曲がらぬ夢と曲がれぬカーブ (月兎耳のべる)
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第1レース 深夜に現れる首の無いウマ娘

ウマ娘×ハリボテエレジー小説書きてぇ…ってなったけど
スタートダッシュで出遅れて6番煎じくらいになったうすうすハリボテ小説です~。

基本アニメ設定で書いていきますが、時々独自解釈も入ります~。
ご了承ください~。


 ――続く7番ゲートは『ゆーえむえー』! 茶色の肌に四足歩行! 巨大な犬のようなオリジナルの怪物姿で出走です! こちらジェシー兄妹が一週間費やした手作り仮装! 出走者も同じく二人三脚です!

 『二人ではしれば、ウマむすめよりもはやい!』と力いっぱいのコメントを頂いてます!

 

 そして8番ゲートは皆さんご存知、メジロティターンさん! 秋の天皇賞を制覇した現役ウマ娘です! 今回○△小学校の運動会に特別に参加して頂いております! 小学生の皆さん、頑張って挑んでみてください!

 

 さぁ◇△小学校春の運動会、400m走! 各選手一斉に……スタートを切りました!

 

 まず先頭を駆けだしたのは『ゆーえむえー』!

 速い、速いです! 小学生とは思えない健脚! ジェシー兄妹のぴったりと息のあった足運び、これはコメントに偽りなしでしょうか!?

 『ゆーえむえー』、様々な姿に扮した小学生達をごぼう抜き! なんとメジロティターンさんすらも抜いて先頭をひた走ります! 

 

 あっという間に第一コーナーにさしかかりました! いまだ先頭は『ゆーえむえー』、視界も限られる仮装の中で一糸乱れぬ見事な動きで最後までいけるのか――っと、挙動が怪しいぞ! ダンボールの体が、体がねじれっ……千切れてしまったぁ! 『ゆーえむえー』転倒! 大きくもんどりうちましたがジェシー兄妹大丈夫でしょうか!? 

 

 ………………

 …………

 ……

 

 ◇△小学校春の運動会! 1位は『ニイガタテイオー』の●●君! 2位は『ウイスキーピーク』の△△君! 3位は『ミギワホーム』の××ちゃんでした!

 

 序盤で転倒してしまった『ゆーえむえー』のジェシー兄妹は惜しくも最下位でしたが、最後はメジロティターンさんに肩を借りながらも一緒にゴールをする事が出来ました! 皆さん、盛大な拍手をお願いします!

 

『惜しかった……惜しかったね。でも最後まで頑張れたね、二人ともすっごく偉かったよ』

 

『っ……うっ、う゛んっ』

『……ぐすっ……ぅうーっ』

 

『お姉さん二人の速さにびっくりしちゃった。このまま負けちゃうかと思っちゃったよ』

 

『……けないもん』

 

『?』

 

『次は……ぐすっ、次はぜったいに、お姉さんよりも、ウマむすめよりも……だれよりも、だれよりもはやく走ってみせるもん!』

 

『! ……そっか。それならまた一杯練習しないとね』

 

『……うんっ……!』

『れんしゅうするもんっ…! お兄ちゃんと、いっしょに……!』

 

『今度は転ばないように頑張れる?』

 

『できる……!』

『できるもん……っ!』

 

『うん! ならお姉ちゃん、二人のこと待ってるからね。今度は一緒に勝負しよう……私も負けないからね!』

 

『『……うんっ!!』』

 

『おにいちゃん、ぜったいに、次はぜったいに負けないようにしよ!』

『あぁ、こんどはぜったいに、まけない! ふたりで、勝つんだ!』

 

 

 

 § § §

 

 

 

「ウマ娘のお化けがいる!?」

「そーなんですヨ!」

 

 幽霊は怖くないけど殺人鬼とかはちょっと怖い、『怪鳥』の異名を持つ実力派ウマ娘、エルコンドルパサーの声が大きく響いた。

 

 トレセン学園*1、その育ちざかりのウマ娘の食を一身に担う巨大食堂。一画を囲うスペシャルウィーク、サイレンススズカ、グラスワンダーは彼女の話に驚きを隠せなかった。

 

「エル。そんなの居るわけがないでしょう」

「グラス~、ところがどっこいなんですヨ! 出所は分からないんですが、最近至る所でこの話題で持ち切りなんですヨ? ワタシとしては興味津々で仕方ないデース!」

 

 大盛り鶏唐揚げ定食に持参したデスソースを満遍なくぶちまけながらエルは吠え、グラスは自分の焼き鮭セットにかからないように退避する。手慣れた動きであった。

 

「で、ででで、でもでもゆ、幽霊なんて……ねぇスズカさん! そんなの居ないですよね!?」

「……うーん」

 

 チョモランマもかくやと言わんばかりのご飯の山+超盛り人参ハンバーグを食すスペシャルウィークは(おび)えに怯え、対照的に普通盛りのオムライスセットをつつくサイレンススズカは少しぽかんとした間抜け顔。幽霊とは会った事がないので、あまりイメージが()かないようだった。

 

「スペちゃん……それはあるウマ娘が夜遅くまで練習をしていた時の事なんですヨ……!」

「ひぃっ!?」

 

 スペの反応に気分を良くしたエルコンドルパサーが朗々と語り出す。

 

「負けられないレースが迫る中、ついつい熱が入ってしまい、気が付けば草木も眠る午前二時……! 流石に早く帰らないと、と思ったその時……! 誰も居ない筈のグラウンドで誰かが走る音がするんデース……!」

 

「そして怪しがって見に行ってしまったのが運のツキ……! なんと、真っ暗闇なグラウンドに首のないウマ娘が黙々と走っているではないデスか……!」

 

「あまりの恐怖に動けず、早く逃げないとと思うその娘……しかし! うっかりと物音を立ててしまって幽霊に気付かれしまうんデース……! アススタード!*2

 

 脅かす気満々でおどろおどろしく語り続けるエル。

 スペは既に隣の座っていたスズカに無意識に体を寄せており、スズカはと言えば黙々と頷きながらスプーンを口に運んでいた。

 

「そしてその首のない幽霊はしわがれた声で言うんデース……『勝負シロ~~……勝負シロ~~……!』 徐々に近づいて来る幽霊にその娘は動くことが出来ず、強制的に勝負を挑まれてしまいマース……!」

 

 熱演に力が(こも)る。グラスワンダーが眉を(しか)めながら食事に興じる中、エルは最も怖がるスペシャルウィークに的を絞り、詰め寄るようにして語り掛けていた。

 

「どうやら種目は必ず短距離1000mレース。その幽霊は実力はそんなになくて、普通に追い抜けるみたいデスが……もしも、もしも幽霊に負けてしまうと――」

「ま、負けて……しまうと?」

――その首を取られてしまうそうデースッ!!

「ひゃあぁぁっ!!!?」

 

 急に立ち上がったエルの勢いに圧倒され、自然と前のめりになっていたスペはけたたましい悲鳴と共に椅子ごとひっくり返ってしまう。そして食堂中の注目を浴びた結果、エルはグラスに『すぺんっ』といい音で頭を叩かれ、食堂の皆にも頭を下げる事になったのだった。

 

「エル。スペちゃんにも謝りなさい」

「ごめんなさいデース……」

 

「よしよし、スペちゃんよしよし」

「うぅぅぅ……ひ、酷いですよエルさん……!」

 

 頭を押さえながら謝るエルに、スズカに(なぐさ)められているスペは恨み節を零す。

 ただでさえ普段はトレーニングの事、レースの事、学業の事(そして体重の事!)を気にかけている悩み多き乙女であるのに、加えて幽霊の事まで気にしないといけないなんて溜まった物ではない! そんな抗議の視線に流石に申し訳なく思ったのか、エルは継ぎ足すように語り出した。

 

「でも実際の所、この話は根も葉もない噂でしかないデース。首を取られたウマ娘なんて居ませんし、第一スペちゃんならきっと勝てると思ってマスから!」

「エルの言う通りよスペちゃん。本当の話なら事件になってもおかしくないし、そもそもの話、勝負を仕掛けられても逃げればいいだけよ」

「エルちゃん、グラスちゃん……ほ、本当の本当に大丈夫なんですか?」

 

 未だ信じ切られてないスペ。ちらりと縋り付いたままのスズカに目を寄せれば彼女は微笑みと共に「スペちゃんなら大丈夫よ」と頷く。

 

「だってスペちゃん、夜更かし出来ないでしょ? そもそも幽霊さんに出会えないと思うわ」

「す、スズカさんっ!?」

 

 食卓に笑いが起こり、いじけるスペに全員がおかずを提供して機嫌を取るという一幕があった中、サイレンススズカだけは、その場限りの噂話を思案し続けていた。

 

(幽霊さん……どんなウマ娘なのかしら。首がないと凄く走り辛そうだけど……)

 

 そんなスズカ特有とも言える何処かしらズレた懸念は、しばらく彼女の心の一部を占める事となるのだった。

 

 

 

  § § §

 

 

 

「――ふっ……はっ……ふっ……はっ」

 

 静寂の(とばり)が落ちたとある夜更けの事。サイレンススズカはたった一人で深夜の走り込みをしていた。

 それも次なる目標であるG1レース、宝塚記念に向けてのトレーニングではなく、ただの気分転換が目的だった。

 

 スズカは走る事が大好きだ。

 

 誰かと競い合う事を抜きにしても、両足で地面を蹴り、風そのものになって、窮屈じゃない空間、広がる景色を一人占めする。それが何よりも好きで、そんな光景を見せてくれる『走る』という動作は彼女にとって全てだと言っても過言ではなかった。

 気分が高揚すれば走りたくなるし、不安な気持ちであっても走りたくなる。

 どんな時でも『とりあえずは走りたい』という気持ちが抑えられないスズカは、本当はいけない事だと知りつつも、寮の皆が寝静まったのを見計らってちょくちょく走り込みに出ていた。

 

「ふぅ……ちょっと、遅くなっちゃったかな」

 

 季節は4月。満開に咲いた桜の道を美しい夜空と共に堪能してすっかり気分が乗った彼女は、自分が相当遅くまで走っていた事に今更気が付いた。

 近くにあった時計台はとうに日付をまたぎ、間もなく2時を回ることを示している。

 

 早く寮に戻られねば。そう考えて(きびす)を返そうとするスズカだがその時。ふいに以前の話を思い出した。

 

『ターフ*3を走るウマ娘の幽霊』

 

 ――曰く、レース中に転倒し、首を切断する大事故で亡くなったウマ娘の霊。

 ――曰く、まだ自分が生きてると勘違いしてターフを走り続けている。

 ――曰く、自分の首の代わりを探して彷徨(さまよ)い、勝負を仕掛けてくるウマ娘。

 

 まことしやかに(ささ)かれるその噂話はスペ達だけでなく、クラスメイトも、そしてチームスピカ*4の一部面々も知っていた事からどうやら学園に相当広がっているらしい。

 知っている娘達の反応と言えば「怖がる」「面白がる」「一蹴する」の三極に分かれるのだが、かく言うスズカはそのどれとも異なる反応を見せていた。

 

(ちょっと怖いけど……もし本当に居るなら話しかけてみたいかも)

 

 何せ彼女は一人で走るのが大好きな孤高の先頭民族*5である。

 ひとたび『自分と同じ、夜中に一人で走るのが大好きなウマ娘』というイメージを思い描いてしまえば、きっと共感多き同志であると言う身勝手な想像を抱いていた。

 加えて、スズカは皆が恐怖の(とりこ)になる『幽霊』という単語には何一つピンと来てなかったため、興味しか浮かびようがなかった。

 

(首がないと景色が見れないから走り辛そう……どういう風に走ってるのかしら?)

 

 気付けば彼女の足は学園に向かいつつあった。

 寮を通り過ぎ、気配の絶えた通学路を往き、硬く閉じられた門をぴょいと飛び越えた時には、もう彼女の足取りは迷いもなくなっていた。

 普段は喧噪でごった返す学園が静寂で満ち満ちている光景が予想外に面白く、少し鼻息荒く進んで行けば……程なくして行き慣れたグラウンドへと辿り着いていた。

 

「わぁ」

 

 スズカは昼とは全く違う様相を見せる馬場*6に興奮を隠せなかった。

 夜間練習の時にはしっかりとライトで照らされたグラウンドはその全てが暗がりに落ち、月だけが唯一の光源となっている。光が届かぬ場所はまるで黒い(もや)がへばりついているような印象だ。

 

 何百、何千回とこの馬場を走ったのに、こんなに違った景色があるなんて――感極まったスズカは、ふらふらとコースへ近付いていた。

 

 広漠なグラウンドは月明かりで薄っすらとその全貌を見せ、今にも消えてしまいそうな(はかな)さがあり、外ラチ*7は冬名残の夜風でキンキンに冷え、触ると思わずびっくりしてしまう程だ。

 耳に痛いほどの静寂に包まれたターフを前にし、最初は恐る恐る歩くだけだったスズカの足は、徐々に速度を帯びていった。

 暗闇は恐ろしいがこんな未知なる光景を前にして足を止めるなんて、スズカは勿体なくて出来なかった。

 

 全速力とは程遠いスピードで、薄闇に包まれたコースをゆったりと走ってゆく。

 

「……はっ、はっ、はっ……はっ……!」

 

 夜空には半分に欠けた月と散らばった宝石のような星の輝き。

 冷え込んだ空気を吸うたびに、まるでミントガムを嚙んだような爽やかな感覚が走り、湿気を帯びた芝と土の香りがレースの高揚感を思い出させる。

 

 楽しい。楽しい。楽しい!

 

 スズカは自然と笑みを浮かべながら走ることを辞められない。

 既に頭に幽霊の事は無く、この光景を独り占め出来る喜びをもっともっと噛みしめたい――そう思えたのは第二コーナーを過ぎさるまでの話だった。

 

「……はっ……すっ……はっ……はっ……?」

 

 途中。スズカは無人のコース上に何かの存在を知覚した。

 ちょうど自分の数百メートル先だろうか。暗がりの中、薄ぼんやりと光る何かが居る。

 その光る何かは丁度自分と同じくらいの大きさで、そして自分と同じく走っているのが同時に分かった。

 

 相手のスピードは軽く流している自分より遅く、すぐにでも辿(たど)りついてしまいそうであり、そして近づけば近づくほどスズカは自らの尻尾が緊張で強張っていくのを感じ取っていた。

 

(もう間違えようがない――ウマ娘だわ)

 

 互いの距離が10馬身を下回った所でスズカは確信する。

 うっすらと光を放つ存在は自分と同じジャージ姿で、尻尾を風にたなびかせながら走っている。

 同じ背丈だと思っていた部分は相手の足から胴体までで、そのウマ娘には本来あるべき頭が()()()()()()()()。もしも頭があるならば、かなりの身長のウマ娘になる事だろう。

 

 スズカは流石に寒気を感じていた。

 あの娘を追いかけるのは勿論、追い抜くのもきっと良くない事が起こるだろうと薄々感づいていた。もしも相手が振り返った時、私の身に何が起こってしまうのだろうか。

 

 嫌な予感に(さいな)まされ、足の勢いが徐々に落ちてゆけば何故か相手のスピードも同じく落ちて行き……ほとんど同時に二人はその場で止まっていた。

 

「……っ」

 

 事ここに至ってスズカはようやく自らの行いを後悔し出していた。

 どうして大人しく寮に戻らなかったのだろうか、私のあんぽんたん……自らを責めながら、この先どうなってしまうのかを思い出す。確か、見つかってしまうとその娘は――

 

……勝負……してくれ……

 

 しまった。そうだった。勝負を仕掛けられるんだった……!

 怖くて顔を上げられずに(うつ)いていると、既にそのウマ娘は距離を詰めていた。

 限られた視界の中、ジャージの上からでも分かる、細身だがアスリート然とした筋肉質の体が見え。荒い吐息が上方から漏れてくるのが聞こえてきた。

 

 ここで首を左右に振れれば、そして逃げ出す事が出来ればどれだけ良かっただろうか! スズカは自分の意思とは真逆に振り子のように(うなず)く事しか出来なかった。

 

……勝負は、1000m……。ここから、丁度向かいの2つ目のグリーンウォール*8まで……。合図は自分が出す……

「……」

 

 あれよあれよと整っていくレースの準備。その内容も噂と違わぬモノなので、より一層恐怖が(つの)っていく。

 あぁ私はこの勝負に勝てないと首を取られてしまうのね……と泣き出す気持ちはとうに超え、既にスズカは諦念(ていねん)の境地に至っていた。

 

 今までずっと首を取られないように俯きがちだったスズカはレースに備えて首をもたげ、少し離れて隣に立つ幽霊を仰ぎ見たのだが――その時、不思議な事に気付いた。

 

(……? 首がない訳じゃない……? 代わりに何か()()()()()()()()()……なにかしら……。茶色い肌の……犬……? ううん、犬にしては鼻が長くて……目が大きくて……耳は私達と同じ位置にあるけど……)

 

 未だ暗闇であるためはっきりと見えていないが、この娘が見たことのない動物の被り物をしているのは間違いなく、今まで首が見えないと思っていたのは首から上が闇に溶け、それ以外が光っているせいだとスズカは理解した。その不思議な頭のお陰で、彼女の中で占めていた恐怖は今や半分くらいは困惑で満たされていた。

 

「首……あるのね。貴方」

……? 始めるぞ……

 

 疑問を浮かべる幽霊に対し、慌てて構えを取るスズカ。

 彼女のスタイルは一般的なスタンディングスタート*9の体勢から更に前傾となった姿勢。一流のスプリンターたるサイレンススズカは地を這うように走る事でも有名で、彼女の追い求める大逃げを実現させるのに最適な構えでもあった。

 そして対する幽霊の体勢はと言えば……両手を地面につき、腰を上げるようにしてスタートを待つクラウチングスタート*10であった。

 スズカはまたも困惑する羽目になった。

 確かに陸上競技ではよく見られるこの体勢はスタンディングスタートよりも早く、安定したスタートを切れるのは間違いない。だが、ウマ娘達のスタートは必ずゲート*11を挟む。

 一時的に押し込められた狭い空間から最速で飛び出すためにはクラウチングの体勢は不適と言わざるを得ず、ウマ娘であるならば使わない走法であると教えられてきた筈だが――

 

 しかして困惑をする余裕も十分に与えられず、非情にもカウントが切られてしまう。

 5から始まった幽霊のガラガラ声は宵闇の馬場によく響き渡った。

 

 4――

   3――

     2――

       1――

 

 スズカの体勢がより前のめりに。

 幽霊の腰も上がり、両者の溜めていた足のバネが、今まさに解き放たれようとし―― 

 

――スタートッ!

「!!」

 

 ――とうとう勝負が始まった。

 恐怖に飲まれかけていたとはいえスズカも伊達にレースは経験していない。彼女は合図に完璧に応え、淀みなく走り出していた。

 

 流石に暗闇の中で走った経験がないため全速力は出す事は出来ないが、程よい月明かりと夜目が利いてきたお陰で今のところは順調だと言っても良かった。

 後ろでかき鳴らされる、足音とは全く違う空き箱のような音に違和感を覚えながらも、スズカは一心不乱でコースをひた走る。

 

(……スタートダッシュは私に分があったみたい。あとはこのまま先を(ゆず)らずにゴールに向かえれば――!)

 

 スズカの常勝パターンともいえる『逃げ』の戦法がかちりとハマった時、これを(くつがえ)せるウマ娘はそういない。昔も今も、先頭の景色だけは自分が一人占めしてきたという自負があればこそ、彼女の中で勝機が芽生える。

 

 彼女の極限の集中力は走る事にのみ全集中することを可能にし、()()()()()()()()()()()一陣の風となる。

 既に第一コーナーを越え、第二コーナーに差し掛かった中盤から後半へ移るレース展開。仕掛けてくるならそろそろだろう、と独走する彼女が後ろに続く幽霊を見ようと振り返ったのだが――そこでスズカは、本日何度目かになる驚愕に見舞われる事となった。

 

(……い、ない――? どうして――っ!)

 

 何故なら後ろには()()()()()()()()()()

 

 今しがた第二コーナーを過ぎさった後半戦、左を振り返っても右を振り返っても暗闇が広がるばかりで追い抜いた筈の幽霊の姿はどこにも見当たらない。また、左右から抜かれた気配など微塵(みじん)も感じなかった。レース中のどんな機微でも立ちどころに把握する耳が、自分の息遣いと足音しか感じていないのもまた異常だった。

 

 ありえない、ありえない、ありえない。

 もしや幽霊だから気配を消せるのか? だとすれば、私はとうの昔に抜かれていたというのか……!?

 

 困惑から自然とペースが上がっていく。浮かんできた焦燥をかき消さんと、見えない相手を追い抜こうと、スズカの足は今までにない速力を発揮していた。

 

 ゴールまで残り4ハロン。*12

 

 闇に染まったハロン棒*13が冷たく見下ろしてくるような錯覚を振り払い、スズカは春風となってコースを駆け抜ける。

 もう事この段階ではスズカは風景を独り占めしたいと言う気持ちは微塵も沸いていなかった。首を斬られたくない、まだスペちゃん達と、心行くまで走りたい……! その思いで胸を一杯にしながら走って、走って、走って――!

 

(ゴール……っ!)

 

 ゴールラインになりふり構わず飛び込び、そして、すぐにその場で膝をついた。

 無様な事に、スズカの心臓は破裂しそうな程脈打ち、呼気は聞くに()えない程荒げていた。しかしながら全力疾走の苦しさよりも、自分の命を取られてしまう事の方がよっぽど嫌だった。

 

(私は負けてしまったのかな……、私の首、取られてしまうのかな……!)

 

 自分の実力不足が死因だなんて本当に笑えない。あぁ興味本位で学園を覗きに何て行かなきゃよかった……! 心底の後悔に、涙を流しそうになったスズカが恐る恐る周り見回すのだが……、

 

「……え?」

 

 待てども待てどもゴール地点は自分一人だけ。きょろきょろと周りを見回しても耳元をくすぐる風の音以外に何も聞こえてきやしないし、誰の気配も感じ取れない。

 

「ひょっとして……勝てた……のかしら?」

 

 へたり込んだ姿勢のまま唖然(あぜん)とするスズカ。

 はっきりとした勝利の余韻も感じ取れず、自分の沙汰は一体どうなるのか、命拾いしたという判断でいいのか迷っていると、初めて何かの物音を捉える事が出来た。

 

「――そこに誰かいるのか!?」

 

 ライトと思しき光源をチラつかせながら近づいてくるのは警備員。

 流石に天下のトレセン学園は無能ではなかった。夜中なのにターフの上でへたりこむスズカめがけて一直線に飛んでくる。だが肝心かなめのスズカは別の所を見ていた。

 

(……幽霊さん。どうしてあんな所に?)

 

 ゴールから大分離れた第一コーナー周辺、そこから逃げだそうとする幽霊を彼女は捉えていた。

*1
日本ウマ娘トレーニングセンター学園の略。全国のツワ物ウマ娘達が集まる全寮制の中高一貫校。総勢2000人の超マンモス高ですって。

*2
スペイン語で「恐ろしや」

*3
日本語で「芝」のことである。 野芝と洋芝の2種類がアリ、野芝のみの競馬場はスピードが出やすく、洋芝は特にパワーを必要とする。

*4
スペシャルウィーク、サイレンススズカ、ダイワスカーレット、ウオッカ、メジロマックイーン、トウカイテイオー、ゴールドシップが在籍するウマ娘のチーム。スピカは乙女座の意。厨パと呼ばれるくらいみんな強い。

*5
ツインターボ、サクラバクシンオーなども生粋の先頭民族。

*6
競走馬が競走したり、調教をしたりする場所を言う。学園寮の馬場は東京競馬場のとほぼ同じらしい。

*7
各コースを囲う柵の事。外側は外ラチ、内側は内ラチ。

*8
障害物競走用の造花の柵。レース場内側に配置されている

*9
立った姿勢で足を前後に開いた状態でのスタートの方法。人間の陸上競技では主に800メートル以上の長距離で用いられる。

*10
屈んだ体勢で、手は地面につき一般的にはスターティングブロックを用いて利き足を前にかけた姿勢でのスタート。人間の陸上競技では主に400メートル以下の短距離で用いられる。

*11
ウマ娘全頭を一斉にスタートさせるための設備。発馬機、スターティングゲートとも言う

*12
イギリス発祥の単位。1ハロン(furlong)は約200mなので、約800mの事。

*13
ゴールまでの距離を知らせてくれる標識。競馬場は200m間隔でハロン棒が置かれている。




※この小説を書くに至って、タイトルやストーリー様々な方にご協力頂きました!この場を借りてお礼申し上げます! 本当にありがとうございました!
 ・梁山泊 様 ・Libby 様 ・慎 様 ・ひよこがはら 様
 ・ふば 様 ・お茶べり:パンナ 様



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第2レース 幽霊? それとも変質者?

えいえいむんっ


「スズカさん……あの、一体どうしたんですか?」

「……」

 

 幽霊事件の翌日。スペシャルウィークはベッドの上で座り込み両手で顔を覆うサイレンススズカを気遣っていた。

 

 ここは寮内、二人の部屋である。

 スペが転校して以来ずっと同室であった二人の仲は、学年は違えど友人のそれを超え、親友と言ってもいい程仲睦まじかった。

 

 スペはスズカの走りに憧れ、(した)い。

 スズカはスペを可愛いがり、元気を貰う。

 

 ちょっとべたべたが過ぎるのでは、と思える程の関係であればこそ、スペは彼女の様子が気掛かりで仕方がなかった。

 

「フジキセキさんに珍しく叱られてましたけど……えっと」

 

 慎重に言葉を選ぶスペは早朝の事を思い出していた。

 起きてみればスズカの姿はどこにもなく、朝練にでも出かけてしまったのかと思えばスズカは寮*1のホールで寮長フジキセキに懇々(こんこん)と叱られていたのだ。

 所々聞こえてくれる台詞を掻い(つま)んでいくと『許可もなく真夜中に寮を抜け出し、あまつさえ学園への不法侵入をした』らしい。

 皆が登校するギリギリまで叱られていたから事から相当お(かんむり)だったのは間違いなく、後から遅刻気味に表れたスズカは耳も尻尾もしょぼんと垂れ下がった絶不調モード。午後の練習も力なく、寮に戻ってもしょんぼりモードが続く始末だった。

 

「……あの、に、ニンジン! そうですニンジン食べますか!?」

 

 ウマ娘なら誰しも大好き、カロチン豊富なこの野菜をスペは常に部屋に常備している。

 練習中でもニンジンを手放さないくらいには取りつかれた彼女は、ニンジンがどんな悩みも解決する特効薬だと信じて止まなかった。

 

 しかしスズカは両手で顔を覆いながら左右に首を振るばかり。ニンジンの絶対神話が秒で崩れた今、スペに出来る事は見当たらなかった。

 

「スズカさぁん……」

 

 スズカを傷つけたくない、さりとて悩ませたままにもさせたくない。スペは凹み続けるスズカを前にして自分の無力さを嘆き悲しむばかり。

 そんな彼女を流石に見るに見かねたのか、スズカはしばしの逡巡(しゅんじゅん)の後にスペを隣に呼び寄せれば、瞬きの次には彼女は隣に座り込んでいた。恐るべし速さだった。

 

「ごめんねスペちゃん。あんまりにも恥ずかしくてふさぎ込んでただけなの」

「何があったんですか? その、夜中に抜け出した事が原因のようですけども……抜け出すだけならよくやってましたよね?」

「……」

「……」

 

 眠るスペを起こさないように細心の注意を払い、彼女の安眠は守り続けていたと自負していたスズカ。しかしそこそこ頻繁に抜け出しているせいで毎日快眠のスペも流石に気が付いており、スズカは自身の自惚れを悟った。

 

「……悪い先輩でごめんなさい」

「すっ、スズカさん大丈夫ですよ! 多分走ってるだけだと思ってましたし実際そうなんですよね!? は、走りたくなるのは気持ち分かりますよ! 私も走るのは大好きなので!」

 

 再び両手で顔を覆うスズカをわたわたと慰め続けるスペ。彼女が再び口を開くのには3分の時間を要した。

 

「そう……私は気分転換もかねて夜中に走りに行ってるんだけど、昨日は偶然興が乗っちゃって……学校にね、無断で入っちゃったの」

「深夜の学校に……? こ、怖くはなかったんですか?」

「確かに暗くてちょっと心細かったけど、普段と違う光景が面白かったわ」

 

 自嘲気味に語るスズカの様子はその美しさもあり完成された一枚の絵画のよう。

 スペは横顔に少し見とれながらも、恐怖より先に好奇心が勝るこの先輩を改めて敬服した。

 

「あんぽんたんな話よ。無断で侵入して、無断でコースを走って、幽霊さんに出会ったかと思えば競争する事になって……挙句の果てに警備員さんに見つかっちゃって」

「なるほど……ちょっと気分が乗りすぎちゃったんですね」

「本当にね。警備員さんには怒られるし、フジちゃんにもしっかり(とが)められるし……『模範となる先輩がこんな真似してはダメだろ!』って言われちゃった。ぐうの音も出ないわ」

「あははは……でも危ない事でもしてたのかと思ってちょっとハラハラしたので、私は安心しましたよ」

「え……あ、危ない事なんてしないわ。私はただ走るのが好きなだけだもの」

「でも学校に侵入はしちゃうんですね~」

「そ、それは反省してます……」

 

 ほどなくして二人分のクスクスという笑い声が部屋に漏れ始め、スペは敬愛する先輩が微笑みを見せたことに安心した。

 何らかの事件に巻き込まれた訳でもなく、ただのおっちょこちょいが原因だったとは。言われてみれば聞けば聞くほどスズカさんらしい可愛いエピソードだ。走るのが好きすぎて学園に入り込んじゃって、そこで幽霊に出会って警備員に叱られるなんて――

 

 スペの首は急に傾きだした。

 

「スズカさん、さっき変な事言ってませんでした?」

「変な事って……『ぐうの音』の事? スペちゃん。ぐうの音ってのは息が詰まった時の音よ。決してお腹が減った時の音じゃ――」

「ち、違います……! さっきその幽霊って……」

「――あぁ。そうそう。私ね、噂になってる幽霊に会ったの」

 

 掌を叩いて嬉しそうに微笑むスズカを見て、スペの体は凍りついた。

 しばし氷像のように動かなかったかと思えば、おもむろに自分の机の中からニンジンを取り出し無言で咀嚼(そしゃく)。口いっぱいに広がった故郷の味を存分に堪能した後、凄い剣幕でスズカに詰め寄り出した。

 

「ゆゆゆ、ゆゆ幽霊って……幽霊ってまさか! 首のないあの!?」

「ううん。首はあったわ、無いと勘違いされてたのは被り物が暗闇で保護色になってたせいで……」

「だ、大丈夫ですかスズカさん首取られてないですか平気なんですかスズカさんの首が取られるなんて私耐えられないですようわああぁあああん!」

「スペちゃん。お願いだから落ち着いて。私の首はまだ残ってるわ」

 

 されるがままに揺さぶられ、髪を振り乱したスズカは優しくスペシャルウィークに事情を説明しだした。

 

「そもそも夜中に学園に行こうと思ったのは幽霊さんに会いに行くためだったの」

「何で会いに行こうとするんですか!?」

「だって夜中に一人で走るのが好きって言うから……話が合うかなって」

「どうしてそんな思い切りがいいんですか!?」

「でも結局話じゃなくてレースをすることになったの、びっくりしたわ。負けたら首を取られると思って必死で走ったら気が付いたら居なくなってて……」

「わぁああぁぁあんスズカさんが幽霊になっちゃったぁああぁあスズカさんの首がぁぁぁああぁぁあ!」

「スペちゃん。お願いだから落ち着いて。私の首は今取れそうよ」

 

 されるがままに揺さぶられ、髪がぐちゃぐちゃになったスズカは丁寧にスペシャルウィークへと説明を続けた。

 

「命までは取られなかったから大丈夫。今スペちゃんの前に居るのは本物のサイレンススズカ」

「ぐずっ……良がっだ……良がっだでずよぉ゛ぉ~~、スズカざん゛ん゛ん゛ん゛ん゛~~~っ」

「色々と不思議なウマ娘だったわ。多分みんなが思ったような首を取るような娘じゃないと思うの。頭もちゃんとあったしね」

「ま゛だ足゛が……首があ゛り゛ま゛ず……本当に゛よ゛がっだよ゛ぉぉ……!!」

「そう言えばスペちゃん、犬っぽい顔で目の大きな動物って見たことあるかしら? 幽霊さんの被り物が私が見たことのない動物みたいで――」

 

 されるがままに揺さぶられ、抱き枕状態になったスズカはしばらくスペシャルウィークとズレた会話を続けるのだった。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 当然の事ながらスズカの話はチームスピカでも持ち切りになった。

 

「「スズカ先輩それ本当なんですか!?」」

「スズカ先輩、凄い経験したんだね~」

 

 チームに割り当てられたプレハブ小屋の中で、着替え中のウオッカ、ダイワスカーレット、トウカイテイオーはサイレンススズカに詰め寄っていた。

 

「深夜の学校に侵入なんて……スズカ先輩やっべぇ!」

「バカねウオッカ、幽霊と出会った事にまず驚きなさいよ!」

「すごいすごい! ねえねえ幽霊ってどんな感じだったの? 足あった? 早かった? ボクとどっちが早いかな?」

「えっと……」

「おーっと皆さん! スズカさんへの質問はジャーマネである私を通してくださいね!」

 

 矢継ぎ早に飛んでくる質問に困り顔のスズカ。そんな彼女を救おうと空想の眼鏡を指クイしたスペがブロックを始める。ちなみにマネージャであるという事実は先程生まれたばかりである。

 

「ではまず熱血新聞社のウオッカさんどうぞ!」

「うっす! 先輩はどうして深夜の学校に行ったんですか!?」

「ちょっと夜中に走りたくなって……それで幽霊の話が丁度あがったから興味が出ちゃって。つい」

「つい、で校則違反!? 幽霊にも恐れず挑戦するなんて……く~~~かっけぇ!」

「別に挑戦するつもりはなかったんだけどね」

 

 とにかく格好いい事が大好きなウオッカはスズカのアウトローっぷりに拳を強く握って震え、負けじとハイハイと手を挙げたスカーレットを、スペがびしっと指差した。

 

「続いてナンバーワン新聞社のダイワスカーレットさん!」

「はい! スズカ先輩、実際に出会った幽霊ってどんな姿だったんですか? 首、やっぱりなかったんですか?」

「そうね。かなり背が高くて、ちょっと体が光ってて、首はあったんだけど見たことない被り物をしてて……」

「……それって本当に幽霊なんですか? 何だか変質者って表現が正しいような……」

「うーん……変質者って光るのかしら」

 

 何に増しても一番が大好き。優等生なスカーレットはスズカとともに首を傾げる。

 そこに先ほどからハイハイハイハイ!と元気一杯なテイオーがスズカに食いついた。

 

「ねえねえスズカ先輩、レースしたんだよね! 勝ったみたいだけどどうだった!? 早かった!? ボクでも勝てそう!?」

「皇帝新聞社のトウカイテイオーさん、質問は指名してからでお願いしますっ」

「正直よく分からなかったわ。レースは噂通り短距離1000m。スタートでは抜けたけど、第二コーナーになったらもう居なくなってて……かと思えば私がゴールした時には第一コーナーに居るし……」

「ワープの使い手なんだ!?」

「ワープって……ゴールドシップじゃないんだから*2

「しかも先に進むんじゃなくて戻ってるし」

 

 元気一杯、会長大好き快速娘トウカイテイオーは驚愕に尻尾をピンと伸ばす。

 回答から導き出される幽霊の特徴は恐怖を増加するどころか困惑を助長するものでしかなく、話はさらに盛り上がりを見せていく。

 

「でも先輩が無事でよかったよ~負けたら首取られちゃうんだよね? 」

「そうですよ~! スズカさんの首がなくなってたら私、私……! これからどうやってあーんしてあげようかと……!」

「あーんどころの話じゃなくないですか? それ」

「その幽霊って首はあるみたいじゃない。だったら負けたら首を貰っていくなんて、する必要ないんじゃないの?」

「私もあの幽霊さんがそう言う事をするような子じゃないって思うわ」

「そう言えば変な被り物してたって言ってたよね、実は幽霊じゃなかったんじゃないの~?」

「でも光るしワープもするんですよ! そんなウマ娘が居る訳がないじゃないですか! 幽霊ですよ絶対に!」

「光るってのが普通にありえねえんだよな。そんな全身発光するウマ娘なんて幽霊以外でも何物でもねえぜ」

「バカウオッカ。光るだけなら蛍光塗料でも塗れば出来るでしょ」

「前提がありえねえだろ! 全身に塗料塗って夜中に走るってただの変態じゃねえか!」「だからそう言ってんでしょ!」

 

 女3人寄れば(かしま)しいとは言うが、一度盛り上がるとまあ止まらない。

 スペとウオッカの『幽霊だよ』派、スカーレットとテイオーの『変質者だよ』派、スズカの『どっちなのか分からないけど多分悪い人じゃないのかも』派の3つの派閥に別れた5人はぎゃんぎゃんひひぃんと盛り上がる。その白熱ぷりと言えば全員が練習の事を忘れかける程だった。

 

「全然コースに来ないと思ったら――皆さん何をしてらっしゃいますの!? ウォーミングアップの時間ですわよ!」

 

 そして下着姿のまま(主にウオッカとスカーレットによる)キャットファイトが開始される直前、先んじて着替えてウォームアップをしていた、()()なメジロマックイーンが部室の扉をけたたましく開いて登場したのだった。

 

「あははは、ごめんよマックイーン~」

「ごめんなさい! ちょっとスズカさんが幽霊とレースしたって話で盛り上がっちゃって……」

「……はあ? 何をくっちゃべってたかと思えば……下らない、幽霊なんて居るわけがないでしょう」

「く、下らない……」

「あっ。ち、違うんですのスズカ先輩! 別にスズカ先輩が嘘をついてるとかそう言う事が言いたい訳とかじゃなくて……!」

 

 まだ昨日の娘が幽霊か変質者かは断定出来ていなかった彼女にとってマックイーンの一言は切れ味が強すぎた。慌ててフォローしようとするマックイーン。そこに合いの手を入れた人物が居た。

 

「そうよ、スズカ先輩は嘘をついてないわ! 先輩が出会ったのはぜ~~~ったい幽霊ではない誰かよ!」

 

 『絶対変質者だよソイツ』派のダイワスカーレットである。現実主義派(リアリスト)の彼女は恋占いは信じてあげてもいいけど幽霊なんて非科学的な物は信じたくはないようだ。

 

「昨日フジキセキさんにずっと怒られてましたけど、先輩がそんな幽霊にレースを仕掛けられたなんて子供みたいな言い訳をさせるような犯人……許せないわ!」

「よもや早朝からホールで正座されてた原因はさっきの幽霊話が原因……!?」

「ボクもびっくりしたよ、マジギレしたフジキセキ先輩を見るの初めてだったから」

 

 スペ程ではないが敬愛している先輩に追い風を呼び起こそうとするスカーレット。しかし当の本人はフジキセキに叱られていた事を皆の前でほじくり返され、また両手で顔を覆い始める羽目になっていた。

 

「変な被り物はともかくとして光るしワープするんだぜ? そんなの普通のウマ娘に出来る訳ないだろ!」

「……でも幽霊はいないわ! いないったらいないのよ!」

「子供みたいに駄々こねるなよ、居るかもしれねえだろ!」「誰が子供よ!」

「スズカさんは嘘つかないんですよ? スズカさんが幽霊だって言ったなら幽霊です!」

「ちなみにスズカ先輩はどっちだと思ってるの?」

「……7割くらい幽霊?」「え、3割は生身……?」

 

「光るだのワープするだの……っ、アグネスタキオン先輩のトレーナーさんでもあるまいし、この際どっちでもいいですわ! 早く練習に行きますわよー!」

 

 注意されたのも忘れて盛り上がる5人に業を煮やしたマックイーンが叫ぶ。

 流石の剣幕に一瞬静まり返る部室は、その後すぐに数人の「それだ!」のハモリで満たされた。

 

「そうだ、そうだよ! 幽霊じゃないけどちょっと人間やめてるかもしれない人! タキオン先輩のトレーナーさん!*3

「う。確かにあの人はこの間虹色に光輝いてたな……ワープはわかんないけど」

「タキオン先輩の実験によく付き合ってるって言うし、もしかしたら深夜の秘密の特訓が理由なのかもしれないわね……スズカ先輩、きっとそれですよ! それしかないです!」

「そう……なのかしら?」

「スズカさん! こうなったら白黒はっきりさせるしかないですよ! タキオンさんのトレーナーさんに聞いてみましょうよ!」

「ちょっと! 練習! 皆さん練習だって何度言ったら……!」

 

「オイ、お前らいい加減にしろ! いつまで準備に時間かけ――」

 

 三度目の盛り上がりを迎えつつある幽霊談義。

 そこに現れたのは時間になっても集合しないウマ娘達に活を入れにきた男性トレーナー。チームスピカの監督官だ。

 彼の行いはトレーナーとして正しい物だったが、残念ながらタイミングが悪かった。

 未だ着替えもせずに盛り上がってた大多数。視界に広がるのは育ち盛りの乙女の下着姿。毎日の厳しいトレーニングで均整の取れた体は非常に美しく、年相応の物もあれば本当に中学生かと思えるようなスタイルの娘もおり――

 

「――墳ッ!」

「ほんぎょっ!?」

 

 トレーナーは鼻の下を伸ばす事も出来ず、マックイーンの腰の乗ったブローで意識を刈り取られるのだった。

 

 

 

 

*1
トレセン学園の寮は栗東寮と美浦寮に別れている。スペシャルウィーク達の寮は栗東寮。

*2
ゴールドシップは追込力が強すぎて、中継カメラが目を離した瞬間に順位を一気にひっくり返してしまうため、ワープしたと言われてたりする。ゴルシ伝説の1つ。

*3
アグネスタキオンのトレーナー。通称モルモット君。とある理由で研究を続けるアグネスタキオンの試験薬を自分から飲み干すちょっとやばい奴。時々光ったり良く分からない物に変身してたりする




キャラ紹介いる?


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第3レース 未確認神秘動物(UMA)

むんむんほあいっ


 ウマ娘――異世界の競走馬の名前と魂を受け継いで生まれてきた少女たち。

 1つとして同じ魂はなく、その姿は千差万別。

 一癖も二癖もある個性を持つ彼女らを勝利に導くためにはトレーナーもウマ娘達と同じくらいの努力が必要である。

 

 コミュニケーション。

 トレーニング。

 スケジュール調整。

 食事管理。

 メンタルケア。

 

 一人一人に適切な調整をして初めて輝ける彼女達。

 そんな彼女らの為にトレーナーは時に常識を投げ捨て、非常識に(てっ)する必要も出てくる。

 

 例を挙げよう。

 まずはスーパークリーク。彼女は母性が形となったようなお母さん肌のウマ娘だ。

 全方位に甘やかしたいオーラを放ち、隙があれば誰彼構わずいい子いい子してくる。そして定期的に誰かを甘やかさないと調子が悪くなるという筋金入りのウママ*1だ。

 彼女のトレーナーはクリークのメンタルケアの一環で(よだれ)掛けとガラガラとおしゃぶりを常に常備する。勿論つけるのは自分自身だ。端的に言って狂っている。

 

 二つ目の例はゴールドシップだ。彼女の破天荒さはまさに筆舌を尽くしがたい。

 毎朝の挨拶代わりのドロップキックから始まり、セグウェイで学園中を走り回るわ、急に「山が呼んでる……!」と言ったかと思えば海へと向かうわ、バスケ世界チャンピオンを目指すわと本当に枚挙に暇がない。そして驚異の飽き性ですぐにやる気をなくす。

 彼女のトレーナー*2はそんなゴールドシップの無茶ぶりに全力で付き合い、見事なコントロールを果たしている。ゴルシと共に異常行動を繰り返すトレーナーは端的に見て狂人だ。

 

 そしてアグネスタキオン――『超光速のプリンセス』と言われる彼女。

 自分含めたウマ娘の肉体に強い関心を持っており、肉体改造を目的に薬やサプリメントを日々研究している。その研究への情熱は並々ならぬものであり、研究優先でレースは二の次になることもあり、薬を勝手にウマ娘に飲ませようとするわ、授業中にも関わらず実験するわ、煙や異臭騒ぎを起こすわ、と問題行動はてんてこ盛りだ。

 

 

 そんな彼女のトレーナーはと言えば――

 

 

「……(光ってる)」

「……(凄い光ってます)」

「……(大分光ってるわね)」

 

 ――とある昼下がりの事だ。噂の真相を探るために最重要容疑者を(よう)するアグネスタキオンに直接話を聞こうとしたサイレンススズカとスペシャルウィーク、ダイワスカーレットの3人組。彼女らは今、極光の輝きに晒されて目を細めていた。

 

「すまないね。眩しいと思うが我慢して欲しい。タキオン、この効力はいつ頃終わる?」

「恐らくあと3時間くらいかな。感情に呼応して色が変わるようにしたんだが……ふむ、常に虹色なのはどうしてだろうか。失敗か?」

 

 タキオンが根城にしている理科室と言ってもいい程改造された空き教室。

 その中に通された3人は応接机を挟んでタキオンと輝く男性の正面に座っている。

 そして誰もが目の前の人物が放つ噂以上の輝き(1690万色)に言葉を失っていた。

 

 そう、この周りを明るく照らす男性こそアグネスタキオンのトレーナーである。

 彼はタキオンを全力でサポートするため彼女の実験のすべてに参加すると誓い、結果として全身が発光したり子供に戻ったり性転換したり変な生き物になったりと定期的に体を変遷(へんせん)させている人物である。端的に行って覚悟がキマり過ぎている。

 

 机の上に置かれているのはタキオン手ずから入れてくれたお茶。

 何故か湯呑ではなくビーカーに入れられており、周りを囲む得体のしれない標本、試験管、ラベルの貼られたビンを見れば、飲む気がなかなか沸かない一品に違いなかった。

 

「それで話と言うのは? あぁもしかして実験への参加希望かね? それなら当然YESと言っておこう。サンプルと言うのは多ければ多い程良い。特に被検体がウマ娘であるというのなら尚更だ! さぁこれをまずは飲んでくれたまえなあに身体に大きすぎる影響は出ないさ味についてはおめこぼし頂きたいがこれを飲むとだな――」

「タキオン。恐らくだがそういう話ではないと思うが……」

「あ、あははは……ごめんなさいタキオンさん。別に実験に参加したい訳ではなくて」

 

 机を挟んでぐいぐいと詰め寄っていたタキオンはその言葉を聞くやいなや、スン……と真顔になり、ぞんざいにソファに座り直した。

 

「実験以外の事で私になんの用だと言うんだい? こう見えて忙しいのだけれどもね」

「忙しいのは重々承知ですし、何だったら先輩なら笑い飛ばしそうなくだらない内容で申し訳ないんですが」

「ふぅん? そう思ってるのにあえて私の元に訪れる。3人が首を揃えて? 実に不可解だね」

 

 聞くだけ聞こう、とだぼだぼの白衣を身に纏っタキオンがお茶を飲みながら続きをうながす。

 スズカは二人に顔を見合わせると一息で告げた。

 

「あの、『首のないウマ娘の幽霊』の話ってご存知ですか」

「……首のない?」

「……幽霊?」

 

 タキオンもトレーナーも、どちらともが首を傾げる。

 その反応は3人の予想を覆すものであったが、念のために詳細を伝えるスペ達。

 スズカが出会った幽霊と言われるウマ娘。深夜にターフを走るその娘は、実際には首はあるが謎の被り物をつけており、全身が発光し、ワープまでする。

 体験談と噂の真偽を求めるスペ達の訴えに当初は興味がなさそうだったタキオンの瞳が徐々(じょじょ)に輝き、最終的に彼女は笑い出した。スペ達はますます困惑してしまった。

 

「なるほど! 君たちがここに訪れる理由が分かった気がするよ。目下光るような人間と言えばうちのモルモット君だけだからね!」

「いやいやいやいや。僕はウマ娘ではないしそんな走ったりはしないよ!」

 

 首を振るトレーナーに、思わず前のめりになる3人組。

 

「「「覚えはないんですか?」」」「覚えはないのかい?」

「ないよ! どうしてタキオンまでそう言うのさ!」

「いや、実際にそうだとしたら面白いと思ってね。発光はともかくワープまで出来るならば是非実験させて欲しいものだ」

 

 反応を見るに本当に身に覚えがなさそうであり、スペとスカーレットが実物を見たスズカをちらりと見たが、容疑者がまぶしくて直視出来ないスズカは極限まで目を細めており、それがジト目のように見えてトレーナーは更に(あわ)てふためいた。

 

「一応フォローはしておくが、うちのモルモット君が嘘をついている可能性は低いだろうね。何せ彼は私の管理を全て一任している。他に(うつつ)を抜かす余裕はない筈だ」

「タキオン……」

「だが、嘘をついているという可能性も無きにしもあらずだ。献身的なモルモット君の事だ、私のためにひっそりと治験データを収集してくれていたのかもしれない」

「タキオン!?」

 

 冗談だよ、とけらけら笑うタキオン。彼女は改めて3人とトレーナーへ向き直り、まるで出来の悪い生徒を相手にするかのように説き始めた。

 

「確かに体が光るなんて特徴を持つのは現時点ではモルモット君だけだ。だがね、彼が光ってるのは私の試薬が原因だ。薬を飲めば誰だって体は光らせる事が出来るだろう」

「タキオン先輩はその光る薬をばらまいてたりはしてたんですか?」

「別に光らせる事が必ずしも目的ではないんだがね……結果として体が発光するような薬は試しに何人かに飲んで貰った記憶もあるよ」

「じゃあその配った人の中に容疑者が!」

「さぁてねぇ……ちなみに、もう一度聞くがスズカ君、その不審者の特徴は光る以外他に何がある?」

「え? えっと……変な動物の被り物をしていて、背がかなり高くて、声がしわがれてて――」

「それだ。その幽霊とやらは何故被り物をする必要があるんだい? 面白半分で誰かを脅かすためかい?」

「それは……やっぱりそうなんじゃ?」

 

 幽霊否定派のダイワスカーレットの反応に、タキオンは首を振った。

 

「正直それは無いと思っている。なにせ私は薬を渡す相手は厳選している。練習に本気で向き合い、全身全霊でレースに挑もうとする者こそ被検体としてふさわしい。悪戯(いたずら)に用いるような暇人に渡したりはしないさ」

「じゃあ……本気で練習したいだけの人って事なんですか?」

「だとしたらなぜ深夜に走る必要がある? 練習するなら昼でいいはずじゃないか」

「……言われてみれば」

「そして仮に深夜の誰も居ないコースでやるならば、そもそも被り物をする必要はない筈だ。なにせ誰も見てないのだからね」

「付け足すようだけれども、深夜に光っていると警備員にバレやすいだろうね。こっそり練習には向いてないと言わざるを得ないよ」

 

 むむむ、と考え込む3人組。

 タキオンは光る薬を与えた相手の中に悪戯をするような人物は居ないと言う。

 かといって本気で練習するのに深夜は向かないし、そもそも被り物は不要だし、警備員に発見され叱られるリスクもある。そうなると残される可能性は――

 

「や、やっぱり、幽霊なんですか……?」

「……説明出来ないから幽霊や超常現象と断じるのは怠け者のすることだよスペシャルウィーク君。考えをめぐらせたまえ、体を光らせるくらいなら私の薬でも電飾でも出来る。そして『ワープ』は未だ世界でも技術が確立していないものだ、99%ありえない」

「でも実際に見たんです。レース中に気配が消えて。左右を振り返っても居なくて……気が付いたらあの娘は第一コーナーにいて――」

「おいおいスズカ君。その娘がレース中に転んだとは考えないのかい?」

「……!」

「光源すらない深夜のレース場なんだ、全速力で走ったら転倒してもおかしくないと思うがね」

 

 『走ってる最中は死角にいるウマ娘に注意せよ』

 レース中、ウマ娘の後方には必ず死角が発生する。その死角にあえて陣取り、狙った相手を差す*3テクニックがある事をスズカは思い出していた。

 転倒後、偶然その娘が死角に居たとしたら、見えなかったのも理解できる話であった。

 

「さぁスカーレット君、以上をふまえて君はどう思う?」

「私!? え、っと私は……幽霊なんて結論は当然出せませんけどけど……でも分からないわ。悪戯したい訳じゃないなら深夜練習って事になるけど……でもさっき言ってた通りこれじゃ練習する意味が薄すぎるわ」

「逆に考えればいい。その人物は『①:深夜に練習する必要があった』『②:深夜でも被り物をする必要があった』『③:体を光らせる必要があった』これを満たす理由があるという事だよ」

「「「……????」」」

「……タキオン。自分も正直お手上げだ、そんな事をする必要のあるウマ娘は本当にいるのかい?」

「いないんじゃないかな」

いないんじゃないのよ!?

 

 あんまりな回答にスカーレットの沸点は一瞬で振り切れた。

 

「普通に考えて居る訳がないだろうそんな奇特なウマ娘。儀式めいた真似をしてレースに勝てるって言うなら、今頃深夜の学園は被り物だらけの仮装大会になってるさ」

「じゃあやっぱり幽霊だって言いたい訳なんですか!?」

「おいおいスカーレット君。まさか私が幽霊を信じるとでも?」

「~~~~~っ、あぁもう、そろそろお暇させていただきます!」

 

 優雅にビーカーのお茶をすするタキオンを見て、スカーレットはこの場に居ても解決は見込めないと悟り、急ぎ席を立った。

 

「話はもういいのかい? まだお茶が残っているようだが」

「結構です。絶対飲んだら何か起こる奴じゃないですか。それじゃ失礼します」

「あっ、スカーレットさん! あっ、あの……ありがとうございましたタキオン先輩にトレーナーさん!」

「私からもありがとうタキオン。そしてトレーナーさん。助かったわ」

「お役に立てたようなら何よりだよ」

「うん。また何かあったら頼っていいからね」

 

 つかつかと教室を後にするスカーレットをスペ(何故か光輝いている)もスズカも追おうとする。しかし彼女は不意に立ち留まり、振り返った。

 

「最後に一つだけいい? 噂の幽霊さん……いや、ウマ娘?なのかしらね、その人の被り物が見たことない動物だったんだけど、どんな動物か知ってる? 特徴は鼻が長い犬みたいな顔だけど私達みたいな耳があって、それでいて目が大きくて――」

「……」

「ご、ごめんなさい。ちょっと気になっただけなの、分からなかったら分からなかったでいいから」

「UMA」

「え?」

 

「名前はUMAだと()()()()()UNIDENTIFIED MYSTERIOUS ANIMAL(未確認神秘動物)の略だ。……悲しくとも皮肉な名前だね、全く」

 

 そう言って一息にお茶を飲み干すタキオンに、スズカは戸惑うばかりであった。

 

 

 

 § § §

 

 

 

「夕方のグラウンドって、こえーよな」

 

 ゴールドシップが急にそんな事を言い出すものだから、メジロマックイーンは思わず彼女の顔を見つめてしまった。

 息も絶え絶えでコースの真ん中にへたり込んだ二人組は過酷なセットメニュー――1600mダッシュ×3、巨大タイヤ引き100m×3、ミニハードル500m×3をたった今終えた所だった。

 全身に重くのしかかるような倦怠(けんたい)感を覚えながら、マックイーンは今度は何を話すつもりだと眉を(しか)めた。

 

「知ってたか? グラウンド全体がオレンジに染まるとダート*4もターフも別物に見えるじゃねーか。実際その瞬間だけ地面って別物になってるんだぜ。種族名はオレンジダートにオレンジターフだ、柑橘(かんきつ)属性になった地面ですっころぶと傷口からオレンジが摂取され、ビタミンC不足が大幅に解消されるんだ」

「あっそうですの。それは健康的ですわね」

「ばっかおめービタミンCの取り過ぎは腹を下したり消化器官に影響が出るんだぞ! 健康に一大事だろうが!」

 

 練習終わりにここまで無駄口を叩ける才能が羨ましい、マックイーンは本気でそう思っていた。

 もはや聞きなれた戯言。聞き流す事が出来ればよいのだが、付き合わないと付きまとってくるし、渋々付き合ってしまえば大事に発展してしまう。言ってしまえばゴルシに絡まれた時点で詰みなのである。彼女は口から大きなため息が漏れだすのを止められなかった。

 

「おっ、なんだなんだマックイーン。そんなため息つくとお前のスイーツが逃げるぞ。っつーかあたしが逃がす」

「勝手に逃がさないで下さいまし! 私のスイーツに手を出したらただじゃおきませんわ!」

「どうどうどう。ビタミンC取って落ち着けよ。オレンジ色の土食べる? お代わりもいいぞ」

「要りませんわ!」

 

 尻尾と耳をピンと立てて威嚇するマックイーンに、体の正面で腕を十字にクロスして立ち向かおうとするゴルシ。だが疲労感の抜けきれない二人はすぐに力を抜き、ぼーっと風景を眺め出す。

 

「……あ~。だめだ、さすがのゴルシちゃんもパワー不足だ……」

「……なけなしの体力をここで浪費させないでくださいまし……」

 

 二人が眺める先には茜色に染まった校舎があった。

午後は6時に差し掛かろうとするこの時間帯になると、活気に満ち溢れている学園といえど人影はまばらだ。

 友達と談笑しながら歩くウマ娘もいれば、ほうき片手に黙々と校舎を清掃する男性用務員さんもいる。屋上から景色を眺めている娘もいれば、なんらかの器材を抱え忙しなく走っているウマ娘もいる。

 もう何度となく見たような光景。しかしながら地べたから眺めるその景色は、不思議と落ち着く光景なのは間違いなかった。

 

『――ねえ聞いた? ウマ娘の幽霊の話――』

『――聞いた聞いた。夜中に3mある首のない血まみれのウマ娘が追いかけてくる~ってあれでしょ――』

 

 ふと風に乗って聞こえてくるのはいつぞやの噂話。

 当初サイレンススズカが遭遇したと言う幽霊とは大分異なっており、伝言ゲームが進むうちに尾鰭(おひれ)背鰭(せびれ)もついてしまっているようだ。このままでは原型を留めなくなるまでそう時間は要らない事だろう。

 

 そう言えば、とマックイーンは隣のゴルシを見る。

 奇怪な行動を繰り返し、兎に角訳のわからない物や変な事に首を突っ込みたがる彼女だが、この噂話については何一つ言及していなかった事をマックイーンは思い出していた。

 普段なら「よーし! いっちょ幽霊の正体を暴いてやっか!」なんて虫取り網片手に繰り出してもおかしくないものだが……不思議に思ったマックイーンはゴルシに訪ねていた。

 

「貴方も聞きまして? スズカ先輩が出会ったっていう幽霊の話」

「んあー、まーな」

「まーなって……あなた、こういう話好みなんでしょうに。どういう風の吹き回しですの?」

「あらやだマックイーンったらっ、私の好みを熟知していられてっ? ぽっ」

「そう言うのはいいんですの」

「ノリ悪ぃな~」

 

 そして訪れる少しの沈黙。

 視線を交わしてすらない二人は、しかしながらその沈黙を好ましく思っていた。

 

「……『深夜のターフに現れ、レースを挑んでくる幽霊』。バカバカしい話だと思いますわ。でもスズカ先輩が出会ったと言ってる以上、少しだけ信憑性があるのも確か。勿論幽霊などではなくただの愉快犯だと思っていますが」

「……」

「被り物をして、体を光らせて、出会うとレースを仕掛けてきて、その割には実力はお粗末。わざわざ深夜にどうしてそんな事を。本当理解に苦しみますわ」

 

 メジロマックイーンは生粋の努力家だ。

 ステイヤー*5としての才能に恵まれながらも決して努力を(おこ)らず、最近はメキメキと頭角を現している。そんな彼女からすれば噂の主を好ましく思うのは不可能だった。

 ウマ娘の本分は誰よりも早く走る事である。

 トレセン学園という狭き門に入りたくても入れなかった何千何百のウマ娘をさしおいて、何故ここでそんな不可解な事をしたがるのか、マックイーンには分からなかった。

 

()()()()()()()()()()()()()

 

 だからゴルシが何気なく(つぶや)いたその一言に、マックイーンは驚かざるを得なかった。

 

「あの……ゴールドシップ。どう言う意味ですの?」

「どうもこうもねーよ。噂の幽霊さんは超実力派だって言ってんだ」

「……えぇ? 冗談ですの?」

「本気だぞ。ゴルシちゃん嘘つかない」

 

 何度か目をしばたたかせるマックイーン。

 だがどれだけ注視しようともゴルシの表情は真顔一辺倒。変化は訪れなかった。

 

「理解が出来ないんですけれども……その方は被り物をしてるのですのよ?」

「あぁ。見たことない変な動物の仮面だろ」

「深夜にしか現れないんですのよ?」

「そうだな。昼間は出てこれないんだろな」

「レースをして、誰かに勝ったなんて話、一つも出てないんですのよ?」

「知ってるぞ。あいつが勝ったことはまだ一回もないだろうな」

「なのに実力が高いって言うつもりなんですの?」

「うん。あいつはすげぇ実力を持ってる」

「お願いだから真面目に話してくださいます!? 今の話の中のどこに実力要素があるんですの!?」

 

 あまりにもハチャメチャな事を言うのでとうとうマックイーンは怒声をあげた。

 だがゴルシはそんな彼女から視線を()らす事なく、こう続けた。

 

「何せアタシもその幽霊にもう会ってるからな~。実際に見てそう判断しただけだぜ」

 

 あんまりにも真顔なものだから、マックイーンはそれを嘘だと断じることは出来なかった。

 

「アイツとスズカが出会う前にアタシはもう遭遇済みだ。噂が出始めた頃に即探しにいってな~。そしたら本当にいたからアタシは大興奮したもんだ」

「……そ、それで会ってどうしたんですの?」

「いや。サインねだったら相手が驚いて、レースしたらあげるっつーからレースして、ぶっちぎりでゴールしてやった」

「……」

「第一コーナーで曲がり切れずに盛大に転んでたぞアイツ」

 

 「見ろよほら、サインだぜ。すげーだろ!」と意気揚々と懐から取り出したメモ帳にはスズカが証言した謎の動物と思しき可愛らしい絵が描かれていた。マックイーンは猛烈に頭が痛くなってきていた。

 

「……貴方がとんでもない事をしてたのは理解したくないけど理解しましたわ。ですが、どうして実力があるなんて言えるんです? 偶然スズカ先輩や貴方だから勝てた、と言いたいんですの?」

「いや~。あれじゃメイクデビュー*6前のウマ娘にも負けるだろうな。まず完走が難しいと思う」

「……」

「アタシはあの走りを一目見て好きになったね。もしかしたらもしかすっかもしれねえぞ」

 

 まるでお気に入りのおもちゃを紹介するようなニマ~っとした笑顔を見て、マックイーンはどう反応したらいいのか分からなかった。訳が分からない物言いや行動は日常茶飯事だが、彼女の態度や話し方は時折見せる本気のそれだったからだ。

 

「集合しろー! ミーティングするぞー!」

 

 トレーナーの野太い声がグラウンドに響き渡る。

 ぞろぞろとメンバーが集合する中、ゴルシもまた腰を重そうにあげて続いていく。

 

 置いていかれたマックイーンがそんな彼女の背中を見つめてしまうのは、仕方のない話であった。

*1
ウマ娘のママ。ばぶばぶおぎゃばぶ。彼女は私の母になってくれるかもしれないウマ娘だ。

*2
チームスピカのトレーナーの事。

*3
一般的にレース中、後方の一団に位置し最後の直線走路やレースの後半で速い脚を使って、前にいる馬を交わすこと。 先手する馬が後方から差してきた馬に並ばれ、あるいは交わされて負けたと感じたとき、再び相手馬を交わして勝つことを“差し返した”という。

*4
雨の多い日本の気候を考慮した砂主体のコースのこと。砂厚は9cmはあるらしい。

*5
スタミナ豊富で、長距離レースの得意な馬のこと。 ふつう2400メートル以上の距離に強い馬を呼ぶ。

*6
まだ一度もレースに出走したことのないウマ娘だけが出走できるレース。ウマ娘のデビュー戦。




ゴルシへ。
好きです。
ドロップキックしてください。


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第4レース 自分だけの目的

盛り上がりに欠けてごめんなさい……。


 その日、メジロマックイーンはついてない事だらけだった。

 かけていた筈の目覚ましは沈黙し、数学の小テストではケアレスミスで満点を逃し、あげくの果てに目下のライバルであるトウカイテイオーとのトレーニング中の2000mレース走で惨敗。いつもなら煽ってくるテイオーも思わず「マックイーン、大丈夫?」なんて真顔で問われる始末だった。マックイーンはかなり落ち込んだ。

 

(無様ですわマックイーン。こんなの貴方らしくありません……)

 

 トレーナーにも今日は早めに上がれと言われて、反抗する気概も起きずにぼとぼと耳も尻尾もしょげさせながら学園を後にしようとする彼女。

 こういうツイてない日には行きつけのカフェでスイーツを頬張ってしまおうか。いやでも……などと葛藤していたマックイーンだったが――ふと、彼女の足が止まった。

 

「……え?」

 

 視線の先、学園に林立するケヤキの木の近く。

 そこにはどこか見覚えのある動きをする、違和感しかない人物がいた。

 

「――手を伸ばせばっ、と……掴めるっ、Glory……!」

 

 用務員である。

 浅緑色の帽子と全身ツナギを身に包んだその精悍(せいかん)で強面な人物が、するべき職務を放棄して踊っていたのだ。

 誰が見ても『お粗末』の一言で一蹴出来るその振り付けは、断片的に(つぶや)いている歌詞から『Make Debut!』*1であるのは間違いなさそうで、彼女はなぜ目の前でこんな光景が広がっているのが理解出来なかった。

 

「勝利の女神も……夢中にっ……させるよっ!」

 

 全身を躍動(やくどう)させて明後日の方向を交互に指差す用務員。

 その指差す遠く先には、屋外の空きスペースに集まったウマ娘達が同じような振り付けをしているのが見えた。まず間違いなく動きを真似ているのだろう。

 

 マックイーンはどうするべきなのか大いに迷った。

 『仕事はどうしたのです?』と声をかけるべきか、熱心なファンならばこそ静かにスルーするべきか。いやここは本人の熱意を鑑みると放置すべきなのだろうそうしよう、と(きびす)を返そうとしたところで、肝心の本人と目があってしまった。

 

「……」

「……」

 

 二人の間に流れていた時間が止まる。

 用務員は両手を大きく広げた状態で固まっていたが、しばらくして音もなくその手を下げ、木陰に立て掛けていた(ほうき)を取って何事もなかったかのように掃除をし始めたではないか。

 動けなくなっていたマックイーンはその様子に耐えきれずに吹き出した。

 

「くっ! いやっ、その……ふふっ! すみませんですのっ、笑っちゃっ……ふふっ、あははははっ!」

「……」

 

 恐らくは一回りも違う年上が頬を染めて恥ずかしがるという反応もまた面白く、マックイーンはひとしきり笑い続けてしまうのだった。

 

「~~~はーっ、ふ。ふふっ……ほ、本当に申し訳ありませんわ。いきなり笑ってしまって」

「いや、笑われるような事をしていたのは事実だ。見苦しい物を見せてしまってすまない」

「そちらが謝る事ではありませんわ。お陰様でちょっと気分が晴れました」

「?」

 

 いきなり笑ってくる相手にも真摯(しんし)な対応をしてくれた用務員に、マックイーンはどこか親しみを覚えていた。本来なら考えもしない事だが、今日は時間もある事だ。笑ってしまった手前、なんとなく目の前の人物と話したくなった。

 

「その振り付け……『Make Debut!』ですわね。私もかなり苦戦してた口でしたわ。簡単な(はず)の振付けも歌と合わせると、まあ難しい事難しい事。ひたすら練習の日々でした」

「そうか」

「えぇ。お恥ずかしい話、ようやくモノになったのはメイクデビューの2日前ぐらいでしたのよ」

「……」

「改めて、先ほどは笑ってしまって本当に申し訳ありませんでしたわ。別に踊ってたのがおかしい訳ではなくて、無かった事にしようとする仕草がなんだか可愛らしくて笑ってしまったのです」

「おかしくはないのか? だって私は――」

()()()()()()()()()()()()()。一生懸命に練習する人を笑う権利など、誰にも持ちえませんから」

 

 マックイーンはメジロ家の生まれであることを誇りに思っているが、鼻にかけた事など一度もなかった。

 家柄や才能にあぐらをかかず、どんなに高い壁や目標も努力することで1つ1つ乗り越えてきた彼女である。努力を笑う事など不可能であった。

 

「やってみたいから踊る、いいと思いますわ。どんな事であれ真剣に取り組むのは素敵な事ですもの」

「……ありがとう」

 

 目の前の人物の反応に、満足そうに鼻の下を人差し指でさするマックイーン。この時点でマックイーンは用務員を熱心なファンの一人だと考えていたが、それも無理もない話だろう。

 トゥインクルシリーズ*2を走る娘は世界中で一番熱い視線を受ける存在でもある。推しウマ娘を思うがあまりグッズを買い占めたり、歌詞もダンスも完コピするような人も少なくないからだ。

 

 そして二人の会話はそれだけで終わらなかった。

 視線を合わせてくれない無口な用務員相手に、珍しくも乗り気なマックイーンが一方的に話しかけていたためだ。

 

 もうお仕事は終わりましたの? まだ終わっていない。

 清掃は一人でやってますの? 清掃員は他にも10人はいる。

 このお仕事はもう長くて? まだ1年たらずだ。

 箒、触ってみてもいいですの? ……好きにしていい。

 

 初めて箒で掃除しましたわ!初めて箒で掃除しましたわ!と口には出さずとも顔と体でテンションを表すマックイーン。そんな彼女に会話のボールが飛んできたのは、二人が出会って10分経つ頃だった。

 

「君達は凄いな」

「え?」

「限られた年数の中で全長数kmのコースを全速力でかける。ダンスもする。体力も、そして気力も段違いだ。本当に尊敬する」

「あら……えっと、ありがとうございますわ?」

「そして(あこが)れる。私もそんな事が出来るようになりたい」

「……そ、そうなんですわね。まあもとよりこの学園に通うウマ娘達は選ばれし者達。レースでも一番、ライブでも一番を目指して日々努力するのは苦でもなんでもありませんわ」

「あぁ。毎日こうして観察しているからこそ分かる。練習量もそうだが、掛ける情熱も段違いだ。誰しもが一番になれることを目指して走っているな」

「……」 

「? どうした?」

「い、いえ。何でも……」

 

 他意はないのだろうけれども、言葉の節々が怪しく感じて仕方がない。

 実はファンをこじらせすぎてウマ娘になりたいと倒錯(とうさく)した人物なのだろうか、ポリスメン案件なのかと、マックイーンは不安になった。

 

「君達からは見習う事が多い。走り方も、息の吐き方も、練習方法も、ダンスも。何もかもだ。出来る事なら私も一緒に――」

「え……えーっと」

「……すまない。つい熱くなってしまった」

「いえ、いいんですの……それだけウマ娘に興味を持ってくれたのなら、光栄ですわ」

 

 ただ仕事をサボってウマ娘ウォッチングに勤しむのはどうかと思ったが、それは言わないようにしておいたマックイーンだった。

 

「ただ分からない事もある……なあ、君達はどうして踊るんだ?」

「?」

「ウマ娘の本分は走る事だ。誰よりも速い事を証明する、それだけでいい筈。だが君たちはその上で踊る。それは何故だ?」

 

 ウイニングライブ*3――それはウマ娘だけが挑める一大舞台。互いの速さを競い合った彼女らはその舞台上で自らの勝利を誇示する。

 参加者は誰しも舞台に上がれるが、センターを飾れるのは勝者だけ。ウイニングライブはウマ娘の走りに魅了されたものを更に狂わせる熱量のあるものなのは間違いないが、肝心のウマ娘達がレースと同じくらいダンスに時間をかける理由が、用務員には分からなかった。

 マックイーンはその純粋な疑問に苦笑しながらも、滔々(とうとう)と語り出す。

 

「勝敗を決めるだけならレースだけでいい。ライブなんてただファンに媚びるだけの金稼ぎの手段でしかない――お恥ずかしい話ですが、私も昔はそう思っていましたの。レースとライブなんて、結びつく要素が全然見当たらない」

「……」

「ただ練習は真面目にしましたわ。センターでもバックでもどちらも完璧に踊れるように。無様を(さら)さないように。……でも私のダンスを見てとある先輩はこう言いましたの。『貴方のダンスは中身が入ってない。空っぽだ』と。私は怒りましたわ」

 

 振付けも歌も誰よりも正確な自信があった。そう出来るように努力をしてきた。

 だからその努力を否定するような一言は許せなかった。ウイニングライブなんてレースに関係ない練習でも全力を尽くしてきた! なのに空っぽだなんて!

 

「『お前は与えられたタスクをただこなしているだけだ。ライブを本当にやりたいなんて思ってないんだろう?』『何のためにライブをするのかも分かってない奴のダンスなんて、退屈なだけだ』って、はしたない事に先輩後輩の垣根も忘れて喧々囂々(けんけんごうごう)の大喧嘩ですわ」

「……」

「今思えば図星を突かれたからムキになってただけですわね。売り言葉に買い言葉という形で、『では何を目的にしてライブをすればいいんですの!?』と子供のように(わめ)いたものですわ。そうしたらどういう返答が来たと思います?」

「……いや」

「『そんなの自分で考えろ』ですわ」

 

 二人の視線の先では、夢中でダンスの練習に勤しむウマ娘達が居る。何度も何度も同じシーンを繰り返し練習している彼女らは、全員が楽しそうに見えた。

 

「あるウマ娘にとっては勝った時の喜びを皆にも知ってほしいから。あるウマ娘にとっては負けた時の悔しさを忘れたくないから。一生に一度しかないドラマを一人一人が目的を持って、確かな足跡として残す、それがウイニングライブだ。だから自分の理由は自分で決めろ――そう(おっしゃ)ってくれましたの」

 

 言われてすぐにハイそうですか、とマックイーンが納得出来るわけもなかった。

 だから彼女は様々な子に、貴方はどうしてライブをするのかと聞いてみた。そうしたら様々な答えが返ってきた。

 

 『みんなに私の歌もダンスも見て欲しいから』

 『自分の可愛いさを、もっともっと知って欲しいから』

 『レースを見てくれた人に感謝の気持ちを伝えたいから』

 

 陳腐(ちんぷ)な答えだと思った。それでも自分の姿勢よりも(はる)かに立派な内容だった。

 そして迎えたメイクデビュー戦での初勝利、初めてお客さんに向けて踊ったセンターでの「Make Debut!」はマックイーンにとって忘れられない思い出になった。

 

「レースを見てくださった同級生、先輩、そして来場してくださったお客様が私の歌と踊りを見て、そして喜び、声援を下さるのがどれだけ喜ばしい事か。どれだけ私を元気づけ、どれだけ私を高揚させる事か。全く知りませんでしたの」

「……」

「そして、無我夢中でライブを踊り終わった後。初めて定まったんですの。私がライブを踊る目的が」

「……それは?」

「自分が一番輝いている存在である事を、皆様に伝えるためですわ」

 

 緩やかに撫でおろす春風が、マックイーンの艶やかな薄紫色の髪を揺らした。

 

「それからは先輩に中身がないなんて言われなくなりましたし、より練習にもより熱が入るようになりましたわ」

「……」

「レースで勝っても勝てずとも、私は踊りますわ。皆様の記憶に『私』と言う存在を色濃く刻むため」

「……」

「用務員さんも自分だけの目的を作ってみるといいと思いますの。そうすればライブだって、いえ、なんだって上達する筈ですから」

「……名前」

「え?」

「君の名前は何て言うんだ?」

 

 今まで一度も交わる事のなかった視線が、交わった。

 マックイーンが見上げるような形で話している相手は、体格も相まって威圧感こそあるが、サファイア色の瞳に映る純真さはどこか子供のようにも思えた。

 

「これは失礼しましたわ。私の名前はメジロマックイーンと申しますわ」

「私の名前はジェシー。ジェシー・応援(オーエン)だ。素敵な話を聞かせてくれてありがとう」

 

 この時初めて用務員が笑顔を見せ、マックイーンは少しだけ後ずさってしまった。

 強面の人物が見せる重圧たっぷりの笑顔は、年頃の娘には少々厳しかったようだ。

 

 

*1
アニメ版第1期のオープニングテーマ。歌唱はチームスピカメンバー全員。メイクデビューレース後のライブで必ず踊る曲でもある。

*2
ウマ娘のいる世界に存在する国民的スポーツ・エンタテイメントで、超人的な走力を持つウマ娘たちが繰り広げるレースの総称。 また、レース後には上位に入選したウマ娘たちによる<ウイニング・ライブ>が行われ、彼女たちにはアイドル的な人気もある様子。

*3
レース後に行われるライブイベント。 レースの着順によってダンスポジションが変化する。1着はセンターポジションで、一番目立つ立ち位置になる。




ウマ娘が躍る理由はこじつけです。何で踊るんでしょうね…
あと先輩役は皆さまの頭の中で決めていただければ幸いです。(個人イメージはヒシアマゾン先輩)


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第5レース 噂には噂を

ムッムッホアイッ


「――定刻となった。これより第45期トレセン学園生徒会定例会議を始める。議事進行役はエアグルーヴが。本日の議題については配布した資料を見て欲しい」

 

 窓から入り込む心地よい春風が頬を撫でる、桜が散り終わった晩春。

 隅々まで清掃の行き届いた部屋の中には名実備わった錚々(そうそう)たるメンバー達が揃っていた。

 

 容姿端麗、学業優秀。最優の生徒と名高い生徒会副会長。『女帝』エアグルーヴ。

 

 硬派で頑固な一匹狼。感情を滅多に表に出さない生徒会が幹部。『シャドーロールの怪物』ナリタブライアン。

 

 栗東寮は寮長。人を楽しませるの生きがいとする生粋のエンターテナー。『黛青(たいせい)の奇石』フジキセキ。

 

 美浦寮は寮長。弱きを助け強きを挫く、一本筋の通った人物。『女傑』ヒシアマゾン。

 

 明朗快活。まだ見ぬ未踏を目指すダイヤモンドの原石。『帝王』トウカイテイオー。

 

 ――そして。

 冷静沈着、公明正大。七冠を制したトレセン学園は生徒会長。『永遠なる皇帝』シンボリルドルフ。

 

 トレセン学園生徒会――それはウマ娘達の学園生活をサポートする生徒主体の学園公認活動。

 活動内容は多岐に及び、掲示物の管理、各種備品発注、清掃活動と言った校内の日常業務から、新入生歓迎・ファン大感謝祭などの各種イベント業務の取り締まり、トレーニング環境、生活環境の向上を図るなど数えきれぬ程。

 未来あるウマ娘達の今後を左右する活動故か、はたまた居並ぶ娘達の覇気によるものか……室内の空気はどことなくピリピリしていて、ちょっと力を入れて蹴とばしさえすれば大抵のものはあっけなく崩れ去りそうにも思えた。

 

「では1つ目の議題に入ろう。『学園生徒のSNS使用について』。最近はウマッターやウマスタグラムといったSNS上において、ウマ娘達のリテラシーやモラルに欠いた投稿が続き、ひいては――」

 

 エアグルーヴの粛々(しゅくしゅく)とした声が響き渡る。

 各々の参加者らは挙げられた議題に対してああだこうだと意見を出し合い、シンボリルドルフが最終的な採否を決める。その繰り返し。

 意見がまとまらない事があったとしてもルドルフの珠玉(しゅぎょく)の案が全てを解決する、それは最早テンプレと言ってもいいほどの黄金パターン。参加者(特にテイオーとエアグルーヴ)はそのアイディアと聡明さに目を輝かせ、更なる畏敬の念をルドルフに重ねるのだった。

 

 そして会議開始から1時間。数十はある議題がとんとん拍子で解決していく中、とある議題にさしかかった途端エアグルーヴの端整な顔が(しか)められたのにルドルフは気付いた。彼女がこういう顔をする時はあまり建設的だとは言えない議題だと相場が決まっていた。

 

「――次の議題は『深夜に現れるウマ娘の幽霊について』だ。この議題を上げたのは誰だ?」

「はい」

 

 フジキセキが挙手をすると途端にエアグルーヴの鋭い視線が飛んで来る。が、彼女も慣れたものだ。冷たい視線など素知らぬ顔で語り始める。

 

「最近になって『深夜になるとグラウンドを走っている幽霊が居る』なんて噂が学園で広まり始めたんですよね。当然ですが私もその程度なら別に、と考えたんですが……どうにも影響力が強すぎる。至急対策が必要だと思って議題に挙げさせて頂きました」

「ふむ……具体的にはどういう影響だ?」

「色々です。面白おかしく吹聴(ふいちょう)して回る子が大多数ですが、そういうのが苦手な子には効果覿面(てきめん)でして。不必要に夜を怖がったり、何があろうと夜は絶対外に出ない、果てには幽霊が出るから練習も出たくない、なんて息巻いたり、なんだか不可解な事があるとすぐに幽霊と結び付けちゃう始末なんですよね」

「美浦寮でもその噂でパニックを起こした子が居た。無断外出や門限破りは少なくはなったがね、ちょっと広まりすぎだ。是正なりなんなりしないと、今後も騒ぎが広がる一方な気がするよ」

 

 フジキセキの発言にヒシアマゾンが付け足す。

 この噂、出所は定かではないがもう学園で知らぬ存在など居ない一番ホットな話題になりつつある。下級生の子やそういった物が苦手な子は(おび)えてしまい、練習に影響が出る子もいるくらいだった。

 

「下らん」

「意見があったなナリタブライアン。……ちなみにだがフジキセキ、また貴様の仕業ではないだろうな?」

「おいおい待っておくれよ。あの時の事は反省しているよ。それに私はタキオンにちょっと協力しただけだ。実行犯ととられかねない発言は心外だよ」

 

 実はフジキセキには過去にアグネスタキオンの実験*1を『面白そうだから』という理由で黙認した経緯があったが、本人は今回の件は覚えがないと首を振るばかりだ。

 

「問題は何故そこまで広がったか、だな。尋常一様(じんじょういちよう)*2『夜中に走るウマ娘の幽霊』など噂の内容としてはかなりあり触れた内容にも聞こえたが?」

「カイチョー、ボクから説明していい? 実はね、実際の目撃証言があるんだよ。サイレンススズカ先輩がその幽霊……いや、不審者なのかな? その子に会ってるんだって」

「体長3mでやたらと首の長い血まみれのウマ娘とか!?」

「虹色に全身発光していてワープして追いかけてくるウマ娘とか!?」

「そんな娘じゃないよ!? なんでそんな話になってるのさー!」

 

 噂が加速度的に広がった結果、伝言ゲームの要領で背(ビレ)に尾鰭、尻尾にトゲまでつくような形で変わっていったらしい。当初噂されていた『首のないウマ娘の幽霊』という話は飛躍的な進化を遂げた化物に変貌(へんぼう)していた。

 

「ボクがスズカ先輩に聞いた話だと『変な動物の被り物をした全身が光る娘がレースを仕掛けてきた』って内容だよ。夜中に一人で走ってたら遭遇したんだってさ」

「……そもそも何故スズカは深夜に走ってるんだ」

「何となくって言ってたよ。……あーいや、でもね? ほらスズカ先輩は特に走るの大好きだからさ! き、気持ちは分からなくないかなーって……スコシダケ……」

 

 こめかみを指で押さえて(うつむ)くエアグルーヴに咄嗟(とっさ)にスズカのフォローを入れるテイオー。だが流石のテイオーも深夜に唐突に走りてー!となって学園に侵入することはないな、と内心で思っていた。

 

「証言の裏付けは? それもまた流言蜚語(りゅうげんひご)*3の一つに過ぎないのでは?」

「私が出来るよ。深夜に警備員さんから叩き起こされてね、スズカが学園のグラウンドでへたりこんでいたのを見つけたってさ。彼女から直接聞いた理由もその幽霊の話だった」

「それで警備員は幽霊を見たのか?」

「うっすらと何かが光っていたのを見た、と言う話は聞けたよ。その後はもうネチネチネチネチネチネチと警備員さんからありがた~~~いお小言を貰ってもうね……」

「貴様の苦労話は聞いていない。スズカへの注意は?」

「始末書も反省文も書いて貰ってるよ、あと数週間は奉仕活動をして貰う予定」

 

 当時の事を思い出して肩をすくめるフジキセキに、小さく頷くはシンボリルドルフ。

 若紫色の澄んだ瞳に、長い睫毛(まつげ)が春の陽を浴びて光っていた。

 

「大方、スズカが実際に見たという話が広まった結果信憑(しんぴょう)性が裏付けられ、それで噂が広がったという形だろう」

「アタイもそう思うね。大方体が光るってあたりアグネスタキオン辺りがまた絡んでいるんじゃないのかい?」

「あ。えーっとね、ダイワスカーレットが探りを入れてみたんだけど本人は知らないって話は聞けたよ。光る薬は配布したけど、イタズラに使うような人には与えてないって」

 

 ほんとかぁ? と呟いたアマゾンの言に誰もが首を縦にも横にも触れなかった。

 しばしの膠着(こうちゃく)の後、最初に口を開いたのはやはりルドルフ。彼女は全員を見渡すと、このように紡いだ。

 

竜吟虎嘯(りゅうぎんこしょう)*4。私が思うに全員の考えている結論は一つだと思うが?」

「えぇ会長。少なくともその噂の人物は幽霊などではないという事ですね」

「そんなの当たり前だ。幽霊など馬鹿げていると言わざるをえん」

「全く。私を差し置いて面白…ンンッ、けしからん事をしてくれるよ」

「これ以上野放しには出来ないねぇ、さーてどうしたものか」

「え? え? ……あっ、ぼ、ボクも勿論幽霊だとは思ってないけどね! トーゼン!」

 

 わざとらしく大きく胸を張った途端、注目の的になるテイオー。

 直後一部は苦笑し、一部は面白そうにニヤつき始め、テイオーは少し居心地が悪そうに耳と尻尾をしょげさせた。

 

「ほーお、ふーん。そりゃ本当かいテイオー?」

「あ、あったりまえじゃん! ボクがそんな非科学的な事信じる訳ないじゃん全くさー!」

「ふっ」「くくっ」

「なに笑ってんのー!」

「まあ皆がこうして言ってくれた通り、私も幽霊が実在するとは到底思っていない。いたずらに生徒達の不安を煽るのも、夜遅くまで警備してくれる警備員さんに要らぬ仕事を増やすのも好ましくない。何かしらの対策を講じよう」

「と言って、どうするつもりなんだ?」

「なに。噂には噂で対抗するのさ」

 

 直後、沈黙が場を支配し始める。意図を図りかねた皆の目線が特に皇帝と共にするエアグルーブに行くが、彼女もまた難しい顔をしていた。

 

「そう難しい話じゃない。正体の分からない幽霊君にメッセージを伝えるのさ。『これ以上、深夜に走るのはダメだ』とね」

「……どう伝えると言うんだ? 我々は犯人も分かっていないんだぞ?」

「そうだね。それに会長が馬鹿正直にそんな事を言ってたよ、と噂しても聞いてくれないんじゃないかな?」

 

 如何にルドルフのものとはいえ、この提案は少し突拍子のないもののように思えた。

 全員の怪訝(けげん)な目が彼女に集中するが、ルドルフは(あわ)てず、その視線を立てた人差し指に集めた。

 

「まず校内の掲示板に『届け出のない夜間外出、ならびに門限破りを硬く禁ずる』項を張り出す。もしもイタズラ目的であるならばこの時点でやめてくれる可能性はある」

「それでは今まで通りではないか?」

「あえて明言をする事で意識も変わるものだよ。……そうだな、確実にするのならば噂を付け加えておこうか。『シンボリルドルフが夜間外出に怒り心頭である』と広めてくれるだけでいい。雨過天晴(うかてんせい)*5とまでは行かないかもだが、少なくとも何かしらの影響はあるだろう」

「……」

「そしてだ、それでも辞めない場合――噂の人物が筋金入りのイタズラ娘か、はたまた本気でレースを望む変人だった時は」

「その時は?」

「直接出向こう。深夜のグラウンドで張り込みを行ってね」

 

 しばしの静寂の後、部屋の中に誰とも言えぬ「え」の声が零れた。

 

「……カイチョー、それ本気?」

「本気だとも。警備員さんに余計な手を煩わせるのは心苦しいからね。実際に会って話し合って貰おう」

「だけどその人物がいつ頃出現するかは定かではないんじゃないかな?」

「恐らくだが、数日張り込むだけで目的の人物に出会えると考えている。罰則を恐れぬイタズラ好きなら恰好(かっこう)(おど)かし相手だ、逃すはずもない。レース目的だとしたら尚更だ」

「お話は分かりました会長。ですが、(くだん)の人物と我々がすれ違うと言う可能性は――なるほど、それで噂ですか」

 

 顎に手をやったエアグルーヴの呟きに、ルドルフが鷹揚(おうよう)(うなず)いた。

 

「あぁ。張り込む人物がこの時この時間帯に出現する、とそれとなく告知すればよい。例えば生徒会主体の夜間の見回り、清掃、グラウンド整備作業。理由はどうとでもなるさ」

「なるほどな。それなら誰かを絞る必要はないな」

「そーなると私達寮監は外出する娘に特に気を配ったりすればいいって感じかい?」

「話が早くて助かるよ、苦労をかけてすまないが二人は消灯や夜回りに関しては念入りに頼む。不審な動きをする娘が居ないか、目を配ってくれ」

「了解」「あいよ」

 

 ――テイオーは眼前に広がる光景に目を輝かせていた。

 この場に居る並み居る強豪ら全員が首を(かし)げさせる難題(?)。それをたった数分で最善策まで導き出す手腕は、やはり『皇帝』しか出来ないと事だと確信を持っていた。

 知恵も、走力も、実力も、名声も。その全てを兼ね揃えた七冠ウマ娘。自分はこの人だからこそ(あこが)れたのだ、自分はこの人に並び立つ存在になりたいのだ。初めてルドルフを見た時に感じた憧憬(どうけい)は、今尚強まるばかり。

 

 あぁ、この人に並び立つ為にはなんだってするぞ。

 どんなキツイ練習でも、どんなにツライ勉強だって。なんだって、なんだって、なんだって――

 

「で。肝心の張り込みは誰がするんだ?」

 

 ――あ、でもやっぱり明日からにしようかな。

 

 テイオーがキラキラと輝いていた表情を一気に(くも)らせてしまったのは、ナリタブライアンの発言と関係があるのかもしれない。

 その問いに全員が全員お互いの目を見合った。

 シンボリルドルフは会長。エアグルーヴは副会長、どちらも多忙の身だ。当然ながら対象から外れる。フジキセキ、ヒシアマゾンの寮監グループは言うまでもない。

 ……そうなると必然的にナリタブライアンとトウカイテイオーに注目が集まっていく。

 

「私は忙しい。パスだ」

「えっ、ちょっ!」

 

 そして即座にブライアンがノーと申し立てしたため必然的に暫定(ざんてい)張り込み係がテイオーになる。

 テイオーは猛烈に抗議しだした。別に幽霊とか全然信じてないけどそういうオカルティックとかホラーっぽいのは()()苦手である彼女として断固固辞したかった。

 

「ぼ、ボクだって忙しいんだよ! 練習とかさ! 最近だとオリエンテーリングの準備とか!」

「そんなの私だって同じだ。と言うか私は学年がお前より上だからより忙しい。先輩命令だ、お前がやれ」

「うぅぅ~~、横暴だ! 横暴だぞ! 大体ブライアン先輩こそ幽霊が怖いから嫌なんじゃないのー!?」

「はんっ、幽霊なんて存在しないもの怖いもんか。お前の方こそ怖いんだろう」

「こっ、怖い訳あるもんかっ、怖くないもんっ!」

「お子ちゃまが。声が震えているぞ」

「そっちだって尻尾がピンってなってるよ先輩っ! やっぱり怖いんでしょっ!」

「なっ馬鹿を言うな! 私の尻尾がそんな筈が」

「嘘だよー! でも気にしてるって事はやっぱり怖いんじゃん!」

「みっともないぞ二人とも。やめないか」

 

 ムキになる二人組を心底呆れた目で見るエアグルーヴ(と生暖かい目で見るフジキセキとヒシアマゾン)に二人とも納得はせずとも大人しくなる。そんな様子を見て苦笑したルドルフは二人を交互に見てこう言った。

 

「正直な話、レースを控えている君たちにこれ以上の負担を強いるような事をしたくはないと思っているが、全ては生徒達のためだ。理解してくれると嬉しい」

「む……」「う~~~」

「そして個人的な要望を言わせて貰えば――テイオー、君にお願いしたいと思っているが、構わないかい?」

「ぼ、ボク? でも……」

「君の才能を思うと大器小用(たいきしょうよう)*6なお願いかもしれないが全ては生徒達のためだ、一考してくれると幸いだ」

「……うん。他ならぬカイチョーのお願いなら」

「ありがとう」

 

 会長の安心させる笑みを見て、テイオーはずるいなぁという感想を抱かざるを得なかった。

 本当はやりたくなかったけど、もう一度頷いたのだ。会長の信頼を裏切る訳にはいかない――が、幽霊そのものは少し苦手なので、どうしたものかと迷っていると、彼女の顔色を見たルドルフが再度優しく声をかけた。

 

「なぁに例え本当の幽霊で、もし呪われそうになったとしても逃げればいい」

「の、呪われたくないよ! でも……でも実際そうなったら逃げられる事、出来るかな」

「大丈夫だ」

「……何でそう言いきれるのさカイチョー……?」

 

 (おだ)やかな笑みを浮かべたままのルドルフ。テイオーは彼女の隣に立っていたエアグルーヴの表情が渋い顔に変わっていたのに気が付かなかった。

 

「幽霊の呪いは、()()()

 

 トウカイテイオーのやる気が下がった。

 エアグルーヴのやる気が下がった。

*1
寮のトイレの扉を開けると幽霊っぽい光が出て、その反応および噂の広まり具合を検証するという内容。フジキセキは黙認どころか音も出るようにする仕掛けを追加した。※公式4コマうまよんより。

*2
別に他と異なるところはないこと。並一通り。

*3
事実とは異なる伝聞。確かな根拠のないうわさ。デマ。

*4
同じ類の者はお互いに気持ちや考えが通じ合うということ。

または、人の歌声や音が響き渡ること

*5
悪かった状況や状態がよいほうに向かうたとえ。雨がやみ、空が晴れ渡り明るくなる意から。

*6
すぐれた人物につまらない仕事をさせること。才能の持ち主でありながら、低い地位にしか用いられないこと。




シンボリルドルフ台詞難しすぎ問題


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第6レース 幽霊調査隊発足

ムッムッ遅くなりましたごめんなさい


 季節は初夏。

 春名残の桜の花は全て新緑に切り替わり、肌に照りつく日差しがうっすらと夏を予感させる、そんな時期。メジロマックイーンはうきうき気分で部室へと向かっていた。

 何を隠そう彼女は久々のスイーツ解禁日を迎えていた。

 メンタルを鍛えるために、そしてカロリー調整のために来る日も来る日も渇望していたこの日を、マックイーンはこれでもかと堪能してきたのだ。それも人気殺到で滅多に食べれない、数量限定イチゴミルフィーユをだ!

 

 あぁ素晴らしきあの味と来たら!

 

 三層構造のパイ生地と生クリーム、そして鮮度抜群(ばつぐん)取れたて苺の織り成すハーモニー。まるでルビーのように輝く苺がふんだんに使われたソレは、食べることを躊躇(ためら)う美しさがあった。

 そして、ひとたび口に運べばシャキシャキ触感の生地がほろりと崩れ、苺の程よい酸味、薄っすら効いたバターの塩味とふわふわ生クリームの優しい甘さが調和した見事な旨味が広がるのだ。苺を育てた農家と、パティシエの技術に涙を流して感謝する他ない。

 一口だけでもほわんと(とろ)けてしまう幸福感は神の実在を証明すると言っても過言ではなく、マックイーンは両手に収まる小さなケーキを牛歩が如きペースで堪能してすっかりご満悦だった。

 

 そんなウキウキメジロが口内に微かに残る余韻(よいん)反芻(はんすう)しながら、気分よく部室の扉を開ければ、

 

「うー……やだなぁやだなぁやだなぁ…………」

 

 ぐるぐる、と部室の中で円を描くように歩き続けるテイオーと出会った。

 彼女は入ってきたマックイーンにも気づかず延々とその場を回っており、マックイーンが横を通り過ぎてロッカーにカバンをしまっても未だに回り続けている始末であった。

 ふと見れば彼女の傍のベンチには大量のにんにくや塩、コショウの小瓶、葉っぱ(恐らくはローリエ?)が散らばっており、その関連性が分からずマックイーンはとうとう声をかけた。

 

「……何をしてらっしゃいますの?」

「うぅぅ~~~……え? うわっ!? ま、マックイーン!? いつの間に!」

「呆れた……普通に扉を開けて普通に入ったのですけど?」

 

 あれだけ堂々と入ったのに気付いていない辺り相当深刻な悩みを持っているようだ。そう考えたマックイーンはテイオーへと切り出す、一体全体何を悩んでいるのかと。

 

「別に、な、なんでもないよー」

「嘘おっしゃい。あんなあからさまな悩む素振りを見せておいてそれはないですの」

「あ、あれはー……ほら! スズカ先輩の真似*1っていうか……!」

「何でそんな真似をしてるのやら……人には言えない悩みですの?」

「……いや。だから、そのー……」

 

 耳も尻尾もしょぼんとへたれたテイオーは指先同士をつんつん合わせ始める。

 反応を見るに別に言えない悩みでもなさそうではあるが一体何を抱えているのか。そう思っていると彼女は明らかに間違えた声量で話題を変えてきた。

 

「そ、そういえばさぁ!? 最近マックイーン調子いいじゃん! 何々なんかあったのー?」

「貴方ね……まあいいですわ。えぇ、最近はすこぶるいいですわね。やはり日頃の行いがモノを言うのでしょうか、レースも順調、体調も順調、念願のスイーツデイを迎えた今の私は、向かう所敵なしだと言っても過言ではありませんわ!」

「ふーん?」

 

 テイオーと対象的に耳をぴん! 尻尾をぶんぶん! と振りたくるマックイーンはまさに絶好調の一言である。直近で天皇賞(春)を制し、学園内ではその名を知らぬ娘は居ないくらいの評判だ。だが彼女の調子を向上させた理由は日頃の行いや限定スイーツ以外にも理由がある、とテイオーは(にら)んでいた。

 

「ボクとしては別の理由がある気がするんだけどね~」

「別? なんですの?」

「とぼけちゃって~、()()()()()がいるせいじゃないの~?」

 

 マックイーンは首を傾げた。例の人、と言われてピンと思い当たる節がないからだ。そして予想通りの反応を得られなかったテイオーは「もー!」と両手を振ってもどかしさを表現した。

 

「キミが良く談笑してる用務員さんだよ!」

「用務員……あぁ。あの方」

「最近よく話してるところ見かけてるじゃん~、結構(うわさ)されてるよ? あのメジロ家のご令嬢が熱愛か!?  現代の美女と野獣!? な~んてさ!」

「な、熱愛って――ただ話してるだけでそんな噂されたら溜まったものではありませんわ!」

「とか何とか言っちゃって~。中々見せないような笑顔が見れたって言ったよ? 本当の所はどうなのさ~?」

 

 うりうり~、と小悪魔めいた笑みで突っつつけば「やめてくださいまし!」とマックイーンはぷんすか怒った。

 この学園のウマ娘達は()()()()()()である。そうなると全員が全員そういう訳ではないが一部のウマ娘達は恋に恋をし、様々な噂話やティーン誌に目を輝かせる。そして『二人きりだった』『誰かと話していた』『楽し気だった』……そんな断片さえあれば、彼女達にとって瞬く間もなく恋の容疑者になってしまうのである。

 

「あの方はただの友人ですわ! ちょっと仲良くなって会うたびに話してる程度ですの!」

「それがまさしく『そう言う事なんじゃない?』っていう噂の元だよマックイーン」

「もう! あの方はそのような浮ついた対象ではございません!」

「どうだかどうだか~」

「あと単純にあの方は私の好みから外れてます。あの方は少し……厳めしい方なので」

「あっ……そっか」

 

 急に素の顔に戻るマックイーンを見て脈なしを悟ったテイオー。反応に(さと)いのもまた年頃の女子故か。

 

「でも二人で一体何を話してるのさー、何でもないって言うなら教えてよ」

「別に構いませんわ。単なる世間話も多いですが、主に話が(ふく)らむのはレースやダンスの話ですの」

「へぇ~、じゃあマックイーンのファンって感じ?」

「明確には違いますわね。あの方は私と言うよりかはウマ娘全員のファンですの」

「え?」

「速く走るコツ。レースの心得、ダンスのポイント、普段のトレーニングなどをあの方は熱心に聞いて、それを実践していますわ」

「……実践してるんだ」

 

 テイオーは思った。ちょっと自分の知ってるファンとは粒度(りゅうど)が違くないか? と。そこまで聞きたがるとファンと言うかマニアと言ってもいい。というか聞くのはまだしも実践してるのはちょっと特殊ではないだろうか? 

 

「あの方の『Make Debut!』も荒い所はありますが、中々サマになってきてますわ」

「踊るの!?」

「実践してると言ったでしょうに」

「いや、言ってたけど予想外すぎるよ……生徒じゃなくて用務員なんだよね?」

「そうですわよ? 飲み込みの早い方ですわ、伸びしろもありますし努力もなさっているようです。やるからには本気で取り組む姿勢も含め、好感が持てますわね」

「……へ、へー」

 

 テイオーの脳内にある漠然(ばくぜん)とした用務員のイメージ。そこにゴリラのような(いか)めしい顔を足した人物が、幾度となく練習した『Make Debut!』をセンターでノリノリに踊る様子が自然と浮かんでいた。妄想の中では何故かセカンドがマックイーンでサードがテイオーのポジションになっており、中心では汗を流して輝く笑顔のゴリラが歌っている……そう考えてしまった途端、テイオーは噴き出していた。

 

「く、くくく……っ! ふっ、あはははっ……す、すごいメイクデビュー……っ!」

「……何笑ってらっしゃいますの?」

「いやっ、ちょっと……なんでもっ……だって、想像したら……くっくっくっくっ……ご、ゴリラがっ……!」

「何でそこでゴリラが出てきますの!?」

 

 脳内ではゴリラ用務員がしつこくキレのある踊りをし続けたため、テイオーはしばらく笑いを止める事が出来なかった。そして笑いのツボが収まった直後に初めてマックイーンの呆れ顔がすぐ傍にある事に気付き、驚く羽目になった。

 

「それで。私の話はもうよろしくて?」

「ウェ……な、なにさ」

「『なにさ』も何もないですわ。私は話しましたわ、ですから次は貴方の番。そう言いたいだけですの」

「……」

「貴方の下手糞な話題転換に付き合ってあげたのです。少しくらい私に役得があってもよろしくなくて? まあ、どうしても言えないデリケートな悩みなら仕方ないですが」

「下手糞って何さ! ……むー……笑わない?」

「笑いませんわよ」

 

 真摯(しんし)に心配してくれるマックイーンにさしものテイオーも観念。一呼吸分の間を置くと、ゆっくりと語り出した。

 

「……誰にも言わないでね? 例の幽霊の話。あるじゃん」

「ありますわね」

「あれさ、ちょっと噂が広まりすぎて生徒会の議題にも上がったんだよ」

「あら」

「掲示板にも張り出されてるでしょ。『夜間の無許可外出は固く禁止します』って言うあれ」

「会長が怒り心頭だっていう話もちらほら聞いてましたが」

「その会長プンプンの噂も踏まえて幽霊対策の一環なんだよね~。で、対策がもう一個あってさ……」

「何ですの?」

「……夜間の見回りって(てい)でさ。その噂の幽霊さんの張り込みをするの」

「……張り込み? 幽霊の?」

 

 マックイーンが聞き返すと、まるで仕切りが取り払われたかのように、それこそ(せき)を切ってテイオーは喋り出し始めた。

 

「そう張り込み! 信じられないよね、でも会長の話を聞いてボクもなるほどって思っちゃったんだよ! その時はね! でも蓋を開けてみたらボクがやる事になってた! 深夜に! 一人で!」

「あ、あらあら。そう言えば夜間の自主的な見回りも実施予定と書いてありましたわね?」

「そうなんだよ~! ボクも会長のお願いだし、他ならぬこの学園の為だし全然嫌じゃない、嫌じゃないんだけどさ……なんか、この、そう……ちょっと踏ん切りつかないって言うか」

「……」

「勿論幽霊なんかが怖い訳じゃないんだよ。もう全然怖くない。全然っ! でも幽霊とかってボク会った事ないし、実際何してくるかよくわかんないし……その幽霊とか会話とか通じるかなって。レ、レースを仕掛けられたらどうしよう……ボク、首とか取られて……」

「……」

「あっ、いや負ける気はないけどさ! 無敵のテイオー様は絶対負けないもん! でもねでもねでもねぇ、ボク一人で幽霊に何が出来るって言うのさ~! 塩でも()けばいいの!? お(はら)いすればいいの!? スズカ先輩とかスカーレットとかは恐らく実体あるっていうけどまだ分かんないじゃんか、本当に幽霊だったらどうするつもり!? ボクは別に怖くないけど、もしものことを考えちゃうとどうしても悩んじゃって……!」

「……じゃ、じゃあこのあなたの横に散らばってるこのニンニクとかはもしかして?」

「な、なにって……幽霊対策だけど……あ! 笑った! 今笑ったよね!? 笑うなって言ったのに!」

「くっ、くくっ……くふふふっ……! に、ニンニクと塩はまだしも、コショウにローリエって……!」

「しっ! 仕方ないじゃんかよー! すぐに用意出来るのそれくらいしかなかったんだもん!」

 

 これで笑うなと言うのが無理である。

 幽霊という単語が出るたび耳も尻尾も力なく頭を垂れる反応もそうだが、まさかの幽霊対策が調味料全般とは! 一体何を料理するつもりなのか聞きたいくらいである。

 

「ふんだ、信じたボクが馬鹿だったよ」

「しっ、失礼しましたわ、くふっ……予想外過ぎて……ちょっとお腹が……ふっ、ふふふっ」

「マックイーン!」

「ん、んんっ! でもお陰で悩みは分かりましたわ。言わせて貰えれば幽霊なんてのはそもそも居ません。ですから貴方の心配は杞憂(きゆう)ですわよテイオー」

「って言ってもさぁ……」

「『幽霊の正体見たり枯れ尾花』と言うでしょう、実態なんて暴いて見たら案外大した事ないものですわ」

「キミは当事者じゃないからそう言う事言えるんだよー! と言うかこうなったらマックイーンも来てよ!」

「どうしてそうなるんですの!?」

 

 口からでまかせめいた提案だったが存外にしっくりくる案だ、とテイオーは思った。真剣な悩みを茶化したにっくきメジロまんじゅう*2にはもう同じ気持ちを味わって貰うしかない!

 

「『旅は道連れ世は情け』って言うでしょ? 困ってるボクを助けると思ってついてきてよ!」

「あ、貴方が任されたお仕事なのでしょう!? でしたらあなたがやるのが道理で」

「でも助け合うのが友達ってもんでしょ~?」

「この上なく都合のいい使い方の『友達』ですわね!? お断りします!」

「なんでだよー! 幽霊怖くないんでしょ!」「こ、怖くはありませんが夜更かしなど私には」

「話は聞かせてもらった! この世界は滅亡するぞ!」

「うわぁ!?」「きゃっ!?」

 

 そうしてきゃんきゃんひひんとやり合っていた所、急に真後ろから二人の首を描き抱いてきたウマ娘が現れた。そう、皆さんご存じ楽しい物大好きカオスの権化、ゴールドシップである。どこからともなく現れた彼女は二人の顔を満面の笑みで覗き込んでいる。

 

「なんだよなんだよなんだよ~! 楽しそうな話してるじゃねえかおいおい~!! その幽霊触れ合い体験ツアーって今日だよな!? おやつは300円までか!? バナナはおやつに含まれるのかよ~!?」

「ご、ゴールドシップ! ちょっと貴方どこから現れて!?」

「そこのテイオーのロッカーの中からだ。寂しいじゃねえかよ私の今の最推しウマに会いに行くツアーなんて、あたしを抜きでやるんじゃねえよ! ファンクラブ一号を舐めんなよ!?」

「絶好調だねゴールドシップ!? 勿論ボクは構わないよ、多分カイチョーも許してくれると思う!」

 

 ちなみにテイオーは許されなくても許してくれるまでねばるつもりであった。巻き添えは多ければ多い程良い。そしてそんなテイオーに気分良くしたゴルシの矛先は、当然ながら拒否の姿勢を取るマックイーンへと向かっていく。

 

「アタシの方が誰よりもアイツに詳しい。だからアタシが行くのは当然の話だ」

「結構だと思いますわ。でしたら私を放って二人で行ってくださいまし」

「おいおいおい。違う、違うんだよなぁマックイーン。お前の食ったスイーツより甘い考えだ。アタシが行くのは確定だ、テイオーも生徒会の仕事だ。じゃあお前は何だ? なんのために行くんだ?」

「何で行く前提になってるんですの! 行かないと言いましたわよね!?」

「細けえことを気にすんな! いいか、アタシはお前達にアイツの素晴らしさを教えてあげたい……そしてゆくゆくは学園皆に認めて欲しいんだ! つまりマックイーン、お前は生き証人だ! 生きて帰って、皆に伝えてあげてくれ……! アイツの伝説を……!」

「嫌ですわ!?」

「その話し方だとボクとゴルシが犠牲になるパターンじゃんかー!」

 

 腕のロックを外そうとじたばたもがくマックイーン。しかしながら剛腕は一向に外れる事なく、逆にゴルシから見て無防備なマックイーンの耳が狙われ始めた。

 

「オラッ、マックイーン行くぞっ! 夜中のファン感謝祭だオラァッ!」

「ひいぃぃぃぃっ! 耳に息を吹きかけないでくださいまし! やめてくださいまし! やめてくださいまし!?」 

 

 暴れるマックイーンは最後までゴールドシップから離れる事が出来ず、執拗な耳への攻撃に音を上げて渋々と同行を許可。深夜の見回りパーティはめでたくテイオー、マックイーン、ゴールドシップの3人になったのだった。

 

 

*1
サイレンススズカ特有の無意識に長時間左回りにクルクル回り続ける癖。結構回る。ぐるぐるぐる。

*2
もちもちほっぺをお持ちのメジロ家のご令嬢の蔑称。実際にモチモチしてる。怒ると余計ほっぺがもちもちする。




銘菓メジロまんじゅうの発売をお待ちしております。


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第7レース トレセン学園 芝1000m(長距離) 右・外 深夜

ムムムムッホアァァッ
タイトルは誤字じゃないです。

※速度がちょっとバグってたので直しました(ハロン15→17)
 まだおかしい?気のせいです


「それじゃお嬢ちゃん達、お願いするよ。これライトね。俺は詰め所におるから何かあったら無線で連絡頂戴な」

「はひ……ががが、頑張ります!」

「そ、そんなガチガチにならんでいいんだよ? 怖い物は何一つないからさ」

 

 と、3人が警備員から人数分のライトを受け取ったのが午前0時の事。

 学園に突入したのがそれから10分後の事。

 そしておっかなびっくり真夜中の学園内を進んでいるのが今現在である。

 トウカイテイオー、メジロマックイーン、ゴールドシップは生徒会の作戦通り(?)深夜の見回りを実施していた。

 

「うぅぅぅ~~~……」

「……ど、どうして私がこんな羽目に……!」

「~♪ ~♪」

 

 ジャージ姿に身を包み、手に手にライトを持ち、薄暗い闇の中を切り裂くような光で照らして進んでいるのだが、テイオーとマックイーンは噂の陰に(おび)え無意識に体を寄せ合う形になっていた。

 それも仕方ない事か、深夜の校舎は昼間と違ってどこか人を寄せ付けぬオーラを放っているようで、随所で頼りなく光る非常灯も相まってどこもかしこも幽霊が隠れているように思えて仕方がない。

 そんな中、唯一恐れもなく楽しそうにしているのがゴールドシップただ一人。

 暗闇なんぞなんのその、鼻歌を歌いながら意気揚々と先導している彼女は何故かジャージの上から法被(はっぴ)を着て、両手にはサイリウム、頭にはハチマキを巻いていると来た、完全に楽しむ気満々である。

 

「ご、ゴールドシップ早いよ~……! もうちょっとペース落としてよ……!」

「ああん!? ナマ行ってんじゃねーぞテイオー! 今日と言う日を逃したら次はいつ会えると思ってるんだコラァ!」

「そもそもの話今日会えると決まった訳では……うぅ」

「マックイーンマックイーンマックイーンンンンン~~、会えるか会えないかじゃねえ。会うんだよ! 信じればアイツと会える! あたしは今日会えることを確信してるぞ!」

 

 この日の為にうちわもバッジも作ったんだからな! と隠し切れぬ興奮を顔に表すゴールドシップ。そんな事を言われても二人は全く乗り気になれなかった。何が嬉しくてこんな深夜に幽霊と出会わないといけないのだ、と表情も態度も真向から不機嫌を表している。そんな二人を見るにみかねたか、肩を(すく)めたゴルシがたしなめるように助言をしだした。

 

「それにな、アイツって誤解され易いけどいい奴だぜ? 別に変な奴じゃねーって」

「変じゃないなら噂になりませんわ!」

「そりゃごもっともだ! おっ、ゴルシレーダーが反応――この反応の強さ、間違いねえアイツがいるぞ! 皆の者続け続け続けー!」

「ちょっちょっと待ってよー!」「ゴールドシップ!? お待ちなさいな!」

 

 ぐりぐりとレーダーのように耳を回したゴルシは何をキャッチしたのか学園の奥に駆けてゆき、置いて行かれたマックイーンにテイオーも追わずには居られなかった。

 

 しかしながら深夜の学園の怖い事怖い事! 

 既に入学してから数年が経つ。最初は物珍しかったこの場所も既に慣れ切ったと言っていいのに、完全に陽が沈み切るとこんなにも恐ろしい場所に変貌(へんぼう)するとは!

 マックイーンとテイオーの耳はすでに力なく垂れ下がり、不安そうな顔を隠す事も忘れてちらちらと周りを(うかが)いつつ移動する。闇夜に潜むお化けが出ない事を祈るばかりであった。

 

「おぉーい! ここだぞここー!」

 

 そして辿り着いたのが問題の場所。トレセン学園が誇る巨大グラウンドである。

 ぶんぶん振り回されているサイリウムのお陰で宵闇の中でも何とかゴルシの存在を確認できるが、夜のカーテンが落ち、バックライトすらついていないグラウンドはまるで異形の地だ。

 普段なら一蹴出来るような馬鹿げた噂話の筈なのに、宵闇に染まったコースをいざ目の当たりにすると幽霊が現れてもおかしくないと言わざるを得ず、二人はまるで初めてレースを走った時のようにガチガチに緊張しながらグラウンドに足を踏み入れたのだった。

 

「オイオイオイ~、大丈夫かよ二人とも~? 何ビビってんだ、あぁん?」

「ビビってなんか! って、ていうかホラ今日の所はもうよくないかな……? 流石に幽霊さんも今日はいないよ……」

「そ、そうですわね。アポも無しでいきなり訪問も失礼な話ですわ。きょ、今日の所は手紙だけでも残してまた後日に……」

「――弱腰になってんじゃねーぞテメーらぁっ! 見回り行くぞオラーッ!」

「ひゃあんっ!?」「やだよー!」

 

 ゴルシがどこからともなく取り出したハリセンで逃げ腰二人組のお尻を狙い始めた。巻いたハチマキの隙間にサイリウムを立てて追いかけてくるその様相はまさしく悪鬼そのもの。余りの剣幕に反射的に逃げてしまった二人は深夜のターフで鬼ごっこをする羽目になった。

 

「大体の話っ、私は関係ないのにどうしてーっ! おかしいですわっ! おかしいですわ~~~っ!」

「うええええん! ボクだってこんな所で来たくなかったよー! 会長のバカー!」

「ぐへへへへ、逃げるな逃げるなウマ娘ども……! 私の首返せ~~~!!」

「「ぴぃぃぃぃぃっ―――!!」」

 

 前へ後ろへ、左へ右へ。固まって逃げる二人に迫りくるゴルシ。

 ステイヤー二人組を相手に息を切らすことなく追いかけてくる追込*1特化のゴルシのスタミナはやはり尋常ではない。

 そして二人の脳裏に捕まって無残にも尻を叩かれてしまうイメージが浮かびあがった頃、急にマックイーンの足がぴたりと止まり、驚いたテイオーは前につんのめりそうになった。

 

「ちょっ、何やってるのマックイーン! 早く逃げないと……」

「――あ、ああ……あぁあぁ……あれ、あれあれあれ!」

「え? ちょ、何? マックイーン一体何を……えっ」

 

 マックイーンの顔が暗闇でも分かるくらい恐怖に(おのの)いていた。

 ま、まさか……と震える指先をテイオーが見てみれば――そこには案の定ゴルシとは違う薄ぼんやりと光る何者かの姿があった!

 

「「ぎゃぁあぁぁああぁぁ――――!!」」

 

 おおよそ少女らしからぬ金切り声がグラウンド上に響き渡る!

 二人は抱き合いながらその場にへたり込み、一歩も動けなくなってしまう……そしてそんな二人を差し置いてゆっくりと近付いてくる光る存在! 

 噂はやっぱり本当だった、幽霊は実在したんだ……! あまりの絶望に泣き出しかけた二人、そんな二人の前に(かば)うように立ち上がったのがゴルシである。

 

「ほら見ろやっぱりいたじゃねーか! おーいこっちこっち! こっちに来てくれよー!」

「や、ややややだああぁあー! 呼ぶなよバカバカバカー!」「おバカなんですの!? おバカなんですの!? なんで呼ぶんですのー!」

「おいおい何で泣いてんだよお前達、本来の目的はアイツと会う事だろ?」

 

 ……まあ実際は庇う事などせず逆におびき寄せたのだが。

 オタ芸が如くペンライト(さば)きで幽霊を招き寄せようとするゴルシに、泣きながらキレ散らかすテイオー達。

 その人物はスズカの証言通り頭を除いて薄っすらと発光しており、ゆっくりとこちらに近寄ってくる姿は宇宙人と言うよりかは殺人鬼のソレに近い雰囲気が出ていた。

 そしてテイオーとマックイーンが氷漬けにされたかのように震える中、とうとう(くだん)の人物がこちらに辿り着いてしまった。

 

 二人はまず思った。めっちゃデカイ……と。

 

 ウマ娘の中でも1、2を争う大きさのゴールドシップを遥かに超える高身長。

 ジャージで包まれても尚分かる体の発光具合に、常に力なくへたれている()()()()()()()()()()()尻尾。そして近寄って初めて分かる、例の被り物! 

 犬のような野暮ったい鼻、ウマ娘のような長い耳、まるで死んだ魚のような大きな目と、虚ろに開いた大きな口はどれも恐怖心を否応なく煽るものであり、口と鼻の両方からふしゅーっと漏れ出る荒い吐息も相まって、何を仕出かしてくるのか分からない恐ろしさがあった。

 

「よー! また会えたなー! なあまたここにサインくれよサインー!」

……前もやっただろう

「2回目でもいいだろー? サインってのは一度貰ったら終わりじゃねえんだよー! ホラ、このハッピ! 背中に頼むぜ! ゴルシちゃんへって書くのを忘れずになー!」

 

 テイオーらが恐怖のあまりに声も出せない中、ゴルシだけは平常運転だった。

 彼女は憧れの人物に出会えたファンそのものの反応を見せており、そして件の幽霊もまた普通にゴルシと話しているのだから二人は頭がおかしくなりそうだった。

 

……条件がある

「おういいぞー。レースだろ? 誰とやる? 今日はなんと3人揃ってるぞ! 全員中~長距離得意な奴だから、アンタの得意な短距離はいないけどな~」

「ぴえっ」「ちょ、ちょっと……!」

 

 そしてやり取りを茫然(ぼうぜん)と眺めていたら話の雲行きがいきなり怪しくなっていた。よりにもよってゴルシが白羽の矢を自分以外の二人にも向け始めていたのだ。

 幽霊の視線が二人へと注がれ、テイオーらの尻尾がピンと逆立った。

 感情の読めない虚ろな目の奥で、確かに見える光る鋭い眼。それが二人をジロジロと品定めをしており――途中で何故かマックイーンへと視線が固定されてしまった。マックイーンは露骨に怯えた。

 

「ひ、ひぃぃぃ……! 食べないでくださいましぃぃ……!」

……別に食べたりはしないが……こんな所で会えるとはな

「……へ?」

 

 意味も分からず間抜け面をしてしまうマックイーン、この幽霊はこちらの何を知っていると言うのだろう。これもまた有名税だというのか? あぁそれにしても顔が怖い! 怖いですわ! と限界まで顔を仰け反らせていると、二人の間に唐突に腕が差し込まれた。それは意外な事にテイオーの腕であった。

 

「――レースだったらボクが……ボクがするから! マックイーンは関係ないから手を出さないで!」

「て、テイオー……」

「そもそもこれはボクの仕事だもん! ゆ、幽霊さんとの話し合いはボクだけがやるべきだったんだから!」

 

 涙を目に一杯貯めて、震える体で必死に親友を庇おうとするテイオー。

 そんな彼女の姿に流石に気圧(けお)されたのか、幽霊もまた数歩後ずさった。

 

……すまない。脅かすつもりはないんだ

「だから言っただろ~。()()()()()()()()()()()()その被り物はこえーってさ。おいテイオーにマックイーン、大丈夫だって。別にこの人はそんな取って食ったりするような事しねーって。単純にレースがしたいだけなんだよ。なぁ?」

……その通りだ……レースに勝っても負けても、そっちをどうこうするつもりはない

 

 二人してそう言うが本当の事なのだろうか? ただゴルシが真面目トーンで話す時は大抵真実であるという事を二人は知っていた。一信九疑を半信半疑程度まで回復させた事で、ようやくテイオーもマックイーンも全身に纏わりつく恐怖を少し剥がす事が出来たのだった。

 

こちらが度々指定するようですまないが……1000mで頼む。この地点から、向こうのグリーンウォールの辺りまで」

「直線1000mじゃなくてカーブありでの1000m? 随分と短いんだね……いいよ。でもレースやるならこんな真夜中じゃなくたっていいのに」

「……」

 

 体側、浅い伸脚、軽い跳躍(ちょうやく)、膝の屈伸――テイオーと幽霊がスタートライン前でそれぞれ準備運動を始める。レースとなるとスイッチが入るのか、テイオーには先ほどまでの恐れは微塵(みじん)も見られず、打って変わって小柄な体格から発せられる圧力を幽霊は全身で覚えていた。

 

「――分かったよ、でも今は明かりも何もないよね。走って転んじゃう可能性が結構高い気がするけど?」

「おー抜かりはねーぜ、ちゃーんと対策してあるぞ」

 

 片手でサイリウムを(もてあそ)ぶゴルシがコースを(あご)で指す。

 気が付けばターフの内ラチの近くに数百メートル間隔でサイリウムが転がっている。全体的な暗さは変わらないが少なくとも前よりかは走りやすくはなったようだ。

 

「うん……なら走るよ。でもそっちがお願いするんだったら、ボクの方からもお願いしていい?」

……なんだ?

「ボクが勝ったら二度とこんな真似をするのはやめて。キミの噂で怖がっている子がいるんだ、だから……!」

…………あぁ。それで構わない

 

 (かす)かな怯えをその目に宿しながらもしっかりと言い切ったテイオー。

 その確かな強い意志に根負けしたのだろうか、幽霊もまたしばらくの逡巡(しゅんじゅん)の後、(うなず)き返したのだった。

 

「おい、いいのかよ? お前それじゃ――」

「遅かれ早かれここで走れなくなる日が来ると覚悟はしていた――そして、騒ぎになってしまったなら、もうこのコースで走るのはおしまいだ」

「けどよ……」

「別にあきらめる訳じゃない。俺は挑戦し続けるさ」

 

 ゴルシが納得行ってなさそうに息を吐き、マックイーンは二人のやり取りを怪訝(けげん)そうに見つめる。そして幽霊は……改めてテイオーに向き直ってこう宣言した。

 

試させてくれ。今の俺の実力が、どこまでキミに通用するのか

「いいよ。挑戦されるのには慣れてる――負けてあげないからね」

 

 すっ、とテイオーの目が細まるのを見て、マックイーンは彼女がゾーン*2に入ったことを悟る。今の彼女はレース以外の事を限界まで遮断(しゃだん)した、レースに特化した1つの生命体だ。対する幽霊も顔こそ見えないが張り詰めるような雰囲気はまるで研ぎ澄まされたナイフのように見えた。

 スタートラインに立ち並ぶ二人は体格も、そしてスターティングのポーズも違う。唯一同じものがあるとすれば、そのレースにかける熱意だけだろう。

 

「いちについて――ようい」

 

 マックイーンの声が深夜のグラウンドに木霊(こだま)する。

 テイオーの体が一層の前傾姿勢になり。

 幽霊の腰が、くん、と持ち上がった。 

 

「スタート!」

 

 そしてマックイーンが片手を勢いよく下げた途端。

 2つの風がターフを駆け抜け始めた。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 マックイーンの目から見れば、幽霊は出掛かった*3ようにしか見えなかった。

 スタートダッシュのキレは良かった。ウマ娘としては異例のクラウチングスタートで始め、その長い脚を使ってぐんぐんと前に行くスタイルは、あの短距離の王、サクラバクシンオーを思わせる美しさがあった。

 だが前を行けたのは最初の数十メートルだ。

 テイオーの小さな体に包まれた大型エンジンで、どん、どん、どん! と地面を踏み抜けば瞬く間に彼我の距離が開いていく。

 一度火がついたエンジンは更に回転数を上げていき……三馬身。……五馬身。……あっというまに十馬身の差が出来ていた。

 そちらのエンジンはまだかからないのか? 後半で勢い付いていくのか? そんな疑問も置き去りに、互いの距離は数えるのも馬鹿らしい大差になっていた。距離が1000mなら、今ここで仕掛けねば到底挽回(ばんかい)出来ない致命的な差であった。

 

『いや、あいつの実力はすげーよ』

 

 マックイーンはゴルシの言葉を思い出していた。

 掛け値なしに賞賛した彼女だが、こんなのでは到底実力など感じ取れない。今日は偶然調子が悪いとでも言うのか、と隣で眺めている彼女をつい見れば、何故かタイムストップ片手にゴルシは驚いていた。

 

「あいつ……マジかよ。前より早くなってるぜ」

「はぁ?」

「っし結果は……1ハロン17.5秒! おいおいマジかよ、信じられるか!? 数週間かそこらで1.5秒以上更新! こんなに向上するもんかよ!」

「……いえ、そのペースは大分どころかかなり遅いのではなくて?」

「うおおぉっ!? おい来るぞ魔の第一カーブだ! 頼むっ、行けるぞ! 今度こそ行けるぞ!」

 

 こちらの話も聞かずに謎の盛り上がりを見せているため、マックイーンもまた視線を戻す。

 既にテイオーが第一カーブ終盤なのに対して、ようやくカーブに足を踏み入れた幽霊はやはり遅いと言わざるを得ず、このカーブで一体何を見せてくれるのだ、と呆れ半分で見守っていると――

 

「え?」「あっ」

 

 カーブに差し掛かり、幽霊の前足に体重が乗る。そして速度の低下を嫌って慣性を殺さずに無理やり体重を右に傾けた結果、足の踏み込みが(おろそ)かになった、ように見えた。

 そして慣性と体重を支え切れずにバランスをあっという間に崩した幽霊は、速度を殺しきれずに前のめりに転倒。聞くに()えない酷い音を立て、何らかのパーツをばらばらと零しながら数十m以上転がっていった。

 

「あちゃ~~~~……ダメだったか。カーブはやっぱ難ありだな」

「それどころじゃありませんわよ!? ちょっと、大丈夫ですの? もし!」

 

 露骨に残念がるゴルシをさておいて転倒した幽霊の元へと急ぐマックイーン。

 幽霊が転倒する、というのもおかしな表現だが、かなり派手に転んだのだ。遅いとは言えあの速度での転倒も致命傷になりうる。

 向かう先々で点々と落ちている、恐らくはあの被り物と思われるパーツ。ダンボール製と思われる目や口の部分が無残にも引き裂かれ、そして芝にまみれて転がっている。尻尾らしきものまで千切れているのは口が裂けても大丈夫だとは言えないだろう!

 

 スプラッタな光景を想像してしまうマックイーン。

 しかしライトを片手に現場を照らせば、五体満足でうつ伏せに倒れる幽霊の姿があった。

 当然マックイーンも事ここまで来て最早幽霊だとは思っておらず、そして薄々とその正体に気付き始めていた。

 

「大丈夫ですの!? 怪我は、痛みは!?」

う……いや、大丈夫だ……咄嗟(とっさ)に受け身もとった

「本当ですの? そうですか……良かったですわ。でも後で精密検査は受ける事ですわ……」

言葉もない。恥ずかしい所をお見せした……

「それで」

 

 兼ねてから違和感を覚えていたのだ。目立つ細長な痩躯(そうく)。声のトーンに口調。レースそのものを目的とする言動。そしてこちらへの反応。

 最初は何も言わずにおこうと思った。だが、互いの関係性を隠してくれた被り物はもう壊れて役目を果たしておらず、他ならぬその顔をマックイーンは見てしまった。

 

「それで――なぜこのような真似を? ジェシーさん」

 

 起き上がったその人物の顔を、ライトが照らしていた。

 そこにいたのは紛れもなく例の用務員。ジェシー・応援であった。

 照らされたジェシーの顔は、非常に悔し気な表情をしていた。

 

 

 

 

「……あのー。ねえ。ボク勝ったんだよね? もう戻っていいの? おーい!」

 

 

 

 

*1
スタート後、無理をさせずに後方につけスタミナを温存し、最後の直線で他ウマ娘をごぼう抜きする戦法の事。

*2
集中力が極限まで高まって、他の思考や感情、周囲の風景や音などが意識から消えて、感覚が研ぎすまされ、活動に完璧に没頭している特殊な意識状態のこと。

*3
何らかの理由でペースを乱し、予想以上にスタミナを消費してしまう事。かかり。出掛かりの場合はスタート直後のペース配分ミス。



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第8レース 叶わぬ夢に挑むUMA

ホアッホアッムッ
難産でした…テンポ挙げて書く…書くぞ…


 コースから少し離れた渡り廊下。宵闇の輪郭(りんかく)をぼやかす非常灯の下で、素顔を(さら)した用務員ジェシーとマックイーンらが集まっていた。

 ジェシーは正座、それ以外は囲むようにして立ち。近くには謎生物の被り物、その残骸がまとめられ、ジェシーの体から発せられる薄ぼんやりとした光に照らされて何とも言えない無情感を()き立てていた。

 

「……」

「……」「……」「……」

 

 噂の幽霊の正体に辿り着いた。

 しかしてマックイーン達はその正体を前にして誰一人口を開くことが出来ていなかった。

 糾弾(きゅうだん)すべきなのは確かだが、このような真似をする意図が読めない以上、何を話したらいいのか分からなかったからだ。

 

「……色々と聞きたい事が多すぎて何を話したら良いものか」

「そうだね……それでマックイーンはこの人の事を知ってるようだけどさ、知り合い?」

「テイオー、今日話していたでしょう。この方が最近仲良くさせて貰っている用務員さんですわ」

「嘘っ?! この人が?!」

 

 トウカイテイオーは驚いた。いや、こんなの誰だって驚くだろう。マックイーンの噂の相手がまさかウマ娘の恰好をして夜な夜なレースを仕掛ける変態だったとは! 

 世の中には理解が及ばない人がいるから気を付けなさい、と両親に口酸っぱく教えられた事を思い出し、テイオーは思わず距離を置いた。

 

「これから幾つか質問をさせて頂きますが、正直にお答え願えますかジェシーさん?」

「……あぁ」

「今、学園では『首のないウマ娘の幽霊が夜中に出没する』という噂が広がっていますが……その正体は貴方ですか?」

「……噂されている事実はつい最近知ったが、恐らく私がそうだ」

「深夜にこの場所に現れてはウマ娘とレースを?」

「……そうだ」

「毎日ここに現れては、来るかも分からないウマ娘を待っていたんですの?」

「……待ってはいないし連日でもない。偶然出会えたのならばレースを仕掛ける――そのような感じだった」

「以前、サイレンススズカ先輩にレースを仕掛けたのも貴方で間違いはないでしょうか?」

「……? 誰だ?」

「あー、髪が長くて、小柄で。走る事がとにかく大好きな娘だよ。うっかり深夜の学園に忍び込んで走ってた奴」

「……あの美しく、しなやかな下腿三頭筋(かたいさんとうきん)*1を持つ娘か」

「どういう識別してるのさ……」

 

 一連の回答でやはりジェシーが噂の主であり、ただの愉快犯ではないのが分かった。しかしマックイーンは折角親しくなった人物が犯人だったことに少し裏切られた気分になった。

 真摯(しんし)で、変に真面目で、それでいて話の合う面白いお方――そう思っていたのに。一抹(いちまつ)の憂鬱を顔面に漂わせた彼女は質問を続けた。

 

「誰かを脅かす目的でやってたんですの?」

「……違う、脅かすつもりなんてなかった。ただ練習をするのが目的だった」

「ではどうして夜中に?」

「……人に見られずに練習をするなら、深夜以外考えられなかった」

「昼間でもどこでも練習は出来るでしょうに、なぜここにこだわったんです?」

「……どうしてもこの場所を使いたかった。このグラウンドが、私の練習に最も適しているからだ」

「なぜ人に見られてはいけないのです? それは貴方の恰好に関係があるんですの?」

「……関係がある」

「では、そのような恰好をする理由は?」

「……」

「貴方の体が発光する理由は?」

「……」

「練習の目的は?」

「……」

 

 核心に近付くにつれて相手の口数が減っていく。

 両手の指で数えられる程の会話しかしていないが、ジェシーは誠実なタイプだとマックイーンは認識している。そんな相手が黙るのだ、言えない理由は恐らく気まずさではないだろう。

 言えないなら言わなくてもいい、という気持ちもあった。だけどこの質問だけは答えて貰わなければいけなかった。

 

 恐らくは騒動の核心に触れる質問。

 それに触れる事でどのような結末が起こるのか、聡明な彼女は分かっていた。

 しかし、このような騒動を起こした以上聞かない訳にもいかないのだ。

 マックイーンは覚悟を決めて口を開いた。

 

「貴方は……()()()()()()、どうしてウマ娘とレースなんてしようとしたんです?」

 

 ジェシーは(うつ)いたまま何も言わない。

 だがその質問をした途端、膝を抱えるジェシーの手が強張った気がした。

 

「動機は大方理解できます……私達と同じくらい早く走りたい、そう言う目的なんでしょう?」

「……」

「ですが我々ウマ娘と人間では基礎身体能力が根本的に違うのは、この学園で働くならば――いえ、何よりもウマ娘を調べた貴方ならば分かる(はず)ですわ」

「……」

「そしてデータだけではなく身を持って知ったでしょう。我々には到底敵わないと言う事が」

「……まだ、分からない。私の限界は出尽くしていない」

「いいえ、()()()()()()()()()()()()()()。1000mという短い距離で、スタート直後から10馬身以上の大差。それを中盤、後半でも(くつがえ)す事が出来ないのは(いちじる)しい実力差があるという事」

「……」

「転倒など論外中の論外です。コーナーも曲がれないなんて勝負の土俵にすら立てておりません」

「……っ」

「ウマ娘と同じくらい走れるようにトレーニングを頑張る? ダンスも? 結構ですわ。ですがそれで我々と競い合えると思わないで下さいまし」

「ね、ねえマックイーン……」

「テイオー。黙ってて頂けますか? 今は私が質問をしているんです」

 

 マックイーンらしからぬ苛烈(かれつ)な口調に思わず口を挟むテイオー。

 だが他ならぬマックイーンがそれを拒絶し、ゴールドシップもまたテイオーの肩に手を置いて首を振った。

 

「ジェシーさん。貴方が我々に(あこが)れていると言う話は十分に聞いていますわ」

「憧れ故、我々に近付こうとする気持ちも理解出来ます」

「いつかウマ娘よりも早く走りたい、という夢を持つのも否定いたしません。ですが」

 

「叶わない夢に挑むのはお辞めなさい。ただの時間の無駄です」

 

「ッ!」

 

 一方的に言われ続けていたジェシーが思わず立ち上がる。

 彼我の身長差は30㎝以上。テイオーはその厳めしい顔から発せられる威圧感に怯えたが、マックイーンは目を逸らさず、そして態度すら変えずに真っ向から立ち向かっていた。

 

「叶わないと何故分かる」

「分かるでしょう。貴方は人間、私達はウマ娘。それだけでもう差は歴然です」

「それは自分が人間より優れているからこその(おご)りか?」

「貴方がた人間を下に見ている訳ではありません、単純な実力差を見てそう言っているのです。現に、過去に一人たりともウマ娘より早く走れた人間はいない」

「その先駆けに私がなる、ただそれだけの話」

「現実が見えていらっしゃらないようですわね。では貴方はこれまで一度でも手応えを感じた事は? 全てにおいて大差をつけられたのではなくて?」

「……今は、まだ。だがいずれは……!」

「『いずれは』『いつかは』。希望を感じさせる素敵な言葉ですわ。ですが我々の舞台は遊びで足を踏み入れるような世界ではない事をお分かりになって欲しいですわ」

「……ッ!」

 

 途端にジェシーが激情に任せマックイーンの首根っこを掴もうとしだした。

 その暴挙に静観していたゴルシも一瞬動き出そうとしたが、すぐに動きを止める。

 何故なら掴もうとした瞬間、ジェシーの腕をマックイーンが逆に掴み返していたからだ。

 年齢は一回り程違い、体格差も歴然の二人。だと言うのにマックイーンはゆっくりと、そして軽々とジェシーの腕を力で離していく。まるで、お互いの力量を分からせんがために。

 

「今、何と言った……!」

「我々のレースは遊びで挑むような優しい世界ではない。そう言いましたわ」

「私のは遊びなんかじゃ……ない……!」

「まあ呆れた。貴方本気だったんですの? だとしたら――それこそ不山戯(ふざけ)た話ですわ!」

 

 手を振り払ったマックイーンが詰め寄り、ジェシーは思わず後ずさった。

 

「毎年数百数千のウマ娘と競い、その中でたった一人の頂上を決めるのがトウィンクル・シリーズ、様々な強豪達が自らの真なる存在意義を賭け、全身全霊で挑んでいるのです!」

「なのに貴方は何ですか? そんな実力で、そしてあまつさえそんな被り物をして我々に挑む!? 冗談もほどほどにして下さいまし!」

「貴方に精々出来るのは真似事だけ! そしてその真似事では我々には一生辿り着けない! それをいい加減理解なさい!」

 

 強い剣幕でジェシーを壁に追い詰めたマックイーンはひとしきり言い切ると、その長い睫毛(まつげ)を閉じて静かに距離を取った。

 

「目上の方に、淑女らしからぬ無礼な発言を致しましたわ。ですが許せとは言いません」

「……」

「……ウマ娘と人間では根本から住む世界が違うんですの。挑む相手は我々ではなく、同じ人間になさい。ジェシーさん」

「……」

 

 以上ですわ、とマックイーンが最後は静かに締めくくると、ジェシーは項垂(うなだ)れ、そしてよろよろと床に膝をついた。

 途端に訪れるのは重苦しくも痛い静寂。その中でテイオーは一人オロオロしていた。

 二人の関係性や動機についてはよーく分かった。でもこの(いびつ)に育った空気をどうすればいいと言うのだ! と声なき唸り声を上げていた。

 正直な話、このジェシーさんとやらが夢を追おうが(あきら)めようがテイオーにとってはどちらでも良かった、彼女にとって例の幽霊騒ぎが収まればそれで一件落着なのだから。

 

「え、えーっと……ジェシーさん? その……貴方はもう深夜に走り回ったりはしない、でいいんだよね?」

「……」

「あの~……」

 

 勇気を振り絞って聞いて見ても、余程(こた)えたのかジェシーは黙すばかり。

 もうありのままの事を伝えるしかないのかなぁ、とテイオーが今の今まで放置していた警備員用無線に手を伸ばそうとした……その時だった。不意に横から伸びた手が、それを(さえぎ)った。

 

「マックイーン。だがそれでもアタシはこのジェシーを推すぜ」

 

 ゴールドシップである。

 彼女はジェシーを(かば)い立てるようにして、マックイーンに語り掛け始めた。

 

「……貴方、どう言うつもりですの?」

「言った通りだぜ? 確かにお前さんの言う通りだ。ジェシーが進む先は茨の道だ。(くつがえ)す事なんて不可能に近いだろう」

「面白がって持ち上げるような事を言うのはおやめなさいゴールドシップ。不可能に近いじゃなくて、不可能なんですの。始まる前から分かりきってる事ですわ」

「おいおい、今までありえなかったから今後もありえない、なんてつまんねー事言うつもりか? お前がジェシーの事を思ってあえてキツイ言葉をぶつけてるのは良っく分かるぜ。憎まれてもいいから馬鹿な事はやめさせたいんだろ? 本当優しい奴だよなーお前って」

「なっ!? 私はあまりの無謀さにただ……そういう訳じゃっ!」

「『もう友達として話せないかもしれない……』って尻尾がしゅーんってなってるのが見え見えなんだって全くよ~」

「~~~っ、ちがっ、ちゃ、茶化さないで下さいまし!」

 

 咄嗟に尻尾を抑えて顔を赤くするマックイーンに、重ねてゴルシは語り掛けた。

 

「まあ話を聞けって。確かに現時点ではウマ娘に遠く及ばない、だがコイツはやってくれるってアタシは信じてる。今日の走りでそれを確信した」

「はぁ? 貴方ねぇ、いくらなんでも」

「こいつのさっきの記録は1ハロン17.5秒、これがどういう意味が分かるか?」

「……それが、何だと言うのです?」

 

 ハロンを使う以上速度の事だろうが、現役ウマ娘から見ればそれは呆れるほどの遅さだ。

 校内で打ち立てた記録で真新しいのはエイシンフラッシュが出した、上がり3ハロン32.7秒*2という記録。それは1ハロン換算で10.9秒。ジェシーのそれとは約7秒以上の開きがあるのだ。

 マックイーンが(いぶか)し気に見ると、ゴルシはにんまりと笑った。

 

「人間の200m走の世界記録は19秒。コイツは非公式ながらそれを1.5秒塗り替えているって事だ」

「……!」

「しかもつい最近までは同じ19秒だったのに、たった2週間でタイムを塗り替えやがった……2週間で1.5秒の更新だぞ!? ありえねえ成長速度だ!」

 

 マックイーンの表情に驚きが混じる。

 彼女はここに来てゴルシが頻繁(ひんぱん)に彼の実力を推す理由を初めて理解した。

 ジェシーには破格の才能があったのだ――そう、()()()()()()

 

「ジェシーは『私の限界は出尽くしていない』って言ってた、ならアタシは見届けてぇ。コイツの言う限界がどこまで行けるかってのをな!」

「……」

 

 マックイーンの顔が自然とジェシーへと向かい、そしてジェシーの目線とかち合った。

 それは厳めしい顔つきによく似合う、静かに燃え盛る情熱の炎。マックイーンはその眼に見覚えがあった。

 

 四方数十万キロに広がる広大な地球、その中のたった数キロの距離に命を懸ける――ライバル達の目そのものであった。

 

「――確かに、人間の中では速いのでしょう。ですが、我々の主戦場は1000m以上がベース。200mかそこらでバテるようでは話にならないのですのよ?」

「ジェシーお前なら出来るよな! やってくれるよな!?」

「……あ、あぁ走って見せる」

 

「第一カーブも曲がれないのに?」

「第一カーブなんてコツ次第で何とでもなるぜ、見せてやろうぜ相棒?!」

「……ま、曲がって見せる」

 

「まだまだ我々と速度の開きもあるというのに?」

「数秒の差なんて屁みたいなもんだよな! こいつは二週間で1.5秒縮めた奴だぜ!?」

「……さ、差も(くつがえ)して見せる」

 

 何故かゴルシが合いの手を入れる異様な状態ではあるが、ジェシーもただ乗せられるだけではなかった。

 ジェシーはまるで騎士が誓いを立てるかのように膝立ちになり、マックイーンを強い意志で見つめ返していた。

 

「本気……ですのね? 本当に、ウマ娘より早く走りたいんですの?」

「……あぁ。昔、約束したんだ。絶対にウマ娘より早く走ると……!」 

 

 約束がどのような物かは聞いていないし、今この場で聞くつもりもない。ただ、この方なら誰かの為に動くのだろうな、という漠然(ばくぜん)とした確信がマックイーンにはあり、それがジェシーに余りにも似合う物だから、気付けば彼女は笑っていた。

 

「よーし、話は決まったな! ならアタシらでジェシーをウマ娘よりも速くするぞ!」

「ちょ、えぇー!?」「いきなり何を言ってますの?!」「……?!」

 

 そして突如大きく手を叩いたゴルシが言い出したのは、いつも以上に突拍子のない内容だった。

 

「何驚いてんだお前ら。今のはそーいう流れだろ。付きっ切りに練習見れなくてもたまにはアドバイスくらい出せるだろ~?」

「そ、それは……まあアドバイスくらいは良いですが……」

「なんでボクまで入ってるのさ!? あっ、あっ、えっと……いやまあアドバイス出すのはいいです……けど……ソンナメデミナイデ……」

「まあまあまあまあ! アタシに任せろって! 実はとっておきの協力者だっているんだぜ!?」

「協力者!? 協力者って誰ですの!?」

「というか待ってよ! ボクは会長に今日の事何て言えばいいのさー!」

「……」

 

 深夜のグラウンドに、騒がしい声が木霊する。

 足元で呑気にバラバラのままの謎生物は、我関せずと言った態度で風に揺られていた。

 

 

*1
下腿の筋肉の総称。 主に足首を屈曲させる動作をつかさどる。

*2
レース終盤の残り600mからゴールまでのタイムのこと。レースではこの600mを全力疾走する事が多い為、ウマ娘にとっての速度の指標になる。



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第9レース オーエンを応援する会

ホアァァッホアァァァッ
疲れました頑張るぞ…


 明るみが、果てしない遠方からにじむように広がってくる早朝。

 未だ日に照らされていない公園で、ジャージ姿のメジロマックイーンとジェシーがストレッチを行っていた。

 

「……」

「……」

 

 二人の間には会話という物が全く発生しておらず、まるで関係性が友人から知人に格下げになったかのような、そんな雰囲気だ。

 それも無理はないかもしれない。なにせ例のグラウンドでの一幕があってからまだ二日も経っていないのだ。それに、

 

(……この方、なんで性()りもなく被り物をしてらっしゃいますの……!?)

 

 事の原因を作った張本人が例の謎生物の被り物をして現れていたからである。

 つい先日に被り物をして挑むような真似はするな、と啖呵(たんか)を切ったばかりである。なのにどうして被り物をして来れるのか、マックイーンには欠片も理解が出来なかった。

 片手間程度の支援をするとは約束した。確かにした! だがその支援に対する態度がコレと言うのは、少し腹立たしく思えて仕方がなかった。

 

「……念を押させて頂きますが。適切なトレーニングが教えられるとは思っておりません。我々が教える事が出来るのはあくまでウマ娘向けのトレーニングだからです」

「……」

「これらはウマ娘の負荷限界を見越した内容であって、人間の負荷限界は考慮していませんわ」

「……」

「ひょっとしたら練習だけで貴方が潰れてしまうかもしれません、それでも――」

「構わない」

 

 脅しめいた説明はジェシーの熱のこもった発言にかき消され、梯子(はしご)を外されたマックイーンは不機嫌そうに足を運び始めた。

 

「それなら……まずはついていらっしゃいまし」

 

 小鳥のさえずり目覚ましい朝焼け時に、ジェシーとマックイーンの足音が静かに響き渡る。

 二人分のスニーカーの音は一定のリズムを刻み続けていく――

 

 

 

 § § §

 

 

 

 ジェシー支援プロジェクト『応援(オーエン)応援(おうえん)する会』は事件の翌日に急遽(きゅうきょ)発足した。

 

 名誉会長はゴールドシップが就任した。

 額に鉢巻、上着に横断幕、両手にサイリウムを装備した彼女は気合十分である。

 『人間(ジェシー)がウマ娘より早くなったらぜってーおもしれーだろ!』

 

 副会長はメジロマックイーンが押し付けられた。

 ゴルシの後押しと、一番ジェシーと仲が良いから、という理由からである。

 『待ってくださいまし! 何で私が!?』

 

 幹事はトウカイテイオーに白羽の矢が突き立てられた。

 トレセン学園や現トレーナー、その他人物との折衝(せっしょう)は全て一任されている。

 『地味に重要で嫌だなぁ!? ボクの役割重すぎない!?』

 

 そして保健委員としてアグネスタキオンが混じりこんだ。

 ジェシーに前々から接触していたと言う彼女はしれっと輪に入り込んでいた。

 『人間がウマ娘に挑むというテーマ……非常に好奇心を()かれるねぇ!』

 

「「なんでタキオン先輩がいるの!?」んですの」!?

「何でって……お前らジェシーが光ってる理由考えなかったのか?」

「普通に考えて体を光らす方法なんて限られるだろうに。君達、考えを止めるのは悪徳だよ」

 

 校舎裏に集まった後援会メンバーらが初めての顔合わせを行えば、ぬるりと現れたのはアグネスタキオンであった。

 特徴的な袖余りの白衣をパタパタさせた彼女は、さも当然だと言わんばかりにゴルシに同調していた。

 

「だ、だって前スズカ先輩やスペ先輩はタキオン先輩は関係ないって……」

「彼女達はそう解釈したのかい? だとすれば見当違いだったね。私は関係していると明言こそしてはいないが、精一杯のヒントは出したつもりだったがね」

「……ようするに見事にはぐらかされた訳ですわね」

「明言は避けて欲しいと念を押されたんだ、仕方のない話だと思わないかい?」

「……」

 

 タキオンは素知らぬ顔で(うそぶ)くが、マックイーンは実験対象が増えたことを公言されたくないだけなのではないかと疑っていた。が、追及は諦めることにした。何を言ってものらりくらりと(かわ)されるのは目に見えていたからだ。

 

「それで、プランとしてはどうするんですの? ウマ娘に並ぶ速度を手に入れると言うのは分かっていますが」

「とりあえずは足りない所を補うのが王道だよね。ジェシーさんの足りない所って言うと……?」

「まずはスピードだろ? スタミナだろ? パワーだろ? 知識だろ? 根性は……足りてそうだな」

「要するにほぼ全部……ですわね」

「分かりきっていた事さ。基礎能力の底上げは一朝一夕では行かない。長期スパンで臨むしかないだろうねぇ」

「と言っても、どうするつもり? ボク達のトレーニングってジェシーさんが耐えれる物なのかな?」

「練習場所の問題もありますわ。ランニング程度なら外で(まかな)えますが、パワートレーニング、坂路など……やはりトレセン学園のコースが最も練習に適しているのは間違いないですから」

「あとは練習時間だなー。流石に私らも自分の練習時間が必要だし、付きっ切りは出来ねーしな~」

 

 考えてみれば出るわ出るわ、大量の問題点。

 目標を目指すのは良いが練習内容、場所、時間、どれもまともに望めそうにない中で底上げをするのだ。無理難題だと言っても差し支えはなかった。

 

「……差し出がましいが、自分から案を出させて頂きたい」

「他ならぬキミの問題なんだ、是非聞いてみたいものだね」

 

 居心地悪そうにしていたジェシーが小さく手を挙げると、その場全員からの視線が集まった。

 制服姿の美少女4人組に囲まれた用務員という光景は、まるでカツアゲの現場のようにも見えて仕方がない。

 

「前提として、君達に可能な限り負荷をかけさせるような真似はしたくないと考えている。まずは自分のスケジュールは優先してもらいたい。これは最低限通したい筋だと考えている」

「でもそれじゃあ」

「……勿論、夢を中途半端にするような志など持ち合わせていない。君達を最大限に利用させて貰うつもりだ」

「いい度胸じゃねーか! で、どういう案なんだ?」

「常識的に考えて平日昼間~夕方は練習は難しい、君達は学業にトレーニング、そして私は仕事だ」

「うん」「そうですわね」

「夜は君達も寮生活だ。抜け出す事そのものがリスクになり得る、そうなると中々夜にトレーニングをすることは難しいだろう」

「なら残す選択肢は……早朝かい?」

 

 タキオンの言葉にジェシーは力強く(うなず)いた。

 

「考えるにそれ以外はないだろう。走るだけなら場所は選ばなくていい、公園も、神社もある。そして全員が早朝に集まる必要はないと思っている」

「一度に教えられる内容なんてたかが知れてるだろうしな」

「つまり、交代で見るって感じ?」

「その通りだ。そして、それは平日以外でも同様だと考える」

「おいおい。休日なら付きっ切りでもいーんだぜ?」

「非常に魅力的な提案だが……そこは君達にお任せする、休日なら練習場所は人間向けの陸上競技場が使用できるだろう。トラックは短いが、学園コースに近い練習は出来る筈だ」

 

 ジェシーの提案に文句のつけようはなかった。これで練習場所、時間については問題なさそうだ。だが肝心(かなめ)の練習については未だ決まっていない。

 これについてはジェシーは教えを()う側。考えるのは4人の課題であった。

 

「まずはジェシーさんの得意分野とかを知らない事には始まらないんだよねー」

「そういう事もあろうかと、少しばかりのデータなら此処にあるんだ」

「いつの間に!?」「へーどれどれ?」

 

 タキオンが懐から取り出した資料を目に通せば、体重、筋量、スピードの推移や所感などが、難しい単語や数式、グラフを交えて書かれており、好奇心で(のぞ)き混んだゴルシらの顔は一気に渋くなった。

 

「……タキオン先輩、大変申し訳ないんですが、この内容を説明して頂きますか?」

「ええー? 一応分かりやすく書いたつもりなんだけどねぇ……」

 

 仕方ないなぁ、の一言と共に用意されていたホワイトボード。

 そこに自然な様子でタキオンが何事かを書き連ねていく。

 

「これはジェシーの投薬実け……んんっ! 健康サプリメントのサンプリングとしてデータ収集をさせて貰った内容だ。適正距離や脚質の変化、筋肉量などをデータ化している」 

「ふぅん……これは距離適性*1についてですわよね。それは、勿論短距離ですわよね?」

「そう。当然ながら短ければ短い程向いている、スタミナ勝負はやめた方が良いだろうね」

「それなら1400よりかは1000mが良さそう。新潟競馬場*2を想定にするとか? あそこって直線だけだもん」

「ダートか芝だって言うと?*3

「芝の方が良いだろうね、ダートはパワーがないとスピードが出辛い、人間の足ではどうしても限界がある」

「脚質*4は?」

「馬群に揉まれるのはよした方が良さそうだ。逃げ切りか追込でやるしかないと思うがね」

「逃げはちょっと望めねーから追い込みだな……」

「幸いにもジェシーには長い手足がある、食いつく事が出来れば目はあるかもしれないね」

「でも食いつく程度じゃ……あれ、そっか。一位を取る事が目的じゃないんだっけ」

「そう。頭から抜けがちだが今回の目的はレースで一位を取る事ではない。誰か一人でも抜ければ目的は達成なんだ」

「考えもしないような観点ですわね……」

 

 わいわいひひん、ぶるるるん、と全員で盛り上がっていけば、あっという間にホワイトボードが埋めつくされていく。

 そして全員が知りたい情報が下記のようにまとまった。

 

 【UMA(ジェシー・応援)】

 ◆ステータス

 ・スピード:[G][6]   ・スタミナ:[G][5]

 ・パワー:[G][11]   ・根性  :[B+][835] 

 ・賢さ  :[G][20]

 ◆バ場適正

 ・[芝]  :[F] 

 ・[ダート]:[G]

 ◆距離適性

 ・[短距離]:[E]  ・[マイル]:[G] 

 ・[中距離]:[G]  ・[長距離]:[G]

 ◆脚質適正

 ・[逃げ]:[G]  ・[先行]:[G]

 ・[差し]:[G]  ・[追込]:[C]

 ◆最高速度:

  41.1km

 

「oh...」「うわ……」

「まあその……そうですわね」

「こんな感じだろうねぇ」

 

 一同が思わず口をつぐんだ。

 分かっていたが可視化してみるとかなり酷いステータスである。

 このステータスを専属トレーナーなしでメイクデビューレベルまで持ち上げるのは至難の業のように思えて仕方がない。全員がその気持ちを胸に抱くと、ジェシーが皆に大きく頭を下げ始めた。

 

「……君達に要らぬ負担をかけさせる事を申し訳なく思う。それと同時に深く感謝する」

「私の身勝手な夢を叶えるのは容易な道ではない事は十二分に承知している」

「だが、どうしても私はこの夢を諦めたくない。ウマ娘よりも速く走るという、夢を」

「欲しい物があれば何でも渡す。金銭でも、食事でも、どんな手伝いもする」

「そしてどんな練習でも、どんな指示でも全力で応える。たとえ失敗で終わったとしても責めるつもりはない、だから」

 

「だから、頼む――私を強くしてくれ」

 

 それこそ土下座しかねない勢いのジェシーに、顔を見合わせた全員。

 しばらくするとマックイーンが全員の気持ちを代弁するかのように告げた。

 

「……乗りかかった船ですわ、貴方の行く末、最後まで見届けさせて頂きますわよ。ジェシーさん」

 

 こうして『応援を応援する会』は静かなスタートを切り出したのだった。

 

 

 § § §

 

 

 応援会の活動方針に沿って、ジェシー(被り物装備)の訓練が始まった。

 

 平日の今朝はマックイーンが担当だった。

 まだ民家に明かりすら灯らない朝の4時に集まった二人は、黙々と走り込みを行っていた。

 本当はその被り物をしている理由も根堀り葉堀り聞きたい所であったが、やめておいた。意地でも突っ込んでやるかという気持ちの方が強かった。

 

「私達のランニングは基本的に10㎞程度を想定していますの。長いと20㎞かそれくらいかしら」

「……やはりと言うか、長いな」

「10kmでも片手間程度のウォームアップですわ。今日は抑えて走りますから、ついてきて下さいます?」

「……! あぁ」

 

 軽快な足取りで走り出すマックイーン。

 ついていくジェシー。

 

 閑静な住宅街を超え、街路を通り越し、川べりを変わらぬペースで進んで行く。

 スピードはマックイーンからすれば決して速くはない時速30㎞程度。

 ジェシーもその程度のスピードは出せる事には出せるが、それを何十分間も維持できるかと言えば――難しかった。

 

「――はぁっ、はぁっ……はぁっ!」

「無駄な呼吸が多いからすぐにバテてしまうんですの! ペースを落としますから整えなさいな!」

 

 完走こそやり遂げたジェシーだったが、完走時には見事にバッテバテ。電信柱に手をついて、しばらくは身動きも出来ないのだった。

 

 

 

 § § §

 

 

 

「ふわぁーぁ……おはよ……ってうわっ、なんでそんな被り物してるの!?」

 

 同じく天気の良い早朝である。

 あくびを隠そうともしないテイオーは、それでもきっちり時間通りに現れてジェシー(被り物装備)へと指導を行い始めた。

 

「ジェシーさんって走り込み以外にも筋トレはしてるよね?」

「あぁ。とは言え最近は走り込みがメインなので必要最低限だが……」

「ん。それじゃあこれからはもっと筋トレをしてもらいます! 体を支えているのは筋肉だからね、速く走るためには筋肉をもっともっと鍛えないと!」

 

 ま、当然の話だよね、と笑うテイオーは、カバンに入っていたモノをジェシーに投げ渡す。

 咄嗟(とっさ)に受け取ろうとしたジェシーはその予想以上の重さに落としかけ、そして目をしばたたかせていた。

 

「ウマ娘用のリストバンドだよ、人間用は持ってないけど、ウマ娘に挑むなら頑張らないとだよね」

「……これは何キロあるんだ?」

「大丈夫だよ! 軽い奴持ってきたから……えーっと、5㎏だね!」

「……!?」

「今日はこれを両手足につけて筋トレしてみよっか、じゃあまずスクワット! いってみよー!」

 

 何だかんだでノリの良いテイオー。だがそんな彼女の熱血指導はかなり激しく。

 スクワット30回×3セット、腹筋30回×3セット、腕立て30回×3セットを終わらせた途端にジェシーはその場で轟沈した。

 もー情けないなー、などと言いながら同じ条件で同じ回数を軽くこなしていたテイオーに、ジェシーは改めて畏敬の念を抱いた。

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

「おっ、その被り物! ガムテープの艶が美しいじゃねーか、やる気満々だな!」

 

 平日深夜。

 ジェシー(被り物装備)とゴールドシップは以前のようにトレセン学園に忍び込んでいた。

 たまにやる分にはいいだろ! とノリノリで提案した彼女は、深夜のコース場でひたすらゴルシと鬼ごっこを続けていた。

 

「……っ! ……っ! ……ぐっ!?」

「おっせーぞジェシー! それじゃ生まれたてのカマキリ以下だ!」

 

 3分間という時間制限を設け、鬼を交代しながら広いグラウンドを駆け抜ける二人。

 加えて鬼役に捕まるたびに強制的に肉のマークを顔面に書き込まれる謎ルールであり、今の所ゴルシが常勝無敗。既に数えきれない試行の後がジェシーの顔に克明に刻まれていた。

 

「いいか、追い込みっつーのはこうするんだ! まずは相手を見る! 穴があくまで見るんだ! こいつを抜かすぞ~~、ぜってぇ抜かしてやるぞコラ~~~って気迫を持て! 威嚇(いかく)するアリクイよりも強い殺意でだ!」

「あ、アリクイよりも……!」

「それで相手にその気迫を分からせてやったら、後ろからぐん、ぐん、ぐん! と近付いて、だん! だん! だん! で抜き去るんだ! 陸に打ち上げられたカツオのようにな!」

「か、カツオのように……!」

 

 ゴルシもまた非常に情熱的なトレーニングをしているのが見受けられる。

 だがいかんせんゴルシの説明は感覚的だ。

 的を得ているようでそうではない内容を必死に紐解こうとするジェシーであったが……

 

「ちがーう! それじゃ冷凍パックのカツオだ!」

「お前アリクイ舐めてんの? アリクイに旦那を殺された妻の気持ちになって考えてみろよ!」

 

 まだ彼女の教えを理解するには長い時間を要するようだった。

 結局練習が終わるまで一度もゴルシを捕まえることが叶わなかったジェシーの顔は、『肉』で埋めつくされていたのだった。

 

 

 

 § § §

 

 

 

「成程。マックイーンが走力、テイオーが筋力、ゴールドシップがスタミナトレーニング、という感じかな?」

「……あぁ」

 

 朝早くからタキオンの研究室に入り込んだジェシー(被り物装備)は互いに椅子に座って検査を受けていた。

 タキオンの余り袖の中から出てくるあれよあれよと出てくる器具で、口腔検査や視力検査、そして体液採取などが行われると、続けて始まるのは問診である。

 彼女は走行中の挙動、筋負担、そして心拍数の上限や発汗の度合いといった様々な内容を聞いてはメモに取る作業を繰り返している。

 

「ふむ……やはりキミは恵まれた体を持っているようだ。人間にはハードなトレーニングに思えたが、筋肉や骨に今の所強い負担はないようだね」

「……そうだな。特に違和感らしいものもない」

「羨ましい限りだね……ふむ。しかしそうだな、それなら次はこのサプリメントを飲んで貰おうか」

「分かった。……飲んだぞ」

「……キミね。私が言うのもあれだがもう少し疑う事を知ったらどうだい」

「約束を反故にするような相手ではないと思っているからな」

「はぁ……信用を預けてくれてどうも。お陰様でくすぐったい気分だよ」

 

 タキオンの役割はトレーニング、というより体調管理がメインである。

 人間よりも遥かにキツいトレーニングを課すのだ、何かあってからでは遅いため定期的に足の検診を行う事になっている。

 ただジェシーの鍛えられた筋肉は今の所怪我もなく、すくすくと成長を続けているようだ。

 

「さて、言うまでもないだろうがレースを行う上で一番恐ろしいのは足の怪我だ。そして一番重視すべきなのは関節である。柔軟は今以上に念入りに。練習後のクーリングは忘れないようにだ」

「心得ておく」

「本来なら練習もニューポリトラック*5を使った場所で臨むのが適しているが……こればかりは難しい、学園が認めてくれるなら私も本腰を入れるんだけどねぇ」

 

 非常に残念そうにしながらも、ジェシーの筋肉に手を這わすタキオン。

 時に写真を撮り、時に異常がないか念入りにチェックする様は、まるで医者そのものである。

 ジェシーは柔らかな指先で下(もも)を撫でられるもどかしさを我慢していると、急にタキオンがぽつりと零し出していた。

 

「……全く、ウマ娘と言うのはつくづく謎な存在だね」

「……?」

「そう思わないかい? キミは体重95kgで非常に健康的な成人だ。対する我々の体重は、平均的な女性とほぼ同等。40~60kgだ。約30~50㎏も体重差がある」

「……」

「大雑把に言えば運動量は筋量に比例する。キミは我々より遥かに多い筋量を持っている、だと言うのに運動量は我々の方が圧倒的に上なんだ」

「……そうだな」

「ウマムスコンドリア*6という物を知っているかい? それが原因である……と私は(にら)んでいる。恐らくはミオスタチン*7とは真逆の性質を持ち、マイオカイン*8よりも更に高性能な因子……だと考えている。と言うか、そう考えないとやっていけないんだ! どうにもこうにもウマ娘と言うのは、この世の法則に当てはまらない! 身体能力も! 出生も!」

 

 爛々(らんらん)と輝くタキオンの瞳は、まさしく『狂喜』という言葉が良く似合った。

 髪のぼさぼさっぷりからして徹夜明けらしい彼女は、すっかり冷めきった紅茶をぐいっと飲み干すと、ぷは、と一息ついた。

 

 ジェシーもウマ娘の研究は古来から行われていたのは知っていたが、そのような話は全く聞いたことがなかった。

 耳に入る話は眉唾(まゆつば)物のオカルト話ばかりで、科学的な検証は全くと言っていい程進んでいないことは知っていたが。

 

「ともかくだ、ウマ娘はキミよりも軽い上に、筋肉の質はキミを凌駕している。軽い車体に強いエンジンなんだ、速いのは当たり前だよねぇ」

「私は重い車体に弱いエンジンを持つ車のようなものだろうか……」

「そう卑下をする必要はないさ。人類の最速を塗り替えているキミだし、まだ伸びしろはあるんだ、やってみるは価値はあると思うよ」

 

 ただね、と区切られた言葉の後は、中々彼女の口から続かなかった。

 不審に思ったジェシーが顔を上げると、タキオンは被り物ごしにこちらをじっと見つめているに気が付いた。

 

「覚悟はした方がいい。キミの目的は果たせない確率が非常に高く、そして一生走れなくなる可能性が常について回るだろう」

「……」

「目的は聞いている。その被り物に込めた思いも。キミの覚悟に水を差すようで悪いが、この行いが非常に分の悪い賭けだという事は自覚すべきだ」

「……言いたいことは分かる。だが、助力はしてくれるんだろう?」

「当然だとも。こちらとしても実験に協力してくれるのはありがたい。可能な限り手伝わせてもらうよ……でも、止め時はこちらで決めるから」

「……いや、それは」

「おいおい。仮にも私が手掛けるんだ、怪我で終わるような真似はさせたくない。言う事を聞かないと協力してあげないよ」

 

 こつん、とダンボールの顔が叩かれたかと思えば、ジェシーの視界からタキオンは消えていた。

 どこに行ったと探せば、彼部屋に併設されているベッドに横たわり始めていた彼女の姿見えた。

 

「私はこのまま寝るから、モルモット君に出くわさないように朝練なりなんなりに出かけたまえ。……ではお休み()()()()()()()君」

 

 もそもそと布団を被ったタキオンに、ジェシーはハリボテ越しに頭を()くと、静かに部屋を後にするのであった。

 

 

*1
ウマ娘にとってどれくらいの距離のコースが得意であるかの度合いの事。短距離(1200m~1600m未満)、マイル(1600m~2000m未満)、中距離(2000m~2500m未満)、長距離(2500n以上)の4種類に大別される。

*2
新潟県新潟市にある競馬場。近くのラブなホテルが特徴的。1000mレースである韋駄天ステークスを開いてたりします。

*3
バ場の種類。バ場適正の事。ダートか芝のどちらかに大別され、合わないバ場を走るとうまく走れない。

*4
脚質適正の事。逃げ、先行、差し、追い込みに大別されるレースでの走り方の種類。

*5
足への負担が少ない凄い馬場。電線被覆材、ポリエステル不織布、ポリウレタン繊維、硅砂、ワックス等が混合されている。

*6
アグネスタキオンのストーリーで触れられるウマ娘の骨格筋に居る特殊な微生物。正体は明かされていない。

*7
筋細胞の成長を抑制させる因子。

*8
筋細胞の成長を促進させる因子。



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第10レース  中山公園陸上競技場 合成ゴム400m(短距離) 左・外・晴れ

遅くなってすみませんでした。
別の小説に浮気していました…ッ


「ふっ、ふっ、ふっ、ふっ――――!」

 

 日照り厳しい真夏日。

 

 太陽の熱を吸ったトラック上に、ある人物がいた。

 長身。痩躯。日焼け肌。

 そして特徴的過ぎる謎の被り物。

 その人物は他に誰も居ないのを良いことに、コースを我が物顔で走り回っていた。

 

「初めて人間用の競技場に来ましたわ」

「右に同じく」

「ボクは昔来た事あるよー、小学校の頃の体育祭で使ったっけ。昔は大きく見えたけど、今見返してみると……うん。なんだか、可愛いく見えるね」

「あっためてけよオーエンーっ! 全力はまだだぞっ、キープキープぅっ!」

 

 そんな不審人物の様子を見守るのは4人のウマ娘。

 トウカイテイオー、メジロマックイーン、ゴールドシップにアグネスタキオンである。

 

 今日は皆の週末日曜日。折角の休日に集まった彼女らは目下育成中であるウマ娘見習い、ジェシー・オーエンの練習を見守りに来ていた。

 以前話し合った通り学園トラックを借りる事は出来ないため、ジェシーが自費を出して貸切った人間用の競技場での練習となっている。

 

 その全周は競バ場のトラックと比べて1/5程度。

 足元もダートでも芝でもない合成ゴム製。

 条件が全く違うが、ないものねだりも出来やしない現状。

 ジェシーはそれでも一瞬たりとも時間を無駄にせぬよう皆の指示通りに、ひたすらウォーミングアップをしていた。

 

「よーし! 準備はいいかオーエン! そろそろやろうぜ! やっちまおうぜっ!」

 

 待ちきれなくなったのか私服にサングラスのゴールドシップが、メガホンを何度も手に叩きつける。

 するとジェシーは返事こそしなかったが、静かにスタートラインまで戻り始めた。

 

 今日の目的は、試走。

 練習会と言うよりかはお披露目会に近い。

 

 ここ一か月の間、一流ウマ娘達から献身的なアドバイスを受け、実践してきたジェシー。

 人間には過酷すぎるメニューを一日たりとも休まず、続けてきたのだ。

 今後の方向性を確認するためにも、今日という日は重要であった。

 

「相変わらず被り物は取らないんですわね……」

「ったりめーだろ? あれを取ったらオーエンじゃねーっての」

「そう言う話かなぁ……そもそもあれってなんの生物の被り物だっけ」

未確認神秘動物(UMA)だと言ってるじゃないか」

「……あの間抜け面に神秘性があるとでも?」

「私に言わないでおくれよ、ジェシーが言い出したんだ」

「ともかく。みんなは何であの被り物してるのか知ってるの? ボクとしてはさっさと脱がせたいんだけども」

 

 テイオーの真っすぐな太刀筋に、全員が(うな)った。

 

「……知りませんし、正直な話私も脱いでもいいのではと思います」

「アイツのレゾンデートル*1を否定するつもりかよテイオー、マックイーン!?」

「レゾンテートルってなにさ……いやいやでもさゴールドシップ。当初は顔を隠したいからって理由だったでしょ? でももうボクらに顔バレしてるじゃん。なら視界の妨げにもなるあれは外したっていいよね? あとちょっと気色悪いし」

「私は可愛いと思うけどねぇ」

「え? 恰好良くないか?」

「そう言う感想を聞いてるんじゃないってば!」

 

 ウマ娘達がくっちゃべってる間も、ジェシーは入念なストレッチを行っている。

 頭上で揺れる謎の被り物は、数えきれない補修を超えて尚、憎めない表情を見せつけている。

 

「あの人は頭の回る方だと思います。そんなリスク十分承知のハズ……それでも(かたく)なに着けて来る理由は、本当に謎ですわよね」

「そう! いやいつ突っ込もうかなって思ったけど、何だかあそこまで堂々とされると逆に突っ込めなくて……」

「せめてものUMA(ウマ)らしく、だろ? アタシ達ウマ娘みたいに」

「だとしたら随分歪んだウマ像ですわ……タキオンさん?」

「……ん? 何だい?」

「何かご存じではなくて? あの方が被り物をする理由」

「ふむ……それよりも良いのかい? そろそろ走り出すようだけど」 

 

 タキオンが指した先には、スタートラインの上で長身を傾けたジェシー。

 全員の視線が一気に注がると、注目を浴びたそのUMAはコクリと頷き、

 

 ――そして、架空のゲートから飛び出した。

 

「……スタンディングスタート?」

「えぇ。私が指示しましたの。本番ではゲートの中から始まるんですもの。動き辛いクラウチングより断然良いですわ」

「なるほど。本番を想定した練習という事かい」

「実践に近づければ嫌でも意識は変わるもの……ですが。何だか」

 

 立ち上がり。長い足を使って速度を溜めていくジェシー。

 重力に従い、前のめりに倒れ込む動きを加速に転化。

 ぐんぐんとスピードが上がっていく。

 速度の伸びも良く、フォームに乱れも見られない。

 一目で成長したと分かる、見事な動きだった。

 しかしマックイーンには、どうにも違和感があるように思えてならなかった。

 

「……第一カーブだ! おっしゃー気張れよオーエン!」

「これだけ短いとあっという間だね。どうかな?」

 

 テイオーとゴールドシップが固唾を飲む。

 ジェシーが一番苦戦していたカーブは、特に今回の肝ともなる部分。

 このカーブの出来が今後の練習を左右するとも言っても良いが……。

 

 ウマのコースよりも更に角度の強いカーブ。

 そこに時速50km程で突っ込んだジェシーは、最初の一歩目で力強く地を踏みしめて――、

 

 

 ――次の瞬間、見事に転倒した!

 

 

 4人のウマ娘らも、ほぼ同時に頭を抱えた。

 

 

「ダメだったかぁ……」

「いや、薄々分かってはいましたわ……」

「練習でも散々だったもんね……」

「コーナーがウマ娘のそれよりはかなり急なんだ、当然の結果だとは思うがね」

 

 ウマ娘用のコースが全周2000mに対して、人間用は全周400m。

 加速出来る距離も短ければ、カーブもまた急になる。

 曲がりきるための脚力は曲率が高ければ高い程必要になる事から、人間用のコースは今の今までまともに曲がれた事がないジェシーにとって、更なる上級者コースに違いなかった。

 

「と言うかほぼブレーキなしで突っ込んでったよね。スピードを下げるっていう考えはないの?」

「多少は減速してもいいけどな。カーブで大きく減速しちまったら他の娘なんて、到底追い超せないぞ?」

「そうは言っても……」

 

 辺りに被り物の残骸を巻き散らした(くだん)の人物は、しばらく寝転がっていたが、すぐに起き上がって悔しそうにしていた。

 毎度毎度派手に転倒するジェシーだが、その実大きな怪我は一度もない。

 繰り返しの転倒で身についた受け身は、最早達人レベルと言っても差し支えないように思えた。

 

「ナイスファイト……! ナイステクニック……! ナイススピリッツ……!」

「何そのノリ……いやお疲れ様なのは違いないけどさ」

「課題は山積みと言った所ですわね」

「……あぁ」

「お疲れ様。休みがてら、少し問題を洗い出すとしようか」

 

 どこからともなくキャスター付きホワイトボートを引っ張ってきたタキオン。

 それと同時にウマ娘達の寸評が始まった。

 

「まずは走り出しですわね。実践を意識させるスタンディングで走って貰ったのですが……すみません、何かが違うように思えましたわ」

「それはアタシも思ったな。前の方がキレがあったぞ?」

「当然だろうね。低姿勢から蹴り出した時の反発力は、上体を起こした時よりも遥かに上なんだから」

 

 スタートのキレが以前よりも落ちていた。

 速度を乗せるタイミングがわずかに遅くなった結果、トップスピードに到達するまで時間がかかっている。

 それは他ウマ娘との競い合いの面では致命的だ。

 

「そしてカーブだよ。当面の課題は前も言ったけどやっぱり急制動かなって。キミの筋肉にはまだあの速度を維持したまま舵取りする力はないみたい」

「そのようだ。もっと筋肉をつけるべきだろうか……?」

「……難しいね。私の試薬があってもこれ以上の底上げが出来るかは……ここ最近のジェシー君の筋量は僅かな変化しか見られないしねぇ」

「……気になっては居たんですが、タキオン先輩の試薬っていわゆる危ない薬ではないのですの?」

「本当に失敬だな君は。健康を害する可能性はあるが、命に別状はない薬しか私は作らないよ」

「それ本当に大丈夫ですの? それ本当に大丈夫ですの?」

 

 そもそもの話、軽自動車並みの速度で走る人間が速度を落とさず曲がるには、支える筋肉は足りないし、支える体重は重過ぎる。

 急制動をしようとした瞬間片足に尋常ではない負荷がかかり、支えきれずに転倒するのもまた自明の理であった。

 

 転倒せずに曲がるには速度を落とさざるを得ない。

 他のウマ娘に勝つには速度を落とす事は出来ない。

 

 この一見矛盾するような問題を解決するには尋常ではない労力が必要で。

 その為にはどんな些細な点も解決しなければならないのは必須事項。

 そうなれば……ジェシーのある部分に触れねばならないのもまた必定。

 マックイーンは覚悟を決めて口を開いた。

 

「ジェシーさん。それで……非常に言い難いんですが」

「なんだ?」

「その被り物……外すことは出来ませんの?」

「……」

 

 崩壊した被り物をガムテープで補強していたジェシーが、動きを止めた。

 

「その被り物が貴方にとって思い入れがあるのは分かっているつもりです。けれど現状では、貴方のソレは(かせ)にしかなっていないのはお気付きでしょう?」

「……」

「ストレートも、カーブも。視界を(さえぎ)るそれが無ければ多少は変わる筈です。ですから」

「駄目だ」

 

 それが目の前の人物からの言葉だとは思えず、マックイーンは思わず二度見した。

 

「だ、駄目だって……貴方ねえ」

「走る時はこれを被ると決めている。例えそれが練習の時だとしても」

「理解に苦しみますわ、練習にすら(こだわ)る理由が見えません」

「だろうな。理解はして貰えないと理解している」

「本末転倒だと思いません事……? その変な被り物が練習の妨げになっていると言うのに」

「……すまん」

「っ、貴方は……!」

「まあまあまあまあ、落ち着けよおもちマックイーン」

 

 食って掛かるマックイーンを、ゴルシがそのほっぺをモチモチしてインターセプトし始める。

 モチモチマックイーンは即座に怒りのままゴルシを逆襲し始め、その後タキオンが手を叩いて注目を集めた。

 

「私としてもその被り物は無い方が嬉しいが、強要はしないさ。それよりも建設的な話題に戻ろう。現状ではジェシー君の体重は我々より遥かに重く、筋肉は我々より遥かに非力だ。それを考慮に入れてアドバイスをしようじゃないか」

「……絶望しかなくない?」

「その絶望に立ち向かうのが我々の仕事だよ。そうだね……ハードではなくソフトを攻めてみようか」

「ソフト?」

「つまりはテクニックだ。この場にいる我々は重賞*2経験者だろう? 何かしらアドバイスは出来るんじゃないか?」

「アドバイス……ねぇ」

 

 そんなテクニックがあるならとっくに教えている!

 そう言う気持ちを飲み込んで、皆が一つずつ案を上げていく。

 

「例えば重心を更に内に傾けて侵入するとか?」

「ダメだ。角度をつければつける程横転しやすくなる。ジェシー君には不適と言わざるを得ないね」

「体重をもっと減らす? 筋肉をつける?」

「それはハードの話じゃないか。ダメ」

「妙案があるぞ、そもそもカーブを走らない!」

「割と本質をついている回答だね。それでジェシー君?」

「カーブありで頼む」「ダメみたいだ」「ダメなの!? 韋駄天SとかアイビスSD*3とかあるじゃん!?」

 

 ……妙案なんてのは当然だがすぐには生まれない物。

 結局、その日の5人の結論は『まずは基礎体力をもっと付けないと』という無難な内容で終わったのだった。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 場所は変わってとあるデパートのショッピングセンター。

 フードコートの一角に、麗しいウマ娘4人。……と、筋肉質な人間が一人。

 彼女らは1つのテーブルを囲んでアイスを黙々と食していた。

 

「そもそもの話だけどさ」

 

 まずトウカイテイオーが切り込んだ。

 食べているのはバニラ、レモン、チーズアイス3段大盛りに、相性の良い蜂蜜をたっぷりかけた『ハニハニデラックス』である。

 大の蜂蜜(はちみー)党の彼女にとって、アイスにさえ蜂蜜はなくてはならない物であった。

 

「ジェシーさんの目標ってウマ娘よりも早く走れる事だよね」

「そうだ」

「その目標ってどこで走ったら達成な訳? レース?」

「勿論レースだ」

「じゃあそのレースってどこでやるのさ。学園模擬レース? それともOPレース*4? 重賞?」

「それは……」

「……確かにその問題があったね」

 

 次に口を開いたのはアグネスタキオンである。

 彼女が食べているのはココアベースのアイスにローストナッツをたっぷり入れた、食感の強い一品。『ナッツパラダイス』。

 口元についたアイスの欠片を指先ですくい取った彼女が、滔々(とうとう)と語る。

 

「OPレース、重賞、当然だが出れる可能性は非常に低い」

「低いっていうか無理じゃない?」

「上との繋がり次第でどうにかなるかもしれないよ、まあ私にそんなコネなんてないがね。……ともかくとして狙うなら学園模擬レースかな。ただそれも許されるかと言えば……」

「それなら私に良い案がありますわ」

 

 と、口を出したのはメジロマックイーンである。

 彼女が食べているのイチゴチップが入り込んだチョコとバニラ、ラムレーズンの3段を2倍積んだアイスクリーム。『シックストロベリーチョコ』。

 コーンではなく、カップに入れたそれをスプーンで(すく)って優雅に食べている彼女。しかして既にカップの中は空になりかけ、おかわり目前だ。

 

「学園祭。これしかありません!」

「学園祭? よりによって何でそこなのさ?」

「一般人の出入りが多く、(もよお)しとしてのレースならばきっとお目(こぼ)しも頂けるからですわ」

「なるほど。さながら『種族対抗戦! ウマ娘VS人間、レース対決』みたいな感じか。毎年子供向けレースもやっていた気がするねぇ」

「その子供向けに一人だけ混ざる大人のジェシーさん……」

「もう尊厳とかはこの際捨てて貰います」

「やっぱりそうなんだ!?」

「――いや! アタシは反対だぞ!」

 

 納得の雰囲気を断ち切ったのはゴールドシップである。

 彼女が食べているのは味噌煮込みうどんである。名古屋が誇る八丁味噌をふんだんに使った甘辛仕立てのつゆに、歯応えばっちりのうどんをよく絡ませ、豪快に(すす)っている。

 夏場に食べるうどんはゴルシに大量の汗をかかせているが、彼女の奇行は慣れたものなので誰もツっこんではいない。

 

「何ですのゴールドシップ? まさかハンディキャップが付くとかそういう心配ですの?」

「それなら頼み込んで無しにしてもらって……」

「駄目だ駄目だ駄目だ! ハンデの有無は関係ねえ、『余興』の場で勝てても、その勝利すら『余興』扱いされるのが目に見えてるだろ!」

「う……」

「本気の場で勝たなければ、ジェシーの勝ちにはならない。そうだろう!?」

「……」

 

 沈黙こそあったが、最終的に頷いたのはジェシーである。

 ジェシーはバニラと抹茶味のミックスアイスクリームを、ちびちびとスプーンで食べている。

 食が細いのか、それとも甘いのは苦手なのか。その進みは彼女らと比べて少なかった。

 

「勝つならば、やはり誰もが認めて欲しいと思う」

「だろ!? そうだよな!?」

「ジェシーさん。ゴールドシップに無理に合わす必要はないんですのよ? この人はより楽しい方向に舵を取らせがちですから」

「……例えそうだとしても、言ってる内容は的を得ていた。少なくとも、この場の4人が手をかけてくれたこの試みを茶番だと断じられるのは、私も嫌だ」

「ジェシーさん……」

「本気でやっている。だからこそ皆の記憶に、私の走りを残したい」

 

 確かな熱を感じる言葉に、この場の全員が不思議な高揚を覚えた。

 マックイーンは思った。この方の魅力はやはり純な所。

 定めた目的に対して、どこまでもストイックにあり続け。

 努力を怠らず、言い訳をせず、決して諦めない。

 数百数千の凡夫の言葉では到底出せぬ説得力。

 

 ジェシーはまさしく、静かに灯る、力強い炎そのものだった。

 

「私も非力ながら考えるが……すまん。皆の知識も頼りにさせてくれ」

「あったぼーよ! 育てるつったのはアタシ達だしな!」

「そうですわ。とりあえずジェシーさんは頭を下げる前にまずは練習が優先。色々と私たちが考えてみますわ」

「ただ実際、OPや重賞が望めないなら模擬レースしかないとは思うけどね」

「でもその模擬レースだって……」

「案外あの学園長ならひょっとするかもだぜ? 何だったらアタシがギター片手に突撃してやってもいい!」

「学園長に何するつもりなのさ!?」

「まあそれでも駄目なら最悪は草レースですわね」

「対戦相手ならボク達もいるけど……でも手の内バレてるとダメか~」

「っつかそれよりもオーエン! お代わりいいか!?」

「……あぁ。好きなだけ食ってくれ、皆に唯一出来る恩返しがこれだからな」

 

 夕暮れ時のフードコートは盛り下がる事なく。

 その場違いな人物を中心に、どこまでも熱いトークが繰り広げられるのだった。

 

*1
「存在価値」「存在理由」を示す哲学用語。元はフランス語(raison d‘être )。

*2
レースの中で目玉となる大きな競走。グレード競走とも呼ばれ、レースにはGⅠ、GⅡ、GⅢに別れ、数字が低い程規模が大きくなる。出走条件が定められている事が多い。

*3
OPレース。それぞれ韋駄天ステークスと、アイビスサマーダッシュの事。新潟競馬場で開催される距離1000mのカーブのない特殊なレース。

*4
オープン特別レースのこと。重賞が規模が大きいレースに対し、規模が小さいレース。特に記載のない限り、すべての馬が出走できる。




「「「「ごちそうさまでした!」」」」
「ありがとうございました。お会計32,000円になります」
「……」


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第11レース 大雨の日

起伏のない展開が続いててすみません……。
そろそろ起伏! そろそろ起伏!

2021/08/02
ちょっと展開が足りないので追記してます。


 どこか厳粛な空気の漂う生徒会室。

 窓越しに聞こえてくる雨音とは別に、小さな、それでいて(しっか)りとした筆の音が響くその部屋で、トウカイテイオーは数十分程温めたソファーから急に立ち上がると、執務机に向かいだす。

 

「ねぇカイチョー」

「……ん。どうしたんだいテイオー」

 

 シンボリルドルフはようやく話してくれるか、と内心をおくびに出さずに応えた。

 

 何気なさを装って部屋に入り込んだ時から少し怪しいと思っていたのだ。お世辞にも上手とは言えない話題振りから、何か言いたい事があるのは明白で。

 ルドルフは核心を急がず、テイオーの切り出しを待っていたのだった。

 

「あの……模擬レースで、さ」

「ふむ……」

 

 模擬レース。模擬レースか。

 と、脳内で呟いた次の瞬間、彼女が次に何を言い出すのかをルドルフは予測する。

 十中八九は私との勝負をつけたい、と言った所だろうか。

 何せテイオーは現時点で無敗の二冠馬。

 この先控える菊花賞でも三冠の有力候補でもある。

 幼いころの宣誓通り、自分を超えようと今も輝く、ルドルフイチ推しのウマ娘でもあるのだ。

 

 閑話休題。

 

 声高く掲げていた三冠はまだ果たしていない現状。

 その上で今、自分に勝負を挑むの何故だろうか。

 よもや……路線を変えたいが為の苦渋の決断なのだろうか?

 

 もじもじと体を揺らす彼女を固唾(かたず)を飲んで見守っていると、覚悟を決めたテイオーがようやく口を開いた。

 

「――模擬レースって! ウマ娘以外も出れる……のかな?」

 

「へ?」

 

 ルドルフらしからぬ声が、口から零れ落ちた。

 

「……すまない、言ってる意味がよく分からなかった。今、テイオーは何と?」

「模擬レースは……う、ウマ娘以外も出れるのかな~って……」

「もしや……学園祭の催しの事を言っているのか? あれは正確には模擬レースではないが」

「いや。ホントのホントの模擬レース。ウマ娘専用の……」

「……ちなみに。ウマ娘ではなければ、誰が出るんだい?」

「…………人間です」

「……」

「……」

「……」

「……わー! カイチョーごめんなさい! その目はボクがツラい! ツラいからやめてよ!」

 

 ルドルフは困惑を隠せない。

 当然だ、真剣な表情で打診してきた内容が内容なのだ。

 他ならぬウマ娘達の名門中の名門である此処で、どうして人間とレースをさせる必要がある? どうして分かり切った勝負をさせる必要がある? 彼女の聡明な頭でも、どういう理由でそんな事を言い出したのか、全くもって理解出来なかった。

 

「順を追って説明して欲しいんだが……どうしたらそういう話に?」

「……あー……え~っと……」

「……?」

 

 当然浮かぶであろう質問に、テイオーの目が泳ぐ泳ぐ。

 よもや例の幽霊騒ぎの元凶が用務員で、かつウマ娘に憧れて謎の被り物をする変人であり、それが日夜、打倒ウマ娘を目的に練習を繰り返してるなんて、馬鹿正直に伝えられる訳がない。

 ましてや例の深夜の見回り報告に、それこそ吐血する思いで『異常なし』の太鼓判を押したのはテイオーなのだ、今更(くつがえ)す事など不可能であった。

 

「あの……ちょっとね。変な人に絡まれちゃって」

「何……?」

「あっ。いや変な人は変な人なんだけど無害な変な人っていうか!? 少しエキセントリック入ってるんだけどまあ大分素直な人でもあってさ!?」

「……」

「……まあ、その人がね。結構走りに自信があるみたいでさ、ウマ娘と競ってみたいって……」

「ふむ……その方は我々より早いというのか?」

「いや、そ、それは~……ま、まだだいぶ遅い……かな」

「……」

「あっ、でもそこいらの人間じゃ逆立ちしても叶わないくらいには速いんだよ!? それはボクも保証する!」

 

 ルドルフは考える。

 この娘がこのような事を提案する理由を。

 ルドルフも、世間も、そして世界中でも、人間よりもウマ娘の方が圧倒的に速いという常識がある中で、何故()()()()()()()()()レースをする必要があるのか。

 それはテイオーがその人間に同情したのが理由か? あるいは、返しきれない恩があるのか? はたまた……脅されているのだろうか?

 

「分からないな。その方はどうして私達と比べようとするんだ? 人間同士で競い合わないのかい?」

「……それは……まあ、その人は人間の世界では敵なし? みたいだし」

「飽くなき速さを求め、か。だとしても解せないな。私達の速さは人間のそれとは遥かに違う。その事実を知らない訳ではないだろう?」

「分かった上で挑もうとしてるんだ。その人、凄い負けず嫌いでさ」

「……」

「うぅ……おかしい事を言ってる自覚はあるよ……だからその目はやめて……」

 

 本人もやはり通るとは思ってはいなかったようだ。

 そして絶対にどうにかして欲しい! という気持ちもなさそうだ。

 だとすれば猶更(なおさら)謎が深まったとルドルフは感じてしまう。

 駄目元での提案であれば、やはり人間への同情が動機か?

 

「学園祭の子供向けレース……それではダメなのかい?」

「本気で挑みたいから、遊戯扱いされるのは嫌とか……あと大人なんだよねその人」

「そうか。ちなみに……キミはもう相手をしてあげたのかな?」

「そりゃとっくにね! でも結果は……」

「テイオーの勝ちか。流石に私もそこは疑っていないよ、むしろ負けていたらショックを受けていたと思う」

 

 テイオーはすっかり諦めムードで、対するルドルフも、いくらテイオーの提案とは言え頷くつもりは無かった。

 

 彼女には信念がある。

 すべてのウマ娘の幸福を実現する――そして、その信念には。

 

「この学園からは多数のウマ娘がデビューし、そして時に輝かしい栄光を。時に苦々しい敗北を刻む。その光景は人々を魅了させ、憧憬(どうけい)を抱かせるのも重々承知している」

「……だけど」

「あぁ。和衷共済(わちゅうきょうさい)*1は私のモットーではあるが……この学園はウマ娘達の夢を叶える場所であって、人間の夢を叶える場所ではない」

「……」

「残念だが、その要求を飲むことは出来ない。テイオー」

 

 その信念に、当然ながら人間は含まれていない。

 

 ルドルフが腕を伸ばせる先がまだまだ少ない事を不甲斐なく感じているように、自らの目標が生涯をかけて尚実現が難しい事を思えば、その人を救う事になるのは遥か遠い先の事になるだろう。

 ましてや、()()に挑戦するのであれば。なおさらだ。ルドルフはそう結論付けていた。

 

「……とはいえ、キミが気にかけているその方。個人的に私も気になるな」

「ホント?」

「うん。どういう人物なのかは特にね」

「……あ~……う~……」

「……あまり紹介したくはないのかな?」

「いや、違うの。ちょっと待ってカイチョー。今必死に言葉を選んでるから」

 

 それはテイオーに害なす存在なのかを見定めるため、いわば老婆心の質問。そんな事も露知らず、テイオーはただジェシーをどう表現したものか、彼女なりのオブラートに包んで伝え始める。

 

「えっと……その人はね。背が高くて、ちょっと無口で。物事に素直で。聞き訳が良くて……」

「ふむ……」

 

 どこにでも居そうな男性像が、ぽわ、とイメージとして描かれる。

 

「凄くストイックにトレーニングする人で、ウマ娘のダンスにも詳しくて、かつ踊れて、世界新記録出せる足の速さを持ってて……」

「ふむ……?」

 

 男性像が急に筋肉質になり、そのマッチョはフリフリの勝負服を(まと)って振り付けをしながら走り出し。

 

「ちょっとキモ……可愛いオリジナルの怪物の被り物をしてて、全身が光って、あとよく転ぶ人で……」

「待て。待て待て待ってくれテイオー」

 

 マッチョがトカゲに似た被り物をしたと思えば、急に全身が発光し、そして派手に転倒した所でルドルフは想像を切り上げた。これがまともな人物像であってたまるかと、彼女の心が叫んでいた。

 

「……テイオー。君の社交性は私も(うらや)む所ではあるが……少し、その。なんだ」

「え。……あっ、違うの! いつも光ってる訳じゃないから! 時々光るの!」

「しかも点滅するのかい……?」

 

 結局のところ、ルドルフの困惑は加速するばかりで。

 テイオーは最後まで好印象を与える事は、叶わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「随分とトウカイテイオーと話し込んでいたようですが……会長?」

「……なぁエアグルーブ。一つ頼まれてくれるかな」

「? 何でしょうか会長」

「この学園関係者で、ダンスの得意な人間を洗ってくれるかい? 少し、気になる人がいるんだ」

 

 

 

 § § §

 

 

 

『――さぁトーセンジョーダン上がってきた! 上がってきた! 大外からぐんぐんと伸びてきている! これはまくるのか!? まくるのか!?』

 

「……か~っ! オイオイオイ! あそこにアタシがいないのはなんでだ!? いたら速攻でもっと大外からぶち抜いてやるのに! 畜生誰だこんなレース教材にしようって言い出したのは!」

「トレーナーね」

「トレーナーですわ」

「トレーナーさんです……」

「……ちょっとアイツにOHANASHIしてくるわ、オラァーッ! どこだトレーナーッ!!」

 

 時は大雨。部室の中にて。

 蒸し暑さに輪をかけたこの日、グラウンドでの練習は中止となり。

 チームスピカの面々も各自筋トレやビデオによるトレーニングが言いつけられていた。

 

 どこから掘り出したのか、骨董品レベルの古びたビデオデッキを囲む3人は、ノイズの入った映像を見続けている……。

 

「はぁ……相変わらずねゴールドシップ先輩も」

「もう突っ込むのも飽きて来た所ですわ」

「あははは……ゴールドシップさん、トーセンジョーダンさんと見ると何故か黙ってないですからね……*2

 

 ダイワスカーレット、メジロマックイーン、スペシャルウィークの3人の視線は画面に傾いたままだ。

 全員が全員、その映像に対して片時も目を離す事はないが、間に流れる雰囲気はどこか真剣みが抜けている。

 そもそもが体を動かしてなんぼのウマ娘である。

 エネルギーを持てあました彼女達は、自然と会話に花を咲かせていく。

 

「……ねぇマックイーン。貴方たち最近何をやってるのかしら?」

「何をって、なんですの?」

「とぼけないでよ、テイオーやゴールドシップ先輩、あとタキオン先輩達とよくつるんでるじゃない。何? 新しいトレーニングでも始めたの?」

「あ。それは私も気になってました! かなり早い時間にトレーニングをしたり、皆さんと示し合わせて出かけたり……」

「……ええと」

 

 マックイーンは当然ながら口ごもる。

 まさか人間相手にウマ娘との戦い方をレクチャーしてるなんて、言える訳もない。

 なんて説明したものかと目を泳がせていると、気の短いダスカの目は、既にジト目に変わっていた。

 

「何? 言えない事なの?」

「申し訳ないですが。言えませんわ」

「ふーん……まさかサプライズとか?」

「ある意味サプライズな内容ではありますが……決して、皆さんに関係するような内容ではありません」

「じゃあトレーニングなのかしら?」

「近しくも、違いますわね……我々のトレーニングではない事は確かです」

「トレーニングでもサプライズでもないの? うーん、何でしょうか……」

 

 その場限りの嘘はつきたくはない。

 だが伝えるべき真実もまた言い辛い。

 結果として、どっち付かずのはぐらかしに終始してしまえば、多感な2人がより食いついてしまうのもムリはない話だった。

 

「もう! そこまで秘密にしてると本当に気になるじゃないの!」

「本当ですよ! このままじゃご飯もお代わり出来なくなっちゃいます!」

「えぇ……? ちょ、ちょっと二人共!」

「ねえちょっとぐらい教えてもいいじゃない? なんだったらプリンとかあげるわ!」

「私はうちのお母ちゃんが送ってきた人参あげませ……あげます!*3

 

 ジェシーの秘密は口外するなとは言われてはいない。

 だがこれを口外すれば、きっと問題は大きくなるという予感はあった。

 一瞬揺らぎかけたが、あの人の努力を踏みにじる思いはさせたくない……マックイーンはそう決めて首を振った。

 

「はぁ~……それってずーっと言えない事なの?」

「そういう訳ではありませんが……割とナイーブな問題には違いありませんわ」

「うぅ。残念です……」

「すみません。もやもやさせてしまうのは分かりますが。機会が来れば、必ずお二人にお伝えいたしますわ……ん?」

 

 露骨にがっかりする2人を(なぐさ)めていると、ふと映像が乱れてるのにマックイーンは気付く。

 そこではウマ娘達が画面から消え、代わりに人間達がレース上に並び立っていた。

 

『さぁ二番コースに入るのは――――選手。ここ陸上ではあの彼を除いて、無類の強さを見せていたが、国体での二戦目、どのような結末を見せてくれるか――』

 

 それはウマ娘ブームの影で割を食い続けてきた陸上競技だ。

 一昔前の大会の映像のようで、銃声に引き続いて一斉に男達が駆け出した。

 

 ウマ娘のそれよりも遥かに小さなトラックを、これまたあくびが出そうなスピードで走る姿は、どこか退屈だ。ダスカもスペも、最初は物珍しそうに見ていたが、すぐに興味をなくしてしまう。

 それはそうだろう。

 自分達は遥かに長い距離を。遥かに速いスピードで走っている。

 今更人間たちの走りを見ても、もはや子供の遊びにしか見えないのだ。

 

 だがマックイーンは違った。

 

 両手と両足を必死に振り、顔を苦悶に歪めながらも、それでも伸びぬスピードに苦悶する彼らの姿が、どうにも目が離れなかった。

 

「……マックイーン?」

 

 あの人もいつも同じ目をしていた。

 コースを走るたび。コーナーで転倒するたび。

 自分の掲げた目標が如何に馬鹿げたものであろうとも、不安を隠して駆け抜けていた。

 

 マックイーンは自然と、映像の中にジェシーを足す。

 そして……その中にウマ娘も足して見てしまう。

 

 直線ではジェシーが並み居る選手を引き離す。

 だが、そのジェシーを余裕を持って差すのはウマ娘だ。

 ジェシーは負けじとウマ娘に食らいつく。かろうじて三馬身……いや二馬身。

 だがカーブに差し掛かるとそれは絶望に変わる。

 先頭を行くウマ娘が難なくカーブを曲がっていくが、ジェシーはそこで転倒してしまう。

 そうすれば彼我の差は一気に致命的に。

 すぐに起き上がろうとも、カーブを抜け、トップスピードに再度乗った時にはもう大差だ。

 

 ゴールラインを割ったウマ娘が、盛大な拍手で迎え入れられる

 大分遅れて到着したジェシーらは拍手の残り香を体に浴び、顔を悔しさに歪ませる。

 

 例え妄想の中でも、予定調和としか言えない結末しか思い浮かばない現実に、マックイーンはどうしようもない切なさを覚えた。 

 

「……どうすればいいんでしょうね」

「マックイーンさん?」

「いえ。我々はどうして、人間よりも速いのかと思ってしまって」

「急にタキオン先輩みたいな事言いだすわね……」

「でも疑問に思いませんか? ウマ娘は人間に限りなく似ていて、それでいて人間とは似て非なる者。容姿も、力も。速さも。何でこんなに違うのでしょう」

「うーん……考えたこともなかったです」

「私もよ。生まれてこの方ずっとウマ娘だったもの」

「……そう、ですわよね。私も、今の今まで考えたことはなかったですわ」

 

 アグネスタキオン。

 不遜(ふそん)さを隠そうともしない、掴みどころのない先輩。

 あの人も同じ気持ちになったのだろうか。

 それとも、ただの被検体の一人としか見ていないのだろうか。

 

 画面の中では有力視されていた選手が、当然のように勝ち。

 空席の目立つ競技場の中で、まばらな拍手で祝福がされていた。

 

「雨、早く止まないかしら」

 

 あの寡黙な人間は、ひょっとしなくても、今日も走り込みを続けているのだろう。

 我武者羅に。だけども目標目掛けて。黙々と。

 ざあざあと無神経に垂れ流される雨の音を聞きながら、マックイーンは曇り空をじっと眺めるのだった。

 

 

 

 

 

*1
心を合わせ、互いに協力して事をすること。 和協。

*2
馬のゴルシも、トーセンジョーダンを見かけると必ず蹴りに行ったそうな。

*3
あげません!



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第12レース ゴールの先にあるもの

「――光の速さで~、駆け抜ける衝動は~っとぉ……*1

 

 あちらこちらとぶらぶら揺れるライトの光が、影しか残らぬ廊下を照らす。

 見れば、光の消えた学園の中を、とある男が陽気に歌をさえずっていた。

 彼――警備員の田中一郎はトレセン学園勤務歴30年以上の、大ベテランだ。

 彼自身が幼い頃からのウマ娘ファンであり、念願叶って学園に就職して以来、ウマ娘をそれこそ孫のように見守り続けた彼は、慣れ親しんだルートを巡回していく。

 

 一人寂しく時を刻む時計塔を見て。

 花盛りの彼女らと同じくらいに咲き誇る花壇を見て。

 喧噪が未だに聞こえてきそうな教室を見て。

 そろそろガタがきている部室棟を見て。

 彼女らの情熱に応え続けてボロボロになったコースを見て。

 

 一通りの警邏(けいら)を終え、ふぅ。と息を零した田中が、今日も異常なし。と額を拭う。

 まだまだ熱の籠る初秋である。クーラーの聞いた宿直室で、早く冷えた麦茶でも飲みたいものだ、そう考えた彼は歌を途切れさせぬままに来た道を戻っていった。

 

 ――しかして、彼が去って数分が経つと、巨大コースの植え込みが、がさがさと急に揺れ動き始める。

 

 草っぱをかき分けて現れたのはウマ耳2つ。

 両手に小枝を携えたその不審ウマは、ぬぬぬぬ、とコースへ踊り出る。

 

「(――こちらG。敵偵察は去った。小錦、ビッグ東海、ウィッチドクター、オーエン。出てきていいぞ)」

 

 ゴールドシップである。

 タキシード姿で頭にハチマキを巻いた彼女は、紙コップを電話に見立てて何事かを話せば、同じく糸で繋がったコップを持った4つの人影が、続々と同じ草むらから出てきたではないか。

 

 呆れ顔のメジロマックイーン。

 おどおど顔のトウカイテイオー。

 にまにま笑いのアグネスタキオン。

 謎被り物のジェシー・応援。

 

 そこには毎度おなじみのメンバー並び立っていた。

 何を隠そう、性懲りもなく彼女らは深夜のコース場に練習しにやってきていたのだ。

 

「……ゴールドシップ。なんですのその恰好」

「はぁ? 知らねーのかマックイーン。由緒正しき潜入衣装だぜ。昔はこれで核戦争を未然に防いだもんだ……」

「ウゥ~、カイチョーゴメンナサイカイチョーゴメンナサイカイチョーゴメンナサイ…」

「ほう。夜のコースと言うのもまた趣深いね。昼と異なるのは外気温と湿度……ふむ。それに日光か。芝のコンディションも異なるだろうね、果たしてこれがどれほどの効力があるのか」

「…………」

 

 平日は深夜。一向に進捗の見えぬジェシーを想ってか、ゴルシが提案したのは深夜の合同トレーニング会。目下の課題である急制動を改善するために一同に召集をかけ、再度深夜のコース場に(学園に無断で)集まる事になったのだ。

 

 ちなみに乗り気なのはゴルシとタキオンの二人で、他3人は何とも言えない表情でこの場に(たたず)んでいた。

 

「おいおいオーエン。何でよりによってお前が乗り気じゃねえんだ? これはお前のための特訓だぜ?」

「……何度も言うが、ここでの特訓は他のウマ娘の迷惑になって」

「か~~~っ、大丈夫だっての! 幽霊が怖いって言ってる娘のケアは万全だって! 何のためにアタシが毎晩お化けの恰好して寮を走り回ってると思ってんだ?」

「あれケアのつもりだったんだ!?」

「毎晩毎晩何かドタバタしてると思ったら、やっぱり貴方だったんですの!」

「遊んでいるように見えて実は効果があるのが不思議だよねぇ、実際のところ噂話のほとんどは『首のないウマ娘』の話じゃなくて『寮に現れる葦毛(あしげ)*2の変人』にシフトしてるから」

 

 この奇娘(きむすめ)の行動は意味がないように見えて、実は意味がある事が多い。突発的に見えて計画的な彼女の行いで、こうして深夜のグラウンドに立てているのだからおかしなモノである。

 ジェシーも乗り気ではないものの、これが違法であるとは言えど、折角のお膳立てを無下にするほど恥知らずでもなく。更に言えば実践に則した環境はやはり得難いのか、強い感謝の気持ちを抱いていた。

 『自分は彼女らの力を借りなければ土俵にも立てないのだ』

 両頬をぴしゃりと叩いて、そう言い聞かせるやいなや、ジェシーはとやかく言わずに、練習への意欲を燃やし始めた。

 

「あとさっきの呼び名。誰が誰の事かはっきりして欲しいですの。小錦って誰の事ですの!?」

「ビッグ東海って何さ! ボクが小さいって言いたいのかよー!」

「ウィッチドクターって私は魔女かい? ふむ。ドクターは良いが魔女は御免だね。私はあくまで科学に基づいてだね……」

「後でな後でな! まずはジェシーのトレーニング重点!」

 

 そうしてゴルシが群がるウマ娘らを散らして、ジェシーの深夜の特訓が始まった。

 

「ようーっし! 走り込みいっくぞー!」

 

 まずはゆっくりコースを流す。一周2千メートルのトラックは、人間のそれとは格段に広

い。ジェシーは皆の後をペースを落とさずについていく。

 

「今の時速は大体30kmくらいだよ~!」

「流す程度なら問題はなさそうですわね、ジェシーさん?」

「あぁ。直線は当然だが、カーブもこれなら速度を落とさずとも行ける」

「ふむふむ。トレーニングの成果ありかな。では少しずつ速度を上げていくかい」

 

 速度は徐々に上がっていく。時速32……35……40……。ウマ娘達なら流しの速度も、やはり人間がとなるとかなり酷である。45を超えてのカーブに差し掛かると、ジェシーの足は露骨にモツれだす。

 

「うぉーい、オーエン!? ギリギリだな!?」

「危うくこけるところだったね」

「この辺りが限度かい。角度を変えて侵入するのは、やはり難しいのかな?」

「……コースラインに沿って曲がるとなると、途端にな」

「小刻みなブレーキは意識していますの?」

 

 コクリと頷くジェシー。

 確かにカーブにさしかかってからは体を傾け、一歩ごとの踏み込みを強め、曲がりたい方向にベクトルを変えようとする努力は見受けられた。

 何度か行われた試行の後、ウマ娘達が曲がる時は無意識に行うその動作が、しかしながらジェシーには合っていないのではないか、とタキオンは提唱し始めた。

 

「大きな違いは我々の体重とジェシー君の体重が半分以下であり、筋力も上であるという事。軽くて強い筋肉があれば制動力に優れ、舵取りがし易くなるのは言う間でもない事だね」

「それは聞いてるよ。じゃあどうするっていうのさ……?」

「慣性を無理矢理方向転換しようとするから支えきれずに転倒する。ならばゆっくりと変えてあげるしかないだろうね」

「えぇ~。それって緩やかにカーブするしかないって事でしょ? でもそれじゃコースを外れちゃうよね?」

 

 テイオーがライト片手に地面にコースを模した楕円を描き、そこに更に円を描く。

 ジェシーの走行ラインは本来のコースを大きく離れて、ひどく大回りの形になってしまう。

 

「――いや。こういう事だろタキオン?」

 

 おもむろにゴルシが円を継ぎ足す。

 大外のストレートラインよりも更に前の時点で緩やかに楕円を描き、ギリギリコースに収めるルート。それはどうにかこうにかコースの中には納まっている。

 

「カーブに差し掛かる前から曲がっておく……か?」

「その通り。距離は長くなるからその分スタミナはいるがね。スピードを落とさぬ侵入にも噛み合うんじゃないかな」

 

 理想の流れとして、外枠からスタートし、まずは加速する。そしてトップスピードに乗った時点で早々に緩やかに弧を描いて、カーブに侵入する。

 転倒ラインを見極めたスピードで大外から大外めがけてゆっくりと曲がり切る、そういう戦法だ。

 

「でもこれって……ジェシーさんの走行ラインが必ず同じになるって事ですわよね。他の娘が進路にいたら……」

「狙うのは一着じゃなくて最後尾のウマ娘だぜ? 勝負は最後のストレートだ。そこまではどう凌ぐか、って考えた方がいいだろ」

「持久戦を持ちかけると。まさしく追込ならではの戦略だがね、1,000mという短い距離で持久戦はかなり厳しい戦いになりそうだ」

 

 結論はそこそこに。インターバルが挟まれば、あらかじめプランを決めていたテイオーが闇夜の中で声をあげた。

 

「次は鬼ごっこいくよ~!」

 

 勢いよく鬼役に抜擢されたジェシー。

 そしてジェシーを置き座りにして逃げるウマ娘達。

 はたと自らの役割を悟ったジェシーは、かけ声もなく始まった鬼ごっこに準じ始める。

 

 ………

 ……

 …

 

 静まり返ったグラウンド上で黙々と行われる鬼ごっこ。

 当然ながら人間を超越した瞬発力の前にはカスりもしないジェシーの手。

 5分程の無言鬼ごっこの後、スタミナを使い果たしたジェシーがその場で膝をつけば、ようやくマックイーンがぽつりと呟いた。

 

「……あの。誰も何も言いませんの?」

「うーん。深夜だとちょっと声を出すのはね……」

「そういう問題ですの?」

「大丈夫かオーエン? 鬼役変わってやろーか?」

「それじゃあダメだ。追込みのトレーニングでもあるんだから、ジェシー君はずっと鬼だよ」

「き……厳しいトレーニング……だ……」

 

 追込および瞬発力が鍛えられると言うタキオンの言葉で、継続して行われる鬼ごっこ。とは言えその難易度は非常に高い。

 現役重賞ウマ娘達の速度、反射神経、瞬発力は並外れており、ジェシーの長い手足はずっと空を切る始末だ。

 

「ジェシーさんジェシーさん、それじゃいつまで立っても捕まえられないよ~」

「ハァッ、ハァッ……とは……言ってもだな……!」

「オイオイオイ。忘れたのかよオーエン。アリクイの気持ちになれって言っただろ!?」

「アリ食いってなんの話ですの……? ともかく。生真面目にフィジカルだけで勝とうとするから捉えられないんですの」

「……?」

「かけ引きですわ。ジェシーさん」

 

 ウマ娘相手には全敗で。しかして人類相手では圧倒的な勝利を収められるジェシーにとって、心理戦と言われてもピンと来るものはなかった。

 マックイーンはそんなジェシーを手招きしだす。

 

「私との距離は2mぐらいですわね? ジェシーさん。私を捕まえるためにはまずどうします?」

「……それは。近づいて腕を伸ばす?」

「そうですわね。ただ私はこのまま固まっている訳ではありません。貴方が動けば、当然ながら私も動く。ジェシーさんが近付いてきた分、私も後ろに同じくらい下がりますわ。さぁどうします?」

「……更に近付く。では堂々巡りだな」

「そう、このままでは勝ち目はない。では状況を変えてみましょう」

 

 マックイーンは内ラチを背にして同じことを質問した。

 

「……右か左、どちらに行くかを予測して待ち構える」

「ちなみに私は右に行くつもりでした。当然ですけど一か八かで狙いを定めると外れる可能性もありますわね」

 

 そして次にマックイーンが左隣にゴールドシップを立たせる。

 そうすればジェシーはすぐに右に来るのを待ち構える、と答える。

 

「お分かりですわね? 状況を限定させるんですの。鬼ごっこはそれこそ自由自在に動き回れますが、レースでは違う。スタートからゴールまでのコースが決まってるから、ある程度相手が走るラインも限定出来る。ならばこそ、そこに付け入る隙がありますわ」

「……なるほど」

「経験が物を言うものではありますが、反射神経を鍛え、プレッシャーをかけ、そして有利な状況に追い込む。それが駆け引きの基本ではありますわ」

 

 何度も頷いたジェシーが鬼ごっこを再開する。

 先程のように愚直に追い立てるのではない、障害物を生かした追いかけっこ。

 時に追い立てる方向をコントロールし、時にフェイントを織り交ぜて捕まえようとする。

 勿論、言われてすぐに捕まえられるかと言えばそういう訳ではないが、ウマ娘達も、以前の鬼ごっこよりも気持ち真剣な表情でジェシーからの猛追を逃げ回っていた。

 

「……っ! ……ふーっ……ふーっ……!」

「ふぅ、お疲れ様ですわ」

「結局捕まえられなかったね~……まあでも今の方が逃げ甲斐はあったかな?」

 

 マックイーンが手渡したスポーツドリンクを、ジェシーが一息に煽る。

 芝生の上で膝をついて息を整えるその姿を、タキオンが遠巻きに眺めていると、どすん、とたくましい腕が不意に首に回された。ゴルシの腕である。

 

「予想以上か? それとも予想以下か?」

「……キミね。仮にも私は先輩だよ?」

「それ以上にもう仲間だろ? んでんで、見立てはどうなんだよ。正直ベースで頼む」

「はぁ……伸びで言えば予想以上。ステータスで言えば想定以下だね」

 

 マックイーンとテイオーが、交互にアドバイスしている。

 時々二人の中で食い違う意見が出ると、互いに互いが論議を交わし、意見が合えば互いに相槌しあって言い聞かせる。ジェシーはその一言一言に真剣に耳を傾けているようだった。

 

「驚きだよ。人間の限界を毎日毎日これでもかと塗り替えている。本当に人間か?って思えるくらいにはね」

「だろうな。でもんな事は出会った時から知ってんよ。アタシが聞きたいのは『オーエンがウマ娘に勝てるかどうか』だ」

「……」

「勝てるのか? 勝てないのか? どうなんだ?」

「……勝てない。小手先だけじゃ限界がある」

 

 ぐっ、と回された腕に力が入ったのがタキオンにも分かった。

 だがタキオンはその口を止める事はなかった。

 

「ジェシーは頑張っている。だがその頑張りはこれ以上体に反映はされないだろう。いくらジェシーが才能の塊だとしても、限界はある。それは種族という限界だ」

「……」

「このまま闇雲に練習をすれば、そりゃ少しは伸びるだろうさ。だけどあと一歩という所できっと手は届かなくなる」

「火事場の馬鹿力を当てにする……ってのはダメか」

「根性や精神が理論値を凌駕する例はあるが、それも同じ種族同士だからこその話だ。人間とウマ娘と言う歴然とした差はどうしようもないよ」

 

 到底不可能な領域。そこに指先、いや髪の毛一本でもいいから触れるがために毎日練習に身を費やすジェシー。

 だが費やした先に待ち受けるのは見上げる程の大きな壁だ。タキオンは、そう考えていた。

 

「……私の悪い癖だね。可能性があるならやるべきだと、人にしてはまあまあ速いジェシーを、利己的な感情からか焚きつけてしまった」

「アタシにもよく刺さるナイフだな、えぇおい?」

「自覚があるなら。分かっているだろう? 最終的に我々がすべきことが」

 

 2人の間に静寂が満ちる。

 視線の先ではインターバルを終えたジェシーがその場で小さく跳躍し、次の練習――併走トレーニングを行おうとしていた。

 

「では先導しますわ! ちゃんとついてきて下さいまし!」

「あぁ……!」

 

 かけ声と共にマックイーンが暗闇を走り、そしてその後をジェシーが追いすがる。

 ごうごうと吹き付ける夜風を、かき分けながら進むジェシーのすぐ前には、たなびく紫の髪。闇の中で月明かりに輝く様は、まるで蝶が飛んでいるようにも思えた。

 ジェシーは目の前ではためく蝶を捕まえようと両足に力を回す。しかし見計らったかのようにマックイーンもスピードを上げて、両者の差は決して縮まらない。

 

「そんな目立つ仕掛け、すぐに気付いてしまいますわよ!」

「ぐっ……!」

「相手をよく見なさい! 次に相手がすることを予測するんですの!」

 

 リードを保ったまま迎えるカーブ。

 マックイーンが大外を回るコースをとる中、ジェシーが教わった通りにストレート前から大きく曲がって侵入する。内側を陣取る形となったジェシーは、ここぞとばかりに速度を速めていく。

 最初こそマックイーンをひと時でも抜いたと一喜するジェシーだが、コーナー終わり。左後方からのプレッシャーが増した次の瞬間、抜かれていた。

 

「気が緩みましたわね。それじゃ勝てるのも勝てませんわ!」

 

 1バ身差という絶対的な距離を維持するマックイーン。

 右から抜こうとすれうば右に、左から抜こうとすれば左に、必ず進路をブロックするそのやり口に、ジェシーは舌を巻いた。

 闘志に奮い立つ彼女のウマ耳は、その度にぐりぐりとレーダーのように動き、こちらの動きを指先一本分の動きまで把握しているかのようにも思えた。

 

「……ッ! 速い、な!」

「えぇ! 伊達に重賞も経験していませんわ!」

「だが、届かない訳ではない!」

「言ってくれるじゃないですの! でしたら、見せてごらんなさいまし!」

 

 二人の走りにより熱が入る。コースは残り4ハロン。

 『ウマ娘より速く走る』。狂人の戯言にしか聞こえないその絶望的な闘いは、道半ばどころか、入口も入口。そして先行きも明るくないとジェシーも分かっている。

 しかして、こうしてウマ娘達が理解し、時間を削ってまで付き合ってくれたお陰で、まるでいずれは達成可能な目標に思えて仕方がなかった。

 

 心が高揚すれば、体もまたそれに応えてくれる気がする。

 中々縮められない1バ身はセンチ、いやミリ単位でじわじわと差がなくなっていく。

 マックイーンもまた、決して消える事のないプレッシャーに笑みを浮かべたのが分かる。

 

 楽しいな。あぁ楽しい。

 もっとこの時間が続けばよいのに。

 ウマ娘が本能的に持つ、走りたいという欲が燃え移ったかのように。

 ジェシーはこの全身を躍動させて走る。走る。走る。

 

 流れ落ちる汗を置き去りに。

 せわしなく脈打つビートを耳に。

 遠い暗闇の先にあるゴールラインめがけ、ジェシーが最後の力をかけてゆけば――

 

「あっ!?」

「マックイーンッ!?」

 

 ――不意に、視界からマックイーンが消えようとしていた。

 それが転倒であることに、ジェシーはすぐに気が付いた。

 

 暗闇の中で足がもつれたか、それともコースの凹凸に足を取られたか。

 いずれにせよ速度の乗っている中での転倒は言うまでもなく危険だ。ジェシーは倒れ込むマックイーンめがけて大きく手を伸ばせば、そのまま庇うようにして二人仲良く地面を転がった。

 

 強い衝撃が視界を揺らす。世界が何度も上下にひっくり返る。

 受け身を取ることも出来ずに慣性に従って転がる二人は、数メートル以上地面に痕をつけて、ようやく止まることが出来た。

 

「マックイーン!?」

「も……申し訳ありませんわ、無様な姿を……」

「いや、それはいい。体はどこも怪我はないか?」

「貴方の方こそ、と言っても……貴方の方が転びの先輩ですわね……っつぅ!」

 

 覆いかぶさった形で問い質すジェシー。

 ジェシーは、相変わらず被り物が半壊して見目が酷いが、無事。

 その一方でマックイーンは目立った外傷こそないものの、痛みが走ったのか足に手を当てていた。

 

「マックイーン。足が……」

「す、少し捻っただけですわ……この程度は別に大したことは……!」

 

 暗闇の中では何も分からないが、小さな痛みでも馬鹿に出来ないのが競バの世界である。

 先ほどまで喜びの最中に居たジェシーは、すぐにどん底に叩き起こされた気分になった。すぐに彼女を医務室へ。いや、アグネスタキオンに見て貰わなければ。

 

 思い至ってジェシーがタキオンを探そうとした直後だった。

 何条もの光が一気にグラウンドから闇を払う。

 思わず顔を庇うジェシー。そして直後に聞こえた思いがけない声。

 

――皆そこを動くな!

 

 その場に居た全員が困惑を隠せぬ中、どたどたと数人がこちらに駆け寄ってくる。

 それはジェシーも名は知らないが、一度は見たことのある生徒会の面々だ。

 エアグルーブに、ヒシアマゾン、フジキセキに、ナリタブライアン。そして――シンボリルドルフ。

 

 ジェシーが何が起こっているのか現状を理解するのは、ヒシアマゾンによってマックイーンの上から強制的に払いのけられ、地面に尻もちをついた後であった。

 

「……テイオー。どういう事か、説明してくれるかな」

「あ……う、ぁ……うぅ……」

「私は、あの騒動は解決したものだと思っていた。だけど……コレはどういう事かな?」

 

 ルドルフが、地面に散らばった被り物の破片を手に。テイオーへと詰問する。

 テイオーは何度も何かを弁明しようと口を開くが、そのたびに声なき声をあげるだけで、何も言えず。ルドルフのじっとりとした視線が(そら)された直後に、小さく泣き出した。

 

「フジキセキ。マックイーンに担架を用意してあげてくれないかい」

「了解したよ」

「ま、待ってくださいまし! 私は……別に、ただ少しだけ足を捻っただけで!」

「いいから行くよ。話は後でじっくりとね」

 

 フジキセキが無線を使って何事かを伝える中、ジェシーがようやく彼女を庇おうと口を開きかけ、そしてすぐに閉じざるを得なかった。

 ヒシアマゾンとナリタブライアンの鬼気迫る表情。

 それは敵意と言ってもいいほど研ぎ澄まされ、ジェシーは口を(つぐ)む他なかった。

 

「お、おい! おい会長待ってくれよ! そいつらは悪くねえ! アタシが言い出した事なんだ! この責任はアタシが――!」

「ゴールドシップ。キミの話も聴かせて貰うが……それは今ではない」

 

 芝生を一歩一歩。確実に踏みしめて近寄る七冠の帝王。

 近づけば近付くほど威圧感を感じるが、しかしながらジェシーは焦燥感を覚える事は決してなかった。

 

「初めましてジェシー=応援さん。私の名前はシンボリルドルフです。詳しい事情をお聞かせ願えますね?」

 

 その願いを断るつもりなど、毛ほどもなかった。

 

 

 

*1
アニメウマ娘二期挿入歌「Winning the soul」。トウカイテイオーのキャラソン

*2
馬の毛色のひとつ。一般的には灰色の馬を差す。肌は黒っぽく、生えている毛は白いことが多い



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第13レース 断罪の場

「お名前は」

「ジェシー・応援と言います」

「ご職業は」

「当学園の清掃員です」

「ジェシーさん。貴方は深夜に許可なく学園に立ち入る事は許されていない事はご存じでしょうか」

「存じ上げております」

「ではなぜ、学園に侵入したのでしょうか」

「だからそれについてはアタシが――!」

「許可なく喋るなゴールドシップ。会長は今ジェシーさんに聞いているんだ」

 

 未だ明星すら見えぬ深夜の学園。その一室。

 とっくのとうに消灯されているはずのある部屋で、緊急の会議が行われていた。

 

 そこには生徒会メンバーと、ジェシーを支援するメンバーの一部が集まっていた。

 ジェシーは……会議室中央に置かれた椅子に臆することもなく座り、会長からの質問によどみなく答えていた。

 

「学園に侵入したのは、自分の一存で決めたことです。私の練習を見て欲しいと彼女らに無理強いして連れてきた」

「その発言は正確ではない。彼は私達が……」

「アグネスタキオン」

「……」

「続けましょうか。貴方の言う練習と言うのは、一体何の練習でしょうか? 彼女達にはすでに専属のトレーナーが割り当てられています。そして、貴方はトレーナーではないようですが」

「私の……走りについての練習だ。彼女らに教えるなどとんでもない。むしろ、私が誰よりも走りに長けた彼女らに師事をしていたんだ」

「……彼女らから一体何の師事を受けていたのでしょうか?」

「私の走り方についてです」

「失礼ながら……貴方は人間だ。なら同じ人間に習うのが普通ではないでしょうか?」

「ごもっともだ。だが、それは私に的確な教導が出来る人はいないからだ」

「と言うと?」

「……私の目的が、ウマ娘よりも速く走る事だからです」

 

 会長を除いた生徒会メンバーに困惑が走る。

 なぜ? どうして? 

 そのような事をする理由が、()()()()()()()()()()()()

 

「"ウマ娘よりも速く走る"だと? はっ」

「ブライアン。口を(つつし)め」

「……ふん」

「すみませんジェシーさん。ウマ娘よりも速く走る……なるほど。それはまた大きな志ですね」

「我ながらそう思います」

「では話を戻しましょう。貴方の目的は分かりました。しかしながらまだまだ分からない事があります。生徒たちを巻き込んだ理由。わざわざ深夜の学園で練習した理由、そして……この被り物をしていた理由」

 

 ジェシーの目の前に置かれた机には、無残な姿になった謎生物の被り物が置かれている。

 室内の無機質な明かりに照らされたソレは、空虚な目で皆を見つめていた。

 

「一つずつ話します」

 

 ジェシーはゆっくりと語った。

 生徒たちを巻き込んだのは、連携してこのコースを借り受けるため。

 様々な場所で練習をしてきた中で、深夜の学園が最も練習に適していたから。

 この被り物は、人間であることがバレないようにするためであると。

 

 話すたびにゴールドシップやタキオンが「事実と違う」と何度も異議を申し立てるが、エアグルーブやナリタブライアンが都度却下した。

 

「あのコースが適している? いったい何を想定した練習なのですか?」

「無論。実戦レースです。貴方たちウマ娘が走るレース、本番そのもの。私は勝つなら、やはり実践と同じ条件で勝ちたい。だからあのコースが良かった」

「それで、わざわざ深夜にか?」

「あのコースを私が練習したいなんて言っても、断られているのは目に見えている。そうでしょう? だから誰も使っていない深夜にしたんです」

「……被り物はどうしてですか? 最初はともかく。貴方が人間であることに彼女達が今も気付かない訳はないでしょう?」

「そうです。彼女たちは私が人間であると知って、力を貸してくれました」

「ならあえて被り物はする必要はなかっただろう? なんたってこの……この変な被り物をしてるのさ」

 

 ヒシアマゾンが気味が悪そうに被り物を指さして言えば、全員の視線が集まる。

 それはメンバーですら知りえなかった核心でもあった。

 両眼を赤く腫らしたトウカイテイオーも、ウマ耳をぴこりと寄せて興味深そうにしていた。

 

「……自分のつまらない意地です」

「意地ぃ?」

「そうです。私は、これを被った状態でウマ娘よりも速く勝ちたいんです」

 

 生徒会メンバーからの呆れや侮蔑の目が、ジェシーを突き刺した。

 

「貴方がどうしてその意地を持ったのか興味はありますが、今はやめておきましょう。さて、話は変わりますが……今年の春先、当学園で一つの噂が話題になりました。曰く『首のないウマ娘の幽霊が深夜のコースに出没する』と。ご存知でしょうか?」

「……はい」

「私は、貴方がこの噂の幽霊の正体ではないかと疑っていますが……それは事実でしょうか?」

「はい」

 

 ざわ、と会議室内が騒ぎ立つ。

 そして生徒会の面々が一斉にトウカイテイオーへと視線を寄越す。

 テイオーは可哀そうに、その小さな体をこれでもかと縮めて俯いていたが、会長が「やめないか」とそれを手で制した。

 

「貴方は、彼女達に出会う前からこのような事を繰り返していたと」

「そうなります。始めたのは1月頃からでした。彼女達と出会ったのは4月頃からです」

「フン。それでマックイーン達を言いように(たぶら)かして、練習に付き合わせたって事か?」

「はい」

「オイ! だからおかしいだろ、最初はアタシの方から勝手に絡んだだけだったろうが!」

「ゴールドシップ。落ち着けって! あぁもうフジキセキ!」

「はいはい。暴れないでおくれよ」

 

 (さえぎ)ったブライアンと肯定を繰り返すジェシーに、ゴルシが文字通り嚙みつこうとするが、ヒシアマゾンとフジキセキに取り押さえられ、身動きは出来なかった。

 

「随分と稚拙な願いで私達に迷惑をかけてくれるな。それも"ウマ娘よりも速く走る"ためか?」

「ブライアン。いい加減にしろ」

「いや、我慢ならんな。生徒を焚きつけたのもそうだが、とことん物の道理が見えてないと来た。いいか、人とウマは違う種族だ。姿も中身も似通ってるが、根本的な所で違う」

 

 すぐ傍に歩み寄ったブライアンが、ジェシーを見下ろす。

 敵意を隠そうともしないその瞳には、怒りの炎が宿っていた。

 

「幾ら鍛えあげようとも、こと『走る』と言う分野でウマ娘を超えることは出来ない」

「……」

「不服そうだな。確かに、その揺るがしようのない事実に疑問を呈したからこそ、こんな馬鹿げた事を仕出かしたんだものな。では逆に聞く。トウカイテイオー達と散々試したんだろう? 結果はどうだった?」

「……」

「ハッ、聞くまでもないだろうな」

「ブライアン。ジェシー君はまだ成長の余地はある、これから先――」

()()()()()。アグネスタキオン。研究者を自負してるお前がなぜ事実から目を逸らす? いいか。これだけは言っておく」

 

「昔も今も、そしてこれからも。人が人である限り、ウマより速く走れるなんて事は。ない」

 

 それは世間一般の根強い常識。

 そして事実、覆されていない不文律だ。

 誰もが当たり前だと考え、誰もがそれを疑わない。

 故に、ブライアン達は理解出来なかったのだ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()?』――と。

 

「大層な時間をかけて成果も何もなかったんだろう。全て無駄な努力というものだ。人間は人間同士で競い合え。我々の世界に出しゃばってくるんじゃない」

「やってみなきゃ分からねえだろうが!」

「本当にそうなのか? これから強くなる、なんて戯言は不要だぞ。展望も見えない、兆しもない道筋に何の意味がある?」

「ッ、兆しは……あるさ! オーエンは毎日の練習でどんどん速くなってる! このままいけば絶対に」

「そもそもだ。そもそも許せない話がある。それはコイツがマックイーンに怪我を負わせた、という事だ。コイツ自身ならまだしも、まだ未来ある一人のウマ娘をだ」

「ち、違う! あれはオーエンのせいじゃねえ! あれは!」

「いや。あれは私の責任だ」

「オーエン!」

 

 ゴールドシップの声はもはや聞いたこともない悲痛な叫びに変わっていた。

 

「もう黙ってろゴールドシップ。……あぁそうだろうとも。お前やタキオンがこの眼の前の変態を焚き付けたんだろう。ありもしない『もしかしたら』という希望をエサのように垂らして。そしてまんまと釣れたコイツが走り出したと……その結果がコレだ」

 

 あっ、とテイオーが声を出した時には、ジェシーの胸ぐらをブライアンが掴んで、引っ張り上げていた。

 

「学園への無断侵入。そして、それによって起こされた怪我。もしもマックイーンがこのまま走れなくなったら、お前はどうするつもりなんだ?」

「……それは」

「深夜に走ったら転びやすいなんて事。子供だって分かる。だと言うのに分からなかったのか? 止めなかったのか? 気付かなかったのか!? 大のオトナであるお前が!」

「……ッ」

「あの中で唯一のオトナが! 子供を諭し、道を示す筈のオトナが! 子供に頼り切るばかりでなく、あまつさえそんな被り物をして! 世迷い言を盲信する……! こんな愚かな話があってたまるか!!」

「……」

 

 言いたいことを言い切ったブライアンは、ジェシーを椅子に放り出すと侮蔑の表情のまま戻っていった。

 

「すみません。ブライアンが失礼な事を言いました」

「いや……全て事実だと思います。自分は余りにも無責任が過ぎた」

「……貴方にも弁明の余地があるとは私も思っています。しかしながら、責任の所在が貴方にあるのも間違いないことかと。当学園従業員の就業規則には学園生徒への注意義務も記載されています。ご存知ですか?」

「はい」

「学園への無断侵入。コースの無断借用。生徒への監督不行き届き。違反事項はこんな所です……ブライアンの発言は行き過ぎた所はありますが、私も一部は同意します。貴方の行動は浅慮だった」

「……おっしゃる通りです」

「そしてアグネスタキオン。ゴールドシップ。トウカイテイオー。この場には居ないがメジロマックイーン。君達もだ。巻き込まれたのか、自発的かは分からない。だが結果としてこのような事態になった以上。君達も厳罰にしない訳には行かない」

「……ッ」「っ、か、カイチョー……!」

「何度も言うが全部アタシが巻き込んだんだ! だから罰を与えるんだったら! 全部アタシに――!」

 

 黙り込むタキオン。涙ぐむテイオーに、庇おうとするゴールドシップ。

 しかしていつも気さくな会長であるルドルフの表情は揺るがない。

 等しく絶望の表情を浮かべた3人。そこに手を伸ばしたのは……やはり、ジェシーであった。

 

「ゴールドシップには、私が強い口調で手伝えと言い聞かせた」

「アグネスタキオンにも同じだ。試薬を寄越せと強請り、自らの私利私欲の為に使った」

「メジロマックイーンは、彼女の人柄の良さを逆手にとって、その人脈を当てにした」

「トウカイテイオーには生徒会への口車をあわせて貰うために利用した」

 

 余りにもあっけなく。

 そしてすらすらと答えるものだから、全員が全員しばし口を開けなかった。

 

「彼女たちはただの被害者だ。故に彼女たちに罪はない」

「ばっ、かやろうオーエン! お前何を言って!?」

「……ゴールドシップは違うと言っていますが?」

「ストックホルム症候群*1という奴です。お陰様でこちらには随分と都合がよかったですよ」

 

 ゴールドシップが更に喚きたてる。

 納得できない、不満だ! 何でそんなことを言い出すんだ! と暴れる。暴れる。

 テイオーはハラハラと涙を流し、タキオンは悔しそうに口を噤んで俯いていた。

 

「ふん……ようやく大人ぶってしたことがこれか。その言葉、取り消せんぞ」

「事実ですから」

「……澄まし顔で抜け抜けと。お前の目的はもういいのか? 警察沙汰になれば、夢は潰えたも同然だぞ」

「ッ! お前……!」

「恥ずかしい話ですが今更気付きました。私の身勝手な欲が、前途ある若者の未来を閉ざしていたかもしれないという事を」

「違う! そんな事はない! ただ、ただ運が悪かっただけだ! お前だって未来はあるはずだ!!」

「私はこの夢を諦めきれませんでした。だけど、この途方もない夢に若者を巻き込むのは、許されない事だ」

「やめろ、やめるんだオーエン!」

「もう分かったのです。この夢は……抱くのもおこがましい、ただの妄想だったんです」

「よしてくれ……っ! 頼むから、それ以上は……!」

 

「皆。徒労をかけさせてしまって、本当に申し訳なかった」

 

 ジェシーはそこまで言い切ると立ち上がり、ゴールドシップ、アグネスタキオン、トウカイテイオー、そして……この場に居ないマックイーンに向けて深く深くお辞儀をした。

 ゴルシはその言葉を聞いた瞬間、深い絶望の表情を浮かべ、次の瞬間、フジキセキとヒシアマゾンを振り切り、部屋から出ていってしまった。

 

「……身内が重ねて失礼いたしました。貴方の発言は十分に考慮した上で、今後の沙汰を皆に伝えさせて頂きます。そして学園長に今回の事実を伝えさせて頂きます。一応言っておきますが、生徒会に人事の権利はありません。ソレはお忘れなきよう」

「分かりました」

「他になにもありませんか? ……では、質問はここまでにします」

「ご迷惑をおかけして、大変申し訳ありませんでした」

 

 大きく会長に向けてお辞儀をしたジェシー。

 会議は確かに終わった。だがその重苦しい雰囲気は終わった今も途切れる事はなく。

 誰もが口を開けず、誰もが動き出せない……そんな膠着状態になっていた。

 

「そうだ。最後に一言、いいでしょうか?」

「構いません。何でしょうか?」

 

 憑き物が落ちた、というよりかは。

 ()()()()()()()()人間に、ウマ娘が優しく語りかける。

 

「ジェシーさん。貴方はウマ娘に勝ちたいと願っていますか?」

「恥ずかしながら。先程までは」

「勝てる見込みはありましたか?」

「……いえ。なかったと思います」

「そうですか。ナリタブライアンは絶対に勝てる筈がないと言っていましたが。私は半信半疑です。『絶対』という言葉が様々な挑戦者達に幾度も破られてきたのは歴史が証明しています」

「……」

「今後も、ふとした拍子でウマ娘よりも速く走れる人間が現れる事が、ありえるかもしれません。私個人は、そのような未来が来ることを心待ちにしています。人間とレースで競い合えるとしたら、それはそれは楽しい未来になるでしょうね」

 

 しかし、とルドルフが呟く。

 

「この学園と学園の生徒は、トゥインクルシリーズを勝ち抜くことを目的に生活しています」

「生徒たちの自主性は尊重しますが、部外者が入る余地はそこにございません」

「そして、この学園が手を指し伸ばす相手は、あくまでウマ娘であって、人間ではありません」

 

 瞑目していたルドルフが目を開ける。

 その声はどこまでも優しげだった。

 しかしながら、その目には確かな光が宿っていた。

 

「貴方の夢は偉大だ。尊敬いたします」

「けれど、その夢を叶える場所はこの学園ではございません。どうかそれをご理解願います」

 

 

 ――後日。一人の清掃員が学園から立ち去った。

 それから数週間してぱたり、と『ウマ娘の幽霊』の噂は消えてなくなったという。

 

 

 

*1
誘拐や監禁などにより拘束下にある被害者が、加害者と時間や場所を共有することによって、加害者に好意や共感、さらには信頼や結束の感情まで抱くようになる現象。




くぅ疲第一部完?
ブライアンが若干キャラ崩壊してすまぬ…。


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第14レース オトナとコドモ

ゆっくり…まったり…


 底が抜けたかのような美しい茜の空。

 点在する雲をひたすら目で追っていると、忙しなく雲が形を変えていく。

 それは犬であったり。ケーキであったり。蹄鉄であったり。そして謎生物であったり。

 

(……また)

 

 ぶるぶると首を振るって、その考えを消そうとする。だが一度意識をしてしまうともう、そうとしか見えないから困りものだ。

 流れる雲に紛れ、謎生物がちらり、ちらりと姿を見え隠れさせる。

 さり気なく。主張することなく。そして、寂しそうに。

 

 涼しさ交じる秋の月。

 学園カフェテラスで参考書片手に休憩をしていたマックイーンは、外を眺めながら溜息をついた。

 数週間前に怪我をした足は、最早疼痛(とうつう)すら感じないが、今もなお湿布のじんじんとした余韻が響いている。

 

『――ねえねえこれ見た? ウマッターでさ!』

『あっ。カレンの新作コーデ動画でしょ~、あれって――』

 

 皆でスマホを回し身しながら談笑するウマ娘達。

 昼と比べれば少ないが、語らいの声は途切れない。

 彼女らの話題にはもう、あのウマ娘の幽霊の話は一言も出てこなかった。

 この学園にとって、それは良いことなのだろう。

 しかしながらマックイーンには、それが悲しい事に思えて仕方がなかった。

 

「相席いいかな」

 

 返事をする前に座り込んだのは、アグネスタキオンであった。

 一瞥(いちべつ)したマックイーンの前で持参した携帯ポットを懐から取り出すと、これまた持参したプラスチックのコップに注ぎ初めた。

 ふわりと広がる紅茶の匂い、マックイーンはその香りに非常に馴染みがあった。

 

「セイロンですわね。よくお飲みになるんですの?」

「こちとら紅茶党だよ。カフェイン摂取に丁度いい。キミも飲むかい?」

「……頂きますわ」

 

 予め用意していたもう一つのコップを手渡したタキオン。

 プラスチック越しに感じるほんのりとした熱は、肌寒さ感じる秋口には嬉しいものだ。

 マックイーンは熱さを予想し、少しだけ口につけ――そして、顔を(しか)めた。

 

「これ……お砂糖はどれだけ淹れたんですの?」」

「5つ。あとハチミツも入ってるよ」

「……今ならコーヒーも飲めますわ」

「あてつけかい? ただでさえ私はコーヒーは好かないというのに」

 

 激甘紅茶を素知らぬ顔で(すす)るタキオン。淹れ方が良くないだろう、香りがほとんど潰れたそれは、甘さも相まって紅茶とは到底言えない代物だ。マックイーンは机にそっと置くと、今一度溜息をついた。

 夕暮は既に黄昏へと移り変わり始めている。

 暗闇が徐々に侵食しているというのに、外では未だ元気よくウマ娘達が走っているのが見えた。

 本来なら、あの娘のように自分も本腰を入れて練習するべき時期。だと言うのにここでまったりと座っているなんて。何だかおかしい気分だ。

 

「足の調子は……どうかな?」

 

 ふわりと耳をなぞる、タキオンの声。

 横眼で見れば、彼女もマックイーンと同じく体を窓に向け、視線だけをこちらに寄越していた。

 

「お陰様で。明日にでも湿布は外すつもりですから」

「それは何よりだ。あの時は本当、生きた心地がしなかったよ」

「その……あの時はご迷惑をおかけしました」

「いやっキミを謝らせるつもりは……はぁ、すまない。言葉を間違えたな」

 

 お互いに言葉を選び合う、気まずい雰囲気。

 しばらく二人は食堂の喧騒に耳を傾けたかと思えば、またどちらともなく口を開き始めた。

 

「……あの時は悪かったよ」

「何度言うつもりですの……? 謝罪はすでに受け取りましたわ」

「しかし」

「しかしも何もないですわ。テイオーにも。ゴールドシップにも。本当に聞き飽きるくらい謝られましたわ。テイオーなんて涙で海でも作るつもりなのかってくらい大泣きして。ゴールドシップですら見たことのない真面目な顔で謝るのんだからむず痒くて仕方なかったですわ! それに……」

「……それに?」

「……それに。あの方からも、謝罪は貰いましたし」

 

 あの人の事は、出来るなら考えたくはなかった。

 何故ならひとたび考えれば、それこそずーっと考え続けてしまうから。

 あの夜の翌日のことは今でも思い出せる。

 メジロ家が擁する療養施設でゆっくりしていた時の事だった。お見舞いにと訪れたジェシーは、まるで迷子の子供のように小さく見えた。

 

『怪我は、大丈夫か……?』

『え。えぇ、大丈夫ですわよ。本当に足を捻っただけですの。別に骨に別状もないですし……ただ。少しだけ走るのはお預けですけどね。それよりもあの後、貴方達はどうなって』

『――すまなかった……!』

『!? ジェシーさん!? ちょっと、何をして!』

 

 忘れられる訳がない。

 床に頭を思い切り打ち付けて、土下座をしたジェシーの姿を。

 あの無骨な顔をくしゃくしゃに歪め、執事達が見ている前で恥も外聞もなく謝り出した事を。

 

 大きな未来を控えた私に怪我をさせて事や。

 そして、大人である自分が、みすみす怪我をしそうな場所に導いた事や。

 小事から大事に至るまであらゆる謝罪をどばぁっと浴びせかけてきたのだ。マックイーンがベッドから出て止めようとしなかったら、きっと日が暮れるまで謝り続けた事だろう。

 

「私だって、罪悪感はあったのですのよ。なのに一方的に自分が悪者ぶって……お陰様で余計モヤモヤしてしまいましたわ」

「こう、と決めればテコでも曲げられない人だからねぇ。ちなみに、私はキミもそうだと思ってるけど?」

「う。じ、自覚はありますわよ! でもあの人と違って、私はそれだけ自分を信じているだけで――」

「――」

「――自分が、信じきれなくなってしまったのでしょうか。あの人は」

「どうだろうねぇ……私は違うと思っているけど」

 

 マックイーンは読む気のなくなった参考書を優しく閉じると、紅茶と言いたくないその液体を、ぐいっと口へと注いだ。口内に広がる粗雑な香りと、舌にしつこく残る甘さが何とも言えない気分にさせてくれる。けれど、鬱屈した気分を紛らわせるには丁度良いと思った。

 

「……罪を全部背負って退職だなんて。そうなると知っていれば謝罪は受け取りませんでしたわ」

「大人らしい責任の取り方だね」

「あの人は罪を認めました。謝罪もしました。反省もしているでしょう。ならば、それでいいではありませんか。当事者たる私が許しているのですのよ。だったら、何もそこまでする必要は……!」

「……」

「……分かっていますわよ。これが子供の理論だというのは。公になった時点で、私達だけの問題ではなくなった。トレセン学園にも、そして我がメジロ家にも関わる問題に変わった」

「そうさ。だからこそ一番丸く収まる解決を、あの人はしてくれたのさ」

 

 どこが丸く収まっているのだ、とマックイーンはタキオンの台詞に無性に腹が立った。

 タキオンもまたあの人に深く関わったメンバーだ。なのに我々ウマだけが平穏無事。それでいいと本当に思っているのか?

 

「腹立たしいのはこちらも同じだよ」

 

 すると、見透かしたかのようにタキオンが被せてきた。

 彼女は手に持ったコップを一口で煽ると、カコン、とわざとらしく音を立てて机に置いた。

 

「ジェシー君にああして庇われなかったら。私達はこうして優雅にお茶なんで啜れていなかった。生徒会でのあの人の弁は、口惜しいが最善だったと私は思っている」

「あの人が辞めてしまったというのに、何が最善ですか」

「そうかな。ではよしんばあの人が退職しなかったとしよう。キミはその結果どうなるか想像はつくかい?」

「どうなるって……それは」

「生徒会が事実を完璧に隠ぺい出来ていれば良かったが。しかし、キミという怪我人が出た時点でこの件を隠すのはほとんど不可能になった。事件は噂を呼び、噂はすぐに行き過ぎた真相へと辿りつく。我々への風当たりはもとより、人間であるジェシー君への風はまるで台風の如く荒れるだろうね。『()()()()()()()()()()()()()()()()()!』とね」

 

 不幸な事にも、今回怪我をしたのが知名度も注目度も高いメジロ家の御令嬢である。

 彼女は今回の怪我から、冬の菊花賞への出場の取り止めも検討されているのだ。そして、その事実は目ざといマスコミに既に勘付かれている。

 真実がどうであれ、彼女の怪我の要因となった人間が居るとなれば……それは、噂だけでは留まらない。学園内外を巻き込むスキャンダルにもなりえることだろう。

 

「……」

「あの時、ジェシー君がそこまで見越したかは分からない。だがジェシー君の辞職は、学園側が明確な罰を与えたと言う、生徒達や世間へのアピールになる。だからこそ学園も、メジロ家も、そして我々も、平和を享受できるという訳さ」

「ですがそれでは、あの人だけが……!」

「だからこそ腹立たしいんだよ。その実に大人らしい選択肢を丸々見過ごすしかなかったことも、何一つ、対抗策が思い浮かばなかった事も……!」

「タキオンさん……」

「私は自分が恥ずかしいよ。巻き込んだのは私達だっていうのに、最後の最後にあの人に罪を被せてしまった。まだ子供なんだ、って分からされたようで……クソ」

 

 タキオンが見せる初めての表情に驚いてしまう。

 ジェシーのことはただの被検体だと(うそぶ)いていたというのに、こんなにも悔しがるとは。それだけあの人へ思い入れがあったのだな、と思うとマックイーンは何だか心が温かくなった。

 そんなマックイーンの気持ちを表情から読み取ったタキオンは「なにさ」とムスっとしたかと思えば、再度紅茶をグビリ、とやり始めた。

 

「っはぁ……それよりもだ。ゴールドシップ君はどうなんだい? 変な噂を聞いてるけど」

「……ちなみにそれはどんな噂ですか?」

「トレーニング中一切ふざけなくなった。レースに参加したけど誰も抜かずに最下位が連発した。トーセンジョーダンを見ても蹴りにいかない。いつまでたっても寮に戻ってこない。と思ったら朝になったら寮にいる……」

「全部。全部本当の事ですわ。今回の件で一番重症なのは、あの子でしょうから」

 

 あの事件で一番ダメージを受けたのは誰かと言えば、関係者が首を揃えて『ゴールドシップ』だと言うだろう。

 彼女は誰かに心境を明かすことはなかったが、この件を悔やんでいた事は誰の目から見ても明らかだった。

 

 ぼーっとする事が増え。どんな会話でも返事は上の空。練習こそ真面目に出るが、いつも見せていたふざけた雰囲気は消え。気が付いたらいずこかへ消え、そして気が付けば戻っている。そして行き先は誰にも言わない。 

 

 元々強いムラッ気がある彼女ではあったが、その成績は現時点で絶不調もいいところだ。

 得意とするコース(長距離追込)ですら最下位を連発するのだから、トレーナーはすっかり頭を悩ませてしまっている。

 

「一番責任を感じているのだろうね。確かに、元はと言えばジェシーの件はあの子が持ち掛けた話ではあったが……」

「考えすぎですわよ。責任は皆にあった。あの子だけの責任じゃあないっていうのに……」

「だとしても。ゴールドシップには耐えられなかった。何せ、目の前でジェシーのあの言葉を聞いてしまったんだからね。……私も、あの言葉には大分応えたよ」

 

 "皆。徒労をかけさせてしまって、本当に申し訳なかった”

 

 聞くだけで胸が締め付けられるような言葉である。

 怪我のため、その場には居る事は叶わなかったが、もしも現場でジェシーのその言葉を聞いてしまったら……。

 怒るだろうか、泣いてしまうだろうか。

 喚くか。へたりこむか、暴れるか……は分からないが、ゴールドシップがそうしたように、衝動的な行為に走ってしまう自信がマックイーンにはあった。

 

「彼女がたびたび失踪してるのは、ジェシー君を探しにいってるのかな」

「……恐らくは。ただ、ジェシーさんとは会えていないんでしょうね」

「個人的な連絡手段はあったが、全てブロックか着信拒否だからね」

 

 本人の自発的意思か、あるいは学園側の呼びかけたか。退職に伴ってジェシーとの連絡は、全て絶たれてしまっている。残された携帯のアドレスからは、無機質な電子音声以外何も返ってこない。

 

「現実を見据えているようで、我々は全く現実を見ようとしなかったのかな……世界が我々を中心に回っているように思っていたけど……違った。世界は、我々なんて一顧(いっこ)だにしていない」

「……」 

「流石にへこむよ。自分はこんなにも無力だったのかって、分からされてしまうと」

 

 それだけ言い切ると、タキオンはくたっと力を抜いて机に突っ伏し始めた。

 毛並みの整った栗毛耳は重力に負けてへたり、半開きの口からは、まるで空気の抜けた風船のように、やる気が次々と漏れ出ているように思えた。

 

 マックイーンは再度外を眺める。夕暮れは瞬く間に夜に差し掛かり、煌々(こうこう)と照らされたグラウンドでは、熱心に走り込むウマ娘達が見えた。

 彼女達は決して変な被り物はしないし、決してカーブで転ぶこともない。悠々と、さりとて真剣に走り、そして抜きつ抜かれつの展開を見せつけている。

 

 もう、あの人がコースを走る事はないのだろうか。

 夢を諦めてしまったのだろうか。

 

 あれだけ強い夢を思い描いていたのに。

 あれだけひたむきに頑張っていたのに。

 あれだけ成長したっていうのに。

 

 自分が、あの時転ばなければ。

 自分が、足を怪我をしなければ

 夢を諦めずにすんだのだろうか。

 

 ……考えれば考える程仄暗い気持ちになってくる。

 しかし、そんな暗雲の中を泳ぐような思考をマックイーンは止められなかった。

 

 走るのを止めないでと伝えたい。

 懇願して、泣き喚いて、レースに復帰させたい。

 けれど肝心の本人は、どこにいるかも分からないのだ。

 

 学園はだんまりを繰り返すばかり。メジロ家の力を使おうとも、やんわりと(たしな)められるばかりで全く取次も出来ない。八方塞がりとはこの事だ。

 

 ずるいではないか。一人だけ罪を背負った形になって。

 私も背負いたかったっていうのに。

 

「……」

 

 ふと、机の上のスマホがこちらの気を引こうと必死に振動を繰り返している事に気付く。

 拾い上げてみて見れば、それは定期的に届くスピカメンバー達からのメッセージであった。

 

 謹慎中、沈みがちな気分を和らげてくれたのが彼女達だった。

 彼女達は、それにまるでローテーションがあるかのように、持ち回りで何気ないメッセージやお誘いをくれる。そして本日はスペシャルウィークの日のようだ。

 

『今日、お母ちゃんの所からまた新鮮な野菜が沢山届きました。見てくださいこの美しい輝きを放つ大根! レタス! そしてたくましいニンジン! ʕ •̀ω•́ ʔ✧ 良かったらみんなで野菜パしませんか? ʕ •ɷ• ʔ』

 

 添付された画像には両手で野菜を持ってドヤ顔をするスペと、その背後で同じように謎ポーズを決めているウォッカとダイワスカーレットの姿が写っている。まるで歌舞伎役者のように見得を切る様子は、とてもではないが淑女がするような真似ではないのが、どうにもおかしく、けれども有り余る程の魅力のあるお誘いであるのは間違いなかった。

 ――それでも。

 

「ごめんなさい皆さん」

 

 到底その気にはなれず。マックイーンはありもしないリハビリの約束がある事を伝えていた。

 スピカの皆は……当事者ではない彼女達は、我々に何があったかを深く突っ込む事もなく、静かに心配をしてくれているというのに。何という体たらくだろうか。何という背任であろうか。ほとほと、自分に嫌気がさしてくる。

 

「……」

「……」

「……ジロジロ見ないでくださいまし」

「ひどくないかい?」

 

 無気力な表情でこちらを眺めていたタキオン、その顔が隠れるように教科書をたてかけると、マックイーンは今日で何度目かになるため息を漏らすのだった。

 

 



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第15レース 赤いサルビア

 サイレンススズカの一日にブレというモノはほとんどない。

 

 自他共に認める、心優しい友達の誘いがない限り、彼女の私生活はランニング過多な(本人はそう思っていないが)決まりきった一日を続けていく。

 それは彼女がルーティーンを愛している訳ではない。ただ好きな事を中心に動くと決まって同じ行動になってしまうだけなのである。

 

 サイレンススズカは『走る』という行為を愛している。

 

 それは学園内外問わずの共通認識であり、過激なトレーニング、その合間のたまの休みでさえリフレッシュ目的でランニングに出かけるのは、ウマ娘ひろしと言えどスズカぐらいではないだろうか。

 

 サイレンススズカは一人で走る事が大好きだ。

 

 勿論知ってる人と一緒に走るのも好きだが、子供の頃、美しい草原を一人っきりで走る快感を覚えて以降、彼女はたびたび往く道を独り占めしたがる癖が出来てしまった。

 それは新雪を真っ先に踏みに行くような好奇心ではない。ただ視界に広がる空間を、この景色を。自分だけが占有したいと言う子供じみた欲望だ。

 

(今日はとってもいい天気ね……)

 

 季節は秋真っ盛り。熱の籠もる体を撫でる、色なき風がどうしようもなく気持ちがいい。

 原生風景を視界に収めながら気の(おもむ)くままに走る。

 ただそれだけでスズカの心は高揚し、もっともっと走りたくなってしまう。

 

 休日、いつものように外出許可を得て遠出をしたスズカは、人通りの全くない、お気に入りの場所に来て、その全身で景色を堪能していた。

 

「……奇麗」

 

 鼻をつん、と刺激する土の香り。さわさわと心地の良い草木の囁き。

 黄金色の巨大カーペットが敷かれた田んぼは、風に揺られて一斉にお辞儀をしてくれる。

 自分のためだけに舗装されたあぜ道を往けば、晴れ模様の天気は瞬く間に紅葉の小雨へと早変わり。体に触れるか触れないか、ちらりふらりと舞い落ちる葉っぱの中を走ってゆけば、おのずと足取りは軽くなって、踊り出したくなる気分に変わっていた。

 

(ふふ……楽しいわ。いつまでも、いつまでも走っていたくなる)

 

 ちょっと前にあった()()()()も、こうしているだけで忘れられる。

 ふさぎこんでしまったあの子達にも、この素敵な場所を教えてあげようかしら。

 でも、ここは出来るなら一人で走りたいし……うーん……。

 

 ――そんな事を考えていた時である。

 スズカは行く先に自分以外の誰かがいることに気付いた。

 ウマ娘の鋭敏な五感は、それが自分と同じ目的の人物であることを容易に見抜いていた。

 

(……ここは素敵な場所だものね)

 

 スズカは納得すると同時に少しだけ残念な気持ちになった。ここは自分だけの特等()ではなかったのか、と。

 しかしながらここを走る場所として選んだのはお目が高いと素直に思った。

 人に聞いても知らないと言われるこの場所で走る人物に少しだけ興味も出てきたことだし、お話出来ないかしら、とスズカはペースを上げていく。

 

 そしてその矢先に、おや、と思ってしまう。

 何故ならば先行するその人が、どこかで見たことのある走り方をしていたからだ。

 

 学園の誰か? 違う。同期の誰か? 違う。チームメンバー? それも違う。

 長い両足を大きく、力強く振って距離を稼ぐような走り方は、同じウマ娘では見たことがない。なのに、頭は見たことがあると断じている。

 

 好奇心がスズカの足に力を授ける。

 

 追随する意思こそなかったが、スズカが無意識に距離を縮めていけば、相手もこちらに気付き、そして抜かされまいと速度を上げていく。すると必然的にスズカも速度を上げてゆく。

 速度は20キロ――30――40キロと加速してゆけば、ランニングという形式は瓦解し、徒競走という形に自然とシフトしていた。

 

「――ッ!」

「……」

 

 目の前の人物はもの凄く必死に走っている。

 両手両足をこれでもかとストロークさせる仕草は、まるでスタミナの切れたツインターボを思わせる。

 スズカとしてはまだまだ余裕があるので、いつもの癖でスリップストリーム*1を利用して相手の背後につき、じろじろと眺めてしまう。

 

 (とっても体格が大きい人ね。ここには練習に来たのかしら?)

 (舗装もされてないし、ダートコースの練習には丁度良さそうだものね)

 (あっ、でもこの人そもそも耳や尻尾がないじゃない)

 (人間……だったのね。ここまで速い人間がいるなんて。少し驚いたわ)

 (このまま仕掛けちゃおうかしら。でも通りすがりだし、いきなりはダメよね)

 (ただ……何だかこの人の事を知っている気が……気のせいかしら)

 (そろそろカーブみたい。山道のカーブってわくわくする。ブロックもしてないようだし、先お邪魔しちゃおうかしら。)

 

 勿論スズカに悪意は欠片も存在せず、むしろ楽し気だ。

 しかし先行する人物にとってはたまったものではない。

 どこからともなく現れたと思えば、ぴったりと背後について追いかけてくる謎の人物。そんなの恐怖しない訳がない。

 

 先行人物はすぐ傍に迫る、なだらかなカーブを前にして、後ろを振り切ろうと全力で侵入し。

 

「あっ」

「――嘘でしょ?」

 

 なだらかなカーブを曲がり切れずに、凄い勢いで転倒するのだった。

 

 

 

 § § §

 

 

 

「……本当に、本当にすみません。怪我は大丈夫ですか?」

「……大丈夫だ。慣れている」

 

 スズカとその人物は、近くにあったベンチに二人して座り込んでいた。

 派手に横転したその人間は、外傷こそあったが擦り傷程度で、全く持って大きな怪我はなかった。かなりのスピードが出ていたと言うのに、とんでもない頑丈さである。

 

「すみません。この場所で走っている方が物珍しくて……つい」

「……いや。こちらも逃げるような真似をしてすまない。少し動揺してしまった」

 

 二人とも積極的に会話をするタイプでないのか、謝罪が終わると途端に静寂が訪れてしまう。

 スズカは怪我をさせてしまった手前勝手に立ち去るのは心苦しく、目の前の人物は特に気にしてないが、こうして座り込んでいるウマ娘に何を言っていいのか迷い、そして戸惑っていた。

 ただ――二人はお互いに既視感を覚えていた。

 

 この人(ウマ)はどこかで見たことがある。

 か細い記憶を手繰り寄せていけば、もしかしたらわかるのでは?

 

 そうしてこうして苦々しい沈黙を纏い始めた二人。

 先に思い出すのは一体誰か。緊張のレース。そしてその結末は――まあ、同時であった。

 

「あの」

「あの」

 

 互いの顔に朱がさし。直後、不毛な譲り合いが始まる。

 どうにかこうにかして先手を譲られたスズカは、こう告げた。

 

「あの……ひょっとして、貴方は――ウマ娘の幽霊さん、ですか?」

「……そう言うキミは、サイレンススズカ……でいいかな?」

 

 スズカはその走り方から。

 そして人間は、スズカの足の形から。

 

 思い思いの記憶が、互いの答えを導きだしていた。

 

 二人はその答えに同時に頷き、そしてまた思い思いに照れ始めた。

 何を隠そう、ここに居たのはジェシー・応援(オーエン)本人であった。

 学園から去ったジェシーは、人気のない僻地で人知れず走っていたのである。

 

「どうしてこんな所に……」

「……その台詞は自分も聞きたい所だが」

「えっと……私はここに走りに来ました。貴方は?」

「……自分もここに走りに来た」

「そうでしたか……お、同じですね……」

 

 そして再度訪れる耐えがたい沈黙。

 スズカは居心地の悪さにやきもきし、そしてこれ以上()()()()()()()()()()()()()()()を悩みながら、どうにか話題を絞り出す。

 

「その……今日はあの被り物はしないんですか? 動物の顔みたいな……」

「……」

「あ。もしかして……夜にしか被らないんでしょうか?」

「……そういう訳ではない」

「そうですか……なら、ちょっとだけ残念です。私、あの動物が気になっていたので。あれは、一体どういう動物で――」

「存在しない」

「はい?」

「そんな動物、存在しない。そして、もう被ることはない」

「……」

 

 ジェシーの表情は途端に曇り、三度(みたび)の沈黙が二人の間に広がる。

 スズカは悪手を悟っていた。

 メジロマックイーン、ゴールドシップ、トウカイテイオーの3人がとある事件で謹慎処分になったのは記憶に新しい。そして、その事件の中心に居たのが、ジェシーであるという事も噂では聞いていた。

 当の本人達や生徒会からは緘口令(かんこうれい)が敷かれていたようだが、噂というのはあっという間に広がるもの。スズカも、おぼろげながら事件の全容は知っていた。

 

 そんな事件の中心人物にどうしてあんな事を聞けよう。冷静に考えて避けるべき話題なのは間違いようがなかった。

 

(ど、どうしよう、怒らせてしまったかしら……この件で逆上して、私の事ももしかして――)

 

 少しだけ怯えの表情を見せ始めた所で、ジェシーが声をかけてきたのだから、スズカはびくっと体を跳ねさせる他なかった。

 

「……唐突ではあるが。聞きたい事がある」

「は、はひ」

「……? ……その。……マックイーン達は、元気にしているだろうか」

「……」

 

 思わぬ質問に、スズカは少し戸惑ってしまう。 

 彼女の中ではジェシーという人物は、間違いなく悪者である。

 用務員という立場を利用し。深夜の学園にたびたび忍び込み。

 謎の被り物をつけてはウマ娘達を驚かせる。

 あげく、マックイーンらを懐柔あるいは脅し。

 深夜のコースを我が物顔で走り回り。

 その横柄な振る舞いが故にマックイーンに怪我を負わせ。

 生徒会に捕まり。そして学園を辞めさせられた人物だ。

 

 そんな人物に、どうしてマックイーンの事を伝える必要があろうか。

 

「元気にしてますよ。マックイーンちゃんは」

 

 ……そこまで言って、スズカはあれ、と思ってしまう。

 

「……足は。足のケガは治っただろうか?」

「大丈夫ですよ。もう包帯も湿布も取れてました。遅れを取り戻すぞーって張り切って練習してます」

「そうか……トウカイテイオーや、アグネスタキオン、ゴールドシップはどうだ?」

「テイオーちゃんも、タキオンさんも元気です。ただゴールドシップだけは……不調かもしれませんね」

 

 答えるべきではない筈なのに、口からすらすらと言葉が出てくる。

 会話を打ち切ってこの場を後にしてもいい筈なのに、どうしてかこの人との話を辞めたくないと思っている自分がいた。

 

「……そうか。そうだろうな。怒っているだろうな。アイツは」

「いえ。焦って、思い詰めて……そして悲しんでいるように思えました」

 

 多分この人は評判通りの悪い人ではない。スズカは自然とそう考えていた。

 がっしりとした体格や厳めしい顔は威圧感もある。けれど物腰は弱く。そして態度は非常に繊細だ。

 見て分かるくらいにしょげる様は、無害な草食動物を想起させるくらいだった。

 

「何故だか分かりますか? あの子は……きっと貴方を探しているんだと思います」

「……私に、彼女らに会う資格はない」

「どうしてですか?」

「……それが学園との取り決めでもあり、メジロ家との取り決めでもあり。そして個人的なケジメでもあるからだ。大人になりきれない子供の私が彼女達と会ってしまえば、また取り返しの付かない事をしてしまうかもしれない」

「……」

「……もう私は会うべきではないんだ」

 

 ベンチに項垂(うなだ)れたジェシーに、スズカは返す言葉も見つからない。

 理由は分からない。きっと深い事情はあるのだろう。そしてこれ以上、ジェシーにかける言葉は見当たらない筈だった。

 しかし。すぐにでも壊れてしまいそうな程追い詰められたジェシーを見て、スズカは何かをしてあげたくなった。

 それは怪我をさせてしまった負い目から? 同情から? 庇護欲から? ……分からない。分からないけど、どうにかするべきなのだ。スズカの心は、謎の使命感に燃え始めていた。  

 

「幽霊さん……いえ、足もあるのに幽霊はおかしいですね。お名前は?」

「……ジェシーだ」

「ジェシーさん。良かったら少し、歩きませんか?」

 

 スズカの優しい問いかけ。

 ジェシーは少々の悩んでいたようだったが、間をおいて頷いた。

 

 

 

 今二人がいるのは小高い山。その中腹である。

 標高500mもいかない山。というより、丘。その天辺目掛けて二人はゆるゆると歩く。

 赤と黄と茶のコントラストに染まった地面。木々の間から指す木漏れ日は、涼しさも相まって心地が良く。スズカは両手を広げて新鮮な空気を取り入れていた。

 

「この場所にはよく来るんですか?」

「いや……今日、初めて来た」

「あら。ならここでは私の方が先輩ですね。この辺りは私のお気に入りの場所なんですよ」

 

 のびのびと。急かされることもなく歩いてゆく。

 会話の有無は関係ない。ひたすらてくてく。てくてくと。

 歩けば歩く程飛び込んでくる美しい景色の数々に、ジェシーもまた気圧されていた。

 

「ここで走るのって、リフレッシュに丁度いいんですよね。相手と競い合うのは嫌いじゃないですけど。競うのを抜きにして歩くのも素敵だと思いませんか?」

「……あぁ」

「ふふ」

 

 緩やかに続く坂道はさほど歩いていないと言うのに、もう終点に近いようだ。左右を囲んでいた木々のカーテンは徐々に少なくなってゆくのが見える。

 この先に何があるのだろう? ジェシーがそのように疑問を呈した時急激に視界が開ける。

 

 そして、自分が別の世界に踏み入れた事をジェシーは実感した。

 

 視界すべてを埋め尽くす唐紅(からくれない)色の世界。

 それは一面に広がるサルビアの花畑であった。

 

 誰かが植えたのだろう。管理こそされていないが、千々に咲き乱れるその光景はジェシーの胸に万感の想いを抱かせた。

 

「どうですか? ここの景色は」

「……凄いな」

「本当は私だけの秘密にしようと思ったんですが……ちょっと教えてあげたくなっちゃいました」

 

 悪戯めいた笑みを見せるスズカに、ジェシーも思わず相好を崩してしまう。

 

 夢を手放さざるを得なくなった事で、必然的にイライラを募らせていたジェシー。

 しかし愚直なまでに人生を歩んできたツケか。走る以外の発散方法を、ジェシーは持ち得ていなかった。

 それがどうだろう。どれだけ走っても晴れなかったモヤモヤはすっかりと消え失せているではないか。

 

 先ほどまでの悩みをすっかり忘れて魅入る。

 「あの」とスズカに声をかけられるまで、ジェシーは現実に戻れなかった。

 

「あ……すまない。見とれていた」

「ふふ。そこまで気に入ってくれたなら何よりです。私も大好きな場所なんですよ」

「……キミが気に入るのも当然だな。草木を愛でる趣味もないと言うのに……恐らく、キミが声をかけなかったら一日中立ち尽くしていたかもしれない」

「そこまで言われると照れますね。それで、どうでしょう?」

「……? 何がだ」

「ちょっとはモヤモヤ、晴れましたか」

「……」

 

 子供に気を遣われてしまった事が、どうにも気恥ずかしい。

 認めない訳にもいかない。さりとて全面降伏はしたくなかったジェシーは、視線を逸らす事で応える。しかしばっちり意図を読み取られ、より優しい微笑みで返された事で完全に大人の面目は消えてなくなっていた。

 

「貴方が何を悩んでいるのか。私には分かりません」

「ただとてもお節介かもしれませんが……その悩み、私も知りたいな、って思いました」

「解決出来るとは思っていません。そして解決できる自信もないですが」

「もし時間があるなら……貴方の悩み、教えて頂けませんか?」

 

 さぁ、と涼し気に揺れる秋桜の中で。

 ジェシーは観念したかのように首肯したのであった。

*1
ウマ娘の真後ろにつき、空気抵抗を抑える事で速度を更に上げるテクニック。



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第16レース 過去。

 ――――ジェシー・応援(オーエン)は日本人の母親とアメリカ人の父の間に生まれた、日本生まれのアメリカ系日本人の、人間だ。

 

 妹であるジェシー・海桜(みお)とほとんど同時期に生まれた二人は、貧しい家庭ながらも両親の愛情を目一杯受けてすくすくと育ち、母と父が日中または夜まで忙しなく働いている中、周りの子供達と同じようにあるコンテンツに夢中になっていた。

 

『月間●×△■コミック ~ウマ娘特集!~』

『速報です────が秋の天皇賞を制覇。三冠達成まであと1歩となりました!』

『渡米した────、凱旋門賞ならず! 無念の悔し泣き!』

『さぁいった、後方から差していく────! 速い! 速い! 最後尾から一気にごぼう抜きだ!』

 

 戦後、一定の人気を誇っていた競マという競技は、当時では既に世界を揺るがす一大ムーブメントだった。

 右を左も、前も後ろもウマ娘、ウマ娘、ウマ娘。

 人間と同じ骨格を持ちながらも、極めて優れた容姿に身体能力を持つ彼女達。その人では決して辿り着けない走りの極致に、人々は我も忘れて熱狂した。そしてそれはジェシー兄妹も同じであった。

 

「おぉぉぉぉ~~~~! いちいなるか! いちいなるか()()()()()()()()!」

「うああああぁぁ~~~~~! こうほうからおいあげるぞ、()()()()()! はやいぞ()()()()()~~!」

 

 メディア上で刻一刻と築かれる英雄譚を前に、感化された二人は日がな一日公園を走り回る。それは今も昔も決して珍しい光景ではなかった。

 子供達は誰もがウマ娘の速さ、恰好良さ、見目の良さに憧れ、アニメや特撮のヒーローや、ヒロインと同じくらい尊敬し、走り、抜き、勝つ瞬間を再現しようと必死になっていた。

 草野球と同じくらい草レースも行われており、ジェシー達は日夜同世代の子供達とも一緒になってはしゃぎ周り、架空のウマ名を名乗りあげて勝利をもぎ取ろうと必死になった。

 

『ちくしょーまた負けたー!』

『つえー! オーエンほんとにウマ娘みてーだな!』

『みおちゃんもすっごいはやい!』

 

 頑強かつ健康的な体に恵まれた二人は、こと人間同士の戦いではほとんど無敗であった。

 そして不運な事にもジェシー達の住まう地区にはウマ娘がおらず、彼らは常に人間同士とのレースに明け暮れていた。

 

 勝ちに勝ちを重ねれば、それはやがて自信につながる。

 ジェシー達はメディアで持て囃されるウマ娘達に自分らを投影させ、ゆくゆくはあの広いレース場でウマ娘達と戦い、接戦の内に勝ち、家族や友達のみんなに凄いと言われるんだろう……などと根拠のない確信を育てていった。

 

 そんな彼女達のターニングポイントととなったのが小学校、秋の運動会であった。

 仮装レース大会という余興において、なんと現役ウマ娘が参加してくれると言う話が舞い降りたのだ。

 

「! お兄ちゃんお兄ちゃん! これ! これこれこれ!」

「え? なんだ? ……! ホントかコレ!?」

「うん、ホントだよ! ウマ娘がくるよ! 私たちと走りにくるんだよ!」

 

 無論ジェシー兄妹は色めきたった。

 他でもない現役ウマ娘――それも天皇賞を制覇した『メジロティターン』が来てくれるなんて!

 テレビや新聞でしか会えない彼女を倒すべき敵だと定め、二人は打倒『メジロティターン』を掲げて猛特訓し始めた。

 

「いいか海桜。アイツに勝つには生はんかなトレーニングじゃだめだ」

「わかってるよおにーちゃん……!」

「ほんとか? すっごい辛いトレーニングになるぞ。お前の嫌いな牛乳も飲まないとダメだぞ?」

「……うぅ、でも! まけたくないもん!」

「その意気だ海桜! それなら特訓開始だ!」

「おー!」

 

 夏休みを迎えた兄妹は、二人が頭を捻って考え抜いたトレーニングを実施していく。

 朝は早くから、夕方になるまで一日中体を動かす。内容は走るだけに留まらず、サッカー、水泳、テニス、バスケットボール……と考えられる限りの運動をこなしていった。

 出されたご飯は好き嫌いせずに全て食べ(両親の方針)、朝になるまでぐっすりと眠りこける。ソレの繰り返し。

 時に強化合宿だと称して親戚の家に遊びに行っては野山を駆け回って体を酷使した。

 

 傍目では遊び呆けて居るように見えるが、彼女達は本気だった。

 実際、よく遊び、よく食べ、よく休む事を繰り返すことで、前よりもスピードが出るようになったのだから二人の自信はさらに高まった。

 

 そんな日々のトレーニングをこなす一方で、ジェシー達は仮装の内容を決める必要もあった。

 体を動かすのは好きだが、創造は苦手な二人。

 案もなかなか出てこない中、二人の仮装はとある切欠で決まる事になる。

 

「みんなうまむすめの方が人間より速いっていうけど、わたしたちも速いもんね!」

「あぁ。なんなら特訓したおれたちのほうが速い。二人ならもっと速いさ!」

「でも人間よりも、うまむすめより速いなら、わたしたちなんてよばれるのかな?」

「え? えーっと……なんだろうな」

「うまにんげん?」

「おれたちはうまじゃないぞ。でもふつーの人間っていわれるのも、なんかやだな」

「うーん……あ。おにいちゃん……アレ」

「え?」

 

 その時テレビに映ってたとあるバラエティ番組。そこでは面白おかしく都市伝説を吹聴しており、ナレーターが声高にとある単語を使っていた。

 『UMA』。意味は未確認神秘動物――世界に朧げにしか痕跡を残さない、存在()()()()()()動物達のことであった。

 

「ねえねえお兄ちゃん! 『ゆーえむえー』だって!」

「へぇ~……変なの! ゆーえむえー……でもいいかもな」

「よし決まり! ゆーえむえーだ! おれたちふたりでゆーえむえー!」

「おー!」

 

 幼い二人は、その意味こそ理解していないが響きをすっかり気に入り、人間よりも、ツバメよりも、チーターよりも、新幹線よりも、そしてウマ娘よりも足の速い『ゆーえむえー』という特別な存在を作ろうとはりきった。

 

 練習の合間、二人はこれまたあーでもない、こーでもないと考え込んだ。

 滅多に行くことのない図書館で、動物図鑑を借りてにらめっこをする。私達は二人で一人。一緒に走らないとダメだ。なら四足歩行にしよう。私は犬が好き! おれはクジラが好き。と好きな要素を出し合って取りいれる。

 ダンボールを貰う。家庭ごみから利用できるものを探す。時に少ないお小遣いを出し合って理想の体を作り上げていく。ウマのような耳はダンボールと折り紙で。クジラのような大きなおめめはプリンの容器で。四本足はお母さんの茶色のタイツで代用し、たくましい体はダンボールで再現。ふわふわの尻尾は千切ったビニールテープで再現すれば、『ゆーえむえー』の出来上がりだ。

 

 そのフォルム、形状は我々がよく知る現代の馬そのもの。

 しかしこの世界の人間からすれば、見たことのないヘンテコな生き物に過ぎなかった。

 

 問題はこの生き物が四足歩行――縦に連なって同時に走ると言う行為を必要とすること。

 これには流石の二人も苦戦したが、練習をしていくうちにコツを掴み、直線でそれなりのタイムを残すことは出来ていた。

 

 

 そして来たる当日。秋の運動会。

 

 

 初めて出会うウマ娘を。敵意爛々の目で必死に睨みつけながら、ジェシー達はレースに挑んだ。

 

『――続く7番ゲートは『ゆーえむえー』! 茶色の肌に四足歩行! 巨大な犬のようなオリジナルの怪物姿で出走です! こちらジェシー兄妹が一週間費やした手作り仮装! 出走者も同じく二人三脚です!』

 

 天気は上々、自信は満々、体調なんて絶好調。

 兄妹はレースの勝利を全く持って疑っていなかった。

 数分後には周りの皆から賞賛の嵐を受けるだろう。

 それは核心にも近い自信だった。

 

 だというのに――その結果は惨敗だった。

 

『ダンボールの体が、体がねじれっ……千切れてしまったぁ! 『ゆーえむえー』転倒! 大きくもんどりうちましたがジェシー兄妹大丈夫でしょうか!?』

 

 まさかまさかの最初のカーブでの転倒。

 それは考えられる限り最悪の結末であった。

 

「っく、ひっく、ひっく……――ふええぇええぇええぇぇん!」

「うわあああぁぁああぁあぁぁん!」

 

 あれだけ特訓したのに実力を発揮することはなく、一ヶ月かけて作った仮装はバラバラに壊れ、ウマ娘どころか負ける方がおかしいと豪語していた他の子に抜かれに抜かれた。

 二人はそれはもう恥も外聞もなく大泣きした。

 

 屈辱だった。

 久しくなかった敗北がまさかの大舞台であったことも、ウマ娘に負けたことも、同世代の友達に負けた事も。そして何より悔しかったのは、打倒を掲げた相手が、わざわざ自分達を支えて一緒にゴールしてくれた事だった。

 

 それが優しい行為だとは思わなかった。思いたくなかった。

 勝とうと思えば勝てるのに、手を抜くどころか手を差し伸べる事、そして自分達がドベになりながらも拍手で迎えられたこと。その全てが悔しくて悔しくて仕方がなかった。

 

『次は……ぐすっ、次はぜったいに、お姉さんよりも、ウマむすめよりも……だれよりも、だれよりもはやく走ってみせるもん!』

『! ……そっか。それならまた一杯練習しないとね』

 

 手を差し伸ばした彼女に二人は泣きながらも宣戦布告をした。

 所詮子供の戯言だ。メジロティターンがどう思ったかは分からない。

 だけど、彼女は『今度は一緒に勝負しよう……私も負けないからね!』と確かに告げてくれた。

 

 メジロティターンにとっては子供を納得させるための、ただの方言だったかもしれない。

 だけど二人にとってはただの口約束でもない。人生をかけた約束に違いなかった。

 今度こそ無様な真似を晒さぬように。二人はその胸に覚悟を刻み込むのだった。

 

「お兄ちゃん、ジョギング行くよ!」

「あぁ!」

 

 それからと言うものの、二人の日常は激変した。

 打倒メジロティターン――いや、打倒ウマ娘を掲げて日々練習。

 朝から夜まで筋トレとランニングを繰り返しては、さらなる速さを求めた。

 

 毎日の練習の傍ら他の町の公園まで遠征し、そこでウマ娘を見かけてはレースをねだり、敗北して、都度大泣きした。その度に周りからは「ウマ娘に勝てる訳ないじゃん」と時に諭され、時に罵倒されたが二人は決してめげなかった。

 

 幸いにも二人の地頭は悪くはなかった。

 がむしゃらに走るのではなく、敗北を分析し、何が足りないのかを考える力があった。

 両親は練習漬けの二人にほとほと困り果てていたものの、その目標を否定することなく、諦めずに頑張って見なさいと優しくサポートしてくれた。

 

「ほら、二人ともそこに並んで。写真撮るわよ~」

「こ、こうか?」

「あはははは、お兄ちゃん笑顔硬いってば~!」

 

 そして――ジェシー兄妹は中学生にあがる。

 二人は当然のように陸上部へと入部した。

 

 小学生時代一度も勝ち星を挙げられなかった事から、自らの力量に疑念を抱いていた二人であったが、改めて他の人間と戦って自分達がどれだけ成長したかを実感した。

 今の今まで走りに人生を費やしてきた二人は、同世代の中学生達の中では比類なき速さを持っていた。

 その実力からジェシー兄妹の名はあっという間に他校にも広まった。

 

 『陸上界きっての期待の新人』『二対の彗星』

 それが二人を示す言葉になるのに、時間はかからなかった。

 

 兄は短距離。妹はスタミナ分野で才能があることが発覚し、50m走はもとより100m、200m、1500mと短距離、中距離問わず中学のレコードをどんどん塗り替えてゆく。

 両親も、友達も、学校も、周りも。二人に推しみない賞賛を送り、ジェシー達はここにきて初めて勝利の美酒に酔いしれた。

 しかし、当然ながら二人はソレで満足する訳がなかった。

 

「「コーチ、俺(私)たちはウマ娘より早く走りたいんです!」」

「お前たちは何を言っているんだ?」

 

 そして同じくらい当然ながら、二人の真なる目標は聞いた傍から一蹴された。

 

『常識が分からないのか?』『馬鹿な夢を見るな』

『ウマはウマ。人間は人間同士で競い合うものだ』

 

 様々なコーチの元に足繫く通っていったが、誰もが揃ってその夢を諦めろと口酸っぱく言った。

 ただ二人の決意は見かけよりも深く、重いものだ。決して諦めようとはしなかった。

 

 絶対にウマ娘よりも速くなってやる。

 ゆくゆくはメジロティターンに勝つ。

 そして我らが『ゆーえむえー』の名をこの世に知らしめてやる。

 その気持ちだけは日々膨らんでいった。

 

 学友との交流を経て、最低限の礼儀というものを弁えだすと、小学生の頃に比べてぐっとウマ娘への挑戦数も下がった。しかしながらここぞという機会は二人は絶対に逃さなかった。

 例えば草レース、地方のウマ娘学校の催しなどは二人にとって丁度いい『本番』でもあった。

 ウマ娘の群れの中にまざって人間がレースをするなんて異例中の異例。しかし二人は恥を忍んで挑戦した。そして全てで敗北した。実力をつけた筈だった。それでも結果は大きく差を離された上での惨敗を繰り返した。

 

「なんで……なんで勝てないのよ!」

「……くそッ」

 

 二人は絶望した。

 陸上部では比類ない才能と持て囃された。

 インターハイでも優勝をした。

 それでも、それでもなお! これだけの開きがあるのか! と。

 

 敗北を糧により一層の陸上練習にのめり込むジェシー達。

 しかし最近はその練習方法にも疑問を感じ始めていた。

 何故ならばコーチが教えてくれるのはあくまで対人間向けの練習であり、対ウマ娘向けの練習ではないからだった。

 それでも学のない自分たちよりかは信じられると、コーチを信じて練習に取り組み、そしてインターハイ種目を中学1年~3年の間、すべての大会に『ジェシー』の名を刻み、周囲の注目を集めた。

 

 しかしながら――この世界にはウマ娘がいる。

 いくら速く走れたとしても、その速さは所詮はウマ娘以下。

 世間のほとんどは誰それのウマ娘が走ることにしか興味がなく、二人を取り上げるメディアの数はそれはそれは少なかった。

 

 そう、この世界での陸上競技というのは、()()()()()だ。

 二人の名前も大きく取り上げられることもなく。

 ジェシーという名は一部にしか広まることは、なかった。

 

「……朝練、先行ってるぞ」

「うん。私もすぐに後から行くから」

 

 結局、人間相手では無敗のまま、ウマ娘相手には全敗のままで中学生活を過ごしたジェシーらは、スポ―ツに注力する高校の推薦を受けて進学する。

 裕福な生活ではなかったため、特待生の学費免除は彼女らにとってありがたかった。

 無論高校生になっても同世代の強豪達を簡単に跳ね除けた。二人の名は更に広まっていった。

 

『すげーな……ジェシー兄妹。中高無敗だっけ』

『あの健脚、最初の加速も素晴らしいが、最後の追い上げもまた凄まじい』

『本当勝てないわ、あの二人にだけは……あの才能だけでも欲しい!』

『二人はわが校の誇りだよ! きっと歴史に名を遺すだろう!』

 

 最強・最速の名を欲しいままにする二人。無敗のジェシー。オリンピックへの出場も確実。様々な誉め言葉を貰った。けれどそんな周囲の期待や賞賛を余所に、二人の心は冷えきっていた。

 周りの高校生は、はっきり言って遅いの一言。並び立つことなんて早々ないし、すぐに追い抜けるしで話にならない。なのにウマ娘相手には一度も勝てない。それどころか挑めば挑む程勝てるビジョンが見当たらなくなるのだ。

 様々な名コーチ(なんだったら現役ウマ娘のトレーナーにも)聞いて回った。しかしその解答は揃って『現実を見ろ』の一言で済まされた、二人はどうしても明るい気持ちにはなれなかった。

 

 人間とウマ娘とでは根本的に違う。

 それは分かっている。それでもどうにか勝ちたいんだ。

 この足で、自分だけの実力で! そう力説しても明確な答えは返ってこなかったし、勝てる訳がないことを理性的かつ論理的に諭された。ぐうの音も出せはしなかった。

 

「……ねえお兄ちゃん。夢は、夢でしかないのかな……」

「……」

「私たち、このままずっとウマ娘に勝てないのかな?」

「……勝てるさ。絶対に。だから諦めるな海桜。俺たちはまだ強くなれる」

「……」

 

 高校三年生にもなると、二人の心は全くと言っていい程空虚になりかわっていた。

 自分達が掲げた目的は一生果たせないのではないか。

 心配性の妹が不安を吐露すれば、兄が叱咤激励するのがお決まりだったが、高校生にもなると兄もその不安を払拭する自信がなくなっていた。

 

 そして――そんな二人に起きた悲劇。

 

 インターハイを優勝し、次はいよいよもってオリンピックだという所で両親が事故で亡くなった。

 原因は対向車線からの居眠りトラック。軽自動車に乗っていた両親は、揃って即死した。

 

「――やだ、おがぁさん、おとおさぁん! やだ、やだやだやだやだあぁぁあぁぁ――――!」

「……」

 

 突如舞い込んだ悲劇に、兄妹はひどく塞ぎこんだ。

 走る気力は大きく減衰し、周囲の期待には応えられないと、オリンピックは辞退することとなった。

 そして両親が死んだことを契機に、オーエンは大学への進学を断念。

 兄は妹を支えるためにアルバイトをして二人分の生活費を稼いだ。

 大学もまた推薦のため学費こそ心配なかったが、生活費はいくらあっても足りなかった。

 夢を諦める訳ではない、一時的に遠回りが必要になっただけだ、とオーエンは自分に言い聞かせた。

 

「『また優勝したよ!』か。頑張ってるようだな海桜……俺も頑張らないと」

 

 兄がアルバイトで明け暮れる一方。妹は兄の期待に応え、大会では何度となく優勝をもぎとった事で、ジェシーの名は陸上界隈を再び席巻しようとしていた。

 兄もまた妹に負けてられないと、アルバイトの合間合間で走り込みを続け、妹が勝てば自分の事のように喜び、そしてウマ娘とは大っぴらに戦えはしないが、想像を相手どって必死に対策を繰り返した。

 

 妹はこのままいけば再び、オリンピックの選手に選ばれる筈だった――しかしながら、悲劇は終わってはいなかった。

 

 今度は練習中に妹が骨折してしまったのだ。

 脛骨(けいこつ)の疲労骨折。重症であった。

 回復までに6か月かかり、そして治っても以前のように走れるかは分からなかった。

 

「ごめん、ごめんなさい、や、くそく、はたせなくって、ひっく、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ」

「――――」

 

 病室ではらはらと涙を流し続ける妹を見て、オーエンは絶望し、世界を呪った。

 

 神様は何故私達にこのような過酷な運命を課すのか?

 ウマ娘より速く走りたいと願うのは、罪なのか?

 人間は、ウマ娘に勝つことは許されないというのか!?

 

 それからというもののオーエンは、アルバイトもやめ、走り込みも辞めてしまった。

 全てがどうでもよくなっていた。

 所詮人間ではウマ娘に勝てないなら、これ以上努力したって無駄じゃないか。

 一度そう思ってしまうと、気力など湧きようもなかった。

 

 世間がウマ娘に関心を寄せる中、一人だけ背を向け続けるオーエン。

 妹は怪我からの復帰以降どこか余所余所しくなってしまい、こちらからは数えるほどしか連絡をとっていない。もう何を話すとか、どう接するとか、そういうの考えることすら億劫だった。

 だから妹から逃げるように実家から逃げ、一人暮らしを始めた。一人で過ごし、毎日を孤独に過ごした。兎に角誰とも関わりたくなかった。

 

 ――季節はあっという間に春を過ぎ、夏を超え、秋を経て、冬を迎えた時、オーエンは自宅の掃除中にあるものを見つけてしまう。

 

「……! ……懐かしい。そうか、こんな所にあったか」

 

 忘れもしない、『ゆーえむえー』の被り物だった。

 ホコリを被り、当時の補修跡そのままのボロボロなソレは、今見ると酷く滑稽な顔をしていて、お世辞にも格好いいとは思えなかった。

 しかしオーエンはその被り物を見て郷愁の念を覚えると共に、小さな焦燥感を覚えた。

 

 大切な思い出を壊さなぬよう慎重に手に取り、そして被る。

 サイズ的にはギリギリなそれは、視界が塞がれた瞬間にぶわっと防臭剤と風化した紙の香りが充満する。

 ギシギシと今にも壊れそうな、心もとない質感。それでも昔は被るだけで誰よりも強く走れると信じていたな、と。懐かしんでいたのだが――不意に、オーエンは動きを止めた。

 

 透明なプラスチックの目玉越しにオーエンは確かに見た。

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 当時の温度。当時の湿度。

 土の臭い、流れる景色。風触り、披露。

 心臓野跳ね回る感触。すぐ後ろにいる妹の息遣い。

 向かってくるカーブ。そして、色濃く残る敗北の味。

 一連の光景が、まざまざとオーエンの中に蘇っていた。

 

 それを見れたのは一度きりだった。

 しかし、オーエンの心にはその一瞬が強く、深く焼き付いた。

 両親は死んだ。妹は前と同じように走れなくなった。

 だからどうした。まだお前は走れるじゃないか。

 他ならぬ『ゆーえむえー』がそう言っているようにしか思えなかった。

 

「……!」

 

 鼓動が強まっていく。

 今までどこに隠れていたんだと思うくらい、全身に熱が伝わっていく。

 あの約束は夢は、まだ果たせていないじゃないか。まだ自分たちの夢は終わっていないじゃないか!

 

 そう考えた瞬間いてもたってもいられず、オーエンは外へと飛び出していった。

 自分の体は、久々であるというのに待ちかねていたと言わんばかりに応えてくれた。

 居住地を抜け、土手を走り、周りの目も忘れて風を切って走りながら、オーエンは感じた。妹が居なくても、一人だけでも。それを被っていれば、自分はいつでも『ゆーえむえー』なのだ、と。

 

 ――それからと言うものの、オーエンは練習の時は必ずその被り物をするようになった。

 疎遠になりかけた妹に覚悟のほどを伝えてからは、昼はアルバイトをしながら夜は公園や色んな場所を走り抜く。

 最早人間相手のコーチは信じることは出来ない。自分の体を信じ、本を読み漁り、すべての糧を自分に費やした。

 

 だが体はあっても知識は足りない。特に、敵となるウマ娘の知識が。体の作りも、考えも、テクニックも何も自分は知らないじゃないか。

 故に、最高峰の施設、最高峰のウマ娘達が集う学園であるトレセン学園に勤めることを考え付くのであった。

 

 

 



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第17レース 二子岳 ダート1200m(短距離) 傾斜・外 昼間

一週間に一回のペースで頑張ります。


 視線を時計に映すと午後の15時を回る所だった。

 ここに来たのが昼過ぎだから、すでに2時間近く話し込んでしまったのか、とジェシーは驚く。びっくりするほど饒舌に話してしまったとも。

 

 それもこれもサイレンスズカが聞き上手なのがいけない。

 スズカは――言語化しづらいが、その儚げな雰囲気がそうさせるのか、シスターを相手にしたかのように何もかも告白したくなるような気分になってしまった

 ぽつぽつと表面的な悩みを吐露するつもりが、お陰様で過去まで洗いざらい語っていた。

 

 それとも……自分は語りたかったのだろうか。

 

 こんな情けない生き方をしている自らの事を。

 ちっぽけな被り物を拠り所にして、

 ただウマよりも速く走りたいと願い。

 一人で醜く足掻く、未確認生物の事を。

 

 ジェシーはそこまで考えて、自嘲した。

 独り善がりな行動は危うく子供達の未来を閉ざしかけたのだ。今更何を許されようとしているんだ。

 事の発端が彼女達によるものだとは言え、それを注意せず、言われるがままに従ったのは本当に度し難い事だ。自分は年だけ取った子供か。いや、子供でさえもっと分別があるだろう。

 考えれば考える程、ジェシーは自分という存在に嫌気がさしてくる気分だった。

 

「そう……だったんですね。そんな事が」

「……聞き苦しい話ですまない」

「いえ。こう言ってしまうと失礼ですが、とても興味深い話でした。ジェシーさんの過去も。例の件についても」

「……」

 

 スズカは決して話に茶々を入れる事はなかった。

 痴話とも呼べるその話を、時折相槌を打ちながら深刻そうに受け止めてくれていた。

 それだけでジェシーは救われた気分になった。

 

「あまり詳しい話は聞けなかったので。噂だけが広まっていて……何が本当なのか分からなかったんです」

「……失望しただろう? キミの友達に、私は酷いことをしたんだ」

「うーん……聞く限りではそうは思いませんでした。怪我の件だって元を正せばゴールドシップが無理矢理連れ出したんですよね? 『大人としての責任』を持ち出されると、私としては頷くしかないですけど……」

「……」

「結果論にはなりますが……マックイーンちゃんもピンピンしていますし。そこまで気負う必要はないのかな。なんて思っています」

 

 好意的に捉えてくれるが、それは同情を買うような言い方をしてしまったせいなのだろうとジェシーは捉えた。少し曖昧な表情をしていると、スズカは少し慌てた。

 

「別に慰めでいったとか、そ、そういう訳じゃ……ただの意見です。あの、失礼な事を言いますけどジェシーさんは……なんと言いますか、自罰的なんじゃないかなって」

「……」

「何でそう思ったかと言うと、それは私もだからです……聞いたことありますか? どんな分野の人でも一流になればなるほど、原因と結果を論理的に捉える力があると言われているんです」

 

 釈迦に説法かもしれませんが、と恐縮するスズカに、ジェシーも頷いた。

 失敗は一流を一流たらしめる重要なファクターである。

 そして一流と呼ばれる人々は大なり小なり様々な失敗を糧にしているのは間違いようがない。

 勿論、ただ失敗するだけでは意味がない。

 

「一流と呼ばれる人は、失敗して落ち込む事はあっても諦める事はありません。二度と同じ失敗を繰り返さないように考えます。『どうしたら次は上手く行くか』『どうしたら次はミスしないか』、その『どうしたら』を紐解くためには、その原因を言語化する事が必要になります」

「言語化……つまり説明する力か」

「そうですね。脳は多機能ですけど、言うほど高性能じゃない。理解するためには物事を咀嚼する事が必要なんです。人は、それで初めて原因の理解と対策することが出来る」

 

 けれども。

 

「説明出来るようになる、って事は、理解が進み過ぎるって事でもあります。そうするとある落とし穴に嵌ってしまうみたいです」

「……それが自罰的か?」

「その通りです。大なり小なり自分の失敗は、自分が起こすのが大半ですから……『何でこれが出来なかったんだ』『何であの時ああしてしまったんだ』『何故これが出来ないんだ?』なんて、自分を責めちゃうんです」

 

 苦笑するスズカに、ジェシーはさもありなんと頷いた。

 家に忘れ物をしてしまう、テストでケアレスミスをする。言われたことをすぐに間違えてしまう。準備不足。連絡ミス。言葉使いの問題といった、記憶ミスから習慣や本能に基づいたミスまで。

 結局の所、自らの不手際が招いたミスは厳しく律して反復しないと治らない。しかし厳しく律するあまり、どこまでも自罰的になってしまう傾向もある。

 

「……ミスが嫌なんですよね。叱られたくないし、周りを失望させたくない。だから次は無くそう、次は絶対無くそうって癖みたいに考えちゃうんです。すると関係ないミスまで自分のせいに思えてくるんですよね。酷い時は、離れて食事してた子がお茶をこぼした時も、もしかして私のせいかも、なんて考えちゃったりも……」

「それは考えすぎかもしれないが、今回の件ははっきりと自分のせいで」

「本当にそうですか? ……いえ、そう思わないと許せないのかもしれませんね」

「……ううむ」

 

 うんうんと訳知り顔でうなずかれると、これまた否定しづらい。

  

「勿論、自罰的なのが悪いって言いたい訳ではないです。そういう方は自己分析が得意ですし、欠点にも敏感なので……ええと、つまり何が言いたいかって言いますと、ジェシーさんはあまり自分を責めないで欲しいって事が伝えたかったんです」

「……」

「そしてこれは私のワガママになるんですが……マックイーン達に会って頂けませんか?」

「それは……」

 

 駄目だ。

 その3文字の決意をはっきりと紡ぐ事が出来ず、ジェシーは狼狽えた。

 

「私は会って欲しいと思っています。マックイーンちゃんもゴールドシップちゃんも。関係していた他のみんなも、まるでお日様が沈んでしまったかのようにしょんぼりしてる。見てるだけで、私も元気がなくなってしまいます」

「……」

「自分が許せないのはわかっています。ですが、ソレを抜きにしてもみんなジェシーさんに会いたいと思っていますよ。これは嘘なんかじゃないです」

「……会って、何をするんだ。罵倒の言葉を私に投げかけるのか?」

「糾弾するためとか、そういうのじゃないですよ。みんな貴方が悪いなんて思ってない筈です。みんな、貴方の夢に協力したいと願っているはずです」

「……」

「信じられませんか?」

「……」

 

 ジェシーは困惑していた。

 友好関係を築いたという自覚はあった。

 しかしあの事件の夜、はっきりと彼女達を失望させるような事を言ってしまった。

 費やして貰った時間と努力を否定し、傷つけた。

 それは許される筈がないし、許して貰えると思えない所業だ。

 なのに――会いたい? あまつさえ協力したいだなんて。

 そんなの、到底信じられなかった。

 

「なんだったら今電話して聞いてみても」

「やめてくれ。彼女達とは通話しない……いや、出来ないんだ」

「……それは、ジェシーさんがそう決めたから?」

「学園側との取り決めだ。自分は、彼女達とは金輪際会わない、連絡しないと約束をしたんだ」

「そ、そんな取り決めをしていたんですか……!?」

「……彼女達の周りを納得させるためには、それだけ重い懲罰であることを示すためには必要だった」

「オトナの話……ですね。うぅん」

 

 スズカは自らの人差し指を丸め、唇の間に挟むとうんうんと唸り出した。

 スズカの意思は分かる。しかしながら(揺らぎこそしたが)ジェシーは会うべきではないと考えているし、これは学園とメジロ家に最低でも通すべき筋だと考えていた。

 自分という存在は彼女達の人生にマイナスしか付与しない。ならばこれ以上、彼女達に関与すべきでないし、するのは許せなかった。

 

「分からない事があります。あの、もう少しだけいいですか?」

「……あぁ」

「学園側がそうしないと駄目だと決めたんですか?」

「……」

「……なるほど、分かりました」

「……何も言ってないが」

「意固地になっちゃったんですね。駄目ですよジェシーさん」

「……だから何も」

 

 ──実際、その提案はジェシーによるものだった。

 

 生徒会および学園側がジェシーとマックイーンら双方の事情を鑑みた上で出した結論としては、ジェシーには厳重注意および2か月間の減給、ウマ娘達には反省文提出+2か月の清掃活動という非常に温い内容ではあった。

 確かにジェシーにも罪はある。ただ今回は生徒主導の事件と言ってもよく、幸いな事にマックイーンの怪我が軽い捻挫で済んだ事がその一助となった。

 

 しかしながらその沙汰に納得出来ないと抗議したのが当のジェシーだ。

 

 深く反省した、というよりも反省し過ぎたジェシーは、その翌日には学園への退職願い、そして彼女達との連絡を断つという自棄糞(やけくそ)気味な行動を取り出した。

 勿論学園側は呼び止めた。今回の件を深く反省している事は理解している。なればこそ先ほどの沙汰以上を求めるつもりはないと。

 それでも首を縦に振らないジェシーに、学園側も渋々了承した形だった。

 

「ジェシーさん。どうしたら自分を許せますか? いえ、どうしたら彼女達と会って頂けるんでしょうか」

「……無理だ。連絡しない、会わないと学園に伝えたんだぞ」

「でもそれを決めたのはジェシーさんですよね。学園側はそんな事、望んでなかったはず」

「自分はもう彼女達に会わない方がいい」

「どうしてですか? 貴方はそう思っているようですが、私は彼女達は会いたがっていると思っています」

「……これ以上、自分のような変人が関わり合いになっても益なんてない」

「有益か無益かは関わった本人が決める事です。それに、益があるかないかで交流するのを決めるなんて、空しい考えですよ」

「……」

「……」

 

 何がなんでも会って貰います。と顔に書いてあるスズカに、ジェシーは戸惑うと共に段々腹が立ってきていた。

 人の気も知らずにずけずけと。こちらがどのような思いをしているのか理解できないのか。

 

「会ったら……何が変わる? 何も変わらないだろう」

「変わります。彼女達は貴方との対話に飢えている。怒るかもしれません。泣かれるかもしれません。けれど、それ以上に喜ぶでしょう」

「彼女達は出会ったら、私の夢を続けさせようとするだろう。しかしその夢は既に閉ざされている。これ以上無駄な時間を省かせたくはない」

「マックイーンちゃん達は同情なんかで協力なんてしませんよ。勝算があったからこそ貴方を手伝ったんだと思ってます」

「勝算だと……? 逆に聞きたい、そんなものがどこにあったのか」

「タイムはそれでも伸びているんですよね。それならいつかは……」

「いつかだと? そんなもの、微々たる量だ! まだこちらはスタートラインにすら立てていないんだぞ!?」

「……」

「ただの一度も勝てたことはなかった。惜しいと思うような展開もなかった。全てに大差をつけられて悔しさだけが残った。それだけなら自らが傷つくだけで済んだ、なのに私は! 親しくなった彼女達も傷つけてしまった!」

「ジェシーさん……」

「そもそもが蟻がドラゴンに挑むようなものだったんだ……! あぁ、なんて愚かだったんだ。どうして俺達は早く気付かなかったんだ! 人生のほとんどを捧げた夢が、全くの無駄であり徒労だったなんて!」

「……」

「もう……もう、やめてくれ。私に期待させないでくれ。会っても代わらないなら……会わない方がマシなんだ……」

 

 彼女達の力があればきっと何とかなる。

 そんな漠然とした期待があった。

 それくらい、彼女達には魅力と能力があった。

  

 アグネスタキオンの類稀(たぐいまれ)なる知識量は信頼を預けるに足り。

 ゴールドシップの底抜けの憧憬(どうけい)は自らを奮い立たせた。

 トウカイテイオーのストイックな姿勢は見習うに値し。

 メジロマックイーンの真摯(しんし)な思いに、全力で応えたいと思った。

 

 あの事件がなかったら虹の端に、指先一つ分だけでもかける事が出来るのでは。

 今でも、心の片隅ではその思いが離れなかった。

 

「『人間がウマ娘よりも速く走る』……確かにおとぎ話のように聞こえる夢ですね」

「実際、おとぎ話だった。夢は夢のままで終わりだ」

「だけど……ジェシーさんは諦めていませんよね」

 

 項垂れていたジェシーはその言葉に耳を疑った。

 顔を上げれば、スズカの澄んだ目がこちらを覗き込んでいた。

 

「何を言ってるんだ……もう諦めたんだ! 徒労でしかないのなら害にしかならないのなら切るしかない! だから、彼女達と金輪際会わないようにした!」

「いいえ。口ではそう言っても諦めていないように見えます。そもそも諦めてるなら、何故私が来た時走っていたんですか?」

「気分転換に走っていただけだ、関係などない!」

「あります! 心の底から諦めてるなら走る事をそもそも嫌がるはずです! それに、聞きましたよ。『期待させないでくれ』って。ジェシーさん、貴方はまだ可能性があると感じている! 違いますか!?」

「っ、そんな事……!」

「頭では諦めたと思っても、心も体もそうは思っていない! ただマックイーンちゃん達への罪悪感だけがストッパーになってるんです。違いますか!? 違いませんよ! 子供みたいに駄々をこねても、私には分かりますから!」

 

 まさしく有無を言わさぬ圧で迫るスズカに、ジェシーは思わず気圧された。

 そしてスズカは一つ息を吸うと、その場で立ち上がり、鼻息荒くその場で足踏みを始めた。

 

「ジェシーさん、これから勝負しましょう。私が勝ったら彼女達に出会って貰います。負けたらなんだっていう事を聞きます」

「……まさかと思うが」

「そうです、レースですよ。ここから麓までの速度を競いましょう」

「っ、流石に一方的過ぎるぞ。それにそんなの勝てる訳が……!」

「諦めるんですか? それもまた結構です。なら皆さんに会って貰うだけですからね」

「大体の話、私に受けるメリットがなさすぎる。どうして受けなければならない!?」

「私の事を好きに出来ますよ。それでも足らないなら……」

「や、やめてくれ! そんな事一度も望んでないぞ!?」

 

 ひひんひんひん。ぷるるるるる。と二人が言い争う。

 ジェシーも頑固だが、輪にかけて頑固なのはスズカである。

 こうと決めたら絶対に曲げないスズカを前に、形成はどんどん傾いてゆき。やがて──

 

「お願いします。会うのは一度だけでもいいです。ですから──ですから、勝負を受けてください」

 

 大きく腰を折ってお願いするスズカに、ジェシーは結局押し負けた。

 そして間もなく始まったレースは当然ながらスズカの圧勝。序盤から大きく差をつけ、その差は決して縮まる事はなかった。

 

 しかしながら──勝負を終えたジェシーの表情は、何故だか知らないが晴れやかだった。

 



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