天聖 三次創作 (牙無し)
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一般生徒Aによる、晶星“北野誠一郎”について
ルシナ・ロンツァ大陸ビフレスト法王庁。その首都アオーグ。
流星信仰の発祥であるその地にて、賢者パチュリーの手により設立されたノーレッジ魔法学園。
信仰の担い手たる司教、いずれ来たる魔の軍勢のための魔法兵を育てる大陸屈指の教育機関。
さてこの学園で一番背丈の高いモノといえば何か。
園庭にそびえる国母の銅像。不正解。
兵科生が実技で使う大型獣を模した木馬。不正解。
それは今、梓川咲太の視界の端に悠然とたたずんでいる。
動かない大図書館。
ビフレストの国母たる賢者パチェリーがかつて冠した大げさな二つ名を継承し、恥じぬ蔵書を持つノーレッジ学園の図書室。
その最奥には2フロアぶち抜いて天井を支えばかりにそびえる本棚がある。
学園で一番背丈の高い代物が“本棚”というのは、司教の養成所であり魔法学園であるここらしいといえばらしい話だった。
司教科2年。高等部からの混院入学。学生身分を示すカードを司書に提示する。
辿った学歴だけを並べると、この学園の頂点に君臨する白銀御行と同じらしい、その内容は月と亀。おとぎ話の月の貴公子と平民。
咲太の成績は司教科の中では下の中といった場所になんとかぶら下がっている状態だったが、そのことに特に気に病むべきことではない。
幼少から英才教育を叩き込まれたやんごとない子息令嬢がひしめくこの学園で、高等部からたたき上げがトップに上り詰める方が正気の沙汰ではないのだ。
読書用の大机と自習机が並ぶ空間を抜けると、娯楽小説コーナーに立ち寄る。
目当ての本はすぐに見つかった。
妹に頼まれた娯楽小説の続巻。こういうときに魔法学園の生徒という身分は便利だとしみじみと思う。
『狭間ノ家』とだけ題名がシンプルに飾られた本をパラパラと流し見て確認する。
蓬莱の小島を舞台にした恐怖小説を気に入った妹は、継続して読むことを決めたらしい。
発刊年数に反して真新しさを感じる装丁が、こういった小説を目的に利用する者の少ないことを表していた。
見知った顔を見かけたのは、他にいくつか参考書を見繕って貸出カウンターへと向かう途中のことだ。
混院入学である咲太の、数少ない1年の頃からの友人。
頭蓋をなでつけるように整髪料で固めた短髪に、剃り込みの入った頭。極端に小さな光彩のせいで、位置によっては容易に三白眼となる目。眉の毛は産毛ほどの濃さしかなく、病的に白い肌が目元の隈をより引き立てている。
そんな凶貌が、図書館の入り口から頭だけ出してキョロキョロとしていた。
控えめに言って威圧の塊だ。録画機材でも回していたら、確実に心霊扱いされる。
「……なにしてんだ北野?」
はじかれたように北野のぎょろりとした瞳が、咲太をとらえる。
咲太にとっては慣れた眼光だが、彼の脇を抜けて入室する学生は振り返っては足早に離れていく。
図書館において静謐はマナーだが、一部の利用者に至っては何かから身を守るように文字通り息を殺してしまっていた。
遠巻きに畏怖の視線が集めていることに、彼は気づいているのか。
おそらく気づいていないだろう。
「梓川くん。探したよ」
表情に動きはないが、声のトーンが少し上がっている。
非常にわかりにくい、安堵や喜びのサインだ。
品行方正、文武両道、顔面凶悪。そして平素においてはどうにも小心翼翼。
生まれ持ったモノと気質がどうにもアンバランスだが、付き合う分には気の良い奴だった。
「ちょっと……相談したいことがあって」
「相談? 北野が僕に?」
眉を顰め、首をかしげる。
誠一郎はいつもの威圧じみた強張った笑みを作って固まっている。本人は精いっぱい困った顔をしているのだろうが、素の身体能力の高さ反した表情筋が働いていないのだろう。
とりあえず本の貸し出しを済ませると言って、北野を図書室の外に待たせることにした。
このままでは図書室内で窒息者が出かねない。
動かない大図書館で倒れて動かなくなる学生が出るなんて、七不思議がもう一つ増える事態になるのは話はごめんだった。
* * *
北野誠一郎とつるむようになったきっかけはなんだっただろうか。入学早々の身体測定の柔軟のときだったか、そのあとのフィールドワークのときだったか。
野郎同士の“なれそめ”なんてものは、紋章学の授業の内容同様記憶に残す価値もない。
方や高等部からの完全混院入学の平民。方や威圧が可視化されて鬼の形にでも立ち上りそうな強面。
すでに中等で完成された人間関係の中で明らかに浮き駒な存在同士が、一絡げにまとめられるまでにそう時間もかからなかった。
学院は性質上集団行動を是としていて、あぶれ者同士は早かれ遅かれどこかで付き合いを持つ形にはなる。
「はい、適当に2人組を作ってください」という呪文によって。
不健康そうな肌と犬歯を剥きだした引きつった笑みは1年経った今でも相変わらず。
けれど誠一郎は2年へと進級の折に風の晶星へと抜擢され、そこから彼の周囲の目も環境も変わった。
もともと運動神経は高く、成績優秀。大いに、盛大に、途方もなく勘違いされがちな要素はあれど内面は善良な人柄もあって、周囲の先入観さえなくせば受け入れられることは難しくない。(それだけが最大の壁であり、今でも高くそびえているわけだが)
同じく高い実力を有する生徒会のメンバーとは殊の外すぐに馴染んだらしい。
役職を与えられ、ますます恐怖の対象とする者もいるが、頼まれれば引き受け、完遂する人柄は着実に周囲の信頼を徐々に集めている。立場が人を育てるとはよくいったもの。
まぁそれでも、友人と呼べる者はまだ数少ない。というのは本人の弁。
「そういや、この間の論文。随分評価されたらしいな」
「うん。所詮学生の論文だけど、僕の研究が今後の世の役に立ってくれればいいな」
放課後の学園の廊下は、兵科の連中の威勢のいい声が窓の向こうから遠く聞こえる。
いっそ嫌味に聞こえるほど謙虚な発言だが、これを本気で言っているのが北野誠一郎という少年だ。
いつもと変わらない善良さに、思わずため息が出る。
「どうしたの? 具合悪い?」
「北野のさわやかさに悪酔いした」
「さっ、さわやか!? そんなこと初めて言われた」
「冗談だよ。あぁ、“悪酔い”な。何か褒賞でもでたか?」
「褒賞はー。うん、出たよ。出たけど……」
「けど?」
誠一郎は言葉を濁す。
宙を泳ぐ小さな黒目が三白眼を作って、闇雲な威圧感をまき散らしているが、幸いにして廊下には咲太以外いない。
「けど?」
「ちょっと僕には合わないものだったから、受け取り辞退しちゃったんだ」
「取扱いに困る魔道具とかか?」
「そんな大層なものじゃないよ。舞台演目チケットだったんだ」
舞台のチケットねぇ。と気のない声を咲太は返す。
それなりの付き合いを持っていると、こういうときの誠一郎の考えは透けて見えてくる。
辞退した理由についても。
「……興味なかったのか?」
それをそ知らぬふりして、聞いてみた。
相槌か、純粋な聞き逃しか。のんびりと歩いていた誠一郎は「ん?」と返す。
「劇の内容だよ。どんなのかは知らないが、論文の褒賞ならそこらの天幕張ってやる大道芸とかじゃなかったんだろ?」
「えーと、“月の貴公子”にまつわる演劇だったかな。ここ(アオーグ)の指定上映館でやるらしいよ」
「論文の褒賞って割には意外と大衆的な題材だな」
「演劇についてはわからないけど、この地の流星信仰の歴史に触れる内容だし。うん、興味はあったかな」
「だったら行けばよかったじゃないか」
興味があるならいけばいい。
学食のメニューに迷ってる相手を軽く後押しするような、ごく軽い口調で咲太はそう言い切った。
もったいない、と庶民臭さ満点の一言を付け加える咲太に、誠一郎は固まる。文字通りに。足も止まってしまっていた。今度こそ言葉の意味を取りこぼした様子だった。
「い、いや。外部の人は学園の序列とか知らない人ばっかだし」
「いつも通りの服と顔していけばいいだろ。
北野、どんな顔していればいいかわからないような場所で、とりあえずなんでもない顔ようなをしておくの得意じゃん」
「その顔がこれだよ? この顔がVIPに居たら他の来賓の護衛さんとか、下手に刺激しちゃいそうだし」
「給料分ぐらい働かせてやれって」
「ほら。役者さんの眼に留まったら、演技止まっちゃわない?」
「お前、上映館で舞台踏むような役者相手にそれは逆に失礼だろ」
慌てて咲太を追うように歩きながら、誠一郎が挙げていく“ダメ”な理由をひとつひとつ潰していった。
こうやって狼狽しているときは、傍目から考えがわかりにくくて怖いといわれている一本調子の声も、人並みに感情を滲ませる。
誠一郎は「そうかもしれないけど」となおも何か言葉を口の中で濁らせていた。
「別に、北野が我慢することじゃなかっただろ」
咲太は一度足を止めて振り返り、ただその結論を放り投げた。
皮肉や非難を含む色は一切ない。
つられるように足を止めた誠一郎の、小さな瞳に正対する。
その細く鋭い眼の奥にある、見境ない博愛を知る人間は多くない。
誰かを否定することをしない、知らない友人を否定する気なんて毛頭なかった。
傍目からみても普通なら捻くれてもいい、多くの誤解に囲まれた誠一郎の精神はそれでも腐ったところは見られない。
遠巻きに敬遠はされど、物理的に傷つかない。というか傷つけようにしても意に介さない頑強な体がその遠因か。
北野誠一郎は虫を踏まない獣のように生きている。
人の性善説を信じている彼は他人を否定しない。けれど一周回って自分に物事の不具合の原因を求めたがるところがある。
その窮屈な生き方は望んでそうなったのか、周りに合わせようとしてそうならざるをえなかったのかはわからなくて。
周りの目なんか気にするな、なんて口で言うほど容易くはないことは咲太わかっている。
結局、野暮ったいなと思いながら吐いて出た言葉は、咲太があまり自分を否定するようなことを誠一郎の口から聞きたくないからだ。
友人として。
「……我慢、したつもりはないけど」
誠一郎は困ったように視線を泳がせる。
咲太の言葉に困っているというよりかは、その言葉を受けて適切な言葉を探している様子だった。
ふたりとも足を止めてしまっている。そのせいか誠一郎は投げられた言葉の返答を求められる形になってしまっていた。
特に焦ることはない。誠一郎との会話でこういうことはままあることだ。
日の傾いた廊下は長い2つの影を壁に縛り付けてまどろんでいた。
ややあって、誠一郎の口が開く。
「確かに少し、惜しいことをしたかもしれない」
はっきりとした声が、放課後の廊下に澄んで響いた。
誠一郎の相変わらず変わらない表情の、口角だけが少し持ち上がる。
ギラリと人間にしては鋭利な犬歯が剥きだしになって、人によっては卒倒しそうな貌がそこにあった。
それに応じて、咲太もわずかに笑む。
――少し、惜しいと思った。
惜しかった。けれどそれでいい。
それはいかにも誠一郎らしい答えだ。
そう思ったのは咲太だけではなかったようで、出した答えに満足した誠一郎は歩き出す。
少し胸を張って、いつものように迷いなく前を向いて姿勢の良く歩く姿は、なるほど全校生徒の憧れを集める晶星だ。
今度は咲太が遅れないよう、胸を張る友人の後を追って歩き出した。
一般生徒Aによる、晶星“北野誠一郎”について
「というか北野、そんなこと気にすんなら図書館であの不審者行動は止めろ。
入ってくる奴みんなビビってたぞ」
「えぇっ! 本当!?」
「ほんとう」
挿話 出会いの頃
「こんなこと聞くのも失礼かもしれない、けど」
「……うん?」
「僕のこと怖かったり、しない……かな?」
「怖い?」
「うん。僕、どうしてか人によく怖がられちゃって」
「……う~ん」
「僕って口下手で、どうも顔も怖いらしいくて。
こんな風に消去法でペアになったら、梓川くんも無理して、いつも通りの実力を発揮できないのは――」
「目は2つ。で、口は1つ」
「……へ?」
「鼻も顔の真ん中にちゃんとついてる。そこまで面白い顔はしてないな」
「えーと……」
「それともデコからもうひとつ目が開いて光線出したり、
背中から筋肉隆々な腕が生えたりするのか?」
「さっ、さすがにそこまでは人間やめてないよ」
「それは残念。もしそうだったら」
「もしそうなら?」
「北野の後ろに隠れてさっさとこの実習を終わらせられた」
「……」
「ついでに妹への土産話にもなる」
「ははは……梓川くんって面白いね」
「今の反応で僕はちょっと自信なくしてる。さっさと課題終わらせよう。
即席だし、とりあえず2人で警戒しながら進む感じでいいか?」
「うん、よろしくね。梓川くん」
* * *
「光線も出さないし、腕も生えやしないが……。
後ろにいるだけで実習終わちゃうなこりゃ」
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一般生徒Aによる、晶星“北野誠一郎”について 2
欠けた植木鉢、足の足りない椅子、半分に割れたベッド。
街の片隅には粗大なゴミが小山のようになっている場所がある。
それは大きな通りから外れた小路の行き止まりだったり、川を跨ぐ橋の下だったり。
意外なことに、そういったのは人目を忍んだ場所というほど隠れてはいない。
それでも積み上げられた残骸を、人は見て見ぬふりをする。もしかしたら大多数の人間は、それを背景の一部と認めて気づいていないのかもしれない。
何故か。
ゴミが遺棄されている場所というのは、すなわち誰にも愛着を持たれていない場所だからだ。
学園の講堂裏。森に面したそこは朝は講堂が、日中過ぎれば森の木々が陽の光を遮り、今は木漏れ日が多少の差し込む程度の日陰場所だ。
人目にも付きづらく、過去には落ちこぼれ捻くれた生徒の溜まり場にもなっていたという。
今では誰かがマメに手入れをしているのだろう。ゴミらしいゴミも見当たらず、落ち葉も掃き清められている。
不思議なもので、人は清潔に保たれている場所では悪事をしづらいらしい。厳密にいえば、不浄な環境では悪事を行うことに対するハードルが下がるのだそうだ。
はじめは小さなゴミから、大きなごみが捨てられ、その陰で違法な物品の売買行われはじめ、果ては姥捨てや“処理された”死体の遺棄。
もちろん後半は大げさな話で学園という場には当てはまらない。
けれど薄暗いこの場所も今では放課後のおあつらえ向きな時間帯でさえ、不良生徒がたむろしていないのはそういうことなのだろう。
決して今年に入って頻繁にここを清掃している人間が、半端な奴が裸足で逃げ出す眼力鋭い凶悪面だからではないはずだ。
「結構いい話したあとだったんだけどなぁ」
そんなある意味馴染み深い場所。誰にも聞こえない声で、咲太はひとりごちる。
講堂の壁面に背を預けて、ことの推移を見守っていた。
少し先には友人の北野誠一郎。そして彼と相対しているひとりの生徒。
その生徒の敵意半分、闘志半分、やる気十分な瞳は、離れた位置にいる咲太からも見て取れる。
間違っても友好的な空気ではない。風船が割れる直前のような張り詰めた空間。
正直帰りたいとさえ思ったが、そういうわけにもいかない。
なにせ咲太の今のポジションは“立会人”なのだから。
* * * * *
「そういや、相談って何なんだ」
暮れなずんでいく廊下。少し前を行く誠一郎に並ぶ。
雑談が一段落して、話は本題。誠一郎の当初の目的について。
「あぁ、そうだ。梓川くんにちょっと見て欲しくて」
いうやいなや、誠一郎はガサゴソと鞄を漁りだした。
折り目正しい持ち主の性格のせいで、置き勉などない革の鞄は今日も咲太のそれの2倍の重量を支えている。
まもなく取り出されたのは一通の封書だった。
「これ……」
「ラブなレター?」
冗談のつもりで投げた問いを、誠一郎は色白な顔に朱を差すことで答えた。
「……マジか」
「……うん」
「読んでいいのか?」
渡されたということはそういうことなのだろうが、一応許可を取る。
小さくうなずく誠一郎から手渡された封書は、一枚の蓬莱紙を丁寧に織り込んで作ったものだった。
手紙の便箋によくあるファンシーさはかけらもない。
この段階で、すでになんだか嫌な予感がする。
開封すると予想に違わず、つづら折りになった蓬莱紙が一枚。
毛筆に墨で書いた丁寧な文字が躍っていた。
「『北野誠一郎どの。貴殿に物申すべきことあり。
本日4時30分に、講堂裏に来られたし。
ゆめゆめ恐れ逃げることなきよう。
なお、立会人は各々1名まで認めることとする』……」
一文字ひともじ、丁寧に読み上げた。
音読した後もう一度目で追って、顔を上げる。
手紙を受け取り手である誠一郎は世にも珍しい浮足立った様子で、咲太が告げる次の句を縋るような眼で待っていた。
「……“ゆめゆめ”ってどういう意味だっけな?」
「どどど、どうしよう梓川くん!
僕、ここここ恋文とか貰ったことないから。
えーと、えーと。何か手土産とか――」
「たぶんいらないな。僕だってラブレターなんて貰ったことはないけど」
菓子折り片手に告白を受ける、というのは寡聞にして聞いたことはない。
オーケーなら、その場で一緒に食べるのだろうか。ごめんなさいの場合は、受け入れられない代わりに持って帰ってもらうとか。
絵面は間抜けだが、それはそれで案外悪くはないやり方に思えた。
もしかしたら上流階級ではそのような作法が存在するのかもしれない。
伝承学を学んでいたら、こういう場合迷いなく答えられるのだろう
奇妙な場所で、あのカビ臭い学問の重要さを感じられる一幕だ。
「4時30分って……。あと15分か」
書状を丁寧に元に戻し、持ち主へと返す。
講堂まではまっすぐ行けば5分程度だ。
人気のない廊下を迷いなく歩いていく。
「え? 梓川くん!?」
「呼ばれてるんだろ? 遅刻したら印象悪いんじゃないか?」
「……ついてきてくれるの?」
「立会人はひとりまで、なんだろ」
他に相談する相手いなかったのかとか言いたくなるが。
白羽の矢は咲太に立った。現状真っ先に頼ったということはそういうことなのだろう。
それを無下にするほど浅い付き合いじゃない。
相変わらずの凶悪さのまま、誠一郎の顔の周りに花が咲いた。
弾むように後をついてくる足音。
だが気がかりがひとつ。靴の音に紛れるよう、聞こえない声で咲太は呟いた。
「うーん……。そういや、このパターンは初めてだったか」
おそらくだが。
あれは恋文ではない。
果たし状だ。
* * * *
咲太の予想は半分当たって、半分外れた。
当たったのはやはりあの文が“果たし状”であったこと。
外れたのは。
「ほんとに女の子だったとは」
手紙に性別はない。
達筆に書かれた文字は硬質で丸みがなかったから、てっきり男だとばかり思っていたが。
待っていたのはブレザータイプの学生服を身に纏う女子生徒。
黒髪を緑地に黒のラインの入ったスカーフで馬のしっぽのように一くくりに垂らし、目は絢爛とした熱を持っている。
きつく睨む先には、先ほどからふわふわと地に足が付いていない様子の誠一郎。
アレは未だにこの状況を、告白か何かだと思っている。
どうにも友人には一度そうだと考えると、冷静に顧みられない悪癖がある。
善意と無垢な思い込みで他者とすれ違いを起こす、というトラブルは一度や二度の話ではなかった。
結局何を言ったってここに足を運んではいただろうし、だったらわずかな可能性にと淡い期待をしてみたが。
今となっては手紙を読んだ段階で一言、こちらの所感を言っておいた方が良かったかもしれない。
一言二言。何か言葉を交わし合っているが、内容までは聞き取れない。
立会人とはいったって、こうなると咲太は完全に蚊帳の外だった。
かといってわざわざあの空気に耳も口も挟むほど蛮勇ではなかった。
結果成り行きに任せて背景に徹するしかない。
決まりの悪い間延びした声が、乾いた笑いとともに咲太の隣にやってきたのはそのときだ。
「あ、はははぁ。なんかごめんねぇ」
一房左の側頭で結わえて後は流した金糸の髪が、咲太の肩口で白い外套とともに翻る。
赤銅の瞳は少々目じりが吊り上がってるが不思議とキツさはなく、ハキハキとハリのある声と合わせて人懐っこい印象を与えた。
「……向こうの“立会人”の人、でいいかな?」
この状況でこの場にいるということは、女子生徒の方で咲太と同じ立ち位置の人だろう。
確かめるように確認すると、少女は驚いたように少し目を見開く。
なぜだろう、珍しい珍獣を見たような目だ。
「あ~、そうだ。私はクリーブランド。
クリーブランド・アーマットサング。司教科3年だ」
「じゃあ先輩ですね。司教科2年、梓川咲太。
梓の木の“梓”に河川の“川”。花咲く太郎で“咲太”です」
「梓の木か~。木は好きだぞ。趣味は盆栽なんだ」
「渋い趣味してますね」
「へへへ、よく言われるけどな。
まぁ埃かぶった壺買い集めて並べるだけよりかは健全だろ」
初対面にしては距離が近いが、それを不快と感じない気さくな少女だった。
剣呑な空気を醸している本日の主役たち一方で、壁の花と額になることに決め込んだ見届け人たちの空気は和やかだ。
ポニーテールの少女は何か詰問をしている様子だったが、誠一郎に動きは見られない。
たぶん、この期に及んで未だ正確に把握していない。
「そんな奴じゃないって説明したんだけどねぇ」
「……ん?」
「北野のこと。けどあの娘ちょっと頑固でね
『私は自分の目で見たもの以外信じない』って。悪い子じゃないんだけど」
精いっぱい目を鋭くし声を作って演じるクリーブランドは、悔しそうに眼前の状況を見守っている。
彼女なりに今回のこの状況に至るまでに、女子生徒に説得を試みたらしい。
ということは、この状況は誠一郎にとって割と“いつもの”状況で間違いないようだ。
病的な色白肌、撫でつけたオールバックの頭髪、薄い眉と獰猛な犬歯。そしてなにより常に威圧を孕んだ鋭い眼光。
誠一郎の外見的特徴はそのひとつひとつが、相手に生理的な恐怖感を植え付ける。
どれもこれも北野が選んでそうなったわけじゃない、生まれ持っての先天的なもの(髪は撫でつけておかないと立ち上がってしまう剛毛らしい)だが、そんなことはお構いなし。
一般生徒の大半は勝手に恐慌し、一方で秩序に従うことに反抗したがる一部の捻くれた奴らは自己満足な意地を張って突っかかってくる。
今回の場合は、それとは逆で秩序を守ろうとする正義感が暴走しているパターンだろう。これも珍しいことではない。
「目に見えるものだって、そんな信用できるものじゃないですよ」
厳然たる事実として目の前で起こったことでも、人は簡単に見なかったことにすることがある。
思い込みが目を曇らせることもある。思い込みという言葉は、偏見や差別意識という言葉と入れ替えても通じる。
それどころか健全でまっとうな常識だって、ときには同じように牙を剥く。
認識は、事実を簡単に拒絶する。
誠一郎が受けている誤解だって、大元はそういうものだ。
見た目が与えている印象が、彼の言動から見える人間像を容易く否定する。
実は誠一郎は一部の教育熱心で思い込み激しい教員からすらウケがよろしくないのだ。
人は思ったほど、“ありのまま”を受け入れるようにできていない。
それは人の一種の防衛機構なのだろう。はじめに抱いた印象を翻すのは難しい。
誰だって自分の考えに一貫性を保ちたくなるものだ。
そして何より、大多数が同じ認識な中で、それに抗うのは勇気も体力もいる。
誰もが避けていれば、自分も避ける。そうして皆“誰も”の仲間入りになる。
多数派にいる方が楽で安心だから。数はおおよその場において正当で正義だから。
その程度に世の中は薄情だ。別にそれは異常でもなんでもない。
咲太はそれを痛いほど知っていった。
――文字通り、痛いほど。
「……ん? というかクリープランド先輩、北野とも知り合い?」
彼女は向こうの立会人のはずだが、クリープランドの物言いは完全に北野側に立っている。
北野の本質を知っているような口ぶりだった。
「やぁ~っぱり気づいてなかったか」
呆れたジト目が、赤銅の眼を半分隠す。
腰に手を当て、いかにも“怒ってます”という風にクリープランドは咲太を眇め見た。
「改めて。どーも、梓川咲太くん。
私は晶星四位、クリーブランド・アーマットサング。
火の晶星だ。以後よろしくっ、な!」
晶星。各属性ごとに対応した七人によって構成される生徒代表。
誠一郎も風の属性として組み込まれ、学園の箔となっている。
つまり目の前にいる彼女も、卓越した頭脳とたぐいまれなる戦闘力を有する成績優秀者。
「山のてっぺんにいるような人がこんなところに出向ているとは思わなくて」
「そう言いながらキミ、山とか見向きもしないタイプだろ?」
「山がそこにあることぐらいは知ってるタイプです」
「名前と形ぐらいは覚えておいて損はないと思うけどなぁ」
晶星という存在は知っているが、誰がそうであるかなんて把握してはいなかった。
知らなくても咲太自身も学園も、何も問題なく円滑に日々を回しているのだから。
なにせ7人もいるのだ。自分と同じ属性の晶星1人覚えておけば十分だと思うのだが。
火の晶星はプリプリと頬を膨らませ、腕組をして壁にもたれた。
露骨なほど大げさにポーズをとっているが、それが逆に本気で怒っているわけではないというアピールになっていた。
なるほど。実力がありながら、こういう気さくで面倒見の良さそうなところが、今日“立会人”としてここで立っている遠因なのだろう。
「まったく、自己紹介なんて久しぶりにしたぞ」
「晶星である先輩の貴重な体験になれて嬉しい限りですよ」
学園を歩けば自分を知らない者がいない、学園の首席集団というのはそういうものだ。
逆に咲太からすれば知らない相手が自分を知っているなんて、少し想像しがたい環境だと思うのだが。
いや、少し前に自分もそういう状況に置かれていたことがあったな。
もっともそれは、とてもではないが前向きな状況とは言い難かったが。
「う~。梓川、聞いてた話と印象がだいぶ違うぞ」
「……それ誰から聞いた印象ですか」
「そりゃあ、北野以外いるか?」
「まぁ、ですよね」
「どんな風に言われてたか、聞きたいか?」
「すげー聞きたくないです」
「悪くは言われてないぞ。むしろその逆だ」
「なおさら聞きたくなくなりました」
自分の知らない場所で自分についてアレコレ話されているなんて話自体、聞かなかったことにしておきたいものだ。
それが印象と離れた美化がされているならなおのこと。
背中が痒くなってしょうがない。
「そうかそうか、梓川はこーいうのに照れるタイプか」
「その上シャイで繊細なんで、あまりいじめないでください」
「その上照れると口数が多くなって、おまけにちょっと自己評価が低いと」
名前を覚えていなかった仕返しだろうか。
クリーブランドの追及は手厳しい。
これ以上何か言うと墓穴を掘りかねないので、黙っておくことにする。
「ごめんごめん。晶星って結構癖が強い奴が多くてな。
肩の力抜いてお喋りできるのって割と貴重だから口が滑った」
「北野は晶星の人たちは皆いい人だって言ってましたよ」
「……北野の口から“悪い人”が登場したこと、ある?」
「あいつは人の良かったところを見つける達人ですから」
きっと誠一郎なら覆面被ったイカニモな悪のマッドサイエンティストとかでもいい人になるんだろう。
将来詐欺師にコロっと騙されなければいいが、あの顔では詐欺師だって寄ってこない。
だからこそ、そういう痛い経験ができずに育ってしまったところもあるのだ。
当の本人は今も目の前で女子生徒からの敵意を敵意とも感じず――。
「「あっ……」」
話し合いが決裂したのか女子生徒の助走をつけた蹴りが、誠一郎の腹に吸い込まれる。
蹴りで人体はくの字に曲がる、という現象が起こりえることを初めて目撃した。
できればそんなもの知りたくはなかったことだが。
隣でクリーブランドが目頭を手で覆う。
「あちゃー。やっぱ手が出ちゃったかぁ」
「手というか足ですね。まぁ、いつもの流れといえばそうなんですけど」
本当に、誠一郎の眼には一部の人種を興奮させる魔力でも宿っているのか。
これが常人相手に行われた蛮行なら、血相変えて飛び出したろうが。
目の前の酷い光景に反して、立会人ふたり揃って緊張感に欠けるやり取り。
いま女子生徒の目の前にいるのはこの学園のトップ集団。晶星がひとり、北野誠一郎。
天使のような心と悪魔じみた凶貌。そして何より、頑強なる鋼の肉体を持った青年なのだ。
「とりあえず、北野があの猿みたいな叫び声上げないことだけ祈っとくか」
「……たぶん、大丈夫でしょ。女の子相手にそういうはないと思う」
「その代わり泣くんだよなぁ、アイツ」
そこから結局、彼女の攻撃を誠一郎はすべて受けなお立ち上がり。
事態が収束するまでには5分とかからなかった。
誤解が解けたか解けてないのか、そもそも誰が何を誤解してこんなことになったのか。
そんなことは拳を交えた(というにはやや一方的だが)本人たちにしかわからず、本人たちもきちんと通じ合えているのかもわからず。
これも1年の付き合いでよく見るパターン。
立会人として遠巻きに眺めていただけの咲太には、なおさら知りえることはなかった。
北野君がどうやってポニテ少女と和解(?)したは原作「エンジェル伝説」を読もう!
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望星(フォロワー) ※本編第62幕アフターSS
ノーレッジ魔法学園保有の専用会場。
1人の英雄と7人の俊英が、青空の下模擬戦を繰り広げたのも数時間前の話。
戦闘によって荒れに荒れたフィールドも、土魔法が得意な学生たちが中心となり、教師の指揮の下綺麗に元に戻ってしまっている。
北野誠一郎はその綺麗に均された石畳の上に、佇んでいた。
少し東入場口側に寄った地点。そこは模擬戦の開始時に誠一郎が立っていた場所だった。
すでに熱戦の熱を失い、生まれ変わった石畳は何事もなかったかのようにそ知らぬ顔で整列している。
時折西門側から吹き抜けるそよ風が、誠一郎の体を通り抜けていく。
わずかな向かい風は、晶星7人を相手取ってなおも飲み込まんとする英雄、その小さな体から迸るひり付くような威圧を思い起こす。
それだけが、後片付けも終わって気の抜けた会場に残った闘いの残滓だった。
大きく息を吸って、吐き出す。
風の流れに合わせて、ひとつ、ふたつ、みっつ……。
「……痛いっ!?」
そうして浸っていた誠一郎の背中に、軽い衝撃が走った。
コロカラと、石畳を何かが叩く音が響いて。
慌てて振り向いた先にあった襲撃の凶器は、口をこちら側に向けて寝ころんでいた。
「なーに黄昏てんだ」
感情のこもらない声。その元を辿ると、見知った男子生徒の姿。
「あ、梓川くん」
誠一郎の意識を引き戻した梓川咲太は左足を上げた姿勢で立っていた。
その足先にあるはずの靴はなく、地面に足をつけることを嫌って、ヒョコヒョコと片足で跳び進みながら誠一郎に近づいていく。
それでも戦場に上るための階段は思った以上に段幅が広かったようで、結局そこからは諦めて左足も地につけ、上ることになった。
そうして誠一郎を遠距離から撃ち抜いた靴を何事もなかったかのように改めて履く。
そこから一言。
「僕が暗殺者だったら今頃命はなかったぞ、晶星7位 北野誠一郎」
「えぇ……」
不格好な不意打ちから一連の立て直しを眺めた末に飛び出てきたのは、あんまりなセリフで。
ふてぶてしい一連の流れがいつもの友人と変わらなくて、誠一郎はなんだか無性におかしくなった。
緊張感のかけらも感じない、いつも通りでいてくれることになんだか救われた気分だった。
「……こっからだと客席すご」
戦場に立って、思わず零したかのような咲太の感想。
360度ぐるり囲むような雛壇状の観客席は、声援が上がれば空気が揺れんばかりに降り注ぐ。
別に返答を期待したつぶやきではなかったのだろうが、実際に体験した誠一郎は同意を一つ返した。
そこからはお互いに前だけを見て、先ほどまでと同じように風を感じるだけ。
どうしてここに? と咲太に尋ねることもしなかった。
逆に聞き返されても困ってしまうから。
戦いを終えた誠一郎の足が再びこの場所に向かったのに、明確な理由はなかった。
強いて言えば、先ほどの咲太のいうように黄昏たかったからなのだろう。
自分の中に未だわだかまる熱をゆっくりと冷ます場所を求めたから。
それを咲太も理解してくれているのかいないのか。
沈黙はふたり分の息遣いだけ伴って、護られている。
「ま、とりあえずおつかれ」
「……うん」
そこからその場から再び動くまで、ふたりの間で交わされた言葉はこれだけだった。
* * *
「ど、どうだったかな? 模擬戦」
突っ立っているのにも疲れて先に音を上げた咲太が、フィールド端の石畳に腰を下ろすと、そんな問いが降り注いだ。
模擬戦が行われてから日も跨いでいない以上、友人の質問は当然の流れなのだが、どう答えたものかと咲太は一瞬言葉に詰まってしまった。
問われて初めてあまりあの模擬戦に関して、自分の言うようなものがないことに気づいたのだ。
自分が思っている程度のことなら誠一郎も気づいているのだろう。
少し考え、とりあえず素直な感想を口にする。
「ボッコボコだったな。7人がかりで」
「うぅ……。やっぱりそうだよね……。そうだったよね」
7対1で何とか辛勝。
それも打倒したわけではない。相手の手足を縛るように目一杯こちらに有利な設定の勝敗条件に基づいた判定勝ち。
その結果までに晶星はほぼすべての手札を使い切り、文字通り死力を出し尽くし、半数以上の脱落者を出した。
剣を掲げ、高らかに“敗北”を宣言をしたのは英雄だった。
この状況を整理すれば、真っ先に出てくる感想はそんなものになる。勝ち負け以上の衝撃なのだ。
改めて他人からその事実を突きつけられた誠一郎は膝から崩れ落ちてしまったが。
「安心しろ。僕があの場に居たら、10秒で失格になってる」
「梓川くんもどっちかというと後衛だよね?」
「あんなの相手してられないから、速攻場外まで逃げ出すわ」
相対した英雄は圧倒的不利な制限下の中、晶星の中でも武闘派だという2人の攻撃を同時に受け止め、魔法を斬り捨ててとやりたい放題だった。
傍目に見ても、今まで教師たちに教わっていた常識が全く通じていない。
これは生きた災害と何が違うのか。
「英傑って一流の大道芸人でもあるんだな」
“高度に洗練された戦闘技術は、過剰演出な演劇と見分けがつかない”
そんな言葉があることを思い出した。
「ついでに大した役者でもあるようだし」
「……やっぱり、あの勝ちも譲ってもらったのかな?」
「さぁ? 少なくとも勝ちは勝ちだろ?」
そうは言ってはみたが、あの小さな英雄が手段を選ばなければ、完勝する手段などいくらでもあったように思える。
戦いの後に自らの足で堂々と戦場を後にした敗者は、それだけの余力を残していた。
つまるところ、あれは晶星への講義だったのだろう。
圧倒的な力、魔法。その中に忍ばせられた解れ目。
それすら精巧に仕組まれた“龍の謎掛け(リドル)”。
英雄スグリにとってあの場は徹底的に正しく“模擬戦闘”の場だったともいえる。
勝ち負けは二の次。自らの課した試練を紐解かれるのを期待する。
その推測から見えてくる途方もない、思考を放棄したくなるほどの実力差。
同じ考えに思い至った誠一郎のデフォルト3割増しで厳めしい顔つきを見て、咲太は考えるのを止めた。
こんなことで野郎ふたりで難しい顔をしていたってしょうがないのだ。
「言っとくけど、あの英傑がやってることなんてこっちは全然わからんぞ。
魔法ぶった斬って、バカでかい砂の爪作って、わけわからん速度で闘って。
気づいたら決着がついていた。それだけだ」
あの試合の感想戦を求められたなら、いち一般生徒としての回答はそれ以外になかった。
なにかその技術の理合について龍の口から講釈があったが、そんなものはほとんどの人間が理解できなかっただろう。
咲太だって未知の言語を聞いている気分だった。言葉の意味が理解できても実感が伴わない。
シロアリが高名な魔法書のページを貪ったって、なに一つ身につくものなどないような話。
ただ付近にいた教師陣すら大口開けて目を見開いていたことから、これが超常的でついでに頂上的な現象であることがわかっただけだ。
結局のところ、咲太たちオーディエンスは見世物のように騒いでいただけなのだ。
英雄と晶星。やきうでいえばプロプレイヤーと地元の草やきうチームの闘いを楽しんでいるようなものだろう。
英雄の神業に驚き、晶星の善戦を称える。あれはそこで完結することが許されたものだった。
大多数には理解や、模倣の届かない領域を安全圏から楽しむエンターテイメントだった。
そんな空気が席巻していた。それでよかったのだと思う。
それを望んだのは、他ならないあの英雄なのだろう。
「外から見てる人間がアレコレ言ったってどうにもならないだろ。
お前こそどうだったんだよ。英雄と手合わせした感想」
「どう、だったんだろう……」
答えに窮し戸惑う誠一郎に、咲太は結論を急がなかった。
暇つぶしに誠一郎を襲撃したときのように靴を飛ばし、空気に風の魔力を乗せる。
巻きあがるように飛んだ靴をキャッチしようとして、目測を見誤った。
頭上に落下した靴は運悪く先端から降ってきて、咲太の脳天を蹴り飛ばす。
先ほど誠一郎の背中にぶつけたことを根に持っているのだろうか。
転がった先で口を開け寝そべる靴を睨んでも、答えは返ってこない。
そんな虚しいひとり遊びをしていると、ようやく誠一郎が口を開いた。
「僕はただ、必死で……」
「それは傍から見てもわかった」
「スグリさんはホントにすごかったんだ」
「それも客席からはよくわかった」
「会長も、四宮さんも、クリープランド先輩も、みんな全然太刀打ちできなくて、それでも協力して何とか魔法使わせて」
「北野も大健闘してたな」
「そう、僕も戦った」
戦ったんだ……。スグリさんと。
そう反芻するように口の中で呟く。
両手を握りしめ、籠らせた指先の力の意味を問うように。
今になって実感が追い付いてきたようなそんな調子だった。
「(北野はいつも必死に戦っている)」
戦闘力、中でも瞬発力や反射神経だけでいえば、およそ他の追随を許さない天性の才覚を持ちながら、戦うときにはいつでも余裕などなかった。
今日の模擬戦でもそうだった。
7人の中で最初から最後まで一番死にそうな面構えをしていたのは誠一郎だろう。
強張った顔が引きつり、身体を緊張で張り詰めさせて。
いつだって背水の陣。いつだって全力。
なぜそこまでいつも追い詰められているのか?
守らなければいけないから。
傷つけたくないから。
傷つきたくないから。
誠一郎は戦闘に際していつでも耳当たりの良い理由をこしらえている。
そうすることで生まれ持った圧倒的な暴力に許しを請うように。その意味をあるべき落としどころに落ち着かせるために。
奔放な感情のまま暴力に身をゆだねることは粗暴なことだ。
無軌道なまま暴力に身をゆだねることは下品なことだ。
それはいけないことだ。許されないことだ。
闘う以前に、誠一郎は戦っているのだ。
自分の“暴力”といつでも戦っている。
その自らに課した戒めを、今日解き放った場面がある。
模擬戦の終盤戦。龍の課した3つ目のリドル。
大勢の観客が“誠一郎が英雄スグリの攻撃を巧みに躱した”ことに湧き上がる中、咲太が思わず身を乗り出し瞠目したのはその直後。
誠一郎が攻勢に打って出たときだ。
普段の誠一郎からは考えられない行動だった。
対峙しているの英雄が卓越した実力を持つとか、圧倒的な実力差のある存在であるとか、そういう理屈の話じゃない。
見かけわずかな力で折れてしまいそうな、華奢で小さな体躯の女性。
それは誠一郎にとって守るべき対象だ。“そうあるべき”だと彼の中で断じた誓約。
北野誠一郎が北野誠一郎であるために、守るべき主義。
それを破ったあのときの誠一郎は――。
「楽しかったか?」
弾かれたように、誠一郎が顔を上げた。
咲太の言葉は誠一郎が喉の奥まで出かかって、それでも出すことをためらっていた感情だった。
己の身に宿った才、知らず蓄積させたその実力を振るうその充実。
遠く離れた客席からでも見えた、瞳に宿る闘志と熱意。
いつも戦いにおいてすら自分の“暴力”だけを見つめていた誠一郎が、“闘う相手”を見据えていた。
それは咲太が知りうる中で初めてのことだった。
「スグリさんが、言ってくれたんだ。『私は大丈夫だ』って」
「そりゃあそうだろ。なんたって英傑なんだし」
「『もう守ってくれる人がいるから』。だから僕が守る必要はないって」
「……」
「あれは、誰だったんだろう……。
目の前にいるのは小さな女の人なのに、もっと別の誰かにそう言われた気がして」
夢見心地のような口ぶりで呟く誠一郎は、その明確な答えを求めている様子はなかった。
「僕はあのとき気遣ってもらったんだ。
僕が闘えるように。心から、スグリさんと向き合えるように。
だったら、それに応えることがあのときの精いっぱいの誠意な気がしたんだ」
「気遣い……か」
闘いの場において相手が“気遣ってくれた”。
ひどく誠一郎らしい言葉選びだと、咲太は思った。
手を抜いただの、見くびっているだの、もっと悪しざまに表現する言葉なんていくらでもある。
英雄はあの模擬戦において、誠一郎のそういう心根も理解して彼の“暴力”の落としどころを用意したということだ。
「スグリ先生、ね……」
なるほど、これは確かに英雄だ。文句なしに英雄だ。
「梓川くん」
「ん?」
「僕は、たぶん。あのとき楽しかったんだと思う。
スグリさんと闘うこと。自分ができることが、広がっていく気がして。
……これから僕に何ができるかなんてわからないし、もしかしたら今ままのほうが良かったと思うかもしれない。
えっと、そもそも今の段階でも、みんなの役に立っているのか自分じゃわからないし」
今まで重たかった誠一郎の口が、急に饒舌になる。
気持ちの整理もつかないまま言葉にしようとせっついているようだった。
言葉を募らせるほどに、興奮していっている。
心のどこかで何かが吹っ切れった感じ。
出てくる言葉の情報の順序もめちゃくちゃで、本人も半分何を言っているかわからないだろう。
それでも咲太は言葉を挟まず黙って聞いていた。
「それでも! 今よりももっと、いろいろなことを身につけて、もっとみんなの役に立ちたい!」
強面をさらに強張らせ、威圧を振りまき、高らかに宣言する。
空へ突き抜けた声は、遠くで木に留まっていた鳥を驚かせてしまったのだろう。
バサバサと太陽へ逃げる影が見えた。
これは決意表明。眠たいいくつもの快勝よりも、多くを残し遺されたただひとつの辛勝に誓う狼煙。
なのだが。
「……それ、北野のいつもの基本方針だろ」
「…………え?」
言葉にした形だけを拾うと、それはどこまでも咲太の知ってるただの北野誠一郎だった。
利他的思考の善意の塊。自分のためにという思考は欠落しているが、他人のためにだったら泥を嚙むことを厭わない“気遣い屋”。
「あっ、えっと、そういうことじゃなくてね!」
「わかってるわかってる」
興奮冷めやらない誠一郎を押しとどめ、咲太も立ち上がる。
先ほどの茶化しも、あくまで“言葉面”だけを拾い上げればの話だ。
咲太にだってわかっている。変化は始まっている。
それはきっと誠一郎に限った話ではないだろう。
あの模擬戦は、そう確信させるには十分な代物だった。
龍は星の雛鳥たちの卵を強引につつき、孵してしまった。
「ま、いいんじゃないか」
だから咲太はそう誠一郎の背を叩く。そういうほかなかった。
そこから先の、“これから”を語りえるのは、きっとあのときこの石畳の上にいた8人だけ。
外野は無責任に期待をするだけ。
「僕としては、スグリ先生へリベンジするぐらいの成長を期待してるよ」
「……きっと遠い道のりだなぁ」
「そりゃそうだろ、なんたって龍殺しだし」
お伽噺でしか聞いたことのなかった事象。
その伝聞に裏打ちされた実力と、あらゆる意味を内包した強さ。
それでも無邪気にその高見を見据え笑えることこそが、あの戦いで誠一郎が獲得したものなら。
きっとこれからも悪いようにはならないんじゃないだろうかなんて、考える。
「見ててね、梓川くん。僕、頑張るよ」
友人の素朴で確かな決意を受けて、咲太は笑む。
見ててと言われたのだから、相応に見守るしかないだろう。
英雄でも、晶星でも、教師でも、一般生徒でも。
空に輝く星を楽しむ権利は、誰にだって保障されているはずだ。
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