レミリアの奇妙な冒険 (龍桂)
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侵略者ディオと来訪者レミリア

 

 

 

「いつか勝てるようになってやる!」

 

 喧嘩で得た生傷に顔をしかめながら、ジョナサン・ジョースターはそうつぶやいた。喧嘩相手は何の関わりもない少年二人で、同じく何の関わりもないエリナという少女を助けるために自ら喧嘩を吹っかけたのだが、力及ばず逆に叩きのめされてしまったのである。

 

 なぜそんなことをしたのかと人に問われれば、彼は迷いなく「紳士とはそういうものだから」と答えていただろう。負けると分かっていても、戦わなければならないと感じたときにはどんな相手とも戦う勇気をもった少年だった。

 

 彼が自宅―伝統ある貴族、ジョースター家の屋敷として有名だった―に帰ってくると、家の前に見慣れない黒塗りの馬車が停まっていることに気がついた。客人だろうか―ジョナサンが怪訝に思っていると、ドアが開いた。

 

 大きなカバンが地面に投げ出された。次いで馬車から軽やかな足取りでおりてきたのは、金髪の少年だった。端正な顔立ちではあるが、目だけはぎらぎらと光っている。

 

(…そうだ、思い出した。今日はお父さんの二人の恩人の息子と()を引き取るという話だった)

 

 ジョナサンは記憶をひっかきまわし、二つの名前のうち一つ―ディオ・ブランドーという名前を探し当てた。そのときちょうど、ディオの方もジョナサンの存在に気づいたようだった。

 

「君はディオ・ブランドーだね?」

「そういう君はジョナサン・ジョースター」

「みんなジョジョって呼んでるよ…よろしく。ところでもう一人来るって話だけど」

「ああ、それなら隣にいた彼女かもしれないな」

 

 ディオが出たところとは反対側のドアがゆっくりと開いた。ジョナサンが見守っていると、その人物はおそるおそるといった様子で外へ足を踏み出し、傘を差した。

 

 もう一人の来訪者は青がかった髪に赤い目をもった少女だった。こちらもディオに劣らず顔は整っていたが、その肌は青白い。身体が弱いのかもしれない。少女はジョナサンとディオを見つけると、声をかけてきた。

 

「私はレミリア・スカーレット。貴方が…ジョナサン・ジョースターかしら?」

 

「ああ。よろしく」

 

 ディオはジョナサンと同じくらいの歳だが、レミリアは一、二歳年下らしかった。

 

「私、身体が弱いから太陽の光に当たれないの。…傘を差したまま言うのは失礼かもしれないけど、どうぞよろしく」

 

 レミリアが薄っすらと微笑を浮かべると、ジョナサンはレミリアの笑みに本能的な不気味さを感じた。が、すぐに頭を振ってそんな感覚を頭から追い出した。

 

(……勝手にそう思うのは失礼だな。紳士失格だ)

 

 内省しながら手を差し出した時、きゃいん、という犬の鳴き声と鈍い音が聞こえてきた。はっとして振り返ると、ジョナサンの「友達」である愛犬、ダニーがディオに顎を蹴り上げられていたのである。

 

「何をするだァーッ! 許さんッ」

 

 叫んだジョナサンを、レミリアが後ろから制した。

 

「ひょっとしたらディオは犬に怯えたのかもしれないわ。あの犬はあなたの?」

「友達なんだ! ダニー!大丈夫か!」

 

 ジョナサンが駆け寄ろうとしたとき、その父親―ジョースター卿がやって来た。

 

「一体何の騒ぎだ?」

 

 

 

 

 

「ディオくん。君の父親には世話になったね」

「いえ……むしろ僕の方が感謝したいくらいです。貧民街出身の僕にこれだけのことをしてくださってくれるとは」

「レミリアくんも。ご家族の件は本当に残念だった」

「確かに寂しいけれど、ジョースター卿、新しい家族と出会えたのは幸運でしたわ」

 

 ディオはジョナサンの父親―ジョージ・ジョースター卿と話しながら、その場にいる全員をつぶさに観察していた。

 

 まず、ジョージ・ジョースター。彼の機嫌を損ねるのはよくない。とはいえ、さきほども「突然犬が走って来たのに驚いた」というディオの嘘を信じてしまったことから、()()()()相手であることは分かった。温室育ちの貴族らしい間抜けである。

 

 そしてジョナサン・ジョースター。彼も父親と同じく間抜けなところがあるが、こちらには威圧的に出た方がいいだろう。いずれジョースター家の財産の相続から蹴落とさなくてはならないのだから。ダニーの件でディオにはいい印象を抱いていないようだが、知ったことではない。

 

 最後にレミリア・スカーレット。名家の生まれだそうだが、屋敷の火事で両親を失ったのだという。しかし彼女の父親はジョースター家を経済的に援助したことがあったため、その縁でジョースター卿が引き取ることにしたのだという。

 

 病気がちなので競争相手としては心配しないでいいだろう。邪魔になれば父親―ダリオ・ブランドーにしたように、毒を盛って病死に見せかければいいだけの話である。レミリアはどうにもディオに対する感情が読めないが、さほど問題ではない。

 

「来たまえ二人とも。部屋に案内してやろう」

 

 適当に返事をしているうちに、いつの間にかジョースター卿の話は終わっていた。ジョースター卿はロビーを歩いて階段へと向かっていた。

 

 ディオがそれに続こうとしたとき、ジョナサンがカバンに触ろうとしていたので適当に蔑みの言葉をくれながら手首を軽く捻りあげ、肘鉄を喰らわせる。

 

(ジョースター家を乗っ取るためにも、コイツの心は折っておかないとな)

 

「これからも僕の持ち物に触るなよ」

 

 そう言い捨て、ディオはジョースター卿の後を追った。

 

「…ごめんなさい、かばんが重くて階段を上れないの。持ってくれない?」

「あ……うん、わかった」

 

 後ろからレミリアとジョナサンの話す様子が聞こえてきた。今の一部始終を見ていたにもかかわらず、レミリアの声には同情も戸惑いもなかった。ジョナサンとディオの間のいざこざには無関心なのかもしれない。

 

 いいように使われているジョナサンの姿を想像して、ディオは片頬に歪んだ笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 レミリアは自分の部屋へ案内してもらい、荷物を運んでくれたジョナサンにお礼を言った後、疲れたので少し休ませてほしいとジョースター卿へ頼んだ。

 

「慣れない旅で疲れたろう。存分に休みなさい」

「お言葉に甘えさせていただきますわ」

 

 レミリアはベッドに座ると、ほうと安堵のため息をついた。

 

(今回は、長くいられそうね)

 

 レミリアの姿を見た人間は、彼女の年齢を14、5くらいと推定するだろう。しかし実際のところ、彼女は1()5()0()0()()()()ロンドンで生まれているのである。なぜそれだけの間生きていられたのか。結論から言ってしまえば、彼女が吸血鬼であったからである。

 

 1521年にアステカ帝国が滅びると、スペインを通してメキシコから多くの金銀財宝がヨーロッパへともたらされた。レミリアの家―スカーレット家はメキシコの貿易品を扱っており、自然とレミリアとその妹はメキシコからの品に触れる機会が多くなったのである。

 

 その品の中に、二つの石仮面が混じっていた。

 

 ある日レミリアとその妹が、父親の持って帰ってきた石製の仮面をかぶってふざけていると、どうしたわけか妹がころんで手のひらをすりむいてしまった。当然だが、石仮面で視界が制限されていれば転びもする。妹は泣きながら石仮面を外そうとした。

 

 血に濡れた手で触れた瞬間、骨針が飛び出て妹の頭をめった刺しにした。呆然としているレミリアの目の前で、妹はゆっくりと倒れた。

 

 レミリアが妹を介抱しようと駆け寄ると、そのときにはすでに吸血鬼と化していた妹に殴り飛ばされた。折れた肋骨が肺に突き刺さり、レミリアは吐血した。もちろん吐いた血は石仮面へ付着し、同じように作動した。

 

 かくして二人の吸血鬼が生まれてしまったのである。両親に捨てられた姉妹はヨーロッパの各地を転々としていたが、ある村で行われた魔女狩りのときに離れ離れになってしまった。

 

 妹と別れたあと、レミリアはその後も吸血鬼であることはひた隠し、錬金術師の真似事や貴族の家庭教師をしながら旅をしていた。一か所に留まると歳を取らないことがばれてしまうので、定住はしなかったが。

 

 もちろんジョースター卿が恩義を受けた家族とは血は繋がっていない。子のいない貴族夫婦がいたので養子になっていたのである。人のいい夫婦でレミリアも気にいっていたが、不幸な事故で二人が死んでからはほとんど思い出すことはなかった。

 

(この家は静かでいいけれど…あの二人はちょっと気になるわね)

 

 ジョナサンとディオ。ジョナサンは貴族の()()()()らしい甘っちょろさがあるが、稚拙ながらも紳士たらんとする姿勢は好感がもてた。ディオは貧民街出身というだけあってぎらぎらとした野心を身に纏っており、どうも気に入らない。

 

(まあ、少し占ってみようかしら)

 

 レミリアは自前のタロットカード―占星術師に弟子入りしていたころに手に入れたものである―を取り出してシャッフルした。

 

 カードを1枚引いて見たあと、片眉を上げて再びシャッフルし、引き直す。それを数度繰り返して、ため息をついた。

 

「……ひょっとして私、面倒ごとに巻き込まれたのかしら?」

 

 二人の運命、そしてジョースター家の運命。何度占っても出てくるのは正位置の(タワー)。意味は「破壊、破滅、惨劇」だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ディオとレミリアが来てから、ジョナサンの苦しい日々が始まった。ディオは何かとジョナサンに嫌がらせをしたり非友好的な態度をとってくるうえ、あっという間に勉強やマナーを理解してしまったため、ジョースター卿はジョナサンに厳しい態度をとるようになっていたのだ。

 

 レミリアは病気がちで昼は自分の部屋から出てこず、あまり姿を見かけたことはなかったが父親に言わせれば、「完璧な淑女」であり、貴族らしい教養があるらしい。

 

「作法がなっとらんぞッ 作法が!」

 

 ひっくり返ったグラスがテーブルクロスに大きなしみを作ったとき、ジョースター卿はそう言ってテーブルに拳を叩きつけた。

 

「もういい、ジョジョ! お前の食事はぬきだ!」

「ええっ、そんな……」

「ディオを見習え!……もう自分の部屋に帰ってなさい!」

 

 給仕がジョースター卿の指示通りにジョナサンの食器を下げに来たときには、すでにジョナサンはすきっ腹を抱えて自分の部屋へと走っていた。

 

(父さんは二言目にはディオを見習え、レミリアを見習えだもんな……きっと僕が嫌いなんだ)

 

 ジョナサンは涙ぐんでいた。誰かと比べられることなかった今まで、ディオの罵詈雑言を浴びない今までが懐かしかった。

 

「あら、どうしたの?」

 

 涙をぬぐいながら歩いていたジョナサンに声をかけたのは、レミリアだった。

 

「いいや……なんでもない」

 

 泣いているところを見られてしまったので、ジョナサンはいささかの気恥ずかしさを覚えながらそう答えた。するとレミリアは、ああ、と納得したようにうなずいた。

 

「さっきジョースター卿の声が聞こえてきたのだけれど……マナーが悪かったのね?」

「……」

「まあ、確かに作法は大切ね。特にあなたのように紳士を目指しているのなら」

 

 レミリアは微笑を浮かべた。しかし空腹のうえにやり場のない怒りと悲しみを抱えたジョナサンには、レミリアがあざ笑っているようにしか見えなかった。

 

「放っておいてくれ。それにきみも…ディオや父さんみたいに僕を嫌ってるかマヌケだと思ってるんだろ?」

 

 何を言っているのか分からないという様子で、レミリアは首をかしげた。

 

「そんなことないわよ。私はディオよりは貴方の方が好きだし……まあちょっと抜けたところはあると思っているかしらね」

「……やっぱりバカにしてるじゃないか」

 

 やはりこの家には自分の味方は一人もいないのだ。ジョナサンはレミリアと顔を合わせているのが嫌になり、再び駆けだした。

 

「あ、ちょっと待ちなさい」

 

 レミリアの制止は無視した。ジョナサンは自分の部屋へと駆けこむと、勢いのままベッドに突っ込み、ぐすぐすと泣きじゃくった。

 

 少しして涙は収まったが、空腹はジョナサンの思考を悪い方向へとねじまげ、心をどん底へと叩き落していた。

 

「……ああ、こうやって僕は涙にずぶ濡れになって死んでいくんだ……でも誰も僕の亡骸を見ても泣いてはくれないんだろうなァ……ディオは鼻で笑うだろうし、父さんもため息をつくくらいで…」

 

 

 そのとき、ノックの音がした。

 

 ジョナサンが口をつぐむと、ドアの向こうからレミリアの声が聞こえた。

 

「ジョジョ、入ってもいいかしら?」

 

 自分をからかいに来たのだろうか。ジョナサンは真っ赤になった目をこすりながら答えた。

 

「……また君か。何の用だい?」

「何の用とは冷たいわね。せっかく貴方のために食事を持ってきてあげたのに」

「えっ?」

 

 ドアを開けて入って来たレミリアは、ジョナサンが食べ損ねた夕食をまるまる一人分持っていた。

 

「それは……」

 

 ジョナサンが驚きの声をあげかけたとき、レミリアは人差し指を唇にあてた。

 

「内緒よ。私、食欲がないの。……まあ冷めてはいるけど一切手をつけてないから遠慮せずに食べなさい」

「いいのかい?」

「そのために持ってきたんだから。気にしないでいいわ」

 

 先ほどまで悪意に満ちていたように見えたレミリアの顔が、聖母のように見えるようになった。ジョナサンは自分の腹の現金さに苦笑しながら、感謝の言葉とともに食事を始めた。

 

 ジョナサンが無我夢中で食べている間、レミリアは窓から外を眺めていたが、食事が終わったとき、ジョナサンのベッドに飾り付けられている母親の肖像に目をとめた。

 

「あれはあなたのお母上?」

「うん。そうだよ。僕が生まれてすぐ死んじゃったんだけどね」

「……それなら、ジョジョにとってはジョースター卿が唯一の家族なのね。1人しかいないのだから、大切にした方がいいわ」

 

 そのとき、ジョナサンはレミリアが家族全員を亡くしたという話を思い出した。よく考えれば、レミリアはそれだけの悲劇の後、弱い体をかかえ、身寄りのない不安にさいなまれていたはずである。それなのにさきほど自分がとってしまった態度は、とても紳士とは言えないだろう。

 

「……ごめん、さっきは気が立っててね。何かあったら力になるから。……紳士たるもの、淑女に当たるべきではないよね」

 

 レミリアは、気にしてないわ、とつぶやいてから、ジョナサンの方に向き直った。

 

「貴方、やっぱり気に入った。ディオみたいな人間はさんざん見てきたけれど、貴方のようにバ…いえ、本当に紳士になろうとしている者は見たことがない……貴方も、もし困ったことがあれば私に相談しなさい」

 

 ジョナサンは、久しぶりに味方となってくれる人が現れたことに安堵を覚えた。どこか上からものを言ってくるようなところのあるが、それも愛嬌だろう。

 

「さて、と……そろそろ戻らないと使用人が私の部屋に食器の回収に来てしまうわね」

「食器は僕が持っていこうか?」

「遠慮しておくわ。あなたが食器を持ってるのを見られたらまずいでしょ?」

 

 そう言うと、レミリアは食器を抱え、部屋のドアへと歩いて行った。

 

「今日はありがとう。これからも…友達として、よろしく」

「こちらこそ」

 

 レミリアがバタンと扉を閉めたとき、彼女の身にまとっていた甘い香りがかすかに残っていた。

 

 

 

 

 

 ある日、ディオはジョナサンの部屋にこっそりと忍び込んだ。ジョナサンはいい懐中時計を持っていたので、それをいただいておくつもりである。この前、ボクシングで徹底的に痛めつけておいたので多少物を盗んでも何かを言ってくる気にはならないだろう。

 

「ム、見つけたぞ」

 

 きらりと輝く真鍮の懐中時計が引き出しの中にしまわれていた。ディオはそれを取り上げ、ためつすがめつしてからポケットに入れると、ジョナサンの部屋を出た。

 

「あらあら。ディオ。ジョナサンの部屋で何をしていたの?」

 

 するとそこでちょうどレミリアと鉢合わせた。手には広間にかけてある不気味な石仮面を持っている。レミリアは昼間には自室にいることが多いはずなのだが、今日はたまたま外に出てきていたらしい。

 

「……そういう君だって、広間にあるはずの仮面を持っているじゃないか。どうしてだい?」

「この石仮面に興味がわいたの。だからジョースター卿に許可を貰って自室でゆっくり見ることにしたの」

「フン、そんな骨董品、金になりはしないのに……よほど暇なんだな」

「ええそうね。……それで、貴方はどうしてジョナサンの時計を持ち出しているの?」

 

 レミリアはじっとディオの返答を待っていた。

 

(ち、面倒くさいな)

 

「借りるだけさ。僕は自分の時計を持っていないんでね」

 

「そう、ならいいわ。……まあ貴方もジョナサンの友人として、いや、ジョースター家に住む人間として、盗みなんてするわけはないと思っていたけれど」

 

 そのとき、ディオはレミリアの向ける視線が盗人を見るそれであることに気づいた。貧民街でよく向けられた、取るに足らないものを見るような目。ディオはふつふつと怒りがわいてくることに気がついた。

 

(このディオをコケにしやがって……!)

 

 しかし、ディオは激昂しそうになるのをぐっとこらえた。レミリアの身体は華奢で、ディオが右ストレートでも放てば容易に倒すことができるだろうが、ジョースター卿や使用人の手前、それはできない。相手がジョナサンであれば喧嘩として片づけられるかもしれないが。

 

「まあいい……じゃあな」

「あともう一つ教えてほしいことがあるのだけれど」

「…なんだ」

 

 踵を返そうとしたディオを、レミリアは呼び止めた。

 

「今日は早めに学校が終わったのかしら? ジョナサンは帰ってないみたいだけど」

「……ちょっと忘れ物を取りに来ただけさ」

「そう。じゃああなたがダニーに猿ぐつわをして箱に入れたのはどうして?」

「なに?」

 

 こいつは、とディオはレミリアを睨みつけた。

 

「外を眺めていたらあなたがダニーと一緒にいるところを見かけたのよ。犬嫌いのはずのあなたがね。……それにしても、いつの間にそんなに仲良くなったの? 焼却炉でかくれんぼなんかしちゃって。助けるのに骨が折れたわ」

「……見間違いだろう」

「ふーん、ならいいわ。私はけっこう犬が好きなの。…一生懸命人間に尽くすところが特にね。だからあなたも『ダニーが事故にあわないように』気をつけてあげて」

 

 レミリアはそう言い残すと、自室の方へと引き返していった。それを見送ったディオは、自分の目的を達成するうえでレミリアが思った以上に邪魔な存在であることを知り、ひそかにある決意を固めた。

 

(こうなったら、早いかもしれないが、レミリアは始末する。そう、俺のあのカスみたいなオヤジと同じように、毒でゆっくりと殺してやろう)

 

 かさり、とポケットに入れていた毒薬の包みが音を立てた。

 

 

 

 



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東洋の毒薬

 

 

 

 

―数年前―

 

 ディオが東洋の秘薬を求めたのは、彼の実父、ダリオ・ブランドーを殺害するためであった。ダリオは母の形見のドレスを売って酒の足しにするような救いようのない屑であり、躊躇はなかった。

 

 決心を固めたディオの行動は速かった。ロンドンの中華街の奥にある秘密の薬屋を探し当てると、賭博で得た金で薬を買うことにした。

 

「これを使えば本当に医者に調べられても毒殺とばれないんだな?」

「ヒヒ、もちろんね。この秘薬、人間の「気」を濁らせて殺すね。ここの医学じゃ分かりっこないよ」

 

 そう答えたのは、髭と眉が異様に長い中国人だった。おそらく偽名だろうが、ワンチェンというらしい。妖し気な雰囲気を持つ店内にふさわしく、払拭しがたい胡散臭さを身にまとっている。

 

「そうですよ。ワンチェンさんの作る薬は効き目がありますからねえ。そこは保証します」

 

 もう一人、中国人の娘がいた。顔立ちは東洋風で、燃え盛るような紅の髪を腰まで伸ばしている。腕のよい薬師が一人いるとは聞いていたが、この娘については何も知らなかった。ディオが怪しんで黙っていると、娘は何かに気がついたような顔をして、慌てて付け足した。

 

「私はホンメイリンと言います。今はワンチェンさんの薬作りをお手伝いしていますが、いずれ自分で薬屋を開くので、そのときはごひいきに」

「……見習いか」

 

 ディオがそうつぶやくと、ワンチェンはうなずいた。

 

「彼女、人間の「気」の流れを見る才能ある。私の跡つげるね」

「……そうか」

 

 ディオは適当に返事をしながら、ダリオを殺した後はワンチェンやメイリンの世話になることはあまり無いだろう、と思った。

 

 彼らを頼るのは、誰かを殺すときなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 ジョースター卿とレミリア。今回毒を盛る相手はこの二人だった。ジョースター卿は歳だから病死してもそれほど不自然ではないだろうし、レミリアは普段から病気がちなのでなお自然に見えることだろう。二人が死んだ後は、ジョナサンを追い出せばもう問題はない。

 

 ダニーを殺そうとした件について、レミリアはディオの弱みを握っているつもりなのか、数年が経った今もまだ誰にもそれを話していないようだった。しかしまさかディオがその命ごと証拠を隠滅しようと図るとは考えてもいないのだろう。

 

 ディオは根気よく二人に毒を盛り続けた。その結果、ジョースター卿はもくろみ通り寝込むようになっていた。

 

(このディオをコケにする奴は許さん……たとえ女であってもな)

 

 ディオはレミリアの食事のトレーに置いてある薬を「自前の薬」と入れ替え、レミリアの部屋をノックした。

 

「レミリア。入るぞ」

 

 いつも通りカーテンは閉めきられ、部屋の中は暗い。ぼんやりと光るランプのそばで、レミリアは椅子に座り、頬杖をついたまま本を読んでいた。本のタイトルは「東方見聞録」。確かヴェネツィアの商人が東洋の旅について口述したものだったか。

 

 夜のこの時間はよくジョナサンと話しているようだが、ここ数日ジョナサンは家を空けてどこかへ行っているので、最近のレミリアは本を読んで過ごしているらしい。

 

「あら。いつもありがとう。後でおいしくいただくわ」

 

 微笑を浮かべたレミリアを見ながら、内心ディオは困惑していた。

 

(……なぜこいつは死ぬ気配も見せないんだ?)

 

 毒をいくら盛っても効いた様子が無い。ジョースター卿に盛っている量とそう変わらず、また同じ種類であるにもかかわらず、である。ディオが戸惑っているのを知ってか知らずか、レミリアは何やら机の引き出しを探りながら質問してきた。

 

「……ところでディオ、あなた東洋への旅に興味はない?」

「東洋?」

「そうそう、私はこの本に書いてある黄金の国ジパング……中華のさらに東にある国に興味があるの」

「……どうせ低俗で野蛮な国に決まっている。東洋の国なんてそんなものだろう?」

 

 そう言うと、レミリアは残念そうにつぶやいた。

 

「残念ね。私は貴方のために東洋への旅を薦めているのに」

「なぜだ?」

「警察に追われてまでロンドンに居たいの?」

 

 ディオは気づいた。レミリアがにやにやしながら薬の包みをもてあそんでいることに。

 

「……それはッ」

「貴方がくれたお薬よ。私は盗人から何かを施されることが嫌いだから飲まなかったけれど…この前気づいちゃったのよ。確か貴方、ジョースター卿にもこの薬を渡していたはずよね。ジョースター卿の具合だけ悪くなるのはなぜかしら?」

 

 鼓動が速くなるのを感じた。ディオの企てを全て見抜いているらしい。レミリアがこのことを警察に報告してしまえば遺産を継ぐどころか、犯罪者として逮捕されてしまうことは目に見えている。

 

「フン、人をからかうのも大概にしてくれ。そもそもそれが本当なら君はもう警察に通報しているだろう?」

「ええ。私は確信が得られるのを待っているの。ジョジョがそろそろ戻ってくる頃ね……この薬の正体を突き止めて」

 

 しまった、とディオは思った。毒薬に気づいたレミリアがジョナサンに入れ知恵したのだ。ジョナサンが家を空けているのは、食屍鬼街へ行ってディオが殺人を試みている証拠を持ち帰るため。そしてレミリアが気づいてから素知らぬふりをしていたのは、ディオに対策の時間を与えないため。

 

「どう? 旅に出たくなったでしょう?……まあたぶん貴方にはそんな時間は残されてないと思うけれど」

「……こッ、この女ッ!」

 

(どこまでも俺をなめているッ!)

 

 怒りが限界に達し、ディオはポケットからナイフを取り出した。鈍色の輝きを見てもレミリアは嘲笑を浮かべたまま気にも留めなかったが、ディオがナイフを一閃すると、その笑みは凍り付いた。

 

 レミリアの首筋から、鮮血が散った。首に手を当ててぱくぱくと何かを言おうとしていたが、そのままバランスを崩して床に倒れ伏した。ディオは痙攣するレミリアを見下ろして蹴り飛ばすと、その部屋を出た。

 

「不愉快極まるヤツを殺せたのはいいが…これはもう収集がつかない」

 

 レミリアを殺したことはいずれ明るみに出るだろうし、ジョナサンが戻ってくればジョースター卿を殺害しようとしていたことが知られてしまう。警察に捕まらないようにするためには、一刻も早くここから逃げるしかないだろう。

 

 しかし、ここから逃げる、というのはディオの癇にさわった。もしもこの事件を完全に隠滅することができたら? 人知を超える力を手にすることができるとすれば?

 

 そのとき、ディオの脳裏に、あの不気味な石仮面が浮かんだ。

 

 実はディオはジョナサンを謀殺するための道具として石仮面を持ち出し、からんできたごろつきに使用したことがある。ただの拷問器具かと思っていたが、石仮面の骨針が頭に突き刺さったごろつきは、死ぬどころか凄まじいパワーを得て若返りを果たしていた。

 

 そのごろつきは太陽光を浴びて塵と化した。それによってディオは石仮面がもたらす力は知っていたものの、太陽の下を歩けなくなるというリスクを考え、手を出しあぐねていた。

 

「……だが、今はそんなことを言っている場合じゃあないな」

 

 この館にいる者、追ってくる警察も皆殺しにするような、圧倒的な力がいる。そして石仮面をかぶりさえすればそれはたやすく手に入るのだ。

 

 ディオは廊下を疾走した。石仮面はジョナサンの部屋に置いてあるはずだ。さらに都合のいいことに、石仮面を作動させるのに必要な血については、レミリアのものが服に付着している。

 

 ジョナサンの部屋に到着し、ドアノブに手を触れた。

 

「そうだ、まだ何も問題は……」

 

 ない、とつぶやきかけたとき、ディオは後ろからやってきた大男の存在に気がついた。ジョナサン。すでに証拠は上がっているのだろう、警官たちを引き連れている。

 

「ディオ……君の服についているのは、いったい誰の血だ?」

 

 ジョナサンは、わななきながらそう訊いた。

 

 

 

 

 

「ちょっと貴方に伝えたいことがあるわ」

 

 レミリアがそう言ったとき、ジョナサンは妙だな、と思った。レミリアがわざわざ伝えたいことがある、などと言ったことは今まで一度もなかったからである。

 

「どうしたんだい」

「……ジョースター卿の病気ことなのだけれど……おかしいとは思わない?」

「お父さんが? あれはただ風邪をこじらせただけだろう?」

 

 ジョナサンからすれば、むしろレミリアの方が妙だった。何年経っても成長した様子はなく、容姿が変わっていないのである。メイドや執事はのんきに可愛いお姿のままだと笑っているが、これも彼女の病弱と何か関係があるのだろうか、と思っていた。

 

「……私は普段からディオと医者に薬を貰っているの」

 

 レミリアが机の引き出しから包みをいくつも取り出したのを見てジョナサンはあきれ返った。

 

「駄目じゃないか。ちゃんと薬を飲まないから病気が治らないんだろう」

「私はいいのよ。薬なんか飲まなくても。でも、どうして薬を飲んでいるのにジョースター卿の方は病気がますます重くなっているのかしら?」

「……つまり?」

 

 レミリアは包みをジョナサンに手渡した。

 

「ディオが毒を盛ってるんじゃないかってこと」

「……何を言っているんだ。君は」

 

 声が震えた。まさかそんなことをするわけがないだろう、と思ったが、ひょっとするとディオならやるかもしれないとも思った。

 

「……証拠はあるのかい?」

「いいえ。ただ、ジョースター卿のかかりつけの医師に薬を見せたら、どんな効果のある薬なのかは分からなかったけど、漢方薬の一種らしいことはわかったわ。そしてそんなものをこの辺りで売っているのは、食屍鬼街(オウガーストリート)にある店だけよ」

 

 食屍鬼街――ジョナサンも噂だけだが聞いたことのあるスラムだった。呪われた者たちの住まう、忌むべき場所。しかし、そこへ行けば、少なくともディオへあらぬ嫌疑をかける必要がなくなるか、父親の病気を治すことができるかもしれないのだ。

 

「……なるほど、よく調べたね」

「私はディオが毒を盛っている証拠を取るためにそこへ行くつもりなの。その間、ディオを見張っておいてくれない?」

「いや……行くのは僕の方だ。君はここに居てくれ」

 

 レミリアの身体が丈夫ではないことは知っている。ジョナサンはレミリアをなだめすかすと、秘密裏に自分だけそこへ向かった。

 

 ジョナサンが食屍鬼街にやってきたときにひと悶着あったが、仲間になったスピードワゴンという男の案内で、無事に問題の薬屋にたどり着くことができた。そこにいたのはワンチェンとホンメイリンという東洋人だった。

 

「私無関係ね。何も知らないね」

「馬鹿野郎、ジョースターさんは命かけてここまで来てるんだ。ちゃんと質問に答えろ!」

 

 ワンチェンの胸ぐらをつかもうとしたスピードワゴンを制止し、ジョナサンは言った。

 

「……質問に答えてくれたら、もし君が毒薬を売っていたとしても僕はそのことを言わない。約束しよう」

「もし答えたら私も見逃してもらえますよね?」

「……ああ」

 

 メイリンはワンチェンと相談していたが、やがて決定的証拠――ディオに、ゆっくりと服用者に死をもたらし、証拠がでない薬を売ったことを白状した。

 

 

 

 

 

 

 ジョナサンは警官隊と薬を売ったと自供した二人の東洋人、スピードワゴンをともなって帰宅した。そして決定的な証拠を突きつけるため、ディオの姿を探していたのだが、ジョナサンたちが見つけたとき、ディオはおびただしい量の血を浴びていた。

 

「ディオ、それは、誰の血だ?」

「レミリアだ。殺したのさ。このディオを馬鹿にしたからな」

 

 レミリア。その名が出てきて、ジョナサンは動揺した。死んだ?彼女が?

 

「う、嘘をつけ…」

「喉を掻き切ってやったんだ。信じたくなきゃ信じなくてもいいぞ、ジョジョォ…すぐその()()()()()()()からな」

 

 

 何が起こったのかは分からないが、おそらくレミリアはディオの毒牙にかかったに違いない。毎晩語りあい、実の妹のように接してきた彼女の死を知ると、ジョナサンの心に、ちりちりと火がともった。

 

「……わかっているのか?君は殺人を認めたんだぞ」

「ああ、だがもう問題はない」

 

 連れてきた警官たちは拳銃をすらりと引き抜いた。ディオはそれを見てふっと笑うと、なぜかジョナサンの部屋へと入っていった。

 

「そいつをさっさと捕まえてくれ!サツの仕事だろ!」

 

 スピードワゴンが叫ぶと、警官たちははじかれたように走り出し、ジョナサンの部屋に突入していった。残されたジョナサンは、ただ立ち尽くしていた。

 

「遅かった……」

「ジョースターさん。そのレミリアってお嬢さんのことは、残念でしたが…ジョースターさんのせいじゃないですよ」

「いいや、もう少し早く着いていればよかったんだ!」

 

 ジョナサンが自責の念に駆られ始めたとき、部屋の中からは銃声が聞こえてきた。ディオが抵抗しているようだった。しかしあの人数の警官隊に勝てるわけがない。ディオが死体となってあの部屋から出てくるのは間違いないだろう。

 

「なんの騒ぎだね」

 

 そのとき、杖をついたジョースター卿がやってきた。

 

「父さん、これは……」

「旅行から帰ってきて、どうして私に会いに来てくれなかったのかね?」

「それどころじゃないんです」

 

 ジョースター卿には、余計な心配をかけさせないために旅行へ行くと言っていたのだ。ジョナサンが何が起きているのかを説明しようとしたとき、それまで黙っていた東洋人――ワンチェンが口をはさんだ。

 

「よくない気の流れがあるね。早く逃げた方がいいよ」

「サツはお前たちを不問にするつってんだろ!安心しろ」

「スピードワゴンさん、違います。私たちは、あの男から逃げろと言っているのです。気の流れが変わりました。おぞましく……そして限りなく邪悪なものに」

 

 メイリンがそう言った瞬間、怒号や悲鳴が聞こえてきた。銃声も聞こえるが、途切れ途切れになっている。やがて、ジョナサンの部屋は静寂に包まれた。

 

「まさか……」

 

 ジョナサンがそう呟いたとき、ワンチェンとメイリンは我先にと逃げ出した。いまだによく状況を呑み込めていないらしいジョースター卿、ジョナサンと同じく金縛りにあったかのように立ち尽くしているスピードワゴンのほかには誰もいなかった。

 

 かつ、かつ、かつと足音が聞こえてきた。ドアを開けて姿を現したディオは、闇の中で鋭い眼光を発し、伸びすぎた八重歯が口元から覗かせていた。身体には先ほどまでとは比較にならないほどの血液がべったりとついており、欧州の伝説に名を残す怪物を思いおこさせた。

 

「き、吸血鬼……」

 

 スピードワゴンがそうつぶやくと、ディオの唇が動き、言葉を発した。

 

「……この力、分かるか、ジョジョ…」

 

 ディオからはすさまじい暴力の気配が立ち昇っており、彼がもはや人ならざる者に変貌してしまっていることをジョナサンは直感した。

 

「……警官たちはどうしたんだ」

 

 ジョナサンが訊いた瞬間、ディオの後ろから続々と人影が現れた。それらは、かろうじて人の形を保っているものの、ぐずぐずと崩れ、萎びた身体に生気はない。窪んだ眼窩から血走った眼だけを爛々と輝かせている様子は、ゾンビそのものだった。

 

「彼らももう……人間ではないみたいだ」

「あれが…警官隊なのかッ! ディオにやられたら、俺たちもああなっちまうってことですか、ジョースターさん!」

「……そういうことなんだろうな」

 

 戦慄する2人といまだに状況がつかめていないジョースター卿に向かってディオは真っすぐ歩を進めてきた。4、5人の屍生人(ゾンビ)もひたひたとその後につき従っている。

 

「お前たちを皆殺しにすれば、何が起こったのか知る者はいなくなる…まとめて俺の生命になれ…」

 

 ジョナサンは前へ一歩出ると、傍で燃えていた燭台を倒した。あっという間に炎はカーペットから床や壁に燃え移り、炎の壁が出来上がった。

 

「……頼む、スピードワゴン。父さんを連れて逃げてくれ」

「それは無茶だ。あの怪物は警官たちもやられたんだ!拳銃一丁でどうやって戦うんですか」

「大丈夫だ。必ずディオは倒す。……父さん、信じてください」

 

 ジョースター卿はジョナサンの眼を見ると、ふっと笑った。

 

「いつの間にかここまで息子が立派になっているとはな…一つだけ、条件をつける……生きろ」

 

 ジョナサンはうなずいた。一瞬、スピードワゴンは逡巡したがジョースター卿を連れて屋敷の出口へと走り始めた。それを確認して、ジョナサンは前へ向き直った。ディオはすでに炎の壁の前までやって来ていた。

 

「ここで止めなくてはならないんだ。ディオ」

「フン、俺を止める。か。こんな炎、乾いたネズミの糞も燃やせんぞッ!」

 

 ゾンビたちとともに、ディオは炎も意に介さず突っ込んできた。紅蓮の炎が身体を焼き、炙り、焦がす。しかし突進の勢いは止まらない。焼けた皮膚を再生させながら、迫ってくる。

 

「おおッ!」

 

 とっさにジョナサンは拳銃を抜いて発砲した。轟音とともに弾丸はディオの胸のど真ん中を貫き、後方へと抜ける。が、足止めにもならなかった。ディオは一気に距離を詰めると、そのままジョナサンに飛びかかった。

 

(まずい!)

 

 ジョナサンの脳裏に変わり果てた警官たちの姿が浮かんだ。自分もああなってしまうのだろうか。父親との約束は。ディオを止めるという目的は、果たせないのか。迫りくるディオの手刀に、思わず目をつぶった。

 

「あきらめるなんて、らしくないわね」

 

 がっ、と鈍い音がした。

 

 ジョナサンが目を開けると、目の前わずか数センチのところで、ディオの手が止まっていた。槍がジョナサンの背後から突き出され、ディオの攻撃を間一髪のところで制止していたのである。

 

「貴様は…なぜ生きているッ⁉」

 

 ディオの声には驚愕の色が浮かんでいた。声で闖入者が誰だかわかってはいたが、ジョナサンも思わず振り向いた。

 

「油断してディオに小細工をするチャンスを与えたのは、私の責任ね……ごめんなさい、ジョナサン」

 

 ディオとジョナサンに文字通りの横槍を入れた人物――レミリアの瞳は、炎を映して真っ赤に染まっていた。

 

 

 

 



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ジョースター邸の死闘

 

 

 

 ぎぎぎ、と嫌な音が柄の中心から聞こえてきた。鋼鉄製の槍が、ディオとレミリアの力を支えられなくなっているのだ。ディオは驚愕に目を見開いていた。

 

(なんだ、このパワーは?)

 

 吸血鬼と化したディオならば貧弱なレミリアの力など問題にならないはずだ。しかしディオが力をこめ続けているにも関わらず、レミリアの腕はこゆるぎもしない。そもそも、レミリアは失血死したのではなかったか。

 

 そう思った瞬間、ふっと抵抗が消えた。ジョナサンが下がったのを見てレミリアが槍を支えるのをやめ、身を沈めたのである。ディオの上半身が揺らいだその刹那、レミリアは体当たりをかました。

 

 気がつくと、ディオの身体ははるか後方へと吹き飛ばされていた。壁に叩きつけられ、起き上がろうとすると口から少し血があふれた。あばらが数本折れたらしい。

 

「レミリア……君は、何なんだ?」

「あなたが対峙している怪物と同じよ。吸血鬼」

 

 なるほど、とディオは納得した。そう考えれば辻褄が合う。レミリアが昼間はずっと部屋に閉じこもっていたことも、致命傷を負わせたはずなのに生きていることも、そしてディオと対等に渡り合っていることも。

 

「だが、お前からは俺ほどのパワーは感じられないな…」

 

 数秒で腹部に負った傷を治癒させると、ディオは立ち上がった。

 

 もしレミリアがディオと同じ再生能力を持つのなら、首を切った時点ですぐに傷を治癒させディオに襲い掛かったはずだ。それを「しなかった」のではなく「できなかった」のだとすれば?

 

(そうだ……ヤツの弱点はそこにあるはずだ。消耗戦になれば、俺が勝てる)

 

「ゾンビども、ジョジョは任せた。俺はレミリアを殺る」

 

 

 

 

 

 

「君がどうしてその力を手に入れたのかは後で聞くことにするよ。とりあえず今は」

「そうね。彼らを斃さないとね。全く、こんな趣味のいい屋敷にあんな下品なものがいることが許せないわ」

「ディオは君と闘うつもりらしいけど」

「それならお望み通り、私が相手するわ。……ジョジョ、紳士なら約束は守りなさいね。あなたが死んだら私の話は聞けないでしょう?」

「ああ、わかった」

 

 ジョナサンがうなずいた瞬間、レミリアはジョナサンを置いて前方へ跳躍した。それに気づいたディオも床を蹴り、両者は空中で激突した。

 

「WWWRRYYY!」

 

 ディオは腕を交差させ、槍の一撃を受け止める。めきめきと骨の砕ける音がディオの腕から聞こえた。が、その刹那、ディオの回し蹴りがレミリアの脇に炸裂した。

 

 吹き飛ばされたレミリアは廊下の窓を破り、屋敷の外―空中へと体を躍らせた。

 

―渇く。

 

 硝子(ガラス)の破片とともに落下しながら、レミリアはそう思った。

 

 ジョースター邸に来てからは、人に怪しまれないように最小限の食事しかしておらず、血が足りていないのである。先ほど負った首の傷も通常なら一瞬で治癒するが、治りが遅かった。

 

「―やれやれ、骨が折れるわ」

 

 地上に叩きつけられる寸前にレミリアは背中の骨格と筋肉の構造を組み換え、通常の人間にはないある器官―蝙蝠のような黒い羽を作り出した。

 

 巨大な羽が空気をとらえると、揚力を得た身体は舞い上がった。飛翔する中、視界の隅で、ディオが割れた窓からこちらを見上げているのが見えた。

 

 屋根に着地すると、どっと疲労感が押し寄せてきた。

 

(やっぱり、血が足りない……わね)

 

 フルパワーが出せていたときならばいくらでも滞空時間は伸ばせるが、今の状態だと羽を出すだけでも目に見えて体力を喪う。早めにディオと決着をつけなくてはならない。

 

「……なるほどな、そんなこともできるのか」

 

 声のした方を見ると、ディオも屋根の上に登って来ていた。月に照らされ、逆光になっているために顔はよく見えないが、その双眸はレミリアをしっかりと見つめている。

 

「その辺りは流石、永い時を生きているだけある……だが、さっきよりも疲れているように見えるぞ」

「だからと言って、ティーブレイクはさせてくれないんでしょう?」

「どうかな。お前がその首を差し出してくれればその限りじゃあない」

 

 ディオはそう言うと、心臓を狙って鋭い貫手(ぬきて)を放った。かろうじて槍でガードしたものの、衝撃は骨まで伝わり、右腕がしびれた。続くディオの連撃を槍でさばき続けるが警官隊で生命エネルギーを補給したディオに比べパワー、スピードともにやはり分が悪く、次第に押されていく。

 

(このまま戦っても仕方がないわね。賭けに出たほうがいいかしら)

 

 一瞬、レミリアは守りに使っていた槍を空中に泳がせ、隙を作った。もちろんディオがそれを見逃すはずもなく、閃いた手刀がレミリアの腹部を深々と貫いた。

 

「かはっ!」

 

 ぴぴっ、とレミリアの吐いた血がディオの頬に飛び散った。

 

「フン、貧弱、貧弱ゥ! どうやら吸血鬼としての「格」はこのディオの方が上のようだな……さあ首を刎ねて終わりに……」

 

 そこまで言ったとき、ディオは妙な顔をした。ディオは右手をレミリアから引き抜こうとしているのだが、レミリアが傷口周りの筋肉を締めているため、それができないのである。

 

「抜けないッ! 右手が!」

「……確かに今の身体能力は貴方が上。でも、殺し合いの経験なら――」

 

 レミリアは無防備なディオの顔面に照準を定め、大きく振りかぶった。

 

「――私の方が上よ」

 

 レミリアの突きはディオの左眼窩から後頭部へと抜けた。

 

「KUAAA!」

 

 レミリアが力を緩めると、ディオはたたらを踏んで後ずさった。

 

「吸血鬼の弱点はどこまで行っても頭。死なないにしても、大きく損傷すれば回復は遅いわ」

 

 年季が違うのである。波紋使いや吸血鬼狩りといった強敵との闘いの経験で、レミリアは自分自身ー吸血鬼の弱点については知悉していた。

 

 引き抜いた槍はディオの血にまみれ、ぬらぬらと輝いている。レミリアは血糊をちろりとなめ、渋い顔をした。

 

「不味い。やはり、下衆の血は私の口には合わないわ……」

 

 レミリアが再び槍を振り上げたとき、ディオは激昂した。

 

「勝った気でいるなよッ!」

 

 ディオが強く右足を叩きつけると、そこを中心に屋敷の屋根が沈んだ。直後、崩落した屋根は大量の瓦礫と化し、二階へと降り注いだ。

 

 

 

 

 

「オオオッ!」

 

 ジョナサンは火かき棒を力のあらん限りに握りしめ、ゾンビの頭を打ち砕いた。脳漿と血をまき散らし、痙攣しながらゾンビの身体はくたりと倒れた。

 

(彼はさっきまでは善良な警官だった……つらいが、やり遂げなくてはならない)

 

 レミリアとディオが屋根で戦っている間、ジョナサンは襲ってくるゾンビと闘っていた。死人といっても頭を失えば行動はできないようで、ジョナサンは相手が一気に襲ってこられないように細い廊下を後ずさりながら、一人ずつゾンビを斃していた。

 

 屋敷にはジョナサンがつけた火が回りつつあり、ジョナサンのいるホールの階段周辺を除き、二階のほとんどは火の海となっていた。

 

「血だぁ……あったけ~血ィ飲ませろお……」

 

 しかし、残ったゾンビは一体だけ。少なくともゾンビを倒すのに手間取って焼け死ぬ心配はない。ジョナサンが武器を握りなおしたとき、上から轟音が聞こえてきた。

 

「なんだッ⁉」

 

 とっさに飛びのくと、先ほどまでジョナサンがいた空間に瓦礫が降り注いだ。ゾンビは奇妙な音を立てて押しつぶされる。天井が落ちてきたのだ、と事態を認識したときにはすでに、ジョナサンの目には瓦礫の山が映っていた。そしてー

 

「レミリア! 大丈夫か」

 

 見るも痛々しいレミリアの姿がそこにあった。ディオとの対決で受けたらしい無数の傷と、腹部を穿つ深い大穴。かろうじて立っているものの、傷の治りはディオほど速くはないようだった。

 

「あら、ジョナサン。ごめんなさい、ディオはまだ倒せてないの……」

 

 レミリアは、階下を指さした。どうやらディオの方は吹き抜けから一階に転落したらしい。ホールの真ん中で、顔の左半分にできたクレーターを再生させながら、こちらを見上げていた。

 

「もういい、僕が戦う。君がそれ以上やったら死んでしまう」

「無理よ。ここまで火事が広がれば、普通の人間なら戦うどころじゃないわ。貴方こそ逃げなさい」

 

 ジョナサンは逡巡した。レミリアが自分の意見を曲げないのは知っている。かと言って今の彼女一人で戦ったら、まず命はないー

 

 そのとき、ふわりと甘い香りが鼻をついた。レミリアがジョナサンに抱擁したのである。次いで、首筋にちくりとした痛みが走った。少し遅れてレミリアに噛まれたのだと気づいた。

 

「レミリア……何を」

 

 ジョナサンはもがこうとするが、レミリアはしっかりとジョナサンの動きを封じており、ほどくことができない。なぜだ、とジョナサンが驚愕しているうちに血を吸われていった。

 

「大丈夫。吸血鬼のエキスは入れてないし、命を奪うつもりはないわ。這いずって動けるくらいは血を残してる」

 

 レミリアはジョナサンのうなじから口を離してそう言うと、ジョナサンを抱え、窓から飛び降りた。レミリアは羽を出してゆっくりと降下すると、ジョナサンを地面に横たえた。

 

「ディオは私が責任をもって片づけるわ。どうせその身体じゃ、今は戦えないでしょう?」

「でも、君だけに戦わせるわけにはいかない」

「……貴方のそういうところ、嫌いじゃないわ。だから、こうしたの」

「待て! レミリア! 待ってくれ!」

「私が死ぬわけじゃないんだから。大袈裟ね」

 

 レミリアはそう苦笑すると、猛火に支配されつつある屋敷の中へと飛び込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 ディオが目に負った傷を完治させると同時に、レミリアが羽を広げて吹き抜けから一階へと舞い降りてきた。

 

「……自分を捨て駒にしてでも、ヤツを逃がそうということか?」

「ジョナサンは私のお気に入りだから」

「フン、無駄なことを。お前を殺してジョジョも殺すことになる。それから、この事件にかかわった者全員もな」

 

 ディオがそう言ったとき、レミリアは首をかしげた。

 

「一つ誤解があるわね。私は捨て駒になる気なんかさらさらないのだけれど」

「なんだ…」

 

 と、と言おうとしたときにはすでに、レミリアが目の前にいた。とっさに頭を守ろうとしたそのとき、鉄槍がディオの胸を深々とえぐっていた。

 

「死ぬのは、貴方一人」

 

(なんだこのスピードは…さっきとはまるで違う)

 

 ディオはいったん距離を取ろうとしたが、レミリアはぴったりとついてくる。レミリアの薙ぎが右肩口から脇腹に抜け、ディオはのけぞった。

 

「ジョースターの血は特別なのかしら? 生命エネルギーが横溢して…久々に愉快な気分」

 

 レミリアはそう言いながら、瞬く間に頭部を守るディオの両腕を孔だらけにする。が、炎で弱っていたのか、それともレミリアの振るう力に耐えられなかったのか、最後の一突きで、槍が半ばから折れた。その反動で、レミリアは大きく態勢を崩した。

 

「今だ、食らえッ!」

 

 ディオはレミリアの顔めがけて拳を繰り出した。かつてジョナサンの目をえぐった必殺の技だが、レミリアは難なく手で受け止めると、ディオの拳を握りつぶす。めきゃめきゃ、という音とともに右手が砕け、折れた骨が飛び出ている肉の塊へと変じた。

 

「ぐぅ……ッ」

 

 強い。認めざるを得ない。

 

 レミリアがジョナサンの血を吸ったため身体能力は互角になったが、レミリアは闘いの技術、経験においてディオの数段上を行っている。警官たちのように人間を相手にするのであれば力の圧倒的な差で押し切れるが、力の拮抗する吸血鬼同士で戦えば、技量がものをいうことになるのだ。

 

「さて、と」

 

 レミリアはちらりと上を見た。天井の崩落した部分にはぽっかりと穴が開き、炎を透かして見た月は血のような赤に染まっていた。レミリアはディオの方へ顔を戻すと、凄絶な微笑を浮かべた。

 

「こんなに月も紅いから……本気で殺すわよ」

 

 情け容赦のない攻撃が始まった。動体視力も大幅に上がっているらしく、ディオの拳はかすりこそすれ当たらず、レミリアの攻撃はことごとくがディオの肉をえぐり、骨を折り、内臓を破裂させる。

 

 これはさすがに勝てない。相手の攻撃のスピードに回復が追いついておらず、しかも炎が回って脱出不可能になりつつあるのだ。羽を出せないディオはこのまま闘いが進めば生き残れる見込みはない。

 

「こうなれば、お前も道連れにしてやる」

 

 ディオは態勢を低くすると、レミリアに体当たりした。不意を突かれたレミリアはまともにタックルを食らい、引きずられる。

 

「無駄なあがきね」

 

 レミリアの手刀がディオの肩に入り、肩甲骨のひしゃげる音がした。しかしそれでもディオは勢いを緩めず、そのまま柱にレミリアを叩きつけた。ディオは柱でレミリアを挟み、動けないようにぎりぎりと締めつけた。

 

「どうだ。動いてみろ」

「…これで動きを封じたつもり?この程度ならー」

 

 レミリアがその続きを言おうとしたが、それは建物の崩れる音にかき消された。焔に苛まれた屋敷が、ついに耐えきれなくなったのである。二人の頭上に、途轍もない質量をもった瓦礫が降り注いだ。

 

 時間切れであった。

 

 ジョースター邸全体が猛火にまかれ、みるみるうちに崩壊していく。焼け落ちる屋敷の中で、二人の吸血鬼は運命を共にしたのである。

 

 スピードワゴンも、ジョースター卿も、ワンチェンも、メイリンも、遠くから瀟洒な屋敷だったものの残骸が火の粉をあげて燃え盛り、煌々と周囲を照らしているのを見ていた。

 

 ジョナサンは這いずって屋敷から離れていく途中でそれを見ていた。血を多く抜かれたせいか妙に眠く、はっきりしない意識の中でぼんやりと考えていた。

 

 結局、レミリアはあの屋敷に入ってから出てくることはなかった。ディオは倒せたのだろうか。そして、彼女は生きているのだろうか。ジョナサンは答えの出るはずのない問いを続けながら、ついに意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 炎が収まった二日後、屋敷をあさってみようと提案したのはワンチェンだった。

 

「あそこは貴族の屋敷だし、何かいいものあるかもしれないね。メイリンは来る?」

「いいですねえ。お金はあるに越したことはありませんし」

 

 美鈴とワンチェンはさっそくジョースター邸へと向かった。ディオの逮捕の際に立ち寄ったときの屋敷とは思えないほどの荒廃ぶりで、無事な部分もあるが、ほとんどは瓦礫の山と化していた。

 

「私あっちの方探すからメイリンはこっち探してね。宝石とかあったら山分けよ。ウヒヒ」

「了解です!」

 

 美鈴はさっそく瓦礫をひっくり返し、お宝を探し始めた。ワンチェンの手伝いでお金をもらってはいるが、多くはないのである。そのため小金を稼ぐチャンスがあれば墓泥棒だろうと殺人だろうとなんでもやっていたので、火事場泥棒をするとなっても別段心が痛むということはなかった。

 

(でも、ちょっと嫌ぁな気を感じる……気がするなあ)

 

 美鈴は周りを見回しながらそう思った。あの日に感じたのと同じ種類。瘴気が消えず、いまだに残っているのだろうか? それとも邪悪な怪物がこの周辺にいるのだろうか?

 

 少し考えてから、美鈴は瓦礫を掘り起こす作業に戻った。どちらにせよ、人に見られると面倒だし長居はしないほうがいい。そこそこの価値のものを見つけたら退散することにしよう。

 

 そう思ったとき、何かが埋まっているのが見えた。

 

「……腕?」

 

 華奢で青白い、人間の腕。美鈴は急いで瓦礫を除き、埋まっていた「彼女」を掘り出した。

 

 まるで人形のように端正な顔をした青髪の少女だった。ところどころ火傷を負っているものの真っ白な肌をしており、衣服も原型をとどめていないが、もとは上等の布でできたネグリジェだったようで、身分の高い者であることは分かった。

 

 呼吸はしている。生きている。美鈴はそれを確認すると、素早く頭を巡らせた。

 

 おそらく彼女はジョースター家の関係者で、屋敷から逃げ遅れたのだろう。彼女を介抱してジョースター卿のもとに送り届けてやれば、かなりの謝礼を受け取ることができるのではないだろうか。

 

「ワンチェンさ~ん、来てください! いいの見つけちゃいましたあ!」

 

 しかし、返事は帰ってこなかった。少し待っても来なかったため屋敷跡を回ってみたが、ワンチェンはどこにもいなかった。

 

「もう、どこに行ったんですか。まさか山分けと言っておいて自分だけ何か見つけて帰ったんじゃないでしょうね……」

 

 美鈴はぶつぶつ言いながら彼女ーレミリアを抱えた。とにかく彼女を世話してやれば大金が転がり込んでくるはずだ。連れ帰らない手はない。

 

 レミリアを担いで、美鈴は鼻歌まじりに食屍鬼街への帰路についた。

 

 

 

 



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ホワイトチャペルでつかまえて

感想は楽しく読ませていただいております。返信は落ち着いたときに。


 

 

 

 火事はジョースター邸のほとんどを焼き尽くしたが、幸い財のほとんどは銀行にあったので、ジョースター親子二人が暮らしていく分には十分すぎるほどの金が残っていた。

 

 警察には逮捕の際の事故だと説明したが、ジョースター卿には実際に何が起きたか、つまりディオとレミリアが吸血鬼であったということを伝えた。ジョースター卿は半信半疑といった表情だったが、ジョナサンが首からかなりの量の血を抜かれていたことを知り、ひとまずは納得してくれた。

 

「……レミリア」

 

 ジョナサンは屋敷の跡を眺めながら、つぶやいた。ついに彼女は戻ってこなかった。炎の舞い散る屋敷へ行って、それっきりだった。しかし瓦礫を掘り起こしても、レミリアの死体はどこにもなかった。彼女の生きた痕跡は、この世にはもう無いのかもしれない。

 

――紳士なら約束を守りなさいね。

 

(僕は生き残った。…でも、君がいなくても約束は守れないじゃないか)

 

 ジョナサンは、力が要る、と思った。誰かの命を守るため、後悔しないため、己の無力を呪わずに済むために。

 

「ちょいと君、いいかい」

 

 振り向くと、奇妙なもじゃもじゃ頭にシルクハットを被った男が立っていた。

 

「私の名前はウィル・A・ツェペリという。ジョースター卿が持っているという石仮面の噂を聞いてはるばるイギリスまで来たのだが……これは一体何が起きたんだ?」

「石仮面?」

「一種の魔物を生み出す道具だ。ひょっとして君は、ここの関係者かね?」

 

 魔物、と聞き、怪物と化したディオのことを思い出した。ディオがジョナサンの部屋に入ってから何が起きたのか不思議でならなかったが、あの変貌をもたらしたのは、ジョナサンの研究していた石仮面によるものだったのだろうか。

 

「……僕の名前はジョナサン・ジョースター。貴方が会いに来たのは父さんですね。……ところで、貴方は魔物といいましたが、それについて詳しく教えてくれませんか? 僕はあの日の夜に起こったことをもっと知りたいんです」

 

 ジョナサンの必死な顔を見て、ツェペリはつぶやいた。

 

「なるほど、これは少し君に教えた方がいいかもしれないな……。石仮面の秘密と、それが生み出した怪物が、まだ生きているということを」

「なんだって?」

 

 ジョナサンは驚愕した。ディオが、まだ生きているというのか。

 

「そうだ。二人の東洋人がジョースター邸に行って行方不明になっている。まだ、事件は終わっていない…そして私の話を聞けば、君の運命は変わるだろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

『BURNED! TRAGEDY IN JOHSTER'S MANSION!(炎上!ジョースター邸での悲劇)』

 

『JACK THE RIPPER DID AGAIN!(ジャック・ザ・リッパーまたあらわる!)』

 

 

 レミリアが意識を取り戻して目を開けると、新聞の見出しが視界いっぱいに映っていた。あの事件から三日後の日付が書いてある。がさがさと新聞をめくる音がしたかと思うと、その向こうから、ふわあ、と大きなあくびが聞こえてきた。誰かが横たわっている彼女の前で新聞を読んでいるのだ。

 

 部屋は窓が閉め切られ、ほの暗さが隅にわだかまっていた。自身の寝ている粗末なベッドの他には様々な薬草や瓶、何に使うのかわからないガラクタが転がっている。おそらく、目の前で小さい椅子に座って新聞を読んでいる人物の部屋なのだろう。

 

(……確か私がディオと闘っているときに屋敷が崩れて……)

 

 瓦礫の下敷きになったのだ。しかも猛火に焼かれ、その傷を治癒させるのに力を使い果たしたので、ジョナサンの血で得たパワーはもうすっかりなくなってしまっていた。

 

 あと少しでディオに止めをさせたのに、と歯噛みしたとき、レミリアの前にいた人物は新聞紙を閉じ、ガラクタの山に放り投げた。「彼女」はレミリアが目覚めていることに気がつくと、片膝をつき、うやうやく一礼した。

 

「お目覚めですか。レミリア様」

「……誰よ、貴方」

「私、東洋の薬師の弟子をしております、紅美鈴と申します。ジョースター邸が燃えた日、そこに居合わせていた者です」

 

 おそらくジョナサンがディオの毒薬の正体を突き止めるときに証人として呼ばれていたのだろう。しかし彼女はなぜレミリアを助け出したのだろうか。彼女はレミリアの存在すら知らないはずなのに。

 

 それを聞くと、美鈴は眼を泳がせながら答えた。

 

「あー、ジョースターさんと同行する際にあなたの話を聞いていたので…助けに」

「わざわざあの焼けた屋敷に来たの? 私が焼け死んでるとは思わず?」

「まあ理由はどうでもいいじゃないですか。結果としては命が助かってるんだから、細かいことは気になさらなくとも」

「……まあそうね。ありがとう」

 

 美鈴が何かを隠しているように見えたが、レミリアは深く追求しないことにした。とにかく今はジョナサンに会うことができればそれでいい。

 

(彼らが私を留め置いてくれるかはわからないけど……ね)

 

 人間のふりをしているときは優しかった人間が、吸血鬼であると知った途端に豹変するのをレミリアは嫌というほど経験していた。だから正体が知られた場合は何者にも完全に気を許すつもりはなく、お気に入りのジョナサンもそれは例外ではなかった。

 

 もし次にジョナサンと会ったとき、彼がレミリアを受け入れてくれなければ、また別の土地へ向かうことにしよう。そう思っていると、がちゃり、と扉の開く音が聞こえ、何者かが入ってくる気配がした。

 

「美鈴、帰ってきてたか」

 

 美鈴がはっとして振り向くと、そこにはワンチェンが立っていた。皮膚はしなび、真っ青で血の気の通っていない顔は()()()死人のようだった。

 

「ワンチェンさんですか。いったい一日もどこ行ってたんです?」

「素晴らしい人に会ったよ。私、その人に頼まれて探し物してるね。……そこに寝てるのは誰?」

「ジョースター邸のレミリアお嬢様です。……ところで探し物ってなんです?」

「……ディオ様に捧げる、活きのいい人間ね!」

 

 その瞬間、ワンチェンは隠していた長いかぎ爪を振りかざし、美鈴に飛びかかった。

 

「……なるほど、よくわかりました」

 

 美鈴は軽やかに白刃を躱してワンチェンの懐に入ると、腹に掌底を食らわせた。まともにカウンターを受けたワンチェンの小柄な体躯がくるくると舞い、壁に叩きつけられる。

 

「おげえええッ! 熱い!熱いぃぃ!」

 

 ワンチェンの腹から煙のようなものが出ていた。単に力で殴ったのではない。あの傷は。

 

「波紋傷……」

 

 レミリアがつぶやくと、美鈴は眼を丸くした。

 

「波紋……お嬢様の国ではそう言うのですか? 私の生まれた国では仙道、そこから生み出されるエネルギーを『気』と呼んでいます」

 

 得体のしれない攻撃に恐怖を感じたのか、ワンチェンはくるりと踵を返すと一目散に逃げだした。美鈴は追いかけようとはせず、ワンチェンが闇の中に消えるとレミリアに向き直った。

 

「貴方……波紋使いだったのね」

 

 波紋使いは、吸血鬼と敵対する人間の中でも特に厄介な存在である。波紋エネルギーをまとった攻撃でできた傷は再生が遅く、頭に打撃を受けようものなら命にかかわる。吸血鬼にとっては猛毒をもった蛇のようなものである。

 

「ええ。ちなみに、お嬢様が吸血鬼であることも知っています。カーテンを開けようとしたらお嬢様の手が蒸発しそうになって驚きました」

 

 平然と答える美鈴に、レミリアは疑問を投げかけた。

 

「……なぜ私を殺さなかったの?」

 

 弱って昏倒しているレミリアなら、いくらでも殺すチャンスはあったはずなのに。そう思っていると、美鈴は不思議そうに聞き返した。

 

「私がお嬢様を殺す理由があります? ……はは、なにも波紋使い全員が吸血鬼狩りをやってるわけではないんですよ。私は、お嬢様やワンチェンさんが誰を殺そうが、どうでもいいんです。コレさえあれば」

 

 美鈴はウインクして、親指と人差し指で丸を作った。なるほど、彼女はレミリアの存在が金になると思っているのだろう。ようやく合点がいった。

 

「じゃあお嬢様も目覚めたことですし、そろそろ、ジョースター卿に連絡をしますか」

「……それは待ちなさい」

 

 ディオ、とあの東洋人ゾンビは言っていた。レミリアと同じく奴もまだ生きているのだ。レミリアとしてはディオを始末しておかなければ不愉快であるし、ディオの方もレミリアが生きていると知っていれば、実質的な得がなくとも殺しにくるだろう。

 

(それなら……ジョースター邸へ行く前に生命エネルギーを補給してディオを消しに行った方がいいわね)

 

 レミリアは美鈴を見上げて命令した。

 

「美鈴……貴方の望みはお金よね? それを叶えてあげるから、私を人の多い街に連れて行って」

 

 

 

 

 

 

 

「おいお嬢ちゃん、そろそろお家に戻らなくてもいいのかい?」

 

 ホワイトチャペル街の、薄暗い裏路地。二十一時を告げる鐘が鳴った時、立派な髭を生やした男はそう言った。すると、隣にいた小貴婦人――レミリアはつまらなそうな顔をした。

 

「冗談でしょう? もっとどこかで遊ばないの?」

「ふふん、君みたいな子は、家で親が待ってるだろ。夜にどこに遊びに行くっていうんだ?」

「…どこへでも。小父さんの家に行くのはどう?」

 

 男は笑いながら片眉を上げた。

 

「そんなことしてたら君、いつか狼に食われちゃうぞ。それに、切り裂きジャックに会うかもしれない」

「切り裂きジャック?」

「女性ばっかり狙う殺人鬼だよ。会ったが最後、君も手術用のメスでそのかわいい顔を切りきざまれるだろうね」

 

 脅かしてみせる男に、レミリアは首をかしげた。

 

「貴方に守ってもらうから怖くないわ。それに…」

「それに、なんだい? ()()それだったらどうするんだい?」

 

 いつの間にか、男の右手にはメスが握られていた。そして、本性をあらわにした男―ジャック・ザ・リッパーは、間髪入れず襲いかかってきた。

 

「この夜遅くまで遊んでる、堕落した女がァーッ!」

 

 むんずとレミリアの髪を掴もうとした瞬間、ジャックの両腕の動きが止まった。レミリアの手がジャックの手首をつかみ、動きを掣肘していたのである。

 

「何い?」

 

 ジャックの不運は、よりにもよって、獲物を求めている吸血鬼をターゲットにしたことだった。当然吸血鬼の力にかなうはずがなく、キスをするような距離までレミリアが顔を近づけても振りほどくことはできなかった。

 

「狩る者は往々にして狩られることに気がつかない……」

 

 耳元でそうつぶやくと、レミリアはジャックの首筋に噛みつき一気に血液を吸い上げた。ジャックは身体を動かせないまま、レミリアの口腔へと生命が流れ出していくのを甘受するほかなかった。

 

 そして最後の一滴まで飲み干すと、レミリアは口を離した。支えを失ったジャックはばったりと倒れ、そのまま動かなくなった。失血死したのである。

 

「終わりましたか~」

 

 ふわぁ、とあくびをしながら物陰から現れたのは美鈴だった。レミリアは振り返ってうなずいた。口から溢れた血が、レミリアの胸を赤く染めていた。

 

「これで何人目かしら」

「ええっと、これで7人目でしたかね」

「そう。じゃあ今日はこれくらいかしらね。……起きなさい」

 

 ぱちん、とレミリアが指を鳴らすと、ジャックの死体がむくりと起き上がる。レミリアが吸血の際にエキスを入れていたので屍生人と化していたのである。美鈴はそれを見て、渋い顔をした。

 

「うええ、他の人はある程度血を吸ったら逃がしてたのに、今回はゾンビにしたんですか?」

「私だってこんなもの作りたくないわ。でも思いっきり魂が薄汚れてて下僕としては扱いやすそうだったから、ディオを消すまでは使ってみようかなって思ったの。人手がいるかもしれないし」

「まあ私に近づけなかったら別にいいですけど……ところでそろそろ約束のお金をくださいよ~」

 

 この一週間、レミリアはロンドンの裏街で人狩りをしていた。ジョースター邸にいたときは派手に動く必要がなかったうえにリスクが高かったので吸血行為を慎んでいたが、今はそのどちらも当てはまらない。ディオを倒さなくてはならないからだ。

 

「しょうがないわね、ほら」

「なんですかこれ……株?」

 

 レミリアが美鈴に手渡した紙には、いくつかの銘柄が書いてあった。

 

「3日以内に大幅に上がるはずよ。とりあえず、それが私を助け出してここまで連れてきてくれた分の報酬。もっと欲しいなら、私の正式な従者になってもらうけどね」

 

 美鈴はいぶかしげにレミリアを見た。

 

「これは確実に上がるんですか?」

「貿易で稼いでいるジョースター卿の屋敷にいた者の言うことが信用できないかしら? イギリスの貿易会社の内部情報をもとにそのリストを書いたんだけど」

「なるほど。それはありがたいですね」

 

 美鈴はころっと態度を変えると、大事そうに紙切れをポケットにしまった。レミリアは上がりそうな株を占っただけであるが、ほとんど外れたことはないので問題はないだろう。嘘をついたのは説得力を伴わせるためである。

 

「……で、次の仕事は何ですか?」

「私についていくつもり?」

「お嬢様についていけば少なくともお金には困らなそうなので」

「危険かもしれないわよ」

「まあその危険に見合う分報酬をいただければ」

 

 正直な答えに、レミリアは苦笑した。しかし昼間に動けるものを従者にしておくのは悪くない。ディオと闘うときに波紋使いが仲間にいれば闘いを有利に進められるからだ。

 

「わかったわ。じゃあ契約成立ね。よろしく」

「こちらこそ」

 

 レミリアが差し伸べた手を、美鈴は固く握った。

 

 

 

 

 

 

「裏の世界に手ぇ回したら、例の二人が見つかりやした」

 

 がたごとと揺れる馬車の中で、スピードワゴンはそう言った。同乗者はジョナサンとツェペリ。スピードワゴンがディオの捜索に奔走している間、ジョナサンはツェペリに波紋法という特殊な技術を教わっていたらしい。心なしかジョナサンは以前よりも生命力に満ち溢れ、強くなっているように見えた。

 

「ただ、見つかった場所が問題で……ワンチェンの方は風の騎士たちの町(ウインドナイツ・ロット)、紅美鈴の方はホワイトチャペルの街。ジョースターさんたちを襲ったゾンビはワンチェンだって聞いたからウインドナイツロットに行くのが筋だろう。でも、ここで気になる噂を小耳に挟んじまったんだ」

「ほう、スピードワゴン君、気になる噂ってのは?」

「ホワイトチャペルの町に、吸血鬼が出るって話なんだ。そいつに血を吸われた奴は、姿について喋るのを禁じられてから解放されるらしい」

 

 ツェペリは眼を丸くした。

 

「吸血鬼が獲物を殺さずに解放するなんて珍しいな。誰かがその姿を語ってくれたかね?」

「いいや。いくら脅しても血を抜かれて殺されるよりはマシだって言って教えてはくれなかったそうだ」

「フーム、しかし迷うな。ウインドナイツロットか、ホワイトチャペルか」

 

 ジョナサンは少し考えてから訊いた。

 

「スピードワゴン、ここから近いのはどっちだ?」

「へえ、ホワイトチャペルになりやす」

「じゃあ、そっちへ行こう。正直、ディオが獲物に情けをかけるとは思えないが…念には念を入れたほうがいいかもしれない」

 

 馬車は進路をホワイトチャペルに向けて進み、そして日が沈みかける頃、ホワイトチャペルに到着した。煉瓦造りの建物が並び立ち、地面は石畳でしっかりと舗装された、綺麗な街だった。

 

「そういえばこの街には吸血鬼だけじゃなくて殺人鬼がいるらしい。嫌な街だぜ」

 

 馬車から降りてスピードワゴンがつぶやくと、ツェペリはグラスにワインを注ぎながら笑った。

 

「ははっ、吸血鬼を倒しにいくわしらがそんな殺人鬼程度を恐れてたら世話ないわい!」

 

 太陽が山並みの向こうに沈むと、あたりはすっかり暗くなった。人の気配もなく、寂しい街灯がぼんやりと光っているのが見えた。

 

「気をつけろ、ジョジョ。今は「やつら」の時間だ。もしここにディオがいるなら、どこから襲い掛かってくるかわからん」

「ええ……」

 

 ジョナサンが何かを答えようとしたとき、十メートルほど向こうに、街灯に照らされた一人の男が馬車のそばに立っていることに気がついた。普通の人間が見れば、主人が家から出てくるのを待っている御者だと思うだろう。しかし血走った目に、しなびた肌、そして、特有のよどんだ気配は、間違いなくゾンビのそれであった。

 

「…敵だ」

 

 ジョナサンとツェペリが身構えると、その男も敵の出現に気づいたらしくうなり声を上げたが、襲い掛かってくる気配はなかった。ただ、馬車を守るようにじりじりと牽制するような殺気を飛ばしてくるのみである。

 

「……どうしますか。ツェペリさん。先手を取って攻撃しますか?」

「待て、ジョジョ。奴さん、どうも馬車の中身が大切らしい。ひょっとすると、大当たりを引き当てたかもしれん」

 

 あの馬車の中にディオがいるのだろうか。スピードワゴンは生唾を飲み込んだ。あの日の夜の惨劇を思い出し、身が震えた。

 

「……ジャック、どうしたの?」

 

 馬車の中から声が聞こえてきた。凛とした少女の声。予想外の出来事に、スピードワゴンの頭は混乱した。が、それ以上にジョナサンの方が衝撃を受けているようだった。その声を聞いた途端に目を見開き、開いた口から声をもらした。

 

「……死んだはずじゃ」

 

 かたん、と扉の開く音がした。中から現れたのは、赤いドレスを身にまとった少女だった。少女はジャックと呼ばれたゾンビを一瞥してからスピードワゴンたちに目を向けると、なぜか微笑みを浮かべた。そして、ドレスの裾を持ち上げ丁寧にお辞儀をした。

 

「あら素敵な方々。初めまして、私はレミリア・スカーレットという者……。そして久しぶり、ジョナサン」

 

 

 

 

 



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馬車の音、夜の騎士

 

 

 

 懐かしい声。あの日、ふいと陽炎のようにいなくなって、二度と会うことはないだろうと思っていた彼女―レミリアが馬車から降りて挨拶したとき、ジョナサンの心には言い表しきれないほどの多くの感情が押し寄せてきた。驚き。疑問。喜び。最も割合が大きかったのは、安堵だった。

 

「よかった……君もあの屋敷から生き延びていたのか」

「ええ。私も貴方の顔が見られて嬉しいわ」

 

 ふわりと笑った彼女は、あのディオと死闘を繰り広げていたとは思えない、無邪気な少女に見えた。しかしジョナサンが無意識に一歩を踏み出したとき、ツェペリが彼の肩をつかんで引きとめた。

 

「待て、ジョジョ。彼女が…お前の言っていた、ディオと闘っていた吸血鬼か?」

「ええ。でも彼女は人を殺してはいない。血を吸われた者も逃がしてるじゃありませんか」

「じゃあ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 そう言われて、はっとした。ディオは警官たちを殺して、ゾンビを作っていたのだ。血を吸われて抜け殻となった者に吸血鬼のエキスを入れて。つまり、レミリアのそばにいるゾンビは、彼女に吸血され、殺された人間の成れの果てに違いないのである。

 

「吸血鬼に心を許しちゃあいけない。石仮面をかぶったら、肉親にさえ平気で襲いかかる。今までは目立たないために殺さなかったのだと思うが」

「レミリア。君は……その人を殺したのか?」

 

 そう訊くと、レミリアはあっけらかんと答えた。

 

「ええ。血を吸いつくした後、下僕にしたわ」

「なぜ殺したんだ? 君は僕を助けてくれたのに」

「少なくとも私はこいつを殺してもいい人間だと思ったから。貴方は気に入っていたから。シンプルでしょう?」

 

 途端に、ジョナサンはレミリアとの距離が急に離れてしまったように感じた。ジョナサンの見てきた彼女の優しさの裏には、悪魔の顔があったのだ。心臓に杭を打ち込まれたような気分だった。

 

「君は……君は取り返しのつかないことをしたんだ。ディオとやっていることは同じだ」

「そんなことは知っているわ。人の命を貰わなくてはならない身となった私にはもう取り返しがつかないの。400年も前からね」

 

 ジョナサンが目をみはると、レミリアは何かを思い出したようにぽんと手を打った。

 

「そういえば、私が石仮面をかぶった経緯を教えてあげる約束だったわね。……まあ、くだらない話よ。貴方の曽祖父が生まれるよりもずっと前が、私の()()()()()時代だった。

 

 そして私が妹と遊んでいるときに仮面の力を誤って使ってしまって。一緒に暮らしてた貴方ならわかると思うけど、まともな生活は送れなくなったわね。それなのに時間だけはあるから、人間たちに石を投げられないようにあちこちを旅してた。ずっとこの調子。ふふ、面白いでしょう?」

 

 自嘲気味に答えたレミリアを、ジョナサンは責めることができなかった。彼女の言葉の裏には、人間でなくなったことへの無限の後悔と悲嘆が隠れているように見えたのである。

 

 立ち尽くすジョナサンの前に、ツェペリが進み出た。

 

「お嬢さん。確かにあんたは望んで吸血鬼になったわけではないようだが、人が死んでいる以上、無視することはできん」

 

 こおお、と波紋を練るときに発せられる、独特な呼吸音がツェペリの喉から聞こえてきた。完全に闘る気だ。しかし一方、レミリアはツェペリが迫ってきても全く防御する気配を見せず、くるりと後ろを向き、馬車に入ろうとする。

 

(……そうか、彼女はツェペリさんの力を知らないんだ!)

 

 ただの蹴りならレミリアにダメージはないだろう。しかし波紋による蹴りは、彼女の回復力をもってしても、致命傷になりうる。

 

「仙道波蹴ーッ!」

 

 一陣の風が吹いた。

 

 避けろ、という間もなく、ツェペリの蹴りがレミリアの後頭部に炸裂した――かに見えた。が、高く振り上げられたその足は、割り込んできた第三者の腕によって受け止められていた。

 

「お嬢様。なんでご自分で何とかしないんですか?」

「貴方が来るのがなんとなく分かっていたから」

 

 紅美鈴。あの日、ジョースター邸にいた中国人二人組のうち一人だった。そして、蹴りを受け止めた美鈴の腕がまばゆい光を発したかと思うと、ツェペリは吹き飛ばされた。

 

「これは……まさか、あんさんも波紋使いか」

 

 ツェペリは危なげなく着地すると、美鈴を見据えた。どうやら、反発する波紋によって磁石のN極とN極、S極とS極のように、ツェペリを跳ね除けたらしい。美鈴はそれには答えず、黙って中国の拳法らしき構えを取っている。

 

「ツェペリさん、波紋を練って平気ってことは、彼女は」

「ああ……おそらく紅美鈴は波紋使いであり、人間だ」

 

 彼女がゾンビであれば波紋の呼吸をした瞬間に内部から体が崩れて死ぬはずである。そうならないということは、美鈴は彼女の意思で吸血鬼であるレミリアに従っているということになるのだ。

 

「なんで吸血鬼をかばうんだ!テメーッ!」

 

 スピードワゴンの問いに、美鈴は苦笑しながら答えた。

 

「裏町をしきる貴方ならわかると思うんですがね。食いっぱぐれないためですよ」

 

 そう言うと美鈴は地面を蹴って後方へと跳躍し、馬車の上へ着地した。そのときにはすでにレミリアは馬車の中に入っており、ジャックも御者台に乗り鞭を持っていた。

 

「必ず占いが当たるかはわからないけど……ジャック、目的地はウインドナイツロットよ。ディオもきっとそこにいる」

 

 乾いた鞭の音がした。馬のいななきとともに馬車が動き始める。どうやら馬もゾンビになっているらしく、全身から血をにじませながら力強く蹄を鳴らす。

 

 レミリアは馬車の窓から赤い目を光らせ、射すくめるような視線をこちらに送っていた。

 

「Mr.ツェペリ、スピードワゴン。私、あなたたちには甘くないわよ。あくまでも私を殺す気なら、それ相応の対応をさせていただくわ」

 

 死せる者に御された馬車は瞬く間にその姿を消し、砂塵を残していった。ツェペリはそれを見送るや否や、馬車の方へと駆け始めた。

 

「……追いかけるぞ、ジョジョ。馬のスピードは違うが、目的地は同じだ」

「たぶん、目的も同じだと思います。どうやって居場所を突き止めたのかは知りませんが、彼女はディオを倒すつもりです」

「そうだな。……吸血鬼同士で闘ってくれるとは、ラッキーなことだ。わしらは残った方とやればよいというわけだからな」

 

 その答えを聞いて、ジョナサンは黙った。ツェペリはレミリアを倒すべき敵だと認識しているらしい。しかし、彼女の悪魔のような一面を見てもなお、本当にレミリアは倒すべき相手なのか、と思ってしまうのである。

 

 ジョナサンとのおしゃべりで屈託なく笑っていた彼女の姿を思い出した。どちらが彼女の本性なのだろう。あるいは、両方―

 

「ジョースターさん、早く乗って下せえ! 出発します」

 

 思考の沼に沈みかけたジョナサンは、スピードワゴンの言葉によって現実世界へと引き戻された。

 

「ああ、今行く」

 

(……いや、今はやるべきことをやるだけだ。ウインドナイツロット……そこで、ディオとレミリアを探すことを考えるべきだ)

 

 最後にジョナサンが乗り込むと、レミリアの残した轍をなぞるように、馬車は走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 食物連鎖。人間は本来その頂点に座している。人間自身が不遜にも万物の霊長を自称するのも、その自信から来るものなのだろう。しかし、頂点のさらに上に、「例外」―ディオという吸血鬼がいることは、人類のほとんどが知らない。

 

 暗がりの中、女が横たわっていた。顔は真っ青で目は一切瞬かない。すでに命は絶えていた。

 

その傍らにたたずむ男―ディオは生命を吸いつくした抜け殻から目を離し、唇の端についていた血を拭った。

 

「やはり、生命を吸えば吸うほど力がみなぎる……あの時よりもはるかにな」

 

 ディオは、屋敷での戦いのことを思い出した。激しい炎と、レミリアとの熾烈な闘い。あれで生き残ったのは幸運というべきか。生き埋めになった後に欲深なワンチェンが来なかったら、何かのはずみで太陽に当たっていたら、間違いなく死んでいた。

 

 とはいえ、幸運だったのはディオだけではなかったらしく、レミリアの方も生き残っていた。ワンチェンに美鈴という女を捕獲させに行ったとき、その家にいたという。おそらくディオと同じように美鈴に助けられたのだろう。

 

 ちなみにジョナサンの方にもワンチェンをけしかけて撃退されているので、二人ともディオが生きていることを知ってしまった。もともと石仮面の正体を知ったジョナサンとレミリアは生かしておくつもりはなかったが、ますます彼らを消す必要がでてきたのである。

 

「傷を癒したら……このディオが直々に惨殺処刑してやろう」

 

 そうつぶやいたとき、扉を開けて女が入ってきた。寝起きなのか、ナイトガウンを羽織って紫水晶のような瞳をこすりながらディオの足元にころがる死体を見た。

 

「……ディオ、また殺したの?」

「ノーレッジか」

 

 彼女はこの屋敷の先住者にして唯一の生者だった。ひどい喘息もちで、ロンドンの工場の煙に悩まされてこの田舎町に移り住んできたのだという。

 

 ディオがなぜ、Knowledge(知識)―ふざけた名だ、おそらく偽名だろう―と名乗る女を殺していないのか。1つは、火炎を自在に操る奇術を使うので闘うのが面倒だからである。彼女の生命エネルギーは闘いで受けるダメージに釣り合わないだろうし、他から獲物をさらって来る方がはるかに効率がいい。

 

 そして2つ目は、彼女がゾンビにならずともディオに協力的だからである。研究材料を目の前にぶら下げていればおおむね従順で、しかも彼女のゾンビ研究はそれなりに役に立つ。

 

「もう、殺すなら言ってくれないと。ゾンビ研究のサンプルがもっと欲しいの」

 

 どうもディオの行為の善悪にはたいして興味がないらしく、ディオの作り出すゾンビについて調べることに夢中らしい。ゾンビ・吸血鬼の生態についての本を作るなどと息巻いており、最近は雪崩が起きそうなほど本を詰め込んだ書斎と実験を行っている地下室以外では彼女を見かけない。

 

「どうせ今晩にでもこの街はゾンビしかうろつかなくなる。問題はないだろう」

「う~ん、それも困るのよ……ゾンビの内臓を人間に移植した場合にどうなるのかとかもテストしたいし…」

「勝手にやれ。人間の生け捕りくらいお前ならできるだろ」

 

 そう言うと、ノーレッジは「それもそうね」とつぶやき、くるりと踵を返した。しかし、部屋を出ようとする寸前にぴたりと止まり、振り向いた。

 

「あ、そうだ。言おうと思って忘れてたわ。トンネルで車の行き来を見張ってる奴からゾンビ鴉のメッセージが届いてたわよ。この街に向かって来る馬車があるって。メンバーは、『御者』と、『赤髪の東洋人』と『青髪の少女』彼らも獲物にする?」

 

 赤髪の東洋人は、おそらくワンチェンが殺し損ねたという紅美鈴だろう。そうなると、一緒にいる青髪は―

 

 ディオは薄く笑った。レミリアだ。こちらの居場所を突き止めてこの街に乗り込んできたのだ。おそらく並みのゾンビではかなわないので、ディオ自らが出るしかない―

 

(いや、もう少し万全を期すか)

 

 力に任せて闘っていた以前と違い、ディオはレミリアを破るべく「気化冷凍法」という技を編み出してはいた。しかし、相手も何らかの奥の手を隠し持っている可能性がある以上、うかつに動くのは得策ではない。ノーレッジとゾンビをぶつけてみるか。

 

「ノーレッジ。お前に任せた。その3人を殺ってこい。死体はどう使っても構わん」

「……仕方ないわね。タルカスとブラフォードは使ってもいい?」

「ああ」

 

 ディオがそう言うと、ノーレッジは心なしかうきうきとした足取りで階段を降りて行った。確かタルカスとブラフォードは昔の死体をゾンビ化する研究でもっともうまくいった騎士だったか。その強さを試してみようというのだろう。

 

(まずはお手並み拝見、というところか)

 

 

 

 

 

 

 濃密な闇を切り裂くように、駆けゆく馬車があった。乗っているのは波紋使い、ゾンビ、吸血鬼。ゾンビと化した馬は疲れを知らず、ホワイトチャペルから目的地までの距離を休みなしで走破せんとしていた。

 

「……まあ、これだけ時間があれば十分でしょう」

 

 懐中時計は、23時を指していた。夜明けになればゾンビ馬を走らせるわけにはいかない。早めにつくに越したことはなかった。

 

「あとはディオがこの街のどこにいるか……ゾンビをたくさん作っていたらわかりやすくていいのだけれど」

「そうですね。ま、今夜中に見つけられそうになかったら日光をしのげそうなところを探しましょう」

 

 美鈴は膝に乗せた袋入りクッキーを一口齧って、ティーカップに口をつけた。レミリアが飲む紅茶とは違う緑の液体が注がれており、馬車の揺れにあわせて波を作っている。ちなみにこの茶を一度飲ませてもらったことがあったが、苦くて飲めたものではなかった。

 

 レミリアが胸の悪くなるような緑茶の苦みを思い出して渋い顔をしていると、美鈴は手持無沙汰だったのか、そういえば、と言っておしゃべりを始めた。

 

「知ってました? この前教えてもらったんですが、ジャックって娘がいるらしいですよ」

「ふうん、あの殺人鬼に? 貴女、ジャックには近づかないって言ってたのによく知ってるわね」

「お嬢様が血を吸ってる間、暇だったので聞いたんです。母親はもう死んでて、娘と二人暮らしだったそうで。ビックリですよね」

 

 殺人鬼も人間としての生活はあるわけなので、家庭があってもおかしくはない。

 

「それで何が言いたいの?」

「いえ、その子はどうなるのかなって……」

 

 ジャックがゾンビと化して表向き失踪している今、その娘は養ってくれる親がいないわけだから、孤児院に行くか娼婦になるかのどちらかを選ぶことになるだろう。その程度のことは美鈴でもわかるはずである。

 

「私への嫌味?……ま、ジャックを殺したことは微塵も後悔してないけど、確かにその子は気の毒ね。信用できそうな娘なら召使いにしてあげようかしら――」

 

 そのとき、すさまじい衝撃が馬車を襲った。美鈴がとっさにドアを蹴破って転がり出て、レミリアも後に続く。

 

 外に出てみると、馬車は巨大な岩の直撃を受けてひしゃげ、数メートル後方に横転していた。ゾンビ馬はわめきながら前に進もうとしているが、背骨を打ち砕かれたのか起きることもままならず、足をむなしく空中を蹴っている。

 

「あら、これで死ななかったのは予想外。だいぶ正確に命中したと思ったけど」

 

 その声が聞こえた方を見ると、ダウナーな雰囲気の女が立っていた。紫がかった髪はぼさぼさで、目には大きなクマがある。

 

(ゾンビではないけど、ゾンビみたいな奴ね)

 

 そして女の両脇には、中世の騎士のような恰好をしたゾンビが二人控えていた。一人は筋骨隆々の巨人。もう一人は長い髪を異様に逆立てており、明らかに普通のゾンビとは雰囲気が違う。

 

「たぶん襲い掛かってきたなら知っていると思うけれど、私はレミリア・スカーレット。そこにいるのが紅美鈴よ。貴方たちのお名前は?」

「……これから殺す者に名前を教える必要があるの?」

 

 女の答えに、レミリアはやれやれと肩をすくめた。

 

「相手が名乗ったらちゃんと答える。最低限の礼儀だとは思わない? それに貴女の墓を作ろうと思ったときに名前が分からなかったら困るでしょ」

「……パチュリー・ノーレッジ。そこにいる二人はタルカスとブラフォードよ」

 

それを聞いて、レミリアは少し驚いた。女の名前は知らなかったが、残りの二人の名は聞いたことがある。メアリー・スチュアートの最強の騎士たち。それほど昔の死体をゾンビにできるというのは驚きだった。

 

「なるほど…ディオも面白い趣向を凝らしてくるわね。……ジャック! 武器を!」

 

 潰れた馬車の残骸からジャックが身を起こした。手には黒金の槍を持っており、主人の姿をみとめると、槍を投げて寄越した。それを受け止め、レミリアは切っ先をパチュリーに向けた。

 

「……さあ、始めましょうか。生ける……いや、死した伝説との闘いを」

 

 

 

 

 



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戦闘舞踏

 

 

 

 火花が散り、一瞬だけ闇を照らした。鍛え抜かれた黒金ーレミリアの槍と、タルカスの大剣が衝突し、甲高い悲鳴をあげていた。

 

「……下等なゾンビのくせに、よく私の槍を受け止められたわね?」

「俺は殺戮のエリート。当然だ」

 

 タルカスはそう答えながら、目の前の少女が繰り出した一撃が戦場でまみえたどの敵のものよりも重いことに、戸惑いを感じていた。彼はレミリアを見すえながら、ゆっくりと口を開いた。

 

「ノーレッジ」

「なに?」

「奴も人間ではないな」

「……そうね。でも、貴方とブラフォードの二人がかりで倒せない敵かしら?」

 

 パチュリーの言葉には、二人を心配するような気配はなかった。彼女は単に試作品がどこまで闘えるか、という一点にのみ関心があるらしい。しかしタルカスの方も、同じディオの部下とはいえ、彼女に対しては何の関心もいだいてはいなかった。

 

「当然。お前はそこで見ていろ。……といっても羽虫が邪魔だろうが」

 

 レミリアと騎士二人が闘っているため、手の空いているジャックがパチュリーのもとへ切り込んできたのである。ジャックは筋肉を収縮させ、体内から無数のメスをパチュリーに向かって発射した。

 

「わざわざ言わなくても知っているわ。だから―」

 

 まっすぐ伸ばしたパチュリーの手のひらにいくつかの火の玉が生まれたかと思うと、うねる爆炎と化した。高熱に触れたメスは、その威力を発揮することなく蒸発した。

 

「貴方は貴方の相手に集中しなさい。この闘いは実験も兼ねてるから」

 

 言われなくても、分かっている―タルカスはそう思いながら、レミリアの攻撃を受け続けていた。雨のような連撃。攻撃と攻撃の間にそれらしい隙は見つからず、一息をつく暇もない。

 

「ブラフォードッ!」

「2対1というのは好きではないが……指示だ。仕方ない」

 

 タルカスと打ちあうレミリアの背後にブラフォードが回り込んでいた。レミリアはタルカスに槍を向けているため、この瞬間は後ろに武器を回して防御することはできない。完全な死角からの攻撃である。ブラフォードは、彼女の肩に剣を振り下ろそうとし―ぴたりと止まった。

 

「あら危ない。うっかりしていたわ」

 

 レミリアはブラフォードの剣先を人差し指と中指でつまんで止めていた。恐るべき膂力。しかし、ブラフォードの本領はここからなのだ。

 

 ブラフォードの長髪が剣をつたってレミリアの白い腕に絡みついた。予想外の奇襲に、レミリアの目が驚きに見開かれる。

 

「動きは封じた。タルカス!」

「おう」

 

 タルカスは振り上げた長剣をレミリアの脳天めがけて打ち下ろした。巨岩でも素手で穿つような腕力である。たとえ彼女が人ならざる者だとしても、死を免れることはできなかっただろう。―当たりさえすれば。

 

 剣はレミリアの右肩に深く沈み込み、鮮血を迸らせていた。直撃の瞬間、レミリアは首をそらし、頭部への一撃を回避していたのである。

 

「不意を打たれたとはいえ……なかなかやるじゃない。ドレスが破けたのは気に入らないけど」

 

 レミリアがそういう間に、彼女の肩から流れる血は止まっていた。千切れたドレスからのぞいた肌にはさきほどまでぱっくりと開いていた傷はどこにもなかった。

 

 この異様な再生力。怪力。タルカスは、彼の主、ディオと同じ種類の存在であると直感した。

 

(だが……それでこそ倒しがいがあるというものッ!)

 

 自分よりも強大な敵。その出現に際しても、タルカスの戦意に揺らぎは微塵もなく、意識をレミリアにのみ集中していた。そのため、背後から迫ってくる敵―紅美鈴に気づくのが一拍遅れた。

 

「シッ!」

 

 するどい気合とともに、美鈴はタルカスの頭部めがけて蹴りを放った。タルカスはとっさにかわしたが、完全に回避することはできず、頬をかすめた。わずかな波紋の痛みとともに、頬の皮膚が少し溶けた。

 

「お嬢様。たかがゾンビといっても二人がかりは面倒でしょう。少しの間、私がタルカスを引き受けます」

「……分かったわ。じゃあ私は彼と踊りましょう」

 

 レミリアがそう言うと、ブラフォードはにやりと笑った。レミリアの腕は彼の髪にいまだ戒められており、動かせないのである。

 

「腕も使えずどう俺と踊るのか、お聞かせ願いたいね」

「あら、じゃあ教えてあげましょうか。空のワルツよ」 

 

 瞬間、レミリアの背中から光をすべて吸い込むような翼が現れ広がる。ブラフォードがあっけにとられている間に()()()()()()跳躍した。

 

 

 

 

 

 レミリアが飛翔するには、いくつか条件があった。何らかの魔術的な力を持っていない場合は吸血鬼も物理法則を超越することはできない。鳥類のように飛ぶために軽量化された身体ではないため、ブラフォードのように重い物を抱えた状態ではゆっくり降下することはできても空へ飛び立つことはできないのである。

 

 高所から落ちて飛翔力を得る場合は、その限りではないが。

 

 二人はすさまじい落下と上昇を繰り返し、空中で闘っていた。ブラフォードは髪をレミリアに絡みつけ、命綱の代わりにしている。

 

「さすがにここから落ちたらゾンビでも原型は留められないでしょうね」

「……それがどうしたァ…水中だろうと空中だろうと、命じられた敵と戦うのが騎士というものだ」

 

 ブラフォードはそう言うと、首筋めがけて剣を閃かせる。レミリアはそれを間一髪のところでかわしながら、未知の戦場であるはずの空中においてブラフォードが一切戸惑わず対応してくることに、心のうちで賞賛していた。

 

(……しかし、この髪を引きちぎるのは時間がかかるわね。かといってこれくらい近いところにいるヤツの剣を躱し続けるのも無理がある)

 

 だとすると、「アレ」しかない。あまり気のりしない手段なので、できるならしたくはないことであるが、この猛騎士に対処する方法を一から考えている暇はないのである。

 

 レミリアは頭をわずかに傾けブラフォードが放った渾身の突きをかわすと、その伸びきった腕に噛みついた。

 

「……貴様ッ!何を……」

 

 死臭。緑茶よりもひどいえぐみと苦みがレミリアの口内に溢れた。しかし我慢して噛み続ける。レミリアのとった最後の手段。それは、ブラフォードがゾンビ化したときに入ったであろうディオの吸血鬼のエキスをレミリアのエキスと交換することだった。

 

 ゾンビが吸血鬼を主とみなすのも、そのエキスの効果。つまり、ブラフォードを動かすエキスがレミリアのものになってしまえば、レミリアの配下にすることができるという道理なのである。

 

「……まあ、何百年も前の死体なんか本当は噛みたくないんだけれど」

 

 ブラフォードは眼を閉じぐったりと動かなくなった。

 

 レミリアはゆっくりと崖下へ降下し、着地した。

 

少しして再蘇生したようだった。ブラフォードはゆっくりと目を開き、レミリアを見た。その眼の中には先ほどまで存在していた敵意はない。

 

「……失礼な真似をした。わが主人よ」

 

 そう言うと、ブラフォードはレミリアの腕を縛っていた髪をほどき、跪く。

 

「気にしてないわ。どうせディオに都合のいいように、生前の妄執を利用されたんでしょう。そんなことより、いくつかやってもらいたいことがあるわ」

「このブラフォードができることであれば何なりと」

「よかった。じゃあ、まずはディオの居るところに案内してもらおうかしら」

「御意」

 

 後は崖上で闘っているであろう美鈴とジャックを回収して、ディオに会うだけ。ブラフォードを伴うため崖の上に戻るのに多少の時間はかかるが、これで駒は揃った。

 

「待っていなさい、ディオ。夜はこれからなのだから…」

 

 

 

 

 

 

 

 美鈴は、自分がそれなりに計算高い性格だと思っていた。いつでも強い者の傍にいて、不興を買いそうならとぼけたふりをしてうまくかわす自信もある。

 

 ただし今回計算違いだったのは、タルカスが美鈴の想像の数倍も手ごわかったことだった。

 

「ウオオオオ!」

 

 タルカスは雄たけびをあげ、剣を振り下ろしてくる。美鈴はきわどく太刀筋を見切って回避する。その一撃が地を叩くとたちまちひびが入り、地割れをおこした。

 

「すさまじいパワーですね……近づくのは正直、得策ではない」

 

 美鈴の赤い髪が一筋、空中で舞っていた。今の剣が当たっていれば、たとえ美鈴が波紋使いだったとしても大ダメージは免れなかっただろう。

 

(まずは視界を奪わないと)

 

 美鈴は切り裂かれた自分の髪の毛を掴むと、波紋を送り込んだ。すると髪の毛はぴんと伸び、何本もの針へと変じる。

 

タルカスの猛烈な攻撃をぎりぎりのところで回避し、最後の大振りの直後、大きな隙ができた瞬間に顔めがけて投げつけた。

 

「GYAAA!」

 

 タルカスの左目に、3,4本ほど美鈴の波紋入りの髪が突き刺さっていた。少量ゆえタルカスに致命傷を与えるほどのダメージは与えられなかったようだが、ダメージは通ったようだ。

 

「この、小娘がぁっ!」

 

 左目が潰れているにもかかわらず、タルカスは躊躇なく襲いかかって来た。波紋傷を負った怒りでますます攻撃のスピードは上がっているが、その流れは単調になっている。

 

(次は右目ね)

 

 美鈴が残った髪に波紋を送り込もうとしたそのとき、ひやりと背筋に悪寒が走った。瞬間、炎の奔流が美鈴の数センチ脇を駆け抜けた。熱風から顔を背け、転がるように離れる。

 

「タルカス……こっちは終わったわ。手伝ってあげる」

 

 パチュリーだった。その後ろには黒く焦げ、炭化したジャックの残骸がある。つまり、ジャック亡き今、美鈴はたった一人でこの化け物二人組と闘わなくてはならないのだ。

 

 レミリアがいれば何とかなっただろうが、タルカスの剣とパチュリーの炎を同時に相手どるのは不可能。斬り捨てられるか、バーベキューにされるのが落ちである。

 

 美鈴は波紋を込めたひとふさの髪を落とし、両手をあげた。

 

「まいりましたね……降参です」

「そういうことはしなくていいわ。私たちはあなたたちを殺すために来てるから」

 

 パチュリーはそう言って、右手を美鈴に向けた。

 

「私があなたの実験の役に立つと知っても?」

 

 パチュリーは、タルカスたちの闘いを実験と呼んだ。そこから、彼女の行動原理はディオとは違うのではないか―平たく言うと、レミリア達の抹殺より己の知的好奇心を満たす方を優先するのではないかと思ったのである。

 

「……どういう風に、役に立つの?」

 

 パチュリーは右手を美鈴に向けたまま、そう聞いてきた。

 

「私はゾンビを滅するエネルギーを体内で作り出すことができるのです。皆は波紋と呼んでいるようですが…知りたくはないですか?」

「波紋……確かに、貴方が不思議な力を持っていることは分かっていたけれど……」

 

 パチュリーは少し考えているようだった。あともう一押しがあれば、何とかこの場を切り抜けられる。

 

「私を研究すれば、波紋がゾンビに及ぼす影響だってわかるはずですよ…?」

「……どうでもいいッ! この女を殺すのもディオ様の命令だったはずだが」

 

 タルカスは苛立ちを滲ませながら、パチュリーにそう言った。目を潰されたことで相当頭にきているらしい。

 

「ええ。でも……いつ、どこで殺すかは決まっていないでしょう? タルカス、縄でこの女を縛ってちょうだい。連れて帰るわ」

「俺は冗談が嫌いだ」

「冗談? 連れ帰る方が殺すよりもディオの役に立つわよ」

「俺の目を潰したんだ。気が収まらん」

「用済みになったらあとで絞るなり四肢をもぐなりすればいいじゃない。今は私の指示に従って」

 

 タルカスは舌打ちをすると、美鈴を縛り上げて脇に抱えた。

 

「ああ、逃げようとしたらすぐに殺していいわ」

「……だそうだ」

 

 タルカスに睨まれると、美鈴は引きつった笑みを浮かべた。

 

「あはは、逃げるわけないですよ。私、身の程は知ってますから」

 

 ブラフォードとともに谷の底へ落ちていったレミリアだが、吸血鬼ならあの程度では死なないだろう。そしてここに戻ってきて、美鈴の残した「あれ」を見つければ、ディオの住処へと向かうことができるはずだ。

 

(頼むから、ちゃんと戻ってきてくださいよ、お嬢様)

 

 美鈴はそう祈りながら二人に運ばれていった。

 

 

 

 

 

 

 横倒しになった馬車、何者かの攻撃で生まれたらしい地面の亀裂、黒焦げの死体。

 

「これは……先に行ったレミリアの馬車だな。ここで襲われたのか」

 

 ジョナサンとツェペリはあたりを警戒しながら、馬車の様子を見ていた。そのとき、死体を調べていたスピードワゴンが戻ってきた。

 

「どうやらこの死体は御者ゾンビのもののようで。あとの二人は見当たらねえ。あいつらが簡単におっ死ぬとは思えないから、たぶん馬車を捨てたんだろうが……」

 

 問題は、彼らを襲った者の正体である。

 

「……ディオの部下か、それに協力する者だろう。少なくとも炎使いが一人。あっちはいくらでもゾンビを増やせるわけだし、これは早めにケリをつけんといかんのう」

 

 ツェペリがそう言ったとき、がさり、と近くの草むらが揺れた。

 

「誰だ?」

 

 ジョナサンが静かに誰何(すいか)したが、返答はなかった。

 

「答えろーッ!俺たちの敵かてめーはッ!」

「ひっ、ひィィィ!違う!違うよーッ!」

 

 スピードワゴンが一喝すると、中から転がり出てきたのは、何の変哲もない、田舎っぽい少年だった。

 

「ツェペリさん、彼は……」

「うむ、ゾンビじゃあない」

 

 ジョナサンは怯える少年の肩をたたくと、かがんで目線を合わせた。

 

「僕の仲間が脅かしてすまなかったね。僕はジョナサン・ジョースター。君の名前は?」

「ポ……ポコ」

「ポコ、君はここで何が起こったか知ってるかい?」

 

 ジョナサンの問いに、ポコはうなずいた。

 

「で、でも、話してもあんたたちは絶対信じないよ」

「いや信じる。だから、君がここで見たことすべてを教えてほしい」

 

 ジョナサンがそう言うと、ポコは遠慮がちに語りはじめた。

 

 

 

 数日前から、ポコの住む町に奇妙なことが起こり始めた。年頃の娘が何人も、忽然と姿を消すのだ。さらに女の亡霊やよみがえった中世の騎士たちが墓場でうろついているという噂も流れていた。

 

「だからおいら、それを確かめるために墓場に行こうと思ったんだ」

 

 そして墓場に行く途中、黒い馬車がこちらへ走ってくるのが見えた。町の大人に見咎められたら面倒だと思ったポコは、近くの草むらに隠れた。

 

 その瞬間、遠くから飛来した岩が馬車を貫いた。

 

 あっけにとられていたポコの前に、二人の黒騎士と、それを従えるように紫のローブをまとった女が現れた。亡霊とゾンビだ、と直感したポコは息を殺してその成り行きを見ていた。

 

 すると中から現れた者たちと死者たちは二言三言言葉を交わしたかと思うと、すぐに殺し合いをはじめた。しばらくして戦いの趨勢は決まった。馬車側の一人はローブの女に焼き殺され、一人は宙を舞ったかと思うと、黒騎士とともに谷へと落ちていった。最後の一人は捕虜にされ、ポコの住む町の方へ連れていかれた。

 

 それからも震えが収まらず、繁みでじっとしていたときにジョナサンたちがやってきた、というわけである。

 

 

 

 

 話を聞き終えたツェペリは少し考え、話し始めた。

 

「なるほど。宙を舞った、ということは、黒騎士と共に落ちていったのがレミリアで、捕まったのは紅美鈴、というところか。まあ空を飛べる吸血鬼がそんなことで死ぬとは思えないがね」

 

 それについてはジョナサンも同意見だった。問題は、彼女の後を追ってディオの居場所を探ることができなくなったことである。

 

「とりあえず、ポコの住んでいる街に案内してもらいますか」

 

 おそらく、ディオはポコの街にあるどこかの屋敷を根城にしている。そこまでわかればあとはしらみつぶしに探していけばいつかは見つかる。

 

「うむ。もっと早く見つける方法があれば…」

 

 ツェペリがそうつぶやいたとき、スピードワゴンが妙な顔をして足元を見た。

 

「うわっ! なんだこりゃあ……髪?」

 

 そこに落ちていたのは、針のようにぴんと張った赤い髪だった。おそらく敵との闘いで切断されたのだろう。

 

「これは……波紋が込められていますね」

「闘いの途中で使ったんだろう。波紋を込めれば薔薇だろうとパスタだろうと武器にできるからな」

「へえ…」

 

 そのとき、ジョナサンの手のひらの上で美鈴の髪がコンパスのように回り始め、方向を向いて止まった。

 

「……ツェペリさん、これはひょっとすると、紅美鈴の居場所を示しているんじゃないでしょうか」

「うむ、わしは中国風の波紋法はよく知らんが、生命磁気の波紋を応用してるのかもしれんな。……ともかく、居場所が早く突き止められるのはありがたい。行くぞ、ジョジョ」

「おいガキ!ゾンビに殺されたくなきゃお前も一緒に馬車に乗りな! 街まで送ってってやる!」

 

 4人が乗り込み再び馬車が走り始めたとき、ジョナサンはツェペリの言葉を思い出して、質問した。

 

「中国風って言ってましたが、ツェペリさんの知らない波紋の使い方もあるんですか?」

「そうだな。わしはチベットで修業したからチベット式になるか。まあ、チベットのやり方でもわしの知らない使い方……運命を読み取る力なんぞはついに会得できなかったな」

「運命?」

「生命の波長から、死期を読むんだ。それができるのは私に波紋を伝授してくれた老師トンペティくらいだろうな」 

「死期……ツェペリさんは自分の死の運命を聞いたんですか?」

「いいや、私は聞かなかった……自分がいつ死ぬか知ってるなんていい気分じゃあないからな」

 

 ツェペリの顔は濃い影に包まれていてよく見えなかった。

 

 

 

 

 ポコを家に帰して一行はディオの潜む場所へと導かれていった。そして、ある屋敷の前で美鈴の髪がどこを指すでもない回転を始めた。

 

「ここか…」

 

 町はずれにある、年月がたってはいるが瀟洒な屋敷だった。鉄柵は錆び、庭には手入れが行き届いてない。なんの変哲もない古屋敷だった。しかし、ジョナサンは吸血鬼のもつ瘴気が屋敷全体にまとわりついているように感じた。

 

「スピードワゴン君……ここまで我々は運よく戦わずにすんだ。しかし今からはそうはいかない。戻るなら今のうちだ」

「それで俺がしっぽ巻いて逃げると思うかい? ツェペリの旦那」

「……杞憂か。じゃあ石仮面を拝みにいくとしよう」

 

 ニヤリと笑うと、ツェペリは屋敷の扉に手をかけた。

 

 

 



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東方より来たる

 

 

 

 ジョナサンたちは屋敷の一階を歩き回り、ディオを探した。数体のゾンビと出会ったが吸血鬼と比べるとやはり弱く、それほど警戒する必要はなかった。

 

 ただ、犬と人間を組み合わせた者や手足を逆に付け替えられた者など、奇妙な姿をしたゾンビが多かった。波紋傷が広がり溶けていくヘビ入りゾンビ(ドゥービーというらしい)を見て、スピードワゴンは顔をしかめた。

 

「ディオって野郎はとことん悪趣味だな」

「趣味のいいやつならそもそもゾンビなんか作らんよ」

 

 そう言ったちょうどそのとき、ツェペリは地下へと続く階段を見つけた。

 

「地下はまだ見ていなかったな。行くぞ」

 

 一行が階段を降りていくと、ほんのりとゾンビの臭いが漂い始めた。フラスコやビーカーなどの器具が散乱しており、紫色の液体が水たまりを作っている。

 

「ここは……ディオの実験室か?」

「……どうでしょう。ディオが使っている場所ならもう少し整頓されていそうですが」

 

 やがて足の踏み場もないほど本の置いてある部屋を見つけた。ジョナサンたちがその中に踏み込むと、縄で手足を拘束され、机の上で転がされている人物がいることに気がついた。

 

「あ、あなた方は…えへへ、どうもお久しぶりです」

 

 紅美鈴だった。激しい闘いの末捕まったのだろう、着ていたチャイナドレスはところどころが裂け、疲労困憊しているように見えた。

 

「スピードワゴン、彼女の縄を解いてやってくれ」

「いいんですか?」

「ああ」

 

 スピードワゴンが縄を解いてやると、美鈴は身体についた埃を払いながら立ち上がった。

 

「……やれやれ、ひどい目にあいました。お嬢様とははぐれるし、ゾンビだらけの屋敷に運び込まれるし。ジョースターさん、ありがとうございます」

「気にしなくていいよ」

「いやあ、あなた方がお嬢様より先に来るとは思ってませんでした。今どこで何をなさってるんでしょうねえ」

 

 美鈴はレミリアの生存を信じて疑っていないようだった。そんな彼女を見て、スピードワゴンは不思議そうに言った。

 

「……そういやあんたは、なんで人殺しの怪物についていこうと決めたんだ? いくら金払いがよくても、何がきっかけで自分が殺されるかわからないだろ?」

「まさか。お嬢様はよほどのことがなければ人間を殺したりはしませんよ」

「じゃああのゾンビは何だっていうんだ。殺さなきゃゾンビは生まれないだろ」

「よほどのことだったんですよ」

 

 ツェペリは片眉を上げた。

 

「ほう、どういうことかね?」

「彼が殺人鬼だったからです。ジャック・ザ・リッパー。……まあ、あの女の炎で燃えカスになってしまいましたが」

「なるほど……だから『殺して構わない』と。少々彼女は言葉が足りないんじゃないかね」

 

 ジョナサンと話すときにレミリアが一瞬だけ浮かべた、悲しみに近い表情を思い出した。彼女の表情は、吸血鬼と化して自分を襲った父親と比べるとはるかに穏やかだった。ツェペリは少し考えて、ジョナサンの方に向き直った。

 

「ジョジョ。今の話は本当だと思うか」

「はい。らしいです。彼女が人を殺してしまったことには変わりはないけど…少なくとも、理由もなく人を殺すような人間だとは思わない」

「……それなら、わしらが倒すべき悪は一人だけだな」

 

 ツェペリはあっけらかんとそう言った。

 

「じゃあ、私も無駄にあなたと喧嘩しなくて済むんですね」

「ああ。むしろディオを倒す手伝いをしてほしい」

 

 ツェペリが握手しようと手を差し出した。しかしそのとき、何者かが階段を降りてくる気配がした。それを察知したジョナサンが階段の方へ向き直り、油断なく拳を構える。

 

「……誰よ、あなた達」

 

 そこに現れたのは部屋の主、パチュリー・ノーレッジだった。

 

 

 

 

 

 そのとき、パチュリーは苛立っていた。

 

 レミリアという奇妙な少女との戦いで試作品であるタルカス、ブラフォードの強さをテストすることはできた。しかしブラフォードは谷底に落とされたし、タルカスは片目を喪った。あの高さから落下すればブラフォードは原型をとどめていないだろうし、残ったタルカスも吸血鬼と違い身体が再生しないため、別の死体から目を移し替えるという余計な手間がかかる。

 

 おまけに火炎の術を多用したために煙が肺に入り、持病の喘息がひどくなっていた。そのためパチュリーは地下室に美鈴を置くと、いったん喘息の薬を取るために一階へ上っていった。

 

(まあ、あの美鈴とかいう女は利用できるわね)

 

 波紋がゾンビや吸血鬼の細胞にどのような影響を与えるのか。波紋耐性をどうすればつけられるか。試してみたいことはたくさんあった。

 

 しかし、パチュリーが美鈴を置いていた部屋に戻ると、見知らぬ男が3人ほど増えていた。どうやら美鈴を助けに来たらしい。

 

「皆さん、気をつけてください! ディオの手下―火炎を自在に操る奇術師です!」

 

 そう言う美鈴を見ながら、パチュリーは面倒なことになったと思った。屋内では炎を使いづらい。ましてこの地下室では、大事な本も燃えてしまう可能性がある。

 

 どうすれば一人を実験用に捕獲し、残りは皆殺しにできるかという算段を立て始めたパチュリーに、大柄な男ージョナサンが声をかけてきた。

 

「……君は、吸血鬼でもゾンビでもないようだが……なぜ奴の味方をする?」

「別に。私はただ研究がしたいだけだから。私の研究やディオのせいで何人死のうが私のあずかり知るところじゃあないわ」

「どうしてもその研究はやめるつもりはないのか?」

「ええ」

 

 パチュリーはそう言うと、右手から青白い火炎を立ち昇らせた。本を燃やしたくないので勢いを抑えており、人を殺せるほどの威力はない。この炎で牽制しながら部屋の外へ出て、そこで一気に勝負を決めるつもりだった。並の人間ならここで突っ込んでくることはないはずである。

 

 そう思いながらパチュリーが後ずさり階段に足をかけたとき、大柄な男―ジョナサンはつぶやいた。

 

「それなら、君も野放しにするわけにはいかない」

 

 ジョナサンは床を蹴ると、真っすぐパチュリーへと突進してきた。

 

「く、黒焦げになりなさい!」

 

 パチュリーの炎がジョナサンを包み込む。が、ジョナサンは一瞬たりとも怯むことなく踏み込んでくる。ジョナサンの精神力は「並」というには強靭すぎた。

 

 炎の中を構わず進んでくるジョナサンを見て、パチュリーはわき目もふらず階段を駆け上がろうとする。と、その瞬間、こぉぉん、と何かが反響するような音がしたかと思うと、電撃を浴びたような衝撃がパチュリーの身体を襲った。

 

「波紋疾走の音が澄んでるな。あんさんもなかなかやるようじゃのう」

「それほどでも」

 

 これが「波紋」か、とパチュリーは直感した。おそらく美鈴が壁を伝うこの力でパチュリーの逃走を妨げたのだ。

 

「もうっ、どいつもこいつも……私の足を引っ張ってッ!」

 

 パチュリーとジョナサン、互いに手が届くほど距離を詰めた二人の間の空気が揺らいだかと思うと、鋭利な真空にジョナサンの右手が巻き込まれ、血しぶきがあがる。が、それでもジョナサンの動きは止まらない。驚愕に目を見開いているパチュリーの手を掴んで引き寄せると、ジョナサンは目を覗き込みながらこめかみに人差し指を当てた。

 

「なっ、なんで……あれで動け…」

「僕には、腕を失うくらいの覚悟があるからだ。すまないが、眠ってもらうよ」

 

 ジョナサンがそう言うと、こめかみに奇妙な感覚が走った。まぶたが鉄のように重たくなり、意識が遠のく。

 

「わ……たしに何を」

 

 した、と聞く前に、パチュリーの意識は水面に浮かぶ泡沫のようにはじけ、消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 月を照らす野道を、レミリアとブラフォードは疾駆していた。どうやらディオは際限なくゾンビを増やしているらしく、道中のあちこちで元は住民であったであろう者たちと遭遇した。

 

「けけけーっ! そこの小娘ェ、ジューシーな血をたぁっぷり飲ませてくれ!」

 

 レミリアはそのゾンビを一瞥すると、その傍を目にもとまらぬスピードで駆け抜けた。ゾンビは振り向き襲い掛かろうとしたが、すでに両断されていた首が身体についていかず、落下して地面に血をしみこませた。

 

「屍生人が屍生人を作る……こんなつまらないもので満たされた世界の頂点に立ったところで、何の意味があると思っているのかしら?」

 

 ブラフォードは黙ったままだった。レミリアは今の言葉がブラフォードにとって意味するところにはっと気がつき、付け加えた。

 

「ああ、別にあなたを無価値だと皮肉ったわけじゃないわ」

「わかっております。それに私が無価値だということも正しい」

 

 今、レミリアはブラフォードの魂を操ってはいない。ジャックの場合は殺人本能を抑えるためしっかり手綱を握っていたが、ブラフォードの忠誠心は信用できるので、無理に心を縛る必要もない。つまり、ブラフォードの言葉は生前と変わらず彼の自由意志によって紡がれているのである。

 

「私の本来の主は女王陛下だった……あの方を守れなかった時点で、私には芥ほどの価値もないでしょう。あの憎きエリザベスもノーレッジによるととうの昔に死んでいるらしく……敵討ちも果たせずじまいです」

「そう……じゃあこの戦いが終わったら貴方はまた死人に戻りたいの?」

「はい。願わくば、タルカスも同じくあの世へと送っていただきたい。奴も女王陛下のいらっしゃらないこの世には興味はありますまい」

 

 当時のレミリアはプラハにいたため彼らとメアリーの関係については深く知らなかった。しかし、永遠の眠りを妨げられ、いまだに亡き主を想う姿には多少の憐憫を覚えた。

 

「……まあ、ことが済んだらそうしましょうか。だけど、一つ提案があるわ。貴女を塵に還す前に――」

 

 レミリアがそう言いかけた瞬間、行き先をふさぐかのように男が立っていた。二人が立ち止まると、その男はつかつかと向かって来る。

 

「失礼。町はずれに屍生人がはびこっているようでね……そこのお二方はどっちかね?」

「本当に失礼な質問ね。私―レミリア・スカーレットをゾンビと一緒にしないでちょうだい。これでも吸血鬼よ。こっちはブラフォード」

 

 そう名乗ると、男はぎらりとした眼光を放つ。

 

「そうか。わが名はダイアー。二人目の吸血鬼がいるなどおかしな話ではあるが……会ってしまった以上、闘わねばなるまい」

「そう……ところで、他の二人は出てこなくていいのかしら?」

 

 レミリアがそう訊くと、ダイアーはぴくりと眉を動かした。レミリアの聴覚は、波紋使い特有のリズムを刻む二人分の呼吸音を聞き逃さなかった。

 

「なかなか、耳ざとい貴婦人のようじゃのう」

 

 そう言って近くの木影から現れたのは、煙草をくわえた老人と、流麗な黒髪の若者だった。若者が老人にやや心配そうな声音で話しかける。

 

「トンペティ師……我々の目的はこの娘ではないはずです。早く行かねば手遅れになるかもしれません」

「案ずるな、ストレイツォ! このダイアーが一瞬でカタをつけてやる」

 

 ダイアーは地面を蹴ると、スローな蹴りを繰り出してくる。レミリアはくすりと笑って、槍を構える。

 

「ええとこれは……稲妻十字空烈刃、だったかしら?」

 

 それを聞き、ダイアーの瞳が揺らいだ。これは知っている。蹴りをわざと受け止めさせ、腕を封じてから本命の手刀で決める必殺の技。吸血鬼になって間もないころに吸血鬼狩りに食らったことがあり、その威力は十分知っていたし、どうすればよいかも分かっていた。

 

 レミリアは槍でそろえた両足を真横から薙ぎ払った。痛撃を受け、ダイアーは受け身を取りながら地面に転がった。

 

 要は、蹴りを受け止めなければいいのだ。スローとは言っても、人間の格闘者であれば受け止めざるをえない。しかし吸血鬼の動体視力であれば完全に見切ることが可能なので、ネタが割れてしまえばどうということはないのである。

 

「ぐう……ッ」

「あら、立てるのね。私、あなたみたいな無礼な人が嫌いだから、足をめちゃくちゃにしようと思ってたんだけど……なかなかやるじゃない」

 

 地を這うダイアーを見下ろしながらレミリアは話しはじめた。

 

「悪いけど、今は貴方たちと闘ってる暇はないの。しかし、ツェペリといい貴方たちといい、どうしてこう波紋使いには早とちりが多いのかしら?」

「……ツェペリだと? その名をなぜお前が知っている」

「あら、知り合いなの? ……というより、ディオを倒すためにツェペリが貴方たちを呼んだ、と考えるのが妥当かしら」

 

 トンペティは眼を細めた。ツェペリのしたためた手紙にはディオを倒すのに力を貸してほしいということが書いてあったが、目の前には二人目の吸血鬼―レミリアがいる。予想以上に敵の勢力は大きいのではないか。

 

「ツェペリはどうした? それと、ジョナサン・ジョースターという青年もいただろう」

「ああ、別にどうもしてないわ。そもそもジョナサンは私のお気に入りだし、私は殺人狂ではないから」

「殺人狂じゃない? 血を糧にするのにか?」

 

 ストレイツォの問いにレミリアはうなずいた。

 

「ええ、血を飲まなくても何十年かは生きられるし、食事をするにしてもめったに殺しはしないわ。貴方たちはミルクを飲むために牛を殺すのかしら」

 

 変わり種の吸血鬼らしいな、とトンペティは考えた。従えているゾンビは時代遅れの鎧をまとっているのでおそらく自分で手をくだしたものではない。嘘を言っているようにも見えないし、嘘をつく意味がないので実際そうなのだろう。

 

「しかし仲間はそれを許すのか? ディオを倒すとわかっていて見逃したのか?」

 

 そう訊くと、レミリアは不快そうに眉をひそめた。

 

「あの下衆と私を一緒にしないでもらえる? むしろ敵よ、敵」

「敵? 同じ吸血鬼なのにか?」

「人間だってスプーンの置き方が違うだけでも殺し合うじゃない」

 

 レミリアはそう言ってため息をつき、懐中時計に目を落とした。

 

「……さて、そろそろ無駄話はやめて質問しましょうか。貴方たちはここを通してくれるのか、私と闘うつもりなのかってね」

 

 

 

 

 

 

「ジョースターさん、大丈夫ですか、その腕!」

 

 ジョナサンの右腕から付け根にかけてついた無数の切り傷から、血が流れていた。

 

「ああ、骨までは折れてないから、すぐ回復すると思う」

 

 しかし、炎だけでなく風の刃のようなものまで作れるとは、とジョナサンは昏倒している奇術師の女を見て戦慄した。一気に勝負を決められなければ、レミリアの御者のように炭にされていたのはジョナサンの方だったかもしれないのだ。

 

「不思議な術を使う者だったが……まあここで倒せたのはよかったかもしれんな」

「ええ。ところでツェペリさん、ノーレッジは殺さないんですか?」

 

 美鈴の問いに、ツェペリは難しい顔をした。

 

「悪意がない分、ある意味ディオより危険なヤツだが……どうする、ジョジョ」

 

 ジョナサンは少し考え、答えた。

 

「殺しません。彼女の研究は、ディオがいなければ続けられないはずです。罪は生きて償ってもらいましょう」

「……なら、とりあえず目覚める前に捕まえておくか。スピードワゴン君、頼めるか」

 

 しばらくして、奇術師の女―ノーレッジは目隠しをされ、天井から吊り下げられた。術で縄を切ろうとすれば頭から落ちてしまうので抜け出ることは難しいはずである。

 

 ジョナサンたちは地下室を出ると、二階への階段を上り始めた。濃い死臭がするのは、やはりそこにディオとその配下たちが集まっているからだろう。

 

 上り切った先には、大きな鉄製の扉が立ちはだかっていた。

 

 おそらく、ディオはこの部屋にいる。ジョナサンが手を当て、力をこめると重い音を響かせながら扉は内向きに開いた。

 

 中は大理石の柱が並び、瀟洒な調度がいくつか置いてあった。そして開け放たれたドアの向こうにはテラスがあり、そこで月光を浴びながらたたずむ人影があった。

 

「……ディオ!」

 

 ジョナサンが声をあげると、ディオはやおら振り向いた。

 

「ほう、お前が来たか……意外だ。お仲間はそこにいるのはスピードワゴンとかいうカスと、薬屋か……もう一人は初めて見る顔だな」

「ツェペリだ。ついに会えたな」

「ふん、お前がジョナサンの師か……仲良く二人で這いつくばっていればいいものを」

 

 そのとき、ふっとディオの影が揺らめき、数を増やした。ぎょっとしたジョナサンが目を凝らすと、その正体はぐずぐずに腐った異形のゾンビたちだった。ディオの配下らしい。

 

「そういえば下が騒々しかったが……ノーレッジはどうした?」

「倒した。今、彼女には眠ってもらっている」

「ふん、相変わらず甘っちょろいやつだな、ジョジョ。俺はお前のそういうところが反吐がでるほど嫌いでね……」

 

 パチン、とディオが指を鳴らすと、退路を塞ぐように信じられないほどの巨躯をもつ隻眼のゾンビが現れた。

 

「タルカス……!」

 

 美鈴がつぶやくと、そのゾンビはぎろりと彼女を睨めつけた。

 

「久しぶりだな。この眼の借りを返させてもらうぜ」

 

 どうやらお互いに因縁の相手らしい。それなら、背後は美鈴に任せて問題ないだろう。ジョナサンは、前にいるディオと対峙した。

 

「ジョジョ……お前とこうして向かい合ったのは屋敷のとき以来か。……いや、あのときはレミリアが横槍を入れてきたから、エリナのとき以来、というべきか」

 

 ジョナサンは黙って歩みを進める。

 

「あのときはお前の爆発力に負けた……が、それは人間を超えたこのディオにはもう通用しないということを、証明してやろう」

 

 その瞬間、ディオは裂帛の気合とともに跳躍した。ジョナサンは目の前に迫ってくるディオの顔に、必殺の一撃を叩きこむ。が、直撃する寸前、ジョナサンの拳はディオに受け止められていた。

 

「……山吹色の波紋疾走!」

 

 受け止められても問題はない。波紋を送り込めさえすればいいのだ―

 

「これが波紋疾走、か」

 

 しかし、ディオには全く効いていないようだった。波紋が入った感覚や反響するような独特な音もない。ふと冷気を感じて殴った右腕を見ると、完全に凍り付いてしまっていた。

 

「この技は気化冷凍法、とでも名付けようか。だから言っただろう、ジョジョ。俺はあらゆる人間を超えた。当然波紋使いもその範疇だ」

 

 ディオはそうつぶやき、冷たく笑った。

 

 

 



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決戦のとき

 

 

 

 

「は……波紋が通らない!」

 

 右腕は凍り付き、ピクリとも動かない。気化冷凍法。ジョナサンが波紋法を習得したように、ディオもまた新しい技を編み出していたのである。

 

「というわけだ……さァ、お前の腕ごと頭をかち割って中身をブチ撒けてやろうッ!」

 

 ディオがジョナサンの脳天めがけて拳を振り下ろそうとしたとき、後方から飛んできた「何か」がディオを切り裂いた。

 

「おっと、ワシを忘れちゃあ困るぞ。何せ、語りたいことがいくつもあるからな」

 

 ツェペリだった。ゾンビたちを蹴り飛ばしながら、口に含んだワインを高圧で押し出したのである。

 

「人間の分際で、俺と対等に話すだと? 笑わせる。……まあ、ワインに波紋を伝わらせるという工夫は褒めてやらんでもない」

 

 波紋カッターで傷を負ったディオの腕や肩から、蒸気が出ていた。ダメージは負っているが、微々たるものである。

 

(ディオに触れないように戦わなければ……)

 

 ジョナサンは、凍った右腕をかばいながら、ディオと一定の距離を保てるように一歩後退した。闘いのヒントは、今ツェペリが示した。直接触れるのではなく、ワインのように「何か」を介して波紋を流すのだ。波紋を流せるもの、それは生物、液体、そして金属。

 

「かかって来いよ、ジョジョォ! 右腕凍らせられてしょげかえってるのか? なあ!」

 

 突き進んでくるディオに、ジョナサンは近くにあった薔薇を掴み取り、波紋を込めて投げつける。が、ディオが腕でガードすると、すべて凍って床へ落ちてしまう。

 

「フン! 時間稼ぎのつもりか? さっきは不意を突かれたが、来ると分かっていれば何ともない……さあ、もう下がれないぞ」

 

 ジョナサンのすぐ後ろには、スピードワゴンがいた。そのすぐ後ろでは、美鈴とタルカスが戦っている。

 

「……ジョースターさん、俺は闘いじゃ役に立てねえが、右腕を溶かす方法がある!」

「奇遇だな。僕は君を闘いに活かす方法を思いついた」

 

 スピードワゴンは、自分の胸に凍ったジョナサンの腕を押し付けた。体温に触れたジョナサンの腕は、急速に解凍されていく。

 

「なるほど? しかしその間、どうしてこのディオが腕が溶けるまで待つと思うんだ?」

 

 ディオはすでに、二人の鼻先まで迫っていた。

 

「今だ、撃て!」

 

 銃声。6発の弾丸がディオの脇腹に命中した。しかし、ディオの動きは止まらない。銃弾は命中していたが、触れた瞬間に凍ったのか、貫通せずディオの体表に残っている。

 

「無駄無駄無駄! 学ばないな……警官隊から学ばなかったのか? 俺には銃なんか……」

「もちろん、分かってる。だが、銃弾は金属だ。金属なら、触れれば波紋が通るんだ。たとえ凍っていても」

 

 ジョナサンの左拳が、ディオの脇腹―正確には、そこに残っていた傷口に叩き込まれた。

 

「しまった!……とでも言えばよかったか?」

 

 ディオはにやりと笑った。ジョナサンの左腕は凍っていた。

 

「銃弾越しでも、触れていれば凍らせることはできる。どうだ、手も足もでないだろう?」

「……スピードワゴン、離れろ。君まで凍る!」

 

 ぱきぱき、という音がしたかと思うと、ジョナサンの足にも氷がまとわりついていた。

 

詰み(チェックメイト)だ! 止めを刺してやるッ」

「……詰み? それなら、私と交代(キャスリング)するのはどうかしら?」

 

 ディオとジョナサンは声がしたベランダの方を見た。声の主―レミリアは翼を折りたたみ、音もなく着地する。

 

「いつも貴方がからむと遅刻するわね、ディオ」

「……いや、むしろ歓迎するための準備に時間がかかったからな。ちょうどいい」

 

 流石に背を向けたままというのはまずいと思ったのか、ディオはレミリアの方を向いた。

 

「もう夜も遅いし、早めに片づけるわ」

 

 レミリアが槍を構えるのを見て、ジョナサンは気がついた。彼女はディオの気化冷凍法を知らない。いくら吸血鬼でも、身体を凍結させられれば身動きが取れなくなる。

 

「気をつけろ! ディオに触れたら一瞬で凍るぞッ!」

「なるほど、確かに厄介ね」

 

 ディオの攻撃をバックステップで回避すると、レミリアはカウンターを叩きこんだ。しかし、槍はディオの腕を少しえぐるだけで止まってしまう。

 

「だから、俺には触れられないと言っていただろうが」

 

 引きぬいた槍の先端が凍てついていた。もし数秒判断が遅れていたら、レミリアの腕も同じように氷結していただろう。

 

「そして、お前の翼は室内じゃあ活かせない……さっき、交代(キャスリング)なんて言ってたが、それは違うな。お前は詰まされにきた、ただのマヌケということだ」

 

 レミリアはきょとんとしていたが、やがて口を押えて笑い始めた。

 

「貴方、この気化冷凍法以外にも切るカードは持っているでしょう?」

「……だったらなんだ?」

「どうして、私の持っている力が翼だけだと勘違いしているのかしら」

 

 

 

 

 

(やりづらいですね)

 

 タルカスの地を割るような一撃を紙一重で避けながら、美鈴はそう思った。室内ということもあり、避ける方向が限られるのである。あの攻撃を受け止めることなどできるわけもないので、スペースが無くなれば即、死が待っている。

 

「お前を殺したら、その目はもらうぞ」

「死人が死人を弄ぶのですか……ぞっとしない話ですね」

 

 美鈴はタルカスの死角に入った。この狭い空間でかわし続けることができるのは前の戦闘でタルカスの片目を潰したことに拠るところが大きい。しかし相手も歴戦の猛者らしく、死角へ回ろうとする相手の動きを読んで引くので、決定打を放つには至らない。

 

「ちょこまかと逃げおって!」

 

 激昂したタルカスが剣を振りかぶる。縦に振り下ろしてくる―横に回避しようと身を沈めたとき、美鈴の脚ががくりと沈んだ。

 

「これは……血糊ですか」

 

 敵味方入り乱れる激しい戦闘ゆえ、誰のものかはわからない。しかしその一瞬が命取りになった。タルカスの一撃が、美鈴の左腕を切り飛ばしたのである。

 

「……ッ!」

 

 美鈴は波紋で痛みを和らげながら、歯を食いしばった。

 

「ハハハ、次は首だ……」

 

 タルカスはそう言って剣を持ち上げようとする。が、その腕は動かなかった。

 

「……?」

 

 タルカスの腕に水膨れのようなものができたかと思うと、一気に蒸発を始めた。

 

「まさかッ! これは……」

「私の勝ちです。あなたの剣を伝って波紋を流し込みました。……私の腕は飛ばされちゃいましたが」

 

 波紋はタルカスの全身を巡り、ゾンビとしての機能を崩壊させ始めた。その顔は憤怒の色に染まり、美鈴をにらみつける。

 

「こうなったら、せめて貴様を―」

 

 どん。

 

 鈍い音がした。見ると、タルカスの胸から一本の剣が飛び出していた。

 

「こ、この剣は……裏切ったなブラフォード!」

 

 レミリアと一緒に落ちたはずのブラフォードが、剣でタルカスを貫いていた。

 

「裏切ったのではない。お前のこの世での務めが終わったことを伝えに来たのだ、タルカス!」

 

 ブラフォードの腕に亀裂が走った。美鈴の波紋が流れ込んでいるのだろう。それでも、長髪の黒騎士は剣を放さなかった。

 

「GYAAAAAAA!」

 

 断末魔とともに、タルカスは塵すら残さず消滅した。ブラフォードは剣を下ろし、美鈴に一礼した。

 

「わが友が貴女にした非礼、代わって詫びよう」

「は……はあ。あなたの主はディオでしょ。仲間を殺していいんですか?」

「今の主は、レミリア・スカーレット様。貴女と同じだ」

「な、なるほど……?」

 

 さらにブラフォードの後ろから、3人の見知らぬ男が現れた。真ん中にいる老人がリーダーらしい。

 

「君がお嬢さんの部下、紅美鈴かね?」

「はい。あなたは?」

「わしはツェペリの師、トンペティだ。ダイアー、ストレイツォ、ツェペリと代わってやれ!」

 

 トンペティがそう言うと、傍にいた二人はツェペリと闘っていたゾンビたちに飛びかかった。

 

「ツェペリさん! あんたは少し休んでろッ!」

「ああ……すまない、ダイアー」

 

 ツェペリは下がると、トンペティに深々と頭を下げた。

 

「はるかチベットの山奥から……よく来てくれました」

「お礼はスカーレット嬢に言うといい。彼女のおかげでこの場所がすぐに分かった」

「そうですか……」

「それと、お前の死期が変わっているのも彼女のせいだろう。私が以前告げた、お前がたどるであろう運命はすでに変えられている」

 

 それを聞いたツェペリは、目を丸くした。

 

「どういうことですか?」

「お前もよく知っているはずだ。石仮面と波紋の力の性質は似ている。生と死、破壊と癒し、呪縛と解放、波紋は生の側、石仮面は死の側にあると言っていいが。……それなら、わしがお前の死期を読んだのと同様に、未来を知る方法を彼女は知っているはずだ。すなわち、スカーレット嬢の本当の力は」

 

 

『運命を操る能力』

 

 

「……それが私の力。普段は大まかなことしかわからないけど、フルパワーなら、戦いでも使えるレベルには正確になるわ。消耗が激しいから滅多に使わないけどね」

 

(運命を操る……?)

 

 敵の力の正体がよくわからないが、少なくとも相手は『それで勝てる』と見込んでいるのである。警戒するに越したことはない―ディオは油断なく構えた。

 

「わからない? まあいいわ。どちらにせよ、貴方が消されるという運命に変わりはない」

 

 レミリアは、一気に間合いを詰めてきた。

 

「お得意の気化冷凍法だって、結局あなたが意識しなければ凍らせることはできないんでしょう? だったら、意識が追い付く前に、身体をえぐればいい」

 

 槍がディオの右腿をあっさりと貫いた。しかし、この距離なら絶対に「これ」はかわせまい。ディオの瞳孔がぱっくりと4つに割れ、圧縮された体液を射出した。

 

「それも読み通りね」

 

 レミリアが身を沈めると、致死の弾丸は空を穿ち後方へと飛び去る。そして、立ち上がりざま、槍でディオを斬り上げる。

 

 鮮血が散った。今回も気化冷凍法によるガードは効かない。ここでようやく、ディオはレミリアの能力について理解した。

 

(やつが読んでいるのは、俺の動きかッ! いや、動作だけではない。俺の精神の動き、周辺の情報、全てをひっくるめた未来を読んでいる……そういうことか)

 

 つまり、レミリアはディオのどの部分に触れれば凍らないか、どう攻撃してくるかをすべて予知して戦っているのである。行動を読まれる以上、彼女の前ではいかなる攻撃も防御も意味を失う。無敵の能力である。

 

「だが、それだけの計算をするなら脳に相当の負荷がかかるし、何よりエネルギーの消費が激しいはずだ。全開で戦闘できるのは数分といったところだろう」

「……当たりよ。でも、貴方がそれまでもつかしらね」

 

 言い終わるや否や、レミリアの猛攻が始まった。冷凍する間もなく槍がディオの全身を穴だらけにし、腕で防御しようとしてもガードごと弾き飛ばされる。手下のゾンビが背後からレミリアに襲い掛かろうとしても、振り向きすらせずその頭蓋を砕かれた。

 

(これは……ジョースター邸の時よりも凄まじいッ)

 

 とはいえ、頭部だけは絶え間なく冷凍法でガードしているためレミリアもディオを一撃で葬ることはできない。レミリアが力尽きるのが先か、ディオを削り切るのが先か。人間を軽く超越した戦闘は、ディオにとって無限のように感じられた。

 

 そしてついに、そのときは訪れた。

 

 深いため息が、レミリアの喉から漏れた。爛々としていた眼には陰りがあり、疲労の色が見える。ディオは身体のほとんどがずたずたになっていたものの、まだ立っていた。

 

「耐えた……俺は耐えきった」

 

 レミリアは押し黙ったまま、攻撃を仕掛けてこない。今の攻めでほとんどエネルギーは残っていないのだろう。

 

「時間切れだな。お前さえ殺せば……あとは簡単だ」

 

 ディオが近づいても、レミリアは何もしなかった。彼女の持つ槍を掴むと、レミリアの腕も凍り始める。

 

「……そうね。時間切れよ、ディオ。貴方の負け」

「なに?」

 

 背後に何者かが立つ気配がした。ジョナサンだった。おそらく、レミリアと戦っている間に氷を溶かしたのだろう。手袋に火をつけたらしく、その拳は炎に包まれている。ディオは、それが何を意味するのかを察した。

 

「まさか……やめろジョナサン!」

「ディオ、これで終わりにしよう」

 

 ジョナサンの拳がうなりを上げ、ディオの背中をえぐった。冷凍法による防御は間に合わず、吸血鬼にとっての猛毒―波紋が体内で弾けた。

 

「GUAAHHHH! 馬鹿なッ! こんなことがッ!」

 

 ディオはよろめき、テラスに出た。波紋が全身を駆け巡り、吸血鬼としての組織を破壊していく。

 

「さようなら、ディオ」

 

 遠くからレミリアの声が聞こえた。そして、バランスを崩したディオの身体は、手すりを越え、崖下へ落ちていく。

 

「馬鹿な……このディオが死ぬ……死ぬのか」

 

 意識が薄れる。間隔が遠のく。何も見えなくなる。静寂がやってくる―

 

 

 

 

 

 

 

『ウインドナイツロットの謎

 

 12月1日、一夜にして90人が行方不明となった。原因も不明。警察の捜査によると、靴屋ラドクリフ・リドナーが8名のよそ者がある屋敷から出ていくのを目撃した。

 

 彼らのうち一人は何やら奇妙な仮面を持ち出し、ハンマーで粉々に砕いたという。また、その屋敷の所有者であるノーレッジ婦人も行方不明になっており、屋敷から出てきた8人が今回の事件との繋がりがあると見て警察は目下捜査中である。    

                       ―ロンドン・プレスより抜粋―』

 

 

『ウェストミンスター寺院の怪

 12月2日の夜、寺院を巡回していた僧侶が2セットの鎧を発見した。有識者の鑑定によりチューダー朝時代の騎士、タルカスとブラフォードのものだと判明した。メアリー・スチュアートとともに眠りにつきたがっているのではないか?と院長は冗談めかして笑った。

                        ―オカルト・レヴュー1月号―』

 

 

『12月盗難届

 

 1,棺  2,硝子容器  3,腕時計  4,ドレス(済) 5,羊3頭  6,係留中の船  7……

 

                          ―ロンドン警察書類―』

 

 

『投資の天才スカーレット嬢

 

 レミリア・スカーレット。今や、株市場で彼女の名を知らない者はいない。わずか一月で3万ポンドを稼ぐという衝撃的な活躍を見せた彼女は、二月には投資から引き揚げ東方へと向かうという。

 

 彼女の保護者であるジョースター卿の命だという説、また東にチャンスを見つけたとする意見もあり、彼女の行動は多くの財界人から注目されている。

 

             ―フィナンシャル・タイムズ1月28日の記事より抜粋―』

 

 

 

 



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エピローグ

 

 

 

「うおっ、なんだあいつら」

 

 スピードワゴンとツェペリがジョースター邸へやって来ると、その門の前には人だかりができていた。どうやら新聞記者らしくしきりに何かを話し合っている。

 

「おそらくあのお嬢さん関係じゃろう」

「ああ、東の方へ旅行に出るんだってな。せっかく株で儲けたのに……飽きっぽいのかね、あの人は」

 

 二人は記者たちに見つからないよう、裏に回って壁を乗り越えた。すると、見知らぬ少女がごみを焼却炉に入れているところに出くわした。少女の髪と瞳の色は銀色で、肌はレミリアに劣らず白い。顔立ち的にスラブ系だろう。

 

「あなた方は誰ですか? 記者の方は外で待っているように言われているはずですが」

「わしはウィル・A・ツェペリ。こちらはスピードワゴン君だ。君は新米のメイドかね?」

 

 すると、少女は眼を見開いた。

 

「すみません、お嬢様からはあなた方が来たらお通しするよう言われています。表の玄関から入ると記者がうるさいでしょうから、こちらへどうぞ」

 

 少女に案内され、二人は勝手口から中へ入った。そしてレミリアのいる部屋にツェペリたちを連れていくと、少女は一礼した。

 

「私はまだ仕事があるので失礼します。何かありましたらおっしゃってください」

「ああ」

 

 部屋に入ると、レミリアは机に向かって書類を作っていた。二人が入ってきたことに気づくとレミリアはペンを置き、大きく伸びをした。

 

「久しぶりね、二人とも。どう? 最近うまくいってる?」

「あんたほどじゃねーけどな。あやかりたいぜ」

「そんなに? でも投資もいろいろ手間がかかって面倒くさいのよね。今は取引を全部打ち切る書類を書いてるところよ」

「豪華客船にでも乗って旅行に出るんだろ? 羨ましいぜ」

 

 そう言うとレミリアは首を振った。

 

「いいえ、妹を探しにいくの」

「妹……そういえば、ジョジョも言ってたな。嬢ちゃんに生き別れた妹がいるって」

「ええ。実は昔から探してたんだけど、最近ようやく見つけた。イスタンブールにいるらしいわ」

 

 イスタンブール。イギリスから遠く離れ、ヨーロッパとアジアの境にある都市である。

 

「そうか。じゃあジョースターさんとは全く逆の方に行くんだな」

「ジョナサンの新婚旅行(ハネムーン)を邪魔する心配がなくてよかったわ」

 

 ディオと組んですさまじい実験を行っていたパチュリー・ノーレッジは、ディオとの戦いの後ジョースター邸へと運び込まれた。彼女を警察に突き出すとなると石仮面について説明する必要が出てくるうえに、そもそも警察で彼女を管理するのは不可能だと思われたからである。

 

「私がいなくなったらアレは何をするかわからないから。あと連れていくのは、美鈴とイザヨイくらいかしら」

「イザヨイ?」

「会わなかった? 銀髪の子よ。私が新しく雇ったのだけれど」

「ああ、あの子か。ずいぶん妙な名前だな」

 

 レミリアはうなずいた。

 

「極東にある国の言葉らしいわ。ファミリーネームは美鈴が思いついたの。名前はこれから決めようとしてて……カエデ、イスズ、サクヤ……悩ましいわ。あの子の子孫に順番につけていくのもアリかしらね」

「ちょっと待て。その子には名前はなかったのか」

「父親の切り裂きジャックからは、『お前』って言われてたらしいわ。でも、『お前』じゃあんまりでしょう?」

「切り裂きジャックの娘ェ?」

 

 スピードワゴンは素っ頓狂な声をあげた。あの殺人鬼に娘がいたのか。

 

「言っとくけど、あの子はいい子よ。いじめたら私が……っていうより美鈴がキレるわ」

「んなことしねーよ……それよりジョースターさんは?」

「ジョナサンはエリナと朝から街に出かけているわ。明後日の旅行に必要なものを揃えるとかで。たぶんそろそろ帰ってくると思うわよ」

 

 

 

 ウインドナイツロットから戻ってからが大変だった。ジョナサンの父はレミリアが生きていたことを知らなかったので、その姿を見てまず驚き、そして泣きながら抱きしめた。レミリアが赤面したのを見たのはあれが初めてだった。

 

 そして次の日の夜、ブラフォードが生前(?)に遺した言葉に従い、二人の黒騎士の鎧をメアリー・スチュアートの眠る寺院へ持っていった。彼とは話してみたいことが多くあったが、本人はゾンビとしての仮初めの生、そしてメアリーのいないこの世にいることを望まなかった。

 

 それからはエリナとの結婚準備や身の回りの雑務をこなす日々が続いた。そんな中、わずか2ヵ月前に起こったあの悪夢のような闘いは、遠い昔の出来事のように感じられるようになっていた。

 

「じゃあ明日の結婚式にお邪魔するぜ、ジョースターさん」

「ありがとう。ツェペリさんも残りの石仮面の捜索を中断してまで来てくれるなんて……」

「なに、気にするな。これから会うことも少なくなるだろうからな」

 

 ツェペリとスピードワゴンが屋敷を出たのは夜の9時だった。ジョナサンが二人を見送って自分の部屋に入ると、ノックの音がした。

 

「ジョナサン、いる?」

 

 レミリアの声。ジョナサンはドアを開けた。

 

「どうしたんだい?」

「貴方の旅行について言っておきたいことがあるの」

 

 レミリアは椅子に座り、話し始めた。

 

「貴方の旅の途中、よからぬことが起きるわ。下手をすると、命が危ない」

「なんだって?」

 

 レミリアの予言は当たるのだ。ここ数か月、彼女が株であげた巨額の利益がそれを裏付けている。ジョナサンは陰鬱な気分になった。

 

「まあ、細かいことは分からないけれど、私がついていくわけにはいかない。私は妹……フランドールを捜すために東へ行きたいの」

「わかってる。君にとっては大切な家族なんだろう。僕はもう十分助けてもらった。今度は君の妹の番さ」

「そう言ってくれると思ってた。……でも、できる限りのアドバイスはしておくわ。とにかく大切な人から離れないこと。そして、怪しい者を見かけたらすぐにその船から脱出すること。間違っても絶対に追っちゃ駄目。そんなことしたら、エリナかあなたのどちらかが確実に死ぬわ」

 

 それくらいかしらね、とレミリアは言った。

 

「ああ、わかった。……ところで君はいつ出発するんだい」

「貴方の結婚式が終わったらすぐ」

「明日じゃないか。というか皆に知らせてないみたいだし……見送りに行くよ」

「結婚式に新郎が新婦を放っておくなんてふざけてるの? いらないわ。それに、道連れは多いもの。寂しくなんかないわ」

 

 ジョナサンはレミリアの旅に随伴する面々を思い浮かべ、ふっと笑った。

 

「確かにね。退屈もしなさそうだ。……妹を見つけたらここに戻ってくるかい?」

「そのまま東に行ってみようと思ってるわ。美鈴が案内してくれるらしいの」

「お父さんが寂しがるし。たまには帰ってきてよ」

「……考えておくわ。寄り道が多くなりそうだから、何十年後になるかはわからないけどね」

 

 マイペースなレミリアらしい。果たしてジョナサンが生きている間にロンドンへ戻ってくるのだろうか? そう思ったが、ジョナサンは何も言わなかった。

 

「じゃあ、私はそろそろ戻るから。貴方も明日の結婚式に寝坊したらまずいでしょう? 早めに寝たほうがいいわ」

「そうだね。おやすみ、レミリア」

「おやすみ、ジョナサン」

 

 そう言うと、レミリアは部屋を出ていった。自室を支配し始めた静寂に少しの寂しさを覚えながら、ジョナサンは明かりを消した。

 

 

 

 

 

 イスタンブールへ向かう船の上。レミリアは甲板の手すりにもたれ、空にいるカモメの数を数えていた。傍にいる美鈴はレミリアに日傘を差してやりながら、ジョナサンとエリナの写った写真を眺めていた。

 

「いやあ、結婚式、二人とも幸せそうで良かったですね」

「そうね」

「お嬢様、どうしたんです? 淡白すぎません?」

「別に。ちょっと心配してるだけ。ところで美鈴、イスズは?」

「ノーレッジを連れてくるそうです。船酔いでグロッキーらしくて。風に当たれば治るんじゃないかって」

「放っておけばいいのに。どうせ慣れるわよ」

「慣れますかねえ。ていうか、何で皆さんに船出が今日って言わなかったんですか? 誰も見送ってくれなかったじゃないですか」

「………ここから離れたくなくなるから、かしらね」

 

 そういうもんですかね、と言いながら美鈴は港の方を未練がましく眺めていたが、少しして目を凝らし始めた。

 

「ん? あれってジョースターさんじゃありませんか? もう一人はよくわかりませんが……」

 

 美鈴が指した方を見ると、確かに人影が2つ見えた。

 

「エリナと二人で来たのかしら」

 

 吸血鬼の視力をもってしても顔を見分けることはできなかったが、あの二人だということは直感的にわかる。レミリアは、二人の未来に見えた影を思い出してうつむいた。

 

「美鈴、私はあの2人の運命を変えられたと思う?」

 

 美鈴は首を傾げた。

 

「さあ。私にわかることは、これまでお嬢様が肩入れしてきた人の運命が悪い方には行ったことがないってことだけですね」

 

 それを聞いたレミリアは、ふっと笑った。

 

「そう……ならよかったわ」

 

 すでにロンドンは水平線の向こうへと消えていた。東へ向かう風が、レミリアの髪をはためかせた。

 

 

 

 

 




最後まで読んでくださりありがとうございました。



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