テイオー「大人の魅力ってなぁに?」マックイーン「ためらわないことですわ」 (タク@DMP)
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テイオー「大人の余裕って?」

 トウカイテイオーは激怒した。

 必ず、かの鈍感浮気トレーナーを振り向かせねばならぬと決意した。

 テイオーは恋愛がわからぬ。テイオーは無敵の三冠ウマ娘である。

 しかし、恋のダービーには無知蒙昧であった。

 

「──ひっどいよね!? ボクのトレーナーったらさぁ、このボクがちょーっとだけオシャレに気を遣って新しいリップ付けたのにさあ、ぜーんぜん気付いてくれないんだよ!」

 

(何しに来たのかしら、この御方は……)

 

 注釈。

 相席しているマックイーンはレース前の為、減量中である。

 その目の前で大量のケーキを頬張るテイオーの姿を見せつけられているため、そのストレスは察するに余りあるものであった。

 

「おまけに、桐生院トレーナーや、たづなさんと二人っきりでどこかに出かけたりしてるんだよ!? ボクというウマ娘が居ながらさあ!」

「貴女のトレーナーも年頃でしょう? あの方も貴女にいつまでも構いっきりだと婚期を逃しましてよ」

「地味に嫌なこと言わないでよ!」

 

 ばくばくばく。

 ストレスのままにテイオーは目の前のケーキを平らげていく。

 ……減量中のマックイーンの前で見せつけるように。

 

「……好敵手のよしみで忠告しますわ。そんなにスイーツを食べていたら太りますわよ?」

「えー? ボク、太らない体質だからさぁ、関係ないかなーって」

「……言葉が足りなかったようですわね。幾ら万年寸胴体の貴女と言えど、おブタになりますわよ」

「ならないもーん。それにオグリやスペちゃんは太ってもすぐ痩せてたしー」

 

(アレは一部の例外ですの!! むぐぐぐ、人が減量中で珈琲しか飲めない時に……!)

 

「あー、ケーキ美味しいなあー、こんなに美味しいのに食べられないなんて、マックイーンも勿体ないよねえ、うんうん」

 

(こ、こんの──コホン、いえいえ私は由緒正しきメジロ家の令嬢……耐えて、耐えるのよマックイーン……!)

 

 再三注釈。

 マックイーンは減量三週間目で、普段にも増して大分キていることを念頭に置くべし。

 その上で──幾ら由緒正しきメジロのお嬢様と言えど、今回ばかりはグーが出そうだった。

 しかし、お嬢様としての最後の矜持が彼女にはそうさせなかった。

 例え幾らウザ絡みして来ようと、連戦連勝で調子に乗っていようと、目の前の相手は替えの利かない親友であることには違いないのだから。

 最も、同じくほぼ毎日──いや毎時間の頻度で自分をおちょくりに来る某黄金船相手には何時もプロレス技か眼球への攻撃で返り討ちにするのがマックイーンの日課であったが。

 

「コホン、そもそもウマ娘とトレーナーは恋愛禁止ですわ。不純でしてよ」

「マックイーンだって人の事言えないじゃん」

「私と、私のトレーナーは清い絆で結ばれた間柄ですわ!」

 

 「とか言って、こないだ商店街の福引で当たった温泉旅行に一緒に行ってたじゃん」とはテイオーは敢えて口にはしなかった。多くのウマ娘が居るこの場で爆弾を投下するほどテイオーは空気が読めないわけではなかった。

 ウマ娘とトレーナーは一心同体とは言うが、マックイーンのペアのように公私べったりで距離感がバグっている例もあるにはあるのである。

 尤も、隙さえあればテイオーもトレーナーの部屋に入り浸っているのであるが。

 

「大体、貴女はトレーナーの相手役を努めるには聊か子供っぽすぎるのではなくて?」

「うー……オトナの魅力が足りないってこと? でも”ずんどー”なのはマックイーンも大して変わらないじゃん」

「私のはスレンダーと言いますの! 身長差を見てから言って下さる!?」

 

 マックイーンが言いたいのは、テイオーの幼さが残る性格についてだった。

 最も、彼女の無邪気なところに惹かれる人やウマ娘が多いのも事実ではあるのだが、彼女のトレーナーは20代前半である。

 とてもではないが、見た目も中身も中学生並みのテイオーなど異性としてはアウト・オブ・眼中なのではないか、とマックイーンはテイオーにぶつけた。

 

「──今の貴女はさながら恋に恋する乙女。トレーナーのことが好きなのではなく、トレーナーと恋愛している気分になっている自分が好きなのではなくって?」

「むかーっ! ひどいよマックイーン! ボクは本気なんだよ!?」

「何処まで本気やら、ですわね。レースも恋愛も妥協が命取りでしてよ?」

「じゃあ、どうしたら良いの! オトナの魅力って何なのさ!」

 

(クッ、この……子供っぽいくせに、毎回痛い所で食い下がるんですのね……大人っぽさ……大人っぽさ……)

 

「それはもう……大人の()()ですわ」

「ヨユー?」

「ええ。例えば生徒会長なんて、どうでしょう」

「ッ……カイチョー……はっ!」

 

 マックイーンは、生徒会長もとい、テイオーの憧れの相手であるシンボリルドルフを例に挙げる。

 皇帝の異名を持つルドルフは、何があっても動じることがない。常に平静で穏やかであり、生徒からは慕われている。

 ……たまに挟むしょうもないダジャレで、副会長・エアグルーヴのやる気が下がっていることもセットで語り草であるが。

 

「確かに! カイチョーは、いつもどんな時も落ち着いてて、ヨユーって感じだ!」

「でしょう? トレーナーが他の女の人と出かけているくらいで一喜一憂しているくらいでは、大人の余裕とは程遠いというものですわ」

「じゃあボク、早速カイチョーに大人のヨユーってやつをどうやったら身に着けられるのか聞いてくるよ! ありがと、マックイーンっ!」

 

 そう言って、彼女は食堂を飛び出していく。

 ……なんとも慌ただしい少女だ。

 

「全く……世話が焼けますのね」

 

(殆ど口から出まかせのテキトーでしたけど、まあ何とかなるでしょう……テイオーですし)

 

 殿方を夢中にさせる大人の魅力など、マックイーンが聞きたいくらいであった。

 しかし、本人が納得しているようだし、まあ大丈夫だろう──と彼女は踏んでいた。

 

(さあて、ゴールドシップが来る前にそろそろ私もお暇しないと──)

 

「そうだなー、世話が焼けるよなー、マックイーンもこないだトレーナーが出張に行ってた時、一週間くらい大荒れしていたもんな、帰ってくるなりトレーナーに抱き着いてたもんなー」

「……」

「そういうわけでマックイーン、ついてきな! 今日はタイタニック号の上で大人の魅力が何たるかをマックイーンに教えてやろうじゃねえか!」

「……何で」

「……ん?」

 

 最早、突っ込みは放棄したマックイーンだった。

 テーブルの下からぬっと顔を出したのは──説明不要・ゴルシであった。

 恥ずかしさと減量のストレスが合わさり、顔を真っ赤にしたマックイーンは備え付けのマスタードのチューブを手に取って、

 

 

 

「──何で貴女が()()を知っていますのッッッ!!」

「ちょっ──目にマスタードは、らめええええええええええええええええええええええ!!」

 

 

 

 今日もゴルシ折檻のデイリーミッションを完遂したのだった。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「──トレーナー。今日も良い天気だね。青天霹靂? とはこの事を言うのだろう」

 

 ※言いません。

 

「……どしたん?」

「さあ、今日のトレーニングメニューを教えてくれるかい? 一日千秋の思いでボク──じゃなかった私は待ちわびたよ」

「……いや、マジでどしたん?」

 

 頭でも打ったか、タキオン製薬の新作でも飲んだのかは分からない。

 今日のトウカイテイオーは……何処からどう見てもおかしい、とテイオーの担当トレーナーは頭を抱える。

 ジャージ姿で優雅にベンチの上に座り、何処から持ち出したのか珈琲カップでコーヒーを飲んでいる。

 見ると、すぐそばに自販機があった。コーヒーはあそこから調達したのだろう。

 

(成程成程、おかしな薬を飲んだわけじゃなければ……一丁前にシンボリルドルフの真似をしてってわけだな。……本当に可愛いヤツだな)

 

「ふっ、狼狽えることはないよトレーナー。ウマ娘の成長は日進月歩? だからね……昨日までのボク──じゃなくて私とは違うんだ。さあ、トレーニングを始めようじゃないか」

「くっくっくっ、そうかそうか、日進月歩か、それなら仕方ないな」

「……何を笑っているんだい?」

「いや、違う。おかしいって訳じゃなくってだな? 取り合えずタキオンの薬を飲んだとかそういうのじゃないんだよな? 安心したよテイオー」

「……酷いな! ボク──じゃなかった私は本気だよ。今日から私は大人の余裕というものを以ていついかなる時も過ごすことに決めたんだ」

「今日からかよ」

「この通り、カイチョーと同じ珈琲だって飲んでみせ──ずびびびごくごくごく……ブーッッッ!!」

「ぎゃぁぁぁぁっ目がああああああああ!?」

「ぴゃーッ、トレーナーァァァーッ!?」

 

 ああ哀れ、トレーナーの顔面に吹き付けられる熱々のブラックコーヒー。

 結局、レース・私生活共に、背伸びをしたところで皇帝・シンボリルドルフに追いつけるわけがなかったのである。

 半泣きで保健室にトレーナーを背負って運び込んだ後、たづなさんからしこたま怒られたテイオーであった。

 

 

 

「トレーナー、ごめんなさぁい……」

「あははは……こういう時もあるさ……」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「──というわけで、笑われた挙句、怒られて酷い目に遭ったよぅ! もぐもぐ……」

「貴女は生徒会長から何を学んだんですの? 誰も幸せになっていなくて芝が生えましてよ?」

 

 

 ──減量4週間目に突入し、いよいよ修羅の如き形相に相成って来たマックイーン。

 未だに食堂で自分の眼の前でスイーツを貪るガキンチョテイオーを睨みつけ、そして溜息を吐く。

 決してテイオーは座学が不得意なタイプではない。アホっぽいがバカではない、むしろ真逆の天才タイプである。

 そんな彼女であっても……恋のダービーを制するのは難しいようであった。

 

「やれやれ、無敵の帝王も恋のダービーはダメダメでしたのね。このマックイーン、ライバルとして呆れを通り越して情けなさすら込み上げてきますわ」

「うう……ボクじゃ、カイチョーみたいになれないのかな……」

「どうして身の丈に合わないやり方をしますの。ゴールドシップがエアグルーヴ先輩みたいになれるわけがないのと同じですわ」

「ぴぇ……」

 

 しゅん、とテイオーの耳がしおれる。

 

「だってぇ……トレーナーが他の人に取られるの……ヤだもん……」

 

 元より甘えん坊で独占欲が強いテイオーにとっては、それが我慢ならないのだろう。

 どうしよう、このまま手を貸し続けるのが最善だろうか、とマックイーンは考える。

 

(まあ、弱っている彼女も珍しいですし……レースに差支えが出たら、ライバルとして迷惑ですもの、仕方ありません。ノブレス・オブリージュ……此処は恋愛強者たる私が直々にテイオーにレクチャーしましょう)

 

 尚、人のことは言えないマックちゃんであるが、それはさておき。

 

「では、参考にする相手を変えれば良いのです」

「え?」

「無理に気持ちを押し隠したり、言葉遣いを変えようとするからボロが出るのですわ」

「成程……マックイーンと野球みたいにね!」

「ハッ叩きますわよ」

「あははごめんごめん」

「トレーナーを離したくないのなら……そうすれば良いのです。……スーパークリークさんなんて、その最たるですわ」

「ッ……!」

 

 ──スーパークリーク。

 彼女はまさに母性の権化、言うなれば母性のブラックホール。

 彼女を担当したトレーナーは、彼女の甘やかしによって二度と抜け出せない領域に持っていかれたらしい。

 いや、トレーナーだけではない。

 彼女の母性は全範囲に及ぶ。例えそれがウマ娘相手であっても。

 

「要はトレーナーを貴女から離れられなくすれば良いのでしょう? それならズブズブの甘々にしてしまえば良いのです!」

 

(それで本当に良いかは……やってみないと分かりませんわ! どーせテイオーのトレーナー、ニブチンの唐変木ですもの!)

 

「そ、それって大丈夫なのかな……!? ボクの目指す、カッコよさとは違う気が……」

「ふっ、殿方は殿方の前でしか見せないギャップに心をやられるもの! トレーナーの前でだけ、そう振る舞えば問題無しのモーマンタイですわ!」

 

(──って、感じにレディース雑誌に書いてたような書いてなかったような気がしますわ! ……まあ、モーマンタイですわね!!)

 

 一ヵ月前の雑誌の内容など、マックイーンの知った事ではない。

 彼女の思考は既に一ヵ月近くに渡る糖分不足でエクストリームの領域に至りつつあった。伊達にゴルシにいつも絡まれているわけではないのである。……本人からすれば誠に遺憾であるだろうが、これが現実である。

 幾ら好敵手で親友と言えど、聞く相手を間違えたテイオーのそもそものプレミである。

 

「分かったよ、マックイーン……ボク、トレーナーをズブズブにしてみせる! 早速スーパークリークのところに行ってくるよ!」

「ええ」

 

 勢いよく、テイオーステップで走り去っていくテイオー。

 大丈夫だろうか。勢いでとんでもないことを言ったんじゃなかろうか、とマックイーンは後から若干反省する。

 

「まあでも……テイオーは私の認めたライバルですもの」

「ねーえマックイーン、このゴルシちゃんがズブズブに甘やかしてやろうかぁ~? ホレ!! ゴルシちゃんの腕の中に、ハイ飛び込んでッ!!」

「……」

「あ、そうだ! 今度、「マックちゃんの寝言ASMR」ってCDを勝手に出すんだよ……でもマックイーンの寝言がデカすぎて、ASMR? じゃなくて野球の応援歌で売り出した方が良いんじゃないかって天才ゴルシちゃんは気付いちゃったワケ」

「……」

「……ところでマックイーン、ASMRって何か知ってる? 勿論あたしは知らないぜッ☆」

 

 天井裏からぶら下がって来たゴルシの首を掴み、そのまま引きずりおろして──マックイーンのウルトラネックブリーカーが炸裂する。

 

 

 

「今すぐ消しなさい、こんのオバカァァァァーッ!!」

「ぎゃあああああああああ、ナイスワザマエエエエエエエエエエエッ!!」

「すごーい! マックイーン先輩の生のプロレス技よ!」

「あれが……メジロ家の技なのね!」

 

 

 

▼マックイーンのパワーが5上昇した! マックイーンのファンが増えた!

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「ねーねートレーナー、ちょっといーい?」

「んあー? 何だテイオー」

 

 カタカタとデスクワークするトレーナー。

 彼の部屋に、テイオーが入りびたるのは珍しいことではなかった。

 しかし、今日の彼女は──いつもと少し様子が違っていた。

 

「……いーこ、いーこ……」

「な、なんだテイオー、いきなり!?」

「ぴゃぁ、動かないで! ……頑張ってるトレーナーを、今日はボクが甘やかすんだもん」

「でも俺今仕事中──」

「あーまーやーかーすーのーっ! トレーナーは大人しくしててよう! ……仕事してて、いいからさぁ」

 

 なでなで、と頭を撫でまわすテイオー。

 誰から吹き込まれたのだろう──と考えて、トレーナーはスーパークリークの顔が浮かぶ。

 それにしても一体どうして、こんなことを思いついたのだろう、とトレーナーは考える。

 考えているうちに──彼女は続けた。

 

「今日は、このテイオー様がトレーナーのことを褒めてあげるぞよ!」

「褒めるって……」

「えーと……トレーナーは、いつもボクのことを第一に考えた練習メニューを作ってくれて」

「そりゃあ、お前は俺の担当ウマ娘だからな。お前を勝たせてやりたいのは当然のことだ」

「それにとっても美味しい料理も作ってくれるしー、トレーナーは優しいし、ボクの事を怒らないし!」

「はははは、そうかあ?」

 

(他のトレーナーからは甘いってよく言われるんだよな……)

 

 そこは教育方針の違いという奴である。

 事実、彼女は今の接し方で結果を出せている。

 

「でもボクが、無茶しかけた時は……本気で止めてくれるよね」

「……そりゃあ、そうさ。それがトレーナーの仕事だからな」

「うん……うん。ボク……トレーナーに、たくさんたくさん色んなことを教わったよ。レースもたくさん勝たせてもらったし……故障もせず、無敵の三冠バになれたのはトレーナーが居たからだよ」

 

 それは──以前の彼女ならば、口にしなかったであろう言葉だった。

 自らの実力に絶対的な自信を持って増長し、シンボリルドルフにただ憧れていただけの少女はそこには居なかった。

 それは、テイオー自身も分かっていた。

 

「ボク、こんなに、トレーナーから色んなものを貰ったのに……まだ、欲しいと思ってる」

「……?」

「トレーナーに、遠くに行ってほしくない。この最初の3年間が終わった後のことを考えたら、トレーナーはボクじゃない誰かと結婚したりするのかな、って考えて」

「……!」

「たづなさんみたいな大人っぽい人や……桐生院トレーナーみたいな同じくらいの年の女の子と結婚したりするのかな、って……」

「……テイオー……」

「勿論、トレーナーが結婚して幸せになるのは……嬉しいよ? ボクも……それが、嬉しい。嬉しいけど……そんなことを考える度に、胸の奥が、すっごくイガイガするんだ」

 

 彼女の声は──泣きそうだった。

 何時の間にか、頭をなでる手はずり落ち、トレーナーの大きな背中に両手を突いていた。

 それで、最近いきなりシンボリルドルフやスーパークリークの真似を始めたのか、とトレーナーは合点が行く。

 

「いけないよね……こんなの……いけないことだって分かってるのに……トレーナーはトレーナーで、ボクはウマ娘なのに……」

 

 ぽろり、ぽろり。

 

 抑えていたものを吐き出す度にシャツに雫が落ちていく。

 

 

 

「……こんなに、トレーナーにいっぱい貰ったのに……お返しも無しに、トレーナーにずっといてほしいだなんて……ワガママかな……」

「お返しなんて要らないよ」

 

 

 

 振り向き、ただ一言。

 トレーナーは言った。

 一瞬、テイオーの顔が強張り、そして凍り付いた。

 しかし──トレーナーの手が自らの頭に置かれる。

 それは、先の言葉が拒絶のそれではないことを示していた。

 

「なあ、テイオー。レースで勝つとかそれ以上に、お前が夢を追いかけ続けて元気で笑っていてくれる。それ以上のお返しがあるか? ん?」

「……ぴぇ」

「俺はトレーナーで、お前が此処の生徒のうちは……お前の気持ちには答えてやれない。だけど……俺は最初っから、お前の事しか見てなかったぞ?」

「で、でもっ! たづなさんや桐生院トレーナーと──」

「お前、今度誕生日だろ?」

「……ふぇ?」

「だから、誕生日プレゼントをずっと考えてたんだ。たづなさんや桐生院トレーナーには、相談に乗って貰ってたんだよ。色々プレゼント買えそうな店回ったりしてな。サプライズにしたかったから、内緒にしてたんだけどな」

 

 そう言って、トレーナーは2枚のチケットをテイオーに差し出す。

 

「これって……!?」

「色々考えたんだけどさ、思い出作りのために……これにした。温泉旅行のチケットだ」

「っ……どう、したの、これ……!」

「福引の特賞、当たらなくて残念がってただろ? だから、ちょっち奮発して用意した。テイオーが喜ぶかなって思ってさ」

「っ……トレー、ナー……!」

「お前が良ければだけど……一緒に行こう。構ってやれなかった間の埋め合わせみたいになっちまったけど……」

「行くっ! 行くよっ! 行くに決まってるじゃんかあっ!」

 

 泣き笑いながら、テイオーはトレーナーに飛びついた。

 今まで抑え込んでいた、とびきりの気持ちをぶつけながら──

 

 

 

「トレーナー! 大好きだよっ!」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「──時にエアグルーヴ」

 

 

 

 ──皇帝・シンボリルドルフは何時になく真剣な面持ちでエアグルーヴに問うた。

 

「ウマ娘であれば、自らが負ける想像など、敢えてするまい。レースであろうと、そうでなかろうと」

「はい会長。各々が頂点であるべき、という自負を持って勝負へ望むのですから当然のことです」

「そうだろう。しかし、それでもあえなく惨敗するときもあるかもしれない。レースに限らず勝負の世界に絶対はないからな。私とて例外ではない」

「そんな──会長に限って、有り得ません」

「──言っただろう? 私とて覚悟はしている。億が一のその時が来るかもしれないんだ。だが、挫折から立ち上がれるかどうかは……結局、周りの支えと当人の心持ち次第だ」

 

 彼女の視線は、生徒会室からグラウンドに向かう。

 そこには──今日も元気にポニーテールを揺らす溌剌とした少女の姿があった。

 ここ数日抱えていた悩みが全て晴れたかのような、華麗なステップだった。

 

「だから……もし、私に”その時”が来たら……こう思うことに決めているんだ」

 

 ふっ、と彼女は小さく笑みを漏らす。

 

 

 

「──負けても決して……ションボリルドルフしない、とね」

「……」

 

 

 

 ……この時、エアグルーブは悟った。

 この人は当分、不調とか挫折とは無縁ではあると。

 だが、それはそれ。これはこれ。

 

 

 

「……彼女は今日も快調のようだな。張り詰めた顔で生徒会室に来ていたのがウソのようだ。私も生徒会長として安心したよ」

 

 

 

 ▼エアグルーヴのやる気が下がった!

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「マックイーン、レースお疲れ様ですよ。文句なしの一位でしたね」

「……」

「あらら、こりゃ完全に魂が抜けてますね……だから減量以前に好きなものを我慢するのはやめろと言ったのですよ」

「……」

「マックイーン、野球観戦の後にスイーツバイキングでも行きませんか? その後、見たいと言っていた「ベースボールシャーク」の映画でも──」

「行きますわ!! どこへでも!!」

 

 トレーナーの一声ですぐさま黄泉帰ったマックイーンだった。



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マックイーン「実質うまぴょいでは?」

「マックイーン、この店ではヤサイマシマシニンニクアブラカラメって唱えるのがマナーだぞ」
「成程……ヤサイマシマシニンニクアブラカラメ、ですわね!」

▼コンディション獲得……「太り気味」


 テイオーの感情は顔ではなく耳に出やすい。

 ウマ娘は基本的に、トレーナー以外に弱みを見せる娘が少ないがテイオーはトレーナーにもなかなかそれを見せたがらない。

 しかし、耳は正直なのだった。

 

(……こりゃあトレーニングの途中に、人前で盛大に失敗したな……)

 

「ん? どうしたの、トレーナー。ボクの顔に何か付いてるのかな?」

 

 表情は何時も通りだが、耳はずっと垂れ気味。

 こんな時の彼女は、決まって内心ではフラストレーションかストレスが溜まっている時であることを、長年の経験からトレーナーは知っていた。

 仕方がないので、とびきり美味しいはちみつタピオカドリンクを奢ってやると、その日はずっと耳がピコピコと動いていた。どうやら機嫌を直したようだ。

 本人は気付いていないのがまた健気である。

 また、これはマヤノと一緒に3人でババ抜きをした時のことだが──

 

「……ふふん、どれを選ぶの?」

「……じゃあこっちで……」

 

 耳が垂れる。

 

「……じゃあこっちで……」

 

 耳がパタパタ。

 

「……もー! どっちにするのさー! 早く選んでよーっ! あ、それとも降参? 仕方ないよねー! ボクはババ抜きでも無敵のテイオー様だからさー!」

「ねえねえ無敵のテイオーちゃん? マヤは1番上がりなんだけど~?」

「うるさいなー! とにかく、ビリにはならないからねー!」

 

(分かりやすすぎて却って選びづらい……)

 

「じゃあこっちで、おっ……ラッキー、アガリだな!」

「ぴえっ……またボクの敗けェ!? なーんでー!? 2分の1の確率だったでしょーっ!?」

「テイオー……バレバレ」

「アレは誰でも分かっちゃうよね~」

「ええ!? なーんでー!? カードを覗きでもしない限り分かるわけないじゃんかさー! トレーナーも笑ってないで、どうしてわかったのか教えてよーっ!」

 

 とまあ、こんな具合であった。

 しかし、此処まで分かりやすいと気になってしまうのがトレーナーのサガ。

 それは──あのピコピコとせわしなく動く耳を触ると、テイオーはどのような反応を見せるのか、である。

 そして、それを確かめる日は意外と早かった。

 練習後、疲れたテイオーが、トレーナーに身体を預けてきたときのことである。

 

「あー疲れたー! 今日の走り込み、雨だったから、コースが最悪でさー! 大変だったよー!」

「だけど力強い走りだったぞ、テイオー。シンボリルドルフも感心していた」

「……まーねー! ま、当然だよ! ボクは無敵の帝王だもんね!」

 

 あぐらで座っている彼にもたれかかる彼女は、機嫌が良さそうにピコピコと耳を動かしている。

 シンボリルドルフに褒められたのがよほど嬉しかったのだろう。

 それに呼応してか耳も一緒に動いていた。

 トレーナーの好奇心は──抑えきれなくなり、思わず頼む。すると──

 

「ふふーん、トレーナーは仕方ないなー。トレーナーにだけ、特別なんだからね!」

 

 快諾。

 普段からあれだけ好き好きと言ってアタックしてくる彼女が、トレーナーの頼みを断るはずもなかった。

 

「じゃあお言葉に甘えて」

「どーぞどーぞ! たっぷり堪能するが良いぞよー!」

 

 さわ……さわ……

 

 軽く撫でてやると──「ぴゃっ」と小さく彼女の口から悲鳴に近い声が漏れた。

 

「……大丈夫か!? 嫌だったなら辞めるが」

「ん、くすぐったかっただけ! ほら、もっともっと!」

「うーん、そういうなら……」

 

 ふに……ふに……

 

 触っているうちに、彼女の耳はどんどん熱くなっていく。

 それはそれはもう、熱いタオルで包んで温めたのではないかというくらいには温度が上がっている。

 これは、本人は相当恥ずかしがっているのではないか、と罪悪感にかられたトレーナーはパッと手を離した。

 

「……やめちゃうの?」

 

 しかし。

 振り向いたテイオーの眼は、どこか熱を帯びていて希うようだった。

 

「やだ……やめちゃ、やだ……」

「テイオー……?」

「もっと、触ってよぉ……」

 

 ぎゅーっ、とトレーナーの胸に抱き着くテイオー。

 そのまま満足いくまで耳を触ってやるまで、彼女は離れなかった。

 こうして、早一時間ほど経った頃。

 

「ごめん……なんか、熱くなっちゃった……胸のあたりが、ぽかぽかして……」

「俺も……すまん」

「ト、トレーナーが謝ることないよ! でも……もう少し、このままで」

 

 すっかり我に返ったのか、恥ずかしそうに彼女は目を逸らす。

 しかし──その日は、トレーナーの傍から離れることは無かった。

 

 

 

(ボク、どうしたんだろ……トレーナーの事が大好きなのに……なんだか、ヘンだよう……)

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「……ということがあって……ボク、おかしくなっちゃったのかな? トレーナーのことは大好きなんだけど……触られる度に胸がどきどきして……レースの時とも違って……なんか、ヘンだ……」

うまぴょいでは?

「は?」

実質うまぴょいでは?

 

 

 

 マックイーンは即答した。

 これはもう実質うまぴょい(可能な限りオブラートに包んだ表現)だったのでは? と。

 幾らそれ以上は何も無かったと言えど、帝王の威厳を揺るがしかねないイベントであった事には違いない。

 同輩以上からすればクソガキな面が目立つテイオーでも、後輩からは王子様のように慕われているのである。マックイーンはこの事を自分の胸に秘めておくことにした。

 

「とにかく……破廉恥ですわ。他人に耳をみだりに触らせるものではないですわよ?」

「うーん他の娘に触られてもなんともないんだけどぉ……」

 

(えっ、私触らせてもらったこと一回もないのですけど……)

 

 地味にショックを受けたマックイーン。

 よく考えたら、そんな機会なかったので当然と言えば当然なのであるが。

 

「あっ、折角だしマックイーンもボクの耳を試しに触ってみてよ」

「あら良いのです? それでは失礼して」

 

 ふに。ふにふに。

 

 動かす指が止まらない。

 毛並みの心地よさも相まって、マックイーンはつい夢中になってしまった。

「ねえ」とテイオーが呼びかける声にも気付かなかった。

 

「……マックイーン。手つきがやらしーよぅ」

「なっ!?」

 

 やらしー、と言われて思わず手を引っ込める。

 しかし、次の瞬間、テイオーは悪戯っ子のように舌を出していた。

 

「ウッソー! えへへー、マックイーン、真っ赤になっちゃって可愛いんだー」

「こんの……ッ!! 人をおちょくってますの!?」

「ごめんごめん、だってマックイーン、からかうと可愛いんだもん」

「むぅ……それにしても、どうでしたの? 何か発見は……?」

「うーん、やっぱり普通かなあ」

 

 やはり、触られる相手によるものなのか、とマックイーンは納得する。

 今度自分のトレーナーにもおねだりしてみるか、と思案する。

 

(ト、トレーナー。少し相談がありますの)

 

(その……私の耳、触って下さる……?)

 

(ひゃぁん!? そ、そんなところまで……!? や、やめてくださいまし……! 他の娘が見ていますのよ……!?)

 

 

 

「って、私は何を考えていますのッッッ!?」

「どうしたのマックイーン!?」

「……失礼。少々取り乱してしまいましたわ──」

「ほほーう、確かにマックイーンの耳ってやわっこいよなー、胸よか」

「……」

 

 ふに。ふにふに。

 

 背後からいきなり耳を触るのは──いつもの黄金船だった。

 

「誰に許可を得て触っていますのッッッ!!」

「ゴルシッッッ(断末魔の叫び)」

 

 華麗に決まるメジロ流巴投げ。

 哀れ吹き飛び、叩きつけられるのはゴルシの巨体。

 彼女は最後までサムズアップを絶やすことはなかった。

 

 

 

「へっ、それでこそマックイーンだぜ……! メジロの呼吸の免許皆伝だな……ッごふっ」

「ゴルシィィィーッ!?」

「やれやれ、良い薬ですわ」

 

 

 

 ▼マックイーンのパワーが50上がった!

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 ──欲望。それは、雨の日のダートよりもぬかるんだ、トレセン学園の闇である。

 時に人間は欲望というものと戦わなければならない時がある。

 そして欲望に負けた結果、全てを失った例は有史上数えきれないのは事実である。

 では、何故人は欲望に負けてしまうのか?

 では、何故欲望は人を誘惑するのか?

 全てを解明するべくゴルシちゃんは一人、ヒシアマゾンの奥地へと向かったのだった──

 

「──や、やめろ、マヤノ……俺は、テイオーを裏切る訳にはいかないんだ……」

「そうは言っても、体は正直みたいだよ? トレーナーちゃん」

「ぐっ、やめるんだ……こんな事をしたって……俺は……」

 

 ──誘惑には、抗えない。

 テイオーのトレーナーは涙目で──山盛りのパフェを頬張った。

 

「ちっくしょおおうんめええなああああ!! テイオーに内緒で食べるハチミツパフェは背徳の味ーッ!!」

「あ、テイオーちゃんの分もあるからね!」

「ありがとうめえええええ!! あいつ喜ぶぜええええええ!!」

 

 ──この日。トレセン学園の一角では、ウマ娘とトレーナーの間で闇の取引が行われていた。

 片や、テイオーの同室のウマ娘・マヤノトップガン。

 そして、お取り寄せ抽選限定のハチミツパフェを頬張るのは、テイオーの担当トレーナー。

 欲望が渦巻く取引に使われたのは──勿論、この限定品のパフェであった。

 

「しかしマヤノ、此処までして俺に聞きたいことって?」

「いやー、テイオーちゃんに何かあったのかなーって」

「え?」

「あの娘、部屋にいる間、しきりに耳を触ってぼーっとしてる時があるんだよね……それで何かあったのかなって! 教えてよぉ、テイオーちゃんのトレーナーなんだからあ、何でも知ってるんでしょぉ?」

 

 耳──耳で思い当たるのは一つしかない。この間の一件だ。

 そんな理由、言えるはずがなかった。

 トレーナーとウマ娘の関係は、例え表面上であっても清いものでなければならないのだが。

 実際、テイオーとテイオーのトレーナーの間には、糾弾されるようなことは無かったのであるが、それでもトレーナーがウマ娘の耳を触ったとあれば大変なことになるのは間違いない。

 そうでなくとも──相手は色恋沙汰に目敏い上に、ヘンに勘の良いマヤノである。

 下手に勘繰られるとこの間の事も含めて、全部バレてしまいかねない。

 

「ふふん、隠しても無駄だよトレーナーちゃん──アレは、恋してる顔だよ……それはもう胸がバキューンッ!! ってドキューンッ!! ってなる感じの……」

「ソ、ソウデスカ……」

「あのテイオーちゃんがだよ!? もっと驚いてよトレーナーちゃん!! まだまだお子様だと思ってたんだけどなあー!! マヤびっくりしちゃった!」

「いやー、しかしとなると相手は誰なんだろうなあー」

「テイオーちゃんのことだし、カッコ良くて、イケメンで、生徒会長に似たカイショーのある男の人じゃない? トレーナーちゃんは……ちょっと頼りないしね!」

「アッハイ」

 

(泣いて良いっすか……俺)

 

 この時、トレーナーは思い出した。

 トウカイテイオーという少女を攻略するならば、遅かれ早かれ──皇帝・シンボリルドルフを乗り越えねばならぬ時が来るのだと。

 それがどのような形であれ、である。

 

(出来れば生徒会室に呼び出されるのは勘弁してほしいかなー……)

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「しかし、だれかれ構わず耳を触らせるのは良くないですわ!」

「うーん、そっかなー。皆ボクの事、可愛いって言ってくれるし悪い気はしないけどなー、まあボク、無敵の帝王だしねー! 仕方ないかー!」

「腹立ちますわね……」

 

 事実であるがゆえに、否定することも出来ない。

 なんせ彼女の人気は学内どころか日本各地に「トウカイテイオーファンクラブ」が結成されているくらいである。

 それほどまでに皆、三冠バというものに心を惹かれたのである。

 

(まあそれで、中身が色ボケテイオーだったらガッカリされること請け合いですわね)

 

 お前が言うな、マックイーン。

 

「本当に……こんな気分になるのは、トレーナー相手だけなんだよ?」

「それはテイオーがトレーナーさんのことが好きなだけではなくって?」

「やっぱり……そうなんだあ。好きな人に触られるのって……どきどきして、顔が熱くなるんだ……」

 

 顔を真っ赤にして、テイオーは言った。

 心なしか──耳から首元まで真っ赤に見える。

 

 

 

「……」

「……」

 

 

 

 マックイーンは問うた。

 

「……テイオー。さっきから目の焦点が合ってないですわよ?」

「そ、そーいえば、さっきからフラフラするんだよね……これが、恋……?」

「……さっきって?」

「マックイーンがゴルシを投げ飛ばした辺り……?」

「それは忘れて下さいまし! じゃなくて──」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

「──38.5、確実に風邪ですね」

「あ、はい、ご迷惑おかけしますわ……」

「ふぇえ……」

 

 道理でずっと顔が赤かったわけである。

 恐らく原因は、この間の雨の練習によるものだろうとのこと。

 敢え無く、テイオーは寮まで連れ戻されることになったのだった。

 寮の部屋でマスクをしながら、ゴホゴホと咳き込む。ベッドの上で天井を眺めながら、テイオーは独り熱でクラクラの頭で考える。

 

(あの時、顔が熱くなったのって……熱の所為だったのかなあ……)

 

 テイオーは──心はまだまだ子供だ。

 恋愛も、学び始めたばかり。

 戸惑いしかない。

 しかし──

 

「テイオーちゃん! これ、テイオーのトレーナーちゃんがお見舞いだって! 風邪に効くショーガのハチミツアメ!」

「……コホッコホッ……うええトレーナー……来れないの?」

「トレーナーは寮に入っちゃダメだから……それじゃあ、マヤはトレーニングあるから! また後でね!」

 

 ──この恋しい気持ちは、きっとウソではない。

 風邪なんかで誤魔化せはしない。

 

(……会いたいなあ……トレーナーに、すぐ近くでギュッ、てしてもらいたいよ──)

 

「……トレーナー?」

 

 その時。

 漸く彼女は、自分のスマホが鳴っていることに気付いた。

 着信先は──トレーナーだ。

 手をゆっくりと伸ばし、彼女はそれを手に取る。

 

「……トレーナー」

「大丈夫かテイオー!? いや、大丈夫じゃないよな!? 持ってきたアメ、好きだったろ? それを舐めて、治るまで元気を溜めてくれよな」

「……うん」

「俺もお前の不調に気付けなかったから……頼りないトレーナーで済まない」

「大丈夫。熱……急に上がったみたいだからさ……トレーナーの所為じゃないよ」

「そうか、なら良かったが……」

「……えへへっ」

「テイオー?」

「電話って良いよね……場所は離れてるのにさ……トレーナーが近くにいるみたい」

 

 耳をくすぐる彼の声。 

 テイオーの顔は自然と綻んでくる。

 しかし、それでも物足りない。

 それは電話機が再現した音声で、彼の声そのものではない。

 そして彼はそばには居ない。

 ワガママだと分かっていても、今すぐにそれは手に入らない。

 それが辛くて、せつなくて、そして狂おしい。

 ああ、こういうことだったのかと少女は理解する。

 

 

 

「……ねえ、ボクが元気になったら……たくさん、ぎゅーってしてね。約束だからね」

 

 

 

 これがきっと、満たしても満たされない「恋しい」という感情なのだ、と。

 

 

 

 ※※※

 

 

 ──3日後。

 

「んふーっ! トレーナーッ! もっとぎゅーってしてーっ!」

「ねえ、トレーナーさん……それは……」

「助けてくれマックイーン、もうすぐトレーニングなのに、くっついて離れないんだ」

 

 この後、滅茶苦茶引き剥がすのに苦労した。



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テイオー「ライン、超えちゃったね…」

 ──春なのに、もう蒸し暑いある日のことだった。

 トレーナーの部屋にナチュラルに入り浸っているテイオーは、シャツ姿で冷房をガンガンに効かせて部屋に寝転がっているのだった。

 そして、デスクワークをしているトレーナーに構って貰えない彼女はすっかり拗ねて好き放題するのであった。

 

「……あー、やっぱり我が家は実家のような安心感だよねー!」

 

(頭痛が痛いみたいなこと言ってるし、此処はオマエの家ではないが?)

 

「そしてクーラーの利いた部屋で食べるアイスクリームは最高ーっ! こんな日に外に出てトレーニングなんてやってられないよ! ね? トレーナー!」

「後で走り込み10周な」

「何でさあ!! 今日はお休みだったよねえ!?」

「俺は休みじゃねーんだよ!! 言いたいことは幾つでもあるが、そんな薄着でこんな冷房ガンガンかけてしかもアイスまで食うとか、今すっごく健康に悪いことをしているって自覚は無いのかオマエは!?」

「ブーブー!! 別に良いじゃんさー!! 無敵のテイオー様が、こんなところでお腹を壊すなんて有り得ないのだー!!」

「冷房緩めんぞ」

「あああああ、やめてよおおお!! トレーナーの部屋は現代に残されたオアシスなんだよう!!」

 

 いい加減冷え切ってきた上に電気代が怖いので、トレーナーは容赦なく冷房を切った。

 数分後。

 トウカイテイオーだったものが、床上で伸びきっていた。

 トレーナーもトレーナーで暑さに耐えながらパソコンを前にカタカタ。

 

「超えちゃあいけないラインを超えちゃったねトレーナー……ボクは徹底抗戦も辞さないぞ……うう、ジメジメシットリするぅ……」

 

(よーし今のうちに仕事全部終わらせちまおう……パソコンが持てば、だけど)

 

 しかし、そろそろ限界である。よりによってハード本体が熱されて調子が悪くなってきたのだ。

 だが、決してテイオーに屈するわけにはいかない。

 そう思っていた束の間。

 振り向くと、彼女は冷蔵庫の中のアイスを全て食いつくしていた。

 

「……ぴえ。アイス無くなったけど、買いに行くのもダルいよ……」

 

(や、やりやがったコイツ……冷蔵庫の中パンパンだったのに……)

 

「くっくく、どうするトレーナー? ボクがくたばるか、それともクーラーをもう1回付けるか……」

「謝って俺の分のアイスを買いに行くなら許してやろう、ガキンチョテイオー」

「ぴっ……! このボクをあろうことかガキンチョ呼ばわり……!?」

「事実じゃんマックイーンもそう言ってんぞ」

「トレーナーも大概に強情だね……この無敵の帝王と我慢勝負がしたいだなんて良い度胸じゃない? 誰に喧嘩を売ったのか……思い知らせてやるもんね!」

 

 ──我慢比べは更なる領域へ突入する。

 啖呵を切ったものの、このままではジリ貧。プライドがやたらと高いテイオーは、どうにかしてトレーナーに土下座してもらった後にアイスを買ってもらえるまで退くつもりはなかった。

 ぐでー、と寝っ転がった彼女は、どうすれば再びクーラーを手に入れることが出来るかを巡らせる。

 そう言えばこんな寓話を聞いたことがある、と彼女はふと思い出した。

 

 

 

(おーいおーい知ってるか? テイオー!! ──白目を剥いたまま寝ると、目が痛ェ)

 

 

 

 こっちではなく。

 

 

 

(北風と太陽──旅人の服を脱がせるかで勝負をした二人。北風がどんなに吹雪いても旅人は服を手放さなかったが、太陽が照り付けると暑くなって服を脱いだ)

 

 

 

 ──ワガハイ、天啓得たりッ!!

 

 テイオーの頭に走ってはいけない電撃走る。

 押してダメならば引いてみせよ。引いてダメなら違う方向から押してみよ。

 それが恋愛の基本である、とか何とかマヤノも言っていた。

 

(テイオーちゃんは最後の一押しがいっつも足りないんじゃなーい? テイオーのトレーナーちゃん、真面目そーだしー? そんなんじゃいつまで経ってもトレーナーちゃん落とせないよ?)

 

 ──ボクだって、トレーナーを落とすくらい簡単に出来るやい!

 

 トレーナーにエアコンを付けさせるなら、このままジリ貧になるまで粘るよりもトレーナーがエアコンを付けざるを得ない状況に持っていく方が確実かつ即効性が高い。

 クソガキテイオーは、にひひと笑みを浮かべてみせる。

 

「……あー、あっついなー、服も汗でびちょびちょで気持ち悪いなー」

「……」

「仕方ないなー、脱いじゃおっかなー、どうしようかなー」

「……ッ!?」

「でもトレーナーも酷いよねえ、こんな暑い場所に可愛い女の子を閉じ込めて、服を脱ぐまで粘るなんてさー……でもボクも茹でタコにはなりたくないし、ぬいじゃおっと」

 

 パソコンの前から振り返れないトレーナー。

 しかし、その間にもパサッ、パサッ、と何かを脱ぐ音が聞こえてくる。 

 この帝王──脱いでいる。

 よりによって、成人男性の真後ろで。

 

(あ、あれ……? よ、よくよく考えたら、ボクすっごく恥ずかしいことしてない……!? で、でも、悪いのはトレーナーだもん……!)

 

 どう考えても人の家のアイスを全部食いつくした挙句、一日中入り浸っているテイオーの方が悪いのであるが、それはさておき。

 

「さーてと! ちょっとだけ涼しくなったぞーっと!」

「おいテイオー……やめろよ!? 万が一こんな所、誰かに見られたら……」

「あれれー? ボクの事、散々子供っぽいって言ったくせにさ、ボクの体を見るのは恥ずかしいんだー?」

「ぐぅっ……!!」

 

(恥ずかしいけど、もう引っ込みつかないし……! ええい、ままよ! 帝王は退かない!)

 

「もしクーラーを付けてくれるならー、もう1回服を着てあげてもいいけど? どーするー?」

 

 きゅっ、とテイオーの細い腕がトレーナーの首に回された。

 

「やめろテイオー、大人をからかうもんじゃないぞ……!? 他の奴にもこんなことしてるのか!?」

「ムカッ……トレーナーのことが好きなのは本当だもん。こんな事、他の人にはしないもん」

「だとしてもだなあ!?」

「……えへへっ、どうする? クーラーを付ける? それとも……振り向いちゃう? ボクの完璧に仕上がったカラダ……トレーナーにだったら見られても良いよ?」

 

 尚、理性は暑さで蒸発した。

 

「ボクのカラダは……トレーナーが作ったようなもんだよね……だから、振り向いちゃっても良いんだよ?」

 

 

 

「トレーナーさん! テイオー! 欲しがってたはちみつアイス、余ったから分けてさしあげますわよー!」

「……」

「……」

 

 

 

 聞き覚えしかない声が玄関から響いてくる。

 そして、かちゃり、と扉が開く音。

 

 

 

「──全く、二人共! 鍵が開けっぱなんて不用心です──」

 

 

 

「……」

「……ぴえ」

「……なっ」

 

 その場に現れたメジロマックイーンは硬直した。

 シャツを脱ぎ捨て、インナー姿でトレーナーに後ろから抱き着いているテイオーの姿が真っ先に目に入ってしまったからだ。

 そして、思わず振り向いたテイオーは──自分が何をやっていたのかを思い出し、顔が真っ赤になってしまう。

 

「ぴ、ぴえっ、マ、マ、マ、マックイーン……!?」

「う、うまぴょいですわ……まごうことなきうまだっちですわ!! 破廉恥ですわーッッッッッ!?」

「あっ逃げた!!」

「マズいテイオー、マックイーンを捕まえろ!!」

「うんッッッ!!」

 

 

 

▼トウカイテイオーのスピードが10上がった!

 

▼スキル「逃げ焦り」を獲得した!

 

 

 

 ※※※

 

 

 

(良かった……流石に全裸じゃなかったのか……)

 

(うええ……作戦失敗だよう……)

 

 

 

 数十秒後。

 テイオーは、トレーナーとマックイーンの前で正座させられていた。

 残当であった。自分が悪いということも自覚していた。

 

「……テイオー?」

「違うんだよう、トレーナーがエアコンを付けてくれないからあ」

「テイオー」

「はいごめんなさいすいませんでした」

「トレーナーも……テイオーを入り浸らせるから、こういうことになるんですわよ?」

「悪い悪い……折角の休みの日までコイツが一緒に居たいって言って聞かなくってな……オマケに、あまりにも狼藉が酷いし」

「テイオーが狼藉?」

「家のアイス全部食いやがった」

「重罪ですわね。メジロ家の名の下に命じますわ、切腹なさいテイオー」

「ちょっとボクが悪いの!? ボクを家に入れるトレーナーも同罪じゃんかさー!!」

「そもそもテイオーは無防備すぎですわ! 彼も立派な成人男性ですのよ!? 万が一のことがあったらどうするんですの!?」

「ごめんなさい……」

 

(まあ逆に組み伏せられるの俺の方なんだろうけどな……)

 

 

 ──説教は続くのだった。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 ──マックイーンが差し入れのアイスを渡して帰っていったあと。

 項垂れた様子でテイオーはベッドに寝転がっていた。

 

「もーう! トレーナーの所為で酷い目に遭ったじゃんかさー!」

「入ってくる時、鍵閉めなかったからだろーが……」

「何だよう何だよう、皆してボクのことを悪者扱いしてさー……もう良いもん、ふて寝してやるもん」

「……」

 

 ぎゅーっ、と布団を抱きしめてそっぽを向いてしまうテイオー。

 とっくに陽は傾いており、部屋の中は涼しくなっていた。

 仕事も終わったところで、トレーナーはテイオーに呼びかける。

 

「テイオー、好い加減に機嫌直せよ……」

「……」

「……無敵のテイオー」

「……」

「……サイキョーに可愛くて無敵のテイオー様」

「……もう一声」

「……サイキョーに可愛くて無敵の、俺のテイオー様」

「……しっかたないなぁ~、トレーナーはぁ~!」

 

 ぽすん、とテイオーはトレーナーに身体を預けた。

 

「……ったく、女の子が安易に肌を見せ過ぎるなよ」

「ごめん……ボクもちょっと掛かり気味だったかも……あと、アイスは買って返すよ」

「アイスは貰った分があるから良いよ。取り合えず分かればよろしい」

「えっへへ……トレーナー……♪」

 

 ぎゅーっ、と彼女はトレーナーに抱き着く。

 URAファイナルを勝ち抜いてからというものの──テイオーはこうして甘える頻度が多くなっていった。

 優駿の一角として、レースに出る機会が多くなったこと。

 学園でも代表の生徒としてメディアに露出することが増えた事。

 それらも合わさってストレスが増えているのかと思っていたが──

 

(他でも無い、理由は俺なんだろうな……こんなに好かれるなんて。最近、俺を振り向かせようと、色々背伸びしてるみたいだけど)

 

 ──もどかしい。

 トレーナーと生徒という関係でなければ、早く気持ちに応えてやれるのに。

 

 

 

 

(……俺の心はとっくにお前のモノなんだよなあ……テイオー)

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 ──その頃、生徒会室にて。

 

「──次の学園祭では、バンドフェスをやろうと思う」

「……バンドフェス、ですか」

「ああ。新しい催しをすることで、マンネリ感も解消できるのではないかと考えてね。まさに青天霹靂、ウマ娘たちの新たな刺激になるやもしれないというわけだ」

「成程……流石です、会長」

「そして我らが生徒会も、率先して参加する──無論、出場者側で」

 

 シンボリルドルフの手には──何処で何時の間に買ったのやらギターが握られていた。

 ウマ娘にはアーティストとしての才覚も求められる。

 それを改めて確認させる意図もあるのだろう、とエアグルーヴは勝手に読み取った。

 

「既にブライアンも誘っている。エアグルーヴ、君も一緒に出ないか?」

「会長の頼みとあらば断る理由など毛頭ありません」

「良かった。ちなみにチーム名に少し悩んでいてね」

 

 生徒会は文化祭においても生徒の模範となるべき存在。名前に悩むのは至極当然なのだろう、とエアグルーブは好意的に受け止めていた。

 ……肝心のチーム名を聞くまでは。

 

 

 

「──バンドリルドルフ生徒会ーズ……どちらが良いと思う? ブライアンに聞いたら逃げられてしまって……」

 

(うわああああああ会長オオオオオオオオーッ!!)

 

 

 

▼エアグルーヴのやる気が下がった!




次回、波乱の学園祭編開幕……!?


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スカーレット「あたしがイチバンなんだから!」

今回はテイオー×トレーナー要素はあんまり無いです。


 ※※※

 

 

 

 ──来たる学園祭の催し物。

 今年は、有志でロックバンドを募り、ステージを行うとのことだ。

 ウィニングライブに備えて普段から練習していることもあり、音楽に明るいウマ娘は多い。

 しかし、それでも普段の練習に加えて文化祭のステージでの練習も行うような物好きは早々居はしない──

 

 

 

「──ロックバンドって大人っぽくて、カッコよくて、すっごく良いよね!! ボク、やってみよーかなー!」

 

 

 

 ──居た。

 無敵の三冠ウマ娘・トウカイテイオーである。

 募集ポスターを見て目を輝かせている彼女に、マックイーンは肩を竦めて問いかけた。

 

「でもテイオー。貴女、楽器は演奏出来ますの? ダンスと歌は得意でしょうけど」

「うっ、それは……いや、あるよ! 音楽の授業で習ったコレなら!」

 

 そう言ってテイオーが取り出したのは──リコーダーだった。

 

「……ランドセルでも背負ってみます?」

「ぴぇ……バ、バカにしたなーっ!? マックイーンでも許さないぞーっ!?」

 

 ちょっと涙目で彼女は掛かり気味になり、マックイーンに怒鳴る。

 それを指で鼻先を抑えてあしらうマックイーン。

 

「し・か・も、ロックバンドに管楽器はありませんわよ、ジャズならさておき」

「ぐ、ぐぬぬう、練習するしかないのか……!」

「でもどうしていきなりロックバンドなんか参加しようと思ったんですの?」

「なんかカイチョーも参加するみたいだよ?」

「……えっ?」

 

 隣のポスターを見てマックイーンは絶句した。

 そこには「チーム・バンドリルドルフ」と書かれ、勝負服でバンドをしている写真の生徒会三幹部の姿があった。

 

「はぁん……ギター持ってるカイチョーもカッコいいなあ……!」

 

(……写真のエアグルーヴさん、目が死んでいますわね……)

 

 心中は察するに余りある。

 あれは「壊滅的なネーミングのチーム名とクソダサTシャツによるバンド参加のうち、後者は辛うじて回避できたものの結局前者はどう足掻いても受け入れるしかなかった」という顔だ。

 

「それなら、参加せず普通に見に行けばいいのではなくって?」

「ふ・ふ・ふ、これだからマックイーンはいつまで経ってもおこちゃまなんだよー! こういう時がアピールチャンスってわけ!」

「チャンス?」

「確かにカイチョーは無敵の皇帝さ! レースだけじゃない、ウィニングライブも、バンド演奏だって完璧さ! だけど、バンド演奏でもボクがカイチョーを超えたら、カッコよくない!? サイキョーに!」

「要は、いつもの負けず嫌いですわね」

「それだけじゃないやい! 男の人は、好きな女の子の普段とは違う一面にドキッとするらしいよ? バンドをしているボクを見たら、トレーナー惚れ直すんじゃなーい? うぇへへへへ……」

 

 ああ、どこまで自意識過剰、自信過剰になったら気が済むのだろう、とマックイーンは己のライバルの行く末を憂う。

 この少女が大人になった姿が全くといって良い程想像がつかない。

 

「それにそれに、トレーナー、前に言ってくれたんだもん! 全部出来たらカッコイイ、って! ボクはレースだけじゃない! バンドでも無敵の三冠になるんだい!」

「テイオー……」

「だから、このバンドフェスでも勝って、カッコいい無敵の帝王をトレーナーに見せてあげるんだ! 一番カッコいいボクを……トレーナーに好きになってもらうんだ!」

 

 

 

「──あら、残念だけど優勝はあたしたちよ!」

 

 

 

 遠くから声が聞こえてくる。 

 現れたのは──負けず嫌いで知られる紅蓮の姫君・ダイワスカーレットだった。

 

「スカーレットもバンドフェスに出るの!?」

「ふふん、バンドもあたし達が勝ってイチバンになってみせるんだから! そうでしょ、ウオッカ!」

「……おう」

 

 死んだ声で受け答えたのは──スカーレットのライバルである男勝りなウマ娘・ウオッカだった。

 いつもは元気いっぱいの彼女だが、今日は心なしか目に精気が無い。

 

「……ど、どうしましたの?」

「スカーレットとバンドの名前をどっちにするかを賭けて模擬レースで勝負したんだ……そしたら負けて……」

「もーぅ!! 何よウオッカ! あたしの”イチバンズ”ってチーム名がそんなに不満なの!?」

「……」

「……」

 

 それは誰だって不満に思うだろう、とテイオーとマックイーンはほぼ同時に思った。

 しかし、敢えて口にはしなかった。

 

「なあスカーレットぉ、考え直せよお……ぜってー”ACCELERATOR”の方がカッケーよぉ」

「そんな恥ずかしい名前つけられるわけないでしょ!」

 

(どっちもどっちですわね……)

(強いて言うならウオッカの方がマシかな……)

 

「というわけで、宣戦布告するわ! あたし達”イチバンズ”は、今年の文化祭バンドフェスで一位になってやるんだから!」

「ふっふーん、悪いけどボクたち負けないからね! ボクはバンドでも無敵の三冠をとってやるんだ!」

「いや三冠も何も、今回が初めてでしょうに……」

「おう精々頑張れよ……俺はベースの練習に戻るわ……」

「あっちょっとぉ、ウオッカ!! 待ちなさいよ──ッ!」

 

 死んだ声で踵を返していくウオッカ。あそこまで精気が無い彼女も珍しい。

 

「にしてもバンドのメンバー、どうするんですの?」

「マックイーンは確定として、あとはゴールドシップとか?」

「私、まだ参加するとか一言も言ってませんことよ!? それに、なんて恐ろしい提案をしますの!?」

「大丈夫ダイジョーブ! 確かにゴルシは頭ン中宇宙人だけど、意外とノリが良いし! 最悪はマックイーンと2人でボクのギター演奏のバックダンサーやってくれればイイよ」

「最悪なのは貴女の提案ですわ!」

「じょ、冗談だよぉ! そんなに怒ることないじゃんかさあ!」

「大体貴女、毎回のように私をおちょくりすぎですわ! そんなに楽しいんで──」

 

 ぷすぷす笑うテイオーの胸倉を、マックイーンが掴んだ、その時だった。

 

 

 

「──ウマンゲリヲン弐号機出撃おああああああああああああああああああああ!?」

 

 

 なんか紅い改造セグウェイが校舎の壁に突っ込んでいき、派手に爆発した。

 煙が辺りに立ち込め、部品が爆ぜてポンポン跳ねる。  

 ポコン、とネジらしきものがマックイーンの頭をジャンプした。

 そして煙の中から現れたのは──赤毛のツインテールが特徴的なウマ娘・ダイワスカーレット──ではなく、そのお面を被った黄金船であった。

 理事長が見たら何というだろう。「末法ッ!! まさにこの世の終わりであるッ!!」とか言いそうな……そんな感じの混沌であった。

 

「ゲホッ、ゴホッ、畜生、このウマ波・ダスカ・ラングレーの初陣がこんな結果に終わるなんて……ウマンゲリヲンの根性と賢さの育成が足りなかったか……根性が足りていないようです、重点的に育成しましょう、ってかぁ!?」

「……人のお面を公衆の面前にブラ下げて何をしているのかしら? ゴールドシップさん?」

「おいおい怒るなよマックイーン、そりゃあ見ての通り、このウマンゲリヲンで鬼と宇宙人を退治しに行くんだよ──あ」

 

 答えたのはマックイーンではなかった。

 ダスカ・ラングレーの目の前に現れたのは──本物の紅蓮の姫君・ダイワスカーレットと、ウオッカであった。

 そりゃああれだけの爆発音を立てれば戻ってくるのは当然である。

 ラングレー改めゴルシの顔から血の気が引く。

 テイオーもマックイーンも、この時ばかりは黙りこくるしかなかった。無言で二人は手を合わせる。南無。

 

「いや、これはその──悪ふざけが過ぎたっていうか」

「言い訳なんて挟む余地が欠片でもあるとでも思っているのかしら?」

「ヒュッ」

 

 ダイワスカーレットは激怒した。

 必ず、この邪知暴虐なゴールドシップを除かねばと決意した。

 ダスカはゴルシの頭のことは分からぬ。レースで一番だけを目指して生きてきた。

 

「ちょっとお話しましょうか? あたしのお面で好き勝手した申し開きと、あんたがブッ壊したセグウェイについて……エアグルーヴさんと一緒にみっちりと……ね?」

「あっ、ちょっと!! やめて!! ウマ娘補完計画はっ、イヤあああああああああああああああああああああ!?」

「……」

「……」

「やっぱゴルシは誘わないでおこうっと……」

「……ええまあ」

 

 

 

▼エアグルーヴのやる気が下がった!

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「さーてと! 後はバンドのメンバーを揃えるだけだねー!」

「──ひとつ、問うていいかしらテイオー」

 

 

 

 ──嵐のようにゴールドシップは去った。

 さて、この時……テイオーは一つだけ失念していた。

 常にチャレンジを求め続ける彼女であるが故の盲点だったのである。

 

「ん? なぁーにぃ?」

「貴女言ってませんでした? 文化祭の当日はトレーナーとデートするんだーって。イチャコラを皆の前に見せつけてやるんだーって」

「……」

 

 彼女は頭を抱え、地面に伏せる。

 

「ぴゃあ”あ”あ”あ”あ”-ッ!! ボクとしたことがああああ!!」

「……やっぱり……」

「どうしよう、バンドフェスを諦めるかデートを諦めるか……イヤだよーう!! 夕陽の沈む学園で、今度こそトレーナーのハートを撃ち落とすって決めてるんだよーう!!」

「貴女マヤノさんの少女漫画読み過ぎでしてよ。じゃあ今からやっぱり出場を取り消します?」

「……ヤだ」

 

 テイオーはキッとスカーレットがゴルシを引きずっていった方を睨む。

 

 

 

「──宣戦布告したし……一度決めたことは、変えない。ボクは、帝王だから」

「ッ……」

 

 

 

 恐ろしい気迫。

 これが──故障した後、死ぬ思いで回復して菊花賞に出て、三冠を成し遂げたウマ娘の執念というものだった。

 例え、勝負の内容が何であれど手を抜くウマ娘など居はしない。

 それはテイオーとて同じだ。

 

(でもトレーナーとデートはしたかったよおおおおう!!)

 

 ──内心は半泣きであったが。

 

「……仕方ないですわね、テイオー」

「……マックイーン?」

「今回だけは協力してあげますわ。貸し一つですわよ?」

「え? マックイーン、ボクとバンド組んでくれるの!?」

「ええ。貴女はこの私が認める数少ないウマ娘ですもの」

「……マックイーンッッッ!!」

「わぁ、テイオー!?」

 

 抱き着くテイオー。

 驚いてよろめくマックイーン。

 そんな二人の美しい友情を──ゴルシは目に涙を溜めて眺めていた。

 

 

 

「──紀州のウメってよ……酸っぺえんだな……うっうっ」

 

 

 

 美しい友情を眺めて抜かすことがそれで良いのかゴールドシップ。

 綺麗かと思ったら、やっぱりいつもの黄金船だった。

 そして──

 

「ちょっとあんた!! 何途中で逃げてんのよ!!」

「今度という今度は抹殺してやるぞゴールドシップ……ッ!!」

「げえっ!! 追っ手ェ!?」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「──エンペラーズが良いに決まってる!!」

「ザ・エレガンスの方が良いに決まってますわ!!」

 

 ──そんな美しい友情の契りが行われた翌日の食堂にて。

 テイオーとマックイーンは早速言い争っていた。

 やはり問題となるのは──バンドの名前である。

 互いに自己主張が強いタイプの為、一歩も譲らない。

 そしてバンドの名前は最悪妥協すれば良いとして、一番妥協できないのが──楽器のチョイスだった。

 

「そして、ポジション!! ギターとベースはどっちなのか!!」

「ギターが良い!!」

「ギター以外有り得ませんわ!!」

「「ぐぬぬぬ……ッ!!」」

 

 この二人、さっきまでは仲良く手を繋いで生徒会室に向かっていたのである。

 それがコレである。美しい友情とは何だったのか。やはり友情とは脆く儚く切ないものなのか。

 

 

 

「──エンペラー・エレガンスで良くね?」

 

 

 

 ──否。否不。

 救いはそこにあった。

 ゴルシである。

 

 

 

「──何ならギターもツインギターで良くね?」

 

 

 

 ツインギター。

 ギターが二人で演奏する方式である。

 確かにこれならば、自己顕示欲剥き出しの2名も納得のアイディア。

 しかし、問題はテイオーとマックイーンは互いにライバル同士。

 互いに優劣を付けなければ気が済まないタチであった。

 それをゴルシはよく理解していたし、正直余計なおせっかいであるとは分かっていた。

 だが──

 

「……ゴルシ?」

「ゴールドシップさん……?」

「あっ、わりーわりー、差し出がましいマネしてよ。だけどあんまり剣呑なモンだからな」

 

 ──プライドの高い二人は押し黙る。

 そして──口を開いた。

 

 

 

「「ひょっとしなくても、天才!?」」

 

 

 

 ゴルシはこの時、ああやっぱりコイツらレース以外だとちょっとアホかもしれん、と頭に過った。

 繊細なようで意外と単純。

 この二人は正反対のようで──似通っているのである。

 

「ゴールドシップさん、今私は機嫌が良いですわ! 貴女もバンドに入りませんこと!?」

「そうだよそうだよ! ゴルシ、こういうの得意なんでしょ!? ゴルシだし!」

「いやぁー、ゴルシちゃんが天才なのは一片の曇りもない事実で間違いないんだけどぉ」

 

 

 

「──ゴールドシップさああああんッ!! 罰清掃がまだ終わっていませんよーッ!!」

 

 

 

 向こうからバクシンしてくる影。

 あれは──頭バクシンの委員長にして短距離ならば誰にも負けない迅雷のスプリンター・サクラバクシンオーである。

 ゴルシは今度こそ逃げられない事を悟ったのか、サムズアップ。

 

 

 

「わっりぃ……しばらく地球(ホシ)帰れそうにねぇわ……」

 

 

 

 そりゃそうか、と2人は納得。

 まだウマンゲリヲン2号機の後始末が終わっていない。

 そのままバクシンオーに引っ張られていくゴルシを眺めることしか出来ないのだった。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

(──さあて、問題はドラムとベースですわね……まあでもそれは後。部屋に帰ったら、野球のお時間ですわッ!!)

 

 

 

 ──身の毛がよだつようなトレセン学園の闇をご紹介しよう。

 それは執念と執着。

 野球中継を楽しみにしながら自室に帰ろうとするマックイーンの後ろを着ける黒い影。

 年がら年中、まるで背後霊の如く彼女についていく影がそこにはあった。

 

「ついてく……ついてく……」

「ふっふふふーん、ふっふっふ(かっとばせー、ユ・タ・カ)♪」

「ついてく……ついてく……」

「ふっふふふーん、ふっふっふ(かっとばせー、ユ・タ・カ)♪」

「ついてく……ついてく……」

 

 最も──背後霊にしては可愛らしいものであったが……。

 

「マックイーンさんに……ついてく……」

 

 ──彼女の名は、ライスシャワー。

 長い髪と小さな帽子が特徴的な小柄なウマ娘。

 しかし、そんな可愛らしい容姿に反し、マックイーンとは何度もレースで競り合い、彼女の3連覇を阻止したほどの実力者である。

 一方でライスシャワーはマックイーンのことを尊敬している節があり、彼女のスタミナと集中力から学びを得る為に、こうしてしょっちゅう付き纏っているのであった。

 そしてその後ろに──更にもう1つの影。

 

 

 

「──ライスの姿を確認。きっかけになりそうな話題を検索──該当無し」

 

 

 

 ──そしてこっちはと言えばミホノブルボン。

 サイボーグとも形容される鉄面の持ち主で、ライスシャワーとはライバル兼友人……のような関係である。

 しかし、持ち前のコミュニケーション能力が壊滅的な所為で、イマイチ距離が引っ付かないのだった。

 つまるところ、マックイーンについてくライスについてくブルボンという構図。

 さしものマックイーンも既にこの奇怪な状況には気付いており。

 

 

 

(部屋に、入りづらいですわッッッ!!)

 

 

 

 部屋に入るに入れないのだった。

 もうすぐ楽しみにしていた野球中継だというのに。

 

(ん? 待ちなさいマックイーン……ベースと……ドラム……ハッ!)

 

「貴女方ッ!? バンドに興味はありませんッ!?」

 

「「ッ!?」」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「……ス、スゴいメンバーが集まっちゃったね……でも、心強いよ!」

 

 

 

 ──ギター兼ボーカル・トウカイテイオー。

 

 

 

「ええ、でも……生徒会やスカーレットさんに太刀打ちするなら、これくらいしなければ意味がありませんわ」

 

 

 

 ──同じくギター兼ボーカル・メジロマックイーン。

 

 

 

「……マックイーンさんがやるなら……ライスも……ッ!! バンドとか、やったことないけど……ッ!!」

 

 

 

 ──カスタネット担当・ライスシャワー。

 

 

 

「バンドというものに触れたことがないので、何から手を付ければ良いのか……ですが、勝負ならば手を抜く理由はありません。太鼓なら辛うじて叩けます」

 

 

 

 ──和太鼓担当・ミホノブルボン。

 

 

 

((……いや、大丈夫ッッッ!?))

 

 

 

 ……斯くして此処に、負けず嫌いと素人だらけのツインギターバンド……エンペラー・エレガンスが結成されたのだった。



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マックイーン「諦めるのは早いですわ!」

 ──幕間。

 曲決めのためにカラオケに集う生徒会三幹部。

 

「「Catch my dream」や「SING MY SONG」がどうもしっくりくる……何故だ」

 

(ッ……会長の事だ。何かしら、語感で選んでいるのか……ッ!? 気付け、気付かねばッ……!? しかし私には分からぬ……ッ!!)

 

(エアグルーヴがまた苦しんでる……)

 

「ううむ……何故だ。分からぬ……」

「会長、ダジャレの語感で選んでいるのではないですよね?」

「……曲の選択にダジャレを持ち込むわけがないだろう、エアグルーヴ。大事な事なんだぞ? 君は普段の私の何を見ているんだ?」

 

(全部だよおおあああああああーッ!! でも貴女への忠誠心はこの程度で揺らがんぞあああああああーッ!!)

 

「しかしルドルフ。あんたの推す曲、同じアーティストのばっかりじゃないか……ファンなのか?」

「いや、そういうわけではないのだがなブライアン……一心同体……声帯と声帯が合致するような……」

 

 それが何故なのかは結局分からないシンボリルドルフなのだった。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 ──そして、学園祭当日!!

 

 

 

「なんでだよぉーう!! あんなのズルじゃんかさーっ!!」

 

 

 

 ──バンドフェスは文化祭午前の目玉だった。

 結論から言えば、メンバー二人が和太鼓とカスタネット担当という惨状から、よく持ち直したと言えるだろう。ライスはベースを、ブルボンはドラムを演奏できるようにはなっていた。

 だが、バンドは非情である。

 ──優勝はシンボリルドルフが率いる「バンドリルドルフ」が飾ったのだ。

 何と、よりによってあのテイオーがステップを踏み外すという大ポカをやらかしたのである。

 だが、チームの中で誰一人として彼女のミスを責めるものは居なかった。

 むしろ彼女をよく知る者ならば、同情せざるを得なかった。

 

「うっうっ、悔しいよう……カイチョーのチームに負けるなんてえ……」

「テイオーさん、泣いてる……」

「流石に”皇帝”は皇帝でしたわね……まさか、あんな手を使って来るなんて」

()()はこうなることを見越してのことだったのでしょうか?」

「いえ、()()は恐らく天然ですわ」

 

 テイオーステップを狂わせた()()の正体は何なのか。

 それは──本番直前に起こった生徒会の悲劇であった。

 そして、生徒会「バンドリルドルフ」の演奏が丁度、テイオー達の直前に行われたことで引き起こされたのである。

 

「今年は私には及ばなかったが……いずれ、彼女たちは私達を超えるバンドになるだろう」

 

 原因──シンボリルドルフは、本当に何も知らない様子で言い放つ。

 

「うっうっ、そうですね……」

「何だ……泣いているのかグルーヴ、君らしくも無い。この涙は、レースでの優勝にとっておくべきだぞ?」

「はい……」

 

(普通ならそう言うべきなんだけどな、ルドルフよ……)

 

 ナリタブライアンは、エアグルーブの涙の理由を知っていた。

 そして、テイオーがイマイチ実力を発揮できなかった理由も知っていた。

 視線を下にずらす。

 そこにあったのは──

 

 

 

バンドならバンとブッ飛ばんと

 

 

 

 ──会長直筆の達筆でダジャレが書かれたクソダサTシャツであった。

 本番の直前に「当日は皆でこれを着よう。生徒会の結束を高めるために、と思って夜なべして作ってきたんだ」とのことで……結局クソダサTシャツによる参加も免れなかったのである。

 皇帝が直々に夜なべして作ったというTシャツ。善意100%の籠ったクソダサTシャツ。

 それを着ろと言われてエアグルーヴが断れるだろうか? 否である。

 そして、テイオーがクソダサTシャツを着た彼女を見てショックと笑いの神を抑えきれるだろうか? 否である。

 エアグルーヴは流石にそれで演奏中に調子を乱すことは無かった。しかしやる気は常時下がっていた。

 問題は──思い出し笑いで吹いてステップをミスったテイオーであった。まさに致命的だったと言えよう。

 やっぱりテイオーとエアグルーヴは泣いて良いと思う。

 

(あああああああああ、会長の厚意は無下には出来ない、しかし、しかし……ッ!!)

 

(エアグルーヴ……お前は女帝だよ……誰が何と言おうが……)

 

「うむ、バンドフェスは大成功だったようだな!」

 

 

 

▼エアグルーヴのやる気が下がった!

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「テイオーさん頑張ったのに……」

「いいや、ボクが弱かったんだ……ダジャレを重んじるカイチョーのことをもっと考えて練習するべきだったんだ……」

(いやアレはもう不可抗力でしょう)

 

 実際、マックイーンも演奏中にやらかしそうになったので気持ちは痛い程分かる。

 

「他でもないボク自身がポカをするなんてぇ……本当に皆ゴメン……」

「テイオーさん、謝らないで! ライス、バンドするの楽しかったから……!」

「同感です」

「ですが、文化祭でトレーナーにアピールをするという当初の計画は失敗ですわね」

「それもそうだし、優勝できなかったのも悔しいよう……折角皆にも協力してもらったのに……」

 

 落ち込むテイオー。

 この後、トレーナーと顔を合わせる事も出来ないといった様子のようだった。

 

 

 

「──あっ、テイオーさんッ!!」

 

 

 

 その時。溌剌とした声が響き渡る。

 テイオーの姿を見て、ぱっと明るい顔を見せたのは──黒髪のウマ娘・キタサンブラック。

 テイオーに憧れる期待の後輩だ。

 しかし、彼女の衣装は何時ものそれとは違う。

 フリルのついたスカートに、コケティッシュに胸元を強調したメイド服姿だ。清楚さこそ失われてはいないが、彼女の抜群なスタイルが際立ち、思わずテイオーの尻尾が跳ねた。

 

「うへぇあ!? キタちゃん!? ど、どうしたのッ!?」

「ごめんなさいっ! テイオーさんのバンドライブ見たかったんですけど、メイド喫茶のシフトが急に変更されて出られなくって……」

 

(良かった……見られてなかったんだ……)

 

「ライス。メイド喫茶というものが何なのか分かりません。説明を願います」

「ええ!? それ、ライスに聞いちゃうの!? ど、どうしよう、ライスも分からないよぅ……」

「ああそう言えば、キタサンブラックさんのクラスの催し物は……メイド喫茶でしたわね」

「あっ、はい! これを見て下さい! 似合ってますか、テイオーさん!」

 

 くるくる、とその場で右回り。

 思わずテイオーも見惚れてしまい、頷くばかり。

 昔はあんなにちっちゃかったのに、本当に立派になったなあ、とテイオーはしみじみ。

 

 ぷるん

 

 たゆん

 

「……」

 

 テイオーは黙りこくる。

 本当に、何でこんなに大きくなってしまったのだろう、とキタの一部を凝視しながら感慨と敗北感に浸っていた。

 

「って、衣装を見せに来たんじゃないんです! いや、衣装も見せたかったんですけど!」

「どうしたの? キタちゃん」

「実は、今日シフトに入っている子達が風邪で来れなくなっちゃって、人手不足なんです! 誰か手伝ってくれる人が居ないか探してたんですけど……」

「そ、そうなんだ──悪いけど、ボク疲れてるから頑張っ──」

「あら奇遇でしたわね! テイオー、メイドさんを前からやりたいって言って聞かなかったんですの」

「ちょっとマックイーン!?」

「そうなんですか、テイオーさん!? 嬉しいです! では早速、衣装の方を手配するので私のクラスの方に来てください!」

「えっ、あっ、ちょっ、ぴええええええ!?」

 

 勢いよくキタに引っ張られていくテイオーに目配せするマックイーン。

 全てが計算通りだ、後は任せろ、と言わんばかりに。

 ……実際は、たった今思いついたのであるが。

 

「あ、あわわ……テイオーさん、連れ去られちゃった……」

「マックイーン。何か考えが?」

「ええ。本当に世話が焼ける方ですわ」

 

(ステータス「後方彼女面」を確認)

 

 と言いかけたが、すんでのところで飲み込んだブルボンだった。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「ぴえ……」

 

(今日は、厄日だぁ~……)

 

 

 

 フリフリのメイド服を着て接客をするメイド喫茶。

 しかし、慣れない格好だからか動くのもままならない。

 一方のキタサンブラックと言えば、くるくると回りながらてきぱきと、そして明るく接客していく。

 

(こ、こんなところ、トレーナーに見られたらぁ、どうしよう……恥ずかしさで死んじゃうよう……)

 

「──はーい、一名様ごあんなーい!!」

「テイオーさん、行って行って!!」

「ええ、ボクゥ!?」

「挨拶の練習はしたでしょ、ほらっシャキッと!!」

「キタちゃんは恥ずかしくないのぉ!?」

「学園”祭”なのに、燃えない理由がありますか!」

 

(そう言えばお祭り大好きなんだった……)

 

「大丈夫! テイオーさんは可愛いから! 似合ってますよ!」

「も、もう、仕方ないなあ、キタちゃんは……」

 

 後輩に押される形で、テイオーは教室の扉に出向き、やってきた客に「おかえりなさいませ、ご主人様~♪ ボクがご奉仕してあげるねっ♪」とキャッピキャピの声で言い放つ。

 流石自意識の塊、プロの切り替え方のそれであった。

 彼女の持ち味を生かした、完璧な振る舞いだったと言えよう。

 問題は──

 

 

 

「──あれ? テイオー……?」

「ぴぇ」

 

 

 

 ──その客が、他ならぬテイオーのトレーナーだったことであるが。

 

 

 

「ぴぇえええええええええええええ!?」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

「……何でトレーナーがこんな所にいるのさぁ。あっ、そーだ! 他の娘のメイド服見たかったんでしょ? ト、トレーナーも好きだよねぇー、あ、あははは」

 

 上ずった声でいつものように煽ろうとするテイオー。

 しかし、恥ずかしさからか全く本調子ではないことは誰の眼にも明らかだった。

 勿論、トレーナー本人にも。

 

「マックイーンから面白い事になってるから、このクラスのメイド喫茶に行けって言われたんだよ」

 

(マックイーンッッッ)

 

 腸が煮えくり返るのと、ガッツポーズを足して二で割ったような心境だった。

 

「……それにしても、どういう風の吹き回しだ? バンド演奏で派手にこけたかと思ったら、メイドさんとは」

「わーっ!! わーっ!! それは言わないでよう!! ……ボクの見られたくない所ばかり見るんだから」

「アレを見るなって言う方が無理あるだろ」

 

 ぶすぅ、と完全に拗ねてしまうテイオー。

 

「まあ、何だ。俺は大好きだけどな」

「ぴえっ!? メイド服が!?」

「違うわ! ……いや、違くはないが。そっちも似合ってるぞ」

「似合ってないよう……」

 

 テイオーの顔は真っ赤になっていく。

 こんなのは辱めだ、一生の恥だ、と言い聞かせるように「似合ってない」と呟く。

 だが一方で、自慢の耳は嬉しさを隠せていないのか機嫌が良さそうにパタパタしているのだった。

 

「似合ってるんだけどなあ」

「似合ってないってば! ボクは……カッコ良い所だけ、トレーナーに見ていてほしいんだい! 走りだけじゃない、いつだって凄いボクを……見ててほしいのに」

「あのなぁ、今更だろ……何年お前のトレーナーやってるんだ?」

「ぴぇ?」

「例え転んでも何事にでも挑戦するテイオーがカッコ悪い訳ないだろうが」

「……!」

「俺が保証する。テイオー……チャレンジ精神あってこそのお前だ」

 

 2人で行った、皇帝・シンボリルドルフへの宣戦布告。

 それは、ただただ彼女に憧れるだけだったテイオーが、夢へと一歩踏み出すための大きなきっかけとなった。

 怪我をして、菊花賞に出られなくなりそうになった時も、トレーナーはテイオーの意思を尊重し、足が治るように最善の策を尽くした。ギリギリまで。

 挑戦するテイオーの傍には、いつもトレーナーが居た。

 

「……えっ、えへへっ……そっかぁ、トレーナーが言うなら仕方ないよね」

「というわけで、フレンチトーストにテイオーの萌え萌え注入をお願いします」

「ちょっとぉ!? 何でそうなるのさあ!?」

「テイオーさんお願いします! 私にも!」

「キタちゃんはメイドさんだよね!?」

「テイオーさん。教えたアレですよ。早く!!」

 

 ──故に、トレーナーは更なるチャレンジをテイオーに押し付けるのだった。

 ついでに便乗するキタサンブラック。

 接客は何処へやら、である。

 

「ぴ、ぴぇっ……ど、どうしてもやらなきゃ、だめぇ……!?」

「お願いしますテイオーさん!!」

「何でキタちゃんの方が食い気味なのさぁ!?」

「頼むテイオー……故郷の妹が危篤状態で、今すぐテイオーの一番凄いのが無いとダメなんだ……」

「トレーナー一人っ子だよね!?」

 

 しかし、周囲の視線からも皆が無敵の帝王の萌え萌えきゅーんを期待していることは明らかであった。

 トウカイテイオーは──ファンサービスを決して怠らない。

 故に。

 

 

 

「……も、萌え萌え、きゅーん……?」

 

 

 

 照れ混じりに彼女は手でハートを作り、運ばれてきたフレンチトーストに愛情を注入したのだった。

 

「う”っ」

 

 ──その瞬間。一人のウマ娘の心臓が破裂した。

 床に物凄い勢いで倒れ込むキタサンブラック。

 駆け付ける他のウマ娘たち。

 

「おい! しっかりしろ……おい!」

「ありがとうございますテイオーさん……私、後数週間は祭りが無くても生きていられます」

「そーなの!?」

「ちょっと誰か!! キタちゃんが浄化されてるんだけど!!」

「担架と一緒にサトノダイヤモンドを連れて来て!! これは重傷よ!!」

「そーなの!?」

「うっ……お、推しのメイド服……仰げば尊死……」

「オイ誰だ此処にデジたん入れたヤツは!! 致命傷だぞ!!」

 

 デジたん=アグネスデジタルの意。

 

「えっ、待って、何でこんな大事になってんの……!?」

「何てことだ……」

 

 慌ててクラスメイト達に運び出されるキタサンブラックを横目に、トレーナーは恐れ戦く。

 まだ、テイオーには自分が把握していなかった才能があったということに。

 これが、無敵の帝王──トウカイテイオー。

 URAファイナルを制して尚、止まる事を知らない優駿の実力なのである。

 

 

 

「一撃で死傷者を出してしまった……これが無敵の帝王の破壊力か」

 

 

 

 ──こうして、文化祭は無事に終わりを告げたのだった。

 がんばれテイオー。負けるなテイオー。

 少なくともキタサンブラックのハートは掴めたのではなかろうか。

 

 

 

「ボクもうヤだあああああ!! 恥ずかしいんだけどおおおお!!」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「あれで、良かった……のかな? テイオーさん……嬉しそう」

「ライスもメイド服を着てみますか?」

「何でぇ!? ……絶対着ないからね!?」

「それは所謂”前フリ”というものでしょうか」

「違うよ!?」

「あっ、お二方の分も用意してますわよ。メジロ家の使用人仕様ですけども」

「ええ!?」

 

 ──メイド服からは逃れられない! ウマ娘であっても!



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スズカ「イチャつき方って……何で私に聞くの?」

「チャージ三回、フリーエントリィィィーッ!! ノーオプションバトォウッ!!」

「ギャーッ!! カブト虫をこっちに向けるなァァァーッ!?」

 

 

 

 穏やかで静かなはずのトレセン学園の朝。しかし、頂点を目指す生徒達の目覚めは早い。

 ニワトリの鳴き声と、ゴルシの咆哮、そして朝練中に乱入されたトーセンジョーダンの悲痛な絶叫が響き渡る。

 ……この通り、今日も今日とて学園は平和なのだった。

 因みにゴルシのストッパー、もといマックイーンはまだベッドの中である。救いは無かった。

 それはさておいて、同じく朝練の合間に談笑するウマ娘たちが此処にもいた。

 

「カ、カップルのイチャつき方……?」

「──うん、スズカにはぜひ聞いておきたくってね」

 

 トウカイテイオーは、無敵の三冠ウマ娘である。

 しかし、恋愛というものには人一倍無知蒙昧で、同室のマヤノトップガンからマウントを取られる日々を送っていた。

 経験豊富な相手から学ぶのが手っ取り早いのはレースも恋愛も同じである。

 そう結論付けた彼女が向かったのは──栗毛のウマ娘、スピードの求道者・サイレンススズカだった。

 

「ごめんなさい……私、走ること以外に興味なんてないの。そもそも私……今、お付き合いしている人なんて……いないわよ? トレーナーさんは、妻帯者だし……」

「……いや、別に良いや。ボクはこの辺で」

「……? ヘンなテイオー」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 ──その数時間後、昼休みの事である。

 

「すごいわ、スペちゃん……!」

「スズカさんのために、けっぱりました! どうですか、スペシャルウィーク特製スタミナ弁当!」

「これなら、午後も気持ちよく走れそう……! ふふっ、ありがとうスペちゃん……!」

「はい、スズカさん、あーん」

「あーん……スペちゃん、これ美味しい! どうやって作ったの!?」

「それはですね……スズカさんに、いっぱい走ってほしいなーって思いを込めて……」

「も、もう……そういうのじゃなくて……ううん、でも嬉しい」

 

 スズカの隣には、田舎出身の期待のスーパースター・スペシャルウィークが座っている。

 二人は同室ということ、そしてスペシャルウィークがスズカに憧れていることもあってか、仲は非常によろしい。

 紆余曲折あって、絆を深め合った二人はまさに無敵。

 

「そうだスペちゃん。近くに凄く綺麗な景色の見える場所を見つけたの。今度、一緒に走らない?」

「本当ですか!? 良いですね、私も行ってみたいです! 今度の週末は一緒に屋外デートですね!」

「で、デートだなんて大袈裟な……気に入ってもらえるかは分からないけど」

「ううん、スズカさんと一緒ならどこででも楽しいです!」

 

 ……とまあこの通り。

 学内からはカップルとまで称される仲の良さ。

 スペシャルウィークの手には彼女御手製のお弁当が持っており、見せつけるかのように二人でそれを仲睦まじく──

 

 

 

(──いや、イチャついてんじゃんッ!! 思いっきりッ!!)

 

 

 

 ──そして、それを眺める小さな影。

 無論、我らが無敵の帝王様であった。

 スズカとスペの仲睦まじさは当然、テイオーも知る所である。

 そのため、彼女達を参考にすればトレーナーと距離を詰めることが出来るコツが拾えるのでは? と彼女は考えたのであるが、見ての通りであった。

 敵わない。敵う訳が無い。

 

(ダメだこの二人……常時デート状態のコンディションじゃん……ッ! 隙あらばイチャついてんじゃん! あーあ、ボクだってトレーナーやカイチョーといつも引っ付いてたいのになあ)

 

「ん?」

 

 ──その時であった。

 勘の良いスズカは辺りを見回す。何かが近くにいる、とウマ娘の本能が継げている。

 明らかに怪しい茂みから、耳が二つ出ているのがスズカの眼には分かった。

 無論、それはテイオーの耳なのであるが……。

 

(ヤバッ、スズカがこっち見てる!? 気付かれた……ッ!?)

 

(……な、何かしらアレ……茂みから耳が二つ……?)

 

 ごくり、と息を呑むテイオー。

 最早こうなったら、半ばバラすつもりで──鳴いてみせる。

 

「ぱ、ぱお~ん……」

「なぁんだ……可愛いネコさんだったのね」

「ネコさーん、こっちおいでー♪ ……出てこないですね」

「もう、スペちゃん。驚かせちゃダメよ? ……そういえばスペちゃん聞いて、タイキがまたミステリーサークルを見つけたって……」

 

(え、何なのコレ!? ウソでしょマジで気付いてないの!? 正気!?)

 

 ほわほわしながら、微笑んで和むスズカとスペ。勘は良いとは書いたが、それは最早、スペと一緒に居ることで明後日の方向へ向かってしまっていた。

 再度繰り返すが、それはネコの耳などではなく隠れ方が恐ろしい程に杜撰な帝王様の御耳なのだった。

 しかし、レース以外の時、特にスペシャルウィークと一緒に居る時のスズカは、普段にも増して天然ボケが加速する。

 故に、すぐ目の前にテイオーが立っていたとしても気付かなかっただろう。

 これがまさに二人だけの世界という奴である。

 

(た、多分、アレはマジで気付いてないんだよね……だ、大丈夫なのかなあ、スズカとスペちゃん……色んな意味で……)

 

 頼むから、加速するのはレースだけにしてくれと心配になるテイオーであった。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

「──ということがあったんだけど……」

「それは災難でしたわね、テイオー。あの二人は天然同士で上手くやってるようなものですから」

「ボクだって、トレーナーとイチャイチャねっちょりねちょねちょしたいよう……何であの二人、人前であんな……」

「その気持ちの悪い言い方止めなさいな。貴女も一応、旧家の子女なんですのよ?」

「そんなの知らないもーん」

 

 ──忘れられているかもしれないが、一応そういうことになっている。

 トレセン学園に在籍している生徒の多くは普段のテイオーの振る舞いから夢にも思っていないが、以前挨拶に行った彼女のトレーナーは家のデカさにビビったらしい。

 

「……ボクにはスズカみたいなお嬢様っぽいカンジとか、似合わないし。てかスズカ、下手したらマックイーンよりもお嬢様感すごいよ?」

「失礼な! スズカが浮世離れしているからそう見えるだけですわ!」

 

(マックイーンは俗っぽいところがあるもんねえ……にしし)

 

「でも、カップルでのイチャつき方を聞くだなんて……貴女しょっちゅうトレーナーとデートしてるのではなくて?」

「うん……ゲーセンにダンスゲームやマ〇カーしに行ったり、近場の遊園地に行くって言ったらマヤノに笑われた」

「何それ芝生えますわよ」

 

 やっぱり中身はいつまで経っても中学生のままなのだった。

 これでは付き合わされているトレーナーも、いつまで経っても子供の遊びの引率でしかないだろう、とマックイーンは嘆息。

 

「それで、フツーの……オトナのデートってどんななんだろうって……ほら、一応スズカって年上じゃん。だから何か知ってるかって思ったら、あの二人どこででもイチャついてて何の参考にもならなかった……」

「災難でしたわね……」

「結局、オトナのデートって何したらいいの?」

 

 ──オトナのデート。

 それは、レースに例えることが出来る、というのがマックイーンの持論であった。

 

(そう……恋がダービーならばデートはレース全般に例えられる……)

 

 マックイーンの想定するオトナのデート。

 それは──

 

(朝は二人で共にB級映画を見て笑い合い、昼は球場で殿方と一緒に歓声と野次を飛ばし、スイーツをたらふく食し、夜はオシャレなレストランで推し球団について語り合う……わ、私にはまだ早いけども、これが一般的なオトナのデートでしてよ!)

 

 ──流れは確かに凡そその通りであった。明後日の方向へ向いているだけで。

 幸い自己完結して思いとどまった彼女は、辛うじて無難なところから指摘をするのだった。

 

「先ずは私服を改めるところから始めるべきですわね。トレーナーに意識されるなら、女性として意識されるような身だしなみを心掛けるべきですわ。さもなきゃまたゲーセンデートですわ」

 

 当然だが、球場デートを妄想する女には言われたくはない。

 

「で、でも、そういうのってボクには合わないよう」

「あら、メイド服だって似合ったのだから、そっち方面のアプローチも似合うのではなくって?」

「ヤだよ、恥ずかしいもん……」

「セバスチャン」

「はいマックイーンお嬢様」

「何でェ!?」

 

 マックイーンが手を叩くと、すぐさま執事服姿の壮年の男性が現れる。

 

 それもそのはず、此処は休日のメジロ家。

 テイオーは彼女の実家にお邪魔させてもらっていたのだ。

 それ故──もう逃れることは出来ない。

 

「無敵の帝王であれば、如何なるファッションも着こなして当然でしょう?」

「ちょっとマックイーン!?」

「安心なさい。メジロ家の令嬢であるこの私が、貴女のデート用ファッションを見繕うと言っているのです。むしろ光栄に思うべきでは?」

「わけわかんないよーッ!? 何でこんな時だけ思い出したかのように、お嬢様キャラ出してるのさーっ!?」

 

 こうして、メジロ家総出によるテイオー改造計画が始まったのであった。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「……何時合流しますの? 私も同行しますわ」

「メジロマック院」

 

 

 

 ──そして。デート当日。

 待ち合わせ場所に立っているテイオーのトレーナーを監視する二つの影。

 我らがメジロマックイーンと、それに付き纏ういつもの黄金船だ。

 

「お手並み拝見といきますわよトウカイテイオー……デートという名のレース、制してみなさいな!」

「何でお前が偉そうなんだよマックイーン」

「テイオーは私が育てましたわ。今日という日に備えて徹底的に」

 

 まーたこの娘は後方彼女面するー、とゴルシは肩を竦める。

 その手にはルービックキューブが握られており、ずっとカチャカチャ言わせながら揃えていた。

 

「で? 人様のデートを尾行するなんて、メジロ家のお嬢様も良い趣味してんな」

「勘違いしないでくださる? 私はトレセン学園のいち生徒として、二人の健全な外出を見届けているだけですわ」

「デートっつったのはマックちゃんじゃなかったっけ?」

「そして、テイオーを焚きつけた私には責務がありますわ──」

 

 ふぁさっ、と前髪を掻き分けた彼女は柱時計の前で待つトレーナーを見やる。

 

 

 

(──そう、二人がお城みたいな建物に入ろうとしたら全力で止めるという責務がッ!!)

 

 

 

 ……この通り、彼女はハーレクイン小説の読み過ぎであった。

 メジロ家の教育の是非が問われる瞬間だと言えよう。

 

(若い男女は逢瀬で熱く盛り上がった先に、行き着くのはお城みたいな建物と聞きましたわ……ッ! しかし、トレーナーと担当ウマ娘の()()()()()ないし()()()()()はご法度……ッ! 好敵手として、テイオーが道を踏み外すのは是が非でも止めなければッ! ちなみにソースは地下室にあった古い本棚の小説の数々ッ!!)

 

「まあ取り合えず耳年増のマックちゃんがメジロ家秘密の書斎に入った事はゴルシちゃんの優しさで黙っておいてやんよ」

「何で知ってますのッ!?」

「おっ、テイオーが来たぞう、黙ってないと気付かれんじゃね?」

「ぐぅっ……」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 一応年上の男の甲斐性として、約束の時間前には出向くものである、とテイオーのトレーナーは約束の20分前から待機していた。

 奇妙だったのは、今日のお出かけの約束をした時のテイオーの様子がいつもよりよそよそしかったことである。

 「ちょっと、オシャレしてくるから……」と言っていた。

 まあ、流石にあの私服では子供っぽすぎるといい加減気付いたのだろう、とトレーナーは勝手に納得していた。

 あれはあれで可愛らしいのだが、と彼は少し勿体なさを感じていた。

 

(……しかし、改まってデートってどうしたんだろうなあ。お出かけなんて、今更珍しいことじゃないのに──)

 

 

 

「お、お待たせ……」

 

 

 

 時計台の前で待ち合せていたトレーナーは、思わず鞄を取り落としそうになった。

 現れたのは──こげ茶の髪を下ろし、長いスカートを履いた清廉なウマ娘。

 間違いなく現れたのが「彼女」であることには違いないのだが、少し照れ気味に目を逸らしていることと相まって、奥ゆかしささえ感じさせる。

 

「……テイオー?」

「へ、ヘンだよね。メイド服といい、この服と言い……こ、こんなのボク、似合ってないのにさ……だ、だから、笑わないでよ……ね」

 

 そう言えば、とトレーナーは思い出した。

 いつもの生意気で子供のような態度で忘れがちだが──彼女もまた、名家の令嬢なのだ。

 そして、プライドが高く、自分らしさを崩さない彼女がこうしておめかしして自分の前に現れた。

 並々ならぬ覚悟があったに違いない。

 否、仮にそうであったとしてもそうでなかったとしても、目の前に佇むテイオーに抱いた率直な感想は──

 

「……可愛いし、似合ってる」

「……!」

 

 これであった。

 ずるい。ずるすぎる、とトレーナーは頭を抱える。

 だが、それだけではとどまらず──テイオーはぎゅっ、とトレーナーの手を握る。

 その顔は、赤く染まっており、不器用に照れを含んだ笑みが浮かんでいた。

 

「……行こ、早く。ボク、このままじゃ……恥ずかしくて死んじゃうよ」

「俺も、そうかもしれん」

「……ホントだ。トレーナー、すっごく顔赤いや」

「……お前もな」

「えっへへ……ボクにドキドキしてるってことだよね」

 

 ──彼女の問いかけに、頷いて肯定するしかない。

 

 

 

「デートしよう? トレーナー」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 ──映画を見て。

 ちょっと良い遊園地に行って。

 ちょっと良いレストランで夕食を共にして。

 普通の女の子のようなデートをして。

 そうして背伸びした帰り道。少し疲れたような顔で彼女は言った。

 

「……えへへ。慣れないことはするもんじゃないなあ。「普通」の女の子のオトナなデートって、こんな感じなんだね」

「俺は新鮮だったけどな」

「トレーナーは、こういうデートしたことなかったの?」

「スポーツバカで、こういうのとは無縁だったからな……」

「そっか」

 

 テイオーの表情は緩む。

 きっと──彼も「初めて」であったのだと知り、それを共有できたのがたまらなく嬉しかった。

 

「でも……やっぱムズ痒いや」

「そうなのか?」

「うんっ……こういうのは、やっぱり良いや。ボクには似合わないし……」

「そんな事はない」

 

 確かに不慣れだったかもしれない。

 彼女らしくなかったかもしれない。

 だがしかし──普段、誰にも弱みを見せず、理想の自分を確固として持っているテイオーが、敢えて違う姿でやってきてくれたのをトレーナーは嬉しく思っていた。

 

「俺は幸せだよ。普段の元気なテイオーも、こうやってオシャレしてくれるテイオーも……両方見られるんだからな」

「ぴッ……バ、バカだなあ、トレーナーは……そんな事言ったら……もっと、好きになっちゃうじゃんかさあ」

「……むしろ、俺には勿体ないくらいだ。俺はずっと……テイオーに夢を見させてもらっているのに、こんなに沢山、お前から貰って良いのかなって」

 

 今では、彼女が居ない日々など考えられはしない。

 それどころか、彼女はどんどん新しい顔を自分に見せてくれる。

 

「何言ってんのさ。トレーナーが居なきゃ、その夢も無かったんだよ?」

「え?」

「ボクの隣に立つのは、キミ以外考えられないよ。だから……ボクからも沢山、あげたいんだ」

 

 彼女は爪先で立ち、トレーナーの顔に手を伸ばす。

 そして、頬に──軽く口づけした。

 

 

 

「っテイオー!?」

「……だから、目を離しちゃダメだからね! 無敵のテイオー様の傍に、ずぅーっといてよね!」

 

 

 ふり絞るように、照れを隠すように。

 最後に彼女は、いつものような屈託のない笑みを浮かべたのだった。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「マックイーンッ!! しっかりしろマックイーンッ!!」

「ゴールドシップさん……私、此処で死ぬんですの? 糖分の取り過ぎで、太──」

「しっかりしろぉ……真っ当なウマ娘は他所様のデートから糖分を摂取しねえんだよ、マックイーンッ!!」

「ねえゴールドシップさん……私、どんどん、彼女に追いこされて……やっぱり、トレーナーさんの外堀を埋めるところから始めないと」

「やめろ!! 自分の恋愛にメジロ家の権力を持ち込むんじゃねえ!! ……マックイーン? ……マックイィィィーンッッッ!!」

 

 ──メジロ家令嬢、堕つ! ターフの外で!

 

 

 

▼マックイーンの賢さが5下がった!



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テイオー「幾つになっても注射は嫌」

「──主治医です」

「……」

 

 

 

 ──トウカイテイオーの顔から精気が一瞬で消え失せた。

 トレーナーに連れて来られた場所は保健室。

 何故かメジロ家の専属主治医が注射器を持って、真顔で鎮座している。

 テイオーは全てを察した。

 

「──メジロ家の主治医です」

「……ナンデオチュウシャモッテルノ?」

「──それは、お前のすっぽかした採血検査を受けさせるためだが?」

 

 逃げ出そうとするテイオーの首根っこをトレーナーは掴んだ。

 

「……テイオー、マックイーンから聞いたぞ。4月の健康診断の途中、お腹が痛いって言って休んだんだってな?」

「……」

「クラシックレース、出るんだったよな? だけど健康診断書提出しなきゃ出られないんだよ、分かるな?」

 

 テイオー、沈黙。

 言い訳の余地も情状酌量の余地も無かった。

 ウマ娘たちが一斉に受ける健康診断を抜け出したテイオー。

 理由は当然、注射が怖い、痛いの嫌だ、の一言に尽きる。

 

「健康診断を欠席した生徒は、後日病院で残りの項目を受けることになっている……だけどお前はとうとうこの日まで血液検査だけは受けなかった」

「……」

「注射の為にレースをフイにするのか?」

「……待ってよトレーナー」

 

 彼女は神妙な顔で言った。

 

「確かにクラシック三冠はボクの夢だよ。だけどね、それ以上に──注射は怖いんだ

「シリアスな顔でしょーもない事言うな!!」

「……ヤダヤダヤーダー!! 痛いのは嫌だー!! トレーナーがボクをいぢめるーッ!!」

「テイオー……無敵の帝王が注射から逃げるのか?」

「ッ……!」

「そんな体たらくで、シンボリルドルフに……皇帝に顔向け出来るのか? それとも何だ? 憧れの会長に見守って貰うか?」

「……カイチョー、に……それはそれで良いかもしれない!」

「オイコラ!!」

 

 シンボリルドルフはお前の父親でも何でもないぞ!!

 ……無いよな?

 そんな思考がトレーナーの脳裏に過るのだった。

 事実、彼女はテイオーのことになると過保護になるきらいがある故。

 

「……コホン。あいつならこう言うだろう。”健康管理を怠るとは笑止千万、レースの世界を無礼(ナメ)るなよ”と……」

「トレーナー……!」

「……分かったな?」

「そうだ、ボクが間違ってたよ。こんな情けない姿、カイチョーには見せられない」

 

 こくり、とテイオーは頷く。

 そして──

 

 

 

「──でも無敵の帝王なら注射しなくても別に大丈夫じゃ──」

「逃げる前にブスッと勢いよくやっちゃってください」

「はい」

 

 

 

 ──ぴぎぃえええええええええ

 

 

 

 保健室の窓ガラスが割れる勢いで震えた。

 練習中だったウマ娘たちが何事かと保健室に駆け付けたが、そこにはすっかりグロッキーになったテイオーが床に伏せているのだった。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 ──なんてこともあったのは今も昔。

 怪我とか故障を乗り越え、トゥインクルシリーズの最後の有馬を走り切り、ドリームトロフィーに進出したテイオーからすれば、最早注射の1本や2本くらい大したことはないのであった。

 ……はずであった。

 

「さあ、お前がこないだすっぽかした採血検査をしような?」

「ヤダヤダヤダヤダーッ!! 痛いのヤだぁぁぁーっ!!」

 

 うーんこの。

 これが無敵の三冠ウマ娘の姿である。

 

「マヤノだってなぁ!! ブライアンに恥ずかしいところ見られたくないっつって大人しく受けてたんだぞ!! それをお前はどうだ、それでも帝王か!!」

「……ボクは健康だもん」

 

▼テイオーのやる気が下がった!

 

「ハイそこー!! 息を吐くようにやる気を下げないッ!!」

 

 テイオーを羽交い絞めにしながら保健室まで連れていく。

 この間検査が受けられなかったウマ娘の補欠検査があるのだ。 

 だが、そこまで彼女を連れていくのは至難の業であった。なんせウマ娘の力で暴れられるのだ、堪ったものではない。

 

「良いかテイオー!! そんなんでキタちゃんに顔向け出来るのか!?」

「出来るもん!!」

「恥を知れ恥を!!」

「恥はかき捨て、ってね」

「やかましいわ!!」

「良い!? ボクに注射を受けさせるのは、マックイーンからスイーツを取り上げるのと同じくらい酷い仕打ちなんだよ!?」

「そのマックイーンの前でスイーツバカ食いしてたよなオマエは!!」

「とにかくっ、注射の一本や二本くらい──」

 

 

 

「ねえ知ってるキタちゃん? テイオー先輩って注射が苦手なんだって噂があるんだけど」

 

 

 

 その時だった。

 ふと、そんな声が聞こえてきた。

 見ると──窓の向こうで、下級生たちが話している。

 

「えー!? 何それ本当!?」

「あんなにカッコいいのに、可愛い所もあるんだねえ、テイオー先輩って」

「むっ、テイオーさんがそんな恥ずかしい人なワケないじゃない!」

 

 他の同級生たちに反駁したのは──テイオーの大ファン筆頭、期待の新星・キタサンブラックだった。

 

「テイオーさんはいつだってカッコ良いんだよ? なのに、注射くらい怖がるわけない! だって、無敵の三冠だよ!」

「それと注射が怖いのは関係ないんじゃないかな……」

「大体、皆テイオーさんが可愛いからって、子供扱いしすぎだよ! そりゃあテイオーさんが可愛いのは揺るがない事実だけど、それ以上にカッコいいアタシの憧れの人なんだから!」

「はいはい分かったから……キタちゃんは本当にテイオー先輩が好きなんだねえ。ちなみにキタちゃんは注射平気なの?」

「え? 当たり前じゃん、幼稚園児じゃあるまいし……」

「……」

「……」

 

 黙りこくるテイオー先輩。

 眩しい。あまりにも眩しい後輩からの賞賛。そして、テイオーの耳は決してそれを聞き逃さない。

 後輩からのイメージは壊せない。

 彼女はすん、と目からハイライトを消すと──暴れるのをやめた。

 

「……じゃあねトレーナー。また生きて会えるかな」

 

 その目には──悲壮な覚悟が宿っていた。

 トレーナーはサムズアップ。

 

「おう、3分後にまたな」

 

 頷き、保健室に入っていく無敵の三冠王。

 しばらくして「やっぱりボク帰──ゲェッ、何でライアンとゴルシが居るのォ!?」「エッ、マックイーンからボクが逃げないようにって言われたッ!?」と喧騒。

 遅れて「ぴぎぃえええええええええええ」と甲高い悲鳴が響いたのだった。

 念には念を押して正解だったようである。直前で彼女が怖気つくのは計算済みだ。

 だが、さしものテイオーも筋肉自慢のライアンと、体格の良いゴルシに押さえつけられては逃げる事も敵わないはずである。

 

 

 

「あれ? 今のってテイオーさんの悲鳴……?」

「そんな訳無いでしょキタちゃん、あんなカエルの潰れたような声、テイオー先輩から出てくるわけないでしょ」

「でも似てたような……」

 

(テイオー……後輩たちの期待を背負うのも大変なんだな……)

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「はちみーはちみーはっちみー……はぁ」

 

 

 

 よれよれになったテイオーは、そのままジャージ姿で生徒会室に向かっていた。

 曰く、ルドルフに慰めてもらうんだとか何とか。

 

(そう言えばカイチョー、健康診断の日に用事があったんだよね……カイチョーも注射したのかな)

 

(はぁ、カイチョーはすごいなあ。きっと注射なんて目じゃないんだろうなあ)

 

 そんなことを思いながら、生徒会室の大きな扉に手を掛けたその時だった。

 

 

 

「やっぱり、注射は慣れるものではないな……はあ」

「おーいルドルフー、機嫌治せよいい加減に」

 

 

 

 そんな声が、生徒会室から聞こえてくる。

 思わずテイオーは息をひそめて生徒会室の扉に耳をぺとり、と当てた。

 どうやら、ルドルフは彼女の担当トレーナーと一緒に居るようだった。

 そして意外にも──ルドルフも注射が苦手なようだった。

 思わぬ共通点が見つかり、テイオーはご満悦。笑みがこぼれる。

 

(なぁーんだぁ、カイチョーも注射苦手だったんだあ、今度このネタでからかってやろうっと)

 

「──駄目だよトレーナー君……二人っきりの時はルナと呼んでくれ」

「……いやでも膝が痺れてきて……」

「……」

「分かったよ……頑張ったね、ルナ」

 

 ──ん? ルナって誰だろう? そんな娘、トレセン学園に居たっけ?

 テイオーの耳からは断片的にしか聞き取れず、そんな考えが頭に過ったのが悲劇の始まりだった。

 

「カイチョーッ! ルナってだーれー!? ボクにも紹介してよーう!!」

 

 勢いよく生徒会室の扉を開ける。

 そこには──担当トレーナーに膝枕してもらっているシンボリルドルフの姿があった。

 

「……」

「……」

「……」

 

 その場の全員は沈黙する。

 そして──ルドルフは、何事もなかったかのように落ち着き払った様子で生徒会長の席に座る。

 

「テイオー、頼まれてくれないか?」

 

 一度、咳払いした彼女は固まっているテイオーに一言。

 

「な、なに、カイチョー」

「グラスワンダーを……呼んでくれないか」

「え?」

 

 ルドルフは切なそうな笑みを浮かべた。

 

 

 

「──私は逃げも隠れもしない。介錯は彼女に任せることにするよ」

「カイチョーッ!?」

 

 

 

 この後、ルドルフのトレーナーと一緒に全力で慰めた。

 ルナはシンボリルドルフの幼名。

 人前では無敵の皇帝として振る舞っていても親密な間柄の人間には、そう呼んでほしいのが乙女心。

 ……結局、皇帝・シンボリルドルフもまた、一人の少女に過ぎないのである。

 

 

 

 ▼シンボリルドルフのやる気が下がった!




「私も大食い大会頑張ったら、トレーナーにハツラツと呼んでもらえるだろうか?」
「オグリ……」


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テイオー「ボク、オバケ怖くないし……」(前編)

モブウマ娘の名前が出てきますが、実馬とは一切関係ありません


 ──ドリームトロフィーに進出したウマ娘たちは、秋の予選会やトレーナー対抗のチームレースを控えた夏合宿となる。無論、それはトゥインクルシリーズに向けて走るウマ娘たちにとっては、見本となるものになるだろう。

 負けられないレースを前にして、過酷極まるトレーニングを積むテイオー。

 そして、その傍で優雅に詰め将棋をするゴールドシップ。

 ライバルには決して負けたくないという思いが募り、例年よりも更に激しく競い合うマックイーンとライスシャワー。

 そして、合宿の視察に来ていたシンボリルドルフとエアグルーヴに「ウマンゲリヲンⅢ号機」を破壊され、海へと敢え無く沈むゴールドシップ。スケキヨの如く海に浮かぶのは、さながら浮沈船。

 その様を見ながら「やっぱり、先輩たちはすごい……ッ! あれが皇帝と女帝の力……ッ!」と感心するキタちゃんとダイヤちゃん。

 

「ッ……マックイーン!! 負けないよッ!!」

「ふっ、貴女こそッ……!! 出遅れないようにッ!!」

「ついてく……突き放すッ!!」

「エミール・シオランの『絶望のきわみで』を読んでさ……何でトマトはナスじゃなかったんだろう、って……ヘッ、これじゃあマンホールに落ちていったマックイーンに申し訳が立たないぜ」

「お前は真面目に走れですわッ!!」

「ゴルシッ!!」

 

 炸裂するマックイーンのドロップキック。

 哀れ、砂の上にゴルシは叩き伏せられたのだった。

 

「貴女は秋天控えてるのだから、真面目に頑張りなさいなッ!!」

「えー」

「えーじゃありませんッ!! ヘンなロボを使うわ、詰め将棋するわ、人前でカブトボーグとベイブレードの異種競技を始めるわ……そんなんじゃあ、いつかキタサンブラックさんやサトノダイヤモンドさんに追い抜かれますわよ! 私達と同じ場所に来れませんわよッ!!」

「あたしはいつも通り賢さトレーニングやってるだけだぜ」

「賢さトレーニングというのは、ああいうのを言うんですわよッ!!」

 

 マックイーンが指差す先には、ビワハヤヒデ作・京都レース場モデル。

 盤上で駒を動かし、レースの動きを振り返るというものだ。

 そこには、ドリームトロフィーを控えるダイワスカーレットと、夏休みに彼女のトレーニングに付き合うため、ヨーロッパから一時帰国していたウオッカの姿があった。

 

「なー、スカーレット、こんな駒動かしてたって、何にもわかりゃしねーよ、頭でっかちになっちまうぜ」

「後輩たちのレース姿からも学べることはあるはずよ。特に今年のクラシック戦線は荒れるの間違いなし……白毛のソーダシップには期待大よ」

「ふーん……それならオレは、日本ダービーに出たサイレンスレジーナを推すぜ、桜花賞ではすんでのところでソーダシップに敗れたが、見どころがある。ダービーでの活躍も文句無しだった」

「ティアラ路線からダービー路線に変えたウマ娘……まるでアンタみたいね」

「だろ? 桜花賞でも接戦だったし、この二人……まるでオレ達みたいじゃね?」

「……そうね。何だか懐かしいわ」

 

 幾度となくぶつかり合ったスカーレットとウオッカ。

 ドリームトロフィーに進出した今でも──しのぎを削り合う良きライバルだ。

 

「それで、スカーレットとウオッカは、どっちが秋華賞で勝つと思うんだ? ゴルシちゃんに教えてよう」

「……」

「……」

 

 ……ゴルシの余計な一言が、二人を良きライバルからバチバチの宿敵同士に再び戻してしまった。

 スカーレットの優等生メッキは一瞬で剥がれ落ち、ウオッカはそれを挑発するかのように腕を組んだ。

 こうなってしまうと、もう誰にも止められるわけがなかった。

 

「そりゃレジーナに決まってんだろ、スカーレット。お嬢様然としているように見えて、根性はある」

「バカね、ソーダに決まってんじゃない。ちょっとワガママなところはあるけど、走りは本物よ」

「レジーナ!!」

「ソーダ!!」

「かつての自分に後輩を重ねてんじゃねえよ!!」

「それを言うならあんたもでしょーが!! ティアラからダービーに路線変える奇特なウマ娘なんて、早々居ないと思ってたのに!! あんた何か吹き込んだでしょ!!」

「何が奇特だ、ダービーはカッコ良いんだよッ! こうなったら砂浜レースで勝負だッ!! 直接捻じ伏せてやる!!」

「望むところよ!!」

 

 賢さトレーニングとは何だったのか。

 レース場のモデルを差し置いて、二人は水着姿のまま砂浜で併走、もとい並走を始めてしまう。

 それを見てゴールドシップはハンカチを取り出し、涙を拭う。

 

「うっうっ、友情はかくも簡単にブッ壊れちまうんだな……」

「オメーの所為ですわよッ!!」

「ゴルシッ!!」

 

 決まるマックイーンのトルネードスロー。

 スカーレットとウオッカは、日が暮れるまで帰って来なかったんだとか何とか。

 

「……ふぃーッ、トレーニング疲れたァ~!」

 

 すっげー腹立つ顔でゴルシが言った。

 

「貴女が一番不真面目でしたのに……ッ!」

「トレーナーっ! ボクのこと見てた~?」

「あ、ああ……」

 

 テイオーのトレーナーは口ごもった。

 ウマンゲリヲンに全て持っていかれたことなど、口が裂けても言えない。

 日は暮れ、スカーレットとウオッカが大の字で砂浜に倒れ伏せたところで、今日のトレーニングはお開きとなった。

 

「クックック……さぁて、特訓が終わったら……後は待ちに待った肝試しの時間だな」

「え?」

 

 言い出したのは、ゴールドシップだった。

 

「えっじゃねーよ、寮の企画で肝試しってのをやんだよ。組み合わせは自由だぜ、ウマ娘とトレーナーでも良いし、ウマ娘同士でも良い」

「ハッ、子供っぽい催しですわね。そんなものに出たいという奇特な精神の持ち主はゴールドシップしか居ませんわ」

「ボ、ボクもだよ! こんな子供みたいな企画、誰が考えたってのさ!」

「生徒会長」

 

 ゴルシが指を差した先には──視察に来ていたシンボリルドルフが心なしか悲しそうな顔をしていた。

 

「……ボク、出よっかなー! カイチョーの考えた企画を悪く言うヤツなんて許せないよね!」

 

 シンボリルドルフの顔が心なしか、晴れやかになったのが遠目でも明かだった。

 しかしトウカイテイオーは、怖いものが極めて苦手という弱点を持つ。

 

(哀れですわねテイオー……こうなった貴女はもう、肝試しに参加せざるを得ない。せいぜい、明日はおねしょしないよう祈ることですわ!)

 

「肝試し、ですか……なかなか面白そうな企画ですね」

「トレーナーさん!?」

 

 立ち上がったのは──マックイーンのトレーナーであった。

 

「マックイーン。ステイヤーに必要なものは何か分かりますか?」

「それはもう、根性とスタミナ……ハッ!!」

「お理解いただけたでしょうか? 肝試しで根性を鍛える。これもまたトレーニングです」

「ですが、こんな催しに参加してはメジロの名折れ……ッ!」

 

 とか言ってるが、ナイターを夜通し見たいだけであることを長年の付き合いである彼女のトレーナーはよく知っている。

 だが、マックイーンが夜通し野球放送を見て夜ふかし気味になるのは彼にとっても頭痛の種であった。

 そのため、ここ等で彼女の根性を叩き直さねばならないと考えていた。

 

「キタサンブラックさんとサトノダイヤモンドさんは出るようですよ?」

「えっ」

 

 指差した先には──見知った後輩たちの姿があった。

 

「や、やめようよ、キタちゃん……」

「こんなお祭り事、参加しない理由が無いよダイヤちゃん! テイオーさんに、成長したあたしの姿、見て貰うんだ!」

「レースで頑張ろうよぉ~……」

 

 といった具合である。

 

「後輩に後れを取るのはメジロの名折れでは? マックイーン」

「仕方ないですわね……テイオー。肝試しでも私は貴女に勝利してみせますわ! メジロの名に懸けて!」

「あ、あっれー、そんなにホイホイ息を吐くようにメジロの名前掛けちゃってもいいの~? ボクが勝っちゃうしー?」

「ハッ、足が震えてますわよ」

「む、武者震いだい! ね、トレーナー!」

「俺も出なきゃダメ?」

「だーめっ!!」

 

 こうして。

 マックイーンとテイオーは、それぞれのトレーナーと肝試しに出ることになったのだった。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 ──合宿所の周囲にある林でペアの肝試しが始まった。

 

 1番人気はトウカイテイオーとトレーナーのペア。大好きなトレーナーと一緒だが、顔色が悪い。ユニークなリアクションに期待。

 2番人気はメジロマックイーンとトレーナーのペア。澄ましたお嬢様然とした顔がいつ破顔するか、皆が心待ちにしている模様。

 そして、この順位は不満か? 3番人気はキタサンブラックとサトノダイヤモンドのペア。幼馴染コンビの絆が試される。

 

「尚、実況はこの私、ゴールドシップでお送りします。皆見てるー? ピースピース!」

「解説はこの私、アグネスタキオンで、お送りするよ」

「……ところで聞きたかったんだけど、何でタキオンが解説? オマエ、バリバリの理系じゃね?」

「何、それは後のお楽しみだよ」

「へーえ、面白そうじゃねえか。マックちゃんが破顔するところみられりゃあたしはそれでいいや。因みに、撮影はメジロ家の特製ドローン3機で行うぜ」

 

 ドローンはメジロ家の所有物のはずだが、どうやってゴールドシップが用意したのかは──また別の話である。

 

「ルールは、3つの別々のコースを、それぞれのペアが進むというもの……途中に何があるかは分からねえ地獄への一本道! いやあ、今から考えるだけで身の毛がダンスしちゃうぜえ~!!」

「クックック、ウマ娘が恐怖したときにどのような身体作用に現れるのか、これは肝試しという名の実験だよ!!」

「第一レースはこの3ペア……早速豪華なメンツで、ゴルシちゃん今からワクワクすっぞ!」

 

 この二人を実況と解説役にしたのは何処のどいつなのだろうか。

 

 

 

「最後まで脱落せずにコースを進み切れたチームの勝利だ! さあ、GⅢ肝試し賞第一レース……此処にゲートオープン!!」



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テイオー「ボク、オバケ怖くないし……」(後編)

「さあて始まりました、GⅢ肝試し杯、各ペアの様子を見ていきましょう、Aチームテイオー&トレーナーペア」

「くっくっ、テイオーは流石に震えているようだねえ」

「Bコース、マックイーン&トレーナーペア」

「速足で歩いているようだ。しかし──そんなにさっさと進んでいていいのかな?」

「と言うと?」

「各コースにはオバケ役が潜んでいる。そしてBコースの最初に隠れているのは──」

 

 

 

 

『キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーッッッ!!』

 

 

 

 

 マックイーンの恐怖顔が映像に映し出される。

 トレーナーの腕を掴み、全速力でダッシュするマックイーン。

 その後ろからは──薄緑色に発光する何者かが追いかけて来るのだった。

 

「ザマー見やがれ、マックイーン!! ところで解説のタキオンさん、あの発光してるのは──」

「Bコースには、私の薬を飲んだモルモット君が潜んでいたのだよ。今のモルモット君はゲーミングカラー、凡そ人が発してはいけない16777216色の極彩を纏って輝──眩しッ!? 眩しすぎるぞモルモット君、実験は成こ、眩しッ!!」

 

 倫理観の欠片も無いタキオンの発言は置いておき、各3コースにはそれぞれオバケ役が潜んでいる。

 開幕から常識を超えて発光する怪物体──いや、怪人物に遭遇してしまったマックイーンに、観客のウマ娘たちは同情を禁じ得ない。

 

「暗闇でもここまで分かりやすく発光するとは……」

「お前……だんだん光らせるための薬になってねーか? 肉体改造何処行ったんだ?」

「これもまた研究の過程さ。一つ一つは取るに足らないことのように見えるがね。だが、これは偉大なる一歩さ。この調子なら、いずれモルモット君は自力で光合成が出来るようになるかもしれない」

「えっ、何言ってんのこの人……」

 

 流石のゴールドシップもドン引きであった。

 

「さ、さーてマックちゃんの恐怖顔がナイス撮れ高だったところで……Cコースを見ていくか!」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「ねえ、キタちゃん……オバケが出たら守ってね……?」

「勿論! まっかせてよ!」

 

 ぎゅっ、とダイヤはキタの袖を掴む。

 目は恐怖で潤んでいる。

 少し罪悪感が湧いてくるキタ。

 しかし──肝心のダイヤの内心はと言えば、そう悪いものではなかった。

 

(ふふっ、ちょっと怖いけど、何だかキタちゃんとデートしてるみたい……肝試しも何時ぶりかしら?)

 

 サトノダイヤモンド、策士。

 確かに肝試しは怖いが、これはこれで良し、と結論付けたのである。

 

「あ、あの、ダイヤちゃん、さっきから近くない?」

「えっ!? あ、い、いや、その……怖くって」

「そんなに引っ付かれたら動きづらいんだけど……」

「……キタちゃんは、私が引っ付くの、イヤ……?」

「そっ、そういうわけじゃ……!」

 

 むにゅ。むにゅむにゅ。

 

 自分のそれよりも大きく、たわわなそれが腕に押し付けられており、キタの目は泳いだ。

 感触が二の腕を伝ってはっきりと分かる。ジャージ越しだが、確かにはっきりと。

 スクール水着でも隠せないあの魅惑のふくらみが、確かに。

 

(あーもうッ!! 普段っから危なっかしいところはあるけど、わざとなの!? わざとなのかなあ!?)

 

(キタちゃん、目が泳いでる……どうしたのかしら?)

 

 この無自覚である。

 サトノ家のご令嬢、恐るべし。

 そんなことを知る由もないキタが、顔を俯かせたその時。

 

 

 

 ひゅ、ひゅふふふっ……

 

 

 

 ゾクゾクッ、と二人の背筋にぶつぶつが走って行った。

 何処からか響いてくる不気味な笑い声。

 周囲は暗く、懐中電灯だけが頼りだが、キタはそれを動かせなくなってしまった。

 もし、動かしたら──「何か」が見えてしまうような気がした。

 

「キ、キタちゃん、今のって……!」

「き、気の所為だよダイヤちゃん! とっとと、鳥の、笑い声だって!」

「キタちゃん錯乱してる!?」

 

 

 

 

 ひゅ、ふふふふふ……ッ!!

 

 

 

 キタは思わず振り返った。

 振り返ってしまった。

 背筋が凍る。

 路地に──赤い血だまりが出来ており、自分達の足元にまで流れてきている。

 絵具かと思ったが、ほんのり赤黒くなっている。

 

(ッ……ウソ、でしょ……!!)

 

「血、血ッ……!? 何でっ──!?」

 

 ダイヤの顔に最悪な想像が浮かぶ。

 血をしたたらせた、幽霊かゾンビか。

 それとも人を喰らうケダモノか。

 少なくとも路地を濡らす赤い液体は作り物ではない。

 肝試し陣営も想定していなかった何かが、背後にいる。

 

「ッ……ダイヤちゃん、隠れてて」

「でもっ」

「震えてるじゃんッ! でも、安心して。あたしが──守るから」

「っ……!」

 

 キタは構えを取る。

 大好きな幼馴染を守る為に。

 そして躊躇なく、懐中電灯で思わず路地を照らした──

 

「はぁ──ッ!! 来るなら……来いッ!!」

 

 

 

 ひゅふふふふふふッ……!!

 

 

 

「ッ!?」

 

 

 

 

 キタとダイヤは──驚きに目を見開く。

 照らされたその先には──

 

 

 

 

「でゅ、でゅふふふふ……」

「……」

「……」

 

 

 

 幽霊の正体見たり。

 路地に這いつくばって、鼻血を流しているアグネスデジタルがビデオカメラを構えていた。

 尚、衣装は申し訳程度の真っ白な服。

 先生、何やってんすか。

 

「えーと、アグネスデジタルさん、ですよね?」

「……ぐぇへへへへ、本当もう御馳走様です、幼馴染同士の絡み、良いッ……!! あたしが守るから、ってすっごくこう……キュンでした」

 

 指ハートはちょっと時代遅れなアグネスデジタルであった。

 

「は、恥ずかしいんだけど……!?」

「あ、もう、大丈夫、これ以上は供給過多だから……これ以上は私、尊みがしんどくて死んじゃう……! ウマ娘ちゃん同士の絡みが見られるって聞いてたけど、こんなに良い役引き受けてたら残機無くなっちゃうよお!!」

「ということはデジタルさん、肝試しの幽霊役を……?」

「タキオンさんから頼まれて……で、でも、思わぬ副産物が手に入ったワケで……げほっ、えほっ、これでしばらくは何も食べなくても、生きていけるッ!!」

「あたし達はダシにされたわけか……って鼻血凄いですよ!?」

「本当にそれはゴメンなさい──でも、あたしはこれで退散するんで……尊みに頭をやられて、ウマ娘ちゃんに気付かれるなんて、デジタル一生の不覚……ッ!」

「待ってください、デジタルさん! ……私は、悪くなかったですよ?」

「ふぇ?」

 

 そう言うなリ、ダイヤはキタに抱き着く。

 

「キタちゃんのカッコいいところ、たっくさん見られましたから♪」

「ダ、ダ、ダイヤちゃんっ……!?」

 

 キラッキラの笑顔で言ってのける幼馴染に思わず顔から火が出そうになるキタ。

 そして──それがデジたんの致命傷となった。

 

 

 

「ん”ほぉああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

 

 

 奇声を上げて、鼻血を思いっきり噴出させるアグネスデジタル。

 今度は仰け反って路地に倒れ伏せた。

 完全に昇天している。供給過多だ。

 

「もー無理ぃ……死ねる……ひひ^~ん」

「デジタルさああああん!?」

「あ、あらら……」

 

 ──肝試しCコース。

 幽霊役・アグネスデジタル、脱落。

 そして──

 

「ダイヤちゃん、宿舎の方まで運ぶよ!」

「う、うんっ!! デジタルさん、しっかりしてください!」

「ほ、星が見える……あ、あれは、死兆星?」

「しっかりしてぇ!! 気を確かに持って!! 死兆星はそういうのじゃないから!!」

 

(どうしよぉ……こんな事になっちゃうなんて……)

 

 ──デジタルにトドメを刺したのを激しく後悔したサトノダイヤモンドであった。

 キタサトコンビ、コース逆走につき脱落。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 ──その頃、Bコースにて。

 

 

 

「はぁっ、はぁ、もう追ってきないですわね!?」

「そのようですが……」

 

 

 

 無事、極彩色に光り輝くオバケから逃げおおせたマックイーンペア。

 しかし、早速精神力が削れたからか既にマックイーンは掛かり気味。

 このままではコースを渡り切るのも難しいかもしれない。

 

「……全く、世話を焼かせますね」

「何とでも言って下さいな! 何でしたのアレ!?」

「さ、さあ……解説席にはアグネスタキオンが座っていましたし、恐らく彼女の薬を服用した担当トレーナーかと」

「……ああ、それなら納得ですわね」

 

 息を整えたマックイーンは顔を上げる。 

 見ると──目の前の道は二つに別れていた。

 

「コース、一本道だったはずですわよね?」

「どうやら迷い込んでしまったようですね、マックイーン」

「そんな!? ど、どうすれば……」

「監視ドローンの姿も見えませんし、スマホも──」

「……どうしましたの? トレーナーさん」

「……いえ、何でも」

 

 何か思い当たることがあったのか、口を噤むトレーナー。

 しかし、結局彼はマックイーンの質問に答えることはなかった。

 

「あっ、二人共……道に迷ったの?」

 

 その時だった。

 後ろから──声が聞こえてきて、マックイーンは仰け反った。

 振り返ると、そこに居たのは小さな帽子を被ったウマ娘・ライスシャワーだった。

 

「ライスさん!? 何で貴女が此処に!?」

「……こっちだと思うなあ」

「え?」

「ライス、こっちが出口に繋がってると思う」

 

 トレーナーは押し黙る。

 ライスシャワーはにこにこと笑いながら、右の道を指差している。

 マックイーンは、親しい彼女の云う事を信じようとしたのか、その方に向かおうとするが──

 

「……マップによれば、恐らく左ですよ」

「トレーナーさん!?」

「……ライスは右だと思うんだけど」

「いいえ、現代技術を侮ってはいけませんよ。左です」

「……そっか。それなら仕方ないね」

 

 そう言って、ライスは何処か諦めたようにトレーナーとマックイーンに着いていくのだった。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 

 分かれ道のその先には──また分かれ道。

 林道は右と左に分かたれている。

 

「また分かれ道!? トレーナーさん、本当にこっちで合ってますの!?」

「……」

「トレーナーさん!?」

 

 マックイーンの呼びかけにトレーナーは答えなかった。

 何か、恐ろしい事を考えているような──そんな表情だった。

 

「マックイーン」

「は、はい!」

「ライスさんの姿が見えませんが」

「ッ……!」

 

 彼女は思わず辺りを見回す。

 先程まで着いてきていたライスシャワーの姿が無い。

 もしかしたら一人で迷っているのかもしれない。

 

「トレーナーさん、引き返しましょう!」

「……いえ、その必要はないみたいですね」

 

 トレーナーは指を差す。

 分かれ道の岐路に、また誰かが立っている。

 ぐるぐる、ぐるぐる、と何か思案するように右回りで回転するウマ娘──サイレンススズカだ。

 

「此処は肝試しのコース。ウマ娘たちがこうして立っているのでしょう。きっと誰かが見つけてくれますよ」

「そ、そうですが……それより何故、スズカさんが此処に?」

「……二人共、道に迷ったの?」

 

 サイレンススズカは──そう問うた。

 

「え、ええ。何故か分かれ道が多くって」

「……そう。それならきっと、右に行くと良いわ」

「……いえ、その必要はありませんよ」

 

 トレーナーはマックイーンの手を引いた。

 

「トレーナーさん!?」

「……信じて下さい、マックイーン」

「で、でも、スズカさんがこっちって──」

「……早く!」

 

 強く、彼女の手を引っ張る。

 前髪に隠れて、スズカの眼は最後まで見えなかった。

 

 

 

 ※※※

 

 

 ──そして同じ頃、Aコースにて。

 

「とれぇぇぇなぁぁぁ」

「何で挑戦したんだよオマエは……」

「だってぇぇぇ」

 

 トレーナーに抱き着きながら震えた声で引きずられているテイオー。正直、かなり歩きづらい。

 

「やれやれ、あのゴルシが考えた肝試しだろ? どーせロクでもないに決まってる」

「そんな事言われても何の気休めにもならないよぉぉぉう」

「はー全く世話の焼ける……」

「トレーナーは怖くないの!?」

「良いかテイオー、大人になったらオバケよりも電気代や給料からしょっぴかれる税金の方が怖いんだよ」

「世知辛くて逆に怖いよぉー!!」

 

 テイオーの耳が垂れた。

 大人とは、かくも辛いものなのである。

 しかし、此処までは特に何も出ることはなく、トレーナーとテイオーは順調に歩を進めているのだった。

 が。

 

「ぴぃっ!!」

「テイオー!? どうした!?」

「な、なんか、ガサガサ音がするう……っ!」

「俺には何にも聞こえないが──っあ!」

 

 すぐ目の前の茂みにトレーナーは目を遣った。

 あからさまに揺れている。

 身構えた。

 テイオーの瞳が恐怖で揺れる。涙が湧き出てきている。

 そんな彼女の頭を大丈夫だ、と手を置きながらトレーナーは生唾を飲み込んだ。

 そして──

 

 

 

「──ゴーストバスター・マルゼン、ドロンと参上~!!」

 

 

 

 ──ずっこけそうになった。

 現れたのは清掃業者の恰好をした、超速ウマ娘・マルゼンスキーである。

 その手には掃除機が握られており、何処からどう見ても一世を風靡したあの映画のアレであった。

 

「……マルゼンスキー?」

「ナ、ナンデ、こんなところにいるのさ!? ビックリしたじゃんか! てか、何その衣装!?」

「これが今流行りのチョベリグなゴーストバスターズの衣装ってワケ。イカしてるでしょ? 私の次のレースの勝負服、これにしちゃおうかしら」

「勝負服って、オヤツみたいなノリで決められるモンだっけ!?」

「もー、冗談はよしこちゃん! マルゼンのイケイケジョークよ!」

「……このテンションにはついていけん」

「ボクも……」

 

 ちょっとセンスが古いマルゼンスキー。

 幽霊退治の衣装も、大分古い。ゴーストバスターズとか今の子は知らないんじゃないだろうか。

 

「あっ、その目はお姉さんの幽霊退治が古臭いって顔ね! 侮らないで頂戴! 今の流行りはこうでしょ──術式展開

「何でそれだけ知ってんだよ!!」

「合ってたぁ~! お姉さん嬉し☆」

「……マルゼンスキー、何しに来たの?」

「もー、テイオーちゃんったら、お姉さんがトレーナーと話してるからってヤキモチ焼いちゃダメよ? 心配しなくても取ったりしないんだから」

「取ったら怒るもん」

「あら可愛い」

「怒るよ!」

 

 ぎゅう、とテイオーがトレーナーを抱きしめる力が一段と強くなった。

 それを見て微笑ましくなるマルゼンスキー。

 普段の凛々しさから一転して、好きな相手への執着が強くなりがちなのは可愛らしい、とここにはいないルドルフのことを思い浮かべながらそう考えるのだった。

 

「うっふふ、実はルドルフに頼まれてね……ある幽霊を退治してほしいって頼まれたのよ」

「幽霊?」

「ええ。この道、実は合宿中にマンホールに落ちて死んだウマ娘や、お正月にお笑い番組を見ていて紅茶を喉に詰まらせて死んだウマ娘の亡霊が出てくるらしいわ」

「な、なんつー笑えるようで笑えん死に方……」

「なんか既に胡散臭いんだけど。で、マルゼンスキー、どんな幽霊なのさ?」

「待っててねー、資料を取り出すから」

「幽霊に資料もクソもあるのか?」

 

 そっぽを向いてカバンをゴソゴソと漁るマルゼンスキー。

 ぽんぽん、と道具やらなにやらが飛び出してくる。いちいち古臭い。

 

「……そういえばさっきの幽霊、元はトレセン学園の娘らしいのよね」

「え?」

「大事なレースの前に死んだ無念から、今でも出てくるらしいのよ」

「……マ、マルゼンスキー、じょ、冗談だよね?」

「本当よ」

 

 平坦なトーンでマルゼンスキーは言った。

 

「なあ、マルゼンスキー。まだ資料、見つからないのか?」

「……」

「マルゼンスキー?」

「……ああ、あったあった」

 

 彼女は、振り向く。

 

 

 

 

 

 

「こ

 

 

 

 

 

 

 

            んな

 

 

 

 

  の……だったか

 

 

 

            しらあ?」

 

 

 

 

 ──マルゼンスキーの顔は、無かった。

 ただただ平坦と、のっぺりとしており──目も、鼻も、口も、消え失せていた。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「……なぁんてね! ビックリした!? お姉さんの特製メイク!」

「あ、ああ、ビックリしたよ」

 

 顔のパーツが消えたまま、マルゼンはニコニコと笑ってみせる。

 どうやら、道具を漁っているように見せかけて、顔にメイクを塗っていたらしい。

 恐ろしい技術だ。本当に顔が消えたのかと思った。

 

「それにしても──参ったな、どうするんだ?」

「そうね……王子様のキスで目覚めるんじゃない?」

「冗談はやめてくれ」

 

 オバケは居なかった。

 幽霊なんて居なかった。

 問題は──肝心のテイオーが立ったまま気絶してしまったことだろう。

 白目を剥いたまま突っ立っている。このままでは肝試しどころではない。

 マルゼンスキーの演技が迫真だったこともあり、ショックが大きかったようである。

 

「お前が前置きに作り話で盛り上がらせるから……」

「あら、作り話じゃないわよ?」

「え?」

 

 マルゼンスキーはメイクを拭ってみせると言った。

 

 

 

「──出るらしいのよ。ウマ娘の幽霊、本当に……()()()、出てくるって」

「……」

 

 

 

 トレーナーは押し黙る。

 この事はテイオーには言わないでおこう。

 彼女が夜独りで眠れなくなるだろうから。

 

(それにしてもマンホールに落ちたりお笑い番組で死んだって……)

 

 微妙に怖がって良いのか悪いのかよく分からないトレーナーであった。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「……あ、あれ、何時の間にか抜け出したみたいですわ」

「……ゴール地点、のようですね」

 

 気が付けば。

 肝試しのゴールに二人は立っていた。

 何とも言えない不思議な体験だった。

 一本道のはずなのに繰り返す分かれ道。

 そして、岐路に立っていたライスシャワーとサイレンススズカ。

 彼女達が示した方とは逆の方向を進むと、ゴールに着いた──

 

「ねえ、トレーナーさん」

「何でしょう?」

「トレーナーさんは、全て分かっていたのではないですか?」

「何の事ですか?」

 

 努めて冷静を取り繕うようにトレーナーは言った。

 彼の息は荒かった。

 

「……あっ、マックイーンさん! トレーナーさんっ!」

 

 その時。

 向こうの方から、ライスシャワーが駆け寄ってくる。

 ゴールで待機していたであろうヒシアマゾンや、エアグルーヴといった面々も見える。

 良かった、恐らくあの後自力で此処まで辿り着いたのだろう、とマックイーンは胸を撫でおろす。

 

「ライスさん! 心配したんですのよ!?」

「ふぇっ!?」

「分かれ道までは一緒に進んでいたのにいきなり居なくなるから……」

「……え? マックイーンさん、何を言っているの?」

 

 ライスシャワーは首を傾げた。

 

「ライス、最初からずっとゴール地点でマックイーンさんを待ってたよ?」

「……え? で、でも、ライスさん、コースの中で……」

「それより心配したんだよ!? ドローンが急に、故障してマックイーンさんたちだけ追えなくなって……」

「……」

「無事に帰れるかなって皆心配してたんだよ!?」

「……ねえライスさん、一つ聞いて良いかしら?」

 

 マックイーンは蒼褪めた表情で問いかけた。

 

「……スズカさん、どちらに居られるか存じてます?」

「え? 確か……今日はスペちゃんと一緒に宿舎で映画見るって言ってたけど」

「……」

「……」

 

 マックイーンとトレーナーは顔を見合わせた。

 そして、再度マックイーンはトレーナーに問いかける。

 

「……トレーナーさん。スマホのマップで本当に分かれ道の先を見つけたのですか?」

「すみません、マックイーン。あの時私はウソを一つだけつきました」

「……?」

「あの時、スマホは圏外で──ネットもマップも使えませんでした。しかし、現代日本において屋外でスマホが圏外になるということはほぼ有り得ません」

 

 マックイーンさんがパニックになっては困るので黙っていたのですが、とトレーナーは付け加えた。

 ではあの時。

 もしもトレーナーのハッタリを信じずに右に進んでいたら?

 あのライスやスズカ──のような姿をした「何か」と一緒に進んでいたら?

 

「私達が進んでいたのは本当に肝試しのコースだったのでしょうか? マックイーン」

「……じゃ、じゃあアレは──」

「……マックイーン。この事は忘れましょう。何も無かったんですよ。何も──」

 

 沈黙がその場に横たわった。

 そして、とマックイーンの身体から力が抜ける。

 

 ぱたり。

 

 軽い身体がトレーナーの元に倒れ落ちた。

 

「マックイーン!? ……大丈夫ですかマックイーン!?」

「マックイーンさん!? だ、誰か担架を持って来てえ!?」

 

(もう、肝試しなんて金輪際二度とやりませんわ……)

 

 

 

▼マックイーンの根性が20上がった!

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「……」

 

 

 

 気が付くと、朝だった。 

 チュンチュン、と外から雀の泣く声が聞こえてくる。

 テイオーは朝練に行かなければ、と身体を起き上がらせた。

 そして──昨晩の顔の無いマルゼンスキーのことを思い出し、布団に潜り込んだ。

 

「おーいテイオー」

「ピギャーッ!!」

 

 呼びかけに悲鳴で返すテイオー。

 もっと深く布団に潜り込んでしまう。

 

「お前が起きて来ないからって聞いてやってきたんだよ」

「……トレーナー?」

「昨日のマルゼンスキーは特殊メイクだ、驚かせて悪かったってさ」

「……」

 

 因みに肝試し杯で優勝したのは結局マックイーンのペアだったという。

 それを聞いて、余計にテイオーは機嫌を悪くした。

 負けたのだ。肝試しでマックイーンに。それがとても悔しかった。

 

「……ヤになっちゃうな。何でボク、こんなに子供っぽいんだろ」

「いや、マルゼンスキーのアレは俺でもビビったから」

「……」

「……出て来いよ。もうお化けも何も出てこないからさ」

「……」

 

 ドキドキ、と胸が高鳴る。

 恐怖もないまぜだ。

 トレーナーの顔がもしかしたら無いかもしれない。

 そんな事を考えると、身の毛がよだつ。

 それほどまでにショックが身に刻まれていた。

 

「……テイオー」

「ん」

 

 彼女は布団から少しだけ顔を出した。

 そして、トレーナーの顔を確かめると──その胸目掛けて飛びついた。

 

「……怖かった」

「よしよし、頑張ったな」

「怖かったよう、トレーナー……!」

 

 普段は、気丈な彼女だが、脆い部分もある。

 そんな彼女を支えていこうと考えるトレーナーだった。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「ちぇっ、残念だよ! マックイーンに肝試しで負けるなんてさ!」

「……」

「昨日聞いたら、マックイーンだけだったみたいじゃん! 最後まで完走したのはさ!」

「……あの、テイオー」

 

 死人のような顔色でマックイーンは言った。

 

「……肝試しなんて、やるもんじゃないですわ、本当に……」

「……マックイーン?」

「……聞きます? 昨日、何があったか──」

 

 

 

▼コンディション獲得……「寝不足」



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【番外編】「ふたりはウマキュア……?」

今回はクソみたいな番外編です。
クソ映画を鑑賞するカイチョーと副会長の姿をお楽しみに。


「ふたりはウマキュア、ですか……?」

「ああ。URAはトウカイテイオーと、メジロマックイーンというふたりのウマ娘のキャラクターの強さに惹かれたみたいでね。このふたりの主演の特撮映画を急遽、作成することになった」

「その予算は一体何処から湧いたのですか?」

「理事長の……懐だ」

「たづなさんは何をしていたんですかッ!?」

 

 エや下。

 エアグルーヴは生徒会長に「たまには二人っきりで映画でも見て過ごさないか?」と誘われ、やってきたのは映画館──ではなく生徒会室。

 うっきうきの気持ちだった彼女は、ロクでもない用事の匂いがしてきたからか直帰を提言したが却下された。

 

「まあ良いじゃないかエアグルーヴ。たまには童心に帰るということで、な?」

「もう嫌な予感しかしないのですが……」

「何、良いじゃないか。私とて……テイオーの成長した姿が見たくってね」

「……仕方ないですね」

 

 ポチ。

 再生ボタンを押すと、早速映像が流れる──

 

 

 

「──ボクはトウカイテイオー! ごく普通の女子中学生!」

「私はメジロマックイーン。ごく普通のスイーツ大好きお嬢様!」

「だけどボクたちは人々に正体を隠して学園の平和を守ってるんだ!」

「そう、何てったって私達──」

 

 

 

 ふたりはウマキュア!

 

 

 大モニターにはデカデカと「ふたりはウマキュア!」というタイトルが映し出されていた──

 

 

 

「……会長。これは所謂、煎じすぎて味がしないという──」

「脚本については……言ってくれるな……」

 

 ──場面は、平穏な学園の1シーンから始まる。

 サイレンススズカがクラスメイトに会釈をして学園を出ていく姿が映し出されていた。

 親友が出演しているのを見て、エアグルーヴは視聴継続を決意する。

 

(やれやれ、スズカ……出演するなら応援に行ったものを……)

 

 脇役なのが勿体ないな、とエアグルーヴは肩を竦めた。

 友人たちと談笑するスズカ。

 しかし、その顔は何処か憂いを帯びている。

 

「私、最近悩みがあるの……私、先輩のことが好きなんだけど、告白する勇気が出なくって……」

「えー? スズちゃん可愛いんだから勇気を出しなよ」

「無理よ! 私なんて走ることしか取り柄がないし……」

 

 

 

「そんな事はないッ!! スズカの取り柄はこの女帝である私が一番知っているッ!! お前の想いはその程度かッ!? 自信を持って思いのたけをぶちまけてみせろッ!!」

 

 

 

 立ち上がり叫ぶエアグルーヴ。

 ドン引くルドルフ。

 

「エアグルーヴ、映画の途中に叫ぶんじゃない」

「ハッ、すみません……つい癖が……」

「この手の話に恋する乙女の悩みは、それにつけこむ悪役が出てくる前フリ……とアグネスデジタルが言っていたような気がする。恐らくこの後、スズカの悩みにつけこむ不逞な輩が出てくるのだろう」

 

(会長がどんどん変なサブカルにハマりつつある……)

 

 悩みを友人たちに打ち明けるスズカの視線の先には暗い雲がかかっている。

 どことなく不穏だ。緊張感のあるBGMが流れる。

 

「ああ……私は一体……どうすれば良いの?」

 

 スズカが不安そうに声を漏らした、その時だった。

 

 

 

 

「YO! そこの道行く兄ちゃん姉ちゃんッ!!」

「突き進むスタイル、確立ッ!!」

 

 

 ──突如、学園のセットと、それまでの雰囲気、話の流れをブチ壊して1台のイカつい車が突っ込んでくる。

 逃げ惑う生徒達。

 テレビの前で困惑する会長と副会長。

 明らかに脈絡のなさ過ぎる敵役の登場、そして──その配役に二人は絶句した。

 片や、マスクを着けた全身金タイツのナイスバディな葦毛のウマ娘。

 片や、ボサボサの髪をした全身金タイツのスレンダーな黒毛のウマ娘。

 二人にとっては、見覚えしかない連中であった。つまり、生徒会室で怒られる常連組。

 

 

 

「ゴールドシップに……キンイロリョテイ……ッ!?」

 

 

 

 エや下。

 よりによって、学園でも屈指の問題児約二名である。

 前者の黄金船は言わずもがなであるが、後者の金色旅路は更に輪をかけて酷い。

 レースを真面目に走らないわ、スペちゃんの尻尾を噛むわ、左にヨレるわ、練習をサボる、スペちゃんの尻尾を噛む、ヨれる、スペちゃんの尻尾を噛む……とにかく逸話に事欠かない問題児であった。

 誰だコイツらを一緒に映画に出演させた大バ鹿野郎は。劇物に劇物を混ぜると劇物になるのは当然の帰結であった。混ぜると危険。混ぜなくても危険。

 

「ちょっとあの金色のバカ共を抹殺し……」

「待て待て待つんだエアグルーヴ、此処からが! 此処からが面白いんだ」

「私は既に面白くないのですがッ!? 恋する乙女の悩みではなく、私の悩みにつけこむカタキ役が出てきたのですがッ!?」

 

 

 

「な、何なの貴女達……!」

 

 スズカが怯えたように言った。エアグルーヴが一番それを言いたかった。

 それに対し、ゴルシが名乗りを上げる。

 

「あたしはゴールド1号、右の相棒はゴールド2号……二人合わせて悪のゴールド団ッ!!」

「ゴールド団……ッ!? ウソでしょ、二人しかいないのに団なの……!? ……マイナーなのね」

「マイナーって言うんじゃねえよ! 泣くぞッ!! 腹いせに平穏な学園生活をブチ壊してやるぜ!! 今日から全員、午後の紅茶を朝に飲むんだよッ!!」

「意味が、分からないッ……!」

 

 当然だが視聴者も意味が分からない。

 

「さあゴールド2号!! 早速、お前の力を見せてやれッ!!」

 

 

 

『撮影が面倒くさくなったので帰る。 byキンイロリョテイ』

 

 

 

 ──そこには、張り紙だけが残っていた。

 ゴールド1号も、そしてスズカも沈黙。

 視聴しているルドルフとエアグルーヴも沈黙。

 そして──

 

 

 

「「「ステゴァァァァーッ!!」」」

 

 

 

 奇遇にも、画面の中のゴルシと一緒に、ルドルフとエアグルーヴは同時に謎の奇声を上げていた。上げざるを得なかった。

 魂がそう叫べと言った気がした。「ステゴ」の意味なんて皆知らん。

 因みに後から聞いたが、キンイロリョテイはマジで撮影の途中でバックれたらしい。ウソでしょ……?

 

「なんてふてえ奴!! そんなんだから何時まで経っても実装されねえんだぞッ!! くそッ、ウマキュアめ……ゴールド2号を倒すとは……絶対に許せねえ!!」

 

 相方の居なくなった助手席を見つめるゴルシの眼が心なしか寂しい。流石の彼女も大分堪えたようである。エアグルーヴは今度からゴルシへの接し方を少しだけ変えてやろうと思ったのだった。

 それはそれとして、まだ登場すらしていないウマキュア二人にゴールド2号討伐の冤罪が掛けられている。良いのかそれで。

 

「ウソでしょ……!?」

 

 そう言いたくもなる一般学生役スズカの気持ちは大いに分かってしまうエアグルーヴだった。

 

「もう、スズカだけがこの映画の癒しだな……」

 

 そう言いたくもなる副会長エアグルーヴの気持ちも多いに分かってしまうシンボリルドルフだった。

 

「こうなったら最終兵器、ウマンゲリヲン4号機を使うしかねえ!!」

 

 ポーズをつけて叫んだゴルシの背後から、巨大なロボットが現れる。

 戦慄するルドルフとエアグルーヴ。

 

「馬鹿な、あれは私と会長が海に沈めたはず……!?」

「それは本来、映画の登場人物が言う科白なのだが……」

「やっちまえ、4号機!! スズカを連れ去るのだーッ!」

「きゃーっ、助けてーっ!」

 

 もんず、と伸びたアームがスズカの身体を掴む。

 色々予定は狂っただろうが、流石ゴルシのアドリブ。

 何とかヒロインのピンチまで持って行った。

 場面は緊迫しているのに、なぜか安堵が隠せない視聴者2名だった。

 

「んっ、はぁ……これ、ちょっと……くすぐっ、たい……!」

「スズカーッ!?」

 

 そして、捕まってるスズカがちょっと色っぽいことに焦りを隠せないエアグルーヴ。

 何故彼女がキャスティングされたのか理解できてしまった女帝であった。うまだっち。

 

 

 

「くっくっく、人質を解放してほしかったら、このあたしに午後の紅茶を献上するんだなッ!!」

 

 

 

「「ちょっと待ったーッ!!」」

 

 

 

 

 何処からともなく声が上がる。

 現れたのは──主役二人。

 制服姿のトウカイテイオーとメジロマックイーンだ。

 

「何だぁ!? お前らはーッ!」

「恋する乙女の悩みにつけ込むなんてボクたちが許せないッ!」

「貴方の行い、ウマ娘として見過ごせませんわ!」

 

 ひたすら午後の紅茶戦争しかしていなかった気がするが、もうルドルフとエアグルーヴは突っ込まなかった。

 

「「とうっ!」」

 

 二人が飛び出し、お決まりの変身バンク。

 幾ら金を注いだのか分からないが、CGの出来が良い。

 不死鳥の如き燃え滾る炎がテイオーの背中から現れ、彼女の身体を包み込む。

 白い羽が舞い降り、マックイーンの身体を包み込んでいく。

 

 

「大地を駆ける、愛と勇気と不死身の帝王、ウマフェニックスッ!!」

「大空を翔ける、正義と宿命と純白の名優、ウマアクトレスッ!!」

 

 

 

「「ふたりはウマキュアッ!!」」

 

 

 

 

 新しい勝負服を更に派手にしたようなデザインの衣裳を身に包んだ二人が現れる。

 映像美に息を飲まれたルドルフとエアグルーヴだったが、同時に──

 

((この後たづなさんにしこたま怒られたんだろうな……))

 

 と、理事長の心配をするのだった。

 

「ゴールド団! お前達の野望はボクたちが砕く!」

「とっととおうちに帰りなさい!」

「クッソーッ!! 変身したからって調子に乗るんじゃねえ! ウマンゲリヲン4号機! 二人を潰せーい!」

 

 巨大ロボット・4号機の拳がウマキュア二人に迫る。

 しかし、それをバク転で躱すテイオーとマックイーン。

 これをスタント無しでやっているというのだから、ウマ娘の身体能力には目を見張るものがある。

 そのまま、振り下ろされた拳を伝って走り、ロボットの頭に蹴りを入れる二人。

 CGの爆風と共に、4号機の頭部は吹き飛んでゴルシが慌てる。

 

「くっそぉ!! 何故、あたしの邪魔をする!!」

「午後の紅茶を朝に飲むなんて、許せないからですわ!」

「確かにボクも午後の紅茶を朝に飲むけど、それはそれとしてスズカを放せ!」

「「……ん?」」

 

 顔を見合わせるウマキュア二人。

 しばらくその場に流れる沈黙。

 これもう放送事故レベルだろ。

 既にウマキュア二人のスタンスが噛み合っていない。

 

「は? 午後の紅茶は午後の紅茶でしょう? 朝に飲むなんて有り得ませんわ」

「何言ってんのアクトレスは!? 朝に飲む午後の紅茶程、気持ちのいいものはないよ!」

「そもそも貴女、旧家の令嬢でしょう!? 何で午後の紅茶を飲んでますの!?」

「アクトレスには言われたくないね! お嬢様のくせに、皆に隠れて午後の紅茶と一緒にキノコのお菓子なんかを食べてたじゃん!」

「なんか!? なんかとは何ですの!! フェニックス、貴女さては隠れタケノコ派でしたのね! 許すまじ!」

「……やっぱりボクたちは相容れないんだね」

「ええ。ウマキュアは二人も要りませんわ」

 

 ……ルドルフとエアグルーヴは顔を見合わせた。

 何でこいつら急に仲間割れ始めたの?

 

「ちなみにあたしは、すぎのこ派だーッ!!」

「「お前の意見は聞いてないッ!!」」

「ゴルシッ!!」

 

 いきなり主張をしたゴルシの胸にキックが飛ぶ。理不尽。

 

「やめて! 私の為に……争わないで!」

 

 叫ぶスズカ。そのセリフは絶対に違うと思う。

 この脚本を書いたのは一体誰なのだろうか、と頭を抱えるルドルフとエアグルーヴ。

 最早何から何まで支離滅裂だ。

 激しく格闘戦を始めるテイオーとマックイーン。

 その末、二人は傷つき、地面に倒れてしまう。

 

「くそっ、なんて手強いんですの……ゴールド団……!」

「ボクたちに仲間割れを強いるなんて……卑怯だぞ!」

「ひきょうもらっきょうも大好きだぜ!!」

 

(完全に自分で蒔いた種を踏んでいっただろう……)

 

 最早、何も言うまい。

 高笑いを上げるゴルシと、頭の吹き飛んだ4号機。

 そして結局捕まったままのスズカ。

 

「よわっちぃヤツらだな……スズカはこっちで洗脳して、新しいゴールド2号にしてやるぜ」

「た、助けて二人ともーッ!! 私、この人に一生ツッコミを入れ続ける生活なんてイヤーッ!」

「くっ……」

「何とむごいことを……!」

「さーてと、ゴルシちゃんはさっさとお前達を倒して、晩のシチューライスを頂くとするぜ」

 

 

 

 ブチッ

 

 

 

「一時休戦ですわ、フェニックス」

「うんっ、そうだねアクトレス」

 

 え? 何? いきなりキレる若者怖い。

 ルドルフとエアグルーヴが困惑する中、ウマキュア達は地面を蹴って思い切り跳び上がり、ロボットの胴体目掛けて足を向ける──

 

「えっ、ちょっ、おま──」

「ご飯の上にシチューをかけるのは──」

「シチューへの冒涜ですわッ!!」

「キレたの、そこォォォーッ!?」

 

 スズカの鋭いツッコミが入る中、ウマキュア二人の必殺キックが4号機を今度こそ貫く。

 

 

 

「ゴールシーィィィィーッッッ!!」

 

 

 

 爆散するロボット。

 炎上する背景。

 そして天高く吹き飛ぶゴールドシップ。

 それをバックにして、決めポーズを取るウマキュア達。

 最早、ルドルフとエアグルーヴは何も言わなかった。

 

「「大勝利!! ビクトリー!!」」

 

『こうして、ゴールド団は倒され、学園の平和は守られた……ありがとうウマキュア! 君達の活躍は忘れない!』

 

 

 

 

「──じゃ、ないでしょおお……!?」

 

 

 

 その時だった。

 ウマキュア二人の後ろから怨嗟の声が聞こえてくる。

 現れたのは──爆発に巻き込まれ、すっかりアフロヘアーになってしまったサイレンススズカの姿が──

 

「げっ、しまった!」

「人質の事を忘れていましたわ!」

「告白どころじゃないじゃない、どうしてくれるのーッ!?」

 

 追うスズカ。

 逃げるウマキュア達。

 がんばれウマキュア! 明日の平和を守るのは君達だ!(END)

 

 

 プツリ

 

 

 ……しばらく、生徒会室を沈黙が包み込んでいた。

 さしものエアグルーヴは、すっかりやつれた様子で溜息と共に呟く。

 

「──とんだZ級映画を見せられてしまった……スズカがこの映画のことを私に言わなかった理由がよくわかった……」

「すまないエアグルーヴ……」

「会長、このイカれた映画の脚本を書いたのは……ッ!?」

「理事長……ではなくゴルシだ」

「やっぱりあいつ抹殺してきます」

 

 

 

▼エアグルーヴの殺る気が上がった!

 

▼シンボリルドルフのやる気が下がった!




※追記:作者はシチューライス大好きですが、ウマキュアは許してくれなかったようですね……ほら、一応お嬢様だし二人とも……


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エアグルーヴ「お暇を頂きます」

「あっ、会長……」

 

 

 

 ──とある休日の昼下がり。

 花壇の世話をしていたエアグルーヴは、ふと花壇に水を撒いている会長、もといシンボリルドルフを見かけた。

 花の世話は半分ほどはエアグルーヴの趣味なので、それを手伝ってくれる会長には頭が上がらない。

 いや、そもそも。日々仕事に追われるばかりか、うっかり他の人に引き継ぐような仕事もやってしまうようなルドルフが働きすぎであることは誰の目にも明らかであった。

 

「会長っ、そこは私がやりますから休日くらい休──ッ!?」

 

 そこまで言いかけ、エアグルーヴは口を噤む。

 ルドルフは──水撒きのホースを握り、何かを訴えかけるかのようにエアグルーヴを見つめている。

 

(ど、どうされたのですか、会長!? しきりにこっちを……!? 私は何か粗相を……!? いや、身に覚えがない! で、では、何故!? 何故何も言ってくれないのです!? 私に何か気付いてほしいことが!?)

 

 ルドルフの視線は女帝を射抜いていた。

 

(お願いします会長、何か言って下さい! ホースを握り締めているだけでは何も分からないし、この空気はいたたまれませ──ホース?)

 

 ふと、エアグルーヴの視線はルドルフの握るホースに移る。

 そして徐々に気付いていくエアグルーヴ。

 

(ホース……ホース……hoos()ではなく、まさか……いや、しかし、幾ら会長と言えど、そんなしょうもないギャグを……!?)

 

 蒼褪めた表情のエアグルーヴにルドルフは無言で──微笑みかけた。

 

(やめろ私!! 目の前に立っているのは誉ある生徒会長で七冠バ!! 私は自分の手で会長を卑しく貶める気か!! し、しかし……!)

 

 自責の念に駆られるエアグルーヴ。

 なまじ賢い彼女は気付いてしまった。

 もう長い事ルドルフに付き合っているのだ。その悪癖にも気付いている。

 

 

 

(こ、これは、間違いない──hoos()を持つ、horse(ウマ娘)というギャグ──ッッッ!!)

 

「ウ、ウワーッッッ!!」

 

 

 

 全てに気付いてしまい、エアグルーヴは叫びながらその場を駆けだす。脱兎の勢いで。

 

「エ、エアグルーヴ……何故逃げるんだ……!? 私は何かしてしまっただろうか」

 

 ……最も、ギャグ云々は全部エアグルーヴの思い込みだったのであるが、大体会長の日ごろの行いの所為である。

 これが後にトレセン学園で語り継がれることとなる「ホースの暗黒面事変」である。

 

「……最近、花壇付近でハチをよく見るから報告したかったのだが……」

 

 

 

▼エアグルーヴのやる気が下がった!

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「エーッ!? それって、あのエアグルーヴが寝込んじゃった……ってコト!?」

「そう、なるな……ったく、世話を焼かせる」

(ブライアンにだけは言われたくないんじゃないかな……)

「何か言ったかコラ」

「何にも!」

 

 先日から夏風邪+知恵熱で床に伏せ、生徒会室に姿を現さないエアグルーヴ。

 それにより、生徒会はてんやわんやであった。

 副会長の一人、ナリタブライアンはこの件を伝えるため、珍しくテイオーの前に姿を現したのである。

 

「今思えば、兆候はあった」

「兆候?」

「ああ。此処最近のエアグルーヴは数々の仕事に追われていたからな……」

 

(副会長ーッ!! スイープトウショウがコースにバカでかい魔方陣を書いてまーすッ!!)

(何やってるんだ、あのたわけはーッ!?)

 

 この後、しこたま怒った。残念ではないし当然の帰結だった。

 

(エアグルーヴ聞いて。貴女にしか頼めないの。朝の外出時間をもっと早くしてほしいのだけど……じゃないと私、体が疼いて……んぅっ……私、走らなきゃ!! すぐ戻ってくるからーッ!!)

(オマエは一日何時間走ったら気が済むんだスズカーッ!?)

 

 この後、請願は却下された。尚、先頭民族のサイレンススズカが会話の途中に突如ターフへ飛び出すのは珍しいことではない。

 

(ゴールドシップがトレセンに反省を促すダンスを広めて、次のウイニングライブの楽曲にしようとしていますッ!!)

(そこーッ!! 鳴らない言葉をもう一度描くなーッ!!)

 

 この後、学園中に広がった。反省すべきはどう考えてもゴールドシップである。

 

(副会長!! 寝ているブライアン先輩を見つけましたッ!!)

(よし、今日という今日は教育的指導を……うっ、胃が……胃に穴が……!?)

(副会長ーッ!?)

 

 この次の日、ホースの暗黒面事変が起こり、今に至る。

 

「……とまあ、こんな具合だな」

「最後はブライアンの所為じゃんッ!!」

「心労とギャグが重なり、そこに夏風邪のトリプルパンチ。流石のエアグルーヴも参ってしまった。必然的に私に仕事が集まってくることになる……チッ」

「うん、ちょっとは反省してよねブライアンも」

「問題はエアグルーヴが倒れたと聞いたルドルフだ。あれからずっと、あんな調子でな」

 

 百聞は一見に如かず。

 ブライアンはテイオーを連れて生徒会室へ向かう。

 何時も通り執務に取り掛かっているルドルフの姿がそこにはあった。

 生徒会室の扉を少しだけ開け、覗き込むテイオーとブライアン。

 

「アレを見てみろ」

「うわ……」

 

 テイオーはいたたまれなかった。今のルドルフの状態を一言で説明するならば、

 

 

 

・トレセン学園公認マスコット ションボリ穴ぐらタヌキ

 

 

 

 悲しいかな、この有様である。

 

「う、うわぁ……」

「見ていられん。人前ならさておき、少し目を離すとこうだ。さながら番を亡くしたボス狼だろう」

「タヌキじゃん」

「……しかも、最後の一押しが自分のギャグとは思っていないようだ。目敏いやら鈍いやら……」

「気付いたらカイチョー二度とギャグ言えなくなっちゃうよ!!」

「それならそうだと伝えて来るか。二度とあいつのギャグを聞かずに済む」

「やめて! カイチョーのライフはもうゼロだーッ!」

 

 生徒会室に押し入ろうとするブライアンを引っ張って止めるテイオー。

 何であれ、エアグルーヴの体調不良がルドルフにも影響していることは間違いない。

 しかし、このままでは学園全体のピンチ。皇帝・シンボリルドルフの不調は、学園全体の士気の低下に繋がりかねない。

 

「そこで姉貴は考えた。どうすればこの窮地を脱することが出来るか」

「ブライアンじゃないんだ」

「うるさい話を腰を折るんじゃない、()を使うのは私じゃなくて姉貴の領分だ」

「いだだだだ、ぐりぐりはやめてよーっ!?」

 

 ブライアンは枝を咥え直すと──テイオーに向けて言い放つ。

 

「エアグルーヴの代わり……つまり、生徒会副会長の代理を立てるということだ」

「ふーん、大変だね、いたたた」

「何他人毎ツラしてんだ。どうして今日、オマエを此処まで連れてきたと思ってやがる」

「……ぴぇ?」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「……誰の頭がデカいって!?」

 

 誰も言ってない。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「おっはよー、カイチョーッ!!」

「……ああ、おはよう、テイオー。今日も元気だ──な!?」

 

 

 

生徒会副会長代理・トウカイテイオー

 

 

 

 

 現れたテイオーの胸には──デカデカとそう書かれたタスキが掛けられていた。

 

「……待て、テイオー。それは何のマネだ?」

「今日からエアグルーヴが復活するまで、ボクが生徒会副会長の代理をすることになったんだよっ!」

「ふっ、すまんがテイオー。生徒会副会長はどちらかに何かがあった時のために、二人居るんだ。業務はブライアンに任せれば良い」

「ツレないことを言うなルドルフ。私からの提案だ。正直今のあんたは見ていられん」

「ブライアン……!?」

「だから、ボクに何でも任せてね! カイチョー!」

「ははは、引継ぎもしていない仕事を任せるわけにはいかないし、仕事を教える暇なんてないぞ?」

 

 それにエアグルーヴの代わりなんて居ない、とルドルフは内心で呟く。

 幾ら可愛い妹分と言えど、代理なんて──と躊躇う気持ちがどうしても拭えなかった。

 

「ルドルフ。何もそんな事をさせる必要はないだろう」

「え?」

 

 

 

 バターンッ!!

 

 生徒会室の扉が開く。 

 現れたのは──慌てた様子の生徒であった。

 

 

 

「大変ですッ!! コースの使用時間を巡って、チーム同士でイザコザがッ!!」

 

 

 

 にやり、とブライアンは笑みを浮かべる。

 

「なーに簡単な事だろ。学園内で起こった荒事の処理……エアグルーヴがやっていた事をそのまま行えば良い」

「……ま、待て、テイオーにそんなことはさせられない。此処は私が──」

「知ってるぞルドルフ。あんたこの間から寝つけてないんだろう」

「うっ、何故それを」

「目の下にデカい隈が出来てんだ。余程エアグルーヴの事が心配と見えるがな」

「フッ……無礼るなよ、元々生徒同士の諍いは私が収めていたんだ、此処は私が出向く」

「あんたにまで斃れられたら、この学園はどうなる?」

「ぐっ……」

「安心しろ、こんな時くらい真面目に仕事はしてやる。行って来い、テイオー」

「うんっ、まっかせてよ!」

「テイオー……くれぐれも気を付けてくれ……」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「じゃーんっ!! 副会長登場なりーっ!! 争いごとを早急にやめるぞよーっ!!」

 

 

 

 やっぱり人選ミスだったのではなかろうか。

 ルドルフが見たらそう言いだしそうな滑り出しであったが、注目を集めるのは悪くなかった。

 クラシッククラスの後輩たちはテイオーを見るなり言い争いを止め、目を丸くした。

 

「なっ、トウカイテイオー先輩!?」

「どうして先輩が副会長に!?」

「それは、エアグルーヴが復活するまでの代理だからなのだーっ! どんな事件もサクッと解決してあげるぞよーっ!」

 

 話を聞くと、どうやらコースの使用時間登録の手違いで2つのチームの取り合いになってしまったのだという。

 両方共既に練習する気満々だったらしく、互いに譲るつもりはないらしい。

 血の気が多いのはウマ娘のサガであることはテイオーもよく知っている。故に──

 

「じゃあ、勝負で決めれば良いんじゃない?」

「え?」

「勝負、ですか?」

「うんっ」

 

 彼女は笑みを浮かべてみせる。

 

「此処に丁度、カードゲームがあるんだけど……チームで代表を決めて勝った方がコースの使用権を手に入れるってことで!」

 

 そんな彼女の手には──今トレセンでも流行りのカードゲームの束が握られていた。

 大体カイチョーに遊んでもらうために持っているものである。

 

「なっ! そんなのレースの実力関係ないじゃないですか! 運の要素が強すぎます!」

「ふっふっふっ、甘いね後輩ちゃん達。クラシック三冠……皐月賞は最も速いウマ娘が勝つ。菊花賞は最も強いウマ娘が勝つ。じゃあ日本ダービーは?」

「最も運が強いウマ娘が勝つ……!?」

「そのとーり!! それに、カードゲームを運だけとか言っている時点で甘いんだよね~」

 

 ブイッ、とテイオーは指を広げてみせる。

 

 

 

「とゆーわけで、誰か一人でもボクに勝てたチームがコースを使うってことで……」

「えっ」

「えっ」

「だってボクも遊びたいしー、ねー、ダメー?」

 

 

 

 可愛くゴネるテイオー。

 それを見て両チームは最早、争っていたことも忘れてひそひそと、

 

(テイオーさんってこんなに子供っぽい人だったの……?)

(まあいいや、テイオーさん相手だったらすぐ勝てそうだし……)

 

 取らぬ狸の皮算用を始めていたのであった。

 ……相手が狸ではなく、テイオーだということを大きく失念して。

 

 

 ※※※

 

 

 

「まーたボクの勝ちーっ!」

 

 

 

 ──死屍累々。

 両チームの面々は斃れ伏せていた。

 既に日は傾いており、もう練習どころではない。

 そう、彼女達も予期していなかった事態。

 それもそのはず、テイオーにゲームで勝てるのは、日頃から彼女に付き合わされているテイオーのトレーナーか、正真正銘天才のマヤノくらいなもんである。

 つまるところ完敗であった。

 

「あー楽しかったー! あれ? ボク何しに来たんだっけ? まあいっか! 忘れるってことは大したことじゃないよね! かーえろっと!」

 

 はちみーはちみーはっちみー……。

 機嫌の良いテイオーの歌が夕焼けのトレセン学園に響いていく。

 

「もうカードゲームは嫌だ……」

「……今日何もしてない……ト、トレーナーに何と説明したら……!?」

「か、賢さトレーニング……?」

「……ねえ」

「……何?」

「……今度からはコース、仲良く使おうっか」

「うん……」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 ──そんな訳で。

 とある昼下がりのカフェテリア。

 漸く減量も明けたマックイーンの頬は、心なしか綺麗なエレガンスラインを描いているように見えた。断じて太ったわけではない。きっと。

 それはさておき、エアグルーヴの代理にテイオーを立てるという対応にはかなり驚きを通り越して呆れかえっているようであったが……。

 

「ええ? 貴女が副会長代理ですの……?」

「エッヘン! エアグルーヴが戻ってくるまでの、ね! このままだとカイチョーは元気がなくなって、学園の危機だもん!」

 

(貴女が副会長でもトレセン学園の危機には変わりないですわ)

 

 マックイーンは言いたいことをすんでのところで飲み込んだ。偉い。

 

「それに、生徒会室ではカイチョーが可愛がってくれるしぃ、皆はボクの事を一目置いてくれるしぃ、良いことしかないんじゃなーい?」

「元々そうでしょうに……別に副会長代理だからって何にも変わってませんわ」

「そーう? それに、副会長ってことはエアグルーヴやブライアンと同じってことだよね! つまり、ちょっとは皆に大人っぽく見られてるってことだよね!?」

「ああ、そういう設定ありましたわね」

「設定って言わないで!?」

 

 

 

 

「──副会長代理ーッ! 花壇の方で助けを求めている生徒が……」

 

 

 

「ほらぁ、見てよマックイーン! 今日もボクに助けを求めに迷える子羊チャンがやってきたじゃなーい? これは、ゆくゆくは大人の女として、トレーナーに見て貰うための第一歩!」

「すっかり調子に乗ってますわね……」

「はいはーい! 副会長代理に任せるのだーっ!」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「……何コレ」

「いやぁーあ、すまないねぇテイオー。実は、私特製の殺虫剤をスズメバチに吹っ掛けたら、凶暴化してしまってねぇ。どうやら、殺虫剤の成分とハチが未知の科学反応を起こしたようだ、アッハハハハハ!」

「そんなもの使わないでええええええ!?」

 

 

 

 ──此処はエアグルーヴの花畑。

 そこには、ハチの大群が発光しながら飛んでいる。

 塊になって飛ぶ様は──さながら巨大なハチのバケモノが飛んでいるかの如く、であった。

 そして元凶は悪びれもせずに状況を説明するアグネスタキオンである。

 

「いやぁー、ちょっとした戯れのつもりだったんだがねえ……失敗失敗」

「戯れでバケモノを生み出さないでーッッッ!? ワケワカンナイヨーッ!!」

 

※ハチは専門業者に頼んで駆除しましょう。

 

「だからちゃんと防護服も着て来てもらったんじゃあないか。さあ、後は頼んだよ」

「待って!! 無理!! 無理だから!! アレを倒すのは流石に無理!! 呼ぼうよ、専門業者!!」

「あんなものを外部の者に見られたら研究中止待ったなしに決まってるじゃないか。光ってる時点で私が関与したのはバレバレだしねえ」

「うん、中止すれば良いと思うよ研究!! 学園の平和、ひいては世界の平和の為に!!」

 

 そうこうしている間に。

 ハチは団子になって、テイオーとタキオン目掛けて突っ込んで来る──

 

「ウワーッ!! 追いかけてきたーッ!?」

「あっははははは!! 凄い!! 実験は失敗したが、記録は残しておこう!! この薬を今の研究に応用すれば──」

「言ってる場合じゃないよねーっ!? 下手したら命の危機なんだけどーっ!?」

「はっはははは、下手したらじゃないよ、今まさに私達は命の危機真っ只中さ!! でもねえ、レースと研究は命を賭してナンボ、そうだろう?」

「同意するわけないでしょ、そんなムチャクチャーッッッって、ぴゃあああっ!?」

 

 転んで地面に投げ出されるテイオーとタキオン。

 怒り狂うハチの群れが彼女を襲う。

 万事休す、と思われたその時──

 

 

 

 

「例えこの身が滅びたとしても……花壇の平和を乱す者は誰であっても許さん……ッ!!」

 

 

 

 

 ──いきなり、ハチの群れがぴたり、と止まる。

 

 

 

 

「さっさと去ねッ!! さもなくば、このエアグルーヴ、女帝の名に懸けて……ッ!!」

 

 

 

 

 大量の殺虫スプレーを掲げるエアグルーヴの姿がそこにはあった。

 あまりの気迫に──テイオーは言葉を失う。

 苦手な虫の手前、肌にはぶつぶつが出来ているのが遠目からも分かった。

 しかし女帝の風格は、失われることがなかった。

 ハチたちも──自らの命の危険を感じ取ったのか、一目散に逃げていく。

 その光景を目の当たりにしながら、テイオーはぽつり、と呟いた。

 

(き、気迫だけでハチを追い払った……でも……)

 

 

 

「──ワ、ワケワカンナイヨォ……」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「大丈夫か? テイオー」

「……うう、やっぱり副会長はエアグルーヴじゃなきゃ務まらないよ……」

「当然だ。まだまだこの座を他の誰かに譲るつもりはないからな」

 

 未だに、肌のブツブツは止まっていない。

 しかしそれでも、エアグルーヴは花壇の平和を守ってみせたのである。

 女帝、完全復活。

 腕を組む彼女の顔に、もう翳りは無い。

 

「……そっか。やっぱり、エアグルーヴはカッコいいね……」

「何だ。褒めても何も出ないぞ」

「ボクの次くらいに!」

「貴様……一言余計だ!」

 

 既に駆除業者を手配しており、ハチ騒動が収まるのも時間の問題である。

 ついでにタキオンの殺虫剤は全て処分され、研究施設の一定期間の凍結という処分が下されることになったが残念でもないし当然である。

 この一連の対応をスムーズに行うさまは、最早板についている。

 テイオーは、到底エアグルーヴの代わりなど務まらないな、と実感するのだった。

 そう思っていた矢先──

 

 

 

「エアグルーヴ!! 大丈夫だったか!?」

 

 

 

 現れたのは、シンボリルドルフだった。

 目の下は隈が出来ており、とても見ていられないものであったが、それでも走って此処まで来たようである。

 

「ああ会長──ご心配をおかけしました。ですが、これからあの虹色のハチが現れることは金輪際──っ」

 

 エアグルーヴの言葉は遮られた。

 

「……騒ぎを聞きつけて寮で寝ていたのに飛び出してきたんだろう? あまり心配をかけないでくれ……君が大事なんだ」

 

 ルドルフは、エアグルーヴを抱きしめていた。

 余程、心配だったのだろう。

 しかも彼女は不調を押して、花壇までやってきたのだ。

 

「ッ……会長……」

「君に負担を掛けないように、スケジュールを見直すことにしたんだ。いや……それ以前に、これからも、私の傍に立ってくれるだろうか?」

「……何を今更。前にも言ったはずです。女帝を侮らないで貰いたい。この身がどうなろうと……私の為すべき事は変わりませんから」

 

 エアグルーヴは当然のように微笑みかける。

 

「ずーるーいーっ!!」

「っテイオー!?」

 

 ぎゅむっ、と二人の間に挟まるテイオー。

 

「ボクも入れてくれなきゃーっ! カイチョーを独り占めはダメなんだからねっ!」

「あのなぁ、会長は貴様のものでは……」

「まあ、いいじゃないか。これで元通りだ」

「……そうですね」

 

 照れて頬を染めるエアグルーヴ。

 遠巻きから「付き合ってられん」とばかりにそっぽを向くナリタブライアン。

 色々あったが、こうして生徒会幹部は再び揃ったのである──

 

 

 

「エアグルーヴが復帰(フッキ)して……()()()分が良いからな……今日は()()な副会長を()()に祝おう!」

 

 

 

「……」

「……」

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

『お暇を頂きます。 エアグルーヴ』

 

 

 

 ……次の日の生徒会室。

 置手紙の中身は定型文の三行半(みくだりはん)であった。

 

 

「……」

「ごめんカイチョー……今回のは……擁護出来ないや……」

「クッソ……頭が痛くなってきた……」

 

 

 

▼エアグルーヴのやる気が下がった!

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「……誰の頭がデカいって!?」

 

 だから誰も言ってない。



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テイオー「大きくなりたい……!」

今回はキャラ崩壊度とはっちゃけと下ネタが多めです。ご注意ください。


「ぴ、ぴええ……」

 

 

 

 とうとうこの日が来たか、とトウカイテイオーは恥ずかしいやら何やらで顔が引きつった。

 彼女がトレーナーの部屋に入り浸るのはよくあることだったが、ふと出来心で彼のベッドの下をまさぐったのが悲劇、もとい喜劇の始まりである。

 出てきてしまった。

 凡そ成人向けとされる雑誌の数々が。

 際どい下着を身に着けたウマ娘のグラビアが。

 それはもう、ずきゅんどきゅんでうまだっちな感じな写真の数々が赤裸々に掲載されているのである。

 

「……ま、全くもー、トレーナーもまだまだ子供だなーっ! ベッドの下なんて、すぐにバレちゃうのにねー!」

 

 と、強がって言ったものの、いつもは自分に優しく接してくれるトレーナーにも性欲というものがあるということをまざまざと思い知らされる。

 それはそれで、お前は今まで担当の事を何だと思っていたのだ、という話になるのであるが。

 

(でも、此処に載ってるのって……)

 

 

 ずきゅん。

 

 どきゅん。

 

 ばいーん。

 

(……皆「大きい」娘ばっかり……ッ!!)

 

 テイオーは自らの胸に手を当てた。

 身長と比較した時、彼女も十二分にスタイルは良いと言える。

 だが、純然たる大きさの暴力の前では心許なく感じてしまうのは年頃の少女の感性としては珍しくない。

 

(いや、大丈夫……マックイーンよりは、あるし……ボクだって、いずれはカイチョーみたいなナイスバディになるはず……!)

 

 むぐぐぐぐ、と唸りながら彼女は開かれた雑誌のページを見やる。

 明らかに巨乳の娘の写真ばかりが連なったグラビア。

 それを捲りに捲ると、年頃の少女には刺激の強い「うまぴょい」だとか「うまだっち」だとかがバッチリ激写されており。

 

(あっ、あわわわ、あわ……)

 

 思わずテイオーは雑誌を閉じてベッドの中へ再び押し込んだ。

 

「おーいテイオー、戻ったぞー」

「ぴゃいっ!!」

「……どしたん?」

「いや、何でもナイヨ、あ、あはははははは」

 

 すんでの所でトレーナーには見られずに済んだが、頭の中にはいまだに雑誌の中身がぐるぐるしていた。

 そう言えば以前、エアコンを切られた腹いせにトレーナーへ服を脱いで迫ったことがあったが、もし一歩間違っていればどうなっていたのだろうか、と想像してしまう。

 彼のごつごつとした手に押し倒され、雑誌の中身のようなことをされる妄想が過る。

 男は狼。メジロドーベルもそう言っていた。

 ならば、自分もいずれは──

 

 

 

(や、ボクの方が力強いじゃん……)

 

 

 

 ──と冷静になってしまうのが、ウマ娘の悲しいサガであった。

 成人男性なぞよりも、中学生のウマ娘の腕力は圧倒的に大きいのである。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「珍しい来客だねえ……テイオー」

 

 ──此処は、アグネスタキオンの研究室。

 先日起こしたハチ事件によって凍結されていたが、昨日漸く使用のお許しが出たのだった。

 正直、学園の利益のためにも此処は一生凍結していた方が良かったんじゃないかと考えていたテイオーだったが、今回ばかりは感謝した。

 

「全知全能のアグネスタキオンを信じて話があるんだけど」

「ほほーう、いいだろう。何だね?」

 

 

 

「──此処には、伝説の薬”パイデカクナール”があるって聞いたんだけど」

 

 

 

「ンんんんんんッ、一体何処情報かなそれ?」

「お願いしますッ!! タキオンならどうにかできる!! ハチをバケモノにできるタキオンなら!!」

「それ微妙に褒めてないねえ?」

 

 テイオーの顔は真剣そのものであった。

 そして、土下座。

 泣きながら請願するのだった。

 

「お願いだよォーッ!! パイデカクナールでもムネデカクナールでも何でも良いから、ボクの胸を大きくする薬を作ってよタキオンンンッッッ!!」

「ちょいちょいちょい、止め給え!! 白衣に鼻水が付くだろうッ!!」

「トレーナーを悩殺するのに必要なんだようッ!! お願い作ってよおおおお!!」

 

 呆れたようにタキオンは溜息を吐く。

 

「やれやれ、たまにそういうことを相談しに来る生徒がいるんだけどねぇ。いったいコレの何処が良いんだい? 走るのに邪魔なただの脂肪じゃないか」

 

 ぷるん、とタキオンは意外と大きい自らのそれを揺らす。

 普段厚着しているので皆気付かないが、揺らせる程度にはあるのである彼女も。

 

「走るのに邪魔ァ!? それを求めてボクが幾つもの血涙を流したかと!!」

「知らないよ、そもそも局所的な部分の脂肪を増やすというのなら、それこそ手術でもしてシリコンを詰めれば良い話じゃないか? ンン?」

「急に現実的な事言わないで!?」

「いやあ出来ないことは無いんだがね……」

「ほら見た事か!! さあ出して!!」

「実はここに以前、臨床段階でNGにした試作品があるんだ……」

 

 タキオンがテイオーに差し出したのは──「パイデカクナール」というラベルが書かれた薬だった。

 

「……マジでパイデカクナールって名前だった!! ボクも飲む飲む!」

「そこまで言うなら仕方がない。君にはモル──被検体になって貰おう」

「何か不穏だけど巨乳の為ならどうでもいいね!! いただきま──」

「待ってください……それは欠陥品です」

「ピエッ、びっくりした!?」

 

 テイオーの背後から現れたのは──青鹿毛の何処か不思議な雰囲気を漂わせたウマ娘・マンハッタンカフェであった。

 最も、彼女は常時タキオンの実験に付き合わされており、悲しいかな薬品の副作用はもう大体覚えてしまったようである。

 

「……タキオンさん。流石に何も説明しないのは酷かと」

「うーん、やっぱり言った方が良かったかい?」

「……」

「分かったよ、カフェ……やれやれ、インフォームドコンセントというのは面倒だねえ、まあ私医者でも何でもないんだけども!! フッハハハハハ!!」

「マジでやめてください」

「何々? 胸が大きくなる夢の薬じゃないの!?」

 

 タキオンは無念そうに首を横に振った。

 そしてどこか気恥ずかしそうに──言うのだった。

 

「効果があまりにも局所的でねえ……」

「はい……」

 

 

 

()()()()()()()()()()()()……つまり乳首が発光する薬だったのさ」

 

 

 

「……イヤダーッッッ!?」

 

 

 

 流石にそんなものは飲めない、とテイオーは突き返す。

 

「いや、でも!! 君ならもしかしたら結果が変わるかもしれないだろう!? ってことで此処は飲み込んでくれないか! 薬を!」

「上手くないんだよ!!」

「大丈夫だ、よしんば副作用が出たとしても両乳首が発光するだけだから!!」

「乙女の身体を何だと思ってるのさーっ!!」

「その乙女の身体をよりによってタキオンさんの薬で改造しに来た貴女が言っても……正直命知らずとしか」

「それもそうだったね!!」

「……そう。パイデカクナールは無いのね」

 

 残念そうな声が聞こえてくる。

 全員の視線は研究室の入り口に集まった。

 そこに立っていたのは──異次元の逃亡者・サイレンススズカだった。

 

「スズカ!? スズカが何で此処に!?」

「先頭の景色は譲りません」

「いや、それは知ってるから」

「勿論──スペちゃんも譲りません」

「ゴメン、何言ってるかよく分からない」

「……伝説の薬・パイデカクナールを手に入れに来たのよ」

 

 最初からそう言えば分かりやすかったのであるが。

 

「えー、それこそスズカそういうのに興味無さそうだったのに。走るのに邪魔そうとか言って」

「……そうね。私もそう思っていたわ。だけど──そんな事も言ってられなくなったのよ」

「え? 一体、どんな悲しい出来事が!?」

「この間タイキと併走した時のこと……」

 

 

 

 

(スズカだけゲートが広くて羨ましいデース!!)

 

(タイキ……ゲートの大きさは皆同じよ……)

 

 

 

「何度でも言うわ! ゲートの大きさは皆同じなのよ!? 私だけ広いって……そんな事、無いのに……」

「怒っていいんじゃないかなあ……」

 

 無論、それはスズカだけゲートが広いのではなく、スズカの友人・タイキ──もといタイキシャトルが色々デカいだけである。

 

「しかもそれだけじゃないわ。この間、スペちゃんがホームシックで泣いてた時……私、ベッドで一緒に寝てあげたの、そしたら……」

 

 

 

(うっ、うう……故郷の北海道の平原……むにゃむにゃ)

 

(ウソでしょ……平原ってまさか私の胸……!?)

 

 

 

「やっぱもう怒って良いんじゃないかな」

「違うの……私がいけないの! 私に力が足りなかったから……スペちゃんを抱きしめる事も出来ないの!」

「いやいや何も悪くないと思うよスズカは」

 

 泣き崩れるスズカを、テイオーは慰める事しか出来ないのであった。

 取り合えず薬には頼らない方向性で。

 そんな都合の良いモンは存在しないのである。

 

 

 ※※※

 

 

 

「おーっ!! これはこれはスズカさんじゃないですかーっ! まさか私の所に来てくれるなんて……感謝、感激ですっ!! テイオーさんも一緒で……二人なら何でも占っちゃいますよ!」

 

 

 

 ──此処はマチカネフクキタルの占い部屋。

 迷える子羊が彼女に相談をしにやってくる場所である。

 最も今回相談しにやってきたのは──

 

「何でも?」

「……何でも、かあ。聞いた? スズカ」

「ええ、聞いたわテイオー。確かに」

 

 ──子羊ではなく、猛獣であったのだが。

 

「……あのー、お二方。すっごく眼が怖いんですけど……?」

 

 ドンッ!!

 

 二人は、100均の開運グッズを報酬とばかりに台に叩きつけた。

 そして──

 

 

「「胸を大きくする方法を占って!!」」

 

 

 

 どう考えても占いでどうにもならない依頼も突きつけたのであった。

 これにはフクキタルも困惑するしかない。

 しかし、二人の顔は大真面目だ。

 

「胸を大きくする……方法ですか? ハテ、それを占うって言っても──」

「お願いフクキタル……今は貴女だけが頼りなの。私の胸は貴女に掛かってるのよ。貴女ならきっと、パイデカクナールの在処もわかるって信じてるわ」

「いやいやいやいきなりそんな事言われても困りますよ!! 胸を大きくする方法ならタキオンさんにでも聞きに行けば良いじゃないですか! 恋愛運ならまだしもそんなよく分からない薬の在処なんて分かりませんよ!!」

「頼むよぉーっ!! タキオンの薬じゃあダメだったんだよお!!」

「もう行った後!? 私が言うのもなんですけど、二人共もっとご自身の身体を大切にした方が良いのでは!?」

「フクキタル知ってるかしら? リターンはリスクの分だけ大きくなるのよ」

「ほぎゃーっ!! 当たり前のことを最もらしく言っても賢さトレーニングにはならないんですよスズカさんッ!!」

「ボクは──もう、手段を択ばないよ。胸の為ならね」

「しょうもないことのためにシリアスにならないでください!! 全国の貴女のファンが泣きますッ!!」

 

 ぜぇ、はぁ、とツッコミ疲れたフクキタルは占い台の上で突っ伏す。

 特大だ。今日のは超特大である。

 普段なら自らのブレーキになってくれるであろうスズカが、何処をどうトチ狂ったのかこの有様なのである。

 ……最も、状況上ブレーキ役にならざるを得ない場面があるだけで、スズカ自身はブレーキのぶっ壊れた大ボケ担当であるのだが。

 

「何で二人共今日はボケが急加速急転直下の大凶なんですかあ!? 私一応ボケって自覚はあるんですよ、ボケる暇無いんですがーっ!?」

「ねえフクキタル。もしかして何か知ってるんじゃない? こんな立派なものがあるんだからさあ?」

 

 もにゅん。

 

「ふぎゃっ!? テイオーさん、立派なセクハラなんですがーッ!?」

「前から思ってたのよ……同期で成長していないのは私だけだって」

 

 むにゅん。

 

「ふにゃんっ!? は、は、は、離してくださいスズカさんまで!! 身に覚えがない恨みつらみが凄いですーっ!? 救いは、救いは無いんですかーッ!?」

「ダメよフクキタル。後輩のセリフを取っちゃ……」

「誰の所為だと思ってるんですか!! 誰のーッ!? もう、今日は大凶ですーっ!?」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「……フクキタルの占いによれば、この廃材置き場に何かがあるはずらしいけど」

 

(エコエコアザラシエコエコオットセイ……豊胸を彼女達にカムヒア~~~~出ました!! 大吉です!!)

 

(見えます、見えます!! 捨てるウマあれば拾うウマあり!! 廃材置き場で何かを拾うお二人、そして──数日後には輝かしいカラダを手にしているウマ娘の姿が! ギブアップしなければ結果は身に着くでしょう!)

 

 

 

 テイオーとスズカがやってきたのは、府中のとある廃材置き場であった。

 様々なものが捨てられており、此処で拾ったものが豊胸の鍵になるとのことであった。

 しかし置かれているのは粗大ゴミやら鉄クズやら雑誌やら。

 使えそうなものがあるとは思えない。

 

「ねえ、フクキタルは輝かしいカラダって言ってたけどさあ、それって物理的に光り輝いてるって意味じゃないよね?」

「タキオンの薬に頼らないなら大丈夫……のはずだけど……あっ」

「な、何か見つけたの!?」

「こ、これは──」

 

 スズカはそれを拾い上げるなり、顔を真っ赤にする。

 何かの雑誌らしかったが、すぐにそれを投げ捨ててしまった。

 

「……テイオー、見ちゃだめ!!」

「ええ!? ……ああー……」

 

 気になって近寄ると──これまた過激なグラビア。

 誰がこんな所に捨てたのだろう。

 近くには紐で括って束になって廃棄されている。

 どれもこれも胸の大きいウマ娘がモデルとなっており、改めてテイオーは理想と現実の乖離に頭を痛めるのだった。

 プライドを捨てて縋れるもの全てに縋った後で言うのも何だが、本当に輝かしいカラダなど手に入るのだろうか、と。

 

(あれ? でもこれって見覚えがあるような……)

 

「はぁ……スペちゃんも大きい方が好きなのかしら……」

 

 ナーバス気味にスズカは言った。

 

「別にスペちゃんがそう言ったわけじゃないんだから……」

「でも……私……」

 

 

 

(スーペッペッペッペ、今度からタイキさんと同じ部屋にしてもらうスペ、大は小を兼ねると古事記にも書いてあるスペよ、スーペッペッペッペ)

 

 

「こんな事を言われたらもう私立ち直れない!! 二度と走れないッ!!」

「何この雑な妄想ッ!? 誰このスペちゃんとは似ても似つかないヤツ!?」

「あれから毎晩この夢を見るの……スペちゃんが出てくるの……」

「だからそれスペちゃんじゃないから!! スペちゃんはそんなこと言わないから!! だからナカナイデヨーッ!!」

 

 自分の妄想で泣きだしてしまったスズカを慰めるテイオー。

 多分枕が悪いと思うので、変えて貰った方が良いのかもしれない。

 そんなこんなで捜索作業は続いていった。

 そして──

 

「あら……?」

「ッ……これは!?」

 

 見つかったのは、一つのDVD。

 なぜかテープで厳重にまかれており、ケースから出せない。

 しかし。

 断じて呪いのDVDの類ではないことが分かる。

 何故なら、無理矢理こじ開けたディスクに書かれていたのは──

 

 

 

「「ウマーズブートキャンプ……ッ!? 理想の肉体を手に入れろ……!?」」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「あら、ごきげんよう、ライアン」

「おはようマックイーン!」

 

 

 

 ──それから土日を挟んだとある月曜日の朝。

 メジロのウマ娘、マックイーンとライアンはいつものように談笑しながら校舎に向かっていた。

 

「あらそのダンベル、新調しましたの?」

「うんっ! もっと負荷をかけようって思ってさ! マックイーンもどう?」

「ふふっ、そうですね。私もライアンを見習って筋トレを──」

 

 

 

「ヘイヘイヘーイ!!」

 

 

 

 

 その時だった。陽気な語り口が何処からともなく聞こえてくる。

 声だけで分かる。

 あのトウカイテイオーに違いない。

 この土日の間、姿を見せなかった彼女だが何処に行っていたのだろう、とマックイーンは振り向く。

 

「やあマクウィーン。トゥデイは晴れ渡ってるね。キミのエレガンスラインもパーフェクトゥだ」

「はぁ? テイオー? 誰の腹がエレガンスラインですって──」

 

 

 

「──ボクの筋肉も晴れ渡ってるよ、ナイスバルクッ!!」

 

 

 

 

「イヤーッッッ!? ウマ娘のバケモノーッ!?」

 

 ──現れたのは見覚えのない筋肉ダルマであった。

 いや、しかし。ポニーテールに、白い流星。

 見れば見る程に──それはトウカイテイオーその人で間違いない。

 すぐさま異変ありまくりのテイオーを見て蒼褪めたのは──ライアンだった。

 

「て、テイオー!? その姿は……!?」

「知ってますのライアン!?」

「間違いない……あれはメジロ家に代々伝わる禁DVDの一つ”ウマーズブートキャンプ”……!!」

「ウマ……何ですのそのパチモン感あふれるサムシングは……!?」

「ウマーズブートキャンプは最強、いや最恐のトレーニングビデオ……その実態はサブリミナルと洗脳を伴う肉体改造カリキュラムで、ウマ娘の身体的リミッターを外して筋肉を膨張させるトレーニング……! 鍛え上げた自らの筋肉に負けて骨折するウマ娘が続出する程!」

「筋肉に負けて骨折ゥ!? それは本末転倒ですわ!!」

 

※実際にあるそうです

 

「元々ウマ娘の筋肉密度はヒトの云倍……それをリミッター解除すれば、ああなるのも止む無しというわけですの!?」

「あたしも興味本位で見た事あったんだけど、恐ろしかったよ……ドーベルが止めなきゃ大変なことになってた」

「何やってますの!?」

 

 メジロ家の禁書の警備、ガバガバすぎである。

 

「もしかして、テイオーのあの小憎たらしい喋り口は……」

「洗脳のもたらす副産物かな……視聴すれば最期。脳はマッスルを求め、危険なマッスルをマスらうことになる。だけどマッスルの不法所持は往々にして不幸な結果しかマッスルしないんだ……」

「ライアン、貴女まだ洗脳が残ってますわね?」

 

 このある意味で呪われたDVDの残す爪痕はあまりにも深い。

 元々ライアンは筋トレが趣味だが、此処までマッスルを連呼することはない。

 それほどまでに、この呪物が持つ洗脳力は恐ろしいものだったのだろう。マッスル。

 

「だからこないだ、好い加減に処分することにしたんだ。苦渋の決断だったけど……メジロ家の総意であのDVDは永久追放することにしたよ」

「何がメジロ家の総意なんですの!? 私今に至るまでこの事何にも聞いてなかったですわ!!」

「マッスルッ!! ヘイヘイ、マックイーン、ルックミー。これでボクはライアンも顔負けのバストをゲッツしたというわけさ。この輝かしいカラダ……マッソゥ!!」

「貴女が手に入れたのはバストじゃなくてチェストですわーっ!?」

「だ、誰かテイオーを、止めて……」

 

 その時だった。

 ふらふらになって現れたのは──サイレンススズカその人であった。

 

「スズカさん!?」

「わ、私が悪いの……私がテイオーと一緒に外泊申請を出して、泊まりのトレーニングに出たから……私はすぐ脱落してたんだけど、気付いた時にはもう遅くって……」

「ボクは気付いたんだ。バストが手に入らないなら、チェストを手に入れれば良い、ってね」

 

 自らの肉体を誇示するライバルに向かって、冷ややかにマックイーンは言い放つ。

 

 

 

「言っておきますけどトレーナーが今の貴女見たら卒倒しますわよ」

「ぴえっ」

「むやみやたらについた筋肉は美しくないからね……筋肉と脂肪はバランスだから……」

「ぴえっ……」

 

 追撃のライアン。

 ──しばしの沈黙がその場に横たわる。

 そして──

 

「……やっぱりこれじゃあ豊胸したってことにならない?」

「なりませんわね」

「ならないかな」

「ならないわね……」

「……ウワアアアアーッ!! 誰か元に戻してよーッッッ!!」

 

 

 

▼テイオーのやる気が下がった!

 

 

▼テイオーのスタミナと根性が25上がった!

 

 

※ウマーズブートキャンプの効果は一時的なものです。ご安心ください。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「あ~~~~酷い目に遭った~~~……全身の筋肉ガビガビだよぉぉぉ」

 

 

 

 翌日。

 膨張していた筋肉はなんやかんやで元に戻っていた。

 ウマ娘の身体的フィードバックが早いのは、食べ過ぎても保健室で寝れば太り気味が治る事からも明らかである。多分。

 ただ、実際無茶苦茶なトレーニングであったことには間違いない。反動でテイオーの身体は全身筋肉痛であった。

 

「あんなDVD焚書だよ焚書!! 特級呪物もビックリの厄ブツじゃないのさ!! ああ、トレーナーに見られる前に元に戻って良かったぁ……でもさらば、ボクのバスト……はぁ」

 

 

 

「で、何? 結局全部捨てられたってわけ!?」

「そ、そうだな……」

 

 

 

(アレ? トレーナー?)

 

 テイオーのトレーナーの声が何処からともなく聞こえてくる。

 どうやら、同僚と話しているようだった。

 それをばれないように隠れて、彼女は聞き取る。

 

「んだよ! 折角協力したってのに……自分のじゃないエロ本持ってんの、結構フクザツなんだから!」

「お? 愛しのテイオー様に見られそうで気が気じゃなかったってか?」

「そういうわけじゃないが……」

 

 テイオーは黙りこくる。

 そして、頬が赤くなっていく。

 事の真相を──賢い彼女は悟ってしまった。

 

 

 

「……まあ、俺の愛バはテイオーだけだ。あいつしか眼中にない」

 

 

 

 

「かーっ!! あっついねえ!! やっぱ3年間一緒に居たら違うんだなあ」

「うるっせえ! とにかくお前は自分の所の担当とさっさと仲直りしろよ? つか、二度とあんなもん押し付けてくるんじゃない!」

「ははは……そうだねえ。ま、何とかなるっしょ」

 

 結論から言えば──あのエロ本は、トレーナーが同僚から一時避難のために押し付けられたものであった。

 しかし、その努力虚しく、返却された雑誌の数々は処分されてしまったようである。

 

(なっ、何だよ何だよう!! ぜ、全部、ボクの独り相撲じゃないかーっっっ!!)

 

 熱を帯びた頬をテイオーは抑える。

 そして。

 

 

 

 

(俺の愛バはテイオーだけだ)

 

 

 

 

 何度も。何度も何度も、胸でその言葉を繰り返しながら──彼女は走り、走り、走る。

 自分の身体がガタガタの筋肉痛で軋むことも忘れて。

 

(ずっるい……! ズルいよ、トレーナーは……! ボクと一緒の時は、絶対に言わない癖に……!)

 

 ぎゅうっ、と口を一本で結ぶ。

 嬉しい。だけど気に入らない。

 自分だけがドキドキしているようで、手玉に転がされているようで。

 一人で勝手に自爆してバカみたいだ。

 それが悔しくて仕方がない。

 

 

 

(絶対、面と向かって……好きだって言わせてやる……ッ! ドキドキさせてやるんだッ……!)

 

 

 

 テイオーは──負けず嫌いだ。

 レースでも。そして、恋愛においても。



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最終話「ボクの魅力ってなぁに?」「ためらわないことですわ」

 ──前回までのあらすじ!!

 体裁とかその他諸々を気にするトレーナーと距離を詰めてきたテイオーだけど、結局いっつもヤキモキさせられてるぞ!

 因みにテイオーのトレーナーは結婚適齢期で同僚から「そろそろ結婚とかしないの?」と言われてるぞ!

 ところで、ウチのマックちゃんってば減量が開けてから、ちょっとお腹がぷにぷにしだして、それはそれは大層な雪見だいふくに──ゲェッ!! マックイーン、話を聞いてくれ──

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「──URA、年間最優トレーナー……かあ」

「あら。テイオーのトレーナーさんですわね」

 

 

 

 ──そんな新聞記事が学園に張り出されていた。

 改めて、自らのトレーナーの世間からの評価というものを思い知らされる。

 クラシック三冠。昨年の有馬記念。そして今はドリームトロフィー。

 数々のG1を制してきたテイオーだが、彼女をそこまで引き上げたトレーナーの評価もまた高い。

 才能だけで勝ち残れるほど競争バの世界が甘くないことなど、トレセンにいればイヤでも痛感する。

 故に。彼のような優秀なトレーナーの手にかかれば、もっと夢を掴みとれるウマ娘は増えるのではないか、と言われるほどだ。

 

「今思うと……華麗なる復活でしたわね、テイオー」

「やぁだなぁ、マックイーンもとうとうボクがサイキョーってことに気付いちゃった?」

「ええ。素晴らしいトレーナーさんですわ」

「ボクを褒めてくれないかなぁ!?」

「──さて、そんな事はどうだっていいんですの。些事ですわ」

「些事じゃないやい!! ボクにとっては!!」

「今まで、聞くに聞けなかったんですけども……」

 

 一呼吸置いてから、マックイーンはテイオーに問いかけた。

 

「貴女のトレーナー、他に担当を持つつもりはないんですの? 此処の記事にも”将来的にチームを結成することが期待されている”って書いてますけど、未だにそんな気配無いですわ」

「……うーん。全然無いねー。そういえば、マックイーンのところのは──」

「既に天皇賞を目指す娘を何人も抱えてますわ」

 

 マックイーンのトレーナーは、半ばチームのような形でウマ娘たちを育成している。

 因みにゴールドシップもその一人で、今は秋天を目指して練習を積んでいる(真面目にやっているとは言ってない)。

 トゥインクルシリーズを退いたマックイーンは、後輩たちを引っ張る役目も担わされていた。

 

「メジロのウマ娘として答えるならば、私の主張は変わりません。……ノブレス・オブリージュ。持つ者は持たざる者のためにその力を振るうべきですわ」

「……」

「貴女のトレーナーは、貴女の担当を通して務めたことで世間では最も評価の高いトレーナーに数えられていますわ。彼が貴女以外の担当を増やすことは、純粋に多くのウマ娘への利益になるでしょう」

「……」

「最も、テイオーには耐えがたいかもしれないですわね。かく言う私も、チームを持ってから、あの人と一緒に居られる時間も減ってしまいましたから。でも、メジロ家の当主として。そしてチームのエースとして……自重すべきところは自重せねば」

「ねえマックイーン」

「何ですの?」

「その割には公私ともにベッタリしてるって、君のチームのウマ娘たちが言ってるんだけど」

「……そんなことはないですわよ?」

「へえーえ」

 

 マックイーンの肩が跳ねた。

 ゆらり、とテイオーは立ち上がるなり、悪戯っ子のような笑みを浮かべた。

 

「……ボク、知ってるよ? マックイーンがトレーナーの家で夜な夜な野球中継を見に行って帰って来ない時があるって……イクノがボヤいてたのを」

「イクノさんが!?」

「……ボク、知ってるよ? マックイーンが練習中、さりげなーくトレーナーの腕をぎゅうってするタイミングをうかがってて、ぶっちゃけ露骨すぎだって君ン所のチームメイトがボヤいてたのを」

「ッ!? そうでしたの!?」

「……ボク、知ってるよ? それだけトレーナーに押せ押せして泊まり込む日もある癖に、結局マックイーンが未だに告白の一つも出来てないってことを」

「も、もうやめてくださいまし──」

「……ボク、知ってるよ? 今の生温い関係を壊したくないし、いざとなればメジロ家の力で外堀を埋められるのに胡坐をかいて、チームを言い訳にしてマックイーンが関係を停滞させてるのを──」

「やめやがれですわよッ!!」

「ミ”ッ!?」

 

 マックイーンの空手チョップがテイオーの頭頂部に炸裂。

 そのままカフェテリアのテーブルに彼女の顔面が叩きつけられたのだった。

 

「うぇーん!! 痛いよーッ!!」

「はぁ、はぁ、知り過ぎてしまいましたわねテイオー……!!」

「ひ、ひどいよマックイーン……ちょっと本当の事を言っただけじゃんかさあ」

「酷いのはどっちですの!! 事実陳列罪ですわ!!」

「それ自分で認めたようなものじゃんかさあ!! ふえーんっ!! マックイーンがボクのこといじめるよーっ!!」

「さて。元はと言えばあなたの話ですわ。どうするんですの?」

「うーん、確かにボクの専属のままで居てくれた方が良いには決まってるんだけどさあ」

「……?」

 

 マックイーンは首を傾げた。

 今までならば「ヤダヤダーッ!! トレーナーガボクイガイノコヲタントウニスルナンテヤダーッ!!」と喚きだすところである。 

 むしろ、マックイーンとしてはその反応を期待してからかっていたのもある。普段散々からかわれる側であるのは疑いようがないため、こんな機会でもなければ些細な仕返しも出来ないのだ。

 しかし──

 

「──思うに、それは逆にチャンスだと思うんだよね」

「……は?」

「倦怠期なんて言葉があるくらいだからさ、男女って一緒に居過ぎると愛情とか恋心とかドキドキが薄れちゃうものなんだよね」

「……はぁ。貴女の口からその言葉が聞ける日が来るなんて夢にも思ってませんでしたわ」

「マックイーンもそうだよ。一緒に居すぎると娘か妹くらいにしか思われなくなっちゃうかもね?」

「はァ?」

「チームを組むってことは、トレーナーと担当ウマ娘の距離が、増えたチームメイトの分だけ離れるってことでもある……でも、それをピンチとしか思わず、無理に距離を詰めていってる時点で既に余裕の無さが露呈してるんだよマックイーン」

 

 マックイーンは拳を思いっきり握り締めたものの、糖分が足りていたので我慢は出来た。えらい。

 しかし、この時点では既にテイオーが自らにマウントを取りにいっていることは事実以外の何でも無かった。

 かつて自らが彼女に説いた「大人の余裕」が、今の自分には欠けていることを思い知らされることになってしまったのである。

 ……いやこれ何の戦い?

 

「前に君が教えてくれた大人の余裕さえあれば、これを逆にチャンスとすることが出来るわけ。距離が離れるのがきっかけで生まれる恋愛感情も、あるッ!!」

「ッ……そんな……私としたことが……! よ、よよよ……」

 

 がくり、と項垂れるマックイーン。

 それを前にして腕を組むテイオーは勝ち誇りながら鼻の孔を膨らませるのだった。

 

 

 

 

「つまり、今のボクは──大人の魅力を、完全にモノにしたってことなんだよ!! 敗れたり、メジロマックイーンッ!!」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

「異動ッ!! URA海外支部への出張を命じるッ!!」

 

 

 

 ──バカデカい理事長の声が、理事長室どころか廊下にまで響き渡った。

 URA海外支部での長期研修。

 つまり、海外のレース研究や国際レース制覇に向けたウマ娘の育成を行える人材として、URAはテイオーのトレーナーに目を付けたのである。

 

「……海外に?」

「うむッ! これはまさにチャンスであるッ! 有馬記念で復活を果たしたトウカイテイオーの偉業は世界にも伝わっている! そして同時に、それを成し遂げた其方の偉業も!」

「そんな……俺は、何もしてませんよ」

「謙遜などしなくて良い。ウマ娘に寄り添い、理解し、そして支える。理想的なトレーナーであることは確かだ。しかし同時に、其方には世界を見てほしいと考えているッ!」

「世界……」

「まだ見ぬレース場、まだ見ぬウマ娘が待っているだろう。同時に向こうもその力を欲している。より一段上のトレーナーを目指すなら誰もが一度は目指す道だッ!」

「……凱旋門賞のために、ですか」

「慧眼ッ! 流石に察しが良いな」

 

 ──フランスで行われる国際レース・凱旋門賞の制覇はURAにとって悲願だ。

 今まで何人もの強豪が挑み、日本とは違う環境、海外の猛者を前にして敗れてきた。

 そもそも、かのシンボリルドルフでさえ海外レースで敗北を喫しているのである。

 URAが今目指しているのは「世界で戦えるウマ娘の育成」であった。そして同時に「それを共に成し遂げられるトレーナーの育成」も急務であった。

 トレーナーからしても、高みに進める以上は悪い話ではない。断る理由は何も無かった。

 

「僥倖ッ! このような誘いは滅多とないものである。君自身のキャリアアップの後押しとなるだろう」

「……分かりました。前向きに検討します」

 

 ──さて。

 此処までの話を聞いているウマ娘が居た。

 たまたま理事長室に自らのトレーナーが入っていくのを見かけたのが運の尽き。

 いつもの耳ピトでその話を聞いていたのであるが──顔は真っ青。大人のヨユーは何処へ行った。

 

 

 

「ど、どーしよ……トレーナー、海外に行っちゃうの……!?」

 

 

 

 トウカイテイオーは──断片的だが、その話を聞いてしまっていた。

 

「最も、その期間、担当ウマ娘とは──離れることになってしまうだろうがな」

「……」

「そうなった場合は新たなる担当を彼女に付ける事になるだろう。よく考えると良い」

 

 叫び散らした彼女はそのまま理事長室の扉から逃げ出す。

 寮に辿り着いたころには、顔は涙でぐしゃぐしゃだった。

 

 

 

「わーっわーっ、聞きたくなーい!!」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「ヤダヤダヤダヤダーッ!! トレーナーが海外に行っちゃうよーッ!! どーしよーぅ!!」

 

 

 

 そしてこれである。

 グラウンドのベンチでトウカイテイオーは泣きそうな顔でマックイーンに泣きついていた。

 

「やれやれ、この間散々私に余裕がどうこう魅力がどうこうと説いていたのにこの体たらく。情けないとは思いませんの?」

「思わないね!!」

「……あのですね。残酷かもしれませんが、貴女にとってトレーナーはあの方一人、でも──トレーナーはこれからたくさんのウマ娘を担当に持つんですのよ?」

「ぴぃ……っ」

 

 痛い所を突かれて、テイオーは口を噤んでしまう。

 

「……ずっと貴女の専属のトレーナーという訳にはいかないんですのよ。貴女と別れた後の事を考える日が、あの方にもやってきたのでしょう」

「……」

 

 テイオーの目が死んでいる。

 頭では分かっている。しかし、理屈では拒んでいる自分が居る。

 そして、それに自己嫌悪してしまう自分も居る。

 いつかは来ると分かっていた。

 トレーナーも、自分自身の夢に向かって歩む日がやってきたのだ。

 だがそれは当然、テイオーとの別れを意味していたわけで──

 

「分かってた。でもさ、思いたくないじゃん。ずっとこのまま、同じ日が続くって思うじゃん」

「でも、それは違いますわ。夢に進むことは……大なり小なり何か変化があるということ。貴女自身、分かっているはずですわよね?」

「……うん」

「ゴールドシップを見てごらんなさい。あの方の強さは一点の迷いも曇りもない所。自らが目指す道を定めれば一直線ですわ」

 

 最も、それまでがずっと迷走しているのであるが。

 

「あの点に関しては見習うべきだと思いますわよ」

「性能だけじゃなくって、見た目も重視したいよなぁ……気持ち、分かるぜ?」

「すごーい! ゴルシさん鍛冶も出来たんだ!」

「あたぼーよ、蹄鉄は走りの要だからな……作るか? 鍛えるか?」

「……」

「……」

 

 聞き覚えしかない声でテイオーとマックイーンは黙りこくった。

 グラウンドの妙な人だかりの中からゴールドシップの声が聞こえてくる。

 カーン……カーン……熱された鉄を打つ奇行種の姿があった。

 マックイーンは激しく後悔した。やっぱコイツだけは見習わせてはいけないかもしれない、と。

 

 

 

「ほーい完成、極太スパイク付き蹄鉄ーッ! これでゴルシキックの威力が120%上昇するぜッ! これならミラボレアスも狩れるかもなッ!」

「ええ……? ゴルシ先輩、これってレースに使えるんですか……?」

使えねーよ?

「じゃあ只のゴミじゃないですのッ!!」

「ゴルシッ!!」

 

 

 

 奇声を上げて地面に斃れ伏せるゴールドシップ。死角からマックイーンのハリセンが頭に炸裂したのである。

 それを一瞥したテイオーはしゃがみ込む。

 モンスターを倒した後にやることなど一つしかない。

 

▼「帽子」を手に入れた。

 

▼「耳に付けてるアレ」を手に入れた。

 

▼「カブトボーグ」を手に入れた。

 

「ちぇっ、3回かあ。しぶとさだけなら古龍クラスだからもう1回くらいいけると思ったんだけど」

 

 死んだ目で剥ぎ取りを行うテイオー。メンタルはライズどころか、既にサンブレイクしていた。

 

「コラコラ、剥ぎ取らない!! ゴールドシップの素材からは何も錬成出来ないですわ!!」

「そうだぞー、そこから先は修羅の道だぞー」

「貴女も貴女で復活が早い!!」

「うん、ところであたしの帽子返してくんね? ただの超☆絶美少女ゴルシちゃんが誕生しちまったじゃねーか、黙ってれば美人ってよく言われるけどさあ」

「じゃあずっとそのままでいて下さいまし」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「トレーナーが海外に行っちゃうかもしれないぃ?」

「ゴルシだったらどうするのさ」

「考えた事も無かったな! てか、どうしようもねーことを考えるのって時間のムダじゃね? その時間で一狩り行こうぜ!」

 

 奔放で豪胆なゴルシらしい返答であった。

 考えても仕方ない事を考えるような人物ではない。

 ある意味では聡いとも言えるが。それでも、思考停止で諦められるほどテイオーは良い子ではない。

 

「……頭で分かってても、そんな簡単に諦められないんだ」

「……」

「確かにボクはトレーナーにとって大勢いるウマ娘の一人でしかないかもしれないけどさ、ボクにとっては……たった一人のトレーナーだもん。割り切れって言われても簡単には割り切れないよ」

 

 自分勝手で、ワガママなことなど分かっている。

 自分に引き留める権利など無いことなど分かっている。

 しかし、胸が締め付けられる思いは本物だ。

 今の日々を、二人で追いかける夢を諦めたくない思いも本物だ。

 そこまで執着する理由が彼女にはある。

 

「なあ、お前さ、何でそんなにトレーナーが好きなん?」

「正直、冴えないですわよね。もっと良い人いっぱいいると思いますわよ」

「ニブちんだし」

「乙女心は理解していませんし」

「顔はちょっといいよな」

「むっ……!!」

 

 急に彼の事を悪く言う二人にテイオーは殺気立つ。

 

「ボクがケガして不安だった時に一緒に諦めないでくれたのは彼だ! 一緒に夢を追いかけてくれたんだ! カイチョーを超えるウマ娘になれるって笑わないで言ってくれて──」

 

 今までにない勢いでまくし立てていた。

 そしてそこまで言って、漸く気付いた。

 自分が何をするべきかを。彼女はもう一度深く息を吸った。

 涙を拭うと──マックイーンに問いかけた。

 

「ッ……ねえ、マックイーン」

「何ですの?」

「ボクの魅力ってなぁに?」

 

 その問にマックイーンは──ふっ、と一度笑うと答えてみせる。

 

 

 

「ためらわないことですわ。一度決めれば、夢へ駆けて一直線!」

「へへっ、そういうことっ!」

 

 

 

 その言葉を聞き受けた後──だっ、とテイオーは駆け出していた。

 目指すのはトレーナー室だ。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「……海外転勤、か」

 

 

 

 テイオーのトレーナーは一人、トレーナー室でごちる。

 そうなれば、残りの期間、テイオーのドリームトロフィーの面倒は見れなくなる。

 彼女とてもう一人前のウマ娘だ。自分が直接教えずとも、残した練習ノートで己を鍛え上げ続けるだろう。

 彼女は文字通りの──天才なのだから。

 

「……出来りゃあ、俺だって終わりまで見届けたかったけどね」

 

 そうはいかないよな、とトレーナーはあるポスターを見やった。

 凱旋門賞のポスターだった。日本のウマ娘がこの国際レースで優勝することは悲願となっている。

 そしてそれは同時に、トレーナーの夢でもあった。

 テイオーはケガが重なったこともあって、結局海外レースに出る機会は無かった。ジャパンカップで世界の強豪に打ち勝ち、テイオーが世界に通用することは証明できたが、それだけが心残りだった。

 しかしそれでも、彼女はそれ以上の偉業を成し遂げた。有馬記念での復活を以て、ある形でシンボリルドルフを超えたのだ。

 その彼女が行き着く先を見てみたいという気持ちもあった。

 

「……俺の愛バは……テイオー、お前だけなんだよ」

「トレーナーッ!!」

 

 急にトレーナー室に誰かが駆け込んで来る。 

 慌てて彼は凱旋門賞のポスターを放り投げた。

 彼女にはまだ、直接海外転勤の事を伝えてなかった。

 断ろうと思えば断れる話だったからだ。

 

「何だ? どうしたんだよ慌てて……今日のトレーニングはまだだろ?」

「……海外に、行くんでしょ」

「ッ! 何処でそれを……」

「そして、トレーナーも海外に行きたいんだよね」

「……」

「だって最初のころ言ってたよね! 世界を獲れるウマ娘を育てたいって」

「なあ、それは叶ったんだよ。お前がジャパンカップを優勝したから──」

「違うッ!!」

 

 甲高い声で彼女は否定した。

 不可能と言われたことを成し遂げた執念。 

 それは決して、テイオー一人のものではなかった。

 その傍には必ず、彼が居た。

 

「それで妥協するような人ならボクは……今此処に居ない!! キミはトレーナーだッ!! ”次”があるんだよ!!」

「っ……”次”か……」

 

 ソファにもたれかかる。

 今までの思い出が駆け巡った。

 あのバカみたいな日常も、ケガをした彼女を菊花賞までに必死に復帰させようとした時も、1年間の休養で心身ともにやつれた彼女を支えた時も、そして──あの栄光の数々も。

 此処まで至るのに、夢は決して諦めなかった。

 

「っ……俺はな……お前が走る姿を最後まで見ていたいんだ」

「そのために、今目の前にあるチャンスをムダにするの? 二度と無いかもしれないんでしょ?」

「俺はお前のトレーナーだ、今目の前にいるお前を蔑ろに出来ない」

「でも、いつかは()()()()()()()()トレーナーになるんだ!!」

 

 トレーナーは口を噤んだ。

 

「ボクを此処まで連れてきた人なら出来るよッ……!! だってキミは、このボクのトレーナーじゃないか……ッ」

「なあテイオーっ……」

「トレーナーは、トレーナーの夢を追いかけてよッ! 今度はボクが応援する番だッ!」

 

 力強く鼓舞する彼女。

 その手は震えていた。

 声も彼女を奮い立たせるようだった。

 

 

 

「ボクは……誰かの夢を追いかけている君が好きだ。世界で一番大好きだっ」

 

 

 

 

「ボクの事は気にしないで! ……大丈夫ッ! キミが居なくなって、ボクはサイキョーのウマ娘のままだよ! 卒業までずっと、ね!」

「だってテイオー、お前……」

「ひっく……大丈夫ッ……大丈夫だから……」

「お前……」

「っうぐっ、ひぐ……ッ」

 

 

 

 何かが決壊したように、彼女は嗚咽を漏らすのだった。

 

 

 

「泣いてるじゃねえかよ……ッ」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「……落ち着いたか?」

「……ごめん」

「何、早くに言わなかった俺が悪かったんだ。何処から漏れたか知らないが、俺の口から言うべきだったことなのにさ」

「うん……」

 

 自分で盗み聞きしたことはこの際黙っておくことにしたテイオーであった。

 涙を拭きながら、彼女は頷いた。

 

「……ボクはウマ娘だけど、トレーナーはこれから何人もウマ娘を担当するんだ。ボクが夢の枷になっちゃいけない」

「そんな事思ったこと無いんだけどなあ」

「トレーナーが思ってなくても、だよ。折角の大チャンスを逃すなんてダメだ。トレーナーがボクと同じ立場なら何て言う?」

「……敵わないなあ、やっぱお前には」

 

 ぎゅう、と腕にしがみつく彼女にトレーナーは笑いかけた。

 

「俺はね、初めての担当がお前で良かったよ」

「え?」

「俺が辛かった時、俺の心を支えたのもまた、お前だったよ。お前が諦めなかったから、俺は今此処にいる」

 

 もし諦めていたら?

 きっと心が折れて、今頃中央には居なかったかもしれない。

 彼もまた、テイオーが支えとなっていた。

 

「特別扱いなんてしちゃいけないんだけどさ……やっぱ無理だわ! 俺の愛バはお前だけだよ」

「っ……! えへへへへっ、こそばゆいよ」

 

 そう言いながらも彼女は尻尾を揺らしながら、彼に抱き着く。

 もう抑えきれない。熱い思いは溢れて出てくるばかりだ。

 どうせいつか別れるならば、せめて今だけは──彼を独り占めしていたい。

 

「……ね、トレーナー」

「何だ?」

「ボクも、もうガマンなんてしない。キミがこれから担当するウマ娘が追い付けないくらい、強いウマ娘になってみせるよ」

「……身体は壊すなよ?」

「分かってるよっ」

 

 その日のトレーニングは休みだった。

 確かに、そしてもう二度と消えない絆を結んだ人間とウマ娘が──寄り添いあっていた。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「ねえねえトレーナーっ! 聞いて聞いて! キタちゃんがゴルシに勝ったんだーっ!」

「ははっ、そりゃあすごい、ぜひとも直接見てみたかったよ」

 

 電話越しだが、彼女の楽しそうな声が聞こえてくる。

 あれから数か月。地理的な距離は離れたが、二人の心の距離はずっと近いままだ。

 彼女は毎日、トレセンでの出来事やトレーニングについて連絡をくれた。

 知る人が誰も居ない彼も、彼女のおかげで寂しさを紛らわせていた。

 

「ところでここ数日、LINE送って来なかったけど……何かあったのか?」

「あっ、トレーナー、寂しかったの~? うりうり~」

「ああ、寂しかったよ。愛バが急に連絡を寄越さなくなったからな」

「っ……も、もうっ、ちょっとくらい照れ隠ししてもいいじゃんか」

「で、何かあったのか? 正直心配してたんだぞ?」

「ちょっと忙しかったんだよねーっ。ごめんね」

 

 何かを誤魔化すように彼女は謝る。

 そして──急に話を変えてきた。

 

「ところでさ、トレーナー。ドリームトロフィーって半年に1回しかないんだけどさ、その間にボクも海外で修行する事にしたんだよね」

「あー、留学制度って奴か。良いんじゃないか? だけど要相談だな、海外の環境でコンディションを崩すウマ娘は少なくない」

「そーだよねえ……ところでトレーナー、もしもボクが海外に行ったら、キミならどうする?」

「ん? そりゃあ1回くらいは心配で見に行っちゃうかもしれないなあ。まあ、それは俺が日本に居る時の話で──」

 

 そこでトレーナーは眉を顰めた。

 

「……おい待てよお前……まさかと思うが」

「そーだよ? 数か月だけどボク、海外のトレセンに留学することになってね。後輩たちの面倒を見る事になったってワケ」

「お前……ちょっと待て。俺の相談も無しに、か!? し、しかもその口ぶりだと──」

「えへへっ、テイオー様をナメないでほしいかな。目指すところは違うかもだけど、ボクだって見てみたいんだっ! 君の目指す夢ってやつを!」

 

 聞き覚えのある声が聞こえてきて、思わず期待と共に、そしてある種の確信をもってスマホを取り下げた。

 呆れたような、嬉しいような、そんな気持ちがないまぜで、駆け出したくなる。

 目の前には──同じくスマホを手に掲げたポニーテールのウマ娘が太陽のような笑顔で立っており、

 

 

 

「地平線の果てまで、今度は君の夢についてきてあげるもんねっ!」

 

 

 

 そのままいつものステップで、トレーナーの胸に飛び込むのだった。

 トウカイテイオーに、不可能は無い。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「行っちゃいましたわね……テイオーも」

「寂しくなるなあ、ずぞぞぞぞぞ」

「ちょっと飛び散りましたわよ」

「ねえ思ったんだけどよ、マックちゃん」

「何ですの?」

「此処までの話、全部マックちゃんにもブーメランだよな? お前、トレーナーと別れたらどうすんの? 好きなんだろ? ぶっちゃけ」

「……私は平気ですわ。覚悟していたことですから。テイオーの姿を見て、私も決心つきましたの」

 

 

 

 

「──トレーナーさんは私専属ではなくメジロ家専属のトレーナーになる予定ですわ」

「あっ……」

 

 

 

 ──テイオー「大人の魅力ってなぁに?」マックイーン「ためらわないことですわ」(完)




 此処までお付き合いしていただき、本当にありがとうございました!約1年ぶりのブランクこそ空きましたが、改めて本作も完結と成りました!トレーナーへの愛情が深いトウカイテイオーと、割とはっちゃけたマックイーン、そして一周回って常識人なゴールドシップ、その他本編よりもハジけたウマ娘たちによるラブコメ、楽しんでいただけたでしょうか?正直筆が乗り過ぎていつ怒られるかとびくびくしていた時もありましたが、無事に完結と相成りました。夢は続くよ、何処までも。そんなわけで──ウマ娘ジャンルかどうかは分かりませんが、作者の次回作をお楽しみに。それでは、また!


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