夏目漱石「吾輩はウマである」 (四十九院暁美)
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東京優駿:彼岸過迄


初めに、このお話は坊っちゃんのように快活な主人公が、爽快に活躍する作品ではございません。
つまりはこゝろのように、息苦しさのある作風であるとご理解ください。


 親譲りの無鉄砲で小さな頃から損ばかりしている。

 小学校にいる時分、近所の牧場にある干草ロールの上から飛び降りて、白毛の友人の腰を抜かせたことがある。

 何故そんな無闇をしたのかと訊く人もいるかも知れぬが、別段なんてことはない。病弱で気弱な白毛の友人がそんなところに登ったら怪我をするよ、早く降りておいで。と言ったからである。

 白毛の友人を背負って帰った時、父が干草ロールから飛び降りる奴があるかと言ったので、この次は綺麗に飛んでみせますと答えた。

 

 風邪をひいて学校を休んだ白毛の友人の見舞いに行くと、絵本があれば暇しないのにと言った。

 ならば私がどんな絵本でも買ってきてやろうと受け負った。

 それなら青い薔薇のお話が欲しいと注文したから、なんだそれくらい任せておけと小遣いを握りしめて一人で山奥くんだり都会に降りて行った。

 幸い何事もなく絵本は手に入れたが急にいなくなったことで近所を巻き込んで大騒ぎになり、ひょっこりと帰ってきた頃にはどこをほっつき歩いていたんだと両親には叱られ、白毛の友人にはもう会えないかと思ったとおいおい泣かれてしまったから大変である。

 

 外いたずらは大分やった。白毛の友人と同じくウマ娘のスペシャルウィークを連れて、茂索の人参畠をダートに見立ててかけっこなどしたことがある。

 色の良い人参がそこかしこに埋まっていたから全部引っこ抜いて、白毛の友人が制止するのも聞かずにスペと2人で半日かけっこを続けたら畠が泥山になってしまった。

 引っこ抜いてしまった人参はもったいないので、いくらか持って帰り母に差し出した。夕飯に出てきた蒸し人参は美味であった。

 夜になると顔を真っ赤にした茂索が家に怒鳴り込んできた。人参はどこへやったと言うからここにありますと腹を指さしたらおやじにきついゲンコツをもらった。

 しかし自分より大量の人参を取っていったスペは、母に叱られるだけで済んだと言うから解せぬ。後日白毛の友人にそのことを話すと、だからやめようって言ったのにと半ば呆れた顔をされた。

 

 高学年に上がると白毛の友人の病弱が悪化して、入院するために学校を休むようになった。

 すると気味悪い白子がいなくなって清々したと宣うばかな輩が現れたので、そいつを肥溜めに投げ入れて糞と結婚するのがお似合いであると笑ってやった。

 相手の親は大そう怒って、私を見るなりこいつはろくな子供ではないと罵ってきた。乱暴で乱暴で行先も真っ暗な不細工だと言う。前もって何も言うなと教師から言われていたので我慢していたが、白毛の友人にまで罵詈雑言が及ぶと、つい口惜しくなってそいつの横っ面を張ってしまった。

 その日はいつも以上の激しさで大変叱られたが、白毛の友人は笑顔で礼を言ってくれたのでむしろ誇らしくあった。

 

 中学になると、私はウマ娘の本能ゆえかとにかく走りたいと思うようになった。

 だがどうにもこの地のトレセン学園のやり方が気に食わぬ。地方トレセン学園などと名乗ってはいるのだが、どうにもこの学園には本気で走ろうという気概が見えぬ。

 地方トレセン学園とは名ばかりで、多少は体育が多いだけで実際はそこらの学校となんら変わらぬばかりで退屈である。

 白毛の友人は病気に罹りこの学校へすら通えぬからと義理を通すために通っていたが、こと意識の低さにはほとほと疲弊するばかりで我慢もならぬ。

 中央の規模とは比べるべくも無いが、しかしトレセン学園の看板を掲げているのならば真面目に走るべきではと教師に聞けば、真面目に走ったところで中央には敵わぬからこれで良いのだと言う。シンボリルドルフを筆頭として実力者が多数、中等部にすら模擬戦無敗と名高いテイエムオペラオーがいるのだからやってられぬとのたまうのだ。

 その物言いに腹が立ったので、給料を貰うだけの楽な仕事をしている奴が何を喋るかと怒鳴って、そいつの机を煎餅めいてペシャンコにしてやった。

 教師はたいそう怒ってお前のようなドロップアウトは中央に行けないと言うから、同じ考えを持っていたスペと一緒に地方は教師の質が悪く満足に走ることも叶わぬので、中央に転入したいという旨の手紙を送った。

 

 白毛の友人が病気で死ぬ二、三月前、中央トレセン学園から転入の案内が入った返報が来た。友人が大そう喜んで、きっとダービーを走って欲しいと言うから、それならば有馬も走るべきだろうなどと私は言って、互いに夢の話で盛り上がった。

 転入試験も危なげなく通り、学校に話を通してスペと共に禿げ上がった教師どもを相手に勝ち誇っていた時分、とうとう白毛の友人が危篤になったという報せが来た。そう早く悪化するとは思っていなかった。

 よもやと慌てて病室に駆け込めばすでに虫の息である。手を握って大丈夫かと声をかければ、日本一のウマ娘になってと掠れ声で言うので、絶対になってやると大声で聴かせてやった。

 すると白毛の友人は満足げに笑って、すぐあとには遥かな大空へと旅立って行ったのでスペと二人でわんわん泣いた。この創痕は死ぬまで消えぬ。

 

 白毛の友人が死んでから、決意を込めて髪のひと房を白に染めた。すると学校はすぐさま目の敵にして、校則違反だなんだと積年の恨みを晴らすかの如くねちねちと注意してくる。

 これにはスペもいささか以上に腹が立ったようで、自身を指差して同じような髪をした私はどうなのかと言うと、教師どもが一様に押し黙るのだから気分が悪い。

 仕返しがてら今までお世話になりました。このことは中央に報告しておきますと校長室の扉を蹴り壊して挨拶しに行ったら、それだけはやめてくれと泣きつかれたのがつい先日のことである。

 




簡易人物紹介。見なくとも良い。

主人公
頭が良いクソガキ。思ったことをすぐ口に出すタイプのバカ。悪童。乱暴者。
幼少期から本能のままに暴れ回るやばい奴だったが、白毛の友人の死を受けて理性に目覚めた。しかしクソガキ成分は変わらず濃いまま。
脚質は追い込み。スタミナとパワーに優れているが瞬発力はスペに劣るので、中盤からゆっくりとペースを上げる走りをする。重バ場が得意。

スペ
本来は同い年すら身近にいなかったが、ここでは幼少期からずっと一緒に主人公らがいるので、ちょっとだけ幸せな幼少期を過ごした。地方トレセン学園にも入るなど、かなり環境が変化してスペ自身もいろいろ強化されている。
その代わりに幼馴染との死別という業が新たに増えてしまった。
クソガキに染まらなかったのはお母ちゃんのおかげ。ありがとうお母ちゃん。

白毛の友人
ウマ娘であり故人。主人公が中央で頑張る理由はこれとの約束を果たすため。
病弱で走ることもできない体なのに、クソガキに無理やりあちこち連れ回された。かわいそう。
メタ的にいえば、主人公の肉付けするためだけのキャラ。

 吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
 本編に大幅な加筆修正に加え、新規エピソードが追加されていたり、各主要キャラの設定を見直したりと、いろいろな部分に手を加えています。
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 スペと共に飛行機に乗り無事に本土へ降り立ったは良いが、中央トレセン学園にはどこをどう行けば良いのかわからぬときた。構内の路線図は蜘蛛の巣のように複雑としていて、二人でああでもないこうでもないと確認してもやはりわからぬから困ったものである。

 しようがないので近くの駅員に教えを乞うて切符を買い、いかにも安物のマッチ箱のような煙を吐かない汽車に乗り込んだ。

 

 三十分ほどごろごろと汽車に揺られている間、スペが子供のようにはしゃぐものだから恥ずかしくなった。

 トレセン学園最寄りの駅に降りると、スペが東京のレースが見たいというので予定を変更して東京レース場に立ち寄ることにした。

 駅を出る際にスペがやたら改札に引っかかる醜態を晒したものだから、車内に引き続きやはり恥ずかしくなった。

 

 いざと踏み入った東京のレース場であるが、やはり故郷のそれとは規模が段違いである。

 おおよそ数万を収容できるであろう観客席には雲霞の如くと人で埋め尽くされており、ターフを走るウマ娘の鬼気迫る様子は地方と比べるのすら烏滸がましい。

 やはり走ることへの気概が違う。ここに来て正解であった。今の私たちでは足元にすら及ばぬ現実に、我知らず武者震いをした。

 

 不意にスペが歓声を上げて、先頭のウマ娘を差してあの人のようになりたいと言った。なるほどたしかにあの逃げっぷりには感心する。憧れを抱くのも頷けるほどだ。

 だがスペの体力であの逃げをしては途中でスタミナが尽きるだろう。それを指摘すると、ならばせめて同じチームに入りたいと言うから好き勝手にすると良いと返した。

 

 レースも見終わったので、さて学園に行くかと口を開いたのも束の間、スペが突然ぎゃあと頓狂な悲鳴を上げた。

 すわ何事かと見れば何とも恐ろしいことに、壮年の男が何やら真面目腐った表情でスペの足を撫でている。

 我が親友に白昼堂々痴漢とは恐れ入った。度胸に免じて腕一本で許してやる。と手を捻り上げてやればそいつは、良い脚をしていたからつい。と言う。都会の変質者とは随分と素直なのだな。と心中で感心した。

 しかし私の脚を一眼見て、引き締まっていながら弾力を失っていない良い脚だ。走り方はきっと追い込みだろう。と言い当ててきたから魂消て手を離してしまった。

 この人ただの変質者じゃなさそうだよ。と眼をまん丸にしてスペが言う。私もこいつにいささか興味が湧いたから、自分がどう言う輩か言い訳してみろと凄んでみせた。

 するとこいつは慌てて中央トレセン学園でトレーナーをしていると言い、懐からよれた名刺を出した。受け取った名刺には確かに中央トレセン学園所属トレーナーと書かれており、その下には沖野という名前が連なっている。

 なるほど道理で観察眼に優れているわけだと納得したが、しかしそれはそれとしてだからと公衆の面前で乙女の脚を触るのはどうかと指摘してやれば、ごもっともである。と真摯に反省の意を示したから、スペと話して警察に突き出す代わりに丁度良いので中央トレセン学園まで案内してもらおうということになった。

 それくらいならお安い御用だ。と沖野が言うので、精々他のウマ娘に見惚れるなよと釘を刺してやると押し黙るから幸先が思いやられる。

 

 幾つかの問題に出くわしつつもいよいよトレセン学園へ来たら、西洋屋敷を思わせる大きな門がまずあって、そこからずっと小綺麗な石畳の道が続いているから魂消た。

 遠目に見える巨大な校舎は、斜陽を受けて茜色に輝いているようにも見えて、都会の学校というのは外見からしてこんなにも洒落ているのかとスペと二人して立ち尽くしてしまった。

 何とも言えずに呆けていると、それじゃあ頑張れよ転入生と言い残して行った沖野と入れ替わりで、全身を真緑の服で着飾った奇妙な女が声をかけてきた。

 この真緑の女は駿川たづなと名乗った。理事長秘書であるらしい。しかし奇妙な服である。その服装は都会の流行りかと訊くと苦い笑いと共に、制服です。と返されたから、都会の学校の制服はいささか以上に悪趣味ではないかとこちらへ来たことをわずかに後悔した。

 それが自分の思い違いであると知ったのはすぐのことである。

 

 たづなの先導に従い校内を歩いていると、途中から青っぽい制服を着た生徒たちとたくさんすれ違ったが、皆物珍しげな視線をこちらに向けてくる。中には私よりも大きな奴がいたから、この人たちと競い合うのかと思ったらなんだか怖い。とスペがすっかり萎縮していた。

 何を怖がることがあるか。これからはここに身を置くのだから、気持ちで負けていてはあのウマ娘のようにはなれぬぞと励ましてやると、少しばかり元気を取り戻したようであった。

 

 たづなはまず最初に理事長室へと私たちを通した。驚いたことにこの理事長というのが子供ほどの背丈しかなく、しかも頭に猫を乗せた奇妙な女である。やけに快活な笑みを浮かべていた。

 歓迎! 君たちのような気概ある生徒は実に好ましい、この学園の生徒にも良い刺激になるだろう! と無闇に大声を張り、大きな校章の印の捺さった書類と、数字が書かれた板がぶら下がった寮部屋の鍵を渡した。

 それから子供理事長から2、3言ほど激励の言葉を貰ったあと理事長室を出ると、たづなは今から生徒会室に案内しますけれど、良い人ばかりなので緊張せずに挨拶をしてくださいねと聞かした。

 スペが言われるまでもなく緊張した様子であったので、尻尾の付け根をくすぐるなどして緊張をほぐしてやると、手刀を脳天に貰った。

 

 たづなに案内されて生徒会室へ入ると、白い三日月が浮かんでいるのが見えた。

 生徒会長であり皇帝とも名高いシンボリルドルフ殿は凛として、まずは遠路遥々ようこそ。と挨拶する。続けて左右に控えていた二人も同様に挨拶してきたからご丁寧にどうもと返すと、スペも言葉のような何かを発した。せっかく解いてやった緊張がぶり返したらしい。

 スペのいかにも初々しい様子に微笑んだ会長殿は、追々ゆるりと話すつもりだが、まずはだいたいのことを呑み込んでおいてもらおうと言って、それからこの中央トレセン学園について長いお談義を聞かした。

 

 私もスペも最初は真面目腐って聞いていたのだが、途中からいい加減になってしまった。

 

 なにせ話の最中に会長が無闇に同じ言葉を繰り返すものだから、もしかしてそいつは洒落ですか。と言えば会長はいかにもと手を上げて大いに喜ぶのだ。

 よもや天下に名高い皇帝が下手くそな駄洒落を好むとは思わず、ついレースの強さと洒落の上手さは比例しないのですね。と言ってしまったから、会長の耳が露骨に垂れ下がったのを見たスペに、失礼なことを言うなとゲンコツを食らった。

 左右の二人はそっぽを向いて笑いを堪え、たづなは曖昧な苦笑を浮かべるばかりである。

 

 そう、こうするうちに鐘が鳴った。学校中が急にがやがやする。もう夕食を食べる時間だから食堂に行ってきなさいと仰るから、挨拶もほどほどに生徒会室を出て、たづなに尾いて食堂へはいった。

 

 転入生というのはどこでも物珍しいからちやほやされると思っていたのだが、誰も声をかけてこない。

 大かたたづながいるから恐れ入って声をかけにくいのだろうと考えていたら、すぐ隣ではスペがいつも以上に白飯を攫っていたから閉口した。なるほど道理で話しかけてこない筈である。

 そいつはさすがに取りすぎだろうと指摘すると、何を勘違いしたのか、あげません! と怒るのだから付き合ってられぬ。

 

 誘いを固辞するたづなを無理矢理席に着かせ、三人で飯をかっ食らっていると、きみたちが噂の転入生だね。と話しかける者がある。見れば地方でも無敗の帝王と噂に名高いテイエムオペラオーがいた。

 そう言う君はテイエムオペラオー。と応じれば、そう! ボクこそテイエムオペラオー! と仰山に気障な態度で自己紹介してくるから魂消た。だが話してみれば言葉の端々にこちらの気遣いが見えるから、中々どうして見かけによらぬ。

 

 次に話しかけてきたのはゴールドシップと名乗るウマ娘だったが、こいつはこいつで終始訳の分からぬことを言う者だからやはり魂消た。

 別れ際に、ゴルシちゃんからの餞別だぜ⭐︎と割り箸で作ったゴム鉄砲を渡されたが、今更こんなもので遊ぶ歳でもないので無用の長物である。

 しかし友好の印とあっては捨てる訳にもいかぬので、よろしくしておいてくれとたづなに預けておいた。スペがどうしたら良いのか分からず、箸とゴム鉄砲を交互に見ていたのでそいつもぶん取ってたづなに預けてやった。

 

 続けて話しかけてきたのはマチカネフクキタルというウマ娘なのだが、こいつもまた濃い奴であった。

 何やら矢継ぎ早に質問を重ねてきたかと思えば、占いがどうだのと言って潰れた蛙のような声を上げるのだ。

 何をそんなに騒ぐことがあるかと聞けば、貴女は今日見た中でも一番幸運な方なのです! とのたまうからこれは中々に気分が良い。

 ならば幸運を分けてやろうと言って調子良く唐揚げをひとつ口に放り込んでやると、ハッピークッキーもんじゃ焼きー! と両手をあげて喜ぶからまったく痛快だ。

 

 しかし沖野と言い、理事長と言い、生徒会長と言い、どうにも中央に来てから会うのは濃い奴ばかりである。

 ここではこれくらいキャラが濃くないと生き残れぬのかとたづなに訊いたが、ゴム鉄砲を片手に何とも言えぬ苦い笑いを浮かべるばかりで答えぬから、おそらく当たりだったのだろう。

 

 腹も膨れたのでさっさと食堂を出ると、たづなが次は寮へ案内しますねと言うから尾いて行く。

 

 寮のある区域に通されると、まず最初に美浦寮母のヒシアマゾンが挨拶をしてきた。このヒシアマゾンというのは気さくな奴で、よくよく私たちを気にかけてくれたので私もスペもすぐに懐いた。

 開口一番タイマンは好きかと聞かれたので精神的に向上心のないものはばかだと答えてやると、何故だかきょとんとした顔をされたが些細なことであろう。

 

 次に会ったのは栗東寮母のフジキセキだったが、こちらは人を揶揄う癖があるのか気障な態度で、やあ君たちが転入生のポニーちゃんだね、会えて嬉しいよ。などと甘言めいて仰るから、何ともまた濃い奴が来たものだと思った。

 握手に右手を差し出すと手の甲に口付けをされたから魂消た。スペも顔を真っ赤にして魂消ていた。どうにもこの寮母は一筋縄では行かなそうである。こいつに見つかるような悪戯だけはやめておこうと心中で決めておいた。

 

 寮母の紹介も終わったところで、いよいよ廊下でスペと別れて自分に当てがわれた部屋にはいる。

 

 寝台と勉強机が二つと簡易キッチンがあるだけの狭いとも広いとも言えぬ部屋だったが、プリンの空き箱やら割り箸やらが床に転がっており、机にはばかにでかい招き猫の置物が置かれているなど、中は所狭しとゴミが散乱していたからはいるなり途端にげんなりした。

 私も人のことを言える立場にはないが、この部屋の主はよほど片付けができぬようで何とも出鼻を挫かれた気分であった。

 

 しようがないのでフジキセキに言いつけて荷解きの前にゴミを片付けることにしたのだが、そこに待ったをかけたのが先に食堂で話しかけてきたマチカネフクキタルである。

 部屋の主らしいこいつは帰ってくるなり、それを捨てるなんてとんでもない! どれもこれも私に福を呼び込んでくれた大切な思い出の品なんです! と涙ながらに訴える。私からしてみればゴミ山にしか見えぬと言ってビニル袋に粗方ぶち込んで二度と解けぬように口を堅く縛ると、ついには幸運が逃げて行くだの福が去って行くだの嘆いてはよよよと泣くから付き合ってられぬ。

 こんなご利益があるかも分からぬゴミ山よりも幸運な私がいるのだからそれで良いだろうと叱りつけてやれば、なるほど、それもそうですね! とけろりとするから拍子抜けだ。こいつは存外中身は大物と見えた。

 

 思いの外、時間を食ってしまった。

 フクキタルに手伝ってもらいながら荷解きを終えるとフジキセキが、今日はいろいろあって疲れただろう、寝台は私とフクキタルで整えておくから風呂に入っておいで。と風呂道具一式を渡してきたのでこいつはありがたいと好意に甘えることにした。

 誰もおらぬだだっ広い風呂にざぶりと飛び込むと、我知らずに惚けた声が出る。湯はいささか熱かったが疲れた体にはこれくらい熱い方が良い。まったくいい気持ちだ。

 

 頭に手拭いを乗せて上機嫌にいると、いつの間に来たのか牛のような女が湯船に水を足している。やい、風呂はこれくらいが丁度良いのだぞ。と言うと、この牛女はひぃんと情けない悲鳴を上げてすみませんすみませんとしきりに謝ってくるから、こちらが悪者になったように思えて堪らぬ。

 いや、こちらこそ済まなかった。と水を足してやると何やらじろじろと眺めてきたので、ちょっとした悪戯心でそのばかにでかい胸を目掛けて水を引っ掛けてやれば、またひぃんと鳴くから愉快である。

 

 十分に温くなった湯に牛女を押し込み、お前名前は何と言うのだ。と聞けば牛女はおずおずメイショウドトウです。と名乗ったから、すると君、もしかしてあのメイショウドトウか。と聞けば弱々しい声ではいそうですと言う。

 中央のウマ娘には疎いのだが、名前だけ見たことがあった。あの模擬戦無敗のテイエムオペラオーに唯一食い下がれる実力者である。これは申し訳ないことをした。先の非礼を詫びさせてほしいと頭を下げると、メイショウドトウは気にしていないと首を横に振る。胸と同じくらい懐がでかい奴だと感心すると、胸は関係ないです。と強めに返された。それもそうかと頷いておいた。

 

 メイショウドトウは元来気弱なのか口数が少なく、何かにつけてこちらの態度を伺うような姿勢を見せてくる。二着ばかりで自信を失ったか、しかしそれにしてはいささか過剰であった。

 

 何故そうもおどおどすることがある。お前は実力者なのだから、堂々とすれば宜しい。そう言えば、私はダメダメだからと己を卑下することばかり言う。滅多なことは言うものではないぞと励ましても、そんなことはないですと首を振るばかりで頑なにこちらの言葉を聞き入れぬから、そのうち腹立たしくなってしまった。

 ついには我慢できず、お前は強いと言うのに己を卑下するばかりで失礼な奴だ。そんなんだから実力を出せぬまま圧されて、テイエムオペラオーに勝てぬのだ。と懇々と説教じみた真似をしてしまった。

 

 自分でもらしからぬことをしたと思う。この気弱が白毛の友人と被って、放って置けなかったのやも知れぬ。

 

 説教を受けたメイショウドトウは最初こそ萎縮しきりで怯えていたが、聞いてるうち段々と不思議に顔を歪めていた。

 終いには何故そうまで私を褒めるんですか。と聞くから、ここに来る前に見たレースを引き合いに出して、あれほどの実力者が集う中央で、模擬戦とはいえ二着を取れるお前の実力を疑えぬのだ。と伝えてやった。

 するとメイショウドトウは痛く感激した様子で貴女は良い人です。ちょっとデリカシーが足りないけど。とのたまうので、上機嫌に尻のデカさには自信があると返しておいた。

 メイショウドトウはくすりともしなかった。遺憾である。

 

 風呂から上がって部屋に戻ると、フクキタルが寝台の上でふんにゃかほんにゃかなどと呟きながら水晶玉を覗いている。何をしているのか聞けば、明日の天気を占っているのです! と返されたから魂消て閉口した。

 天気予報を見れば済むことまで占うなど病気である。こいつはきっと占い病に罹っているのだ。くだらないから、すぐ寝た。

 

 ここに来てから魂消てばかりである。思い返せばまったく大変な1日であった、今日だけでこの調子では明日には死んでいるかも知れない。

 うとうとする最中に、ふとそんなことを思った。




 吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
 本編に大幅な加筆修正に加え、新規エピソードが追加されていたり、各主要キャラの設定を見直したりと、いろいろな部分に手を加えています。
 以下のサイトにてDL可能ですので、まずは体験版からどうぞ。

【DLsite】
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【メロンブックス】
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(夏目漱石の文章再現が)全然わからん!


 起き抜け一番、牛乳を飲むのが日課である。しかしここにあるのは豆乳であった。無調整で豆臭く飲めたものではない。

 フクキタルに聞けば、昨日のラッキーアイテムが豆乳だったので! とのたまうからやっていられぬ。朝から裏切られた気持ちだ。

 

 いよいよ授業へ出た。

 初めて教室にはいった時は、何だか大変だった。自己紹介をしながら、スペと別けられた私はここでやっていけるのかと思った。

 生徒はやかましい。図抜けた声でやれどこから来ただとか、やれ地方はどうだとか、とにかく質問をぶつけられて答えるだけでもてんてこ舞いだ。隅にいたメイショウドトウに言外の助けを求めたが無視された。この借りはあとで返させてもらおう。

 私は卑怯なウマ娘ではない。臆病な女でもないが、惜しいことに配慮に欠けている。最初のうちはおかしな答え方をしていないかと、何だか変に畏まってしまった。しかし別段いやな顔をされずに済んだ。

 自分の席に着いたら後ろのテイエムオペラオーが、どうだい。と聞いた。善い奴ばかりだと簡単に返事をしたら、テイエムオペラオーは安心したらしかった。

 

 午前はつつがなく聞き流した。今更座学に苦心するほど頭は弱くない。ただ四限目の終わりがけに先生が、選抜レースに向けて午後は模擬レースをしようと思うから昼食は軽めにしなさい。というので冷汗を流した。

 初日から中央の奴らと走れとは鬼畜の所業ではあるまいか。こちとらコースの確認もしてないのだぞ。と心中で不平を零しながらメイショウドトウと何やら尾いて来たテイエムオペラオーを連れて食堂へ向かった。

 

 席に着くなり、君救難信号を手酷く無視するもんじゃあないぜとメイショウドトウに訴えたら、私はダメダメで助けられない。と萎れて俯いた。するとテイエムオペラオーが横から包囲網を破れるのは己の力だけなのさ。といまいちずれた口を挟む。これを受けたメイショウドトウが包囲網だったんですか? と首を傾げるから聞けば、そうだとも! とやけに自信満々で答えるから、いやその理屈はおかしいと漫才よろしく突っ込まねばならなくなった。

 

 二人の相手をしながら飯をかっ食らっていると、昨日以来にスペが話しかけてきた。ずいぶんと興奮した様子であったから友達でもできたかと聞けば、それもあるけどもっと凄いことになったと満面の笑みで報告してきた。

 聞けば昨日に見たレースで逃げていたあのウマ娘と同室であったそうで、なるほどそいつはとんだ幸運だと一緒に喜んでやった。

 そいつはサイレンススズカという名らしく落ち着きのある物静かな奴だったそうだ。だがあんな大逃げをかます奴がそう真面な筈もあるまい。きっとあいつは今にバ脚をあらわすぞと心中に思った。この予想は当たりであった。

 

 ひとしきり喜んだあとにテイエムオペラオーとメイショウドトウを紹介した。どちらも気の良い友人であると言えば、テイエムオペラオーは得意になって笑い、メイショウドトウは何やら魂消て眼を丸くしている。

 スペも新しい友達ができたと言って背後に控えた友人どもを紹介してきた。それぞれグラスワンダー、エルコンドルパサー、セイウンスカイ、キングヘイロー、そしてハルウララの五人である。

 常々スペには誑しの才があるとは思っていたが、これは中央でも通用する魔性のようだ。

 

 自己紹介も程々にこいつはどうも妹分が世話になったようでと挨拶をしたら、ハルウララが真っ先に話しかけてくる。

 話してみれば底抜けに元気な奴でとにかく気持ちが良いが、頭の方はよろしくないようで言葉の端々に無邪気を感じた。

 試しにジュースを奢ってやろうと言って水を差し出せば躊躇いもなく飲むから、疑うことも知らぬと見えてこいつの前途が心配になったが、あとで聞けばこいつのおかげで後ろの面々と繋がったというから侮れぬ。案外こういう奴は長生きするのだ。

 

 続けて話しかけてきた奴は、エルコンドルパサーと名乗った。訛りのある喋り方をするから帰国子女か留学生なのだろうが、それにしたって妙なマスクを着けたウマ娘だった。

 君そのマスクをいつも着けているのかと聞けば、当たり前のように年中着けているんだそうだ。妙な病気もあった者である。

 当人の説明ではこのマスクは父から受け継いだ大切なものだから着けているそうだが、そんな大切なものを毎日身に着ける必要はなかろう。棚に後生大事にしまっておけばよろしい。

 

 グラスワンダーはいかにも淑女然とした見た目だが、眼がぴくりとも笑っていないのが恐ろしい。

 こいつはきっと鎌倉武士の生まれ変わりに違いないと考えていれば、やはりそうであったのか急に殺気が飛んできたから思わず尻尾が逆立った。そのくせ表立ってはお淑やかに振る舞って、握手まで求めてくるからまったくとんでもない。

 何をそんなに熱り立つことがあるのか聞けば、いえいえ何でもありませんよ。と答える。嘘つきゃあやがった。だが藪を突いて羆を出すのはごめんだ。

 

 キングヘイローはいやに高慢ちきな口調でとやかく言ってきた。大概このような輩は付き合うとむかっ腹が立つものだが、しかし何故かこれからは嫌味を感じぬから奇妙である。

 何とも不思議な奴だと怪訝に話してみれば、どうもこいつは口も態度もでかいが、見栄っ張りなだけで踏ん反り返るのは苦手と見えた。

 お前は高慢ちきを気取ってるが性根はずいぶんと優しいようだなと指摘してやれば、図星だったか顔を真っ赤にして魚めいて口を開閉する。ハルウララも、そうなんだよ! キングちゃんってものすっごく優しんだ〜! と同意するから私の勘も捨てたものではない。

 もう少しこう、何と言いますか。手心と言いますか。と歯切れ悪くグラスワンダーが呟いていたが何のことかはついぞわからなかった。

 

 ここまで濃い奴らばかりだったが最後にきたセイウンスカイは、いかにも要領の良い悪戯娘と言うべき面構えでこの中ではこいつが一番怖い奴だと思った。

 やあやあ君がスペちゃんの幼馴染だね。と至極友好的に来たが、ゆるりとした半眼の奥でこちらを値踏みしている。しかし次に瞬きした時にはすっかり色が変わって昼行燈にしているのだから、まったく油断ならぬ。

 雲ゆえの気まぐれさ。とは当人の談であるが、こいつは雲は雲でも積乱雲であろう。本気になったこれとレースで一緒になりたくないものだ。

 

 挨拶が一通り済んだらずいぶんな大所帯になったので席を移ったが、相も変わらずスペが白飯を山盛りにしている。

 それでは食ってる最中におかずが足りなくなるぞと指摘してやると「違う、そうじゃない」と一同から突っ込まれたからこれが解せぬ。

 それから飯を食いながら、午後に模擬レースがあるからどう走れば良いか教えて欲しい。と皆に乞うていろいろ聞いたのだが、これが実に有意義な話ばかりであった。

 地方ではどいつもこいつも腑抜けばかりで、話を振っても碌な話もできなかったが、それがどうだ。

 逃げは試合を作るため戦略を立てよ。先行は前を気にせず後ろを気にせねば終盤に下がるぞ。差しは見極めねばバ群に埋もれるから注意すべし。追い込みならば機を見て長く末脚を使うと良い。

 何を聞いても響く答えが返ってくる。それがあんまりにも嬉しかったものだから、中央というのはまったく素晴らしい所だと両手を挙げてしまった。そのせいで同情と哀れみの視線を頂いたが、まあこの喜びの前ではさしたる事ではない。

 

 鼻息荒く皆の話を聞いているとグラスワンダーが、どうしてそこまでレースに真剣なんですか。と問いかけてきたから髪の白く染めた所を触って、亡き友と果たさねばならぬ約束があるから、ことレースに限っては真剣なのだ。と答えた。

 聞いて誰ともなく口を噤んだ。スペは白毛の友人を思い出したか、箸を止めて眉尻を下げている。

 何か湿っぽくしてしまったのでこれは申し訳ないことをしたとばつを悪くしていたらテイエムオペラオーが、君のアリアに感動した。とまたわからぬことを言うから何だそれはと首が傾くが、これで場がからりとしたのだからまったく機微に鋭い奴である。私はこいつに一生勝てそうにない。

 

 飯を食い終えて教室に戻ると、十分後に芝二〇〇〇メートルのコースに集合せよと言うので、体操着に着替えてここに居る。

 メイショウドトウとテイエムオペラオーは慣れたものですでに身体を解し終えている。生徒たちも適当に手足を動かして準備をしていたが、私はと言えば初めて踏む中央の芝に感慨深いと呆けていた。

 しばらく経つと教師がゲートと一緒にやって来て、今日の模擬レースはゲート訓練もするからそのつもりで。と言うから大半が悲鳴を上げた。ウマ娘は本能的に閉所を嫌うゆえ、とにかくゲートが苦手である。座学よりよっぽど嫌な授業であろう。私は小学校の頃にいつも仕置きとして狭い物置に閉じ込められたりしたから平気だが、これは何の自慢にもならぬ。

 

 五十音順に十人ずつ走ると言うので、二走目に私の番が来た。

 

 何とも無しにゲートに入り中腰に構えていると、ついにゲートが開いたから周囲に半歩遅れてゆらりと飛び出した。九人がバ群を成して先に行くので、見ていた周りが転入生が出遅れたぞ。と囃す。だがこちらの脚質は追い込み。問題はない。

 逃げを得意とする者がいなかったのか、全体で見ればゆったりとしたまま進み残り一〇〇〇メートル地点になった。半分も来たしここらでよかろう。曲線に入るなりぐんと脚に力を込めて加速すると、外からバ群の横を抜けて先頭集団の尻につけた。驚いた顔を尻目に笑って、大外から横切るのはやはり気持ちが良い。

 そうしてるうちに四〇〇メートル地点である。ここで先頭集団を捉えたからには抜かねば無作法というものだ。溜めていた脚を使って集団を縦に割ると、その勢いのまま一バ身差で抜けて大いに笑ってやった。これがあるから追い込みは止められぬのだ。

 

 集団に戻ると皆が矢継ぎ早に持て囃してきたから得意になる。田舎者だが脚だけは都会者にも負けぬのだと胸を張れば、次走のテイエムオペラオーが、さすがボクが見込んだだけはあるね。と仰るから益々得意になってしまう。中央も存外大したことがない、これならば約束もすぐに果たせるだろうと呑気に考えさえしたものだ。

 ところがそんなことを言っていた当人の走りを見て、この伸びていた鼻はすっかり根元から折れてしまった。

 何と言っても圧倒的である。始めから終わりまで脚運びは隙無く澱み無く、恐れ知らずにバ群を突っ切る末脚の使い方には感動すら覚える。さすが模擬レースにて無敗の肩書きは伊達ではないと言う所か。

 帰ってきたテイエムオペラオーが、ボクの輝きに見惚れたかい。と聞くので素直にお前は凄い奴だと答えたら、そうだろうとも! ボクという存在は太陽に等しいのだからね! と嫌味も謙遜もなく威張るからこいつは嫌いになれぬ。

 次に走ったメイショウドトウもこれまた圧倒的である。何せテイエムオペラオーに食い下がることができるのだがら、その脚は推して知るべしだ。さすがに同級生でも頭ひとつ抜きん出た実力者だ。

 やはり立派な奴である。勝ってきたメイショウドトウにいくつか称賛を伝えたが、相変わらず己を卑下してうじうじとするからまったくこいつは筋金入りである。

 

 しかし友人二人からこうも実力を見せつけられては、こちらも俄然として火が点く。

 大体私があれらに劣っているなどここに来る前からわかっていたことなのだから、気持ちで負けていてはそれこそ一生勝てずに終わるだろう。

 

 精神的に向上心のない者はばかだ。

 

 己の退路を断つために、今はお前らを抜かすことを目標にしてやると宣言すれば、テイエムオペラオーは哄笑でこれに答え、メイショウドトウが私が目標なんてと首を振る。

 並大抵では勝てぬだろう。しかし勝てぬ勝てぬと諦めて努力をしないでは益々勝てぬ。

 一度こうと決めた私は頑固だ、精々後ろには覚悟するが良い。

 




夏目漱石のような文章にできているか心配である。


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ウッ……持病のネタを挟まないと死んじゃう病が……


 はれて放課後である。

 登校初日にしてずいぶんと濃い一日であったから、まったく気疲れして机に突っ伏すなどしていると、テイエムオペラオーが、君この後用事はあるかい。と聞く。

 来て初日に用事なんてあるものか。あったらこうまで無為に過ごしてはいない。首を振って見せれば、間髪入れずにじゃあ一緒に来たまえと言う。なんでもチームリギルの採用試験があるから、是非ともこれに出て欲しいと言うのだ。

 リギルと言えばこいつやシンボリルドルフみたいなのが所属している、この学校で一等強いと噂のチームだ。そんな所の試験を受けたって、今の私じゃあ見向きもされんだろう。

 しかしテイエムオペラオーはそう思っていないらしく「君ならばきっと合格できる。何せボクが見込んだウマ娘なのだから!」と仰るから、皮肉めいて王様は下々を使うのが上手いこってと肩を竦めて見せた。

 だが「ボクを抜くと宣言した君ならば、これくらいはできて当然だろうからね」と返されてしまったから私の負けである。

 まったく口の上手い奴め、受けて立とうではないか。

 そう言うことになったがドトウはどうするか。聞けばすでにチームにはいっていると言うから残念である。

 

 テイエムオペラオーの案内に従ってコースに来てみれば、それはもううじゃうじゃと集まっている。すでに十五はくだらんほど居ると言うのに、まだまだ集まるのだからこのリギルと言うチームの人気が見て取れた。

 凄い数だがここから何人選ばれるのかとテイエムオペラオーに聞けば、たったの一人と言うから魂消た。狭いにしてもずいぶんだ。格式高いにしてもいやにケチケチしている。トレーナーもいかにもできる女みたいな恰好をしていて、何だか高慢ちきと見える。私はこの時からこのトレーナーに女狐と言う渾名をつけてやった。

 

 狭き門目当てによくも集まる者だと眺めていれば、昼間に見た顔が並んでいるから声をかけた。不安な顔をしていたスペが、顔を緩めて駆け寄ってくる。なんでもサイレンススズカと同じチームにはいれるか心配らしい。しようのない奴だ。ここで気後れしては勝てるものも勝てんから、私の胸を借りるつもりで走れと励ませば、多少は自信を取り戻した様子である。

 ハルウララは「なんだか今日は勝てそうな気がする!」と言うので、そいつは怖いと大げさに驚いてやった。出所のよくわからぬ自信だが、気合は十分らしい。

 キングヘイローも踏ん反り返って、勝つのはこのキング一人ですわと負けん気を見せている。こいつはこいつでずいぶん自信があるようだ。

 騒ぐ奴らがいる一方でエルコンドルパサーは静かにしていた。レースを前に集中しているらしいので、声をかけるのはやめておいた。

 

 そうこうしていると、受付で名前を書けと言うので一筆認めて列に並んだ。

 一人ずつ決意表明しろと言うので並んでいる奴らが順番に何か言っていたが、スペが日本一のウマ娘になりたいと言った途端に失笑をこぼしたから腹が立った。

 決意表明の場で月並みのことしか言えぬくせに、他者の夢を笑うとはまったく不愉快な奴らだ。大きな面で都会者の自分は偉いもんだと勘違いしていやがる。

 私はこんな腐った了見の奴らと走るのは胸糞が悪いから、自分の番になった時に大声で「ダービーで勝って、日本一のウマ娘になることです。つきましてはまず、親友の夢を笑ったこの腑抜け共に負けんように走ります」と宣言してやった。

 皆が呆気に取られて、眼をぱちぱちさせた。しかし次には射殺さんばかりにこちらを睨みつけて来たから、めいいっぱい胸を張って悠々と悪童の笑みを見せた。

 私は口も所作も上品とは言えないが、心はこいつらよりも遥かに気高いつもりだ。だから親友の夢を笑われておめおめ黙っているなどできんし、ましてや誰かの夢を笑うこともできん。

 ゆえに決して負けるつもりはない。ここで負けては私とスペの顔にかかわる。道産子は意気地がないと言われるのは残念だ。右も左もわからぬうちに都会っ子に笑われて、何も言い返せなくって、仕方ないから泣き寝入りしたと思われちゃあ一生の名折れだ。

 改めて貴様らには負けんと言えば、遠くでテイエムオペラオーの笑い声が聞こえた。王様はこの見せ物にご満悦のようである。

 

 スペ、エルコンドルパサー、キングヘイロー、ハルウララと共に初走十八人に当てがわれたのでゲートにはいったが、隣の奴らが田舎者のくせに調子に乗るなと騒いでいる。他の奴らも口には出さないが内心は似たり寄ったりだろう。ケチな奴らだ。ちょっと煽られた程度でそんな熱り立ってウマ娘と言えるか。

 うるさい、気が散る。一瞬の油断が命取り。と言ってやったが、誰も黙ろうとしない。終いにはトレーナーからそれ以上は失格にするぞと脅されて、それで渋々ながら引き下がるのだから間抜けである。

 

 各バの体勢が整うと、開始の合図と共にゲートが開いた。逃げが一人いるようで進みは模擬レースよりも速かったが、この程度で追っつけなくなるほど柔な脚ではない。

 どんどんとハナを進む奴は見た所得意になっているが、進み具合からしてもいささか掛かり気味である。あれでは半分も進めば垂れるであろうと予想を立てれば、案の定一〇〇〇を過ぎた辺りで垂れて来た。六〇〇もすぎると他の奴らも無理だなんだと言って情けなく下がっていくから口ほどにもない。

 私はすでに一〇〇〇地点で溜めた脚を少しずつ使っていたから、大外を回って垂れた集団を置き去りにして先頭に躍り出た。するとスペとエルコンドルパサーも合わせて前に出てきたので、三人での競り合いになった。少し後方にはキングヘイローもいるが、足が残っていないのか最後まで上がってこなかった。

 ハナを進むのは私だが、二人とはクビ差もない。二〇〇地点に来るとエルコンドルパサーがわずか私の前に来た。ハナ差である。スペも上がってきて前に出る。これもハナ差である。私も負けじと前に出た。三人がハナ差を争う形になった。

 ここまで来て負けるものかと私もスペも意地を見せる。エルコンドルパサーも粘り強く走る。追いつけ追い越せと横並びのまま走り抜けた。ほぼ同時のゴールである。

 

 試合ならばビデオでの判定になろうが、ここにそんなものはない。着差がわからぬ以上は決めるのは女狐の裁量であるが、この結果にはさすがの女狐も悩んでいると見える。

 しばらくして最後尾のハルウララがゴールしたのを合図に、女狐が判定を下した。

 

 はたして女狐が選んだのはエルコンドルパサーであった。

 

 どうにも納得行かぬ結果だが、ともあれ負けは負けである。

 悔しそうに歯噛みするスペの頭を撫でて、まったく中央は強いな、来た甲斐があったぞ。と豪快に笑い飛ばすと、スペは少し元気を取り戻したのか次は負けないと意気込んだ。

 エルコンドルパサーはエルの勝ちデース! と勝ち誇っていたが、耳が少し垂れているのを私は見逃さなかった。私たちに肝を冷やしたには間違いないようである。

 一バ身差で敗れたキングヘイローがこちらを睨みつけて、次は負けない、追いついてみせるわ。と指差してきたから、負けん気もキング並だなと誉めてやった。

 最後尾だったハルウララはと言えば、地面に倒れて疲れたと叫んでいる。あの自信はなんだったのかと言う鈍間な走りだったが、きちんと走り切ったことを誉めてやるべきであろう。

 

 皆で健闘と讃え合っていると、やおらとテイエムオペラオーがやって来たから前に立った。

 いやあこりゃ敵わん、恰好が悪いったらない。アハハハと先んじて戯けたら、真面目な顔をしたテイエムオペラオーが、悔しいかい。と聞いてくるから私は強い口調でこう答えた。

「あんな大口叩いて負けたのだから、死ぬ程悔しいに決まっている。スペの名誉も私が負けたから守れなかった。こんなに恥ずかしいことはない、今すぐに腹を切りたいぐらいだ。だが悔しいから恥ずかしいからと負けを認めんのは、それこそ負け犬のすることだ。この程度で挫けるほど私は弱くないぞ」

 テイエムオペラオーは何と思ったのかしばらくじっと私の眼を見つめていたが、しかし目尻に涙が滲んでいるよと指摘した。

 なるほど、何だか妙に視界がぼやける筈である。その上鼻の奥がつんとして息がしにくいから、きっと酷い顔をしているに相違ない。

 私は袖で目元を拭いながら、レースにいくら負けたって、流した涙は私の糧になるんだから、お前に追い付くのに差し支えはないと答えた。テイエムオペラオーは笑いながら、それでこそボクのライバルだ。と誉めた。

 実を言うと負けたことだけが悔しくて泣いたのではない、こいつの期待に応えられなかったのが一番悔しかったから泣いたのだ。

 

 こうして私と同世代たちとの対決は、黒星から始まった。

 本気で走って負けるのがここまで悔しいものだとと知ったのは、後にも先にもこの日だけである。

 

 便所で情けない顔を洗ってから寮に戻ると、フクキタルが泣きついて来たから何だどうしたと話を聞いてやった。

 なんでも所属しているチームから数がごっそり減って、今やたった二人しかいないのだと言う。何をやらかしたのだと問えば、チームの柱であったかの芦毛の怪物オグリキャップがトレーナーと一緒に競走ウマ娘を引退してしまったから、オグリキャップ目当ての奴らが皆他のチームに移籍してしまったのだと話すから何とも言えぬ。

 チームに入ってください! お願いします、何でもしますから! と五体投地する勢いで頼み込むフクキタルにはいっそ哀れみさえ覚えるが、しかし知りもせぬ所に入って痛い眼を見るほど間抜けなことはない。

 チームの危機なのです! 後生ですから助けてください! とほとんど悲鳴に近い声を上げるから、詳細がわからんことには判断もできんから、まずはチームの部屋に案内してくれと伝えると、いやあ頼んでみるものですね。と露骨に胸を撫で下ろした。

 呆れた。もう私がはいった気でいやがる。

 

 フクキタルに尾いて行くと、やに立派な建物に着いた。チームの部屋ってのはだいたいこんななのかいと聞くと、よっぽど有名でもない限りはほったて小屋みたいな所になると返ってくる。このチームはオグリキャップが居たから、ここまで部屋がデカくなったそうだ。

 張りぼてにしちゃあ立派だぜと言えば、フクキタルが張りぼてじゃありませんと憤慨するが、この建物にサブのトレーナーを含めて三人しかおらんのだからやはり張りぼてだろう。

 

 樫の木でできた玄関戸を開けると、何故かメイショウドトウがどんよりとした泣面で苔むしているから魂消た。お前何してるんだと聞けば、ここに所属していると言うからますます魂消た。そう言えばチームにはいっていると言っていたが、それがよもやこのシリウスであったとは奇妙な縁である。

 得体の知れぬチームと思っていたが、この気弱がいるならばまあ多少は信用できる。あとはトレーナーがどんな奴かだが、それもすぐに判明した。

 

 いつの間にやら側を離れていたフクキタルが、なんとも草臥れた様子の性悪そうな女を連れて来たのだが、女狐ができる女だとするならこいつは干物か何かだろう。

 スーツは着ているが着崩していてだらしがないし、不機嫌に垂れた目の下には青黒い隈取がある。長い髪に至っては、がさつで通っている私ですら手入れを怠らぬと言うに、こいつは手入れすらしていないのかえらくもっさりしている。

 痴漢に女狐と来て今度は干物と来たから、まったくどうなっているのだと天を仰いだ。やはりここでは濃い奴らほどよく生き残るらしい。

 開口一番やかましいと毒吐いたそいつは、私を見るなり破顔して歓迎の言葉を吐くと、葉隠と名乗った。似合わん名だ、死ぬことすらできんと見える。

 

 心中で苦い顔をしていると、君が噂の転入生かい。と訊ねてきたのでそうだが何かと返すと、スタミナとパワーは頭ひとつ抜けてたけど瞬発力が足りなかったね。といきなり言う。どうやら先のレースを見ていたらしい。他チームの採用試験を盗み見とは、良い度胸をしている。

 だが考えてみればリギルの採用試験だ。不合格者から見込みある奴を攫ってこようという輩がいてもおかしくはないし、リギルほど強豪の採用試験ならばちょっくら覗いてみようかと興味本意で来る奴だっているだろう。

 こいつはどっちかわからんが、この見た目で勧誘できるとは思えんので後者のように思えた。

 

 胡乱に眉を吊り上げていると、チームにはいらないか。と干物が私に聞いたから、簡単には決められんと答えた。

 今よりも速く強くなるためにはトレーナーの指導を受けなければならんから、チームに所属することはとにかく急務である。だが私はまだこの干物の正体を知らんし、ここがどのような目標のあるチームか説明すら受けていないのだから、決めろと言われても急には決められんのだ。

 そう言う訳だから無理だと伝えると、メイショウドトウとフクキタルが仲間になって欲しそうな眼で見て、しきりにはいりませんか、はいりませんかと勧めてきたから、苦しくなって少なくとも今すぐには無理だと付け足した。

 私の言葉を聞いた干物は何か思案したあと、じゃあ明日から体験入部ということで。と言うから、ひとまずはそれで手を打とうと答えた。

 

 なんだか遣り込められたかもわからぬが、断じて二人の捨てられた仔犬のような視線に負けた訳ではない。

 断じて、ない。




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いかにも常識人ですって顔してるけど君も中々変人だぞ!!!!
聞いてるのかメジロマックイーン!!!!
なんだそのぷにぷにほっぺは突っつかれたいのか!!!???!?!?


 今日は朝からフクキタルの機嫌が有頂天というに相応しい状態にあった。朝から何を騒いでいると聞けば、テレビの星座占いで一位だったと言うので、くだらないから二度寝した。

 授業には危うく遅刻するところであった。

 

 昼になってすぐ、チームスピカの部室に怒鳴り込んだ。何故そんな無闇をしたか問われれば、昼時になってスペに会うと、何やら酷く不安げにしていたからである。

 いったいどうしたと聞けば、チームにはいった途端一週間後にメイクデビューすることになったと言うから、そんなばかな話があるものかと閉口した。

 元から中央に居たのならばともかく、我らはここに来て一週間と経っておらぬ。こちらの勝手もわからぬ上に、ここのターフを走ったのだって昨日が初めてだ。それを承知で今からすぐデビューさせようなど、性急も性急で気狂いの判断だ。

 詳細を問いただせば、どうやらここへ来た時分にレース場で痴漢を働いた沖野という奴が、今回の原因であるらしい。

 あれの下にスペがいると言う事実の方がよっぽど心配だと思ったが、それよりもまずこんな判断を下した沖野の真意を確かめるのが先決であろう。これはひとつ文句も言ってやらねば気が済まんので、スペの制止も聞かずに大股でスピカの部室に殴り込みをかけた。

 

 部屋に入るなり奴の姿が目についたので、いかにも軽薄そうなその顔を目掛けてやいお前、こいつはいったいどう言う了見だと問い質した。

 すると沖野は、まあ落ち着け。そんなに凄まれちゃあ落ち着いて話も出来ないだろう。と私が来るのを予想してたみたいに毅然として言うので、私は頗る冷静だと返してやったら、後ろからゴールドシップがどこが冷静だよと囃したから、これをだまらっしゃいと一喝した。

 再度この邪智暴虐なトレーナーに問い質すと、こいつは心底呆れたような溜め息を吐いて、スペの意見は聞いたのか。と問い返して来たから私の攻勢が崩れた。

 

 そういえば事の詳細を聞くばかりで、スペがどのような考えを持っているかは聞いていない。不安だとは言ったが、はたしてそれの正体すらも聞いていない。

 言葉を詰まらせていると、沖野が勢いだけで来たのかと言わんばかりに呆れた顔をする。口惜しく唸っていると、スペがだから待ってって言ったのに。と後ろから突き刺して来たので、ついにはもう何も言えなくなってしまった。

 何かわからぬ敗北感に苛まれつつもスペの話を聞けば、スピカに所属すると決めたのは自分の意思であり、メイクデビューすることにも不満はないと言う。それならばいったいなにが不安なのだと問えば、別に不安はないが強いて言えばこういう結果になりそうだったから不安だったのだと言う。

 思わず、沖野とスペの顔を見比べる。一方はかける言葉もないと首を振り、もう片方は何とも言えぬ苦笑いを浮かべてこちらを見ている。

 

 つまるところ、何もかもが勘違いの早とちりであった。

 

 気付いた途端に居た堪れない空気が漂い始めたので、私は芝居掛かって姿勢を正し沖野に向き直ると、いやあお騒がせして申し訳なかった。妹分のスペが大事なもので。と謝罪して面目を保とうとした。

 しかし後ろのゴールドシップが、いやそれで誤魔化すのは無理だろ。と言って来たからあえなくここで撃沈となった。

 親譲りの無鉄砲で損ばかりしている。今も昔もそこは変わらぬ。

 

 己の恥晒しにぐぬぬと歯噛みしていると、スペが真剣な顔をして私の名を呼んだ。何かあるかとそちらに向き直ると、数秒の間を置いてから「ダービーで待ってる」として宣戦布告して来たから眼を皿のように見開いた。

 私とスペの目指す所は同じである。ダービーとは生涯に一度しか出られぬレースであるからして、ここひとつしかない席を輩と争うのは得策ではない。だがスペはそうは思わぬと首を振り、「私は戦いたい。どっちが強いのか、どっちが日本一に相応しいのか、あの大舞台で白黒決めたい」と凛乎な顔で言うから私も覚悟が決まった。

 面と向かってそう言われては、こちらも逃げる訳にはいかぬ。覚悟には覚悟で報いねばウマ娘の名が廃ると言うものだ。

 右の拳を突き出して日の本一の頂は譲らんと宣言してやると、スペは右の拳をぶつけて、私だって負けてやらないから。と強気に笑うから痛快である。

 

 放課後になって、メイショウドトウを連れてシリウスの部屋に行くと、フクキタルが水晶玉を前に何かしている。何をしていると聞けば、シリウスの行く末を占っていると言うからくだらない。委細を聞かずにメイショウドトウに相手を任せた私は、さっさと干物がいる奥の部屋へ向かった。

 

 部屋にはいるなり死人の顔色をした干物が私の顔を見て、メニュー考えといたよ。と書類挟みを渡して来た。受け取ってみれば、文字がびっしりと連なっているから驚いた。

 読み進めていくと、どうも専用に調整した内容であるらしく、瞬発力を中心に足腰のバネを鍛える鍛錬と、どうしてそれらの鍛錬を行うのかという理由までが紙を跨いでまで連なっている。しかもそれが一週間分すべてに書かれているのだからとんでもない。

 一日でここまで考えたのかと聞けば、まあトレーナーですから。と何でもないふうな答えが返って来たが、机に積まれた書類束の奥に隠してある栄養ドリンクの空壜たちを私は目撃している。

 何故仮入部の奴にここまでするのだと聞けば、貴女の夢を聞いた時に、その夢を全力で叶えてやりたいと思ったから。と言うから、なるほどこいつは見た目は干物だができる奴だと見直した。

 会って一日しか経っていない上に、まだ所属すら決めていない私の鍛錬を、こうまで真剣に考えてくれていたことからも、こいつのウマ娘に対する愛情はこと深いと理解できる。死ぬことすらできん、と言うのは訂正すべきだろう。

 

 だが、こんな仮入部の奴を相手に無理をするようでは、こいつを心底から信頼しようとは思わぬ。大方崩れかけたチームのためにほとんど寝ずに働いていたのだろうが、それで己が壊れてしまっては元も子もなかろう。

 命も身体もひとつしかないのだから、大事に使ってもらいたいものだ。

 健康とはかけがえのない物だ。

 何かあってからでは取り返すには遅く、幸せ悪くしてからでは死ぬことしかできん。こいつはそうなってほしくないものだ。

 

 私は書類挟みをほっぽり出して、お前の考えはわかったがそれで無理するのは通らん。と叱り飛ばして干物を仮眠室にぶち込んでやった。運んでいる時に何か騒いでいたが、貴様がしっかり寝るまでは訓練はせんぞと叱れば、すっかり大人しくなった。

 

 二人の元に戻ると、地面を転がるなど妙なことをしている。何をしているのかと問えば、占いの結果が悪かったから開運祈願していると言うから呆れた。

 そんな事をしている暇があったら手伝えと二人を立たせて台所に向かい、冷蔵庫に残っていた食材を使って雑に飯を作った。こいつは干物が起きた時に食う分である。

 玉葱を切っていると、料理できるんですね。とフクキタルが失礼な事を言うので、乙女の嗜みであると返しておいた。やんちゃ盛りの時分、花嫁修行させれば少しは大人しくなるかと無理やりやらされた料理だが、存外役に立つからわからぬものだ。

 

 干物の様子を見に行くと寝台の上でもぞもぞしていたので、さっさと寝ておけばか者と叱りつけてやった。これで寝ないのならば無理やり寝かしつけてやる所存だ。

 飯を作ったなら次は片付けである。

 外面が張りぼてなばかりでなく、中身がごみ屋敷では来る者も逃げ帰るであろう。三人で手分けして要る物と要らない物に分けてから、箒と雑巾で手当たり次第に掃除して綺麗にしてやった。

 

 粗方仕事を終えてからもう一度干物の様子を見に行くと、今度は静かにして寝息を立てているから安心した。これで起きていたらどうして寝かしつけてくれようかと思っていた所である。

 枕元に明日には入部届を持ってくるから、それまでにしっかりと休んでおけという旨の書き置きを残して部屋を出ると、外で待っていたらしいメイショウドトウとフクキタルを連れて寮へ戻った。

 二人がやたら笑顔でいるので少しばかり居心地悪くなったが、どうせこれが日常になるのだから些細な事である。

 

 寮に戻るとフジキセキから、会長が呼んでいたよ、と伝えられたから、斜陽の差し込む生徒会室にてシンボリルドルフとエアグルーヴの前に居る。

 いったい何用ですかと一番に問えば、シンボリルドルフがうむと頷き、学園の施設案内はまだだろう。こちらで案内としてメジロマックイーンを用意したから、彼女と一緒に一通り見て廻って来てくれ。と仰るから、改めて隣にいる芦毛のウマ娘を見た。

 こいつはメジロマックイーンと言う奴で、先にここに居て茶を飲んでいたようなのだが、どうも良家の出らしく、よろしくお願いしますわ。と恭しい態度で握手を求めてくるからやり難い。

 こんな悪童相手に恭しくする奴など滅多に居ないから、こう言う手合いは心底苦手である。こんなのと一緒に学園を回っていては、そのうちに息が詰まって死んでしまいそうだ。

 

 何とも言えぬ面持ちでメジロマックイーンの握手に応じると、シンボリルドルフがふと思い付いたように何か言ったので、もしかしてそいつは洒落ですかと聞けば、そうだと頷いて今しがた思いついたんだがどうだろう。採点してくれと頼んでくるから懲りぬ奴だ。

 私が少し考えた後に「ちょっと普通。三点」と答えると、何点満点中だと聞くので百点満点中三点だと言ったら、シンボリルドルフの耳が露骨に下がった。エアグルーヴはでかしたと言わんばかりに無言で親指を立ててみせる。メジロマックイーンに至っては眼を白黒させて私とシンボリルドルフを見比べるばかりで何も言わない。

 酷い沈黙だ。こんなでは生徒会ではなく漫才倶楽部である。ターフに上がるよりステージに上がる方が、この駄洒落皇帝も人を笑わせられよう。

 

 何だか居た堪れない空気になった。さすがにこのままでは居辛くなったから、学園を回って来ますとメジロマックイーンを連れて生徒会室を出た。

 その後はどうなったか知らんのだが、後日エアグルーヴから茶葉が送られて来たからそれなりの所に落ち着いたようである。

 

 施設は多種多様にあるが、専ら生徒が使う場所と言うのは思いの外少なくある。敷地の半分がコースなのだから当然なのだが、やはり拍子抜けと言うのが感想であった。

 メジロマックイーンが案内の最中、マックイーンで良いと言うのでそう呼ぶことにしたが、これが存外にも気さくな奴なので驚いた。

 メジロ家と言う名門の出らしいが、こいつ自身はそれを誇りと思っていても地位に胡座をかいて驕っていない。私がダービーで勝つのが夢なのだと言えば感心して、素敵な夢をお持ちなのですね。と言うから気持ちが良い奴だ。

 気持ちが良いと言えば、大樹のウロに負けの鬱憤を叫ぶ風習がこの学園にはあるらしい。都会には妙な風習もあったものだが、試しに先日の負けについて叫んでみれば中々に気持ちが良いからばかにできぬ。

 一通り叫んでさっぱりしていると、ずいぶんな大声ですわねとマックイーンが驚いているから、尻のでかさと声のでかさには自信があるのだと返したが、まあ、下品ですわよ。とお淑やかに窘められたのは初めての経験であった。

 

 一通り施設を回り終えて、小腹が空いたので学園内のカフェテリアで休憩を摂ることにした。

 私がBLTサンドと冷やし珈琲を頼んでいる間も、マックイーンはずっと菓子類の欄と睨めっこをしている。どちらも一歩も譲らん熾烈な争いだ、千日手と見える。

 何をそこまで悩んでいるのか聞けば、太りやすい体質だから糖分はあまり摂れないのだと言う。難儀な身体をしている。好きなもんを食えないとは可哀想にと哀れんだら、そう言う貴女はどうなのですか。と剣呑に聞いてきたので、菓子類はほとんど食わんからわからんと答えたら宇宙人を見るような顔をされたから失敬である。

 散々に悩んだ末にショートケーキのセットを頼んだが、その割には明日から鍛錬を増やさねばと嘆いているから滑稽だ。頼んでからも悩むならばさっさと軽食を頼めば良かろうと言ってやると、そう言う問題ではないのです! と熱り立って菓子類がいかに素晴らしいかと言うお講義を始めたから疲弊した。

 いかにもお嬢様然とした淑女と思っていたが、こいつはとんでもない癖ウマ娘である。どうしてこの学園の奴らはこうも濃いのだ。真面なのは私だけか。

 

 結局この日は消灯直前までマックイーンのお談義に付き合わされたので、しばらく菓子類を見るだけであいつの顔が思い浮かぶようになってしまったからこれはさすがに許せぬ。

 あまりにも手酷い仕打ちを受けたので、風呂場で頭を洗い流していたこいつに、ずっとシャンプーをかける悪戯で仕返ししてやった。

 流しても流しても一向に落ちぬ泡に惑乱して「私の頭が石鹸になってしまいましたわ!」と間抜けな悲鳴をあげる姿には、溜飲が下がる思いであった。




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タイシン当たらなかったしGW6連勤だしで絶不調なので失踪します。
タマモクロスがガチャに来るまで探さないでください。


 今日からシリウスの所属となる訳だが、所属する上で何か気をつける事はあるかとフクキタルに聞いたら、シラオキ様を信じなさいとのたまう。

 シラオキ様とはこいつが崇めている神のような存在らしいが、私は信心深い訳ではないから気が向いたら崇めてやると答えておいた。

 

 昼になっていつもの連中と飯を食っている時、スペと一緒にいよいよチームにはいったから事を始めるぞと宣言したら、真っ先にテイエムオペラオーが素晴らしいと拍手を送ってきたので、役者めいて立ち上がりお辞儀をしてやった。

 グラスワンダーがデビューはいつ頃する予定ですかと聞くので、スペが一週間後ですと答え、私も大見栄を張って一週間後だと言ってしまったから大変である。

 放課後になってトレーナー室に入部届を出しに行くついでにその事を話すと、昨日よりは幾分か顔色の良くなった干物が笑顔で溜め息を吐いて、じゃあ調整しとくよ。と言うから、かたじけないと両手を合わせて感謝を示しておいた。

 

 さても放課後になれば鍛錬であるが、まずはフォームを矯正すると言うので、正しい姿勢で走るように訓練している。

 干物曰く私の走り方は上半身の使い方が未熟らしく、そのせいで、下半身に十分に力が伝わっていないから瞬発力が削がれているそうなので、現在は上半身を中心にして姿勢を矯正している。

 

 この鍛錬にはフクキタルが尾いて、色々と手本を見せてくれていたのだが、これが思いの外参考になったから魂消た。

 普段は占いがどうのと無闇に喚く騒がしいだけの奴だが、ひと度コースを走れば先達として抜きん出た実力を持っているとわかる。

 特に驚異と思ったのは最終直線での加速であった。

 それまでの脚を広くゆったり使った走りから、直線にはいると脚を素早く回す走りへと変化するのだが、その急速な変化は凄まじいとしか言い様がない。何せ側から見てもわかるほどに速度が変わるのだから、こいつの末脚にはいっそ恐怖すら覚えた。

 姿勢はフクキタルを手本にしろ。とは干物の言葉だが、なるほど確かに、こんなものを見せられては頷く他にない。正直に言ってしまえば、あの素晴らしい切れ味には憧れた。目指すならばこうなりたいものだとさえ思う。

 しかしそれを言うと調子に乗るに決まっているので、こいつには教えてやらない。

 

 姿勢を調整した後にはメイショウドトウとシャトルランで併走をしたが、まったくもって立派なものだ。

 私は音に尾いて行けず最後まで走りきることができなかったのだが、こいつはひぃひぃ言いながらも最後まで走りきっていたのだからさすがと言う他にない。テイエムオペラオーに食らいつけるのも、この気弱の下に隠されたど根性がある故なのだろう。

 身体の使い方も上手いもので、脚だけで走っていないのが見て取れる。上半身の使い方が未熟と言うのは、こいつのようにできていないという意味に相違ない。

 まずは目下として、こいつとのシャトルランでは負けんようにしたい所だ。

 

 すべての鍛錬を終えて身体を休めていると、干物がどうだったと聞いてくるので「つくづく私は恵まれた奴だ。何せここに来てから高い壁ばかり目の前にある。登り甲斐があって大変良い」と答えたら、君の向上心の高さには度肝を抜かれるよ。と心底感心した顔をされた。

 

 二人の背を追いながら鍛錬を続けていると、いよいよスペのデビュー戦がやってきた。光陰矢の如しと言うがまったくその通りである。

 いつもの奴らを連れて観戦に来たが、それなりの人数がはいっているのにはいささか驚いた。キングヘイローに聞けば、新人のうちに推しと言うのを発掘して引退するまで追い続けるのが、ウマ娘界隈での嗜みであるらしい。

 どう言う理屈かはとんとわからんが無名の我らにはこと有難い文化であることは確かだと言えば、テイエムオペラオーは「初公演を最前列で見る事こそ、オペラで一番の贅沢だからね!」と返してきたから、なるほどそう言うことかと納得した。

 時間になりパドックのランウェイに上がったスペは、最初こそ緊張していたようでずいぶん動きが硬くなっていたが、観客席に我らの姿を見つめた途端には、親友に見っともない姿は見せられんと思ったのだろう、引き締まった顔で堂々とした姿を観客に見せつけていた。

 

 パドックが終われば出走準備のためしばらくの間が開くと言うので、近くの屋台で飯を買うことにしたが、これが中々に美味いのでついつい買いすぎてしまったから、今月はもう贅沢できない。

 若干の後悔と共に両手に食い物を抱えて突っ立っていたら、エルコンドルパサーがさすがスペの幼馴染デースと笑うので、スペの真似をしてあげません! と言ってやったら腹を抱えて笑い出すから気分が良い。

 しかしそのすぐあとには笑顔のグラスワンダーに、こんな場所で騒いではいけませんよ。とアイアンクローで二人揃って締め上げられてしまった。やはりこいつは鎌倉武士の生まれ変わりだ。

 

 ふざけているうちにゲートインの時間となった。

 少しぎこちない顔で待機しているスペを見て、ハルウララがスペちゃん大丈夫かな? と心配の声を上げるが、見た限りでは動きに支障が出るほどではなく、むしろちょうど良い塩梅の緊張具合と見えた。

 各バの態勢が整い、ついにレースが始まる。

 スペの出だしは好調である。いささかの遅れもなく飛び出して、先頭から三バ身ほど後ろの位置で待機している。差しを得意とするスペにしては前にいるが、抑えた様子で掛かりもない。

 このまま行けばいいなとメイショウドトウが呟く。私としてもスペの鎧袖一触に終わるのがもっとも望ましいが、しかしそうは行かぬと後ろから追い上げてくる影がある。

 こいつは眼帯をしていたので眼帯と呼ぶが、どうも攻めっ気が強いのか、スペに体当たりや土を飛ばすなどの妨害紛いのことばかりをしていたから好かん。

 しかし実力としては申し分もない走りであり、このレースでは最大の障害であることは間違いない。これに負けるようであれば、ダービーには出走すらできんだろう。思わず声援にも力が籠った。

 第四コーナーに入ると眼帯が仕掛けた。先頭集団を追い抜きハナを進むが、得意になっているのか、走りに油断が見えたからこいつの負けであると予感した。

 直線にはいってスペが仕掛けた。溜めに溜めた脚を解放して一気に駆け上がって行くと、残り二〇〇地点で眼帯を抜き去りそのままゴールまで駆け抜けて勝利した。

 終わってみれば、何とも危なげないレースであった。

 

 レースを終えたならば、締めにはウイニングライブである。

 自作した「スペちゃんこっち向いて」「投げちゅーちょうだい」と書かれた二枚の団扇を持って前列に向かったら、セイウンスカイにほんとにスペちゃん大好きだねえ。と面白半分に揶揄われたので、親友なのだから当たり前であると答えて「スペちゃん♡らぶ」と書かれた鉢巻を巻いて見せてやった。今度は全員に真顔で閉口されたから、これが解せぬ。

 そうこうしているうちにライブが始まった。きっと華麗に舞うのだろうと楽しみにしていたのだが、出てきたスペは絶望した様子で天を仰いでいるから魂消た。

 踊るどころか歌う素振りも見せずにいる。すわ何か大事でもあったかと心配していたのだが、見た限りでは何かあったとは思えぬから益々もって疑問である。

 あとで沖野に聞いたら、ウイニングライブの練習を忘れていただけさ。と言うから安心したが、それはそれとしてトレーナーの仕事を怠るなど言語道断である。スペに恥をかかせるとは、この落とし前はどうしてくれようかと思っていたのが、しかし祝勝会で出されたこいつの料理が美味かったので、ひとまずはこれで許してやることにする。

 

 スペがデビューしてから二日後には、私の番が来た。

 レース場に着くと、フクキタルから「今日の私は大吉なので運を分けてあげます!」と必勝祈願の御守りを渡され、メイショウドトウには「きっと大丈夫です。頑張ってください」と激励の言葉を贈られたから心強い。

 トレーナーからは「まあ君なら楽勝でしょ」との有難いお言葉を頂いた。まったく気の利いた言葉だ。今度料理を作ってやることがあったら、こいつの嫌いなピーマンをたっぷりいれてやる。

 控え室にはいる前には、スペを始めとしたいつもの仲間たちから励ましの声援を受け取ったから、もはや負ける気もしなくなった。

 最後には地下バ道でテイエムオペラオーから、君の最高の輝きを見せてくれ! との注文も受けたので、今度こそこいつの期待に応えるためにもこのレースでは五バ身以上つけて勝つ所存である。

 

 さてもレースであるが、まずはパドックでお披露目である。

 緊張もなくランウェイに上がり、羽織っていたジャージを翻して堂々と仁王立ちすると、観客どもが歓声を上げたのでこれに応えた。

 眼前に屯するこれらの中から私のファンになる奴もいるのだろうかと思えば、何だか妙に高揚した気分になったから不思議だ。

 全員のお披露目が終わればいよいよゲートインである。私は五番五枠といささか不利な方であったが、追い込みかつ大外を回る私には関係がない。

 手足を解しながらちらと左右を見れば、どちらにも緊張した面持ちのウマ娘が控えていた。一世一代のデビュー戦とあれば、これに躓く事を恐れていると見える。その恐怖はわからなくも無いが、始める前から失敗を恐れているようでは既に気持ちの面で負けていよう。

 対してこの身には一切の油断は無く、しかして敗北への恐れもない。ただ勝てるという予感だけはあった。

 

 全員がゲートにはいると、数秒後にはついに勝負が始まった。

 本レースは芝一八〇〇であるが、仕掛けの時期を変えるほどの変化では無いので、追い込みとして後方に待機している。

 今回は逃げの作戦を取るものがおらず、以前の模擬レースと同じくやや緩慢としたまま進み、残り一〇〇〇メートル地点に来た。

 いつものように長くスパートをかけて行くのだが、ここで一週間みっちりと矯正した姿勢が役に立つ。

 今までは溜めていた脚を少しずつ使っていたが、今回は脚を使わず上半身の使い方を意識して、脚の回転数をゆっくりと上げていくようにした。

 以前の走り方では最終盤になると足が残っておらず、競り合いになった場合に瞬発力で劣る状態だったのだが、この走り方ならば溜めた脚を使い切らずに余力を残しておけるようになった。干物の言い方を借りるならば、末脚の切れ味が増したのである。

 大外を回ってバ群を横切り、残り六〇〇地点で先頭を捉えた私は、ここだと一気に踏み込んで溜めた脚を爆発させて、夢中のまま先頭を追い抜き、ゴールラインを踏み越えた。

 立ち止まって掲示板を見ると、六バ身との表示が出ている。実況がさながらロケットの如くだと騒ぎ、観客が口を揃えて私の名を呼ぶ。それを聞いてやっと、勝ったのだと言う実感が湧いてきた。観客席に向かって右手を挙げると、盛大な拍手と歓声が降り注ぎ、私の勝利を祝福してくれた。

 

 レースが終わればウイニングライブであるが、私はスペと違いフクキタルと練習していたので、滞りもなくほぼ完璧に終えることができた。

 踊っている最中に客席を見るとスペたちがサイリウムを振っているのが見えた。そちらに向かってキスを投げてやると、黄色い悲鳴をあげるから気持ちが良い。

 客席の後方にはテイエムオペラオーの姿があるが、暗がりのせいでその表情は窺えない。今度こそは期待に応えられただろうか。心中で問いかけた時に、彼女がうっすらと微笑んだように思えた。

 

 そうしてすべてを終えたあとに学園へ戻ると、スペたちと一緒にシリウスで祝勝会をすることとなったのだが、これがまた大変な乱痴気騒ぎになった。

 帰ってきてもなおレースの興奮が覚めぬ私は、祝勝会が本格化するとついつい調子に乗ってしまい、スペを抱えてそこらじゅうを走り回って埃だらけになったり、エルコンドルパサーとプロレス勝負をして壁に穴を開けたり、挙句には帰宅途中の子供理事長を攫ってきて祝勝会に参加させたりと、まあとんでもないことをしでかしてしまったのである。

 終いには我慢の限界に達したグラスワンダーに、がっつりと首を絞め落とされて無理矢理大人しくさせられてしまったが、私にとっては人生で二番目に楽しい日であった。願わくばこの歓喜が天上にいる白毛の友人に届くようにと祈るばかりである。

 

 なお次の日には、諸々の問題を起こした代償として、生徒会から一週間の便所掃除を言い渡されてしまったから大変であった。

 今回ばかりはさすがに反省はしたので、次からはばれぬようにするつもりである。




 吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
 本編に大幅な加筆修正に加え、新規エピソードが追加されていたり、各主要キャラの設定を見直したりと、いろいろな部分に手を加えています。
 以下のサイトにてDL可能ですので、まずは体験版からどうぞ。

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 https://www.dlsite.com/home/work/=/product_id/RJ369814.html

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ゴルシちゃんのおかげでタイシンが当たったので初投稿です。


 日の出から少しして起きると、いつもならまだぐうたらしているフクキタルが部屋にいない事に気がついた。

 こんな時間から何処へ行ったのかと外に出ると、ちょうど帰って来たらしい体操着のフクキタルとぶつかって魂消て尻餅を突いてしまった。

 やい何してたんだお前と聞けば、妙に目が覚めてしまったから走りに出てたと言うから益々魂消てしまった。

 珍しい事もあるもんだ。今日は槍が降るのかも知れん。

 

 メイクデビューからしばらく経ったが、私とスペはお互いにオープン戦を二連勝して、快調な滑り出しを見せている。

 矯正した姿勢もずいぶんと様になってきたもんで、メイショウドトウとのシャトルランには追いつけるようにもなったから調子も頗る良い。

 我々は概ね順調に、ダービーに向けて駒を進めていた。

 

 そんな訳だから、そろそろ重賞に出ようと言う話になった。

 ダービーに出るには、前哨戦たる青葉賞で二着以内にはいり優先権を勝ち取るか、皐月賞を経てダービーへ行く三冠路線に進まなければならんと言う。

 私にはどちらへ行くのが良いかよくわからんからお前に任せる。と干物に判断を投げると、じゃあ皐月賞にしとくよ。と言うので、まずは三月の頭に初の重賞たる弥生賞に出る事となった。

 後に干物から聞いた話では、何でも青葉賞からはダービーウマ娘が出た事がないらしく、験を担ぐ為にも三冠路線と決めたそうだ。よっぽどくだらんジンクスだとは思うが、それを言うとまたフクキタルがうるさいから黙っておく。

 

 皐月賞と言えば我らがスペと、同期であるセイウンスカイとキングヘイローの三名も、三冠を目指す為に弥生賞への出走を決めたと聞いたので、弥生賞から始まるクラシック路線ではこいつらとの激突が必至となった。

 弥生、皐月賞はほとんど同じ条件のコースで行われる。つまり弥生賞で強ければ皐月賞でも強いと言うのが世の通例であるが、こいつらにはたしてそれが通用するものか。

 おそらく今年の三冠路線は、大いに荒れる。

 この事実に干物は、ずいぶんと顔を厳しくしていたのだが、どうせいつかは対決するのだから遅いか早いかの違いでしかないぞ。と肩を竦めたら、今は君の能天気が羨ましいよとのお言葉を頂いた。我がトレーナーながらまったく失礼な奴だ。

 

 弥生賞に向けての調整は順調にある。

 矯正を続けていた上半身に関してはすでに完成しているので、あとはこれによって生み出した力を十全に下半身へ行き渡らせて末脚に繋げる為、各部を擦り合わせる鍛錬のみとなった。

 ところがこの鍛錬なのだが、どうにも上手くいかず苦戦しているのが現状である。

 姿勢の改善により最後まで脚は残るようになったのだが、加速を全身の力を使って行うとなると、途端に難しくなって計が行かぬ。今までがずっと脚の力に任せた強引な加速であったが故に、この全身を使った加速と言うのがどうすれば上手くいくのか一向に取っ掛かりを掴めんのだ。

 しようがないので駄目元でフクキタルに、どうしたらそんな末脚ができるのだと聞けば、まずは重心を前に持っていく事を意識してください。と至極真面目な答えが返ってきたから魂消た。

 こいつのことだからてっきり「シラオキ様を信じなさい」とでも言うかと思っていたのだが、どうやら今回ばかりはふざけるつもりもないらしい。

 お前は真面目な顔ができるのだな。と言ったら、「もう! さすがに怒っちゃいますよ!」と可愛らしく頬を膨らませたので、手で両頬を挟んで空気を抜いてやった。

 普段からこう静かならば有難いのだが、大人しいフクキタルというのも何だか想像がつかないし変なので、今のままがちょうど良いのかも知れん。

 しかし重心を前に移動させるとは言うが、簡単にできたならこうまで苦労はせん。どうすれば良いと聞けばフクキタルは、コツを掴めば簡単です! と両の親指を立てて見せると、私の身体に手を回して重心移動の仕方を教えてくれた。これは存外にもわかりやすく、おかげでやり方も理解できたから有難い事この上ない。

 

 時は進み、三月と来た。

 ついに弥生賞の開幕である。

 

 今はパドックでの見せも終わり、ゲートインを待つ中、控室で干物と最終確認を行っているのだが、いつも以上に難しい顔をしてむっつりしている。

 何をそんな顔をしているのだと聞けば、今の君では勝ち切れないかもしれないとのたまうので怪訝な声を上げてしまった。

 聞けばセイウンスカイ、キングヘイローは、すでに重賞への出走経験があり、同期の中では抜けた実力を持っている。またスペは私と同じく弥生賞が初めての重賞であるが、沖野トレーナーが指導していたこともあり、決して一筋縄には行かない。いまだ末脚が完成していない私では、食らい付くので精一杯かも知れないと言うのだ。

 だがそんな事は始まる前からわかっている。楽に勝てる勝負などこの世にありゃしないし、勝負に絶対の二文字も無い。やる前から勝ち負けを心配して何になると言うのだ。

 勝負を前にくだらん考え事はやめろと首を振ってやると、君は本当に強いな。と干物は笑った。多少は元気が出たようであった。

 

 ターフに出ると、驟雨の如く降り注ぐ歓声が全身を振るわせた。

 数万を超えた観客がスタンドに集まっていると見えて、これにはさしもの私も我知らず唾を飲んだ。流石に重賞、それも皐月賞の前哨戦だけある。

 スペたちと良い戦いにしようと言葉を交わして九枠にはいると、そのすぐあとにはゲートが開く。余韻や感慨に浸る暇も無く、我ら初めての重賞レースは始まった。

 

 相変わらず追い込みとして後方に位置して、レースの状況を伺っている。

 ゲートではのんびりやらせてもらうと宣言していたセイウンスカイが、まずは逃げ脚を使ってハナを進んでいる。追い込みの私としては、縦長の展開にされるのは好ましくないのだが、前方に形成されたバ群は釣られた様子を見せず固まっているから、ひとまずは安心できる状況か。

 キングヘイローは中団より少し上の先行位置に居る。差しを得意とするあれが前方待機するのは珍しく、セイウンスカイに釣られたと見るか、スペと重なるのを嫌ったと見るか、それとも新たな戦法を試しているのか。どうにも判断が難しい位置取りで油断ならぬ。

 スペは中団後方で差しの位置を取っている。わずかに外を走っているのは私への駆け引きかと思ったが、こいつがそんな事を考えているとは思えんので単純に外めにつけただけだろう。

 

 状況の確認が終わると一〇〇〇地点に来た。

 

 ここからはいつものように脚の回転を早めて上がっていく。

 スペを含むバ群を大外からゆっくりと抜き去って、曲線にはいる頃には、二着の位置にいるキングヘイローの後ろに付けた。すると私の事が気になったか、こいつがぐんと加速を始めたからしめたと思った。

 坂を前にこんな無茶な加速をしては、よほど体力が余っていない限りゴール前で体力が尽きて失速するだろう。どんな作戦を考えていたかは知らんが、溜めた脚をここで使っては文字通り無駄脚である。

 こうなれば問題はセイウンスカイだが、これ以上に加速するだけの体力はないと見た。逃げというのはハナを進み続ける為に相当の体力を使いながら、同時に試合の流れを作って後方との駆け引きも行わなければならぬと、まあ大変に体力のいる作戦だ。ただでさえ残り少ない脚を、坂の前に切る事はできまい。

 前方二人がこの調子であれば、この勝負は貰ったも同然であろう。最終直線を前に、私は肺に大きく息をいれて力を溜めた。

 

 さても曲線を抜けると、そこは心臓破りの坂であった。スタンドが沸いた。ハロン棒が光って見えた。

 いよいよ踏み込んだこの勾配は、スタンドから見るのではわからぬ険しさがある。幾多のウマ娘を呑み込んできた魔物であるとさえ伝えられており、決して一筋縄には超えられない。

 セイウンスカイは残していた脚を使って上がるが、やはり速度がとんと落ちている。キングヘイローはなけなしの体力で懸命に登っているが、ずるずると下がっている。もはやこの二人には、私を突き離すだけの体力は残っていないようだった。

 ここに来て遠慮はできん。私はフクキタルに教わったように重心を前に動かし、未完成ではあるものの強力な末脚を使う為の構えを取った。坂を登り切ったその瞬間に使う算段であった。

 はたして坂を登り切ったその時に、私はこの溜め込んだ脚を炸裂させようと強く踏み込んだ。

 

 しかし勝負と言うのは、往々にして思い通りに行かぬのが現実である。

 

 ふとスタンドから大きな歓声が上がった。後方のスペが登って来て、私のすぐ後ろにまでつけたのだ。

 どっと怖気が背筋に流れ込んで来た。

 ゆっくりと視界の端に映ったスペは、芝を踏み込んで加速しようとしている。ここで先行を許せば、瞬発力で劣る私はもう追い付けんだろう。

 させるものかと慌てて踏み込んだ。だが焦りは私の末脚を殺した。

 未完成だった重心移動が乱れてしまい、末脚はただ力任せなだけの踏み込みに成り下がったのである。

 南無三と失策を悟った。束の間には、呆然と見送ったスペの背中が、セイウンスカイを追い越していた。

 己がスペに負けたのだと気がついたのは、その時であった。

 

 初めて挑んだ重賞、GⅡ弥生賞。

 最終局面で乱された私は、不甲斐なくも三着の結果に終わった。

 

 控室に戻ると、干物が心配した様子で大丈夫かと声をかけて来たから、いやあスペには参ったと戯けて見せてやった。負けた程度で心配するなと、笑って見せた。

 ウイニングライブの前には、どこか居心地悪そうに私を見ていたスペの頭を撫でて、お前の脚には驚いたぞ。いつあんなの身につけたんだと誉めてやった。

 ライブが終わって裏に捌けるとキングヘイローが、皐月賞では絶対に勝ってみせるわと意気込んで来たから、いいや勝つのは私だと宣言してお互いに笑い合った。

 セイウンスカイが別れ際、私たちどうしてスペに負けたと思うと聞いて来たから、お前は逃げるにしては素直だったから、もう少し緩急をつけてはどうかと助言を送った。

 

 寮に戻ると、フクキタルがいつもの能天気な笑顔で出迎えて来た。手元には招き猫と手拭いがあるから、こいつは私のレースも見ずに掃除をしていたらしい。

 チームメイトの晴れ舞台を観に来ないとは薄情な奴めと八つ当たり混じりに言えば、あっけらかんとした様子で負けるとわかってたのでと言うからよっぽど殴ってやろうかと思った。

 だが何かするより早く、フクキタルはすっくと前に立って、私の頭を撫でながら「初めての重賞で勝てる方が珍しいんですから、あんまり気にしてちゃ幸運が逃げちゃいますよ?」と諭して来たからもう何もできない。

 しかしこのままでおくには口惜しいから、皐月賞では勝ってやると睨みつけてやったが、フクキタルは何も言わずに微笑むだけであった。




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今回は短めで失礼します……_:(´ཀ`」 ∠):


 リュックサックに重石を詰めて、夜明け前に寮を出た。今までとんとしていなかった、朝の走り込みである。

 今朝の冷え切った朝靄の中を無心に切って進むのは存外に気持ちが良く、どこまでも走っていけるような気さえしてくる。東雲の空の、更にその向こうまで、白毛の友人がいる場所にさえ、走って行ける気がした。

 しばらく走り続けてから寮の自室に戻ると、フクキタルが蜂蜜を溶かした熱い牛乳を持って出迎えてくれた。用意が良いのだなと聞けば、これもちょっとした占いの結果の応用です。と言うから、占い中毒者めと憎まれ口を叩いてカップを受け取った。

 牛乳をちびちびと飲みながら、鼻歌混じりに身支度を整えるフクキタルを見ていると、その時にふと思い出した事があった。

 そういえば前にぶつかった時、こいつはよろめきすらしなかったな、と。

 

 弥生賞から一日経った。

 昨日は不甲斐なく情けない負け方をした訳だが、さすがに学校にまでこいつを引き摺るのはよろしくないので、諸々を飲み込んでいつも通りにある。

 教室に行くと、やはり三冠路線を進むと言うのは注目を集めるもんで、同級生が惜しかったねやら、幼馴染ちゃん強かったねやらと次々に話しかけてきたから、これに対応するのが大変であった。

 昼になるといつもの奴らと飯を食って過ごしたが、隣に座ったテイエムオペラオーは迂遠な言い方で私を励ましてきて、メイショウドトウもそれに合わせて慰めの言葉をかけてくるからいささか座りが悪い。

 誤魔化し混じりに壁は高い方が登り甲斐があるもんだと言えば、グラスワンダーに時には足場の確認も必要ですよと返されたから、そりゃそうだなと笑って返した。

 

 放課後になればシリウスの部屋に集まって反省会である。

 ホワイトボードの前に立った干物は、マジックペンでぱしぱしと掌を叩きながら、弥生賞での敗因は何だと思う。と聞く。

 私はこれに、抜かされそうになった時に未完成の末脚を焦って使おうとした事だろう。と答えたのだが、しかし干物はそれもあるけど本質は別だと言って、壁に掛けられたテレビに弥生賞の映像を流し始めた。

 映像では私が最初のコーナーを抜けてから緩やかに加速を始めて行く様子が映し出されているのが、今回のレースにおいてはこの部分、バ群を大外から抜き去ってキングヘイローの背後に付けるまでの何処に、今回の敗北の原因があると干物は言う。

 気付いたことはあるかと聞かれて、わからんと答えた。自分ではこの場面で何か重大な、敗北に直結する程の失敗をした覚えはない。メイショウドトウもどこに失敗があるのかわからないのか、頭を傾げるばかりである。

 一方でフクキタルは、すでに何か気付いている様子で薄く笑みを浮かべているから、何だか負けたみたいに思えて腹が立つ。

 今に見つけてやると意気込んで、数分ほどメイショウドトウとふんふんだのうんうんだのと唸っていたのだが、やはりどこでどんな失敗したのかちっともわからない。結局いったい何がダメだったのだと干物に聞く事となったから、悔しい思いでいっぱいである。

 

 しようがないと溜め息を吐いた干物が、失敗はここであると指したのは、スペを含むバ群を抜き切った場面だった。

 これの何がだめなのだと胡乱に片眉を上げたら、スペシャルウィークからマークを外しただろう。と言われたからぎくりとした。

 干物が言うにはこうだ。

「ここでスペからマークを外した結果、最終直線で追いつかれた事で冷静を欠いた。最大のミスだ。君は追い込みだから常に追い詰める立場だが、何処かで絶対に追い詰められる立場になるんだ。有力な相手は常に警戒して然るべきだろう」

 ぐうの音も出ない程もっともな意見である。私はわずかな間も無く項垂れて己を恥じ入るしかできなかった。

 何故マークを外したと聞かれれば、実は自分でもわからないでいる。私は真剣に勝負をしていたつもりだし、スペを無二の好敵手だと思っている。己の事ながら、こればっかりはてんでわからなかった。

 本当に心当たりはないのかと干物が再三聞き質してきたが、ないものはないとしか答えられんと言うと、また溜め息を吐いてむっつりした顔をして、それからメイショウドトウに何が原因かわかるかと聞いた。

 急に当てられたメイショウドトウは、びくりと肩を跳ね上げたあとに一分ほどまごまごしてから、ふと思いついたように「し、親友……だから……」とおそるおそる答えた。

 途端に干物が我が意を得たりとでも言わんばかりに頷き、ボードにでかでかと「油断」と雑に書いてから私に、幼い頃から競い合ってきた親友だからこそ、君は油断したんだ。と叱責するみたいな強い口調で断言した。

 こいつの実力は知っているから。こいつの手の内は知っているから。こいつの癖はこうだと知ってるから。

 そう言う「だから」を無意識に油断として積み重ねたその結果、弥生賞での敗北に繋がったのだと干物は言う。

 

 私は愕然とするしかできなかった。

 

 スペの末脚に負けたのでは無く、己の中に巣食った油断と慢心に負けたと正面から言われた私は、反応も返せない程に呆けて、そして同時に、昼にグラスワンダーが言った言葉の意味を理解して、己に対して深く、誰よりも深く絶望を抱いた。

 共にダービーをかけて競い合おうと言うに、無意識とは言えこんな無様な心持ちで勝負に挑んでいたのでは、真剣勝負を汚した所の話ではない。情けない幼馴染と戦って勝つ意味など無い。士道不覚悟も語るに及ばず。これではスペが気の毒の至りだ。きっと、失望しただろう。信を失ったやもしれぬ。姉貴分も失格だ。

 

 己の情けなさに項垂れていると、フクキタルがタロットカードを並べながら、まああまり深く考えるのもナンセンスですよ。世の中は常に運命で回っているんですから。と言って、それから机に並べたカードの中からまず一枚をめくって見せた。

 現れたのは戦車の逆位置であった。これは失敗や停滞を意味するカードですね。過去に失敗をした事を示しています。と説明を挟んでからもう一枚をめくる。

 今度は吊られた男が出た。試練や忍耐のカードです。現在は失敗を認めて改善する時ですね。と言いながらさらに三枚目をめくる。

 すると今度は愚者の正位置が出たから、事の始まりや巻き返しを意味するカードです。ここを耐えた先の未来は明るいですよ! と、満面の笑みでフクキタルは親指を立てた。

 メイショウドトウはこれを聞いて、挽回できるって事は救いはあるんですね! と笑顔になり、干物もこれに乗っかって、失敗を反省したならあとは改善して巻き返すだけだろう。と鼻を鳴らす。

 フクキタルの占いに便乗して元気付けようなどとは、まったく不細工な励まし方だ。迂遠にも程がある。元気付けるにしても、さっぱり言ってしまえばよろしい。

 しかしそれはそれとして、こいつらなりに私を元気付けようとしてくれたのは嬉しかったので、もう少しましな励まし方をしろと軽口を叩いてやった。

 そしたらフクキタルが「やっといつもの調子に戻ってきましたね! これも私の占いパゥワーのおかげ!」とのたまうから、お前の占いを信じたわけじゃないから勘違いするなよと返しておいた。

 とは言えまったくこいつらの言う通りである。フクキタルの占いを信じるようでいささか癪だが、間違いがあったのならば正せば良い。信を失ったなら行動で取り戻せば良い。まだ取り返せるのだ。

 

 反省が終わったのならば次は改善である。

 末脚の前にまず皐月賞までに精神を鍛える為に修行するぞ。と言って、干物はホワイトボードに「修行!」とやはり雑な字で書き足した。

 しかし修行と言っても何をするのだ、まさか滝行とは言うなよ。と聞けば、日常的にスペを徹底マークするんだと干物は言う。

 今までがなまじスペ以外のウマ娘と本気で競い合う事が無かった事、そして好敵手や超えるべき壁と相対した事で、そちらばかりに気を取られてスペを蔑ろにしてしまった。だから皐月賞までにとにかくスペを意識して、こいつは警戒すべき相手だ。と己に擦り込むと言うのが理屈らしい。

 何とも阿呆の考えにしか思えんが、一応は理屈が通っているから納得はできる。今は従っていた方が後の肝要になろう。

 とは言え四六時中くっついていくのは間抜けも良い所なので、適当に観察するだけにする。いくら無鉄砲な私でも、流石に親友をストーキングなんぞできんのだ。




 吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
 本編に大幅な加筆修正に加え、新規エピソードが追加されていたり、各主要キャラの設定を見直したりと、いろいろな部分に手を加えています。
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みんなここのフクキタルちゃんにママみ覚えてて、ちょっぴり芝なんですよね。

\(フクキタル)ママー!!/


 今朝の走り込みを終えて部屋に戻ると、フクキタルが部屋にいない。

 どこへ行ったのやらと思いつつもクールダウンをしていると、そのすぐあとには土に汚れたフクキタルが帰ってきた。

 お前も走り込みかと聞けばそんな殊勝なものじゃないと首を振るから、じゃあいったい何なのだと首を傾げれば、占いをしに近所の神社へ行っていたのだと言う。どうやらお神籤を引いて来たらしい。

 こんな朝早くから物好きなもんだ。それで結果はどうだったんだと問うと、一瞬だけ上を向いたあとに、もちろん大吉でした! と笑顔で両の親指を立てたから、それじゃあ今日一日は幸運だな。ところでずいぶん服が汚れてるがそりゃ願掛けか。と返したら慌てて言い訳を始めたから呆れた。

 聞くに、なんでも大吉を当てた嬉しさに足元不注意ですっ転んだらしいから、これで大吉とは恐れ入る。凶ならどうなっていたのやら。

 

 先日にスペを日常的にマークしろと干物に言われたので、あれから毎日スペの真正面に陣取って飯を食っているが、今の所、飯をもりもり食うこいつの姿が微笑ましいしかわからん。

 こんな事をして本当に為になるのか疑問である。

 いくらスペを意識する為とはいえこれの日常風景なんぞ見慣れているし、そもそも普段の姿を観察したとてはたしてマークしていると言えるのか。これではただの目の保養ではないか。

 スペも私の視線に居心地が悪そうにしているから、何だか益々もって無益に思えてきた。

 始めたばかりでこんな事を言うものではないが、この行為いったい何を得られるのか全然わからん。

 そんな事をつらつら考えながらトマトを咀嚼していると、キングヘイローが反省会よと威勢良く声を上げた。

 何でも、弥生賞での負けをここにいる全員で反省して、問題点を洗い出したいらしい。

 己の情けない走りを他者に見られるのは恥ずかしくて落ち着かぬが、他者とあれこれ言い合い教え合うのは良い勉強になるので、私からすればこの案はどちらかと言えば大賛成である。

 しかし弥生賞に出ていた私たちは良いとして、他の出てない奴らはどうなのか。

 参加するで良いのか聞けば、グラスワンダーを始めとして全員が構わないと答えたから、シリウスの部屋で映像を見ながら反省会をする運びになった。

 

 それから放課後になってすぐ全員がシリウスの部屋に集まったのだが、ハルウララとセイウンスカイが大量の菓子類と飲み物を持ってきたから反省会と言うにはずいぶんと緩い雰囲気になった。

 キングヘイローはまったく何を考えてるのかしらとかんかんに怒っていたが、ハルウララが居る時点で良くも悪くも真面目に反省会などできるはずもない。

 むしろこれくらい和気藹々とした雰囲気の方が、こいつも反省会を楽しめて良いだろうと言えばキングヘイローは、まあ、貴女がそう言うなら良いけれど。と曖昧な顔をして納得したようだった。

 それでは弥生賞の反省会を云々、とキングヘイローが音頭を取る。

 しかし呑気なハルウララとセイウンスカイが、そういうのいいからさっさと始めようよ。と嬉々として菓子の袋を開け始めるから、何ですって! とキングヘイローが熱り立ってしまって事がまったく進まない。

 結局グラスワンダーがまあ良いではありませんかと宥めすかして、それからやっと始まった。

 何ともしまらない始まり方をした反省会であるが、しかしいざとなればどいつもこいつも真剣で、ふざけた奴など一人としていなかった。

 走っていた奴らとここではこう考えていた、ここではこうしようとしていたとがやがや意見を交わすのは、自分では気付けなかった部分や逆に他の奴らが気付けていなかった部分を知れて、これがまったく為になる。

 また全体を俯瞰していた奴らの意見も、走っている立場ではわからなかった気付きを与えてくれるから有難い。

 

 しかしこの反省会の中でもっとも大きな発見だと思ったのは、スペの成長を直に感じた事であった。

 私はこの中央に来てから常々、己の成長というのを実感していた。多くの仲間と出会い、多くの事を先達から学び、前よりもずっと強くなったと思っていた。

 だが成長していたのは、何も私だけではない。スペもまた私と同じように、いやもしかしたらそれ以上に、強く大きく成長している。

 思えば私は驕っていたのだろう。スペを所詮は妹分だと心のどこかで侮り、まだまだ私の尻を追いかけてくるだけの存在だと思い込んでいたに違いない。

 もうこいつは私の妹分ではない。スペシャルウィークは私の、正真正銘の好敵手なのだと、今になってようやく頭ではなく心で理解できた。

 皐月賞でも、ダービーでも、今回のような情けないレースはしない。不安にちらちらとこちらを伺うあいつの顔を、これ以上私の無様で曇らせるのは不本意だ。

 きっと私はこいつに勝つ。姉貴分としてではなく、ひとりのウマ娘として完膚なきまでに勝たねばならん。

 決意をそっと胸の奥底へ仕舞い込んだ私は、何食わぬ顔で反省会を続けた。

 

 思いの外話し込んでしまい、そろそろ門限も近付いて来たから帰ろうかとなった時分、ふと隣にキングヘイローが座ってきて、少しは気が晴れたかしら。と聞いてきたから何の話だと怪訝に返した。

 話を聞くにこいつは、私が難しい顔をしてスペをじろじろ見てたのを、負けた事でくよくよ悩んでいると勘違いしたらしい。

 だからこの反省会を通して、私にすっきりしてもらう魂胆だったと言うから笑ってしまった。

 それで、何がおかしいのよとキングヘイローに怒られたんで、お前がこの国の王様になったら最高だろうなと思ったのだと答えたら、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたから益々笑った。

 私なんぞ敵なのだから適当に放っておけばいいものを、こうして塩を送ろうなどとは気の使い方が下手な奴め。

 だが、これ程も優しい王様は古今探しても居なかろう。こいつを慕っている奴らの気持ちも今ならば理解できると言うものだ。

 まったく王様の癖に貴重な心持ちをしている。

 

 貴重と言えば、この反省会ではハルウララが珍しく真面目な顔をして我らの話を聞いていたから魂消た。

 何でもそろそろ高知でデビュー戦があるとかで、それに向けてこいつなりにずいぶんと真剣な様子であった。

 ただただ無邪気で呑気な奴だとばかり思っていたが、こうもレースに対して真剣な姿勢を取るとは意外である。

 帰り際、ずいぶん真剣だったじゃないかと言えば、みんなキラキラしてて、凄く楽しそうだったから。と常らしからぬ表情で言うから、走るのが楽しいと言って憚らんこいつも、存外心底では熱い闘争心が燻っているのやもしれん。

 いつか立派になったこいつと、コースで競い合うのが楽しみだ。

 

 決意も新たに研鑽を積んでいると、勝負服が届いたから着てみろと干物に呼び出されたので、例によってシリウスの部屋にいる。

 そらお前の勝負服だ。と手渡されたそれは、私たちの夢の結晶と言うこともあって、重さ以上にずっしりとした何かがここに宿っている気がして、我知らず背筋がぴんと伸びてしまう。

 違和感がないか確かめろと言うので早速着替えてお披露目すると、真っ先にフクキタルが、袴にブーツ! 大正ロマンな感じが良いですね〜! と私の周りをくるくるしながら言う。

 続けて干物が、なんか新撰組みたいだな。と腕を組む。メイショウドトウもこいつらの言葉に頷いて、儚げで優しそうだけど、力強くて綺麗です。と目を輝かせるので、私たちがデザインしたのだから当たり前だろう。と胸を張ってやった。

 青を基調とした華やかな和服に穢れひとつない白いブーツとマントの組み合わせは、昔に白毛の友人と一緒に考えた物で、緑に輝くターフを裂いて走る白い流星になる。という想いが込められている。

 本当ならばあいつの勝負服と対になるのだが、亡き今となっては詮無きことだ。ここにあるのはあいつの報われぬ願いが籠った勝負服と、それを一心に背負う私の身ひとつばかりなのだから、もしもを考える意味も無い。

 ただ、寂しい想いが無いと言えば嘘になる。こいつを着て、スペとあいつと、一緒に並び立ちたかった。一緒にレースに出て、競い合って、笑い合いたかった。それが私の、偽らざる気持ちであった。

 

 ひと通り着心地を確認して問題がない事を確認すると、ならちょっくら走ってみろと言われたのでターフに出た。

 幼い頃は、何故わざわざ大一番で勝負服などと言う走り難い服を着て走らねばならんのだと思っていたが、こうして己で服を着て走ってみれば、なるほどこいつはずいぶんだ。

 体操着を着て走るよりも身体が軽くなり、何より気持ちが昂ぶってしかたがない。

 踏み締める地面の感触もいつもとは違っていて、普段の運動靴よりもよっぽど走り易い。今ならば最速記録も夢ではなかろうとさえ思えてしまう。

 流す程度で止めようと思っていたが、このままだとまったく抑えが利かなくなりそうだから困ったものだ。

 逸る気持ちをどうにか抑え込みながらコースを三周して干物の所に戻ると、勝てそうかと聞かれたから知らんと肩を竦めてみせた。

 負けてやるつもりは毛頭ないが、どいつもこいつも強敵でひと筋縄ではいかん相手だ。今の未熟な私では勝ちきれるとは思えん。

 それを言えば干物は、じゃあ皐月賞ではスペシャルウィークをマークしろ。あれは弥生賞で勝ったのだから、皐月賞でも頭抜けるに違いないから。と仰るので私は強気な笑みを浮かべて、ちょうど弥生賞のリベンジをしたいと思っていた所なのだ。と返してやった。

 

 それはそれとして疑問なのだが、この勝負服と言う妙な文化はいったい何処の誰が考え始めたのだろうか。こんないかにも動きにくそうな服を着て走ろうなど、普通ならば気狂いの発想だろうに、まったく採用した奴の気がしれん。

 しかしここを気にし始めると、今度は何でレースが終わったら踊らにゃならんのだとなるので、これ以上は言及しないでおく。

 まあ伝統とは得てして、理解し難い妙ちくりんな物であると言うのがそれこそ伝統であろう。




\ ハイ!マチカネフクキタルデス!/

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ライスのセリフを「お兄様」と書いたな!?法廷で会おう!!!


 皐月賞である。

 旧八大競走第二戦にして三冠がひとつたるこのレースは、もっとも速いウマ娘を決めるチャンピオンレースとしてGⅠに君臨する誉高きレースである。

 当然ながら観客の数も弥生賞の比ではないほどで、観客席は鮨詰めもかくやな程に集まっていて、待機しているウマ娘どもの表情にも硬いものが混じっているのが見てとれた。

 

 熱狂を横目に軽めの準備運動をしていると、ふとセイウンスカイが恰好良い勝負服だねと話しかけてきたから、お前も良い服を着ているなと返した。

 するとキングヘイローもこれに加わって、二人とも素晴らしいけれどこのキングの勝負服には負けるわね。と勝ち誇って高笑いなどし始めるので、なんだお前裸ではないかと仰山に驚いてみせたら、誰が裸の王様よ! とちゃんとツッコミを入れてくる。切れ味鋭いツッコミに、さすがキングだなと笑ってやった。

 肝心のスペはと言えば、何か悩んでいるような苦しんでいるような様子でこちらを見ている。こいつらしからぬ様子に違和を感じつつも、らしくて良い服だと誉めてやると、ありがとうと曖昧な笑みで返してきたからやはり妙である。

 さすがに捨て置けんので何かあったのかと聞こうかとしたのだが、ちょうどゲート入りのアナウンスが流れてきて、係員の奴らが来たから有耶無耶になってしまった。

 

 何か不穏な物を抱えたまま、皐月賞がスタートする。

 

 ゲートが開いた瞬間に、どうと前へ出たのはセイウンスカイだ。弥生賞と同じく逃げを打つつもりのようだが、それにしてはかなりのハイペースに進んでいくから追い込みの私にはいささか厳しい状況を作られた。

 キングヘイローは中団の前方で様子を伺っていた。差し寄りの先行と言った位置だが、脚に澱みがない所を見るにこれは作戦なのだろう。この微妙な位置でも、最終直線まで脚を残す算段があるなら恐ろしい事だ。

 そして我らがスペなのだが、中団後方でじっと待機してちらりちらりとこちらを盗み見ている。普段ならば私をマークしていると見るが、レース前の様子からしてこれは別の原因があってだろう。

 はたしてあれが何を抱えているのか聞きたい所だが、しかしレース中に何かできるはずもない。私にできるのは、目の前の事に集中するだけである。

 

 スペの暗澹を置き去りにしてレースはハイペースに進み、最初のコーナーを抜けて向こう正面に入った。

 セイウンスカイのペースがわずかに下がり、進みが若干ながら緩やかになる。するとここらで坂に向けて一息入れようと、全体の動きも緩やかなものになった。

 序盤からハイペースに進み縦長の展開だったが、ここで緩むと距離が詰まって最終直線には前列が団子になる。後続が思うように追い上げられず、抜け出すのに苦労するに違いない。セイウンスカイは上手く立ち回ってレースを支配していると見えた。

 前列に付けたキングヘイローは難なく抜けるだろうが、後列の私とスペはバ群と垂れウマを避けなければならんから体力的にいささか不利だ。

 団子を見越して外に寄ると、スペが似たように外へ出て私の前につけた。むっとして進路を変えると、またもついてくる。なるほど私を前に行かせない算段らしい。

 図らずもお互いがお互いをマークしているようだが、しかしこれはスペらしからぬ小賢しさだ。沖野の差金やもしれぬ。あの変態め、よくも面倒な知恵を与えてくれたものだ。

 焦れる気持ちを抑え込みながら緩々と速度を上げて前を目指していくと、最終曲線の中程でキングヘイローが動いたのが見えた。

 今ここで動くのは早計ではないかと思ったが、あの位置では追い付かれるとバ群に巻き込まれる可能性も出てくる。ここで無理矢理にでも動かねばならぬとは、あれもあれで厳しい状況に陥っているようだった。

 一方で私はと言えば、スペを風除けにしながら加速を続け、そろそろ群を追い抜こうかと言う所である。

 ずいぶんに執拗なブロックをしてくるスペだが、この先も私の調子について行くのでは坂道までに脚が残らんだろう。

 普通ならばここらで切り上げて己も準備に取り掛かる所だが、これをまだ続けるとなると、はてさていかなる意図があるものか。にわかにはわからんが、警戒するに越したことはない。

 

 最終直線に入ると同時にバ群を抜き去ると、いよいよ心臓破りの坂である。

 前回はここで不覚を取ったが、はたして今回は同じ轍は踏まんと決めた。弥生賞のようには行かぬと思ってもらおう。

 ハナを進むセイウンスカイは、向こう正面で一息入れたのが効いているのか、前回と比べていくらか余裕もあると見えるが、流石に距離が足りなかったか後続を突き放せるほどではないと見える。

 キングヘイローは早めに上がった事が功を奏したか、澱みもなく快調に坂を登っている。こいつはどうも周りを気にしすぎるきらいがあるから、前後で一バ身の差がある今は走りやすいのだろう。

 翻って我らだが、やはりスペが前を塞いでいるので抜け出せぬ。

 だがこいつは脚が残っていないのか、ペースは保ってはいるがこれ以上は伸びる気配がないから、ここらで動く事にした。

 ひとまずはこいつを抜かねばならんので、内に寄れて横に並ぶとそのまま末脚を使う体勢に入る。

 だが坂を登り切った直後に、ちらと横目でスペを見た時に、こいつは悲しみやら嫉妬やらが混じった酷い顔で私を見ていたから、心底魂消て脚が緩んでしまった。

 

 こんなにも重苦に塗れた顔をしたスペを、私はついぞ見た事がない。白毛のあいつが死んだ時でさえ、ここまでの顔はしていなかったとさえ思った。

 レース前の様子と言い、レースの最中と言い、やはり今のスペはどこか様子がおかしくあったが、ここに来て益々おかしな事になったから私まで苦しくなった。

 レースの最中でなければ今すぐにでも聞けただろうに、こいつを置いて先に行かねばならぬとはかくも計と行かぬ。

 私は心中で涙を呑み、ただ御免とだけ呟くと、末脚を使ってぐんと加速した。

 だが仕掛けがキングヘイローの背中を捉え、やがて追い抜こうかと言う時にはゴールラインを越していた。

 萎えた心と脚では十全な加速ができず、図らずも弥生賞と同じく三着に終わったのである。

 

 レースが終わってすぐに話を聞こうとスペの元へ駆け寄ったが、来ないでと拒絶されてしまったから直前で脚が止まった。何か言ってやらねばならんのに、言葉さえも喉奥で止まって出てこなくなった。

 お前は今、何を思っているのだ。私の何がお前を苦しめているのだ。その苦しみを取り除くのに、私はどうしてやれば良いのだ。

 言いたいことは山程あった。聞きたい事がいくつもあった。だが私は意気地がない事に、スペが俯いて地下バ道に駆け出すのを黙って見ているしかできなかった。

 私はこの後、どのようにウイニングライブを終えたのか覚えていない。

 

 すべてが終わってから一晩経って、やっと正気に戻った私は、すぐさま沖野にスペのあの様はなんだ、あんなにも苦しんでいたと言うに貴様はレース前に気付かなかったのかと詰問した。

 対して沖野はいかにも神妙な顔で、薄々は気付いていた。けど、俺にはどうしようもなかった。と答えるから、何があったのだとさらに問い詰めた。

 ところがこいつは私の質問に答えず、お前はスペの事をどう思ってるんだ。と聞き返してくる。

 質問に質問で返すなと言ってやりたい所だが、まさかこの場面でこいつが無意味な質問をするはずもないので、私にとってはもっとも身近な好敵手だと答えた。

 すると今度は、それスペに言った事はあんのか。と聞くからもう我慢ならず、お前は何が言いたいのだと苛立ち混じりに怒鳴り返してしまった。

 普段ならば怒鳴るなと嗜めてくる所だが、しかし沖野はままならないもんだと首を振って、それから言葉を選ぶようにゆっくりと話しを始めた。

 

 今のスペは、私に認められたくて焦っているのだと言う。

 昔から妹分として後ろを尾いて回っていたあいつにとって、私と肩を並べてレースを走るのは目標であった。妹分としてではなく、名実共に好敵手として肩を並べ、ターフで相対する。それがあいつにとっては夢のひとつになっていた。

 ところが中央に来てからは私でも勝てない相手が現れ、更にはテイエムオペラオーたちの背中を追うようになってしまったから、あいつは「このままだと置いていかれるんじゃないか」と言う不安と焦燥に駆られてしまった。

 日頃は我慢できていた。上手く隠せてもいた。まだ大丈夫だ、まだ追いつけるはずだと己に言い聞かせる事で平衡を保っていた。

 だが何事にも限度がある。

 抱え込んだまま際限なく膨れ上がった焦燥と不安は、やがて大きな音を立てて爆発した。その原因となったのが、弥生賞での勝利である。

 勝ったのだからこれで認めてもらえるだろうと思った矢先に、強がった私がいつものようにスペを誉めてしまったから、あいつは勝ちを譲られたのだと感じて絶望してしまった。

 最後の場面で私が伸びなかったのは、自分に勝ちを譲る為にわざとやったのだと、そんな事さえ思ってしまったのである。

 普段のあいつならば、きっとそうは思わなかっただろう。私の強がりにも気が付けたはずだ。

 だが感情に押し潰される寸前の、一分の余裕もない精神状態では、よもや正常な判断もできなかった。

 ましてやその後に、セイウンスカイやキングヘイローと親しげに言葉を交わしていたのを見てしまっては、かように思うのも宜なるかなだろう。

 私が居心地の悪そうだと思ったあの表情はその実、どうしても認めてもらえぬ悔しさと、仲間たちへ嫉妬する自分を恥じていた故だったのである。

 しかもその上に、日常へ戻った所で待っていたのは私の視線だ。何か言うでもなくただ見られているのが、あいつには、いつまで経っても追つけない自分に対する失望と軽蔑の眼差しに見えたのだと言う。

 追い付いたと思った背中が実は遠くにあって、いまだ影すら踏めていないのだと錯覚した直後では、これもまた、正常に判断できなかったに違いない。

 その結果が今回の皐月賞で起こった、執拗なブロックである。もっと自分を見て欲しい。置いていかないで欲しい。それらの気持ちを抑えきれなくなって、だからあいつは、あのレースであんな真似をしてまでしてしまったのだ。

 

 総括すると、何て事はない。

 すべては私の不徳と未熟が原因である。

 私がもっと早くにあいつを好敵手と認めていれば、そしてその事を面と向かって、それこそ反省会で決意したあの瞬間に伝えていれば、こんな事にはならなかったのだ。

 私が判断を誤ったから、あいつは苦しんでいる。その事実に思い至った束の間、ただ泣きたくなった。

 沖野は、お互いに余裕がなかったからこそ起こった不幸なすれ違いだった。と言うが、違うのだ。一番近くであいつを見てきたと言うに、産みの親を亡くし、白毛の友人さえ亡くしたあいつが、内に秘めた孤独への恐怖に気付けなかった私こそが悪なのだ。それが最も情けなく、恐ろしく、そして憤ろしい。

 今すぐにスペの所へ行って、私の心意を伝えなければと踵を返した。だが沖野が諭すような口調で、こう言ったから脚が止まった。

「転んじまった相手に手を差し伸べるのは、優しさか? それとも憐れみか? 失敗しちまった奴を慰めるのは、慈悲か? それとも同情か? お前が今やろうとしているのは、どっちだ」

 私は答えられなかった。今の私がどちらの感情で動いているのか、簡単には判断ができなかった。

 苦しくなって歯噛みして、ならばどうしたら良いのだと問えば、お前にできる事は何もないと断言する。

「何でも助けてやるのは友情じゃない、依存だ。お前もスペを正真正銘のライバルと認めたなら、もう中途半端に姉貴面をするのはやめろ。干渉してやるな。そのお前の態度が一番スペを傷付けるんだ」

 正論を言われて、私は口惜しく駆け出した。耐えきれなくなって、物も言いたくなくなった。

 

 それからと言うもの、寮に戻りベッドに飛び込んで、毛布を頭まで被る日々が続いた。

 スペとは顔も合わせぬまま、そして練習にもどこか身が入らないまま、仲間の心配を他所にして私たちは鬱々と日々を過ごしている。

 スペはおそらく、あんな走りをした後では合わせる顔がないと思って、顔も合わせたくないのだろう。

 私も私で、今のスペにどう向きあってやれば良いのかわからず、この情けない気持ちを誰にも見せたくなくて、誰とも話したくなくて、貝のように暗闇の中に閉じ籠っていた。

 しばらくそうやってもぞもぞしていじけていると、誰かが横に腰掛けて、毛布の上からそっと頭を撫でてきた。

 やめろと掠れた声で言うと、大丈夫ですよとそいつは答える。何が大丈夫なものかと言えば、妹だって強いんですよ。とその声が答えたから、妹でもないお前なんぞに何がわかると返してしまった。

 ぴたりと、撫でる手が止まった。けれどそのすぐ後にはまたゆっくりと動き出して、これは独り言なんですけど。と声が語り始めた。

「似たような立場にいたから、あの子の気持ちがわかっちゃうんですよ。優秀なお姉さんを持つのが、どれほど嬉しくて、どれほど辛い事か。そして、置いていかれるのがどれだけ苦しいかも……ね」

 懐かしむような悲しむようなその声に、私はすぐさま己の失言を恥じた。言ってはならぬ事を言ったのだと気がついて、謝らなければならないと思った。

 けれど声は先んじて私の肩に手を移すと、ぐっと力を込めるみたいにこう続けた。

「だから貴女は、ただ信じて。あの子ならきっと自分の力で立ち上がれると、隣でずっと信じ続けてあげて。それが一番、私たちへの……妹への応援になるはずですから」

 肩から手が離れると、私はやおらと起き上がって顔を見た。はたしてめのまえにはいつもと同じ間の抜けた表情があったから、一瞬だけ迷ったあとに、今日は一緒のベッドで寝てもいいかと聞いた。

 そいつはこの申し出にずいぶんと魂消た顔をしたあとに、満面の笑みを浮かべて、もう甘えん坊さんですね。と言うから、姉だって偶には甘えたいもんだと返してやった。

 

 そして、ついに五月。

 

 我らが夢の舞台。

 

 ――日本ダービーが、来る。




結局お兄ちゃんお姉ちゃんって生き物は、下の子みんなが大好きなんですよね。


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エル「エルの出番は!?」
主人公「いや……私がさっき、食べちゃいました」
エル「NOoooooooo!!」


 その戦いに勝てたのならば、辞めても良いと言うトレーナーがいる。

 その戦いに勝った事で、燃え尽きてしまったウマ娘がいる。

 その戦いは、僕らを熱く、熱く狂わせる。

 勝負と誇りの世界へようこそ。

 ダービーへ、ようこそ。

 

 

     ◇

 

 

 初夏の日差しが降り注ぐ東京レース場に、東京優駿の四文字が掲げられた。これより始まるレースは、日の本が最も熱くなる一戦である。すなわち我らの夢、日本ダービーが始まるのだ。

 

 レース前に最後のミーティングをすると言うので、地下バ道で仲間と顔を合わせている。

 干物はいつにもなく弱気に黙っていたが、ふと意を決した顔をすると、信じるから。とだけ言う。

 含みのある言い方には疑問を覚えたがこいつなりに励ましている事はわかるので、言うのがひと月遅いぞ阿呆と溜め息混じりに笑ってやった。

 メイショウドトウはしきりに私を心配してたどたどしく、だだだだいじょうぶでし! と言葉をかけてきたから、応援する側が私より緊張してどうするんだと落ち着かせてやった。

 フクキタルも今回ばかりは真面目な顔をしていたが、今日の貴女の運勢は絶好調なので勝てます! 更に私の運にも分けて倍ドゥンです! と大吉の絵マを渡してきたから、お前の明るさにはつくづく救われるな。と答えて絵マを受け取った。

 

 ターフに出ると、風が吹いていた。その風は熱を孕んでいた。観衆の発する熱狂と狂乱である。

 空は清々しいほどに快晴であり、雲の一点も見当たらない。吹き荒れる歓声の嵐は天と地の狭間を駆け抜けて、地平線の遥か彼方にまでも響いているとさえ思えた。

 その中にあって、私はひとつの影に向かって迷いなく歩みを進めている。頼りもなく道に迷った幼児の顔をして、ゲート前に突っ立っているあの妹分、スペである。

 皐月賞からダービーまでの二ヶ月の中で、私はずっとあいつの事を考えていた。どう向き合えばあいつの為になるのか、アイツを傷つけずに済むのか、考えていた。

 しかしいくら考えてもわからんので、終いには考えるのが面倒になった。

 元より無鉄砲な私である。レースならばともかく、誰彼との間であれこれ考えて何かするのは好かん。

 沖野は友情と依存は違うと言った。フクキタルは隣で信じ続けてやれと言った。時には見守る事も必要だと、彼らは私に伝えようとしていた。産まれたての子鹿が立ち上がろうとするのを、助けてやる大人の鹿はいないのだと、それぞれの言い方で示してくれた。

 確かに一理ある。

 きっと私に必要なのは、独り立ちを静かに見守ってやる忍耐なのだろう。昔から両親には、我慢と言うのを覚えろと口を酸っぱくして言われ続けてきたほどだ。その反省を活かして、ここはぐっと耐え忍び、スペが立ち直るのを影ながら見守ってやるべきに違いない。

 だが、そんなのは私らしくない。そもそも無鉄砲でばかな私に、そんなお上品な事ができるはずがない。

 そんな回りくどい事をするくらいならば、さっさと発破をかけて立たせてしまえば良いのだ。その方がよっぽど楽だし、何より気持ち良く後腐れないまま進める。そうに決まっている。

 だから私は遠慮無く、不躾にぶつかってやる事にした。誰が何と言おうが関係はない、私は私のやり方でこいつを立たせてやるのだ。

 

 だんと足音を立ててスペの後ろに立つと、私は腕組みをしながら叫んだ。

「スペシャルウィーク、お前は何故ダービーを戦う! 友の為か、親の為か、それとも誇りの為か! 私は友の為だ。死んだあいつと最期に交わした約束、きっとダービーを勝ち、日本一のウマ娘になる為だ!」

 有無を言わさぬ私の言葉にスペはすっかり萎縮したようだったが、私はそれを無視して近くにいたセイウンスカイにお前はどうだと問いを投げた。

 するとセイウンスカイは、いつもの気の抜けた調子で、そんなの決まってるじゃん。と言ったあとには、虎の如くに獰猛な笑みを浮かべてこう答えた。

「落ちこぼれでも、劣等生でも、誰にも期待されてなくても、主役をはれるんだって証明したい。努力で天才は超えられる、この世には思いもよらない逆転劇があるんだって、世間に見せつけてやりたいんだよね」

 高潔なる下克上を宣言したセイウンスカイは、しかしすぐにいつもの表情を戻すと、続けてキングヘイローに、そっちはどんな理由? と問う。

 するといつもの如く高笑いをしてキングヘイローは、そんなの決まってるでしょう! と胸を張って堂々と答えた。

「この身に流れる偉大な母の血統と、受け継いだ誇り高き精神の為よ! たとえ誰に何と言われようが、否定されようが関係ない。私がキングヘイローである限り、私は母の血統に恥じぬ一流のウマ娘を目指すのよ!」

 それから、私たちは顔を合わせて頷くと、寄る方なく視線を彷徨わせるスペを見つめた。示し合わせた訳でもないのに、こいつが答えてくれるのを揃って待っていた。

 数秒か、それとも数分か。とにかく辛抱強く待ち続けていたら、ついにスペが私の眼を真っ直ぐに見つめておそるおそる勝ちたいと言う。

 だがそれは、この轟々とした喧騒の中にあってはあまりにも小さい声だったので、私はあえて何、聞こえんなぁと再び問いかけた。

 すると今度はそれなりの声で勝ちたいと言うので、私は更に発破をかける為に執念が足りんぞと叱責して「お前がダービーに賭ける想いは、私に向ける感情は、そんなちゃちな物なのか!」と三度問うた。

 そうしたらやっとスペは意を決したか、半ば悲鳴に近い大声で「勝ちたい! お母ちゃんとの約束を守る為に勝ちたい! あの子との約束を守る為に勝ちたい! ……ずっと追いかけてきた背中に、勝ちたいっ!」と吼える。

 そこにはもう先程までの弱気はない。ただ私たちに対する剥き出しの闘志と、絶対に勝つと言うスゴ味を感じた。

 私が野放図に好戦的な笑みを浮かべて「やってみろ。ライバルなら、私に勝ってみせろ」と拳を突き出して宣言してやったら、スペも負けん気が滲み出たような顔で拳をぶつけて来たから、やっと調子が戻ってきたなと思った。

 これでもう、戦いを前に思い残す事はない。きっとスペは全力でぶつかってくれるだろう。

 ゲート入りの合図を最後に、私たちはそれぞれゲートへと歩を進めた。

 

 夢の舞台が、もうすぐ始まる。

 

 弥生賞と皐月賞ではお互い情け無い状態で、真剣勝負と言うにはあまりにも腑抜けた勝負だった。何かと全力を出しきれぬままで、とにかく不完全燃焼であった。

 だが今回は違う。

 我らが夢の舞台たる日本ダービーで、正真正銘の真剣勝負を行うのである。これはもうやっとの事だから、否が応でもお互いに気合が入ると言うものだ。

 吐き出した息にはいくばくかの緊張と闘志の熱が混じり、全身を駆け巡る闘争本能がぎちぎちと皮膚の裏側でその瞬間を待ち侘びている。抑え切れぬ衝動が胸の内で速く速くと叫んで、逸る気持ちは手足の末端までもを震わせた。

 歓声がやたら遠くなった。どくどくと早鐘を打つ鼓動の音と、己の震える息遣いだけが聞こえた。ゲートと、ターフの緑と、青空の色だけが、視界を埋め尽くした。

 すべてのウマ娘のゲートインが完了したとアナウンスが入った。

 途端に、呼吸を止めてぐっとスタートの構えを取った。

 

 そして次の瞬間に、ゲートが開いた。

 

 どうと周りが飛び出すのに半歩遅れて飛び出した私は、いつもの如く最後方に陣取って事の成り行きを観察している。

 例の如くハナを進むセイウンスカイは、皐月賞と比べてペースはやや抑え目にある。見た所スタミナの温存をまず第一として進めるつもりのようだ。いくら逃げウマと言えど、さすがにかのアイネスフウジンの如くにはいかんらしい。

 すぐ後ろの二番手に付けているキングヘイローはどこか困った様子で周囲を見ているから、おおかた読みが外れてどうしたものかと惑乱しているのだろう。ここで作戦を修正できなければこいつは最後に沈むが、はたしてどうするか見ものだ。

 さても我らがスペに目を移せば、いつもの通り中団で差しの位置にいる。すぐ前の奴を風除けにしているから、なるほど勉強してきたと見える。

 日本ウマ娘レース場の顔とも呼べる東京レース場のコースは広く大きく作られており、よくよく考えて動かねば余計な体力を消費してしまう難儀な場所だ。

 中山や阪神に比べれば曲線の半径は広く坂も緩やかなものがふたつばかりあるだけだが、逆を言えばそれだけしかないだけに如実に地力の差が出てしまう。坂とて緩やかと言うが距離も他と比べて長くあり、ゴールまでの道程は見た目以上に険しくある。ダービーがタフなレースであると言われる所以がここにあった。

 その点からして、あいつがスタミナ消費を極力抑える動きをしているのは、やはり恐ろしいの一言だ。これで最終直線にあの末脚を使われては、はたして追いつけるかどうか。仕掛け時を誤るのだけは避けねばならん。

 

 おおよその展開を確認した所で向こう正面に入った。

 ハナを進むのはセイウンスカイに変わってキングヘイローである。作戦を変えたのか逃げの一手を打つつもりらしいが、スタミナを気にしてか進みは変わらず遅くある。

 珍しく二番手に下がったセイウンスカイだが動揺はなく、むしろこれ幸いとばかりにキングヘイローの真後ろに受けて風除けに利用しているから強かだ。

 スペは変わらず中団で展開を見守っている様子だが、そろそろ仕掛けの準備に入るかもしれないから目が離せない。

 翻って私はと言えば、残り一〇〇〇地点ですでに加速を始めて、大外から中団を抜きにかかっている。半分の一二〇〇で加速を始めるか直前まで迷ったが、ここでセオリーを崩すのは賭博と判断した。

 他と比べてもスタミナにはたっぷりと自信はあるが、だからと普段と違う事をして余計に消費できる程このレースは甘くない。ましてやあれの末脚を返り討ちにしてやろうと言うのだ、体力は多く残しておくに越したことはなかろう。

 

 四コーナーを回って最終直線に入ろうかと言う時に、セイウンスカイが仕掛けたからレースが動いた。

 まず初めに、セイウンスカイがキングヘイローを捉えて先頭争いに持ち込み、これを奪った。するとそこへ、後方から追い上げてきた私とスペが迫り、更にキングヘイローが意地を見せて上がろうとする。

 

 残り四〇〇。

 

 ハロン棒を横切り坂に入ると、ついにセイウンスカイを捉えたスペが加速してそれを抜き去ったから、実況が並ばないと二度叫んだ。

 だが並ぶ。私が並ぶ。

 坂を登り切った直後に、フクキタルに教わったように重心を前に倒して、大きく息を吸い込みながら渾身の力を右脚に込める。芝がみしりと音を立てる程に、蹄鉄が地面に深々と食い込んだのを確認すると、次の瞬間に、私は獸の雄叫びと共に末脚を爆発させた。

 

 残り二〇〇。

 

 初めてレースで成功させたこの末脚はよもや桁違いの威力で、気が付けば私はスペの真横にまで迫っている。スペが驚いて声を上げた。実況も驚いて声を上げた。私も驚いて声を上げた。

 さすがフクキタル直伝の末脚はとんでもないもので、まったく想定外の威力で自分でもびっくりしてしまった。だがしかし、これでこいつを抜かせる。

 先に行くぞと叫んで、末脚の勢いそのままスペを抜く。ここまで来たのならもう我武者羅だ。ほんのちょっとだけ残っていた体力も全部振り絞って、とにかく前だけを見て走った。

 

 残り一〇〇。

 

 ほとんど絶叫に近い雄叫びを上げながらスペが並んできた。よもやここで上がってくるかと思った。

 膝が重く軋みを上げている。息が苦しくて、目の奥がチカチカと点滅している。踵がじくじくと痛みを訴えている。股関節の感覚もとうに消え失せて、走っているのか歩いているのかさえわからなくない。世界が遠くに引き伸ばされて、独りぼっちになったように錯覚する。

 私はもう限界だった。精も根も尽き果てて、立っているのもやっとなくらいだった。あわや負けてしまうかとさえ考えてしまった。

 

 残り五〇。

 

 辛くて、苦しくて、わずか諦めそうになって、心の隅に出来た黒い滲みに、私の意思は微かに揺らいだ。

 もう良いではないか。私は十分に走った。中央に来て、思うように勝てぬまま負け続け、それでも折れずにダービーを走っているのだ。ここに至ってはもう二着でも文句は言われんだろう。スペと私でダービーの栄光を分け合えばさして変わらんのだから、あいつだってそれで納得してくれるはずだ。きっとそうに違いない。

 蓋をしていたはずの弱音が顔を出して、私の脚を鈍らせようとする。

 

 残り、一〇。

 

 だが私は見つけてしまった。

 観客席の端で、祈るように両手を組んでこちらを見つめる白い影を。

 ほんの小さく口を動かして「がんばれ」と私に声援を送っている姿を、この目でしかと見てしまった。

 腹の奥底から元気が湧き上がってきて、長い夢から覚めたように意識が覚醒する。疲れ切った五臓がなけなしの力を振り絞り、私を前へ前へと進ませる。

 遥か遠い天上から降りてきたあいつがこのレースを見に来てくれている。それなのに負けて良いなどと、そんな考えが許されるはずがない。あの日の誓いを、約束を果たすのだ。絶対に、絶対に負ける訳にはいかぬ。

 さあ心を燃やせ。脚を止めるな。歯を食いしばれ。地べたを踏みしめて走れ。走れ。走れ。譲らない、譲れないのだ。

 ――この、ダービーだけは! 

 

 残り、〇。

 

 ほとんど無意識のまま、ゴールラインを踏み越えた。

 

 ダービーを走り抜いた。それを自覚した束の間、脚がもつれてスペと一緒にすっ転んでしまった。

 耳鳴りと、鼓動と、二人分の息遣いだけが聞こえる。何とか実況を聞き取ろうとするがまったく聞こえない。視界もぼやけているから掲示板も見えない。

 ふたりぼっちの世界でぜえぜえしていると、不意に誰かが私の上体を助け起こして、頑張りましたね、さすが私の弟子です。と言う。

 耳鳴りの中にあってもはっきり聞こえるその声に、私は強がって笑いながら、お前の弟子になった覚えはないぞ。と返してやった。

 肩を借りて何とか立ち上がると、それとほとんど同時に、観客席から割れんばかりの大歓声が上がる。

 すわ何事かと掲示板を見れば、そこには「同着」の二文字が表示されていたから心底魂消た。

 信じられん。あり得るものか。同着などと、そんな都合の良いばかげた話が、三流作家が書いたハッピーエンドみたいな結果が許されるものか。これは夢だ。血の一滴も絞り出せん程に疲れ切った五臓が、束の間見せている夢だ。きっとそうに違いない。

 半ば茫然自失のままスペを見れば、向こうも向こうでサイレンススズカに抱きしめられた姿勢で固まっている。

 フクキタルがすごいすごいと私を撫で回したから、視界がぐわんぐわんと揺れて景色がぐちゃぐちゃになった。けれど夢から覚める様子は、ない。

 

 現実だった。

 私たちは、ダービーの栄光を、真に分かち合ったのだ。

 

 自覚した途端、気が抜けてその場にへたり込んでしまった。瞳からは涙がはらはらと溢れて、どれだけ拭っても止まらなくて、ついに我慢ならなくなった私は人目も憚らずに大声をあげて泣いた。心底から吹き出した歓喜と安堵に任せて、赤子のように泣き叫んだ。

 あいつとの約束を果たせたでなく、スペの夢さえもがここで叶った。私はスペの夢を破らずに済んだし、スペも私の約束を破らずに済んだのである。大団円、大団円だ。こんなに嬉しいことはない。

 気が付けばスペも一緒になって、抱き合ってわんわん泣いていた。サイレンススズカも泣いていた。フクキタルも泣いていた。みんな、みんな泣いていた。

 

 どれくらい泣いていただろうか。

 

 涙も声も涸れた頃になって、私たちは自分の脚でやっと立ち上がった。まだやらなければならん事があるからだ。

 まず初めにはトロフィーの授与である。

 ひとつしかないトロフィーを二人で持ち上げると、カメラのフラッシュが煌めいて星々のように見えた。本当ならばどちらかしか得られなかったはずの光景は、ふたつとない栄光の輝きを放って祝福を私たちに与えてくれた。

 共にダービーを駆け抜けた好敵手とも、固い握手を交わした。

 セイウンスカイが少し赤くなった目元を和らげて、いやあダービーで一緒の順位なんてお熱いですなあお二人さん。と茶化してくるので、スペは私のもんだからやらんぞと返しておいた。

 キングヘイローは鼻をずびずび鳴らしながら、負けたのは悔しいけど、それより二人とも夢が叶って良かったわ。と言うから、まったく慈悲深い王様だなと顔をハンカチで拭ってやった。

 そして、ウマ娘のレースは走っただけで終わりではない。レースで雌雄を決した後に待ちうけるもうひとつの大一番は、ウイニングライブである。

 しかし前代未聞のダービー同着であるから、これは配置をどうしたものかとスタッフを困らせてしまった。

 結局今回は特例としてそれぞれ一曲ずつ、計二曲を歌う事に決まった訳だが、決まるまでずっとパート分けも均等に分けるにはどうする、振り付けだってどうするのだと、まあセッティングが紛糾して大変である。

 とは言え、どいつもこいつも嫌な顔どころか嬉しそうな顔で動いているから、これは嬉しい悲鳴と言うやつなのだろう。

 ライブ会場の準備が終わりさあ歌うぞと言う時に、子供理事長が現れて私たちに称賛! と声をかけてきた。

 聞けば何でも個人的に私たちに感謝を伝えたいとの事で「トゥインクルシリーズ史上でもっとも熱く、そして感動的なダービーを見せてくれた君たちに! 私は敬意を表するッ!」と有難いお言葉を戴いたので、こちらこそ優劣をつけられた所を同着にしてくれて、感謝しかありません。お礼に今回の祝勝会にご招待しましょう。とこれに答えた。

 そうしたら子供理事長は嬉しいような困ったような顔をして「感謝! だが次は穏便な招待をして欲しい! 帰りが遅くなるとたづなに怒られるのだ!」と言うから、保証はできかねます。とスペが笑った。こいつも言うようになったものである。

 諸々の事が片付いたなら、ステージにいざ出陣だ。

 二〇万を越す観客が作り出すサイリウムの海はもはや言葉では到底表現などできない絶景で、白毛のあいつにもこの景色を見せてやりたかったと、涸れたはずの涙がまた滲み出そうになった。

 して肝心のステージなのだが、とにかくもう楽しくて仕方がなかった。

 スペを抱き上げたままランウェイを走り回ったり、観客席に飛び込もうとしてキングヘイローとセイウンスカイに止められたり、ステージ袖で見ていた子供理事長を引っ張り出して来たりと、ついつい調子に乗ってはちゃめちゃにしてしまった。

 あとで駄洒落皇帝にしこたま怒られたりしたが、それはそれとしてライブは大盛り上がりしたので、きっと明日の朝刊は私たちの笑顔が一面を飾っている事だろう。

 

 そうしてすべてを終えて学園に帰ってくると、今度はスピカとシリウスと、あとはいつもの奴らも集めて祝勝会が開かれた。

 会場となったシリウスの部屋には、沖野が腕によりをかけて作った料理の数々に、干物が頼んでおいたと言うピザやら寿司やらが所狭しと並んでいる。にんじんジュースもどっさりと運び込まれて、文字通り浴びるように飲めてしまうくらいにある。

 そんな状況にあっては、当然ながら飲めや歌えやの乱痴気な状況になった。

 最初はキングヘイローが王様らしく音頭を取っていろいろやっていたのだが、テイエムオペラオーが、君たちの健闘を讃えてオペラを披露しよう! と言うからだんだんおかしな方に向かった。

 すでに祝勝会と言うには怪しい状況にあったが、途中参加してきた子供理事長とたづながオペラに巻き込まれたあたりで、祝勝会の崩壊が加速する。

 それからトウカイテイオーが歌と踊りを披露し始めたのでオペラがダンス大会になり、私も高知でのデビュー戦で四着に入ったハルウララと祝いにツイスト・ダンスをしたり、隅っこでもそもそ飯を食っていた干物を引っ張り出して無理やり踊らせたり、スペとミュージカルめいて歌って踊ったりしたから、もう祝勝会ではなくただのばか騒ぎだ。

 あとにはゴールドシップがダービー前に沖野が私にいろいろ言った事を持ち出して、ここで意趣返ししてやろうと言うのでこれに乗った。

 私とスペを想っていろいろ言ってくれたのはわかるが、それはそれとして言い方ってもんがあると言う訳で、感謝と報復を込めてこいつの右のすね毛をガムテープで引っぺがしてげらげら笑ってやった。

 更にはグラスワンダーが舞を披露しているところにエルコンドルパサーとゴールドシップの乱入でプロレスになり、ついにはグラスワンダー&エルコンドルパサーVSゴールドシップ&私のタッグマッチになったからもう収拾がつかない。

 ちなみに結果だが、舞を邪魔されて怒り心頭に発するグラスワンダーの独り勝ちであった。さすが武士の生まれ変わりである。

 

 さて宴もたけなわにある中で、私は誰にも声をかけずにふらりと外へ出ていた。

 いささか騒ぎ疲れたと言うのもあるが、ダービーの最中に見たあいつを思い出して、ここらでちょっとばかし感傷に浸りたくなったのだ。

 思えば私は、ずいぶん遠くに来た。

 あの日に交わした約束を守る為に故郷を捨て、あの時の笑顔に報いる為に弱音を捨て、最後にはここまで来た。

 決して平坦な道のりではなかった。辛く苦しい事もたくさんあった。だがそれ以上に嬉しい事や楽しい事がたくさんあった。

 目指すべき背中があった。愛すべき友があった。尊敬すべき先達があった。敗北の苦渋があった。勝利の甘美があった。煌めきに満ちたステージがあった。全部をあいつに見せたかった。全部をあいつと分かち合いたかった。

 この白毛を通して、届いただろうか。伝わっただろうか。もし届いているのなら、伝わっているのなら、私がそちらに行った時に、感想を聞かせて欲しい。

 白毛の部分を指先で摘み上げて、月明かりに透かして、この儚い想いをあいつに捧げていた。

 

 しばらく夜空の下で物思いに耽っていると、スペが出っ張った腹を揺らして私を呼びに来た。

 お前その腹はどうしたと指摘すれば、いっぱい食べたからかな。となんでもないように言うから呆れて笑ってしまった。まったく相変わらずな奴である。

 それでどうしたのだと聞けば、私が居なくなったから探しにきたのだと言う。わざわざ探す程でも無かろうにと首を振ったが、スペがわずかに眉尻を下げて、なんだかこのまま消えちゃいそうだったから。とまるで私を幻みたいに言うから益々呆れて笑ってしまう。

 そんな簡単に消えるはずもなかろう、お前も心配しすぎだぞ。と頭を撫でてやれば元気を取り戻したようで、いつもの笑顔を見せてくれる。やはりこいつには笑顔が一番似合う。

 話を程々に切り上げると早く戻ろうよとスペが駆け出すから、そう急かしてくれるなと笑いながら一歩を踏み出す。

 束の間、ふと振り返って月を見上げると、私は別れを告げるみたいに独り言ちた。

 ――今でも別に、お前を嫌ってはいないんだ。

 私の呟きは吹き抜ける夜風に溶けて、どこか遠くに運ばれていった。

 一緒の墓には、まだ入れそうにない。




くぅ〜疲れましたwこれにてダービー編完結です!
という訳でこのあとは、いくつか番外編を挟んでから打倒オペラオー編に行く予定ですので、ちょっとばかしアンケートをとってみようと思います。
皆さんが見たいと思うものを、気軽にポチーッ!していただけると幸いです。

 吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
 本編に大幅な加筆修正に加え、新規エピソードが追加されていたり、各主要キャラの設定を見直したりと、いろいろな部分に手を加えています。
 以下のサイトにてDL可能ですので、まずは体験版からどうぞ。

【DLsite】
 https://www.dlsite.com/home/work/=/product_id/RJ369814.html

【メロンブックス】
 https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=1199029


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キャラクター
キャラクター設定


無事にイベントが終了し、電子書籍化もできましたので、皆さん気になっていたであろう吾輩ちゃんこと主人公の「私」と、干物こと葉隠トレーナーに関するデータを公開しようと思います。



【一瞬の雪崩の如く】☆☆☆

カムイアヴァランチ

 

 

【挿絵表示】

 

 

 由来:アイヌ語で「神」の意+雪崩

 総じて「荒々しい神の雪崩」

 

 自己紹介:

「私の名前はカムイアヴァランチ。ダービーを走るためにここへ来たんだ。田舎者だが、存外やるものだぜ」

 

 学年:中等部二年生

 

 所属寮:栗東寮

 

 身長:145.1㎝

 

 体重:61.4kg

 

 BWH:B84.2 W59.2 H89.8

 

 誕生日:5月12日

 

 得意なこと:料理を作ること。

 

 苦手なこと:水泳。水濡れも嫌がる。

 

 耳のこと:友達の声には敏感に反応する。

 

 尻尾のこと:自分の手みたいに扱える……らしい。

 

 靴のサイズ:左右ともに21.0cm

 

 家族のこと:白毛の友人と姉妹みたいに育った。

 

 マイルール:イタズラをしたらちゃんと名乗り出る。

 

 スマホ壁紙:白毛の友人とスぺと撮ったスリーショット。

 

 出走する前は……:空に向かって心の中で『行ってくる』。

 

 

 概要

 

 北海道から遠路はるばるやって来た、反抗期真っ盛りのじゃじゃウマ娘。

 田舎者の乱暴者を自称しているが、根はまじめで優しくて、頼られたら断れないお人好し。

 故郷の友人と約束したダービー制覇を目指して、日夜厳しい練習に励んでいる。

 そんな彼女の憧れは、芦毛の怪物オグリキャップである。

 

 男勝りでやんちゃな熱血漢。

 私服がダサい。

 大人は基本信用していないし、気に入らない相手にはとりあえず噛み付く癖のある警戒心高めの気性難。

 ただ死別の経験があるため、友人関係では繊細で不安定な面がある。

 実は父系の家が大地主なので、上流階級出身だったりする。

 私服がダサい(二回目)。 

 

 北海道の田舎生まれ。スペシャルウィークとは幼馴染で、親友であると同時にライバルでもある気が置けない仲にある。

 

 私生活では規則正しく、過食や夜更かしもしない健康そのもの。

 

 

・初期能力

 

 スピード:82

 スタミナ:100

 パワー:103

 根性:81

 賢さ:79

 

・成長率

 

 スタミナ:20% 

 パワー:5% 

 根性:5% 

 

・バ場適正

 

 芝:A 

 ダート:G

 

・距離適性

 

 短距離:G

 マイル:E

 中距離:A

 長距離:A

 

・脚質適性

 

 逃げ:G

 先行:E

 差し:B

 追い込み:A

 

・固有スキル

 

『我が心、彼岸過迄』

 最終コーナーで後方から追い上げると、雪崩の如き勢いで速度を上げる。

 

 

【初期スキル】

 

 策士

 お見通し

 直線一気

 

 

【覚醒スキル】

 

 仕掛け抜群(Lv2)

 疾風怒濤(Lv3)

 後方待機(Lv4)

 弧線のプロフェッサー(Lv5)

 

 

【目標一覧】

 

 目標1 メイクデビューに出走

 

 目標2 弥生賞で5着以内

 

 目標3 日本ダービーで5着以内

 

 目標4 産経賞オールカマーで5着以内

 

 目標5 ファン人数を15000人にする

 

 目標6 金鯱賞で2着

 

 目標7 宝塚記念で2着以内

 

 目標8 ジャパンカップで2着以内

 

 目標9 有馬記念で1着

 

 

 

 SR【遥か彼方の2400】

 葉隠香織

 

 

【挿絵表示】

 

 

 年齢:26

 

 担当チーム:シリウス

 

 身長:173㎝

 

 体重:54.2kg

 

 BWH:B72 W50 H73

 

 誕生日:2月15日

 

 得意なこと:頑張る事。

 

 苦手なこと:片付け。

 

 マイルール:徹夜上等。

 

 スマホ壁紙:チームのみんなで撮った集合写真。

 

 

 概要

 

 チームシリウスを担当する女性トレーナー。

 気弱で泣き虫で不器用な性格をした、ちょっと頼りないタイプだけれど、ウマ娘を想う気持ちは誰にも負けない、実は熱いハートの持ち主。

 そんな彼女は、私生活のことにはてんで無頓着なようで、よくチームのウマ娘にお世話されてるとか……。

 

 いかにも不健康でダウナー雰囲気を纏う女性。

 ウマ娘の事第一で自分のことは二の次な、とにかくひたむきな性格。仕事の腕は確かで周囲からの評価も高いのだが、過去にいじめを受けていたせいか自己評価は低め。

 

 実はハーメルン版と電子書籍版で性格がちょっと違う。

 

 ハーメルン版

 エリートであり、中央にはいってから早々にシリウスのサブトレーナーに収まり、さらには初担当のフクキタルがGⅠを獲ったことで、周囲からのやっかみを買ってしまった。

 

 電子書籍版

 落ちこぼれであり、成績もギリギリで中央にはいって来た。それなのに当時オグリキャップがいたチームシリウスに拾われたから、周囲からのやっかみを買った。

 

 

  




 吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
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間話小噺
小噺:モルモットは超光速の夢を見るか?


小噺は2000文字程度の極々短いお話なので、スナック菓子感覚でお楽しみ下さい。

ところでタキオンとエピオンって似てませんか?似てますよね。
いけ、タキオン!私を勝利を見せるのだ!!うおおおおおおおお!!!


 デビュー戦を走り終えてすぐの事である。

 その日は、私にしては珍しくひとりで廊下を歩いていたのだが、それが災いしてか何やら見慣れぬ輩に絡まれてしまったから困っていた。

 絡んできたそいつはアグネスタキオンと言う名の、いかにも悪の科学者めいた目付きのウマ娘で、開口一番「やあやあ、突然すまないが君は体がずいぶん丈夫なそうだね。是非ともその秘密を探らせてくれないかい?」と捲し立ててきた。

 急な事に驚きながらも、なんだ体力テストでもするのかと聞けばアグネスタキオンは、そんなありきたりな検査はしないよ。と首を振る。

 じゃあ何をして検査するのだと聞けば、こいつは意味深に笑って私の研究に協力するなら教えてあげようじゃないか。と言うから、面白い奴めと怖いもの見たさに尾いて行く事にした。

 そうして案内された部屋はあったのは、どう見ても電気椅子にしか見えぬ椅子であった。

 まさかこれで検査するとは言うまいなと聞けば、おやよくわかったねとアグネスタキオンが返したから閉口した。

 何と言う事だ。こいつの言う検査とはすなわち電気椅子による拷問であったらしい。

 いくら頑丈な私でもさすがにこれは堪らんので逃げ出そうとしたが、しかしどこへ行こうと言うのかねと回り込まれてしまったから万事休すだ。

 迫るアグネスタキオンに後退りしながら、もういっそ窓から飛び降りてやろうかとさえ考えていると、急に部屋の扉がノックされたからふたりして飛び上がった。

 何だ何だと見ていたら向こうから「開けろ! 風紀委員会だ!」と声がして、アグネスタキオンが露骨にしまったと顔を顰める。

 間髪入れずに扉が蹴破られて、竹刀を携えたバンブーメモリー以下数名が突入してアグネスタキオンを捕縛、私を保護したからこの日は事なきを得た。

 

 次の日にまたもひとりで廊下を歩いていると、曲がり角からひょっこりアグネスタキオンが出てきて、やあやあ奇遇だねえと挨拶してくる。

 何の用だと聞けば昨日の続きをしようじゃないかと言うから呆れた。

 よくまあ顔を出せたものだが悪の科学者とは懲りないのが世の常と言うから、こいつもきっとそういう類なのだろう。

 今度は真面なのだろうなと言えば、もちろんだとも、プロだからね。と答えて懐から蛍光色に輝く試験管を一本取り出すから踵を返した。

 またある日の事だ。

 セイウンスカイと授業をさぼって学園の中庭で昼寝なぞしていると、アグネスタキオンがようやく見つけたぞと笑いながらやって来たからげんなりした。

 今度は何だと口をへの字にして聞けば、今日こそは協力してもらうよと笑って私の肩を掴むからますますげんなりする。

 セイウンスカイに助けを求めようと思ったが、残念ながら隣を見たらすでに影もないから、ちくしょう逃げやがったと天を仰いだ。この借りはいつか返させてもらおう。

 しかたなしに今日は何をする気なのだと嘆息すると、アグネスタキオンは小さな薬箱から錠剤をひとつ取り出して、これをひとつ飲んでみてくれと言う。

 しかしそう簡単に飲めと言われても、こんな得体のしれん薬を飲むのはなかなかできる事ではない。

 飲むにしても水が欲しいから少し待ってろと言って、水飲み場に行くふりをして私はそのままシリウスの部屋に逃げ込んでやり過ごした。

 

 さらにまた次の日には、自主訓練の走り込み中にやって来て、やあやあ昨日ぶりだねえと並んできたからしつこさに呆れて閉口する。

 二度あることは三度あると言うが四度もあってはもはや言葉も失うと言うもので、私はもうこいつがらみの面倒に巻き込まれぬように口を利かん事にした。

 隣で何やら捲し立てるアグネスタキオンを無視して走り込みを続けていると、布製の腕輪のような器具を目の前まで持ち上げて、これで君の心肺機能を測定させて欲しいと頼んでくる。

 どういう風の吹き回しかは知らんが、以前の電気椅子やら薬やらよりはよっぽど真面な頼みだったから、まあそれでこいつが大人しくなるならばと付けてやる事にした。

 この時の私は、この一回だけを聞けばそれで終わりだと思っていたのである。

 さても怪しげな器具を付けて走る事になった訳だが、予想に反してアグネスタキオンは終始情報収集に徹して静かだから驚いた。

 これは偏見も甚だしいのだが、とにかく研究者と言うのは画面やら紙やらに向かってぶつぶつ呟いているもんだと思っていたから、何だか妙な気分になる。

 しばらく外を走ってから学園に戻ってくると、器具を回収したアグネスタキオンがハッハッハと笑って、君のおかげで素晴らしいデータが取れたよと言う。

 ただ走っただけで何がわかるのかは知らんが、満足したようで何よりである。もう付き纏うなよと嘆息混じりに言い含めて、それで私はやっとこのマッドサイエンティストから解放されたと思った。

 

 だが今にして思えば、私はこの時点でアグネスタキオンの術中に嵌っていたのだろう。

 ここで一度気を許してしまったばっかりに、この日から私とアグネスタキオンとの奇妙な付き合いが始まってしまったのだが、それはまた別のお話である。




次はアンケートで一番だったお話を書く予定ですので、対戦よろしくお願いします。

 吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
 本編に大幅な加筆修正に加え、新規エピソードが追加されていたり、各主要キャラの設定を見直したりと、いろいろな部分に手を加えています。
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小噺:四つ葉の下

人間は人間同士で、ウマ娘はウマ娘同士で結婚すればいいと思うの。


 ダービーが終わってから数日経った頃、ふとフクキタルの奴へ日頃の礼をしようと思い至った。

 どうしてそんな話になったのかと言えば、なんという事はない。その日の昼飯時に、スペがチームの奴らに日頃の感謝を込めた手紙を書いたと言ったからである。

 聞いた時は殊勝だなとしか思わなかったのが、部屋に帰ってからふと、そういえば私もシリウスの奴らにはずいぶん世話になっていたな。と気が付いたから私もやるかとなった。

 まず手始めとして、フクキタルへ感謝しようと考えた。

 あいつには後輩としてずいぶん世話になった。末脚に関しては特に多くを助けてもらった。あいつのおかげでダービーを勝てたようなもんでもあるから、ここらでひとつ感謝の意を伝えるのも悪くはなかろう。

 しかしスペのように手紙を送るのは気が引ける。あいつ如きに改めてそんな物を渡すのは小っ恥ずかしいし、手紙をネタに一生茶化されそうでよろしくない。贈り物も同じ理由で気が進まん。

 となればここは、手作りの料理でも振る舞ってやるのが良いだろう。食ってしまえば跡形も残らん上に、茶化されても躱しやすい。感謝を示すにも打って付けである。

 思い立ったが吉日なので、さっそく商店街へ食材を買いに出ていろいろと買い揃えたのだが、誤算だったのは調理場の状況である。

 意気揚々と調理場に入ったのも束の間、なんと明日まで使用不可だと言うのだ。

 何があったのだとフジキセキに聞けば、何でも料理が下手くそな奴が鍋を爆発させて掃除が大変らしい。

 犯人曰くバクシン的に料理を進めようとした結果だそうだが、何をしたらここまでひどく鍋が爆発するか甚だ疑問である。きっと電子レンジにダイナマイトでも入れたに違いない。

 ともかく出鼻を挫かれた私はしようがないと部屋に戻った訳だが、今度はフクキタルの方で問題が発生したからばかにでかい嘆息が出た。

 こいつときたら帰ってくるなり私に、飾っていた四葉のクローバーが枯れたから不幸になると泣きついてきたのである。

 よっぽどくだらんのでベッドに投げ飛ばしてやろうかと思ったのだが、しかし待てよと閃いたから手を止めた。

 明日は休日で、授業も鍛錬もない。調理場は明日まで使えない。そしてここに来て四つ葉が云々の話である。

 となれば、つまりこれは手作り弁当を持ってピクニックに行く流れではなかろうか。

 学園の近所にある公園にはでかい草地があって、休日には家族連れがピクニックをしていたりする場所だ。四つ葉探しにはもってこいだろう。

 そこで私はこいつに手製の弁当を振る舞って感謝を伝える。こいつは四葉を探すついでに美味い飯を食える。

 なるほど素晴らしい案だ。いかに駄洒落皇帝でもこう上手い案は思いつかんだろう。と、この時は思った。

 繰り返すようだが、思い立ったが吉日である。

 この案をすぐさま実行すべく、私はフクキタルへ、それじゃあ明日にでも近所の公園へ探しに行くか。と上機嫌に約束してやった。

 そしたら、急に優しくなってどうしたんですか、似合わないし不気味ですよ。と真顔で言うから手酷くベッドに投げ飛ばした。

 ちょっと親切にしてやったらすぐこれである。まったく油断も隙もありゃあしない。

 

 さても次の日になった訳だが、起き抜け一番に私は昨日の自分を思い切りぶん殴りたい衝動に駆られていた。

 よく考えれば、何故わざわざこいつとピクニックに行かねばならんのだ。こいつがだらだら四つ葉を探して帰ってくるのを寮で待ち受けていれば良かった所を、わざわざ弁当を作ってまで尾いていく必要なんぞないではないか。

 冷静になって考えればとにかくばからしい。阿呆の極みだ。またしても勢い任せの無鉄砲で損をした訳である。

 すでに不貞寝したい気分だったが、私は冗談は好きだが嘘は好かん。面と向かって約束をした手前、これをやっぱりやめたと反故にするのは良しとする所ではない。

 結局散々に悩みながらもちゃんとお手製の弁当は作って、昼にはフクキタルと一緒に公園へ出かけた。

 快晴の空の下で、さあ四葉のクローバーを見つけますよ! とフクキタルが意気込む。

 和気藹々とする家族連れが大勢いる中にあって、こんな間抜けな事をのたまうのはきっとこいつくらいのもんだ。まったく我が先達ながら恥ずかしくなる。

 いかにも揚々と草地に向かって歩いていくフクキタルを引き止めて無言で鞄に隠し持っていた弁当を差し出す。

 すると何ですかこれ? と聞かれたから弁当だと答えて、手が汚れる前に食えと有無を言わせず側のベンチに座らせた。

 最初はいきなりの事に困惑していたフクキタルだったが、おずおずと弁当の蓋を開けるなり小さく歓声を上げる。

 中身はおおよそ弁当の定番である唐揚げ、ポテトサラダ、アスパラのベーコン巻き、タコさんウインナーなどの見慣れた面子である。

 無論、卵焼きもちゃんとある。砂糖を使って甘めに作った奴なので、冷めても食えなくはない。

 これ全部手作りですか! と驚いたフクキタルは、まず唐揚げを食べて満面の笑みで美味しいと言う。

 続けてアスパラのベーコン巻き、ポテトサラダと食べていくが、その度に美味しい美味しいと頷く。

 特に卵焼きを食べた時なんかは、これは私の好きな味ですね! とパクパク食べるから、何だか照れてしまってつい子供舌めと憎まれ口を叩いてしまった。

 しかし何て事はない普通の弁当だがここまで美味い美味いと言われると、まったく作った甲斐もあったと思えて悪い気はしない。

 フクキタルの絶賛に気を良くした私は、得意になってこのまま勢いに乗ってこいつに感謝を伝えようと口を開いた。

 だがどう言う訳か、急に恥ずかしくなって声が出なくなったから魂消た。

 毎日寝食を共にしているのだから日頃の礼を伝えるくらいどうと言う事はないと思っていたのだが、逆にこれのせいで、母親に面と向かってありがとうと伝える時のような心境になってしまって敵わん。

 兎にも角にも情緒の据わりが悪い。

 しかしこんなので尻込みしていては無鉄砲も名折れである。感謝のひとつも伝えられん軟弱者になるのは残念だ。

 私は心中でぐっと気合を入れるとフクキタルの両肩を掴んで、真正面から日頃の感謝を伝えてやった。

 フクキタルは一瞬だけ呆気に取られていたが、束の間には、母親めいて優しく微笑むと「ありがとうございます。私も、貴女には感謝してますよ」と頭を撫でてきたから堪えきれず顔から火が出た。

 こうなっては、しばらくはこいつの顔を真面に見れそうにもない。まったく慣れん事は思いつきでするもんではないものである。

 

 ちなみに四つ葉は無事に見つかった。

 今は押し花にして、私の栞に使われている。




あと一話書いて心の百合園に水をあげたら本編に戻ります。
すまんのぉ、もうちょっとだけ続くんじゃ……。

 吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
 本編に大幅な加筆修正に加え、新規エピソードが追加されていたり、各主要キャラの設定を見直したりと、いろいろな部分に手を加えています。
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小噺:銭湯とナリタ

お風呂でカポーンってなるやつって誰が最初にやり出したんでしょうね(永遠の謎)


 これはいつの時分だったか忘れたのだが、ふとでかい風呂に入りたいと思い立って近所の銭湯に行った事がある。

 寮の風呂もまあでかいが、あそこは種類がひとつしかないし何よりサウナがない。でかい風呂に入るならサウナはつきもんである。サウナがない風呂屋なんぞ手落ちも良い所だ。

 そんな訳だから、どこか近所にないもんかと探していると、ちょうど商店街に詳しいナイスネイチャと言う奴が、商店街近くの銭湯にサウナがあるよ。と教えてくれた。

 そこはなりたの湯と言う名前の銭湯で、何でも商店街の奴らから憩いの場として親しまれているらしい。

 これは良い事を聞いた。ナイスネイチャに礼を言って、私は早速そのなりたの湯とやらに驀進した。

 さても古めかしい見た目のそこは、外見のみならず中身もまあ古い。

 扉は木製の引き戸で、建て付けがすこぶる悪いから開けにくくて敵わん。暖簾をくぐった先にある下駄箱は、今日日見ない木板が鍵になっているものが使われている。貴重品入れなんぞ錆びとへこみでぼろぼろだ。

 極めて良い言い方をするならば、ここには趣があった。まるで昭和の時代にタイムスリップしてきたみたいで、風呂に入るのが少しばかり楽しみになる。

 番台の爺さんに入浴料の四五〇円を払って脱衣所に行くと、思いの外広々としていたから驚いた。

 表に休憩所がない分をこちらで補っているらしい。数匹の金魚の泳ぐ小汚い水槽と、ほとんど皮が剥がれているソファーが、何とも言えぬ雰囲気を醸し出していて面白い。

 意気揚々と服を脱いで人も疎らな風呂場に入ると、今ではもうお目にかかれないであろう富士山が見えた。

 銭湯に富士山など話にしか聞いた事がなかったが、こうして直に見るとなかなかに迫力がある。風流と言うのがあって大変に良い。

 肝心の湯船だが、これは三つあった。右から順に白湯、気泡湯、薬湯である。揃えは良くも悪くも無難と言った所か。薬湯は独特の匂いがないから、苦手な奴も入りやすくて良さそうだ。

 まずはシャワーで身体を流して白湯に入ったが、これがなかなかに適温で気持ちが良い。白湯でこれなら気泡湯と薬湯も期待できそうである。

 上機嫌に鼻歌を歌いながら身体を温めていると、ふと勢い良く引き戸が開いて、ひとりのウマ娘が風呂場に入ってきた。

 真っ白い手拭いを肩にかけて威風堂々と歩くそいつは、シャドーロールの怪物ことナリタブライアンである。

 ”なりた“の湯と”ナリタ“ブライアンで“なりた”が被ってしまった。などとくだらん事を考えていると私の存在に気が付いたナリタブライアンが、お前、ここで何してるんだ。と声をかけてきた。

 何と言われても風呂に入っているとしか答えようがないから、湯に浸かっているだけだと返した。そうしたら憮然に眉を顰めて、そんな事は聞いていない。と仰るからこいつの言いたい事がわからん。

 しばしの沈黙のあとには、ばかにでかい溜め息を吐く。よもやお気に入りの場所を取られて怒っている訳でもあるまいに、益々もってわからんから内心で首を傾げるしかない。

 変わらず憮然とした顔で湯船に入ったナリタブライアンは、私から距離を取ると胡座を掻いて両腕をふちに乗せてどっしり構えた。

 まったく堂々とした奴である。よっぽどここに入り浸っていると見える。

 人も疎らな銭湯に、ウマ娘がふたり。お互いに会話もなく、湯に浸かっている。

 盛り上がる話題でもあれば良かったのだが、残念な事には、こいつが好みそうな話なんぞまるで知らんから困った。

 まあこいつとはわざわざ風呂で話す事なんぞないのだから、当然と言えば当然である。

 会話らしい会話もないまま、やがて疎らにいた婆共も出て行ってふたりきりになると、束の間にもうひとりチビのウマ娘が入ってきた。

 私らを見るなり嫌そうに顔を顰めたそいつは、数秒くらい迷ったあとに隅っこに浸かると、不機嫌にむっつりした。

 しかもそのすぐあとには、私の身体と、ナリタブライアンの身体と、そして自分の身体を見比べて、くっ。と憎々しげに呻くからますます会話できるような雰囲気ではない。

 しかしそんなチビに恐れ知らずの怪物が、おいタイシン、姉貴は健勝か。とこいつに問いかけたからチビの名前がわかった。

 なるほど、あれはタイシンと言う名前らしい。

 対するタイシンとやらはナリタブライアンの問いかけに、自分の姉なんだから自分で聞いたらどうですか。と素っ気なく答えたから、雰囲気が一気に悪くなった。

 さすがにこのままでは居た堪れんので、お前らここにはよく来るのか。と無理矢理に話題を変えたらまずナリタブライアンが、それなりにだがな。と答えて、それからタイシンが大きく間を置いてから、同じく。と言う。

 続けて気に入ってるのかと聞くと、それなりだ。同じく。と似たような答えばかりが返ってくるから、どいつもこいつも会話が不自由でいかん。

 ついには心中でほとほと呆れて居た堪れなくなったから、そろそろ目当てのサウナでも行くかと立ち上がった。

 すると、ナリタブライアンとタイシンも同時に立ち上がったから、何だこいつらはと驚いた。ふたりも何だこいつはと驚いた顔をしている。

 どうやら私たちは、ほとんど同時にサウナへ逃げ込もうと思案したらしい。もっと他に逃げ込む所があるだろうと思ったが、それを言うと私にも当てはまるのでやんぬるかな。

 しようがないのでぞろぞろサウナに入った。暑いのに冷えていた。

 相変わらず無言の空間が続いている。

 入ったばかりなのにもう出ていきたい気分だが、ここで動くとまたこいつらが尾いて来るのではないか。なんて疑ってしまって動けない。

 無論それは向こうも同じで、誰かが動いたら全員が動くのではないか。と言う疑念に動けずじっとしている。

 結局そのまま誰も動かないまま時は過ぎて、そろそろ脱水症状が怖くなってきたからこりゃあいかんとほうほうの体で外へ出た。

 その頃には私たちの間には諦観めいた奇妙な友情が芽生えていて、会話らしい会話もなかったのに同じように行動する事を不思議に思わなくなっていた。

 

 なお、風呂上がりに飲むもんは見事にバラバラであった。

 私は珈琲牛乳を飲むべきだと主張したのだが、怪物殿はフルーツ牛乳が一番だと言って憚らんし、タイシンは普通の牛乳でいいじゃんと投げやりで、まったく意見すら合わないから友情もここまでである。

 飲み物の好み如きで散るとは、かくも儚き友情もあったもんだ。




次回から本編に戻ります。
シリウスに新しい新メンバーがついに加入!……するかも?

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打倒覇王:夢十夜


新章開幕!
完結目指して頑張るぞー!えい、えい、むん!


 ダービーが終わったあとには話しきれん程に多くの事があったから、夏合宿までを端折って話すとする。

 

 まずは宝塚記念である。

 スピカのサイレンススズカが逃げ切ったあの試合を、偵察がてらシリウスの奴らと観戦していた訳だが、あいつはまったく恐ろしい逃げをするもんだ。

 あれに勝つには、はたしてどうするべきか。戦うのはまだ先になるだろうが、今から対策でも立てておくべきだろう。

 

 さても宝塚記念が終われば今度はシリウス採用試験である。

 ダービーを勝った私目当てにまだデビューもしていない奴らがわらわらと集まってきたのだが、いくらこのままではメンバー不足でお家取り潰しになりかねんシリウスでも、まさか来た奴ら全員をチームに入れるなどできぬ。そう言う訳で、芝二四〇〇のコースを借りて試験を行う事となった。

 ちなみに採用条件は干物との面接試験に合格後、私とレースをして四位以上になる事である。無論一位は私が取った。

 

 試験に合格して無事に残った幸運なウマ娘は、ウイニングチケット、ライスシャワー、そしてエアシャカールの三名であった。

 

 ウイニングチケットは差しを得意とする豪脚持ちで、非常に真っ直ぐな走りをする。しかし情緒の振れ幅が恐ろしく大きいのか、何かある度に大声で喜んで大声で悲しむうるさい奴だ。

 初めに会った時は開口一番に、ダービー感動したよぉ! と全部に濁音が入っていそうな酷い泣き声で言ってきたし、試験に合格した時など歓声を上げた直後には、うおおおおん! と泣き出すしで始末に負えない。しかしこの真っ直ぐすぎる感情表現とそれを表したような走りは嫌いではない。

 

 ライスシャワーは先行を得意とする生粋のステイヤーである。自分を不幸だなんだと自罰ばかりして己を卑下するから、似た性格をしているメイショウドトウとウマが合いそうな気弱な奴だ。

 実際こいつらが会った時など、何かシンパシーでも感じたか真っ先に握手を交わしていたからやはり同類なのだろう。しかしその祝福の名に恥じんようにと走りに対する情熱は誰よりも強くあり、一皮剥ければ相当に強くなると思われるシリウス随一の逸材である。こいつの将来が楽しみだ。

 

 エアシャカールは私と同じ追い込みを得意とする奴だ。とにかく荒々しく、切れ味鋭いナイフみたいな性格な上に、ロジカルだの数字がどうだのと言って勝手をするとんでもなく気性難な奴だ。

 兎にも角にも頭が良い上に数字の信仰者であるため、少しでも練習と己の計算が食い違うと干物に噛みつき、挙句にはやってられんと勝手をし出すから一時にはお前は何をしに来たんだと呆れていた。しかしメイショウドトウが何かと世話になっていると言うから、案外面倒見が良い奴らしい。

 

 総じて兎にも角にも見事な癖ウマ娘ばかりである。

 これではチームシリウスが癖ウマ娘収容所と揶揄されかねんので、面接試験の基準を改める必要があるだろう。

 それを干物に伝えると変な物を見るような表情で、いや他人の事言えないでしょ君。と返されたから遺憾である。

 

 そうこうしているうちに、今度は夏合宿が来た。

 学園が夏休みになる関係でトレーニング施設がほとんど使えなくなるから、各地の施設を借り受けて合宿を行うのが通例である。

 無論我らシリウスもこれに倣ってどこぞの海で合宿を行ったわけだが、まあこれが大変に厳しくてとにかく敵わん。

 鍛錬は元より厳しいのだから覚悟していたが、予想外に問題だったのは新人どもだ。

 ウイニングチケットが練習の度に泣き出すのは良いとして、ライスシャワーが何かと間が悪く不幸に見舞われて変な目に遭うし、エアシャカールは内容にけちを付けて勝手な鍛錬をやり出したりと、初日からしてもう散々であった。

 全員でこいつらの舵取りをしてなんとか日程は終わらせたが、もうこんな目に遭うのは懲り懲りである。

 だがこいつらの面倒を見る名目で、遠泳を回避できたのはささやかな幸運であったかもしれん。

 

 さてもここまで激動の日々を過ごしてきたのだが、ここで小休止とばかりにファン感謝祭がやって来たからやっと気が抜けた。

 中央トレセン学園では初秋に感謝祭と称して、一般人も参加できるでかい祭りをするのが恒例である。

 これは普通の学園で言う所の文化祭に該当する祭りなのだが、生徒で出店やら出し物をしたり、ライブや大食い大会なんかをやったりするからとにかく規模が凄まじく、敷地の広さも相まってもはやちょっとした見世物興行だ。

 そんなファン感謝祭においてはこのシリウス、なんと小規模ながら喫茶店をやる事になっている。

 私とエアシャカールが料理をできるもんだから、それを活かしてちょっくら小遣い稼ぎをしてやろうと言うのだ。

 学生が作る飯だから値段などたかが知れているので儲けはそこまで出んだろうが、しかし祭りというのは参加して楽しむことに意味がある。

 今回は正味売上など気にせず、楽しむ事を主軸にして喫茶店経営をしようではないか。

 

 とまあ、ここで終われば楽しい思い出で終わったのだが、残念ながらそうはならなかった。

 

 きっかけはライスシャワーが放った一言「あのね。ライス、メイドさんになってみたいの」である。

 これを聞いた干物が手を叩いて、じゃあメイド喫茶にしよう。と言うから、確かに接客担当の奴らが可愛い服を着ていた方が集客もよかろうとこの時は頷いた。

 だが当日になって届いた衣装には、何故か私とエアシャカールの分も入っている。ご丁寧に私の分はミニスカ、エアシャカールの分はロングスカートと別けられている。

 やいこいつはどう言う事だと詰問してみれば、君らも接客するんだから着るんだよ。と干物が言うからふざけるなと猛烈に抗議した。

 いくら何でもこんなひらひらした物を、しかも言うに事欠いてミニスカートなど着れるか。まったく破廉恥にも程がある。

 エアシャカールも何か言ってやれとけしかけたら、いやこれで客集まるンなら別に良いだろ。と予想外に返されたから私の気持ちを裏切ったなと悲鳴をあげてしまった。

 しかもそのあとにはライスシャワーが、ライスなんかとお揃いなんて嫌だよね。と涙目になり、さらにウイニングチケットが大声で、着てもらえないなんてメイド服さんがかわいそうだよぉぉお! と泣き出すから、ああもうわかったから泣くんじゃない。と渋々、本当に渋々、しかたなく、どうしようもなく、こいつを着る事になった。

 着替えたは良いものの、普段はミニスカートなんぞ着ないからとにかく股の風通しが良すぎて、ちょっと動いただけで下着が見えてしまそうな気がして敵わん。

 裾を押さえながらひょこひょこ不恰好に歩いて出ると、フクキタルが開口一番に、いや〜元が良いだけあってマ子にも衣装ですねぇ。と他人事のように言いやがる。メイショウドトウもこれに同意して、お人形さんみたいですっごくかわいいです。と和んで微笑み、ライスシャワーもウイニングチケットもうんうんと頷くからもう恥ずかしくて死にたくなる。

 そしてトドメとばかりに干物が作ったローテーションによって、私は午前いっぱいを厨房だけでなく接客にも立たされる羽目になった。

 やってくれたな干物め、この屈辱は忘れんぞ。

 

 ファン感謝祭の始まりを告げる花火がなると、少ししてすぐに客が入って来た。

 無理矢理に笑顔を作って、御帰りなさいませ御主人様。と挨拶すると、そこには変態と名高いアグネスデジタルが立っていたから息が止まった。

 思わぬ一番客にうわあと心中で嘆いたのも束の間、私の姿を見たアグネスデジタルが「は? 普段は女っ気ない強気なオラオラ系姉御肌なウマ娘ちゃんにミニスカメイド服着せるとか最高すぎてキレそうこれ提案したの何処の誰ちょっとこの神采配について熱く語り合いたいんだけどあとこのもぎたて♡にーちゅなにんじんジュースともえきゅん⭐︎オムライス〜愛の魔法で召し上がれ♡〜を魔法有りでくださいそれとツーショットチェキもいいですか」と何故か熱り立った口調で捲し立てて来たから、ツーショットを撮ってやった後に企画発案者の干物を厄介払いがてら投げつけておいた。

 

 初っ端からとんでもない客に当たってしまって、もうすでに気持ちが萎えてしまったが、感謝祭はまだまだこれからである。ここでやる気を失っていては先がない。

 午後まで頑張れば解放されるぞと何とか自分を奮い立たせて、私は次なる客へぎこちない笑顔を向けた。

 だが振り向いた先には笑顔のテイエムオペラオーが立っていたから、さすがに膝から崩れ落ちた。

 何でお前が来るんだとほとんど悲鳴に近い声で問えば、ジョセフィーヌがボクを導いたのさ! とまたわからん事を言い始めるから地団駄を踏みたくなった。

 ちなみにジョセフィーヌとはこいつ愛用の手鏡の名前である。鏡に名前を付ける意味がわからん。

 よっぽど追い返してやりたいが大事な客であるから無体にはできん。気持ちを押し殺してテイエムオペラオーを案内すると、私はなんとか笑顔で注文を取ってから厨房に引っ込んだ。

 注文はアグネスデジタルと同じくにんじんジュースとオムライスだったから、纏めて作って出す事にした。エアシャカールにケチャップでハートを書けと言ったら殺すぞと返されたのでしょうがなく私が書いた。

 アグネスデジタルの方をライスシャワーに任せて、私はテイエムオペラオーの方に品物を持っていった。そしたらこいつが、おや向こうみたいに呪文は言ってくれないのかい? と言うからお前本当にふざけるなよと歯噛みした。

 死んでも嫌である。あんな痛々しい媚びた科白を言うなど、末代までの恥にしかならん。

 そう返してフンと鼻を鳴らしてやると、そうかそうかつまり君はそういう奴だったんだな。と露骨に失望した様子で煽ってくるから思わずムッとして、そこまで言うならよろしい。お望み通りやってやろうじゃないか。と熱り立ってこれを受けてしまったから大変である。

 すぐに南無三乗せられたと口惜しくなったが、吐いた唾は今更飲み込めんのでもうやるしかない。

 手をハート型にして胸の前で構えて無理矢理に笑顔を作ると、意を決して、普段は絶対に出さないいかにも媚びたような声で「お、おいしくな〜れ♡おいしくな〜れ♡らぶらぶきゅん♡」と反吐みたいな科白を唱えた。

 一瞬の静寂のあと、テイエムオペラオーは素晴らしいとこれを拍手で称えた。アグネスデジタルがその後ろで尊いと呟いて息絶えた。

 やり切った。だが心中にあるのは羞恥だけであった。後悔先に立たずと言うのは、今この瞬間のためにあるに違いない。腹を切って死にたい思いである。

 

 テイエムオペラオーのあとには、恐ろしい事にスペたちが来た。ご丁寧にサイレンススズカも一緒にである。

 何故こうも知り合いばかりが来るのだ。もしや世界は私に何か恨みでもあるのではなかろうか。

 原型もなくなる程に破壊された傷心のまま対応したら、さすがに事情を察したのかほとんどの奴らが私を慰めてくれてからちょっとだけ持ち直した。

 しかしここで空気を読まないサイレンススズカに呪文付きのオムライスを頼まれて、さらにハルウララも好奇心を抑え切れず、呪文ってどんな事言うの? と言い始めたから、もうどうにでもなれと半ばやけくそにオムライスを全員分作って呪文を唱えてやった。

 ついでに流れでスペとツーショットも撮ったのだが、この写真は今あいつの携帯の待ち受けになっている。後生だから待ち受けにするのだけはやめてくれと言ったら、やめません! と言われてしまったから、私の尊厳は午前中だけでぼろぼろになった。

 

 世の中、そううまい話はないものである。




メイドさんはロングスカートに白のガーターベルトが至高だって有史以来ずっと言われてるから(過激派)

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最近になって青3因子が出たらガチャを回すようにしたんですけど、そしたらサポカSSR2枚引きしたし、持ってなかったマルゼン姐さんと限定マヤノも来たし、収入が増えて月給40万円になったし、占い好きな彼女もできたのでおすすめです。


 地獄のような時間が過ぎた後には、一般客が大挙して押し寄せてきたからてんてこ舞いになった。

 ウマ娘のメイド喫茶と言うのはやはり相当のネームバリューがあるらしく、入口にも店内にも大行列で足の踏み場もない。

 更にはライスシャワーとメイショウドトウがドジをしていろいろとひっくり返し、これを見たウイニングチケットがまた泣き出したりするから収拾もつかぬ。

 あまりの忙しさに私も接客をしている余裕がなくなり、エアシャカールと一緒に厨房に篭りきりになってしまった。最初の方に来て私直々の接客を受けたアグネスデジタルらはよっぽど得した気分であろう。

 とにかくそんな調子であったから、日暮れ前にはもう食い物どころか飲み物すらなくなって完全に店終いになったのだから、ファン感謝祭と言うのはつくづく恐ろしい。

 売上自体は予想の倍以上ではあったが、この忙しさではまったく割に合わん。軽率に金を稼ぐ手段などこの世には存在しないものである。

 

 日も落ちた頃にやっと片付けも終わり、広場のベンチでぐったりとしていたら、フクキタルがにんじんジュースを持って隣に腰掛けてくる。

 何だ気が利くではないかと笑えば、今日は頑張ってましたから、先輩からのご褒美です。と言うので、素晴らしい心掛けだとありがたく頂戴した。

 ところが、上機嫌にジュースををちゅうちゅう吸っていると、不意にフクキタルが、我知らずと言った様子で深い溜め息を吐いたからおやと片眉を上げた。

 周りが暗いのでちょっと気が付かなかったが、隣を見るとどこか憂いを帯びた顔がある。

 いつもうるさい程に騒がしいこいつが、静かに鬱々としているなど実に奇妙である。

 あれだけ動き回ればさすがに疲れたかと思ったが、それにしては表情がいやに悲しげなのが気になった。

 放っておくのも寝覚めが悪いので、似合わん顔をしてどうしたのだ。と聞いたら苦笑いを浮かべて、ちょっと疲れただけです。と言う。

 しかしちょっと疲れただけではそんな辛気臭い顔にはならん。

 そう返すとフクキタルは、路頭に迷ったように眉尻を下げて弱々しく笑うと、それからぽつりぽつりと訳を話し始めた。

 

 何でも、私がやけくそに必死こいてスペたちにオムライスを作っている間にあいつらの事を占ったそうなのだが、その時にサイレンススズカの結果が非常に悪いものだったのだと言う。

 どんな結果が出たのだと聞けばポケットからタロットカードを二枚、塔と死神のカードを取り出して私に見せた。

 タロットカードにおいて塔のカードは、正位置では災難や災害による予期せぬ崩壊、逆位置では受難や誤解などによる不安な停滞を意味する最もネガティブな意味を持つカードである。

 これがまず正位置で出たから、サイレンススズカの未来は非常に悪い。

 そして死神のカードは言わずもがな。正位置ならば死などの破壊や終わりに関する凶事を示し、逆位置ならば創造や復活など再生に関する吉事を示す。

 だがサイレンススズカの前に現れた際は、正位置だったらしい。

 塔の正位置と死神の正位置。それが占いに出たと言う事は、近くサイレンススズカの身に、何か非常によろしくない災難が起こる暗示に他ならぬ。

 当時は咄嗟に、大きな試練が待ち受けているようです。と適当に誤魔化したが、やはり友人の身に何か大きな不幸が起こるかもしれない事実が今日一日ずっと尾を引いていた。

 フクキタルの憂鬱は、そう言う訳らしい。

 

 たかがカードの絵柄でくよくよするなどよっぽどくだらんと思ったが、そんなくだらん事でくよくよするのがマチカネフクキタルと言う奴だからしようがない。

 私は溜め息を吐いて、神様は乗り越えられる試練しか与えんと言うぞ。と肩を竦めた。

 シラオキ様とやらがどんな神様かは知らんが、こいつほど厚く信仰している奴がいるのだから、信徒の友人に無体は働かんだろう。

 それを言うとフクキタルは納得したようなそうでないような顔を浮かべて、そうかもしれませんね。と弱々しく頷いたから、こいつはことに重症だなと思った。

 占い狂いも難儀なもんだ。占いの結果ひとつで生涯が左右されると勘違いして、仰山に一喜一憂せねばならんのだから大変だ。

 先程よりもずっと大きな溜め息を吐いた私は、占いの結果なんざいくらでも覆るんだから元気を出せ。お前がそんなだと、こっちまで調子が狂うんだぞ。と照れ隠しを混ぜながら励ましてやった。

 フクキタルは驚きに目を見開いたあと、それもそうですね。と救われたように笑って頭を撫でてくるから、何か誤魔化そうとしてないかとむくれてみせた。

 そうしたらフクキタルが、あ、バレちゃいました? と悪戯娘よろしく舌を出してきたから、こいつめと脇腹をくすぐってやり返してやった。

 やはりこいつには辛気臭く白けた顔より、図抜けた明るい笑顔の方が良い。

 

 ふたりしてじゃれ合っていると、遠くの方でどんと音が鳴って、そのすぐあとには夜空に華が咲いた。感謝祭の終わりを告げる花火が打ち上がったのである。

 おおっ、とフクキタルが歓声を上げた。つられて私も空を見上げて歓声を上げた。

 どんどんと打ち上がる花火が秋の夜空を煌めきで彩っていくのを、ただ食い入るように見つめてしまう。

 こんなにたくさん、しかもいろんな種類の花火が、間髪入れずに打ち上がるのを見たのは初めてだ。花火だけで夜がこんなにも明るくなるなんて、ここに来なければ一生わからなかっただろう。

 この感動の気持ちを誰かに伝えてやりたい。この感情を言葉にして吐き出したい。そう思ってフクキタルのほうを見たら、何か眩しいものを見るような眼でこちらを見ているから、開いた口が閉じてしまった。

 どうしたのだと聞いたら、ありがとうございます。と脈絡もなく礼を言ってくる。いきなりの事に驚いて、どうした急に。と困った顔を傾げてみても、花火を見上げて穏やかに笑うばかりで何も答えなかった。

 さっきの励ましの事か、それとも何か別の事でかはわからんが、まあ私のおかげで良い気分になったなら幸いである。

 しかしこいつの横顔を改めて見ると、何だかんだやはり顔が良い。歳以上に大人びた美しさが備わっていて、不思議な魅力を纏っている。

 こうして黙っていりゃあこいつも綺麗なもんだ。普段からこれくらい静かなら、学園でもそれなりに人気だろうに勿体無い。とは言え、静かでお淑やかなフクキタルと言うのは、想像するとやっぱり性に合わんから、こいつはきっと今のままが一番に違いない。私も今のこいつの方がよっぽど好きである。

 頬杖を突いてそんな事をつらつら考えていると、私の視線に気が付いたらしいフクキタルが、何ですかそんなに見つめて。もしかして私に見惚れちゃいました? と得意な顔で言うから、私はちょっとだけ言葉に詰まったあとに、そんな訳があるか、ばかを言うな。と吐き捨ててそっぽを向いた。

 見惚れたなんてとんでもない。まったく、本当に油断も隙もない奴である。

 

 ファン感謝祭が終われば、また鍛錬とレースの日々である。

 鍛錬は主に、末脚の完成度を高める事と、同時に基礎能力の上昇を図る為に坂路往復を行った。

 ダービーで放った末脚も威力があったが、まさかあの程度で完成ではない。

 まだまだ重心移動は甘く完全ではないし、踏み込みからの加速も無駄が多くある。末脚をゴールまで維持し続ける力だってまだ未熟で、実戦で使うには幾分も心許ない。

 坂路往復とは、それらの課題を解決する為に行われた鍛錬である。

 ただ坂道を登るだけではあるが、四ハロンもある坂を登り切るのだ。スタミナとパワーは平地の二〇〇〇を走るよりも多く要求される。

 加えて登り切るまでのタイムを縮める為には、瞬発力とフォームを崩さずに走る技術も必要となるため、基礎能力を鍛えるには打って付けなのである。

 この鍛錬を次のレースまでひたすらに行った。雨が降ろうが風が吹こうが関係なく、干物の叱責を背に受けながら坂を登り続けた。

 とにかく厳しくてキツかったが、おかげで今の私はダービーの時よりも、格段に強くなったと実感している。今ならばテイエムオペラオーとも良い勝負ができそうなくらいである。

 ただひとつ難点があるとすれば、坂路往復のあとは足腰がガクガクして赤ん坊みたいなへんてこな歩き方になってしまう事か。

 坂路往復を始めた頃は特に酷くて、歩くのもひと苦労な状態になっていたから、スペたちには要らぬ心配をかけてしまった。

 

 レースの方は、産経賞オールカマーに出走した。

 GⅡ芝二二〇〇のこのレースに出走する目的は、次なるGⅠレース、クラシックロードの終着点たる菊花賞に向けての調整である。

 最初は京都大賞典か京都新聞杯かで迷っていたのだが、前者にはセイウンスカイが、後者にはスペとキングヘイローが出ると言うからこちらになった。

 私は好きな物は最後に食べるウマ娘だから、好敵手たちとぶつかり合うのは菊花賞の大舞台まで取っておきたいと思ったのだ。

 さてもレースの結果であるが、無論一着である。序盤から逃げが競り合って縦長の展開になっていたが、後半に失速したのでそこを後ろからばっさりと抜いてやった。

 坂路のおかげか、オールカマーは気持ち良く走れた。いつものように大外から一気に捲り上げてやったのだが、かのトウショウボーイを負かしたグレートセイカンと同じタイムである二分二.二秒を叩き出したから、こいつは上出来な仕上がりだと確信した。

 この分ならば菊花賞で世界レコードも夢ではないかもしれない。なんて、いささか以上に思い上がった事さえ考えてしまう。

 

 菊花賞に向けて、あらゆる面で万全であった。心身ともに最高の状態で、菊花賞に臨める所であった。

 しかし先日に行われた毎日王冠を偵察がてら観戦した際に、エアシャカールがいつも以上に厳しい顔で、潰れるなあいつ。とサイレンススズカを指して言ったから、私の中で大きく事情が変わった。

 

 どう言う事だと問い正せば、エアシャカールはしまったと顔を歪めて口を閉ざす。それでもしつこく問いかけ続けると、観念したように話を始めた。

 サイレンススズカの逃げは身体の耐久に対してあまりにも速度が出過ぎているらしく、このままレースを続ければ脚部の負荷が許容値を上回り、いつかには脚の骨、とりわけ旋回癖で酷使する左脚の骨が折れると言う。

 しかもこれはもう避ける事のできない事実で、運が良ければ練習中の故障で休養。運が悪ければレース中の故障で予後不良か、あるいは転倒して打ち所悪くそのまま死亡か。そんな所まで来ているそうだ。

 あんなに調子が良さそうな奴を指して何を言うかと肩を竦めたら、情報至上主義のエアシャカールは愛用のノートパソコンを睨みながらこう述べた。

「一般的なウマ娘の最高速度は六〇キロ、現役の競走ウマ娘でも出せて七〇キロ前後ッつう統計が出てる。ンで、これに対して今のサイレンススズカは平均時速七五キロ以上、ゴール前の伸びじゃあ八〇キロは下らなかった。これがどう言う事かわかるか? アァ? あのバカは身体が壊れねェギリギリ、テメェの脳味噌が超えちゃなんねェと定めた明確な線を、軽々しく超えてんだよ」

 ほとんど怒声に近いエアシャカールの言葉に、私たちは反論もできずに押し黙ってしまった。あのウイニングチケットでさえ黙って視線を彷徨わせた。

 この情報をどう扱って良いのか、全員が当惑して口も開けずにいた。

 

 どんなに丈夫な機械であろうとも、限界以上の力を引き出せば最後に待ち受けているのは自壊である。

 人間だろうとウマ娘だろうとそれは同じで、己の持ち得る以上の力を出せば、代償として必ず身体のどこかしらを悪くする。

 サイレンススズカにも、今に限界を超えた代償が襲いかかって来るに違いないと、エアシャカールが言ったのはそう言う事だった。

 

 にわかには信じ難い。たかが情報程度で何がわかるものか。数字は嘘を吐かんが数字を扱う奴は嘘を吐くもんだから、今回はエアシャカールの早とちりに違いない。

 だがもし本当に言う通りだったとして、現実にそうなってはスピカの面々が気の毒の極みだ。あんな強い奴が酷い目に遭ってはしばらく立ち直れんだろう。

 特にスペなんか一度あいつを亡っているのだから、そうなってはどうなるか想像がつかん。罷り間違って死に別れなどした日には、失意のままターフを去るのもあり得る。

 それにフクキタルの事もある。友人の身に不幸が起こったと知れば、きっと自分の占いのせいだと落ち込むはずだ。そんなのは私の良しとする所ではない。

 

 何としてもこの事態を解決せねばならない。しかしどうやってサイレンススズカを助けたら良いのか。

 本人に言った所で、脚に異常がなければあれは走るのを止めんだろう。

 沖野に伝えれば何とかなるかとも考えたが、練習でさえ危ういとなればどうしようもない。

 そもそもしばらく休めば治るようなものかもわからんのだから、あれこれ事前の策を考えるだけ無駄とさえ思える。

 しかしだからとこれを放っておくのは、私の良しとする所ではない。

 友人が死ぬかもしれんと言うのに、また指を咥えて見ているだけなど、それはもっとも我慢ならん事だ。決して許してはおけない。

 だがこの状況は、はたしてどうしたら良いのか。止める方法をわずか考えたが、私は元来ばかなので上策が思いつかぬ。

 結局は下策しか浮かばんのだから、私は無鉄砲に物事を解決するしかできんのだろう。

 

 私は青い顔で呆然としているフクキタルに呼びかけると、ひとつカードで私の未来を占ってくれと頼んだ。

 急な物言いに困惑した干物が、占いで解決できる訳ないだろ。と言ったが、私はそれを手で制して、良いからまずは占いを見ろ。と言い聞かせて黙らせた。

 フクキタルもでもだの何だと言って占いを躊躇していたのだが、二度も重ねて頼むとやっと占ってくれた。

 恐る恐ると差し出された山札から一枚引くと、戦車の正位置が現れた。強い意志や実行力による勝利を示すカードである。

 つまりこれは、下策でもやれば良いと言う事なのだろう。占い程度で自信が付くもんかと思っていたが、なるほど。占いも案外ばかにならんのかもしれん。

 手応えに思わず笑みを浮かべるとライスシャワーが何か察したのか、危ない事はしないよね? と問いかけてきた。

 メイショウドトウも心配になったのか私の制服の裾を摘んで、怪我だけはダメです。と震えた声で言う。

 私はふたりの言葉に当たり前だろうと頷いてから、干物に出走予定を変えてくれと言った。そうしたら当惑を隠し切れない声で、何をするつもり。と問い返されたので、ただの人助けさ。と余裕たっぷりにウインクしてみせた。

 

 変更先は、天皇賞である。




 吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
 本編に大幅な加筆修正に加え、新規エピソードが追加されていたり、各主要キャラの設定を見直したりと、いろいろな部分に手を加えています。
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結構な駆け足で進めたんですけど、いろいろ詰め込んだら秋天まで届かなかった……。
まあ言うてもまだ三話目ですから、多少はね?


 ダービーウマ娘が菊花賞を回避して天皇賞へ出ると言うのは前代未聞であるから、いろいろとあらぬ事を疑われた。

 仲間内にはエルコンドルパサーとサイレンススズカを指して、いっぺんも戦っていなかったからここらで一度手合わせしたくなったのだと言い訳をして、マスコミには干物と口裏を合わせて距離適性の問題であると発表してお茶を濁した。

 どちらの言い分も本当ではないが嘘でもない。こいつらとは公式戦で一度戦ってみたいと思っていたし、菊花賞の三〇〇〇と言う距離は私にとって未知の距離である。

 それを思えば、エルコンドルパサーとサイレンススズカが出て、なおかつ走った事がある距離の秋天は、私の望みと合致するレースだ。

 それにエルコンドルパサーは来年から一、二年ほどの海外留学を予定している。ここで勝負しておかねば次がいつになるのかわからんとなれば、無理にでも予定を変更して戦いたくもなるのが本音だ。

 転入初日の借りを返してやるぞと不敵に笑えば、エルコンドルパサーから、その挑戦受けて立ちマース! と良い笑顔をもらった。

 毎日王冠ではサイレンススズカに一歩及ばず負けていたが、こいつの地力は恐ろしい物がある。前に世界最強を目指していると飯の席で言ってたが、実力を伸ばした今ではその座にも手が届くやもしれぬ。

 サイレンススズカばかりに気を取られていては、こいつに足を掬われかねんだろうから要注意だ。

 

 出走レースの変更で予想外の問題があったとすれば、スペに物凄く面白くなさそうな顔をされた事だろう。

 間近に控えていた決戦を土壇場で逃げ出されたようなものだから、あいつが不機嫌にむくれてしまうのも致し方ない。同じ立場だったら私でも拗ねていただろうから、こいつの心中は察する所である。

 なので私も悪い事をしたと誠心誠意に謝ったのだが、口も利いてもらえずそっぽを向かれてしまった。どうにも酷くへそを曲げられてしまったようである。

 しばらく平謝りしてみたが全然許してもらえず、しようがないので伝家の宝刀たる私が手料理を作ってやると約束して、これで何とか手打ちにしてくれと頼んだらやっと許してもらえた。しばらくは腕と湿布が仲良しになりそうだ。

 しかしいくら急な変更とは言え、こちらを無視するまで怒るとはこの私の目をもってしても見抜けなかった。ライバルだ何だと言っておきながら、この我儘妹め。まだまだ可愛らしいではないか。

 謝罪と言えば、キングヘイローとセイウンスカイも同様の手段を使って機嫌を取ったのだが、それぞれ買い物に付き合えだとか釣りに付き合えだとかと、追加の注文をしてきたので現金な奴らだと思った。

 しかもこれに乗っかって、グラスワンダーも、エルコンドルパサーも、テイエムオペラオーも、果てにはハルウララまでが自分の予定に付き合えと言うから、気が付けばもう私の予定が年明けまで埋まってしまった。

 人の弱みにつけ込んで、無慈悲な奴らである。何も言わんメイショウドトウを見習わんかと憤ったら、あのあの私も遊びたいです。と控えめな口調で返されたからメイショウドトウお前もかと天を仰いだ。

 

 肝心の天皇賞へ向けた調整は順調である。

 芝二〇〇〇など走り慣れたもので、今更何か大きな事をする必要もない。やる事と言えば、サイレンススズカの対策を詰めていくだけだ。

 本来ならそもそもサイレンススズカを走らせなければ良いだけなのだが、この策はすでに沖野から失敗したと報告を受けている。

 精密検査では異常は見つからず、本人もすこぶる調子が良いので出走を止める理由が見当たらないそうだ。向こうでも脚の状態に気を付けて見ているらしいものの、兆候らしい何かは今に至るまでひとつも見つかっていない。

 しかしエアシャカールの見立ててでは、あと一回か二回も走ればサイレンススズカの脚は負荷に耐えきれずおかしくなるそうだから、秋天ではどうなるかわからない事になった。

 鑑みるに今回のレースで全力を出させたら、確実に故障すると見るのが良さそうである。

 そうなると全力で走らせないようにすれば良いのかという話になるが、その為には誰よりも早く前に行かねばならないと言う。

 サイレンススズカと言うウマ娘は、誰かに前を走られると露骨に調子が落ちる傾向にあると言われている。

 証拠としてリギル時代のレース映像を見せてもらったが、確かに走りに覇気と言うのがない。十八番である逃げではなく先行である事を差し引いても、これはあまりにも弱っているように見える。顔もずいぶん面白くなさそうだ。

 なるほど、つまりあいつの前にさえ出てしまえばそれで良いのか。そう言うとエアシャカールは不機嫌に脚を組み直し、干物も難しい顔で、言うは易しだけどね。と右の指を三つ立ててこの作戦の問題点を指摘した。

 

 まずひとつめに、私の脚質の問題がある。

 サイレンススズカより前に出るには必然的に逃げを行う事になる。だが私の脚質は追い込みであり、まったく正反対の作戦である逃げが根本的に向いていない。

 後ろからじっくりと戦局を見極めてレースの流れを読むのが私の手法なのだが、逃げるとなればそれが使えんのでさて展開をどうするかと言う訳だ。

 しかしこれに関しては、今度の休日にセイウンスカイから教えてもらう事で目処がついているから、そこまでの問題にはならない。

 まったく持つべきものは強敵である。

 

 ふたつめにあるのは、スタートの問題だ。

 先に話したように私の脚質は追い込みなので、下手に好スタートを切ってバ群に囲まれないようスタートを遅らせる癖がある。

 これ自体は別に矯正してしまえば良い事なのだが、問題となるのは、矯正した上で尚且つサイレンススズカよりも好スタートを切らねばならんと言う点だ。

 これに関してはもうその時になってみなければわからん。

 付け焼き刃であれに勝てるならば苦労はせんだろうが、しかし土壇場でサイレンススズカが出遅れる可能性もある。こればっかりは人事を尽くして天命を待つ他にない。

 

 そして最後に、努力だけで解決できぬのが枠の問題である。

 ただ逃げるだけならば外枠は不利なだけで終わるのだが、サイレンススズカを相手に内を取れないのはあまりにも致命的にすぎる。

 どれだけ上記二つの問題を解決しても、サイレンススズカが内枠で私が最外になってしまっては、それだけで勝負が決したと言っても過言ではないだろう。

 これの解決策は、ない。強いて言うなら、フクキタルに内枠になるよう祈祷させておくくらいか。

 

 結論として、この作戦は運要素があまりにも強く、とてもではないが勝てるとは言い難い。ギリギリ中策か、普通に下策と言った所か。

 ならば他の案はどうかと言う話になるが、これ以外だとサイレンススズカの後ろにピッタリと張り付くしかないのだからどうしようもない。

 あのカブラヤオーでもあるまいし、あいつに併せためちゃくちゃな調子で走れるもんか。

 

 困った、このままでは勝てる道理がない。さてどうしたもんかと唸っていたら、干物が心底己を嫌悪したような顔で、ここまで来ると秋天前に練習中にでも故障してくれとさえ思うよ。とぼやいた。

 練習中の故障ならば周りに誰かいるのでそれ以上の怪我には繋がり難いが、レース中の故障は何が起こるかもわからん。特にサイレンススズカは桁違いの速度を出すから、脚を悪くした拍子にすっ転んでしまえば、たとえ運が良くても一生モノの大怪我か、最悪は惨い死に方をするに違いない。

 干物はそうなるかもしれないのが嫌で嫌でしかたなくて、練習中に故障してほしいなどと心にも無い事を言ったのだろう。

 私とてそんな事になってほしくはない。もしレース中にその場面を目撃して、しかも何もできないままでいたら、私はそれをいつまでも後悔する。墓の下ですら悔いて、きっと死ぬに死にきれん。

 だからこそ、助けに行くのだ。

 あれに勝つのはまだ難しいかもしれないが、まったく勝機がない訳でもない。最悪の事態になって、みんなが悲しむような結末になんかしてやるものか。

 こいつは根性の見せ所だなと意気込んだら、根性なんざロジカルじゃねェ。とエアシャカールが胡乱に言うので、ロジカルだかローカルだか知らんがそんな道理は私の無理でこじ開ける。と返してやった。

 するとエアシャカールは一瞬だけ驚いた顔をしたあとには、呆れたような喜んでいるような口調で、阿呆がよ。と言って笑った。

 

 それからしばらく開いて、天皇賞の前に行われた菊花賞では、セイウンスカイが脅威的な逃げを行なったから思わず声が出た。

 試合前に、世間をアッと言わせてみせるよ。なんて得意げに大口を叩いていたが、まさか菊花賞を逃げ切った上にレコードタイムまで叩き出すとはまったく魂消た。

 スペもキングヘイローも終盤にはずいぶん粘っていたが、今回はこいつの方が一枚上手だったと言わざるを得ないだろう。まったく身震いする程に恐ろしい奴だ。

 ウイニングライブにはいつものように鉢巻と扇子を携えて前列に構えた。グラスワンダーが、そろそろこれにも見慣れてきましたね。と微笑ましい表情を浮かべたので、だが今日からは一味違うぞと言ってバッグから夜なべしてちくちく作った「スペシャルウィーク激推し♡」の刺繍がされた白と紫の法被を取り出して見せた。そうしたらまた全員に真顔で閉口されたから、やはり解せぬ。

 

 菊花賞が終わればすぐに天皇賞である。

 レースの前日になると、そろそろ記者会見に出ろと上から言われたので、府中の会見場で記者どもの質問に答えている。

 多いのはやはり菊花賞回避の是非に関する事で、世間では私は同期から逃げたと思われているらしい。

 ダービーでの同着は劇的だったが、裏を返せばスペを相手に勝ち切れなかったと言う事でもある。世間様はそこに注目して、くだらん事をとやかく言っているのだ。

 それについてどう思うかと何人にも聞かれたので、わざわざサイレンススズカのいる方に逃げるばかがあるかと肩を竦めた。

 するとこれに反応して乙名史とか言う女の記者が、つまりこれはシニア級を見据えての挑戦と言う事ですね。と言うから、うむと考え無しに頷いておいた。

 そしたらこの女は何を勘違いしたのか、素晴らしい! と恍惚した様子で叫び出して早口でいろいろ捲し立ててきたから、こいつはアグネスデジタルと同類だなと直感した。

 まさかこの世にあいつみたいな変態がふたりもいるとは、世の中わからないものである。

 

 記者会見を終えて寮に戻ると、フクキタルがとにかく苦しそうな顔で布団に包まって寝転がっているから思わず呼吸が止まった。

 慌てて駆け寄りどうしたどこが悪いのだと聞けば、ちょっと気分が悪いだけですよ。と弱り切った笑顔で返してきた。だが真っ青な顔で言われても説得力はない。

 そんな訳があるかと叱り飛ばして再三どこを悪くしたのかを問うと、フクキタルは迷った様子で視線を彷徨わせて、それからゆっくりと私の頬に手を置き、天皇賞に出ないでください。と喉奥から絞り出したような声で囁いた。

 そいつはいったいどう言う理屈だと聞くと、脚の痛みが酷い時は、必ず不吉な事が起こるんです。とそのような事を言う。察するに、この痛みは天皇賞に関する凶事を示しているだろうから出るのを止めてほしいと、そう言いたいのだろう。

 まったく胡乱な話で聞いていられない。しかし不吉云々の真偽はともかくウマ娘にとっては命の次に大事な脚が、蒼白になるまで痛むのは一大事である。

 保健室に行くぞと声を掛けて、大丈夫だの何だのと嫌がるフクキタルを無理やり横に抱え上げると、一目散に寮を出た。

 道を急いでいる最中にもフクキタルは、走ったらだめだとか、私のようになってしまうだとか、うわ言のようにいろいろと言っていたが、保健室で痛み止めを飲ませたらぐったりと寝入ってしまった。

 

 私はフクキタルの右手を握りながら、いったいこいつに何があったのだと学校医に聞いた。すると学校医は、そっと声をひそめて詳細を話し始めた。

 フクキタルは二年前の宝塚記念が終わってから少し経った頃に、自主練習の最中に右前十字靱帯と外側半月板を断裂して、これらの再建手術を受けた事があるのだと言う。

 無論これはもう完治していて、レースにも復帰できるくらいには機能も回復している。私に末脚の手本なんかを見せてくれた事からもそれは明らかだ。

 だが、相当な痛みを伴った怪我への恐怖や精神的不安が尾を引いているのか、時折創痕が痛むのだと保健室にやってくるらしい。もっとも、今回のように歩けない程の激痛は滅多にないそうだから、特別珍しい状況に当たっただけのようである。

 しかしまさか、フクキタルにそんな過去があったと知らなかった。これを聞いた私は、ますますサイレンススズカを助けなければと思った。

 寮で聞いたこいつの言葉は、きっと痛み以上の苦渋の中で生まれたのだろう。そうでなければ、優しいこいつがサイレンススズカを見捨てるような言い方はしないはずだ。まったく不器用な奴である。

 

 今に見ていろ、フクキタル。お前を煩わせる不幸や不吉なんて物は、気合と根性で吹き飛ばせるのだと証明してやる。

 私は決意を伝えるように、フクキタルの髪を一度だけ撫で梳かしてやった。

 苦しげだった顔が、少しだけ安心したように歪んだ気がした。




 吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
 本編に大幅な加筆修正に加え、新規エピソードが追加されていたり、各主要キャラの設定を見直したりと、いろいろな部分に手を加えています。
 以下のサイトにてDL可能ですので、まずは体験版からどうぞ。

【DLsite】
 https://www.dlsite.com/home/work/=/product_id/RJ369814.html

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すいませ~ん!木下ですけどぉ、(エアシャカール実装)まぁ~だ時間かかりそうですかね~?


 天皇賞である。

 空は生憎と快晴にはならなかったが、気持ち良く走るには申し分ない天気である。会場の盛り上がりも甚だしく、さすが旧八大競走に数えられるこのレースは、やはり格が違うと見えた。

 

 そんな熱狂渦巻く会場を尻目に、我らは控室にて形ばかりの作戦会議を行なっている。

 取る作戦は変わらぬ。サイレンススズカの前を行くように逃げて、相手の勝負をさせないようにする。スタミナとパワーにものを言わせて、とにかく前に行く。おおよそ作戦と称するのも烏滸がましい愚直過ぎる勝負だ。

 だが結論からはっきり言ってしまえば、この作戦で勝てる見込みはやる前からすでにない。

 サイレンススズカは一枠一番の最内での出走で、もはや鬼に金棒どころの話ではない。対して私は七枠九番と外枠にあるから、逃げ作戦は完全に勝ち筋が消えてしまった。

 干物は困った表情で頭を掻くと、まあどうせ勝てないんだから諦めがついていいんじゃない。と腑抜けた事を言う。

 確かにそうかもしれんが、やってみないことにはわからんのが勝負である。薄くとも勝ちは諦めんぞと返して不機嫌に鼻を鳴らしたら、君はそう言う子だったね。と呆れたように笑った。

 係員がやって来てもうすぐ時間だと告げると、愛すべきチームメイトが激励の言葉を送ってくれた。

 ライスシャワーは私の両手を握って笑顔とともに、ライスも応援するから、レース頑張ってね! と言ってくれたから、お前の応援があれば百人力だなと返した。

 ウイニングチケットはいつものように気持ちの良い笑顔で私の手を握ってぶんぶん振って、勝てないかもだけど頑張ってね! と大声で叫ぶので、ばかめ私は勝つぞと肩を叩いた。

 エアシャカールは呆れた顔で、不可能に挑むなんざロジカルじゃねェが、まあやれるだけやってみろや。とのたまうので、私は不可能を可能にするウマ娘だぜと胸を張って見せた。

 メイショウドトウは不安に眉をしかめながら、怪我には気を付けて下さいね。と忠言めいた言葉で心配を伝えて来たから、頑丈さには自信があるから大丈夫だと笑ってやった。

 そして最後にフクキタルだが、昨日に引き続き青い顔のまま私を抱きしめると、勝たなくても良いからとにかく無事に帰って来てください。と耳元で囁いた。

 よっぽど悪い予感とやらを信じているのだろう、抱きしめた腕も、囁いた声も震えていて、あまりに弱りきっている様子だ。

 たかが予感程度で、まったくしようのない奴である。私はフクキタルを抱きしめ返すと、努めて明るい声で心配しすぎだばか者めと背中を摩った。そして額を合わせると、死にに行く訳でもないんだから必ず帰ってくるさ。と強気に笑ってみせた。

 

 シリウスの奴らと別れて地下バ道を歩いていると、前方にしゃがみ込んでいるサイレンススズカの後ろ姿が見えたので声をかけた。

 何をしているのだと聞けば、左の靴紐が解けてしまったので直していたらしい。レース直前にそんな調子で大丈夫かと肩を竦めたら、大丈夫よ、今日はいつも以上に調子がいいの。と言う。

 そいつは結構だが、しかし脚の事もある。無闇に速度を出して酷い目に遭ったのでは誰も浮かばれん。

 調子が良いからと無理だけはするなよと言えば、サイレンススズカは意味がわからなかったのか可愛らしく首を傾げて曖昧な返事をして、いくらスペちゃんの幼馴染でも手加減はできないわよ。と無自覚に喧嘩を売って来たので、お前は絶対にギャフンと言わせてやると返してやった。

 ターフに出ると、秋風が頬を撫でた。熱狂とは裏腹に吹く風は冷え切って、我々に冬の到来を予感させた。揺れる緑もどこか寒々しく見えて、もう木枯らしに茶色くなるかと思えた。

 ゲート入り前に軽く準備運動をしているとエルコンドルパサーがやって来て、今日はよろしくお願いしマース! と挨拶をしてくる。

 こちらこそよろしく頼むぞと返したら、勝つのは貴方でも、スズカさんでもなく、私デスから。と宣戦布告して右手を差し出してくるから、あとで吠え面かいても知らんぞ。と笑いながら手を取ってやった。

 ゲートに入ると、世界から隔離されたような静けさが辺りを包んだ。呼吸を止めて構えると、数秒後にはゲートが開いた。

 

 勢い良く飛び出して前に出たが、先にハナを奪ったのはやはりサイレンススズカである。

 私はエルコンドルパサーとともに前方二番手の位置で様子を伺う形になった。

 考え得る中でも一番にまずい状況だ。ここまで離されてしまっては、もう私の脚では巻き返すのも難しい。

 しかしこれ以上にまずかったのは、二ハロンで私どころか誰一人として巻き返せる状況ではなくなった事だ。

 最初こそゆっくりとした走りだったサイレンススズカは、二ハロンを過ぎた辺りでどんどん加速していき、第二コーナーに入った頃には後続を完全に置いてきぼりにする程の勢いになっていた。

 あとで聞いた話なのだが、この時の一〇〇〇メートル地点の通過タイムが五七.四秒と、前走の毎日王冠よりもかなりのハイペースであったと言う。

 当然そんな速さで走られては誰もサイレンススズカには追いつけぬ。実際、向こう正面に入ってすぐ大差にまでなっていたのだから、きっと走ってる奴らどころか、見ている奴らでさえも速すぎると思っただろう。

 しかもここまで差をつけたと言うに第三コーナー手前でさらに加速するのだから、あいつはもはや走る為に生まれてきた化け物ではないかとさえ考えた。

 

 だがサイレンススズカが第三コーナーの、ちょうど大ケヤキの裏側に入った所であった。

 

 風の音に乗って何かが砕けるような音が流れてきて、直後にサイレンススズカの後ろ姿がぐらりと左に傾いた。走り方も尋常ではなくなり、左脚を庇いながら転ばないように必死に走っているような、酷く不恰好な状態にまでなっていた。

 

 恐れていた事態が起こったのである。

 

 私は束の間、恐怖に息を呑んだ。

 右脚一本では減速もままならず、十と経たずに転ぶだろう。時速八〇キロを超える速度で、あいつはターフに顔から突っ込む事になるのだ。

 そうなっては、確実に助からない。サイレンススズカの身体は、二度とは見れないような想像を絶する惨い状況になる。

 そんな事にさせるものか。

 伸び切った線のような景色の中にあって、私は半ば絶叫しながら加速して小さな背を追いかけた。

 一歩を踏む毎に、サイレンススズカの身体が前に沈んでいくのが見える。気がつけば遠くにあった背中はもう近くにあった。だがその背はもう地に落ちる寸前であった。

 右手を伸ばす。だが拳半分届かない。このままでは、死んでしまう。

 友人が目の前で死ぬのは嫌だ。

 友人が幸せを悪くするのは嫌だ。

 友人に置いて逝かれるのは、もう嫌だ。

 我知らず身体を投げ出して、右手をめいっぱい伸ばした。

 何かが剥がれるような嫌な音がして、鋭い痛みが肩に突き刺さる。無理に腕を伸ばしたから、肩を脱臼したのだろう。

 だがおかげで届いた。掴んだ。

 地に落ちる寸前、サイレンススズカの身体を抱え込むと、助けられたと言う安堵が私の身体を満たした。

 

 その直後に、私はテレビの電源が切れるみたいに、ぷつりと意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 ふと瞼を開くと、昔に遊んだ河原にいた。

 豊かな森と、澄み切った清流と、丸石ばかりがあるここで、私たちはよく釣りや水切りをして遊んでいた。

 どうしてこんな所にいるのかわからない。何かやらなければならない事があったような気がするのだが、思い出深く懐かしい場所に来てらしくもなく望郷の念に駆られた私は、いつしかそんな事も忘れてしまった。

 ただただ懐古に忘我して空を見上げていると、ふと穏やかな水音に混じって何かを積み上げる音が聞こえてきた。

 はてと音がした方を見やれば、あいつが石を積み上げているのが見えたから魂消た。

 声をかけると、はたしてあいつは私を見つけて微笑んだ。久しぶりだねと言って、あの時と変わらぬ笑顔を浮かべた。

 須臾にして噴き出した感情は、ぐちゃぐちゃになって顔に滲んだ。

 思わず抱きついて、胸の中でずっと会いたかったと繰り返した。八つ当たりのようなそれを、あいつは私の頭を撫でて受け止めてくれた。

 このまま、こうしていたかった。この陽だまりのような温もりの中にいたかった。

 しばらくして感情が落ち着くと私はいろんな話を聞かせた。

 髪のひと房を染めた。中央トレセン学園に転校した。そこでいろんな奴らと出会った。最初の模擬レースでは勝ったがリギルの試験では負けてしまった。シリウスと言うチームに所属して頼れる先輩にたくさん教えてもらった。弥生賞では情けない油断をして負けてしまった。皐月賞ではスペと喧嘩してしばらく口も利けなかった。そして我らが夢の舞台であるダービーで激突した私たちは、同着と言う奇跡の結果に至った。

 お前が死んだあとにはこんなにもたくさんの事があったのだと、これまでの出来事を余さずに語って聞かせた。あいつは私が話す度に相槌を打って、楽しそうに話を聞いてくれた。空からずっと見てたよ、私のためにありがとう。そんなふうに、言ってくれた。

 すべてを聞き終えるとあいつは、これからどうしたい?と聞く。私はもうダービーを獲ったから、あんまり思い残す事はないと答えた。スペを遺して逝くのは心苦しいが、あいつにはもう仲間がたくさんいるから、きっと立ち直れるだろう。フクキタルとの約束も守れなかったけれど、あいつだってシリウスの仲間がいるのだから大丈夫に違いない。あとはテイエムオペラオーとメイショウドトウと対決したいと思っていたが、こいつと一緒になれるならそんな未練は捨てられる。

 これを聞いたあいつは優しく私の肩を掴んで、未練ばっかりじゃない。と笑って、そんなに未練があるならもう帰らなきゃ。スペも、フクキタルさんも、テイエムオペラオーさんもメイショウドトウさんも、みんな待ってるよ。と言った。

 私は嫌だと叫んだ。ずっとここにいるんだと言葉を返した。せっかくこうして会えたのに、また離れてしまうなんて耐えられない。こんなにも好きな奴を手放すなんて、そんな事はできなかった。

 けれどあいつはそれを拒否するように私の手を解いて、まだやり残した事がいっぱいあるんだから、早く帰ってあげないとダメだよ。と言って一歩後ろへ下がった。

 それと同時に、私の身体は徐々に空へと浮き上がって、河原から離れようとし始める。どれだけもがいても逆らえなかった。抗えぬ何かによって、またあいつと引き裂かれてしまった。

 それでも、せめてもう一度だけと、右手を伸ばした。あいつは私の右手にそっと触れて、大丈夫、離れてたって心は一緒にいるから。と言った。

 途端にぐんと身体が浮き上がって、あいつの姿が見えなくなる。視界が白くぼやけて、声が遠ざかって行く。

 やがて繋いだ手も離れて身体が空に浮かび上がり、もうあいつの姿さえも見えなくなった。

 悔しくて、悲しくて、私は涙に濡れた瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 次に目が覚めた時、目の前には真っ白な天井があった。もうあいつの姿も、河原も、どこにも見えない。ただ清潔感のある真四角の部屋がここにあった。

 あの再会は、悪い夢か。いや、良い夢だったのだろう。あいつのおかげでこうして現世に戻れたのだ、きっとそうに違いない。

 しばし呆然と夢のことを思い返していると、全身が鈍い痛みを訴え始めた。右腕がギプスで固定されて動かせない。口元に緑の何かが付けられていて、とにかく煩わしい。何なのだこいつは、息苦しくって敵わん。

 痛む身体に鞭打って、上体を起こして口元につけられたそれを取り外すと、何だか自分の身体になった気がして大きな溜め息が出た。

 しかし次の瞬間には誰かが勢い良く私の首元に抱きついてきたから、うぎゃあと情けない悲鳴をあげてしまった。

 怪我人に無体な事をしやがって、まったく常識のない奴め。いっそ拳骨のひとつでもくれてやろうかとも思ったが、下手人がしゃっくりを上げながら啜り泣きを始めたからそんな気持ちもすぐになくなった。

 背中を摩りながら心配かけてすまなかったと謝ると、置いてかないで。と親から離された子供のように何度も言う。ただでさえ二度も置いて逝かれているのに、ここに来てまた遺されたのではこいつも堪ったものではないだろう。

 その気持ちを知りながらあんな無茶をしたのだから、私は何も言い返せなくって、ただただ沈痛に歯噛みするしかない。無鉄砲にサイレンススズカを助けて、そのくせこいつを置いて逝こうとして、私は今世紀でも最低最悪の悪者だ。

 親譲りの無鉄砲で損ばかりするにも、限度はある。サイレンススズカを助けた事に後悔はないが、しかし今回の怪我ばかりは本当に言い訳もできん。この痛いくらいの抱擁も、罰として受け入れよう。

 たったひとりの幼馴染を、永遠の孤独に突き落とそうとした大ばか者の私にできるのは、それくらいしかなかった。

 

 しばらくしてスペが落ち着いたのを見計らい、サイレンススズカはどうなったのかと聞いた。すると、どうやら脚以外は特に大きな怪我もしていないと言うから安心した。どうやら私が死に掛けたのも、無駄ではなかったらしい。

 それを聞いて気が抜けた私は、そろそろ身体の痛みが強くなってきたのでナースコールを押して看護師を呼んだ。しかしいの一番にやって来たのは、酷く憔悴した様子のフクキタルだったから、私は一抹の後悔に喉を詰まらせた。

 一瞬の沈黙が経ってから、心配をかけてすまなかったと謝ると、フクキタルは感情を押し殺して震えた声で、何をやってるんですか。と言った。

 こいつの言いたい事はわかる。私がどれだけ愚かで、どれだけ多くの者たちに心配をかけたかも、わかっているつもりだ。

 だから私は、ただ黙ってこいつの抱擁を受け入れた。

 縋り付くように強く掻き抱いてきたスペとは違い、まるで存在を確かめるような弱々しい抱擁は、悲哀と安堵の香りがした。




自分の身を犠牲にしてウマ助け。
世間から見れば美談ですけど、遺される方からしたら堪ったもんじゃないですよね。

 吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
 本編に大幅な加筆修正に加え、新規エピソードが追加されていたり、各主要キャラの設定を見直したりと、いろいろな部分に手を加えています。
 以下のサイトにてDL可能ですので、まずは体験版からどうぞ。

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いつもよりちょっぴり短め。
DbDのバイオコラボ来たり、ハサウェイ公開されたりして忙しかったものでして、ハイ……。


 医者が言うには、ひと月と言うのが私の寝ていた時間らしい。

 サイレンススズカを助けた直後、私はあいつを抱えたまま跳ね転がって外ラチに激突したそうで、その時に酷く肋骨を折って血気胸と言う命に関わる大怪我を負ってしまい、出血多量で三日も生死の境を彷徨う事となったと言う。

 あと少しでも処置が遅れていたら、今頃はきっと河原で石を積んでいた程だったそうだ。

 そんな訳だからレース場は蒼然として静まり返り、当然ながらウイニングライブも中止で、マスコミもこの事故に大騒ぎで、私が寝ている間に世間は大変な事態になっていた。

 それを聞いて一瞬だけ、何だかずいぶんと大事だったのだなと他人事のように考えて、すぐに大勢に心配をかけてしまった事実を恥じた。

 無茶をしてすまなかったと謝ると、スペはもう死んじゃやだよと涙でふやけた声で言い、フクキタルは無言で苦しげに顔を歪ませた。

 治るのにどんくらいかかるのか聞くと、医者はしばらくは絶対安静でベッドからは動けないが、万事上手くいけば全治約半年で、レース復帰となるとリハビリも含めると一年はかかると言う。

 少なくとも二度と走れない身体にはなっていないようで、安心する。

 死んじまっては何もできんし、二度と走れなくなっても困る。五体満足で助かって、本当に良かった。

 また走れるなら良かったと言うと、あんな事故でしたが残念な結果にだけはならなくて良かったです。と医者は安堵の滲んだ声で付け足した。

 

 私が医者との話が終わってから少し経つと、泣き疲れてしまったのかスペが寝入ってしまった。

 フクキタルが言うには、私が目覚めたので安心したらどっと疲労が押し寄せてきたのだろう、と言う事である。

 ここひと月はほとんど眠れない中で毎日ずっと見舞いに来ていたと言うから、こいつにはとことん心労をかけてしまったなと悔いるばかりだ。

 静かに寝息を立てるスペの頭を撫でながらお前にも迷惑をかけたなと謝罪すると、フクキタルは悲しげな顔で俯いて、もう危ない真似はしないでください。と嘆願に近い声色で言った。

 私は、すぐに答える事ができなかった。同じような事があったら、私はきっと同じ道を選ぶだろうと言う確信があったから、素直に頷く事はできなかった。

 誤魔化すように寝ている間に何があったかを聞くと、フクキタルはぽつぽつと事故後の世間の動きを話し始めた。

 

 まず私が生死の境を彷徨っていた時分には、各方面でこの悲劇と私の捨て身の救助を称賛する報道があった。

 これが少し経つと、サイレンススズカが故障したのはトレーナーが無理な練習をさせたのが原因ではないか。トレーナーのウマ娘の体調を無視した強行が原因ではないか。とそんな義心と悪意の含まれた話が、話題性を求めた雑誌やテレビから出始めた。

 これに対して学園側は記者会見を開いて、この報道はまったく事実無根であり個人の名誉を著しく傷付けるものであると反論を行い、そしてこれに合わせて、試合前にサイレンススズカの精密検査を担当したメジロ家お抱えの医師が、彼女の体調はレース直前まで万全であったと発表したから、噂は早々に立ち消えとなった。

 そうすると次に出てきたのはサイレンススズカの故障と事故に関する話で、これは当時から今に至るまで続けられている。

 試合前の精密検査では身体に異常もなく、レース直前まで本人は至って健康で故障しようもない。そんな状況だったと言うに、何故今回の事故は起こったのか。

 医師の間では、サイレンススズカのスピードに身体が追いつけず脚が耐えきれなかったのではないか。と言うのがおおよその見解である。

 これはエアシャカールが試合前に出した結論とほとんど同じであったから魂消た。

 さても故障原因がわかった所で次に問題となったのは、いかにして今回のような事故が起こるのを防ぐかである。

 昔からレース中の故障が死亡事故に繋がった事例はあった。かのテンポイントの事故が良い例であろう。あのような悲劇を繰り返さない為にも、URA並びにトレセン学園は常に対応を続けて来た。

 そんな中で今回の事故が起こったのだから、とにかくURA理事会は今後どうして事故を防ぐべきかで紛糾した。

 怪我を予防するにても限度はある。ウマ娘にスピードを抑えて走れ、などと言う訳にもいかないし、まさか今更レースをやめるなんて事もできぬ。

 一応は転倒に備えた心構えと対応をウマ娘に学ばせると言う方向に纏まっているようだが、はたしてこれで完全な解決ではないからやはり議論は落ち着かないままらしい。

 

 委細を聞くと益々、大勢に大変な苦労をかけてしまったなと申し訳ない気持ちになる。

 元気になったらみんなに謝らなければなと呟けば、フクキタルはこれに頷いて、もうすぐみんな来ますから、まずはみんなにちゃんと謝ってください。と弱々しく笑った。

 しばらく経つと、知らせを聞きつけたのか、フクキタルの言う通り続々といろんな奴らが続々と集まって来た。

 

 最初に来たのはシリウスの奴らである。干物と一緒に病室にやって来た一同は、私の姿を見るなり泣き出してしまった。

 干物はその場にへたり込んで子供のようにしゃっくり混じりに泣き出してしまうし、ウイニングチケットはいつも以上にでかい声で叫び泣く。

 メイショウドトウとライスシャワーは咽び泣きを始め、エアシャカールもそっぽを向いて泣き顔を見せないようにしている。

 どいつもこいつも泣いてばかりで、おかげで部屋が涙で海になるかとさえ思った。

 居た堪れない空気の中にあって、私がおずおずと心配をかけてすまなかったと謝ったら、干物が、ほんとだよばか。と泣きながら叫んだ。

 これだけでも十分以上に苦しいのだが、他の奴らもいろいろと感情をぶつけて来たから心が痛んでしかたなくなった。

 まずメイショウドトウが、どうして貴女は無茶ばっかりするんですか。と怒って言うと、エアシャカールがこれに同意して、自分の身くらい大事にしやがれと悪態を吐く。

 ライスシャワーも本当に死んじゃうかと思ったんだよ。とぐずぐず鼻を鳴らして、ウイニングチケットはもう涙声が酷すぎて何を言ってるのかわからなかったが、とにかく私の身を案じて夜も眠れなかったと言うのは確からしい。

 更には寝ていたスペが起きてまた泣き出すから、もう収拾がつかん。

 みんなに多大な心配をかけて本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだが、それはそれとしてこのままでは本当に部屋が涙でいっぱいになってしまいかねんので、とにかく謝り倒して何とか全員に泣き止んでもらった。

 

 これでようやっとひと段落して落ち着いた話もできるかと思ったのだが、次にはいつもの奴らが駆けつけて来たからまた涙の洪水になった。

 まず入ってきたハルウララとエルコンドルパサーが、生きててよかったと泣きながら抱きついてきたから、思わずぐえぇと頓狂な声を上げてしまう。

 それから続けてキングヘイローが開口一番、このおばか! あんな無茶をして、死にかけて! と私を懇々と叱り飛ばしてきたからこれを甘んじて受け入れた。

 説教を受けている間には、セイウンスカイは泣き笑いした顔で、まったく寝坊しすぎだっての。と頷き、テイエムオペラオーもこれに同意して、夕星の歌にはまだ早いさ。と涙を拭いながら言う。

 やっとキングヘイローがひと通り吐き出してすっきりして、これで説教も終わりかと思ったのだが、今度はいかにも怒った顔のグラスワンダーがやって来て、前々から思っていましたが、貴女は無鉄砲がすぎます。自分を大切にして、よく考えて行動して——と説教を始めたからげんなりした。とは言えこいつは己で蒔いた種であるから、やはり甘んじて受け入れる他にない。

 

 グラスワンダーの説教が終わると、今度はスピカの奴らがやって来たから、もう病室が満杯で足の踏み場もないくらいになった。

 一番に声を上げたのがウオッカとダイワスカーレットである。俺、先輩が死んじまったらどうしようかと思って。とウオッカが涙を溜めながら言うと、このバカったら縁起でもない事ばっかり言うんですよ。と返したのだが、そうしたら、お前だって似たような事言ってたじゃねえか! ちょっと変な事言わないでよ! といつもみたいに言い合いを始めてしまったから、お前ら相変わらずだなと少し元気になった。

 トウカイテイオーはぼろぼろ泣きながら、みんなに心配かけて良くないよー! と説教され、同時にマックイーンからもまったくあんな無茶をして! と説教を受けたから、もう立つ瀬もない。

 ふたりの説教に割って入ってきたゴールドシップは気安い様子で、よお元気そうじゃねえか。と笑ったので、死んだあいつに追い返されちまったと返したら、んじゃあそいつの分も生きねえとな! と言われてしまった。

 最後には沖野とサイレンススズカがやって来た。

 沖野はまず私に、スズカを助けてくれてありがとうと礼を言い、それから済まなかったと謝ってきた。サイレンススズカもごめんなさい、私のせいでこんな事になって。と涙ながらに言うから、お前らは何にも悪くないだろうと首を振った。

 今回の件は不幸な事故で、誰も悪い奴はいない。あえているとするなら、無茶をした私だろう。

 もう少し上手く助けられたかもしれないし、あるいは事故自体をなくす事ができていたかもしれない可能性もあったのに、全部を無鉄砲でふいにしてしまったのだから、あらゆる責は私にある。

 それを言うと沖野は、バカ言うな。お前らは何にも悪くない、悪いのはトレーナーである俺だ。と言い、サイレンススズカも、みんなから言われていたのに無視して走った私が悪いの。と罪の被りあいになったから一向に話が解決しない。

 結局横からゴールドシップが、もう全員悪いってことでいいんじゃね。と呆れて言い、周りもそうだそうだ。自分たちだけ悪者になるな。とほとんど野次るみたいに言うから、今回の一件は私たちだけでなくここにいるみんなが悪いと言う事になった。

 

 まったくどいつもこいつも、私なんぞにそこまで思い入れる事もなかろうに、善い奴らばかりである。

 こんなにされては、もはや死ぬにも死にきれん。本当に、未練ばかり私に背負わせて、厄介な奴だらけだ。

 

 それなのに。

 心のどこか片隅で、死ぬならばそれでも良かったと思ってしまうのは、はたして私の弱さなのだろうか。




生きる意思はあるけど生きる目的がない主人公ちゃんの明日はどっちだ。

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もしメイショウドトウが実装されるならいつになるか教えてほしいって、マフティーは聞くよ。


 目覚めてから一週間が経った。もういくつ寝ると正月である。

 サイレンススズカはギプスも取れて、車椅子で外出ができるようにまでなっているが、残念ながら私はいまだベッドの上から動けずにいる。元々が半死半生の大怪我であったからしかたないが、ここから動けないと言うのはなかなかに退屈で堪らん。

 昼寝をしようにも動いてないからそこまで眠くもないし、ゴールドシップから貰ったおもちゃで手慰みするにも右手が使えんから途中で飽きる。テレビなんて物は滅多に見なかったから面白さもわからんし、小説なんぞは国語の教科書でしか見た事がないから今更読む気も起きぬ。

 元来趣味が薄かった私には、とにかく日がな一日が暇で暇で、気が付けばよく昔の事を思い出しては感傷に浸るようにまでなっていた。

 唯一の救いは毎日入れ替わり立ち替わりで来てくれるみんなとの会話だけである。それがなければ今頃はもう思い出に草臥れて、枯れ木のように萎えていたかもしれん。

 

 そんなふうにぼけらと退屈な日々を過ごしていた訳なのだが、この日に限っては珍しい来客があったから少し趣が違った。

 そろそろあいつらも来る頃かとにんじんジュースを啜っていると、やあ調子はどうかな。と雅な声とともに駄洒落皇帝こと生徒会長シンボリルドルフが病室にはいって来たのである。

 よもやWDTの準備で忙しいはずの会長殿がこんな所に来るとは思わず、驚きで危うくにんじんジュースを噴き出す所であった。

 咳き込みながら年末の大一番を控えた時期に何をしに来たのかと聞けば、命がけでスズカを救ってくれた君に礼を言いに来たんだ。と言う。

 仕返し混じりに、実は新しい駄洒落を思い付いただけじゃないですかと冗談めかして言えば、おやバレてしまったかな。なんて悪戯娘みたいに返すから、こいつも相変わらずである。

 凛然と椅子に腰掛けた会長はまず、スズカを助けてくれてありがとう。君のおかげで彼女はまた走れる。と頭を下げて感謝の意を示すと、見舞いの品であるフルーツの盛り合わせを渡して来たのでありがたく受け取った。

 それから、怪我の具合はどうだとか、入院生活で退屈していないかとか、いくつか話をして気が楽になってくると、会長はそれを見計らったように私を指して、今の君はいささか元気がないように見えるが、何か悩みがあるのかな。と切り出した。

 

 驚く程あっさりと、心底に溜まっていた真っ黒い憂鬱を見破られて、さすがにこいつ相手に隠し事はできんらしいと悟った。

 しかしだからと言って、この気持ちを素直に話しても良いものか。誰にも打ち明けていなかったこの鬱屈した気持ちを、誰かにおいそれと話して良いものなのか。どうしようかと迷った末に、私は貝のように黙った。

 迷いを見抜いた会長が、穏やかに笑みを浮かべて、迷う気持ちもわかるが想いを溜めこむ一方ではいずれ潰れてしまうよ。と慮って仰るが、それでも私はこの気持ちを吐き出す事ができないでいた。

 この気持ちを吐き出してしまったら、私は本当に抜け殻になってしまうのではないかと思えて、どうしても口を開けなかった。私が私でなくなってしまうような、私の存在意義がなくなってしまうような気がして、怖かった。

 しばらくの沈黙が過ぎても一向に口を開かぬ私に、会長は困ったように眉尻を下げて、私なんかは信用に値しないかな。と嘆息を吐く。

 狡い言い方だ。ここまで言われても話さなければ、本当にこいつを信用していない事になってしまう。こうなっては観念する他にあるまい。

 会長の視線から顔を背けて恐る恐る、話を聞いてくれるかと問うた。会長はしっかりと頷いて、もちろんだ。と答えてくれた。だから私は、ゆっくりと、纏まらないながらもこの気持ちを吐き出した。

 

 ダービーが終わったあの日、月に別れを告げたあの時に、私は確かにまだ生きていようと思った。スペやみんなと一緒に、今度は自分の為に頑張ろうと思った。

 けれども私は、努力をしなかった。走るための努力ではない。自分の為に生きようと言う努力をしなかったのだ。

 そもそも私と言う存在は、あいつの為にあった。あいつは身体が弱くて、満足に走れない奴だったから、私があいつの脚代わりになってあちこち連れ回してやる役目だった。そしてあいつは、私が何かヘマをして怒られた時に母親のように慰撫する役目だった。

 私にはあいつが生粋持っていない強さがあった。あいつには私が生粋持っていない優しさがあった。私たちは互いに、足りない部分を補うように生きていたのだ。

 あいつが死んだ時に、あいつのダービーを走って欲しいと言う願いを叶えてやろうと決めたのもその為だ。平生あいつの為に生きていたと言っても良い私にとって、あいつとの約束は何よりも大切なもので、唯一この地上に残された繋がりで、気が付けば私が生きる目的そのものになっていた。

 だからそれがなくなって、繋がりがすっかり切れたのだと気が付いたあの日に、私の心は少しずつ色を失って、世界が止まったような気がしていた。

 そこからの私は卑怯だった。愚かにも駆け足で崖端まで来て、急に底の見えない谷を覗いた人のようだった。どこかにあるはずの道を探して、周囲を鑑みずに心底で煩悶していたのだ。

 宝塚記念を観戦してどうしてサイレンススズカに勝つか考えた事がある。だが私がいるのは目前のクラシックだ。眼前の敵であるスペたちを放擲して、シニア級の相手に勝つ事を考えるのは無礼も良い所だろう。

 それから、新しくシリウスにはいってきた奴ら相手に先輩風を吹かせたり、夏合宿では癖しかないあいつらの纏め役をして、感謝祭では小遣い稼ぎでばかをやったりもしたが、思い返せば私は、目の前にある自分の事から逃げていたようだった。

 きっと、あいつらに空っぽになってしまった事を気付かれて、競うに能わずと失望されるのが、私は何よりも怖かったのだろう。

 そんな中にあって、懲りずにサイレンススズカを見に行った時に、エアシャカールの言葉を聞いた私は、義務のように助ける事を選んだ。

 無論サイレンススズカを死なせてはならないと言う気持ちはあった。だが色彩を求めていたその時の私には、心のどこかで、それがもっともわかりやすい目的のように思えてならなかったのだ。

 その結果がこの体たらくである。

 しかも運の悪い事には、生死を彷徨っている束の間にあいつと出会ってしまったから、あいつへの未練が湧いてしまった。

 私はよくよく最低な奴だ。あんなにも良い奴らに囲まれて、誰にも心配されていたのに、この期に及んでなお死人に執着している。あいつから任されたと言うに、スペを不幸にしている。

 あまりにも愚かで、救いようがない。こんな愚者は、生きるに能わぬ。

 

 腹の奥底に溜まっていた黒い澱みのすべてを、私は一滴残らず吐き出した。幸い、抜け殻にはならなかった。

 会長は鷹揚にそうかと頷いて、つまり君は迷子になっているんだな。と言った。

 会長からして今の私は、無数に分かれた道の真ん中で右往左往して、どこへ進むべきかを迷っているように見えているらしい。

 言われてみれば、そうかも知れん。しかしそうならば私はどの道に進めば良いのだろうか。

 この疑問を聞いた会長は、それは彼女たちと話し合って決めると良い。と立ち上がってドアを指した。

 はたと視線を向けたら、ぼろぼろと涙を流しながらスペとフクキタルがはいってきたから魂消てしまった。

 お前ら聞いていたのかと声を上げると、真っ先にスペが駆け寄って来てごめんなさいと謝ってきて、更にはフクキタルまでが謝罪の言葉を口にするからますます魂消て言葉もなくしてしまう。

 いったい何を謝る事がある。悪いのは私だ。こんなにも卑怯な方法でみんなの気持ちを裏切った私が悪い。ふたりは悪くない。私なんぞに謝る事などないのだ。

 惑乱しながらもやっとの思いでそれを言うと、フクキタルがぐずぐずと鼻を鳴らしながら「貴女を強い子だとばかり思い込んで、弱音を聞いてあげられなかった……弥生賞の時に、気付いていたはずなのに……私は貴女の心根の強さに甘えて、それきり向き合う事をやめてしまって、だから……」と懺悔をするみたいに答えた。

 そしてスペもほとんど泣き叫ぶような声で「気付いてあげられなかった……たったひとりの大事な親友なのに、私は自分の事ばっかりで、隣で苦しんでいた事にちっとも気付いてあげられなかった」と言うのである。

 そこでやっとこいつらの気持ちに気が付いて、私は己が非常に情けなくって歯噛みした。

 私はこう言う単純なウマ娘だから、今までの苦悩は全部私が悪いもんだと思って、とにかく自責ばかりをして何でも背負い込んでいた。

 だがそれではだめだったのだ。私は周りを頼るべきであった。この苦悩と煩悶を抱え込んだままでいるのではなく、誰ぞにさっさと打ち明けてしまえば、それで私はいくらか救われていただろう。

 

 ここに至って、やっと己がいかに罪深い事をしたのかを理解して、私はただただ後悔した。

 こんなにも心配してくれる尊い友人がいたのに、独り善がりな無鉄砲で何もかもを無視して、挙句には未練の事ばかり考えて、みんなの好意を踏み躙ってしまった。

 こんなのは友人ではなく、醜い悪徳者だ。最低な裏切り者だ。許される事ではない。

 私はふたりを片腕で抱きしめて、私のほうこそ何も言わず気持ちも裏切ってしまってすまなかった。と涙ながらに謝罪して、これからはもっと周りを頼り、決して独りで思い詰めるような事はしないから、厚かましいお願いではあるけれどどうか友達でいてほしいと伝えた。

 するとふたりは泣き声を上げながら頷いて、そんなの当たり前だよ。と罪深い私を許してくれたから、私は嬉しくて、けれど申し訳なくて、ダービーの時と同じくらいに泣いてしまった。

 

 ひとしきり泣いて心が落ち着いた頃に、会長にも心底から迷惑をかけてすまなかったと謝罪した。

 これに対して会長は謝罪を受け取った上で、これから自分の道を歩み出す君に助言を送ろう。と私の頭をそっと撫でて言う。

「もしも目的を見失って道に迷ってしまっても、それは決して恥ずかしい事じゃない。

 進み続けると言うのは、辛く、苦しい事だ。時には導を失い、過去を振り返り、誰かに道を尋ね、行き先もわからぬまま崖に当たって立ち往生する事もあるだろう。

 けれどそうやって悩んで、苦しんで、恐れて、悔しさを噛み締めて、自分の行き先を決めて一歩を踏み出した時にこそ、君たちは昨日よりもずっと大きく成長しているはずだ。

 何故なら道程は、誰かが作るものではなく、自分自身が歩く事で作られるものなのだから」

 いかにも含蓄あるお言葉を承った私は、これにいたく感動して、今まで貴女の事を駄洒落皇帝だの何だのと思っていて申し訳なかったと重ねて謝った。

 そうしたらこの会長は、君は私をそんなふうに思っていたのか。それはまったく遺憾でいかんな。と駄洒落で返してきたら、私は確かにこいつはいかんですなと初めて会長の駄洒落で笑った。

 

 誰にも吐いてこなかった弱音を吐き出して、情を分かち合ったこの日を境に、私たちは本当の意味で親友になれたような、そんな気がした。

 




弱音を溜め込むと、だんだん自分がわからなくなる。
……思えば主人公ちゃんは強がってばっかりでしたね。

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わたくし、土日は18時更新を心がけているんですが、何故か今日を平日だと勘違いして20時に予約しておりました。
頭わるわる〜。


 強がる事をやめようと決めたその日から、私は己の心の内をみんなに伝える事にした。

 あいつらはこんな事を言わんでも友達でいてくれるだろうが、それはそれとして、私自身がケジメとしてきっちりと謝っておかねば気が済まなかったのである。

 

 思えば私は、気の知れたみんなにさえも弱みを見せまいとして、ずっと独りであった。レースで負けた時でさえも強がってばかりで、己の殻に閉じ籠ったままだった。

 これは相手を信用していないのと同じである。本当に相手を信用しているのなら、きっと弱味を見せたって何とも思わんだろう。泣き言を吐き出して、子供のように甘えたりもできただろう。

 それをできなかったのは、私の不義理ゆえだ。気の置けない友達だと嘯きながら、心底ではまるで信用していなかった私の不徳が原因だ。

 だからこそきちんとみんなに謝って、ここからまた新しく、真に良き友人としての関係を始めていきたいと思った。本当の意味で、好敵手として競い合いたいと思ったのだ。

 

 私の謝罪を聞いたみんなは、呆れたように笑って、何だそんな事と許してくれた。今更そんな程度で友達を止めるものかと叱られもした。そしてふたりと同じように、次からはもっと私たちを頼ってほしいと、そうも言われた。

 少しは不義理に怒っても良いようなものなのに、そんなのは些細な事だと言ってちっとも怒らないなんて、本当に気の良い奴らばかりである。

 私はとにかくもう嬉しくなって、ありがとうありがとうと言いながらぼろぼろと泣いてしまった。初めてみんなの前で、私は自分を偽らずに泣いたのである。

 

 さても今年最後の心残りを片付けて、すっきりとした気持ちで新年を迎えた私は、二月に入ると腕のギプスも取れてやっと復帰訓練をする事になった。

 しかし復帰訓練とは言っても、そう仰々しいものではない。

 動けるとは言ってもまだまだ傷は深く、あまり動くと開いて大変になるので、最初は正しい呼吸法を取得しようと言うのである。

 たかが呼吸をする程度でそう苦戦することもないと思ったが、存外にもこれが辛くて大変だから魂消た。息をするだけがこんなにも辛いと思ったのは、生涯で後にも先にもこの訓練の時だけである。

 それから腕と合わせて胸周りのストレッチを行い、凝り固まった筋肉を解したりした。三ヶ月も寝転がっているとさすがにここも衰えるようで、呼吸訓練と同じくなかなか前のようにはいかぬから困る。

 とはいえ、せっかく今年から心機一転しようと言うのに、ここでへばっていてはあいつに申し訳が立たんので、毎日の訓練はきっちりとやり切って、まずは復帰訓練の初戦を難なく通過してやった。

 これで今度からは、車椅子で外に出られる。私の心は有頂天である。

 

 初戦と言えば、テイエムオペラオーも今月の頭にあったデビュー戦を勝ち、毎日杯で皐月賞への出走権を手に入れたらしい。

 あいつがまだデビューしていなかったのもまあ驚きだが、いきなりの重賞を四バ身差で圧勝した事のほうがよっぽど驚きだ。

 新聞でもチームリギル期待の新星として、ちやほやされているらしいと言うから、さすがと言う他ない。

 この調子だと皐月賞でも強いレースを見せてくれそうで楽しみである。

 そしてもうひとり、我らがシリウスからメイショウドトウも今月に無事デビューした。ただこっちはデビュー戦を二着と、あまり順調とはいかんらしい。

 負け方も元来の気弱が競り合いの弱さに繋がっている。と言うのが干物の談だが、何だか聞く限りでも前途多難な様子で心配になる。

 そこで見舞いに来た折、本人にどうなのかと聞いてみると、どうしても勝てるかどうか不安になって足が鈍ってしまうのだと言う。

 どうも口振りから察するに、学園の模擬戦でことごとくオペラオーに負け続けた事が、随分なトラウマになっているらしい。

 お前は強いのだからそんなに弱気になるなと励ましてみても、相変わらず私はダメダメですだの何だとの言って耳も貸さないから、こいつの頑固にはまったく呆れる。

 じゃあ走るのを止めるかと聞けば、それは嫌だと言う。自分の弱さを信じて疑わないくせに、挫折に屈したくはないなんてのはちぐはぐである。

 しかしこうも気弱では、勝てる勝負も勝てんままでますます気弱になるばかりだ。何とかしてやりたい所ではあるが、はてさてこの頑固をどうしてこじ開けられるかがわからん。

 

 ああでもないこうでもないとしばらく悩んではみたものの、やはり良い案はさっぱり思い浮かばなかったから、結局考えるのをやめてしまった。

 私は無鉄砲で頭もえらくない小娘だから、会長のようにいかにも含蓄ある事を言って気付かせるよりも、遠慮なくぶつかるほうがよっぽど簡単でわかりやすい。

 スペの時だってそうだったのだ。あれこれ気遣って遠回しに言うよりも、真っ直ぐ気持ちを伝えてやったほうがこいつの為にもなろう。

 そうと決まれば話は早い。

 私は指先を合わせてうじうじとしているメイショウドトウに、お前は勘違いをしていると前置きしてから、私の気持ちをすっかり伝えてやった。

 

 まず話したのは、これはこいつと初めて出会った時にも話したが、テイエムオペラオーに食い下がる事ができる時点で、他よりもよっぽど実力があると言う事だ。

 追いつけない事ばかりに注目していろいろと悩んでいるようだが、そもそも多くの強豪が所属するリギルにはいっている奴が相手だ。多くの面で向こうが有利なのだから勝てんのは当たり前だろう。

 それにトレーナーの差だってある。向こうは敏腕で鳴らした女狐で、こっちはサブ上がりの干物だ。どうしたって地力の面では劣る。

 そんな中にあって、あいつに根性で僅差まで食い下がるなんて、普通の奴にはまずできん事だ。

 だからメイショウドトウは強いと言うのは、これはもう疑いようもないのである。

 この私の論を聞いてさすがにメイショウドトウも、そうでしょうか。と少しだけ揺らいだ様子を見せたから、そうだともと力強く頷いてみせた。

 これで少しは前向きになれたかと思ったが、すぐにまた俯いてしまったからやはり頑固ではかいかぬ。

 こいつが前向きになるには、まだまだかかりそうだ。

 

 そうこうと悩んでいるうちに、気が付けばエルコンドルパサーが海外へ旅立つ日がやってきた。

 スペに押されながらいつもの奴らと空港に行くと、先にリギルの奴らも集まってエルコンドルパサーと、凱旋門賞が云々。なんて話をしている。

 挨拶をしたらエルが駆け寄って来て、来てくれてありがとうございマース! と全員に抱擁して回った。

 もちろん私もこいつの抱擁を受けたが、こいつの顔をこれから一年近く見られんと思うと何だか急に名残惜しく思えて、抱きしめる左腕にもついつい力が入ってしまう。

 今生の別れでもなかろうに、どうしてもこいつを手放すのを躊躇ってしまうから、私はいまだに未練に囚われているのやもしれん。

 寂しい気持ちを押して離れると、気持ちを察したらしいエルコンドルパサーがにやにやして、寂しくなっちゃいましたカ? と茶化して来た。

 こいつめ、私がやり返せないからって言いやがる。だが寂しい気持ちがあるのは本当で、別段隠すような事でもないから、私は控えめながら頷いて、お前の顔を一年も見れないと思うと悲しいぞと笑ってみせた。

 するとエルコンドルパサーは嬉しそうに笑って、また私を強く抱きしめると、みんなと離れるのは寂しいデス。と哀愁を滲ませた。

 そうして長い抱擁を終えると、エルコンドルパサーは不意に真面目な顔を作って、今でも道に迷ってるんデスか。と聞く。

 私は頷いて、まだどこに行けばいいかわからんと答えた。そうしたら何か決意したように私の眼を見て、なら私が貴女の目標になりマス。と胸に拳を当てた。

 秋天で私が死にかけた時、友を見殺しにした事を恥じてレースをやめようかと思っていたと、エルコンドルパサーは言う。

 勝った所でトロフィーを友人の命には変えられない。取り返しのつかない事をしてしまったと後悔して、もう走りたくもなくなった。

 だが、それでも走り続けようと思ったのは、私が息を吹き返して、生き続けようとしたのを目撃したからだった。

 負けても弱音を吐かず、死に瀕してもなお諦めなかった私の姿を見て、またみんなと、そして私と一緒に走れるような自分でいようと思ったから、走り続けようと決意した。

 そして、私が初めてみんなに弱音を吐いた時にその決意はいっそう強まった。

 自分と同じ弱い部分があるのだと知って、ならば次は自分が強さを見せて導になるんだと、そう思ったのだと言う。

 だからリハビリを終えてレースに復帰できるようになったら、まずは自分に追いつく事を目標にしてほしいのだと、エルコンドルパサーは私に真剣な眼差しで言った。

 凱旋門賞を走るウマ娘を目標にしろとは、まったく無理難題をおっしゃる。だが、壁は高いほうが超え甲斐があると言うもんだ。

 必ず追いついてやるから待ってろ。と拳を突き出して宣言すると、簡単には行きませんカラ! と拳をぶつけて、エルコンドルパサーはとびきりの笑顔を浮かべた。

 

 しかし束の間、これに割りこむようにスペが拳をぶつけてきて「私だっておんなじ気持ちだから!」と宣言したから流れが変わった。

 

 まずセイウンスカイが「私を忘れてもらっちゃあ困りますなぁ」と拳を出すと、キングヘイローもこれに合わせて「それを言うなら私たち、でしょう?」と拳をぶつけ、ハルウララも尻尾を大きく振って「私も私も! みんなとおんなじ気持ちだよ!」とこれに加わる。

 グラスワンダーも拳をぶつけて「でも、簡単に追い付かれるつもりはありませんよ?」と攻めっ気混じりに言い、テイエムオペラオーも「当然、すぐに追いつける目標なんてつまらないからね!」といつもの笑みを浮かべる。

 最後に残ったメイショウドトウは、気弱のせいで尻込みをして拳を出したり引っ込めていたけれど、お前も私の目標になってくれないか。と言ったら、少しだけ考えた後に意を決した顔で「わ、私も、貴女の目標になれるように……がんばりますっ」と拳をぶつけた。

 これで全員が私の目的になってしまったから、私もしばらくは道に迷わずに済む。リハビリもいっそう頑張れそうだ。

 お前も迷ったら私たちを頼れよと言うと、そうさせてもらいマース! と返して、エルコンドルパサーは気持ちの良い笑顔でサムズアップを見せてくれた。

 少しするとアナウンスが流れて、もうお別れの時間である。

 最後にみんなで頑張ってこいよと声援を送ると、あいつは右手を上げて、世界最強を証明してきマース! と気合たっぷりに宣言して、ついに異国へと旅立っていった。

 

 こうしてエルコンドルパサーの見送りも終り、さてどうしようか。せっかく空港まで来たんだし何か食って帰ろうか、なんて話をリギルの奴らと一緒にみんなと話していたら、女狐に声をかけられたから、ふたりきりで話をしている。

 女狐はまずスズカの事を出して、あの子を助けてくれてありがとう。と言い、それから私の怪我の調子を聞いて、復帰できそうで良かったわ。と安心したように溜め息を吐く。

 お前が私を心配する理由があるのかと怪訝に聞くと、警戒心の高さは聞いてた通りね。と苦笑して、彼女は私と目線を合わせるようにしゃがみ込んで「エルの友達で、後輩の担当なんだもの。心配して当たり前よ」と微笑んだ。

 後輩と言うのは、きっと干物の事なのだろう。あいつとは知り合いなのかと聞けば、しょっちゅう飲みに行く仲らしいから驚きである。

 意外かしらと聞かれて素直に頷くと、あの子は結構話題だったから。と私が来る前の干物の事を話し始めた。

 

 元々が有望株と言われていたくらいに優秀だった干物は、シリウスにサブトレーナーとして配属されるとすぐにフクキタルの担当を任された。

 新人の、しかもサブトレーナーが担当を持つなんて言うのは前代未聞だから、シリウスも思い切った事をするもんだとトレーナーの間でかなりの噂になっていたそうだ。

 フクキタルが菊花賞を取った時なんかは特に酷くて、良くも悪くもやっかみ混じりのいろんな話が飛び交っていたらしい。

 けれどフクキタルが怪我をして長期休暇にはいると、新人が調子に乗るからだとかそう言う話ばかりが出るようになって、次第にあいつも萎縮して孤立するようになってしまった。

 沖野や女狐のような良識のある奴がフォローして、完全にひとりにはならないようにはしていたが、それでも良い状況とは言えなかった。

 そんな中で、オグリキャップの引退と同時にシリウスを任されたとなれば、周りがどんな目で見るかは明白であろう。

 チームメンバーは軒並み消えて、残ったのはフクキタルとメイショウドトウだけで、味方もいない。

 一時期はもうトレーナーを辞めるかまで悩んでいたと言うから、干物の心労はいかほどであったかは察するに余りある。

 そんな中で現れたのが私だった。

 干物に少しでもやる気を出してもらおうと、こっそりリギルの試験を見学させていた時に、干物は私を指してもう一度だけやってみたいと言った。

 堂々と夢を語り、周りのやっかみにも動じず、負けて悔し涙を流す私の姿に、干物は昔の自分を重ねたのだ。

 そこからの顛末は、この通りである。

 

 女狐はそこまで話して、だから貴女にはずっとお礼を言いたかったのよ。と私の手を両手で握った。

 気にかけていた後輩が潰れずに立ち直れたのは、貴女がこの学園に来てくれたおかげだから。と真摯な態度でそう言った。

 そこで初めて、こいつは悪い奴じゃないのだと気が付いた。

 今の今まで私はこいつを、勝利の為には冷徹になるような薄情な奴だと思っていたのだが、どうやらそれはまったくの思い違いだったらしい。

 目付きこそ女狐のように鋭いが、人並み以上に優しく思いやりのある、トレーナーの鑑みたいな女だ。

 私は申し訳なくなって、私はどうやら貴女を誤解してたようだと謝った。そうしたら東条は和かに笑って、いいのよ、慣れてるから。と頭を撫でてくれた。

 

 もしかしたら私は、自分でも思っていた以上に視野が狭くて、いろんなものを見落としてしまったのかもしれない。

 久しぶりに、家族へ電話してみようか。なんて柄にもなく思いながら、私は東条に押されてみんなの所へと戻っていった。




メイショウドトウに覚醒の兆しあり……?

 吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
 本編に大幅な加筆修正に加え、新規エピソードが追加されていたり、各主要キャラの設定を見直したりと、いろいろな部分に手を加えています。
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ナリタトップロードとメジロブライトはウマ娘に実装されていないので、このお話には登場しません。
2頭のファンの皆様には、申し訳ございません。


 東条に干物の過去を教えてもらい、己の視野の狭さを痛感したその日の夜に、久しぶりに家族へ電話をした。

 そうしたら親父が出て来て、まず一年近くも連絡をよこさなかった事と、無茶をして死にかけた事でしこたま怒られた。

 お前はいつも無鉄砲で、無茶ばかりして、そそっかしくて──と、涙声に懇々と説教されるのは、私のような悪童には非常に堪える。

 最後にはおふくろから、とにかく無事で良かったと心底安心した様子で言われて、私は自分がいかに親不孝であったかを思い知り、あまりの申し訳なさに泣いてしまった。

 親の心子知らず。なんて言葉があるが、まったくその通りだったと痛感する次第であった。

 

 それから改めて、干物と二人きりで話をした。

 思い返してみれば、私たちはトレーナーと担当ウマ娘の関係でありながら、お互いの事を何にも知らないでいる。

 正確に言うならば、知ってはいるが又聞きで本人の口からは何も聞いていない、と言う何とも奇妙な状態になっていた。

 だから、ここらでちゃんと話し合って、相互理解を深めていこうと思ったのである。

 

 まずは言い出しっぺの私である。

 昔から無鉄砲で損をしていて、あいつとスペと一緒にばかばっかりやっていた事や、死に際にあいつと約束した事も、何もかも全部話した。

 改めて自分の事を話すと言うのは、存外にも気恥ずかしいものだったが、干物が聞く度話す度に一喜一憂するから、話し終えた頃には何だかすっきりした気持ちになっていた。

 私の次にはトレーナーたる干物が話をしたが、おおむね東条から聞いた通りの顛末だった。

 周りからの期待とやっかみに晒されながら足掻き、フクキタルと共に菊花賞を取ったは良いものの、その後は怪我でフクキタルが潰れて、受け継いだチームも無くなりかけて、気付けば味がわからなくなる程には苦労していた。

 けれど残ってくれたメイショウドトウに励まされ、あとから来た私にいろいろと世話を焼かれて、ダービーの頃には調子も戻ってきていたそうだ。

 さすがに私が死にかけた時は肝を冷やしたが、今はもう味もわかるし、トレーナー業も楽しくやっていけていると言うから安心である。

 私がトレーナーを続けられたのは、君たちのおかげだよ。そう言った干物の顔は、とても晴れ晴れとしていた。憑き物が落ちたようであった。

 私も何だか壁がなくなったような気がして、ついつい気持ち良く笑みを浮かべてしまう。

 こんなふうにこいつと笑い合えるのなら、もっと早くに話をしておけば良かったかもしれん。

 近いうちにシリウスの奴らからも話を聞いて、みんなともこれまで以上に、仲を含めていきたいものだ。

 

 こうして干物との清算を終えると、気が付けばもう三月にはいっていた。

 私の復帰訓練もついに歩行訓練に移って、そろそろ退院も見えてきたと思ったのだが、四ヶ月近くも寝転がっていると、筋肉も衰えて歩けなくなるらしい。補助ありきだと言うに、少しの距離を歩くだけでも辛くて辛くて、たった一歩を進む事すらも容易にできぬときた。

 まさか自分でもここまで衰えているとは思わず、こんな状態でまたターフを走れるのか。走れたとしてあいつらに追いつけるのか。いろいろな事が不安になって暗くなってしまった。

 けれど先に歩けるようになったサイレンススズカから、大丈夫、貴女ならできるわ。と励まされたので、お前が言うならそうかもしれんと気合を入れて頑張った。

 結果、四月の終わりには自力で歩けるようになっていたから、こんなに早く回復する患者はそうそういないと医者に驚かれて、私は鼻高々である。

 

 驚いたと言えばメイショウドトウである。

 こいつと来たら、まずは未勝利戦を制すると、強行軍でOP戦を二連勝して、かと思えばそのままの勢いで弥生賞まで見事に勝利してしまったのだ。

 干物から聞くに、これはメイショウドトウが望んだ事だと言うから、まったくとんでもないど根性だ。

 私は前から、こいつは根性がある奴だと思ってたのだが、まさかここまで根性があったとは、この私の眼を以ってしても見抜けなんだ。

 勝利の報告に来たメイショウドトウに、それ見ろお前は強かったじゃないか。と言えば、しきりに恐縮した様子で、そ、そうみたいです。と答えるから、なかなか言うようになったなと思った。

 けれども、この調子なら皐月賞でテイエムオペラオーにも勝てるんじゃなかろうか。なんて聞くと、ささささすがにそれは無理ですぅ!? とすごい勢いで首を横に振るから、やっぱりまだまだかもしれぬ。

 

 四月になると、ついにクラシック戦線における第一戦、皐月賞が始まった。

 レース前に、シリウスの奴らとメイショウドトウの激励に行くと、きのこでも生えてそうなくらいにどんよりしている。

 おいおいどうしたのだと声をかけてみると、どうやらテイエムオペラオーとの対決で気弱がぶり返したのか、無理です勝てませんだのとうじうじ言うので、何を言ってやがる、お前なら勝てるぜ。と尻を引っ叩いて活を入れてやった。

 そうしたらこいつは、ひぃんと情けない悲鳴を上げて前のめりにすっ転んでしまったものだから、こいつの気弱もまだまだ重症だなと天を仰ぐ他にない。

 だが、ターフに出ると顔つきはいくらかマシになって、私たちに「かか、勝てないかもですけど、精一杯頑張りますっ」と言えるくらいにはなっていたから、あいつも精神的に成長したんだなと親心のように思った。

 テイエムオペラオーもレース前にはこちらへ来て、君に王者のレースと言うのを見せてあげよう! と私たちを指差してきたから、熱い戦いを期待してるぞとふたりを応援してやった。

 するとテイエムオペラオーは優雅に手を挙げてこれに応え、メイショウドトウも控えめながら拳を挙げて応えてくれたから、今日のレースは期待できそうである。

 

 さても肝心のレースであるが、結果から言えばテイエムオペラオーの勝ちであった。

 メイショウドトウは最初、中団後ろで様子を伺いつつ内にはいり、第三コーナーで機と見たか徐々に順位を上げて、終盤には一気に前へと出てアドマイヤベガと言う奴とハナを争っていた。

 ところが大外から飛んできたテイエムオペラオーが纏めて撫で切ってしまったから、あえなく三着になってしまった。

 もう少しでハナを奪えたかどうかと言う所だったから、これはもう残念と言う他にない。

 だが、メイショウドトウがよく走っていた。気弱なあいつにしては強気な走りで、最後の猛然とした競り合いは圧巻の一言である。

 負けたメイショウドトウは、レースが終わると私たちの所に来て、負けちゃいましたぁ。と悔しさの滲んだ表情で謝った。

 走る前はあんなに勝てないだとか言っていた癖に、ちゃっかり心底ではテイエムオペラオーには勝つ気でいたらしい。

 それを指摘すると、ちょっとだけ戸惑ったように目を泳がせながら、目標になるって決めたから。と言うから、こいつめ言うじゃないかと頭を撫で回して、次は勝てるぞとみんなで発破をかけてやった。

 そうしたらこいつは、むっと口を引き締めて頷いたから、この皐月賞の大舞台を走った事で、前よりはちょっぴり前向きな気持ちになれたようである。

 メイショウドトウと話していると、勝者たるテイエムオペラオーがいつものように高らかに笑いながら来て、どうだったかなボクたちのレースは。と聞いてきた。

 接戦で手に汗握ったぞと返すと、そうだろうともと胸を張りながら頷いて、目標にするには良い高さだろう? なんて言うので、吐かせと笑ってハイタッチをした。

 

 クラシック戦線初戦は、こうしてテイエムオペラオーの勝利から始まったのだった。

 

 皐月賞が終わると、そのすぐあとには、スペとキングヘイローとセイウンスカイが出る春の天皇賞が始まった。

 このレースは菊花賞よりも二〇〇長い、三二〇〇と言う長距離を走る。パワーはもとより、多くのスタミナと適切なペース配分がものを言うレースだ。菊花賞を獲ったセイウンスカイには、いささか有利な条件だと言える。

 スペとキングヘイローは、いかにセイウンスカイのペースに呑まれぬよう立ち回り、最後までスタミナを残せるかが鍵になるだろう。

 レース前にふたりに会いに行くと、スペに「今度は私が前を走るから、必ず追いついてね!」と言い、キングヘイローは「このキングの背中は遠いんだから、しっかり見ていなさいよ!」と高笑いして、セイウンスカイは「歩くような速さでいいからさ、追いつきなよ?」と笑顔を見せる。

 まったくこいつらときたら心強い奴らだ。私はきっと追いついてやると大きく頷いてみせると、三人をターフへと送り出した。

 

 

 レースはまず、好スタートを切ったスペは、出方を待つように前方で待機の姿勢を見せ、少し出遅れたセイウンスカイがこれに並走。キングヘイローは中団前めで脚を溜めると言う展開となった。

 中盤にはセイウンスカイがハナを奪い、このまま自分のペースに持ち込もうとするが、スペが煽るように折り合いを欠いた奴らに圧を掛けて前へ前へと進ませるから、なかなか思うようにいかない。

 そして最終直線に入ると、スペとセイウンスカイの競り合いになった。だが脚が残っていないセイウンスカイは、ここで上がれないまま置いていかれる。

 残り一五〇メートルに、ここでキングヘイローが来た。存分に残していた脚を使って猛追をかけて、ついにスペを射程に捉えるとその勢いのまま横に並んだ。

 よもやキングヘイローが勝つか。そう思われた直後に、スペの天性の末脚が爆発して、恐ろしい伸びを見せる。

 さしものキングヘイローもこれには敵わぬか追いつけず、最後の最後に抜け出したスペがゴール板を踏んだ。

 キングヘイローは二分の一バ身差で惜しくも届かず二着、意地と根性で粘ったセイウンスカイは三着とあいなった。

 まったく熱くて熱くて、素晴らしいレースだった。こんなものを見せられては、私もいっそうの気合がはいってしまう。

 

 レースのあとはお待ちかねのウイニングライブである。

 もちろん、お手製グッズで全身を固めて挑んだ。入院中に予習して、合いの手も完璧に仕上げてあるから抜かりもない。

 ただひとつ気になる事があるとすれば、私と似たような格好をしている奴をちらほら見かける点である。

 どうやらあいつらもスペを推しているらしい。だがスペの一番のファンは私だ。こればっかりは絶対に譲れぬ。

 貴様らには負けんぞと言う気持ちを込めて、ムッと法被の奴らを睨むと、何故かそいつらは急にざわざわし始めたあと、私の所へ来て一緒に写真を撮って欲しいと頼んで来たから魂消た。

 どうやらこいつらは、スペのファンであると同時に私のファンでもあって「てぇてぇ」なる言葉で私たちの関係をありがたく拝んでいると言う。

 なるほど、わからん。

 だが私を好いてくれるファンに無体はできんので、快く写真を撮ってやり、ついでに法被へサインもしてやった。

 そしたらどいつもこいつもあほ程喜んで、家宝にしますと言うからなかなかに気分が良い。

 存分にスペを推し給えと言ってライブへ送り出して、面白い奴らだったなあと独り言ちていると、側から見ていたエアシャカールから、いやお前もアレと同類だからな。と呆れたように言われた。解せぬ。

 

 五月の中頃になると、身体の具合も良くなってついに退院することになった。

 そうしたらゴールドシップの奴が「よっしゃ! 快気祝いにみんなでカラオケ行こうぜ!」と言うのでそう言う事になった。

 カラオケ屋にはいって各々に飲み物が行き渡ると、まずは挨拶という事で、私の快気祝いにこのような場を設けていただき云々。みんなには多大な迷惑と心配をかけて云々。と世話になった奴らに向けて謝辞を述べた。

 だが途中でゴールドシップが、いいからさっさと歌えよなー! と勝手にうまぴょい伝説をいれ始めたから、神妙な空気が一瞬で霧散した。

 ウイニングライブでならまあ歌えなくもなかろうが、よもやこんな訳のわからん曲を、みんなの前で堂々と歌えるものか。

 そんな急には歌えないぞと言い訳をすると、なんだお前もしかして音痴か? と煽ってきたから思わずムッとして、誰が音痴だとこの野郎と熱り立って受けてしまったから大変である。

 みんなからの歓声に南無三やってしまったと後悔したが、ここまで来たらもう引くに引けんので、ええいままよと踊りも交えて歌い切ってやった。

 もちろん、死ぬ程恥ずかしくて穴があったらはいりたいくらいだったが、みんなは大いに楽しんでくれたようなので、今日ばっかりはこの恥も良しとする。

 

 ばか騒ぎの快気祝いも終わり、やっと懐かしの寮に戻ってくると、フクキタルが先に部屋へとはいって、おかえりなさい。と両手を広げて迎えてくれた。

 それが何だか急にあいつの姿と被って見えた私は、束の間には笑顔とともにフクキタルの胸に飛び込んで、めいっぱいに抱きしめながらただいまと返してやった。

 それから、この日は久しぶりに一緒のベッドに寝て、フクキタルに存分に甘えた。

 人の温もりと言うのは不思議なもので、こうして暖かな胸に包まれていると、生きている実感と言うのが湧き上がってくる。

 まだまだ未練には決着をつけられそうにないが、それでもきっと、この温もりが残っているだけで生きていけるような、そんな気がした。




やっとこさ日常に戻ってきた主人公ちゃん。
ここからが本当のスタート、ですね。

 吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
 本編に大幅な加筆修正に加え、新規エピソードが追加されていたり、各主要キャラの設定を見直したりと、いろいろな部分に手を加えています。
 以下のサイトにてDL可能ですので、まずは体験版からどうぞ。

【DLsite】
 https://www.dlsite.com/home/work/=/product_id/RJ369814.html

【メロンブックス】
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これは今更な事ですけれど、いつも評価、感想、ここすき並びに誤字報告、ありがとうございます。
特に誤字報告はいつも助かっています。スマホでぽちぽちしてるもんで、なかなか見つけ難くて……まあPCで書けって話なんですけどね。


 学校に復帰してからすぐの事だ。

 今日からレース復帰に向けて、負荷の小さいリハビリを行なっていくと干物が言うので、プールの中でフクキタルに引っ付いている。

 どうしてそんな無闇をしていているのかと聞く者もいるだろうが、なんて事はない。泳ぎのできない私は、水と言うのが大が付くほど嫌いで嫌いでしかたないのである。

 怖いもの知らずで通っている私にとて、怖いもののひとつやふたつはある。それがこの、水という奴であった。

 

 もちろん限度はある。風呂くらいの浅さならどうと言う事もないし、顔だって何の躊躇いもなく浸けられる。

 ところが水が腰より上まで来たり、水に流れがあったりすると、どうにも足腰が竦んで駄目になってしまうのだ。

 自分でもどうしてここまで水が怖いのか不思議なのだが、しかし怖いもんは怖いのだからこればっかりはしかたがない。

 私はフクキタルに引っ付いたまま、ぷるぷる震えるしかできなかった。

 

 一向にフクキタルから離れない私を見て、干物がそれじゃあリハビリにならないでしょ。と呆れて言うが、いくら言われたって苦手なのだからこればっかりはどうしようもない。

 ウイニングチケットも根拠のない自信たっぷりに、大丈夫! 私たちが助けるからね! と励ましてきたが、補助されたくらいで泳げるようになるなら世話ないってもんだ。

 

 意地でも泳ぎたくないんで、誰に何と言われようとむっつりとして黙っていると、そのうち干物がプールサイドのみんなに指示をして、手当たり次第に私の身体をベタベタしてきた。

 だが、シリウス総出で引っぺがそうったって、そうはいかん。プールに来るのさえ嫌なら、泳ぐのなんてなおさら嫌だ。いくら必要な事だとしても、嫌な事までしてリハビリなんてやってられるものか。

 

 頑として引っ付いたままでいると、私の様子によっぽど呆れたらしいエアシャカールが、こいつばかに頑固だぜ。と悪態を吐いた。

 まあまあ泳げないなら仕方ないですよ、それに病み上がりなんですから無理させたらかわいそうです。とフクキタルが庇ってくれたが、腹の虫がおさまらんらしいエアシャカールは舌打ちで返していた。

 一方でライスシャワーは何だかコアラの赤ちゃんみたい。と好き勝手に言って、メイショウドトウはどちらかと言うとお猿さんでは。とまったく失敬な事をのたまう。

 

 それでも動じずにじっとしていると、そろそろ埒が明かないと悟ったか、干物が溜め息混じりにプールから上がるように指示を出したので、フクキタルに引っ付いたままプールサイドに上がった。

 そうしていたら、いかにもおかんむりな干物がまず私に向かって、いくら苦手だからって子供みたいに駄々を捏ねないの。と怒り、続けてフクキタルには、病み上がりだからって甘やかすんじゃないよ。なんてくどくど説教を始めた。

 

 こいつの言っている事はわかる。衰えた足腰を元の水準に戻す土台を作る為に、まずは水中歩行で小さな負荷からかけていこうとしているのだろう。

 だが、無理なもんは無理なのだ。

 お化けが嫌いな人間にお化け屋敷にはいれと言っても、絶対に嫌だと断固拒否するだろう。私もそれとおんなじで、何がなんでも絶対に泳ぎたくないのである。

 

 干物を尻目に不貞腐れてそっぽを向いていると、ついに堪忍袋の緒が切れたらしい干物が、エアシャカールと、ウイニングチケットと、ライスシャワーに、連れて行きなさい。と冷徹な声で命令を下した。

 すると途端に、三人が腕に着けるタイプの浮き輪を持ってにじり寄って来た。きっとあの浮き輪を着けて、水中へ運んでしまおうと言う魂胆なのだろう。

 いくら浮き輪があったって、水に浮かぶだけでは何の気休めにもならん。むしろ、足がつかなくなってもっと怖いまでもあるのだから、私も飛び込み台の柱にしがみついて渾身の抵抗をせざるを得ぬ。

 

 両足と胴体を掴まれながらやめろ離せと叫ぶと、エアシャカールが三人に勝てるわけないだろと言うので、ばかやろうお前私よりぺたんこな奴に負けるもんかと返してやった。

 束の間、引っ張る力が緩んだ。エアシャカールとライスシャワーが、何故か動きを止めたらしい。

 何かよくわからんがしめたもんだから、この隙に逃げてしまおうかと私も束の間、腕の力を緩めてしまった。

 すると途端に世界が回って、気が付けば表情を無くしたエアシャカールとライスシャワーに持ち上げられている。

 いつの間にやら腕に浮き輪も嵌められていて、もうプールに投げ込まれる寸前まで来ていたから、南無三己の失策を悟った。

 待て待て謝るから許してくれと嘆願に近い声で捲し立てると、ライスシャワーが「あのね? 言っていい事と悪い事があると思うの」と微笑み、エアシャカールは「テメェはオレを怒らせた」と低く唸る。

 ウイニングチケットにも助けを求めたが、触らぬ神に何とやらなのか、気不味く顔を逸らされた。それならフクキタルはどうだと視線を向けたが、干物にやんわり拘束されてこっちには来られそうにないから、もう助かりようがない。

 結局私は、ふたりの怒号と、自身の情けない悲鳴とともに、盛大にプールへ投げ込まれた。

 

 二度とふたりに胸の事をとやかくは言うまい。この日を境に、私はそう誓ったのだった。

 

 そんなふうに、シリウスの奴らとくだらない事で悶着しながらも、復帰に向けていろいろと努力している時分である。

 プールでの訓練を終えた帰りに、学園内にあるカフェーのテラス席で一服していると、アドマイヤベガと言う奴に話しかけられた。

 こいつは皐月賞でメイショウドトウと競り合っていた奴だ。母親はダービーを勝った競走ウマ娘で、親戚にもGⅠを勝ってる奴らが沢山いると言う、なかなかの家柄なウマ娘である。

 そんな、いかにも良家のお嬢様と言うべき女が、はたしてこの悪童に何用であるかと言えば、間近に控えたダービーに関する事であった。

 

 貴女に聞きたい事がある。と真剣な顔で言ったアドマイヤベガに、ボンヤリとストローに口をつけて冷やしコーヒーを啜っていた私は、それならまずは座ったらよろしいと薦めた。

 アドマイヤベガは私の正面に座ると、しばらく沈黙して私を困らせた。

 往来は静かであった。時間が時間だけに店内には客もそんなにおらず、私たちの間にはジャズのスタンダードナンバーが流れるのみで、お互いの顔を認めるのに何も困難がない。

 私は気まずくなって、眼を逸らしてコーヒーを啜った。けれどもアドマイヤベガは私の顔を見つめたまま、少しも口を開く気色なく、じっと私がコーヒーを飲み終えるのを見守っていた。

 

 コップがからりと音を立てると、やっとこいつは重苦しく口を開いて、貴女は怖くなかったの。と私に問うた。

 どう言う意味だと聞き返すと、私はダービーを走るのが怖い。とアドマイヤベガは慄きを纏って囁く。

 もしも負けてしまったら。もしも届かなかったら。一生に一度しか走れぬ大舞台で、何もできぬまま沈んでしまったら。そんなふうに考えてしまって、今更ダービーを走るのが怖くなったのだと言う。

 察するにこいつは、私のように何か重い荷物を背負っているのだろう。

 幼い頃に見た憧憬か、それとも家柄に対する誇りと重圧か。あるいは、私のように果たせなかった約束かもしれぬ。

 とにかく、荷物の重さに押し潰されそうになって、耐えられないくらいに苦しくなったから、去年のダービーを勝った私に、こうして助けを求めてきたようだった。

 

 しかし困った事には、ダービーで負けるかもしれない。なんて考えを、私は一度たりとも持った事がない。

 より正確に言うならば、ダービーで負ける可能性を、ずっと考えないようにしていた。

 私がダービーで負けると言う事は、あいつとの約束を果たせなかったと言う事である。

 そしてそれは、今にして思うとずいぶん性急な考えだったが、私自身の存在意義を失う事でもあった。精神的な死である。

 たとえもしもの話であったとしても、当時の私にとっては、そんな話を考えるのは苦痛と苦悶の極みである。

 だからこそ、同着と出たあとにはあんなにも泣いて、泣いて、涙と一緒に感情の全部を出し切ってしまった。その結果があの秋天なのだから、我ながら不甲斐ない以上に情けない。

 そんな私だから、こいつになんて言葉をかけてやれば良いのか、さっぱり思い付かなかった。

 何か気の利いた事でも言えたら良かったのだが、毎度の事ながら、口の上手くない私では大した言葉も思いつかん。

 つくづく人に助言する才能が欲しいと思うが、ないものねだりをしたってしかたがない。

 

 結局、私はアドマイヤベガの悩みに対して、戦う前から負ける結末を考える奴はいない。なとど中身のない事を言ってやるしかできなかった。

 もちろん、こんな月並みの科白で解決できるはずもなく、アドマイヤベガはわずかに眉を顰めて、求めていた答えと違うと言外に伝えてきたから据わりが悪い。

 どうにも言葉を捏ねるのに困り果てた私は、しようがないので、慣れないながらも言葉を選びながらアドマイヤベガに思った事を話した。

「つまる所、きみは誰よりも、誰よりもだ。ダービーで負けたくないもんだから、そうやって怖がっているんだ。確かに、一生に一度の大舞台だから不安になるかもしれん。でもその負けたくない気持ちは、何より勝つ為の強い力になる。苦しくて、苦しくて、ついに挫けそうになってしまった時に、その想いはきっと踏ん張る為の力になってくれる。だから、負けを恐がるのは恥じゃあない」

 聞き終えたアドマイヤベガは、考え込むみたいに俯いて黙りこくった。

 私にはそれが何を示すかわからなかったが、少なくともさっきのように、眉を顰めたりはしなかったから安心した。

 これでだめだったら、もうどうしたら良いかわからなくて、電話でスペに助けを求めていた次第である。

 

 そよ風が私たちの間を通り抜けると、アドマイヤベガは顔を上げて、貴女もそうだったの? と問うた。

 私はもちろんだと即答した。

 アドマイヤベガは感じ入ったようにゆっくりと息をして、頭上の星空を見上げると、負けたくない。と呟いて瞳を閉じた。

 しばし己の感情を噛み締めて、ダービーへの決意を新たにしたらしいアドマイヤベガは、さっきよりもずっと凛々しく悠々とした顔付きで、ありがとう、話を聞いてくれて。と礼を言う。

 礼を貰える程の助言はしていないが、しかし受け取らんのもそれは失礼なので、気が晴れたなら良かったと頷いておいた。

 

 おそらくダービーでは、こいつが一番になるに違いない。

 このアドマイヤベガには、絶対の覚悟がある。必ずダービーを獲ると言う、恐ろしく強い意志が宿っている。

 こう言う相手は得てして強いものだ。メイショウドトウとテイエムオペラオーには悪いが、きっとダービーではこいつに勝てんだろう。

 アドマイヤベガの凛乎とした顔を見ながら、私は予感めいてそう思った。

 

 この予感は、はたしてダービーで現実のものとなった。




亡き幼馴染の為に走った主人公ちゃんと、亡き妹の為に走るアドマイヤベガ。
似ているようで、でもちょっとだけ違うふたり。

 吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
 本編に大幅な加筆修正に加え、新規エピソードが追加されていたり、各主要キャラの設定を見直したりと、いろいろな部分に手を加えています。
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暗い展開が続くのはアニメ2期リスペクトですが、それはそれとしてオリ主にはゲロ吐くほど苦しんで欲しいと思っています()


 日本ダービーである。

 始まる前までメイショウドトウは、相変わらず気弱を発揮して、無理だの勝てないだのとぶつくさ言っていたが、やはりターフに出ると顔付きが変わっていた。

 口ではああだこうだと言いつつも、テイエムオペラオーに勝ちたい気持ちはきっと誰より強いのだろう。

 して、件のテイエムオペラオーだが、今日もランウェイでは気合十分な様子であるから、強いレースを見せてくる事が予想された。

 皐月賞を勝って調子の波に乗っているこいつは、今回もなかなかに手強い壁として立ちはだかるのである。

 

 しかし今回のダービーにおいて、きっと勝つのは先日に話をしたアドマイヤベガだと私は思っている。

 あいつには覚悟があった。ただダービーを勝つと言うのではない。己の誇りと、背負った想いの為に、絶対に勝つのだと言う覚悟があった。

 それはかつての私と、スペが持っていたものと同じものだ。どうしても負けられない理由だ。

 姿形は違えども、重さの点で言えば何ひとつとして変わらぬこれは、ふたりとの絶対的な差となるに相違なかった。

 

 スタンドに集まって、レースが始まるのを待っている時分、ライスシャワーが祈るような仕草で「ドトウちゃん、今日は勝てるよね?」と呟いた。

 干物は「ドトウの頑張り次第かな」と返した。

 フクキタルも「きっと勝てますよ」とこれに同意する。

 ウイニングチケットも同じく「絶対絶対、ぜぇったいに勝てる!」と頷く。

「クビ差だろゥな」と、エアシャカールだけは憮然としていた。

 

 ゲートインのアナウンスが流れると、その数分後には、ついに今年の日本ダービーが始まった。

 最初は、三人とも後ろの方で待機していた。テイエムオペラオーは中団に、メイショウドトウは外に、そしてアドマイヤベガは最後方三番手の位置にある。

 例年に比べるといささかゆったりとしたペースで、このままだと中団が詰まって、最後には団子になるのではと思われるほどであった。

 しかし第三コーナーに差し掛かると、全体の動きがにわかに速くなって、出入りが激しくなったからわからなくなった。

 

 最初に動いたのは、テイエムオペラオーだ。大外から一気に駆け上がり、先頭集団に食いついた。

 これを見たメイショウドトウも、また大きく動いた。ハナを進むテイエムオペラオーに食らいつくと、並びかけて、ついに躱した。

 スタンドから声が上がった。メイショウドトウの勝ちだと、シリウスの奴らも叫んだ。けれども、大外の最後方から飛んできたアドマイヤベガが、これに待ったをかける。テイエムオペラオーも意地を見せて、ついにはどうと三人が並ぶ。

 最後の競り合いの最中、アドマイヤベガは吼えた。スタンドの歓声に負けぬ大声で、決死の形相で咆哮した。

 テイエムオペラオーも吼えた。メイショウドトウも吼えた。だが、アドマイヤベガの咆哮にはわずかに届かず、ふたりは後塵を拝する事となった。

 

 この日に初めて、テイエムオペラオーが負ける瞬間を見た、その時の私は、恐ろしさの塊か、あるいは苦しさの塊になって、石や鉄のように頭から足先までが、急に硬く冷たいものになったように感じられた。

 一瞬間の後には、また正気を取り戻したのだけれど、その途端に、私はえも言われぬ感情に掻き乱されて、我知らず一筋だけ涙を零していた。

 スタンドから来る動揺と、穴の空いた胸の痛みとが、私の中で渦を巻いて、涙となって落ちたのだろう。

 それが、無意識のうちに蓄積された復帰への不安と、みんなから寄せられる期待からの重圧から来る、心底に患った煩悶の発露である事に気が付いたのは、ダービーが終わった後になってからであった。

 

 両手を膝に突いてぜえぜえ言っていたアドマイヤベガが、背筋を伸ばして天を指さすと、束の間の静寂が過ぎ去ってから、歓声が驟雨の如くターフに降り注いだ。

 レース場に来ていたあらゆる者たちが、勝者たるアドマイヤベガに祝福と称賛の声を送り、そして、勝てずとも健闘したウマ娘たちには、その走りを讃える言葉を送った。

 私も同じく、声を上げた。アドマイヤベガの勝利と、全員の健闘を讃えた。

 声の下には、莫大な不安と焦燥があったのだけれど、それを見ぬふりをして誤魔化したのである。

 

 メイショウドトウが泣きながらやって来たから、まだ菊花賞があるぞと頭を撫でてやった。

 シリウスの奴らも、ダービーであれだけ競り合う事が出来たのだから、次こそは勝てるはずだとそれぞれの言葉で伝えた。

 するとメイショウドトウは、鼻をずびずび鳴らしながら頷いて、三度目の正直に賭けますと決意を露わにしたから、気弱もずいぶん良くなったように見える。

 この様子ならば、菊花賞で勝つのも夢や幻ではないだろうと、そう思われた。

 このメイショウドトウと言うのは、私なんかよりよっぽど、誰にも負けない根性のある奴なのだから、きっと勝てるはずなのだと私は信じた。

 しかしそれが本心からの思いであったかはわからぬ。

 

 テイエムオペラオーは、しばらくアドマイヤベガと話していたのだが、やがてこちらまで来ると、いやあアヤベさんは強敵だったね。と開口一番に強がって言う。

 私が悔しいかと聞くと、気持ちが良いくらいにもちろんだとすっぱり答えて「けれど、ここで挫けるボクじゃないさ」と首を振って話すもんだから、私はしかし目尻に涙が浮かんでいるぞと返した。

 そうしたらこいつは、袖で乱暴に目元を拭うと「流した涙が糧になる、だろう?」なんて言うから、仕返しの甲斐がないなと返した。

 上手く笑えていた自信はなかった。

 

 テイエムオペラオーと話し終わると、今度はアドマイヤベガが来たから、私はほんのちょっとだけ、腹に黒いものが溜まった気がした。

 凛乎としたアドマイヤベガは、づかづかと大股で私の前まで来ると、無言で右の拳を突き出した。

 応えて右の拳をぶつけると、こいつはかすかに笑みを浮かべてから、ウィナーズサークルへ去っていった。

 はたしてその行為にどんな意味があったかは、私にはわからなかったけれど、彼女からの期待を感じて、微かな吐き気を覚えたのは確かである。

 

 

 ダービーが終わってからと言うもの、私はつくづく不安になった。

 どれだけ鍛錬をしても、アドマイヤベガの影が脳裏を掠めて、この努力を嘲笑うみたいにして、私を追い越していくのである。

 窓に黒い鳥影が射すように、射したかと思うと、すぐ消えるには消えたが、私はそれが嫌で、追い越されるものかと鍛錬をいっそう頑張った。

 だが私の頑張りとは裏腹に、鍛錬に打ち込めば打ち込むほど、周りからはよくよく心配された。

 干物は宥めるみたいに、焦る気持ちもわかるけどと言う。メイショウドトウは心配して、急ぐと怪我しちゃいますと首を振った。エアシャカールは私を止めて、データは嘘をつかないと励ました。フクキタルは、脚が痛むのやもしれぬ、青い顔をただ歪めて私を見ていた。

 ライスシャワーも、ウイニングチケットも、私の頑張りを心配して止めようとした。

 側から見れば、私が急に狂い出したみたいに、鍛錬をしているように見えたのだろう。

 ついこの前までは、前向きな気持ちで過ごしていた奴が、ダービーを見た途端に、急にこんなセンチメンタルな気持ちになって、必死な顔をして走っているのだから、そう見えても当然である。

 

 私は別に、アドマイヤベガが嫌いな訳ではない。むしろあいつには、一種の共感のようなものを抱いていて、応援してやりたいと言う気持ちまでがあった。

 しかし一方では、こうまでアドマイヤベガに掻き乱される事になった原因もまた、この共感による所が大きかった。

 

 一刻も早くレースに復帰して、みんなからの期待に応えたいと日々の努力を重ねながら、心のどこかで、復帰したところで元には戻れぬのだから、こんなのは無意味だと囁く自分がいる。

 みんなの励ましに奮起して、いっそう頑張ろうと決意する自分の横で、みんなの励ましを煩わしく感じて、何もかもを厭世的に考えている自分がいる。

 みんなに置いていかれるのは嫌だけれど、このまま復帰したとして、はたしてアドマイヤベガが持っていたような、覚悟と情熱を取り戻せるのか。

 そのような事ばかりを考えて、二律背反する感情を抱き始めた私は、少しずつ息をするのさえ苦しくなっていった。

 そしてそのうちには、走るのさえもが苦しくなった。

 あの時に持っていた情熱が、アドマイヤベガと言う名前に形を変えて、あそこにあるように見えて、そして同時に、私と言う存在の悉くが、アドマイヤベガに塗り潰されていくように感じられた。

 何もかもを奪われたような喪失感と、腹の奥底から煮え繰り返る嫉妬のふたつが、唐突としか言いようがないくらい突然に、胸の中に去来したのである。

 

 無鉄砲だからと言って、怖くない訳ではない。どれだけ弱音を吐いた所で、恐怖を消せる訳でもない。目的や目標があるからと言って、ただそこへ向かって進んでいける訳もない。

 どれだけ頑張っても、レースに復帰できなかったら。復帰できたとしても、みんなの期待に応えられなかったら。そんな気持ちが、心底から顔を出して、自虐や自責となって私の足を重くしていた。

 私はあいつとの約束を果たすと同時に、頼るべき杖をなくして、歩けなくなっていたのだ。

 私はダービーを見てそれを自覚した。吹き荒ぶ不安と、アドマイヤベガへの嫉妬のためである。

 

 ある夜、私はついに耐えきれなくなって、寮を抜け出した。

 寝巻きのまま暗い宵街の帳を駆け抜けて、背後に迫る不安から逃げるように冷たく澱んだ風の中を横切り、どこか遠くへ行こうともがいた。ただ、この胸の内に秘めた衝動を浪費するためだけに、脇目も振らずひたすらに走ったのである。

 そして、やがてたどり着いた河原で、私はついに耐え切れなくなり、蹲って泣いたのだった。

 

 いったいどれほどの時間を、泣いて過ごしていたのだろうか。少なくとも、曇天の空が東雲になるまでは泣いていたようだった。

 ふと、聞き慣れた声が耳に飛び込んできて、私はにわかに顔を上げた。

 振り向いて見れば、そこには息を切らしたフクキタルがいて、土手の上から見下ろしているのが見えた。

 小さくフクキタルの名前を呼んだ。そうしたら彼女は、こちらへ駆け寄って私を強く抱きしめると、確かめるみたいに私の頭を撫でた。

 

「よかった……、よかった……」

 

 フクキタルは同じ言葉を二遍繰り返した。涙に濡れたその言葉は、深閑とした河原の中に、確かな存在感を持って繰り返された。私は罪悪感と羞恥心で何とも応えられなかった。

 

「寮を抜け出したんですか、どうして……」

 

 フクキタルの態度はひどく動転していた。声はひどく沈んでいた。けれどもその身体の震えには、はっきり言えないような一種の共感があった。

 本当ならば、夜更けに寮を勝手に抜け出した事や、迷惑をかけた事を謝るべきだったのだけれど、追い詰められていた私は、もう何を言う事もできなくって、嗚咽を上げながら謝るしかできなかった。

 泣いて、泣いて、涙も枯れ果てた頃になって、私は私がどうして寮を抜け出したのかをフクキタルに話した。

 

「貴女の不安は、少しははれましたか。……そうですか。――そう、それはそうですよね、ただ闇雲に走っただけなのに。はれるはずがないんだから」

 

 問いかけに首を振ると、フクキタルはそれだけを言って、また私の髪を撫で梳かすのであった。

 フクキタルは私を慰撫したが、決して何かを言う事はしなかった。

 みんなには弱音を吐くと言っておきながら、ここまで抱え込んでしまった私を叱るでもなく、かと言って、夜更けに寮を抜け出して、河原に蹲って泣いていたのを咎める事もしない。

 彼女は私に、多くを告げるのを躊躇っているようだった。それはおそらく、今の私たちを繋ぐ共感のためであった。

 

「私は弱いウマ娘です」とフクキタルは言った。

「怪我で自分を見失って、道に迷ったまま一歩を踏み出す事もできず、走れないままでいます。今の貴女と同じように」

 

 こいつ自身も、怪我でずっとレースを走っていないから、私の不安や焦燥を理解していたようだった。もしかしたら、この内に秘めた嫉妬までもを理解していたやもしれん。

 私たちの間に横たわる共感は、朧げにではあるけれど、お互いの胸中の委細までを伝えたから、そうであってもおかしくはなかった。

 

「私は弱いウマ娘です」とフクキタルは間をおかずにまたさっきと同じ言葉を繰り返した。しかし次には私の顔を真正面から見て言うのである。

 

「でも、だけれど。貴女の姿を、貴女の泣く姿を見て、決めました。私はもう迷わない。今までの弱い自分とはお別れをして、きっと貴女を導く事のできる強いウマ娘になる。私が、貴女の先輩として、道を示してみせます」

 

 その眼のうちには決意の光があった。その顔には凛然とした覚悟の色があった。見惚れる程に美しく、しかして力強い意志が、今の彼女には宿っていた。

 そして、それ等のすべてが清々しい朱鷺色の中に、あるいは眩しく、又はクッキリと照し出されて、厳粛な静寂を作っていた。

 

「守るから。私が貴女を、きっと守るから」

 

 私はフクキタルの胸に抱かれながら、確かな安心に瞼を閉じた。泣き疲れたこの身体は、彼女の温もりと匂いに微睡を覚えて、しばらく脱力したのである。

 

 

 フクキタルが宝塚記念への出走を決めたのは、それからすぐの事であった。




フクキタル、ついに走る。

ここに至るまでで、主人公ちゃんの内面の変化についてを、もう少し書いておけばよかったなと後悔。とは言えあんまり書くと、今度は話が暗いままで進まなくなるから難しい所。
ちくしょう、私にもっと文才があれば……!

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拾壱

宝塚記念まで書きたかったけど、その前に最近空気だったスペちゃんとの絡みをここでひとつまみ……。


 フクキタルの宝塚記念への出走表明について、世間は概ね否に近い賛否両論であった。

 人々からしてマチカネフクキタルと言うのは、こんな事を言うのは癪なのだけれど、もう走る事のできない終わったウマ娘である。宝塚記念への出走は厳しいと言われていた。

 また人々の目はフクキタルよりも、スペとグラスワンダーの同期対決に向けられていたから、わざわざ話題にするのは旧来のファンくらいなもので、話もさほど広がりを見せなかった。

 その上には二年前の宝塚での惨敗と、その後の怪我による長期休養で、今更復帰したとて勝ち筋は薄かろうと、世間は結論を下したのだ。

 

 しかし、この世論が大きく覆ったのが、ファン投票直前のインタビューであった。

 スペとグラスワンダー、そしてフクキタルが登壇したこのインタビューでは、多くの記者が前者に好意的な、後者にはいささか否定的な質問をぶつけた。

 心ない質問の中にあっても、フクキタルは毅然としていた。だが記者たちはその態度ではなく、ここに至るまでの経歴だけを見て話していた。

 世間のみならず記者ですら、スペとグラスワンダーが本命であり、フクキタルの出走は無茶であると図抜けた声で切って捨てていたのである。

 インタビューをテレビで見ていた私は、悔しい気持ちでいっぱいだった。はなから決めつけて、あいつを足蹴にする奴らを、手酷く怒鳴りつけてやりたいとさえ思って、涙すら流した程だった。

 

 いささかも期待の集まらぬまま、フクキタルのインタビューも終わろうかと言う時、この流れに待ったをかけたのが、去年の秋天のインタビューでもやたら目立っていた乙名史の奴であった。

 こいつはフクキタルに対して、「マチカネフクキタルさん、まずは怪我からの回復おめでとうございます」と述べた後に、今まで誰も質問しなかった、出走の理由について聞いたのである。

 

「二年の沈黙を破り、今回の宝塚記念への出走を決めた理由について聞かせてください」

 

 彼女の質問に頷いたフクキタルは、一瞬の間を置いてから、マイクを取って短く答えた。

 

「昨年の秋、天皇賞にて怪我をした友人と後輩のためです」

 

 画面越しでもわかるほど、会場の空気が変わった。どこか浮ついた雰囲気だったのが、急に底冷えしたざわつきに満たされたようであった。

 乙名史は空気の味を確認するみたいに、ペンを揺らしてそれはどう言う訳ですかと質問を重ねた。

 対して「言葉以上の意味はありません」とフクキタルは答えた。

 

「大きな怪我をして、長く休んで、これで元通り走れるものかと不安にしているふたりに、私は私自身を使って証明するために、この宝塚を走りたいのです」

 

 凛然としたその様子に乙名史は「素晴らしいです!」と賞賛を送って忙しなくペンを動かした。

 スペはフクキタルの志にいたく感動した様子で、「私もそうなんです! 一緒に頑張りましょうね!」と健闘を誓い合う握手を求めると、グラスワンダーもこれに握手で応じて「天は自ら助くる者を助く。私もまた、貴女と同じ気持ちです。お互い、悔いのないレースにしましょう」と宣言した。

 こうなると、世も記者もフクキタルへの見方を直さねばならないと思ったか、次第に意見は肯定的なものが増えていった。

 このままの様子ならば、きっと出走に足る得票数になるだろう。

 

 さてもそんなフクキタルを尻目に私はと言うと、風邪を拗らせて布団に包まっていた。

 初夏とは言え寒空の下に薄着で数時間、しかも河原で蹲って泣いていたのだから、当然そうもなる。

 咳も熱も出るし、頭も喉も痛い。身体の節々が嫌な音を立てているように鈍痛を訴えている。今生で初めてひいた風邪と言うのは、存外に辛いものであった。

 しかしこれは自業自得であるからして、甘んじて受け入れるくらいはできる。私にとて分別はあるのだ。

 

 私が真夜中に寮を抜け出した事について、フクキタル以外は知らない様子であった。

 どうもあいつは、私が抜け出した事を誰にも言わなかったようで、この風邪に関しても、無理が祟ったんだろうとしか周りから言われていない。

 いくら規則を破ったとは言え、この状態の私を叱るようなフジキセキではないだろうが、それでもありがたい事ではある。

 何も聞かずにそっとしておいて欲しいというのが、私の偽らざる気持ちだったから、フクキタルもそれを察していたのだろう。

 あいつも怪我で辛い日々を過ごしていたようだから、そう言う部分には目敏く感づくに違いなかった。

 

 朦朧としながら無為に天井を眺めていると、ふと死にたくなる程の悲しみに襲われた。

 みんなが明日に向かって歩いている中で、私だけがひとりで立ち止まっている。みんなが私を追い越していく中で、私だけが後ろばかりを見ている。私だけが、背後にある昨日を見て、昨日に一番近い場所で泣いている。

 なんと惨めな事か。なんと無様な事か。生きながら恥を晒す私の、なんと悍ましい事か。

 いっそこの脚が不能であったのなら、きっとこんなにも苦しまずに済んだのだろう。歩けぬのなら、誰も期待しなかった。歩けぬなら、期待を持たずに済んだ。私は私のまま全てを諦めて、死んでいられた。

 両脚も動かなくって、カラカラ車椅子で走るのが、きっと私に相応しい最後だったのだ。

 そう、歩けぬのなら、歩けぬのなら。

 

 ひとつ咳をしたら、パッと考えていたことが消えてしまった。何か難しい事を考えていたはずなのだが、熱と痛みで霧散してどこぞへ飛んでしまったようだ。

 どうにもこのままだと良くない。不安になってフクキタルの名前を呼んだが、返事をするのは孤独ばかりで、部屋の中には、加湿器の音と己の息遣いだけがあった。

 

 これは罰と思って受け入れると先程は考えたが、どうにも前言を撤回しなければならんようだ。

 風邪をひいている時は、誰しもが弱気になるものだと言うが、なるほど本当の事だったらしい。

 誰もいない部屋は、今の私には酷く大きなものに感じられて、心も身体も弱ってしまったように感じられた。私と言うのはちっぽけな存在で、価値がないものとまで思えて、ただただ寂しくなった。

 こんな辛い体験をしょっちゅうしていたのだと考えると、あいつにはまったく頭が上がらない。あいつは私が思っていた以上に、性根の強い奴だったようだ。

 

 働かない頭で取り留めもない事を考えながら、けほけほと咳をして苦しい気持ちに呻いていると、急に戸が開いて、心配した様子でサイレンススズカが部屋にはいってきた。

 意外な来客にわずか驚いていると、彼女は私の横に来て身体の調子はどうかと聞いてきた。どうもこうも見りゃわかるだろうと咳混じりに返せば、こいつは曖昧に頷いて耳と眉尻を下げた。

 風邪がうつるから見舞いならそこそこにしてさっさと帰ってもらいたいのだが、今回はどうも見舞いに来た雰囲気でもないらしい。

 サイレンススズカは、私の心配を他所に椅子を持ってきて横に座ると、暗い顔をして私を覗き込んだ。

 

「貴女は、辛くないのかしら」

 

 風邪の事を言っているようではなかった。こいつが聞きたいのは、おそらくは怪我に関する事なのだろう。

 今日のこいつは、何だか随分と気落ちした様子である。察するに、どうやら私と似たような事でよっぽど悩んでいるようだった。

 サイレンススズカは黙ったまま、私を見つめ続けた。私も黙して、彼女を見上げていた。

 ここの数分は、私たちはまともに言葉を交わさなかったのだけれど、私たちは何か途方もなく大きな溝と、それの間にかかる一本の線とで繋がっているようであった。

 それはきっと、お互いが似た恐怖を持っていたがゆえの、ほんのわずかな繋がりに違いなかった。

 

 沈黙を作ったのがサイレンススズカならば、この沈黙を破ったのもサイレンススズカであった。

 こいつは思い悩んだ顔を歪めると、私の頭を撫でながら、己の抱く恐怖についてぽつぽつと話を始めたのである。

 その話をかいつまんで纏めると、つまりは、また怪我をしてしまいそうで走るのが怖い。と言う事らしかった。

 もっともな恐怖だなと思う。誰だって怪我をするのは怖いもんだ。痛い思いをするのは一度きりで十分だ。これほど辛い思いなんてものは、二度と味わいたくないもんだ。

 私は共感の意味を込めて、サイレンススズカの言い分に頷いた。私も私で、走る事への恐怖を抱いているから、彼女の言葉は理解できた。

 

「似た者同士ね、私たち」

 

 自嘲的な言葉に、私もまた自嘲的に頷いた。

 私たちを繋ぐ一本の線のその正体は、形は違えども、走る事への恐怖そのものであった。

 

 傷を舐め合うみたいにしばらくはサイレンススズカと、私は話せないから彼女が一方的に話しているだけだったのだけれど、他愛もない話をしていた。

 しばらくすると、フクキタルがスペを伴って帰ってきた。

 どうも練習の終わりが被ったそうで、どうせならとふたりで帰ってきたようである。

 驚いた顔をしたスペはサイレンススズカに、スズカさんも来てたんですね。と声をかけたあと、私の横に来るとフクキタルから話は聞いたよと言ってきた。

 フクキタルが易々と人の事を話すとは思えんから、きっとこいつが無理矢理迫って聞き出したに違いない。

 こうもアッサリ見抜かれるといささか憮然としてしまう。まったく余計な事をするもんだ。スペになんかには知られたくなかったのに、どうしてこうも隠し通せないものか。

 むっと口をへの字にしていると、不機嫌を感じ取ったスペは、少し申し訳なさそうに苦笑を浮かべた。

 けれどもすぐ、顔を真面目に引き締めて、スペは「ねぇ、私は何のために走ってると思う?」と聞いてきた。

 意味のわからぬ質問だった。

 こいつが何のために走るかなど、日本一になるためひとつしかない。産みの、そして育ての母親のために、あいつとの約束を果たすために、日の本一の頂に立つ。極めて明確で、これ以上になくはっきりとした理由だ。

 それを今更、どうしてこいつは問いかけるのか。私には全然わからなくて、首を振って答えるしかできなかった。

 

「それじゃあお姉ちゃん──こう言うと、何だか昔に戻ったみたいだね──とスズカさんは、どうして、自分はここまでレースを走ってるんだろうって、考えた事はある?」

 

 そんなのは考えた事もないと、ふたりで首を振って答えた。そうしたらスペは「実は私もなんだ」と笑い、私とサイレンススズカの手を握って自身の事を話し始めた。

 

「私もね。お姉ちゃんとダービーを走るまで、考えた事もなかった。お母ちゃんとあの子のために。それにお姉ちゃんと、スカイちゃんと、キングちゃんに勝ちたくて。きっといつかスズカさんと一緒に走りたくて。夢中で走ってたんだと思う」

 

 そこで言葉を切ると、スペは握る手にわずかに力を込めてから、また続けて言うのである。

 

「でもダービーが終わった後、トレーナーさんに言われたんだ。ここで終わりじゃないだろ、お前の目標はなんだ。って」

 

 そこで一度言葉を切ったスペは、自問するみたいに、私たちに問うのである。

 

「日本一のウマ娘って何?」

 

 私は答える事がなかった。サイレンススズカも答える事ができなかった。

 

「私も悩んだよ。日本一のウマ娘って何だろうって。考えて、考えて、うんっと考えて……それで、気付いた。きっとみんなに愛されて、尊敬されるウマ娘なんだって。ダービーを勝ったら終わりじゃない、ダービーに勝っただけじゃ、本当の日本一にはなれないんだって」

 

 私はスペの言葉に驚かされた。サイレンススズカも何とも返事をできなかった。

 

「だから私は、本当の意味で、日本一のウマ娘になろうって決めたんだ。もちろん、お母ちゃんの約束の事もあるけどね。私は、私を応援してくれるみんなのために走る。お母ちゃんや、あの子のためだけじゃない。トレーナーさんに、スズカさんとチームのみんな、それに応援してくれるファンのみんな……いろんな人たちの期待を背負って、私は走るんだ」

 

 私はスペも随分と強くなったもんだと、一種の深い感動をありありと顔に映した。サイレンススズカは驚きをもって、この答えを受け止めていたように思う。

 彼女の精神は、聞く限りは偉大な意味に聞こえたのだけれど、偉大と言うよりも素朴な感応からくる志だった。こいつの優しい心根からくる、清く貴い決意と覚悟であった。

 そしてそれは、きっと私たちが忘れてしまった、あるいは見ないふりをしていた、大切なものに違いなかった。

 

 ここまで良い調子で話していたスペなのだけれど、急に口をまごつかせて話すのに澱んでしまった。

 何かと思ってサイレンススズカと首を傾げると、こいつは何と「どうしよう! 話してる内に言いたい事忘れちゃった!?」と慌て始めたから思わず三人でズッコケた。

 どうやら、話している内に着地点を見失ってしまったらしい。何とも肝心な所でしまらん奴である。

 神妙な空気もあえなく霧散して緩々として、真面目な話をする雰囲気でもなくなってしまった。

 ほとんど泣いてるに近い顔でスペが謝ると、フクキタルがしょうがないですねと苦笑して、言いたい事は改めて宝塚で示しましょう。と肩を叩いた。

 

 フクキタルはスペと違って、何も言う事はないようだった。真剣な顔をして「無茶で無謀だと笑われても、私は意地を通しますから」とだけ言うのだ。

 私はこういう覚悟を持っているフクキタルに対して、言うべき言葉を知らなかった。

 頑張れとでも励ましを送ればよかったのか。それとも無理するなと心配したらよかったのか。私にはどの言葉を送るのも、簡単ではない事に思えてならなかった。サイレンススズカもおおむねそのようであった。

 本音を言ってしまえば、心配が先にある。

 無理をしてまた怪我をしては、それこそ本末転倒な結果になってしまう。好きな奴が苦しむ姿を見るのは忍びなくってもう見たくない。

 けれども、私たちの気持ちを察したフクキタルは、ただ自信を持って微笑みを浮かべるのである。

 

「大丈夫。私はきっと、応えてみせますから」

 

 はたしてこの科白が宝塚記念で現実のものとなるのを、まだ私たちは知らなかった。




次回、覚醒スペちゃんvs不退転グラスvs覚悟完了フクキタル。
三つ巴の宝塚記念です。

 吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
 本編に大幅な加筆修正に加え、新規エピソードが追加されていたり、各主要キャラの設定を見直したりと、いろいろな部分に手を加えています。
 以下のサイトにてDL可能ですので、まずは体験版からどうぞ。

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拾弐

キング「キングヘイローはクールに去るのよ……」


 春を締めくくるGⅠ、西のグランプリと言われる宝塚記念。人々の投票によって出走が決められる、春の集大成たるこのレースに、フクキタルは出走する。

 私がレース場に行ったのは昼を過ぎてからであったが、今回はシリウスの奴らとは一緒に行かず、似たような境遇にあるサイレンススズカと、ダービー前にフクキタルから貰った絵マを持って連れ立っていた。

 道中私とサイレンススズカの間では終始会話はなかったが、ただ一方で、心底では同じ事を考えていたように思う。

 とにかくフクキタルが心配で、いささか気が気ではなかった。あいつが無理をして怪我をしやしないかと、悪い事ばかりを考えては微かな気持ち悪さを覚えていた。

 

 レース場に着くと、まずフクキタルの控室へ向かった。部屋でタロットカードを混ぜていたフクキタルは、いつもの通りの調子で私たちを迎え入れた。

 フクキタルは私たちを自分の真向かいに座らせて「ちょうど今から今日のレース運を占う所だったんですよ」と笑顔を向けてきた。

 私はそれが処刑直前の罪人の落ち着きに見えてしかたがなかった。私は苦しくなって言葉を飲み込んだ。

 サイレンススズカが暗い顔のままで、また怪我をしてしまっては元も子もないから、今からでもいいから走るのをやめましょう。と提案した。

 フクキタルは答えずにカードを捲った。現れた死神の正位置が、私たちの眼を射抜いた。

 あまりにも良くない結果が出た事に、私は斬首を待ち受けるような心持でフクキタルに顔を向けた。

 フクキタルは「おや」と言って軽く驚いた時の眼をカードに向けると、そうして絶望した青い顔を晒している私たちをおかしそうに見た。

 

「どうやらお迎えが来ているようですね」

 

 フクキタルはカードを片付けると、笑いながら席を立った。「お迎えなんて」とサイレンススズカが声を詰まらせたが、フクキタルはあっけらかんとして大きく伸びをするだけである。

 私はサイレンススズカのあとに尾いて縁起でもない事を言うなと首を振った。しかしフクキタルは気にする程でもないと言って、それ以上は片付けたカードに触れなかった。

 

「以前の私なら信じていたでしょう。けれどね、思ったんですよ。占いの結果がどうであれ結局走るのには変わりないんだから、これぐらいで騒いでいたらおふたりに示しがつかないなって」

 

 こう言ったフクキタルの態度は、別段気負っている風にも見えなかったから、私はついに何も言えなくなってしまった。

 占いの結果で一喜一憂していたこいつが、まさかここまでになるとは思ってもいなくて、私たちは言葉を失っていたのである。

 

「そんなの、おかしいわ」

 

「何がおかしいんですか」

 

「だってフクキタル、貴女は占いが好きだったでしょう?」

 

「ええ、それは好きでしたよ。それは」

 

「だったら、貴女は」

 

「占いが好きだったから、その結果で私が何かしないと良くないと言うのでしょう。でもねスズカさん、人って言うのは変わっていくものなんです。占いを気にもしなかった貴女が、今はこうして結果を気にしているように」

 

 しばらくして辛うじて声を絞り出したサイレンススズカに、フクキタルは少し手酷く言葉を返した。しかしその言葉の耳障りから言うと、決して猛烈なものではなかった。

 フクキタルは私たちに、自分の変化を相手に認めさせてそこを誇るではなく、それよりももっと奥の方に秘めた心を伝えようとしていると見えた。

 

「私は責めたい訳じゃありません。ついこの前までそちら側だった私が、おふたりを責められる訳がないんです。だからこそもう一度だけ、今度は私の走りをきっかけにして、おふたりに変わって欲しいのです。おふたりの走りを見て変わる事ができた、私のように」

 

 そう言われて私は、フクキタルの道を示すと言う意味がやっと理解できたから、私はもう言う事もないと思っていた。あいつの覚悟はきっと、途方もなく大きな変化を私たちの中にもたらすのだろうと予感めいたものを察したから、これ以上は無粋だと遠慮したのだ。

 サイレンススズカは、なおも言葉を重ねようとしていた。だが係の者がフクキタルを呼びに来たから、ついに言葉を発することはなかった。

 

 地下バ道で別れ際、私は持っていた大吉の絵マを手渡した。ダービーの前には、運を分けると言って渡されたこの絵マだが、今は私が運を分ける側になっていた。

 

「見ていてください、私の走りを。私が運命を超える瞬間を」

 

 絵マを受け取ったフクキタルは、それだけを告げると笑顔でターフへ駆けて行った。左の腰には大吉の絵マが揺れていた。

 

 フクキタルの背中を見送りながら、私は黙っていた。サイレンススズカも言葉を途切れさせた。

 お互いに言葉もなく客席へ行こうと踵を返したら、ちょうど来ていたグラスワンダーが私たちに声をかけた。

 グラスワンダーは私たちを見ても笑わなかったが、代わりにどこまでも真剣な眼差しを寄越して、動向のひとつさえを見逃さぬようにしていた。私たちは蛇に睨まれたように動けなかった。

 

「私からは、貴女たちに何も言う気はありません。しかしひとつだけ言うならば、私も故障を経験して苦しい思いをしたと、それだけを覚えておいてください」

 

 しばらく私たちを見つめたあと、やがて口を開いたグラスワンダーは、突き放すみたいにすぐ横を通り過ぎた。言葉は己の顔に浮かんだ憐れな表情を、咄嗟に覆い隠しているようだった。

 私はどこか愕然とした気持ちで、ほとんど突発的にグラスワンダーの背中に、お前は怖くなかったのかと疑問をぶつけた。

 

「ええ、怖かったですよ。己の弱さに負けてしまうのが」

 

 グラスワンダーは振り返らずに言うと、堂々とターフに出て行った。あとには冷たい風だけが吹いていた。私の頭には、彼女の言葉だけが大きな音を伴って反芻されていた。

 

 地下バ道から客席に移って、ゲートインまでを無言で眺めている。

 フクキタルは無事に走り切れるのだろうか。もし何事もなく走り切れるのならば、私はそれだけで満足するのだろうか。

 私の心中は複雑だった。私は私自身の心根の在り方がわからなくて、満足とも不満足とも極めようがなかった。

 また私の疑問はその上にもあった。

 三人のレースに対する覚悟はどこから来るのだろうか。ただ目の前のレースを必死に走り続けた結果なのだろうか。

 スペは自分だけでなく誰かの夢を背負う質だった。グラスワンダーは己が決めた志を貫徹する質だった。フクキタルは私たちのために走ると言う献身に根差す質だった。

 三人と比較して、私には自分がどれを持っているのかわからなかった。サイレンススズカもどれを持っているのかもわからない様子であった。

 

 思うに三人の覚悟は、生きた覚悟らしかった。私の目に映る三人はたしかに太陽の輝きを放っていた。けれどもその凛然とした輝きの奥深くには、強い意志が織り込まれているらしかった。

 自分と切り離された意志ではなくって、自分自身が痛切に味わった事実、勝利に血が熱くなったり敗北に脈が止まったりする程の意志が、覆い隠されているようだった。

 これは私の胸で推測するがものではない。あいつらが自身でそうだと告白していた。ただその告白が雲の峰のように、私の頭の上に恐ろしいものを蔽い被せた。

 そうして何故それが恐ろしいのか、私にもわからなかった。告白はハッキリとしていた。しかして明らかに私の神経を震わせた。

 

 ここ感情の正体を求めるようにターフを見ると、三人がこれまでにないくらいに本気の顔をしていた。近くにはキングヘイローもいて、三人と何事かを話しているようだった。

 去年とは違うファンファーレが場内に響き渡ると、そのすぐあとにはアナウンスが流れて、スペと、グラスワンダーと、フクキタルが順々にゲートにはいった。

 そして数秒の沈黙が過ぎると、ついにゲートが開いてレースが始まった。

 一斉に飛び出した十二人のうち、ハナを進む逃げ馬の少し後ろを、キングヘイローが尾いていく。スペは五番目、グラスワンダーはそのすぐ後ろに位置取り、フクキタルは後方四番目である。

 逃げウマはひとりと少なく、前年とは打って変わり序盤から展開の遅いレースとなると実況が声を張り上げた。

 

 阪神レース場は先行有利のレース場と言うのがおおよその評価である。

 開始直後から下り坂があり、コーナーも内回りの作りであるため、瞬発力よりも長く脚を使う持久力と、より良いコース取りが求められる。差しを得意とするフクキタルには、菊花賞と同じく展開が遅くなければ不利な条件だと、多くの奴から言われていた。

 しかし今、このレースは遅くある。ここままの調子で進むのならば、フクキタルの末脚がこれを捲る事も考えられる状況ではあった。

 

 第一コーナーにはいっても、展開そのものに変化はない。二番手のキングヘイローがちらと後ろを気にする素振りを見せるが、依然としてスペとグラスワンダーは中団、フクキタルは後方にいた。

 向こう正面にはいると、今度はスペが周りを気にする素振りをした。グラスワンダーを警戒していると見えた。

 だが、グラスワンダーはスペのちょうど真後ろにいて死角の位置で息を潜めていたから、この場面では結局見つける事ができなかった。

 この様子には実況が、標的を決めたグラスワンダーは怖いぞ。と言う。サイレンススズカが早く気付いてとハラハラとした声を上げた。

 フクキタルは依然として後方に待機している。少し位置が下がって最後尾と並んでいた。顔にはわずかに苦心の色が見えた。

 私は黙して事の成り行きを見守るばかりであった。

 

 第三コーナーにはいると、全体の動きがにわかに速くなった。スペがぐんと五番手から上がって仕掛け始めたのだ。

 これを察知したキングヘイローはわずかに仕掛けを早め、グラスワンダーも静かに外へと脚を向けた。他のウマ娘もそれを見てスパートの態勢にはいっている。フクキタルは後方三番手でまだ上がらない。

 第四コーナーで完全にハナを奪って抜け出したスペは、そのまま一気に駆け上がり後ろを千切る態勢になった。最終直線手前になると、グラスワンダーもいよいよ上がって来てスペと並ぶ。ここに至っては実況も興奮を隠さず、二人の一騎打ちかと歓声を上げる。

 しかし600メートル付近であった。内にいたフクキタルがとうとう末脚を発揮し、200メートルではもう二人の一バ身後ろに迫った。これには観客もおおいに沸き立ち、実況すらも「福が来た福が来た! 阪神に二年ぶりの福が来た!」と興奮を爆発させた。

 私も我知らず涙を流しながら、柵を握りしめてフクキタルの勇姿を見ていた。

 

 勢い甚だしく突っ込むフクキタルがついに並ぶと、競り合っていた二人も驚愕と焦燥を露にした。あわや抜かすかと言う末脚に、随分と肝を冷やしたようである。

 ところが、運命と言う奴は残酷な事をする。

 残り50メートルの地点になると、フクキタルの右脚が不自然に沈み込んだ。怪我をした所が、この土壇場で悪さをしたのである。

 その瞬間の私は、心臓が止まったのではないかと思う程の衝撃を受けて、頭の中が真っ白になった。ここまで頑張ったあいつが、転倒してすべてを悪くする未来を幻視して、私は息すらもできなくなった。

 気付けば私は、ほとんど絶叫に近い声でフクキタルを呼んでいた。

 裏切るのか。負けるのか。お前が試合前に言っていたのは嘘だったのか。と、叱責とも激励とも言えるぐちゃぐちゃの感情を乗せて、声を振り絞ってフクキタルの名を叫んだ。

 すると、フクキタルがこれに応えるように負けるもんかと胴間声で吼えて、崩れた体勢からほとんど無理に近い形で一歩を踏み出し、必死の加速をした。

 スペも雄叫びとともに踏み込んだ。グラスワンダーは強く一歩を踏み出した。もう言葉すらいらなかった。

 三人がゴールするその瞬間は、あらゆるものがゆっくりと流れたようだった。横に並んだ三人の姿が、ゴール板の上でぴったりと重なって、ひとつの大きく偉大なシルエットのように見えた。

 

 これを目撃した瞬間の私たちの心情を、はたしてどう伝えたら良いものか。少なくとも、私の言葉では、完全に説明できないものであった。

 それは、無理やり言葉に押し込めるのならば、無辺際の感動と憧れの形であった。誰の胸にも燻っている雄渾な精神の現れであった。

 また、かつて私たちが大事にしていた、今では見ないふりをしていたものを、まざまざと見せつけられたように思えてならなかった。

 黄金色の輝きを放つ三人の走りは、確かに私の、そしてサイレンススズカの胸を貫き、変化のきっかけを芽生えさせたのである。

 

 ゴール板を横切ってから少し走った後、フクキタルは力尽きたように倒れ伏した。実際、死力を尽くして走り切ったから、もう何をするのも辛かったのだろう。

 私はよろめきながらも柵を乗り越えると、脇目も振らずにフクキタルの側に駆け寄った。そしてフクキタルを抱き起こすと、子供のように泣きじゃくって抱きしめた。フクキタルは息も絶え絶えに弱々しく、けれどもしっかりとした手付きで私の頭を撫でて「走り切ったよ、私」と言った。私はただ頷く事しかできなかった。

 本当は伝えたい事がたくさんあった。走りに感動した事や、諦めなかった気持ち、その姿に強い憧れを抱いた事を、すべて伝えてやりたかった。

 けれども、もう涙で喉が詰まってしまって、私は自分の気持ちを言葉にすら出す事ができなかったのである。

 

 私に遅れてサイレンススズカも来た頃、掲示板に結果が表示された。着順はグラスワンダー、スペ、そしてフクキタルの順で、その差はすべてハナ差である。

 もし直前でフクキタルの体勢が崩れていなければ、勝者はまた違っていたのかもしれない。そう思わずにはいられない結果に、観客席からは少しの落胆と多くの称賛の声が湧き上がった。

 

「どうでしたかスズカさん、私の走りは」

 

「うん、凄かった」

 

 二人が交わした言葉はたったそれだけだったが、サイレンススズカは改めて己の中にある気持ちを理解した様子であった。

 最後にフクキタルは、気持ち良さそうに笑って瞳を閉じた。よっぽど頑張ったからか、安心した途端に寝入ってしまったようだった。

 私の涙が少し落ち着いてくると、スペとグラスワンダーがやおらと近付いてきて声をかけた。

 口火を切ったのはグラスワンダーであった。まずフクキタルに、貴女のような兵と戦えた事を光栄に思います。と賛辞の言葉を送り、それから私たちの方を見て道は決まりましたかと聞いた。

「ええ、決めたわ」とサイレンススズカは頷いた。私も涙を拭ってから頷いた。

 そうしたらグラスワンダーは微笑んで「それなら、私からはもう何か言う事もありませんね」とスペにあとを譲った。

 

 眼にいっぱいの涙を溜めているスペは、ぐずぐずと鼻を鳴らしながら私たちの顔を見て、先で待ってるからと言う。

 サイレンススズカは心配かけてごめんねと謝罪をして、改めていつか一緒のレースを走ろうと約束をした。

 私も腑抜けた姿ばかりを見せた事を謝り、それから、絶対に追いつくから待っててくれと伝えた。もう後ろばかりを見たりしないから、好敵手として見守ってて欲しいと、スペの顔を真っ直ぐ見た。

 

「今までとは逆だね。今は私がお姉ちゃんだ」

 

 スペは笑顔でそう言った。スペの言葉を聞いた私は、そう言えばそうだなと笑って頷いた。




宝塚記念、決着。
強いものは、強かった。

主人公ちゃんの精神が回復しましたね。ここからはお話も少しずつ明るくなってきますよ!多分、おそらく、きっとメイビー……!


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拾参

Q:主人公ちゃんが水着を着るとしたら?
A:主人公ちゃんは水着なんてえっちなものは着ない(過激派後方彼氏面厄介古参同担拒否トレーナー並感)


 宝塚記念のあと、フクキタルは本格的な復帰をめざす事を決めた。

 一度レースを走って終わりでは説得力もないので、もっと上を目指すために、そしていつか私とレースを走るために、これから頑張るのだと言うのである。

 私もフクキタルの決意に恥じないためにも、何より自分を恥じないために自分の脚で立ち上がった。そして周りにも心配をかけたと謝って改めて礼を言った。

 私はどうにも思い込みが激しい質な上に、猪突猛進でそそっかしい奴なもんで、一度拗らせるとなかなかおかしな方へ向かってしまうから、周りはきっと気が気ではなかっただろう。

 自分のことながら、ともすれば面倒な奴だと愛想を尽かしてしまっても、それほど不思議ではないとさえ思っていた。

 けれどもシリウスの奴らも、スピカの奴らも、そしてリギルやいつものみんなが、そう言う弱い部分も含めて君だろう。と私に優しい言葉をかけてきたから、私は少し涙ぐんでしまった。

 しかし最近は泣いてばっかりだったので、さすがにここでまた泣くわけにはいかんと、涙を零すのだけはぐっと堪えた。

 

 もちろん、まだ怖い部分はある。下手な走りをして失望されたらと考えてしまう事も、私なんかではあいつらに追いつけないのではと思う所もある。

 けれども私の胸に生まれた想いは、そして瞳に刻まれたシルエットは嘘ではない。みんなが示してくれた景色が、私に勇気をくれた。これまでを裏切ったら、私はいよいよ軟弱者以下だ。

 私はみんながくれた勇気を離さずに持ち続けて、いつかターフに戻る。いまだに胸中で燻る迷いも恐怖も、そして己の中にある弱さをも受け入れて、いつかみんなとまたレースを走る。

 きっとそれこそが私の目指す道なのだと、私は誰かの為にではなく、私の為にそう決意した。

 この時に私は、やっと自分の体になった気がした。ズレていた心と身体が、歯車みたいにかちりと噛み合ったような、そんな気がしたのである。

 

 宝塚記念が終わると、すぐに夏合宿が始まった。場所は去年と同じくトレセン所有の海岸であるから、近辺ではスピカやリギルなどのチームの姿も見る事ができた。

 もっとも、一流チームのリギルと比べれば今のシリウスなど木端も良い所で、宿泊施設にも依怙贔屓かと思うくらいに差があるのだけれど、まあ一流の特権という奴なのだろう。羨ましい事である。

 我々が泊まるのは港屋とか言う二等級の旅館で、去年に泊まった古ぼけたボロ宿とは違う場所であった。

 何でも、私たちが重賞で勝ったおかげでチーム予算が増えたから、去年と比べたらちょっとだけ良い場所に泊まれる事になったらしい。

 GⅠの勝ちなんて私のダービーとフクキタルの菊花賞くらいなもんだが、それでも十分以上の予算が下りていると言うから、あの子供理事長も立派な事をするもんだと思った。

 

 宿に着くなり干物が、合宿の間はずっとここに泊まるから、旅館の方に迷惑をかけないようにと言うので、みんなで揃ってわかったと返事をした。

 通された部屋は山城と言う名前で、十人がはいってもまだ余るような大部屋で、窓からは青々とした海と空が広がっているのが見えた。去年と同じく私たちは全員揃って寝食を共にするようだった。

 ライスシャワーとウイニングチケットが窓から見える景色に目を輝かせる横で、エアシャカールが早速荷物を使って自分の縄張りを確保している。

 メイショウドトウとフクキタルは慣れたもので、さっさと荷物を置いて干物の大荷物の荷解きを手伝っている。

 私も適当な場所に荷物をほっぽり出して自分の場所を確保すると、干物の荷解きを手伝ってやった。中身はだいたい計測器具だったり、菊花賞でメイショウドトウと一緒に走る奴らの資料だったりであった。

 

 全員が荷物を解き終えると干物が早速やるぞと言うので、目が眩む程に眩しく照りつける太陽の下、私たちは砂浜往復千本ダッシュなる鍛錬を行なっている。

 砂浜と言う柔らかく不安定な場所で、きっちり一〇〇メートルを千本も走り切るのはなかなかに至難であった。

 とにかく足場が砂なので柔らかく、力強く踏み込まなければ加速が覚束ないし、きちんとした姿勢でなければすぐに体幹が崩れて余計な体力を使ってしまう。

 上手く走るには、足腰だけでなく上半身でバランスを取る事も意識しなければならん訳だから、なかなか考えられた鍛錬である。

 それに加えて、とにもかくにも暑い。道産子の私にはとてもじゃないか耐えられん暑さだ。さっき温度計を見たら三五度を超えていて、あわや眼玉が飛び出るかと思った。

 干物がこまめな水分補給と休憩を挟んでくれなければ、今頃は干からびて世にも奇妙なウマ娘の天日干しができていたやもしれん。

 

 日が落ちて暑さが少し和らぐと、今度は勉強の時間である。

 中央トレセンは文武両道を掲げているゆえに、夏季休暇の宿題もそれなりに量があるから、少しずつやっておかねばあとで地獄を見るのは確定的に明らかである。

 学徒の身分で勉学を抜かるなどはあってはならないし、まさか夏休みの宿題を忘れたからレースに出れません。なんて事になれば一生の恥でしかない。

 そんな事にならないためにも、私たちはこうして机に向かってペンを持って、うんうん唸りながらカリカリする時間が必要なのである。

 たまに他のチームの奴が部屋にやって来て、勉強を教えて欲しいと頼みに来るのも、まあご愛嬌と言うものだろう。

 

 滞りなく宿題を進めるのはメイショウドトウとエアシャカールであるが、ウイニングチケットはかなり滞っている様子で、フクキタルとライスシャワーが手伝っている。

 それらの横で私はと言えば、勉強を教えて欲しいとやってきたハルウララに、ああだこうだと教えていた。

 こいつの成績は万年ドベみたいなもんだが、やる気はあるし教えた事は半分も理解できるから、決して救いようのないばかではない。

 元来の集中力に欠ける所はあるが、そこは教える側がフォローしてやればさしたる問題はなかった。

 何度も躓きながら、その度に私の教えを受けながら自力で宿題を解いて今日のノルマをすべて終えると、ハルウララは解放感から「やっと終わったー!」と勢い良く寝転がった。

 私がよく頑張ったと褒めてやれば、犬みたいに尻尾を振ってもっと褒めてと膝に頭を乗せてくるから、ついつい頭を撫でて可愛がってしまった。こいつの甘え上手は魔性の域である。

 

 一時間の後、ハルウララを帰してから散歩がてら月夜の海岸を宛もなく歩いていたら、海岸の片隅でキングヘイローが走っているのを見つけた。

 夜になっても走っているとは感心な奴だと思ったが、しかし眺めていると、レースでもないのに走りが必死で、何かに追われているような感じさえするから様子がおかしい。

 だと言うのに、声をかけるとキングヘイローはすぐにいつもの調子に戻って、あら奇遇ね。なんて言うのである。

 これは益々もって何かあるに違いない。私はとりあえず近くの塀に腰掛けて、まあ休憩がてら座って話でもしようと誘った。

 キングヘイローは一瞬だけ何か言いかけたが、思い直したか私のすぐ横に腰掛けた。

 その時にふと、キングヘイローが塀に腰を掛けているのだな。と言ったら、すぐに私の言った事を理解して、熱でもあるんじゃないの。と溜め息混じりに首を振った。なかなかに手厳しい評価である。

 しかし私もこの駄洒落はイマイチだと思っていたので、こいつの言い分は残念でもないしむしろ当然の評価だろう。

 

 肩を竦めた私を見たキングヘイローが「もういつもの調子に戻ったみたいね」安心した声で言った。私はおかげさまでようやく眼が覚めた。しばらくはうじうじする事もないだろうな。と返した。

 実際この時の私は、自分が目指すべき所を定めていて、これから先は道に迷っていても別れ道で悩んでいても構わないような、晴れやかな気持ちでいた。

 私は自分の弱い心を認める事の大切さをこの半年で知った。

 強がりをやめて弱音を吐くだけでは、昨日までの私と同じでしかない。大事なのは自分の弱さと向き合い、これを受け入れる事なのだとやっと気付いたのである。

 だからこそ私の心は因循としていた以前よりも、ずっと軽く晴れやかにあるのだった。

 私の話を聞いて、キングヘイローは感心した様子で頷いて「それなら、もう私の背は見なくても良さそうね」と言った。

 私はこのキングヘイローらしからぬ言葉に違和を感じて、おやと思った。普段のこいつならば決してしないような後ろ向きな言い方だったから、私にはこの物言いが余計に際立って異質に聞こえた。

 

 キングヘイローの異変について、私は心当たりがないのでもなかった。

 キングヘイローはこれまでGⅠを一度も勝っていなかったから、この事実がこいつの心に影を落としているのではないかと私は考えていた。

 そしてこの予想はよく当たっていた。

 キングヘイローは夜空を見上げると「貴女、前に私に言った事憶えてるかしら」と聞いてきた。

 そりゃいったい何の事だと聞き返すと、キングヘイローは自嘲の混じった声で「私の事、裸の王様だって言ったじゃない」と笑った。

 私は皐月賞の事を言っているのだと理解した。そしてこいつの言わんとしている事も察した。

 私はすぐに別段お前を貶す意図はなかったのだと、キングヘイローの言葉を遮ってまで否定した。彼女はわかってるわよと頷いて頭を下げたが、それきり何も言わなくなってしまった。

 メイショウドトウから私はデリカシーがなくていけないと言われていたが、ここに至って初めてそれを強烈に痛感したのだった。

 

 何とかして挽回したかった私は、青く輝く波打ち際にキングヘイローを誘い出そうとした。

 キングヘイローは乗り気な顔をしなかったが、無理やり手を引いて連れ出すと、しょうがないわねと呆れて渋々誘いに乗った。

 サンダルを脱ぎ捨てて足を晒すと、穏やかに寄せた波が私の足を撫でた。キングヘイローはその後ろで、砂浜の上に大の字になり寝た。

 私は波に足を晒しながら海の果てを眺めていた。キングヘイローは海の断面図のような星空を見ていた。

 私は天井の月を指差して、私たちはあれのようなもんだと言った。キングヘイローは月を仰いだ。月はよくよく眺めると完全な丸ではなくて、少しだけ楕円の形をしていた。

 それがはたして満月へ向かっているのか、新月へ向かっているのかはわからない。だがどちらにしろ、欠けている事は確かであった。

 

「あの月のように欠けているのだと、そう言いたいのかしら」

 

 キングヘイローの言葉に私は少し違うと首を振ると、海水を両の手で掬って月を手中に収めながら言った。

 月とは時が経つにつれて満ちていくものだと知られている。陽光を反射して輝く月が、陽の光に全身を晒すからそう言う風に見えるのだ。

 私が月を指して言いたいのは、これが私たちにも当てはまるのではないかと言う事である。

 思うに今の私たちは未完成で、あの月のように心のどこかを影が覆い隠しているから、完全な丸の形にはなっていない。いまだ満月になりきれない月なのだ。

 

「でも、月は満ちて欠けるものでしょう」

 

 身体を半分起こしたキングヘイローは、手の平を月にかざして言った。私はそうだなと頷いた。

 月に私たちを当てはめるならば、当然満ち欠けも当てはまる。新月の如く見えなくなって、暗く翳る事もあろう。

 しかし心とは絶えず変化するもので、一日と同じ状態にはならない。次の日、あるいは次の時間、もしかしたら次の瞬間には、もう心変わりしているかもわからないのである。

 私たちの心は月のように、すべてにおいて満ち足りた完璧な状態と、欠けて足りない部分を追い求める状態を繰り返しているものだ。だから今が悪くたってそう悲観したものでもないだろうと、私はキングヘイローに伝えた。

 

「貴女にしては詩的な表現をするのね」

 

 キングヘイローは私の考えを聞き終えると、上体を起こしてそのように言った。それが何だか随分と珍しいものでも見たような物言いだったから、私は気恥ずかしくなって、ちょっとくさかったかな。と誤魔化して、手の中の月を手放した。

 ぱしゃりと水が落ちると、キングヘイローは私は嫌いじゃなかったわよとくすくす笑って言った。

 

「そうね。私も本当の意味で、裸の王様にならないよう気を付けるわ。だから貴女も、せいぜいもみの木にならないように気をつけなさいな」

 

 私の下手くそな励ましは、確かに彼女の胸に届いたようであった。




 吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
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拾肆

わし「繁忙期は疲れるンゴ……ウマ娘で疲れを癒すンゴ……」
運営「今回の追加キャラはドトウちゃんやで。フクキタルの新衣装もチラ見せするで」
わし「ミ°」

         _人人人人人人_
         > 突然の死 <
          ̄Y^Y^Y^Y^Y ̄


 夏の合宿は今の所つつがなく続いている。

 最近では砂浜千本ダッシュに加えて、ばかにデカいタイヤを引いたり、低酸素マスクを着けて10キロのランニングしたりと、いろいろな事をしている。

 どれも辛く苦しいものではあるが、トレーニング前と後には念入りなストレッチ、そしてトレーニング中もこまめな休憩と水分補給が行われるから、次の日には思いの外疲れが残っていない。

 この辺りの線引きはさすがに干物とあって上手いもんだ。

 ただトレーニングに遠泳を組み込もうとするのはいただけない。駄々をこねてなんとか回避しているが、まったく油断も隙もないからやな女だ。シリウスの奴らからの視線が痛いのも全部干物のせいだ。許せん。

 

 そんな日々がひと月も続いてそろそろ合宿も佳境にはいってきた頃である。夜にいつも通り勉強をしていると、干物が急に段ボール箱を抱えて来て、明日は近所で夏祭りが開催されるから休みにするぞと言った。

 真っ先にウイニングチケットが「やったー!」歓声を上げると、ハルウララも自分のチームの事みたいに喜んでそれに続く。メイショウドトウとライスシャワーはみんなで浴衣を着たいねと話し合い、エアシャカールはいかにも面倒臭そうな顔で溜め息を吐いていた。

 

 私がフクキタルに夏祭りとは何だと聞くと、フクキタルはそう言えば貴女は初めてでしたねと言って教えてくれた。

 聞くにこれと言うのは、今ぐらいの時期になると毎年開催されているもので、避暑地であるこの地域を盛り上げようと十年前から自治体が始めたらしい。

 トレセン学園の私有地付近にあるからそれと絡めて、ウマ娘祭りと銘打ち出店やら何やらでいろいろとやっており、最後には花火大会も行われると言うから、地方にしてはそれなり以上の規模である。

 

 去年は別の場所で合宿をしたから参加する機会がなかったが、いろいろあった私を慮って干物が配慮してくれたと言うから、ありがたい事である。

 しかしそうすると、あいつの抱えている段ボール箱の中身もおおよそ察しが付くと言うもので、私は干物の癖になかなか憎らしい事をするもんだと思った。

 干物に礼を言うと「まあみんなも頑張ってたし、私からのご褒美だよ」と言ってくしゃりと笑った。

 これを以ってしきりに遠泳を勧めて来たのはひとまず不問としてやろう。

 

 しかしお祭りに行けると言っても、まずはやるべき事をやらねばらなん。

 みんなのはしゃぎっぷりを見ていた干物も、いかにもな様子でうんうん頷きながら、でも宿題はちゃんと終わらせなよ、じゃないと居残りだからね。と釘を刺した。

 するとウイニングチケットが悲鳴を上げて、エアシャカールとライスシャワーに助けを求め始めるから騒ぎが大きくなった。喜んだり悲観したりと忙しい奴である。

 ハルウララもこの騒ぎに当てられて私に「どうしよ!? 私このままじゃお祭り行けないよー!」と言ってきたので、お前はそもそも別チームじゃないかと言ってやった。

 そうしたら「あっ、そうだったー!」とまた笑顔になって、一緒にお祭り行こうねなんて言ってくるから、まったくこいつは可愛らしい。キングヘイローが甲斐甲斐しく世話を焼くのも納得である。

 

 さてもそんな風にがやがや騒ぎながら今日の分の宿題を終えて、いざや次の日になると、せっかく丸一日休みなんだからみんなで海に行こうと言う話になった。言い出しっぺは無論ウイニングチケットである。

 練習用の砂浜から少し離れて、村とも町とも区別のつかない静かな所に行くと、岩場に囲まれた遊泳用の海岸がある。

 古く手入れもまばらな遊歩道を通り抜けて、堤防から磯に下ると、私たちはここで傘とシートを張って、水着(私用の水着はないので全員学校指定のものである)になって夕暮れまで遊び倒した。

 

 私は泳げんのでメイショウドトウと砂浜や浅瀬で、砂の上に寝転がったり、膝頭を波に打たせてちゃぷちゃぷと愉快に遊んでいた。

 ところが、私たちが砂の城を作っていた時分である。離れた所で泳いでいたウイニングチケットとライスシャワーが、いつの間に持ち出したのか水鉄砲でこっちを狙い撃って来たから、我らは城の防衛を余儀なくされた。

 こうなってはこちらも応戦せねばなんので、当方ニ迎撃ノ用意アリ。と私たちも水鉄砲を構えて引金に指をかけた。これが本戦役における最初の交戦の合図となった。

 泳ぎは無理だが撃ち合いならこっちのもんだから負けないと思ったのだが、しかし予想外にも向こうが抵抗して上手い事やってくる。

 戦いは両者一歩も譲らず、千日手で決着が付かなかった。そもそも水の掛け合いなんぞに明確な勝敗も何もないのだが。

 このままやりあってもしようがないので、最後は同盟を組んで、傘の下で寛いでいたエアシャカールに、集中砲火を食らわせてやった。

 あいつときたらせっかく海に来たというのに、生意気にサングラスなんか着けて、サマーベッドに寝っ転がっているからいけない。こんな所で格好つけてちゃあ恰好の的だ。

 爪先までずぶ濡れになったエアシャカールは、ゲラゲラ笑っている私たちを睨み付けるなり、「テメェら仕置きが必要みてェだなァ……!」と一番デカくて威力のある水鉄砲を二挺も持ち出してきたから、こりゃ敵わんと全員で尻尾を巻いて逃げ出した。

 尻に当てられた水は、なかなかに痛かった。

 

 みんなで散々にはしゃぎ回っていると、フクキタルがバーベキューの準備ができたと呼びに来たので、すぐに撃ち合いを切り上げてそちらへ向かった。

 フクキタルに尾いて少し丘になった所まで行くと、上の方で干物がコンロの前で肉やら野菜やらを焼いている。近付くと肉の焼ける良い匂いが漂ってきた。

 腹減ったと言ったら干物は、じゃあまずは手を洗って来なさい。と笑顔で言うので、みんなして近くの水道で手を洗ってから床几に着いた。

 網の上に並べられた食材はどれも色良く焼けていて、ちょっとひっくり返せばすぐにも食べられそうなくらいである。

 待ち切れないウイニングチケットが食べて良いか聞くと、干物は肉に塩と胡椒を振りかけてから、よく噛んで食べなよと答えた。

 私たちはそれを合図にして、一斉に肉やら野菜やらに食いついた。

 みんなと一緒にがやがやしながら外で食べる肉はたいへんに美味であった。

 

 腹ごしらえを済ませた私たちは、少し早いが諸々の片付けを済ませて旅館へ帰ると、さっとシャワーを浴びてから浴衣へ着替えた。

 何を隠そう干物が持って来た段ボールの中身とは、私たちが着る用の浴衣だったのである。何でも旅館の方で浴衣の貸し出しをしていたから、これ幸いと思って貸してもらったと言う。

 干物の癖にまったく嬉しい事をするもんだが、しかし私たちだけ浴衣を着ると言うのも何だか干物を仲間外れにしてるみたいで味気ない。

 お前は着ないのかと干物に聞くと「流石にいい歳だから、浴衣はちょっとね……」と生意気に大人ぶって言うので、ろくに片付けもできんのに何が大人だ。とみんなで無理やり浴衣を着せてやった。

 藍染の浴衣を着せてぼさぼさの髪を団子に結い、ちゃんと身嗜みを整えてやると、元が良かったのか干物もそこそこの女に見えた。

 本人は恥ずかしがってみんな程じゃないと謙遜していたので、揶揄い混じりに確かに眉が太いからそこそこ止まりだなと言ってやった。そしたら、私の感動を返せばか。と怒られてしまった。

 恥ずかしさは少し和らいだようであった。

 ちなみに私たちの浴衣の柄であるが、それぞれが勝負服に似た色合いのものを選んでいる。やはり勝負服と言うのは殊更に思い入れがあるもんだから、どうしても似てしまうものらしい。

 

 全員が浴衣に着替えたなら、いざや夏祭りに出陣である。

 みんなしてからんころんと下駄を鳴らして、陽も落ちて暗くなった会場に行くと、古ぼけた提灯と煌々とした照明が道に並ぶ屋台を照らしていた。

 会場は海辺の大きな公園を丸々使っていて、でかい広場や遠路には屋台や見世物などがずらと軒を連ねている。

 道にはこの辺にこれほどの都会人種が来ているのかと思う程、祭りに来た男や女が砂利の上を行き交っていた。

 ある時は少し離れた所にある芝の上で、レースみたいに成人したウマ娘が走っている事もあった。名前通りウマ娘を主役にした祭りらしかった。

 

 この何ともハイカラな祭りに飛び込んだ私たちは、銘々が仲の良い奴らの方へ散って一緒に祭りを楽しんだ。

 ウイニングチケットは白くてデカい奴と、どこかで見たようなチビと一緒であった。ライスシャワーはやけに堅苦しい雰囲気の機械的な奴の所へ行った。

 私たちはいつもの奴らにフクキタルとサイレンススズカを加えて、この祭りを回る予定である。前日に連絡をいれたら二つ返事で了承された。相変わらず気の良い奴らである。

 残るエアシャカールは誰と一緒に行くのだと聞けば、溜め息混じりに干物と回ると言う。どうやら干物がひとりにならないようにと気を回したらしい。

 干物は気にしなくて良いと遠慮していたが「誰と回ろうがオレの勝手だろォが」とエアシャカールに睨まれて、結局そういう事になった。

 エアシャカールに、お前もしかして友達がいないのか。と言ったら、無言のヘッドロックで首を締め上げられた。さすがにこれは痛かった。

 

 シリウスの奴らと別れていつもの奴らと合流すると、向こうも勝負服に似た柄の浴衣を着ていたから魂消た。

 みんな綺麗に着てるから、こりゃあマ子にも衣装だな。と言うと、スペも「そっちもすっごく綺麗だよ!」と返して、急に私の写真をパシャパシャ撮り始めた。

 さすがに恥ずかしいからやめてくれとお願いしたが、スペにはお決まりの如く、やめません! と一蹴されてしまった上に、親に送るとまで言い出したからもう手に負えん。

 いい加減をしろと写真を撮り続けるスペから逃げ回っていたら、笑顔のグラスワンダーに「こんな所で追いかけっこはいけませんよ」とアイアンクローで揃ってお仕置きされてしまった。

 

 ふざけるのも程々にして、さっそく祭りを回る事にする。

 祭りと言えば食い物である。腹が減っては戦もできんので、まずは腹拵えと片っ端から飯の屋台を巡った。

 祭りで買い食いするお好み焼きや焼きそばと言うのは、どうにも普段より美味く感じてしまうから困る。

 相変わらずスペが大食らいのおかげもあってか、私も少し食べ過ぎてちょっとだけ腹が出っ張ってしまった。

 たくさん飯を食って腹も膨れたら、これをさっさと消化するために遊び倒さねばならぬのが祭りと言うものだ。

 まずは射的と言う事で屋台に向かったのだが、これは意外にもグラスワンダーの独壇場であった。

 いったい全体どうしてそんな射撃が上手いのだと聞けば、冗談めかして「昔取った何とやら、ですよ」とウインクをしたから、こいつはやっぱり武士の生まれ変わりである。

 純真なハルウララは、すっかりこのグラスワンダーの冗談を信じこんでしまっていた。何故かサイレンススズカも「うそでしょ……」とこれを信じてしまっていたから、あとで二人の誤解を解くのが大変であった。

 すぐ隣にある輪投げもやったのだが、こちらはテイエムオペラオーが得意になってやっていた。

「ボクの美技は百発百中さ!」と大口叩いて言う割には全部外してボウズだったが、投げる度に格好つけるから見世物としては面白くあった。

 しかし終わったあとにはちょっとした人集りまでできていたから、いろいろあって抜けるのが大変になってしまった。

 

 他にもくじ引きやヨーヨー釣りをしてみんなでめいっぱい祭りを楽しんだら、気付けばもう花火の打ち上がる時間が迫っている。

 花火は沿岸の無人島から打ち上がると言うから、落ち着いて見るならばそろそろ海岸付近に移動せねばならん。

 私たちは昼間にシリウスで使った海岸にみんなを案内した。人気の少ないあそこならば誰も寄り付かんから、じっくり見られるはずだった。

 海岸に着くとシリウスだけじゃなく、スピカやリギルの奴らまで集まっている。察するにウイニングチケットとライスシャワーから漏れて全員に伝わったようである。

 下駄で砂浜には降りれんので、みんなで丘の上に立ったり座ったりして花火を待っていた。少しすると光が昇って、パッと大きな花を咲かせた。

 真夏の夜空に開いた鮮やかな花火の色が、きらきらと私の眼をいるように様々な色で私の顔に差した。

「綺麗だな」と私は小さな声で呟いた。隣に立っていたフクキタルが「そうですね」とこれに答えた。

 

 しばらく黙って花火を見ていると、私の指先にフクキタルの指先が触れた。

 誰にも気付かれない小さな動きで忍び寄ってきた指は、やがて私の五指に絡まり、覆い被さるようにして手の平を包みこんだ。よくよく下手くそな握り方であった。

 私はそれに気が付かないフリをして、ちらと横を見た。花火の朱がフクキタルの頬に差して仄赤く染めていた。

 夜空に向き直った私は、違和でむず痒くなった手を振り解くと、ちゃんとした形で握り直してやった。

 また花火が咲いて、フクキタルの顔を染めた。私の頬もきっと染まっていた事だろう。

 




 吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
 本編に大幅な加筆修正に加え、新規エピソードが追加されていたり、各主要キャラの設定を見直したりと、いろいろな部分に手を加えています。
 以下のサイトにてDL可能ですので、まずは体験版からどうぞ。

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拾伍

アンケートの結果、GLタグをつけるべきという方が多かったので、GLタグ付けます。つまり最終的に主人公ちゃんとフクキタルは石破ラブラブ天驚拳して希望の未来へレディゴー!します。


 夏の合宿が終わって日常に戻ると、少ししてサイレンススズカの復帰戦が決まったと言う話が学園中どころか世間にまで流れて、ちょっとした騒ぎになった。

 随分と気合の入ったポスターが、校舎の至る所に貼られていたのがこの騒ぎの原因である。よっぽどサイレンススズカの復帰が嬉しかったと見える。

 ネットではこのポスターが話題も話題で、レースの観戦予約がもう満杯になっていると言うから驚きだ。私もそこまでの騒動になるとは思ってもいなかった。

 無論こんな大それた事をしでかしたゴールドシップは、生徒会の奴らにさんざっぱら叱られていた。まあこのような状況にまでなってしまったのだから、そうなるのも宜なるかなである。

 実は私もちょっとばかし貼り付けを手伝ったのだが、これに関してはまだ誰にもバレていないらしい。生徒会も案外ちょろいモンだ。

 

「あ、あのぅ……エアグルーヴさんが、あとで生徒会室に来るように。って……今度は何をしちゃったんですかぁ……?」

 

 前言撤回、生徒会も案外よくやるモンだ。

 

 そんなばかな騒ぎがあったすぐあとには、菊花賞と秋天があった。

 まずはテイエムオペラオーとメイショウドトウ、そしてアドマイヤベガの出る菊花賞だった。

 レース前にメイショウドトウの激励に行くと、何やら決意した面持ちでいる。何を気負っているのだと聞けば、宝塚での激走を思い出していたのだとメイショウドトウは言った。

 私もあんな風になりたいから。拳を握って宣言したメイショウドトウの顔には、今までの気弱な所はひとつもない。おそらく今までで一番、格好良い顔をしていた。

 一年と言う長いようで短い中でこいつの中に芽生えていた気持ちが、ここに来てついに開花したようであった。

 私はメイショウドトウに、今のお前なら勝てるぜと背中を叩いて檄をいれた。エアシャカールもこれに同意して「今のテメェの実力なら負けねェさ」と言う。ライスシャワーもウイニングチケットも、今のメイショウドトウは一味違うんだと頷いた。

 最後に干物が肩に手を置いて「行っておいで」と優しく微笑むと、メイショウドトウは力強く「行ってきます!」と一歩を踏み出した。

 

 京都レース場にて三〇〇〇メートルと言う長距離を走るこのレースは、クラシック三冠の最後のひとつにして世代最強を証明する戦いだと言われている。

 事実この世代で三〇〇〇メートルと言う未知の長距離で勝つのは、あらゆる面で秀でた者にしか為しえぬ偉業だろう。

 ターフに出たメイショウドトウは、テイエムオペラオーといくつか話をしていた。

 観客席から見下ろす我らでは歓声に遮られて何も聞く事は出来なかったが、その表情から何を言っているかは察せられた。

 対するテイエムオペラオーは笑ってそれに応えていた。いつものような仰山に尊大な態度である事が見て取れた。

 一方でアドマイヤベガはそれを横目に見て、しかし何もせぬまま佇んでいた。

 

 ファンファーレが鳴り響き、各ウマ娘がゲートへはいって行く。全員がゲートにはいると、数秒の静謐のあとにはレースが始まった。

 立ち上がりは何事もなく、順調な滑り出しである。上からアドマイヤベガ、テイエムオペラオー、メイショウドトウが順に中団の位置にいる。

 最初のコーナーを回って客席正面にはいると三人の形が崩れて、メイショウドトウは少し前目に付けて内に、テイエムオペラオーとアドマイヤベガは中団後ろに控える形になった。

 向こう正面になると、先頭の逃げ馬が息をいれて速度を落とした。前が詰まって後続との距離が縮まり団子になる。メイショウドトウは少し中にはいり、テイエムオペラオーとアドマイヤベガが少し位置を上げた。

 こうなるといかにして群から抜け出すかが肝になる。最終直線にはいる前には道を確保しておきたいが、はたしてメイショウドトウの位置はどうか。ここからではあいつの判断が正解であるかを祈る事しかできん。

 八〇〇メートル付近になると、ついに後方のふたりが仕掛けに行った。メイショウドトウはまだ動かないから中団前目の位置で機を伺う形になっている。

 最終コーナーを回りついに最終直線にはいると、ここでやっとメイショウドトウが動いた。

 フクキタル直伝の末脚を使って、一気に先頭へと躍り出るとそのままゴールだけを目指して走る。外からテイエムオペラオーとアドマイヤベガも突っ込んできた。

 一〇〇手前では前三人が並んで誰が勝ってもおかしくない状況になったから、私たちも手に汗を握ってメイショウドトウに声援を送った。

 するとこれが効いたのか、ゴールの直前に一瞬だけ、メイショウドトウがふたりより前に出たように見えた。

 三人が並んでゴール板を超えると、まずメイショウドトウがへたれてすっ転んだ。テイエムオペラオーはその横で立ち止まると片手を地面に突き、アドマイヤベガも両膝を折って座り込んだ。

 掲示板には写真の文字が灯っている。私たちから見ればメイショウドトウが半歩抜きん出ていたように見えた。

 

 固唾を飲んで結果を待っていると、掲示板が不意に光った。着順はメイショウドトウ、テイエムオペラオー、アドマイヤベガで、クビ差でメイショウドトウの勝利であった。

 どっと歓声が空高くに響き渡り、レース場を揺らした。メイショウドトウはしばし茫然としていたが、テイエムオペラオーとアドマイヤベガに助け起こされて、それで己が勝ったのを自覚して涙を流した。

 私たちも飛び上がるぐらいに喜んだ。やっと、やっとの勝利である。今までずっと後塵を拝してきたあいつが、ついにテイエムオペラオーに勝ったのだ。こんなに嬉しい事はない。

 ウイニングライブで泣き笑いのピースサインを掲げたメイショウドトウには、近年稀に見る程の拍手と喝采が降り注いでいた。

 

 菊花賞が終われば、そのすぐあとには秋の天皇賞がある。

 サイレンススズカは復帰戦に向けての追い込みがあるから来ないと言うので、シリウスの奴らと一緒に見に来ている。

 私とサイレンススズカがとんでもない事故に遭ったのが一年も前の出来事で、今ではいつ復帰するかの話になっているのだから時の流れがいかに早いかを実感させられる。

 思えば私がこの東京レース場に来たのもあれ以来だから、何だかこの景色も感慨深いような気がしないのでもない。

 あれから私も、少しは成長したのだろうか。大きくなれたのだろうか。

 レース場を見下ろしていると、フクキタルが私の後ろ髪を触って「髪、結構伸びましたね」と言った。

 あまりに気にしていなかったが、一年も経てばそれなりに髪も伸びる。今ではすっかり白染めも色褪せて薄くなってしまっているから、ある意味でこれは私の成長の証であるのかもしれない。

 邪魔なら切ろうかと思っていると言ったら、フクキタルは綺麗なのに勿体無いですよと髪を撫で梳かして、私の頬にそっと手の平を当てた。

 こいつにそう言われると、不思議なもんで伸ばしておくのも吝かではない。私はそれなら伸ばしてみるよと、フクキタルの手に軽い頬擦りをして返した。

 隣のエアシャカールが「ケッ、真っ昼間からごっそさん」と悪態を吐いたのは、聞こえないふりをした。

 

 レースの結果から言えば、スペのレコード勝ちであった。

 序盤から後方に付けていたスペは全体の動きを見守るような動きで控え、最終直線にはいると磨きのかかった末脚を爆発させて、先頭を走っていたキンイロリョテイに迫ると、これをクビ差で抑えて勝利した。勝ち時計レースレコードであった。

 セイウンスカイもキングヘイローも頑張ったのだが、恐ろしいまでの勢いで伸びたスペの脚にはまったく敵わないようだった。

 去年の私たちの無念の晴らすかの如く激走したスペは、観客席に私を見つけるとピースサインを天高く掲げて、満面の笑みを浮かべた。

 それは、タマモクロス以来の春秋天皇賞制覇と言う偉業を達成した証明であった。

 

 さても恒例のウイニングライブであるが、やはり完全装備で挑んだ。しかし今回のライブではどうやら私も名物になっているらしく、始まる前には写真やらサインやらを求めらてしまった。

 私なんぞよりよっぽどスペを見て欲しいのだが、せっかく私を好いてくれている奴らにそんな事を言うのは忍びない。

 しようがないので、お前ら程々にしておくんだぞと言い含めながら、時間が許す限り対応してやった。

 そんな中でひとりの男が、おそらくはサイレンススズカの復帰に思う所があったのだろう、いつ頃に復帰するのかと恐る恐る聞いてきた。

 その時の私は得意になっていたから、考えもなしに勢いのまま年明けに復帰するぞ。なんて調子良く言ってしまったから大変である。

 

 サイレンススズカの時もそうだが、今の時代は情報がよくよく回るのが早い。

 ウイニングライブで可憐に踊るスペに私が歓声を送っていた裏で、私が来年に復帰すると言う話がネットで瞬く間に拡散されて、サイレンススズカと同じくちょっとした騒ぎになっていた。

 どれくらいの騒ぎになっていたのかと聞かれると、私はその方面には疎いので何とも言えぬのだが、SNSで私の名前がトレンドなるものに載るくらいには騒がれていたと言う。

 

 すっかりウイニングライブを楽しんで気持ち良く帰ってきたところで、いろんな奴らか復帰が決まった事をいろいろ言われたから、寝耳に水な私は首を傾げるばかりだ。何の事だと言えばみんなして惚けちゃってと笑うから益々である。

 そのうち生徒会の面々に呼び出された。妙な日もあったもんだと向かってみれば、私はそこで初めてこの騒動を知って心底魂消た。まさかそうすぐに広まるとは思っていなかった。

 チームの部屋に行けば干物も次々来る電話の対応に疲弊していて、私が来るなり「君罰として一週間プールね」と無慈悲な事を仰るから必死に謝り倒した。しかしよっぽど腹に据えかねたか、ついぞ撤回されることはなかった。

 これも親譲りの無鉄砲が祟った結果であった。




実は今ちょっと別の作業をしていまして、これからは少しばかり投稿が遅れると思います。
終わったらまた週一更新になれると思うので、気長にお待ちいただけると幸いです。

 吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
 本編に大幅な加筆修正に加え、新規エピソードが追加されていたり、各主要キャラの設定を見直したりと、いろいろな部分に手を加えています。
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拾陸

お待たせ、待った?
別作業の方がもうすぐ終わりそうなので、生存報告がてらに更新です。


 秋天が終わると直ぐに凱旋門賞がある。凱旋門賞はエルコンドルパサーが出る外国のレースで、何でも世界で一番格式高いレースであるそうだ。日本のウマ娘界じゃあこれに勝つのが最大目標らしいが、なるほど世界最強を自称するエルコンドルパサーにはちょうど良いレースだろう。

 これまでも何度か連絡を取っていたが、出走の2日前には向こうから連絡が来た。世界最強を証明してきマス! と自信たっぷりに言うから、来年の有馬記念で、凱旋門賞ウマ娘と対戦できるのを待ってるぜと返した。私は、エルコンドルパサーが負けるとは思っていなかった。実際負けなかった。

 

 凱旋門賞当日には寮の広間に集まって、みんなしてテレビにかじりついた。消灯時間を過ぎていたが、今日ばっかりは気になるからとフジキセキも規則を持ち出さなかった。

 凱旋門賞が行われるロンシャンは、前日から降り続いた雨の影響で不良バ場で、かなり難しい状態だった。何でもほとんど田んぼみたいな状態らしい。これでも走れと言うんだから、欧州はまったく日本と気風が違う。

 ゲート入りになると、エルコンドルパサーは少し緊張した面持ちで一枠の最内にはいった。先行差しどちらもできるあいつだから、これは随分有利な枠順だ。

 

 十四人全員のゲート入りが完了すると、束の間にはゲートが開いてレースが始まった。

 エルコンドルパサーはいっとう最初に飛び出すと、そのまま先頭に立った。どうも逃げウマがいなかったようで、先行策を取ったエルコンドルパサーがそのまま先頭になったようだった。

 レースは終盤まで何事もなく、エルコンドルパサーが先頭のままで進んだ。最終直線でも後続とは二バ身の差があった。エルコンドルパサーはそこからさらに離しにかかった。

 ただ残り四〇〇メートルあたりから、最有力のブロワイエが外目から上ってきて、一〇〇メートルで並ばれ、あまつさえ抜かれてしまったから、よもやとみんなでハラハラする。

 しかしエルコンドルパサーもさすがなもので、抜かれた所からさらに加速してまた並ぶ。こうなるとどっちが勝ってもおかしくはないから、テレビに送る声援にも力がはいる。

 やがてふたりが並んでゴール板を横切ると、審議のランプが掲示板に灯った。この日ほど審議のランプをもどかしく思ったことはない。

 さても結果が出てみると、なんとハナ差一センチでエルコンドルパサーの勝ちである。しかも三着のウマ娘とは六バ身の差であるから、名実ともに世界最強だ。

 

 これには私たちみんな飛び上がって、抱き合いながら歓声を上げた。普段静かなシンボリルドルフや、エアグルーヴまで声を上げて喜んでいたのだから、場の盛り上がりも察せよう。

 無論学園全体も爆発したみたいに沸いていた。時期外れのお祭りみたいになって、近所から苦情が来るくらいには大騒ぎになっていたそうだが、この夜ばかりはきっと日本全体がそんな状況だったに相違ない。

 お祭り騒ぎは次の日まで続いた。おかげで授業も休みになった。トレーナーどころか教師一同まで、二日酔いでばたんきゅうしてるとマルゼンスキーが言っていたから、流石に閉口する。

 いくら嬉しいたって、次の日に仕事があるならいい加減をするもんだ。いい大人が何をやっているんだろう。見ろ、駿川たづなはピンピンしている。あれこそ大人ってもんだ。

 

 やっと2日経って騒ぎが落ち着いたら、今度はエルコンドルパサーが一週間後に帰国すると言うから、また別で騒ぎになった。

 何でも子供理事長が音頭をとって、あれこれ出迎えの準備をすると言い出したから、横断幕やら何やらを準備するために学園総出でいろいろやることになったそうだ。おかげで今は校舎もすっかり横断幕で飾り付けられている。

 それから学園中でてんやわんやとしていたら、そのうちエルコンドルパサーの帰国日になったから、リギルの奴らと一緒に私たちも空港へ出迎えに行った。

 空港には記者やテレビに加えて、野次馬までが大挙していて、側から見れば足の踏み場もないくらいである。私たちは関係者なんで先に通されたが、外で待っていたらきっと揉みくちゃにされていただろう。

 待っていると、そのうち記者も通されて、私たちの後ろの方に控え始めた。エアグルーヴはカメラのフラッシュが苦手なんで、ものすごく嫌そうな顔をしていたが、こればっかりは仕方ないものだ。何せ初の凱旋門賞制覇である。そんなウマ娘、誰だって出迎えたいしテレビだって報道したいと思うもんだ。

 

 後ろの喧騒を聞き流しながら待っていると、ついにエルコンドルパサーが荷物を引いて降りてきた。いの一番にグラスワンダーが駆け寄って抱きつくと、私たちも歓声を上げながら一緒になって抱きついた。

 エルコンドルパサーは、最初だけ随分驚いた顔をしていたが、次にはぐずぐず鼻を鳴らして、私やりましたよとだけ言った。本当は笑顔で世界最強だと言いたかったのだが、感極まってほとんど口が動かなくなったらしい。私たちも感極まっていたから、ただおめでとうとだけ言い続けた。

 しばらくみんなで抱き合っていたら、やおらとシンボリルドルフが寄ってきて、すまないが私にもさせてくれてと言ったから、ぱっと離れた。そのうちリギルの全員が来て、同じように抱きついた。

 順番にエルコンドルパサーをいっぱい抱きしめたら、いよいよマスコミの前に出る。エルコンドルパサーはカメラも前に出ると、カバンから凱旋門賞のトロフィーを掲げて、民衆に問うた。

 

「世界最強は?」

 

 答えは、聞かずともわかるだろう。

 

 

 エルコンドルパサーの凱旋が終われば、次にはサイレンススズカの復帰戦があるし、ジャパンカップもあるからまったく忙しい。私も復帰のためにたくさん練習してるから、最近はてんてこ舞いで大変だ。

 忙しく日々を過ごしたら、もうサイレンススズカの復帰戦である。レースは特別オープンで、有力な奴がひとりいる。これはサンバイザーをつけた奴だ。

 別段心配なんかしてはいないのだけれど、せっかくなので私たちは、レース場でサイレンススズカの復帰戦を見ることにした。ただスペだけは、間近にジャパンカップがあるからと見に来ていない。しようがない事だが、あいつが来ないのは何だか珍しいものだ。

 会場に着くと、特別オープンなのに人でごった返している。流石にサイレンススズカの復帰戦とあっては、みんな一目拝みたいと思うらしい。

 スピカの奴らと合流したら、ちょうどパドックのランウェイにサイレンススズカが出てきた。見た感じでは、怪我の前とそんなに変わりないような仕上がりだった。怪我した足も問題は無さそうだった。

 

 見せが終われば、少し間を置いてゲート入りの時間だ。ターフに出たサイレンススズカは、どこか浮ついた感じで、なんだか集中しきれていない。しかしそれは、どうも緊張の類ではなくて、感慨に耽っているような様子だった。大方久しぶりに踏んだ芝の感触に、感動か何かを抱いたのだろう。

 全員がゲートイン完了して、数秒後にはゲートが開く。みんなが揃って綺麗に飛び出したが、サイレンススズカだけは出遅れて最後尾になった。逃げを得意とするあいつにとっては、急に厳しい展開だが、走る姿はなんだか余裕そうに見えた。

 レースは終盤まで何事もなく進んだ。サンバイザーとかいう奴が、コーナーで仕掛けて一気に前に出ると、そのままハナを奪って先頭に立つ。サイレンススズカはまだ後方だ。

 会場の空気はあまり良くない。やっぱり復帰は厳しいかなんて声も聞こえた。だがサイレンススズカは、ここで終わるような奴ではない事は、私たちが一番よく知っている。今に巻き返してくるに違いないと思っていた。

 直線にはいると、ついにサイレンススズカが動いた。生粋の逃げ足を、ここでは差し足にして、集団を一息で捲り上げて先頭に迫る。その勢いはとにかく甚だしくって、側から見たら弾丸みたいだった。追われるサンバイザーは必死に走ったが、勢いに乗ったサイレンススズカには敵わなかった。サイレンススズカは、復帰戦を堂々の一着で飾ったのだった。

 こう見せつけられちゃ私も気合いがはいるもので、来年と言わずに今すぐ復帰したい気持ちになった。これはもう発散しないとうずうずして、にっちもさっちもいかないくらいだ。

 ただそれを干物に言ったら、はっきりダメと言われてしまった。どうしてもかと聞いても、どうしてもと返ってくるから、ものすごく不満で不満である。

 しようがないので、フクキタルに慰めてもらうことにした。




今回は短くって、簡素で申し訳ないですが、あとひと月くらいで元に戻ると思います。
ちょっとした報告も、皆さんに出来るかも……?

 吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
 本編に大幅な加筆修正に加え、新規エピソードが追加されていたり、各主要キャラの設定を見直したりと、いろいろな部分に手を加えています。
 以下のサイトにてDL可能ですので、まずは体験版からどうぞ。

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 https://www.dlsite.com/home/work/=/product_id/RJ369814.html

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拾漆

今年最後の更新です。
後書きにお、ちょっとしたお知らせがありますよ……。


 バカ騒ぎもひと段落したら、エルコンドルパサーはすぐにジャパンカップ参戦を表明した。ジャパンカップにはスペが参戦するから、あいつにとっては世界に挑むようなものだ。これに勝てば日本一の称号も盤石であるから、是非とも頑張ってほしい気持ちだ。

 

 私の、復帰に向けての練習は順調である。練習は、基本的に干物の指示で、由緒正しい坂路往復をしているのだが、これがとっても辛い。

 前にも坂路往復はやったことがある。その時と同様に、フクキタルと併走しているのだが、十本もやらせるんだからとても嫌だ。終わる頃にゃヘロヘロで、フクキタルに介護されてばっかりになる。こんなのを何度も続けてたら、そのうちに干物になってしまう。干物の担当が干物になってちゃあ世話ないもんだ。

 ライスシャワーが言うには、ミホノブルボンという奴はこんな程度じゃちっともへばらないそうだが、本当なら、そりゃあウマ娘の皮を被ったターミネーターだろう。もしターミネーターじゃないならロボコップだ。さっさとハリウッドに行くがよろしい。

 

 他はどうかと言えば、メイショウドトウは有マ記念に向けて追い込み中だし、先日デビューしたばかりのエアシャカールも鬼気迫る様子だ。ライスシャワーとウイニングチケットも、ふたりに当てられて気合がはいっている。以前と変わらない様子でいるのは私たちだけだから、ちょっと不安にもなった。

 

「最近は、チーム全体が気合いはいってますね」

 

「みんな凄いもんだ。こりゃ私も頑張らないとダメそうだ」

 

「あんまり無理したら嫌ですよ……」

 

「そうも言ってられない。干物に言われたらやらなきゃならないんだ」

 

「むぅ……」

 

「そう心配するもんじゃないよ。私ってのは頑丈だから、これくらいじゃへこたれないんだぜ」

 

「でも、辛くなったら言ってくださいね。私は味方ですから」

 

「私をダシにしてイチャつかないでほしいなぁ⁉︎」

 

「やべェなあいつら……独身女相手に当てこすってンぞ……」

 

「トレーナーなのに、あんなふうな扱いで……うおおおおおん! か゛わ゛い゛そ゛う゛た゛よ゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛!!!!」

 

「わあ……!」

 

「な、泣いちゃった……!」

 

「君ら坂路五本追加なぁ!!!!!」

 

 そういう時は、たいてい干物を弄り回した。誰も案外ノリが良いのですぐ乗っかるのだ。

 シリウスでこうした日々を過ごしていたら、何だか不安もなくなるんだから不思議だ。

 

 そのうちサイレンススズカが重賞復帰戦で、見事に一着を取ったと知らせが来た。最後方からごぼう抜きの勢いだったと言うんで映像を見せてもらったが、なるほど気持ちの良い走りっぷりだ。こんなレースをされては、スペも私もこれは負けてられないなと益々の気合がはいった。

 特にスペはジャパンカップが控えているから、気炎の程度も甚だで、今のこいつに勝てる相手がいるのかとさえ思うほどである。

 

 やがてジャパンカップの開催日となった。空は天晴れな秋晴れで風もない。

 誰もがこの一戦を待ち焦がれて、その時を今か今かと待っている。スペのお母ちゃんもこれを見に来ているそうだ。私たちシリウスもみんなでスペとエルコンドルパサーを応援に行くんだ。

 レース場に着くと、人でごった返しているのはいつものことだが、今日ばかりはいつにも増して人波が大きい。平日の朝の駅だってこれよりはまだ空いてるだろうと思うくらいである。こんなじゃあスペのお母ちゃんを探すのは難しそうだ。

 人ごみをかき分けて前列へ行くと、もうスピカの奴らがいる。声をかけたら沖野が真っ先に反応して、次にはサイレンススズカ以下が声を返した。

 スペは勝てそうかと聞くと、みんなは声を揃えて勝てると言う。沖野だけは五分五分だろうと答えたから、エルコンドルパサーはやはり強敵だ。

 

「お前は行かなくていいのか?」

 

 沖野に言われて何のことだと返したら、グラスワンダーと、キングヘイローと、ハルウララは出走するふたりの激励に行ったぞと言われた。

 なるほど、いかにも友人想いなあいつらのやりそうなことである。私はちょっと違って、そんなことをする気はなかった。でも別段、薄情になったわけではない。

 

「スペシャルウィークってやつは、もうそんなことをしてやるほど子供じゃないんだ」

 

 沖野は呆気に取られたあと、そりゃそうだなと声を上げて笑った。

 実に気持ちのよさそうな笑顔であった。

 

 ファンファーレが鳴り響きと、出走するウマ娘が次々と緑の上に現れた。

 スペとエルコンドルパサーが衆目の前に出ると、スタンドが爆発したみたいな歓声を上げたから、ちょっとびっくりした。

 歓声がある程度で止むと、やがて全員がゲートにはいり、出走の構えを取る。スペが十三番でエルコンドルパサーが十四番と、隣同士だった。

 一秒、二秒と経って、スタンドが完全に静まったのと同時に、ゲートが開く。ジャパンカップが始まった。

 

 双方の作戦は、共に差しである。スペもエルコンドルパサーも後方待機に徹していて、レースを引っ張る逃げは外国のウマ娘だ。

 第二コーナーから向こう正面ではやや縦長になり、沖野のストップウォッチでは一分十二秒のペースである。

 おそらく大ケヤキを越えるまでは決定的な動きはない。そう断言したエアシャカールの分析は確かで、実際第三コーナーにはいるまではこのままであった。

 大ケヤキに差し掛かると、スペとエルコンドルパサーが上がる気配を見せて、バ群の外からゆっくりと上がっていくのが見えた。そのうちコーナーを抜けると、双方が一気に坂を駆け上がって、凄まじい競り合いを始めた。

 観客一同がワッと声を上げて、ふたりの名前を呼び始める。

 最後の五〇メートル。

 ゴール近くにいた私も、柵から身を乗り出すと思いっきり息を吸い込んで、スペに勝てと叫んだ。

 私の声はたしかに届いたらしい。

 スペが獰猛に笑って、一歩を強く踏み込んだのが見えた。

 次には、きっと錯覚だろうけれど、スペの右脚が轟音を発した。

 エルコンドルパサーも獰猛に笑ってさらに前に出る。クビか、いやハナ差か。お互いがわずか数センチの差を奪い合い、先へ行こうと速度を上げていく。

 

 そうして、ふたりはほとんど並んでゴール板を踏み越えた。

 

 轟々と鳴り響く歓声の中で、写真判定を行う旨が放送された。

 どちらが勝ったんでしょうかとフクキタルが言った。私はスペの勝ちだと返した。ふたりは誰の目にも互角の戦いを繰り広げていた。だが私の眼にはスペの勝ちと見えていた。

 そのうち会場が静かになって、パッと掲示板に着順が灯った。

 一着は十三番で、二着が十四番。

 

 スペの勝ちであった。

 

 再びスタンド全体がワッと声を上げる。実況が日本総大将と呼び讃える。スペとエルコンドルパサーが抱き合ってお互いの健闘を讃え合うと、声はさらに大きくなって空を震わせた。

 

 レースが終わってからしばらく空いて、ウイニングライブが始まる。無論、私はフル装備でいる。

 まずステージでスペにインタビューが行われたのだが、そこであいつはいろんな人々への感謝を伝えた。

 産みのお母ちゃん、育てのお母ちゃんはもちろん、沖野に、スピカの奴らに、それから多くの強敵にと、言う事は盛りだくさんで、

 

「いつも、背中を見せてもらっていました。いつも、背中を追いかけていました。悔しいことや苦しいことがあって、悩んじゃって、立ち止まることもありました。けれど、その度にいろんな人に助けられて、手を引いてもらって、やっと……日本一のウマ娘になるという夢を叶えられました。……だから、これからは! 私が背中を見せる番です!」

 

 そのうえで、スペは私への感謝を伝えた。

 

「お姉ちゃん……私、待ってるから! 日本一のウマ娘として、待ってるから! 絶対、絶対追いついてきて! 私の隣に来て、私を追い越しに来て!」

 

 それを聞いた私は、安心したような悔しいような気持ちになった。頬を一筋の涙が伝っていった。柵を握り締める手を温かいものが包んだ。

 

 私はひとり頷いて、大声でスペに言った。

 

「来年の有馬記念で、お前に勝ってやるぞ!」

 

「うんっ!」

 

 隣で笑っていたフクキタルが、フル装備できたのは失敗でしたね。と茶化して言うから、私はうるさいと返して泣き笑いした。

 果たさないといけない約束が、またひとつ、増えてしまった。




突然ですが、2022年1月10日に行われる地方イベント「おでかけライブin札幌」にて「吾輩はウマである」で参加ことにしました。
内容としましてはダービーまでのお話に加筆修正したもので、一部展開の変更、追加などがございます。ハーメルンの方とはまったく同じではありませんので、よろしくお願いします。

ただ、こちらは印刷費削減のために挿絵は入れないつもりですので、注意ください。
一応、後日には挿絵とおまけの小話をつけて電子書籍化する予定ですので、申し訳ありませんがご了承ください。


では、良いお年を。


 吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
 本編に大幅な加筆修正に加え、新規エピソードが追加されていたり、各主要キャラの設定を見直したりと、いろいろな部分に手を加えています。
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拾捌

吾輩はウマであるを無事に書籍化できたせいか、なんだか燃え尽き症候群なので短めで失礼します。
ここからなんとか調子を上げて、頑張って完結させたいですね。


 

 年末ってのは盛大なもんで、何回もGⅠレースがある。今週は有マ記念で、スペとグラスワンダーとテイエムオペラオーが出る予定だ。

 無論、私はこれを見に行くつもりだったのだが、三人全員から一様に「レースを見る暇があったら練習して早く復帰しろ」という言外のお言葉をいただいたんで、しようがないから練習漬けで年越しするんだ。

 あとで聞いたら、有マ記念はグラスワンダーが一着で、下にスペとテイエムオペラオーの順番だったらしい。グラスワンダーとスペとは一センチ差だったと言うから魂消た。実況では最強のふたりと言われていたらしい。私もはやくそんな勝負をしたいもんだ。

 

 それから年が明けると、私たちの道もしばらく分れることになった。

 まず新年の挨拶もそこそこに、スペとサイレンススズカはアメリカへ、グラスワンダーは欧州に遠征へ行った。

 凱旋門賞を獲ったエルコンドルパサーに触発されたか、スペとグラスワンダーは半年ほど向こうで武者修行するそうだ。それぞれ、BCターフとKGVI & QESを目指すらしい。

 しかし、サイレンススズカはもともと向こうへ行く予定だったと聞いてはいたが、このふたりが海外へ行くなんてのは寝耳に水である。

 何でもトレーナー以外に誰にも言わなかったそうだ。友達だってのに、知らせてもくれなけりゃ見送りにも呼んでくれなかったんだから、まったく薄情だ。不人情も極まってる。心底むかっ腹が立ったんで、ふたりが帰ってきたらレースで盛大に負かして、泣かせてやろうと思っている。

 

 エルコンドルパサーは年内のほとんどを休養に充てて、年末くらいにはレース復帰する予定である。

 凱旋門賞を獲って、帰国後すぐにジャパンカップで負けたのがよっぽど悔しかったらしく、もっと自分を高めるのだと息巻いていた。

 一方で、キングヘイローとセイウンスカイは変わらずレースに出るそうだ。

 キングヘイローは、短距離路線に転向して、高松宮記念からスプリンターステークスの短距離二冠を目指すようだから、寂しいような楽しみなような気持ちでいる。無冠の王様が早く王冠を被るのを見たいもんだ。

 セイウンスカイのほうは、何をするのかはぐらかしてばっかりで、ちっともわからない。間近では大阪杯に出ることは聞いたが、それ以外はさっぱりだから、あいつが何をするつもりなのか気になる。

 

 ハルウララは相変わらずダートを走る。ただ本人は「みんなをびっくりさせるから、楽しみにしててね!」と言っていたんで、何やらデカいことをするようで楽しみだ。

 テイエムオペラオーとメイショウドトウはシニア級を走る。最初には春天で、そこから年末までずっとGⅠで行くと言うから強気なもんだと思った。

 

 ただ、気掛かりなこともひとつある。菊花賞のあとくらいか、アドマイヤベガが屈腱炎したという知らせがあった。

 聞いた当時は息を呑んだが、自分勝手な気まずさのおかげで今の今まで見舞いのひとつもしていなかった。

 一回話したきりだけれど、年も明けて、私もいろいろ落ち着いたから、改めてアドマイヤベガと話してみたい気持ちが湧いてきた。

 干物にそのことを話すと行っておいでと送り出されたので、私は今日からアドマイヤベガと話をしに行くんだ。

 

 今は検査入院中だというんで、さっそく病室に行くと、病衣を着たアドマイヤベガがベッドの上で外を眺めていた。布団で隠れているが、足にはギプスが巻かれているんだろう。

 

「……きっと来ないものだと思ってた」

 

 私が声をかけると、アドマイヤベガはむっつりした顔でそんなことを言った。よっぽど放っておかれたのが気に召さないようで、私はちょっとばかし申し訳ない気持ちになった。

 私が少しばかり思う所があったんだと言い訳をすると、アドマイヤベガは溜め息にも似た息を吐いて、また外へと視線を向けた。

 

「同じね。こういう所まで」

 

 アドマイヤベガの言葉には、自嘲と哀れみが含まれていた。私は彼女の態度に何とも言えず、押し黙っていた。

 

「……あなたは、満足しているの?」

 

 私がすっかり黙っていると、アドマイヤベガは無表情に問いを投げた。それは純粋な疑問というよりも、微かに縋り付くような声であった。

 私は偽りなく満足していると答えた。ダービーを勝って、あいつとの約束を果たして、それで満足してしまったのは事実である。今だってそう、思っている。

 

「満足しているのに、まだ走るのね」

 

 私の答えを聞いたアドマイヤベガは、どこか呆れているらしかった。同時に、疑問も含んでいた。察するに、我儘を言う子供を前にした母親の心持ちであったのかもしれぬ。

 私は頷いて、満足していても託されたからには走るんだと答えた。誰だって目的なく走るなんてできないから、私はみんなから託された想いを糧に走るんだ。

 

「苦しくないの、あなたは。約束も無くなって、何のために走るのかもわからなくなっているのに」

 

 再びこちらを見たアドマイヤベガは、眩しさに目を細めているようであった。

 私はこう言った彼女の言い方に、似た者同士だけがわかる類の、一種のシンパシーが作用しているのだろう。自問自答をしているような感情を抱いた。

 彼女もまた、繋がりが切れてしまったと思ったのだろう。故人に囚われているから、唯一の約束という繋がりがなくなって、迷子になっているのだろう。

 

「そりゃ苦しいもんだ。誰だって目的なく走るなんてのは、まったく簡単じゃない」

 

「あなたには、目的があると言うの」

 

「あるから走っているんだ」

 

「それは、何?」

 

「みんなとの繋がり、それだけがある」

 

 私は頷いて、アドマイヤベガの冷たい右手を握った。

 

「私はみんなに、また一緒に走ろうと言われているんだ。私は冗談は言うが嘘つきにはなりたくない。だから約束は守るつもりでいる。いつかみんなで、必ず、同じレースを走るんだ」

 

「同じ、レースを……」

 

「それに、テイエムオペラオーとはまだ一回も戦ってないんだ。あいつのことは絶対に負かしてやるつもりだ。本当は私が最初に負かしてやるつもりだったから、お前があいつを下した時は、実はちょっとばかし堪えたんだぞ」

 

 冗談めかして言うと、アドマイヤベガは一瞬だけ呆気に取られた。しかし次には口を開いて、また呆れた声色を私に向けた。

 

「それは、申し訳ないことをしたわね」

 

 申し訳ないとは口で言っても、顔はそうでもなかった。むしろ不敵なものであった。

 

「うん。だから私は、お前のハナだって明かしてやりたいと思ってるんだ。こんなところでくさくさして、不貞腐れてちゃイヤだぜ」

 

「……繋がり、ね」

 

 私の言葉にアドマイヤベガは、何か思うところがあったのか、また溜め息にも似た息を吐くと、思い返すように瞳を閉じて天井を見上げた。

 それから数秒も経って、やっと私の手をそっと解いた。

 

「有マ記念……そこを目指すわ」

 

 開かれた瞳には決意の色が灯っていた。

 それはたぶん、私よりも綺麗で美しい色をしているようだった。




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拾玖

祝ウマ娘1周年!
大幅アプデで私のフクキタルがさらに強くなっちゃいますねえ!!!!!!


えっ?フクキタルの同部屋がマチタン?
俺のログには何もないな。


 私の復帰は特別オープン戦から始まる。阪神芝1800メートルの、一枠一番が私だ。復帰にはちょうど良いだろう。

 干物はここからもうひとつ、金鯱賞を挟んでから大阪杯を目指す予定だと言っていた。大阪杯にはセイウンスカイが出ると聞いている。あいつとの戦いを万全にするためにも、私は負けるわけにはいかないんだ。

 

 枠順までが決まってついに走るぞとみんなに報告すると、必ず見に行くとの答えが返ってきたんで、安心して見に来ると良いなんて返してやった。

 電話で外国にいるスペたちにもそのことを伝えたら、グラスワンダーはここから応援していますねとしとかやに言っていたが、スペはずいぶん見に行きたかったと歯噛みしてサイレンススズカに嗜められていた。私になんも言わずのまま外国へ行ったんだから、これはちょっと良い気味だと思った。

 

 それから当日になって阪神レース場に行くと、サイレンススズカの時と同じように観客席が人で埋まっていた。自惚れてるってわけでもないが、私ってのは存外に人気のようだ。

 パドックでも待ってたよ、復帰おめでとうと観客一同から声をかけられて、鼻高々にこりゃ負けられないなと意気込んだが、控室では干物から無理はしたらダメだからねと念押しされてしまったから、無論出来るだけをやるつもりだとこれに答えた。

 フクキタルは特に入念で、私の脚をベタベタ触っては心配したぎりだ。そりゃウマ娘の脚ってのは脆いもんだが、頑丈が取り柄の私にはいらん心配である。誰かを庇ったならともかく、自分で転ぶんじゃあ滅多な怪我なんかしないもんだ。

 そうむやみに慮るものじゃないぜと言って、右腕にグッと折り曲げて力瘤を見せつけると、フクキタルは呆れたような感心したような顔をして「わかりました。でも無茶だけはしないでくださいね」と笑った。言われなくたって無理も無茶もするつもりはないんだから、ちゃんと走る腹積りである。

 

 係員に呼ばれたんで、控室を出て地下バ道を歩いていたら、復帰おめでとうございますと他のウマ娘に話しかけられた。名前は知らない。ただ京訛りがあったから西の方から来たんだとわかった。

 えらい事故やったけどよう復帰できはりましたなぁ。一年も走っとらんと、こういうのも懐かしいんとちゃいますかと話しかけてきたこいつは、嫌味とかではなく単純に私を気遣っている。

 京都人ってのは全員嫌味なヤ奴だと聞いていたから、私はこいつの素直さに感心して、そりゃ懐かしくって変な気持ちだと素直に答えてやった。

 するとこいつは笑顔になって、今日は胸を借りるつもりで、走らせてもらいますねと笑顔を浮かべた。

 

 話していたら他の奴が来た。今度は九州かどっかの奴みたいで、道ん中で喋るた女々か。ウマ娘ちゅうんなら走りで語らにゃいけんと言ってきた。

 九州らしく豪気なウマ娘だ、しかし礼儀を知らないから京都の奴がムッと耳を絞って、まあ力強いお人やねえと嫌味ったらしく言い返した。無論これには九州の奴も面白くなさそうな顔をする。

 京のもやしっ子、おまん名はなんちゅう。ああやっぱ言わんでよか、どうせ撫で切りじゃ。木端の名前にゃ興味なか。

 あらあらまあまあ薩摩っ子はえらい強ぉございますな。口もお上手で、こら親御さんの教育がよう染みとりますわ。

 売り言葉に買い言葉で、急に私を差し置いて一触即発みたいになっている。なんだかくだらないんで、そう走る前に力んでちゃ勝てるもんも勝てないぜと言って、さっさとターフの上へ出てしまった。後ろからはふたつの慌てた足音があるばかりであった。

 

 ターフに出ると、歓声が耳をつんざいた。声は半分以上が私に向けられたもので、だいたいが復帰おめでとうだとか待ってたよだとか、そういう類の言葉であった。

 手を振って応えてやると、ますます歓声は大きくなったから得意になった。パドックでもそうだったが、こう応援されちゃ否が応でも気合が入るってものだ。

 軽く準備運動をしてからゲートに入ると、久方ぶりである、音と景色が遠のいて行く感覚があった。レースに戻ってきたのだと知らしめるそれは、私に程よい気付けとなっていた。

 中腰に構える。

 ゲートが開く。

 半歩遅れて飛び出す。

 私の身体は一連の動作を寸分違わず覚えていた。一年もレースを離れていたというのに、やることにちっとも狂いがないから自分でもなんだか嬉しく思った。私はまだ、走れるのだと自覚した。

 

 昨日から今朝にかけて降り続いた雨の影響で重バ場になったレースは、九州の奴が逃げで引っ張っている。このまま差を広げて押し切る算段と見えた。京言葉の奴は中段後ろの内にいて、ラチに添いながら脚を溜めている。

 私はといえば最後尾である。マイルってのは短いようでちょっと長いが、やることに大した違いはない。後ろから捲り上げる、それだけだ。だから私はこのレースでもそうするんだ。

 

 コーナーに入ると、京言葉の奴が前に行き始めた。中段の後ろから先頭へ出て、そのまま九州の奴に狙いを付けている。九州の奴は我関せずで走っている。

 バ群も同じように外に寄っていて、内側にはポッカリ穴が空いていた。内側はいささか以上に荒れ気味だ。誰だって好んで走ろうとは思わぬ。

 無論、私はこれを突く。最終コーナー前で息を入れてグッと足に力を込めると、空いている内側に向かって突っ込んだ。

 はいってみると、なんてことはない。田んぼを走ってるようなものだ。走りにくいは走りにくいが、嫌な顔して避けるものでもない。幾分か衰えたって、これでも力は強い方なんだ。こんな程度はへっちゃらだ。

 

 荒れた内側を駆け抜けていくと、バ群がみんなギョッとした顔をして私を見る。わざわざ荒れた場所を突っ切ってきたんだから驚いて声も出ないんだろう、良い眺めである。ただ京言葉の奴だけは、感心したような顔をして速度を上げたから気になった。こいつはなかなか不敵である。

 ふたりして最終直線にはいると、九州の奴の真後ろまで来た。こいつもまたギョッとした顔をしている。いい気味である。あとはこいつを抜いてしまえば、それでレースは終いだ。ただちょっと距離が足りるかどうかだけが心配なだけだ。

 しかしそれも杞憂であった。50メートルまで来るとチェストと叫ぶ九州の奴を抜いて、私はそのまま一番でゴール板を横切った。重バ場のせいかタイムはそう出ていなかったが、復帰一番のレースにしちゃあ上出来だろう。

 

 速度を緩めた私が堂々として右手を上げると、観客席から轟々と歓声が上がった。去年までは歓声を上げる側だったが、浴びる側に回るのはやはり気持ちが良いものだ。

 ひと息吐いて立ち止まったら、敵いませんなあと京言葉の奴が来た。ブランクもあるちゅうにちっとも追いつけへんのやから、自信無くしますわぁと肩を竦めるので、単簡に勝てちゃ面白くもないだろうと返してやった。そしたら京言葉の奴は頷いて次は勝たせてもらいますねと言うから、私はそうするがいいと大いに笑った。

 京言葉の奴がこれなら九州の奴はどうなのかと思ったが、おいは恥ずかしか、生きてはおれんごっ! と悔しそうに蹲っていたから呆れた。気持ちはわからないでもないが、高々負けの一回で大袈裟だ。

 私は九州の奴に近付くとさすがに薩摩っ子は手強かったぜ。と右手を差し出した。涙目をこっちに向けた九州の奴は、ちょっとだけぼけらとしたあとに私の手を取って、世辞でもダービーウマ娘に言われんのは嬉しかと立ち上がって笑顔を見せた。

 

 久方ぶりのウイニングライブはつつがなく終えた。1年ぶりにステージに立ったが、景色は相変わらず壮観だ。さすがにスペがいないのはちょっと寂しかったが、いつもの奴らとシリウスの全員がいたからそう悲しいことはなかった。

 戻ったら真っ先にウイニングチケットが大泣きしながら「よ゛か゛っ゛た゛よ゛ぉ゛!」と抱きついてきた。ライスシャワーも「何にもなくてよかった」とつられて泣くから困ってしまう。エアシャカールはいつも通りで、予測データより遅いンじゃ大阪杯は話にならねえぞとそっぽを向いていた。

 干物はいかにも怒ってる顔でため息混じりに、勝てたからいいけど、荒れた内側でスパートはもうやめてねと言うから、私は九州の奴の真似をして誤チェストにごわすとおどけて視線を逸らした。

 フクキタルは何も言わないで、私たちのことを見守っていた。混ざれば良いものを遠巻きに微笑ましい物を見てるみたいで、あれじゃお姉ちゃんってより母親ではないか。よっぽど今度からママって呼んでやろうかと思ったくらいだ。

 ただ寮に戻ったら抱きしめられて「無事に走り切れてよかったです」やら「頑張りましたね、えらいですよ」やらと散々に褒めそやしてきたから、案外本当に呼んでみても良いかと考えてしまった。実際にやってみるのも面白そうだが、しかしそれでスーパークリークのようになられても困るので遠慮しておいた。

 私にはお姉ちゃんで十分である。




吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
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弐拾

書いてるとたまに予定ないキャラが出てきて新しい設定を持ってくる現象に名前をつけたい。


 

 特別OPを勝ったのなら、次は金鯱賞である。

 GⅡであるこのレースは大阪杯のステップレースであり、これに勝てば優先的に出走できる。私の獲得賞金は実質的にはダービーだけで、大阪杯には出られるけれどちょっと心許ない。だから金鯱賞で弾みをつけて、それから大阪杯に行こうというわけになったのだ。金鯱賞から大阪杯へは間があまりないが、同じ2000mで、そう苦戦することもないだろう。ただセイウンスカイが怖いだけである。

 

 金鯱賞に向けて練習を続ける傍らで、何だか妙な奴が来たから少し困った。妙な奴ってのはやっぱり妙なもので、私を見るなり開口一番「噂と違って良い子ちゃんだな」と失礼を言う。

 

「いや何、お仲間……黄金世代だったか? アイツらがみんなして海外に行くもんだから、お前も行くもんかと思ってな。どうなんだ?」

 

「行かない。私ってのはそんなに外へ出る気もないから、海外だって行かないつもりなんだ」

 

「もったいない、そりゃあもったいないぜ。お前なら海外GⅠのひとつくらい取れそうなもんだってのに」

 

 妙な奴ってのは、何でもわからないことを言う。海外GⅠなんて大層なものは、私の手に余るもんだ。そういうのはアイツらが取っておけば良い。しかしコイツはそう思わぬようで、人目も憚らずにいちいち突っかかってきた。

 

「秋天までのレースは見せてもらった。小さいは小さいが、スタミナとパワーがある。それに足も頑丈だ。洋芝を走るには十分だろう。走り方は、それ用にちょっと変える必要はあるがな。お前なら凱旋門賞、イケるかもな?」

 

「やなこった。外国に行きたいなら自分で行きゃいい」

 

「そう言うなよ。……首を縦に振れ。そうすりゃ同じダービーウマ娘の誼だ、こっちでいろいろ融通してやる」

 

「ダービーウマ娘だからって、誰でも信用するもんか。何だって知らん奴から施しを受けちゃ世話ない」

 

「オイオイ、このシリウスシンボリ様が太鼓判押してるんだ。もう少し反応してくれなきゃ困るぜ」

 

「何を言われたって、変わらないぞ。私は外国なんて行きたかないんだ」

 

 シリウスシンボリってのは後から聞いたら、海外レースを転々としていた奴らしいから、なるほどソイツに見初められるのは栄誉なことなんだろう。結構な派閥があるとも聞いたから、声をかけられるのが光栄なことなのは学のない私にだってわからあ。

 しかしだからって、そう安易に頷くものか。海外に興味がないとまでは言わないが、今は約束があるんだ。そいつを反故にしてまで海外になんか行きたかない。私は冗談は好きだが嘘吐きは嫌いだ。そのくせに自分が嘘吐きになっちゃあ末代までの恥だ。

 

「だいたい、なんで私に来るんだ。キングヘイローとか、セイウンスカイとか、もっと良い奴はいるんだから、そっちに行ったほうがよっぽど良かろうもんだ」

 

「いや何。ひさびさに帰国してきたら、面白い奴がいるって聞いたんでね。それで会ってみりゃどうだ、怪我で養生してた割に仕上がってる。その上、まるで"他人の気がしねえ"と来た。誘わない手はないだろ?」

 

「どうも。でもこっちではそう思わん」

 

「やれやれ、頑固さは噂以上のもんだ……だが、それでこそ落とし甲斐がある」

 

 シリウスシンボリが私の顎を持ち上げたから、野次ウマがちょっと騒がしくなった。

 駄洒落皇帝といい、シリウスシンボリといい、どうもシンボリって奴は人を誑かす才能があるように思う。私は別段どうも思わぬが、きっと普通は一発で虜になるんだろう。こわやこわやだ。

 

「ちょっと、何してるんですか!?」

 

 そうこうしているうちに、フクキタルが野次ウマの中から出てきて、私の手を引いて胸の内に引き寄せた。

 最近はいっつもコイツに絡まれているから、よくよくフクキタルが近くにいて助けに来るんだ。嬉しいは嬉しいが、ちょっと過保護じゃなかろうか。

 

「おっと……今いいところなんだ、邪魔するなよ。マチカネフクキタル」

 

「この子は私の……私たちの大事な仲間ですから、無理な勧誘は止めてください」

 

「人聞きが悪いな。こっちはちゃんと穏便に勧誘してただろう?」

 

「人の顎を持ち上げるのが穏便ですか」

 

「少しもこっちを向いてくれないんでね、見てくれるようにしただけさ」

 

「外国ではどうか知りませんけど、日本ではそういうのを穏便とは言わないんですよ」

 

「なんだ、自分じゃできないからって嫉妬か?」

 

「違います!」

 

 フクキタルが声を荒げるから、だんだん大事になってきた。その上に、シリウスシンボリもわかってて煽ってるようだから質が悪い。

 野次ウマが修羅場だなんだと騒ぎ始めたから、私は何だか居心地が悪くなった。胃までが痛くなってきた気がした。今度エアシャカールに胃薬をもらっておいた方が良いかもしらん。

 頭上で睨みあうふたりを尻目に、ほとんど現実逃避みたいに考え事をしていると、野次ウマが海みたいにぱっかり割れた。

 次にはシンボリルドルフが、エアグルーヴとナリタブライアンを伴ってこちらに来た。

 

「おかえり……と言いたいところだが、帰国早々これは何の騒ぎかな。シリウス」

 

「これはこれは、皇帝サマ。本日もご機嫌麗しゅう」

 

「君にそんな態度を取られると、思いの外鳥肌が立つね……それで、今回は何をしたんだい」

 

「オイオイオイ、お前まで人聞きが悪いこと言うな。ただの勧誘だよ、勧誘」

 

「……彼女を?」

 

 私が控えめに頷くと、それで合点がいったらしいシンボリルドルフは溜め息を吐いた。それは疲労と呆れを含んだものであった。

 

「シリウス。海外を長く、そして広く渡り歩いた君の言うことだ、確かに適性はあるのだろう。しかし今の彼女は"日本"が主戦場だ。あまり無理強いをするのはいただけない」

 

「ハッ、日本に縛り付けてるの間違いじゃないか? このままじゃコイツの脚は宝の持ち腐れだ。高速馬場が基本の、今の日本じゃ特にな」

 

「だが彼女は結果を残している。君と同じ、ダービーウマ娘として」

 

「ああ、そうだな。だがそいつは、コイツ自身が限界以上の力を出した結果だ。万全ならともかく、怪我でシニアの初年を棒に振ってるんだぜ。同じ力が出せるとは思えないね」

 

 歓談と言うにはいささか空気がヒリついていて好ましくない。シリウスシンボリも、シンボリルドルフも、顔は笑ってても目は笑ってないし、フクキタルはずっと耳を絞ったままでいる。

 シンボリ家の内輪揉めに巻き込まれるなんざ心底ごめんだ。フクキタルの怒った顔だって見たかないのだから、そろそろここらで打ち切って欲しいもんだ。

 

「まあいいさ。気が向いたら連絡しろよ、いつでも、どこでも、連れてってやるから」

 

 私が心配したのも束の間、シリウスシンボリはそれだけ言い残すとふらりと立ち去ってしまった。自分で作った穏やかじゃない空気をほっぽり出して、何という無責任だろう。

 嵐が過ぎ去ると、野次ウマはすぐに引いた。知らぬところでエアグルーヴとナリタブライアンが人払いをしたようだった。ナリタブライアンが仕事をしている姿は一向に見たことはなかったが、なるほど確かにこいつも生徒会の一員らしい。

 

「身内がすまなかったね。お詫びと言ってはなんだが、少しお茶でもどうかな」

 

 すっかり周りがいなくなってしまうと、シンボリルドルフは苦笑いとも愛想笑いともつかない顔をして、私たちを茶会に誘った。

 私はこの誘いを二つ返事で了承したが、フクキタルは少し遠慮した様子だった。皇帝殿とお話しするのに気が引けているようであった。どうせ駄洒落皇帝なのだから、そう遠慮せずとも良さそうなものだ。

 結局、私とフクキタルは生徒会室でお茶をすることになった。無論、エアグルーヴとナリタブライアンも一緒である。

 

「まずは復帰おめでとう。君がまたターフに戻ってきてくれて嬉しく思う。一時は随分と落ち込んでいて、心配だったが……どうかなその後は」

 

 エアグルーヴが淹れた紅茶にミルクを加えながら、シンボリルドルフはそのように話を始めた。内容は、なんてことはない世間話で、特筆すべきことはなかった。

 ただあとから思い返すと、これってのはきっとカウンセリングの類だったんだろう。皇帝殿は話をしながら、私の胸の内側によくよく目を向けているらしかった。

 

「どうも何も、いつも通りです。今はちっとも落ち込んじゃいません」

 

「そうか。いや、何事もないならよかった。君のような生徒を失うのは、私としても惜しいからね」

 

「それは、どうも」

 

「おためごかしじゃない。君という存在は、君が思っている以上に大きな存在なんだ」

 

 シンボリルドルフの言葉は、私にはあまりピンと来なかった。大きな存在と言われたって、私はただの十とそこらのウマ娘だから実感ってのが伴わない。たまにちやほやされるのだって、私がダービーウマ娘だからなんじゃないかとさえ思っている。

 

「私の言葉は、まだ信じられないかな?」

 

 そういった考えを口に出すと、シンボリルドルフがこう返してきたから、私は首を振って応えた。

 

「君は多くの良き仲間やライバルに囲まれている。特に君とフクキタルは比翼連理……私からしても、羨ましいくらいだ」

 

 言われて、フクキタルは私からちょっと顔を逸らした。比翼連理ってのはなんだかわからないが、仲が良いのは確かにその通りだから、私は適当な相槌を打った。

 それからいくつか話をして、紅茶をすっかり飲み干してしまうと、私たちは生徒会室を出た。茶は美味かった。エアグルーヴはよくよく紅茶の淹れ方を熟知しているようだった。

 それから部屋を出る時に、ちょっとナリタブライアンに睨まれたが、なんだったのかはいまいちわからない。元からああなのかもしれぬが、客人相手なら目付きくらいはもう少し和らげても良さそうなものだ。

 

 それから夜になってもう寝るという時分に、ふと両親の声が聞きたいと思った。いささか遅い時間だったが、携帯から電話をかけるとふたりはすぐに出た。

 久しぶりに聴いた声は、なんだか前よりも老けこんでいるような気がした。




 吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
 本編に大幅な加筆修正に加え、新規エピソードが追加されていたり、各主要キャラの設定を見直したりと、いろいろな部分に手を加えています。
 以下のサイトにてDL可能ですので、まずは体験版からどうぞ。

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弐壱

顔の良い女を好きなはずだったのに、気付いたらメジロブライトに人生を狂わされそうになってる。

助けてタコピー。


 金鯱賞である。

 大阪杯の前哨戦として認知されているこのレースは、世間で言えばそこそこの認知度がある。今日の私はこのレースに出るんだ。無論これには勝つ気でいる。走る前に負けることなんて考えてる奴は、そもそもレースじゃ勝てないってのはトレセン学園では常識だ。

 

 レース前には、控室でチームのみんなから激励された。みんなして頑張れだとか今の調子なら勝てるとか言うんで当たり前だ、私を誰だと思ってるんだと返してやった。フクキタルだけは前と変わらず怪我だけしないでくださいねと心配して私を抱きしめたりしたが、私だって前回は懲りたんだ。ちゃんと危なげない走りをするつもりだ。

 

 地下バ道からターフに出ると、緑に輝く芝と青空が私を出迎えた。歓声が驟雨の如くに降り注いで全身を震わせた。重賞に出るのは一年振りである。さすがに神経が高ぶって、武者震いまでしてくる。

 ゲートの前で軽い準備運動をしていると、前の特別OPで一緒だった奴がいた。京言葉の奴だ。声をかけたら「わぁ憶えててくれはったんです? こら嬉しいわあ」と言うが、そりゃあこんな奴がいたら忘れたくっても忘れられないだろう。

 お互い頑張ろうぜと言ったら、京言葉の奴は「今回も胸借りるつもりで、走らせてもらいます」と満面の笑みで言うんで、存分に借りると良い。何せ立派なものがついてるからなと私は胸を持ち上げて返してやった。京言葉の奴はちょっと目を皿みたいにして、「確かに立派どすなあ」と自分の胸をペタペタ触っていた。

 

 そうこうしてるうちに、ゲート入りのアナウンスがされたんでゲートに入る。今回は十四番と外のほうなんで、初動は外回りで走るのが良さそうだ。

 中腰に構えて始まるのを待っていると、パンとゲートが開く。いつも通り私は周りから半歩遅れ飛び出して、バ群の最後方に陣取った。

 

 金鯱賞は中京レース場で行われる芝2000mのレースである。中京レース場ってのは平坦で、小回りで、左回りで独特だ。その上にカーブは入口が大きいのに出口は小さい作りだから、こういうところばかりは得意って奴が出てくる。だから逆に苦手な奴ってのもいるんだ。何人かは最初のコーナーでちょっと走りにくそうにしていたのが見えた。

 私は結局後ろだから、最後だけ気を付けておけば良い。ただちょっと早めに仕掛けないと前が壁になりそうなのが、いささか面倒なだけである。

 

 初動は何てこともない。第一コーナーまでには全員が自分の位置に収まってスタコラ走っていた。調子は普通か、少し早いくらいである。京言葉の奴は前めにいて、前回とは違う様子だ。あいつってのは差しも先行もできるらしい。

 向正面に入ると、私はちょっとずつ速度を上げて、そのまま外から中団くらいまで行った。きつい坂があるなら早仕掛けは躊躇うが、ここにはそんなものがないから躊躇わないで行くんだ。

 第三コーナーに入ると、もう先行集団のところに来た。横に京言葉の奴がいる。こいつは笑って私を見ていたから、どうもここから私に勝つつもりでいるようだ。だが私だって腐ってもダービーウマ娘だ。そう易々と負けちゃあ情けがないんで、負けないつもりで笑い返してやった。

 

 第四コーナーは狭い。内にいると他の奴らが壁になって前に行きにくい。しかし京言葉の奴はするりとバ群を抜け出してもう先頭にいる。よくよく目が良いんだろう、走るべきところをよく見てるんだ。

 私はちょっと前の奴が邪魔だった。こっちをマークしてるんだか知らないが、行き先を塞いできて面倒臭い。しかしコーナーでこれ以上は前に出る気もないので、大人しく風避けにさせてもらった。

 最終直線に来ると、いよいよ勝負に出る。中京の直線は短い。中山よりは長いらしいが、やっぱり短いことには変わりない。私にはちょっと不利だ。

 前の奴をひょいと抜かして、京言葉の奴を追いかける。ゴールまでもう100mというところで真後ろに来た。このままでいけば抜かせるだろう。

 50mで並んだ。抜かせると思った。しかし束の間、京言葉の奴が異様な重圧を放って、不自然に加速したから魂消てしまった。

 

 何が何だかわからないまま二着になった。これじゃあ私は勝ち負けを気にするどころじゃない。息も絶え絶えになっている京言葉の奴に慌てて駆け寄って、私はさっきのありゃなんだ。何をしたんだと詰問した。そしたら京言葉の奴は呆然として「ウチもようわかりまへん。なんや、気付いたらゴールしてもうて……」とのたまうのだから、私はそんなわけがあるもんかと地団駄踏みたくなった。

 

 控室に戻ってすぐ、神妙にしているシリウスの奴らと一緒に、ありゃなんだと干物に問いただした。そしたら干物はちょっと考えたあとに「領域、じゃないかな」と心当たりがあるような顔をした。

 

「領域たあなんだ。聞いたこともないぞ」

 

「何て言えばいいかな……超集中、つまりものすごく集中した状態になって、スペック以上の力が出せるようになる……一種の覚醒状態って感じ。時代を創るウマ娘は、誰しもがこの能力に目覚めてたらしい。オグリもそうだったんだ」

 

「え! じゃあ、一着のあの子も!?」

 

「いや。多分あれは領域じゃなくて、擬き、かな。単にものすごく集中した状態だったんだと思う。オグリが領域にはいった時は、もっとこう、グォーって言うか……ズドンって感じで、迫力があったから」

 

「急に説明下手かよ。まあ言いてェことはわかるが……」

 

 干物の説明にウイニングチケットが大袈裟に驚いて、エアシャカールが指先でこめかみを叩いた。

 ところで、フクキタルが大声を上げたから全員がそっちを向いた。

 

「……あーっ!? 私、それなったことありましたよ!」

 

「えぇ!? ふ、フクキタルさんがですかぁ!?」

 

「忘れもしません、あれは私がクラシックを走っていた頃……」

 

 こいつが言うには、なんでも最終直線にはいったら周りが暗くなって、目の前に光り輝く道が見えたんだそうだ。当時はシラオキ様の導きだと思っていたが、今にして思えばあれは領域だったんだろうと、フクキタルは回顧して言った。

 それが本当だとして、しかしこいつが時代を創るような奴には見えぬ。もっとも、こいつが時代を創るウマ娘ってなら、今頃は国教がシラオキ教になってるに相違ないから、それはそれはありがたいことである。

 

「きっとこれは、努力だとか、そういう話じゃないんでしょう。ただ負けたくない、勝ちたいと願った時。ただゴールに向かって全身全霊で走っているその瞬間、自分の中で目醒めるものなんだと思います」

 

「勝ちたいと、願った時……フクキタルさんも、思ったの?」

 

「ええ、まあ……友人と言いますか、ライバルと言いますか。とにかくその子がケガをしてしまって、クラシックの半ばで引退してしまって……だから、菊花賞だけは勝ちたいと思ったんです。あの子のために」

 

 ライスシャワーの質問に、懐かしむような口調でフクキタルは答えた。干物もしたり顔で頷いているから、この話ってのはどうも本当らしい。

 この話を信じるってなら、京言葉の奴はとにかく私に勝ちたくって、それで領域とやらに指先をかけたんだろう。私なんぞによくやるものだ。

 私は納得したようなしてないような、とにかく曖昧な溜め息を吐いて、わたしにも領域とやらができるのかちょっと思案した。

 領域ってのができれば、私はもっと走れるかもしれない。スペや、テイエムオペラオーにだって負けない、強いウマ娘になれるかもしれないんだ。当面は領域の習得を目標にしてみるのも、道順としちゃあいいかもしれない。

 

「しかし……領域、か。それがありゃァ、7cmも……」

 

 エアシャカールも考え込んで、ブツブツと言っていた。いつもはロジカルだなんだと言っているこいつもこいつで、今後のために領域を習得したいようだ。

 

 領域の話もほどほどにしてライブのために舞台袖に行くと、京言葉の奴がいたんで声をかけたが、なんだかバツが悪そうにしている。浮かない顔をしてどうしたんだと聞いたら、なんだかズルしたみたいで云々とそのようなことを言うから、そっちの方がよっぽどズルだぜと言ってやった。

 

「勝者ってなら堂々としたらよろしい。なんだって勝った奴が浮かない顔してたんじゃ、負けたほうは悔しくってたまらない。むかっ腹が立つもんだ」

 

「せやろか……」

 

「せやせや」

 

「んふふっ。もう、茶化さんといてくださいよ」

 

「それに、ダービーウマ娘に勝った奴がそんな顔してちゃ、私の格が落ちるんだ。笑ってくれなきゃこっちが困るってもんだ」

 

「……お人が悪いわぁ。でも、ありがとうございます。なんか吹っ切れましたし、今回は盛大に笑わせてもらいます」

 

「うん、それがいい。笑ってたほうがよっぽど可愛いぜ」

 

「……ほんま、いけずな人やわぁ」

 

 そうこう話してるうちに時間になったんで、ステージの上に行った。二着ってのが悔しいもんだが、負けは負けで認めなきゃあ惨めだ。それに負けたって大阪杯には出られるんだから、ここでくよくよするのはナンセンスだ。

 大阪杯は負けない。きっと領域ってやつに足を踏み入れて、セイウンスカイにも、こいつにも勝ってやるんだ。

 サイリウムの海を見ながら、私はそう決意した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 けれど現実ってのは、思ってたより残酷らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『──は着外、まさかの着外! どうしたダービーウマ娘、GⅠ復活にはまだ早かったか!?』

 

 来る大阪杯、私は10着に沈んだ。

 負けた原因は、なんてことはない。

 ちょっときつめのマークをされて、前に出られないまま沈んだ。シニア級のGⅠで行われる駆け引きに付いていけなくって、自分の走りってのがちっともできなかったのだ。

 前を走るセイウンスカイの背中も、京言葉の奴の背中も、見えなかった。

 

 怪我でシニアの初年を棒に振ってるんだぜ。同じ力が出せるとは思えないね。

 

 自分の荒く苦しげな呼吸の音と、歓声がぐるぐると逆巻いているターフの中にあって、いつかに言われたシリウスシンボリの言葉が、サイレンのように頭の中で鳴り響いていた。




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弐弐

新ウマ娘が続々と発表されて嬉しい限りですねえ!
ところで私の推しテンポイントさんはいつ実装されるので?


 大阪杯での大敗。

 私ってのは脳が悪いから、セイウンスカイの術中に嵌められたのだと思っていたが、どうもこれは様子が違うらしい。

 

「にゃはは〜、まっさかあんな簡単に勝てちゃうなんてね〜」

 

 レースが終わったあと、地下バ道で拍子抜けした顔をしてるセイウンスカイは、表情に困ってる私を見て呆れたものだと苦い顔をしていた。

 

「ふざけないでよ。せっかくリベンジできると思ったのに、台無しじゃん。いろいろ考えてたのにさ、なにあの腑抜けた走りは? ……勘弁してよ」

 

 怒気を滲ませながら去っていく彼女に対して、残念ながら私は返す言葉を持っていなかった。不甲斐ないもので、黙って叱責を受け入れる以外をできずに、ぽっかりと穴が空いた気持ちで、そこに突っ立っていたのであった。

 立ち直って控室に戻っても、なんだか不思議な気持ちで、負けた事実をどうも私自身が認識してないようだった。干物の何を聞いたって、うんとかそうかとした言うことはなかった。

 シリウスの奴らにだって、似たようなものだ。違ったのは声をかける代わりに、ずっとこちらを睨めていたエアシャカールくらいなものだ。

 

「大丈夫ですか」

 

 フクキタルに声をかけられて、それでやっと自分の身体になった気がした。負けた事実を受け入れて、悔しい気持ちってやつが込み上げてきた。

 

「大丈夫なもんか。こんな負け方して大丈夫な奴は、犬にだっていないもんだ」

 

「それは、そうですが……」

 

「私にも領域ってやつがあれば、負けなかったんだ。士道不覚悟じゃないか」

 

 こう言ってぐぬぬと歯噛みしてると、干物が困ったような呆れたような顔で釘を刺してきたので、私は不機嫌に鼻を鳴らしてやった。

 

「……そんな簡単に出るものじゃないんだよ、領域っていうのは」

 

「京言葉のあいつは金鯱賞で出してたじゃないか。なら私だって出せるんだろう」

 

「だとしても、それだけが勝負を決める要素じゃない」

 

 干物は私の言葉に首を振ると、言い聞かせるみたいに続けた。

 

「今回の惨敗は、私が悪かった。君のブランクを考慮してなかった。私が、ミスしたんだ。一年も離れていたんだから、身体だけじゃなくレース勘だって鈍ってる……それを考慮してなかった」

 

 私はむっとして押し黙った。私の負けを盗られたのは癪ではあったが、干物の反省を奪うってのもまた違うから、言葉を飲み込んでしまったのであった。

 

「そうだよ、ここからだよ! ダメなところがわかったんだから、直して次に繋げればきっと勝てる!」

 

「ライスたちも手伝うから、一緒に頑張ろう?」

 

 ふたりにも言われてしまったから、私はちょっと拗ねたみたいに唇を尖らせてそっぽを向いてしまった。

 

「次は勝つ」

 

「うん、勝とう」

 

 干物が頷いて、それで部屋の雰囲気が明るく戻る。それでここでの話は終わったと思ったのだが、メイショウドトウとエアシャカールはだんまりを決めこんだままだったから、この話はずいぶんと後ろまで尾を引いた。

 

 そしてこの日の夜、大阪杯を勝ったセイウンスカイと、高松宮記念を勝ったキングヘイローが、海外挑戦を表明した。

 それぞれメルボルンカップ、ムーラン・ド・ロンシャン賞である。これで黄金世代と呼ばれるやつはみんな海外に行ってしまったんだから、寂しいったらありゃしない。帰ってきたら全員まとめてコテンパンにしてやろうと思ってる。

 

 私の次走は、天皇賞・春である。3200mの長距離は骨が折れそうだが、負けてやるつもりは毛頭ない。ましてやメイショウドトウとテイエムオペラオーが出るのだ。本気でやらなきゃ悔いが残るってもんだ。

 私が練習をするにあたり、メイショウドトウとエアシャカール以外の3人が、付き合ってくれた。メイショウドトウは出走者だし、エアシャカールもダービーに向けて追い込みをしているから、どうしたって一緒にはできないのである。

 

 肝心の練習ってのは、駆け引きの感覚を取り戻すものだ。3人が前を走って私をマークする。私はそのマークを抜けて前に出るか、出し抜いて外に持ち出すかして先にゴールしなきゃならない。勝率は今の所半々くらいで、まずまずの仕上がりと言ったところだ。

 テイエムオペラオーが出るってなら、9割は欲しいもんだ。干物は本調子じゃないのによくできてると言うが、半々でよくできてるならなんだってできてらあ。

 それに領域もまだとっかかりすら掴めてないんだ。こんなんじゃあ勝てる試合も勝てないままになる。そんな悔しいことにはしたくない。なんとしても領域をものにしなきゃならないんだ。

 

 時間がない中で四苦八苦していると、私のところへテイエムオペラオーが来た。こいつはいつもみたいに笑いながら現れて、こう言って来たのである。

 

「君と戦うのを楽しみしていたよ……さあ! アーサーとモルドレッドのように! 激しく! ぶつかり合おうじゃないか!」

 

 相も変わらず仰々しくって敵わないが言いたいことはわかるんで、私もふんぞり返ってこれに答えてやった。

 

「もちろんそのつもりだ。冠を返す準備をしておくんだな、王様」

 

「……! ハーッハッハッハ! それでこそボクのライバルだよ!」

 

 テイエムオペラオーが哄笑して右の拳を差し出した。私もなるべく不敵に笑って、右の拳をぶつけてやった。

 天皇賞・春は負けられないレースになりそうである。

 

 

 シリウスシンボリってやつは存外暇なやつらしい。私が食堂で飯を食べようとかぼちゃコロッケと一緒に席に着いたら、シリウスシンボリが真正面にどかりと腰掛けて来て、にやついて私に話しかけた。

 

「春の天皇賞に出るんだってな。大阪杯であんな負け方したってのに、図太いもんだ」

 

「そりゃあ出るだろう。ちょっと負けたくらいで、それで止めるんじゃあウマ娘でなしだ」

 

「そりゃそうだ! だが、ちょっとはわかったんじゃねえか。己の限界ってやつが」

 

 シリウスシンボリはこう言ったが、私は特段、限界なんてものを感じたことはなかった。考えないようにしていたのかもしれないが、とにかく私はまだまだ勝てるつもりだった。

 

「領域を見たいんだろう?」

 

 言われて私の耳が反応すると、シリウスシンボリがおかしそうに笑った。

 

「その様子じゃ、ずいぶんご執心のようだな?」

 

「お前には関係のないことだ」

 

「私が領域を使えるとしてもか?」

 

 私は押し黙った。薄々はそうだと思っていたが、ここで言われるとは思ってなかったから、対応する言葉を用意していなかった。

 私が口を開かないでいると、シリウスシンボリは「ところがぎっちょんってな」とわざとらしくニヤついた顔をして話を続けた。

 

「領域について教えてほしいってなら、お前にだけ教えてやる。私はお前を買ってるからな、優しく、手取り足取り、教えてやるよ。もちろん、相応の対価は払ってもらうがな?」

 

「お前に買われたつもりはない。お前に何か言われたって、私は私で領域を掴むんだ」

 

「ハッ、威勢がいいねぇ。そうでなくっちゃあ落とし甲斐がない……天皇賞、楽しみにしてるぜ?」

 

 シリウスシンボリはそう言って、席を離れていった。

 これで落ち着いてやっと飯を食えると思ったら、少ししてシリウスシンボリがまた真正面に座ってきた。手持ったトレーにはメンチカツが山ほど乗っていやがる。

 

「おい、まさかここで食うつもりじゃないだろうな」

 

「そう邪険に扱ってくれるなよ。お前と飯を食いたいと思ったから来たんだぜ?」

 

「勝手にするが良い」

 

「ああ、勝手にさせてもらう」

 

 そう言うと、シリウスシンボリは本当にここで飯を食い始めたから、私は呆れてモノも言えなくなった。良くも悪くも変なやつに目をつけられたもんだ。

 そういえば私ってのは、こっちに来てからずっと変なのに目をつけられている。スペの周りにはまだまともそうな奴ばっかりで、私のところには色物ばっかりいるんだから、世の不公平を感じ入る次第である。




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弐参

いい加減に話を進めないと一生終わりそうにないので、ガンガン行こうぜの気持ちで物語を加速させたいと思います。

更新速度は……んにゃぴ……よくわかんなかったです。


 天皇賞春ってのは3200mもあるから、これを走り切るってのは大変なものだ。道中が長いから考えることが多いうえに兎にも角にも体力がないと始まらない。私は多少体力に自信がある方だが、それでもこんな長距離じゃあ持つか心配にならあ。

 そういうことを言うと、決まってみんなは大丈夫できると返してくるんだから無責任で堪らない。だがそれでやる気を出すんだから私ってのは単純だ。

 

 レースの前日になってメイショウドトウと併せをすることになった。私としちゃあ願ったり叶ったりだが、メイショウドトウは居心地悪そうにして落ち着かないんで妙だ。

 何をそうソワソワする必要があるかと聞くと、こいつと来たら言い淀むだけで何にも言わない。ははあこいつは重症だと首を捻ってみせると、エアシャカールが横合いからついと口を出してきたんで少し魂消た。

 

「春天、今のままで勝てると思ッてンのか?」

 

 よくわからないことを言うウマ娘だ。勝てないつもりで挑むやつなんかどこにいると言うのだろう。もしロジカルに考えた結果ってならこいつのロジカルってのも当てにならんもんだ。

 

「レースならなんだって勝つ気で走るもんだ。負けるつもりで走ってちゃあウマ娘じゃない」

 

 こう返した私に、メイショウドトウは何か言おうとして口をまごつかせて、結局何も言わずにまたすっかり黙った。やっぱりなんだか妙だ。

 

「そういうことじゃねェ」

 

 一方で、エアシャカールが声をひそめて視線を尖らせるんだから、何をそういきり立つことがあるんだかわからない。

 

「そりゃ怪我で休んだ分は差があるだろうが、それだって頑張って走れば覆せらあ。領域はまだだが、それだってきっとすぐできるんだから、そう心配したもんじゃないぜ」

 

「……ちげェ。そうじゃねェんだよ」

 

「違うたなんだ。それ以外に何がある。あるってならはっきり言えばよろしい」

 

「差だとか、領域だとか、それ以前の問題だ。……お前はどこを見てんだ、どこを目指してんだよ」

 

 痛々しい表情でエアシャカールは言うが、私にはてんでわからない。どこを見るも何も勝つために走るのだから、勝ちを目指すのは当たり前である。ゴールを見てなきゃどこを見るのだ、篦棒め。

 

 そう、こうしてるうちに干物が来た。干物は私たちの間の微かな不和を感じ取ったのか、無理やり笑顔を作って「さっ、走るよ」と両手を叩いた。

 それでエアシャカールとの話は終わった。メイショウドトウは結局何にも喋らなかったんで、何が言いたいんだかわからず仕舞いであった。こちとら鬼でも悪魔でもなし、気心知れた仲ってなら、言いたいことがあるなら素直に言えばよろしい。

 

 併せったってやるのは3200mを通しでパッと走るだけだ。レース目前で本気に走るなんてのは不調の原因になるもんだ、練習で加減なしに走って本番で不調になってちゃあ世話ない。

 メイショウドトウとスタートラインに並んで構え、干物が吹いた笛の音に併せて走り出す。メイショウドトウは有力ウマ娘をマークして走る先行だが、私は追い込みだから今回の併せじゃ有利なほうにある。ただずっと後ろにいちゃメイショウドトウの練習にならんから、途中で先頭に行けと言うのが干物の指示である。

 序盤はメイショウドトウの背中を見ながら適当に走り、残り1000mになったあたりでちょっとずつ前に上がっていった。五バ身くらい差があったが、500mくらいでちゃんと追い越して先頭に立ってやった。

 無論メイショウドトウが前に出てくる。練習と言うには鬼気迫る様子なもんで私も熱が篭って残り200mを追い比べで走り抜けた。結果はメイショウドトウがクビ差で勝ちだった。

 

 所詮は併せなもんで本気ではなかったのだけれど、やっぱり領域なんてのは出てこなかったから、どうもレースじゃなきゃこいつは出てこないらしい。さすがに領域なんて大そうな名前持ちは生意気だ。

 ずいぶんと速くなったじゃないかと息を整えながら声をかけると、メイショウドトウは静かに頷いて「追い付きたかった……ですから……」と返した。ちょっと前まで泣き虫だったのに、まったく立派になったものである。

 併せが終わったら、適当にクールダウンをしてもう帰る。もうすぐに天皇賞春だから、それまでゆっくり休んで力を貯めるんだ。

 

 フクキタルに構われつつも休んだら、1日掛けて移動する。干物の車と新幹線で京都へ行って、ホテルで1日休んだらやっとレース当日だ。関西のレースは遠いから移動が長いったらありゃしない。これじゃあレースするより移動するほうが疲れるかもしらん。レース場に着いたらいつも通りに控え室にはいって、準備を整えたら待つだけだ。

 控室では干物が、京都レース場のコースについておさらいを始めたからちゃんと聞いた。京都レース場は基本的には平坦でコースの幅も広いのだが、第三コーナーには名物のばかにでかい坂がある。ここをどう超えるかがレースの肝で、特に今回は一周目でいかにスタミナを温存しながらここを超えられるかが重要になると言う。

 

「焦らずに、確実に。それがこのコースの鉄則だよ」

 

 私とメイショウドトウはしかりと頷いた。なんだって急いては事を仕損じる。レースだって同じなものだ。

 おさらいが終わったらチームメンバーから激励をもらう。ライスシャワーは相変わらず控えめに頑張ってくださいと両手を握り、ウイニングチケットは大声でファイトだよと拳を振り上げる。フクキタルは私たちの手を握って無事に走り切ってくださいねと言った。ただエアシャカールはメイショウドトウの肩を叩くだけだったが、私にゃ厳しい顔なんだから今日はやけに薄情だ。しかし先日の練習の様子から、何か思うところでもあるんだろうと察したんで、私ははぁそうかと曖昧に返事をするだけにした。

 

 地下バ道を抜けてターフに出ると、歓声が全身を揺らした。歴史ある天皇賞春なら、こう観客が大勢集まるのは当然であろう。

 ゲートの近くまで行くと、テイエムオペラオーが笑顔で迎えてきた。やぁ我がランスロット、そしてモルドレッド! とまた妙な呼び方をしてくる。この前に私がモルドレッドと呼ばれたから、ランスロットってのはメイショウドトウのことなんだろう。

 冠を奪いに来たぞと言うと、こいつはハッハッハと高笑いをして「湖の妖精よりエクスカリバーを賜ったこのボクに勝てるかな?」なんて返すから、まさか偽物を掴まされてないだろうなと答えてやった。

 いつも通りの私たちとは対照的にメイショウドトウは真剣も真剣で、貴女に勝ちますと言うのでテイエムオペラオーも真剣になって、その挑戦受けて立とうと踏ん反り返っていた。

 話していたらラッパが鳴った。ファンファーレである。早速ゲートにはいって中腰に構えた。今回の私は外枠の十一番で、テイエムオペラオーが五番。メイショウドトウが内枠の三番にある。不思議なくらい上手いことバラけているからなかなか面白い。

 

 全員がゲート入りすると、少し間を置いてからガシャンとゲートが開いたんで、いつも通りみんなから半歩遅れて飛び出した。

 外枠なんで内に向かいながら、さて展開はどうかと観察していたが、まず三人は先行争いで前に出ているのが見えた。それからメイショウドトウが早めの四番手で、テイエムオペラオーは中団である。私は相変わらず後ろのほうだが、コーナーの直前には前の奴を風除けに使って進んでいる。

 第三コーナーにはいると例の坂があって、前方がグッと詰まってきたが、下りに入るとまた元に戻った。まだみんな抑えているようだが、この時点でかなり縦長に見えて、私は先頭の奴らは息切れしそうだなと踏んでいた。

 スタンド前で歓声を受けながら二周目にはいると、ここからが本番になる。第一、第二コーナーを抜けて向う正面になると、前の集団もまた詰まった。今度はもう戻りそうにないから、下り坂で外めにつけなければならないだろう。私は息を入れながら内をついて坂に備えた。

 坂にはいると一気に盤面が動いた。メイショウドトウが早めに行って三番から二番手に、オペラオーも併せて四番手から二番手に上がった。私も下りに入った時点で外を突き、バ群の陰から先頭を窺う態勢にある。

 最終直線に入るとバ群がバラけて前が開けた。隙間からテイエムオペラオーとメイショウドトウの背中が見える。内からメイショウドトウ、テイエムオペラオーと並んで、どちらもスパートをかけて先頭争いを始めていた。ここで行かずにどこで行こう。私は脚に力を込めると体勢を低くして一気に突っ込んだ。

 後ろに控えていた分だけ私のほうが体力で有利のはずだが、どいつもこいつも根性があってなかなか抜かせない。こんな長距離のレースに出る奴らだから、根性が筋金入りなんだろう。目の前に隙間があるのにまったく抜かせない。

 ええいこなくそと末脚を使ってなんとかバ群を抜け出し、やっとふたりの真後ろまで迫った。あとはこいつらを抜かしたら私の勝ちだが、一バ身の差がどうしても縮まらないどころか、差が離れていくまである。このまんまじゃあふたりにはいつまで経っても追いつけないだろう。

 私は必死に領域のことを考えた。あれさえあればきっと追いつけるもんだと思った。しかし一向に出ない。領域ってのはこういう時に発揮されるはずだが、私のところには出ないばかりか、息が苦しくなって脚が鈍ってばかりだ。

 

 ふたりの背中が、遠くなっていく。なのに何故領域が出ない。どうして追いつけない。

 これじゃあ、スペに、みんなに──

 

 

 

 

 ──置いて行かれる。

 

 

 

 

 結局、私は三着で終わった。意地でもぎ取ったハナ差の三着だった。一着はテイエムオペラオーで、二着がハナ差でメイショウドトウである。ふたりとの差は二バ身だった。

 歓声に手を振って応えているテイエムオペラオーに、今回は勝てなかったが次はこういかないぜと言ってやった。無論これは盛大な強がりである。

 テイエムオペラオーは気持ちの良い笑顔を浮かべて、次の主役もボクさと返してきた。こいつが言うと本当にそうなりそうだから困る。

 

 控室に戻ると、みんなが三着ですごい。二着ですごいと両手を上げて喜んだ。大阪杯での大敗を考えれば、三着なんて大きな進歩なんだろう。だが私にとっては、ただ負けた事実を示すだけの数字でしかなくって、まるで価値がない三着だ。

 メイショウドトウだってテイエムオペラオーに勝てなかったんだから、二着たってそう喜べるものでもないだろう。実際、メイショウドトウは悔しそうであった。

 

「タイム、目標より遅ェ」

 

 こう言ったエアシャカールに、私は困ったような顔をするとどうも調子が悪かったなと誤魔化した。そしたらエアシャカールは悲しそうな顔をして「そうかよ」とだけ言って出て行ってしまった。この前からずっとこんな調子なんだから変な奴だ。

 

 ライブのほうは苦戦もなく終えた。今更踊りで躓くなんてヘマはしない。メイショウドトウもライブになればいつものドジも鳴りを潜めて、すっかり踊ってみせた。

 ライブが終わればあとはもうホテルに帰るだけなのだが、今まで様子が変だったエアシャカールが、ここに来て話を切り出してきたから話が変わってきた。

 

「お前、なんで負けたかわかってんのか」

 

 二着三着でも次は勝てると、みんながあれこれ励ます中にあって、エアシャカールだけは私に厳しい視線を向けていた。

 

「なんでって……それは、私が領域に」

 

「違うッ! お前が、競い合う相手を見てねェからだ!」

 

 私の答えのエアシャカールは語気を荒げてこう返した。私は驚いて口をつぐんだ。他のみんなも口をつぐんでいた。

 

「お前の前を走ってたのは誰だ? お前が抜かせなかった相手は誰だ? アァ!?」

 

「テイエム、オペラオーと……メイショウドトウ……」

 

「そうだ、オペラオーとドトウだ! だがお前は、レースの最中にどこを見てた? 誰を見てた!? 大阪杯の時、お前は領域に目覚めてればと言いやがった。この前の併せじゃドトウになんて言った!? ずいぶんと速くなっただァ? 違うだろ!」

 

 ここまで一気に捲し立てたエアシャカールは、私の胸ぐらを掴み上げると額を突き合わせて、ほとんど絞り出したような声で告げた。

 

「お前が、遅くなったんだよ」

 

 私は息を呑んだ。どうしてそんなことを言うのだとも思った。お前にこうまで謗られる謂れはないと、反論してやりたい気持ちでいっぱいだった。

 

「オペラオーはどうだか知らねェが、ドトウだって領域とやらには目覚めてねェんだよ。見てりゃわかるだろ!? それで負けを領域のせいにするんじゃねェ! 言い訳する前にちゃんと相手を見ろ、なんのために走ってるか見失うなよ!」

 

 しかし何故だか、私は声を出せなかった。反論に足るだけの言葉を、私は持っていなかったのだ。

 

「頼むから……」

 

 私は。

 私は、エアシャカールの涙に何も言えないままで。

 

「オレが、憧れたお前を……これ以上穢さないでくれ……ッ!」

 

 私は、耐えきれず控室を飛び出した。

 フクキタルの声が聞こえたが、今の私には、それを気にする余裕すらなかった。ただ無性に、誰の目からも逃げ出したかった。

 

 

 

 レース場の外れでまたシリウスシンボリに絡まれた。どうも観戦に来てたらしい。確かに天皇賞を楽しみにしてると言ってたが、まさかこんなところまで追いかけてくるなんて、よっぽど暇なんだろう。

 私を見つけた途端にサッと壁に手をついて「良いとこに来たな。ちょっと付き合え」と行く手を阻みながら言うんで、虫の居所が悪かった私は剣呑に嫌って言ったらどうすると返してやった。そしたら「お前に拒否権があるとでも?」と顎を持ち上げられたんで、私は溜め息混じりに両手を上げて降参した。こうなると逃げるのがほとほと面倒で、素直に従ったほうが早いのだ。

 

 ホテルを出て、どこかへ向かってる道すがらに何の用かと聞いたら、シリウスシンボリはニヤニヤして「いや何、かわいい後輩を励ましてやろうと思ってな」と嘯いた。心にもないことを言いやがる。ちっとも励ますなんてふうじゃないんだからやな奴だ。

 だいたいこいつのせいで私は最近ずっと、シリウスシンボリのお気に入りだなんだと言われてヒソヒソされてるんだ。迷惑料くらい払ってもらいたい。だがそんなことを言うと、迷惑料と称してまた面倒ごとを持ってこられそうで言えないんだから、こいつの相手はこと難儀である。

 

 シリウスシンボリの後に尾いて行くと、ホテルの近くにある小さな定食屋に着いた。古くからあるらしい小汚い見た目の店で、引き戸のガラスから還暦を過ぎたくらいの爺さん婆さんが飯を作ってるのが見えた。

 レース場の近所にある以上は綺麗にしてそうなものだが、店主夫妻が歳だからなのか、金がないからなのか、滅法きたない。椅子は色が変わっておまけに脂で少しベタベタしている。壁は脂で黄ばんでばかりだ。天井は台所の湯気で燻ぼっているのみか、黴っぽくて、ひどく色褪せているくらいだ。

 

「シンボリ家のお嬢様が、こんな庶民めいた場所に入るのか」

 

「おうとも。美味いもんに高級も貧相もないからな」

 

 ちょっとだけ魂消た。こいつも案外と好き物である。

 定食屋に入ると思いの他に威勢の良い声が爺さん婆さんから聞こえてきた。老いてもなお元気なのは良いことだ。シリウスシンボリも気軽な様子で挨拶しているから、本当に顔馴染みのようだ。

 

「走って腹が減っただろう。今日は奢ってやるから、好きなだけ食うといい」

 

 シリウスシンボリがニヤリと微笑んで、私の髪をぐしゃぐしゃに掻き混ぜた。鬱陶しいから振り解いてもよかったが、好意はありがたいんで私はこれを甘んじて受け入れて礼を言うに留めた。

 

「はぁ、どうも……」

 

「オススメはトンカツだな。ここのトンカツは美味いぜ」

 

 そう言われるとぜひ食いたくなる。私はじゃあそれにしようと答えて、勧められたトンカツを頼んだ。

 シリウスシンボリも飯を頼んだ。こいつはカレイの煮付けであった。見た目に反してなかなか渋い注文だから、私は変に片眉を上げてしまった。

 

「腹に溜まらねえ堅っ苦しいコース料理なんぞより、腹一杯食えるこっちの方がよっぽどいい。それに、外食まで実家みてえなお高くとまった場所なんじゃあ、気も休まらねえんだ」

 

 こう言ったシリウスシンボリは最後に、こういうところのほうがお前みたいな後輩も連れて来やすいからなと付け足して、小さく鼻を鳴らした。

 なるほど確かに、あれこれでドロップアウトした奴らにゃ、ナイフだフォークだと格式ばっかりな店よりよっぽどいいだろう。下々のことをちゃんと考えてるあたり、こいつはこいつでしっかり王様であるらしい。

 

 話をしていたら山盛りのキャベツと一緒にトンカツが出てきた。白米とほうれん草の味噌汁もある。言っちゃ悪いが、トレセン学園のほうが見てくれが良くって美味そうに見える。皿も椀も長く使い古された様子で、店と同じく綺麗さってのはてんでない。しかしこのお嬢様が美味いと仰るのだからさぞかし美味いのだろう。

 とりあえず味噌汁を一口啜ってみたが、なんてことはない。普通の味噌汁だ。白米も普通で、感想もない。それで肝心のトンカツはと言えば、下拵えがいいのかちゃんと美味い。柔らかくって味がしっかりしてるし、衣がサクサクで食いごたえがある。

 

「美味いか」

 

 問いに対して頷くと、シリウスシンボリはそいつはよかったと笑って私の頭に手を置いた。

 

「春は桜、夏に星。秋には月で、冬にゃ雪。それで十分飯は美味い。それでも飯が不味けりゃ、どっかが病んでる証拠だ。特に負けが込んでる時や落ち込んでる時ってのは、どうもそういう気が強くなって諦め癖が付いちまう」

 

 カレイの煮付けが出てくると、シリウスシンボリはオウ悪いなとそれを受け取って、行儀良く身から骨を抜き取り始めた。

 

「諦め癖が付いたらもう終いだ。テメェで決めた目標や夢に負けたくない、絶対に叶えたい。こんなところで諦めたくないって気持ちが、萎えて消えちまう。そして、その飢えを失っちまったら最後にゃ引退。レースとおさらばってワケだ」

 

 私は思わず手を止めた。シリウスシンボリは手を止めずに話を続けた。

 

「ハハハ! 心配になったか? 安心しろよ、お前はまだまだ十分すぎるくらい健全だぜ。負けて悔しい! 飯が美味い! ウマ娘として最高じゃねえか! お前は終わってねえ。ただちょっとだけ"自分だけの目標"ってのを見失って、頑張り方ってのを忘れてるだけさ」

 

 骨を全部取り終えたシリウスシンボリは、箸を止めると私の目を見てそう言った。

 

「まだまだ勝てるぜ、お前は」

 

 私は無言でまた箸を動かした。しかしどの料理も最初よりやけにしょっぱく感じられたから、堪えきれなくなって行儀悪くがっついてトンカツを食べた。

 シリウスシンボリは「オイオイ、そんなにがっついたら喉に詰まらせるぞ」と呆れたような安心したような顔で笑っていた。

 

 

 

 シリウスシンボリに連れられてホテルに帰ると、心配そうにしてたシリウスの面々が駆け寄ってきたので、私はまずみんなに心配かけて済まなかったと謝った。そしてエアシャカールとメイショウドトウに頭を下げて、今まで不甲斐ない姿ばかり見せて申し訳なかったと謝罪した。

 怪我をして走れなくなってから、余計なことばかり考えて、気付けば大事なことを見失っていた。約束を守るためにと嘯きながら、私は自分の、本当の望みを諦めて、忘れていた。

 

 スペシャルウィークに勝ちたい。

 セイウンスカイに勝ちたい。

 キングヘイローに勝ちたい。

 グラスワンダーに勝ちたい。

 エルコンドルパサーに勝ちたい。

 メイショウドトウに勝ちたい。

 ハルウララに勝ちたい。

 アドマイヤベガに勝ちたい。

 そして、テイエムオペラオーに勝ちたい。

 

 私が勝ちたいのは、レースなんて曖昧なものじゃない。

 お前たちに、ライバルに勝ちたかったのだ。

 だからもう、見て見ぬ振りをするなんてことはしない。私は勝つために走るんだ。

 これを伝えると、メイショウドトウはにへらと笑って「出会った時の、近寄りがたいトゲトゲした感じが戻ってますぅ」と嬉しそうに言う。褒めてるんだか貶してるんだかわからん言い草だが、喜んでるようならまあ許すことにする。

 エアシャカールはフンと鼻を鳴らして「言葉だけじゃあまだ信用できねェな」と言って、くるりと背を向けてスタスタ行ってしまった。やはり裏切った信頼はそう簡単に回復できないようだ。

 そう思って肩を落としたのだが、直後にエアシャカールが振り向かないで「次はそこに、オレも入れとけ。三冠ウマ娘のエアシャカールに勝ちてェってな」と言うから、はたと顔を上げてもちろんだと答えた。エアシャカールはそれで満足したようであった。

 隣でシリウスシンボリが「素直じゃねえんだなアイツも」とおかしそうにしていたので、お前が言えた義理じゃなかろうと言ってやったが、すぐに全員からお前が一番言うなと総ツッコミを貰ってしまった。

 せっかく良い感じで終われそうだったのだが、なんとも締まらない雰囲気になってしまった。しかしこれでやっと自分の身体になったような、本来の調子が戻ったような気がするのだから不思議である。




 吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
 本編に大幅な加筆修正に加え、新規エピソードが追加されていたり、各主要キャラの設定を見直したりと、いろいろな部分に手を加えています。
 以下のサイトにてDL可能ですので、まずは体験版からどうぞ。

【DLsite】
 https://www.dlsite.com/home/work/=/product_id/RJ369814.html

【メロンブックス】
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弐肆

気付いたらパーマー実装されたしエアシャカールが実装されたしモンハンサンブレイク発売されたしスプラ3前夜祭もあったしタイシンの新衣装が来たしでてんてこまいですわ。




 兎にも角にも並いる強敵に勝ちたいなんて当たり前の目標を思い出したんだから、もうあれこれ迷ったりしてたらテイエムオペラオーやメイショウドトウ、それに海外にいったあいつらに申し訳が立たない。しゃんと背筋を伸ばして立ちゃあなんだって具合が良くなるんだから、私も今からしゃんとやっていくのが筋ってもんだろう。

 私ってのは思い込んだら一直線な脳の悪い奴だから、なんでもいい加減をできんので誰かに言われなきゃなかなか止まらないんだ。前までは白毛の友人なりスペなりがそれとなく止めてくれたもんだが、居なくなってやっぱりあいつらにゃずいぶん世話になってたんだなあと実感する次第である。どうにも幼馴染ってのには敵わないもんだ。

 

 心機一転して頑張ることにしたが、なんでかシリウスシンボリが練習を見てやるよと言ってきた。こいつは私を勝手に妹分扱いしてくる変な奴だが、海外で走ってたからには脳みそがいっぱい詰まってる奴だ。こいつから指導を受けられるのは願ったり叶ったりだろう。

 フクキタルはあんまりいい顔をしなかった。不良だからって理由だ。私に悪影響が出たら困るってんで、そろそろお姉ちゃんというよりお袋である。

 最初はシリウスシンボリに「妹分取られたからって、そう嫉妬すんなよ。お姉ちゃん?」と揶揄われてフンギャロしてばかりだったが、途中で話し合いをして結局は和解したらしく、今は一緒に練習を見るってことで落ち着いている。

 私はこいつらの話し合いについてなんも知らんのだが、たまにアグネスデジタルが一緒にいるのはなんなのだろう。ちょっと気になるが、突っ込んだら藪蛇になりそうなんでやめておく。

 

 シリウスシンボリは見た目に違わずスパルタで練習が厳しい。そのうえ、さすがに海外帰りなだけはあってよくよく最新技術ってのを知ってて、今まではちょっと趣向が違う練習ばっかりだからまったく気疲れする。

 時折参加してくるシリウスの面々は死屍累々だ。

 メイショウドトウは持ち前の根性で気力を保ってるが、疲れからか不幸にも食堂でラーメンの丼に顔から突っ込んでるのを見たことがある。ライスシャワーとウイニングチケットに至っては声もなくぶっ倒れてルームメイトに回収される始末だ。ダービーに向けて追い込み期間中でいつも以上に殺気立ったエアシャカールですら、参加すると途中からぜえぜえ言うんだから厳しさもわかるだろう。

 特に私なんかはまったく鈍ってたから、それはもうヘトヘトになった。練習が終わったらぶっ倒れるのは日常茶飯事で、途中で気絶してしまったことだってある。そうなるとシリウスシンボリがすぐ「こんなんでへばってちゃあナメられて終わりだぜ」と私の顔に水をぶっ掛けて起こしてくるんだから堪ったものではない。

 扱いの悪さに抗議したらしたらで「今まで散々甘ったれてたんだ、そろそろ鞭を入れなきゃ終わったウマ娘で終わるぞ」と凄まれるからぐうの音も出ない。

 疲れてぶっ倒れたところを背負ってくれたり、うとうとする私に飯を食わせてくれたりして、いつも労ってくれるフクキタルだけが日々の癒しだ。

 

 ところで一回、フクキタルと休んでる最中にシリウスシンボリが揶揄い混じりに「どっちのお姉ちゃんが好きかな?」と茶化してきたことがある。

 フクキタルとおんなじ調子でやってきたんだろうが、私はあいつほど甘くはないんで、日頃の恨みも込めて「お前は胸もデカけりゃ態度もデカいな」と目の前の乳袋をぺんぺんしてやった。

 そしたらこいつ、珍しく顔を真っ赤にして「女がそんな品のねぇことすんじゃねえ」と怒ってきたから魂消た。そういえばこいつは良家のお嬢様だった。育ちが良いこって、なんだかんだ貞操はお硬いほうらしい。

 そしたらフクキタルが「この子はちょっとデリカシーがないんですよ」と苦笑いで言うんで、デカシリーではあるぞと返してやった。最近は練習のおかげで筋肉が付いたか90を超えていままでの下着がキツいくらいである。こりゃあまさしくデカシリーだろう。

 しかしシリウスシンボリは「お前、それはアイツと同レベルだぞ……」と呆れ顔をしてクスリともしなかった。

 しかし駄洒落皇帝と同じ扱いはあんまりだ。遺憾の"い"と不満の"ふ"を表明する次第である。

 

 練習漬けの毎日を過ごしていると、いよいよダービーの時期が来た。エアシャカールのダービーである。

 ダービー優勝はエアシャカールの悲願だ。控室じゃあ今日という今日は人殺しみたいに殺気をばら撒いて、絶対に7cmを超えてやると落ち着かない様子で息巻いていた。

 私にゃ7cmってのがなんなのかてんでわからないが、とにかくあいつの中ではよっぽど特別なんだろう。

 シリウスの面々が激励してる中、私はエアシャカールにフクキタルからもらった大吉の絵マを投げ渡してやった。

 受け取るなりなンだこりゃと目を丸くしたんで、預けておくからいの一番にゴールまで持ってこいと言った。エアシャカールは少し呆然とした後「上等だぜ。ゴールで指咥えて待ってな」と言ってきたんで、さすがに指は咥えないぞと返してやった。そういう意味じゃねェよバカと呆れたエアシャカールの顔は、先程までと違ってずいぶん落ち着いた様子であった。

 干物はエアシャカールに作戦を伝えていた。作戦と言ってもなんてことはない、自分の感覚を信じろと言っただけだった。

 

 選手入場じゃあ席が揺れるほど歓声が上がった。エアシャカールが出た時などもう耳を塞いでないと鼓膜が破れるんじゃないかと思ったほどだ

 そんな中にあってもエアシャカールはいつも通りで、無関心に軽い準備運動をするだけである。しかしゲート入りになると、大吉の絵マを腰に括り付けてニッと笑っていた。傍目に見てもずいぶんやる気に満ちてて、これはいよいよやるかもしれんと思った。

 ダービーは運が良いウマ娘が勝つと言うが、運だけで勝てりゃ世話はない。常日頃からロジカルと言ってるあいつには是非とも勝ってほしいところである。

 

 全員がゲートに収まると、数秒経ってガコンと扉が開いた。みんなが揃って飛び出して位置を争う中、エアシャカールは追い込みなんで後方に待機している。最終直線で勝負をかけるつもりなんだろう。

 東京レース場が起伏の多いコースだってのは、ウマ娘なら誰だって知ってる。カーブが広いから紛れが起きにくく、地力が試されるってのも常識だろう。タフという言葉は東京レース場のためにあるもんだ。これほどわかりやすいコースもない。

 スタートからエアシャカールは後ろに控え、第一コーナーも後ろのまま向正面にはいった。内寄りに陣取っているから、最終コーナーあたりで一気に内を抜けていくつもりなんだろう。

 そう思って見ていたら、なんとエアシャカールの奴が第三コーナーの中間から上がり始めたから目を疑った。あんなところから仕掛けちゃあ普通は体力が保たない。観客どもだって「暴走だ」だの「掛かりだ」だのと溜め息を吐いている。

 しかしエアシャカールは観客のことなんか気にせずにむしろどんどん加速して、第四コーナーの終わりにはもう内側に陣取って中団から先頭争いに参加しようとしている。

「どうしてあんなところから?」とウイニングチケットが言うと、干物はしたり顔で「そのためにスタミナを鍛えた」と返した。

 あいつは身体も細っこいし寝るのは遅い不健康の権化みたいな奴だが、あれで脳みそはいっぱい詰まっているし根性だってある。スタミナ配分を間違えたりすることはないし、勝負所でヘタレたりもしない。

 だからあの位置で仕掛けると最初から決めて、こっそりそれ専用のメニューを組んでいたらしい。干物のくせにやるものだと思った。

 

 直線にはいるとますますエアシャカールが加速した。長い坂道も会場のどよめきもなんのその。完璧な位置取りで加速を続けて、どんどん先頭を目指して昇っていく。

 

「行け」

 

 柵を握った私がこう呟いた瞬間、エアシャカールの身体がグッと沈み込み、芝を踏み締める音がここまで聞こえてきそうなほどの踏み込みから一気に速度を上げた。

 外からもうひとり追い縋っているウマ娘もいたが、勢い甚だしいエアシャカールの前にはついぞ出られなかった。

 果たして最初にゴール板を踏み越えたのはエアシャカールだった。あいつは悲願のダービーを、7cmの差を超えたのだ。

 

「証明終了だ、バァーカ」

 

 控室に戻ってきたエアシャカールに全員で祝いの言葉をかけると、彼女は開口一番満面の笑みでこう言った。まるで憑き物が落ちたような、晴れやかな笑顔だった。




次回、夏合宿水着回の予定。


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弐伍

シリウスシンボリ実装はやくして役目でしょ


 

 シリウスシンボリに宝塚記念はどうせ勝てないのだから回避しろとのお言葉をいただいた。よくも上から目線な物言いをする。腹は立ったが、しかし今の自分ではテイエムオペラオーにもメイショウドトウにも勝てぬのは事実だからしかたがない。

 しかし悔しいものは悔しいので、一応、念のために勝てる見込みを聞いてみた。アイツの分析ではよくて3割と言う。干物もだいたいそんな見積だとのたまう。

 なんでも距離の短さが原因らしい。これは私の足は立ち上がりが遅いから、せめて2400mはないと厳しいとの判断である。とにかく納得しかねるが、二人にそう言われては下がる他にない。大人しく宝塚記念は断念する。

 

 学校の休み時間に宝塚には出ないぞとテイエムオペラオーに伝えたところ「カムランの丘にはまだ遠いと言うことだね! わかるとも!」と言う。メイショウドトウにこいつが何を言ってるか聞いたが、円卓の騎士だとかアーサー王だとかでなんだかよくわからなかった。しかし口振りからして関ヶ原めいた何かに違いないのはわかった。西洋にも関ヶ原みたいな合戦があって、こいつはそれを例えに持ってきてるんだと思えばわかりやすいものだ。

 私はそういうことだと頷いて、なんでも早まっちゃあ面白くもないだろうと答えてやった。テイエムオペラオーはそれはそうだねと高笑いしていた。宝塚にはメイショウドトウが出るんで「次こそは負けません」と意気込んでいたが「たとえドトウでもそう簡単にボクを倒せはしないさ!」と煽りよるから、こいつも好きものである。どっちが勝つか見ものだ。

 しかし結局、宝塚はテイエムオペラオーがまたハナ差で勝った。なんとまあ強いことだろう、メイショウドトウもやっぱりすごいと驚嘆していた。あれに勝つってのは生半可じゃあできそうにない。これは夏の合宿でしっかり鍛えなきゃならんだろう。

 

 夏合宿に行く前に水着を買おうという話になった。なんで買うのかと言われたらウイニングチケットの発案で、最終日にみんなで遊びたいからだそうだ。去年も遊んだじゃないかと思ったが、ライスシャワーがどうせなら自前の水着で遊びたいとのたまうものだから、そういう話になった。

 海で遊ぶぐらいなら学校指定の水着でも良かろうと思ったのだが、それだと味気ないというのがライスシャワーの意見である。味気たって、海なんかしょっぱいだけだろう。おかしなことを言うものだ。しかしみんなは思いの外に乗り気でいるから、私も水着を買うことになったんだ。

 

 みんなでトレセン学園近くのデパートに来たはいいが、残念なことに私ってのはこういうのとは無縁で、水着の良し悪しがよくわからないでいる。

 別に故郷でも海や川遊びくらいしたんじゃないかと思うだろうが、北海道ってのは恐ろしいところで、辺鄙な田舎じゃあ山ばっかりで海は遠いし、海は海で場所によっちゃあ水が冷たくって遊ぶにはちょっと適さないんだ。それに加えて、野生の動物もいるせいで川遊びができないのである。何かの拍子に寄生虫をもらったらそれはもう大事だ。まあ、ウマ娘なんかに寄生虫が住み着くのかは疑問ではあるのだけれど。

 

「ははあ、なるほど。そういうことならいいのがあるぜ」

 

 こういう事情があると説明すると、シリウスシンボリは自信ありげに胸を張った。少し不安だがコイツなら悪いものは選ばんだろうと思って、私はよろしく頼むと言ってシリウスシンボリに水着選びを任せたのだが、それが間違いだと気づいたのはすぐだった。

 

「なんだ、このフリフリがついたのは」

 

「お似合いだろ?」

 

 コイツときたら、フリルが付いたピンクの水玉模様の、いかにも女児向けの水着を持ってきて私に突き付けたのだ。いい歳してこんなものを着れるもんか、からかうにしてもちょっと舐めている。舐められっぱなしは性に合わんので、いつか仕返ししてやろうと思った。

 

「じゃあじゃあ、これなんてどうかな!」

 

 悪戯が成功した子供みたいな顔をしているシリウスシンボリをむっと睨んでいると、横からウイニングチケットが水着と一緒に口出ししてきた。これとはなんぞやと受け取ってみれば赤色をしたハイネックの水着で、なるほど活発な彼女らしい選択である。

 

「あ、あのっ、こっちもどうかな?」

 

 控えめな態度のライスシャワーが勧めてきたのは群青色をしたワンピース型の水着だった。フリルが付いているがシリウスシンボリが持ってきたのよりは落ち着いた感じで、色のせいか大人っぽい。中々にませている。

 

「……あ?」

 

 この流れならエアシャカールも来るかと思ったが、そんなことはなかった。あっちはあっちで自分の水着を選んでいたようで、紐がついたビキニを持っていた。ただ下がずいぶんと短いと言うか、小さい気がするのはどうしてだろう。

 

「そうか、尻がでかいから……」

 

「急に喧嘩売ってんのかぶっ飛ばすぞ!? っつか、それ言ったらテメェのほうがよっぽどデケエだろうが!」

 

「それほどでもある」

 

「褒めてねェ!」

 

「まあまあ! それより、こちらなんてどうですかね?」

 

 私とエアシャカールのやりとりを見てゲラゲラと笑うシリウスシンボリを他所に、後ろからぬっと現れたフクキタルが、笑顔で水着を差し出してきた。白地に青いラインの入った紐で結ぶタイプの水着だ。

 ファッションとかには疎い私にはよくわからん。フクキタルが選んだのなら間違いはないのだろう。

 

「……じゃあ、これにしよう」

 

「かしこまっ!」

 

 二つ返事で頷くと、むふーっ! と露骨に勝ち誇った顔をする。相変わらず調子に乗りやすい奴である。

 

「揶揄っといて言うのもアレだが、選ばせなくていいのか?」

 

「いや〜……」

 

 フクキタルは苦笑いで返した。シリウスシンボリは首をかしげるばかりであったが、側から見ていた干物に何やら耳打ちされたあと、かわいそうなものを見る目で私を見てきた。

 

「……ま、さすがはあのスペシャルウィークの幼馴染ってとこか」

 

「何かわからないが馬鹿にされた気がする」

 

 あとでシリウスシンボリに何を吹き込んだのかと干物を問い詰めたら「だって君、私服がさ……ぶっちゃけ、ダサいから……」と顔を逸らされた。私は単にファッションを気にしないだけなのであって、決してセンスがダサいわけではない。まったく余計なお世話である。

 

 水着を買いに行ってから何日か経つと、もう夏合宿が始まった。早朝から集まって、合宿場に干物の運転で向かうんだ。

 ところが今回はちょっと勝手が違った。

 まず最初に驚いたのは学園の前に小型のバスが止まっていたことだ。

 干物めついに大型の免許を取ったかと思ったが、どうも違うようで、中からシリウスシンボリが「よお、揃ったか」と声をかけてきたから、なるほどコイツはシンボリ家の手のものかと納得した。

 

「行くぞ」

 

「はぁ。しかしどこに行くんだ」

 

「決まってんだろ、合宿だよ」

 

 干物に視線を向けるとニコニコして「じゃあ、行こうか」と自分だけ先に乗り込んでしまった。私を含めたシリウスの面々は顔を見合わせたきりで、とりあえず干物に続いてバスに乗り込むことにした。

 ふたつめに驚いたのは今回の合宿場が前とはちょっと違うところだ。前はURAが管理してる土地だったと思うのだが、今回はシンボリ家のプライベートビーチである。最初からバスを手配していたあたり、シリウスシンボリは最初からここに連れてくるつもりだったらしい。

 屋敷は大きい。別荘だからこじんまりしてるなんてことはなく、洋風のバカにでかい二階建ての屋敷だった。中にはいると高級ホテルのエントランスみたいな広間があって、正面には二階に上がるための広い階段がある。左右にある通路にはふかふかのカーペットが敷かれていて、いかにも上流階級と言った様子である。

 聞けば普段は上流向けのホテルとして開いているようで、今回は私たちのためにシリウスシンボリの権限でひと月丸々貸切にしてしまったらしい。

 

「飯は18時だ。それまで適当に……そうだな。海で遊ぶのでも、いいかもな?」

 

 それだけ言うとシリウスシンボリは引っ込んでしまった。

 急に場違いなところへ放り込まれてしまった私たちは、恐々しながらさっさと荷物を当てがわれた部屋に運び込んで荷解きを済ませた。荷解きはすぐに終わった。荷物たって持ってきたのは着替えと水着くらいだから、そう多いものでもないのですぐに終わった。

 荷解きが終わったらちょっと部屋を探検してみた。屋敷がでかけりゃ部屋もでかい。ホテルみたいになんでも揃ってるんだ。ベッドも雲みたいに柔らかくって、油断したらすぐにでも寝てしまいそうになる。備え付けの冷蔵庫にはお高いパッケージのジュースが何本かはいっていて、小市民の私にはちょっと手を出すのが憚れる。こんなのは一生経っても体験できないに違いない。ところでシャワー室がガラス張りなのはどうしてだろう。

 

「海に行こおおおおお!!!」

 

 ベッドの上でゴロゴロしていると、オレンジのタンクスーツの水着を着てビニールボールと浮き輪とシュノーケルを身に付けたウイニングチケットが、勢いよくドアを開けながら叫んできた。おかげで心底魂消て、私はベッドから落っこちてしまった。これは鍵をかけておくべきだったやもしれぬ。

 しかし海に行くのは良い案だ。私は彼女の提案を了承して、水着に着替えると一緒に近くの砂浜に出た。海はなかなか綺麗である。砂浜の海ってのは、たいてい泥っぽく濁ってるのもだと思ったが、この辺りは案外とそうでもないようだ。整備が行き届いているのだろう。

 

「ん〜! いい日差しですねぇ」

 

「わ、綺麗な海……!」

 

「あ、あれ? 日焼け止めは、どこにぃ……」

 

「チッ、なんでオレまで……」

 

「いやあ、シリウスに頼んだ甲斐があったなあ」

 

 しばらくすると水着に着替えたチームの面々が砂浜に姿を現した。

 フクキタルはトリコロールカラーのパレオビキニで、ライスシャワーは黒と青色のフレアビキニ、メイショウドトウは青と白のタンキニ、エアシャカールは真っ黒なビキニだ。干物はパーカーを着て水着を隠しているので、あとで剥ぎ取ってやろうと思う。

 シリウスシンボリはまだ来ていないようだったが、おそらくは家のやつと何事かを話しているのだろう。晩飯のことだったら良い。こういう場所だ、海産物なら新鮮で美味いに決まってる。山育ちな私には海鮮系の料理ってのは縁遠いから、是非とも美味い魚や貝を食いたいものである。

 遊ぶのにシリウスシンボリを待てるほど、堪え性があるウイニングチケットではない。アイツときたら全員で準備運動を済ませると、いの一番に飛び出してさっさと海に飛び込み「うっひゃー! つめたーい!」と声を上げている。ライスシャワーとメイショウドトウも、わ〜と気の抜けた声で追従してご丁寧に波で足を取られてすっ転んで派手な水飛沫を上げている。なかなか見ない光景だ。エアシャカールはパラソルの下でビニールのベッドに寝転がって我関せずで、フクキタルと干物はいそいそとバーベキューの準備をしていてご苦労なことだ。

 私は水が嫌いなんで、まずはフクキタルと干物の手伝いをしている。そこそこの所帯だからグリルの大きさも家族用と比べてひと回りデカい。リギルのタイキシャトルがよく無断でバーベキューをやってエアグルーヴに首根っこを捕まれてるのを見かけるが、このグリルはそれとおんなじくらいだ。

 こんなものは前にはなかった。どうしたのだと聞けばシンボリ家から借りたと干物が言った。グリルの中に炭を並べながらじゃあ食材もかと聞けば、やっぱりシンボリ家が用意してくると干物が答えた。これは期待が持てそうだ。

 

「ハハッ、早速はしゃいでるな」

 

 グリルの設営が終わってあとは火を起こすだけになった頃、シリウスシンボリがやおら来た。緑に金糸で刺繍がされたビキニを着ていた。違う種類のパンツを重ねて穿いているからか色気がある。よっぽど自分の身体に自信がなきゃ着れない水着だ。

 

「飯は持ってないのか」

 

「あとで屋敷のやつらが持ってくる。っつか、海より食い気かよ? さすが、お前らしいというか……」

 

「海は泳ぐより食ったほうが良かろう」

 

「アハハ……この子、カナヅチなんですよ」

 

「へぇ?」

 

 フクキタルの言葉で、シリウスシンボリが勝ち誇った顔でこっちを見る。べらぼうめ、泳げるからって何をそう誇るものか。泳げなくたって生きていけるんだから、そう勝った気でなるのはおかしいのだ。

 私がこういうと、シリウスシンボリは呆れたように鼻で笑った。

 

「負け惜しみだな」

 

「何を言う。勝負もしてないんだから勝ち負けなもんか。私は"泳がない"から負けてもないし、お前も"泳いでない"から勝ってないんだぞ」

 

「……アッハハハ! そりゃそうだ! こいつは一本取られたな。じゃあ、勝負と行こうじゃねえか」

 

 一瞬呆気に取られたあとに高笑いしてこう言うと、私の身体をひょいと持ち上げて肩に担いだ。

 

「うわっ! 何をする!?」

 

「言っただろ、勝負って。ルールは簡単、25メートルを先に泳ぎ切った方の勝ちだ。罰ゲームは勝った方が負けた方の言うことなんでも聞く。いいだろ?」

 

「良いわけがあるか! 降ろせ!」

 

「なぁに手加減はしてやるって。5秒遅れてスタートだ、ハンデにはちょうどいいだろ? ま、この調子じゃあハンデがあっても勝っちまいそうだが」

 

「むっ、そこまで言うならやってやろうじゃないか。あとで吠え面かいても知らないぞ」

 

「言ってろ言ってろ」

 

「アイツ煽り耐性低すぎんだろ」

 

「あれはまあ、じゃれ合いみたいなものだから……」

 

「いやはや、いつも通りですねぇ」

 

 もちろん勝負は負けた。カナヅチが泳げるわけがないので当たり前である。おかげで罰ゲームとして、合宿中はメイド服を着てシリウスシンボリに奉仕する羽目になった。自分の無鉄砲にはほとほと嫌気が差すが、生粋の無鉄砲なのだから仕方がない。己の性格を呪うばかりである。

 

 一通り遊んだら腹が減ったので切り上げた。そしたらシリウスシンボリに全員仲良くホースで水をぶっかけられて、すっかり綺麗にされてしまった。熱い砂浜で冷たい水を浴びるのは気持ちがいい。私たちだけで楽しむのは損だ、泳いでいない干物とエアシャカールも巻き添えにしてやった。身体を綺麗にしたら肉を焼く。肉は大きなブロック肉で圧巻だ。包丁を入れたらスルスルと切れるから質もすこぶるいい。塩胡椒を振って焼くとすぐに香ばしい匂いが漂ってきた。

 

「ふーっ、ふーっ……はふっ、あちち……!」

 

「わっ……く、口の中でとけちゃった……!」

 

「おいひいれふ〜!」

 

「こ、これもしかして……黒毛……」

 

「おっと、詮索はナンセンスだぜ」

 

「むむっ好機!」

 

「テメッ、それオレが育ててた肉じゃねェか!」

 

「肉ばかりでなく野菜も食うんだぞ」

 

 干物とふたりで焼肉奉行しながら、みんなと一緒に肉を食う。騒ぐ通り美味いものだ、よっぽど美味いので白米が欲しくなる。米を用意していなかったのが残念だ、白米があれば肉に巻いて一緒に食えたのに。

 

「ほらドトウ、野菜も食べようね」

 

「え、は、はぃ……!」

 

「ピーマンが嫌いだからってドトウの皿に乗せんじゃねェよ! 情けねえ大人だな!?」

 

「あぅ! うあ! か、からいいい! 玉ねぎまだ焼けてなかったよおおおお!!!」

 

「ああほら、こっち側の野菜と交換しましょうね。焼き加減がいい感じですよ〜。んむ、シイタケもいい塩梅で焼けてますねぇ」

 

「共食いだ……」

 

「んぶふっ」

 

 私の呟きを聞いたシリウスシンボリが、飲み物を吹き溢していたのは見なかったことにした。あとで追求されても面倒だ。

 

 こうやって楽しく飯を食ったらまた海で遊ぶ。砂浜でビーチバレーをしたり、砂の城を作ったり様々だ。私は浅瀬で水鉄砲を使ってウイニングチケットと水を掛け合っていた。水は嫌いだが浅瀬くらいならなんてことはない。

 あとは干物を砂浜に埋めた。エアシャカールと一緒に寝転がっているところを取っ捕まえて、パーカーを脱がせてから砂風呂の要領で埋め立ててやった。パーカーの中は水色のハイネックの水着であった。痩せ細っててまったく水着姿が映えぬ。同じ女としてこの貧相さはかわいそうなので、せめての心意気で上に盛り立てた砂山をセクシーな身体つきに整形してやった。これで見栄えも良くなっただろう。

 

「おーい、助けてシャカール〜」

 

「アァ? んだよ、またイタズラされて……」

 

「Sexyなんだが?」

 

「ダッハハハハハ!」

 

 魅惑的な砂の身体を手に入れた干物の姿を見て、エアシャカールはゲラゲラと腹を抱えて笑い転げた。いつも斜に構えたこいつがこうもばか笑いするのは珍しい、よっぽど上手くいった証拠である。これは共有しなければ損なので、他の奴らも呼んで見せてやった。そしたらもれなく全員が失笑したから気持ちがいい。沖野にも写真を送ってやったら、あとで「あんなに笑ってるおハナさんは久々に見た」とメールが返ってきたから大成功だ。しばらくは干物と会うだけで思い出し笑いするに違いない。

 それからライスシャワーとメイショウドトウにはビーチバレーをさせた。シリウスシンボリに2対2の勝負を仕掛けて、さっきの罰ゲームを撤回させるためだ。

 

「ハッ、勝てると思ってるのか?」

 

「やってみなければわからん」

 

 1ゲーム7ポイント先取の2ゲーム制で、身長差を考え私の側にメイショウドトウを、シリウスシンボリ側にライスシャワーを付けることになった。審判は公平を保つためウイニングチケットが務める。いつもはあんなだが、スポーツとなるとルールにはいっとう厳しいのだ。

 

「そら、行くぞ!」

 

「ふっ……取った!」

 

「は、はいぃ! パスです〜!」

 

「トゥ!」

 

「うひゃぁ!?」

 

「ナイスだライス、パスするから打ってみろ!」

 

「へぇ!? あわっ、と、とりゃあ!」

 

「よし、ここだ!」

 

「そ、それ〜!」

 

「ヘァー!」

 

 最初は助っ人ふたりのどっちかがドジをして点を落とすものと思ったが、驚いたことによく粘ってなかなか落とさない。メイショウドトウはどんなボールでも食らい付いて受けるし、ライスシャワーはどんどんスパイクを打ってくる。私よりよっぽどふたりのほうが真剣なくらいだ。

 

「すごいね、シャカール」

 

「ああ。あいつら、レースと同じくらい集中してやがる……スパイクを差すことに極限まで集中したライスシャワーと、根性でどんな球にも絶対に食らいつくメイショウドトウ……下手したら千日手だぜ、こいつは」

 

「ライスさんもドトウさんもステイヤーですし、この状態じゃあいつ終わるかもわかりませんねぇ……」

 

「いや、みんなのお山が」

 

「あっ、ふーん……」

 

「オイどこ見てんだコラ頭まで砂に埋めるぞ」

 

 こんな調子でずっと勝負が続き、1勝1敗で3ゲームになった頃にはみんなすっかりヘトヘトであった。もう夕陽が水平線に沈もうとしている、3時間近くもビーチバレーをしていたらしい。ここに至ってなお元気なのはウイニングチケットばかりである。

 

「おーい、日も暮れたし帰るよー!」

 

「えー!? まだ勝負ついてないのにー!?」

 

「こ、これ以上は……無理ですぅ……」

 

「ライスも、さすがに限界……かも……」

 

「……引き分け、だから……実質私たちの、勝ちだな!」

 

「ばか、言うな……ノーカンに決まってんだろ……」

 

「なんだとぉ……」

 

 砂と汗でドロドロになった身体を引きずりながら、3人を追って屋敷の前まで歩いて行く。屋敷の前では干物たちが待っていた。

 

「先にはいってたかと思った」

 

「とんでもない、待ってたんだ」

 

 にこりと微笑んだ干物は、後ろに隠し持っていたホースを構えると、私とシリウスシンボリに思い切り水をぶっかけた。エアシャカールも併せて昼間の意趣返しらしい。しかし火照った身体に冷たい水、これはありがたい。ライスシャワーとメイショウドトウも一緒に放水を受けて汗と砂を洗い流し、フクキタルからタオルを受け取ったらずいぶんさっぱりした。

 

「ふぅ……んじゃ、風呂はいってから飯にするか」

 

 水分をしっかり拭き取ったら、今度は屋敷の風呂に浸かる。この屋敷の裏側にちょっとした離れがあるのだが、そこには温泉が湧いていると言うのだ。

 風呂は寮のものとはわけが違う大浴場だ。室内の風呂はいくつか種類があるのは普通なのだが、そこかしこが綺麗に磨かれており、金でメッキされた金具たちが照明を受けて煌めいていた。海に面した露天風呂は広々として、少し濁っている湯船からは温泉らしい独特の匂いが漂っていた。

 

「うおああああああ!! ひろーい!!! 大きいいいいいいい!!!!」

 

「わぁ! お城のお風呂みたい!」

 

「へぇ、なかなか充実してるな」

 

「さ、サウナもあります……!」

 

「お、打たせ湯がある。肩こり解消しちゃおうかな〜」

 

 さすが上流向けってのは嘘じゃない。さっそく身体を流してから湯船に浸かると、思わずほうと長い息が出た。遊び疲れた身体には極楽で堪らない。風呂ってのはどうしてこんなにも気持ちが良いのだろう。

 

「ひ゛ゃ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

 

「な゛ん゛か゛こ゛の゛お゛ふ゛ろ゛し゛ひ゛れ゛る゛よ゛お゛お゛お゛お゛」

 

「電気風呂だね。そこ電極に近いみたいだから、ふたりとももう少し離れたほうがいいよ」

 

「オイ、ドトウ。サウナ行くなら水分補給忘れんな」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

「おっ、おぁ〜……効くなぁこれ……」

 

「思うんだが、このジャグジーってのはどういう効果があるんだ。ただ泡が出るだけでなんになる」

 

「泡で身体をマッサージして血流を良くするらしいですよ」

 

「なんでもいいさ、気持ちけりゃな」

 

 大浴場といえばいろんなお湯だが、それは各々で楽しんでいる。ライスシャワーとウイニングチケットは電気風呂で目を白黒させ、エアシャカールとメイショウドトウはサウナ。干物は打たせ湯でおっさんのような声をあげている。私たちはジャグジーでプカプカしていた。

 他にも色々あるので風呂にはいるだけでも楽しいが、ただ室内の風呂は源泉掛け流しではないのが惜しいところだ。まあ全部を源泉掛け流しにすると掃除が大変なのだろう。

 室内の湯を楽しんでから露天風呂に出た。石畳の床がぬるぬるして、木で造られた湯船からは温泉らしい独特の匂いが立ち込めて屋根に溜まっていた。水面に足を付けると、少し温かった。湯が流れ出ている岩の辺りまで行って浸かったら、やっとちょうど良いくらいだ。私は風呂なら熱いほうが好きなのだが、露天風呂ってのは温度管理が難しいから仕方がない。

 

「おお! これは見事なオーシャンビューですねぇ!」

 

 しばらく漣の音を聞きながらゆったりしていると、フクキタルがはいってきた。「お隣、失礼しますね」と言って、よっこいしょと私の隣に腰を落ち着ける。

 ふたりで湯に浸かったが私たちは会話もなく、お互いに無言で海原と夜空を見ていた。別段、今更どうこう言い合う仲でもない。あえて何か言うのは無粋に思えた。

 

「いつか」

 

 そんな雰囲気の中にあって、ふとフクキタルが口を開いた。

 

「また、ここに来ましょう。今度は夏合宿なんかじゃなくて、もっと気楽に……祝勝会とかをするために」

 

「うん、練習しなくてもいい時期にもう一回来よう。こんなにいい場所なのに、明日からずっと練習漬けになると思うと、私はなんだか気が滅入ってきたぞ」

 

 話してるうちに長湯しているせいか少し熱くなってきたので、揃って縁に腰掛けた。吹き抜けた夜風が火照った身体を撫で上げていった。

 

「今年……いえ来年ですか。来るとしたら」

 

「レースの賞金を使えば泊まれないこともないだろう。今のうちに計画を練っておくか」

 

「おっと! 取らぬ狸のなんとやらはダメですよ、そういうのって良くないんですから」

 

「運気が下がるから?」

 

「運気が下がるから!」

 

 こう言って、私たちが笑い合った。なんだか久しぶりにこいつから占いの話を聞いた気がする。ひとしきり笑って満足したら、私もフクキタルも小指を差し出して結んだ。

 

「じゃあ、約束です」

 

「約束だ、うん」

 

 指切りげんまんと手を振る。手と一緒に振った尻尾が不意に重なり合って、なんだか少しこそばゆくなった。




「おふたりがすごくいい雰囲気になってます〜!」
「ワァ……!」
「は、鼻血出しちゃった……!」
「えぇ……」

 吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
 本編に大幅な加筆修正に加え、新規エピソードが追加されていたり、各主要キャラの設定を見直したりと、いろいろな部分に手を加えています。
 以下のサイトにてDL可能ですので、まずは体験版からどうぞ。

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弐陸

リアルでいろいろ不幸だったり災難だったりがあって更新が遅れました、申し訳ありません。


 夏合宿なんてのは毎年変わり映えがないもんだが、今年ばかりはシリウスシンボリがいる。こいつのおかげでちょっと違うのが今回の夏合宿だ。

 特に魂消たのがばかにでかいタイヤである。シリウスシンボリは使用人のウマ娘と一緒にこれを持ってきて、砂浜においたのだ。

 学園にあるタイヤもかなり大きいものだったがこっちのは更にでかいのだ。工事をするわけでもなし、こりゃあ何に使うんだかわからない。

 首を傾げていると、シリウスシンボリは私にロープを結びつけてからこいつを引いて砂浜の端から端までを歩けと言う。そんなばかな話があるものか、私は無論できるわけないと首を振った。

 夏合宿ってのは、無論タイヤ引きばかりではない。室内で器具を使ったり、波打ち際を走ったりもする。なんでか砂浜でクイズ大会もしたが、とかくにいろいろやるのだ。それをこんなものを引いた後にやるんじゃあやりきれない。

 するとこの女ときたら「なんだできないのか。存外と意気地のないヤツだな」と鼻で笑うから、私もやってやろうじゃないかと無闇にいきり立ってしまった。安易に挑発に乗るのは私の悪い癖だが、どうにも治らないんだから生粋だ。

 

「ペース落ちてんぞ、がんばれがんばれ〜」

 

 タイヤを引きながら砂浜を歩くわけだが、このタイヤときたら見た目以上に重い。それなりにパワーのある私でも最初はビクともしなかったんだから、どれだけ重いのかわかるというもので、上に乗って囃し立ててくるシリウスシンボリなんか目じゃないくらいである。

 タイヤ引きの初日は砂浜の半分も行かないまま終わった。砂浜に倒れてゼェゼェしてると、明日になったらまた初めから運べと言われたから、私はもう言い返す気力もなくなった。フクキタルに介護されてなきゃ今頃は魚の餌になってたくらいである。

 

 しかし一週間も続けていると、身体の使い方がわかってくる。一歩踏み出すのに全力なのは変わらないが、体力の消費は減って次の一歩が楽になってきた。

 こうなると私も調子付いてグングン進む。これならひと月もあれば端まで行けるなとたかを括って、本当にひと月で運ぶ気でいた。

 そうしたら見透かされたか、シリウスシンボリが「調子がいいな。じゃあアンクルも追加だ」と私の手脚に重しを着けてきたからふざけるなと叫んだ。いくら温厚な私とてこの所業には腹が立った。考えてもみるがいい、調子良く物事が進んでいる時に横合いから面白おかしく言いながら邪魔してきたのだ、そりゃあ誰だって頭に来るだろう。

 ただここはシリウスシンボリのほうが一枚上手なもんで、地団駄を踏む私の首根っこを掴まえて「こんな程度で駄目なんじゃあスペシャルウィークにもテイエムオペラオーにも勝てないまんまだぜ。それでいいなら止めてやるが、そうじゃないんだろう?」と言ってくるから、私はもう黙るしかない。

 結局、夏合宿が終わるまで私は重しを手脚につけたままタイヤ引きをすることになった。最終日までには端まで運んだが、まったく疲れたどころの話ではなかった。

 

 夏合宿の最中は無論私だけでなく、他のシリウスのやつらも負荷のキツい練習をしている。

 シニアに上がったメイショウドトウは全身に重しを着けてロボットみたいな音を立てて砂浜を走ったりしていたし、菊花賞が控えているエアシャカールはスタミナを鍛えるためにボートを引っ張りながら遠泳を繰り返していた。

 未デビューの2人はさすがに重しをつけるだけで負荷の軽いものだったが、それでも度々音を上げていたからどれだけ辛いものだったかわかる。

 どいつもこいつもよっぽどキツい練習だったが、やりきれば相応に力がついてるもので、夏合宿が終わる頃にはみんな一回り大きくなったように思えた。

 最終日の風呂場じゃあちょっとした自慢大会だった。ウイニングチケットなんかは腕にグッと力を込めると立派なコブができるようになったと自慢していたし、ライスシャワーは腹筋が六つに割れかけていたのを恥ずかしがって上で隠していた。私がははあ立派なご飯パックじゃないかと言ったら、ますます恥ずかしがって湯船に沈んでいくから面白い。湯煎で戻そうというわけなんだろう、こいつもなかなか洒落がわかるやつだ。

 ケラケラと笑っていたらシリウスシンボリに「そういうお前も一回り太くなってるぞ」と指摘されたから、私は自分の尻を叩いてこれぐらい太くないとウマ娘じゃないんだぜと逆に自慢して、メイショウドトウに同意を求めた。

 

「な、なんで私なんですかぁ……」

 

「私よりケツがでかいからだ」

 

「ヒィン……!」

 

「やめろや、コイツこれでも気にしてンだからよ」

 

「そういえばお前もケツがでかいほうだったな。じゃあ仲間だな」

 

「はァ……?」

 

「フクキタルもシリウスシンボリもデカいからな、当然仲間だぞ」

 

「無差別放火するのやめません?」

 

「勝手に仲間にすんな。それ以前になんの仲間だよ」

 

「ケツがでかい仲間」

 

「今世紀最悪の仲間認定じゃねェか」

 

「やだ……私のチーム、もしかしてお尻デカすぎ……!?」

 

「ブッ飛ばすぞ!?」

 

「アタシたちは小さくて良かったね!!!」

 

「よ、喜んでいいのかな……これ……」

 

 そう、こうしているうちに夏合宿が終わって学園に戻ってきたら、肩慣らしに重賞にでも出ようと干物が言った。私もそりゃあいいと返したから、さっそく重賞に出ることになった。アルゼンチン共和国杯である。

 アルゼンチン共和国杯は東京レース場で行われる芝2500mのレースである。ダービーよりちょっと長いが、春天を走り切れたんだから100mなんてなんのことはない。スタミナ切れなんて滅多に起こさないだろう。

 問題は誰が出てくるかである。

 シリウスから出てくるのはいない。メイショウドトウは秋天で、エアシャカールは菊花賞があるから、その調整で忙しいんだ。

 じゃあ他チームはと聞けば、干物はいないよと言う。

 残念な話だが、今の時期に打倒テイエムオペラオーを目指してるウマ娘なんて、私かメイショウドトウくらいなものらしい。そういう部分からして違うから、私には敵なしだとコイツは言っているのだ。

 なんだか情けない話である。ウマ娘ってんなら、なんでも一番を目指して走るもんだろうに、ちょっと走ってすぐ勝てない気になってるんじゃなんでも勝てないもんだ。私なんて、大怪我したってのに懲りずに走ってるのに、それを差し置いて諦めてるのはウマ娘の風上にも置けない。

 これじゃあ力試しにはちょいと役者不足になるが、そう舐めたままでは足を掬われるのがレースである。なんであれ油断せずにアルゼンチン共和国杯を走るべきであろう。

 

 しばらくしてやっとアルゼンチン共和国杯の日になった。いつも通り控室で作戦を話し合ってからパドックのほうに出ると、相変わらず大勢の人が詰めかけているのが見えた。呼ばれてランウェイに出れば歓声が轟々鳴る。さすがに重賞だ。

 全員分の見せが終わったら本バ場入場だが、地下バ道で少し悶着が起こった。私が入場を待っていたらいかにも性格の悪そうな女数人が半笑いで話しかけてきたのだ。

 

「あっ、フロックちゃんだ」

 

「あれ、まだ引退してなかったんだ?」

 

「日本一(笑)になれてないからっしょ」

 

 どこかで見たような記憶はあったが、どこで見たかは思い出せない。しかし喧嘩は売られたら買わなきゃ道産子の名が廃るってものだ。

 

「そういうお前らは私に負けに来たんだろう」

 

「まぐれでダービー勝てただけのくせに、調子乗んないでくれる。これ以上恥かく前にさっさと引退して田舎に帰ったほうがいいんじゃない?」

 

 あからさまに不愉快な顔をしたのは、こいつらのリーダーらしい黒鹿毛のウマ娘である。こいつは言い返されるとは思ってなかったのか、これ以上も話したくないと他の奴らを連れて足早に行ってしまった。

 喧嘩をふっかけて来たんなら最後までちゃんとやって欲しいもんだ。言い返されるのが嫌ってなら最初から喧嘩なんてせずに、心の中ででも留めておけばよろしい。

 何かわからん奴らだった。しかしよくよく怖いもの知らずである。私はこう話しかけられて逆に感心したくらいだ。あんな度胸があるならなんだってできそうなもんだ。

 

 バ場に出たら順番にゲートへはいっていく。さっきの奴らは内枠で固まってて、私は外枠にいるから気が散らなくて結構である。

 全員がゲートにはいりきると、少し間を置いてから大きな音を立ててゲートが開く。私はみんなから半歩を遅らせて飛び出し、普段通りの最後方でレースを始めた。

 レースの序盤は何か起こるわけでもなく進み、先団が位置争いをしながらコーナーを回って向こう正面になったのが、この辺りで前を走っていた差しのひとりが私の進路を塞ぐみたいに広がってきたからおやと思った。というのもこのウマ娘というのが、地下バ道で私に話しかけてきた奴らのひとりで、あからさまに妨害目的なのだ。

 ははあ、よくやるものだ。しかしこんなことをして勝てるなら世話ない。私はゆっくり壁になってるウマ娘に距離を詰めながら、どう躱してやれば面白いかなと思案した。

 レースが動くのは大ケヤキを超えて、最終コーナー手前に来たところであった。先団の何人かがバ群から抜け出したんで、バ群全体がにわかにスピードを上げたのだ。これは私もそろそろ位置を上げるべきだろう。そう考えたが、気がつくと前を塞ぐ奴がふたりに増えているから厄介だ。無論、増えた奴も話しかけてきた奴のひとりである。

 マークするにしたってなんという卑劣なやり方だろう、ウマ娘の走り方ではない。いくら私を嫌っても良いが、レースでそういうことをするのは不粋も極まってる。恥知らずもいい加減をしなければ不愉快だ。こうなりゃ意地でも抜いてやる。

 私は一度速度を緩めて後ろに下がった。前の奴らが見下した顔をしているが、そんな顔をできるのは今のうちだけだ、見てるがいい。

 最終コーナーでグンと外へ持ち出して、直線にはいったら大外を一気に上がっていく。観客席の目と鼻の先ほど近い場所を走っては随分な遠回りになってしまうが、これだけ外を回れば誰にだって邪魔はできまい。

 得意になってるふたりを遠目に見て鼻を鳴らして、そのまま脚に力を込めて坂道を登り始める。よっぽど損な走り方だから先頭に追いつくのは大変だが、夏合宿でタイヤを引いたのを思えばこれくらいはなんとでもなるはずだ。

 塞いできたふたりもろともバ群を後ろから引っこ抜いて、坂を登り切ったらもうゴールが目の前にある。きっとあのふたりはアホ面を晒しているんだろう、後ろをしっかり見れないのが残念だ。

 先頭とは目測で8バ身と距離があるが、追いつけないほどの差ではない。

 姿勢を低くしてスパートをかければ、はたしてゴールまであと50mとないくらいで追いついた。先頭はリーダーぶってる黒鹿毛のウマ娘で、見たところいい気になっているから気に入らない。

 大きく息を吸い込んでから、ダンと力強く一歩を踏み込むと同時に一気に吐き出し、ゴールに向かって加速した。気が緩んでる黒鹿毛も音で気づいただろうがもう遅い。

 はたして私が1バ身差で勝ちである。黒鹿毛が最後まで気を抜かなければ勝負はわからなかったが、ゴールの直前で勝った気なんじゃあ勝てるわけがないもんだ。

 観客が騒いでいる。手を振ってやったら歓声が大きくなった。あんな大外一気を見たなら当然だ。これで騒いでもらわなきゃあ私が苦労した甲斐がないってもんだ。

 

「ちょっと、待ちなさいよアンタ……!」

 

 ほどほどにして地下バ道に引っ込んだら、追いかけてきた黒鹿毛が声をかけてきた。何か言いたそうな顔で睨んでいるが、あんな負け方する奴なんかちっとも怖くない。

 私は向こうが何か言う前に、このレースで先頭を走れるのに、小細工なんかしなけりゃ勝てたかもしれないな。と言ってやった。そしたら黒鹿毛のウマ娘は黙り込んでしまったから、私は鼻を鳴らしてその場を後にした。言われて後悔するんなら、最初からやらなけりゃあいい。まあ次からは気をつけることだ。

 あとでどうなったかは知らない。ただライブの時にはちゃんと踊ってたから、それなりに大丈夫だったんだろう。あとはちゃんと反省して真面目に走れるかどうかだが、言われて後悔するならそこも問題はないだろう。

 本当にダメな輩ってのは、あそこで開き直るもんだ。赤シャツみたいにな。




 吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
 本編に大幅な加筆修正に加え、新規エピソードが追加されていたり、各主要キャラの設定を見直したりと、いろいろな部分に手を加えています。
 以下のサイトにてDL可能ですので、まずは体験版からどうぞ。

【DLsite】
 https://www.dlsite.com/home/work/=/product_id/RJ369814.html

【メロンブックス】
 https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=1199029


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弐漆

お待たせして申し訳ありません。
夏コミの原稿で非常に忙しくしていたもので……。

C102は土曜日東地区"キ"ブロック14b、「追い込みの重い女ステークス」で参加いたしますので、参加する方はよろしくお願いしますね。
作品の詳細は作者Twitter(@turusin_akemi)のプロフ欄からどうぞ。

メロンブックスで実本の委託開始してます!
https://twitter.com/turusin_akemi/status/1693554621044924579?s=20

電子書籍版販売しています↓
https://www.dlsite.com/home-touch/work/=/product_id/RJ01084948.html/?utm_source=twitter&utm_medium=social-media&utm_campaign=workpost_sale&utm_content=RJ01084948&locale=ja_JP


 私が走ったあとにはしばらくして菊花賞が始まる。エアシャカールの三冠がかかってるってんで世間は大賑わいだが、当の本人はどこ吹く風で練習に励んでいるから肝が太い。

 一方で私はまだなんとも言えない気分だから妙である。間近じゃあレースで勝つには勝ったが、それでテイエムオペラオーとメイショウドトウに勝てるのかと言われたらわからぬ。十挑んで一勝てるかという気持ちなもんで、どうにも踏ん切りがつかぬ。しかしそんなでいては一生勝てなさそうで走らないのもありそうで難儀である。

 シリウスシンボリは目標を決めろと言う。目標に狙いを定めておけばなんだって良いと言うのだ。

 目標ってなら有マ記念がある。スペたちが帰国した後に全員で走る一世一代の大レースなんだから、ここに出なけりゃ死んでも死にきれない。

 それを伝えるとシリウスシンボリは「ならまずは投票してもらえるようにしなきゃな?」とレースの予定表を指す。結局のところうだうだ悩む前に走らねば始まらないのである。

 春天で3着で、アルゼンチン共和国杯は1着ならジャパンカップが最有力になる。投票じゃあそこそこいい場所にいるらしいから、そのまま行ってくれりゃあ万々歳だ。

 

 私がジャパンカップを走る前にまず菊花賞がある。エアシャカールが出るレースだ。

 世間様じゃあ三冠ウマ娘がそうなんべんも出ると有り難みというのが薄れるなんて意見もあるようだが、そういうのを天邪鬼と言うのだ。なんだって功績なら偉いほうが良いに決まってる。無論私もそのつもりである。

 さても当日だが控室じゃあ計算は完璧だってんで余裕にしていたエアシャカールは、宣言通り菊花賞を快勝してしまったからここまでくるともはや呆れる。よっぽど研究したんじゃあ勝って当然だがそれにしたって強いもんだ。まったくコイツの脳みそと努力には敵うやつはいないだろう。

 

「よく勝つもんだ。よっぽどじゃないか」

 

 ウィナーズサークルに来たエアシャカールに声をかけると、コイツは得意になって鼻で笑った。

 

「1%でも可能性があンなら勝てんだよ、当然の帰結だ。……他でもねェお前のおかげだぜ」

 

 そう言われても私は要領を得なかったんで、とりあえず頷いて「それなら私に感謝しておけ」と言っておいた。エアシャカールは変な顔をして「らしい言い草だなァ」と頭を掻くだけだった。

 

 あとで聞いたら、私のダービーを見ていろいろ考え直した結果らしい。

 私は当時だとどうもダービーじゃあ勝てる見込みがないってんで、エアシャカールはたかを括って見ていた。しかし蓋を開けてみれば私がスペとすっかり同着したんで心底魂消て、どういう理屈だと思ってシリウスに加入したそうだ。ちなみにどれくらい私に見込みがないかって言えば、勝てる確率は0%中の0%で、まったくないってくらいだったそうだ。呆れたもんだ、私を過小評価するようなパソコンなのだから随分ポンコツだ。

 

「そいつは過小評価じゃあないか。私はチビだがそうまでちっちゃくはないぞ」

 

「自分で言うなよ……」

 

 自慢のケツを叩いて胸を張って言ってやったら、エアシャカールは呆れたものを見る目で答えた。こいつの次走はジャパンカップで、私にも、メイショウドトウにも、テイエムオペラオーにも勝つつもりらしい。豪胆なことだ、戦い甲斐がある。

 

 菊花賞が終わったら次は秋天である。テイエムオペラオーとメイショウドトウが走るのだが、世間じゃあまたテイエムオペラオーが勝つだろうってんで話題になっていた。なにぶん強い。すこぶる強い。今のアイツは無敵と言っても良いほどだ。

 ジャパンカップに向けて応援に行くより練習しろと言われたので、私は練習の休憩時間にレースを見る。スポーツドリンクとチョコ味のスタミナバーをもそもそ食いながら見るんだ。

 

「ハッ、見ろよオペラオーのあの顔……ギラギラしてやがる」

 

 チームの部室で、シリウスシンボリが気取ってぶどうジュースをワイングラスで飲んでいるのを横目に見ながら、テレビのモニターを眺める。走らないからって気楽なものだ。しかしぶどうジュースだってのに良く様になるもんだ。顔がいいからなんだろうが、なんだか腹が立つ。あとで尻を引っ叩いてやろうと思った。

 向こうじゃもうファンファーレが終わってゲート入りも済ませたところだ。もうゲートも開くだろう。

 

「見ておきな、テイエムオペラオーの走りを。奴には明確な弱点がある……それを見つけろ」

 

 スモークチーズをムシャムシャ食っているシリウスシンボリのありがたいお言葉に従って、モニターに穴が開くほど走りを見ていると、ゲートが開いてレースが始まった。テイエムオペラオーは先行の位置に居て、その後ろにメイショウドトウがつけている。まだ序盤じゃあよくわからないもんだ。もう少しレースが進まなきゃ見つけられん。

 そうこうしてるうちにレースは向正面にはいった。依然として弱点らしいところは見当たらない、バ群の真ん中あたりじゃあテイエムオペラオーが元気に笑ってらあ。

 

「ラストスパート、よく見てな」

 

 最終コーナーに入った直後にシリウスシンボリから言われて、テイエムオペラオーのラストスパートをじぃっと見てみる。

 力強くバ群から抜け出して、先頭を目指す。追い縋るドトウが並ぶ。抜け出すかどうか、いや抜け出さない。抜け出せない。ハナ差くらいを保ったままゴール板を横切った。今回のレースもテイエムオペラオーの勝ちだ。

 

「わかったか?」

 

 私は肩をすくめて首を振った。モニター越しでわかるもんか、見ただけでそれがわかりゃあ苦労はしない。

 シリウスシンボリは呆れたと笑ってジュースを飲み干すと「ま、せいぜい頑張るんだな」と言った。教えてくれないとはケチなやつだ。しかしこれは自分で見つけねばならんものなんだろうから文句も言えぬ。

 

「録画してあんだろ? それて見て、あいつとしっかり研究するんだな。ああ、ヒントをやろうか? ちゃんと、おねだりできたら……だがな」

 

「いらん」

 

 得意になって言いやがるもんだから、私は躍起になって録画を見直すことにした。絶対に自分で見つけて、アイツの鼻を明かしてやらねば気が済まなんだ。

 そうしてしばらく練習を再開するまで録画を見直して何が弱点かなんて探していると、ちょっぴり不思議なことに気付いた。私が慌ててソファから飛び上がって過去のレース結果をおさめたファイルを広げたら、やはりそこには、私の気付きが事実として整然と並べられていたからこれだと叫んだ。

 わかった私は得意になって早速シリウスシンボリに突撃すると勝ち誇って言ってやった。

 

「やい、わかったぞ」

 

「おっ、存外早いな。で、何がわかったんだ?」

 

「何もわからんということがわかった」

 

「……は?」

 

「……」

 

「……」

 

「ばかたれ」

 

「あいたっ」

 

 いかにも呆れたため息を吐くシリウスシンボリに、ぽかりとゲンコツを貰った。

 

 さっきよりよっぽど厳しくなったシリウスシンボリにヒィヒィ言いながら扱かれていると、日が沈んだ頃になってチームの奴らが戻ってきた。メイショウドトウに惜しかったなぁと言って頭を撫でてやると、ふぇえっ、と情けない声を上げる。よっぽど悔しいだろう、涙目であった。

 

「そっちはどう?」

 

「6割だな」

 

 干物の問いかけにシリウスシンボリはこう答えた。何がといえば私の完成度である。テイエムオペラオーに勝つための走りの完成度は、向こうからするとまだまだらしい。

 

「大丈夫なんですか?」

 

「知らん。だがなるようになるもんだ」

 

 心配した顔で私のそばに来たフクキタルに、私はあっけらかんとして言った。走ってみないことにはなんでもわからんから、私もどうも答えられないんだ。しかしフクキタルはそれで満足したのか私の頭を撫でた。汗でベタついてるから触らないでほしいのだが、ここは甘んじて受け入れてやろう。

 

「勝つつもりだが、負けたら負けたで次があるのだから、そう悩むもんじゃないんだ。」

 

「相変わらずですね」

 

 私が強がって続けると、フクキタルは少しだけ安心したように私の頭を撫でた。前より撫でるのが上手い、こいつも成長したようだ。褒めて遣わすとする。

 

「で、でも……どうしたら、勝てるんでしょうかぁ……」

 

 困ったようにメイショウドトウが呟くと、エアシャカールはフンと鼻を鳴らした。

 

「データはある。あとはこいつを解析して紐解けば良いだけだろうが」

 

 強気な言葉だ。研究熱心な奴だから、テイエムオペラオーのデータだってたっぷり集めたんだろう。

 

「共有は?」

 

「すると思うか?」

 

 聞いてみると、いかにも勝ち誇った顔で返してくる。よっぽど自信がおありのようだ。

 しかしこういう奴に限ってピンチになるとデータにないとか言うんだ。今のところエアシャカールが言っているところは見たことないが、きっといつか言うに違いないと思ってる。ゴールドシップとナカヤマフェスタとはそれで賭けをしているんだ。

 

「うん、じゃあ今日はこの辺でいったん解散しようか。ドトウも疲れてるだろうしね」

 

 立ち話をしていると干物がパンと手を打ったからそういうことになった。今日のところはこれで解散である。

 私はフクキタルと一緒に寮に帰ると疲れていたせいですぐに眠ってしまった。シリウスシンボリのやつがいっつもビシバシするものだから、帰ったらすぐにバタンキューで困ってしまう。しかしアイツのおかげで強くなれた実感はあるから、そこが悩ましい部分である。

 

 練習をするうちに気付けばジャパンカップ当日になっていた。結局シリウスシンボリが言ってた弱点ってのはわからなかったが、今日を走ったらわかることもある。テイエムオペラオーのことは穴が開くほど見ていてやろう。

 そう思いながら控え室で靴の具合を確かめていると、干物たちが来た。出走間近に来たのは、メイショウドトウとエアシャカールの応援に行ってたからだった。

 

「久しぶりのG1ですけど、調子は良さそうですね」

 

「うん、いい具合だぞ」

 

「ドトウにも、シャカールにも言ったけど……怪我しないように、めいっぱい走ってきてね」

 

「みんなのこと応援してるからね!!!!! がんばれー!!!!!!!」

 

「が、がんばれー……!」

 

 4人にワイワイ言われて見送られながら、控室を出てターフに向かう。ついこの間にも歩いたのに、地下バ道を歩くのもずいぶん久しぶりな気がする。半年近くG1に出てないのだから、余計そう感じるに違いない。

 ターフへの出口から突き抜けてきた歓声が全身を打った。さすがにジャパンカップは量が違う。質が違う。熱が違う。なんだか身体が震えてくるくらいだ。

 

「来たね」

 

 背後から声がした。振り向くと暗がりでも輝くものが見えた。テイエムオペラオーである。

 

「待っていたよ、我がモルドレッド」

 

「誰だそいつは」

 

 相変わらず格好つけて知らん名前を言うから私はこう返してやった。モルドレッドだかは誰だか知らないが、私にはちゃんとした名前があるのだ。名前で呼んでもらわねば困る。

 

「海を渡りし英雄たちが集う祭典、否! カーニバル! ここでもボクは輝くのさ、この世界を照らす太陽のようにね!」

 

「私だって、負けてやるつもりはないぞ。吠え面をかかせてやるからな」

 

「ハーッハッハ! それでこそだ!」

 

 仰々しい身振り手振りで言ったテイエムオペラオーに胸を張って答える。ところでメイショウドトウが遅れてやってきて、テイエムオペラオーの後ろですっ転びかけた。

 

「あわわわ……!」

 

「おっと! 大丈夫かいドトウ?」

 

「す、すみませぇん……!」

 

 こいつもこいつで相変わらずである。これだけレースに出てるのだからそろそろ落ち着いてもいいものを、よっぽどドジが治らない性分だ。しかし普段がこんなでもレースじゃあすこぶる強いんだから不思議である。

 

「メイショウドトウ。お前は私と同じチームだが、私はお前にだって負けてやるつもりはないぞ」

 

「……! わ、私だって……おふたりには負けましぇん! ……あわわ、噛んじゃいましたぁ……」

 

「ハッハッハ! 君たちの闘志が伝わってくるよ! けれど、今日の勝利もこのボクのものだ。覇道は続いている! 依然! 変わりなくね!」

 

 テイエムオペラオーが笑うと、私も笑った。メイショウドトウも笑った。全員負ける気なんかこれっぽっちもない。いい気分である。

 みんなして強気でいると、また誰かが来た。黒い影に黄色と青が目立つ勝負服は、エアシャカールだった。

 

「それとも……君が、この覇道を終わらせるデウス・エクス・マキナとなるのかな? シャカールさん?」

 

 テイエムオペラオーが言った。私は暗がりにいるエアシャカールを見つめた。黄金のように輝く瞳が細く伸びた。

 

「茶番に付き合うつもりはねえ」

 

 不機嫌に鼻を鳴らして私たちを横切ったエアシャカールは、ターフに出る直前に一瞬だけ立ち止まってこちらを振り向くと、微かに喜色の混じった声でこう宣戦布告した。

 

「勝つのは、オレだ」

 

 それはテイエムオペラオーだけでなく、私とメイショウドトウにも向けられた言葉だった。エアシャカールは私たちにすっかり勝つ気でいるのだ。

 なんという舐めた態度だろう。チームの併走じゃあ私のほうが勝ち越してるってのに、そう言われては言い返してやらねば気が済まない。

 

「三冠ウマ娘だって調子に乗るんじゃない。私のほうが強いんだ、今更負けてなんかやらないぞ」

 

「……ハッ」

 

 私の文句に笑ったエアシャカールは、ターフに出て行った。私たちも顔を見合わせて頷きあうと、三人で揃ってターフに出た。

 

 耳をつんざく歓声の中に、ヒリヒリとした空気が漂っていた。久しぶりにレースに出たと実感する。

 勝てるだろうか。私は一瞬だけ自問して首を振った。勝てるかどうかではない、勝つのだ。誰にだって負けないで、勝つのだ。そうでなければ勝てるものも勝てない。前からずっと言ってきたことである。今日もそれでいこう。

 ターフにゃあ外国の奴らもいた。ジャパンカップってのが海外のウマ娘の参戦も許されてるから、こういう腕自慢もとい脚自慢が賞金目当てで来る。よっぽど自信家なんだろうが、負けて帰るのはかわいそうである。

 軽い準備運動をしてゲートにはいる。私の枠は最内側だから最初にはいる。背後でガチャンと戸が閉まった。横を見たら他のウマ娘も次々入っていくのが見えた。流石にここまで来たらゲート入りをぐずるような奴はいない。嫌そうな顔をしたってちゃんとはいっていくんだから感心だ。

 

 そうして全員がゲートにはいったら、少し間を置いて勢いよくゲートが開く。いつもよりちょっとタイミングを遅らせて私は飛び出した。いの一番に逃げウマ娘が先頭争いに行くのが見えたが、それ以外はなんてことはない。前にバ群があって少し壁なくらいだが、序盤も序盤であるからなんともないことだ。

 素早く目と耳を走らせるとエアシャカールは私のちょっと前にいるのがわかった。向こうも向こうで忙しなく耳を動かしてるから、こっからどうするか考えてるんだろう。メイショウドトウとテイエムオペラオーの姿は見えないが、このぶんだとバ群の向こう側にいる。

 第一コーナーにはいるとバ群が固まって私とエアシャカールはバ群の真後ろに尾いて行くことになった。

 最初とあまり変化はないが、向正面にはいると海外ウマ娘の一部が上がっていくのがわかった。第三コーナーまでに前を取ってやろうという魂胆なのかもしれないが、海外の走り方など私はまだ知らないのでよくわからない。警戒しておくに越したことはないだろう。

 前は相変わらず壁で前方が確認できない。ここで焦って前に出るのが負け筋だ、大人しく待っていなければならぬ。

 エアシャカールは私より少し後ろにいるようだ。目の前の壁をうまく風除けに使っている。本当は私を風除けにしたいんだろうが、私はチビなんで使えないから悔しかろう。

 向正面を出れば第三コーナーになる。まだバ群は動かない。私たちも動かない。テイエムオペラオーとメイショウドトウもおそらく動いていない。

 第四コーナーでやっと動く。少しずつ目の前のバ群が乱れて横に広がっていくと、コーナーの終わりでテイエムオペラオーとメイショウドトウの後ろ姿が見えた。

 ここだ、ここで行くのだ。私はここで行かねば追いつけない。

 ダッと踏み込んで加速する。エアシャカールも加速した。横に並んで上がっていく。

 直線を半分走って一歩前にふたりが迫った。

 

 テイエムオペラオーが身体を低くする。

 残り100m。

 メイショウドトウが強く踏み込む。

 残り50m。

 エアシャカールが呼吸を止めた。

 残り25m。

 私は歯噛みして足を回した。

 

 ほとんど横並びにゴール盤を駆け抜けた。

 束の間、審議である。だが私には負けた自覚があって、きっと4着だろうと思った。実際4着であったから私の感覚ってのは正しい。

 

「ハーッハッハ! どうやら海を超えて来たる来訪者すらも、覇王たるボクを揺るがすには力不足なようだね!」

 

 ハナ差と表示された掲示板を見たテイエムオペラオーが言う。よくも調子に乗って言う。しかしそれが許されているのがコイツだから何も言えぬ。

 

「チィ! データ修正だ……」

 

「つ、次こそ……!」

 

 エアシャカールとメイショウドトウは歯噛みしてテイエムオペラオーを見た。

 私もあいつを見た。超えるべき壁、最大の強敵の背中を絶対に超えてやると決意して、私は気炎を吐いていた。

 

 しかし、私の超えなきゃいけないやつってのはコイツだけじゃない。

 

 海外から、帰ってくる。

 

 黄金世代の、あいつらだ。




 残り、2話。



 吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
 本編に大幅な加筆修正に加え、新規エピソードが追加されていたり、各主要キャラの設定を見直したりと、いろいろな部分に手を加えています。
 以下のサイトにてDL可能ですので、まずは体験版からどうぞ。

【DLsite】
 https://www.dlsite.com/home/work/=/product_id/RJ369814.html

【booth】
 https://turusinakemi.booth.pm/items/4982709


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弐捌

先日、ウマ娘の名古屋ライブがありましたね。
現地参加の方も、配信参加の方もお疲れ様でした。
一日目、二日目共にワクワクしましたが、個人的には一日目はタップダンスシチーのソロとターボの言い間違い、二日目はシリウスシンボリとナカヤマフェスタのソロが素晴らしかったですね。
あと両日ともにテイオーが主役と言っても過言ではない構成で、特に二日目のwinning the soulは……素晴らしかったですね……意図していないとはいえ、だからこその伝説的なライブでした。

それから、今更ながらコミケお疲れ様でした。
初参加でしたが楽しく参加させていただきました。
作った同人誌はメロンブックスのほうで委託してるのでよろしければご覧ください。
「追込の重い女ステークス」メロンブックスURL↓
https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=2054286


海外に行ったあいつらが帰ってくると聞いたのは、ジャパンカップが終わってすぐのことである。全員レースに勝って、トロフィーと一緒に帰ってくるそうで、私としちゃあ鼻高々だ。友達がそう活躍して嫌な気持ちになるやつはどこにもいないもんだ。

 

あいつらが来るのは羽田空港だと聞いたから、私たちは早速羽田空港に向かった。もうマスコミがいる。文屋ってのは相変わらず耳が早いもんで、よくもずらっと並んでいやがる。

しかし今回ばっかりは仕方がない。みんなして海外レースを勝ってきたのだから、これで注目しないのは右も左もわからない子供ばかりだろう。

 

私はマスコミに見つからんようにそろそろと関係者の集まってるほうに向かった。

すでにスピカの奴らとリギルの奴ら、キングヘイローのトレーナーとセイウンスカイのトレーナーが集まっている。

私が片手をあげるとまずスピカの奴らが来て、ジャパンカップは惜しかったと言う。惜しいもんか、ありゃ私が力不足だから負けたんだ。有マじゃ負けてやらないと言うと、今度はいや有マはスペ先輩が勝つんですと言うから、私はじゃあ私もスペに勝ってやると意気込んだ。

リギルの奴らはオペラオーは強いだろと言う。強いどころじゃないだろう。勝つにゃ随分骨が折れると言ったら、シンボリルドルフが大いに笑った。

 

「あと一手で年間無敗という偉業に王手をかけるんだ、並の強さではないだろう。……全盛期の私でも、今の彼女を倒すのに少し苦労するかな」

 

顎に手をやってこう話したシンボリルドルフは、少し楽しそうである。勝てないとは言わないあたりにこいつの自尊心の高さが見えるが、それが許される強さなのだから何も言えぬ。多分、こいつのこういうところがシリウスシンボリの嫌いなところなんだろうと思った。

 

「シリウスとは、どうかな。上手くやれているようだが」

 

シリウスシンボリのことを考えていたら、ちょうどシンボリルドルフがあいつのことを聞いた。幼馴染と聞いている。腐れ縁だとも言っていたが、私からすればどっちも同じようなものだ。

 

「うん、よくやっていると思う」

 

「そうか……なら、いいんだ」

 

私が短く答えるとシンボリルドルフは静かに頷いた。何か思うところがあるのだろう。しかし私には窺い知れない。どうせ1人しかいない幼馴染だ、あまり反目せず仲良くやっていて欲しいものだ。

話してるうちに空港がにわかに騒がしくなる。あいつらが帰ってきた。

出口に顔を向ければ、あいつらが揃って姿を現したところだった。みんな手にトロフィーを持って、揃って堂々と掲げている。やっぱり強いもんだ、みんな海外で勝っている。

私も同期としちゃあ鼻が高いが、一方で今年は一回も勝ってないのがなんだか情けなくって合わせる顔がなくなっていく。どうも私だけ置いてけぼりみたいで嫌じゃないか。

困ったように頭を掻いていたら、シリウスシンボリがこっちに来た。一瞬シンボリルドルフを睨んで、すぐに視線を私に戻すと言う。

 

「なんだ、気後れでもしてんのか? そんなことを気にする暇があったら、とっとと会ってこい」

 

「そうは言っても、気後れするものはするのだ。私だって人並みに恥じ入る心はある」

 

「フンッ。そんな程度気にするタマじゃねえだろ、お前の仲間ってのはよ。チャチな心配してないで、おら。とっとと行ってこい弱虫」

 

それでぺっとケツを叩かれたんで、私は誰が弱虫だと鼻を鳴らしてから勇み足でスペたちのところに向かった。パシパシとカメラが鳴る中を歩いて行って、おかえりと声をかけてやった。

 

「ただいまお姉ちゃん!」

 

真っ先にスペが抱きついてきた。抱きしめ返してやったらなんだか前よりずっと大きくなっている気がして、こいつもずいぶん立派になったもんだと感心する。私は背伸びしてスペの頭を撫でまわしてお前は偉い奴だ、北海道のどころか日本の総大将じゃないかと褒めてやった。

 

「お姉ちゃん、私頑張ったよ!フフーン、すごいでしょ!」

 

とはいえすぐにトロフィーを見せびらかすスペは得意げで、こういうところはまだまだ子供っぽいから安心した。

誇らしい一方で私はやっぱりなんだか情けない気持ちであった。G1に一回も勝ててないんだ、そりゃあこいつらに比べて見劣りするからここからどうするか困ってしまう。

 

「お姉ちゃん、みんなで一緒に……有マで待ってるからね!」

 

すると、私のそういうところを察したのか。スペは右手を差し出してこう言った。有無を言わせぬ迫力であった。

後ろの奴らも頷いている。逃すつもりはないようで、なんだ用意周到じゃないかと呆れる。

私は一瞬だけ躊躇してからスペの手を握った。こう堂々と挑戦状を叩きつけられたんだ。断っちゃあ格好がつかないし本当に弱虫になってしまう。そんなのは嫌だった。

 

無論、この場面は新聞やらテレビやらに載った。文屋ってのはなんでも面白おかしく書くもので、私たちのことを感動の再会だとか有マでダービーの決着をだとか好きかって言いやがる。有マで黄金世代が全員集合するってんでお祭り騒ぎだ。

文屋が好き勝手言うならテレビだって好き勝手言う。やれ私を今となっては役者不足だの今はテイエムオペラオーが最大のライバルだのと言う。

ここまで言われちゃあ私もムカっ腹が立つ。こっちの気も知らないで舐めた口を叩くものだ。壇上で喋るだけの仕事はさぞ楽なもんだろうに、そっちこそ走ってみて、どんだけ大変か身に沁みてわかってもらいたいもんだ。

 

しかし見返すたってどうするか。私が勝ててないのは事実だし、このままでいけば逆立ちしたって勝てっこない。かと言ってどうすりゃあいいかなんて私にゃわかりっこない。不調だなんだって、じゃあ治すかと素直に治らんのだから難儀である。

 

「どうしたんですか、難しい顔してますよ……」

 

「おおかた、勝てないかもしれないってウジウジしてるんだろ。わかりやすい顔だぜ」

 

空港から帰ってくるなりチームの部屋でこう悩んでいると、ふらっとフクキタルとシリウスシンボリが来る。

干物はこいつらを私の保護者コンビだとのたまっていたが、冗談ではない。こいつらが勝手に世話を焼いているのだ。今回だってこいつらが勝手に来ただけだ。

 

「私ってのはどうも、今年はいいところがなかった。こんなじゃあ有マで会ったって、あいつらにも、テイエムオペラオーにも合わせる顔がない。どうしたらいいだろう」

 

私が首を傾げて聞くと、フクキタルがまず「うーん……」と考え込む。シリウスシンボリはソファにどかりと腰掛けて「そんなのはテメェで決めるもんだ」と答えた。

 

「自分で見つけて決めなきゃあ意味がねえだろ?手前が本当にしたいこと、望んでることは、誰かに与えられるほど軽いもんじゃねえ」

 

「けれど私はいまだによっぽどフラフラしてる。これじゃあ格好もつかないじゃないか」

 

軸はある。目標もある。努力だっていっぱいしてるはずだ。だってのにちっとも勝てないでいる。これを私の不徳じゃないってんなら何だというのだろう。顎に手をやって首を捻ると、ここでフクキタルが横から口を出した。

 

「一度、原点に立ち返ってみてはいかがでしょう? まだ有マまでは時間があります。実家へ帰る時間はあるはずですよ」

 

この意見には私はふむと頷いた。そういえばずっと実家に戻ってない。あいつの仏壇にも長いこと手を合わせていない。フクキタルの言う通り、ここらで一度帰省するのもいいのかもしれない。

 

「うん。じゃあ帰ってみよう」

 

こう決めたら私は早い。早速その日のうちに干物に言って、実家に帰るために飛行機の便を取ることにした。

家族と、あいつとその両親に紹介したいんで保護者枠にフクキタルとシリウスシンボリの分も取ろうと思ったのだが、シリウスシンボリがファーストを取ってやると言うんで言葉に甘えてそっちにした。干物はメイショウドトウとエアシャカールのことがあるので留守番である。土産は買って行ってやるつもりだ。バターサンドと、大人用に地酒を親父に貰えば良いだろう。

流石に名家ってのはすごいもんだ。私なんてこっちに来る時に乗ったビジネスクラスしかないってのに、ポンと一番上を取る。家の格が違うってもんだ。

干物は私が実家に戻ると言った時に、あまり長く時間は取れないけれど。と前置きした上でこう言った。

 

「今年の有マ記念は、きっと歴史上で一番盛り上がるレースになる。だから悔いがないように、君は君で、好きなようにして君だけの幸福を探してほしい」

 

私は頷くばかりであった。

 

飛行機に乗って空を飛び、数時間後には北海道の土を踏む。こうしたのはいつぶりかわからぬ。もう3年は経ったが、千歳空港もずいぶん様変わりしたもんだ。

土産物に目を奪われるフクキタルを引っ張りながら、シリウスシンボリが手配したと言う車に乗って実家に行く。この車というのがまた高級車で、シートは革製でふかふかだし、飲み物も用意されてるし、何より運転が上手くって乗り心地がいいんでつい寝てしまいそうになる。

窓を開けると海風に混じって懐かしい土と木と、肥やしの臭いがした。牛の牧場と、畑の肥料から出た臭いだ。白毛のあいつをバカにした奴を落っことしてやったのはいい思い出だ。

シリウスシンボリはグラスでジュースを飲みながら眠いなら寝りゃいいと言ったが、私ってのは実は他人の車の中で眠れるほど図太くはない。フクキタルも緊張してか縮こまって、ジュースをちびちび飲みながら車に傷をつけやしないか注意深くしていた。さもありなん。

 

 

3時間くらい海沿いを走っていくと、私の実家がある。3階建ての大きな日本家屋がそうである。北海道は日高の、浦河の、端っこの、ほとんど畑しかない田舎も田舎なところだから結構目立つ。

家の周りが全部畑だが、これは親父の畑である。親父の家ってのは代々この辺りの土地権を持ってるんで、こう畑を作ったり、あとはそこらの土地を貸し出したりしているらしい。

らしいってのは、私も親父が何をしてるかよく知らんからだ。権利だ金利だのと、とんと難しい話はわからぬ。小さい頃にゃ親父が何で日中ずっと家にいるのかわからず「親父はプー太郎なのか」と聞いてゲンコツを食らったことがあるくらいだ。

 

「良さそうな家だな?」

 

シリウスシンボリが茶化すみたいに言うんで、私は家がデカいしか取り柄がない田舎もんだぞと返した。フクキタルは何か言いたそうな微妙な顔をしていた。

インターホンを押して少し待つとドタドタして母親が飛び出してくる。やっと帰ってきたかいと私を抱きしめる。

二人の前なので恥ずかしいと引き剥がしたら、今度は親父が来た。親不孝モンめやっと顔を見せにきたかとまた抱きしめる。さっきやったぞと言ってまた同じように剥がしたら俺はやってないぞというんで私は呆れるほかなかった。

ところでシリウスシンボリが「失礼」と言って、私の頭に手を置きながら声をかけた。

 

「この子の保護者として来たシリウスシンボリです。数日ほどお世話になります」

 

フクキタルも私の肩を持って言う。

 

「マチカネフクキタルです!同じく保護者として来ました!よろしくお願いします」

 

それでふたりがぺこりと頭を下げる。両親も遠いところからどうもと頭を下げる。それであれこれ立ち話なんかしやがる。

 

「ようこそお越しくださいまして。お話はかねがね伺っております」

 

「うちのじゃじゃウマ娘がどうも迷惑をかけていないか心配ですがいかがでしょう」

 

「迷惑なんて!あの子にはむしろ私のほうが助けられてばかりでして……」

 

「かわいいものですよ。まあ、じゃじゃウマ娘なのは確かですがね」

 

なんだか学校の三者面談みたいで気味が悪いったらありゃあしない。三者面談にゃいい思い出がないんだ、早々にやめてもらおう。

 

「そんなことより早く上がれ。まずは部屋に荷物を置くんだろう。ほらどいたどいた、客なんだぞ」

 

二人の手を取ってズカズカ家の中にはいっていく。

久しぶりの実家だが何も変わっちゃいない。ただ少し私の写真と新聞記事がが増えたくらいか。

玄関から廊下を抜けて、ギシギシなる急勾配の階段を上って2階にいくと、いくつかの部屋とがある。辺鄙なところにあるでかい家だから客間があって、3人くらいなら融通がいろいろと利くのだ。

 

「おお、和室ですか! いいですね〜。私も実家を思い出しちゃいますよ」

 

「……畳か」

 

「なんだ、不満か」

 

「いや。しばらく嗅いでなかった匂いだ、少し懐かしくなっただけさ」

 

荷物を置いたら、さっそくあいつの家に行く。飯の準備をしてる両親にちょっくら出てくると告げてフクキタルシリウスシンボリを引っ張っていくと、台所のほうから遅くならないようにしなさいと聞こえて来たんで私は生返事で家から飛び出した。

あいつの家があるのは、ここから少し走ったところにある町中だ。車だと5分くらいになるが、ウマ娘の足ならあっという間で着く。

 

「ここだ、ここに私の親友がいるんだ。お前らを連れて来たのは他でもない、あいつに会わせるためなんだ。ぜひ会ってくれ」

 

「……前に、言っていた子ですね?」

 

 フクキタルが察した声で言うので私は笑顔で頷いた。シリウスシンボリは黙って家を見上げているだけだった。

インターホンを押すと、少ししてあいつの母親が来た。少し老けた、白髪が増えたせいでそう見えるのかもしれん。

久しぶりですと頭を下げると、おかえりと言われてそっと抱きしめられた。言葉はなかったが十分であった。あいつに抱きしめられているみたいだった。

母親にふたりを師匠と姉貴分だと紹介してから家に上がらせてもらう。父親のほうは仕事でいないが、すぐ帰ってくると言うのでひと足先にあいつに挨拶してくることにした。

2階のあいつが使ってた部屋に、写真と一緒に仏壇が置かれている。部屋は当時のままだ。綺麗に掃除してあるが、あいつが家にいた頃そのままで保存してある。

 

「来たぞ。……久しぶりに来たんだぞ、歓迎してくれ」

 

そんなことを言って仏壇に触れたが、答えが返ってくるわけもない。ただ冷たい仏壇の肌触りだけがそこにあって、また変に悲しい気分になってしまう。

 

「この子が、親友さんなんですね」

 

「ほう、美人じゃないか」

 

私が仏壇の前に正座して座れと促すと、ふたりは私の両脇に腰を下ろして仏壇と向き合った。写真の中のあいつは、ずっと変わらない。なんだか私だけ急に歳をとったような気分で遣る瀬無くなる。

 

「こっちはフクキタルで、私の姉貴分だ。よくしてもらっている」

 

「初めまして、親友さん。マチカネフクキタルです。いつもこの子にはお世話になっています」

 

「それで、こっちがシリウスシンボリ。今は私の師匠みたいだ」

 

「みたいってなんだよ。まあ、こいつの世話をしてるモンだ。化けて出てきたら、晩酌くらいには付き合ってやるよ」

 

フクキタルと、シリウスシンボリをあいつに紹介して、挨拶もほどほどにしたので、さて何を言おうと考える。あいつに伝えたいことがいっぱいあって、何から伝えるべきか困ってしまった。

こんなじゃあまた心配されてるだろう。天国じゃああいつがやれやれと笑ってるかもしれん。

 

「理由にするなよ」

 

私が悩んでいると、シリウスシンボリがこう言った。

 

「ここでお前が選択した。お前自身が道を選び、進むと決めた。その事実が重要だ」

 

私は彼女の言ったことを頭の中で反芻し、あいつの伝えるべきことを改めてよく考えた。

そうするとうっすら見えてくるのが、勝ちたいだとかよりも応えたいって気持ちだった。私は勝ちたいと思って走っていたが、よくよく思い返せば私が走る理由なんてのは、あいつにダービーを走ってくれと言われたからだ。

 

「私は……応えたいと思うんだ」

 

ずっと応えるために走った。期待に応えるために走ったんだ。だったら、今、この瞬間も。私は誰かの期待に応えるために走るんだろう。

 

「ウマ娘は夢を背負って走る……私だってそうだ。誰かの夢を背負って走りたい」

 

私はふたりを見た。

あいつの想いを背負った。スペの想いを、世代のみんなの想いを背負った。テイエムオペラオーの、メイショウドトウの想いを背負った。干物と、シリウスのみんなの想いを背負った。だから次は、ふたりの想いを背負いたい。私は私の背に、みんなの想いを背負って走りたい。それがきっと、私の力になるから。

 

「だから、私は。このふたりの想いを背負って走る。今まで背負って来た想いに、ふたりの想いを加えて、有マ記念を勝ちたいんだ」

 

私がシリウスシンボリに向き合うと、シリウスシンボリは呆れたような嬉しいような顔をして聞く。

 

「それが、お前の選択か?」

 

「そうだ」

 

頷いて答えると、シリウスシンボリは喉を鳴らして笑った。

 

「なら、預けてやる。……私の弟子って自覚があんなら、一等星らしく勝て。玉座から、覇王とやらを引き摺り下ろしてみせろ」

 

お互いに拳をぶつける。シリウスシンボリ、生意気なやつだがこんなでもすごいやつだ。そんなやつが私を弟子と言うんだ。なら師匠のためにも勝たなきゃいけない。

次はフクキタルだ。私はふたりのほうを向いて、どうだと聞いた。

 

「私はあなたにたくさんのものを貰いましたから、預けられるものは多くありません。ただ……」

 

フクキタルはそこでいったん言葉を切ると、私の右手を両手で包んで微笑んだ。

 

「無事に走り切って、あなたが悔いのないレースをできるなら、それで良いですよ」

 

なんとも欲のないことを言うもんだから、私はフクキタルの両手を取って当たり前だと笑った。

 

「心配性なことを言うな。今回は大丈夫なんだ、私はきっと走り切れる。勝てる気がするんだ。……安心して見てくれるよな」

 

「そう言っていっつも心配させるんですから、しょうがない子です。でも、わかりました。……勝ってください」

 

「ああ!」

 

しっかりとふたりから想いを受け取って、私は身体の中に力が湧き上がるのを感じた。腹の奥底から熱がじりじりと上がって来て、全身に回っていくような感覚は、ダービーの前にもあった気がする。きっとこれが、想いを背負うということに違いない。私は今、ふたりの想いを背負って力にしたんだ。

 

「そういうことだ。だからお前も、安心して空から見ててくれ。必ず、勝ってみせるから」

 

私は改めてあいつに向き合って告げる。

天国にいるお前にゃ散々心配かけてばっかりだったけれど、今回は安心して見ていて欲しい。私はやっとお前に、しっかりと顔を向けて歩き出せるようになったから。

 

「……行こう」

 

写真立ての中で笑うあいつにそっと触れて、私はすっくと立ち上がって、部屋を出る。もう振り向くことはしない。ふたりも揃って立ち上がって、部屋を出ていく。

次に戻ってくるときは、きっと有マ記念のトロフィーを持ってくるだろう。

下に降りるとあいつの父親がいた。母親のほうもだが、こちらもずいぶん老けたように見える。

あいつの父親に挨拶をすると、優しく私の頭を撫でてよく帰って来たねと言ったんで私は、はい帰って来ました。と返した。あいつの父親はいつ行くんだいと言った。明日には行きますと言うと、あいつの父親は少し悲しそうに笑って家族で見送りに行くよと答えた。私にはそれで十分であった。

 

それからあいつの家を出て私の家に帰ると、豪勢な飯が出来上がっていた。

そこそこ大きいはずの食卓に所狭しと北海道の海の幸がたんまりあって、そこにクマのハツだとか鹿肉のハンバーグだとかが混じっている。気づけばリビングにゃあ私の小学生の頃の友人どもと、近所のジジババが集まっている。

田舎ってのは変化がないから、こういうイベントになると近所中大騒ぎで集まってくるんだ。すでに酒を入れてる奴が乱痴気騒ぎしてらあ。いくら家が広いたってこんなじゃあ手狭で嫌んなっちまう。

 

「こりゃあいつの間に集まったんだ」

 

「お前が帰って来たって言ったら、どいつもこいつも集まって来たんだ」

 

親父に聞くとそんな答えが返って来た。おめえさんとスペは地元の星じゃあとどっからか声が上がって、ガハハと野太い笑い声がいくつも響いた。酔っ払いが騒ぐんだから余計にうるさい。

 

「向こうは放っておいて、とりあえず席に座っちゃってくださいな」

 

「口に合うかはわかりませんがね、こいつらが持ち寄ったもんで作ったものですよ」

 

「え、ええ」

 

「なんだかすごいことになっちゃってますねえ……」

 

妙な状況に戸惑うとりあえずふたりを席に座らせた親父とお袋は、そのままふたりから私の話を聞き出すつもりの算段らしい。

しかしその前に酔っ払いがふたりに絡んでやいのやいのと騒ぎ出したからいよいよ手が付けられない。

 

「あんた、こいつの姉貴分なんだって聞いたが」

 

「へっ!?は、はいそうですが……」

 

「いやあ、あの聞かん坊の暴れん坊で通ってたあいつを、大人しくできるってのはわやだと思ってよ。どんな子かと思ってたんだが」

 

「酔っ払いが変に絡むな、変なことを吹き込むんじゃない」

 

「聞いたぞ、お前さんあの子の師匠なんだろ。あんな暴れん坊の相手じゃあ苦労するだろう」

 

「俺の畑でかけっこして、引っこ抜いたにんじんをスペと一緒に持ってっちまうんだからな!」

 

「多少は落ち着いていますが、まだヤンチャな部分は残っていますよ。フッ、かわいいものですがね。あの程度は」

 

「お前はめったなことを言うんじゃない。酔っ払いどもめ」

 

酔いどれどもめ、過去のことをいちいち掘り返して伝えるのは酔っ払いの特権だが、何も他人の過去をほじくることはなかろう。いい迷惑だ。

そのうえに、ふたりから酔っ払いどもを追っ払いつつも、私は私で友人どもの相手をしなきゃならないから大変だ。

 

「久しぶりだな、ずいぶん会ってなかったけどみんな元気そうだ」

 

「肥溜めに投げられたんだし、大抵のことは耐えられるわ」

 

「そりゃあそうか」

 

昔にあいつをバカにしてた奴はずいぶん大人しくなっていた。時間が経つとこうも人間は変わるらしい。

 

「実はさ、俺お前のこと好きだったんだぜ」

 

「なにっ」

 

「あん時はクラスの男子みんな3人に惚れてたんじゃないか?」

 

「人気が分かれてたよな〜。誰がいいかっていっつも言い合ってた」

 

男子どもはこう言う。しかしスペやあいつが人気なのはわかるが、どうも私が人気だったってのはわからない。がさつなだけの女が、どうして好かれるだろう。それを聞くと、男子どもは声を揃えて口々に言った。

 

「距離感がね……近すぎて……」

 

「元気いっぱいでさ、それで肩組んだりしてくるんだろ?」

 

「それをなまらかわいい女の子にされたら、そりゃあ勘違いするでしょ」

 

「ヤンチャでいっつも笑ってるのが好きだったんだよ〜」

 

「あとこう、ね……いろいろと、わやだったじゃん」

 

「目に毒だった……小学生の俺には……」

 

「も、もういい! なんだ……急に恥ずかしいこと言わないでくれ……」

 

私は慌てて話を遮るとムズムズする頭を掻いた。私がそんな目で男子から見られてるとは気付かなかった。てっきりスペとあいつばかり女なんで好かれてるとばかり思っていたんで、嫌な気分じゃないが複雑だ。

ところでなんで私は、地元に戻ってきてまで恥ずかしい話を聞かされなければならないのだろう。

 

しばらくそうやって乱痴気騒ぎを起こしているうちに、ついに酔っ払いどもが宴もたけなわになって解散の流れになった。

男衆が全員酒臭くって敵わないのでババアに預けて持ち帰ってもらい、私たちはもう休むことになった。

久しぶりにひとりで家の風呂にはいったが、なんだか寂しい気持ちになってしまった。いつもは大浴場で、フクキタルと、メイショウドトウと、他にもいろんなやつとはいっていたからかもしれぬ。

風呂からあがったら身支度をしてもう寝る。何年かぶりに自分の部屋に寝るが、私の部屋も出て行った当時と何も変わっていないから懐かしいような不思議な気分で落ち着かない。手入れされてて、新品みたいな臭いの中に自分の臭いが混じっている。

妙な気分になりつつもベッドにドカリと腰を下ろすと、そのままごろんと大の字になって目を閉じた。ところがなぜだかうまく眠れぬ。いつもフクキタルと一緒に寝ているから、隣が広くって落ち着かないのだ。

何度か寝返りを打って、それでも眠くならないんで、私は枕を持ってフクキタルとシリウスシンボリがいる部屋に向かった。

 

「あん? なんだ、どうしたんだよ」

 

「もしかして、眠れないんですか?」

 

私が客間にはいると布団がふたつ並んでいて、その上にふたりが寝転んでいた。

私は無言でフクキタルの横に行くと、枕を置いて横になった。やはり寝るにはフクキタルがいないと落ち着かん。寝るんだったらこいつみたいな抱き枕がないとダメだ。

 

「ハッ、なんだよ。ひとりじゃ寝れないってか?存外、可愛い部分があるんじゃねえか」

 

からかってくるシリウスシンボリに私はムッとして、ひとりでは寝れるが今は落ち着かんのだと返した。するとこいつはひとしきりケラケラと笑って「じゃあしょうがねえな」と言った。まったくしょうがないと思っていない様子である。そしてあろうことか布団をこちらにまで近づけて来るとそのままフクキタルから私を奪って抱きしめてきた。

 

「寝れないんだろ?私が子守唄を歌ってやるよ」

 

「ちょっと!教育に悪いことはやめてください!」

 

「この程度でカリカリするなよ、お姉ちゃん?」

 

「誰がお姉ちゃんですか!」

 

フクキタルが私を奪い取ると、今度はシリウスシンボリが私を奪い取る。いつまでもそんなことをされるものだがらこちとら眠れたものじゃない。明日には帰るってのに、こんなじゃあ寝不足で帰ることになってしまう。

 

「頼む……静かに……」

 

結局、最後にはふたりに抱え込まれたまま眠ることになって、翌日にゃ母親にそこをスマホで写真に撮られてしまった。

写真は誰にも見せないように言い含めたが、後日にフクキタルがスマホの待受にしてたのを見つけたので母親に抗議の電話を送ったら、父親がすでに額縁に入れて飾ってると言うから、私は天を仰ぐしかなかった。

しようがないのでこの写真はシンボリルドルフに横流ししてやることにした。こうなりゃあシリウスシンボリも道連れだ。せいぜい恥ずかしい思いをしてもらおう。




 あと、一回。

 吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
 本編に大幅な加筆修正に加え、新規エピソードが追加されていたり、各主要キャラの設定を見直したりと、いろいろな部分に手を加えています。
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弐玖

連続投稿(1/2)です。


 トレセン学園に戻ってきたら干物からはずいぶん雰囲気が変わったと言われた。どうも雰囲気がダービー前の頃みたいになってるらしい。

 私自身じゃあよくわからないんだが、ただいまの挨拶をしにいったときにスペも「昔のお姉ちゃんみたい」と似たようなことを言っていたからそういうことのようだ。

 雰囲気だけじゃあ格好がつかないんで、さっそく有マに向けて練習する。有マといえば中山で、ダービーより100m長い距離を走るレースだ。中山なのがちょいと不安だが、距離で言えばダービーみたいなもんだから心配はしていない。

 問題なのは出走者がどいつもこいつも強力でまったく堪らないことだ。海外帰りの黄金世代に、テイエムオペラオー、メイショウドトウ、今期三冠のエアシャカールが出てくるんだから恐ろしいくらいに豪華である。観客はこの日は無理やりにでも有給を取ってレースを見に行くのだろう、私だって同じ立場ならそうする。

 とにかくそれくらいにたいへんなレースなので、私も今まで以上に気合を入れにゃあならん。もちろんシリウスシンボリの指導にも熱がはいって、以前より一層厳しいものになっているから、私も練習に熱がはいるというものだ。

 

「前よりはマシになったか」

 

「勝てそうか」

 

「見積もりで言えば4割5分だな。仕上げが間に合えば5割にはなる」

 

「なんだ、5割なら十分じゃないか」

 

「ハッ、よく言うぜ」

 

 一にも練習二にも練習で、三と四には作戦会議だ。

 アイツら相手にどうやって走るかってのが議題で、干物はこういう部分でよくよく頭を悩ませながらあれこれ言う。

 違う時代に生まれていりゃあ全員が時代最強と言われてそうな奴らだから、対策も多くて嫌になるくらい多い。

 しかしやらなければ勝てないどころか勝負にもならないんだ。まったく私の生まれた時代は大変なばかりである。しかし大変だからこそやりがいがあるのも事実である。

 有マじゃあ絶対に勝ってみんなをあって言わせてやるんだ。ここで情けないんじゃあレースでも情けなくって走ってられない。真面目にノートでも纏めてやらなきゃあ恥ってもんだ。

 

 そうこうして、月月火水木金金と毎日練習に明け暮れていたときである。

 食堂で久しぶりにみんなと朝飯を食い、騒々しくながらテレビを見ていると、急にハルウララが有マ記念に参戦すると報じられたからみんなして魂消て唖然としてしまった。

 ハルウララはダートが主戦場だってのに、なんで唐突に芝に出てくるんだかわからない。ハルウララのトレーナーはついに頭がおかしくなったかと思ったが、インタビューで答えているハルウララはこのための練習も1年間ずっと続けてきたと言う。そんなことを言われてはもう文句も言えないではないか。

 私たちはさっそくハルウララになんで隠してたんだと詰め寄った。するとこいつと来たらいかにも悪戯が成功した顔で笑うとこう言うのだ。

 

「えへへ〜! 実はね、トレーナーに頼んでこっそり練習してたんだ! 有マ記念は絶対みんなが出るでしょ? だから私も一緒に走りたいって言ったら、トレーナーが『よし、じゃあ芝のレースも走れるように頑張ろう!』って! だから私、いっぱい頑張ったんだ〜! ふふふーん、すごいでしょ〜!」

 

 まさか、嬉しそうな顔で友達と走るために自分の意思で出走を決めたと嬉しそうに聞かせるんだから、私たちは何にも言えぬ。

 こいつはまったく予想外で、しかし嬉しい予想外だ。一年も頑張って努力してきて、こいつはよくやったもんだ。

 

「そんなのすごいに決まってるだろう。こいつめ、よくやりやがったな」

 

 私たちはハルウララを目一杯祝福したし、お互いに頑張ろうと言い合った。胴上げでもしてやりたいくらいだったが、食堂なんでやめておいた。かわりに頭をたっぷりわしゃわしゃ撫で回してやったら、ボサボサになった頭でハルウララは今日一番の気持ちの良い笑顔を浮かべて、宣戦布告してきやがった。

 

「これでも私も、みんなと一緒にレース走れるよ! 絶対負けないからね〜!」

 

 こっちだって負けてやるつもりはない。私たちは笑い合って私が勝つぞと言い合うと、大いに笑った。

 

 私たちがあれやこれやと騒いでいるのとは裏腹に、有マ記念の出走者はどうにも少ない。みんな面子が面子だからって尻込みして辞退しているんだそうだ。おかげで枠が埋まらないかもしれないってんだから異常事態も極まってる。

 さもありなん、海外帰りの黄金世代に、世紀末を一色に染める覇王世代、そのうえに今期の三冠ウマ娘も走るってなりゃあ、なんだって気後れするもんだろう。走りに自信があるか、記念に走っておこうか、そんな考えでもなきゃあよっぽどこいつらとは走れぬ。

 しかし、そういう状況のおかげで枠に滑り込んだやつもいるにはいるのは確かなようであった。

 

「私も、有マ記念には参加させてもらうわ」

 

 不意に私の真後ろに現れたのは、アドマイヤベガである。怪我で長らく休んでいたが、夏の終わりのあたりでやっと治療とリハビリが終わって走れるようになったらしい。それでいくつかレースを勝って空いた枠に滑り込んできたわけである。

 このタイミングに復帰して枠に滑り込むなんざ、ツキってのをなかなか持ってるやつだ。しかし歓迎できる。

 

「ハーッハッハ! 無事に復活というわけだねアヤベさん! あぁ、ボクらの闘いは遂にカムランの丘……雌雄を決する、大いなる戦場へ!」

 

 テイエムオペラオーは相も変わらず大きな声で哄笑する。アドマイヤベガは煩わしいという表情で、なんともふたりの関係性がよく見える。

 

「今の私では不足かもしれないけれど……勝つつもりで挑ませてもらう」

 

「私だって同じだ、勝つつもりだ。だからここの奴らの誰にも負けてやる気なんてないぞ」

 

「私たちだって負けませんよ! 海外帰りの力、見せちゃいますからね!」

 

「キングの前に敵はなし! 跪かせてあげるわ、あなたたち全員をね!」

 

「おおっと! 凱旋門ウマ娘のエルに勝とうとは、笑止千万! 百年早いデース! 全員纏めて撫で切ってやりマスよ!」」

 

「いやぁ、みんな勢いがあって大変よろしい。私はほどほどに頑張らせてもらうよ〜」

 

「ふふっ、殺気が隠せていませんよスカイさん。……まあ、それを言ったら私も、ですが」

 

「あわわ……!? み、みなさんからすごい闘志を感じますぅ〜!? で、でも私だって……!」

 

 アドマイヤベガの宣戦布告にしてやると、みんながみんなしてわっと言い返すんだからどいつもこいつも負けず嫌いだ。

 

 

 こうしてみんなと飯を食ったり練習を毎日続けたりしていたら、あっという間に有マ記念目前である。

 早いもんで今年ももう終わるんだから時の流れは無常だろう。どうも歳をとると時の流れが早くっていけない。

 そんなことを言うと干物はいかにも呆れた顔で「私より一回りも若いのに何言ってるの」と首を振る。風情がわからないやつだ。そんなだから婚期を逃すんだろう。

 

「でも今年は誰かさんのおかげで、なんだか慌ただしい感じだったのは否めませんねえ」

 

「刺激があるからこそ人生は面白い。そうだろう?」

 

「限度があるんですよ、限度が!」

 

「はいはい、雑談はこれくらいにして有マ記念での作戦を決めようか」

 

 パンと干物が手を叩いて気持ちを直す。私も背筋を伸ばすと机を挟んで干物と頭を突き合わせた。フクキタルも真面目な顔をする。笑ってるのはシリウスシンボリだけである。

 トレーナー室にゃあ私たちだけしかいない。いつもだったら他の奴らと纏めて作戦会議をするところだが、さすがに大一番だってんで今回はみんな別々なんだ。まあ当然であろう。

 

「さて、まずはコースのおさらいからだね」

 

 机に置いたタブレットにコースの見取り図を表示すると、タブレット用のペンを持ってコースにいくつか印をつけていく。

 中山レース場といえば、昔に弥生賞と皐月賞で走ったところである。忘れるこたぁない思い出深い場所だ、当然干物の書き込みなんぞなくともわかっている。

 

「有マ記念は内回りのコースになる。第二、第三カーブがかなり狭いうえに直線も短い、小回りなコースだね」

 

「チビなお前にゃあピッタリだな?」

 

「誰がチビだ。これでも1cm伸びたんだぞ」

 

「1cmも伸びたんですか? 成長期ですね〜!」

 

「はいはい、話戻すよ。カーブが狭い、直線が短い……その上に勾配もキツイから団子になりやすい。しかもペースアップのタイミングが早いからスタミナ勝負、根性勝負になるし、直線で勝負に出るのは得策じゃない」

 

 コツコツと画面をペン先で叩きながら見取り図に情報を書き足していく。どうも聞く限りじゃあ追込の奴には厳しいって話である。

 

「ま、でも」

 

 しかし途中で干物は何を思ったのか、ペンを手の中でくるりと回して肩をすくめた。良い顔をしていた。強気に笑って、勝気に眉尻を上げている。

 

「せっかくみんながいるのに自分の走りをしないんじゃあ、気分は良くないよね?」

 

「オイオイ、こっから有利不利の話をするんじゃないのかよ」

 

 呆れたふうに笑ってシリウスシンボリが聞くと、干物はそんなのは二の次だよと首を振った。

 

「こんな今世紀でも一番くらい豪華なメンバーを相手に、付け焼き刃でやったって勝てないのは当たり前じゃない」

 

「確かに、強者揃いですからねぇ……。下手な策を用意していくよりは良いのかも?」

 

 干物の意見にフクキタルが少しだけ疑いつつも同意した。

 今更アレコレ考えてもだなんて、まったく無責任な言い方だ。トレーナーならトレーナーらしく勝たせるために策の一つや二つ考えりゃあいい。それができないなんてのは酷い話である。

 

「無鉄砲に行こう。自分らしい走りで、みんなに全部ぶつけよう」

 

 だが、気に入った。

 上等である。

 無策、無謀、無鉄砲、私の専売特許だ。

 

「やってやろう。私の走りで、全員に勝負して倒すんだ」

 

 そもそも追込ってのが不利を受けやすい走り方なんだから、承知の上ではある。

 こういう不利ってのを捲って勝つのが楽しいから、私は追込で走るんだ。私は私の走りで、全員と戦って倒すんだ。

 私が立ち上がって3人の顔を見ると、みんなが揃って頷いた。

 心は決まった。あとは、それに賭けるだけだ。

 

「勝ってね」

 

「勝てよ」

 

「勝ってください、必ず」

 

「任せろ。私は、勝つために走るんだ」

 

 3人が突き出した拳に、私の拳をぶつける。

 決断は済ませた。

 あとは、それに賭けるだけだ。

 

 




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参拾

連続投稿(2/2)です。


 有マ記念である。

 地下バ道に行くと、出口の周りに集まっている影がある。あいつらだ。勝負服に身を包んだいつもの奴らが待っている。どうも私を待っていたようで、一番にスペが「待っていたよ」と鼻先を白く曇らせた。こんなに寒いんだから私なんぞ待たなくてもよろしいと言ったら、みんなが一斉に反論した。

 

「みんな揃ってのレースだもん。みんなで一緒にターフに出たかったんだ」

 

「ほら、私たちって全員ひっくるめて黄金世代な訳じゃん?」

 

「エルたちが揃って全員で出て行ったほうが、絶対盛り上がりマース!」

 

「和を以て貴しとなす、ですよ。もちろん、レースでは本気で行かせていただきますが」

 

「せっかくの有マ記念だもん、みんなそろってたほうがいいよねー!」

 

「その、み、みなさんと一緒なら……私も、心強いですし……」

 

「ハーッハッハ! 開演の挨拶をするらなば、主演が揃っていなければ!」

 

「チッ……んでオレまで……まあいい。腑抜けたレースするンじゃねェぞ」

 

「私も、全力で行かせてもらうわ。……戦いましょう」

 

 こう言われちゃあ仕方がない。私が肩をすくめてお前らも物好きなもんだなと言えば、全員からお前がいうなと返されて、私は思わず笑ってしまった。

 ところへ、出口から私たちの名を呼ぶ放送が聞こえた。放送は仰山に煽って、場を盛り上げている。

 こうなると、あまり話している余裕もなさそうだ。

 

「行こう、みんな」

 

 私が声をかけると、みんなは揃って頷いた。

 

『さあやってきたやってきた! 年末の中山に、今世紀最強の黄金世代がたった今入場しました! 日本総大将スペシャルウィーク! トリックスターセイウンスカイ! 短距離の王者キングヘイロー! 世界の大鷲エルコンドルパサー! 高邁の不死鳥グラスワンダー! ダートの救世主ハルウララ! 不屈の挑戦者メイショウドトウ! 世紀末覇王テイエムオペラオー! 三冠を戴く天才エアシャカール! 凛々と輝く一等星アドマイヤベガ!』

 

 歓声に溢れた光の中へ、一歩を踏み出す。

 

『そして、最後に出てきたのはこのウマ娘! その名は──!』

 

 寒風が吹き荒び枯芝を揺らす暮れの中山に、私たちは立っている。

 ターフに出ると、風が吹いていた。その風は熱を孕んでいた。観衆の発する熱狂と狂乱である。

 夕日に染まった冬空は清々しいほどに快晴であり、雲の一点も見当たらない。吹き荒れる歓声の嵐は天と地の狭間を駆け抜けて、地平線の遥か彼方にまでも響いているとさえ思えた。

 テレビじゃあ世界最強最強決定戦だなんて言われているくらいのレースだ、そりゃあ誰だって目を血走らせて興奮するだろう。

 

「お姉ちゃん」

 

 私がゲートの前で深呼吸をしていると、後ろからスペが声をかけてきた。スペは笑っていて、とても強そうに見える。実際強いのだから当たり前だ。

 

「お姉ちゃんはどうして有マを戦うの!」

 

 大きく息を吸ったスペが吐き出したのはそんな問いであった。私がダービーの時にやった奴をやり返してきたんだ。私は思わずにやりと笑ってしまった。

 

「友の為か、親の為か、それとも誇りの為か! 私はみんなのため。あの子と最期に交わした約束、そしてお母ちゃんとの約束……ファンのみんなの声援! 日本一のウマ娘になるためだ!」

 

 有無を言わさぬスペの言葉に続けて、隣のセイウンスカイがいつもの気の抜けた調子で、そんなの決まってるじゃん。と言ったあとには、虎の如くに獰猛な笑みを浮かべてこう答えた。

 

「私はさ、落ちこぼれでも、劣等生でも、誰にも期待されてなくても、主役をはれるんだって証明したい。努力で天才は超えられる、この世には思いもよらない逆転劇があるんだって、世間に見せつけてやりたいんだよね。……だから、今回も勝たせてもらうよ?」

 

 高潔なる下克上を宣言したセイウンスカイは、しかしすぐにいつもの表情を戻すと、続けてキングヘイローに視線を移す。

 するといつもの如く高笑いをしてキングヘイローは、そんなの決まってるでしょう! と胸を張って堂々と答えた。

 

「この身に流れる偉大な母の血統と、受け継いだ誇り高き精神の為よ! たとえ誰に何と言われようが、否定されようが関係ない。私がキングヘイローである限り、私は母の血統に恥じぬ一流のウマ娘を目指すのよ! 依然、変わりなくね!」

 

 スペたちが顔を合わせて頷くと、今度は後ろの奴らが私はあの時と同じようにダンと脚を踏み出して、全員に向かって吼えた。

 

「私は、勝ちたい! あいつのために……フクキタルと、シリウスシンボリと、トレーナーの葉隠のために! そしてそれ以上に、私は勝ちたい! ひとりのウマ娘として、お前たちに勝ちたいんだ!」

 

 剥き出しの闘志を曝け出して、私が野放図に好戦的な笑みを浮かべて「やってやる。ライバルなんだから、全員に勝ってやる」と拳を突き出して宣言してやったら、スペも負けん気が滲み出たような顔で拳をぶつけて来たから、私はやっと自分の調子が戻ってきたなと思った。

 

「おおっと! ボクたちを差し置くのは良くないじゃないか!」

 

 こう話していると、テイエムオペラオーを筆頭にして他の奴らも集まってきた。

 まず宣言をしたのがグラスワンダーだ。こいつ、普段はお淑やかにしてるくせにレースとなると好戦的で、いの一番に突っ込んでくるのだ。

 

「怪物。不死鳥。その二つ名に恥じぬ戦いを。我が不退転の覚悟を示すため、私はレースを走っています。本気でお相手いたしますゆえ……みなさんもどうか本気で、かかってきてください」

 

 次に来るのがエルコンドルパサーである。こいつもこいつでなかなか好戦的だ。

 

「フッフッフ! 世界最強の証明……すべてのウマ娘の頂点に立つその名を刻むため! しかしそのためには、凱旋門賞を勝ち取っただけでは足りまセーン! ここに集まった全員を倒す! そのために、エルは走りマス!」

 

 ここまで来るとメイショウドトウも声を上げた。テイエムオペラオーに促されたようで、いつもみたいにオドオドしつつもしっかりと顔を上げて声を張り上げた。

 

「わ、私も……みなさんに、勝ちたい! 憧れに追いつくのを、諦めたくない……だ、だから、勝ちましゅ! あわわわ……か、噛んじゃいました〜!?」

 

 メイショウドトウが終わるとすぐにテイエムオペラオーが声をあげる。こいつはいっつも騒がしいが、今回は一段と騒がしく言うからいつも通りだ。

 

「ハーッハッハッハ! ボクの走る理由かい? そんなのはもちろん、ボクこそ覇王! 君臨する最強の王! あまねく全てを照らす太陽! その証明のために走っているのさ!」

 

 エアシャカールとアドマイヤベガはクールである。近くに来た割には特にすごいことを言うこともなく、すぐ離れて行ってしまった。

 

「……全員ブッちぎってやるよ」

 

「私は私の走りをするだけよ」

 

 最後に宣言を出したのはハルウララだがよくわかってないようだが、いかにもウキウキした面持ちで笑って言う。

 

「えっとね、えっとね! やっとみんなと走れるから、嬉しいんだー! でもね、私だって負けないよ! みんなに勝っちゃうんだから、覚悟してよね!」

 

 みんながみんな好き勝手宣誓して、拳を突き合わせようって私に集ってくる。当然隙間がなくなるんでぎゅうぎゅうになる。私の手はそんな大きくないんだからやめていただきたい。

 もっとそっちに寄れだのいやいやそっちが下がれとしばらくあれこれするんで、結局円陣を組んで悔いのない戦いをしようと声を上げることにした。

 まったく始まりから何だか締まらないが、私たちらしいやり方だと思えばこれも悪くはない気がした。

 

 こんなことをしていたらもうゲート入りである。

 みんな1人ずつゲートにはいっていって、私もそのうちゲートの中にはいった。

 すると途端に歓声が遠くに聞こえて、どくどくとなる自分の心臓の音と呼吸音で世界が満たされた。視界が夕暮れに染まって、吐き出した息には気炎と熱が混じっていた。全身の内側で緊張と闘志がギチギチと音を立ててその瞬間を待ち侘びている。

 真剣勝負である。一世一代の大勝負である。心も身体もすでに我慢の限界だった。待ちきれなくてウズウズしていた。ダービーの時と同じくらいに怖くて、苦しくて、楽しくて、嬉しくて、ワクワクしていた。

 少ししてアナウンスがあった。全員のゲート入りが完了したようだった。

 私は呼吸を止めて、グッと身構えた。

 

 次の瞬間、ゲートが開いた。

 

 どうと飛び出した周りから半歩を遅れて飛び出した私は、いつも通り後方でレースの展開を見守る位置に着く。

 例の如く逃げを打つのはセイウンスカイだ。様子を見ているのかペースは少し抑えめで、まだ先団との差はそこまでない。どういう腹づもりだろう。

 二番手につけるのはエルコンドルパサーで、意気揚々と言った走りで軽快に進んでいる。飛ぶような勢いで走るあいつは真っ赤だからわかりやすい。

 三番手にスペがいる。エルコンドルパサーを風除けにして走りながら何度か後ろを確認しているから、あいつも序盤は様子見なんだろう。

 テイエムオペラオーとメイショウドトウはそのすぐ後ろにいる。目立つ奴らだから後ろからでもすぐわかった。あいつらの動きを見ておくのがこのレースじゃあ重要だ。

 少し離れた中団の位置にキングヘイロー、そしてそのすぐ後ろにグラスワンダーがいる。どっちも末脚が凄いやつだ、仕掛け時には注意深く見ておかねばならんだろう。

 ハルウララもこの位置にいる。ダートのやつがいきなり芝を走るってんでずいぶん驚いたが、存外スイスイ走っている。特訓してきたのは本当のようだ。

 離れて最後方に位置取るのはエアシャカールとアドマイヤベガだ。追込ってんで私の前に陣取ってる。それぞれ違う強さを持つ追込ウマ娘だ。こいつらには同じ追込として負けたくない。

 

 おおよそ展開の確認が終わったら、もうカーブを回って向正面にはいる。

 第二カーブは狭くなっていたため先団は団子になっており、ここからではもう前の確認が難しい。ただ全体の少しペースが上がっているから、セイウンスカイがロングスパートを掛け始めたのかもしれない。私の目の前を走るエアシャカールとアドマイヤベガもすでに仕掛けどころの算段が付いているようで、ゆっくりと中団に取り付こうとしている。

 一方で私のやることに変わりはない。最終コーナー、そこで大外から一気に加速して捲り上げるんだ。

 

 第三コーナー、また狭いカーブだ。先団が少し詰まったか中団の動きが鈍くなった。前が壁だがまだ慌ててはいけない、私は状況を見ながら外に回り呼吸を整えた。

 ここからが勝負所だ。ここで判断を誤ってしまうと、それだけでもう負けてしまう。

 失敗をなくすために慎重に行くか、失敗を恐れずに大胆に行くか。

 そんなのは決まっている。

 私は勝つためにここに来たんだ。

 失敗がなんだ。負けがなんだ。そんなの勝負する前から考えてちゃあしようがない。ずっと自分が言ってたことだ。

 今だってそうだろう。戦う前に負けることを考えて情けない。

 私は、あいつらに勝ちたい。

 いや、あいつらに勝つ。

 勝つんだ! 

 今、ここで! 

 

 第四コーナーに踏み入った。

 その刹那。

 私は、私の中でひとつのスイッチがはいったような気がした。

 

 

 

 そして、景色が、変わった。

 

 白い。真っ白な世界。故郷で見た吹雪が吹き荒ぶ白銀の世界。

 その中にあってなおも輝く真っ赤な鳥居と、小さな社の前に、私は立っていた。

 

 ここは、どこか。

 

 そんな疑問が出る前に、私は自然と踵を返して背後の絶壁に一歩を踏み出し、雪山を駆け降りていく。

 

『私は』

 

 背後から迫る雪崩に混じって声が聞こえた。

 私の声だ。私が発した声だ。

 

『私のためだけに、走るんじゃない』

 

 全てを飲み込む雪崩が轟音を立てて、私の背後に迫る。

 けれどそれに恐怖はなかった。むしろその雪崩は私の背中を押してくれているような気さえした。

 

『私を信じて』

 

 気づけば吹雪の壁を抜けて、私は大きく飛び上がっていた。輝く白一面を見下ろしながら、燦々と輝く太陽の下を飛んでいた。

 

 ここに至って、私は理解した。

 

『夢を託してくれた人のために』

 

 世界が。

 青く澄み渡る。

 そうか。

 これが、これこそが。

 

「『走るんだ!』」

 

 私の、領域──! 

 

 

 気づけば私は、大外から一気に加速して中団を抜きにかかっていた。よっぽど加速したのかと思ったが、ハロン棒を見るにすでにコーナーの終わり際にまで来ていたようだ。

 中団を抜き去って最終直線にはいると、私の前を走っているのは、あいつらだけになった。

 私はどんどん前に出て、どんどん坂を駆け上がって、どんどん抜き去って行った。

 

 ハルウララ。

 いつも元気で無邪気で、みんなを笑顔にする不思議なやつだ。

 純粋にレースを楽しんで走っているある意味で誰より強いやつだ。

 

 エアシャカール。

 私よりあとにシリウスへはいってきたすごく頭のいいやつだ。

 道を塞いでいた自身の壁をぶっ壊して三冠を取ったすごいやつだ。

 

 アドマイヤベガ。

 私より先にテイエムオペラオーをダービーで負かしたやつだ。

 ひとりのために全てを賭けて走り、ケガにも負けない強いやつだ。

 

 グラスワンダー。

 おとなしい顔の後ろに誰よりも強い負けん気を隠したやつだ。

 誰が相手だろうと常に全身全霊でレースに挑む覚悟のあるやつだ。

 

 キングヘイロー。

 王様を気取るくせに努力を厭わない我武者羅で泥臭いやつだ。

 何度負けても諦めない王者の高潔な決意と不屈の心を持つやつだ。

 

 メイショウドトウ。

 私と同じシリウスの所属でいつもオドオドしてた変なやつだ。

 人一倍ガッツがあってどんなことにもへこたれないタフなやつだ。

 

 エルコンドルパサー。

 凱旋門賞を勝って最強を証明してみせた世界で一番のやつだ。

 自身の言葉に恥じないために誰よりも努力できる格好いいやつだ。

 

 セイウンスカイ。

 常にいろんな策でバ群を操りレースを支配する策士なやつだ。

 昼行燈で過ごしながら誰よりも策を考えて行動する狡猾なやつだ。

 

 そうして私は、私が尊敬しているあいつらを抜き去った後で、最後の最後に並んで走る2人の背中に喰らい付いた。

 

 私の妹分、スペシャルウィーク。

 お前は強い。私よりもずっと強かった。きっと私なんかいなくてもお前は日本一のウマ娘になっていたんだろう。心の底からそう思ってしまうくらい、強くて可愛くて格好いい私の自慢の妹分だ。

 小さい頃は私の背中を追いかけてくる可愛いやつだったのに、いつの間にか私を追い越して行ってしまった。今じゃあ私がお前の背中を追いかけるほうだ。

 だから今日こそ、お前に勝つ。

 私はお姉ちゃんだぞ。お姉ちゃんが妹に負けてたら格好がつかないじゃないか。

 

 私の強敵、テイエムオペラオー。

 中央に来た時に、メイショウドトウと一緒に友達になってくれた優しいやつだ。お前はいつも自信満々で、仰々しくて、騒がしくて、羨ましいくらいに強くて、私の越えるべき背中であり親友だ。

 私はずっと悔しかったんだ。お前に勧められたリギルの試験で期待に応えられなかったのが何よりも悔しかった。自分で自分が情けなくなって泣いたくらいだ。

 だから今日こそ、応えてやろう。

 私はお前の最大の強敵でありたい。今日こそお前の期待に応えてやりたいんだ。

 

 3人で並んで走る。

 もう残り100メートルもない。

 坂を登り切った直後、私は思い切り芝を踏み込んで、重心を前に倒した。地面が軋んだとさえ思えるほど蹄鉄が深々と地面に突き刺さったのを確信すると、私は渾身の力を込めて末脚を爆発させた。

 世界に3人だけ取り残されたみたいに何もかもが消え去って、景色が細く線のように伸びていく。

 2人とも前を譲らない。ハナを奪うのは自分だと雄叫びを上げながら走っている。私だって譲らない。必死になって足を回して、負けるものかと踏ん張った。

 ここで踏ん張らなきゃ、どこで踏ん張るんだ。

 

 残り50メートルを切った。

 内にテイエムオペラオーがいる。いつもの余裕そうな笑顔なんてない。必死に歯を食いしばって燃え盛る闘志を剥き出しにして走っている。

 真ん中にはスペがいる。普段の愛嬌のある顔を打ち捨てて、勝利だけを目指す獣の顔をして、声を上げながら全身全霊をかけて走っている。

 負けたくないんだ。ここにいる誰にも、2人は負けたくないんだ。

 私だって同じだ。同じ気持ちだ。負けたくない。ここにいる誰にも、負けたくない。

 ならやることはひとつだろう。

 さあ、脚を回せ。歯を食いしばれ。地べたを踏みしめろ。走って、走って、走り続けろ。

 負けたくない! 

 勝ちたいんだ! 

 私が一番になりたいんだ! 

 あいつらのために勝ちたいんだ! 

 

 ──私が、一番になるんだ! 

 

 トン、と。

 背中を押されたように、最後の一歩を踏み出す。

 

 そうして、私たちは。

 ほとんど横並びのまま、ゴールラインを踏み越えた。

 

 どっちが、いや誰が勝った。

 ゴールを過ぎてすぐに私たちは掲示板を見た。結果は出ていない。接戦だったからなのか、写真判定になっていた。

 全員がゴールしてもまだ出ない。もどかしくって3人で黙って掲示板をずっと眺めていた。

 やがて、パッと掲示板の表示が切り替わった。

 

 一着に表示されたのは、私の数字だった。

 

 それとほとんど同時に、観客席から割れんばかりの大歓声が上がる。急にスペに抱きつかれる。テイエムオペラオーに纏めて肩を組まれる。後から他の奴らもやってきた。メイショウドトウがドジして転んで追突してくる。

 ほとんど茫然自失になっていた私は受け止められなくて、そのままみんなしてステンと倒れてしまった。

 茜空を背景にエアシャカールとアドマイヤベガが呆れたような清々しいような顔で見下ろしているのが見えた。

 それでやっと、理解と感情が追いついてきた。

 

 私は、勝ったのだ。

 みんなに、そしてふたりに勝ったのだ。

 

 それを自覚した途端、瞳からは涙がはらはらと溢れてきた。心底から滲み出た歓喜が、涙になって流れていた。

 

「勝った。勝てた。お前らみんなに、やっと勝てた」

 

「おめでとうお姉ちゃん! 強かった、すっごく!」

 

「もうたいしたウマ娘だよねぇ、ほんと」

 

「世界最強を破るなんて、とんでもないウマ娘デスよ! このこの!」

 

「このキングに勝ったこと、誇りに思いなさいよね!」

 

「今日の負けは、私の記憶に刻み込んでおきますね。……いつかリベンジしますから、そのつもりで」

 

「あのね! あのね! もうホントにすごかったよ! ビューン! って行っちゃってね!」

 

「はわわ、す、すみませ〜ん! ……あ、あの、すごく速くて、強かったですぅ!」

 

「約束されしカムランの丘、その決戦を制したのは君だったとは! ……おめでとう」

 

「やっぱり強いわね、おめでとう。私ももっと、強くなってくるわ。……ほら、あなたも」

 

「ハァ……次は負けねェ。勝つ」

 

 こうみんなしてわーわー言うから、私はだんだんおかしくなって笑ってしまった。短い腕でみんなを抱きしめて、泣きながら大声をあげて笑ってしまった。

 そうしたらみんなも笑い出したから、気付けばもう笑い声しか聞こえなくなってしまった。レース場は万雷の拍手に包まれていたが、それも聞こえなくなるくらいみんなして笑った。

 

 しばらくひと通り笑って満足したら、係の人が申し訳なさそうに来てトロフィーの授与があると言った。そりゃあそうだ。勝ったんだからトロフィーを貰わなくっちゃあ具合が悪い。

 私たちは立ち上がるとみんなしてゾロゾロウィナーズサークルに行った。ウィナーズサークルには記者の軍団がもう待ち受けていて、バシャバシャと無遠慮に写真を撮ってきた。

 壇上に上がってからは、優勝レイを肩にかけて、受け取ったトロフィーを掲げた。するとものすごい歓声が鳴り響いて、観客全員が私の名前をコールし始めたから、私は嬉しくなって観客席の前まで行くと一緒になってコールした。仲間たちも後ろで楽しそうにコールして、はしゃいでいた。

 

 あとはもう控え室に戻る。名残惜しいがここで一旦別れなきゃあならん。私はみんなに挨拶をして、次はウイニングライブで会おうぜと言ってシリウスの控え室に向かった。

 気を利かせたわけではないのだろうが、メイショウドトウとエアシャカールはあとから戻るようだった。

 

「うおおおおおおおおおお!!! かんどうした〜!!!!!!」

 

 控え室にはいるなりウイニングチケットの大声で耳がキーンとなった。気持ちは嬉しいがこいつの声は狭い部屋だと音響兵器だ。

 

「レースすごかったね……ライスも、もう全身がドキドキして、思わず泣いちゃった……」

 

 次に声をかけてきたのがライスシャワーで、こいつはぐずぐずと鼻を鳴らしていた。

 

「おめでとう、ほんとに……!」

 

 干物もライスシャワーと一緒に泣いてたのか鼻先を赤くして目元を拭っている。

 なんだみんな泣き虫じゃないか。トロフィーを机に置いてさてからかってやろうかなんて考えていたら、フクキタルがやってきて、無言で私をぎゅっと抱きしめた。

 

「おめでとうございます……本当に、よくがんばりましたね」

 

 こう涙声で言われたから私は気が削がれてしまった。こんなじゃあからかうなんてできっこない。

 さっきまで全然平気だったのに、急に目頭が熱くなって、鼻の奥がツンとしてきた。フクキタルを抱きしめ返して胸の顔を埋めると、いっそう強くフクキタルが抱きしめてきたから、私も同じくらい強く抱きしめ返してやった。

 

「よく勝ったな、仔犬ちゃん。褒めてやるよ」

 

 そのうちにシリウスシンボリも来て、私の頭を労るみたいな手つきで撫でてきた。私はうんと頷いて笑ってみせた。

 顔を向ければ、いつもより優しい顔つきでいる。よく見れば目元を少し赤くしていやがるから、きっと隠れて泣いてたのに違いない。でも今は気分がいいから、いつもみたいにからかってやらないんだ。

 

 しばらくみんなで泣いていたら、エアシャカールとメイショウドトウが帰ってきた。シリウスが全員揃ったんでみんなでお疲れ様と言い合って、ウイニングライブが始まるまでのちょっとの時間、お菓子とジュースを飲み食いした。実は全力で走ったから腹がぺこぺこだったのだ。

 本当は腹一杯食べたかったんだが、ライブ前に腹一杯になるまで食ったら大変になるので自重した。

 そのうちに係の人が来る。ウイニングライブの準備ができたそうだから、もう行く。

 シリウスのみんなでウイニングライブの会場に行くと、もう会場は超満員ですごい熱気だった。

 途中で関係者席に向かうのと舞台袖に行くのとで別れた。無論私は舞台袖である。

 舞台袖に行くとみんながもう集まっている。勝負服のままで、もう準備万端に控えていた。

 何か言葉をかけるべきかと思ったが、私は自分自身の気持ちをどう言葉にしたら良いか知らなかった。喉まで出かかっているのに引っかかって、うまく気持ちを言葉にできなかった。

 しようがないので、勢いに任せて手を出した。言葉にできないなら行動でやるしかない。

 

 真っ先にスペが手を出してきた。次にはテイエムオペラオー、そして次にはメイショウドトウ、とどんどん続いていく。最後に柄じゃないと嫌々ながらエアシャカールが手を出したので、私はみんなの顔を見回して頷いた。

 今なら多分、言葉にできるような気がした。

 

「みんな、ありがとう。それから大好きだ。……行くぞ!」

 

 おー! 

 とみんなが声を上げる。それからすぐに呼び出しがかかったんで、私たちはそれぞれ配置に付いた。

 

 歌う曲は決まっている。

 

 私たちの一年を締めくくるのは、いつだってあの曲なんだ。

 

 大きく息を吸って、台に上る。

 しばらくの暗闇と静寂のあと、ファンファーレが鳴り響いて私たちを乗せた台がステージに向けて迫り上がっていく。

 

 そして。

 

「位置について」

 

 スペと、テイエムオペラオーと、手を繋いで顔を見合わせた私たちは。

 

「よーい……」

 

 観客たちが待つ、あの煌びやかなステージに向かって。

 

「ドン!」

 

 勢いよく飛び出していった。












 ふと、目が覚めた。
 身体の違和感にはてと首を傾げて下を見ると、私の腕の中で赤ん坊がお乳を吸っていた。
 どうも子供に乳を与えながら、少しの間だけ居眠りしてしまったらしい。

 点けっぱなしになっているテレビには、今年の有マ記念の様子が画面に流れていて、すでにウマ娘たちがゲート入りしているところだった。
 ふと、居間に飾られた私の名前が刻まれたトロフィーと、みんなで撮った写真を見た。
 これを見ると私は今でもあの頃に戻ったような気持ちになってしまう。
 あれからもう十年が経ったのか。月日の流れってのは早いもんだ。

 今ではみんな学園を卒業して、それぞれが別の道を歩んでいる。
 連絡は今でも取り合っているし、時たま集まってみんなで飯を食ったりもしている。
 繋がりは今でも途切れていない。私たちの絆は、どこへ行っても繋がってるんだ。

 感傷に浸っているうちに、テレビの有マ記念ではもうゲートが開く音がしたんで、慌てて視線をテレビに戻した。
 今年のウマ娘もかなりの強者揃いだと聞いたが、はたしてどんなものだろう。ここ数年は育児が忙しくってろくに情報も見れてない。
 誰が強いとか以前に、誰が誰だかもわからないんだから困ってしまう。子供の世話ってのは大変だ。それも二児の母だ。上も下も手が掛かるからてんてこ舞いで困ってしまう。お袋もこんな気持ちでいたのかと思うと頭が下がる。もう足も向けて寝られないくらいだ。

 そんなことを考えていると、一際目立つウマ娘を見つけて私の視線は釘付けになった。
 白い。真っ白な姿のウマ娘だった。珍しい白毛のウマ娘だった。

『さあ最終コーナーを回って先頭は──』

 私はわずかに身を乗り出した。中団から駆け上がってくる白毛のウマ娘の姿をもっとよく見たくて、わけもわからず固唾を飲んで見守った。

『ここで大外からハッピーミーク!ハッピーミークが来た!』

 ハッピーミーク。
 ハッピーミークと言うのか。

 私がハッと彼女の名前を心中で叫ぶと同時に、ハッピーミークが1番にゴールを駆け抜けた。
 しばし呆然とした。束の間すぐに音量を上げてウィナーズサークルでインタビューを受ける彼女の声に耳を傾けた。

『今回のレース、執念の籠った走りでしたね』

『小さい頃に見て、憧れたウマ娘……"カムイアヴァランチ"さんに……見て欲しかったから……頑張った』

 なんてことはない答え。私の名前が出たのには少し驚いたが、でもそれくらいしかない。
 そのはずなのに、どうしてか私は一筋だけ涙を溢していた。

「おかーさん?どうしたの?」

 泣いている私に気がついた上の子供が、駆け寄ってきて手を握ってきた。
 私はなんでもないよと首を振って、どこか安心した表情でくすりと笑った。

 そうか。
 お前は、やっと。

『ぶい』

 一緒に、走れるようになったんだな。


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あとがき
あとがき


こちらはただのあとがきです。
作品の余韻を崩したくない方、また特に興味のない方はブラウザバックを推奨いたします。


 私の拙作「吾輩はウマである」を約2年間もの間追っていただいた読者の皆様へ。

 

 本作品はこれにて完結となります。

 長らくのご愛読、まことにありがとうございました。

 みなさんの応援があってこそ本作品を完結させることができたと言っても過言ではありません。こんなに長く続けられたのもまた、みなさんのおかげです。感謝の念は尽きません。本当にありがとうございました。

 

 さて、ここからは少しだけ裏話を。

 

 実のところ、本作品はダービーまでで完結させるつもりでした。なにせ主人公であるカムイアヴァランチの大目標がダービー制覇です。ここが終わってしまえば話としてはもうそこで終わりと言えるでしょう。

 ただ一方で、あれだけテイエムオペラオーと絡んでおいて戦わないというのは、読者のみなさんからしてもちょっとモヤモヤするんじゃないか。という気持ちもあり……。

 続けるか否か散々に迷った挙句、とりあえず続けてみよう。と思いこうして長々と続けてきました。

 正直私としては、これは好きな方には申し訳ないのですが、ダービーが終わった後の話はとても無駄な部分が多いので、どうも自分としては心残りのあるものばかりです。夏目漱石要素も段々と抜け落ちている気がして、自分の中では下手な文章になってしまいました。

 機会があればもっとうまく書き直したいところではありますが、さすがにここまでの長さとなるとすべてを書き直すのは厳しいのも事実。

 自信の至らなさに心苦しい気持ちです。もっと文が上手ければ……! 

 それから、このお話の終わり方ですが実は書く前から最初に決めてありました。

 有馬記念を黄金世代と覇王世代で走る。白毛の友人の生まれ変わりのハッピーミークを見て大人になった主人公のカムイアヴァランチ涙する。

 この部分は当初からずっと考えていて、いつ書こうかと考えていました。こうして終わりをかけたのは感無量の至りです。

 待たせてすみませんでした……! 

 

 

 最後に自分語りです。

 本作品は自分にとって大きな転換となった作品です。

 同人誌というものを初めて作るきっかけとなり、リアルイベントでの頒布、さらにはDLsiteの電子書籍販売。多くの初めてを本作品を通して経験させていただきました。

 しかも電子書籍ではみなさんにご好評いただき、100部以上ものDLをいただいて、本当に思い出深い作品となりました。

 まあ現物の本は地方イベで10冊配っただけなのですが、でもとっても楽しかった……! 

 もし2024年のコミケに参加するなら、新装版として改めて吾輩はウマであるを頒布したいですね。需要があるかは分かりませんが。

 

 

 さて、長々とお話ししましたがこれにて本当に終了です。

 改めてみなさん、2年間の応援ありがとうございました! 

 またどこかでお会いする機会がありましたら、生暖かい目で見ていただけたら幸いです! 

 それでは、したっけねー!




 吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
 本編に大幅な加筆修正に加え、新規エピソードが追加されていたり、各主要キャラの設定を見直したりと、いろいろな部分に手を加えています。
 以下のサイトにてDL可能ですので、まずは体験版からどうぞ。

【DLsite】
 https://www.dlsite.com/home/work/=/product_id/RJ369814.html

【メロンブックス】
 https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=1199029


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