさらに十全に力を振るえたり、その能力を細かく調整することができるようになるんだ何とか。詳しい理屈はよく分からなかった。

 

 俺の能力が名付けられたその時点で、能力を切り替えることが可能になるはずだったらしいのだが、当の『常識に囚われる程度の能力』は、それすらも阻害しているのだとか。

 

「わざわざ名付けてあげたのに甲斐性が無いわねぇ」

 

 彼女は俺に向けて、

 

「『名付け』の真に意味するところを、きっと貴方は理解していないのでしょうね」

 

 そんなことを言う。

 

 

 

 

 

 その一言に、ひとつ光明を見出せたような気がした。

 

「──例えば、俺が名付けを完璧に理解する。

 つまり『()()()()()()()()()()()()()()()()()ことが出来たとしよう。

 そうすれば、この能力をうまく扱えるようになって発動を止めることが出来て、あんたの境界の能力を無効化せずに済むってことなのか?」

 

「確かにそれならば可能だけど、『名付け』のことを完璧に理解しようだなんてそんな途方もないことをするのはお勧めしないわよ」

 

 それほど難解なことなのか、と顔を顰める。

 

 

 

 彼女曰く、なんでも俺の『常識』を“更新”するためには、それに付随する知識だけではなくある種の実感、経験が必要になるそうだ。

 

 『名付け』という行為は知識だけならまだなんとかなるが、実感、経験となると特段に難しくなるそうな。

 ここ幻想郷で未だに名前の無いものを探し出して名付ける必要がある。

 例えば、産まれたばかりの赤ちゃんとか。

 

 今から人里へ行って『これから誕生する全ての赤ん坊の名付け親になります』と宣言して両親がそれを諸手をあげて歓迎する──なんでも受け入れられることが大事らしい──という状況を作り出すことで、やっと実感と経験を積めることが出来るらしい。

 

 まあ、実現不可能だと断言できる。

 

 また、そこいらの木や石に適当にネームプレートを付けて回っても意味がないとのことで。

 

「変に名前をつけて回られて、万が一それら全てに意思が宿ったりでもしたらそれこそ“異変”ですもの。黒幕として、霊夢に退治されるのがオチでしょうね」

 

 チラリと横を窺うと、巫女さんも俺の方を見ていた。『ほんとにやる気?いい度胸してるわね』という心の声が聞こえた気がしてぶるりと震える。

 冗談じゃない。経験上、怒った女の子ほど手の負えない存在はないと断言出来るのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一度、話を整理してみよう。

 

 最終目標は『外の世界へ帰ること』だ。それを達成する方法は博麗神社で巫女さんが開けてくれた博麗大結界の穴をくぐり抜けるというもの。

 

 しかし、いつの間にやら俺という存在が“幻想側”に寄ったせいで『常識と非常識の境界』に引き寄せられ、このままでは脱出することが叶わない。

 

 で、引き寄せられなくなるする為には八雲紫が『境界を操る程度の能力』で俺という存在の境界を操り、“現実側”に戻すという手段を取る必要がある。

 

 すると今度は『常識に囚われる程度の能力』という俺の性質が彼女の能力の干渉を妨害する。『名付け』で能力の発動を止められるようにするという試みも通用しなかった。

 

 そこで閃いた俺は『名付け』を自分の“常識”にしてしまえばいいのではと提案する。だが八雲紫によって実現不可だと暗に却下されてしまった。

 

 

 

……もうこれ以上どうすれば良いのだと頭を抱えそうになるが、しかし何故か確実に一歩ずつ前進できている感触がある。

 

 俺の“常識”を更新させる。

 

 恐らくそういう方針自体は間違っていない。

 そんな確信が、不思議と芽生えていた。

 

 

 

 このままでは埒が明かない、そう感じ沈んでしまった気持ちを浮上させて再び考え込む。もっと簡単に、短絡的に。何か思い付く事はないか。

 

……そうだ。

 

 俺が『境界を操る程度の能力』を常識だと思うようにすればいいのか。

 境界について深く理解することが出来れば、何かしら事態が好転するかも知れない。

 

 早速彼女に聞いてみる。

 しかし、すぐさま断られた。

 

「貴方がこの私、スキマ妖怪の秘奥を探ろうだなんて百年早いわ」

 

 ツンと可愛らしく顔を背ける。

 

──急にどうした、さっきまで真面目にしてたくせに芝居がかった仕草なんかして。

 

 少しドキリとしてしまったけどそれは彼女を美人だと思う例外的な自分だけで、現に巫女さんは苦虫を噛み潰したような凄まじい顔をしている。

 

 他方では、薄々感じてはいたがやっぱりあんた妖怪だったんかい──そう心の中でツッコミを入れる。

 スキマ妖怪とか余り聞いたことがない名称だ。

 恥ずかしながらにわか知識であんまり妖怪について詳しくはないんだけど……河童とかぬらりひょんとか土蜘蛛とか、俺が知っているのはその程度だ。

 

 俺と巫女さんとの共同作業によるジト目が効いたのか、八雲紫は白々しげな空咳を挟んでから口を開く。

 その顔には、先程の小芝居など無かったかのような真剣さが宿っている。

 

 なんというか、切り替えがすごくスムーズだ。

 

「私という妖怪の存続に関わる事柄だもの。今日初めて会った殿方にみだりに明かすだなんて、そんなはしたない真似できるわけないでしょ」

 

……よくわからないが俺の考えが否定されたことはよくわかった。

 

 それじゃあ何か次のアイデアを思いつかなければ、そうして脳をこねくり回していると彼女は仕方ないわね、と嘆息して話し始めた。

 

 

 

 

 

 

──その言葉は、俺の今後の行動方針を明示していた。

 

 

 

 

 

 

 結構長い間話し込んでいたので当然のことではあるのだが、いつの間にやら日は沈んで夜の帳が下りている。

 

 博麗神社はその境内にて、俺は博麗霊夢さんから空の飛び方を教わっていた。

 何故そうしているのかと聞かれたら、俺は『今から人間の里に戻るつもりだからだ』と答えるしかない。

 

 夜は妖怪共が活発になっている為、徒歩での移動は危険が伴う。

 空もそこそこ危険ではあるらしいのだが、この『ありがた〜い博麗の御札』──ボロボロな見た目だが効果は抜群らしい──とやらを身につけていれば問題ないらしい。

 

 ちなみにあのスキマ妖怪は言いたいことだけ言って空間の裂け目──スキマに入って消えてしまっていた。

 スキマは別々の空間を繋げることが出来るようなので、どこかにワープしたのだろう。

 よくまあ、あんな目玉だらけの暗黒空間に身を投じられるものである。俺なんか見るだけで鳥肌が立って仕方ないというのに……

 

 

 

 まあなんにせよ、人里に戻ると言い出した俺に「霊夢から飛び方を教えてもらったら?」と提案したのは彼女だ。

 巫女さんはあまり俺に対して興味を持っていなさそうだったのに、別に構わないわよ──と難色を示さずに返事したことに若干の意外さを感じた。

 

 巫女さんは所謂感覚派のようで、イマイチ説明は要領を得なかった。

 

 しかしながらお手本で彼女がやってみせた通り機敏に、とまではいかなかったがなんとか飛行術を体得出来たのは、人生で霊力という存在に終始向き合ってきたお陰なのだろう。

 

 子どもの頃、空を飛びたいなんて思っても実際に練習しようとしなかったのは、それこそ常識に囚われていた故か。

 

 

 

 

 

 フヨフヨと浮きながら、姿勢制御のコツを習う。そうこうやって、なんとか人里まで辿り着けそうなくらいには練度を上げることができた。

 

 空を飛ぶ稽古をつけてくれた巫女さんに頭を下げる。

 

「その恩義に報いたいと思うのであれば、今度来たときお賽銭を入れなさいよね。ちなみに見れば判ると思うけど、お賽銭箱はあれね」

 

 すると彼女はそう言って、本殿の方を指差していた。

 

 そういえば、この神社までの道のりは寂れていて、あまり使われていない様子だった。

 ということは、参拝客は殆ど居ないという認識で間違いなさそうだ。

 じゃあ、ここの収入は一体いかほどのものであろうか。

 もしや、かなり貧相な生活を送っているのでは?

 

 そう想像して決心する、ここで賽銭を投げるときは奮発すると。

 

 それを聞いて彼女は今日一番の笑顔を咲かせた。

 

──もしかしてこうなる事を期待して稽古をつけてくれたのかなあ。

 

 なんて思いつつも、その満面の笑顔を前にしては何も言えない。また今度と挨拶して、人間の里方面へフラフラと浮かんで進む。

 

 

 

 

 

 今夜は雲が厚く、月明かりがない。

 

 そのおかげで人間の里の営みの明かりがこの上空からでも、いや上空であるからこそよく見渡せる。

 

 その外周にある門の前へと降りられるように、高度を落としていく。

 よく見ると、昨日お世話になった門番さんが驚いた様子でこちらを見上げていた。

 

……当たり前か、昨日ぼろぼろになって保護された外来人が、今度は悠然と空を飛んでやってきたのだ。

 

 誰だってびっくりしてしまうだろう。

 

 門の前に降り立ち、真夜中であっても未だにわいわいと活気溢れる様の人里を見つめる。自然と感慨深い気持ちになった。

 

──ここから、俺の新しい日常が始まるのか。

 

 

 

 

 

 

 

『貴方はまず、その中途半端な常識を捨てて幻想郷の常識を身につけなさい』

 

 スキマ妖怪、八雲紫は言った。

 

『なるべく広くこの“妖怪たちの楽園”に住む者たちと交流を深めるのよ。──それが巡り巡って、貴方の未来を切り開いてくれるでしょう』

 

 彼女の言っていることはまるで雲を掴むようで捉えどころがない。

 

 しかし、今のままでは外の世界へ帰ることが出来ないのもまた事実。

 

 

 

 

 

 ならばやってやろうじゃないか。

 

 俺の“常識”を、“非常識”に塗り替えてやろう、

 幻想郷の住人たちの“常識”を、是非とも(こうむ)っていこうではないか。

 

 

 

 

 

 そんな決意を胸に秘め、

 

 当分の間はここで過ごすことになるだろう。

 

 

 

 

 

──この幻想郷で、“被”常識(ひじょうしき)な日常を。

 

 

 

 

 




 




『東方被常識 あべこべなこの世界で俺は』
 これにて完結です
 ご愛読ありがとうございました
 作者の今後にご期待ください

 嘘です

 ここまで全てプロローグ
 次回から本編が始まります
 といっても何かが劇的に変わるなんてことはないんですけどね

 なんだか無理にタイトル回収しようとして失敗した感ありません?(他人事)

 『さらば愛しき(?)幻想郷』『素人による華麗なる推理ショー』『こんな最低で最高な人生の始まりは』は本来一つのページにまとめて出す予定でした
 ガッツリ本腰を入れて読むのも悪くないですが、ちょっと空いた時間で気軽にサクッと一ページ読めるのがこういう小説サイトの強みだと思うんですよ
 分割して投稿したのは短時間で読み終えられるようにしたかったからです
 ギッチギチに文字を詰めるのも読んでて疲れちゃいますから余白も十分にとりました 
 物足りないと思う方もいるでしょうが、どうかご了承ください


 誤字報告、ここのところおかしくない?と感想で指摘してくれた方々、ありがとうございます 上手く訂正できたはず

 『…』や『─』などの表現を多用していますが特に使い所をコレと定めてるわけではないんですよね なんとなくの雰囲気で使っちゃっているのが現状ですから読む人が読めば変な文だなあと感じるのは道理です

 このまま書き進めていけば自然と上達してくれる筈だと甘っちょろい考えに縋るしかありません
 校正ソフトとか読み上げ機能とか面倒くさ(ピチュ-ン
 ダラダラと横になって書いてるのが駄目なんですかね



 良い区切りなので連日投稿はここでお終い
 “首を長くして”待っててくださいな


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一章 彼の幻想的な日常
A FEW MOMENTS LATER


 いいや!限界だ押すね!今だッ!(投稿ボタン)



 

 人間の里──そこは、幻想郷で人が安心して暮らすことが出来る唯一の場所だ。

 

 幻想となり消えていくことしか出来なかった妖怪や神などの非現実的で強大な存在たちが幅をきかせている幻想郷において、まさしくそこは人間たちの為のオアシス。

 

 通りには木造の建築物が立ち並び、人々は和服を着て和気藹々と闊歩している。

 『幻想入り』したばかりの人間はそんな光景を見てこう考えるだろう──どうやら自分はタイムスリップしてしまったようだ、と。

 残念ながらそうではない、ここは間違いなく現代日本の何処かに位置している。只、博麗大結界によって長らく外界と隔たれているために、目新しい文化が入ってきていないだけなのだ。

 

──恐らく、ここの文化レベルは年号で言えば江戸末期、いや明治時代くらいかな?

 

 無い歴史の知識を絞り出して物思いに耽る。

 

 行き交う人々の服装は着物に草履とばかり思っていたのだが、意外と西洋的なアイテムを身につけている人も少数だが確かにいる。

 和洋折衷というべきか。着物の上にコートを羽織る男性やお揃いの革のブーツを履いて並行して歩く女性たちなど、少しお洒落な格好をしている人たちが散見された。

 

──確かハイカラっていうやつだ。あれ、それは大正時代の言葉だったような?

 

 幕末、明治、大正。

 

 幻想郷の文化はどの時代のものに匹敵するのか、なんて頭を悩ませる。

 

 

 

 まあ、そんな益体も無いことを考える余裕を作れるほど、今や俺はこの幻想郷という場所に馴染んできているのだ──そう言えるのかもしれない。

 

 

 

 人里一番の規模を誇るこの大通りは、まさに天下の往来といった印象だ。

 

 大きな酒樽を載せた荷車が多数行き交い、この通りに店を構えた八百屋やら川魚屋やら豆腐屋やらが大声を張り上げて客を呼び込んでいる。

 まだ日が暮れていないのにも関わらず、居酒屋からは潰れた濁声でもっと酒を! と呑んだくれたおっさんたちが野次を飛ばしていた。

 道の端の方であっても寺小屋の子供たちが何やら集って遊んでいる様子で、彼らの親なのであろう奥様たちも、我が子の動向に注意を払いながらも寄り合って会話に花を咲かせている。

 

 賑やかで騒々しく、なんとも活気に満ち満ちていた。しかも今日は縁日などではない。

 これが平常運転なのだから頭が下がる。

 

 

 

 

 

 お昼時、俺──“藤宮(ふじみや) 慎人(しんと)”は通り沿いにある甘味処の屋外の席に腰を下ろして、その景観に目を細めていた。

 

「お待ちどうさま」

 

 頼んでいた二本の団子が出てきた。その上にかかっている()()はなんとキャラメル風味、その隣はチョコレート風味である。

 

 俺と同じ“元”外来人であるおばさんが営む甘味処。そこは数少ない外の世界を偲ぶことが出来る場所で、元外来人たちを中心に絶大な支持を得ている。

 

 すっかり俺も常連さんである。

 

 注文の品を持ってきてくれた店員さんに軽く挨拶をする。

 赤い髪色をした彼女とも、最早顔馴染みと呼べる間柄だ。

 

 

 

 冬でもないというのに赤いマフラーをしていて、しかもサイズが大き過ぎるのか口元まで覆い隠してしまっている。暗い色の和服に赤のマフラー、いやはや幻想郷のファッションは奥が深い──と言っても、別に俺はオシャレに一家言あるわけでもない。見た目よりも機能性を重視するタイプなので。

 

「ありがとう、お(せき)さん。お代はこれね」

 

 団子の乗った小皿を受け取って、懐からがま口財布を取り出し、銭を幾つか取り出して手渡しする。

 彼女はそれをむんずと掴み取り、それが確かな枚数なのかを数えている。

 

 相変わらずの慎重な勘定。やや神経質過ぎるのではとも思う。正直まるで自分の支払い能力が疑われているようでやめてほしいのだが……普通、そこまで念入りにするか?

 

 おばさんによる指導の賜物なのかと聞いてみると、この店は私を雇ってくれる滅多にないお店だから失敗して迷惑をかけたくないのよ──と返された。

 顔を見れば分かるでしょ、とフンと鼻を鳴らしている。

 

 彼女の顔をまんじりと見つめる。

 

 いつも顔の下半分をマフラーで覆ってしまっているので断言は出来ないが、かなりの美人さんのようだ。

 

 無論、女性に対してだけ美醜感覚が逆転してる俺の感想である。当然、周囲の人は彼女を美人と見做さないわけで。

 

「あー、そうか? でも俺は割と悪くない顔と思ってるんだけどな」

 

 罪悪感からか、不用意に本音がぽろっと飛び出てしまった。

 

 

 

 

 

 やっちまった

 

 

 

 

 

 急に 教室が静まり返り

 皆が異質なものを見る目で こっちを見ている

 

 

 

──ああ、気持ち悪い、気持ち悪い。

 

 

 

 意識が飛んだのは恐らくほんの一瞬のこと。

 わっ、と通りを往来する人達の雑踏が耳に飛び込んでくる傍ら、背面には嫌な汗が大量に流れていた。

 

「あら、それはどうも。変に気を遣わせたようで悪かったわね」

 

 幸運にも、お(せき)さんは気付かなかったようだ。

 

「でもまあ、私のこの不細工な顔をほんとに気にしてないってことは、ここまでの付き合いでなんとなく察せるわ。こうして会話していても眉一つ動かさないじゃない。無表情なやつかと思ったけどそんなことはないし」

 

 そう言って彼女は微笑んだ。もっとも、口元が隠されていて視覚的に確認出来ない。でもそんな雰囲気がする。

 

「他にはもうお爺さんお婆さんくらいよねえ、隠しているとはいえ私の外見を気にしない人って。あなたって若そうなのに、随分と枯れているのね」

 

 その目には若干のからかいの色が見て取れた。

 

「い、いや別に枯れてるわけじゃあ……」

 

 不服を申し立てようしたが、おばさんからのお呼びがかかり、お(せき)さんはじゃあね、と言ってそちらの方へ行ってしまった。

 

 思えば業務中の相手に少々話し込んでしまった。迷惑をかけてしまったかなと申し訳ない気持ちになる。仕事の邪魔になっていないといいのだが。

 

 

 

 気持ちを切り替えて二つの団子と向き合う。

 

 相変わらず美味しそうだ。

 

 早速、一本目に取り掛かる。

 

 

 

 さっき、思いがけず俺の率直な感想をこぼしてしまったのは完全に失態だった。彼女が笑ってスルーしてくれたのが非常に有難い。

 

 フラッシュバックしたあの、子供の頃の光景を再び思い出す。

 

 当時の俺は冗談だと笑って誤魔化し、何もなかったように彼らの会話にそのまま加わっていたが、あの時の光景が脳裏にこびり付いてなかなか離れない。

 

 彼らが悪いとは全く思っていない。

 

 嵐が来て激しい風雨が襲ってきているのに『今日は素晴らしい運動日和ですね』と外を駆け回る奴を見て、そいつの正気を疑わない人はいないだろう。

 

 

 

 生まれ持ったこの感性、“美醜逆転”とはそういうものだ。

 この一点に於いて、俺はきっと正気じゃない。

 

 

 

 幻想郷で生活を営んでいるうちに、何人もの美少女さんたちと知り合うことが出来た身ではあるのだが、俺はこの“あべこべ”を誰にも明かしていない。

 彼女たちにとって、俺という存在は白馬の王子様、或いは地獄で目の前に垂らされた蜘蛛の糸のように見えるのだろうか?

 

 そんなわけがない、と断言できる。

 

 俺がかつて美女を醜女と断じる彼らのことを『気持ち悪い』と内心感じていたように、この異常な感性を持っていることが周囲の人にバレてしまったら、そこで待つのは“異常者は排斥される”という事実のみ。

 

 

 

……かつての俺がそうであったのだ、皆もそうであるに違いない。

 

 

 

 なんて、こんな素晴らしい日和に仄暗いことを考えてしまった罰であろうか。

 突然、大通りに黒い影と共に一陣の風が吹いて土埃が舞い上がり、俺のいる甘味処の屋外席に襲い掛かった。

 

 幸いにして咄嗟に目を瞑り、眼球を保護することに成功したのだが。

 

「あ」

 

──さてもう一本、と手を伸ばした団子に土埃がかかってしまった。

 

 あまりのことに硬直していると、上空からひらひらと何枚もの紙が舞い落ちてきた。

 その一つに手にとって見るとそれは新聞──俺のなけなしの歴史知識だと確か“瓦版”とかいうもの──だった。

 

 それも、人里の者たちが出版している正式なものではなく“妖怪の山”に住まうという天狗という妖怪が、趣味で作成してばら撒いているものだ。

 

 何人かで共同して作成しきちんと内容を公正に伝える人里の新聞とは対照的に、天狗は個人(個妖怪?)で作成して己の主観を大いに織り込みながら書いているようだ。

 各々が好き勝手に書いては人間の里にバラ撒きに来る為、同じ事件を取り扱っていても並べて比べれば、その事件においてどちらが善でどちらが悪か真逆のことが書いてある、なんてこともままある。

 

 そんなバラバラな天狗たちの新聞だが共通項がないわけでもない。

 

 内容がかなり公平さに欠けている。

 他の天狗の新聞を批判している。

 天狗たちのお膝元であるためか特に妖怪の山に関してのトピックが多い。

 

 直ぐに思いつけるのはそれくらいか。

 

 『文々。(ぶんぶんまる)新聞』と題されたそれのヘッドラインにざっと目を通してみる。

 

『天狗御用達の賭場 不正疑惑! 元締めはこれを否定』

『河童と山童の積年の闘争 遂に決着か?』

『“また守矢か” 守矢神社の巫女が語る家出騒動の真相』

 

 などなど。

 

 天狗たちにとってはセンセーショナルなのであろう話題が目白押しだ。

 

 天狗も賭け事をするんだな、この字の読み方は“やまわらべ”で合ってるのかな、へえ博麗神社以外にも巫女さんが居るのか、などと感想を呟く。

 

 一応、これも幻想郷の常識を身につける為に役立つものなのだ。

 多分、きっと。

 

 本文を碌に確認もせずに、さっくりと斜め読みしてその新聞を畳んで懐に仕舞い込む。天狗の新聞は、飯を作る時に使う良質な焚き付けになるからだ。

 妹紅から教えてもらった火の術は、現状では調理時において大きな戦果を挙げていた。

 ちなみにキャンプでするような原始的な火の起こし方は一応お寺で習った事がある。だがいかんせん、こっちの方が便利すぎた。俺は、マッチの役割を果たすことしか出来ない頼りない火に、生活面でとても助けられている。

 

 

 

 

 

 さて、と見るも無惨な土色のチョコレート風味団子に目を向ける。

 

──非常に勿体ないが、流石にもう口を付けられない。

 

 周りの客もさぞ怒り心頭なのだろうと見回してみると、驚いた事にこんな間抜けな事態に陥ったのは俺一人だけだったらしい。

 皆上手い事舞い上がる土埃に対処して、自分の甘味を守り切っていた。

 

 どうやら屋外で飲食する時は、天狗が上空を通ることを常に警戒しないといけないようだ。

 俺はこの店をいつも屋内に入って利用していたので、そんな事を知る由がなかった。

 今日、屋外の席に座っていたのは偶々中が満席であったためである。

 

 はあ、とため息一つ。

 近頃は幻想郷に馴染めてきたと思っていたのだが、とんだ思い上がりだった。

 俺はまだまだ新参者であるらしい。

 

 

 

 

 

 折角の団子が天狗の風のせいで土を被ってしまった。

 そう言って甘味処のおばさんに謝ると、気の毒に思ってくれたのかなんと無料で団子を一本サービスしてくれた。

 

 人里の方たちって心があったけえなあ、そう感じる一幕であった。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

『貴方はまず、その中途半端な常識を捨てて幻想郷の常識を身につけなさい』

 

 

 

 俺の大目標である『外の世界への帰還』を達成するにあたって、八雲紫はそれを課題として突きつけてきた。

 なんでも、一度俺という存在を“幻想側”に完璧に寄らせる必要がある──とのことだ。

 それが何故『外の世界への帰還』に繋がるのか。その理屈は依然として明らかになっていない。

 問いただしてもスキマ妖怪はただ薄く笑うのみ。

 困った事に俺はそんな胡散臭い彼女の助言に従うしかない、というのが現状である。

 

 では、幻想郷の常識を身につけるにはどうすれば良いのだろうか?

 

 俺はその命題に一つの答えを出した。

 それは、人間の里に住んでしまおうという作戦である。

 

 まあ、これは深い考えがあってのことではない。ただの消去法である。

 

 未知の場所の常識を身につける最短の方法は、そこに住み、周囲の人たちを観察し、多くの人たちと交流することであると考えた。

 

 では、ここ幻想郷の何処に住まうのが適切か?

 当然、人間の里である。

 

 博麗神社のお世話になるという選択肢がなかったわけではないものの、突然初対面で年上の男性と一緒に寝食を共にするというのは巫女さん──博麗霊夢──にとって大きなストレスとなってしまうだろう、そう思って辞退した。

 

……割と、彼女はあっけらかんと受け入れそうだなあ。

 

 これは、博麗神社にしょっちゅう顔を出すようになった今の俺だからこそ言える感想である。

 尤もじゃあ今からお世話になりますか、とはならない。

 博麗神社に暮らしたとしても、ずっとそこで缶詰め状態にならざるを得ないだろう。

 

 何故なら、彼女は重度の出不精であるからだ。

 

 加えて、何をするにしてもまず面倒くさがる。

 

 例えば、“常識”を身につけたつもりになっている俺の頼みで博麗大結界に穴を開ける時。これは、何やら道具を準備して祈祷する必要があるからまだ分かる。

 

 例えば、弱小妖怪を追い払う効果のある御札を準備する時。これもまた、そもそも俺が人里の外で活動する際のお守りとして使う為に用意してもらっているので文句は言えない。

 

 だが、巫女本来のお勤めであるはずの神社の清掃や、参拝客を増やす為の努力を面倒臭がるのはいかがなものだろうかと思う。

 

 挙句、手伝えと言ってくる始末。

 俺は貴重な参拝客であるはずなのに──

 

 まあ、美少女からの頼みを断り切れない自分の意思の軟弱さに原因があるのもまた事実。

 

 

 

 

 

 と、話が逸れてしまった。

 

 兎に角、博麗神社に住み込むという選択を俺は取らなかった。

 

 偶に彼女の知り合いがやってくるものの、そうでない日はずっと神社で二人きりになってしまう。

 沢山の者たちと交流したいのにこれはいただけない。毎日神社から人里まで往復するという案も、それなら初めからそこに住めばいいじゃんという話になるし。

 

 

 

 では、人里と博麗神社以外、つまりは『妖怪たちの楽園』という呼び名をこれでもかと体現する“外”で生活を送るという選択肢はどうだろう?

 霊力を扱い弾丸を放ち、空を飛べる俺がそんな危険な場所で生活を送る事が可能なのかどうか。すぐに結論が出た。

 

──絶対に不可能だ。考慮に値しない。

 

 ということで、俺は人間の里に住むことに決めた。

 

 

 

 人里で暮らしていくにあたって必要なものは何か。

 

 それは仕事である。

 

 スマホや財布などの外から持ってきた荷物を森に落としてしまい、かつ人里に頼れる人などいるわけがない俺が、生活する為の金銭を得るにはこれしか手段がない。

 

 幸いにも外来人として無料で泊めてくれたあの宿は、職業斡旋所としての役割も持っていたらしい。

 そこの従業員さんに「人里で暮らすことにした」と言うと、いくつかの仕事を斡旋してきた。

 

──後で聞いた話によると、外の世界へ帰ると主張した外来人が急に心変わりをするというのは、然程珍しくないことだという。

 

 いざ外の世界へ、という時になって怯んでしまうのだとか。どういった心境の変化なのかはよく分からないが、きっとその手合いだと思われていたのだろう。

 

 けれども、俺が外の世界に帰れないのは『常識に囚われる程度の能力』のせいである。なので、俺は周囲の人達の勘違いを訂正する必要があるのだが……

 

『念の為、能力のことは秘密にしてなさい。この幻想郷には貴方を利用してやろうと企む連中が沢山いるから』

 

 スキマ妖怪から、そう忠告を受けていた。

 なので、俺は『外の世界へ帰ろうとしたがここに残ると心変わりした元外来人』というレッテル張りを甘んじて受け入れている。

 

 

 

 

 

 まあ、金を稼げればそれで良いとテキトーに選択したわけであるが、意外と俺はその職業に向いているようだった。

 

 運び屋──それが、俺の本業である。

 

 霊力を扱えて空も飛べると周知されるようになってからは、便利屋としても活動することになった。

 

 藤見屋(ふじみや)

 

 これが俺が人里で仕事する際に使っている“看板”である。

 姓が藤宮(ふじみや)だから、という安直なネーミングセンスからではあるが、これが結構気に入っている。

 

 そうして仕事をこなすようになると、必然的に俺と関わる者が増えていく。

 これを繰り返しながら人間の里で活動してるうちに、いずれは“幻想側”に寄るという目的も達成出来るはず。

 

 そう信じて、今日も今日とて幻想郷で暮らしていく。

 

 

 

 外の世界に帰ることが出来るようになるその時を、今か今かと待ち焦がれながら。

 

 

 




 
 ちょっと色々詰め込みすぎた感
 お赤さん……一体何者なんでしょう(ヒント 前回の後書き)
 それと某和菓子屋とは関係ありません 本当に偶然なんです

 なんとこの作品、日間ランキングの三十位ちょいをウロウロしていたことをここに報告いたします
 まあ割とすぐに消えちゃったんですけどね
 これも全てこの作品を読んでくれている読者様方のおかげです
 評価、感想、誤字報告、このやたらと長くなってしまう後書きに目を通してくれる皆様に最大限の感謝を

 その感謝の表れというわけではありませんが、プロローグ全部に手を加えました 感想を見て『そんなの関係あるか 俺は我が道を突き進むぜ!』と無視することも出来たのですが 二回連続、しかも割と同意してらっしゃる方が多かったので流石にやばいかなと判断しました この対処が皆様に受け入れてもらえたらいいのですが

 何を言いたいのかと言うと ご指摘を受けた際は自分なりにちゃんとフィードバックしますよということです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幻想郷の日常 その一

 先に一言だけいいですか?

 “あべこべ”は浜に捨てました(毎話言及するのが難しい)



 

 

 人里には『鈴奈庵(すずなあん)』という貸本屋が存在する。

 

 そこは主に外の世界から流れ着いた本を取り扱っており、そこそこな人気を博している。

 外の世界のインドアな娯楽──例えばアニメ、ゲーム、映画など──に慣れ親しんでいた身としては、少々刺激が物足りないと感じて敬遠していた小説という趣味も、環境が変われば人の好みも若干変わるらしく、気づけばこの貸本屋を定期的に利用する様になっていた。

 

 いつものように、店番をしている可愛らしい少女にお節介を焼きに行くというわけではない。

 

 彼女の父親から仕事を依頼されたのだ。つまりこれよりは『藤見屋』として、活動開始である。

 

「どうもー、藤見屋でーす」

 

 鈴奈庵に到着してそのまま店内に入る。しかし、いつものカウンターに彼女の姿がない。

 そこまで行ってやっと気づいた。

 今日って定休日だったな、と。

 

 確か、出迎えてくれると昨日の依頼書にはあったのだが──

 

 きっと彼女は、明日が定休日だからこれ幸いと妖魔本片手に夜更かしして、結果寝坊してしまったのだろう。もしかすると完徹してしまう気概すらあったかもしれない。

 そんな予想を立てられるくらいには仲良くしてもらっている自信がある。

 

 確か初めて会った頃は──

 

 と、つい回想してしまいそうな頭を切り替える。

 

 いかん、いかん。

 まずは仕事をこなさねば。

 

 引き受けた依頼の内容は『教本を上白沢先生のいる寺子屋に運送して欲しい』というものである。報酬はまた後日とも。

 

 本来ならば自分で全部やるつもりだったのだが、作業途中でぎっくり腰になってしまい急遽娘にしたためてもらった、と送られてきた依頼書に書かれていた。

 なにぶん急な仕事なので断っても構わない、そう書かれてもいたのであるが普通に都合がつく。その場でささっと依頼を引き受けた由を書いて、依頼書を持ってきた飛脚さんに手間賃を払った。

 

 それがつい先日の事。

 

 きっと今頃二階で苦しい思いをしているのだろう。どうやら返事するのもつらい状況であると見た。

 直接無事かどうか様子を見たいのは山々だが、別に気にかけなくていいと依頼書にあったのを思い出した。

 

 生憎こちとらぎっくり腰を体験した事が無い。

 なのでその痛みは想像するしかないのだが、取り敢えず快調を願って合掌しておく。

 

 医者とか呼ばなくていいのだろうか?

 

 そう思いながら仕事に取り掛かる。

 寺子屋に送るという教本たちはかなりの量であったのだが、腰を痛める前に纏めていたのだろう、しっかりと荷車に固定されていた。……自前の荷車を持って来なくても大丈夫と書いてあったのはこういうことか。

 

 荷車を引いて外へ出る。

 結構な重さであるのだがもうこちらも慣れたもの、えっちらおっちらと通りを行く。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 寺子屋、そう一口に言ってもこの人間の里にはそれは何か所か存在するので、まずどの寺子屋のことを言っているのかを伝える必要がある。

 

 その中でも上白沢先生がいる寺子屋、といえばその名の有名さは折り紙付きである。──いい意味でも、悪い意味でも。

 

 曰く、人間の里最古の寺子屋を開設した“半妖”で(種族的な差別が起こりそうなものだが彼女の人格の良さ故かその気配は無い)、そのままずっと教鞭を取り続けているらしい。実際に彼女の授業を見たことがあるのだが、熱意に溢れたその様子はまさに教員の鑑と言えるだろう。

 

 しかしまあ、ある種悪名高いという話にも俺は一定の理解を示さざるを得ない。彼女の容姿についてはひとまず置いておくことにしても。

 

 まず、話が長い。とても長い。

 所謂朝礼の校長先生の比ではないくらいで、特に歴史の話になるとその長さはさらに倍化される。

 俺の年だと丁寧にわかり易く説明していると思えるのではあるが、お昼を済ませたばかりの子供たちが居眠りをしてしまうもの無理はない。

 そんな居眠りをした子供に呼びかけて返事しなければ、待っているのは上白沢先生名物、“頭突き”である。

 

 傍目から見て──あれ、ヤっちゃったんじゃね? と思えるほどの轟音には肝を冷やした。

 

 現代日本で過ごしてきた元外来人としては、その“指導”はやりすぎだと抗議したいところではあったのだが、その頭突きを受けた子どもは永遠の眠りにつくことなくしっかりと引き続き授業を受けていた。

 

 かなりえげつない音をしていたが一体どうなっているのだろうか?

 気になるなあ、と内心で思っていた。

 

 そんな彼女の派手な頭突きをもってしても、大抵の場合今度はその隣の子が頭で船を漕ぎ始めるのは、それだけ彼女の説明が子供たちにとっての子守唄であるからだろうか。

 

 

 

 

 

 寺子屋の中に入って彼女の姿を探す。どうやら丁度休み時間であるらしく子供たちの活発な声が聞こえてくる。

 

 ああ、見つけた。

 

「先生ー、鈴奈庵さんの方から教本をここへ運ぶよう依頼を受けました。荷物を裏まで持ってきたので確認をお願いします」

 

「おお、今日は藤見屋としてやってきたのか、お疲れ様だったな。おっとそうだ。今度気が向いたら是非また子供たちの面倒を見てやってくれないか? 結構評判良かったんだぞ?」

 

 その時の事を思い出してつい苦笑いしてしまう。

 

「あはは、まあ前向きに検討させてもらいますよ」

 

 そうかそうかそれは良かった、と喜ぶ彼女を見て少し不安な気持ちになる。

 

──もしや、遠回しにお断りしますって言ったのが伝わっていない?

 

 『評判良かった』って単純に先生より俺の方が御し易いからとか、絶対そういう感じの理由なのだが。

 

 

 

 

 

『一時限だけ、子供たちの自習の様子を見てやってくれないだろうか』

 

 過去に一度、そんな依頼を引き受けて寺子屋まで赴いたことがある。

 

 元外来人と知って()()と一斉に外の世界について質問する子供たち、その無邪気で元気が有り余ってますとばかりの様子に、俺もこの年の頃は何も知らず幸せだったなあ、とちょっと感動しながら対応していた。

 

 こちらとしても子供の視点からの幻想郷像というものに興味があったので、色々と質問を返してみた。ついでにあの“頭突き”について聞いてみたりなんかして。

 

 それを横目にしめしめと遊び始めた子供たちがいたのを見逃さなかった。まあ、その時の俺は子どもの仕事は遊ぶことだと思っていて特段注意しなかったのであるが。

 

 多分、その味を占めた子供たちが要望を出したのだろう。

 

 実質一時限ずっと休み時間みたいなもんだったからな、あれ。

 全然自習してなかったし、依頼達成出来てなかったなと猛省したのは記憶に新しい。

 

 

 

 

 

 寺子屋の裏手に到着すると先生──慧音さんは、俺が引いてきた荷車の中身をしっかりと(あらた)めて満足そうに頷いた。

 

「ふむ、確かに一通り揃っているようだ」

 

 これで、藤見屋としてのお仕事は終わりである。

 

 ふう、と息をつく。道中の時間は短かったが山積みの本を運ぶのはやはり体力的な消耗が激しい。依頼達成を確認してやっと落ち着くことが出来た。

 そういえばと何か気がついた様子の彼女を見て、こちらから話しかける。

 

「慧音さん、どうかしたんですか?」

 

「いや何、最近は忙しくて“彼女”のところへ顔を出してなかったなと思ってな。そっちはどうだ?」

 

「あー、そういや俺の方もそうですね。何だったら丁度この後暇なんで、様子見に行きますよ?」

 

 単なる“彼女”という呼称だけで通じるのは、やはり俺と慧音さんで一種の同盟を結んでいるからか。

 その名も、“なにかとズボラな彼女の生活環境を改善させよう同盟”。

 俺が内心そう呼んでいるだけなのでこんな名前付けてるとバレたら慧音さんに呆れられてしまいそうだ。

 

「そうか、では私がよろしく言っていたと伝えておいてくれ」 

 

 彼女がふと破顔する。

 

──彼女の穏やかな笑顔を見ていると少し気恥ずかしくなってしまう。

 

 “俺好み”の女性に耐性があんまりないのは、これまでまともに恋愛経験を積んでこなかったせいか。

 ついついもう少し言葉を交わしていたい、そういう誘惑に駆られてしまう。

 

「あの──」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……そういえば生徒たちから聞いたんだが、君が私の頭突きを是非受けてみたいって」「早速行ってきます。ではまた」

 

 前言撤回、速攻でその場を離脱する。

 

 誰だよそんなこと言った子、出てこい。

 

 いやまあ確かに、あの威力はどれほどか気になって前に質問した事はあったけどさあ。俺が実際に食らってみたいとまでは言ってなかったはずなんだよなあ。

 伝言ゲームみたく、俺が慧音さんの頭突きに興味持っていたことが生徒を通して本人に伝わってしまったのだろうか。

 なんという誤解。

 それでアレの餌食になるのは真っ平御免である。

 

 競歩みたいな歩き方になりながらその場から離れる。絶対に食らってやるものか。

 

 勢いそのままに目指すは迷いの竹林、そこにある廃屋である。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 万が一のことを考慮し、里で少しお買い物をした後。

 

 人間の里の外に出てから空を飛ぶ。

 

 別に里の上空の飛行を禁止されているわけではないが(実際に天狗などがよく飛び回っている)、やっぱりどうしても目立ってしまうものだ。

 仕事中なのであれば良い宣伝になるし、俺が飛んでいるのに気づいた人が臨時の依頼をする為に地上から呼び掛けてくるなんてこともある。

 それなりの期間を人間の里で活動したので、そこそこ名が通ってきているのだろう。

 

『おーい藤見屋ー、今いいかー?』

 なんて調子で。

 

 そうじゃない時、つまりプライベート中は地上を歩いて移動している。あまり不用意に目立ちたくねえなぁと考えているからというのが理由の一つ。

 

 その他に、霊力の温存という理由がある。

 

 霊力の弾丸然り、飛行能力然り、火の術然り、特殊なことをするにはとにかく霊力が必要になるのだ。

 残念ながら、俺の霊力は無限に湧いて出てくる代物ではない。

 

 霊力や妖力などのそういった“力”に恵まれた者は自身のそれのみならず、周囲の空間に漂う“力”でさえも己が術の行使に役立てるらしいが──そんな事は常人の俺にとってなんにも関係ない話。

 

 外の世界と比較して幻想郷の方がより多く霊力が漂っているのをなんとなく感じる程度だ、精々自分が出来るのは。

 

 

 

 因みに。

 俺の保有している霊力の総量、最大出力は共に“並”である──とは博麗神社の巫女、霊夢さんのお言葉。

 

──ここは規格外な霊力を持っていたり、ものすんごい威力を放てることが発覚して盛り上がるところではないのか。

 

 中学校へ進学する前の俺ならそう不満を持つところであったが、これまでの人生経験からして『まあそうなんだろうね』『知ってた』と冷めた視線で評価している自分がいる。

 

 『常識に囚われる程度の能力』がそれに当たるのではという発想もあった。自分の理解の及ばない事象からの干渉を防ぐ、そう言い表せばなんともそれらしいではないか。

 

 だが結局のところ、物理的なものや霊力的なものに対しては全く歯が立たない。躓いたら、殴られたら、切られたら、霊力や妖力で作られた弾に当たったら。

 正直、直接的に俺を害するものにこそ、その効力を発揮して欲しかった。

 

 それこそ全ての事象から身を守ることが出来る能力であったら諸手をあげて歓迎したのに──

 

……いや、やめよう。どうしようも無いことにいつまでも愚痴をこぼし続けるのは。

 こうして空を飛べるだけでも十分に俺は恵まれている。能力だっていつかは役立つこともあるはずだ。

 

 そう前向きな気分に切り替えて空を行く。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 迷いの竹林を見下ろし、その手前辺りにある目的地を目指す。

 

 人間の里からここまでの途中、野良妖怪から数度狙われたのだが、ある程度近づくと途端に踵を返して逃げ出していってしまった。

 

 それは俺が見事、霊力の弾丸でもって撃退してみせたから──というわけでもなんでもなく、霊夢さんから貰った『ありがた〜い博麗の御札』の効果によるものだ。

 

 ある程度以下の力しか持たない弱めの妖怪は、この御札のお陰で追い払うことが出来る。

 すぐに効力が切れてしまい頻繁に補充しに神社まで行かなければならないのが玉に瑕だが、それでもこれは非力な俺が人里の外で活動するのに、決して欠かせてはならないマストアイテムなのだ。

 

 

 

 本音を言えば危険な人里の外ではなく安全な中で仕事をしていたいのだが、そうも言っていられない。

 

 そもそもの話、人間の里には運び屋や何でも屋が自分以外にも多数存在している。

 俺がこの稼業を始める前から、それらの需要と供給はそこそこ普通に成り立っていたのだ。

 

 その為、最初は新参者の俺に依頼を回してくれる人を見つけるまで苦労したものだ。

 自分の全力を尽くして評判を落とさぬようにと遮二無二励んでいたら、いつの間にか“人間の里の外でも活動出来る貴重な運送屋兼便利屋”という評価を頂けるようになっていた。

 

 外に生えている薬草の採取や畑に出没した野良妖怪退治の援護など、人里におけるニッチな需要をいつの間にか満たしていたのである。

 

 さっきのように里の中でも仕事することはあるが、基本的に俺に求められているのは外でのお仕事。

 

 ならば、可能な限り身の安全を確保する手段の確保が急務であり、俺はその一つとして『ありがた〜い博麗の御札』を頼ったのだった。

 

 

 

 

 

 ここに来るのはもう何度目のことだろう。

 

 屋根は抜けてしまっていて、壁には大きな穴が開いている。

 すっかり朽ちてしまった木材の破片が辺りに散らばっており、最早かつての廃屋のどの部分を象っていたのか判別は不可能だ。

 

 慧音さんに連れられて初めて見た時は、“彼女”がこんな粗末な小屋に住んでいるとは、と驚いたものだ。

 

「おーい、妹紅ー。俺だ、勝手に入るぞー」

 

 ここの家主は客人を出迎えるなんて殊勝な真似はしない。

 しかもそれに“招かれざる”という修飾がつく時は特に。そもそも、彼女が他人をここに招くというのも想像し難い。

 

 破れまくって大層換気の効率が良さそうな障子を開けて、躊躇いもなく屋内へ侵入する。

 

 そこには、いつものように寝惚け眼を擦ってこちらを軽く睨む少女がいた。

 

 常識的に考えて女の子の部屋に本人の許可を得ず侵入するのは本来避けるべき事なのだが、こちらは“保護者(上白沢 慧音)”からの許可を得ている。何処も恥じ入ることはない。

 

 慧音さんからの頼みが切っ掛けとなって、毎度こんな感じで、俺はしばしば彼女の世話を焼きに行っている。

 

 即物的な報酬こそないものの、これもまた立派な依頼だった。

 





 そういえばこれ描写してなかったや と一々解説を挟み込んで話の腰を折ってしまうのが私の悪い癖

 気づきました? これまでの話でオリ主以外の視点を担当したキャラは“上白沢慧音”、“藤原妹紅”、そして“人里の門番さん”で全てだという事実に
 原作キャラと肩を並べるこの男性、何者なんでしょう 伏線か何かかな

 なんて冗談はさておき
 この作品には主人公以外のオリキャラは登場しません そりゃあ幻想少女たち以外にも沢山の人、妖怪、霊、神などなどが暮らしている幻想郷ですから彼らとの関わりは当然発生します 所謂モブという奴ですね 少なくともこの作品の本筋にはモブが本格的に絡むことはありません今のところは

 作者がオリキャラを複数用意して面白く話を展開させる脳がないと言い換えることも出来ますな




 タグ付けはこれいいですよね? 何か追加すべきという意見があればどうぞお知らせください 美醜感覚逆転ならまだしも”あべこべ”がどこまでを指しているのかイマイチ把握出来ていません サブタイに使ってるのに 貞操観念逆転も含まないといけないのかな


 ところで評価の色見えます? 真っ赤ですよ真っ赤 この作品が高い評価を受けている動かないもとい動かぬ証拠ってやつです 実はもっと前から言及したかったんですがそろそろ評価が固まってきたなと安心するまで時間がかかりました もう喜んでいいよね?

 全然赤くないじゃんと思ったそこのあなた、この作品もかつては高い評価を得ていたんですよー ほんとほんと 信じて

 当然、評価の色がその作品の全てではありません 私もいざ読んでみると『なんだよ、結構面白いじゃねえか•••』となったことは数知れず そういう理由でスルーしていた作品があるのであれば 暇な時間にちょっとだけでも読んでみてはいかがでしょうか ついでに評価や感想なんて書いてみたりね 結構励みになるんですよ?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幻想郷の日常 その二

 日間ランキングに載り続けている事に歓喜して慌てて執筆 まさに豚もおだてりゃなんとやら
 


 

 彼女──藤原妹紅に対して持っていた俺の最初のイメージは『なんて頼れる人なんだ!』といったものだった。

 

 (しつこく質問したからかもしれないが)幻想郷について分からないことだらけだった自分の問いかけに律儀に答えてくれたし、襲いかかってきた妖怪を鮮やかに撃退して見せ、更には俺に新しい術を教えてくれた。

 霊力の扱い方について彼女の言う通りにした結果、とんとん拍子に成功したこともあり、その時は師匠と呼びたくなっていたまであるのだが……

 

 それが今はなあ。なんかダメ人間を見る気分になってきたというか、なんというか……

 

 人間の里での生活がどうにか安定してきた頃、慧音さんと再会した俺は“博麗神社まで護衛してくれた頼れる妹紅さん”にも、この幻想郷で暮らすことにした事を報告をしたいと願い出た。

 

 また、彼女と会って話をしてみたい。

 

 もっと霊力の扱い方について教えてください、と執拗に頼めばまたぞろ俺の要求に応えてくれるのではないかという下心がなかったわけではないが。

 

──そうして、慧音さんに連れられて見るとそこには、今にも倒壊しそうなボロ小屋で気怠そうにしている彼女の姿。

 

 自分の抱いていた彼女に対するイメージとのギャップの大きさに、戸惑うことしか出来なかった。

 そんなことを思い出しながら、寝起きであるらしい彼女を見る。

 

 

 

 

 迷いの竹林、その廃屋にて。

 

 妹紅は壁にもたれ掛かるようにして座っていた。その射抜くような視線を受けながら彼女の前まで移動する。

 

 一応、屋内であるはずなのに()()()と吹く風が頬を撫でる。抜けた天井、隙間から外の竹藪が見える横壁、ぼろぼろの障子……さて、どれから入り込んでいるのやら。

 足元も酷いものだ。木材が腐ってしまったのか何箇所か穴が空いているし、こうして歩み寄るだけでもギシギシと不快な音を立てている。今にも床を踏み抜いてしまいそうだ。あまり意味を成さないだろうが抜き足差し足と優しく歩いてみたりする。

 

「……何の用だ」

 

 彼女から呼びかけられたので、ある程度近づいた辺りで足を止める。

 なんとも不機嫌そうな声。

 

──ははーん、さては寝ていたのを無理矢理起こされた挙句自分の住処に不法侵入されて、かなりご機嫌斜めになってんな?

 

 うん、当然だわ。

 俺もそんな事されたらちょっとは腹が立つ。

 

 彼女からの問いかけに返事をせずに少しだけ思案する。

 

 勝手に侵入したのは多分問題ない、毎回やってるし。

 タイミング、これが不味かった。真っ昼間から寝ているとは流石に予想外──でもないが、せめて声を掛けた後返事くらいは待つべきだったか。

 

 慧音さんからの依頼、“妹紅の生活環境を改善させて欲しい”を見事達成させるつもりで久しぶりにここに来たのではあるが、『せめて布団買って横になって寝ろ』という前回のアドバイスを無視してるあたり、あれこれ言っても意味がなさそうだ。特に今は機嫌が悪そうだし。

 

 恐らく慧音さんからのお説教も、こうしてのらりくらりと躱してきたのだろう。

 

 彼女の言うことを聞いてこなかったのだから、比較的全然まだ付き合いの浅い俺のお節介が水泡に帰しているのは道理であったか。

 このまま依頼に取り組んでも効果は殆どないだろう、寧ろ臍を曲げられてしまう可能性が非常に高い。

 

 そう判断して心の中で慧音さんに詫びる──すまん、今日はもう無理っぽいです。

 

 かといってこのままUターンして撤退するわけにもいかない。

 ここはプランB。保険のために買っておいたアレの出番だ。

 

 

 

 無言のまま背負っていた大きな風呂敷を俺と妹紅の間に広げて、自分も彼女と向き合って座る。

 風呂敷の中身は、人里で買ってきた二つのお弁当だ。

 

「最近一緒に呑みに行ってなかったろ? 少し遅いけどお昼にしようぜ」

 

 プランB。それは『もうアレコレうるさく言わないから仲良くしよう作戦』とも呼称される。

 

──つまりはただのお手上げという奴である。

 

 もうしょうがないので開き直る所存だ。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 彼女もまた『〇〇する程度の能力』を持っているらしい。

 

 それに気づいたのはちょくちょくお世話を焼きに行くようになってから数度目のことである。

 

──彼女の住処には、食料らしきものが何処にも見当たらない。

 

 裏手には古井戸があり、湯呑みもフチが欠けてはいるものの確かにある。しかし、ここには台所なんてないし、食べ物を保存している様子すらなかった。

 ということは全て外食で済ませているのか、と聞いてみてもそうではないとの返事が戻ってくる。

 やろうと思えば、水分や食事を取らなくても問題は無いらしい。

 彼女は自分がそういう体質なのだと独白して、自虐的に笑っていた。

 

 差し詰め、『飢えなくなる程度の能力』といったところか?

 

 別に物を食べることが出来ないわけではないし、なんだったら時折美味しいもの目当てに迷いの竹林を彷徨うこともあるらしい。(なんでも物好きな妖怪がたまに八目鰻の屋台を構えることがあるのだそうで)

 

 便利そうな体質であるというのに、何故そんな表情を浮かべるのかが分からなかった。が、もし俺がそうだったらと考えると腑に落ちる感覚がする。

 

 

 

 美醜感覚の逆転と直面して苦しんだあの時と同じように、彼女は絶食していても生きていられるという異常な体質に苦しめられてきたのではないか。

 周囲の人とのどうにもならない体質という名の壁。

 それこそが人里離れた廃屋で退廃的な生活を送ることになった要因なのではないか。

 

 これらの推察は、自分の勝手な想像だ。この妄想が正しいのかを直接彼女に聞いてみようとは思わない。

 

 ただ、そんな顔をする彼女を見ていられなくて、気づけば俺は今度一緒に飯を食いに行こうと誘っていた。

 出来たら人間の里の色んな飯屋を紹介してやりたかったがなんとなくそこまで出向くことを渋りそうな予感がしたので、その鰻屋に行こうじゃあないかと。

 

 俺の急な誘いに混乱している様子の彼女の手を引いて、その朽ち果てた廃屋から飛び出した。

 

 これがきっかけで、俺と妹紅は時々共に食事──偶にお酒も──をするようになっていた。

 

 

 

──ずっと後になってからのことであるが、“妹紅の生活環境を改善させて欲しい”という依頼の“本懐”を実はこれで達成していたのだ、と慧音さんは嬉しそうにして語っていた。

 

 

 

 まあその後屋台がどこにあるのか知らなかったので、そこまで案内してほしいと妹紅に頭を下げることになったのは、我ながら何とも締まらないなぁと思ったものだ。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 一緒に弁当をつつきながら俺は彼女に、人里での仕事で大変だったり、驚いたり、失敗したり、嬉しかったり、色んなことを体験してきたのだと少し大袈裟に誇張しながら話をする。

 

 それを聞く彼女は言葉は少ないながらも反応を示し、時におかしそうに笑ってくれる。

 そんな反応を返してくれるのだから、こちらも話甲斐があるというものだ。

 

 

 

 

 

 そうこうしている内に、あっという間に二人とも弁当を食べ終えてしまった。

 

 空になった弁当箱を回収して風呂敷に包む。

 水分もなしに食べたので喉が渇いてしまっていた。水筒も持ってくるべきだったな。妹紅からヒビの入った湯呑みを借りて古井戸から汲み上げたばかりの水を飲む。

 

 満腹感もあってか俺たちの間になんだかほっこりとした緩んだ空気が流れている。

 最初に彼女がイライラしていたのは空腹の所為だったのかもしれない。

 

 うーむ、これほどいい雰囲気ならば慧音さんの依頼に取り組めそうかな? そんなことを考えながら湯呑みを傾ける。すると、

 

「痛っ」

 

 気もそぞろになっていた為か、欠けたフチに上唇を引っ掛けてしまった。

 

「どうかしたか?」

 

「いや、すまん。湯呑みで唇切っちまった」

 

 出血はそこまで酷くはないのだが、そこを不注意に舐めてしまい鉄の味が口の中に広がって気持ち悪い。

 そもそもの話、俺のうっかりでこんなことになったのではあるが……まあ丁度いいか。

 今日は物を新しく買い替えることの大切さについて彼女に講義してやろうではないか。

 

「あのな、こういう危険性がある物はさっさと買い替えるべきだと思うんだ。こんな感じで怪我しちゃう可能性があるからな」

 

「きゅ、急になんだよ」

 

 出し抜けに“生活改善指導”が始まって困惑している所悪いが、ここは畳み掛ける瞬間(とき)だ。

 慧音さんからの依頼というものあるが俺個人としてもいい加減彼女には自分を大切にしてほしい。

 

 こら。その『ま〜た始まったよ』と言わんばかりの視線を向けるんじゃない。迷惑だとわかってるけどそれでも主張しないといけない時がある、それが今だ。

 

 彼女の“聞いていませんよう”という顔を見ながら言葉を繰り出すが──

 

 

 

「いいか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、だからまず怪我をする可能性を極力抑えるところ、から、な、」

 

 

 

 てっきり俺は彼女はいつものように何食わぬ顔をしながら説教を聞き流すのだと、そういう光景を幻視していた。

 

 しかし、今目の前にあるこの光景は、

 

「────妹紅?」

 

 

 

 

 

 彼女は何故か、とても物哀しそうな表情をしていた。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 人間の里の、少しだけ治安の悪い裏町。

 俺はそこにある少々安めな価格設定の長屋を借りて拠点にしていた。

 壁が薄い上、所謂集合住宅である為か何かと騒々しく、正直に言って住み心地はあまり良くない。

 

 だがこの喧騒が、今はとても都合が良い。

 今の俺にとっては、沈黙こそが最も避けたいものである。

 

 

 

 

 

 あの後、妹紅は『今日はもう帰ってくれ』と言ってそのまま黙り込んでしまった。

 

──明らかに、彼女の中にある何かしらの“地雷”を踏んでしまった。

 

 そう直感した俺はまず謝罪して、次に何が原因でそんな風になってしまったのかを聞こうとしたのだが、彼女は只々沈黙を返すのみ。

 

 日を改めてまた出直そう、その時になればまたお互いに上手く関わっていける筈だ。

 

 そんな御為ごかしに縋り付いて意気消沈しながら帰るしかなかった。

 

 一体どうして、彼女の様子が変わってしまったのだろう。

 

 俺の説教が原因なのか? いや、ああいったお小言を今まで何回もやってきたのだ、今回だけ偶々何か逆鱗のようなものに触れてしまったという可能性は少ないだろう。

 では、彼女の湯呑みを血に濡らしてしまったことが原因か? いや、あいつはそんな事を気にしない性格だと俺は知っている。もっとも、何故あの悲しい表情になったのか分からない今では自信を持てないのだが。

 

 その他の原因と考えられるものは……と頭を悩ませても、これといって思い当たる事がない。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 いつの間にか、夕日が沈もうとしていた。

 

──もう時間がない、妹紅の事についてはまた今度考えるしかない。

 

 手土産を片手に部屋のど真ん中に正座で座り込んで、(きた)るべき浮遊感に備える。

 

 ギュッと目を瞑る事も忘れてはいけない、俺は“あの眼たち”を直視出来ない、どうしても生理的な嫌悪を抱いてしまう。

 暗闇の中で唯一認識出来るのがアレらというのは、真っ当な感性を持った人間ならばきっと耐えきれないだろう。

 

 

 

 

 

 そうして、

 いつもの浮遊感に包まれる。

 

 

 

 

 

 ぼすっ、と大きめな座布団に正座の姿勢のまま着地した。

 

 毎回こんな妙な移動方法を取らないといけないのは、俺の能力の影響を出来るだけ受けないようにするためだ──とは某スキマ妖怪の言葉。

 

 もう大丈夫だ。あの空間は抜けた。

 そう安心して瞑っていた目を開ける。

 

 

 

 目の前の教壇に立つのは道士服を着こなす見目麗しい知的そうな女性。その美貌もさることながら、九つのモフモフとした尻尾が特徴的だ。名を“八雲(やくも) (らん)”という。

 

 そして隣で俺と同じように座布団に座って教壇の方に向き合っているのは、緑の帽子に黒い二股の尻尾がトレードマークの化け猫の少女。名を“(ちぇん)”という。

 

 

 

……まるで寺子屋のようだ。

 

 そう思ったのは初めてここでこういう状態になった時のこと。そしてその感想はまったくもって正しい。

 

 俺がやって来た事を確認した藍さんが口を開く。

 

「来たか。では前回に引き続き、博麗大結界を成り立たせている具体的な術式について教えていこう──」

 

 

 

 

 

 ここは『マヨヒガ』

 

 幻想郷の山奥に存在しており、隣に座る少女がリーダーをしているという“猫の里”とも位置的に近いらしい。

 数日間隔で、ここはある種の臨時教室へと変貌する。

 

 即ち、『マヨヒガ教室』

 

 講師は藍さん、生徒は俺と橙ちゃん。

 

 授業内容は、主に幻想郷についてのあれこれ。

 

──俺は、自分から望んでこの教室に参加している。全ては幻想郷のことを理解して自分の常識を更新する為。

 

 稀に高度な設計の術式が紹介されたりするものの、それを実際に理解して身に付けられてるかどうかは、まぁ察して欲しいところだ。

 




 
 なにかとイケメン属性がピックアップされがちなもこたんですが、ズボラで退廃的な生き方、自分の体質に苦悩していそう(偏見)な面など、注目していきたい所は他にも存在すると思います



 今回は、人間どこに地雷が埋まっていて、いつ爆発するのか正直に打ち明けられないとわかんないよねって話 憑依華だとのびのびとしているのにどうしてこうなった

 まあ深刻にもこたんを曇らせるつもりはありません
 ただ、ようやくできた人生初の異性の友達に『〇〇ってあり得ないよね〜(〇〇=自分がコンプレックスに思っている事)』と言われた程度の衝撃です

 あれ、割と結構つらいような


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幻想郷の日常 その三

 東方あまり詳しくないよって人に不自然に思われないような、それと同時に詳しいですよって人にはそれとなく読み取れるような文章を書くのが難しい
 


 

 

 黒板ではなくホワイトボード、チョークではなく水性ペンという幻想郷らしからぬ現代的なアイテムを駆使して授業が進んでいく。

 さっきから高度な内容過ぎてちっともついていけない、それは隣の少女も同じらしく講義内容をシャーペンでノートに書き記すペースが遅くなり、遂には止まってしまっていた。

 

──書き写していれば完璧に理解出来るというわけじゃないのが辛いよな。スゲー分かる。

 

 対して俺の方はといえば、まずペンもノートも支給されていない。だからただ聞いていることしか出来ない。

 スキマ妖怪に頼んでみても『門外不出の情報が載ったノートが外部に流出しない保証がないじゃない』と一蹴されてしまっていた。俺が喋ってしまえば同じ事だろうに訳が分からない。

 

 せめて聞いた内容を文字としてアウトプットさせてくれないかなあ。

 

 と、不平を漏らすことは出来ない。

 

 『マヨヒガ教室』、なんてそれっぽい名称を付けてはいるがこれは俺が勝手にそう呼んでいるだけのこと。

 

 

 

 その実態は“八雲の式神”としてまだまだ半人前な橙ちゃんを、知識的に、妖術的に鍛え上げる為の訓練の一環、そのうちの一つである。

 

 俺はそれに便乗させてもらっているだけ。

 

 

 

……では何故、そんな事をする様になったのか。

 

 ちらりと自分の後方を見る。どうやら今回も“あいつ”は居ないらしい。毎回とまではいかないが、お茶しながら藍さん、橙ちゃん、ついでの俺というメンツで授業をしているのをいつも何やら嬉しそうに眺める彼女の姿がない。

 

 大結界の維持に注力しているのか、はたまた寝ているだけなのか。

 

 

 

 以前の八雲紫、あのスキマ妖怪は『マヨヒガに御招待するわ。そこで、貴方の目標の達成に役立つ知識を授けましょう』──そう言って、突然俺をここまでスキマを通して拉致しやがった。

 

 その時、俺は長屋で読書をしていた。

 鈴奈庵から借りたミステリーものがそろそろクライマックスという段になって、急に現れて急にそんな事を言われ急に攫われたのだから、その時の俺の混乱っぷりは凄まじいものだった。

 

 しかも『知識を授けましょう』と偉そうに言っていたくせに、それを自分の部下(正しくは式神というらしいが)にぶん投げるという始末。

 

 とはいえ、この授業は俺にとってとても有難い事には変わりない。

 

 

 

 

 

 人間の里で暮らす内に、ある不安を俺は感じ始めていた。それはこのまま生活を送っていたとしても“幻想側に寄る”という目的を達成出来ないのでは? という懸念である。

 

 幻想郷の者たちと関わり合う。これだけで万事上手く行くのであればそれで構わない。

 だが、これだけでは実感と経験は積めても知識を得ることが出来ないのではないか。

 そして、それはそのまま俺の常識を完璧に更新させることが出来ない事を意味している。

 

 人里に暮らす者たちの殆どは博麗大結界や『常識と非常識の境界』の事について何も知らない。知っていたとしてもその理解の程は俺が期待していたものではなかった。

 

 博麗霊夢を頼ろうという考えは上手くいかなかった。彼女はあくまで感覚的な理解をしているだけのようで、理論立てて説明する事が出来ない。

 

 『幻想郷縁起』、その写しを読んだことがある。だがそれは幻想郷の未知なる妖怪の事については触れているものの、やはり大結界や境界については俺の知っている情報以上の事は記されていなかった。

 

 

 

 

 

 幻想郷、特に大結界や境界についての知識が足りない。

 それを学習出来る環境もない、もしや手詰まりか──

 

 そんな焦りを感じ始めていたその時。スキマ妖怪は俺の前に現れてきて、知識を与えましょうと言ってきた。わざわざ自分の拠点の一つに俺を招いてまで。

 

 まさに渡りに船だった。

 

 彼女は、俺の願いである『外の世界への帰還』の成就にとても協力的だ。それはこちらとしても十分にありがたい事であるのだが──しかし、

 

 

 

 しかし、である。

 何故彼女はここまでしてくれるのだろう?

 

 

 

 俺が持つあいつの胡散臭いイメージと、ある意味献身的とすら言えるまである彼女の行動。何かが決定的にズレているような気がする。

 

 彼女はこの幻想郷を創り出した『賢者』の一人なのだと聞いた。

 

 そんな大妖怪であるというのに、俺みたいな何の変哲もない外来人をそこまでして気にかけるのは、何処か不自然であるように感じる。

 

 俺のこの根拠のない勘繰りは、全くの見当違いなのだろうか。

 

 

 

 それとも、何か──あるのだろうか?

 

 俺が外の世界に帰ることで発生する、何かしらのメリットが。或いは、俺が幻想郷に居続ける事を拒む強い理由が。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 藍先生の講義が終わり、橙ちゃんの質問タイムに入っていた。

 

 俺?

 

 質問をするという行為は、教えられた事柄に対してある程度の理解が進んでいてやっと出来る事なのだ、と言っておこう。

 

 ちんぷんかんぷん、という言葉がある。

 

 今回の授業内容に関する俺の理解の程はつまりそういうことなのであった。泣ける。

 

 

 

 活発に質問を繰り返す隣の少女を見遣る。まだまだ半人前だという話であったが、それはスキマ妖怪や藍さんの視点から見た話。自分の視点から見たら彼女も十分にすごい子なのだ。

 

 フリフリと揺れる二つの尻尾を見る。

 

 化け猫──それか猫又、それは長く生きた末に妖怪に変化した猫だとかなんとか。

 

 案外、俺より年上なのかも知れないな。

 

 その者の年齢は外見のみで判別することは不可能。

 それは幻想郷に住み始めて気が付いた、特に女性に当てはまる事柄だった。

 

 

 

 

 

「藍さん、今回も手土産を持ってきましたよ」

 

「お、おおー。いやあ毎度すまないな」

 

「気にしないでください、授業料ってやつですよ。むしろついていけない事の方が多くて恥ずかしいくらいなので……」

 

 

 質問タイムが終わった後、ノートと睨めっこし始めた橙ちゃんを傍目に持って来たお土産を手渡す。

 

 初めは媚を売る為というか、本来一対一でやっていた所に俺が急に入り込んだ形になったので、そのお詫びの表明という形で始めた事。

 

 今では随分と喜んでもらえているようで、現に彼女の目がそれに釘付けになっている。しかも若干瞳孔が開いていてちょっと怖い。そういうのは猫の領分だと思っていたのだが、狐もそうなるものらしい。親子、と言い表しては語弊があるがそっくりである。尻尾も心なしか揺れているように見受けられるし。

 

 

 

 お土産の中身は油揚げ、それと乾燥したマタタビ。

 マタタビの方は藍さんが指定したお店で買い付けたものである。

 豆腐屋の評判の良し悪しはご近所付き合いでの会話から仕入れる事が出来た。だがマタタビを売っている場所は流石に分からなかったので、彼女からの情報提供をもとに探す所から始まった。何か訳ありそうな寂れた屋台で売ってあったものだったが、それなりに良い()()であるらしい。……なんだかアブナイものみたいな言い方だなあ。

 

 ちなみに、油揚げは藍さんから、マタタビは橙ちゃんからの要望である。狐に油揚げ、猫にマタタビという組み合わせは、最早一種のテンプレとも言えるだろう。

 

 

 

「助かるよ。私が人里を出歩く為にはまずこの顔と尾を術で隠す事から始めないといけないから面倒でな、何かお返しが出来たら良いのだが」

 

「それは──大変ですね。まあ、お返しなんていいですよ。色んな知識を教えてくれる事に対するお礼のつもりですから。寧ろもっと沢山買ってきましょうか?」

 

「そこまでしてもらうのは此方としても申し訳ない。次は私からも何か……」

 

 いやいや、こちらこそ。どうか遠慮なさらずに。

 

 そんなお互いに遠慮し合って話が進まないループ状態になってしまった。

 

──なんだこれ。

 

 あらあら、うふふ。

 

 とそんな応酬を繰り広げていると、それを見兼ねての事ではないのだろうが、橙ちゃんが俺たちの間に割って入りある提案をしてきた。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 あ〜、癒される。これがアニマルセラピーってやつか。

 

 寄ってくる無数の猫たちを見ていると温かな気持ちになっていく。残念な事に、猫たちの目標は俺じゃなくてその手に持ってるマタタビなのが惜しいところ。

 自分が不思議と動物に好かれる体質だったりしたら良かったのになあ。

 

 

 

 “猫の里”、それが近くにあるとは聞いていたのだが、まさか本当にお隣だったとは。マヨヒガから外に出たことがなかったから知らなかった。

 

 橙ちゃんからの提案は至極簡単な事、『私が化け猫たちの長になる為のお手伝いを俺にして欲しい』というものだった。

 

 なんでも彼女は八雲の式神として一人前になる為に、“化け猫たちをかき集めて彼らのリーダーになる”という試練を己に課しているのだとか。

 その手伝いをすれば、俺と彼女たちでどちらも得する事が出来るのだと言っていた。

 

……どうやら、俺の視線が度々彼女たちの尻尾に釘付けになっていた事がバレバレだったらしい。

 

 仕方ないじゃない。

 だって動物大好きなんだもの。

 

 彼女たちからセクハラを訴えられる事にならなくて本気(マジ)で良かった。そう内心でほっとしていたのは内緒。

 

──動物はいいぞ。なんせ可愛いし、自然と愛情が湧いて出てくるし、そして何より美しさや醜さなんてくだらない価値観に執着することがない。

 

 幼い頃、美醜感覚逆転のせいで若干の人間不信になっていた俺にとっては物言わぬ動物との触れ合いはとても心温まるものであった。

 

 その時を思い出して、ちょっと懐かしい気持ちになる。

 

 

 

 

 

 目の前の化け猫たちに、均等になるようにマタタビを与えていく。

 

 こうして物を施すことで、上下関係を教えるのだと橙ちゃんは意気込んでいたのだが……さて、俺が与えていてもいいのだろうか。

 

 その理屈だと自分をリーダーと認識しちゃうんじゃないのと思い、これでほんとに良いのか聞くために彼女の姿を探す。

 

 いつの間にか彼女は持っていたマタタビを化け猫のうちの一匹に奪われており、その子を追い回していた。それはもう必死に。

 

──何やってんだ。

 

 それを見て呆れていたのだが、

 

「あっ」

 

 油断したせいか、俺もマタタビを奪われてしまった。

 シュタタッと離脱していく猫たち、その場に俺は一人立ち尽くすのみ。

 

──何やってんだ、俺。

 

 

 

 

 

 結局、マタタビを奪われたまま取り返す事も出来ず、二人してマヨヒガの縁側に座って落ち込んでいた。

 

 何故彼らは橙ちゃんをリーダーとして仰がないのか、ふと疑問に思った。化け猫たちの中で唯一人の姿に化ける事が出来るというのに。

 

 質問してみると驚愕の答えが返ってきた。

 

「え、動物たちも美的感覚を持ってんの⁉︎」

 

「うん、私がブサイクだからって皆言うこと聞いてくれないの」

 

 橙ちゃんは悲しそうに目を伏せる、が俺は咄嗟に彼女を励ます言葉を言う事が出来ない。

 

 (俺にとって)衝撃の事実がここに発覚した。

 

 美醜感覚に左右されない良い子たちだ、と子どもの頃心の支えにしていた動物たち。

 

 普通にそういう価値観を持っていたのか──

 

 少し、いやかなりショック。

 

 ま、まて早まるな落ち着け、長年を生きた化け猫なのだから、特別そうなのだという可能性もある。ビクビクしながら聞いてみる。

 

「も、もしかして、他の動物たちもそんな感じだったりするのか?」

 

「うーん、少なくとも私が出会った子たちだと全員そうだったよ?」

 

……おおう、もう。

 

 そ、そうなのかー。そうだったのかー。

 

 不意に熱くなって来た目元を押さえて上を向く。あー、日も暮れてきたなー。夕日が目に染みるなー。

 

 既に真っ暗な空を見上げてそう嘯く。

 

──夜中一人でAV(アニマルビデオ)を見てニヤニヤしていた頃を思い出した。

 

 ああ、すごく悲しいなあ。

 

 知識を求めてマヨヒガに来た身分だけれど、この知識だけは知りたくなかったなあ。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 またお世話になります、そう彼女たちに言ってスキマに落下して、自宅の少し古臭い長屋に戻る。藍さんはあいつの式神だからかスキマを使える。それでいつも送ってもらっていた。

 

 重ねて敷いていた座布団の上にボスンと着地する。行きの時と比べて膝が痛いのは、それだけマヨヒガのものの方が上質な座布団だからか。

 

 

──ホワイトボードとか幻想郷として色々おかしいからな、きっとスキマ妖怪が外の世界から持ち込んでいるのだろう。

 

 八雲紫と藍さんはマヨヒガとは別の場所に居を構えているらしいが、そこは一体どんな所なのやら。

 

 

 

 『鯢呑亭(げいどんてい)』という居酒屋で晩飯を取り、そのまま近くの銭湯へ行って身を清める。

 その後、長屋に帰って軽くストレッチをする。身体が資本なので丁寧にケアをする事を忘れてはならない。

 

 鈴奈庵で借りた本の返却期限はいつだったかなと気になって荷物を整理していると、いつも持ち歩いている『博麗の御札』の効力が弱まってきている事に気がついた。これも立派な商売道具、補充するべきだろう。

 

 明日は博麗神社へ行かないとな。

 

──それと駄目元で大結界を越えられるようになっているかどうか試してみるか。

 

 

 

 布団を取り出して就寝態勢に入った。

 外からの酔っ払いたちの声がうるさいがいつものこと。

 何か気の晴れる別の事を考えよう、と思って脳裏に浮かぶのはさっきの居酒屋の看板娘の事。

 あんなに可愛くて愛想の良い女の子がご近所さんの中で全く話題に挙がらないのは不自然だ。

 そう感じるのは、やはり俺が美醜逆転しているせいか。

 

 あの()の良さを理解しているのは自分だけだ──なんて気色の悪い事を考えていると、意識は次第に微睡んでいった。

 





 動物が美的感覚を持つのかどうか

 この議題はあべこべものを取り扱う作者としては少しばかり気になる所 目の前の機械で軽く調べてみても、そういう学説やら論文が多数見受けられます まあ現状では動物の感情をダイレクトに出力出来るような技術なんてありませんから(ないよね?)分かりようがないんですけど 価値観という極めて主観的な代物をデータで完全に表せるのかという疑問もありますし

 あべこべものをこよなく愛読する皆様方も概要だけでも理解していれば、この作品のみならず色んな美醜逆転ものをより深く楽しめるかもしれません

 まあ私は全然理解してませんがね!(INT3)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幻想郷の日常 その四

 『東方憑依華』をプレイしていて思ったこと メッセージウィンドウという狭い枠組みでストーリーを進めていくというのは凄いことなんだなって(小並感) あとはEDの僅かな地の文くらいで過不足無く話を展開するものですから見習いたいところですね
 ps4、switch版が発売されたばかりですから皆様も懐と時間に余裕があれば買いましょう 買え(豹変)
 


 

 

 幻想郷に住み始めての数日間、俺はとある問題に頭を悩ませ続けていた。

 

 “悪夢”──それを毎夜毎夜見て魘される。

 

 そういう問題を、俺はかつて抱えていた。

 

 はっきりと言おう、悪夢を見る事、たったこれだけだったのなら別に大した事はなかったのだ。

 そりゃあ見ている時はつらいし、早く終わってくれと切に望んでいた。

 

 しかし、目が覚めたのならば、そこで体験した恐怖の記憶はその日のうちに、それこそ朝食の準備をしているうちにでも忘れてしまうものだ。

 

 幻想郷で初めて一夜を明かしたあの晩に見た、人喰い少女──“宵闇の妖怪”と幻想郷縁起に記されていた──に襲われるという悪夢。

 

 それも別に不自然な事ではない。

 

 何故ならば人間の里に保護される前に、俺はあの真っ暗な森の中で命懸けの“鬼ごっこ”を繰り広げていたのだ。

 その時に感じていた確かな恐怖。それがトラウマとなって悪夢という形で現れた。

 そう説明がつくのである。

 

 では、“悪夢(ナイトメア)”を見る。

 

 それの何が問題なのか。

 簡単な事だ。

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 これは明らかに大問題だ。

 

 悪夢の中で、一体何に、誰に襲われたのかは残念ながらはっきりと覚えてはいない。

 ただ、必死になって逃げ回っていたことだけを俺は覚えている。

 追いかけ回され追い詰められて、()()した──そう感じてバッと跳ね上がるようにして目を覚ますのである。

 そして、自分の体に痛みが走り、その部位を見て気づくのだ──そこが悪夢で被弾した場所とそっくり同じであるという事実に。

 

……まあ、それも最初の数日間だけのお話。

 

 長期間これに悩まされ続けたのならば誰かに、それこそなんでも知っていそうなスキマ妖怪にでも相談するつもりであった。

 しかし今ではもう、そんな事は全然発生しなくなっていた。

 悪夢すらも見る事はなくなった。

 

 きっと慣れない幻想郷ライフに疲れていたのだろう。

 

 身体が傷んだのは偶々寝返りをした時にでも打ってしまったのだろう。むしろそこを強く打ちつけたからこそ、そこを撃たれる悪夢を見たのかもしれない。

 

 そう無理矢理にでも考えて、その事象を自分の理解の範疇に留めようとする。

 

──俺の悪癖なのかもしれないな。

 

 

 

 いずれにせよ、今の俺にはもう関係のない事だ。後ろ暗い物事に囚われていつまでも苦しんでいたって仕方がない。もっと前向きになっていこうではないか。

 

 今日も今日とて今日が始まる。

 

 いいお日柄なのだから、今日こそ博麗大結界を越えることが出来るんじゃないかなあ。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 博麗神社に行く時は出立する前にまず、マイがま口財布が十分に膨れている事を確認しなければならない。

 

 お賽銭代がないのは論外。

 特に今回は御札の補充と大結界越えチャレンジの両方をお願いをするのだから、博麗霊夢のお眼鏡に叶う手土産の用意も欠かしてはならない。

 

……なんだか、妹紅、藍さん、橙ちゃん、そして霊夢と近ごろはやたらと貢ぎ物ばかりしているような気がする。

 前者三名は、遠慮したりお返ししようとしてくれたりで渡し甲斐があるのだが、彼女の場合それらが全くないから微妙な気持ちになる。

 遠慮なんてしないし、お返しは──まあ、御札と大結界越えの準備がそれなのだと言えるのかもしれないが。

 

 これまでに何度もお土産を渡してきたのだが、いまだに何が最適な品なのか把握出来ていない。

 お賽銭を投げてやると目に見えて喜ぶものの、その他の何を手渡してもそこそこ良さげな反応をするばかりで本当に欲しがっている物がイマイチ分からないのである。

 

 お賽銭以外で何か欲しい物とかないの?

 と聞いてみた事があるのだが、

 

『あー? うーん、特にないわね』

 

 と、どうでも良さげに返事する始末。

 

 少々無欲に過ぎる(賽銭以外)のではと思ったが、仮にも巫女という神聖な役職に就いているのだ。きっと自らの欲を節制しているに違いない──という考えも、博麗神社が何を祀っているのか分かってないという言葉を聞いた瞬間にどこかへ吹き飛んでしまっていた。

 

 まあ、彼女の物臭な態度から察知するに只々マイペースに過ごせて、めんどくさい事柄と関わる事がなければそれで良いのだろう。

 

 今にも『面倒ね』とこちらの要求を渋る姿が目に浮かぶようだ。

 

 “異変”というものが発生すればその限りではないそうだが、生憎俺はそれを体験したことがない。

 よって、博麗霊夢はかなりののんびり屋、それか重度の面倒臭がり屋であるという俺のイメージは覆る事はないのである。

 

 

 

 

 

 

 二礼二拍手一礼、それが神社で用いられる拝礼作法だ。

 

 その他にも細やかな作法をしなければならないかもしれないが、ここの巫女さんは気にも止めないだろう。

 彼女が気にする事といえば、これをする前の賽銭投げくらいなものだ。

 

……背後から巫女からの熱視線を浴びながらお賽銭を投げるというのは、かなり珍しい体験ではなかろうか?

 

 俺が参拝を終えると早速お賽銭箱にササッと近づく紅白の影。

 それは躊躇いもなくお賽銭箱をガチャガチャとご開帳して、さっき投げた銭たち(賽銭としては破格の額)を取り出していい笑顔を浮かべていた。

 

 神職の者として、結構酷い事してるのに気づいているのだろうか。

 

 仮にも参拝客が目の前に居るというのに、この豪胆っぷりは賞賛すべきか呆れるべきか。

 

──こちらとしても少しでも生活費の足しにして欲しいと思って大目に投げているのだから、まあいいのか、これで。

 

 博麗神社の巫女、博麗霊夢。

 

 参拝客など俺一人くらいであろうに、彼女は今日も今日とて、俺の投げたお賽銭を手にして朗らかに笑うのだった。

 

 

 

 

 

 

「また? はあ、面倒ね」

 

 正式名称『ありがた〜い博麗の御札』をそれこそ有り難〜く貰った後に、再び博麗大結界に『穴』を開けてくれないかと頼み込む。

 

 概ね予想通りの返答であるが、その為に用意したお土産。面倒臭がるのを見事に予知してみせた俺のファインプレーである。

 

「そう言うと思ったからな。はいこれお土産ね」

 

 “霧雨道具店”という人間の里でも割と大手な商店の老年のオーナーさんから、藤見屋の仕事の報酬として貰った高級な茶葉である。

 

 あんまり緑茶の良し悪しを判断出来ない舌の持ち主である俺が、なんだか勿体ないなと開封に二の足を踏んで仕舞い込んでいたのを思い出し持ってきたものだ。

 

「──しょうがないわね、準備してあげる」

 

 そう言って巫女さんは建物の奥へと消えていった、俺の手土産を大事そうに抱えたまま。

 今までに見せた反応の中で一番上機嫌そうにも見える。

 

 彼女は何かと縁側に座って急須で淹れたお茶を飲んでいる印象があった。

 なのでそのお茶っ葉を貢ぎ物としてチョイスしたわけなのだが──その反応からして大当たりのようだ。

 

 

 

 

 

 

 博麗神社の境内、入り口の鳥居を見上げて呼吸を整える。俺の後ろには巫女さんがいて見送ってくれる態勢だ。

 薄いモヤのかかったその入り口に俺は再び入ろうとしている。

 

 五回、だ。

 

 これまで俺が博麗大結界の穴を潜り抜けようと試みた数。そしてこの数はそのまま失敗した回数でもある。

 

 

 

──多分今回も無理じゃないかしら、勘だけど。

 

──勘って何だよ、そんなの全く当てにならないぞ。

 

──私の勘はよく当たるのよ。

 

──なんだそりゃ。

 

 

 

 大結界に穴を開ける前に何やら不穏な事を言ってきた彼女であるが、それでもこうして俺を見送ってくれる。

 博麗の巫女としてのお勤めだからなのだろう。そういう真面目さは普段の生活態度の方に生かしてくれると自分としては嬉しいのだが。

 

「いってらっしゃい、藤宮さん」

 

「いってきます」

 

 つい反射的にそう返事してしまったがおかしな話だ。俺が帰るべきは外の世界であるというのに。

 

 気を取り直してモヤまで前進していく。

 

 都合、これで六回目の挑戦。

 

──今回こそ、今回こそいけるのではないか。

 

 そう切に願いながらそのモヤを突っ切ると、いつものように極彩色に染まった不思議空間に俺はいた。

 

 いつぞやの博麗霊夢からの警告を思い出す。

 

 『その鳥居に入ってからは、只々道を進み続けよ、決して引き返してはならない』

 『その道を外れてはならない、振り返ってはならない』

 

 自分の足元には向こうまで届く一筋の光の糸。これを辿れば外の世界へ行けるという話であった。

 

 

 

 三回目の失敗の後に、むしゃくしゃした俺は霊夢を『警告を言い間違えているのではないか』と言って責めてしまった事がある。それか、こちらが認識する“道”とそちらの言う“道”とで何かしらの齟齬があるのではないかと。

 彼女は平素と変わらぬ様子で訴えを聞き終えた後、それらの推測は的外れであると断定してきた。

 

 何人もの外来人を外の世界に送り出してきたプロがそう主張するのだ。

 

 ならば大結界を越えられないのは、やはり単純に『存在を“幻想側”に寄らせる』という課題を俺が十分に達成していないからなのだろう。

 

 

 

 

 

 今回は、どうなのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──ああ、今回もダメだったか。

 

「お帰りなさい、随分と早かったわね」

 

 俺を見送る態勢のままそれを崩さずに出迎える巫女さんの姿がそこにはあった。

 六度目の大結界越え、失敗である。

 

「言ったでしょ? 私の勘は良く当たるって」

 

 彼女は得意げに胸を張り。

 俺はガックリと肩を落とした。

 

 

 

 

 

 博麗神社の縁側から上がって直ぐの居間で、早速開封された高級茶葉で淹れられた緑茶を二人でのんびりと楽しみながら、俺は霊夢に今回の結界越えチャレンジの感触を語っていた。

 

「段々と“境界”に引っ張られるまでの時間が短くなっているって事は、着実に外の世界に帰る下準備が整ってきている証拠だと俺は思うんだよね」

 

「へえ、なんだかそうとは思えないけどねぇ」

 

「要は、変化があるってことだからな。ずっと同じ場所で足踏みしてても仕方無いだろ? きっと良い兆候の筈だよ」

 

「ふーん、そう」

 

 他人事だからか彼女からの反応は鈍いが、不思議と俺は『外の世界への帰還』に向けての前進を少しずつだが行えていると感じていた。

 

 湯呑みを傾けてお茶を飲む。

 

 あまり舌は肥えていないが、かつてここでよく出された出涸らしのうっすい緑茶よりも美味しい事は流石に分かる。

 ちゃぶ台に置いてあるあの茶菓子は、前回俺がお土産として渡したちょっと良い物だ。

 

 彼女も俺のお賽銭のお陰で生活水準が上向いているというのに、こういう時に一緒に祝ってくれないのは少し寂しいと思ってしまう。

 

 

 

 まあ、今日はこうして俺が『外の世界への帰還』の達成に近づけていると確認出来ただけでも大収穫だ。

 『ありがた〜い博麗の御札』も補充出来たことだし、今から人里に戻って依頼書の整理でもしておこうかな。

 

「じゃあ俺はそろそろ帰るよ」

 

「そ、次来る時もお賽銭を忘れないでね」

 

 相変わらずの台詞に苦笑しながら、別れを告げて飛翔する。

 

 気が付けば初めて飛んだ時よりもその速度は確実に上がっている。

 それと眼下のある細長い階段を、苦労して登った時の事を思い出してなんだか懐かしい気持ちになった。

 

 自分が幻想入りしてからそんなに時間は経過していない筈なのにそうなるのは、それだけ幻想郷の日常が刺激に溢れ、俺を退屈させてくれないからだろうか。

 

 人間の里の方へ飛んでいく。

 どんな日常が俺を待つのか期待に胸を膨らませながら。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 魔法の森で新種のキノコを発見し、その分析と実験に夢中になっていたら、いつの間にやらかなりの日数を家に籠もって過ごしていた。

 

 魔法の研究もひと段落ついた所であるし、気晴らしに博麗神社に遊びに行こう、私──“霧雨(きりさめ) 魔理沙(まりさ)”はそう思い立ち即行動に移す。

 

 霧雨魔法店から博麗神社までひとっ飛び。

 

 境内にはつまらなそうに落ち葉を掃除している霊夢の姿があった。

 

「おーい霊夢ー、久しぶりに遊びに来てやったぜー!」

 

 相変わらず辛気臭い顔だなと思いながら大声で呼びかける。

 そして、彼女のすぐ近くに降下して跨っていた箒から降り、着地する。

 

「久しぶりね、魔理沙。素敵なお賽銭箱はそこよ」

 

「断る。こんな寂れた妖怪神社に賽銭を投げる奴なんて誰もいないだろ? アレが役割を果たした事が一度でもあるか正直言って疑問だぜ」

 

 そんな、なんてことないいつも通りのやりとり。

 

 だが、その後の霊夢の返事はいつも通りではなかった。

 

「ふっふっふ、それはどうかしらねえ」

 

「──んん?」

 

 なんだ、その不敵な笑みは。

 

「ま、いいわ。丁度、良いとこの茶葉が手に入ったから魔理沙、あんたにも分けてあげる。ちょっと上がってきなさいよ」

 

 そう言って霊夢は神社の中に私を招待してきた。

 

 何だか前に見た時よりも、貧乏生活のせいであんまりよろしくなかった顔の血色が良くなっているように見受けられるし、何より()()霊夢が自分から客人を歓迎するなんて──

 

 あり得ない、あり得なさ過ぎる!

 

 

 

 間違いない。

 これは、異変が発生している。

 

 

 

 しかもなんという事だ、真っ先に“異変の解決役(博麗の巫女)”がやられてしまっているだなんて。

 

 こうなった以上、この異変はこの霧雨魔理沙の手で解決するしかない。

 そうと決まればうかうかしていられない。

 

「……待ってろよ、霊夢。必ずお前の仇は取ってやるからなー!」

 

 急いで箒に跨って、上空へと駆け昇る。

 

 霊夢から攻略しにかかるなど、今回の黒幕は相当用意周到な奴らしい。

 

……だが抜かったな? 私が気付いたからにはもうお前の負けは決まったようなものなんだぜ。

 

 まだ見ぬ異変の首謀者のほくそ笑んだ顔を幻視して睨みつける。

 

 私の異変解決譚はここからだ‼︎

 

 

 

 

 

 

「魔理沙ー! ちょっとどこに行くつもりよ!」

 

 仇を取るだのなんだと意味不明な事を急に叫んで彼女は何処かへとすっ飛んでいってしまった。

 せっかく、一緒にお茶でもどうかと誘ってやったというのに。

 

──得体の知れないキノコの食べ過ぎで頭がイカれちゃったのかしら?

 

 まあ、断るというのならしょうがない。藤宮さんから貰った茶菓子は私が全部食べてしまおう。

 どうせまた彼がお土産を持ってきてくれるから勝手に補充されるんだし。

 

 

 

 

 

 『彼の面倒を見てあげてね』

 

 あの元外来人が初めてこの神社を訪ねて来た時、紫はこっそりとそんな事を言っていた。

 また何かしら企んでいる悪い顔をしていたけど、そんなのはいつもの事。

 

 私の勘が告げている。

 このままスキマの思惑に乗っていても()()()だと。

 

……まあ、新しい小間使いが増えたとでも思っていましょうか。

 

 

 

 

 

 なんて事を考えながら、少女は掃除を再開する。

 

 面倒、面倒と呟きながらも境内の清掃に取り組むその姿勢を、あの元外来人が見たら感動するのかもしれない。

 

──内心では“何かと物をくれる人(ATM)”と見なされていると知ったら結構なショックを受けるかもしれないが。

 






 『幻想郷の日常』全部を七千字程度で抑えようと狸の皮算用をしていた作者がいるらしいですよ?

 全然無理でした 分割投稿みたいな形になってしまったのは、その一からその四までを一ページでまとめようと目論んでいた⑨が私の脳裏にいたからです



 皆様にちょっとだけ残念なお知らせ

 投稿スピードを維持するのが時間的に厳しくなってきたので次回以降、投稿間隔が開いちゃうと思います 今までがおかしかったんや

 感想、評価、誤字報告はいつでも確認出来るので遠慮なくやっちゃってください 作者の尻を叩いて次の話を急かすつもりでね 思いの外早く次を投稿するかもしれませんよ?(未来の私への無茶振り)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章 停滞した永遠の中で
薄紫の薬売り


 どこまでパロっていいのか、ネタに走っていいのかその線引きが難しい 控えめに抑えるのが無難でしょうか?
 一話5〜6000字程度を目安に執筆してるので今回少し長めです お得だね
 想定より書き溜めが捗ったのでリリース 言う程投稿期間空いてないな?



 

 

 人間の里、その裏町に存在するうらびれた長屋。

 

 幻想郷において、まだまだ新参者で蓄えの少ない俺でも入居が可能であった程度の額で叩き売りされていた、格安物件である。

 なけなしの額を藤見屋として稼いだ後、外来人限定十割引きの宿を引き払って移り住んだ場所だ。

 

 可能であればずっと無料で泊まり続けていたかったのだが……残念ながらというか当然の事というか、タダで寝床を貸してくれるその親切心には制限時間が設けられていたようだった。

 

 

 

 どうせ次の日にでも外の世界に帰るのだからと深い考えも無しに借りた一部屋だが、もしかすると安物買いの銭失いだったかもしれない。

 

 隣に住むおっちゃんのクシャミが壁を貫通してこの部屋に響き渡り、夜中にさぁ寝ようと床に着けば酔いどれたちの喧騒で目が冴えていく。部屋の中を歩けばギシギシと木製の黒ずんだ床が軋み、水源である井戸の場所までは割と距離が開いている。

 

 もう引っ越した方がいいかもしれない。

 

 悲しい事に、別に幻想郷でお金を貯めていても外の世界に持って帰る事は出来ないらしいのだ。

 だから、貯蓄ばかりしていても意味がない。

 そうなると自身の生活の質を上げる為、新しい快適な住まいのために俺の稼ぎ全てを注ぎ込んでもいいのかもしれないなぁ。

 

 なんて事を大真面目に検討するくらいには、俺は今の住居に不満たらたらなのである。

 まぁ本当に我慢出来ないわけじゃないのだが──しかしこれは痩せ我慢の類だ。この辛抱はどれほど長く保てるものなのか。案外、限界はすぐそこかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 そんな安普請(やすぶしん)な長屋の一室で、俺はただ今絶賛黙々と読書中だ。

 依頼がなく、特に外出する用事もない時は基本的にこうして本の虫となっている。

 

 人里には鈴奈庵を初めとして、書店が数カ所ある。それらを巡って面白そうな小説を探すのがここ最近のマイブームだ。

 

 長編シリーズ物が歯抜けしがちなのが玉に瑕だが、外の世界の書店で見かけた事のある文庫本を発見したその時は、軽くテンションが上がってしまうもの。所構わず手を出して積読してしまう事も、割と茶飯事だったりする。

 一方で、幻想郷発の書籍の方もなかなか侮れない。

 

 この“アガサクリスQ”なる作者のミステリー小説なんかは特にオススメで──

 

 

 

 

 

 トントン、と来客を告げる音。

 

 依頼人かな、と思い本から目を上げて立ち上がった。が、どうやら今のはお隣さんの扉を叩いた音だったようだ。音がクリア過ぎて全然分からなかった。

 

……ほんと、この長屋は防音性が低過ぎる。

 

 気を取り直して小説の続きに専念しようとすると、隣のおっちゃんと、聞いた事のない女性の声が自然と耳に入ってくる。流石にその会話の内容を盗み聞きしてやろうとは思わない。

 

 ただ、おっちゃんの若干怒声の混ざった声が耳に入ってきたものだから、読書にいまいち身が入らない。

 勘弁してくれと眉を顰める。何か言い争いでもしているのだろうか。

 

 程なくしてその会話も途絶えた。

 

 一体なんだったのだろうかと疑問に思っていると、またトントンと扉を叩く音がした。

 

 先程よりも大きな音。

 というか今度は間違いようもなく、これは俺の部屋の扉を叩く音だ。

 

「はーい」

 

 近所迷惑にならないよう配慮しながらも大きな声で訪問客に呼びかけて、本を片付けてから玄関へと近づく。

 

 おおかた、仕事を依頼しに来たお客さんだろう。

 

 さっき隣の部屋で言い争いのような事をしていたのは、もしかすると俺を目当てに尋ねに来て部屋を間違えたからなのかもしれない。

 隣のおっちゃんには悪い事をしたかもな。

 今後、こんなことが再発しないように部屋の扉に看板でも立て掛けてみるか。

 そう考えながらガラガラと引き戸を開ける。その際につい癖でいつもの売り文句が口をついて出た。

 

「どうもー、藤見屋でーす」

 

 

 

 

 

 編み笠だ。

 

 目の前に、薄紫色の着物で深く編み笠を被る小柄な人がいた。大きな葛籠(つづら)を背負い込んでいてる。

 身長差で見下ろす形になる為、笠で隠れて顔が見えない。というかその人が俯き気味な姿勢してる所為で本当に顎すら見えない。編み笠しか見えない。

 

 こんな不審人物な来訪者を、果たして俺はどんな目で見ればいいのか。

 

 しかし何やら混乱しているのは向こうも同様だったようで、俺の定型句を聞いて困惑した様子でこう返事をした。

 

「は? フ、フジミヤ? ええと、何の話?」

 

 声を聞いた感じ、目の前の人は若い女性のようだった。それもさっきお隣さんと話してた声と全く同じかもしれない。

 

 

 

 人間の里、その裏町に存在するうらびれた長屋。

 その一室の玄関先で、俺と少女は揃って混乱して目を白黒させていた。

 まあ、全然彼女の目元は見えないんだけど。

 

 

 

 

 

 •••••

 

 

 

 

 

 取り敢えず、この謎の人物を部屋の中に入れ、対面になって座る。

 時折急を要する仕事が舞い込んでくる事もある俺にとって、こうした突然の来客への対応は慣れたもの。

 

 粗茶ですが、とちょっと上等なお茶を出して来客をもてなす。

 

 素直に受け取って口をつける彼女だったが、室内だというのに編み笠を微塵も外そうとしない。笠から垂れ下がる髪の色は、着物と同じく薄紫。見た目で人柄を判断するのは好きではないが、見るからに普通の人じゃない。

 

 何かしら訳ありな雰囲気が彼女から漂ってきている。

 それと、とても無愛想な様子も。

 

──うーむ、なんか、面倒事の予感が。

 

 面倒事に巻き込まれるのはあまり好きではない。

 

 だが、大衆に大っぴらに出来ない訳ありな事柄と全く関わったことがないわけでもない。

 

 例えば、禁欲的な生活を送っている筈のお寺へと人目につかぬようこっそりお酒を運んだりとか。

 あそこの怒らせるとか〜な〜り怖い住職さんと比べてしまえば、目の前の少女?と相対する事も何ら苦ではない。

 

 さて。先程の反応からして、どうやら俺に仕事の依頼をしに来たのではない事は明らかだ。

 まずは何の用事でここにやって来たのか。それを聞かないと話は始まらない。

 

「それで、どうしてこんな寂れた長屋に?」

 

「……薬を売りにきたの」

 

「はあ、薬ですか」

 

「ええ、その通りよ。で、要るの? 要らないの?」

 

 何故かカリカリして返事を急かしてくる少女の言葉は一旦スルーして、少し考えてみる。

 

 

 

 ふーん、なるほどね?

 

 彼女の正体は外の世界における宗教勧誘の人、その幻想郷バージョン的な感じなのかな?

 まあ、どちらかと言えば訪問販売のセールスマンと言い表した方がこの場合は適切か。薬を売りに来たと言っているんだし。

 

 さてはて、お薬が必要かどうか。

 

 人間の里に住み始めてからまだ体調を大きく崩した事はないが、だからといって今後もずっとそうであるとは限らない。

 

 加えて、風邪薬などをこの部屋に常備していない事に俺は気が付いた。

 

 病に伏せった時に役立つ物がないのは少々不安だ。別に虚弱体質ではないのだが、万が一病状が悪化されても困る。

 飯をたらふく食って風邪薬を飲んで寝てしまえば、大抵の風邪は目が覚めたらすっかり治ってしまうものと認識している。当然の事だ。だがそれをせずうっかり薬を飲み忘れた日なんかは、風邪を変に拗らせて大変に苦しんだ経験があったりもする。

 

 よし決めた。

 結論、お薬は必要である。これも何かの良い機会だろう。

 

「どんな薬があるんですか?」

 

 会話中としては長く思考して黙っていたせいなのか、少しじれったくなった様子の彼女を見据えて質問する。

 

 丁度良い機会だ。懐と相談してある程度の数を揃えておこう。

 

 暗に『買うつもりだ』と答えた俺を見て、薄紫の薬売りはどうしてか驚いたような素振りを見せるのであった。──その小ぶりな鼻から上が拝めず表情が分からないから、これもまた気のせいなのかもしれないが。

 

 

 

 薬売りさんの背負う大きな葛籠には沢山の薬剤が入っていた。

 

 その一つ一つについて、効能や成分がどうのこうのと詳しく解説する彼女の生き生きとした様子とは対照的に、俺の頭はわんさかと溢れ出る専門用語の洪水に只々流されるばかり。

 その薬が何の病気に効いて、どのタイミングで服用するのか、それだけを彼女の羅列する呪文からなんとか抜き出して、必要になりそうな物だけを選び取っていく。

 

 結果かなり痛い出費となってしまったが、備えあれば憂いなしという諺がある。それを信じようではないか。

 

 

 

 多分、沢山売れてほくほくな顔をしているであろう薬売りさんを見送る。

 

 別れ際、同じ接客業?のよしみを感じてちょっとだけ彼女にアドバイスというか、助言をやってみたりする。

 薬の効能の説明は俺みたいな馬鹿にでも理解出来るように簡略化させた方がいいよ、という本当に簡潔なものだったが、彼女はしっかりと耳を傾けてくれていたようだった。

 

 

 

 部屋に戻って買った薬剤を戸棚に収納する。無論、これらを使わない事に越したことはない。

 だが、ズラリと並ぶこの頼もしい袋たちを見ていると、風邪や病気なんか恐るるに足りないな! という気持ちが湧いて出てくる。

 まあ、外の世界にいた頃なんかよりも身体の健康にはより一層気を配っている。

 

 これの出番は当分の間やって来る事は無いだろう。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

──チクショウ、あの妖精絶対に許さねえ。

 

 薬売りが来たほんの数日後、俺はボロっちい長屋の一室にて病床に伏せっていた。朝も遅いというのに食欲が出てこない、割と深刻な風邪であった。

 

 川魚屋の店主から、『霧の湖に存在するらしい人面魚の存在確認とその確保』という依頼を引き受けたのが、この風邪を引く事になったきっかけだ。

 

 霧の湖とは、人間の里から離れた森林の中にある湖のことである。

 特徴としては、その名の通り霧に包まれている事、妖精や妖怪が集まる場所だという事、近くに醜悪な吸血鬼や騒々しい幽霊が住まうと噂される館がある事、くらいか。

 

 

 

 『霧の湖に棲息する、と噂される人面魚が本当に実在するのかどうか確認よろしく。それが出来たらついでに捕獲してね。記念に魚拓とるから』

 

 そんな文面が書かれた依頼書を読んで霧の湖まで飛んで行ったはいいものの、霧のせいで想定よりも遥かに見通しが悪く。まさに五里霧中という感じだった。

 心霊スポット巡りをかつて趣味としていた俺は、人面魚やら人面犬といったオカルト話に目がない。

 だから惹かれるようにしてこの仕事を引き受けたのだが、結果的に見ればこれは失敗だったのだろう。

 

 そこで暫くウロウロしていたが、人面魚らしい影はなく。

 霧がかかって終始薄暗いためなのかどんよりとした空気が立ち込めており、やる気を削いでいた。

 ひたすら目を凝らしながら湖の上空を往復する作業というものは、想定していたよりもかなり退屈で、長時間取り組む気も起こらず。

 

 それでも夕暮れになるまで、なんとか粘っていたのだが──

 

 

 

 悪名高き『紅魔館(こうまかん)』が近くにあるというのだから、これ以上の長時間の滞在は危険だと思い立った。加えて、実在しているかどうかすら確定してないものを追い求めるという行為自体、冷静に考えてみると思いの外精神的に堪えるんだなという気付きもあった。

 

 しゃーない。捜索をここらで切り上げて『残念ですが人面魚は確認出来ませんでした』と報告するか。

 

 そう思って、人里へと帰ろうとした。

 

 

 

 その時に、あの氷の妖精が現れたのである。

 霧のせいで、水色の髪に青いワンピースという出立ちの子どもが急接近しているのに気づくのが一拍遅れてしまっていた。

 そして何やら興奮した様子の彼女はどうやら俺の事を侵入者と見做したらしく、凍てついた弾丸を浴びせてきた。

 

 恐らく氷粒だったのであろうそれをもろに食らいつつ、這う這うの体で逃げ出したのであった。

 途中で緑の妖精が止めに入らなかったら、もっと酷い目に遭っていただろう。

 

 デカい硬い速いの三拍子揃った氷の粒は、それはもうめちゃくちゃ痛かった。

 何とか逃げ切れたと安堵して人里に戻り、依頼の結果報告を伝書で送ったまでは良かったのだ。

 その時点で、氷を浴びた事に加え、上空を素早く移動して風に当たりまくったせいですっかり身体が冷え切ってしまっていた。

 

 明日に響かないと良いのだが。

 

 そう案じて掛け布団を気持ち厚くして寝たのだが、しかしそんな対策は焼け石に水だったらしく、翌朝になると俺は見事に体調を崩してしまっていた。

 

 

 

 

 

 そうして、現在へと至る。

 

 

 

 

 

 少々の発熱とひたすら気怠さを訴えてくる身体に鞭打って、戸棚を漁る。

 

──あの薬売りさんに感謝しないとな。

 

 そう思いながら数日前に買ったばかりの薬を服用する。

 

 結構苦い。

 まあ、『良薬は口に苦し』というからなあ。

 

 そして再び寝床に着く。

 今晩にでも回復すれば良いのだが、と思っていると段々とお腹が空いてきた。

 確か食い物は台所に置いてあったよな、とサッと立ち上がった。

 

……おや?

 

 食欲が復活している。しかもなんだか、とても身体が軽い?

 

 ぐるぐると肩を回したり屈伸をしたりしてみる。さっきまで怠かった身体が嘘のようにキビキビと動かせる。さらには怠くて沈黙気味だった思考力も、立ち込める暗雲を切り払うようにしてスッキリと澄み切っている。

 

 え、ナニコレ、薬の効きが良すぎてコワイ。

 

 よくよく思い返せば確かに、薬売りの少女は「コレ一発で肉体的な疲労感は全て吹き飛びますよー」と胸を張って自慢するように説明していた。

 しかしそれはあくまでセールストークであって、ある程度誇張して表現しているのだと思っていたのだが──まさか、その売り文句通りになるとは。

 

 

 

 外の世界と幻想郷、文明レベルの差はかなりのものだと思っていたが、見直した。

 少なくとも医薬品のレベルに関してだけは、圧倒的に幻想郷の方が発展している。

 

 正直言って、俺は感動した。

 

 人間の里の住民たちの間では当たり前な事なのかもしれないが、元外来人としてこの驚愕は話のネタとして暫くそのナンバーワンに居続ける事だろう。

 

 一刻でも早くこの感動を誰かと共有したい。

 そんな欲求が、止めど無く胸の内から滾滾と湧いて出てくる。

 

 丁度空腹である事だし、食事処の親父(おやっ)さんにでも雑談がてら話してみようかな。

 

 

 

 

 

 馴染みのお店に入って適当にいくつか注文する。店員さんが忙しそうなのに、店主が暇しているといういつもの光景だったので、親父さんに数日前に買った薬の効果の高さについて熱弁する。

 外の世界では比べ物にならない程、お客とお店の距離感が近い幻想郷だからこそ出来る事だ。外の世界でこんな事をしたら白い目で見られかねない。

 

 俺の話を聞くと、親父さんは意外そうな表情を浮かべた。

 

「藤見屋の(あん)ちゃん、そりゃあ『永遠亭(えいえんてい)』からやって来るとかいう怪しい薬売りの事を言ってんのか? あんまり良い評判は聞かないけどなあ」

 

「永遠亭?」

 

「知ってんだろう? 迷いの竹林の奥に巣食う化け物の噂。あそこからやって来た奴の売る薬なんてロクでもない代物に決まってる。実際に買ってしかもそれを飲んじまっただなんて話、初めて聞いたよ」

 

「そうなのか? いやでも薬の効き目は確かだったぞ」

 

「俺が生き証人だってか? ま、兄ちゃんには世話になってるし、その話は信じてやってもいいがなあ」

 

 親父さんは、半信半疑といった表情を浮かべる。

 

 うーむ。

 あんなに良く効くのに評判が悪いって話は納得いかない。

 

 そういえば、あの薬売りは俺の部屋に来る前にお隣さんの方へ訪問販売して怒鳴られていたようだった。

 ちゃんとした物を売っているというのに門前払いとは、なんと理不尽な事だろうか。

 

 

 

 謂れのない噂話で人が中傷されるのは大変に面白くない、気に食わない。

 唐突にムカっ腹が立ってきた。

 そんな訳で、引き続き親父さんにあの薄紫の薬売りの素晴らしさについて懇切丁寧に説明する。

 なんだか変なスイッチがオンになったような気分。

 

 

 

「……親父さん、本当かどうかも定かではない噂に流されるのは褒められた事じゃないと思わないか?」

「あの永遠亭から来たっていう薬売りさんも困っていたと思うんだよ。効果抜群の素晴らしい薬を提供しようとしても、根も歯もない風評のせいで損失を被るのは誰だって嫌だろう」

「凄かったんだぞ、あの薬。あっという間に風邪が治ったんだ。元外来人として断言出来る、永遠亭の薬の効能の高さは天下一だってね」

 

 

 

 唐突に俺が高らかに力説を始めているその様子に、店主のみならず、店員さんやその他のお客さんたちも、いつの間にかなんだなんだと注目している。

 

 なんだろう、とっても気分が良い。

 

 酔っ払った時特有のハイになる感覚がする。はて、アルコールなど摂った覚えはないのだが……まあ、どうでもいいか!

 そんな事よりも、本当に良い物ってのをみんなに布教する方が最優先だぁ──

 

 

 

 

 

 そのまま、営業妨害をしている事に気付かないまま滔々と永遠亭の薬の効能の高さについてベラベラと述べていく。

 

 続々と湧いて出てくる薬に対する美辞麗句。

 自分にこんなボキャブラリーが備わっていたとは少々驚きである。

 

 

 

 

 

 気づけば、無駄に声を張り上げていた為か何事かと外からもちらほらと人が入って来て、俺の永遠亭の薬への賛美をつらつらと述べてゆく様を面白可笑しそうに見学している。

 

 最初は両手で数えられる程の観客しかいなかったが、今や人が人を呼んでちょっとした集会を開ける頭数にまで膨れ上がっていた。

 

 それをしめしめと感じつつ、人里の皆の好奇心がうまく刺激されるように、外の世界での比較を踏まえて説明を重ねていく。

 興味深そうに聞き入る彼らの姿を見て、俺は確かな手応えを感じていた。それと同時に、不思議であるが爽快感を味わっていた。

 

 ううむ、こう、人様の注目を浴びるというのはこれ程気持ちのいいものだったとはなあ。

 もっともっと、この演説を盛り上げていかないとなあ!

 

 

 

 

 

 人様のお店で、他所の商品の良さを力説する非常識な人間の姿がここにあった。

 というか、俺だった。

 

 

 

 

 

 一通り演説を終えると、聴衆も宴もたけなわといった様子でワイワイガヤガヤと帰って行った。

 

 すっかり冷えてしまった定食を口にしながらフフンと満足感に浸っていると、唐突にすっと気分が落ち着いていく。

 というか、完全に正気に戻った感じだった。

 

 あれ、さっきまでの自分、なんかだいぶヤベェ事をやらかしてなかった?

 

「──すみません、親父さん。迷惑をかけました」

 

 さっきまでの行動を思い返すと、かなりの迷惑行為をやらかしていたのだと自覚する。……勝手に他人のお店で何やってんだよ、俺。

 

「いやあ、いいってことよ。よくは知らねえがともかく、兄ちゃんの熱意、確かに胸に伝わってきたぜ」

 

 そう言う親父さんは呵々大笑といった様子。

 

 は、恥ずかしい。

 俺の顔は今真っ赤に染まっている事だろう。

 

 さっきまでの俺は、明らかに普段の自分のテンションではなかった。

 最初は幻想郷の薬の効能ってすごいね、と話をしたかっただけなのに、何故か途中からはテンションが有頂天になってしまっていた。

 

 もしかすると、あの薬には副作用か何かがあったのかもしれない。一時的に興奮状態になる、とか。

 あの不自然なまでの薬効の凄さ。十分にあり得る話だ。でも副作用があるなんてそんな事聞いてな──

 

 あ、あー、今思い返せば薬売りの少女は確かに、その事について言及していた覚えがあるような?

 

 複雑でやたら長い説明を端折って理解しようとした俺のミスか、これは。

 

 

 

 

 

 演説をしていた時の聴衆の様子を思い出す。

 

……結構人目を集めてしまったけど、多分大丈夫だよね?

 

 里では、口コミの速さはかなりのものだ。明日にでも薄紫の薬売りの噂はかなりの範囲に広がっているだろう。

 俺のように副作用で困る事になる人が増えないといいのだが──いや、恐らくは大丈夫な筈。

 

 『薬の概要は簡潔に説明してね』という俺の忠言を守ってくれたらの話になるが、彼女はちゃんと聞いてくれていた様子だった。

 

 大丈夫、大丈夫。オールOK。多分。

 

 これで重大な副作用か何かが発覚して、俺が責められる流れになっちゃったらどうしよう。

 それでやっと浸透してきた藤見屋の看板に傷が付いて、お仕事を回されなくなったらどうしよう。

 

 軽はずみのやらかしが切っ掛けとなって、最終的に世間から干されてしまう未来を想像をしてしまい思わず顔が青ざめる。

 

 

 

 

 

 他所に迷惑をかけながら、不本意に大衆の面前で目立つような真似をしてしまった。

 この苦い体験は、『薬師の説明はしっかり聞こう』と決心する良い薬となったのだった。

 

 まさに、『良薬は口に苦し』な失敗談である──と、うまい事言った風にして、先程の痴態は記憶の奥底にでも封じておく事に決めた。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 それにしても、と思う。

 

 あの薬が秘めていた効果の程は、俺が外の世界で培ってきた常識からすると並大抵では信じられないくらいの絶大なる効力だった。

 

 かなり話を遡るが、幻想郷に迷い込んで最初に遭遇した宵闇の妖怪、あの少女の能力(幻想郷縁起には“闇を操る程度の能力”と書いてあった)もまた、俺の常識にないものであった。

 

 両者とも“非常識”な事象であるのに、俺はガッツリその影響を受けている。

 

 

 

……もしかすると俺の『常識に囚われる程度の能力』は、“非常識なもの”全てをシャットアウトできる訳では無いのかもしれない。

 

 非常識な事象群の中でも、無効化出来るものと出来ないものとで分かれているのではないだろうか。

 

 まあ、外の世界で俺は割と『体調崩しても薬飲んだらすぐ完治するだろう』と高を括っていた節があったから、薬の事はまだ納得出来るのだが──

 

 

 

 妖怪としての“格”が高いらしい八雲紫の『境界を操る程度の能力』を無効化しておきながら、“格”が低いらしい宵闇の妖怪の『闇を操る程度の能力』は普通に影響を受ける。

 

──その線引きは一体どこにあるのだろう?

 

 あまり役に立たない俺の能力、いやむしろ外の世界への帰還を妨害しているのだから、無い方が良かったまである俺の能力。

 

 ますます謎は深まるばかりだった。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

「ああ、君があの噂の『薄紫の薬売り』か」

 

「あら貴方、結構良いお薬を取り扱っているそうじゃない。今お時間よろしいかしら?」

 

「へえ、これがねえ。いや何、あんだけ『よく効く』だなんて喚かれたらちょっと気になっちまうだろ? 買うよ、ついでにそれとそれとそれもな」

 

 

 

──おかしい。

 

 私こと、“鈴仙(れいせん)優曇華院(うどんげいん)・イナバ”は行きの時と比較して、とても軽くなった葛籠を背負い直しながら永遠亭へと帰路につく。

 

 おかしい。そう、明らかにおかしいのだ。

 

 ここ最近、置き薬の売り上げが急激に増加していた。今まで全然売れてなかったのに突然どうして?

 つい先日までは邪険に扱われるのが常だった。なのに急に手のひらを返されたら、その原因が分からない事にはなんだか納得出来ない。

 

 

 

 初めは永遠亭について回る悪評を撤回させる為に、私が主導した薬売りだった。でも、なかなか上手くいかなかった。

 異物に対して少々排他的な傾向にある人間の里で、顔を隠しながら薬を売るというのは思ったよりも厳しいものだったから。

 ここの住人たちは、扉を開け私を視界に入れた途端に警戒状態に入り、薬の説明を聞いて私に猜疑の目を向けて、永遠亭の名を出した次の瞬間には私を追い出しにかかる。

 もう辞めてしまおうと考えた事もあるが、お師匠様の前で『やってやります!』と高らかに啖呵を切った手前、もう後には引けない。

 珍しく薬師としての腕を褒められて調子に乗ってしまっていたのだ、その時の私は。

 

 

 

 気付けばあれよこれよという間に、私とお師匠様の作った置き薬を売る準備が整ってしまっていた。

 きっとあの方も、今の永遠亭を取り巻く現状について思うところがあったのだろう。

 

 私はきっと期待されているのだ。

 だったら、絶対に応えてみせないと。

 

 

 

 人里へ行けば歓迎されず、永遠亭に戻っても誰かに上手くいかないと愚痴をこぼす事も出来ず、只々ストレスが溜まってゆく日々。

 

 さらに、永遠亭では偶に月からの招かれざる来客が襲来する。底知れぬ彼女への接待も私に任されているので、本当に気が休まるタイミングがない。

 

 気付けばヨレヨレだった耳がさらに悪化してシワシワになっていた。かつての軍役時代に厳しい上官からしごかれた事は数あれど、ここまでになる程の事は滅多になかったのに。

 

 

 

 ずっとこの耳のままなのかと苦悩していた。

 

 

 

 しかし、いつの間にか私は『薄紫の薬売り』として人里で一躍有名になっていた。

 今や家を訪問せずとも通りを歩けば呼び止められ、薬が飛ぶように売れていくようになっている程の目覚ましさだった。

 

 初めは遂に努力が報われたのだと思っていたが、どうやら違うらしい。

 

 薬を買っていく彼らの二言目には、『フジミヤから評判を聞いた』、『フジミヤがあんたについて熱弁していた』、『ここの薬はよく効くってフジミヤが──』と言っていた。

 

 どうやら置き薬を買った人たちのうちの一人が、その効能の良さについて吹聴し回ったらしかった。

 

 フジミヤ、フジミヤね。

 前に、どこかで聞いた事があるような。

 

『どうもー、フジミヤでーす』

 

 思い出した。

 確か、急に薬が売れ始めた日のさらにその前の事だ。

 

 商談が上手くいかなくてイライラしていた私を、部屋に招き入れて薬を沢山買ってくれた男がいた。

 彼は自分の事をフジミヤと名乗っていた筈だ。

 お互いを見合って、軒下で困惑していたのが印象に残っていた。

 そうか、彼が永遠亭の薬の良い評判を広めてくれたのか。

 

 あのお人好しな感じのする普通の青年がねー。

 ふーん、そっか、そっか。

 

 お師匠様の素晴らしさを知る人が増えたような気がして、不肖な身ではあるものの、弟子として誇り高かった。

 もしかしたら、彼が言っていた『薬の説明をもっと分かり易く簡潔に』という助言を素直に聞き入れた事も、この売れ行きに一役買っているのかもしれない。

 いや、そうに違いない。

 

……ふっふっふ、なんというか。

 素直に忠言を聞き入れて実践し、すぐさまに結果を出してみせる私って流石だわー。

 

 いつもの調子が出てきた。心なしか耳もシャキッとしてきたような気もする。

 今までの陰鬱だった気分を明るいものに切り替えて、永遠亭へ向かって飛んで帰る。

 

 

 

 

 

 薄紫の薬売りは意気揚々と空を飛ぶ。

 これまでに浮かべていた悲痛な表情は、もう見る影もない。

 

 





 感想、評価、本当にありがとうございます じわじわ増える評価者の数を見てニヤッとしたり、感想にはgoodを押させてもらっています 返信したいのは山々なのですが、作者のこだわりで知的()でウィットに富んだ()メッセージを送りたいのです 単に『感想ありがとうございます』だけだとなんだか味気ないじゃないですか そんな訳で返信来なくてもお気になさらず なんかネタを布都思いついたら気まぐれにやると思います

 八雲藍の誤字報告に思わず笑っちゃいました 修正前は某少年探偵の方に一箇所だけなってました そうならないよう彼女の名には特に気をつけていたのにやっちゃいましたよ



 鈴仙(れいせん)優曇華院(うどんげいん)・イナバちゃんの行者姿だと多分顔を見れないからあべこべ要素出せないじゃんと思って困った今回
 しかも鈴仙(れいせん)優曇華院(うどんげいん)・イナバちゃんの能力的に幻覚見せれば全て一人で解決出来るというね
 内心ツッコミを入れながら執筆する事のつらさと言ったらそれはもう酷いものでした
 それをしなかったのは、鈴仙(れいせん)優曇華院(うどんげいん)・イナバちゃんがウッカリしていたのだと解釈してください そうしないと話が展開出来ないよ(白状)
 応用のきく便利な能力持ちがこういう形で牙を向けてくるとは予想外でした 恐るべし、鈴仙(れいせん)優曇華院(うどんげいん)・イナバちゃん 創作者泣かせだぞ、鈴仙(れいせん)優曇華院(うどんげいん)・イナバちゃん

 まあ鈴仙(れいせん)優曇華院(うどんげいん)・イナバちゃんの容姿抜きで考えても、化け物()がいる所から来てなんかごちゃごちゃ難解な事を言って得体の知れない薬物を売りつけてこられたら、誰だって鈴仙(れいせん)優曇華院(うどんげいん)・イナバちゃんを拒絶すると思います どう見ても怪し過ぎるよね

 可哀想に…… ×4
 強く生きて 鈴仙(れいせん)優曇華院(うどんげいん)・イナバちゃん……

 ところで何故彼女の名前は鈴仙(れいせん)優曇華院(うどんげいん)・イナバと長いんでしょう?

 名付け親に聞いてみたいものですね

「どうして鈴仙(れいせん)優曇華院(うどんげいん)・イナバというルビ込みで一回タイプする事すら億劫になる程長い名をつけたの?」

 って感じでね


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

夢見と流行りと仲直りと

 現代から幻想入りした人の視点だと躊躇なく横文字やパロディを出せるのが、作者にとっての利点だと思いました 描写し易さが段違いです



 

 

 人間の里の住民たちは“流行”というものに敏感で、周りの人がやっているからという軽い理由ですぐにそれに同調してしまう、ある種のノリの良さを持つ傾向がある──と言えるのかもしれない。

 

 所謂、ミーハーと呼ばれるものだ。

 

 人里の裏町、薄汚れた長屋のいつもの一室にて、俺は前代未聞の数量の依頼書を一枚ずつひたすらに捌きながら、ただ何となく物思いに耽っていた。

 

 

 

 

 

 人間が充実した人生を送る為には、まず大目標を打ち立てて、それに向かって精進を重ねるのが一番の方法だと常々思っている。

 

 今の俺の大目標は言わずもがな、『外の世界への帰還』である。その為には“幻想側”に俺という存在を寄せる必要があり、それには幻想郷での暮らしに馴染むという細分化された課題を成し遂げる事が肝となる。

 

 だが、その進捗具合が目に見えないものであるという事実に、いつしか俺は少々の徒労感を覚えるようになってしまっていた。

 

 馴染ませる。常識を身につける。

 言葉では容易く表せる事なのだが、実際にその進捗はどうなのか自分に問い(ただ)しても、ピンと来ない。

 お金を貯める、体重を減らす、成績を上げる。

 例えばこれらの進捗を確かめるのであれば、帳簿を確認する、体重計に乗る、テストの点数を見るといった方法でこの目で確かめる事ができる。しかも具体的な数値まで付いてくるのだ。目安として、これ以上明確な表記は無い。

 

──具体的、そう、具体的な『自分が前進している感覚』が欲しい。

 

 抽象的なものでなく、出来れば、これは頑張ったなぁと堂々と人に自慢出来るような目に見える目標が欲しい。

 

 誰が見ても納得せざるを得なくなるような、努力の証。

 今の俺は、それを渇望している。

 

 

 

 そんな事を、雨が降りしきる人里で俺は家に篭りながら考えていた。

 雨足は強く、この天候では仕事にならないと、読書に精を出す。

 ぽちょんと滴る水滴の音。これは、外から聞こえる雨音ではなくこの長屋の一室から発せられた音だ。

 詳しく言えば、天井から落ちてくる雨水を、俺の設置した木桶が受け止めた音。

 そう、今までボロいボロいと愚痴ってきたこの物件、なんと雨漏りをするのである。……他所の家賃と比較してえらく安かったし、まあ別に意外でも何でもないか。

 

 

 

 ぺらりぺらりとページを捲っていく。内容は日本昔話、その内のいくつか有名な話をまとめた小説だ。

 

 子供の頃に良く読んでいた絵本の話を、こうして文字だけの小説という媒体で見てみるとまた違った印象を受けて、中々に面白いものだ。

 

 『金太郎』、『かぐや姫』、『一寸法師』、『因幡の白兎』、などなど。

 『迷い家』など、まんまスキマ妖怪と藍さんと橙ちゃんのいるマヨヒガと同じ名称なんだなぁ、と幻想郷ならではの面白いポイントがあって結構楽しい。

 

 マヨヒガかあ、あそこは立派な建物だった。それと比べてうちの貧相さといったら──

 

 

 

 お引っ越し、そして夢のマイホーム。

 

 突如そんなフレーズが、まるで天啓のように脳裏に浮かんできた。

 手に持った小説を一旦置いて、腕を組んで考え込んでみる。

 

 『外の世界への帰還』の達成まで、長期戦の模様を見せている。ならば具体的で目に見える目標として、一旦引っ越しをしてみるというのは、案外悪くないアイデアなのかもしれない。

 それが文句なしの上等な家へのものだとしたら、尚更だろう。

 完全に思いつきなのだが、今の俺が薄らと感じているこの停滞感の解消に、一役買ってくれる可能性は十分にある。

 

……ふむ、やってみるか。

 

 

 

 そう思い立って、俺は引っ越しの為の資金を集めるべく早急に行動を開始した。

 どこかの商店と長期契約でも結べたら良いのだが、いつ幻想郷を去るか分からぬこの身である。短期、それも数日でパパッと終わらせられる実入りと都合の良い依頼が運良くやって来ないものか。

 

 そんな思案を巡らせていたところ、数日後、飛脚さんから沢山の依頼書が届いてきたのだ。

 

 

 

 

 

 今、それを一つ一つ内容を確認しながら整理している。

 

 全ての依頼書の割り振りを終わらせて、人里に住む彼らのミーハーさに呆れる。

 大量に送られてきた仕事依頼のうちの九割が、殆ど同じものだった。

 

 『永遠亭の薬の調達をお願いします』

 

 

 

 現在、人間の里では謎の薬売りの噂で持ち切りだ。

 

 そのブームの火付け役に(図らずも)なった、運送屋兼便利屋の俺に調達役としての白羽の矢が立ったのは、当然の流れなのかもしれない。

 

 

 

 『薄紫の薬売り』

 

 その噂は巷の注目を集めているようで、永遠亭の薬を求める声が日増しに大きくなっている。

 その殆どが特に体調を崩している訳ではない者によるものだ。単に「皆が買っているから私も」というような軽い動機で動いているのだろう。

 その証拠に、具体的に何の病気に効く薬を、というような具体性のある指定をする依頼書の数は少ない。

 

 思わず苦笑する。人間という生き物が、『同調性』とか『和』とかに振り回されがちなのは、どこでも同じらしい。

 

 

 

 兎にも角にも、人間の里における永遠亭印の薬に対する需要が、現在その極限にまで膨れ上がっているのである。

 

 では供給が滞りなく行われているのか? そう聞かれたらこう答えるしかない。

 

 供給全く足りてないです、と。

 

 あの薬売りの少女は毎日人里に通っているという訳ではない。しかも、例え満を持してやって来たとしても、人一人が背負える程度の大きさの葛籠分しか量がないのである。

 

 困った。噂の永遠亭の薬が手に入らない。

 そう頭を抱えた者たちは、とある発想に至るのである。

 

『そういえば、この流行の発端になった元外来人がいたような。そして、その人物は“人里の外でも活動出来る”何でも屋だったよなあ。あれ? 彼に依頼すれば薬を持ってきてくれるんじゃね?』

 

 多分、こんな感じ。

 

 これらはあくまで俺の想像なのだが、当たらずとも遠からずだと思う。

 だって、既に何名かがここへやってきて、『ここでは例の薬を取り扱ってないんですか?』と訪ねてきているのだ。

 あの薬売りさんには、あれっきり出会っていないのだ。なのに何処かで噂に尾ひれが付いて、今や俺が薬を売っているだなんて誤解する連中が現れる始末。

 

 

 

 こんもり溜まった依頼書を見て、いい機会だと自分に言い聞かせる。

 

 折角こんな多くの依頼が舞い込んだのだ。これらを一気にモノにすれば、一度に多くの依頼達成料をせしめられる。引っ越し代を貯める一番最初の足掛かりに相応しい合計金額となるだろう。

 

 夢見るは、長閑な場所にひっそりと佇む一軒家。それを目指して、今日から邁進しようではないか。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 そんな感じで決意を新たにしたまでは良いものの、『永遠亭の薬の入手』を成し遂げるにあたって、大きな障壁が俺に立ち塞がっていた。

 

 即ち、永遠亭って具体的にどこに位置するの?

 という超初歩的な問題である。

 

 これが外の世界ならば、ネットで住所を調べてマップで位置を表示させる事で、何の苦労も無く解決するのだが──

 

 迷いの竹林、その奥深くに存在するという話自体は聞いていた。

 が、俺はそこまで分け入った事がない。

 

 そこの周囲は見渡す限りの竹林で、徒歩で進めば遭難する事間違い無し。そして俺は特別方向感覚に優れてなどいないのだ。

 

 かと言って、上空で行き当たりばったりに探すというのは非常に効率が悪い。では、どうすれば永遠亭へと無事辿り着く事が出来るのだろう?

 

……あまり考えないようにしていたのだが、俺は一つだけその方法に気づいている。

 

 その上で他の選択肢が本当に存在しないのかと悩んでいたのだが、やはりこれ以上あの問題を先延ばしにするのは人として駄目だろう。

 

 

 

 『今日はもう帰ってくれ』

 

 そう拒絶され、結局俺は彼女の沈黙に耐えることが出来なかった。

 

 

 

 藤原妹紅──彼女を頼る他ない。

 

 いや、もはや仕事など二の次だ。最後に良くない別れ方をして以来、一切顔を合わせていない。

 純粋に会いづらかったのだ、心情的に。未だに何故彼女を悲しませてしまったのか原因が分からないし、『また明日また明日』と謝りに行く日を先延ばしにする内に、いつの間にか今日になってしまっていた。

 仕事や外の世界への帰還に向けて色々忙しかったから仕方ない──そう言い訳できない事もないが、それを言ったら余計に彼女の怒りを買う事になりそうだ。

 

 

 

 いい加減、覚悟を決めるべきだろう。

 

 まず、妹紅のところへ謝りに行こう。永遠亭の薬の調達についてはその結果次第という事で。

 おお、そう腹を決めたらなんだか身体が震えてきた。これが武者震いというやつなのだろうか。

 

 

 

 長屋から出て迷いの竹林へと向かう。

 

──その前に飯屋に寄って、お弁当と水筒をそれぞれ二つずつ購入する。

 

 別に妹紅を食べ物で釣ろうなどと考えてはいない。どうせまた何も食わずに日々を過ごしているのだろうという、彼女への厚い信頼の賜物なのだ、これは。

 

 決して、『これが仲直りするのに役立つといいなあ』という下心を持っている訳ではない。

 俺の言葉と態度だけで、万事上手く事を運ばせる自信がないという訳でもない。

 

 ホントダヨ?

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 迷いの竹林の入り口辺り、妹紅の住む廃屋を目の前にして俺は深呼吸をする。

 いざ参る、という時分になって急に怖気付いてしまうのはあるあるだと思いたい。なんかもう弱気になっているのが自分で分かる、もう帰りたい。

 

 うんうん唸って考え事をする。

 

 大丈夫、彼女はきっと許してくれるさ。あれからそこそこ時間が経っている。……いや、もしかしたら期間が空いたからこそ逆に許されないパターンもあり得るのか、これは? 謝罪はもう遅い、的な感じで。

 

 もしそうなのであれば、やっぱり追い出された時の次の日でも捨て身で突撃するべきだったかも。ああでも、ある程度時間を置かないと妹紅も気持ちの整理が出来ないかもしれないし。

 

 そうだ、そもそも俺と妹紅が知り合うきっかけになったのは、慧音さんが紹介したからじゃなかったか? ならば、慧音さんに俺と妹紅の仲を取り持ってもらうという選択肢もあったんじゃ──

 

 

 

「おい、そんなところで何突っ立ってるんだよ」

 

「いやあ、どうすれば許してもらえるかなーって、うおっと!」

 

 振り向くと、そこには彼女の姿があった。

 

 

 

 俺はかなり慌ててしまった。

 

 妹紅の家に俺から乗り込む、といういつもの流れではなかったからでもあるし、前別れた時の事を聞くかひとまず土下座するかで咄嗟の判断が出来なかったというのもある。

 若干パニックになりながらも少女の服装を見て、まずこんな言葉が出ていた。

 

「……なんかいつもより服がボロくなってない? 特に肩と袖の部分とか。大丈夫か?」

 

 赤いもんぺは所々がほつれていて、肩口がビリビリと破けている。袖の所なんか手首の部分しか覆えていない。何故だか紅白巫女の独立した袖を想起した。というかまんまそれな感じがする。

 

「ん? あー、ちょっとそこらで殺──んん、喧嘩してな。その所為じゃないか?」

 

「妹紅が喧嘩? へえ、なんか意外だな」

 

 主に相手が務まる奴が存在するのか、という意味で。

 そこいらの野良妖怪じゃ即刻蒸発するだろう。

 

 なんて考えていると、妹紅は目敏く俺の手にぶら下げている包みを発見した。

 

「お、いつも悪いな。腹が空いていたから丁度良い」

 

 すれ違いざまにスッと弁当と水筒の入った風呂敷を俺の手から回収し、廃屋の中へ彼女は入っていった。

 

「ちょ、待てよ」

 

 あまりにも自然な動きに翻弄されたが、最終兵器が奪われては堪らない。アレで許しを乞う算段だったのだ。

 俺も慌てて彼女の後をついて行く。

 

 

 

 

 

 沈黙。

 半壊した小屋の中で、もぐもぐと二人して弁当を消費していく。

 

 ここを満たすのは沈黙、ただそれだけである。

 いつもは俺から話しかけて場を盛り上げるのであるが、妹紅が前に別れた時の事をどう思っているのか不明である以上、なんの話題を出すべきか全然分からない。

 

 何もなかったかのように、いつもの感じで話す? それとも、謝罪してから妹紅の反応を窺うべき?

 

 分からん、分からんぞ。

 

 もう弁当箱の底が見えてきている。お詫びの印として最上級のものを買ったのであるが、味を楽しむ余裕がない。

 

 どうして妹紅は黙ったままなの? やっぱり怒ってるの? やっぱおこなの?

 

 ぐにゃあと視界が揺れているような気がする。

 ほんとに弁当の中身がなくなってきたぞ、これ以上は間が持たん。どうする、どうする──

 

 

 

「なあ」

 

 

 

 ビクリと身体が反応してしまった。

 

「な、なんでしょう?」

 

 なんか敬語になってしまった。

 

「なんで今日はだんまりなんだ? その、割と楽しみにしてたんだけど、あんたの話」

 

 眼前の少女を恐る恐る観察しても、怒っている様子はなく、純粋に疑問に思っている様子だった。心なしか、不満げな感じも。

 

「ええっと、怒ってないの?」

 

「怒る? 私が? なんで?」

 

「いやなんでって……前回の別れ際、ちょっと変な空気になったろ?」

 

 ピシャリと抵抗虚しく拒絶された記憶があるのだが、妹紅はあの時の事を忘れてしまっているのだろうか。

 そう思って聞いてみると、忘れたのではないらしい。

 

 申し訳なさそうな顔で、逆にこちらに対して謝ってきた。

 

「あの時は……うん。どちらかと言えば私の方に落ち度があったからな。急に追い出して悪かったと思ってるよ。──なんだよ、その顔は」

 

 そこに、怒りや哀しみといった色はない。

 深刻に苦悩してたのは俺だけ? ……それはそれは、何というか。

 

「滅茶苦茶落ち着いたわーって時の顔だよ。ほっとすると人はこんな感じの表情になるもんなの」

 

 ふうん、と納得したのだかイマイチ伝わってこない反応をする妹紅を見て、心の中で胸を撫で下ろす。

 

 ああ、良かったー。妹紅、別にもう気にしてなかったー。さっきまで結構ウジウジと悩んでたけど取り越し苦労だったー。

 なんだか、喉の奥に引っかかっていた魚の骨をやっとこさ取り外せたような、そんな爽やかな気分。

 

 

 

 

 

 ひとまず、これで一安心。

 

 いやー本当に良かった、と水筒で喉を潤す。話しかけられた瞬間に喉がカラカラになっていた。緊張し過ぎである。

 

 こう安心していると、あの時どうして妹紅の機嫌が一変したのかその原因を俄然知りたくなってくる。

 

 が、それで再び気分を害されたら困るし、触らぬ神に祟りなしって言うくらいだし、ここはぐっと好奇心を抑えて我慢するのが無難か。

 俺が何か、致命的なやらかしをしたのではないという事が分かっただけでも十分な収穫だ。

 

 妹紅は自分に落ち度があると言っていたが、これまでの付き合いからして俺に気を遣って嘘をついているのではないだろう。

 

 彼女は言葉を着飾らない、その率直な在り方に対して俺は好感を持っているのだから。

 

 

 

 

 

 

「妹紅、折り入ってお願いがある」

 

 すっかりいつもの調子に戻ったが、親しき者にも礼儀ありである。頼み事をする時なんかは特に。

 彼女との仲直りはクリアした。そもそも妹紅の性格的に、後になってまでねちっこく責めるという事自体があり得ない話だったのだ。

 

 となれば、ここからはお仕事の時間だ。夢の一軒家の為にあくせく働く事になるであろう俺にとって、これは大事な第一歩。是非ともモノにしたい案件だ。

 

 そもそも、妹紅が永遠亭の場所を知っていると判断したのは、初めて俺と彼女が出会った時の博麗神社までの道中で話していた事を思い出して推理したからだ。

 

 流石に会話の細部までは覚えていないが、彼女は『迷いの竹林の奥深くに化け物がいる』とかなんとか言っていた。

 そしてつい最近、俺がハイテンションで演説をぶち上げた食事処の親父さんが、『永遠亭は迷いの竹林の奥深くにある』と言っていた。そして『化け物が潜んでいる』とも。

 『化け物はこちらから接触しない限り無害だ』と妹紅は言っていた覚えがある。

 まるで自分から接触した事があるかのような言い回しだった。

 

 “化け物”は永遠亭に居て、妹紅はソレと出会っている。

 

 以上の事から、俺は妹紅が永遠亭の場所を知っているのだと推測していた。

 

 

 

 

 

「俺を永遠亭にまで案内してほしい」

 

 そう頼んでみると、彼女はあからさまに怪訝な顔をした。唐突に俺がそこに行きたいと言い出して疑問に思っているのだろう。

 

……ちょっと説明を端折り過ぎたかもしれない。

 

 それを見て、慌てて何故俺がそこに行きたいと思っているのかを説明する。

 人里で永遠亭の薬が流行っている事。その供給が足りてなくて『薬の調達よろしく』と俺に依頼がいっぱい来た事。

 

 要点をまとめて伝えると、妹紅は硬い表情をしつつも納得してくれたようだ。

 

「薄紫の薬売り──多分、鈴仙ちゃんの事だな」

 

「その薬売りさんに会って、薬を融通してくれないか頼んでみるだけだよ。妹紅の言ってた化け物とやらを探すつもりなんてないし、用事を済ませたらすぐに帰るつもりなんだけど……駄目か?」

 

 聞くと、うーん、と悩んでいる様子。

 が、暫くすると「あいつと会わなければ大丈夫か」と小さく呟き、妹紅は俺の頼みを引き受けてくれた。

 

「ただし、私はあんたを永遠亭に案内したらすぐに帰る。悪いけど帰りは方角を覚えて飛んで帰ってくれ」

 

「子どものお使いじゃないんだ、帰りくらいは自力で出来るから平気だよ」

 

「それと、一応忠告しておく。──鈴仙ちゃんと会って用事を済ませたら、寄り道せずさっさと屋敷から去れ。死にたくなければな」

 

「お、おう? わかった、そうする」

 

 永遠亭に居るという化け物を警戒しての事なのか、妹紅の迫力はかなりのものだった。

 彼女の実力をして、そこまで言わしめる化け物。

 俺なんかが相対した日には木っ端の如く吹き飛ばされるに違いない。

 だが、そいつは滅多に永遠亭から出る事はなく、玄関口辺りで薬売りと出会えたらまず接触せずに済むらしいから、まあ大丈夫でしょ。

 

 

 

 廃屋から出ると、妹紅は宙に浮き上がった。

 どうやら飛んで向かうらしい。ぶっちゃけ歩きより楽なので助かる。霊力のガス欠より、体力を切らす方が個人的には辛いのだ。

 

「ついてこい、はぐれるなよ?」

 

──何そのカッコいい台詞。男の俺より格好いいとかちょっと反則じゃない?

 

「だから、子供扱いすんなっての」

 

 なんて事を言い返しつつ、超低空飛行にて彼女を追う。

 鬱蒼と生い茂っている竹が邪魔してスピード自体はそこそこなのだが、それでも徒歩で行くよりも断然速い。

 

 何回か、緑の竹と薄茶の地表に混じって真っ白な小さな塊が視界に入った。

 アレは何なのか質問したかったのだが、正直その余裕がない。妹紅の描く軌道に沿うだけで精一杯だ。

 

 最近、飛び方が結構上手くなってきたとひっそり自負していたのが、まだまだ未熟という事だろうか。

 

 

 

 そう苦戦する事暫く。

 

 

 

……まだ永遠亭に到着しないの? 今にも竹に突っ込みそうで精神的につらいんだけど。

 なんてヒヤヒヤしつつ、俺は彼女の後を追いながら竹林の中を飛んでいくのであった。

 




 
 今読み返すと、オリ主はもこたんを始めお世話になった方たちに別れの挨拶すらせずに外の世界に帰ろうとしてるんですよね ちょっと礼を欠き過ぎているなコイツと思いました そんな裏話
 


 この作品と全く関係ない話になりますが、私が東方projectを知るきっかけとなった、某二次創作系格闘ゲームの一方的な試合展開が基本となる大会の本家様が新しく大会を開催していて、歓喜したことをここに報告致します いや本当に後書きで書くような話題ではないのですが、それだけ作者にとっての生きる“希望”となり得るくらい大好きな動画シリーズなのです 心当たりがある人は、この私情挟みまくりのこの後書きを見てニヤリとしてほしいですね
 狂った試合を童心に帰りながら一緒に楽しみましょう



 そして、東方虹龍洞 発売おめでとうございます

 遊べる環境がある人はすぐに買いましょう こんな作品読んでる場合ちゃうでホンマに
 STG苦手、やった事ないって人も安心してプレイ出来ると思います 作者も難易度ノーマルをノーコンテニューでクリア出来ないへっぽこシューターなのですから
 下手っぴでも充分ゲームを楽しめるのだと、ともに胸を張ろうではありませんか


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

迷いの竹林の白兎

 誰とは言いませんが、変T以上に奇妙な服を着た子がやって来たなーって感じです 本当に誰とは言いませんが
 あとEXの弾幕がエグ過ぎて禿げそう

 今回あまり話が進みません 反省してます



 

 

 ここまで案内してくれた妹紅に礼を言って、飛び去っていく彼女へ向けて手を振る。

『永遠亭の薬の調達』、上手く達成しないとな。

 

 

 

 

 

 迷いの竹林の奥に存在するこの屋敷を見ただけで、ここが噂に聞く化け物が巣食う場所だと察知出来る者はいないだろう。

 

 あんまり詫びとか寂びとかを普段から嗜んではいないので、あくまでふんわりとそう思った程度であるのだが、純和風の雅なお屋敷、といった感じだった。

 

 そこの玄関口にある引き戸をノックして呼びかける。

 

「すみません、どなたかいらっしゃいませんかー?」

 

 そう声を張り上げて反応を窺う。が、すぐに返事はやってこない。静謐なその雰囲気から、そもそも人の気がないような印象を受けた。

 

 チラリと庭先に目を向けると数匹、いや数羽か。

 数羽のウサギが呑気に草を食んでいる。

 

 そうか。

 ここに来るまでの飛行中に時々見えた、白い塊のようなもの。その正体はウサギだったようである。

 

 迷いの竹林にはウサギが生息しているのか。何回も妹紅のところに足を運んでおきながら初めて知った事柄だ。

 

 

 

 来訪者に気がついたのか、そのうちの一羽がぴょんぴょこと跳ねてこちらへ向かってくる。

 きっと人懐っこい性格の持ち主なのだろう、と当たりを付けて、腰を低くして両手を広げウサギを抱き止める体勢を取る。

 

 ウサギはそんな俺に一瞥もくれずに、すぐ横を通り過ぎて竹林の中へ消えていった。

 

……なんか悲しい。

 

 聞こえる音が竹林のさざめき程度なので、その悲しさに拍車がかかる。今の無様を見て、笑ってくれる人すらいないとは寂しいもんだ。

 

 

 

 

 

 残ったウサギたちを眺めながら時間を潰しても、誰も出てこない。

 再度呼びかけて、もう少し待ってみる。

 

 

 

 

 

……うーむ、今日は出直した方がいいかもな。

 

 全然人が来る気配がしない。

 もしかすると、このお屋敷は俺のような来客を想定していないのではなかろうか?

 

 なんとなく考えた事なのであるが、あながち間違ってないような気がする。というか大正解なのでは、という気がしてならない。

 

 まず、竹の成長速度が凄まじく、数日前と全く違った表情を見せる迷いの竹林という立地。徒歩での移動だと、かなりの確率でその名の通りに迷ってしまうだろう。

 そして、幻想郷において空を飛べる人間という存在は思いの外希少である。俺の知り合いに飛べる者たちが多くて錯覚しそうになるが、人間の里に限定すれば宙に浮けますよというやつは滅多に居ない。

 永遠亭の詳細な位置、それの特定も困難を極める。単に『迷いの竹林にあるらしい』というふんわりとしたヒントしか存在せず、そこへ辿り着く為には場所の特定に莫大な時間を消費するだろう。あまり現実的ではない。

 そうするよりも、最初から位置を知っている人に頼る方が賢いだろう。

 

 つまり、空を飛べる事と、妹紅のような永遠亭の場所を把握している人と知り合っている事。この二つの条件を満たさないと、ここへと辿り着く事は非常に難しいと推測できるわけだ。

 

 それらの条件全てを満たしている者の数は、かなり絞られるだろう。

 

 さらに、そこへ『永遠亭には化け物が住む』という悪評までついてくると考えると。

 

 

 

……うん。間違いなく不意の来客なんて想定してないよ、ここ。

 

 想像は確信へと変貌する。

 

 そうすると、俺がここでいくら待っていても誰も出てこないという事になる。もしかすると居留守をしていて、自分の事を(ちん)入者と見做して迷惑に思っているのかも。

 

 その可能性は、否定出来ない。

 

 ちょっぴり虚しく思ってしまう。

 ああ、あの薬売りの少女と接触出来ないとは。ガッポリ稼ぐつもりだった心算が狂って残念である。

 

 また明日試してみるか、と気持ちを切り替えていると──

 

 

 

 

 

「おや、こんな辺境に来客とはホントに珍しいウサ」

 

 背後から、そんな可愛らしい声がする。

 振り返るとそこには、一羽のウサギを抱えた女の子がいた。

 

 黒い癖っ毛に、白いウサギの耳。ピンクのふわふわした半袖のワンピースに、小さな人参のネックレスを首にかけている。どういう訳か、外から来た様子であるのに、靴の類を履いていない。裸足だ。

 

……というか、何だ?『ウサ』って。妙な語尾の付け方だ。

 

 まじまじと観察してしまう。

 

 彼女の抱えているウサギ、確証は無いがさっき俺に気付いて迷いの竹林へ向かっていたウサギではないだろうか。

 

 そして、彼女の愛嬌ある顔に浮かべているその表情。見た目相応の幼さは全くなく、寧ろ大人び過ぎていると感じるのは、果たして錯覚なのだろうか。

 喋り方も歳が見たまんまなのならば、少しばかり呂律が回っていなくてもおかしくないのに、しっかりとしたものだった。

 

 観察しているのは向こうも同じらしく、興味深そうにこちらを観察している。ほんの少しだけ、竹林が風で奏でる音ばかりが辺りを支配した。

 

 いや、こんな所で互いを見合っている場合ではない。

 ここへは、薄紫の薬売りさんに会う為にやってきたのだ。

 

 

 

 キリがなさそうなので、俺から話しかける事にする。相手が背の小さな子供という事で、反射的に屈んで目の高さを揃えようとしたが、これをグッと堪える。

 見た目ではその者の年齢を断定出来ない。幻想郷で学んだ事柄を生かす時だ。

 

「えーと、どうも初めまして。私は藤宮慎人という、人間の里で運送屋を営んでいる者です。あー、現在、人里では永遠亭の事が評判となっていまして、その薬を持ってきて欲しいと依頼を受けたのです。宜しければ、ここの薬師さんと交渉出来ませんでしょうか?」

 

 つっかえながら、彼女に俺がどういう用件でここに来たのかを明確に伝える。

 それを聞いて、ウサギ耳の少女は納得したような表情を浮かべた。

 

「ここにわざわざ人が来て薬を求めるって事は、鈴仙の自慢話はホントだったウサか」

 

──本当にその語尾なんだな、ウサって。

 

 話が上手く伝わった安心感よりも、ついそっちの方に意識が向いてしまう。

 

「わかったウサ。ここの薬師の元まで案内してやるウサ」

 

 妙な語尾を連発しながら、ウサギを解放してガラガラと玄関の扉を開け、俺を招く手の仕草をした。

 どうやら、うまく依頼達成の第一歩を踏み出せたようだ。

 

 安堵しながら、とてとてと歩く彼女の後についていく。

 

 少し歩いたところで少女は(おもむろ)にこちらへ振り返る。そして、何やらおかしそうな表情を浮かべる。

 

「ああ、あとその変な敬語はやめた方が良いよー。慣れてないのがバレバレで、聞いてるこっちが恥ずかしくなっちゃうから」

 

 俺の言葉遣いの拙さを指摘してきた。

 

「そ、そうですか。んん、──いや、そっか。あんまりこういうのに慣れてないってバレてたか。こっちも、その方がやりやすいから助かる」

 

 口調から、完全に仕事経験の浅さを見抜かれてしまっているようだ。ほんの少しだけ恥じ入ってしまう。

 

 そして、ウササとほくそ笑む彼女を追いながら確信する。

 

 間違い無い。このウサギ耳の少女は絶対に俺よりも年上だ。しかも、多分、一筋縄にはいかない厄介な性格をしている。

 

 

 

 

 

 “因幡(いなば) てゐ”──少女はそう名乗った。

 

 因幡、そしてウサギときたら、真っ先に『因幡の白兎』という昔話を連想してしまう。まさか、彼女がその白兎本人だという訳ではあるまい。

 確か、その話って日本神話とかの物凄く古〜い時代の出来事だった筈だ。何百年も前から活動していたという知り合いが俺にも居ない事も無いが、それにしたって流石にスケールが違いすぎる。

 きっと、その昔話にあやかって名乗っているだけなのだろう。

 

 

 

 彼女と一緒にだだっ広い廊下を歩きながら、永遠亭の奥へと進んでいく。

 妹紅の警告通りに、玄関先で用事を済ませてさっさと帰りたかったのだが、そうは問屋が卸さないという事か。

 

……噂の“化け物”とエンカウントしなければ良いのだが。

 

 そう思いながら、只々廊下を歩いていく。左右の障子や屏風には、和風な外観と違わない見事な装飾がなされている。一番多く見て取れるのは、“竹”だった。

 

 迷いの竹林の中にあって、さらに内装まで竹づくしだとは、永遠亭の主人は随分と竹がお好きらしい。

 

 そういえば、最近読んだ日本昔話の中に竹に関するお話があったんだよな。

 

 題名は──

 

 数ある日本昔話の中でも指折りの知名度を誇るそのタイトルをはっきり想起すると同時に、俺の側面の屏風がすうっと開いた。

 物音に気付いてそちらに目を向けると、一人の女性が丁度その部屋から出てきたところのようだ。

 軽く会釈をして通り過ぎようとして、その女性の顔を視界のど真ん中に収める。

 

 

 

 

 

──絶世の美少女が、そこに佇んでいた。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 『永遠亭に関する悪評を払拭させる手立ては、本当に存在しないのかしら?』

 

 長く、永く、生きてきた年の功の為か、“彼女”からそんな相談を受けていた。その時は、『私より長生きしてるアンタがお手上げなら、私に分かるものさね』と、煙に巻いた記憶がある。

 

 火の無い所に煙は立たぬ。姫様の存在を天狗に嗅ぎ付けられた時点で“詰み”だった。

 天狗の面白おかしく脚色された記事をもとに広がった噂は、私や永遠亭の面子で弁明したとしても、逆にその悪評を加速させる結果にしかならない。

 

 幻想郷の御多分に洩れず、永遠亭には()()()()容姿の者しか居ないのが悲しいところであった。

 何やら鈴仙が色々試している様子だけど、上手く行っていない事は彼女の暗い表情から明らかだし。

 

 

 

 

 

 しかし、最近はいつの間にか鈴仙の表情は一転して明るいものとなっている様子だった。

 落とし穴に嵌ってもニヤニヤするのをやめなかったのを見たその時は、自身の能力に当てられでもしたかねえ、と本気で心配した。

 

 私の不思議そうな顔を見て、鈴仙は頼みもしていないのに語り始めた。

 

 曰く、人間の里では私とお師匠様の薬が大人気になっている、とか。これはお師匠様の薬の素晴らしさと私の弛まぬ努力の成果なんだ、とか何とか。

 

 そんな事を調子付いたようにベラベラと自慢していた。──私謹製の落とし穴に嵌ったままの状態で。

 

 その時は、「遂に気が狂ってしまったウサか?」と聞き返してやった。

 

 

 

 

 

──人間が、あそこ(永遠亭)にやってきているよ。

 

 部下の兎からそう知らされた時、初めは迷いの竹林の入り口辺りに居を構える白髪の蓬莱人の事なのだと思っていた。

 

 いんや、あの蓬莱人は今朝までうちの姫様と久しぶりに殺し合いをしていた筈。

 思えば、一時期は数日おきにやり合っていたというのに、最近ではその頻度がめっきり少なくなっている。

 向こう側に、憂さ晴らしになる()()ができたのかもしれない。

 

 そう考えると、その日のうちにまた殺り合うなんて事は流石に考えにくかった。

 

 となれば、何時ぞやの時と同じく異変を解決しに来た奴らが、また何か喧嘩をふっかけてきたのかな?

 聞いた限りだと恐らくこれも違うか。玄関先で呼びかけて大人しく待ち続けるなどという常識的な行動を、あの奴ら(弾幕馬鹿共)がする筈がないし。

 

 とすれば、本当に見知らぬ何者かがやって来たという事になる。

 

 永遠亭には姫様という幻想郷屈指……いやぶっちぎりで一番の(明後日の方向に)容姿が飛び抜けた者が居るというのに、命知らずな奴も居るものねー。

 

 少〜しだけ興味がそそられた。

 

 せっせと鈴仙の為に罠を拵えるのを中断して、その正体不明の来訪者の姿を拝んでもいいかもしれない。

 

「──確認しに行ってみるかー」

 

 逡巡したのはほんの少しだけ。僅かばかりの好奇心に駆られ、報告してきた部下を抱えながら永遠亭の方へと向かう。

 

 

 

 

 

 そこに居たのは、なんて事ない平凡な青年だった。

 

 確か、普段は来客をお出迎えする鈴仙は人里へ薬を売りに行っていて今は不在の筈。昨日仕掛けた地対空トラップが発動した形跡があったから間違いない。

 待ち惚けを食らっている青年の後ろ姿を見て、少々気の毒に思う。

 

 『永遠亭に関する悪評を、払拭させる手立ては無いのかしら?』

 

 いつかの相談事が思い出された。

 このまま彼が帰ってしまえば、永遠亭の悪評はずっとそのまま。

 

 私が対応した所で嫌な顔をされるのは明白なんだけど……せめて、せめて誠心誠意対応すれば、少しは悪評を撤回出来るのかな?

 

 近い将来人里と永遠亭の関係性が悪化して、部下の兎達が害されてしまうようになる──という可能性を完全には排除し切れないこの現状。

 長期的な視座からしても、今ここで目の前の人間に対して親身に接するのは決して悪くない選択の筈。

 

 お師匠のあの表情も、見ていて気持ち良いものじゃないしね。

 

 ここは身体を張る時かも。と、少し気負って男との対話を試みた。

 

 青年は私の容姿を直視しても、ただ好奇心に突き動かされるように観察してくるのみで、堪えきれず表情を歪めるといったような正常な反応は一切しない。

 

 それに気付き、警戒心が刺激される。

 

 札付きの永遠亭に単身乗り込んで来るだけあって、どうやら相当な場数を踏んでいるらしい。

 でも、伊達に此方も長年にわたって生きていない。目の前の男が一体どれほどの海千山千の人物なのか、観察して見抜いてやる。

 

 そう考えて、永年培ってきた洞察力でその男を値踏みする。

 けれど、

 

……あれ? 本当に変わった所が無いわね?

 

 下等な妖怪避け目的か、呪符を幾つか携帯しているみたいだけど、それ以外はホントに普通な人間という雰囲気がする。

 そしてその予感は、男が喋り始めた時点で確信に至った。

 

 彼の纏う雰囲気や仕草、表情など、見れば見るほど平々凡々という印象を受ける。

 

 引き上げていた警戒心を緩めて、内心ほっと息をつく。良い意味で拍子抜けしていた。

 

 いやはや極々平凡な一般男性が、どうやってここまで辿り着く事が出来たのやら。

 

 まぁいっか、そんな事は。

 

 永遠亭に来客の姿あり。異変の時に乗り込んできた連中や、月の都のやつらを除いたら、もしかすると初めての事例なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 男を永遠亭に招き入れる。

 

 鈴仙に会いに来たようだけど、今は不在。なので、代わりにお師匠の部屋へと案内する。彼女はもう物好きな客の来訪に気が付いている筈だしね。

 

 彼、藤宮という運び屋が薬を手に入れて、それを人里でばら撒いたら、永遠亭の悪評は少なからず抑えることが可能な筈。

 

 鈴仙や藤宮の話では、すでにその兆候が見られるみたいだし。

 

 悪戯好きな性分の持ち主としては、鈴仙の個室にでも案内して困らせたい所だけど、ここは素直に彼を手伝ってあげよう。我慢、我慢。

 

 

 

 

 

 全て順風満帆に事が進んでいる。その筈だったのだが──

 

 

 

 

 

 げげっ、なんでこんな所に居るのよ!?

 

 男を引き連れて長い廊下を歩いていると、丁度部屋から出てきた姫さまとバッタリと出食わしてしまった。

 いつもは永遠亭の最も奥にある寝室に篭って滅多に動かないというのに、一体どういう風の吹き回しなのか判らない。

 さらに不幸な事に、『目を逸らして!』と彼に咄嗟の注意をする前に、しっかりと二人は顔を見合わせてしまっている。

 

 これは、非常に不味いことになったわ…!

 

 いくら私の顔を見て平気そうにしていたあの男でも、姫様の顔はその酷さの度合いが桁違いなのだ。今度こそ耐えられまい。

 

 この私ですら気合を入れないと直視出来ないあの容姿を、ああも近くで見つめてしまったら──

 

 (おのの)いて逃げ出すのはまだマシな方だ。この世全ての醜さを一身に背負ってしまったかのような顔面にショックを受け、心の臓に負担がかかってしまうのが一番不味い。

 

 最悪の場合、誇張でも何でも無く本当に死んでしまう──

 

 姫様の事も気がかりだけど、今は人命優先。急ぎお師匠の部屋まですっ飛んで、事情を説明してここまで呼んでこなくては!

 

 

 

 

 

 その場に二人を残したまま、因幡てゐは慌てて救援を呼びに行く。

 

 

 

 

 

──そう、二人をその場に残したまま。

 

 永遠亭の薬を目当てにやって来た青年が一人。

 永遠亭の主である少女が一人。

 

 ばったりと出会ってしまったその二人は、未だその両の眼を逸らさずにお互いを見つめ続けていた。

 

 

 

 彼、彼女らのその心中や如何に。

 

 

 

 




 
 他の要因が絡んでいたのもかもしれませんが、実際に視覚的なショックが原因で人がお亡くなりになってしまったという実例は皆無ではないようです

 原因はとあるホラー映画だったらしいのですが、私、劇場で件の映画をリアルタイムで観てたんですよね 確かに恐ろしいなぁとビビりながら鑑賞していましたが、あくまでエンタメとしての範疇に留まる程度でした
 同じモノを見たとしても、人によってその反応は天と地の差があるという事が身にしみて分かる事柄でした
 もしかすると自分もそうなっていたかもと想像すると恐ろしいですよね


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

なよ竹のかぐや姫

 伝えていませんでしたが、この作品の時代考証はガバガバです そこら辺はかなり軽視しておりますので、どうかご了承のほど宜しくお願いします
 気にする人はいないでしょうが、一応ね?
 


 

 

──突然、目の前に絶世の美少女が現れた。

 

 俺はその時、只々そのあまりの美しさに絶句して、彼女の面立ちをひたすらに網膜に焼き付ける事しか出来なかった。

 

 今は「こんにちは」とか「どうもお邪魔しています」とか、適当に何か場を繋ぐ為に喋って、それから気を取り直して案内してくれているウサギ耳の少女の元へと戻るべきだろう──そう頭の片隅では喧しく主張しながらも、しかし決して彼女から目を離すことが叶わない。完全な釘付けとなっていた。

 

 

 

 ストレートの艶やかな黒髪。袖の長い桃色の上着に、これまた丈の長い赤い生地のスカートという洋風の装い。所々、鈍い黄金色で竹、紅葉など和風の装飾が施されている。その立ち居振る舞いから、なんとなく品格や高貴さといった凡庸な世俗とは隔絶された何かを感じ取れた。

 

 そして、一際目立った類稀なるその美しい顔立ち。

 

 可愛いらしいとか、整ってるとか。(俺の異常な感性からすれば)容姿端麗な少女達とは、これまでそれなりの人数と知り合ってきたものだが……

 

 その中でも、彼女の見目麗しさは群を抜いている。

 

 

 

 恐らくは、彼女の顔の『黄金比』というものが完璧であるからなのかもしれない。

 外の世界だと、その法則に従った絵画や建築物の芸術性の高さは度々賞賛されていたし、その比率に近しいタレントの男性の顔をランキング形式で紹介するブログやテレビ番組などをかつて冷やかし半分で見たことがある。

 

 しかし。たったの一つだけ、その法則に従っていても万人が『美しい』と思わず、むしろ嫌悪感を催してしまうという不可解な現象を齎す存在があった。

 

──そう、女性の容姿に関するものだけ、その法則の例外なのだ。

 

 何故、黄金比に近ければ近いほど、人はその女性の顔に忌避感を覚えてしまうのか。疑問に思って研究した者の数は多いらしく、だがその原因を特定できた者の数は皆無であったそうだ。

 

 まあ、あんまり難解で複雑そうな論文や学術誌を進んで読もうとは思わない性分の持ち主なので、詳しいメカニズムや理屈なんて正直どうでもよかった。

 

 “醜悪”である筈の容姿を目前にして快く思ってしまう、己が狂った美的センス。

 何が原因なのか。何がきっかけなのか。何も分からないまま持たされ続けたその異常性に、なるべく正常でありたい自分はどのようにして向き合っていくべきなのか。

 ある意味では、『外の世界への帰還』よりも重大な事柄であると言える。

 その答えの得ること能えば、多少なりとも俺の抱えるこの慢性的な気詰まりは解消されるだろうか。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 『かぐや姫』或いは『竹取物語』という有名な昔話を、生涯で一度も聞いた事がない──そんな日本人は殆ど存在しないと言っても過言ではないだろう。

 

 

 

……昔々、とある心優しい老夫婦が、光る竹の中から出てきた女の子を“かぐや姫”と名付けてとても大切に育てていた。

 やがては、かぐや姫の美貌が巷で噂となって、遂には五人もの貴族達から求婚されるようになる。

 彼らにそれぞれ一つずつ難題を与え、それを成し遂げた者と結ばれましょうと告げるかぐや姫。けれど、結局難題を達成した者は現れなかった。

 

 時の帝はその話に大変興味を持ち、かぐや姫に『私に仕えないか』と申し込むが断られてしまう。

 何故拒むのかその理由を問うたところ、実はかぐや姫は月からやって来た人間であり、さらには次の満月には月より使者が降り立って、かぐや姫を連れて去ってしまうのだという。

 満月の夜、帝は兵士をかぐや姫の元へ送って、月からの使者を撃退しようと試みた。しかしそれは使者たちの放つ摩訶不思議な力によって失敗に終わる。

 

 帝に向けて文と不老不死の薬を置き、月へと帰ってしまったかぐや姫。

 

 かぐや姫が居ないのに不死となっても仕方がない。そう嘆いた時の帝は、配下の者に不老不死の薬を処分を命じる。

 勅命を受けたその者は、都から遠く離れたとある山の頂にて、薬を焼いて処分した。

 

 その事から、“不治(ふじ)の山”として知られるようになったその山は、後世には転じて『富士山』と呼ばれるようになりましたとさ。

 

 

……大体、そんなストーリーだった筈だ。多分。

 

 

 もっとこう、かぐや姫と老夫婦との心温まる交流だとか、難題を乗り越えようと奮戦する五人の貴族の勇姿とか、もっと掘り下げるべき所があると思うのだが、いかんせんのんびりとそれらを思い出す余裕が今の俺にはない。

 そう、余裕がまったく無いのである。

 

 

 

 

 

 和室から出てきたその少女は、こちらと暫く見つめ合った後、俺を手招いてまた部屋へと戻ってしまっていた。

 

──彼女は一体何者なのだろう?

 

 いや、恐らくはここ永遠亭の住人ではあるのだろうが……なに? これは招かれるままについて行った方がいいの?

 

 判断がつかなかった。取り敢えず、因幡てゐに指示を仰ごうかと廊下の先を見たのだが、先行していた筈のウサギ耳の少女はいつの間にか跡形もなく消えてしまっている。案内役を自ら買って出たというのに、どうなっているのやら。

 

 目的である薬師さんの居場所を俺が知っているはずもなく、仕方なしにあの美少女の元へと歩いていく。

 

 半ば困惑しながらも。

 未だに強く、あの端正な顔立ちが目に焼き付いていた。

 

 

 

 

 

 永遠亭の薄暗い一室に、眩く輝いているように見える程の美貌を持つ女の子と二人っきり。

 

 かなりの切迫した緊張感が俺を絶え間なく襲っている。なんだか胃がヒリヒリしてきたかも。

 

「退屈していたところなの。少しだけお喋りに付き合ってもらえるかしら?」

 

「は、はい。よ、喜んで」

 

「──そう、嬉しいわねえ」

 

 何故か、喜色満面といったご様子だった。そうして突如始まる、初めましてな美少女との差し向かってのお喋り会。

 

「貴方のお名前は?」

 

「ええと、藤宮慎人です」

 

「どうして永遠亭まで……」

 

 一見して、和やかに会話が進行しているように錯覚してしまいそうなる。が、当然和やかでいるのは目の前の大和撫子然とした少女だけだ。

 

 こちらは内心ただ事ではない。

 

 その美しさのあまり舞い上がってしまいそうな自分を抑えるのに必死で、彼女の問いかけに対して気の利かない率直な答えを出す事しか出来ていない。

 精一杯脳をフル回転させて、自分からも何回か話題を提供したりするのだが、鈴を転がすような声につい聞き惚けてしまう。

 

 そのせいで最初の方など、質問に答えてくれたのに、その返答をまるで覚えていないという痴態を晒してしまった。

 それを見て心底楽しそうな笑みを浮かべる少女の可憐さに引き込まれそうになるのを堪えて、会話を何とか繋いでいく。

 

 

 

 気付けば名前だけでなく、元外来人という経歴やら、人間の里で便利屋モドキをやっていてその仕事の一環でここまでやって来たという事やらを、あっという間に白状してしまっていた。

 

 

 

 ただその人の上品な笑みを見ているだけなのに、これほどゾクリと震えるような歓喜が押し寄せてくるとは恐ろしい。

 挙動不審にならないように気をしっかりと保たせるだけで限界である。

 

 しかも話を聞くに、“蓬莱山(ほうらいさん) 輝夜(かぐや)”という少女は何と、竹取物語に登場する『かぐや姫』その人なのだという。

 

──もう訳がわからないよ。

 

 眼前の少女の綺麗な容貌にクラクラするし、なんだか滅茶苦茶いい香りがしているしで、さっきから俺の脳みそはオーバーヒート寸前だ。

 

 そもそも何でこの人は俺を招いたの? 初対面だよね? 何でそんなに好奇心に満ちた目でこっちを見てくるの?

 ぐるぐると、疑問が頭の中で湧き上がって渦巻いていく。

 

 

 

 

 

「──そう、貴方は永琳の薬を目当てにわざわざここまで足を運んだと。ご苦労な事ね」

 

「ええ、まあ。それで因幡てゐという方に案内してもらってたんだけど、いつの間にか居なくなってたんですよね」

 

「彼女が案内役を? 珍しい事もあったものね」

 

 ただ、俺も延々と慌てふためくだけという訳ではない。

 人は順応する事が出来る生き物なのだ。加えて、これまでに美人さんと多く知り合ってきたというアドバンテージが自分にはある。

 

 何とか(ども)ることなく、彼女の目を直視しながらの対話に成功するようになっていた。

 女の子の前で情けない姿を晒したくないという、男としてのなけなしのプライドが刺激されたからなのかもしれない。

 

 敬語が時折抜けてしまうのは、最早どうしようもない。

 

 「別に無理に敬わなくても良いのよ?」とは言ってもらえているのだが、初対面の人に馴れ馴れしく話しかけるというのは個人的に厳しいものがあったので、今の感じに落ち着いた。

 

 聞くところによると、彼女がこのお屋敷の主らしい。であればなおさら敬語を使った方が望ましいと思うのだが、彼女からするとそうでもないらしい。

 

 そういった丁寧な言葉遣いはあまり達者ではないと自覚しているので、そこら辺の懐の広さは有り難かった。見るからに貴人の雰囲気を身に纏っているので、他にも失礼を働いていないか心配にもなりはしたが取り越し苦労であった。

 

 

 

 

 

 蓬莱山さんのその美貌を見ていると、噂されていた悪評にも合点がいく。

 

 『永遠亭に巣食う化け物』

 

 成程。確かにそれは、彼女の事に違いない。

 危うく俺がその美貌にノックアウトされそうになったように、他の人が彼女の顔立ちを見てしまえばきっと卒倒してしまうだろう。「酷いものを見てしまった」という理由で。

 

 自分にとっての“絶世の美女”は、そのまま世間にとっての“絶世の醜女”を意味するということだ。

 

 

 

 

 

 引き続き彼女と言葉を交わしていると、取り分け興味をそそられる話題があった。それは、

 

「確か、『月の都』でしたっけ? 昔話とは違って、実際には蓬莱山さんは元の場所には戻らず地球に残ったって話でしたけど」

 

「ええ。一度は追放された身だし、どうせ戻っても監禁生活になるだけだろうからそのまま地上に留まってもいいかなーって思って」

 

「追放って。一体何があったんですか? ──質問してはいけない事だったら申し訳ありませんが」

 

 月の都。それは月面の裏側に存在する未来都市? のことのようだ。SFじみた高度なテクノロジーを持っているらしい。

 そこに住まう『月の民』は、地上のことを“穢れている”と見做して非常に毛嫌いしているのだとか。

 なんでも、“生きること”と“死ぬこと”がセットになっているのが嫌なんだってさ。

 

……ちょっと自分でも何言ってんのか分からない。理解の仕方これでホントに合ってる?

 生きとし生けるもの全部アウトじゃん。無機物しか愛せないじゃん。それでいいのか月の民よ。

 

 ともかくそんな月の都から追放されて、穢れた地上に流刑となった蓬莱山さんは、竹取物語と大体同じような流れで地上を穏やかに暮らしていたのだという。

 

 最大の違いは、月の使者が地上に降り立ったときの事。

 どうやら月の使者の中に一人裏切り者がいて、その者の手を借りて上手いこと行方をくらませたらしい。

 

 その後紆余曲折を経て、幻想郷に来たのだとか。

 

 では、そもそもどうして月の都から追放されてしまったのか。

 その原因を聞いているのではあるが、口に出してからすぐに後悔する。故郷からの追放。無闇に触れられて気持ちのいい話題でもなかろうに。

 

 しかし、彼女はさして気分を害された様子もなく、さっくりと俺の問いかけに答えてくれた。

 

 

 

 

 

「『蓬莱の薬』──それを摂り不老不死の身となったという罪で、私は地上へと追放されたのよ。一丁前に死を厭うくせに不死の薬はダメだなんて、ひどく矛盾しているようだけどね」

 

 

 

 

 

 帝に向けて文と不老不死の薬を置き、月へと帰ってしまったかぐや姫。

 

 かぐや姫が居ないのに不死となっても仕方がない。そう嘆いた時の帝は、配下の者に不老不死の薬を処分を命じる。

 勅命を受けたその者は、都から遠く離れたとある山の頂にて、薬を焼いて処分した。

 

 その事から、“不治(ふじ)の山”として知られるようになったその山は、後世には転じて『富士山』と呼ばれるようになりましたとさ。

 

 

 

 

 

 不老不死の薬──曰く『蓬莱の薬』というらしいが、それは昔話に出てくる、かぐや姫が帝に送ったという薬と同一の物なのだろうか?

 

 気になって聞いてみると、肯定の言葉が返ってきた。

 

「ま、あの薬は処分されたとか後世に伝わってるらしいけど、何か手違いでもあったのか実際は別の子の手に渡ってしまったのよね。

──そういう経緯もあって、なんとこの幻想郷には三人も居るのよね、『蓬莱人』が」

 

……そんな思わせぶりな言い方をされたら、誰が不老不死の身体を持っているのか、誰だって知りたくなってしまうだろう。

 愚直に「その内訳は?」と質問してみると、

 

 やっぱり気になる? と少女は可憐に微笑んだ。

 

「まずは私でしょ? 二人目は薬師の“八意(やごころ) 永琳(えいりん)”。最後の三人目は迷いの竹林の隅っこの、ボロい掘建て小屋に住む、藤原妹紅っていう奴よ」

 

「──え? 妹紅が!?」

 

 

 予想外すぎる名前が出てきて仰天した。

 

 妹紅が、不老不死。

 

 あまりの衝撃に声を張り上げかけ──いや、妖怪なんかが平然と(たむろ)している幻想郷において、別に不老不死だからといって特におかしな事は無いのかもしれないが……

 

 彼女の口から、自らが不老不死であるといったような主旨の発言を聞いた覚えがない。意図的に伏せていた、という事だろうか。

 

 どうして妹紅はその事実を俺に教えてくれなかったのだろうか。

 その体質について思うところがあったとか?

 

──というよりも、無意識のうちに彼女についてまるで全てを知っていたような気持ちになっていた、自分の傲慢さに驚いた。

 

 誰にだって、他人に明かしたくない過去や秘密を一つや二つ、抱えているものだ。

 それこそ、俺の美醜感覚逆転や、「なるべく秘匿せよ」とスキマ妖怪から忠告を受けた“常識に囚われる程度の能力”のように。

 

 己の抱える秘密を打ち明けないままに、一方的に人の秘密を知ろうだなどと、少々驕りが過ぎている。少しだけ、自分を戒めた。

 

 

 

 

 

 蓬莱山さんは、驚いた様子の俺を見て意外そうにしている。

 

「その様子だと、知り合いみたいね」

 

「ええ、まあ。妹紅とは、なんというか……好きで世話を焼きに行ったり、よく一緒に飲みに行ったりする仲でして」

 

 それを聞いて、彼女は何やら考え込むような仕草をした。そんな何気ない仕草でも、絵になるなぁとつい呑気に思ってしまうのは、男としての悲しい(さが)なのだろう。

 

「もしかして、アイツが最近なかなか決闘しに来てくれなかった理由って──」

 

「あの妹紅に友達? それも異性の? まさか先を越されるとは──」

 

……何やらぶつぶつと独り言を呟いて、自分の思考をどうにかまとめているようだ。

 

 先程までの深窓の令嬢といった雰囲気は鳴りを潜め、鬼気迫る表情で思案するものだから、何か不味いことを言ってしまったのではないかと心配になる。

 

 なんか『決闘』とかいうかぐや姫に全く似つかわしくない単語が漏れ出ていたのは気のせいだろうか。

 いや、明瞭に聞こえたのだから決して気のせいではあるまい。

 

「今思えば、今朝アイツを打ち負かしたというのに、『全然悔しくない』と言いたげな余裕綽々だったあの表情。まさか内心、独り身で勝ち誇る私のことを滑稽に思ってたんじゃ……」

 

「あのー。蓬莱山、さん?」

 

 不穏な空気を感じ取ったのでストップをかける。顰める事を知らない筈の少女の眉間に、少しだけ皺が寄っていた。

 穏やかな雰囲気が一転した事もあり、その落差に俺は少々恐怖心を感じている。ワナワナと震え出したりなんかして、急にどうした。

 

 彼女の方も自身のよろしくない変化に気付いたらしく、閉眼してふうと深呼吸をする。

 そうして目を見開くと、真剣な眼差しでこちらを見据えてきた。

 

 

 

「──輝夜よ」

 

 

 

「はい?」

 

「今から、私のことは輝夜と呼びなさい。呼び捨てでね」

 

 一瞬何を言われているのか理解が遅れた。しかしゴゴゴ、と背景に浮かんできそうな程の剣幕に圧され、コクコクと首を縦に振る。

 

「わ、分かりました。輝夜──さん」

 

「……呼び捨てで構わないと言ったのが聞こえなかったのかしら? それと、その敬語も止めなさい。」

 

 にっこり笑って訂正を求めてくる黒髪美少女。

 

 いや、スゲー怖いなあ!

 

 全然怒ってないですよ、という表情が余計に怖い。これが漫画やアニメだったら、赤い()()()が四つ頭に付いていただろう。それくらいの絶大な圧を肌で感じた。

 

「りょ、了解。輝夜」

 

「そう、その意気よ。私の友人となるのだから、そのくらい出来て当然よね」

 

「……んん? 友人? ナンデ?」

 

「貴方、妹紅とお友達なのでしょう。なら、私ともお友達にならないと不公平だとは思わない? それにアイツに出来て私は無理でしたなんて話、当然あってはならないというのは判るわよね?」

 

「???」

 

 理路整然とした口調で話すものだから、一瞬理解出来ない俺が悪いのかと思ってしまった。

 

 いや、再び冷静になって考え直してみても、どういうロジックで話しているのかさっぱり分からない。

 

 が、悲しき哉。一度こういう流れに乗ると下手に逆らっては絶対に碌な目に合わないんだよなぁ──と経験と本能が囁いている。

 

 彼女の言うことに、唯々諾々(いいだくだく)と従う事にした。

 

「アッハイ、そうですね」

 

「うん? 何か不満げね。ほら、もう私たちは友達なのだから、遠慮せずその思いの丈を打ち明けてみなさいよ」

 

 『もう友達』という言葉を聞いた時点で、自然と乾いた笑いが込み上げていた。彼女の中では、既にそういう事になっているらしい。……いやなんで?

 

「不満だなんてそんなそんな、新しく友人ができて嬉しいくらいですよ。わー、うれしいなあ」

 

「ふふ、そうよねー。私もそう思うわ。これはもう親友と言い表しても良いのではないかしら? 少なくとも、妹紅よりは断然上ね。妹紅よりは」

 

 ええ、この人、なんか距離感がおかしいよ……

 

 まるで新しいオモチャを手に入れて、はっちゃけている子供のような印象を受けた。

 それか、今の今まで友達づくりが成功したことのない人みたいな反応っぷりだ。

 

 

 

 

 

 どうして妹紅と張り合っているのかという疑問は、今日妹紅の服装がぼろぼろになっていた事や、彼女の口から飛び出した『決闘』という言葉から、なんとなく察することが出来た。

 

 何が原因で二人の間にいざこざが起こっているのかは、よく分からない。帝に送った筈の蓬莱の薬を何故か妹紅が手に入れているらしいから、その辺が何かしら深く関係しているのかもしれない。

 

 しかしながら、野良妖怪なら一撃で屠る妹紅と決闘出来るとは。

 

 目の前のお姫様も箸より重い物を持ったことがありませんという顔をしておいて、案外武闘派だったりする可能性があるのかも。

 少なくとも、竹取物語の奈良時代には既に存命していたのだから、年齢は凄いことになっているのは間違いない。

 

……となると、妹紅もそれくらいの年齢という事になるのか?

 

 ちょっと女性の年齢について勘繰るのに恐ろしさを感じたので、蓬莱山さ──輝夜との会話に集中することにする。

 

 

 

 

 

「人里で月の展覧会を開きましょうって永琳に頼んでも、『姫様はその様子を見に行ったら駄目』って言うのよ。酷いと思わない? 私の退屈しのぎの為の提案なのに、それだと何も意義がないわ」

 

「まあ、確かにひどい話なのかもしれないな? ずっと家の中ってのは段々気が滅入ってくるからなー」

 

「でしょう? お忍びで人間の里に行こうとしても、鈴仙やてゐに全力で止められちゃってね。だから憂さ晴らしといったら妹紅との決闘ぐらいしか私にはなかったのよ。なのに最近の妹紅といったら……」

 

 

 

 

 

 最初は、輝夜の事を絶世の美少女であると表現したが、それ自体は何も間違っていない。

 

 ただ、妹紅と同じく、ある種の残念感を感じ取った事をここに独白しておく。

 きっと、彼女と妹紅は何処か似ているなぁなんて言ったら、物凄い表情で睨まれるに相違ない。

 

 怒らせた女性ほど手に負えない者は存在しない。

 

 ただひとまずは、絶世の美少女と二人きりで楽しくお喋り出来るという奇跡を噛み締めながら、神様や仏様に感謝するべきなのだろう。

 

 友人として扱ってくれるのは、もしかすると破格の対応なのかもしれないし。

 ありがたやーありがたやー。

 

 

 

 

 

 永遠亭には仕事をしにやって来たというのに、彼女との会話は非常に切り上げ難い。

 

 因幡てゐが再びこの場所に戻ってくるまで、二人で話に花を咲かせる。

 

 彼女との関わりは、きっと依頼の報酬よりもずっと得難いものなのだろう。

 

 そんな確信が、輝夜の笑顔を見ていて芽生えていた。

 

 




 
 感想、評価、誤字報告 誠に有難う御座います

 その誤字についてなんですが、多分もう誤字脱字しないのは無理なのかなーって諦めの境地に達してきました 憎っくきコイツらとは共生の道を歩むしかなさそうです
 人には多少の字の表記揺れを見ても勝手に脳内で修正してくれる機能があるという話を身にしみて実感する今日この頃
 
 今後このようなケアレスミスを見ても『ハハハ、こやつめ』と寛大な心で許しておくれ(なるべく訂正はしたいので報告の方もお願いします)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

神算鬼謀の薬師

 オリ主以外の視点を出すと本文が長めになってしまうのだとやっと気付きました(白痴)



 

 

 因幡てゐの案内の元、永遠亭の長い廊下を歩く。

 

 

 蓬ら──いや、輝夜との別れは何故か劇的なものとなっていた。

 

『そんな…! まだまだ話し足りないのに…!』

『くっ…もう時間切れなのか…!』

 

 涙ながらに別離を惜しむかぐや姫に、少女との会話を切り上げ難く思う青年。

 ハンカチ無しではいられない感動的なシーンだったと思うのだが、生憎そう認識していたのは俺と輝夜の二人だけらしく、迎えに来たウサギ耳の少女からは随分と白けた目を向けられてしまった。

 

 

 

 

 

『また来なさい。特に、妹紅に会いに行く日は必ず私のところに顔を出しなさいよね。だって、友達でしょう? 私たち』

 

 最後に、そんなことを言われていた。

 

 まるで俺という存在に執着しているような言い草なのだが、絶対にそうではないと断言できる。

 そりゃあ少しは気にかけてもらえていると嬉しいのだが、どうやらその比重はこちらよりも妹紅の方へと大きく傾いてる様子だった。

 話していて気付いたことがある。それは、輝夜は妹紅に対して並々ならぬ対抗心を持っているという事実だ。

 

 俺が妹紅を褒めそやすような発言をすると、決まって不機嫌な顔になってしまう。

 時々“決闘”をしているというので、それとなく察するべきだったのかもしれない。

 

 

 

 兎も角、約束──というには些か一方的に過ぎる輝夜からの要求であったが、是非とも叶えてあげたい所存だ。

 

 傾国の美少女とお話出来るというのは、世の男たちの悲願の一つだと言ってもいいだろう。

 実際には、輝夜相手にデレデレしてしまうのはきっとこの世で俺一人だけなのだろうから、なんともまあうまいこと巡り合えたのものだ。

 

 この縁は、大切にするべきだろう。

 

 当然、人との縁が肝要というのは彼女に対してだけではなく、この幻想郷で出会った全ての者たちに対してもそう言える。

 幻想郷から去る日までに俺がここで体験した物事は、きっと素晴らしいものになる筈だ。

 

 

 

 

 

「それにしても、うちの姫様を見て何ともないどころか仲良くなってるだなんて、ビックリしたよ。あんた、平凡な(なり)して何者なのさ?」

 

「何者って。なんて事の無いしがない運送屋ですよ、本当に」

 

「ええ〜、ホントかねえ。ちょっと疑わしいねえ」

 

「本当ですって」

 

 道すがら謙遜して話すこの声が、どこか空々しく響いてしまっているのは気のせいだろうか。

 一部の価値観が狂っていて、よく分からない能力を持っていて、霊力を扱えて、空を飛べて、ついでに何も無い所で火を起こす事ができる。

 

 そう箇条書きしてみると、なんだか自分が超人になったような気分になるが。

 けれど、やっぱり俺は凡人なのだろう。

 

 外の世界基準だったら十分特異な存在だと言えたのだろうが、ここはそんな特異な存在が当たり前のように幅を効かせている幻想郷だ。

 能力も、霊力も、ここではそう珍しいものではない。

 

 なんなら幻想入りした初っ端から、死にかけたまであるのだ。

 

 『自身の力で何でも出来る』なんて思い上がりは、きっと将来、厄介な災難を招いてしまうだろう。そして、しっかりと痛い目を見るに違いない。

 

 そう自分に聞き飽きるくらいに言い聞かせていないと、不意に野良妖怪にでもうっかり食われて命を落としてしまいそうだ。

 そのくらい、俺という存在はこの世界では矮小なものなのだ。分相応に、身の丈にあった生き方を心がけてゆこうと常々思っている。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 

「私からある程度、お師匠にはあんたの事情を伝えておいたからねー」

 

「そっか、ありがとうございます。てゐさん」

 

「──『てゐさん』って、妙にむず痒いわね……ふふん。ま、精々頑張るんだね、若者よ」

 

 お目当ての薬師さんが居るという一室の前で、ここまで案内してくれたウサギ耳の少女と別れる。

 

 スキップしながら進んで行く彼女の姿は、なんだか本当に無邪気に飛び跳ねるウサギのようであった。

 

 自然と微笑ましい気分になりながら、部屋の襖を開ける。道中長くなってしまったが、やっとのこと依頼を果たせそうである。

 

 

 

 

 

 診察室。

 

 目の前に広がる光景を見て、そんな言葉が脳裏に浮かび上がった。幻想郷にやって来て、これほど洋風というか、現代風の部屋を見たのは初めてだ。

 

 少しだけ、外の世界に居たころを思い出して郷愁の念に駆られる。

 

 どこからか仄かに漂う薬品特有の匂い。清潔そうな真っ白なシーツの広がったベッド。硝子張りの棚にはカラフルな瓶が敷き詰められていて、正に薬品棚というイメージ通りの様相をしている。

 

 そして、たったの一つだけ置かれたスツールには一人の女性が腰掛けており、その黄金の瞳は興味深そうな視線をこちらに投げかけていた。

 

 三つ編みの長い銀髪と、非常に理性的な印象を受ける端正な面立ち。赤と青のツートーンで配色された変わったデザインの服装。

 頭に乗っかっている、これまた赤青の被り物は、少し観察してやっとそれがナース帽子なのだと気付く事が出来た。

 

 彼女が、“八意(やごころ) 永琳(えいりん)”。

 

 名前は、輝夜から聞いていた。

 向こうも、てゐさんから聞いている筈だ。

 

 

 

「貴方がここの薬を求めてやって来たという人間ね」

 

「はい、人里で何でも屋をしている藤宮といいます」

 

 輝夜とはまた違ったタイプの美人さんだからか、なんだか緊張してしまう──というよりも、自然と気が引き締まるというべきか。

 

 こちらは商談に来たようなものなのだ、背筋を伸ばして彼女の目を見つめ返して応える。

 まず最初に、こちらの誠実さをアピールしないことには客商売というのは成り立たない。

 もし信用の置けない人物だと判断されたら、ここの薬を融通してもらえなくなる可能性が上がってしまう。ここまで来ておいて、それだけは何としてでも避けたいところだ。

 

 さて、どう話を切り出したものかと唇を湿らせる。

 すると、その機先を制するかのように薬師さんが先に口を開いた。

 

「単刀直入に行きましょう。永遠亭は其方の要求を飲みます。此方で適当に見繕った薬剤を葛籠に入れておきましたから、それを持っていくと良いでしょう。薬代は不要です」

 

 そう言って、チラリと部屋の隅の方に視線を送る。

 

 彼女の視線の先を辿ってみると、部屋の隅にある大きな葛籠を発見した。

 相当な量、少なくとも俺に依頼した人たちに届ける分の薬は十分に入っていることだろう。

 ということは、あれを回収して人里に戻れば、無事依頼を達成できる。

 

……あっという間に用件が片付いてしまった。

 

 いや、手間がかからなくて助かるのだけど。

 

 

 

 

 

 あまりにとんとん拍子に事が上手く進むものだから、疑念が湧いてくる。

 俺は、自分が物事を疑りやすい性分だとは思っていない。

 しかしながら、今回ばかりはつい疑ってしまっても仕方ないだろう。薬代が要らないとは、話がうま過ぎやしないか?

 

「ええっと、八意さん。自分からお願いしておきながら何ですが、本当にいいんですか? 料金はある程度用意してきたのですが──」

 

「先程の通り、お代は結構よ。……その代わりと言っては何ですが、引き続き姫の話し相手になってもらえないかしら? それで手打ちとしましょう」

 

 そこで、彼女の表情が緩やかになったように見えた。

 

「輝夜の話し相手、ですか? それくらいなら全然構いませんが……」

 

「なら、決まりね」

 

 既にそういう約束を、輝夜とは交わしている。実質的にただ同然で手に入ったようなものだ。

 

 ちょっとお得な気分。でもやっぱり、不信感は拭えない。

 

 輝夜と親しくする、という事には彼女にとってそれほどの価値があるということなのだろう、と推測することもできるのだが……

 

 商談があまりにもすんなり上手くいったせいか、どうにも、違和感があるような。ってかそうだ、俺が輝夜の話し相手になったのはついさっきの出来事だ。何で八意さんはその事を知っているんだ…?

 いや、きっと因幡てゐが事前に大体の話をつけてくれていたんだろう。

 

 

 

 

 

 しっかりと葛籠の中に薬が大量に入っていることを確認して、ヨイショと背負う。大した重さではない。

 背負い心地を確かめていると、八意さんはふと思いついたように声をかけてきた。

 

「貴方、確か何でも屋って言ってたわよね?」

 

「え? ああはい」

 

「実は私、趣味で色々と新薬を開発していてね。良かったらそれの治験に付き合ってもらえないかしら」

 

「治験、ですか?」

 

 または臨床試験ともいうあれ。外の世界では薬を販売するのに必須となるプロセスだ。

 彼女は、俺を何でも屋と見込んで依頼をしているのか。

 

「ええ、協力してくれる子が少なくて困ってるのよ。引き受けてくれたら礼は弾むわよ?」

 

 なんだかギラリと目が鋭く光っていたように見えたのは錯覚か。

 

 お金かあ。

 

 丁度、俺は割とそれを切望している状況にある。まあ常時欲しがってはいるんだけどね、お金。多すぎて困るもんでは無いのだし。

 住み良い場所にお引っ越しようと目論んでいるので、ここ数日は特にその分の資金を手に入れたいと考えていたのだ。

 

 どうしようかな。

 

 被験体と言い表すとちょっと悪いイメージがあるが、医学の進歩に役立てるのだと考えると名誉なことなんじゃないかと思えてくる。まあ、それが俺である必然性は欠片もないのだが。

 

 うーむ。

 

「姫様に会うついでに、私の方にも顔を出していくつか新薬を飲んでもらうだけでいいの。ね、簡単でしょう?」

 

 悩んでいるのを見てあと一押しだと思ったのか、八意さんはそんな事を言う。

 つい先日変なテンションになって他所様の店内で演説をぶちかましてしまった経験上、正直副作用とか怖いのだが……結局引っ越し代を稼ぎたいのに変わりはない。薬の効果は確かだったのだし、身体の健康を重視するのであれば、むしろ進んで引き受けたいくらいまであるかもしれない。

 

 まあ、お金、大事だしね……

 

 なんだか報酬に目が眩んで無鉄砲になっていた、幻想入りして間もなく頃に巻き戻ってしまったみたいだが仕方ない。引き受けるとするか。別に金に惹かれた訳なのではない。本当に本当だ。

 

 でも、定期的に収入を得られると考えるとなあ。

 

 金銭欲に塗れたこの思考をあそこの住職さんが見たら、いい笑顔で怒り出すだろうなあ、とボンヤリ思いながら結論を下す。

 

 

 

 

 

 彼女は、俺の返答を聞いて嬉しそうに微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 その笑みは本物の、心からの笑顔であった。

 

 ただし、その方向性は俺が想像していたのと全く正反対のものであったと気が付いたのは、八意さん──いやさ、八意先生の治験に初めて付き合ったとき。

 

 笑いが止まらなくなったり、急に爪の伸びが激しくなったり、麻酔のように気を失う等、苦しいとまでは言わないが新薬の副作用によって中々スゴイ体験をするハメになった。

 

 マッドサイエンティスト。

 

 症状を興味深そうに観察しては熱心にカルテに書き込む先生の姿を見ていると、そんな言葉がしっくりくる。

 

 心の中で密かに彼女の事をそうカテゴライズしているのは、責められるべきことではないと声高だかに主張したい。

 治験協力者の体調の心配よりもその症例への興味を優先するのは、控えめに言って医師としてヤバいと思う。

 

 本人曰く『大事にならないと分かっているから大丈夫よ』との事らしいのだが、少しは被験体の身を案じてくれてもいいのではなかろうか。

 

 『これは未知の反応だわ…!』じゃないんですよ。どうしてそんなに嬉しそうにする必要があるんですか?

 

 あの人は、医師や薬師などの医療従事者というよりかは研究者という一面を強く持っているように思える。

 実験用モルモットみたいな扱いのされ方には、抗議の声を上げてもいいのかもしれない。

 

 しかし、治験に参加するというのは非常に割りの良い依頼だというのもまた事実。通うたびに懐が瑞々しく潤っていく。

 加えて、終わった頃には体調がすこぶる快調になるので、いつしか俺は治験を辞退するのは勿体ないなぁと考えるようになっていた。

 札束で頬で殴られると人はかくも脆弱なのだと身をもって思い知らされた。悔しい、でも通っちゃう。えっ配合の比率を見直したいから暫くは治験に協力しなくても大丈夫? そんなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 持ち帰った全ての永遠亭の薬を依頼人たちに配って回り、彼らから依頼の報酬を回収していく。

 一度にこれほどの謝礼を獲得できるとは嬉しいものだ。

……実は、二割ばかし薬を取っておいて、後でお高めな価格設定で売り捌こうじゃあないかと心の悪魔が囁いていた。

 だが結局やめておいた。それは自分の良心と、とある考えに従って我慢することに決めた結果だ。

 

 

 

 外の世界と比較してSNSなどが存在しないので『ここの情報伝達速度は現代社会のそれよりも圧倒的に遅いのでは?』と勘違いし易いが、幻想郷、特に人間の里には“噂”という最強の伝達手段が存在する。

 

 『藤見屋が足元見やがった』とでも一度悪評が立ち広がってしまえば、それを撤回させるのはかなりの困難を極める。

 

 そもそも、俺に薬の調達について多くの依頼が舞い込んだのは、自分が薄紫の薬売りの噂を広めた張本人であるからなのだ。

 不本意の行動だったとはいえ、しかしてあの演説が意図しての行動ではないと把握しているのは自分一人しかいない。

 ただでさえそれでまとまった報酬を得ているというのに、それに追加で薬を高値で売り始めたら、いよいよ変に勘繰られて噂される可能性は高くなってくる。

 

 他人からだと、俺がマッチポンプして利益を(むさぼ)っているようにしか見えないだろう。

 

 実を言うと、永遠亭の薬についての演説をした次の日の時点で、『売り上げが減ってしまった』と人里の薬屋さんから睨まれてしまっているのだ。

 まさか恨みを買っただなんてことはないだろうが、火に油を注ぐような真似はしたくない。

 仮にそれを実行した結果、俺が村八分されて生活に苦労することになるという可能性を確信をもって否定できない。

 

 人里において。

 黒い噂、悪評とは、それほど恐ろしく厄介なものなのである。

 

 

 

 

 

 八意先生はそんな悪い噂について長らく憂慮していたそうで、今回の俺の働きによってその払拭に希望を持てるようになったのだと後で褒めてくれた。

 とはいっても、永遠亭にまつわる悪評は少なくとも薬の効果については無辜(むこ)であったので、いずれはその効能の高さは広く知られるようになっていたのではなかろうか。

 

 俺は、そのきっかけをたまたま偶然提供できただけに過ぎないのだ。

 

 別に大した手柄ではない──そう意見すると、八意先生は全く同意する素振りも無く苦笑するだけであった。

 解せぬ。

 

 

 

 薄紫の薬売り──鈴仙についての評判も、『得体の知れないブツを売りつけてくる不審者』から『効き目が確かな薬を取り扱っている不審者』にランクアップしていた。

 

 人里だと相も変わらず目深に編み笠を被っているので、不審者扱いに変化はない。

 だが、彼女という存在が一歩ずつ彼らに受け入れられ始めているのは見間違いようの無い事実である。

 

 それを祝ってのことではないが、同じく客商売をする身としてのシンパシーを感じて、つい応援したくなってしまう。

 前に永遠亭で顔を合わせた際、その機会があったのだが、

 

『編み笠で頭部全部を隠さなくてもいいと思うんだけどなぁ、ウサギ耳の持つ魅力はみんな感じ取れる筈だし。それと個人的には、行者姿じゃなくて今着てる制服姿の方が可愛いと思うんだけど……』

 

 なんて褒めそやしてみると一発額に弾丸をお見舞いされた。

 

 照れ隠しにしては殺意が高かった。

 顔を褒めることが出来ぬのならウサギ耳や服装ならどうかと試したのだが、見事に失敗した。

 

 というか、応援するのに態度や精神面ではなく外面を褒めようとした時点で、どこかズレていた気もする。言ってる最中、無意識にちょっといやらしい目線になっていたのかもしれない。

 

 以降、鈴仙と顔を合わせると露骨に警戒されるようになった。

 ちょっと解せる。

 

 

 

『永遠亭に巣食う化け物』こと輝夜は、まあ、何というべきか。

 あの幻想郷基準でも飛び抜けた美しさ(醜さ)を受け入れる度量が、人里にあるのかどうかは正直分からない。

 

 分かるようになる日も、ともすれば永遠に来ないのかもしれない。

 

 というのも彼女、永遠亭の方々と妹紅が居ればそれでいいと思っている節があるからだ。

 俺がその他の、例えば博麗神社や命蓮寺での出来事などを話してみても、興味を持っているかそうでないのかさっぱりだ。

 

 ただ、じいっとこちらに視線を向けるのみ。

 

 そういう時に限って扇子で口元を隠すものだから、今の話題がウケてるのかどうか分からなくて困ってしまう。

 

 妹紅を引き合いに出すと非常に分かり易い反応をしてくれるのだが、やり過ぎると拗ねてしまうので諸刃の剣だった。

 

 次第に、かぐや姫のお眼鏡に叶う話題は何だろうかと悩まされるようになっていた。

 

 そんな苦慮を俺がしていると彼女が知っても、それ込みで楽しみそうだなぁと思ってしまう自分がいる。

 輝夜はそういうサドっ気が少々ありそう。勝手な想像だが、度々顔を合わせるようになるうちに、そんな予感がひしひしと芽吹いているのだ。

 

 

 

 

 

 輝夜とお喋りして、八意先生の治験に協力して、偶にてゐさんの仕掛けた罠に引っかかって、人里で行者姿の鈴仙を見かけたら軽く挨拶する。

 

 永遠亭に時折顔を出すようになった時点で、こうなることは確定していたのかもしれない。

 

 かくして、俺の“幻想郷に暮らす上でやるべきことリスト”の中に『永遠亭を訪れる』という項目が新たに加わったのであった。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 定位置に腰を下ろして『藤宮慎人』と題しておいた診療録(カルテ)を手に取り、そこにずらりと記されている症例を改めて読み直す。

 尤も、その内容はとっくに暗記済みなので、本当に何となく手に取ってみただけだった。

 

 

 

 そのまま、長らく停滞していた永遠亭に”変化”をもたらしたあの青年について回想する。

 

 

 

 彼がやって来たことで、永遠亭に漂っていた何処か閉鎖的な空気感がすっかり打ち払われていた。

 輝夜は彼の来訪を心待ちにしているみたいだし、てゐは悪戯の標的が一人増えて嬉しそうにしている。

 他人に対して普段は警戒心の強い鈴仙も、彼には心を開きかけていた。

 何かあったのか少しするとまた元に戻っていたけれど、不思議と悪い傾向のようには見えない。

 睨みを効かせる鈴仙に、困った表情で話しかける彼。

 なんだか微笑ましい光景だった。

 

 人間の里で囁かれていた永遠亭についての悪評も、撤回できそうな流れができつつあるらしい。

 

 それもこれも、彼が此処にやってきてくれたお陰。

 

 当の本人は、そんな『切っ掛けを作る』という事がどれほど困難な取り組みなのか気付いていないようで、感謝するときょとんとした顔をしていたけれど。

 

 

 

 “異変”以降、『永遠亭は幻想郷と友好的に関わるつもりである』と対外的に方針を示した手前、各勢力との軋轢は可能な限り避けなければならなかった。

 そうでなくても、永遠亭は幻想郷において部外者の立場にある。人間社会にも妖怪社会にも属さぬ勢力にとって、孤立とはあまりにも望ましくない状態であった。

 

 なのに、一体誰があの悪評を無責任に流したのやら。

 

 それを特定するにはもはや手遅れなほどに噂は人間の里に広まっていて、その対処をどうするべきか悩んでいた。てゐに相談したこともある。

 

 結局どうしても迂遠な手段しか取れず、相当な時間、手をこまねいていた。

 鈴仙発案の『永遠亭の薬で地道に評判を上げる』という作戦も、なかなか軌道に乗らない日々が続いていた。

 

 でも、そうこうしているうちに、あの青年が薬の効果の高さを人里で流布していたようだった。

 

 それについて一番驚いたのは、現地で売り子をしていた鈴仙でしょう。前回までは歓迎されていなかったのに、突然薬が飛ぶように売れるようになっていたのだから。

 

 

 

 今や供給が追いつかなくなっているほど流行しているらしく、得意げに自慢する鈴仙の姿は記憶に新しい。

 

『ウドンゲ、薬が十分に行き渡っていないのは、本来なら望ましい事態ではないわよね? 一々言わなくても貴女は判っているでしょうけど』

 

『う、お師匠様。でも、嬉しいものは嬉しいじゃないですか〜』

 

 あの時は余りの浮かれようについつい(たしな)めてしまったけれど、今回ばかりは手放しにあの子を褒めてあげても良かったかもしれない。

 本当に治療薬を欲している者に薬剤が手に渡らないことになる可能性は看過し難いけれど、彼は運送屋もやっているというし、その時はあてにしても良いでしょう。

 

 これで、人間の里には永遠亭と付き合うメリットが存在する事を公然と提示することができた。

 

 一度でも広く認知されたのなら、これでもう大丈夫。鮮烈に評判をひっくり返した様子は、人々の記憶に強く刻まれる筈。それも、薬の服用という実体験も伴うのなら尚更だった。

 

 

 

 本当に、彼には感謝している。

 まさしく、事前に期待していた通りの働きを見せてくれた。

 

 

 

 かくいう私も、彼とは今後とも友好的に接していきたいと思っている。

 

 まず、私個人として、彼には非常に興味がそそられた。

 月の都でも忌み嫌われていた輝夜を見ても、その表情からは毛程も否定的な要素を見出すことができなかった。

 私の顔の形状も、それなりに見苦しいものであると自覚しているけれど、彼は同様に全く気に留めていない様子だった。

 

 

 

 それどころか、私たちの容貌を快いと感じているようだと推察することができてしまった。

 

 その時は、幻想郷中で指名手配されている天邪鬼のような(たぐい)なのかと疑った。

 けれど、採血して分析した結果、彼はごく一般的な人間であると確認が取れている。

 

 となると、彼は所謂“不細工な容姿を好む癖の持ち主”なのかしら?

 

 圧倒的少数派ではあるが、世の中にはそういう人間が男女問わず存在している。彼はそれに当て嵌まる人物ではないかと、その可能性を検討した。

 しかしそれだと、うちの姫様を見ても全く気を害さないことに説明がつかない。

 輝夜には悪いけれど、純然たる事実として、彼女の芸術的とすら形容できる“醜さ”は、そういう性癖すらも無効化する。

 彼女の前では、人であろうと妖であろうと神であろうと関係ない。

 

 

 

──それが、世の摂理なのだから。

 

 

 

 だからこそ、それを意に介さない様子の彼に対して、知的好奇心が駆られる。

 本当に、本当に久しぶりに、未知の現象というモノに出会うことができたから。

 

……彼の目には、私の姿はどう映っているのかしら?

 

 あの青年を目の前にすると、月の賢者として好奇心を気ままに満たしていたあの頃を思い出して、ついつい身体が疼いてしまう。

 

 折を見て、内緒で彼の脳を解剖しても良いかもしれない。何か未知の物質が詰まっているのかも?

 

 

 

 

 

 そうそう、彼は新しく開発した薬のお試しを率先してやってくれる。これも有難い事だった。

 

 前は鈴仙によく“協力”してもらっていたけれど、いつしか色良い返事を聞かなくなっていた。

 実験不足で少々の欲求不満を感じていたところにやって来てくれて、進んで治験に協力してくれる彼の存在は、飽くなき欲求をぶつける相手として純粋に有り難みを感じている。

 

……実は、彼に試してもらった新薬のうち、()()()()過激なものを複数紛れ込ませていた。

 

 具体的には、記憶を失わずに永遠に保持出来るようになる薬や、霊力や魔力を人の範疇に留まらない程極限にまでブーストさせる薬など。

 

 それらの新薬を投与した結果、症状の程度が極端に抑えられるか、全く効果を発揮しないかの二つに分類することが出来た。

 これもまた、彼の特異な特徴と言い表しても良い。

 

 

 

 

 

 とは言っても、その原因は判っている。

 

──『常識に囚われる程度の能力』が、新薬の極端な症状を抑制又は無毒化している。

 

 そう考えるのが妥当であると、早々に結論づけていた。

 『何故、私や輝夜を見ても嫌悪の感情を抱かないのか?』

 その疑問に比べたら、なんてことない単純な帰結。

 

 

 

 

 

 それこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、それについてだけは何の意外性もなかった。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 永遠亭の薬師は、ふうと息をついて読み返していた診療録を閉じる。

 

 彼女は、所狭しと敷き詰められた書類の中にそれを戻す前に、何となく指でなぞって今後彼の辿るであろう“末路”を案じていた。

 

「……本当に、御免なさい」

 

 誰に向けることもなく、そう呟くと。キィ、と腰掛けていた椅子の音を鳴らして、彼女は立ち上がる。

 

 彼女は、水面下で推し進められていたとある計画がいよいよ本格的に始動したのだと、その明晰な頭脳を以って感じ取っていた。

 もうとっくに、主と仰いでいる姫からの許可は頂いている。

 さらに、もう戻れないところまで”事”は進んでしまっていた。

 

──損な役回りを演じることになってしまったわね。

 

 内心、そんな事を愚痴る。それは紛れもない本音であった。しかし彼女は否応も無しに、それを成し遂げる下手人になければならないという立場に置かれていた。

 

 八意永琳は前へと進む。

 

 彼女を突き動かす原動力は何なのか、現時点では不明である。

 ただ、その金色の瞳には一点の曇りもなく、その足取りも迷いは一切存在しなかった。

 




 
 推定数十億歳ともいわれるえーりんの代名詞に、“少女”という単語を使用することに大いなる心理的抵抗を感じたので使っておりません BBAとかそんな次元じゃないでしょ



『は? えーりんは何歳だろうと永遠の少女なんだが?』と反論してくれても構いません そんな愛に溢れた勇士に一つだけ言葉を送ります

 おまえがナンバーワンだ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章 竹藪焼けた 誰そ彼に
巫女と星の魔法使いとの非日常的な日常


 目を通していて『これは読み方パッと分からんやろなー』というような漢字にはルビを振っております

 何とこれで作者の大体の国語力が測れちまうんだ



 

 

 空前の永遠亭の薬ブームが一旦の落ち着きを見せ、しかし着実に信用を得られるようになり、置き薬の定番として人間の里に定着してきた今日この頃。

 

 相も変わらず俺は博麗神社に通い詰めて、なんとか大結界の穴から外の世界に戻れないものかと頻繁に試行を繰り返していた。

 

 

 

 

 

 ここは、鳥居を潜った先の不思議空間。

 

 そこをしばらく歩いていると、いつもの如く『常識と非常識の境界』に身体を引っ張られて、抵抗虚しく幻想郷へと引き摺られ戻っていってしまう。

 最早お馴染みといった感触だった。「あ〜れ〜」と叫んでその残響の余韻を楽しむ程度には、俺はすっかりこの現象に慣れてしまっていた。

 

 

 

 

 

 目を開けると、『知ってた』という顔で俺を迎える紅白巫女の姿があった。

 

「お帰りなさい、藤宮さん」

 

「おう、ただいま戻りましたよっと」

 

 いつの間にかお決まりとなっていたこのやりとりも、一体何度目のことだろうか。

 通算何回目の挑戦か十回目までは数えていたのだが、それ以上は面倒になって計上するのをやめてしまっていた。

 もはや博麗大結界を越えられなかったことに関しては、全くと言っていいほどにショックを受けていない。

 一度たりとも、八雲紫から『貴方は完璧に幻想側に寄りましたよ』とお知らせが来ていないのだから当然のことなのかもしれないが、それでも故郷に帰りたくて試してみたくなるのが人心というものであろう。

 

 ちなみに、霊夢に頼み込んで度々博麗大結界に穴をブチ開けてもらっているのは、完全なる俺の我儘からである。

 ワンチャン何かの拍子で外に帰れないかなーという運試し感覚でやっているのだが、現状、巫女さんからもスキマ妖怪からも苦情が来ていないので多分問題はないのだろう。

 霊夢に限れば、お土産とお賽銭で黙殺させているだけなのでは? と客観的な自分の指摘する声が聞こえてこない事も無いが、当の本人はさして気にしていなさそうだからこれもまた問題ない筈だ。

 

 

 

 今日の博麗神社には、俺と霊夢以外にも人の姿があった。

 

 

 

 そもそも、普段から博麗神社に居るのは霊夢一人だけという訳ではない。

 偶にお椀を被った小人がやって来る事もあるし、博麗神社の頼もしい(又は可愛らしい)門番である狛犬の少女は今も入り口で外を見張っている筈だ。

 床下に居住スペースを作った妖精がいると聞いたこともある。

 

 人も妖も関係無い。『参拝客の来ないうらびれた神社で一人寂しく貧乏生活を送っているのだ』という初めて会った時に抱いていた勝手なイメージとは対照的に、この巫女さんは、意外と他者との縁というものに随分と恵まれているようだった。

 

 

 

 縁側に腰をかけながら、俺と霊夢のやりとりを『面白いものを見た』という表情で眺めている白黒の魔法使いも、その内の一人。

 

「またダメだったなー。藤宮、ドンマイだぜ」

 

 そんな男勝りな口調で声をかけてくる少女の名前は、“霧雨(きりさめ) 魔理沙(まりさ)”という。

 

 多分、霊夢と殆ど同じ年齢だろう。

 ウェーブのかかった金髪に、活発そうな印象を受ける表情豊かな振る舞い。

 白いリボンの付いた黒地のつばの広いとんがり帽を被っていて、黒い服に白いエプロン姿という如何にも魔女らしい服装。

 ここにやって来たときに跨っていた箒を柱に丁寧に立てかけているあたり、ちょっとした育ちの良さが見え隠れしている。

 

 そして俺は彼女が付き合い易い、気の良い奴だという事を知っていた。

 

 

 

 

 

『誰だお前。──いや、言わなくていい。この妖怪神社にお賽銭を投げている時点で、お前の正体は丸っとお見通しだぜ』

 

『…ええっと、どちら様でしょうか?』

 

『ふっふっふ、私は霧雨魔理沙。巷では天才魔法少女とも呼ばれている(大嘘)。この名をその胸にしかと刻んでくれてもいいんだぜ? 異変の黒幕さんよぉ!』

 

『ん? 霧雨って確か、てか何を持って──』

 

『恋符! マスタースパーク!』

 

『え、ちょ待、ぬわーーーーっっ!!』

 

 大雑把であるが、彼女との初邂逅は大体こんな感じだった。

 博麗神社を参拝していると、突然空から流れ星のように降って来て、その数秒後には何を思ったのか突如として攻撃してきたのである。

 咄嗟に横へひとっ飛びして何とか奇跡的に直撃は免れたのだが、その際に背中に括り付けていた風呂敷包みが犠牲になってしまった。

 

『あ、霊夢へのお土産が』

 

 そう口に出すとほぼ同時に、視界の端にふらっと立ち上がる巫女の姿を確認する。

 彼女はそのまま天才魔法少女?へとゆっくりと歩みを進めながら、一言だけ発した。

 

『私のもん(折角の貢物)に、何してくれてんのよ!』

 

 わお、俺のことを指して『私のもん』だなんて随分と懐かれてしまったなぁ──などと盛大に勘違いしながら、片手にお祓い棒、もう片手には退魔の御札という臨戦態勢を取って魔理沙に襲いかかる巫女の姿を戦慄しながら眺めていた。

 

 その時の霊夢の浮かべる形相は、途轍も無く恐ろしいものであった。鬼巫女、なんて単語が思い浮かぶほどである。

 

 ある程度その荒ぶりようが沈静化してから白黒の少女に事情を聞いてみると、最近のやたらと羽振りの良い霊夢の様子から、何かしらの異変が起きているのではないか──と、彼女は以前から推理していたらしい。

 この神社に一般人の参拝客が来るなどまずあり得ないのだから、参拝する俺を見て『間違いない、アイツが黒幕だ!』と決めてかかったのだという。

 

 他人から見たこの神社の評価ってやっぱりそんなものなのか、とちょっぴり悲しみを覚えた。

 

……何というか、猪突猛進と言うべきか。

 

 きっと本質を突いている訳ではないと何処か悟りつつも。

 彼女に対して、俺はそういう理解を示した。

 

 その後、お互い酷い目に遭ったけどこれからは仲良くしようなという奇妙な口約束を交わし、現在では気軽に軽口を叩き合える仲までになっていた。

 一回りも年上な男性と相対しては多少なりとも物怖じしてもおかしくないと思うのだが、彼女にはまったくそういった様子は見受けられない。

 慣れているのか何なのか(これは霊夢にも言える事か)──ともあれ出会い方こそ最悪に近かったがそれでも現在良好な関係を築けているのは、ひとえに彼女の持つその明朗快活な性格のお陰なのだろう。

 

 

 

 

 

 

「というかなんだよ、今の熟年夫婦みたいなやり取りは。かなり親しいみたいだなー、ちょいと勘繰りたくなるなー」

 

 いつものように元気そうな様子で話しかけてきた少女に視線を向ける。

 その揶揄(からか)い成分たっぷりな言葉をどう受け流そうか思案して、結局別の話題を口にすることにした。

 少し看過できないものが目に入ってきたからだ。

 

「魔理沙、その手に持ってる煎餅は俺が霊夢に差し入れたやつだよな? いつ開封したの?」

 

 よくよく見ると、彼女の手には霊夢にあげた筈のお土産が握られていた。

 

 

 

 最近は藤見屋としてのお仕事や八意先生の治験協力のお陰で懐がとっても暖まっているので、少しだけお高めのものを持参品としてチョイスしていた。

 この煎餅は、『妖怪の山』にある『玄武の沢』で採れた海苔を使用しているらしい。

 前に依頼で『霧の湖』まで飛んで行ったことがあったが、確かその湖の水は玄武の沢から流れているのだとか。

 

 幻想郷の地理についての本を読むことで得られた知識だ。

 

 そういえば玄武の沢も、妖怪の山も、未だに足を運んだ事がない。もし俺のような戦闘力がゴミなやつでも身の安全が確保できるなら、いつかは行ってみたいものだ。

 結局、人間の里中心の活動に留まっているのが現状だ。まぁこればっかりは自分が非力な人間である事を恨むしかない。

 リスクを考慮しての妥当な結果だった。身の安全の確保に固執して、里に引き篭もっていないだけまだマシだと思っておこう。

 

 

 

 魔理沙はバリバリと煎餅を一枚食べ終えてから、やっとこちらの質問に答えた。

 

「いつ開封したかって、そりゃお前が鳥居入って戻るまでの間に決まってるだろ? ……ああ、私を責めるのならお門違いだぜ。なんせ開けようって言い出したのは霊夢なんだからな」

 

 そうなの? と霊夢に視線を向ける。

 

──その手には魔理沙と同じく一枚の煎餅があった。既に二口ぶんくらい欠けている。

 

 え、さっきからずっと持ってたの?

 全然気付かなかったんだけど。

 

 彼女はむっとした表情をして魔理沙の意見に反論する。

 

「何しれっと嘘ついてるのよ。最初に『もう待てないから食べちゃおう』って言い始めたのはあんたじゃない」

 

 それを受け、全くの心外だと憤慨した様子の魔理沙はその反論を真っ向から否定してみせる。

 

「いーや、違うね。確かに霊夢から言い出したんだ」

 

「いいえ、提案してきたのは魔理沙、あんたからよ」

 

「いやいや、絶対に言い始めたのは──」

 

 どちらが先にお土産に手を出したのかを巡って言い争いだした少女二人。

 俺としてはもう開封しちゃってるし食べられちゃっているしで、ぶっちゃけどっちでもいいんだけど。

 

 冷ややかな目で、ああだこうだ言い合う少女達を見つめる。生憎、彼女たちの間に割って入って仲裁しようと思ってはいない。

 薄情な奴だと思われそうではあるのだが、これには特に深くもない理由がある。

 

 下手打つと二人から集中砲火されてしまう可能性があるから、というのもあるのだが──

 

「判った、そこまで言うのなら“アレ”で白黒つけようじゃないか」

 

「上等よ。奥歯ガタガタ言わせてあげる」

 

 そこそこヒートアップしていた水掛け論争を不毛に感じてきたのか、少女二人はそう言って上空へと飛んで行った。

 

──ああやって、放っておいても勝手に決着がつくと分かっていたからである。

 

 てか霊夢のやつ、ちょっと口が悪くない?

 あれが素なのかな……女の子って怖い。

 

 

 

 

 

 博麗神社の縁側に座りながら、空を見上げて感嘆の声を漏らす。

 

 紅白巫女からは御札や針、陰陽玉。白黒の魔法使いからはレーザーやミサイルなど。その他にも色彩豊かな光弾や光線の数々が飛び交っていて、その激しさは青空を埋め尽くしそうなほどだ。

 

 

 弾幕ごっこ。または弾幕勝負。

 

 

 それが、ここでの揉め事に対するポピュラーな解決法なのだという。

 異変、というものを解決する際にもしばしば用いられているらしい。生憎とそれに立ち会ったことがないので、これは又聞きして得た情報である。

 

 うわー綺麗だなー、とポップコーンならぬ煎餅をつまみながら、弾幕ごっこの鑑賞と洒落込む。

 ふむ、結構美味いな、これ。

 

 勝利を収めるのはどちらなのか、その予想でも立てようかなと思って観戦していても、どっちが優勢なのか判断が難しい。というのも、弾幕に隠れて二人の様子がはっきりと見えないからである。

 仕方なく、次に姿を視認できた方を応援するかと考えていると、丁度弾幕のカーテンからひょいと抜け出した人影が一つあった。

 

──よし、彼女をこっそりと応援するとしよう。

 

 俺の視線の先には、箒に跨ってレーザーやら光弾やらをばら撒く白黒の魔法使いの姿があった。

 偶にミニ八卦炉という魔法道具から極太ビームが出るので、大変見栄えがよろしい。

 俺もあんなド派手な技を出せたらなー、とちょっとだけ嫉妬しながらも影ながら応援する。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 彼女、霧雨魔理沙は普段、『魔法の森』に霧雨魔法店という名の拠点を構えているらしい。蒐集癖が強く、そこらで拾ったマジックアイテムなんかをよく溜め込んでいるのだとか。

 

 魔法の森とは、多様なキノコが植生しているのが特徴の未開の森のことである。森の中の環境は劣悪であるらしい。何故なら、そこのキノコから噴出する胞子が蔓延していて大変危険であるからだ。そのせいで妖怪すらも立ち寄らないらしい。

 当然、俺も行ったことは一度もない。不用意に近づいてその胞子とやらを吸い込んで昏倒でもしたら洒落にならないからな、どう考えても。

 

 そんな危険地帯に住んでいるというだけで、彼女という存在は自分のような凡人とは一線を画しているのだと理解できる。

 

 以前『店といっても場所が場所なだけに来客など一切来ないんじゃないか』と言うと、本人によってムッとした様子で反論されてしまっていた。

 曰く、『魔法の森でお店を構えているのは私だけじゃないから』とのこと。

 

 結局客が来ていないこと自体は否定しないのか、と呆れつつ、人気のない場所で商いをするのはやはり幻想郷では珍しいことではないのだろうと認識を新たにした。

 

 妹紅とよく一緒に飲みに行く八目鰻の屋台とかも、その典型だろう。

 

 採算などを全く考慮せず、ただ『やりたいと思ったから』と気楽にお店を開くことができるというのは、外の世界の常識を未だに引き摺る俺からすると少しばかり羨ましい事のように思えた。

 

 

 

 初めて彼女の名を知った時から、個人的に質問してみたい事柄があった。

 彼女の姓があの“霧雨”であるからだ。

 

 そう、人間の里で経営している“霧雨”道具店と彼女の関係性がとても気になる。

 しかし、藤見屋として活動するうちに『勘当された娘』だとか『絶縁状態』だとかいう噂を耳にしてしまった事があるので、本人に聞いてみる勇気がなかなか出てこない。

 

 永遠亭での一件で噂や悪評は当てにならないのだと教訓を得ていながら、非常に情けない話だ。

 

 家族問題というデリケートなものに、外部の人間が単なる好奇心で無闇に突っ込んではいけないだろう。

 そんな折り合いをつける事で、魔理沙とは友好的な関係を築けている。

 

 『己の存在を幻想側に寄せる』という、謂わば『非常識な人間になる』という目標を掲げている身であっても、流石にそんな非常識さなど求めてはいないのだ。

 

──取り分け『家族』についてのあれこれだなんて、到底他人事のようには思えないのだから。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 しばらくすると、快晴のもと繰り広げられた弾幕ごっこは遂に決着がついた。

 二人が仲良く揃って降りてくるのを確認して、用意しておいた湯呑み三つにお茶を注いでいく。

 運動をした直後で喉が特に乾いているだろうから、量はたっぷりかつ飲みやすいよう湯加減はぬるめにしておいた。

 

 気遣いのできる男、ここにあり。

 

 以前、霊夢から『あんたの為だけに護身用の御札作ってあげてるんだから、そのくらいやってくれてもいいんじゃないかしら?』と強制されたのが始まりとなって、この様な給仕係の真似事をするようになった。

 近頃は言われずとも自主的にやってあげるまでに、俺の奉公意識は上達している。……悪く言えば、霊夢に飼い慣らされてしまったと呼べなくもない。

 

 なぁに、この緑茶を淹れるのに使用した茶葉は俺が前回差し入れしたばかりのもの。家主に無断で使ってしまっても責められはしまい。

 

「くっそ〜、負けた!」

 

「ふふん、いい気味だわ」

 

 軽く運動して気が晴れた、というような様子で居間に(くつろい)いでお茶を啜る少女たち。

 そもそも何が発端で弾幕ごっこをすることになったのか、それすら忘れていそうなほどの見事なリラックスぶりである。

 

──それを見て、しめしめとほくそ笑む。

 

 無論、それをうっかり表情に出さないように努める。何故そんな顔をするのかと問われたら一巻の終わりであるからだ。

 

 気付くなよ……気付くなよ……

 

 しかしそんな祈りも虚しく、魔理沙がはっとした様子で声を上げた。

 

「藤宮、そういえばあのお煎餅はどこにやったんだ? まだ結構残っていた筈だぜ」

 

 そういえば確かに、と相槌を打つ霊夢もそれに追従する。

 

「私はまだ二、三枚しか食べてなかったし、物足りないわ。藤宮さん、もう今日で全部食べても構わないから出してよ」

 

 二人とも待ち遠しいといった調子で、早く早くと催促してくる。お茶のあてにするのにぴったりだと思っているに違いない。

 

……確かに、あの程良い塩っけの効いた海苔もあったからか、お値段以上に美味しい煎餅であった。

 

 そう、『やめられない止められない』というフレーズをうっかり体現しちゃうくらい。

 

 

 

 

 

「あれは────もう無いよ?」

 

「「は? なんで?」」

 

 全く同じ問いを発する少女たち。

 違和感を覚えられては誤魔化しようがないので、大人しく白状することにする。

 二人の怒りを買ってしまわないように、正確に回答すると共に『もう、仕方ないなー』という空気感を演出できるよう精一杯、言の葉に工夫を凝らしてみる。

 

 

 

「二人が弾幕ごっこしてる間に、俺が全部食べちゃいました。テヘペロ♪」

 

 

 

 沈黙。

 俺渾身の返しは、それでもって完膚なきまでに叩き落とされた。

 

……あ、もしかして『テヘペロ』って幻想郷だとどういう意味なのか伝わらないのかな?

 

 意味が通じようと通じなかろうと、二十歳前後の男性のやるテヘペロなんぞ地獄絵図にしかならないという普遍的事実に気付かず、そんな的外れなことを考えていた。

 

 少しの間が空いてから、紅白の巫女と白黒の魔法使いはゆらりと立ち上がると、俺の元まで歩み寄ってきた。

 

 おおっと。美少女がやっていい表情じゃないよ、それは。

 

 

「「ふーじーみーやー?」さん?」

 

 

 美少女二人に詰め寄られるだなんてご褒美だなー、などと呑気に考えている場合ではない。

 普通に怒っているし、忘れがちだが俺以外の人目線だとまず美少女に見えないという問題もある。全然ご褒美になっていない。

 

 えー、もとは俺が買ったやつなんだしそんなに怒らなくてもいい筈なんだけどなー。

 

 どう言い訳したものか、少し悩む。

 

 

 

──その時、脳が妙な電波を受信した。

 

 何やら天啓じみたタイミングなので、もしかするとこのピンチを脱するヒントがこれに隠されているのかもしれない。

 えーと、なになに?

 

 

 

 

 

 

 うお……急にすげぇ殺気……! 今日が俺の命日かな? 審判の日 シュワルツェネッガー

 

 

 

 

 

 

──なあに、これは。

 

 どうやら受信設定を間違えていたようだ。そこにあったのは意味不明な語録の調べであった。

 全く役に立たねえ。

 

 

 

「ま、待て、話せば分かるって」

 

「藤宮さん、『食べ物の恨みは恐ろしい』という言葉を知っているかしら? あんたが犯した罪は、つまりそういう事なのよ」

 

 『暴力反対』『弱い者いじめ良くない』と言葉を返したとしても、耳を貸してくれる空気では全然なかった。

 

 

 

──このような絶対的劣勢な状況に追い込まれた時、人は火事場の馬鹿力というものを発揮するらしい。

 それは単純に筋力であったり、思考力であったりするのだとか。少年漫画かなんかでよく見る秘められたパワーに目覚めて逆境を一発逆転、というようなシチュエーションが一番分かりやすい例か。

 

 俺の場合それは、『より上手く霊力を扱える』という面で現れる。

 と言っても、霊力の弾丸が気持ち大きくなったり、飛行速度が何となく早くなった気がする程度のものだ。

 無意識にセーブしてたのをなりふり構わなくなっただけ、とも言う。

 

 

 兎も角、現在俺は窮地に陥っていて、その馬鹿力に目覚めようとしていた。

 

 

 ではその後どうするべきか。

 少女二人に弾幕勝負を挑む? 冗談ではない。

 

 人里の外での仕事で妖怪に襲われそうになった時もそうであるが、こういう不味い状況になった時に取る俺の行動は、大体“コレ”と相場は決まっている。

 

 即ち、

 

「二人とも本当ごめん! 後日またいい土産仕入れて持ってくるから許してくれ!」

 

 その場からの逃走である。

 

 居間から脱出して空へと飛び上がる。障子が開けっ放しで助かった。

 そのまま、人間の里へと進路を向ける。

 

 

 

 ちらりと博麗神社を振り返ると、呆れたような顔で見送る二人の姿を確認できた。

 一人の人間として、そして年上の男性として非常に情けない醜聞を晒してしまっている気がするが、背に腹はかえられない。

 仮に、一対一で弾幕ごっこだと言われても、俺は弾幕というほどの霊力を出力できない上、空中での回避行動などは殆ど経験を積んでない為にお話にならない。

 一方的に処刑されるのがオチだ。

 

 少女から痛めつけられて喜ぶ趣味など、持ち合わせていないのである。

 

 

 

 

 

 追っ手がいない事を確認して、空を飛ぶスピードを緩める。地表と比較して太陽に近いせいなのか、陽光がいつもよりも眩しい。

 

 そういえば、今日はマヨヒガ教室が開講される日なのだった。

 藍さんと橙ちゃんにいつものお土産をあげる為、豆腐屋とマタタビを取り扱う屋台に行かねばならない。

 

 十分に資金はあるのか、と財布を懐から取り出して中身を確認する。

 

 稼いだらその分だけ高価なものを買ってしまうので、俺の貯蓄の嵩の増え方は本当に微々たるものだ。

 とは言え、今更差し入れしませんよというのも気が引ける。

 渡して嬉しそうにしてくれると、やっぱりこちらも嬉しくなってしまうものだから。

 

 

 

 今日も今日とて良いお天気だ。

 背中に燦々(さんさん)と輝く日の光を浴びて、考え事をしながら空を飛んで行く。

 

 あの少女二人の許しを乞うのに相応しい持参品を探さなきゃ、と考えながらフラフラと宙を彷徨うこの様は、傍目から見ればやはり何とも情けないものなのであろうと思いつつ。

 




 

 映画ターミ○ーターを見たことない人には通じないネタを盛り込んでいくスタイル

 渾身のネタが駄々滑りするというリスクを一々恐れていては、二次創作者をおちおち名乗ってはいられません 今後とも隙あらばキレッキレ()なギャグをねじ込んでいく所存であります
 実際面白いものを捻り出せるかどうかは、まあうん、そん時のコンディション次第かね?

 『人生で一度は公衆の面前でchinc○in亭の語録を使ってみたい』と考えてしまうのは私ひとりだけで十分です

 この語録で……みんなを笑顔に……




 まあここまで露骨なネタを差し込むのはこれが最初で最後だと思います 多分ね


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

独白される外界への未練

 

 

 無縁塚、という名の場所が幻想郷には存在する。

 

 おもに、縁者のいない、つまり身寄りのない人間の遺体が発見された際、それを埋葬するのに用いられる土地なのだという。

 早い話、ほぼ外来人専用の共同墓地ということだ。

 

 

 

 その人口の殆どが身内で構成されている人間の里において、縁者がいない者など滅多に存在しない。考えられるのは、定住を決心したばかりの外来人くらいなものだ。それでも、数年も経過すればその外来人も天涯孤独の身ではなくなっている。

 幻想郷に迷い込んでここに住むと決めた元外来人は大抵の場合、人里在住の者と籍を入れることになるからだ。

 

 この世界で生活していく上で、ご近所付き合いや家内からの援助は必要不可欠なものである。それが、ゼロから生活基盤を築いていかねばならない外来人ならば尚更だ。

 見知らぬ場所で、前時代的な生活様式を強いられる。その上、生きてゆく為にお金を稼ぐ必要がある。安定した生活を手に入れる為に外来人が強いられる労力というのは、並大抵のものでは済まされない。

 

 それらの負担を軽減させる為──という目算が全てではないのだろうが、定住した外来人が里の者と結婚する理由として、多少なりともそういう実利的な面が存在しているのは確かだ。

 また人間の里側としても、そういった“受け入れ”は推奨されている。外来人と結ばれてできた家庭には、相応の額の援助金が支給されるのだという。

 

 外の世界で聞き齧った、遺伝子の多様性が云々ということに憂慮しているのかどうかは定かではない。

 ただ、そういう決まりごとによって外来人と里の者双方に婚姻するメリットが存在し、昔からそれのお陰で外来人の受け入れがスムーズに執り行われてきたというのは紛れもない事実である。

 

 そうした事情もあって、縁者のいない外来人は早々に身を固めるのだ。その為、やはり人間の里では縁者のいない存在は希少なのである。

 当て嵌まるのは外の世界で既に籍を入れていた為、新しく所帯を持つことを拒んだ者くらいのものであろうか。他には何だろう……結婚願望が無い人とか?

 

 因みに俺のように外の世界へ帰りたいのに足止めを食らっている者は、例外中の例外である。

 

 

 

 とはいえ過去から遡って見てみると、身寄りのないまま亡くなった人は相当数いるのだという。

 加えて、ここに流れ着いて人里に辿り着くことなく死んだ者も多数存在している。

 

 無縁塚には、そんな幻想郷と縁の少ない者たちが無数に埋葬されているのだ。

 そのせいなのか、無縁塚周辺の大結界は“非常に緩んでいる”らしく、そこからまた人が迷い込んでしまう事もあるらしい。

 

 その場合、地理的に考えてただの人間一人が安全地帯である人間の里まで無事に辿り着けるとは考えづらい。

 大抵は運悪く出会(でくわ)した妖怪の餌食になったり、数日間彷徨って行き倒れ誰にも発見されずにそのまま、といった末路を辿る。

 

 

 

──月明かりに照らされた、宵闇の少女のことを思い出す。

 

 間近に“死”が迫ってくる感覚は、中々に忘れ難い。

 今を生きていられているのは、たまたま俺が霊力を扱える素養を持ち合わせていたからだ。

 それに、人喰い少女以外の妖怪と逃走中出会うこともなかったという幸運に恵まれたからでもある。

 

 縁者のいない俺も、憐れな外来人として危うく無縁塚の土の中で供養されるところであった。まぁそれだと、あの妖怪相手にして遺体が残るかどうかという全く別の問題が発生してくるわけなんだけれども。

 

 

 

 

 

 

 マヨヒガ。

 

 そこで俺は橙ちゃんと共にいつものごとく、藍さんから幻想郷についての知識を蓄えるべくレクチャーを受けていた。

 

 今回のテーマは『幻想入り』についてだ。

 

 幻想入り、というのは何も俺のような人間だけに限った話ではない。生命だけでなく物質も、この幻想郷に流れ着くことがままあるそうだ。

 無縁塚という場所について言及していたのは、そこが最も外の世界からの物品が漂着しやすいところであると、藍さんが例示として挙げていたからだ。

 

 そういえば、外の世界の品物を集めて販売している人物が魔法の森に住んでいるのだと、魔理沙から聞いたことがあるような気がする。

 

 どうやって売り物を入手しているのか疑問に思っていたが、もしかするとそういった場所を仕入れ先として活用しているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 それほど沢山の人や物が幻想郷に流れ着いているのなら、逆もまた然り。そこを遡って何とか外の世界へ帰ることができないのだろうか? と聞いた事があるのだが、やはり厳しいのだという。

 

 何故ならば、無縁塚は空間的にとても不安定な場所であるからだ。

 

 次の瞬間にでも自分という存在がパッと消えてしまうかもしれない危うい場所なのだと聞いた。幻想郷屈指の危険地帯と呼ばれる由縁であるとか。

 外の世界にテレポートするのか、本当にその存在が消えてしまうのか、はたまた何処かの異世界や平行世界にでも飛ばされてしまうのか。

 消えてしまった者がどうなるのかは、それこそ消えてしまったその者にしか分からない。

 

 実際に“飛ばされたら”分かるのかもしれない。が、当然そんな事を身をもって確かめたくはない。

 『飛んだ先がどうか外の世界でありますように!』なんて言って博打を打つのは、あまりにもリスキーが過ぎる。

 

 そんな危ない橋を渡るくらいなら、今のまま霊夢を当てにする方が何千倍もマシだ。

 

 身の安全は何事にも優先される。

 命あっての物種なのだ。

 

 

 

 

 

 

 橙ちゃんの質問タイムが終わってそれでも疑問点は解消されなかったのか、うー、と可愛らしく唸っている少女を尻目に、片手にいつものお土産(油揚げとマタタビ)を携えながら藍さんに歩み寄る。

 

 今回の授業のことで、個人的にとても聞いてみたいことがあった。

 

 それは、俺が頑なに外の世界への帰還を目指すことと深く関係する事柄である。

 

「あのー、俺からも一ついいですか?」

 

「ん、珍しいな。君からの質問だなんて」

 

 思えば彼女の言う通り、こうして自分から質問を切り出すなんて事はあまり無かった。というのも、毎度毎度難解な現象についての概要や高度な妖術の理論とその実践、複雑怪奇極まる計算式など、話についていけないことが多々あったからである。

 

 それに比べると今日の内容は何というか、取っ付き易い難易度であった。

 

「あー、自分と関連性が深い議題だったおかげか、特に集中して聞けましたからね。はいこれ、いつものヤツです」

 

 一瞬だけであるが、お土産を手渡すと藍さんは講義中の凛々しい表情がまるで嘘であったかのようにその相好を崩した。

 

「むふふ、確かに。──コホン。して、何を聞きたいのかな?」

 

 だらしない顔をしていることにハッと気がつき、キリッとした顔に切り替えるのを目の当たりにして和みつつも、特にそれに言及することなく彼女に問いかけようとする。

 

 さて、具体的にどう言い表したものかと少しだけ勘案する。

 

 今からする質問の内容が内容だけに、少し表情が硬くなってしまう。

 そんな些細な機微を察してくれたようで、藍さんは一際真剣になって聞く姿勢を見せてくれた。

 

 

 

 

 

 『幻想入りというのは何も当人にとって不本意に起こるものばかりであるとは限らない。寧ろ、進んでやって来る場合もある』とは、本講義で言われていたことだ。

 

 まあ、人間や物は望んでここにやって来ることはないだろう。

 

 自ら幻想郷に赴くのは、外の世界ではすっかり架空のものとして扱われ、全盛の力を失った妖怪や神などの超常的存在である。

 時代の変遷により、“畏れ”や“信仰”が足りなくなった為だと聞いたのだが、そこは重要な所ではない。

 

 

 

 俺が気にかけているのは、そういった類の存在は現代ではすっかり『忘却』されてしまっているという事実である。

 

──それは、“幻想入りした現代人”にも適応されるのか否か。

 

 

 

『……って誰のことです?』

 

『いや? そんな名前の生徒はこの学校には居ないはずだが』

 

 

 

 『幻想入り』と『忘却』、そこの因果関係をはっきりさせたい。

 

 幻想入りしたから忘れられたのか、それとも忘れられたから幻想入りしたのか。

 鶏が先か卵が先か、みたいな問題であるし、どちらも結局は同じことではないのかと思ってしまう。

 しかし、その順番次第では、自分にとってそれは非常に大きな意味を持つことになる。

 

 

 

 

 

 もし前者、『幻想入り』のち『忘却』なのであれば、俺が長年求めていた“答え”が幻想郷にあるという事になるのだが──

 

 

 

 

 

 聞くべきことは、理解している。

 ただし、これはあくまで俺のエゴ。おおっぴらに打ち明けて他人の協力を仰ぐのは気が引ける。

 その為、藍さんへの質問はかなり婉曲なものになってしまった。

 

 

「現代で普通の生活を送っていた人が、突然幻想郷に迷い込んだとします。その際に、外の世界の方で何か超常的な現象が発生する場合があるのかどうかを聞きたいんです。

 ──例えば、その人に関する記憶や記録が喪われて初めから存在しなかったことになる、とか」

 

 

 自分があまりに突飛な質問をしているのだと自覚している。

 だが、これは本当に重要な問いかけだった。

 

「……ふむ、どういう意図があるのかは(あずか)り知らぬが、答えよう」

 

 藍さんは怪訝そうな顔をしながらも、この問いに答えてくれた。

 こちらが明らかに訳ありなのだと気付いている様子だが、敢えて切り込まずに応えてくれる。

 

 その気遣いには、感謝の言葉しかない。

 

 

 

 

 

 開口一番、『幻想入りをきっかけにしてその存在に関する記録や記憶が抹消される、などという事は決してあり得ない』とはっきりと断定された。

 記録や記憶が失われたから幻想入りした、という事例は数あれど、その逆のケースは到底考えられないとのこと。

 

 つまり、『先に忘却、後に幻想入り』であるということだ。

 残念ながら、幻想入りと忘却の順序は俺が期待したものではなかった。

 

 しかし冷静に考えると、それは当然のこと。

 

 神秘の実在が信じられなくなった現代社会でも、その存在は伝聞としてではあるが確かに伝わっている。

 それは、昔の人が残してきた神話や昔話などの記録が今でも多数現存しているからだ。口伝や文書や電子データ、その媒体は問われない。

 

 童話の『かぐや姫』を知っているからこそ、蓬莱山輝夜と会った時に俺はびっくり仰天したのだ、という事例で例えると分かり易いか。

 

 もし先に考えた通り、幻想入りした瞬間に、外の世界ではその者についての記録・記憶が全て失われてしまうのだと仮定する。

 その場合、輝夜が幻想郷に来た時点で童話『かぐや姫』と昔話『竹取物語』はこの世から綺麗さっぱり消えてしまった、ということになってしまう。

 幻想入りのタイミング次第では、そもそもそういった物語が生じる事すら起こり得なかっただろう。

 これでは、輝夜=かぐや姫だと知らされた時、俺が驚いたことに話の筋が通らなくなってしまう。存在しないモノを知ることは不可能であるからだ。

 

 

 

 なんにせよ、その実在が人々の間で信じられなくなったからこそ、知られる事がなくなったからこそ、その者は幻想郷へと漂流する。

 

 先に忘却、後に幻想入り。

 

 その順序は絶対だ、とのことである。

 

 

 

 

 

──きっと“彼女”は幻想入りしたのではなかろうか。

 

 

 

 

 

 そんな淡い期待をのせた藍さんへの質問は、敢えなく撃沈してしまった。

 

 これはつまり、“彼女”はこの幻想郷には居ないのだと、幻想郷の創設者の一人だとかいうスキマ妖怪直属の式神が保証したようなものだ。

 

 少し気を落としたが、いいやと思い直す。

 

 これは、悪いことではないのかもしれない。いくら俺と比較にならないくらいの霊力を保有しているからといっても、人外蔓延(はびこ)るこの幻想郷で生き残る術を得るというのはかなり難しいだろうから。

 

 本当に安全な場所は人間の里、それと博麗神社くらいなものである。そしてその両方ともに、“彼女”の痕跡は全くなかった。

 

 “彼女”は幻想郷に居るのではという可能性を思いつき、慧音さんから過去数年間で人里に定住した外来人の簡易的な名簿を見せてもらったことがある。

 

 しかし、そこにあの名前は記載されていなかった。

 

 偽名を使っている可能性がない訳ではない。それでも全然構わない。生きて元気にやれているのなら、それだけでも十分なのだ。

 最悪なのは、人里に辿り着くことなくその命を散らせてしまったのではないかということ。

 その場合のことは、極力考えないようにしている。

 それではあまりにも報われない。俺も、“彼女”も。

 

 

 

『おいおい、寝ぼけてんのか? そんな奴知らねえよ』

 

『へ? あそこの席はずっと空席でしたよ?』

 

 

 

──ああ、なんで、どうして。

 

 

 

 あのとき経験した奇怪な現象は、『幻想入り』では説明がつかなかった。

 ということは、やはり“彼女”は幻想郷にやって来ていないのであろう。

 

 藍さんから聞き出した内容をよくよく踏まえた上で、そう断定することにした。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 もう随分と昔のことのように感じてしまう。

 中学の頃の思い出だというのに、“彼女”と笑い合って過ごしたあの青春を未だに忘れることができない。

 

 何年経っても女性一人の影に囚われているだなんて、まるで狂信的なストーカーみたいだなあ。

 

 そう、自嘲する。

 それでも、やっぱり諦められない。

 

 

 “東風谷(こちや) 早苗(さなえ)

 

 

 それが、あの少女の名前である。

 

 陽炎のように消えてしまった、そして誰もが彼女のことを忘れてしまったあの不可解な日から、俺の人生の目標の一つとしてその存在は共に有り続けた。

 

『東風谷の捜索』

 

 俺が外の世界に帰ろうと腐心する要因の一つだ。

 

 この幻想郷ならばもしやと期待を大きくしていたのだが、どうやら当てが外れてしまったようだ。

 

 もともと『いつか再会できるといいなぁ』と消極的な姿勢でこれまでを生きていたのではあるが、幻想郷という非常識なものと関わったことで、いつしか本当に彼女ともここで出会うことがあり得るんじゃないかと思ってしまっていた。

 

 神隠しのように消えたのだからきっとあり得るのではと、彼女の幻想入りを願っていたのは性急だったのであろう。

 

 まあ、世界は広いのだ。外の世界に帰った暁には、もちっと本格的に動いてみてもいいのかもしれない。

 そんな風に、俺は決意を新たにするのであった。

 

 

 

 といっても、彼女についての手がかりはもう俺の記憶にしか残されていない。

 何故自分だけが覚えているのか。当時は自身の記憶の捏造を疑ったりしたものだが、今ならばその心当たりは十分にある。

 

 きっと、俺の『常識に囚われる程度の能力』が上手く作用していたのであろう。

 道端ですれ違っただけの赤の他人ならば、次の日には忘れていても不自然なことではない。しかし、俺と東風谷は気心の知れた友人同士だった。

 日付一つを跨いだだけでその友達のことについてさっぱり忘れてしまうだなんて、それこそ“非常識”な現象である。

 

 幻想郷に来るまでこの能力のことは全く自覚していなかったのだが、それでも、いつの間にやら役立ってくれていたようだ。

 

 その事実に気付いた時、俺は初めてこの能力に有り難みを感じたものである。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

「──ということだ。もし君が外の世界に戻った時のことを案じているのなら、それは全くの杞憂だから安心してくれていい」

 

 藍さんはそう言って回答を締め括った。

 答えている間も、終始こちらを(おもんぱか)ってくれている様子を見せてくれていた。

 

 本当に良い人だ。

 

 ちなみに話の腰を折るようだが、彼女は九尾の妖狐であって人ではないのだ──なんて下らない冗談を思いつけるのは、一旦の気持ちの整理がついたからなのかもしれない。

 

「いいえ、そういう意図で質問した訳ではないんですけど……まあ、答えてくれてありがとうございます。なんだか吹っ切れました」

 

「ん、そうか? 満足してくれたのなら何よりだ」

 

 こちらの晴々とした雰囲気から問題無しと判断してくれたのであろう、藍さんはそのふさふさな尻尾を一度だけ揺らして、安堵の表情を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 質問も済んだことだし、お土産も渡した。なので、今日のところはこれでお暇することにする。

 

 藍さんにスキマを用意してもらって、そこに入る準備を整える。準備といっても複雑な工程など挟まずにただ飛び込むだけなのだが、しかし恐怖に対する心構えを固める為の時間が俺には必要なのだ。

 

 スキマには何回も通ったことがある。しかし、真っ暗闇に多数の目玉という光景は生理的に無理があって中々に受け入れ難いのである。

 

 その準備を整えがてら、緊張をほぐす意図もあって藍さんに話しかける。

 

「そういえば、あのスキマ妖怪は今日も居ませんでしたけど、今は何してるんですか?」

 

 スキマ妖怪、八雲紫。

 

 初めの頃は俺、藍さん、橙ちゃんの授業風景を後ろから眺めていたというのに、最近は全然顔を出していない。

 

 別にあの妖怪と会えなくて寂しいのだとか、そういったふざけた理由で聞いているのではない。

 ただ、彼女の『境界を操る程度の能力』の干渉を受けられるよう進行形で努力しているのに、その経過観察すらしに来ないというのは納得が行かなかった。

 それに、いざその時になっても現れない、なんてことがもしあれば非常に困るからである。

 

 胡散臭い上に神出鬼没。彼女にはそういうイメージが張り付いてしまっている。

 その為か、自分に若干の反骨精神のようなものが芽生えつつあった。

 

 しかし正直に言えば、あのスキマ妖怪とはいつでもコンタクトできるようにしておきたいというのが本音である。

 

 

 

「紫様が今何処で何をしていらっしゃるのかは、私も知らないな。ふーむ、もし何か用事があるというのなら、私から伝えておくが?」

 

 珍しく困ったような表情を見せて、藍さんはそう答えた。

 

「……いえ、そういや最近見てないなーとふと思って聞いたみただけですんで、気にしないでください」

 

 直属の式神である藍さんですら知らないとは、あのスキマ妖怪は一体何をしているのやら。

 少しだけ気にかかった。

 

 

 

 

 

 スキマを通って人間の里の長屋の自室へ直接戻る。

 

 その後は、いつも通り読書をしたり、夕飯を食べに居酒屋へ行ったりして適当に時間を潰して過ごしていた。

 

 そのまま、布団を広げて身体を休ませる。少し寝るのには早い時間であったのだが、偶にはこんな日があっても良いだろう。

 

 ここ数日、日差しの強い天気が続いていた為か、カラッと乾燥した空気が幻想郷を包んでいた。

 これ幸いと、今朝から俺は布団一式を洗って干していたのである。そこへのダイブというのは非常に気持ちの良いものであった。

 そんな何気ないことにも充実感を得られるのは、外の世界と比べて長閑な空気が流れる人里の雰囲気に馴れてきたからなのだろう。

 

 リラックスしながらそんな事を薄ぼんやりと考え横になっていると、自然と瞼は重くなっていった。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 これは、藤宮という元外来人が眠りに落ちたほんの数刻後のことである。

 

 人間の里に住む人たちは、老若男女関係なくとある一方の方角を、ただ惚けたように口をあんぐりと開いて眺めていた。

 

 その方角の先にあるのは、迷いの竹林である。

 

 

 

 夜空の全てを覆い隠さんと濛々(もうもう)と立ち登る黒煙。

 

 深夜という時間帯にあっても迷いの竹林周辺は赤く照らされ、真っ昼間のような明るさであった。

 

 その光源は、月明かりや提灯の灯りなどではない。

 それは、猛々しく燃え盛る火焔である。

 

 

 迷いの竹林にて大火災が発生。

 

 

 不吉に赤く輝く夜空を、なんだなんだと遠巻きに眺める人間の里の住人たち。

 

 

 その炎の勢いは、夜明けまで一切衰えることはなかったという。

 

 

 




 

 今回は、あべこべ要素もギャグも挟み込む余地が全然なかったです

 ど(⤵︎)ーし(⤴︎)ーー()()(⤴︎)ー(アイデンティティ)




 ちなみに、オリ主の早苗探しは霊夢あたりに『東風谷早苗って名前を聞いたことない?』とでも聞けば速攻で解決します
 変にカッコつけて一人で背負い込もうとするからそうなるんや

 彼女は妖怪の山在住である為、人里の元外来人リストを遡っても全く意味がありません オリ主の行動は完全に無駄骨だったということですね

 何時ぞやのあやや瓦版にしっかりと目を通しておけばまた違った結果になったのでしょうが、今となってはもう びはいんど ざ ふぇすてぃばる 溢れたミルクが何とやら

 その新聞は後になっても読み返されることはなく、飯作りの焚き付けとして活用され焼失したでした

 とある界隈にて、このミスは専門用語で“ガバ”と呼称されます

『分からないことがあったら素直に人を頼る』
 チャートにちゃーんと書いておきましょう
 早苗捜索RTAが完走するのはまだまだ当分先のことになりそうです



 本編にギャグがないなら、後書きでやればいいじゃない そんな真理に辿り着きました やはりネタがないと筆は進まんものです






 話数が貯まって若干見苦しくなってきたので、分かり易く章で区切ることにしました 皆さん如何でしょうか 私は『なんだか本格的に小説っぽくなってきたな』とほくそ笑んでおります なお肝心の章の題名は数秒でパパッと決めたものですので、今後手直しすることがあるかもしれないです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大火の灯りは不穏の兆し

 

 

『迷いの竹林にて大火災発生!』

 

 

 夜明けまで続いた迷いの竹林での火災は、話題性というものに飢えている天狗たちの注目を存分に集めていたらしい。翌朝起床して戸を開けてみると、天狗たちのばら撒いた新聞の数々が通りを敷き詰めんとするほどであった。

 

 俺が寝ている時に、一体何が起こったのか。

 

 それを知るに至るのは天狗の新聞と、未だ興奮の収まらない様子で井戸端会議をする婦人たちからの話で充分だった。

 曰く、元々迷いの竹林では小火(ぼや)騒ぎがしばしば発生していたらしい。しかし、竹林の半分以上が犠牲になった程の大規模の火災は、どうやら今回が初めてのことであるという。

 

 

 俺にはその火災について、少しの心当たりがあった。

 “迷いの竹林”、“炎”。付け加えるなら“決闘”もそうである。

 悪い胸騒ぎがした。

 

 

 幸運にもと言っていいのか、天狗たちの新聞もその火災の規模の大きさについて言及するものばかり。

 その出火原因については、ここ数日間日照りが続いたことによる乾燥した空気、その状況下で枯葉が擦れたことが原因であろうと軽く推測する程度に留めた記事が殆どであった。

 

 人里の住人たちも里に直接の被害が出た訳でもないので、まさしく対岸の火事と言った様子である。

 誰もが特に深く気にすることなく、どことなく浮ついた空気を漂わせながら、それでもいつも通りの日常が流れていた。

 

 

 

 

 

 だが俺は、彼らのようにいつもの生活を送ることはできない。

 

 迷いの竹林には妹紅や永遠亭の皆がいる。凡人の身で差し出がましいようではあるのだが、彼女たちの安否がどうしても心配になる。

 

──居ても立っても居られなかった。

 

 迷いの竹林へ向かう為に素早く身支度を整える。

 特に、護身用の博麗の御札は絶対に忘れてはならない。火災によって、竹林に棲まう妖怪たちの気が立っているのだと新聞に書いてあったからだ。

 札の効力が切れていないかどうか確認を済ませていると、引き戸からノックの音が聞こえてきた。

 

 どうやら来客のようである。

 

 つい、チッと一つ舌打ちをしてしまった。

 恐らく仕事の依頼に来たお客さんであろう。普段であれば諸手をあげて歓迎するところであるのだが、今は非常にタイミングが宜しくない。悪いが、来客には日を改めてもらおう。

 

 追い出すだけなら玄関先のみでの対応で十分だろうと、引き戸を気持ち少なめにスライドさせる。

 

……おっと。

 

 そこに立っていた人物を見て、慌てて戸を全開にして迎え入れる態勢を取る。動揺した為に若干挙動不審になってしまった。

 

 明るい銀髪に青いメッシュだなんて目立つ外見は、この人里では一人しかいない。

 

 上白沢慧音、寺子屋の有名教師が引き戸の前に立っていて、こちらを見上げていた。

 彼女には色々とお世話になっている。気持ちに余裕がないとはいえ、冷たくあしらうだなんてこと、自分に出来る訳がない。

 

「おっ、ど、どうぞどうぞ。お入りください、慧音さん」

 

「? あ、ああ、失礼するよ」

 

 あからさまに動揺している俺を(いぶかり)りながら、彼女は屋内へと入っていく。

 こちらも部屋に戻って、台所に寄り道して棚から来客用の湯呑みを取り出す。

 

「ちょっと待っててください。今お茶用意するんで」

 

「いや結構だ。要件はすぐに済ませるから」

 

「あれ、そうなんですか?」

 

 そう言って振り返ると、彼女は勝手知ったる他人(ひと)の家という風に収納スペースから座布団を二つ取り出して、それらをいつもの定位置に置いていた。

 ぽんぽんと座布団を手でたたいて着席を促す慧音さん。それに従って、彼女の対面に敷かれた座布団に座る。

 

 正確に数えてはいないのだが、慧音さんは寺子屋のお手伝いなどを依頼しにここに何回か来ていた。だから、座布団を収納している場所を彼女が知っているのは別に驚くところではない。

 ただ、家主である俺に何も言わず押し入れを開いたり、こちらを急かすような事をするだなんてなんともまあ慧音さんらしくない行動である。

 普段は決して他人に非礼を働かない奥ゆかしい人なのだ。

 

 なんだかいつもの様子とは違うような?

 

 違和感を覚えながら彼女と向き合って目を合わせると、慧音さんの表情はいつもの穏やかなものではなく、何か思い詰めているような表情であることに気がついた。

 

 彼女がそんな顔をするだなんて、よほど緊急性の高い案件と見た。

 

 というか今というタイミングを考えれば、それがどんな案件なのかは薄々勘づくことができた。

 今は迷いの竹林で火災が起きたその翌朝である。となれば恐らく、慧音さんは俺と全く同じことを考えているのではないだろうか。

 

「で、要件って何でしょうか」

 

「うむ、その、今日は君にある依頼をしに来たんだ。まあ、便利屋として評判高い藤見屋の腕を見込んで、だな……」

 

 歯切れの悪そうな様子を見て確信する。

 

 彼女は寺子屋の教師やら歴史の編纂やらで何かと多忙な身である。その代わりに“彼女”の元へ向かって欲しいということであろう。

 慧音さんが俺に何を求めているのかは大体把握した。なので、その依頼の内容を敢えて聞かず、出し抜けに彼女に質問してみる。

 

 ある種、核心めいたことを。

 

 

 

「慧音さんは、あの火災が妹紅の手によって引き起こされたものと考えているんですか?」

 

 

 

 良い天気が続くのは特別珍しいことではない。だから天狗の新聞にあるように、乾燥した状況下での枯葉の擦れ合いが火災の原因だとはどうしても俺には思えなかった。

 

 妹紅は迷いの竹林に住んでいて、高度な火炎の術を使う。

 

 加えて、時折『決闘』をしているのだと輝夜から以前聞いていた。前々から発生していたという小火騒ぎは、まず間違いなくそれが原因なのだろう。

 問題は、何故今回だけはそれがここまでの大火災になってしまったのかという疑問が残ることである。

 何かひっそりと穏やかではないことが起きているのではないのか、なんて嫌な妄想をしてしまう自分がいる。

 

 

「──ああ、認めたくはないが、その可能性は高いと言わざるを得ない」

 

 

 俺の問いに答えた彼女の顔は、それはもう苦いものであった。

 それを見て、慌ててフォローを入れる。

 

「や、まあ、竹林の半数が燃えたといっても、どうせ数日後には元通りになるだろうって新聞に書いてありました。それに、少なくとも現時点では死者は確認されていないともありましたし、そうやって事を重く捉える必要はないと思いますよ?」

 

 そんな励ましの言葉が響いたのかは分からないが、慧音さんは何とか微笑んでくれた。しかしそれでも、無理して笑っているのがバレバレだ。

 

「あのー、本当に大丈夫です?」

 

「う、気を遣わせてしまったかな、はは」

 

 取り繕った笑顔を容易く俺に見破られたせいか、なんだかさらに凹んでしまった様子である。そしてぶつぶつと呟き始めた。

 

「思えば、妹紅とは良き友人であるつもりだったのに、ここ暫くは忙しいからと君に彼女の世話を投げっぱなしにしていたな……それに今も、こうして仕事を優先してしまっているし──」

 

……こういうネガティブな様子の慧音さんは初めて見る。

 

 珍しいと思いつつもその時、俺は彼女を元気づけなければならないという使命感を覚えた。

 慧音さんの落ち込む姿など見たくない。

 

 生憎、こちらは人心を掌握する(すべ)に長けてはいない。なので、思ったままの言葉を送って、彼女を励ましてやることにした。

 

「慧音さん、大丈夫ですよ。仕事を優先しちゃうのはそれだけ教え子たちのことを大切に思っているからなんだと、少なくとも俺は分かっていますから。妹紅のことは任せてください、あんまりやり過ぎんなよって小突いて注意しておきますから」

 

「藤宮……」

 

 どうやら響いている様子。慧音さんは下向きに伏せていた顔を上げて、精一杯慰める俺の姿をその瞳に映していた。

 

 よし、もう一押しだ。

 

 そう感じて畳み掛けるようにして話す。だが、さっき言ったように俺は人を励ますプロという訳ではない。その所為か、繰り出した言葉に少々どころではない誤謬が発生することに全く気が付かなかった。

 

 

 

「どうか落ち込まず笑っていてください。俺、慧音さんの笑顔を見るとついつい惹かれて見入っちゃうんですよ、『もっとその綺麗な顔を見ていたい』って」

 

 

 

 自分としては、ただ『慧音さんを元気づける』という目標を達成するのに最適なワードチョイスをしただけのつもりなのである。誓って、その他の意を込めるつもりは一切無かった。

 

 

 

 

 

「──え、えぇ! そ、そそ、それはどういう…!」

 

 その妙に上擦った声に、ん?と変に思ってよく観察してみると、慧音さんは薄らとその端麗な顔を紅潮させていた。

 

 

 

 

 

……ああ、これは非常に不味い。よろしくない。

 

 ぽろっと人に美醜感覚の逆転を明かしてしまっている。迂闊だなんてレベルじゃない、もはや盛大な自爆である。

 反射的に、次の瞬間に襲いかかるであろう『気持ち悪さ』に耐えようと身構えたのだが、不思議と過去のトラウマが鮮烈として脳裏に映し出されることはなかった。

 

 一体何故? と呑気に思考する場合ではなかった。

 

 自分が何を言ってしまったのかを振り返ったせいで、さっきの励ましたつもりの言葉が再び頭の中でリピートしていた。

 B級映画でも中々見ないような、あの歯が浮くようなセリフを。

 

 は、恥ずかしい…!

 

 羞恥心で顔が熱くなるのを自覚して、慌てて立ち上がって玄関へと大股で足を動かす。あのまま慧音さんと見つめ合い続けることなど出来なかった。恥ずかしさのあまり頭が爆発しそうだった。

 

「じゃ、じゃあちょいと行ってきますんで! 報告はまた後日ということで!!」

 

「ま、待って──」

 

 その制止の声を聞かなかったふりをして、引き戸をわざとガラガラと大きな音を出させながら開ける。意図的に人を無視することによる申し訳なさで胸がいっぱいになっていた。

 

 慧音さん、本当にすいません。顔から火が出そうなんでこれ以上はもう色々と無理です。

 

 玄関から飛び出して、すぐその場で青空へと舞い上がる。往来の中でいきなりそんな事をしたものだから、通りがかりの人々がなんだどうしたと見上げている。

 また、不本意に注目を集めてしまった。踏んだり蹴ったりである。

 ええいもうどうにでもなれい、と自棄になることにした。

 外出の身支度を既に整えていたこともあって、その勢いのまま迷いの竹林に突撃することに決める。

 進路をそこへ向けて、フルスロットルで飛行する。

 

 

 

 

 

 とはいえ、いくら全力といってもその速度は高が知れているので、到着するまで少々の時間があった。

 

 

 

 

 

 その間、頭を冷やすと共に、先程自分の美醜感覚逆転がバレたというのにどうして過去のトラウマがフラッシュバックしなかったのかを俺は考えていた。

 

 そして、それらしい理由を思いついた。

 

 結論から言えば、それは『慧音さんは俺の美醜感覚逆転に気付かなかった』からである。

 では、一体どういう理屈でその考えに至ったのか、彼女に放った言葉を嫌々ながら振り返る。

 

「どうか落ち込まず笑っていてください。俺、慧音さんの笑顔を見るとついつい惹かれて見入っちゃうんですよ、『もっとその綺麗な顔を見ていたい』って」

 

 まず、俺はこれまでの人生でこの感覚の狂いを誰かに打ち明かしたことなど一度もない。これを知っているのはこの世で俺ただ一人だけだと断言できる。

 

 もしかすると、容姿が並ではない女性たちと進んで関わっているのを見て違和感を持たれている可能性はなきにしもあらずだ。

 しかし、そこから『そうか、藤宮の美醜感覚は女性に対してのみ逆転しているのか!』という結論に至ることはないだろう。思考が飛躍し過ぎているし、読心術だなんてレベルじゃない。もはや結果論ありきの推理である。

 

 つまり慧音さんの視点では、『彼は“正しい”感性を持っているけど、それでも私のことを“綺麗な顔”と表現したのだ』と思ってしまった事だろう。

 そして、『もっとその綺麗な顔を見ていたい(素朴な感想)』という何気なしの言葉と、その前の『俺が慧音さんの笑顔に惹かれている』という情報が合わさるのである。

 

 するとどうなるか。

 

『もっとその綺麗な顔を見ていたい(例え貴女の容姿が醜くとも俺の目には輝いて見えるよ)』という最上級にキザったらしい言葉へと変貌するのである。

 ともすれば、愛の告白と捉えられてもおかしくない。

 というか、あの慧音さんの反応からすると九分九厘そう解釈してしまっただろう。

 

 

 

 

 

 白磁のように透き通ったきめ細やかな肌を少しばかり赤く染めて、こちらを見やる慧音さんの姿を思い出す。

 普段の屹然(きつぜん)とした様子で教壇に立っている姿とのギャップも相まって、あの光景はかなりの破壊力を秘めていた。

 今になってドキドキと鼓動が高鳴り出している。

 

 

 

 

 

 あの様子からすると、もしやこれは脈ありと考えてもいいのだろうか? いやいや、単に告白されるのに慣れていなかっただけという可能性もある。

 どっちだ、どっちが正しいのだろうか?

 

 ぬおー、と悶絶してしまう。

 

 後で人間の里の大通りなんかでバッタリと出会ってしまったら、気まずいなんてものではない。

 自分で告白しておきながら返事も聞かずに相手からダッシュで離れる、という謎ムーブをかましたようなものだ。

 

 ああ、本当にどうしよう。

 

 

 

 迷いの竹林にいる少女たちの身の心配よりも、今後の慧音さんとの付き合い方を心配した方がいい気がしてきた。今思えば、彼女たちは火事にあったとしても何食わぬ顔でけろりとしているような人たちばかりなのである。

 元気にしている事を確認したら、その後の慧音さんへの報告は手紙で済ませてしまおう。対面するにはちょっとばかし人生経験、特に恋愛面が足りなすぎる。少なくとも素面では無理だ。

 

 なんてことを考えながら、迷いの竹林へと空を飛ぶ。

 

 

 

 

 

 夜明けごろに鎮火したという話であったが、それでも燃え足りないと主張するように未だに(くすぶ)っている所が散見され、竹の破裂する音が時折響き、煙はあちこちで上がっていた。

 それを吸い込まないよう細心の注意を払いつつ、まずは迷いの竹林の浅いところにある妹紅の住む小屋を目指す。

 

 輝夜から、彼女は不老不死の蓬莱人であると聞いているし、俺も本気で妹紅が火災で亡くなってしまったのではと不安になっている訳ではない。

 

 ただ、どうして皆に騒がれるような事態になってしまっているのか。その理由を知りたいと思っている。『うっかり火加減を間違えてしまった』とでも答えてくれれば、俺は苦笑いしながらもこの魚の骨が引っかかったような違和感を解消することができるのだ。

 

 

 

 幸運なことに、妹紅の住む掘っ建て小屋は火の魔の手から逃れることに成功したらしい。

 今にも倒壊しそうではあるのだが、前に来た時とさして変わっていない。いつも通りの小屋である。

 

「おーい。妹紅、俺だ。入るぞ」

 

 返事を待つことなく、出入り口である所々穴の空いた障子に手をかけて開ける。寝惚け眼でこちらを睨む白髪に赤いもんぺを着た少女を幻視していた。

 しかし、

 

「妹紅? 居ないのか?」

 

 障子を開いても、どこからか入り込んできた寂しい隙間風が俺を迎えるだけであった。

 

 彼女の姿が、どこにも見当たらない。

 




 
 あべこべものを謳っておきながら、二十話近くになるまで碌にそれらしい描写が入らなかった作品があるらしいですよ?

 今更な話なのですが、なんだか他のあべこべ作品と比べてこの作品はほんの少しだけシリアス味が濃いような気がします 『偶にはこんな味変も悪くないかなー』程度に思っていてください


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Rabbit Rabbit Rabbits

 サブタイがいつにも増して適当 あとオマケのようなナニカが今話の終わりにあります



 

 

 昨夜大火災に見舞われた迷いの竹林、その中にある妹紅の住んでいるあばら屋で、俺は彼女の姿が無いことにひたすら困惑していた。

 

 前々から俺と慧音さんで「お願いだから引っ越ししてくれ」と何回か頼んでも、本人はどこ吹く風という様子であった。その事から分かるように妹紅はここから頑なに移動しようとしなかったのである。俺の住む安普請な長屋よりも酷い環境であるというのに、妹紅は平気な顔をしてこのボロ小屋で過ごしていた。

 

 恐らくは小屋自体に思い入れがあるからという訳ではなく、単に人気のない場所の方が彼女の性に合っているからなのだろう。

 「輝夜の面なんて直視なんかするものじゃない」なんて毒づきながら、それでも決闘しに永遠亭へ行っていることから、輝夜との決闘目当てであるからと推測できるのかもしれない。

 言っても聞かず梃子でも動かなそうなその様子に、俺と慧音さんは揃って呆れたものである。

 

 それ故に、まさか妹紅が不在であるとは予想だにしていなかった。

 

 彼女に会ってその身の安否を確認しないことには、慧音さんからの頼みを達成できない。さてどうしたものかと頭を捻って考えて、そういえばと思い出す。

 

 確か、前にも今日と同じように妹紅が不在だったことがあった。お薬を求めて永遠亭を初めて訪ねた時のことである。

 あの時は、急に背後から話しかけられてびっくりしたものだ。その後、ボロボロになっていた彼女の服装にツッコミを入れた。そして妹紅はその直前に輝夜と決闘をしていたのだと言っていた。

 

 その時みたく、またぞろ永遠亭に行っているのであろうか?

 

 いいや、と自身の考えにかぶりを振る。妹紅は前に、「連日あのエゲつない面を拝むなんて正気じゃない」と俺に対して辛辣なコメントをしていたのだ。

 新薬の経過観察だとかで二日連続で永遠亭に足を運ぶついでに、妹紅のところに世話焼きに行った際に放たれた言葉であった。

 

 その言葉をまんま鵜呑みにするのなら、今日の妹紅は永遠亭方面には足を運んでいないということになる。

 

 恐らく、迷いの竹林の大火災の原因は、妹紅と輝夜の決闘によるものであろう。そしてそれは昨晩に行われていた筈だ。

 

 今日になってまた輝夜の所に行き、決闘を挑んでいるだなんて考え難い。あの時の妹紅の表情は、そう確信させるくらい『私は絶対にやりたくない』という筆舌に尽くし難い程の苦〜い顔をしていた。

 

 なので、妹紅は永遠亭の方には行っていない。

 そんな結論を下さざるを得なかった。

 

 ここで待っていればそのうちひょっこりと戻ってくるのだろうか──なんて、そんな悠長な事をするのは少し躊躇われた。

 

 何か取り返しのつかない異常なことが起きているのではないかと囁く悪寒が、俺を絶え間なく襲っている。霊夢のように特に勘が鋭いという訳ではないから、杞憂に終わってくれる筈だとは思ってはいる。しかし、今はとにかく気落ちしていく精神を慰める為に身体を動かしたい。じっとしてはいられないのだ。

 

 そうだ。

 

 まずは永遠亭の方に行き、そこの皆の安否を確認すると共に、駄目元で妹紅の行方を聞いてみるという案はどうだろう。

 

 少なくとも、輝夜と八意先生は永遠亭から動かない。きっとその筈だ。ここでいつ戻ってくるとも知れぬ妹紅を待つよりは、彼女たちと接触する方が建設的な考え方だと感じる。

 

 よし。なら、動くか。

 

 外に出て、宙に浮く。そのまま上昇して、屋敷が視界に入り易くなる程度の高度をとり、永遠亭の方角に向けて飛行する。無論、所々まだ煙が上っているのでそこは避けながらである。

 

 

 

 

 

 永遠亭に到着するその前に、いつもより断然露出した茶色の地表に幾つもの白い丸と、薄紫とピンクの色が一つずつという奇妙な光景を目撃した。

 

 よくよく目を凝らしながら高度を落としていくと、それらは永遠亭のウサギたちであった。複数の白い丸は普通のウサギ(輝夜は全部一括してイナバと呼んでいた)、薄紫とピンクは、鈴仙とてゐさんである。

 

 普段は警戒心丸出しでこちらを見てくる少女と、趣味で迷いの竹林中に罠を張り巡らせる少女という俺に優しくないウサギ耳コンビだ。とはいえ、無事を確認できたのは嬉しいものがあった。

 

「おーい、俺だー! 無事だったんだなぁ」

 

 自然と声を弾ませながら、彼女達の方へ近づこうとする。

 

 鈴仙はその声にハッと気付いたように顔を弾き上げて、こちらに指を向ける。『はて、彼女はどうして俺に指を向けるのだろう』と思う間もなく、なんと出し抜けに弾丸を数発撃ってきた。

 そのうちの一発が、俺の辿ろうとしていた軌道とぴったりと重なっていた。

 

「ぐ、急になん──っ痛え!」

 

 あまりに突然のことであったので、回避行動をとる余裕が全くない。咄嗟に右手で庇ったのが功を奏して、その甲にもらっただけで済んだのが幸いだった。

 きりもみ回転になりそうな勢いを抑えながら降下する。

 

 涙目になりながら二人の前になんとか着地。

 頭が真っ白になりそうな程の痛みが断続的に右手を襲っていた。

 

 発砲してきた少女に目を向けると、鈴仙の表情は驚愕の色に染まっていた。どうやら相手が誰なのか把握しないまま、声のした方を目掛けてとりあえずで撃っただけであるらしい。物騒過ぎる。

 

 

 

……つい懸念してしまったのだが、相手が俺と認識した上でやった訳ではないようなので本当に良かった。

 彼女にはあまり好かれていないと思っていたが、遂に攻撃されるまでになってしまったのかと悲しくなるところであった。

 

 

 

 人里で偶に見かける薬売り衣装ではなく、永遠亭で見る女子高生のような制服を着た少女の隣で、てゐさんは『何やってんのこの子は』と呆れた視線を鈴仙に向けていた。

 

「び、びっくりしたじゃない。てっきりあのパパラッチどもに嗅ぎ付けられたのかと──」

 

「鈴仙、鈴仙。その前に、コイツには言うべきことがあるとわたしゃ思うんだけどねえ」

 

「うう、わ、分かっているわよ。勘違いしてゴメンなさい、フジミヤ」

 

「……お、おう、謝るんなら、そりゃ許すけどさ」

 

 鈴仙のワタワタしている様子から、本当に不注意からやってしまった行動であったらしい。咄嗟に射撃で迎撃してくるとか、まるでフィクションに出てくるベテランの軍人や特殊部隊員みたいな奴である。

 

 チクショウ、めっちゃ痛え──なんて愚痴を内心で盛大に零すことで、つい衝動的に『ゴメンで済むか!』と怒ってしまいそうになったのを堪える。そして、笑顔を作って全然気にしてないですよとアピールをする。

 

 少女たちの手前だ。

 

 彼女ら相手に怒鳴り散らすなどという行為は憚られる上、痛みでマジのガチに泣きそうになっているという情けないところを見せたくない意地が、俺にはあった。

 とはいえ声が震えているし、右手を痛がっているのは明らかだし、何より涙目はどうしても隠せないので、痩せ我慢しているのがバレバレであったことは間違いない。

 

 現に、てゐさんの『何やってんのこの子は』という呆れた視線が俺にも降り注がれていた。鈴仙も、なんだか憐れなものを見る目をしている。

 

 どうやらイラッとした事は気取られてはいないらしい。それは最低限成功したようでほっとする。ただ、転んで泣くのを我慢する子供を見るような視線から分かったが、痛みを堪えているのは隠し通せなかったらしい。精神的に未熟な部分を晒してしまったようで少し羞恥心を感じた。

 

 特に、鈴仙の真っ赤な双眼からは『大の大人がなに意地貼ってんのよ』という冷めた声が聞こえてくるようであった。

 

「はー、仕方ないわね。ちょっとその手、私に見せなさい」

 

「うん? お、おう」

 

 鈴仙の言う通りに大人しく右手を差し出すと、彼女は着用しているブレザーの内ポケットから小さな薬瓶と包帯を取り出して、弾丸が当たって少しだけ腫れてしまった患部を手際良く治療し始めた。

 医療道具を普段から携帯しているとは、伊達に八意先生の弟子を名乗っていないということか。

 

 彼女も根が善良なのだろう。真剣な様子で治療しながら手を握られていては、嫌味も一つとして飛ばせやしない。

 

 「何よ、別に大したケガじゃないのに」という呟きが聞こえた時は、流石にカチンときたが。

 確かに思ったよりも見た目がしょぼい怪我だったけれど、こちとら一般人である、痛いものは痛いのだ。

 

「──はい、終わったわよ」

 

「おう、ありがとな」

 

「ふん、別に礼はいらないわ。元は私が悪いんだし」

 

 治療を終えるとすぐさま俺から離れて突き放したような素振りで返答する彼女を見て、相変わらず嫌われてるなーと苦笑いする。

 

 一時は仲良くできていたというのに、いつだったか薬売りを頑張る彼女のことを応援しようと試みて失敗した時から、ずっとこんな調子なのである。

 何故、鈴仙はこんなにつんけんとした態度をとるのか? 実を言うと、その正確な理由を俺は知らない。あの時はむしろ彼女を褒め称える言葉しか言ってなかった筈なのに、なんとも不思議な話である。

 

 まあ、嫌いだというのなら無理にこちらから距離を詰める必要はあるまい。

 適度な距離感を測ることは、充実した人間関係を築く上での必須項目なのである。それは多分、外の世界でも幻想郷でも大して変わりはないだろうから。

 

 

 

 

 

 彼女たちを上空から見つけた時、そして会話していた時に感じた疑問が二つあった。

 

 右手の痛みがすっかり引いたことで、会話に集中する余裕ができた。彼女たちもどうして俺がここにいるのか疑問に思っているみたいだが、面倒なのでその説明はしないまま質問してしまうことにした。さっきの弾のお詫びだと思ってもらおう。

 グルグルと包帯に巻かれた手を撫でて労りながら、ウサギ耳の少女たちへと問いかける。

 

「なあ、ここで何をやってるんだ?」

 

 周囲はすっかり焼け野原。ちょくちょく火を免れた竹が立ってはいるものの、特に何にもない煙臭いだけの開けた空き地である。こんなところに集まって、一体何をしていたのだろうか。

 

 その疑問には、てゐさんが答えてくれた。

 

「何って、いつもの消火活動よ。あの不死人たちが暴れると、決まって私たちが後始末することになっているウサ」

 

 それを受けて、無意識に眉を顰めてしまう。やはりこの騒動の原因は、彼女なのだと確定していいのだろうか?

 

「……不死人ってのはつまり、妹紅がこの火災を引き起こした、ということですか?」

 

「ま、それ以外は考えられないよねー、直接見たわけじゃないけど。どうせいつものようにうちの姫様とやり合って、て感じでしょ? 毎回鎮火に駆り出されるけど、こんな広範囲を駆けずり回るのは初めてよ。忙しくて割に合わないわねえ」

 

 よく見てみれば、そのピンクのワンピースには所々煤がついていた。それは、鈴仙やウサギたちも同様である。

 ウサギ耳の少女とウサギたちというメルヘンチックな御一行が果敢に消火活動を行うという絵面は想像できなかったが、どうやら本当のことのようだ。

 

 そうだったんですか、と頷いて次の質問をする。

 

「じゃあ、さっき鈴仙が言っていたパパラッチって何のことですか?」

 

「それは、この騒ぎを嗅ぎつけて来た天狗どものことウサ。記事(ネタ)欲しさにあちこち無遠慮に飛び回って、消火手伝いの一つもしないサイテーな奴らよ」

 

「あー、なるほど。……いやでも弾を撃ち込むまでする必要はないと思うんですけど」

 

 なんだか天狗に対する当たりが異常に強いような気がする。

 天狗の知り合いなんていないのだが、今朝彼らの新聞が役立ったばかりであるからか、そんな天狗側の肩を持つような発言をしていた。

 

 とはいえ一度記事にしてばら撒いてしまったのと、火災の規模以外のことに関心が薄かったのであろうか。今日の迷いの竹林において天狗らしき影は一度たりとも確認できていない。

 出火原因すら推量程度に留めている辺り、天狗たちには真相を追い求めるジャーナリストとしての精神はあまり無いのだろうか?

 

 いや、そのぶん昨夜の火災中に(たむろ)っていたと考えるべきか。しかし新聞には鈴仙やてゐさんについては何も載っていなかったので、消火活動に勤しむ彼女たちの存在は“割愛”されてしまったという事なのだろう。

 何故だろう、後始末は一大スクープにならないと判断されたとか? だとすれば、人知れず奮闘していた彼女たちこそがこの大火災最大の被害者なのかもしれないな。

 

「そもそもアイツらの所為でここに悪評が流れ始めたんだから、鈴仙が咄嗟に撃退しようとしたのは判らなくもないね。結局空回りしちゃったけど。私は声だけで君だと理解できたんだけど、鈴仙は、ねえ」

 

 揶揄うような視線を鈴仙に向けるてゐさん。

 

 おちょくる口実が見つかったとばかりに目を光らせるその様は、まるでそれに生き甲斐を感じているかのよう。いや、実際に心の底から楽しんでいるのだろう。

 普段からトラップを好んで仕掛けているだけあって、その悪戯心は底が知れない。俺は過去何度も引っかかっている。それでも落とし穴なんかでは底に柔らかい土でクッションを作るなどをして、上手くイタズラの範疇に収めているのだから末恐ろしい。

 

 彼女はまさにイタズラのプロフェッショナルなのである。

 

「……何よ、私はもうフジミヤに謝ったからね」

 

 そんな悪魔の手には乗らないのだと、鈴仙は言葉少なに会話をぶっちぎった。てゐさんがそれを見てつまらなそうな顔になったことから、その効果は抜群であるらしい。

 俺は普段通りの様子で掛け合う二人を見て、『やはり火事くらいではびくともしないのだなあ』と永遠亭の少女たちの(たくま)しさを感じて安堵していた。

 

 

 

 

 

 

 ちょっとしたトラブルが発生してわちゃわちゃしてしまったし、途中からは完全に世間話に移行していたのだが、ひとまずこれで鈴仙、てゐさん、ついでにウサギたちの無事は確認できた。

 

 ふう、と息をつく。

 

 火事程度でどうにかなると信じてはいないものの、やはり実際に無事でいるのを見たら安心するものだ。

 あとは、輝夜と八意先生、それとできれば妹紅の所在を知ることができたら上出来である。

 

 しかし、そう事は上手くはいかないらしい。

 

 輝夜と八意先生は永遠亭にいて無事である。

 妹紅がどこにいるのかは知らない。

 

 彼女たちの所在を知っているのかと鈴仙たちに質問したところ、返ってきた答えは大方予想通りのものだった。

 

 

 

 

 

 迷いの竹林の大体は鎮火できたといっても、それでも未だに煙が上がっているところはあった。鈴仙とてゐさんはそれらを見て回って完全に消火させるのだと言って、俺と別れて行ってしまった。

 

 自分が直接安否を確認できたのは、あのうさぎ耳の少女二人のみである。しかし、彼女たちの証言のお陰で輝夜と八意先生も無事であるということが分かった。

 

 あとは、妹紅。

 ただ一人のみだ。

 

 彼女の行方を追うのであれば、最後にその姿を目撃した者に話を聞くのが最善であろう。そして、昨夜妹紅が決闘していたのではないかという推測がほぼ確定している以上、話を聞くべき相手はズバリあのお姫様しかいない。

 

 蓬莱山輝夜、次は彼女のもとへと向かおう。

 

 決闘が終わった後の別れ際に、妹紅と何か話をしていたのかもしれない。そうでなくても、何かヒントになる情報が得られるのではないか。

 そう期待して永遠亭の最奥、輝夜の自室を次の目的地と定める。

 

 まだ影すら踏めない妹紅の姿を追い求め、俺は再び永遠亭へと飛び立った。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

「そういえば、何であの男に対して態度が辛辣なの? 前は親しそうに話してたじゃん。その時には『あの鈴仙に春が!』と思って御祝いに罠の量をいつもの倍にしてあげたのに」

 

「へえ、あの時の罠の物量責めはそういう意図が……って『あの』は余計よ! てゐも人のこと言えたもんじゃないでしょ!」

 

「ん、まあそうだねえ。で、なんでなの?」

 

「何、そんなに気にすること?」

 

「うんうん、すごく気になるよー。教えてー」

 

「何よその棒読みは。はあ、まあいいわ。教えてあげる──あの男はね、ケダモノなのよ」

 

「……はい?」

 

「フジミヤは女であればなんでもいい、誰彼構わず襲おうとするケダモノだって言ったのよ。だってそうでしょ? 私のことを見つめて急に『ウサギ耳が可愛い』とか『その制服姿の方が可愛い』とか言ってきたのよ!?」

 

「んー? 別にそれ悪いこと言ってなくない? 逆に褒められてるじゃん」

 

「そう、褒めてきたというのが問題よ。あの時の彼の表情、まるで自分が言ったことを本気で信じているみたいだったわ。月に居たころ同僚に『その顔だと折角の制服も形無しですね(笑)』て言われるくらい私は可愛くないって自覚してるのに!」

 

「ええー、おべっかだとしてもそこは素直に喜ぶところじゃないの?」

 

「当時の上官からはこう教わったのよ、『男が世辞を言う所、下心有り』そして『男の下心これ即ち肉欲』だってね! ……そういえば、あの方も結構なご容姿だったなぁ」

 

「何その偏見に満ちた教え、月の教育はどうなってるウサか…? ていうかその理屈だと藤宮が鈴仙に好意を持ってるって事になるじゃん。え、ダメなの? 千載一遇のチャンスよ? 物にしない理由はないと思うけど」

 

「……別に、ダメとは言ってないわよ。ただ、『いいな』って思える人とプラトニックな関係を築くことが私の夢だったの」

 

「でもそれって鈴仙の勝手な願望よね?」

 

「──それはともかく、フジミヤは恩人でもあるし前はいい感じに仲良くできてたし『遂に浮かばれない私に運命の人が』と思ってた。それなのに身体目当てだったなんて。彼はケダモノよ、うう」

 

「拗らせてるわねー。ほら、泣かない、泣かない。はあ、仕方ないわね。当分の間は罠はなしにしてやるから元気出すウサ。(火事で全部なくなっただけだけど)」

 

「て、てゐ…! あんたって本当はいい奴だったのね、私誤解していたわ!」

 

「でしょ? 感謝しなさいよねー。(チョロいなー)」

 

 

 

 以上、二人の兎少女と共にぴょんぴょこ消火活動に従事するイナバ達の立てていた聞き耳より。

 




 

 キャラ崩壊タグをつけようかなと悩みましたがやめました 前書きに注意書きしてあるからでもありますし、今の所本編的には大きくキャラ崩壊していない(強弁)からでもあります 最後の会話オンリーの部分だけは、伏線も何もない“脳みそ空っぽ気持ちいいぃぃ”を体現した作者の見せた心綺楼という訳です(適当)

 まるで勢いだけのノリで成立していた、往年の短編SSものみたいだぁ

 一連の会話文をある程度書いた後に、地の文を挟み込み、その後読み返してまた会話文を整えて、また地の文を、という二段階右折も目じゃない位まだるっこしい執筆スタイルが基本なので、一発撮りかつ会話文のみだった場合どうなるんだろうという好奇心が刺激された結果がアレという訳です なので本当にオマケ程度に捉えておいてくださいまし ホントお願いします







 そういえば東方あべこべ作品群の末席に名を連ねるものとして、読者の皆様に伝えておかなければならないことがあったのをすっかり失念しておりました この場を借りて、その言葉を伝えさせていただきます 深くは気にしないでください これはあくまで慣例的なものなので


 もっと東方あべこべものが増えて欲しいなあ(チラッ
 

 この流れ誰が作り出したんだろ そんな疑問を感じつつ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

蓬莱人の戯言

 

 

「んー、妹紅の行方? さあ? 知らないわねぇ」

 

 いつも玄関先で嫌そうな顔をしながらも応対してくれる鈴仙の不在のためか、珍しく八意先生がお出迎えしてくれた今日(こんにち)の永遠亭にて。

 寝惚け眼を擦りながら、『そんなの心底どうでもいい』とのお気持ちを表明する姫様の姿が、俺の眼前にあった。

 

 

 

 

 

 迷いの竹林という迷宮の最奥にひっそりと佇む永遠亭。その和風で雅なお屋敷の、そのまた更に奥まったところに存在する一部屋。隔離に隔離を重ねたようなその場所に、かの“なよ竹のかぐや姫”こと蓬莱山輝夜は居た。

 

 なんとこのお姫様、日も高くなってきた時刻であるのにも関わらず、さっきまでご就寝であった様子。

 

 普段のサラサラとした艶やかな黒髪がほんの少しだけ乱れてしまっている。さらに、着替えの際に注意散漫であったのか着崩れしていた。

 

 なんともだらしのない恰好だった。これを常人が行っていたとすれば、相手から顰蹙(ひんしゅく)を買うこと間違いなし。

 しかし、このとき着崩しているのは()()輝夜で、その相手というのはそんな彼女を傾国の美女と見做してしまう俺であった。

 

 それ故に『だらしない』という印象よりも、『異性相手になんと無防備なことか』という悲しき男心の方が先に湧き立ってしまっていた。

 

 欠伸でしっとりと潤んだ瞳に思わず見惚れそうになる。少々緩んではだけている彼女の襟元に、つい視線を差し向けてしまいそうになる。

 いやはや輝夜の美しさにはすっかり慣れたつもりであったが、こうして寝起き姿といういつもと違ったアクセントを見せつけられると、こちらとしては参ってしまうこと他ない。

 

 いつだったか『枯れている』なんて揶揄された事もあったが、俺は全くそんな事のない健全な男の子なのだった。

 

 今現在も、扇情的とすら形容できる輝夜の姿を見てすっかり理性が揺さぶられてしまっている。

 きっと他の男性も今の彼女の姿を見れば、その理性は全て溶けてしまうこと請け合いだ。尤も、彼らの場合は悪い意味でなのだろうが。

 

……輝夜は、俺が堪りかねて襲いかかってくるという可能性を考慮していないのだろうか?

 

 まあ、かねてより『私たちって“親友”でしょ? 少なくとも妹紅よりも』と一言多いながらも友情をアピールしてくる彼女のこと。そこら辺は信用してくれているのだろう。

 或いは、自身の容姿を冷徹に俯瞰していて『そんな事態は決して起こり得ない』と思っているのかもしれない。

 

 それに、例え『万が一』が発生したとしても恐らく彼女は気にしない筈だ。

 

 無論、その行いを許容するからではなく、余裕でその不埒者を撃退する力を持っているからという意味合いだ。

 輝夜と妹紅の話を聞く限り二人の実力の程は互角であるようだし、とすると当然俺なんか簡単に追い払えるのだろう。

 

──生憎、と言っていいものか。その“決闘”とやらを直で目撃した事は一度もない。

 

 しかし、ボロボロの姿になって戻ってくる妹紅と、並々ならない様子で愚痴を言ってくる輝夜を見てきた経験から、結構荒々しいキャットファイトであるらしいことに俺は薄々勘付いていた。

 それでも二人を止めなかったのは、それが彼女達なりの人付き合いの形なのだと思って尊重していたつもりだったからだ。

 

 

 

 しかし、その考えを改めるときが来たのかもしれない。

 今回は、大火災に発展するまでの大ごとになっている。そして、俺は未だに妹紅の無事を確認できていないのだ。

 放っておいた事柄を、不穏な兆しを感じ取った今になってやっとストップをかけようとするのは、非常に虫の良い話だとは自覚している。

 それでも許されるのであれば、彼女たちの決闘の最中に割って入る事も厭わない──

 

──やっぱ嘘。

 

 己の戦闘力を冷静に加味すると、実力行使で介入するのは俺には不可能だとはっきり分かる。遠巻きに停戦を呼びかける位が精々であろう。

 まあ、出来る事がゼロであるというよりは、まだマシなのだと思っておこうか。

 

 

 

 

 

 最後に妹紅と会っていたのは輝夜だ。それは間違いない筈。ならば、その輝夜から話を聞けば妹紅がどこへ行ったのか、少なくとも何かしらのとっかかりが掴める筈だ。

 

 そう意気込んでここまで乗り込んでいたので、輝夜からの『知らない』という簡潔な返答に鼻白んでしまう。とっかかりすら得られないとは思わなかった。

 とはいえ、そう言われて『はいそうですか』と即刻諦めるという選択肢は俺にはなかった。少しでも情報を得られないかと食い下がる。

 

「いや、それでも何か変わった様子とかなかった?」

「別に普通だったわよ」

「本当か? ちょっとした違和感があったりとかしなかったか?」

「なかったわね」

「例えば、いつもより気が立っていた様子だったとか」

「いいえ」

「思い当たる節とか──」

 

 しつこく食い下がってみても、輝夜はバッサリと切り捨てるのみ。

 

「あのねぇ」

 

 いやでも何かないか、としつこく聞かれるのにうんざりしたのか、今度は彼女の方から話を切り出してきた。

 問答を繰り返すうちにすっかり眠気が抜けてきたようで、その双眸はしっかりと俺を見据えていた。

 

 

 

「貴方は妹紅の身が心配だって言うけれど、正直それは余計なお世話だと思うわよ?」

 

 

 

……散々な言われようである。

 

 しかしそれは、俺が妹紅に拒絶されているからというわけではなく、ただ本当に『妹紅の身を心配する必要が全くない』と冷静に判断している様子だった。

 一体何を根拠にそう言えるのだろうか?

 

「余計なお世話ってなんで?」

 

「知っているでしょ? 私たちが“蓬莱人”だからよ。

 ───ま、見せた方が理解はしやすいかしらね」

 

 スッと音もなく立ち上がると、部屋の脇に置かれていた木製の洒落た小物入れからハサミを取り出した輝夜。

 それを手に取ったまま、俺のすぐ隣に近づいて座り込む。

 ふわっと香るいい匂いに気を取られたせいもあって、俺はこれから何が始まるのかを全然察することができない。

 

 少女は、お茶目に軽くウインクした。

 

「……よく見てね?」

 

 袖を捲り上げ、その細腕、特に手首をこちらの目の前に突き出すように見せつけてくる。

 もう片方の手に握られたハサミを、そのほっそりとした手首へとゆっくり近づかせ、

 

「何を──」

 

 そのときになって、やっと嫌な予感がした。

 

 『いや、そんな訳ない』と頭で否定しながらも、それを止めることができなかった。違和感を覚える暇を与えないそのスムーズな動きに、自分がそれだけ戸惑っていたからなのだろう。

 

 

 

 

 

 

「えいっ」

 

 彼女はその鋭利なハサミを開き、片刃を手首に押し当てそのまま引く。

 その動作に全くの躊躇いは感じられず、いとも容易く()()は行われた。

 たらりと流れる、その鮮やかな赤い雫をぼんやりと見て、やっと輝夜が何をしでかしたのかを把握する。

 

──自分で自分の手首を切りやがった。

 

 あまりの出来事に頭を殴られたかのような衝撃が走って硬直してしまう。が、それは一瞬のこと。

 

「馬鹿、何やってんだ! 早く手当てしないと──」

 

「落ち着きなさい。大丈夫よ」

 

 慌てて立ち上がろうとして輝夜に制止される。

 

 『大丈夫』って全然大丈夫じゃない。動脈は避けたようだが、それでも出血してしまっている。静かに流れていく赤の液体は、決して見間違いの類のものではない。

 そんな見るからに痛そうな状態であるというのに、彼女は平然とした態度を一向に崩さない。

 むしろ、俺の慌てる様子を見て楽しそうな表情すら浮かべているではないか。

 

 自傷して、笑っている。

 突然そんなものを見せられて、困惑することしかできない。

 

 痛くないのか? 何故そんなに落ち着いていられるのか? どうして笑顔なのか? そもそもこんな事する理由は?

 溢れ出す大量の疑問の処理に苦労する。しかし、『よく見てね?』という言葉だけはしっかりと覚えていた。

 狼狽しながらも言われたままに傷ついた手首を見ていると、さらに衝撃的なことが起きた。

 

 

 

 なんとその手首が、自然と治っていくのだ。

 

 動画を逆再生したかのように、腕を伝って滴り落ちていた血液が今度は逆に登っていき、そのまま切りつけられた箇所まで戻る。

 その傷ついた部位までも、見る間に治っていく。

 

 やがて、傷つけられた筈の輝夜の細腕は初めから何もなかったかのように元通りになった。

 切り傷や血が伝った痕跡が跡形もなく消失して、そこには綺麗な白い肌があるのみ。

 

 

 

 ハッとして視線を上げると、『ほら、大丈夫だって言ったでしょう?』とでも思っているのか、輝夜は得意げな顔をしている。

 

 

 

 それを見つつ、俺は“蓬莱人”という存在の特異さを肌で感じ取って身震いしていた。

 

 『不老不死である』という程度の情報しか知らなかったのだが、さらに蓬莱人には『高い回復能力がある』という特徴があるのだと思い知った。

 

 怪我した部位が自然治癒する、というのはごく普通に起こる生体反応だ。

 そこいらの野良妖怪でもすると聞くし、何より俺のようなただの人間であってもその機能は備わっている。当然、小動物や魚なんかも持っている。生き物として備わっていて当然の能力だ。

 

 ただ、輝夜が見せたように、あんなにすぐに治ってしまうというのはあり得ないことだ。

 再生能力と呼び表すには、あの光景は些か以上に常軌を逸していた。通常であれば生理的に発生する筈の瘡蓋(かさぶた)の類すら必要としていなかったのだ。

 目の前で起こった非現実的な一連の流れを、一言で表すのならこれしかない。

 

 まるで時間が遡っていくようだった、と。

 

 

 

 

 

「結構驚いてくれたみたいね。妹紅から、蓬莱人の体質について事前に聞かされていなかったのかしら?」

 

 輝夜からそう呼び掛けられたので、沈んでいく思考を一旦止める。

 色々と言いたいことができたのだが、ひとまず彼女からの質問に答える。

 

「……いや、聞いてないな。まあ、俺からもあんまりそこら辺には触れないようにしていたから、というのもあるんだろうけど」

 

「あら。それはどうして?」

 

「ん、前にちょっとあってな──って、それは今どうでもいいだろ」

 

 以前、喧嘩別れのような事をしてしまったことを思い出して、顔が自然と苦いものとなる。

 その様子を見てさらに好奇心が掻き立てられたのか、輝夜は声を弾ませて追撃してきた。

 

「えー、何々、秘密ってことなの? そうなると俄然知りたくなるわね。ねえ、私たちって“親友”でしょ? それなのに隠し事なんてするつもり?」

 

 このお姫様は、『親友』という言葉を盾にすれば俺からなんでも聞き出せるとでも思っているのだろうか?

 

「別になんでもないって。ええと、それよりもだな……」

 

 話が逸れてきたのを意識して、畳みかけられる質問をバッサリとカットして話題を無理やり元の軌道に戻す。

 輝夜としても無理に聞き出すつもりはなかったらしい。名残惜しそうな顔をしながらも大人しくその誘導に従ってくれた。

 

「さっき言っていた『余計なお世話』って、つまりは『蓬莱人は決して死なないのだから態々心配する必要はない』ということなのか?」

 

「ご名答、その通りよ。きっと妹紅のやつも、今頃何処かをほっつき歩いているんじゃないかしら? そのうちしれっとした顔で戻ると思うわよ?」

 

 実際には決闘の後の妹紅の姿を確認していないというのに、随分と自信を持ってはっきりと断言するものだ。

 不安という単語が一切含まれていない。聞いた自分も『確かにそうだ』と思わせるほどの心強さが確かにその言葉にはあった。

 

 

 

 

 

 なんだか妹紅との付き合いの長さの差を見せつけられたような心地がした。それと同時に、ほっと胸を撫で下ろす。

 

「──ま、やっぱそうだよなー」

 

 全然居場所が掴めなくて知らずのうちに焦っていたのだろう。

 

 輝夜から妹紅は大丈夫だと太鼓判を押してもらった事で、逸っていた気分がやっと落ち着いてきた。

 妹紅の昨日の様子をしつこく聞いてきた俺に、恐らくだが輝夜はさぞ辟易としたのだろう。だから態々身体を張って蓬莱人という存在の頑丈さを見せつける事によって、その不安は杞憂なのだと教えてくれた。

 その行いにはきっと脱帽して、惜しみ無い感謝の言葉を送るべきなのだろう。

 

 

 

 

 

 しかし、である。

 

 

 

 

 

 ふと、思考が深いところへと落ちる。

 

 手首に刃物を押しつけている時の彼女の表情は、普段談笑している時に見せるものと全く同じであった。

 

 慌てふためく俺を見ながら笑うというのは、いつもと変わらない。

 

 それ故、まるでいつもの会話の延長線であるかのように自傷し始めたことに、俺と輝夜の間に尋常ではない程の“常識”や“価値観”というものの隔たりを感じた。

 人を驚かす為だけに、自ら進んで自傷行為を行う。

 

──彼女はきっと、気が狂っている。

 

 一瞬、ゾワリと鳥肌が立った。

 

 いや、その言葉はきっと自分にそっくりそのまま返ってくる。一丁前に人の感性を非難する資格は、俺には存在しない。

 では、俺と輝夜は似たもの同士ということなのだろうか?

 

 またそれもいや、と否定する。自分と彼女を重ねて考えるなど、それこそ正気の沙汰ではない。『仲間』が欲しいと過去に一度も考えたことがない訳ではないが、“霊力”と違って俺のこの異様な感性は誰にも共感されないものであるからして……

 

 兎も角、だ。

 

 まるで自分の身体をなんとも思っていなさそうなその様子に、俺は文句をつけたくなった。不満感が生じてそれがそのまま勢いよく大きくなっていくのをひしひしと感じる。

 

「ふふっ、貴方の驚いた顔。中々の傑作だったわよ」

 

 丁度、輝夜がその事について話してくれているので、それに乗っかる。

 

 文句と言っても彼女のさっきの行動を軽く咎めるだけでいい。

 これはあくまで、俺の常識に照らし合わせて導かれた感想なのである。輝夜にも、輝夜なりに培ってきた常識というものがある。無闇矢鱈にこちらの常識を押し付ければ良いという訳ではない。

 

 輝夜なりの考え方を否定せず、それでも辞めさせるように頼むというのは、一体どんな言葉であれば成し遂げられるのか。

 ひとまずは彼女との会話を続かせて、その糸口がないかを探ることにした。

 

 ギシリ、と心が軋む音がする。

 

 

──どうして、あんな事をしておいて平然としているんだ?

 

 

「……急に目の前であんな事されたら、誰だってびっくりするだろうよ」

 

「でしょう? やってあげた甲斐があったわねー」

 

 くすくすと心底可笑しそうに笑うところを見て、努めて愛想良く振る舞い相槌を打つ。無理をしていると自覚しているせいなのか、自然と口角がヒクついてきた。

「全くしてやられたよ」なんて言って適当に返しつつ、なんだか非常にムカっ腹が立っている様子の自分をどこか冷めた目をしながら自覚する。

 

 一体何故なのだろう?

 

 

──どうして俺は何事もなかったかのように、平気な顔でヘラヘラ笑いながら彼女と会話してるんだ?

 

 

「もっとこう、演出を加えるべきだったかしら? 深めに切って激しく血を噴き出させるとか。ああ、でもそれだと部屋が汚れてしまうかしら」

 

 ずっと持ち続けていたハサミをまた手首まで持っていって、チャキチャキと何回もそこに突き立てるふりをする輝夜。

 

「あー確かに。八意先生に叱られるだろうからやめた方が──」

 

 自分の自傷行為を悔やむどころか、それを茶化したように言い表す彼女の姿を見て、この沸き立つ怒りがどこからくるものなのかを一歩引いた視点で把握する。

 

 

 

 

 

 ああ、成程。きっと、自分は自分で思っているよりも輝夜のことを大事に思っているのだろう。

 そんな大切な人を、あろうことかその本人が粗雑に扱っている。その上自分から傷をつけている。

 

 なんと嘆かわしい事なのだろうか。

 なんと腹立たしい事なのだろうか。

 

 自分の怒りの原因が明確になった事で、あの笑えないドッキリについて自分から言及する勇気が湧いてきた。

 

 しかし原因を突き止めた副産物か、それと同時に怒りも消えるどころか更に湧いてくるとは予想外である。それを表に出さないよう細心の注意を払いながら、輝夜に話しかける。

 

 

──ああ、とてもイライラする。

 

 

「……アレなんだが、金輪際もうしないって誓ってくれないか?」

 

「何よ、そんなに肝を抜かすほどだったの?」

 

 割と率直に要求するつもりで発言したのだが、輝夜はその苦言を自分の都合の良いように解釈したらしい。

 ドッキリ大成功とばかりに楽しそうに笑う少女を見て、いよいよその憤りが抑えきれなくなってきた。

 

 

──どうして、自身を傷つけておいてそんな笑顔を浮かべられるのか。

 

 

「ふふ。だったらいつかまた、もっとスゴイものを見せてあげ」

 

 堪え切れず、彼女の言葉を遮る。

 

 

 

「……もう、二度とやらないでくれ。正直、まったく笑えなかった」

 

 

 

 少し声が低くなってしまったからか、それは思ったより冷たく響いてしまった。いや、自分はまさしくそれほどアレに対して強い不快感を覚えていた、という事なのだろう。

 

 

 

 

 

 ビクリ、と輝夜の笑顔が固まった。

 

 当然のことだ、さっきまでヘラヘラと笑って同調していた相手が突然その意見を翻したのだから。

 その驚きは相当なものだろう。

 

「え、えーと。それは、どうしてかしら?」

 

 彼女は戸惑っているだけで、どうしてこちらが不機嫌になったのかは全く心当たりがないらしい。

 

 その聞いてくる姿にはいつものような優美さはなく、『何か取り返しのつかない事をしてしまったのでは』と怯える普通の少女がそこにはあった。

 

 面白そうに揶揄うお転婆な姿から一転して、随分としおらしくなってしまったものである。こちらの機嫌をひっそりと窺うように見上げてくる少女を見て、内心やっちまったなと後悔する。

 

 積もる激情を抱えきれなくなったからって、人に八つ当たりするなんてどうかしている。

 苛立ちを表に出してもしょうがないぞ、俺。

 

「どうしてってそりゃあ──」

 

 だんまりである訳にもいかず、一回喋って間を持たせる。彼女は、次に俺が何をいうのか聞き逃さまいと縮こまりながらも集中しているようだった。

 

 まるで、それを知らなければ“先”がない、とでも言わんばかりに。

 少々の違和感を覚える。輝夜ってこんなに打たれ弱い性格だったっけ?

 

 自身への悪評を知った時も『その自覚はあるわ、だからここで退屈しているんじゃない』と不満げながらも飄々(ひょうひょう)としていた記憶がある。

 俺から厳しい意見を出すのは今回が初めてのことなのだが、そんなに気落ちするような事を言ったのだろうか?

 

 何故そんなに凹むのか分からない。しかし、そのまま放置する訳にもいかない。

 

 努めて明るい表情と声の調子になるように気をつけながら、先程突き放すように言ってしまった言葉を補足する。

 

「あー、ほら。いくらすぐ治るからって自傷までする必要はなかったと思うんだ。だって、痛覚が全くないという訳じゃないんだろ?」

 

「──確かに痛みは感じるけど」

 

 その弱々しい声色に『ほんとどうしたお前』と素で聞こうとした口を一旦閉じて、優しめな感じで応対する。

 

「なら、やっぱりもうしない方がいいと思う。痛いのは嫌だろ?」

 

「まあ、そうね」

 

 それでも輝夜の顔に納得の色がない。

 

 痛みなどもはや慣れているから、という事なのだろうか? だとしたらかなりの重症だ。それを踏まえてどう説得したものかと少しだけ悩む。

 

 

 

 

 

 そして、一つピンときた。

 これが、恐らく最善手。

 

 

 

「なあ、俺たちって“親友”だろ? そんな親しい相手が怪我するのを良しとしないのは、当然のことだ。違うか?」

 

 

 

 本人が傷つく事に慣れているのならば、それを快く思わない者がここにいるのだと声高々に主張すればいい。加えて、『ねえ、私たちって“親友”でしょ?』という彼女の言葉をそっくりそのまま返してやる。

 

 “親友”という表現を普段から都合良く扱っている彼女への、良い意味での意趣返しというわけだ。

 自分にしては、上手く言い表せたのではないかと自画自賛する。

 

 

 

 

 

「────“親友”、ね」

 

 それを聞いて、やっと輝夜はくすりと笑ってくれた。

 

「はぁ、判ったわよ。もう二度とあんな事しないと誓うわ。“親友”を、いたずらに困らせるわけにはいかないものね」

 

 そして『降参だ』というように持っていたハサミを置いて、硬くなっていた表情を緩め普段のゆったりとした調子に戻る。

 

 

 

 

 

 どうやら説得と励まし、両方とも成し遂げられたようだ。張り詰めていた空気が弛緩した事を、確かに感じ取った。

 

「おう、頼むぞー。もう少しで心臓はち切れるかってくらいびっくりしたんだからな」

 

「ふふ、もし貴方がそうなったら本当に大ごとね」

 

 これ幸いと調子づいて盛んに話しかけると、輝夜もそれに乗ってくれた。

 

「だろ? これを見てくれよ、俺が蓬莱人だったらこの傷ももうとっくに治ってたんだろうなー」

 

 鈴仙に撃たれ、その鈴仙に手当てされた右手を輝夜に見せる。

 

 とっくに痛みはなくなったのだが、包帯に巻かれているという見た目は、それだけで『怪我をしました』という自己主張が強い。

 さっき体験したという新鮮さも相まって、咄嗟に挙げる話題として適切であった。

 

「さっきから気にはなっていたけれど、それはどうして怪我をしたのかしら?」

 

「ん? ああ、ちょっと下手打って鈴仙に撃たれちゃってな」

 

「……ああ、イナバが、ね」

 

 うふふ、と黒く笑い始めた輝夜を見て、あれ? と首を傾げる。

 

 あくまで話のネタの一つとして話しただけなのだが、何故だかやらかした感がすごい。そんな事を思った。

 

「安心してね、後で私からきつーく叱っておくから」

 

「あー、いや別にそんな事しなくてもいいんだが」

 

 嫌な予感的中の予感だった。

 

「遠慮しなくてもいいからね、なんたって“親友”なんだから。ペットなんだし私の調教術の見せどころね!」

 

「ほんと、別にしなくてもいいんだけどなー」

 

 

 

 鈴仙がこれによって、散々な目に遭う。

 その原因を知って、さらに俺に対する当たりが強くなる。

 それを俺が輝夜に報告する事で、鈴仙に指導が入る。

 指導により鬱憤を溜めた鈴仙が更に俺に対して……

 

 そんな無限ループが完成する未来が見えた。

 

 いやだよ、こんな不毛な永久機関。そうだ。俺が我慢すれば十分にストップできるのだから、次に鈴仙に虐められたら逆に『ドンマイ』とサムズアップして慰めてやろう。

 

 

 

 

 

 後にそれを実行して、『元凶が煽ってきた』とさらに鈴仙から煙たがれることになろうとは、その時の俺には知る由もない。

 

 

 

 

 

 やってやるわよー、と気合を入れる輝夜を見ながら苦笑しながらも対応する。

 

 これまで彼女が使っていた“親友”という言葉には、正直あまり中身が伴っているとは言えなかった。しかし今になって、そんな言葉に確かな意味が含まれ始めているのだと実感できる。

 

 親友。

 

 俺と彼女の関係性は、その文字通りには説明できない。とは言え、今やお互いにそう呼び合う間柄。

 

 親友。ではなく、“親友”。

 

 きっと俺らはそういう仲だ。その字面の持つ正確な意味合いは曖昧で、恐らく正確なところは自分と輝夜にも掴みきれていないだろう。そんな不思議でふわっとしていて──けれども確かな心地良さのある関係を築くことができた事を、朧げながらも自覚する。

 だから、このまま駄弁り続けるのは仕方のないことなのだ。

 

 “親友”との会話に一旦の区切りがつくまで、俺は輝夜の自室でお世話になるのであった。

 




 
 
輝夜「ここでリスカすれば分かり易いし面白いのでは?」テクビズバ-
オリ主「は? 何してんの?」ガチギレ


 厳密には違いますが、大体こんな感じをイメージしてください

 長年隔離されて生きてきたお姫様のギャグセンスの是非はお察しください それでも一端の蓬莱人ジョークなので、仮に東方projectの蓬莱人全員が一堂に集まって宴会でも開けば案外ウケるかもしれません まあそんな機会があればの話ですが


 シリアス描写ってむつかしい 作者的にはそんな回


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

藪の中

 今話で過去最多文字数記録を更新しました 皆さんは嬉しいかもしれませんが私は疲れました もうマジムリ失踪しよ…… (次話九割程完成済み)



 

 

 迷いの竹林で発生した、過去前例がないほどの規模だったという大火災。

 

 初めはそこに暮らしている俺の知り合いたちが犠牲となったのではとヒヤッとしていたのだが、今となっては永遠亭の皆と直接出会うことができてたのですっかり安心できている。

 

 だが妹紅のみ、その身の無事を未だに確認できていない。慧音さんからも依頼された事もあり、俺は彼女について特に心配していた。

 しかし先程の会話での輝夜からのお墨付きもあって、その不安も立ち消えている。

 

 

 

 

 

 そのお姫様に別れを告げて、永遠亭から再び妹紅の住む小屋までひとっ飛びする。

 鈴仙とてゐさん、それとウサギたちも消火活動を頑張ってくれたのだろう。俺がここに到着した時に未だは煙を上げていた所も、その殆どが鎮火されていた。

 

 お陰で、気分良く空を飛ぶことができている。

 

 今妹紅の小屋を目指しているのは、永遠亭でそこそこの時間が経過したのでいい加減彼女が戻っていてもいい頃合いなのではないか? という思いつきが頭に浮かんできたからだ。

 

 もしまた居なくても明日出直せば良い。慧音さんには経過報告をする必要はあるとはいえ、たったそれだけの話である。

 

 そのくらいの低めな期待値で目的地に到着したのではあるのだが、どうやら俺の思いつきは見事に当たっていたようだ。

 

 

 

 

 

 出る時にしっかりと閉めていた筈の障子が少しばかり開いている。そして何より昼間であってもほんのり薄暗い屋内を照らす為なのだろう、控えめな光量の灯りが中から漏れ出ていた。

 

……油があまりないからと、いつも行灯の使用を渋っていた彼女にしては珍しいな?

 

 なんてことを考えながら、俺はそのうらびれた小屋へ入ろうと建て付けの悪い障子を少し力んでガラリと開く。

 すると、その時を待ち侘びていたかのように、強烈な臭気が屋内からむわっと漂ってきた。

 

「う、ゴホ」

 

 不意打ち気味に鼻腔を直撃してきたそれは、まさしく酒精の香りであった。それも結構強めのやつの。

 

 咄嗟に鼻をつまみながら、新鮮な外の空気を入れてやろうと画策して扉を全開にする。

 

 何でお酒の匂いがするのか疑問に思って中をよく見てみると、そこには赤いもんぺ姿をした少女が一人で酒盛りをしていた。何も言わないままに見続けていると、彼女もこちらに気付いた様子。

 

「よ、何してんの。早くこっちに来なよ」

 

 藤原妹紅は俺を見て『一緒に呑もう』と手招きしてきた。

 

 器用なことに、一升瓶を片手で持って酒を溢すことなく湯呑みに注いでいる。その湯呑みは何時ぞやに俺が口を切ったのと同じものだ。

 というか、彼女はそれ一点しか食器というものを所持していないのである。

 

 普段の二割り増しに陽気そうな彼女の様子を見て、無事であることを喜ぶよりも先に『俺や慧音さんは本気で案じていたというのに、まさか当の本人は呑んだくれているとは』と思い、呆れた顔して白い目を向けざるを得なかった。

 

 “放火”という外の世界では勿論、人間の里でも重罪とされている事をしでかしておいて、まさかその翌日に気分良く酒を飲んでいるとは。

 

 肝が座っていると感心するべきか、サイコっぽいと恐れるべきか。

 

 先の火災で犠牲になったのは、数日後には元通りになっているであろう竹林のみである。そのことを把握していなければ、本気で怒鳴って叱りつけるところであった。

 

 そうならなかったことに安堵する。

 

 そして、輝夜の言っていたことを思い出して素直に感心する。『そのうちしれっとした顔で戻ってくる』、全くその言葉通りであった。

 

 

 

 

 

 少女と向き合うようにしてこちらも座り込む。そこはもう『いつもの』と呼べる程の定位置だ。ここに座布団の類がないのが毎回悔やまれる。

 すでに半分以上消費されているらしい一升瓶をチラリと見て、どうして訪れた一回目に妹紅が不在だったのかを理解する。

 

()()()に行ってたんだな」

 

「ん? ああ、まあな。迷惑かけたお詫びついでに、一杯ひっかけてきた」

 

「一杯、というにはデカすぎないか。その瓶」

 

「女将が厚意でおまけしてくれたんだ。そういや渡されたときに『もう二度としないでください』とか言われたなー」

 

「──それは厚意と言えるのか?」

 

 

 

……()()()とは迷いの竹林で時たま開店される、“夜雀”という妖怪が女将を務める八目鰻の屋台のことである。

 

 どこからともなく鰻のタレのいい匂いが漂ってくれば、よく俺と妹紅で顔を見合わせて小屋から飛び立っていたものだ。

 

 たかが個人(個妖怪?)経営と侮ることなかれ。

 

 豊富なレパートリーに裏付けされた料理の品々、厳選された美味い酒、そして女将による単独ライブが特徴の、人間の里の居酒屋と比べても超優良店と断言できるほどの屋台である。

 初めてその店を利用した際、女将さんは歌に聞き惚れている俺を見て、何故かクエスチョンマークを頭に浮かべていた。その事は未だに解せていない。

 とはいえ、そんな疑問も些事であると断言できるほど、あそこの料理やお酒は絶品だ。

 

 (俺から見て)可愛い少女である女将さん、その美声がフルに発揮される歌を聴きながら、妹紅と一緒に酒を呑み語らうというのは最高に贅沢で落ち着くひと時なのであった。

 

 

 

 あの羽の生えた妖怪少女も今回の火災には肝を抜かされたに違いない。妹紅にタダでお酒を渡したのも、火事の再発を憂慮したからなのだろう。

 『商売の邪魔をするな』という警告の意味合いを込めた行動であった可能性が高い。出禁にされないだけ有り難いと思うべきじゃないかなー、というのが俺個人としての感想である。

 

 迷いの竹林を主にして商いをしている彼女にとって、今回の騒動がいい迷惑だったことは想像に難くない。

 

 火災の犯人たる妹紅は、内心そのタダ酒の持つであろう意味をどう捉えているのやら。

 ちびちびと湯呑みを舐めるようにして傾ける白髪の少女の姿に、反省の色はあまり見受けられない。

 

「……ちょっとだけ分けてくれ」

 

 あまりに美味しそうに呑むものだから、“本題”も忘れてそれを所望する。

 

「ん、ほら」

 

 妹紅から手渡された湯呑みに口をつける。

 

 鼻を抜けるようなフルーティーな香りに『流石女将さんの出すお酒だ』と感心しながらも、やっぱり強めな酒精のキツさを味わってむせかける。

 アルコールに強いという自負を全然持っていないということもあり、結局それ一口だけで満足してしまった。

 

「ありがとな」そう言って返すと、『舌が子供だねー』と言わんばかりに妹紅は勝ち誇った顔で()()と一気に器を空にする。

 

 その勢いのままに再び酒瓶を傾け始めるのを見て、俺はすっかり酒好きが高じてしまっている彼女の姿にため息をついた。

 

「あのなー妹紅、いくら蓬莱人だからって不摂生していいわけじゃないんだぞ?」

 

「何を急に慧音っぽいことを。別に良いだろ? 呑み過ぎで倒れるようなことは絶対に起こらないんだしー」

 

 そう言って、俺の忠告を聞く事なく酒を(あお)る見た目未成年の少女。そのテンションがいつもより上昇しているのは確定的に明らかである。

 本当に彼女のことを心配するのであれば、あの一升瓶を取り上げるなどして無理矢理にでもストップさせるのが良いのだろう。

 

 しかし、俺にはそれができない理由があった。

 

 妹紅がこうして酒を好んで飲むようになったのは、自分が原因だからである。

 

 

 

 

 

 実を言うと、蓬莱人はその不死性故、酒に酔うことは絶対にない。

 

 これは、八意先生から教わったことである。

 

 新薬の実験に身をもって付き合うなかで、数刻の間横になって先生から経過をじっと見守られるという事が何回もあった。

 長時間安静にした場合とそうでない場合の対照がどうこうと説明されたのだが、結局その間立ち上がれもしないのだ。非常に退屈していた。

 

 観察する八意先生も同じことを思ったのであろう、それを紛らわす為に色々と知見に溢れたお話をしてくれた。例えば、今試している新薬の構成についてとか、気まぐれに竹林に住むウサギたちに知恵を授けているのだとか。

 

 その中に、蓬莱人の特性について軽く触れた時があった。

 

『蓬莱人という存在は“肉体”ではなく“魂”に依存している』などと相変わらずなんだか理解できるようなできないような、微妙な所を突いてくる八意先生に苦笑しながら、滔々と浴びせかけてくるそれらの蘊蓄(うんちく)話を確かに知識として蓄えていた。

 

 具体的な原理はさっぱりだが、要は『蓬莱人は身体に変調をきたすと平常な状態に戻ろうとする』ということなのだろう。

 その迅速さは、切り傷がすぐ完治した輝夜の手首を見たことで否が応にも理解できた。

 

 いつだったか本か何かで読んだ事がある。『酔う』という状態に入る為には、アルコールの作用を受けて脳を麻痺させる必要があるのだと。それと同時に肝臓で分解しきれなかった悪い成分が血中を流れ、身体に様々な影響を及ぼすとも書いてあった。

 

 いずれにせよ、酒により身体が平常ではなくなるということは間違いない。そして彼女たちの再生能力は破格なものである。詰まる所、蓬莱人が酒を飲んだとしても酔うより先に再生能力が発動して、素面の状態がキープされてしまうということだ。

 

 

 

 故に、蓬莱人は酒に酔うことがない。

 

 

 

 “酔っ払う”という気分を体感できない妹紅にとって、お酒とはお高いお値段だけが取り柄の、魅力も何も存在しない飲料なのであった。

 無料で出されるお冷で良くない? 態々それに金を払う必要ある? というのが彼女の言っていたかつての主張である。

 事実初めに一緒に飲みに行った時は、好んでお酒を注文する俺に対して、それはもう『微妙』という言葉がかっちり当てはまるような顔を向けていた。

 

 

 

 ではどうして今の妹紅は一升瓶を半分空かせる程の量の酒を飲んでいて、その上、酔えない筈であるのにほろ酔い状態みたいなテンションをしているのか。

 

 

 

 それは、俺がその時に『お酒はいいぞ』と熱弁を奮ってしまったからである。酒も入って気が少々大きくなっていたというのもあるし、何より美味いもんを彼女と共有したいという考えがあったのだ。

 それと見た目未成年の美少女に、飲酒を勧めてしまうというイケナイことをしている背徳感も少々あった。

 

 初めは懐疑的であった様子の妹紅も、飯と共に談笑しながら飲み交わすことで、その深い味わいを楽しむ方法を見つけることができたらしい。

 

 もごもごと口ごもりながらではあるが、初めて妹紅の方から呑みに誘われた時は『布教完了』と思って内心でガッツポーズをとったものだ。

 

 奇しくもその日は慧音さんと共に“なにかとズボラな妹紅の生活環境を改善させよう同盟”を締結した日でもあった。

 『環境改善を謳っておきながらお酒を勧めるとはアホな事をした』とその時は反省した。そして慧音さんに謝ったところ、意外にも彼女から逆にその継続を頼まれたのであった。

 

 てっきり叱られると思っていたので、その好意的な反応には終始頭を傾げていた。しかし、許可が出たのは事実。

 妹紅の数少ない理解者からの後押しもあって、その後は気負うことなく呑みに誘えるようになったのである。

 

 

 

 その回を重ねる内に、妹紅は身体的に酔うことはできずとも『その場の雰囲気で酔っ払う』という謎の技術を体得したらしい。

 その一風変わった特技のお陰で、俺は屋台や彼女の小屋などの場所は問わず、普段より幾分も上機嫌な様子の妹紅を確実に拝めるようになったのだ。

 

──そう、一緒にお酒を飲むことで。

 

 酒の持つパワーは蓬莱人の体質すら貫通するのか…! と、とびっきり感動したものである。

 

 

 

 

 

 

「おーい、なんか面白い話聞かせてくれ」

 

 そんな声に反応して妹紅を見ると、「何でもいいから」と言って明るく笑っている。見た目では分からないが、どうやら相当“出来上がっている”らしい。

 

……いや、そんなハードル上げられたら滅茶苦茶話しづらいんですけど。

 

 まったく仕方ないなー、何か最近で面白いことあったかなー、と記憶を探ろうとしてハッとした。なんとなくで酔っ払う妹紅のペースに付き合っていたのだが、そうしている場合ではない。

 

 俺はここに何をしに来たのか?

 それをすっかり彼女に伝え忘れていた。

 

 

 

『妹紅の無事を確認する』というタスクは、こうして出会えたことで既に完了している。

 慧音さんから頼まれた依頼はこれで終わりだということだ。後は人里に戻って報告するだけ。

 

 まあ、あの人とは今ちょっと精神的に対面し難いので、報告は手紙で済ませてしまうつもりではある。骨無しチキンとでも何でも好きに(なじ)るがいい、その覚悟は定まっている。誰に向けることなくそう呟く。

 

 因みに、その覚悟を勇気の方面に活かすという案は今のところないと断言しよう。

 

 

 

 ワクワクした様子でこっちを見る妹紅を見返す。

 笑い話として『俺、慧音さんに告白紛いのことをして誤解を解消させることなく逃げ出したんだガハハ』と言うのは論外だよなあ、ネタとしても人としても。

 なんて思考を片隅に追いやって、俺が再び妹紅の住まいまで足を運んだ理由──彼女に聞きたいことがあった、という用件を果たすべく問いかける。

 

「面白い話はまた今度な。それよりも、ちょっとだけ聞きたいことがあるんだけど、いい?」

 

「んー? なんだ?」

 

 お預けを食らったように不満げな表情を隠しもしない少女にそう詫びながら、俺は本題を成し遂げようとする。

 

「人里の皆も天狗も騒いでいたし、どうやら今回の火事はいつもより大分酷かったらしいじゃないか」

 

「……それで?」

 

「何故、大火災が起こったのかを知りたい」

 

 

 

 そもそもの始まり、事の発端について知りたかった。

 

 

 

「……あー、『何故』って言われてもなー」

 

 困った顔をしながら返答に詰まっている様子の妹紅。

 

 別に叱るつもりもないのだし、そんな大層苦悩をしているような顔をしなくても良いのに変だなあ。

 違和感を覚えながら、それでも『その口から答えを聞くまでいくらでも待つぞ』と念じながらじぃっと見つめ続ける。

 

 割と本気で気になっていたのだ。迷いの竹林の火事騒動の出火元が目の前にいる以上、その事情や真相に近づこうとするのは人としてごく自然な成り行きである。

 探求心を抑えきれずについ物事を詮索してしまうのは、どうしようも無い人間の業なのだから。

 

 

 

 

 

 やがて、妹紅は観念したように口を開いた。

 

「昨日の晩、輝夜とやり合ってな。その時の余波で竹林に火が燃え移ったんだ」

 

「ふむふむ、それで?」

 

 そこまでは、俺の予想や輝夜とてゐさんからの証言などで、あらかた想像できたことだ。

 

 過去にも何度も同じようなことが起きていたらしいという情報は、人間の里を出立する時点で得ていた。

 

 蓬莱人二人で決闘するその度に、鈴仙とてゐさんとウサギたちがその後始末をしていたのであろう。消火活動も、もはやお手の物であるに違いない。

 では、何故今回だけはそんなウサギ耳の彼女らの手が回らない程の大規模な火事になってしまったのか。聞きたいのはこれ一点だ。

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

 再び口を閉ざした妹紅を見て、緊張でゴクリと喉を鳴らす。再度沈黙しないといけない程の秘密がそこに隠されているということなのだろう。

 

──それが今、明らかになろうとしている。

 

 

 

 

 

「えーと、それだけなんだが」

 

「はい?」

 

 頬をぽりぽりとかきながら、困惑した様子でそう発言する白髪の少女。

 どうやら先程の沈黙は、証言し終わったというのに『まだ言ってないことあるんだろ?』という俺からの熱視線に困っていたかららしい。

 

「い、いやなんか、あるだろ? じゃなかったらなんで昨晩だけ大ごとになってたんだ? 今朝になっても人里の方だと『こんなの今までになかったことだ』って結構ざわついてたんだが」

 

「そんな事、私に言われてもなー」

 

 まるで心当たりがない。妹紅はそう主張するように首を傾げた後に、気を取り直したかのようにまたまた湯呑みに酒を注ぎ始めた。

 どうやら彼女は本当に、何故いつもの小火騒ぎが大火災へと変わってしまったのか思い当たらないらしい。

 

──本当に? 火を付けた張本人なのに?

 

 そんな懐疑的な精神状態が態度に出ていたのか、妹紅は慌てたように言葉を繰り出してきた。

 

「あ、あー、そういえば、昨日の夜はかなりイライラしていたからなあ。そのぶん輝夜との果し合いも激しくなっていたから、うん、そのせいなのかも」

 

「本当かー? なんだか嘘っぽい気がするような……」

 

「──本当だって、信じてよ」

 

「うーむ」

 

 嘘か真か。ついでに付け足されただけのように聞こえてくるその言い分を、俺はどう判断するべきか。

 

 少しばかり情報が足りない。

 

「なあ、『昨晩はイライラしていた』って言ったけど、それはどうしてなんだ?」

 

「別に大した理由じゃない。ふとした瞬間に輝夜のあの想像もしたくないほどの酷い顔を思い出して、ちょっと吐いたからってだけだ。あんたもそん時の気持ち、判るだろ?」

 

「うん、──うん?」

 

「だろ? だから無性に腹が立ってなあ。それに、あの時の私はいつもよりもかなり殺気立ってたし、傍目から見てもヤバいと思われたのか、妖怪が尻尾巻いて逃げるくらいだったさ」

 

「へえ、そうだったのか」

 

 情報が足りないと感じて軽く質問しただけなのだが、思いの外多くの情報を仕入れることができた。途中、何となくで頷いてしまってちょっと罪悪感に苛まれたのは妹紅にバレていないようだ。

 

 心の中で、輝夜に詫びを入れる。

 

 ホントごめん、幻想郷一の美少女だと俺は思ってるから許してくれ。なんてったって、俺たち“親友”だろぉ?

 

 今頃永遠亭の自室で暇してるか二度寝しているであろうお姫様に向かって念じていると、それを察知した訳ではないのだろうが妹紅がそんな思考に割って入り話し始めた。

 

「納得してくれたか?」

 

「あー、まあ、半分くらい?」

 

 勿体ぶったような口調でそう返す。彼女からするとその答えはかなり不満であったらしい。むっとした表情を見せてきた。

 

「なんだよ、『半分くらい』って」

 

「もう半分くらいは本当どうか疑わしいと思ってるってことだ」

 

「……それは、どうして?」

 

「うーん、『どうして』って言われてもな」

 

 気付けば、こちらが彼女にやった問答を今度が彼女からこちらへとやり返されている。

 それを意識しながら、何故彼女の『輝夜の顔を思い出してムカついたから』という言い分がいまいち信用に欠けるのかを脳内に二つリストアップする。

 

 

 一つ、最初、妹紅はやたらと答えるのを躊躇していたから。

 本当にその言い分が本音なのであれば、躊躇どころか逆に自ら進んで言い出してもおかしくないのである。

 妹紅と輝夜、二人はいつも嬉々としてお互いについて愚痴をこぼしている。言うまでもなく聞き手は俺である。そう、いつもであれば進んで話してきてもおかしくないというのに今回はそうしなかった。変だ。

 

 二つ、輝夜は昨夜の妹紅の様子を見て何の違和感も覚えなかったと証言していたから。

 俺が輝夜に決闘する前後の彼女の様子について聞いた時、その答えは全て『妹紅に特別変わった様子はなく、いつもと同じだった』というものであった。

 妹紅はその時『無性にイライラしていた』と言っていたのに、これはどういう理屈があっての食い違いなのだろうか。

 

 

 

 怪しい、すごく怪しい。

 

 

 

 なんだか本当に彼女のことを疑わしく思えてきた。単にこの火事騒ぎの真相を探っているだけだというのに、これほどの不信感を覚えるとは想定外だ。

 

 酔って機嫌が良さそうだった妹紅も、俺からのそんな視線を受けて明らかに興が削がれた様子である。このまま好奇心の赴くままに問いただすべきなのか、ちょっと逡巡する。

 

 妹紅は俺に対して何らかの嘘をついている。そんな確信が根付いていた。

 確かに根付いていはいるのだが──

 

 果たしてそれは、本当に彼女の気分を害してまで聞くべきことなのか。

 

 

 

 

 

「はぁ、まあいいか。」

 

 結局、無理に真相を追求することは俺と妹紅、両者にとって何も利益を生まないのだと判断した。

 強制的に白状させるだなんて芸当は、自分には不可能である。一度時間を置いて、彼女の気持ちに変化が起こる事を期待するしかない。しつこく頼み込んだとしても不況を買うだけで終わりそうな予感がする。

 

「変に疑って悪かったな。これ以上は、もう聞かないことにする」

 

 今回の迷いの竹林で発生した大火災。

 その原因は、()()イライラしていた妹紅が輝夜に決闘を挑んだことで発生した余波によるもの。

 

 それで、終わりだ。

 それ以上掘り下げることは、何もない。

 

 俺と彼女の間を流れ始めた微妙な空気感をどうにかする為に、そういうことにしておく。ことの真相はまさに(やぶ)の中、ということである。

 

 

 

「──そっか、それならいいんだ」

 

 

 

 そんな俺を見て心底ホッとしたらしく、妹紅はたっぷりと酒が注がれていた湯呑みを口に運んでいる。白けてしまった気持ちを切り替えているようだ。

 そのいかにも『あー助かった』という姿を見せられると、『やっぱり何か隠してるじゃないか』とツッコミしたくなる。

 

 だが、それをする前に話しかけられる。

 

「なあ、これから飲みに行かないか?」

 

 彼女はどうやらさっきまでの追求をなかったことにしたいらしい。これ以上深入りしないと宣言した手前、俺もその流れに追従することに決めた。

 

「ああ、いいぞ。……今朝から色々動いてて結構腹が減ったからなー、有り難くご相伴にあずかることにするわ」

 

「場所はいつものとこ」

 

「マジかよ。さっき行ったばかりなんだろ?」

 

「別にいいだろ。ほら、動いた動いた」

 

 妹紅はやおら立ち上がり、こちらにも離席を促してくる。片手には一升瓶の首を持ったままだ。『持ち込みはあそこの女将さんに歓迎されないだろうに』と思いながらも腰を上げる。

 一口貰っただけなのだが、あの酒はそれでも結構美味いものだった。それに釣られた訳では決してない。しかしながら、今はもう午後に差し掛かろうかという時間帯なのである。朝から何も食べていないので、いい加減腹が空いていた。

 

「ああ、酒瓶ごと持ってくんだ……取っておいたら?」

 

「いや、いい。今日で全部飲み切るつもりだったし」

 

「うわ、何というか流石だな。でもやっぱ呑み過ぎは良くないと──って早いなー」

 

 俺のお小言を聞かないふりしながら飛び立った妹紅。その、のらりくらりと世話焼きを回避する様は、全くもっていつも通りの彼女だった。

「おーい、置いていくぞー!」なんて調子良く呼びかけてくる彼女の姿を追って、俺も宙へと飛び立つ。

 

 

 

 

 

 妹紅が何かを隠しているのは明白だ。しかし、俺も美醜感覚逆転のことや能力のことなど、彼女にひた隠しにしていることは確かに存在する。

 

 だから、これでお相子なのだ。

 

 互いに秘密を抱えながらでも、それでもきっと俺たちを結ぶ絆は揺るがない。胸中を全て吐き出す必要なんて微塵もない。本音を把握する必要も全くない。互いに見せたい面だけ見せ合うことでも、充分に仲良くすることができる。

 

 きっとその筈だ。

 

 

 

 

 

 日はすっかり傾いていた。

 

 大半の竹林が焼失した為、現在はオレンジ色の西日がはっきりと差し込んでいる。珍しい光景だ。屋台に吊り下げられた『八目鰻』と達筆で描かれた提灯が、その陽光に照射されて赤く染まっている。

 

 まあ、赤地の和紙でできてるから初めから赤かったな。

 へへ、なんてくだらないこと考えてるんだ俺は。ああ、気分がいい、今の状態だと箸が転んでも大笑いできる自信がある。

 

「〜♪〜 ♪♪ 〜♪ 〜〜〜 〜♪♪ 〜〜〜 〜♪〜 ♪♪〜」

 

 カウンターの向こうにいる、見た目は少女なこの屋台の女将さんが、いつもの如くその喉の音色を麗しく響かせている。

 それを酒の肴にして、妹紅に注いでもらったお猪口を手に取ってグビーッと飲み干す。

 それがあの一升瓶、最後の一杯であった。

 

 いやあ、料理も美味いしお酒も美味いしで最高だなぁ!

 

 冬でもないのにおでんというのは、最初は戸惑ったが中々新鮮で良いものだった。

 充分に出汁が染みた大根がうまい、出来立てほやほやのさつま揚げがうまい、ゆで卵とこんにゃくがクッソ熱い! いやでもうんまいわー。

 酒の肴にぴったりだ。

 

……あれ、なんか他にも肴になる奴がさっきあったような。

 

 目の前のおでんの具たちに目を凝らしても、それら以外には酒の肴になりそうなものがない、あれー、どこやったんだっけ? 懐を弄っても出てくるのは財布と御札だけ。

 

 肴はどこに消えたのか?

 

 隣に座って徳利を傾けている赤もんぺの少女に質問して、それを明瞭にするしかない。

 

「妹紅ぉ、肴はどこにあるんだぁ?」

 

「サカナぁ? おでんに魚が入ってるわけないじゃん、出汁を泳ぐのか?」

 

「違う、その魚じゃない。強いて言うならこのすり身が魚だわ。ん、サカナ? ──おお、これが俺が今一番求めてたもんだ。もぐもぐ、うめえ」

 

「はっはっは! 酔い過ぎだろ、人のこと注意してる場合かなぁ?」

 

「俺は酔ってない! 妹紅も酔ってるじゃんかー」

 

「私は節度ってもんを弁えてんの」

 

「よく言うよ、初めはもじもじしながら『あ、あの、良かったらまた飲みに行かない?』って言ってたろ」

 

「バーカ、全然似てないね」

 

「馬鹿って言う方が馬鹿なんですー」

 

「はいはい」

 

「──ンフフ」

 

「え? 何で急に笑ったの? 怖いんだけど」

 

「へ、別になんでもないよう」

 

 鬱憤を溜め込むのは非常に良くないことだ。そういう時は、呑んでぱあっとストレス発散するのがいいに決まってる。

 そう直感してお酒を浴びるように呑んだのが、結果的に大成功だった。気付けば俺と妹紅の間に流れていた気まずい雰囲気が完全に吹き飛んでいて、そこには居心地の良い空気感ができていた。

 

 ふ、計算通り。

 

 妹紅もこの場の雰囲気に流されてすっかり酔っ払っているようである。やっぱり飲みニケーション、お酒は森羅万象の問題を解決してくれるのだ…!

 

 吐きそうになっていないのが奇跡的だ。

 

 無理矢理テンションを上げようといつもよりかなりのハイペースで飲んでしまったからか、いよいよ限界が近づいてきているのを感じる。

 

 さっきから自分が何をくっちゃべってんのかよく分からない。

 

 ただ、酔って機嫌が良くなっている妹紅と仲良く会話しているのだと確認できただけでもオーケーだ。

 彼女に嫌われるのはとても気分が悪いことなのだし、お酒の力を借りてではあるが、またいつもの居心地の良さを実感できて非常に嬉しく思う。

 

「♪〜 ♪♪〜 ♪〜 ♪〜♪ ♪」

 

 急に、眠たくなってきた。

 女将さんの歌声がちょうど良い子守唄のように聞こえる。

 とても癒される。

 

「〜♪〜 ♪〜 ♪〜〜 ♪〜 ♪♪ ♪♪♪ 〜〜〜」

 

 ああ、もう無理、眠気が……

 

 次第に重くなってゆく瞼を気合で開いて妹紅の方を見ようとしたが、その重さは想像以上のものであった。

 

 彼女がこちらに近づいてくるのを何となく意識する。

 

 台に上半身を預けうつ伏せ状態になっているのを見て、心配してくれているのだろう。妹紅もかなり酔いが回っているというのに、気をかけてくれるとは本当に感涙ものだ。

 もし酒を酌み交わしてなかったら、あのいざこざが合わさりこのまま冷たく放置されていた可能性が高い。

『やっぱ酒ってスゲー』と思いながら、眠りに落ちる。

 

 

 

 

 

 

 その直前、妹紅の顔がぬっと眼前に出てきて少しだけ驚いた。

 

 長い睫毛に、吸い込まれるように綺麗な深紅の瞳。

 普段はその瞳に、活発に燃えたぎる炎を幻視していた。

 しかし、今はその光を見出すことができない。

 まるで感情が凪いでいるかのようだ。

 

 

 

 いや、たった一つ、何かしらの激しい情動が確かにそこにはある。

 

 

 

 不思議なことに『真っ暗闇の森の中で出会った人喰い少女も、あんな瞳だったなぁ』なんて、全く関係のないことを思い出していた。

 

 あの時の妖怪少女の赤い瞳を、俺は何と形容していたのだろう? 濃い日常を過ごしてきた所為か、幻想入りしたあの日のことが遠い昔のようで。

 

 まるで思い出せない。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 翌朝、妹紅の小屋の中で目を覚ました。どうやら酔い潰れた俺を回収してくれたらしい。

 

 彼女に感謝と詫びをして、人間の里へと戻る。

 

 まず第一に優先するべきなのは依頼結果の報告だろう。古い長屋の自室へ戻って報告書をしたためる。

 

 当然、慧音さん宛の手紙である。

 

 まずは冒頭に、『先日のアレについては忘れてください』と気持ち大きめなサイズの文字で綴った上で、今回の依頼の成果を書き連ねるとする。

 

 といっても、報告すべきことは非常にシンプルなのであった。墨汁を染み込ませた筆をさらさらと走らせる。

 

 

『藤原妹紅の無事を確認できました』っと。

 

 

 それで書き終えてもよかったのだが、ついでとばかりに『彼女は呑気にお酒飲んでました』とササっと付け加える。告げ口してやろうという悪戯心半分、酒を飲める程度にはピンピンしていたのだと慧音さんに伝えて安心させようという気遣いが半分である。

 

 筆を置いて背伸びをする。後はこの報告書を適当な運び屋さんに渡すだけ。俺も運び屋を兼業しているというのに他を頼るとは変な話なのかもしれないが、これはやむを得ないことなのだ。

 

……リラックスしながら手紙を封筒に入れていると、ふと外の喧騒が気になった。といっても何か特別変な物音がする訳ではない。

 窓から差し込んでくる朝日に目を細める。そこからは人々の営みが織りなすなんてことない、ごくごく普通の喧騒が流れ込んできた。

 

 

 

 

 

 人間の里は、一昨日発生した迷いの竹林での大火災を全く意に返さずに普段通りの日常を繰り広げていた。

 当たり前のことである。大火災という非日常に見舞われたのは、迷いの竹林に住む者たちのみなのだから。

 

 では、翻って俺はどうなのだろう?

 

 いつも通りの日常を送ることを拒否して、迷いの竹林を飛び回り住人たちの安否を確認していくという非日常を選択した自分のことだ。

 

 まるでそれは、自分の居場所は“人間の里”ではなく“迷いの竹林”にあると宣言しているようなものではないか。そう思える自分がいた。

 少しだけ今の自分が置いている状況を考えて、それがあながち間違いでもないと判断する。

 

 

『幻想郷の常識を身につけなさい』

 

 

 八雲紫は言っていた。

 

 そう、あくまで“幻想郷の”常識と言っていた。

 

 俺という存在が安全に生きられるのは人間の里くらいなものであるというのに、何故に敢えて“幻想郷”などと広域を指す言い方をする必要があったのか。

 

 もしや人間の里ではない、幻想郷の他のスポットの常識を知らなければならないのだと、安全な場所に閉じこもっていては意味がないのだと、彼女は言外に伝えていたのではないか?

 

 大結界越えに何度も失敗しているのは、人里での暮らしだけで満足してしまっていたからではないか?

 

 仮にそうであるとしたら、現状は然程悪いものではないのだという可能性が濃くなっていく。今のところ自分の日常は、人間の里、博麗神社、迷いの竹林を中心として回っているからだ。

 

 俺のかつての生活圏は、人間の里と博麗神社のみであった。しかし、いつしかそこには新しく迷いの竹林を追加させていた。

 それは全く意図したことではなく完全に成り行きだった。しかしこのまま生活圏を拡大させていけば、俺は真に“幻想郷”の常識に影響を受けられるようになるのではなかろうか。

 

……これらはあくまで勝手な想像である。

 

 この考えが正しいものであるのか確認したい。今からでもあのスキマ妖怪と接触する機会を得たいところだが、いつ彼女が俺の前に姿を現すのかが分からない以上、この想像を確定させることができない。

 

 次にマヨヒガで藍さんに会った時に、自分がアイツに会いたがってるのだと伝えてもらおう。

 

 そう心に決める。

 そして外の世界への帰還に向け、今後の方針をしっかりと定める。

 

 

『積極的に人里の()の幻想郷の住人たちとも交流する』

 

 

 迷いの竹林はその第一歩。これからは、そこ以外の場所の住民とも関わっていくことにした。

 前提として外を(たむろ)する妖怪や妖精から襲われて自分の身を守れるのかどうかという初歩的な問題が思い浮かぶのだが、兎に角それを意識して今後の生活を送ることに決定した。

 

 

 

 

 

 『迷いの竹林の大火災』という非日常に端を発した今回の騒動をきっかけに、そういう方針が定まった。一旦そうと決まってしまえば以降の暮らし方に自信がつくというものだ。

 

 初めは肝を冷やされたその騒動に、今度は奮起させられるとは、全くおかしな話である。

 




 
 CAUTION!! 〜お酒は二十歳になってから〜

 日本人の過半数が本来お酒を飲めない体質であると言われています 飲み過ぎ、一気の強要、未成年へ飲酒を勧めるなどの軽率な行動は、節度ある大人として是非とも慎みましょう

 この先『お酒はいいぞ』というような文章が偶に出てくると思うので、注意喚起の為ここではっきりと明記しておきます 筆者自身飲めない人でもありますので

「ふっ、俺はそんな常識に囚われないぜぇ?」そう思ったアナタ 早々にぶっ倒れるか飲み友の肝臓を潰すかワッパをかけられるかの三択なので、自粛のほどお願いします

 東方だから、フィクションだから、許されることがあるのです 現実と混同させちゃやーよ




 さりげにオリ主の二十歳越えが確定してしまっている…… い、いや、まだ決まってないし? 選挙権と共に酒タバコの対象年齢が引き下がったイフの世界線という可能性がないわけじゃないし?(震え声)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

その夕刻、夜雀は

 おかみすちー好き
 


 

 

 私は()()の観客が酒に潰れて寝てしまったのを見て、気分良く歌っていたのを一旦止める。

 

「おーい、寝たのかー? ふふ」

 

 ぺちぺちと楽しそうに青年の頬を叩く、昨日の大火災を引き起こした張本人である妹紅さん。

 

 昨晩、彼女が呆れるほど激しい戦闘を繰り広げているのを遠目に見た。妖怪の類も少なくない迷いの竹林で、伊達に一人で居を構えていないんだなと感心する。

 妖怪の身であるのに変な話だけど、あの戦っている様子には感心と同時に並々ならない恐怖も感じた。

 離れていても身の毛がよだったあのヒリヒリとした殺気を思い出して、心が竦み上がるのを感じる。

 

 さっきまであの青年と無邪気に呑んでいたこの人がソレを放ってたなんて、何も知らない者からしたら絶対に信じられないだろう。

 

 

 

 常連客の恐ろしい裏の顔を垣間見て、私は怖くなった。

 そしてその翌日に当人がやってきた時、何となくの気分で屋台を開いた今朝の自分を殴りたくなった。

 命乞いの意味を入念に込めて、とっておきのお酒を彼女に納める。()()()()()()使()()()()()()()物だけど、実際今屋台に置いてある中だとそれが一番良いものだった。

 

 何故だかわからないけれど、酒瓶を手渡す前から彼女は既にご機嫌な様子だった。昨晩十全に暴れることができたから、気分爽快だったのかもしれない。

 

 

 

 この人は、歌を好まない。

 

 あの青年を連れ立ってくるようになる前は、ここには単純に料理を楽しみに来ているだけだった。私としてはとても悔しいけれど、あんなつまらなそうな顔で聴かれてはそのまま気にせず歌ってはいられない。なまじ歌声には相当の自信を持っていただけに、あの時ほどプライドが傷つけられたことはなかった。

 

 今となってはファンが一人新しく増えたのだから、それについて納得はしていないけれど溜飲は下がっている。

 胸を張って響子ちゃんに『熱心なファンがひとり増えたよ!』と自慢できるというものだった。

 

 

 

 

 

 ただ一つ問題なのは、()()()()()()()()()()()()ということ。

 

 そういう体質なのだと軽く本人から聞いただけだけど、折角いいのを揃えているのにお得意様に楽しんでもらえないとは勿体ない。

 最近になって、あの青年に付き合って酒を飲むようになってはいる。彼はきっと『彼女が好んでお酒を呑んでいる』のだと信じ切っているはず。

 

 でも、やっぱりそれはあくまでも“お付き合い”。彼女は彼に合わせて酔っ払ったふりをしているだけだった。

 

 

 

 事実、「よいしょ」と酔い潰れた青年を背負う、彼女の足取りには一切ふらつきというものがない。それに彼が眠るまでに見せていた、まるで本当に酔っていたかのように上機嫌であった表情も、今ではすっと消え失せている。

 

「世話になったな」

 

「いえいえ、そんな。またお越しください」

 

 能面を顔に貼り付けながら、お互いにそんな形式だけのやり取りをする。

 彼が見てない時、この人は大体あんな感じで白けた顔をしている。

 

 それでいて、チラリとでも視線を向けられようならば、すぐに表情を取り繕って酔った風に見せかける。その驚くほどの豹変っぷりには思わず舌を巻くほど。

 あの弛んだ顔は、きっと彼を相手にした時限定なんだろう。

 

 勿論、彼女の交友関係を全て把握している訳ではないけれど、当たらずも遠からずという感じがする。

 

 私と同じであまりよろしくない容姿をしているから、前々からちょっとだけ親近感を覚えていただけに少しだけ残念に思う。さっきまでの仲睦まじい男女二人の様子は、私には少しばかり眩しかった。

 

 大事そうに男を背負いながらゆっくりと飛び去っていく白髪の少女を見て、彼女に対して少々の嫉妬を覚える。そして、あの青年には少なくない憐れみを感じる。

 

 今日の彼女はいつにも増して、彼に対して並々ならぬ執着心を見せているみたいだった。

 まるでそれは『これは私のもの』だと声高に主張するかのようで──

 

──私にも自分を見てくれる殿方がいたとしたら、あんな風に入れ込んじゃうのかしら?

 

 なんてことを独りごちる。

 そしてちょっとだけ考え込んで、流石にああはならないはずと思い直す。

 

 というかそもそもの話、あの二人の関係性って何なの? という疑問が湧いた。

 単なる知り合い? 気心の知れた友達? それとも恋人同士であったりするのだろうか?

 

 見た感じだと、あの青年とあの人は互いに好感を持っているのだと思う。それは間違いない。ただ、気になるのはその感情が同量のものではなさそうということ。

 

 彼から妹紅さんへの気持ちは、極々普通で真っ直ぐな友情という感じだった。それに対して彼女の方からの気持ちは、その、何と表現すれば良いのか。

 好意であるとは思うんだけど、ああして彼を騙しているあたり、なんだか二人の間に決定的なすれ違いがあるような……

 

 

 

 

 

 何でこんなに引っかかるのかなぁと半ば上の空になりながらぼんやりとしていると、バサッと何者かが空から降り立ったのを視界の端に捉えた。

 

「あやや、ここら一帯は火事に見舞われていたというのに、貴女はいつも通り営業してるんですねえ。商魂(たくま)しいようで感心感心」

 

 日もとっぷりと暮れ始め暗くなってきた迷いの竹林に降り立ったのは、鴉天狗で文々。(ぶんぶんまる)新聞を発行する、記者の“射命丸(しゃめいまる) (あや)”さんだった。

 頻度は少ないけれど彼女もまた常連客、にこやかな笑顔を浮かべて歓迎する。

 

「あら、文さん、いらっしゃい。ご注文は何ですか?」

 

「いえ、そうしたいのは山々ですが今日はプライベートで来ているのではないんですよ。仕事です仕事」

 

 今回、彼女は純粋に屋台を楽しみに来たという訳ではないらしい。

 

「少しだけ、取材してもよろしいですか? 勿論お礼は弾みます──そうだ、酒代という形でお一つ如何でしょう?」

 

 

 にこりと微笑むその顔には、そこはかとなく有無を言わせない強制力があった。

 断られる可能性があるとは微塵も想定していない強引な態度に、少々面食らう。

 

「え、えーと、それは構いませんけど」

 

「ああ、それは良かった! ここは意思疎通もままならない下等な妖怪ばかりなので参ってたんですよー。お話できる相手に漸く接触できました」

 

 すらりと毒を吐く彼女には、愛想笑いで対抗する。

 

「……あはは、そうなんですか」

 

「あの蓬莱人たちに取材するのが一番の近道なんですが、何故やら上から止められているんですよねえ。いやはや、困ったものです」

 

 そう言いながら、文さんは屋台の中へと入って席に座った。そして一本だけ指を立ててお酒を注文してくる。

 一合分、という訳ではない。一升分のお酒を彼女は所望している。驚くことではない。天狗という種族が大いにお酒を好み、お酒に非常に強いことは有名な話なのだから。

 

 正しくその注文を承知して、お猪口と未開封の一升瓶を手渡す。

 

 てっきり早速取材に取り掛かるのだと思ってたけど、そうではないみたい。のんびりと飲み始めた鴉天狗を見て、取り敢えず世間話をすることにした。屋台の店主としての癖がついつい出てくる。

 と言っても急には適切な話題は思いつかない。なので、さっきの会話をそのまま続けることにする。

 

「『上から止められている』って、どうしてなんですか?」

 

「曰く、私が『新聞で迷いの竹林に対して挑発行為を行ったから』だそうです。いやー、全く心当たりがないんですけどねえ」

 

「何か出鱈目なことを記事にした、とかではないんですか?」

 

「うーん、確かに『迷いの竹林に潜む日の本一醜悪な化け物』という見出しの記事を書いたことはありましたが、別に出鱈目じゃないですからねえ。事実をモノにしただけで挑発行為と断定されるのは理不尽ですから、多分それは違うでしょう」

 

 「あの蓬莱人の顔は数日間夢に出てきました。おお、怖い怖い」なんて(おど)けたように喋ってお猪口を傾ける文さん。

『貴女も他人のことを揶揄できる顔立ちではありませんよね』と客観的に指摘しようとして、その直前で思い(とど)まる。

 

 いけない、お客様は神様。お客様は神様。

 今の私は接客中だということをうっかり忘れるところだった。「…はあ、そうなんですか」と返事を無難なものにしておく。

 

 ペラペラと話されたその内容からすると、まさにその記事が原因じゃないかなーと思った。だけどそれは口に出さない。経験から培われた接客術の基本中の基本、『お客さんの意見を否定しない』を実践する。

 

 そのお陰か、彼女の話はまだまだ続く。

 

「今回の事件はどうも()()()んですよねー。私だけでなく他の天狗たちにも圧力がかかってしまっていて、下知された今朝になってからというもの我々はすっかり大人しくなってしまいました。昨晩は『えらいこっちゃ』と大はしゃぎしていたというのにね」

 

「あら、それは変な話ですねー」

 

「でしょう?」と大袈裟に頷く文さんには悪いけど、私は単に相槌を打っているだけ。そんな同志がやっとできたみたいな反応をされても困る。

 

「あの大天狗は以前に多大なる経済的貢献をしただとかで調子に乗っているんでしょうが、あの玩具のカードにかまけるあまり鴉天狗の本分を忘れてしまったんですかねえ。ま、せめてもの抵抗として、既に仕上がっていた記事を色んなところにばら撒けたのが幸いでしたが」

 

 そう言って『してやったり』とばかりに話す文さんに合わせてまた相槌を打つ。取り止めもなく溢れ出す話から察するに、どうやらかなりの鬱憤が溜まっているみたいだった。

 先程からお酒を消費するのが異様に早い。

 

 

 

 

 

 そのまま彼女の愚痴に付き合っていると、いつの間にか酒瓶の三分の一くらいまで目減りしている。

 にも関わらず、このお客さんの顔色は平常そのもの。そして一方私は愚痴を聞くのに終始するせいで歌う暇もなく、若干の不満が溜まってきた。一人ではお酒を楽しまない妹紅さんの時といい、この屋台をちゃんと利用してもらえているのか今一度問い質さないといけないのかもしれない。

 

……素直にここを楽しんでいるのは、もうあの青年くらいしかいないんだなぁ。

 

 もてなし甲斐のある彼の存在を有り難く思っていると、文さんはふと気がついたように話しかけてきた。

 

「そういえば、私は取材をしに来たんでした。不躾ですがこのまま始めてもよろしいですか?」

 

「ええ、いいですよ」

 

「ま、取材と言っても簡単な質問を一つするだけなんですけどね。ミスティアさんも気を楽にして答えてくれると助かります」

 

 そして彼女はどこからともなく革の手帳を取り出して、メモを取る姿勢をする。『気を楽にして』と言った割に、本人は真剣そうな様子で質問してきた。

 

 

 

「ではお伺いします。──昨晩発生したここの火災について、何か知っていることはありませんか?」

 

 

 

 今日の彼女は幸運に恵まれていると断言していいかもしれない。

 一番最初に取材する相手が、その事件の一部始終をしっかりと目撃しているのだから。

 

「……あー、そうですねー」

 

「お、いい反応です。お聞かせ願えますか?」

 

 確かに私は心当たりというか、その原因を知っている。というか火災を起こした本人から『迷惑をかけてすまなかった』との謝罪の言葉を直接聞いているまである。

 だけれど、お客さんのことをみだりに触れて回るというのは気が引けた。しかも相手は新聞記者。変な風評が広がることにでもなったら、それを知った妹紅さんに叱られてしまう。

 

 脳裏に最悪の未来が浮かんできた。憤怒の表情をしながら私をとっちめようと迫り来る彼女の姿が見える。

 

──焼き鳥にされちゃう!

 

「い、いやあ、うーん」

 

「……お聞かせ願えます、よね?」

 

 しかし、その私の葛藤など知ったことではないと言うように、彼女が鋭い眼を向けてきた。

 天狗という種族の、いや“射命丸 文”という圧倒的な個の存在から放たれる重圧を受け、思わず悲鳴を上げてしまった。

 

 前門には文さん、後門には妹紅さん。

 生命の危機を肌で感じる。

 

 でも、一旦の危機を乗り越える為にはやっぱり目の前の鴉天狗の要求を飲むしかない訳で──

 

 ぐすん。この新聞記者に『何か知っているな』と嗅ぎ付けられた時点で、私が情報を提供することは既に決まっていたのかもしれないわぁ。

 

 

 

 

 

 

「いやー貴重なお話、どうもありがとうございます」

 

「はい、どうも……」

 

 うう、喋ってしまった……

 

 内心で罪悪感に苛まれていると、満足そうに手帳を仕舞い込んだ文さんは席を立ち上がった。取材を終えて用は済んだみたい。

 『まだお酒が残っていますよ』と伝えようとすると、酒瓶はいつの間にか空っぽになっていた。

 

 そのことにびっくりしていると、彼女は屋台から離れて今にも飛び立とうとしていた。取材という名の強制取り調べ中に、ちょっと気になったことがあったのを思い出したので呼び止める。

 

「あのー、文さん」

 

「はい? なんでしょう」

 

「“取材”と言っても今のを記事にはできないんですよね? えーと、大天狗、でしたっけ。上からやめるよう命令されてるって言ってましたし」

 

「はい、今のお話を記事にすることはありませんよ。いやあ、本当に口惜しいものです」

 

 それを聞いて、ホッと胸を撫で下ろす。お客さんについての情報を、不特定多数にばら撒かれるという最悪の事態は回避できそうで安心した。

 しかし、彼女の言うことが本当かどうか疑わしく思う私も確かにいる。

 

「命令を破ろうとは思わないんですか?」

 

「──悲しいことに、上からのお達しには逆らえないのが組織人の性分というものなんですよ」

 

 とほほ、とそう心底嫌そうに言う文さんの言葉は、到底嘘だと思えなかった。

 もしや命令に背くことを承知の上でこうして取材し回っているのでは、という考えは間違っていたみたい。

 

「じゃあ、どうして貴女は記事にできないのに取材するんですか?」

 

 鴉天狗は、自費で新聞を発行するほどの新聞好き。そう思ってたからこそちょっと引っかかる。

 記事にできない事件を調査するという行為は、彼女にとって何の価値もない行動なのでは? かなり苦痛なのでは? と自分なりに案じたつもりだった。益がないのに、何故わざわざ自らの足を用いて調べているんだろう?

 何か深い理由があるのかもしれない。

 

「どうしてって、そんなの簡単に判ることですよ」

 

 バサリ、と黒く艶めく羽を広げて勢いよく飛び立つ文さん。くるりと背を向けられたので、彼女が浮かべている表情は全くうかがえない。

 

「私は『清く正しい射命丸』です。記事にできなくとも真相を探りたいと思うのは、“一人前”を自負するブン屋として当然のことなのですよ」

 

 彼女らしくもない、どこか真剣さを孕ませた口調でそんな言葉を残していった。

 利益がなくとも真相の究明には努力を惜しまない──それが文さんの信念なんだなぁって感心して、去っていく彼女の姿を目で追おうと夜空を見上げる。

 しかし、あんまりに速いせいで目ではとても追いきれず、そこには星空が瞬いているだけだった。

 

 

 

 

 

 文さんが何処かへと飛んでいった後、お客さんも来ないので屋台のテーブルの後片付けをする。

 とは言っても、お猪口と一升瓶を一つずつ掃かせるだけなのですぐに終わった。

 布巾で台をきれいにして、食材やお酒の在庫を確認していると酒瓶の数が心許なくなってきたのに気づく。

 

……ま、仕方ないかぁ。

 

 今日だけで酒瓶を二本も出してしまった。

 妹紅さんと文さんに一升瓶を一本ずつ手渡したからそれは当たり前のこと──と、そこまで考えて自分がひどいやらかしをしたのだと気がついた。

 しまった! と頭を抱える。

 

 文さんから酒代を徴収できてない。

 

 彼女は「取材料を酒代として支払う」と言っていたのに、結局払わないままに立ち去ってしまっていた。

 最後になんか格好つけていたのは、私がその口約束を思い出さないよう時間稼ぎをする為だったのかもしれない。

 タダで情報を抜き取られてしまった。その事実を、今になってようやく理解する。

 

「何が『清く正しい射命丸』よ!! 無銭飲食するような奴が名乗っていい肩書きじゃないわ! 完全に詐称よ!」

 

 悲痛な叫びが迷いの竹林を木霊した。

 

 

 

 同刻、『フハハハハハー』と高笑いしながら夜空を駆ける鴉天狗の姿が目撃されたとかされなかったとか。

 






 食い逃げとかマジ? 幻滅しました、花果子念報の購読やめます



 何気に本文全通しでオリ主の視点がない初めての回となりました そんな映えある(?)今話の語り手として選ばれたのは、ミスティアローレライさん(“みすちー”とも呼称される(歌が上手い(普段着も可愛い(でも女将姿の方が個人的に佳きかな(鳥料理撲滅運動をしている(夜雀の鳴き声を表記すると珍々(可愛い結婚しよ(てか鰻食べたい))))))))でした





 おや!?
 もこう の 様子が……!

 BBBBBBBB


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四章 魍魎跋扈す紅き館
招待状は突然やってくる


 

 

 何事もなく、人間の里で平穏な日常が流れてゆく。

 

 と言っても本当に何事もなかったという訳ではない。先の竹林火災のような大規模な事件は発生しなかったというだけだ。

 藤見屋として仕事に従事する傍ら、人間の里の住民たちと交流したり、妹紅や永遠亭の皆の元へ行ったり、博麗神社で霊夢やそこに集まる人妖らと遊んだりと、それはもう充実した日々が続いていた。

 

 最近起きた事件らしい事件といえば、前に人里で発生したあの事件くらいなものか。

 

 

 

……あれは、『夜間働きに出ている間に食器の類が玄関先で粉々になっている。何度買って補充しても新しいものから割られていく。これ以上の金銭の損失を防ぐために、見張り番をお願いします』という居酒屋勤務の朴訥(ぼくとつ)そうな男性からの訴えを受け、その依頼を引き受けたことから始まった。

 

 聞いた限り、あまり穏やかな話ではない。『万一犯人と居合わせたら、可能であればこれも捕らえてほしい』とも頼まれていたからだ。

 

 正直、自分はそういう捕物の経験が豊富だとは言えないのだが……

 

 数ある何でも屋たちの中で俺に白羽の矢が立ったのは、空を飛べるのだからそのぶん逃走した犯人を捕らえやすい筈などと依頼人が考えたからなのだろう。

 初めは運送屋のつもりで藤見屋を名乗り始めたのであるが、近頃はどちらかと言うと便利屋としての仕事の方が多くなってきたな──とその時は自己分析したものだ。

 

 

 で、実際に依頼人の住まいにお邪魔して色々と聞き込みなどをしてみると、以下のことが判明した。

 

 一つ、依頼人が外出する前と帰った後の戸締り確認は完璧だったこと。

 二つ、被害に遭っているのは依頼人の家のみだけであるということ。

 三つ、依頼人は一人暮らしなので同居人が犯人という説は通らないこと。

 四つ、依頼人は人当たりが良く、誰かから恨まれるようなことは考えにくいということ。

 

 それらを総合して、特に一つ目と四つ目を考慮すると、そもそもこの事件は人間の仕業なのだろうか? という疑問が浮かんできたものだ。人間が犯人だとすると、戸締りをどう突破したのかだとか、依頼人に固執する理由はなんだろうだとか、引っかかる点が多い。それよりは、妖怪による気まぐれな悪戯であると考えた方がまだ筋は通る。

 

 事実、よくよく集中して件の食器棚を観察してみると、そこには僅かながらに霊力っぽい何かしらのパワーの痕跡が残っていた。

 

 犯人は人間ではなく妖怪などの超常的な存在である可能性が高くなった──その事実を把握した時は、勘弁してくれと頭を抱えたものだ。

 

 もし捕物になる様ならば、遠隔から一方的に霊力の弾をちまちま撃って犯人を降参させようと計画していた。なのに仮に犯人が人間以外の、具体的にはこちらの攻撃を屁にも思わないような強めの妖怪などであった場合、その作戦は通用しない。

 

「あー、もし犯人が妖怪の類だったら、この件から手を引いてもいいですかね?」

 

 暗に『普通に負けちゃうし危険だから、この依頼ナシってことにしていい?』と依頼人に伝えると、「(あやかし)の仕業なら、尚更貴方の出番ではないのですか?」とキョトンとした顔でのたまわれた。

 

 どうやら自分のことを退魔師か何かだと勘違いしている様子であった。それを見て、確かに“何でも”屋って言うけど、別に“何でもできる”とは言ってないんだけどなー、と思い微妙な心境になった。

 

 結局「あまり期待しないでくださいね」と釘を刺しておくに留まった。無闇に自信がないと依頼人の前で弱音を吐くものではない。ひとまずやってみないと分からないと思い、気が進まないながらも依頼に取り組む事に決めた。

 

 日も暮れて依頼人が仕事場に行って暫く、部屋の隅で隠れながら食器棚の方を監視していると()()は起こった。

 

 なんと、棚が一人でに開いたのである。

 典型的な心霊現象だった。

 

 普通ならビビるべきところであるのだが、自分はかつてあらゆる心霊スポットを巡っていた身。ポルターガイスト現象に遭遇するのは初めてではなかった。

 

 あの時はどうやって対処したんだっけかと思い出そうとしていると、その棚が開いたことでできた隙間の暗闇から、にゅっと人の手先と足先が出てきた。その大きさは赤ん坊と同じくらい。

 その光景にあっけに取られていると、ソレは棚から抜け出して床にすちゃっとヒーロー着地した。

 

 大皿に小さな人の手足がついたソレの正体は“付喪神”、そしてそれはそのままこの家で頻発する食器破損事件の犯人であった。

 

『あー、強力な妖怪や悪霊とかじゃなくて良かったー』とソイツを見て、俺は安堵した。

 見るからに弱そうであった。

 

 そして取り敢えず弾を一発ソイツに撃ってから捕まえにかかる。ちょうど着地の衝撃で膝を悪くしたのか、その動きは緩慢だった。容易く捕まえて用意していた縄で縛りつける。

 それでもなおジタバタと暴れたので、常時携帯している『ありがた〜い博麗の御札』を貼っつけてやるとやっと大人しくなった。生えていた手足も消失してすっかりただの大皿に戻っている。

 

 流石霊夢が(やっつけ作業だが)作成していた封魔アイテムである。その効果は抜群であった。

 

 夜が明け依頼人が帰ってきたのでその大皿を見せて、夜間何が起きたのか説明する。

 すると、『その大皿は昔から大事に使っていたが、新しい皿を買ってからは棚の奥に仕舞い込んでいて、今になるまでその皿の存在をすっかり忘れていた』という話を聞くことができた。

 

 この事件の真相は、詰まるところ付喪神化した大皿による依頼人に対する復讐劇であった。

 

 いつ付喪神となったのかは分からないが、新しい皿が重宝される一方で自身は棚の奥で埃をかぶっているという状況に耐えられなくなったのだろう。

 使用者に対して抱いていた思いは果たして怒りなのか、それとも嫉妬なのか。付喪神が沈黙してしまった今となっては誰にも分からない。

 

 ただ、依頼人は相当数の皿を台無しにされたようだし、これを気味が悪いと思っているのかもしれない。そう思い当たって一つ提案する。

 

「ええと、この大皿、どうしましょう? 馴染みのお寺があるので宜しければこちらで引き取って供養しましょうか」

「……いえ、元はと言えば私の落ち度。自分を戒める為にも、その皿は今後大切に扱うことにしました。藤見屋さんも夜通しの見張りでさぞ大変だったでしょう、本当に有難う御座います」

「いえいえ、それ程でもありませんよ」

 

──なんて会話を最後にして、その事件は幕を閉じたのである。

 

 あの付喪神は完全に祓われたとは限らない。そして、まだ依頼人のことを恨めしく思っているという可能性は十分にある。再び同じ事件が起こるかもしれない。

 

 本当にあの事件が再演されるのかどうかは、今後の依頼人の動向次第ということだ。

 もしまた困ることになるようならば、再度手を貸すことも(やぶさ)かでない。

 ただし、報酬は上乗せさせてもらおう。

 依頼人の彼には高い勉強代だと反省してもらって、またあの付喪神と向き合っていただきたいものだ。

 

 

 

 人間と付喪神が共存して生活を送る。

 思い返せば、知り合いのあの唐傘の妖怪少女も自分を付喪神だと名乗っていた。案外そんなケースは珍しくないことなのかもしれない。

 

 そんな非現実的な日常が起こり得るとは、つくづくこの幻想郷というものは非常識だなぁと感心してしまう。

 

──尤も俺の場合、感心するだけで終わらせてはならない。それを学んで経験して実感して、自分の常識を更新させる必要があるからだ。

 

 このことを面倒だと感じるか、面白いと感じるかは人によって分かれる所だと思う。

 

 果たして俺は、そのどちらなのだろうか?

 

 まあどちらにせよ、それを成し遂げないと外の世界には戻れないのである。どうせやらなくちゃあいけないのなら、楽しんだ方がきっとお得なのだろう。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 今日は依頼も用事も特にないことだし、久しぶりに一人心の赴くままに人里をぶらぶらしようか。

 

 そう思い立って外へ出た。

 

 ガラガラと五月蝿(うるさ)い引き戸を閉めてしっかりと戸締りする。ふと横を見ると、そこにはいつものように縦長の木の板が立てかけられていた。その板には流麗な字体で『藤見屋』と書かれている。

 

 これは、我が稼業の看板だ。

 

 初見だと何屋なのかさっぱり分からないだろうが、今のところこれだけで必要な情報は伝わるらしい。この看板を表に出してからというもの、うちに依頼してくれるお客の数が気持ち増加傾向になった。

 

 これは大皿付喪神化事件の追加報酬として、後日依頼人から古い看板を貰い受けた後に加工したものだ。

 

『あの時の経験もあって、この古くなった看板をあっさり処分するべきなのか迷ってるんですよね』と、あの依頼人の居酒屋に行った際にそう相談された。

 看板があったらなーと過去に考えていたのを思い出して、『だったら自分が引き取りますよ』と願い出た。その後、軽く日曜大工気分でチャチャっと手を加える。そうして完成したものがこちら、ということだ。

 

 残念ながら、この看板に書かれた文字の達筆さは俺によるものではない。

 

『さあ、書くぞ』と筆を構えたまさにそのとき、折良く自室を訪ねてきた慧音さんにお願いして一筆入れてもらったのである。

 

 まさにベストタイミングだった。

 

 DIY中に彼女がやって来てくれなければ、この看板を見た時にお客さんが受ける印象は大層微妙なものになっていたことだろう。

 

 この立派な看板を一丁前たらしめているのは八割がた彼女の字の巧さによるものだ。

 そのお礼として前に慧音さん宛に高級な茶菓子を贈っていた。数日後これまた達筆な文字で感謝の気持ちが綴られた手紙が送られてきて、なんとも心が温まったものだ。

 

 

 

 ちなみに、前に告白紛いのことをした件については既に大体の決着がついている。スッキリと誤解は解かれているのだと断言しよう。

 

 ただその後ふとした瞬間にバッチリ目があっちゃったりして、お互いに気まずくなることが増えてきた程度の影響しか出ていない。俺を相手にした時だけ、彼女のパーソナルスペースがグッと広がるようになった程度の影響しか出ていない。そんな両者の絶妙な関係性の変化を嗅ぎつけたおませな寺子屋の子供たちに冷やかしを入れられるようになった程度の影響しか出ていない。

 

 そう、繰り返すようだがこれらの事から分かる通り、あの件はもう決着済み。決着済みったら決着済みなのだ。本人が言っているんだから間違いない。

 

『あれ、失言ってかなり尾を引くんだな』と実感して割と後悔している訳ではない。本当に。

 

 

 ハァ、とため息をつく。

 

 

 真面目な話、もし仮に──本当に万が一にも満たない極小の可能性の話だが、慧音さんから愛の告白なんかされても、俺はその求めに応えることはできないのである。

 

 それは、慧音さんでない他の誰かでも同じこと。

 何故なら、将来的に俺は幻想郷を去ることになるからだ。

 

 今でさえ、仲良くなれた幻想郷の人たちといずれお別れしないといけないという悲しい未来を考えないようにしているというのに、である。その彼ら彼女らの中に新しく“想い人”を追加させるなどという所業は、自分にはとてもできそうにない。

 

 『愛別離苦』なんて仏教用語が頭にチラつく。

 

 懇意にさせてもらっているお寺の住職さんが説法していたことだ。『愛するものと別れる苦しみ』というのは、多少の覚えがある。今度は自ら進んでそれを味合わなければならないというのは、どうにも気が進まない話だ。

 

 

 

 

 

 そうやって、物思いに耽っている間にも癖でふらふらと出歩いていたらしい。

 気がつくと俺は大通りに出ていた。そのことを意識した瞬間、わっと耳に人々が雑踏する音が押し寄せてくる。

 まわりの喧騒が聞こえない程度には、それだけ集中して思案していたということだ。移動中に通行人とぶつからなかったのが奇跡的だった。

 

 ひとまず通りの端に寄って、往来する人たちの邪魔をしないようにする。

 

 あんまり暗い思考をしていてもしょうがない。

 折角の休日なのだ。

 ここは財布の中身を空っぽにするくらいの勢いで何かしら買ったり、飯屋で普段よりお高めなやつを食ったりで豪遊しようじゃないか。

 

 男一人で、というのは少々絵面が寂しいのかもしれないが、俺としてはもう慣れたもの。むしろ最近は一人で気ままに休日を過ごす機会が大分減ってしまっていたので、今日は久々にゆったりできそうでワクワクしている。

 

 

 

 無意識に通りに出ていたと言っても、迷子になった訳ではない。通りに並んでいる呉服屋やらのお店から、今の現在地点は容易く推量できる。ここはうちのボロ長屋からはそう離れた場所じゃない。

 

 ちょっとだけ、小腹が空いているのを自覚した。

 

 さて、ここから一番近い食事処や茶屋はどこだったかなーと思い出そうとしていると、丁度俺から見て大通りの真反対側に、珍妙な服装を着た女性がいるのを視認した。

 

 

 

……いや、つい“珍妙”と表現してしまったが、これには少々の語弊がある。何故なら、“変わった姿をした人”というのはこの人間の里においてそこまで珍しいものではないからだ。

 

 ごく稀に、刀を携えた少女が幽霊を引き連れながら物凄い量の食料を買い込んでいるのを目撃することもあるし、黒子で顔を隠すという怪しい恰好ではあるが何処からかやって来て寺子屋の子供たちを人形劇で楽しませてくれる人(服装から判断して恐らく女性?)もいる。

 

 一風変わった風体の人間も、騒ぎを起こさないのなら一旦は受け入れて(または見て見ぬふりをして)おく。

 これは、里の人間たちが共有している暗黙の了解だ。

 

 そんな理由もあり珍妙な服装が然程目立たないこの幻想郷において、俺がその服装に注目することになったのはそれなりの理由がある。

 

 その服装を外の世界で見たことがあるからだ。

 

 正確には、“見た”というよりは“知っていた”と言うべきか。

 生憎と直接お目にかかる機会は一度もなかったのだが、まさかこの幻想郷であの服装をする人を見かけることができるとは。

 

 内心、かなり感動していた。

 

 

 

 そこにいるのはメイド衣装を着た少女だった。それもミニスカートの。

 

 

 

 遠目からの判断しかできないが、髪色が銀色っぽくて目立つのでそれも俺が彼女に視線を向けることになった一つの要因なのかもしれない。

 

 そのメイド衣装をした少女は、どうやら通りがかる人たちに何事かを尋ねて回っているらしい。道行く人一人一人を呼び止めて、何かを質問しているようだ。

 

 しかしながら、その取り組みは順調ではないように見える。

 

 彼女に話しかけられた人は皆すぐさま首を横に振っているし、何よりメイドさんの姿を見た瞬間に踵を返して離れていく者たちがいるからだ。

 

 その数は益々増えてきている。

 

 そうこうしているうちに、メイドさんの周りには誰も寄り付かなくなった。少女の立つ場所を中心として、すっかり人がいなくなっている。

 その近くで商いをしていた八百屋や酒屋のおじさんたちが、迷惑そうな視線を彼女に向けていた。道ゆく人々も、『早く立ち去れ』とでも言うように排他的な空気を少女に押し付けながら通り過ぎていく。

 

 その様に、俺は並々ならぬ違和を感じた。

 

 

……おかしい。確かにあの服装や髪の色は珍しいものだが、たったそれだけで人里の皆があんな辛辣な反応を示す筈がないのに。

 

 

 しん、とあの少女の周囲だけ、通りの賑々しさというものが消えて失せてしまっていて閑散としている。

 心なしか、彼女もそれに気づいて途方に暮れているようだった。

 

 なんだか可哀想だなあ。

 

 そう哀れに思ってメイドさんの方を見ていると、彼女はその視線を感じ取ったかのようにバッとこちらの方を見やった。しかし、俺と少女の間に人の往来を挟んでいるが為に、当然目が合うことはあり得ない。

 

 あり得ない、その筈なのだが。

 

 

……やべ、目が合った。

 

 

 そう、直感的に理解した。

 

 訳もなく反射的に視線を逸らそうとしたのだが、メイドさんが真っ直ぐこちらに向かって歩き始めたのを見た瞬間、それも諦めた。

 

 そのまま、まるでモーセが如く彼女は人の海を割って近づいてくる。

 

 俺は後悔する。

 絶対に、明らかに、確定的に、自分にとって良くない何らかの出来事が発生する。そんな予感がしたからだ。

 

 そして、覚悟を決める。

 面倒ごとという荒波に向き合っていく覚悟だ。具体的に説明すればその波に立ち向かうというよりは、波に流されていくというイメージが正しい。

 激流に身を任せ同化するということだ。単に諦めてるだけという可能性もあるが、それでも変に抗って荒波にもみくちゃにされるよりかは何倍もマシである。

 

 なので、開き直って近づいてくるメイドさんをよくよく観察してみると、結構な美人さんであることが見て取れた。

 

 外の世界だとああいうコスプレみたいな恰好をして目立ちたがる人は、大抵の場合皆揃ってよろしくない顔をしていたので少しばかり意外に思う。

 もしかすると、周囲の人たちが彼女を避けているのはそういう外見を忌避してのことなのかもしれない──人間の里で外見での差別が横行している可能性は、あまり考えたくないことであるが。

 

 

 

 メイド姿の少女からは、どこか大人びた雰囲気が見て取れる。しかし頭に付けた白いカチューシャやサイドに結われた三つ編みによって幼さも同時に感じられて、なんだかミステリアスな印象を受けた。

 

 そのメイドさんは遂に俺の前まで辿り着くと、優雅な仕草を一つしてから話しかけてきた。スカートの端を摘んで軽く頭を下げられただけなのだが、その動作は非常に洗練されたものだった。

 

 その声も透き通るようで聞き心地が良い。

 尤も、その内容はまったくと言っていいほどに聞き心地良くなかった。

 

 

「貴方、さっきからジロジロとこちらを見ていて随分と暇そうね。見せ物ではないのだけど?」

 

 

 怒っているような、どうでもいいと思っているような、そんな微妙に判断のつかない声色である。

 表情の方からも、その内心は窺えない。全くのポーカーフェイスだ。

 

 とはいえ、腹を立てている可能性は十分にある。まずは不躾に観察していたことを謝るのが優先事項の筈だ。

 

「あー、すみません。その服装がとても珍しいものでしたから、つい──」

 

「そう。謝るつもりがあるのなら、代わりに一つ協力してくれないかしら?」

 

「はい、分かりました。何か聞きたい事があるんですよね? お役に立てるといいんですが……」

 

 先程まで、彼女は何事かを聞き込んでいるようだった。そう、まるで過去に俺が付喪神の事件の時にやっていたように。

 メイドさんの様子を見ている俺の脳裏には、あの事件について快く情報を提供してくれた人たちのことが重なるように思い浮かんでいた。

 

 彼らの存在は、とても有り難かったものだ。

 

 自分もその一人になろうではないかと彼女に気を遣ったつもりで会話を踏み込んだのであるのだが、何故かその時メイドさんは一瞬だけ言葉に詰まった。

『どうかしました?』と視線で問いかけると、気を取り直したようにその整った顔を無表情へと戻す。その寸前に垣間見たビックリしたようなその表情は、見た目相応に可愛らしいものであった。

 

 冷たい人形のような無機質さが印象付いていたが、意外とそんな顔もするんだなぁ。

 

 少しだけ、親しみを感じた。

 

 その一方で次に彼女が言うことを聞き逃さまいと話を聞く姿勢をとる。知ってることがあれば快く情報提供する腹積りである。

 

……さあ、どんと来い。

 

 気構えていると、メイドさんは口を開いた。

 

 

「聞きたいことは一つだけよ。──『フジミヤ』という人物を探しているのだけど、その名に何か心当たりはないかしら?」

 

 

 めちゃくちゃ聞き覚えのあるその名を聞いた瞬間、口に飲み物を含んでいないというのに吹き出しそうになった。突然ドッと押し寄せて来た動揺を誤魔化す為に、目を泳がせながら大きく咳き込む。

 

「……ゴホン、ウォッホン!」

 

 うん、我ながら迫真の演技だ。

 いやあ、この演技力の高さには自分でも驚いちゃうくらいだなあ!

 

 フジミヤかあ。そっかぁ。

 うーん、聞き間違えかな?

 

「……え、えーと、もう一度その尋ね人の名前を教えてもらっても宜しいでしょうか」

 

「『フジミヤ』よ。──その様子だと、どうやら大当たりみたいね」

 

 俺が名前を聞いて酷く動揺したのを、彼女は目敏く見逃さなかったらしい。

 ですよねー。大根役者もびっくりな演技の拙さだったから。

 

「う、う〜ん。知っているっちゃあ知っているというか」

 

 自分はあくまで関わりのない第三者。そう思って暢気に構えていた所にまさかの名指しという衝撃。言動がしどろもどろになってしまう。

 急に気が動転し始めた俺を見て、彼女は『コイツは何か知っている』といよいよ確信したのだろう。

 

 

「隠しても無駄よ、知っていることを全て洗いざらい吐いてもらうわ」

 

 

 そう語気を強くして言ってきた。

 

「い、いやだなあ、隠してるだなんてそんな──」

 

 それでも答えあぐねていると、突如彼女はゆっくりと歩み寄って来て、その華奢な身体を密着させてくる。

 急にメイド姿の美少女に詰め寄られて、ドキリと胸が高鳴った。

 

「な、なななにををを」とさっきよりも動揺を大にしていると、呆れたような表情を浮かべられた。

 

 あ、睫毛が長いなあ。

 

……動揺が一周して逆に落ち着いてきた。そのままボンヤリと彼女の顔立ちを間近に鑑賞していると、気を揉んだかのようにメイドさんは脚でこちらの足を軽く小突いてくる。

 

 なんだ? と思い、視線をその端正な顔から下に向けてやると、彼女の手に銀色にキラリと光るナイフが一本握られていた。メイドさんはそれを俺の腹に押し当てているのだと理解する。

 

 それを確認した上で見上げると、そこには天使のような笑顔を浮かべるメイドさんの姿があった。

 ドッと冷や汗が出てくるのを感じる。

 

 え? もしや俺、脅迫されてる?

 

 助けを乞うように周りを見渡しても、誰もここが恐喝行為が行われている現場なのだとまるで気づいていない。俺と彼女の身体の間に隙間が殆どない為に、その間に凶器が挟まっているのだと傍目には分からないのだ。

 

 通りすがる人々は密着している俺たちの方に好奇の目を向けるだけで、何の疑問も持たずに過ぎ去ってしまう。

 実際に声に出して助けを求めねば伝わらない。そう把握して息を吸い込む。

 

「貴方が声を出すよりも、私のナイフ捌きの方が速いわよ。試してみる?」

 

 その言葉が耳に入った瞬間に、周りの人たちに助けてもらうという選択肢は初めからなかったのだと理解した。

 

 彼女を見下ろしながらブンブンと必死に首を横に振ると、「ならどうするべきか判るわよね?」と密やかな声で畳みかけてくる。そこまで入念に逃げ道を断たれては、正直に白状する他に道はない。

 

 嘘をつくという選択もあった。しかし先程はうまくいってないようだったが、聞き込みを続けていればいずれはこのメイドさんも、俺=藤宮という図には辿り着くことだろう。

 

 そうなって嘘がバレた時にどうなってしまうのか。想像するだけで恐ろしかった。

 

「あー、もしかしたら自分のことかもしれないですね。お──私の名前、藤宮っていいますし」

 

 残念ながら、幻想郷でも外の世界でも俺と同じ名字の人と知り合えたことはない。そりゃあ全国を総ざらいすればある程度の人数は見つかるのだろうが、少なくとも自分の周りにはいなかった。佐藤や鈴木、高橋などのメジャーどころと比べて、あまり一般的ではない名字なのだ。

 下衆な手段ではあるが、俺と同じ名前の人を紹介するということは残念ながら叶わなかった。

 

……ああ、リアルメイド服に気を取られるあまり忘れていたが、ひょっとすると彼女は俺に仕事を依頼しに来たのやも。

 

 事ここに及んで、やっとその思考に辿り着くことができた。

 人間の里において“フジミヤ”とは、大抵の場合“藤宮”という個人の名ではなく“藤見屋”という便利屋さんのことを指すのだということを失念していた。

 

 つまり、彼女は依頼人。

 

 なんてことはない。ナイフを突きつけられたのにはかなり面食らったが、結局はいつものようにお仕事をすれば良いのだ。

 

「──これはこれは、とんだ失礼をば」

 

 彼女は俺こそがその尋ね人であるとすんなりと納得したらしい。接触していた身体を音もなく離して、やっと常識的な距離を保ってくれた。

 やっと冷静になれる。意識を仕事モードに切り替えて、気持ちを落ち着かせた。

 

「それで、私に何の御用でしょうか?」

 

 丁寧な言葉遣いを意識して質問する。それに応えてくれたのだろうか、メイドさんは先程と比較してもかなりの慇懃(いんぎん)な様子をして答えを返してくれた。

 

「本日の日暮れに、“紅魔館”までお越しくださいませ」

 

「は、はあ。分かりました」

 

 しかし、その答えはあまりにも端的に過ぎた。依頼というには情報量が少な過ぎて困惑してしまう。

 うーん、日時と場所を指定するだけだとは。そこで依頼内容の詳細を教えてくれるのだろうか? しかも今日とは、随分と急な話である。

 そして、どこか聞き覚えのあるその場所の名前が果たして何処の事なのか。思い出そうとする。

 

 “こーまかん”、か。はて、何か聞いたことがあるような。

 

 脳裏に映ったのは、室内で貸本を読んでいる自分の姿だった。その本の題名は幻想郷縁起と記されていて──

 はっきりと思い出す。そしてメイドさんの澄んだ声で発声された“こーまかん”という音を、正しく漢字で当てはめた瞬間にギョッとする。

 

 え!? あの紅魔館!?

 

「お待ちしておりますわ、フジミヤ様」

 

「ちょっと待っ」

 

 咄嗟に異議を唱えようとして、知らずのうちに俯いていた頭を上げて立ち去ろうとしているメイドさんを呼び止めようとした。

 

 しかし、

 

「……あれ?」

 

 すぐ目の前に居た筈のあの少女の姿が、いつの間にやら消えてしまっていた。慌てて周囲を見渡してみても、あの目立つ銀の髪と衣装をした少女を見つけることができない。

 まるで瞬間移動──いや、テレポートをしたかのようだ。

 

 

『本日の日暮れに、“紅魔館”までお越しくださいませ』

 

 

 困惑する傍ら、メイドさんに言われたその言葉だけが頭の中で響いていた。()()紅魔館が何故俺の名を知っているのか? 何故俺を招待するのか?

 疑問が頭に浮かんでは消えていく。

 

 そして深く嘆息する。久しぶりに羽を伸ばして休めると思っていたのに、どうやらあのメイドさんによってその機会はすっかり消失してしまったようだ。

 

 頭に浮かべていた休日プランをテキトーに追悼して、意識をしゃんとしたものに切り替える。

 

 グッバイ、心穏やかな休日。

 こんにちは、これから忙しくなるであろう非日常。

 




 
 
 前半の付喪神事件のくだりで一話としたかったのですが、よくよく考えなくても全然あべこべ関係ないし何より“幻想少女が登場しない”という致命的欠陥が自明でしたのでやめました 真相究明までダイジェストっぽいのはその煽りを受けたからです

 章タイトル自由に変えられるんだから、仮でもいいから一先ず名付けときゃええねんの精神



 二者択一問題 空欄に当てはまる、より適切な数字を答えよ (配点 ⑨ 点)

 十六夜 ○○○

 選択肢 一. 398 ニ. 893

 なおこの問いの回答次第では、紅魔館のメイド長による長期の研修を受けていただく場合がございます 何卒ご了承ください


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

悪魔の館へ赴く前に

 “瀟洒”とかいう東方知らなければ絶対に読めなかったであろう熟語
 


 

 

 紅魔館。

 

 それは、かつて幻想郷で引き起こされた“紅霧異変”、その首謀者であった吸血鬼が主を務めているという洋館の名称である。霧の湖の畔に位置しており、外観はその名に違わず真っ赤に染まっている。

 その危険度は無縁塚、太陽の畑、妖怪の山などと並んで極めて高く、只人がその館を訪ねるのはほぼほぼ自殺行為である、らしい。

 

 一旦、その文章から目を離して軽く目頭を揉む。

 

 常日頃から理解していた事ではあるのだが、改めて俯瞰してみると幻想郷には本当に人間の里くらいしか、人にとっての安全な場所がないのだと再度気付かされる。

 

 幻想郷、危険スポット多すぎじゃね?

 

 博麗大結界は忘れ去られた妖怪や神を保護する側面を持つ──なんて藍さんから教わっているが、それにしても人外贔屓が過ぎるような気がする。人里以外にも人間が大手を振って活動できるような場を、一つや二つ増やしてもバチは当たらないだろうに。

 

 誰に向かってでもなくそう愚痴る。

 

 

 

 

 

 あのメイドさんから紅魔館への招待状を口頭という形で貰った後、俺は一旦長屋の自室まで戻っていた。そこで本棚から幻想郷縁起を取り出して、その館についての情報を収集すること暫し。

 

 得られた目ぼしい知識はそれに加え、館に住む妖怪の名称と“吸血鬼は日光、流水、ニンニク、鰯の頭などが弱点”ということくらいであった。

 簡潔な情報しか記されていないとはいえ、この本の存在の有り難さを実感する。吸血鬼の弱点等が、自分の持っているオカルト知識と大して相違ないことが確認できたからだ。

 

 人間の里にある色んな書店に置いてあったこの本は、とある名家の厚意によって無償で寄贈されたものであるらしい。

 人里に住み始めた折、幻想郷の理解に役立つと踏んで貰っておいたのだが、実際にその読み通り今こうして結構頼りになっている。

 これが簡易版であるというのだから、本物の幻想郷縁起はもっと物事が仔細に記述されているのだろう。いつかは目を通してみたいものだ。

 

……といっても残念ながらその名家に秘蔵されているであろう真の幻想郷縁起、それをぽっと出の元外来人が読むことができる可能性は非常に低いと思われるのが口惜しい所である。

 

 この本の他には、人里で紅魔館についてどう思っているのかを聞いて回って探ってみたりもしていた。

 結果としては案の定と言うべきなのか、快く思っている人は皆無であった。『赤い霧が出たときは大騒ぎだった』とか、『何をしているのか分からなくて不気味』だとか、それらを語る人々の表情もまた散々である。

 

 にしても悪く言われている割には『吸血鬼に襲われた』『メイドに恐喝された』などの、直接的な被害を受けたという話はとんと聞かなかった事が気がかりであったのだが、そもそもの話、人間の里から外に出ようと考える人が圧倒的少数派なのだからそれも当然かと思い直す。

 

 

 

 現在、このようにして紅魔館の情報を得ようと腐心しているのは、ひとえに自分の身を守る為だ。

 

 “危険度極高、人間友好度極低”と備考に載っているのを確認して、いよいよ有効な自衛手段を考えねばならないと気を引き締める。

 しかも紅魔館には、そんな危険極まりない吸血鬼が二人もいるというのだから尚更だった。

 

 そんな危ない場所に行く必要性が本当にあるのか、疑問を感じなかった訳では無い。しかしメイドさんに顔を見られてしまっている以上、どうしようもない事だった。『招いたのにどうして来なかったのかしら』と先程のようにナイフを突きつけられ脅迫される未来が容易に想像できた。

 

 なんだかそのやり方に相当手慣れていたように見受けられた。“表立って反抗するような態度を見せない方が吉”と本能が囁いている。

 

 そうやって彼女を恐れる一方で、その正体に興味を惹かれてしまっている自分がいるのを自覚する。

 

 彼女は一体何者なのだろうか?

 

 特に妖力等を感じ取れなかった為、種族的には俺と同じく人間ではある筈なのだ。

 しかしワープしたかのように姿を消したり、吸血鬼の住む紅魔館に所属している風であったりするので、何処にでもいるごくごく普通の女の子という可能性は絶対にないだろう。

 メイド服ということは、館の主である吸血鬼に雇われているのかもしれない。例え仮にその考え方が正しくとも、どういった経緯で吸血鬼と知り合ったのかが謎だ。

 

 有り体に言えば、彼女の正体についてよく分からないのである。名前すら知らないのだ。

 

 分からないと言えば、何故俺が名指しで呼ばれているのかも分からない。確かに最近は名が売れ始めたのだが、それは人間の里の市井(しせい)での話。人里と紅魔館で何かしら交流をしているという話も聞かないし、どこで自分の名前を聞き及んだのかも分からない。

 

 分からない、分からない。把握できないことだらけでうんざりしてしまう。今後どういう行動を取るべきか、危うく途方に暮れてしまう所であった。

 

 

 

 そうならなかったのは自分に切り札が存在するからである。それは、“この幻想郷で培ってきた人脈”というものだ。

 

 一人の紅白少女の姿を思い浮かべる。

 

 いるではないか、最強の助っ人が。過去の異変でその吸血鬼を実際に下した事もあるらしいし、助けを求める相手としてはこれ以上ない程の適任であろう。

 

 そう思い立って再び外に出る。

 

 目指す場所は博麗神社。目的は、そこに住む巫女さんに助力を求めることである。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

「あー? 嫌よ、面倒くさい」

 

 俺の頼みは速攻で断ち切られていた。

 

 神社の敷地内に降り立って、縁側でお茶を飲んでぼんやりとしていた霊夢を発見する。これ幸いと早速事情を話して彼女に助けを求めたのだが、すぐさま却下されてしまった。

 

 ふわぁ、と気の抜けたような欠伸を隠す素振りも見せない少女を見る。こちとら急に呼び出しを食らって一人でてんやわんやの大騒ぎだというのに、このマイペースな巫女さんはなんともお気楽な調子であった。

 

 こういう時は──と条件反射的に、霊夢に何か差し出す物あったっけという思考をしてしまう。

 いつもは断られるのを想定してお土産を欠かさずに持ってきていたと言うのに、頼み事をする今日に限ってそれを忘れるとは一生の不覚だ。

 

「……そこを何とかお願いできないか? 下手したら死ぬぞ、俺」

 

「別に大丈夫じゃないかしら? 態々向こうから名指しで招いてきたってことは、少なくともあんたに危害を加えるつもりではないはずだし」

 

 再度頼み込むと、あっけらかんとした表情でそう返される。

 

 その自身の考えに間違いは全くないとでも言いたげな様子に、俺は一つピンと来た。前々から霊夢は人妖問わず色んな者達に不思議と好かれていると思っていた。そんな彼女と吸血鬼、異変で両者が既に顔を合わせているということは──

 

「もしかして、紅魔館の吸血鬼とは仲が良かったりするの?」

 

「んー、別にそこまでかな。あっ、でも異変の後の宴会なんかだと毎回呼んでもないのに来たりするわね」

 

 「それと、たまにワインって酒をお裾分けに来てくれたり?」と思い出したように話してくる巫女さんを見て、もうこれ以上の情報は不要だと手を振って言葉を遮る。

 無意識に呆れたような調子の声が出てきた。

 

「……それって普通に仲が良いと言えるレベルだと思うんだが?」

 

 俺の言葉に「れべる?」と可愛らしく小首を傾げる霊夢。彼女のその反応に苦笑すると同時に、なんだか拍子抜けしてしまった。

 

 幻想郷縁起(簡易版)に載っていた、危険度極高、人間友好度極低という記載は何だったのか。聞いた話からだけで判断すると、あまりにもその吸血鬼は人間に対してフレンドリーに過ぎるように思える。

 この様子だと万が一吸血鬼に襲われそうになったら彼女の名前を出すだけで良さそうだな、と感じた。

 

 少しどころではない楽観した考えだが、話を聞いた感じソイツは問答無用でこちらに襲いかかってくるような妖怪ではないらしい。対話できる存在なのだと分かっただけでも収穫である。

 懸念していた、その吸血鬼に『こんばんは、死ね』といった感じで問答無用で襲われて命を落とす、だなんて殺伐とした事態は起こらなそうでひとまず安心する。

 

 幻想郷縁起と博麗霊夢。

 どちらの言い分が信用におけるのかの判断は、俺にとってそう難しい事ではなかった。

 

 

 

「……いつもの補充は頼めるか?」

 

「ん、ちょっと待っててね。そこのお茶飲んでていいから」

 

 しかし安心したと言っても、往々にして一度抱いた不安というものは完全に払拭される事はない。友好的なのは霊夢を相手にした時だけ、という可能性は十分にあり得るのだ。それに、紅魔館へ向かう道中に野良の妖怪や妖精に襲われる可能性もある。

 

 用心するに越したことはない。自衛手段の確保の為に霊夢にいつもの如く博麗の御札を注文すると、心得た彼女は神社の奥へと引っ込んでいった。

 

 いつもの、という曖昧な呼称で難なく通じるあたり、もしかすると彼女は俺という人間の扱い方をすっかり心得ているのかもしれない。こちらとしては年下の少女に内心を見透かされているようで少々面映い反面、一々口に出さずとも意思疎通ができるので非常に楽だとも感じている。

 

 

 

 

 

 待っている間、縁側に座って言われた通り遠慮なく緑茶をいただいていると、物騒でありながらも礼儀正しかったあのメイドさんのことが不思議と頭をよぎった。

 

 具体的には彼女に密着されてナイフで脅されたこと──ではなく、人里の住民達が彼女を遠巻きにして、見物すらせずに逃げるように立ち去っていたことだ。

 

 巷では、紅魔館の評判の悪さはそれなりであった。曰く、“醜い悪魔が棲まう館”なのだと。あのメイドさんが聞き込みに苦労していたのは、彼女がそこの所属であるというのが割と有名な話であったからなのであろう。

 そして、“醜い悪魔が棲まう館”というフレーズに軽いデジャヴを覚える。なんて事はない、そういえば前までは永遠亭もそんな風に悪く言われていたなあ、と思い出したからだ。

 結局、俺はその『化け物が棲む』永遠亭にお世話になっているし、その噂の当人であるお姫様とも仲良くさせてもらっている。経験談として、噂とは大概当てにならないのだととっくに体感済みなのである。

 

──ならば、もしかすると紅魔館も永遠亭の時と同様、なんやかんやで上手くいくのではないのだろうか。

 

 なんて、根拠としては不十分な、そして自身に都合の良すぎる考え方をしてしまう自分がいる。幻想郷の住人達と仲良くできる自信があるのを誇るべきか、考え方が甘すぎると自戒するべきか。

 少しだけ悩む。

 

 

 

 

 

 やっぱり楽観視し過ぎているかなあ、と思い直して自省しようとしていると、霊夢が戻ってきた。当然、その手には強力な御札が複数枚握られている。

 

 立ち上がって礼を言い、それを受け取ろうと彼女へ向けて手を伸ばす。

 

 数瞬後にはそれに手が届く──というタイミングで、霊夢はサッと御札を後ろ手に隠した。伸ばしていた手が行き場をなくして固まってしまう。

 どういうつもりなのだろうか? 疑問に思って表情で訴えると、巫女さんは気まずそうに目を泳がせながら喋り始める。

 

「あの〜、藤宮さん? ちょ〜っとだけお願いがあるんだけど、いい?」

 

「……なんだ? お願いって」

 

 全く彼女らしくない猫撫で声を聞いて警戒心が高まった。いつもはぶっきらぼうに物を頼んでくるというのに、今のようにこちらの機嫌を伺うように喋るというのは大変に珍しい。

 こういう時の彼女は大体の場合、何か後ろめたいことを考えているのだと、これまでの付き合いから何となく察することができる。

 普段から素直に感情を表出させている姿を知っている分、その落差から容易に『あ、いつもと違うな』と気付けるのだ。

 

「次、できればお酒を持ってきて欲しいかな〜って」

 

 何を言うかと身構えて聞いていれば、それはただのお土産の催促であった。

 

「駄目だ」

 

 速攻で断る。

 別にお土産自体は催促されても問題はない。彼女の貧乏生活を見兼ねて(御札と大結界越えの礼も兼ねて)これまで散々手渡してきたのだ。

 茶葉に始まり茶菓子、煎餅、根菜、魚などなど、そのときの俺の気分で適当にチョイスしてきたのである。時には彼女からの要望に応えることもままあった。

 が、これだけは絶対に霊夢にあげてはならないと決めていた品がある。

 

 酒だ。

 

 外の世界基準の考え方ではあるが、未成年の少女にお酒を買い与えるとか倫理的にも道徳的にもアウト過ぎる。

 

 妹紅にはよく酒瓶持ってお邪魔することが増えてきたが、それは彼女が見た目未成年なだけの大人で、その実年齢は俺を遥かに超えているのだと分かっているからなのだ。

 対して、霊夢は確実に未成年。霊力やら結界の術やら年相応ではない要素は多々見られるが、それでもやはり彼女は完全無欠の未成年である。

 

 そんな少女に向かって、妹紅にしたように熱くお酒の良さを熱弁する俺という絵面。

 

──うん、完全なるアウトだわ。

 

「ケチくさい、いいじゃない。外の世界の常識を捨て去るんでしょ。お酒くらい何度も飲んだことがあるんだし、今更よ」

 

 そんな言葉を聞いてムッとしてしまう。

 『捨て去る』って言い方酷くない?

 

「あー、別に呑むなと命令してる訳じゃない。ただ、こっちから酒を勧めるという行為自体が問題でだな……俺の持つモラルが今問われているんだ」

 

「……『もらる』って何よ。」

 

「モラルという言うのは──ああもう、とにかく良心が訴えてくるから駄目だってこと。自分なりに大切にしたい常識もあるってことだ」

 

 盲目的に幻想郷の常識を身につけ過ぎて、外の世界に戻った際に俺という存在が更に世間から浮くようになっていたら悲しいなんてものじゃない。

 

 だから、かねてより受け入れるべき常識は選んでいるつもりだ。『そんな選り好みしているから未だに大結界越えできないんじゃないの』と霊夢から指摘されそうなものであるが、やっぱり人には超えてはならないラインというものが存在するのだと思う。

 極論、犯罪なんかを何の良心の呵責も無しにやってしまうようにもなりかねない。そんな人間になるのは真っ平御免である。

 

 自分の価値観にあまりにそぐわない、あくどい常識には決して屈してはならない。例えそれで、『外の世界への帰還』という目的を達成できる時が遠ざかろうともだ。

 

 俺は“NO”と言える日本人なのである。

 

 そんな硬い覚悟が伝わったのか、霊夢は渋々ではあるがお酒の要求を引き下げた。

 やっぱりダメだったか〜、とすっかり意気消沈した様子の彼女に、少し気の毒に思ってフォローをする。

 

「まあ、次来る時は普段よりいい土産を持ってくるから期待して待っててくれ」

 

「……なら、楽しみにしてる。失望させないでよね」

 

 そう言って、霊夢はやっと御札を隠すのをやめて差し出してきた。今度こそ有り難くそれを受け取る。

 

 「じゃあ行ってくる」と一言残して立ち去ろうとすると、「ねえ」と呼び止められる。振り向いて彼女の方を見ると、紅白の少女はこちらに向けて威勢よく言い放った。

 

「もし、紅魔館で酷い目に遭わされたのなら私に報告しなさい。人間の守護を役目とする博麗の巫女として、あんたの骨は拾っておいてあげるから」

 

「──頼もしいことこの上ないが、そこは『大船に乗ったつもりでいなさい』とでも言って欲しかったな。『骨を拾う』って、それ既に俺やられちゃってるだろ……」

 

 「あら、そうだったかしら」とすっとぼけたようにしらを切る巫女さんに呆れた視線をぶつけてから、宙に浮かぶ。

 

 ある程度の高度をとった瞬間に、自分がいつの間にかとてもリラックスしているのに気が付いた。

 

 一見不適切に思えた彼女の言葉選びは、もしかすると霊夢なりの元気づけなのかもしれない。実際、平常通りになんて事ないお喋りを繰り広げたことで、俺の感じていた少しばかりの緊張が、すっかり解けてどこかへと消えてしまっていた。

 もしそれら全てを狙ってのお酒ねだりだったのだとしたら、『人間の守護』だなんて大層な名乗りも、案外誇張ではないのかもしれない。

 そう思った。

 

 

 

 

 

 博麗神社からまた人間の里へと戻って、紅魔館へと向かう為の準備を抜かりなく推し進めていく。腹拵えに始まり、自室前の看板に『藤見屋 外出中』と掛け札をして、装備も整える。

 無論、霊夢の御札が最大戦力である。これと比較しては俺の放つ霊力の弾丸は豆鉄砲に等しい。

 身体と霊力の調子の確認も怠らない。軽くストレッチをして確かめる。もし不調であっても結局は行かなければならないのだが、自分が十全に動けるのだと意識するだけで、気の持ちようというのは大きく変わってくるものだ。

 

 よし、これだけ調子が良ければ道中妖怪に襲われても余裕を持って逃走できるな。

 御札を恐れない妖怪は、余程の危機察知能力の低い妖怪か、御札をまったく意に介さない超強大な妖怪だけだ。後者はいかに妖怪の楽園と呼ばれるこの幻想郷に於いても一握りしか存在しないので考慮の外に置いておくとして、前者の方は純粋に俺の逃走術に物を言わせて振り切るしか方法はない。

 

 例え感知能力が乏しくとも、脅威である事に違いはない。決して自分の力で撃退しようだなんて思ってはならない。

 霊力の弾は威力がしょぼ過ぎて逆に相手の気を逆撫でするのみに留まるし、指先に灯した炎で炙ってやろうとしても、マッチ棒に比する大きさなのでやはり相手を怒らせるだけだ。

 

 『常識に囚われる程度の能力』も、正直当てにならない。

 

 逃げる──それが、俺が今までこの幻想郷で生き残ってこれた最大の秘訣だ。

 

 空を飛べば大体は振り切れる。そうでなくても引きながら撃っていれば『この獲物は面倒』と判断して向こうから諦めてくれる。

 これは、経験則から導き出された至極妥当な生存方法なのだ。まあ、ミスったら妖怪の腹の中なので当然のことなのかもしれないが、今のところは大丈夫なのだ。問題はあるまい。

 

 紅魔館は霧の湖の畔にあるという話だった。

 

 もしかしたら、またぞろ()()()()()と出会う可能性がある。そのことも頭に入れて、外に出てお店でとあるものを購入する。

 

 さて、これで準備は整った。

 後は出発するだけ。

 

 時間もいい塩梅である。夕暮れ時という大変アバウトな時間設定を言い渡されていたのだが、色々やっているうちにちょうど夕日が落ちる前には到着できそうな頃合いだ。

 

 人間の里を出て、霧の湖、そして紅魔館へと飛行する。

 

 その段になって、霊夢以外にも助っ人を頼める人物がいたじゃないかと思い出した。いつも暇してる妹紅がその筆頭である。酒をぶら下げて交渉するべきだったかと後悔するが時すでに遅し。

 

 今から迷いの竹林に行って話をつけてまた紅魔館へ──なんてやってたら夜になってしまう。時間は厳守しないといけないだろう。館の主だという吸血鬼やあのメイドさんの機嫌を損ねない為にも。

 

 早速ヘタを打っていることをなんとなく自覚するが、今更館への進路を変更することはできない。

 

……無事、生還できますように。

 

 まだ見ぬ悪魔の館の妖怪たちに恐れ慄きながら、そう心の中で祈るしかなかった。

 





 
 オリ主「同行人ゼロで心許ないけど準備ヨシ!」
 
 身の安全を確保する為であれば、年下の少女に泣きつくことも厭わない それがこの作品の主人公です 全然格好付かないぜ…

 危険いっぱいな人里の外へ赴く為には、それ相応の下準備が必要になる 未知の溢れる場所に行く時なんかには特に そんな当たり前の事を主張したいだけの回 ぶっちゃけ作者的にも読者の皆様的にも、紅魔館は未知の場所でもなんでもないのですが、オリ主にとっては初見なので仕方のない事なのです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

騒々しくも純粋な妖精達

 

 

 ちょうど太陽が傾き始め、西日が差し込んできたあたりの時間帯。

 

 目的地には時間的に余裕を持って到着できそうだと判断し、飛行する速度を緩めてちょっとした休憩姿勢を取る。

 常にリラックスして周りの動向を確認し、危険あらば速やかに対応するべし。

 誰に習った訳でもないが、これは人間の里から出て活動をするうちに自然と心得るものだ。

 

 当然の事ながら人里の外では危機を察知して叫んでも、助けに来る奴なんて誰もいない。むしろ、近くの妖怪なんかを招いてしまって更なる窮地を呼び込むことにも繋がりかねない。

 

 頼りになるのは自分の判断力だけ。

 

 だからこそ、周りをよく見、聞いて、感じ取る。そうして少しでも違和を感じれば一回ソレから遠く離れて様子を見る。何もなければそれで良し、もし何かあれば──やっぱり逃走するだけだ。

 

 人外蔓延(はびこ)る里の外では、常に神経を尖らせ警戒しながら行動せざるを得ない。

 

 これは自分の身を守る為に必要不可欠な事ではあるのだが、当然ずっとこんな事をしていると(おの)ずと疲弊してしまう。

 精神が擦り切れるのを避けたくて、最近では舞い込んでくる依頼を選別して、人里の中だけで完結するものを優先して選ぶようになってはいる。しかし、人里の外に絡む依頼の方が何倍も実入りがいいというのもまた事実。

 

 これまでのショボい古びた長屋からおさらばして、一軒家を購入するのだという目標は未だに継続中であった。なので、なるべく沢山稼ぎたいなぁという欲求は抑え切れなかった。

 命を賭ける価値がある程の目標であるとは決して言えないのだが、なまじ今までそうやって外で活動していてヒヤリとした事がない為に、なし崩し的にそんな危険な依頼を受けてしまっている。そこから更に外に関する依頼が舞い込んできて──という中々に抜け出しがたい状態になっているのである。

 実はもう引っ越し先の目星がついていたりもするし、その物件が格安な為に全財産を注ぎ込めば買えないこともない程度にまでには貯蓄が溜まっていたりもする。

 もう少し外での依頼をこなすか、八意先生の新薬の治験に協力できれば、そのマイホームの夢も叶う。そんな近況であった。

 

 そうやって考え事をしている間も、周囲への警戒を怠ってはいない。地上を歩いている時は目を配るところが多く容易ではないのだが、こうして空を飛んでいるうちは眼下に意識を向けるだけだ。それくらいは余裕を持ってできるようになっている。

 外での活動も、もう手慣れたものだ。そう鼻高になりながら、引き続き紅魔館目指して飛行する。前方を見やれば、霧の湖はすぐ目の前にまで迫っていた。

 

 

 

 

 

 霧の湖を見下ろしながら、「今日は霧が薄いんだなあ」と独りごちる。

 現在、いつもここら一帯をベールのように包み込んでいた霧はその濃度を薄めている。薄らと霞がかってはいるものの、大きな湖が広がっている壮観な景色をはっきりと鑑賞できた。

 

 水面に反射して、きらきらと自分の目に差し込んでくる日差しに目を細める。それは単純に眩しかったからでもあるし、四方を森に囲まれたその湖に、大自然の雄大さというものを感じ取ったからでもあった。

 

 ここに来るのは初めての事ではない。いつぞやに『人面魚捜索』の依頼を受けて湖上をウロウロとした事を皮切りに、それ以降もやれ「そこにしか生えてない野草を持ってきて」だの、やれ「十分に肥えた(あゆ)(ます)とかを釣ってきて」だの、ここへ足を運ぶ必要のある採集依頼が度々あった。

 その為、俺は割と紅魔館の近くにまでは日常的に足を運んではいたのだ。ただ霧が薄く今こうして遠目に見えるあの紅い館には、身の安全を考慮して決して接近しないようにしていたというだけの話である。

 

 そうして努めて関わらないよう心がけていたというのに、まさか向こうからこちらに接触しようと試みられるとは思わなかった。

 

 『積極的に人里の外の幻想郷の住人たちとも交流する』という方針を先日の事件を切っ掛けとして頭の中で固めていた手前、俺としてはその誘いに感謝するべきなのだろうが、やはりどうしても色々と疑問が残る。

 

 何故かは分からないが、あの銀髪のメイド少女さんはこちらの名前を知っていた。

 仮に前から霧の湖でウロウロと活動してた俺を遠目から目撃していたのだとしても、流石に名前までは分からない筈だ。

 

 例えば『外見からその者の名が分かる程度の能力』とかが存在するのならばこの考えは覆るのだろうが、そんな事を考え始めたらキリが無い上、幻想郷縁起(簡易ver.)にはそういった能力は特に記載されていなかった──筈である。

 

 

 

 

 

 どうして向こうは俺の名前を知っていたのだろう、と再び疑問に思っていると、視界の左下の隅っこ辺りにキラリと光る物が見えたような気がした。

 またまた湖からの反射光か──なんて呑気な思考をするが、その次の瞬間には、その光が自分に向かって真っ直ぐ接近しているのだと認識した。

 

 俄かに総毛が逆立つ。

 人の形をしたソイツは、俺に向けて明らかな攻撃の意思を見せていた。

 

 慌てて回避行動を取る準備をするついでに、その襲撃者に対して威嚇するつもりで二発、霊力を込めた弾を撃つ。

 動揺しながら撃ったにしてはそれらの弾は中々上出来な精度を保ち、俺の指先からソイツまでの間をきっちりと結んでいた。

 

 これで驚いて撤退してくれるといいんだが──と考えていたのは軽率だったらしい。襲撃者は俺の放った弾丸二つをスレスレにすり抜けて(グレイズして)、その勢いのままにこちらに向けて突っ込んでくる。

 

 速い…!

 

 咄嗟に、懐に手を伸ばして霊夢から頂戴したばかりの御札をヤツに使ってしまおうかと考えた。

 多分、良く効く。

 博麗の巫女お手製のこれは、人以外の超常的な存在には多大なる効力を発揮するのだから。

 

 だが結局、使用しない事に決める。いくら『一回休み』で済むとはいえ、見た目の幼い子供に対して危害を加えようとは一ミリも考えられなかった。

 さっきの二発で止められなかった自分の負けだ。甘んじて敗北を受け入れよう──そう諦めて、両手を上げて降参の合図を送る。

 

 だが何故か、ソイツはこちらに突撃するのを止めない。まさかこのメッセージが伝わっていな──いや、なんかスピードすごくね? あいつなんで全然速度を落とさな、

 

 

「うおおおおぉぉぉ! あたいサイキョーの頭突きをくらえぇぇい!」

 

 

 ギリギリ目視可能だった速度を更に上げ、今ここにデカい氷の弾丸が弾着する。

 

「おいバカやめ──ぐえっ!」

 

 俺の腹のど真ん中にかなりの衝撃が走って、カエルの潰されたような音色が口から出てしまった。

 

 堪らず墜落する。

 命綱なしで宙に放り出されたような感覚に襲われ慌てて崩れた姿勢を制御しようするのだが、腹をがっつり両腕でホールドしたまま微動だにしない氷の妖精が邪魔になって、思うように身体を飛行態勢に持っていけない。

 

「おい、離れてくれ! 落ちてるって!」

 

 必死に呼びかけながら、この子の顔を確認する。するとその少女の目が漫画チックにぐるぐると回っていて、意識がどこかに飛んでしまっている事が分かった。

 恐らく攻撃してきたこの子にも、俺の腹に入った同様の衝撃が頭に入ってしまったのであろう。

 さもありなん、物理的な衝撃は与えた側にも少なからず返ってくるからである。

 

……アホな彼女がそこら辺の想定はしていなかったのは、容易に想像できた。

 

「ちょ、ほんと起きろ!」

 

 ペチペチとその頬を叩いて意識を取り戻させようとしても、こちらの手がひんやりとするのみでこれといった反応がない。

 そして落下感に苛まれながら、すぐ下を見て確信する。あ、これ無理。間に合わんわ。

 

 気絶した子供を無理やり剥がして自分だけ助かるという択を取るわけにもいかず、それでもジタバタ空に浮こうともがいているうちに、俺と氷の妖精は青々とした木々に自由落下のまま突っ込むことになった。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

「本当にごめんなさいフジミヤさん! チルノちゃん急に飛び出したから、私止められなくて、それで──」

 

「あー、別に大した怪我をした訳でもないんだし、そんな気に病む必要はないよ。大丈夫大丈夫」

 

 

 

 俺の目の前には、涙を浮かべながらぺこぺこと謝ってくる小さな女の子の姿があった。

 

 翡翠(ひすい)色の髪を黄色のリボンでサイドに結んでいて、水色の服に身を包んでいる。背には一対の白い羽根が生えていた。この少女の名前──名前? は“大妖精(だいようせい)”、種族はその名の通り“妖精”である。

 

 妖精とは、この幻想郷における自然の象徴とも言える存在である──とは、幻想郷縁起に記されていた事である。いや、マヨヒガで藍さんが言ってた事だっけ? 自然の具象化だとか生命エネルギーがどうのこうのだとか聞き及んでいたような……まぁ細かいところはどうでもいいか。

 

 兎も角、妖精とはそんなナチュラルでネイチャーな(適当)種族である。

 

 特徴として一番知られているのはその悪戯心の旺盛さであろう。人間の里では、度々妖精達によって被害が出る事もあるという。

 人命に関わるような程度の甚だしい悪戯がないのが、そこらを彷徨い歩く有害な妖怪らと比べてマシな部分だと言えるだろう。

 

──尤も、今となってはそんな事言えなくなってしまったのだが。

 

「この子が目が覚めたら伝言を伝えておいてくれ、『次に同じような事したら金輪際お前とは関わらないようにするぞ』って」

 

 大妖精に強めに言い含めておく。

 子供相手に手厳しいようではあるが、流石に今回ばかりは低い声でそう苦言を呈さざるを得なかった。

 全く、どうしてあんな凶行に及んだのやら。一体何を考えて──ああ、別に深い考えとかはないんだろうなあ、こいつの場合。

 多分、新技を即興で思い付きその場のノリと勢いだけでハジけたのだと推察される。いや我ながらテキトーすぎる当て推量だなぁ。

 

 

 

 視線を目の前の緑の妖精から、その隣の氷の妖精に移す。

 

 大ちゃん──以前会った時にそう呼ばれていた──から膝枕をしてもらっていて、「あたい……サイキョー、サイキョー……」と先程から寝言をぶつくさ言いながら未だ目を覚まさない、その妖精の名前は“チルノ”という。

 

 水色のショートの髪に、これまた水色のワンピース。

 宙に浮遊するという不思議な感じで、背中には薄氷のような羽根が何枚も対になって生えていた。

 その羽根が放った反射光のお陰で、彼女の攻撃にいち早く気付くことができた。まあ結局、その後うまく対応できたとは口を裂けても言えないが。

 

 この悪童じみた氷の妖精の所為で、危うく俺は重傷を負う所であった。……というか、打ちどころが悪くなくとも普通に死んでただろ、あの高さ。

 それほどの高所から不本意なロープなしバンジージャンプを敢行して、それでも今こうして無事でいられているのは、単に幸運であっただけだ。地面と激突する寸前に偶然姿勢の制御が間に合っただけに過ぎない。

 

 もし間に合わなかったら──そう考えるだけで末恐ろしい。となるとやはり、あの時はチルノを無理やりにでも引っ剥がすべきだったのかもしれない。子供の見た目をしているからと躊躇わず、自身の確実な生存を取るべきだった。深く反省するべきところだろう。

 

 しかし次また同じような事が起きた時に、その反省を活かせるかどうかは正直あんまり確信を持てない。あの危機的状況下で女の子見捨てて自分だけ助かろうってのは、ちょっとね……

 

 そもそもの話、俺がチルノのタックルを受け止められていれば、墜落して危機に陥る事はなかった筈なのである。

 

 髪に刺さった木の葉を取り除きながら、自分の不出来さを嘆いて深く溜息をつく。その様子を見て、ビクリと大妖精が怯えたような顔をした。

 なんでそんな反応を? と一瞬思ってしまった。

 きっともしかしなくても、今の溜息が自分達に対して向けられたものと誤解してしまったからだろう。

 

──なんだか罪悪感が凄い。

 

 妖精という種族は不思議なもので、彼女達以外も皆揃って幼くて()()()()()()()()()()姿をしている。

 人間の里ではその悪戯盛りの気質と相まって、それはもう蛇蝎の如く嫌われていた。

 

 対して俺からしてみれば、少なくとも妖精達の外観からはネガティブな要素は見出す事は無理だった。悪戯してくるのは、まあ彼女達のアイデンティティ的なものだから…と勝手に解釈し容認している。実際にやられた時は普通にムカつくのだが、子供相手にガチギレするのもそれはそれでダメだよなあ、と謎の自制心を利かせていた。

 

 

 俺が霧の湖に仕事で通っている間に、チルノと大妖精、この二人──正しくは”匹”と数えるらしいが──とよく言葉を交わすようになったのは、ある意味必然だったのだと思う。

 立ち寄る頻度もさることながら、妖精達に決して嫌悪の表情を見せず、イタズラされても精々が軽く叱ってくる程度に落ち着く人間という存在は、彼女達にとってとても都合の良いものであろうから。

 

 とは言えこれは、自分なりの少々穿ち過ぎた考え方である。

 友達を想ってこうして申し訳なさそうに顔を俯かせるこの子には、そんな打算に満ちたような思考は皆無なのだろう。

 

 寧ろ、その純真さによってこちらの汚れた思考が浮き彫りになってしまったようで、結構落ち込んじゃうまであった。

 

「繰り返すようだけど、本当に気にしなくていいからね? 擦り傷とかもほら、この薬を塗ったお陰で全部治ったし」

 

「──あ、本当だ。すごい……んですね?」

 

「ああ、結構凄いんだよねコレ。念のためと持ってきた自分を褒めたいくらいだ」

 

 最近の人里ではよく持て囃されるようになったこの薬を、日がな一日人間の里と離れた霧の湖で過ごしているであろう大妖精が知らなかったのも無理はない。

 少し興味があるような素振りを見せたので、彼女に薬瓶を手渡してやる。受け取って両手に包み込み、それをまじまじと観察して小さな好奇心を満たす緑の妖精を見て、ほっこりとした気分になった。

 

 

 

 チルノと共に落ちた際、枝を引っ掛けたせいで所々切り傷やらができてしまっていた。そこで、こんな事もあろうかと博麗の御札と一緒に懐に忍ばせていた永遠亭印の薬の出番だったという事だ。

 

 初めて鈴仙と出会った際に買い付けたまま、棚に放置していた代物であった。あの時とは違い、ちゃんと副作用の有無を確認した上での使用なので問題はない。

 軟膏タイプで人妖問わず効果を発揮する(らしい)それは、あの八意先生が手がけただけあって効果は抜群。薄く切ってしまった手首の外側なんかも、塗るだけですっかり治ってしまっていた。

 

 相変わらずヤバい薬である。

 

 先生の薬学知識ってどうなってんの、とは常々疑問に思っていたりもする。外の世界でもあの人に比する才人は存在しないだろう。一体どれ程の時間を薬学の研究に費やせば、こんな薬を作ることができるのか。

 蓬莱人故に、実は想像もつかない程のお年を召していたりして──とそこまで考えたのを無理やり打ち止める。

 女性の年齢を邪推するのは非常によろしくない事だ。万が一この事について考えていたのがバレるような事があれば、いつもの新薬の治験協力をした際に酷い薬を飲まされかねない。

 

 そう考えて身をぶるりと震わせていると、大妖精の「あれ?」という驚いたような声が突然耳に入ってきてびっくりした。

 どうして驚いているのか怪訝に思って声をかけてみると、

 

「フジミヤさん。あの、チルノちゃんの怪我を治そうと思ったんですけど傷口が見当たらないんです」

 

 どうやら、大妖精は俺が渡した薬をチルノにも使ってあげようと考えたらしい。薬瓶の蓋を開けたまま、氷の妖精のどこにこの薬を塗れば良いのだろうと悩んでいるようだった。

 

 外傷が見当たらないのはさもありなん。何故なら俺は、“どうしてチルノが無傷であるのか”、その理由を知っているからである。

 

 とは言え()()()()を自分の口で語るのは、なんだか照れ臭い事のように感じられた。

 なので眼前の少女には、それらしい事を適当に言って納得してもらう事にする。

 

「……ああ、実はもうこっちで薬を使ってあげてたんだ。言ってなかったっけ?」

 

「もう、言ってなかったですよ! ──でも、ありがとうございます。チルノちゃんのことを気遣って、怪我の面倒まで看てくれて」

 

 そう言ってプンスカしていた表情を引っ込めて、緑の妖精はこちらに向けペコリと頭を下げた。そして、薬瓶も返してくれた。

 

 おお、もう。大妖精ちゃん本当にいい子だなぁ。

 

 彼女のその、幼い見た目に違わない疑う事を知らぬ真っ白な心の清さのあまり、俺の心まで漂白されそうになった。その笑顔がどうにも輝いてるように見えるのは錯覚だろうか。

 

 

 

 

 

 

「おっと忘れる所だった──はいこれ、いつものやつね」

 

「わあ! 本当にありがとうございます!」

 

 大妖精に渡したのは、金平糖がそこそこ入っている小袋だ。『霧の湖を通るのなら』とさっき人間の里で買ったものである。

 霊夢や妹紅や藍さんに日頃しているように、お土産気分で渡しているのではない。これはいわば霧の湖で活動するにあたって、幻想郷最強を自称するチルノに対して納めるショバ代のようなもの。

 

 先程のようにチルノと出食わすと高確率で突っかかられるので、甘いものを貢いで注意を逸らせよう考えたのである。生憎今日はそうする暇はなかったのだが。

 何故金平糖かと言うと、初めて妖精達に与えたその時に偶々持ち込んでいたものだからだ。

 

 それ以来金平糖という甘味に二人の妖精はハマったらしく、俺もそれに応えている──という状況である。

 ん? 結局お土産気分のような……まあいいか。

 

 気がつくと、差し込んでくる日の光から判断してそろそろ夕暮れになろうかという時間だった。紅魔館に向かわねばと思い、ほくほくした顔で大事そうに小袋を抱える大妖精に話しかける。

 

「渡すもんも渡したし、俺はここらでお暇するよ」

 

 ひらひらと手を振って、大体の方角を見定めて歩き始める。別に今から空を飛んでも良いのだが、徒歩でも十分に間に合う筈だ。

 

「あの、そっちは人里の方向じゃありませんよ?」

 

 向かっている方角が人間の里ではない事に、大妖精は疑問に思ったようだった。いつもは霧の湖で依頼を済ませたらすぐに人里の方に帰っていたので、彼女がそう思うのも無理はない。

 

「分かってる。今日は紅魔館に用事があるから方向は合ってる、心配しなくとも大丈夫だ」

 

「──もしかして今朝、紅魔館の人が貴方を探していたのと関係があるんですか…?」

 

「ああ、さっきは丁度その場面に立ち合ってしまってナイフで脅されて散々な目に──うん? 何だって?」

 

 危うくうっかりスルーしてしまう所だったが、何やら看過できない言葉が聞こえてきたような気がする。

 俺は大妖精に詳しい説明を求めそれを聞き終えた後、再び紅魔館へと向けて歩み出した。

 

 

 

 

 

 その道中で、彼女から聞いた内容を整理してみる。

 無論、妖怪などに襲われぬよう周囲を警戒しながらだ。

 

 なんでも、今日の朝方、大妖精とチルノが遊んでいた所に紅魔館のメイドさんがやってきたのだという。

 

 そして、『偶にここで貴女達と遊んでいる人間の男、そいつの名前とか知っている事を全て話してもらえないかしら?』などと言われたらしい。

 

 大妖精は怪しいと感じて躊躇ったものの、特に人を疑う事もしないチルノがあっさりと俺について知っている事を自供。その全てを聞き届けたメイドさんは、ふと目を離した瞬間に消えてしまったのだという。

 

 自供したとは言え、チルノが知っているのは精々俺の上の名前と、人里に住んでいる事と、時折甘味を献上している事くらいなものだろう。メイドさんに大した情報は渡っていないと推測できる。

 

 とは言え、名前さえ判明できれば後は人間の里で聞き込みをするだけで良い。

 無名ならばまだしも、俺の名前と全く同じ発音をする何でも屋が、ちょうど里の間では薄紫の薬売りの噂とセットで広まっていたのだから。

 

 これで、何故接点のない筈の紅魔館が自分の名前を知っていたのかが分かった。では何故俺を紅魔館に招き入れるのかは──不明だ。まだ判断材料が足りていない、そんな気がする。

 

 

 

 

 

 いよいよ紅魔館の正門が遠目に見えてくるようになるかという頃合いで、一旦休憩しようと思った。腰をかけるベンチとして、適当にそこらで横倒しになっている木を見繕う。

 

 特に身体的にも精神的にも霊力的にも疲弊している訳ではないのだが、今みたく吸血鬼の住まう館がいよいよだと思うと、流石に緊張するというものだ。

 

 休憩は、その緊張感を和らげようと意図してのこと。それに加えて、あと十数分程度の時間を潰す必要が今の俺にはあったからである。

 

 ぽりぽりと、薬を塗った所をやんわりと掻きむしる。

 あーもう、痒いったらありゃしない。

 

 八意先生の塗り薬、それを塗った箇所に先程から猛烈な痒さが襲いかかって来ていた。強烈な効能を持つ薬には、得てしてそれなりにつらい副作用があるという事だ。

 

 この副作用は一時的なもので、時間経過で自然と引いていくのだと先生は言っていた。それを待ってから目的地に到着するつもりだ。

 このままだと痒みに悶えながらあの館にお邪魔することになってしまう。不審な目を向けられること間違いなし。

 

 改めて、チルノにこの薬を使わずに済んだ事に安堵する。

 

 あの氷の妖精の場合「うおーかゆい! あたいに何をしたぁぁ!」と大騒ぎして、大妖精から話を聞き出すのが至難の技となっていたことは想像に難くない。

 

──氷の妖精と共に墜落しそうになったあの時、咄嗟に身体を張った甲斐はあったのだと言えるだろう。

 

 少女の身を案じ庇って抱き込むだのと、アクション映画ばりのスタントをやる羽目になるとは、今日はとことん厄日だった。

 後日、霊夢にお祓いでも頼んでみようかなぁ。

 

 

 

 

 

 気を取り直して、現在の装備を確認する。

 自らの生命線である、博麗の御札はたっぷりと五枚も持ち込んでいた。

 その他は永遠亭の薬瓶と、習慣で持ってきたがま口財布くらいである。

 

 幻想郷屈指の危険地帯と呼ばれる場所に赴くにしては、随分な軽装備だった。

 やはりこの御札が文字通りの切り札である以上、万が一使うことになるのなら、その機会は慎重に選ぶ必要がある。

 帰りの分も考慮すると紅魔館で使える御札の数は多く見積もって四枚、余裕があれば三枚程度に抑えたい。

 

 とは言え俺は向こうから招かれた身である為に、あちら側から特に危害を加えられることはないのかもしれない。

 霊夢の名前を出せば、むしろその吸血鬼とやらも熱烈に歓迎してくれるのかもしれない。

 こうして自分の身を案じて慎重になって考え込むのも、徒労に終わるのかもしれない。

 

 杞憂であればそれで良い。

 

 しかし俺からするとあの館に何が潜んでいるのかが、あのメイド少女以外ははっきりと判明しない為に不安になってしまうのである。

 

 

 

 

 

 そうこう考えていると、段々と痒みが引いてきた。

 

 それが完全に無くなったのだと入念に身体を動かして確認した後、軽く服装を整えてから紅魔館へと進んでいく。

 所々木の枝を引っ掛けた所為で結構傷んでしまっているが仕方がない。着替えを持ってこようとは流石に準備段階では思わなかったのである。

 

 視線の先には夕日に照らされた紅い館。

 あのメイドさんに言いつけられた時間には、きっちり間に合ったと言えるだろう。

 




 
 
 あれ? ⑨殆ど喋ってなくね?

 そう指摘されても不思議じゃない今回 だって仕方ないじゃない この子を十全に動かせる状態にしちゃうと、思うがままに大騒ぎされて碌に会話が進行しないのだもの


 ちなみに本文から分かる通り、戦闘力的にはオリ主<チルノです 
 まあ実際強いらしいし、伊達に自機経験者ではないということかと思われ 大妖精も恐らく強い筈 少なくともオリ主よりは上なのは間違いないと断言しても差し支えはないでしょう テレポート出来るらしいし


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

眠れる門番、怒れるメイド、恐れられる吸血鬼

 

 

 紅魔館に辿り着くまでにちょっとした紆余曲折があったが、なんとかここまで来る事ができた。とは言っても気を抜いてはいけない、寧ろここからが本番と言っても差し支えないだろう。

 

 俺はその館の正門までやって来ていた。重厚な鉄製の柵が、侵入者を拒むように(そび)え立っている。

 遠方から見る機会はそこそこあれど、紅魔館にこれ程までに接近するのは初めての事であった。

 

 館を囲っている赤レンガの壁は決して低くはないものである。しかしやろうと思えば飛んで楽々侵入できるな、とも考えた。

 無論、招かれたといっても向こう側の機嫌を損ねるのは愚策過ぎるのでそんな事はするつもりはない。非常に危険な吸血鬼が館の主であるという話だし、余計な危機を招かぬよう相手の機嫌を伺いながら立ち回ろうと心に決めているのである。

 

 ちゃんと向こうの指示通りに動いていれば、少なくとも無事に終わる筈だ──そう心中で思っていた為に、いま自分の置かれている状況に対して少しばかり混乱していた。

 

 夕暮れ時という指定された時間帯に間に合っていることだし、てっきり俺はこの紅魔館の正門前には案内人的な人物が待ち受けていて、その人がどうして俺を呼んだのかを説明してくれるのだとばかり思っていたからだ。

 そうでなければあの銀髪メイドさんが現れて館の主にでも引き合わせてくれる、という可能性も想定していた。

 

 しかしながら、そうはならなかった今のこの状況。これからどうするべきなのかを暫し黙考する。

 

 

 

 

 

──やっぱり、あの人に話しかけるしかないよなぁ。

 

 ちらりと視線を向けた先には、赤いレンガの壁に身体を預けながら爆睡している少女の姿があった。

 

 “龍”という文字が刻まれた黄色の星型の飾りをつけた緑の帽子。

 明るい赤銅色のロングの髪をしていて、両サイドをリボンで結んで三つ編みに纏めていた。

 運動に適したアレンジが施されたように見える緑色のチャイナドレスに身を包んでいて、深いスリットから覗く健康的な美脚がとても目に毒である。

 

 実は紅魔館に歩いて近づいた時点で、彼女の人影を認めて『お、あの人が応対してくれるのかな?』と思っていた。しかし遠くからブンブン大きく手を振っても無反応で、少々の気恥ずかしさを覚えながら更に接近してみれば、ああして寝てたという事が判明したのである。

 

 この人は──まぁこの場所を考慮すると人でない可能性が非常に高いが、兎に角、彼女もまた紅魔館に所属しているものと見做しても良いだろう。アウェイな環境下で、あれほど隙だらけに熟睡するというのは考え難い。

 

 なんで気持ち良さそうに寝ているのかは分からない。もしかすると俺を待っているうちに温かな日に照らされて、うっかり昼寝をしてしまったのかもしれない。

 もしそうであるのなら幸先がいいと断言できるだろう。人外の集まるという悪魔の館に属していながら少なくともこの女性からは、かなりの人間らしさを感じ取れるのだから。

 

 口を半開きにしながらもだいぶ遅めな昼寝を敢行するその姿には、見る者に癒しを与える効果があった。

 

……だらしなく涎が垂れてしまっている辺りは特に。

 

 

 

 気持ちよさそうに寝ている所悪いけど、一旦起こしてみて話を聞いてみよう──そう思って中華風の装いをした少女の前まで移動した。

 

 早速目覚めさせようと取り組んでみる。

 まずは軽く声をかける事から始まった。

 

「あのー、すみませーん」

 

 zzzzzzzzzz

 

「ええと、起きてくれませんか?」

 

 すぴ〜、むにゃむにゃ……

 

「あ、あの! すみませーん! 起きてもらえませんか!」

 

「………う、ううん、あと五刻だけ──」

 

 ダメだこりゃ。

 一向に目を覚まさない少女を見て、そう判断する。少しばかり声を張り上げてみても効果はないらしい。

 

 ていうか『あと五刻だけ』って何だよ……

 一刻をきっかり二時間だと仮定すると五刻=十時間である。当然、睡眠時間としては少々どころではなく長い。

 『あと五分だけ』みたいなテンションであと十時間も二度寝されては堪らない。こっちは可及的速やかに用事を済ませてここから離脱したいのだ。

 

 少し気が進まないのだが、今度は少女の肩を揺さぶって起こす事にした。

 

 無防備に寝ている所本当に申し訳ないのだが、大きな声で呼びかけても目覚めないのでこれは仕方のない事なのだ。別にやましい気持ちなんて抱いていない。

 そう、仕方がない仕方がない。

 

 ・・・・・・・・・・・・ゴクリ。

 

 なんだかいけない事をしているようで、少女の肩めがけて伸ばす右手が少し震えてしまっていた。しかも、こう間近にその顔を観察してみると、彼女の容姿がとても整っている事が分かる。

 そんな美人さんに許可なく触れていいものか(いや美人云々は全くもって関係無いか)──なんて初心(うぶ)な葛藤をどうにか制して、その肩に触れた。

 

 次の瞬間、

 

「うおっ!」

 

 俺は地面に仰向けで寝っ転がっていて、先程まで熟睡していた筈の赤い髪の少女がそんな俺に覆い被さっていた。

 

「「……………………………」」

 

 気付けばガッツリと彼女と目がかち合い続けている。群青色に染まったその瞳はまさに虚ろで、そこから感情を読み取る事ができない。

 

 一体何が起きた──と混乱しかけたのだが、かろうじて何があったのかを把握した。

 

 多分俺は彼女に組み伏せられたのだ、と思う。

 こちらの右手がその肩に触れた瞬間、眼前の少女は信じられない程の瞬発力を発揮してその手を両の手で掴み返す。それと同時に片脚を俺の股下に滑り込ませ足払いした、という事なのだろう。

 

 覆い被さっているのは、体重をかけて俺という不埒者を逃さない為なのか。

 

 やっとの事で何が起きたのかを理解した今でも、この少女に容易く組み伏せられた──という現実に頭が追いついてこない。

 

 しかし、朧げながらも確実に俺の脳に刻み込まれた。

 彼女は“体術”というものの達人であるのだと。

 

 不思議と、妹紅の姿と目の前の彼女の姿がダブって見えた。本当に不可解だ。彼女達に接点は全くないのだろうし、共通点と言えば二人とも美少女である事くらいなものであるというのに。

 

「……………………………」

 

「………………………あ、あの〜」

 

 そんな美少女の顔が近くにあって嬉しくない訳がないのだが、そう読めない表情でじっと見つめられると大変に据わりが悪い。

 

 まるで俺が彼女の寝ている隙をついて、ひっそりと身体にお触りしようしたのを現行犯で取り押さえられたみたいな図である。痴漢かな?

 

………そう言い表すとあながち間違いであるとは言えないのかも、とはちょっとだけ思った。

 

 冤罪を主張するには心当たりが強過ぎる。そもそも現行犯という時点で冤罪も何も──という話である。捕らえる相手を誤認した訳でもなし。

 

「……………………………む?」

 

「……え〜と、おはようございます?」

 

 その無機質な視線に堪え切れずに声をかけると、段々とその瞳に生気というものが宿ってきた。いや、そういうよりは『やっと目が覚めてきた』と表現した方がより適切であると感じた。

 

 詰まるところ、彼女は寝ながらにして男一人を難なく制圧した──という事なのだろう。

 

 

「んん〜〜? あれ、私なんで……」

 

 

 俺の顔を見ながら、薄ぼんやりとした目でまじまじと観察してくる少女に向けひとまず微笑んでみてから様子を見る。

 

 ぶっちゃけ目覚めたらすぐ目の前に知らない男性の顔があるという奇妙な状況は、女性視点だと最恐ホラー以外の何物でもないと思う。

 これは不味い、と思い立ってなんとかこの拘束から逃れようとは努力したのだが、完全にマウントポジションを取られている為に抜け出せなかった。

 

 だからせめて彼女に与える恐怖を少しでも和らげるべきだ──そう画策して、今こうして笑いかけているのだが……

 

 そんな精一杯の俺に未だ目を逸らさずに「ん〜〜?」と怪訝そうな声を間近に漏らす少女を見て、もしや笑うのは悪手だったのかと内心で焦る。

 

 笑顔によってかえって不気味さが増すかも──そう考えて危機感を募らせたのだが、幸運だったのか相手はそう思わなかったらしい。

 

「………男の人が私に向けて微笑んでいる………なんだ夢かぁ、ふぁ〜あ……」

 

 何事かをぶつぶつと呟いた後、再び眠気に耐え切れなくなったのか自由落下に身を任せるようにして、彼女はこちらに倒れ込んで来た。

 そのまま地面と激突されては堪ったものではない。慌てて身を(よじ)ってそれを受け止める。

 

 体勢は依然として変わらず、仰向けに倒れた俺に中華服の少女が乗っかかっている形である。

 

……何この状況? どうすれば、てか柔らかっ!

 

 俺の胸部を枕にして再度寝始めてしまった彼女にどう対応するべきか分からず、途方に暮れる。

 

 少し無理して首を曲げ、彼女の表情を窺ってみると、非常にだらしない顔をしながら眠っているのが見て取れた。それを一度認識してしまうと、また肩を揺らすなどして強制的に起床させようなどとは思えなくなってくる。

 きっと極上の夢を味わっているんだろうなぁ。

 少女があまりに幸せそうな表情を浮かべているので、そんな感想が頭の中を過ぎった。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

「……ええと何度も弁解致しますが、アレは紛れもない事故だったんです、はい。決してよからぬ事を企んでいたんじゃあないんですよ俺は。本当なんです信じてくださいお願いしますだから早くそのナイフ仕舞ってください!」

 

「ふぅん、そう。──確かなの? 美鈴(めいりん)

 

「え!? え〜〜と、……正直寝ててあんまり覚えていないかな〜って。あ、でもなんだか夢見が良かったのは何となく覚えてます!」

 

「……貴女の意見が全く参考にならない、というのは十分に伝わったわ」

 

 メイドさんは、隣で正座している中華風の少女に対し呆れたような視線を向けている。“メイリン”と呼ばれた彼女は、そんな言葉を投げかけられて「そんな〜」と涙目を浮かべていた。

 

 ちなみだがその隣の女性と同様、俺も正座という形で紅魔館の正門の前で座っている。服が地面について汚れてしまっているし、砂利で地味に膝が痛い。

 体勢維持が辛くなってきたので、俺とメイリン…さん、二人に正座を強制したメイドさんに「もう立っていいですか?」と軽く要求をしてみると、彼女は一旦隣を見るのをやめてこちらに軽蔑の眼差しを向けてきた。

 

 立っている者と座っている者との視線の高さの差も相まって、見下されている感が半端ない。ゴミを見るようなその視線に耐えかねて、「イエ、ナンデモナイデス」と片言で喋って降参するしかなかった。

 鈴仙の、会う度に苦虫を噛み潰したような顔をしてくる様子が可愛らしく見える程の絶対零度っぷりである。正直心臓止まるかと思ったよね。

 

 

 

 

 

 現在は、夕日がもう少しで沈んでしまおうかという時間帯。メイリンさんの睡眠に付き合ってからそれほど時間は経過していない。

 

 幸せそうに眠る少女の顔を飽きもせずに眺めていると、不意に人気(ひとけ)を感じた。その方を見てみると、そこには寝っ転がっている俺をなんとも言えない表情で見下ろすメイドさんの姿があった。

 

 

 実に、昼頃に人間の里で会ったぶりの感動(鼻笑)の再会シーンである。

 

 

 無表情に徹しきれず少々目を見開いているその顔に、不思議と俺はあどけなさを感じた。残念ながらと言うべきか、今こうして二人を並ばせ正座させている目の前の少女を見ていると、それは錯覚だったのだろうと思い直してしまったが。

 

 暫くお互いに何も言えずに沈黙した後、メイドさんは自力で気を取り直し俺の上で寝ている少女を叩き起こした。

 目覚めて間もなく寝惚けて混乱している彼女と、若干の名残惜しさを感じている俺を並べて座らせて、何をしていたのかを事情聴取しようとして今に至る──という感じである。

 

 

 

 メイドさんがここにやって来たのは、夕暮れ時という待ち合わせの時間が迫ったからなのであろう。しかしいざ足を運んで見てみると、何故か二人が添い寝している光景が目に飛び込んできたという訳だ。

 

 何があったのか知りたいと思うのは、当然の事だと言える。

 

 俺はこれ幸いと、彼女に先程の体勢は意図的なものでなく偶然によるものだったのだと弁明する。懐疑的な視線と銀色のナイフを向けられながらも必死になって行った主張は、それでもちゃんと要領を得たものにできた筈だ。

 

 正座する二人から話を聞いた後、メイドさんは渋々といった様子でナイフを納め、立ち上がる事を許可した。

 

 もう片方のメイリンという名の少女が言った、なんとも気の抜けるような証言は聞かなかった事にしたようで、最終的にメイドさんはこちらの言い分を採用してくれたようだ。

 それは決して俺を信用したからではなく、隣で「いや〜本当にいい夢だったんですけどね〜」とぼやく少女の意見が全く当てにならなかったからだと思われる。

 まあ、彼女からは詳細な情報が出てこないので妥当な判断だろう。

 寝ていた為に事情を知らないのは仕方がないのだが、軽く扱われているようでなんだか不憫に思えてくる。

 

「要するに、貴女はまた門番の責務を放り出して寝てた、という事ね?」

 

「い、いやー、ははは……」

 

 なんて掛け合っている少女達から察するに、緑のチャイナドレスを着た女性が居眠りをするのは日常茶飯事であるらしい。

 メイドのジトりとした目に、ひゅ〜ひゅ〜と下手な口笛で迎え撃つ華人。彼女らのそのやりとりから、ある種の厚い信頼関係が垣間見えた。今更気付いた事なのだが、両者とも横の髪を三つ編みにして結わえている。

 

……あえてお揃いにしているのだろうか?

 

 二人を見て、呑気にそんな事を考えた。

 

 

 

 一向に口笛を止めようとしない少女を一頻(ひとしき)り呆れた後、メイドさんは俺を一瞥して話し始めた。

 

「貴方は私についてきなさい。お嬢様がお呼びです」

 

「お嬢様……わ、分かりました」

 

 彼女の言う『お嬢様』とは、きっとこの館の主である吸血鬼の事に相違ない。

 

 キィ、と鉄の門を開いてこちらを手招く銀髪の少女に、俺は慌てて追従する。これで、紅魔館の敷地をやっとこさ越えられたという事だ。

 メイドさんが門を閉めるその直前、少女達のする会話が耳に入ってきた。

 

「ああ、それと美鈴。罰として今晩の夜食はなしね」

 

「え〜、そんな〜」

 

……可哀想に。迫力こそ不足しているものの、その真に迫る悲痛な叫びには同情を禁じ得ない。彼女に向かって心の中で合掌する。

 

 でも、門番なのに居眠りを決め込むのは普通に駄目だと思う。多分、侵入するだけなら自分でも容易に出来そうだったし。

 

 去り際、『どんまい』と励ますつもりで飯抜きが確定したらしい少女に向けて手を振る。それに気が付いた彼女の方も、同じく手を振って応えてくれた。パァーっと一転して明るい顔をする門番さんに癒されながら、メイドさんの案内に従って紅魔館に入る。

 

 これはあくまでも俺の所感であり、確定した事ではないのだが──メイリンという少女とは、とても気が合いそうだと思った。いい人って感じがする。

 

 

 

 

 

 重厚な大扉の開いた先に広がる光景は、館の真っ赤な外観に負けない赤を基調とした洋風の内装であった。率直な意見を言うと、個人的には全体的にギラギラとしていてあまり落ち着かない。『あまり良い趣味だとは言えないなあ』とひっそり思いながら、ゆっくりと館の中を観察する。

 

 玄関を抜けてすぐのスペースはだだっ広い吹き抜けになっていて、広域を温かに照らす豪奢なシャンデリアが印象的であった。

 俺の両サイドには長〜い廊下があって、赤い絨毯が延々と通路の先まで続いていて終わりが見えない。正面には二階へと続く大階段があり、これまた真っ赤な絨毯が敷かれている。

 

 欧米風な館だけあって、メイドさんの案内で土足のままお邪魔することになった。日本人としての習慣から少々の抵抗感を覚えながらも、その赤く珍しい景観にちょっぴりワクワクしながら観光気分で眺めていた。

 

「は〜、中々立派な内装ですね」

 

 本音半分媚売り狙い半分で、後ろに控えたまま一言も発しないメイドさんに前を見ながら話しかける。この館の主が何を思って俺を招いたのかは与り知らないが、それでもご機嫌取り程度はしても損はない筈だ。

 

 そんな打算あっての呼びかけだったのだが、メイドさんからの返答は無い。……少し露骨に過ぎていただろうか?

 チラッと自分の後ろを振り返ってみて、どうして返事が来ないのかを正しく理解し驚愕する。

 

 そこに、メイド少女の姿はなかった。

 

 

「あ……?」

 

 

 メイドさんが音もなく消えてしまうというのは、人間の里でも体験していた事だ。非現実的な出来事ではあるが、ここは幻想郷。恐らく彼女はそれを可能とするような“程度の能力”の持ち主であろうとある程度の目星をつけていた。

 

 だから、銀髪の少女が跡形もなく消失した事には特に驚いてはいない。

 俺が驚いているのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が分からないからだ。

 

──どうしていなくなった? 俺を『お嬢様』とやらまで案内してくれるのではなかったのか? ……まさか!

 

 唐突に、嫌な予感が脳裏を駆け巡った。

 

 弾けるように、さっき通ったばかりの大扉を開けようと試みる。──ダメだ、開かない。

 

 あの華奢なメイドさんは片手で容易に開けていたというのに、男の俺が全力で踏ん張っても無駄であった。押しても引いても、苦肉の策でスライドさせようとしても、目の前の大扉はうんともすんとも言わずに微動だにしない。

 というか、いくら力を入れても扉は軋みもしない。八つ当たり気味に蹴りを入れても、音さえ鳴らない。

 まるで大扉自体が、空間そのものに固定されたかのようだった。

 

 

 

 目に垂れてきた汗を、袖で拭う。

 

 扉を開けようと全力で取りかかったが為に、しっとりと全身が汗ばんでいた。……いや、汗をかいたのはその所為だけではない。

 

『もしや、俺はこの館に閉じ込められたのでは?』

 

 そんな事を想像してしまって、冷や汗をかいているのだ。そして、吸血鬼の住まう館に閉じ込められた人間がどういう末路を辿るのかは、非常に恐ろしいことにとても想像し易かった。

 となると、開かずの扉の前でマゴマゴしてはいられない。再びエントランスに戻って、どうやって紅魔館から脱出しようかと必死になって思案を巡らせる。

 

 左右にはどこへと繋がるかも分からない廊下、前には上階へと続く大階段。廊下へ出たら、窓を割って脱出できるかもしれない。上階──ひいては屋上を目指せば、空を飛んでここから抜け出せるとは思う。だが、よくよく思い出せよ俺。この館の外観を観察した時、窓は確かに存在していたか? いや無かった筈だ。でも屋上を目指すったって紅魔館の見取り図がある訳でもなし、上への階段を探しているうちに“脅威”と鉢合わせる危険性だって……

 

 次に取る選択肢は決して間違えてはならない。

 

 そう感じて時間をかけ真剣に考え込んだのは、どうしようもない悪手であったらしい。

 俺の真正面から──つまり赤い絨毯の敷かれた大階段から、唐突に少女の声がした。

 

 

 

 

 

 

「──へえ、お前が。……期待したより幾分も冴えないのが気に食わないが、まあ良いか」

 

 

 

 

 

 

 その幼さの残る声色と高圧的で不遜な口調とのギャップの所為か、背筋にゾワリとした悪寒が走った。

 ギチギチと、錆びてしまった歯車のように首を曲げ、顔を声の聞こえた上に向ける。

 

──そこにいたのは寺子屋で見かけるような小さい背丈をした、可愛らしい服装に身を包んだ少女だった。

 

 セミロングの青い髪に、真紅に染まった両の目。

 ふんわりとした丸い帽子に、赤いリボンが所々に刺繍された薄いピンクのワンピース。その矮躯(わいく)の為か大きく見えるコウモリのような羽根が、一つバサリと強く羽ばたき、その異形さを殊更強く主張している。

 

 そして、まず何よりも注目すべきは少女の放つ大妖怪としての風格であった。

 

 幻想郷で暮らす中で、本能的にこれ程の畏怖の念を抱いてしまう存在に出会った事はかつてあっただろうか。その圧倒的な威圧感にあてられ恐怖で肌が粟立ち、足が竦んでその場に縫い付けられる。

 

 

 

 

 

──彼女こそ悪名高き紅魔館の主にして、数ある妖怪達の中でも特に強大な種族とされる吸血鬼。

 

 幻想郷縁起にもその存在は記されており、そこでも『非常に高い危険度を持つ妖怪である』と著者は特筆して警鐘を鳴らしていた。

 

 

 

 その名は、“レミリア・スカーレット”。

 

 

 

 人間の尺度で測れば十歳にも満たない程の幼い外見でありながら、彼女の持つ潜在的な強大さは確固たるものだった。

 

……今になって意地を張っても無意味だと分かっているので、正直に白状しよう。

 

 こちらを傲慢に見下ろして、品定めをするように睨め付ける吸血鬼の少女と相対して、俺は“純然たる恐怖”を己が魂に刻み込まれているのだと自覚した。恐らく──いや確実に、自分という矮小な存在は、彼女によって蟻のように容易く踏み潰されてしまうだろう。

 

 “格”の違いに萎縮するあまり喉がカラカラに渇いていき、頭が真っ白になる。

 もう、何も考えられない。

 

 

 

 

「……さて、早速だが本題に入ろうか」

 

 

 

 

 いや、何も考えられないと諦める訳にはいかない。あの吸血鬼を相手にして、どうすれば生存する事ができるのか? その案を今すぐにでも思いつかねばならない。

 

 死ぬのは嫌だ。死ぬのは怖い。死ぬのは嫌だ。死ぬのは怖い。

 知らずのうちに、呼吸が浅くなっていく。

 

 

「誇り高き吸血鬼(ヴァンパイア)にして偉大なるヴラド・ツェペシュの末裔であるこの私が、貴様を態々招待してやったのは──」

 

 

 どうする? 後ろの大扉は開かない。前方の大階段は吸血鬼によって塞がれていて、仮に飛行してすり抜けようとも果たしてそう上手くいくものだろうか? ──ダメだ、すれ違いざまで即座に捕まってしまうビジョンしか見えてこない。

 

 

「つまり、運命をも見通す曇りなき我が眼にて──」

 

 

 ならば、横の廊下に逃げ込むしかない。そして窓が見つかれば霊力の弾で割って外へと脱出する、これが最善策か。

 だがもし窓が見つからなかったり、見つかったとしても硝子が分厚くてちょっとやそっとじゃ割れない代物であった場合、何が潜むとも知れない館の中を当てもなく彷徨う事になる。

 となると、『裏口やら勝手口がこの館には存在していて、追っ手に捕まる前に俺がそれを見つけ出す』という非常に分の悪い賭けをする必要が出てくる。

 

 そんな伸るか反るかの大博打をモノにできる豪運が自分に備わっているとは断言できないが、何かしら行動しないと未来がないのもまた事実。このまま吸血鬼の餌食になるなんて真っ平だ。

 そう腹に決めて、逃走の機会を窺う事にした。

 

……そういえば、吸血鬼の少女はさっきから何を話しているんだろう?

 

 生存方法を考えるのに集中し過ぎで、全然話を聞いていなかった。ちょっとだけ聞いてみるか。もしこちらを襲いかかるような素振りを少しでも見せたら、死に物狂いで逃走を開始しよう。

 

 何やら自慢げな様子をして喋っている吸血鬼の声に、初めて耳を傾ける。

 

 

「……だから、お前を我が紅魔館の“所有物”にしてやろうと──」

 

 

 あ、駄目だこれ。

 

 断片的に聞こえてきたのみではあるが、『これはアカン』と判断するには充分過ぎるワードが少女の口から飛び出してきた。

 

 “所有物”──これは、『血を啜る為、お前を監禁してやろう』という意思表示に他ならないだろう。なんてったって相手は吸血鬼だ。それ以外の捉え方などあるまい。

 

 全く、冗談ではない。

 

 こうして吸血鬼の真意がはっきりした今、ここに留まる理由はない。幸運にも目の前の吸血鬼はどこか自身の言葉に陶然しているようで、俺の事を視界に収めている訳ではなさそうだ。

 

 抜き足差し足でゆっくりと、右手の廊下に向かって忍んで歩く。赤い絨毯が足音を吸収してくれるお陰で、何とかバレずに済みそうだ。

 ひっそりと確実に、吸血鬼の少女との距離を広げていく。

 

 

 

 そろり、そろり。

 

 

 

 結局、こっそりと離脱する俺は気取られずにその場を離れる事に成功した。……後は時間との勝負である。いつ吸血鬼が俺の失踪に気付いてもおかしくはない。彼女が追っ手を差し向ける前に、どうにかしてこの悪魔の館から脱出せねば。

 

 要はスピード勝負だ、もたつく暇など一切無い。

 内心で酷く焦りながら、それでも平静を保つ事を意識して宙に浮く。

 

 捕まった場合どんな非道な目に遭わされるのか──その事を極力想像しないようにして、俺は低空飛行して果てなき廊下を突き進んでいく。無論、五体満足で生還する事を切に望みながらである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 妖精メイドなどの住民に目撃されないよう気をつけながら、脱出口を求めて青年は紅魔館を探索する。その一方で館の主は青年が逃走した事にすぐには気付かず、銀髪のメイド少女がストップをかけるまで、その語りを虚無に向けて延々と続けていたという。

 




 

 ほん めいりん (何故か漢字変換できない)
 ↓ そうだ!
 くれない ☆ みすず デデ---ン!!


 あんまり本文を長くしたくないと常々思っているのですが、それでも長くなってしまうのが残念な所 語彙力の低さ故に同じワードを連発しちゃうし、言い回しとか「何か数行前に見たばかりだぞ?」となってしまうのが非常にツラいね

 ついに三点リーダーを習得したのを報告致します “てんてんてん”を変換すれば良いという簡単なことに、中々気付く事ができませんでした 

 なんでも最初の数話投稿時、••• ←これで三点リーダーを打ったつもりになっていた作者がいるらしい(懺悔)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

狂気の“目”

 こんなタイトルですが、残念ながらうどんちゃんは登場しません 悪しからず
 


 

 

 すっかり日も暮れ夜の帳が下りている。静かに降り注ぐ月の光がなければ、辺りは今ごろ真っ暗闇であった事だろう。今宵は月と縁の深い化生の類が活発となる、満月の夜であった。

 

──吸血鬼の力が最も高まる時分を見計らって、彼を招いたのかな? お嬢様、結構見栄っ張りなところがあるからなぁ。

 

 紅魔館、その内と外を隔てる正門にて。

 その門の守りを任された人型の妖怪──“(ほん) 美鈴(めいりん)”は夜空に浮かぶ真円を見上げ、薄ぼんやりとそんな予想を立てる。

 

 彼女は現在、暇を持て余していた。

 

 いくら門番の責務と言えど、その実基本はただ立っているだけ。白黒の魔法使いとイタズラ好きの妖精達の他には、この館に侵入しようと目論む輩など存在しないと言っても過言ではなく、このような手空きの時間に悩ませられるのは日常茶飯事だった。

 暇つぶしとしていつも行う居眠りはさっき終わらせたばかりで、貴重な娯楽である“食事”という行為も『今晩は差し入れ無しね』という無慈悲な宣告を先程受けたばかり。

 物思いに耽るくらいしかする事がない。

 

……あ〜、本当に勿体ないなぁ。どうしてあの時、夢と思って意識をまた手放しちゃったんだか。

 

 腕を組んで眉を歪め、美鈴は深く深〜く後悔する。あのような“美味しい”体験は、容姿が美麗(醜悪)な彼女にとって金塊よりも価値のあるものであった。それを十全に堪能する機会をみすみす逃してしまった自身に呆れて、大きくため息をつく。今ばかりは自分の怠慢さが恨めしい。

 

 『あの時私は寝たフリをするべきだった』と猛省して歯噛みする程度には、その時の出来事は痛恨の失敗として彼女の記憶に残っていた。

 

 もし狸寝入りに成功したら……と想像力を羽ばたかせて、その妄想をせめてもの慰めとする。ひとしきりそれが終わった後、自分のした事のあまりの虚しさに驚いて自嘲した。

 別れ際こちらに向かって手を振ってくれた彼の姿に、どうやら少しどころではなく舞い上がってしまっているらしい。

 

 乱れていた体幹を整える共に深く呼吸を行なって、知らずのうちに昂っていた気を鎮める。

 武術を嗜む者として、この程度の自戒は朝飯前であった。

 

 

 

 

 

 紅魔館の主から“メイド長”の役職を与えられた人間の少女──“十六夜(いざよい) 咲夜(さくや)”があの青年と共に紅魔館へと入って行ってそれなりの時間が経過しようとしていた。

 

 実力的にそして外見的に、一癖も二癖もある者が集う女所帯、それが紅魔館である。それ故に滅多な事ではここに来訪者は現れない(魔導書目当ての盗人は例外として)。

 それこそ“異変”に関わるような者でない限り、外部の人間に対して門が開かれるという前例は、一つたりとして存在しなかった。

 

 だが今日になって、その前例は破られる事となった。

 しかも青年とメイド長の会話を聞いた事から察するに、お嬢様が直接彼を指名したという話ではないか。

 

 何を目論んでわざわざその人間を招待したのかは、主の性格をよく知る門番にも全くの不明であった。いつものように単なる思いつきで行動しているのか、それとも外部から融通される“食糧”に飽きて、鮮度たっぷりな生き血を欲しがった為か。

 

 

 

 時間潰しにはなるものの、判らない事をいつまでも考えていても不毛である。なので美鈴は思考を主の真意の推察から、再びあの青年に関するあれこれへと移す。

 

 今朝方メイド長が音も無く外出していたのは、彼をここまで呼び出す為であったのだろう。

 

 ではその招待を受けて実際にやって来てしまったあの青年は一体何者なのか。紅魔館という場所が、ただの人間にとって非常に過酷な環境であり、特に下手を打たずとも住人の気分次第で容易に人の命が奪われてしまう魔境であるということを、彼は承知しているのか。

 

 観察した限りでは、男に特異な性質は全く見受けられなかった。健康的な若い人間として、霊力や魔力、気、体格までもがおしなべて平凡。外面からは見抜けない特殊な技能があるというのであれば話は別だが、少なくとも格闘技能のほどは寝惚けた自分でも制圧可能な程度に留まっていた。

 

 魔を封じる何かしらの装備を携帯している様子だったが、妖精メイド達ならばまだしもその他の──特にお嬢様なんかは歯牙にも掛けないだろう。

 以上のことから、あの青年が十分な自衛の手段を持ち合わせているとは考え難かった。

 

 

 

──しかし、本当に身を守る術が無い訳ではないのだろう。

 

 

 

 命知らずでもなければ、流石にあの封魔の装備以外にも何かしらの備えはしている筈だ。加えて、私に押し倒されるという苦行を課されてもそれを許容し、更には微笑んでくれたという並々ならぬ寛容の精神。

 

 不思議な人間だなぁ、と心底思う。

 

 もしかすると私に組み伏せられたのは意図しての事であって、それで『紅魔館という勢力には決して敵対しない』という姿勢を、身をもって示していたのかもしれない。

 あれは寝惚けた自分の起こした偶発的な事故のようなものだったのだが、それすら自らの益になるよう立ち回るとは中々どうして抜け目ない。

 

 きっと彼はどんな窮地に立たされても、上手いこと機転を効かせてその修羅場から悠々と脱するのだろう。

 

 

 

 引き続き満月の映える夜空を眺めながら、紅美鈴は彼の人物像を想像にて形作っていく。

 

 彼女は紅魔館にやって来た青年に対して、その精神性に高い評価を下した。しかしながらそれはあくまで門番から見た彼の姿であって、実情に沿ったものであるのかは、

 

 

 

──また別の話である。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 もう無理。キツい。早く人里に帰りたいよぉ……

 

 

 メイド服を着た妖精が二人、眼下を通り過ぎていったのを確認して廊下に降り立つ。曲がり角から声が聞こえたので咄嗟に天井に張り付いてみたのだが、このアイデアはなかなか悪くなかった。もし思い付かなかったとしたら今頃どうなっていた事やら。

 ただでさえ蜂の巣をつついたような大騒ぎになっているというのに、これに更なる賑やかさを加える事になっただろう。

 

 いや、逆に騒ぎは沈静化すると予想できるのか。

 俺という元凶を捕まえる事になるのだから。

 

 

 

 

 

 紅魔館のエントランスにて、俺は館の主であるレミリア・スカーレットという吸血鬼と接触しながらも、なんとかその場から命からがら逃げ出す事ができた。

 

 そこから少々時間が経過していて、流石に彼女も俺が居なくなったのだと気付いた頃合いの筈だ。暖色系のお高そうなインテリアが各所に散りばめられた廊下に沿って人目を避けながら、脱出できそうな窓やら裏口などがないかを探っていく。

 

──そう、『人目を避けながら』と言ったが事実、先程のように逃走を開始して何回か、館の住民とニアミスしそうになっていた。メイド服を着た妖精達の事である。

 

 恐らく館の主からの下知があったのだろう。妖精達は慌ただしげに館の中を縦横無尽に駆け巡り、俺という逃亡者を探し回っていた。

 本来の妖精の気質を考えると、上からの命令を素直に聞かずそれぞれが気の赴くままに遊んでいそうなものである。しかし現状そうなっていないのは、それほどあの吸血鬼が恐ろしいのか、それとも突発的に発生した鬼ごっこを楽しんでいるのか、そのどちらかであろう。

 

 そして、さっき下を通り過ぎた妖精メイドのワクワクした笑顔を見て、後者が正しいのだと思い知る。

 

 こちらは捕まったら終わりであるというのに、そう無邪気に追い立ててくるとは全くふざけた話である。平時であれば可愛いと断言できた妖精のメイド姿も、この状況下では呑気にそう言っていられない。

 サーカスで見る道化師(ピエロ)とホラー映画で見るソレでは受ける印象がまるで異なるように、今の心理ではなんだかその可憐な衣装も悪趣味なものであるかのように見受けられた。

 

 家具の影に隠れたり、施錠されていない部屋で息を潜めたり。

 そうやって妖精達を何とかやり過ごしながら、廊下を突き進んで行く。

 

……この廊下も、おかしいと言えばおかしい。

 

 いくら前に進んでも、奥に行き着く事が無い。というか外から見た館の外観スケールを考えれば、とっくに地上階は踏破したと言える程の距離を進んでいた。

 

 オカルト談でよく聞くような同じ廊下を延々とループする──という訳ではなく、まるで館という空間そのものが拡張されたようであると感じ取れた。大扉が固定されたように動かなかった事も相まって、紅魔館には空間を操る術を持った者がいるのだと内心で早々に結論づける。

 

 『私の能力を使えばこんな事ができるのよ』と、自慢げに話す輝夜を思い出した為に下せた結論だ。

 “程度の能力”が活用されているのなら、今置かれている非現実な環境も容易く説明できる。

 輝夜と知り合えていなければ、この程度の推察もできなかった──だが、推察ができたからといっても、それで現状が打開可能かと言うとそうでもない。

 

 術者を倒す。

 

 詰まるところ、それがこの無限廊下を攻略するのに必須の手順である。が、逃げの一手でいっぱいいっぱいな現状、そんな事を成し遂げる余力は無い。

 運良くそれらしい奴を見つけられたら、博麗の御札で無力化できないか試してみよう──といった消極的なスタンスで挑む他ないのである。

 

 

 

 

 

 コソコソと身を隠しながら、ひたすらに脱出口を求めて邁進する。

 

 またまた前方から妖精メイドの談笑する声が聞こえてきて、近場にあった通路に身を潜めようとする。その暗がりに入った瞬間、足が空を切った感覚がしてヒヤリとするが、すぐにその足は地についた。

 追っ手に警戒しながら、なんだなんだと足元を見てみると、通路と思って入り込んだそこは、下に続く階段への入り口だった。

 

 つまり、知らずに俺は丁度その一段目に足をかけていたという事である。危うく階段をすっ転んだ物音で、位置バレする所であった。いや、結構下まで続いていそうだし、それが死因となってもおかしくはなかった。

 

 一階だけでもこんなにスペースがあるというのに地下まであるのか……どんだけ広いんだ、この館は。

 

 この分だと、出口捜索に要する時間は想定より長くなりそうだった。紅魔館の広大さに辟易させられるのはこれで何度目になるだろう。この館には地下がある──その事を取り敢えず頭の片隅に置いておく。後で何か脱出の役に立つのかもしれないという淡過ぎる願望を込めながら。

 

 流石にこの階段を降りようとは思わない。地下よりは地上階にいた方が断然脱出は叶いやすかろう。なんだか不気味な雰囲気が階段の先から漂っている気がするし。

 

 

 

 なんとなく不吉な感覚に襲われて、懐に忍ばせていた護身用の札を撫でて、五枚全てちゃんと揃っているのかを確認する。反射的に取り出せるようにしなければ──と、しかと気負う。

 そして『一回休み』で済むのだから、メイド妖精に見つかったらこれを使ってしまおうと覚悟を決める。

 

……博麗の御札で思い出したのだが、吸血鬼の少女と出会ったあの時、霊夢の名を出していれば、また違った結果になったのだろうか?

 

 まあ、今となっては後の祭りである。

 

 高々と演説している最中に勝手に席を立たれては、話し手としては堪ったものではない筈だ。しかもそれがただ一人の聞き手だったのであれば、その憤懣(ふんまん)の行き場の先は言うまでもない。

 

 吸血鬼相手に完全なる不興を買ってしまった。

 

 謝ったら許してくれる、という幻想に縋り付きたい所ではあるが、やはり慎重を期して行動するべきであろう。謝罪をするのは、捕らえられてもう後がない状況に追い込まれた時に限るべきである。身の安全を第一とするのであれば、このまま潜んで探索するのが最善であるのに間違いないのだから。

 

「さて、そろそろ行ってくれたかな……」

 

 妖精の声が聞こえてこなくなったので、そろ〜りと地下へと続く階段から廊下の方に頭を出して、追っ手の影があるのかどうかの確認をする。

 

 

……どうやら誰もいないようだ。

 

 

 安堵から、()()と息をはく。

 

 毎度こんな感じで見つからないかドキドキしているのだから、いい加減早くこの命懸けの逃走劇を終わらせたいものだ。

 

 そう愚痴りながら廊下に身を出そうとした──その時になって、俺は()()にやっと気がついた。

 

 

 

 

 

 不意に、背後からナニかの気配を感じ取った。

 

 しかも────近い。

 

 俺から二歩も離れない程の超至近距離で、何者かが後ろに立ってこちらを静かに観察している。どっと冷や汗が噴き出した。

 

……ずっと俺を見ていたのか? 後ろからという事は地下から上がってきたのか? 何故逃亡者を発見したというのに何もしない?

 

 どこか、あの吸血鬼と出食わした以上の怖気を感じながら、ゆっくりと懐に手を入れて、霊夢から貰った御札を取り出す。

 

 その枚数は、五。

 

 けたたましく鳴り始めた生存本能に従って、切り札を全て用いてこの場を切り抜ける事を選択する。

 『いま急場を凌いだところで後はどうする?』『帰路の分を考慮して節約するべき』と喧しく主張する理性は無理矢理にねじ伏せて、背後にいる不気味な存在に、全てのリソースを使用して対処する事を決めた。

 

………こちらが気付いた事は、後ろの奴も察しただろう。

 

 だから、これは所謂西部劇における“早撃ち勝負”だ。

 相手方は既にこちらを向いているという不公平極まりない状況であるが、そもそも背後を取られた時点で俺はもう死んだようなものなのだ。文句は言えない。

 

 

 

 ゴクリ、と生唾を飲み込む。

 

 

 

 妖精が去って静寂の訪れたこの場所で、その音は酷く大きく響いたような気がした。

 

……それを合図にした訳ではないが、俺は自分の持てる全力の速度で振り返って、手にした五枚の御札を掲げて霊力を迸らせる。

 

 

────喰らえ!!

 

 

 緊張に竦む己の心を奮い立たせ、すぐ後ろに潜んだ何者かに向けて御札の霊力をぶつける──その筈だったのだが、

 

「…………は?」

 

 視線の先には誰の姿も無かった。

 

 何が目に映ろうと、霊夢お手製の呪符をソイツに叩き込む心算であったが故に、そこに何も存在しなかった事に狼狽する。

 

 どうして何も居ないのか? 背後に感じた気配は気のせいだったのか? 行き場を無くした御札を片手に頭を真っ白にさせながら動揺する様は、()()にはさぞかし滑稽に映った事だろう。

 

 

 

 

「クスッ………なぁに? それ」

 

 

 

 

……振り返ってすぐに相手を見つけられなかったのは当然だった。

 

 何故ならば、俺の背後に立っていたのは背の低い少女であったからだ。単純な事だった。こうも極端に接近されては、意識して下を見なければその姿を視界に収める事は叶わない。

 

 

 

「はい、きゅっとして…ドカーン」

 

 

 

 少女はそう小さく呟いて、“何か”を潰すようにこちらに向けていた掌を握る。

 すると摩訶不思議なことに、俺が最後の頼みとして心の拠り所にしていた五枚の呪符が、弾けるようにして一斉に破れてしまった。

 

 なんとも呆気ない。

 まるで吹き荒ぶ風の前に灯された、マッチの火のよう。

 

「あ…………」

 

 ヒラヒラと、その効果を発揮する事なく舞い落ちてゆく紙片を、俺はただ茫然と眺めている。それを、どこかまったく関係の無い他人事のように傍観する。

 

 霊や妖怪の類に対して無類の強さを持つ筈の霊夢の御札、それを容易く粉砕した危険な存在が目の前に居るというのに、何とも悠長なことをしているものだ。

 

 それでも、この場から逃げ出す事はしない。出来ない。

 

 博麗の御札が無くとも、霊力の弾丸とかでどうにか対抗できないのか? すぐさま踵を返して飛んで、目の前の存在からどうにか逃れられないものか?

 生き残る為に、この場を無事乗り越えられる選択肢が無いのかを必死になって模索する。しかしそう思考を巡らせながら本音では、もはや万事休すと諦めている自分に気が付いて、絶望する。

 

 この場において絶対的な弱者である俺にできる事と言えば、視線を下げ、少女の顔を恐る恐る観察する程度であった。

 

 

 

 

 

 外見の特徴としてはそうは見えないものの、その身に纏うただならぬ気配から、確かにあの吸血鬼の姉妹なのだと納得する。

 

──昼ごろ読んだ幻想郷縁起によれば、紅魔館の主、レミリア・スカーレットには妹がいるという。

 

 

 その名も、“フランドール・スカーレット”。

 

 

 

 

「只の人間が、こんなところで一体何をしているのかしらねぇ?」

 

 

 

 

 珍品を鑑賞するように、こちらをじっとりと見定める吸血鬼と相対して、一つだけ分かった事がある。

 

 “自分の命を真に大切にしたいのならば、そもそも俺は紅魔館に足を運ぶべきではなかった”──そんな寺子屋に通い始めた子供でも知っているような、至極簡単な真実だ。

 幻想郷に根ざした人間であれば、幼児であっても知っているそんな“常識”を、俺はそれなりの期間をここで過ごしていながら全く身につけていなかった──なんて、浅はかな。

 

「………ハハッ」

 

 乾いた笑い声が口をついて出る。

 突然笑い出した俺に、少女は首を傾げる。

 

「う〜ん? 私、何か可笑しいこと言った?」

 

「え? あー、別に? 何でもないさ」

 

 恐れ(おのの)いて命乞いをするべきこのタイミングで、俺は吸血鬼の少女にタメ口を叩く。

 

 現在自分を襲っているこのやるせない感情は、簡潔に表すのであれば“諦観”の一言に尽きる。

 どうせもう『終わり』なのだ。

 相手の機嫌を伺う事も、外の世界に戻るという大目的も、ちゃんとした家を構えるという目標も、自分の生還すらも──それら全てを今ここですっぱりと諦めた。

 

 だからこそ、頼りにしていた装備を全て失って、恐るべき吸血鬼が眼前にいるという気が狂いそうなこの状況下で、気心知れた友人に対してするような口調で喋ることができたのかもしれない。

 

 

 

 俺は、にこやかな微笑みを浮かべて吸血鬼と向き合う。心は凪いでいて、すっかりリラックスしていた。そんな憑き物が落ちたような顔をする矮小な人間を見て、捕食者たる少女は何を思うのか──ハ、もうどうでも良いわ。

 なるべく正常な思考をしようとする脳の処理能力を、意図して鈍らせる。イメージするのは酩酊状態一歩手前な自分自身である。

 

 

………もう、どうにでもなぁれ☆

 




 
 
 Q.『ありがた〜い博麗の御札、脆くね?』

 A.『いくら道具が一流でも、肝心の使い手がね……』



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

狂える少女との付き合い方

 

 

──ひとまず、私の部屋でお話ししましょう?

 

 

 最恐の吸血鬼、フランドール・スカーレットは何を思ったのか、暗澹(あんたん)とした階段の先にある地下室に俺を招待した。

 

 木の枝に、色とりどりの宝石が実ったような不思議な羽根をこちらに振って、禍々しい気配のする地下へと進んで行く少女。それに従わず廊下に戻って再び脱出口を探すという事も不可能ではなさそうだったのだが、俺は何も考えずにふらふらと彼女の後について行くことにした。

 

 『命あっての物種』だと常日頃自らに言い聞かせているというのに、平時では考えられない軽率な行動だった。

 

……実際その時は、悪魔の館で人外から追跡され続けるという到底平時とは言えない状況に自分は長い時間置かれていた。そこに、俺の生命線(博麗の御札)がいとも簡単に破壊された先程の光景だ。

 

 アレが、決定打となった。

 

 目に焼き付いたあの絶望は、疲弊していた心を折るには十分過ぎた。その前に長時間の命懸けな鬼ごっこを強いられたこともあって、『もうなんでも良いから早く終わらせたい』という諦観に俺は毒されていたのである。

 

 

 

 

 

 ギィ…と重々しく開かれた扉と、こちらを振り向く紅い少女を見る。十にも満たない幼い外見である。だというのに薄く微笑んで手招く彼女の姿は、俺に並々ならぬ艶かしさを感じさせた。

 

 それは容姿端麗な少女を目の前にして発露した男の本能、その“最期”の表れだったのかもしれない。

 

……我ながら最低である。

 

 いくら生存本能が刺激されているからとはいえ節操もなく、こんな状況下でも人は劣情を催せるのだと見せつけられたようで大変気持ちが悪い。

 招かれるままその地下室に足を踏み入れる。その一方で頭の中では、底の浅さを露呈させた自己という存在を酷く嫌悪していた。

 

 

 

 

 

 燭台の頼りない火に照らされたメルヘンチックな内装を見回し、少女の言われるがままに木製の椅子に座る。

 右手を見れば床に放置されたクマのぬいぐるみから白いはらわたが飛び出していて、左手を見れば天蓋付きのベッドの真ん中に棺桶が鎮座していた。

 彼女は吸血鬼なのだから、棺桶に入って睡眠を取るのが当たり前のことなのだろう。おおかた自分の知っているヴァンパイア像に近しいものを感じるが、棺桶にベッドという斬新な組み合わせは流石に今初めて知った。

 

 また一つ、己の知識が増えてしまったようだ。

 

 まあ、他の何かに転用できる情報かと問われたら答えに窮する程度の豆な知識ではあるし、そもそもの話『それベッドいる?』と言いたくなる程の突っ込みどころ満載なインテリアではあるのだが。

 

 というか“全て”を諦めたが故に、気持ちだけ無敵となった自分に死角はない。なので、全く臆せずに吸血鬼の少女にそのミスマッチな組み合わせについて突っ込んでみる。

 

 すると少女は見事なブロンドのショートヘアーを横に揺らして、俺の質問に仕草にて解答する。

 その『何言ってんの?』とでも言いたげな表情から察するに、彼女はそれに対して今まで疑問に思ったことはなかったようだ。

 

 まあ、外の世界で人生の大半を過ごしてきた俺と紅魔館という物騒な環境で暮らしてきたであろう吸血鬼とでは、その認識の仕方に差異があるのは至極当然の事か。

 何ともつまらない質問をしたものである。

 

 

 

「……ねえ、そんなつまらないことじゃなくて、面白いお話してよ。何かあるでしょ? こんな所に単身で乗り込んでくるくらいなんだから」

 

 非力なクセして思い切ったことしたねー、と納得するように頷く少女には、愛想笑いを浮かべるしかない。分不相応な事をしでかしてしまったという反省は、レミリア・スカーレットと相対したあの時から継続してやっている事だ。

 

………しかし、『面白い話』か。

 

「どうして俺にそんな事を?」

 

「ん〜、私が退屈だから? 借りた本も全部読み終わって、さっきまでどう時間を潰そうか悩んでたの。で、上が騒がしいのに気付いて部屋から出てみれば──ってこと」

 

「……なるほど」

 

 目線を上げると階段先で俺がコソコソと隠れていたので、丁度その背中が見えたということか。そのあまりの間の悪さには、もはや芸術性すら感じられる。タイミングがピンポイント過ぎる。

 

 俺と彼女の邂逅は、まさに“運命”的だったと言えよう。その大いなる流れに逆らう事は不可能なのだろうから、ここでその不運を嘆いても仕方がない。

 

……思えばこれで、紅魔館の吸血鬼姉妹の両方に目を付けられた事になる。本当にもうどうしようも無いな。

 まさしく“命運尽きた”というやつだ。

 

「そうだなぁ、最初に何を話そうか……いや、まずは自己紹介からか」

 

 俺ができる面白い話と言えば、これまでの人生の中で蓄積してきた自慢話や失敗談、そして外の世界と幻想郷を対比しながらアレコレを語るくらいなものである。

 その話をする前に、自分についての概要を軽くでも伝えておかねば聞き手には十全に楽しんでもらえないだろう。名前を教えるのは、その大事な第一歩。

 

 

「俺の名は、藤宮慎人。()()()だが、よろしく頼む」

 

 

 その大半が高度な社会性を持つ訳でもない人外の類とは言えど──いや館の主曰く“誇り高い”らしい吸血鬼だからなのか、こちらと向かい合う少女は可憐な声で丁重に自己紹介を返してくれた。

 

 

「私の名は、フランドール・スカーレット。こちらこそ、()()()()()()けれどよろしくね、シント」

 

 

 凝った装飾の施された椅子にちょこんと座る彼女には、やはりその表情や声色からは幼子らしさが窺えない。何百年も生きるという吸血鬼なのだから、当然その齢も見た目通りではないという事か。

 

「………ああ、よろしく、フランドール」

 

 下の名前で呼ばれたことに謎の幸福感を覚えつつ、暫し瞼を閉じて実際に話す内容を脳裏で取捨選択する。

 どうせ語るのなら、目の前の少女には是非是非お楽しみ頂きたいものだ。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 フランドールと対面し、俺なりにそれなりに面白いと自負している体験談をつらつらと語る。

 

 外の世界の話をする際は幼い頃、特に中学二年から進級するまでは、周囲と美的感覚のズレに気付いた事と、それとは別のとある家庭的事情により、明るい話題が極端に少ないのでそこら辺は意図的にぼやかした。代わりに中学三年高校大学と、それなりに人との縁に恵まれた頃の話をする。

 『とある後輩と霊圧比べでよく惨敗してた』とか、『オカルト絡みでそこの部員でもないのに調査にしょっちゅう駆り出された』とか、『休日は心霊現象を求めて全国を少しずつ巡って行った』とか、なんて事ない日常を語る。

 幻想入りしてからは、人間の里で運送屋兼便利屋の看板を掲げて依頼に四苦八苦した事を主体に話す。

 

 具体的な人名は一切出さない。吸血鬼という非常に危険な存在が、万が一彼ら彼女らに興味を持ってしまうような事があっては困るからだ。

 お世話になった皆に、迷惑をかける訳にはいかなかった。

 

 

 

 苦労しているその時は大変だったが、今こうしてアルバムを捲るように語って顧みてみると、中々波瀾万丈で充実した一生を過ごしたのだなと感慨深くなる。

 

……うん、平々凡々な一般人にしては、よくやった方なのではないだろうか。

 

 自分で自分をそう褒めたくなった。

 瞼の裏に浮かぶその景色は、直視するにはあまりにも眩い。

 

 

 

 

 まあ、残念なことにそうしみじみと回想に耽っているのは、この地下室でたった俺一人だった。

 

 

 

 

「……もう喋るのやめていいよ。つまんないから」

 

「あー、やっぱり? 薄々そんな予感はしてた」

 

 

 滔々と己の半生を振り返りながら喋っていると、フランドールは俺の話を唐突に遮った。

 その不満そうに(かたど)られた顔は、話し始めて数分も待たずに浮かべられたものである。

 それを視界に入れて、『このままではヤバい』と思いながらもその『面白い』話をやめる事はできなかった──いや、意図してそれを止めなかった。

 

 だってそうだろう?

 

 誰であっても自らの命の終わりに臨んでモノにしたいと願う“人生を振り返る”という絶好の機会を、語り聞かせという最高に分かり易い形で行えるのだから。

 目の前の吸血鬼にとってこの語りの何が不満だったのかは知らないが、少なくとも俺はこれで充分に満足できた。

 

……心残りは大いにあるが、それはあの世で見守ろう。

 

 幻想郷は三途の河と地続きであるというし、脱走して化けて出るなんてことも、もしかすると容易に可能なのかもしれない。

 

 席を立ち、ゆっくりと歩み寄って来る少女を眺めつつ俺は最期を迎える覚悟を決めた。

 

「折角だし、お別れする前に血を貰うね」

 

「ん? おう、いいぞ。遠慮なく貰っていけ」

 

 てっきり博麗の御札にしたように、俺に対してあの掌を握る動作をしてくるのだと思っていた。だがフランドールは即座には俺を殺さず、軽く味見をした後に始末するつもりらしかった。

 

 実に吸血鬼然とした思考だ。

 

 どちらにせよ、俺から見れば結末は変わらないのでどうでも良い。なので、抵抗せず大人しく袖を捲って手首を差し出した。

 

……すると彼女は首を振って、こちらをじっと見上げてくる。

 

 その熱い眼差しは俺の首元に突き刺さっていた。……そうか。差し出すべきは、手ではなく首であったか。

 というか普通、吸血鬼のお食事シーンと聞いて想像するのは、生娘の首を貪る黒マントに青白い顔をした痩躯のオジサンである。

 なのにどうして手首を出したのか、うっかりうっかり。

 

「ああ、悪い。なにせ吸血鬼に血を吸われるのは生まれて初めてでな……ほら、これでいいか?」

 

 そう言って謝りつつ、身体を屈めて首を傾ける。

 

「ん、それでいいよ」

 

 そしてついに、フランドールの鋭く伸びた犬歯が、俺の首筋にかぷりと突き立てられた。そのまま暫く、俺は少女が満足するまで首を差し出し続けた。

 その軽い疼痛のする箇所から、少しずつ、少しずつ、ナニかが着実に吸い上げられるのを体感する。あまり長続きして欲しくない、微妙な不快感が纏わりつく未知の感覚だ。

 

 そういえば、永遠亭で採血された時もこんな感じだったような……とどうでもいい事を連想してぼんやりしながら黙っていると、漸く彼女は俺の首筋から口を離した。

 

「健康そうなだけあって、味は悪くなかったわね」

 

「おお、褒めてくれるなんて嬉し──ととと」

 

 軽口を叩いて立ち上がろうとすると、眩暈がして堪らず再び座り込む。血が足りない。どうやら、フランドールは本当に遠慮なしに血液を持っていったらしい。

 まるで準備運動なしに全速力で長距離を走り回った後のようで身体を襲って来る倦怠感は著しく、とても気怠い。

 

 これは当分立ち上がれそうもない──いや、もう二度と立ち上がる事はないのか、俺は。

 徐に片手をこちらに向けて、狙い定めるように目を細める金髪の少女を視界に収め、そう悟る。

 

 だがその前に、一つだけやる事ができた。

 

「……フランドール、そこから動くなよ」

 

「え?」

 

 彼女の顔目掛けて手を伸ばす。

 どうやら目の前の吸血鬼は獲物が完全に屈服したのだと見做して、俺から反撃されるとは夢にも思っていなかったらしい。

 だから、とても簡単に袖をその小さな口に押し付ける事ができた。

 そしてもう片方の手を彼女の肩に置いて、その場に固定させる事も容易であった。

 

……別にこのまま口を塞いで、窒息させてやろうとしている訳ではない。

 フランドールもそれに気付いてか、俺にいいようにされるがままだ。

 

「よし、終わったぞ」

 

「………なんで?」

 

 別に大した事ではない。俺がしたのは少女の口元を僅かに伝っていた自分の血を、自分の袖で拭っただけの事である。

 フランドールは目をパチクリとさせて、どこか呆けたような顔をする。彼女にとって今何気なく取った俺の行動は、相当におかしなものであったようだ。

 

 そんなに『被食者が捕食者に対して奉仕をする』というのは変な行動なのだろうか? ……あー、まあまあ変か。特にこれから殺されようとしているヤツがソレをするのは、“変”を通り越してどこか“歪”さがある。

 

「……『なんで?』、かぁ」

 

 貧血で回らない頭で考えたことだったが為に、建前の無い真っ直ぐな本音が口から飛び出して来た。

 心の奥底に沈めていた、その本音を。

 

「……どうせ死ぬのなら、綺麗なモノを最期に見てから逝きたいだろ?」

 

「キレイ──“綺麗”? 私が?」

 

 自分の発した言葉の羅列を理解し損ねたらしく、フランドールは聞き返してくる。俺は少女の顔を見ない。見ないままに応える。虚空に向けて独白する。

 

「ああ、とても綺麗だ……思えばずっと“こう”だ。みんなと一緒の筈なのに、俺は“普通”で“平凡”の筈なのに、受け入れられるべき存在の筈なのに、“これ”だけはいつまでも決定的に掛け違っているんだ」

 

──ちゃんちゃら可笑しい仲間外れだよな?

 

 この世で一番呪ったのは、この“あべこべ”だ。

 気持ち悪い、気持ち悪い。

 まるで世界そのものが、自分という存在を排斥しようとしているかのよう。

 

 もしこの美醜感覚逆転がなかったら、外の世界において俺はどれだけの数の友と“真に”腹を割って話せただろう? どれだけの時間をその苦悩に費やさずにいられただろう?

 もしソレがなければ、もし自分という存在が周囲の人々へと不自由なく埋没できたのなら……

 

 割り切った筈の今になっても、そんな『if』を夢想せずにはいられない。

 

「……私の顔が“綺麗”って、それ本気で言ってるの?」

 

「本気も本気、大マジだ。だって今から死ぬってのに、嘘吐く必要なんてあるか?」

 

 この感想は、混じり気のない純然たる本音である。少女から度し難いモノを見るような視線を受けても、臆する必要など全くない。既視感のある(トラウマものな)この状況でも、俺はこうして胸を張れている。

 

 なので不敵に笑って、力強く吸血鬼を見返してやる。

 

 思考は(まば)らだし、血を抜かれて身体の方もふらふらだ。正直言って上手く笑えている自信はない。なるべく爽やかな感じをイメージしているが、こうも表情筋が引き攣るあたり、大変に見苦しい醜い笑顔になっているかもしれない。

 眼光の方も誠実さをアピールするつもりが、ぶきっちょに睨み付けるみたいになっていて、野蛮さを感じさせるかもしれない。

 

 だからこそ、きっとその面に虚飾は無く。

 

 

「………アナタって普通に見えて、案外気が狂っているのね」

 

 

 クスクスとこちらを嘲って嗤う少女の在り方には、どこか自分と非常に似通った特異な性質があった。そんなフランドールにつられて俺も、『吸血鬼なんて言う真の“バケモノ”からそう揶揄されては堪らない』と、嗤い返してやる。

 

 

「俺のコレ(あべこべ)をすんなり信じるとか、お前こそ気が狂っているんじゃないか?」

 

 

 お互いを見合って、いい顔で嗤い合う。

 

 眼前の吸血鬼の少女に対して、俺は少なくないシンパシーを感じた。間違いなく、彼女も同様のものを感じ取っているだろう。

 どうやら最期の最期で、俺たちは分かり合えたようだ。……その実態は相互理解と遠くかけ離れた、醜く歪んだ交流なのかもしれないが。

 

 

 

 とはいえ、それで今から『はい、仲良しになれたので解放します。出口はあちらです』とフランドールが言う筈も無い。

 

 狂人相手に、常識は通用しない。

 対抗するには、ソレと等量の狂気が必要となる。

 俺と彼女が通じ合えた──ように錯覚し合えたのは、つまりそういうことである。

 

「バイバイ、シント。つまらないって言ってごめんね。今のは結構面白かったよ」

 

 そう言って、フランドールは再びこちらに向けて掌を伸ばす。

 あの華奢な手が握り潰された瞬間、俺の命もまた握り潰される。

 

 秒で終わればいいなー、痛みを感じる間が無いといいなー、とささやかに願いつつ、冥土の土産にと少女の愛らしい狂気の顔を目に焼き付け続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

………………まだ『その時』はやって来ないのか?

 

 己の命の灯火が消えるまでの時間は、やけに長く感じられた。極度に精神が研ぎ澄まされた結果なのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………………………ん?

 

 

 フランドールの狂気を孕んだ表情が、当惑のそれに切り替わった。一旦手を引っ込めて、グッパッと閉じたり開いたりしている。

 そうして自身の体調に一分の曇りもない事を確認すると、今度は跪いた体勢の俺の周りを、時計回りにグルグルと回り始めた。その真紅の瞳は俺の身体の至る所を視姦している。……いや、視姦は流石に言い過ぎか? でも視線が突き刺さりすぎて今かなり居心地悪いしなあ。

 

「……ちょっと立って」

 

「え、何で?」

 

「早く」

 

 信じられない程の威力でゲシゲシと足蹴にされて、慌てて直立する。でもやっぱり貧血なので、ふらりと倒れそうになった。そこで何とか身体の芯に力を入れて、無理して立ち上がる。

 

 するとフランドールはまた俺の周りを周回し始めて、今度は下半身を中心にして観察して回った。

 

 しかしながらその努力も虚しく、お目当ての物? は見つけられなかったらしい。先程と同じような位置どりに戻ると、何事かを深く思案するようにして黙り込む。

 

……フランドールは一体何をやっているのだろう?

 

 疑問に思う俺と、何かを疑問に思っている様子の吸血鬼。しばしの間、その場に動くものはゆらゆらと地下室の内部を照らす蝋燭の灯りだけであった。

 

 

 

 手持ち無沙汰になったので退屈凌ぎに脇に置かれた棚に入った本の冊数を目視にて数え上げていると、少女はやっと再起動した。

 

「ねえ、どうしてシントには“目”がないの?」

 

「目? ……ここに二つあるが」

 

 自分の眼窩のある位置を指差して、数度瞼を上下させる。……なんだろう、何を聞きたいのか分からない。『眠ってるようなシケた顔してるな?』と『お前の目は節穴だ』のツートップが脳内翻訳で浮かび上がってくるが、流石に正解ではない筈だ。

 

 なんでいきなり罵倒されにゃあならんのか。

 

 俺の反応の仕方から、上手く意思疎通できていないのは伝わったようだ。彼女は「なんでもない」と言いながら、それでも納得いかない様子で再度思考の沼に沈んでいる。

 

「おーい、目ってどういう意──」

 

 フランドールのした質問の意味を理解しようとして、少女に向かって一歩踏み出したその瞬間、全身の筋肉が一斉に弛緩した。そのまま糸の切れた操り人形の如く前に倒れ込み、うつ伏せになったまま身体が固まる。

 どうやら血が足りない状態で無理に直立させられた所為で、身体の方が強制ストライキを実施させたらしい。

 「ううぐふぅ」と声にならない悲鳴を上げながら立ち上がろうとしたが、継続的な目眩に視界が揺れてそれもままならない。

 

 

「壊れないし、狂ってるのに、たったそれだけで倒れちゃうの?」

 

 

 遠くから、そんな喜色に満ちた声が聞こえてくる。

 

 それは俺の貧弱さに呆れているようであり、意地悪にこちらの根性のなさを嘲笑っているようであり──少女の奥底に秘めていた、珍しい玩具を発見した時の幼子のような無邪気さが、意図せず前面に押し出されたようでもあった。

 

 

 

 

 

 きっとその子供は、その玩具を大切に扱う事だろう。

 それはその子だけが行える刺激的な“遊び”に耐えられる、とっても希少な存在なのだから。

 

 




 
 
 “遊び”に耐えられる ※なお、パンチやキック、レーヴァテインなどの直接的な攻撃手段はその対象外とする


 狂気には狂気をぶつけんだよ!

  端的に言えばつまりそういうことです でもフランちゃんのそれと本当に対等に渡り合えるものをオリ主が宿しているのかのどうかの判断は、ぶっちゃけ人それぞれかと思われます

 皆さんはどう思います? あべこべ世界の中で“正しい”価値観を持った人物は、果たしてその世界の住人にとって狂人となり得るのかどうか その回答次第かな〜と感じる次第



 ここの妹様の性格は、現時点での公式における最新の彼女(※智)から大いなるインスピレーションを得ました でも流石にそのまんまだと発言とかがキレッキレ過ぎたのでマイルドな感じに落ち着きましたが 
 二次創作でよく見る明るく腕白なフランちゃんを期待されていた読者様がもしいらっしゃいましたらば、ここに謹んでお詫び申し上げます

 もし見たくなったのなら、『新規小説作成』という欄をクリック又はタッチして、その思いの丈を文章という形でぶつけてみて下さい 勢い余って投稿なんかしちゃうと尚良しです 

 すると何という事でしょう 自身の拙い文面と欲望丸出しな妄想が、全世界に晒されているではありませんか! まさに劇的! ……まあその文章を上手いことビフォーアフターできるのかはまた別の話ですがね

 悲しいね 推敲なしでパーフェクトな文を描けたらどれほど助かるものか……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Charisma is Unbreakable

 

 

 ここは紅魔館、その地下室。

 

 部屋の主、フランドール・スカーレットは棺桶が置かれたベッドの端で横になって、両腕で頬杖を突きながらこちらをじっくり凝視している。

 口角を緩く持ち上げていたり、子供がするように脚をパタパタと動かしたり、なんだかとても楽しそうである。

 しかしながら、感情の読めないその瞳がどうして()()に楽しみを見出しているのかは謎であった。

 

 俺の手にはナイフとフォーク。そして目線を下に落とすと、そこには既に半分程消費された極上のステーキと、色彩豊かな付け合わせの野菜達が熱の残る鉄製プレートに乗っていた。

 

 久しぶりに外の世界で慣れ親しんだ、いやそれ以上に美味な料理に舌鼓を打てて、俺個人としては非常に満足である。

 

──男一人がただ孤独に食事(グルメ)するだけという光景に、吸血鬼の少女は何を感じているのだろう。食べてる本人には測り得ないエンターテイメント性が、そこには含まれているのだろうか?

 

 何故か微妙な心境になりつつ、引き続き提供されたステーキ肉と野菜をもりもり口に運んで咀嚼する。貧血になったのなら、その分だけ肉を食べればいいじゃない──そう言いたげに現れたこの品はまさにその狙いを(あやま)たず、すっかり俺の体調を正常なものに戻してくれていた。

 

 視線をプレートから、こっそりと部屋の隅に向ける。

 

 この絶品な料理を載せてパッとこの地下室に現れたメイド服の少女──フランドールから“サクヤ”と呼ばれていた──は、こちらの視線に気付いたかと思うと俺のつくテーブルに瞬間移動した。そのまま手に持っていたガラスの水差しを手前のグラスに注いだかと思うと、次の瞬間にはまた元の定位置に控えている。

 

「あ、ありがとうございます…?」

 

 別にサービスを所望したつもりはなかったので、そんな困惑した声音が出てしまった。無表情な顔をしたメイドさんは、それを受けて恭しそうに頭を下げる。

 

……今日の昼頃、ウキウキ気分でナイフを突き立て脅迫してきた彼女と同一人物だとはとても思えない。双子かそっくりさんが存在している可能性あり? いやいやクローン人間という可能性も…?

 

 なんてふざけた事を半ば本気で考えながら、無言でステーキと野菜を頬張る。ヤクザなメイド少女と狂人な吸血鬼少女、両者に観察されながらするこの食事は、なんとも心の落ち着かないひと時であった。

 

 

 

 

 

 ことの始まりはフランドールに断りを入れて、ベッドの傍にもたれ掛かり貧血状態を落ち着かせようとして暫く経った時のこと。

 

 中々回復しない俺に呆れてか、少女は部屋から出てどこかへと向かっていった。そして少し間が空いて戻って来たかと思うと、その後ろにメイド姿の彼女を連れていた訳だ。

 

 人間の里、紅魔館正門、地下室と、本日三度目の再会。

 

 ぐったりと項垂れる俺を見て何を思ったのかは知らないが、フランドールがあれこれこっそりと耳打ちすると彼女は慇懃に礼をして、テレポートしていった。

 そうして間を置かず再び彼女が現れたかと思うと、洒落たカートに載せられたこの食事が配膳されてきたという次第である。

 

 

 

 

 

 

「……ご馳走様でした」

 

 両の手を合わせてそう言うと、眼下の空になったプレートとグラスは消失して、メイドさんの姿もなくなった。……こう何度もまざまざと“能力”を見せつけられると、いい加減驚く気力も無くなってしまうというものだ。

 

「アナタ、私の能力は効かないのに咲夜の能力は効くってどういうこと? ちょっと生意気じゃない?」

 

「生意気って、そんなの俺に言われてもなあ……」

 

 半眼で睨め付けてくる吸血鬼には、わざとらしく肩を竦ませて遺憾の意を表明する。俺の能力が適応される範囲は自分でもよく分かっていないのだから、そう迫られても返すべき言葉が見つからないのだ。

 

 『常識に囚われる程度の能力』

 

 この常時発動型──その言葉の響きは細やかに中二心をくすぐる──の効果は、あの胡散臭いスキマ妖怪曰く、『自分の常識にない事象を拒絶する』といったものである。

 

 フランドールの持つ『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』が俺に対して効力を発揮しなかったのはその為だ。『万物には“目”という弱点が存在しており、そこを潰されたらそれがどれ程頑丈な物であっても問答無用で破壊される』──という説明を受けた今でも、その能力の概要が頭に全然しっくりと来ない。

 硬度が非常に高いダイヤモンドなんかは意外にもハンマーで容易く粉砕できるとかいう有名な雑学に近いものを感じるが、別に俺はダイヤモンドではなく人間なわけだしな。

……いや巨大なハンマーで殴られたらそれはもう痛いのだろうが、どう考えても流石に一振りで粉砕するまではいかない、普通に考えて。

 

 その辺が、俺の持てる想像力の限界なのかもしれない。

 

 対してサクヤと呼ばれていたメイドさんの能力は、フランドール曰く『時間を操る程度の能力』である。時間を止めたり早めたり、果ては空間を拡張したりと、聞く限りだと割と何でもありな能力だ。

 さっき瞬間移動したように見えたのも、やたらとステーキが出されるのが早かったのも、その時間を操るとかいう便利な能力の所為だった。恐らく彼女は時の止まった世界の中で、ただ一人自由に動いているのだろう。

 

 『時を止めるとかなにそれ超カッコいい』──なんて戯言(中二心)は抜きにして、何故彼女の“非常識”的な力が自分に及んでしまうのかを真剣に考える。

 

 流石に『時間が止まる』という現象に対して、『え? そんなん当たり前っしょ』などと抜かすことはできない。いくら心霊・怪奇現象に慣れ親しんだ俺と言えども、時止めという超常現象には流石に理解が及んでいないのだ。

 無理に理屈をつけるとすれば、魔力か何かで身体を極限まで加速させることで擬似的な時止めを体験するという手法は思いついた。しかしそれは現実的にあり得るのだろうか?

 いや、何事にも限度というものがあるし、そもそもその理屈では空間云々についての説明がつかない。……これまた、俺の想像力の限界である。

 

──まあ、それが出来そうな人物(住職)に全く心当たりがない訳ではないけれども。

 

 兎も角、そんな“時間を操る”という『自分の常識にない事象』であるというのに、俺の程度の能力は彼女の力を無効化できていない。それが何故なのかがさっぱり訳が分からない。完全にお手上げだった。

 

 

 

 未だに連絡の取れない八雲紫が、この能力に関して出鱈目を言っていたという可能性は勿論考慮した。だが、過去の出来事を色々と思い返してみても、彼女の言ったことを否定できるような判断材料は皆無だった。逆に中学時代での集団記憶喪失事件など、アイツの発言を保証するような事ばかりを思い出すまであったのだ。

 

 『常識に囚われる程度の能力』、その能力の些細を明らかにする必要性は、正直言って無さそうかなぁと感じている。少なくとも必須ではないだろう。ただ、“折角”自分に根ざした異能であるからして──それについて詳しく知りたいと思うのは、決して不自然なことではないのだと思う。

 

 遅咲きの中二病……という頭に浮かんで来たワードは、見なかったことにする。『時間を操る』とか、『ありとあらゆるものを破壊する』とか、そういったものに、男の子として少々の浪漫を感じただけなのだ。遊び心を持つ余裕がある、うん、いい事じゃあないか。

 虚空に向かって、そう言い訳をする。

 

 

 

 

 

 

「むう、不可解ね」

 

 “メイドさんの能力は対処できないが、フランドールの能力は難なく対処できる”──俺の能力はそう雄弁に物語っているのも同然だ。

 そのせいで、従者よりも力に劣っている──とでも思ったのか『本当に気に食わない』というような表情を浮かべて、フランドールはふんすと鼻を鳴らす。

 

 幼い外見と妙にマッチしたその様子に苦笑しながら、メイドさんが居ないこの間に……と俺は吸血鬼の少女が寛いでいるベッドへと近付く。

 

「あー、フランドール? 良ければなんだが、さっき話したこと、聞かなかった事にしてくれないか?」

 

「さっき話したことって?」

 

 突然頼みごとをされて疑問符を頭上に浮かべた少女に、なんと言って説得しようかと少しだけ言い淀む。だが誤魔化したってしょうがない。頭を掻いて、素直にこちらの要求を提示する。

 

「何って、その、……俺の能力のこととか、君の容姿を“綺麗だ”って言っちゃったこととか」

 

「……え〜、あれって嘘だったの?」

 

 何故か大層不満げな顔を見せた彼女に狼狽えつつ、慌てて発言の補足をする。百歩譲って『程度の能力』がバレるんならまだしも、俺にとって“美醜感覚の逆転”が明かされることは非常にまずい事態なのだ。人間の里で暮らしていく前提条件──“隣人に受け入れてもらう”が、あべこべの所為でなされなくなってしまう。それはもはや致命的、と表現しても良い。

 

「いやいやいや、綺麗と思っているのは本当だ。今でもそう感じている。ただ万が一俺の歪んだ感覚が皆に広まりでもしたら──」

 

「広まったら?」

 

「広まったら……」

 

 カチリ、と動かしていた口が固まる。次に続けようとしていたその言葉に、俺はのっぴきならない違和感を覚えたからである。

 

 あれ、どうなるんだったっけ?

 

 無論、決まっている。俺という異物は、きっとその居心地良い人の輪から、異端者として排斥されるに決まっているのだ。

 物心ついて周囲との埋め難い差異に気がついたその瞬間から、ずっとずっと恐怖していた事態──“一生孤独に苛まれ続ける”という事態に陥る事になるのだと、俺は生まれた瞬間からそう宿命付けられていて──

 

 

 

………本当に?

 

 

 

 フランドールの疑問の瞳に、吸い寄せられる。

 その頭の中では、ずっと『そうなるに決まっている』と断定していた考えに、一つの亀裂が生じているのを感じ取っていた。一体いつの間にそうなっていたのか、自身の“根幹”が揺るがされていたと今更知って、動揺を隠せない。

 自分のこの美醜感覚のズレは、みんなとのどうしようもない“乖離”を意味しているのだと、幼い頃から長年信じ続けていた。

 

 しかし。しかし、である。

 

 道行けば気さくに声をかけてくれる人間の里のみんなは、ひょんな事がきっかけで知り合えたあの少女達は、この本性を認知してちゃんと嫌ってくれるのだろうか? 『アイツは頭がおかしい』のだと、『コイツは平凡ななりしてその正体は狂人なのだ』と、きちんと侮蔑の眼差しを向けてくれるのだろうか?

 

 いや、きっと彼ら彼女らは──

 

 

 

 

 

 

「藤宮様、お嬢様がお待ちです」

 

 何も言えずに固まっていると、メイドさんが地下室の扉の前に現れた。……どうやら時間切れのようである。

 

 まずい。吸血鬼の少女を口止めするのに十分な説得を、全く行えていない。

 

 長年一人きりで抱え込んできたものが大衆に暴露されてしまう──そんな光景が脳裏に浮かんできて、俺はどうしようもなく怯んでしまう。

 頭に浮かんで来たその()()は心の拠り所とするには心許なく、幼少の頃から深く根差してきたこの小心な思考からは、中々逃れることができない。

 焦燥感に駆られて、フランドールに縋るような目を向けてしまう。

 すると、これ見よがしにため息をつかれた。

 

 その内心はきっと、『()()()()()()()に何うじうじしているんだか』──といったものだったのだろう。

 

「……一応()()については黙っててあげるから、今は大人しく咲夜の後について行きなさい」

 

「! ありがとう、恩に着る」

 

 その言葉は、あまりにも俺に優しく寄り添っていて。

 目の前の狂気の吸血鬼が、その時だけは天使に見えた。

 

 そして苦笑する。……少し前まではその少女に殺される覚悟を決めていたというのに、今では逆に感謝の言葉を送っている。

 なんて温度差の激しい関係性の移ろい方なのだろう。

 

 その奇妙な事実に心底愉快な気分を味わいながら、銀髪のメイド少女へと歩み寄る。無論、秘密を口外しないと約束してくれたフランドールには頭が上がらない。

 なので扉を潜る前に振り返って、フランドールに黙礼を捧げる。

 

 

 

 

 

「──シント」

 

 声をかけられたので頭を上げて見てみる。

 

「もしみんなに()()がバレて困っちゃったら、特別にこの部屋に匿ってあげてもいいよ? 新鮮な血を毎日飲めるのは、私としてもとっても嬉しい事だから」

 

 

 

 

 

 フランドール・スカーレットはそんな事を提案し、無垢な子供のように微笑む。しかし少女の口から覗く牙は如何にも吸血鬼らしく、それはキラリと妖しく光って見えた。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 重厚そうな大扉を目前にして、緊張に張り詰めていた身体を深呼吸にて鎮める。

 

……ある意味、ここが真の正念場といっても良いだろう。紅魔館の主との対面、そのやり直しが始まろうとしているのだから。

 

 先程拾い直したばかりのこの命、しかと掴んで二度と放さぬよう心掛けねば。

 

 銀髪のメイドさんはこちらに背を向けながらにして、俺の心の準備が整ったと把握したらしい。最後に深い息を吐いて、武者震いに揺れる身体に喝を入れた瞬間に、その扉の片側がゆっくりと少女の手によって開かれた。

 

 

 

 階を跨いで案内されたそこは、絢爛(けんらん)な装飾が施された応接室だった。壁には暗い配色の絵画が掛けられていて、キャビネットに置かれた高級そうな花瓶には一本紅色の花が差されている。中央にはテーブルを挟んで対面に向かい合った二つのソファが置いてあり、俺は無言で促されるままに手前のそれに座る。

 

 上座に目をやれば、紅魔館入り口で遭遇した、紅く幼い風貌の吸血鬼の姿がある。いつの間にやら、メイドさんはひっそりと彼女の後ろに控えていた。

 

 紅魔館の主──レミリア・スカーレットは、俺が部屋に入って向かい側に座るその時までずっと目を瞑っていた。その双眼が見開かれることになったのは、まさしく俺がその瞼に覆われた両の目を直視した時である。

 

 そこには、フランドールと同じ真紅の瞳があった。

 不機嫌そうな鋭い眼光と、息が詰まるような威圧が、こちらに襲い来る。

 

……俺は一度、彼女相手に恐怖を覚えて逃げ出した。

 

 正直言って、今でもその胃が竦み上がるような感覚に変化はない。彼女は紛れもなく強大な大妖怪で、俺はちっぽけで無力な人間だった。

 だがしかし、少なくない畏怖を抱きながらもここに不思議な心境の変化が起きていた。現在俺は、おっかなくてしょうがない筈の吸血鬼相手に、怯むことなく真っ直ぐ見つめ返すことができているのだ。

 

 これは危機感知の本能が鈍ってしまった所為なのか、それとも曲がりなりにもあの死線(フランドール)を乗り越えた報酬なのか。

 

 兎も角これで、睨まれても酷く恐怖して再び逃げ出さないのだと、相手方に示すことができた。

 それを確認してか、威厳とあどけなさが同居する吸血鬼の顔に、ちょっとだけ安堵の色が浮かんだのが窺えた。

 もしかすると、目の前の少女はまたそうなる(ガン逃げされる)可能性をそこそこに懸念していたのかもしれない。

 

 

 

「妹が世話になったようだな。一応、礼を言っておこう」

 

「え? あ、ハイ。それはどうも」

 

 「本題に移る前に」と前置きしてかけられた最初の言葉は、そんな感謝の言葉であった。

 その場に居なかったのにどうしてそれを知っているのだろう、と疑問に思いかけた。だがそれは瞬時に氷解する。時を操るというメイド少女、きっと彼女がステーキプレートを下げるついでに報告もしていたのだろう。

 第一声が感謝であったことに驚いてつい生返事をしてしまったが、幸いにも咎められなかった。……次はちゃんと失礼のない受け答えをしなければ──と気を引き締めながら、一語一句聞き逃さないように耳を澄ませる。

 

「で? 結局の所、お前は私の話をどこまで聞いていたのだ? お前が今この事態をどれほど把握しているのか、取り敢えず知っておきたい」

 

 皮肉げに放たれたその問いかけを受けて、少しだけ考え込む。今問いかけていることは即ち、紅魔館のエントランスにおいて、俺がいつ彼女の前から逃げ出したのか? そのタイミングだった。

 

 えーと、初めてレミリア・スカーレットと相対した瞬間にはその存在感で既にびびってたから……確か途中で途切れ途切れに耳に情報が入ってきたりもしてたかもだが、その間も逃走ルートを考えるのに手一杯だったような覚えがある。

 メイド服の妖精と短くない逃走劇を繰り広げ、果てはフランドールと出会って死を覚悟して……ううむ、こうもインパクトの強い出来事を連続で挟むと、その前の記憶がどうもあやふやになってしまう。

 

 覚えている事と言ったら、『あの時やたら尊大そうに胸を張っていたなあ』という点くらいなものである。こんな見事な洋館の主なのだし、偉そうなのは当然なのだが。

 

「生憎、語りかけてやっている最中に逃げ出されるのは予期してなかったからな。さあ、白状してみろ。あんなに時間をかけて悩ん──んん! ……とにかく、我が口上を、お前はどこまで聞いていた!?」

 

 考え込む俺に痺れを切らしたのか、なんだか悲痛そうな声をあげて返事を催促してくる館の主。

 『ん? 時間をかけて悩んで?』とその発言に引っかかりを感じつつ、急いで思考をまとめ上げる。

 結局、フランドールとの問答が頭にこびりついて、それ以外がどうにも記憶に薄い。なんだったら紅魔館内部に足を運ぶ前の、あのチャイナドレス風の服を着たお昼寝少女によって、見事に組み伏せられたことの方が鮮烈に印象に残っているというか──

 

……うん、『私の話をどこまで聞いていた?』という質問には、やはりこう答える他ない。

 

「殆ど聞いていませんでした。あっそれと本音を言えば、自分が何故この館に招待されたのかもよく分かってませんので出来ればその事について教えてもらえないかなぁって」

 

 単に『話はあまり聞いてなかった』と答えればいいのに、なんかつい余計なことを付け足してしまっていた。

 なんだか『自分に過失は一切ない』と言わんばかりにあっけらかんとした口調が出てしまったこともあり、一瞬冷や汗が出てくる。

 

 そして己を叱責する。

 ここはどう考えても平謝りして、先方のご機嫌を伺う場面だっただろ!

 吸血鬼相手に、なに怒りを煽ってんだ俺。

 

 恐る恐る、レミリア・スカーレットの様子を盗み見る。

 

 しかし目の前の少女は特に怒ることもなく、意外にも深刻なショックを受けたような表情を見せた。

 ガーン、という効果音が鳴った気がする。

 それを視界に収めて、『まるで無理に格好付けたのが無視されて不発に終わった時ような反応だあ』──という何の脈絡も無いがやけに具体的な予想が唐突に頭に浮かんできた。

 

 いや、本当に脈絡が無いな。

 ただ何となく直感的にそう感じただけなのだが……

 いやあ、まさかねえ。

 

「ぐ………ふん、まあ良い、また説明してやろう。次はないと思うんだな」

 

 目元にキラリと光る何かを湛えながら、吸血鬼の少女はそう尊大に言い放つ。

 

 あ、態々再度説明してくれるのか……

 

 元々は俺が逃走しなきゃ済んだ話なので、有り難さを感じつつもなんだか非常に申し訳ない気持ちになってしまう。

 

 人里で『紅い悪魔(スカーレットデビル)』と恐れられている割には、なんだか親切なような気がしてきた。……いや、いかんいかん。相手は泣く子も黙る大妖怪である。手間をかけて再度事情を話してくれるのは、きっと絶対強者としての余裕の表れなのだろう。

 そう解釈して、真剣な眼差しを向けて彼女の語る“ことの真相”というものに聴覚を全集中させ、理解に努める。

 

 

 

 結論。

……ざっくりと要約してしまえば、それは『私に仕えてみないか?』という意外な勧誘であった。

 




 
 おぜうに! カリスマは! おとずれなぁい!
 古事記にもそう書かれている

 前回と今回の前半の内容が真面目なばかりに、その皺寄せが彼女に… しかしシリアスな感じになったのはほぼほぼ妹様の仕業と言ってもいいですからね 妹の不始末は姉が支払う、なんて美しい姉妹愛なのでしょう(すっとぼけ)


 とまあ本編でも後書きでもこうして散々言ってますが、誤解なきようお願いします 好きな女の子にイタズラしちゃう男の子みたいなノリです、多分 おぜう様が何をしても輝く存在なのが悪い

 カリスマブレイク なんて良く言われていますがそもそもの話、”何も持たなければ失うものもない理論”で逆説的に”レミリアにカリスマ有り”と証明してるようなもんですからね、この言葉は
 もはや“カリスマが服を着て歩いている”とさえ言えるかもしれません …言い過ぎかもしれません うん、そこら辺の解釈も人それぞれだね…

 ぶっちゃけ今回のサブタイトルも、別にレミリアのこととは書いてないし言ってないし…


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

掴み取ったその運命は

 

 

 『運命を操る程度の能力』

 

 かつて“吸血鬼異変”並びに“紅霧異変”を発生させ、その存在を幻想郷の遍くに知らしめた強大な吸血鬼の住まう紅魔館。その現当主、レミリア・スカーレットにはそんな摩訶不思議な能力が備わっているのだという。

 

 運命を操る。

 

 本来ならば制御不能な不確定要素に塗れている筈の“先”の出来事を、己が欲望の任せるがままに選択できる。その“先”でもし不都合な出来事が起こるのならば、事前に察知してそれ(bad end)を悠々と回避することもできる。

 

 そんな強力無比な能力の存在を噂で知って、『自分も授かりたい』、『是非とも我が手中に収めたい』、或いは『手に入れられずともその能力にあやかりたい』──そう目論む人外連中が大量に現れたことは、皮肉なことに、それこそ“運命”によって定められていた事なのだろう。

 

 

 

 それは、科学が発展した現代と比較してまだ精霊や魔物といった“幻想”の存在が幅を利かせていた、十六世紀初頭のヨーロッパ、その某地方での出来事である。

 

 

──紅魔館の()()()、レミリア・スカーレット。

  実父を殺め、当主の座を簒奪(さんだつ)す──

 

 

 その知らせは、瞬く間に周辺の人外の勢力達に広がっていった。

 そして、寄り集まった野心旺盛な化け物達は、頭を突き合わせてこう考える。

 

……長年この地を支配してきたあの憎っくき紅魔館、その座を引き摺り降ろす絶好の機会である、と。

 

 なに、相手は頭がすげ変わったばかりで迎撃することもままなるまい。確かに吸血鬼という種族自体は恐ろしいが、その小娘は未だ齢二桁にもならない若輩者で、見るに耐えぬ醜き容姿であるという。それもあってか、あの館を見限った奴等も多いと聞く。

 

 当然だろう、それは何の根回しもなく行われたらしい無計画な謀反だったのだから。当然だろう、そんな考えなしの醜悪なガキなんぞに忠誠を誓おうと思わないのは。

 

 “そういえば、眉唾ものだがあの『運命を操る』とかいう能力は非常に惜しい。なんとかして心を折り、我等の言いなりにできぬものか”、“しかし相手は曲がりなりにも誇り高き吸血鬼、奴隷以下の扱いに納得するとは到底思えん”、“……もし言うことを聞かなければ、首を断ってその醜い顔を館の前に吊り下げておこう。きっといい見せ物になる”、“ああ、それはいい! 傑作だ!”

 

 下卑た笑い声が鳴り響く。

 

 だがそう嘲笑う化け物達に油断はなく、紅魔館を攻め落とす日取りは月明かりの差さない新月の日に定められた。吸血鬼の弱点である銀や炒り豆なども用意して、その準備は抜かりないものであった。

 

 

──その会合に参加していた者達はお互いに初対面の場合が多けれど、皆同じくして紅魔館に辛酸を舐めさせられてきた、謂わばある種の同志である。

 やっと借りを返せる──その恨みつらみを糧にして集まった面子に意気込みが低下する素振りは皆無であり、決行の日が近づく度にその機運は次第に高まっていった。

 

 士気は上々、攻略の手筈も完璧。懸念は吸血鬼の持つ未知の底力だが、それも新月であればその実力の程も半減であろう。

 

 

 

 彼等は自分たちの勝利を疑わなかった。

 

 

 

 “打倒、紅魔館”を旗印に、月の光が差し込まない夜に襲撃を決行した化け物達の連合軍。

 

 到着した彼等が最初に目撃した光景は、醜悪な外見をした幼い吸血鬼の持つ禍々しく瞬く紅き槍であり……それは同時に、彼等が()()()目撃する光景にもなった。

 

 

 

 

 

────下衆共が、疾く消え失せろ

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 紅魔館の最上階にはティータイムに適したお洒落なルーフバルコニーが設置されており、レミリアにとってそこは、自然豊かな霧の湖が一望できるお気に入りの場所であった。……その日の霧の出方次第ではあるが。

 

 今日は、見渡せないこともない、そんな微妙な霧の濃さ。運が悪いと特濃の霧で館自体が覆われることもあるので、今のところはまだマシであると言えよう。

 

 その事に若干の嬉しさを感じつつ、紅い吸血鬼は紅茶の入った白磁のティーカップを口に運び、味わう。朝方なので太陽が燦々と斜めに照りつけているが、魔法使いの友人から融通された吸血鬼専用の“日焼け”止めクリームを塗っている為に、忌むべき頭上の陽光も今ばかりは平気である。

 それはいつものように繰り広げる優雅なティータイムであり、いつものように穏やかに流れる安息のひと時であった。

 

 

……『いつものように』、か。

 

 

 彼女は心中で呟いて、ため息をつく。

 

 その状態が悪いものであるという訳ではない。ただ、少女はなんとなく不満を覚えているのだ。ここの最近は目立った異変も起こらず、特にこれといった事件も起きない代わり映えのしない平坦な日々が続いていた。

 そして、その吸血鬼は延々と続く無聊(ぶりょう)を嫌い、“心躍る未知”や“面白いもの”を大いに好む性質を持っていた。

 

 詰まるところ、その時ふとどうしようもなく、そんな退屈な日常に嫌気が差したのである。

 

 

「咲夜ぁ〜」

 

「……は、ここに」

 

 

 レミリアが気怠るげにパンパンと小さな手を叩くと、紅魔館のメイド長を務める銀髪の少女がそのバルコニーに音もなく姿を表す。

 主からの唐突な呼び出しに数瞬もかからずに馳せ参じるその姿、その異常な反応速度──十六夜咲夜は紛れもなく、本人が自称する通り“瀟洒なメイド”であった。

 

 

「……退屈」

 

 

 そんなパーフェクトなメイドに、暇を持て余した館の主は端的に現在の心情を吐露する。それは誠実な意思伝達とは程遠い酷く簡潔な単語であったのだが、それを聞いた優秀な従者は余す事無く主人が求めている事を把握する。

 

「そうですか、……では今から美鈴をここに呼び出して、曲芸を一つやって貰いましょう。題目は『ウィリアム・テル』で。配役は勿論、私が射手を務めます」

 

「それは前にもやったでしょ……林檎が勿体ないからやめときなさい」

 

「承知しました。隙あればすぐに居眠りを始めるので、丁度良い罰になると思ったのですが──」

 

 「念の為に自作しておいた折角のボウガンが……」と残念そうな様子で言い出した、相も変わらず性格が変な方向性に振り切っているメイド長に苦笑する。

 

 たったこの前までは彼女の教育係として美鈴を付けていたというのに、今では立場がすっかり逆転していて、日常的に折檻するにまで成長している。拾ってやったその時は心細げにおどおどとしていた、あの見窄らしい幼子の姿はもう見る影もない。

 

 その事実を愉快に思い、レミリアはクスクスと笑い出す。

 

 急に機嫌を持ち直した彼女の姿を見て、クエスチョンマークを浮かべるメイド長。それを受けて安心させるように「別になんでもないわよ」と声をかける。

 そしてそのまま、『退屈もちょっと吹き飛んだし、もう下がっていいわ』と言葉を続けようと口を開いた。まさにその時、

 

 

 

 

 突然、ザワリと少女の肌が粟立った。

 

 

 

 

 それは、スカーレット家の当主の座に収まらざるを得なかった時、新たなる友人或いは家臣となる彼女達と初めて対面した時、幻想郷に紅魔館を移すと決心した時、異変を起こす取り決めをした時など、自身の“決定的な運命の分岐点”に直面する際に生じる“予感”であった。

 

 間違いなく、レミリアの能力が発現している証である。

 

 『運命を操る程度の能力』はその昔、巷では“絶対の未来視”だの“無敵の能力”だのと噂されていたがその実態は少々異なる。少なくとも当時、“己に都合の良い未来を選択する”などということは一切不可能であった。そうでなければあの晩、()()()()()()()妹の癇癪を見逃さずに済んでいた筈である。

 

……近い将来、いや明日にでも、その“岐路”は表れる。

 

 経験則から導き出されたその思考に、レミリア・スカーレットは気を引き締める。一体何が起きて、何が失われ、何を得ることになるのかは、彼女の能力を持ってしても、その詳細を窺い知ることはできない。

 

 自分にできるのは、ただ黙ってソレを受け入れるだけ──幼い頃の彼女であればそう結論を下していた事だろう。だがしかし、その吸血鬼の少女はもはやあの時の若輩者ではなく、悠久を生きた百戦錬磨の大妖怪である。事実、彼女は指を咥えたままその“決定的な運命”を受け入れるつもりは毛頭なかった。

 

 

 

 

 

 彼女はとある友人の協力のもと、『運命を操る程度の能力』で多少ではあるが未来に直接干渉する術を手に入れていた。

 

 自身を含め、その対象者の“中”に存在するか細い抽象的な“糸”を手繰る事で、その者が辿る行く末を僅かながら調整することが出来るようになっていたのだ。他人の“糸”を自分のそれと繋ぎ合わせ、半強制的に巡り合わせると言う手法も可能である。

 

 一見便利そうに見えるその能力は巡り巡って、レミリアが予定調和と言うものを嫌う一因にもなった。だが、その力はまさしく彼女の大仰な能力の名に恥じぬものになっているのも紛れのない事実。

 

──どうする、この力を行使するべきか?

 

 なにやら真剣に考え込む主を見て、十六夜咲夜は思考の妨げとならぬように先程から気配を消していた。その事に意識を向けた瞬間、レミリアは彼女の中の“糸”が人間の里の方角に向かって伸びているのに気がついた。そして同様に、自分の“糸”もまた同じ方向に伸びていることに気がつく。

 

 そしてその二つの“糸”が、人里に居る“何者か”へと集約していることを知覚する。

 “決定的な運命”をもたらすのは、ソイツか。

 

 それが“紅霧異変”の際、紅白の巫女と白黒の魔法使いが乗り込んで来た時と似たような事象であることを思い出して、紅い吸血鬼は心中にて考えをまとめる。

 

──彼女達の“糸”を手繰ったのち実際に異変を起こし館に招き入れる事で、紅魔館の皆は少なからず“外”に関心を向けるようになった。かつて大図書館に閉じこもって魔導の研究のみに明け暮れていた友人などはその典型だ。……それは別に、悪いことではない。

 

──それと同様の効果を見込める“糸”の先の人物は、果たしてどんな傑物なのだろうか? ……とても気になる。

 

──この決定的な運命の岐路に、乗るべきか、降りるべきか。……丁度刺激に欠ける日々に飽いてきたのだ。興味を惹かれるし、躊躇う必要もないだろう。

 

 

「咲夜」

 

「……は、ここに」

 

 

 文面だけを見れば、それはさっきと全く変わらぬやり取りである。しかし、館の主の表情に先程までの気怠さはなく、覇気に満ち満ちた雰囲気を纏っていた。

 

 

()()()()()()()、人間の里から一人客人をもてなしたい。お前にはそれまでにその人物の正体を確認して貰いたいのだが……」

 

 

 何故かその相手側の“糸”を手繰れなかったので、その周囲に絡み付く“糸”に意識を向ける。すると、意外にもその先がすぐ近くにまで伸びていた。その方角に向けて並々ならぬ吸血鬼の視力で見やってみると、そこには霧の湖を縄張りとする氷の妖精が元気に遊んでいる姿があった。他にも、そこそこの数の妖精達と繋がっているようである。

 

……その人物は、既に霧の湖に足を運んでいるのだろうか? しかも、悪戯盛りで醜い妖精等と浅からぬ関わりを持っているとは珍しい。

 

 事の詳細を咲夜に伝えると、彼女には心当たりがあるらしかった。なので、レミリアはその人物の捜索をメイド長に一任することにした。

 

「では時間もない事ですし、早速行って参ります。お嬢様」

 

 時を止めて移動していった銀髪の少女を尻目に、レミリアは再び紅茶を飲んでその場に寛ぐ。脳裏では『別にそう急ぐこともないのに、真面目ね〜』とのんびりと次の満月の夜を待つ構えであった。

 

 しかし、その悠々自適な時間も長くは続かない。さっきの会話の内容を思い出して、とある致命的な事実に気がついたからである。

 

 

「『来たる満月の夜』って、まさか“今日”のことだと勘違いしてないわよね、あの子……」

 

 

 震える調子の声が、他人事のように聞こえてくる。

 

 レミリアとしては、“満月の出る今日”から“次の満月が出る大体三十日後”を目安に、その人物の特定と共に少しずつ少しずつ歓待の準備を進めていく心算であった。

 

……しかし、十六夜咲夜のあの言葉──

 

『では時間もない事ですし』『では時間もない事ですし』『では時間もない事ですし』『では時間も──』

 

 その言葉が、頭の中を何度もリフレインしてくる。

 

 とっても嫌〜な予感がした。そしてその予感の正確さは、メイド長が紅魔館に戻って来た昼下がりに証明される事となった。手掛かりもほぼ皆無な状態で、しかも人里での活動など決して容易ではなかっただろうに……

 この時ばかりは、その従者の敏腕な仕事ぶりを非常に恨めしく思うレミリアなのであった。

 

 

 

 

 

 

「──へえ、お前が。……期待したより幾分も冴えないのが気に食わないが、まあ良いか」

 

 日が暮れて、満月を空に迎えたその時刻。

 対外的にいつも見せつけている威厳ある自分を意識して、その“運命の人物”を階段から見下ろす。

 

 どんな客人が来ようとも、最初はまず挑発して相手の出方を窺おうと決めていた。なのでその台詞はつっかえる事なく発声できた。……しかし、問題は次からの会話である。

 

 

 

 刻々とタイムリミットが迫る中、必死になって招待客への口上を練る一方、レミリアは今夜どんな人物がやって来るのかを密かに予想立てていた。

 自分の能力をして干渉できなかった──そんな事態は初めてのことであったが為に、その正体について興味を持ったのである。

 

 人里に居るということは、種族的には人間(ヒューマン)である可能性が高い。しかしそうである場合、いろんな意味で悪名高い紅魔館に、非力な人間風情がノコノコと訪問するのだろうかと素朴な疑問が思い浮かんだ。だが、メイド長曰く『とても協力的な姿勢を見せていた』とのこと。そこから、その人物は妖怪を撃退出来る優れた力量を持った人間なのだと思っていた。非力な者は、そもそも里から出てくる事はあるまい。

 

 加えて、その人物はきっと女性なのだと決めつける。不細工な面々が勢揃いしている女所帯。そんな地獄に自ら関わろうとする男性が存在するとは、到底信じられなかったからである。

 

 眼下に映るのは大方、人としては優秀な力量を持っていて、かつ醜い容姿に(姿見によって)見慣れている女性──そう内心で(たか)を括っていた。メイド長に客人についての詳細を聞いておかなかったのは、その為である。

 

 

 

──なんで!? どうして男の人が居るの!?

 

 

 

 その時、レミリアは混乱の真っ只中に立たされていた。

 

 階下の広間に居たのは極々普通の人間の男であり、彼女の予想は相手が人間であること以外何一つ的中していなかった。だが、予想が外れた事自体はなんて事ない些細なこと。問題は、“運命の客人が人間の男性である”と言う揺るがない真実だ。

 

 

 レミリア・スカーレット、御年五百余歳。

 

 もはやその在りし日が記憶に薄い父親と、魔法の森に店を構える半妖の変人以外の男性と交流した経歴は一切なく。──特に、人間の一般男性と対面したのは、彼女の決して短くない生涯において初めてのことだった。

 

……有り体に言えば、ガチガチに緊張しているのである。

 

 

 

 

 

──大丈夫? 変なこと口走ってない?

 

 その青年が黙り込んだままなのをいい事に、矢継ぎ早に言葉を投げつける。外見上では尊大そうに振る舞うその内面では、緊張で舌を噛んでしまわないか、ちゃんとこちらの事情──“紅魔館の運命を変えるらしい人物を見定める為に招待した”という事を上手く説明できているのか、大変に不安を感じていた。

 人里で大層恐れられている筈の吸血鬼は、チラリと青年の様子を盗み見しつつ、急いで考案して脳内に用意していた粗製の説明文を朗読していく。

 

「……だから、お前を我が紅魔館の“所有物”にしてやろうと──」

 

……嗚呼、本来ならば『一旦私達と泊まりがけで交流してみて運命の経過を観察してみたいです』ってなる所を、外様に見栄を張りたい一心で改変させたばかりにぃぃ!

 まずいかな、もうちょっとだけマイルドにした方がいいかな、機嫌を悪くしていないかな。

 

 事前に考えていた急拵(きゅうごしら)えな説明文に集中するのと、初めて対面する人間の男性に勝手に重圧を感じるのとで脳がパンクしそうになっているので、彼女にはもはや青年の方を注視する余裕もない。

 

 

 

 暫くの間、紅い吸血鬼の少女は説明に終始した。

 

 

 

「お嬢様、お嬢様。お気を確かに」

 

 暴走する紅い悪魔を止めたのは、いつもの如く瀟洒なメイドであった。落ち着きを取り戻したレミリアは、階下の広間に誰の姿もないことを認識する。

 

「あれ、彼は…?」

 

「大変申し上げ難いのですが……恐らく、お嬢様が話している隙を窺って、館内のどこかへと逃げ出したものかと。ご安心下さい、既に妖精メイド達に彼の捜索を命じております」

 

「そ、そう。それは……良かった、わね……」

 

 へなへなと、紅い悪魔(スカーレットデビル)はその場に膝から崩れ落ちた。駆け寄ろうとするメイド長に仕草にて“待った”をかけ、その場に蹲り頭を抱える。その中身は真っ白であった。

 

 太陽の光が当たっている訳でもないのに全身がサラサラとまっさらな灰になってゆく感覚を味わう中、一筋の涙を流してレミリアはひっそりと嘆く。紅魔館の誉ある当主としてのプライドが、己の浅慮によってずたずたになっていく様を幻視した。

 

 終わったぁ……

 

 




 
 
 タイトルと序盤で格好つかせるじゃろ? 中盤で従者に振り回されるじゃろ? 締めにカリスマガードさせるじゃろ?
 これで紅魔館名物“カリスマブレイク”一丁上がりって寸法よ 替え玉もあるぞ!



 言うまでもない事ですが、『運命を操る程度の能力』に関する描写は完全にこの作品の中でのみの設定であり、公式のものではありません(てか具体的な描写が無い気がする) ご了承を

 東方二次創作物特有の、公式設定があやふや過ぎてどう扱うべきか悩むアレです 作者の腕の見せ所と言えるのかもしれませんが個人的にはきっちり固めて欲しかったりもしています

 東方紅魔郷が頒布されて二十年程経過してるらしいのに、そのラスボスの能力について具体的な公式見解がパッと見当たらないのは少々異常な感じがしますね 考察の余地のない“これはこれなんだ!”という作品が世の大半を占めるので尚更 まあ“非常に遊び甲斐のある砂場を提供して貰っている”とでも思っていましょうか


脚本の人(神主)そこまで考えてないと思うよ



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

紅い悪魔の甘い囁き

 

 

──ふうむ、“紅魔館の運命を変える人物を見定める為に招待した”かあ。……果たして俺にそんな大層なことが可能なのだろうか? なんだか過剰に期待されてしまっている感が凄いような……

 

 紅魔館の応接室にて。

 

 こちらと対面に向かい合ってソファに座るレミリア・スカーレットから事の真相の説明を受けて、そんな疑念を持つ。何故俺が今までこれといった接点のないこの館に呼ばれたのか、成り行き自体はその説明で大方は把握出来た。だが、だからと言ってその内容にまですんなり納得出来たという訳ではない。

 

 “運命を変える”って……

 一般人に何を求めているのだろうか、この少女は。

 

 その大仰に過ぎる言葉の響きには、全く現実感が伴っていない。『お前を吸い殺す為に招待したんだよ!』と宣言された方がまだ腑に落ちただろう。それが突然“運命”だなんて抽象的な概念を持ち出されると、こちらとしては『お、おう……』と微妙な反応をせざるを得ない。

 

 “運命的な出逢い”とか、“宿命の対決”とか、そういった類の売り文句を全面に押し出したフィクション作品群は外の世界で掃いて捨てる程見かけてきた。

 なんだったら俺自身も昔、『霊力を扱えるのは自分だけ』としょげていた所に同じく霊力を操る少女と出会えたその時は、特別信じてもいない“運命”というものに深く感謝したものだ──『少なくともこれに関して()()は、理解者が存在し得る』という事実に心の底から歓喜して。

 

 しかし結局の所、全ては偶然の積み重ねでしかない。願ってもない幸運に恵まれた時を除いて、“運命”なんて言葉は人生を振り返って『そういえばあの時は……』と回想する際になって、やっと用いられるべき単語なのだ。

 フィクション作品に関して言えば、そもそも脚本の人が“そうあれかし”と定めている訳で──色々とごちゃごちゃと述べたが畢竟(ひっきょう)、現実の()()とは決して人為的に操れるものではない不可侵の代物なのである。

 

 少なくとも、これまではそう認識して生きてきた。

 吸血鬼の言う『将来の出来事を“糸”で操作できる』なんて自己申告は、自分からして見れば全くもって可笑しい“非常識”な戯言なのだ。

 

 そして恐らく、そこに彼女はある種の価値を見出したのだろう。曰く、俺は『生まれて初めて遭遇した運命を手操れない人』らしい。……その事がどれほど貴重であるのかは、それこそ彼女自身にしか知りようがないのだが。

 まあ、それが外の世界におけるツチノコ、スカイフィッシュレベルの物珍しさであるのなら、態々遣い(メイド)を寄越してまで接触しようと試みたのも無理はないのかもしれない。初めてお目にかかるそれを手中に収めることが出来たのならば、その後に迎える日常は多少なりとも刺激に満ち満ちたものになると大いに期待出来るのだから。

 

──未確認生物(UMA)かな? 俺は。

 

 

 

 

 

 そこそこな時間をかけて説明を口頭で行って、少々喉が渇いたのだろう。吸血鬼の少女が軽く手を持ち上げると、次の瞬間にはカップとソーサーの一組ずつが俺とレミリアの前に置かれていた。

 ふと人の気配を感じて視界を横にずらすと、そこにはこちら側のカップに紅茶を淹れるメイドさんの姿があった。

 なんとも言えない気分になりながら再び正面と向き合うと、相手側は既に注がれた紅茶の香りを楽しんでいる。

 

……“時間を操る程度の能力”を存分に活かした、相変わらずの早技だった。

 

「どうだ、これでお前も何故ここに呼ばれたのか、理解が及んだだろう? ……ちゃんと理解できたわよね? ほんと頼むわよ?」

 

「あ、ああ。大まかには把握した──しました」

 

 ついついタメ口が出そうになるのを堪えて、発言を微調整する。

 仮にも相手は大妖怪である。丁寧な言葉遣いと失礼のない態度で敬意を示さねば、そのご機嫌は斜めとなって、彼女と相対する自分の生存確率は甚だしく減少してしまうことだろう。

 

 だから、彼女相手には最大限の礼を尽くす必要がある……んだよな?

 

 館に入る前の段階では迷いなく断言できたその考えも、今となってはもう自信がない。威厳を感じさせる口調の後に付け加えられた落ち着きのない声には、一切の大妖怪らしさが無かったからである。

 寧ろその姿はおどおどとしていて、隠し切れない不安が表出してしまっているようにも見受けられた。

 

──あの偉そうな口調は対客人用の作り物で、さっき垣間見た不安げな様子こそ彼女の素なのでは?

 

 そんな確信が色濃くなっていく。

 

 今の俺は初遭遇時と比べて、彼女に対する畏敬の念を限りなく薄めさせてしまっていた。……仕方ないだろう、聞いた話から軽くこれまでの経緯をまとめただけで、単に彼女が終始うっかりしていただけなのだと理解出来てしまうのだから。

 ぶっちゃけその説明を受ける最中、『日頃からメイドさんに終始振り回されてるんだろうなー』としか考えていなかった。

 本人は上手いこと要所要所をぼかして伝えているつもりなのかドヤ顔をあまり崩さないので、却ってその残念さが際立って見えてしまう。

 

 

 

「そうか。こちらの事情を無事理解したようでなにより。……して、返事はどうする? よもや、この私手ずからの勧誘に“NO”とは言うまいな?」

 

「『一旦紅魔館に身を置いてみて、自分達の運命の推移を観察してみる』、ですか」

 

「そうだ。勿論、“客人”という安全な立場を保証してやる上、衣食住もこちらが全て受け持つ。そちらとしても決して悪くない話だと思うのだが。──只の人間にはちょっときつい生活になるかもしれないけど

 

 なんかちょくちょく本音が漏れてんな……

 

 悪質な契約書の隅に小さく書かれた(ただ)し書きのように、ぼそりと囁かれた少女の言葉が耳に入ってくる。

 

 しかしその小さな呟きの本意を理解できぬ俺ではない。

 

 思い返せばこの紅魔館、館の主、メイドさん、門番さん、フランドール、果てはメイド服の妖精達まで、皆全員が非常に整った顔立ちをしていたのである。

 そしてその感想に『ただし俺からの視点に限る』という注釈付きがなされているのは、もはや語るまでもない。

 世間一般からすると、この館の顔面偏差値は平均を大きく下回っているようにしか見えないのだ。

 正常な感性の持ち主であるのならば、この場所は魑魅魍魎が跋扈しているようにさえ思えてくるのかもしれない。

 

 つまり彼女が言わんとしている事は、『この誘いに乗れば暫く視覚的な苦しみに悶えることになるでしょうね』……そのあたりだろうか。

 

 その事を伏せたまま返事を促してくるとはまさに悪魔の所業である。もし相手が俺でなければ、そいつは彼女達と連日コミュニケーションを迫られて少々苦しい思いをする羽目になったのかもしれない。

 

「……どうなの?」

 

 レミリア・スカーレットは長考するこちらを見て、焦ったくなったのかそう問いかけてくる。

 それを受けて一旦目の前にある紅茶をいただいて、リラックスして思考をまとめようとする。

 

──まず、眼前の吸血鬼が懸念している彼女達の()()容姿については全然問題がない。その殆どが人外であることを考慮に入れなければ、寧ろこちらから頭を下げてもいいくらいだ。更には“客人”という身の安全と衣食住が保証された厚待遇も付いてくる。

 なまじ幻想郷で日銭を稼ぐ苦労を知っている手前、そのとっても都合の良い話(働かなくてもOK)に対して俺は並々ならぬ魅力を感じてしまう。

 

 

 

「……そういえば、“紅魔館の運命を変える人物を見定める”と言いましたけど、それはどれ程の期間を要するんですかね?」

 

 

 

 徐々にその甘〜い勧誘に心が傾いて行く中、それは何の気なしに言い放った質問であった。

 “数日間か、数週間か、あんまり長丁場になられると困るよなあ”と思いついてのことだったのだが、その疑問に吸血鬼は「あー、そうねえ」となんでもない様子をしながら、驚愕の返答を返した。

 

 

「なにぶん“運命が全く見えない”なんて前例のないことだし、少し気合を入れて観察したいから……そうだな、こちらの希望としては大体()()()くらい?」

 

「……は? ごじゅうねん?」

 

 一ヶ月程度かな? と当たりをつけていた所に予想外過ぎる期間をぶつけられて、耳から入って来たその情報に一瞬脳が拒否反応を起こしてしまっていた。

 

──五十年ってアホか。それが終わったら俺いい歳したお爺ちゃんになってるじゃねーか。

 

 流石にそれまでずっとこの館に拘束される訳にはいかない。有り得なさ過ぎる。

 

「も、もっと期間を縮められたりとか……」

 

「それは難しい相談だ。少なくとも私の興味が尽きるその時までは、ずっと手元に置いておきたいからな。なんならもう十年追加したいくらい」

 

 あっけらかんとした口調で話す少女の様子に、俺は眩暈を感じる。

 こうも平然と『一生を捧げろ』と言ってくるとは想像だにしていなかった──これは、人間と吸血鬼の時間感覚の差が如実に現れた形、なのだろうか。

 いずれにせよ、彼女の勧誘に返す言葉はこれで決まったようなものである。危ない危ない、すっかりその甘言に流されて頭を縦に振るところだった。

 

「お断りします」

 

「……何?」

 

「その勧誘は受け入れないってことです。とてもじゃないですけど、五十年とか長過ぎますし現実的な話だと思えませんから」

 

 そうきっぱりと拒否の意を伝えると、吸血鬼の少女は慌てた様子で話し始めた。

 

「で、では、五十年ではなく四十五年というのはどうだろうか?」

 

 それは『数年期間を減らすから、この話に乗ってくれるよね?』という提案であった。なるほど五年も短縮させたのなら、その譲歩に敬意を表してこの話に乗らないと失礼だ──て、んな訳あるかい。

 

 渋い顔をして、その不満を相手に訴える。

 

「ぐっ、わ、判った。四十四──いや四十三年で手を打とうじゃないか。流石にこれ以上短くするのはちょっと……」

 

そこ(年単位)を刻んでいくのか……」

 

──ははあ、こいつ全然分かってないな? 前提として、まず俺は“年”の単位が出てきたことに驚いているというのに。

 

 四十三年後にもなれば俺はもう立派な還暦である。全然お話にならない。人並みの寿命を持たない吸血鬼というものは、やはりそこら辺の気の回りが疎かになりがちなのだろう──時間に対する認識の違いに脱力して、苦い笑みが溢れてきてしまう。

 

 それを見て交渉決裂の空気を鋭く察知したらしく、レミリアは更に慌てた様子を見せた。

 

「ね、ねえ、せめて、せめてなんで私の能力の影響がお前に及ばないのかは今知っておきたいのよ。ホントに過去にない初めての事なのだし……何か心当たりはないの? なんかあるでしょ、ねえ」

 

「心当たりは……まあ正直ありますけど」

 

「それ! それを知るまで、この部屋から絶対にお前を逃がさないからな」

 

 動揺するあまり遂に口調が乱れ始めた紅い吸血鬼は、俺の答えに眼を輝かせた。

 

 

 

……“なんで私の能力の影響がお前に及ばないのか”、か。

 

 そのことは以前スキマ妖怪から“下手に打ち明かすと変なの呼び寄せるからやめておけ”(意訳)と言い含まれていたので本来秘しておくべきなのだが、こうもキラキラとした好奇に満ちた視線を向けられては何も感じない訳がない。

 いやその“変なの”ってまさしくこの吸血鬼のことなんじゃないの? と半ば確信に至りながら、彼女にその事を言うべきかどうかの判断に悩み、目の前のテーブルに置かれたティーカップに再び手を伸ばすことで時間を稼ぐ。

 

──あ〜、美味いなぁこの紅茶。お土産に貰えないかなぁ。

 

 なんて抵抗も虚しく、あっという間にカップは空になった。おかわり、は無い。吸血鬼の背後に控える銀髪のメイドさんは澄ました顔で、俺ら二人の会話をただ聞いているのみ。

 

 少なくとも、この交渉の場が決着を迎えるまではそこから動くつもりはなさそうだ。

 

 尤もあのメイドさんは吸血鬼の従者なので、主人に肩入れするのは当たり前のことである。ああして俺のサービスを求める視線を敢えて無視しているあたり、時間稼ぎを認めず『今すぐ秘密を白状しろ』と言外に主張しているも同義だった。

 

 不味い、この場に味方が居ない──紅魔館という場所自体が完全アウェーなので仕方のないのだが、この場に頼れるものが自分だけという状況は、やはり厳しいものがあった。

 

 

 

 

 

──果たして俺は言うべきなのだろうか。レミリア・スカーレットの『運命を操る程度の能力』を影響を受け付けない、その理由を。

 

 率直に言えば、この『常識に囚われる程度の能力』のことを彼女に教えたくはない。何故ならば、さっき述べた通り八雲紫によって口止めされているからである。

 より詳細にあいつの言葉を思い出すなら──そう、確か“能力のことは秘密にしてなさい。この幻想郷には貴方を利用してやろうと企む連中が沢山いるから”──だったか。

 あのきな臭い妖怪の言い分をまるっきり鵜呑みにする訳ではないが、少なくともこれに関しては完全に同意している。

 

 

 

 その昔、美醜感覚のズレによって危うく集団から孤立しかけたこと然り。

 今こうして自分の特異な能力によって吸血鬼の興味を惹いたこと然り。

 

 

 

 経験則として、“何かしら特殊な性質を帯びてしまうと、否応もなく要らぬ苦労が身に降りかかるようになる”、そう俺は固く信じているのだ。現にそうなっているわけだし。

 

 苦労はしたくない。『苦労は買ってでもしろ』とはよく聞くが、それはその後のメリットが見込まれる場合に限った話であり、はたして自身の異常性を無闇に周知させる事のどこにメリットが存在しようか。

 

 故にそれなりの期間を幻想郷で暮らす中で、俺の能力について他者に話したことは殆どない。

 

 知っているのは能力の名付け親となった八雲紫、その場に居合わせていた博麗霊夢、そして先程『もう死ぬから』とヤケになってぶちまけた先のフランドール。その三名のみである。

 

 そこから更に知っている者の数を増やして、苦労や災難が降りかかってくるリスクを上げさせる? 全く、冗談ではない。

 

 決めた。

 

 やはり、レミリア・スカーレットには俺の能力のことは教えない。

 

 “白状するまでこの応接室から出してやらない”と脅されているのが厄介であるが、それも長くは保たないだろう。

 恐らく眼前の少女の手にかかれば俺なんぞ瞬で殺せるのだろうが、彼女の好奇心が満たされない限り──つまり俺がどうして“運命を操る程度の能力”が効かないのかの原因を明かさない限り、その好奇心の強さ故に逆にこちらの命は無事を保証されているようなものなのだ。多分だけど。

 

 万が一危害を加えられそうになったら、『霊夢とダチなんだぜ?』とでも言えば思い止まってくれる筈である。

 今まですっかり忘れていたが、“霊夢とレミリアは割と仲の良い知り合いである”とここに来る前に博麗神社で本人から聞いていたことだし。

 

 

 

 

 

 頼みの綱が“歳下の女の子の名前を出すこと”という非常に情けない事実を再認識し、勝手に少なくない精神的ダメージを負いつつ。先方に『その心当たりについて貴女に打ち明けるつもりはないです』と意思表示をしようとした、その瞬間。

 

 

「あら、そんなにはしたなく目を輝かせてまで彼について知りたいの? お姉サマ?」

 

 

 対面する吸血鬼からではない予想外の方向から、聞き覚えのある少々不安定な声色が聞こえて来た。

 応接室の扉を音もなく開けて、先程地下室で別れたばかりのもう一人の幼き吸血鬼の姿がそこに現れる。

 

 

「だったら、教えてあげる。──あんたと違って、シントは自分からソレを打ち明けてくれたのよ? 私だけにね」

 

 

 これまで無表情であったメイドさんは一転意外そうな表情で「まぁ」と手を口に当て、その主はまるで理解が追いついていないかのように全身を硬直させた。

 

 彼女二人の視線の先にあるものは、自ら進んでずっと地下に閉じ籠っていた少女が、今日紅魔館にやって来たばかりの人間の男の座るソファに歩み寄り、後ろから両手を伸ばして男の首に親しげに回す、そんな奇妙極まる光景。

 

 

「“常識に囚われる程度の能力”──って言うらしいわよ?」

 

「お、おい、なんで……」

 

 

 ふわりと突然後ろから抱きしめられる感触と、あっさり秘密がバラされてしまったこととで酷く狼狽し、動揺してしまう。

 

 いや、確かに彼女には程度の能力のことも、美醜感覚逆転のことも話してしまっている。では、それらのことを『黙っててあげる』と約束してくれた地下室でのあのやり取りは一体何だったのか?

 

 見返りなしで約束してくれるその姿に、俺は純白の天使を幻視していたのだが──

 

 その短い問いかけを受け、フランドール・スカーレットは顔をこちらの耳に寄せてぽしょりとこう囁いた。

 

「ん〜? 約束したのは()()についてだけだと思ってたけど、もしかして違った? ……だったらあの約束は無効ってコトでいい? 私相手に二つも要求するだなんてとっても生意気だし」

 

「アッハイ、全然違わないです……」

 

 向こうに聞こえないように、もし聞かれたとしてもあべこべの事とは分からないよう配慮されたその小声に、全身全霊で降参する。

 

 約束の無効──即ち“いつでもお前の異常な感性を暴露出来るぞ”と脅迫されれば、俺は彼女の意思に言い諾々と従うより他の道はない。

 

「そ、ところでこの場を収める良い提案があるんだけど、アレをばらされたくなかったら──どうすれば良いか、判るわよね?」

 

「はい……」

 

 コクコクと首を縦に振ると、少女は満面の笑みを浮かべた。その表情は人を恐喝したばかりのものであるとはとても見えなかった。

 

 あれ、これ純白の天使じゃなくて漆黒の悪魔じゃね?

 

 そりゃそうか、彼女の種族は押しも押されもせぬ吸血鬼なのだ。天使と呼ぶよりは悪魔と呼ぶ方が圧倒的に道理であろう。

 丁度姉は“紅い悪魔(スカーレットデビル)”なんて呼ばれていることだし。

 

 

 

 乾いた笑みを浮かべながら、フランドールの言う“良い提案”に耳を傾ける。

 もはや現在の俺はそれに全部乗っかる勢いであった。何も考えていないだけ、とも言う。

 

 対して、急に現れて「こんなのはどう?」と話し始めた妹に、姉は何を思っているのだろうか。

 少なくとも完全に会話の主導権を奪われて、「そ、そうね、それでいいんじゃないかしら」と押されまくって頷くだけのその姿には、何かを考えている様子は全く伺えなかった。

 メイドさんの方も、特に口を挟むこともなく。

 

 そのまま暫く、この部屋にはフランドールによる独壇場が繰り広げられた。

 

 そしてその場に彼女の発言内容に反対する者が誰もいなかったが為に、その提案は丸っと採用され──以降、俺が紅魔館へと定期的に足を運ぶことが取り決められたのであった。

 

 

 

 

 

 フランドール・スカーレットはアレ──美醜感覚の逆転を打ち明けた唯一の存在な訳なのだが、生まれて初めてこの秘密を共有する仲間ができて嬉しい反面、こうも思う。

 

 共有する相手を間違えたな、と。

 

 だってそれをネタに脅迫されたらどんな事を要求されても断れねえんだもん、酷くね?

 




 
 
 フランちゃんが真面目ぶるほど、レミリアのキャラが自由になっていくという予定調和 カリスマってなんでしたっけ? その概念ごと程度の能力で破壊された可能性があるかもしれません(適当)
 つまり”カリスマブレイクするレミリア”と言う概念を破壊すれば、そこに永遠にカリスマなおぜう様が誕生することになる…?(目ん玉グルグル)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幻想世界に於ける彼の在るべき場所

 

 

 紅魔館の主、レミリア・スカーレットとの交渉が具体的にまとまって(尤もそれはフランドールの独断の上、俺は殆ど黙っているだけだったが)、メイドさんに連れられるままに、俺は紅魔館の正門前まで案内されていた。

 

 何処からか小鳥の(さえず)りの音が鳴り響き、土を踏むその感触はやけに久しぶりのことに思えた。深呼吸をして、外の新鮮な空気を身体に取り込む。

 やっとこさ吸血鬼の根城という超危険地帯から抜け出せたことで、張り詰めていた精神が弛緩してすっかりリラックスモードに突入してしまっていた。それと同時になんだか完徹したときのような、もったりとした気怠さが全身に襲いかかってくる。

 

 さもありなん。

 空を仰ぎ見てみれば、既に朝日が登り始めている事が確認出来るのだ。

 

 昨日の夕刻この場所に到着したことを考えると、俺は一晩中ずっと紅魔館の中であれこれ活動していたことになる。

 

 もうそんなに時間が経っていたのか……と、少し意外に思った。しかしよくよく思い返してみると、メイド服の妖精達相手に何時間もかくれんぼをしていたのだ。加えて、フランドールと地下室で少々話し込んだこともある。貧血でダウンしていた間もそれなりだった。

 

 当たり前のことではあるが、意識しない間にも着々と時間は経過していたのだ。

 

 と言うか俺、一睡もしていないな?

 道理で心身共に疲れている訳だ。

 

 肺に取り込んだ美味しい空気を吐き出して、それに欠伸も少し交える。今が明け方で本当に良かった──脳裏でひっそりと安堵する。もし仮に今が真夜中であった場合、こんな腑抜けた状態で外を出歩くのは自殺行為も同然だった。夜中は活発な野良妖怪達も、朝になれば何処ともなく鳴りを潜めてくれる。

 

 切り札兼お守りとして持って来ていた霊夢の御札が全滅して、外で活動するにはいまいち心許ないそんな現状。偶然であるとは言え妖怪が最も大人しい時間帯に解放されたのは、俺にとってかな〜り有り難いことであった。

 

 

 

 

「では先程の取り決め通り、また後日此方までお越し下さい、藤宮様。歓迎致しますわ」

 

 凛と響く声が聞こえて来て、慌ててメイドさんに向き直る。“十六夜(いざよい) 咲夜(さくや)”という名の少女は、主に命ぜられた通りに客人をお見送りする構えであった。

 

「ええ、分かりました。十六夜さんもここまで案内してくれて、本当にありがとうございます」

 

「謝辞は結構。私はお嬢様の(めい)を果たしたまでです」

 

 人受けが良いと密かに自負する笑顔で感謝の言葉を返してみても、相も変わらず彼女の表情と返事はお堅い。

 その対応に少々の壁を感じるが……そういえば昨日初めて会ったばかりなのだから、それも当然かと思い直す。

 

 俺のことをいたく気に入った様子のフランドールの所為で感覚が麻痺しそうになっていたが、初対面の人に対する態度の表し方っては普通こんなもんである。それが、人となりもよく知らない歳上の男性相手なら尚更だ。

 “ちょっと距離感を測り損ねちゃったな”と内省しつつ、漂い始めたこの微妙な空気をそのままに無言で立ち去るのも流石にどうかと思ったので、さっきから視界に入らないようにしていた“とある事柄”について言及してみる。

 

 俺たちの会話の音量は決して大きくはないのだが、仮にも()()は門番である。……侵入者の気配を感じ取ることとかは出来ないのだろうか? 前は俺相手に寝惚けながらにして見事な体術を披露してみせたのに──あの時見せた反応速度は偶然の産物だったのか。

 

・・・・・・むにゃむにゃ……

 

 赤レンガの壁に寄りかかり、立ちながら居眠りする中華風衣装の少女──“(ほん) 美鈴(めいりん)”がそこに居た。それが昨日見た時と寸分狂わぬ体勢を取っていることに気づき、俺は彼女が居眠りの常習犯である事を半ば確信する。

 

「あの人、いつも()()なんですか?」

 

「美鈴は人じゃなくて妖怪だけど……まぁそうね、いくら注意してもいっつもあんな感じよ」

 

 こめかみを軽く押さえながら、彼女はそう言った。その心底うんざりとした様子に、彼女はその事について本当に困っているのだと理解した。

 

 そうか、それならば──

 

 まるで天啓の如く、とあるひらめきが頭の中に降り立った。特に深い考えもなくあの門番さんについて話を振ったのであるが……ラッキーだ。

 

「その、少し彼女に頼みたい事があるんですけど、良いですか? 上手く行けばあの居眠り癖を矯正出来るかもしれません」

 

「……何をするつもり?」

 

「え、そんなに嫌そうな顔をしなくても……」

 

 少々の目論見あっての提案であったばかりに、十六夜さんは(よこしま)な下心でも感じ取ったのかあからさまな怪訝な顔をした。それに若干のショックを受けながらも、気を持ち直して咳払いをする。

 

「取り敢えず、聞いてみてください。彼女にやってもらう事ってのはつまり──」

 

 結局のところただの思いつきである、そう込み入った話でもない。そんな底の浅い提案であった為に、かえって裏のない話だと彼女は理解したのだろう。

 「貴方、正気?」と言う散々なお言葉が聞こえて来た後、()()についての許可が出た。少しの間姿が消えていたので、主であるレミリアの判断を仰いだ末の結果であるのは確定的である。

 

 『よし!』と心中でガッツポーズをする。

 

 どうせ紅魔館には定期的に赴く事になるのだ。俺から見て、フランドールの提案した物事に全くのメリットが無かった訳ではないが、それにしたってもう少し美味しい思いをしても良い筈だ──そんな考えを元に思い付いた提案であったが、無事通ったようで良かった良かった。

 

 ほくほく顔の俺を見て、メイドさんはやはり怪訝な顔をする。確かに普通に考えたら、妙なことを要求しているようにしか聞こえないのかもしれない。でも、今後の幻想郷での生き残り方を憂慮するのなら、いずれは必要になることなのだと思う。外の世界に帰れた後も、もしかすると役に立つ場面もあるかもしれないし。

……()()を身に付けられるかどうかは別にして。

 

 

 

 片手に銀色のナイフを持ったメイド服の少女が爆睡する門番の少女の所までにじり寄っていく光景を背後にして、俺は人間の里目掛けて飛び立った。

 

 朝靄深い霧の湖の上空を気分良くひとっ飛びしていると、後方から門番さんの悲鳴が聞こえて来た気がしたが──まあ気の所為ではないだろう。

 

 霧の湖を抜けるまで、脳内で両手を合わせ哀れな彼女へ向けて黙祷を捧げ続けた。でも、正味自業自得なんよなぁ。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 道中何かしらのトラブルに見舞われる事もなく、人間の里へと到着出来た。

 そのまま危険な外と安全な中を隔てる里の出入り口の一つに降り立つと、そこで眠たそうに目を擦っていた門番のおやっさんがこちらに気づき、話しかけてきた。

 

「おう無事だったか、藤見屋。()()()なんて珍しいな」

 

 気安い態度で声をかけて来たこの人は、俺が幻想入りした日に初めて出会った里の人間である。

 現代の服に身を包み、右も左も分からなかったあの時の自分に、元外来人のよしみで親身になってくれたあの門番さんだ。

 

 なんだかその存在を完全に忘れるくらいには交流(出番)がなかったような気がするが、そんな事はない。過去、俺は“霊力を操り空を飛べる運び屋兼何でも屋”になったのち、『畑の見張り役を求む』と言う依頼を受諾していたのだ。

 実際に、作物を荒らす弱小妖怪相手に里の自警団達と協力して撃退するということは何回もあった。

 彼はその自警団のリーダー的存在であり──日ごろ里の外で活動する為にここをよく通る俺の生業(なりわい)も相まって、今ではすっかり顔馴染みである。

 

 そんな彼に向かって、俺はあからさまな愛想笑いを見せてやる。昨日からずっと蓄積し続けていた疲労の所為で、活動限界がそろそろ近づいて来た為だ。さっさと長屋に戻って早く布団の中に潜りたい。

 

「朝帰りって……俺いま結構疲れてるんで、冗談も程々にしてくださいよ。昨日から外で色々あって寝てないんですから」

 

「……あんまり人のやり方に口出ししたくない性分だが、『里の外は危険だから、なるべく里の中で過ごすべきだ』と一応忠告しておくぞ? ったく、よく生きて戻ってこれたなあ」

 

「ええ、自分でもよく生き残れたなと思いますよ」

 

 なんか『まるで俺が昨日紅魔館に出向いていた事を知っているかのような口ぶりだなぁ』とぼんやり思いながら、ぽろりと溢れた本音を呟く。

 

 紅魔館の地下室でフランドールはマジに俺を破壊するつもりだったし、そのときは本当に命運尽きたと思った。その前だと、霧の湖で何の脈絡も無く頭突きして来た氷の妖精と、共に仲良く墜落死するところであった。……そう考えると、昨日俺は二回も死に目に遭ったと言える訳で。

 

──いやぁ、本当によく生還出来たな。

 

 やはり幻想郷というものは恐ろしい。もしあの時、地面に激突する前に飛行体勢が整わなかったとしたら──もしあの時、彼女が俺の殺害に“程度の能力”ではなくもっと直接的な手段を取っていたとしたら──そんな“もしも”を想像して、ちょっと遠い目になってしまう。

 

 現在こうして自分が生きていられるのは、単に運が良かっただけなのだろう。きっと俺は『生き残ること』に関してだけ言えば、相当の豪運の持ち主なのではないか──違うか。もし本当にそうであるなら、そもそもそんな危険な場面には出食わさないか。

 ならば豪運と呼ぶよりは、悪運と呼ぶべきなのかも。

 

 俺は、自分が生きて帰れたのは“偶々運が良かっただけ”なのだと解釈した。しかし、門番のおやっさんはそうは思わなかったらしい。興味深そうな声音をして、会話を続ける。

 

「いやはや大したもんだ。……やっぱり、『ありがた〜い博麗の御札』ってヤツのお陰なのかねえ。確か前に、自警団の皆で一緒に飲みに行った時言ってたろ? 『博麗神社には度々世話になってる』って」

 

 以前、依頼達成の報酬代わりの打ち上げに参加した際に言ったことを、この人は覚えていたらしい。

 

「あー、そういえばそんな事も言いましたね。あの御札けっこう妖怪とか幽霊とかに対して良く効くんですよ。実際、里の外で活動していて何度助けられたことか……」

 

 まあ、今回はフランドールの手によって呆気なく破壊されてしまったから、特に出番はなかったけどね……

 なんて事を口に出さず呟いていると、門番のおやっさんはふと声を落としてこんな事を言ってきた。

 

「ちょっといいか? その御札についてなんだが──」

 

 

 

 

 

 

「はい……そうですけど……え、そうなんですか!? なんともそれは……はい。だったら霊──博麗の巫女には、責任を持って俺から話を通しておきますよ」

 

「ああ、よろしく頼む──ま、これはあくまで可能だったらの話だからな。もし博麗の巫女が断ったとしても現状維持ってだけだ。“向こう”もそれで納得してくれるだろうから、そこまで気負わなくてもいい。」

 

「わ、分かりました」

 

 そんな会話を最後に、俺は門番のおやっさんと別れて人里の内部へと進んで行く。

 

 

 

 

 

 あ〜疲れた、はよ寝たい──と本日何度目かの欠伸をして、自宅であるオンボロ長屋を目指して歩く。その少々の霞が掛かった頭の中では、彼が最後に言っていた事を思い浮かべていた。

 

「『そのお気楽そうな様子だと、里の中に戻ったらもしかすると驚くことになるかもな』、か。……どういうことだ?」

 

 予言チックなその言葉を何度反芻してみても、意味がよく分からない。分からないので、俺はその事についてあれこれ考えるのをやめた。ただただ眠い──その事実の前には、些細な疑問も存在しないも同義だ。

 ふらふらと足取りを怪しくしながらも、自室を目指して歩き続ける。

 

 

 

 

 

 違和感に気付いたのは、いよいよ俺の住むボロ長屋に辿り着くかというその時になってのことであった。

 

 自室の前には、依頼人の目に止まり易いようにと慧音さんに協力してもらって作成した『藤見屋』の看板を立て掛けていて、昨日紅魔館に向かう前、確かに俺はそれに『外出中』の掛け札を付け、藤見屋の一時的な営業休止を周囲に示していた。

 

 それを見て、依頼人は日を改めるか、書面上で依頼内容を俺に伝えるかのどちらかになるのだ。その為、朝っぱらという現在時刻も合わさって、今の俺の部屋の前は人通りも少なく閑散としている、その筈だったのだが──

 

 あの人達、あんなところで何をしてるんだ…?

 

 長屋の前には頭数にして十数の顔見知り達が集まっており、何やら真剣な様子をして話し込んでいるようであった。

 

 遠目からではあるが、それはご近所に住む奥さん方であったり、かつて仕事で関わった事のある居酒屋の店員さんであったり、非番であるらしき自警団の青年達であったり……人影に隠れて初見ではよく分からなかったが、慧音さんの姿も確認出来た。あの特徴的な髪色と赤いリボンが付いた角ばったデカ帽子、見間違いようがない。

 

 一見すると、いまいちこれといった共通点が見出せない顔ぶれである。一体何の寄り合いなのだろうか? ピリッとした緊張感が彼らからは漂っており、なんだか非常に近寄り難い雰囲気である。

 

──世間話をするにしてもちょっと場所を考えて欲しいなぁ、あれでは話し声がウチの中にも響いてしまう。早く寝たいのにそれだととても困るんだが……

 

 そこまで考えて、ハッとして気づく。

 

 俺の部屋の前で寄り集まっているという事は、つまり彼らは藤見屋を頼って依頼をしに来たという事。

 日が昇ったばかりのこの時間帯に、あれほどの人数で押し寄せて来たという事は、つまりそれほどの急を要する依頼であるという事。

 

 例えば人命が関わるような。だとしたら、やれ疲れただの眠いだのと不平を愚痴っている場合ではない。居ても立っても居られず、その集団のもとまで近づいて行く。

 

「・・・というのはどうだろう」

「〜〜〜? しかし……だが……」

 

 しかし近づいてみても彼らは会話に夢中になっているようで、俺の存在に気づかない。仕方なく、その人の輪の外周で耳を澄まし何を依頼しに来たのかを探る。

 

「──は本当に里の中に居ないのか?」

 

「ええと、最後に彼の姿を見たのは里の門を出るところだった、というのは確かなのよね?」

 

「すいません! 俺があの時引き止めておけば…!」

 

「そう自分を責めるな、そもそも昨日の昼頃にはその予兆があったという話も──」

 

 ふむ、なるほど。どうやら昨日から姿を(くらま)ましていて、安否の確認が取れていない人がいるらしい。

 “彼”と言う呼ばれ方からして男性らしきソイツは、人里から出て行くところを目撃されており、もしかすると最悪のケースも想定される、と。

 

 ならば必然その人物の捜索には、里の外での活動を主にする藤見屋に白羽の矢が立つ訳だ。

 

……望むところである。人の命が懸かっていると考えると気が重くなるが、皆の期待を裏切るという選択は無い。

 その依頼、やってやろうじゃあないか。

 

 パンパンと、大きく手を叩いて皆の注目を集める。そうする内心では『しかし危険な妖怪ばかりの里の外に出掛けるとか、ソイツはよっぽど非常識なやつなんだなあ』と素朴な所感を抱いていたのは内緒である。

 こちらを視認しても何故か固まったまま動かない彼らに対し、少しの違和感を覚えながら、気を取り直し安心させるようしっかりとした声で話しかける。

 

「話は聞かせて貰いました。──安心してください。その捜索依頼、この藤見屋が無事達成させてみせますよ」

 

 

 

 

 

 暫くの間、沈黙が辺りを支配した。

 

 

 

 

 

 あれ? なんでみんな黙ったままなの? もしかしてカッコつけ過ぎた? それとも聞き耳されて嫌な思いをしたとか?

 

 あまりの反応の悪さに一瞬『みんなに無視されてんのかな?』と傷付き始めたその時、自警団の若衆が反応を示した。自分と年の近い青年達は互いに目を合わせ立ち位置を調整する事で、ジリジリととあるフォーメーションを形作っていく。

 

 あ、俺それ知ってる。物盗り相手にやる捕縛体勢だよね、見た事あるわーそれ。

 おお、正面に立つと中々の迫力があるんだなあ。

 

 

 

……しかし何故それを俺に?

 

 

 

「「「いたぞぉ! 捕らえろぉぉ!!」」」

「は? えちょ、うおおおぉぉぉぉぉぉ!?」

 

 

 

 急に突撃して来た自警団メンバー達に俺は碌な抵抗も出来ず、呆気なくその場に拘束される。

 

「『話は聞かせて貰いました』じゃねーえよ! カッコつけやがって!」

 

「まっ待て、なんでこんな事するんだ!? 落ち着けお前ら!」

 

「てめえの所為で折角の休みがおじゃんになっちまったんだよ! 落ち着いてられるか!」

 

 何言ってんだこいつら!?

 

 訳の分からないこの事態に困惑し助けを求めようと視線を彷徨わせると、他の皆は『残念だけど仕方ないね』と主張するように肩を竦めるばかり。

 頼みの綱である慧音さんも、俺とガッツリ目が合ったのにこれを取りなしてくれず、ただただ苦笑いを見せるのみに留まった。

 

……なんでぇ?

 

 

 

 

 

 

「自警団の彼らは一晩中、君の行方を探して聞き込みをしていたからな。疲労困憊になった所にああして張本人から呑気な啖呵を切られたら、誰だってそうするさ。──彼らが動いていなかったら、私が出るところだったんだぞ?」

 

「……あいつらのお陰で慧音さんの頭突きを食らわずに済んだと思うと、さっきのあの強引な取り押さえも中々悪くなかったかもですね」

 

 憮然とした俺の返しにクスリと微笑みながら、上白沢慧音は来客用の湯呑みを傾けてお茶を飲む。場所を移してここは我が家、うらびれた長屋の一室である。この場に居るのは俺と慧音さんの二人のみ。

 

 彼女以外の俺の無事を案じていた彼らは、『迷惑かけた詫びに今度飯奢れよ』とか『次の依頼は報酬半額でいいかしらね』とか大変に心温まる数多くの言葉をかけてくれやがった後、方々へと解散していった。

 

……うち一人からは『上手くやれよー』と俺と慧音さんを交互に見ながら、謎の野次を飛ばしてきたのは解せないが。

 

 

 

 いやあ。しかしまさか、昨日から行方を眩ませた男性──それが自分のことを指していたとはなあ。灯台下暗しというかなんというか。

 てか人里の住民達の大半は外の危険性について充分理解しているのだから、普通に考えると確かに俺くらいしか該当する人物はいないのである。

 

 それに気づかなかったのは──多分、今なお襲い来る疲労と眠気の所為であろう、決して『俺がアホだから』という理由ではないと信じたい。

 

 思い返せば、門番のおやっさんも人が悪い。自警団の若いもん達が動いていたということは、それに指示する立場にあるあの人も当然“俺が失踪した”って話は耳に入れていた筈で……

 先程開口一番『おう無事だったか』と言っていた事に実は僅かに違和を感じていたが、そういう事なら納得である。そして、里に戻ったら云々という予言も事実その通りになった。

 

 次に自警団名義の依頼が来たら報酬を倍にしろとふっかけてやろうか……とおやっさんに対し恨み節を全開にしていると、慧音さんがそういえば、と話しかけてくる。

 

「紅魔館に居たんだろう? 人里に与する立場なのもあって、正直私はあまりあそこは好きになれないが……よく生きて帰ってこられたな」

 

「さっき同じようなこと言われましたよ──て、なんで俺が紅魔館に行ってたって知っているんです? 少なくとも人里で、自分の行き先を誰かに告げた覚えはないんですが……」

 

「うん? ああ、それはだな──」

 

 ふと疑問に思った事柄について、彼女はウキウキとしながら非常に懇切丁寧な説明をしてくれる。教師故なのだろうが、相変わらず話が長い。

 

……長かったのでざっと話をまとめて結論から言えば、それは昨日の昼頃に十六夜さんが行っていた聞き込み活動が起因であった。あの目立つ銀髪にメイド服、紅魔館にそんな姿をした人間が住んでいる事は結構有名な話であるらしい。

 

 そんな少女が突然目の前に現れて、こう聞いてくるのである──『“フジミヤ”という名に心当たりはないかしら?』と。

 

 まるでタチの悪い都市伝説のような話であるが、逆にそれが琴線に触れたらしく、ミーハーな気質持ちの多い人里の皆様の間で瞬く間に広がった。

 

 実際には厄介ごとの気配を感じ取って、自衛の為に話すら聞かずに立ち去った者が殆どだったらしいのだが──しかし、それに対して目撃者の数は多かった為に、数刻も経たずして大いに盛り上がっていたのだとか。

 

 そうしてその噂を聞いたフジミヤの名に心当たりがある者達は、いつの間にか俺が消えている事に気付き、それはもうてんやわんやだったらしい。なんか本当に申し訳ない。要求通り、ホントに飯奢ってやろうかな……

 兎も角、それが『藤宮は紅魔館に行っていたのでは?』と慧音さんが推理した理由である。更に言えば、彼女は俺がメイドさんの手によって強引に拉致されたのかも、とも予想立てていた。

 

 

 

 ハハッ、流石に年下の女の子には負けんよ──と簡単に一笑に付せられないのは、この幻想郷の本当に怖いところだった。

 

 

 

「ああ、それと恐らく、噂の流布に伴いフジミヤの名も広く知れ渡る事になるだろうな。あの盛り上がりようを考えると」

 

「それは──喜ぶべき事なんですかね…?」

 

「喜んで良いんじゃないか? 君の仕事柄、知名度が無いとうまい商談も飛んでこないだろう? 前の『薄紫の薬売り』と連続して関わってることを思うと、明日からは忙しくなるのかもな」

 

「……怪我の功名とでも思っています。でも、本音を言うとあんまり忙しくなって欲しくないですね」

 

「ん、そうなのか?」

 

 嘘偽りのない正直な心持ちを白状すると、慧音さんは意外そうな顔をした。

 確かに一軒家を購入してやろうと意気込み、休む事無く依頼を受けまくっていた時期はあった。が、それだけで判断して金の亡者と思われていたのならショックだ。今はもうそれは落ち着いているし。

 

 忙しくなって欲しくないと言うのは、やっと引っ越しする分の軍資金が貯まり切ったからでもあるし、今後定期的に紅魔館に通う必要性ができたからでもある。

 だが、彼女に伝えるのは、やっぱりこれであろう。

 

 

「──ほら、自分、妹紅の世話を焼きに行かなきゃならないので。多分気を抜いたら、あいつのことだからすぐにでも堕落し始めますよ、『やっとお小言を言う奴が居なくなったわ〜』ってな感じで」

 

 

 声色を変えて、全く似ていない妹紅のモノマネを披露して見せると、慧音さんは心底面白おかしそうに笑ってくれる。

 

「ふふ、確かにそれは困るな。……私から頼んだ事ではあるが、こちらから言わずとも励んでくれているようで安心したよ」

 

「ええ、勿論ですとも。妹紅の更生、今後とも一緒に頑張りましょう」

 

 そう言って前に拳を突き出してみると、慧音さんは少しキョトンとした後、俺が何を求めているのかを正しく理解して、同様に片手を持ち上げる。

 

 

 

 この部屋に、自分の拳と彼女の拳が打ち合わさった音が一つ。

 交わされるのは、同じ志を持つ者へと向ける敬意の念。

 我等、“なにかとズボラな妹紅の生活環境を改善させよう同盟”。この同盟を締結した際期限などは定めておらず、きっとこの小気味の良い関係はいつまでも続いていくことだろう。

 

 なお、その命名センスの無さは改善されない模様。

 

……いつか機を窺って、慧音さんに名付けて貰おうかなあ。藤見屋の看板の文字を担当してもらった時の如く。

 

 

 

 

 

 『里の外で活動する際、次からは行き先を誰かに伝えておくんだぞ』という有難い忠告を言い放って、慧音さんは手を振って部屋から出て行った。

 

 忙しい身の上であるというのに、態々貴重な時間を割いてまで俺と話をしてくれたのは、彼女の人の良さが如実に現れた結果なのだろう。

 

 そしてその“人の良さ”というのは、何も慧音さんだけに限った話ではない。早朝の時間帯に寄り集まっていたあの場に居た全員が、いや、もしかしなくても彼ら以外の里の人達にも、その多くに当て嵌まる性質なのだ。

 

 人間の里の住人達の温情深さと言うものに、俺は数え切れない程の恩恵を受けて来た。今回の出来事は偶々分かり易い形で現れただけであって、きっと以前からその片鱗は体験していたのである。

 

 やはり、人里の皆の心はあったかい。

 その事を痛感した一幕であった。

 

 

 

 

 

 そして、それに気付く発端にもなった紅魔館の事についても思考を巡らせる。

 

 全ては館の主、レミリア・スカーレットの『運命を操る程度の能力』が俺を探知した事に始まり、十六夜咲夜の用意した導線を辿り、紅美鈴の体術に魅せられ、フランドールとの奇妙な邂逅を果たした。

 

 その後、紆余曲折を経て悪魔の館へ再度訪ねることとなったのだが──さて、そんな彼女達との関わりは、俺に何をもたらしてくれるのだろうか?

 

 差し当たっては、まずフランドールの提案した二つの要求に応える事からがスタートである。

 

 果たしてどうなる事やら……そんな不安が押し寄せて来るのだが、その一方で再び紅魔館を訪ねる事にワクワクしている自分も居る。

 

 とまあ色々と予想は出来るものの、結局俺は賢くも、勘の鋭い性分でもない。少なくとも命は保証されていることであるし、出たとこ勝負と行こうではないか。

 そんな事を考えながら、俺は早過ぎる就寝準備を進める。

 

……なんか昼夜逆転しそうで怖いな。やっぱり気合を入れて、夜になるまで起きていようかな……

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 紅魔館、その端に位置する大図書館にて。

 

 パチュリー・ノーレッジは、机に山積みにした沢山の書籍を一つずつ崩しながら読み耽り、そこに記された情報を知識として脳に吸い上げていた。種族的に彼女は“魔法使い”であるからして、こうして日がな一日魔術に関する研究の参考となる知識を求め、日々研鑽するのは普段通りの光景であった。

 

 彼女は生命維持法としての“食事”という行為は必要としておらず、髪や衣服などの身の清潔を保つ方法も魔法を頼り、睡眠も座ったままにほんの数時間で済ませてしまう。

 

 故に少女はその場から決して動かない、動く必要がない。梃子でも動かぬその様子を見て、友人からは『いわば“動かない大図書館”ってトコね』と揶揄われたりもしていた。

 

 その際、少女は『なに上手いこと言ってやったみたいなドヤ顔なのよ、いつにも増して酷い顔ね』とその友人を一蹴していたが──恐らくそれが、彼女達なりの気安いコミュニケーション法なのであろう。

 

 ちなみに、そう言われた友人はその発言を受けて結構心を傷つけていた。偉い立場にある者にしては、その心は割と硝子なハートなのであった。

 

 

 

 

 

 ペラリ、ペラリとページを捲る音がその場に流れる。

 

 興味深そうな顔をして分厚い本を熱心に読み込むその様は、まさに学徒の鑑と言えるだろう。『本』とは即ちそれを編纂した識者の思想・知識の結晶であり、それを読み込む事で得られるものの価値は、それを真に修める者にしか正しく理解は出来ない。

 読書家という存在は、それぞれの本が持つ価値を計る為だけに目を通している。そう言っても過言はないだろう。

 

 

──ところで、彼女が今現在読み込んでいる本は果たして、本当の本当に魔術に関する書籍なのだろうか?

 

 

 確かに彼女は魔法の研究を第一とする生粋の魔法使いである。しかしだからと言って、今読んでいるその本が魔導書に類するものだと決めつけてはならない。

 

 もはや彼女の根城とも呼べる“大図書館”と言う場所は、紅魔館に属していながらその実、空間的には独立した非常に開けたスペースである。常人の脳と寿命ではその内の1%も読み終える事は叶わない程そこに納められている本の数は膨大であり、という事はその本のジャンルも多岐にわたるのである。つまり魔術に関する事のみを扱った本に絞った場合、その量も半減してしまうということだ──それでも充分過ぎる冊数ではあるのだが。

 

 兎も角、この場には魔術書だけでなくその他の、例えば料理や鍛冶、ペットの飼育法についてなど、様々な本がわんさと存在するのである。中には、パチュリーの与り知らぬ書籍もやや混ざっているのだ。

 

 

 

 先程は“彼女は一日中ずっと通しで魔法の研究をしている”という旨を述べたが、厳密には誤りである。

 

 いかに彼女が食事も風呂もベッドも要しない魔法使いであっても、流石に精神的な疲労は全く感じない訳ではない。自身の限界を悟ったその時、少女は一旦魔法の研究を中断して、小時間の休憩を取るのである。

 

 それは単に軽い背伸びだけに留まることもあれば、優雅にティータイムと洒落込むこともある。

 

……そして、普段読まないジャンルの本に挑戦することだってある。

 

 現在、パチュリー・ノーレッジはその休憩の最中であり、魔導書ではない別の種類の本に集中して、これを読み込んでいるのであった。その熱中ぶりは、魔導書に向けるそれと遜色ない。

 

 

 

 その背後に、赤いショートヘアをした少女の影が忍び寄る。”小悪魔”と呼ばれている彼女は、珍しく魔導書以外の本に夢中になっている様子のパチュリーを見て、その手に持つ本の内容に興味を持った。

 話しかけて集中しているのを邪魔するのも申し訳が立たない。なので、背後からその本の内容をこっそり覗いてやろう、そう小悪魔は気を遣ったつもりで画策したのだ。

 

 そして、彼女の作戦は成功に終わる。

 

 パチュリーの読む本のジャンルに気がついてハッと息を飲まなければ、それはもう完璧に遂行されていたことは想像に難くない。

 後ろに忍び寄るその存在に気付き、パチュリーは一つため息をついて、手にしていた本を机に置く。

 

「……折角集中していたのに、それを邪魔するなんて悪い子ね。それと、読書中の人の背後に回って本の中身を盗み見ようだなんて、ものによっては極刑に値すると思うんだけど──どう思う?」

 

「え、えへへ。バレちゃいましたか」

 

「もう。次は許さないわよ」

 

 少々気分を害された様子を引っ込めて、パチュリーは小悪魔に対して苦言を呈するに留める。どうやら彼女は小悪魔の働いた狼藉について、これ以上追求する気はないようだ。

 これ幸いと、小悪魔は机に広げられた件の本について言及する。

 

「珍しいですね、パチュリー様が恋愛小説に夢中になるなんて」

 

「たまたま表紙が目に止まってね。フィーリングで手に取ってみたけど、中々興味深かったわ。……恋愛感情に関して、もう少し理解を深めてみようと思うくらいにはね」

 

「へえ、大絶賛じゃないですか! 後でそれ、私も読んでいいですよね?」

 

「良いわよ。その代わり、この本の山の整理を宜しくね。それが終わったら休憩時間あげるから」

 

 「判りました! 約束ですよ?」と意気込む小悪魔に、パチュリーは満足そうにして頷く。使い魔根性の発露を確かに感じ取った為である。

 

 そして流れるようにして、その恋愛小説に再びのめり込み始める紫の魔法使い。

 

「古典的だけど、『白馬の王子様』と言う存在には是非巡り会いたいものね……レミィに頼めば用意してくれるかしら?」

 

 それは誰に向ける事なく呟かれた独り言であったが、ヨイショと積み重ねられた本を持ち上げながら、小悪魔は律儀にもそれを拾いとって返答を返す。

 

「な〜に言ってるんですか。知っての通り、紅魔館のみんな結構際どい容姿をしているんですよ? そんな場所にわざわざ王子様がやって来るなんてあり得ないですよ」

 

「……ええ、それもそうね。この本に影響されてか、ついつい不毛な妄想をしてしまったわ」

 

 パチュリーも本気で“王子様”を所望したつもりはないので、小悪魔の方を見ることもなく、熱の無い調子の声でそう返した。

 

 大図書館に、そんなやり取りが虚しく響く。侵入者でも入り込まなければ、ここはいつもこんな感じで穏やかな空気が流れているのである。

 

……一方、紅魔館本館では流石に“白馬の王子様”とまではいかないが、既に人間の男性が度々出入りするようになっていた。

 

 その『あり得ない事実』を彼女達が知ることになるのは、もう少し後になってからのお話。

 




 
 
 紅魔館でなく人里の方の門番の人に関する描写で“以前こんな事が…”とあります 『ん? そんな事あったっけ?』と疑問に思った方、それは実際今回で初めて描写した事柄なので安心して下さい オリ主も描写されてないところで色々やってんだな、と思ってくだされば幸いです(そこら辺もちゃんと書くべきでは? という的を得た指摘はNG 主にその場合幻想少女が出てこないじゃんというのが原因)

 今話で第四章はお終い な、長かった… 話数と文字数の平均がちょいちょい増してきてて結構ヤバかったです(小並感)



 突然ですがここで読者の皆様に(私的に)重要なお知らせがあります なんとこの作品、☆10から☆0までの評価を総なめすることが出来ました 感謝…っ! 圧倒的感謝っ…!
『高評価ならまだしも低評価貰って嬉しいのか…』と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、かつては空欄だった評価の点数の欄が今や全て埋まっていると言う事実に、人は謎の達成感を覚えるものなのです(強弁)
 実際以前から“あと☆0が一つ付けばコンプ出来るのになー”と思ってたりもしました 今思い返すとあんまり健全な考え方でなかったなとは思います 要反省 でも、『人の感性ってモノはまさに十人十色だなあ』って感じがして面白かったです

 あ、因みにこの作品は非ログインのユーザーの方にも感想を受け付けるよう設定しておりましてね… 評価の一言コメントも、ちょっとハードルが高いかなと思って撤廃しております 詰まるところ完全なるノーガード、“どんな感想・評価も受け付けるよ!”てな訳ですな

 “メニュー”から飛んでみて、『今までそういうのやった事ないな』って方も気楽にやってみて下さい 可能ならば他の方の作品に対してもそうしてくれると個人的には非常に有難いです このサイトはそういった書き手と読み手の相互作用によって成り立っているのじゃよ 多分だけど


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五章『常識に囚われる程度の能力』
再度、紅魔館へ


 

 

 鮮血を思わせるような紅を身に纏い、不気味に(そび)え立つ吸血鬼の根城、紅魔館。現在その館は茜色の夕日を浴びて、その紅さを殊更に主張していた。伊達に“紅”の名を冠していない、ということなのだろう。

 

 そんな暮なずむ正門前にて、二つの人影が対峙している。

 

 一つは少女。ロングの赤髪に緑色ベースの華人服を着た彼女は、リラックスした体勢で、ただただそこに泰然自若として立っている。その表情も余裕綽々といったもので、或いは身を置いている現在の状況を心の底から楽しんでいるようにも窺えた。

 一つは青年。白シャツに黒いスラックス、そして革靴という非常にシンプルな洋装の彼は、握り拳を前方に持ち上げて、少女の方へと突撃して行く構えを見せている。その顔は緊張に強張っているようで、踏み込むタイミングをいまいち掴み損ねているようでもあった。

 

 

 

 ゆったりとした様子の少女と、余裕の無い様子の青年。二人の織りなす沈黙が続くこと暫く、その時間はまるで永久に続くかのようだった。

 だが、青年は意を決したような顔をしたのち、満を持してその沈黙を無言のままに打ち破る。

 

 砂利の蹴る()が短く響く。

 青年の行った踏み込みは、それなりに鋭いものであった。

 

 しかしその後披露したのは、やぶれかぶれの特攻かと見紛う程の不恰好な突撃である。もしこれを鑑賞する者が居るとしたら、『彼は徒手空拳の類に全く精通していないのだな』と容易に見抜けることだろう。

 

 対する少女は、中国拳法を始めとしたあらゆる格闘術を独学で修めてきたという経緯を持ち──当然玄人が素人に遅れをとる道理は無い。

 

 彼女は身体の軸をずらすことで青年の攻勢をあっさり受け流し、ついでとばかりに脚を払う。それにより、勢い付いた彼は冗談のように身体を縦に半回転させた。

 人が地面に叩きつけられる音、ガフッという肺から空気が押し出される音が共に鳴り、打ち負かされた青年は仰向けになって空を仰ぐ。

 

 呆然としながら、青年がそのままの体勢で夕焼けに染まった空を眺めていると、心配そうな表情をした赤毛の少女が彼の顔を覗き込む。

 

 

 

「今、頭からいっちゃってたけど大丈夫?」

 

「ケフッ……あ〜、一応受け身は取ったつもりだから大丈夫、です。ええ」

 

「……念の為、今日はここまでにしておきましょうか。いくら手加減しているとは言え怪我はいけません。それに、やり過ぎてしまうと後で私が妹様に叱られちゃいますしね」

 

 少女が差し出した手を取って立ち上がった青年は、その洋装に付着した土埃を叩いて落とす。そうする顔には少々の苦々しさが張り付いている。

 

「アレで『手加減』…ですか。めい──いや、師父は手厳しいなあ」

 

 ため息と共に吐き出されたその言葉──の一部の単語に目敏く反応して、少女はとても機嫌が良さそうに声の調子を高くする。

 

「ええ、ええ、なんと言っても私は貴方の“師父”ですから。弟子に厳しくなるのも当然のこと、つまりそれだけの期待を寄せているってことで……」

 

「はいはい、立派な師の立派な教えを受けられて、俺はとっても感激してますよー」

 

「でしょう? いやぁ、早くも次に貴方が来る日が待ち遠しくなってきました。さっきの組手も最初の瞬発力は悪くなかったですし、次回はそこを基点にして少しずつ腕を磨いていきましょうか!」

 

 

 

 

 青年──藤宮慎人は、かつて彼女が『修行中は“師父”って呼んで欲しいかなぁ』とさり気なくも執拗に要求していたことを思い出し、その事を皮肉るつもりであったが、それが不発に終わったことを悟り面白くなさそうな顔になる。

 

 少女──紅美鈴は、最近弟子入りしてきた男性が己に対してしっかりと敬愛の念を抱いているのだと確信し、内心でひっそりと歓喜に湧き上がる。

 彼からの突然の要請に始まった、この二人の師弟関係に当初彼女は戸惑ってはいたのだが、それも数回行うだけで今やすっかり馴染んでいる様子。

 

 特にすることのない退屈な門番業務に飽き、ウトウトと昼寝に勤しむ毎日に突如現れた刺激ある日常。それも、自分を慕ってくれる者がセットでついてくるともなれば、これを拒否する理由など彼女には全く想像がつかなかったのである。或いは、彼が自分の外見を差別しない事も多少作用したのかもしれない。

 

 いつしか彼女は心の何処かで、青年の来訪を待ち望むようになっていた。

 

 その気持ちは普段の勤務態度にも表れたようで、青年が紅魔館にやって来るその日は決まって昼寝を慎むようになった。具体的に言えば、昼寝に費やす時間が以前と比較して半分にまで減少したのである。

 

 『これは大いなる進歩ですよ!』とは、昼寝をメイド長に咎められた際、鼻高々な様子をして言い放った美鈴の言。

 尤もその昼寝時間半減も青年がやって来る日に限定されている上、『そもそも初めから昼寝すんなよ』という話である。

 その為、その“大いなる進歩”とやらにメイド長は特に心打たれることも無く、その後美鈴は無事銀ナイフの錆となったのだった。

 

 合掌。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 初めて紅魔館を訪れ、やっとのこと脱出できたあの日。俺は十六夜咲夜を通して、レミリア・スカーレットに一つの要望を伝えていた。

 

 それは、簡潔に言えば『紅美鈴に師事したい』というもの。

 何故そんな突拍子も無い事を要求したのかというと、それはひとえに“自分の生存率を少しでも高める為”だった。

 

──その日、俺は二度死に目に遭った。

 

 飛行中、氷の妖精チルノに追突されて落下死しかけたのが一つ。『吸血鬼フランドールと出会ってしまった事』そのものでもう一つ。

 

 それらの危機に臨んで俺は、成す術もなく流されるがままで、割と今でもどうして生き残れたのか不思議に思うくらいであった。あの時の絶望的な浮遊感、あの時の切り札を破壊されて背に走った戦慄──否応も無くはっきりと覚えている。

 

 もう二度とあんな心臓に悪い体験は味わいたくない。ではどうすれば良いのか? その答えがまさしく、『紅美鈴に体術を教えてもらう事』なのだ。

 俺自身を相手にして披露してくれたあの格闘技術を、少しでも盗めるのなら御の字である。それは自己の生存率を多少なりとも押し上げる要因となる筈だ。

 

 まあ、例えばフランドールのような強大な妖怪相手には全くの焼け石に水であるが、そもそもそんな論外な存在と張り合おうとは思っていないのでそれは思考の外にでも放り投げておくにして、だ。

 

 “自分の生存率を少しでも高める為”の手段として体術を選んだのには、三つの理由がある。

 

 まず第一に、もし俺が彼女のような体術を扱えたのならば、チルノに突撃されたあの瞬間に受け流すなりなんなりして『あわや墜落死』とまではならなかったのではないか──そう考えたからだ。

 

 第二に、俺の自衛手段である博麗の御札と霊力の弾丸が通用しない“敵”と将来的に遭遇することを想定して、それら以外で何かしらの対抗手段を用意しておきたいと考えたからである。

 尤も、俺の仮想敵たる野良妖怪相手に体術が通用するとは思えないので、これはあくまで『無いよりはマシ』程度の気休めに留まるのだろう。

 

 それと最後の第三、これはあくまでオマケ程度の理由なのだが……純粋に、彼女の魅せる体術を俺もやってみたいと思ったからだ。

 

──だって滅茶苦茶格好良いじゃん? あのカンフー映画ばりのアクションが出来るようになったら絶対楽しいって。

 

 外の世界に居た頃の漫画で見た“男なら誰でも一度は夢見る地上云々”では無いし、氷の妖精の“さ”から始まるあの口癖に感化された訳でも無いが、『ちょっとは齧ってみても罰は当たるまい』とつい童心に返ったのであった。

 “御札と霊弾で足止めして逃走する”という普段のやり方に真っ向から否定するような取り組みではあるので、うっかり魔が差したと言い表してもいいのかもしれない。

 

 

 

 

 

 紅魔館の敷地を覆う赤レンガの囲いに並んで背を預け、俺と美鈴さんは今回の組手に関して、互いに意見を交わす。

 彼女は格闘術を上達させる方法論として、“一旦実践して後で反省する”という手法を取っているらしく、弟子である俺もそれに倣った形になる。

 

 一頻り「あの時の足運びは…」「接近する際の呼吸の仕方は…」などと話し合ったのち、美鈴さんは「そういえば」と前置きをし、夕日に染まった端正な顔をこちらに向けた。

 

「先程の動きを見て確信したんですが、藤宮さんは“攻め”というものに全く向いていませんね」

 

「うっ、そ、そう、ですか……」

 

 暗に『格闘術を修めるのに向いていない』と宣告されたように感じ、顔を引き攣らせる。すると、それを見て彼女は慌てたように言葉を継ぎ足す。

 

「ちょっと、変な誤解しないでくださいよ? ただ、貴方は動き始めは滑らかだったのにいざ私を眼前にした瞬間、攻撃の意思を鈍らせました。だから、“攻め”に向いていないと言ったんです」

 

……確かにそれは、さっきの組手で睨み合っている間に自分も予感していた事だった。

 

 他者を害するにはそれ相応の覚悟が必要となる──これまで俺は相手と距離を取っていたが為にそれに気付くことは無かったのだが、今回初めて自ら望んで格闘戦を仕掛けたお陰で、その事実に気付くことが出来た。

 霊的ではなく肉体的なアプローチで外敵を排除するのは、俺にとって思いの外精神的重圧が大きいと判明した訳だ。

 

「でもそれって結局、俺は格闘術に向いていないってことなんじゃあ……」

 

「ご安心を。別に攻めるだけが格闘術ではありません。“攻め”と相反する“守り”もまた武術の基本にして真髄です。ほら、護身術なんてその最たるものじゃないですか」

 

 一旦、彼女は言葉を区切って俺の表情を窺う。納得したような、そうでないような微妙な顔をしていると、トドメとばかりに口を開く。

 

「つまり私が言いたいのは、『貴方は“守り”に向いているのかもしれません』ってことです。繰り返すようですが、瞬発力は悪くないんです、今後はそこを重点に伸ばしていきましょう」

 

「守り、ですか。ちょっと意外な感じが──」

 

 戦闘に於いて自分が何を最も得意としているかを問われたら、迷い無く『逃げる事』と返す自信がある。しかし『守りに向いている』だなんて彼女のような体術の達人に言われると、自身の思わぬ長所を褒められたようで中々に嬉しくなってしまう。

 それと同時に少々の安堵を感じる。俺が彼女に師事しようと考えた理由──今後の人里の外での活動を見据えて生存率を少しでも上げる──は無事達成されそうであると予感したからだ。

 

 いくら主であるレミリア・スカーレットの許可を得たと言っても、彼女本人がやる気になってくれなければ、俺の趣味と実益を兼ねたこの計画は頓挫したも同然だった。

 しかし幸運にも、美鈴さんは超善良かつお人好しな性格の持ち主であったようで、まだ数度しか出会った事の無い見知らぬ人間にも親身になって教えてくれた。

 突然の名指しに驚いてこれを拒否しても良いくらいなのに──そこら辺は、彼女の人の良さが表れた結果なのかもしれない。

 

 

 

 そうこう考えているうちにいつの間にか、夕日は妖怪の山の山際に沈みかけていた。それに気付いた美鈴さんは会話を切り上げようとする気配を見せる。

 

「……おや? そろそろいい時間帯ですね。館内で、妹様がお待ちになっているのでは?」

 

「あー、そうですねえ。……もう少しだけ話していきません? 可愛い可愛い愛弟子からの頼みだと思って、もう少しだけ」

 

 今からまたあの吸血少女の前に出頭しないとと思うと大変に気が滅入るので、現実逃避気味に目の前のチャイナドレス風の衣装を着た少女に会話の継続を要求してみる。

 

──我が敬愛する師父、自分はこれでもう満足したので人間の里に帰っていいですか? それかこのまま二人で、一夜を語り明かしませんか?

 

「あはは、貴方からそう求められるのは嬉しい限りですが、その実“時間稼ぎ”が目的だと分かっていると喜びも半減ですね。──いけませんよ、妹様がお怒りになってしまいますから」

 

「……はい。やっぱそうなりますよねぇ」

 

 当然の事ながら、美鈴さんは俺の体術の師である前に紅魔館に尽くす従者だ。当主の妹からの(めい)と何処ぞの馬の骨とも知らぬポッと出の男からのおねだり、どちらの方の優先度が高いのかは誰の目にも明らかであった。

 不満を大きく表すように肩を竦めて、組手をする前に正門の鉄柵に掛けておいた上着とネクタイを回収し、それらを身につける。

 

「よく似合ってますよ」

 

「そりゃどうも」

 

 その上着というのは所謂燕尾服というやつであり、つまり現在外観から分かる俺が着用しているものは、燕尾服ネクタイ白シャツスラックス革靴である。

 これらは(女所帯なのにどうして男性向けの服が用意されていたのかは本当に謎だが)紅魔館から貸し出されたものであり、恐らくヴィンテージものの高級仕立てな代物なのであろうが……

 美鈴さんは本気か世辞か、『よく似合っている』なんて言うけれども。初めてこれら一式を着て紅魔館にある大きな姿見の前に立った時、そのコッテコテな執事服を着た自分の姿を見て、俺はこう思った。

 

──どっからどう見てもコスプレだよこれ! と。

 

 

 

 

 

 美鈴さんと別れ、嫌だ嫌だと前へと進む事を拒否する本能に無理やり活を入れ、庭園を横切って紅魔館の内部へと足を運ぶ。

 

 入り口を抜けると、そこはシャンデリアを中央にした吹き抜けとなっている。赤々としたアンティーク調の家具やら絨毯やらで、相変わらず目に優しくない内装である。

 かつてはここでレミリア・スカーレットとの初邂逅を果たし、俺は勝手に恐れ慄いて逃げ出したのであるが、今この場に彼女の姿は無い。

 ついでに言えば、そのとき館を案内してくれると思っていた十六夜咲夜の姿も今は無い。

 

 つまり現在の俺は何の監視の目もついていない完全フリーの状態な訳で、仮に今からUターンをして里に戻ったとしても、美鈴さんを除けば誰にも咎められないのである。

 

 逆に言えば、それは『監視をつけなくても別に逃げ出す事はしないでしょう?』と向こうが確信している事を意味している訳で。

 

「あー、気が進まねえ……」

 

 そしてその読み通り、俺は嫌々ながらもこうして彼女の待つ地下室へと進む他無いのだった。

 

 

 

 ある程度の時間をかけてゆっくりと先を目指して歩いていると、三名の妖精メイドが幾つかの調度品をテーブルに並べて磨いている場面に出食わした。

 

 その妖精達は執事服を着た俺に気付くと、ササっとそのテーブルの後ろに隠れてしまう。しかし好奇心は抑えきれなかったようで、度々頭を出して頻りにこちらを観察している様子であった。

 

 仕事の邪魔をしてはならないと、俺はそそくさとその場を後にする。既に何度も行った紅魔館訪問とは言え、ここの住民で俺の事を知らない者の数は未だに多く、故にああして注目を浴びるのは珍しくもなんともない。

 恐らく、俺の存在を知らない者は過半数を超えているのではなかろうか? まだ顔を合わせたことの無い妖精メイド以外の館の住人も、まだまだ居るであろう事は想像に難くない。

 

 

 

 気を取り直して引き続き長い通路を進んで行くと、いよいよ目的の部屋が近づいてきた。否、近づいてきてしまった。叶うのならば、今すぐにでも引き返したい。自然とため息が溢れてしまう。

 

 本当に、何度でも、つくづく思う。

 

 誰にも知られたくない秘密を明かす相手は、慎重に慎重を重ねて選ぶべきなのだと。罷り間違っても、自棄になって衝動的に秘密を漏らすべきではなかったのだと。……それがあの狂気の吸血鬼が相手ならば尚のこと。

 

 そして本当に嫌なのは、そんな存在と関わりを持つようになった事を心の底から嫌悪出来ない自分が居る、という奇妙な事実に対してだ。

 

 あの可憐な容姿に翻弄されている所為なのか、はたまた彼女のことを“頭の何処かが破綻している仲間”と無意識に認識して、ある種のシンパシーを抱いている所為なのか。

 

 同類相憐れむと言う。

 

 その考えが正しいのならば、きっとフランドールも俺に対して──いや、これ以上はよそう。俺と彼女を勝手に同列に語るのも可笑しな話だ。

 

 

 

 

 

 地下室前の階段まで辿り着き、一歩一歩丁寧に、一段ずつ降りて行く。これは誓って、万が一足を滑らせてしまわないようにと気をつけているだけなのだ。決して、遅延行為を目的としているのではない……断言はしないけど。

 

 ただ、そんな努力は実を結ぶ事なく終わりを迎える。すぐに階段の終着点に辿り着いてしまった。

 

 扉を開けるのに敢えて時間をかけるという選択肢が無い訳ではないものの、流石に彼女も俺がここに居る事は感じ取っている筈なので、『ああ〜扉が重くて開けられないよ〜…じゃあしょうがないから帰るかぁ作戦』は少々どころでなく露骨に過ぎた。

 

 そう観念して扉を開けようと手を伸ばすと、取っ手に触れるかどうかといったタイミングで一人でにその扉は開いた。無論、付喪神が宿っている訳でもなしに無機物が勝手に動き出す道理は無いので、向かい側にスタンバイしてた彼女の仕業だった。

 

 一体いつからそこで待っていたのだろう。

 

 

「……遅かったわね、シント」

 

 

 不機嫌そうな声をして、フランドール・スカーレットは真紅の瞳をこちらに向ける。……ストレスでも感じているのか、その片目はヒクヒクと痙攣していた。

 

 もしかして、俺が遅延行為に走っていた事に勘づいている…?

 少しでも彼女と共に過ごす時間を減らそうと画策した咄嗟の目論見であったのだが、それは返って逆効果であったらしい。

 

 気付けば小さな両手がガシッとこちらの片腕を掴んでいた。無常なことに非力な人間ごときでは強大な吸血鬼に力で敵う筈も無く、そのまま俺は吸血鬼少女の自室へずるずると引き摺り込まれていった。

 






 新しい章が始まったとしても場所が変わるとは限らない そんな第五章、始まります

 誤字・脱字報告、誠に感謝致します 未だに最初の方の話で誤りが指摘されちゃったりするので笑えてきますよね いや笑ってる場合ちゃうんですけど


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

怯え隠す者と嗤い曝す者

 

 

 紅魔館の地下に位置する、フランドール・スカーレットの部屋。ただでさえ窓が無く日の光を拒む設計をしているこの洋館にあって、ここは更に薄暗い。事実この場所に存在する光源は、隅に置かれた三叉の燭台から届く蝋燭の火のみだった。

 

「それで? なんでいつもよりここに来るのが遅くなったの?」

 

……この部屋の暗さを見る限り、どうやら『吸血鬼は陽光を苦手としている』という俗説は信憑性が高いらしい──現地で吸血鬼とお知り合いになれたことにより導かれる、幻想郷ならではの推察であった。

 

 映画や小説、オカルト雑誌、それと幻想郷縁起(簡易ver.)で得た知識は本当だったんや!

 

 だいぶ御機嫌斜めな様子の吸血鬼少女を前にして、そんな逃避気味な思考に徹する。実際ここに来るまでの道中は故意にゆっくりして行っていた為に、俺は彼女に対して少々後ろめたさを感じていた。

 

 棺桶の置かれた天蓋付きベッドに浅く腰を下ろし、薄らと微笑みながら問いかけてくる少女──その笑みには底知れぬ激情が隠されているような気がして、先の後ろめたさもあり俺はついつい彼女から目を逸らしてしまう。

 

 純粋にこの場所に行きたくなかったからだと本音を言えたら、どれほど気が楽になるだろうか。

 

 自棄になってそう主張したい場面ではあるが、そうした後に酷い仕打ちが待っていることは容易く想像出来るので躊躇われる。なので、なるべく角の立たない、そして彼女が嘘と判断出来ないような理由付けをする必要があった。……それと同時にご機嫌を伺ってみてもいいかもしれない。

 

「……人里の方で用事が色々と重なった所為で、紅魔館に来ること自体が遅くなったんだ。仕方の無いことだったんだよ」

 

「ふ〜ん、私はてっきり美鈴とのお遊びに時間を忘れて夢中になってたんだと思ってた」

 

「い、いや? 稽古にはそこまで時間はかけてなかったかな。ほら、早くフランドールに会いたかったし?」

 

「そ、だとしたら変ね。……もしかして、嘘をついているのかしら?」

 

 普段地下室に篭っている様子の彼女を欺くのなら、人間の里のことを引き合いに出せば良い。よしんば俺の話に疑いの目を向けたとしても、それを虚偽と断じる方法は持ってないだろう──そう賢しく考えての言い訳だったのだが、フランドールにこの言い分を信じている様子は無い。

 

……彼女は、人里で俺が具体的にどう行動しているのか知る由も無い筈だ。

 

 何故嘘だと思ったのかを問わんばかりの俺からの視線を受けて、吸血鬼の少女は事もなげに話し出した。

 

「一応、咲夜にはアナタがここに来た瞬間に報告を入れるようお願いしててね? 今日、それがいつもと同じ時間だったのよねえ。──確か、『紅魔館に来ること自体が遅くなった』だったかしら? ……困ったわね。それだと咲夜とシント、どっちかが嘘をついてる事になっちゃう」

 

 あ、やっべ。

 

「そ、そうなんだ……」

 

 どちらが嘘吐きなのか? その結論は、彼女の脳内で既に下っているに違いない。なのに、本当に『困った困った』と言うような顔をしながら少女はこちらの表情をじっくりと窺ってくる──そして参ったことにその粘つくような視線には、確かな嗜虐の色が見え隠れしていた。

 

 正直、全く生きた心地がしない。

 

「嘘をつくような悪い子には、お仕置きをしてやらないと道理が通らないわよねえ」

 

「…………」

 

 徐々に地下室の空気が緊張感に冷えてゆく中、もはや何を言うことも出来ず、ただただ黙ってその視線に耐えるしかなかった。

 

 この胃に穴が開くようなひりついた感覚は、彼女に対して嘘をついてしまったことに対する罰なのだろう──もっとも仮に本当のこと、つまり『フランドールに会うのに気が進まなかったからわざと遅らせた』と正直に打ち明けた場合とどちらがマシであったのかは、実際にやってみないと分からない。そして分かりたくはない。

 

 

 

「……ま、いいわ。これくらいにしておいてあげる」

 

 それなりの間、恐怖に青い顔をする人間を見つめ続けて満足したのか、吸血鬼の少女は張り詰めた場の空気を緩めさせた。

 

 俺はその事を肌で感じ取り、ほっと息をつくと温かな安堵感に包まれる。……大妖怪に睨め付けられる感覚というものはあまりにも心臓に優しくない。命を取られる事はないと頭では分かっていても、生存本能が分かっていないのだからどうしようも無いのだ。

 

 

「ん〜、なんだか喉が渇いてきちゃったなぁ」

 

 

 出し抜けに、フランドールはベッドから立ち上がる。その堂々とした棒読み台詞は、彼女が俺に何を要求しているのかをどうしようもなく理解させた。

 まあ、ソレはこの部屋に行く度に毎回行われることだった。だから俺は無言のままに彼女の前まで足を運んで、我が身を差し出す。

 

 

 

──俺が初めて紅魔館を訪れそこから解放される際、応接室に乱入してきたフランドールはレミリア・スカーレットに二つの要求を告げていた。

 

 その内の一つがこれ、『フランドールに新鮮な血液を定期的に提供すること』である。

 その日俺は地下室で、()()()する前のついでとして血を吸われたのであるが、その継続を彼女は望んでいたのだ。生き血を求めるとは、いかにも吸血鬼らしさ全開の要求だった。

 

 

 

 今は慣れない執事服を着ている為に首を曝け出すのに少し時間を取られてしまったが、その待ち時間すら楽しんでいるのかフランドールはその光景にずっと眼を爛々と輝かせていた。

 

──まったく、野郎が肌を露出させる様子の何処が面白いんだか。いや、吸血鬼視点だとこの誰得な光景も、『食材が自ら皿に乗ってきた!』みたいな感じなのかもしれない。

 

「……いつもより多めに貰っちゃうけどいい? ああでも、“人里で忙しくしてた”らしい軟弱なシントにはしんどいだろうから、今回だけは別に断っても」

 

「ああもう分かったよ! 好きなだけ持ってけ!」

 

 『(嘘の追求を)これくらいにしておいてあげる』と言っておきながら、先程のことを掘り返してくる少女にカチンと来て威勢よくそう言い放つ。

……言った直後、自分が随分とお安い挑発に乗ってしまったことに気がついたのだが、発言の撤回をするには手遅れだった。

 

「そう? それじゃ、遠慮なく……」

 

 クスリと笑い声が聞こえたのち、フランドールは牙を俺の首へと突き立てた。

 その数秒後、俺は啖呵を切ったことを改めて後悔する。案の定、前回吸われた時よりも多量な血液が持っていかれているのだと感覚で理解したからだ。

 肩を強張らせながら、慌てて抗議の声をあげる。

 

「な、なあ。確かに、好きなだけ持ってけとは言ったがもう少し抑えてくれないと──」

 

「……シー、静かに。もっと身体の力を抜かないと、貧血で倒れちゃうよ?」

 

 切羽詰まった俺の訴えは、あえなくその囁きによって却下されてしまった。取り付く島もないとはこの事だ。

 何故だ。やはり俺の弱み(美醜感覚逆転)を掴んでいるのだから、そんな言いなりに出来る奴の話など聞く価値も無いという事なのか──

 唐突にその瞬間、ふと脳内に閃くものがあった。彼女に言われた通りに身体をリラックスさせながら、その事を問いかけてみる。

 

「もしかして、嘘つかれた事に対して結構根に持ってたりする?」

 

「……フンッ」

 

 あ、吸い上げられるスピードが────

 

 

 

 

 

 

 ふと気がつくと、ふかふかのベッドの上で仰向けに横たわっていた。霞がかった頭を何の気無しに横に振ると、薄暗い中、何やら大きな箱のようなものが鎮座している。

 一拍置いてそれが棺桶であることに気付き、そしてまたまた一拍置くと、びくりと身体を震わせてしまった。

 

……一瞬、自分用のかと思ったじゃん。

 

 覚醒した頭で考えれば、それは当然フランドールが使っている物なのは明らかだった。

 そして現状を把握する。大方俺は、血を急激に奪われた所為で気を失ったのだろう。下手な発言をして彼女の不興を買うべきではなかったのだ。

 あれから体感的に大して時間が経過したようではないと当たりは付けられるのだが、全身を襲う気怠さが邪魔してその正確さに自信が持てない。

 

──ゴトリ、と音がした。その方を見てみると、何やら分厚くてむつかしい言語が書かれた表紙の本を机に置いたらしき、件の棺桶の持ち主がゆっくりと近づいて来る。

 

 フランドールはベッドに横になったままの俺の頭の近くを位置取って座ると、然程心配してなさそうな表情をして話しかけてきた。

 

「ねえ、大丈夫?」

 

「……おう、大丈夫そうに見えるか?」

 

「喋れるってことは大丈夫ってことね。少なくとも脳が死んでないってことだし」

 

 『喋れる』と『大丈夫』を等号で結ぶそのフランドールの言い分には、大きなため息をつかざるを得ない。彼女の口ぶりからは『口さえ利ければ重体の者であっても大丈夫』と判断しそうな勢いを感じる。

 

 でもまあ確かに、自分は現状軽口を叩けているのだ。それくらい体調が回復したのだという見方も出来るのかもしれない、それはそれで。

 

「……やっぱ今の発言無し。何と言っても今の俺は大丈夫ではないからなぁ」

 

 なんて適当な事を言いながら、腹筋に力を入れて俺は起き上がろうとする。しかし、やはり血を抜かれた直後は厳しいらしく、上体を満足に起こす事すら叶わなかった。

 再び、身体がベッドに沈み込む。

 

「ぐ、チクショウ」

 

「ふふ、あんまり無理しちゃダメよ? 弱い弱〜い人間は、暫くここで安静にしてないと」

 

「……ああ、そうするしかないみたいだな」

 

 貧血状態で無理に力んでしまった為か、徐々に視界に黒いものが混じってきた。どうやら身体を平常状態に戻すにはちょっと時間がかかりそうだった。

 

 

 

 目を瞑り、復調を願い、じっと待つ。

 

 まあ、ただじっと待つのも退屈なだけなので、あの時フランドールが言った二つの要求のもう片方について思考を巡らせることにする。

 

 『フランドールに新鮮な血液を定期的に提供すること』と双璧をなすそれは、やはりその時地下室でフランドールが感じていた素直な欲求を元にして考案されたらしく、なんでも紅魔館にある“大図書館”という場所に行く必要があるとかなんとか──

 

 

 

 

 

「ねえ、シント」

 

「なんだ?」

 

 呼びかけられたので、思考を中断して返事をする。

 

 いくら体調が優れていないとは言え、口を動かすだけなら特に問題は無い。ただし脳味噌の方が少し問題で、少々ぼんやりとしていて思考回路がクリアじゃないと自己診断できたのだが──まあ悲しいことに、恐らく普段の処理能力と大差は無い。受け答えも差し障りは生じ得ないだろう。

 

 目を開いて、フランドールの顔を見ようとする。

 

 しかしここは薄暗い地下室のベッドの上で、俺が彼女の方へと視線を向けてもその暗さ故に、少女が浮かべているであろう現在の表情がはっきりと窺えない。

 ただ、平素と変わらぬ調子の声が聞こえて来るだけだ。

 

「あいつの話だと、シントは『紅魔館の運命を変える人物』らしいわね?」

 

「あいつ…? ああ、レミリア・スカーレットのことか。……いや姉なんだろ? なのに『あいつ』呼びって酷くないか」

 

「『紅魔館の運命を変える』ってことはつまり、私を始めとしたここに棲みついてる奴等の運命を変えるってことなのよ。勿論、あいつの予感が正しかったらの話だけど」

 

 ポロッと口をついた俺の疑問に華麗なるスルーを決め込んで、フランドールは話を続ける。

 まさかの無視……まあ、いいけどね? 俺は一人っ子だったし、兄弟関係がどうこうとか正直よく分からないから。それも、吸血鬼の場合はどんな感じだとか尚更分からない。

 いやそれよりも、彼女の話には否定するべき箇所がある。

 

「待ってくれ。確かにあの日、俺はお前の姉から『紅魔館の運命を変える人物』だと期待を寄せられはしたが──正直、買い被り過ぎだと思う」

 

「──なんで?」

 

 俺の言ってる事が全く理解出来ないとでも言うように、少女は疑問の声を上げる。

 

「いや、分かるだろ? 無力で平凡な人間が、他人の“運命”だなんて大層なものに干渉出来る訳が無いからさ」

 

「う〜ん確かに。シントは無力でしょぼい人間なのは間違いないわねえ」

 

……別にしょぼいとまでは卑下してないんだが?

 

 異論を挟もうと思い口を開こうとすると、フランドールは唐突に手を伸ばし、俺の頭をさらりさらりと撫で始めた。

 一瞬、何事かと身体が固まる。視線を向けても彼女の表情は依然、薄い暗闇の中にあってよく見えない。

 

 

 

「でもね、他の紅魔館の皆の事は知らないけど──少なくとも()()運命は変えられると思うわよ? アナタにはそれだけの“力”があるから」

 

 頭を優しく撫でられている為か、彼女の声がとても穏やかで聞き心地の良いものに思えてくる。

 

「ああ、“力”と言っても、『常識に囚われる程度の能力』のことじゃないわよ? 仮にそれが無かったとしても、私にとっての価値は決して下がらないもの」

 

 まるで我が子をあやすような甘い声の響きに、安らかな気持ちになる。

 髪に触れる少女の小さな手の平からは、俺のことを本当に深く深く想っているのだと言葉無しに気持ちが伝わってきた。

 

 えも言われぬ安心感を覚える。

 あまりの心地良さに、気を抜くとついウトウトと寝入ってしまいそうだ──

 

 

 

 

 

 が、しかし。

 その心地良さを振り切って、暗がりで見えない無貌の吸血鬼を真っ直ぐ見据え、俺は一つ問いを投げかける。

 

「能力が無くとも価値は下がらない、か。……じゃあフランドール、さっきお前が言っていた『私にとっての価値』ってのはなんなんだ? 無力で平凡な俺に、一体どんな価値があると?」

 

 それを聞くとフランドールは手を止めて、クスクスと笑い出す。そうして両の手でこちらの頭を固定すると、ゆるゆると緩慢な動きをしながら俺の目を覗き込んでくる。

 そこでやっと、俺は彼女が先程までどんな表情をしていたのかを把握することが出来た。

 

「そんなの決まってるでしょ?」

 

 果たして俺の髪を優しく撫でていた時に浮かべていた少女の表情は、慈愛に満ちたものであったのか? 聞くものに安堵の念を抱かせるあの穏やかな声は、疑いようもない本物であったのか?

 結局それらは、俺が『そうであって欲しい』と願っていただけの錯覚だったのだろう。

 

 

 

 彼女は、ただただ嗤っていた。

 

 

 

「なんと言っても、私とシントは偶然にも巡り会えた()()()()()だもの! まさに御伽噺で読んだ『運命の出会い』ってやつね! ……そんな貴重なお相手に、価値を感じない方が嘘だと思わないかしら?」

 

「そうか、異常者か……」

 

 堰を切ったように熱っぽく語る吸血鬼の少女に向けて、俺はさっくりとした返答をする。と言ってもそれは、もはや返答にすらなっていないただの独り言だった。

 つい冷めた口調になってしまうのは仕方がない。仮に、俺の問いへの答えに異常性以外のことを挙げてもらえたのなら嬉しかったのだが。

 

 残念ながら俺は、フランドールのように“お仲間”ができたことに対して歓喜はしない。

 自分の持つこの唯一無二の異常性(あべこべ)を、心の底から疎ましく思っているが故に。

 

 

「ねえ、もうみんなには打ち明けた? 白状した? 驚いてもらえた? アナタの秘密、『藤宮慎人はまともなフリして実際は狂ってる』ってこと。別に隠す必要なんて無いじゃない。己の内に潜む異常を周囲に思い知らせるのは、自分に正直になって生きるのは、とっても気持ちいいことなのよ?」

 

 

 鮮血のような紅い瞳をぐいと近づけて、少女は囁きかけてくる。

 その話に、さらに限定するなら“自分に正直になって生きる”という所で、少し俺の心が揺らいだ。

 

 そういえば、『人里の皆になら秘密を打ち明けても受け入れてもらえるかもしれない』なんて考えた事もあったっけ?

 しかし住み慣れたあの場所であるからこそ、受け入れられなかった時の反動を想像すると恐ろしくて仕方が無かった。

 やはり、俺は自身の美醜感覚逆転を周囲に明かす訳にはいかない。押し殺すしかないのだ。外の世界でやってきたように、俺という存在が平凡である事を積極的に知らしめていかないと……

 

 そこまで考えて、目前にある吸血鬼へと意識を向ける。黄色いショートヘアが頬をくすぐっていい加減痒くなってきたのだが……さて、どうすればこの状況を切り抜けられるのだろうか? サッパリ分からない。

 

 まあ、なるようになるか。

 

「現状、あの事を誰かに打ち明ける予定はない。だから当分の間は期待に応えられないと思う。でも、フランドールの提案を悪いものだとは否定はしない。いつかは自分に正直になる日が来るかもしれない。でもそれは今じゃないって話で、えー、つまりはだな……」

 

 やばい、話の終着点が見えてない。全然なるようになってない。

 

 言葉に詰まって四苦八苦していると、陶然とした様子を一転させた、しょうもないものを見るような視線が突き刺さってくる。

 彼女の誘惑に乗らなかったのと考え無しに喋り始めちゃったこととで、なんだかフランドールの中で俺の株価が下落していってるような気配が……

 

「──まったく、今はそれでも構わないけど……いつか、その時が来るのを楽しみに待っているわ。気長にね」

 

 多分そうなる前に、俺は幻想郷から脱出してるんじゃないかなあ。未だに進捗状況が不明瞭だから断言は出来ないけど。

 

 内心そう思ったのだが流石に口には出さない。やっとお許しが出たのだ、下手に刺激してはならない。

 

 興醒めした様子のフランドールがベッドから離れたので、それに合わせて再び上体を起こしてみる。まだ軽い目眩はするが、それ以外は問題無い範疇。

 

 

 

 そのまま立ち上がって、地下室から出ようとする。

 

 今回はイレギュラーがあったが、基本的に『フランドールに血を捧げる』のタスクが終われば、俺は晴れて客人としてあてがわれた部屋にて絶品料理に舌鼓を打てるのだ。

 

 今日は午前中人里で依頼を終わらせ、博麗神社で賽銭投げと御札の補充をしたのち紅魔館へ行き、美鈴さんに稽古をつけてもらって──というそこそこに忙しい日だった。

 

 あとは飯食って寝て、朝方に人間の里へ帰るだけ。

 

 いやー今日も疲れたなあ、と心中でぼやきつつ階段へと繋がる扉に手をかけたその瞬間、フランドールから待ったの声がかかる。

 後ろを振り返ると、客人用の椅子を何処からか持ち出してきた吸血鬼少女が、それをベッドの近くに置いていた。

 

 

 

「今日はこの部屋に泊まりなさい。ありのままの欲求を無理に抑え込む事がどれだけ馬鹿馬鹿しいのか、丁寧に教えてあげるから」

 

「……十六夜さんが客室で夜食用意してるだろうし、着替えもそこに置いてあるんだけど」

 

 何やらふんすと意気込んでいる様子に危機感を覚え、拒否の姿勢を示してみる。それを受けて、フランドールは呆れた表情を浮かべる。

 

「咲夜は呼びつければいいだけだし、着替えも朝行って回収すれば解決よ。……それとも断るの? “綺麗”な女の子からのお誘いを無下にするだなんて──」

 

「分かった! 分かったから」

 

 どうやら思ったよりも彼女の意思は固いらしいと判断して、これ以上ごねても無意味と見てあっさりと降参する。

 

「そう? じゃあ早速ここに座ってね」

 

「はいはい……」

 

 用意された椅子に座り、ベッドに腰掛けるフランドールと向き合って話を聞く。

 

 生憎、自分のこの“女性相手にだけ美醜感覚逆転”の秘匿は継続するつもりなので、極論になるが彼女の言う主張を真面目に聞く必要は無かったり──しかしこれはこれで、中々に悪くないのかもしれない。

 

 さっきの言葉を尤もらしげに借用するのであれば、『自分に正直になって生きる』である。類稀なる“狂ったお仲間”であり、尚且つ“可愛いらしさ”も持っている少女と親しく出来る事のどこに不満点を見出せようか。

 

 この、『種族違いなのに同族意識がある』という奇妙な感覚に、どっぷりと浸りたくなる。向こうも同じことを感じてくれていれば嬉しいのだが、残念な事にそれは彼女だけにしか分からない。それを質問するのも何処か無粋に思えてくるし。

 

 抑圧・解放のカタルシスがどうこうと高らかに語るフランドールのその振る舞いも、見た目相応の幼さがあるように見受けられた。

 七色に煌めく宝石の羽根がぴょこぴょこと揺らめく様に自然と口角を緩めながら、引き続き可憐なる吸血鬼少女の話に耳を傾ける。

 

 まあ結局、それに時間を取り過ぎて夜食を済ませた直後寝る羽目になったんだけど。

 

 腹は落ち着かないし隣は棺桶で不吉だしで、その夜は尋常じゃない体験をすることになった。加えて翌朝レミリア・スカーレットからは「つまりフランと同衾したってコト!?」とかどうとか悲痛な叫び声と共に責められたのだが──流石にご勘弁願いたい。

 

 俺の認識としては一晩を棺桶と共に過ごしただけなのだ。全然美味しい思いをしていない。そもそもフランドールから誘ってきたのだから、やっぱりこちらが責められる謂れは無い。

 

 故に、胸を張ってこう主張出来る──俺は悪くねえ、と。

 




 

 己の異常性を自覚して、周囲との軋轢を恐れ隠そうとする者と、それを受け入れて躊躇いなく発露させる者 社会性を重んじ他人を頼りにして生きる人間と、個であっても十分に生きていける吸血鬼では、例え同じモノを見ていたとしても見方も考え方も変わってくるもんです まぁオリ主の場合はまた違っためんどくさい要素が含まれてくるわけですが



 実は、本編にある“ベッドの上に棺桶”という(人間視点だと)非常識就寝スタイルが公式準拠のものであるのか全く自信がありません 『吸血鬼と言えば?』のイメージが先行しているだけの可能性は十分にあります それかなんかの動画で見ただけなのかも 普通棺桶の中とかゴツゴツしてて寝づらいと思うんですけど、常識的に考えて 負担を軽減する為の縦長クッションでも置いてあるのかな

 でもあれですね、『棺桶はインテリアとして飾ってるだけで実際寝る時は邪魔だから退かしてます』と説明されたら何の違和感も無いですね 特にそれがレミリアの場合 ……特にそれがレミリアの場合


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

汝自らを知ろう

 

 

 すぐ後ろからガタゴトと、荷車に積み重なった角材達の奏でる音が聞こえてくる。周りには涼やかな雑木林が広がっており、そよ風に揺れる木々のざわめきが耳に快い。

 森林浴効果というヤツだろうか? 『仕事を放っぽり出して、このままゆったりとしていたい』とつい魔が差してしまいそうになる。

 

……いくらこの辺一体を餌場としていた付喪神な妖怪少女と交渉済みだからとは言え、今の自分は少々気が緩み過ぎているのかもしれない。

 

 だいぶこの往復作業に(こな)れてきた昼下がりの今だからこそ、気を引き締めていくべきだろう。頼まれた分はこれらの資材で全部な訳だし、最後の最後で小石にでも蹴躓(けつまず)いて、荷台のブツをぶち撒けでもしたら大変につまらない。

 

 これらの木材は後で、まるっと全部自分の家の一部となるのだから尚のこと。

 

「よいしょ…っとぉ!!」

 

 気持ち繊細に力を込め、最近人の手が加わり始めた林道に荷車の輪で(わだち)を引いていく。

 

 確かな質量に裏付けされた、結構な手応えが取っ手を通して俺に伝わってくる。この重さは成人男性の力を持ってしても手に余るだろう──しかし自分で言うのも何だが、伊達に藤見屋は運送業を生業としてはいなかった。滴る一雫の汗を拭って、グイグイと先を目指して押し進める。

 この雑木林も、大して広くないことは下見をしに来た時点で既に分かっている。目的地に到達するのに然程時間は要さなかった。

 

 

 

 

 

 雑木林を抜けるとそこは愛しの我が家であった。

 まだ建築中なんだけど。

 

 

 

 

 

 人間の里の最東端に位置する此処は、ちょうど地理的に博麗神社を挟む為か人間を害する木端妖怪の類が出没する前例が少ない。

 万が一手に負えない化け物がお出ましになったとしても、“人妖平等”を掲げるご近所の寺に駆け込みすれば問題ない。博麗神社への行き易さも相まって、まさにこの場所は利便性と安全性を兼ね備えた俺にとってのベストプレイスだと断言できよう。

 

 夢のマイホームを建てる場所として此処に目をつけた、過去の自分を褒めちぎりたいところである。

 

 まあ、栄えている里の中心部とは離れていてお買い物に行くのがややだるくなるであろう事や、場所が外れもいいとこなので仕事の依頼をしに来る者の数が自然と減少するであろう事など、曲がりなりにも里の内部に位置していた現行のオンボロ長屋と比較すると多少のデメリットは少なからず挙げられる。

 しかしそれも仕方ない事だと割り切った。

 そんな辺鄙な場所であるからこそ低価格でこの土地を譲って貰えたのだと分かっているし、依頼量の減少についても正味最近は噂で名が売れ過ぎた所為もあってかキャパオーバー気味であったので、それはそれで良しと判断したからだ。

 

 

 

 

 

 前方から、トンテンカンと金槌が釘を打つ甲高い物音や、大工達による男臭い気合の入った掛け声が聞こえてくる。……此処はつい数日前までやれ『地盤調査がまだ終わってない』だのと更地のままであったと言うのに、現在ではお早いことに地上階の部分は既に完成済みであるように見て取れた。

 

 この工事の責任者である親方から聞いた話によれば、『基礎から整え直す必要があるだろうから竣工は当分先になる』という話であったのに──

 

 まさか手抜き工事ではあるまいな?

 

 あまりの急ピッチな仕上がりようにちょっぴり疑念を抱きながら、荷車を引き彼らへと近づいて行く。『里一番のベテラン建築集団』という評判は嘘であったのか、それとも真であるが故にこんなスピード建築なのか、素人目では判別が難しいのがツラいところであった。

 

 『基礎工事とか経るべき過程をすっ飛ばしてやしませんか』と将来の家主として問い質しておきたい気もするが……まさか本当に手を抜いている訳ではあるまい、と楽観視しておこう。

 客との信頼関係を損なおうものならたちまち“干される”事になるのは、人里に於ける暗黙の了解である事だし。

 

 捻出する費用を少しでも抑える為とお手伝いを願い出た今の俺に出来ること言えば、声を張り上げて職人達に建材の到着を知らせるのみである。

 

「今日の分の資材、全て持ってきましたー! いつもの場所に置いておきますよー!」

 

 その言葉に「応!」といくつか野太い返事が返って来たのを確認して、俺は仮の資材置き場として定められた敷地の脇に行って積荷を下ろす。

 ふと横を見てみると、荒れ果てた庭がある。家が完成してからはまず第一に、長年放置されていたというこの場を整える事から始めねば……そう思うと気が重くなった。しかし結局のところ、此処も仮の拠点なのだから、日常生活の邪魔にならない程度に手入れすれば良いかと思い直す。

 

 そうして、振り返って竣工を間近に迎えた我が家を視界に収める。

 

 いつも通りに人里で依頼をこなして、迷いの竹林にお邪魔して、紅魔館に通っていれば、この未完成な一軒家もいつの間にやらといった調子で完成している筈である。

 何気なくの思いつきで始まった“住み良いマイホームを持つ”という小目的も終わりが見えてきている。

 そろそろ本腰を入れて本命たる大目標、“外の世界への帰還”に向かって邁進する時分なのだろう。

 

 

 

 

 

 という訳で。

 

 

 

 

 

 俺は博麗神社の境内にて、霊夢に頼んで都合十何度目かの大結界越えを敢行した。神秘的に(もや)がかる鳥居をくぐり、外の世界に通じているという極彩色の謎空間へと足を伸ばしたのである。

 

 普通であれば、外の世界から迷い込んだ外来人はその空間にあってただ単に前へと進み行くだけで幻想郷から抜け出せるらしいのだが──残念ながら、俺にその“普通”は適用されない。

 

 何故ならば、博麗大結界と規模を同じくする八雲紫の敷く“常識と非常識の境界”が、俺のことを『外の世界に於いて忘れ去られてしまった存在』と誤認して引き寄せてしまっているからだ。

 

 外の世界で趣味にしていた心霊スポット巡りが、こんな形で牙を剥いてくるとは思わなかった。たったそれだけで自身の存在が“幻想寄り”になるとか誰が想像出来ようか。『神隠しの森』というネットの噂に惹かれ物理的に幻想郷に近づいてしまった事も考えると、もっとインドア寄りの落ち着いた趣味を持つべきだったのかもしれない。

 

 もっとも、それは今となってはどうしようも無い無意味な仮定である。生まれ持った霊力を扱える体質と、中学高校と非現実じみた人物と関わってきた自分の経歴を加味すれば、オカルト趣味に傾倒することになったのは極々自然な成り行きなのだから。

 

──なんてことを尤もらしい顔をしながら思考していると、自分が博麗神社の鳥居前に立ち尽くしていることに気がついた。

 

 博麗大結界越え、その失敗数はこれで何度目になるのだろうか? 準備してくれる霊夢も当事者たる俺も一々カウントしてないものだから、それに対して答えを出してくれる者はこの世でもあの世でも存在し得ない。

 

……そろそろ『ワンチャン結界越えられるで!』と籤運感覚で試すのをやめてもいい頃合いなのかもしれない。

 せめて何か、確固たる自信や根拠などがあれば話は別なのだが。

 

 

 

「お、戻ったな。霊夢〜、もうコレ食べてもいいよな? 藤宮も戻って来たことだし」

 

「ちょっと待ってよ、まだ湯が沸いてないから──」

 

 わちゃわちゃと、そんな二人の少女の掛け合いが聞こえてきたので思考を中断させた。割と深刻(シリアス)に悩んでいるというのに、そうのんびりとした日常風景を見せつけられては気が緩むというものだ。

 

「おーい、ちゃんと湯呑みは人数分用意してるよな? 俺だけ無しなんて事は──」

 

 どうせ茶葉もお茶請けも自分が持ち込んだ物なのである。日ごろ博麗の御札を融通してくれたり、望み薄なのに大結界越えの準備をしてくれる霊夢への感謝の印として渡した品々であるのだが、今開けるのなら是非ともご相伴に預かりたい。

 紅白巫女と白黒の魔法使いに呼びかけながら、俺も博麗神社の母屋にお邪魔することに決める。

 

 

 

 

 

 俺と霊夢と魔理沙の三人で卓を囲み湯呑み片手にゆったりとしていれば、自然と各自が思い思いの会話を始めるものである。

 実際彼女達には既に、俺が紅魔館に定期的に訪れるようになったことは話のネタとして伝えてあった。

 それに加え、人間の里の自警団からこれこれこういう要望がありましたよ、とも伝えている。

 

 本日の話題は、魔理沙の『そういえばなんでお前は外の世界に帰れないんだ?』という今更な疑問に始まった。

 それを受けて『そういえば彼女には具体的な理由は伝えてなかったな』と思い、簡潔に経緯を説明する。

 その間、その時ちょうど現場に居合わせた為に、ある程度の事情を知っている霊夢は退屈そうにして茶菓子を頬張っていた。

 

 

「はあー、『常識に囚われる程度の能力』ねえ。その所為で博麗大結界を越えることが出来ない、と」

 

 

 分かったような分かってないような微妙な相槌と共に、白黒の魔法少女はお茶に口をつける。

 いや、その如何にも『OK、OK。完全に理解出来たわー』みたいな表情からして、よく分かってない説の方が濃厚と見た。

 

……正直なところ、そこら辺は自分でも完璧に把握出来ていると言えないので、他人の理解のほどについてとやかく指摘する権利は俺に無い。

 

 幻想郷に暮らし始めてそこそこ経った現在でも、どうして『幻想郷の常識を身につける事』が『外の世界に帰る事』に繋がるのか──その理屈は未だに判然としていないのだ。

 それをハッキリさせるべくスキマ妖怪とコンタクトを取ろうにも、藍さん曰く『非常にお忙しい』らしく中々その機会に恵まれない。

 

『中途半端な常識を捨てなさい』

『なるべく広くこの“妖怪たちの楽園”に住む者たちと交流を深めるのよ──それが巡り巡って貴方の未来を切り開いてくれるでしょう』

 幻想入りして間もない俺に向けて、あいつはそんな事を言っていた。

 

 その言の葉の真意は一体何処にあるのだろうか?

 

 しかし詰まるところ、八雲紫の『境界を操る程度の能力』の効力を俺が受け入れるようになれば万事解決の筈である。

 

 俺という存在の“現実”と“幻想”の境界を操ることさえ叶えば、博麗大結界の穴の中で“常識と非常識の境界”に『こいつは……幻想側じゃな?』などと誤った判断をされて引き戻されることもなくなるのだから。

 

……となると必然、問題の焦点は俺の持つ“常識”にある訳で──

 

 渋い顔でそう考え込んでいると、小さなちゃぶ台の向こう側でふと気がついたように魔理沙は声を上げる。

 

「なあ、お前の能力は“自分の常識にない事象の影響を受けなくなる”ってやつだったよな? でも、自分の常識にない事象であれば“必ず”無効化出来る便利な代物という訳でもなく、何かしらの制限が存在している──そうだろ?」

 

「ん? ああ、そうだな。最近だと十六夜さんの『時間を操る程度の能力』の影響はガッツリ受けた。ルーミアって人喰い妖怪の『闇を操る程度の能力』も確かそうだった。どっちも俺の常識にない能力、いや現象だったな」

 

「──ぷぷっ。い、いざよいサン……」

 

 何故だか話の腰を折るように突然笑い出した少女に抗議の視線を向けると、「いやー、すまんすまん」と軽く詫びられた。……いや何故笑ったし。

 

「ま、なんだ。ズバリ私が言いたかった事は、『“常識に囚われる程度の能力”についてもっと深く掘り下げてみたい』ってとこだな。お前も気にならないか? 自分のことなんだぜ?」

 

 魔理沙が思いつきで発言してきたその内容は、奇しくも俺が紅魔館を始めて訪れたあの日、応接室に唐突に現れた狂気の少女が言い放った“二つの要求”のうち一つと同様の意味合いを含んでいた。

 

「……前に、フランドールにも同じようなことを言われたよ。確か、『アナタの能力が適用される範囲を(つまび)らかにしたいから、折を見て“大図書館”に行って、そこに居るぐーたら魔女に協力を仰いでね』とかなんとか」

 

 まあ、そもそも大図書館とかいう場所への行き方を知らないし、美鈴さんとの組手とフランドールへの献血で疲労困憊になってしまうので『実際に行ってみよう』とさえ今まで考えていなかったのだが……

 

 これは、良い機会なのかもしれない。

 

 『常識に囚われる程度の能力』が外界への帰還を阻害している、現状そう言い表しても過言ではないのだ。そんな自分の能力の詳細がその『ぐーたら魔女』とやらの手で明らかになれば、転じて外の世界に帰る為の何かしらの助けになる可能性もある。

 

 ともあれ、善は急げとの諺もある事だし。

 

 「ふふ、『ぐーたら魔女』って……あながち間違いでもないな」と何やら再びツボに(はま)った様子の魔法使いを横目に、茶を飲み干して席を立つ。するとそんな様子の俺から何かを察したのか、今の今までお茶とお茶請けを黙々と食していた霊夢が口を開く。

 

「もう出るの? 茶菓子はまだ半分も残ってるわよ」

 

「せっかく用意してくれたところ悪いけど、な。残りは仲良く二人で分け合ってくれ」

 

「そう、判ったわ」

 

 言葉の少ない簡潔なやり取りを済ませて、霧の湖方面へと飛び立つべく縁側の方へと移動を開始する。

 

 『今日は紅魔館を訪れる予定にない日であるが、少なくともフランドールと美鈴さんは歓迎してくれる筈』『大図書館への道のりは十六夜さんの案内を頼りにするべきか』などと歩きながら考えをまとめていると、俺の真後ろに一人分の足音がついてきている事に気がついた。

 

 首を後方に回してみると、そこには(つば)の広い黒のとんがり帽子があった。無言のままに視線を下に向けると案の定、霧雨魔理沙が勝気そうな顔をしながらこちらを見上げていた。

 

「──なにしてんの?」

 

「そういえば最近あそこには顔出ししてなかったからな。あいつも寂しく思ってるだろうと、今から気を利かせる事にした訳だ」

 

「……大図書館まで俺について行くつもりだってことか?」

 

「ま、そういうことだ。──ああでも、最後まで付き合うつもりはないぜ。ちょっと本を“借り”たらすぐに帰るつもりだからな」

 

「そうか」

 

 先程までの彼女の様子を見た限り、どうやら魔理沙は大図書館の『ぐーたら魔女』と面識があり、しかもそれなりに親しい間柄であるように窺えた。思えば彼女もまた魔法使いな少女、つまりは魔女である。二人は気心知れた魔女仲間、なんて線もあり得る訳だ。

 

「じゃ、大図書館までの道案内、宜しく頼む」

 

「おう、大船に乗ったつもりでいてくれよな!」

 

 胸を張ったこの宣言、なんと頼もしい事であろうか。これならば『ぐーたら魔女』との交渉もきっと上手くいくに違いない。

 

 俺と魔理沙、二人して境内に辿り着くと同時に空へと飛ぶ。目指す方角は当然紅魔館方面である。『外の世界へ帰るのに役立つ何かが見つかるかも』と期待に胸を膨らませながら、俺は白黒の少女の後を追従するのであった。

 






 その場に一人残された博麗の巫女は、昼寝してたあうんちゃんを叩き起こして引き続き茶菓子に舌鼓を打ったのでした めでたしめでたし

 字数はそこそこなれど、色々と神経質に描写面で気を使う回となりました 設定を練りすぎるとどうなるか皆さん分かります? そう、一目でわかるあべこべ要素が失われてしまうんですよね タイトル詐欺もいいとこですわ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔法使いな少女たちはいつだって平常運転

 

 

 博麗神社から飛び立ち、フランドールの言う『ぐーたら魔女』との邂逅を果たすべくして、俺は紅魔館へと頭を向けて空を飛ぶ。

 

 その前方で同じく空駆けるは我が同行人。

 箒に腰を下ろし意気揚々と風を切る、黒と白のコテコテな魔女っ子衣装を堂々と着こなす金髪の美少女、霧雨魔理沙である。

 お目当ての人物とそれなりに親しいらしき彼女の案内を頼りにして、ぐーたら魔女の居る場所へと辿り着こう──そういう魂胆な訳だ。

 

 ちなみに、俺が過去紅魔館を訪れた回数は両手でギリ数え切れる程度であり、目的の場所である“大図書館”とやらには一度もお目にかかった事が無い。少なくとも、妖精メイドとの命懸け(当時の自分はそう信じて疑わなかった)の隠れんぼで館中を巡った際は、それらしき施設は確認できなかった。

 つまり、俺はその存在をただ人伝てに聞くのみであり、それが具体的に紅魔館の何処に位置しているのかはさっぱりなのである。

 

 そんな無知な自分とは対照的に、眼前を飛ぶ魔法少女は日常的にそこでよく本を借りているという。

 

 それ即ち大図書館が本の貸し出し業務を行なっている事の証左に他ならない訳であるのだが、実際それは同じ魔女のよしみという理由で融通されているだけなのだろうか? それともその門戸は広く開かれているのだろうか?

 

 薄紫の薬売りの噂をきっかけにして仕事に忙しくなる以前は、暇潰しが高じて読書家を気取っていたが為に少々気になっていた。

 

 早い話、『俺にも本の貸し出しをしてくれないかなあ』というふと湧いて出た願望だった。霧深い湖の畔にひっそりと佇む洋館、そこには幾多の蔵書を収めた秘密の図書館があって──だなんて、伝奇小説の導入としては中々どうして悪くない出来ではないか。これからその実地に赴けると思うだけで、どうしても僅かばかりの子供心が浮き立ってしまう。

 

 だがまあしかし、残念ながらこの願望は今回の本義ではない。『“常識に囚われる程度の能力”についてもっと深く知る』、これが大本命であるからして。まずはそこを第一の指針として行動するべきであろう。

 

 思い返してみれば、レミリア・スカーレットはそのぐーたら魔女の手を借りて“運命を操る程度の能力”を十全に扱えるようになった、というような主旨の発言をしていた。その上、フランドールからは能力の解明にあたって『ぐーたら魔女を頼ってね』との助言を受けている。

 

 あの色々と傍若無人で勝手気ままな吸血鬼姉妹が口を揃えて、そのぐーたら魔女と程度の能力を関連させて言及していた。加えてその魔女に対して高い評価を下していた、ようにも思える。

 

 となれば俄然気になってくる。

 ぐーたら魔女とは、一体どんな人物なのだろう?

 

 

 

 

 

 飛翔するスピードを少し上げて、魔理沙の真横を位置取って宙を並走する。その動きに気付いた彼女は視線をこちらに向けた。

 

「なあ。一応顔を合わせる前に知っておきたいんだが、大図書館に居る“魔女”ってのはどんな人物なんだ?」

 

「ん? ん〜、どんな人物って聞かれてもなー。質問が漠然とし過ぎてて答えようがないぜ」

 

 困ったように眉を顰めた少女はそう返してくる。そりゃそうか。確かに性急な問いかけだったのかもしれない。

 間をとって考え込み、自分が知りたい事を正しく伝えるべく言葉を練り上げる。

 

「訊きたいのは、もしその魔女の前でやったらいけない事、禁句とかがあるのであれば是非教えてほしいってことかな。これからモノを頼むって相手を前に機嫌を損ねてしまうような真似は、なるべく避けたい。後はそいつの大まかな性格(タイプ)について、とか」

 

「……いの一番に気にかける事がそれって──なんか疲れる考え方してるんだな、藤宮は」

 

 すぐには質問に答えず、つい本音がポツリと溢れてしまったような調子で話す魔理沙に俺は当惑する。

 いや別に、円滑なコミュニケーションを進める上では先方の機嫌を伺う事が効果的だと思っているだけであり、それで『疲れる考え方』をしていると見做されるのは心外なのだが──自由奔放な彼女からして見ると、この考え方も然も息苦しいものように感じられるのだろうか?

 

 何故だか、首根っこを見知らぬ誰かに掴まれたかような気分になった。

 

 なんと答えて良いものか分からずに沈黙したままでいると、「ま、あんまり深く気にすんなよ」とお気楽な声をかけられる。

 

……まったく、そちらで勝手に問題提起しておいてそのまま放り出すとは、無いわー。

 

 抗議の眼差しをぶつけてみても、白黒の魔法使いはどこ吹く風といった様子である。しかしそれでも俺の質問には答えるつもりようで、近づいて来る霧の湖を前方にして口を開く。

 

「お前が気にしてるような事は多分ないと思う。性格に関しては……少しばかり気の短い性分があるからそこに注意が必要だな。実際この前ちょっと本を借りただけなのに、弾幕打ちながら『本を返しなさい!』って催促してきた事もあったんだぜ?」

 

 「喘息持ちなのに元気だよなぁ」としみじみと語り始める彼女に一旦気を取り直し、脳内のメモ帳にその情報を書き連ねていく。

 

 えーと、その『ぐーたら魔女』は短気で、喘息持ちで、なおかつ自分で本を貸し出しておきながらすぐに返せと要求するあたり、言動が一致していないというか、それか記憶力に難があるというか、若しくは最悪思考回路が尋常ではなくイカれている可能性すらある、と。頭の中でそう書き記す。

 

 自然とイメージされるのは黒いローブに怪しい装いをした老婆の姿で、枯れ木のような身体を激して唾を飛ばしながら猛スピードで此方に駆け寄って来る恐ろしい光景である。

 え、そんなやつを頼りにすんの? 普通に嫌なんだけど。

 

「そ、そいつの風貌はどうなんだ?」

 

 それは、自分が作り出した妄想に過ぎない。少なくとも真っ当に会話出来る良心的な存在の筈だ──半ば切に願いながらせめて外見の情報を得、安心出来る材料を揃えてみようと聞いてみる。

 

「……あいつの見た目、かー」

 

 しかし、何やら難しい顔をして唸り始めた魔法使い。その様が俺の最悪な想像を肯定しているように思えてきて、知らずのうちに固唾を飲む。

 

 その悩んでいる様子は長く続かないうちに終わる。すると何故だか魔理沙は吹っ切れたような顔になっている。

 

「──ふっ、私や霊夢と仲良く出来てる時点でそれは杞憂だな」

 

 そうして一人納得した様子の少女はスピードを上げて、遠目に見えて来た紅い館へとすっ飛んで行く。

 ぽつん、とその場に俺を置き去りにしたまま。

 

「いやいやいや、質問に答えてくれよ!? なんか不安になってくるだろうが!?」

 

 慌てて追い縋ろうとしたのだが、どうやら彼女はトップスピードで飛行する術に長けているらしく、いくら俺が速度を上げてみてもその小さな背中に追いつく事は出来ない。結局、合流できたのは紅魔館の正門の前に辿り着いてからの事だった。

 

 

 

 

 

 

「ほら、少し手狭だが後ろに乗ってくれ。そして警告しておくが何があっても箒から手を離すなよ? 怪我するかもだからな」

 

「……? おう、わかった。絶対に離さない」

 

 

 

 

 

 

 さて、繰り返すようであるが、俺が過去紅魔館を訪れた回数は両手でギリ数え切れる程度である。

 

 そのいずれに於いても予め俺がここにお邪魔する事を紅魔館の主要な面々は事前に把握しており、特に門番であり体術の師でもある美鈴さんとメイド長である十六夜さんは当日の夕刻になると出迎える準備をしてくれていて、俺が正門前にやって来ると美少女な二人が並んでお出迎えしてくれる──というのがいつもの光景だった。

 

 それに倣えばそのあと客室に行って用意されている執事服に袖を通し、稽古をつけてもらうべく美鈴さんのもとに通って──となる所であるのだが、しかし今回の訪問は予定されたものではなく、その為に彼女達が俺の到来を知る術は無い。

 レミリアもフランドールもまだ棺の中で眠りについている頃合い。そういえばこんな日が高い時間帯に紅魔館を訪れるのは初めてだなぁ、と今更ながらにして気がつく。

 

 

 

 

 

「いくぜ! 彗星『ブレイジングスター』!!」

 

 

 

 

 

……まあ、こんな大きな破壊音が鳴り響けば、あの吸血鬼姉妹も叩き起こされていそうではある。

 

 正門と、そこで昼寝をしていた門番を瞬く間に通過して。

 俺と魔理沙を乗せ眩いほどの魔力を纏った箒が、紅魔館の大扉を轟音と共に破壊する様を間近に──それはもう間近に見て、内心でぼやくようにそう呟く。

 

 こんなに勢いよく物と衝突してしまえば、この箒にかかる反動も相当なものになる筈だ。恐らくポッキリ折れる程度では済まされないだろう。

 加えて、それにただ腰掛けているだけの人間二人も無事で済む訳がない。常識、と言うよりは物理法則に照らし合わせて考えると、ハイウェイでの運転事故よろしく投げ飛ばされて普通にお陀仏な筈なのである。

 

 しかし、現状そうはなっていない。

 

 確かに扉に激突する寸前は『アホかこいつ死ぬわ俺ら!』と狼狽えたのだけれども、今では何事も起こっていなかったように悠々と紅魔館の長廊下を突き進んでいる。

 

 なるほど。これが魔法、これがスペルカード。

 

 俺のちんけな霊力の弾丸とは格が違う“本物”を疑似体験が出来たようでちょっとだけ興奮していたりするのだが、その前に、このハチャメチャな魔法使いには一つ訊かないといけない事がある。

 

 箒から降り再び並行して飛びながら、俺は少女に疑問を投げる。

 

「なあ、こんな滅茶苦茶な訪問の仕方って“アリ”なのか? 今にも十六夜さんに咎められそうで怖いんだが。……意外と今のやり方がこの館のスタンダードだったりするのか?」

 

 常識的に考えれば、先程の行動は“ナシよりのナシ”だ。が、此処は従来の常識が通じない非常識な幻想郷で、なおかつ現代ではすっかりフィクションな存在である吸血鬼が治める館なのである。

 ともすれば、さっきのド派手なアクションシーンが日常茶飯事である可能性も、頭ごなしに否定することは出来ない。

 

 魔理沙は平常と変わらぬ様子で、快活に笑って答えてみせる。

 

「まあまあそう心配すんなって。なんたって、ここにはいつもさっきと似たような手口でお邪魔してるんだぜ? (上手く逃げ切れたら)怒られる事なんてあり得ないな」

 

「……ならいいんだが」

 

 人間の里ならばいざ知らず、紅魔館での過ごし方には向こうに一日の長がある。なので俺は彼女のその発言を信じることにした。

 

──でもなー。破壊された扉を見た美鈴さんが頭を抱えている光景がありありと目に浮かび上がってきてるんだよなー。

 

 なんとも言えない微妙な気分になりながらもそれを飲み込んで、道に迷わず突き進んでいく魔法少女の後ろ姿を追う。

 

 何はともあれ、目的地である大図書館には問題なく(?)辿り着けそうだった。その主であるらしい『ぐーたら魔女』──前情報からでは真っ当な人物像が思い描けないそいつは、実際どういった人物なのだろうか?

 

 率直に言えば、不安でいっぱいだ。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 これは白黒の魔法使いと元外来人の青年の二人組が、紅魔館に無断で侵入してくるその前日のこと。

 

 “紅い吸血鬼”(スカーレット・デビル)ことレミリア・スカーレットと“動かない大図書館”ことパチュリー・ノーレッジは、テーブルを囲んで一緒にティータイムを楽しんでいた。

 

 場所は紅魔館が誇る知識の貯蔵庫、大図書館。普段は幾多の書物が小高い山を作るテーブル群、そのうちの一つを片付けて、そこに優雅なお茶会を催したのである。

 卓上には品のある装飾の施された小皿が複数並べられており、その上にはお洒落なトッピングで仕上げられた洋菓子が所狭しと乗っていた。

 

「あ、そういえば──」

 

 メイド長お手製のショートケーキをその小さな口に運びしっかりと嚥下したレミリアは、目の前の友人に『紅魔館はとある青年を客人として正式に招き入れるようになった』と伝えるつもりであった事を急に思い出した。……うっかり忘れていたのだ。

 

 彼を大層気に入った様子の妹からは、その存在をパチュリーに伝え“常識に囚われる程度の能力”の仔細を調べるよう要求されている。

 

 その為、フランドールが彼女のそのうっかりを知ればカチンと来ること間違い無しであるのだが──

 

……ずっとこの場に篭って本の虫をしているものだから、このうっかりも仕方ない仕方ない──レミリアは持ち前のお気楽さを発揮して、自分の失態を忘れる事にした。

 どうせ、彼が此処を訪れる前に知らせさえすれば大差ないのである。

 

「実はね、パチェには少し頼みたいことがあるの」

 

 最近、とある人間の男が紅魔館を出入りするようになっていて、特にフランドールと美鈴はその青年に対して非常に心を許している様子であること。

 そして、そんな彼は物珍しい能力を持っていて、その解析にパチュリーの手を借りたい──といったことをレミリアはパチュリーに話した。

 

 吸血鬼の少女がそうしている間、魔女は興味深そうに耳を傾けていた。それを見たレミリアは、彼女が自分の話をしっかりと理解していると思っていたのだが、

 

 大まかなあらましを話し終えた時、レミリアは何故だか友人の此方を見る目が不憫なものを見る目に変化している事に気がついた。

 

「……レミィにしては中々凝った作り話じゃない。これまで長いこと付き合ってきたけど、貴女にそういう想像力(妄想癖)が備わっていただなんて知らなかったわ」

 

 パチュリーは、その話を容姿に恵まれない友人が作り出した悲しい妄想であると解釈した。

 

 何故ならば、魔導書目当ての盗人でもない限り、()()()危険地帯である紅魔館を好んで訪ねてくる人間など九分九厘存在し得ないからである。それは、紅魔館が幻想郷に居を移す前であっても同様であった。

 

 しかもそれが一般人の男性……性格に悪辣さを持たぬ美鈴は兎も角、“あの”フランと打ち解けるだなんて事は果たして起こり得るのか? 彼女の明晰な頭脳は、そんな荒唐無稽な話を信じるよりも目の前の友人の正気を疑った方が妥当であるとの判決を下した。

 

──可哀想に。

 

 今まで特にこれといった外見に関する苦悩は読み取れていなかったけれど、恐らく心の奥底では誰にも打ち明けられずに鬱々としていたのでしょう…… それこそ、妄想をあたかも真実であるかのように錯覚してしまうほどに、その心は壊れてしまっている。

 

 自身の酷い容姿に苦悩する。その鬱屈した情動は、自分にも全く身に覚えがないとは言い切れない。

 

 パチュリーは、ともすれば『逆だったかもしれないわね』と深く同情した。その一方でレミリアは、訳も無く自分の話を作り話と断じられて頭にクエスチョンマークを浮かべる。

 

「え、別に作り話じゃないのだけど」

 

「いえ、いいのよ。……誰にでも、胸の内に優しい世界を創造する権利があるのだから……」

 

 これは、友人であるのにその心の闇を見抜けなかった私の落ち度。魔法の研究に身を乗り出す余り、私は友人という大切な存在に気をかけることをおざなりにしてしまっていたのね……

 

 ほろりと一雫の涙を流しながら、パチュリーは手前に置かれていたマカロンを眼前の憐れな友人に差し出した。摩耗した精神を癒す為には先ず事情を理解してくれる仲間が必要となる。その奉仕的な行動は、その事をレミリアに分かり易く示す為であった。

 

「これ、貴女にあげるわ。──大丈夫よ、少しずつ前を向いていきましょう」

 

「??? え、ええ。いただくわ」

 

 突然しんみりとした空気を醸し出した友人に不審の目を向けながら、レミリアは取り敢えずマカロンを貰うことにした。

 

 ま、伝える事は伝えたからいいかしら……

 

 紅い吸血鬼は、突き刺さってくる生暖かい視線に若干の居心地の悪さを感じながらも、その日のティータイムを恙無くいつも通りに進行させたのだった。

 




 
 
 初見で魔理沙の言う“借りる”の意味を正しく理解するのは……ひょっとしなくても無理ゲーじゃな?



 実は、この作中でスペルカードを宣言しているのは今のところ彼女だけだったりします それについては特に何か深い理由がある訳でもなく、純粋に話の流れ的にそうするのが自然だっただけなのです ここの主人公、目下努力中ではありますが、それでも碌な戦闘手段を持ち合わせておりませんのでね……小説でこう言うのはおかしいかもしれませんが、何分彼女のスペルカードは“視覚的に”派手なものですから、出番があればついついそれに頼りたくなってしまうものなのです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大図書館の魔法使いとその使い魔

 タイトルにひねりがなさ過ぎて泣けてくる もう少し何かなかったものか



 

 

 スペルカードの宣言と共に紅魔館の正面扉を勢いよくぶち破り、そのままジグザグと廊下を突き進んだ俺と霧雨魔理沙から成る両名は、遂に目的地である大図書館──その目前にまで辿り着いた。

 

「あれがお目当てのとこに繋がる扉だぜ。……あれ以外にも色々と出入り口はあるけどな、今はあそこからしんにゅ──お邪魔するのが都合いい」

 

 手作り感の溢れる藁箒、柄の部分をコンコンと床に打ち鳴らし、白黒の魔法少女は正面を指し示す。

 その先にある物はなんの特徴も無くなんの変哲も無い、極々普通の木製扉だった。

 

「ふーん、あれがねえ」

 

 俺としては『“大”図書館と呼ばれるくらいなのだから、その名通りスケールのデカい空間が待ち構えてるんだろうなあ、となれば出入り口も立派なもんなんだろうなあ』と勝手に期待していたので、想定よりしょぼい代物が出てきて若干の拍子抜けをする。

 

 まあ、本題は『ぐーたら魔女と接触し、“常識に囚われる程度の能力”の効果が及ぶ範囲をキッパリサッパリ明らかにして、その結果を事の発起人であるフランドールに伝える』である。

 

 行き道中、本の貸し出しを魔理沙だけでなく俺にもやってくれないか交渉してみようと考えた身であるが……あの分では、心踊る本との出会いは到底期待できまい。

 仕方無い、特に不満がある訳でも無し、引き続き人里の貸本屋を贔屓していくか──

 

「んん?」

 

 ふと後方に人の気配を感じて思考の沼から意識を浮上してみると、俺の背後にはいつの間にやら魔理沙が回り込んでいた。

 

……此処までの道のりはずっと彼女の案内に頼り切りになっていて、その間こいつは大体俺より先を進んでいるか、並んで飛んでいるかの二択であった。

 それが急に背後に回ってきたのだ。ちょいとばかり違和感を覚える。

 

「なにしてんの?」

 

「……いやなに、お前はパチュリーに用があるんだったよな? そういうワケだから、お先にどうぞ」

 

「お、おう…?」

 

 なにが『そういうワケ』なのか全く釈然としなかったが、まぁその言葉通り魔理沙は俺に道を頑なに譲ってくる。

 なので仕方なく足を進めて、その扉のドアノブを握った。

 

────っ!?

 

 次の瞬間、“何か”が手の中で弾けたような感覚がした。

 咄嗟に手を戻す。

 

 慌てて掌を裏返して表皮を観察してみても、特にこれといった異常は無かった。静電気かな? と思ったのだが、それにしてはなんというか、感触が随分と気持ち悪かったような……

 

「お、おーい、大丈夫か? 平気か?」

 

 急に身体を固め、己の手を見つめ始めた俺を見て、突然体調を崩したかとでも思ったのだろうか。後ろから俺を心配する声が聞こえてきた。……気の所為か、その声には随分と気持ちがこもっているような?

 

「あー、いや? 別になんともない。平気だ」

 

 さっきの不自然な感触は一体何だったのかと疑問に思いながら、彼女に生返事をして再びドアノブに手をかける。

 今度は特に変わった事もなく、すんなりとその扉を開く事が出来た。

 

 

 

 

 

 

「おおぉ……物凄いなぁ、これ全部本なのかぁ」

 

 俺の視界に映し出されるその光景は、まさにファンタジー小説に登場する“ザ・魔法図書館”という様相であった。『この世全ての本が蒐集されている』と言われても誰しもが納得してしまうような、それほどの膨大な書物の数でここの空間は埋め尽くされている。

 

 見上げるほど背の高い本棚には分厚い背表紙たちがズラリと隙間無く並べられていて、それらが規律よく整列しているものだから、場に漂う静謐さも合わさって非常に荘厳な雰囲気が醸し出されている。

 

 ここを根城にしているというお目当ての“ぐーたら魔女”に対して、否が応でも期待が高まるというものだ。

 

 “常識に囚われる程度の能力”の効力が及ぶ範囲について、今日にでも詳らかになってもおかしくはない。

 

 きっとそれが明らかになったところで何かが激変する訳でもないのだろうが……他でもない自分に備わる能力であることだし、把握しておいて損は無い筈だ。

 

 思えば、フランドールとの初対面時を筆頭に、その能力によって俺の命が失われずに済んだ事例がある。

 となれば、いつの日かその能力が働かなかったが為に、自分の命が危うくなる事態に陥る可能性があるのではないか──だなんて、心の底から心配してしまう自分は、少々臆病風に吹かれ過ぎているのだろうか? それか根っからの小心者なのか?

 

 いいや、そうではない──多分。

 限界を知ること叶えば、身の引き時も自明となる。

 

 人里の外で『安全に』活動していく上で、自分の出来る事と出来ない事を区別し弁えることは必須科目だった。

 此度の大図書館訪問は、その出来る事と出来ない事とをはっきり線引きさせる貴重な機会となる。そう俺は半ば予感しているのだ。

 

「じゃ、ここいらで解散ということで」

 

 横からそんな少女の声がするので見やると、室内にも関わらず白黒の魔法使いは箒に乗り、何故か低空飛行の構えを見せている。

 

……そういえば、彼女の目的は『ここの本を借りる事』だと博麗神社にて聞き及んでいた。

 この場所はざっと見た感じでも、か〜な〜り広大な空間であるようだから、めぼしいジャンルがある本棚までひとっ飛びするつもりなんだろう。

 

「ああ、ここまでの道案内ありがとな。助かったよ」

 

「どういたしまして。ま、期待通り厄介な障害を取り除けた分、むしろこっちから感謝したいくらいだけどな。……それより、私は用事が済んだらさっさと一人で帰るからな。帰り道にはよ〜く気をつけるんだぜ、藤宮」

 

 そう捲し立てるように言葉を紡いで、白黒の魔法使いは大図書館の外周に沿うようにして飛んでいった。

 

「……? ああ、わかった」

 

 期待通り? 厄介な障害? 帰り道には気をつけろ? いや、最後は『里に戻るまでの道中で野良妖怪に遭遇する可能性があるから』と理解出来るのだが──はて?

 

 不可解な台詞の内容に一頻り疑問に首を傾けたあと。まぁいいか、と気を取り直してこちらも大図書館散策を行う事にする。

 彼女は外周を行っているので、なんとなく俺は中央突破。内側目指して歩を進めてみよう。

 

 

 

 

 

 

 目当てのぐーたら魔女、魔理沙曰く“パチュリー”という名前らしい魔女をたった一人で、しかもこんなに広い空間の中で探し求めるのは少々どころではなく骨が折れるんだなぁ──そんな当然の事実に気付いたのは、歩き始めて暫く時間が経ってからのことだった。

 

 実際に歩いてみて身に沁みて分かる、この大図書館という場の広いこと広いこと。

 その証拠に俺はすっかり徒歩移動に嫌気がさしてしまい、先程の魔理沙を見習って飛行しながらの人探しを敢行してしまっている。

 

 これによって確かに歩きよりかは探索の効率は上がったのだが、今度は異様に背の高い本棚が邪魔になって、思うように視界が通らない。

 探索速度を早めるべく飛行速度を上げようと思っても、見落としが発生する可能性が高まる事を考慮するとなかなか実行に移せない。

 

 そして一番厄介というか、予想外であったのは、普段は本館の至る所で目撃できた妖精メイドなどの紅魔館の住人らが、大図書館では全く見当たらないという事だ。

 これでは適当に声を掛けて『パチュリーという方は今何処に?』と簡単な質問をすることさえ叶わない。

 

 

 

 

 

 今の俺に出来ることと言えば、ただひたすらに前方に向かって飛びながら左右の本棚の合間を窺って、そこに人影が存在しているのを願うのみで──おおっと。

 今ちらっと本棚の合間から人の形が見えたような気がして、身体に急制動をかける。

 

 反転してその場所に向かってみると、そこは一対の机と椅子が置かれている簡素な読書スペースになっていた。

 そしてその椅子には赤いショートヘアをした少女が座っており、何やら少々興奮した様子で読書に励んでいるようであった。

 少し離れた所に着地してみせたくらいでは、全くこちらの気配に気付かない。それほどその手に持つ本にのめり込んでいる、という事なのだろう。

 

 彼女がパチュリー、でいいのかな?

 

 黒いベストからはコウモリのような羽根が生えていて、どちらかと言えば魔女というよりかは吸血鬼、それか悪魔といった印象を受けた。だから、恐らくはお目当ての人物その人ではないと思われる。

 

……しかし当人ではないとしても、現在こうしてマイホームでリラックスするが如く無防備に読書をしているので、普段からこの場所を利用しているであろう事は疑いようがない。

 

 であれば当然、四六時中大図書館に居るという魔女のことも知っている筈だ。

 

 そこまで考えついた上で、横から観察しても『ハイ可愛い』と断言出来る顔立ちをした少女に俺は話しかける。……可能であれば、魔女の居所まで案内してくれると助かるのだが。

 

「ええと、お忙しくしてるところすみません。一つ尋ねたいことがあるんですけど」

 

「……は〜い。なんでしょうか? 私、休憩中なので手短にお願いしますよぉ」

 

 その声は非常に間延びしたもので、かつ書籍から一ミリも視線を動かさずにそう返答されたので少しばかり面食らった。……ちょっと失礼じゃない?

 が、なんとか持ち直して会話を続ける。

 

「パチュリーという名の魔女に用が有ってここまでやって来たんですが、その方は今どちらに?」

 

「あー、パチュリー様ですか? でしたら今は未読の魔導書をまとめた区画に行ってて、いつものところにはいらっしゃいませんね〜。時間を置けばそのうち戻ってくるんじゃないですかね」

 

 いつものところって何処だ? と思いながらも、俺は彼女が何故会話中の相手と目を合わせないのか、何故気もそぞろといった様子なのか、その理由を正しく推測する。

 

 あれだ。読書に集中し過ぎてて、会話用の脳内キャパが働いていないんだわ。

 多分この調子では、話し相手が何者なのかすら気にしていないのだろう。

 その集中力を邪魔をしてしまうのは、好ましい事とは思えない。

 

 ただでさえ魔女には『今日そちらに赴きます』とアポを取ってない身である。つまり、今の俺は自身の優遇を求められる立場にない。

 それに今のところ、特段フランドールからは能力の解明をせっつかれている訳でもなかった。待っていればそのうち戻ってくるのなら、その時をのんびりと待とうではないか。

 

「そうですか。……じゃあその方が戻ってくるまで、そこら辺の本を読んで時間潰しててもいいですか?」

 

「ご自由にどうぞ〜。ただ、あんまり奥には行かないでくださいね。手に取っただけで呪ってくる危険な本が保管されていたりもするので」

 

 え、なにそれ怖……まあ、その『呪い』とやらが俺に通じるのか怪しいところであるのだが、だからと言って態々体を張ろうとは考えない。もしかすると本当に呪われちゃうかも分からないし。

 なんにせよ、そんな危険物の存在を伝えてくれた彼女には感謝せねばなるまい。

 

 

 

 

 

 

「いやあ、どうもご親切に教えてくれてありがとうございま──」

 

 す、と言葉を締めるとほぼ同時に、ドゴッ! とやたら大きな物音が耳に入って来た。

 その音は頭上から降りかかったようであり、怪訝に思いその音源を探ろうと見上げてみる。

 

「…………え」

 

 絶句した。

 

 視線の先には、本棚の最上列に深々と突き刺ささったばかりの水晶の塊があった。どうやらさっきの物騒な物音は、あれが原因であるらしい。

 

 いや、なんで、そんな突拍子も無く。

 

 キラキラと消失してゆくその水晶をただ呆然と見続けていると、今度は二つの人影が連なって俺の頭上を猛スピードで通過していく。

 

「ああもう! まだ一冊も見繕えてないのにバレるとは、今日はツイてる日だと思ったんだがなぁ!」

 

 どうしてかは知らんが絶賛空中追いかけっこ中であるらしい二人組、その先頭を駆けるはつい先程別れたばかりの少女、霧雨魔理沙だった。

 

 何を言っているのか距離があって聞き取れないが、見た感じ彼女は追い立てられているようだ。その後方に居るもう一人から放たれる色とりどりの弾幕をやり過ごしながら、忙しなく本棚と天井の間を右往左往している。

 本を借りに来ただけらしいのに、どうしてああなっているんだ……

 

「よくあの対侵入者用攻性結界を突破できたわね。あと数ヶ月は泥棒鼠に悩まされずに済むと思ってたのに……また難度を上げないと、ねっ!」

 

 何事かを話しながら、魔理沙を追いかけて弾幕を放つ紫色の長髪をした少女。初めて見かけるので、当然彼女の名前は分からない。しかしなんとなく、あの人がお目当ての魔女なのではないかと直感した。

 

 まだ余裕がありそうではあるものの、やや好戦的な気のある魔理沙が逃げの一手とは珍しい。それほどの使い手、という考え方で相違ないだろう。

 

 俺が『彼女がパチュリーかあ』と合点する一方、魔法使い達の追いかけっこは続いていた。

 

「別にあの結界は私が突破した訳じゃ……ってなんだなんだ? 今回は随分と身体の調子が良さそうじゃないか。いつもはこの辺りでギブアップしてるのに」

 

「期待してるところ悪いけど、今日は不思議と体調が良くってね。──そろそろ一度、本格的に痛い目に遭って貰いましょうか?」

 

「いーや、それは勘弁だぜ!」

 

 三次元的でアクロバットな軌道を描きながら、少女二人は縦横無尽に飛び回る。

 

 しかし、ひどい事態になったものだ。

 単に飛び回っているだけならまだしも、追いかける側がガンガン弾を撃ちまくるので周りへの被害が割と甚大だった。

 被弾した衝撃の所為か、視界に収まるだけでも幾つかの本が床に落下してしまっている。

 

「あー、私の仕事が増えていく……」

 

 そんな弱々しい声がして見れば、流石にこの騒ぎの前では読書の集中力も削がれたらしく、赤いショートヘアをした少女が椅子から立ち上がり魔法少女らを見上げていた。

 一介の本好きとして俺もこの有り様には思うところがあったので、二人を止めるべく彼女に提案する。

 

「あの……彼女達、あのままでいいんですかね? 何でしたら自分が仲裁しに行きましょうか? これ以上本を傷つけない為にも」

 

 多分、割って入った瞬間撃墜されるけどな。

 

「……いえ、アレはパチュリー様なりの人付き合いの仕方ですから、あのままでいいんです。えっと、本の状態についても特に心配する必要はありませんよ? ただ、元の場所に戻すのがめんどくさいなって思っただけですから、えへへ」

 

 ちょっと罰が悪そうにして、彼女ははにかむ。

 

 なんでも、大図書館に収められた殆どの書物には保護魔法のコーティングが施されており、加えて此処の本棚は外傷を自動修復する特殊な素材で作られているのだとか。

 

「へー、それなら確かに問題は無いな」

 

 などとその話に感心していると、何処からか「うーん、分が悪い! 今日のところは大人しく退散するぜ!」との威勢良い魔理沙の声が聞こえてきた。

 

 どうやら弾幕付きで追い立てられるという状況に()を上げたようだ。

 相変わらず、なんであんな追いかけっこをやっていたのか、その経緯がサッパリ分からないのだが……まあ誰だってあんな目に遭えば、すたこらさっさと逃げ出すのが道理である。今頃彼女はその言葉通り、大図書館の出入り口を目指し退散しているのだろう。

 

 願わくば魔女との仲を取り持って欲しかったのだが、そう上手い事我が儘は通らないもの。少なくともフランドールかレミリアを経由して話自体は通っている筈だ、これから一対一で接触を図るより他はない。

 今から天井まで飛び上がれば、さっきの紫色の少女もすぐに見つけられそうだ。

 

 それと同じようなことを考えたのか、目の前の少女は()()()()()()()()()()()、話し始める。

 

「パチュリー様もいつもの研究スペースにお戻りになるでしょうし、貴方も今から辿れば追いつけるかと──あれ? ……えーっと?」

 

「ええ、丁度そうしようと思ったところで──ん?」

 

 事ここに至って彼女と初めて正面で向き合うのだが、見立て通り可愛い見た目である──という感想は取り敢えず置いておいて、俺は彼女を前にして身動きが取れなかった。

 何故ならば急に言葉に詰まってしまい、目を丸くして口をパクパクとさせ始めた少女の容体が気になったからだ。

 

「あの、どうかしましたか? 具合が悪くなったとか?」

 

「え、いや、そうじゃないんですけど。そのぅ……」

 

 こちらを頭の天辺から足の爪先までじっくり観察した後、彼女はやっと得心が行った顔になり、ゆっくりと呼吸を整える。俺としてはその表情の移ろいが激しい様に圧倒されて、経過を見守る事に精一杯だった。

 

 吸って、吐いて、吸って、吐いて、吸って、吸って、更に吸って。

 貯めに貯め、少女は口を開く。

 

 

 

 

 

「ええーー!! なんでここ(紅魔館)に男の人がーー!?」

 

 大図書館に、驚愕の声が鳴り響く。いや、やっと話し相手が誰なのかに意識が向いたのかよ。

 とっても今更なその反応に、俺は内心でツッコミを入れた。

 

「……あの、フランドールや十六夜さんから話が通って──なさそうだなあ、その反応からして」

 

 紅魔館の報・連・相を確認する為に話す自分の声も、途中でぼやきに変化してしまう。この調子では、件の魔女もこちらの事情を知らないのかもしれない。

 という事は、一からこれまでの経緯を全部説明しないといけないのか……と面倒に感じ気を重くしていると、上から少女の叫び声を聞きつけたらしい紫色の影がその場に降りてくる。

 

 

「ちょっと小悪魔、騒がしいわよ──って、あら」

 

 

 見上げると、先程魔理沙と追いかけっこをしていた少女が俺を見下ろしていた。

 

──ああ、あれって本当のことだったの。レミィには少し意地の悪い事をしてしまったかしら? ということはつまり……

 

 パチュリーという名の魔女は俯いて何事かをぼそぼそと呟いたのち、

 

「ご機嫌よう、フジミヤ。事情は聞いているわ。……貴方の能力、『常識に囚われる程度の能力』について、早速調べていこうじゃない」

 

 実験体のモルモットを見定めるような、探求心に満ちた目でこちらを見定めてきたのだった。

 ちょっとだけ、不思議と身震いしてしまった。

 






 (もしかして小悪魔って原作で一度も発言したことが無い……?)



 ボードゲーム、RPG、音ゲーと無料で遊べるゲーム有れば取り敢えず触ってしまう性分でして、投稿が遅れる理由としてはそれらを遊んでいたから、が少なからず挙げられます

 ここ最近投稿頻度が落ちてしまっているのはつまりそういう事なのです

 許されよ、許されよ 私の罪(禁断のソシャゲ掛け持ち)を許されよ

 まともに付き合っていてはおちおち眠ってもいられません 何事もほどほどにやるのが一番ってやつですな


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

真相を照らす光が明るくなれば

 過去最長 & (比較的)情報過多な内容
 ゆっくり読む事をお勧めします 別に日を跨がせてもいいのよ?(露骨なUA稼ぎ)



 

 

「──以上がこれまでに体験してきた、“常識に囚われる程度の能力”が発動したと思われる事例の全てです」

 

 あれから少々の時間経過を挟み、俺とお目当ての魔女──“パチュリー・ノーレッジ”と、赤いショートヘアの使い魔──“小悪魔”(名前というよりはただの種族名のような?)の三名は場所をひとまず移し、大図書館は中央部、そこに備え付けられていた一つのテーブルを囲んでいた。

 

 そして俺は今ちょうど、自分の能力についての大まかな概説をし終えたところ。

 

 それをする過程で色々と言葉を端折ったところはあるものの──なに、要は過去に“程度の能力”が発揮したと思われる場面集、それらを記憶からピックアップして簡潔に供述するだけだ。

 

 直近で言えばフランドールの“ありとあらゆるものを破壊する程度の能力”を無効化した事で奇跡的に一命を取り留めた、紅魔館を初めて訪れたあの夜の出来事。

 その時の事は何度振り返ってみても『能力が無ければ即死だった』と、そう誇張抜きにして断言出来る。

 

 しかし、その一方では紅魔館のメイド長、十六夜咲夜の“時間を操る程度の能力”に俺はもろに影響を受けてしまう。そうなれば『じゃあむしろなんでフランドールの能力は無効化できたの?』という疑問が自然と噴出してくるのだ。

……というか思い返せば、当の吸血鬼が大層ご不満そうな様子をしながら実際にそう語ってたなぁ。

 

 

 

 

 

 ここで今一度、現在把握している“常識に囚われる程度の能力”についての情報を整理してみる。

 

 ・自分の常識にない事象を無効化します。

 ・でも、常識にない事象であってもモノによっては無効化できない場合があります。

 ・その無効化できる、できないの線引きは今のところ不明です。

 ・能力は常時発動していて、オンオフ・強弱の調整は不可能です。

 

……う〜ん、いくら自分にそういった能力が備わっていると知ったのが比較的最近の出来(俺が幻想入りした次の日)事だったからとは言え、認知していることが余りにも漠然とし過ぎている。

 

 他でもない自分のことなのになあ、と本日博麗神社にて魔理沙が何気なしに言っていた台詞をひっそりと反芻する。

 そして、今までの自分は一体何をしていたんだと情けなく思ってしまう。

 

 『幻想郷の常識を身につける』という目標に全ての労力を注ぎ込んでいたので仕方ないんです、余力も余裕も無かったんです! と声高に言い訳したいところではあるのだが、その実情は特にそんな事もなく。

 暇を見つければ人里散策に乗り出したり迷いの竹林に行ったり博麗大結界越えチャレンジしたり、割と気ままな日々を過ごしてるんだよなあ、俺。

 

 それはそれで中々悪くないものだったから、特段反省するつもりは無いのだが──

 

 兎にも角にも、今は自分の能力についてのこと。

 その効力の些細を明らかにする為に、俺は大図書館までやって来たのだ。

 

 せめて『どうしてフランドールの能力は無効化できて、十六夜さんの能力は無効化できないのか』──この疑問だけはすんなりと解消したいところだった。

 それが、あの狂気(類友)の少女が望んだことでもあるのだし。

 

 

 

 

 

「──成る程ね。まぁ仮説程度ならなんとか立てられそうな話ではあったわ。もっと多くの具体例を挙げてくれたらより参考になるんだけど、どう?」

 

 情報提供を受けて俯いたままに長考していたパチュリー・ノーレッジは、己の仮説の確度を高める為により沢山の判断材料を要求したいらしい。

 溢れんばかりの知性を予感させる紫色の瞳をこちらに向けて、催促してくる。

 

 それを見た俺は、残念ながらと首を横に振るしかない。

 先の言葉通り、さっき挙げた事例が己の体験した全てであったからだ。彼女の要求に応えたくとも応えられない。

 

 そもそもの前提として、多少の違和を感じはすれども俺は自力で『あ、いま能力が働いたな』と明確に知覚することができない。

 それを認知できるかどうかは“非常識”を働きかけてきた相手側の反応次第であり、なんにせよどうしても事後報告のような形となる。

 極端な話、その働きかけてきた相手が知らん顔を続行した場合、俺が自身の程度の能力が働いた事を察知するのはほぼほぼ不可能なのだ。

 

 以上、独力では如何ともし難い事実を伝えると、彼女はどうしてか憤懣遣る方無いといった表情で重い息を吐く。

 

「という事は貴方、さっき大図書館に押し入る直前に自分が何をしでかしたのか全く自覚してないってことなのかしら? てっきり私は二人が合意の上で結託して、此処に侵入しに来たと思っていたのだけど」

 

「……え、いきなり何の話です?」

 

 二人、というのが俺と魔理沙を指しているのは朧げながら察したものの、『押し入る』『侵入』という物騒なワードが飛び出してきたので思わず眉を顰める。

 別に出入り口に鍵がかかってた訳でもなし……あれか、入室する前はノックをするべきとかそういうマナーのお話?

 

 

 

 

……この時の俺はまだ、彼女が日常的に侵入者(魔理沙)対策として扉の取っ手に強固な結界を施していた事を知らなかった。

 そして知らずのうちに人様の結界に触れて使い物にならなくしてたのだと気がついたのは、もう少し後になってのこと。

 

 

 

 

 

「……本当に『何も知らされてませんでした』って顔ね。いいわ、さっきのは聞かなかった事にして頂戴」

 

「は、はあ」

 

 さっきの言葉は一体どういう意味なんだと内心で疑問に思いながらも、言われた通りにスルーすることにする。「結構自信作だったのに…」と残念そうに独り言するその姿に、あんまり追求すると自分にとって都合の悪い事しか起きないと、なんとなくの予感がしたのである。

 

「「…………」」

 

 『まさか何か不味い事でもしでかしたのか』とちょっと困惑気味な俺と、ちょっとテンションが落ち込んでいる(もとよりローテンションしてそうではあるが)紫の魔法使い。

 生まれた一瞬の沈黙が、やけに長々しく感じてしまう。

 

 

「こ、こちら紅茶になりますっ。どどどうぞ!」

 

 

 そんな、ふとした会話の途切れを埋めるかのようにして、トレーに二組のティーカップを乗せた赤髪の少女が歩み寄ってくる。

 

「ああ、はい。ありがとうございます」

 

 給仕のタイミングをこっそりと窺っていたのか、なんにせよ丁度良い。遠慮する事なくカップを一つ頂いておく。

……そうする過程で、彼女が妙に緊張している様子である事が気になった。

 現に話し言葉がところどころつっかえていて、ティーカップを渡す手は震え、中を満たす紅茶は高波を打っている。

 

 ────。

 

 

 

 

 

 

 唐突に、学生の頃の記憶──外の世界での過ぎ去った日常が呼び起こされた。

 それは確か人気の無い、夏蝉のけたたましく鳴く校舎裏でのやり取り。

 

『……ど、どうしてそんなに優しくしてくれるんですか? ほ、本当は、先輩も、気味が悪いって──』

 

 その時はまだ、お互いにとっての適切な距離感というものを測りかねていた。

 両者ともに初めてのことだったからか、どうにも上手いように行かず。果たして何をきっかけにして仲を深める事が出来たのやら、今となっては克明には思い出せないけれど。それでも。

 

『──また明日、ですね! 先輩!』

 

 

 

 

 

 

……小悪魔さんのおどおどとした様子は過去に覚えがあり、その緊張は“他者とのコミュニケーションに慣れていない事”に起因するものではないかと予想立てる。

 

 気付かなかったフリをしてそのまま放置することも出来たのだが、それも忍びない事に思えたので、慣れぬ気を遣ってみる。

 

 なに、勘違いであればそれでよし。

 自分が少しの恥をかくだけだ。

 

 手前勝手のキザったらしい感傷ではあるが、相手のことを真摯に思い遣ればそれも許される、筈。

 そんなセンチな考えを胸に秘めて、俺はなるだけ穏やかな口調をするよう気を配る。

 

「あの、小悪魔さん。そんなに緊張する必要はないんですよ? 別に気を遣ってもらう事もありませんし、こっちとしては気楽に接してもらえたら──」

 

「えぇー! いえいえそんなとんでもない、です! へっぽこ悪魔な私としては今こうして男の人と会話できるだけでも非常に有り難いので!」

 

「……そ、そうですか」

 

 あ、あれぇ……?

 

 予想外な事に彼女は俺の台詞を遮り、眩いほどにキラキラとした好奇の目を突き刺さしてくる。その勢いは、こちらの表情筋が思わず引き攣ってしまうほどだった。

 

 そして今になって察したのだが、別に彼女は緊張状態であった訳ではないらしい。

 その『辛抱堪らん』といった表情を形作っているのは恐らく、彼女の奥底で目覚めし格好の餌食を前にした肉食獣的なサムシング。

 

……世説的に、悪魔とはあらゆる手練手管を通し人を堕落させることを生業としている存在なのだと伝え聞く。彼女がそれに該当する者なのかは定かではないが、何やら俺と会話することで本能か何かが燃え上がり始めたらしい。

 

 詰まるところ、慣れない他者とのコミュニケーションに四苦八苦する少女の姿なぞ、何処にも居やしないということだ。

 

 存在するのは現状、俺の記憶にだけ。

 色んな意味で、浅くも深くも悲しすぎた。

 

 涎と共に食い入るようにしてジリジリと距離を詰めてくる少女を背景に、ひっそりと心で涙していると、俺たちのやり取りを見かねたらしくパチュリーさんが仲裁に入ってきた。

 

「──はぁ、そこまでにしておきなさい。気持ちは判らないでもないけどみっともないし、なにより彼、困ってるじゃないの。嫌われても知らないわよ」

 

「ええ〜、でもこうして迫ってみても嫌悪感の一つも見せませんし〜。ならこの機会を逃すわけにはいかないんですよねぇ。……というかそう言うパチュリー様も前に話してましたよね? 確か『白馬の──』」

 

「実はここ最近召喚術の腕が上がってきてね? そろそろ見苦しく無い新しい使い魔を新調したいと思」「いやなんだか急にお仕事したくなってきちゃったなー! いやホント私使い魔の鑑って言うかー」

 

 そう言い慌ただしげに俺からピューッと離れ、主人の弾幕の所為で若干乱れてしまった本棚の整理を始める小悪魔さん。

 その大袈裟な身振りは主に自身の有用性をアピールする為なのか。

 

 しかしながら、そんな少女には一瞥もくれずに「じゃ、本題に戻るわよ」と仕切り直す紫の魔法使い。

 

 彼女は己の使い魔を『どうでもいい』と蔑ろにする態度と口ぶりではあるが、ちゃっかり小悪魔さんが淹れた紅茶に手をつけ顔を緩めている辺り、それが本音がどうかはちょっと疑わしい。

 ちょっぴり、彼女たちの普段の関係性が垣間見えた気がした。

 

「それで、私が立てた仮説だけど──」

 

「ああっとその前に、メモを取っておきたいので紙と筆──かペンを借りてもいいですか? 後でフランドールに伝えておかないといけないので。それに、自分がその仮説を正しく理解するのにも役立つだろうし」

 

「ええ、別に構わないわ」

 

 そうして、彼女の語る推論を傾聴する傍ら、俺は小悪魔さんが持って来た紙質の一風変わったノートと凝った装飾が施された万年筆を使い、その内容を整理していった。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 大図書館の魔法使い、パチュリー・ノーレッジの言うことには『常識に囚われる程度の能力』が適用される事象とされない事象の組み分けは、とある一点に着目する事で簡単に行えるらしい。

 そのとある一点というのはズバリ、『その事象の働きかける対象が、“個人に限定されているかどうか”』だ。

 分かりやすく具体例を挙げるとすれば、フランドール・スカーレットと十六夜咲夜のそれぞれが持つ能力が適当だろう。

 

 

 

 まず、フランドールの『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』について。

 

 曰く、第一に壊したいモノの中に存在する“目”を見つけ、第二にその見出した“目”に対し手を(かざ)して握り潰す。その二つのプロセスを経る事で、能力は発動されるのだという。理論上、それで破壊出来ないものは一つの例外を除いてこの世に存在しない、とのこと。

 

 しかし能力を使用する対象を、その例外たる俺に指定したとすると。丁度あの時の地下室での出来事同様、フランドールは俺を“破壊”することが出来ない。

 何故ならば、『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』は“俺の常識に無い”事象を引き起こす上、“俺個人を狙う”必要性のある能力だからだ。

 

 

 

 では次に、十六夜咲夜の『時間を操る程度の能力』について。

 パチュリー曰く、『時間を止めたい』と思考する──たったそれだけで能力が発動するらしい。

 

 フランドールとは別のベクトルでぶっ飛んだ力ではあるが兎に角、これを発動させる際、周囲に俺が居るものと仮定する。すると『常識に囚われる程度の能力』はその効力を発揮せず、俺は止まった時の中でただひたすらに沈黙することになる。きっと時間が止まったことにすら気付けないだろう。

 何故ならば、『時間を操る程度の能力』は“俺の常識に無い”事象を引き起こすものではあるものの、“俺個人を狙うものではない”からだ。

 

 彼女が能力の対象としているのはまさに時間の流れそのもの。そして時間という絶対法則に常日頃従う俺は()()、その流れに従うしかない──という理屈だ。

 

 

 

 更に一つ例を増やすとすれば、八雲紫の『境界を操る程度の能力』が筆頭に挙げられるだろう。

 

 そもそも、あのスキマ妖怪の敷いた“常識と非常識の境界”の影響を受けて俺は幻想郷に引き寄せられたという話だった。

 が、しかし博麗神社にて彼女は俺という存在の境界を操って“幻想側”から“現実側”へと戻す事が出来ないと言っていた。

 

 一見矛盾しているようではあるが、今となってはこう考えられる。

 

 科学技術が発展した外の世界に於いて未だ残留する“幻想側”の存在を()()()()招き入れる“常識と非常識の境界”とは違い、アイツは“俺個人を対象にして”その能力を発動させようとしていた。だから不発に終わったのではないか、と。

 

──ならば、俺が外の世界への帰還を果たす条件として彼女が言っていた『貴方はまず、その中途半端な常識を捨てて幻想郷の常識を身につけなさい』とは一体何を意味しているのか。

 

 非常識な常識を、非常識な日常の中で、自ら水を被るようにして身につける。

 

 仮にその発言が、“藤宮慎人”という存在を幻想郷の環境へと完全に埋没させる事を意味するのだとしたら。

 “現実側とも幻想側ともつかぬ中途半端な奴”から幻想郷に於ける“特別ではない何者か”に変じられるとすれば、何かしらが上手いこと作用していくという事なのか。

 

……なんだか頭がこんがらがってきた。

 

 やっぱ今のナシ。いくら思考の沼に沈んでみても埒があかなさそうなので、一旦スキマ妖怪の事についてのアレコレは忘れることにした。

 どれもこれも、思わせぶりな事ばかり言って、その本意が全く読み取れないアイツの胡散臭さが全て悪い──そんなことを心の中で愚痴りながら。

 

 

 

 

 

 

「ざっとこんな物かな」

 

 サラサラとフランドールに報告すべき事をノートに書き終えて、万年筆をテーブルに置く。

 思えば幻想郷に流れ着いてからというもの、硯に墨に毛筆という一昔前の執筆スタイルばかり。その為に、こうして学生時代に似た手の感覚でメモをするのは一周回って新鮮であった。

 

 マヨヒガでも現代的なノートとシャーペン果てはホワイトボードなどという代物も確認できたが、結局使わせてもらえないし。

 

……そういえばこの頃マヨヒガ教室に通う頻度が減ってしまっているが、藍さんと橙ちゃんは元気しているだろうか。今度またお土産持っていかないとなあ。

 

 そう背伸びしながら考えていると、推測を述べ終えたパチュリーさんがどうにも不満そうな表情を浮かべているのに気が付いた。

 そのいかにも『不完全燃焼です』と主張している端正な面持ちに問いの視線を投げかけると、彼女は深く嘆息する。

 

「仮説は立てられたけど、やっぱり具体例に乏しくていまいち確信を得ないわね」

 

 どうやら自分の打ち立てた考えに納得いってないらしい。いや、納得いってないというよりは、根拠となる事例の数の少なさにモヤっとしているという方が適切か。ともすれば、数さえ用意できればまた違った仮説が聞けたのかもしれない。

 

 いずれにしろ気の病み過ぎだと思う。

 或いはその細やかさこそが、彼女の持つ性質なのかもしれない。

 

 『魔法ってのは繊細な代物で、取り扱いには十分注意しないといけないんだぜ』といつかの白黒の魔法少女が訳知り顔で言っていた。

 

 きっと魔法使いという“種族”は、大なり小なり押し並べてそういう神経質さを備えているのだろう。研究者として待ち合わせるべき資質、と言い換えても良い。

 繊細──紅魔館の正面扉を派手にぶち抜いたあの子には到底似合わなそうな形容詞ではあるが、まあしかし彼女はあくまで“職業”魔法使いらしいから……

 

「えー、俺は結構腑に落ちましたよ? むしろ『これしかない』とすら思いましたけど」

 

 ひとまず先程の仮説に不満は無いので一応のフォローをしておく。だがそんな意見に彼女は懐疑的な表情を見せる。

 

「本当かしら? ……いえ、やはり不安ね。もっとデータを集めないことには断定出来ないわ。というわけで貴方、いま時間良いかしら?」

 

 『もっとデータを』と聞き若干の嫌な予感が頭をよぎった。だがフランドールにこのメモを渡すのは自分であると考えると、確かにこのままだと内容が薄味で少しヤバいのかもしれない。

 

 『この程度のことしか判らなかったの? じゃあいつもより多めに血をいただくわね』と俺が憐れにも吸い殺されてしまう可能性は否定できない。ならば、今は彼女と話を合わせて協力するのが望ましいか。

 

「……ええ、まあ。夕方頃には人里に帰ろうと思っていますが、それまでに終わるのならなんとか」

 

 俺の能力が適用されるものの定義をさくっと明かして見せたパチュリーさんには、是非に手を貸したいと思ってはいる。が、申し訳ないことに本日は先客がある為、時限付きの条件を添えさせてもらった。

 

 実は今晩、特急で新しい我が家を建ててくれてる里一番の建築士たちが主催する飲み会にお呼ばれしていて、日が落ちるまでには人間の里に戻らないといけないのだ。

 まだ完成してもいないのに随分と気が早い話ではあるが、『普段は身内でのみの宴会だが、お前は資材の運搬役としてしっかり働いてたろ? なら参加資格はバッチリよぅ』と気さくに声をかけられては、流石に断りを入れられなかった。

 

 そんな条件を聞いた魔法使いの少女は、それを飲む前に一瞬考え込む仕草を挟んだ。

 

「夕方まで、ね。ええ、特に問題無いわ。実証実験のペースをその分詰めるだけだから」

 

──うん? 実験?

 

「……今の発言で何となく先が読めましたが、一応聞いておきましょう──いったい俺は今から何をされるので?」

 

 これ絶対碌な目に遭わねえよと八割方確信しながらも、問いを投げざるを得ない。しかし彼女は俺の質問にすぐには答えず、視線を俺に──いや俺の後方に向け、使い魔の名を呼びかけた。

 

「小悪魔」「はぁい♡」

 

 いつの間にやら背後に回っていた少女が、椅子に座る俺の両肩をひしっと抑える。

 その手は軽く今にも力づくに払い退けられる程度の拘束力であったが、そうする前に対面に座っていたパチュリー・ノーレッジが立ち上がった。

 

「繰り返しになるけど、実証実験よ。貴方の“常識”が何処までの許容範囲を示すのか、さっきから好奇心が疼いてやまないから我慢なさい」

 

「……ギブアップの合図は“右手を上げる”で良いですか?」

 

「何も理解していない割に魔力も霊力も神力も法力も全て総括して『非現実的エネルギー』と見做している様子なのが引っかかる。それに能力の指向性が万が一にも反転するような事があれば──」

 

 腕を組んで片手を口元に当てて、一人ぶつくさと何事かを呟き始める大図書館の主。こちらの主張に耳を貸してはもらえないようだ。

 

 ああ、被害を抑える為に瞬で脱出を諦めたのに、この感じだと無為に終わるっぽいなあ。いつでも限界を告げる心の準備は出来てるんだけど。

 

 てかアレだな、このまな板の鯉状態は永遠亭で身に覚えがあるな。銀髪と紫髪だったりで外見上の要素は美人である事以外はあんまり似てないが、状況が状況なだけにどうにも二人の姿がダブって見える。

 

 どうしてこう、学者肌な人物ってヤツは矢鱈と人を実験台にしたがるのか。ちょっと被験者側の身にもなって欲しい。

 

「あちゃー、パチュリー様の悪い所が出ちゃってますねえ」

 

 『スイッチの入った研究者相手に真っ当な対話は通じん』と断念し、ならもう一方はと見上げてみると、視界に収まるのは小悪魔さんの側頭部で揺れる一対の蝙蝠の羽根だけだった。

 

「あの、小悪魔さん。出来れば手を離してくれないかなーって。逃げたいんです、今すぐ」

 

「ん〜まぁまぁ良いじゃないですか。折角ですし、ゆっくりしていってくださいよぉ。男日照りな私たちにとってこんな触れ合いは滅多にないチャンスなんですから」

 

「触れ合い……これが、触れ合い…? って、あれ。こういう状況って別にチャンスって言わなくない? むしろいつ愛想尽かされてもおかしくない大ピンチなのでは?」

 

 そうこうやり取りを挟んでいるうちに、紫色の魔法使いが手前にまで接近してくる。

 心なしか目が光り輝いているような。

 

「まずは基本的な構造の魔力弾から。それから次第に弾の構造を高度化させていけば、いずれは……ふふ、興味尽きないわね」

 

 そんな言葉を聞いて、頭の中では弾に滅多撃ちにされてボロボロになる自分の姿を幻視した。これはアカン。

 

「いやぁ、それは流石に不味いんじゃないかなあ! 絶対痛いですよねぇそれ!」

 

「……何を案じてるのか薄々察したけど大丈夫よ、別に貴方を的にするつもりはないわ。私が今から精製する物質をその手に収めてもらうだけの簡単なお仕事だから」

 

 心配無用よ、と主張するようにして彼女はわざとらしく肩を竦める。……その発言は本当に信用して良いものか。

 

「それに、突然目の前に転がってきた面白い実験た──いえ、レミィが正式に招いた客人を粗末に扱うだなんてこと、友人である私にはとてもじゃないけど出来ないわ」

 

「今『面白い実験体』って言いかけました?」

 

「じゃ、早速始めましょうか」

 

「口先だけでもいいから否定して──くれませんか、そうですか」

 

……結局、大図書館に備え付けられた時計の短針が日暮れを示すまでの間、俺はパチュリーさんの実験に半強制的に付き合わされる事になったのだった。

 

 雑談がてら突然悪気も無く『次はこんなのどうかしら』と軽い調子で未知に晒されるのは、中々に珍しい体験だった──と言い表したいところなのだが、俺は既に八意先生との治験で似たような事を経験済みであったので、大図書館での実験中はどうにも既視感の連続だった。

 実験台になる事にデジャヴを感じるとは変な経験積んできたな、と自分で自分に呆れたものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大図書館の魔法使いによる実験が終わり這々の体でその場を後にした俺は、誘われた宴会に遅れてはなるまいと気分を切り替え、人里目掛けて帰路につく。

 その道中、更なる受難が待ち構えていたとは知らずに。

 

「あれ、あんな粉々になってたのにもう直ってる」

 

 館の廊下を飛行する俺は、紅く広々とした玄関ホールに辿り着く。すると紅魔館に入る際、魔理沙のスペルカードによって破壊されていた筈の正面扉が傷一つ無い状態で鎮座している事に気がついた。

 

 妖精メイド達がめっちゃ頑張って修繕したのかな──などとぼんやり考えながら床に降り立ち、その扉に手を伸ばす。

 

 軋む音とともに暮れなずむ庭園景色が徐々に広がっていくと、視界先の正門近くで見覚えのある少女二人の姿を確認した。

 

 そのうちの一人、緑の中華服を着た少女は地面に正座していて、もう一人のメイド服少女は何やら不機嫌そうな顔をして相手側を見下ろしている。

 見るからにして只今お説教中、という感じだ。

 

 あの人はまたぞろ昼寝でもしていたのだろうか?

 そう予想しながら彼女達の方へと近づいていく。挨拶もせずこのまま頭上を飛び去るのは失礼に当たる、そう考えてのことだった。

 接近するにつれ、二人の会話が聞こえてくる。

 

「本当、いつになったらちゃんと門番の責務を果たしてくれるのかしら? 余計な業務を増やさないで頂戴」

「咲夜さん、説教はもう勘弁してくださいよう。十分に反省しましたから〜」

「もう、貴女はいつもそう言って──」

 

「あー、どうもこんにちは。二人とも」

 

 十六夜さんの説教がヒートアップする気配を感じ、すでに頭に数本のナイフを生やした体術の師を庇おうと咄嗟に言葉で割って入る。

 

「おや、藤宮さんじゃないですかー! 確か今日は訪問予定日ではなかった筈ですけど、どうしてここに……というか今、館から出て来たんですか? え、私の見間違いではなく?」

 

 愛弟子の姿を確認したからなのか、それともメイド長の注意が逸れたからなのか、嬉しそうに立ち上がりかけた彼女はしかし、その寸前で俺がやって来た方向に疑問を持ったらしく、その明るくなった表情を少しずつ曇らせていく。

 

 ああ、うんごめんね?

 

 行きがけ声をかけたかったんだけど魔理沙が『お疲れみたいだから、そっとしてやろうぜ』って優しい声音で言うもんだからさー。

 今思うと結局扉をぶち開ける予定だったから、そっとするも何もなかったんだけどさ……

 

「ええ、実は──「丁度良い。私、貴方にも言いたい事があるの」──え、ちょっと!?」

 

 彼女たちに事の経緯を伝える必要性を感じて口を開こうとすると、目の前にパッとメイド少女が表れて胸ぐらを掴まれる。

 そのままぐいっと引っ張られ、あっという間に(というか認識しないうちに)美鈴さんの隣で俺は正座させられていた。

 

 恐るべき早技である。というか、時間が止まるのに『早い』も『遅い』もないような気がする。

 つくづく『時間を操る程度の能力』に対して無力だなぁ! 自分の能力ぅ。

 

「……あのぅ十六夜さん、何故このような事を?」

 

 乱された胸元の着付けを整えながら問いかけると、銀髪の少女は普段の澄んだ無表情さを感じさせないニッコリとした笑い顔を()()()

 

 アレは“紅魔館の瀟洒なメイド長モード”ではなく“限り無く素に近いモード”だ──となんとなしに、本能で理解した。

 

「妖精メイドから『いつものお星さまの魔法使いと、最近よく見かける人間の男が大図書館に向かっていった』と報告を受けてね。魔理沙はパチュリー様の担当だけれど、きっと貴方はまだ無断侵入について何の咎も受けていないでしょう? だから、私が美鈴のついでに折檻して差し上げようかと思いまして」

 

 怖い、笑顔なのが逆に怖い。俺からして美少女なのでそれに拍車がかかっている。

……だから、情け無い命乞いをしたところで誰に責められようか。

 

「あの、俺一応、君の主人からは『客人として歓迎する』って言われてるんですけど?」

 

 主の前では完璧な従者として振る舞う彼女に覿面(てきめん)な言い訳だと思われたそれは、だが逆に少女の気分を逆撫でにしたらしい。

 

「あの木っ端微塵になった扉、誰が苦労して直したか判るかしら?」

 

「………………妖精メイド?」

 

「彼女達は修繕作業なんて退屈なこと、進んで手伝ってくれないわよ。そういう損な役回りはいつだって私に降りかかってくるの。腹立たしいとは思わない?」

 

 俺は、選択を誤った。

 少女の湛える笑みが、なんと二割り増しになった。

 余りのことに青ざめていると、尊敬すべき師匠の声が耳に届いてくる。

 

「藤宮さん、藤宮さん、これ以上の刺激は不味いと思います。素直に諦めて一緒に運命を共にしましょう」

 

「奇遇ですね美鈴さん。俺もまったく同じこと考えていました」

 

 まだそこまで稽古の回数は重ねていないのだが、今この瞬間(とき)をもって俺たちの師弟の絆は絶対となった。

 

 心が軽い、こんな満ち足りた気持ちで説教を受けるのは初めてだ……もう何も怖くない。

 

 横を見やれば気の所為か、正座しながらも立派に背を伸ばす美鈴さんの姿が何処となく眩しく見える。

 その頭にぶっ刺さって夕日に煌めく銀のナイフは、もはや勲章と見做しても差し支えない。

 惜しむべきは、『こんな状況じゃなかったらもっと格好良く見えただろうな』と考えずにはいられない点か。

 

「貴方達……ここは一度、とことんまでやるべきなのかしら?」

 

 そんな呟きを皮切りに、メイド長の長きに渡るお説教タイムが始まった。

 その影響を受けて、夜中里で催された腕利きの大工達による飲み会に大遅刻をかましてしまったのは、もはや言うまでもない事だ。

 『落成式代わりにまた宴会やるから……ほら、そう気を落とすなよ』とむくつけき野郎どもから励ますように気を遣われたのが、せめてもの救いだった。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

「本を借りたい? 別に認めてあげても良いけど、今度来る時は一人でお願いするわ。特に、間違えてもあの泥棒鼠とは同行しない事。あと無闇に此処の物に触らない事。それと当たり前の事だけど、借りた本は指定した期限内にちゃんと返却する事。以上を守ればいつ来てももらっても構わないから、良いわね?」

 

「ああ……ハイ、分かりました」

 

 すごすごと、萎れた様子をしながら人里へと戻っていく珍しき大図書館の闖入者。様々な実験と無理に付き合った結果なのか、その儚げな後ろ姿は見る者にやんわりとした同情心を誘ってくる。

 

 そんな意気消沈する青年を見送った小悪魔は『流石に悪ノリが過ぎちゃったかなぁ』と外界に存在する世界一浅い海、アゾフ海よりかは深く深く反省をする。

 つまり、あんまり言うほど反省しなかった。

 

 彼女はいくら端くれと言えど立派な悪魔という種族である。契約を重んじ刹那的な悦びを好む傾向にある種族が、どうして契約を反故にされた訳でもなしに己の行動を自戒する必要があるだろうか。

 

 あの青年を認識した初めはそれはもう飛び上がるほどに驚愕したものの、一旦それを飲み込んでしまえば彼女のペース。

 

 目と目が合って、ちゃんとした会話が出来て、隙をついて肩に触れたりもして。人間かつ男という珍奇な存在と気の赴くままに“ふれあえて”、彼女は満足げに吐息をつく。

 

 彼はこの後も本を借りに、定期的に大図書館を訪ねるつもりなのだと言う。

 現代日本語で書かれている貯蔵本を早速リストアップして喜ばせないと──と小悪魔は己の感性に従って、自分なりに青年を歓迎する算段をつけていた。

 

 

「ずいぶん楽しそうね、小悪魔」

 

 

 小悪魔がウキウキ気分で彼が好むであろう本のジャンルに予想をつけていると、その様子を見かねた使い魔の主はそう短く指摘した。先程から、使い魔の仕事効率が目に見えて遅くなっているのを見逃さなかった為である。

 しかし、彼女達の付き合いはそれなりに長い。小悪魔は主からの『使い魔としてちゃんと働け』という言外のメッセージを正確に理解しながらもスルーを選択した。

 というのも、あの青年がまた此処にやって来てくれると言うのに、主の表情が(元からではあるが)イマイチ晴れていなかったからである。

 

「そう言うパチュリー様はあんまり楽しそうではありませんね。どうしてです? 本の貸し出しをあっさり許可したので、てっきりあの青年のことを気に入ったんだとばかり思ってたんですけど。もしや何か気に食わない点でもありました?」

 

「まぁね、有ったわよ。彼の話を聞いてから、気に食わない点が一つ」

 

「へ〜、それは一体──」

 

「……その話をする前に、貴女にはやるべき事があると思うのだけど?」

 

 自分のこの考えをありのままに話せば長くなりそうな予感がしたので、パチュリーは使い魔との会話を強制的に切り上げる。

 「ええ〜、そんな事聞いたら気になって作業しにくいじゃないですか〜」と恨みがましく抵抗するも主の口が相当重いと見るや、小悪魔は仕方無しに諦めて本棚の整理をしにその場を離れていった。

 

 

 ラウンドテーブルに、紫の魔法使いがひとつ残る。

 

 

 魔法に研鑽するときと同様このシンとした環境こそが、彼女の思考が最もまとまり易いシチュエーションだった。

 そんな寂然とした空間の中で、少女は使い魔に言っていた『気に食わない一点』について、取り留めも無く思索を巡らせる。

 

 それを一言に集約すれば、『藤宮という元外来人に関して、境界の妖怪が裏で何かを企んでいるみたい』というものだった。

 

 パチュリーが奇妙に感じ始めたのは、実験の合間に雑談として耳に入れた、彼が初めて『常識に囚われる程度の能力』の存在をはっきり認識した時のこと。

 

 なんでも、博麗の巫女が彼を外の世界に送り出そうとしてそれが失敗に終わった際、八雲紫が突然境内に現れたらしい。

 そして、あれよこれよという間に彼の持つ能力の効果を看破したのだとか。ご丁寧に、『常識に囚われる程度の能力』という名札付きで。

 

 それを聞いた時、パチュリーはこっそりと驚愕したものだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 

 彼が幻想入りした瞬間即座にその存在を捕捉していたのか、登場してくるタイミングもやや出来過ぎだった。彼に『現状では幻想郷から抜け出せない』とこの上無く意識させた事で、己の話に否が応にでも真剣に聞くように誘導した可能性がある。

 

 溺れる者は藁をもつかむ。

 では、その藁が本当に救いの手であるという保証は、一体誰が行うのか。少なくとも、溺れる者にそんな事を気にかける余裕など一切無い。

 

 

 

 疑念を持ったパチュリーは、引き続き雑談を通じて青年と境界の妖怪の関係性について探っていった。

 すると、その疑いは確信へと変わっていく。

 

 なんでも彼は八雲紫の拠点一つ、マヨヒガに度々お邪魔していて、彼女の式から幻想郷に関する知識を授けてもらっていると言う。

 

 そこまでの移動手段は二つの地点を繋げるスキマで、曰く『とても気味が悪いが我慢すれば、あっという間に目的地に到着する便利なモノなのだ』と。

 最後に『藍さんのお陰でここの地理に関しては自信がついてきた』と彼は嬉しそうに語っていたが、果たして気付いているのだろうか。

 

 

──スキマを制約なく利用出来るのであれば、博麗大結界も“幻と実体の境界”も“常識と非常識の境界”も関係無く、そのまま外の世界に送って貰えば万事が解決するじゃない、という至極単純な事実に。

 

 

 それが可能である事は八雲紫のみならず、その直属の式神も知っているだろうに。

 そうしない理由は、“彼を何としても幻想郷に留まらせたいから”以外には考え難い。

 

 何か、動機がある筈だった。

 そこまでして彼に執心するに足る理由が、確実に存在する筈だった。

 

 それは『常識に囚われる程度の能力』のことなのか。

 はたまた紅魔館の醜い面々と正気でありながら次々と気安い関係を築いていく、彼の異常な精神性のことなのか。

 或いはそれらとは全く異なる、意識外に潜む“ナニか”か。

 

「……ま、これ以上彼と境界の妖怪の関係性について推察するのはやめておきましょうか」

 

 動かない大図書館は一人、そう呟く。

 

 彼の話を聞くだけで、ポロポロと疑問点が浮かび上がってくる。ならば、それを想定しないスキマ妖怪ではない。つまりは今現在のパチュリーのような疑念を持った者に、彼女は問いかけているのだ。

 

『この私に断りなく、彼に真実を伝える意思はあるのか』と。

 

 そんな余りにも傲慢が昂ぶった主張に、七曜の魔法使いは「否」を返す。

 いくら友人が関心を寄せる者であったとしても、たった人間一人の為だけに、幻想郷を裏で牛耳る最古参の妖怪と事を構えるのはどう考えても賢明ではなかったからだ。

 

 それに、である。

 

 そう問いかけてくるという事は、当然『もし彼に真実が伝わったとしても問題は無い』と八雲紫は判断している訳で。

 自分以外誰も存在しない場で、しかし誰かに言い聞かせるように、再びパチュリーは一人呟く。

 

「真相を告げたところで、恐らくはもう手遅れなのよね。……まったく、スキマの暗がりの中で一体何を企んでいるのやら。私にはサッパリ判らないわぁ」

 

 

 

 

 

 

 唐突に彼女は首を曲げ、とある空間の一点に注視した。

 

「──そういう訳だから、もう退散して良いわよ。境界の妖怪と違ってマメな性格してるわねぇ」

 

 そこは一見何も存在しない空間で、傍目から見ればパチュリーが虚無に向かって話しかけているように思えた事だろう。

 だがしかし、約百年もの時を魔法の研究に費やした彼女の眼を以てすれば、確かにその空間に些細な一筋のヒビが入っていることは瞭然であった。

 当然、その奥に潜む九つの金色の尾も同様である。

 

「それとも、貴女は主人の意向にご不満なのかしら? ダメじゃない、ペットはご主人様の言う事に従わないと。飼い主の威厳が損なわれてしまうわよ」

 

 覗き見をされて機嫌を悪くしない者はそう居ない。

 嘲笑混じりにパチュリーが語りかけると、その空間に入ったヒビはゆっくりと薄らいで消えていった。

 

 

 

 

 

「この調子だと彼、幻想郷に来てからずうっとスキマ妖怪の監視下に置かれていたのかもねえ。……何にせよ、気の毒な男ね」

 

 やがて、その場で本当に一人となったパチュリーは、心底愉快そうにして微笑んだ。

 




 
 
 今章は章題の通り、オリ主が自分の生まれ持つ能力について理解を深めていく章でした まあ思わせぶりに引っ張った割にはあっさりめな感じですが、そこはほら、それくらい紫もやし(蔑称にあらず)の頭脳が優秀だったという事でここは一つ なんかオリ主の知らないところで意味深なこと考えてもいますし

 ぶっちゃけた話、『常識に囚われる程度の能力』についての説明が読者目線からだと分かりにくいような気がしてて不安になっております これでも色々と書いたり消したりを繰り返してそれなりに頑張った結果なので、作者の説明力・描写力の限界を窺わせる一幕です 「ニュアンスだけでも伝わってくれ」と願うしかないこの状況、泣けるね

 一応オリ主の持つ能力についての定義付けは今回で完了したと捉えているので、これに関して何か不明点・気になる所があれば感想ついでに質問どうぞ 敢えて回答をぼやかす事もあるかもしれませんが、基本的に誠意を持って返答する次第です


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

断章
回想 / 懐古


 ここらでオリ主の生い立ちというか、前日譚的なストーリーをお一つどうぞ

 ※ シリアス
 ※ 幻想少女の霊圧が……消えた……?



 

 

 まだ一人で歩くことの出来ない幼児期の子供が、自分の指先を見つめては突然大はしゃぎをする。或いは、そこには何も無いというのに虚空を見上げては怯えた顔をして夜通し大声で泣き喚く。

 

 近隣の住民からの苦情もありそれを宥めようとすれば、その小さな指先の示した窓ガラスが突如放射状にひび割れる。

 いつの間やらその子を寝かせている部屋にだけ、壁や床に原因の分からない凹んだ傷が表れる。

 それはまるで、我が子が怪奇現象でも起こしているかのよう。

 

 そんな様をまざまざと見せつけられて、その子供の両親は一体何を思ったのだろうか?

 

 今となっては想像することしか出来ない。

 

 いずれにせよ、他の男を作り早々に見切りをつけた母親の判断力は大したものだった。

 降りかかってくる不幸の予兆を鋭敏に肌で感じ取り、己が幸福な将来の為に非情な決断を下し、周囲の人々からの白眼視をも跳ね除けて、彼女は見事にやってのけたわけだ。請求された多額の慰謝料も、今後の短くない自身の人生の為を思えば安い買い物だったのだろう。

 

……そんな人でなしの母親に対して、俺が思うところは特に何も無い。

 

 父方の祖母の口から憎々しげに放たれる、記憶に無い人物の碌でなしエピソードを聞いたって、湧いて出るのは『うわー、自分勝手なヤツがいたもんだ』という他人行儀な感想だけ。

 

 唾棄すべき人間の非道ぶりを聞いても大した反応を示さなかった孫の姿を見て、「やっぱりあの阿婆擦れの血が入ってるわけさね」と忌々しげに呟く祖母の歪んだ表情の方が、よっぽど深く印象に残っていた。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 


 

 

○/○○ (土)

 

<いきなりの話で本当に悪い

 

<来週末からの夏期休暇の予定をそろそろ詰めたいから

本日15時頃に図書館で集合したいんだけど、どう? 

 

すみません先輩>

 

今遠出しててそっちに居ないので今日は無理です>

 

明日にしてもらっていいですか?>

 

<OK 流石に今日は突然すぎたか

 

<じゃ明日15時図書館前で集合ということで

 

了解です>

 

<てか、遠出してるってお前またどっかの心霊スポ

ット行ってんの?流石は我がオカ研屈指の変人だ 

 

<明後日から前期末試験なのに随分と精力的だな

 

変人は余計です 生憎と今回は別の用事ですし>

 

オカ研の他の皆は気乗りしてないようでしたが心霊>

スポット巡りはそれこそ来週以降のイベントでしょ 

 

いくらなんでも自分だけフライングしませんて>

 

<そうか ならいいわ

 

<ん?じゃあその別の用事ってなに

 

今○○県まで移動中なんです 観光目的で>

 

<は?試験前なのに?しかも日帰りで?

 

そうですけど>

 

<やっぱ変人だわお前

 

<試験対策放って旅行とか、あんまり余裕ぶってると

単位落とすぞ? これ、先輩からの有り難い金言な

 

ご心配どうも>

 

それと俺は変人ではありません>

 

<ハイハイ

 

<とにかく明日の打ち合わせに遅れんなよ

 

わかってます ではまた明日>

 

<おう

 

 


 

 

 

 

 

 次は ○○駅、○○駅 お出口は 左側です

 

 

 男性声の機械的なアナウンスが耳に届いてきた。

 

 液晶画面から目を上げると、いつの間にやら車窓の外は緑深い田園景色から角張った人工物が立ち並ぶ味気ない街景色に変貌している。

 その遠景が移ろい行く様も次第に緩やかになってきたので、手にしたスマホをポケットに仕舞い込み、大きめのリュックを荷台から取り出して、俺は速やかに下車の準備を整えた。

 

 

 

 

 

 改札口を抜けると、僅かな空腹を自覚する。そこで偶々視界に入った飲食チェーン店にお邪魔して、一旦の腹ごなしをすることに決めた。

 

 案内された外景の望める三階のカウンター席に座ると、正面のガラス越しに大量の広告看板が目に入ってくる。その内の一つ、美容関係の女性向け広告がいつものように大変見苦しいものであったので、苦笑いと共に視界を下げる。すると、駅から押し出される人の波が目に留まった。

 

 今日が土曜日という事もあってか人の往来が甚だしい。

 

……いや、此処は割といつもこんな感じなのかもしれない。単に俺が知らなかったというだけで。

 

 足元を横切っていくのは落ち着きのある年配のサラリーマンや徒党を組んで横に並ぶ学生達、観光ツアー中らしき旅行者の一団、果ては仲良く杖をつき歩を揃える白髪の老夫婦などなど。

 注文の品を待つ傍ら、眼下に広がる雑踏を観察するのは思いの外、時間潰しに有効だった。

 

 そうしている内に俺の目は、とある集団を見つけてしまい釘付けになってしまう。

 それは、幸せそうな表情をしながら道を進む、名も知らぬ親子三人の姿だった。如何にも夫婦仲は円満そうで、間に挟まれる幼い少女もそれを受けてか無邪気な笑顔を浮かべている。

 あの家族の行き先が何処であろうとも、少女の笑みが陰ることなど一切起こり得ないのだろう。

 

 ああ、なんとも微笑ましい、文句無しに素晴らしい光景だ。

 

 心温まる団欒を築ける家庭、困った時に遠慮なく頼れる親族。それら全部を生まれ持っているのであろうあの幸福な少女を見て、なんとも言えない情動に駆られ仄暗い眼差しを浴びせ続けた。

 

 その中に、多くの羨望の色が混ざっていた事を、俺は否認出来ない。

 

 往々にして、持たざる者は嫉妬深い性質(たち)を備えていると聞く。それこそ、タチの悪い冗談のような本当の話だ。

 もう身体の方は酒を呑める歳になったというのに、心の方はそれに準拠していないとは、まったく我ながら甚だ幼稚な精神をしている。

 

 

 

 

 

 勘定を済ませて店から出ると、当然あの三人家族はその場に居らずどこへなりとも行ってしまっていた。その事について、大した感慨はない。

 

……ただまあ、先のような一家団欒の光景は目に入れるとなんとも心が痛くなるもので。

 

 しかしながらそれを承知してはいても、ついつい意識してしまって、自分の手には持たされなかったその情景を網膜に映さずにはいられなかったから。

 鬱蒼とした人混みが目前を流れる中、俺は密やかに安堵の息を漏らした。

 

 

 

 

 

 オカ研の先輩には咄嗟に『観光目的で』と嘘をついてしまったが、それは『本当のことを言うと変に気を遣われてしまいそうだ』と直感したからだ。

 

 駅前にある停留所からバスに乗り、無言のままに揺られ続けること暫し。

 目的地近くのバス停にて一人降り、閑散とした住宅街その端を目指して歩き続けると、すっかり寂れて古びてしまっている共同墓地へと辿り着く。

 

 ざっと辺りを見渡してみても俺の他に人の影は無かった。相変わらず、この場所には人気(ひとけ)というものが存在しない。

 まあこんな場末の墓地が賑々しい空気に包まれるのも可笑しな話であるから、現状の殺風景ぶりこそがこの場に相応しいのだろう。

……まるで偲ぶべき故人が蔑ろにされているようで、少しだけ物寂しいような気もするが。

 

 そんな事を考えながら、青々とした雑草が目立つ脇の歩道に足を向ける。

 

 

 

 

 この墓所の特徴として『土地が大きく開けているというのにお隣同士の間隔が異様に狭い』という点が挙げられるだろうか。視界一杯に墓石の群が密集している様は、割と壮観な感じではある。

 

 正直言って()()()()は、目的の墓石が中々に見つけられなくて苦い思いをしたものだ。

 だがしかし、何度も此処に足を運んできた今となっては何も問題はない。あの石材の表面が比較的新しさを感じさせるものであったのも、発見するのに一役を買っていた。

 

 お目当ての墓の前に立ち、リュックから取り出したる清掃用具とペットボトルの水で以て、時間をかけて手入れしていく。内心、水道が無いとかあり得ないだろ──と毒づきながら。

 

 枯葉や蜘蛛の巣を取っ払い、雑巾を湿らせて墓石を拭いた。

 丁寧に、入念に、そしてこれ以上無い程の“真心”を込めて。

 

「よおし、こんなものかな……」

 

 陽射しがキツいものだから、墓石を清めている間にジメっとした汗をかいていた。用意していたタオルで頬を拭った後、己の仕事ぶりが十分かどうかを確認する為に眼前のソレの周りを再度検める。

 

 その灰色の墓石には、実父の名が刻まれていた。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 将来を誓い合った筈の女性に見捨てられ、男手一つで仕事と育児を否応にも両立させねばならなくなった当時の父の心労は、何も知らない少年ではなくなった今となっては大いに察するに余りある。

 

 育児の面に於いて頼りになる筈だった祖母は『孫の顔の見るだけであの女のことを思い出す』と疎んじ非協力的で、かと言って祖父の方は()うの昔に他界しており、その他に頼れる親族等も存在しなかったという。

 

 『自分が楽に生きる為に、我が子を児童養護施設前にでも放棄しよう』という踏ん切りがつかず、非情にも徹し切れず、結局独りでは抱えきれない荷物を背負ってしまった父は、ひとまず俺を適当な保育施設に預けて“問題児の育成”という己に課された義務を永遠に先送りにすることにした。世間体というものに酷く気をかけていたのかもしれない。

 

 彼には、きっと心の余裕が無かったのだ。

 

 だからこそ、不気味な現象を引き起こす自分の子と正面から向き合わず、ただひたすらに自身の仕事に没頭することで逃避行為を繰り返した。

 

 身を粉にして養育費を稼いでさえすれば、『こんなやり方でも“立派な親”で居られる』とでも浅ましくも考えていたのだろうか。

 しかし、当時少年だった自分の目から見ても、その育児のやり方は到底“立派”なものだとは思えなかった。

 

……父は勤め先の意向に唯々諾々と従って、俺が高校に上がって住所が関東圏内に落ち着くその時まで、子を連れ立って全国各地を転々と移動していた。

 

 まあ、そこまでは別にいい。

 

 フワフワとした不思議なモ(霊力)ノを扱えない、そもそも認知すら出来ない。ましてや幽霊なんてもってのほか。クラスの男子が顔立ちの整った女子を揶揄って『や〜い、ブス』と指をさす。それを見た教師がその男子を尤もらしく注意しても、内容自体は特段否定をしない。

 

 最大の障壁は、自分以外の皆が当然のように共有する、理解の出来ない()()()感性。

 

 

──“普通”を学び、“平凡”を身につけ、その上でボロが出ないよう振る舞うというのは、子供にとっては結構難しいものがあったから。

 

──数年と経たずして人間関係が自動的にリセットされるという環境は、異常性を自覚してそれを隠そうと努力する少年にとって、中々に都合の良いものだったから。

 

──失敗して仲間外れにされたとしても、暫く耐えれば、また一から始めることが出来たから。

 

 

 父の都合に付き合わされ何度も引っ越しさせられた件については、精々が『いちいち同じ学級の子の名前を覚え直さないといけないのが面倒だった』と軽く愚痴れる程度の、謂わば些末な問題だった。

 

……だがその一方で、軽度のものとはいえ育児怠慢(ネグレクト)をしていた事は流石に頂けない。

 

 たったそれだけで、記憶に在る父親の株価はドン底の一途だ。

 俺はただ、『子供が親に褒めてもらっている』という、なんてことない日常風景を渇望していただけなのに。

 

 いつも仕事に追われていた彼は月に一度家に帰って来れば良い方で、酷い時には半年もの間顔すら見せないこともままあった。

 その間、どうしようも無い孤独感に苛まれながら、少年時代の俺は一人きりで薄暗い安アパートの中を過ごしていた。

 

 母親には見捨てられその顔すら知らず、父親からは仕事が忙しいからと相手にしてもらえない。

 親から愛情を与えられなかった子供の性格が、如何にして歪んで形成されてしまうのか。

 

 それを身を以て体感した身で言わせてもらえば、父の『ひたすらに金を稼ぎ与えさえすれば良い』という育児方針はどう考えても“立派”とは呼べない、児童相談所行きの最低なものである。

 実際に父と面と向かって話し合えた事なんぞ、よくよく思い返しても指を折って数えることが出来る程度のもので、やっぱり最悪だ。

 

 

 

……とまあこのように、あの人に対して沢山の不満や恨み辛みが募っているのだが、それを直接伝える事は目前の墓を見れば分かるように、もはやその実現は不可能になってしまった。

 

 

 

 志望していた大学の試験をパスすると、父は俺に『その大学近くで一人暮らしを始めてはどうだろうか』と勧めてきた。

 

 一方で、父の方は地元(俺からすれば度重なる引っ越しの所為でそこへの帰属意識は皆無なのだが)に帰郷し、いずれ要介護となる祖母の為に色々と手を尽くすつもりなのだと言う。

 もとより殆ど一人暮らし状態であった俺はその提案を有り難く了承し、用意されたマンションの前で父と別れた。

 

 それが、最後の別れになるとも知らずに。

 

 

 

 大学生活が始まって数ヶ月が経過し、自室でリラックスしていると、珍しく祖母から直接の電話が入ってきた。

……ただ他の皆がそうしているからと登録だけ済まして、これまで一度たりとも映される事のなかったその名前がスマホの画面に浮き上がってきた瞬間。

 何か、とてつもない嫌な感覚が、もったりとへばりつくような不快感と共に全身を貫いた。

 

「……え、今なんて──?」

 

「お前の父親が交通事故で亡くなったって言ったんだ。老体に何度も同じ事を言わせないでおくれ、気の利かないヤツだね……ああ、そういえば葬式も骨上げも、もうとっくに済ませてしまったよ」

 

「────は?」

 

 我が子の訃報を“ついうっかり”、不注意で伝え忘れていた──嗄れた低い声が、そんな明け透けな悪意を、隠すフリもせずに堂々と滲ませてきた。

 

「悪かったねぇ。でもまぁ、あの阿婆擦れの血が混じった輩なんぞには、全く関係の無い話だったかねぇ」

 

「……そんな事はっ」

 

「まったく、お前さえ生まれてこなければ、あの子は今度こそ好い人を見繕って幸せになれたのに──」

 

 沸々と煮えたぎるような憎悪を何度も何度もぶつけてくる祖母の声は、しかし徐々に勢いの無いものへと変化していき、遂には「あの子の人生を返して」という、叶う事のない嘆願へと成り果てていた。

 

 愛し子を失った痛みや悲しみを誰かにぶつけて、どうにか紛らわそうとしていたのか。

 肉親の葬儀に参列出来なかった事よりも、そして散々に浴びせられた先の罵詈雑言よりも。その悲哀な嘆願こそが、他の何よりも切に俺の胸に響いた。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 清掃用具を再びリュックに仕舞い込んだ後、墓前で改めて合掌をしながら、故人との思い出をゆっくりと掘り起こす。

 

 生憎、あの人は極度に()()な人だったから。

 

 真っ先に思い出される光景は、日増しに疲労の色が濃くなっていく父の暗い表情、そして年々次第に小さくなっていく萎れた後ろ姿だった。

 

 その原因は決して、子供だった自分が成長して身長が伸びたからだ、という安直な理由だけでは決してあるまい。

 

 交際相手に公然と不倫され、曰く付きの子供の育児を押し付けられ、何年もの間仕事に忙殺されて。

 そんな地獄のような体験をしても、母のように自分の人生を優先する事も出来ず、祖母のように憤りを誰かにぶつける事も出来なかった。

 

 寄る年波と過剰なストレスに侵されると、人の在り様はああも容易く深く沈んでしまうものなのか。

 

 “窮すれば鈍する”という言葉がある。

 それか金を渡すだけ渡して放置していた自分の子が、思いの外真っ当に成長していった様を見て、悪しき前例を学んでしまったのか。

 

 苦境に立たされた父の頭の中は、恐らく『如何なる危機的状況に陥っても、自分一人が気を張れば、耐え忍んでいれば問題ない』などという愚かな考えに支配されてしまって、それ以外には行き着かなくなってしまったのだろう。

 

……そうやって無理矢理に延々と張り詰めさせ続けた緊張の糸は、いつしかプッツリと途切れてしまうものなのに。

 

 

 

 高校卒業を間近に控えた年齢になっても、俺は未練がましく『親からの褒め言葉』というものに憧れ続けていた。

 

 第一志望校に受かった──堂々と胸を張れるその知らせを、偶々家に戻っていた父に向けて報告した際、俺は『どうせこの人の事だから、無視を決め込んでくるか気怠げに生返事をしてくるかのどちらかなんだろうな』と微塵も期待せずに彼の反応を窺った。

 なのにその時だけは、どういう事なのかワケが違った。

 

──それはすごいじゃないか! よくやった!

 

 あれほど生き生きとした様子の父の姿は、後にも先にもそれっきりだった。

 わしゃわしゃと、思ったよりも小さかったその手で頭を撫でられ、褒めそやされた時の俺の混乱模様といったらもう、それはそれは。

 暫くして、ようやっと我に返った父は大変に居心地が悪そうにしてその場から立ち去っていった。

 

 

 

 憶測に憶測を重ねるようではあるのだが、父が長年張り詰めさせていた緊張の糸がプツリと途切れてしまったタイミングは、きっとその時だったのだろう。

 長きに渡る苦難の末に気を抜いて、真っ白に燃え尽きてしまった、とでも表現すればよりそれらしいだろうか。

 

 その上で、“父はもう十分自分の人生に満足したのだ”と、“祖母の嘆願は無事叶ったのだ”と、妄想の上で塗り固められた希望的観測に縋ろうとするのは、果たして責められるべき事なのだろうか。

 “その時にはもう既に父の精神が限界を迎えていたのだ”という可能性を前提にした考え方は、あまり好ましいものではないのだが──

 

 

 

 

 

 なんにせよ、あの時の衝撃的な出来事がどうにも頭から離れなくって、『ネグレクトされたんだから当然あの人を憎むべきだ』と主張する自分と、『あの人はあの人で苦労していたんだから仕方ないじゃないか』と擁護する自分がごちゃ混ぜになってしまっている。

 

 祖母の住まう屋敷近くに点在する墓所を執念深く順繰りに巡っていって、なんとか父の墓石を見つけ出せた後も、結局結論は出てこなかった。

 

 

……あの時の父が見せたとても嬉しそうな顔と、自分の頭を撫でられた際の掌の感触が、未だに鮮明な形で脳裏に思い浮かんでくる。

 

 

 あれは息子の成長を素直に嬉しく思ったからなのか、それともその後別居を提案する事で、『長年自分を苦しめてきた厄介者とやっと離れる事が出来る』と内心ほくそ笑んでいたからなのか。

 

 その答えを知る事は永遠に叶わない。

 

 愛憎の念が入り混じった視線を目前の墓石に向けても、それはただ沈黙するばかりで何事も語り聞かせてはくれない。

 

 その真意を確かめないことには、あらゆる感情が複雑に絡み合ったこの胸の内がスッキリしないというのに。

 

──俺の魂は何時迄も、過去に囚われたままだ。

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、また来月…はサークル活動でちょっと忙しいから、再来月にでもまた来るよ、父さん」

 

 周囲に人影がないのを良いことに、墓に向かって約束事を口に出す。

 思い付きのノリで発言したことではあるのだが、それでも口に出したからにはキチンと約束を履行するつもりだ。

 

 それこそ、余程の事でも起こらぬ限り。

 




 

 ここの本文だけ読んで、この作品が東方projectの二次創作だと誰に見破れましょうか 原作キャラが登場しない二次創作ってなんだよ……このお話のプロットを考えたヤツはきっと頭が沸いていたのでしょう

 酷い二次創作者が居たものですなあ いや割と本気で


 メタ視点といいますか『直接的な描写が無いという事は……』と鼻が効く小説慣れした読者様方に向けて、一応の念の為に此処で内容を補足しておきます

 それは、“オリ主の父親は交通事故によって亡くなっている”という記述に偽り無し! ということですね

 ですから後になって「残念だったなぁ、トリックだよ」と何食わぬ顔して登場することもないです また「I am your father」「Nooooooo!!」ってなることもないです 幽霊になっていて後々幻想郷で感動の再会!って展開も無いです 外の世界と幻想郷とではその辺の管轄違いますからね 悪しからず


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

おいでよ 神隠しの森

 ※引き続きシリアス味濃いめ



 

 

──思えば、俺の幻想入りは、偶然ではなく必然の出来事だったのだろう。

 

 それは、これまでの人生を振り返り見やれば自ずと判明する事実だ。

 

 生まれつき、霊力という非現実的な代物を認識し扱う事が出来た。所謂お化け・幽霊の存在を子供の頃から感知出来たのも、恐らくはそれに関連した資質だったのだと思う。

 

 

 

 中学時代、自身のそれとは比較にならない程のものすごい霊力を持つ、蛙と蛇の髪飾りの少女と仲良くなれた。

 奇跡をも意図的に起こせるという超常的な力を目の当たりにして、とてつもなく心が浮き立った事を未だに鮮明に覚えている。

 

……そしてその後唐突に訪れた、彼女の不可解な消失の事も同様に、自分だけは忘れる事なく覚えている。

 

 

 

 高校のころ出会った、あのオカルト大好きっ子な後輩の影響をモロに受けた。

 “心霊スポット巡り”だなんてちょっと人前では公にし難い行いを己の趣味と定めてしまったのは、きっと彼女にも少々の責任がある。

 あんまり恵まれない家庭の中で育ち趣味に乏しい人生だったところにまんまと付け込まれてしまったのだ、可哀想な当時の俺は。

 

 だいたい、部員じゃないヤツに部活動を手伝わせるとかどう考えてもおかしいしいや確かに優柔不断に流される俺も悪かったけどそもそも教師陣から認められてない非公式の倶楽部だったし何だったらあいつから先輩として敬われた事なんか一度もなかったような気がするし何よりタメ口だったし居眠りし始めたと思いきや目を覚ますともう今日の活動はいいや満足したとか気紛れ言い出すしそういえばやれ現地調査だなんだと言ってきてそこまでの交通費を全額払わせてきたのは卒業してちょくちょくオカルト関係で連絡し合う仲になった今でもマジで許してな──(以下略)

 

 

 

 大学生になってからというもの、父の墓参りが新たな日常習慣となる傍ら、オカ研に所属してニッチな趣味に邁進する日々であった。

 高校時代の経験を生かし、ややアングラな情報網を活用する術を身に付けていた事が、めぼしい情報をスムーズに仕入れるのに非常に役立ったのだ。

 足繁く頻繁に各地の心霊スポットへと赴くその姿は、確かに変人と揶揄されても可笑しくない感じはする。

 しかしながら実際に現地に行ってみて、生者を害する意思のある霊のみを選別して追っ払うという行いは、“美醜感覚逆転”という歪んだ感性を宿す異常者の身でありながら、真っ当に世の中に対して貢献出来ているようで、中々爽快ではあったのだ。

 

……あまり褒められたものではない不純な動機である事は重々承知していた。

 

 なのでそれも数ヶ月も続けずに辞め、その後は純粋にそして健全に、時にはサークルの他メンバーも伴って趣味を続ける事にしたのだった。

 

 

 

 それら一つ一つはもしかするとなんてことのない、ちょっと常人とは違っていて変わっていただけの、偶発的な性質・巡り合わせ・行動だったのだろう。

 

 きっとその内の一つを経験した程度では、俺を“幻想側”と誤認して異界へと引き込んでくれやがった“常識と非常識の境界”も、その誤りを犯さずして済んだのではなかろうか。

 その内のどれかが一つでも欠けていれば、或いは俺は、人外蔓延る幻想の地へと迷い込まずに済んだのではなかろうか。

 

 畢竟、後悔ばかりが記憶に残り易い残念な性格の持ち主がやりがちな下らない妄想。自分にとって都合の良い想像に過ぎない可能性。結局は起こり得なかった“if”のお話である。

 

 なんてことのない偶然も、段々と積み重なっていけばそれはもう必然とそう変わりはない。

 

 冷静に俯瞰し顧みるとよく分かる。

 

 常識的な世界の中で暮らしておきながら、己が異常性を疎み普通や平凡に焦がれておきながら、随分と非常識な人生を積んできてしまったものだ。

 

……あの胡散臭いスキマ妖怪の曰く、俺は“現実側”とも“幻想側”ともつかぬ半端者であるらしい。

 

 なるほど。それならば未だに俺を幻想郷内部に押し留める“常識と非常識の境界”の事を、一概には非難出来ない。

 

 

 原因は、他ならぬ己自身にあった。

 

 

 “常識に囚われる程度の能力”の事を抜きにして考えても、“藤宮慎人”という人間の生き様自体に問題があったのだ。

 “if”のお話をするのであれば、それこそもっと根源的な想定から話を始めなければならなくなる。

 

 例えば、『もし自分の感性があべこべじゃない正常なものであり、加えて霊力を感知出来ない極々普通の体質であったのなら』みたいな。

 

 まあ、益の無い不毛な仮定である。

 一考する価値も無い。

 

 

 

 さてはて。とまあそんな訳で『俺の幻想入りは偶然ではなく必然の出来事だったのだ』と、仕方の無かった事なのだと、己を納得させる材料は思い返せばそれなりに揃っているのである。

 

 自分が自分である限り。そして学生時代、何かと非常識な面を持つあの少女達と巡り合える限り。遅かれ早かれ俺が幻想郷に流れ着いていた事は想像に難くない。

 

 全ては、偶然が積み重なった結果だった。

 

 それを一言で言い表すなら必然──いやさここは紅魔館の主の言葉を借りて、“運命”とそれっぽく呼称しておこう。この言葉は、“常識に囚われる程度の能力”によって誰にも操作される事のない、ありのままの意味合いを持っている。

 

 つまり、『俺の幻想入りは運命であった』

 シンプルに一文で表現すると、そういう事になる。

 

 

 

 

 

 では、やっとの事、ここからが本題。

 

 己が幻想入りするのは避けようのない、どうあがいても不可避の現象だったのだと長ったらしい前置きを理解した上で、俺は俺に問い掛ける。

 

 もしも、自分が幻想入りするにあたり、丁度近くに居た他の誰かを思いっきりそれに巻き込んでしまっていたのだとしたら。

 その巻き込まれた誰かさんが、それはもう恐ろしい化け物に襲われて目の前でムシャムシャと食べられてしまっていたのだとしたら。

 

──その咎は、一体誰に在るのだろうか?

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

「────あ?」

 

 ふと気がつくと、いつの間やら俺は何処とも知れない薄暗い雑木林の中を立ち尽くしていた。当惑しながら辺りを見渡しても、背の高い木々が立ち並ぶのみでその他には特に変わったものは見つからない。

 

 取り敢えずこの不可解な現状の理解に努めようと、ひとまず自分の身なりからチェックしていく事にする。……今の俺はシャツにジーンズという動き易いシンプルな出立ちをしていて、片手に使い慣れたトートバッグをぶら下げさせている状態だ。

 

 見知らぬ森に一人在っても平素と変わらない格好していることに、少々の安堵の念を覚えた。しかしながらそうすると尚の事、今現在己が置かれている状況に対しての疑問が深まってくる。

 

 何故、俺はこんな森の中にいるんだ?

 

 いまいち纏まらない思考力に喝を入れ、此処に至るまでの経緯を記憶を頼りに振り返って整理してみる。

 

 確か、大学の長期休暇に託けて趣味である心霊スポット巡りを計画し……そしてもう既に複数の箇所を巡っていたんだっけか。そうそう、確か『神隠しの森』というオカルト掲示板で取り上げられていたスポットを〆に定めて、そこを目指して移動を挟んで──それから──

 

 そしてその後、俺は一体何をしていたのだろうか? このような人気のない場所で、しかも()()()()()で。

 

 懸命に思い出そうと試みたのだが、いくら頭を捻ってみてもそれ以上の事は何一つとして思い出せそうになかった。

 

 

 

 

 

『おうやっと来たな。ええっと、ではこれからウチのサークルで計画した夏期休暇中の活動内容を……え、他の奴ら? それが“バイト”だの“帰省”だの“彼女が”だのと言って躱してきてさぁ。オカルト好きの風上にも置けない連中だよなぁ』

 

 

 

 

 

 バッグを持っている方の手に、鈍い痛みが断続的に響いている。

 

 不審に思って開き見てみると、赤く滲む短い横の四本線が手の平に刻まれている事が分かった。……どうやら、いつの間か身体が緊張してしまって拳が力んでいたらしい。

 ついさっきまでの俺は手を異様に固く握り締めていたみたいだな、と他人事のような視点で痛覚の所在を把握する。

 

……いや、妙だ。何かがおかしい。

 

 確かに現在のメンタルは当惑の色で一辺倒ではあるものの、今の自分は自傷に気付けないほどの精神的な極限状態にはなっていない。流石にそこまでは追い詰められてはいないのだ。

 

 現状を冷静に分析すれば、要は迷子になってしまったというだけの話。謎の林中であっても現在地はスマホを頼れば一発で判明可能なわけだし、なんなら今すぐにでも電話して救助隊を要請する事も出来るのだ。

 

 極度に緊張する必要性なんて、全く無い筈なのに。

 

 

 この、絶え間なく押し寄せてくる気色の悪い違和感は、果たして何処から来るものなのか。

 

 

 朧げな不安を覚え始めた為か、脈拍のペースが異様に高まってきた。……何か、とてつもなく重大な事を、忘れてしまっているような気がする。

 

 それか、本能がソレを思い出させないようにしているのか。

 

 まるで、どうしようもない取り返しのつかないコトをしでかしてしまった時ような、嫌な感覚。

 次第に抑えきれなくなっていく膨大な焦燥を肌で感じ取っていると、正面に聳えていた大きな木の陰から、一つの小さな人影がゆらりと現れた。

 

 

 

「ねえ、あなたは食べてもいい人間なの?」

 

 

 

 それは、ブロンドのショートヘアに赤いリボンを付けた紅い瞳の少女──もとい、“闇を操る程度の能力”を持つ人喰いの妖怪だった。

 

 脅威を目前にして俄に全身が総毛立った。

 

……幸いにして、自分の身を守る為に採れる選択は豊富だった。

 

 着物の懐に手を入れて博麗の巫女お手製の札を使用する事も、自らの霊力を練り放ちコレを撃退する事も、宙に向かって上昇することで急場から離脱する事も。

 なんなら、師父から教わった付け焼き刃の格闘術を今この場で披露してやってもいい。

 不老不死の友人から聞き出した指先に火を灯すという術も、上手くやれば火傷を狙えるかもしれない。

 

 出来た。可能だった。俺は脅威に対抗する手段を、非常識な日常を通して少しずつ身につけてきたのだから。

 だけど、結局そうしなかった。

 

 

 

 

 

『ほお、“神隠しの森”。この書き込みを見た感じ、予定にあるどの曰く付きの場所よりもこれが一番ヤバいっぽいな。……じゃあちょいと計画を変更して、そこを我がオカ研に於ける聖地巡礼、その〆にするっていうのはどうよ?』

 

 

 

 

 

 宵闇の妖怪が後ろ手に持つ、まだ新鮮な、赤が滴り落ちる誰の物とも分からない人間の欠損した腕。その持ち主を、今になってやっとのこと思い出す。

 

……そのついでに、自分が今何を見ていて、どういう状況にあるのかについてやっと理解が及んだ。

 

 色々とおかしな所があった。これは、俺が幻想入りする前のお話だというのに。

 服装が途中で着物に変化したり、まだ知らない筈の事を知っていたり。

 まったく、荒唐無稽な事だ。お陰様で、脳の奥底に封じ込めていた思い出したくない記憶を、そっくりそのまま思い出してしまったではないか。

 

 憂鬱な気分になって、ため息をつく。

 

 

 

「ねえ、あなた()食べてもいい人間なの?」

 

 

 

 さて、依然『このままでは妖怪に美味しく戴かれてしまう!』という危機的状況下ではあるのだが、そういう訳なのならば、今から抵抗したところで大した意味はあるまい。

 

 こういう時は、行き着く所まで行き着くものなのだ。

 

 俺は自分の身を守る事を諦めて、事の推移を傍観者として観察する事に決めた。

……まあ、このにじり寄って来る人喰い妖怪の爛々とした目を見る限り、この状況はあんまり長続きしなさそうではある。

 

 その予感は物の見事に的中した。

 

 そう時間もかからぬ内に、少女の口は次第に大きくなっていき、遂には大人の背丈を超えるまでとなっていた。存外に、想像力が豊かだったんだなと意外に思う。

 逃げ出しもせずに沈黙のままソレを見上げ続けていると、吸い込まれるようにして俺の意識はその口腔の闇へと飲み込まれていった。

 

 

 

 

 

──その最後に思い出すものは、闇の奥へと引き摺り込まれていく男が放つ、身を裂くような断末魔。

 

 そんな不快な異音に耳を覆って命からがら逃げおおせたその青年は、自分の命が助かった事に深く安堵すると、今度は薄暗い森の中で一人立ち尽くしながら、自身の心が傷つくのを防ぐために──

 

 

 

 

 

 よくよく思い返してみれば、

 

 “神隠しの森”の噂を嗅ぎ付けたのは俺だった。その情報をオカ研の先輩に垂れ込んだのも俺だった。

 年間行方不明者の数が比較的ちょっと多いだけの、たかが片田舎の山だと侮っていたのも俺だった。

 怪異の存在に慄いて、捕われた先輩を見捨てて逃げ出したのも俺だった。

 彼が命を落としたのは殆ど自分の所為だというのに、その咎に耐えかねて今の今まで都合よく忘却していたのも俺だった。

 

……そして何よりも恐ろしいのは、『その時の自分は先輩を見捨てた事に対して甚大な精神的ショックを受けていた』という事実に対してだ。

 

 だって、可笑しな話だろう?

 

 今の自分は、彼の最期を思い出したというのに、()()()()()()()()()()()()のだから。

 

 気を抜けば、『俺が一緒に居なければ、幻想入りに巻き込まれずに済んだのかもね』だなんて、酷く淡白な感想が漏れ出てくる。

 まるでテレビからなんらかの死亡事故のニュースが流れてきた時のような、身の毛がよだつ程の他人行儀さがそこにはあった。

 

……俺も、宵闇の妖怪に襲われて危うく死ぬ所だったんだからさ。

 空を飛べない、博麗の御札が無い、その他にも己の身を守る手段を特に持っていない。それで人里の外を活動しようだなんて、無策無謀もいいとこなんじゃあないか?

 だから、彼が死んだのは。

 

 何か、道理の通らない言い訳が頭の中で反響している。

 

 俺は、自己防衛の為に真実から目を逸らそうとしているのか? それともまさか、本当に『彼の死は非力であった彼自身の責任である』と心の底では冷徹に割り切ってしまっているのだろうか?

 

 そして、この思考は果たして正常なものなのだろうか。

 

 非常識な日常風景に晒されて、外の世界に居た当時の真っ当な感性が保てなくなっているのではないか。

 いや、そもそも、俺に“真っ当な感性”だなんてものが初めから備わっていたのだろうか。生まれ付きずっとそうであったから、これまで欠けていた事に気付かなかっただけなんじゃないのか。

 

 分からない、分からない。

 ああ、最悪の気分だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 緩く瞑っていた目を開くと、月明かりに照らされる朱色の鳥居が見えた。それとその横に鎮座して、神仏守護の役目を現在進行形で果たしているらしき、緑のクルックルな癖っ毛が特徴的な神獣少女の後ろ姿も。

 

 大きな欠伸と共に見渡せば、周囲はもうとっくに夜の闇で満ち満ちていて、遠く響く虫の音が何処からともなく聞こえてくる。

 

……どうやら俺は縁側に座り込み、縁柱に寄り掛かった状態で居眠りをしてしまっていたらしい。

 偏った姿勢で寝入っていた所為か、どうにも背中の筋肉が凝ってしまっていた。

 先程見た夢と言い、踏んだり蹴ったりである。

 

 

「あ、藤宮さんやっと起きた」

 

 

 う〜んと大きく伸びをしていると、背後から呆れた調子をした少女の声が耳に届いてくる。

 

 お寝惚け中の脳味噌な為にその声の主が一瞬誰なのか分からなかったが、現在俺が居る場所を今一度意識してみると、その正体はわざわざ振り返らずとも明らかだった。

 

 大結界越えと退魔用の御札目当てに何度も通う事で見慣れていった、縁側から望める自然豊かな山風景。

 自分以外に使用する者が居るのかどうか疑わしい、もはや神社という体裁を整える為だけに存在するのではないかと思えてくる、申し訳程度の存在感な手水舎。

 境内の端に置かれたあの小規模な社は、『数年前に妖怪の山の中腹に丸ごと転移してきた』とかいうナントカ神社からの分社なんだとか。

 

……そう、以上の視覚的に得られる情報から分かるように、此処は博麗神社なのである。

 

 となれば、先程の声の主が誰なのかは自明な訳で。

 努めて明るい声音を装い、返事をする。

 

「あー悪い霊夢、いつの間にか居眠りしちゃってたっぽい。疲れてんのかなぁ俺」

 

 思いの外、もったりとした重苦しい動作になりながら上半身を曲げ後ろを向く。

 するとそこには呆れたような顔でこちらを見下ろす博麗霊夢が居る──のだが、何故だかその表情はすぐに顰められることになる。

 形の良い眉がすっかり曲がってしまって、どういった感情の表れなのかピンと来ない。

 

……そういえば、博麗神社に足を運ぶ機会は多けれども、こんな空が真っ暗になるまで長時間居座る事は殆ど無かった。

 

 もしや、さっさと帰れと言外にせっつかれている…?

 

 向けられた険しい視線をそう解釈し慌てて立ち上がろうとしたのだが、彼女はそれを片手で制した。

 ぴたりと、片膝立ちの姿勢で固まってしまう。それと同時に、何やら霊夢が俺の顔面をジロジロと無遠慮に観察している様子である事に気付く。

 なんだか気まずいようで、『口元に涎でも付いてんの?』と声に出しこの沈黙を破ろうとすると、彼女はそれに先んじた。

 

 

「もう今日は遅いし、ここに泊まっていったら?」

 

 

 まったく仕方ない仕方ない──そう強く主張するような表情で、そんな突拍子の無い事を提案してくる。

 

「……はい? 俺が?」

 

「あんたの他に誰が居るってのよ……安心して、来客用の布団くらいは用意できるから。なんなら夕飯も振る舞ってあげるわよ」

 

 呆気に取られるこちらとは対照的に、この紅白巫女の脳内では既に『俺が博麗神社でお泊まりすること』が確定事項になったらしく、踵を返して家屋の奥へと消えていく。

 

 え、ホントの本気で言ってんの?

 

 突然の事でフリーズした頭と身体に再起動をかけてその後ろに追い縋ると、そこそこ広い台所で霊夢は棚から米やら味噌やらを取り出して、献立に思案しているようだった。

 ちょっと声をかけづらい。なので、彼女の真意を問いかける口調が若干怪しくなってしまう。

 

「そのぅ、霊夢さん。なんでそんな親切にしてくれるんです? もし夜中に外を出歩くのが危険だからって話なら、そもそもこの辺に強い妖怪は居ないし万が一のときは空を飛ぶし御札も足りてるし別に心配は──」

 

「あー? 今何作るか考えてるんだから静かにしてて」

 

「……ハイ」

 

 一蹴、とはまさにこの時の為にある言葉だった。

 

 

 

 

 

 まあ何を企んでいるのか知らないが、年下の少女が腕を振るって調理をする傍ら、俺がその後ろ姿を何もしないでぼんやりと眺めている訳にもいかず。

 

「……なんか、手伝える事ある?」

 

「ん、じゃあまず水汲みお願いね。それが終わったら火起こしもよろしく、得意なんでしょ? あと、ついでに裏手の倉庫から色々と取ってきて欲しい物があるんだけど──」

 

「お、おう。随分と畳み掛けるんだな……」

 

「いやなら、そのままそこで安静にしてなさい」

 

「や、安静って。世話になるからにはちゃんと働くよ、病人でもないんだから」

 

「……そう」

 

 その後、調味料や調理器具の収納場所を把握してからは、お手伝いの領分を越えた働きをしてしまったような気もする。

 そうして完成したのは、炊き立ての白米や山菜がふんだんに使われた味噌汁、塩が塗された焼き魚とその他少々の付け合わせである。まあ、出来はそれなり。

 後は皿に盛り付けて居間に持っていくだけだ。

 

「藤宮さんって、意外と料理出来るのね……」

 

 霊夢の感心した声が横から聞こえてくる。

 

「そうか? あー、まあ外の世界だと幼い頃から殆ど一人暮らししてるようなもんだったからな。人里に住み始めた頃にちょっと扱かれた事もあって腕にはそれなりの自信がある」

 

 そう言う自分の声音が少し自慢げに聞こえてしまうのは、ご愛嬌という事で。

 人から浴びせられる掛け値無しの賞賛は、受けていて中々悪いものではない。流石にプロ並みの腕前とは自称できないけど。

 

 褒められて得意になっている俺を他所に「へえ、そうなの」と軽〜く返答をした少女は、何やら再びこちらの顔を真剣な様子で注視してくる。

 

……それも長く続かない内に終わった。

 

 そして、安心したように少しだけ表情を緩ませた霊夢は口を開く。

 

「食事する前に一旦裏で顔を洗ってきなさい。その間に私はあうんを呼んでくるから」

 

「ん……ああ、もしかしてやっぱり居眠りしてた所為で口に涎ついてた?」

 

 先程から彼女が矢鱈と俺の顔面を気にしている様子であったのは、多分その所為であったのだろう。全然気付かなかったわ、と思い咄嗟に袖で口元を拭う。

 

 だが、特にそれらしき感触は無く。

 

 疑問に思いながら視線を投げ寄越すと、困ったように眉を顰めた少女が珍しくモゴモゴと言葉を濁している。

 

「え、いや、そういうのじゃなくて……」

 

「……そういうのじゃないって、どういう事?」

 

 非常に言いにくそうにしているところ悪いが、こちらは突然泊まっていけと言われたりして理解が追いついていないところもあるのだ。気になるものは気になる。

 ちょっとだけ不満を前に押し出して追求してみると、霊夢は観念して話し出した。

 

 

 

 

「……今はだいぶマシになったけど。あんた、さっきまでかなり顔色が悪かったのよ? 目覚めて振り返った直後なんか死人みたいに蒼白になってたし」

 

 そんな酷い顔色をしながら『疲れてる』とか言い出すから、らしくないとは思いつつ心配になって──と少女は照れ臭そうに視線を逸らしながら、その心中を述懐する。

 

「あーーーー、そっか」

 

……先の夢見の悪さはかなりのものであったのは理解しているが、そこまで気にかけてしまう程に顔に出ていたか。

 自分の演技力の無さに泣けてくる。

 

 昔はそうでもなかったんだがなあ。どうにも幻想郷に居着いてからというもの、化けの皮が剥がれ易くなってしまっているような気がする。

 

 フランドールという己の全てをぶちかました前例が出来た所為なのか、それとも紅魔館を訪れるよりも前から既に、タガが外れかけていたのか。

 

 俺は自身の異常性が周囲にバレてしまう事に、並々ならぬ恐怖を感じていると自覚している。

 ありのままの心境が表に出易い表情や態度から勘付かれてはたまったものではなかったので、幼い頃からそこそこに演技力は磨いてきたつもりだ。

 最近になってそれが鈍ってきているのは、果たして良い事なのか悪い事なのか。自信を持っての判別は出来ない。

 

 

 

 

「とにかく、私が、珍しく気を遣ってやってるの! 日頃のお賽銭の礼だと思って有り難く受け取っておきなさい!」

 

「わかったわかった、有り難く受け取っておくから落ち着けって」

 

 平素と変わらぬ顔を繕って気を利かせてくれたのにそうとは気付かず、『私、貴方の事を心配してますよ』と態々面と向かって宣言させたのは、もしかしなくてもかなり無粋だったのだろう。

 

 今のこの状況は、面白いポイントが通じず滑ったネタを、考案した本人が聴衆の前で『今のネタはね、これこれこういう部分が笑える所だったんですよ』と解説する、そんな地獄のような光景に酷似している。

 

 「もう今日は遅いし、ここに泊まっていったら?」の一言目で全てを察し、その気遣いを黙って受け入れていれば話は違ったのだろうが、生憎俺はそこまで聡くはない。

 

 結果、霊夢には酷な真似をさせてしまったという事だ。

 

 不発に終わった粋な計らいを再度掘り返されて、しかも自分で詳しく注釈付けしてしまうその気持ちは、結構クるものがありそうだなぁ──と他人事のように同情する。

 まあ、俺の察しの悪さが元凶ではあるのだけど。

 

「大丈夫大丈夫。少なくとも身体の方は元気なんだし、今から顔を洗って気分も一新させるしさ」

 

 まあまあと羞恥に悶える彼女を宥め、俺は言われた通りに井戸のある裏手に回って、沈んだ気分を水と共に洗い流す事にしたのだった。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

──彼の面倒を見てあげてね。

 

 いつも通りに何かを目論んでいる様子の紫に頼まれて始まったあの元外来人との関係も、気付けばそれなりに心地良いものとなっていた。

 

 よくお賽銭を投げ入れてくれて、よくお土産を持ってきてくれて。

 その対価は、彼を外の世界へと返す儀式を行う事と、やろうと思えば無数に用意出来る妖怪退治用の御札を渡す事のたったの二つだけ。

 

 彼には悪いけど、初めは『随分と都合の良いお財布が出来たものね』と思っていた。

 それと同時に『手放すのはちょっと損かな』とも。

 とはいえ、流石に外の世界に送り返す準備を怠るような真似はしなかった。

 

 それは博麗の巫女としての責務があったから──だけではなく『今度こそ帰るぞ!』とめげずに息巻く彼の姿を見て、異変じゃないからと普段通りに手を抜くのは失礼だと感じていたからだ。

 

……それこそ、勘によってその試みが失敗に終わる事が明確に予期出来ていたのだとしても、協力する手を惜しむ事は一度もなかった。

 

 彼は何度大結界越えを失敗しても目に見えて落胆する事はなかった。

 当然、心の中ではその限りじゃなかったのかもしれないけど、少なくとも外面を取り繕えるだけの余裕はあった。

 きっと彼はどんなに辛い体験しても決して表情に出す事はないんだろうな、と縁側でお茶を飲みながらのんびりと考えたこともある。

 

 

 

──だからこそ、崩れることがないと思っていた顔が死人のように青ざめているのを見てしまったその時、私は柄にもなく『泊まっていったら?』と提案して、彼を自分の目の届く範囲に引き止めたのだった。

 

 

 

 異変を通して、幻想郷の至る所を見てきた博麗の巫女としてハッキリ言う。

 

 藤宮さんは、里の外で活動する者としては余りにも非力に過ぎる。

 

 確かに博麗神社と里の間には然程強大な妖怪は出ないと聞くけれど。確かに彼は空を飛べて、私が用意した御札を持っているけれど。

 あの時の彼は、風吹けば粉々に散ってしまいそうな程、気配が弱々しかった。

 あのまま彼を引き止めなかった場合ともすれば、そこいらの雑魚妖怪にやられちゃうんじゃ──本気でそう心配になってしまうくらいに、その存在は弱々しいものだった。

 

 

 

 少なくとも今晩だけは、客用の寝室前に張り込んででも彼の様子を経過観察する必要がある。

 そして日が昇って、彼が平常状態に戻っているのなら博麗神社の敷地から出る事を許してあげよう。

 もしも、快調せずにまたぞろ死にそうな顔をしながら『里に戻る』とか言い出したその時には……弾幕ごっこでもして無理矢理にでも押し留めよう。

 

「……ちょっと、入れ込み過ぎかしら?」

 

 思いの外豪勢となった夕飯を小皿に盛り付けながら、彼に対してどうにもお節介になってしまう自分自身に、らしくないんじゃないの? と問いを投げる。

 その答えは、案外すぐに閃く事が出来た。

 

「仮にそうだとしても、止める理由がないわね」

 

……なんといっても、彼は博麗神社唯一無二の参拝客。

 

 加えて、欲しい物を要求すればお土産という形で必ず持ってきてくれるのが便利過ぎて、私生活の面においてすっかり彼の存在に依存し切ってしまっている。

 それに一応、紫から世話を頼まれているという大義名分があることだしね。

 

 だから、外の世界への帰還が果たされるその時まで、彼にはずっと元気でいてもらわないと私が困るまであるのだ。

 らしくもなく入れ込んでしまうのも、そう考えれば仕方のないこと。

 

 

 

 

 

 幸いにして、彼の事を想って勘を巡らせても、不吉な予兆は感じ取れない。

 経験則として私の勘が外れた事など一度たりとも無いのだから、わざわざ無理に引き留める必要性は今となってはもう無いのかもしれない。

 

 でもまぁ、私とあうんの二人だけじゃこの量は食べ切れないし、食材を無駄にしない為にも藤宮さんにはこのまま此処に泊まっていってもらおう。

 『案外彼は料理上手だった』という意外な収穫もあった。次に御札を手渡す際の対価は、お賽銭の代わりに料理を作らせてみてはどうだろう?

 

 食事中に機を伺って、早速頼み込んでみましょうか。きっと彼の事だから、渋りながらもなんだかんだで最終的には頷いてくれるんだろうし。

 




 
 
 断章はこれで区切りです 次からは新シーズンです宜しくどうぞ



 実は作者自身、このオリ主がこれまでどのくらいの期間を幻想郷で暮らしているのかさっぱりよく分からんとです
 作中一ヶ月も経過してません、とは短すぎて流石に主張出来ません かと言って五年くらい経過してんのか、と問われるとやーそんなに長くはないかなーと反論したくなる微妙なところ 
 強いて言うなら、ほどほどに経過してる感じです ほどほどにね

 まあ原作が既にサザ○さん時空的な感じですので、この作品もそれに準じていると思って下されば結構です

 幻想少女は加齢を知らない……いいね?

 でもよくよく考えてみると東方projectには五年程度歳食っても元と大差ないBBAキャラが多いので、あんまり関係のない話なのかもしれませんねHAHAHA

 おっと、誰かが来たようだ……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六章 泥濘に淀まぬ命の華
非常識にこなれてきた青年は杯を乾かす


 オリ主が博麗神社に度々お泊まりする様になってから、また少〜しだけ時間が経ちまして



 

 

 かつて人間の里で“新聞”と言えば、それは妖怪の山からやって来た鴉天狗が思い思いにばら撒いてくるヤツか、或いは里の中心部で発行されている人間のジャーナリストたちが執筆しているヤツかのどちらかを指していたのだとか。

 

 里の住人にとって必須なのは言うまでもなく後者の方であるが、それはそれとして前者の方を心待ちにしている人の数は多かったと聞く。

 

 なんでも、ゴシップ誌的な筆調自体に娯楽性があるんだそうで。

 

 読んでいて気の詰まる堅苦しい政治や金融の話なんかよりも、若干面白おかしく誇張された四方山話の方が大衆に好まれる傾向にあるのは、外の世界となんら変わりはない。

 読了後、掃除やら焚き付けやらに使うのに丁度いい紙面サイズな事も、その人気ぶりの一因でもあった。昔っから人間の里に於いて、鴉天狗の新聞に対する需要は驚くほどに根強かった。

 

 となれば、そこに商機を見出す人間が現れたとしてもそう不自然な事ではあるまい。

 次第に里の者達の間で、人間の人間による人間のための、内容がやや娯楽に寄ったお手軽サイズの新聞が発行されるようになったという。

 着眼点が人外に寄った鴉天狗のものではない。読んでいて欠伸の出てくるお堅い内容のものでもない。少々()()()な、ライターの私見マシマシな第三の新聞が人間の里にて誕生したのである。

 

……まあ実はその誕生秘話自体にも色々と諸説あって、『元々記者の職に就いていた外来人が里で身銭を稼ぐ為に始めた説』や『博麗大結界が設立する前には既にその前身はあった説』、果ては『え?逆に鴉天狗がこっちの真似してんじゃねーの?説』などなど。場末の居酒屋で、徳利片手に討論する知識人の姿が偶に目撃される事もあるとかないとか。

 

 ぶっちゃけ、どの説が正しいのかは俺からするとどうでも良いことだ。

 

 

 

 

 

 “今”重要なのは「ほれ、お前さんのことがこれに載っておるぞ」と年寄りじみた口調をする女性が、例の新聞を片手に掲げてこちらに呼びかけてきた事だった。

 せっかく人が意気軒昂と気持ち良く呑んでいるというのに、突然そんな事を言われて冷や水を浴びせられたようだった。

 

……え、本当に? 心当たりが全く無いんですけど。なんか悪い事しちゃったっけなあ。

 

 周囲のおやっさん方に気取られないよう宴会の席から抜け出して、奥の座敷席へと向かう。そして視線で促されるまま空いている向かい側に座って、手渡してくる新聞を受け取った。

 

 丸眼鏡に緑黄色の羽織を着て、焦茶色の長髪に虫食いした葉っぱを付ける一見お淑やかそうな和装のお姉さんは、にやにやと口角を緩ませながら口を開く。

 

「一先ずはそれを読んでみい、随分と愉快な事になっておるようじゃのう」

 

「……これって本物なんですよね?」

 

「無礼なやつじゃな。そう心配せずとも、どうせ化かすんならもっと手口を凝るわい」

 

「それは……まあ、確かに」

 

 嫌になる程の説得力を持った言葉に頷いて、お向かいさんが一人この店名物の煮物を酒のあてにしている最中、俺は彼女が指していた一面を頭から目を通す。

 

 

 

 


 

 近頃、巷では『ありがた〜い博麗の御札』なる呪具の存在が密やかな話題となっている。実際に利用者の声に耳を傾けてみると「所持するだけで妖怪や妖精の類が一目散に逃げていく信じられないほどの逸品だ」と全員が口々に賞賛していた。筆者自身、とある筋の協力のもと実物を入手し、その効力が信頼性の高いものであることを実証している。大体十日ほどで効果が切れてしまう消耗品ではあるが、草木も眠る丑三つ時であっても安全安心を確保できるその有用性と『ただ懐に忍ばせるだけ』というお手軽さがなんとも素晴らしい。特に人外の猛威に比較的晒されやすい里の郊外に住んでいる者からすると、その御札が垂涎の品であることは想像に難くない。専ら『妖怪神社』と噂され評判が低い博麗神社であってもこの地は龍神様の御膝元、曲がりなりにも御利益はあるということか。

 

 もしかすると本稿を読んで「遅ればせながらも入手しよう」と動く方がいらっしゃるかもしれないが、残念ながら目的の品を即座に入手するのは現状を考慮すると難しそうだ。というのも、この品を博麗神社から直に卸しているのは個人が経営する便利屋《『藤見屋』と聞けば名前だけでも心得る方も多い事だろう》で、更にそこを経由して自警団の手に渡り、彼等が必要とする分をさっ引いて尚余った物をさっとこさ市場に流して、という非常に消極的な販売形態を取っている為だ。つまり現状の『ありがた〜い博麗の御札』とは、市井の人々にとってはさほどの数も流通していない珍品なのである。危険を承知で外門の警備や畑の見回り役を担う自警団に優先権があるのは道理、なので彼等を入手困難の原因と睨むのは誤りだ。常日頃の善き行いを忘れず、世話になっている周囲の人々に対して感謝の言葉を送り、龍神様への毎日の祈りを欠かさずに行っていればいずれはきっと、手に入る事間違い無し。慌てずとも今は座して、購入の時期を窺うのが得策であろう。

 

 完全に余談ではあるがこれに関連して一つ、体験談という名の愚痴をここに記しておこう。それはつい先日のこと。引き続き『ありがた〜い博麗の御札』の効力を確かめる為に、それと『これほどの呪具を拵えるとはもしや、博麗神社は存外に霊験あらたかな祭神を祀っているのでは?』と好奇心を持った為に、筆者は遥々博麗神社まで参拝をしに行ったのだ。無論、単身で里の外に出るなど以前ならば自殺未遂と取られかねない愚行である。しかしながら結果として、化生に害されることなく生還できたのは、この記事が無事発行された事実から分かるとおりの事。本当に、物は良かったのである。物だけは。

 早朝に里の東端から出立して荒んだ通り道を進み、気を揉むような長さの石階段を登った先に件の神社はあった。境内を掃いていた巫女に挨拶をした後、鳥居の端を潜り手水舎にて心身を清め、拝殿に立ち寄って賽銭を投げ入れる。問題はそれを行なった直後に発生し、筆者は信じられない光景を目の当たりにしたのだった。

 それはなんと、金銭が入ったと見るや即座にそれに近寄っていって、参拝客の眼前で賽銭箱の底を漁る博麗の巫女の姿である。その上、厚かましくも賽銭の額に不満を持ったらしく、大きなため息をついてくるという酷い有り様であった。流石に我が目を疑った。いくら年若とは言え仮にも神職に勤める者が行って許される振る舞いではない。何時何時襲われるとも知れぬ中命懸けで此処まで歩いて来たというのに、まさかその果てに斯様な仕打ちを受けるとは。当時の筆者の遣る瀬無い心境と驚愕は筆舌に尽くし難い。外面は内面の表れとも言うが、〜〜〜


 

 

 

 

 以降は目を通す価値の無い駄記事の気配しかしなかったので、一旦顔を上げて目頭を軽く揉んだ。

 

「えぇ、霊夢のやつ何やってんの……」

 

 読みながら『霊夢お手製の御札をスゲーべた褒めしてくれるじゃん我が事のように嬉しいじゃん』とか『俺のことが載ってるってホントに載ってるだけじゃないか、変に心配して損した』とか色々と思う所があったのだが、後半の内容が全てを掻っ攫っていった。

 

 狙ってやったわけではないものの、“ありがた〜い博麗の御札”をきっかけにして博麗神社の名が上がっていく展望が見えてきた今日この頃。それが儚い夢であったと知って頭を抱えてしまう。

 

 手に持つ新聞がそこそこの発行部数を誇るものであった事も最悪だった。ヤバイよこれ俺も普段から楽しみにしてる有名どころの新聞だよ……

 

 そんな有名な記事の一面に身内──とはいかないまでも、それなりに親しい仲の人物のやらかしがドーンと掲載されてしまっている。共感性の羞恥心が疼いてしまって顔が熱い。

 いやいやこれは酒の所為なんだよほんとほんと、と自らに言い聞かせて荒ぶる気を落ち着かせようとする。

 

 ついさっきまでは祝いの席で盛り上がっていたというのに、まったくどうしてこんな気持ちにならないといけないのか。

 

 

 

 その慌しい表情の移ろいを見て向かい側に座る女性──いやさ化け狸の大妖怪、“二ッ岩(ふたついわ) マミゾウ”は「ふぉっふぉっふぉ」と満足そうに笑っていた。

 

「いやはや、まさかそこまで驚いてくれるとは。態々新聞を持ち込んだ甲斐はあったのう」

 

 彼女は如何にも妖怪らしく、人を驚かす事を何よりの楽しみとしている節がある。俺はまんまとその犠牲者となった訳だ。

 せめてもの反撃として『自分の力で驚かせたわけでもないのに喜ぶなんて、妖怪としてそれで良いんですか』と言いたくなったが我慢する。多分それを言ったが最後、当分の間は行く先々で化かされてえらい目に遭うと予感した為だ。

 彼女の子分は里の隅々にまで根を張っている。その全てを相手取る選択をするなどと、俺はそこまで愚昧であるつもりはない。

 ただ内心で『こいつ…!』と悔しく涙するのみである。別名“泣き寝入り”とも呼ぶ。

 

「じゃがまぁ、あの巫女がそのような珍事をしでかすとはのう。儂はあやつと特別親しい間柄という訳では無いが、以前見かけた時はそんな迂闊な事をする性格ではなかった気はするの。稀であろう参拝客をふいにするとはらしくもない」

 

 存分に笑う事で満たされたのか、マミゾウさんは打って変わって神妙な様子をしながら盃を傾けている。

 なぁにその、まるで知らぬ間に人が変わってしまったようだ、みたいな言い草はぁ。

 何処か当てつけに聞こえてくるその声に、思い当たる事が一つあってピクリと身体が反応を示してしまった。

 

 いやまあ、あくまで可能性の話なんだけど。

 

 もしかすると、霊夢が公然と参拝客の前で賽銭箱を漁るようになってしまったのってさあ。

 それと、並大抵の額の賽銭では満足しないようになってしまったのってさあ。

 そうなるまで、彼女のことを甘やかしてきたのってさあ。

 

 

 ……。

 

 

 や、まあまあ、それはあくまでも可能性の話だからね。

 全部俺の所為なんじゃね? だなんて、そんな、ねぇ?

 ウン、無い無い。無いわー。

 

 

「なんじゃお主、ひょいひょいと百面相しおってからに。 吐くのなら外で頼むぞい。此処は儂のお気に入りの店なんでな。万が一の事があったら承知せんぞ?」

 

「……は〜、いや別にそういう訳じゃないので大丈夫です。それよりもう戻っていいですかね。酒を入れ直したい気分なので」

 

「うむ、十分に揶揄えて満足できたし、最後に一つ儂からの問いに答えたのならそれを許そう」

 

 うんざりした顔で「……まだ何か?」と主張すると「何、ちょいとした好奇心から来る簡単な問いよ、そう身構えるな」と彼女は丸眼鏡をクイと上げ、苦笑混じりに話し始めた。

 

「お前さんを先頭とした団体がこの鯢呑亭に入っていくのを目撃してからというもの疑問に思っていたんじゃが、今そこで酔って大騒ぎしてる人間共は一体何の集まりなのかのぅ? 後から入ってきた身で悪いが、何分煩くてゆっくり酒を楽しめんわい」

 

 そう言って指差す先には、わいわいガヤガヤと酒とつまみをかっ食らいながらどんちゃん騒ぎをしているむくつけきオッサンどもが居た。マミゾウさんから呼びかけられる前、俺が混ざって酒を呑んでいたのがあの集団だ。

 

 自分がこっそりあそこの席から抜けて時間もちょっと所ではなく経過しているのだが、彼らがそれに気付いた様子はない。

 今も、鯨みたいな帽子を被ったピンク髪に水色の着物を身に付けた店員さんに向けて、酒瓶を幾つか追加注文をしているようだった。

……一応、俺って今回の飲み会の主役の筈だったんだけどなあ。

 

 主役が居なくなっているのに、誰もそれに気が付いてないとはこれ如何に。

 うん、分かってる。答えは皆がへべれけに酔っているからだ……つまり彼らの優先度的には 酒 > 俺 ……へへ、悲しい。

 おっと、自嘲に浸る前にまずは聞かれた事に答えねば。

 

「彼らは全員大工さんですよ。手掛けていた一軒家の建築がやっとこさ終わったんで、落成式ついでに飲み会を開いたって感じです」

 

「大工の集まりぃ? ……儂の記憶違いでなければ、お前さんは確か便利屋じゃろ? なんで一緒に呑んでおったんじゃ」

 

「なんでってそりゃあ、その家の建築を彼らに頼んだのが俺だからですよ。費用を抑える為に資材運搬を手伝ったりもしてたんで、まあ一応の主賓として呼ばれた訳なんです」

 

「主賓……という割には、席を抜け出されても彼等は大して気にしていないようじゃが?」

 

──言うな、一番おかしいと思っているのは俺なんだ。

 

 それに多分『気にしていない』じゃなくて『気付いていない』が正解の筈なのだ。人をさも可哀想な奴みたいに指摘するのはやめておくれ、心が傷付いちゃう。

 目をこれでもかと細める事により抗議の意を表してみたのだが、マミゾウさんはこれを気にする事なくスルー。そして、何かを思い出すようにして盃に満たされた水面に目を滑らせた。

 

……それから、ややもせずして声を上げる。

 

「ふうむ、響子のやつが以前『命蓮寺の近くに新しい家が建ってる!』と騒いでいた事があったのう。もしや……」

 

「あー、多分そのご想像の通りです。こっちの敷地は薄い雑木林に囲まれているので、お隣さんと呼ぶにはちょっと遠い感じはしますけどね」

 

「そうかそうか。なんにせよ、近隣にお前さんが居を構えたと知ったら寺の彼奴らも大喜びするじゃろうて」

 

「またまたそんな大袈裟な。……実はもう挨拶だけは済ましてあるんですが、精々が“隠れ蓑”が増えた事をほくそ笑む程度でしたよ。大喜びしてくれたのなんて聖さんと響子ちゃん位なもんでした。それも正直、彼女達の性根が善性に寄っているからというのが大きかったんでしょうし」

 

 新築なマイホームの事を命蓮寺の皆に話した時の光景を脳裏に思い出していると、何故だかマミゾウさんは「クックック」と感じの悪い笑みを零していた。

 流石に「ん?」と疑問に思ったのだが、それを最後に彼女は意味深な笑顔を浮かべるだけ浮かべて、俺との会話をあっさり切り上げたのであった。

 

……なんか不穏だなぁ。

 

 

 

 

 

 仕方なしに俺が彼女から離れるのと同時に、何故だか興奮している様子の鯢呑亭の看板娘がマミゾウさんの所へと立ち替わりに近づいていった。

 

「ちょっと、どうして深夜じゃないのに来てるんですか!? 『鯢呑亭に妖怪が出る』って噂が立つと客足が途絶えるから困るんですって、私何回も言いましたよね!?」

「うむ、それは何度も聞いた。耳にタコが出来る位にはな。じゃが安心せい、儂の変化の術はそう容易くは見破られんからのう。そら、普段は目立つ尻尾も実はこうして隠しておってじゃな……」

「待って! お願いだからほんとに待って! 店内で尻尾を出さないで! バレちゃう! バレちゃうからぁ!」

「……美宵ちゃん、今向こうが大騒ぎしてて命拾いしたのう。もしそうでなかったら、お主の大声で視線を集めて本当にバレるところじゃったわい」

「うっ、ご、ごめんなさいぃ」

「うむ、以後同じ事繰り返さないよう心掛けるのじゃぞ」

「は、はいぃ、わかりました……ってなんで私が謝ってるんですか!? あ、それとさっきまでウチのお得意様に声掛けて話し込んでましたよね!? もし何かの弾みで変化が解けたらどうするんですか!?」

「いや、だから儂は変化のぷろふぇっしょなるじゃから心配には及ばんし、彼の場合はもう既に儂が妖怪だと知っておる──」

「不味いわ! もしそれでこのお店が妖怪居酒屋だって評判が立ってしまったら……お得意様が居なくなって……売り上げも右肩下がりに……鯢呑亭はお終いよぉ〜」

「……はぁ〜、まったく騒々しいやつじゃのう」

 

……まあなんか、飲兵衛達の喧騒でよく聞こえてこないのだが、見た感じ二人は楽しそうに会話してるっぽい?

 

 それに随分と親しそうである。

 

 という事はマミゾウさん、鯢呑亭の常連だったりするのかな? もしかすると俺なんかよりもずっと昔からの。

 むむ、それで店員さんとあのような距離感とは……なんか先を行かれているようで妬ましいなぁ。

 

 妬ましいなぁ。

 

 ふむ。

 

 ならば、こっちも張り合うしかない(?)ではないか!

 

 元のテーブルに戻ってから直ぐに、酒を盃に並々注いで一気飲みする。それから忙しそうにテキパキと注文の品を仕上げていく禿頭のおやっさんの正面に立ち、この酔っ払い達の乱痴気騒ぎに負けない位に声を張り上げた。

 

「おやっさん! 煮物一皿お願いします! 俺大好きなんでおやっさんには毎日煮物作って欲しいです!」

 

「? ……? お、おう。あんがとな…?」

 

 何か今、酔った勢いでとんでもない事を口走ったような気がする……いや、気の所為か。

 




 章題でどの勢力が登場するのかバレバレ問題


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

新しい仮の住まいと予期せぬ来訪者達

 今回シーンのぶつ切り感半端無いかも 誰か上手いシーンの繋げ方を教えてくだせえ



 

 

 すっかり夜も更けてきた居酒屋『鯢呑亭』にて。

 

 腕利き大工集団としがない何でも屋の手によって催された宴会は、年季の入った店主謹製の品々と愛嬌振り撒く看板娘の働きにより、非常に満足のいくものとなった。

 その際に酔いどれ達が織りなした異様な賑やかさは、店の奥で独酌をしていたマミゾウさんが「一人で静かに呑みたい気分じゃったのにこれでは叶いそうに無いのう」と苦笑いしながら立ち去って行った程。

 

 場がお開きとなって鯢呑亭から出た後も、野郎共による酒気混じりの騒々しさは留まるところを知らなかった。

 

「おぉい、まだ酔い潰れてるヤツは居ないよな? ツイてる事に明日は仕事が入ってねえんだ。次だ次! 夜はまだまだ長いぞぅ野郎ども!」

 

「「「応!!」」」

 

 

「……え、まだ呑むんですか?」

 

 

 これは別段詳しく統計を取った訳ではない完全なる私見だが、どうにも幻想郷出身の人間は、皆一様にしてお酒に強い体質持ちであるようだ。

 

 こちとら大分呑んで千鳥足の一歩手前であると言うのに、それよりも大量のアルコールを摂取していた筈の彼らが二次会に積極的な姿勢を見せていて、俺は酒気に赤らめていた顔がすっかり青褪めしていくのを感じた。

 一刻後には裏通りの隅っこで胃の内容物をリバースしている自分の姿が、容易く想像出来てしまった。

 もうお酒は無理、これ以上は付き合い切れない。

 

 なんせ酔いが酷いと、呑んでる時の記憶が翌朝にはすっぽり抜け落ちてしまう……なんて事態も十分にあり得る話なのである。

 

 明日早くから予定している事もあった。

 

 なので大工の親父さん達がいざ次の居酒屋へと意気込んでいる所、気後れしながらも水を差す。俺が「これ以上の飲酒は身体が保たないから」と言うと、

 

「これしきで限界とは、これだから最近の若いモンは根性が足りておらんのじゃ。それに比べてワシが若い頃はまだ──オロロロロ」

 

「ぎゃあ、こっち向くな!」

 

「わっははは! 離脱者一名追加だぁ! 誰かこの酔っ払いを家まで送ってやってくれ!」

 

「あぁなんだぁ藤見屋はここで離脱か? こっからが本番って時に勿体無い。……ほんとはまだまだ余裕あるんじゃないの? 正体見たり! って感じだな」

 

「オジサン分かっちゃうよ、二日酔いが怖いから深酒は出来るだけ避けたいんでしょ? ──オラッ! そんな我儘通用する訳無いだろ! まんじりともせず吐き気や頭痛、胸焼け等の症例を受け入れろ…!」

 

「人付き合いの悪さにも限度あり、しかしその健康志向誉れ高い」

 

「……兄ちゃんよ。さっきの美味い居酒屋の事、教えてくれて助かったぜ。いやぁ、店主一人で切り盛り出来るだけあって酒も飯も上出来だったなぁ。当分の間は通い詰める事になりそうだ」

 

 程度の差はあれ彼らも酔っている事に違いは無い。

 各々が口にする返事は本当に思い思いのもので、割とカオスだった。

 

 最後の人なんて真っ当そうな口調で話せてはいるが、鯢呑亭を指して『店主一人で切り盛りしてる』って……酔いが回り過ぎてあの可愛い(俺視点)看板娘の存在をサッパリ失念してしまっているではないか。

 

 まっことお酒の飲み過ぎは宜しくない、危険だ。

 

 騒いでいる当人は随分と楽しそうではあるのだが……正直、あのような残念飲兵衛達への仲間入りはご容赦願いたい。

 なんなら、さっきまで自分があの人騒がせな集団に馴染んでいた事実自体を葬り去りたいくらいまであった。

 

「ま、なんだ。もしかすると今後そっちに建材運びの依頼を出す事もあるかもしれんから、そん時は気が向いたら頼みますわってことで。ああ、それからもしあの家屋を改築するような事があったらウチに相談しなよ。幾らかお安くするから」

 

「……ええ、その時になったら世話になりますね」

 

 まだ正気を保てている大工さんからやっと真っ当な言葉が聞けたので、愛想笑いをしながらそれに返す。

 

……現状、一軒家という非常に大きな出費をした分だけ、俺の財政事情は切迫しているとまではいかないもののそれなりに寂しい事となっている。

 

 それを埋める為にもこうして人との縁を保っていくのは、幻想郷生まれ幻想郷育ちの彼らと比較するとやはり根無し草のきらいがある俺にとって、中々に悪くない事なのかもしれない。

 

 必須級、と言い表しても過不足は無い。

 

 向こうから依頼が舞い込んで来ない事には、客商売という性質上、藤見屋は干上がるばかりなのだ。

 幻想郷に住み始めたあの頃に逆戻り、だなんてのは二度と御免だった。

 

 

 

 

 

 夜風に当たりながら気分良く帰路に着くと、相も変わらず建て付けの悪いうらびれた長屋が俺を出迎えてくれた。

 

 随分と物が減って視覚的に寂しくなったその一室で、未だ残る酔いを少しでも和らげようと、土間に置かれた水瓶に柄杓を突っ込んで喉を潤す。

 ヒンヤリとした清涼の喉越しに人心地つくや否や、俺の頭の中で唐突に思い起こされる物事があった。

 

「そういえば何か、宴会中にちょっと気になる事を耳にしたような…?」

 

 薄ぼんやりと脳裏で想起するのは、先程の鯢呑亭で大工の親父さん達とどんちゃん騒ぎをしていたときの光景。

 あれは確か、マミゾウさんから新聞の件で呼び付けられた時よりも少しだけ前の事。

 空きっ腹に酒を二杯ほど空かした直後に行われた会話だった。

 

 

『にしても藤見屋の兄ちゃん、中々イイ土地に目を付けたじゃあないか。工事中、アンタのお陰で随分と縁起の良さそうなモンを間近に拝めたよ。いやぁ、今思い出しても身震いするくらい立派なモンだったなぁ、アレは』

 

『はあ、“随分と縁起が良さそうな立派なモン”? 何ですかそれ? ……あぁもしかして、水晶玉に方行屋根が乗ってるヤツじゃないですよね? なんかこう、片手で天に掲げると輝いてビームが出てきそうな感じの』

 

『……いんや、そんな珍妙なのは知らんけど。てかむしろ兄ちゃんの言うヤツのが気になるんだが』

 

『あーいえ別に気にしないで下さい。あそこは命蓮寺が割と近くなので、もしかしてと思っただけで』

 

『命蓮寺…? ああ、あの“妖怪寺”の事か? 正直、縁日か何かで催しがある時以外だと宗教施設ってのはどうにも縁遠くてな。宝船が飛来してきたって話で持ちきりだった頃もあったんだが……すっかり名前を忘れてたなぁ』

 

『なら、これを機に是が非でも名を覚えておいて下さい。妖怪寺では無く“命蓮寺”と。……おやっさん、もしやまさか、博麗神社の事も妖怪神社と呼ぶ口ではないですよねぇ? 困るんですよ、そう無慈悲にポンポンと事実を陳列されちゃあ!』

 

『お、おう。なんかこう、急に圧が凄くないか兄ちゃん……酔いが回るの早過ぎじゃない?』

 

『いいえ、俺ァ全然酔ってなんかいませんですともよ? 博麗神社についてはうんまぁひとまず置いておくとして、命蓮寺に関して言えばあそこほぼ里の内部に位置すると言っても過言無い筈でしょ? 立地良し、人柄良し、なのにどうして彼女達の活動がイマイチ報われないのか──』

 

 

 結局、あの場では話を別の方向にシフトさせてしまった所為で、大工さんの言っていた“随分と縁起の良い立派なモン”が何を指していたのかが分からず仕舞いであった。

 

 曰く、ソレは丁度建設予定地の直下に埋まっていたのだとか。

 曰く、ソレは見るからに御利益がありそうだったのだとか。

 曰く、ソレを入念に観察した棟梁が「この地は護られているから基礎工事は最低限でヨシ!」と判断し、その為に工期が短めに済んだのだとか。

 

 ソレに関わる外周部分の情報はぼちぼち思い出せはするものの、肝要である中心部、ソレが何と呼称される物だったのかが全く思い出せない。

 

 或いは、初っ端から聞き出せてなんかいなかったのかも?

 

……いんやぁ? こうして頭を捻っているとソレの名称も、鯢呑亭のカウンター席で棟梁の口から直に聞いていたような覚えがある。

 なんでも『家主なら当然知る権利があるだろう』との事で。

 

 えーと、なんだっけ?

 

 確か、“カ”……“カナ”…………うーん、そう長い名ではなかった筈なのだが。加えて外の世界でも橋の構造がどうとかでちょっと聞き覚えがあるような、そんな気はするんだけどなぁ……

 

 答えが喉元にまで来ているというのに中々口に出て来ない。

 

 『夜中一人でウンウン唸っていても仕方が無い、そんな事よりも忙しくなる明日に備えよう』とそのうち思い出すのを諦めて、寝床に着くまでのその間、俺は何とも言えないもやっとした感覚を一入に味わったのだった。

 

 

 

 

 

 

 翌日の朝は早かった。

 裏戸から少し歩いて起き抜けの顔に井戸水を叩きつけてやって、寝惚けていた頭の中に以前から組み立てていた段取りに関して少しずつ思い出していく。

 

──ご近所さんにはもう挨拶は済ませてあるし、個人で出来る範囲ではあるが()()()()お知らせも既に吹聴し終わっているし、必要となる荷物は一括りにまとめて裏手に回した大八車に載せてあるし。

 

 事前準備は昨日の昼頃には全て完了していた。

 なので部屋に戻り朝食をある程度こなした後、『済ますべき事はなるべく早く済ませるのが吉』と直ぐ様行動を起こす事にする。

 

 手早く諸々の支度を終わらせて『いざ出発』という段になると、何処からともなく感慨深くなって、今一度俺が住んでいた部屋の内装を見回してみる。

 総評して、家賃が格安だった分壁は薄いわ床が軋むわ水源である井戸まで遠いわで、曲がりなりにも文明的な生活をしてきた現代っ子からするとなんとも散々な物件であった。

 

 稀に来るお隣さんの大いびきに寝れない夜を過ごす事もあった。

 扉に鍵が付いてなくて、田舎特有の防犯意識の低さに戦慄した事もあった。(つっかえ棒が備え付けてあったが不在時に戸締り出来ないんじゃ意味が無い)

 

 こんな劣悪な長屋とは本日限りでおさらばだと考えると、気分は晴れ晴れとした蒼天模様だった。

 

……しかしながらまぁ、短所がいくら目立とうとも、自分が此処に長らく世話になったのも少々業腹であるがまた事実。

 最後に目につく所だけでも掃除してやって、それをせめてもの餞別としようではないか。

 

 

 

 

 

 

 えっちらほっちらガタゴトと、荷車を引きながら人間の里の最東端を目指して進む。

 すると先程まで乱立していた平屋は次第にその密度を疎らにしていき、徐々に小ぢんまりとした田畑や水田が目立つようになっていく。

 その道中ですれ違った人の姿もその数を減らしてしまって、最後に見かけたのは朝早くから熱心に土作りに励む農家のお婆さん一人くらいなものだった。

 

 人の気が限りなく無くなってゆく畦道に沿いながら、うっかり荷車を脱輪させないように留意しながら進み行くと、やがては小規模に群生する雑木林に突き当たる。

 更にそこから、作業場までの行き来がスムーズになるよう大工達の手によって整えられた、森の奥へと続く道をなぞって少々の時間を歩いた。

 そうして進んで行く内に視界の通りを妨げていた緑の葉は薄くなっていって、最終的には開けた場所に辿り着く事となる。

 

 

 その空間にはたった一つだけの人工物、真新しい二階建ての木造建築がぽつねんと建っていた。

 一人で暮らす分には少々手広そうな、それでいて何処か見る者に懐かしさを感じさせるような、温かみのあるその家屋。

 

──あれこそが、俺が求めていた安住の地。

 

 外の世界に戻るまでの仮の住まいとしては、中々上等に過ぎる物件である。

 辺鄙な立地柄且つ『妖怪が出没する』との噂によって、かなり格安で済んだとは言え、一軒家は流石に安い買い物ではなかった。

 藤見屋として仕事に精を出し、コツコツと貯蓄を蓄え始めたあの頃がまるで遠い日のよう。実際には、まだそれほど月日は経っていないというのに。

 

 実は諸々捻出した費用の内、その六割以上が八意先生から頂いた治験代だったりするので、純粋に己の才覚一つで稼いだ訳では無いのだが。そこはほら、永遠亭の()医とコネクションを持ってる俺スゲー、という事で。

 一周回ってギャグみたいな効能を発揮する新薬と対面し、その上ふんだんに襲い来る副作用にもみくちゃにされていた分の対価は、しっかりと正当に受け取っていたという事だ。

 

 そういえばここ最近は、紅魔館に出向くばかりで迷いの竹林方面に向かう頻度がめっきり減ってしまっている。明日にでも早速出向いてみるとしますかね。

 そんな事を思考の片隅に入れて置いて、俺は前方に建つ日本家屋まで近づいて行った。

 

 

 

 

 

 自分一人だけで引っ越しをするというのは何分初めての事なので、計算の上ではもっとこう、その作業には時間がたっぷりかかるもんだと決め付けていた。

 しかし結局のところ具体的にやる事と言えば、事前にまとめておいた一人分の荷物を中に持って行って、衣服や食糧などの直近で要する事となる物を選別し、そうでない残りの本や寝具などは適当に収納スペースに突っ込んでおくだけである。

 

 その間の事を特筆するとすれば、引っ越し祝いとして魔理沙から貰っていた片手サイズの虫除け用マジックアイテム(害虫に対して効果抜群!)を玄関口の脇に設置して、同じくお祝いとして霊夢から貰っていた『博麗神社の巫女 お立ち寄り所』と記されたただの紙(妖怪に対して効果抜群!…なのだろうか?)を表に貼り付けた事くらい。

 

 締めに慧音さん作の“藤見屋”と書かれた看板を玄関脇に立て掛けてやれば、然程の時間も要せずして引っ越し作業は粗方完了となっていた。

 

 残りは後日少しずつやっていくとしようと思い手を止める。

 そうして改めて新居の内部をしげしげと観察してみると、欄間の一つ一つに丁寧な装飾が施されたりしていて『何ともまあ己には過ぎた住まいだな』という感じがひしひしとした。

 遂にはその余りの一丁前さを前にして、変な笑いが込み上げて来そうになる。

 

「……はぁ〜、なんかもう色々と場違い感がすごい。本当にこの家、俺の物なんだよな…? まるで夢でも見てるみたいだ」

 

 そんな独り言が漏れてしまったのは仕方の無い事なのだろう。現在の自分を形容するとしたら、馬子にも衣装の家バージョンと言い表すべきか。

 

 なんにせよ、期待以上の仕上がりを披露してくれた大工さん達には感謝の言葉しか思い付かない。

 

……ともすれば昨晩の、二次会への誘いを断ったのは失敗だったのかもしれないなあ。

 

 

 

 

 

 体感的な判断をすれば、今はお昼から夕方頃に差し掛かるかどうかといった時間帯。

 

 ひと段落ついて今日の所は特にすべき事も無い。

 何となく床に大の字になって新鮮な木材の香りを楽しんでいると、不意に己の空腹状態を自覚する。

 

 丁度、荷車の容量にまだ余裕があるからと判断して、米、根菜、川魚などの食物を大量に買い込んでいた。大体目算して、一人で消費し切れるかちょっと不安になる位の分量であった。

 腐る前に少しでも減らさないと不味いよなぁ、と頭を掻きながら起き上がるとほぼ同時に。

 トントン、と玄関口から来客を告げる音が鳴った。

 

……はて、一体誰なのだろう?

 

 引っ越して早々に現れし便利屋の助力を求める依頼人か、それとも慧音さんが俺の様子を見に来てくれたのだろうか。いやいやそれかもっと他の──

 

 色々と候補は思い浮かぶのだが、とにかく来訪者の姿を確認しない事には話は進まない。

 「はーい」と声を掛けるだけ掛けて、玄関の戸を開けて見やると、屋外には三名──いや四名? の知り合いの姿があった。

 

 

「よ、久し振り……って程でも無いか。何日か前に引っ越しの件で寺まで挨拶に来てたもんね」

 

 

 中央にはそう言って気さくに片手を上げる、セーラー服を着た舟幽霊。

 いつも彼女が持ち歩いている錨は寺の方に置いてきたようで、空手にて随分と身軽そうである。その快活そうな笑顔は非常に眩しい。

 

 

「……」

 

「昨晩マミゾウからちょいと気になる事を聞いてね? それについて追求するついでに、ちょうど良いから“有志”を募って一杯引っ掛けちゃおうと思ったわけ。ここなら監視の目も無い事だし、安心して呑めるわー」

 

 

 向かって右側には何処か憐れむような視線を無言で寄越してくる入道雲と、ふっふっふと余り宜しくない色の笑みを浮かべている尼さんのペア。

 片や雲はその内側に何本もの酒瓶を滞留させていて、片や少女の手にはつい昨日見たばかりの新聞が何故か握られていた。

 

 

「あははは……藤宮さん、居を移されたばかりでお忙しいとは思いますが、そういう訳なのです。そのぅ、本日は此方にお世話になって宜しいでしょうか」

 

 

 左側には「こんな事やって本当に大丈夫かな」と若干心配そうな面持ちをしながらも、結局は尼さんの言う“有志”と成り果てたらしい虎柄の毘沙門天代理。

 その手にはちょっとした紙袋を携えていて、中身は恐らく彼女の好物なのだろう、美味しそうな赤身がチラッとだけ窺えた。

 

 

 

 

「……なるほど、大方の事情は察した」

 

 どうやら彼女達はささやかな宴会を開くつもりでいるらしい──家主が越してきたばかりのこの家で。マジかよ。

 確かにいくらご近所と言えども、ここまではあの人の耳目は及ぶまい。ならば心置きなく宴を楽しめる事だろうが、いやしかし、

 

 この妖怪達、本当に仏教徒なんだよね? 不飲酒戒(ふおんじゅかい)はどうしたよ……

 

 呆れた視線を向けてみると、やり返すようにして各々が待望の眼差しで、此方を見つめ返してくる。

 

 美少女からまじまじと見つめられてしまうと、なんだか据わりが悪くなってしまうのが俺の悲しい性。

 彼女達に自覚は無いが、男性である俺にとってそれらの目線は相応の破壊力を秘めていた。

……ある意味では、“普通”の人からして見てもこの光景にはそれなりの破壊力があるのだろうが。

 

 「ああ、全然構わないよー上がっていってー」と赤べこみたく首を縦に振りそうになって──すんでのところで思い直す。

 

 いかん。

 このまま流されるようにそれを承諾してしまっては、かつて自分の面倒を見てくれた住職さんに対して申し開きが立たない。

 ここは心を鬼にして、彼女達の要求を拒否するべきだ。

 

 そう理性的に判断して、非協力的な態度を表に出そうとしたのだが──

 

 

 

 ぐぅ、と決して小さくない音量の腹の虫が、玄関口で鳴り響いた。

 その音源は、間違い無く自分の腹だった。そういやお昼抜かしてたんだったなぁ。

 

 

 

 なんというか、えらく間が悪いというか……むしろ良かったのか?

 今この場で宴会を開くとすれば、無駄に買い込んでしまった食材を腐らせる事も無くなる訳だし……

 そう半ば上の空になりながら心中でボヤいていると、眼前には「どうやら()は決まったみたいね」と揶揄うようにして微笑む少女。うっせぇわ。

 

「……はぁ、分かったよ。歓迎するよ。なんならウチに置いてある食糧、全部使ってもいいからさ」

 

 やったー、とテンション上げながら、無遠慮に家主の横を通り過ぎて行く破戒者達。

 戸締りをしながらそれに苦笑し、俺は真新しい床の間ではしゃぐ来客を台所まで案内するのだった。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 未だ残留する材木の香ばしい匂いを酒気で打ち消すようにして、彼の新たな住まいにて小さな宴が催された。

 

 命蓮寺からやって来た約三名の妖怪達は『住職』という絶対の抑止力が届かないのをいい事に、日頃抑圧されていた分だけ、飲めや騒げやの大盛り上がり。

 

 一方で、青年は昨夜と引き続いての宴会であったが為に、肝臓の調子を気にしてお酒の進み具合は余り芳しく無い。

 盃に伸ばす手は、次第に少女達と共同で作った大量のつまみの方へとシフトしていった。

 

 赤ら顔となった尼さんからの無茶振りで、入道雲が空中で踊り念仏を器用に披露するその傍ら。

 ほろ酔い状態の青年は、菜箸で山菜の素揚げを取り皿に確保しながら、彼女達と出会った時の頃を回想する。

 

 即ち、幻想の地に迷い込んでまだ十日と経たない、右も左も分からず生活費の工面にすら難航していた、苦々しくも忘れ難いあの頃の事を。

 






 ほわんほわんほわんほわ〜ん ←回想に入る時のテンプレ効果音

 という事で今章は回想シーンが本題となります 時系列的に言えば序章終わってから直後となりますでしょうか
 幻想入りして間も無い根無し草の外来人が、如何にして里で糊口を凌いてきたのか この先は君自身の目で確かめてくれ!(クソ雑魚攻略本並感)




 欲を言えば、命蓮寺メンバーの設定がより深掘りされる(であろう)剛欲異聞の発売を待ってから次回以降は執筆していきたい所 いやほら、どうせやるんなら最新の情報をなるべく拾って反映させたいじゃない?(尚、必ず反映出来るとは言っていない 作者にとって都合の悪い設定とか有ると正直扱いに困るし)

今月中にちゃんと頒布されるよね?
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Stranger in the Nightmare

 ※注意
 演出上の都合により、夜間モードのオフを強く推奨致します
 


 

 

 

──夢を見ている。

 

 

 最悪の夢だ。

 宵闇の中に、ポツポツと灯った幻想的な照明が数多ある遊具を照らす、無名のテーマパークの園内にて。

 顔も名も知らぬ何者か達が寄り集まって、俺という弱者を叩き潰そうと躍起になっていた。

 

 平和的な対話を試みようとしても、自分の声に耳を傾ける者なんていやしなかった。ただただその存在が気に食わないといった御様子で、その返答は無数の弾やレーザーで以って行われた。

 

 何故、()()()は俺を目の敵にするのだろう?

 何故、俺はこのような夢を毎晩見続けなければならないのだろう?

 

 数日前から頭に浮かんでいたそれらの疑問は終ぞ解消される事は無く、また『なんでこんな目に遭わねばならないのか』などとアレコレ不平不満を口にする余裕なんてものも、迫り来る弾幕を目前にしては存在し得なかった。

 

……そもそも俺が今見ているのは、なんて事の無い唯の“夢”の筈である。常識的に考えれば、その渦中で道理や理屈を求めるのは、筋違いの行動なのだろう。

 

 夢の中に於いて、起こり得ない筈の事態はさも当然の事のように起こり得る。今置かれている現状の突拍子の無さや奇天烈さに対して、疑念を抱くのはきっとナンセンスな事なのだ。

 

 

 全ては就寝中の脳内で起こっているだけの、謂わば些末事なのだから。

 

 

 『夜の遊園地内で美少女達に追い掛けられる──だなんて、存外に俺は妄想力が逞しかったんだなあ』と、夢から醒める朝になって笑い飛ばす事も出来た筈だった。

 それか、そういう夢を見ていた事実自体を意識の隅にでも放り出して、新しく始まった生活を営んでいる内にそれを完全に忘れ去る事も、多分出来た筈だった。

 

 だがしかし、結局の所それらが叶う事は無かった。

 

 なにせ──

 

 この夢は、俺にとっては笑い飛ばす事も完全に忘れ去る事も出来ない、最悪の世界なのだから。

 

 

 

 記憶は朝方にはすっかり薄らぎはするものの、夢の中で体感した恐怖はどうしようも無く本物で。

 

 故に俺がこの夢の世界で目覚めてからは、追跡者達に見つからないようひっそりとして時間の経過を待つ事を心がけている。それが()()で夢から覚める事の出来る唯一の方法だと信じた為だ。

 

 そういう訳で、今宵も夜中のテーマパークの敷地内で目を覚ますと直ぐ様に行動を開始した。遠方からちらほらと人の影が飛来するのを確認しつつ、なるべく人目の付かない様な場所を見繕って潜伏する。

 

……まあ、当然の事ながら向こうの方に土地勘はあるし頭数も断然敵わない訳で、この都合三回目となる『自然と目が覚める明朝まで、隠れて時間を稼ごう作戦』が成功した例は一度たりとも存在しない。

 

 “三度目の正直”という。その諺に賭け、問題なく事が進めば良いのだが、しかし“二度あることは三度ある”という諺もある。

 

 残念ながら今の俺に適用される諺は、前者ではなく後者であった。

 

 

──ああ、まったく嫌になる。

 

 

  俺は幻想郷とはまた異なる、別の世界に迷い込んでしまったのだろうか。

 

 どうすれば、こんな悪夢を見ずに済むのだろう?

 『夢で負った傷が現実の身体にも表れる』だなんて話、荒唐無稽で、余りにも巫山戯過ぎている。

 

 仮に夢の中で死ぬような事があれば──と、発見されてしまったというのにそんな想像をしてしまって、逃れる足が一瞬遅くなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 後方から伸びて来たレーザーが近くを擦過して、左耳をチリチリと軽く炙る。

 

「ひぃっ」

 

 何とも情け無い悲鳴を漏らし思わずチラリと後方を確認すると、視界に入ったその光景はどう転んでも絶望的で、これならば前方を見据えたまま方がマシだったなと速攻で後悔した。

 

 

 背後には、夜空一面を覆い隠す様にして迫り来る、色取り取りの凶器の数々。

 

 

 一度見つかってしまえば、発見者が騒ぎ立ててあっという間に他の奴等を招き寄せてしまう。その大きくなった騒ぎを感知した奴等が更に騒ぎを大きくして──といった感じで、俺の後ろに追い縋る奴等の人数は十をとっくに超えていた。

 

 その各々が畳み掛けるようにしてレーザーやら星形の弾やらをこっちに放っていて、気を抜けば一瞬でその弾幕に全身が飲み込まれる事は目にも明らかだった。

 

 そうなってはなるまいと、“博麗の巫女”から先日教わったばかりの飛行術にて、ひたすらに逃走の一手を打ち続ける。

 

 ここまで蜂の巣をつついたような騒ぎになるのは初めての事だ。昨晩だって一昨夜だって、一対一の状態で撃ち抜かれて目覚めていた事であるし。

 

「チクショウ、どうすればいいってんだ……」

 

 悪態をついても現状は打開されない。

 そんな事は重々承知している。その上で、こんな意味不明な状況下に立たされては口汚くならざるを得ない。

 どうして何もしていないのに襲撃されねばならないのか。彼女達に悪事を働いた覚えなど無いし、何か恨まれるような事をした覚えも無い。

 

 なのに、連夜執拗に追い立てられてしまう。

 まるで俺という存在そのものが何かしらの問題を抱えているかのように。

 まったくもって理不尽極まる。

 

 こっちだって好きで悪夢を見てる訳じゃ無いのに──

 

 

 

 

 『おや、何やら足元が騒がしいと思ったら

  何時ぞやの女学生では無く、貴方でしたか』

 

 

 

 

「……なんだ、誰だ!? って痛え!」

 

 突然頭の中に聞き覚えの無い女性の声が響いて、動揺して飛行体勢が崩れる。そこをつかれてナイフの形をした弾が二の腕を浅く切り裂いた。

 

 恐ろしいことに、感じる痛みは現実でのそれとほぼ遜色無い。

 

 

 

 『こっちです、こっち。上を見て。

  ここに来れば夢の住人に襲われずに済みますよ』

 

 

 

 そう言われ弾けるようにして夜空を見上げると、そこにはいつの間にか空間に靄がかった穴が開いていて、その中で何者かが自分を手招きしているのが窺えた。

 

──今まで見てきた悪夢とは異なる、全く知らない展開。

 

 向こう側に潜むそいつを信用して良いものか数秒ばかり逡巡したが、その誘いを断った所でいずれこの身が弾幕の波に飲まれる事は自明の理。

 もしそうなってしまったら。寝床から飛び跳ねて『身体が痛い!』と愚痴るいつものパターンを迎えるのだと、たったそれだけの被害で済まされるのだと、一体誰が保証できようか? それを最期に意識がぷつりと途絶えてしまうという可能性が、もしかすると存在するのでは?

 

 そうなる位ならば、あの怪しい誘いに乗っかって、事態の改善を期待する方が賢明、の筈だ。多分。

 

 加えて、悪夢を見始めてからというものやっとのこと接触出来た『平和的な対話が出来そうな人物』である。

 

 どうにも訳知りそうな口振りである事も気になる。俺は意を決し、高度をぐんと上げてその穴の中へと勢いよく突っ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 飛び込んだ先はなんとも不思議な空間となっていた。

 

 変わらずの大きな月が顔を出す夜空には打って変わって格子状で薄紅色の線が方々に散らばっていて、地表は広々とした遊園地から視界に容易く収まる程度の面積となり、足元が透けて星が瞬きが見て取れる半透明な円形の足場となっている。

 

 その中央には真白いティーテーブルと一対のチェアが置かれており、その内の一つに先程頭の中で響いた声の主であるらしき、長く赤いナイトキャップに白黒のワンピースを着た少女が座っていた。

 

「ご安心なさい、この空間に夢の住人が入ってくる事はありませんので。しばらくはここで時間の経過を待つ事をお勧めしますよ。そうすれば、貴方は自然と(うつつ)の世界へと戻っていくでしょう。ざっと見積もって、あと三時間ほどになりますか」

 

 彼女は、困惑しきりの俺に言葉を噛み砕くようにして言い放ち、藍色の瞳をこちらへと向ける。

 

「まぁ見ての通り何も無い所ですから、向こうの朝日が昇るまで暇を持て余す事でしょう。……そこで提案なのですが、ここは一つ私の話し相手になってはいかがですか? 貴方の顔に『何がどうなっているのかさっぱり分からない、誰か説明してくれ』と判り易く書いてあることですし、ね」

 

 「反面、私は暇潰しに事欠きませんがね」と言って、少女は何やらピンク色で弾力のある塊を片手で弄び始めた。目はこちら側に固定したままだ。

 

……どうやら、こちらからの返答を待つつもりであるらしい。それか促しているのかも。

 

 ふぅと一息ついて、さてどうしたものかと頭を捻る。

 

 いまいち状況が飲み込めていない俺でも、今この瞬間こそが、この訳の分からない現状に対して理解を深める絶好の機会であるのだと直感出来た。

 

 きっと今抱いている疑問の数々も、彼女の説明に耳を傾ければあっという間に氷解する事だろう。そう強く期待させる程の、ただならぬ風格が彼女には備わっているように思える。

 

 しかし。

 しかし、なあ。

 

「……名前」

 

「……はい?」

 

 今の呟きを聞き逃したらしく、ピンクモチモチで興じる少女は手を止めて、聞き直してくる。

 

「何故だか知らんがそっちはそうでないみたいだが、こっちはあんたの事を全然知らない。名前すらな。そしてそんな名前すら分からん正体不明の相手と気楽にお喋り出来る程、自分が不用心な人間だとは思っていない」

 

 追われている最中に頭で響いた声の内容は、余裕の出来た今になって思い返すと可笑しなものだった。『何時ぞやの女学生では無く、貴方でしたか』と言っていたが、その言い草はまるで俺の事を既に予め知っていたかのような口振りであった。

 

 当然、俺は彼女と知り合いなどでは無い。つまり向こうが一方的にこちらの事を把握していたという事に他ならない。

 

 あまり良い予感がしない。

 

 現状を詳らかにしたい好奇心よりも、警戒心や猜疑心が先立った。

 

「ああ、言われてみれば確かに、まだ自己紹介をしていませんでしたね。立場上、異変時でもなければ現の者と接する機会もそうそう無いので、うっかりしていました」

 

 椅子に腰掛けた少女はすらすらと名乗り始める。

 

 

「私はドレミー・スイート。夢の世界の支配者です、以後お見知りおきを」

 

 

「……別に以後お見知りおきするつもりはこちらに無いんだが」

 

「まあまあそうつれない事は言わないで。兎も角、これで今の貴方から見て、私は『名前すら分からん正体不明の相手』ではなくなったでしょう?」

 

 言外に『だから話し相手になってくれるよね?』と主張したいようで、空席になっている反対側を指して、彼女は細指でトントンと卓上を叩く。

 

「……うーむ」

 

 奇抜な格好ではあるものの、相対する彼女の容姿の程度は“著しい”ものであり、“人目を引く”ものである事に疑いは無い。そんな少女からの折角のお誘いであるのだが、あんまり気が進まない。

 

 少しやり取りをしてしまって毒気が抜けてしまったが、依然彼女に対する警戒心は解けていないのだ。

 

 むしろ、自己紹介を経て逆に高まったと言ってもいい。

 

 眼前の少女は、自身のことを夢の世界の“支配者”なのだという。それが真なのであれば、夜の遊園地で襲いかかって来たあの少女達は、ドレミー・スイートの指示をもとに行動していた事になるのではないか。

 

 その上で困っている所に手で伸ばし救ってみせるだなんて、それは卑劣な自作自演に他ならない。

 

 まあ“そこまでしてかける労力”と“俺に恩を売るという成果”が見合った物であるのかは甚だ疑問が残るものの──何にせよ自己紹介をしたからと言って、次の瞬間に『じゃあ何も心配はないね! 仲良く談笑でもしようか!』とはならないのである。

 それと、妙に馴れ馴れしい様子である事も気掛かりだった。

 

「その、刺すような猜疑の眼差し。どうやら詮無き容疑を被ってしまったようですね。これは困りました」

 

「本当に、詮無い事かどうかは分からないだろう。いやそもそも、さっきからあんたはどうして俺との対話に拘るんだ。何か良からぬ事でも吹き込もうって魂胆なのか?」

 

「……そんなつもりはさらさら無いのですがねえ」

 

 こちらの警戒心の高まりを感じ取った様子の少女は、やれやれと肩を竦めている。

 

 

 

 

 

──今の自分の疑り深さは過去類を見ない程の物であると自覚している。

 

 有り体に言えば八つ当たりに近い事を、ドレミー・スイートという少女に対して働いているのだと思う。毎晩悪夢に魘されて、抱え難いストレスによって存分に侵された状態では、初対面の人物相手に信を置ける程の心の余裕など、保持するべくもなかった。

 

 

 

 

 

「判りました、ではこうしましょう」

 

 恐らく彼女は、そのまま不毛な膠着状態に陥るのを嫌がったのだろう。結果だけに着目すれば、向こう側が譲歩する運びとなった。

 

「一先ず貴方には、この場で私の“要求”に応えて頂きます。その代わり、貴方が望まない限り、その身が夢の世界に迷い込まないよう夢の世界の支配者として最善を尽くす事を確約致します」

 

「……あの遊園地で追い立てられ死に目に遭うような事が金輪際無くなるのであれば、それで構わない」

 

「では、取引成立ということで」

 

 

 

 

 

 促されるままドレミー・スイートと対面の席に腰掛けると、思いの外テーブルの半径は短く、二人で利用する分には少々手狭なサイズ感である事に気が付いた。まあ、だからなんだという話だ。

 

 そんな事よりも、彼女を間近に観察すると細長い尻尾が生えている事に今更気付いて酷く動揺してしまった。作り物でない本物の尾が人型に備わっているというのは、なんとも非現実的な光景だ。ついついフワフワとした尾先を目で追ってしまう。

 すると、案の定訝しげな視線が向けられてしまった。それをなんとか誤魔化すべく空咳をして、咄嗟に話題を弾き出す。

 

 挙げるのは、先程の取引についての事。

 

「で、“要求”ってのは具体的に何を求めるつもりなんだ? 見てのとおり、俺には身一つしかない。大したものは払えないんだが」

 

「いいえ、特段複雑な事を要求するつもりはありません。ただ、貴方は私の話に耳を傾ける。それだけで良いのです」

 

「……はあ。話、ですか」

 

 話を聞くだけとはなんとも容易な要求だなあ、と拍子抜けしてしまった。その対価として『俺が夢の世界に迷い込まないよう最善を尽くす』と言っていたが、果たしてそれで釣り合いが取れているのだろうかと思わず心配になってしまう。

 

 しかしながら、そんな簡単な事で悪夢を見ずに済むのならばお安い御用。正面に座す少女を真っ直ぐに見据え、傾聴する姿勢を示して見せる。

 

 

 

 

 

 

「夢の管理人たる私が、現の者に対して過干渉を行うのは本来望ましくはありません。今このようにして貴方との対話の場を設ける事自体、滅多に無い特例である事を前提として承知しておいて下さい」

 

 語り始めたその口調は何処か重々しく、聞いていると自然と背筋がピンと張る。

 

「ふむ。基礎的な、現の世界と夢の世界の関係性についての知識も持ち合わせていないでしょうし、となると何故夢の住人が貴方を排斥しようとするのか説明しても十全の理解は得られないのは自明。……さて、まず何から伝えて良いものか」

 

 少し困ったような表情を浮かべた後、ドレミー・スイートは片手で虚空から一冊の本をポンと取り出し、それをペラペラと捲り見ながら、言う。

 

「……ああ、そもそも、貴方は最も初歩的な事を認知していなかったのですね。失念していました」

 

 本を閉じそれをテーブルの上に置き、両肘をついてこちらを見やる彼女の瞳には、ゾッとする程の興味の色と、深く憐れむ同情の色とが綯い交ぜになって映っていた。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。貴方はその原因が一体何なのか、一体誰の仕業なのか、疑った事が一度でもありますか?」

 

 

──もし無かったのなら、その緩んだ意識を改める事を強くお勧めします。現に戻った後、足元を掬われても知りませんよ?

 

 そう言って、少女は形の良い唇を結んで微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

集中しろ

 

忘れるな

 

絶対に、アイツを赦してはならない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……いただきます」

 

 元外来人という近くの農家さんが『ここに来たばかりで大変だろう』と融通してくれた、くず野菜。それを軽く炒めただけの一品が俺の眼前に鎮座している。

 塩や胡椒といった贅沢な調味料は完全無欠の貧乏人には縁が無く、ご近所さんを伺って何かとトレードしようにも、こちらには差し出せる物が何も無い。

 

 単に、火を通しただけの、くず野菜。

 

 これが、今日摂取出来る朝餉の全てであった。

 というか朝のみならず晩飯までも、大体同じ位の素朴さだった。昼飯代を捻出する余裕は一切無く、今のところ一日二食。近いうちに一日一食に移行する必要性すら感じている、そんな近況。事態が差し迫りすぎて溜息も出てこない。

 

 ひもじい、ひもじいなあ。

 

 こんな粗末な食生活が日常になるだなんて、果たしていつぶりの事なのだろうか。嫌に懐かしい感触に、目尻から涙が溢れそうになった。

 

 

 

 

 

 

 

 今日になって、俺がこの幻想郷に流れ着いてから一週間が経過しようとしている。

 外の世界ではもう既に大学の長期休暇は終わっていて、今頃『学生が一人失踪した』と講師内で問題になっているのかもしれない。

 

 履修登録してない、単位が足りない、待ち受ける留年。

 

 学生の身として否が応も無く頭によぎる事柄はあるのだが、それは外の世界に帰ってから本格的に向き合う所存である。……ちょっぴり逃避気味になっている感は否めない。

 休学扱いって事にしてくれないかなあ。

 

 

 

 

 

『俺の“常識”を、“非常識”に塗り替えてやろう、幻想郷の住人たちの“常識”を、是非とも(こうむ)っていこうではないか』

 

『そんな決意を胸に秘め、当分の間はここで過ごすことになるだろう』

 

『──この幻想郷で、“被”常識(ひじょうしき)な日常を』

 

 

 

 

……これらは俺が外の世界への帰還を果たす為、博麗神社から人間の里へと出戻った際に心中にて宣言した決意表明である。

 

 正直に白状しよう。

 

 あまりにも見通しが立っていない、勢いだけの甘ったれた宣言であったと。

 小っ恥ずかしい黒歴史ものだったと見做してもいい。

 

 その時の俺は、期待していたのだ。

 

 フィクションで言えば今は物語の起承転結の“起”の部分で、この非常識な世界で暮らす内に驚きあり涙ありのサクセスストーリーが展開されるのだと、馬鹿馬鹿しくも、心の何処かでそう淡く望んでいた。

 

 幻想の地に望まずして迷い込んだ異邦人が、もとの世界へと戻ろうと奮闘する──現状を要素だけ抜き出し適当に羅列すると、何ともそれらしく聞こえるではないか。

 

 しかし現実問題そう上手く事は運ばない。里の住み着いて数日経つと、直視に耐えない無情な現実が、大きな口を開けて待ち構えているのがしみじみと感じ取れた。

 

……とまあ少し大仰に表現したが、その“直視に耐えない無情な現実”とやらは、実は単語一つで簡潔に言い表す事も出来たりする。

 

 

 

 金欠

 

 

 

 全ては、この一口に尽きる。

 

 一応、藤見屋という名の運送業兼サービス業を生業としてはいるのだが、いかんせん無名も無名。知られていない業者には当然仕事の話が転がってくる筈もなく、これまでに受ける事の出来た依頼の数はたったの二件。

 そのどちらも仕事内容は誰にでも出来る簡単なもので、となれば報酬は雀の涙となり、それもなけなしの食費となって消えていく。

 

 そうして出来上がった、貯蓄がほんの少ししかないという惨状。目を覆いたくなる。

 

 無論、職を変える事も検討した。

 

 しかし居酒屋や農家などの様々に出向いて頭を下げてみても、こちらが右も左も分からない外来人と知るや否や何故か速攻で断られるという散々な始末。

 通りがかった貸本屋に寄って求人情報を求めたものの状況は好転せず、結局は現状維持が一番マシだという結論に至っていた。

 

 まあ今その“一番マシ”を選び取った結果、金欠状態に陥っている訳なのだから、本当に参ったものだ。

 

 このような状態では、スキマ妖怪から仰せつかった『幻想郷の常識を身に付けろ』というやや雑然としたミッションに取り掛かれる余力が存在できる筈も無い。

 

 そういう訳で当面の目的は、『心と懐に余裕が持てるような生活を送る』と定めている。

 何事も基盤から固めていかなければ、立ち行くものも立ち行かない。

 

 

 

 

 

 朝から色々と胸中で愚痴っているが、そればかりしていても気が滅入るだけ。なので悪い知らせだけでなく、良い知らせについて思考を巡らせてみる。

 

 例えば、昨晩俺宛てに依頼書が届いていた事。

 

 具体的な仕事内容は、まあ少し気になる点はあるが、極々普通の配達作業という感じ。それを無事こなせれば大体四日分くらいの食費が確保出来る。是非とも物にしなければ。

 

 他には──そうそう、起床後なのに身体が酷く傷まない事。これもまた素直に喜ばしい。

 

 俺が人里で寝泊まりするようになってからというもの、『朝起きると自分の身体に覚えのない怪我が出来ている』という不可解な現象が連日発生していた。

 その日見た夢の中にて負った怪我と、現実でのそれがそっくり対応しているようだから、恐らくはフィードバック的な作用がこの世界では働いているのだろう。つまりこれは幻想郷内での常識。ここの住人はさぞ夢の中であっても用心深いに違いない。

 そう当て推量して、その上でご近所さんに話を振ってみると、『何言ってんだこいつ』と怪訝な目を向けられてしまった。

 

 もしやこの怪現象は、俺一人にしか起きていない…?

 

 その事実に思い当たって大層不安になったものだ。そしてこの事を他の誰かに相談しようにも、『新しくやって来た外来人はなんだか頭がおかしいぞ』などと人々に噂されてしまう──そう思うと躊躇われた。

 

 さてはてどうしたものかと頭を抱えていた所に、気持ちの良い目覚めを迎えられた本日の早朝。

 

 起き抜けに痛みが伴わない事の、なんと素晴らしいことか。

 

 まあ実は全くの無傷という訳でない。両腕に細かく散らばった短い線のような傷が出来ていて、その密度はつい目を逸らす程のエグさだったりするのだが、あくまでも浅い傷な為にあんまり痛くないのだ。

 

 では、昨晩見た夢の内容は何だったのか。

 

 不思議な雰囲気の少女と面と向かって何やら会話していた様子を朧げに覚えてはいるものの、その細部は曖昧で、具体的に何を話していたのかすら思い出せそうにない。

 

 もとより夢とはそういう儚い代物。

 思い出せないという事は、それほど大した体験をした訳では無いのだろう。

 何か、胸中に引っ掛かる物があるような……

 

 

「いやいや、今は夢ではなく現実と向き合う時だろ」

 

 

 一人寂しくツッコミを入れて、明後日の方向にズレていた思考の軌道修正を図る。

 食費と家賃で手一杯の貧乏人が考えるべきは、もっと実際的で、実利的な物事の筈。

 今で言えば、有り難くも舞い込んできた依頼に対して、全身全霊を以って応えられるよう思索を巡らせる事だ。仮に失敗して報酬ゼロとなってしまっては、いよいよ本格的に困窮する羽目になる。

 

 絶対に失敗は許されないのだ。

 

 

 

 

 

 洗い物を適当に片付けた後、外出する身支度を整える。

 

 そうして改めて依頼書に目を通しその内容を確認し直してから、俺はうらぶれた裏町の一角にある、古びた長屋の一室から飛び出した。

 






 少しだけ特殊タグを使用してみたいなーと思い立ちまして、思い切ってやっちゃうことにしました 少々読みづらかったかもしれません ごめんなさいね

 前々回にも演出強化の為にちょっぴり手を加えたので、出来れば軽〜くでいいので目を通してもらえるとありがたいです 縦書きなんてものが出来るんですね 全然知りませんでしたわ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

そこはげにも恐ろしき妖怪寺?

 他所様の作品にうつつを抜かして執筆する時間がなかなか確保出来ないの、いいよね……いや、全然よくない
 


 

 

 昨晩、いざ就寝しようかという頃合いにて届いた匿名の依頼書。そこに記された指示に従って、俺は行動を開始する。

 数日分の食い扶持が見込める稀有な機会である。

 そう思うと、仕事に取り掛かる姿勢は随分と前のめりな物となった。

 

 未だ慣れぬ土地にありながらも、テキパキとやるべき事をやる様は、自分で言うのもなんだか疾風迅雷の如し。

 

 指定された“物品”を書に付随していた御守りとで取引し、その後配送先の詳細な方位を聞き込みにて確定させる。

 道行く人達の指差す先を目指して歩を進めてみると、そこには確かに依頼書が指定している所らしき建築物が遠くに見て取れた。

 

 

 

 人間の里を少し外れたその場所は、緑が生い茂る緩やかな丘になっていて、御目当てのソコへと伸びゆく石段の両脇には『毘沙門天王』の字が踊る赤地ののぼり旗がズラリと整列している。

 

 命蓮寺。

 

 そう呼ぶらしい。

 因みに先程の聞いた所に寄れば、“妖怪寺”とも渾名されているのだとか。

 

 妖怪──そう聞くと脳内でまず第一に連想されるのは、幻想入りしたその初日に襲ってきた、金髪赤目の人喰い少女の姿であった。

 その時に染み付いた妖怪への恐怖心を思い起こすと、今でも足が戦慄いてしまう。

 

 そんな、恐るべき妖怪が、この階段を登った先で寄り集まっているという。

 

 ゴクリ、と喉を鳴らす。……あの時は全力全開の霊弾で辛うじて難を逃れたものの、相手は一人(一匹?)だけだった。今度は複数を相手取る事となる。その場合、果たして俺は生き残れるのだろうか。

 例えば妹紅さんが見せてくれた様な、あの格好良くて強力な火術を使えるのならまだしも、今の自分の力量を顧みるとぶっちゃけ望み薄な感じが──

 

……いや、なんで襲われる前提の思考してるんだろうね?

 

 ふるふると頭を振って、あそこに関して耳に入ったのは決して悪い評判だけではなかった筈だと思い直す。

 

『あすこの住職さんはよぉやっとる、わたしの様な歳行った婆にも親身になってくれてねぇ』

 

 とか、

 

『お参りか? それとも説法を請いに? なんにせよ若いのに熱心で見所のある奴じゃ、あの寺の面々を噂で知らぬ訳ではなかろうに。その真に善きものを求むる心意気、上っ面ばかり気にする他の輩共に見習わせたいのう』

 

 とか。

 

 お年寄りの方々からは、割りかし好意的な意見を耳に拾えていた。

 

 いずれにせよ、いち早く謝礼を確保して一安心を得たい心境にある現状。尻込んでいたずらに時を浪費するよりも、年の功を素直に信じた方がまだ良かろう──そんな結論を下して、そう長くはない石段の一段目に足をかける。

 

……にしても、()()をおいそれと寺院へと持ち込んで良いものなのだろうか…?

 それらしく解釈するのなら『奉納』という形なんだろうけども、それってどちらかと言えば寺でなく神社の領分のような気が……まあ素人知識で詳しくは無いんだけど。

 

 神仏習合ってやつの仕業なのかなぁと思いながら、手にする二本の運搬物の重さを、包んだ風呂敷越しにしかと確かめた。

 

 

 

 

 

 博麗神社のそれと比較すれば大分手入れの行き届いた階段を上り切ると、いよいよお仕事は最終局面。

 今のところ恙無く事を進めてはいるのだが、仮に油断でもして届け物を落としてしまっては全てが水泡に帰してしまう。自然と身が引き締まる思いだ。

 

 

 ぜ〜む〜と〜ど〜しゅ〜 の〜じょ〜いっさいく〜♪

 

 

……希少なクライアントにはなるべく良い印象を、願わくばうちのリピーターとなってくれる事に期待して、不自然に思われない程度の匙加減で常時スマイルを心掛ける。

 気持ちはしっとりと落ち着かせて、間違っても先方に失礼のないよう細心の注意を払う。

 集中だ。集中することが肝要なのだ。

 

 しかし先程からまあ、なんとも。

 

 

 ぎゃ〜て〜ぎゃ〜て〜 は〜ら〜ぎゃ〜て〜♪

 

 

……気になる、気になるなあ。

 

 なんだろう、この妙にリズミカルな般若心経は。しかも矢鱈と音が反響してノッリノリに聞こえくるというオマケ付き。その上ここは開けた屋外であるというのに、どうしてこう、サラウンドな響きとなっているのだろうか?

 いやまあ確かに、いの一番に聞こえてくる物音がお経ってのは如何にも寺っぽい感じはするけれども。

 

 しゅ、集中力が削がれる……!

 

 いまいち意識が仕事モードの方へと切り替えられない事に些か歯噛みをしつつ、好奇心でその立派な表門から首だけを敷地内へと突き出して、誰がこのビブラート読経を唱えているのかを知ろうと試みる。

 

 すると、広々と開けた境内や立派に聳え立つ拝殿などに向かって目を凝らすまでも無い。

 直ぐにその者の姿を視認することが出来た。

 そして、それと同時に驚きで目を見開くことにもなった。

 

「なん……だと……!」

 

 髪型はウェーブが緩くかかる松葉色のショートボブで、服装は薄茶色のワンピース。

 そんな見た目をした可愛らしい女の子が、参道の脇で元気よく掃き掃除をしている。勿論、お経を歌う様にして唱えながらだ。

 

……まあ、口ずさむ中身は少々非凡ではあるものの、見る者を和ませる微笑ましい光景である。それだけならば、別に驚愕するに値しない。

 

 問題は、その少女が持つ垂れた大きな両耳。

 別にスッゲー福耳だったとかそういう話ではない。

 

 何と摩訶不思議な事にその少女の頭部には、犬か猫か、判別はつかないが兎にも角にも、大きな獣の耳がぴょこぴょこと跳ねているのである。

 付け耳だとかそんなチャチなもんじゃあ断じてない。

 その動きからして見て取れる生気は間違い無くリアルであった。

 

 それはまるで、アニメやらゲームやらの獣系キャラがそのまんま現実へと飛び出したかのよう。

 うおーやべー本物だー、どうなってんのあれ、触ってみてーなー、などと思って無邪気に目を輝かせていたのだが。

 

 

 

 人間に動物の耳が付くだなんて事はあり得ないのだから、あの子の正体は妖怪ということになる──

 

……人の欠損した腕を持っていた、あの金髪の人喰い少女と同等の。

 

 

 

 そう思考すると、胸の内に盛り上がっていた何かがスンと急降下していくのを自覚した。

 合わせて、『己が今何を為すべきなのか』をリアル獣耳の衝撃で忘れかけていた事に気が付く。

 

 そういえば、そうだった。

 

 今は呑気に覗き見している場合ではない。

 この場所に来たのは、仕事を無事完了させて稼ぎを得る為なのだ。

 只でさえ、明日の食費の工面に苦心するこの身の上。浮かれている暇など無い、急がねば。

 

 それに加え実をいうと、依頼書には『(ブツ)を入手して命蓮寺に来たら、寺の者には声をかけずにこっそり裏手へ回る事。報酬の受け渡しはそこで行う。 ──追記、くれぐれも住職には気取られぬよう』と整った字で書かれていたのである。

 

 この事から察するに、どうにもこの命蓮寺住まいらしき匿名の依頼者は、俺が今手に持つ“コレ”を身内の者には秘匿しておきたいようだった。

 ならば粛々と、藤見屋は雇い主の意向に従うのみである。

 

 

 

 

 

 早速裏手に回ろうかと、覗き込んでいた首を引っ込めようとしたその刹那。

 

あ!!!

 

「……やべ」

 

 ガッツリと、大きな声の妖怪少女と目が合ってしまった。

 『寺の者には声をかけずに()()()()裏手へ回る事』──依頼書で記されていたその指示を、己の不用意な好奇心によって破ってしまった決定的瞬間だった。

 

……い、いや。まだ分からないじゃん?

 

 瞬間。

 いつになく弾けたシナプスが、脳内を駆け巡る。

 

 見た感じだと、あのトテトテと俺のもとへと駆け寄って来る妖怪は、まだまだ精神的にも幼い子供のよう(あくまで雰囲気から何となく判断したことで別に確定情報ではない事に留意!)である。となれば彼女がこの寺の責任者──即ち住職であるという可能性は、限りなくゼロに近いのではないか。つまり事ここに至った現在でも、依頼書にあった追記の太字部分は未だに守れていることになる。……仮にこの願望混じりの憶測が正しかったとして、今の自分がこの窮地を脱する為に行うべき事は何か。俺がめでたく報酬を得て、匿名の依頼人もめでたく御目当ての品を得る。そんな理想的な未来を勝ち得る為に、今からどんな選択をすれば良いのだろう。

 

……そうだ! この子に頭を下げて、全てを見なかった事にしてもらえば良いのでは?

 

 第一印象的にいい子っぽそうだし、真摯に頼み込めば多分やれるやれる。もしもやれなきゃ数日後に俺が貧乏に殺される。ならば、やっぱりやるっきゃない。

 

 以上の思考を手早くパッとまとめ上げる。

 

 そうして俺は『あの少女を説得するには何を言ったら良いのだろうか』と、考えを張り巡らせる事に注力した。

 

 

 

 

 


 

 

 先週、妖怪に襲われて恐ろしい思いをしたばかりの時分である。

 なので本来であれば、本性を知らない妖怪少女がこちら目掛けて走って来たその時点で、俺は踵を返し這々の体で逃げ帰るべきだった。

 

 しかしなにぶん報酬に目が眩んで、判断力が鈍っていたのだろう。

 

 彼女は人間でない、という事実を忘れ。

 彼女は恐るべき妖怪である、という事実を忘れ。

 元気が余って仕方の無いわんぱくな子供の相手をしてやるようにして、ついつい()()の対応をしてしまっていた。

 

 彼女──“幽谷(かそだに) 響子(きょうこ)”が人間に対し非常に友好的な妖怪で、本当に良かった。

 

 その本性がそこいらに蔓延る野良妖怪と大差ないものであったのなら、俺は今頃三途の川を渡って死後の裁判にかけられていたに違いない。それほど、その時の自分は妖怪という畏怖すべき存在に臨んで、余りにも明け透けで隙だらけであったという事だ。

 

 まあ、後々になってこうして振り返ってみると。

 結果的にはあらゆる意味合いに於いて、それは『正解』だった。

 

 


 

 

 

 

 

おはよーございます!

 

 何かを期待するかのように顔を綻ばせるその少女は、こちらの顔を見上げながら挨拶をしてくる。相変わらずの境内外に遠く響く大声にて、である。

 

……まずは、彼女の声量を抑えさせることから始めないと不味そうだ。他の者も呼び寄せかねない。万が一、それが“住職”とやらだったとしたらもう最悪である。

 『“住職”にこの荷物の存在を認識させないことが最低ライン。これだけは絶対に守らねばならない』と内心で固く誓いを立てる一方、膝を曲げて相手との目の高さを揃え、お願いをする。

 

「あーキミ、出来ればもう少しだけ声を落としてもらえると助かるんだけど……」

 

……おはよーございます!

 

 しかし帰ってきたのは先と変わらぬ反復の声。

 一瞬、言葉が通じていないのかと心配したのだが、そうではないようだ。

 挨拶をしてきた者に対して、それを受けた者は果たして何を返すべきなのか。

 

 それすら出来ない輩なんかとは口を利くつもりはないわ──とそこまでは過激ではないものの、それに近いニュアンスの憮然とした表情を察知して、思わず苦笑する。

 まあ、確かに第一声が『静かにしてくれませんか』とは流石に失礼が過ぎていたか。

 

「……おはようございます」

 

「!」

 

 そう返すと、少女の表情は一変して花開く。

 

「はい! おはよーございます! やっぱり挨拶はきちんとしないとね」

 

「うん、まあ、確かにね。今のは俺が悪かったね」

 

 挨拶は大事。

 古事記にもそう書かれている、ような気がする。

 そんな当たり前を初対面の子供から諭されて、ちょっぴり苦い気分。

 

「もしかして、体験入信の申し込みに来た方ですか?」

 

「体験入信? いや、それは知らないけど」

 

「違いましたかー……まぁそうですよねー」

 

 この子は先のやり取りである程度満足?したらしく、声量を抑えてくれている。しかも掃き掃除がちょうどひと段落ついた後らしく、俺との会話に付き合ってくれるようだ。

 

 少し、確認したい事柄があった。

 これ幸いと恐る恐る質問してみる。

 

「……キミ、ここの住職さん…だったりする?」

 

「いえ、違います。聖様は只今お勤め中で──あ、用があるんでしたら私が今から呼び掛けますよ? 自慢になりますけど大声には結構自信が──」

 

「待った! その気持ちは有り難いけど今は待った! 今の質問は、キミが住職じゃないって確認が取りたかっただけで、別に住職さんに用事があってのことではないから!」

 

「……?」

 

 急に捲し立てられてポカンと疑問符を頭に浮かべる少女を尻目に、俺は依頼進行に暗雲立ち込める只中、希望の光が差し込んできたのを確信する。

 

……これは──もしかすると、行けるのでは?

 

 この獣耳の少女が住職ではない事を確認出来た。ならば後は彼女に、今日この場で俺と出会った事を他言しないよう頼むだけ。

 

 『やったーこれで依頼にあった指示を完璧に守れた事になるぞう、報酬ゲットだぜー』とほくそ笑む。

 

 当然、それを表に出すような迂闊な真似はしない。

 ただ一つ、コホンと空咳をして場を仕切り直す。そしてこちらの要求を告げる為に、より一層のこと少女と真剣に向き合った態度を示す。

 

「キミに……ってかそういえば、キミの名前を聞いてなかった。よければ教えてくれる?」

 

「幽谷響子って言います!」

 

「そっか。じゃあ響子ちゃん、一つお願いがあるんだけど……」

 

 正直なところ、彼女に対して切れる交渉のカードは皆無だ。

 

 情け無い話ではあるが、響子ちゃんから下される温情に期待するしかないのが現状である。依頼を失敗した結果路頭に迷う位なら、いっそのこと頭を地に擦り付けてでも──と覚悟を固めて切り込もうとしたそのとき。

 意識の外側から放たれる、透き通った女性の声。

 

 

 

「そこな見知らぬお方。命蓮寺に何か御用でしょうか?」

 

 

 

 視線を向けると、下は砂利道というのに、音もなくこっちへ歩み寄ってくる一つの人影があった。

 

 その頂点から腰元までに伸びる長髪の、グラデーションが紫から金へと変容していく様が真っ先に目に入ってくる。真っ白のドレスの上には真っ黒の羽織っている物があって、その前見頃を交差する変わったデザインは、彼女の身体的特徴の一部を殊更に強調しているように思えた。

 容貌はうら若き少女のそれと相違なく、しかしその身に纏う雰囲気は実に堂に入ったもので、甚だしいギャップを感じさせる。

 

「えー、と…? どちら様でしょうか?」

 

 まず身分を明かすべきは来訪者である自分からであろうに、そんな言葉が口から溢れ出てしまった。しかも質問を質問で返しちゃってるし。

 

 幸運なことに、やって来た少女は非常に寛容な精神の持ち主のようで、無礼者を相手にしてもその湛える微笑を崩すことは無かった。

 

 

「私は“(ひじり) 白蓮(びゃくれん)”。ここ命蓮寺で『住職』を勤める者です」

 

 

 住職の“じゅ”の発音を聞き取った時点で俺は、風呂敷の中身を隠すようにしてサッと後ろ手に持っていった。幸い、この動作は気付かれていない様子。

 

「……ああ、なるほど。ここの住職さんでしたか。ええっと。私は藤宮慎人と言いまして、ここにはちょっと……野暮用、と言いますかね……」

 

「ふむ、てっきりお参りに来た方と思っていたのですが違うのですね。して、その野暮用とはどのような?」

 

「……ええと、それはですね……」

 

 返答の声が吃ってしまって、少し怪訝そうな目を向けられる。

 内心では滝のような冷や汗が止め処無い。

 

 しまった。

 野暮用ではなくお参りと言えば、ひとまず急場を凌げたのか…!

 

 後悔しようにも口に出してしまったものは仕方が無い。何とか吐いた嘘を取り繕おうと脳味噌をフル回転させる。が、焦りもあって全くそれらしい言い分が思い付かない。

 

 この状況、本当に不味い。

 

 ただそんな何ら役に立たない一言だけが、頭の中をぐるぐると旋回していた。

 

 その一方で、だんまりを決め込み始めた不審人物に対して、警戒心を強めない者が居る筈もなく。

 聖白蓮の普段は穏やかそうな目付きが、段々と厳しく険しいものとなっていき──

 

「もしや貴方、廟の手の者では──」

 

 遂には殺気立ってきているようにも思えてくる。そしてその細身に霊力とはまた違う、何らかの超常的なエネルギーを纏い始めた。

 

 ギュインギュインと、現実離れした効果音が聞こえてくる。(幻聴)

 こちらを冷徹に見定める目は、たったそれだけで対象を射殺さんとしているようだ。(錯覚…多分)

 彼女から発せられる圧倒的な存在感が、俺の足を地面に縫い付けるようにして纏わりついてくる。(これはマジ)

 

 もう駄目だ、おしまいだぁ!

 こんな事ならこの依頼を引き受けるんじゃなかった!

 頭を抱え、全てを洗いざらい白状してしまおうかと諦めかけたのだが。

 

 

 

「いざ、南無──」「「聖様! ちょっと待ったー!!」」

 

 

 

 やけに息が合った掛け声と共に、俺と住職さんの間を割り込むようにして突っ込んだ来たのは少女二人組。

 

 片方は空色の髪が窺える頭巾を被り、黄と黒の袈裟を着た尼さんのような少女。

 もう片方は船長帽と水兵服を身に付けて、何故か片手に底の抜けた柄杓を持った少女。

 

 響子ちゃんが「うわわ!?」と圧されてしまう程のその勢いには、何らかの強い目的意識が秘められているように見て取れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今はもう、朝と呼ぶには遅過ぎる時間帯。過ごしやすい薄曇りの天候の中、“妖怪寺”と渾名されるお寺の表門で、俺は雄大なる空を仰ぐ。

 

 嗚呼、空っていいなぁ。

 情報量が少なくて。

 こっち()はもう、色々と訳が分からなくて大変だよ……

 

 乱入して来た二人組を観察する。

 えっと、まず、誰なの? 何者なの?

 そしてなんでこっち見て『待たせたな』と口パクしてくるの?

 

 もしかして、俺に仕事を頼んでくれた匿名の依頼者って彼女達のことだったのだろうか。

 そんな発想に行き着いて、なんとなしに後ろ手に隠していた届け物に目を向けた。

 

……ちなみに、風呂敷に厳重に包まれたその中身は、たった二本ばかしの酒瓶である。

 






 (ここすき機能の存在を先週まで知らなかった事は、まあ言わなきゃバレへんか……)

 お気に入り・評価・感想・ここすき
 本当に有難う御座います 励みになりますわー


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

左利きな舟幽霊と入道使い

 ここのところ一文一文の長さが伸びててあんまし望ましくない傾向だなー、と思いつつも中々やめられない不具合 修正パッチは何処ですか?



 

 

 ぎゃ〜て〜ぎゃ〜て〜 は〜ら〜ぎゃ〜て〜

 

 旺盛な声が表門より響く、いつもの朝方。

 命蓮寺に住まう舟幽霊──村紗水蜜は、境内の端に位置する縁側に腰掛け、ささやかな庭園を眺めている。

 

「ふんふんふ〜ん♪」

 

 寄せる読経の波に負けじと、即興のメロディーラインを鼻歌にて響かせるその様から、彼女が今現在非常に上機嫌な状態にあると推察するのは余りに容易い。

 

 事実、彼女の様子を偶々目撃していた正体不明の妖怪、封獣ぬえはそのように思った。

 となるとその次には、『どうして村紗はそんなにも浮ついているのだろう?』との疑問文が自然と湧いて出る。

 

 常時気侭である妖怪(私たち)にとって、寺で過ごす禁欲的な暮らしなど、決して心躍るものでないというのに。

 またぞろ抜け出して、旧地獄の方にでも遊びに行ってたのかしら?

 

 そんな風に、ぬえはテキトーに見当を付けた。が、しかしこれは余りにも大雑把過ぎる推量だった。

 当たっているのかどうか定かではない。しかしかと言って当人に疑問をぶつけようにも、正視に堪えないそのニヤケ顔が一瞬でも此方に向けられると思うとなんだか気が進まない。正直、薄気味悪かった。

 如何な大妖怪の了見をもってしても、朝っぱらから見ていて気分が悪くなるような不恰好なものと向かい合いたくはない。

 

 

 

……なお、ぬえは、自身の外観が他の者のことを悪しざまに言えるようなものではないという客観的事実はあまり気にしていなかった。

 

 いちいち姿見の前で身嗜みを確認するようなマメな習慣など持ち合わせていない上、もとより()()は、自分のような者にとってはとても都合が良い代物であったが故に。

 

 

 

 ともあれ、ぬえが『せめて普段通りの面してたらなー』と内心でぼやき腕を組んでいると、やがてその背後からは見越し入道雲を伴って、法衣を着た妖怪がゆったりと姿を見せる。

 

 雲居一輪と雲山は、イタズラ好きな同居人が立ち塞ぐように廊下のど真ん中で佇んでいるのを発見して、何事かと交互に見合わせた。

 とはいえ、些細を知らぬ者同士でそればかりやっても仕方が無い。

 そこそこに切り上げて、一輪は翼の形が赤い鎌状のものと青い矢印状のものが三つずつという、幻想郷広しと言えども他では滅多に見掛けないであろう特徴的な背中に向かって声を掛けた。

 

「お早う、ぬえ。こんな所で何で突っ立ってるの?」

 

「ん、おはよう。それがさー。村紗の様子がなんかおかしくって──」

 

 かくかくしかじかと、謎に上機嫌な舟幽霊を顎で指しながら封獣ぬえは状況を話す。

 

「……というわけなのよ。一輪、何か知らない?」

 

「へ、へえ。確かに、見るからにゴキゲンって感じねえ。何か良い事でもあったのかしら」

 

 実を言うとそれを聞き届けた一輪の胸中には、ガッツリと思い当たる節があった。

 村紗が何故あのように機嫌が良い様子をしているのか、その理由を、頬を若干引き攣らせる彼女は前々から知っていた。

 しかし、なにぶん無闇にそれを明かしてしまうと()()()が減ってしまう。

 なのでその場で雑に思い付いた事例を挙げ、一輪はぬえからの問いにすっとぼけて見せることにした。

 

「……ま、純粋に何かイイ事があったんじゃない? 朝一番に淹れた茶の茶柱が立ったとかさ」

 

「茶柱ぁ? そんな事で?」

 

「いやうんまぁ多分だけどね? あはは……」

 

 怪訝な表情をされて少々焦りを覚えた一輪だったが、挙げた例の取って付けた様なその適当さ加減は、結果的に功を奏すことになった。

 

「……別に何にも知らないんだったら初めからそう言ってくれればいいのに。はぁ、なんだか気が抜けるわね」

 

 もともと少し気になっていただけで、根掘り葉掘り追求する意思は端から無かったのだろう。これ以上何も知らない一輪に質問していても無駄足そうかな、とぬえは判断したようだった。

 そんな相手方の鼻白む気配を察知した一輪は、気取られぬようにしながらも深く安堵する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちょっと暇潰しで人間どもを冷やかしに行くわ──そう言い残して、ぬえは気まぐれにふらりとその場から立ち去って行く。

 

 その黒い人影が遠くへ離れるまでをしっかり見届けた一輪はクルリと振り返ると、ひたひたと忍び歩きをして、浮かれに浮かれる舟幽霊の背面を位置取る。

 そして徐に片方の手を天高く掲げると、「えいやっ」と短い気迫の声と共に腕を振り下ろした。

 無論、降ろした先にあるものは村紗の頭頂部。

 

 ゴン、と響く鈍い音。

 

「いったぁ!」

 

 夢見心地から現実へと跳ね上がった彼女は、涙目になりながら後方を確認する。するとそこにはやれやれと肩を竦める一輪と、申し訳なさそうにして相方の非礼を身振りで詫びる雲山の姿。

 

「ちょっ、一輪! いきなり何すんのよ!?」

 

 気を良くしていた所、急に頭を殴られたのだ。当然の如く村紗はその下手人に対して全霊で抗議する。

 一見理不尽に思えるその行い。しかし一輪からすると、そうされる筋合いなど無く寧ろ助けてやったとすら思っていたので、目の前の、あまりに迂闊な共謀者に対して冷ややかな視線を浴びせる。

 

「あのねー、今日届く予定の“アレ”を心待ちにするのは判るけど、せめてそれを隠す努力くらいはしなさいよ! 滅茶苦茶顔に出てるし、ついさっきまでぬえからは変なモノを見る目で見られてたわよ」

 

「……え、そうなの? 私そんな判りやすかった?」

 

 意外そうに目をしばたたかせる村紗を目の当たりにして、一輪が向ける視線の温度は零点に近づく。

 

「ええ、それはもう。気付いたのが聖じゃなくてほんとに良かったわね。もしそうだったのなら今ごろ優〜しく詰問されて、“アレ”の存在がバレることになっていたかもよ」

 

「……あー、そういうところ聖は鼻が利くもんねー」

 

「まったくよ。私たちがこっそりと“アレ”を楽しむ為に、今までどれだけの苦労をして人目を掻い潜ってきたことか。なのにさっきまでのあんたは──」

 

「ま、まあまあ。さっきのは厳重注意ってことで済まさない? ほら、今騒ぐとそれこそ“アレ”がバレかねないしさ」

 

 長くなりそうな説教の始まりを予感した村紗は、それを避けるべくして“アレ”とやらを提示する。

 

「……むう」

 

 するとその効果は絶大だったらしく、一輪は不満そうにしながらも口を噤む。さしもの彼女も“アレ”を人質に取られれば、そうするより他はなかった。

 

 

 

 

 


 

 

 二人が揃って言葉を濁す“アレ”とは即ち、“お酒”のこと。

 

 普段から命蓮寺で寝泊まりしている者達の中で、一輪と村紗の両名は、大仰に言ってしまえば『密輸』に相当することを積極的に請け負っていたのだ。

 その人選は、毘沙門天代理や山彦が隠し事しているのをあからさまに表情に出したり、ぬえに至っては堂々と聖さんの前でブツを取り出したり等々、様々な苦い経歴あってのことだったりする、らしい。

 

 密輸する目的は勿論、自分達でそれを楽しむ事だ。

 一人静かに呑むのもアリ。

 複数人で寄り集まって呑むのもアリ。

 

 培われた不文律はたった一つ。

 『住職に気取られる事勿れ』である。

 

 空を飛ぶ宝船が地に根を降ろし仏教寺院としての機能を表したその時から。

 それぞれお小遣いを出し合ったり法力を込めたアイテムを代金として提供したりなど、この妖怪二人はあの手この手でお酒を入手しようと画策していたのだとか。

 

 


 

 

 

 

 

「──前回利用したモグリの業者は、聖に南無三されて足を洗っちゃったでしょ? 私たちが里で使える伝手はあれで全滅しちゃったし、そこんとこ今回はどうなってるのよ。ただでさえ配達先が妖怪寺ってことで尻込みする人間も多いのに、よく代わりを見つけられたわね」

 

 ふと一輪はそんな質問を投げる。当然それは住職の耳に届いては困る内容、なので発する声音は何処となく抑え気味である。

 それを受けた村紗は首を傾けて、何か思い出すような仕草をする。

 

「えーと確か、うちの依頼を請け負った業者の屋号は“藤見屋”だったかな。最近里で立ち上がったばかりで無名のトコだって聞いたわよ」

 

「……聞いた? どうして人伝で知ったみたいに言うのよ。あんたが直に見繕ったんじゃないの?」

 

「いやー、私も最初はそうするつもりだったんだけどねー。でも一から口の堅い取引相手を探すのも骨が折れるでしょ? だから楽な手段を取らせてもらったのよ。その分お高くついたけど」

 

「ん、それってどういう──」

 

「よし! そろそろ裏手の墓場で落ち合う時間だから、悪いけどこの話の続きは今晩にでも。もちろん“アレ”と一緒にね!」

 

「……はあ、わかったわよ。いってらっしゃい」

 

 今の彼女達にとって『お酒の確保』とは何事においても優先されるべき最重要事項。

 なので、万が一すぐそこにある集合地点に遅れて結果お酒を受け取れませんでした〜だなんて事態は、罷り間違ってもあってはならない。

 

 それを重々承知する一輪は口に出しかけた問いの言葉を飲み込んだ。

 代わりに、ひとつ忠告しておく。

 

「藤見屋だっけ? その業者に声を掛けるときはくれぐれも気をつけてね。落ち合う場所が場所だけに、受け取る暇もなく逃げられるかもしれないわよ?」

 

「……」

 

 ま、妖怪寺に来る時点で相手も相当に覚悟してきてるだろうから、無用な心配かもしれないけど──と言い終えた一輪は、しかし村紗が何の反応も示さないことに気が付いた。

 

「…………」

 

 突如立ち止まった彼女は、沈黙を守ったまま何やら空を仰ぎ見始める。

 

「どうしたの?」

 

「……なんか、妙に静かね」

 

 一輪は、その言葉を聞いて首を傾げる。

 

「それが?」

 

「や、だから……今の時間に、響子の声が聴こえてこないのは変じゃない?」

 

 言われて一輪は気が付いた。

 

 確かにさっきまで響いていた筈の、目覚ましに丁度いい般若心経を唱える声がいつの間にやら途絶えてしまっている。いくら集中して耳を澄ませても、朝一番の掃き掃除中あの子がいつも大きく口ずさむ、溌剌とした発声が聞こえて来ない。

 

 きっと彼女は今現在箒を持つ手を止めているか、それか既に掃除を終わらせたかのどちらかだろう。

 して、それが一体何だと言うのか。

 

「うーん、ちょっと嫌な予感がするわね」

 

 振り返った村紗の頬は、大変に引き攣っていた。

 一輪には何故、彼女がそんな深刻そうな顔をするのかが今一つピンと来ていない。

 

「偶々作業が捗っただけなんじゃないの? で、今はもう庫裡に移って休憩でもしてるんでしょ」

 

「偶々? “アレ”が届く今日に限って? ちょっと一輪、気が緩んでるわよ。“アレ”に関しちゃ常に最悪を想定して行動しないと。そうやって私たちは幾多の南無三の危機を乗り越えてきたんだから──ま、ダメな時はとことんダメだったけど」

 

 そこまで聞いてやっと、一輪は先程から村紗が何を恐れているのかを朧げに察知する。

 

「あー、なんとなく言わんとすることは判ったけど流石に心配しすぎじゃない? だって『住職に見つからないようにしろ』とかの最低限の情報は伝えてあるんでしょ? なら業者も相応に警戒するだろうし──」

 

 事前に言い含められて見つかるまいと警戒する業者と、非公式の客がやって来るとは露ほども知らない響子。

 どちらが先に相手の姿を捉えるのかを競うのであれば、十中八九、前者の方に軍配が上がる。

 そして先に見つけたのなら、当然業者は響子の目が届かないような進行経路を選んで集合地点まで動く筈。

 時間帯的に他の者達は屋内を過ごしていて外に意識を向けることは無いので、その後はどう考えても業者には失敗のしようがない。

 よって、村紗の『もしや依頼した業者は何かの手違いで響子に見つかってしまったのでは?』という懸念は、取り越し苦労であると言わざるを得ない。

 

「──うん、大丈夫よ。何も心配することは無いわ」

 

 一輪は確固たる自信を持ってそう結んだ。

 相対する村紗はその堂々とした態度を見て、やっとのこと引き攣っていた顔を徐々に落ち着かせ始めたのだが、

 

 

 

 

 

 突如、表門の方──つまり先程まで話題にしていた所から、長年に渡る付き合いによりすっかりお馴染みとなった法力の輝きが、薄曇りの空へと昇っていくのを彼女達は目撃する。

 

「一輪、あれって……」

 

「うん、間違いなく聖の仕業ね……」

 

「と、ということは……」

 

「まあ、そういうことでしょうねー」

 

 何故かいつもより早めに切り上げられた山彦の読経。

 何故か有事でも無いのに法力を発現させている住職の気配。

 

 同じ場所で連続して起きる二つの出来事。

 それらを単なる偶然の連なりと捉えて受け流す事は、彼女達からすると不可能であった。なにせ、心当たりがあり過ぎた。

 

 如何ともし難い『あ、もうこれダメじゃね? 普通にバレてね?』感が、二人に重くのしかかって来る。

 

「……あの放火魔がまた懲りずにやって来たのかなぁ。それを迎撃する為って線はない?」

 

「そんなわけ無いでしょ。現実逃避しないで。ほら、『“アレ”に関しては常に最悪を想定して行動せよ』って言ったのは村紗でしょ。今がその時よ。錨でも持って行って突撃すればいいんじゃない?」

 

 ドヤ顔で『村紗の懸念は杞憂』と宣言した次の瞬間。それを即刻否定された形となってしまったので、若干ばつが悪い気分の一輪。

 見るからに自棄っぱちになっている。

 

「まあ確かに錨を振り回すのも、偶には悪くないけどねぇ」

 

 耳に入った無茶苦茶な提案はさらりと受け流して。

 村紗はやけに自信ありげな様子で宣言する。その口元には、ニヒルな笑みが上等に形作られていた。

 

「それよりも真っ先に試すべきは、聖が“アレ”の存在を認識したかどうか確かめることでしょ。で、それでもし気付かれてないようだったら、まだまだ挽回の余地はあると私は思うのよ。だから一輪、悪いけど付き合ってくれないかしら?」

 

 南無三の嵐に晒されるかもしれないというのに、この舟幽霊は屹然とした態度を崩さない。例えそれが虚勢なのだと分かっていても、一輪は自身の武者震いを抑える事が出来なかった。

 

 彼女のその、強固な決意の現れよう。

 魔界に封印された聖を救い出そうと遮二無二奔走していた頃のことを思い出す。

 

「村紗……ふ、あんたがどれだけ今日この日を待ち望んでいたのか、たった今身に染みて理解したわ。わかった、付き合ってやろうじゃない!」

 

 釣られるようにして覚悟を固めた一輪は、威勢よく啖呵を切った。

 

 

 

 

 

 斯くして。

 

 命蓮寺の酒好き妖怪若干二名様が、住職と山彦と元外来人が集まって何やら擦った揉んだしているところへと乱入していく運びとなった。

 

 

 

 

 

 そのときのこと。

 

 二人は揃って飛び上がって目を凝らし、現状の把握に努める。すると眼下に広がる光景は、大方の予想と違わぬものであると理解した。

 

 あまり事態を飲み込めてない様子の響子。

 今にも突貫しようと身構えている聖。

 そしてそんな住職の正面に立って青い顔をしている、件の業者と思わしき年若き男性──手荷物をさりげなく身体で隠している辺り、まだ望みはありそうかなと二人は判断した。

 

 まぁ実際にそうであるのかは、これから確かめること。

 

「で、死地に飛び込む前に村紗に一つ聞きたいんだけど」

 

「短めにお願い。じゃないと彼が南無三されちゃう」

 

「……仮に聖が“アレ”に気付いてなかったとして、その後はどうするつもりよ。受け渡す余裕なんてなくない?」

 

「あぁその事? 簡単簡単、任せなさいよ。私にいい考えがあるから」

 

「……なんか駄目そうね」

 

「ひどい。でもまぁ確かにあの人間が察して乗ってくれるかどうかに全て掛かってるわけだし、そう考えると分の悪い賭けにはなるかなぁ」

 

「やっぱり辞めとく?」

 

「冗談、待ちに待ったお酒が目の前にあるってのに今更諦めるわけにはいかないでしょ。ハケンリョウキンとか何とかいって散々ふっかけられたのに結局収穫無しだなんて、そんな事あってはならないわ」

 






 ちょっぴりお待たせさせてしまった割には、文章の推敲が十分でないし余り話が進展しなかったようで本当に申し訳ない 視点変更の最大のデメリットと言えるのかもしれませんね



 (秘封フラグメント(二次創作ノベルゲーム)が期待以上に面白かった(小並感))


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

貧する新参者、寺に転がり込む

 

 

 改めて思い返すと、あれはもう一週間ほど前の事になる。

 知らぬ間に自分が“幻想郷”という外と結界で隔てられた辺境の地に迷い込んでしまったと分かり、「こんな妖怪だらけの危険な世界に居られるか! 俺は外の世界に帰らせてもらう!(超絶意訳)」と手早く心に決めたその翌日、実際に帰るべくして博麗の巫女のもとを訪ねた時の事だ。

 

 危険な道中を護衛してくれた & 霊力を用いての火の術を教えてくれた妹紅さんに礼を言って、気が遠くなる程の長い長〜い石段を上って、鳥居の向こう側にある境内を視界に収めたその時。

 

 割としょぼいところだなぁ──と、結構礼儀に欠いた感想をその時の俺は抱いていた。割と率直に。

 

 それはそこの空間内には(巫女さんを除いて)余りにも人の気が無く閑散としていたからでもあるし、建っていた神社それ自体も、数年前にでも全改築したのか見るからに様相が新しく、年季というか歴史深さというか、ともかく由緒正しい感があんまり感じられなかったからでもあった。

 

 これが例えば本殿がもう一回り大きかったり、ないしサイズはそのままとしてもある種の古臭さが名残りとして建物に残留していたならば、きっと俺は『思ってたよりも小規模』とか『ちょっと寂れてる』とか、そんなネガティブな印象を博麗神社に対して持たなかったんじゃないかなー、と。

 

 そんな事を、今にして思ったりする訳だ。

 

 

 

 

 

 

 物思いに耽って知らず、進める足を止めてしまっていたらしい。

 

「……急に立ち止まって如何致しました? やはり、何か気掛かりな事でも?」

 

 清閑な雰囲気が遠くからでも感じ取れる厳かな本堂をぼんやりと脇見していると、それに気付いた様子の命蓮寺の住職さんが、とても心配した素振りをして話し掛けてくる。

 その際に、はたと気付く。

 彼女のその、柔和で清廉そうな整った顔立ち。博麗の巫女といい、もしかすると幻想郷にある宗教施設は、押し並べて自分にとってのお得スポットなのかもしれないな、と。

 

「……いえ。ただ、少し見て回っただけでもこの場所は随分と立派なところだなぁって感心してしまいまして──」

 

 かぶりを振って、別に何でもないですよと安心させるように伝える。

 しかし、住職さんはこの言葉に余り納得いかなかったようで、その次には申し訳なさそうな表情をして謝意を示してきた。

 

「もし先程働いてしまった無礼のことを思い出しているのであれば、私は何度でもお詫び致しましょう。浅ましくも独り合点をしてしまって──」

 

 はあ……そうやって切り込まれるのは、これで何度目になることやら。

 ややあって彼女を騙している形となっている手前、居心地が悪くて仕方が無い。

 

「そ、その件についてはもう気にしてないと言いますか……そう、あれは悲しい事故だったんですよ。むしろ、何の要件かと問われて変に黙りこくってしまった自分の方に非はあったと言っても過言無いくらいで。ほら、それならば人を不審者と見誤って咄嗟に殴り掛かろうとしても、全然おかしくない話だとは思いませんか?」

 

「全く思いませんけれど……」

 

「あ、はい。そうっすか」

 

 懸命に捲し立てた慰めの言葉を、あっさりと両断してみせたその僧侶の名は、聖白蓮。

 命蓮寺の表門にてついさっき知り合ったばかりの間柄である。

 しかし少なからず言葉を交わす事になった今現在、その間に、どうやら彼女は圧倒的な善性の持ち主であるらしいと、俺は薄々察してしまっていた。

 

 聞き心地の良い柔らかな声に、物腰穏やかな表情。

 何気ない所作・態度から溢れ出る、嘘偽りの無い絶対的な良い人感。

 

 徳の高い人というのは得てしてこのような者の事を言うのだろうと、接していてつくづくと思い知る。

 うっかり後光でも差しているのではと錯覚してしまいそうだ。

 

──そんな善良な人を、今の俺は全力の演技をして欺いている。

 

 美醜感覚の狂いを周囲から悟られぬよう外の世界で頑張ってきた経験が物を言って、今のところ上手く行っている現状ではあるが、これも一体いつまで保つのやら。

 

 自分とは違う正常な集団に帰属する為と、

 純粋に内情を知らない他者を騙す為。

 

 外の世界でやってきた事とは随分と毛色が違っていて、今にも表情筋がヒクついてしまいそうだ。事実、さっきから良心の呵責がすごいのなんのって。

 だからこそ、さっさとこの『折に触れてなにかと謝罪の言葉が投げ掛けられる(しかもそれを言う人には一切の非が無く、有るのは寧ろこっち)』という、奇妙な状況からの脱却を図りたいのだが……

 

 どうやら自分一人がいくら言葉を重ねようとも、自責に駆られる彼女を説得するのは難しそうだ。

 ならばここはやはり、人の手を借りる他ないか。まあ、実際に借りるのは人の手じゃなくて妖怪の手なんだけど。

 そう心中で呟いて、正面に立つ住職さんとは反対側の、つまりは俺の背後からついて来ていた彼女達の方へと意識を向ける。

 

 そこには表門での一悶着に終止符を打ってみせた、二名の妖怪の姿があった。

 当然、住職さんと同様、ついさっき出会ったばかりの間柄である。故に()()()()に至る経緯が丸っ切り欠如している訳なのだが、俺はそれを意図的に無視して話を振る──

 

「暴力を振るわれそうになった俺が『気にしてない』と言っているんです。なら、あの件はもうそれで手打ちという事でいいじゃあないですか」

 

 まるで、気心の知れた友を相手にして話しかけるかのように。

 

「──なあ、そう思うよな? ムラサ、一輪」

 

 

 

 

 

 すると、急に会話の切っ先を向けられると思っておらず気を抜いていたのか。

 並んで歩いていた“村紗(むらさ) 水蜜(みなみつ)”および“雲居(くもい) 一輪(いちりん)”の両名は、俄かに揃って色めき立った。

 

「え゛!? う、うんうん。全く私もその通りだと思うわー。なんなら事前に聖様に話を通してなかった私たちも悪いと言うか……」

 

「ほ、ほんとよねー。それにほら、姐さんもさっきから気に病み過ぎではありませんか? やってしまったものは仕方が無いですし、切り替えていきましょうよ。当人も不問にしたいと言っているのですから」

 

 傍から見て、あからさまな動揺の色が窺えた。だからお世辞にも上手い演技とは評せなかったのだが、それは裏の事情を知る自分だからこそ抱ける感想であったのだろう。

 

「──確かに、少々取り乱し過ぎたかもしませんね」

 

 特に空の髪色をした尼さんの進言が刺さったのか。頬に片手を当てながらそう言って、住職さんは渋々ながらも納得した様子を見せていた。

 そんな彼女のしおらしい様を受けて今度は二人の妖怪がなんとも慚愧に堪えない表情を浮かべ始めたので、酷いようであるが俺は内心で『もっと後悔してくれてもいいんだぞ』だなんて思ってしまう。

 

 なにせ、どれもこれも、全ての発端は彼女達にあるからだ。

 現在進行形で俺の良心が苛まれているのも、彼女達の所為である。善人を騙くらかす事の如何に罪深きことか、是非とも同等に味わってみて欲しい。

 

 それを願うに足る資格が、自分にはある筈である。

 

 今こうして住職さんの立ち会いのもと、寺の施設案内が繰り広げられているのも、更に言えば、今日この日を以って()()()()()()()()()()()()()()()()のも、全ては彼女達の声無き要求を飲んでの事なのだから。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 あ、これ()ってお寺に持っていっちゃダメなんじゃね? と薄ら察しつつも、依頼内容を選別出来るほどの金銭的余裕が皆無であった今朝の俺。

 

 ひっそりと忍んで届け物をせねばならない所に、運の悪いことに(人生初のリアル獣耳との邂逅に浮かれてしまったこちらの完全なるミスと思えなくもないがまぁそこは置いておいて)幽谷響子という元気一杯な妖怪少女に見つかってしまって。

 

 で、あれこれとやり取りしているうちに流れるようにして『絶対にこの人だけには見つかるな』と依頼文にあった住職さんにもバッチリ見つかってしまい。

 

 何しに来たのかと問われてまさか馬鹿正直に「へえ、お宅にちょっとブツの闇取引をしに来たんでさあ」と白状する訳にもいかず。

 

 返事にあぐねている俺を不審者か何かと勘違いしたのか(まぁ実際不審人物に違いはなく慧眼だったのだが)、聖白蓮は何やら見るからに尋常じゃない輝かしいオーラを纏って、こっちに突っ込んで来る構えを見せていた。

 

 

「いざ、南無──」「「聖様、ちょっと待ったー!!」」

 

 

 こりゃいよいよアカンなという時になって、勢いよく飛び込んで来たのが彼女達であった。

 割り込んで来たタイミング的に『この二人が依頼人かな』と薄々察していた部分があったので、その直後、わーわーと二人が住職さんに捲し立てていくその光景に俺は特に何も言わず、経過を見守る事にしたのだった。

 

 そうしていると出し抜けに、セーラー服の少女がこちらを指差した上でこう言い放ったのだ。

 

「やあやあ、久方ぶりだねえ」

 

 と。

 まあ、当然彼女とも初対面なので、最初は何を言っているのかさっぱりだった。が、しかし彼女の『察してくれ』という言外の圧が凄まじかったので、ここは一旦話を合わせて、事態の成り行くままに身を任せる事にしたのだったのだが……

 

 

 

 いつの間にか俺は、村紗水蜜や雲居一輪とかねてからの親交を持っていて、かつ、その流れでつい最近仏教に興味を持ち始めた里の人間である、という経歴の持ち主になっていた。

 そしてここ命蓮寺には常時申し込みを受け付けている体験入信(泊まり込みで行われる所謂本格派、らしい)というものがあるので、それを目当てにやって来たのだと、そういう設定になっていたのである。

 

 いやそうはならんやろ、と正直思った。

 

 でも実際にツッコむ事はしなかった。というのも、彼女達の主張する法螺話を聞いて大雑把ながら把握したその時、突如脳内に霹靂の如く閃くものがあったからだ。

 

 一見すると無茶苦茶で、出来てその場しのぎが精々な、取って付けた様な設定である。

 

 だが、無理を承知でこれを貫くとすれば──それは、なんとも俺にとって非常に都合の良い話になりそうだなぁと、であるならばこの機をみすみす逃す手は無いよなぁと、自分が置かれている現在のあんまり芳しくない近況を鑑みて、そう頭を絞ったのだ。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 暫くここで寝泊まりするのですから、早いうちに慣れておくと良いでしょう──とのことで、引き続き住職さん主導の案内で、寺の内部を一通り見て回った。

 その最中、聖さんの目を掻い潜って桃色をした珍妙な雲がしきりに合図するので、手に持っていた件の届け物を手渡すと、そいつはひょろりと何処かへ飛んで行ったりもしていた。

 

 そしてその後、命蓮寺に住んでいる他の方々にも周知の為の挨拶をして回って(その際ちょいと一悶着あったが)ともかくそれも無事完了し、彼女達とは一旦解散して気を休めていると、いつの間にか鈍色一辺の曇り空は茜色に染まっていた。

 

「えーと、藤宮さん……でしたっけ? ちょっとこちらに……」

 

「え? ああ、はい」

 

 で、その情緒ある景色に見惚れる間も無く、俺はそんな密やかな声に招かれるままに、寺の端っこで人目を避けるかのように存在する一部屋へと上がり込んだのだった。

 

 

 

 

 

 障子を開けて部屋の中を観察してみると、そこはまあ、ザ・普通の和室と言った感じ。仰向けになって寝ればさぞ気持ち良かろう一面の畳に、壁には達者な字が載った掛け軸なんかが飾ってあって、中央には広めの四角いちゃぶ台が鎮座している。

 そして、二つの人影がそのちゃぶ台についていた。昨晩、書簡にてうちに酒の運搬を依頼したと思われる、村紗さんと雲居さんだった。

 

……つまりはこの空間に、お寺に禁制品を持ち込もうと目論み実践してみせた、有り体に言ってしまえば罰当たりな輩三名が寄り集まったという訳だ。

 

 アイコンタクトで促されるままに、俺も彼女らと共に卓を囲んだ。

 

「いや〜、一時はどうなるかと気が気でなかったけど、上手く行ったようで本当によかったわー」

 

「ふっふっふ。今晩に備えてアテの方も用意しないとねぇ」

 

 持って来た酒瓶がそれほど待ち遠しかったのか。それとも思い描いた通りに物事が進行して、ほっとしたのか。

 弛緩した空気を演出するようにして少女二人は談笑し始めた。が、俺はこの場でただ一人の外様であるので、その和気藹々とした空気感について行けずなんとも微妙な心境になる。

 

 いやまあ、心の底から喜んでくれているようだし別にいいんだけどね? こっちも、勇気振り絞って妖怪寺に踏み込んだ甲斐があったと思えるから。

 

 でもねえ。

 悲しいことに客の笑顔が満たすのは心のみで、懐の具合は対象外なんだよねえ。

 

 そもそも忘れてはならないのが、現在の俺は深刻な金欠状態に陥っているという悲惨な現実。明日分の食費の工面すらままならない身の上なので、共に苦難を乗り越えたことを分かち合うよりも、今は収入(お金)の話を優先したかった。

 

「あーその、盛り上がっているところ申し訳ないんですけど、報酬の方はどうなっているんですか? まあこちらの不手際で発覚寸前にもなりましたし、大幅の目減りは覚悟していますが……」

 

 先程、住職さんの前ではえらく馴れ馴れしい口を叩いたが、あれは口裏を合わせてのこと。

 彼女達とは間違いなく初対面で、更にこの部屋には裏の事情を知る者達しかいない。以前から知り合いであったかのように見せかける必要が無い以上、自然口調は丁寧なものとなった。

 

 そうやってやや遠慮がちに尋ねると、談話を中断した二人はお互いに顔を見合わせる。

 てっきりそのままこちらに与える額の量如何についての話し合いが始まるかと思いきや、何も言わずとも通じ合っているのかそれとも事前に決めておいたのか、会話も無しに両者はこくりと頷いた。

 

 当然そのやり取りが何を意味するのか分からない。脳内に疑問符を浮かべていると、補足するようにして村紗さんが発言する。

 

「や、まあ確かに、何事もなく受け渡しが出来たのならそれが一番良かったんだけどね? でも最終的に“アレ”は他の誰にも露呈すること無く私たちの手に渡ったんだから、それで全て良しって事でいいんじゃないですかねー」

 

「と、ということは……」

 

「ええ。別にそんな恐縮しなくても、文に記した通りの額はちゃんと支払いますよ。ほら」

 

 そう言って水平服の少女はちゃぶ台の影から封筒を取り出す。受け取って断りを入れてから中身を開いて確認すると、そこには間違いなく依頼文にあった通りの額が入っていた。

 ヨッシャ!と内心で高らかにガッツポーズした。幻想入りしてからというもの殆ど死に体であったマイ財政事情、それが辛うじて息を吹き返したのだと知れたのだ。ここ一週間ずうっとひもじい生活を送っていた者として、これ以上の朗報は無かろう。

 

 取り敢えず首の皮一枚繋がったかなと深く安堵していると、この感情の荒ぶり様が分かり易く表に出ていたのか、相対する二人は揃って苦笑いしていた。

 

──もしかすると、お金にがめつい奴だなぁとか思われてしまったのかもしれない。

 

 一概には否定出来ない。

 事実今は特に金銭面での困窮が著しく、稼ぎを得られるのならどんな要求だって応えてみせる、そんな気概が形成されしまっているほどなのだ。

 実際のところ、妖怪が棲んでいるとの事前情報に怯みながらも『ええいままよ』となりふり構わず寺に突貫したのは、そんな心理的な経緯あっての事だったりするし。

 

 

 

 

 

 俺がこの部屋に呼ばれた要件は、今の報酬の受け渡しをする為──ということでいいのだろうか。

 

 なんとなしに訊いてみると、どうやら違ったらしい。「そういえばすっかり伝え忘れてた、貴方がこの先どう動くつもりなのか訊いておきたくて──」との前置きをして話し出したのは雲居さんだった。

 

「さっき、私たちは貴方に体験入信希望者を名乗らせたじゃない?」

 

「ええ、それが?」

 

「そのことについてなんだけど……」

 

 曰く、彼女達が一芝居打つ際に利用するものとして体験入信という(てい)を選択した事自体に、さしたる深い理由はなかったらしい。

 心算としては、依頼した業者が住職に見咎められてしまったあの時の状況さえ切り抜けられるのであれば、告げる口実はなんでも良かった、とのことだ。

 

 あくまでも、一時しのぎ。

 それを念頭に意識させた上で、紺色頭巾の少女は言う。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()、それを今のうちに聞いておこうと思ったのよ。まあ、うちの錚々たる顔触れに挨拶して回った今、返事は決まってるようなものなんだけど、一応ね」

 

「……ああ、そういう」

 

 快活ながらも微量の自嘲を孕んだそれを聞いて、俺は瞬時にその意を正しく汲み取れなかった。

 が、少し間を置くと直ぐに彼女の言おうとしている事を、延いては彼女達がこの後どうやって俺という(住職さんからすると)招かれざる客を穏便に寺からフェードアウトさせるつもりだったのかを、なんとなく把握出来た。

 まぁ探られると痛む腹しかないので、結構()()()()見目をしている雲居さんが何故自嘲するのかは表立って触れないでおくが。

 

「『返事は決まってるようなもの』、ですか。……もしかして、今日か明日にでも出て行きそうだなぁこの人、とか思ってません?」

 

 そう言うと、ちゃぶ台の向こうの二人は揃って『えっ違うの?』とばかりに意外そうにしている。

 報酬の受け渡しが完了した今、この業者は可及的速やかにこの場から離脱したいと願っているに違いない──とでも決めつけていたのだろうか。

 

 明日より始まるという命蓮寺の体験入信。

 

 人間と妖怪の間に隔たる覆し難い力量差。或いは、酒や肉を代表とした嗜好の制限。……そして、そこに住まう彼女たちの非常に()()()()顔立ち。

 確かに、喜び勇んで乗っかかるには少しばかり問題点の多い提案ではあった。

 

 けれども今の俺の場合、それらの障害は何ら苦ではなかった。たったそれだけの話だ。

 霊力を扱えるので、抵抗・逃走は十分に可能。金欠により端から必要最低限のものすら摂取できていないので、現状嗜好品など望むべくもない。際立った顔立ち? ……どうやら今回ばかりは、生まれ付き備わってしまった己が特殊な価値観に、感謝の言葉を贈らないといけないようだ──

 

 奇跡的に、いろんな要素が合致していた。しかしそういった諸事情を全て把握しているのは、当然のことながら自分だけだった。

 なので彼女達からすると、あくまで一時しのぎ目的に過ぎないその設定に積極的に乗りかかろうとしている俺は、さながら威風堂々とした『変人』に見えていることだろう。

 なんだか事あるごとにそう言っておちょくってきたオカ研の先輩を思い出す。

 

 あの人元気してるかなぁ。

 俺が謎の失踪を遂げたと知って神隠しだとかなんとか言って騒いでないといいんだけど。

 外の世界に戻れた暁なんかにゃしつこい質問攻めを食らいそうだなぁ……

 

 

 

 

 

 

 

「わー、物好きって本当にいるものなのねー。や、怖いもの知らずって言うべきかしら、この場合」

「え、ちょ、なにそれ本気なの? あんた正気?」

 

 当分の間はこのお寺に、体験入信中の信徒として世話になるつもりだ──そう伝えると、二人は心の底から驚愕した様子だった。まあ、多少なり好奇の目を向けられると覚悟していたが、まさか正気を疑われるまでとは。

 いやほんと、そこまで心ない言葉を投げ掛けられるとは思わなかった。種族が舟幽霊というちょっぴり恐ろしい彼女には是非とも遺憾の意を表明したい。というか今しちゃうか。しちゃおう。

 

「そうは言っても、申し込み自体は以前からやってたと聖さんから聞きました。なら当然居るんですよね? 過去に体験入信を希望した人が。今までに申し込む者が皆無であったのならまだ分かりますが、正気まで疑ってくるのは正直どうかと──」

 

 と、そこまで口に出して、並んで座る相手方が同時にバツの悪い顔をし始める。だがそれは己が発言の無神経さを悔やむものではなさそうだ。

 その様になんとなーく察する部分があったので、一旦言葉を切って恐る恐る質問してみる。

 

「もしかして、今回が初の申し込みだったりします? 挨拶して回る度に『え、こいつマジ?』みたいな表情されたのって、これまで誰も体験入信を申し込んでこなかったからとか、そんな訳だったりする…?」

 

 すると、コクリとあっさり頷かれる。

 

「……その、なんと言えばいいものか。そもそも件の体験入信というのは、じょ…とある問題児を更生する為だけに考案されたものを、一般向けに再調整したという経緯があってね──」

 

「で、その調整の仔細を詰めたのが聖なんだけど……どういうわけか、内容が雑事方面に偏っちゃってるのよねー。掃除とか洗い物とか。だから申し込んで何を課されるのかを聞いた時点で、人も妖も全員立ち去っちゃうのよ。そんな下らないこと押し付けられてたまるかーって感じで」

 

 だから正真正銘、貴方が一人目ね──と、村紗さんと雲居さんは言う。

 

 お、おう。俺は知らずのうちに人妖未到のフロンティアに足を踏み出そうとしていたのか……ま、まあ? こちらとしても本格的な修行を課されては正直困るし? サンスクリットとかてんで読めないし? それならばまだ、馴染み深い身の回りの世話に終始するのなら、いいのかなあ。

 

──体験入信を望んだ本来の目的を思えば。

 

 見識の浅さを盾に楽な方へ逃れようとするのは好ましくないのだが、梵字が人里で広く普及している様子もなし。となれば許容範囲と見做せる、のか? いや、そもそも自分がここで見知るべきは一体……

 

 今後の方針を固めがてら思考の沼に浸かりかけていると、それが呼び水となったのか。村紗さんがふと何かを思い付いたような顔をする。

 

「そういえば結局のところ、どうしてこんな妖怪寺に一時的にとは言え入信することに決めたの? よもや、本当に仏教に深い関心が…?」

 

「いんや、それほど無い」

 

「……なぁんだ、ちょっと期待して損した」

 

 何やらジト目になる彼女が口にした疑問は、幻想郷に於ける普通を思えば当然のこと。

 

 何故、単に酒の密輸を頼まれただけのか弱い一般人が、妖怪ばかりが集う怪しい場所に積極的に首を突っ込もうとしているのか。

 

 里の人間はもっぱら妖怪の類に対して警戒心が高いという事実には、住み着いて日が浅い身でありながらも気付いている。

 そしてその基本姿勢が是とするべきことなのは、人喰い妖怪に襲われた過去の経験が証明している。

 あれが幻想郷出身者のスタンダードなのだとすれば、確かに今の俺は不用心に過ぎていると言えよう。

 

 ともすれば、不可解なほどに。

 村紗さんは今、それを指摘している訳だ。

 

 

 ああ、そうか。

 

 

 彼女達はそもそも俺がつい最近幻想入りしたばかりの新参者だと知らないのか。そして更に言うなら『常識に囚われる程度の能力』という己自身の力に阻まれて、外の世界に戻れなくて困っている事も知らない。

 

 まあ今日会ったばかりの付き合いだから、こればっかりはしょうがないんだけども。

 そうなると少々弱ったことになる。

 

 俺が彼女達の言い出した設定に乗り気になった理由を理解させる為には、それら諸事情を全て、今この場で、彼女達に分かり易く噛み砕いて説明せねばならないからだ。

 詰まるところ『「幻想郷の常識を身に付ける」という至上命題を果たすためには、“人妖平等”を掲げる寺に携わるのが最適解ではないかと、そう霹靂の如く思いついたから』──というのがアンサーであったので。

 

 しかしそれをそのまま回答として彼女に告げるのは、当然よろしくない。

 

「どうしてうちの体験入信に申し込みを?」

「はい、幻想郷の常識を身に付けるためです!」

 

 とはならないだろう。会話下手すぎかよ。

 やはり相手に正確な情報を伝えるのなら、そこに至るまでの経緯をこと細やかに述べる必要があるということだ。誤解無きよう、一から十まで滔々と。

 

……うーむ、正直に吐露しよう。

 

 説明すんのがメンドくさい。

 

 しかも実際には自分でもなんで『幻想郷の常識を身に付ける』ことが『外の世界への帰還』に結び付くのかよく分かってないときた。実は事情説明すら覚束無いというね。

 細かい所は端折ってしまって、概要だけを述べてもいいのだが……それでもやはり得られる理解がスムーズに、とは行かないだろう。

 

──なので彼女達には、もっと分かり易く明朗な動機を掲示しておこう。なに、別に嘘を吐こうという訳ではない。

 

 聞くところによると体験入信の申し込み費用はゼロで、その上、信徒として扱われるうちは寺から食事が無料提供されるのだという。

 そして、この地に迷い込んでからというもの常に金欠に喘いできた身としては、『出費』とは是が非でも抑え込まないといけないものだった。

 だから、食費が丸っ切り浮くと知って「あっ入信します(即決)」となったのはごく自然の成り行きであった。

 

 要するに。

 俺はここ命蓮寺に、文字通り“駆け込み寺”としての機能を期待したという訳だ。

 

 

 

 

 

 

 

「へー、それじゃあ冗談でも何でもなくて本気なのね。暫くの間ここに泊まり込もうってのは」

 

 回答を受け、村紗さんは念押しのようにこちらの意思が曲がらないのかを再度訊いてくる。その様はどうしてか今日一番の迫力があって、思わず上半身が少し仰け反った。

 

「え、ええ。そりゃまあ」

 

 取り敢えず、その言葉を肯定すると彼女は「ふーん、そっか」とだけ言って、その次には雲居さんに対して何やら耳打ちをし始める。

 その最中、頻繁に視線がかち合ったので、細かい内容は分からずとも何を議題にして話しているのかは聞こえずとも明白だった。

 

 なんだろう?

 

 怪訝な目で眺めていると、やおら彼女達はお互いを見合い、ニヤリと笑っていた。……耳打ちの間に二人が具体的にどんな話をしていたのか。それを知るのには案外、さほどの時間は要さなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その晩、俺達は再び集合していた。

 場所はさっきと同じ。寺の隅、隠れる様に在る一室だ。

 

 部屋内に並ぶ面子が一つ増えていた。“雲山(うんざん)”という名の妖怪が、雲居さんの背後に憑くようにして控えている。

 彼が見越し入道だと聞いた時は衝動的に「見越したぞ!」と叫びたく思ってしまったが、流石にやめておいた。特に恨みがある訳でもないし。

 

 皆で取り囲むちゃぶ台の上には、二本の酒瓶。

 勿論、俺が運んできたそれそのものである。

 

 皆が片手に持つ物は、なみなみ注がれた盃。

 そこに満たされた液体の正体は、言うまでもない。

 

 それよりも、個人的な最大の関心ごとは雲山にあった。雲とは状態変化を経れど、とどのつまりは水。ならば彼が今から行うのは、共食い的なサムシングなのではないのか?

 と、訳もなく興味が湧いてくる。てか消化器官も無さそうなのに呑んで平気なのかね……超常的な存在だから、で全てが説明ついちゃう気もするけれど。

 

 

「「かんぱ〜い!」」「か、乾杯」

 

 

 なんて益体のない事を考えていた所為か、唱和の声が出遅れてしまった。

 小声になっちゃった決まりの悪さを誤魔化すため、一息に呷ると二人から同時に囃し立てられた。驚くほどの気安さだ。或いは、それほどテンションが上がっちゃう位、今日という日を待ち望んでいたという事か。

 

「よしよし! これであんたも共犯ね。もう言い逃れは出来ないわよ」

 

「自分で発案しておいて何だけど、これじゃ呑める量が頭数だけ減っちゃうな……まぁこれも口封じのため。致し方ないかぁ」

 

 共犯だの口封じだの、なにやら物騒なワードが聞こえてくる。それこそが、彼女達が俺を酒の席に招待した理由だったのだろう。どうやら住職に告げ口される可能性を確実に潰しておきたかった御様子。そのような事をするつもりは微塵もないというのに、随分と念の入ったことだ。

 

 万一のリスクすら看過できないほど、そしてこんな簡単な事で口封じが完了したと見做されるほど、聖さんの雷は恐ろしいということか。なるほど普段から温和な人ほど、怒らせると怖いってのは往々にして聞く話ではある。その類か。

 

 三杯目を注ぎながら胸中では、『滞在中くれぐれも彼女の不興を買いませんように』と願ってみる。まぁそんなのは、命蓮寺に住む全員に対しても言えることだった。

 

……今のうちに「明日からよろしくお願いします」とでも丁重に頭を下げて、彼女達の機嫌を伺っておくのが吉か? 丁度、宴の先で気分がいいみたいだし。

 

 やや打算的な思いつきの上、己が誠意でなく酒の力を頼るのは些か以上に姑息かなと思ったが、中々どうして傑作なアイデアだなとも思える。

 

 少し酔った頭で思案して。

 結局言うことに決めた。

 

「えーと、今のうちに言っておきたいんですけど……」

 

 そうしてこの部屋内全ての耳目を引き付けた状態で、『いや、ここでへりくだるのはなんか違うな』とすんでのところで思い止まって、これより並び立てる文言の軌道修正を遅まきながら図る。

 

 ああ、そういえば。

 

 二人が言っていた『俺は前々から村紗水蜜や雲居一輪と仲良くしていた』という虚偽の設定。

 あれが既に寺の住民全員に知れ渡っている現在、体験入信中も今のような丁寧口調で彼女達と接してしまうと、疑いの目を向けられちゃうかもしれない。ともすれば他人行儀と取られる可能性があるからだ。

 

 リスクを最小限に抑える為の対策は、可及的速やかに執り行うべきだろう。

 言葉遣いを変える、たったそれだけで実施できるのであれば尚更だ。

 

 

──それは、来る新生活への意気込みと共に発せられた。

 

 

「明日から、宜しく頼む」

 

 

 突然口調が変わったりなんかして、冷静に考えると『これを言う前に、明らかにもう二つ三つ言葉のクッションを置くべきだったろ!』、と口に出した直後になってから猛烈に内省した。

 すげぇじゃん俺、急に脈絡無く馴れ馴れしくしてくるじゃん。思考が逸りすぎと気が付いて、心の中で酷く身悶えた。

 

 

 

 

 しかして圧倒的言葉足らずながら、

 心意気だけは一丁前に伝わったようで。

 

 村紗さんと雲居さん──いやさ改め、ムラサと一輪の両名は、たっぷりと満たされた盃を高く掲げ、これに応えてくれた。……案の定、困惑の色が多分に含まれた表情をしていたが。

 




 
 
 畢竟サブタイ一文で表せる内容というに、なぁんで本文は一万字突破してるんですかねぇ 頭がおかしくなりそうよ



 アンケートに協力して頂き有り難う御座いました (会話文の閉じカッコ前に句点付けるか付けないか問題) これまでの会話シーン全て訂正できた筈です 恐らくチェック漏れも多分無いことでしょうメイビー

 (どっちでもOK派が最大派閥だったのは公然の秘密)

 やってる最中、今度は「あれ、地の文と会話文の間って二行じゃなくて一行だけでよくね?」説が鎌首をもたげましたが、まぁやめときました 全文見直し作業はもう当分やりたくないので 色々と日本語があやしい部分も散見される(そしてこの先も同様)この作品ですが、その際は感想で知らせてくれるなり、ニュアンスでふんわりと解釈して頂けると誠に助かり申す

 追記 結局「あれ、地の文と会話文の間って二行じゃなくて一行だけでよくね?」説は無事採用となりました ついでに加筆・修正もしちゃったりしています 誤字脱字が増えてそう()


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

妖怪寺体験入信日記 その壱

 ※キリがよかったので短め & 『〜日記』とかサブタイについてるけど別に本文は日記形式ではないという詐欺
 


 

 六波羅蜜。

 曰く、それは『布施』『持戒』『忍辱』『精進』『禅定』『智慧』、以上それぞれの修行のことを総称して指す言葉である…らしい。

 今世を生きながらにして仏の境地へと至る為に行われる六つの徳目。それらに対して心身共に向き合い、励み、勤めることこそが、仏教徒に求められる模範的な姿勢…なのだとか。

 

 昨日の昼下がり、「仏門を志す貴方には今更語るほどでも無かったでしょうか」と薄ら微笑む聖さんが言っていた事だ。

 謙遜でもなんでもなく事実浅学の身故に、己の無知を誤魔化す為さり気な〜く話題を逸らすことしか出来なかったのは、当然ながら記憶に新しい。六波羅探題ならまだ義務教育課程で習った覚えがあるんだが……

 その時は彼女を騙している疚しさも相まって、『この人は何でもない風な話題を装ってこちらのホントの腹を探ろうとしているのでは?』と、ちょっと疑心暗鬼気味になったりもしていた。

 

 彼女が浮かべていたその笑みの真意は、後の宴会を経た今となっては流石に分かる。あれは探りだとか皮肉だとかの類ではなく、純粋な“親しみ”から来る、真実、なんて事のない単なる話題提供であったのだ。

 

 親しみ。

 そう、親しみだ。

 

 前々から受け付けてはいたものの、しかし結局は希望者が皆無であったという大層不人気な妖怪寺への体験入信。その記念すべき志願者第一号は、なんと実は、以前から寺の一部の弟子達と交友関係を持っていたのだという。

 時に、命蓮寺は“人妖平等”という主張を大々的に掲げている訳であるが、その標語に一番の思い入れがあるのがまさしく彼女なのだ──と酒の席にて聞いていた。その標語が『人間と妖怪が等しい立場となって共存する世の中』を意味するのなら、きっと住職さんは大いに喜ばしく思ったことだろう。いつの間にか、“妖怪”である弟子達が“人間”である何者かと仲良くなっていたのだから。

 

 故にこそ、『聖白蓮という人は、俺に対して浅からぬ親しみを感じてくれているのではないか』と、割り振られた和室の床に就き眠りに落ちるまでの合間、取り留めも無しにそう考えていた。イメージとしては、家に遊びに来てくれた我が子の友人を手厚く歓迎するかの様、といった塩梅だ。

 

 まあ、なんというか。こうして一晩経って客観視するとこの考えは、なんとも自惚れの混じった代物ではないかと思えてくる。本を正せば俺は酒の密輸人。戒律的に飲酒NGな僧侶の立場からすると、そんな輩なんぞ到底歓迎できる相手ではないというね。

 少々の私見の入った手前勝手な推論じゃん、とも思う。

 が、この妄想も強ち誤りでもないなと確信していたりもするのだ。

 

 だってあの人、すっげーニコニコしていたもの。

 

 俺が酒好き妖怪二人組と親しげな素振りをして接していた時とか、山彦妖怪の持つ挨拶に対する妙な拘りを聞いて圧されていた時とか。

 或いは、人見知りが激しいらしい、虎柄の髪の色をした少女と初対面した時もそう。

 

 それらに際して浮かんでいた聖さんの表情は何処か明るく、喜色に満ち満ちていた。『慈愛』だなんて、馴染みのない単語が思い浮かぶほどだった。

 

……いや本当、何を考えていたんだろうかねあの住職さんは。昨日の寺での出来事全般を重ね重ね思い返してみても、大して愉快な事態は起こっていなかった筈なのだが。

 むしろ逆に、正体不明がどうのと喧しく主張していたヤツと出会った時は大問題しか起こってなかった様な気がするんだが? こちとら何もしてない筈なのに、滅茶苦茶に突っ掛かって来られたんだが?

 

 

 

 ともあれ、あの人の正確な心の内を知るのは本人のみなのだから、今こうしてあれこれと考えるのは全くの時間の無駄と言える。

 ついでに言うなら、折を見て好奇心の赴くままに直接尋ねてみようとも思っていない。

 

 その理由がなんであれ、半日を共に過ごした結果ここのトップから悪く思われていないのなら、今はそれだけで満足するべきだと考えている。疑われていないのであればそれでヨシ、という事だ。それ以上のことはまた、明日明後日以降にでも暇があれば。

 

 ただ、なんとなく頭の片隅に引っかかっているのは、彼女が俺に対して向けていた穏やかな表情。そしてそれを認識した際に覚えた、そこはかとない気恥ずかしさと居心地の悪さが同居した、体験したことの無い妙に心の浮ついた感覚だ。

 『未知』とは得てして、人々の不安や恐怖を煽り立てるものである。

 だがしかし、それにカッチリと該当する筈だったあの何とも言えない小っ恥ずかしい奇妙な感覚。それを味わって中々嫌いではないと思えたことが、どうしてか深く印象に残っていた。

 

 果たしてアレは何と呼称すべき情動だったのだろうか。どれだけ賢しらぶって思案してみても、その影には一片たりとも踏み込めず、答えは掴めそうにない。

 或いはかつて、それを求めてやまなかった時期があった様な気もするのだが──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 早朝。控えめに射す陽光が障子越しに見て取れる、随分とお早い時間帯。

 未明頃に目が冴えてしまって以降、ずうっと布団に包まりながらつらつらと考え事をして暇を潰すしかなかった俺は、待ちかねた気持ちで起床して、眠気覚ましに目一杯大きく伸びをする。

 外からは、幼い声の般若心経が元気よく響いていた。

 

 命蓮寺で迎えることとなった初日の目覚めは、なんとも突き抜けて爽快であった。実質的な睡眠時間は短めだったというのに不可解なようであるが多分、何処からともなく漂ってくる落ち着いたお香の匂いがそうさせてくれたのだと思う。

 それかあれだ。昨晩は久しぶりに貧乏飯じゃない質素ながらもちゃんとした夕飯にありつけたからだとか、その後に呼ばれた秘密の会合にて酒とつまみを存分に楽しめたからだとか、きっとそこら辺だ。

 

 幻想入りしてひとまず里に居を構えてからというもの、無一文スタート故にとことん生活難な日々を強いられてきたここ一週間。空きっ腹がデフォルト状態と半ば化していたが為に、若干気落ちしていた部分も正直言ってあった。だがしかし、今ではすっかり心持ちは平常に戻っている。

 

 聖さんには本当に申し訳が立たないが、体験入信希望者を詐称しただけの収穫はあったと断言できよう。腹が満たされて精神的な余裕を確保できた事もそうだし、今後幻想郷という慣れない風土に在って日常を如何にやり過ごしていくのか問題について、なんとか解決の目処が立ちそうだなと安堵できたからでもある。

 

 これは大いなる前進だ。

 全くの仮初めとは言え、衣・食・住という決して欠かせない基盤を期せずして得られたのだから。少なくともこれのお陰で、『貧困の末に敢え無く餓死』という最悪な結末を迎えずに済みそうだ。

 

──つい一昨日まではマジで苦境に立たされていたのに、いやはや何とかなるもんなんだなあ。

 

 呉服屋がタダ同然で売っていたヨレヨレの古着物から、住職さん直々に手渡された真新しい作務衣に着替えながら、しみじみと思い浸る。

 

「おっと」

 

 そうやってのんびりと身支度を整えていると、突然スパンと勢いよく開く、背後からの障子の音。

 反射的にそちらの方へ目を遣ると、昨日の夜分遅くまで一緒に呑んでいた妖怪少女たちの片割れ、白のセーラー服をその細身に纏う村紗水蜜がそこには居た。

 

「や、おはよ──っとと、ゴメンゴメン! お着替え中だったか」

 

 こちらを見るなりすぐさま彼女は恥ずかしげな様子をして視線を逸らした。それもその筈。今の俺は惜しげもなく堂々と裸体を晒しているのだ……上半身だけ。

 

 危ねえ危ねえ。タイミング次第では、お互いにメッチャ気まずくなるところだった。

 せっかく酒の力を借りて、ある程度は打ち解けられたと思っていた矢先にこれとはツイていない。

 

 非はノックをしなかった(というよりは呼び掛けをしなかった、が正しいか)相手側にあるように思うが、まあそこはそれとして置いておこう。

 残る着替えの工程は『上を着る』たったそれだけなので、バツが悪そうにしつつも尚チラチラと目線を寄越してくる彼女を落ち着かせる為にも、ここは手早く着替えを済ませてしまうべきなのだろうが……今はちょっと確かめている事があるので、少々の時間をいただきたい。

 

「……さっきから何してるのよ、あんた」

 

 着替えを完了させる素振りもなく、何やら上半身中を隈無くチェックし始めた俺の様子は、傍から見れば確かに疑問に思われても仕方がない感じはする。

 だから、平静を取り戻してそう問いかけてくるムラサの気持ちは分かる。だがここは少しだけ待っていて欲しい。大切なことなのだ。

 

「……よし、傷一つ無いな」

 

 目覚めてからもしやと期待を懸けていたが、まさにその通りであった。確認すべき事が確認できたので満足して呟くと、案の定眼前の彼女は不審そうな顔をしている。

 

 妙な事をしている自覚はある上なんなら別に事情を明かしても良いのだが、その実は『夢で負った怪我が現実に反映される』という珍現象。まともに取り合ってくれるかどうかは微妙なところだ。

 人的証拠を挙げようにも、昨日両腕に残っていた極小の傷も、よくよく観察しないと分からない程度に治ってしまっていて叶わない。すると当然、前に人里で行った時と同様、話したところで信は得られまい。ここはさり気無く話題を逸らすのがベターか。

 そう、頭の中で帰結した。

 なのでちょっとばかしの苦笑と同時に、俺は上着を片手に持ちながらにして彼女に訊く。ついつい敬語になってしまいそうなのを抑えながら。

 

「で、こんな朝早くに何の用──なんだ? 急いでるみたいだけど」

 

「……あのねー、今の外の世界ではどうなってるのか知らないけど、昔っからお寺の朝って早いものなのよ? もうとっくに朝餉の支度も終わってるし、みんなあんたの着席を待ってるんだけど?」

 

「……あーそれは確かに、急がないとまずいな」

 

 言われて気が付けば、遠くに響いていたお経の独唱は聞こえなくなっている。あの子も既に掃き掃除の手を止めて、食堂(じきどう)へと移動したのだろう。

 物思いしながらゆったりとしている場合ではなかった。やべえ、まだ寝癖すら直してないんだが。

 

 大慌てで朝支度に取り掛かっていると、呆れた調子のため息が聞こえてくる。チクショウ、そういう基本的な事は昨日の酒の席で教えて欲しかったなあ……

 でもまあ、ささやかな恨み節を述べていても仕方がないか。

 

 身だしなみの乱れは心の乱れ、とはよく聞く言葉だが、それはここ命蓮寺に於いても同じらしい。

 

 なので中々の頑固ぶりを見せる寝癖と格闘していると、終いにはしょうもない物を見る目をしたムラサが何処からともなく櫛と水を取り出し手伝ってくれて、結果何とかしゃんとしたナリで食堂に馳せ参じる事が出来た。

 当然、大遅刻だった。直接苦言は呈されなかったものの、質素倹約な献立を食す間、自責の念による居た堪れなさが凄かった。

 

 体験入信初日から、この体たらく。

 ちょっと、いやかなり、先行きが不安かもしれない。

 






 要所要所のイベントが歯抜けしておりますが、時来たればちゃんと詳細に描写致す所存です その時まで少々お待ちくだされ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

妖怪寺体験入信日記 その弐

 

 

 些か以上に決まりの悪い心地となった朝餉を済ませ、食堂から逃げる様に退散した俺は、雲居一輪と雲山の付き添いのもと、さっそく仏道修行に取り掛かるべくしてその準備を整えた。聞くところ考案されて然程の時をまだ経ていないらしい命蓮寺の体験入信、その第一カリキュラムに大人しく従った形である。

 

 場所は屋外。

 井戸のすぐ近く。

 

 目の前には洗濯板と大きな(たらい)の組み合わせが二組と、こんもりと溜まりに溜まった洗濯物の山。なるほどなるほど、これが修行──え、これが修行? んー、字面から想起される一般的なイメージとはだいぶ異なるような……

 いやまあ確かに食後、聖さんから本日の予定について言い渡されていたし了承もしていた。けど、けどなあ。初手からお洗濯って本当だったのかよ、と。寺の修行体験と言えばてっきり坐禅や滝行が鉄板とばかり思っていたのだが、昨日の話に聞いていた通り案外そうでもないらしい。

 

 しかしここ一週間程で体感してきた幻想郷の文化レベルを合わせて考えるとこれは非常に不味い事態になった。というか用意したものが『洗濯板』って代物の時点で、これから行う事になる作業内容の全てを理解できる、できてしまう。

 

 思わず陰鬱なため息が出てくる。

 

「なぁ一応訊くけどさ、このお寺には全自動洗濯機とか置いてないの?」

 

「全自動洗濯機? ……ああ、何となく言いたい事は判ったけど、まずそれはここに置いてないわね。河童の住処や山の神社にならあるかもだけど」

 

 何故、脈絡も無く尻子玉妖怪の名が飛び出したのか要領を得なくて困惑する。それと同時に、『山の神社』ってなんだよもしや博麗神社のことか? とも思った。

 だが今はそれらの疑問点を深掘りするよりも、彼女の発言の意味するところを察して嘆く方が先決だ。

 

「Oh, マジか。やっぱこいつら全部手洗いしないといけないのか、どんだけの重労働になるんだ……」

 

「何言ってんのよ、大袈裟ね」

 

 縁側にドンと積もりに積もった洗濯物の数々。それを見てこの先の悪戦苦闘を予感する俺とは対照的に、袖を捲って腰を屈めた一輪は慣れた手つきでこれに取り組み始める。

 流石は科学的インフラの発達が現状特に見受けられない幻想郷の現地人というべきか。さして気負う様子も無いその姿には心強さしか感じないがいやしかし、いくら二人掛かりとてこの量はちょっとなあ……

 

 二の足を踏む俺に気が付いたのか、気楽な声音で彼女は言う。

 

「ほら、何事も経験ってね。ひとまずは手を動かしてみなさいよ。もし不自然なトコがあったら、()()()()()()手取り足取り指導してあげるから」

 

「……お手柔らかにお願いします」

 

 やや体育会系の雰囲気を嗅ぎ取ったので遠慮がちにそう頼む。だが、返ってきたのは盥に張った水のざぶざぶ鳴る音だけだった。どうして返事がないのだろうかと不思議に思う。

 

「あの、一輪さん? 聴こえていらっしゃいます?」

 

 不安げなこの問いにニコリと微笑むだけ微笑んで、一輪は結局返事のひとつも返しやしない。……何となくではあるが、俺はこの修行(という割には少々俗っぽい様な?)が決して楽には済まされない事を悟った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『村紗水蜜や雲居一輪とかねてからの親交を持っていて、かつ、その流れでつい最近仏教に興味を持ち始めた里の人間』

 

 これは命蓮寺の皆(ムラサや一輪、雲山除く)が俺という人間に対して抱いている共通認識である。

 勿論、言うまでもなくこれは真っ赤な嘘。俺は彼女達とは昨日出会ったばかりだし、仏教に対してこれと言った関心がある訳でもないし、人里の住民を自称できるほど長く住んでもいない。突っつかれると速攻でボロが出そう、というのが率直な感想だ。

 なにせ、外来人かつここに来て日も浅い俺は必然何かと不案内すぎた。『かねてから』との文言もあって、自分自身を人里にてそれなりの期間を過ごしている人間だと見せかけねばならないのに、当の本人はまるで世間(幻想郷)知らずというアンバランスさ。

 “そういう”人間を名乗るのには知識量が圧倒的に足らなさすぎで、可及的速やかにその不足分を補完する必要性があった。

 

 張り子然とした筋書きを補強する為に、昨晩の酒の席では盃片手に少女達からは様々な情報をご教示いただいたものだ。

 酒気帯びの耳で一回聞いただけという付け焼き刃もビックリなお粗末さだが、それでも傍から見て『少々物知らずな人なのかな?』となる程度に違和感を抑えるほどに至れた、と思っている。確証は無いが。

 

 とは言え知識だけ有っても実践できなければ結局怪しまれる事に変わりはない。なので俺は、自分がつい最近幻想郷に流れ着いたばかりである事を改めて強調した上で、彼女達に図々しくも頼み込んでいた。

 ここでの生活様式にはまだ不慣れなので、明日から開始される修行の内情を思うと懸念が残る。だからどうか“仏教初心者を監督する”という名目で直接指導してくれないか、と。

 先程の一輪が「頼まれた通り〜」云々言っていたのは、つまりそういう事であった。

 

 

 

 ちなみにこれは完全なる余談だが、『お互いの趣味嗜好を(そら)んじられたとすれば件の設定にそれなりの説得力を含ませられるんじゃないか』という事で、俺達は酔いの勢いに任せてそれぞれの胸の内を明かしていた。

 

 読書と小動物鑑賞そして心霊スポット巡り、という文句無しにメジャーどころ(異論は認めない)な趣味を威風堂々と口で並べる俺。それと「酒!」と一升瓶傾けながら小気味良く宣言するヘヴィドランカー・一輪とは対照的に、何やらもじもじと身を捩る村紗水蜜はその赤ら顔に更なる朱を交えて曰く、

 

「私の趣味? あー、その。旧血の池地獄で溺死することかなぁ。なんかこう、クラクラしちゃう感じが、ね。ウン。癖になりそうでいいよねって」

 

「ん(↗︎)()(⤵︎)(長考)、ゴメンちょっと理解できない」

 

「……うぇ」「あー泣かしたー悪いんだー」

 

「え? あ、すまん。つい」

 

 いま思うと今後の円滑な協力関係の為に無難なコメントを残すべきだったのかもしれない。

 実際は無常にもバッサリとやってしまったわけだが、まぁあれだ。彼女の共感し難いエキセントリックな趣味はさて置いておくとしても、かの有名な血の池地獄が実在すると知って驚いたよね、うん。たったそれだけ。ちょっと舟幽霊という括りそのものに対して今後偏見の目を向けちゃうかもだけど、まあそれだけだ。

 

 ハイ余談終わり。

 

……溺死が趣味ってなんだよ、そっちが沈める側ちゃうんかい普通。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仮定の話だ。

 

 現代を生きる日本人が、何らかの弾みで例えば江戸時代にでもタイムスリップしたとする。更にその者はかつて生活面において電化製品に依存しきりで、米を(かまど)で炊いたり風呂を薪で沸かしたりだとか、そういった昔ならではの雑事に対する経験値が圧倒的に不足していたとしよう。分野によっては当時の子供の方がよく物を知っている、だなんて事態も十二分にあり得る話である。

 

 で、そんな自動化に慣れ親しんだ現代っ子が「洗濯板とか初めて使うなあ」というぼやきと共に、予習無しのぶっつけ本番で山の様な洗濯物とご対面するわけだ。一様に決め付けはしないが、大抵の人は「わー大変そう」と思うことだろう。

 

 事実俺は、一枚目である薄い掛け布団に取り掛かかってみて早速体感している。

 こいつは一大事だな、と。

 

 盥に張った洗濯液(一輪は樽から回収していたこれを灰汁と呼んでいたが…まさか鍋料理作った時に出るアクと同一ではないよね?)を存分に吸い取った布はずっしりと重く、擦ってみてもなんだか泡立ちがショボいような気がしていまいち洗ってる感がしない。

 

 うーむ、物足りないがこれでいいのだろうか?

 それとも、

 

「あれか、もっと強く擦った方がいいのか?」

 

 残りの洗濯物全てにそうする必要があるとすれば中々に体力的な損耗が厳しそうではある。しかしこれが正しいとするとどうだ、なるほど如何にも修行っぽい。

 こいつは気合を入れてかからないと──と、俺が一人納得しながら布を洗濯板にガシガシし始めると、横から鋭く叱咤の声がかかる。

 

「こら、そんなに激しくしたら生地が傷んじゃうでしょ! ていうかなんで直接板に擦り付けてるのよ、折り返して布同士をあてがうのが基本なのに」

 

「え、そうなの?」

 

「ええ。ああそれと特に汚れがひどい物でもなければ、わざわざ洗濯板を使わずとも揉み洗いで全然事足りるからね?」

 

「ほう、知らんかった」

 

「……ちょっと確認したくなったんだけど、もしかしてこれらの洗濯物全部を板使って洗うつもりだったわけじゃないわよね? 本当、まさかだけど」

 

「………………いや? そんなことはないヨ」

 

 さり気な〜く目を逸らしながら発したその返しには「ふーん」というなんとも素っ気ない相槌。

 恐る恐る視線を向けても彼女は黙々手を動かすのみで、特にそれ以上追求してくる様子はなさそうだった。

 

 なんとか誤魔化せたかと安堵していると、手早く仕上げた洗濯物を物干し係の雲山に手渡して、一輪は言う。

 

「私としてはね、貴方には頑張ってもらわないと困るわけ。例えば聖様の眼前で下手打って違和感を持たれちゃうと、そっから芋づる式でその身の上を保証した私たちにまで累が及びかねないから。そんで実は彼にこっそり酒を運ばせてました〜なんて発覚したら、もう大変よ」

 

「……急に何の話だ」

 

「要するに私と雲山と村紗そして貴方は、昨日の密会で盃を交わしたその時点で、謂わば“一蓮托生の仲”になったってこと。……私の言いたい事、わかる?」

 

 そう問い掛けられたので、優しめに揉み洗いする手を一旦止めて暫し考える。が、いまいちピンと来ない。

 

「今後とも仲良くしよう、と言いたいのか?」

 

「確かに以後そうしてく必要性も出るだろうけど、ここでは不正解ね」

 

「じゃあ分からん、降参する」

 

「へぇ、そう」

 

 特に粘りもせず早々にギブアップする俺を横目に、一輪はにこやかな表情を浮かべる。

 その様は己が特殊な感性を通して見るだけあってうっかり見惚れる程の快活さであったが、どうしてかそれと時同じくして『笑うとは本来攻撃的な行為であり〜』というどこか小説か漫画かで目にしたような俗説がふと頭を過ぎった。

 

 何故だろうと思い当たる所を探る間も無く、入道使いは畳み掛けてくる。

 

「さっきまでのやり取りで、貴方がどれほど生活力に欠けているのかよく判ったわ。このままだとダメね、いずれは私たちのお楽しみが白日の下に晒されてしまう」

 

「異議あり! これでも幼い頃から自分の面倒を自分で見てきた実績はあるんだ。金銭面についてはまあ、その限りじゃないけど。なので『生活力に欠ける』という先の発言は撤回していただきたい!」

 

「……洗濯板の使い方も知らなかったのに?」

 

「・・・」

 

 ぐうの音も出なかった。

 

 いや違うし、生まれる時代が時代なら洗濯板なんざ二刀流も超余裕だったし──と自分でもよく分からない強がりをしそうになったが、流石に自重した。

 

「ま、理解できなくもないけどね? 何でも外の世界ってのはここと比べて随分と便利になってるそうじゃない。テクノロジーがどうのって耳にしたことあるし。だから貴方の言ってる事もきっと本当なんでしょうけど、っと」

 

 視線を盥に落とし布巾に取り掛かりながら、彼女は言葉を続ける。

 

「さっき言ってた、えと何だっけ、全自動洗濯機? とやらもそうだけど、里に暮らしている人たちはそういった便利な代物とは無縁な生活を送っているわけよ。でも毎日やってる事だから、取り立てて不便にも思っていない。そこんとこ判ってる?」

 

「え? あーまあ、なんとなくだけど」

 

「だったら話は早いわね。私の言いたかった事はズバリそこよ」

 

……昨晩の自分が彼女達に頼み込んだ事と先程までの発言内容を合わせて考えると、なんとなく一輪の言いたい事を察せたような気がした。本当に、なんとなくだけども。つまりは、

 

「『幻想入りして間もない外来人が生粋の人里住民として適切に振る舞えるよう、頑張って指導しなくちゃ!』って感じ?」

 

「うーん、大体は当たってる」

 

「大体は当たってる」

 

 それ即ち、今の推測には少しだけ誤っている部分があるということ。果たしてそれは一体? すっかり修行に取り組むのも忘れてうーむと悩む。

 しかし回答権は一度きりだったようで、間を置かずして正答が返ってくる。その声音は何処か不満たらたらに聞こえた。

 

「言ってしまえば『頑張って指導しなくちゃ!』ではなくて『とてもとても頑張って指導しなくちゃ!』が正確なところね」

 

「あんまし違いはないようだが?」

 

「いいえ全っ然違うから。私はもう既に不安で胸がいっぱいよ? この後予定してる薪割りやら本堂清掃やら托鉢やら、その最中に貴方がいつやらかすのか気が気じゃないわ」

 

 まるで利かん坊を相手取ったかようなその口振りに、頬が緩んでしまう。俺は何か、やんちゃなガキだとでも思われているのだろうか。

 もしかすると長年を生きた妖怪目線からするとごく自然の思考なのかもしれないが、年下の少女然としたナリで告げられるとちょっと真剣には受け取り難い。

 

「心配しすぎだろ。薪割りだってあれだろ? 適当に斧担いで適当にそれ振り下ろすだけなんだから楽勝楽勝」

 

「経験あるの?」

 

「や、ないけど」

 

「ほらー! そういうこと言うー」

 

 その両の手が濡れていなければ頭を抱えていそうなくらいのハイテンションだ。恐らくこの少女は極度の心配性なのだろうなと当たりを付ける。

 まあ洗濯板云々のやり取りで大いに不安にさせてしまった自分にも確かに落ち度はあったと認めよう。

 ならば今日一日の目標は定まったのも同然、課された修行を粛々とこなしてみせる事で、彼女を見事安心させてやろうではないか。

 

「まあ見とけって、これでも外面を装うのは慣れてる方と自負してるからな」

 

「……頼むわよ? 嘘吐きがバレたらうちの住職は本当に怖いんだからね」

 

 残念なことに一輪は俺の言葉をあんまり信用してくれなかったようで、脳裏で聖さんが怒る様を想像したのか、すっかり顔を青ざめさせていた。

 やはり彼女は心配性なのだろう。俺なんか、あんな穏やかで人の良さそうな聖さんが怒り狂う姿など、いまいち想像できないと言うのにね。やんわりとした忠告くらいで終わりそうなものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その晩、薄暗い廊下をひたひたと歩む俺は、肩をぐりぐりと回しながら独りごちる。

 

「いつつ、明日の筋肉痛が怖いなこれは」

 

 命蓮寺の体験入信。その一日目の日程を全て終えての感想はなんとも真に迫っていて、それでいて悟りの境地とは程遠いものとなった。

 

 情けないようではあるが仕方のない事だったのだ。

 

 大量に積まれた洗濯物の対処に、初めて経験する薪割り体験。もうその時点で身体中が悲鳴を上げていたと言うのに、同行する一輪は平気な顔して次の修行を押し付けてくる。その連続だった。

 

 途中ちょくちょく様子を見に来る住職さんに備える為という理屈は分からないでもないが、それでも休憩時間をもっと伸ばして欲しかった感はある。

 それか『妖怪と違って人間ってのはひ弱な生き物なんだなあ』と気付いて欲しかった。

 彼女は俺と全く同じメニューで動いていても息一つ切らさなかった。それは素直にすごいと思う。でもね、いきなりその水準を要求されてもこっちは困るわけですよ。片腕で丸太を持ち上げたりとか、慣れでどうこう出来る次元の話では多分ないから。

 

 明日は一応、ムラサが俺のお目付け役を買って出るものと打ち合わせている。

 本日得た教訓を活かすのなら、事前に彼女へ頭を下げて休憩時間の割り増しをお願いするべきなのだろう。素直に了解してくれるといいのだが、そうならなかった場合は…地獄だなあ。

 

 そうこう考えている内に、体験入信者専用(ちなみにこの部屋が活用されるのは俺で二回目らしい)客室の前に到着する。

 

 

 

 眠気から来る欠伸を盛大に撒き散らしながら障子を開いて。その次の瞬間には、緩み切っていた意識を完全無欠に覚醒させていた。

 

 何故ならば、

 

「どうやら随分とお疲れのようですね」

 

「ど、どうも。聖さん」

 

 坐禅を組む聖白蓮その人が、暗がりに潜んで俺の入室を待ち構えていたからだ。

 

 え、なんでこの人明かり付けてないの?

 てかあれ? 寝惚けて入る部屋間違えたか?

 

 いくら目が完全に冴えたと言っても、現状を把握しかねて混乱するのは必定だった。

 そうして気を酷く動転させていると、聖さんはやおら立ち上がった。その手には一風変わった巻物が握られていて、それの放つ多様な色彩は彼女のその端正な顔立ちを宙に浮かび上がらせている。

 

「少々不審に思う所がありまして、失礼ながら貴方の身辺を調べさせて頂きました。……聞くところによると貴方は、なんでもつい八日前にやって来たばかりの外来人で、昨日は運河沿いの酒屋にて二本お酒を入手なされていたそうですね」

 

──ああ、これは不味いな。

 

 発せられたその第一声で、心の底からそう感じた。

 一体何をきっかけにして俺を調査しようと思い至ったのか、その次にどうして昨日取った行動が筒抜けになっているのか。ちょっと訊いてみたい所だが、生憎と今はそんな悠長な問い掛けが許される空気感ではなさそうだ。

 

「私の認識とは甚だしい齟齬があるようですが、どういう故あっての食い違いなのかご説明願えますでしょうか?」

 

 機械的に表情だけで人の感情を区別するのなら、皆が皆現在彼女が浮かべているそれを『嬉しい』と判別することだろう。

 確かに聖さんは今現在慈悲深そうな微笑みを湛えてはいる。であるならば、相対している俺の背中に大量の冷や汗が流れているのは果たして何故か。これでは道理が通らないではないか。

 

 『笑うとは本来攻撃的な行為であり〜』

 

 午前中の俺は一輪に対してそう連想した。がしかし、まだまだその先の秘められた段階が存在するとは露程も知らなかった。というか、知らないままでいたかったよそんな末恐ろしい事実は……

 

 ジリジリと笑顔で詰め寄ってくる聖さんを目前にして、追い詰められる俺はひたすらに乾いた笑みを溢すしかなかった。やべえ超怖い。なんとかして言いくるめ出来ないだろうか。こう、上手い感じに屁理屈を捏ねたりなんかして。

 

……いやもう、無理っぽいか。

 

 『嘘』とは疑われていない状況下で吐いてこそのもの。なのに今のように確信を以て糾されては言い逃れのしようがない。それが苦し紛れで吐かれたものならば、尚更のこと。

 

 所謂“詰み”ってやつだ。この状況は。

 もはや、如何ともし難い。

 






 そろそろ五十話に差し掛かろうかという時分なのに洗濯板一つも満足に使えないオリ主がいるらしい まぁ一応過去回想中という体なのでしゃーないんですが


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

妖怪寺体験入信日記 その参

 
 祝! 五十話 突破!
 だからと言って特別なことはなく平常運転ですけども
 


 

 

 

「はあ、まずいかなぁ。やっぱまずいよなぁ」

 

 翌日、未だ気を緩めるとつい眠気が忍び寄ってきそうな薄明の頃。

 

 客室にて寝具を片付け身支度を整えて、そして朝食を摂るべく食堂(じきどう)へと向かっている最中の俺は、内心で(いた)く意気消沈していた。

 その理由は明白だ。

 食事時、それは命蓮寺に属する全員(と言っても他所に居を構えている者がいるそうで本当に全員ではないらしいが)が揃って集合することを意味する。

……これだけならば別に構わない。ああいう大人数で和気藹々と食事を楽しむというのは自分にとって中々に得難い体験で、むしろいつでもウェルカムな心持ちではあるのだから。

 問題はその面と向かい合う顔ぶれの中に、今のメンタルではちょっと、いやかなり顔を合わせづらい感じになってしまっている者達が存在することだった。

 

 村紗水蜜と雲居一輪がその例。

 

 やや大仰に言ってしまえば、昨日までと違って今の俺は、彼女達と親しげに言葉を交わせる資格を持ち合わせていないのだ。

 なにせ昨晩、穏和ながらも鬼気迫る表情をしていた住職さんからそれはもう優〜しく詰問されて、結果自分が何でこの寺までやって来たのか、その大部分をありのままに白状してしまったばかりなので。

 せっかく午前中に一輪が『“アレ”の秘密を共有するからには一蓮托生の仲』とまで宣言してくれたというのに、その晩に速攻でゲロってしまってたという即落ち二コマもかくやな流れであった昨日の夜。思い返すだけでも情けなさで顔を覆いたくなる。これでは本当に、どこの馬の骨とも分からぬ外来人にそれでも一握の(具体的には酒の席一回分くらいの)信頼を向けてくれた彼女達に対して、面目が立たないではないか。

 根性無しかな? と虚しい心境になりながら自己分析する。……或いは自分がもっと賢くて機転が利いたり弁舌が巧みであったとするならば、昨晩の聖さんからの追求をうまく煙に巻けただろうか?

 

 そんな『もしも』を空想して、間を置かずして「まあ不可能か」と小さく呟く。

 彼女は、まるでその場に居合わせていたかのように、喜び勇んで引き受けたスニーキング・ミッション『命蓮寺に酒を運搬せよ』に奔走する一昨日の俺の動向をきっちり把握していた。

 如何なる手段を用いてその情報を仕入れたのか。この疑問に対する答えは既に本人の口から得ていて氷解しきりなわけだがともかく、そのような旗色の悪い形勢下ではどれほどの口八丁を発揮したとしてもあえなく無に帰したことだろう。下手な言い訳をすれば却って自分の首を絞めるところだった。

 結果論になるが、菩薩顔の聖さんからジリジリと詰め寄られたあの時、特段粘りもせず即座に口を割ったのは悪くない選択だったと思う。

 逆に、言い繕ったり白を切ったりなど往生際の悪いことをしていても何らメリットが無かったことは想像に難くない。

 

 と言うかそもそも『何をきっかけにして聖さんは俺を訝しく思ったのか』という疑問点に着目すれば「なんだ始めっから詰んでたじゃねーか」と、我ながら呆れ果てる話であったりするのだ。

 

 てっきり俺は、昨日の修行中か何かのタイミングで里の人間が絶対に取らないような言動を不用意にしてしまったのでは? と思っていたのだが、真相はもっと単純明快であった。

 詰みポイントは昨日ではなく更にその前。

 一昨日の、つまりは初めてここ命蓮寺に足を踏み入れた際のことだった。依頼の指示に従い忍ばねばならないのに、結局見つかってしまったその時、寺の表門にて俺は山彦の妖怪少女とこんなやり取りを繰り広げていたのだ。

 

『もしかして、体験入信の申し込みに来た方ですか?』

『体験入信? いや、()()()()()()()()()

『違いましたかー……まぁそうですよねー』

 

 これが、寺の体験入信を申し込みに来た人間が行う会話内容としてはあまりにも不自然過ぎることは誰の目にも明らかだ。

 そして実際に彼女はふと疑問に思って、住職さんの前でぽろりとその事を口に出したらしい。で、それを聞き「おや?」と思った聖さんがとある伝手を頼ったことによって、秘密裏であった筈の俺とムラサと一輪の結託があっさりと表に出てしまったというわけだ。

 だいたいその時は身分を詐称して妖怪寺に潜り込もうだなんて毛ほども考えていなかったから、あの時の迂闊な発言も仕方がないと割り切ってしまえばそれまでの話。天網恢恢疎にして漏らさず、いやここはお寺なのだから、因果応報の方が適切か──

 

 

 

 

「おっと」「わわっ」

 

 食堂へと目指している筈の自分の両脚は、まるで断頭台をのぼるかのようで遅々として進まない。そんな遅すぎる行軍が図らずも功を奏したのか、縁側に面した曲がり角にて飛び出してきた小さな影にぶつからずに済む。

 

「あっ、おはよーございます!」

 

「……どうも、おはようございます」

 

 その小さな体躯に似合わぬ大きな発声に、やや苦笑めいたトーンでオウム返す。

 噂をすれば何とやら。うっかり目で追ってしまいそうになる愛らしい獣耳をパタパタさせて、件の幽谷響子が俺の前に姿を表した。

 朝っぱらから元気が有り余っているその様子は今の後ろ暗い心持ちから窺うとなんとも羨ましい限り。

 子供が元気なのはいいことだ。もっとも彼女の場合は妖怪だからその実、ムラサや一輪みたく俺より全然歳上でしたなんてオチもあり得るかもしれないが。

 

「どうかしたのか? 急いでるみたいだけど」

 

 片膝をついて言いながら『彼女が告げ口さえしなければ隠し事は発覚せずに済んだのでは』と今更な思考が頭の片隅を過ぎった。

 そして同時に、その事でこの子を逆恨みしてしまう偏屈な感情が心中で(わだかま)ってしまっているのに気が付いた。

 それは、流石に人としてあんまりだろう。慌ててその邪念を打ち消し話の続きに専念する。

 

……聞くところなんでも、そろそろ朝食の刻限というのになかなか新入りがやって来ないねーと食堂で寺の皆が話していたようで。

 

「昨日に続いて寝坊してるんじゃないかって一輪さんが言ってたので、じゃあ私が起こしてこよう! って思ったんですよ」

 

「へえ、なんで?」

 

「耳元で大声出せば起きるかなぁって」

 

「お、おう。そうだったかー」

 

 どうやら知らぬ間に俺の鼓膜は絶体絶命の危機に瀕していた模様。山彦による耳の奥へのゼロ距離目覚ましアラームかぁ。ちょっぴり試してみたいような気がするけども、些かリスキーが過ぎる予感。鼓膜は破れるととても痛いそうだし、ここは遠慮しておこう。

 

「まあ見ての通り寝坊してたわけじゃないから。別に昨日も起床時刻自体は遅くなかったし、明日こそはちゃんと早めに参上するつもりではある」

 

 続けて「ま、その明日があるかどうか今となっては怪しいもんだけど」と、そう言って半ば自嘲しながら締め括る。

 

 この身は、寺に禁制品を持ち込んだ上に飲酒して更には身の上を偽った不届き者である。

 昨晩それを知った聖さんは結局俺に対して罰を下すことはなくこちらの言い分を聞くだけ聞いて客室から立ち去っていったが、一晩経っては流石に嘘吐きに言い渡す処分は定まったことだろう。

 あれだけのやらかしだ、まさかお咎めなしだなんて事はあるまい。個人的には体験入信の中断プラス以後寺への立ち入り禁止あたりだろうかと踏んでいるものの、さてはてどうなることやら。

 

 多分、それについての情報は多少なりともこの子にも予め伝わっているんじゃないか?

 

 そう予想しての発言だったのだがしかし、殊更に意識するまでもなく、それを聞いた幽谷響子の表情に疑問の色が浮かんでいるのに気が付いた。……あれ?

 

「……響子ちゃんは聖さんから何か話を聞いてないのか?」

 

「え、話? なんのことですか?」

 

「んん? ああいや、やっぱりなんでもない。取り敢えず一緒に食堂まで行こうか。今ここで説明しなくても何の話なのかはそこで分かるだろうし」

 

「?」

 

 どうやらこの子はまだ俺が清廉潔白な身分でない事を知らされていないようで。……それは恐らく彼女があの件の当事者ではないからであり、昨日の尋問が終わった時点でだいぶ夜分遅かったが為に聖さんとしてもそのことを皆に周知させる時間がなかったからなのだろう。

 

 なるほどなるほど。それさえ把握できたのならば、このあと食堂で何が起きるのか大方の予想がつくというもの。

 

 間違いない。

 

 聖さんは寺の皆が勢揃いする朝餉のタイミングで、全ての真相を白日の下に晒すつもりなのだ。

 彼の正体は仏の道を志す信心深い里の若者などではなく、身銭を惜しんで命蓮寺へと経済的に寄り掛かってしまおうと目論んだ、卑しい外来人なのだと。

 

 これに『戒律によって当然ご法度である酒を持ち込んでしかも敷地内でそれを呑んだ』との歴然たる罪状が加わるというのだから、果たして下される沙汰は如何程のものとなるだろうか。

 まさかいくらここが妖怪の集まるところだからと言って、罰として文字通り取って喰われる訳ではあるまい。昨日の修行中だって、細々とではあるが人里からの参拝客の姿がぽつぽつと散見されたことだし。

 

 いや待て、この決め付けは早計か?

 

 命蓮寺に住まう何かと美形揃いな(無論、俺視点に限っての話だが)彼女達と出会ってまだ三日だ。表では友好的な態度を取っておいてその裏では無警戒な人間を前に舌舐めずり──という可能性も、ともすれば否定できない。

 こちらの身の安全が完全に保証されてると断定するには、いかんせん付き合った日数が足りてなさすぎるような……

 

 いかん、今頃になって一気に緊張してきた。

 

 昨日までの彼女達を眼前にして平然と軽口を叩いていた自分は一体どこに行ってしまったというのか。

 というか逆にどうして今の今までその可能性を真面目に検討しなかったんだ俺は。馬鹿なんじゃないか?

 幻想郷に迷い込んで間もなく、ブロンドの髪をした人喰い少女相手に決死の逃走劇を演じたのを忘れたか。

 あれからまだ十日程度しか経っていないんだぞ。

 

「あのぅ、大丈夫ですか? なんか顔色が悪いような」

 

「……そうか? 気のせいじゃないかな」

 

 側面から聞こえてくる気遣わしげな声音が、本当かどうか疑わしく思えてくる。歩きながらこちらを見上げる、そのあどけない表情もまた同様に。

 

 なんだか過剰に疑り深いようであるが。

 よし決めた。

 

 もし到着した先で不穏な空気を少しでも感じ取ったら即決で逃げてしまおうそうしよう。

 幸いなことに、一部を除き、俺は自分が色々と特異な体質の持ち主であることを寺の誰にも明かしていない。

 あべこべの事は言わずもがな、『常識に囚われる程度の能力』とかいう代物の事も、霊力を扱って漫画で見るようなガンマンもどきの攻撃が可能な事も。

 それは別に己の手のうちを知られたくなかったとかそういう訳ではなく。中々に言い知れぬ忌避感があったからだとか、或いは博麗神社にてスキマ妖怪から口止めされてたからだとか、又は単純にそのことを主張するタイミングがなかったからだとか、要は様々な遠因があったが為にたまたま言ってなかっただけなのだが。

 

 とかく今重要なのは、彼女達は俺が空を飛べるという事実を全く知らないこと。有事の際、意表を突くにはこれ以上無いアドバンテージとなる筈だ。

 

 いざと言う時はこれで一直線に人間の里まで退散するとしよう。

 なんでもこの寺の意向としてはもっと里で仏教の教えを広めていきたい方針らしいし、ならばその先で追いつかれたとしても公衆の面前で悪いようにはされまい。

 

 人間の里での風評を楯にする。

 うーむ、我ながら結構あくどい作戦だ。

 

 最悪のパターンへの対策が決まったかと思うと、さすがに浮き足立った気分が沈静化してきた。

 

 てか冷静になって考えてみるとあれだな。

 

 向こうがそのつもりならとっくに寝込みを襲われてもおかしくない訳で。

 そうなってないという事は先程の考えは全くの杞憂になるという訳で。

 

……まったく、どうして早朝からこうも頭を忙しくしないといけないんだか。

 

 終いには内心でそんな愚痴っぽい心情を吐露しながら、覚悟を決める。色々うだうだと言葉を捏ねたが、結局のところ非はこちら側(俺とムラサと一輪&雲山)にあるのだ。

 逃げの一手を打つのはあくまでも言い渡される罰の内容があからさまに不当であった場合のみ。

 悪さをした自覚はあるのだ。然るべき判決が下された際は、大人しく従うつもりである。

 

 

 

 

 

 

 

「お待たせしてしまいどうもすみません。どうやらまだここでの生活に身体が慣れていないようでして」

 

「いえいえ、どうかお気になさらず。実際まだまだお外は薄暗いですからね。私も歳若い頃はそうでしたし、至って正常のことかと」

 

 辿り着いた先の襖を開け即座に謝意を述べる。すると他の妖怪少女達と同様に食膳の前に座す聖さんは、まるで昨晩の事を忘れたかのように平然とこれに応答する。

 

 少々意外に思って食堂内に軽く目を走らせてみると、人数分用意されたであろう食膳には二つほど空席があって、たった今しがた響子ちゃんがそのうちの一つについたところだった。

 そして彼女達に欠員は見受けられない。

 という事は、

 

 しっかと、聖さんと視線が絡み合った。

 

……どうやら、()()はひとまずの後回しにされたらしい。

 果たしてそれは単に寺に潜り込んだ不届者のことよりもこれよりいただく飯の温度が失われることを重要視したからなのか、それともこれが最後の晩餐(仏教なのに)だとでも言いたいからなのか、判別はつかない。

 

 なんにせよ彼女がそのつもりであるならば、こっちとしても今のところは対応しようがない。いっそのこと、開口一番に処罰の内容を言い渡された方が何かと動きやすかったのになぁ。

 

 やや気勢の削がれる思いをしながら、残りの空いた食膳につく。その前に一応ムラサや一輪に声を掛けてみたが、彼女達は特に変わった様子もなく挨拶を返してきた。

 おや?

……当事者でない響子ちゃんならまだしも、主犯格である彼女達にも話が行っていない? ううむ、これはちょっと予想外だ。聖さんは全員まとめての説教でもかますつもりなのかね。

 

「「我今幸いに、仏祖の加護と衆生の恩恵により──」」

 

 両手を合わせ、たどたどしく唱和する。一方で頭の中ではこの後の事を考える。

 本音を言えば、このまま暫くはここのお世話になりたいものである。少なくともひとり立ちするのに役立つ何かしらの転機を得るまでは粘りたいものだ。

 今ここを追い出されては再び以前の極貧生活に戻ってしまう。今や外の世界でもそうではあるが、特に異郷の地では頼れる人もなし。と言うか何しろ蓄えの心許なさが頭痛の種だ。今度こそは飢え死んでしまうかもしれない。

 軽い叱咤で済ませて欲しい。そう願ってしまうのは些か自分に甘すぎるだろうか。

 

 

 

 そのようにくどくどと思考しながら箸を動かしていると、あっという間に時は経過していた。

 

 

 

 眼前にあった粟合わせのご飯も山菜の天ぷらも長芋の澄まし汁も、すっかり胃の中だ。

 それは他の妖怪少女達も同様で、しかも大半は食後の言葉を述べてこの場から出て行ってしまっている。各々に割り当てられた作務を早速こなしに行ったのだろう。

 ああ、何の気負いもなしにその後に続けたら、どんなに良かったことか。

 

「あの、聖様。未だここでの生活の心得──というか仏道修行に不慣れとのことですし、手助けの為に今日は私が彼の補佐役を願い出たいのですが」

 

 軽く片手を上げて、たった今思いつきましたよ風を装ってムラサが言う。

 それは、俺が外来人である事を隠す為に事前に打ち合わせた通りの動きであるがしかし、現在ではもう状況が想定していたものとは一変してしまっている。

 

 ごめんねえ!

 俺、聖さんに全部言っちゃってるから!

 俺達がグルだってとっくにバレてっからぁ!

 

 申し訳なさ過ぎて衝動的に叫びたくなってしまう。と言うかこれはもう全力を込めて叫んでもいいくらいじゃないか。このままだとこの舟幽霊、偽りのプロフィールに則った形で有る事無い事を言い出しかねないような予感が、

 

「いやぁこうなるとなんだかとっても感慨深いですよね。以前改宗を勧めた時は頑なに首を縦に振ってくれなかった貴方が、今ではすっかり御仏の教えに夢中になって……」

 

「OK、ムラサ。ちょっと静かにしてようか」

 

「……何よもう、そんな照れることないじゃないの」

 

 口では快活そうな調子で茶化してくる反面、ムラサは目線にてこれでもかと猛抗議している。見た感じだと『せっかくアドリブしてあげてるのにノリが悪いなー』的なニュアンスを伝えたいらしかった。

 違うんよ。語れば語るほどに自らの墓穴を掘るシステムになってるんよ今は。気付いてないみたいだけど見て、あの聖さんの輝かんばかりの笑顔を。アカンてあれは。視界に入れるだけでなんか寿命が縮む心地がするんだけど?

 

「そうですか。村紗がそのつもりでしたら──」

 

 いい顔のまま穏やかに告げられるその言葉に、我知らずゴクリと生唾を飲む。

 昨日、一輪は彼女のことを『嘘がバレたら恐ろしい人』と評していた。幾度も酒を入手しようとして時折阻まれてきたという入道使い自身の経験則から来るらしいそれは、恐らく的確だ。

 さりとて病的なまでに潔癖という訳ではなく。

 

 悪さをしていたから叱る。

 

 きっと彼女にとっては単にそれだけの事なのだろう。でもそれは俺がこれまで身を置いてきた環境にはなかったもので、それ故になんとも恐ろしく感じる。聖さんが次に言う言葉はなにか、否応にもこわごわと身構えてしまう。

 

 果たして、どのような手厳しいお言葉が飛び出してくるのやら……

 

 

 

「その要望通り今日一日、彼のお手伝いをしてあげてください。貴方もそれで異存はありませんね? 行動を共にする相手は、見知った間柄であるほうが何かと気が安らぐでしょうし」

 

「え、まあはい……………はい?」

 

 一瞬、自分の聴力を疑った。だが決して聞き間違いではなかった。

 確かに、食膳の前に座した状態でふわりと微笑みながら、彼女はとても不可解な事を言っている。

 これには大いに首を傾げざるを得ない。どんな意図があって、“知っていないふり”なんてするのか。

 なんだ? 昨夜のあの出来事は、身分を騙った罪悪感から来る夢か妄想だったとでも? 訳が分からない。

 

 思考回路がフリーズした俺の手を、いつの間にやら立ち上がっていた聖さんが掴んでちょいちょいと引っ張ってくる。決してその力は強くはなかったが、どうにも反抗しづらい凄みを感じて、されるがままに。

 

「ただ貴方には本日最初の修行に取り掛かる前に少しだけ、場所を移して私からひとつ説法をしたいところです。村紗、それが終わるまでの間ここの後片付けをお願いしますよ」

 

「へ? ちょ、聖様!?」

 

 驚き半分困惑半分の悲鳴を上げるムラサを食堂に残して、俺を連れ立った住職さんは何処かを目指して廊下の先を行く。……片手でしょっぴかれているこの絵面、まるで罪人として連行されてるみたいだぁ。

 

 屋外を見遣ればやっと日の光が暖かく中庭を照らす頃。

 

 行きがけにすれ違った雑巾掛け中の一輪が俺達を見て「ええ、何事? もしかして私たちの隠し事がバレてる? 嗚呼終わった…」と嘆くような表情をして、悲愴感を漂わせていたのが印象的だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 招かれるままに敷居を跨いだこの一室は、聞いたところ彼女の自室らしかった。

 

 失礼千万ながらざっと内装を見渡してみると、隅でキチンと折り畳まれた寝具とか机上に配置された筆や硯、櫛、手鏡などがあって、ささやかな生活感がある。

 そこはかとなく鼻腔をくすぐる爽やかなこの匂いの源は多分戸棚の上に置かれた香木からだろう。快い薫りに包まれながらこうして畳の上で正座していると、やましさで暗澹としていた心根がスッキリと晴れゆくような気分がする。

 

 そんな落ち着いた空間の只中、俺と向き合って対座する聖さんは薄く笑む。

 

「意外でしたか?」

 

「……ええ、それは勿論。朝日を拝めないうちにここから追い出されるものと、とっくに諦めかけていましたから」

 

 至極端的なその言葉にひとまずの苦笑を示しておく。

 本当、何を考えているのだろうかこの人は。真意を測れず戸惑ってしまうけれども、それでも先程のやり取りからして一つだけ、判然とした事があるのは確かだった。

 

 どうやら、彼女は“乗り気”らしい。

 

 こちらとしては願ったり叶ったり、しかし何故そうなるのかが分からない。有難いことに、わざわざこうしてサシでの対話の場を設けてくれたのだ。疑問に思うこと有らば今のうちに訊け、と。そういうことなのだろう。

 

 居住まいを正して、住職に問う。

 すると、

 

 

 

 

「そうですね。簡潔に言い表してしまえば、私たちと接する貴方の有り様が至って『普通』だったからでしょうか」

 

 

 

 

……その言葉を皮切りにして彼女は語る。

 

 どうして昨晩の白状を聞かなかったことにしているのか、どうして中々に()()()()なしでかしをした不届き者を追い出しにかからないのか。それとほんの少しの昔話を交えて。順序よく、丁寧に。

 

 そうして淀みなく流れるそれらを耳にした俺の顔は、果たしてどういった風に見えていただろうか。

 

 頼る先もないままに路頭を彷徨う、そんな希望の無い未来を回避できて安堵していたのか。

 自分が騙されていたと知っても尚それを許し、更にはこれを活用しようとする彼女の意外な強かさに感心しきりだったのか。

 

……どうやら己が身に、過分な期待が寄せられているようだと察して引き攣らせていたのか。

 

 いずれにせよ、結論として体験入信はこのまま問題なく続行する運びとなった。昨晩、俺と聖さんはそもそも会っていなかった(ということになった)のだから、つまり俺の正体は未だ熱心な仏教初心者のままなのだから、当然と言えば当然の話である。

 

 どうにか土俵際から脱せたなと気を緩めてもいいだろう。ふと思い返せばただ単に、自分一人であーだこーだと思い詰めていただけの話だったりするのだが、まあこれが性分なんだから仕方がない。

 

「──では、この事はくれぐれも内密に。万が一住職である私が貴方たちの破戒行為を見逃していたと余人に知られては、内外に示しが付きませんので」

 

「ええ、それは構いません。けど、案外ちゃっかりしてるんですね? 俺はてっきり、曲がったことは一切認めない厳格な性格の持ち主とばかり」

 

「ふふ、御希望でしたらその期待に応えましょうか?」

 

「……や、今の発言は無しということでお願いします。で、では俺はそろそろ食堂に戻ってムラサと合流してきますんで」

 

 最後には、茶目っ気を存分に含んだ冗談に降参の意を表明して、聖さんの部屋から足早に退散することにしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 障子を閉めて少しだけ廊下を歩き、息を大きく吸って吐く。ついでとばかりに独り言も少々。

 

「普通、ねぇ。確かにここ数日何かと手一杯で、気にする余裕がなかったなぁ」

 

 初めは経歴詐称がバレてどうなることかと気を揉んでいたが、今となっては大事に至ることはなかった。

 その実、彼女達に現在(いま)へと至るまでの複雑な事情があって看過されただけに過ぎないそうだが、結果的にこちらに利益があったことに変わりはなし。そのこと自体は喜ぶべきことなのだろう。

 しかしながら、いまいち解せない。命蓮寺の皆の前で『普通』であったから──つまり特に何も気にせず接していたから。たったのそれだけで俺の働いた悪事が全て見逃された? 一体何故?

 

 まさか美醜感覚逆転(あべこべ)が関係している訳ではあるまい。他人と関わり合う際に、その者の見目の良し悪しなんかを気にしちゃいけませんよってことは、誰しもが理解している共通認識ではないか。

 故に、俺は()()()()()()彼女達の前であっても、下手に顔を顰めるような小芝居を挟まなかったのだが──

 

 う〜ん? と低く唸って……今はそれよりも優先して対処すべき問題がこの身に降りかかっているのに気が付いた。

 

 というか、こっち目掛けて真っ直ぐ飛翔してくる。紺の頭巾に黄と黒の袈裟、一輪だ。なんでそう血相を変えてすっ飛んでくるのかって、あぁなるほど。

 

「よお、そんなに慌ててどうしたよ。ちなみに先に念の為言っておくと、さっきのは聖さんが『ちょっと落ち着いたところで説法したい』って言うんでそこまで一緒に移動してただからな? 別に酒のことも俺の正体のこともバレてない」

 

「ほ、ほんと? 嘘だったら承知しないからね!」

 

 そう言う彼女の目頭には随分と力が入っている。虚言許すまじと主張するそれに、敢えて正面から受けて立つことに決める。

 

「大丈夫だ、安心しとけ。少なくともその二つの件については聖さんから咎められることはない。なんなら誓ってもいいぞ」

 

「……なんかそこまで自信ありげだと逆に不安になるんだけど」

 

「え、そんな信用無い感じなん?」

 

 物は言いようと思って彼女を安心させるべく言葉を尽くしたが、その腹積りは日の目を見ずに不発に終わる。

 結果、涙腺が刺激されない程度の哀しさをいっそう噛み締める羽目になった。

 

 こ、こいつ…! いつになく俺が真剣になって考え込もうとしているのを遮っておいて、そりゃないだろ。

 

 どっと徒労感を覚える。なんだかあれこれと思い悩もうとする自分が馬鹿らしくなってきた。

 さっさと食堂に戻って、本日の体験入信を始めることにしよう。考える時間くらいは、いくらでもこの先確保できるのだろうし。

 

「じゃあ俺もう行くから。多分今ごろ食器洗いしてる筈のムラサを手伝ってやんないといけないだろうし」

 

「大丈夫? お皿の洗い方は判る?」

 

「お? 何だ急に喧嘩売ってんのか? あんまし馬鹿にされると、気が長いと外の世界でもっぱら評判だった俺も流石に堪忍袋の緒が」

 

「洗濯板、薪割り、火起こし」

 

「……やだなぁ一輪さん。私めには何の事やらさっぱり」

 

 昨日の修行中のことを引き合いに出されると滅法弱い。白々しくすっとぼけると、一輪は冷ややか視線を寄越してきたのだった。

 

 





 オチがない
 干支的にちょうどいいのもあって今年中の更新はこれでラストとなります 皆さま良いお年を


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

妖怪寺体験入信日記 その肆

 前年五十話も投稿しておいて、まさか今年の更新がこの一話限りとか予見できてたやついる?いねえよなあ!!?(作者含む)



 

 

──なんでもこの世には、“力無き妖怪”なるものが遥か昔から存在してきたらしい。

 

 何故、その所業が判明したのにも関わらず、命蓮寺に擦り寄ってやろうと目論んでいた不届き者が、これといった処罰も無しにこのまま見逃されようというのか。

 その理由を知るべくして聖さんが語り出した話に引き続き意識を傾けていると、ちょっとスルーできない言葉の組み合わせが耳に飛び込んできた。

 なので反射的に俺は、一体それはどういうことなのかと素朴な疑問をぶつけざるを得なかった。その結果「心苦しいことにそんな彼等には、人間から長らく虐げられてきたという負の歴史が〜」と重々しく続いていた彼女の言葉を差し止める形になってしまったのは、本当に申し訳なかったのだが。

 

『いやいや、「妖怪」という超常的な存在に対し「力無き」などという情けない言葉は到底当て嵌まるように思えない。おおかたその「力無き」という形容詞は、あくまで“妖怪にしては”という相対的評価の話で、例えば俺のような普通の人間からすると十分過ぎるほどの脅威だったりするんでしょ? つまり常人からしてみれば“力無き妖怪”なんてものは、実質的に存在し得ないってことなのでは?』

 

 これは二日連続で妖怪に襲われた経験のある身の上ゆえに、思わず口にした疑問だった。

 この世界に迷い込んだ直後遭遇した人喰い少女然り、博麗神社までの道行きで襲ってきた大型の化け物然り。

 もしあの時、自分に自衛する手立てが備わっていなかったとしたら……そしてもしあの時、上白沢さんが案内役として妹紅さんを寄越さず、結果一人で神社に向かっていたとしたら。

 その先に待ち受けていたであろう最悪の結末を想像し、かつて身震いしたことは忘れていない。

 

 実在する妖怪というものは、ゲームや漫画で目にするような親しみやすくコミカルにアレンジされた存在などでは全くなく、こちらを察知した瞬間殺意をもって(タマ)を奪いに来るような、情け容赦無い恐るべき大敵である。

 

 詰まるところどうしてもそういった物々しいイメージを拭い去れないでいた自分は、“力無き妖怪”というワードに対して途轍もない違和感を覚えたのだ。

 

……とはいえその疑問は所詮、たった二十年程度の人生経験しかない凡人の抱いた未熟で不出来な見解によるものに過ぎない──のかもしれず。

 ともすれば千年もの大昔から人妖融和を志していたという聖白蓮その人にとっては、甚だ見当違いな所感である可能性が高かった。

 

 だから、どうして俺が“力無き妖怪”という概念に懐疑的であるのかを、先のスリリングな体験談でもって住職さんに詳しく伝えたところ。

 

『ええと少し、少し待ってください?』

 

 そうすると先程まで少々の陰が差していた彼女の表情は一変しており、どこか困惑した面持ちで目をパチクリ瞬かせているのが見て取れた。

 

『つまり貴方は、妖怪が振り撒く脅威を身をもって知りながら、これまでの数日を私達と共に過ごしていたと?』

 

『え? あー、まぁはい。そうなりますかね』

 

『……その、私が昨日今日のことを思い返した限りでは、あの子たちとは相当打ち解けていたように見受けられましたがそれは──』

 

『それはそういうカバーストーリー…作り話で辻褄合わせて行こうぜって一昨日酒を呑みながら打ち合わせてましたから。言うなれば全部演技ですよ、演技』

 

『すべて、演技…?』

 

『まあ実を言うとこっちはなにぶん修行に集中するのに手一杯でして、あんまり仲良しアピールとか意識できてなかったんですけどね。なので聖さんの仰る通り、もし俺と彼女達が相当に打ち解けているように見えたのなら、そこら辺はムラサと一輪がうまい役者だったってことなんでしょう、多分ですけど』

 

『な、なるほど…? ですが二人とも決して腹芸に長じては……

 

 戸惑い。呆けたような嘆息。

 微かな呟き、のち黙考。

 

『あのー、聖さん?』

 

 こちらとしては、自身の放った言葉によって彼女の心境にどういった変化が訪れたのかなど測りようもなく。

 どうしてそんな一答ごとに忙しなく表情が切り替わるのか、怪訝に思いながらそれでも馬鹿正直に白状していったその末。何かしらを考え込む様子の彼女に、何かしらの声をかけようとして、

 

 

 

『──その、恐ろしくはないのですか?』

 

 

 

 それが、恐縮しつつもどこかソワソワとした落ち着きの無い雰囲気であると感じたのは錯覚か。

 さりとて上目遣いにて述べられたその言葉には、なるほどと腑に落ちた。

 ずばり彼女はこう言いたいのだろう。この寺に居る住人は皆が皆例外なく人外である。ならばつい先日妖怪という人外の一種から襲われたばかりの人間にとって、命蓮寺とはこれ以上無い危険地帯なのでは?と。

 ごもっともな疑問である。がしかしその実、つい二日前、既に似たような問答を経験済みだったわけで。返答に要する時間は一瞬だった。

 

『まさか、ちっとも恐ろしくなんかありませんよ』

 

 もう少し自分の性格が快活であれば、その問いかけを盛大に笑い飛ばしていたことだろう。

 この身を脅かさんと襲ってきた凶悪な妖怪と、命蓮寺に住む彼女たち。同じ“人外”という括りでこそあれど、入念に記憶を辿るまでもなく、ここで暮らすようになってからは一度たりともこの命に危機が訪れたことなどない。むしろ、金欠で困窮していたところを救ってもらっている状況ですらあるのだ。

 だと言うのに、どうして俺に色々と良くしてくれている彼女達と、里の外にいる危険な妖怪とを混同できようか。

 まともな思考能力をしていれば、そんなことは老若男女問わず誰にだって分別のつくことだ。取り立てて深く考える必要もない。

 

『なんと言うかまぁ、そもそもの発端があの酒好き妖怪二人の「人目を盗んでこっそり酒飲みてぇ〜」なんですよ? もしかするとこのままこのお寺にいると殺されちゃうのでは…とか大真面目に警戒するのもバカらしい話でしょ?』

 

 こと“命蓮寺外来人酒密輸事件”に関して、俺が住職さんに隠し立てすることは何も無い。

 なのでそこを踏まえた冗談めかした返しを、殊更に冗談めかした声音で言う。

 

『……成程。それであれば、確かに』

 

 すると聖さんは得心がいったようで、控えめながらもクスリとその表情をほころばせていた。

 

『きっかけがお酒というのは、私の公としての立場からすると到底受け入れがたいお話なのですが』

 

 

──そうですか、そうですか。

 

 

 その様子が何やら深く感じ入ったもののように見えたのは、きっと自分の思い過ごしなのだろう……

 と、そう勘違いしたままの形でこの話題を切り上げられたら良かったのだが。

 

『でしたら貴方を見込んで、一つお頼みしたいことがあるのですが』

 

……引き受けて下さいますか? 斯く斯く然然と説明した後、遠慮がちにそう訊いてくる彼女の表情を見て、俺は内心で甚く苦笑することになった。

 それは、その『お願い』の内容が余りにもささやか過ぎる代物であったからであり。

 しかしてそれが彼女にとっては長らく得難いものであったのだろうと、説明中こちらの顔色をしきりに窺う様子から容易に察しがついてしまったからでもあり。

 そして同時に、こう苦々しく思ったからでもあった──よりにもよってそれを()()求めるのかよ、と。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 昨晩の強風で吹き散ったらしい落葉を、高低差を利用しながらひたすらに箒で掃き落とし続けること暫く。

 足元には自らが積み上げた緑の小山。見上げると、階段沿いにずらっと並ぶ赤いのぼり旗と、相変わらず立派な構えをした表門が目に映る。

 

 うし、こんなもんか。

 

 目先に伸び行くその硬質な石段の一つ一つが、今やくっきりと露出している様が確認できる。つまりは本日の修行体験、そのうちの一つがこれにて完了というわけだ。

……予定よりかなりスムーズに終わったな?

 手に持った箒を杖代わりにしながら、そこから更に視線を上げる。すると陽の高さはまだ全然で、その光が頭の天辺に差し掛かるまでにはちょっとした時間が必要そうだと見て分かる。

 どうやら、次の修行(昼食を支度する響子ちゃんのお手伝い)までは相当の時間的余裕がありそうだ。

 じゃあ、それまで何をして暇を潰そうか。折角の空き時間に何もせず、というのはなんだか非常に勿体無い。是非とも有効活用せねば。

 かき集めた落ち葉の山を参道脇の木陰に寄せつつ、そう思い立った。

 

「ほんと、どうすればいいのやら」

 

 ひとまずは休憩しようと考え、箒をすぐ脇に置き石段に腰をかける。そうした後ふと脳裏にちらついたのは、ここ数日の体験入信中、半ば現実逃避ぎみに考えないようにしてきたこと。

 つまり数日前、聖さんの自室にて交わした秘密の対談。その中でも取り分け、彼女が俺に頼んだ一つのとある『お願い』についてだ。

 

……はっきり言って、気が乗らない。

 

 それは何故か? 別に到底実行しようもないぶっ飛んだ無茶振りだったから、というわけではない。

 問題はむしろ、特に意識せずともその『お願い』を容易く達成できてしまうという点にある。

 聖さんには、ひいては命蓮寺には大きな借りがある。一文無しな俺を助けてくれたこの恩に報いたい気持ちは山々なのだが、その内容が内容だけにあまりにも──まったく、今この時以上に『よりにもよって』という言葉が似合う状況はそうはあるまい。もどかしさの余りため息が出てしまいそうだ。

 

「うーむ、どうしたもんか……ああ、ダメだダメだ」

 

 唸るようにして出た独り言がひとつ前のそれと大して変化のないものであると気付き、思わず天を仰ぐ。

 

 いかん、このままぶつくさと物思いしててもどうにもならなさそうだ。ここは一旦大人しく寺に戻って、落雁でもつまんで時間潰しとくか。そんで次の修行にいくつか持っていってやれば響子ちゃんも大喜びするだろうし、それがいいだろう。

 あのとき聖さんが頼んでいたあの『お願い』については、また後で考えよう。命蓮寺の体験入信は何もスケジュールが一日中ぎっしり詰まってるわけではなくどちらかと言えば自由時間のほうが長い。なので、考える時間自体は今後も沢山あるんだし。

 

 あれ、なんか以前も同じような感じでこの問題を後回しした記憶が……と迫ってきた軽いデジャヴを振り払うようにして、バッと立ち上がる。

 

 その勢いのまま、表門に続く参道を四、五段ほど進んだところで急ブレーキ。

 おっといけない。危うく修行(掃除)に使った箒を置き去りにするところだった。

 

 お世話になってる先の備品を野晒しにしかけるなど、なんとも不注意なことだ。変に思いわずらって意識が散漫になっていた証拠だ。こんなんではまたぞろ一輪から『あんたってほんっと手のかかる人ね』とか呆れ顔で言われかねない。

 炊事とか洗濯とか。今日に至るまで課されてきた数々の修行を乗り越えやっとのこと、自身の雑事に関するスキルを人並みにまで持って行けたというのに。こんな初歩ミスするなんて我ながら世話がない。

 ともあれ立ち去る前に思い出せたのだ。このしょーもない物忘れが未遂で済んでよかったよかった。

 

 少しだけの安堵と共にくるりと踵を返して。

 眼下の光景からすぐに気が付いた。

 

 あれ、無い?

 

 ついさっきそこに置いてたはずの箒が、綺麗さっぱり無くなっている。風に吹かれてどこかへ飛ばされてしまったのだろうか──ってアホか。そんなわけあるかい。

 

 急ぎ階段を降りて、そこにあったはずの地点を中心にして念入りに辺りを見渡す。

 だがそれでも箒の姿形はどこにも無い。あるのは人間の里へと繋がる道、それと向こうを見通せないほどに連なる青々とした森林くらいなものだ。

 おかしい、なぜ無いんだ。もはや物忘れとかそういうレベルじゃないぞこれ。もしやあれか。この幻想郷という世界には付喪神が普通に存在するのだから、俺が目を離したあの少しの間に何かの拍子で箒が付喪神と化して動き出した、とかそんなミラクルが起こったのではなかろうか。

 少々突飛な発想だが、そもそもここは当然ように妖怪なり神様なりが実在する非現実的な土地なのだ。外の世界で必死こいて培ってきた常識的思考はもう当てにならないと見ていいのかもしれない……

 

 とまあそうやって認識を新たにしたところで、箒が依然消えたままであるという事実に変わりはないのだが。

 

 どうにかして見つけないと後で弁償しないといけなくなる流れだよなぁこれ。まずい、このまんまだとまたぞろムラサから『罰として次の買い出しのときにまたこっそりお酒もらってきてね!』とか満面の笑みで言われかねない。

 そのときのブツ入り買い物袋を引っ提げながらにして味わった、ふふふと微笑む聖さんと廊下ですれ違った際の気まずさったらない。

 それを避ける為にも是が非でも箒を見つけ出したいのだが、無情なことに無い物は無い。仮に先の“目を離した間に付喪神になってた説”が正解だったとして、だからって俺に何が出来るというのか。何の手掛かりも無いのにどうやって探せというのだ。

 

 どうすればいいんだこの状況、と軽微な目眩を覚える。

 

 しかしながらであるが。少し冷静になってみると、道具ひとつでちょっと動揺しすぎている感は否めない。

 ひとまず優先すべきは箒を紛失した旨を寺の誰かに報告することだろう。もしかすると健忘の類いを疑われるリスクがあるかもだが、実際に箒がひとりでに消え失せてしまったのは紛れも無い事実。付喪神云々の珍説を抜きにしても、何か異様な事態が起こったに違いない。てかそうでないと困ったことになる、この歳で物覚えに難ありとか全く笑えないんだが……

 

 いったい何がどうなっているのやら。奇天烈な超能力をこれ見よがしに披露された時と似たような当惑を覚える一方で、最後に縋る心地で視線を周囲に再び巡らす。

 

……んん?

 

 往生際を悪くしたってどうせ見つかりはしないだろうにと諦め九割で行ったこの行動は、意外にも無駄ではなかったようで。

 寺へと続く石段から俺を挟んで少し進んだ反対側、つまり奥深くにまで広がった木々の最前列。そのうちの一本の陰に身を隠しながら、こちらをひっそり窺っている様子の女の子をチラリと視認できた。

 女の子、と言っても無論その正体は人間ではない。ここ命蓮寺が位置しているのは里の人間にとっての安全圏ギリギリのギリなわけで、となればあの少女が立っている向こう側はまさしく人外の領地。幻想郷に迷い込んだ直後を思い起こせば今にも彼女が牙をむきこちらに襲いかかってきてもおかしくはない、すぐに逃げ出さないと──そう最大限に警戒すべき危機的状況だった。

 

「なぁんだ、またお前か」

 

 しかし自分の口からはそんな心底ほっとした声が漏れ出てくる。

 それは、この数日間を通してあの妖怪少女からの幾度とない襲撃を受けた上での妥当な心境だった。

 やはりやり口が大体どんなものなのか、既に身をもって知っているというのは大きい。結果、彼女の持つ妖怪としての脅威度は“特に警戒に値しない”ものとして心の中で定着してしまっている。むやみやたらに俺をびっくりさせたがる割には、肝心の恐怖心を煽るセンスがいまいちなのだ、あの子は。

 

 住職さんの言葉を借りて尤もらしく表現すれば、それこそ“力無き妖怪”というやつなのだろう。

 

 率直に言って人を怯えさせる才能に乏しい。曰く『元来、妖怪とは人間を脅かしてこそ、その存在意義が保たれるもの』らしいのに。

 そう考えると少しだけ同情の念が湧いてくる。が、仮にいま俺が彼女の存在に気付かず箒を紛失した状態ですごすごと寺に戻っていたらと思うと、そのしんみりした気持ちはどこかへと消え失せていった。

 気を切り替え、おーいとその少女目掛けて大きく手を振る。そこに隠れてるのは分かってるぞとアピールする分には、これほど効果的なものは無い。

 すると、一度発見された以上もう隠れていても仕方がないと潔く観念したのだろう。幹の陰からぬるりと彼女はその姿を現していく……

 

「なんか色々と物申したいことはあるが、取り敢えずは箒を返してもらうとこから話をっ!?」

 

 第一に、取られた物を返却してもらうのが最優先。そんな判断をもとに喋っていると、いつの間にか少女の足元でぬっと出現していた件の箒が、こちらを標的にして勢いよく飛び掛かってきた。

 

 いや、あっぶないなぁ!

 

 地をくねくね這うという不自然極まった軌道を描くそれを、咄嗟に前傾して辛うじてキャッチ。直後、手の中から奇妙な感触を覚える──物理的にではなく超自然的な意味合いで。直で触れるのは初めてのことだが、これこそが妖力ってやつなのだろう。推進剤としての役割を果たしていたと思しきそれはどうやら急激に空中へと霧散していったようだった。

 最早この箒自体に脅威は無い。その上、どうやらあちら側も今のでネタ切れらしくその場でただ立ち尽くしているだけのようだ。以上の二つを鑑みて再度緩やかな息を吐く。

 

……もしもこの暴投とも呼べる荒々しい返却が本日最後のイタズラであるのなら、毎日こうした些細な迷惑をかけられている身としては非常に喜ばしい。さてはてご機嫌はいかがなものか。

 そうだ。表情を読み解けば、先程までの俺のリアクションからその悪戯心が満たされたかどうか、その判断が可能になるのではなかろうか。

 淡い期待を込めて、木々を背にして少し離れた場所で立つ少女の方へと目を向けてみる。

 

 

 

──赤い色の瞳に黒髪のショート。赤いリボンをあしらった丈の短い黒のワンピースと黒のニーソックス。片腕に一匹の蛇を絡めつかせ、もう片方の手には三叉の槍。背中から翼のようにして生える三対の赤い鎌と青い矢印が特徴的な、その妖怪。

 

「……ねえ、どうして怯えないの? 驚かないの?」

 

「ええと、どうしてと言われてもなぁ。まず人間って物ひとつがどっか行ったところで、取り立てて大騒ぎするような生き物じゃないからというか……」

 

 封獣ぬえが浮かべるむすっとしたその表情は、どこからどう見ても不機嫌そのものであった。

 

 

 

 どうやら俺はまたしても彼女からの不興を買ってしまったらしい。

 それもむべなるかな、おそらく期待されているリアクションは、恐怖のあまり絶叫のちに失神!とか、なりふり構わぬ脱兎の如き逃走!とかそのレベルだ。この子のビビらせ技術は毎回こんな感じなので密かに確信しているが、ぶっちゃけ高望みのしすぎだと思う。

 

 だがこうして何度もうっすい反応をされてもめげずに挑戦してくるあたり、やはり事前に聞いていた通り、妖怪にとって人間の恐怖心とは決して欠かせないものなのは確からしい。もしかすると彼女は、ちょっと前の食い扶持に困っていた俺と似た境遇なのかもしれない。となると先に消え失せていた筈の同情心は再び蘇ってくるもので。

 

「で、でも正直に告白すると結構焦りはしたよ? 借り物を自分の不注意で無くしてしまうとか、下手な怪談よりもよっぽど肝が冷える体験談と言えるわけで」

 

「ふん、そっちは別に私が見たかった反応じゃないし」

 

「ああ、そう……」

 

 中途半端に相手を気遣った台詞は、ツーンとした素っ気無い応対によって撃沈される。明らかなバッドコミュニケーション。

 これが普段なら少し落ち込んだ後その者とのより良い交流方法を模索するところなのだが、彼女は初対面のときからずっとこのような塩対応の一点張りなので既に残念とも思わなくなってしまっていた。ぶっちゃけ諦めの境地にまで至っている。個人的にはただ、同じ屋根の下で暮らす者同士、お互いにとって不愉快の無い良好な関係を築きたいと考えているだけなのに。どうしてこうなったんだ?

 

 原因は何だろうかと心当たりを探ろうとすると、んん!という非常にわざとらしい咳払いが耳朶を打つ。

 見れば、封獣ぬえはこちらを射貫かんばかりの険しい視線を向けている。いやだから、なんで彼女は俺のことを嫌っている風なの…?

 

「もう何回も訊いたけどもう一度言うわ、あんたにはソレが何に見える?」

 

「……まーたその謎の問いかけか」

 

 少女が顎で示すソレとは、俺が今しがた返してもらったばかりの箒のことだ。奇妙なもので、彼女はいつもこうして何かしらの物体をこちらに寄越しては、それが果たして何に見えるのかを問うてくるのだ。(因みに昨日は風呂桶だった)

 これが一丁前の怪談であれば、やけに重たいそれをよくよく見れば実は人の生首で──と話がつづくのが定番の流れだ。しかしこの妖怪が寄越してくるのは極々普通の物で、筆、箸、枕、経典に警策、果ては木の枝に石ころといった、いかにもその場で雑に現地調達しました感溢れるラインアップであった。これで本気で人をビビらせられると自信たっぷりなあたり、妖怪としての残念さに拍車がかかっているように思えてならない。

 

 とにかく、ここは普通に受け答えしておこう。

 

「何に見えるって、どう見ても箒だろ? 毎朝、いつも響子ちゃんが使ってるやつだ」

 

「あー今はそうかもね。じゃあ私があんたに投げて寄越したときはソレってどう見えてたのよ。とても箒とは思えない動き、してたでしょ?」

 

「そりゃまあ確かに奇妙な動きはしてたけどな。何というかそう、地面をのたうつ蛇のように見えて……」

 

 でもそれってデタラメな方向に飛ぶよう妖力でコントロールしてただけじゃ、と繋げようとした言葉は続かない。

 不機嫌そうだった少女の顔に、突如として喜色が差し込んだのに気付いたからだ。

 

「そうそれ! 蛇! つまりあんたはその箒が蛇に見えていたってことでしょ!?」

 

「うん? お、おう。あくまでも比喩的な意味でね? なんだその、あたかも俺が箒を蛇そのものと見間違ってましたー的な誤解を招く言い回しは」

 

「え、だからそう言ってるじゃない。箒が蛇に見えたんでしょ?」

 

「……なに言ってんの? 箒は箒だろ、蛇じゃない」

 

「は? あんたこそ何言ってるの? 蛇のように見えたって白状しておいて。つまりあの時のあんたにとってソレは蛇以外の何物でもなかったわけで」

 

「いやいや。だから蛇云々はあくまで比喩だって言ったろ? 箒は箒だよ」

 

 普通に受け答えしている筈なのに。何故だろう、全く会話が噛み合わないのは。

 というかこの子は本気で主張しているのだろうか。手に収まっているこの箒が蛇であるとかなんとか、とても正気とは思えない戯言を繰り返しているけれども。

 もしやこれもイタズラの一環なのではないかと疑いたくなるものだ。しかし少し離れていても彼女の表情は真剣そのものと分かる。つまり本気も本気というわけだ。

 

 しかしそうなってくると『箒は蛇ではない』という自分の主張が誤りである可能性を本格的に検討せねばならない。

 他者とのズレを感じた際はまず己の正気を疑うこと、これが俺にとっての世の習いなれば。もしかすると本当にもしかするのかもしれない。

 改めて、箒をじっくりと観察してみる。そうするとうーむ確かに、この持ち手の細長いシルエットのみに着眼すればそこはかとなく蛇に見えなくも……うん、やっぱりどう考えても無理がある。

 

「ほらお前もよく観察してくれ、これのどこが蛇に見える? どの角度から見ても箒にしか見えないだろ」

 

「ハ、正体不明の種が抜けたソレを今更得意げに見せつけられてもね。そもそも蛇に見えるって言ったのはあんたの方でしょ? 私にとって最初からソレは箒よ」

 

「それを言ったら俺にとってもこれは初めっから箒なんだが──って正体不明の種? 何だそれ?」

 

「ふん、正体不明の種は正体不明の種よ。誰があんたなんかに明かすものか、べ〜っだ」

 

「んなっお前な……今時子どもでもそんな分かりやすい挑発しないって」

 

 なんかもうこれ以上まともに取り合う必要無いんじゃないかな? 少し離れた場所からこちらに向けて可愛らしく舌を出す彼女を見ていると、そんな諦観が心中の多くを占めてくる。

 この箒が蛇であるとかそうでないとか、なんだこの訳の分からない言い争いは。あまりに意味不明すぎる。

 脳の奥からちょっとした疼痛を感じるのは決して勘違いではあるまい。さっさと切り上げてゆっくりお茶でも飲みたい気分だった。ここはもう適当にあしらっておくのが吉なのかもしれない。

 

「わかったわかった。これは箒じゃなくて蛇でした! はいもうこれでいいだろうこれ以上は勘弁してくれマジで」

 

「ハッ、ちょっとムカつく言い方だけどやっと認める気になったのね」

 

「うん認めた、認めたから。もういいだろ? じゃあ俺つぎの修行があるしこの辺で失礼させてもらおうか……」

 

「待ちなさい」

 

 踵を返し足早に去ろうと試みたが失敗に終わる。ギリリと振り向きたくない首を曲げると、いつの間にか封獣ぬえがすぐ後ろに立っていた。

 そして間髪入れずに聞こえてくる彼女の声。

 

「で、どうだった?」

 

「どう、とは?」

 

「何日もこの恐るべき私の力を目の当たりにしてあんたはどう感じてたのかってこと。悍ましかった? 惨たらしかった? それとも何の反応も示せないほど精神的に参っちゃったのかしら? なら、あんたのその鈍すぎる驚き様も納得だけど」

 

 勝ち誇ったかのようなえらく上機嫌な声音だった。それと同時に、三叉槍の石突き部分でこちらの背中をぐりぐりしてくるあたり、俺にこの箒が蛇であると認めさせたことがよほど嬉しいらしい。

 思うに、あまり人を驚かせる才の無い彼女にとって今回のような成功?体験は滅多にないことなのだろう。そう思うと、ぬか喜びさせてしまった形になるのでほろ苦い気持ちになる。

 

正直全然怖くも恐ろしくもないんだけど

 

────あ? なんて?

 

「ヒエッ、ま、まだなんも言ってないよ? それにしてもいやぁ怖いな〜怖いな〜って」

 

「フフン、でしょー? ……もっと言って?」

 

 きっとこの子は回りくどい手段を用いて変に工夫をこらすよりも、こうして直接的な手段で人を驚かせた方が妖怪としていい結果を得られるのではなかろうか。

 一瞬にして当てられた猛烈な殺気に凍えるような錯覚を感じながら、俺は当分の間、彼女に襲われた際はそのご機嫌を損ねないよう終始することを心に誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 つ、疲れた…!

 

 それから暫く自分の思いつく限りの語彙を尽くし、封獣ぬえという妖怪がどれほどの恐ろしさを秘めた存在であるのかを賞賛していれば、こんな感じでぐったりとした徒労を覚えるのは当然のことなのだろう。

 日の高さを見るにもうそろそろ次の修行の準備に取り掛かっていてもいい時間帯だった。つまりそれまでの間ずっと彼女から拘束されていたわけで。

 

「お疲れ様〜、災難だったわね?」

 

 階段を登り表門をくぐって直ぐ様に気楽そうな声をかけられる。その方向に目をやればセーラー服の少女がいた。

 

「ムラサか……いつから見てた?」

 

「ええっと。ぬえが藤宮さんを狙ってソレを発射するよりも少し前、くらいから?」

 

 手に持ってる箒に視線を向けて、しかし何故だか少々解せない様子を見せながら彼女は応答する。って結構長い間盗み見されてたんだな俺。別にその間やましいことなど何も無かったからいいんだけれども。

 

「そんだけ見てたんなら多少の助け舟くらい出してくれてもよかったんじゃないか? 俺が困ってるのはすぐに分かっただろうに」

 

「え〜そう言われてもね〜。ほら、いくら聖を慕っていても私もいっぱしの妖怪であることに変わりはないし? 人を脅かしたい欲求は正直判らないでもないというか……」

 

「おうそんな物騒な目をすんなやめろやめろ。ぬえと違ってお前の場合、被害が洒落にならないだろうが」

 

 舟幽霊とは、簡潔に説明すれば人を水場に引き込んで溺れ死にさせる妖怪だ。そして日頃彼女から一番物理的に距離の近い──つまり一番被害を受けやすい人間とは、命蓮寺に体験入信という体で寝泊まりしてるこの俺に他ならない。

 水死とか普通に嫌である。じゃあ他の死に方はいいのかと言えば無論そんなわけもないが。だってそうなると外の世界では俺は行方不明扱いのままってことになる、あまりにもゾッとする話だ。

 

 

 

 ぶるっと身震いしていると「ぬえと違って、ね」と意味深そうな呟きが聞こえてくる。

 なんだ? と思ってよく見れば、眼前の舟幽霊の表情がこれ以上無く真剣なものへと移り変わっていることに気が付いた。

 

「その、よく藤宮さんは平気な顔していられるわね? 毎日のようにぬえからちょっかい出されるのって結構苦痛だと思うんだけど」

 

「苦痛? あれが? 全然そうは感じないが」

 

「え、嘘。本当に?」

 

 しかしシリアスな口調で話す割には、なんともその内容は的外れなものだった。彼女は何かとても信じられないことを耳にした、みたいなオーバーな反応を示しているが、逆になんでそうなるのか問い詰めたいくらいだ。

 確かに、鵺という名の響きだけであればかつて平安京を震撼させたという名の知れた大妖怪がいるにはいる。が、とは言え鵺と封獣ぬえを直接結びつけるには、いかんせん彼女の妖怪としての技量がしょぼすぎた。あれで当時の都の人々から恐れられていたとか土台無理がある。

 ポンと何かを渡してきて、それが何なのか突然質問してくる。要するに、なぞなぞ妖怪か何かでしょあの子は。受験シーズンの学生が英単語帳とか渡しておけば、きっといい刺激になること請け合い。それの一体どの辺が苦痛というのか。

 

 まるで封獣ぬえが真に恐るべき妖怪である、みたいなことを言うんだなぁ。そう思いながらのほほんとしていると、どうやら態度で伝わったらしい。「強がりとかじゃなく本気で言ってるみたいね」と何故か不可解なものを見る目が突き刺さってくる。

 ちょっと? そういう感じの視線を寄越されると子供の頃をフラッシュバックしそうになるからやめてほしいんだが?

 咄嗟に抗議の声を挙げようとしたのだが、その前にムラサが再び尋ねてくる。

 

「そういえば趣味は肝試しとか言ってたわよね、まさか藤宮さんって恐怖とか全く感じない系の人?」

 

「何を言いだすやら。『恐怖とか全く感じない系の人』とか全然耳慣れない言葉だなぁおい。それに、細かいようだけど肝試しじゃなくて心霊スポット巡りな? 一般的に混同されがちだけど俺にとっては全然別物で──」

 

「いいからいいから。質問に答えてよ」

 

「……恐怖を感じないわけないだろ? この世はどこもかしこも怖いものだらけだよ。あの心優しい聖さんだって怒ったらめっちゃ怖いだろ、そういうことよ」

 

「ふーん? じゃあ例えば藤宮さんにとって、この世で最も怖いものって何?」

 

「…………あの、それ今じゃなきゃダメか? もうじきお昼の支度手伝わないといけないんだけど」

 

「ダメ、今答えて」

 

 自分はただただ思っていることを包み隠さず話しているだけだ。それの一体何処に、彼女の好奇心をこれほどに引き出す要素があったのだろうか。

 思わぬ質問攻めに困惑する。なんならさっきの『箒が蛇かどうか』論争やらと立て続けであるために、数分くらいでいいからいい加減自由にしてもらえないだろうかとすら思えてくる。

 

……俺にとってこの世で最も怖いもの、か。

 

 ここはひとつ、饅頭!とか濃いお茶!とでも元気に答えて煙に巻いてしまおうかという発想がふと頭をよぎる。多分それをした瞬間、明日にでもこの身が土左衛門と化す可能性が発生するので実際にはしないけど。

 

 怖いとか、恐ろしいとか。そういった負の感情に支配される場面といったら、それはもういろいろと思い浮かぶことがある。

 訳の分からぬまま暗い森を彷徨ったり、その状態で妖怪に襲われたり。頼れる人も金も無しにこの世界で一時留まらねばならないと、独り借りた見窄らしい部屋の中で心が冷えるほどに理解した時とか。直近で経験した出来事のみを選出しても心当たりは沢山あった。これが俺が幻想郷に迷い込む以前の、外の世界での出来事にまで遡ってしまうと最早収集がつかなくなってしまう。

 つまり今彼女に答えるべきは、最近見聞きした物事の中で一番怖い・恐ろしいと印象的だったものだ。それは果たして何だったのだろうか? 目を瞑り、ここ最近の記憶を掘り起こしてみる。

 

「……目ん玉」

 

「はい?」

 

 選択肢は多岐に及ぶので回答には時間がかかりそうと思ったが、意外にもすぐに結論が出た。

 どちらかと言えば怖いというよりも薄気味悪い、悍ましいといったニュアンスの方が適当ではあるが。まぁうん、きっとこれこそが『この世で最も怖いもの』と題名づけるに相応しい。

 

「こう、暗闇の中で目ん玉がうじゃうじゃとひしめいていてな? 一つ一つがこれまた不規則に動くんだよ。うわ、ちょっと思い出すだけでも鳥肌たってきた。あんま視界に入れないよう気を付けてた筈なんだが」

 

「そ、そう。とにかく藤宮さんにもちゃんと怖いものがあるってことね。それが判っただけでも収穫だわ……あれ、なのにぬえに襲われても平然としてるってことは──つまり、どういうわけ?」

 

「いやそれは。単純に人をビビらせるのが苦手ってだけの話だろ?」

 

 ぬえが? まさかそんなわけないじゃない──ムラサはそう言って、やけに自信ありげな断定をする。

 そのぬえへの絶対的信頼は何処からやって来るものなのか。つくづく疑問は尽きないが、自分にはもうそれに関して深掘りしようとする気概はさらさら無かった。

 なにせ次の予定が差し迫っている。庫裡にて既に食材の下拵えに取り掛かっているであろう響子ちゃんを待たせるわけにはいかないのだ。急いでこの場から立ち去るべし。

 

「ね、初めて会った時から疑問に思ってたんだけどさ」

 

「まだ続くのか。時間無いしもう俺は行くぞ」

 

「まって。最後! これで最後だから!」

 

 そのやたらと焦ったような口ぶりが気にかかり、庫裡の方へと進まんとする足を止めた。「本っ当に最後だな?」と念押しに尋ねるとコクコク頷いたので、再び彼女と向き合う。

 よほど重大なことなのだろうか。その目には分かりやすく迷いの色が映っていて、立ち姿ももじもじとした落ち着きの無いものに様変わりしている。その緊張のほどは見ているこっちにも伝染し『これは心して応対せねば』と思わせるくらいだった。

 

──だからこそ、その問いを聞いたあとはひどく拍子抜けした気分に襲われる。

 

「ふ、藤宮さんってもしかして、私たちのこと怖くなかったりする?」

 

「はあ? 怖くないに決まってるだろ……じゃなきゃとっくにこのお寺から逃げ出してるよ、ってか一輪も含め俺たちが初めて会った時も既に似たようなこと伝えたじゃんか。こんな当たり前のこと、二度も言わせないでくれよ」

 

 重々しい雰囲気を醸してきた割には内容が大した事なさすぎた、その反動のせいでと言い訳すべきか。少々粗雑な口調が滑り出てきて内心ドキっとする。

 やべえっす神様、明日にはこの身はもう何処かの水底に沈められてるかもしれません。土左衛門だけは回避しようと意識した矢先、これはあまりにも迂闊だった。

 ナメた口叩かれてブチ切れてない? 大丈夫? 不安に駆られながら恐る恐る、彼女の表情を窺ってみる。すると、予想に反して意外にも。

 

 

「……当たり前かぁ、そっかそっか」

 

 

 村紗水蜜はとても穏やかな顔をして微笑んでいた。どちらかと言えば慎ましく笑むよりも快活に笑っている方が彼女らしいと密かに思っていた分、意表を突かれた形になったというかなんというか。

 最後の質問にちゃんと答えたのだからこの場からすぐ立ち去ってもいい筈なのに、俺の足は地に根を張ったかのように動かない。

 

『その、恐ろしくはないのですか?』『まさか、ちっとも恐ろしくなんかありませんよ』

 

──そうですか、そうですか。

 

 裏では。あの時の聖さんの言葉と、それに対する返答を聞き示した彼女の反応が脳裏に浮かぶ。それが先程のムラサとの問答と妙に符号しているように思えてならないのは気の所為だろうか。同じ宗派の門徒でありかつ長年の付き合いであるから、たまたま思考が似通ったのだと解釈すればそれまでの話。

 

 しかし、である。聖さんはまだ一回目の問いでその答えを知らなかったのだから問題は無い。だがムラサの方はどうだろう?

 これで二回目なのだ、俺が彼女達のことを恐ろしいと思うかどうかを質問してくるのは。そしてその答えを知るに至ったのは。

 一回目は初対面のとき、まだ酒を酌み交わすより以前のこと。その答えを、酔いで忘れたとは考えにくい。どうでもいいから忘れたのだと考えるのも無理がある。本当にどうでもいいならばなぜ、先程はあんなに重要そうな雰囲気出してきたんだという話になってしまう。

 

『ふ、藤宮さんってもしかして、私たちのこと怖くなかったりする?』

 

 この、何気ない問い。これには何か俺が見つけられなかった特別な意味が隠されているのではないか。それに丸っ切り気付かなかった俺は、何かとんでもない誤謬を彼女達にもたらしてしまっているのではないか。

 そんな確信めいた疑念が、心の底に積もっていく。

 

 

 

 

 

「藤宮さん? 急に黙り込んでどうかしたの?」

 

「……いや、なんでもない。とりあえず、最後の質問にも答えたわけだしもう行っていいよな?」

 

「あ、うん。頑張ってね、この間みたいにお米焦がしちゃダメだからね」

 

「もう火加減は完璧に調整できるようになったから大丈夫だよ。心配には及ばん、ちゃんとした献立に仕上げてやるから楽しみにしとけ」

 

「わ〜偉そう、あくまで役割はお手伝いなのにね?」

 

「うっせえ。お前のだけ分量を減らしてやろうか」

 

「またまたぁ、口で脅すだけで実際にやるつもり無いくせに〜」

 

 小さく手を振って見送ってくる一言多い舟幽霊に、立ち去りながらなんとなく同じく手を振って応じる。なんかやけにテンションが高い様子なのが気になるが、ひとまず意識は次の修行のことへと切り替えておく。

 変わらず心の内に引っかかるものがあるけれども、それを口実にして仰せつかった役割を放棄できるほど、俺は不真面目ではないのである。

 

 仕方ない、これもまた後回しにするか。

 

 まったく、あれもこれも後回し後回し。一体いつになれば取り掛かるのやら──不意に、己のひどく冷静な部分が、非常に鋭い指摘をもって心の平静を乱してくる。幸いにしてこの動揺に対処する方法は、体験入信の甲斐あってよく知っていた。だから引き続き庫裡へと急ぎ足で向かう。

 雑念を排し無心となる為にはひたすらに雑用をこなすのが一番だ。もっともその無心を求めるようになったのは、命蓮寺の皆との関係性に頭を悩ませてのこと。なのでなんとも皮肉な話ではあるのだけど。

 






 なんかこのオリ主はぬえのことを過小評価していますが彼女の実力をちゃんと吟味していればそれが誤りであるとちゃんと気付ける筈なのです ただ相性だったり、彼女にも只の人間を直で害するのは流石にヤバいかなと判断できる良心が存在したり その辺が奇跡的に噛み合ってしまった結果の過小評価といいますか
 何にせよ、例え同じ物を見ていたとしても感想までが同じになるとは限らない 人によって認識の仕方が異なってしまうだなんて、この上無く恐ろしい能力と呼ばざるを得ません 伊達にExボスしてないね



備考 :『正体を判らなくする程度の能力』
 歴とした大妖怪、封獣ぬえの能力 対象に正体不明の種を仕込むことで、その対象に対する認識を惑わせる 仕込まれたその対象は姿形、音、匂いなどが奪われ行動だけが残る そしてその対象を見る者の知識や先入観によって奪われた情報が補完され、見る者によって対象の見た目が変わるという結果になる(by東方大百科)

 封獣ぬえの能力を知らないよって読者が万が一にもいらっしゃった場合に備え、ここに記しておきます
 オリ主にこれを見抜ける洞察力があったりぬえちゃんが正体不明の種について事細かに説明してくれれば本文中で帰結できてよかったのにね そうはならなかったね……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

毘沙門天代理、珍客に惑う

 世界観的に、もしかすると彼女こそがこの作品において最も被害を被ってる人物なのかもしれない



 

 

 私を構成するカタチが、当時の人々が外来からの伝聞をもとにして想像したという“トラ”のものから“ヒト”のものへ変わったときのこと。つまり元人喰いの妖獣が、かの名高き福徳と武の神である多聞天、の代理の役を務める者として変容を遂げたときのこと。

 

 残酷なまでに強く、記憶に残っている。

 

 簡素で手狭な作りをした、けれども信徒の少なさ故の寂しい広さを覚えさせるお堂の中で。ただこの身体に何が起こったのかと困惑しながら、淡黄色の毛が失せて代わりに白い柔肌となった己が手を茫然と見つめていた。

 間の悪いことに困った時いつも頼りにしていた聖は、いくつか山を越えた先にある村々にまで御仏の教えを広めるべく、丁度出掛けていたところだった。このお堂の管理や、稀ではあるが近隣の村から人間が参拝してきた際の対応。迫害され居所を失ってしまった妖怪を保護し安全な裏山まで人目を避けつつ案内する役目など、住職が不在の間に為すべきことは数多くあった。そこに完全に想定外のことが起きたわけで、その時の私は相当な混乱の極みにあったと断言できる。

 弱った、この先どうするべきか──そう熟考していると妙なことに気が付いた。何故か、聖のことを思い浮かべていると何処とない危機感を覚えてしまう。取り分け彼女の顔の部分を想起していると、そのざらりとした本能的な心の揺らぎは、より大きなものとなっていく。この身が獣であったときはそうではなかったというのに、これはどういった心境の変化なのだろう?

 夜が更けるまで考えても全く結論が出なかった。しかし次の日の朝。喉の渇きを癒そうと近くの川まで向かったことで、その疑問はすんなりと帰着した。

 

 慣れない二足歩行に辟易し途中で四つ足を地につけて(結局歩き辛いことに変わりはなかったけど)、肌寒いからと拝借した聖の衣服はいつもの獣道を通った為に藪などに引っ掛かりボロボロとなってしまって、たかだか小石を踏み枝を掠めただけで身体は傷つき大袈裟な痛みを訴える。

 なんと脆く不便なのだろう。そんな不満をこぼしつつ、いつもの水場に到着する。

 

……きっとあの時から私は、獣から変身し人の姿形を象ったことで、『人間の本能』というものをより実感の伴った形で共感できるようになったのだと思う。

 

 水面に映って見えた、こちらを覗き込んでいるその者と、真正面から対峙して。どうして昨日から、聖に対して言い知れぬ胸のざわめきを覚えるようになったのかを腹の底から理解する。そして、この上なく納得する。

 

──そうか。私たちの貌は余りにも醜く。()()()()()、臓腑が竦み上がってしまうほど、かくも恐ろしい。

 

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 

 その日。私室にてゆったり寛いでいた寅丸星にとって、その知らせはまさしく晴天の霹靂だった。

 

「……え? 命蓮寺(うち)に体験入信を希望する里の者が?」

 

 無論、そのこと自体は仏教徒として非常に喜ばしい快挙と言えた。

 人間の里近くに埋没していた、とある廟の真上に聖輦船が降ろされ早数年。労を惜しまず丹精を込め続けていた布教活動の結実が、とうとうそこに至るまでになったのかと好意的に解せる朗報だからである。

 

 しかし仔細を聞けばどうも腑に落ちない。

 

 というのも体験入信を申し込んだ人間が自己紹介がてら語ったというその素性を聞いて、怪訝に思わずにはいられなかったためだった。

 

「『村紗や一輪と前々から仲良くしてた』って。ええっと、その話本当です? 一体いつから? ここ暫くをざっと思い返してみてもそういった素振り、あのふたりには皆無だったと断言できるのですが」

 

「けれど当の本人たちが口を揃えてそう言っていますからね。きっと彼女達も彼女達なりに人との共存をめざして、陰ながら様々な道を模索していたのでしょう。

……でもせめて事前にそういう知り合いができました、程度の情報くらいは教えて欲しかったわねぇ。なのに何の予告も無しに突然紹介されちゃって。あれほどびっくりしたのは本当に、久方ぶりのことね」

 

 件の知らせをもたらした命蓮寺の住職、聖白蓮はそう言って朗らかな表情を浮かべる。

 その平時と比べいっそう豊かな感情の表れ方に、寅丸星は一瞬、己の眉間を歪めずにはいられない。

 

 確かに良き知らせではあるが。

 些か、不用心ではないか。

 

 千年前、命蓮寺の皆が望まずして方々へと散り散りになってしまったのは何故か。他ならぬ人間の手によって排斥され、長らく魔界に封印されていた渦中の中心人物が、よもや忘れているはずもなし。

 もちろん一輪にしても村紗にしてもまったく同じ事が言える。なのにどうして『前々から仲良くしてた』などと明らかな嘘を主張するのだろう。そんな事が出来る時間はおろか機会すらも皆無であったろうに。

 また、申し込まれたというのが例の体験入信であった点が非常に不可解だった。あれは元来とある疫病神の更生を目的として考案されたものであって、故にその内実は雑用ばかりであったはず。誰の目にも魅力的に映らないであろうその試み(という乱暴な物言いは発案者を目の前にして失礼かもしれないけれど)に対し、一体何を見出してその人間は申し込んできたというのだろう。 

 

 色々と疑問に思うところは多い。多い、が。

 

「……どのみち此方が募集をかけている手前、拒める道理はありませんか」

 

 その人間が命蓮寺に潜り込んで一体何を行おうとしているのか、それをこの目でしかと見極めねばなるまい。

 溜息を吐き、決意を固める。人間と妖怪とが互いに認め合い手を取り合う、そんな理想を思い描く聖にとって自ら進んで妖怪の側へ歩み寄ってくれる人間は、確かにさぞ快いものに見えるだろう。諸手を挙げて、無邪気にその者のことを手厚く歓迎するに違いない。

 だがもし、その人間が彼女の優しさに付け入るような事があれば。その時は、その時は……

 

「星? どこか険しい表情ですが、もしや何か気に障ることでも?」

 

「いえいえ、険しいだなんてそんなまさか。きっと見間違いでしょう」

 

 激した感情を瞬時に秘める一方、寅丸星には『もしその人間が本当に何の企みも無い信心深き人物であるなら』と素直に期待を寄せたい気持ちもあった。

 実際に、里の人間達は千年前の人々と比較して驚嘆に値するほどに、命蓮寺に対し寛容な姿勢を見せていた。

 徒歩で通えるほどの近くに拠点を構えても武装し大挙して襲い掛かってくる事もなく。半ば公然と夜な夜な妖怪たちの集う法会を開いても突如として焼き討ちされる事もない。逆に近ごろは極めて遅々としてではあるものの、おもに聖の尽力によって、仏門に帰依する者が増えているという喜ばしい現状があった。だからもしその例の人間が、単にそういった流れに乗って来ただけなのであれば異議を挟む理由はなかった。

 

 その人間の正体は果たして、害を為す可能性のある人物なのか、それとも本当に敬遠な人物なのか。どちらにせよ、目の前に座しながらにして少々どこか浮き足立っているようにも見える住職に向けて、ひとつの問いを投げ掛ける必要性があることに寅丸星は気付く。

 

 即ち、その体験入信が開始されるまであと何日あるのかということ。

 

 なにせいつぞやの博麗の巫女や白黒の魔法使いや守矢の巫女とは違って、相手は完全なる一般人。それを人外だらけなこの寺に迎え入れようというのだ。イタズラ大好きなぬえや小傘なんかは後先構わず手を出してしまうだろう。夜半の法会に集う妖怪たちの中には、力無き故に人に虐げられた過去を持つ者も少なくないから、逆にその人間の事をひどく恐れてしまうだろう。

 起こり得る諍いを未然に防ぐ為に『暫くここに里の人間が寝泊まりするようになりました』と事前に周知させておきたい。もちろん、迅速かつ手抜かりの無いように。その為の猶予期間はどの程度確保できるのか。

 

「ところで、その方はいつからこちらにお越しになるのでしょうか。客人を万全の態勢で迎える為に、これから様々な支度を整える必要がありそうですが──」

 

「本日からです」

 

「はい?」

 

「本日からです」

 

「……本気なのですか?」

 

「ええ勿論。ちなみにその客人は他のみんなとの顔合わせを済ませておりまして残るは星、あなただけという状況です。そういう訳ですので早速彼を呼んでいいかしら? 実は既に近くの部屋に待機してもらっているのですが」

 

「えっ、えぇ! そんな急に……」

 

 並外れたスピード感を見せる事態の進展具合に理解が追いつかず、頭を抱える。

 そも、その人間と顔を合わせるのは聖も今日が初めてという話だった。なのにそんなあっさり即日での受け入れを決めてしまうとは。せめて数日程度はその者の人となりを探り様子を見るべきではないか。かつての悲劇を再び繰り返さない為にも慎重を期すに越した事はないだろうに。

 

 というかその人間を呼ぶ? 今から? この部屋に?

 

 そこまで思い至った瞬間、寅丸星は自らが絶対的な窮地に立たされてる事を強く自覚する。

 これから命蓮寺の有り難き信仰対象として、その体験入信者といざ対面しようかというこの状況。しかし改めて自身の装いを確認してみれば、いつもの人前に出る際に着用している霊験あらたかな装束ではなく、部屋着用途の極めて簡素な衣服であった。これで人前に出ようものなら純粋に恥ずかしいし、毘沙門天代理の名が泣くし、命蓮寺自体の風評も地に落ちるは必定。

 

 そして更に最悪なことに、たったいま気付いたが宝塔がどこかに行ってしまっている。何たる失態だろうか。

 

 これが平時ならば無縁塚に居を構えるあの子を頼り、彼女からの小言に耐えながら辺りを探し回るところであったが今からでは流石に間に合わない。あれが在ると無いとでは名乗った際の説得力がまるで違ってくるのに。この状況は非常にまずい。宝塔無しの()()()姿では、毘沙門天のご威光も何もあったものではない。

 ともかく今は最低限見るに値する格好を繕う為の時間が欲しかった。その時間も足りるかどうか怪しいけれど、この際あり合わせでも何でもいいから法力に富んだ物を見つけて代用せねば。

 

「ちょっ、ちょっとだけ待って下さい!? い、色々とそのほら、身支度とかがあんまり整ってな」

 

「──星」

 

 募る焦燥を見抜いていたかのような、聞く者を落ち着かせる優しい声音に、少しの空白が寅丸星の脳裏に生じる。その余白を埋めるかの如く続けて聖白蓮は言う。

 

「私もちょっと話しただけだけど、きっと彼は大丈夫よ」

 

「……そう、ですか」(大丈夫…? 大丈夫とは…?)

 

 住職の言う『大丈夫』とはいったい何処までのことを含意しての発言なのか。瞬間的に判じ損ねた毘沙門天代理は取り敢えずの相槌を打っておく。

 それがいけなかった。

 瞬時に思い直しその“彼”とやらの何が“大丈夫”なのかを正直に訊く直前、何の気なしに放ったその相槌は了承の意と捉えられてしまったようで。

 聖は「もうよろしいですよ」と声を上げてしまい。

 やってしまったと顔を顰め、後悔する暇もなく「はーい」と知らない男の声が返ってくる。

 あまりに容易く状況が悪い方向へとコロコロ転がって行く様に、口元が自然とキュッとすぼまった。

 

……いえ今のは、軽率にどうとでも取れる反応をしてしまった自分の落ち度であるから仕方ないにしても。とはいってもあの、宝塔の代わりは諦めるにしてもせめて、着替える時間くらいはあります、よね…?

 

 助けを乞う視線を向けても、聖白蓮は不思議そうに首を傾げるのみ。普段であればこうした些細な仕草に気付けない彼女じゃないのに! と、相手の性格を熟知しているだけあって寅丸星は唖然とする。

 やはり何処となく彼女の様子が落ち着きなく思えたのは気の所為ではなかったか──そう考えている間にも、迫り来る足の音は止まらない。すぐそこの廊下より刻々と近付いてくる人の気配に固唾をのみつつ、何か他に打つ手がないか必死になって思考を連ねていく。

 

 宝塔の行方は知れず、身なりも平時の装いと比べて大層野暮ったい。そのような状況下で、これより来る人間相手に毘沙門天代理の名に恥じないような応対をせねばならない。

 それと同時に、命蓮寺へ集う信仰を一身に受ける者として、堂々と胸を張れる立派な偶像である事を明瞭に示さねばならない。

 

 本当に出来るの? こんな有り様で?

 

 ふと横目に置かれた姿見に視線を移してしまって、そんな不安に駆られてしまう。

 そこに映っているのは、どうにか“トラ”の姿に戻れないかと長らく試行と懊悩を重ね、しかし終ぞ叶うことのなかった“ヒト”である自分自身の姿。

 まだ見ぬ客人の来訪に慌てふためき、焦燥を募らせるその風貌の、なんとまあ見苦しいことか。

 恐れではなく純粋な信仰を糧とする者として、これより人と相見えようかというときに、このような無様はあまりにいただけない。

 

「……せめて、立ち振る舞いだけはしっかりしないと」

 

 自ら発した呟きを自分自身に言い聞かせ、どうにか動揺を抑え込むことに成功する。

 そして決める。急な来客に対してかける第一声は「初めまして。私は毘沙門天の代理、寅丸星。ここ命蓮寺に集まる信仰を一身に受ける者です」といった感じで、平時よりも丁重なものにしよう、と。

 口調も態度も、肩書きに相応しいものとなるよういつも以上に尊大な感じで、頑張って低い音程の声を出すとか工夫して。泰然とした所作なんかやったりして、それらしい威厳を演出できたら上出来だ。

 威厳。そう、威厳さえ出していけばこんな姿でもきっと悪いように話は進まない筈で。千年前のように、再び人の心が私や寺から離れて行く事も多分起こらない筈で。

 

 あぁまったく、この手に宝塔さえあればすぐさま解決することなのに──

 

 

 

 

 

「失礼します」

 

 

 

 

 

 落ち着き払った若い男の声と、スッと微かに障子の開く音。それらが耳に届いた瞬間、その方へ目をやった寅丸星はえいっと心中で決めた口上を披露しようとして。

 

………………!?

 

 しかし視界ど真ん中に入り込んだソレに意識が持っていかれて、半端に口を開いたままその場に固まる。なにしろその人間が手にしているソレは、まさしく先程から心の奥底から欲していた物で。

 

「あの〜聖さん? さっき部屋の隅でこんなのを見つけたので確認してもらってもいいですか? 見た感じかなり高価そうな物ですし、放っておくのはどうにも」

 

「えっちょっと! それ、私の……ぁ」

 

 求めていた物がふっと目の前に現れたから。反射的に叫び、ソレを取り戻すべく手を伸ばして。そしてその状態のまま再びカチリと身体が固まってしまう。同時に頭の中はひどく真っ白になっていた。

 なに、この、威厳の欠片も無い拙すぎる言動は……さっと血の気が引いていく感覚が全身を襲うと同時に、失敗した、取り返しのつかない事をしてしまったという後悔の念が、心中すべてを覆い尽くしていく。

 

 ソレ──宝塔を手にしたその人間としっかり目が合う。見目からして齢は二十くらいであろうその青年は視線を何度かこっちと宝塔とで往復させたのち、若干戸惑った表情を見せながらも素直に手渡してくる。

 

「じゃあ、どうぞ?」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 慌てて受け取った寅丸星は、それを再び無くしてしまわないよう大事に抱え、ホッと胸を撫で下ろす。

 とりあえずは一安心。これで私がかの毘沙門天、その代理を任される者であると名乗っても、かつてのようにその真偽を真っ先に疑われることはないだろう、と。

 

 そうしていつもと変わらぬ手触りと潤沢な法力に安堵していると、青年はふと思い出したような様子で口を開く。

 

「その、もしかすると聖さんから既に聞いてるかもしれませんが、一応この場を借りて自己紹介させてもらってもいいですか? ほら、お互い初めましてなわけですし」

 

「へ? は、はい。どうぞ……」

 

「では早速ですが。えー、藤宮慎人といいます。本日からしばらく体験入信という形でここのお世話になりますので、どうぞよろしくお願いします」

 

 そんな言葉と共に軽く頭を下げられて、咄嗟に「こ、これはどうもご丁寧に……」と会釈を返す。

 

 視線を青年から畳へ移す只中。いくつか気になるところがあって、寅丸星はひそかに当惑せざるを得ない。

 直前の想定とは異なり会話の主導権を相手側が握りつつあること。先程の醜態について特に何の言及・追及がないままに別の話題が始まってしまったこと。そして他の何よりも、最も気になることは。

 顔を上げると、青年はこちらを真っ直ぐ見返していた。その表情は全くの自然体で含むところが無く、無防備で、少々言い方が悪くなってしまうが、まるで何も考えていないかような。

 

 御本尊という立場から長きに渡り、様々な人間と出会ってきたけれど。初対面で、彼のような緊張感の欠片もない表情を見せる人物は他にいただろうか? 私を見て怯えるでもなく、警戒するでもなく、ましてやそれらを押し退ける程の金銭欲に駆られている訳でもなく──

 

「すみません、よろしければ今度はそちらのお名前を伺いたいんですけども…?」

 

 申し訳なさそうに尋ねてくるその声にハッとする。確かに、自己紹介の場で自分は名乗ったのに相手からの名乗りが一向にないというのは非常に不可解な話だった。不快に思われたかもしれない。慌てて思考を中断して答えようとする。

 だが、その勢いのまま口から滑り出したのは「わ、私は寅丸星です! よろしくお願いします!」という元気だけは有り余った、なんとも簡潔にすぎた自己紹介だった。

 

 一瞬、時が止まったように感じた。

 

 それはもはや、宝塔の放つ荘厳な法の光をもってしても庇いきれないほどの稚拙な返事。

 が、やはりというべきなのか。これについても青年は特に気に留めたような様子を見せなかった。むしろ何故か微笑ましいものを見る目つきとなり、

 

「ええ、では改めてよろしくお願いしますね、寅丸さん」

 

 挙句には何やら耳慣れない呼び方をしてくる始末で、当惑はさらに深まる一方だった。

 普段、敬虔な里の人々からは『御本尊様』と呼ばれていた。だから体験入信を希望する彼もてっきりそう呼ぶものと思っていただけに、その思いがけなさは凄まじい。

 また、寺のみんなが口にする『星』ともまた少し違った親しみが込められたその呼称に、どういった反応を示せばよいか判りかねて。

 

「と、寅丸さん……」

 

 率直に言って、ただひたすらに混乱する。

 

 この、目を疑ってしまうほどに友好的である彼の態度。いくら人外に対してある程度のおおらかさ、寛大さを示してくれる事も多い里の人間とはいえ、これほどまでの者は稀であろう。

 改めて表情をつぶさに確認してみても、嫌悪や恐怖、忌避感といった胸中のうちに自ずと生じているはずの心の動きを、全く表に出していない。

 感情を押し殺す術によほど長けているのか。はたまた一輪や村紗と本当に『前々から仲良くしてた』から、()()()()()()()()には耐性があるということなのか。

 経験でもってその動物的本能を完全に掌握する。可能性としてはこれが最もあり得そうな仮説ではある。しかしそれで彼に関する全てに筋道が立てられたとは思えず、なんだか釈然としない。

 

……どうもこの青年は、千年前の人間達や他の里の人間達と見比べて、何処かしらが決定的に掛け違っているように思えてならない。

 

 これは、どうすれば良いのだろう。前例の無きゆえに彼との適切な接し方が判らない。

 手助けを求める心地で目を向けると、先程からのやり取りを間近にして穏やかな表情を浮かべている聖がいる。

 直後、己に向けられた助けを乞う視線に此度はすぐ気付いた彼女だったが、特にその場を動く事もなく、柔らかな目配せをこちらに送ってくるのみに留まった。

 

 ──────。

 

 確かに聖は言っていた。眼前の青年のことを指して、きっと彼は大丈夫と。その言葉の意味は今となっては正しく理解できる。

 確かに彼は“大丈夫”だった。法の光をあまねく照らす宝塔も、威厳を保つ為に人前で決して手放す事のなかった鉾も、仏教において俗世に染まらぬ清らかさ表す蓮華を模した髪飾りも、そのほか何も誤魔化せる物が無い私と向き合っていても、彼は至って平気な様子だった。

 

 “私のような見目をした者”と対峙したままに、『普通』であり続ける事の困難さは、私自身よく理解していた。

 かつて水面に映る自分自身と対面した際に実感した、あの全身が竦むような本能的情動。アレは決して、嘘偽りではなかったのだから。

 それを、人間のカタチをした者が皆一様に感じ取ってしかるべき普遍的衝動であるとするならば。

 

 彼は、どのようにしてその衝動を克服したのだろう?

 

 以前から村紗や一輪と親しくしてたという話が本当かどうかとか、実質雑用係な体験入信に何を思って申し込んできたのかとか。青年と相対する前に抱いていたそれらの疑問は、もはや些事も同然だった。

 知りたい。明らかにしたい。どのような経緯や理由があって、彼はその非凡な精神性を得るに至ったというのか。“ヒト”と化して時は久しく、他の誰よりも自分の顔を見知っている筈の私ですら、時折どうしようもない疎ましさを覚えるというのに。本当に、どうやって──

 

「……コホン」

 

 いつの間にかすっかり舞い上がってしまっている自分に気が付いた。ひとつ空咳でもしなければ、到底このふわふわとした心地を落ち着かせられそうになかった。それも、無理からぬことのように思う。

 ともすればこの青年は、千年の時を隔てども決して揺らぐ事のない聖の宿願、それを叶える重要な鍵となり得るかもしれないのだから。

 






 口調であったり、実は宝塔をそこまで高頻度になくしてなかったり、従者との関係性であったり 東方project全体を見渡しても、個人的には彼女が最も公式と二次でギャップがある子なのかなという印象 本作においてもそのご多分に洩れず、しかもそれに加えてなんだか自己肯定感がだいぶ薄いような……

 今回は、次回更新予定の『妖怪寺体験入信日記その伍』の導入部分にすぎなかったり 思いのほか長くなったので急遽分割した次第というわけです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

妖怪寺体験入信日記 その伍

 今回やたらと構成の下手っぴ度が高すぎてめっちゃ読みづらいかもしれません なので目を通す際は十分に心してかかって下さいまし



 

 

 この『幻想郷』という奇怪な異界に迷い込んでから今日という日を迎えるまで、十と少々の日数が経過した。だいたい大雑把に言い表して二週間ほど。テレビも無え、ラジオも無え、バス等の公共交通機関も当然のように無え。そんなつい嫌気が差してしまいそうになるこの世界の古式ゆかしい生活スタイルにも、そろそろ適応してきた頃合いである。

 

 ふと思い返せば、初めの一週間はそれはもうツラくキツい毎日だった。「何を為すにしてもまずは金策からだろう」と踏んで始めた商いは何一つ軌道に乗ることがなく、故に満足に腹を満たすことすら叶わない。糊口を凌ぐ為、現代社会からは面白いように切り離されたこの土地で、日夜右往左往せざるを得ない非常にストレスフルな日々であった。

 更には、『夜の遊園地』の夢を見たが最後、その後起床すると大抵身体のどこかしらが負傷しているという謎現象に見舞われたそのときは、これは一体どうしたものかと深刻に苦悩したものだ。

 

 そんな有り体に言えば地獄みてえだった日々とは対照的に、その後残りのだいたい一週間──つまり俺がここ命蓮寺に体験入信希望者として身を寄せることになってからの日常は、まさしく天国、もとい極楽のようであったと言っても過言ない。

 (酒や肉の類がご法度なのが至極残念だが)ちゃんとした飯が毎日三食出て、適量を摂取できる。参拝客の前でお勤めをすることもあるからと、寺院という場所に則した清潔な衣服が与えられる。

 そのほか細かいところでは、早寝早起きが習慣化して規則正しい健康的な生活が送れるようになっただとか、修行という名を冠した単なる雑用に取り組むうちに心なしか筋力や体力がついてきただとか。現在進行形で寺のお世話になっている身としてありがたく思う点を列挙するとすれば、その辺が真っ先に思い浮かんだ。

 いつの間にか変な夢を見なくなっていて、朝スッキリ気持ち良く起床出来るようになった点は──まぁこれは確か命蓮寺で寝泊まりするようになる直前の出来事だったはずだからギリ除外しておくとしよう。

 

 そうそう、村紗水蜜と雲居一輪。忘れてはならないのは、ここの時代劇さながらな生活様式と対峙し苦戦する無知な現代人の面倒を、彼女達が見てくれたことだろう。

 

 それが決して「新しくやってきた同居人の世話を私らでやってやろうぜ」的な純粋な厚意(ノリ)から来るものではなく、「彼を経由して密かにお酒を入手していたのを隠さなきゃ」というひどく不純な使命感から来るものに過ぎない事は重々承知している。

 しかしそれでもこの一週間と少しの間、実践面知識面問わず様々な場面で助けられてきた事実は決して揺らぎようもなく。だからこそ、彼女達には感謝してもしきれない。

 

 例えば体験入信初日、俺が幻想入りしたての外来人とはまだ知らなかった聖さんから風呂の支度を頼まれたとき。

 ヤベェ水を張るだけならともかく肝心の薪を燃やす為の火はどうやって確保するんだ……と長考しかけたその時、一輪が様子を見に来てくれたお陰でなんとか支度できた──なんてこともあった。

 

 ご丁寧にも彼女は離れの蔵から錐揉み式の火起こし道具を持ってきて、その使い方を俺に分かり易くレクチャーしてくれた。

 

『…こうか!?』

『違う、もっとグッと全身を使って体重かけて!』

『…こうなのか!!?』

『そう! そのまま強く板に棒を擦り続けるのよ』

『んんんおぉぉ! これは腕が死ぬぅ!』

 

 もっとも、分かり易くと言ってもその習得は全然容易ではなかった。その日は前に洗濯(全自動ならぬ全手動)と薪割り(言うまでもなく重労働)という現代人が普段は全然行わないであろう動きをやりまくっており、既に全身の筋肉がほぼほぼ死に体だった為だ。

 

『次はその木屑を火口(ほくち)で包んで。そして息を吹きかけて』

『よ、よし。フ、フゥーー!!』

『ちょっ、バカ! そんな強くしたら……』

『フゥー! フゥー! あれ、今なんか言った?』

『……火種が消えちゃったから、また最初からやり直しね。お気の毒だけど』

『………………………マジで?』

『マジで』

 

 膝から崩れ落ちる、という慣用的表現をそのまんま体現するほどの絶望を味わったりもした。

 

『お、おお!? やった! ついた! 火がついたぞ! プロメテウスの火だ! 新たなる文明の誕生だぁ!』

『え〜と、そんな大袈裟に喜ぶことでもないんだけど。でもその、まあ、おめでとう?』

 

 それでも無理やり気合を入れてどうにか火をつけられたそのときは、抑えのきかない謎の高揚感に全身が震え、ふと目が合った一輪とハイタッチを交わしたものだ。

 あの時に俺達が経験した一体感のほどは、なんとも言葉では表現し尽くし難いように思える。

 

『……あっ、でもよく考えたらこんな苦労する必要はなかったかもな。散々頑張った後になって言うとアレだけど』

『は? どういうこと?』

『うんまぁその、見たら分かるか。ほい』

 

 ただしその直後。そう言えば俺アレを習得してたなぁ、これに関しては隠す必要も無いし明かしても別にいっかーと判断して、指先に霊力を集めボゥと炎を灯してみせたのは、とんでもなく悪手だった。

 

『あ、あんた、それ……』

『ふふん、どうよ? つい最近になって体得したばかりの術なんだけど。いやぁなんで必要なくなった今になって思い出すかなぁ、これなら一瞬で火ぃつけられたのに。うっかりうっかり、あっはっは』

『……それ出来るなら最初からやんなさいよ!』

『グハァ!』

 

 ハイタッチでパーだった手がグーになってたからね。

 ちゃんと加減してたらしいけど、もし当たりどころが悪かったらノックダウンまでいっていたかも分からない。

 格闘技やってないからテキトー言うけど、世界を獲れる一発だったぜあれは……

 

 うえっ、なんだかそのときの光景をまじまじと振り返ってみると、腹部を襲ったあの憤怒の一撃が今にも鮮烈にリプレイされるかのようだ──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぁ、よっしゃ隙ありぃっ! 喝っ!!!

 

「い゛ッ!」

 

 麗かな日差しの降り注ぐ正午前。俺の右肩に強い衝撃が襲い掛かってくるのと同時に、パァンと乾いた大音量が禅堂内に響き渡った。

 

……メッチャクチャ痛かった。

 

 何、今の喝。えらく嬉々とした声音に聞こえた気がするが。まさかとは思うが、無防備な人の肩を棒で打つという行為に何らかの娯楽性を見出したりとかしてないよね?

 てか、隙ありってなに? 坐禅ってそういうバトル系漫画みてえなセリフが飛び出すようなシロモノだったっけ?

 

 呆れながらそれでも結跏趺坐(けっかふざ)の姿勢をキープしつつ背後を窺う。

 するとそこには、何やら大層満悦したご様子の妖怪少女、雲居一輪がいる。

 

 晴れやかな表情を見せる彼女はひと昔前の不良漫画に登場するヤンキーもしくは熱血指導教員よろしく、片手で持った凶器(警策)を肩でトントンしていた。

 被害者として、それがやたらと様になって見えるのがかえって腹が立つ。仮に今、堂の端っこのほうで主に代わって『すまぬ…』って顔をしてる雲山が視界に入ってなかったとすれば、今ごろ俺は派手にキレ散らかしていたに違いない。

 ふう危ない危ない、怒りなどという拙い感情に振り回されずに済んでよかったよかった。

 

 あれっそういえば。そもそも今みたいな場面だと、直前に軽く肩を叩くなりして「今からここを打ちますよ」と合図するべきところであったはず……

 おいコラ何の事前通告も無しに全力ブッパしてんじゃねーぞオラァ!

 

「……あの、一輪。確かにいま余計なこと考えてて集中力切らしてたのは認めるよ? でもさ、もう少しこう何というか手心というか、優しい感じで注意を促して欲しいなーって思ってるのよ俺は。なんならこれ始めるときそう言ったじゃん? 痛くしないでねってお願いしたじゃん? なのに今のは一体どうして? なんで痛くしちゃったの?」

 

「ふふっ、ごめんごめん。あまりにも判りやすく気が散ってたから、つい」

 

「つい、で繰り出せるような半端な威力じゃなかったんだよなあ…ってか、半笑いで謝るのやめてもらえる? そういうの本当に心証良くないからね?」

 

 こやつ、もしや俺たちが知り合ってまだ一週間程度しか経ってないって事実を忘れてるんじゃ…?

 

 至極愉快そうに口元を緩ませる少女を見ては、そんな疑いを持たざるを得ない。今の俺の表情はこれ以上無いほどの完璧な顰めっ面となっている事だろう。

 非常に嘆かわしいことに、どうやら彼女の脳内辞書には『遠慮』や『距離感』といった類いの文字は記載されていないらしい。信じがたいほどの気安さがそこにはあった。

 いや待て、果たしてこれは本当に気安さのひと言で片付けていい問題なのだろうか? 受け取り方次第ではこれはただの理不尽な暴力沙汰で、互いの信頼関係にヒビが入りかねない致命的な……ま、いっか。

 悪意あっての事ではないのは言われずとも分かっている。気まぐれな猫にじゃれつかれたものと思って、ここはひとまず気を静めておく事として。

 

 ともあれなんにせよ。やっぱ頼み込む相手を間違えたよなぁと、今朝方の己の行動を悔いるより他無い。

 

一輪に声を掛けたのは失敗だったかな。少なくともちゃんと僧侶の格好してるぶんムラサより適任かと思ってたんだが……

 

「え、何々どういう意味? 説明して?」

 

「いや聞こえてんのかい。説明……まぁいいけどさ」

 

 求められては特に拒む理由もなく。慣れない組み方に悲鳴を上げつつあった脚を労わりながら、耳ざとくも小さくこぼした独り言を聞き逃さなかった一輪の要望に応えるべくして、彼女の方へと身体をクルリと振り向かせる。

 

 

 

 

 

 昨日の話である。いつものようにやって来た修行合間の空き時間、この間を今日は何をやって埋めてやろうかと自室で思案していたとき。

 ふと命蓮寺を初めて訪ねたあの日の事を思い出し、何故無茶を承知で身分を偽った上でここに一時留まる事を選択したのかを思い出し、さらに聖さんからのささやか過ぎる『お願い』の事を思い出し。そしてそれら全てを踏まえた上で、こう考えたのである。

 せっかく体験入信という体で潜り込んでいるのだから、洗濯だとか掃除だとかどこでも出来そうな雑事ではなく、ここでしか出来ないようなもっとちゃんとした、お寺らしい修行(イベント)を体験しておかないといけないのでは──と。

 さして仏教に関して造詣が深いわけでもないので、ぱっと思い付けたのが滝行と坐禅の二つのみ。とはいえ前者はそもそも近所に滝が無く実質的に一択状態。となると自分以外にも最低一人、誰か監督役として修行を手伝ってくれる人が欲しいよなぁと、そう考えたあとの俺の動きは速かった。

 ちょっとこれからお散歩でも……と何やらコソコソと寺を抜け出そうとしていたムラサを呼び止めて、そんなに暇してるなら是非とも直日(じきじつ)(警策を与える人のこと)を、と頼み込んだのだった。

 

 

 

 

 

「何というか聞いててあんまり話が入ってこないんだけど? 特に前半の部分」

 

「あー、そこは…………適当に聞き流してもらっていいところだから気にしない方向で頼む」

 

「ふぅん? で、結局村紗に声を掛けたあとはどうなったの?」

 

「……思えばあのときムラサのやつ、里の酒屋か血の池地獄かのどちらかに行こうとしてたんだな。ところがそれを阻まれてしまって、だからあんな見るからにご機嫌斜めな顔付きになっていた、と」

 

 その時の事はなんともツキが無かったというか、間が悪かったんだなぁとしか言いようがない。

 

 先日の封獣ぬえとの一件以降。理由は定かではないが一段と親身に接してくれるようになったから、この頼みもきっと快く引き受けてくれるはず……とか何とか考えて、安易に甘えてしまったのがきっといけなかったのだろう。

 

「つまりは、合法的に人をぶん殴れちゃうような口実を、この上無く気が立った状態のムラサには絶対に与えちゃいけないよねっていう教訓を得られたわけ。この身を犠牲にする事でな……」

 

「……? あっ、そういう事。災難だったわねー」

 

 肩を撫でながら自然とどこか遠くを虚ろに眺めてしまう俺に、一輪は少し遅れて同情の気配を見せる。

 が、すぐさまそれは疑問の様相に切り替わった。

 

「だったら、それでよく今日も坐禅しようって思えたわね? 痛かったんじゃないの?」

 

「当ったり前だろ好き放題バシバシやられてめっっっちゃ痛かったわ。……でもあの失敗は割と俺の人選ミスによるところが大きかったからね、だから今回こそはと期待してたんだけど。でもさっきの事を考えるにこれならまだ、駄目元でぬえを頼ったほうがマシだったかも分からんな?」

 

「……さ、休憩はこのくらいにしてそろそろ再開しましょ? お互いお昼まで予定ないのは判ってるわけだし、それまで時間たっぷりしばき──修行に付き合ってあげるから」

 

「ちょ、今の失言聞いて『じゃあまた続きの方お願いします』って俺が言うと思ったん? そんな事ある? まぁこっちも言い方にトゲがあって悪かったとは思うけどさぁ」

 

 言われるままに坐禅修行を再開した場合、昨日に引き続き蓄積されてきた肩へのダメージは果たして如何程のものとなってしまうのか。

 想像するだけで身体が震えてしまったので、無造作に両足を床に放り出す。

 自ら進んで痛い目遭いに行くなんてのは、大バカ者のする事だ。こんなん中止に決まってんだろ。

 

 そうやって固辞を表明すると流石に修行の継続不可を察したのだろう。一輪はやれやれしょうがないといった表情で、警策を手放し静かにその場で腰を下ろした。そこは丁度こちらから見て真正面にあたる位置であり、自然と俺は彼女と見つめ合う形になる。

 

 ………………。

 

 えっ、なに。ここは一旦解散する流れじゃないの? と突如訪れた暫しの静寂に戸惑う。

 

 すみっこに控えている雲山を含め一輪がこの禅堂にいるのは、ひとえに俺が彼女に修行を手伝ってくれないかと頼み込んでのこと。

 なのでそれが終わった現在、彼女がこの部屋にとどまり続ける理由は特に無いはずなのだが。

 

「どうした。生憎と叩かれるのは趣味じゃないからね、断言するけどそんなに見つめられても絶対に坐禅はやらないからな」

 

「や、それはもう満足したから別にいいし。そんな事よりも、お昼までの時間が結構余っちゃったじゃない? それまでちょっとお喋りでもと思って、ダメ?」

 

「お喋り? はあ、駄目ではないけど……」

 

 彼女の言っている事は、要は単なる暇つぶし目的のお誘いといったところだろう。

 実のところ、俺と一輪が聖さんから仰せつかった本日の“修行”は午後からの人間の里への買い出しだった。ならばその時刻になるまでちょっと坐禅でもと思い立ち(『えっじゃあ私もう一回()りたい!』と目を輝かせるムラサを何とか宥めて)、一輪にお越しいただいた──というのが今日これまでの流れなわけで。

 その坐禅がこうして急遽中止されてしまった以上、代わりに雑談でもして時間をつぶそうじゃないかと、彼女はそう言っているわけだ。

 

 まあ、悪くない提案だと思う。

 

 しかしここで問題になってくるのは、普段はそうでもないのにいざこういうフリートークを意識する場面になると途端、目ぼしい話題がなかなか頭に思い浮かんでこなくなるという悲しい現実。

 

「とはいえそうだな。何を話したもんか」

 

「別に何でもいいんじゃない? なんならこっちから話を振るわよ? 言い出したのは私なんだし」

 

「お、ほんと? じゃあお願いするわ」

 

 まるでこの時を待ち望んでいたかのように。自ら発案しただけあって、申し出るその声の調子は何とも力強かった。

 相変わらずいい塩梅な話題は何一つ思い付かないしここはもういっそのこと、全部彼女に丸投げしてしまう事にしよう。

 となればこれよりは、これといったテーマもオチも何も無い只の雑談タイムである。どのような内容であれそこそこに掘り下げて、そこそこに盛り上がらせて見せようではないか。

 そんな風に考えて、すっかり身体の緊張を解きリラックスしていると。

 

 

 

 

 

 

「うーんと、そうね……じゃあ、ここ数日の間ずっと感じてた疑問なんだけど。()()()()()()()()()()()()()()()()()()のはどうして?」

 

 

 

 

 

 

 淡々としたその声音から、あまりにもクリティカルすぎる質問を急に投げかけられて、ちょっぴり心臓が跳ね上がった。

 心のうちから一斉に後ろめたい気持ちが湧き出てくるその一方、ほとんど条件反射で素知らぬ顔を装う。

 

「お、おー、星って寅丸さんのこと? いやあ? 無視だなんてそんな酷い事した覚えは無いけどね」

 

「へー、否定するんだ? だったら私の記憶違いかしら。それとも、あんたにとってああいう対応の仕方は無視のうちに入らないってこと?」

 

「……一応聞くけど。ああいう対応の仕方、とは?」

 

 記憶違いというワードを口にしながらも、一輪からは自信の無さだとかそういったものに類似するような様子は微塵も見受けられない。

 どうしようもない詰みの気配を感じ取りつつ、それでもまだ知らぬ存ぜぬを突き通せるかもという淡い希望を胸に秘め、念の為に聞き返してみる、が。

 

「本当に、覚えは、ないのね?」

 

 正面には物凄いデジャヴを感じさせる、見惚れそうなほどの“いい笑顔”。これがどんな意味合いを持っているのかはとっくに学習済みであったので、容易に察しがついてしまった。

 事ここに至っては素直に事実を認め白状する、どうやら今の自分にはそれ以外の選択肢などひと欠片も残されていないらしい、と。

 

──聖さんに詰められた時もそうだったが、我ながら何とも諦めが早いな?

 

「ゴメンやっぱ思い出した。確かに俺、無視と思われかねない素っ気ない対応を寅丸さんにやっちゃってたかもだわ……」

 

 整ったその面差しにこれ以上の青筋を立てさせるのも忍びなく、降参の白旗代わりにさっくり認める。

 

 命蓮寺体験入信の初日から一貫して、俺は寅丸さんとだけは出来るだけ距離を置き、なるべく関わり合いにならないようにしていたというその事実を。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

 何かしらの意図があってのことか、それとも単なる親切心や好奇心からか。

 体験入信してる身の上としてなかなかに新鮮な毎日を過ごす只中。実際、俺はしょっちゅう寅丸さんから声を掛けられていた。

 お勤めの前後や食事時、修行合間の休憩中、たまに廊下ですれ違うときなどそのタイミングは様々で、その内容も多くは特に言うことのない無難な日常会話ばかりであったわけなのだが。

 

 どうにも避けてしまうというか。例えば「もしこの後お暇でしたらご一緒に如何ですか」と写経を勧められたり、「先ほど、茶菓子を奉納品としていただいておりましてよろしければ」とお茶に誘われたりしても、一回も首を縦に振ることがなかったというか。

 

「いえ、これから響子ちゃんと掃き掃除しに行くとこなんで〜」とか、「またぞろ墓荒らしが出没してないか心配なので見回りを〜」とか、「響子ちゃん一人で洗濯は大変そうだしちょっと手伝いに〜」とか、「今日あんまりお腹の調子良くなくって〜」とか、「そろそろ響子ちゃんが山に帰る時間なのでそのお見送りを〜」とか。

 

 思い返せば、今までにそれはもういろんな理由をつけて彼女からのお誘いを拒否し続けていた。

 そういったやり取りを知らぬ間に傍から目撃していたらしい一輪が、俺が寅丸さんの事を無視しているものと捉えたのは、至極ごもっともな話だった。

 密かに自らに課していた『御本尊様とのコミュニケーションを極力控える』というタスクを達成させるにしても、もう少し露骨さを抑えたやり方を実行するべきであったかとひっそり内省する。

 これ第三者視点からだと、付き合いも愛想も悪いただひたすらに嫌な奴じゃねーかコイツ()。こんなヤツ相手に寅丸さんはよく構い続けられたもんだわ。

 

 

 

 

 

 ••••••

 

 

 

 

 

「あと、事あるごとにあんたの口から響子の名前が聞こえてきた気がするけれど、それはなんでよ」

 

「なんでってそりゃ……実際でまかせ言って断った後はその通りに動かなきゃいけないわけで。だったらせめて、気分の良くなるような事をしたくなるのが人心ってもんだろ?

 で、最近あの子と接してて気付いたんだよね。ああいう『無邪気で元気な子ども』の世話をする事って滅茶苦茶心が洗われる事なんだなって」

 

 だから、響子ちゃんの名が挙がりやすかったんじゃないか? と回答を締め括る。

 無論、用心の為「ちなみに『無邪気』ってのは見た目とかじゃなく内面性の事だからね?」と添えておく事も忘れない。

 

 境内に木霊するほどの快活で気持ちの良い朝一番の挨拶であったり、お手伝いを提案した際の弾けるような笑顔であったり。

 幽谷響子という少女が時折見せてくれるそれらの価値は、まさしくプライスレスと評されて然るべきもので。その愛らしさ故にたいそう庇護欲の掻き立てられて仕方がなく、ついつい本能的に世話を焼きたくなってしまう。詰まるところ、

 

「フッ……差し詰め、“父性の目覚め”といったところかな……?」

 

「は? キモ」

 

「わーお、辛辣ぅ。いやそりゃ正直そう言われるかもとは思ったけどさ、一応こっちにもそれなりの事情があっての率直な……いや言っても仕方ねぇかこれ

 

 直截的すぎたその感想に物言いをつけようとして、やっぱりやめた。

 

 要は『自分もあんな感じの“受けの良い”子どもであったのなら』という、不意に垂れ込めた後悔と、ごく僅かな嫉妬、そして純粋な羨望とが入り混じって発露した、ネガティブともポジティブともつかぬ曖昧模糊とした心情に由来するものであるわけだし。

 仮にその事を赤裸々に伝えたとて、一輪も反応に困るだけだろう。

 

 虚しい自己開示をしたところで何も意味が無い。ここは一旦、整理も兼ねて話を戻すべきか。

 

「ともかく。言い訳にしか聞こえないかもだが、そもそもの話どうして俺が寅丸さんの事をその、無視、的な? よそよそしい態度でもって接しているのかと言うとだな?」

 

 そのきっかけがいつから始まったものなのかと問われたら、最初っからとしか答えようがない。

 逆に初手で“あのような思い違い”をしてさえいなければ、必然的に今この場で一輪から問い詰められる事もなかっただろう。

 

「簡単に言えば、寅丸さんの肩書きを事前に知らされていなかったからなんだよね。初対面のときに」

 

「……はい?」

 

「順を追って話すと、まず──

 

 

 

 

 

 

 

 

 寅丸さん──即ちここ命蓮寺の祀る御本尊そのものであり、また七福神のうちの一神であるとか昔の偉人やら武将やらがこぞって信仰していただとかで何かと有名な毘沙門天、その代理を務める者として正式に認定されているらしい“寅丸(とらまる) (しょう)”という少女。

 

 彼女と初めて知り合ったのは、一週間ほど前の事。

 

『あの〜聖さん? さっき部屋の隅でこんなのを見つけたので確認してもらってもいいですか? 見た感じかなり高価そうな物ですし、放っておくのはどうにも』

『えっちょっと! それ、私の……ぁ』

 

 そそっかしく、人見知りの傾向が強い。それがひと目見て抱いた彼女に対する第一印象だった。

 

 何処となく落ち着きのない振る舞い。伏し目がちで自信のなさそうな受け答え。

 初見でそれらを目の当たりにしては、そんなややマイナスめいた第一印象を受けてしまった事はもはや不可抗力であったと断言しても良いだろう。

 故に、寅丸星という人物に対して『内気で人見知りする性格かぁ、じゃあ普段よりも輪をかけて丁寧かつ親身な接し方を意識しないとなぁ』とそのときの俺が判断し、なるべくフランクな応対を心掛けるようにした事は当然の成り行きだった。

 つまりはこれもまた避けようのない事態、不可抗力であったと言える。

 

『わ、私は寅丸星です! よろしくお願いします!』

 

 更には、とっても元気で簡潔だった自己紹介。その中に彼女自身の肩書きや立場についての情報は“一切合切”含まれていなかった。

 だから、それまでに顔合わせしていた面々を踏まえ改めて命蓮寺という組織の事を頭の中で諸々整理した際に、すっかり思い違いをしてしまったのだ。

 虎柄の髪色が特徴的なこの女の子は、寺での立ち位置としては先に出会った山彦少女や鵺を自称する少女とさして変わらないものであって、少なくとも視界の端に控えている聖白蓮その人こそが、彼女達の中で最も高い位に就いている人物に違いないのだと。

 常識的に考えて、お寺という枠組みの中で『住職』という肩書き以上の役職を持つ者など存在するわけがないのだと。

 

 そう思って気楽に話していたのだが。ところがどっこい互いに自己紹介を終え、少しの間談笑する段になってから発覚する、驚愕の真実。

 

 毘沙門天(ビッグネーム)を耳にして、驚きを隠せない俺の反応に謙遜してだろうか。「いいえ、私はあくまでも代理に過ぎませんから…」と彼女は困ったように笑っていたが、しかし実際に人々や妖怪達から信仰されており、かつ偶然やこじつけの類いでなく本当に現世利益があるというのだから、それってもう代理がどうとか関係なくね? 由緒正しい神様と何も違いなくね? と個人的には思うのだ。

 つまり寅丸さんと初めて顔合わせしたそのときの状況は、言うなれば『教会の告解室に入ったら仕切りの向こうでキ◯ストがスタンバッてました』レベルの、超絶にぶっ飛んだお話であったわけだ。いやマジで奇怪極まってる。

 

 今にして振り返ると、寅丸さんの正体についてというか肩書きに関しては、洞察出来るヒントがまったくなかったわけでもなかった。

 宝塔と呼称されるらしいアイテムを指して自分のものであると主張した。たったそれだけでも『もしやかなり格の高い人物なのかも?』と推し量る事は十分に可能であった筈なのだ。

 

 あくまで一個人の経験を基にした拙い見解ではあるが、あれほどの超常的パワーを秘めたアイテムは、いくら世界広しといえども滅多にお目にかかれるものではない。

 高校時代、とある後輩との付き合いの中で入手していた複数のパワーストーン。それら全てを束ねてやっと互角かどうかといった具合のふんだんなエネルギーが、あれには宿っていた。

 それまでの、素人目にも明らかな逸品。しかしてその所有権は寺で一番偉い立場にある筈の住職にではなく、寅丸星にあるのだという。

 だから実を言えば、彼女に宝塔を手渡す際は『えっ本当に君の物なの?』と失礼ながら疑っていたりもしていたのだ。

 

 その疑いは、所謂“信仰される者”としての彼女の振る舞い方を知る今となっては、完全なる誤りであったと認めざるを得ない。

 認めざるを得ない、のだが。反面、やはり内心ではぼやかずにはいられない。

 初めて会った時の気弱そうな彼女と今の彼女。本当に同一人物なのかと疑っちゃう程度には、まるでキャラが違って見えるのよなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは一体どういう事なのか。これ以上は口頭で説明するよりも直接見てもらった方が理解しやすかろうという配慮のもと、一輪・雲山ペアを伴って禅堂から別のところへと移動する。

 

 めざす場所は本堂、の手前の廊下。時間帯を考慮するに取り込み中である可能性が高いので、流石に内部にまで立ち入るつもりはなかった。

 入り口辺りに差し掛かったところで息を潜め、屋内の様子を窺うべくそこの襖を薄〜く開け、皆して身体を寄せ合いながらコソコソと覗き込む。そうすると、

 

……どうやら俺達が禅堂であれこれしているうちに、今日も今日とてぽつぽつと人里からの来客があったらしく。片目で覗く縦の一筋から、何名かの参拝者の後ろ姿が確認できた。

 そして、彼らの前には紫と金のグラデーションをふわりと揺らし、物腰柔らかに何事かを説く住職の姿がある。きっと得意の説法なり法話なりを語り聞かせているのであろう。

 語り方が巧みなのかそれとも余程その内容が有り難いものなのか、或いはその両方という線も十分に考えられる。相対する里人たちは随分と熱心に聞き入っている様子だった。

 

 ここ迄は、ここ数日ですっかり見慣れたいつも通りの光景。しかし問題は、聖さん達のいる場所から更なる奥へと視線を向かわせたところの──

 

 

 

 動かざる山の如く屹立する、“無”の表情をした少女のその威容。

 

 金と黒が入り混じったショートヘアに花っぽいデザインの施された髪飾り。赤を基調とした仕立ての良い衣装の上に虎柄の腰巻きを身に付けていて、物々しくも長柄の鉾を片手に携えている。

 もう一方の手には宝塔があって、そこから滾滾(こんこん)と湧き出る煌めきには、遠目にも確かな目視が叶うほどの神々しさが認められた。

 

 

 

 毘沙門天の名を掲げるに相応しい威厳溢れるその立ち姿に、知らず息を呑む。

 柔和な印象の聖さんとの対比もあってか。全てを威圧するかのような、何という重厚感。覗き見るこちらの身体が無意識に強張ってしまいそうだった。

 

 “御本尊様”と、里の人達は口々に寅丸さんの事を指してそう呼んでいるらしい。

 それを初めて知った時は『なんだかちょっと仰々しすぎる気が…』と違和感があったのだが。

 この光景を見れば、なるほどなぁと思う。確かに彼女は“御本尊様”だった。

 紛う事なき神様だった。畏れ敬うべき存在だった。

 

 ところで話は変わらないのだが。どうやら最近の命蓮寺には、そんな崇め奉るべき御本尊様に対して「寅丸さん」だの何だのとひどく馴れ馴れしい呼び方をする、信仰のしの字も無い輩の姿が度々目撃されているらしい。

 オイオイオイ、随分と無礼なヤツがいたものだ。一体どんな間抜けヅラ晒していやがるのか是非ともお目見えしたいもんだぜ。

 

 無いわ〜、マジ空気読めてないわ〜。

 

 だって、他の参拝者全員が“御本尊様”と恭しく言うなか、一人だけ“寅丸さん”つってんだよ?

 寅丸さん『あれ? この人だけなんかおかしいな』って言葉にはしないけど薄々思ってるよ確実に。

 絶対に周囲から浮きまくってるじゃん。絶対に悪目立ちしちゃってるじゃん。絶対に変なモノを見る目が突き刺さってくる訳じゃん。絶対に嫌なんだが?

 

──あぁチクショウ、なんてやらかしだ。

 

 何で初めましての時だけあんなラフな格好だったんだ、何であの時だけ引っ込み思案風な雰囲気を醸し出していたんだ。

 

 あんまり偉そうに見えない装い & 極度に緊張しているようだからと気を遣ったつもり のダブルコンボで、ともすれば自分なんかが及びもつかない上位存在を相手にタメ口を叩いていたかもと思うと、末恐ろしい。

 

 な〜にが『フランクな応対を心掛ける(キリッ)』だよ、自らが信仰する(という事になっている)神様仏様に対してそんな舐めたスタンスでかかる人間なんて、普通どう考えても居るわけねーのになぁ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もちろん寅丸さんの肩書きを事前に把握していたのなら、こんな事にはならなかったと思う。下手に気安くしようとはせず、信心深い感じの畏まった態度を取れた筈なんだよ……」

 

 拾った宝塔を手渡す際は片膝を床につけてただろうし、呼び方ももう少し(へりくだ)ったものに出来ただろう。

 

 とはいえ今更しれっと“御本尊様”呼びに切り替えるのも難しい。それをやって本人からもし『どうして急に呼び方変えたんですか?』とでも万が一訊かれようものなら、果たしてどんな顔をして先の内容を説明すれば良いのやら皆目見当も……

 

「あれ、一輪? 聞いてる?」

 

 何故、俺は体験入信初日から寅丸さんの事を避け続けているのか。その理由を長々と述べてきた訳であるが、思えば少し前から一輪からの反応がない。

 どうしたんだろと怪訝に思い、本堂の最奥へと向けていた視線を真下に向けてみる。

 

 案の定、しゃがみ込んだ彼女の紺色のフードとそこから飛び出す空の髪色ぐらいしか視界情報として頭に入ってこない訳なのだが。

 その代わりに声は聞こえてくる。この上なく呆れ果てたような調子のものが。

 

「……つまりは何? あんたが星の事をずっと避け続けていたのは、“御本尊様”っていう肩書きに畏縮してたからってことなの? それが理由?」

 

「あー、そ、そうだね。要約すると大体そんな感じ? 何というか、思ってた以上に相手が目上の人すぎてビビり散らかしちゃってね……」

 

「……ちょっと引くわー。理由がというよりも、その物の捉え方自体があまりにも仕様もなさすぎて……」

 

「いやしょうもなさすぎって、お前な……」

 

 散々な言われようだった。だがその点について本音を言えば、自分でも強く不甲斐なさを感じていたところなので、全く否定できない。むしろ一緒に同意できちゃうまであった。

 

「……でもそうね、さっきの言葉の裏を返せば。毘沙門天の代理を務めているって事実を知るまでは、仲良くしようとはしていたのね」

 

「うん? ああ、まぁね。体感何十秒もしないくらいの短い間だけだったけどな」

 

「他のみんなとの関係は良好。いつの間にかあのぬえとも上手い事やってるみたいだし、となると単純にきっかけの有無が問題なのかしら? 例えばちょっとした後押しがあったとして……」

 

「え、急に何の……あっなるほど独り言ね? てっきり俺は会話してるつもりで……そ、そっか、 おっけーぃ……」

 

 何やらぶつぶつ言いながら物思いに耽り出していた一輪。

 変わらずこちらに視線を寄越さぬままなので、いつ始まったのか全然気付かなかった。

 普通に返事しちゃっててだいぶ恥ずかしい。

 

……まあ、とりあえず寅丸さんに関する一輪からの質問には回答し終えたので、一旦この場から離れたいところだった。このまま本堂の出入り口付近に居ては、通行の妨げになるだろうし。

 

 しかし深く考え込んでいる最中の彼女はテコでも動かなさそうだ。

 

 

 

 さてどうしたものかなと思考を巡らそうとしたその途端、一輪は勢いよく顔を上げる。

 間近に目に映ったその表情が、やたら生き生きとしているように見受けられるのは気のせいか。

 

「藤宮さんって確か()()に来てまだ日が浅いって話だったと思うんだけど、そろそろ一人でも里まで買い出しに行けるようになってたりするのかしら?」

 

「? おう行けるぞ、何度かムラサにパシられたお陰もあってな。つってもまだ品揃えの良い店を何軒か把握できたかなって程度なんだが……」

 

「ふんふん、迷子にならないだけでも十分よ。安心したわ、付き添いとして私が同行してあげなくても問題無さそうで」

 

 急激すぎる話題転換に戸惑いつつ彼女の言葉を素直に拾っていくと、ふと気付くものがある。

 

「……つまり午後からの買い出しは俺一人で行ってこいって? 一輪はサボりか」

 

「なによ人聞きの悪い……でも言われてみると確かに、結果的にはそうなっちゃうわね? 私自身は行かない事になるわけだし。ともあれ、どのみちあんたは時間通り表門に集合なんだけどね?」

 

 こちらのチクリとした言葉を割とあっさり肯定した眼下の少女は、続けて何やらおかしな事を付け加えるようにして言ってくる。

 あまりの不可解さに、クエスチョンマークが頭の中で瞬く間に増殖していった。

 

 他に聖さんからその“修行”を任された者がいるわけでもなし、この子は一体何を言っているんだろう?

 

「待て待て、そっちは買い出しには行かないんだろ? それでどうやって『集合』しろと……一人じゃどうあがいても不可能なやつだよそれは」

 

 いやもしかして、自分の代わりに雲山を寄越してやろうとかそういった段取りにするつもりだったり?

 

 言い終わりにそんな考えに辿り着き、自然と顔は真上を向く。そのままモクモクと浮遊する彫り深い雲を眺めていると、どうやらその様子から一輪は俺が何を考えているのかおおかた察したようで。

 

「ちなみに勘違いしてそうだから言っておくけど、私が代わりを頼む相手は雲山ではないからね」

 

「そうなのか? じゃあ教えて欲しいんだけど、俺が待ち合わせる相手は誰に「別に誰でもいいでしょ、行けば判るわよ」……お、おう。そりゃそうだが」

 

 だったら今伝えてくれても全然いい筈では……?

 

 やや食い気味な返しに戸惑っていると、「じゃあそういう事でよろしくね」と短く告げ、一輪は共に覗き込んでいた襖から身体を離す。その際に、

 

──ほんとしゃんとしなさいよ? これでも藤宮さんには結構期待してるんだから。

 

 自分の耳元で、そんな囁きが聞こえてきた。そしてこちらの返事を待つ事なく少女は足早に立ち去っていく。少し遅れて雲山も追従して行ってしまった。

 

……期待? 一輪が俺に? 何について?

 

 不意に襲ってきた耳のこそばゆさに気を取られていた所為もあって、その場に一人残された俺は彼女達を呼び止める事が出来なかった。

 先の言葉の真意を聞きたかったところなのだが、どうやら機を逸したようだ。仕方ない。

 

 兎も角今は気を取り直して、この後の買い出しに向けていろいろと準備を整えないと──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 表門にて少々の待ちぼうけをしていると足音が聞こえてきて、その方向に目をやって、愕然とした。

 

──いやぁ一輪、マジか? さっきまでの会話を一緒にやってて何でそんな無茶振りを……鬼かな?

 

 引き攣ってしまいそうになる表情筋に、しかし何とか頑張って喝を入れる。要は俺が勝手に勘違いして勝手に気後れしている、たったそれだけの話なのだ。

 “彼女”には、何の過失も存在しない。

 誤解の誘因となった初対面時に見せていたおどおどとした様子も、きっと見間違いか何かだったんだろう。

 

 その証拠に、こちらへと歩み寄ってくるその鷹揚な所作や荘厳な装いには、随分と“御本尊様”らしさが溢れている。

 今からちょっと近場で買い物するだけの筈なのにそんな格好をしているという事は、やはりあれこそが“彼女”のデフォルト状態。気弱そうな印象を受けたあの時の事は、最早存在しなかったものとして扱った方が良いのかもしれない。

 

 

「遅れました。長らくお待たせさせてしまったようで申し訳ありません、身支度に少々手間取りまして」

 

 

 “彼女”──寅丸星は凛と澄んだ表情でこちらに謝意を示してくる。が、とんでもない。

 恐らくは一輪の急な思い付きなのであろうそれに、きちんと対応してくれている。その事実を思うだけで逆にこっちが申し訳無くなるくらいだった。

 

「いやいや自分も丁度準備し終えたばかりで全然待ってないです……それより、いいんですか? 買い出しって正直雑用みたいなもので、わざわざ御本尊様自らが出向く程の重大な用事って訳でもないような」

 

「そのような事はありませんよ? 受け売りですが、『身の回りの事をするのも大切な修行の一つ』とも言いますし。それに──」

 

 そこで一旦言葉を区切り、彼女は俺を真っ直ぐに見つめる。

 

「実のところ初めてお会いしたその時から、貴方とは一度十分な時間を取ってお話してみたいと思っておりまして。それ以降何度かお声がけさせていただいたのですが、どうにも毎度折悪く……」

 

 なかなかお忙しくしていらっしゃったようですね? と、ふふふと微笑みながら言われ。

 俺の視線はつつつと寅丸さんから逸れていく。

 

 皮肉? 俺は今、皮肉を言われているのか…? それとも何の含みも無い事実に対して、過剰に反応しちゃってるだけ?

 分からない、寅丸さんの性格がさっぱり分からない。これが聖さんや響子ちゃんであれば後者、ぬえであれば前者と確信が持てるのだが……

 

 これは、眼前の彼女を避けて生活し続けてきたその代償か。しかしそう捉えると不平不満の一つも言えやしない。詰まるところ、単なる自業自得に過ぎないのだから。

 

「で、では行きましょうか、寅丸さん」

 

「はぁ〜、やっと、やっとお話ができる……ええ、よろしくお願いしますね。藤宮さん」

 

 まさかの待ち合わせ相手にずっと怯んでいても仕方がない。ひとまずは、己が身に課された“修行”達成を第一に考えて行動するべきだろう。

 その他諸々の心配事に関しては……まあ追々、追々ね……うん。あれ、ついこの前もこんな感じで問題を先送りにしていたような…? 気の所為かな…?

 

 そんな事をつらつらと考えている俺と、何やら疲労感を滲ませながらも満足げに頷いている寅丸さん。ふたり並んで、人間の里目指して歩を進めていく。

 






 中途半端感あるかもしれませんが、ここらで一旦ひと区切り 次回『妖怪寺体験入信日記その陸』、どうか首を長くしてお待ちいただけますと幸いです


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。