「はぁ……」
もうこれで何度目になるのか分からない溜め息が漏れる。
いくら考えても仕様のないことだと理解はしている。けど、「はい、そうですか」と言って素直に納得できるかと問われれば、それは間違いなく出来ない。現に、納得できていないからこそ溜め息なんて吐いてしまっている。平穏な日々を謳歌したいと、目立たなくても良いから日々を平和に過ごしたいと、そう思って生きてきた。
それなのに、あの日、あの時、あの瞬間。僕の平穏な時間は音を立てて崩壊した。いや、崩壊されたって言ったほうが良いのかも知れない。春は出会いの季節であり、別れの季節でもある。そんなことは僕も知っているし、まだまだ長い人生とは言えないけど、ちょっとは経験してきたつもり。だけど、あの出会いが平穏との別れになるなんて思ってもみなかった。
復讐じゃないけど、一種の意趣返しみたいなものだけど、日記みたいな形で今までのことを残しておこうかなって思う。
やっぱり最初は、彼女との出会いの日から始めよう。僕の日常が一変した日。最後の平穏が終わりを告げた、あの時のことを。
「まずは、ノートとシャープペンを買ってこようかな」
どうせ書くなら、デジタルじゃなくてアナログがいい。実際に自分の手で書いていって、書き直した跡とか、ちょっとした漢字の書き間違いとかそんな跡が残ってくれた方が、何だか人間味があるような気がする。そうだ、折角だし近くのコンビニとかじゃなくて、大きめの画材屋さんまで足を伸ばしてみよう。自分の足で歩いて行くのはちょっと辛いけど、安物で済ますのは気が引けるから。
「そうと決まれば、早速行動しないとね」
入ったことはないけど、確か駅前まで出れば、大穂画材って名前のお店が在ったから、そこなら良い物が見つかるかも知れない。それに、今はまだ他の人に知られるのは避けたい。もしも見られたりしたら、その瞬間に死んでしまうかも知れない。まあ、死ぬなんて大げさかも知れないけど、日記みたいにするのは確定事項なんだから、普通に考えれば見られたくないのは当たり前のことだと思う。うん、僕は間違ってなんかいない。
彼女との出会いの時を思い返しながら、出かける準備を進めていく。少しずつ記憶を引き出し、書き上げていくための材料を思い返す。いつも僕を困らせる彼女がもたらした、この素晴らしいくらいに非日常的で、馬鹿げたくらい波乱に満ち溢れた、冗談みたいに平穏なんて欠片もない、そんな日々を書き残すために……
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第1頁
あの日は確か、4月だって言うのに凄く暑かったと思う。4月初めなのに夏日の所があるとか、翌日に入学式を控え、念願の高校デビューなのに汗はかきたくないなとか考えていたのを、何となくだけど覚えてる。
そう、僕は翌日の火曜日から私立星嶺学園に入学する。茨城県つくば市にある学園で、全国でもトップレベルの進学校。卒業生の殆どが有名私立大か国公立大に進学し、海外へ留学する人も少なくない。過去の卒業生をみても、官で大役を担っている人間や、大企業の社長何かもいる。そんな学園に、次席の成績で僕は入学を決めたから、父さんも母さんもさぞ鼻が高かっただろうなって、最近は思ったりもする。
ただ僕自身としては、ここを卒業すれば、将来は安泰だろうなとか思っていたのはここだけの話だけど。
まあ、そんな学園に通えることになって、柄にもなく舞い上がっていたんだと思う。だからこそ無視できなかったんだ、きっとそう。
2012年4月9日 月曜日 晴れ
「母さん。ちょっと出掛けてくるからね」
もうそろそろ、昼食の時間になろうという時、僕は母さんに声をかけ家を出る。明日から毎日通うことになる通学路。もう下見も何度となくしているのに、これで最後だからと言って出掛けていった。
学園までは1Kmの道のりで、健康の為にも徒歩で通って行こうと考えてる。正門の手前に200m位の坂道があるけど、緩やかな坂だし問題は特にない。それに、そこは街路樹として桜の樹が植えられていて、この時期は本当に綺麗な景色が広がるんだ。別にここ以外の桜並木も観てはいるけど、入学式の日に観るここの桜は格別のものになっていることだろう。そう考えるだけで、僕の胸はますます高鳴っていく。
ゆっくりと通学路になるこの道を歩いて行く。研究学園都市として栄えるこの街の、温な田園風景とはまた異なる閑静な住宅街の雰囲気は妙に心地が良い。高揚した気持ちが、静けさの中で徐々に冷やされていく感覚。それでも、冷めきってしまうことはなく、良い塩梅の高揚感が残っている。
歩き始めて10分くらい、次の角を曲がればあの桜並木が見えてくる所まで歩いてきた。落ち着きを取り戻そうとしていた鼓動は、またしても打つ早さを上げていく。僕自身頬が緩んでいるのは判るけど、どうにもならないものは仕様がない。他人が見たら変に思われるだろうけど、今は特に人気もないしその点については心配していない。
「わきゃっ」
その角を曲がろうとした時、軽い衝撃と共に何だか可愛い声が聞こえてきた。
「っと、ごめんなさい」
何はともあれ、まずは謝ることにした。ついで相手の人を確認するため、視線を上げようとした瞬間気づいてしまった。そこには、純白の本来は隠されているべき秘密の布を晒してしまっている女の子が1人いた。黒のハイウエストスカートに胸元と袖口にフリルの付いた白シャツでオーバーニーソを履いている。倒れた拍子にだと思うけど、艶やかな長い黒髪には砂埃が付き、髪形も乱れてしまっている。それでも、元来の可愛さは失われずにいるその女の子を、僕はこの時本当にまるで天使みたいだなって思ってしまった。そう、思ってしまったんだ。
「……変態さんなんですの?」
「……」
「変態さんなんですの?」
「……」
「変態さんですわね」
さあて、この女の子はいったい何を言っているのだろうか。確かに出会い頭にぶつかってしまい、女の子を倒してしまったことは変えようのない事実だ。それでも、それでもだ。僕はしっかりと謝ってもいるし頭だって下げている。それなのに、この仕打ちはないんじゃないだろうか。初対面の女の子に、変態認定されたのは生まれてこの方初めての経験だ。
「わたくしのスカートの中身は、ただで見られるほど安くはありませんのよ?」
「それは、ごめん。でも見たくて見たわけじゃないよ?視線を上げようとしたら、位置的にたまたま見えちゃっただけだからね?」
どうやら、この女の子はパンティを見られたのが恥ずかしかったらしい。たしかに、見ず知らずの人間、それも異性に見られて気分のいい人はそうそういないはずだ。
「ほんとに、ごめんね。立てる?」
「立てませんわね。……変態さんの手を借りてなんて」
「……変態じゃないからね?」
「……」
女の子に右手を差し出しながら、弁解を試みるものの期待通りの結果は得られなかった。それでも女の子は、僕の右手をその小さな手で取り、「っん」というこれまた可愛い声と共に立ち上がった。女の子の服を調えてあげようとしたけど、なんだかジト眼で見られてしまったので、それは断念することにした。
「怪我はない?」
「怪我はありませんわ。肉体的というよりは精神的にくるものはありますけれど」
ああ、なんだろうかこの女の子は。立ち上がってみると身長は140cmほどで10~12歳の小学生くらいに見えるのに、僕の精神をゴリゴリと削っていってくれる。女の子の精神的な熟成は男の子に比べて早いとは言うけれど、この子のは何だかちょっと違う気がする。
「精神的にきているのは、どちらかといえば僕のほうだと思いたいよ」
「取りあえず、わたくしお腹が空きましたわ」
「は?」
「だから、お腹が空いたのですわ。もうお昼ですのよ?昼食にいたしませんと。お詫びついでに、ご馳走してくださいませんか?」
なんてことを言い出すんだろうこの子は。そもそも、今日は平日だし学校はどうしたのだろうか?見た目小学生なだけで、入学式を控えた中学生だったのだろうか。それよりも。
「ねえ、知らない人に付いて行くなって教わらなかったの?」
どういう訳かこの女の子は、初対面のそれも自身で変態認定している男に付いてご飯を食べに行くというのだ。なんだが、いろいろな意味でこの女の子が心配になってきてしまう。
「平気ですわ」
そういうと自然な感じで僕の手を取り、どんどん歩いていってしまった。そうなると、必然的に僕も一緒に行くことになる。なにが楽しいのか、クスクス笑いながら歩く女の子は、僕には顔を見せないまま「付いていくのはわたくしではなく、変態さんのほうですから」なんて言葉を吐き出していた。
4月9日はまだ、続きますが、今回はここまで。
文才がなくて、ごめんなさい
次話を待っていただけると、うれしいです
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第2頁
それから、10分くらいは歩いただろうか。気が付けば、あの桜並木は抜け切り、目的地だった学園もとうに過ぎ去っている。
女の子に手を引かれ、どんどんと歩いて行く僕。端から見れば可愛らしい妹に引っ張られている兄の図に見えるかもしれない。けど、僕はこの女の子のことを全く知らないし、向こうも僕のことは知らない。つまり、全くの他人同士なのだ。
「ねえ、どこに向かってるの?」
「食事をするのに、警察に行く訳がありませんわよ。お義兄様」
確かに食事のために警察に行くのは間違いだけど、この状況で警察に行ったらあらぬ疑いを掛けられる可能性は多大にある気がする。なにせ平日の昼間に高校生が小学生を連れ回していると思われかねない。実際に連れられているのは僕の方だけど。そんなのはきっと関係ないだろう。
それよりも、なにか聞き捨てならない言葉をこの女の子は口にしなかっただろうか。
「ねえ、僕は君のお義兄様じゃないんだよ?」
「そんなことは言われなくとも分かっていますわ、お義兄様」
なら、何でそう呼ぶの。単純に年上の男に向かって言っているだけなのだろうか。
「その方が、お義兄様も嬉しいと思いましたのに」
「普通に呼んでくれると、嬉しいんだけど」
何か話すたびにお義兄様と言っている。それどころか、「それは残念ですわね」何て呟きながらも、お義兄様発言を止めるつもりはなさそうだった。おそらく、受け入れろと言外に圧力を加えているのだろう。それ自体は別に怖くはないが、僕が拒否するようなことがあれば本気で行き先を警察に変えそうな気がする。でも、なぜお義兄様なのだろう。義理と付けなくてもいい気がするけど。
そんなことを考えながら、前を行く女の子を改めて観察する。服装や仕草などは、どこかのお嬢様みたいな感じだけど、いきなり変態認定してきたり、そんな全くの他人である僕と食事に行くといって引っ張って行ったりと、なかなかズレた女の子。一般ピーポーな僕には分からないけれど、お嬢様というのは、みんなこうなのだろうか。いや、ないか。きっと、この女の子が特殊なだけなんだきっと。
「見えてきましたわ、お義兄様」
それまで僕が話しかけないと何も言わなかった女の子が、ふとそんな言葉を発した。
「やっと付い……」
僕はこの時、これ以上言葉を続けらなかった。目的のお店は何かと、顔を上げた僕の目に飛び込んできたのは白黒の建物。五角形のような、花のような形をした金色のマーク。そして、赤い回転灯。それは、まるで交番のような建物だった。
きっと、このお店は交番をモチーフにした喫茶店に違いない。この手の店舗が秋葉原だけでなく、茨城の方まで来ているとは知らなかった。メイド喫茶ならぬ、ポリス喫茶なのだ。そうに違いない。
「……なにをやっていますの?」
左手が強く引かれ、現実逃避から戻される。さっきまで前を向いていた女の子はいつの間にか、呆れたような顔を僕に向けていた。
「ご自分から出頭なさろうとするなんて、お義兄様はやはり変態さん」
「いや、違うよ。交番の前でびっくりしただけだよ?ホントだよ?」
「警察だからだと驚くというのは、やましい事がある証拠ですわね?」
女の子は僕の手をより強く握ると、交番の方へと歩いていく。
「いやいや、ちょっと待ってよ。待って」
「待ちませんわ♪」
楽しそうに言いながら、どんどんと進んでいく女の子。そして、扉に右手をかけ迷うことなく中に入っていった。もちろん、僕を引き連れたままで。
これが、僕が犯した最大の間違えだった。僕はこの時、きっと逃げ出すべきだったんだ。この女の子に構うことなく、当初の予定通りに学園を見たら分かれて帰ればよかったんだ。今となってはそう思わずにはいられない。
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