Fate/Accelerate night:間桐慎二のサーヴァント (蔵之助)
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【序章】

[注意]
 これは作者の妄想120%でお送りする限りなく自己満足でできた二次創作小説です。


 白い、白い、ひたすら白い廊下。どこかの病院よりも真っ白だと、“ここ”に来てからもう2年も経つのに来た初日と変わらない感想を抱く。

 聞くところによると廊下のタイルは大理石らしい。大理石と聞くと豪邸に直結させてしまう私の思考回路は実に庶民的である。

 窓の向こうを見る。真っ白だ。今日は一段と吹雪いている。明日、一回埋もれそうだな。何センチ積もるのだろう。中も外も真っ白で、白以外の色が自分というのは少し面白い。

 明日、晴れるといいな。吹雪の後は晴れるというし。

 晴天など滅多にない暮らしに慣れ始めた自分に気づいて、人間って順応する生物なんだなぁ、と改めて実感する。

 他人から自分が人よりも順応能力が高いという評価を下されているのを棚に上げて、私もすっかりカルデア職員だな、雪山暮らしって少し格好いいかも、なんて毒にも薬にもならないくだらないことを考えた。

 

 「藤丸立香!」

 

 私の名前が呼ばれる。振り返ると、短い黒髪で、黄色人種で、身長も日本人としては平均だけどここにいるとどうも小柄に見えるほっそりとした体型で、メガネをかけた理知的な雰囲気の白衣の女性が私に向かってカルテを振って自己主張をしている。

 なお、カルテを振っていた、というのには理由がある。これは、カルテを持ってない方の手がハンドバックを抱えて空いてなかったからで、彼女がむやみやたらに個人情報の塊であるカルテをひけらかすような女性ではないことをここに証言しよう。

 

 「川田さん。」

 

 彼女は現在、私のメディカルチェックを担当してくれている女性だ。医務室に行くのをさぼりがちな私に対して、わざわざ私のマイルームまで器具を持って押しかけてくるような豪胆な女性だ。豪胆というより、我が強いというべきか。我が道を往く、というべきか。あるいは、私が医務室に行きたがらない理由を察して気を使ってくれているのだろうか?

 私が彼女の名前を呼んで歩みを止めると、彼女も歩く速度を落とした。こつり、足音が止まる。彼女は私の目の前に立ち、奇妙なポーズで立ち止まった。きっと徹夜明けなんだろう。

 

 「藤丸立香、ダメだろう。私の許可なく勝手にスケジュール組むなんて!」

 

 メガネをキラリと光らせて、川田さんは説教くさく、芝居かかった仕草をして盛大に嘆いた。彼女のいうスケジュールとは私の週間スケジュールのことで、私のスケジュールはプライベートタイムを除いてきっちりと管理されていたりする。

 彼女は先程振りまわしていたカルテをずい、と見せた。それは今日の朝に測った私のメディカルチェックの結果である。

 脳波や心拍数、血圧に血糖値に血中タンパク質濃度。魔術回路の最大励起数値、その他諸々私には専門外な内容と数値がずらずらと並ぶカラープリントの紙を流し読みして、うへぇ、と一声あげた。ざっと見た感じ、いつもと同じように見える。

 

 「え、なんでレイシフトがだめですか?」

 「ダメに決まってる、令呪が一画もないじゃあないか!」

 

 川田さんがああ、嘆かわしい!と悲鳴をあげる。私はそんな大げさな、と苦笑いを浮かべつつ、心配してくれてるんだなぁと心があったかくなるのを感じた。

 

 「今からレイシフトに行くんだろう?なら、なおさら令呪の回復を待たないと。」

 「はい、オルレアンに。でも微小特異点ですよ?

 いつものことだし、クラスのバランスが良いパーティー編成にしました。

 令呪を使うような戦闘にはなりませんよ。」

 「油断大敵って言うだろう!

 …はあ、仕方ない。君は今日のレイシフトを取りやめるつもりはないんだね。

 なら、仕方ない。」

 

 川田さんは仕方ない、を二回も言って、はぁぁ、と大きなため息をついた。これは、「私がこれほど言っているのに辞めないなんて、後悔しても知らないよ?」と言う意味だ。

 

 「ああ、そうだ。開発部のところによっていってくれ。君の自衛武器を女史と一緒になって作っていたみたいだからね。」

 

 つまり、その自衛武器を持っていけばレイシフトを許す、と。川田さんのツンデレ語を頭の中で翻訳しながら「はぁい。ありがとう川田さん。」と笑った。川田さんは不機嫌に鼻を鳴らしてきびすを返す。メディカルルームに帰るんだろう。

 私も進路変更をして、開発部へ立ち寄る。白すぎて迷子になりそうだが、脳内マップを信じて進む。うぃん、プシュー、と音を立てて自動ドアが開いた。

 

 「お、藤丸じゃないか!ちょうどよかった!」

 ハイテンションなムニエルに出迎えられて、私は「どうも〜」と笑う。

 「自衛武器のことで来たんだろ?わかってるって!」

 

  ご機嫌な開発部員にほんの少しの嫌な予感。渡されたのはゴツい腕輪のような機械。

 

 「なにこれ、新手の手錠?」

 「手錠ってなぁ…まあ見てろって。」

 

 見た目からして、もうそうとしか見えない。ずっしりとした重みのあるブレスレットとは言い難い腕輪を促されるがままにはめると、カチカチと音を鳴らして腕にぴったりのサイズに自動で調整までされた。

 

 「ガチモンの手錠じゃん!!」

 「安全性に優れてるって言えよ!」

 

 盗難防止が目的らしい。だんだんとぐだぐだになりつつある会話を、ムニエルは「こいつの性能知ったら驚くぜ。」と言って戻した。

 

 「縦に五枚、防御結界を展開する腕輪だ。シュミレーターのキメラやシャドウサーヴァントの攻撃にも余裕で耐えきった実績持ちだぜ。」

 「へー、結界の礼装なんだ。」

 

 そうは見えない、というと、結界を張ると同時に腕輪が盾にトランスフォームするという説明もくれた。

 

 「マシュの誉れ堅き雪花の壁とアーチャーエミヤの投影宝具の熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)を参考にして作ったんだ。

 まあ、性能は全然劣るけど、ダヴィンチ女史を始めとするキャスター勢に協力して貰って、なんとか実用化の水準に達したんだ。」

 「うん、本当にすごいよ、これ」

 

 素直な賛辞を呈すると、開発部のメンバーが是非使ってくれと笑う。

 

 「これ、どうやって使うの?」

 「よぉくぞ聞いてくれた!」

 

 にまり、と笑ったムニエルが耳打ちをする。その内容と、元ネタを理解して思わず絶句。

 

 「…著作権!!」

 「しつれいな! こだわり抜いて一から作った音声認証キーワード設定だ!」

 「そっちじゃないよ!元ネタだよ!」

 

 結局、この腕輪はレイシフトしたら使うと約束して、その場は乗り切った。

 その時私は、レイシフトしてもこの腕輪は絶対に使わないと心に決めた。

 まさか、レイシフトして早々に使うことになるとは思わずに。

 




 なお、ツイッターで吐いたネタを練って作った好きなものと好きなものを混ぜた結果。
 Fateはzeroから入って、雁夜おじさん不幸すぎ劇萌えから入って、慎二くんが好きになった私。正直なところゲームじゃなくてアニメと漫画だからちゃんとしたfate民とは言えない。
 というかstay night、Zero、FGOしか履修してない。extraはなんとなく内容は知ってる。
 fgoでぐだーずファンになって、クロスオーバー系の作品漁ってて気がついたこと。
 (あれ?なんか慎二君影薄いってか全然描写なくね?)
 というか、慎二君が主人公の二次創作が全然ない。stay nightもZeroもない。extraにもコエハースにもいる()のに。
 あの愛すべきクズ可愛い慎二君が主人公のやつ読みたいって言うだけの願望を含んだ捏造話。
 割と贔屓入るから慎二君の性格が変わってると思います。クズ度が減ってるし慎二の性格がなんか違うところが話の展開的にあるでしょう。
 こいつこんなんじゃねーだろって思ってもそれは作者であるわたしの美化表現であるので気分を害された方は読むのをやめてください。
 (個人的にだけど慎二は身内に甘いの典型だと思ってます。)
 だけど、あのひねくれたクズい性格は幼い頃からのジジイによる自己否定から来てると思うと不幸可愛いと思わない??
 しかも公式で根はいい奴って言われてる(活かされてない)からワンチャン主人公になれるタイプだと信じてる。たぶん、タイミングと環境とその他諸々が噛み合えばツンデレ主人公になれる!はず!ですよね、きのこサン…!
 ぐだーずもほんとすき。なんなの、あの子!!!
 ゲームのシステム上仕方ないのかもしれないけど人理修復が終わっても鯖がカルデアに協力してくれるし人理修復終わって人類の危機でもないのに新しく召喚される鯖がいるとかもうこれは人望EXでは!?!?もう!鯖たらし!
 無個性系主人公とは言わせない。
 ぐだ子はイケメンだしぐだ男は美少女顔だしもうほんとすき。
 メンタル最強ー!!ふぅーー!!
 ぐだーずが人理修復できたのはカルデアの技術がものを言ってるけどぐだのメンタルがオリハルコンだったのも理由の一つだよなーって思う私。
 あと、コミュ力。
 ダヴィンチちゃんによるオリジナル発明品が登場したり、マシュの盾使ってないのに召喚サークル作れるし、バレンタインお返し礼装に夢見てるし、ラフムもどき出てくるし、桜ちゃんの性格ちょっと違うかもしれないけど割と御都合主義で進行するけど二次創作特有のふわっとした感じで見逃してください。
 御都合主義なので設定甘いところとかあるかもですが、そこはコメント欄でお知らせください。ストーリーの進行的に可能なら直します。(きつそうならそのままになります。そこら辺はご容赦ください。)
 この作品は、魔術以外完璧な慎二がカルデアの技術班に就職したらいいなってだけの妄想からできました。
 あと、ぐだ子に「未来で待ってる」と言わせたかっただけの産物。
 なお、この話では冬木で行われる聖杯戦争だがstay nightとは似て非なるものと仮定します。
 この作品はpixivにも投稿しています。ハーメルンの雰囲気見て、「こっちの方が雰囲気あってるかも」と思い投稿した次第です。
2年くらい前から投稿してますが作者が遅筆なので未だ完結してません。
 気長に更新をおってもらえると幸いです。


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1日目
三日月夜


 おかしい。なぜ私は高度数千メートルはあると思われる空高くから自由落下しているのだろう。びゅうびゅうと肌を撫でる風は殺人的な勢いで私を攻撃している。

 私は、今日レイシフトした。確かにした。でもそれは、ちょっとした微小特異点の解決のためで、さらに言えばオルレアン。中世のフランスだ。現代の街並みが真下(物理)に広がるわけがない。

 

 「(やばいやばいやばいやばい)

 令呪をもって、めいじる…!だれか、たすけて…!!」

 

 しん、と何も反応のない令呪に疑問を抱き手の甲を見ると、令呪があるはずの右手の甲はただの手だ。つまり、令呪がない。

 

 「(そういえば昨日使い切っちゃったんだった!!)」

 

 昨日は、予想外のエネミーに出会い、令呪をうっかり三画使ってしまったことを今更思い出す。なぜ令呪が回復してから来なかったと言われるだろうけどこちらにも言い分はある。令呪を使い切ったから再臨素材を回収しようと思ったんだよ!!!不純でごめんなさい!!!川田さんの言うこと聞いておくべきだった!

 だが、そうはいっていられない。状況は最悪だ。このままだと墜落死する。

 一瞬、右腕が輝いた。輝いたというより、なにかが月光を反射して光った。

 

 「(…!!)」

 

 ぴこん、と閃いた。思い出した。そういえば、使うことが躊躇われるアレな自衛武器を貰っていたことを。

 レイシフト直前にもらった腕輪の性能は疑うまでもない。これを作った理由もレイシフト事故でみんなとはぐれたり、スカイダイビングしたり、突然エネミーに襲われたりと散々な目にあっている私を守るためだ。

 (おそらく、開発部の趣味も全開に炸裂していると思われるが。)生き延びることを目的に作られたのだから、今この状況でもきっとどうにか乗り切れそう。

 ムニエルはキメラの攻撃だって余裕だと、太鼓判を押していた。サーヴァントと連絡取れなくて危険な状況に陥るかもしれないからその時に使えとも言っていた。ねえ、ムニエル、フラグだよ。

 ダヴィンチちゃんと開発部が私の身を守るためにくれたアイテム…それは少年の心をくすぐる可愛さゼロのごつい腕輪(アクセサリー的なものじゃない。ブレスレットなんてかわいいものじゃない。)であり、特定のキーワードを口にすると機械による物理的な盾と、刻み込まれた防御結界が展開するんだったっけ…?詳しいことは忘れた。でも、もうこれしか方法がないのでは??

 

 「…っ、F.Cフィールド、展開!!」

 

 瞬間、腕輪が光る。次の瞬間、金属の塊でしかなかった腕輪はガチャン!というオートマチックな音ともにマシュの盾をモチーフにしたであろう十字盾に変形する。そして、私が最も危惧していた某有名ロボットアニメの心の壁によく似たバリアが5枚、盾の前に発現した。

 ちなみにこのキーワードの語源をダヴィンチちゃんに聞いたところ、『フィニス・カルデアフィールドの略称さ!』という情報を貰ったが、やっぱりこれ絶対著作権法違反だ。

 いろんなアニメから要所要所パクっている気がしてならない。

 気がついたら民家(というかお屋敷)の屋根が目の前に迫っていた。

 

 「(しぬ…やばいまじで死ぬ…!!)」

 

 衝撃に備え、歯をくいしばり、ぎゅっと目を瞑る。パリンパリンパリンパリン!とバリアが壊れる音がその衝撃がいかほどのものかを主張していた。

 なんとか停止した、と思ったのもつかの間。私が着地した瞬間、パリン、という切ない音と同時に屋根が壊れた。(私の体重のせいではないと思いたい。)

 めしめしと言う音がした時から怪しいとは思ってたんだ。床に叩きつけられた際の衝撃は盾により多少緩和されたが、痛いものは痛い。

 

 「ぐふ!?」

 

 顔面から落ちて顎を打ちつける。ドンガラガッシャーン!となにがが割れる音や、倒れる音がいっぺんになった音が響いた。

 目を開けると、そこは物置のような場所だった。よくわからないけどアーティスティックなランプ、お高価そうなテーブルや椅子。そして、目の前に青い髪の高校生ぐらいの男の子…ん??

 やっぱり見間違いじゃない。男の子が、立っている。なんか魔道書っぽいものもって、いかにも黒魔術を使いましたオーラを醸し出しながら立っていた。…厨二病、という単語が私の脳裏をよぎる。

 

 「やった…やったぞ…成功した…!!」

 

 端整な顔からは隠しきれない喜びがにじみ出ている。自分の足元に魔法陣が描かれていることに気がついた。あ、私悪魔とかと勘違いされてる??嫌な予感がして、すぐに訂正しなくては大変なことになる予感がビンビンする。

 

 「あ、え、えっと…」

 

 思わず口から飛び出た困惑の声は、目の前の厨二病少年(仮)の高笑いによりかき消された。

 

 「あ、あはは、ははははは!

 なんだ、僕だって出来るじゃないか!これで僕も、聖杯戦争に参加できる!!」

 「(ん、なんだって??)」

 

 今この少年、聖杯戦争と言わなかったか?私は厨二病のあいたたた〜な少年に悪魔召喚されたのではなく、魔術師の少年に英霊召喚されたのか?まじかよ、私が英霊?一般人なんですけど?(そもそも、私がここにいるのは召喚じゃなくてレイシフト事故だ。)

 まあ、これはこれでラッキーかもしれない。聖杯戦争を知っているということは、彼が魔術師だということだ。カルデアを知っている可能性が高い。それなら彼にカルデアに連絡を取ってもらい、スムーズに帰還できるかもしれない。

 顔を上げると、薄暗くてよく見えないがその少年に妙な既視感を感じた。どこかで、見覚えがある気がする。どこでだろうか?思い出せそうで思い出せない。

 高笑いをやめた少年は、嚙みしめようとして噛み締めてない緩んだ表情のまま私をジロジロと観察して、満足げに頷く。

 

 「僕は間桐慎二。始まりの御三家の一角である間桐家の ()()()() だ!」

 

 少年はふんぞり返りながら高らかに語る。(次期当主というのをやたらと強調して。)

 夜空の天辺には大きな月。私がぶち壊したせいで大きな穴を開けた天井からはっきり見えた。少し太った三日月だ。

 月の光によって、薄暗いながらもはっきりと見えた少年…間桐慎二の顔立ちを見て、私は思い出した。だって、顔立ちがよく似ていた。かつてロンドンで出会った、マキリ・ゾォルゲンに。目の前の少年は、彼を少し幼くしたような印象を受ける。

 第四特異点で出会った魔霧計画の首謀者三人のうち最後の一人、Mとして立ちはだかった魔術師。そして、魔霧計画の最初の主導者。

 彼の望みは『この世全ての悪の廃絶』だった。あまねく人々の救済を望んだ彼だが、人理焼却という未来を知り抵抗するのをやめたのだとロンドンの地下迷宮で、魔霧を生み出す巨大蒸気機関アングルボダの前で語った。

 そうか、この少年が“あの”マキリの子孫なのか。

 

 「えぇ〜っと・・・とりあえず、初めまして。私は藤丸立香。人理継続保障機関フィニス・カルデアのマスターです。」

 

 なるべく丁寧な態度で片手を差し出し、握手を求める。私のそれに答えるように、彼は鷹揚な態度で私の手をとった。

 

 「ふぅん、礼儀はなってるんだね。」

 「え、はぁ。」

 

 挨拶もできない子どもだと思われてる?なんだか複雑な気持ちになりつつも、私は「あの、」と言葉を続ける。

 

 「あと、申し訳ないんですが、今の…」

 

 今の西暦は何年で今日は何月何日ですか?と続けようとした。だけど私の言葉を遮って、少年こと間桐慎二はベラベラと喋り出す。

 

 「マスター…聞いたことない。エクストラクラスのサーヴァント?

 どんな性能だか知らないけど、まあこの僕がマスターなんだ。絶対に勝利してみせる…」

 

 私の言葉を思いっきり遮って、慎二はふんっ、と不遜に笑った。

 

 「…はい?」

 

 なんだか今変な単語が聞こえた気がする。え?誰が、誰のマスターだって??

 

 「ねぇ、なんかお前のステータスが見れないんだけど。それにマスターのクラスなんて聞いたことないからそれも説明。あと宝具も。」

 「え…え??」

 「はぁ?聞こえないの?あ、ステータスがザコすぎて言いたくないとか?

 それでもいいさ。僕は寛大だからね。広い心で受け入れてやるさ。」

 

 まくしたてるような早口で少年は語る。彼の言葉によると、私はサーヴァントで、彼がマスターのようだ。

 

 「えっと、まって。ちょっと混乱してる…」

 

 手のひらを彼に向けて『ストップ』のジェスチャー。もう片方の手は痛む頭を抱えるので忙しい。

 状況を整理しよう。

 私はレイシフトに失敗してもう何度目かになる上空数千メートルからのフリーフォールをした。そして、ダヴィンチちゃんとカルデアの技術班の作り出した明らかに著作権に引っかかる自衛武器(めんどくさいからこれから腕輪って言おう)のおかげでなんとか生存。

 落下地点には間桐慎二を名乗る少年がいて、私は彼が召喚したサーヴァントらしい。

 つまり、つまりだ。

 私、英霊召喚によって召喚された英霊と思われてる??

 まれに、英霊召喚に失敗して雑な召喚がされることもあるらしい。いつかエミヤが遠い目をして言っていた。…あ、私、そのパターンだと勘違いされてるのか。よくよく思い出せば、あの魔法陣は英霊召喚の魔法陣だったような気もする。

 …うん。とりあえず納得したものの、理解してない。(意味わかんないけど今の私の心境がまさにこれ。)

 まずは、誤解を解かなくてはいけないし、何より今現在いつの時代のどこの座標に私が落ちたのかも把握しなくては。そして、最重要事項はカルデアに連絡すること。

 やることを頭の中で羅列していると、しびれを切らしたマスター(仮)の間桐さんが「あーもー、なんなんなの?」とため息をついた。いや、ため息つきたいのはこっちだ。

 

 「だーかーらー、お前は僕のサーヴァントで、聖杯戦争に参加するために、『僕が』お前を召喚したんだって何度も言ってるだろ!」

 

 もうこれで何度めかの説明。今度は若干、いやかなり『僕が』という部分を強調していた気がする。そもそも、前提条件が間違っているせいで話が進まない。

 だけど、現在この地で聖杯戦争が行われるということは把握できた。だが、それだけだ。

 

 「あの、間桐さ」

 「マスター」

 

 食い気味の返答に顔面が引きつる。いろいろ言いたいことを飲み込んで、私は言葉を紡いだ。

 

 「…じゃあ、マスター。ここはどこですか?日本、ですよね?

 西暦は?」

 

 そこでようやく、慎二(もうめんどくさいから慎二でいいや)がそんなことを聞きたかったのか?というように目を瞬かせた。

 

 「ああ、なんだ。そんなこと? 

 そうだよ、ここは2004年の日本。冬木市、知らない?地方都市としてはそれなりに有名だと思うんだけど。

 それよりもお前、本当に大丈夫?

 聖杯からちゃんと知識もらえてる?」

 

 心底面倒臭そうに(それで持って不安そうに)そう告げる間桐慎二の言葉に、私は唖然とした。

 冬木市はもちろん知っている。2004年ということは、ここは特異点Fだ。炎に覆われた街。つまり、ここは聖杯戦争前の冬木ということだ。以前、第四次聖杯戦争が行われた時空に行ったこともあるが、4次の思い出はちょろすぎるランサーのマスターが印象的すぎて具体的な内容はあまり覚えていない。

 ……いやいやいや。そもそも私、特異点Fにレイシフトしてませんけど!?

 はぁー、と内心深いため息をついて、空を仰いだ。天井に開いた穴から夜空がよく見える。月まで見える。とても見やすい。見やすくしたのは私だけど。

 上弦を向いた、半月になりかけの太った三日月が私の状況を笑うように楽しそうに弧を描いていた。

 

 「なんか勘違いしてるみたいだけど、私は…!?」

 

 私はサーヴァントじゃないし、そもそも生きてる人間なの。そう言おうとしたけれど、結局言えなかった。私の右手の甲が、一瞬だが貫ぬくような熱さを感じたから。日付が変わった。手の甲に赤い痣が一画浮かび上がる。それとほぼ同時に令呪は使用された。

 どん!という衝撃。ギシギシッと屋根が軋み、パラパラと木片が落ちる。反射的に顔をあげた。この衝撃が何か、わかったから。

 “何者”かが屋根に飛び移ってきた。その人物は屋根の穴から顔を出して中を確認した。彼らしくない行動だと思うも、それだけ私を心配してくれたのだと思うと嬉しくもある。

 

 「無事か!?」

 「燕青!」

 

 消えた令呪と、サーヴァント。なぜ、勝手に令呪が使用されたのだろうか?先ほどの命令が令呪が回復した今になって発動したとか?

 まぁ、今は置いておこう。それよりも燕青だ。

 燕青の美しく整った顔は必死そのもので、その目には不安と心配が色濃く浮かんでいる。どこか狂気も感じるが、それは気のせいだと思いたい。

 燕青は私という存在を確かめるように肩や顔をペタペタ触ったあと、私を両腕で抱きしめ、はぁー、と息をついた。

 

 「無事でよかった…あんたを探している間、生きてる気がしなかった。」

 「うん、ごめんね。」

 

 私の頬を両手で包み、安堵の表情で笑う燕青に申し訳なくなる。ちゃんと令呪が回復してからレイシフトすべきだった。そうしたら、彼をここまで心配させずに済んだのに。いや、彼だけではない…みんな、心配して私を探しているんだろう。

 

 「サーヴァント!?」

 

  マスター(仮)の慎二の、恐怖と疑問が多分に混ざった言葉が響く。それにいち早く反応した燕青は、ギロリときつい眼光で慎二を睨みつける。慎二は情け無く「ひぃ!」と短い悲鳴をあげて、尻餅をついた。

 

 「なぁ、お前。俺のマスターになにをした?」

 

 何がどうなってそう思ったのだ。いやしかし、燕青は私の足元に広がる魔法陣を睨みつけている。彼は慎二が私に何らかの魔術をかけたのだと思っているのだろうか?

 

 「いや、違うんだって燕青!

 マスターも説明するからちょっと待って!」

 「「マスター!?」」

 

 同じ言葉が見事に被さったが、意味合いが全然違う。

 慎二の「マスター!?」は「はぁ?お前僕のサーヴァントなのになんでサーヴァントがいるんだよ!?」という意味で、

 燕青の「マスター!?」は「はぁ?おいおいマスター、こいつ(慎二)がマスターのマスター(笑)とかどういうことだよ説明しろ」という意味だ。温度差が激しい。

 

 「えっと、燕青。この人は私のマスター…の間桐慎二さん。マスター、この人は私の契約している英霊のうちの一人である燕青。アサシンのサーヴァントだよ。」

 「はぁ?

 マスター、そりゃどういうことだ?」

 「あとで説明するから新シンさんはちょっと待ってて」

 

 とにかく、今すべきことは目の前の彼の説得して、協力を得ることだ。この時代はいつもと勝手が違う。現代なのだ。古代ならばジャングルで狩りでもすれば生きていけたけど、現代でそれは無理だ。

 私は慎二に向き直る。

 

 「マスター、私は2017年現在、カルデアでマスターとして働いている並行世界の未来人です。」

 「はぁ?」

 

 苛立ち、今にも舌打ちをしそうな形相で私に詰め寄る慎二に、私はゴクリと唾を飲む。(背後で殺気立つ燕青に緊張したわけではない。)ここからが勝負だ。今までのレイシフトは、なんやかんやでカルデアのマスターの存在を知っている人に出会い、特異点修復までの期間はともに過ごしていた。

 時代が時代なら旅人とでも名乗って野宿してもいいのだが、この現代でそれをしたらただのホームレスとして警察にしょっぴかれる。

 なんとかして、カルデアに帰るまで彼にお世話にならないと…!などとゲスいことを考える私。遠い目をしてふふ、と空笑いをする。だが、私が生きてカルデアに戻るためには協力者が必要なのだと開き直った。

 

 「今から説明するから…」

 

 おっほん、とわざとらしい咳払いをして、私はカルデアについて頭の中で整理する。

 

 「今から少し先の未来、人類は一度焼却される。

 私の所属する人理継続保障機関カルデアは、その名の通り人類史を保障するために活動する国連機関…だったかな?

 人理焼却の原因でもある、人類史における正常な時間軸から切り離されたもしもの世界…私たちが特異点と読んでいるものを修復し、人類の滅亡を防ぐことを目的に活動してきた。

 特異点修復の関係上、多くのサーヴァントに協力してもらう必要があって、私は100騎以上のサーヴァントと契約をしてる。ここにいる燕青もその一人。

 もちろん、カルデアから魔力バックアップを受けているから成り立つんだけどね。

 燕青が私をマスターって呼ぶのはこれが理由。」

 

 一度、私は話を区切った。説明はあっているだろうか?いつもロマ二やマシュやダヴィンチちゃんに任せっきりだったから、あっているかどうか不安だ。一気に喋りすぎて少し喉が乾く。自分の唾を飲み込んで喉を潤そうとした。さぁ、続きを語ろうとした時、またもや私の声は慎二に遮られた。

 

 「つまり、サーヴァントを使役する英霊ってこと?だからクラスがマスターなんだ。

 あは、それって最強じゃないか!

 この聖杯戦争、僕が勝ったも同然だね!」

 

 たしかにサーヴァントを召喚するサーヴァントなんて居たら最悪だな、と私は思考を遠い空の彼方へ投げ捨てた。もう、彼の中で私=サーヴァントという方式は確立され、覆らないものみたいだ。さらに、未来人と名乗ったせいで彼は私を『未来の英霊』と捉えている節もある。まあ確かに、未来からやってきたタイムトラベラーよりも、召喚されたサーヴァントのほうが魔術的にみて現実味はあるんだろうけど。

 まだ始まっていない戦争の『勝利』にはしゃぐ慎二を横目に、こっそりと燕青を見る。燕青はびっくりするほど綺麗な笑みを浮かべていた。でも、その目はぞっとするほど笑ってない。これは、あれだろうか。燕青の地雷を彼が踏み抜いてしまったのだろうか?彼は臣下の忠告を聞かない主人を嫌う。主人と臣下を慎二と私に置き換えると、まさにそれ。主人は臣下の忠告どころか話すら聞いてくれないからアウト判定は容易いだろう。

 やばい。軌道を修正しなくては、私が知らない間に目の前のワカメっぽい少年が撲殺されてしまう。

 

 「あの、あのね、マスター。私は聖杯戦争に介入するつもりは…」

 「そうだ、早く拠点を移さないと!間桐家は桜の拠点になるはずだ…」

 

 ブツブツと何かを呟きながら思考する彼に、やはり私の声は届かなかった。新シンの目がどんどん冷たくなっていく…

 

 「お爺様に僕がサーヴァントを召喚したことがばれたら、桜のサポートに回されるに決まってる…くそ、桜のやつ…!

 桜が英霊召喚をやるのはまだ先のことだし…それまでに用意できるか?

 マスターがサーヴァントを召喚するためにも、拠点は龍脈の上にあることが必須か…」

 

 ブツブツと呟き続ける慎二は、もう私の話なんて聞こえちゃいなかった。でも、なんとなく背景がわかってきた気がする。

 おそらく、彼は間桐の家の次男とかで、桜と言う名の正式な後継者が他にいるんだろう。

 それで、後継者に選ばれるために聖杯戦争を勝ち抜き、当主の座に収まりたい…と、言ったところだろうか。簡単に言うと、後継者争い。私にはよくわからないが、魔術師の家はそう言うことがよくあるらしいし。私にはよくわかんないけど!!

 

 「マスター、キャスターの英霊は召喚できるか?間桐の持ってる物件の中で一番いい奴を選ぶぞ!」

 「召喚できるけど、えぇ…」

 

 彼はやたらハイテンションで私に言った。もはや騙したように感じるが、これで衣食住は保証してもらえるだろう。でも、これは私の話を聞かない慎二が悪いのであって、私がどこぞの人でなしのごとく騙したわけではないと信じたい。

 

 「やるねぇマスター。話術だけでいい金ヅルを手に入れるとは。」

 

 こっそりと、燕青が楽しそうな声で囁いた。私は小声で「うるさい」とだけ言って、目をそらす。私はヒモじゃない。

 とりあえず、今はごめんなさいと心の中で謝り倒すことしかできない。

 

 「あのさ、マスター…キャスターなんだけどね、すでに冬木のどこかに私の連れてきたキャスターがいると思うんだ。」

 

 嘘ではない。一緒にレイシフトしてきたので、嘘ではない!!

 

 「ここにいる燕青みたいに、私は六騎のサーヴァントとここに来たんだ。途中で事故ってバラバラになっちゃったけど。」

 「悪かったな、僕の召喚が雑で。」

 「いや、そうじゃなくて…うん、もういいや、それで。」

 

 眉間にしわを寄せて、不貞腐れる慎二に投げやり気味に返答すると、燕青が「もうこいつ殺してもいいか?」と問いかけるような目で私を見つめていた。それを首を横に振ることで全力で否定する。

 

 「それで、私はキャスターにマーリンを連れて来ていたの。」

 

 私の言葉に、慎二はピクリと右眉を吊り上げた。

 

 「マーリン?マーリンって、まさかとは思うけどアーサー王伝説に登場する宮廷魔術師のこと?」

 「あ、知ってるんだ。」

 

 私がへぇ、と言うぐらい軽く返すと、慎二は信じられないと言うように目を丸くした。

 

 「はぁー!?マーリンはまだ死んでないだろ!?

 どうやってサーヴァントにするんだよ!」

 あり得ないだろ!といいながら私に食ってかかる慎二に、「詳しいんだなぁ」と感心する。

 「まぁ、私が召喚した時は世界は滅亡していたわけだからね。不可能が可能だった、みたいな?」

 「ふーん」

 

 自分から聞いておきながら、適当すぎるその返答にびきり、と笑顔が固まる。だめだ、怒っちゃだめだ、私。

 

 「それで、まずはマーリンを含めた5騎のサーヴァントを回収したいなー、って思ってるんだけど…」

 「…居場所、わからないの?」

 「そうなんだよね…」

 

 魔力感知すらできない素人なもんで、なんて頭の中で考えながら下手くそな上目遣いでそういえば、慎二は「さっさと行くぞ!」と勢いよく立ち上がった。

 

 「え、今から!?」

 「馬鹿を言うな!聖杯戦争はまだ始まっていないが、お前の連れてきたサーヴァントを誰かに目撃されてみろ!

 エクストラクラスのアドバンテージが薄れるだけじゃなく、監督役に違反行為とみなされるかもしれない!

 なら、早いとこサーヴァントを回収してお前のクラスや能力を秘匿したいと思うのは当然だろ?」

 「そ、そんな大げさな…」

 「とにかく、探すぞ。他のマスターに見つかる前に!」

 

 大慌てで今きている服の上(おそらく制服)にブランド物だと思われる上品なコートを羽織った慎二は、有無を言わせず私の腕を引いて外に出ようとする。そんな彼のなすがままに、私は小走りしながら引きづられていた。

 

 「俺が探しに行こうかぁ?」

 

 燕青はいつもの調子で微笑む。アサシンのサーヴァントだし、諜報のスキルを持っている。私たちが探すよりよほど早く見つかるだろう。

 

 「じゃあ…」

 「その必要はないよ、マスター。」

 

 お願いしようかな、といいかけた声は遮られた。なんだか、今日は言葉を遮れてばかりだ。でも、割り込んできた声は中性的な優し声で、第一特異点からずっと私たちと共に戦ってくれたサーヴァントの声だとすぐにわかった。何かあるとすぐに頼ってしまう、優しい兵器。

 声がした方を振り向けば、緑の髪の美しいランサーが笑っていた。その隣には、マーリン、清姫、ランスロット(剣)、ロビンフッドが立っていた。私が連れてきたサーヴァントが全員揃ってここにいる。

 

 「マスターを探している間に見つけたんだ。」

 「エルキドゥ!!」

 

 さすが気配感知A++と喝采を上げた。

 

 「ますたぁ、お会いしたかったです…!」

 「私も会いたかったよ。」

 

 甘ったるい声で抱きついてくる清姫を抱き返して、ポンポンと背中を叩く。

 大げさに再会に喜ぶ清姫を慰めながら、慎二を見る。彼はとても御機嫌な顔をしていた。嫌な予感がする。私の第六感が、「こいつを黙らせろ!」と警告をあげている。

 

 「エルキドゥって、ギルガメッシュ叙事詩に出てくるギルガメッシュ王の親友にして神が作り出した泥人形じゃないか…!サーヴァントになれたんだ。

 マスター、これ全部お前のサーヴァント?」

 「うん、まあ、そうなるね。」

 

 歯切れ悪くそう言うと、慎二はふーん、と嬉しそうに口角を上げて笑った。

 

「お前のサーヴァントは僕のサーヴァントってことだし?

 まずはここにいるサーヴァントのステータスだな。」

 

 全方面に喧嘩売る姿勢、やめてもらえるかな??

 

 知っていることを全て教えろ、と高圧的に慎二は言う。これ、本当にサーヴァント召喚してたら早々に裏切られて殺されるんじゃ、なん不安を覚えた。

 こうして、第5次聖杯戦争に“マスタークラス(偽)”というイレギュラーすぎる(どころかそもそも参加資格を持ってない)第八の陣営が生まれた。



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2

 私がレイシフト事故により墜落したのは、間桐家の別邸だったらしい。客人を招くためだけに存在されていたその家は、数年前に新たな別邸を作ったという理由で(大きく立派なのにもかかわらず)基本的に使われてないと言っていた。

 ここなら何をしても彼のいう『お爺様』は文句を言わないため、慎二は勝手に使っているらしい。魔術師の陣地なのにサーヴァントの存在がばれないなんてそんなことあるかな、なんて不安を覚えたのは私だけじゃなかったようで。

 慎二もサーヴァント反応はバレると困るから霊体化していた方が安全だ、と言った。

 私は霊体化などできないため、バレンタインのお返しシリーズ・ハサン先生の万能布ハッサンを身にまとった。

 ロビンの宝具を使う手もあるが、魔力の消費は控えたい。それに、ハッサンはとんでもなく優秀なのだ!

 身にまとうだけで気配遮断できるし、スマホは磨けて冬は毛布、夏はタオルケットのように使える。カルデア内で試して見たが、気配遮断はアサシン以外のサーヴァントになら通用するすごい布なのだ。(マーリンは幻術を使って存在をごまかすらしい)

 彼が本家である間桐邸に帰るのは、ご飯を食べるためと寝るためだけで、本家では自室以外に入ることのできる部屋は食堂ぐらいしかない。

 彼は息苦しい本邸には帰らず、別邸で過ごすことが多いと言っていた。人を連れ込んでも、別邸ならば何も言われない。

 魔術師は一子相伝だというから、後継じゃない人間は苦労すると聞いていたが…これほどまで差別されるものだとは知らなかった。

 故に、拠点が見つかるまではここで過ごすのだと思っていたのだが違った。とりあえず、慎二の行動力はすごい。

 「今から拠点を探しに行くぞ!」

 制服など着ていない。完全に私服。平日にもかかわらずその格好ということは、学校をサボるという明確な意思を感じる。そしてその言動から察するに、家探しをするということだろうか。

 

 「…まじか。」

 

 文系だと思っていたのだが、彼は意外と体育会系らしい。

 

 ***

 

 「まさか、家を探しに出かけて五時間後には引越しとは…」

 

 本当に、行動力がおかしい。間桐の所有だからと言ったって、まさか手続きとか総スルーで部屋を借りられるなんて思わなかった。未成年者が部屋を借りるには身元引き受け人とかその他諸々確認すべきことがたくさんあるはずなのに、なんでマーリンが「ここがいいんじゃないかな」と言った次の瞬間に「ここに住む」って即決するんだ。そして、なんで「わかりました。」で済むんだ。なんでそのまま入れるんだ。しかもこの部屋、家具備え付けな上に二階建ての一軒家なんだよ?しかもかなり大きい屋敷だ。

 …考えるのはやめよう。もうラッキーでいいじゃない!

 冷蔵庫も、レンジ(しかもこれオーブンレンジ!)も、オーブントースターもコンロも何から何まで備え付けられている。

 現在慎二は自分の部屋から私物を運び出している。ランスロットの宝具である己の栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)でサーヴァント反応を隠蔽し、わざわざ別人に変装させて荷物運びを手伝わせている。勇気があるな、と感心する。

 ランスロットは騎士なので、燕青や清姫やエルキドゥやロビン達などのように私の知らないうちに慎二をサクッと殺したりなどしないはず。…該当者多すぎない??

 ガチャリ、と扉が開く音とともに、ずしん、と重たい音が響いた。明らかに近所迷惑だが、心配はいらない。すでにマーリンの魔術工房と化したこの屋敷は『何が起きても気にならない』ようになっているらしいので。

 

 「おかえり、マスター。」

 

 私が玄関まで出迎えると、慎二はなんとも言えない微妙な表情で「…ただいま。」と呟いた。慣れていないのだろう、小さすぎてほぼ聞こえなかったけど。

 マスターの私物をマスターの部屋(洋室八畳)に運び終えると、時計の針は午後二時を指していた。

 買い物をしていないので今日の遅めのお昼はコンビニ弁当だ。

 まずい、と毒づきながらも慎二は素直に食べている。食べ物にはこだわらないタイプなのだろう。

 

 「日給バイト探さないとね。タウンワー○とかあるのかな?」

 

 できれば手渡し日給がいいよね、と笑うと慎二は訳がわからないと言うような顔をした。

 

 「なんでアルバイトなんかする必要があるんだ?」

 

 きっぱりとそういう慎二に、私はぱっかりと口を開けた。呆然、とはまさにこのこと。

 

 「え、マスター、この家に住むんだよね?」

 「そうさ、ここを拠点にすると言っただろ?」

 「…え、ならどうやって暮らすつもりなの?生活費は?」

 「そんなの、銀行に行けばたくさんあるだろ。アルバイトなんか庶民のすることだ。」

 「何言ってるの!?」

 

 思わず私が叫ぶと、慎二は意味がわからないというように首を傾げた。すると、閃いたというように「ああ。」と声をあげた。

 

 「家賃のことか?ここは間桐の所持する家の一つだからいらないよ。」

 「光熱費!水道代!電気代!食費!そういうのどうするのさ!

 お金は働かないと稼げないんだよ!」

 「はぁ?銀行行けば毎月勝手に振り込まれてるじゃないか。」

 

 何を言っているんだ、このマスター。「はぁ?」じゃないよ、こっちが「はぁ?」だよ。あまりに感覚が違いすぎて頭が痛い。

 おそらく、慎二は生まれも育ちもお金持ちのぼんほんだ。おそらく、間桐家には不労所得というものがあったのだろう。お金を稼ぐという意味がわからないタイプなのかもしれない。魔術師は皆お金持ちらしいし。いや、違うっけ、お金があるから魔術師をやるんだっけ?

 まあ、どっちでもいい。とにかく、彼はお金はどこかから湯水のごとく湧いてくるものだと考えているのだろうか。または、銀行に行けば無料でもらえるとでも?

 

 「あのね、マスター。お金は勝手に生まれてくるものじゃないんだよ?」

 「いや、そんなこと知ってるけど?」

 

 不思議そうな顔で私を見る慎二。知っているという割には働く気ゼロとは何事だ。だめだ、この人早くなんとかしないと。社会に出られない。

 思わず真顔になる。今、この思考を矯正しないとこの人には将来がない。延々と親の脛をかじるか、犯罪行為に手を染めてしまうかの二択だ。私は慎二の肩を掴んだ。

 

 「な、なんだよ。」

 「マスター、お金は稼ぐものだよ。

 あなたも将来大人になったら働いてお金を稼がないといけないんだ。」

 「でもそれ、間桐の当主になれば関係ないだろ。」

 「しゃらっぷ!間桐のお家がお金持ちなのはお爺さんが頑張って働いているからだよ!

 いつまでもご老人働かせちゃだめでしょ!」

 「うっ…だからと言ってなんで僕がアルバイトなんて庶民の真似事を…」

 

 心底嫌そうな慎二の顔を見たロビンは「まじかよ。」って顔をしてた。ロビンだけじゃない。燕青も、剣スロットも同じ顔をしてた。どことなく哀れみも感じる。

 マーリンとエルキドゥはよくわからないというようなクエスチョンマークが浮かんでそうな笑みを浮かべていたが、清姫は汚物を見る目だった。

 

 「庶民で結構。間桐の家を出てここで暮らすと決めた時点で、マスターは庶民だ!」

 

 ぴしゃーん!と雷に打たれたような顔をするマスター。「そうだな」と譫言のように呟いて、すん、と私を見る。目からハイライトが消えていた。

 

 「でも、マスターは学校があるからね。学生は学業優先だからしなくていいよ。」

 

 そういうと、明らかに安堵の表情を浮かべる慎二。そんなにバイトが嫌か。

 

 「でもマスター、バイトしない代わりに家事は手伝ってもらいますからね!」

 

 びし!と人差し指を床に向けて、宣言する。なんだかお母さんになった気分だ。

 突然、私の通信機がププー、と機械音を立てた。私は目の前に慎二がいることなど忘れて急いで通信を繋げると、そこには立体映像ホログラムがパッと映る。

 

 『立香ちゃん!無事かい!?』

 

 ダヴィンチちゃんが髪を振り乱して身を乗り出していた。あまりみないその様子に驚きながらも、心配をかけてしまったことが情けない。

 

 『よかった、ようやく通信が繋がった。君がレイシフトした座標はすぐに観測できたのに、君と連絡だけが取れなくて…

 いくら立香ちゃんのレイシフト適正が100%だと言っても、レイシフト先で意味消失をしていたらと考えると、私は…!

 生きててくれて、本当によかった…』

 

 はぁ〜と大きく息を吐くダヴィンチちゃんに、「心配かけてごめんね」と謝った。愛されてるなぁと不謹慎にも実感してしまう。

 

 「でも、なんでそんなに慌ててたの?ダヴィンチちゃんらしくないね。」

 『そりゃ、今回の事故の原因が原因だからね。落ち着いてられなかったのさ。』

 「どう言うこと?」

 

 私はレイシフト中の不慮の事故で違う座標に飛んでしまったのではないのだろうか。割とよくあることなのに、なぜダヴィンチちゃんはあんなに焦っているのだろう?

  ダヴィンチちゃんは深刻な表情で「落ち着いて聞いてほしい」と前置きをしてから、重たい口を開いた。

 

 『今回のレイシフト事故はただの事故じゃない。レイシフト中に何か大きな力が座標を捻じ曲げて、立香ちゃんを連れ去ったんだ。」

 「座標を捻じ曲げる?」

 

 そんなことができるのだろうか。レイシフトというものはとても繊細なものらしく、機械的にも魔術的にも素人の私にはよくわからないことが多いけれど、一度始まったレイシフトに介入できる力があるという事があるのか?

 得体の知れない恐怖が私の背筋を撫でた。

 

 『力の検討は皆目つかない。でも、私は『阿頼耶識』じゃないかと思っている。』

 「アラヤ…?」

 

 聞きなれない言葉を、オウムのように繰り返す。背後で、サーヴァントのみんながハッと息を飲んだのが一層不安を煽る。

 

 『「人類の無意識下の集合体」、「霊長という群体の誰もが持つ統一された意識」、「我を取り外してヒトという種の本能にある方向性が収束しカタチになったもの」

 言い方は色々あるが、霊長の世界の存続を願う願望そのものさ。

 まあ、推測でしかないし、これが事実だとは言い切れない、というか極めて低い確率だ。でも、私はね、立香ちゃん。

 有り得ないけど、本当に有り得ないとは思うのだけど…君が、抑止の守護者として選ばれたのではないかと恐れている。』

 「抑止の守護者?」

 

 ありえない、確率は低い、と何度も繰り返してダヴィンチちゃんは語った。

 抑止の守護者って…エミヤ(弓)とエミヤ(暗)のことだろうか?それともクロエ?沖田オルタ?

 でも私は世界と契約なんか結んでないし、ましてや死んですらない。

 いまいちその単語にピンとこなくて、私は首を傾げた。眉間にしわを寄せながら考えるも、一切思い当たらない。

 

 『可能性は限りなく低いと言ったろ?

 でも、その時代の状況的に、そう考えてもおかしくないことが起きているんだ。』

 

 はぁ、と重たいため息をついたダヴィンチちゃんは、近くにいたスタッフに『マシュを呼んできてくれないかな?』と声をかけた。

 

 「マシュは?大丈夫なの!?」

 『マシュは大丈夫。ちょっと疲れて休んでいるだけさ。

 君のことを心配していたから、せめて画面越しにでも会わせてやりたくて。』

 「そっか。」

 

 私も、安堵のため息をついた。しばらくすると、マシュの『先輩!』と言う声が聞こえて、目の下に隈を作ったマシュが映った。

 

 「マシュ、その隈…!」

 『い、いえ、あの、その…先輩が心配で、寝ていることなんてできなくて…』

 

 しどろもどろになりながら、マシュが弁明する。私は、この少女にどれだけの心配をかけてしまったのだろう。だからこそ、わたしはいつものように笑顔を浮かべて、マシュの目を見つめて言う。

 

 「マシュ、私は大丈夫。だから安心して寝てほしいな。」

 『先輩が、そう言うなら…

 通信が切れたらちゃんと休みます。』

 

 にこりと力なく笑うマシュは、かすみ草のように儚い。心配させたことが心苦しくてぎゅうと唇をつぐんだ。

 

 『うんうん、やっぱり立香ちゃんの言葉が一番マシュには効くね!』

 

 ダヴィンチちゃんのわざとらしいほど明るい声にハッと顔を上げた。優しい眼差しが私を捉える。

 

 『さて、本題に入ろう。私が君が抑止力なのでは?と推測した理由のことだね…。』

 

 勿体ぶった大げさな動きに、ダヴィンチちゃんも動揺しているのだと悟る。それほどまでに異常な事態なのか。ふう、と息をついて睨みつけるかのように厳しい眼差しを持って、ダヴィンチちゃんは重ったるそうに唇を震わす。

 

 『単刀直入に言おう、君が今いる冬木の地は聖杯に汚染されている。』

 「へ?」

 

 思いがけないかつ意味不明な言葉に、間抜けな声が出た。

 

 『訂正しよう。冬木の大聖杯が、泥で汚染させれていることが原因で、冬木の地全体が泥に汚染されている。汚染は大聖杯につながる霊脈にも流れ込み、約七割はすでに汚染している。以前エルメロイ二世と行った第四次よりも事態は深刻だね。

 そして、今大聖杯には泥が…わかりやすく言うとティアマト神の襲撃の際に我々が苦戦したケイオスタイドに酷似したもので満ちている。現在でもいつ溢れ出すかわからない状況だ。

 おそらく、サーヴァントが一騎でも脱落すれば、ケイオスタイドは冬木を中心に一気に溢れ出し、全てを飲み込む。

 日本全土なんて生温い。全世界を飲み込む泥だ。人類は滅亡一直線、聖杯はこの世全ての悪で満たされている。』

 「そんな…嘘でしょ…」

 

 カタカタと指先が震える。私の脳裏に、ティアマト神の姿と、ラフムになってしまった多くの人たちが浮かんでは消えた。

 

 『ゆえに、立香ちゃんが呼ばれたと推測したんだ。君はティアマト神(ビーストⅡ)を倒し、ウルクを救った実績も、ゲーティア(ビーストⅠ)が引き起こした人理焼却を覆した事実もある。

 ゆえに、今回冬木の地に招かれたのだと、私は仮定したんだ。』

 

 私は、ホログラムのダヴィンチちゃんを見つめた。次に来る言葉を待つために。よく見るとダヴィンチちゃんはサーヴァントであるにも関わらずどこか窶れていて、ああ、心が痛い。

 

 『こんな時に、君のそばにいてあげられないのが心苦しいよ…。』

 

 きっと、無理をしたんだ。ただでさえ彼(彼女?)はサーヴァントであることを免罪符に無茶を重ねる。天才であるからゆえに、自分の限界を軽く見ている。ちょっと道を踏み間違えれば奈落に落ちてしまうような、そんなチキレースを常に行なっている。

 (そう、まるでドクターの姿を追うように…。)

 浮かんだ思想に蓋を閉じ、記憶の棚の一番上の段に大切に置いた。

 

 「ねぇ、ダヴィンチちゃん。私は、何をすればいいの?」

 

 私は、もう覚悟ができていた。

 

 『…聖杯戦争でサーヴァントを一騎も脱落させず、大聖杯を破壊、および大聖杯の中に残るアンリマユの討伐。

 立香ちゃん、これは今までとは違いサーヴァントだけでなく、そのマスターとも戦わなくてはいけない。

 世界に呼ばれた野良サーヴァントもいない。協力者なんていないと思った方がいい。』

 「それでも、私はやるよ。」

 『先輩…』

 

 マシュが、今にも泣きそうな表情で私を見る。私は、彼女を励ましたくて、精一杯の笑顔を作った。きっと、うまく笑えているはずだ。

 

 「だって、見捨てることなんてできない。だからマシュ、サポートよろしくね。」

 『はい、先輩!』

 

 私が真っ直ぐに彼女の目を見つめれば、マシュはいつもの頼もしい後輩の顔に戻っていた。

 

 「協力なら、僕がするさ。」

 

 背後から、声が聞こえた。それは、ついさっきまでは一番そばにあったのに、今の今まで忘れ去られていた不憫な声。私の後ろには、間桐慎二が立っていた。

 

 「え、ま、マスター…?」

 

 私のマスター(仮)である慎二が、堂々と仁王立ちしている。しかもなんかめっちゃ得意げな顔をしている。すでに(主に衣食住の関係で)この上なくお世話になっているにもかかわらず、まったく頼りにならなさそうに見えるのはなぜだろうか。

 

 「そう!こいつの、フジマルリツカのマスターであるこの僕が!

 お前達の言う条件で聖杯戦争を優勝してやるよ!」

 

 なぜだろう。いつもなら協力者ができると聞いて嬉しくもなるし感動すら感じるのだが、今回に至ってはそれが一切ない。ありがたい申し出ではあるのだけれど。

 

 「あの、何言ってるか分かってる??」

 「ああ、当然だろ。」

 

 慎二は涼しい表情をしながら、肩をすくめた。

 

 「死んじゃうかもしれない…ううん、死ぬよりひどい目にあうかもしれないんだよ!?」

 「だからなんだ。そんなもの、お前を召喚しようとした時からとっくに出来ているさ!」

 

 そう言いつつも、目線は明後日の方向へ泳いでいた。うん、説得力がない。

 

 「それに僕は君のマスターだ。サーヴァントの使命に付き合うのも、マスターの役目だろう?

 それに、人類滅亡なんて冗談じゃない!

 なんで僕が死ななくちゃいけないんだよ!」

 

 だん!と足を踏みならしてそう宣言する慎二は、ついさっきまで「アルバイトなんて庶民が…」うんぬん言っていた人間と同じだとは思えないほど、凛々しく、使命に燃えている人間の表情だった。さっき全然頼りにならなさそうと思ったこと撤回してもいいぐらい。

 

 『えっと、立香ちゃん?その人は誰かな??』

 

 明らかに戸惑っているダヴィンチちゃんの声が、引っ越したての無機質な室内に響く。誰も、何も言えないまま、得意げな笑みを浮かべた少年は言った。

 

「僕は間桐慎二、始まりの御三家である間桐の“嫡男”の、ここにいるマスターのマスターさ!」

 『ちょっとまって、どう言うことだい立香ちゃん!

 というか今どういう状況なんだい立香ちゃん!?』

 『先輩!?先輩がサーヴァントって、どう言うことですか!?』

 

 「説明するから!あとで説明するから!」

 先ほどまでの悲壮な空気はすっかり消え失せていた。



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3

*魔術礼装の設定捏造してます





 今後の方針が決まった。私達はサーヴァントを一騎も脱落させず、冬木市のどこかにある大聖杯を探し出し破壊しなくてはいけないようだ。

 どんな無理ゲーだ、と思うが、やるやらないの話ではなく、やらなくてはいけない。ならば、精一杯がんばって説得するしかない。

 閑話休題。

 さて、流れに流れていたアルバイトの話をしようではないか。日給のバイトは少なく、さらに手渡しとなると数も限られていた。(なぜ手渡し?と思うかもしれないが、即日開設できる銀行がないからと言うだけである。」だが、時給もそれなりで、日給手渡しという、とてもいいバイトがあったのだ。

 一つは穂群原学園近くのちょっとおしゃれな喫茶店。もう一つは…ホスト。

 

 「と言うわけで、ランスロットはホスト一本、ロビンは情報収集をしながら時間がある時はホスト業もやってほしいな。

 燕青は他陣営の調査、清姫は私と一緒にカフェでのバイト、マーリンは工房の維持、エルキドゥはその護衛ね。」

 「妥当なところだね。」

 「私に異論はありませんわ。」

 「じゃあ、そういうことでいいっすかね。」

 

 色々決まりかけていたその時、待ったがかかる。

 

 「ま、待ってくださいマスター!なぜ私がホ、ホストなど…!」

 「ヒトヅマニアには天職ってヤツじゃないすか?」

 「とぅわ!?」

 

 ロビンの殺意しかない言葉に、ランスロットは吐血した。未だにチェイテピラミッド城の悪夢(エリちゃんのライブ)のことを根に持っているのか。私も根に持ってる。

 哀れな姿のランスロットを華麗にスルーして、私はマスターの目をしっかりと見つめた。

 

 「マスターは、魔術礼装を使いこなせるように訓練をしてほしい。」

 「魔術礼装の訓練?」

 

 慎二の疑問に答える事なく、私は礼装、カルデア制服の予備を取り出す。礼装が壊れると死活問題なので、必ず2着ずつ持ち歩いているのが今回役に立った。ん?どこから取り出したのかって?実はこれ、支給されている時計型通信機の予備機能だったりする。この通信機は他にも概念礼装を収納したり、拾った資材(ドロップ品)を回収・収納したりと万能なのだ。カルデアの技術レベルはどうなっているのだろう?カルデアだけでどっかの国と戦争して勝てそうだと思わず思ってしまうのは是非もないよね!

 

 「魔術礼装はおとぎ話の魔法使いの杖みたいなやつ。マスターなら知ってるかな?」

 「それぐらい、知ってる。」

 「そっか。」

 

 私は慎二に礼装を差し出して、「これ着て」と言う。女物の服装に、あからさまに慎二の顔がひきつる。

 

 「僕に女装しろって?」

 「まあまあ、いいからいいから。」

 「よくない!」

 

 駄々をこねる慎二の胸に、無理やり礼装を押し付けた。必然的に、慎二は礼装に触れる。その瞬間、私サイズの女物だったカルデア制服はたちまちサイズアップし、形まで女物から男物へ変化した。

 

 「その礼装の効果は応急手当、瞬間強化、緊急回避。使い勝手がいい礼装だから、使いこなせればマスターを守る武器になる。

 魔力バックアップはカルデアからきてるから、魔力切れの心配も基本的にはないよ。

 一度使うと次使えるまで時間かかるけど、使い所さえ間違えなければ多分大丈夫。」

 

 礼装の説明をすると、慎二はじいっとカルデアの白い制服を見つめる。何秒だっただろう、急に立ち上がった慎二は、出来たばかりの自分の部屋に引っ込むと、礼装を着用して戻ってきた。白い礼装は慎二によく似合っている。もともと綺麗な顔をしているのだから、何をきても似合うのだろう。

 

 「…それで?」

 

 慎二が、みたことがないほど真剣な顔で私に聞いた。

 

 「どうやってつかえばいい?」

 

 彼の瞳は、プレゼントを待つ子どものような光が宿っていた。なんというか、うん、可愛いと言えるのではないか?

 

 「始めるなら早いほうがいいだろ?

 まぁ、僕は天才だから、すぐにマスターするだろうけど。」

 

 言い訳をする子どものように早口でそう言う彼の耳は、うっすら紅色に染まっていた。

 幼稚園児を見ているような微笑ましさがある。見れば、サーヴァントのみんな子どもを見る目で慎二を見ていた。ちなみに、彼らは早々に私たちを作戦会議のメンバーから外し、今後の戦略を練っている。私は早々に戦力外通告を叩きつけられた。

 まあ、聞いても兵法とかいまいちわからないけどさ!

 

 「そうだね、早いほうがいいね。なら、今すぐ私と一緒に、練習しよっか。」

 

 故意ではないにしても、騙している後ろめたさ。誤解という言葉に隠した真実を隠すことに後ろめたさを感じる。

 今、この瞬間を、壊したくないと、他ならぬ私が強く思ってしまったから。

 まだ、この少年を騙し続けるしかないのだろう。

 

 ……でも、たった一度の説明で礼装の魔術が使えたのには少しだけ納得がいかない。

 

 「なんでできるの…」

 「逆に、なんでできないのか僕にはわからないね!」

 

 上機嫌で的に向かってガンドを打ちまくる慎二を見てちょっとしょっぱい気持ちになった。



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4

 

 慎二が英霊召喚を行ったのは、少し気が早すぎる時期だったようだ。あの夜からおよそ一週間。未だに他の陣営の英霊が召喚される兆しはない。そのおかしさに気がついているのか、気がついていないのか、はたまた見て見ぬ振りをしているのか。

 彼には彼の考えがあるのだろう。

 フロントのオーダーを取り、厨房に伝える。私が履歴書を持ってきて即日働けることになったのはラッキーだ。最初はぎこちなかった接客敬語も、今では意識せずにスルスル出てくる。

 清姫も頑張ってフロントの仕事をしてくれる。それ故にか、このカフェレストランは美人店員につられた男性客が多くしめる。

 私が冬木市に来てからもう7日も経っていた。

 その7日でわかったことといえば、慎二が家を出る時についた嘘が「社会人の彼女と同棲することにした」という清姫大激怒な大嘘であることぐらい。聖杯戦争についてはさっぱりで、先行きが不安で仕方ない。

 そして現在。

 

 「う〜ん…」

 

 私は悩んでいた。深刻に悩んでいた。悩みの元は言わずもがな、我がマスター(仮)である間桐慎二の無茶振りである。

 昨日の夜、肉じゃがを食べたいというから肉じゃがを作ったのに、やっぱりカレーが食べたかったと作り終わった後に急に言われ、さらに肉じゃがの味にも「庶民の味だな。」などと文句をつけられた。ならば、何が食べたいの!?と半ギレで聞けば、答えは何と「ラタトゥイユ」だそうだ。

 「らたとぅいゆ」という謎の言語にはてなマークを浮かべた私だが、それを見て慎二は鼻で笑いやがったのだ。

 

 「作れないだろ?」

 「作れるよ!!」

 

 売り言葉に買い言葉とはまさにこのことである。

 私は未だにラタトゥイユなる料理を理解しないまま、スーパーの野菜コーナーで頭を抱えていた。そんな料理、某有名なネズミの国の会社の○ミーの美味しいレストランで名前を聞いたことがあると言うことだけ。

 せめて、レシピさえあればまだマシだったのだが、今更スーパーを出て本屋へ行き、「ラタトゥイユ」のレシピを見つけ、食材を買い揃えるのは時間がかかりすぎる。

 

 「そもそも何料理だよ…」

 

 困り果てて立ち往生をしている私。このままでは夕食には間に合わない上に、「ほら、やっぱり無理じゃないか。」と慎二に笑われておしまいだ。それは悔しい。フランスか?イタリアか?それともイギリス?…ポテトをマッシュするイメージしかない。

 

 「何かお困りかな、お嬢さん。」

 

 突然、後ろから『聞き慣れた』声が聞こえた。反射的に振り返ると、そこには想像した通りの人物がいる。白い髪、褐色の肌、ゆったりとした黒いシャツに黒いズボンといったまるでパジャマ…失礼、シンプル・イズ・ベストな格好の、いかにも絡まれたら大変そうな雰囲気を醸し出す男性。

 だがその手に下げる買い物カゴの中身はタイムセールで勝ち取ったとみられるお買い得商品であふれている。

 

 「エ…!」

 

 エミヤママ!?と言いかけて、言葉を飲み込んだ。どういうことだ。私は今、エミヤを召喚していないはずだ。ならば、答えは一つしかない。この場にいる英霊・エミヤは、この聖杯戦争に呼ばれたサーヴァントだ。いつだ、いつ呼ばれた?私が知らない間に聖杯戦争が始まっている。

 

 「失礼、野菜コーナーをうろつきながら悩んでいるものだから、つい声をかけてしまった。

 驚かせてしまってすまない。」

 「い、いえ。お気遣いありがとうございます…」

 

 私は動揺で震える声でそう答えた。令呪は、バレてない。室内なのに指ぬきグローブをつける私は怪しくないだろうか、と周りを見渡す。…が、意外なことに、私以外にも指ぬき手袋をつけたまま買い物する人が数人いた。

 エミヤの顔を覗き込むが、私がマスターだと気づく様子はない。

 

 「(よかった…怪しまれてない。)」

 

 あまりにも狼狽えていた私を、彼は見知らぬ男に声をかけられたからだと思ったのだろうか。「すまなかったね」と言って一歩後ろに下がった。流し目は悪い文明。彼は、未だに空っぽな私の買い物カゴを覗き込んで、ふむ、と一つ頷く。

 

 「何が料理のことでお困りかな?私はこう見えて料理についてなら多少の心得がある。」

 

 存じ得ています…とは言えない。我らがカルデアの料理長のニヒルな笑みを見ながら、私は心の中で頷いた。多少どころかプロ並みだということも知っている。

 

 「えっと、あの、ラタトゥイユっの作り方は知ってますか?

 ちょっと私わからなくて…」

 

 私の言葉を聞いたエミヤは、片眉をピクリと動かして、指を唇に押し当て、怪訝そうな顔で思い出すような、そんな表情を作った。

 

 「ラタトゥイユ?たしか…フランス南部の夏野菜煮込のことではなかったか?すこし季節外れではなかろうか?」

 「え!?夏の料理なの…!?」

 

 なんてことだ。まさか慎二はこのことを知っているのか…いや、知っているな。知っていて私に作れと言ったのか、あの野郎!密かに怒りに震える私を横目に、エミヤは言葉を続けた。

 

 「だが、冬野菜でも十分ラタトゥイユは作れる。待っていてくれ、今レシピを書く。」

 

 そう言って、買い物カゴを持ったまま財布から取り出したレシートの裏にボールペンでスラスラと何かを書き連ねる。ま、ママ…!

 さぁ、と差し出されたレシートには、読みやすい、几帳面な日本語が書かれていた。

 

 「何から何までありがとうございます…!!」

 

 貴重なエミヤ料理長のレシピに私は歓喜で震えた。絶対に美味しい。

 「いや、お役に立てたなら何よりだ。」

 そう言って、レジに向かうエミヤママ。思わず拝んだ。

 

 ***

 

 「おい!いつまで買い物してたんだ!」

 

 家に帰ると、慎二がいた。いつもこんなに早いかな、と思い時計を見ると、なんてことだ、すでに18時を回っていた。

 

 「ごめん、買い物遅くなった!」

 「本当にな。はぁ、今日はレトルトか。」

 「ひ、ひどい!せっかく昨日慎二がリクエストしてきたラタトゥイユを作ってあげようかと思ったのに!」

 「は?マスターが?作れるのかよ。」

 

 ふ、と小馬鹿にするように鼻で笑う慎二。むかっとするのは悪くないはずだ。

 

 「作れるよ!親切なエミヤママがレシピくれたからね!」

 

 ふん、と胸を張る私。聖杯戦争はまだ始まっていないが、いつ始まるかわからない緊張感がある。そんな中で、一騎でもサーヴァントの身元が割れたのは饒舌だろう。

 

 「エミヤママ?」

 「そうだよ、カルデアの料理長でアーチャーのサーヴァント。多分、今回の聖杯戦争に参加してるんだと思う。」

 「でかした!」

 

 に、と口角を吊り上げて笑む。

 

 「真名看破のスキルか。まぁ、言われてみれば当然か。お前は100騎以上のサーヴァントと契約してたんだからな!

 あーあ、こんなことならもう少し家に居るべきだったか…桜のサーヴァントの真名を暴いてやれたのに!」

 「いや、それはリスクが高すぎるだろ。」

 

 はぁ、とロビンが呆れたようにため息をついた。振り返ると、そこには今時の大学生風のカジュアルファッションのロビンと、青山で購入したスーツをきっちりと着込むランスロットがいた。

 

 「おかえり、ロビン。いつの間に帰ってたの?」

 「ついさっきですよ、これ今日の分の給料。」

 

 そう言って、ロビンは分厚い封筒と貢物だと思われる高級時計や財布をどさどさとコタツの上に置いた。そして、ナチュラルにコタツに潜り込む。

 

 「うわ、今日もすごいね…」

 「どこぞの騎士がひたすら貢がせてますからね。」

 「さすがヒトヅマニア、レベルが違う。」

 「とぅわ…」

 

 ランスロットの切なげなとぅわ、が静かに聞こえた。ちなみにランスロットは初日で一晩八百万を稼いだ男である。さすがは冬木。金持ちが多い。余談としては、慎二名義の銀行口座が増えた。

 

 「ランスロット卿は天然物だからね。女性を無自覚で籠絡しては、勘違いさせるなんてお手の物だろう。」

 

 マーリンのひどいセリフにショックを受けて項垂れたランスロット。フォローの1つでも入れたやろうと思った私は、トコトコと近寄った。

 

 「ランスロット、いつもありがとう!あなたの頑張りのおかげで我が家の家計は明るいよ!」

 「ま、マスター…!!」

 

 感謝を述べると、感極まったように涙目になる。可哀想なことをしたと罪悪感が刺激される。ホストをやって稼いでいたなんてマシュにバレたら、どうなることやら。

 

 「じゃ、明日俺が貢物を換金しに行きますんで。」

 

 ロビンがとんとん、と人差し指でコタツのテーブルを叩きながら言う。それに対して、ありがとうと言葉を返し、ところで、と本題を切り出した。

 

 「ロビン、燕青、情報収集の具合はどう?」

 「まぁ、ぼちぼちですかね。

 分かったことといえば、通り魔事件が起きたとか、集団失踪事件が起こっているとか、そんなもんです。

 ちなみに、失踪者は柳洞寺周辺で目撃情報が途絶えているらしいですよ。」

 「物騒だな!?」

 

 私は思わず声を荒らげた。ロビンは「そうっすね」と気だるげに答えた。

 

 「通り魔に集団失踪…これ、聖杯の泥に関係あると思う?」

 「…微妙なとこじゃないですかい?

 …どっかの魔術師が魔術使ってんの見られて、神秘の秘匿のために…って線も十分ありますし。

 ま、一応調べておきますよ。」

 「だよね…ありがとう、ロビン。」

 「俺はマスターだと思われる魔術師を見つけたぐらいだよぉ。

 現在確認されているマスターは遠坂凛、サーヴァントはアーチャー。これはマスターの目撃情報からアーチャーはエミヤの兄さんで間違いなさそうだなあ。

 そのほかのマスターは間桐桜、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。ここは始まりの御三家代表だ。

 あとは時計塔の魔術師が“キャスター”、魔術協会から派遣されたバゼット・フラガ・マクレミッツっていう魔術師が“ランサー”を召喚したらしいぜ。ま、肝心のマスターとサーヴァントはわからなかったけどなぁ。」

 

 顔写真とともに渡された資料に目を通して、通販の速達で届いたホワイトボードに相関図を書いていく。虚月館の不思議な体験を思い出しながら、ホームズがいれば何かと都合がいいかも、と考えをめぐらした。

 

 「わかってるサーヴァントは三騎で、マスターが五人か…助かる。ありがとう燕青、引き続き調査お願い!」

 「いいよぉ」

 

 情報収集はうまいこと進んでいる。ならば、あとはマスターおよびサーヴァントとの交渉か…。これは、難しいだろうな。

 

 「ねぇ、普通に『聖杯は汚染されてるから戦わないでください』って言って、信じてもらえると思う?」

 

 無理だろうな。と思いながらも、問いかけた。私が今回のレイシフトで連れてきた六人のサーヴァントは、全員即答で同じ答えを出した。

 

 「無理だな。」

 「それは無理っすわ」

 「無理じゃないかな。」

 「無理だと思うよ。」

 「無理ですわね。」

 「それは…難しいのでは?」

 

 上から、燕青、ロビン、エルキドゥ、マーリン、清姫、ランスロットが同じタイミングで同じ言葉を放つ。そうか、無理か、と遠い目をしながら考えた。

 

 「だよねー」

 

 ならば、別のアプローチ方法を考えるしかない。

 

 「もういっそ、旦那様が他の陣営のサーヴァントを奪ってしまうのはどうでしょう?」

 「いやいや、無理でしょ。」

 「コルキスの魔女を連れて来ればよかったね。彼女の宝具の…ルールブレイカーだっけ。あれでさくっと契約解除して、仮契約を結ぶのが一番効率がいい。」

 「それはそれでどうかと思うけど…」

 清姫とエルキドゥの提案に引きつつ、ウンウンと唸りながら、私は作戦を考える。

 「…正々堂々、決闘を申し込むとか…」

 「そもそも、決闘に乗りますかね?」

 「うーーーん、どうしよう。」

 

 サーヴァント攻略は非常に難しい。正規の聖杯戦争なら、彼らは聖杯に託す願いを持っていると言うことだ。ならば、マスターなら?

 

 「サーヴァントは無理だ。もう、マスターの方を説得するしかないよ。」

 「それこそ無理でしょう」

 「先に大聖杯のありかを探そう。汚染された聖杯を見れば、願いをかける気もなくなるかもよ?」

 「いや、マスターの“脅迫”ならできるかもしれない。」

 

 そんな、慎二のつぶやきが静まり返った部屋に響く。ナチュラルにコタツに入り、みかんを剥く慎二に、この場にいる全員が注目した。いきなりやって来た癖に「みかんがぬるい」などと文句を言う慎二に思わずみんな押し黙る。

 こたつ de ブリーフィング に強引に割り込んだ当の本人はぶちぶち言いながらみかんを口に放り込み、ホワイトボードを眺めた。

 「桜はそもそも戦いが好きじゃない。お爺様に命令されてなければ、辞退を考えていてもおかしくない。今回もお爺様に言われたからというのが一番の要因だろうけど、結局のところ流されて参加するってところだろう。あいつの大好きな衛宮を人質にとってちょっと脅せばあいつは良くていいなり、悪くたって何もせずに過ごすさ。

 遠坂は桜の姉だ。なんだかんだで桜のことまだ大事に思っているらしいし、今度は桜を人質に使えば多少は行動を制限できる。」

 残りは知らないけど、数で攻め落とせば可能だろ。と締めくくってみかんを口に運ぶ慎二。

 

 「…それは、最終手段にしよう?」

 

 人質とか、脅しとか、色々と作戦があれだ。できれば、なるべく穏便に済ませたい。

 

 「今わかっているサーヴァントはアーチャーのエミヤだけか。」

 「あーあ。エミヤ、協力してくれないかなぁ。」

 「お、マスターは抑止の守護者説をごり押しするつもりかな?」

 「無理かな?」

 「どうだろうなぁ?実際にあの兄さん、カルデアから呼んでみるかい?」

 「自分自身に説得とか、余計にダメだと思う。」

 ああ、どうしようか。

 「とりあえず、当面は戦闘妨害の方向で行こっか。

 …一回別の話にしよう?」

 

 えへ、と苦笑いでごまかす。みんなは慣れたようにふう、と息を吐いた。

 

 「慎二、礼装の具合はどう?」

 「ふん、僕にできないわけがないだろう?」

 

 瞬間強化も、応急手当ても、緊急回避もお手の物さ。と得意げに笑うマスターをみて、にっこりと笑う。なんだか最近、このマスターがジャックやナーサリー、ジャンヌサンタたちと同じような小さい子に見えて仕方ない。

 

 「さすがマスター。すごいね。」

 「ふん、僕がすごいのは当たり前さ。天才だからね。」

 

 口の端がピクピクしてる。嬉しいということだろう。

 

 「ご飯にしよっか。遅くなっちゃったからレトルトカレーでいいよね。」

 「ラタトゥイユを作るんじゃないのかよ。」

 「作ってる時間がないんだから仕方ないでしょ!ちゃんと明日はラタトゥイユだよ!」

 

 ニヤニヤ笑う慎二に、頬を膨らませて拗ねたようにいうと、燕青が「よしよし、マスターは可愛いなぁ。」と頭を撫でてきた。

 

 「って…あれ?」

 

 食器戸棚を開けると、買い置きしたはずのレトルトカレーがなくなっていた。ついでに、カップ麺もない。

 

 「慎二、勝手に食べた?」

 「なんで僕が。食べるわけないだろ。」

 心外だ、とぷりぷり怒る慎二。勘違いしたのは悪いけど面倒臭い。

 「じゃあ、買い置き勝手に食べたの誰?」

 そう効くと、う、と声を詰まらせたのがいち、にぃ、さん…6名。

 「う、僕だよ…。深夜にお腹が空いちゃって。」

 「わ、私もですわ。」

 「深夜のカップ麺は罪の味でね。」

 「…あー、すみませんね、腹が減っちまって。」

 「…申し訳ありません。」

 「お、俺は我慢してたよぉ!」

 

 全員が夜食を食べていたようだ。みんなが罪を認める中、燕青だけは必死に「食べてない!」と主張していた。本当に食べてないんだろうな、と思いつつも、むしろ食べて欲しかったと残念に思う。

 

 「魔力、足りてないの?」

 「…少し。」

 「食事で補える量なら、積極的に食べて欲しい。」

 

 幸い、ランスロットのお陰で予算はあるのだ。

 

 「じゃあ、今日は食べに行こう。

 「はーい、泰山の麻婆豆腐がいいな!」

 「あはは、エルキドゥは死にたいのかな??」

 

 用意するから待ってて、とみんなをリビングで待たせつつ、清姫と共同の女子部屋で着々と着替えを続ける。

 洋服の下にはカルデア戦闘服を着用して連絡用の通信機もバッチリ身につけている。

 おなじみの万能布をいつでも羽織れるように小太郎くんに教わった風魔直伝の収納術で隠し持っている。準備は万端だ。

 コートを着込み、十数枚の万札を財布に突っ込んで振り返る。

 そこには、現代着に着替えた6人と部屋着にコートを着込んだだけなのにやたら様になっている私のマスター(仮)が立っている。

 「じゃ、行こっ!」

 ガチャリ、とドアノブが回る。冷たい空気が肌を指した。すっかり太陽が沈んだ空は真っ暗で、ちらちらと星が見える。

 聖杯戦争はまだ始まっていない。そんな夜の出来事。



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3.5

 ところで、さりげなく私が慎二をマスターではなく『慎二』と呼ぶようになったことに気がついただろうか?

 これは、私がこの冬木にやってきて2日目の夜の、そう、昨夜の出来事がきっかけである。

 

 

 「なぁ、マスター。お前の令呪ってどうなってるわけ?」

 

 慎二が頬杖をついて私に聞いた。私はコタツに入ってみかんを剥きながら、慎二を見る。慎二がぱかりと口を開けた。私は彼の口の中にみかんを一つ放り込んだ。

 

 「さぁ?令呪もカルデアからの支給品だからね。大勢のサーヴァントと戦うのに、令呪一つじゃ足りないから復活する、みたいな?」

 

 私は自分の口の中にもみかんを入れた。甘酸っぱい味と柑橘系特有の爽やかな香りが鼻を抜ける。

 

 「令呪一画に貯蔵されている魔力が通常の令呪よりも低いのか?

 まぁ、カルデアからしたらサーヴァントのサポートに使えればいいだけだから、本来の令呪よりも性能をスペックダウンさせて回数をとった結果が令呪の回復か?

 効果よりも使用頻度を優先すればそれでもいいのかもしれないけど。」

 「そういうの私わかんないから。キャスター勢に聞いて。」

 「やだよ。いびられる」

 「え、誰に?」

 「お前のサーヴァント」

 「そんなまさか。」

 

 リツカは笑って本気にしないが、そんなまさかである。あいつらはやたらと僕に対して冷たい…というか、塩対応だ。今回のこともどうせ、聞いたら聞いたで「それ、君に教える必要はあるかな?」とか言われておしまいだ。

 

 「じゃあ、そんな可哀想なマスターにはみかんをあげる。」

 

 はい、と言ってリツカはむきたてのみかんを一粒、僕の口元に差し出してきたので、僕はつられるようにそれを差し出す手に顔をよせにみかんを食べた。

 

 「(…!?)」

 

 ぞくり、と冷たい風が首筋を撫でた。マスターを独り占めしやがって、という霊体化したサーヴァント(誰とは言わないがやたらと怖い嘘を許さないバーサーカーであることは確実)からの圧力を感じ、ぶるりと震える。マスターが危機的な状態に陥っているにもかかわらず、呑気に構える自分のサーヴァントが恨めしくなり、じろりと睨んだ。

 

 「私、令呪は回復とかにしか使わないからなぁ。」

 「じゃあ、その令呪でサーヴァントに自害を強制させるのとか、そういうのできないってこと?

 聖杯戦争は最後にサーヴァントを自害させるために令呪一画を取っておくんだろ?」

 「え、聖杯はマスターの願いもサーヴァントの願いも叶えられるものじゃないの?」

 

 それ以前に、カルデアの令呪は基本的に、サーヴァントの回復やらなにやらのための魔力的サポートでしかないから、令呪本来の強制力があるかどうか微妙なところだ。

 つまり、どこまでサーヴァントに命令できるかわからない。今までサーヴァントの回復と宝具開帳にしか使ってなかったから、私もどこまで使えるのかわからない。

 

 「僕が読んだ聖杯戦争の記録には、サーヴァントの魂を全て聖杯に注ぐことで聖杯が完成するって書いてあったぞ。」

 「…世界線が違うから、かな。」

 

 私は今までの聖杯戦争を思い出す。私は聖杯に願いを叶えてもらうためではなく、ゲーティアが作った聖杯を特異点から回収することだけを考えて動いていた。だから、聖杯を使うなんて考えもしなかったし、起動方法も知らなかった。

 唯一聖杯を使うとすれば、それはサーヴァント強化のための聖杯転臨の時ぐらいじゃないか?

 

 「でも、私は…そういうみんなが嫌がるような命令は、したくないな。」

 「ふぅーん」

 

 慎二は興味なさそうにそう呟いて、皮がついたみかんを立香に差し出した。剥け、という意味だろう。

 

 「まぁ、どうせ今回の聖杯は使い物にならないんだ。英霊の魂を一つでも大聖杯に注いだら人類滅亡なんだろ?

 お前の令呪は他の陣営より優位な立場に立てるアドバンテージだ!

 無駄なく、効率よく使うぞ!」

 

 慎二は新しいゲームを目の前にした子供のように、キラキラとした目でそう言った。

 彼にとって、この聖杯戦争はゲームなのだろうか。人類滅亡がかかった、壮大なゲーム。

 勝てば生き残れて、負ければ死ぬ。でも、これは確かに現実であり、サーヴァントは死んでいるが、生きている。今、この瞬間、確かに彼らの心臓は動き、意志を持ち、生きている。

 

 「マスター、お願いがあるんだ。」

 「なんだ?」

 

 私は、慎二をじっ、と見つめた。慎二はそんな私を見ながら、小さく首を傾げた。

 

 「死んでもまた呼び出せばいいからって、そんな風に思わないで欲しいの。

 私はみんなを死なせてカルデアに強制送還なんてさせたくない、みんなのサポートのためだけに令呪を使いたい。

 回復すればいいからって、彼らの尊厳を奪うような作戦は絶対に嫌だ!

 マスター、私はあなたの指示に従うよ。

 でも、お願い。だれかを使い潰すような作戦は考えないで。」

 

 慎二は言われていることの意味がわからないというように、きょとりと目を丸くした。そして、はぁ〜、とおおきなため息を一つついて、呆れたように言った。

 

 「そんなの、当たり前だろ?」

 

 何でもなく、それを当然のように語るマスター。その言葉を聞いて、私はホッとした。

 間桐慎二は、悪人じゃない。魔術師に憧れ、どうしようもなく魔術を求めているけれど、その心根は魔術師からは程遠い。見かけ上は魔術師らしく見えるが、心の中は違うのだ。

 危うげで、何らかのきっかけでコロリと悪の道を踏みはずしそうに見えた。でも、違う。彼は一本筋が通った人間だ。彼の答えを聞いて、私の道は決まった。

 

 「ありがとう、慎二。」

 

 私は、あなたの言葉を信じる。

 聖杯戦争の開始のゴングは、きっともうすぐそこまで迫っていた。

 

 聖杯戦争開始まであと■■日。



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Lie+Lie


*魔術礼装捏造してます




 6人並んで泰山に向かう途中、慎二がちょっと学校に寄りたいというのでついていくことにした。なんでも、忘れ物をしたらしい。

 忘れ物と言う割にはなんだか冷めたような、何か期待しているような表情だったが。

 通り道だからいいよ、と笑えば慎二が「べつに、どっちでもいいんだけどさ。」とそっぽを向いた。「僕はあいつの態度がムカつくだけで、心配とかじゃない」とボソボソぼやく。

 ピンときた。これは、青春ってやつだ!ニヨニヨ笑いながら黙っていると横腹をど突かれた。現在、私をどついた慎二はそれが理由で清姫に締められている。しばらくしたら清姫に締められた腹いせにまた私がどつかれるんだろうな。うーん悪循環。

 

 「…マスター。」

 

 学校に近づくにつれて、エルキドゥとマーリンの顔が険しくなる。いや、二人だけじゃない。他のみんなもびりびりとした緊張感を纏いながら私の周囲を固める。

 

 「あっちで、サーヴァントが戦っているね。」

 「今すぐ妨害!」

 

 エルキドゥの言葉を聞いて、反射的にそう命令した。瞬間、「いいよぉ」と答えた燕青が弾丸のように飛び出して、それからエルキドゥに抱えられてマーリンも追尾した。偽装工作もバッチリだ。

 燕青はドッペルゲンガーで姿をまるで一般人(と言っていいのかわからない新宿のチンピラ)に変えているし、そもそも幻霊寄りのサーヴァントだから滅多なことでは正体がバレないだろう。数秒で目的地に到着したらしい彼らは一方的に私に念話をつないだ。

 ちなみに、念話は戦略的にも護衛的にも重要性が高かったので、割と初期の段階で開発されたカルデア産の概念礼装だ。まあ、礼装を持っていなければ発動できないのだが。ちなみに、この念話は私を仲介することで全体会話(グループ通話のようなもの)ができる。

 閑話休題。私と接続されたパスを通して、エルキドゥの声が脳内に響いた。

 

 『マスター、聞こえる?』

 

 私はそれに『うん、聞こえる』と頭の中で返信して、続きの言葉を待った。

 

 『今、キャスターとアーチャーを確認したよ。戦場は穂群原高校。』

 『学校で戦ってるの!?』

 

 そんな、バカな、嘘でしょう?だって、そんなの何人の犠牲者が出ることか!

 

 『燕青は!今どういう状況!?』

 『言われなくても、学校に周辺の一般人の避難誘導してるぜ、マスター!』

『僕は一緒に学校周辺に幻覚をかけてる最中さ!

 エルキドゥくんは学校に居残る生徒を探して保護しに向かってる最中さ。』

 

 指示を飛ばす前に行動する頼れる仲間に、ほっと息をつく。ひとまず、一般人の巻き込みに関しては大丈夫そうだ。

 

  「おい、何があったんだよ!」

 

 突然消えたサーヴァントに、無言のまま立ちすくむ私。状況を理解できずに混乱したのだろう慎二が私に摑みかかった。私は、乾いた口を唾で湿らせてから、「ん"、んー…」唸り声を出す。それから、ゆっくりと顔を上げて、慎二と目を合わせた。

 慎二の、綺麗な顔が間近にある。毛穴の開きどころか、シミひとつない白い肌。きりりとつり上がった目を縁取るバサバサのまつげ。怒っているからか、血色を増した赤い頬。いつもの青白い顔より何倍もこっちの方がいい。どろりと淀む瞳以外は完璧だ。関係ないことばかり、頭に浮かぶ。

 

 「ごめん、学校には寄れない。」

 

 ようやく絞り出した声は、淡々としていて自分の声じゃないみたいだった。

 

「はぁ?なんで!」

「学校で、サーヴァントが戦ってるんだって。」

 

 その一言で、慎二は黙った。彼は頭がいいから、たった一言だけで何が起きたか全て理解したのだろう。青白い顔になって、二、三歩後ずさる。

 

 「なら、仕方ないな。このまま泰山に行くぞ。」

 

 慎二は、しっかりとした歩調で歩く。

 

 『ごめんマスター、間に合わなかった。』

 

 脳内に、エルキドゥの声が響いた。この声はエルキドゥだと理解しているのに、内容が頭の中に入ってこない。間に合わなかったということは、まさかすでに脱落したということなの?

 ぞわり、と全身の皮膚という皮膚に鳥肌が立つのを感じた。

 

『それって…!』

 『一般人の犠牲者が出た。キャスターとアーチャーの戦闘を目撃してしまったらしい。新宿の彼が駆けつけた時はもう死んでいたよ。』

『そんな…』

 

 エルキドゥの淡々とした語り口で明かされたそれは、脳内で想定していたこととは異なるが、最悪の一言に尽きる。

 

 『キャスターの彼に杖で撲殺。今、アーチャーのマスターが治癒魔術を施しているが、意味はないだろうね。』

 

 それを機にアーチャーとキャスターの戦闘は終了したようだけど。と続けて、『そろそろそっちに戻るよ。』と念話が途絶えた。

 

 「…」

 

 巻き込まれた一般人。確かに、今までの特異点の修復で死なせてしまった人はたくさんいる。でも、それを「仕方がない」と許容してはいけないし、するつもりもない。

 

 『…うん?なぁ(あるじ)、こいつ生きてるぞ。』

 

 ふと、繋がった燕青との念話は到底信じられるようなものではなかった。エルキドゥが間違えた?そんな、まさか。

 でも、燕青が嘘をつく理由もない。

 

 『それはおかしい。僕も確認したけど、確かに彼は死んでいた。』

 

 マーリンがいつもの呑気な口調を崩さないで告げる。

 

 『運が良かったんじゃないのか?それか、仕留めが甘かったか。』

 『クー・フーリンに限ってそれはないだろう。いくらキャスターとして召喚されているからとはいえ、狙った獲物を仕損じることなどあるはずないだろう?』

 『ならなんだ、生き返ったとでも?』

 『…そうかもしれない。』

 

 マーリンの声は平静としていて、いつもと変わりない。

 

 『心当たりならあるさ。』

 

 だが、何か核心を得たような、しかしそれを認めるにはいかないというような微妙な声色がやけに気になった。

 燕青とマーリンが私を仲介して念話を繰り広げる。そして、キャスターがキャスニキだと判明。

 いや、今はキャスターだろうが関係ない。その英霊がクー・フーリンだとするのならば、死体が死んでいるか否かを確認しないで立ち去るなんてありえない。いくらランサーに比べて幸運値が上がったからといって、決して安心できる数値ではない。ゆえに、即死は入らなかったのか?

 

『燕青、お願いがあるんだけど』

 『あの少年の監視かぁ?』

 『護衛って言って欲しいんだけど、うん、そう。』

 

 燕青が不満そうに『りょおかい』と告げる。サーヴァント反応すら誤魔化せる彼ならきっと他の陣営に気づかれることなく監視もとい護衛が果たせるだろう。

 

 「燕青の分はテイクアウトにしよっか。」

 「いいね、麻婆豆腐にしてあげよう!」

 

 いつのまにか戻っていたエルキドゥがウキウキと告げる。おい、どんだけ麻婆豆腐推しているんだ。

 

 「ごめんね、慎二。行こっか」

 「終わり?」

 「うん。」

 

 置いてけぼりにされて拗ねている青髪の少年は「僕にも念話のパス繋げ。」とむくれた。

 「わかったよ。」と内心冷や汗をかきながらにこやかに告げた。あとで礼装渡そう。

 泰山に着いた頃にはもう少しで8時になろうか、という時刻になってしまった。

 

 「何食べたい?」

 

 そう聞いた瞬間、6人分の腹の虫がきゅう、と鳴く。

 8人掛けのテーブル席に着いて早々、ウェイトレスのお姉さんを捕まえてオーダー表の最初のページから最後のページまでをとん、とんと軽く人差し指で叩いた。

 

 「ここからここまで、全部ください。」

 

 お姉さんはひくりと口角を引きつらせながらも全てのメニューを復唱。「ご注文はよろしいですか?」と聞くその目には胡散臭いものを見るような色がのっている。

 

 「はい。」

 

 お姉さんは「お持ち帰りもできます」と最後に述べて、店の奥に引っ込んで行った。

 

 ーーー

 

 数秒前のテーブル状況。テーブルに乗り切らないほどの中華料理と異様な存在感を放つ禍々しいほど真っ赤な麻婆豆腐が一皿。

 現在のテーブル状況。

 私と慎二の二皿を除いて、麻婆豆腐を含めたほとんど全ての皿が綺麗に食べ切られてテーブルに積まれている。

 とくにエルキドゥの猛攻は凄まじかった。(血の池地獄よりも赤いであろう)真っ赤な皿に真っ先に手をつけたと思ったら数秒でペロリと完食してしまった。

 近くにいるだけでも食欲をなくすような鼻にも目にもささる刺激臭のそれを大盛りの白米の上にかけて、意外と上品に、しかしとんでもない速度で食べきってしまった。

 「うん、美味しいね。」とニコニコ笑う麗人はまだ誰も手をつけていない中華料理(の中でも割と辛いやつ)を順々に平らげて行き、最終的に「物足りない」と言って自らウェイトレスを捕まえ、泰山の麻婆豆腐ふた皿目と白米大盛りをオーダー。

 エルキドゥだけではない。清姫も姫の名に恥じない美しい所作と箸づかいでありながら大皿を一皿、また一皿と綺麗にしていく。おこわや中華粥を好んで食べている。

 ランスロットは速度も量も凄まじい。私が一口食べている間に大皿を完食していく。ほっぺたに米粒をつけながら食べるとは、あざとい。さすが円卓。

 ロビンもそんな3人を呆れた目で見つつも、自分自身も空き皿のタワーを建築している。 胸焼けしそうなほどこってりしてそうな揚げ物系と、味が濃く腹にたまる麺類を中心に完食している。男子高生か。

 マーリンはニコニコ笑いながらデザート系を制覇中。杏仁豆腐の空き皿など数える気が失せる。

 対して、私。あんかけそばを普通の女の子の食べる速度より少し早いかな、というぐらいのペースで食べ続けている。

 慎二は流石に食べ盛りらしく、大盛りの天津飯にパクついている。完食目前の彼だが、それでも向かい側の大食い三人衆に圧倒されている様子。

 大食い選手権の会場のようになっている私たちのテーブルが注目を集めるのは当然の結果だろう。未だに食欲が治らない彼らが思いも思いにオーダーするたびに、最初のウェイトレスさんの顔色が青くなっていく。

 中でもエルキドゥがとんでもなく注目されている。やはり、あの麻婆豆腐は人間が食べちゃいけないものなんだろう。

 

 『なぁマスター、ヤバイことになったぞ。』

 

 カチッと、急に念話が繋がった。燕青は少し焦っているようで、私の返事も聞かずに二の句を継げた。

 

 『あの一般人、魔術師だったみたいで、英霊召喚しやがった。それで、反転してない騎士王の姐さんが召喚されたぜ。おおっと、クラスはセイバーだ。

 聖杯戦争、本格的に始まったな。』

 

 かちゃん、とレンゲを置く音がやけに大きく聞こえた。そうか、覚悟はしていたけれど始まったのか。

 私と燕青の会話を聞いていた四人に目配せすれば、みんなしてコクリと頷いた。

 現在テーブルに残る食べかけの料理を風のように片付けて、まだ届いてないオーダー品はテイクアウトにしてもらう。

 数枚の諭吉をレジに支払って、テイクアウトは後で取りに来ると告げて店を出た。

 

 「慎二、聖杯戦争始まったって。」

 

 どっぷりと日が落ちて広がる夜闇。街灯の明かりと民家の明かりで照らされた暗い道では表情がわかりにくかった。

 

 「なら、やることは一つだろ。」

 

 慎二はコートを着なおして、暗闇でもわかるほどまっすぐと私を見つめた。

 

 「絶対に、聖杯を作らないんだろ。」

 

 街灯が点滅する。見えたり、見えなくなったりする表情に不安を覚えた。一瞬だが、はっきり見えた慎二の表情(かお)は、 まるでオンラインゲームで遊んでいる最中のような、今から起きることを現実のことだと認識してない顔だった。

 私と彼の聖杯戦争に対する認識の(ちがい)が、なんだかとても怖い。

 

 「…うん。」

 「これからサーヴァントの戦闘なんだろ?」

 

 慎二がコートを脱いだ。下から出てきたのはカルデアの制服。ワクワクした子どものような表情で、ふんふんと鼻唄を歌い出しそうな彼を見れば、これからいうセリフが簡単に想像できた。

 

 「当然、僕も行く。」

 「まだ、何も言っていないよ。」

 

 そう言って私はため息をついた。彼は聖杯戦争というものをわかっているのだろうか。

 燕青によると、セイバーのマスターもとい衛宮士郎くんとアーチャーのマスターの遠坂凛さんは言峰教会に移動中。

 一度アーチャーとセイバーが戦い、セイバーがマスターに手をかけようとしたらしい。

 が、戦闘は衛宮くんが令呪を使ってまでアルトリアを止めてくれたおかげで戦闘終了。お陰でなにも起こっていない。

 これは、もしかしたらもしかするのでは?衛宮くんに事情説明したら私たちに協力してくれるかもしれない。だけど、それをアルトリアが許すかどうかは未知数。

 青いノーマルアルトリアは比較的融通が利くタイプではあるが、夏のアルトリアは破茶滅茶街道爆走中。

 とある特異点では秩序を愛するあまり、死にゆく人間を選別して自らの保護下に置こうとした例もある。

 だけど、アルトリアが聖杯にかける願い次第では交渉決裂も十分にあり得る。

 そもそも、こちらにはマーリンがいるのだ。それだけでアルトリアに不信感を抱かれ、話をきいてくれないかもしれない。

 エミヤの願いは何だろうか。考えられるのは円卓のエンゲル係数を減らせとかクー・フーリンと一緒に編成するなとかエミヤ一家+αとかアルトリア増えすぎ問題とか食堂に回す人材をもっとよこせとか…だめだ、私の中のエミヤがママすぎてろくな情報が出てこない。

 街灯の少ない暗い道では数メートル先すら闇に飲まれてほとんど見えない。私は聖杯にどんな願いを託すのだろうか。

 言峰教会は泰山から近い。燕青の話だと二人はもう教会からは出てしまったけれど、近くの住宅街を歩いている。

 

 「あれ…マスター、サーヴァントが一騎増えたみたいだ。」

 

 エルキドゥが小首を傾げながら言う。A++の気配察知能力はその反応がバーサーカーのヘラクレスということまで瞬時に察知し、私に伝えた。

 

 「戦闘かな。」

 「また!?」

 

 これが本当の聖杯戦争なのか、戦いがひっきりなしに起こるとは。本来なら二、三日で決着がつくというのにも頷ける。

 

 「バーサーカーのヘラクレスにエミヤにアルトリアにキャスニキ…悪夢だ。」

 「まあ、ギルがいないだけいいじゃない。」

 「これで王様までいたら地獄だよ。まぁ、キャスター枠もアーチャー枠もセイバー枠も埋まってるから無いと思うけどさぁ。」

 「マスター、フラグって知ってる?」

 「マーリン死すべしフォーウ」

 

 地獄絵図を想像してしまい、うっかり吐きそう。何だその聖杯戦争。勝てる要素がない。

 くだらない話をしつつも、頭の中で対策を考える。時間は有限なのだ。

 

 「とりあえず、私とあと二人ぐらいで戦場に行こう。」

 「それは良いっすけど…。

 俺たちを隠すってことは、表立って戦うのはあんたなんですよね?」

 

 ロビンが危険じゃないか、と目で訴えてくる。そうだった、私は今やサーヴァント(偽)である。ならば、いつものようにみんなに指示を出して撃退という流れは使えないということか。

 

 「礼装があるから、多分なんとかなるよ。

 それに、ほら。ジークフリードからもらった『君もドラゴンセット』を着ればなんとかなるでしょ。見た目的にも、性能的にもさ!

 空飛べるって有利だし。あ、もちろん顔はファントムからもらったデスマスクで隠すよ?

 短距離戦は危険要素高いから、中・長距離戦…攻撃はアサエミからもらった機関銃にダヴィンチちゃんが作った弾込めて戦おうかな。」

 

 頭の中に概念礼装一覧がずらずらと並んでは消える。使えそうなものをどんどんピックアップしていくとあら不思議、完全武装の出来上がりだ。

 

 「だから、みんなはなるべく霊体化して隠れて。」

 

 不満そうにしつつも、「わかりましたよ。」と私の指示に従ってくれるロビンに感謝の念を抱きつつ、私はいくつかの概念礼装を取り出した。

 

 「慎二はこの万能布被ってロビンとランスロットに守ってもらってね。攻撃用にちくたくくん渡すから、何かあったらこれで爆撃。ちょっとした衝撃で爆発する割には威力やばいから使う時は気をつけてね。」

 「危険物わたしてんじゃねーですよ!」

 

 ロビンの激しい抗議をははは、と笑って受け流す。

 

 「礼装ばっかり、魔術は使わないの?」

 「私が?まっさかぁ。使えないよ。」

 

 むりむり、と顔の前で片手を横に振れば、慎二が「…ふぅん。」と納得がいかない顔で呟いた。

 

 「サーヴァントを百騎以上も使役してるくせに魔術が使えないなんて変な英霊だね。」

 「えー、そうかなぁ。」

 

 たしかに、生粋の魔術師の家系に生まれた彼からしたら、英霊召喚できるくせに礼装を使わなければ魔術もろくに使えないなんて可笑しいのだろうか。

 

 「(まあ、私はそもそも素人だからろくな回路を持ってないんだけど。)」

 

 どうにもならない事実を思いながら、礼装を一覧から取り出した。

 

 「清姫は竜になって目的地まで送ってほしいな。着いたら霊体化して隠れてね。エルキドゥはナビよろしく。

 マーリンは幻術要員。私たちを不可視に。あとサーヴァント反応誤魔化すのもお願い。

 連絡取り合いたいから念話のサーバー役もよろしく。」

 「私の仕事が多く無いかい?」

 「頑張れ。」

 

 何ともやる気のない声援を送り、私は端末から先ほどあげた概念礼装を引き出した。

 ありがとうジークフリード、バレンタインにこれをもらった時は戸惑ったけどこれ本当に役に立つ。

 

 「ねぇ、マーリン、お願いがあるの。」

 「なんだい、マイロード。」

 

 慎二が帰宅したのを見届けてから、私はマーリンに顔を寄せて、こそりと耳打ちをした。

 

 「私を、サーヴァントに偽装してほしい。ベディヴィエールにやったように。」

 「いいのかい?」

 「だって、そうするしかないじゃん。」

 

 私は、だってさぁ、と言葉を続ける。

 

 「私、今は間桐慎二のサーヴァントなんだもん。」

 

 もちろん、これ以外の理由もある。聖杯戦争を中止させたいのなら、内部の人間が働きかけないといけない。参加資格を持たないままでは、そもそも止める権限がない。

 マスターとして参加しても、やはり私は一般枠。証拠を提出しても、冬木の御三家に握りつぶされる可能性が高い。

 ならば、確実に声が届く方法は一つ。サーヴァントからの証言だ。

 偽物のサーヴァントでも構わない。今は、聖杯戦争を止めることが大切だから。

 だけど、慎二のサーヴァントだから、というのも確かに理由の一つなのだ。

 

 「マイロードの仰せのままに。」

 

 マーリンが笑う。とても楽しそうで、私はなんだかとても複雑な気持ちになった。

 「ますたぁ、行きます。」

 清姫の甘い声が、竜の咆哮に変わる。背中にまたがり一直線にサーヴァント反応めがけて飛んで行った。

 冷たい冬の風が頬を撫でる。豆粒サイズの冬木市の景色をじぃっと、睨みつけるように眺めた。でも、私の視界じゃ何も見えない。当たり前だが、悔しかった。

 ごうごうと風の音が耳元でうるさかった。

 

 「いたよ、あそこだ。結界が張られているから探し辛かったけど、この距離ならはっきりわかる。」

 

 目を凝らせば、何となく住宅街が見えるような気がする。

 

 「どうしますか、ますたぁ。」

 「突っ込む!」

 

 急下降する清姫の背中にがっちり捕まり、脳内でルービックキューブを解くように今後の展開を予測する。かしゃかしゃ鳴らしながら現在状況と勝利条件、そして敗走のルートを考える。

 道幅的に、竜の状態で清姫は着地できない。だから、私が単騎で行く。ドラゴンセットが正常に稼働していることを確認してから、私は清姫の背中に立った。

 マーリンとエルキドゥなら霊体化したまま私について来てくれるだろう。

 

 「ごめんね、清姫。作戦変更。先に家に帰ってて。」

 「…ますたぁがそういうのなら。」

 

 不服そうに、しかし従順に私の言葉に従う清姫に「ありがとう」と声をかけて、私は飛んだ。

 スカイダイビングは、不本意ながら慣れてしまった。嘘だ、やっぱり怖い。

 パラシュートなんてないから、不時着ギリギリまでこのまま落下し、激突スレスレで飛ばないと生存ルートがないという無茶な作戦に我がことながら苦笑いが出てしまう。

 さあ、ここで勝利条件の復習だ。

 

 1、サーヴァントを脱落させない。

 2、マスターと和解する。

 3、穏便に聖杯を破壊。

 4、私をサーヴァントだとこの場でだましきる。

 

 特に、1の条件は必須。4はそこまで重要じゃない。ならば私がやるべきは一つ。敵全体を戦闘不能にして仕舞えば良い。

 ガントは連射できないが、そこはカルデアの技術力と技術班のオタク魂を炸裂させた色々アウトなロマン武器を、私は礼装という形で持っているのだ。スタン状態の付与くらいならば可能だろう。

 だから、現在進行形で感じている死の恐怖を飲み込んで、竜の翼を広げた。

 

 「(おちつけ、藤丸立香。私はまだ死にたくないだろうが!)」

 

 がちゃん、と空中で短機関銃を構える。

 そして、上空から視認できるようになったヘラクレスにアルトリア、そしてエミヤを目掛けてトリガーに指をかけた。

 銃声が3つ、深夜の住宅街に鳴り響く。放った三弾のスタン弾はしっかりとその役割を果たしてくれて、スタンがかかって動けない三人が不自然な格好で止まっている。

 

 「何が、起きたの…?」

 

 呆然と、イシュタルに激似…というより、おそらくイシュタルの依代になったというのであろう少女が呟く。

 スタンの効果は1ターン。それまでに話をつけなくてはと私は急いでひび割れたコンクリートの上に降り立った。

 上空から降ってきた私に驚いたように某魔法少女が飛びのく。おそらく、この世界のイリヤちゃんだろう少女にふわりと笑った。

 

「驚かせてごめんなさい。でも、今しかないと思ったの。」

 

 短機関銃を構えながら、わたしは告げた。なるべく、普段の口調からかけ離れた言葉遣いを意識する。イメージは生まれながらのアイドル、ステンノ様だ。全然似合わないが、変装は普段の自分とかけ離れていればいるほど良いというからこれで良いのだろう。

 動けないサーヴァント三騎の視線が怖い。

 

 「セイバーに何をした!」

 

 今度は村正にそっくりな少年が吼えたてる。うっそ、これで三人目だ。この場にいるマスター全員顔だけ知ってるんだけど。くだらないことを考えながら、私は微笑む。

 

 「すこし、麻痺してもらっただけよ。」

 

 余計に、少年の睨みが増す。

 

 「あなた、何者?」

 

 今度は白い雪の妖精のような少女が私に問うた。その目には思いっきり不信感と敵対心が浮かんでいて、当然のことだけどなんかショックだ。

 

 『マスター、演技下手だね。』

 

 脳内でマーリンの笑いをこらえた声が響く。殺意の波動で今なら大魔術が使えそう。使えないけど。

 

 「私?私は、そうね…」

 

 現実逃避はそろそろやめにするとして。

 本当、なんと言えばいいのだろうか?

 いつもならカルデアのものです、とでも言えばよかったがここは特異点ではない。説明は大体ドクターやマシュに任せっきりにしていた事実がここに来て私を襲う。

 そもそも、カルデアのことを知る人間もいないかもしれない。知ってたとしてもまだ完成前だし、それ以前に私の生体反応はサーヴァントとして偽装工作済み。令呪も丸見え。誤魔化せるだろうか?令呪をもつサーヴァント…あ。

 ひとつだけ、思い浮かんだ。

 

 「私はルーラー。」

 

 竜のツノに翼、尻尾。顔にはデスマスクで手には機関銃。身につけている服は近未来的なカルデア制服。明らかに聖職者にはかけ離れた悪魔的な見た目だ。一発で嘘だとバレるだろうな、と私も自分でついた嘘に呆れた。

 

 「裁定者(ルーラー)ですって!?」

 

 イシュタル(仮名)が叫んだ。イリヤ(推定)も絶句している。ただ、村正おじいちゃん(仮名)だけは意味がわからないというように「るーらー?」と首を傾げていた。かわいい。

 というか、まじで私のことルーラーだって信じてるの?うっそでしょ。ジャンヌとマルタ姐さんに土下座で謝らないといけない案件なのではなかろうか。

 閑話休題。

 私のついた嘘にイシュタルの外の人は取り乱し、「そんなことはあってはならないわ!」と悲鳴をあげているような、悲痛さを孕んだ声をあげた。

 

 「だって、そんな、嘘よ。だってルーラーが現れるってことはこの聖杯戦争に異常があるってことじゃない!」

 

 意図せず、狙っていた流れに流れていく話題に便乗すべく、私は「ええ、そうよ。」と端的に答えた。口元がひくついたが腕を組んでそれを誤魔化す。

 エルキドゥがゲラゲラ笑っている声が私のイライラポイントを刺激するが、今だけ棚の上に置いておこう。家に帰ったら棚から下ろすからなこんちきしょう。

 

 「私の目的はサーヴァントを一騎として脱落させることなく大聖杯を破壊すること。

 先に、宣言します。この聖杯戦争は誰も勝利しても行けないし、敗北してもいけない。

 誰かが敗北した瞬間、汚染された聖杯は呪いの泥を吐き出し、人類は滅亡するでしょうね。」

 

 大げさに身振り手振りをして訴えれば、マスター達が息を飲む。視界の端に剣のきらめき。

 アルトリアが剣に魔力を纏わせ、振り抜いていた。しまった、スタンの効果が切れてた…!

 

 「緊急回避!」

 

 私は自分自身に緊急回避をかけてそれを避けた。第2、第3撃目以降の攻撃を恐れて、私は上空に飛び立つ。アルトリアは風王結界(インビジブル・エア)を応用して空中戦も可能だろう。アルトリアがこの状況で出し惜しむわけがないと盾を展開した。

 アルトリアは地上から私を思いっきり睨み付け、剣に魔力を纏わせている。

 

 「聖杯が汚染されているなど、あってはならない!

 そんな戯言、信じられるものか!」

 

 斬撃が、飛ぶ。魔力放出による攻撃だと気づいた時には回避行動に移っていた。

 私の隙を見逃さずに風王結界(インビジブル・エア)で足場を作り、間合いを詰められた私はさらに上空に退避。

 それと同時に概念礼装・月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)を自分に対して発動させた。戦闘が始まっているのに礼装を起動させられるかハラハラしていたが、なんとか起動させることができ、少しだけ心に余裕ができる。

 だが、油断なんてできない。礼装による無敵効果が使えるのは三回限定。アルトリアの攻撃に甘んじてただ受けるだけでは一瞬で効果が切れる。

 

 「(反撃しないと…!)」

 

 今取れる手段は少ない。武器は手持ちの短機関銃と盾しかない。敗走を許してくれるとは思えない。

 

 「(なら、戦うしかない!)」

 

 ジャキ!と銃を構えてアルトリアに向けて発砲した。込められた弾丸はアサシンのエミヤがくれた弾丸だ。使い切ると何もしなくても弾倉に銃弾が補填されているという謎仕様の銃だ。

 当然、魔力を消費する。カルデアとのパスが不安定な今、手持ちのマナプリズムの魔力を消費している。

 マナプリズムが切れたら、現在使用中の概念礼装の効果が切れて何もできなくなるので乱用には注意が必要だ。

 だが、ほんの少しトレーニングを積んだ程度の私の弾幕劇なんて、アルトリアはあっさり切り抜けた。私はまた高度を上げた。

 なんとか、5ターン以内に収めたい。じゃないとドラゴンセットの効果が切れてしまう。つまり、制空権が消える。それは不利だ。

 目の前に、エクスカリバーが迫る。緊急回避はチャージが終わらず使えない。月霊髄液の使用回数はすでに切れた。悪足掻きのようにF.Cフィールドを展開したが、たった一撃で3枚同時に破られてしまった。残りは二枚。

 黄金にきらめく剣が、振り上げられて…

 (あ、死ぬ。)

 

 

 それは、嫌だ。

 

 

 「セイバーやめろ!」

 

 私が令呪が宿らない左腕を犠牲にしてでも生き残る選択をしたのと、アルトリアのマスターが咎めるように叫んだのはほぼ同時だった。そして、アルトリアの剣が止まる。腕はギリギリで切り落とされるのを免れた。

 

 「なぜですか、マスター!」

 

 ぐわり、とアルトリアが眉を釣り上げ、大げさな動作で「どうして殺さないんですか!」と訴えた。まさか、令呪を使ったのかと彼の手を甲をみたが、令呪は発動しかけたのであろう、発光の名残を残すもきちんと二画残っている。

 セイバーに視線をずらす。意図せず、碧眼のそこに燃える決意の炎を覗き込んで驚いた。何にって、アルトリアの必死さに私は驚いた。それは、女神となった彼女が宿していたものによく似てる。

 第六特異点を嫌でも思い出させるその目が意味することは、絶対に叶えたい願いがあるということに他ならない。アルトリアは聖杯に何を願うつもりなのか。

 アルトリアといえば、食べることが好きで、聖杯にかける願いすら特に持たない高潔な王。

 願いが想定できない分、不安要素が大きい。

 

 「…く、ふう。」

 

 とうとう効果が切れ、地面に不時着した私は一度ドラゴンセットを戻した。代わりに、プニキにもらった槍を構える。槍はケルト勢によく鍛えられたからちょっとだけど自身がある。

 

 「俺も、ルーラーは信用できない。でも、嘘ついているとも思えないんだ。」

 「甘いですよ、マスター!

 大体、クラスだって自己申告。本当はルーラーではなく、別のクラスのサーヴァントがその名を騙っている可能性もあるのです。

 それに、あの少女が聖職者に見えますか?」

 「…見た目で判断するのはダメだろ。」

 

 暗に、『聖職者には見えない』とバッサリ言い切られたのだが、それは気にしない。だって本当に聖職者じゃないし。

 でも、今の私はルーラーだと言い張らないといけない。

 

 「失礼だ…ね。それならルーラーらしく、あなたの真名を当ててあげましょうか?」

 

 一瞬でた素の口調を無理なり直して、こほんと咳払いした。

 

 「なに?」

 「そうね、まずはセイバー。あなたからいきましょう。

 史実では男性と言われているが、それは某ろくでなし魔術師の策略のせいで、その魔術師の名前は…」

 「なっ!?

 わかった、わかったから言わないでください!」

 

 ろくでなし魔術師呼ばわりされた花の魔術師は慌てふためくアルトリアの姿を見て『写真撮りたい』と笑いながら言っている。

 

 「…なーんか、しらけちゃった。帰りましょ、バーサーカー。」

 

 顔色の悪いイリヤがくるりと身を翻す。ひとまず、戦闘は終了したという事でいいのだろうか?アーチャー陣営とセイバー陣営は協力関係と見て間違いはなさそうだし、一件落着ってことだろうか?

 

 「なら、私も帰るわ。」

 

 そう言って、逃げるように早歩きで立ち去った。1キロぐらい歩いたところで、ばたりと道端に倒れた。疲労が激しく、肩で呼吸している有様だ。

 理由はわかってる。複数のサーヴァントからの強烈な殺気と魔力に当てられたせいだ。ただの人間である私が、霊体化しているとは言っても味方に完全に頼れない状況でサーヴァントのフリをして立つなんて、無茶なことをしたなぁ。

 

 「はぁ、怖かったぁ。」

 

 魔術なんて、礼装を使わないと満足に使えないし、概念礼装も回数や効果が限定的。

 魔術回路は貧弱で、魔眼なんてすごいものを持っているわけでもない。魔術刻印の継承どころか、魔術師の家系でもない。カルデアからの優秀な魔力バックアップがあっても、バーサーカーが本気で暴れればすぐに魔力切れしてしまうほど貧弱で。

 一般家系出身のレイシフト適正だけが異常に優れていたってだけの、ただの人間だ。運はかなりいいかもしれないけれど。あと、体力。

 唯一胸を張って人より優れていると言えるのは、たたき上げで鍛えられた戦闘指示ぐらいだ。

 

 「お疲れ様、マスター。」

 「よく頑張ったね。」

 

 はっはっと短い呼吸を続ける私の背中をエルキドゥが優しくなで、マーリンが私をおぶる。ついに、涙腺が決壊しだばっと堰を切ったように涙が溢れ出した。

 

 「エルキドゥ …!マーリン…!!」

 「はいはい、言わなくてもわかってるよ。」

 

 怖かったね。とエルキドゥが満面の笑みを浮かべる。こういう時は笑わないで、心配そうな顔をするのが正しいんだよ、それじゃあドSみたいじゃん、なんて勝手に思いながら、だけどエルキドゥらしい行動に私も笑った。

 

 「ごめん、腰抜けてもう歩けないんだ。」

 

 ぐし、と袖で目元を拭った。腫れた目元を誤魔化すように、にっとクーフーリンが浮かべるような笑顔を意識して作る。

 

 「じゃあ、お兄さんが家まで背負ってあげよう!」

 「ありがとー。」

 

 ケラケラと音を立てて笑った。ゆっくりとした歩調で歩いてくれるから、家に着く頃には目の腫れもひいているだろう。

 これから、どうなるのだろう。この聖杯戦争はどんな方向に転がるのだろう。

 私が今まで行ってきたことが、聖杯戦争ではなく聖杯探索であったのだと、痛いほど実感した。だって私は、何かを切り捨てたことなんてない。自分の目的のために、他者を踏みにじることなんてしたことはない。

 魔術師もどきの私の求める普通の幸せなんて、魔術士の世界には存在しない。そんなの、旅の過程で痛いほど思い知った。

 だから、私はサーヴァントになんかなれない。英雄になんてなれない。そんな器じゃない。

 私は普通の人間だから。怖くて、震えることはあっても、人を疑い、恐れることはあっても、立ち止まることはしたくない、前を向いていたいと思うだけの、そんな人間らしい人間。

 守られてばかりの私でも、彼を守れるだろうか。

 マーリンの背中に揺られながら、そんなことを考えた。

 

 






嘘に嘘を重ねる。



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二日目
イレギュラー


 ー現在までの状況報告ー

 藤丸立香(ぐだ子)
 オルレアンの微小特異点の探索に向かったところ、レイシフト事故が起こり2004年の冬木の地に落下した。
 落下地点がちょうど間桐慎二が英霊召喚を行っていた魔法陣の上だったため、サーヴァントに勘違いされる。
 その後、冬木の聖杯が泥に犯されておりサーヴァントが1騎でも脱落すると、聖杯の中のこの世全ての悪が世界を飲み込み人類は滅亡するというカルデアの仮説に従い第五次聖杯戦争の停止を目指す。
 参加資格を持たない上に、ねじ込めたとしても一般枠の魔術師では発言力が足りないと考え、マーリンの英雄作成によって英霊に偽装。
 慎二にはマスターという虚偽のクラスを、他のサーヴァントにはルーラーのクラスを偽称する。

 間桐慎二
 魔術師を諦めきれず、聖杯戦争に出場して勝ち抜けば間桐臓硯に後継者として認められると考え英霊召喚を行う。
 当然召喚できなかったのだがタイミングよくレイシフトしてきたぐだ子が魔法陣の上に落ちてきたため成功したと思い込む。
 サーヴァントを召喚したにもかかわらず令呪を得ていないことや、聖杯から情報を得られていない様子のぐだ子など不信な点に気がついているが、無意識的に目をそらしている。
 間桐の家から脱出するために間桐のコネを使いまくり、自らの陣地として家(かなり大きい)を買いそれを拠点とする。

 セイバー…アルトリア・ペンドラゴン
 ルーラーを名乗るぐだ子に不信感を抱く。
 聖杯に異常があると認められないが…?
 アーチャー…エミヤ
 ぐだ子にラタトゥイユのレシピを教える。
 キャスター…クーフーリン
 槍を持っていないため衛宮士郎を撲殺するも失敗。
 バーサーカー…ヘラクレス
 ライダー…??
 ランサー…??
 アサシン…??


 レイシフトから一週間経った。まだ状況は動かない。

 朝、いつものようにテレビをつける。懐かしいブラウン管テレビだ。私が小学生の頃までこの型だった気がする。懐かしいな、とリモコンを操作するたびに思う。

 地デジの超薄型テレビの存在を知っているせいか、この分厚さがレトロを感じてならない。画質が悪いテレビのチャンネルを、朝ごはんのワカメとお麩の味噌汁をかき混ぜながら回す。混ぜると回すをかけているのは偶然だ、ダジャレじゃない。

 ちなみに、私は朝は米派なのだが、慎二はパン派だった。これは軽く戦争が起きて、熾烈な舌戦を繰り広げた。結局、月、水、金曜が朝は朝は米で、火、木、土曜がパンになった。日曜はそれぞれ好きなものを食べると言うことで決まったが、慎二は料理ができないので毎回米になっている。トースターすら使えないポンコツに呆れればいいのかどうかわからない。

 テレビに映る美人ニュースキャスターがニュースを読み上げている。ほのぼのする動物ニュースから株価の変動、殺人事件に事故と画面の向こうは騒がしい。また野菜の値段が上がるようだ。

 

「ガス漏れ事故に失踪事件?」

 

 ガス漏れは新都のオフィス街で相次いでいるらしく、集団失踪は未だ調査中と濁された。なぜか、その二つがやけに引っかかった。

 

 

 まだ、聖杯戦争が始まる前の前日譚(プロローグ)

 

 

***

 

 

 

 聖杯戦争一日目終了。

 ボロボロになって帰宅した私を待っていたのは、リビングのテーブルに座る私のサーヴァントと、マスター(仮)の間桐慎二だった。

 

 「ただいま、慎二。」

 「おかえり。」

 

 ぶっきらぼうに、小声で私の帰宅にたいする返事を述べた慎二は、「それで?」と不機嫌そうに言葉を投げた。大方、礼装まで着てやる気満々だったのに、活躍の場が無かったことに不貞腐れているのだろう。

 私は何も気がつかないふりをして、へらりと笑う。

 

 「結果は上々…かな?

 私のクラス、ルーラーってことになっちゃったけど。」

 「サーヴァントを使役するってことはバレてないよね?」

 「バレてないよ。ね、エルキドゥ。」

 「そうだね、マスター。」

 

 ついさっき、終わったばかりの戦闘を思い出して「はぁ…。」と重たいため息が飛び出る。

 普段後衛のサポート役が前衛として戦う日が来ようとは。

 サーヴァントを呼び出せていれば死にかけることもなかったよなぁ、なんて本末転倒なことを考えては、乾いた笑いが飛び出る。

 どうせ、24時間ストーカー(マーリン)の現在視で実況されていたのだろう。ジト目でマーリンを見れば、いつもの食えない笑顔で微笑み返された。

 

 「入れば?」

 

 慎二が顎をしゃくって浴槽を指す。私は遠慮せず、「そうするよ。」といって風呂場に向かう。礼装を脱いで、肌着を洗濯機に放り込む。概念礼装は端末に回収させた。

 シャワーを浴びて、土ぼこりで汚れた髪を念入りに洗う。茶色の泡が排水口に流れていく。

 

「ふぁぁぁ〜」

 

 湯船いっぱいのお湯に浸って、手足を伸ばした。大きな浴槽は私が3人入っても余裕なほどの面積を誇る。

 カルデアはユニットバスだったから、こんな風に両手足を伸ばして浴槽に入るのは久しぶりだ。

 日本人はお風呂に入る時が生きていると実感できるというのは本当だったか。

 

 「あー、生きてる。」

 

 張りつめられていた緊張が解けて、ようやく、聖杯戦争に参加しているという実感が湧いた。マーリンの英雄作成(Lv10)の威力はとんでもないな、と改めて思う。

 私のような一般人がサーヴァントに、それもセイバーのアルトリアと戦えるレベルまで昇華させられるとは。さすが死後は冠位(グランド)が確定している魔術師(キャスター)だ。

 

 「私がサーヴァントねぇ。」

 

 一般人だけど。と脳内で補填する。ほんの少し手を握りこむだけで、それなりに硬いバスボムが砕け散る。破片がお湯に落ちて、しゅわしゅわと泡をたてる。手のひらについた破片をお湯でチャプチャプと濯ぐと手のひらからも泡が沸く。

 肉体スペックが上昇している。でも、やっぱり英霊(ほんもの)には程遠い。アルトリアにはバレただろうか?彼女の直感スキルは馬鹿にできない。未来予知じみた直感は、身内ならば頼もしいが敵ならば何よりも恐ろしい。

 それに私には、宝具になりうるものがない。できることはせいぜいサーヴァントの影召喚ぐらいで、それも魔術師がみたら失笑物の不完全な召喚。

 サーヴァントを驕ったものの、いったいどれだけ騙し抜けるか。

 

「あーあ。」

 

 ベディもおんなじ気持ちだったのかな。私みたいに、自分の正体がバレることが恐ろしいと思ったのかな。それとも、アルトリアのことで頭がいっぱいでそこまで気が回らなかったのかな。

 だが、それでも彼は英雄だ。第六特異点を駆け抜けた英雄なのだ。聖剣の返還の儀という儀式を貫き通し、人理を救った英雄だ。

 私は、何もない。いつも後方支援ばかりで、自分で戦うことなんて今までなかった。だからだろう。初めて行う前線戦闘が怖いなんて、思ってしまう。

 

 「ゲーティアの時は、大丈夫だったんだけどなぁ。」

 

 私の宿敵、私の運命。彼と殴り合った時はこんなにも恐ろしいとは思わなかった。いっそ清々しいまでに彼に拳をふるえたのに。

 あの時、私の中にあった感情はなんだったっけ?

 怒りはなかった。彼は彼の思う最善に従って行動していた。それが、私たち人類と相入れなかったというだけで、彼を滅ぼしたことを間違っているとは思わない。

 恨みもないと言ったら嘘になる。切ないまでの心の穴はあった。

 きっと一生色褪せることなんてない、記憶の中にある真っ白な玉座を思い出す。時間神殿。ソロモンの指輪。第三宝具。一度死んでしまったマシュと、墓標のように聳え立つ十字盾。

 

 『さあ、いってらっしゃい立香。』

 

 光の粒になって、消えてしまう、私の、私たちの大切な人。

 ロマ二を失ったあの日を思い出してお湯の中に潜った。

 

 「(馬鹿か、藤丸立香。お前に感傷に浸る暇はない。)」

 

 ほんと、私ってうざい女だなぁ。未練ったらしくてありゃしない。

 ロマニなら、ロマンだったら、ドクターなら。私はそればっかりだ。通信機にうつるホログラムに、彼の姿を探している。

 ドクターを失って悲しいのはみんな同じなのに、被害者面して悲観する自分が大っ嫌い。きっと一番悲しいのはきっとマシュで。ロマンのそばで支え続けていたカルデア職員全員で。 もしかしたら、ダヴィンチちゃんかもしれない。

 一度は彼を疑った私が悲劇のヒロイン気取って、彼の不在を嘆く資格はない。

 

 「……。」

 

 どぷんと水面に潜る。浴槽の中で膝を抱え込んで、プクプクと浮く水泡を眺めた。

 レムナントオーダーが始まってもう随分たつのに、ロマ二の影を追い続けて、それに縋る自分が嫌い。

 浮き上がって、目元を手の甲でおざなりに拭った。ばちん、と両頬を挟むように叩いた。

 

 「しっかりしろ。今の私は、間桐慎二のサーヴァントでしょ。」

 

 ぎゅうっと目を瞑って、慎二の顔を思い浮かべた。美形だと思う。でも内面が顔に出ているせいで美形成分が半減どころか70パーセントぐらい削れてる。具体的に言うと小物くさい。

 黙っていればロビンとは方向性が違うタレ目イケメン。だけど天然パーマの癖が強すぎるのでワカメ感があるけど。

 すぐに調子に乗るし、自慢話はめんどくさい。でも、自慢するに足る知識は持っている。と、思う。

 捻くれているようで中身は真っ直ぐ。今は変な方向に迷走してるけど。

 うん、改めて思う。

 

 「(いい奴、なんだよね。)」

 

 だから、今の私がしてることは正しいことなのかと不安になる。騙していることが後ろめたい。

 私が本当のサーヴァントで、慎二が本当に私のマスターだったらこんなに心苦しくないのだろうか。どうせ、一晩経てば蘇る令呪だ。一画ぐらい譲渡できたらいいのに。

 

 「(なんて、ね。)」

 

 ゆっくりと、目を開ける。湯けむりでぼやけた視界はぼんやりとしてよく見えない。

 ふと、水面に映る自分と目があった。似ても似つかない自分の顔が、一瞬通信機越しに映るホログラムのロマ二に見えて、わざと水面を叩いてそれを壊した。

 ねぇ、ドクター。なんで消えちゃったの? あなたの手袋の下の秘密を、ほんの少し前に教えてくれていたら、結末は違ったのだろうか。

 「立香ちゃん」と名前を呼んでほしい。気の抜けるような微笑みを浮かべて、「おかえり」といってほしい。

 たったそれだけがあれば、どんな戦いでも乗り切れたのに。

 どぽん。私は自分の思考を振り払うように水中に潜った。目を閉じても浮かぶのは残酷なまでに輝かしい2016年。

 私は、いつまでもあの日々に囚われている。

 

 ■■■

 

 気がついたら浴槽で寝落ちていて。目が覚めたのは風呂に入ってから一時間以上たっていた。

 

 「おそい。」

 「ごめんごめん、長湯しちゃった。」

 

 はは、と軽く笑ってリビングの椅子に座る。時計の針はもうとっくに12時を回っていた。熱がぐるぐると体の中を巡っているような感覚。のぼせているせいで、思考がふわふわといろんなところへ飛んでいる。

 

 「ま、僕は一番風呂入ったからいいけど。

 ほら、これ。テイクアウトもらってきてやったぞ。」

 「え! やった、ありがとう慎二!」

 

 視点を落とせば、テーブルにはいくつものタッパーが並べられている。これらは全て泰山の料理だったか。

 

 「ちゃんと頭乾かしなよ。風邪引くだろ。」

 「だいたい乾いてるからいいの。」

 

 今の、なんか懐かしい、かも。いつかマシュとした会話に似ていて笑った。

 

 「マスター、ここに座ってくださいまし。私が御髪を乾かして差し上げます。」

 「だいじょーぶだって!ありがとう清姫。」

 

 ほんの少しだけ、感傷に浸る。

 それを誤魔化すように、ぐしゃぐしゃと首にかけていたスポーツタオル越しに頭をかき混ぜる。

 ここに着てから私はなんか変だ。ちょっとした言葉すら私の心に突き刺さる。些細なことに誰かの面影を探してしまう。

 

 「(乗り越えた、つもりだったんだけどなぁ。)」

 

 喪失という心の隙間は、あまりにも大きかった。

 

 「(気持ちを切り替えろ、私。)」

 

 先ほどの戦闘に意識を戻す。向かい合ってわかった。やはり、サーヴァントの説得は無理だ。

 皆一様に決意と願いを秘めていた。誰一人として引く気はないだろう。

 

 「ところでさ、私がさっき言った言葉、効果あると思う?」

 

 私が言っているのはもちろん、初日の戦闘のことである。

 答えがわかりきった質問に、マーリンはご丁寧に「ないんじゃないかな。」と答えた。

 

 「やっぱり、そうだよね。

 バーサーカーのマスターとか、イケそうな気がしたんだけどな。」

 「それこそあり得ないですよマスター。

 アインツベルンは聖杯を作った家だ。

 聖杯の欠陥なんて信じるわけがない。」

 

 ロビンフッドが肩をすくめる。

 

 「サーヴァントの説得も無理、マスターの説得も無理。

 一騎も脱落させずにって、相当無理難題なんじゃないかな?」

 

 エルキドゥまであははと笑って、そんな言葉を口にする。今日はどうにかなったわけだが、明日からどうなるのだろうか。

 

 「あのさぁ、肝心なこと忘れてない?」

 

 やれやれ、と言いたげに慎二は肩をすくめた。慎二の疑問の声は悲観的な状況を変えるには丁度いいタイミングで、私はそれに乗っかるように「肝心なことって? 」とさらに疑問を投げかけた。

 

 「聖杯戦争で最も大切な要素……そう、真名さ。

 結局、他の陣営のサーヴァントの真名はわかったわけ?

 真名看破の自己申告は嘘?」

 「ああ、それは大丈夫。あの場にいたサーヴァントは全員わかったよ。」

 

 言葉で説明するよりも文字に起こした方が早いと判断した私は、スリッパをパタパタ鳴らしてホワイトボードの元に歩いていく。キュポ、とペンのキャップを外して、ホワイトボードの空欄に新たに情報を書き足した。

 

 セイバー…アーサー王

 キャスター…クー・フーリン

 バーサーカー…ヘラクレス

 アーチャー…エミヤ

 

 「…ビックネームばっかりだね。」

 

 私をちらりと見てから、慎二がため息混じりに言葉をこぼす。それがやたらと嫌味ったらしく聞こえた。

 

 「でも、まぁそれだけ有名なら対策も立てられるか。

 クーフーリンにはゲッシュだな。犬食わせる?」

 

 おいばかやめろ。そんなことしたら絶対に仲間になってくれないだろ、と激しいツッコミを心のうちに留めつつ、「それはやめておこうよ。」と慎二に告げる。

 キャスニキの願いはなんだろうか。キャスニキのことだから、血湧き肉躍る戦いがしたい、とか?ケルト系列は大体血の気が多い。

 …槍あげたら協力してくれたりしないかな。

 

 「…王の、願いはなんなのだろうか。」

 

 ランスロットが、呟いた。思いつめた声に気不味くなって、不自然に目をそらした。

 

 「お腹いっぱいご飯食べたいとか? 」

 「さすがに、それは……。」

 「うん、ないよね。私も知りたいよ。」

 

 重々しい沈黙がリビングに広がる。誰も、何も言えなかった。きっとそれは、アルトリアという存在をこの場にいる全員、よく知っているからだろう。

 だって、カルデアにはX系を除けば8人のアルトリアがいるのだから。X系を含めれば10人だ。別の意味で沈黙が重い。

 

 「ねぇ、寝る前にさ。誰か報告はある?」

 

 苦し紛れに小首を傾げて問うと、燕青が小さく手を挙げた。

 

 「あるぜ、主。とびっきりのニュースだ。」

 

 燕青がニタリと笑う。

 実は、な?と前置きをしつつ一言。彼の一言はまさにとびきりのニュースだ。

 

 「キャスターの陣地がわかった!?」

 「まあ、おそらくだけどなぁ。」

 

 燕青が地図をテーブルに広げる。キュポン、と赤いマジックペンの蓋を開けて、キュ、キュキュッと数カ所に印をつけた。そのうちの一つを蓋を閉じたペンでトントンと叩いて、言葉を続ける。

 

 「ここは結界が張られている場所だ。そんで、最も強力だったのはここ、柳洞寺。

 俺は魔術的なことはよくわからんが、これは少し異常だ、現代の魔術師が展開できるとは思えないね。」

 「魔術師(キャスター)ですわね。」

 

 昨日の帰りに見つけたんだぜ、と燕青は得意げに笑う。清姫が確信めいた様子で頷いた。

 お手柄だよ!と私が褒めると、燕青は「いやぁ、照れるねぇ。」と頬を赤らめることなく飄々と笑った。

 

「ですが、まだサーヴァントと決まったわけではないでしょう。調べる必要があります。」

 

 ランスロットの言葉になるほど、と納得した。たしかに、私が知らないだけでサーヴァントに対抗できるほど優秀な魔術師がいるかもしれないのか。高確率でキャスターだとしても、残り数パーセントの確率で生きてる魔術師なのかもしれないのか。

 

 「まあ、セイバーの彼のいう通り、裏付けをする必要はあるね。」

 

 エルキドゥがにこりと笑った。『これがもしサーヴァントじゃなければ封印指定だろうね。』と通信機の向こうでダヴィンチちゃんも冗談めかして笑った。

 

 「裏付けなら俺がやっと来ますよ、マスター。」

 「本当?ありがとう、ロビン。」

 「ふぁ、終わり?なら寝てもいい?」

 

 慎二は欠伸を噛み殺しながら、コーヒーを飲んだ。

 そんなに寝たいなら寝ればいいじゃん。少しムッとしつつ、たしかにこれで解散なので「マスターが寝たいならどうぞ?」と嫌味ったらしく言い放ち、「ところでさぁ」と話を変えた。

 

 「ねぇロビン、裏付けとるのにどれぐらいかかりそう?」

 「夜明けまでには集めますよ。それなりにツテはそれなりにあるんで。」

 

 ホストのことを言っているのだろうか。ランスロットを見ながら「ねぇ?」と一言だけ言って、ロビンはマントで口元を隠した。

 

 「じゃあ、明日の朝七時にもう一度会議するのでいい?」

 「じゅーぶん。」

 「じゃあ、解散!」

 

 私の号令でサーヴァントは一気に霊体化し、私と慎二は自室に向かう。

 

 「朝、ちゃんと起こせよな。」

 「自分で起きなよ。」

 

 おやすみの代わりに軽い言葉の応酬をしてから、慎二はひらりと手を振って部屋に入っていった。続いて、私も部屋に入る。真っ暗な部屋だ。でも、月明かりと外からのきらびやかな光に照らされて少しは足元が見える。松明の光の中歩くことに慣れてしまってからは、これぐらい明るければ歩けるようになった。

 電気をつけないままベットまで歩く。スリッパを脱いで布団に潜り込めば、どうっと、一気に疲れが襲ってくる。

 睡眠欲という本能に押しつぶされつつも、わずかに残る理性で目覚まし時計をセットする。瞬間、意識が落ちた。

 私、疲れてるなぁ。と沈みゆく意識の底で他人事のように考えながら。



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2

 ぴー、ぴー、ぴー。

 目覚まし時計のアラーム音で目を冷める。変な体勢で寝たにもかかわらず疲れはすっかり抜けていて、ベットから降りた私はぐぅっと大げさに体を伸ばした。

 

 「あー、朝だ。」

 

 カーテンを開けると、太陽の暖かな光が降り注ぐ。朝日が寝起きの目にしみる。

 パジャマを脱いで、Tシャツとジーンズ、そして寒さ対策のフリースを着る。

 洗面所で顔を洗って、寝癖が跳ねる髪を溶かす。シュシュでいつものように髪をくくれば、いつもの私が鏡の向こうで気の抜ける顔であくびをしている。

 

 「マスター、ブレックファストティーは如何?」

 

 リビングに入ってすぐに聞こえた気取った甘い声。「もちろん、いただきます。」と答える。

 赤いのに比べたら味は落ちるだろうが、なんて言って、ロビンが片目を瞑ってティーセットが乗ったお盆を掲げた。私はにこりと笑って「もちろん、いただきます。」と答える。

 

 「今日もブレンド?もちろん、ミルクティーだよね?」

 

 私の隣に、制服姿の慎二が座る。タレ目の綺麗な顔ににやりと人をイラつかせる笑い方を乗せて。

 

 「イングリッシュブレックファーストです。

 ミルクはどうします?」

 「おまかせで! 」

 「はいよ。」

 

 優雅な仕草でティーポットが持ち上がる。とぽぽ、と琥珀色が白磁のカップの淵に金色の輪を作って、シルクのようなミルクが足されて白濁した。

 

 「ふん、イングリッシュブレックファーストティーはミルクティーとして飲むことを前提に作られているからさ。

 ストレートなんてありえないよね。」

 

 私と慎二とサーヴァントの共同生活を始めて一週間と少し。いつのまにか慎二は紅茶の勉強でもしたらしく、その薀蓄を毎朝披露してくる。正直言って面倒くさい。

 その話に毎度付き合うロビンは本当に面倒見がいいお兄ちゃんだと常々思う。

 これは、完全に蛇足だがこのロビンフッドというサーヴァントは、執事の素養がある。

 理由は一つ。定期開催されているイギリス系サーヴァントの交流会であるティータイムになぜかお茶汲みとして参加しているからだ。

 妙なところで卑屈なロビンは、「有名な英霊と一緒に席に着くのはどうも慣れない」と言って、最初は参加を辞退していた。

 が、参加を辞退されたことをお茶会主催者のアルトリアが落ち込み、それを憂いた円卓の騎士がロビンの個室に襲撃してきたとか。

 以来、円卓が面倒くさいので参加はするものの、テーブルにつかなくてもいいお茶汲みに自主的になったとかなんとか。

 

 

***

 

 (その流れでエミヤ(強制参加)と一緒になって美味しい紅茶の入れ方を研究している。)

 つまり、慎二の薀蓄自慢をロビンはいつも聞き流している。

 なお、イングリッシュブレックファーストという紅茶のブレンドは存在する。少し渋みが強い紅茶で、ミルクティーにするとすごく美味しい。

 

***

 

 「はいはい、そーですよお坊ちゃん。」

 

 ロビンは面倒くさいと顔に思いっきり書いてあるような、そんな顔でトポトポと紅茶を注ぐ。

 朝食に紅茶を飲むのはイギリスの朝の定番らしく、イギリス出身のサーヴァントのみんなと朝食を取るときは大体ミルクティーも一緒に飲む。

 その習慣はここに来ても変わることなく、慎二もなんか気に入ったようですっかり習慣として定着していた。

 

 「おまちどうさん。」

 「ありがとう、ロビン。」

 

 カルデアのキッチンに常備された高そうなティーセットではなく、ニトリのワンセット三百円のティーセットにキャンブリックの香り高いミルクティーがダイニングテーブルに丁寧に配置される。

 ミルクティーのとなりにサニーサイドアップの目玉焼きに、マッシュルームのソテー、おなじみマッシュポテトにソーセージとベーコン、焼いたトマト、ベイクドビーンズが乗ったプレートが置かれ、トースターがチンと音を立ててキツネ色の食パンを吐き出した。

 イギリス料理の中で唯一美味しいと言われる朝食のプレート。朝から栄養満点。

 私が召喚したサーヴァントに偏りがあるせいで、必然的に食事のレパートリーも偏りが大きい。

 清姫の作る白米に味噌汁と言った純和風か、ロビンの作るイギリス風かの二択である。ちなみに、燕青のつくる中華料理は朝食に向かない。

 

 「それで、俺も情報を手に入れたんすけど。

 マスターが気になるって言っていた例の集団失踪、被害者は柳洞寺周辺で足取りが途絶えてる。

 まるで、()()()()()()()()()()。」

 

 とん、と地図の上を叩く。

 

 「それから、新都のガス漏れ事件。

 あれ、ガス漏れって報道されていますが、隠蔽の痕跡がありましたわ。恐らくは聖堂教会だろーな。

 こちらの被害者はひどい貧血で意識不明。新都の病院に入院中。」

 

 ぐるっとロビンは赤ペンで柳洞寺を囲み、ペンを置いた。

 

 「これ、魂喰いだと俺は思うんですけど。どう思います?」

 

 ロビンがたどり着いた結論に、だれもが納得した。

 

 「(じゃあ、なんで人が死んでないんだろう。)」

 

 他の陣営に疑われないため? それなら、やり方次第でどうとでもなる。

 

 「(なら、マスターの意思……?)」

 「なら、キャスターは魔力欠乏に陥っている可能性がある、ということか。」

 

 私の思考は、ランスロットの声で現実に引き戻された。

 

 「なら、魔力供給をカルデア(こちら)が持つって言えば、協力体制を築ける可能性はあるね。」

 「キャスターは光の御子、クー・フーリンだったか。」

 

 ランスロットは地図のよく見える位置に立って、マーリンは優雅にロビンが入れた紅茶を飲みながらニコニコ笑っている。

 

 「向こうさんの思惑がどうであれ、このまま放っておけばキャスターは魔力の欠乏で霊基が消滅。

 なら、カルデアからの魔力供給は降って湧いた幸運だ。」

 「まぁ、令呪を奪うのが一番手っ取り早い方法だけどね。」

 

 マーリンはニコニコ笑いながらそう言って、「どうする、マスター?」と聞いてきた。

 

 「令呪を奪うのは当然なし。

 魔力供給は悪い案ではないんでしょ?

 なら、話を聞いてもらう価値はあると思う。」

 「つまり、一番はじめに攻略するのはキャスター陣営ってことか。」

 「私と仮契約を結べば魔力欠乏は解決する。キャスター陣営をこちらに引き込める。」

 「ですが、肝心のカルデアの“ばっくあっぷ”は可能なのでしょうか?」

 「どうだろう、多分大丈夫だとは思うけど……。

 とりあえず、通信を繋げるね。」

 

 清姫がするりと私の腕に絡みつく。私は通信機の起動スイッチを押した。ププー、と機械音の後にホログラムが浮かび上がる。

 

 『やぁ、おはよう立香ちゃん。1日目はどうだったかい?』

 「おはよう、ダヴィンチちゃん。全く手応えなかったよ。」

 

 ははは、と笑いながら私は両手を上にあげた。ダヴィンチちゃんは『だよねぇ。』とわかっていたと言いたげに笑った。

 

 「それで、マシュは?」

 『マシュはまだ寝てるよ。疲れがたまってたみたいだ。』

 「そっか、よかった。」

 

 昨日のマシュの目の下に深く刻まれていた真っ黒な隈を思い出して、安心する。そして、心配をかけたことに申し訳がない。

 

「それで、今日連絡したのはカルデアのバックアップをうけて、聖杯戦争に召喚されたサーヴァントと仮契約できるかってことなんだけど…」

 『うん? ああ、なるほど。そう言うことか。

 大丈夫、もちろん可能さ。カルデアは君を観測しているからね、パスはいつでも繋げられるさ。

 ……今回の事故の原因のことを聞いているのかな?

 心配ないとも!そこはほら、天才の手にかかればちょちょいのちょいっと!』

 

 ダヴィンチちゃんの自信満々な態度に私は「(ダヴィンチちゃんらしいな。)」と心の中でつぶやく。

 

 「生温い、そんなんじゃ勝てっこないね。」

 

 慎二の言葉は大きな声で言われたわけではなかった。それでも、頭の中にするりと入ってきて、私の脳を殴りつけた。

 藍色の瞳を暗く澱ませ、陰のかかった表情は私を『ドキリ』とさせた。私は、何度かその目をする人を見たことがある。

 

 「魔力供給を持つだけじゃ意味がない。

 サーヴァントが裏切らない確証がないじゃないか。

 なら、一緒に令呪も奪えばいい。マスターを殺さなくても、令呪を奪うことはできるだろ?」

 

 慎二の案は、この場において一番正しい。魔術師的な考えだ。

 私は慎二の言葉の意味を気づかないふりをした。多分、おそらく。一言で終わるそれは、慎二の心に的確に切り込む刃になるだろう。

 

 「慎二。私は、貴方のサーヴァント(従者)だよ。」

 

 からついた喉を潤すために飲み込んだ唾液は意味をなさない。枯れた大地にコップ一杯分の水を注いでも意味などないように。

 この言葉は間違っていないはず。それでも、次の言葉は慎二が望むものじゃない。

 

 「令呪は奪わない。キャスターのマスターはマスターのままでいてもらう。」

 

 きん、と。ティーカップがソーサーにあたり、金属のような音を立てた。私は言葉を紡ぐ。

 

 「キャスターの魔力欠乏は相当深刻な問題だ。

 だから、私は今日中に柳洞寺を拠点にしている陣営に接触する。

 場合によっては、戦闘になるのも仕方ない。」

 

 慎二が苛立ったように椅子に寄りかかった。

 

 「戦闘? キャスターの陣地で?

 バッカじゃないの、無駄だね。

 キャスターのマスターを見つけるのが先だ。」

 「話し合いがうまくいけば、戦う必要はないよ。」

 「うまく行くとは限らないから総力戦なんだろう? 

 マスター共々、キャスターをおびきだせばいいじゃん。」

 「たしかに、相手の陣地で戦うのは不利だよ。

 でも、今の状況だと時間が経てば経つほど勝利条件から遠のく。

 ねぇ、慎二。私たちの勝利条件はサーヴァントを脱落させないことだよ。

 早期解決のためなら、私は不利だとわかっていても行く。」

 

 キャスターの陣地に向かうという意味は痛いほどわかる。陣地作成の恩恵は絶大だ。

 なぜなら、私自身が陣地作成のお世話になった経験も、してやられた経験も普通のマスターの数倍は負っているのだから。

 それでも、今は総力戦しかない。それは、マーリンがいるから、という絶対的安心もあるからかもしれない。

 いざとなればきっと、マーリンは相手の陣地も己の陣地に変えてしまえるだろう。

 私の結論に慎二は「これだから()()は。」と声を上げた。

 

 「戦力は十分だよ。けどさ、キャスターが自分の陣営を魔術工房にしていないわけがないじゃないか。罠にはまりに行く必要はないって言ってるのがわかんないのかよ! 」

 「わかってるよ、キャスターなんだから当たり前でしょ!

 でも、そのリスク以上に放置するのは危険だって言ってるんだよ!」

 「“キャスターはクー・フーリン”なんだろ!

 ゲッシュを利用すればいいんだ!

 何のための真名看破だ、これを有効に使わない手はない! 」

 「そんな暇はない!

 魔力消費の少ないキャスターが魔力欠乏に陥っていると言う現状が危ないって言うのがわからないのかなぁ!?

 だいたい、キャスニキは話が通じる相手だし、槍の方が強いって自己申告するようなばりばりの戦闘系サーヴァントなんだから、小細工するより正々堂々攻めたほうがマシだよ! 」

 「それはただの憶測だ!」

 

 慎二の興奮した声に触発されて、私も大声で反論してしまう。慎二は座った瞳でキッと私を睨みつけた。その瞳は怒りに燃えていた。

 

 「僕は“勝てない戦い”なんて認めない!

 だいたい、柳洞寺がキャスターの陣地というのも憶測だ。可能性で事を語るなんて意味がないね! 

 せめて裏付けを取ってから行動しろよ! 」

 「時間がないんだってば!

 なんでわかってくれないの!」

 「お前が無謀だからだろ!」

 「あー、はいはい。少し落ち着いてくださいよ、2人とも。」

 

 ヒートアップする口論に仲裁が入る。二人してテーブルに身を取り上げて、唾が顔にかかるぐらい近づいていた。

 ロビンが私の肩を後ろに引いて、椅子に座らせる。

 

 「今、喧嘩してる場合じゃあないでしょーよ。」

 「……そうだね、ごめん。」

 

 作った、真面目な顔で言う。冷静を取り戻すように深呼吸。

 

「…柳洞寺には今日の昼に行く。夜まで待たない。」

 「昼?

 聖杯戦争のルールでは戦闘は夜になってからだ。それに僕はまだ学校が終わってない。」

 「そうだね、でも偵察ならいいでしょ。

 それから、柳洞寺に慎二は連れて行かない。」

 

 慎二の両手はテーブルを勢いよく叩いた。上の食器が跳ねて、バランスを崩したティーカップはベージュのカーペットに茶色いシミと陶器の破片を残す。

 

 「お前…!」

 

 慎二は眦を釣り上げ、顔を真っ赤にして私を睨んだ。私は怯むことなく、慎二を真正面から睨み返す。視線が交わる。

 

 「「………。」」

 

 何秒、たっただろう。

 慎二がわたしから目をそらし、舌打ちをした。それを降参だと解釈して、端末から一枚の礼装を取り出した。

 

 「これ、念話の礼装。制服のポケットにでも入れといて。脳内で返事をすれば勝手に会話できるから。」

 「…ふん。」

 

 差し出した概念礼装はむしり取られるような形で私の手から離れた。概念礼装を受け取った慎二は、無言で自分の部屋に戻っていく。

 きっと、一応は納得してくれた筈だ。多分。

 慎二はすぐに部屋から出てきた。元々、あとは着替えるだけだったのだろう。無言でスクールバックを片手に出てきて、そのまま玄関へ向かう。

 

 「慎二。」

 「……。」

 「はいこれ。行ってらっしゃい。」

 

 振り返った慎二に押し付けるようにランチバックを渡した。

 慎二は唇をかみしめて、「行ってきます」の代わりに「僕は納得してないからな。」と捨て台詞を吐いて家を出た。

 

  「……はぁ。」

 

 ぐったりと、椅子にもたれかかった私は熱い顔を冷ますようにパタパタと片手で煽った。

 喧嘩は得意ではない。視界が真っ赤に染まるのも、体の中を駆け巡る温度に翻弄されるのは好きになれない。

 今の言い争いも、まともに考えるなら慎二がいう通り調べてから行くべきだ。戦略として考えるなら私の案は穴だらけで奇襲にもならない。無鉄砲、猪突猛進、行き当たりばったり。

 正直、この作戦を選んだのも私の第六感に従ったまでで、根拠なんてない。理由も後付けだと、正直思ってる。

 それでも、私は自分の感と経験を信じることにした。

 でも、これは私の理論だ。慎二はちがう。

 慎二にとって、この聖杯戦争は最初から勝利が決まった戦いなのだろう。私という、六体までなら呼び出せるイレギュラーなサーヴァントを手札に持つマスター。

 正直言って反則である。チートと言われても文句は言えない。

 たとえ、一騎もサーヴァントを脱落させてはいけないというペナルティをつけても、自分が負ける道筋が見えないに違いない。

 先行きが見えない道を歩くことや、少しでもルートから外れるのは不安だろう。

 ……もしかしたら、私のような行き当たりばったり無計画タイプを認識するだけでもストレスを感じているかもしれない。

 だけど、今回ばかりは私も譲れない。令呪を奪うなんて私にはできない。

 それに、令呪を奪っても、慎二は令呪を宿せない。

 きっかけは些細なことだった。でも、知ってしまったそれを彼に告げるのは、あまりにも(むご)い。

 早くなんとかしないとダメだと、言葉に表せない何かが叫んでいる。

 でも、私は慎二に謝らないし、計画も変えない。

 

 「ランスロット、今日は慎二の護衛じゃなくて、私たちと来て欲しい。」

 

 慎二の後を追おうとする白い騎士を言葉で引き止めた。ランスロットは何か言いたそうな表情で戸惑ってから目を瞑り、目を開いたときはアーサー王が騎士の中の騎士と称賛した、円卓最強の騎士がそこにいた。

 

 「了解致しました。」

 

 美しいアルトボイスが私に捧げられる。私はそれをしっかりと受け取って、覚悟を決める。戦うための覚悟。

 

 「燕青。」

 「なんだぁ、マスタァ?」

 

 燕青が不機嫌そうに答える。私は少し苦笑して、「お願いなんだけど、」と続けた。

 

 「今日だけ、慎二の護衛お願いしてもいい? 」

 

 燕青は目を瞑り、一拍だけ静止した。そして、跪いて仰ぎ見る。

 

 「主の頼みならば仕方ない。

 ……拝命、仕り候(つかまつりそうろう)。」

 

 パン、と拳を手のひらに打ち付けて頭を下げた。そして霊体化して飛び出した。

 

 「それじゃ、行こうか。」

 

 振り返って、笑う。目的は一つ、キャスターの本拠地、柳洞寺だ。



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3

 登る、登る、登る。もう、何弾登ったのかわからないほど長く感じる階段を上る。

 運動はできる方だし、体力だってそこそこあるはずだ。それでも、果ての見えない階段を登るという行為は気力と体力を多分に消耗する。

 

 「おかしい…」

 

 ぜえ、ぜえ、と息を整えながら、私は階段の先を睨みつけた。

 

 「ここ、元から階段長いけどこれは長すぎだろ!」

 

 あー!と狂声を上げながらは山門を指差した。

 さっきから景色はほとんど変わってない。ジムのランニングマシンの階段バージョンをやらされてるのではないかと疑うほどの苦行。やれやれ、というように肩をすくめたマーリンが呑気な声で告げる。

 

 「これは幻術だよ、マスター。さっきから同じ場所をぐるぐる回ってる。」

 「わかってんなら最初から言ってよ!」

 

 ぐわりと歯をむき出してマーリンに掴みかかった。ぐわんぐわん前後にゆずされているのに、ははは、と呑気に笑うマーリンにひたすら腹立つ。

 突然だが、私は今柳洞寺に向かっている最中だ。理由はいくつかある。一つは柳洞寺周辺でおこる失踪事件、もう一つはそこに聖杯があるかもしれないというマーリンの言葉からだった。

 メンバーは私はもちろんのこと、黒い魔力を感知したというマーリンと護衛役のランスロット、斥候にロビンフッドとエルキドゥ、そして清姫だ。

 ちなみに、清姫は自宅(魔術工房)の護衛の予定だったが本人の強い意志により同行。

 燕青は各マスターの監視と、本日に限り慎二の護衛も行ってもらってる。燕青だけやたらハードスケジュールだ。家に帰ってきたら私ができる範囲でお願いごとを聞いてあげよう。

 これは余談だが、本日の礼装は月の海の記憶だ。

 理由は特にないけれど、この時間帯にうろついていても違和感を感じさせないためだ。制服を着ていない高校生ぐらいの少女というのは、目立つ。必要以上に人目を引いてしまう。

 その点、月の海の記憶(この礼装)は穂群原高校の制服に似てるし、ちょうどいい。学校のサボリで警察に補導されないように気をつけさえすれば。

 閑話休題。無限階段地獄の話に戻ろう。

 登っても登っても終わらない地獄の階段を登り続けて数十分。私は幻術と見破りながら何も言わなかったマーリンにキレている。

 疲れているという割に余裕そうに見えるって?

 アメリカ横断した私の体力をなめないでほしい。

 だいたい、少ない魔力回路と、それを扱う才能がないポンコツ魔術師もどきの私が努力して身につくものなんて、体力と筋力しかないじゃない!

 脳筋仕様になるのはしかたないと思うのですが何か文句でも?

 レオダニス・ブートキャンプだけでなく各種英霊たちによる武芸指南まで履修している私に死角はない。

 でも疲れるものは疲れる。なんか、登っているだけで体力以外にも魔力とか精神力とか、ゴリゴリ削られている気がするのだ。

 私はロビンが差し出してくれた水筒をひったくるようにして受け取り、グビグビと銭湯上がりの牛乳のように腰に手を当てて程よい冷たさの麦茶で喉を潤す。

 ロビンが半分に減った水筒を仕舞いながら、「人のこと考えて飲んでくれません?」と私にとても正当な苦情をつける。ロビンの言うことは正しいので素直に謝った。ごめんなさい。水分は貴重なのです。

 

 「まあまあ、とりあえずは幻術を解くところからはじめよう。」

 「今の状況は特殊な結界の中に閉じ込められているといってもいいからね。さすがはキャスター、陣地作成はお手の物ってね。」

 

 返事の代わりにマーリンが肩をすくめる。エルキドゥがこてん、と首をかしげた。

 

 「まさか、破れないのかい?」

 「もちろん、無理だとも! 」

 

 マーリンが澄み渡る秋空のようなカラッとした笑顔で答える。私は「そっか、ありがとう。」と一つ頷いて、攻略方法に考えを巡らした。

 

 「この結果は確実に陣地作成だろう。

 すると、キャスターの陣地作成のクラスはAランクオーバーだろうね。」

 「Aランクオーバーの陣地作成…?」

 

 この聖杯戦争に参加しているキャスターは、クー・フーリン。あれ、キャスニキの陣地作成ってBじゃなかったっけ?まあ、ステータスは呼ばれた魔術師の実力で変動するし、なくはないのだろう。

 「まあ、あちらさんも、大人しく自分の陣地に入れてくれるわけないですよ、ねっ!」

 突然、ロビンフッドが私を抱えて飛び退いた。かん!と石に何かを打ち付けたような甲高い音が響く。からん、と転がる一本の矢。それを皮切りに矢の雨が私たちに降り注いだ。

 

 「マーリン、幻術!」

 「お任せを。夢のように片付けよう。」

 

 キラキラとした光がマーリンの杖からシュルリと出てくる。光は私たち8人をくるりと包み、甘い花の匂いが広がる。矢は見当違いの方向にしぱしぱと落ちていった。

 その場の空気が一瞬にして変わった。真昼間なのにもう聖杯戦争は始まるのか。ルール的に大丈夫なのコレ。

 それとも、私たちが思ってないだけで昼間の戦闘もあるのだろうか。

 でも弓は確実に私を、マスターをねらって放たれている。現在はマーリンの後ろに庇われているが、決して安全とは言えない。

 

 「なんで弓!? 」

 「マスター、アーチャーはあの赤いのじゃないのかよ!?」

 「アーチャーは基本弓使わないじゃん!」

 「俺は使いますけど!?」

 

 いや、そんなのは今は関係ない。今やるべきことは敵サーヴァントを殺さずに倒しきること。和解が一番好ましいが、気絶や捕縛でも構わない。勝利条件は極めて厳しいが、これはやる、やらないの問題じゃない。『やるしかない』のだ。

 それならば、どんな無茶でも完遂させなくてはならない!

 

 「マスター、第二陣くるよ!」

 

 エルキドゥの声に、私は反射的に魔力回路を励起(れいき)させた。

 

 「叩き落とせ、ランスロット!」

 

 少しでも補助になればと指示とともに霊子向上(スキル)を飛ばす。私の手のひらに生成された青色の球が、ランスロットに向かってまっすぐ、勢いよく飛んでいき、そして吸い込まれた。

 

 「お任せを。」

 

 ランスロットがアロンダイトの(ヒルト)に手をかけた。重心を低く落としてすう、と息を吸う。神経を研ぎ澄まし、一撃に備える姿は騎士というより戦士だ。

 

 「…ぬぅん!」

 

 見開かれた目は、きっと全ての矢を捉えていた。

 ゔん!という獣の唸り声にも似た音が剣のきらめきから一拍遅れて私の耳に届いた。

 空気とともに切り裂かれた静寂。

 無限の矢の雨が容赦なく降り注ぐ。

 光の線が(くう)を舞った。

 高速で振られた剣の軌跡が光に照らされて銀色の線のように見える。

 一歩。

 ランスロットが踏み込むと同時に大剣は横薙ぎされる。

 二歩。

 身を翻す勢いでもって、振り抜いた剣が丁寧に真っ二つに矢を切る。

 三歩。

 屈むように重心を落とす。紙一重で避けた矢は石畳を砕く。片手で切り上げられた剣はしかして一瞬のブレもなく。

 四歩目。

 頂点で両手で握られた剣は力強く振り下ろされた。

 素人さえも見惚れる剣技でもって、矢の雨は瓦礫と化した。

 たった四歩。ランスロットの超人剣技によって斬り伏せられた数十本…否、百本を超えたのであろう矢の残骸を、アロンダイトを鞘に収めたランスロットはただ見ていた。

 からん、と最後の一つが地面に落ちるときにはすでに、ランスロットはアロンダイトの柄を握っていた。

 

 「マスター、来ます。」

 「うん。」

 

 続いて現れたのは大量の竜牙兵。神社の階段に溢れかえるそれらは、目算だが合計で30体は超えているだろう。

 ここが、横に拓けた土地ならば、わたし達はとても苦戦した筈だ。だが、あいにくと今いるのは神社の階段。縦に長い。

 階段にしては広いが、神社の階段の範疇を超えていない。いうならば、少し広い路地裏ほどの幅しかない。

 お行儀よく整列した竜牙兵など、的でしかない。

 私はニヤリと意地悪く笑って、私の腕に寄りかかる少女に問いかけた。

 

 「ねぇ、清姫。宝具いける?」

 「ええ、もちろん♡」

 

 可愛らしく頷いた清姫は優雅にわたしの前に躍り出た。完凸しているカレイドスコープを受け取った清姫は、にっこりと美しくも邪悪を感じさせる蛇のような笑顔。

 

 「それでは……見ていて下さいましね。

 清姫、参りまぁーす。」

 

 甘ったるい声は不気味な笑い声と混ざり、妖しい色を帯びる。清姫は「ふふふ。」と笑う。扇子で顔を隠しながら、金色の瞳に狂気を宿して。

 

 「清姫。焔色の接吻発動……宝具開帳!」

 

 清姫はただ、立っていただけだった。だが、ぞっとするほど美しい。美しい蛇が、しゅるりとながい舌で唇を舐めているような妖しげな美。

 扇子が、ひらりと翻された。

 

 「それではご覧ください。わたくしの、一世一代の晴れ姿! 

 これより、逃げた大嘘付きを退治します。

 『転身火生三昧(てんしんかしょうざんまい)』!!」

 

 朗々とした詠唱と、青い炎の龍が竜牙兵を飲み込む。どこまでもどこまでも伸びる炎は勢力を伸ばし、あっという間に竜牙兵を全て食い散らかした(燃やし尽くした)

 

 「さぁ、戦いは終わりです。張り切って走りましょう!」

 

 テンションの高い清姫が握りこぶしを作って笑う。さすがは清姫、威力がえげつない。

 

 「さすが清姫、頼りになるね!」

 「まあ、そんな……!」

 

 くねくねと恥じらうようにシナを作る清姫の頭を撫でる。そして、最後の敵を睨みつけた。

 竜牙兵を全て倒し、奥から現れたのは巨大な死霊……ヒュージーゴースト。

 

 「スケルトン退治の次は幽霊退治ってか? 」

 

 ロビンフッドが冗談めかして笑う。戦えなくはないが、通常攻撃で削るには少しきつい。これ以上戦いを続けるのはいい判断とは言えない。サーヴァント戦の前に、無駄な消耗と戦いは避けるべきだ。

 ……だけど、ここは一度、私たちの力を見せつけるべきだと思う。木の上から弓を射ってきた相手に。

 

 「ランスロット、宝具いけるよね!?」

 「お任せあれ!」

 

 私の確信的な問いかけに、ギラギラと肉食獣を思わせる瞳の騎士が力強く応える。ならば、これ以上はないだろう。

 

 「一撃で決めるよ!

 マーリン、無限のカリスマと英雄作成をランスロットに!

 ランスロットは湖の騎士と無窮の武練、騎士は徒手にて死せず、全部発動!」

 

 ランスロットに大量のバフがかかっていく。シュインシュイーンとエフィクト音が鳴り響き、ランスロットのNPチャージが100%に達していることを確認した私は、最後の仕上げと言わんばかりに礼装を発動した。

 

 「霊子向上、完勝への布石! 

 ランスロット、宝具開帳!!」

 

 ランスロットのアロンダイトが光輝く。

 「最果てに至れ、限界を超えよ。彼方の王よ、この光をご覧あれ! 『縛鎖全断・過重湖光(アロンダイト・オーバーロード)』 !!」

 

 大量のバフをこれでもかと積んだランスロットの宝具が放たれる。

 ヒュージーゴーストはランスロットの攻撃に耐えられず、跡形も残さずに消えた。

 

 「さっすが!」

 

 ランスロットの活躍に声を上げる。ロビンが「俺も行けましたけど?」と不満そうに唇を尖らせた。

 

 「じゃあ、次はロビンに任せていい? 」

 「りょーかい、りょーかい。」

 

 ロビンフッドの楽しげな声。

 木の上にいた、大きな魔力が近づいてくるのがわかる。ここ一年半ですっかり慣れてしまったサーヴァント反応。

 ごくり、と生唾を飲み込んで、いつでも礼装のスキルを機能できるようになけなしの魔術回路を励起させる。

 木の枝の間から、美しい金色が光る。しゃら、と今にも音がなりそうな金糸が風に揺れてさらりと揺れた。

 

 「これだけやっても無傷とかありえないだろ!

 というか、サーヴァント5騎とか卑怯にもほどがある!反則だろう!

 どうなってるんだこの聖杯戦争は!」

 

 木枝の陰から現れたのは、癇癪を起こしながら弓を引く天使のような容姿の美青年。だが、翠の瞳が苛だたしげにつり上がっていた。目立つ白い礼装。髪の色にあわせた黄金の装飾品が、太陽の光を反射してキラキラというよりギラギラ光る。

 オレンジ色の腰布が枯れた枝の間から覗くのはなんとも滑稽なようで、しかしその手に持つ実用性だけを追い求めたロングボウが英霊が英霊たらしめる要素であると主張しているようにも感じた。

 

 「…イアソン?」

 

 オケアノスで出会った、女神に愛された青年がそこにいた。そういえば、イアソンはケイローン先生の弟子だったか。ならば、弓が得意なのもうなずけるなぁ。

 先ほどの宝具レベルの弓の猛攻を思い出しながら、今まさに弓を引いた青年を見つめる。

 ようやく私の存在に気がついたのか、鬱陶しそうに前髪を書き上げながら見下ろしていたイアソンは、顔色を一瞬のうちに青白く変化させ、あからさまに動揺しながら今度は私を指差してきた。

 

 「おま、お前!カルデアのマスター!?」

 

 きっと、すごく驚いたんだろう。ずるんと足を滑らせて間抜けにもイアソンは落下した。

 

 

■■■

 

 

 イアソン。ケンタウロスの賢者ケイローンに預けられた、女神ヘラの加護を持つアルゴー号の船長。アルゴナウタイの冒険で知られる古代ギリシャの英雄。

 王位を継承するために金羊毛皮を手に入れるため、コルキスの王女メディアを利用して捨てた男。メディアには蛇蝎の如く嫌われ、天敵とまで言わしめる彼女いわく『顔だけ男』

 クラスはおそらくライダー。

 天敵は、彼の元妻のメディアである。

 

 「やっぱり、彼女(メディア)を連れてくるべきだったんじゃない?」

 「そうだね。」

 

 墜落して石の階段の上で伸びている金髪を見下ろしてエルキドゥが言う。例の令呪奪っちゃえ作戦はどうかと思うけど、イアソンがいると知ってたら呼んでいた。

 イアソンは、メディアが苦手だ。自分がやらかした負い目もあるだろうが、それ以上にメディアが怖いから。

 おそらく、メディアに杖向けられて「服従、するわよね?」とでも言えば一瞬で従いそうだ。

 びくり、とイアソン肩が揺れる。立ち上がろう、というより逃げようとするイアソン。そこをすかさずランスロットが背中を足で踏みつけて再び地面に逆戻りさせた。えげつない。

 

 「と言うか、ここで呼んじゃいましょうよ。

 龍脈も近いんすよね?」

 「うーん、召喚サークルの設置もだけどこんな中途半端な場所で召喚はできないかな。

 まあ、僕ほどの魔術師なら召喚することもできるのだけどね!」

 「マーリンに呼ばれるメディアってカルデアのメディアじゃないじゃん。あ、召喚サークル出来上がってるんだっけ。」

 「一度、家に帰って呼んでからきます?」

 「やめろ、それだけはやめろ!」

 

 私たちが好き勝手に言い散らかすのに我慢ができなかったのか、イアソンが声を張り上げて抗議した。

 バタバタと腕を振るが、縄(ロビンが提供した)でぐるぐる巻きのうえにランスロットに背中を踏みつけられているので全く動けていない。哀れだ。

 オケアノスの因縁は時間神殿の時の活躍でチャラとなっている今、ただの可哀想なイケメンでしかなかった。タレ目のせいでどんなに眉を釣り上げようと全然怖くない怒り顔も一つの要因かもしれない。

 ぎゃあぎゃあとイアソンは叫び続ける。

 

 「ただでさえ恐ろしいんだ、“成長した方まで増える”だなんて考えたくもない!」

 「え?」

 

 今、イアソンはなんと言った? 

 『成長した方まで増える?』

 それを信じるのならば、つまり、ここにすでにメディアがいるのか?

 

 「(ちょっと待って。)」

 

 もしここにメディアがいるとしたらクラスはキャスターに違いない。成長した方といったから、この場にいるメディアはリリィなのだろう。

 でも、そんなのありえるのだろうか?リリィは普通の召喚では呼べないはず。でもこの場にいる?

 イアソンのマスターはキャスターのマスターと同盟を組んでるのか?

 だが、キャスターのマスターは時計塔の人だったはず。時計塔の魔術師が日本のお寺に居候?そんなことあるだろうか?そもそも、同盟なんて組むかな。いや、これはただの偏見だけど。

 

 「…ううん、違う。」

 

 多分、前提から違う。考え方を変えるべきだ。

 オケアノス、アルゴー号。あの船で、メディアリリィはイアソンと共にいた。メディアは、あの第三特異点( オケアノス)の場合に限ってアルゴー号の船員であり、つまりアルゴナウタイの一員だった。

 『メディアリリィとイアソンがこの場にいる』=『キャスターのマスターとライダーのマスターが同盟を組んでともいる』んじゃなくて、そもそも、『イアソンがいるからメディアがいる』と仮定しよう。だいたい、いくらマスター同士が同盟を組んだとしても、よりにもよってメディアとイアソンが協力し合うわけないじゃないか。よほどのことがない限り。

 ならば、逆説的に余程のことが起きていると言うことが証明された。

 というか、キャスター枠はキャスニキで埋まっているのだから、いくらメディアでもキャスター枠で参加できないのだ。

 この聖杯戦争は始まりから狂っている。ならば、イレギュラーは(カルデア)の存在だけではないと考えてもおかしくない。

 オケアノスには特例とも思われるサーヴァントがいた。ライダー、アン・ボニー&メアリー・リード。

 彼女たちは二人で一騎のサーヴァントだった。ならば…

 

 「イアソン。もしかしてあなたは、メディアリリィと二人で一騎のサーヴァントとして召喚されたの?」

 

 イアソンが大げさに驚く。これは、正解なのかもしれない。

 最初から気づくべきだった。陣地作成により作られた結界にもかかわらず、出てきたサーヴァントはイアソン(ライダー)

 イアソンは私をカルデアのマスターだと知っていた。イアソンとメディアが二人してライダーと登録されるのには不完全だ。なぜなら、本来ならばメディアはアルゴナウタイの一員として数えることはできないから。しかし、第三特異点にかぎり、それは可能になる。

 そして何より、イアソンは私を知っていた。特異点(オケアノス)の記録を持っていた。

 どう言う理屈かは知らないけれど、特異点で核となったサーヴァントはその特異点での記録を持っている存在もいるにはいる。ジャンヌ・オルタなんかがまさにそれだ。

 だがまあ、今はそれは置いておこう。大事なのはメディアリリィとイアソンが二人で一つのサーヴァントであると言うこと。

 ぶっちゃけると、神話からイアソンを引っ張ってくるのならメディアはセットになることはないだろう。メディアはアルゴナウタイの50人に入らない。

 だが、それが特異点オケアノスという点から見ると別になる。

 イアソンとメディアリリィは共にアルゴー号に同乗し、私たちカルデアと敵対した。

 いわば、物語の核のようなもの。消えるはずの特異点の英霊。特異点こそを全盛期と定めるのなら、このようなイレギュラーもあり得るのかもしれない。

 いや、やっぱり無理があるだろうか?生前ではなく、死後なし得たことを元にサーヴァントになるというのはやはり矛盾がある。それに、メディアの陣地作成はAランクで間違いないがリリィの方はBランクだったはず。(まあ、先ほども言ったように召喚された魔術師によってスキルのレベルの上下が起きるのは不思議なことではないのだが。)

 だが、その矛盾もこの聖杯戦争の異常の一つなのかもしれない。

 

 「この推測、間違ってるかな? 」

 『うーん。可能性として、全くないとは言えないかな。』

 

 ダヴィンチちゃんがにこやかに言う。

 まあ、私のような魔術師もどきの結論が間違っててもなんら不思議でもない。「なくはない。」という結論まで導き出せたのだからまだましだ。

 

 「イアソン、今の私の推察、どう?」

 「……ふん、間違いだらけだね。」

 「正解だってよ、マスター。」

 「そうだね。」

 

 イアソンの反応で確信した私は、彼の前にしゃがみ込んだ。イアソンは心底恨めしそうな顔で私を睨む。……うーん、慎二に似てる。

 

 「ねぇ、イアソン。

 私が、カルデアがあなたたちと仮契約をして、魔力バックアップをすると言ったら。

 貴方達は私たちに協力してくれる?」

 

 イアソンが目を見開く。

 

 「話ぐらいなら聞いてやってもいい。」

 

 それは、事実上の肯定だった。

 

 

 

 

 ***

 

 

 「こんにちはカルデアのマスターさん。

 お久しぶり、の方が正しいかしら?」

 

 メディアリリィがにっこりと笑う。キラキラとした少女の笑顔はあまりにも可憐で、その裏に隠された側面のギャップを思い出す。

 

 「魔神柱……ハーゲンティ……無限パンケーキ……う、頭が……! 」

 『先輩! しっかりしてください、せんぱーい! 』

 「嫌な、事件だったね。」

 

 かわいそうな魔神柱ランキングでもトップ3に入るパンケーキ魔神柱は置いておいて。

 

 「突然だけどメディア……メディアリリィって呼んだほうがいい?」

 「私はどちらでもいいですが、年増(としま)の私が可哀想なのでリリィでお願いします。」

 

 にっこり笑顔で残酷なことを言うメディアリリィにカルデアにいるメディアが発狂しそうだなぁ、なんて思いつつ「わかった、よろしくリリィ。」と右手を差し出した。

 メディアリリィはクエスチョンマークを浮かべて、ハッと閃いた顔で私の右手を白魚の手で握り返した。

 

 「イアソン様から聞きました。魔力供給をカルデアで受け持ってくれるというのは本当ですか? 」

 「うん、本当だよ。もちろん、令呪を寄越せなんて言わない。魔力供給のための仮契約しか結ばない。」

 「なら、私はマスターさんと魔力供給のパスをつなぐだけで、柳洞寺(ここ)を本拠地にしたままでいいんですか?」

 『うーん、本来ならあまりよくないけれど、魔力を送りなれた立香ちゃんなら問題はないだろう。

 もっとも、立香ちゃんに近いほうがいいに越したことはないけれどね。』

 

 メディアリリィは「それは良かったです。」とニコニコ笑う。メディアの笑顔に反比例してイアソンの表情は最悪だ。

 

 「でも、令呪を渡せって言われなくて本当によかった。

 カルデアのマスターさんは優しいですね。」

 「うん?」

 

 どこか不穏な気配を滲ませた言葉に引っ掛かりを覚え、思わず問いかけてしまった。

 

 「だって。」

 

 メディアリリィは妖精のように手を合わせて喜んだ。

 

 「私、前のマスターを殺すために令呪を全部使わせたので、もう残ってないんですもの。」

 

 てん、てん、てん。

 

 何も言えない私をよそに、「聞いてくださいよ! 」とメディアリリィは両手で握り拳を作って怒る。

 イアソンが重いため息を吐き、「俺は何も聞かない。」と両手で耳を覆った。

 

 「だって、本当に酷かったんですもの。

 あの人、あ、前のマスターのことなんですけど、マスターって呼びたくもないのであの人でいいですよね。

 大人の私を召喚したかったみたいなんですけどね?

 キャスターは先に召喚されていたから、私、ライダーとして召喚されちゃったんです。

 だから、魔術師として十全に力を震えない私に勝手に失望するだけにとどまらず!

 魔術師として弱体化している私に、魔術師として劣ることに嫉妬して、意地悪してきたんです。

 それだけなら私も殺そうとまでは思いませんよ。

 でも、あの人、私を誅殺して新しいライダーを呼び出そうとしていたんですもの。

 だったら、殺される前に殺しちゃおうって思って!

 令呪全部使いきらせて、私に対する命令権を破棄させてから殺したんです。

 ほら、いざ殺すぞって時に、自害しろって令呪使われたら(いわれたら)、自害するしかないじゃないですか。」

 

 うふふ、と笑うメディアリリィに本気で恐怖を覚えつつ「うん、そっか。」と一言返した。

 

 『サーヴァント界が誇るサイコパスの称号を持つだけはあるね。』

 『魔神柱パンケーキはまだマシなほうだったんですね。』

 

 ダヴィンチちゃんとマシュの声がやたら遠くから聞こえる。

 下手したら、私もカルデアのメディアリリィに殺されていたのだろうか、と思うと鳥肌が立つ。

 

 「あ、もちろん、カルデアのマスターさんはあの人と比べ物にならないぐらいいいマスターさんですよ!

 それに、そのおかげで宗一郎様に出会えたって考えたら今回の現界も悪くはないかなって。」

 

 うふふ、と幸せそうにメディアリリィは笑った。

 

 「宗一郎様?」

 「私の旦那様です。」

 

 思わず、イアソンを見てしまった。イアソンは三角座りで座っている。キノコを生やす勢いでジメジメした空気を放つ存在を見なかったことにした。

 

 「宗一郎様は行き倒れていた私を助けてくれたんです。魔術回路のない一般人なんですが、とても優しいお方ですよ。」

 「魔術回路がない?」

 『だからメディア・リリィ(きみ)は魂喰いをしたんだね?』

 

 ダヴィンチちゃんの問いにメディアリリィは申し訳なさそうに眉毛を下げた。

 

 「だから、カルデアのマスターさんとの契約は歓迎こそすれ、断る理由はありません。

 私はまだ、宗一郎様とともに居たいのです。」

 

 ほわっと天使の笑顔のメディアリリィに「イアソンは?」などとは聞けない。

 まあ、イアソンはイアソンでメディアを弄んで捨てた前科があるので仕方がないのだろう。

 

 「えっと、イアソンはどうする?」

 「え、イアソン様は門番ですよ?」

 

 イアソンに出した助け船はメディアリリィの無邪気な瞳で沈没。イアソンの泥のような目を直視できず、思わず己の目を片手で覆った。

 

 『おほん。

 では、早速パスをつなぐよ。

 仮契約を行ってくれたまえ。』

 

 ダヴィンチちゃんに促され、私はメディアリリィとイアソンに向き直った。私は令呪の宿る右手を差し出す。

 

 「告げる。

 汝の身は我の下に、我が命運は汝の剣に――― 

 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば――― 

 我に従え!! 

 ならばその命運、汝らが“船”に預けよう!! 」

「ライダーの名に懸け、誓いを受けます。

 ……貴方を我が主として認めましょう、藤丸立香。」

 

 令呪が赤く光る。確かにつながったパスを確かめ、どっと感じる疲労に耐えた。

 

 「確かに、ここに契約は完了しました。

 ありがとうございます、カルデアのマスター。」

 「……ふん、私はこのままでもどうとでもなったんだけどね。

 むしろ、私と言う偉大な英雄と契約を結べたことを誇りに思うがいいさ。」

 

 イアソンの不遜な態度はいっそ清々しい。そして慎二に似てる。

 

 「ところで、私たちの陣営に協力するってことは聖杯にかける望みを諦めるってことだけど、了承してくれる? 」

 「ええ、もちろん。

 私たちとしてもあんな呪われた杯に望みをかけるなんて愚かなことはしません。大元から汚染されているんですもの。

 死を撒き散らす願望機では願いなんてかないっこありませんよ。」

「ちょっと待った。」

 

 メディアリリィの爆弾発言には慣れたつもりだったが、私もまだまだらしい。

 

 「メディアリリィ、もしかして大聖杯の在り処を知ってるの? 」

 「はい、知ってますよ。」

 「私も見たが、あれはない。願いをかける気も失せる。」

 

 イアソンとメディアリリィは訳知り顔で頷いた。

 呪いの杯。今回の特異点の原因と思われるそれ。

 

 「私も、そこに連れてってくれない? 」

 「ええ、もちろん。だって、この下(ここ)ですもの。」

 

 地面を指さしてメディアリリィが微笑んだ。三度目の爆弾発言に、私の意識は遠のいた。

 



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呪われた聖杯

 メディアリリィの言う通り、大聖杯は柳洞寺の敷地内の洞窟の中にあった。鍾乳洞の洞窟の中はひんやりと冷たく、しかし、清浄であるはずの空気はどこか淀んでいた。

 

 「ここです。」

 

 洞窟の最深部はぽっかりと広い空間で、その中央に大聖杯はあった。

 大聖杯は巨大な彫刻のようだった。

 見慣れた黄金の杯ではなく、黒い球の浮いた王冠のような形。吹き出る赤黒いオーラが禍々しい。

 

 『これが、大聖杯……!? 』

 

 通信機の向こうで、ダヴィンチちゃんが息を飲んだ。

 

 『そんな。』

 『こんな、こんなの、嘘だろう……?

 これが、こんなものが聖杯であるはずがない……!! 』

 

 ホログラムの向こうの職員さんたちの、悲鳴にも近い否定の声。

 

 『……呪われた聖杯、と言うべきだろうか。』

 

 落ち着いたテノール。通信機越しに煙管を咥えた名探偵と目があった。

 彼らが見ているものは私と同じもの。真っ黒な泥をなみなみと溜め込まれた大杯。

 恐怖と拒絶。否定と畏怖。

 これは、存在してはいけないものだーーー。

 本能が警告している。

 

 『大聖杯に浮いているように見える黒い球体は、話に聞く第七特異点のケイオスタイドと似て非なる物質だろう。

 聖杯の泥、と言うべきか。』

 「これ、人類悪関連なのかな……? 」

 

 ホームズは答えない。ダヴィンチちゃんは泥を見て『人類悪、なのだろうか……』と言い淀んだ。

 

 「あの聖杯に近づいてはいけませんよ。

 サーヴァントが泥に触れれば、たちまちのうちに霊基が汚染されて反転してしまいますから。」

 『霊基の反転……オルタナティブ、サーヴァントの黒化のことか!

 つまり、特異点Fが起こる前の時空ということか? 』

 『では、特異点Fの大災害は、この大聖杯から泥が溢れた結果ということですか?』

 

 マシュの声が、まるで隣にいるかのように近くで聞こえる。

 特異点Fに関連するとはわかっていた。レイシフト中に誘拐されたとダヴィンチちゃんが語った理由だけがわからない。

 

 『その可能性が高い。何より、あの場所に我々は見覚えがあるはずだ。

 そう、反転した騎士王が守っていた地。聖杯のありか。』

 「……そして所長が、オルガマリー所長が消滅した場所。」

 

 ああ、そうか。燃えていないからわからなかった。ここは、第五次聖杯戦争が行われた時空。

 

 「……ねえ、ダヴィンチちゃん。」

 『立香ちゃん、その時空が特異点Fにならなくても、所長の死は変わらないよ。』

 

 わかっているけれど、どうしても思ってしまったことを的確に指摘されて、私は「わかってるんだけどね。」と言葉を漏らす。

 人理焼却を覆しても、犠牲になった人が帰ってくることはない。わかっているのだ、そんなことは。

 それでも一瞬、思ってしまうのは私が人間だからだろう。

 両手の拳を握った。

 

 『立香ちゃん、大聖杯をみて改めて確信した。

 聖杯の中にある悪意を外に出していいわけがない。泥は世界を焼き滅ぼし、反転した願いは死をもって願いを叶えるだろう。魔神柱案件なのかどうかはわからない。

 だが、やるべきことはただ一つ。我々の使命は以前から変わらない。』

「聖杯戦争を中止させる。

 サーヴァントは脱落させない。」

 

 私は真っ黒な聖杯を睨みつけて、宣言するように声を張り上げた。

 

 「そして、大聖杯を破壊する!」

 『うん、そうだ。

 立香ちゃんのいう通り。カルデアは君を全力でバックアップするよ。』

 

 ダヴィンチちゃんが力強く頷く。

 

 『大聖杯の泥の解析結果、出ました!』と女性(多分シルビアさん)の声が私たちを奮い立たせる。

 

 『ご苦労。……ダ・ヴィンチに変わり僕が説明しよう。』

 

 解析結果を手にしたホームズのホログラムが現れた。彼は唐突に『結論から言わせてもらう。』と話し出した。

 

『大聖杯の破壊だが、やり方はかなり限定される。

 魔術的な観点から説明してもミス フジマルには理解できないだろうから、簡略に話そう。』

 「一言余計だけどありがとう。」

 

 ホームズが宝具を発動するときのように両手を合わせて言った。

 

 『まず一つ目に、今大聖杯を破壊することはできない。

 聖杯の端末……仮に、小聖杯としよう、それが大聖杯の中にある汚染の原因であるなんらかの存在と接続しているため、大聖杯を破壊しても本当の意味で災厄の回避にはならない。

 恐らく、小聖杯は聖杯を作ったアインツベルン家が所持しているはずだ。

 天の衣(アイリスフィール)のようなホムンクルスの可能性が高い。

 マスターの記録を見させてもらったが、恐らくはバーサーカーのマスターであるイリヤスフィール・フォン・アインツベルンが小聖杯だろう。

 大聖杯の破壊には、まず彼女の小聖杯としての機能を停止させてから行わなくては意味がない。

 二つ目に、宝具による破壊は現状不可能だ。

 マスターがわかりやすいようにいうと、宝具封印状態の永続付加がかかっていると思ってくれて構わない。

 おそらくこれは大聖杯に本来備わっている防御機構だろう。

 解除にはやはりアインツベルンの魔術師に解除してもらう必要性がある。』

 「つまり、どっちみちバーサーカーのマスターを味方にしないとダメってことか。」

 

 はぁー、とため息をついた。今回、一番話を聞いてはくれなさそうなマスターが大聖杯破壊のためのキーパーソンである。

 

 「遠坂と間桐じゃだめなのかい? 」

 『遠坂は土地の提供、間桐は英霊召喚システムの構築。聖杯の防御機構は門外漢だろうね。』

 「なら、カルデアの天の衣(アイリスフィール)なら? 」

 

 思いつきを声に出すが、ホログラムの向こうのアイリ本人が『力になれなくてごめんなさい、マスター。』と申し訳なさそうに眉を下げた。

 

 『私のいた世界とその世界のアインツベルン家の魔術形態が全く同じとは言い切れないわ。

 下手に大聖杯をいじっても成功するリスクが低い。失敗したときどうなるのか、想像ができないの』

 「なるほど・・・、ありがとうアイリさん」

 

 魔術というものはなかなか厄介だ。だけどそれだと、やっぱりこの世界のアインツベルン家の協力が必須条件か。

 

 「しっかし、よりによってあのヘラクレスのマスターか。」

 

 ロビンのため息混じりな声に私は同意する。

 

 「せめて、エミヤかアルトリアだったらまだ会話の余地があったのにね。」

 「それなら、僕が彼と戦おうか? 彼ほどの神性なら対神兵装()の強度も相当高まるだろうし、身動きが取れない程度には拘束できると思うけど。」

 「悪くないけど、それだと相手を刺激して、余計に話を聞いてもらえないんじゃないかな? 」

 「一度勝敗をつけた方がいい時もあるぜ、マスター。」

 

 うーん、と唸りながら打開策を考えるも、いい案が出ない。

 ふと、イアソンが視界に入った。メディアから顔だけ男と評されるように、女神にも愛されたとにかく美しい顔はしかめっ面で歪んでいる。

 

 「今、なんといった?

 私には敵のバーサーカーがヘラクレスだと聞こえたんだが、気のせいかな?」

 

 イアソンがわざとらしく片手をあげた。ああ、そういえば彼らと情報共有がまだだった。

 

 「うん、それであってるよ。

 今回のバーサーカーはヘラクレス。マスターはイリヤスフィール・アインツベルン。

 今回の聖杯戦争の中でも最強最悪の組み合わせ(主従)だとおもう。」

 

 ちなみに、キャスターはクー・フーリンで、セイバーはアーサー王。アーチャーは抑止の守護者だよ。と付け加えた。

 メディアは「クー・フーリンがキャスターだったんですね。」と頷き、「でも私の方が強いです。」と無邪気にすごいことを言う。

 一方、イアソンはふぅーと大きな息を吐いて、きらめく笑顔で一言。

 

 「うん、無理だ。諦めよう。勝てるわけない。」

 

 美形の自信満々な表情は変な説得力がある。でも、イアソンの笑顔は「なに言ってんだこいつ」としか思えなかった。

 

 「ちょっと、イアソン」

「だってヘラクレスだぞ。不死身の大英雄だ!

 英雄(オレ)達の誰もが憧れ、挑み、一撃で返り討ちにされ続けた頂点なんだぞ!?

 勝てるわけないじゃないか!! 」

 「勝つんじゃなくて和解でいいんだけど。」

 「同盟より難しいって理解してるか??

 聖杯戦争を諦めろって言ってるんだぞ! 」

 「そうなんだよなぁ。」

 

 うーん、と再び唸った立香は、「とりあえず、提案なんだけど。」と言ってみる。

 

 「なんだ? 言っておくがオレはヘラクレスとの戦いに協力なんてしないぞ。」

 「いや、そうじゃなくて。

 一回、ここから出ない? 」

 

 どうも、ここは落ち着かない。禍々しい空気(オーラ)は、ビリビリとした圧力さえ感じた。

 

 『ああ、その場に留まっていても仕方がない。一度洞窟を出よう。』

 

 大聖杯に背を向け、来た道を巻き返す。

 足取りは重い。

 まだ、洞窟に入ってそれほど時間は経っていないのに何時間も経っているような感覚。

 時間感覚がはっきりせず、おぼつかない。

 眩しい太陽が真上にあり、暗い場所から出てきたばかりの私たちを容赦なく照りつける。

 

 「明るいね。」

 「ええ、もう少し時間が経っているものかと思いました。」

 

 清姫が太陽の位置を見てまぁ、と驚く。

 

 「(あー、でももう10時か。慎二、今日何時に帰るって言ってたかな。)」

 

 まあでも、 慎二は朝のこともあるし、帰宅は遅くなるだろうとあたりをつける。

 それでもそろそろ帰宅しないと時間がやばい。夕食の下準備を始めないと、夕飯がカップ麺になってしまう。私と清姫はこの後バイトがあるのだ。

 慎二が帰って来た時に夕食ができてないと慎二の機嫌は最悪なことになるだろう。

 

 「じゃあ、私たちは帰るね。」

 「では、私も後ほどマスターさんの拠点にお伺いしますね。今後の話もしたいですから。 」

 

 メディアが朗らかな笑顔で名乗り上げた。

 

「え、でも、いいの?

 ライダー陣営の拠点ここだし、なるべく離れない方がいいんじゃない?」

 「確かにそうですが、そのためにイアソン様が門番してくださっておりますので安心してください。」

 

 ニッコリとメディアが笑う。有無を言わせない黒いオーラがうかがえる笑顔だ。

 当のイアソンは心底嫌そうな顔だがメディアに文句を言えないらしい。

 

 「それじゃあ、私12時からバイトあるから、また後でね。19時ぐらいに来てくれる?

 夜ご飯ご馳走するよ。」

 「うふふ、楽しみです! 」

 

 花のように笑うメディアは本当に可愛かった。

 さて、私はというと屈伸運動と簡単なストレッチを始める。

 

 「ちょっと、時間がやばいからね。走るよ。」

 「じゃあ、僕らは霊体化するよ。」

 

 うん、よろしくと頷いて己の足に(しょぼいしないよりかはマシな程度のものだけど)強化魔術をかける。

 最短ルートを脳内マップで組み立てて、礼装を着慣れた(走り慣れた)カルデアの制服に変える。

 

 「……っよし! 」

 

 私の健脚がコンクリートを蹴り上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 極彩色の少女が洞窟を去った後。

 泥が、たぷんと揺らめいた。

 少女の決意を嘲笑うように。

 泥が意志を持つように跳ねた。

 一雫の泥が、大地に落ちる。

 泥は形を取り始める。

 少女の記憶に忠実に。

 少女の絶望に忠実に。

 悪意を持って形をとる。

 悪意を持って脈動する。

 そして悪意は芽吹いた。

 醜悪な形をとって、生まれた。

 ――――――母の胎から、産み落とされた。



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2

 自宅について簡単にシャワーを浴びてから、下準備と昼食を同時に行った私は、清姫とともにバイト先のカフェに到着した。時刻は11時50分。よく間に合ったものだ。

 

 「こんにちはー。」

 「こんにちは、藤丸さん。今日もよろしくね。」

 「はい、頑張ります! 」

 「よろしくお願いします。」

 

 ちなみに、清姫は藤丸清姫(ふじまるきよひめ)いう偽名を使っている。本人たっての希望だ。

 マスターの初老の男性はシルバーカトラリーを磨いている。サイフォンでドリップされた香ばしいコーヒーの香りが店に充満していて、心地がいい空間ができていた。

 それなりに人の多い店内。バイト着に着替えたカフェエプロンスタイルの清姫は看板娘としてレジ打ちを任せる。

 私は裏でお食事(フード)のサンドイッチの材料を準備していた。店長はコーヒーカップを温めていた。

 カラン、カランとドアベルが鳴る。常連さんがレジからこちらを覗き込んだ。

 

 「やあ、藤丸さん。今日の気まぐれサンドは何かな?」

 「サーモンのハニーマスタード照り焼きのサンドイッチです。サラダセットのモッツァレラトマトと一緒にいかがでしょうか?」

 「お、それはいいね。よろしく頼むよ。」

 

 サーモンの照り焼きを作りながら「注文はレジでお願いします。」と接客スマイルを浮かべる。

 ランチタイムは常連客の多くが店長の気まぐれサンドイッチを注文する。本日のサンドイッチはサーモンサンド。カリカリのフランスパンと照り焼きサーモン、そしてレタスにからまる甘辛いハニーマスタードソースがたまらない一品。自宅でも簡単に作れるのにとっても美味しい。

 エミヤですら美味しさのあまり唸り声をあげ、キャットがお魚くわえたどら猫ならぬお魚調理した良妻ネコとして食堂を占領し、カルデアにいるフィンが「さーもんありなん! 」とドヤ顔で食べる姿が目に浮かぶ。

 濃い味付けなのであっさり塩味のモッツァレラトマトと一緒にお客さんに勧めると飛ぶように売れた。

 

 「あすかの行きつけってここ? 」

 「そう、カフェオレが美味しいの。」

 

 混雑の波が引いて、少し落ち着いた店内に、スーツの女性が二人入店してきた。新都のキャリアウーマンだろう。

 清姫に案内されて座席に座ると、二人揃ってレジに来た。

 

 「いらっしゃいませ! 」

 

 たしか、あすかとよばれた女性が慣れたようにピースサインをむける。

 

 「カフェオレ二つお願いします。」

 「セットメニューに当店おすすめのサンドイッチはいかがですか?本日はサーモンサンドです。」

 「じゃあ、それも。ゆみはどうする? 」

 「私も食べるー」

 「じゃあ、二つ。」

 「ありがとうございます。1600円でございます。」

 

 レジを済ませてサンドイッチを作る。女性二人は「美味しい。」と言いながら楽しそうに食べていた。二人が出て行くとしばらく来客は来なかった。

 気づけば窓の向こうは赤色の世界で、5時を告げるチャイムが鳴っていた。地元でも聴き慣れた七つの子が厳かに響く。

 

 「立香様。外にこんなものが。」

 

 店先の掃除を任されていた清姫が両手で何かを差し出した。ピンクの宝石(ピンクダイヤだろうか?)が上品に飾られた、ハートモチーフのシルバーネックレスだ。いや、もしかしたらプラチナだろうか。

 

 「落し物かな。

 金庫に入れてくるよ。」

 

 ちょうど、レジの清算を終えたところだ。私は現金と一緒に金庫に入れた。

 バックヤードから戻ってきたちょうどその時、少し前に来店したOLのうち一人(たしか、ゆみと呼ばれていた人。)が慌てた様子で店内に入ってきた。

 

 「あの、忘れ物届いてませんか? ネックレスなんですけど。」

 

 ハートのモチーフで、ピンクの宝石が付いていて、と身振り手振りで語る女性に「少々お待ちください。」と断ってから、先ほど清姫に渡されたネックレスを金庫から取り出した。

 

 「こちらでよろしいですか? 」

 「これです! よかったぁ。」

 

 間延びした声は安堵が漏れ、心底安心したという表情でもって、女性が感謝をつげた。

 

 「カフェラテ注文してもいいですか? 」

 

 Lサイズのアイスカフェラテを注文した女性(ゆみさん)はテーブル席でノートパソコンを立ち上げ、書類を見ながら何かを打ち込んでいる。

 

 「お待たせしました、アイスカフェラテです。」

 

 カフェラテは書類やノートパソコンから遠い場所に置いた。

 気づいたゆみさんは「ありがとうございます。」と笑う。

 

 「いえ、お仕事ですか? 」

 「はい、本当なら会社で済ませる予定だったんだけど、ちょっと事情があって。」

 

 ゆみさんは誰かに愚痴りたいと言うかのように、言葉の堰を切った。

 

 「私の職場、あ、新都なんですけど。なんか事件があったみたいで。

 通り魔殺人とかなんとか。

 ほら、新都って人多いでしょ、まだ捕まってないみたいなんです。

 流石に1、2件なら会社もそのまま仕事させてたでしょうけど、被害者が2桁いったとかで。

 警察の指導で今日、社員全員残業禁止ですよ。それなのに書類の提出期限変わらないんだから、困っちゃいますよ。」

 

 こんなのサビ残ですよ、サビ残。と嘆くゆみさんに「大変ですね。」と相槌を打つ。

 気づけば、店内の電子時計は17:55分を示していた。

 私たちの他のバイト仲間(四時から出勤)が私のもとにやってきて、「ねぇ。」と軽く声をかけた。

 

 「藤丸さんたち、今日はもう上がりでいいって。」

 「ほんとですか? ありがとうございます。」

 「では、お先に失礼しますね。」

 

 ついでにと、サービスで店長にもらった貰ったカフェオレ片手に裏側に引っ込こむ。(ブレンドコーヒーのロスが近いからとくれた。)

 うん、美味しい。店長の美味しいコーヒーの味は是非とも習得したい。

 コーヒー好きの童話作家や私の共犯者に飲ませてあげたい。私は紅茶も好きだけどコーヒーもすきだ。

 タイムカードを切って、制服から私服に着替える。

 

 「本当に、たいむかぁどというのは面白いカラクリですわね。」

 

 清姫は勤務時間が印刷されたカードをまじまじとみて、「墨はどうなっているのでしょう?」と呟く。

 

 「帰ろっか。」

 「はい、ますたぁ。」

 

 甘ったるい声と笑顔が、私に向けられる。金色の瞳がとろとろ溶ける。まるでべっこう飴のようだ。

 

 「お疲れ様です。」

 「お疲れ、明日もよろしくね。」

 

 店長が笑顔で私達を送り出す。ぺこりと頭を下げて外に出た。

 カラン。

 ドアベルが軽い音を立てる。街灯の明かりで出来た影が、歩くたびに伸びては縮む。

 影には清姫の角がしっかりと写っている。影は真の姿を写すという。鬼や悪魔の伝承でよく語られるように。

 

 「明日の朝ごはんはどうしよっか。」

 「そうですね、何か簡単なものを作りますわ……!! 」

 「わーい、きよちゃんのごはんおいしいんだよねぇ〜。」

 

 ふと、気づく。私たちの後ろから大きな影が伸びていることに。

 

 「やっちゃって、バーサーカー。」

 

 そのシルエットの正体に気づく前に、清姫は私を抱えて一軒家の屋根に飛び移った。

 先ほどまで立っていたあたりのコンクリートは陥没しており、砕けたコンクリートが塀をえぐる。

 

 「ちぇ、避けられちゃった。残念。」

 「ますたぁ、“あれ”は……。」

 「うん。まさか、こんなに早く会えるなんてね。」

 

 白い髪。赤い瞳。ロシア帽をかぶった小柄な美少女。

 

 「こんばんわ、偽ルーラーさん。」

 「イリヤスフィール・フォン・アインツベルン! 」

 

 アインツベルンの小聖杯だと推測されるホムンクルスの少女。

 ヘラクレスの肩に乗って優雅に微笑んだイリヤは、しかして獰猛な獣のように瞳を妖しく輝かせた。

 

 「じゃあ、死んで! 」

 「させません! 」

 

 ヘラクレスの斧が振りかぶられる。清姫の瞳孔が縦長に変幻し、しゅるりと長い舌が口からはみ出る。

 

 「清姫、まって! 」

 「シャアアアア!!」

 

 ごうっ!と清姫が炎を吐く。炎はヘラクレスを包み、轟々と燃え上がった。炎の渦は物理的に切り裂かれ、鎮火する。

 

 「ふぅーん、やっぱり。そうなんだぁ。」

 

 イリヤが楽しそうに笑う。嗜虐的にも感じられるその顔には愉悦が浮かぶ。

 

 「あはは、あなたがルーラー!?

 そんなわけない! ルール違反を取り締まるルーラーがサーヴァント召喚してるなんて!

 あなたはルーラーなんかじゃない!

 ほぉら、聖杯が呪われているなんて狂言よ! 

 私は汚れた杯なんかじゃない! 」

 

 高らかに笑うイリヤ。叫びは狂気的に歪んでいた。

 ……しかし、この状況はまずい。私がルーラーと言い張るのは最初から無理があると思うが、こんなにも早くネタバレするとは。

 ルール違反だと糾弾され、私の言葉が届かなく鳴るのは困る。なんのためのサーヴァント偽装かわからないではないか。

 ならば、いっそ、開き直ってしまおうか。

 

 「……私は、ルール違反をしていないよ。」

 「この期に及んでまだいうの?

 そこにいる、二騎目のバーサーカーがいい証拠よ! 」

 「うん、そうだね。でも違反じゃないよ。」

 「ふん、この状況で何を言っても無駄よ。」

 

 イリヤは私をまるで親の仇のように憎んでいるような印象を受ける。憎しみという分厚いフィルターがある限り、私の言葉は通じない。

 

 「ますたぁは嘘は言っておりません。」

 

 嘘は嫌いです。と清姫がうっそりと笑う。

 

 「……じゃあ、なによ。あんたはサーヴァントを使役するサーヴァントとでも言いたいわけ?」

 「事実、私はますたぁのサーヴァント。それ以上にはなれるかもしれませんがそれ以下ではありませんわ。」

 

 気づけば日はすっかり落ちていて、人よけの結界をイリヤが張ったのだろう。これだけ騒いでも誰一人現れない。

 

 「そんな英霊、聞いたことない。」

 

 イリヤの表情は以前硬く、怒りすら感じさせる。

 

 「イリヤ……ううん、アインツベルンさん。

 私のいうことをあなたが信じるのは難しいかもしれない。

 でも、今から言うことは確かに真実なの。

 大聖杯は何者かの悪意に汚染されていて、願いを殺戮を持って叶える願望器とは言えない何かに成り果てている。

 ……本当は、あなたも何か知ってるんじゃない? 」

 

 礼装もない無防備な姿。唯一あるのは通信端末だけど、礼装を着てない私は概念礼装すら発動できない。やれるとしたらF.Cフィールドだけだ。

 俯いているイリヤの表情は影になって読み取れない。肩を震わせたイリヤは顔をあげて、眦のつり上がった真っ赤に染まる顔で叫ぶ。悲鳴のような激しい怒りは物理的に私たちを襲う。

 

 「……知らない。知らない、知らない、知らない!! 

 聖杯の汚染なんて知らない! あるわけない!

 こいつを殺して、バーサーカー!! 」

 「清姫! 」

 「ええ……! 」

 

 火竜に転身した清姫が私を掴んで空をとぶ。

 

 「『ますたぁ。私の転身は長く持ちません。

 あくまでこれは時間稼ぎ。

 優秀な魔術師である彼女に強化された彼に対抗できるのはエルキドゥさんだけです。』」

 

 ヘラクレスは地面を蹴って空にいる私たちに襲いかかった。とっさに展開したフィールドが全部持っていかれ、激減してもなお吹き荒れる威力の高い攻撃とその余波に吹き飛んだ。

 

 「清姫!」

 「『大丈夫です、まだやれます! 』」

 

 脇腹に大きな傷ができた。血がじわじわと清姫である青緑の竜の鱗を赤に染める。

 もう、やるしかない。

 

 「令呪をもって命じる……。」

 

 出し惜しみはできない。やる。やるしかない!!

 

 「こい、エルキドゥ! 」

 

 びゅお、と強い風が吹き目を閉じた。じゃら、と聞き慣れた金属音とばだばだと風に煽られる貫頭衣がたなびく音が間近で聞こえた。

 

 「大丈夫かい、マスター。」

 

 やんわりと微笑んだ彼/彼女は闇の中で神聖な輝きを纏って立っていた。

 

 「……エルキドゥですって?」

 

 ピリ、とした緊張が走る。エルキドゥを見た彼女は「あり得ないわ。」と小さく零した。

 

 「エルキドゥが宝具ならまだしも、サーヴァントとして実在するなんて!」

 

 信じられない! とイリヤは叫ぶ。

 

 「やっぱり、絶対おかしいわ、貴女。

 存在しない二騎目のバーサーカー。空き枠のランサークラスが神が作りし泥人形のエルキドゥ。

 ステータスが軒並み見えないあなた(サーヴァント)は令呪をもっていて、バーサーカーとランサーのマスターだなんて変よ。

 やっぱり、あなたはルール違反(ズル)しているんだ!」

 

 イリヤがピシリとヘラクレスの肩の上から私を指差す。私はなんとも言えない表情で言葉を飲み込む。

 

 「もういいわ! 

 バーサーカー、全部まとめて倒しちゃって!」

 「■■■■■ーーーー!!!」

 

 ヘラクレスの雄叫びで空気が震える。イリヤの魔術に強化されたヘラクレスがまっすぐこちらに向かって来る。

 

 「いいね、性能を競い合うんだね?」

 

 エルキドゥはにっこりとわらって「いいとも!」と言葉を紡ぐ。

 

 「エルキドゥ、ヘラクレスの足を鎖で繋いで! 」

 「そうだね、的確に行こう。」

 

 エルキドゥが地面に手をつく。コンクリートが変容し、黄金の鎖がヘラクレスの足に絡まる。ヘラクレスが足を取られることを狙った攻撃だが、ヘラクレスは倒れなかった。それはきっと、その肩にイリヤが乗っていたからではないか。

 ヘラクレスとイリヤは悪い関係ではない。むしろ、良好な関係だ。もしかすると、今回の聖杯戦争で一番の主従であるかもしれない。

 が、動きを止めたことに変わりはない。私は思考するよりも前に「全身拘束!」と指令を出した。

 

 「■■■■■■ーー!! 」

 「ふっ!」

 

 エルキドゥの神性封じの鎖がヘラクレスを締め上げる。金の鎖で雁字搦めになったヘラクレスは最後の抵抗というようにイリヤを投げ飛ばし鎖から逃がした。

 

 「バーサーカー!!」

 

 魔術で綿毛のように着地したイリヤが悲痛に叫ぶ。だがヘラクレスの拘束は外れるどころかより強くなる。 エルキドゥの鎖は神性が高ければ高いほど強力になるから。

 

 「ありがとう、エルキドゥ。」

 「どういたしまして、マスター。」

 

 にっこりと笑う。そして私たちはイリヤに向き直った。おびえたイリヤが後退る。

 

 「手荒な真似をしてごめん。

 でも、あなたと話すにはこうするしかなかった。」

 「私をどうするつもり!」

 「話をするだけだよ。手荒なことはしないし真実を話すと誓う。

 信用できないなら、いまここでセルフギアススクロールを書いてもいい。」

 

 端末からセルフギアスロールを取り出す。そこまでしてようやくイリヤは落ち着きを取り戻し、「前言撤回は許さないわよ。」と私を睨む。

 ぴくり、とエルキドゥが肩を震わせた。

 

 「これは……。」

 

 目を瞑り、気配を感知する。エルキドゥは確信したように頷くと、一言「ごめんね。」と言った。

 

 「ごめん、マスター。僕はもうここにはいられない。」

 「へ?」

 

 肝心の、ヘラクレスを鎖で拘束するエルキドゥがいつもの穏やかだが鋭い刃物のような雰囲気をまとい、どこか遠くを見つめる。

 

 「ちょっと詳しくは言えないけど、ここに僕がいたらちょっとまずいことになる。

 確証が持てたらちゃんと言うよ。だから、今はごめん。

 もうちょっと待ってほしい。」

 

 戦闘放棄と取れる言葉を並べるエルキドゥがいつもの笑顔で言う。エルキドゥに今抜けられるのは正直困る。

 令呪を使ってまで呼んだのに、と思わないわけでもない。でも、私は……。

 

 「エルキドゥを信じるよ。」

 

 エルキドゥがまずいことになるというのなら、きっとそうなる。大丈夫、エルキドゥがいなくても清姫が守ってくれる。

 

 「ありがとう、マスター!」

 

 エルキドゥは一度、拠点に帰るといって霊体化する。霊基が空気に溶ける光景を私は見送った。

 エルキドゥが去ると同時にヘラクレスの拘束も解けた。イリヤは「ヘラクレス!」と駆け寄った。

 そして、疑問とやはり怒りが混ざった複雑な表情で私を見つめていた。

 

 「……ねぇ。」

 

 なにか、言葉を言おうとした。でもそれはカルデアの通信機がけたたましい音を立てたことで途絶えた。

 

 『立香ちゃん、強大な敵性反応がそばにいる!

 これは、魔神柱……? いや、これはもっと別の……!!』

 

 慌てたダヴィンチちゃんが身を乗り出して叫んでいる。

 耳を覆いたくなる、不快音。

 目を閉じてしまいたいほどおぞましい生命。

 泥が跳ねる音。

 

 「まさかーーー!!」

 

 快楽で人を殺す間違った生命。

 変わり果てた人々の悲鳴が、嗚咽が、断末魔が。

 悪夢、悪夢、悪夢、悪夢、悪夢、悪夢悪夢悪夢悪夢悪夢悪夢悪夢悪夢悪夢悪夢悪夢悪夢夢夢夢夢夢夢夢夢!!

 

 「なんで、ラフムがここにいるの!?」

 

 黒い生命体の群集。

 発狂はしない。でも、理解を拒絶したいと願ってしまう残酷な生命体がそこにいた。

 むせるほどの血の香りが満ちる。多い、数が多すぎる。かつての再来のようだ。

 逃げられるだろうか。いや、逃げなくてはいけない。

 

 『(マスター、わたくし達だけなら逃げられます。

 ですが……。)』

 

 清姫が横目でバーサーカーを、その肩にいるイリヤを見る。

 心身喪失したように呆然としているイリヤがそこにはいた。

 

 『(彼女を連れていけば、確実に逃げられるとは言えません。)』

 

 可哀想なほどに怯えていた。唇は真っ青で、顔もアルビノという要素以外の要因で紙のように白くなっている。

 バーサーカーにまともな戦闘指示ができるとは思えない有様だ。いくらヘラクレスが強くても、彼女はきっと逃げられない。

 

 『(でも、私は見捨てることはできない。)』

 『(それでこそわたくしのますたぁですわ。)』

 

 うっとりと、清姫が笑う。

 

 『(清姫には、嫌な役を頼むことになる。)』

 「大丈夫です、わかっておりますわ。」

 

 清姫は笑った。その笑顔は、強がりも混じっていて、だから私は彼女を空気も読まずに真正面から抱きしめて「朝ごはん、楽しみにしてる。」と一言告げた。

 私は清姫に送られ、ヘラクレスの肩に乗り移る。そして、氷のように冷たいイリヤを横抱きにして立ち上がった。

 

 「清姫、2時の方向、一番ラフムが薄い場所を狙って! 」

 「ええ……!」

 

 仄暗い瞳が、ラフムを捉える。わずかとは言え、ラフムの数がすくない一角を目視し、清姫は笑った。

 

 「焼き払え!」

 「全部まとめて灰燼に還してさしあげます!」

 

 豪っ!

 

 燃え盛る滅殺の炎がラフムを焼き殺す。己とイリヤを守るために展開したF.Cフィールドのお陰で熱気に肌を焼かれることはなく、しかし、熱風に煽られて襲ってきた瓦礫の残骸でフィールドの最外層にヒビが入った。

 

 「イリヤ、逃げるよ!」

 

 イリヤを抱えて走り出す。小柄な少女ひとり横抱きしたところで、散々鍛えた健脚は衰えることなどない。彼女を連れて逃げればヘラクレスも付いてくる。オケアノスを連想させる鬼ごっこは、その後ろにいるラフムの脅威よりは恐ろしくなかった。

 清姫は追っ手が来ないようにラフムを燃やし続ける。彼女は私達が逃げきるまで、あの場で独り、ラフムと戦うのだ。

 彼女一人を残して逃げるのは心苦しい。だけど、ここで彼女を信頼しないのは、マスター失格だ。

 私は、私のサーヴァントを信頼してる。

 だから、彼女を信じて逃げるのだ。



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3

 

 「なによ、これ。なんなの、これ! 

 こんな、こんな、こんなものが、存在すると言うの……!?」

 イリヤは背後にいるラフムの集団を見て叫んだ。彼女の目はラフムを見ていない。ラフムを通して、地獄を見ていた。

 「イリヤ、今、私達は私の拠点に向かってる。

 私のこと信用なんかしてないと思うけど、ごめん、今だけ信頼して!」

 暴れるイリヤを強引に抱きとめて、私は走る。せめて、礼装を着ていれば。強力な概念礼装を使用することもできたのに、と後悔する。

 せっかくの新技術も使えなければ意味がない。

 

 ――――概念礼装の自己固定化。それは、サーヴァントではなくマスターである私が概念礼装による強化を図るという試みだ。

 これはグランドオーダー始動中から進められている実験で、ほとんど完成している。マスター礼装に概念礼装を装備するという形で。

 しかし、マスター礼装を着用していない状態で概念礼装の自己固定化はまだ完成していない。

 

 だから、私はイリヤを己の筋力で拘束しながら、速度を落とさずに走った。足をもつれさせるようなミスはできない。足と腕に力を込めすぎないように意識して走る。

 「嘘嘘嘘!

 こんなの全部嘘よ! 聖杯がこれを生み出したの?

 あんなもの、聖杯が、アインツベルンが作るわけないわ!

 なにそれ、なんなのよそれ!

 あんなもの、私知らないもん!」

 子どもの癇癪のようにイリヤは叫び散らす。絶望を叫ぶように、己の身を嘆いている。

 『いや、あれは大聖杯の中に溜まる泥から生み出された生命体だ。

 大聖杯の泥、ケイオスタイドに酷似したあれを使えばラフムぐらい作れるだろう。かつてティアマトとキングゥが行なっていたようにね。 』

 「いや! あんたのいうこと、信じないから!」

 イリヤは絶望したように叫ぶ。

 「だって、そんなの信じちゃったら、私、なんのために生きているのかわからないじゃない!」

 どうしてなの!とイリヤが悲鳴をあげる。

 「なんでキリツグは私を助けにきてくれないのよ! なんで私は今“独り”なの!

 ずっと、ずっとずっとずっっと待ってたのに!」

 いやあああああ!と叫んで、私の胸を何回もグーで殴る。私は文句を言わずに走り続けた。やがて、手を止めて、弱々しく縋りついたイリヤが絶望を言葉にした。

 「信じない、信じたりなんてしない。

 だって、あなたの言う事を信じたら、私は何を恨めばいいのよ!

 聖杯が汚れていたからキリツグはお母様を殺したの!?

 聖杯が願望器じゃないからキリツグは私を捨てたの!?

 だから衛宮士郎(赤の他人)を息子にしたの!?

 私が汚れていたから、キリツグは迎えに来てくれなかったの!? 

 全部私が悪いの!? 私は汚れてるの?

 どうして、どうして! 」

 イリヤの叫びは痛々しくて、嘆きを謳う彼女はシェイクスピアの作る物語のヒロインのように哀れだった。

 「ああ、なんで! キリツグ! ああ、なんで、お父様!

 どうして、どうしてなの!

 お母様、お母様も“あれ”になってしまったの? だからキリツグはお母様を殺したの?

 ねえ、応えてよ、お母様! 

 お爺様、どうしてなの? どういう事なの? これは全部私のせいなの!?

 私が悪いの? 私のせいなの? あれは、あれが、アレが私なの!? 」

 彼女はずっと嘆いていた。叫ばないと自分を保てなかったのだろう。

 リツカはイリヤの心境に共感はできない。そんなものはまやかしだし、訳知り顔で「わかるよ。」なんて言われても「あんたに何がわかるっていうのよ!」と返されるのが目に見えている。わたしだってそうだ。

 (でも、理解しようと、寄り添うことはできる。)

 どんなに絶望的状況でも、心が折れなければ立ち上がれる。虚勢を張って、諦めなければ乗り越えられるのだ。

 暴れるイリヤを力ずくで抱きとめながら、私は全力で走った。

 家の外と内を区切る柵を超える。マーリンの魔術工房に入ったと確信しても警戒を緩めない。

 室内に体を滑り込ませ、鍵をかけた。

  『(清姫!)』

 『(大丈夫です、離脱しました。

 ラフム共もどこかへ帰って行きましたわ。)』

 安心と疲れがどっと襲ってきた。

 「はぁ〜。」

 立香は緊張の糸をほぐした。ずるり、と壁にもたれかかりしゃがみこむ。もちろんイリヤは抱きしめたままである。

 だが立香が安堵しても、イリヤの心境は変わらない。

 リビングの扉を閉めても、少女の嘆きは終わらなかった。

 

 「無事か、マスター!」

 「み、ず!」

 はっはっと犬のような呼吸をしながら手を伸ばす。渡されたマグカップを豪快に煽って、少し息が落ち着いた。

 「エルキドゥの旦那は清姫の救助に行った。マーリンは結界を貼り直しているぜ。

 燕青はマスターの危機に慎二の護衛を放棄してラフムの元に行って、慌ててランスロット卿が慎二の護衛についた。」

 「そっか、よかった。」

 はぁ、と呼吸を整えるために大きく息を吸った。

 「ところでオタク、この嬢ちゃんとバーサーカーはどうするおつもりで?」

 ぴたり、と立香の動きが止まる。

 笑っているとはお世辞にも言えない凍えた瞳が私を貫く。こうするしかなかったのだ、と言い訳を言い募るもより一層瞳は冷え込む。

 「ねぇ、その人、アーチャーよね?

 どうして、サーヴァントがいるの? あのランサーとバーサーカーだけじゃないの? 」

 ようやく、発狂(言い方が失礼だけどこれしか表現ができない。)が収まった少女が怪訝な眼差しで問う。

 前門の虎、後門の狼ならぬ前門のロビン、後門のイリヤとヘラクレス。

 私はなんといっていいのか分からず「あはは〜」と笑った。

 その笑顔は、鏡を見なくても確実に引きつっていた。



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波乱と愉悦

 「やぁ、間桐慎二くん。」

 

 ごく普通の住宅街のT字路で、朝イチで見るには不吉すぎる存在が僕を待ち構えていた。

 薄っぺらい笑みを貼り付けた死んだ目の神父が、僕を引き止める。まるで、待ち伏せしていたかのように(いや、おそらく待ち伏せされていた)現れた筋骨隆々の男に、僕は「うげぇ」と内心舌を出した。

 奴の名前は言峰綺礼。前回の第4次聖杯戦争の生き残りの一人で僕の叔父だとかいう間桐雁夜の知り合いらしい。

 正直に言おう、僕はこの不気味な神父が苦手だ。この男の粘つくような視線が嫌いだ。気持ちが悪くて仕方がない。

 実はこの男、ペド趣味の変態ではないかという疑惑もある。

 

 「…どーも、言峰サン。」

 

 僕らしくない無愛想な態度で、しかしながら普段使いの笑顔の仮面を貼り付けて答える。

 神父はそれでよく聖職者が務まるな、と罵りたいほどに酷い笑顔で僕を観察する。

 いつものことだ。

 

 「先日、間桐の翁から報告があってね。君の妹の間桐桜がサーヴァントを召喚したと。」

 「……。」

 「間桐の代表は彼女ということには驚いた。

 間桐の当主は君だとおもっていたのだが、違ったようだ。」

 

 言峰は邪悪に笑う。

 

 「今回の聖杯戦争のマスターは若いマスターが多いようだ。」

 「ふぅーん、で?」

 

 明らかに挑発されている。

 

 「先日登録に来たセイバーのマスターの少年は、衛宮士郎といったか。」

 

 衛宮が、セイバーのマスター。セイバーのマスターが昨日生まれたことは知っていた。マスターが言っていたからだ。

 だが、それが衛宮とは知らなかった。

 

 「(衛宮と同盟を組むか。)」

 衛宮なら、僕が同盟を申し出れば喜んで受けるだろうさ。だって、あいつは僕の………。

 ……。

 …………。

 うん、まあ、衛宮は僕側につくだろうさ。

 

 「そんなことわざわざ伝えに来てくれたんだ。ご苦労様。」

 

 嘲るように笑ってやる。今回の聖杯戦争、優勝は僕のものだ。

 いや、違った。誰も優勝させないのだったか。まあ、未来の英霊であり文字通り人理の防人であるリツカと、立香の使い魔……というよりも人理継続保障機関カルデアという概念が「誰も勝たせてはいけない。」とあれだけ懇願するのだから、あいつがやりたいようにさせてやるよ。

 僕は慈悲深いマスターなんだ。

 

 「(それに世界が滅びたら、僕も死んじゃうじゃん。)」

 

 優勝を狙えば、たった1日で優勝することだってできる最強のサーヴァントを手に入れた僕よりも、優秀なマスターはいない。その事実がなによりも甘美であり、優越感を感じる。

 

 「(僕のサーヴァントは最強だ。)」

 

 こいつは、考えてもいないだろう。僕をバカにしに来た言峰は、僕が最強のマスターだとおもってすらいないのだろう。

 

 「(マスターの従える6騎のサーヴァントに加えて、マスター自身も強い。

 なんせ、あの遠坂の英霊だって一瞬で真名看破する英霊だしね。)」

「ところで、君はルーラーを知っているかな? 」

 

 すれ違いざまに、そう言われた。耳に入った瞬間に凍りついてしまうような、本能を揺さぶる冷たい声。

 

 「ルーラー? 知らないね。」

 

 振り返らない。振り返ったら飲み込まれる。

 形容できない不定の恐怖が足元からぞわりと這い上がるような。

 いくつもの目に見つめられているような。そんな恐ろしさだった。

 

 「そうか。“君ならば”知っていると思ったよ。」

 

 言峰は何かを確信してる。ガンガンと鳴り響く警報。

 

 「ところで、君はグランドオーダーを知っているかね?」

 

 その何かは、きっとマスターの事だった。

 

■■■

 

 「ふう。」

 

 本当に、なんなんだあいつ。普通に怖い。わけわかんない。

 ぐらぐらと足元が崩れていく感覚を思い出して、寒気に身を震わせる。

 思い出すのは、最後に聞こえた気色悪い猫なで声。

 

 『君さえ良ければ協力しよう。』

 

 協力? あんたに何できるってんだ。やたらと僕の手の甲を覗き込んできた不愉快な視線まで思い出して舌打ちをした。

 

 「(にしても、あの衛宮がマスターねぇ。)」

 

 魔術回路も(認めるのは癪にさわるが)“僕並みにお粗末”な彼がまさかセイバーを召喚するとは思わなかった。というか、あいつ魔力供給大丈夫か?

 知名度の高いセイバーだ。僕のマスターみたいに低コストなわけではないだろう。

 

 「(カルデアからの魔力供給はできると言っていたな。)」

 

 なら、魔力の供給は僕のマスターが代行するといえば、協力を得られるだろう。

 

 「(ま、衛宮が僕の誘いを断るわけがないんだけどね。)」

 

 なぁ、衛宮。僕と組まないかい?

 僕はきっと、お前とならいい関係を築けると思うよ。だってお前、正義の味方とか大好きだろ?

 リツカがやろうとしてるのはまさにそういうことだろう。なんだって世界を救うための戦いだ! 

 

 「そういえば、桜のサーヴァントはなんだろう?」

 

  桜の、虚無の表情を思い出す。

 

 『ごめんなさい、兄さん。』

 

 連鎖的に余計な(いやな)ことまで思い出してしまい、思わず舌打ちをした。

 

 「(今、存在を確認しているのがセイバー、アーチャー、キャスター、バーサーカーの四騎。)」

 

 遠坂がアーチャー。

 衛宮がセイバー。

 今日リツカが交渉しに行くのはキャスターで、あとアインツベルンがバーサーカーだったか。

 僕のマスターがエクストラ枠は分類として四騎士の代行だったはず。

 だから、残るクラスはアサシン、ライダー、ランサー。

 三騎士は出場必須だからランサーは確実にいる。

 最後の一枠はアサシンとライダーのどちらか。

 

 「(……お爺様なら三騎士を狙うだろうな。だがすでに最優のセイバーは衛宮にとられた。

 ランサーはよほどビッグネームでない限り決戦力に欠ける。

 だけど、ランサー最有力のクー・フーリンはキャスターだしな。

 クー・フーリンがランサーではないということは、クー・フーリンを召喚した時にはすでに別のランサーが召喚されていたということか。)」

 

 そして、もしそうだとしたら。

 

 「(おそらく桜のサーヴァントはランサー……。)」

 「あら、早いのね。」

 

 女の声で思考の海から引き上げられた。顔を上げると、そこにいたのは見慣れた顔。

 

 「やあ、遠坂。君こそこんなに早くに学校へ来るなんてね。

 運命を感じないかい?」

 「お生憎様、さっぱり感じないわ。」

 

 昇降口にいた遠坂が蔑みの視線とともに言葉を投げかける。包帯で隠された右手の甲。その下にあるもの連鎖的に思い浮かべてしまった。

 

 「そんなことより。」

 

 キッと僕を睨みつける遠坂。

 

 「あんた、間桐の家を出たんですって?」

 

 今、一番触れられたくないことを切り込まれた。傷口に腕を突っ込むが如く、遠坂は鋭敏に言葉の刃を重ねた。

 

 「桜がサーヴァントを召喚したって聞いたわ。

 あんた、桜になんかしてないでしょうね?」

 

 とっくの昔に絶縁したんじゃないの、お前? と口に出そうになって、止める。

 やめだ。今こんなことを言ったら余計に遠坂を刺激する。

 今日は朝から疲労している。マスターとの意見の食い違いの上に、あの何考えてるかわからない神父と来たものだ。

 残りは穏やかに過ごしたい。

 

 「僕があいつに何をするって?

 教えてくれよ遠坂。」

 「あんた……!」

 

 眦を釣り上げ、美しい顔を嫌悪で染め上げる。

 

 「まあいいわ。今回の戦争、あんたには“関係がない”のだから。

 余計なことだけはしないでね。迷惑だから。」

 「……なに?」

 

 遠坂からしたらなんでもない一言だったのだろう。だがそれは僕を何よりも苛立たせる。

 

 「僕が関係ない?

 いいや、大ありさ。僕だってマスターの一人だからね。」

 「はぁ? あんたが?」

 

 遠坂は鼻で笑った。僕を哀れむようなその表情は、かつての桜を彷彿させて。

 

 「()()()()()のに、口だけは随分大きいのね。」

 

 くすりと、笑いながら遠坂は言う。

 地雷を踏まれた。僕をおとした。貶した。

 「(バカにしやがって……! )」

 

 僕にはちゃんとサーヴァントがいる!

 しっかりと、確かにいる。イレギュラークラスの最強のサーヴァントが!

 マスター、フジマルリツカ。未来から来た人類の救世主。

 僕のサーヴァントに昨晩、手も足も出なかったのはお前だろう!  忘れたのか、遠坂!

 お前のサーヴァントの正体を僕は知っている! アラヤの守護者? どうでもいいね!

 お前のサーヴァントは僕のサーヴァントに一瞬で真名看破された! 

 お前が確信してるアドバンテージは僕にとっては無に等しいんだよ!!

 隠そうとしても無駄無駄無駄! 

 僕はお前のサーヴァントの宝具も! スキルも! 弱点だって全て理解している!

 

 「(マスターは僕のサーヴァントだ!!! 

 僕のサーヴァントは最強なんだ!)」

 

 苛立ちに任せて、叫びそうになる。それを奥歯を噛み締めて耐えた。

 僕は自らの手の内を怒りに任せて晒す程、愚かではない。

 僕は優秀なマスターだ。

 

 『私は、間桐慎二のサーヴァントだよ。』

 

 そうだ、リツカは僕のサーヴァントだ。リツカの力は僕の力だ。

 

 「……ふん。」

 

 いい、どうでもいい。遠坂なんて歯牙にかけるまでもない。

 今日の僕には目的がある。衛宮を僕の陣営に引き入れると言う大切な目的がね。遠坂なんかに構ってる時間はないのさ。

 

 「(にしても、衛宮が最優のセイバーねぇ。しかもアーサー王。

 引き入れれば大きな戦力になる。

 ま、あいつが僕の誘いを断るわけがないし。

 目下の問題は桜の召喚したサーヴァントの真名だね。)」

 

 僕は知らなかった。僕の行動を遠坂が怪しんでいたことを。

 そして、すでに衛宮が遠坂と同盟を組んでいることを。

 



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2

 

 昼休みに衛宮のクラスを尋ねると、遠坂が出てきて「なんのようかしら? 」と高圧的に聞いてきた。朝のことを思い出して機嫌が一気に地に落ちた。

 

 「別に遠坂に用があるわけじゃないさ。」

 「衛宮くんなら今日は休みよ。」

 「はぁ!?」

 

 肝心の衛宮がいないだと?

 なんでいつもあいつは肝心な時にいなくて、いなくていい時にひょっこり出てくるんだ。間が悪いにもほどがあるだろ。

 

 「(てか衛宮! なんで今日に限って学校休んでんだよ!)」

 

 せっかく僕が誘ってやろうとしたのに、あいつ……!

 あいつのことだから放課後になって学校に来たりとかするだろう、と思って長いこと教室で待っていたが、最終下校時間の18時30分になっても来なかった。

 

 「くそ、これじゃ待ち損じゃないか!

 僕を待たせるなんていい度胸しているな……!」

 

 かつかつとコンクリートを蹴る足に力がこもる。衛宮への理不尽な怒りによって、今朝の言い争いについて綺麗さっぱり忘却してしまうほど慎二は腹を立てていた。

 

 「(仕方ないから明日また、誘ってやるか。)」

 

 はぁ、やれやれ。と慎二は内心肩をすくめる。実家である間桐邸よりも帰り慣れた自宅のドアを開けた。

 

 「ただいま。」

 

 随分と帰るのが遅くなってしまった。鍵は閉まっていたがリビングは明かりが灯っていて、話し声も聞こえる。

 なのに、おかえりの返事がない。まさか、マスターは朝のことを怒っているのだろうか。いや、あれはマスターが悪い。普通に考えて対策も立てずに敵陣に突撃なんてバカがやることだ。それも、キャスターの陣地なんて。

 リビングの扉を開けた。リツカと清姫、エルキドゥとマーリンの四人。ロビンフッドとランスロットはバイトだろう。

 だが、それに加えてもう三人。

 一人は、パステルパープルの長い髪を高く結った、大きな杖を持つ少女。

 もう一人は白い髪に赤い瞳の少女。

 そして最後。その白い少女に従うように背後に立つ、筋骨隆々な男。というか、サーヴァント。おい、これバーサーカーだろ!

 

 「あ、慎二。」

 

 リツカが僕に気づく。おかえり、と呑気な顔で笑うが、顔にはいくつかの擦り傷がある。

 だが、それ以外に傷はなさそうだ。それは良かった。

 だが、それとこれは別だ。

 

 「なにこれ。」

 

 三人を指差して問いかけた。それなりに広いリビングが人数が増えたことにより狭く感じる。

 

 「ふん! 

 あんたこそなんなのよ!」

 

 少女(ガキ)が生意気にも腕を組んで、上から目線で睨みつける。なんだこいつ。

 

 「まぁ、身分が上のものが名乗らないと下のものは名乗れないというしね。

 僕は間桐慎二。“間桐の代表者”で、そこにいる……ルーラーのマスターだ。」

 

 マスターといいかけて、そう言えばこいつクラス偽ってたな、とルーラーと言い換えた。が、少女(ガキ)は馬鹿にするような不愉快な視線を僕に向けて「あんたが? ふーん。」などと視線を向けた。

 

 「まあいいわ。シンジね、覚えてあげる。

 あと、リツカが偽ルーラーだってことはとっくに知ってるわよ。」

 

 まったく、と白髪の少女が頬を膨らませる。

 

 「いいわ、教えてあげる。私はイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。

 御三家の一角であるアインツベルンの代表よ! 

 サーヴァントはバーサーカーのヘラクレス。

 私は、あなたたちマスター陣営に同盟を申し込むわ!」

 

 ふふん、と。薄っぺらい胸を張って、少女はティーカップを優雅に傾けながら宣言した。

 どう言うことだとリツカをみる。リツカは僕の視線に気づいて「ああ、そうだ。」と少女を示す。

 

「慎二。こちらは柳洞寺のライダー。すでに仮契約済みで同盟済みだよ。」

 「ライダーのメディアです。気軽にリリィと呼んでください。」

 にっこりとイリヤスフィールとは正反対の天使の笑顔で微笑む少女。

 「…………ライダー? 」

 

 どういうことだ、と視線をリツカに向ける。リツカはてへ、と舌を出して己の頭を小突いた。(ちなみに、てへぺろは2009年の流行語大賞なので2004年を生きている慎二には通じない。)

 

 「じつは、柳洞寺のキャスターは柳洞寺のライダーだったんだよ。びっくりだね! 

 しかもイアソンとメディアの二人組!」

「……あれだけ、キャスターキャスター言ってたくせにな。

 ほらみろ、何事にも下調べが大事だっていう僕の意見が正しいじゃないか!」

 「いやいや、今日行ったからこそメディアともイリヤとも同盟結べたんだよ?

 私の歴戦の勘を信じた結果でしょ? 」

 「行き当たりばったりの間違いじゃない?」

 

 自然に口角は上がっていた。

 

 「と言うか、ライダーが二人?」

 

 「うん、イアソンは今柳洞寺で門番してるよ。

 マスターの葛木さんの護衛とメディアの魔術工房守ってる。」

 「……柳洞寺? 葛木?」

 聞き覚えのある名詞に嫌な予感がする。

 「はい!」とメディアが元気よく応えた。

 

 「私の旦那様(マスター)は葛木宗一郎様。穂群原高校の教師をされています!」

 「やっぱりあいつか……。」

 

 言峰を彷彿させる無表情教師。と言うかあいつ魔術師だったのかよ。

 

 「……旦那?」

 「はい!」

 

 どこからどう見ても未成年(僕より年下)の少女が「結婚を誓い合った仲です!」と微笑む。

 うわ、まじかよあいつ。ロリコンじゃん。

 無表情の下で何を考えていたのか。恐ろしい。

 

 「よし、慎二も帰ってきたことだし、情報共有をしよう!」

 

 昨日も使ったホワイトボードをガラガラ引っ張ってきたリツカは新たに『大聖杯』と書き足し、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンのとなりに『小聖杯』と書き込んだ。

 

 「……小聖杯!?」

 「何よ、悪い?」

 

 悪いとかそういう問題じゃない。なんで聖杯がマスターなんだ? いや、人間が聖杯になれるか?

 

 「……ああ、アインツベルンはホムンクルスの鋳造が盛んだったな。」

 「……ええ、そうよ。私はホムンクルス。

 半分だけどね。」

 

 イリヤスフィールと話している間にリツカはサクサク書き進め、大聖杯の下に書き込みを足していた。

 

 大聖杯

 汚染されている。深刻。やばい。

 破壊が必須だが条件付き。

 条件1、誰かが大聖杯の中身と接続しているため、大聖杯を破壊しても本当の意味で災厄の回避にはならない。

 条件2、宝具封印状態の永続付加。おそらく聖杯の意思による自己防衛。

 解除はおそらくアインツベルンの魔術師のみが可能。

 

 「……まじで?」

 

 思わず溢れた言葉に、リツカは「まじだよ。」とこたえる。

 

 「……大聖杯が汚染されているというのは本当なのね。」

 

 イリヤは沈痛な表情で噛みしめるようにそれを音にした。

 

 「信じてくれるの?」

 「あんなの見たら、信じるしかないわ。」

 

 実質、大聖杯の汚染を確証するようなものを見たというアインツベルンの魔術師に思わず目を丸くした。聖杯の汚染など、アインツベルンが一番信じられないだろう。なぜなら、聖杯を作ったのがアインツベルンだからだ。

 

 「(一体、何を見たのだろうか。)」

 

 わからない。だがそれは酷く恐ろしいのだろう。

 

 「ねぇ、それよりあなたのことを教えて。」

 

 イリヤスフィールはリツカの手を取っていった。

 

 「セルフギアススクロールを立ててもいいと言った言葉は本当なのよね? 」

 「うん。なんなら作る?」

 「いいえ、必要ないわ。

 それだけの覚悟があるということがわかったから。

 なら、私はあなたを信じるわ。」

 

 イリヤスフィールの言葉に僕は動揺した。セルフギアススクロールを立てるだなんて、何を考えている。

 魔術師として信用を得るには一番いい方法だろう。リツカは今、解呪不能の呪いをかけてもいいと宣言したのだ。

 つまり、それだけ本気であり、本当に真実しか話さないという証明だ。

 イリヤスフィールはバーサーカーを下がらせ、リツカの黄金色の瞳を覗き込んだ。

 

 「あなたは全てがおかしいの。

 令呪があって、サーヴァントがいる。そう、まるでマスターのように。

 あなたの異常性は複数のサーヴァントを呼び寄せられること。そして、サーヴァントを全員、完璧に制御していることよ。

 そんなこと、どんなに膨大な魔力を持ってたとしても理論的に不可能だわ。

 それに、私はわかる。これでも、私は聖杯よ。」

 

 イリヤスフィールはすう、と息を吸った。

 

 「()()()()()()()()()()()()()()

 少なくとも、 聖杯(わたし)に呼ばれた、聖杯戦争のサーヴァントじゃない。

 あなたは、一体何者なの?」

 

 どくりと、心臓がなる。

 

 『令呪もないのに口だけは随分と大きいのね。』

 

 遠坂の言葉がフラッシュバックする。僕の体には令呪がない。

 でも、リツカは僕のサーヴァントという。今、リツカの語ることは全て真実だというのなら……。

 リツカは笑った。

 

 「“今の”わたしは、間桐慎二のサーヴァントだよ。」

 

 今朝、リツカが言った言葉と同じだった。しかし、今朝とは違いその言葉には続きがある。

 

 「でも、英霊でも反英霊でもない。そういう点では、サーヴァントとは言えない。

 そもそも、わたしはまだ“死んでない”。」

 「なら、どうしてあなたからサーヴァント反応がするの?」

 「それは、わたしの幻術さ。」

 

 マーリンがにこやかに笑った。

 

 「私は簡単に言うと()()()。2017年を生きる、13年後の人間。

 ……ひょんなことから世界を救う大役を任された、人理継続保障機関、フェニス・カルデアのマスターだよ。」

 

 それは、今までリツカに言われていたことと全く同じ言葉だった。

 経歴に偽りなく。ただ一つの乖離もなかった。

 僕が、信じようとしなかった一つの真実を除いて。

 

 「私は、英霊(サーヴァント)じゃない。

 私の目的は聖杯戦争の停止と大聖杯の破壊で、そのためにサーヴァントと偽ってあなたたちの前に現れた。」

 

 リツカの言葉は僕の脳を揺さぶる。

 

 「()()()()()()()。」

 

 その言葉は、酷く残酷な真実だった。

 

 ■■■

 

 「ずっと騙してごめんなさい。」

 

 イリヤスフィールとの同盟が終結し、メディアは帰宅してから直ぐのことだ。

  リツカが僕に謝罪した。なんの謝罪かわからない。リツカが僕を騙していたことはあっただろうか。いいや、なかった。

 勝手に僕が勘違いして、勝手に彼女の自由を奪い、勝手に最強のマスターになった気でいただけだ。

 

 「……寝る。」

 

 律儀に頭を下げるリツカを一瞥して、これ以上惨めになりたくなくて部屋に帰る。

 暗い部屋に、月明かりが差し込む。

 間桐の邸にある僕の部屋よりずっと狭く、ものも少ない。

 なのにこれ以上安心する理由なんて単純だ。薄暗い部屋の中の中、鏡に映る僕が嗤う。

 

 『いい夢は観れた?』

 

 ああ、観れたさ!最高のがね!

 だけど目覚めは最悪だ!

 リツカが僕のサーヴァントという理由も、一宿一飯の恩を返すようなものなのだろう。

 

 「(僕は、マスターじゃない。)」

 

 魔術回路もない。令呪もない。ならば、僕が決死の覚悟で挑んだあの日の英霊召喚はなんだったんだ。なんて無意味で、無価値で、無様なことか。

 

 「あああああ!!!」

 

 何もない手の甲が憎くて、ガンと机に叩きつけた。

 

 「(なんで僕の手に令呪がない!

 僕は間桐慎二だぞ! 間桐の血を引く僕がどうして選ばれないんだよ! 

 聖杯の目は節穴か⁉︎ 節穴だったな! 汚染されてるんだからな!!)」

 

 ただ痛みを覚えるだけの自傷行為。それでも、止めることができない。

 

 『あなたがマスターになれるわけがない。』

 

 遠坂の幻影が僕の前に現れる。そして冷たい瞳で嗤うのだ。ほら見たことか、と。

 

 『……ごめんなさい、兄さん。』

 

 桜が僕を見る。僕を、哀れんでいる。桜の分際で! 僕を!!!

 

 「くそ、くそ、くそっ、くそっ!!!」

 「慎二!」

 

 リツカがノックもなしに部屋に入ってくる。狂ったように(いや、もうとっくの昔から狂っているのかもしれないな。)机の角に手の甲を打ち付ける僕を見て、リツカは僕の名を呼んで静止を促す。止まった僕の右手を、リツカの両手が包み込む。リツカの右手に宿る令呪が、暗闇の中でよく見えた。

 

 「(ーーーーなんで。)」

 「ばか、何やってんの!?

 痣できてるし、血も出てるじゃん!」

 「黙れ!」

 

 リツカは純粋に僕を心配しているのだろうーーー本当に?

 リツカの目は、どんな目をしてる? 

 

 「(目を見れない。)」

 

 哀れみ。蔑み。失望。軽蔑。

 僕に向けられる目はいつだって、厳しく冷たかった。

 遠坂然り、桜然り。お爺様の目はいつだって失望と無関心しか写っていなかった。

 こいつも、同じだ。

 僕を見下し、憐れむあいつらと同じだ!

 

 「僕を見るな、見るな!

 もういいだろ、どっか行けよ!」

 「はぁ!? 今この状況で何言ってんのバカ!」

 

 リツカが声を荒らげるのは今日だけで2回目だった。聞くに耐えない怒声なのに、何故か腹の奥がそれを望んでいる。

 

 「そりゃ、慎二が怒るのは当たり前だよ。騙してたんだから。

 その点に関して、私は言い訳なんかしない。

 でもそれとこれは別でしょ!

 私が慎二を心配するのはそんなにダメなこと?

 今私がどっか言ったら、慎二はまた机殴るんでしょ!」

 

 リツカは至極まじめに怒っていた。僕が心配なのだと言って怒る。

 今も、カルデアの礼装を起動して回復魔術を使うつもりだろう。

 分かるさ、お前の単純な思考回路なんて。

 

 「……お前の、その態度がムカつくんだよ!」

 

 リツカと手を振りほどき、何もない右手の甲を見せつけ、宣言する。

 机に打ち付けていたせいで、痣が三つできた。令呪とは絶対に言えない無意味にもほどがある痣を見せつけた。

 僕の無様を晒す行為だ。やめろ、と理性的な僕は言う。でも、止まれない。

 

 「令呪をもって命ずる、僕の命令に絶対服従しろ!」

 

 意味もない、無価値で、無様な行為だ。

 意味もない、無価値で、無様な命令だ。

 これは令呪じゃない。これを僕は令呪だと認めない。

 故に、リツカは僕に従う道理もないし、従うなんて思ってもない。

 

 「いいよ、()()()()。」

 

 仕方ないなぁ、と言うように。リツカ笑った。

 

 「よっぽどの命令じゃない限り、私は絶対に慎二の、マスターのいうことを聞くよ。」

 「お前のいうことなんて、信じられるか! 」

 

 そうだ、そんなの、信じられるわけがない。

 令呪という絶対的なつながりもないのに、どうして人を信じられると簡単に言えるのだろう。

 

 「あー。じゃあどうすればいいの? 」

 

 頑な僕に、呆れたようにため息をついた。リツカはなげやりに言う。

 

 「清姫呼べばいい? 嘘発見器できるよ。」

 

 そう言った直後、扉から顔を出して「きよちゃーん」と清姫を呼んだ。

 

 「はい、お呼びですか? 」

 

 すぐに清姫は現れた。引くぐらい早く。ぬるりと現れた。

 そんな清姫に一切の動揺を表さず、むしろ慣れたように話しかけた。

 

 「うん。ちょっと今から私が言うこと、嘘か本当か判断してほしい。」

 「はぁ……まぁいいですけれど。」

 

 清姫は僕を呆れたように見つめた。

 

 「何をごねているのかわかりませんが、旦那様は嘘をつきませんわよ? 」

 

 嘘をつかない人間なんていない。

 清姫が嘘をつかないと言うのは信じるさ。だが、それとリツカを信じるかは別だ。

 

 「じゃーまず、私は慎二を信じてる。」

 「本当です。」

 

 どうしてそんなあっさりと言えるんだ。

 

 「慎二を尊敬してるし、憧れてもいる。」

 「本当です。」

 

 僕どこに憧れたんだ。

 

 「慎二を信頼してるから、命令なら私の許容範囲内ならなんでもきくよ。」

 「嘘だ、全部嘘だ。」

 

 清姫が「本当です。」と言う前に、僕は両手で耳を塞いで否定した。

 否定するしかできない。

 

 「慎二はさ、頭いいのにバカだよね。」

 

 リツカがもったいないなぁ。なんて僕の気も知らずに言う。

 

 「ゴミ箱に捨てられてたテスト全部百点だし。私テストなんて毎回平均点だったよ。

 あと、トロフィーとかもすごかったよね。弓道だっけ。私も弓は一応使えるけど、慎二の方が命中率高いよ絶対。

 才能あると思う。

 だけど、才能だけじゃないよ。

 なんでも一番になるって言うのは、才能だけでどうにかできるものじゃない。

 やっぱり、結局、努力の成果なんだよ。才能にかまけてるだけじゃ上に上がれないからね。

 つまり、毎回一位の慎二の努力は並大抵のもじゃないんだ。

 慎二は誇っていいんだよ。

 全部、慎二がすごい頑張った証拠なんだよ。

 だから、卑屈にならないでよ。私は慎二を尊敬してるよ。」

 

 リツカの眼差しが真っ直ぐすぎて、その視線から逃げたかった。

 多分だけど、リツカの目には魔力がある。魔眼かもしれない。

 だって、あんな、心を見透かすような。

 自分でも自覚していなかった、本当に欲しい言葉を使って僕を切り崩していく。

 そうだよ、僕、頑張ってるんだ。

 努力したよ。練習したんだ。勉強したんだ。

 でも、認めてもらえないんだ、それじゃあ。

 

 「嘘だ。そんなの、嘘だ。」

 「はぁ。旦那様は嘘などつきませんわ。 今までの全部本当です。」

 

 それじゃあ、本当にリツカは僕に従うというのか。魔術師じゃない僕に。

 魔術師の家系に生まれながら、魔術師になれない無価値な僕を。

 本当に、信頼すると言うのか。信用すると言うのか。

 尊敬してると本気で言うのか。

 こんな僕を、信じて、認めてくれる?

 令呪もないのに。僕をいつでも裏切れるくせに。

 好き好んで、僕の下にいるのいうのか。

 

 「……ざ、けるな。」

 

 そんなこと、誰が望んだ!

 同情なんていらない、僕を憐れむな。僕は、可哀想なんかじゃない!!

 むき出しになった要求が止まらなくて、苦しい。自己矛盾で死にそうだ。

 もっと褒めて。もっと認めて。もっと言葉を尽くして欲しい。

 魔術師になれない僕でも、愛して欲しい。

 ずっと目を閉じていた。目を逸らしてきた。

 令呪が欲しかった理由が、あまりにも幼稚で。それを認めたら僕ではなくなってしまう。

 

  「慎二。我慢しなくていいんだよ。」

 「は、知ったような口を利くな。」

 

 さっきまでなら振り払えたその手を、もう振り解けるわけがない。

 清姫が嘘をつくわけがない。清姫という英霊のあり方が歪むからだ。故に、嘘を憎む彼女は嘘をつけない。

 もし清姫が嘘をついたとすれば、霊基に綻びが生じる。サーヴァントとは、どんなに有名だろうが、否、有名であればあるほど型にはめられた影法師として現れる。

 

 「言わせてもらうけどさ。」

 

 ぐずぐずに溶けそうな心の壁を立て直す。もはや、瓦礫でできたバリケードだけど。それでもないよりましだから。

 

 「ふざけるなよ、リツカ! 」

 「今の流れでそれ言う!? 」

 

 リツカがオーバーリアクションで「えぇぇえ!!」と叫んだ。

 

 「お前、全面的にわけわかんないんだよ!」

 「どこが!? 」

 「僕のサーヴァントじゃないくせに、信じるとか言うなよ! 」

 「だから、今の私はちゃんと慎二のサーヴァントだってば!

 てか本音ぶっちゃけるけど慎二のサーヴァントとして無理やり乱入しないと、聖杯戦争止められないじゃん。」

 

 僕の叫びを聞いてなお、飄々とそんなことをのたまい、挙句には「利害の一致ってことで納得してよ。」とリツカは言う。何が利害の一致だ。全然釣り合ってないじゃないか。

 

 「令呪もない、魔術回路もない!

 魔術師でもない!

 僕には何もない! 家を出たから金だってない!

 お前も、僕を哀れんで情けをかけてるんだろう!」

 「は? お金に関しては初日に言ったよね?

 私がどんだけバイトしてるか知ってる??

 地味に喫茶店だけじゃないんだよ? 

 てかお金のこと言うなら慎二もバイトしなよ。

 それに、もしも慎二を哀れんでるならもっと優しい言葉かける。

 て言うか、慎二は自分のこと可哀想って思ってるの?」

 「そんなこと思ってるわけないだろ!」

 「じゃあ慎二は可哀想でもなんでもないじゃん!」

 「ああ、そうだな!!」

 

 八つ当たりだった。意味のわからない怒り方だと我ながら思う。

 今まで、言えなかった感情や言葉が洪水のように溢れて止まらない。

 

 「僕は魔術師になるんだ!

 魔術師になって、みんなに僕を認めさせる!

 僕を見下すな!僕を笑うな!!」

 「私最初から笑ってないじゃん!

 慎二よりポンコツな自覚あるのに見下すとかないからね、まじで。」

 「僕は、僕は、僕は……!! 」

 

 言葉が出てこない。ぐるぐると感情は体の中を駆け巡るのに、言葉が出てこない。

 リツカの気配がすぐそばにあった。

 

 「あーはいはい。別に笑わないから。笑ったりなんかしないよ、慎二。」

 

 柔らかい肉の感触。ポンポンと背中を優しく叩かれた。幼子がされるように。手のひらの温度はリツカが生者である何よりの証だ。

 

 「頑張ったね。辛かったね。

 私はあなたが優しい人だって知ってるよ。

 あなたが優秀だってことも知ってる。

 それを帳消しにするぐらい横暴で傲慢でプライドがエベレスト級で金銭感覚崩壊してて掃除もできなきゃ料理もできない生活力皆無で……」

 

 背中を撫でながら、あーだこーだと僕の悪い点を挙げ連ねるリツカに、燃え盛っていた感情が冷えた。というか、覚めた。

 

 「それ、なんも褒めてないからな。」

 

 ボロクソに欠点を並べるリツカに「こいつ本当は僕のこときらいだろ。」と内心毒づく。

 

「まあ、不満はいっぱいあるけど。私は慎二の嫌なとこ見ても一緒にいようと思うぐらいには、慎二が好きだよ。」

 

 リツカは恥ずかしいことをさらりという。冷めた熱がぶり返し、顔が熱い。

 

 「ふーん。」

 「慎二は言い方はひねくれているけど、正論しか言わないところに好感が持てるよ。

 今朝も、ぶっちゃけ慎二の方が正しかった。怒鳴ってごめん。」

 「そうだよ。お前は無鉄砲すぎるんだ。

 僕が監視してやらないと自滅だな。」

 「うんうん。でも今までの経験上、奇襲が一番いい戦略なんだよなぁー。」

 「正攻法がいい時もあるだろう。」

 「だから、そういうのは慎二に任せるよ。

 私は慎二を信じるから。

 誰がなんと言おうと、私たちのあり方(かたち)が他とは違っていても、あなたは『私』の最初で最後のマスターだから。」

 

 にこりと、僕の顔を覗き込んでリツカは笑った。

 

 「私、人を見る目だけには自信あるんだ!」

 

 ここまで、言われたら仕方がない。こんなに僕を必要としてるんだから、協力してあげるのもやぶさかではない。

 

 「その言葉、信じてあげてもいいよ。」

 

 リツカは「もう一声!」なんてヤジを飛ばす。こいつ、こう言う時の空気の読めなさは異常だろ。

 

 「だから!

 僕もリツカを信じるって言ってんだよ! 」

 

 顔が熱い。首から上は全部熱く感じた。

 

 「うん、私も信じてる! 」

 「あー、もう!!」

 ぎゅう、と背中に回された腕がきつくなった。リツカの心臓の音が聞こえる。他人の心臓の音を好き好んで聞くなんて、今まで考えたこともなかった。

 でも、まあ。こいつからの信頼は悪くないな。

 

 

 

 これはあくまで蛇足だけど。

 数分後、空気を読んで退出していた清姫が抱き合う僕らを見て悲鳴をあげ、僕だけが鉄拳制裁された件に関しては僕はリツカを許さない。



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三日目
天使の笑顔の悪魔



 ー現在までの状況報告

 藤丸立香(ぐだ子)
 オルレアンの微小特異点の探索に向かったところ、レイシフト事故が起こり2004年の冬木の地に落下した。
 落下地点がちょうど間桐慎二が英霊召喚を行っていた魔法陣の上だったため、サーヴァントに勘違いされる。
 その後、冬木の聖杯が泥に犯されておりサーヴァントが1騎でも脱落すると、聖杯の中のこの世全ての悪が世界を飲み込み人類は滅亡するというカルデアの仮説に従い第五次聖杯戦争の停止を目指す。
 参加資格を持たない上に、ねじ込めたとしても一般枠の魔術師では発言力が足りないと考え、マーリンの英雄作成によって英霊に偽装。
 慎二にはマスターという虚偽のクラスを、他のサーヴァントにはルーラーのクラスを偽称する。

 間桐慎二
 魔術師を諦めきれず、聖杯戦争に出場して勝ち抜けば間桐臓硯に後継者として認められると考え英霊召喚を行う。
 当然召喚できなかったのだがタイミングよくレイシフトしてきたぐだ子が魔法陣の上に落ちてきたため成功したと思い込む。
 サーヴァントを召喚したにもかかわらず令呪を得ていないことや、聖杯から情報を得られていない様子のぐだ子など不信な点に気がついているが、無意識的に目をそらしていた。
 現在事実を知って苦悩中。
 間桐の家から脱出するために間桐のコネを使いまくり、自らの陣地として家(かなり大きい)を買いそれに移り住む。

 セイバー…アルトリア・ペンドラゴン
 ルーラーを名乗るぐだ子に不信感を抱く。
 聖杯に異常があると認められないが…?
 アーチャー…エミヤ
 ぐだ子にラタトゥイユのレシピを教える。
 キャスター…クーフーリン
 槍を持っていないため衛宮士郎を撲殺するも失敗。
 バーサーカー…ヘラクレス
 ライダー…イアソン&メディアリリィ[オケアノス]
  ぐだ子と仮契約した。聖杯戦争停戦の協力者。
 ランサー…??
 アサシン…??

 今回はバトルパートです
 頑張ってみましたがわかりづらい描写があると思うのでコメントで教えてください


 無限増殖パンケーキ。夢の永久機関の名前であり、またの名を悪魔の所業と呼ぶ。

 

 

■■■

 

 

 メディア・リリィは天使のように愛らしい。

 柔らかな曲線を描くまろい頬のライン。幼さが残る夜空色の大きな瞳。同系色の淡いすみれ色の髪はツヤツヤで、当然のように天使の輪が現れ、歩くたびにしゃらしゃらと鈴の音がなるかのような錯覚に陥る。薔薇色の唇からは、鈴の音のような愛らしい声が飛び出る。

 少年の時期も終わりを迎え始め、青年の階段に足をかけた青少年時代の女の子の、危うげな魅力。その微笑みを見たカルデアのロリコン代表黒髭は満足そうに昇天したほとだ。(が、ゴキブリのようにしぶとく生き返った。)

 だが、そんな彼女の本質は正しく悪魔。無邪気な鬼、無自覚な悪魔と言うべきか。外見の愛らしさも相まり、サイコパスじみた中身が強調されるのだ。

 さて、なぜこの話をしたかと言うと、現在目の前でメディア・リリィの悪魔的本質を再確認する事態が起きているからである。

 

 「“マスター”さん、パンケーキを作りましょう!」

 

 時刻は午前9時5分。夜の長い今の季節でも十分すぎるぐらい朝である。

 なぜに、この少女が我が家に来たのかは何と無く想像はつく。彼女の慕う総一郎様こと葛木総一郎が我が家の主、間桐慎二の通う穂郡原高校につとめる教員であり、この時間には既に通勤してしまったのだろう。もしくは、学校まで護衛(お散歩デート)でもして帰りによったのだろうか。

 今まではこの間に新都に赴き死なない程度の魂喰いをしてたらしいのだが(本人の自己申告により発覚、言うまでもなく新都のガス漏れ事件の犯人である)、私との契約によりその必要もなくなり。早くも退屈になったメディアが暇つぶしの相手として私を選んだのも少しは納得できる。なお、私をマスターと呼ぶのは例の宗一郎様はあくまで『夫』であり、夫婦の間に主従はいらないということらしい。

 が、それはそれ、これはこれ。

 ぴょこん!と飛び跳ねて主張するメディアリリィに、私は軽く目眩がした。

 思い出すのは、カルデアでの惨劇。無限に食べれるパンケーキのために引き起こったとある魔人柱の悲劇。パンケーキ大好きなバニヤン以外の面々が絶句して青ざめる恐ろしい事件だ。ナーサリーとジャックまで言葉を失っていたのだから相当だろう。(バニヤンちゃんはきっと狂化の補正があったから食べられたんだ、そうだろうそうに違いない。)

 犠牲になった某パンケーキ魔神柱ことハーゲンティーに黙祷を捧げた。

 なお、メディア(リリィ)とついでにメディア(大人)に対する認識も変わったおそるべき事件である。 メディアリリィの料理はトラウマものだと一部(全数)に定評がある。

 「ぱ、パンケーキ?」

 うわずった声は震えている。脳内でマシュが「に、逃げて、先輩〜!」と声を上げた。脳内ロマニが「危険だ! 君がそんな冒険をする必要はないだろう!」と叫ぶ。脳内ダヴィンチちゃんは「これもまた経験ってやつさ☆」と他人事を楽しんでいる。

 脳内私は某鉄人のようにサムズアップしながら「大丈夫、生きて帰ってくるよ…」と力なく笑った。マシュはこんな時まで健気に私を支えてくれる。天使だ。

 そも、事の始まりはやっぱりリリィの一言だった。

 「実は、宗一郎様は最近お疲れみたいでして。それに、イアソン様は宗一郎様を避けているんです。」

 へにょ、と眉毛を下げて言う彼女だが、落ち込んでいる気配は一切ない。あくまでモーションである。

 そこにサイコパスみを感じた私はSAN値チェックが必要なのだろうか。ちなみに、イアソンはメディアから長時間離れられないのでクソ寒いにもかかわらずベランダで外を眺めている。その哀愁漂う背中を見ていられず、視線を外した。

 「そう、だからこそのパンケーキです!仲良くなるにはパンケーキ、仲直りもパンケーキ、困った時にはパンケーキ、何かなくてもパンケーキです!」

 ぱっと顔を上げたリリィは、キラキラとしたはじける笑顔。対照的に、私は引きつり笑いだ。怒涛のパンケーキ推しに圧倒された。

 「へ、へえ、そっかぁ。」

 「これがダメなら、イアソン様にペインブレイカーを打ち込んで記憶という記憶を抹消し、新たに私と宗一郎様の楽しい記憶を(捏造して)教えてあげ(植え付け)ます。」

 ふんす、と鼻息を荒くして宣言するメディアリリィ。副音声までバッチリ聞こえてしまった私は頭をかかえて唸り声を上げるしかできない。

 しかもちゃっかり自分とイアソンの生前(黒歴史)まで消そうとしている。大人の方のメディアに染められたか?それとも混ざってたりする?

 触れたら大火傷しそうな超特急少女に呆れつつ、はりつく喉の奥から無理やり言葉を放り出した。

 「…また魔神柱を材料にするの?流石にここに魔神柱は召喚できないよ?」

 もしかしたら魔神柱がいるかもしれないのだが、まだ発見には至っていないのでここは煙に巻く。

 諦めろという気持ち(とても切実)をオブラートに包んだ言葉はメディアリリィに届かなかったようで、キョトンと首を傾げた。

 「何を言っているのですかマスター、もっといい材料があるじゃないですか。」

 メディアリリィはニコニコ笑っている。どうしようもなく嫌な予感がする。

 この場にメディア(大人)がいれば軌道修正できたかもしれないが、残念ながら彼女は現在ここにいないので仕方がない。現実逃避に走る私をよそに、メディアリリィはむふー、と得意げに笑った。

 

 「あの、ラフムなるものを代用します! 」

 

 たしかに奴らも分裂能力を持ってるねー。うん、魔神柱よりも冒涜的だ。

 ハーゲンティの悲劇が脳内をよぎる。ごめんね、イアソン。私は天使の笑顔で悪魔のような提案をする少女を止められない。

 「さーて!ラフム狩りですよー!」と楽しそうなメディアリリィ。今この場にいるのは私と清姫だけ。

 「私も協力いたしますわ。」

 当の清姫は割と乗り気だ。昨夜の雪辱を晴らすとでも言いたげに拳をごきごき上品に鳴らす。

 「まあ、バイト終わってからね。」

 思わず苦笑いが出てしまったのは仕方がないことだろう。私の解答にメディアはニコニコわらって、清姫は「一匹残らず殲滅しますわ。」と顔に暗い陰を落とす。

 窓の向こうに見える穂群原高校の校舎を眺めた。

 昨日のことがあって、ほんの少し慎二が心配だった。一晩にして慎二の信じていたものが全て壊れたのだ。図太そうに見えて繊細な慎二だ。彼の心が壊れることを私は一番心配していた。

 だが、今朝起きてきた慎二はケロリとしていた。いつものようにロビンの紅茶に文句をつけて、朝食を完食して私に嫌味を言って、ふつうにランチバックを受け取って「行ってきます」と登校した。

 「マスターは彼がダメになったように見えるかい?」

 マーリンがいつものように笑顔の仮面で私に聞く。

 「私は、慎二のことを見誤っていたんだね。」

 「ああ、人間は脆くもあるが強い。人間の感情は不安定だが、同時に神をも凌駕する強さを秘めている。

 だから僕は人間が好きなんだ。」

 「うん。知ってる。」

 花の香りの風が吹いた。マーリンはもういない。

 そのあとはというと、私は家事を一通り行っていた。その最中にメディアリリィとイアソンのライダーコンビが来訪してきて、振られた話が無限増殖パンケーキ作戦である。

 コンロが爆発したり鍋が木っ端微塵になったりしたけれど、家事が終われば出勤時間にちょうどいい時間になっていた。

 「じゃあ、行ってきます。」

 「はい、ご健闘を祈ります。」

 「あはは、そんな大げさなものじゃないって。」

 メディアの返事に「そこは行ってらっしゃいでいいんだよ〜」なんて軽口を叩いて私は家を後にする。

 喫茶店についたのは9時40分。私は制服に着替え、腰にカフェエプロンを巻いて客がわずか二人しかいないガラガラの店内の掃除を始めた。

 

 ーーー

 

 12:30分。

 ちょうどお昼時で客入りがいいその時にそれは現れた。

 ぞわりとするほどの淀んだ空気。

 呼吸が苦しくなるほど濃い魔力と甲高い音。

 「ますたぁ。」

 「うん、これは……」

 チカチカとカルデアの端末が点灯する。私は店長に許可を取りバックヤードに引っ込んで通信をつなげた。

 『先輩! 敵性反応を確認しました! 』

 「場所と敵個体数は!? 」

 『場所は先輩が今いる場所から西側に向かってます!

 数は不明! 』

 「わかった! ありがとうマシュ!」

 私はエプロンと制服を脱いだ。急いで服を着替え、清姫とともに「早退します! 」と言い捨てて走る。

 「ますたぁ、私が転身しますわ! 」

 「まって、清ちゃん。これからラフムと戦うんだよ、魔力は温存しよう。

 私が令呪を使ってライダーを呼ぶ。」

 「ですが、令呪をむやみに使うのは! 」

 「どうせ一晩で回復するんだ、一画つかうのと、清姫が余計な傷を負うの、天秤にかけるまでもないね。」

 召喚スクロールを展開。キン、と令呪を光らせて私の唇が詠唱を紡ぐ。

 「令呪を持って命ずるーーー」

 ふと、令呪の宿る右手に、白魚の手が重ねられた。

 「マスターさん、令呪はこの後にとっておきましょう。」

 ふわりと薄紫の絹糸が視界をかすめる。ポニーテールが揺れる後頭部。ちょこんと乗ったティアラと、妖精を連想させる愛らしいドレス。

 紫と水色の色違いの手袋をはめた小さな両手で、大きな杖を握っていた。

 その後ろには金色と緑の衣服を纏った少年。ゆったりとした白いシャツと、金と緑のストラはオレンジの腰布で締めている。両指を飾る金の指輪も、両腕の金のブレスレットも、成金趣味には見せない彼の派手な美しさ。

 金糸から覗く緑の瞳は彼の白磁の美貌を際立たせた。不機嫌そうに伏せられた目は、どこか憂いを帯びて昏く輝く。

 少女と対になって絵になる二人は、人気のない路地という日常的な景色から浮いている。

 「メディア、イアソン! 」

 今朝出会ったばかりの二人がそこにはいた。

 「うるさいな、聞こえるから声落とせ。」

 け、と唾でも吐きそうな険悪さでもって吐き捨てたイアソンはとても残念なイケメンだ。そしてなぜか私の現在のマスター()の慎二を彷彿させる。

 「ふふ、わかってますよ。ラフム狩りですね! 

 イアソン様、パンケーキの材料が向こうからやってきてくれましたよ! 」

 「俺は絶対に食べないぞ! 」

 顔を真っ青にさせてブンブン首を振るイアソンに心の底から同情する。可哀想に。

 イアソンが指パッチンをしてアルゴー船を呼ぶ。雲を切り裂き進む船は圧巻だ。

 「さっさと乗れよ、カルデアのマスター。

 この私が協力してやるんだ、ありがたく思え。」

 「安心してください、隠蔽工作は既に終わってます。」

 「うん!

 ありがとうイアソン! 」

 「うえ!?

 いや、まあ、そんなことはあるがな!!」

 はははと高笑いをするイアソン。

 『……マスター、聞こえているかい?』

 涼やかな声が、私の脳に響く。

 『聞こえてるよ、エルキドゥ』

 『うん、じゃあこのまま聞いてほしい。

 僕は穂群原高校には行かない。今回の戦いには出ない。』

 一瞬、何を言われたのかわからなかった。エルキドゥが、何で。

 言葉がグルグル回る。どうして!と叫びたくなる。

 『理由は、……まだ言えない。

 だけど僕は“行かない方がいい”』

 『……あとで、教えてくれるんだよね。』

 弱々しい声だ。実際に言葉に出しているのならば、もっとみっともない声だっただろう。

 『僕を信じて、マスター』

 『……わかった、信じる』

 エルキドゥのありがとうと言う声がどこか遠くに感じた。

 揺れる心を押し込めて、前を向いた。目の前には真っ青な空。

 私たちを乗せた船は真昼の空に浮いて、一直線に高校へ向かう。

 距離としては短いが歩けば長い距離。数秒で到着したアルゴー船の真下に、大量のウリンディムを、ランスロット一人で相手をしていた。

 そのそばに慎二はいない。どっと、嫌な汗が吹き出る。

 「清姫! 」

 「はーい♡」

 清姫がアルゴー船から身を乗り出して、真下に向かって清姫がふう、と息を吐く。

 控えめではないサイズの火球が、派手に魔獣の群れを燃やした。

 私は船の手すりに足をかけて、足に力を込める。

 「まてまてまて! お前何している!」

  「だって! シンジを探さなきゃ! 」

 だが、腕を後ろに引かれて飛び降りは叶わなかった。私はすぐに体勢を立て直して再び手すりに手を伸ばす。

 しかしイアソンの手を振り解けずにあと数ミリが届かない。

 「無闇に動いても無駄な時間を過ごすだけだ! 」

 「っ清姫! 」

 「その方の言う通りです。下の掃除は私が。」

 ひらりと清姫が飛び降りる。私は何も言えずに唇を噛んで、キッと元凶を睨んだ。

 「手を離して! 」

 「冷静になれ! 」

 清姫に続いて飛び降りようとした私を、イアソンが羽交い締めにしてまで引き止める。

 「お前は人間なんだ。サーヴァントじゃない、死人じゃない。生きている。

 生きているから、死ぬんだ。ここから飛び降りたら。

 幾ら強化魔術で身体強化をしていようが、それは変わらない。」

 言い聞かせるような穏やかな声。

 でも!と声を上げたその時、ワイバーンの群れが見えた。口を大きく開けて、船体を砕こうと牙を剥き出す。

 「邪魔だ! 」

 アルゴー船の大砲が一瞬でワイバーンに標準が定まり、ドォンと豪雷が鳴り響く。さっきまでの優男然とした表情も声も、たった一瞬で切り替わって、英雄になる。

 (すごい。)

 イアソンはすごい。アルゴー船の船員の亡霊に果敢に指示を飛ばし、敵を確実に撃破する。誰が何で言おうが、彼は英雄だ。

 ワイバーン一匹だけでなく、十数体を巻き込んだ爆撃は爆発を起こしてさらに被害を拡大させる。

 ふと、沈み込むような緩やかな重力を感じた。甲板の風景もどんどん視点が下がっていく。

 「錨をおろせ!」

  じゃらじゃらと鎖の重い音が響く。空を漂う船は、地上から十数メートルの地点に止まった。

 「……え、なんで」

 イアソンはわざわざ敵がいないスペースを選んで錨を下ろして船を止めると、縄梯子を垂らす。そして、私の腕から手を離して、背中を押し飛ばす。

 「ほら、好きにしなよ。」

 よろけて手すりに手をつく。目の前には縄梯子が揺れていた。

 弾かれたように彼を見る。金色の髪を風に遊ばせながら、不機嫌そうに鼻を鳴らしてぶっきらぼうに告げる。

 「私は英雄らしく、ワイバーンの群れを退治するのに忙しい。忙しいから、『藤丸立香』を監視している暇はない。

 だから、お前が何をしようが私は知らない。勝手に逃げても僕は知らない。」

 シンジとかいうガキを探せばいいと、言葉の外に意味を持たせて。王の仮面を被って、英雄として振る舞うイアソンはそっぽを向いた。

 「行くなら早くしろ!」

 ふん、と背中を向けながら怒鳴るイアソン。金の髪が日の光に透けて、とても綺麗だ。

 ああ、ああ!

 「ありがとう! 」

 私は直様(すぐさま)アルゴー船を降りた。上空から大砲が飛んできて、地上の魔獣を攻撃する。

 「!! 」

 私は、イアソンが開けてくれた道を走った。

 途中で出会った魔獣は、九字兼定で首を切り落とした。ノコギリで肉塊を切ったような不細工な切り口。跳ね飛ばされた首を見て、私は唇を噛んだ。

 マーリンの英雄作成のお陰で今の私はエネミーと戦える。

 でも、全部決め手にかける。綺麗とはお世辞にも言えないギザギザの断面に、苦い気持ちになった。

 仕方ない、私が覚えてきたのは殺すための武術じゃなくて、逃げ切り、生き残る為の武術だ。

 剣術も、槍術も、射撃術だってそう。ある程度身を守れる程度に強くなれば次のことを覚えた。

 実際、この戦い方に救われたことも多い。でも、この戦い方が英雄的でないことも理解している。

 イアソンの言う通りだ。私はサーヴァントじゃないし、その器もない。そんなの、自分が一番わかってる。

 私は、英雄なんかじゃない。英雄にはなれない。

 私ができるのは英雄たちがより強く、より勇しく、より自由に、より美しく戦うための補助要員。サポーターにしかなれない。

 後方支援の私は身の程を弁えて、どうしようもない時だけ武器を持つだけでいい。そう、みんなに教えられたし、私も納得していた筈だ。

 だけど、私は不相応に英霊のフリして戦っている。ベティヴィエールにできたからなんて烏滸がましい。

 ベティヴィエールは最初から英雄の下地があって、彼は最初から強かった。

 だけど、私はどうだ。強化魔術でドーピングをしているだけに過ぎないジャンキーだ。

 英雄願望なんて持ってはいけない筈だった。

 英雄願望なんて持って仕舞えば、私は今までの道のりもこれからの道のりも全て否定する。

 私が平凡で普通の人間だったから、ここまでこれたんだ。

 「はぁ! 」

 盾を展開する。弾かれた魔獣に私は鉛の雨を浴びせてようやく絶命させた。

 そうだよ、私はマシュのようには戦えない。

 だから、私はマシュを尊敬する。彼女の強さと勇気を敬愛する。

 私は、いつも守ってもらってばかりで誰も守れたことはない。

 「やぁ! 」

 だけど、慎二は言ったのだ。私を弱くても英雄だと言ってくれた。僕のサーヴァントだと、笑ってくれた。

 だから、私は彼を守りたくなった。いつもみんなにそうしてもらっているように、私が彼を守りたいと願った。

 なんやかんやと駄々をこねて、臆病なくせに高慢で、被害妄想が激しくて、自信がないから、誰かの何かを欲しがって。

 真実を知った今でも、私を『僕のサーヴァント 』と色々な感情がごちゃごちゃになった変な顔で語る。

 嬉しかったんだ、私の身に余る憧憬が。私がカルデアのサーヴァントたちに向けるその瞳が、私がマシュを見る時の目の輝きが。

 全幅の信頼に、答えないといけないと思った。だから…

 「だから、頑張らないといけないの! 」

 九児兼定は礼装に戻して、クー・フーリンからもらった緑槍を振り回して校舎を駆ける。

 一度決めた覚悟は違えない。私は慎二を裏切らない。

 「慎二! 慎二!!」

 どこだ、どこに慎二がいる。

 肺が痛い。呼吸が苦しい。本当は走るのやめて歩きたいし、体の痛みに泣き言を言いたい。

 (だけど、やるって決めたから。)

 体があつくて、くらくらする。それでも、走る。走るのをやめたら、もう立ち上がれない気がしたから。

 ーーー甘い香りがふわりと香る。

 「…!」

 体がぐんとどこかに引っ張られているのを感じた。

 「……いる!」

 呼ばれている。シンジに呼ばれている。わからないけど、そんな気がした。

 私は窓から外に這い出て、壁を渡る。足場は苦無を壁にさしてつくり、引き寄せられる方向に向けて歩みを進める。

 「ここだ! 」

 窓ガラスを蹴り破り、中に侵入すると真っ先に見えたのは一際大きなウリディンムに襲われる慎二で、私はつい、頭が熱くなる。

 気がついたら魔獣が死んでいて、目の前に尻餅をついて倒れる慎二がいた。



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間桐慎二のサーヴァント

 その日も特筆して特に語ることのない半日になるかに思われた。聖杯戦争は夜に行われるため、平静の学校生活にあまり気を配らなかったということが今回の反省点だろう。

 

 いつものように起床して、顔を洗う。僕が不快にならないように水道水はちゃんとぬるま湯に設定してある。

 リツカが朝食を用意して、僕にふるまう。食卓に座るのは僕らだけだ。僕が食事を取る時は、リツカのサーヴァントは座らせない。なぜなら、あいつらが食べると基本的に争奪戦になるため、食いっぱぐれる事もあるからだ。

 1日の中でもっとも大切な食事であると言える朝食の時間は、僕とリツカの二人だけが食べる。

 ま、リツカを同じ席に座ることを認めてやってる僕が一番寛大なんだけどね。

 サーヴァントは基本的に食事をしなくても構わないんだけどさ。でも、食事というのは魔力を得るにはそれなりに有効な手段なのだとリツカが僕に進言したので、その意を汲んで僕もそれを推奨している。

 でも、1日に白米を30合(5キロ)も食べるのはどうかと思う。

 お陰で我が家には入居翌日に業務用炊飯器を買うことになった。

 朝食として出された納豆チーズマヨネーズパン(リツカのお気に入りのパン。異臭がすごいが味はそれなり)を文句を言いながら食べきり、歯を磨く。

 自室に戻り制服に着替える。それと同時にリツカと同じ令呪が宿る右手に丁寧に包帯を巻く。

 これは昨晩、僕が寝た後にマーリンが勝手にやったことだ。真実を知った今、この先令呪がないことを不審に思われることもあるだろう。ならば、仮初めで偽物で形だけのただの刺青のような痣でしかない令呪が僕の右手に宿った。

 つまりは、ハッタリだ。一応魔術的な機能も備わっており、念話の礼装がない場合でも、令呪の霊基グラフに乗っている6騎のサーヴァントおよびリツカとの直通の念話ができるという。普段は念話の礼装で事足りているので死にスキルだ。

 もう一つはリツカの持つF.Cフィールドの劣化版の行使。バリアの膜は一枚だけで、強度もエネミーの攻撃を数撃だけならしのげる程度で、サーヴァントの攻撃は威力の減少はできても相殺は不可能。魔力の補填にも時間がかかる。

 だが、ないよりはマシである。

 これを見ると複雑な気持ちになる。僕は魔術師ではなく、聖杯戦争のマスターでもなかった。だが、藤丸立香のマスターではある。

 この感情に名前をつけることは難しく、強いて言うのならば優越感と劣等感かもしれない。

 僕が玄関で靴を履いていると、リツカがいつものようにランチバッグを持ってきた。

 

「今日は部活遅くなる?」

 「まさか。帰るさ。」

 「そっか。じゃあ、今日もよろしくね、ランスロット。」

 「は、お任せを。」

 

 白いセイバーが恭しくこうべを垂れる。

 ここ数日ですっかり歩き慣れたコンクリートロードを進む。車がすれ違うのがやっとになる細い道路は、人間様を歩かせる気がない白線すらなかったことにされる。

 女の悲鳴で振り返れば、間桐の屋敷よりも住み慣れた新しい家の窓から黒い煙が黙々と立っている。

 きっと、朝っぱらからやってきたメディアの相手をしているんだな。そして、キッチンが爆破されてもリツカは慌てはしても笑って許すんだろう。

 目を閉じれば、その風景がまぶたの裏に映るような気がした。

 『リツカ』

 そう呼びかければ振り返る赤毛の少女。僕の配下であり、僕が魔術師であるという証……だった存在。昨日までは。

 『マスター』というエキストラクラスのサーヴァントで、何騎ものサーヴァントを従える最高の性能の持ち主。本人自体は弱いけれど、さまざまな礼装を用いることで『それなり』に使える。

 頭は少し悪いけど、それぐらいなら僕がカバーできる。

 まさに、僕のために存在しているといっても過言ではない特別なサーヴァント。

 

 『私は、英霊じゃないよ。』

 

 たった一言でそれらが否定された時、怒りの前に喪失を感じた。喪失は僕の中身をえぐって、それが虚しくて虚無を感じた。

 手のひらの盃に溢れるほど満ちていた全能性が指の隙間からこぼれ落ちた。

 恐ろしいほどあっけなく、全能だった僕は無能に堕ちた。胸の中央に空洞があって、その隙間をすうすうと風の通る気配は存在しないはずの痛みを伴って実感させる。

 彼女は人間だ。マーリンの魔術でサーヴァントに見せかけている人間だった。

 アインツベルンの代表であり、今回の聖杯でもあるイリヤスフィール・フォン・アインツベルンの信用を得るためにセルフギアスロールを作ってもいいと言って語った『事実』は、僕が事前に知っていたリツカの情報と違うところなんてほぼなかった。

 ほぼ、というのは僕が彼女はサーヴァントだと信じきっていたということだけで、それ以外に相違なんてない。

 リツカは最初から真実を言っていた。多少ごまかしたり、わざと言わなかったことはあれど彼女は限りなく真実を僕に教えていた。

 

 「(今考えるとサーヴァントだと決めつける僕の対応が面倒になったから話を合わせたように思えるけれど。)」

 

 そんなひどい裏切りを見ても、まだあいつを信頼しているのは、きっと彼女の暖かさを捨てるには惜しいからで。

 見捨てればいいのに他人を切り捨てることを疎むお人好しは、懲りずに『間桐慎二のサーヴァント』を名乗り続けている。それは全幅の信頼で、僕に裏切られても構わないと言いたげな凡人の忠義だった。

 百を優に超えるサーヴァントを誑かす、魔女めいた存在。リツカに聖女は似合わない。

 そんなのが、僕なんかを信じているとのたまうのだ。だから、僕はまだ懊悩を捨てられずに曖昧な夢を見ている。

 一晩経って他人事のように思った。昨夜の自分はどうかしてると。あんなにみっともなく喚くなど僕らしくない。僕はもっとクールで冷静な伊達男だ。子供のように癇癪を起こすなんて信じられない。

 まあ、その結果、手に入れたものはそれなりに価値があるものだけれど、それを手に入れるのに払った対価は大きかった。

 やめよう、思い出すのも恐ろしい。

 ふと、人の気配を感じて顔を上げる。

 

 「おはよう、シンジ。ご機嫌いかが?」

 「やあ、イリヤスフィール。たった今から最悪だ」

 

 不敵に笑う少女と、その後ろに控える二体のホムンクルス。バーサーカーはいない。当然だが。僕の偽令呪については知っていたのか、何も聞いてこない。ただ興味深そうに見てるだけだ。

 

 「昨日の今日でまた会うなんてね。僕に何の用? 」

 「あら?

 マスターの真実にショックを受けて立ち直れてないんじゃないかと気を回してあげたんだけど、必要なかったみたいね。」

 

 くす、と小さく笑ったイリヤスフィールに「余計なお気遣いどうもありがとう。」などと嫌味を吐く。

 

 「まあ、今のはついでだからいいの。

 本来の用事は別よ。」

 

 ふふん、とイリヤは胸を張り。

 

 「あなたに、お兄ちゃんのことを聞きに来たの。」

 「僕にアインツベルンの知り合いなんて、君しかいないけど? 」

 「衛宮士郎のことよ。」

 ピタリと、足が止まる。

 「詳しいんでしょ? 」

 「よくご存知で。」

 

 ふん、と鼻を鳴らして笑う。イリヤは「当然よ。」と冷めた目で吐き捨てた。

 

 「ここに来た目的の半分ぐらいは衛宮士郎なのよ。

 調べるに決まってるじゃない。」

 「あっそ。」

 「あ、もちろん、もう半分は勝利よ。」

 

 慌てたのは、きっと後ろの二人に言い繕る為だろう。幼子のように手を振り回し、「ほんとだからね?」と伺う姿は人間そのものだ。

 

 「なんで衛宮? あいつ、ただの一般人だろ。」

 「セイバーのマスターが一般人なわけないじゃない。」

 

 それはそれはごもっともで。だが衛宮がセイバーのマスターになったのはごく最近のことで、それがイリヤスフィールの目的になるとは思えない。

 僕の疑わしげな視線を振り払うように手を振って、仕方なくといった様子でイリヤスフィールは口を開いた。

 

 「衛宮士郎はね、第四次聖杯戦争のセイバーのマスターだった衛宮切嗣の養子なの。」

 

 幼い顔に影を落とし、淡々と語る。

 

 「それで、衛宮切嗣は私の父親。アイツは、娘の私より衛宮士郎を選んだのよ。」

 「……へぇ。」

 

 ぴり、と肌を刺す刺々しい圧力。下手すれば押しつぶされてしまうのではと錯覚した。

 幼い少女とは思えない凍てついた赤い瞳。青く透けるほど白すぎる肌が瞳と対照的だった。

 

 「でも……。」

 

 彼女によって作られた重苦しい空気は彼女自身により壊された。息苦しさが消え、代わりに年相応の少女めいたイリヤスフィールが立っていた。

 

 「私は、ずっとアイツに捨てられたと思ってた。ううん、今でも思ってる。

 でも、もしかしたら違うのかも、知れない。

 だから……。」

 「だから、衛宮を知りたいわけ?

 いや、衛宮から聞きたいのか、衛宮切嗣の生前を。」

 

 そうね、その通りよ。と声をこぼす少女に、僕はアイツは多分なにも知らないよと告げた。

 

 「そうね。でも、それでもいいの。

 衛宮士郎が私のことも、キリツグのこともなにも知らなかったら、やっぱり私は捨てられたのよ。

 どっちでもいい、私は知りたいだけ。」

 「そんなことで、アイツに協力するって?

 まあ、僕はどうでもいいけど、アイツの目的ちゃんと知ってるよな? 」

 「大聖杯の破壊でしょ。知ってるわよ、そんなの。」

 

 アインツベルンの魔術師とは思えないほどあっさりとそれを告げた白い少女に僕は愕然とする。それでいいのか、と後ろに控える二体のホムンクルスに視線を移すが、それらは人形のように佇むだけだ。

 

 「大聖杯を壊すことに躊躇いがないかと言われたら、嘘になるわ。」

 

 イリヤは「でも。」と話を続ける。

 「それでも、私は本当のことを知りたい。

 お母様のことも、キリツグのことも。

 大聖杯とはなんなのか、汚染とはなにか。そもそも、アインツベルンは何を作ったのか。

 私は、何も知らないでいうことだけ聞く、都合のいいお人形じゃない。」

 赤い瞳に宿る決意は揺るがない。まるで人間のようだ。ホムンクルスの小聖杯と聞いていたが、彼女は人間らしく感情を持って、人間らしく独立しようとしている。人に作られた存在なのに。

 だからなんだ、という話なのだけれど、自分の意思で絶対支配者に抗い、自分の力で地面に立つのを“羨ましい”とほんの少しだけ思った。

 

 「私はその為だけにあなたたちに協力する。」

 「……。 」

 

 なぜ羨ましいのだろう。イリヤスフィールはホムンクルスで、短命で、小聖杯で、故に優れた魔術回路を持つ魔術師で、強力なサーヴァントであるバーサーカーのマスターだ。そのことを羨むよりも、この少女の生き様を羨んだのは何故だろう。

 

 「あなたはどうして?」

 「僕を、間桐の真の後継者だとお爺様に証明する為だ。」

 

 今となってはなんの意味もなさないけどね。と内心自嘲する。

 証明も何も、魔術回路がお粗末すぎて魔術が使えないと再確認したばかりだ。

 それでも、僕はこの野望は捨てられない。これを捨ててしまうと、僕の人生はどうしようもなく無意味で、無価値になる。

 聖杯戦争に勝ち抜いたと言う実績があればいい。聖杯は手に入らなくても、武勲をたてることはできる。

 それが、たとえ偶然に偶然を重ねた結果の勝利だとしても。

 そもそも、僕は最初から偶然から始まっている。

 あの日、僕が召喚を決行しなければ、リツカがレイシフトに失敗しなければ、リツカの手に令呪が残っていれば、僕と彼女は出会わなかった。

 イリヤスフィールは黙りこくって僕の話を聞いて、それからねえ、シンジ。と小さく言った。

 

 「ねぇ、聞いてもいい?」

 

 それは、今思えば核心をつく質問だった。

 

 「シンジはなんで魔術師になりたいの? 」

 

 僕は、その質問に回答を出すことができなかった。

 



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2

 衛宮が学校に来た。遅刻ギリギリで。窓から見える衛宮は急いで来たのだろう、赤銅色の短い髪はボサボサになっていた。いや、これはいつものことか。呑気な衛宮をみると、否応無しに今朝のことを思い出す。

 アインツベルンの協力者を得たということは、大聖杯破壊という目的にかなり近づいたと見ていい。

 イリヤスフィールは、己の母が死んだ原因が大聖杯にあると見て真実を知りたいと言った。

 それは、裏を返せばアインツベルンの魔術師が大聖杯に異常があると確信するほどのなにかがあるということに他ならない。

 リツカとカルデアの言う通り、大聖杯には世界滅亡が起こり得るだけのなにかがあるのらすでに決定事項だ。

 

 「(そんな聖杯戦争の根底を揺るがすことを、遠坂は知らないのか?)」

 

 いや、知っているはずだ。遠坂は冬木のセカンドオーナーであるという事実がこれを証明する。

 もしも遠坂が知らないとしたらそれは管理者責任問題である。リツカが言うには、一目大聖杯を見れば異常がわかる、という代物なのだ。

 つまり、遠坂はそれでも良かったと言うことか?

 穢れた聖杯でも根源へ行くことはできるだろう。膨大な魔力があるということは事実なのだから。

 

 「(やはり、遠坂は一番に潰さなければならないな。)」

 

 そうしないと何が起こるかわからない。遠坂の頭を抑えていないと、大聖杯の破壊になんて踏み込めない。

 まあ、それは別にいい。どうでもいいわけではないけれど、今考え、頭を悩ますことではない。

 僕を悩ますのは世界の行く末なんかではなく、僕自身のことだ。今朝、どうして魔術師になりたいのかという質問に答えられなかったことが問題なのだ。

 いままでなら、きっと言えた。でも、今は言えない。

 そもそも、魔術師とはなんなのだろうか。

 “魔術師(かのじょ)”をみてわからなくなった。

 魔術師とは生まれた時から選ばれた存在で、栄光への道筋が最初から見えている、そんな存在だ。僕は魔術師になり、間桐の人間として認めてもらいたい。それは変わらない。

 きっと僕は、魔術師になってもお爺様に反逆するなどできない。

 だけど今朝、イリヤスフィールは反逆した。

 家族すらも憎み、信じられなくなっていた少女が前に進むために、彼女の“お爺様”に叛逆することを決めた瞬間を見た。

 

 『シンジはなんで魔術師になりたいの?』

 

 イリヤスフィールの言葉は軽かった。なのに、言葉は僕の心にいつまでも棘のように刺さっている。

 認められたい。お爺様に。遠坂に。みんなに。今でもそれらに魅力を感じる。

 ならばなぜ、答えられなかったのか。

 

「(僕は、なにになりたいんだろうか。)」

 

 ふと、赤銅色の後ろ頭が脳裏をよぎる。衛宮ではない、リツカだ。

 リツカは未来の果てに立つ人間だ。カルデアは事実、世紀末にある。雪山の上にあると言う施設で、魔術と科学が融合していた。

 

 「……。」

 

 一瞬考えたそれは、一番近くで藤丸立香を見ている一握り。

 

 「(だから、なにって話だろ)」

 

 ホログラムの向こうに映る彼らに色彩はない。実感も共感もない。ただ唯一、リツカを観測し存在証明を行い続けているということしか知らない。

 というか、だからなにって感じだ。未来の果てにいる彼らと僕がどう関係するのだ。

 終わらない思考は授業終了を告げるチャイムの音で中断された。

 僕は誰かに声をかけられる前に立ち上がり、教室を出て行く。

 

 「衛宮呼んでくれる?」

 

 ドアの近くにいた生徒に声をかけた。知らない女だ。頬を赤らめ、「今呼んでくるね、待ってて間桐くん」と早口で言う。

 その間にもどこからともなく名前もあやふやな女たちが僕の周りに寄ってくる。がらと教室の扉が開き、衛宮が現れた。

 

 「やぁ、衛宮。」

 

 少しの緊張を悟らせないように、とびきり笑顔を作る。

 

 「土曜日は弓道場の掃除ご苦労だったね。

 おかげて気持ち良く練習ができるってみんな感謝してたよ。」

 「ああ、慎二。役に立てたならよかったよ。」

 

 いや、違う。そんなことじゃない。話を切り出す話題に選ぶ内容じゃなかった。

 

 「あー、いけないんだ!

 あの用事って間桐先輩が言われてたんじゃないですかー」

 

 話の内容的に僕の後輩らしい女が媚びた笑顔で囁く。

 

 「いいんだよ。こっちは三年が抜けたばかりで忙しいんだ。」

 

 まあ、それだけじゃないけれど。

 

 「衛宮は元弓道部員なんだからこれくらい当然だ!

 そうだろ衛宮?」

 「ああ……俺も途中で部を抜けたのは悪かったと思ってるし、こんなことで良ければいつでも協力するよ。」

 

 笑顔で肯定する衛宮。ああ、そうだろうさ。衛宮は僕に協力するとちゃんと言った。これなら、僕の本来の目的もすぐに果たされるというものさ!

 

 「ははは! そうだろうそうだろう!」

 「ああ。話はそれだけか?」

 

 機嫌よく笑う僕に衛宮が水を差す。まだ本題にすら入れていないのに何を言っているのか。

 僕は周りにいる女に「邪魔だから帰れば。」と声をかけて追い払う。

 

 「慎二、今のは言い過ぎだ。」

 「フン、お前に指図されるいわれなんかないね。

 それに衛宮、僕の話は終わってない。少し僕に付き合ってくれよ。」

 

 手を差し出す。衛宮はそれを見て、わかったと一言言った。

 そのまま衛宮を屋上に連れて行き、職員室からパクった鍵で扉を開けた。

 

 「慎二、話ってなんだ?」

 「まあ、いい話とは言っておくさ」

 

 中に入り、衛宮を入れた後に屋上の鍵は閉めた。

 ドアを背に立つと衛宮が2メートルほど離れた場所にいた。

 

 「いるんだろう、出てきてよ」

 

 背後に声をかける。リツカに言われてだか、自主的なのか知らないけれど今まで僕の護衛を殆ど担当しているセイバーが念話で『いいのですか?』と一言聞いてきたが、それに頷き肯定すれば霊体化を解いてランスロットが現れた。

 

 「!?」

 

 衛宮の驚愕の表情にほんの少しの優越感。やはり、衛宮はサーヴァントの存在を知っている。

 

 「ど、どういうことだ慎二?」

 「見ての通りさ。僕もお前と同じマスターなんだよ。」

 

 ランスロットの肩に手をかけ、体は衛宮に傾ける。恐らくだが、衛宮の困惑はランスロットがどう見てもセイバークラスにしか見えないからだろう。事実、このランスロットはセイバーだ。

 別に、ランスロットを見せたところでリツカは怒らない。僕も戦略としてこれで構わないと思っている。

 肝心なのは“僕のサーヴァント(フジマルリツカ)”の隠蔽であり、リツカのサーヴァントであるランスロットならば公開してもいい。リツカと、それに従うサーヴァントさえバレなければいいんだ。

 特に、遠坂には。これはどこかで見ているであろう遠坂や、そのほかのマスターに対する牽制だ。こんなにも堂々とサーヴァント反応が現れるんだ。

 できればやれるステータスの隠蔽なんて一切やらずに。僕のことは二体目のセイバーのマスターとでも思えばいい。

 リツカの目的のために動くと決めた今、僕自身を駒にすることぐらいどうでもいいのさ。

 勝つために必要ならば、全くもって構わない。

 

 「驚くのは無理もない。僕だって困惑してるんだからね。」

 

 全ての聖杯戦争のサーヴァントを手中に収め、そのマスターをも裏から操る。とっくの昔に決めていた。計画はずっと考えてた。

 「そこで、昔からの友人であるお前を見込んで相談があるんだ。」

 僕は微笑む。僕の作戦はもうとっくに始まっている。魔術師の常識、理想、信念、性質、その全てが当てはまらないお前に尋ねるよ。

 突然始まった聖杯戦争に困惑しているだろう。何もわからず巻き込まれたんじゃないのかい?

 大丈夫、僕が後ろ盾になるさ。僕が全部教えてやるさ。

 そして、最後に大聖杯を破壊するのにお前のセイバーを、アーサー王を利用する。お前の令呪も利用する。

 

 「どうだい衛宮、僕と手を組まないかい? 」

 

 衛宮、お前は僕の計略に捕まるマスターの一人目だ。

 

 「だったらなんで学校に結界を張った?

 みんなの魂をそいつに食わせようとしたんじゃないのか!?」

 「結界?」

 

 は? 何言ってるんだこいつ。結界ってなんのことだ。まさか、あれか? 土曜の夜にリツカが言っていたやつのことか?

 あれはお前を助けるためのものだろ。人避けと幻術の結界。まさか、まだ効力があるのだろうか。

 ならば、それはきっと僕のためだろうな、と納得した。

 

 「おいおい待ってくれよ。

 あの結界はあくまで保険だよ。ほかのマスターに襲われた時のためにね。」

 「保険だって……?」

 「そうさ。

 ……僕はね衛宮、別に聖杯が欲しいとかそういうんじゃないんだ。

 実のところ、“こいつの”マスターになったのだって僕の意思じゃない。

 僕は巻き込まれたのさ、間桐の家の宿命とやらのせいでね。

 お前だってそうなんだろう、衛宮?」

 「!?

 何故それを……」

 

 衛宮は僕の嘘を見抜けない。

 今、僕の言ったことはほとんど本当さ。すこしの嘘と言ってないことが混ざっているだけで。

 衛宮が今回参加したことは、僕の推測できっと間違いなく正解だろう。

 イリヤスフィールの言うことが正しければ、こいつの養父は前回のセイバーのマスターなんだ。

 

 「わかるさ、長い付き合いだからな。」

 

 でも、今のこいつの反応で確信が持てた。お前は衛宮切嗣の正体を知っている。そして第四次聖杯戦争を生き残ったなら衛宮切嗣だって知っているに違いない。聖杯の正体も、大聖杯の真実も。

 そして、それらは衛宮に確実に継承されている!

 勝利を確信した。自然にほころぶ口元を引き締めることはしないで、逆に綺麗に笑ってやる。差し出した手は重なることもを待っていた。

 

 「僕たちは同じ立場にあるんだよ。

 お互い不本意にも聖杯戦争に巻き込まれた被害者なんだ。

 衛宮だって、“大聖杯の真実を衛宮切嗣から聞いている”だろう? 

 だったら、身を守るために手を組むのは自然なことじゃないか。

 僕らが手を組めばあの遠坂にだって負けやしないさ。」

 

 僕の陣営がすでに取り込んだ陣営は二つ。ライダーとバーサーカー。

 残るは五つ。ランサー、セイバー、アーチャー、キャスター、アサシン。

 衛宮を取り込むと言うことはセイバーが手に入る。衛宮を手に入れれば桜が付いてくるから、おそらくランサーも手に入る。

 

 「さあ、衛宮。」

 

 すると、取り込んだ陣営は四つになり、遠坂のアーチャーがいくら優秀でも、数の不利でこちらの軍門に下るしか無くなる。

 三騎士を取り込めば攻撃力に乏しいのこる四騎士は簡単に手に入るだろう。

 それはすなわち全陣営の取り込みということであり、聖杯戦争の停戦ということに他ならない。あとは、火力でもって対聖杯を破壊するだけだ。

 

 「さあ!」

 

 衛宮はこの作戦の要であり、僕の計略における初手だ。

 

 「(こい、衛宮。お前をヒーローにしてやる。好きだろう、お前。

 僕の手を取れ、協力すると言え、僕はお前を信じている。)」

 

 世界滅亡まで知らなくても、冬木滅亡程度なら聞いているんだろうお前!!

 だって衛宮、お前はあの大火災の生き残りだもんな!

 ならお前はきっと僕の手を取る! 確実に! 

 あの悲劇を再び起こしても成し遂げたい欲望なんてお前ないだろ!

 魔術師じゃないんだからな!

 

 「(取れ、取れ、取れ、取れ、取れよ!

 早く、この手を取れ!)」

 

 下を向いて考え込んでいた衛宮が僕を見る。そして、唇が動き……

 

 

 「断る。」

 

 

 

 「……………………………………は? 」

 

 言葉が理解できなかった。聞き間違えか?

 

 「俺は遠坂と手を組んだ。裏切ることはできない。」

 

 何言ってんだこいつ。信じられない。どうして僕の手を振り払うんだ。

 

 「俺は、お前に協力なんてできないよ、慎二。」

 

 意味がわからない。どうして僕が衛宮にフられるんだ?

 なんで遠坂? おまえ、あいつと接点ないだろう?

 桜なら、まだ少しだが理解はできる。なんで遠坂?

 僕の方が、おまえとの付き合い長いだろ。

 お前、何考えてんの?

 ぱき、ぱき、ぱき!

 小さな音が上から聞こえる。普段なら気にも留めない音さえ煩わしい。

 舌打ちをして、上を、空を見た。透明な紫の膜がぐるりと学校全体を覆っていた。

 

 『……違う、やはりこれは“あの男”の結界じゃない! 』

 

 脳にランスロットの低い声が鳴り響く。

 

 「は!? どういうことだよ!」

 瞬間、学校全体を覆う黒い繭のようなものが現れた。体は重くなり…

 「慎二、やっぱりお前!」

 

 衛宮が僕を睨む。違う、こんなのは知らない。

 

 「違う、これは僕じゃない!」

 「何が違うんだ! 早く結界を解け!」

 「僕じゃない、こんなの、僕の計画に入っていなかった!」

 

 ぞわ、と凍るような寒気が背筋を走る。鼓膜を揺らすこの雄叫びを、本能が恐れている。

 

 「ーーーーー!!!」

 

 真っ赤な獅子だった。太陽のような立髪を持つ、立派な獅子だった。

 長く鋭い牙と、金色の眼球を持ち、刺青のような模様を赤い毛皮に刻んでいた。

 だらだらとよだれを垂らす姿。しかしどこか神聖で、だが邪悪極まりない獣。

 それが校庭で暴れ回っている。鋭い爪を振り下ろすだけでコピー用紙を引き裂くように校舎が引き裂かれた。

 

 「シンジ、ここは一時離脱を!」

 「ち、くそ!

 ランスロット、衛宮も連れて行け!」

 「いいえ、彼なら大丈夫です!」

 

 ランスロットが僕を抱えて逃げに入る。でも今、衛宮はマヌケにもセイバーを連れていない!何が大丈夫だ、と叫ぶ僕に、ランスロットは一言叫んだ。

 

 「我が王が、マスターの危機に駆けつけないわけがない!」

 

 バカなんじゃないの! じゃあなんでアーサー王来てないんだよ!

 でも悪態なんて付いている暇もない。

 だが、衛宮は僕が目を離した隙にとっくに屋上から逃げていて、僕らだけが取り残されていた。半開きのドアと、もうそこにいない赤銅色に苛立ちがつのる。

 

 『慎二、無事!?』

 

 息を切らしたリツカの声が頭に響いた。胸ポケットの礼装がほんのり熱を持っていた。

 『今そっちに向かってる!

 

 私たちがつくまでの間、耐えて!』

 『馬鹿か! 来るな!』

 『はあ!?

 この緊急事態に何言ってんの!? 』

 『お前が来ると僕の計略が全部おじゃんなんだよ!』

 『また新しいの立てればいいじゃん!

 もう着くからランスロット、慎二と生徒を守って!』

 『承知致しました。 』

 

 接続が切れた念話。険しい顔のランスロットが黒の群れをにらんだ。

 

 「なあ、お前、アレのこと知ってるの。」

 「……ええ。今、この場にいる中では一番。」

 

 僕を横抱きにして校舎を飛び降り、衝撃とともに地面に着地した。

 そして、裏門からすぐ近くのベンチの前に僕を下ろすと、何かの礼装を持たせて僕の前に跪いた。

 

 「時期にマーリンが来ます。それまで、ここで待機していてください。」

 

 渡された礼装は防御系の礼装で、例の時限爆弾のカードもあった。これなら僕でもしばらくの間耐えることはできるだろう。

 

 「お前はどうするの。」

 

 ランスロットは立ち上がり、視線を僕から外した。

 

 「シンジ。」

 

 ランスロットが校舎に侵入しようとしている化け物の群れを睨みつけている。ぞくりと、背筋に鳥肌が走った。息をするのが苦しくなるほど空気が薄くなり、じりじりと日に炙られているような灼熱。

 

 「アレを、すべて切り捨てる許可をください。」

 

 全ては、この男の殺気だった。僕の身に起きた異常事態はすべて僕に向けられたわけでもない殺気に当てられたから。心臓が握りつぶされるようなプレッシャー。

 爛々と紫の瞳を光らせて、すでに手は剣の柄を握っていた。今にも駆け出しそうな一人の男。

 ああ、こいつは英霊(サーヴァント)だ。目の前にいるのは、かつてブリテン最強と謳われた騎士! 

 そんな存在が僕を守ろうとすることが、どうしようもなく嬉しくて楽しい。

 ふふ、と笑いがこみ上げてきた。自分でも驚くほどに愉快だ。

 

 「“アイツ”に変わって命令だ、ランスロット。

 全部切り殺せ!」

 「は!」

 

 巨体は一瞬でかき消えた。

 白い稲妻がドォンと落ちる。初めて見た命の簒奪は一方的だ。ガシャカジャと鎧を鳴らして、力強い大剣が魔獣の命を伐採していた。

 ある魔獣は首を突き刺されて

 ある魔獣は首を落とされ

 ある魔獣は脳天から尻まで真っ二つに両断され

 ある魔獣は胴体が切り分かれていた。

 

 「うおおおぉぉぉ!!」

 

 獣のように雄叫びを上げて、全身に返り血を浴びて立つ男。土留色の血が彼の紫の髪を滴る。

 血でへたった髪を鬱陶しそうに片手で乱雑に掻き上げて、ほんの数秒中断していた殺戮を再開する。

 校庭の土は魔獣の血を吸って不気味な色に染まっている。それはなんだか魔法陣のように見える。

 だがそれは、僕のいる場所に血飛沫一つどころか砂埃一つ起こさせぬために配慮した結果であると悟っている。

 

 「はは、最強かよ……!」

 

 円卓の騎士最強だと、騎士の中の騎士だとアーサー王が絶賛した男。

 サー・ランスロット。お前は恐ろしい男だ。

 情けも容赦もなく、冷徹に剣を振るい、戦場に持ち込むには侮辱的な気遣いすらして見せる男。狂気的といえるその有り様に、僕は生唾を飲み込んだ。

 だが、油断はできない。

 迫り来る神話時代の魔獣は、たった一人の英霊によりその数を減らしているが、まだ多い。ランスロットも万能ではないのだ。

 

 「セイバー! 僕に変な気を回すなら全部確実に掃討しろ!」

 「は!」

 雄々しく響く低音が了承を告げると、白銀の騎士の暴威はより苛烈になる。

 踵は地を踏み破り、命を引き裂く。

 時に素手で魔獣の頭蓋を握り潰し、重量任せな強烈な足技で腹を蹴り破った。

 先ほどの蹂躙が可愛らしく思えるほどの暴虐に、僕は頬を引きつらせる。風に乗って血飛沫が僕の足元まで飛んできた。

 だけれど、時間は僕らの敵だった。

 魔獣はどこからか湧いて出て、数はどんどんと増えてゆく。魔獣の死骸の山で己の足場が減っていく。

 英霊であっても、ランスロットがいかに強くとも、疲労というものは蓄積する。

 魔力はカルデアから供給されているとは言っても、宝具はまだ使っていなくても、連戦続きならば消耗も激しい。

 軽傷も積もり積もれば重傷になる。

 

 「応急手当!」

 

 初めて、礼装をサーヴァントに使用した。ぐん!と己の内側から何かが抜けてゆき、緑色のベールがランスロットを包む。

 緑の光が晴れたら、ランスロットがある程度怪我は残っているが回復していた。

 だけれど、礼装の再装填は時間がかかる。

 討ちもらしが真っ先に狙ってきたのは僕だった。

 

 「逃げろ、シンジ!」

 

 僕のもとに駆け寄ろうにも、ランスロットは校門前の敵の食い止めで精一杯で身動きが取れない。

 ランスロットの暴威をすり抜けて入ってきた敵にまで対処はできない。サーヴァントは彼以外にいない。

 脂汗が吹き出る。顳顬を冷たい汗が伝い、ぽた、と土を濡らした。

 鋭い爪をもつバケモノはもうすでに目の前まで迫っていて、僕に襲いかかる。その動きはスローモーションのようにゆっくりと見えるのに、息をつく間もないほど一瞬の秒なんだ。

 

 ーーーこの仮初の令呪の機能はね……

 

 マーリンの声がフラッシュバックして、僕は、とっさに令呪を構えてさけぶ。

 

 「F.Cフィールド!」

 

 青い魔術障壁に刻まれる紋章は月桂樹と三日月。いつだったかリツカが僕に教えてくれたカルデアのマークだった。

 ぱりんと割れたシールドに、エネミーが怯む一瞬のうちに校舎に逃げ込んだ。僅かではあるが距離を取れ。

 走り、走り、走り、行き止まる。

 これ以上逃げられない。戻る道は大型の魔獣で塞がれている。囲まれている現在の状態が最悪なのは誰から見ても当たり前だ。

 手のひらの赤が視界に映る。あの夜の後悔と立香の手のひら。

 わかってる。こんなことに意味なんてない。滲む手汗を握り込んで、喉の奥を震わせた。

 

 「令呪を、持って命ずる……」

 

 でも、それでもいい。目を閉じればまぶたの裏に映るほどに。今、僕は『赤』に焦がれている。

 

 「(助けてくれ)」

 

 心の中に死体がある。涙が枯れて、愛に飢えて餓死した誰かが、音にならない言葉を告げた。

 僕がマスターじゃないとか、リツカがサーヴァントじゃないとか、そもそも聖杯戦争に出場する資格がないとか、そんなわかり切った事はもうどうだっていい。

 僕が魔術師になりたい理由を考えるのもやめよう。

 僕は魔術師になりたかったし、聖杯戦争にマスターとして出たかった。お爺さまに認めさせて、人を勝手に哀れんで見下す桜を、僕が正当な理由で見下したかった。

 これが理由だ。答えなんて探すまでもなかった。

 偽りで塗り固めて、とっくに正解は出ている。

 

 「来い、マスター!!」

 

 無意味で、無価値で、無様な行動だ。

 これで発動するのは直通の念話ぐらいで、リツカが現れるわけない。なのに、僕は令呪というものに縋った。願った。どうしようもなく。魔獣の爪はすぐそこにあった。

 

 「……は、はは」

 

 令呪が光り、一画消えた。花吹雪が視界を奪い、甘い花の匂いにくらつく。

 黄金の光の粒が集まって人形に変わる。

 それに気づく前にガッシャンと窓が割れた。ガラスの破片が廊下に散らばる。

 割れた穴から小柄な体が飛んできて、右手で作った銃の指先から赤い玉が浮いていた。

 

 「ガンド!」

 

 ぴたり、と魔獣の体が停止した、ガラスを踏みしめ、 弾かれるように彼女は魔獣に向かっていく。握りしめた両手の中にはシワが寄ったカードが左右に一枚ずつ入っていた。

 カードは少女の手の中で緑槍に変わり、そして彼女は動けない魔獣の背後をあっさり奪った。

 

 「はあぁぁああ!!」

 

 投擲された若草色の槍が柄まで深々と、魔獣の突き刺さる。槍を背後に放り投げた彼女の反対の手には短機関銃が握られている。槍は一瞬で形を失い、一枚のカードが床に落ちる。

 背中に飛び乗り、追撃にゼロ距離で撃ちこまれた銃弾が3発、黄色と赤の体毛のライオン、もとい魔獣の脳漿が飛び散らす。

 魔獣の血を全身で浴びて、少女が振り向く。仮面もローブも何もない。擦り傷だらけで、全身血で汚れて、両手なんて魔獣の体液でベタベタだ。

 さらりと揺れたサイドテール。カルデア戦闘服を纏い、拾い上げた二枚のカードを片手に持つ、僕と同い年ぐらいの少女は擦り傷だらけで全身血で汚れてた。よく見れば髪は乾いた血で固まっているし、撥水性のスーツには青紫の水滴がプツプツ浮いている。

 とん、と魔獣の骸から飛び降りて、したり顔で彼女は笑った。

 

 「お待たせ、慎二。」

 

 差し出されたリツカの手は血で一面紫色で、少しだけ震えていた。

 

 「遅い。」

 「さっきは来るなって言ったくせに。」

 

 僕は躊躇わずにリツカの手を取った。ぬちゃりと生温い液体に手が滑り、離れた。

 受け身も取れずに尻餅をつく。

 あは、と思わず耐えられずに噴き出したリツカの手を、笑うなと怒りながら僕はしっかり握った。



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DENGER

 現在、僕は空をとんでいる。

 正確には、リツカに姫抱きされてフリーフォールしている。

 あのあと、リツカが連れてきていたサーヴァント(と合流した僕らは、校舎に侵入した魔獣・ウリディンムを殲滅した。

 リツカは意外と戦える。緑槍と機関銃、そして九字兼定という銘の日本刀と。獲物を切り替えながら状況に応じて戦い方を変える不思議な戦闘スタイルはきっと、敵に勝つことより生き残ることを重点に置いているからだろう。

 投擲したかと思うと荒々しく乱れ突き、かと思えば水面のように静かな防御を重視した動きに変える。恐らくリツカは槍捌きが違う流派を会得してる。

 剣術もそうだ。速さに重きを置く点はどれも同じように見えるが、攻撃の質というのだろうか、戦い方が万華鏡のようにコロコロ変わるのだ。

 一つを極めるのではなく、多くを覚えるということを目的としたような戦闘は、必要だから覚えたというようで。

 

  「(いや、実際そうなんだろうね)」

 

 覚えたから使うという魔術師のあり方とは異なると、再確認した。

 リツカに倣って、屋上から校庭を見下ろす。轟々と燃える一角がやたらと目に入った。

 

 「二階は終わったぜ、マスター」

 「ありがとう、燕青」

 

 しゅたりと、フェンスを飛び越えて入ってきたアサシンにリツカは笑顔で礼を言うと、礼装を全て端末に仕舞う。

 

 「敵対生命体(エネミー)、減ったね。」

 「校内の魔獣はセイバー陣営が討伐してくれてるっぽいぜ。衛宮士郎だっけか、あのマスターが令呪使ってセイバーの姐さん呼んでな」

 

 僕は再度外に視線を向けた。リツカは減ったと言うが、僕にはその違いがわからない。

 未だに魔獣が溢れかえる校庭。もう校外からの侵入はないから増援はない筈なのに、気付けばそこに魔獣がいる。

 じっと、敵を俯瞰して気付く。

 

 「(死体の数が少なくないか?)」

 

 もう一度、見る。やっぱり少ない。ランスロットが作った身動きが取れなくなるほどの死体の山がどこにもない。

 

 「校舎内はもう敵はいないんだよね?」

 「いないよぉ、エルキドゥにも確認させるかい?」

 「ううん、燕青が見落とすわけないだろうし。(あと、エルキドゥいないし)」

 「照れるネェ」

 

 リツカの意味深な空白を含む言葉に、アサシンは軽く答える。

 リツカは最後にそっか、と呟き…

 ____窓の向こうで、地震のような唸り声が響いた。

 

 「なんだ!?」

 

 身を乗り出して外を見る。驚愕に目を見開く。

 

 「(なんだよ、あれ…!)」

 

  ……影だ、影、大量の、触手のような影が地面から吹き出している。ずるりと伸びた黒い触手は、地面を這いずりまわる。

 倒した魔獣の死骸が、ずるずると黒い影に絡めとられて、中に引きずり込まれるように溶けていく。

 そして、きっと校庭にいる彼らは気づいていないのだろう。屋上にあるからこそわかる、黒い影が『紋様』として溢れていることを。

 

 「(あれは、魔法陣…!)」

 

 まただ、また、地面の底から唸り声が聞こえる。影がまるで何事もなかったようにきえて、かわりにバキバキに割れた地面だけが残った。

 干上がった大地のようなヒビ。それがどんどん増えてゆき、ぱき、と。

 たまごの殻を破るように巨大な獣の爪が出現した。

 地面から現れたのは、今までの魔獣の比ではないほど巨大な獅子

 

 「太陽の獅子、ウガル…!」

 

 立香が厳しい目でそれを睨む。続きの言葉にならずに、唇が小さく動いた。

 

 「おい、リツカ、まさか…!」

 「私たちも加勢しよう。」

 

 言葉としては短く、完結だ。慎二の頬がひくりと引きつる。

 リツカはしゃがみ込むと、僕の膝裏に手を回す。

 

 「は……うわぁ!」

 

 視界が急に上昇。「よっ」なんて言って軽々しく僕を抱き上げたリツカが、フェンスに足をかけた。

 

 「……はぁ!? 

 おい待てバカ! ここ、屋上だぞ!?」

 「慎二黙って。舌噛むよ!」

 

 とん、と軽く蹴って、浮遊感。青空が近くに見える。

 

 「アサシン、着地任せた!」

 「いいよぉ」

 

 そのまま、リツカは飛び降りた。僕は咄嗟にフェンスに手を伸ばしたが届かず、かわりにリツカの髪を引っ張る。

 

 「ぎゃあぁぁぁあ!!!」

 「痛い痛い痛い!」

 

 風が硬い。殴られているかのように感じるほどの衝撃に僕は反射で悲鳴をあげた。迫りくる地面が恐ろしい。

 髪を握る手を解いて、両手をリツカの首に腕を回した。縋るように、ぎちぎちに抱きつく。地面が、近い。

 ズドン!

 アサシンがしっかりと両足を地につけて、踏み締める。舞い上がった土埃の向こうには、魔獣の影が見えた。グラウンドだ。

 ふわりと姫のように下された僕だが、足が震えてうまく立てない。リツカの右腕に己の腕を絡ませて、なんとか立っている状態だ。

 

 「おま、おまえぇぇえ!!」

 

 がちがちと震えで歯が鳴る。土埃でけほけほと咳をするリツカが、「あー、はいはい」なんて言って子供を甘やかすように頭を撫でる。違う、そうじゃない!

 

 「さぁて、マスター。

 第二回戦と洒落込むかぁ?」

 

 アサシンが、にまりと笑う。彼の虎のように鋭い金色の瞳には、無数の獣が写っている。

 ぎぎぎ、と首を回せばそこにあるのは先ほどの比ではないウリンディムの大群。

 そして、それらに襲われる金髪の女と、衛宮がいた。

 

 「加勢よろしく、私の燕青」

 「いいよぉ〜!」

 

  リツカはキャスター・クー・フーリンの杖にそっくりな、木の杖を構えて微笑んで、ポップコーンがはじけたように、アサシンが飛び出した。



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2

 巨大な魔獣が現れて、一気に劣勢となった戦局は、たった“二人”のサーヴァントの出現で優勢となりつつある。

 

 「は、はは、あはは。あはははははは! 見たか衛宮! これが僕とお前の力の差だ!」

 

 慎二が笑う。高らかに。

 目の前で慎二のサーヴァント達だという仮面の少女が、迫り来る魔獣(ウリディンムというらしい)たちを見事な槍さばきで倒す。それを繰り広げている。だが、倒しても倒しても全く数が減らない。

 もうすっかり日も傾いて、世界は夕日で赤く染まる。それだけ戦っても、まだ終わらない。

 このまま、夜明けまで戦うしか方法がないのか?そんなゾッとする考えが脳裏をよぎる。

 

 「今、そんなこと言ってる場合じゃないだろ!」

 「うるさい!黙ってろ!」

 

 ぎゅう、と爪が食い込むぐらいに、慎二は右手を握りしめた。

 

 「僕は、魔術師だ。そうだ、そうに決まってる。間桐の後継者は僕だ。」

 

 ぶつぶつと下を向いて唇を噛む。ぎらりと敵を睨みつける眼は鋭利な刃物のように尖っていた。

 

 「り…ルーラー! 殺せ、あいつら全部、殺し尽くせ!」

 「言われなくても!」

 

 最前線で己のサーヴァントたちに指示と補助魔術を飛ばしながら、赤銅色の少女が戦場を駆け巡る。緑槍が鮮やかに舞い、的確に急所を穿つ。

 その槍捌きはどこかキャスターの杖術に似ていた。

 

 「っ慎二!補助!」

 

 大ジャンプからの着地。その一瞬崩れた体制を整える前に襲いかかるウリディンムを前に、少女が叫ぶ。

 

 「緊急回避!

 気を抜くなよ、ルーラー!」

 「ごめん! ありがとう慎二!」

 

 白い光がルーラーを包む。少女の姿がぶれたと思った瞬間、まるでそうなることが必然と言えるかのようにルーラーは攻撃をかわした。

 

 「アサシン、真名解放、宝具開帳!

 ウリディンムの群れを掃討しろ!」

 「いいよぉ。」

 

 黒髪のアサシンが腰を落とす。その瞳は肉食獣のように爛々と輝き、そして声だけ残してその場から消えた。

 

 「奥義装填。」

 

 否、違う。高速で移動したのだ。彼が立っていた場所は蹴り飛ばされた衝撃に耐えられず、足がめり込んだような跡が残っているし、瞬間的な突風も彼の移動の証拠にしかならない。

 

 「闇の侠客ここに参上。『十面埋伏無影のごとく!』」

 

 破壊、破壊、破壊、破壊、破壊。

 血の雨がごく普通のありふれたグラウンドを汚し、大地を赤黒く染める。一撃で仕留められたのであろう、その証拠血絶命した魔獣の脳天や腹には貫通した拳大の穴が開いている。

 死、死、死、死、死、死、死、死。

 死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死。

 理不尽なまでの暴力がそこにはある。電光石火などではまだ足りない。光速を超えた速さ。

 力というものは物理の世界で運動量と言われる。ものを壊そうとするとき、質量が大きいほど、速度が大きいほど破壊しやすい。

 ならば今、現在神速で活動するアサシンの拳から繰り出される運動量は、破壊力はどれだけのものなのか。

 その答えが、魔獣たちの死体に他ならない。

 一撃だけでも必殺の拳が、目にも留まらぬ速さで何百、いや何千回も繰り出される。

 魔獣の体に無数の穴が開き、血が吹き出す。

 先ほどまで絶望的な数でこちらを襲ってきていた魔獣たちが見えない何かに殴り殺され死んでいく。穴だらけの死体が増えていく。

 その拳は魔獣の体を貫通し、蹴撃は頭蓋を破る。

 ピシャリ、と頬に生ぬるい液体が付着した。目の前にアサシンがいた。逆光のせいで顔は真っ黒で見えない。アサシンの拳は(寸止めで止められたが)俺の顔面を捉えていた。

 つう、と頬を伝う液体が彼の拳から飛んだ魔獣の血液だと気づき、背筋が凍える。彼の背後には全滅した魔獣の死骸で山が完成されていた。にやりと、アサシンが口角をあげる。

 

  「天に星、地には悪漢。

 幻想であるはずの男は、拳法と共に創成された。

 さあて、俺様は誰でしょう!?」

 

 楽しそうに語尾をあげて、高らかに口上を述べる。拳は開かれて、水を払うようにして振られた手から血が飛び散る。

 ここまでくれば、答えはわかった。

 

 「……燕青、浪子燕青。水滸伝の登場人物で、架空の存在。」

 

 物語の英雄。燕青拳の開祖とされているがその存在は確認されていない。

 架空の存在であるはずの英霊が、目の前にいた。

 俺の呟きに、アサシンはパッと顔を明るくさせて、満足そうに頷く。

 

 「そう、その通りだ。

 我こそは天に輝く百八の星の一つ。天罡星三十六星の末席に輝く天巧星。

 俺は燕青。浪子燕青だ。」

 

 獰猛に、猛々しく。かのサーヴァントは血だまりの中にいるのが一番美しい瞬間なのだと全身で主張する。俺は強化魔術で強化した箒を構えた。

 

 「燕青くん。」

 

 彼の背後に人が立っていた。白いマントを風で膨らみ、うすい紫色がかった白髪がふわりと揺れる。

 

 「次に行こう、こちらも手が回らなくてね」

 「是的(はいはい)、じゃあ行くとするかねぇ」

 

 彼は少女に「マスター!」と呼び掛け、少女は「外お願い!」と指示を出した。

 

 「慎二、準備はできてる?  礼装着てる?」

 「ふん、言われるまでもなく十分だ!」

 

 慎二が笑う。腕時計のようなものを操作してから胸元のボタンを三つも開けて、下に着ている服を主張した。

 まるで、SF映画の未来人が着るようなぴったりとした服。令呪が見えるよう手の甲の部分がぱっかり空いているグローブをはめ直し、ガッツポーズをするようにそれを見せつけた。

 

 「ハズさないでよ?」

 「誰にものを頼んでると思ってんだ。」

 

 溌剌な表情。慎二が楽しそうに指銃を構える。見たことがないほど生き生きしていた。

 

 「それじゃあ一発目ーーっ!」

 

 少女の掛け声に合わせて礼装を起動させる。一際巨大な魔獣を前に腹に力が入る。声を張り上げる。

 

 「「ガンド!」」

 

 ズドン!

 大きな音がした。雷が落ちるように赤い閃光が魔獣を突き刺し、ばたりと倒れる。

 とん、と背中に飛び乗った仮面の少女はゴリと肌に銃口を押し付けて、6回連続で引き金を引く。

 完全に絶命した魔獣は光の粒になって消える。気づけば先ほど燕青が倒した魔獣たちも血のあと一つ残さず消えていた。

 

 「燕青!」

 「おうよ。」

 

 それは、理想的な主従の形だ。お互いを信頼し、信用している。

 後方に移動したルーラーが白いどこかの制服に衣装を変えて立っていた。

 手のひらを突き出した。

 

 「燕青!」

 「はぁ!」

 

 それは暴風。緑の光に包まれたと燕青は、まばたきの一瞬で彼女の前から魔獣の前に移動している。

 巨大なウガルという魔獣の懐にあっさりと入り込んだアサシンは、重心を落として掌底の構えをとる。

 

 「せい!」

 

 どん!

 突き上げた掌から生まれた衝撃が、ウガルの巨体を少し浮かせた。腹にきれいに入った掌底は連続した衝撃をウガルに与える。1秒に数十発繰り出された超人拳に衛宮士郎は目を見開いた。

 ダメージが蓄積する体を動かして、ウガルが爪を振るう。アサシンは腕をクロスさせて受け身をとるが、ざっくりと腕を切り裂かれる。

 

 「ぐっ!」

 

 呻き声が一つだけあがる。思わずというようにぽろりと。

 腕には三本の爪痕がぐっさりと残っていて、その切り口から赤い肉が見えた。ぼたた、と液体の溢れる音に息を呑んだ。

 血が、こぼれている。霊基という、エーテルを編み上げて作った器から堰を切ったようにあふれる赤い液体。それすらもエーテルのはずなのに、人間のように生々しい。

 慎二が「かひゅ」と息を呑む。ルーラーは目を逸らさずに唇を噛んだ。

 アサシンはそれがどうしたと言いたげにウガルの巨大な頭に軽やかに飛び乗る。

 

 「千山万水語るに及ばず!」

 

 最後に、拳が叩き込まれた。太陽の獅子と称えられる禍々しくも神々しい黄金の獅子は、血を吐いて絶命した。

 だが、それでもアサシンは止まらない。

 黒い髪がさらりと靡く。目を離した数瞬間の間にアサシンがその場から消える。

 

 1秒。

 ウリディンムが一体、血を撒き散らしながら空に浮く。

 

 2秒。

 魔獣の体を踏みつけて上空に飛び上げ、縦回転の回し蹴りが魔獣の頭蓋を蹴り割った。

 

 3秒。

 天に向かって蹴り飛ばした魔獣が落下するのと同時に、別の魔獣が校舎の壁にぶつかり破壊と同時に死亡。

 

 たった3秒。3秒後にはウガルを取り巻く魔獣たちの屍が転がっていた。転々と残る赤い血の跡が彼の移動の痕跡を残している。

 風が強く吹いた。魔獣の首が落ちた。

 最後に残っていたのは手刀を構えたアサシンだけだ。

 首ら刀で落としたようにすとんと落ちた。

 

 「すごい…」

 

 衛宮がちいさく声を漏らした。

 称賛すべきはこれが全て強化魔術を用いない純粋な身体能力だと言うことを言うことだ。えぐれた土が彼の身体能力による移動だと言うことを物語っている。

 いくら英霊だとは言え、生前の身体能力が伺える。いや、燕青に生前はない。幻想ゆえの能力なのだろうか。

 

 「ふぃー、終わった終わった。」

 

 手首をぷらぷら振りながら、得意げに笑った燕青にルーラーが笑う。

 

 「おつかれ、さすが燕青。」

「うぅん、照れるねぇ」

 

 血でドロドロになったアサシンは少し屈む。ルーラーはほんの少し背伸びして、顔の血をすでに血塗れのハンカチの、まだ汚れていないところで拭った。アサシンはそれに目を細めて、子犬のように愛嬌よく笑った。

 

 ふと、日が沈んだかのように暗くなる。

 風を切る音と、耳を覆いたくなる不快な音。

 おぞましい、黒い群れ。本能がアレはダメだと訴えている。それは空を、地上を、全てを覆い尽くす地獄の光景。ぼちゃ、びちゃ、と泥を踏みしめるような音まで聞こえた。

 黒い影が僕と衛宮を覆った。見たくない。見なくてもわかった。僕らの上、つまり空を飛ぶ何かがいるという事を! 

 不気味なケタケタ笑いがその存在がいかに邪悪かを証明している。

 

 「(怖い、寒い、苦しい!)」

 

 それをほんの一目見ただけで体から体温が奪われていく。

 

 「慎二、深呼吸だよ。」

 

 ルーラーの掌が慎二の背中を摩る。

 「恐怖は無くならないけど、筋肉は和らぐ。」

 廊下にある窓という窓が全て割れた。そしてようやく気づく。窓の外にいる悍ましい生物に。

 本能で感じる嫌悪と恐怖。目なんて見当たらないのに、じっとりと見られているかのように感じる。

 顔全体にある縦向きの口が横に開き、ケラケラとせせら笑う。

 たった五体だ。だけれど、それでも感じる絶望感に立香は息を呑んだ。

 

 「なんだよ、あれ!!」

 

 慎二が震える声で叫ぶ。ルーラーは十字盾を構え、慎二を守るように立ちふさがった。その後ろで、緑衣のアーチャー…ロビンフッドがボウガンを構えた。

 

 「ラフム……!」

 

 「まさか、コレが出てくるなんてな。俺、即死もってなんですけど。」

 ロビンフッドがニヤリと笑う。彼らは何を知っているのか。ラフムとはなんなのか。何もわからない、けれどわかることが一つある。

 

 「ケイオスタイドがないだけウルクの時よりマシでしょ。」

 「おや、ティアマト復活フラグかな? 」

 「冗談でも笑えないよ」

 

 たった今、この瞬間から。本当の意味で第五次聖杯戦争は始まったのだ、と。

 怯えを必死に飲み込んだような、切羽詰まった歪な表情だった。



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3

 そこからの展開は一方的だ。

  足を負傷して動けないセイバーに群がったラフムは、いたぶるように腕を切りつけた。

 セイバーのこらえるような呻き声に、ラフムが歓声をあげる。

 キシャキシャ、と表現するのが正しいのであろうか、いくつもの不快な音がセイバーを囲んでいた。

 セイバーは善戦していた。だが大多数に一斉に攻撃されるのではいくらセイバーでもダメージが重なる。

 セイバーが校庭に倒れこんだのは必然だろう。いくら個人が強くても、数の暴力に押されていた。

 血まみれになり動けないセイバーを笑いながら、ラフムが鎌のような腕を振り下ろす。

 

 「セイバーーーー!!!」

 

 守るために駆け寄る。時間が足りない、俺の手は届かない。衛宮の背中がラフムの鎌で切り裂かれそうになる、まさにその瞬間に小さな影が間に入る。

 

 「F.Cフィールド、全展開!!」

 

 ガラスが割れるような鈍い音と、金属がぶつかり合ったような高い音。

 

 「大丈夫、怪我は!?」

 

 砕けた盾の魔術。光を持っているその破片がうっすらとその色を暗くしながら大気に消えていく。

 目の前にいたルーラーがキャスターの持つ杖とそっくりな杖を握って立っている。

 つまりーーールーラーがセイバーを庇ったと言うことだ。

 

  「なぜ、私を助ける……! 」

 

 セイバーがルーラーを睨みつけた。ルーラーは振り返る余裕がないのか、ラフムと相対しながら叫ぶように答えた。

 「あなたがここで敗退すると私も困るの!

 それに、こいつらはできるだけここで倒さなくちゃいけない!」

 地面に足を植え込むように、力を込めて踏ん張って立つ姿その姿は、ただの凡人だ。

 

 「(彼女は、英雄ではない。)」

 

 直感だった。だがそれが真理だとも思った。

 かと言って、反英雄というわけでもない。どうしようもなく人間で、かつて己が守りたかった国民よりも非力で、哀れなほどに凡人だ。

 だけど、ああ、どうして。

 恐怖も飲み込んで巨大な敵に立ち向かう彼女の姿は、どうしてこんなにも愛おしいのだろう。

 彼女は人間だ。それ以上にもそれ以下にもなれない。善性も悪性も平等に理解して併せ持つ。

 臆病なのに、なけなしの勇気を振り絞って立っている。

 

 「(まるで、まるでーーー人間の可能性を体現したような…)」

  「慎二、セイバーに応急処置をお願い! 」

  「ふん、なんで僕が衛宮のサーヴァントなんて…」

 「慎二! 」

 「うるさいな、わかったよ! 」

 

 慎二が両手をセイバーに当てると、緑の光がセイバーを覆い、傷が癒えていく。

 そして、少女が守るように前に立つと、後ろで戦闘に関わらず控えていた男に微笑んだ。

 

 「イアソン、みんなをよろしく」

 「仕方ないから任されてやる。」

 

 金髪の美丈夫はひょいと慎二を担ぎ上げると、飛び上がって空飛ぶ船に乗り込んだ。

 

 「連れてこい。」

 

 イアソンが一言。気づけば体に刺青を施した大男が士郎とセイバーを担いで船に乗り込んだ。士郎は甲板から身を乗り出す。

 地上ではルーラーのサーヴァントだというアサシン、ランサー、そしてアーチャーが死闘を繰り広げていた。

 ルーラーは動かない。後方で指示を飛ばし、危なくなった時だけ自衛する。

 船はそこから動くことはなく、ただ漂ってる。

 上から見ればよくわかる。敵の数が多すぎる。ルーラーを守るサーヴァントも手一杯で、彼女を完全に守るには至らない。

 ルーラーは緑槍を軽く回してから、向かってくるラフムという黒い怪物に構えた。

 

 「せやぁ!」

 

 槍は、ラフムの脇腹に浅く刺さる。それを承知していたと言いたげに少女がどこからか取り出した見事な日本刀を構え、何処か危うげな抜刀中で首を落とした。

 だけれど、切り飛ばした端からラフムは増殖して、それでも何度も何度もルーラー陣営はラフムを切り飛ばしていた。

 元は五体しかいなかったラフムは、気がつけば20体は優に超えている。

 ふ、と空が暗くなる。雲で太陽が隠れただけならいい。

 だけど、なぜか嫌な予感がして、空を見上げた。

 

 「…嘘だろ」

 

 士郎が嘆く。私も同じ気持ちだった。空を埋め尽くす黒い影。それらはすべて、彼らがラフムと呼ぶ化け物だった。

 

 


 

 「…嘘でしょ」

 

 空を覆う黒い影。追加で降ってきた真っ黒なそれに、私はもはや軽口さえたたけない。

 空を埋め尽くしているのではないかというほど大量のラフムの群勢。

 

 「は、はは」

 

 いつぞやの再来を思わせる絶望感に、思わず乾いた笑いが出た。

 あの時は、どうやったんだっけ。どうやって、倒したんだっけ。

 今、私たちの戦力は少ない。

 たった一人でウリンディムの猛攻に耐え抜き消耗したランスロット。

 私たちを庇うために積極的に前線で奮闘した上に、単騎でウガルと戦い大怪我を負った燕青。

 上空からの援護射撃の連発により魔力切れ寸前の清姫。

 戦闘参加辞退のエルキドゥ。

 マーリンは結界の維持で手が回せない。

 遅れて駆けつけてきたおかげで唯一無傷なロビンフッドも慎二の護衛で手が離せない。

 一つ言えるのは、私一人じゃ倒せない。

 

 「(私は、弱い)」

 『そうだね。』

 

 声が、声が聞こえる。私の真後ろに立って、首を絞めながら囁いているような酷薄な声が。

 

 「(他人の魔術で強化されてようやく、みんなの三歩後ろに立てる程度だ。)」

 『私は前線にいなくてはならないけれど、前に出てはいけない。』

 「(彼らと同じ場所に立っちゃいけない。

 同じ力量を持つもの以外、隣に立ってはいけないから。)」

『自惚れるな、調子に乗るな。少し戦えるようになったからって、少し魔術を使えるようになったからって、結局、私は凡人でしかない。』

 「(自分を守る力もない私が同じ戦場に立てば、私を守るために誰かが傷つく。)」

 『私が前に出るだけで、誰かが犠牲になる。

 誰かが私を庇う。誰かの攻撃を私は邪魔する。

 藤丸立香は、率直に言って足手纏いだ。』

 (だから、邪魔にならない程度に近い場所で、私にできることをしようと思った。)

 首に、誰かが触れている。

 『私は、邪魔にならない場所で、安全な場所で、指示を出すだけの無能な人間だ。』

 「(だけど、私が勇気を振り絞るだけで解決する方法がある。私が役に立つなら、少しは戦いたい。)」

 

 きゅう。首が閉まった。

 

 『嘘つき。』

 

 ゾッとするほど冷たい声が、私を責める。

 嘘つき、嘘つき、嘘つき、嘘つき、嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘

 

 『あんたの本音は、もっと汚いよ。』

 

 「(なんなんだ、なんなんだもう!

 煩い、うるさいよ!)」

 

 幻聴に腹を立てて、私は虚空を睨んだ。

 

 「ああ、そうだ。

 私は、機械がわからない。

 私は、魔術がわからない。

 私は、戦略を知らないし戦術も知らない。

 指揮官としての判断力だって未熟だ。」

 

 突然語り出した私に、視線が集まる。顔が熱い。だけれどそれすらも怒りに変えて、腕を振り下ろす。

 

 「私は!

 恐怖を飲み込んで立つ強さも、恐怖を希望に塗り替える強さもない!」

 

 私は、英雄にはなれない。

 

 「でも!」

  私は、ただの人間でしかないから。だから!

 「絶対に諦めたくない!

 怖くても、苦しくても、絶望しても、立ち止まっても、前に進むことはやめない!」

 

 どんなに頑張ろうと、私は凡人にしかなれない。だからこそ、どこまでも人間らしく生きる。

 図太く、図々しく、愛を分け合って、何かを恐れて、そしてどこまでも前進する。

 

  「慎二、令呪をつかう。」

 

 右手が汗を握る。すこし慎二と距離をとり、仁王立ちして令呪を構えた。慎二が歯をむき出しにして叫んだ。

 

 「なんでもいいからさっさとやれ、リツカ!」

 

 慎二の言葉に答えるように、リツカの令呪と腕の機械が輝く。

 腕時計によく似た端末は、ホログラムの魔法陣を投影する。

 中央に十字盾、それを囲うようにグルリと三本、青い光が浮いていた。

 霊脈は、多分ある。そんな不確かな、本物の魔術師が見れば激怒するだろう、準備不足極まりない儀式が始まろうとしていた。

 

 「――――告げる。」

 

 すとん。言葉が落ちる。

 

「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。

 誓いを此処に。

 我は常世総ての善と成る者、

 我は常世総ての悪を敷く者。

 汝三大の言霊を纏う七天、

 人理の輪より来たれ、天秤の守り手よ……

 令呪を持って命ずる!

 天文台より来たれ、カルデアのセイバーーー!」

 

 三本の光は七色の光の粒を交ざり収束、閃光。

 光の粒が集まり、人の形を取った。ぱら、と淡い光が溢れていく。

 

 「召喚に応じ参上した。随分と雑な召喚だな、マスター」

 

 黒いドレスに黒い鎧。そして仮面で顔を隠した白が強いプラチナブロンドの女。

 画面に覆われた顔は見えないけれど、声、背格好に立ち姿、醸し出す雰囲気を除くそれら全てが、衛宮士郎のセイバーによく似ていた。私は彼女を見て、“笑う”

 

 「オルタ!無茶を言うけど真名封鎖でラフムを倒せる!?」

 「…ふん、いいだろう。」

 

 一瞬送った立香の視線。その先にいたのは青いセイバー。

 真名封鎖、か。

 黒いセイバーは立香の懸念を、どうせ無駄だと嘲笑うように鼻で笑った。セイバーの霊基が変化して、顔の仮面が外れる。その下にあったのはやはり、“セイバー”の顔だった。

 真っ黒な邪剣を振りかぶり、冷たい瞳でラフムを睨む。

 

 「令呪を持って命ずる!

  宝具解放!」

 

 令呪が赤く光る。膨大な魔力が抜けていく。

 

 「真名封鎖……宝具擬似展開」

 

 がしゃん。鎧が音を立てる。

 

 「ーーー卑王鉄槌、極光は反転する。

 光を飲め!■■■■■■■・■■■■■!!」

 

 ごう!

 赤と紫色の魔力が、数多のラフムを飲み込む。周囲の建物の存在を忘れたように、光はすべてを薙ぎ払う。

 光が薄れた後に、ラフムの影は一つもなかった。

 

 「……ここまでか。」

 

 パラパラと突如現れたセイバーの体が消えていく。

 それすらどうでも良さげな彼女は、己のマスター……ルーラーの頬を片手で掴んで無理やり視線を合わせた。

 

 「…、……。」

 「え?」

 

 聞き取れないほど小さな言葉を聞き取れたのは、リツカだけだった。

 


















 「……ルーラーがマスターなのはわかった。そう言うサーヴァントっていうことも。
 信じられないけれど、ルール違反でないのなら私は手を出せない。
 でも、やっぱりあんたが聖杯戦争のマスターなんかじゃない。」

 遠坂は僕を睨みつけ、吐き捨てるように告げる。

 「ふん、あいつは僕のサーヴァントだ。令呪が見えないのか? 」
 「ああ、それ。 偽物でしょ、わかるわよ。」

 しゅるりと包帯を解いて見せるが、遠坂は相変わらず僕を見下していた。冷ややかな視線が僕の内側をえぐる。

 「あんたが知らないみたいだから教えてあげる。ルーラーは、マスターが必要ないのよ。」

 嘲り笑う。遠坂は悪魔のような表情を浮かべて言う。興味も、関心も、何一つない冷たく凍った表情。

「間桐慎二をマスターだと思っているのはアンタ一人だけよ。」

 遠坂が僕を冷めた目で見つめる。僕の後ろに控えるセイバーを見て、「アンタ、可哀想。」などとのたまう。そのまま踵を返して、遠坂は去っていった。取り残された僕の舌打ちなんて、一切聞こえてないように。
 ああ、そうだよ。
 リツカのサーヴァントは、僕のサーヴァントではない。そもそもリツカがサーヴァントではない。それでも、僕はマスターだ。
 たとえ、魔術師ではなくても。
 たとえ、聖杯戦争のマスターではなくても。
 それでも、リツカは僕のサーヴァントで、僕はリツカのマスターだ。
 イレギュラーな参加者で、本当ならば参加資格もない。最初から嘘ばかりの陣営だ。

 「慎二は私のマスターだよ。」

 かつり。ブーツがリネンのタイルを蹴る音が響く。

 「……リツカ(ルーラー)。」

 僕を守るようでいて、そうではない。
 僕を守るなら前に立つ。だけれど、リツカは僕の隣に立った。

 「訂正してください。」

 遠坂の背中に、言葉がぶつかる。緩慢に、遠坂の青味を帯びた黒い髪が揺れた。

 「間桐慎二は可哀想なんかじゃない。」

 遠坂が振り向く。
 僕の手を立香の手が握る。立香の瞳はいやってほどにまっすぐだ。
 熱い。手汗でぬるつく。リツカは握力がゴリラだから、力を込めすぎて僕の手がごりこり悲鳴をあげている。
 だけれど、それでも。
 離せと一言、言えなかった。やめろとその手を振り解けなかった。
 遠坂が不思議そうに首を傾げた。

  「魔力もなく、令呪も仮なのに?
 それは本当にマスターって言える?」
 「言える。魔術的な繋がりがなくても、魔力という絶対的な上下がなくても。
 私は慎二を尊敬している。
 私たちが“主従”でないというのは、そうだよ、あなたのいう通りだ。」

 リツカはその黄金の瞳を爛々と輝かせて、赤い髪を逆立てて叫ぶ。

 「それでも、私は、藤丸立香(わたし)は間桐慎二の友人だ! 
 忠誠がないと言うなら友情で誓う!
 証拠(令呪)がないと言うのなら行動で示す!
 今!ここに!宣言する!
 私は間桐慎二の友人(サーヴァント)だ!
 友愛を持って慎二を守る!」

 堂々としたその態度に、熱いものがこみ上げてきた。遠坂は呆れた、と一言言って、そのまま去っていったけれど。

 『(どうです、うちのマスターは。
 とんでもない人でしょう? )』

 脳内に、緑衣のアーチャーの声が響いた。
 ああ、そうだよ。とんでもない奴だ。

 聖杯戦争3日目、終了。
 校舎半壊。テロ事件として偽装され、穂群原高校は学校閉鎖になった。


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4

 

 「とっておきの機能はどうだったかい? 」

 

 自宅に帰り、ドアを開けて一番に見えたのは白い魔術師だった。

 胡散臭い笑顔で尋ねるということは、やはりこの男の細工だったのだ。令呪が一画きえて、リツカが現れた。まるで令呪を使ったようにサーヴァントを呼び出すなんて出来るわけがない、あれは偶然だと思い込んでいたのだが。

 

 「とあるサーヴァントの宝具を参考にして作った魔術だ。

 予めマーキングしておけば、ワープもどきができるって寸法さ。」

 

 第二魔法に片足突っ込んでるけれど魔術の範囲内だ!と楽しそうに笑う。

 

 「他に黙っている機能はないの? 」

 「あるとも! 

 いっただろう、劣化版の令呪だと」

 

 マーリンは笑う。楽しくて仕方がないというように、だがそれすらも嘘なのだと思ってしまう薄っぺらな笑顔で。

 「あと二画残っている。大切に使いなさい。」

 

花のように消えた彼の言葉が、ずっと耳の奥に残っていた。

 

 

 

■■■

 

 

 「マスター、あの騎士王になにを言われたんです?」

 「()()()()()()()()()()。」

 

 私は、無理やり笑顔を作る。本当は笑えない話だったけれど、それは心の底に押し込んだ。

 

  「ねぇ、私がしてることって間違ってるかな。」

 

 部屋の隅で膝を抱える。ロビンは床でクロスボウの手入れをしている。ちらり、と一瞬視線をよこしたと思ったら再びクロスボウに視線が向き、言葉だけが残る。

 

 「マスターはあいつをどうしたいんです?」

 「…守りたいよ。」

 

 ロビンの問いかけに、言い淀みながらも答えた。

 間桐慎二を守る。世界を守るためだけじゃなく、一人の人間として守りたい。そのために、私はサーヴァントを名乗った。

 出会って数分で理解した強い魔術師コンプレックスと、その根底にある寂しい少年を見つけてしまって、私は彼の冷たい心を溶かしたいと思ってしまった。

 

 「私、なにしたいんだろ。」

 「後悔してるんです?」

 「そりゃ、ね。」

 

 嘘をつくのは良くない。清姫なら焼き殺してる。私は、慎二に嘘をついているわけじゃない。でも、わざと勘違いさせているのは嘘じゃないと言えるのだろうか。

 特異点を修復した後も私が共にいると、心のどこかで信じ続けている彼に、私は言えるのだろうか。

 特異点を修復すると私たちはカルデアに戻り、そして私たちの存在を修復とともに忘れるのだと、言い出せないままでいる。

 誰がどう見ても、慎二は私に心を許してくれている。嘘つきの私を信頼して信用している。

 それが、嬉しいのにどうしても苦しい。

 

 「ま、俺は別にいいと思うんですがね。今の状況がお互いにとって最善でしょ?

 そもそも、真実を彼が受け入れられるとは思えないですし。」

 「受け入れられる頃にネタバレすればいいってこと?」

 「そう言うことです。」

 「…いいのかな。」

 「嘘に嘘を重ねる事になってもって?それなら、最初から嘘なんかつかなければよかった。」

 「私は、嘘なんて…」

 「ついてないって?

 ま、たしかにマスターは嘘をついたわけじゃない。言わなかっただけで、勘違いしているのはあいつだ。

 でも、その勘違いであの坊ちゃんが救われるなら、今は構わないんじゃあないんですか?」

 「…。」

 

 なにも言えなくて、口を噤んだ。ロビンの言う通りだ。勘違いを正せばよかった。それを都合がいいからと黙っていたのは私だし、今更になってやっぱり、なんておかしい。道理が通らない。

 でも、慎二を知れば知るほど罪悪感に押しつぶされそうになる。マスター、と私を呼ぶ声がとても嬉しそうだから、苦しくて仕方ない。

 

 「彼に現実を受け入れろという方が酷でしょう。」

 「……偽善と言われても仕方がないことをしているのはわかっているんだ。

 私は、彼に前を向いて欲しい。もう少しで前を向いて歩き出せそうなんだ。」

 

 一人でも。とは言えなかった。

 分かり合えない人間なんていない。人は独りでは生きていけない。

 思想の違いによるすれ違いはあれど、その思想を理解し、それでもなお敵対することはあるだろうけれど。

 それを責めることはしない。敵対した事実ごと、真正面から受け止めればいつかきっと理解し合えれる。

 わかり合いたい、と思う気持ちを忘れては生けない。

 

 「私が慎二に押し付けた現実も理想も最悪なのはわかってる。

 憧れをやめて現実を見ろと言ってるようなものだしね。

 でも、魔術師に固執してそのほかの道を潰して歩く姿を黙って見ていることもできないよ。」

 

 だって彼は、魔術師以外ならなんだってなれるんだよ。

 それが何より悲しくて、そう考えてしまう私が何より最悪だ。エゴの塊。余計なお世話を嫌った私が、余計なお世話を慎二に押し付けてる。

吐き気がするほど醜悪だ、私は。

 

 「ほんと面倒くさい人だよ、アンタは。」

 

 その優しさは毒みたいですわ、とロビンが笑ってマントを広げてくれた。

 違う、違うんだよロビン。

 私はそんなに綺麗じゃない。あなたが思うような女じゃない。

 

 『あんたのエゴに、慎二を利用するなよ。』

 

 暗闇の中で、もう一人の私が囁く。目を逸らしたい真実に、私はまだ向き合えていない。

 

 私はロビンのマントの下で泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 金色の髪が揺れる。

 赤い目が輝く。

 

 「……ほう、この度の聖杯戦争には面白いもの(異物)がいるな」

 

 ワイングラスを片手に、堂々と玉座に座る彼は醜悪な怪物と呼ぶにふさわしい“新人類”と、その記憶を持ってやってきた存在を見て笑っていた。

 

 「あれを呼んだのは私だ。」

 「なに、言葉の綾だ、気にするな」

 「それよりも、ラフムを使うのが早過ぎる。」

 「ふははははは!

 我ではない、あれは()()が勝手にやったこと。

 まあ、なに。おかげであれの“性能も試せた”ことだし、面白いものも見れただろう?」

 

 形の良い目が、半円に歪む。

 背もたれに体重をかけて、背後にいる男の顔を見上げた。

 

 「お前の()()とやらはどうだった、綺礼」

 

 黒いカソック。黒のタートルネック。男に

 しては長い髪が顔に影を作る、陰鬱な雰囲気の男がにたりと笑う。

 

 「……やはり、私は間違っていなかった。」

 

 ふ、ふふふと不気味な笑い声を漏らす。彼の足元には、ぞわりと蠢く影が残る。

 思えば、10年。暇つぶしにこの男の心の隙間をこじ開けて、穴を広げて、傷を増やし、作り上げてからそれほどの月日が経過した。

 そんな男がどうしても捨てきれなかった憧れを、ガラクタの中から偶然拾い上げたのが今回の始まりだ。

 

 「(愉悦よなぁ)」

 

 美しい男は完全に壊れ切った男の姿に満足そうに頷いて、微笑む。 その顔はどんなに金を積んでもたりない、まさしく値をつけられないほどに美しい顔であり…

 

 「そうか。」

 

 だが、その表情は悪魔を連想させるほど邪悪だった。



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四日目
アルゴノーツよ、出陣の時だ!


 夢を見る。
 この時代に来てから、繰り返し夢を見る。
 サーヴァントを驕ってから、ずっとずっと夢を見ている。きっと、私の深層心理。

 『私のエゴに慎二を巻き込まないで。』

 はっきり、実態を取る“私”が怒っている。夢だからこそ実現する不思議。
 私はありえないほど攻撃的で、信じられないぐらい酷薄だ。
 夢だから心は無防備で剥き出しで、これが私の本性か、とわざとらしい達観で“私”を見つめた。

 『私は英雄にはなれないよ、私が一番わかってる筈だ』

 彼女が言葉を投げかけるたびに、私の体には凶器が生える。
 心臓にナイフ、腹部に槍。

 「そうだね、その通りだ。」
 『私は誰かの記憶に残らない。』

 肩に弓矢、太ももには銃弾。

 「でも、事象は残る。」
 『それは、あんたがそうだといいと思っているだけだよ』

 剣剣剣刀刀剣刀剣剣。
 背中に走る衝撃に息が詰まる。でも、夢だから痛みはない。

 『藤丸立香、あんたが選ぶ最善には必ず犠牲者が出る。
 私が言うまでもなく、わかってるでしょ?』

 言葉が出せない。輝かしい物語の裏側の凄惨な描写がずらっと並んだ空間。薄い膜の向こうの人々の慟哭と怨嗟が、私を責め立てる。

 『ははは、ばっかみたい。
 今度は、何を犠牲にするつもり?
 このエゴイスト』

 嘲笑う。私の顔で、そんな表情が作れたのかといっそ感心してしまいそうなほど、嫌悪に塗れた恐ろしい顔。
 私は目を瞑る。わかってる、私が生きるために成し遂げた事は、こう言うことだ。勝手に選んで勝手に切り捨てた。
 だから、だから。せめてこれだけは信じたい。

 「だけど、エゴも最後まで貫き通したら本
当になれるかもしれないじゃん。」

 真正面の彼女の表情が、すとんと消えた。真顔の、仄暗い瞳の私は、だらりと力なくたれた手に視線を落とした。

『エゴを最後まで貫き通して、そのあとは?
 残された人がどんな気持ちだか知ってるくせに。』

 ぱっと、景色が入れ替わった。終局特異点の映像。
 ああ、あの人がそこにいる。手を伸ばしても届かない、でもすこし歩けば触れられる距離。
 あの人の笑顔。満足そうな、やり切ったような顔。消える、消えていく。黄金の光の粒になって、存在そのものがぱらぱらと溶けていく。
 ああ、届かない。

 「嫌だ……」

 あの日、あの瞬間に言えなかった言葉が。飲み込んだ言葉が。

 「いかないで……!」

 ロマニ、あなたが消えるなんて聞いてなかった。
 惨めったらしく蹲って彼の残滓に縋る。そんな姿を、もう一人の私は背後から見下ろしていた。

 『ねぇ、ロマニと同じことしてるって気付いてる?』

 目が、覚めた。息が詰まるほど苦しい朝だ。
  聖杯戦争4日目の朝は、からりとしたいい天気だった。





 「あ、あいたたた!?」

 

 ぐう、と伸びをしようと体をそらして、激痛。全身が痛い。動かすだけで激痛だ。

 

 「む、無茶しすぎた…」

 

 マーリンの強化魔術があんまりにも高性能だから、調子に乗った罰だろうか。全身の節という節が軋むし、筋肉がバキバキに壊れて悲鳴を上げている。

 

 「ははは、おはようマスター!

 清々しい朝だね!!」

 「〜〜マーリン!!!」

 

 このストーカー野郎!とマーリンを睨む。おやおや、とやたら楽しそうな響きの声音がむかつく。

 

 「これはひどいぶり返しだね。

 まあ、昨日の戦闘であれだけ動いた上に英霊召喚までしたんだから仕方がないだろうけれども。」

 「うう…わかってたなら教えてよ〜」

 「だから、来たんじゃないか。さあ、服を脱いで。治癒魔術をかけてあげよう。」

 「うわ、なんか変態くさい。」

 「なにおう!?」

 「はは、じょーたんだよ。ありがとうマーリン」

 

 随分と軽くなった体。腕をぐるぐる回してうん、と頷く。これなら大丈夫そうだ。

 

 「だけど、今日は激しい運動は避けて、一日安静にすること。散歩や買い物くらいは許すけど、戦闘なんてもってのほかだ。

 ここではカルデアのサポートは行き届かないんだから。

 まあ心配は要らないと思うけれど、存在証明が出来なくなった場合、君は消えてしまうかもしれないんだよ。」

 「うん、ありがとうマーリン。」

 

 マーリンの言葉に、ふと思い出したのは昨日の言葉。

 

  『医療班からの伝言だ。貴様のバイタルは常に不安定で存在証明も安定しない。まるで監獄塔の再来だ。

 ……今回のレイシフトには何かある、気を付けろよ、マスター。』

 

 先日のオルタからの伝言が、頭から離れない。監獄塔の再来。だけど、ゲーティアはもういない。

 ふと、脳裏を過ぎ去ったのはダヴィンチちゃんが初日に行っていた“座標をねじ曲げて連れ去った”と言う言葉。

 

 「(それに近い、何者かによる拉致…とか?)」

 

 まさか、そんな。

 一晩寝ても整理なんてつかない。しかも、夢が夢だ。落ち着くものも落ち着かない。

 嫌な予感がついて回る。無駄にグルグル考えてしまう。だから息抜きに何処かにパーっと遊びに行きたかった。

 でも、安静にしなければいけない。でも激しい運動をしなければいいわけだし。

 うーん、と私は唸る。

 

 「あ、昼間ならいいじゃん。」

 

 聖杯戦争は夜間行われる。昼間に行えばルール違反で失格。

 たとえ他の陣営のマスターやサーヴァントと出会しても昼のうちなら安全だろう。それで、夜はおとなしく過ごそう。

 そんな、安直な考えだった。

 

 

■■■

 

 

 

 聖杯戦争4日目の朝が来た。昨日の魔獣襲撃及びラフム戦による死者はいなかったが、学校関係者の大多数が生命力を吸い取られたことで昏睡及び重軽症。

 リツカが最後に呼び出したセイバーの対城宝具により校舎の一部が半壊。

 穂群原高校は3日間休校となった。幸いにも破壊されたのは部活棟だから、授業はできる。

 穂群原高校はテロにより半壊したと、表向きには発表された。警察は最近多発するガス漏れ事件をガスの散布テロと認識を改め、今回の事件との関連性が〜などと言いながら捜査を進めているが、テログループは存在しない。

 ネットでは自称・穂群原高校襲撃テロの主犯を名乗る人物が多数現れ、日本は今混乱を巻き起こしている。架空のテロリストは己の手口を思い思いに語るがどれも正解なんてない。

 ニュースキャスターが忙しなく動く。どのチャンネルも似たようなニュースばかり。

 冬木市の異常事態はすべてサーヴァント戦によるもので、強いていうならば聖杯戦争に参加しているマスターこそがテロリストなのではないかとハムエッグトーストを食べながら僕は思った。

 

  「ねえ慎二、せっかくだから遊びに行こうよ。」

 

 リツカが呑気にトーストを食べながら言う。

 

  「ふん、なんで僕が」

 「いーじゃんいーじゃん息抜き息抜き〜

 あ、新都とかどう? 行ってみたいと思ってたんだ」

 「一人で行けば?」

 

 ニコニコ、わざとらしい空元気なその表情。らしくもないその様子に、気を使っているのかと苛立つ。

 僕とリツカの間に割り込んできた清姫が「わたくしがお供しますわ」とこたえる。リツカの左手にべったりとくっついた清姫は、リツカに見えない角度で僕を鼻で笑う。うざったい態度が頭にきて、「まあ、どうしてもというなら行ってやってもいいけど?」と肩を竦めた。

 

 「来なくていいですわ」

 「お前には言ってないだろ」

 

 どろりと、粘着質で不愉快極まりない陰険な視線が僕にささる。リツカがこの場にいなければ火を吹いて消炭にされそうだ。

 

 「…ん?

 あれ、清ちゃん今日バイトじゃなかった?」

 「はい、ですが休みます」

 「え、休む? 」

 「休みます」

 

 めらりと、背後のオーラが揺れる。爛々と光る目は猫というよりも蛇。縦に裂けた瞳孔で僕を睨みつける。

 

 「(私を差し置きながらマスターとデヱトなんてさせませんわ…!)」

 

 抜け駆けなんて許しません、と。

 念話の礼装を起動していないはずなのに脳内に響いた声が恐ろしい。ブルリと体が震える。

 

 「いや、当日ドタキャンなんて普通に迷惑でしょーよ」

 

 「ちゃんもバイトしてください」と、ロビンフッドが呆れ顔でティーカップと一緒にミルクポットを並べながら告げる。

 

 「く!

 出ましたわねハイスペック彼氏面男(HSK)!!」

 「褒め言葉ってことにしておきます」

 

 本日のモーニングティーはアッサムですよ。と僕に告げて、角砂糖の代わりにハニーシロップをカップにひとさじ落とす。

 

 「あるばいとより、ますたぁの護衛の方が重要ですわ。」

 「なら俺がやりますよ。

 ちょうど、新都で噂集めでもしようと思ってたところですし」

 「嘘じゃありませんね……くぅっ、お邪魔虫!

 何がなんでも私とマスターのデヱトを阻止するおつもりですか!」

 「いや、邪魔する気まんまんなのはお姫さんのほうでしょ…」

 

 結局、リツカの「清ちゃんのためにお土産買ってくるから」の一言で清姫は渋々諦めた。だけれど、完全にデート…じゃなくて、新都に出かける流れになってしまった。

 

 「お、これ豆乳?

 豆乳ミルクティーって美味しいね。さすがロビン!」

 「はいはい、あんがとさん。」

 

 ロビンは軽く受け流し、「それで、どうします?」と慎二に話を振った。慎二は清姫をチラリと見て、それからニンマリといたずらを思いついた子供のように笑う。

 

 「いいよ。デートしようか。」

 「〜〜〜!!!」

 

 一瞬で怒りで真っ赤に染まった清姫をせせら笑うように、リツカの肩を抱く。清姫からしたら信じがたい蛮行である。怒髪天を突く、をその身で体現するように殺気と共に髪の毛を逆立て、蛇の瞳孔でもって慎二を睨む。

 

 「清姫」

 「ええ、はい。安珍様。あのような小物をわざわざ焼き殺したりなんてしません。はい。

 縊り殺したりなんてしません。

 ーーーーーしませんとも。」

 

 瞳孔が開ききって、血管という血管が浮き上がる憤怒の表情。無理やり作ったひきつり笑いがいかにも不気味で恐ろしい。

 まあ、そんなこんなで僕と立香は新都にいた。

 

 だが、僕は早々に来たことを後悔することになる。

 

 「あっ」 「あ?」

 

 リツカの声につられて、そちらを見てしまったことが間違いだったのだ。そこにいたのは可愛く着飾ったコルキスの王女。その少女がべったりと腕を絡ませ、しなだれ掛かられる見覚えがありすぎる男。ラフな格好だがセンスの光るカジュアルスタイルの担任。

 援助交際にしか見えないその二人。だが、通報されない理由は“彼”の存在があるからだろう。葛木の真後ろを歩く表情が抜け落ちた、だがそれでも町中の老若男女の視線を独占する美人(男)、むしろ騒がしくない分美形要素がプラスされているのではなかろうか。

 保護者同伴の可愛らしい男女カップル、もしくは兄妹に見える彼ら。だが、その関係性を知っている僕からしたらただの地獄。

 

 「おい、いくぞリツカ」

 「え、いやでも、あれ…」

 「無視れ。あんな目に見える地雷、関わるべきじゃないね。」

 「そっすね。早いとこ退散しましょ、マスター」

 「え、えぇ〜」

 

 モダモダと手間取っていたのが悪かったのだろう。長い金色の睫毛に縁取られた、エメラルドの瞳がすぅいと動いて、視界の端に僕たちを映す。

 

 「うん?……あ!」

 

 金髪の男が徐に顔をあげる。そして、そのガラス玉のような緑の瞳に、赤を捕らえる。げ、という二人の男の嘆き声とあ、という少女の感嘆符が混ざる。

 金髪の美丈夫が、ぱあっと雰囲気を華やいだ。顔面に『ラッキー!助かったぜ!』とデカデカと書かれたその男に、僕は思わず「ゔげぇ」と汚い悲鳴を上げた。

 

 「おお!カルデアのマスターとマスター(仮)じゃないか! こんなところで出会うなんて、奇遇だなぁ!」

 

 手を振りながらニコニコと迫ってくるイアソン。ずかずか、と言ったほうが正しいその足取り。「まさか逃げたりなんかしないよな?」というように、大げさな仕草と高らかなセリフじみた言葉。

 注目を集めるために行なっているとしか思えない。くそ、退路を断つつもりか!

 助けを求めて少し上を見上げる。そこにいるはずのロビンフッドはいない。

 あの野郎〜〜!!霊体化してバックれやがった!裏切り者め!

 主人を助けない従者などあっていいのか! いや、良いわけがない!

 護衛と言っていたから、どこかにいるであろうが、その所業は許されない。そもそも護衛対象を守らない護衛官がどこにいる!

 

 「まだ間に合う。逃げるぞ、リツカ。」

 「いやいや慎二、さすがに無理だって」

 「おい、この私がわざわざ貴様らの元まで足労してやったというのに、逃げるとはなんだ。」

 「い"っだァ!!!」

 

 ぽん、と肩に乗せられた生暖かい感触。ぎち、と爪を立てられ食い込む。

 

 「うわ、来やがった!帰れ!ついて来るな、ライダー!」

 「はん、魔術師でもない人間風情がなんたる口の聞き方か!

 同盟相手じゃなければ殺していたな。」

 「それはどうもありがとう、魔力欠乏で消滅寸前だったライダーさん。

 恩人の僕らに“わざわざ”感謝の言葉でも告げにきてくれたのかな?」

 「はっはっは。その件はどうもありがとうとでも言えばいいのかなァ?

 感謝の印にこの私がお前たちに食事を恵んでやってもいいのだぞ?」

 「ははは、お腹空いてないから遠慮しておくよ。

 僕らに構わずデートの続きをどうぞ? 

 ああ、デートのおまけの間違いだったかな?」

 「お、おまけぇ…!?」

 

 ちぃっと鋭い舌打ちがイアソンの上品な唇から唾と共に飛び出す。眉間にシワがよるのを感じながら、僕もけっと唾を吐き捨てた。

 

 「だまれ、私だって不本意だ。

 なんでこの私が、あの女と宗一郎のデートに同行などせねばならないのだ!こんな不自由な霊基でなければ!」

 「アーチャーになって出直せばぁ?」

 「とても的確なアドバイスをありがとう、欠陥マスター(笑)

 辞世の句は必要ないな?」

 「こっちのセリフだ知名度E、魔力供給切ってやろうか!」

 「だぁれが知名度Eだ!

 私はあのヘラクレスが同乗した、アルゴナウタイの船長だぞ!!」

 「でも、日本ではあまり知名度がないんだよね、知名度補正でわからない?」

 「こ、こいつ…!!」

 

 僕の嘲るような語り口に、イアソンが歯茎をむき出しにして歯軋りをして睨む。負けじど僕も睨みつけーーー

 

  「まあ、こんなところで奇遇ですね!」

 

 僕とイアソンの言い合いに割り込んできた、場違いな鈴色の声。

 さあっと血の気が引いたイアソン。まるで錆び付いたロボットのように、ぎぎ、と背後を振り向く。そこにいたのは予想通りの人物。

 

 「こんにちは、カルデアのマスターさん。」

 

 当然、メディア(リリィ)だった。葛木の腕を両腕で抱いて、ニコニコご機嫌な少女は美しい笑顔でちょこんとお辞儀をしたメディアリリィだった。

 言葉にならない悲鳴をあげるイアソン。かくいう僕もゾッとするほど穏やかな表情の彼女に(恐怖で)息を呑んだ。ただ、リツカと葛木だけが平然としてる。

 

 「やあ、メディア。今日は葛木とデートかな?

 イアソン(そいつ)邪魔じゃない?」

 「はい、そうです!」

 

 慎二の軽薄な発言に立香が脇腹をど突く。手遅れだったが。

彼女の発言(それ)は、前者と後者どちらに対しての返答なのか。後者なら背後のイアソンがあまりにも不憫だ。

 邪魔と言われたイアソンは『ならほっとけよ』と言いたげな不満な顔をしていたが、続きの言葉を聞いてとてもわかりやすく顔を引きつらせる。

 

 「本当はイアソン様を置いて行っても良かったのですが、パスの関係であまり離れることはできないで…」

 「あーうん、なるほど〜」

 

 つまり、意味は後者。

 ははは、と明らかな地雷を踏んだリツカは曖昧に笑った。

 イアソンは存在を消すように体を小さくさせた。とてもかわいそう。

 

 「マスターさんもデートですか?」

 「そうだよ〜!」「おい!」

 

 悪戯っぽく笑って,リツカが僕の腕に抱きつく。それをみて,メディアが「まあ!」と手を叩いた。

 

「そうだ!ダブルデートしましょう!

 私と宗一郎様。そしてマスターさんと…えっと、ワカメさんの“四人”で!

 きっと楽しいデートになります!」

 「えっ、いいの?」

 「誰がワカメだ!」

 

 そして、何受け入れてるんだリツカ。ナチュラルにいないもの扱いされたイアソンにもはや同情すらない。

 メディアリリィのシンプルな罵倒にぴきり、とこめかみに血管が浮き上がる。だが、落ち着け、落ち着くんだ間桐慎二。せっかく不満を飲み込んだんだ、クールになれ。

 こんなどうしようもないことで仲間割れでもしても仕方ない。仕方ない、不服だが僕が譲ってやろう。

 

 「ははは、ライダー、自己紹介がまだだったみたいだね。

 僕は間桐慎二、これからはこちらの名前で呼んでくれ」

 「はい、ワカメさん!」

 「(だがら間桐慎二だと言ってるだろうが!!!)」

 

 ひくり、愛想笑いも引きつり笑いに変わる。常ならば、学習能力のない馬鹿女め、と罵るところだが、慎二は耐えた。

 大人になれ、間桐慎二、相手はガキだ、と心の中で念仏のように唱えながら、慎二が笑顔の仮面を張りつけ続けた理由は、一重に打算だった。

 ライダー陣営は協力者だ。同盟相手だ。

 だが、仮契約をしたから身内と言うには、彼女に付き纏う伝承が信用を信頼に変えることを難しくしている。

 

 「(裏切りの魔女メディア、しかもライダーは魔術師として成熟した魔女ではなく、祖国を裏切った直後のまだ若い霊基での現界だ。無駄な諍いはすべきじゃない。)」

 

 たとえ魔術回路が少なく、失格の烙印を押されていようが、慎二は間桐家の嫡男だ。知識だけなら、第五次聖杯戦争の参加者の中で一番だと自負している。

 だから、彼は知っている。

 サーヴァントは伝承によりその存在を補強して現界する使い魔だ。

 ただのサーヴァントならまたよかった。だがライダーは裏切りで有名な魔女。何をきっかけにして、いつどこで裏切られるのかわかったものじゃない。

 

 「おいメディア、私は了承してないぞ」

 「えっ、あの、ダブルデートなんですが…

 イアソン様も来るんですか?」

 「おい貴様ぁ!!」

 

 ついに背景にされたか、とリツカが小さくぼやく。史実ではイアソンにベタ惚れだったはずなのに、魔女メディアにいったい何が合ったというのか…

 

 「イアソンは私たちと一緒に回ろうよ。いいよね、慎二」

 「はあ、仕方ない。」

 「カルデアのマスターとマスター(仮)…!」

 

 あまりにも不憫だったので、リツカが出した助けの手。その手をつかんでイアソンは感動して涙を流した。やれやれ、と肩を竦めた僕を眩しいものでも見る目で見つめるイアソンの顔面は、ひたすらに美しい。この顔面なら、女神アフロディーテの寵愛をもらったというのも頷ける。

 

 「間桐慎二でいい。」

 「オーケー、シンジ、だな。本来なら高貴な私がわざわざ下民の名前など覚える必要もないのが、聖杯戦争のよしみで覚えてやろう。

 光栄に思えよ?」

 「やっぱり二人だけで回るぞ、リツカ。」

 「のわーー!! ナシで、今のナシで!」

 

 あまりにも情けない船長。それを無表情だが微笑ましそうに見る葛木、そんな葛木に目をハートにしてべったりの魔女と、そんな魔女を微笑ましそうに見つめるリツカ。

 こうして、(名ばかりの)ダブルデートという試練は始まった。




コメントみて「確かに」となったので清姫のセリフ変えました
4〜5年前に書き始めて読み返すと粗が目立つので完結したら総集編としてリメイク版作りたい


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2

 

 「わぁ、これ かわい〜! 

 メディア似合うんじゃない?」

 「ふふ、マスターさんもこの髪飾りがよくお似合いですよ!」

 「えぇ、そうかなぁ? 

 ーーーあ、メディアこれどう?  つけて見てよ。」

 「わあ、可愛い。 」

 

  きゃっきゃっと手を取り合ってアクセサリーコーナーで花を咲かせる二人の美少女。紫の髪の少女ーーーメディアリリィがレースのカチューシャをそっと試着して、ふわりと笑う。

 

 「似合いますか、宗一郎様。」

 「ああ、よく似合ってる。」

 「!!  え、えへへ。ありがとうございます。」

 

 ぽぅ、と頬を赤く染めて、とろけるように少女は微笑む。それを、僕の隣で壁の染みになってるイアソンは虚無の顔で眺めていた。

 

 「ケッ、別にどれでも同じだろ。」

 「思ってても口に出す、普通?」

 「ふん、私はな、こういう無駄な時間が大嫌いなんだ。ぶっちゃけ、対して似合ってなーーヒィ!」

 

 やめとけばいいのに、ぶちぶちと悪態をついていたイアソン。笑えないほど真っ黒な微笑みで元妻に睨まれて彼は顔を紙のように白くさせた。

 

 「あ、葛木さんはどれがメディアに似合うと思いますか?」

 「ふむーーー。これなんかはどうだろうか。」

 「あ、可愛い。葛木さん、センスいいですね」

 

 そして、何やってんだ担任(アンタ)、お前教師だろ、教育委員会に訴えられるぞ。

 やっぱり 葛木(アイツ)ロリコンなのかな…と教師の隠れた性癖にドン引く僕。

 買い物に付き合う気もないので、適当な店でナタデココジュースとワッフルを買って店の外で食べる。ナタデココのヨーグルトジュースはチープだがそれなりの味だ。

 ワッフルを完食し、ちゅーとジュースを飲みながら女の買い物が終わるのを待っていると、お呼びではない金髪が仕草はこれ以上なく上品なくせにどこか品のなさを感じる足取りでやって来た。

 僕は当たり前のようにそいつをシカトした。

 

 「おい、そこのお前。 私は喉が渇いた。」

 「へえ」

 

 話しかけてきたイアソンに一瞥をくれてやることもせずに返答。それに気を悪くしたのか、口調を強めたサーヴァントがため息混じりに吐き捨てる。

 

 「何か買ってこいと言っているのだ。全く、気の利かない従者だな。」

 「ほら、自動販売機がそこにあるじゃないか。好きなもの選びなよ」

 「…私に、王子たる私に、自ら足を運んで物を買えと?」

 「それ以外に何が?」

 

 僕の気を使うということを一切しない態度が原因なのか、ちょい、と顎で指示したことに腹を立てたのか知らないけれどイアソンはわかりやすくキレた。

 血管が浮き上がった額と、釣り上がった眦。

 

「(厄介そうだ)」

 すぐさまそう判断した僕は、ジュースの蓋をパカりと開けて、大きく口を開けて最後のナタデココを無作法に放り込む。

 そして、ゴミを持ったまま店の中に入った。リツカのすぐ近くまでたどり着けば、もう安心だ。立香のそばということはイコールでメディアの側ということになる。

 

 「あ、慎二。」

 

 のほほんとしたリツカに、ちょっと苛立つ。

 

 「お前は、警戒心がなさすぎる。後ろから刺されたらどうするんだ。」

 

 小声の忠告に、リツカは不思議そうに首を傾げて「メディアは裏切ったりなんてしないよ。」と告げる。

 まさか、知らないわけじゃないだろう。メディアが祖国を裏切り、我が子すら手にかけた悪女だということを。

 

 「それでも、メディア達は私の召喚に答えてくれたサーヴァントだからね。カルデアのメディア“たち”とは違うかもしれないけど、あのライダーのメディアだってそんな彼女たちの一側面なんだ。

 だから、大丈夫。信用できるよ。」

 

 にかり、と大輪のひまわりみたいにリツカは笑った。きっと、聞き耳を立てていたのだろう、少し離れた場所で、ライダーのメディアは嬉しそうに笑う。

 

 「(ああ、そうか)」

 

 きっと、リツカは彼女に、ライダーに、裏切られるだなんて、考えてもいないんだろう。

 

 「(()()()()にとったら、そんなものはどうでもいい問題なのか。)」

 

 彼女にとって、サーヴァントの価値は等価だ。人類最後のマスターである藤丸立香にとって、サーヴァントは悪性も善性も、神性も魔性も関係なく『人理修復に協力してくれる救世主』だ。

 だから、彼女は数多くのサーヴァントに慕われて、彼らを使役することが許されている。無名だろうが有名だろうが、近代だろうが古代だろうが関係なく。

 

 「(それが、きっとマスター適正ってやつなんだろうな)」

 

 令呪以前の問題だ。僕は、きっと“藤丸立香”以外のサーヴァントのマスターになれない。ーーーーいや、

 

 「(たとえ、潤沢な魔術回路を持っていて、令呪を授かったとしても、僕のサーヴァントはリツカだけでいい。)」

 

 彼女以外という選択肢は、今の僕には存在していない。死後、彼女の名前が英霊の座に刻まれることがないとしても。

 

 「慎二も選んでよ。清姫のお土産、どれがいいかな」

 「適当でいいんじゃないか?」

 「もう、真面目に選んでよー」

 

 いや、実際清姫は立香からのプレゼントならなんでも喜ぶだろう。そこら辺の野花でさえ喜びそうだ、と慎二は思う。

 リツカは「どれがいいかなー」と真剣にアクセサリーを吟味しては、これでもないあれでもないと手にとっては戻してを繰り返す。

 

 「おい、私を置いていくな」

 「(なんで来た)」

 

 背後から肩を掴まれる。不遜な声音に面倒事の気配しかない。緩慢な動作で振り返ると、案の定そこにいたのはイアソンだ。

 

 「一人で待っていればいいじゃないか」

 「馬鹿を言うな、私は船長だ、単体では最弱。英雄たちの先頭に立ってこそ輝くサーヴァントだぞ。」

 「自慢する内容、それで良いの?」

 

 情けないにも程があるだろう。

 慎二は嘆く。こんなのが誉ある聖杯戦争のライダーだなんて! 

 

 「私には勇敢な仲間がいたからな、ヘラクレスとかヘラクレスとかヘラクレスとか!!」

 「ヘラクレスだけじゃないか。」

 「そりゃあ、一番頼もしいのはヘラクレスだったからな。

 私の仲間はどうもイロモノばかりで…」

 「(類は友を呼ぶというやつか)」

 「アスクレピオスは医療のことしか興味ないし、アタランテはなぜか私にだけあたりが強いし…どいつもこいつも船長を敬う心がたりてないんじゃないか…」

 

 まあ、敬う気持ちも失せるよぁ、と慎二は内心思う。なにせ、慎二はイアソンの情けない姿しか見ていないからだ。アルゴナウタイの冒険譚を知っているのに、幼心に抱いた尊敬の畏怖すらもかき消す醜態。一周回って哀れだ。

 

 「僕はアンタの冒険譚、嫌いじゃないよ」

 

 だからだろうか、僕らしくない言葉が口から飛び出した。それにイアソンは大きな目をさらに大きく見開いて、それからにまぁと愉快そうに笑った。

 

 「おお! そうであろうとも!

 私の冒険譚というよりもヘラクレスがだなーー」

 

 ベラベラと流れるように始まったヘラクレスの自慢話を聞き流しながら、「はいはい」とか「へぇ」だとか合いの手を入れる。

 

 「おい! ちゃんと聞いてるのか!」

 「聞いてるって言ってるだろ!」

 「なら感想を言え! ちゃんと聞いてたなら答えられるはずだ!」

 

 美の神に愛された美貌がめちゃくちゃに歪む。ああ、本当に面倒くさいな、このサーヴァントは。ため息まじりに「じゃあさぁ」と続けた。

 

 「船員がすごいって話しかしてないけど、そんなすごい英雄を集められたアンタもすごいんじゃないの」

 

 僕は適当にアクセサリーを選びながらそう言った。この金髪男にまともに付き合ってなんていられるか。自慢話で日が暮れる。

 それに、まあ。少し気になったものがあったのだ。

 ショーケースに入れられた太陽と月がモチーフのペアネックレス。

 燃えるようで、しかし暖かなレッドゴールドと、光の角度で赤にも黄金にも輝くカラーストーン。石もクズ石を集めたようなものではなく、色が均一で濁りのないもの。立香の髪の色によく似ていた。

 そんな、太陽をモチーフにしたペンダントトップが、僕のリツカのイメージそのものだったのだ。

 それに、ネックレスのチェーンも頑丈そうで、邪魔にならなさそうな小ぶりのペンダントトップも、滅多なことでは壊れなさそうな頑丈そうなデザインも気に入った。

 

 「(だが、これを清姫に渡すのは尺に触るな。)」

 

 ……うん、なぜだ? 

 

 「…おう」

 

 急に、脈絡もなく、照れたように頬を描くイアソンに「なに急に、気持ち悪いよ」と思わず零したら「誰が気持ち悪いだ!」などと言って肩をぶん殴られた。英霊に殴られたにしてはダメージがなさすぎた。

 まあ、いいや。なんか勝手にベラベラ話し続けるイアソンを無視してアクセサリーを吟味する。

 値段は…まあこの程度なら高くはないな。カラーストーンは…カーネリアンか。しかもチェーンと石座はK10だし。安いわけだ。

 僕としてはイエローダイヤモンドの方がアイツに似合うと思うだけどね。

 

「お客様、そちらのネックレスは気に入りましたか?」

 

 突然のことにびくりと肩を跳ねさせる。ニコニコ作り笑顔の店員が聞いてもいないのに「こちらの商品は学生のお客様にもお求めやすいお値段になってまして…」と聞いてもいない話を続ける。

 

「太陽をモチーフにしたペンダントトップに使われている宝石はカーネリアンと言いまして、『指導者の石』、『勝利を導く石』と呼ばれているのですよ。」

 「へぇ。」

 

 そんなことは知ってるさ、と言い返すことはなかった。この程度のアクセサリーショップの店員以上の知識を僕は持っていたが、蘊蓄をひけらかして論破してやろうという気分にはならなかったからだ。

 ただ、「やっぱり立香に相応しい石だな」と思ったぐらいで。

 

 「こちらの月をモチーフにしているペンダントのカラーストーンはムーンストーンではなく『ラブラドライト』を使用しています。

 ムーンストーンに近い見た目をしていますが別の宝石なんですよ。

 ムーンストーンではなくあえてラブラドライトを使用したのには理由がありまして。

 見てください、光の角度で色が変わるんでます。この輝きをラブラドレッセンスと言って、他の石にはない独自の輝きなんです。」

 

 ああ、そういえばこれペアだったな。ムーンストーンだと思ってたけど違ったのか。

 まあ、そんなじっくり見てないからわからなかっただけで、ちゃんと見てたら僕もわかったさ。ぱっと見が分かりづらいだけだよ。ラブラドライトはムーンストーンの類似石なんだし、なんなら今売ってるブルームーンストーンなんて全部ラブラドライトやペリステライトだし。

 

 「ラブラドライトは太陽と月を象徴する石で、自由を象徴する石なんです。

 石言葉は思慕、調和、記憶、そして宇宙の叡智。

 魔除けとしても使われる素敵な石なんです。」

「自由、ね。」

 

 不思議と、僕と立香のことのように思えてきた。カーネリアンは立香。ラブラドライトは僕。

 数多の特異点を旅して、勝利を積み重ねてきた立香。人類最後のマスターとして、サーヴァントとカルデアのスタッフを引っ張り上げてきた彼女に、指導者の石は相応しい。

 そして、彼女に出会うことで自由を知った僕は、彼女と過ごすこの日々を永遠に忘れないだろう。

 ならば、石言葉に記憶という意味を持つラブラドライトは僕に相応しい。

 

 「これ、買うよ。

 会計に回してくれる?」

 「はい。では取り置きをしておきますね。」

 「はぁ? 違うよ。今、購入する。

 早く会計してくれる?」

 「え…いえ、はい!

 それではレジはこちらになります」

 

 

  二つ合わせて購入したって、0が5個しかつかない買い物だ。財布を出してそのまま購入すれば、店員が少し引き攣った笑顔で会計処理をした。

 「最近の高校生って金持ちなの?」とひそひそ話す彼らを流し見て、紙袋に入れられた二つのネックレスケースをそっと撫でた。

 保証書付きのそれらは、よくありふれた買い物なのに何故だか特別に感じられた。

 

 「あれ買ったのかよ」

 「まあね。悪い?」

 「いいや、別に悪くない買い物なんじゃないか? 質もまあ悪くないし、石言葉もいい。」

 

  しかしだな!と言葉が続く。

 

 「 モチーフが悪い!太陽と月なんてギリシャ神じゃ厄介事代表みたいな奴らだぞ。とくに月の女神はダメだ。あの恋愛脳のゆるふわ女神は頭がとち狂ってる。オケアノスの特異点でもなーー」

 「へぇーふぅーん」

 「貴様…私を舐めてるな…!!」

 

 興味がないので仕方がないだろう。今回の聖杯戦争に出場するサーヴァントでもあるまいし。

 

 「お待たせー二人とも〜!」

 

 呑気な女が一人、手を振って笑っている。何もない首元を見て、自分が買ったペンダントを思い浮かべた。

 

 「(ーーーーさすが僕だね)」

 

 彼女の首を飾る様子を、当然のように想起できた。違和感なんてない。センスの塊だ、と心のうちで自画自賛をする。

 

「あれ、慎二なんか買ったんだ。」

 「まあね。」

 「へぇ。ルーンストーンでもつくるの?

 私もルーン魔術なら基礎習ってるし、手伝おうか?」

 「おいおい、カルデアのマスター! 情緒がないことを言うなよ。

 お前へのプレゼントかもしれないじゃないか。」

 「あはは、慎二が私にぃ〜? ないない」

 

  けらけら笑って手を振るリツカに「お前にプレゼントだよ」と言うのがなんか嫌で、「別に僕が何を買ってもいいだろ!」と憎まれ口を叩く。

  そして、こそっと口元に手を当てて、「ねぇねぇ」と囁く。

 

 「後でこっそり見せてね」

 

 ニヤニヤ、楽しそうに笑うその顔はすごく普通の少女の顔で。どこにでもいる、それこそクラスに一人か二人いるような少女に振り回されていることがなんだか新鮮だった。

 ああ、普通だな。と感じるこの一時が鮮明で。約17年の人生で一番綺麗な思い出になると、理由もなく確信していた。

 

 「(本当は、お前に似合うと思って買ったんだよ)」

 

 片手に持つ紙袋が、なんだか気恥ずかしかった。

 



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3

 なぜ、こうなったのか。目の前にいる男の殺気に全身から血の気が引いた。

  足先が冷たい。恐怖で瞳に涙の膜がはる。

 指先はカタカタと震え、全身が強張り金縛りにでもあったように動くことができない。

 「早速だが死んでもらうぜ。」

  青き賢者は杖を槍のように向けて獰猛に笑った。

 

 

 ーーーー

 

 

 全ての始まりは15:30分。午前から午後に切り替わる、アフタヌーンティーの時間の出来事だった。

 

 「それでですね。昨日作ったラフムパンケーキなんですが、切れば切るほど無限に増殖するパンケーキが完成しまして。」

 「ああ。ナイフを入れた瞬間に増殖するだけじゃないんだ。咀嚼するたびに口の中で……うっ」

 「あ、マジで作ったんだ。」

 

 メディアリリィがおすすめするスコーンの美味しいティールームで紅茶を飲みながらする会話は、到底優雅なんてものじゃなかったけれど。

 

 「イアソン様が召し上がったんですが、泣いて喜ぶほど美味しかったみたいで!

 腕によりをかけて作った甲斐がありました!」

 「は、はははー」

 

 引き攣り笑うリツカ。顔面蒼白で黙々とスコーンを食べるイアソン。

 なぜか葛木だけは「ああ。美味かった。」と頷いていた。

 「あんなの美味いわけないだろ…味は良くても異物混入だぞ…

 ナイフで切った端から増えるパンケーキなんて誰が欲しがるんだ。丸ごと食べなきゃ無限増殖が止まらないパンケーキなんて料理じゃない。」

 ぶつぶつと念仏を唱えるみたいに文句を吐き連ねるイアソンはあまりにも哀れに見えて、親切な僕は彼のスコーンにアホほどクロテッドクリームを塗りたくってやった。

 

 「おい、何をする。」

 「いいや? スコーンには馬鹿みたいにクロテッドクリームをつけるのがイギリス式らしいからね。親切心ってやつさ。」

 「はっはっは。あいにく私はギリシャ生まれギリシャ育ちでね。

 胃もたれしそうなほどクリームが乗ったスコーンはイギリス被れの慎二に下賜してやろう。」

 「悪いけど、僕の系譜はロシアなんだよね」

 「あーはいはい。じゃあ生まれも育ちも死に場所も全部イギリスの俺が食べますよ。」

 

 はーめんどくさい。とあからさまなため息をついて、ロビンフッドがクリームたっぷりのスコーンにジャムを乗せる。

 

「え、マジで食べるのそれ」

 「まあ。これぐらいは普通っすよ」

 

 あが、と大きく口を開けてスコーンを食べる。

 そろそろお開きにしようかと話しをして。そんな、ありふれた午後の一幕を切り裂いたのは一本の電話だった。

 ピリリ、と携帯電話のコール音。

 

 「あ、私だ。」

 

 ひょい、とコートのポケットから取り出した携帯電話は、僕のものと色違いの機種。デコレーションもストラップもない簡素な携帯を開いて、リツカは目を見開いた。

 

 「イリヤからだ」

 

 たったそれだけで緊迫する空気。

 出てもいい?と視線で語るから、僕は頷く。メディア達も同じだった。

 二つ目のコールが終わる前に、通話ボタンを押す。

 

 「もしもし?」

 『ーーーもしもし、立香』

 

  囁くようなイリヤスフィールの声が、どう言うことか僕にも聞こえた。不審に思ったが、すぐに納得する。

 視線の先にいたメディアが、にっこりと笑った。

 

 『ねぇ、立香。今日、アインツベルンの城に来てくれない?

 どうしても、今日話さなくてはいけないことがあるの』

 そして、彼女は決定的な言葉を告げたのだ。

 

 『私が殺される前に、伝えなくちゃいけないから。』

 

 「今すぐ行く。」「まて、マスター」

 

 リツカは立ち上がる。僕たちをおいて、駆け出そうとしたのをロビンフッドが引き止めた。立香はいつのまにか礼装まで使って、身体強化をしている。

 

 「ロビン、アインツベルンまで最短で行くならどれぐらいかかる?」

 「落ち着け!どんなに急いでも、20分はかかるぜマスター! 身体強化してもだ!」

 「それじゃあ間に合わない!」

 

 取り乱す立香の肩を押さえつけ、「少し冷静になれ!」と叫ぶ。焦点の合わない目で立香はロビンフッドを見つめて、「そうだよ、単独行動」と早口で呟く。

 

 「令呪を持って命ずる、ロビン、イリヤのっむぐっ!!」

 「何やってんすか、このバカ!!」

 「どうせ明日には回復すんだ! 一画くらい!!」

 「今、俺がバーサーカーのマスターのところへ行ったら、アンタと慎二の護衛はどうなる!」

 「要らない!」

 「要らない、じゃねーんですよ!! 聖杯戦争を舐めるな!!」

 「私なら大丈夫だ! こんな修羅場、何回も経験した!」

 「今まではマシュの嬢ちゃんがいたからだ!!」

 

 ロビンフッドの叫びに、立香は硬直した。突きつけられた現実。叫びたいほどの無力感と、己の弱さに対する失望。

 それら全てをわかって、ロビンフッドは言葉を続けた。

 

 「いま、マシュの嬢ちゃんはいない。あんたは本当の意味で単独になる。マスター、あんた今、サーヴァントを偽称してるんすよ。聖杯戦争を舐めるな。あんたを殺しにかかる連中は腐るほどいる。

 それで、あんたが死んだらどうする。亜種特異点の旅は始まったばかりだろう!」

 「…でも、でも…!!」

 「じゃあ、僕がマスターを護衛するよ。それなら君も安心だろう?」

 

 割り込んだ声は、よく聞き慣れたものだった。

 

 「やあ、マスター。」

 「エルキドゥ …!」

 「バーサーカー陣営の元に行くのだろう?

 僕も連れていってくれ。」

 「いいの? だって、エルキドゥは…」

 「うん。もういいんだ。

 今回に限っては『僕が行かなきゃダメ』だから。」

 

 草花のように穏やかに微笑む。瞳の奥にはチリチリと物騒な闘争心が燃えている。

 

 「はっ。昨日は『僕は戦わない』とか言って日和見決め込んだくせにな。

 どういう風の吹き回しだ、エルキドゥ」

 「はは。僕だってマスターのサーヴァントだ。

 マスターを守るのは当然だろう。」

 「じゃあなんで昨日は!」

 「その答えは、アインツベルンの城につけばわかるさ。」

 

 不穏な言い回しに、何か嫌なものを感じる。ふと、ロビンフッドは考える。何か変だ、と。

 いや、そもそもだ。そもそも、この戦闘狂が戦うことを嫌がるなんてことはあるか? 理由があるとしたら、『戦うことでマスターを危険に晒す』可能性ぐらいで。

 

 「……(まさか、“奴”がいるのか。この聖杯戦争に)」

 

 ロビンフッドの頭に浮かぶ一騎のサーヴァント。

 もしそうだとしたら,なるほど。たしかに事態は一刻を争う。あの『王様』はーーーきっと、遊ぶように全てを殺し尽くすのだろう。それでも、我がマスターを危険に晒すわけには…

 

 「お願い、ロビン。イリヤを助けに行って。」

 

 自分の予測と、マスターの懇願により決意は折れる。

 

 「ーーーったく、ああ! わかりましたよ!!」

 

 霊体化して、駆ける。直線距離で、最短でアインツベルン城に着くために。

 ロビンフッドの気配が完全に遠のいたことを確認したエルキドゥは、「じゃあ僕たちも行こうか」と笑った。

 

 「ねぇ、エルキドゥ。この聖杯戦争は、何が起こっているの。」

 「うーん、あんまり上手くいえないんだけどさ。

 この戦争の問題は、大聖杯の泥だけじゃないんだよね。

 イレギュラーなサーヴァントにイレギュラーなマスター。

 さらには小聖杯まで“二つ”ある。」

 「それって…」

 

 相当、おかしなことが起きているのではないか。

 

 「ごめんね、確証を持ってるわけじゃないんだ。でも、僕の勘がたしかなら…

 この聖杯戦争には“彼”がいる。」

 

 エルキドゥが、にっこりと笑った。冗談じゃ済まされないことをいいながら。さあっ血の気が弾くのを感じる。嘘だ。まさか、そんなのって…

 

 「彼って、まさか…」

 「まあ、彼に限ってアサシンはないと思うんだけど…。ランサーの可能性もあるからね。

 それを、確かめに行くんだ。」

 

  まさか、うそだ。確かにあの人がアサシンなんてクラスで現れることがあっていいのだろうか。だけど、もしそうだとしたら。彼が、この聖杯戦争に参加してるならーーー!

 

 「(昨日のエルキドゥの判断は正しかった。)」

 

 ラフムなんて生ぬるい。もっと恐ろしいことが起きていた。

 

 「なんの話だ、リツカ。」

 「ーーーううん、なんでもないよ慎二。」

 

 ぱし!と両頬を彼の両手で叩かれた。そして、みちみちと両頬が裂けるんじゃないかと思うほどに力強くつまみ伸ばされる。

 

 「いひゃい。」

  「誤魔化すな。」

 

 縦縦横横、ぐるりんぱ

 理不尽な罰ゲームを受けた私はまだヒリヒリする頬を押さえて慎二を睨む。

 

 「お前の下手くそな嘘笑いなんてお見通しなんだよ。」

 「なぁ!?」

 「隠すな。全部言えよ。」

 

 慎二の紺色の瞳に夕陽のような赤が映る。真剣な慎二の迫力に飲まれて、何も言えない。

 

 「今すぐにとは言わない。だけど、絶対に後で説明しろ。家に帰ったらすぐにだ!

 僕に隠してること、言ってないこと、全部洗いざらい吐いてもらうぞ!」

 

 すう、と深呼吸をして。怒りか羞恥か、真っ赤に染まる顔で、慎二は眉毛を釣り上げて叫んだ。

 

 「僕は、お前の友人なんだろ!!」

 

 恥ずかしいほど青春してる。そんな青臭い主張に、思わず笑った。

 

 「そうだね、慎二。」

 

 そうだ。何を隠していたんだ。いずれバレるのに、隠すなんて私らしくない。

 

 「話すよ、全部。

 まだ言ってない大事なこと。隠してること。全部教える。」

 

 ほんの少しの不安を浮かべず、リツカは笑った。

 

 「だから、私を信じて!」

 「恥ずかしい奴。」

 

 言われなくても信じるさ。慎二が柔らかく笑った。

 

 「なぜなら僕はーーー間桐慎二は、藤丸立香の友人だからね。」

 

 うん、と力強く頷いて、リツカは「約束するよ」と微笑んだ。

 

 「おいおい、青春ごっこは後にしろよ。」

 

 呆れたようなイアソンの言葉。はっと顔をあげたら、生ぬるい視線がグサグサ刺さる。

 

 「行くんだろ、アインツベルンの城に。」

 「うん。行くよ。」

 「ご一緒します。人数は多い方がいいですからね!」

 「それならば、私たちも同行しよう。」

 

 同盟者だからな、と。頼もしく笑うイアソンに「やはり彼も英雄だった」と今更な感想を抱くのだ。



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4

 

 それは、突如として現れた。

 破壊された道路。人気のない田舎道に吹き上がる炎の壁。

 

 「うわっ!」

 「慎二!!」

 「ダメだマスター!」

 

 火の壁の向こうにいるのは立香とエルキドゥだけで、僕を含めた四人が取り残された。

 

 「あー、しくった。 全部足止めするつもりだったんだが…」

 

 そして前後を分断して俺たちの間に立ったのは、全身青尽くめのサーヴァント。初めて見るその姿に、ゴクリと生唾を飲み込んだ。

 

 「よう、ルーラーにライダー。殺しに来たぜ」

「キャスターー!!」

 

  その男は、杖を肩に抱えて笑った。

 

 

 


 

 

「おう、そこのお前。」

 

 青い魔術師は、杖でエルキドゥを指す。

 

 「お前は初めて見る顔だな。ルーラーのサーヴァントか?」

 「ああ。僕はルーラーのランサー。彼女の一番槍さ。」

 「はぁ、ランサーねぇ。その割には槍持ってねぇけど?」

 「はは。武器ならここに“いる”だろう?」

「ーーーふぅん?

 なかなか面白いのを一番槍にしてるんだな、ルーラー。」

 「うん、自慢のサーヴァントだよ」

 

 エルキドゥは当然だ、と。余裕な顔で「そうだね」と微笑む。武器として自分以上の性能はあるはずがないという自負からくるものだろう。

 

 「まあいい。アインツベルンの城に行きたいなら行けばいい。」

 

 え、と少女は声を上げた。今にもガントを打とうと腕と、人差し指をピンと伸ばした状態で。指された男はあっけらかんと語る。

 

 「俺は足止めを命じられたが、“誰の”とは言われてねぇ。

 こいつらだけ止めてりゃ十分だろ」

 「見逃してくれるってこと?」

 「さあな」

 

 ただ、とキャスターは杖を弄ぶ。ギュンギュンと槍でも回すようで、大道芸にもみえる派手な仕草だ。

 

 「俺の願いは血沸き、肉踊る戦いがしたいってだけさ。」

 

 もちろん、与えられた仕事はこなすがな、と付け加えたが、この赤い双眸は獲物ーーーライダーから逸らされない。

 

 「早くしねぇと、俺のマスターが小聖杯の嬢ちゃんを殺すぜ。」

「そんなことまで教えていいの? マスターを裏切ることになるけど」

 「ああ。構わないさ。オレはあいつが嫌いなんでね。」

 

 ひゅう、と口笛を吹いて、キャスターが皮肉に笑う。

 

 「今回の計画だって反吐が出るぜ。令呪を使われてなきゃこんなところにいねぇよ。」

 「だ、けど…」

 

 ちらりと、リツカの黄金が僕らを捉えた。心配と不安に揺れる瞳。

 何を恐れているのかは、聞くまでもなかった。

 

 「ーーーリツ「おい、“星読み”!」

 

 僕の口から滑り落ちた単語を隠すため、イアソンが叫ぶ。はっと片手で口を塞いだ。キャスターは、それに気がついている。それでも、“今は”見逃している。

 

 「ここはオレに任せて、お前たちは先にアインツベルン城へ行け!」

「でも!」

 

 振り返り、拳を振り下ろす。炎の壁が気まぐれように揺れて、ちらちらと見える影ではリツカがどんな顔をして言っているのかわからない。

 

 「バーサーカーを守るならお前たち二人いれば十分だ! だから、早くあの緑のアーチャーと合流しろ!」

 

 だけど、それでも。イアソンの台詞は力強かった。物理的に遮られて、その姿が見えなくたって、他人を鼓舞する何かがある。

 「不本意だが、私は窮地に立てば経つほど強くなる」と自称した男が、(見た目だけは)余裕綽々と大見栄を切る。

 

 「キャスターは俺に任せろ。なぜなら私はライダー。クラス相性では優っているのでな。」

 

 ごわっ!と。 炎の壁が一瞬切れた。違う。切った奴がいる。

 それが誰なのか、わからないほど鈍くはない。

 向こう側のリツカは一瞬泣きそうな顔を浮かべる。次の瞬間にはぎゅう、と一度固く目を瞑って、唇を噛み締めて。

 それからーーーふわりと。不安と心配も何もかもを忘れたように、勇ましく笑う。

 

「ありがとう。」

 

 これが、人類最後のマスター。人類最後の希望として、勝ち続けてきた女の姿。

 あまりにも、強いと思った。その心が。不屈の魂が。

 不安も心配も何もかも、棚に上げて仲間を信じることのできる強さは、眩しかった。

 

 「ーーーエルキドゥ!!」

 「ああ、マスター!」

 

 空を飛び去った二人を目で追う。すぐに夜空に紛れて二人は見えなくなった。

 もうすぐにでも、アインツベルン城にたどり着くだろう。

 

 「はぁ〜、あの緑のやつ、エルキドゥってマジか。」

 

 ぽり、と後頭部を掻く美丈夫。その顔には隠しきれない愉悦がある。

 

 「ああ、大マジだ。」

 「そりゃあ随分と“相性がいい”

 こりゃ終わった後が楽しみだな、吠え面かいて帰ってくるだろうよ!」

 

 悠長にも準備運動をしながら、ゲラゲラ笑う。屈伸、前屈、腕伸ばし、、隙だらけにしか見えないのに油断を許さないその圧迫感。

 まちがいない。こいつは英雄だ。

 

 「おい、ライダー…」

 

 本当に、大丈夫なのか。メラメラと燃え続ける炎の灯に照らされて、白い貌が暗闇で浮き上がるように見えた。

 

 「慎二…」

 

 決意と覚悟が宿った緑色の瞳が、僕を映す。

 そしてーーーーなぜか、僕はイアソンから強烈なビンタを与えられ、後方に吹き飛んだ。ベシャリと尻餅をつく。尻も痛いがジンジンと絶え間なく痛みが襲ってくる頬の方が痛い。これは腫れる。明日絶対に腫れる。

 

「バカめ、何を不安に思う必要があるというのだ。

 ーーーいいことを教えてやろう。」

 

 人の頬を殴っておきながら、なんか悠長に話し出しやがったサーヴァントに怒りがふつふつと湧き上がる。

 だが当の本人はお構いなしにペラペラとお得意の弁舌を振るのだから世話ない。

 

 「マスターのサポートを得たサーヴァントは通常のサーヴァントよりも圧倒的に強い!

 知名度の低い三流サーヴァントでも最優サーヴァントをくだせる程度にな!」

 

  きらりと、視界に星が舞った。メラメラと燃え続ける炎の灯に照らされて、白い貌が暗闇で浮き上がるように見えた。

 それは、それはつまりーー

 

 「だがマスターの質にはよる!」

 「上げて落とすか普通!?」

 

 僕への信頼の証か、などと口にしなくてよかった。要らぬ恥をかくところだった。

 だけどそんな怒りに上塗りされて、心を塗りつぶさんばかりの不安は霧散していた。

 

 「私がみてきた(その)中でも“星読み女”は最高峰。優秀だと称賛されるに値する人間だ。

 叩き上げられたセンスと、数々の修羅場を潜ってきた経験値。それに付随する勝負勘がなによりも優れてる。

 まだその高みには立っていないが、そのうち無意識に最善の指揮を飛ばせる司令官になるだろう。」

 

 この私のように! 

 左手を胸に、右手を大きく広げて高らかに讃える。過剰な自信はどこからくるのか。それとも、相当追い詰められて自己暗示してるだけなのか。

 

 「それは、お前の方が知ってるはずだ。見たんだろ、あいつの旅を。あいつの闘い方を。」

 

 ああ。僕は知っている。彼女の旅は、全て彼女から教えてもらった。カルデアに保存されている資料映像だって何度も見た。

 

 「そして何より、お前は最高の指令官であるこの私の指揮を一度見たはずだ。」

 

 そんなことを言いながら、イアソンの膝は小さく震えている。恐怖を飲み込み、自分に言い聞かせるイアソンは、強い目をしている。

 

  「まさかとは思うが、やれないなんて言わないよな?

 できないなら、お前は所詮凡俗だ。」

 

 少し前なら烈火の如く怒り震えた蔑称すら、どうでもいい。

 

 「はん、この僕が凡俗?

 誰に向かって言っているんだ。」

 

 うっすらと眦に浮かぶ涙を乱暴に拭う。

 

「やるさ、やってやるさ!!

 できないなんていうわけがない、不可能だって可能にしてやる!

 魔術師になれないと、唯一の肉親に見放されたって。僕は今、この戦場に立っている!

 それが何よりの証拠だろう!」

 「よく言った、慎二!

 ならば星読みに変わり、この私が! お前の手足となり敵サーヴァントを蹴散らしてやろう!」

 

 士気が高まるとはこういうことを言うのだろうか。僕も所詮、イアソンのカリスマに惹きつけられた夜光虫と同じなのだろうか。

 

 「言うねぇ、“船長”さん。

 見直したぜ。鬼嫁の尻に敷かれてるだけじゃねぇみたいだ。」

 「あの、私は現界した際にこの方と離婚しまして。今の旦那様は宗一郎さまです」

 「うるさいぞ外野! 余計な話はするんじゃない!」

 

 ぺたりと葛木の腕に抱きつくメディア。離れた場所に仁王立ちするイアソン。 そして、そんな3人の少し後ろに立つ僕。

 ーーー始まる。僕の初めての戦いが。

 

「…飛んだ修羅場じゃねぇの。

 苦労してるんだな、ライダー(お前)……いや。」

 

  ニヤリと、キャスターは快活に笑った。

 無邪気な子どものようでいて、悪意に満ちた翁のように。

 

 「アルゴナウタイの英雄、イアソンよ!」

 

 一白の静寂は、きっと秒数としては1秒にも満たないのだろう。だがそれは、無限にも感じたし永遠にも思えた。

 イアソンは、はぁーーとため息を深々とついて、嘆く。

 

 「なんで私の真名を知ってるんだ…いや、いい。

 どこから漏れたのかなんて想像に容易い。」

 「答え合わせをしてやろうか? 

 俺に勝てたら、だがな!」

 「はぁ〜?」

 

 イアソンはニヤリと意地悪く笑う。そして、キャスターをびしっと指さした。

 

 「やいキャスター!

 お前だけが一方的に有利だとは思うなよ。私だって、貴様の真名を知っているぞ!」

 

 英雄的に、煌びやかに。しかし英雄たりうる迫力を持って、イアソンは叫ぶ。

 

 「ランサークラスじゃなくて残念だったなぁ、さぞかし槍が恋しいだろう!」

 

 怪訝に歪むキャスターの表情。そうだ、僕も知っている。この男の正体を。この男の逸話を。

 真名をリツカが教えてくれたときから、研究していた。

 

 「クランの猛犬、クーフーリンよ!」

 「槍のことは言うんじゃねぇ!!」

 

 槍、ではく。杖が勢いよく突き出された。

 ひゅるひゅると回転させた杖の先端をイアソンに向ける。真っ直ぐな殺気が炎で囲われたフィールドに満ちる。

 

 「さて、とっくの昔に準備運動も済んでいることだし。」

 

 四対一(いや、慎二と葛木は戦力外なので二対一か)にもかかわらず、飄々とした表情でキャスターは告げる。

 

 「さあ、始めるとしようや」

 「っ!!」

 

 はやい。瞬きの一瞬で距離を詰められた。目前に、棍棒のような杖が…

 

 「っあ"ぁ!!」

 

 真っ先に狙われた慎二を庇ったのはイアソンだった。腰に下げられた剣を引き抜いて、剣の腹で強烈な打撃を受け止める。

 

 「お前キャスターだろうが! 魔術はどうした魔術は!」

 「はん!ちまちまルーンを描くのは性に合わないんでね!」

 「キャスター名乗るのやめろ!」

 「俺もやめれるもんならランサー名乗りたいね!」

 

  鍔迫り合いからの剣戟。それを全て杖で受け止めるキャスター。

 

 「なかなかやるじゃねえか!」

 「とある馬に扱かれたんでね!」

 

 がきん!と剣と杖が交差する。

 

 「誰が戦えないと言った?

 オレは多芸なんだ、船がなくともまあまあ強い!!」

 「そうこなくっちゃなぁ!!」

 

 イアソンは強かった。軽い身のこなしで打撃を受け流し、避け、そして反撃する。

 ヒットアンドアウェイスタイルの戦法は彼の先頭スタイルとして確立していた。

 

 「eihwaz(エイワズ)!」

 「させません!」

 

 キャスターのルーン魔術により生まれた木がイアソンに襲いかかる。その前に、メディアが杖を振るって全て木っ端微塵にしてしまう。

 

 「イアソン様! サポートはお任せください!」

 「当然だろうが!」

 

 口喧嘩ですらない。イアソンは魔術(の技量)に関してはメディアを全面的に信用している。

 そうして、イアソンが時間を稼いでいるうちに僕はメディアに回収され、安全地帯に匿われた。

 

 「強い…」

 「はい。イアソン様はやる時はやる男ですから。

 限界をどう考えても上回ったあたりからがイアソン様の真骨頂です。」

 「(火事場の馬鹿力ってやつじゃないの、それ。)」

 

 だが、今の状況はまさにメディアが言った状況に一致するだろう。

 

 「是非とも槍で戦いたかったなぁ!」

 「絶対嫌だね!!」

 

 距離を詰めたクーフーリンの打撃を、イアソンが杖を握って受け止める。瞬間、クーフーリンはニヤリと獰猛に笑う。

 

 「 ausuz(アンサズ)!」

 

  豪っ!

 突如として発生した炎にイアソンは飲み込まれる。

 

 「イアソン!!」

 

 死んだ。絶対に死んだ。チリチリと全てを焼き焦がすまで消えない炎はイアソンの息の根を止めるだろう。

 

 「そんな…」

 

 ここにきて、脱落するのか。聖杯から泥が溢れてしまう。

 

 「誰が死ぬか、この間抜けめ!」

 

 べしん!と後頭部が叩かれる。

 

 「い、生きてた…」

 「当然だ! 俺の命はこんなところで散らすほど安くはない!」

 

 ひどい火傷を負いながらも、イアソンは立っていた。真っ直ぐ大地に。

 

 「はい。生き汚さでイアソン様に勝る者はいません!」

 「おい!!」

 「へぇ〜、おもしれぇじゃねぇか!」

 

 呑気なライダー二人組に怪しい視線を送り、ニヤリと笑う。悪役めいたその顔は、まさに邪悪そのものにみえる。

 

 「もっと、もっとだ。殺し合おう! 血を流し、肉を抉る戦いをしよう! 

 さあ、死合いと洒落込もうじゃねぇか!」

 「これだから、戦闘狂は嫌いなんだ!!」

 

 第二ラウンドが始まる。

 

 「応急手当!」

 

 礼装を起動させ、回復の魔術をかける。イアソンの怪我は軽傷程度にまで回復したが、完治とはいかない。

 

 「メディア」

 「はい、修補すべき全ての疵(ペインブレイカー)!」

 

 メディアがイアソンに短剣を突き刺すと、傷は完治し、やけどすら跡形もなく消え去った。イアソンが振り返る。

 

 「慎二。貴様を今この時だけマスター代理として認定しよう。もっとしっかり私をサポートしろよ。」

 

 「私は頭脳派なのだ」などと文句を垂れて、剣を構える。

 それを、キャスターは怪訝な表情で見ていた。

 

「なあ、ライダー。なぜ間桐慎二(そいつ)を守る?」

 「あん?」

 

 キャスターは首を鳴らし、「心底わからない」と表情で訴える。

 

 「マスターでもない。魔術師でもない。なんでかわからんが礼装を使ってるが、それを差し引いても足でまといだろう。

 なにより、同盟相手とはいえ(ルーラー)のマスターだ。」

「……。」

 

 わかっている。僕を守りながら戦っているせいで、イアソンは不利な戦闘を強いられている。

 僕を見捨ててしまえば、霊基を損傷せずに済んだシーンが幾度もあった。

 

 「守る理由がねぇじゃねえか。むしろ見捨てた方がメリットがデカい。

 なのに、どうしてお前はそいつを守る。」

「どうして、か…」

 

 にやりと、イアソンは笑う。そして、瞳のエメラルドをきらりと輝かせて、堂々と。声を張り上げる。

 

「そんなもの決まってる。気まぐれだ!」

 

 胸を張って、イアソンは叫んだ。「大した理由なんてない!」と。

 

 「確かに、“コイツ”が死のうが生きようがどちらでもいいのだろう。

 特異点を解決するのに必要なのはあの星読みであって、そのマスター(仮)など、聖杯戦争の参加権を主張するための道具でしかない。」

 「特異点っつーのがなんなのか知らんが、そー言うこったな。」

 

 イアソンの回答に、裏切られたような気分になった。当然のことなのに。

 

 「(別に、わかっていたさ。僕は最初からそのつもりだったさ。)」

 

 背後から刺されないように、リツカに忠告したのは僕のはずなのに。僕が背後を取られるなんて……

 

 

  「だからどうした、間桐慎二(こいつ)ここで死ぬべき人間じゃない。」

 

 

 意味が、わからなかった。話の脈絡が繋がってないように感じて、ぽかんと呆ける。

 

 「聖杯戦争は潰し合いだ。馴れ合いなんてサムイぜ?」

「ふん。あの“星読み”には恩があるからな。

 それに、オレはこいつをまあまあ気に入ってる。」

 「は?」

 

 どこが。いつ、そんな事があった。わからない。僕はライダーに出会ったのは昨日で、昨日といってもたった一瞬の会合だ。

 彼は、ニヤリと子どもみたいに笑った。それは、まるで一枚の絵画のように。

 

 「英雄を集めた私もまた英雄だと、讃えたじゃないか。」

 

 なあ、慎二。イアソンは告げる。たったそれだけを誇れと。無邪気に、傲慢に、押し付けがましく。

 

 「そうだ。オレの栄光の全てはあの冒険だ。仲間となった英雄たち。無理難題を押し付けられてもなお、王になると信じて疑わなかった輝かしい栄光の道。

 そうさ。オレの人生の絶頂はあの瞬間だった。英雄たる仲間たちを集めたこのオレは、最高に輝いていた!」

 

 たとえ、その先に待ち受けるのが破滅なのだとしても。

 

 「それを、お前は肯定した。」

 

 その賛辞は、イアソンという英雄を彼たらしめた。

 

「そんな、そんなことで…」

  「そんなこと、か。」

 

 ふ、と。小さく微笑む。

 

「(お前にとってみればそれだけのことでも、私は嬉しかったんだ。)」

 

 感傷に浸るイアソン。今のオレ最高にかっこいいな、と気持ちよく自己陶酔に浸る。実際、無駄なことを喋らず物思いに耽る姿は“美”を体現している。

 

 「そんな言葉程度に、命を賭けるつもりなのかよ!」

 「はぁ!?賭けるわきゃねーだろ!!」

 

 カッコいい空気は一気に霧散した。「お前を守る程度に散らすほど、オレの命は安くねえんだぞ!」とギャアギャア喚く姿に、神々しさすら感じさせた勇姿はない。

 

 「そもそも、そもそもだ。なぜ命をかけねばならんのだ。」

 

 キャスターから視線を逸らさず、片手が慎二の顔まで伸びた。そのまま、きゅ、と。長い指が鼻をつまむ。

 

 「前提が違う。勝利条件を見誤るな。

 いいか慎二、これは撤退戦だ。ある程度時間を稼げばいい。あとは逃げれば勝ちだ。

 アインツベルンならあいつらがなんとかするさ。

 我々が考えることはただ一つ。どうやって逃げるか、だ。」

 

 なるほど、確かにそうだ。そもそも、キャスターの目的は「僕たちの足止め」

 ある程度時間を稼いだあとは逃げればいい。それが英雄的かといえば、そうではないだろうが。

 

 「かーっ青いねぇ」

 

 見てるこっちが照れるぜ、と。楽しそうでいて笑ってない瞳が光る。夜行性の動物のように、瞬きもせずに慎二を見ていた。

 

 「だが甘い(あめぇ)。オレが、マスター殺しをする可能性が抜けてるぜ」

 

 ドルイドの杖が、優雅に振られる。信託でも下すように。

 

 「eihwaz( エイワズ)

 「逃げろ慎二!」

 

 ざわっと森がざわめく。ゾワゾワと全身を駆け巡る防衛本能に喉の奥が「ヒュッ」と締まった。

 コンクリートを突き破って、木の根が槍のように襲ってくる。緊急回避を、いや間に合わない!

 あまりにも突然すぎて、どう動けばいいのかわからない。1秒が永遠にも感じる。

 

 「(あ、死ぬ。)」

 

 本能で悟った。これに貫かれたら僕は死ぬと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…へぇ。そっちのやつも、ただの人間ってわけじゃなさそうだ。」

 

 痛みはなかった。寒さもなかった。ただ、どうしょうもない息苦しさがあった。

 

 「私は教師だ。教え子を見殺しになどしない。」

 

 腹に、太い腕が回っている。足が地面から離れている。

 

 「葛木…!?」

 

 慎二は葛木の脇に抱えられていた。それも腕一本で。

 

 「(どう言うことだよ。

 サーヴァントの反射速度に勝ったっていうのか? 葛木が?)」

 

 嘘だ。だってこいつは、魔術師でもなんでもない。僕以上に凡俗な人間のはずだ。

 だけど、実際僕はこいつに助けられて、生きてる。

 

 「宗一郎様!」「無事か、宗一郎!」

 

 サーヴァント二人が焦ったように叫ぶ中、いつもの無表情で葛木は「なんともない。」と告げる。

 

 「イアソンだけに戦わせない。私も戦おう。」

 

 僕を小脇に抱えたまま、宣言する。ぞわりと、蛇に巻きつかれるような恐怖を感じた。つま先から競り上がってくるような、得体の知れないものを。

 

  「おいおい、強化魔術も使わずにただの身体能力で俺の魔術の速度を上回るとは…

 お前さん、何者(なにもん)だ?」

 

 それは、僕も聞きたかった。何をどうしたら生身でサーヴァントを上回るのか。

 

「私は葛木宗一郎。ただの教師で、今は彼女たち…ライダーのマスターだ。」

 

 教師のはずのその男は、何かの武術の構えを取る。

 まるでアサシンのように、気配を極限まで薄くさせる。まさか、葛木がアサシンのサーヴァント?

 いや、ありえない。こいつが穂群原高校にきたのは何年前だと思ってる。そもそも聖杯戦争が始まってない。

 

 「ははっ! 

 面白い! こっちを選んで正解だった!」

「そうか。じゃあ第二戦目(ラウンド)を始めるか。

 ーーーメディア!」

 「はい! 宗一郎さまはこちらへ!」

 「了解した。」

 

 それは、突如として現れた。まるでそこに最初からいたように。当然のように。

 

 「(いや、違う! 目眩しの魔術をかけていたのか!!)」

 

 隠していたのか。この瞬間のために。そんな指示をいつイアソンはメディアに出したのかーーー否、イアソンがこの瞬間を求めるだろうと考えてメディアが隠したのか。

 黄金の船が空を飛ぶ。昨日と同じだ。アルゴー号が宙を漂う。

 葛木が僕を抱えたまま、人外としか思えない跳躍力で船に飛び移る。イアソンはとっくに乗船していた。

 

 「おい!! 降りてこいライダー!!」

 「ヴァーーーカめ!! ライダーにして指揮官のこの私が!

 正々堂々地上で肉弾戦なぞするわけがないだろう!

 (だぁ〜〜れ)が貴様に有利な地上で戦うかよ!」

 

 下品に中指を立てて、地上を見下す。

 

 「私が強いのは、この船の上でこそだ!」

 

  堂々と、高らかに。イキイキと声を張って宣言する。地上でキャスターが引き攣ったのが確かに見えた。

 

 「砲撃ようーーい……撃て!!」

 

 ドドドン!

 イアソンの号令でものすごい数の大砲が射出される。

 

 「(強い…!)」

 

 鬱憤を晴らすが如く、ハイテンションのイアソンが次々に指令を飛ばしていく。とてつもなく底意地の悪い、嫌がらせじみた攻撃の指示を。あまりにも一方的な攻撃に地上からは「うぉおー!」「クソが!」と悲鳴が聞こえる。

 

 「ここでこうだ!」

 「うぉ!?  テメェ!! 卑怯だぞ!」

 「はん、当然だろ。私は指揮官だ。卑怯で結構、前線には出ない!!」

 「お前、それでもサーヴァントか!!」

「ほざいてろ!」

 

 優雅に玉座(みたいな椅子)に腰掛け、ワインなんか飲みながら。とてつもなく煽っている。慢心もここに極まれり。

 

 「いいか、慎二。戦略なんてものは単純だ。

 往々にして数と地の利があれば勝てる。」

 

 くるくるワインを回すな。というかそもそも戦闘中に酒を飲むのってどうなのさ。

 

 「だがそれは普通の戦争だ。

 英雄がいる戦場じゃそれが通用しない。一騎当千、万夫不当の戦士なんて最悪だ。味方ならまだしも、敵として現れたら特にだ。」

 

 私みたいな司令官からしたら目の上のたんこぶでしかない!と大袈裟に嘆いて、天を仰ぐ。

 

 「質問だ、慎二。英雄と戦うにはどうすればいいと思う?」

 「……弱みを握って脅すとか。人質を取るとか。」

 「それすら抑制力にならない時は?」

 

 どうすれば、いいのだ。無言で答えを求めた慎二に、イアソンは笑った。美貌を限りなく歪めて、卑しい笑顔を。メディアも、イアソンの隣でニコニコ笑っている。

 

 「………その時は、どうするのさ」

 「ボコれるうちにボコっとく。これが鉄則だ。」

 

 迷いなんてなかった。即答だった。

 

 「さぁ、畳み掛けろ!!」「そぉーれ!」

 

 メディアとイアソンの、(元)夫婦の息のあった攻撃が打ち込まれる。人の心がないとしか思えない。何があろうがお構いなしのその攻撃はいっそ蹂躙と言えるだろう。

 「どうせ滅多に死にやしないんだ、殺すつもりで攻撃しろ」などと言う姿は味方ながら畏怖を覚える。

 

 「(悪魔かこいつら。)」

 

 そもそも、英霊としてそもそもの霊基が反則的だ。そこに加わる肉弾戦担当の葛木。完璧な布陣と言えよう。

 

 「フハハハハっ! どうだ、我が新生アルゴノーツは!

 強いだろう! 最強だろう!

 さらにヘラクレスが加わることで無敵だ!!」

 

 住宅街ですべきではない派手な戦闘に巻き込まれる家、家、家。人払いの魔術をかけているから死者が出ることはないだろうが、被害が甚大すぎるのではなかろうか。

 そう、ふと顔を上げてーーー青ざめる。巻き込まれる家屋は奇跡的に僅か一軒。広大な敷地面積をもつその豪邸は、よく見慣れた生家。

 間桐の屋敷はイアソンの容赦のない弾幕により三分の一が瓦礫へと姿を変えていた。

 

 「ちょ、おいおいおい待て待て待て!!

 屋敷が! 間桐の屋敷がボロボロになってんだけど!!」

 

 どうすんだよ、あそこにはおじいさまのコレクションがたくさんいるのに!!

 希少な魔導書だって山のようにいるんだぞ!!

 

 「構うものか。これは戦争だぞ。砲撃の射程圏内にある方が悪い」

 

 ぱりーーん

 

 「あああ、結界が…!! 間桐の結界が割れた!!」

 「フハハハハっ! サーヴァントの攻撃に持ちこたえたことを褒めるべきだろう。

 だが…そうか、間桐か。」

 

 ちゅどーん

 

  「ぎゃーーー!なにやってんだ!」

「いやな、貴様の因縁深い家なのだろう? 

 ほら、さっき否定され続けたとか言ってたしな。

 戦争のついでだ。」

 「ついで!?」

 「なんだ、嬉しいか? はははははっ、よし!

 もう少し打ち込んでやろう!」

 「うわーー!!」

 「はっはっは、嫌な思い出は壊しとくに限るぞ慎二。」

 「まあ、さすがですイアソンさま! 実感がこもってますね!

 ワカメさんも嬉しそうです!」

 「一言余計だぞメディアよ。だが、嬉しいか!

 そうかそうか。いやぁ、いいことをしたな。

 ふはははは!」

 

 ノリが軽すぎる。どうなってるんだギリシャは。情緒どうなってるんだまじで。

 

 「積極的に敵の拠点攻撃してるのさ!

 桜のサーヴァントまで出てきたらどうするんだ!!」

 「はぁ!? それを最初に言えよ!!

 敵戦力増強なんて冗談じゃないぞ!!」

 「お前が勝手にやったんだろうが!!」

 

 もはや間桐の屋敷は家の形を成してない。

 1/3が瓦礫と化し、1/3が燃えていて、最後の1/3だけがなんとか家の形を保っている状態に涙も出ない。

 

 「は、ははは、楽しそうに喧嘩してんなぁオイ!!」

 

 ぴたりと、二人は固まる。言い争う声も中途半端に途切れ、忘れかけていた緊張感が場を支配する。

 

 「オレも混ぜてくれよ、なぁ!」

 

 聞こえるはずのない声が、真後ろから聞こえた。

 

 「うわ、まぁ〜じで生きてんのかよ。

 いや、殺すつもりはなかったんだが」

 「タフなのが取り柄なもんでね」

 

  そこにいたのは案の定、キャスターだ。ボロボロになって、全身から血を流しているくせに。彼は狂気的に笑っていた。

 

 「よくも高いところからバカスカ攻撃してくれたなぁ!

 ここからは一騎討ちと洒落込もうぜ!」

 「キャスターのくせに、肉弾戦してんじゃねぇよ!!」

 

 イアソンが後ろに飛びのき、後退する。代わりに、キャスターの前には黒い影が蛇のように揺らめくように現れ…

 

「!!」

 

 次の瞬間、キャスターは弾き飛ばされた。受け身をとって甲板に立ったキャスターが目を見開く。

 

 「そう言うことか…!」

 

 最前線に立つのは葛木宗一郎。何かの武術の型らしきものを構え、いつもの無表情で立っている。その背後に寄り添うように、メディアは杖を構えていて、イアソンは船の舵取り。

 

「肉弾戦は私が請け負おう。」

「サポートはお任せくださいね、宗一郎様!」

 

 まさに四面楚歌。魔力欠乏の問題を解決した今、今回の聖杯戦争で最強であろう陣営。

 

「あーー、くそ。これはオレ一人じゃちとキツイな…

 ーーーーだから『精々蛇には気をつけろ』か。あの金ピカ、わかってやがったな。」

 

 ()()()()が横槍を入れてくるのかと思ってたんだが、とキャスターがため息混じりに呟いたのを、僕は確かに聞いた。

 

 「(金ピカ。蛇。手柄を掠め取られるーーー。)」

 

 そして、立香のランサーがエルキドゥと聞いて、『相性がいい』と笑った。

 リツカと共にいた時、エルキドゥは『僕が行かなぎゃダメ』と言った。それはきっと自分(エルキドゥ)無しでは『敗北する』と確信していたから。

 そして、エルキドゥという英霊がそこまで断言する脅威たりうる英霊なんて一人しか思い浮かばない。

 

 「ギルガメッシュがいるのか。」

 

 ぽつりと、僕がこぼした言葉にランサーは軽く目を見開いた。

 

 「どうしてそれを…」

 「まあ、簡単な推理さ。解説はしないけどね。」

 

 本当に、簡単すぎる推理だった。知っていれば、誰にでも解ける謎だ。

 

 「ほう、まあそうだろうな。手の内を見せびらかす奴は三流か、慢心しきった間抜けぐらいだ。」

 「まあ、イアソン様のようですね!」

 「おいおいメディア。それは一体どういう意味かな?」

 「うふふ」

 

 どことなく険悪だが、穏やかさも感じる独特な不穏が、ライダーらしいというのだろうか。

 慣れ切った空気感だ。疑問は薄い。

 

 「だが、意外だな。

 ギルガメッシュがアサシンとは…」

 「はあ?

 あのヤローが ()()()()

 なんでそうなったよ。」

  「え?」

 

 だって、そうだろう。現在確認されているサーヴァントはセイバー、アーチャー、バーサーカー、キャスター、ライダーの五騎。残るクラスはランサーとアサシン。しかし先程、キャスターは「ランサーに横槍を入れられる」と言った。だから、ギルガメッシュがランサーである事は除外される。ならば、残るクラスはアサシンのみ。

 

 「違うのか?」

 「たりめーだろ。そもそもハサン・ザッバーハ意外のアサシンは冬木の聖杯じゃ召喚できねぇ」

 「じゃあ、()()()()()()()()()()()()()?」

 

 キャスターは…クーフーリンは見るからに不機嫌になる。言葉に出すのも汚らわしいとでも言うような汚い舌打ち。

 たくさんの感情を煮詰めて仕上がった怒りを赤い瞳にのせて、低い声が夜に響く。

 

 「イレギュラーさ。」

 

 時刻は、六時を少し過ぎた頃。欠け落ちた月が空に登る。

 聖杯戦争五日目の夜は、まだ始まったばかりだ。

 

 「答えてくださいキャスター。あなたは何を知っているんです?」

 「無理だな。キャスター(オレ)は何も語れねぇ」

 「令呪による誓約ですか?それとも忠義ですか?」

 「さあ、どっちだと思う?」

 

 やけに冷たい紫水晶が「どちらでもいいですよ」と告げる。

 

 「やめろ。今する話じゃない」

 「ーーーええ、はい。そうですね!」

 

 何を理解したのか、何を伝えたかったのか。僕にはさっぱりわからないけど、ライダー陣営にのみ通じる何かがあるのだろう。

 

「まあいい。何はともあれ私の勝ちだ、キャスター。大人しく軍門に降ってもらうぞ」

「とどめをささないって?」

 「させるものなら刺したいさ。」

 「? 

 刺せばいいじゃねぇか。」

 「何度言わせるつもりだ。この聖杯戦争でサーヴァントを脱落させるなんてことは不可能だ。

 世界を滅亡させたいのか。」

 「……どう言うことだ?」

 「むしろなんでキャスターのお前が知らないんだ。」

 

 なんのことだよ、とキャスターは首を傾げた。「本当に知らないのか。」と尋ねれば、「わからない」と素直に告げた。

 

 「今回の聖杯戦争がイレギュラーだってことは知ってるぜ。だが、サーヴァントが脱落してはいけないとはどういうことだ。」

 「それはーーー」

 

 説明、するか?今ここで。どんな横槍が入ってるくのかわからないこの状況で。

 

「実際に見せて差し上げた方がいいのでは?」

 「そうだな…」

 

 メディアの提案に頷いたイアソンが「ちょうどいい機会だ」と溢す。

 

 「慎二、オレたちはここで一度戦線を離脱する。この男に『アレ』を見せる必要があるからな。

  お前はどうする。」

 

 “あれ”とは、例の大聖杯だろう。汚染されて呪いの毒杯となっているそれを一眼見ただけで、アインツベルン家のイリヤスフィールが心変わりするぐらいだ。相当強烈な代物なのだということは想像に容易い。

 

 「当然、バーサーカー陣営のところへ行くさ。」

  「ーーーそうか。なら最後に助言をしてやる。」

 「助言?」

 

 いらない、という本音が顔に出てたのだろう。「まあ聞け」と、イアソンは意外とゴツゴツした手で肩を叩いた。

 

「ーーー慎二、お前には奥の手がある。」

 「奥の手」

 「そうだ。」

 

 そっと、右手の甲を叩かれる。そこにあるのがなんなのか、わからないほど馬鹿じゃない。

 

 「だけど、これはーーー!」

 「知ってるさ、それが偽物だとな。だが魔力リソースなのは変わらない。

 慎二、覚えておけ。偽物も本物も、価値なんて結局はおなじだ。使えるか,使えないか。この二つに限る。」

 

 まじめ腐った顔で,イアソンが言葉を並べていく。

 

 「偽物だろうが使えば勝ちだ。うまく使えば、偽物だって本物以上に使える。」

 

 要は使い方次第だ、と。イアソンは真面目な顔で告げた。

 

 「使い所を見誤るな。うまく使え、慎二。」

 「ーーーわかったよ。」

  「よし。」

 

  ならば、とイアソンは葛木に目配せをした。葛木もわかったというようにうなずく。

 

 「宗一郎。バーサーカーのマスターの拠点まででいい。慎二の護衛を頼む。」

 「構わないが…だが、その男が目覚めた時はどうする。

 お前たち二人ならば大丈夫だとは思うが、万が一ないわけではない。」

 「その時は、メディアがなんとかするだろう。

 記憶とか契約とか、そういうのめちゃくちゃにするの得意だし。

 なんとかなるだろ、うん。いや、なんとかさせろ」

 「…ふふふ。」

 

 あまりにも不穏なのだが、本当に大丈夫か?

 

 「…そうか。ならばその役目、引き受けよう。」

  「いえ、それには及びません。」

 

  だが葛木には何かが伝わったようで、納得して首を縦にふる。だが、それにまったがかかった。

 ざり。小石を踏みつける音が、やたらと響く。

 

 「そのお役目、私に預けてはくれないでしょうか。」

 

 現れた男は、静かにそう告げた。



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idola

 

 「エルキドゥ 、あとどれぐらいかかる!?」

 「もうすぐさマスター」

 

  腹に両腕を回され、空を飛んでいる。最短ルートかつ最速で向かうはアインツベルン家。

 

 「見えた! マスター、着地するよ」

 「うん!」

 

 パッと、腕を離される。垂直に自由落下する私を、エルキドゥが姫抱きする。

 とっ、と静かに城のバルコニーに着陸した瞬間、凄まじい揺れに襲われる。

 

 「地震!?」

 「違う、戦闘だ!」

 

 エルキドゥはバルコニーの窓ガラスを蹴り破る。戦闘の音は真下から聞こえる。下からの振動で、床が縦に揺れ、衝撃で割れたタイルが廊下に散乱している。

 

 「ちょうど、この下にサーヴァント反応がある。」

 

 床に手をついて、ぽそりと。エルキドゥは腕を大きく引いて、「行くよ、マスター!」と叫びーーーーー

 

「はぁ!!」

 

 床が抜ける。穴から大広間が見える。柱が数本砕けていた。だが、城の一部が崩壊しているにもかかわらず、城が倒壊する様子はない。

 傷だらけのバーサーカー。血と土埃に汚れたロビンフッド。そして、髪を振り乱し、着崩れた服装で凛と立つイリヤ。

 

 「ーーー遅いわよ、立香!」

 「ごめん、イリヤ!」

 

 エルキドゥに抱えられて、穴から飛び降りる。ロビンがけほ、と咳き込んで「やっと来たか、マスター」と笑う。

 

 「マジでやばいことになってるぜ。俺が応援に来て正解だったっすわ」

 

 ロビンが口元に滲んだ血を乱暴に拭いながら言う。視線の先に、何かがいた。

 ズタボロのバーサーカー。満身創痍のロビンフッド。ぐったりと地面に横たわるイリヤ。

 

 「それは、どう言うーーー」

 『立香ちゃん!』

 

 突如、ホログラムが投影された。焦った顔のダヴィンチちゃんと、混乱するカルデアの様子が聞こえる。

 

 かつん、こつん、かつん、こつん。

 

 『突然だが、落ち着いて聞いてほしい。いや、落ち着くべきは私だね。

 信じられないけれど、そこにあるんだ…大聖杯の泥と同一の反応が。』

 

 かつん、こつん、かつ……

 

 『つまり、どういうことかと言うとーーーー』

 

 優雅に、余裕ぶって近づいてくる足音を、私は知っていた。だって、何度も聞いたことがあるんだ。特徴的な足音だから、誰のものだかすぐにわかる。

 

 『ビーストがそこにいる!!』

 

 それは、慢心しきった【彼】が、戦闘中に立てる音と類似していて…

 

 「やっぱり、君だったか。」

 

 エルキドゥが「あははっ」と呑気に笑う。いや、呑気じゃないな。いつもの調子に見えるけれど、エルキドゥは確かに警戒している。

 

「久しいな、我が友エルキドゥよ。」

 

 そして、その声も私は知っていたのだ。役満だ。もう、否定しようがない。

 黄金の王がそこにいる。慢心しきった王様が。

 

 「やあ、ギル。君にいうとは思わなかったよ。」

 

 にこりと、緑の髪の麗人が微笑む。金の髪と神性をもつ証たる赤い瞳を持つ王は「ふむ」と顎に手を当てて頷く。

 

 「貴様がサーヴァントとして召喚されるとはな。何が起こるかわからないものだ。」

 「うん、僕もそう思うよ。でも現に、サーヴァントとして僕はここにいる。」

 

  会話は穏やかに聞こえるのに、空気感は険悪。

 エルキドゥは、時間を稼いでくれている。消耗した自軍の面子(メンバー)を守るために。ならば、やることは一つ。マスター礼装を切り替え、魔術協会制服を使用。

 

 「ロビン、イリヤ」

 

 全体回復のスキルを使い、傷を癒す。効果は薄いが、無いよりマシだ。

 

「さて、そこな雑種。」

 

 らしくも無い、甘い猫撫で声にゾワリと背筋が震える。

 

 「誰に許可を得てエルキドゥを使役している。

 身の程を弁えろ、雑種風情が。」

「!!」

 

 殺気を一身に浴びて、血の気が弾くのがわかった。流れ弾で殺気を浴びたイリヤは「ひっ!」と声を上げて青ざめる。

 

 「ひどいな。彼女は君とは違うけど、ギルのマスターでもあるんだよ。」

 「(オレ)の? 面白くない冗談だな。」

 「はは。冗談なんて僕が言うわけないだろう?

 カルデアって言うんだけどね、面白い場所だよ。

 ギルがクラス違いで3人も居る。」

 「ほぅ?

 それはそれはーーーー」

 

 すう、と赤い瞳が凍てつく。

 

 「不愉快だ。」

 

 空間が歪み、黄金の波紋がいくつも浮かぶ。私は知ってる。これは王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)。ギルガメッシュ王の宝物庫。

 

 「ーーー何をするか、エルキドゥよ」

 「いくらギルでも、これは見逃せないな。」

 

 冷たい、抜き身の刃のような声と視線をものともせず、エルキドゥが立ち塞がる。彼もまた、ジャラリと地面から己の本体ーーー神と繋ぎ止める黄金の鎖が顕現する。

 彼の意思で自在に動く鎖の切先は、ギルガメッシュに向いていた。

 

 「彼女は僕のマスターだ。手を出すなら容赦はしない。」

 「ほう?」

 

 ギルガメッシュの赤い瞳に私が映る。そして不愉快そうにピクリと瞼を薄く閉じーーー

 

 ジャラララッ!!

 

 「容赦はしないと言ったよね」

 「面白い!

 お前がたかが人間にそこまで入れ込むとはな!」

 

 そんな、高笑いと鎖の音を皮切りに激しい戦闘が始まった。

 

 

 

 


 

 

 

 「はは! 楽しいなエルキドゥ!

 かつてのように三日三晩戦うか?」

 「むりだよ。聖杯戦争で戦えるのは一晩だけだろう?」

 

 振ってきた剣をバク転で避けて、着地と同時に手を地面につく。何十という数の、鎖に変容した土がギルガメッシュに襲いかかる。

 

「それに、ここは人が多すぎる。」

 

 無駄に死んでしまうのは望ましくないだろう?と尋ねたエルキドゥに、ギルガメッシュは「はあ」と退屈なそうにため息を吐いた。

 

 「つまらないことを言うな。

 雑種など、いくら死のうが構わないではないか。」

 「ーーーなんだって?」

 

 空気が、変わった。肌がヒリつく殺気めいた緊張感。そんな中でも平然として、“王”は告げる。

 

 「どうせ近々間引くのだ。今死ぬか、後で死ぬかの些細な差よ。」

 「ーーーへぇ。」

 

 ざらりと。エルキドゥが立っている部分の周辺で、大地は黄金の粒子を放っていた。大地にみなぎる魔力だ。

 神話めいた光景。黄金の瞳が、研ぎ澄まされた刃のように細められる。

 

 「まるで“神”みたいなことを言うんだね、ギルガメッシュ。」

 

 ぴたりと,両者の動きが止まった。ギルガメッシュは不愉快そうに片眉を上げた。エルキドゥは淡々と無表情を張り付けて言葉を連ねる。

 

 「ああ、君は変わってしまったんだね。」

 「変わる? 我が?

 ふははははっ、何を言うか。今も昔も、我は我だ。何も変わってなどない!」

 「でも、僕のギルは君じゃない」

 「……なに?」

 

 ギルガメッシュが今度こそ反論の声を上げた。不愉快だと態度で示した男に対して、エルキドゥはニコリとも笑わず悲しそうな雰囲気で静かに告げる。

 

 「ギルは神が嫌いだろう?

 傲慢で強欲で堪え性がない、自分の上に立って頭を押さえつけてこようとする神を嫌って、神の守護から抜け出したんじゃないか。」

「そうだな。」

 

 頷く。ギルガメッシュ王は「それで?」と続きを促すように顎をしゃくった。

 エルキドゥは表情を変えずに続きを語る。

 

 「ーーーギルはああ見えて人間が好きなんだ。」

「……ほぅ?」

 

 不機嫌そうだが、どこか楽しそうにギルガメッシュは口角を上げる。

 

 「ギルは、なんだかんだ言いながら王として民を愛していた。まあとんだ暴君だったのは確かだけどさ。

 君が言ったんじゃないか。『人類には太陽だけじゃなく北風も必要だから』って。

 ギルは、人間の持つ可能性を愛していた。人類の未来を思っていた。」

 「何を言うか、我が盟友よ。

 この我が人間を好む? 

 何を言うか。

 いいか、エルキドゥよ。人間は愚かで、強欲で、惰弱で、哀れだ。

 王たる我の導きなしでは生きていけない矮小な存在だ。かつてのウルクには不要な人材がいなかったから間引かなかっただけのこと。

 だが見ろ、エルキドゥ。この星を! 雑種共に埋め尽くされたこの星を!

 ゴミのように増え続ける雑種を!

 この星には無駄な人類が増えすぎている。

 ならば、暇つぶしがてら間引いてやるのも慈悲と言うものよ。」

 「……。」

 

 嫌悪に顔を歪めるギルガメッシュを、エルキドゥは冷ややかに見つめていた。ふー、と気持ちを落ち着かせるように深く息を吐いて、それからイシュタルを目前にしたときのような無機質な真顔でギルガメッシュを見据えた。

 

 「そうかい。質問を変えるよ、“ギルガメッシュ王”。

 なぜ君は人を間引こうなどと考えたんだい?

 増えすぎた人類が邪魔だから?

 この時代の人類の繁栄に意味を見出せないから?」

 

 まっさらな半紙に墨を落とすように、泥に汚された霊基は純粋な英霊とは言えない。

 そんな言葉が脳裏をよぎった。

 ケイオスダイトにより黒化した牛若丸のように、この王様も…

 

 「(やめろ、考えるな。)」

 

 かつては尊敬した素晴らしい仲間でも、今敵対してるなら敵だ。

 

 「この星に無駄な人間が多すぎるから殺すのか。

 暇だから、不要な人間を殺して遊ぼうと。君は言うんだね、ギルガメッシュ。」

 

 たしかに、ウルク人と比べたら今の人類は脆い。全ての民が協力し合い、いずれ滅びるとわかっていても魔獣と戦い続けた強さは、今の人類にはないだろう。

 

 「その通りだが」

 

 答えは、是。

 

 「(だけど、貴方がそれを言って欲しくなかった。)」

 

 ウルクのギルガメッシュ王の勇姿が瞼の裏に蘇る。根っこの部分は同じなのかもしれない。でも、違う。かつてはウルクの国民のために命を燃やし、今は私の召喚に応えて人類の未来のために戦ってくれるギルガメッシュ王(おうさま)と、この人は違う。

 目の前のギルガメッシュ王を同じ存在とは思えない。立香は目の前の存在にかける言葉を見つけられなくて、開いた口をきつく閉じた。

 

 「ふふ、なんだそれ。それじゃあまるでーーー」

 

 ざり、と砂を蹴る。エルキドゥの周囲の大気が渦を巻いて、新緑の髪が風にたなびく。

 

 「どこかの駄女神と同じじゃないか。」

 「……なんだと?」

 

 ギルガメッシュが赤い瞳を剣呑に細めた。冷めた眼差しと冷笑を携えて、しかし声に僅かばかりの親愛を乗せて告げる。

 

 「己の欲に従いやりたい放題。気に入らないものは壊すし、殺す。今のギルはそっくりだ。」

  「我とお前の友情に免じて聞かなかったことにしてやろう。

 もう一度言ってみろ、エルキドゥ。」

 「何度でもいうさ、今の君はイシュタルと同じぐらい最悪だ。」

 「そうか、殺す。」

 「それは僕のセリフだ。」

 

 背筋が凍るような怖い魔力が彼の背後に現れた。ゴルゴーンの邪眼で動きを封じされたわけでもないのに、自分の意思で体を動かせない。怖い、息が苦しい。圧迫感に胸が潰されそうだ。

 だけど、その魔力に私は、私たちは、悲しいほどに()()()いた。悍しい魔力を私はこの身を持っていやと言うほど知っている。

 

 「お前は僕の友達じゃない。僕の最愛の友であったギルガメッシュはお前じゃない」

 

 それでも。エルキドゥは宣言した。この強烈な魔力に気圧されることなく。

 それを見て、少しだけ呼吸がしやすくなる。

 

 「(深呼吸だ。深呼吸をしろ。

 恐怖は無くならないが、筋肉は楽になる。)」

 

 何度も、何度も、恐怖で体がすくんだ時は深呼吸をしていた。

 

 「王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)

 

 時空が歪み、黄金の波紋が無数に現れる。

 王様の宝物庫から夥しい量の財宝が投擲された。

 私は礼装を起動させようと魔術回路を励起させた。エルキドゥは視線を一つ私に寄越して、微笑む。

 

 「(これは僕の勝負だ。手出し無用だよ)」

 

 念話の礼装は起動してない。だけど、たしかにエルキドゥの声を聞いた。

 だって、エルキドゥの目が語っていた。

 

 「マスター、今のうちに撤退するぞ」

 

 背後から腕を引かれた。ロビンが当たり前みたいな顔で,淡々と告げる。

 

 「なんで!? だってエルキドゥは…!」

 「そうだ。エルキドゥの旦那が金ピカ引きつけてるうちにヅラかるんですよ。」

 

  そう言いながら,ロビンが視線をイリヤに向ける。

 傷がまだ残る体。極度の緊張と疲労から意識を失ってしまった彼女が眠っている。

 

 「最悪、エルキドゥの旦那がやられてもカルデアに撤退するだけですよ。

 でもバーサーカーがやられたらお仕舞いだぜ。」

 

 ロビンの言う通りだ。私たちの目的のためにも、サーヴァントを敗退させるわけにはいかない。

 

 「っ!」

 

 空気が揺らぐ。

 高密度の魔力に変換された財宝の雨が降り注ぐ。

  でもーーー大丈夫。エルキドゥなら大丈夫。

 ならば、私は選択しなければならない。

 

 「ーーー撤退する。今はイリヤの治療が最優先だから…」

 「カッカッカ、それは看過できないのぉ。」

 

 また増えた介入者の声に振り返る。

 小柄な翁が、サーヴァントを従えて立っていた。



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2

 

 

 「ーーー撤退する。今はイリヤの治療が最優先だから…」

 「カッカッカ、それは看過できないのぉ。」

 

 場違いな翁の笑い声。腹の底から感じる不快感と、2方向からの強烈な殺気。ロビンフットは無言でボウガンで矢を放つ。

 

 「F.Cフィールド!」

 

 展開した瞬間、五枚のうち二枚の魔術障壁が割れる。

 

 「マスター、無事か!?」

 「ロビンこそ!」

 

 ああ、またしても。またしてもか…!

 ここにきてもう一体のサーヴァントの反応に、立香は唇を噛む。

 絶望的状況だ。ギルガメッシュだけでなく、この人も現れるか。闇から現れたのは、細身の大男。

 

 「アサシン、山の翁」

 「…おや」

 

 私を知っていますか、魔術師殿。ハサンの仮面の下で、男は静かに告げた。

 

 「呪腕のハサンーーーっ!」

 「そこまで知っていますか」

 

 では、殺そう。そんな日常会話のついでみたいに、小刀(ナイフ)が振り下ろされる。瞬間、立香の体は強い力に引かれて後方に投げ飛ばされた。

 

 「サーヴァントが控えている前でマスター殺しとは、俺も舐められたもんすね。」

 

 立香の前に、マントを深々と被ったロビンフッドが立つ。

 

 「ロビン!」

 「マスター、アサシンは俺が引き受けます。」

 

 柄じゃないんすけどね、と軽薄に笑って、ロビンフッドは居住まいを正す。

 

 「と、いうわけで。“宜しく頼みますよ”」

 

 ロビンフッドが立香ーーーの背後に視線をチラリと送る。たった一瞬の目配せは『当人』以外誰も気が付かない。

 

「こいよ、あんたの相手はこの俺がしてやるぜ?」

「お手柔らかに…」

 

 そう言いながら、ロビンが真っ先に行った行動は森に逃げ込むーーー否、誘い込むことだった。

 ロビンが呪腕のハサンを誘い込んだ森はアインツベルン城からほど近い森。

 彼女が我らがマスターと同盟を締結した時から、こんなことがあるだろうとコツコツ準備した、罠まみれの森。それはもはやロビンフッドの庭だ。

 1日目の戦争が始まってから四日。二日目に同盟が締結されてから一日半。それだけの短期間でしこたま罠を張り巡らせ、その罠の位置をロビンフッドは正確に覚えている。木に印なんてつけない。木の皮の凹凸、木の節の配置。それだけで十分。付ける輩は三流だ。

 だがそれでも。ハサン・ザッバーハも負けてはいない。暗殺者の知識と経験則で罠の位置を予測して逃げる。

 それに付け加えて、お互いに飛び道具を駆使して戦う。

 ーーー超高速の戦闘だ。一瞬の判断ミスが死に直結する。

 裏のかきあい、悪知恵比べ。隠れて見つけられて見つけて隠れられて。

 毒を盛って盛られて、罠に誘って誘われて。

 

 「はー、アサシンの気配感知のスキルとかやってらんないっすわ」

 「そちらこそ…アーチャーではなくアサシンを名乗るべきでは?」

 

 接近戦はない。両者とも中・遠距離戦。派手ではないが確実に敵戦力を削る戦い。

 

 「そろそろ罠も尽きてきた頃でしょう。」

 「そろそろ罠の予測もつかなくなってきたんだろ?」

 

 木の枝の上に二人して立って、武器を向け合う。

 

「なあ、少し質問なんだが。」

 

 すぅ、ふぅーーー。脳に新鮮な空気を送り込むように深呼吸をする。

 

 「何でしょう?」

 

 同じように、アサシンも少しだけ体の力を抜いて体を休める。

 小休止に見せかけた間の読み合い。両者拮抗しているようで、実際は違う。

 ロビンフッドは罠は消耗したが体力は温存している。霊基の損傷も軽微だ。

 だが呪腕のハサンは罠を回避する側だ。何度か引っかかって霊基を損傷までしている。状況はロビンフッドが断然有利だ。

 だがその条件も、ロビンフッドも罠を全て使い切って仕舞えば一変する。

 そのためには、一度考えなくてはならない。考える時間が必要だ。

 

 「なんでアンタ、あんな外道に付き従ってるんだ。」

 

 だからあえて、こんな話題を選ぶ。あの暗殺者先生に離反の意思があるなら、絡め取って仕舞えばいい。

 

 「俺は知ってますよ、あの爺がしていること。

 これでもアサシン系アーチャーなんで」

 

 マスターには詳しいこと教えてないけど、とロビンフッドは心の中で愚痴る。

 ロビンは諜報ができる正統派隠密系アーチャーなのだ。マスターに情報収集を命じられた時、真っ先に御三家を調べた。ロビンがレイシフトにより召喚された場所がマスターと同じく間桐家だったから尚更だ。

 まあ、マスターは間桐家上空で、俺は間桐家の書斎だったが。

 マスターの令呪が回復して、エルキドゥの旦那に収集されるまでは情報収集のために家探しさせて貰いましたよ。

 で、あの地下室を知った。

 

 「(あの爺、自分の子孫をどんだけ食い殺してるんだか)」

 

 まあそれでも。自分は蟲の中に沈む少女よりも己のマスターを優先して彼女を見捨てたわけだけど。

 

 「しれたことよ。

 私はあの男に召喚された。奴がマスターである限り私は忠義を果たすまで。」

 「そりゃ随分なことで。」

 

 はあ、ダメか。最後に、諦め混じりに一言、「聖杯(アレ)、汚れて使えませんけどね」と苦笑する。

 

 「くどい」

 「はは、そりゃ残念」

 

 毒矢と毒を塗りたくられた小刀が錯綜する。お互い、かすりでもしたら致命傷だ。

 避け損なったら死ぬ。

 だが、()()()()()この罠は使えるのだ。張り詰めた緊張の糸を、無理矢理切断してやる方法。ああいう、裏を書くことばっかり考えてる真面目で優秀な奴ほど引っかかるんだ。

 チャンスは一度。向こうさんが超接近してきた時。

 

 「さらば」

 

 そして、首を刈り取るギリギリで、スキルを発動させた。

 

 「ーーー()()()()

「ーーー!」

 

 スキル使用による回避。タイミングが遅れて、首の皮が一枚持ってかれたが、この程度の毒なら多少は耐えられる。

 勝利を確信し一瞬緩めた緊張は空振りによって凄まじい動揺を呼び起こす。だがそれでも『隙』には至らない。だから、作るのさ。

 

 『ビーーーッ!!ビーーーーッ!!』

 「ーーーー!!?」

 

 夜の静寂を切り裂くような凄まじい爆音が鳴り響く。動揺が動揺を呼び、動きがガタついたのを見逃すほど馬鹿じゃない。

 この筋金入りの暗殺者に『隙』を作ったのは、空振りと同時に鳴り響いた凄まじい爆音ーーーつまりは、猫騙しだ。

 スイッチひとつで起動する猪避けの罠は、現代に詳しくない英霊が見逃しやすい『罠』だ。使いまわされた一手も、使い方次第で歴戦のアサシンすら引っ掛ける。

 聖杯から現代の知識を受け取るが故に見逃しちまった罠。時代により変化した常識に振り回されたが故の失敗。

 

 「アサシンのくせに、ちょっと調査不足なんじゃないっすか?」

 

 無防備になった首に、注射器を打ち込む。カルデア屈指のマッドサイエンティストが生み出したアサシンにも効く痺れ薬だ。効果は1日続く。毒耐性を持つアサシンを軒並み打ち倒した毒には、流石の呪腕のハサンも膝を折る。

 縄抜けなんてできないように念入りに縛り上げて、それでも足りぬと逃げるための足を潰した。

 

 「ーーー」

 

 痺れが回って涎を垂れ流した唇が、陸に上がった魚のようにはくはくと動いた。

 間抜けな姿だ。これでは自害もできなかろう。カルデアの彼らがみたら頭を抱えて唸るだろう光景にクツクツと意地悪く笑った。

 麻痺してもなお、屈辱で顔を歪めるアサシンに、ロビンは文明の利器をゆらゆらと振りかざして笑ってやった。

 

「ーーーこんな森で、猪なんか出るわけねぇだろ。」

 

 


 

 

 カルデアのアーチャー(ロビンフッド)呪腕のハサン(アサシン)と対峙し、藤丸立香と間桐臓硯が対峙しているころ。

 アインツベルン城中庭では、神話の再現が起きていた。

 向かい合うギルガメッシュとエルキドゥ。いつかの再来だ、とギルガメッシュが内心笑う。

 

 「ほう、雑種を逃したか」

 「ああ。一対一で戦おうよ」

 

 強い風が吹いた。エルキドゥの長い髪が舞って、それが戦闘開始の合図だった。

 ギルガメッシュが王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)を展開して半径5メートルの領域に宝具の雨が降る。回避不能の攻撃。エルキドゥはその場から一歩も動かずに天の鎖で封殺した。

 

 「さすがだな」

 

 くつりと、嘲るようにギルガメッシュが笑う。地面を蹴り上げてエルキドゥが宙に浮いた。

 空の上から《彼》を見下ろして、首を捻る。

 

 「そうかな?」

 

 涼やかな微笑みを浮かべたエルキドゥが右手を振り下ろす。

 

 「我を見下ろすか!」

 

 ギルガメッシュが背後の空間を黄金に歪め、無数の鎖を全て弾き飛ばす。

 

「油断したね!」

 

 瞬間。彼が触れたわけでもないのに地面が変容し、数本の鎖が生まれた。鎖はギルガメッシュの四肢に巻きつき、拘束する。

 

 「ぐっ!」

 「ふふ、僕の勝ちだね。」

 

 エルキドゥは空中に腰掛ける。しゃがみこんで、ギルガメッシュの頭上で「ねぇ」と笑った。

 

 「最後に、ギルガメッシュ王のような何かに成り果てた君に聞くよ。

 ……魔神柱の死骸を取り込んだね?」

 「…………ふ、ふははっ」

 

 深い沈黙。そして、笑い声。

 

 「ふはははははははは!!!

 さすがは我が盟友(エルキドゥ)だ。

 ああ、そうだ。たしかに(オレ)は“()()()()()()()()()()()()()”」

 

 邪気、というべきか。空気は粘つき、重ったるい澱んだ空気に息がつまる。

 

 「だが、それがどうした。

 多くの魔力を得るためには必要なことだ。

 魔力なくば“サーヴァントは活動できない”

 それは皮肉にも受肉しても変わらなんだ」

 「何が活動できない、だ。宝具が撃てないだけじゃないか。」

 

 はあ、と冷たいため息を吐いた。

 

 「一晩,頭を冷やしたらどうだい?」

 

 ザララッ!

 鎖がギルガメッシュの全身に巻き付き動きを拘束する。

 

 「僕の鎖は神性封じの鎖だ。神性が強ければ強いほどより強力に働く。

 どうだい、ギルガメッシュ。受肉しても、悪に落ちても剥がれ落ちることはない神性は。」

 「ーーー!!」

 

 怒りに燃えるギルガメッシュに、エルキドゥは冷たい視線を向けた。

 

 「今、君をここで殺さないのは慈悲じゃない。どうなるかは君が一番わかってるだろう?」

 「大人しくしていれば朝には解けるよ。じゃあね。」

 

 エルキドゥが爽やかに手を振ってその場を立ち去ーー

 

「なあ、エルキドゥよ。我がその程度のことを想定してないとでも思ったか?」

 

 ーーーれなかった。

 神造兵器(エルキドゥ)はギルガメッシュの所有する天の鎖(エルキドゥ)により地面に引き摺り落とされ、墜落した。

 

「あいたた…」

 「ふははははっ! 油断するとはらしくないぞエルキドゥ!!」

 「やってくれたねギルガメッシュ!」

 

 無数の宝具が射出される。エルキドゥは地に降り立ち、降ってくる武器の隙間を駆け抜ける。

 

 「そうだね、僕のギルじゃないからと甘く見ていたようだ!!」

 「何を言う! 我は永遠にただ一人!!

 偽物なんかいるはずがなかろう!!」

 「そうだとも!

 僕がかつて盟友と、星と呼んだ男はただ一人。英雄王、ウルクの王だ!

 汚れた泥で受肉した君じゃない!」

 「随分人間臭いことを言うのだなエルキドゥ! 変わったのは貴様ではないか?」

 

  素手で宝剣を弾き飛ばしながら、エルキドゥ がくすりと笑った。

 

 「はは、面白いね。カルデアの記録で見た第七特異点みたいだよ。」

 「第七特異点?

 ーーーああ、綺礼が言っていた例のやつか。」

 

 それがどうした、とギルガメッシュは笑った。

 

 「あの時は,ティアマト(かあさん)の泥により別の命を与えられ再誕した(キングゥ)は、ウルクの…人の王の賢王(きみ)と戦ったのだけれど。

 今回は逆だ。」

 

 絶え間なく降り注ぐ剣の雨をかわしながら、エルキドゥは語り続ける。

 

 「泥で受肉した君と、人類の未来のために呼び出された僕。

 あの特異点で君が僕を諭したように、今度は僕が君を諭そう!」

 「笑止!我を諭すなど誰にもできぬわ!!」

 

 ギルガメッシュが剣を握る。セイバーの真似事でもするように剣を握り、エルキドゥと打ち合う。楽しそうに、遊ぶように殺し合う。

 どれだけ血が流れて、どれだけ返り血を浴びて、どれだけ地面に鮮血を吸わせたことか。

 長期耐久戦に強いエルキドゥの性能に対抗できる王の財宝の数々は流石であると言うべきか。

 

 「楽しいなエルキドゥ!」

 「さあ、もっと戦おう!!」

 

 何度目だろうか。剣と生身がぶつかり合い…

 

 「いや、今日はもう終いだ。」

 

 英霊二人の間に割って入った男が、それを妨害した。

 ギルガメッシュが振り下ろした剣を片腕でいなし、もう片方の腕でエルキドゥの腕を掴んだ。そして、淡々と述べる。興奮状態にある二人に言い聞かせる気もないような口調で。

 ギルガメッシュは怒りに染まった鋭い視線をその男に送り、瞬きのうちに怒りの色を消す。

 

 「おお、綺礼! 

 ここにいると言うことは終わったのか!」

「ああ。“仕込み”は上々、と言ったところか。 …ギルガメッシュ。」

 「なんだ。」

 「“死んでない”な?」

 「ああ、“まだ死んでない”さ。」

 

 くつり、邪悪に笑うーーー。

 

 「(死んでない? それはバーサーカーのマスターのことか?)」

 

 何が起きているのだろう。この二人を黒幕として、何か大変なことが起きようとしている。エルキドゥは二人の会話を遮りらないように口をつぐむ。少しでも情報を引き出すために。

 

 「綺礼よ、 “例の件”は順調に進んでいるのだな?」

 「ああ。恙無く。」

 「ならば良い。」

 

 帰るぞーー、と。ギルガメッシュは踵を返す。エルキドゥはそれを見送った。

 

 「さらばだエルキドゥ!

 勝負の続きはまた今度だ。」

 「またね、ギル。今度は君を殺すよ」

 

 見送って、姿が見えなくなって、エルキドゥは地面に崩れた。

 

 「……っはぁ。すこし消耗しすぎたみたいだ。」

 核を破壊するには至らない。だが、確実に削られたエーテルの肉体。

 

 「……ごめんね、マスター。」

 

 加勢にはいけない。今は一度撤退し、回復に努めなければ。

 エルキドゥは少しでも魔力を温存するために、霊体化してその場から消えた。



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3

 

 「さて。儂も久々に戦うかのう」

 

 カ、カ、カ

 調子のはずれた猿人形みたいな、引き笑いが耳につく。ああ、なんたることか。記憶の中に残る青年の面影を残さない醜い老人。

 しかし、その正体が誰であるのか立香は既に知っていた。

 

 「マキリ・ゾォルケン…!」

 「儂を知っているか。」

 

 夜のしじまに老人の下駄の音が嫌に響く。

 随分と小さな人影だ。陰鬱な影を背負っていたが、凛々しく立っていた男とは似ても似つかない。それに、彼はもっと背が高かった。

 まだ生きているとは聞いていた。500年で一体何が起きたのか。

 「はん、あの出来損ないがサーヴァントを召喚したと聞いて見にきたら、なんてことない。

 いくら偽装しようが儂にはわかる。」

 ぎょろりと、洞穴みたいな眼が立香を捉える。暗闇の中でギラギラと光る黄色の虹彩。

 

 「貴様は、人間だな。」

 

 愉快そうに声色を弾ませてるのに、その顔は1ミリだって笑ってない。隠す気もない憎しみが染み出して凶悪そのもの。

 

 「よくお分かりで」

 「誰がサーヴァントの召喚システムを作ったと思っているのじゃ。

 わかるに決まっておるだろう」

 

 さあ、と。彼が告げるや否や翅刃虫ーーー否。翅刃群虫が背後に出現する。

  厄介なライダー系エネミーの出現に立香は唇を噛む。

 

 「小聖杯を置いていけ。さすらば、貴様は見逃そう。」

 「イリヤをどうするつもり?」

 「貴様に、教える必要があるか?」

 「嫌だと言ったら?」

 

 マキリ・ゾォルケンーーー否、間桐臓硯は落ち窪んだ瞳の奥を怪しく光らせて、言う。

 

 「ならば死ね」

 

 大量の虫が目前にいた。速い!くそっ、いつの間に!気がつかなかった。

 

 「(だめだ、今から礼装を使っても間に合わない…!)」

 

 どうすればーーー

 

 【グシャッ!】

 

 生き物が潰れる音が、生々しく空間に響く。大量の虫は全て『素手』で握りつぶされ、汚い色の液体を巻き散らかして床に落ちていた。

 牡丹の刺青。背中に背負うは『義』の一文字。風に揺蕩う長い黒髪。

 

 「少し目を離したらすぐコレだ。貧乏神にでも取り憑かれてんのかねぇ?」

 

 なあ、と語り変えて、振り返る。

 

  「助太刀必要かい、マスター?」

 「燕青!」

 

  せぇかい、と甘く囁く男は、立香の前にだって型を構える。その武術の名は燕青拳。

 

 「さてぇ、お前の相手はこの俺だ。」

 

 燕青は、挑発するように()()()立てた。

 

 

 


 

 

 激しい攻防だった。状況は切迫していた。

 かたや幻霊と融合したサーヴァント。架空の英霊。

 対抗するはサーヴァントに渡り合える魔術師。妄執により500年を生きる大魔術師。

 とはいえ…やはり、マキリ・ゾォルケンは強い。あの魔霧の都市の時も思ったことだが。

 

「カカカ、そこにいる三流魔術師には勿体ないサーヴァントじゃな。」

 「そりゃどうもっ!!」

 

 燕青の重たい踵落としが老体の頭蓋目掛けて落とされる。だが彼を守るように大量の蟲が集まり盾となる。

  潰しても潰しても、間桐臓硯の使役する蟲は尽きない。どんどんと強くなっていく。

 いや、違う…? どんどん燕青が弱くなっているような気が……!?

 ハッと気づいて、反射で老人を見る。間桐臓硯はニヤリと、口裂け女みたいに笑った。

 

 「今更気づいたか、小娘」

 「燕青!」

 「おう!」

 

 燕青を己の近くに呼び戻し確認する。やっぱりだ、燕青と私のパスが弱くなっている。

 

 『先輩!!』

 『先輩のバイタルが低下します!

 どうしてっ!?

 先輩とカルデアの魔力を繋ぐパスが弱くなっている…!!』

 

 マシュの悲鳴じみた報告を「やはり」と言う心持ちで聞いていた。

 

 「燕青、魔力は…」

 「ああ、ちょっと足りねぇかな」

 

 ちょみーと、と人差し指と親指が触れるぐらい近づけてジェスチャーをする。

 

 「宝具は打てねぇけど、だからどうした。

 あんな老ぼれジジイ、宝具を使わなくても余裕で勝てるネェ」

 

 ニヤリと、おどけるような口調で笑う。ああ、本当に。無邪気な子どもみたいに笑う。その理由がわからないなんて言うほど鈍くないよ、私。

 

 「大丈夫だ、心配するな主」

「ーーーーうん。」

 

 だから、私はあなたの優しさに甘える。目の前の敵を睨みつけ、真っ直ぐ立つ。

 

 「カカカカカ!

 時間をかければかけるほど、貴様と小娘の繋がりは薄まるぞ!

 儂を倒すなどとほざく前に魔力欠乏に陥る!」

 

 燕青は無言で型を組む。私もうしろで、邪魔にならないように立った。

 

 「ーーー儂の元に下れ、アサシン。そこの魔術師とは違って魔力に不自由はさせないぞ?」

「はっ!」

 

 馬鹿にしたように燕青が笑う。わかってないな、というように。

 

「こうみえても忠義者なんでね。主の鞍替えは論外なんだ。

 そんでよぉ爺さん…」

 

 燕青はビリビリと皮膚が痺れるほどの殺気を放ち、低い声で唸る。

 

 「我が主にこれ以上の侮辱をしてみろ、死ぬより残酷に殺してやる。」

 「霊基を保つのも精一杯な分際で吠えよるわ!!」

 

 弱った今が好機と思ったのか。燕青を掌よりもひとまわり以上大きい翅刃虫が襲う。

 燕青はいつものように握りつぶすのでも、殴り消し飛ばすのでもなく左手でそれを捕まえた。

 

 「魔力不足がなんだってんだ。そんなものーーー」

 

 そして、右手で翅刃虫の頭を掴み、ぶちりと。頭を引きちぎる。

 

 「こうすればいいだろ」

 

 燕青はニヤリと笑った。右手で持っていたものを自分の口元に運び、そして……

 

 「うえ、マッズ!!」

 

 “それ”を食べる。魔術師の魔力をよく吸い上げ、魔力に満ちたそれーーーー間桐臓硯の使役する蟲を。

 まずいと言いながら貪るように。頭も胴体も翅も数秒で全て食い切って、「うぇっ」と手で口を覆って嘔吐く。

 

 「まあ、でもこれで魔力の問題はどうにかなっただろ、マスター?」

 

 べろりと下品に手のひらに残る虫の体液まで舐め尽くす。月明かりがスポットライトみたいに彼を照らしている。

 

「はっ! パスが切れたら喰えばいい!

 魂喰いに抵抗があるほど高潔じゃないんでね!」

 

 燕青は間桐臓硯の使役する翅刃虫をひたすらに捕まえては貪り食う。

 

 『燕青さんの魔力残存量はギリギリですが規定値をクリアしてます。

 コストカット状態にはなりますが、このままカルデアから供給をーーー』

 「いや、魔力は俺以外の奴を優先して回してくれ。

 なぁに、俺はマスターのそばで戦ってんだ。他の奴らよりもパスは安定してるし、こうして魔力供給のアテもある。

 他の奴らの戦闘に支障が出る方が問題だ。」

 『しかしそれではーーーっ」

 「わかった。ありがとう燕青」

 『先輩!!』

 

 マシュが叫ぶのは突然だろう。私の身が危険に晒される。だけど、それでも構わない。これぐらいのピンチは何回か潜り抜けた。

 

「マシュ、私は大丈夫。だって燕青が私を危険な目に合わせるわけが無い。」

 

 ふぅーっと不安を吐き出すように、一気に呼吸を吐いた。

 

 「勝ち筋はあるんだよね?」

 「当然!」

 「なら、安心だ!

 ーー」」マシュ!」

 『ーーーっ了解です、マスターっ!』

 『ははっ、藤丸らしい!』

 『全力でサポートするわよ!』

 

 やけっぱちに叫んだ彼女と、カルデアにいるみんなのポジティブな応援。

 

 『全工程オールグリーン。魔力供給パス定常値を維持。』

 『ーーープロテクト完了。これ以上皆さんのパスが低下することはありません!』

「そりゃ頼もしい!」

 

  『サポートはお任せください!』と叫ぶマシュに、「さすがっ!」と賞賛の声を上げた。

 再び間桐臓硯に向き直る。老翁は凍てついた表情で私たちを眺めていた。

 

 「甘いのう、そんなもので勝てると思っているのか。」

 「勝てるとか勝てないとかじゃなくて、勝ちます。」

 

 宣言すれば、幾分か強気になれる。弱気になるより百倍マシだ。

 

 『先輩、パスが弱まっているので魔力充填に時間がかかります。

 燕青さんの要望通り、他のサーヴァントの皆さんに優先して魔力を回しているため供給量は通常の3/5までカットされます。

 マスター礼装のチャージは通常の三倍ほど時間がかかると思っていてください。』

 「チャンスは一回ってことだね。」

 「一回ありゃ十分だ!」

 

 短期決戦だ、状況はしっかり見極める必要がある。

 燕青が弾丸のように飛び出す。短期決戦だ、状況はしっかり見極める必要がある。

 

 「カカカッ!

 三流魔術師のサーヴァントは哀れよの。戦うだけで一苦労とは!」

 「黙れ。」

 

  蟲の壁をくぐり抜けながら、燕青は走る。燕青は強い。だがそれは接近戦。彼の戦闘スタイルからわかるように遠距離戦は不向きだ。反対に、間桐臓硯をはじめとする魔術師は中・遠距離特化。

 まずは、距離を詰めなくてはならない。魔力の供給だって不十分だ。現に燕青は『虫を食べながら』戦っている。丸呑みにしているのを逆手に取られて霊基(からだ)の内側からも少なからず攻撃されてる。

 時間がない。でも、 好機(チャンス)がいつ来るかなんてもっとわからない。

 私ができることはただ一つ。いつでもすぐに魔術を放てるように待機すること。そして、戦況を見誤らないように必死で目と脳を働かせること。

 近接戦が長引くにつれて、最初は余裕そうに笑っていた間桐臓硯もだんだんと焦れてきたらしい。始めた当初はたっぷりと顔面に塗りたくっていた余裕の色が、だんだんと薄れ始める。

 

 「おのれ、ちょこまかとっ!」

 「ーーー燕青!!」

 

 今だ。考える前に魔術を放った。バフスキルは燕青目掛けて一気に飛んでいく。

 一瞬。ほんの一瞬だ。一瞬だけ完全に統制されていた蟲の動きが遅れた。その隙を突くのは『達人』でもなければ不可能だろう。常人の反応速度では切り込むことなんてできない。でも、今戦っているのは燕青。カルデアでも有数の、武闘派サーヴァント。

 

 「(ーーー切り込めないわけがない)」

 

 ニヤリと悪い顔で笑った燕青は、次の瞬間世界から消えた。いや、消えたんじゃない。早すぎて目で追えなくなった。

 

 「ぐぅ!?」

 

 岩がぶつかったような音と、衝撃波から来る爆風。目にも止まらぬ連撃。音だけが取り残される光景はまさに“武の頂点”

 

 「千山万水語るに及ばず!!」

 

  腹に強烈な掌底を浴びて吹き飛んだ小さな影に脚力だけで追いついて、トドメとばかりに頭部を踏みつけた。

 

 「ぐっ…!!」

 「はぁ、はぁ……」

 

 重症とまではいかないが軽症とも言えない怪我。切り裂かれて滴る頬の血を雑に拭って燕青が冷徹に『それ』を見下す。

 

  「じゃあな、あの世で詫びろ」

 

 高く上げられた脚。なにをしようとしてるのかぐらいすぐにわかる。

 

 「待って燕青! 殺しちゃダメだ!」

 

 振り下ろされた足は、翁の頭蓋を砕く寸前でぴたりと止まる。

 

 「あんでだよ。」

 「マスター殺したらサーヴァントも脱落する。」

 

 捉えようによってはひどく残酷な言葉を、少女の唇は告げた。「ああ、なるほどね」と言いながらも、まだ納得していないアサシンに手のひらの令呪を見せる。三画全て残っているそれはマスターの証拠。

 

 「じゃあどうすんだよ。拠点に連れ帰るなんてふざけたことは言うなよ、マスター」

 「とりあえず、拘束するとか……」

 

  まだ余裕を見せていた老人が、ぴくりと体を震わせた。

 

 「ーーーアサシンがやられたか。」

 

 ロビンが勝った。よかった、と胸を撫で下ろす。

 燕青の足の下で、翁がからからと笑う。

 

「取引をしよう、小娘。儂とアサシンを見逃せ。

 代わりに、お主のサーヴァントとのパスを正常に戻そう。」

 「なんでテメェが偉そうに仕切ってるんだ。殺すぞ?」

 「燕青。」

 

 一言名を呼んで、静止を促す。私はしゃがみこんで間桐臓硯と目を合わせた。

 

 「先にパスを元に戻して。」

 「カカカ、そうだろうの」

 

 不気味にケタケタ笑い、「それどうだ」と言葉を吐き捨てた。魔術がかけられたのは分かったが、自分では変化がわからない。

 

 『先輩、魔力供給のパスの異常改善を確認しました。

 全身スキャンしても異常らしき異常は見当たりません!』

 

 私は特になにも感じなかったが、マシュの報告から無事済んだのだろう。燕青に視線を送り、こくりと頷く。

 無言で脚を退けて、ため息をついた。美貌に不機嫌な表情を貼り付けて。心底嫌だが、という副音声が聞こえてきそうだ。

 念話の礼装でロビンにも呪腕先生を解放するように願い、「『はぁー、わかりましたよ』」と渋々な返事が返ってきた。

 

 「そら、行けよ。俺の気が変わらないうちにな」

 「言われなくても」

 

 間桐臓硯の姿はあっという間に消えた。現れた時と同じように。

 

 「よ、お疲れさん。なんかズタボロだけど大丈夫っすか?」

 「あんたもねぇ」

 

 ロビンが軽く手を振って歩いてくる。少しフラフラとした足取りだが、意識はしっかりしているようだ。

 

 「燕青、ロビン、これ。回復魔術のスクロール」

 「いや、取っとけ。どうせあとは帰還するだけだ。」

 「そーそー、物資は大事にするべきだぜ」

 「でも……」

 

 さっきまで軽口叩き合っていたくせに、頑固な二人は瞬時に結託した。一人は従者気質から、もう一人は節約根性からスクロールの利用をひたすらに固辞する。

 「使って」「使わない」の押し問答の末に私が負けた。

 

「『こっちは終わったよ。ちょっと消耗しすぎちゃったから先に帰るね。』」

 

 同時に、エルキドゥから念話が入る。「『了解』」と一言告げたらそのまま念話は切れた。

 

 「ーーーエルキドゥの旦那も終わったか。」

 

 そういった瞬間、燕青とロビンフッドの両名がぐしゃりと地面に崩れた。

 電池が切れた人形みたいに。糸が切れたマリオネットのように。

 

 「燕青! ロビン!!」

 「すまねぇマスター、ちょっと毒を食らっててなあ」

 「大丈夫だよぉ、ただの魔力切れだ。」

 「だからスクロール使ってって言ってるのに!!」

 「「それはもったいないからダメだ」」

 

 変なところで息がぴったりの二人が顔を見合わせて、笑う。

 戦闘で張り詰めていた空気が緩んでいくのを感じた。

 

 「リツカ!!」

 

 名を呼ばれる。パッと振り返れば濃紺の髪の少年が走っているのが見える。

 遠目で見れば見るほど,かつてロンドンで出会ったマキリ・ゾォルゲンに似ていると、そんな感想を抱く。

 

 「慎二!!」

 

 膝に手をついて肩で息をする彼が、「なんでイリヤスフィール(そいつ)、地面で寝てるのさ」と首を傾げる。

 

「イアソンたちは?」

 「あいつは捕まえたキャスターに大聖杯見せるために柳洞寺に帰ったよ

 サーヴァントを脱落させられない理由を教えるためだとさ」

 

 そっか、と立香は呟く。慎二が「そっちはどうなのさ」というから「拠点に帰って話すよ」と答える。一から話すと少し長引く。

 

 「じゃあ、帰るとしますか」

 「うへぇ、もうちょい休んじゃダメかい?」

「いえ、お二方は霊体化して先に帰還してください。」

 

 ランスロットの言葉に、サーヴァント二名(ロビンと燕青)が「はぁ?」と威圧する。だがびくともせずにランスロットは言葉をつなげた。

 

「あとは帰宅するだけです。マスターと慎二は私に任せて、お二人は拠点に帰還してください。」

「だがしかし…」

 「問題はありません。護衛は騎士の仕事ゆえに」

 

 決意は固い。こうなったランスロットは自分の意見を変えることはないだろう。

 

 「じゃあ、お言葉に甘えることにするかね」

 「ーーーはぁ〜、しゃあねえなぁ」

 

 それをよく分かっているから、ロビンはお手上げですよ、と皮肉るように両手を上げる。燕青もため息を吐きながら霊体化した。二人はその場から消えた。残されたのは未だ眠るイリヤスフィールと、リツカ、慎二、ランスロットの四名。

 現在、21時。月はすっかり上りきっていた。今日は、いろんなことが起こりすぎた。たった 時間で三騎のサーヴァントが霊基に傷を負い戦線を離脱した。

 

  「…ん、」

 「おはようイリヤ」

 

  うっすらと瞼を開いて、イリヤが小さく「リツカ」と言葉をこぼす。

 

 「私、襲撃されて…

 あいつは……、そうよ、あいつはどうなったの?

 あの金ピカのサーヴァント。あいつがバーサーカーをっ!」

 「大丈夫。金ピカのサーヴァント……ギルガメッシュ王はエルキドゥがなんとかしたから。」

 「そう…」

 

 一瞬怒りを露わにした彼女は、次の一言で落ち着きを取り戻す。今にも眠りにつきそうな彼女に立香は微笑んだ。

 

 「あとは拠点に帰るだけだから、寝ちゃいなよ。」

 「うん、そうね…」

 

 じゃあ,よろしくと最後に告げて。すう、とイリヤは眠った。

 

 「とにかく、イリヤスフィールを運ぶぞ。」

 「そうだね。じゃあ慎二がイリヤを運んであげてよ。

 ランスロットは護衛だから手が塞がるのは良くないし。私より力があるでしょ?」

 「仕方ないな」

 

 やれやれと肩をすくめ、慎二がイリヤを横抱きにする。私たちが来たことで霊体化を解いたバーサーカーにも、もう一度霊体化してくれて構わないと告げて。

 聖杯戦争四日目は、こうして終わるとーーー思われた。



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4

 

 それは幕間の物語。別陣営の聖杯戦争の記録。

 間桐慎二、藤丸立香の知り得ない物語である。

 

 


 

 聖杯戦争三日目、夜。

 学校を化け物に襲われ、慎二のサーヴァントと名乗る赤毛の、俺によく似た少女に会った日の深夜のことだ。

 ラフムという謎の敵による襲撃に危機感を覚えた凛は、桜にこう提案した。

 

 「同盟を組みましょう」

 

 桜が聖杯戦争に参加するマスターであるということを言うのだろうか知ったのもその時だ。

 曰く、ルーラーに対抗するため、一時的に共同戦線を組もうと。

 

 「ルーラーはサーヴァントを複数召喚できるのよ。単独撃破なんて不可能よ。」

 「…わかりました。それでは、私も先輩の家にお邪魔すればいいんですね。」

 「ええ。その方が都合がいいわ」

 

 そう言うわけで、桜は俺の家に泊まることとなり、桜のサーヴァントであるランサーもうちに来た。

 ランサーは、中学生ぐらいの少女の姿をしていた。人見知りみたいですぐに霊体化してしまった。

 

 「あの!

 サクラの先輩って、貴方……ですよね?」

 

  まさか、話しかけられるなんて思わなかった。その内容も、理由も。

 

 「わたし、本当ならランサーで召喚されないはずなんです。」

 

 ランサーの、少し舌ったらずの幼げな声が俺の鼓膜を揺らした。

 俺はこれから夕食を作るために握った包丁をまな板において、振り向く。そこにはいつもフードに隠されて見えない美しい顔があった。昏い金色の瞳が伏せ目がちながらも惜しげも無く晒されている。

 服装は現代風のものに着替えられているため、いつもの目のやり場に困るスリットの深いワンピース姿ではない。だが、その分いつもの服装では見えない腕や、首筋が蠱惑的な色香を放っていた。

 不死殺しの鎌を果敢に振るう腕は、華奢で白くて、俺が力を入れそうなほどに細い。女の子の腕だ。

 

 「突然、どうしたんだ?」

 

 動揺を押し殺して疑問を問う。伏せ目がちの瞳がゆらりとゆれた。

 

 「わたしが聖杯戦争に呼ばれるとしたら、全盛期のメドューサとして呼ばれるはずです。でもわたしは全盛期というにはかけ離れている。

 アテネに呪いをかけられたあとであるはずの姿でありながら地母神としての側面が強いこの霊基は、本来ならばありえない。

 この蛇の髪も、わたしの鎌もそう。わたしの中身と霊基はチグハグなんです。

 だから、あのルーラーを名乗る人が語る『大聖杯の致命的なバグ』というのにも、納得しています。」

 

 バグだらけの聖杯戦争。そもそもの始まりからしてイレギュラーであるこの戦争の裏には何があるのだろう。

 

 「それにーー」

 

 メデューサ…否。アナは、意を決したというように小声ながらもはっきりと告げた。

 

 「そして、そのバグには多分桜が関わっていると思うんです。」

 

  まさか、そんな。と俺はこぼした。だけど、他ならぬサーヴァントからの言葉に無条件に否定することはできなかった。

 おやすみなさいとアナは消えた。その晩、なかなか眠れなかった。彼女との一瞬の会合はそれだけ強烈だったのだ。

 モヤモヤした想いを抱えた翌日。

 

 「新都に行くわ」

 

 付き合いなさい、と遠坂が言った。桜は実家でやることがあるから、と家に帰ってしまった。

  4日目の朝。遠坂により強引に連れ出された俺とセイバーはまず遠坂の魔術に使う宝石を求めて宝石店を梯子することから始まった。

 

 「うーん…。さすがに、あんまりいい石はないわね。

 でも今の状況で宝石商を招くのもなぁ…今日はストック目当てだし、ある程度は我慢するかぁ」

 

 落胆した様子で肩を落とした彼女は、次の瞬間「ショッピングと行きましょう!」とハキハキと告げる。

 

 「ショッピング、ですか…?」

 「そうよ。セイバーも可愛い服買いましょ。息抜きよ息抜き。

 最近、なんかよくわかんないことだらけで頭こんがらがってるし。気分転換も大事でしょ。」

「いえ、私に服は必要なくてですね…」

 「いいのいいの。せっかく可愛いんだから、今日ぐらいおしゃれしましょう!」

 「凛!本当に私はおしゃれなんて必要なくて…って、聞いてください!」

 

 遠坂に腕を取られて、セイバーはオロオロしながら引き摺り回される。助けを求める子犬のような瞳で俺を見るが、どうしようもないからそっと首を横に振る。絶望したような顔がなんだか印象的だった。

 いろんな店を回った。大体がファッションショップで、試着をしては勝ったり買わなかったり。

 そろそろいい時間だから、お昼にしようと話の流れが変わって、そんな時のことだ。

 楽しげな顔で笑っていた遠坂が、突然「うげ」とうめいて顔を歪める。

 

 「うわあ、見たくない顔を見た…」

 

 遠坂の視線の先にあったのは、アクセサリーショップ。宝石を取り扱うジュエリーショップだが、高校生にも求めやすい値段と穂波原の女子生徒の間で有名になってた店だ。

 しかし、彼女の求める品質の店ではないだろう。それならば、どうして。

 よく見たら、遠坂はジュエリーショップのガラス窓の向こうを見ていた。その視線の先を目で追う。そこにいたのは…

 

 「慎二?」

 

 アクセサリーショップのガラス窓から見えたのは、見慣れた顔。店員に話しかけられながら何かを真剣に選ぶ姿は、いつもの軽薄な表情とかけ離れている。

 

 「(そういえば、慎二も聖杯戦争に参加しているんだったな。)」

 

 昨日発覚したことだ。ルーラーのマスターである慎二は、先日学校に侵入してきた魔獣や「ラフム」という謎の敵を倒すのに一役買っていた。

 しかし、ルーラーの能力は恐るべきものだった。単独での戦闘力はやや劣るものの、サーヴァントを複数騎同時召喚できるルーラーはまさに『最強』のサーヴァントだ。

 かつて聖杯戦争に参加したマスターが死後、座に登録された英霊。あまりにも規格外の存在が告げる聖杯戦争の異常性。

 もし、もし彼女の言い分が正しいとしたら……今すぐにでも聖杯戦争を中止すべきだ。

 

 「(何が、正しいんだろう。)」

 

 ルーラーは聖杯戦争をしてはいけないと言った。聖杯は汚染されていると。

 遠坂は「そんな事実はあり得ない」と言う。

 セイバーは「聖杯が汚染されているなどあってはならない」と言った。

 だけど、昨日の魔獣から、ラフムから。悪意の煮凝りのようなものを感じたのだ。

 

 

「だけど、それは間違いだったみたいだ。」

 

 

 血まみれになって倒れるイリヤスフィール。そんな彼女を攫うように抱き上げる慎二と、付き従うように背後に立つルーラー。

 

 「これを、セカンドオーナーへと。」

 

 きっかけは、監督役である言峰綺礼を通した連絡だった。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンの署名がなされた手紙には、ルール違反に対する告発についてと、バーサーカー陣営に対する救援依頼。

 

 「ルーラーのルール違反に関する指令だ。救援要請を受けるならば、特例として令呪を一画を寄贈しよう」

 「なんですって?」

 

 ピクリと凛が眦を釣り上げる。

 

 「そんなことが許されるの?」

 「ああ。許されるとも。実際、前回の聖杯戦争ではキャスターに対する討伐報酬として令呪が譲渡された。」

 「へぇ。それでも、前払いっていうのはおかしいでしょ。私たちはまだ、ルーラーを討伐したわけじゃないけれど。」

 

 あやしい、と視線で訴える凛に、言峰は笑う。

 

 「ふふ…そう警戒するな。ルーラーのルール違反というのは既に明白だ。

 既に参加枠が埋められたクラスのサーヴァントの召喚、および複数使役。

 令呪を使うことになるだろう。

 残り一画の令呪で応戦するには、部が悪すぎると判断したまでだ。」

 「…まあ、一応筋は通って…いるのかしら?」

 

 凛は「受けるわ。」と頷く。セイバーに促された士郎も同じ依頼を受けることとなった。

 だけど、令呪の寄贈がなくても、士郎はバーサーカーのマスターの救援に行っただろう。

 「殺されるかもしれない」という文脈は士郎を突き動かすには十分すぎた。

 そして、彼女の告発文通り、ルーラー陣営はイリヤを襲撃していた。

 

 「今すぐイリヤを解放しろ!」

 「…はぁ? 何言ってんのお前。」

 

 怪訝そうな慎二。意味がわからないというように首を傾げて、「お前らには関係ないだろ」と吐き捨てる。

 

 「私たちは教会からバーサーカー陣営に対する救援要請を受けてきたの。私には、あんたたちルーラー陣営を討伐する義務がある。」

 「救援依頼?

 それこそ意味がわからない。何で教会がお前たちに救援要請なんてものを出すのさ。

 そもそもイリヤスフィールを助けたのは僕たちだ。」

 「あんたが救援要請を受ける? そんな冗談通用すると思った?」

 「ああ、通用するね。僕たちは同盟者なんだ。部外者の遠坂は首突っ込むなよ。」

 「何が同盟者よ! 暴行して無理やり言わせてるだけじゃない!」

 

 遠坂が、とうとう声を荒らげて叫んだ。慎二はいつものすました顔で、「やれやれ」と肩をすくめる。

 

 「はあ。これだから遠坂は。

 僕たちのこれは救援だよ。悪いけど急いでるんだ。」

 「彼女をどうするつもり?

 魔力供給のタンクにでもするのかしら?」

 「そんなことしなくても、膨大な魔力には当てがあるんでね」

 「ふぅん。セカンドオーナー(わたし)も知らない魔力の当て、ねぇ。

 ルーラーがサーヴァントを6騎同時に使役できるカラクリ、教えてもらおうじゃないの!」

「はあ、めんどくさいな。」

 

 慎二が髪を掻き上げて、ため息をつく。

 

「付き合ってられない。帰るぞ、ルーラー。」

 「了解よ、慎二。」

 

 茜色の髪の少女が、朗らかに告げる。ああ、やはり彼女がルーラーか。案の定、そこにいたのは昨日の少女だ。

 デスマスクと角と翼と尻尾がないが、あの日も戦闘中に出したりしまったりしていたから今もそうなのかもしれない。

 

 「うわ、何その喋り方…きも…」

 「ふん!」

 「ぐっ!?」

 

 慎二のデリカシーのない発言に腹を立てたルーラーが、脛を蹴り上げる。

 

 「な、何しやがる…!!」

 「ふふふ、慎二。言っていいことと悪いことの区別もつかないのかしら?」

 「いや、その口調おかしすぎるだろ…って脛はやめろ!弁慶だって泣くんだぞ!」

 「うん、よく知ってるよ」

 

 ひょい、とバックステップで華麗に避けた慎二に、ルーラーが舌打ちをする。

 あまりにも気安い主従関係は、「意外」だった。

 

 「ここは通しませんよ。」

 「どいてセイバー、イリヤが死ぬわ。」

 「いいえ、退きません。

 ルーラー、あなたがバーサーカーのマスターを攫うのをみすみす見過ごしたりはしません。」

 

 じゃき、とセイバーが両手剣を握る。

 

「ーーー交渉は決裂か。なら、仕方ない。」

 

 ルーラーが何かを口の中でつぶやく。彼女の衣装はボディラインを強調したピッタリとしたものに変わった。

 

 「慎二、礼装は着てる?」

 「ああ。カルデア制服を。」

 「よかった。なら、イリヤに応急手当を。」

 

 ルーラーの言葉に頷いて、慎二が片手をイリヤの頭にあてる。

 

 「気休めにしかならないが…応急手当。」

 

 瞬間、イリヤは緑色の光に包まれた。

 光が引いたあとは、傷が癒えたイリヤの姿が。だけど、遠坂がその光景を見て「ありえない」と震える声で囁いた。

 

 「何あれ…

 慎二程度の貧弱な魔術回路であれだけの魔術を行使できるなんて…」

 

 あんな魔術礼装見たことない。遠坂は言う。技術力が段違いだと。

 

 「聞くことが増えたわ。絶対にここは通さない!」

 「…しつこいな。」

 

 ちっと、舌打ちが反響する。慎二は目を細めて、軽蔑したような蔑むような冷たい眼差しで俺を見る。

 

 「退け。」

 「退きません。」

 

 セイバーが入り口を塞ぐように立ち塞がる。

 

 「退けと言うのなら、力尽くで。」

 

 卑怯とは言わせませんよ、とセイバーは言う。確かに,卑怯とは言えない。これは戦略だろう。

 少し肩を上げて、寒がるようにマフラーに顔を埋める。ずび、と鼻を啜り、不機嫌に吐き捨てる。

 

 「僕はさっさと帰りたいんだ。こんな寒いところにずっといるなんて冗談じゃないね。」

「そうですか…! ならば全力で止めるまで!」

 

 すぅーと大きく息を吸い込み、セイバーの胸が大きく膨らむ。型を構えて元々低い体制が、さらにグッと重心が落とされ…

 

()()()()

 

 セイバーが大きく足を踏み込んだのと,慎二がぽつりと言葉を落としたのは同時だった。

 剣と鞘がぶつかり合い鈍い音を立てる。

 

 「(あいつは…!)」

 

 慎二の前には、先日彼に同盟を持ちかけられたときに同席していたサーヴァントが沈痛な面差しで立っている。

 

 「な!?」

 

 セイバーが、言葉を失う。「あなたは…」と弱々しい少女めいた声が夜に溶ける。

 

 「剣を納めてください、王よ。」

 

  謎の男は、剣の柄をそっと、しかし力強く握る。

 

 「でなければ、私はあなたに剣を向けなければならない。」

 「そうですか。」

 

  セイバーの瞳はとっくに覚悟が宿ってる。

 

 「ならば、私の方から向けるまで!」

 

 2人の騎士は剣を構えた。『士郎のセイバー』しか知る由はないが、この状況は類似していた。“かつてこの地で起きたこと”の再現のようで、全く違う。

 

 「マスター、こちらは私にお任せを。

 どうか戦線離脱を優先してください。」

 「了解!」

 「ルーラー、命令だ。遠坂に勝て。」

 

 慎二が、ダメ押しのように命令した。マスター礼装により瞬間強化魔術が重なり,強化されたルーラーが「無茶言うなぁ」と笑った。

 

 「できるだろう、ルーラー」

 

 イリヤを抱え直して、慎二が告げる。

 

 「私も、怪我してるんだけど。」

 

 慎二の無茶振りにため息をついて肩をすくめるルーラー。

 

 「『少し前の戦闘での傷は小さくない。パスの関係を弄られたせいで私の貧弱な魔術回路は結構な負担を強いられた。完全回復には程遠い状態。

 だけど、考え方を変えれば戦う必要はなあ。逃げるだけ、切り抜けるだけ。道はランスロットが切り開く。』」

 

  覚悟を決めたように、ルーラーが魔術回路を励起させる。今度は慎二が呆れたようにため息をついた。

 

 「それでも天文台の魔術師か。お前のことだから、逃げる方法は考えてあるんだろ?」

 「まあ、あるけどね」

 

 「撤退戦の経験値はたくさんありますので」とルーラーが戯けながら、何かの機械を起動させる。

 ブワッと空気中に投影されたホログラム画像で、セイバーは何かを操作している。

 明らかなるオーバーテクノロジー。機械いじりが趣味であるけれど、あの機械の原理はわからなかった。

 

 「約束は、忘れてないな?」

 「忘れてないよ。」

 「ならいい。さっさと帰るぞ。」

 「はいはい、慎二。」

 

 慎二の前にルーラーが立った。セイバーに向き直る彼女。互いの相反した瞳は、それぞれの決意で彩られる。

 

 「と言うわけで、ごめんね。強行突破させてもらう!」

 

 少女が取り出したのは、数枚のカードのようなもの。

 

 「礼装発動ーーーさあいってらっしゃいちくたくくんたち!!」

 

 ばら撒かれたカードから、蜘蛛をモチーフにしたゆるキャラが出現する。

 

 「ーーーっ!?」

 

 ドカン!!!!

 

 そして、それらが地面に着陸した瞬間、爆発した。爆風と瓦礫が降り注ぐ。

 

 ドカン!!!!ドカン!!!ドカン!!!

 

 再び爆発。爆発。爆発。

 

 「くそ、逃げられる…!!」

 「ああ、もう!!!」

 

 凛が二画残る令呪を輝かせ、叫ぶ。

 

 「令呪を持って命ずる!  ルーラーを逃すなー!」

「F.Cフィールド、全力展開!礼装起動、 月霊髄液(ヴァールメン・ハイドラグラム)!」

 

 轟音と、爆風。ガラガラと崩れる城と、砂煙の中に見える影。床に転がる試験管。

 

  「え…」

 

 それは、まるで卵みたいだった。人が3人、ギリギリ包まれる程度の大きさの水銀。アーチャーの攻撃によりバキバキとひび割れ、壊れていく。

 ぱしゃんと形を失い、試験管の中に戻る水銀。

 銀の卵の中にいたルーラーは無骨な機械の盾と、その前に展開される五枚の光の盾。

 凛の命令が聞こえた瞬間、ルーラーは盾と礼装を展開していた。

 

 「ほう、面白いものを持ってるじゃないか」

 

 ざり、と砂利を踏みつける音と、ニヒルな微笑み。

 

 「あー、失敗した。逃げられないやこれ。」

 

 赤い弓兵がそこにいた。

 

 「『くそ、話が違うぞ。衛宮がいる時はアーチャーは出没しないんじゃなかったのか!』」

 「『そのはずなんだけどさ、実際いるんだからどうしようもないよね!』」

 

 されど、士郎たちが礼装を通した主従の会話など知る由もなく。不審な目配せをするルーラー陣営に対して不信感を募らせるのみ。

 

 「あは、お久しぶりです?」

「まさか君がサーヴァントとはな。」

 

  気やすげな会話に遠坂がピクリとこめかみをひくつかせる。

 

 「なに、知り合い?」

 「慎二のお気に入りラタトゥイユのレシピ提供者」

 「え、あいつが?」

 

  嘘だろう、全然見えない。慎二が呟き、遠坂が己のサーヴァントに怪訝な視線を送る。アーチャーはいつものように不機嫌な顔で立っている。そしてやれやれ、と言うようにため息をついて…

 

「仕事だ。全力で行かせてもらおう」

 「っ!!」

 

 ルーラーが構えた盾と、アーチャーの短刀がぶつかり合う。

 

 「マスター!」

 「ランスロットはそのままセイバーと戦ってっ!!」

 

 なんとか弾いて、距離をとる。防御系の概念礼装を使用して耐久の姿勢を取るが、火力が足りない。

 ルーラーはぐしゃりとカードを握りつぶす。

 

 「受け流すならこっちの方がいい!」

 「!」

 

 鉄扇がひらりと舞う。戦っているというより踊っているようだった。だけど、それは確かに武術だ。短刀の軌道をするりと逸らし、攻撃を与えさせない。

 だが…

 

 「(体力の消耗が激しい…!)」

 

 これは高度な体裁きを必要とする『武術』だ。短時間で攻撃を交わし,逃げることを目的とした体術。持久戦には向かない。

 

 「!」

 

 ふらりと、ルーラーの足がもつれる。

 

 「もらった!!」

 「緊急回避っ、応急手当!」

 

  ルーラーに攻撃は当たらない。それは、スキルが正しく発動した証だ。

 

 「慎二…」

 

 だが、もう終わりだった。立香はもう戦えない。

 奥の手も使い切り、もはや気力で立っているだけ。体力も魔力も尽き掛けて、ふらふらと揺れている。

 

 「何やってるんだよ。何負けそうになってるんだ!!」

 

  叫ぶ。力強く。手のひらを限界まで突き出して、少しでもはやくルーラーに魔術をかけようとして。抱いていたイリヤはとっくに地面に寝かされていた。

 

 「約束を破るのか! お前が死んだら僕はどうなる!」

 

 彼らしくないと士郎は思う。慎二は,こんなふうに必死になって声を荒らげるようなやつだっただろうか。

 

 「僕のサーヴァントは最強なんだ!

 たとえ相手が『守護者』でも勝て、勝てよ!」

 

  ピクリとアーチャーの眉が動く。 なぜそれをーーー唇が小さく動く。

 

 「立て、戦えよ!

 ーーー藤丸立香!! カルデアのマスターだろ!!」

 

 げほ、と赤毛の少女が咳き込んだ。藤丸立香(フジマルリツカ)、もしくはカルデアのマスター。それがルーラーの真名(なまえ)

 慎二が、グッと右手を握り手の甲を掲げた。

 

 「令呪を持って命ずる、負けるな!」

 

 一瞬の花の香り。英雄作成(れいじゅ)の効果でルーラーの傷が癒える。体力も回復する。

 それでも、叩きのめされた心は弱っていて悲鳴をあげている。

 

「はーー、ほんと慎二って無茶ばっか。

 こーんな親友(マスター)についていけるの、私ぐらいだね。」

 

 でも、諦めない。弱っていても、折れてない。

 

 「ほう、まだ立つか。」

 「うん、勝負には負けちゃうかも。」

 

 でも、と。力強く。

 

 「心は絶対に負けないから許してねっ!」

 

 走る。逃げる。避ける。交わす。そして切り込む。

 英雄作成(れいじゅ)より強化されたことでルーラーの反射速度は向上する。それでも,足りない。

 この武器を使うのはこれで最後だ、とリツカが鉄扇をアーチャーに向かって投げつける。

 

 「礼装、月女神の沐浴!」

 

 消耗し続ける体力を回復するべく回復礼装を使うがまだ足りない。特攻しか残されて居ない。

 

 「礼装,死の芸術…!」

 

 獲物を槍に持ち替え、とある殺人鬼のーーー人間に対する特攻状態の概念を付与する。ずしりと重たい槍が、ひんやりと立香の手に馴染んだ。

 

 「(ルーラーの攻撃の重みが変わった…)」

 

 アーチャー…エミヤは戦いの中で考察する。彼女が握りつぶすたびに魔力の粒子となるカード。ただ武器の携帯に利用しているだけだと思ったが…

 

 「(なるほど。ルーラーの強みは,あの礼装か…!)」

 

 ルーラーの礼装は、概念を付与する礼装だ。効果は強大だが効果範囲が限られていたり,使用回数に制限がある。

 だからルーラーは次々に礼装を起動させるわけだ。礼装の効果が切れたら、新しい礼装を起動させるために。

 

 「(ならば、交換させなければいい。)」

 

 ルーラーが、なんの英霊なのかはわからない。だが、成り立ちは違えど『自分と同じ』ような者なのだろう。

  彼女の魔術は,明らかに『近代魔術』だ。

 そしてなにより、彼女はオールマイティにさまざまな武器で戦えるが『必要最低限』しか戦闘能力はないのだ。

 戦況は一方的だった。そもそも魔力を消耗していた上に、戦闘に特化していないサポートタイプのルーラー。

 普段から霊体化している上に魔力の消耗が少ない戦闘特化のアーチャー。

 

 「げほっ!」

 

 はっはっはっと犬のように短い呼吸を繰り返し,今にも倒れそうなのを気力だけで立っているルーラー。

 魔力を使いすぎていた。彼女の顔色は真っ青で、後少し魔力を消耗したら、今にも倒れそうだった。

 

 「(そうだよ。いくらカルデアから供給されているからと言っても魔術を使っているのは立香だ。消耗するのは当然だ…)」

 

 じんわりと黒ずんでいる指先を隠して、立香は「ごめん」と笑った。

 

 「先に逃げてよ。私は私で、なんとかするからさ。」

 「嫌だね」

 

  腰に手を当てて、ニヤリと。悪ガキみたいに慎二が笑う。

 

 「どこに親友(サーヴァント)を一人、敵地に置いていく親友(マスター)がいるんだ。」

 

 ぽかんと、ルーラーが口を開けて呆ける。

 

 「逃げるのは別にいいよ。

 でも、僕とリツカ、二人でだ!」

 「ーーー無茶、言うよなぁ!」

 

 まだ回復しきっていない、二画しか揃っていない令呪に魔力を注ぐ。

 

 「告げる!

 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ!」

 「あいつ! またサーヴァントをここに呼ぶつもり!?」

 

 遠坂の悲鳴。アーチャーの驚愕。

 

 「誓いをここに!

 我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者!

 汝三大の言霊を纏う七天、

 人理の輪より来たれ、天秤の守り手よ……!」

 「させません!」

 「邪魔はさせない!!」

 

 俺のセイバーと、ルーラーのセイバー(ランスロット)が激しく剣を交え、戦う。

 セイバーがルーラーのセイバー(ランスロット)を袈裟切りにした。ルーラーのセイバー(ランスロット)がセイバーを足ごと剣で貫き、地面に縫い付ける。騎士らしくない泥臭い戦い方。

  ルーラーの前に三本の光の輪が現れて、光を強める。

 あと、一小節。一小節で新たなサーヴァントがこの場に召喚されてしまう!

 

 「令呪を持って命ずーーっ!?」

 

 重たい、衝撃だった。痛いと言うより、苦しいと言うか。ずしゃ、ともどす、とも言えない肉を裂く音だけが確かだった。

 

 「残念。」

 

 ルーラーの腹に、剣が刺さった。アーチャーが放った()が、深々と。 時間差で「ごぽ」とルーラーが口から鮮血を吐き出す。

 アーチャーが剣を引き抜く。無感情に。

 穴が空いた腹は……貫通していない。だが腹の傷から噴水のように血が噴き出した。

 

 「応急手当!!」

 

 慎二が叫ぶ。緑色の光は薄く、ルーラーの傷も完全に癒えたわけではない。

 

 「な―――なんだよ、なにやってんだよおまえ…!」

 

 駆け寄る。慎二が走り方を忘れたみたいに、足をもつれさせながら走る。

 

「負けるなって言っただろう!信じられない、こんなの命令違反だ!」

 

 縋るように、必死に、必死に声を上げて。

 慎二が「聞いているのかリツカ!」と叫んでいた。

 まだ血が止まらない腹の傷を必死で押さえて。

 コートを脱ぎ捨てシャツを脱いで、そのシャツをそのまま傷に押し当てる。

 慎二が服の下に来ていた白い制服は、初日にルーラーが着ていたものと一緒だった。

 

「せっかく僕がマスターになってやったのに、遠坂のサーヴァントなんかにやられやがって…!」

 

 ぐったりと、息も絶え絶えなルーラーが、曖昧に笑った。

 

 「ごめん、慎二。」

 「黙れ。お前は、お前は僕の友人(サーヴァント)なんだぞ!

 僕が勝てと言ったら勝つんだ! 許さない、お前が死んだら,僕はーーーっっ!!」

 「大丈夫、大丈夫だから…」

 「何が大丈夫だよ!

 死んだら全部おしまいだ!

 バカかよ、出し惜しみせずにさっさとサーヴァント召喚してればよかったんだ!」

 「だから、死なないってば…何とかなるから…」

 「なってないじゃないか!」

 

 どんどん青ざめていくルーラーのそばで、慎二が涙を流していた。取り乱して、怒りで顔を真っ赤にさせて。

 

「令呪を、令呪を持って命ずるっ!!!」

 

 手の甲には残り一画しかない令呪。それが赤い光をぼんやりと発していた。

 

 「“生きろ”! 勝手に死ぬなんて許さない!」

 

 令呪が強く発光した。赤い光とともに最後の一画がすぅ、と消える。

 その代わりに回復魔術により完全回復したルーラーがぐったりと眠っていた。腹の傷は回復している。まだ、生きている。

 

 「(だけどーー)」

 

 これで、慎二は令呪を全て失った。聖杯戦争の参加資格は剥奪される。ルーラー陣営は敗退だ。

 

 「なにこれ、どう言う状況…?」

 

 ふと、幼い声が場違いに響く。音のなくなった世界が、急に音を取り戻す。

 

 「今更起きたのかよ」

 

 慎二がボソリと、小さく答える。イリヤは首を捻り、そして慎二が縋り付いている人影に目を向けて、ギョッと目を見開いた。

 

 「え、リツカ!?

 なんで血まみれになって倒れてるの!?」

 

 ルーラーに駆け寄り、腕を取る。イリヤが腕に指を当てて「よかった、脈はしっかりしてる」と安心したようにため息をつく。

 

 「ねえ、なにが起きてるの?  そもそも、なんで私床で寝てたのよ。

 “あいつ”はランサーが倒したんでしょ? あとは帰るだけって言ってたじゃない。

 なのに、どうして立香が倒れてるのよっ!」

 「(…?)」

 

 奇妙だ、と思った。彼女は,イリヤスフィールはルーラー陣営に襲われたのではなかったのか。

 彼女の言葉にはルーラーへの恐れがない。そもそも、言葉ぶりから想像するに第三の敵が現れ,バーサーカー陣営を襲撃。それをルーラー陣営が対処したとしか聞こえない。

 

 「なあ、ルーラー陣営と同盟を結んでるっていうのは本当なのか?」

 「!

 衛宮、士郎…!!」

 

 士郎の質問のために声を上げて、ようやくイリヤは“第二の招かれざる客”を認識した。

 瞬間,イリヤスフィールの瞳に明確な敵意が浮かぶ。

 

「ああ、そういうこと。そうなの、そうなのね…」

 

 ゆらりと、イリヤスフィールがマリオネットじみた動作で立ち上がる。かたりと、首が横に倒れた。

 

  「ねぇ、立香を殺した(やった)のは貴方たち?」

 

 疑問形だが、彼女は確信を持っていた。何を言っても通じないだろうと言うことは想像しなくてもわかる。

 

 「いえ、答えなくてもいいわ。分かるもの。

 アナタたちがやったってことくらいね!!」

 

 イリヤの背後にバーサーカー……ヘラクレスが現れる。霊基を損傷しているがそんなことはなんのハンデにもならない。

 

 「ーーーやっちゃえ、バーサーカー!!」

 「レディ、お待ちを!」

 

 バーサーカーを、イリヤを止めたのはルーラー陣営のセイバーだった。

 

 「止めないで、ランスロット!」

 「いいえ、いいえ!

 命に変えてでもあなた方を止めます!

 今ここでサーヴァントが脱落したら“奴ら”の思う壺です!我々の目的を忘れてしまわれたか!」

 「でも!!」

 「今優先すべきことは撤退です!

 それにーーーもうすぐ夜も明けます。」

「ーーーうん。」

 

 悔しそうに、イリヤが唇を噛む。

 

 「どう言うことよ。」

 

 でも、それでは納得がいかない。声を上げた遠坂はそんな不満をありありと顔に出していた。

 

 「私たちは貴方からの『救援要請』に従ってここにきたのだけれど?」

 「はぁ? なにそれ。」

 

 今度はイリヤまであからさまに嫌悪を張り付けて、唾棄する。

 

 「そんなの知らない。私が『助けて』ってお願いしたのはルーラーよ。そもそもどうして教会が出てくるのよ。」

「それは…」

 

 たしかに。中立の立場といえども伝言を任せたりするだろうか。それも、敵相手への。

 不審な点を考え出したらどんどん湧いてくるもので、疑心暗鬼に支配されていく。

 

 「でも、今日のことでわかったことがあるわ。」

 

 はっと、顔を上げた。ルーラーと慎二を守るように立ったイリヤは宣言する。

 

 「ねぇ士郎。私、やっぱり貴方が嫌いだわ。

 許せないし、心底憎い。」

 

 イリヤの敵愾心にピクリと反応したのはセイバーだ。己のマスターに向けられる真っ直ぐな害意は殺意にも似ていた。

 

 「ーーー」

 

 どうして,そんなに嫌われているのだろうか。何かしてしまったのだろうか。心当たりがない。

 

「 覚えておきなさい、衛宮士郎。

 私は、あなたに助けて何て口が裂けても言わない。

 貴方にだけは、絶対に助けられたくない!!」

 

 明確な敵意に貫かれる。わからないことばかりで頭が混乱する。

 

「どうして、アインツベルン家の貴方がルーラーに協力するのよ。

 あいつら、大聖杯壊すって言ってるのに!

 あなたはそれでいいの!?」

 「ええ、構わないわ。

 だって私は,私の目的のためにこの戦争を利用すると決めたのだから。」

「目的?」

 

 空気が、ぴりりと張り詰めた。張り詰めた理由はわかりきってる。彼女が放つ、雪のように冷たい魔力。

 

 「私がルーラーに協力するのは,『10年前の真実』を知るため。」

 「10年前ーー?

 それって…」

 「第四次聖杯戦争。」

 

 冬木の大火災。パッと思い浮かんだそれは遠坂の言葉に上塗りされた。「ええ、そう。」とイリヤは頷き、セイバーに視線を送る。セイバーは目を逸らさなかったが、何も答えることもなかった。

 

 「私が知りたいのは主に二つ。

 お母様の死の真相と…」

 

 言葉を区切り、赤い瞳が士郎を睨む。

 

「父がーーーセイバーのマスターとして参加した衛宮切嗣が、 私を捨てて貴方を育てた理由。

 その理由に大聖杯は関わってる。十年前に起きた大火災もね。」

 

 あなたは知ってるんでしょう、とイリヤが告げた。表情を消して、氷のような怜悧さでもって。なにも、知らなかった。前回の聖杯戦争のことも、じいさんがマスターだったことも。セイバーは口籠もり、目を伏せた。

 

 「あなたに聞くつもりなんてないわ。自分で探すから。」

 

 ふん、と鼻を鳴らしてふり帰る。

 「帰りましょう慎二」と慎二を促して、誘導する。ルーラーはセイバー……ランスロットに抱えられて運ばれていく。

 

「ああ、最後に言っておくけれど。

 私は大聖杯を破壊する。これは決定事項よ。 」

 

 俺たちに背中を向けたままされた宣言を最後に、イリヤが俺たちに言葉を告げることはなかった。

 そうして、彼らはアインツベルン城から立ち去った。

 惨劇の傷跡だけを残して。



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5

 【ーーーーSIDE:S】

 

 

 

 己のサーヴァントの密告を、桜は血の気の引いた顔で聞いていた。

 

 「どうして。」

 

 絶対に裏切らないと私に誓ったくせに、嘘つき。最低だ。なんで、どうして。よりにもよって先輩に…

 震える手で口を押さえた。怖がっていたことが現実になった恐怖。

 

 (先輩に、知られた。)

 

 たった1日で全てが終わった。

 魔術師の私。悍ましい私。知られたくないことが、ストリップショーでもしてるみたいに暴かれていく。

 このままじゃ、全部知られてしまう。

 定期的に魔術師の精液を摂取しなくては生きていけない醜い体。『泥』を腹に宿した私。

 先輩の家は綺麗すぎて、私の汚さが目立つ。だけど、先輩は私を受け入れてくれて、私を綺麗なものとして扱ってくれたのに。

 聖杯戦争が始まってから、いいことなんて一つもない。高潔な精神のセイバー、世界の汚さを知らない姉さん。

 特に、姉さんだ。姉さんは私と同じ血を流しているのに、何であんなに綺麗なままで居られるのだろう。私と違って、正しく魔術師のくせに。

 なんで、あの人は純潔のままでいられるのだろう。私の純潔は、思い出すのもバカになるほどとっくの昔に散らされたのに。

 

 「なんで」

 

 姉さんは私にないものをたくさん持ってる。綺麗な体も、綺麗な魔術も、綺麗な思い出も。それだけたくさん持ってるくせに、姉さんは先輩に想いを向け始めている。

 どうして先輩なの。なんで、先輩なの。あの人は別に、由緒正しい魔術師の家系に生まれたわけじゃない。

 姉さんは魔術師なんだから、魔術回路の多い貴族の魔術師を入り婿にして仕舞えばいいじゃないか。

 セイバーはずるい。令呪という、一番先輩と近いところでつながっているところが特に。なにもかも綺麗で、ステキな理想を煮詰めて人型にしたような高潔な人間。

 悪を憎んで正義をなすところはいっそ清々しい。彼女に私の本当を知られたらきっと殺されるんだろう。

 堂々と先輩の隣に立って、笑って居られる。

 ランサーも、ずるい。彼女も私と似たようなものなのに、告げ口なんて酷い。

 何よりずるいのは兄さんだ。今まで散々私を虐げてきたのに、どうして今更正義の味方ぶってるの。ルーラーはなんであの人に従っててるの。

 聖杯戦争が進むにつれて、その気持ちは大きく膨らんでいく。蟲が全部勝手に教えてくれる。

 兄さんは家を捨てて新しい家族を作った。

 兄さんはアインツベルンの魔術師と同盟したらしい。

 兄さんに魔獣をけしかけたのに、ルーラーに救われた。

 それから、それからそれから

 

 

 『だからどうした、間桐慎二(こいつ)はここで死ぬべき人間じゃない。』

 

 

 「はは、なにそれ。」

 

  何それ。何それ。何それ。何で兄さんばっかり!

 そんなの、私はそんなこと、誰にも言われたことないのに。何で、何で何で!

 蟲が勝手に教えてくれる知りたくないのに教えてくれる兄さんはいつも楽しそうで幸せそうだ間桐のくせに普通の人みたいに笑ってる。なんでどうして、ずるい、ずるい、ずるい!!

 何で兄さんばっかり、なんで兄さんなんかが。私よりも醜い人なのに、間桐の血が流れてる汚い人間のくせに。私なんかよりずっと汚れていて、穢れきっていて、腐り切ってる人間なのに!

 なんで、あなたが救われるんですか、なんであなた一人だけルーラーに救われてるんですか。一人で勝手に間桐から逃げ出して、一人で勝手にお爺様に歯向かって。あなただっていつも言ってたくせに。間桐の後継は自分だって。勝手に私を目の敵にしていたのは貴方じゃないですか。

 なんで逃げたんですか。なに一人で幸せになろうとしてるんですか。なに普通ぶってるんですか。

 兄さん、あなたは私を助けてくれなかった。あなたはなにもしてくれなかった。たとえ、間桐の屋敷を燃やして、蟲蔵を燃やしたって私は全然救われてない。

 みんなみんなみんな、幸せそうでずるい。

 何で私ばっかり不幸なの。何で私ばっかりこんな目に合うの。なんで私だけ救われないの?

 不公平だ。不平等だ。

 ずるい、ずるい、ずるい。

 何で私ばっかりこんな目に合うんだろう。先輩の隣も、遠坂さん家の凛さんにとられた。同じ血が流れてるのになんでこんなに違うんだろう。魔術も体もきれいだから?

 だから私は先輩の隣に立てないの?

 なら、姉さんも汚れちゃったら、私も先輩の隣で笑えるようになれるかなぁ?

 もう、もう全部嫌いだ。全部壊れちゃえばいい。

 みんな私と同じになればいい。みんな汚ければ、私の汚さも目立たない。

 

 夜な夜な見る夢が私の本性をさらけ出している。人を襲い、食い殺し、異形の化け物に変えていく。私がそうされて、化け物になっていくように。

 黒い泥に身を沈めてると、なにも考えなくていい。泥濘が肌にまとわりつく不快感はあれど、蟲蔵に入るよりずっとマシ。

 なにより、なにも考えなくていい。泥の中は冷たくて暗いけど、私に似たものが沢山ある。

 私は、あの泥人形より可哀想じゃない。醜くもない。悍ましくない。

 ぞわりと、影が動いた。

 

 


 

 

 深夜。拠点に帰宅したルーラー陣営は会議をする前に全員就床した。話をする元気もなく、リツカは帰宅途中で寝てしまったし、イリヤもルーラー陣営の拠点についたら糸が切れたように眠ってしまった。

 

「約束破りめ」

 

 仕方ないとわかりつつも、ちょっと憎らしくなって鼻を摘む。眉を顰めて「うーん」と魘される様に溜飲が落ちて、ニヤリと笑った。

 

 「何が聞きたかったんだい?」

 

 ふいに、言葉が響く。誰も彼も眠りについたこの家の中で唯一眠っていない存在。この拠点の要にして最強の魔術師が虫のように笑っていた。

 

 「全部教えて欲しいのだろう? 

 いいとも! 私でよければなんでも教えてあげよう!」

 「いいよ、明日聞くから。」

 「では、言い方を変えよう。

 マスターが“ずっと君にいうことをためらっていた真実”を教えてあげようか?」

 

 ぴたりと,動きが止まった。リツカが僕にいうことを躊躇っていた真実?

 

 「ーーー聞く気があるようだね」

 「まぁね」

 

 誤魔化されるかもしれないから、とは言わなかった。リツカを信用していないわけじゃない。だけど、立香を知りたいと思った。

 

 「私が教えるのはたった一つ。レイシフトシステムそのものの話さ。」

 「それがどうしたのさ。僕に関係あるわけ?」

 「大アリさ! だって、大聖杯を解体して定礎復元が完了すれば、()()()()()()()()()()()()()のだから。」

 

 ーーーーー?

 

 何を言われたのか、いまいちわからなかった。理解が追いつかなかった。何を言われたのか、理解したくなかった。

 

 「リツカを、忘れる?」

 

 僕が? なんで? 頭の中でその二つがぐるぐる回る。

 「そういうシステムなんだよ。カルデアの人間は世界の異物。この時代に余分なものだ。

 レイシフトが終わり時代から去れば人々の記憶から消える。結果だけ残して過程が消える。

 今回で言うなら、君が聖杯戦争に参加したと言う結果は残るが、“召喚したサーヴァントが誰だったか”“どのようにして戦ったのか”という過程が消えると言うことだね!」

 つまり、今回でいうと聖杯戦争で活躍したルーラーという存在は残るが、そのルーラーがどんなサーヴァントだったか、真名はなんだったか、なんてものを忘れてしまうわけで。

 僕は彼女(あいつ)と過ごした一ヶ月に満たない期間の記憶を、すべて忘れてしまう。

 

 「(嫌だ)」

 

 ただ、漠然とした感情しか残されなくて。呆然と虚空を眺める僕に「僕はハッピーエンドの方が好きなんだ」とかどうでもいいことを言ってくる。

 意味がわからない。何を言いたいんだよこいつは。

 

 「まあ、理由なんて深く考えなくていいさ。そういうものだと思ってくれたまえ。」

 

 最後にそう言い残して。

 それじゃあ、と花びらを巻き散らかしながらマーリンは消える。後に残ったのは事実を受け止めきれなくて、呆然と立ちすくむ僕の姿だけだ。

 

 

 四日目は、こうしてあっけなく終了した。

 

 


 

 

 深夜。草葉も眠る頃。一つのベットで二人の少女が眠りについてた。

 

「起きてる、リツカ?」

「うん、起きてるよ」

 

 こそりと、確かめるように囁き合った。これは二人の同盟者の内緒話。少女たちの密やかな夜の会話はそんな一言から始まった。

 

「大聖杯の防衛機構の解除法、わかったわ。」

 「本当!?」

 

 語尾のトーンを落としながら、リツカは盛大に驚く。イリヤもリツカを真似て、小さな声を弾ませた。

 

 「とーぜんよ!私はくだらない嘘なんてつかないの」

 

 胸に手を当てて、ふふんと得意げに笑う。

 

 「その前に、立香。あなたにお願いがあるの。」

 

 胸に当てていた手をブラウスごと握り込んだ。シワがよった服。苦しそうに顔を歪めて、俯く。震える声で「立香…」と呼んで。

 

 「私から、聖杯を切り離して」

 

 ーーー………。

 

 「それ、は…」

 

 無理、だ。できない。言葉にするのは簡単なのに、喉の奥が狭まって、音にならない。

 

 「それはーーーっ!」

 

 だって、だって、イリヤは、イリヤはーーーっ!

 

 「いいえ、わかってるわ。私は聖杯。聖杯に宿しただけの存在よ。

 私が聖杯から解放されることはない。」

 

 「ごめんなさい、無茶なことを言って」なんて、彼女に謝ってほしくなかった。謝るのは私の方だ。

 彼女にこんな残酷なことを言わせてしまったのは、私。「無知」とは罪だが救いでもあるんだ。私はそれをよく知っていたのに、彼女に「既知」を強制させた。

 

 「立香、貴方余計なこと考えてないでしょうね?

 小聖杯の私が聖杯をやめることなんてできない。聖杯を降霊させる物体になって、人格も何もかも削ぎ落として『聖杯』になるのは最初からわかってた。

 でも、今は違う。私のために大聖杯を破壊すると決めた。

 いい? 私は私のために大聖杯を破壊するの。

 私が「そうしたい」とおもったからそうするの。

 私の復讐のため、私の尊厳のために決意したの。

 その理由に、あなたは関係ない。私の覚悟は私だけのものよ。」

 

 ニコッと、笑う。その笑顔は年長者が迷える若者を導くようにも、子どもがお姉さんぶっているようにもみえる。

 

 「(イリヤは、強いな。)」

 

  そうだ。最初から彼女は強かった。子どもなんかじゃなかった。

 

 「私がお願いしてるのは、大聖杯と小聖杯の接続を切ること。作戦会議も何もかもこれをしなくちゃ始まらない。」

 

 両手を胸の前で組んで、真面目な顔で語る。

 

 「私は大聖杯に接続することで聖杯戦争の全体像を把握できる。

 そして、おそらく大聖杯も私に接続することができるわ。むしろ、私は端末。

 この先、何かしらのきっかけで大聖杯に体を乗っ取られるかもしれない。私を通して情報を窃取しているかもしれない。

 くやしいけど、私が小聖杯である限り、大聖杯と接続している限り、聖杯の防衛機構は破ることなんてできない!」

 

  だん! イリヤがベットを殴った。腕を振り抜いて、涙を滲ませて、全身で悔しいと叫んでる。

 

 「こんな様じゃ、あの毒杯を壊せない!」

 

 深呼吸をして、無理やり息を整える。「ごめんなさい、取り乱したわ」と必要のない謝罪をする。

 

 「だから私、考えたの。

 ならばーーー私と大聖杯の接続を切って仕舞えばいい。」

 

 一時的で構わない。欲しいのは空白の時間。

 

 「いい、これは叛逆なの。

 一族の命運なんて知らない。私の存在意義なんてどうでもいい。

 私は『十年前の真実を知るため』、『そしてその復讐をするため』にアインツベルン家を捨てるの!

 アインツベルンの大望をドブに捨てるの!

 たとえ、その真実がどれだけ残酷なものだとしても!」

 

 イリヤが今どんな顔をしているのか、私にはわからない。暗闇の中でうすらぼんやりとしているから、そう誰にするのだかわからない言い訳を心の中でしてた。

 

 「私にこんな決断をさせたんだから、あなたには私に協力する義務があるのよ。」

 

 そうでしょう、立香?

 

 「そうだね、イリヤ!」

 

 わざわざ顔を近づけて、至近距離でされた宣言。私の答えて数秒後。肩にかけられた手は解かれて密着していた体は離れた。しかし瞳は交わったまま。強い眼差しは生命(イリヤ)を強く感じさせた。

 私は真っ直ぐ手を差し出す。イリヤも私の意図を組んで手を握る。固く交わされた握手は二人の少女の決意表明だ。

 

 「私はあの大聖杯だけは認めない!

 お母様を殺した呪われた聖杯に支配されるぐらいなら死んだほうがマシよ!」

「絶対にあの聖杯は回収して人理定礎してやる!

 イリヤを聖杯になんてさせない!」

「言ったわね!

 さあ、小指を出しなさい。約束しましょ!」

 

 指切り(ゆーびきーり)拳万 (げーんまーん)

 嘘ついたら(うーそついたら)針千本(はーりせんぼん)飲ます(のーます)

 

 「指切った!」

 

 満足そうに、イリヤが微笑む。

 

  「約束ね、立香。私たちは共犯者、裏切りなんて許さないんだから。」

 「うん、イリヤ」

 

  クスクスと笑い合って、二人の少女がそっと手を繋いだ。令呪のある手をお互い握り合い、確かめるみたいに。

 

  「ふふ、普通なら不可能に近い要望だけど。あなた、心当たりがあるのね」

 「うん。あるよ、心当たり。」

 

 そっと、密やかに。とろんとくっつきそうな瞼をうっすら押し上げて、二人して顔を近づけあってこそこそしゃべる。

 

 「すでに行使された魔術を強制解除する宝具を持つ、大魔女を知ってる。」

 「ふふふ、明日が楽しみね。ざまぁみなさい。」

 

 ころりと、寝返りを打って向かい合う。ベットの中のひそひそ話しては少し可愛げがなかったけれど。私たちにはこれ以上ない信頼の証だった。




 あとがき

 今回は設定の都合上間桐臓硯がアサシンのマスター(呪腕先生)になりました。
 佐々木小次郎がいないので知能に障害もないし令呪もあります

 燕青が中指じゃなくて小指を立てたのは間違いじゃないです
 理由は「中国 NG ジェスチャー」で検索してみてください

 まあ、「セイバー感じ悪い」とか「凛のキャラこんなじゃなくね?」などと感想があると思いますが、これは『敵対している』という大きな大前提があるのでそういうものだと納得していただけたら幸いです。あと慎二視点なので。
 この作品に関するアンチコメントは受け止めますが「○○うざい」とか「ざまあ期待です」みたいなキャラクターへのアンチコメントはおやめください。
 次回ちゃんと和解しますし共闘ルート入ります


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五日目
似てないようでよく似てる



ここからpixiv未投稿の部分です
完成してるけどこの先が…とかいうやつ。
正直、五日目越えればあとはマジですぐ終わる。五日目がスランプ…


 これはある種の偶像崇拝なのだろうか。

 それとも、人間なら誰でも持つような感情なのか。

 2017年からのタイムトラベラーである彼女は、人理修復という偉業を成し遂げたとは思えないほど平凡な女だった。だが、その平凡こそが彼女の異常であると悟ったのはいつだろうか。

 藤丸立香の異常性はその懐の広さだ。

 あいつはなんであろうと「仲間」、もしくは「身内」と判断したらどんな問題児だろうが抱え込む。

 悪性だろうが、行きすぎた善性だろうが、殺されそうになっても裏切られても、成し得た悪逆も偉業も全部受け入れて飲み込んで、そして抱き込む。

 生きている人間も死人でも、神だろうが悪魔だろうが藤丸立香にとっては等しく「私の英雄」であり「大切な仲間」なのだ。

 そしてそれが僕にも適用されただけだった。

 リツカとの生活は楽しかった。牢獄のような実家から脱出したことで世界が明るくなった。

 藤丸立香という人間はあまりにも普通で。悩んで迷って間違って、あまりにも人間らしい人間だった。

 

 「おかえり。」

 

 たった一言に泣きたくなる。

 

 「さっすが慎二!」

 

 下心のない賞賛は気持ちが良い。

 暖かいご飯が食卓に並び、大人数で囲むなど、初めてで。

 自分のために作られた料理は今まで食べた中で一番美味しかった。

 彼女は忠誠をくれなかった。代わりに友愛をくれた。立香がいれば、僕は無条件で幸せを感じていたんだ。

 少し前まで苦手だったのに。気持ち悪い馴れ合いだと馬鹿にしていたのに。

 あいつが。しがらみも、何もかも全部忘れさせて、ただの間桐慎二を求めてくるから。だから、だから。僕はようやく、自由になれたんだ。

 ああ、そうだ。僕はずっと、『関心』が欲しかった。あいつと出会って救われたんだ。

 

 「“フジマルリツカは間桐慎二の友人”」

 

 彼女が僕に言った言葉だ。たった一度の言葉が、繰り返し言われた「間桐慎二のサーヴァント」という言葉よりも嬉しかった。

 彼女がもしも、本当に僕が召喚したサーヴァントだったら僕は彼女の言葉を信じなかっただろう。令呪という呪はサーヴァントの意思を縛る。それから逃れるための方便だと、僕は信じて疑わない。

 僕は無茶な命令を下し、嫌がるサーヴァントが命令を遂行する姿を見て安心し、愉悦に浸るのだろう。

 そして、助けて欲しい時に助けてもらえず、惨めったらしく死んでいく未来が見えた。

 令呪がなかったから、僕は無茶ができなかった。手綱を持たずして猛獣を従えることなどできない。本当は、僕自身が『藤丸立香は間桐慎二のサーヴァントではない』と疑っていたのだ。故に、セーブをかけていたのだろう。

 その結果が今の関係ならば、僕の無意識に感謝すべきだろう。

 案外、僕は忠義の代わりに友情で繋がれた毎日が案外気に入っているのだ。そう、だから。

 

 「…忘れたくない。」

 

 知ってしまった事実を噛みしめながら呟く。

 定礎復元が為されれば、聖杯を回収してしまえば、その時代の人々はカルデアの人々を忘れる。

 もともと遠い未来からやってきた未来人なのだから、忘れてしまうのは仕方がないのだろう。

 マーリンは『記憶が置き変わる』と言っていた。思い出せない、思い出しにくくなるだけで出来事は覚えているのだと。

 でも、僕はどうなるんだ。

 記憶の立香が別人に置き換わって、思い出から赤銅色の少女が消えて。

 僕は立香を忘れて、これから先を生きられるだろうか。縋る記憶もなく、頼る証もなく、あったという事実だけ覚えている。

 

 「(ああ、それは。なんで惨い。)」

 

 僕には耐えられない。僕は、きっと忘れてしまったそれを求めてしまう。

 失われた記憶を探して、昔の僕に戻るのだ。その姿は、情けないほど簡単に想像できた。

 

 「聖杯戦争なんて、停戦のままでいいじゃなか。」

 

 聖杯を、解体なんてしなくていい。破壊しなくていい。ずっと、停滞していてくれたなら。

 そうしたら、ずっと立香は僕の隣にいてくれるかもしれない。

 

 「ははっ、そんなわけないじゃないか…!!」

 

 わかっているさ。それが無理だってことは、痛いほど。僕と立香の間には、時代という超えられない壁が存在しているんだ。

 立香は自由だ。自由だけれど、誰よりも運命に縛られている。ずっと彼女がこの時代に留まることはできないし許されない。

 僕がどんなに望んだって、この幸福は続かない。聖杯に望んだって叶えられることはない。

 だって立香は、未来を生きている未来人だ。

 その危うげな存在感の彼女だから、歴史の影法師たるサーヴァントよりも儚く感じる。

 

 「今日で、聖杯戦争が終わる。」

 

  今晩、大聖杯は壊される。

  聖杯戦争5日目の朝は、胸に穴が開いたような虚しさから始まった。

 

 

 


 

 

 「昨日、イリヤから直接聞いた。例の防衛機構の解除方法が分かったって。

 だから今日、早速イリヤに聖杯の防衛機構を解除してもらう。」

 

 五日目。立香は先日,先々日と続いて無茶をしたせいでベットから起き上がれない状況だった。

 それも仕方がないというもの。マーリンの魔術により強化されているとは言え、人間の限界を超えて動きまわり。ただでさえ貧相な魔術回路であるというのに,パスの制限をされながらサーヴァントの三騎同時戦闘。

 身体的にも魔力的にも負担を負いすぎた。

 唯一幸運だったのがカルデアの医療サポートの陣営が完璧だったこと。

 派遣されてきた医療班と手厚いサポートを受けた結果,最低でも半日、ベットで大人しくしていたら体調は概ね回復するという。

 残り半日も無茶しすぎない程度ならば動いてもいいとのこと。

 それゆえに,本日の会議は立香の寝室で行われていた。

 

 「その前に、小聖杯と大聖杯の接続を切らなきゃいけないんじゃなかったか?」

 「うん。だから、メディアにやってもらう。」

 「ライダー?」

 「違う、“キャスター”のメディアに」

 「……はあ、カルデアの方の魔女っすか」

 「彼女の宝具なら一時的に大聖杯と小聖杯のつながりを切るのも容易いだろうって、ホームズが」

 

 そんな話を、慎二はぼんやりと聞いていた。

 

 「(これで、聖杯戦争が終わるのか。)」

 

 この生活に終わりが来るという、当然のことを僕はいつのまにか忘れていたらしい。

 特異点は修復される。人類史はあるべき道筋に戻り世界は回る。

 ーーーカルデアという組織を忘れて。

 彼らの記憶は薄れ、改竄され、忘却の淵になんとなく残るだけ。今までは、それでよかったのだろう。

 

 「(でも、僕は?)」

 

  僕はどうなる? 全てが終わったとして、僕は彼女を忘れて生きていけるだろうか。否だ。真っ黒な画用紙みたいな僕の人生は彼女という鮮やかな色のペンキに塗りつぶされて変わったのだ。

 そんな、人生の根幹とも言える「きっかけ」を忘れ、どうして僕が変わったのかもわからずに世界を生きていけるか?

 

「ーーーー。」

 

 無理だ。生きていける自信がない。

 今日も学校は休みだ。まだ仮校舎の手配すら終わってない。一部とはいえ学校が倒壊したんだ。修復には早くても一ヶ月はかかる。

 

 「少し、外に出る。」

 「慎二?」

 

 立香が首をかしげた。どうしたの、と。

 

 「(どうしたもこうしたもない。お前のことじゃないか。)」

 

 なんて、言えるわけがない。

 

 「ライダーを呼びに行く。あいつらも作戦には必要だろ。」

 「そうだね。連絡を入れる予定だったけど、直接行った方が安心か。

 よろしく慎二」

 「子どものお使いじゃないんだ。言われなくても平気さ。」

 「それでは、道中の護衛は私が。」

 「ああ。よろしくランスロット。」

 

  出かける背中に、立香が声をかける。

 

 「昨日話せなかったこと、帰ってから話そうね」

 

 

 振り返ることはなかった。()()の顔を見れなかった。

 口を開けば「裏切り者め」と怒鳴ってしまいそうで、それだけは言いたくなくて。

 不審がられてもいいから、今は顔を見たくなかった。

 僕は何も言わずに家を出た。



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2

 なにか、様子がおかしいとは思っていたんだ。ずっと、何か言いたげなこいつが。

 よそよそしいようで、過保護な態度が煮え切らなくて。

 こう言う気質のサーヴァントなんだと、思っていた。

 

 「慎二。私はあなたと話さなくてはいけない。」

 

 それに、わけがあるとは思ってなかった。

 僕とランスロット卿に接点なんてなかった。かけらも。

 時代も、生きた国も、血脈も。全部違う。それなのに、彼は、ランスロットは震える声で告げた。

 「私は、私こそが、前回の聖杯戦争で間桐家のサーヴァントだったのです。」

 そう言うことか、と。

 今更な真実に舌打ちをした。

 

 

 


 

 

 家を出てからしばらく。柳洞寺と魔術工房(じたく)のちょうど真ん中ごろに差し掛かった頃だった。

 僕もランスロットも道中無言で、「私に記憶はありませんが、きっと座には記録が残っているのでしょう。」とランスロットは告げる。

「私は間桐雁夜を知りませんが、その名前に懐かしさを感じる。」

 「へぇ」

 だからどうしたと告げたいのに、声が震える。無言の空間。静寂を切り裂いたのはランスロットの静かな声だった。

 「間桐雁夜の手記を読みました。」

 ランスロットは陰気な顔でそう言った。

 だからどうした。僕は、間桐雁夜のことは少しだけ知っていた。父が死んだ後、祖父以外の血の繋がりを求めた僕は彼を探したからだ。

 父が一度だけ、「殺したいほど憎い」と言っていた叔父。調べて、失望した。

 当主になれるにも関わらず間桐を捨てた男。なのに、恥知らずにも聖杯戦争に参加するために舞い戻ってきた凡俗で低俗な男。それが、間桐家にとっての間桐雁夜だ。

 「あっそ。だから、何?」

 結局、聖杯戦争にも負けてそのまま死んだらしい。結局、僕を肯定してくれる家族なんていう淡い夢想は泡沫と消えた。それを、今更。なんだというのだ。

 「あなたに、知って欲しかった。彼が、間桐雁夜が何を望み、聖杯を求めたのか。」

 「知らないよ。だって僕は叔父さんを知らないんだからさ」

 「ええ、そうでした!あの人は孤独だった!

  それを、それを…わたしは、贄と…!!」

 両手で顔を覆い、「ああ」と泣いているかのようなか細い声で言うものだから。僕は思わず聞いてしまった。

 「そんなに言うなら教えてよ。

 あの人は、何を望んだの?」

  軽い口調で言ったつもりだった。だけど実際の声は弱々しく震えていた。

  「それを読めばわかることです。」

 「……読めない。」

 怖い。なぜかそう思った。

 同時に僕は、この時確かに期待した。自分でもよくわからないけれど、何かに期待した。

 読んでくれとランスロットは言った。だけど、やっぱり僕はその手記をめくれなかった。

 結局、手記はランスロットの手に渡り、それは開かれる。書かれた文字はみみずが這ったようで酷く読みづらい。

「彼の願いはーーー」

 でも、ランスロットが震える唇で紡いだ言葉は僕の期待を裏切る。

 「…遠坂桜の、間桐からの解放でした。」

 頭を鈍器で殴られたような衝撃。僕の存在意義すら否定するような事実。

 ああ、そうか。やっぱり桜か、結局みんな桜なのか。

 桜、桜、桜、桜、桜!!

 突然現れて、僕が座るはずだった席に勝手に座り、その席に座れると思い込んでいた僕を勝手に憐れみ、見下していたあの女!

 あの女が現れたせいで父はより酒に溺れ、そして死んだ!死ぬまでのわずかな間だって、僕には家ですれ違っても目をそらすくせに、桜の部屋には訪れていた!祖父も、今まで以上に僕を空気のように扱って!

 衛宮だってそうだ。僕はあいつの“親友”であるのに!あいつは僕を選ばない!桜を選んだ!

 遠坂だってそうだ!いくら実の妹だからといって今は関係ないはずなのに!あいつばかり贔屓して、僕を蔑んで!

 その上、叔父まで桜!ああ、そうか!

 血の繋がった叔父にすらも僕は選ばれないのか!

 みんなみんな鬱陶しい、ムカつくんだよ、目障りなんだよ!

 桜がそんなにいいか、そんなに桜は優れているのか!?

 魔術回路が少ないから魔術は使えないなんて言わせない。僕は、賭けに勝った。

 マスターというエキストラクラスの最強のサーヴァントを召喚した。サーヴァントは僕に従順。

 (でも、それは“まやかし”だった)

 ああ、そうだ! 

 それでも、僕は、僕は!これ以上ないほどに優秀なんだ。間桐の後継者に相応しい人間のはずだった!

 それがどうだ。何もかも僕の手には残らない。地位も、友情も、なにもかも。僕の手のひらからこぼれ落ちていった。

 「ーーーっ!」

 無意識的に右手の甲に左手を添えた。令呪の跡がうっすらと残るそれに。

 この手の甲には、リツカと“全く同じ形”の令呪があった。魔力をもつ刺青のような痣が。

 あの魔術師( キャスター)はダミーだのマスターのためだの言っていたが、それでも構わなかった。

  「(たとえ令呪が、あいつの令呪を模した偽物の令呪でも!)」

 それでよかったんだ。本物じゃなくても満足してたんだ。

 ーーー昨日までの僕は。

 リツカとの繋がりを感じていた。切れることのない友情と彼女の友愛を甘受していた。

 令呪が偽物だと嘲笑われとも鼻で笑ってやれたし、それでもいいと言えた。使い切ったことに後悔もなかった。

 でも、それは忘れていたからだ。藤丸立香は、僕のサーヴァントだけど僕だけのものじゃない。立香がこの先もずっと、僕の隣に立っているなんてことはあり得ないのだと。

 そんな当たり前を、失念していた。

 そもそも立香はサーヴァントじゃないし、サーヴァントに偽装した生身の人間。聖杯戦争が終われば未来に帰還する、泡沫のような友人だった。

 アイツが僕をマスターと呼ぶのは『友人だから』という理由の前に『参加資格を得て聖杯戦争を停止させるため』という大前提がある。

 でも、令呪はもう無い。令呪と共に、参加資格も失った。本来のルールなら僕は聖杯戦争を敗退している立場の人間だ。

 だから、あいつはそんなことはしないと信じているくせに。心のどこかで、聖杯戦争の参加資格を失った僕をリツカは見捨てるんじゃないかと怯えてる。

 そして、レイシフトシステムのどうにもならない記憶の改竄についても。

 「(怖いんだよ。)」

 これ以上失いたくない。この記憶を忘れなくない。あいつと過ごしたひと月たらずで、得たものが多すぎるんだ。

 「へぇ、そうなんだ」

 だったらもう、知りたくない。これ以上何も知りたくない。なにも見たくない。ただでさえ一杯いっぱいなんだ。叔父さんの話なんて聞きたくない。余計なことで僕を煩わせないでくれよ。

 「だから、なんなのさ」

 青空も、かの騎士の顔も。全部見たくなかった。下を向いていないと立ってられなかった。

 乗り越えたと、思い込んでいた。立香があの家から僕を解放してくれたと思い込んでいた。でも僕は未だに間桐に、いやマキリに囚われている。だってこんなにも苦しい。だってこんなにも悔しい。

 僕の体に流れる血に、僕は裏切られてばかりだ。血縁も、血族も、なにも僕には優しくない。

 サーヴァントの使役システムを構築した間桐の誇りという名の呪いが、また僕の首を締める。

 僕は、僕が僕であるために。紛い物でも令呪が必要だったんだ。

  だって、令呪を失った今はーーー藤丸立香との縁まで消えそうで怖い。

 立香が人間だなんて僕はとうの昔に認めているし、立香が人間だからこそ彼女との日々は楽しい。

 「(リツカまで、僕を置いていく。)」

 記憶も、絆も。僕の手に何も残らない。

 嫌だ。消えるな。忘れたくない。

 僕のリツカ。お前だけが僕を見てくれた。僕を認めてくれた。なのに、僕の記憶から消えるなんてひどい裏切りじゃないか。

 帰らないでほしい。ずっとそばにいてほしい。聖杯にそう願ってしまいそうになる程、僕は藤丸立香に焦がれている。

 過呼吸になりそうなほど短い呼吸。睨むように頭を上げると、目の前の騎士が僕に古いノートを差し出した。どこにでも売っている大学ノートで、表紙は黄ばんでいる上に黒いシミで汚れていた。

 「これが、間桐雁夜の手記です。

 あなたはこれを読むべきだ。」

 騎士に促されて僕はノートを開いた。触れるだけで土ぼこりが立つ。一体これはどこに保管されていたんだ。

 見たくないと言いながら、僕は表紙をめくる。一行一行じっくりと読み込んで、その文字がもはや文字とは言えない記号になっていても、その文字を理解しようと必死に脳を回転させた。

 「は、はは。なんだよ、それ。」

 間桐雁夜の手記は聖杯戦争が始まる一年前から始まっていた。僕も覚えている。あの人が突然家に戻ってきてから、父さんの酒を飲む量が増えたんだ。

 ぺらり、ぺらりとページをめくる。

 雁夜おじさんが父さんとした会話。

 お爺様に対する暴言。

 だけど、それらが書かれたページはとても少ない。一、二枚だけなのだ。

 ページの大半を占めていたのは『桜』の名前だった。最初から最後まで。桜の文字が消えたことがない。僕の名前は無いのにさ。

 聖杯戦争の内容と、最初の数ページを読んで、読むのをやめた。この先はもう文字では無い。記号ですら無い。

 ぐちゃぐちゃの、ミミズのような線がめちゃくちゃに描かれてるだけ。文字なんかじゃ無い。

 というよりも、僕はおじさんの独白になんて興味がなかったんだ。

 先に前回の聖杯戦争について把握するため。そのために日記を読んだ。必要な情報が書かれているページだけをピックアップして、内容を読む。それだけで十分だ。おじさんの心境なんて、冒頭の数日間で十分わかった。

 ぱらぱらと、惰性で流し読む。見落としがないか雑に目を通して、そして。

 とある文章を目に入れた瞬間、怒りとともに続きを読む気がざあっと失せた。

 

 『慎二くんに魔力がなくてよかった。』

 

 僕の名前をようやく見つけたと思ったら、これか。

 なんだ、これは。僕をバカにしているのか?

 魔力がなくてよかっただと?

 なあ、間桐雁夜、お前に僕の何がわかる!

 魔力を持って、サーヴァントを召喚したあんたが!

 間桐雁夜、あんたは何がしたいんだ。

 僕はずっと前から知っていたよ、蟲蔵の存在と、間桐の魔術師のあり方を。

 だって、だって、お爺さまに見せられたから! 言われたから!

 僕はいつか蟲の餌になると知っていたさ!

 お前は魔力がなくてよかったなんていうけれど、魔術師にならなくてよかったなんて勝手に理想を押し付けてくるけど違うんだよ!

 魔力があろうがなかろうが間桐の人間の末路はみんな蟲のエサだ!

 だから、だからせめても魔力が欲しかった、失望されたくなかった!

 なのに、それなのに。僕のアイデンティティーを全て破壊する言葉を、よくもまあこんな残るものに遺してくれたものだ!

 僕は叔父さんが許せない。

 間桐らしくないその自己犠牲に満ちた行動が腹ただしく、かあっと血が頭に登る。だから、叔父さんの代わりに目の前の男を睨みつけて、は、と嘲笑った。

 「ははは!バッカじゃないの!危篤状態で一番魔力食うバーサーカー?

 死ぬに決まってんじゃん!勝てるわけない!」

 叔父さんはそんなに桜が好きなのかよ。死んでも良いって思うぐらい、愛してたのかよ。

 血なんて、一滴も繋がらないくせに!血が繋がった僕よりも桜を!!

 僕はまるで狂人になったかのように笑っている。言葉に出したくなんてないのに、口は止まらない。慟哭しているような自分の声は聞き苦しく、とても愚かに見えた。

 「違う。」

 目の前の男の声も、僕には届かない。信じられない。何を信じればいいというのだ。だって僕には誰もいない。

 家でも、学校でも、誰も僕を見てくれない。家では空気で、学校では倦厭され、近づいてくるのはバカな女かそのおこぼれが欲しい男だけ。衛宮だって裏切った。僕に友達なんていない。

 この身に流れる血だって、僕を認めてくれない!

 「みんな、桜、桜、桜。そんなに桜がいいのか。なんで、いつも桜ばっかり!

 お前も、僕を馬鹿にして…!」

 「違う!」

 「何が違うんだっていうだ!」

 「あなたは、間桐の人間のだれもが待ち望んだ存在だ!」

 「それこそありえないね!

 じゃあなんで、僕は誰からも愛されない!!」

 魔術回路がほぼないくせに、そんな僕を待ち望む?ありえない。そんなことはあるはずがない。

 間桐臓硯を失望させた僕など、だれが望むものか!僕をバカにするのも大概しろ!

 「あなたは勘違いをしている!」

「何が勘違いだ!」

 「少なくとも、間桐雁夜はあなたが生まれたことを喜んだ!」

 「侮辱じゃないか!」

 「間桐臓硯の贄にされた子孫らの500年に渡る呪いがようやく身を結んだのだと!」

 妙な熱気が渦巻いていた。怒り、哀悼、無念、後悔、懺悔、執念、呪い、呪い、呪い。

 どろりとした熱は僕らを取り巻き、目の前の白い騎士は取り憑かれたように高らかに叫ぶ。

 ランスロットは僕から日記をひったくると、最後のページを開いて僕に見せつける。

 「これを見てください! 」

  ページ一面の懺悔の言葉。繰り返し書き連ねられた『ごめんなさい』の文字。

 太い文字は、ペンで書かれたというよりも指にインクをつけて書いたようで。いや、そもそもインクなのか。

 鉄錆の匂いがする。気のせいかもしれない。恐る恐る触れてみると、ざらりとした感触に血の気がひいた。

 汚い字だ。読めたものじゃない。なのに、なぜ、読めるのだろう。

 

 ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい

 

 あんたをおいてにげたおれをゆるさないで あにき

 だからこんどはあんたがにげて

 まとうはおれがつぶすから、しあわせになって

 

 全部ひらがなだった。誤字だらけだった。幼稚園児が書いたみたいなヘッタクソな文字だ。

 気が狂いそうになる文字は所々滲んでいて、そして後半になるにつれて黒いシミで全く読めないページがいくつも存在した。

  「(これが,脳も蟲に喰われた男の末路…)」

 はく、と息を飲んだ。そのページだけめちゃくちゃに破かれていて、セロハンテープで補修されている。そのテープも、年月を重ねて黄ばんでいた。

 きっと、これをやったのは父さんだ。これを読んで、破いて、直して、そして遠ざけたのはあの人だ。なんで、これをランスロットが見つけたのかはわからない。どこにあったのか。僕すら知らなかったのに。

 「意味わかんないよ…」

 間桐雁夜は、なにを考えていたのだろう。間桐桜のことだけ考えていたのではないのか。遠坂時臣に憎しみを重ねるのではないのか。

 なぜ、間桐を潰すなんて言えたんだ。どうやって潰すつもりだった。なぜ、お爺さまに逆らえた。

 「きっと、彼はあなた達を愛していた。間桐の宿業を憎んでも、兄のビャクヤと甥のシンジは愛していたのです。」

 だから、どうしたというのだ。結局この人は聖杯戦争を勝てなかった。お爺さまに負けた。今この瞬間はなにも変わらない。

 たとえあの時間桐から逃げられていたとしても、僕が幸せになれたとは限らないのに。

 「間桐の魔術は悲劇しか生まない!

 悍ましく、醜悪な魔術は潰えるべきだ!あれは、この世に存在していていいものではない!

 …間桐雁夜が、歴代の間桐家の当主たちが疎み、恨み、そう望んだように!」

 しん、と静まり返った。先ほどまでのどろどろとした興奮がすー、っと腹の奥に静まり、消えて行き、代わりになぜという疑問で埋め尽くされている。

 間桐雁夜だけでなく、歴代の当主が間桐の魔術を疎む?

 そんなはずはない。だって、魔術は美しいもので。

 そして、それを扱う彼らも美しいもので。

 だから、冬木の御三家の一角を担う間桐の魔術も美しいはずで。

 「(そう、思い込もうとしていたんだな、僕は。)」

 醜悪な魔術を知ってもなお、手が届かないそれを美しいと思った。

 何故だかひどく納得してしまう自分に吐き気がした。この身に流れる血が、目の前の男の言葉を肯定しているかのようにざわめいている。

 ああ、と今にも湖の底に沈んでいきそうな、悲鳴を飲み込んだような沈痛な声をあげて、地に膝をつき、嘆く男は言葉を紡ぐ。

 「この地に降り立ち、あなたの名を聞いた日から、なぜだか既視感は感じていた。

 最初から知っていたように、この手記の在り処もわかった。

 だが、私であって私ではない狂人とそのマスターであった男の記憶は、私にはない。記録も座に還らなくてはわからない。

 しかしそれに付随する感情は、霊基が変わろうと残っている。

 あれは、あの絶望は、どこかの世界であったことなのだ。円卓の騎士、裏切りの騎士であるサー・ランスロットである私の座に、たしかに刻まれた記録( 出来事)なのだ。」

 ランスロットはゆっくりと頭をあげた。その目の下には隈ができていて、一瞬でこうも面構えが変わるものなのかと関係のないことを考えた。狂気を孕む昏い瞳に僕が映る。

 

 「間桐の人間は、皆一途すぎる。」

 

 一体、何を言っているのだ。間桐が一途?だからなんだ。

 それと僕が最後の間桐と言われたことになんの意味がある。どこかの世界のお爺さまが、いや間桐の当主が滅びを望んだこととなんの関係があるというのだ。

「マキリ・ゾォルケンは悪を憎んでいた。その理由はわからないけれど、正義の求道者であった彼は歪みを抱えていても遍く人々の救済を願っていた。

 間桐雁夜は、間桐の魔術を憎んでいた。それも当然だろう、あんな拷問、修行でもなければ魔術でもない。

 彼らは、皆、間桐臓硯の贄だった。

 だから彼は己が逃げることで間桐の血族を絶やそうとした。間桐の一族の救済を願った。」

 そう、だからごめんなさいなのだろう。父さんと共に逃げていればきっと僕は生まれなかったし、それも正しいのだろう。

 彼は間桐鶴野の子が魔術回路が少なく、魔術師になれたものじゃないと知っていた。だから、間桐は潰れたと思っていた。

 まさか外から才能ある子どもを引き取り、その子どもに間桐を継がせるなんて思ってもなかったのだろう。

 ぐさり、と心臓をナイフで刺されたように痛かった。自分の思考に殺されそうだ。

 僕が魔術回路をほとんど持ち得なかったことを責めているようだ。

 おじさんは自分の行く末が間桐臓硯の道具として死ぬことを嫌い、決死の覚悟で家を飛び出したと聞いた。ひとりで決めてひとりで実行した。

 僕にはできなかった。立香が連れ出してくれなかったら、今でも僕は間桐にいただろう。

 おじさんが家を飛び出した後、何をしていたのかはよく知らない。フリーのルポライターとして生計を立てていたということしか、知らない。

 だが、間桐は捨てられても冬木は捨てられなかった。

 理由は一つ。遠坂桜の母、遠坂葵に恋をしていたから。間桐雁夜は彼女が先代の遠坂家当主であった遠坂時臣と婚姻する前から彼女を愛していたらしい。

 初恋の人を一途に想い続け、魔術師の妻となり子を産んだ後も忘れがたく、どうしても離れがたく、諦めきれず、彼は度々彼女とその子どもたちに会うために冬木に戻ってきていた。未練がましいというのかもしれない。

 だが、彼の中で間桐の血を残すということは絶対の禁忌で、己の妻は間桐臓硯が命を永らえるためのエサ。

 そんな地獄に、初恋の君を巻き込むことなんてできない。ゆえに彼は想いを伝えることすらできなかった。

 「雁夜がそれを聞いて、間桐に戻った時にはもう遅かった。遠坂桜は間桐桜となっていて、すでに蟲蔵に入れられていた。

 心が壊れてた彼女を見て、雁夜は怒り、悲しみ、そして後悔した。」

 心が壊れる。なにが起きたのかは簡易に想像できた。たしかに、記憶の中の桜は笑わないやつで、衛宮と関わるようになってからようやく人間らしくなった。

 最初からそうだった。だから、それが彼女の気質なのだと。それが心を壊した結果だというのか?

 「ちょっと待て、なんで魔術師の桜が蟲蔵に入る?

 間桐の魔術は水と、蟲の使役だろう?」

 「間桐臓硯は五百年を生きている魔術師です。後継を作る必要がない。

 魔術回路をもっていようがいまいが、彼にとって等しく蟲の贄だ。」

 ランスロットは、苦しそうな、後悔に塗れた視線で僕を見つめた。そして、少しためらうように息を詰めらせ、それから、目を伏せてからゆっくり開く。覚悟を決めた妙な力を持つ紫の瞳が恐ろしい。

 「蟲の使役というのは、サーヴァント契約のようなものじゃない。

 醜悪な虫を体内に入れ込み、命を削りなから行うものです。

 彼らは蟲がひしめく暗い地下に閉じ込められ、体を蹂躙される。痛く、苦しく、屈辱的で恐ろしい魔術。」

 がらがらと、足場が崩れた。なぜ、どうして。そんなはずはない。あれに入るのはお爺さまにいらないと判断された僕みたいな人間で、魔術師は蟲を使役するだけじゃないのか。

 ーーーいや、お爺さまからすれば、自分以外は皆贄なのか。

 ざーざーと、耳の奥で血が騒ぐ。

 「わずか一年で魔術師を作り上げるには毎日のように蟲蔵に入るしかなく、錆びついた魔術回路を開発される痛みは想像を絶するものだったでしょう。

 魔術刻印の代わりの刻印蟲とよばれる蟲どもに凌辱され、寄生され、苗床となる。魔術回路の代わりになると言っても、代わりに命を蝕む害虫です。

 最終的に間桐雁夜は半身不随を患い、黒かった髪は色が抜け老人のような白髪になり、食べ物を嚥下することも不可能で魔術を使うたびに血を吐く、生きているだけで苦痛に喘ぐ。

 そんな状態になりながら、苦しみと後悔を憎しみに変え、禅城葵を幸福にすると信じていたにもかかわらず裏切られたことを、娘を平穏な生活から地獄に叩き落とした外道な父親であると遠坂時臣を憎んだ。

 むしろ、遠坂時臣を憎むことでしか生きられなかったのかもしれない。

 遠坂時臣を殺し、聖杯戦争に勝ち、桜を解放すれば葵は幸せになれると、そう愚直に信じていた。

 …当主が死んだ魔術師の家など、没落するに決まっているのに、それすら見えなくなっていて。自分勝手な理想を抱き、それを裏切られたと遠坂時臣を恨んで、遠坂葵( はつこい)を免罪符に暴挙を重ね、遠坂時臣を殺すこともできず、聖杯を取ることもできず、己のサーヴァントにすら贄と見なされ、搾取され、最後は遠坂葵に己の全てを否定されて。妄執に取り憑かれた男の行く末は死。

 何も為せず、何にもなれず、何も出来なかった男だったが、それでもその行動には確かな価値があった。

 そう、意味はなくとも価値は、あった。」

 「…お前、なんも覚えてないんだろ?

 なんでそんなことを知っているんだよ。」

 「だから、最後までちゃんと読んでくださいと言ったのです。全部書いてありますよ。」

 悲壮な顔でランスロットは語る。僕はもう何がなんだからわからなくて、だがそれを聞いてどうしようもなく納得した。

 再び日記を受け取り、こんどは最後まで読む。先ほど、ランスロットが言った言葉が丸々そのまま、文章として残っていた。

 懐かしい……のか。あまりわからない。この文字を僕は懐かしいと思っているのだろうか。そっと、指先で文字をなぞる。

 ガタガタに歪んだ字。あの人はお酒を飲んでいない時、いつも手が震えていた。アルコール中毒の症状だと今ならわかる。酷い振戦で、その上第四次聖杯戦争の際に右手まで失って、日常生活を送るのにも苦労していたというのに。そんな、左手で、震える手でこれを書いたのか。

 父さんが何を思ってこれを書いたのか、僕には理解できない。叔父さんが結局、何を思って死んだのか、僕には分からない。

 でも、叔父の行動を愚かだと笑うことなんて僕にはできない。方向性は違えど、叔父は僕だ。

 「あなたと雁夜はよく似てる。そう、思います。

 魔術を求める間桐慎二( あなた)と、魔術から逃げた間桐雁夜( かれ)は似ても似つかないと他人は言うでしょう。

 でも違う、違うのだ…!

 きっと、間桐雁夜は遠坂葵に願われなければ、間桐の家に戻ろうと、ましてや聖杯戦争に参加しようだなんて思わなかった!

 きっと、間桐雁夜の代わりに生贄にされた少女が遠坂葵に関係ない子供であれば、心苦しいとは思ったものの間桐に戻ろうなんて思わなかったに違いない!

 あの男はそう言う男だ!逆境を乗り越え、そうと決めたら決して諦めない強さを持っていた。

 だが、自分が見たくない現実から目を背け、都合の悪い事実を信じようとしない悪癖も持っていた。

 だが、間桐雁夜の、自分の正義を貫く姿勢は泥臭く、エゴに塗れていても美しかった!

 私を、私を呼ばなければ。私が彼のサーヴァントでなければ。

 きっと彼は彼の正義を貫けたはずなのに!

 私のせいで、私が、私“も”、彼を贄とした!

 私は、彼が死んでも構わなかった!

 そうだ、王に、罰せられたい、それだけを望んだ!!!

 ああ、このバーサーカーはわたしだ。その行動の理由も、意味も、すべてわかってしまう!

 私が、私がサーヴァントではなければ、彼はあんな終末を迎えなかった!」

 その慟哭は体の内側から心臓を握られるような、泣きたいぐらいに苦しい叫びだった。

 「ああ、何故、何故、何故こんなことになった。

 どうして、どうしてなのだ……」

 それは、ランスロット一人の叫びではない。きっと、間桐にまつわる全ての人の叫びだ。父さんも、おじさんも、僕も、かつて召喚されたバーサーカーも、今ここにいるランスロットも……そして、桜も。

  (違うよ、間桐は、一途なんかじゃない。)

 勇気がある。努力する。

 誰かのために自分の身を犠牲にして目的のために奔走する。

 やり方に問題はあれど、間桐雁夜は誰かのための正義だった。桜のための正義であって、おそらく、僕のための正義でもあったのかもしれない。そして父の、叔父さんの兄のためでもあったのだろう。

 間桐は一途すぎる一族だと、彼は言った。だけど、僕はどうしてもそんな綺麗なものだと思えない。

 (間桐の本質は、きっと『執着』なんだ。)

 間桐雁夜は『自分を愛してほしい』

 間桐桜は『自分を救ってほしい』

 僕は…『自分を認めてほしい』

 屈折した承認要求は魔術師という方向に向いた。だから桜が許せなかった。全部掻っ攫って行った桜が。

 結局、みんな等しく、偶像に憧れていた。

 この、何から何まで醜くて、悲惨で、陰湿なこの家の人間たちは、叶わない夢ほど美しく見えた。手に入らないものほど恋焦がれた。

 

 「なぁ、叔父さん。僕が間桐の希望だと、本気で思ってたのかよ。」

 

 間桐雁夜。あんたは馬鹿だ。

 だけど。もしも、あなたが生きてたら。僕は何か違っただろうか。

 セイバーのランスロットの告白は、僕の魔術師になるという願いを破壊させる最後の一手となった。

 今まで箱の中に大切にしまっていた理想が壊れていく。立香と出会って箱から出され、イリヤスフィールに問われヒビが入り、ランスロットの慟哭でヒビが広がり…

 

 「そうさ。僕は魔術師にはなれないよ。」

 

 最後は、僕自身の手で壊した。

 ああ、何故だろう。胸がスカスカするのに、体は恐ろしいほど軽くなった。

 虚しいのに、清々しい。

 「ありがとう、セイバー。もう忘れていいよ。」

 僕はランスロットに手を伸ばした。

 「あんたは叔父さんのバーサーカーじゃない。」

 立香のサーヴァントだろう、と告げた。ランスロットは顔を上げて僕の手を見つめ、恐る恐るその手を取った。

 「嗚呼……」

 そして、その手に縋るように両手で包み込み、額を押し付け、そして霊体化して消えた。

 




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3

「それでは、私は『あるばいと』に行ってきますね。」

「うん、ごめんね清ちゃん。私が行くはずだったのに……」

「いいのです、旦那様。今日は一日、しっかりとご静養くださいませ。」

「うん…」

私がそういうと、マスターの眉間に皺が寄った。申し訳なさそうにもう一度「ごめんね」と言葉を垂れ流す愛しい人に、「気にしないでくださいまし」と微笑む。

「今日の当番私なのに、朝ごはんまで清姫に作らせちゃったね」

「それくらいお安い御用ですもの。ーーそれに。」

“大丈夫”と嘘を吐かれるよりも、よほどいい、と。

清姫は縦長の瞳孔を見開いて笑う。

「清は、誠実な旦那様を愛しておりますの」

きゃっと、両手を頬に当てて清姫はうっとりと笑って、しかし視線はまっすぐすぎるほど私に突き刺さる。普段はまとも(?)な清姫のバーサーカーらしい一面。

マスターは「ありがとう」と笑った。ええ、それでいいのです、と心の中で呟き、玄関の戸に手をかける。

「それでは、行ってきます。帰宅は遅くなる予定ですので、お夕飯の準備をお願いしますね。」

「あいよー」

新シンさんが軽快に頷いて、追い払うジェスチャーで私を追い立てる。

ムッとした清姫が最後ににっこりと笑って、「ますたぁ、清姫の帰りをお待ちくださいね♡」と手を振った。

私は「うん、待ってるよ清姫」と手を振り返して、ようやくドアが閉まった。

「じゃあ、私も」

「ああ、そうだな。寝ろマスター」

「あっ!」

マスターの声を背後に聞きながら、清姫はあるばいと先のカフェへと向かう。

制服に着替えて、給仕をするのには慣れた。お仕着せは愛らしく、マスターとお揃いできるのが楽しい。カルデアではなかなかできないマスターの独占ができる時間は、大切なもの。

今こうして、一人で働いていても。彼女のためになるのならば一向に構わない。

からん。ベルが鳴る。

「いらっしゃいませ」

鈴の鳴るようなころりと可愛らしい声が、静かでクラシックな店内に柔らかく響く。

「ーーーーあら、あなた達は……」

清姫が口元を扇子の代わりに手で隠す。彼らは、“彼女”にとって因縁のある相手。しかし敵ではなく味方に引き込みたいと愛する旦那様が願っていた相手。

「あなた“たち”に、お願いがあるの」

カウンター席に座って、コーヒーを注文したその“相手”は、ウヱイトレス姿の清姫に誠意として所持する宝石を全て預けてから、告げた。

 

 

「ーーーー同盟を組まない?」

 

そして運命は加速する。

 

 


 

 

「遅かったな。」

「悪かったね。」

「迎えに来たよ。」と鼻を鳴らしたら、イアソンは「知ってる。」と腕を組んだ。

「なんだお前、泣いたのか? 目が腫れているぞ。」

「別に。たいしたことないさ。」

花粉症でね、と誤魔化したらイアソンは「今日は花粉そんなに飛んでないらしい」とニヤリと笑う。ランスロットは僕の泣き顔を見ないためか、霊体化して消えている。まあ、そこら辺にいるのだろう。

メディアを呼んでくると家の中に引っ込んだイアソンを縁側に座って待つ。

「お茶をどうぞ。」

「ああ、どうも。」

……迎えにいった本人、ここにいるけど。あいつ何しに行ったんだよ。

気まずいのを誤魔化すために茶を飲む。冷えた体に熱すぎずしかし温いわけでもないちょうどいい温度の緑茶が染み渡る。

「あのさ、あとどれぐらいかかりそう?」

「宗一郎様のご準備ができ次第出発しますね。

今、小テストの採点をなさっていたんです。」

「へぇ、あいつ、仕事を家に持ち込むタイプなんだ。」

「意外ですか?」

「まあね。」

話題がなくなって、2人して茶を啜る。

「聖杯戦争も今日で五日目ですね。」

ぽつり。

「この戦争の行方は、どこへ行くのでしょうか。」

切なくこぼされた言葉に、ぐっと詰まる。第五次聖杯戦争。汚染された聖杯の奪い合いに成り果ててしまった人類存亡のかかった戦い。

敗退者0で終わらせるために他所の陣営を妨害し、大聖杯を解体するために暗躍する僕たちがどれだけ異常なことか。

何も知らなければ、僕も聖杯を欲して争いの中にいたのだろうか。そもそも、リツカがいない聖杯戦争に、僕はどのように関わると言うのだろう。

簡単に想像できる、惨めな己の末路。

「聖杯戦争の行方なんて決まっているだろう。

敗退者0で大聖杯を破壊。聖杯戦争というシステムそのものを壊す。

そのために僕たちは他陣営の争いを妨害して、聖杯解体のためにこうやって会いに来てるんだろう。」

「そうでしたね。」

くすり。微笑む少女は少し切なそうに眉をハの字に寄せていた。

「でも、こう考えてしまうんです。

妨害活動をするんじゃなくて、皆さん全員仲間になってくれたらいいのにって。

そうしたら、誰も傷つかず、誰も苦しまないのに。」

メディアリリィは空を見上げながらそう言った。彼女はリツカが言う通り、純粋な少女なのだ。純粋に、全ての人を信じようとしている素直な子ども。

女神ヘカテに魔術を教わり、極めた少女。

しかし、師事した女神と同じ女神であるアフロディテに呪われ、イアソンに妄信的な恋をして使い捨てられた哀れな魔女。

彼女はこの度の現界で新たに『本当の』恋をしたという彼女は、かつての復讐(というには優しいの…か?)をしているかのように、イアソンをひたすらにこき使っている。自分がされたように利用だけして捨てるつもりなのかと思ったのだが、どうにもリリィはそれができないようだ。

きっと、記録はあっても人格を形成する年齢が幼いから、イアソンを心の底では信じたいと思っているのかもしれない。

イアソンはイアソンでメディアリリィを恐れており、門番をやらされようが、目の前でメディアリリィと葛木がいちゃついてようが何も言わず黙って耐えている。哀れだ。

「全員、仲間ねぇ…」

それができたら、苦労はしないのに。

 

『 もういっそ、旦那様が他の陣営のサーヴァントを奪ってしまうのはどうでしょう?』

 

『コルキスの魔女を連れて来ればよかったね。ルールブレイカーでさくっと契約解除して、仮契約を結ぶのが一番効率がいい。』

 

唐突に、思い出した。まるでそれが一番の最適解だというように、僕の頭に浮かんでは消える。

(…そんなこと、できるのか?)

ーーあいつなら、できるのだろう。たとえ強引に奪ったとしても、彼女に従うサーヴァントたちがそれを言い切ったのだ。時間は多少かかるかもしれないが、不可能ではない。

「なあ、ライダー。クラスは違えど、お前は神代の魔女メディアなんだよな?」

頭のてっぺんからつま先まで、彼女を見る。幼い少女だ。13歳ぐらいだろうか。まだ善悪もわからず、「幸せになりたい」「人を信じたい」「そのためならどんなことでも成し遂げる。」というサイコパスじみた行動理念で動く理不尽の象徴。

彼女はまさしく魔女だった。

「まあ、私は幼少期( リリィ)ですけれど、確かにメディアです。」

それが何か?というように、メディアは小さく笑う。

「なら…ルールブレイカーも、持っているのか…?」

賭けのような質問だった。

メディアリリィはきょとんとした顔で僕をみてから、可憐な笑顔を浮かべた。彼女の瞳は笑っていない。僕を信じていない。どこでそれを知ったのか、僕を責める目とは対極に、声は優しげだった。

 

「夜には、持ってますよ」

破壊すべき全ての符 ( ルールブレイカー)も、修補すべき全ての疵( ペインブレイカー)も、と笑顔で答えた。

今日、立香は拠点で『カルデアのメディア』を召喚する。ライダー( メディアリリィ)はそれを奪うつもりなのか。

いや、憶測だ。

「夜には」などと不穏なことを言ったことに対する真意はわからない。でもきっと、何か意味がある言葉だとわかった。

「ルールブレイカーを使えば、サーヴァント契約も切れるんだよね?」

「まあ、かなりざっくりですが概ねあってます。

ルールブレイカーは人を殺せない代わりにあらゆる魔術を初期化する能力を、ペインブレイカーはあらゆる呪い、魔術による損傷を零に戻す能力を付与した短剣です。」

魔術の初期化、と僕は呟く。令呪という魔術が初期化されれば、必然的にサーヴァント契約も切れる。

ならば、あとは再契約を結ぶだけになる。

「令呪の契約も、記憶も消せるのか。」

「消すというより、初期化ですが…まぁ、使い方によっては可能です。」

「記憶の改竄は?」

「ペインブレイカーはあくまで消すだけなので、一度記憶を消してから新たな記憶を植えつければ改竄も可能なのでは?」

そうか、できるのか。

この瞬間、僕がやるべきことは決まったも同然だった。きっと、賛同してくれるサーヴァントはいる。あの発言をした、清姫とエルキドゥなら、絶対に僕に協力するはずだ。バーサーカーとランサー。片方は神代の兵器だ。しかも両者ともに高火力のサーヴァント。

清姫に嘘つき扱いして燃やされる危険性もあるが、あくまで思考を誘導するだけに向ければ勝算はある。

「頼みがある、メディア。」

彼女の青い瞳を見つめた。無垢で、透明で、しかしながらよく見慣れた色を孕む瞳がなんでしょうと笑う。

「一度だけでいい。ルールブレイカーとペインブレイカーを貸してくれないか。」

聖杯戦争に敗れた僕ができることなんてそう多くはない。

ならば、せめてやれるだけのことはやってみせる。時間だってそう多く残されていない。

時間をかければかけるほど、脱落のリスクは上がるんだ。ならば、全ての陣営の令呪の契約を切りそれに伴うサーヴァントの記憶を消す。

「僕の計画に、三騎士同盟( 衛宮たち)は邪魔だ。」

「計画内容次第ですね!」

メディアリリィがコロコロ笑う。僕の計画を告げると、メディアリリィはなるほど、と呟いてから僕を見た。そして「それは名案ですね!」と笑った。

「清姫やロビンフッド。燕青はどうかわからないけど……きっと、あいつのサーヴァントも協力してくれると思うんだ。」

「それなら成功率は高いですね!

対価はあなたのマスターが持つマナプリズムでいいですよ。」

高密度なマナを込めた物体、あれは滅多にないものですから。と楽しそうに、歌うように笑った少女に、「もちろん。」と僕は自信ありげに答えた。

「…ちゃんと調達するさ。」

入手経路を考えなくては。でも、今それは関係のないことだ。

「ねえ、間桐慎二さん。」

初めて、この魔女に名前を呼ばれた。無垢な瞳に写る自分がやたらと寂しい顔をしていて。魔女は、語る。

「あなたはレイシフトの仕組みを知ってしまったのですね。」

……。

「ほとんど知らないさ。ほんの少し、取るに足らないことを知っただけ。」

メディアはそうですかと微笑む。僕はそれがどうにも薄寒く感じた。

「大丈夫。あなたは、きっと忘れない。」

「……そこまで知ってるのかよ。」

そうだよな、と鼻で笑う。もともと、立香の敵であったというのだから、彼女の旅にまつわるそれらを知っていてもおかしくはない。

「他の人は忘れてしまうかもしれませんが、あなたは大丈夫。」

「僕を慰めてるつもり? そう言うの、うざいよ。」

「いいえ、だって真実だもの。」

僕の言葉はきっと彼女に届いてない。だから、不気味な笑顔のまま少女は言葉を紡ぐ。

「それがある限り、あなたは大丈夫ですよ。」

にこりと、僕の胸元指して笑った。僕はどきりとして手を胸元に当てた。正式には、服の下にあるペンダントを服の上から握った。

「物は時間を超える。ときには、世界すら超えて渡るもの。

それを手放さない限り、大丈夫です。

忘れても、思い出す。忘れなくても思い出す。

物とは、触媒とはそういうもの。」

触媒? こんな安物が?

だけど、メディアは笑う。

「すこし、貸してください。」

加護を与えてみます、と。水に浸したウサギの皮のようなしなやかな指先が、ペンダントを指していた。

躊躇。好奇。不安。期待。

結局僕は、彼女にペンダントを差し出した。手のひらに置かれた二つの石は、白魚の手に包まれ、握り込まれる。メディアはそのまま胸に抱いて、朗々と詠唱をする。古代ギリシャ語の発音は、一部聞き取れなかった。

「moira chrismos. paron、mellon.

自由の石よ。時を超えてなお、彼の者を守りたまえ。

守り石となり、持ち主の大切な記憶を守りますように。」

魔術式が浮かんで、圧縮していく。なんの変哲もないただの石が、魔女の魔術により聖遺物となっていく。

「勝利と幸運を運ぶ石よ。自由の石の対の石よ。

どんな逆境に立って打ち勝つ強さを、持ち主に与えますように。」

魔法陣が収束する。パチパチと幻想的な光が、線香花火のように弾けては輝く。

美しい魔術に目を奪われていた。魔術が終わったことに気づかないほど。

「どうぞ。これで安心しましたか?」

「ああ、ありがとう。」

石は、心なしかずっしりと重い。気休めかもしれない。だけど、大魔女が魔力を込めたこの石ならばと、期待する。

「この特異点が修復されたって、あなたは絶対にリツカさんを忘れません。

だって、愛は最も簡単で強力な魔術なんですから!」

先ほどまで年相応に歯に噛んでいた恋する少女は、次の瞬間年不相応に美しく笑う。

「だから、ちゃんと、“もう片方を”マスターさんに渡さないとダメですよ。」

「ああ、わかってるさ。」

その時、ポンと肩を叩かれた。背後にはいつのまにか葛木が立っている。その隣にはイアソンも。

いつのまに、と息を呑む。葛木はなんでもないような顔をして首を傾けた。

「待たせた。それでは行くとしよう。」

「はい、宗一郎様!」

「私を無視するな!」

葛木の腕に抱きついたメディアに、イアソンが叫んだ。



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4

お待たせしました。とりあえず今できてるとこまでupります
投稿しようか迷ってたんですが、待ってくれている読者がいるとわかって勇気が出ました。コメントありがとうございます


 「なんだこれ、どう言う状況だ?」

 

 イアソンの声が、やたら静まり返った部屋に呑気に響いた。

 

 

 

【聖杯戦争五日目、昼】

 

 

 

 ライダーと葛木を伴って帰宅して、一番初めに目にしたものは青みがかった黒と赤銅、そして金色の頭だった。次に見えたのは向かいに座る流れるような銀髪。その隣に赤銅よりも少し黄味が強い見慣れた夕日色。

 「あら、ようやく帰宅かしら?」

 赤い瞳が慎二を移す。可憐な少女のソプラノ。思わず漏れ出たため息。

 「これは、どういうことだリツカ?」

 「あはは〜」

 尋ねた少女は曖昧に笑う。

 イリヤスフィールがいるのはまだわかる。先日拠点が襲撃されたので、アインツベルン城からこの間桐慎二邸に拠点を移したからだ。だが何故、衛宮と遠坂がリビングにいる?

 ダイニングテーブルは部屋の隅に寄せられ、どこから出したのか座布団と大きめのちゃぶ台が鎮座していた。(多分、全員を座らせるのに、椅子が足り切ったのだろう。)

 「説明しろ!!」部屋に響く怒声。両手で耳を塞いで、リツカが「ごめんごめん」と苦笑いを浮かべた。

 「おかえり慎二」

 「ただいまーーーじゃなくて!

 なんでいるんだ! 敵だろこいつら!」

 「まーまー落ち着いて」

 「落ち着けるか!」

  荒れ狂う僕を宥めるようにリツカが手のひらを向けた。「敵じゃないよ」と簡潔に一言。

 「それに、色々あって今は味方だから大丈夫」

「そうよ。私たちはあなたたちルーラー陣営に同盟を申し込みに来たのよ」

 偉そうに、遠坂が胸を張る。

 「(何様だこいつ。)」

 率直な感想だった。

 やたらドヤ顔の遠坂の隣に、衛宮の気まずそうな顔とセイバーの不服そうな顔が横並ぶ。本当にこいつら何しに来やがった。嫌ならさっさと帰れというのが僕の素直な気持ちだ。

 「昨日の一件、あんただっておかしいと思ったんでしょう?」

「当然だろ」

 むしろこちらが被害者だ、と舌を打つ。「う、うるさいわねっ!」遠坂が吃って目を逸らした。

 「言っておくけど、私は反則をしたわけではないわ。

 聖杯戦争は争うもの、その勝利がどんな形であれ、勝者であることには変わりないでしょ?」

 「はっ! 魔術師らしい理論ご苦労様。なら同盟なんて必要ないね、さっさと帰れば?」

 「ぐぅ……」

 唇を噛んで悔しそうに、上目遣いで睨む遠坂に迫力なんてものはないし、魔術師らしい威厳もない。

 もう何も言えない遠坂に変わり、衛宮が口を開く。

 「昨日も言ったけど、俺たちはたしかに言峰に言われてバーサーカー陣営の救出のためにあの場に行ったんだ」

 「そこからしておかしいだろ」

 「まあ、今考えればそうよね」

 神妙な顔で少女たちは頷き合う。視線が混ざって、色が錯綜するような。そんな不思議で奇妙な感覚に襲われて、僕はなんとなく視線をリツカに固定した。

 「改めて情報を整理させて。

 昨晩、バーサーカー陣営を襲撃したのはあんたたちルーラー陣営とは別の第三者で間違いない……それも、アーチャークラスのサーヴァントで間違いはないのね?」

 「ああ、間違いないね」

 「そして、そのサーヴァントはタイミングを見計らったように消えた。そうよね?」

 「ああ、『仕込みは上々』と言っていたからね。君たちが来たのは彼らの筋書き通りなのだろう」

 「そして、そのアーチャーのサーヴァントは……本当に、ギルガメッシュ王で間違いないの?」

 「ああ、僕が保証しよう」

 エルキドゥの証言に遠坂は完全に沈黙する。彼が「……そうだ。彼にそれを知らせに来た男のことを、ギルは「キレイ」と呼んでいたよ」と付け加えたのを俯きながら聞いていた彼女は小刻みに震えていた。

 「じゃあ、第二のアーチャーと言峰綺礼は共犯ということで間違いないのかしら?」

 「その認識で間違いはないと思うよ。まあ、あのギルガメッシュ王は「彼らしくなかった」けれどね」

 マーリンが口角を上げて薄く笑う。言葉をつなぎ合わせるように復唱して、イリヤは薄く唇を引き伸ばす。指で唇を触れるようにかくしながら、「くすり」。

 「ふぅん、これは決定かしら?」

 「ええ」

 イリヤフィールの声に、遠坂が続く。

 「言峰綺礼とアーチャー・ギルガメッシュは共犯。私たちは、言峰綺礼に嵌められたのよ」

 夕暮れ前の、強烈な日差し。ほんの少し赤みを帯びた太陽が、彼女を後ろから照らしている。夜はまだ来ない。

 「同盟とまでは言わないわ。休戦協定を結びましょう。監督役の言峰がこちらを裏切っている以上、この戦争が正しく運用されるとは思えない。

 あなたたちにもその方が都合がいいのでしょう?」

 「まあ、そうね」

 「イリヤも、それでいい?」

 「まあいいわよ。だいたい、貴女たちに保護されてる身で文句言えるわけないでしょ?」

 「はは、ありがとうイリヤ」

 正反対な容貌の少女が二人、顔を見合わせて頷き合う。

 「その同盟、歓迎するよ。よろしく、アーチャーとセイバーのマスター」

 「凛でいいわ、ルーラー」

 リツカが差し出した手を遠坂がとる。手のひらが重なり握りられた。友好はなされた。

 「だけど、一つだけ聞かせて欲しい。あなた、本当は何者なの?」

 力がこもる。きつく握られた手は、逃がさないという彼女の意思表示。

 俄かに殺気だった己のサーヴァントを「私は大丈夫だから」の一言で止めて、立香が小さく息を吸う。向き直る。遠坂は語るのをやめない。

 「セイバー、アーチャー、ランサー、バーサーカー、ライダー、アサシン。ただでさえルーラーという第八の陣営があるのに加えて、さらにイレギュラーな二騎目のアーチャー。

 一つの聖杯戦争に九つのサーヴァントが召喚されて聖杯戦争に参加してる。ありえない、イレギュラーにも程がある!

 完全にチャートが狂ってるわ」

  遠坂が立香を睨む。「私はまだ、あんたたちを信用できない」と同盟を申し出たその口で断言して。

 「私からすれば聖杯の汚染っていうのもあなたたちが聖杯勝ち取るための方便としか思ってない。

 でもね、言峰綺礼はもっと信用できない!

 だったら、ちょっとはマシなあなたたちと組む」

 「その割には、態度がなってないんじゃない?

 遠坂の当主さん?」

 「あら?

 アインツベルン様には少し刺激的だったかしら?」

 軽口じみた挑発の応酬。「それで?」と尋ねた僕に、なぜかリツカが返答する。

「そういうわけで、今回の経緯について私は全ての情報を彼らに開示することを決めた。イリヤはその付き添い人」

 「私はリツカの同盟者だもの、同席するのは当然でしょ?」

 衛宮も頷く。これはもう確定事項なのだろう。しかし、僕にはまだ疑問が残る。

 「桜はどうしたんだよ。あいつ、ランサーのマスターだろ」

 「アンタに桜は会わせない」

 きぱり。遠坂が答えた。殺意が混じった鋭い視線で「アンタだけには、あわせない!」と。

 「アンタが今まで桜にしてきたこと、私が知らないと思った?」

 どきりと、心臓が跳ねた。さっき折り合いがついたばかりでまだ複雑な内心が、ミキサーにかけた牛乳みたいに泡立って膨張しているような、そんな心境。

 「私は、アンタを許さない。間桐の家から出たアンタに、桜を会わせるなんて絶対しない」

 「許されるなんて思ってないさ」

 無意識に、そう言っていた。口が滑って、言葉が連なっていく。

 「僕は、自分がしたことが悪だと知ってる。だけど、僕だけが悪かったと思ってない」

 まだ、僕の心の中に残っていた不満の残滓が音になっていく。あと1日あれば消化できた感情が沸々沸騰して、爆発するような。

 「お前に、僕の気持ちがわかるか?

 留学から帰ってきたら、ただでさえ壊れてた家族がさらに壊れてたショックが。

 酒浸りだけど僕には優しかった父が、片手をなくして廃人同然になってた衝撃が。

 帰ってきたら、僕の代わりに知らない子どもがいた驚愕が。

 透明人間のように暮らす家は、僕にとって地獄だった。

 僕の居場所はあの家になかった。それでも、僕が正気を保っていられたのは、僕が間桐の後継者であり、魔術は使えなくても選ばれた存在だと自分に言い聞かせてたから」

 その誇りすら、桜に奪われてたって知った時の僕の気持ちを、お前に理解できるのか。そう告げられた遠坂は「私だって!」と叫ぶ。知っている。お前も聖杯戦争で父を失っていることくらい。母が廃人になったことくらい。でも、お前は一人ぼっちになれたからまだ救いがあっただろう。敵も味方もいなくなった方がきっとずっとマシなんだ。

 僕は、敵しか残らなかった。

 「遠坂、お前は僕ばっかり責め立てるけれど、そもそもお前の父親が桜を間桐(うち)に売ったんじゃないか」

 「違う、違う!

 お父様は、遠坂はっ! 盟約を盾に間桐に桜を奪われたの!」

 「違うね!

 僕はもう真実を知った。十年前の、第四次聖杯戦争の裏事情をね。

 桜には、悪いことをしたと思ってる。もっと早く知ってたら、僕だって……」

 まあ、今更言っても仕方がないことだけれど。

 

 「桜が望むなら、僕はあいつに償うさ」

 

 ありえないような言葉を、自分が吐いていることに。一拍おいてから気づいた。

 静まり返る室内。人間の息遣いだけが聞こえる。

 

 「ちょっと待ってくれ」

 

 不安に揺れる声が、どぽん。

 静かな水面に石を投げるように静寂の中に投げられた。

 声の主は、衛宮士郎は。青い唇で震える声を投げ落とす。

 「十年前に、第四次聖杯戦争が開催されたってどういうことだ……?」

 「は?何言ってんだお前」

 そこまで言って、はた、と。気付いた事実は誰にとっても残酷すぎて、まさか、そんなと。疑問符ばかり頭の中で踊っていた。

 「衛宮、お前まさかーーー」

  僕が「何も知らないのか?」と聞く前に、イリヤスフィールが「ねえ」と尋ねる。一番、この真実が残酷に聞こえる相手が、氷柱のように冷たくて鋭い声で。

 「ねえ、衛宮士郎。あなたは、キリツグから何も聞いてないの?

 ほんの、少しも?」

 「じーさんになんの関係があるんだよ。あの人も関係あるのか?」

 イリヤスフィールの表情があからさまに固まって、それから「そう」と落胆する。

 眉間に皺が寄った、一見怒っているようにも見える彼女の表情。泣きそうな彼女の手を、リツカが握った。

 黙り込んだイリヤスフィールに代わって、僕が代弁する。

 「関係あるも何も、衛宮切嗣は前回のセイバーのマスターじゃないか」

 きっと、衛宮が気づかないふりをしていた真実。触れたそれは狂気かもしれない。どう言うことだと呟いたのを、僕の耳は確かに聞いた。

 「なあ、本当なのかセイバー」

 「……ええ」

  全部本当です。暗い声とたしかな嘆き。再び世界が凍りつく。

 そんな地獄のような静寂を切り払う音が響く。立香が拍手を打ち鳴らす。

 

 「一回こんがらがってきたからさ、整理しよう」

 

 引き攣った、下手くそな笑顔。

 ロビンフッドがブリーフィング用のホワイトボードを運んできた。しっかりと今まで書いた相関図とは反対側の面を表にして。

 「じゃあ、まず私たちの正体から説明するよ。いいよね、慎二」

 「ああ、好きにすればいいじゃないか」

 不機嫌な態度でそういえば、リツカは「わかった」と頷く。まだぎこちなさが残る空間の中で、時間が解凍されて動き出す。

 「あなたたちの正体って?

 本当のクラスがルーラーじゃないってことかしら」

 「うん、それもそうだけど、もっと重要な秘密」

 リツカがイリヤに目配せをする。殺意は未だ瞳に孕みつつも、ほんの少し頭の調子を取り戻したイリヤが「話せば?」と、無言で顎をしゃくって了承した。すう、と息を深く吸う。

 「まず、あなたたちに謝らなくちゃいけない。

 私は、『第五次聖杯戦争に参加しているサーヴァントじゃない』」

 「でしょうね」

 なら、あなたは何者なの?

 尋ねられて、リツカはーーー藤丸立香は、まっすぐ彼女の目を見つめた。

  「驚かないで、聞いてほしい」

 みんな、リツカに注目していた。目を瞑っていた彼女が、見開く。まつ毛の下から現れた黄金色の瞳が世界を写す。

 

 「私は、ルーラーでもなければサーヴァントでもない。

 私は、2017年の未来からやってきた13年後の未来人。わかりやすくいえば、タイムトラベラー、時間警察みたいな感じの人間です」

 

 案の定、部屋の空気は再び硬直した。部屋の、と言うよりも遠坂凛が固まった。

 「時間遡行?」

 ワナワナと震える唇。「うそよ」と首を振って、堰を切ったダムのようにわぁっと言葉が氾濫する。

 「タイムトラベラー? 未来人?

 ありえないわ。時間旅行なんて、第五魔法の域じゃない!」

 『いいや、限りなく近づいているが厳密には違う』

 現れたホログラムに「今度は何!?」と驚く。「カルデアからの支援だよ」とリツカが教えたあとも、遠坂は何故かホログラムに怯えていた。そういえば、機械音痴だったか、あいつ。

 ダヴィンチとホームズが遠坂に説明をするのをぼんやりと眺めながら、そんなことを考えた。

 『……つまり、レイシフトとは肉体ごと特異点に行くわけではない。

 マスターを一度情報まで分解し、特異点に送信。観測した特異点で肉体を再構築し、カルデアから彼女を観測し続けることで存在消失を回避する。

 我らがカルデアのレイシフトシステムの仕組みはこんなところだ』

 「肉体の情報化!?

 一度分解して再構築するなんて死ぬようなものよ。正気じゃない!」

 『ところがどっこい!

 こちらもそんなことは百も承知さ。

 だから、立香ちゃんなのさ。彼女はカルデアのシステムを使わず、レイシフトを単独成功させることも可能な脅威のレイシフト適正100パーセントのマスターだ。

 過去、異世界、心象世界。ほとんど全てに干渉できる。いうならば、夢渡りのような存在さ!』

 弾んだ調子で美女が告げる。初めて聞いたとリツカが目を丸くする。

 「レムレムにそんなかっこいい能力名的なのあったんだ……」

 「ちょっと待てーーい!」

 思わず、と言ったように。ツッコミをいれた遠坂が立香に食ってかかる。僕はなんか喉が渇いてきたらキッチンに向かう。冷蔵庫に炭酸の500mlペットボトルがひとつ。誰のかわからないが拝借しよう。文句を言われたら買い直せばいい。

 「むしろ何であんたが知らないのよ。今までなんだと思ってたのワケ?」

 「あー、何というかですね……レイシフトしすぎてレムレム癖みたいなのがついちゃったのかなぁって」

 「神秘の一端がそんな軽い理由なワケないでしょ!」

 信じられない、と頭を抱える。その後も情報の開示は続き、そのたびに遠坂が口を挟んで話が逸れてを繰り返し。ようやく全て話し終えた時、なんだかすごく疲れていた。

 「ほんとう、信じられない……っ!」

 頭を抱えた少女はなかなか絵になるけれど、今ではただのギャグ要員にしか見えなくて。心境の変化に改めて驚いた。僕は、どれほど魔術師という存在にコンプレックスを抱えていたのだろうか。考えるだけでぽんぽん湧いてくるから、根は深い。けれど、それも受け入れて前を向かなくてはいけない。

 ふと、遠坂が「そうだ!」と顔を上げた。視線の先にはメディアがいる。

 「というか、ライダー!

 魔力足りてるならなんで民間人誘拐してんのよ!」

 「?」

 首をかしげた彼女と、「なんのことだ?」と眉を寄せたイアソン。

 「柳洞寺周辺の失踪事件はライダーの仕業じゃないのか?」

 「私たちはもう魂喰いなんてしてませんよ?

 まあ、マスターさんに会うまではちょっと拝借してましたが」

 今では必要ありませんから、と。穏やかに告げる少女は「多分、皆様がいう失踪事件は私とは別件ですね」と微笑む。

 「心当たりはあるの?」

 「ええ、まあ」

 「アンタが犯人じゃないなら、誰がやってるのよ」

 ボソリと文句を言った遠坂の声を拾って、メディアが言を紡いだ。

 「犯人はまだちょっとわからないんですけど、行方不明の方々にならすでに皆さん出会っているじゃないですか」

 なにを、言っているのだろう。だけれど少女は純粋無垢に微笑み告げた。罪悪感など微塵もなく。

 

 

 「先日、穂群原高校を襲った魔獣やラフム。あれらの材料は人間です」

 

 

 

 そんなに気になるなら、あれらの胎に行きますか?

 狂気の一言に誰もが息を飲んで、ホログラムの向こうが慌ただしく動く。

 第七特異点、ティアマト、ケイオスダイト。聞こえる言葉を僕は知らない。だけど、ただ漠然と。

 この聖杯戦争が終局に向かっているのだと理解した。

 

 

 



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5

結構間が空いてしまった…
待ってくれていた皆さん、本当に申し訳ありません。不定期にはなりますが完結させる意思はあります


 

ぐちゃ、ぐちゅ、べしゃり。

湿った泥を踏む音が響いていた。湿った岩壁の匂いはどこか青臭く、苔の匂いにも海の匂いにも感じられる。

ーーー否。遠回しに、迂遠な表現をしなくとも、男ならばもっと身近に例えられるものがある。吐き出したばかりの精液の臭い。どこまでも不快な雄の香りに女性陣は顔を顰める。立香も、遠坂も、セイバーですら。表情は硬く険しい。唯一、幼い魔女だけが平気な顔で洞窟を歩いていた。

「みなさん、ここをみてください!」

明るい、不自然なほどに陽気な少女の言葉。示されたのは壁の一部。黒紫の泥の繭の中には黒ずんだ皮膚の人間ーーーの、下半身。

上半身はすでに黒光りする硬質な何かに作り変わり、ドロドロに溶けて人相がわからなくなった顔の右半分が横向きの歯茎に変貌してる。

「ラフムの製造工程です!

少し前から異臭が気になり始めていたのでそろそろじゃないかとは思いましたが、もうすでに母胎の中にいるみたいです」

ふむ、と顎に指を当てて思案するメディア。悍ましいを通り越して湧き出た嫌悪に、僕は思わず一歩後ずさる。斜め後ろからは嘔吐く声と水音。振り向くとあまりにも凄惨な光景に青ざめた遠坂が口元を拭っていた。

「正気じゃない。こんなの、こんなものがいつから……」

「大丈夫か?」

よろめく遠坂を衛宮が支える。頭を元の位置に戻すと立香の顔が目に映る。泣きそうな顔だと思った。唇を噛んで拳を握り、それでも決して目を逸らそうとしない。

「ひどい」

少女の唇から漏れた音は、洞窟の中に静かに溶けた。もう、反響はしない。ここがもうすでに現実世界の洞窟ではないのだと、理解の及ばない場所なのだと、嫌というほど理解した。

 

「進みましょう」

 

凛とした、清廉な少女の声。セイバーだった。かの英霊は決して目を逸らさず、この先に待ち受ける悍ましい何かを見据えて剣を握り直した。

「……」

きっと、もう、この時点で。

僕たちは最奥で待ち受ける【誰か】の正体に勘づいていたのだと思う。少なくとも僕は察していた。

理解したくないけれど、そうであってほしくないと心の奥で叫んでいても。

この先に待ち受けるのは【アイツ】だと、直感で確信している。

 

「ああ。そうだな、セイバー」

衛宮が「進もう」と声を上げる。黒い繭の中にいる半分ラフムの人間達が僕らを襲うことはなかった。けれど、僕らを見ていた。何を訴えているのか理解しながら、無言で歩みを進める。僕にできることは何もない。彼らを助けることは誰にもできない。それが、こんなにも口惜しい。

増える繭と異臭。ぽっかりと広い空間に満ちる泥沼の中央に、裸の女が浮かんでいる。ゾッとするほど白い肌。紫の髪にはリボンの髪飾り。

ーーー見覚えがなければよかったのに。

 

「なんで、あんたがここにいんのよ……」

 

真っ先に、遠坂が口を開く。声が震えている。怒りで震えているようにも、泣いているようにも聞こえる声音。

絶望を宿した青い瞳に映るのはただ1人。泥に沈む女の姿。

「それは私のセリフですよ。」

 

べちゃり。泥が滴り落ちる音。

 

「なんで、姉さんが《ここ》にいるんですか」

 

目の前にいるのは、本当に僕が知ってる【彼女】なのだろうか。泥がずるずる意思を持つように蠢いて、少女の肢体を飲み込む。壁面を飾るラフムの入った繭のように、少女を包む泥の繭。

 

「誰にも見られたくなかったのに」

 

ばしゃん、泥が弾ける。

 

「誰にも知られたくなかったのに」

 

泥の繭から出てきた彼女はまるで別人だった。色が抜けて真っ白な髪。ひび割れたような赤い痣。黒地に赤いストライプの衣装を見に纏った少女がゆっくりと瞼を開く。仄暗く光る赤い瞳が、じとりとこちらを睥睨する。

 

「よりにもよって、なんでせんぱいに……」

 

「いやだなぁ」と。舌ったらずの幼子のようにつぶやく。桜の視線は衛宮士郎ただ一人に固定されていて、まりにいる僕たちに視線を向けることは欠片もなかった。

「見られたくなかったなぁ。せんぱいにきらわれちゃうもの。」

ねぇ、と。こてりと無表情で首を横に傾げた。人形のように。

「嫌がらせですか、とおさかさん。いじわるですね」

緩慢な動きで首をひねり、今度は僕を見据える。桜は薄ら笑いを浮かべることすらやめて、無表情だ。

「にいさんも、今更なんのようです?」

「桜」

「間桐から逃げたくせに、どの面下げて……」

ぶつぶつと。こちらの話には聞く耳ひとつ持たないで虚な瞳で俯く。ひたすら鬱憤を呟き、ため息がひとつ。

 

「いやだな。みんな、かえってほしい」

 

「ランサー」と、桜が無感情に名を呼ぶ。霊体化を解いたランサーが鎌を構えて飛びかかる。

「凛!」

メドューサは真っ先に凛を狙った。されど、その刃が遠坂の首を落とすことはなかった。同じく霊体化を解除したアーチャーが干将で鎌を弾いた。後ろに退いたランサー、莫耶で切り込むアーチャー。ランサーがアーチャーの短剣を足場に跳ね上がり、鎌を振り抜く。超至近距離からの特攻。弾丸のような攻撃から逃れるためアーチャーが剣から手を離し、ほんの少し体制を崩したランサーの首を狙って干将で薙いだ。

紙一重で避けるランサー。切れた髪が一房舞う。

すかさずセイバーが走り出た。上段からの攻撃を鎌から伸びる鎖で受け止める。

 

「二対一とは卑怯ですね」

 

不利と理解し飛び退いたランサーが軽やかに着地をして、桜の前に立つ。桜がサポートしてる故か、ランサーは泥の上に立っている。サーヴァントを変質させる悪意の泥に踏み込むわけにいかず、しかし構えを崩さない。

戦況は膠着していた。

 

「……っなんでだよ、ランサー! 」

 

衛宮がランサーに問う。「桜を止めたいと言っていたじゃないか!」と吠えた彼にランサー……メデューサは悲しげに眉を下げた。

「すみません、衛宮さん。

ーーー私は桜を裏切れない。裏切りたくない」

泣きそうになりながら、「ひとりぼっちは悲しいから」と告げて、少女は鎌を構える。

「たとえ怪物に成り果てても、私だけは味方でいたい」



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六日目
気づけば遠い理想を抱いて


お久しぶりです!
ようやく最終日突入、完結できるよう頑張ります!
*2023.10.24 ちょっと加筆修正しました


 間桐慎二のサーヴァント 最終日(六日目)

[chapter:いつか遠い理想の果てで]

【6日目、早朝】

 

 未来の果てから、その探偵は宣告する。この度の特異点は《ツケ》が積み重なった末の末路なのだと。

 

 長年魔術師たちが冬木の土地に強いていた理不尽の代償。

 間桐桜はそれら全ての被害者だと。

 

 『しかし、かといって彼女を救うこともできないだろう。

 カフェラテからミルクを除けないように、混ざった絵の具を元の色に戻すことができないように。聖杯の泥はすでに彼女と同化している。

 我々としても、間桐桜を倒さない限り大聖杯にも辿り着けないだろう。よって、間桐桜の排除も視野に入れる必要がーーー』

 「ふざけないで!」

 

 遠坂が机を叩く。俯いたまま、ぶるぶると怒りで震えてる。狂った獣のような荒い呼吸がピリついた空間に反響し、余計空気を重くしていた。

 

 「桜を殺すっていうの? あの子は被害者よ!」

 『しかし、冬木市集団失踪事件及び一般人ラフム化の犯人でもある』

 「それは泥のせいだってアンタも言ってたじゃない!」

 『だが彼女の罪もまた事実だ』

 「っ、このーー!」

 「よせ、凛!」

 ホログラムに映るホームズの胸ぐらを掴もうとする遠坂をアーチャーが引き止める。

 「離しなさい!」「落ち着け! そこには何もない!」「だからって!」

 言い争う2人をBGMに、イアソンが地図を眺めている。僕は保冷剤で頬を冷やしながら昨晩から今日にかけての出来事を思い起こす。

 

 聖杯戦争5日目、夜。あの悍ましき泥の胎で、僕たちは逃された。

 

 「見ないで、見ないでよ。もう全部どうでもいい。どうでもいいから、帰ってよ!」という、癇癪というにはあまりにも憐れな悲痛な桜の叫び。 それを命令と捉えたランサーにより洞窟の外に叩き出された後、暴れる遠坂と衛宮を気絶させた後、僕の本拠地に連れ帰った。放っておいたらすぐにでも突撃しそうな危うさを考慮した選択だ。

 今の状況は、半狂乱状態で目が覚めた遠坂の「桜を助ける」という叫びを拾ったホームズが淡々と今回の事件の概要を告げ、考慮の結果出した「間桐桜は助からない」という結論に納得のできない遠坂というものだ。

 大聖杯の管理不行届や第一回目から四回目までの聖杯戦争の無惨な有様。間桐家での桜の仕打ち。呪いの溜まった冬木の土地に魔神柱が聖杯に焼べられたことで起きた、この惨状。

 遠坂の怒りが爆発してもおかしくはない。特に、間桐家での出来事は遠坂にとって許し難いものだろう。ホームズから概要を聞いている途中で「アンタは知ってたんでしょう!」と胸ぐらを掴まれた。「ああ、知ってたさ」と、その拳を受け入れた僕を庇ったのはランスロットで、「慎二が桜のことを知ったのはつい最近です! そもそも、知っていたとして彼に何ができたと言うのですか!」と、遠坂の肩を掴んで叫んだ。

 怒声と嘆きと泣き声で、混沌とした場を収めたのはホームズで、しかし再び混沌に叩き込んだのもホームズだった。

 『落ち着いてほしい、Ms.遠坂。可能性がないとは言っていない。

 ただ、あまりにも現実的ではない』

 「っ!その方法は!?」

 『……』

 す、と。ホログラムのホームズがライダーの2人から立香へと視線を動かす。

 メディアがハッと目を開き、そして顎に手を当てて考えこむ。

 「……なるほど、確かに不可能ではないかもしれませんね」

 メディアの一言に場の空気がピリリと引き締まる。

「聖杯の泥との同化も、言い換えれば一つの魔術です。初期化状態にもどせば、あるいは……」

 「ああ、ルールブレイカー!」

 立香が思わずと言ったように声を上げる。『[[rb:exactly>その通り]]』、画面の向こうの未来から、探偵が煙管を蒸して首肯いた。

 かの魔女が言うには、桜をどうにか外に誘き寄せて工房の外に出すことさえできれば、メディアの宝具たるルールブレイカーを使って桜と聖杯の泥ーーーアンリマユの繋がりを切ることはできるのではないか、と。

 一時的にでもアンリマユとの接続が切れれば、大聖杯から引き出す無尽蔵の魔力供給は尽きる。その状態の彼女ならばサーヴァントで叩けば殺さずとも沈静化できる。

 「しかし、そう上手くいくでしょうか……」

 「上手くいくかじゃない、行かせる」

 いつから起きていたのか、衛宮が身を起こしながら言った。リビングの客用布団は敷きっぱなしで、そう言うところをちゃんとしている衛宮らしくないと、なんとなく考える。片す余裕もないのだと、僕は悟った。

 

 

[newpage]

 「それで、なし崩しとはいえ昨晩私との予定をすっぽかした言い訳は終わり?」

 「は、はい……すみませんでした」

 「しらない!」

 つん、とすました顔に不機嫌をのせたイリヤスフィール。正面には身を縮こまらせて頭を下げる立香。

 「ふんだ、リツカは私のことなんてどうでも良いのね。

 『イリヤはまだ安静にすべきだから』とかふざけた理由で置いて行かれた挙句、約束の時間になっても現れない貴女を、私がどんな気持ちで待っていたと思ってるのよ」

 イリヤの赤い目が水の膜で潤む。顔のパーツが中央に寄せたのは一瞬。情けない顔を隠すように顔を伏せる。

 「死んじゃったんじゃないかって、すっごく怖かったんだから……」

 喉の奥から搾り出した言葉は震えていた。

 イリヤの言葉が痛かった。目の奥が苦しくて、見えない手で首を絞められているように苦しくて。

 「本当にごめん」

 せめて一言連絡を入れるべきだったと立香が悔いる。額に小さな衝撃。反射で「いっ」と音が漏れる。正面には頬袋を膨らませたイリヤ。片手で不恰好な狐を作って、呆れ顔をしていた。

 「もう良いわ、一昨日の救援に免じて許してあげる。これで貸し借りナシだからね!」

 「イリヤ……」

  誰が見ても明らかな空元気。それを指摘するのは無粋だ。イリヤの意思を尊重し、気持ちを切り替える。

 「それで、間桐桜“を”どうするの?」

 「できるなら、助けたいよ」

 「言うと思った。けどね、リツカ。貴女の口からは言いにくいようだから代わりに私が言ってあげる。

 彼女を助けるのは無理よ」

 立香は目を伏せる。わかっていた言葉だった。理由もわかる。根拠もわかる。でも何もしないで見捨てるのは気持ちがどうしても追いつかない。

 「私みたいに、聖杯に接続しているだけならまだ救いようはあるでしょうね。でも話を聞く限り、間桐桜は聖杯の【中身】に接続してる。

 あの子は聖杯によって呪われているけれど、同時に聖杯によって生かされている。慎二の証言を聞く限り、間桐の悪趣味な蟲にも寄生されている。

 魔術的なものを全て初期化した後、どれだけ寿命が残されているのかなんて……想像に容易いわ」

 「私も、人のこと言えないけどね」とフローリングを見つめて、感情の読めない声音で内心を吐露したイリヤに、なんで言葉をかければいいのかわからなくて。でも、そんなことをイリヤに言って欲しくなくて私は押し黙る。

 「間桐桜は助からない。少なくとも、私は助けない。

 ちゃんとしなさい、人理継続保障機関の人類最後のマスターなんでしょ?

 貴女の役目はこの時代を修復して定礎を復元すること。1人にこだわって全て台無しにするつもり?」

 「わかってる……でも、本当にそれでいいのかな。

 はなから「助けられない」って決めつけて、見捨てたりしたらさ。私、後で絶対に後悔すると思う」

 黄金の瞳が「赤」を射抜く。立香の目力にイリヤが少しだじろく。どこまでもまっすぐな眼差しはどこか士郎に似ていた。

 「ねえ、イリヤ。変なこと言ってもいいかな」

 「急に何よ」

 立香が席を立つ。立香に手を引かれてイリヤも立った。まるで社交ダンスでも踊り出すような。

 手を繋ぎあった少女が2人。交わった視線、重なる呼吸。唇が動いて、重なっていた呼吸ワンテンポずれる。空気が揺れて、振動が音になる。

 「聖杯の中身。[[rb:この世全ての悪>アンリマユ]]を倒して、それで聖杯が正常化したとしたらさ。イリヤたちで使ってよ」

 ぱちり。大きな目が見開かれて、瞬いて、そして伏せられる。

 「……それは、卑怯よ」

 「そうかもね」

 不公平だわ、と続けられた言葉に一言答える。重い空気がひたすら続く。

 「私はもう、未来なんて見ないと決めたの。[[rb:現実>いま]]まででいい。過去を知って、本当の事を知って、そのあとはどうなっても構わないって思っていたのに……」

 膝に額を擦り付ける。くぐもった声音。「アナタって悪魔みたい」と一言洩らして、そしてまだ黙る。イリヤの瞳がゆらゆら揺れて、伏せられて。立香がさらに言葉をつなげる。

 「それでも。私は未来がほしいよ」

 だって、それが私の原動力。平凡な私が前を向くための魔法の言葉だ、と真面目な顔で薄く笑う。

 ちょっとしたバイト感覚で訪れた先で世界を背負うことになるなんて知らなかった。ちょっと一夏働いて、そのあとは友達と遊ぶだとか、親にちょっとしたプレゼントを買うとか、そんなことを考えてた。当たり前に『その先』があると思っていて。

 だからこそ滅亡しかけた世界に未来が欲しいと抗った。はじめは、酷く怖くて辛かった。なんで私がと思わなかった日がないとは言わない。でも、マシュがいて、ダヴィンチちゃんがいて、ロマニがいて。カルデアのみんなが大切になって。みんなで2016年を迎えたかった。それだけだ。

 「欲張りでもいいよ、仕方ないじゃん」

 大切な人と一緒に幸せになりたいと思うことを、どうして罪と言えるのか。

 イリヤがいて、慎二がいて、桜ちゃんがいて、凛と衛宮がいる世界。2016年の未来でもう一度会いたい。ちっぽけな願いなのに、なんでこんなにも難しいんだろう。

 「大好きなんだよ、みんなのことが」

 「……………………そんなの、ズルよ」

 たっぷり十秒、間を置いたイリヤが駄々をこねて唸る。

 「ずるい、ズルいわこの卑怯者。そんなこと言って、私がどう思うのかわかって言ってるんだ。

 [[rb:最低>サイテー]]よ。ほんと、貴女って傲慢ね、藤丸立香」

 「そんなこと言われたら、私も[[rb:間桐桜>あのこ]]を助けたくなっちゃうじゃない」

 イリヤが微笑む。諦めの混じった、大人びた笑顔。仕方ないと妹を甘やかす姉のようにも見える。赤い瞳にうつるは、どこまでも甘やかな慈愛の色。

「多分、私は未来にいないでしょうけど。でもま、立香に私の痕跡を見つけさせるのも面白そうね」

 「……ありがとう、イリヤスフィール」

 なんで、この優しい子が死なないといけないのか。穏やかな顔で年不相応に小さく笑うあどけない人。彼女に未来で出会いたい。諦め切った彼女に未来を与えたいのに。

 それを唯一できる聖杯は汚れて使い物にならないなんて……

「大好き、イリヤ」

「私もよ、リツカ」

「私,探すよ。たくさん探す。イリヤが生きていたって証明するために」

「いいわ、目一杯隠してあげる。草の根をかき分けて私を見つけなさい?」

 どちらからともなく笑顔が溢れる。ああ、このかけがえのない時間を、いつまでも。限られているからこの一瞬が美しいのだとしても、願わずにはいられない。

「ね、酷いこと言ってもいいかな」

「ふふふ、なぁに? 今の私ら機嫌がいいから、何言われても許してあげる」

「ーーー生きて」

 

 イリヤが困ったように笑う。3×4が12とわからない子どもを見るような、どうしようもないなぁと言いたげな、そんな困り顔。「バカね」と、音が大気に溶ける。視界が霞む。世界が潤む。

「私の時代まで生き続けて、未来でイリヤに会いたいよ」

「無理なのよ、そう言うふうにできてるの」

「ひどいなあ、なんで嘘でも『いいよ』って言ってくれればいいのに」

「これでも私、正直者なのよ」

 輪郭がぼやけて、声が遠くて。でも体温だけは近くにあった。背中に感じるリズムが心地よくて、どうしようもなく涙が出る。

「私ね、ちょっと前まで【過去】で生きてた。現実なんて見たくなくて、怒り続けてた。だって、そうすれば何も考えなくていいんだもの。寂しいとか考えることはなかった。

 でも、でもね。

 バーサーカーがいて、リツカがいて、シンジがいて。私、寂しくなかったの。心から笑えてた」

「リツカが教えてくれたのよ、今を必死で直走るあなたがいてくれたから、過去を見るのをやめられた。

 ね、リツカ。私ね、この戦いを終わらせてようやく、私自身を愛してあげられる気がする」

「だから、ごめんね。未来の約束はできない。私は未来の果てにはいないけど、どうか私を忘れないでね」

「忘れない!」

 小さな背中に手を回す。暖かかった。この温度が失われるだなんて想像もしたくないほどに。

「忘れたりなんかしないよ,絶対。ずっと、ずっと覚えてる。だから、イリヤも約束を忘れないで。」

「……リツカのことも忘れないわ」

 私は曖昧に微笑んだ。




YouTube巡回してたらお気に入りの反応集でこの小説そっくりの設定のスレまとめ見つけて「わ!やっぱ需要あるじゃん!」と嬉しくなったり
コメント見てたら「エタってると思ったら最近更新してた」とあったのでとりあえずできてる部分だけあげようかなって
意外と見てくれている人がいて嬉しいです!


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