〜鳴神の太刀〜 ゴブリンスレイヤー フロムイミテイシヨン (Jack O'Clock)
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Session 1:嚆矢の章
1-1:雷光/Arrival


 

 からころ、ころから、からころりん。

 

 そうです。

 

 今日も今日とて神々は卓を囲い、賽子(サイコロ)を振っています。

 

 やれ、出目がいいとか悪いとか。一、足りたとか足りないとか。一喜一憂、阿鼻叫喚。阿鼻や叫喚とはいったいなんのことでしょう。どこかの神様が拵えた世界観設定(シナリオソース)でしょうか。

 

 なんといったって、神様ですからね。ちょこっと世界を創ったり広げたりするなんて、あっという間に……とは、いきませんが。何週間か何ヶ月か、それとも何年か。それくらいの時間があれば、できてしまいます。

 

 始まりは迷宮(ダンジョン)一つに街一つ。それが国になり、大陸になり、そのうち惑星、ついには宇宙へ。

 

 そんなふうにあちらこちらの神様が、あちらこちらをいじくっているものですから、すべてを把握するなんてとても、とても。創った本人たちでさえ、ひょっとしたら色々と忘れていたりして。だからこそ、常に新鮮な喜びがあるのかもしれませんが。

 

 ……おや。また何か、新しいことが始まるようですよ。

 

 《幻想》の神様が、分厚い本を抱えてやってきました。どこからともつかない月の光にずっと照らされている、不思議な本です。何事かと、ほかの神々の注目が集まります。ひとしきり顔ぶれを眺めてから、《幻想》は喜色満面、叫びました。

 

 サプリメントを持ってきたよ!

 

 おおっ、と歓声が上がります。だって追加要素(サプリメント)ですよ、サプリメント。未知の舞台、未知の怪物(モンスター)、未知の武器防具呪文。考えただけでワクワクしてきますね。神々も興味津々で、めいめいに煽り立てます。

 

 見せて見せてと《真実》が。早く早くと《時》が。後ろのほうで静かに微笑んでいるのは、はて。あちらの(ジン)様はどなたでしょう。

 

 何はともあれ。《幻想》だってもちろん中身が気になって仕方がありませんから、勿体つけるのもそこそこに、表紙を開きました。

 

 やがて、神々は新たな冒険譚を綴り始めるでしょう。私たちのよく知っている(知っていますよね?)ものとは、どこかがちょっぴり違う世界の物語。《宿命(フェイト)》と《偶然(チャンス)》に翻弄されながらも、己の意志(ロール)を貫く、愛すべき冒険者(プレイヤーキャラクター)たちの軌跡。それは多くの例に倣い、主人公の瞼と共に、幕を開けるのでした。

 

 

 

§

 

 

 

 土と草。まず、それだった。

 

 次いで男は、自身がうつ伏せに倒れていることを知った。軋む体をなんとか起こし、呻きながら立ち上がる。傍らに散らばる炭化した木片を、素足が蹴った。

 

「ここ、は」

 

 先の呻きと区別のつかないようなひび割れた音が、渇いた喉から吐き出された。虚ろな瞳を巡らせれば、斜陽に染まるどこかの森の中だった。どこか。少なくとも、元いた土地ではない。樹木の色形が、風の運ぶ匂いが、遠く聞こえる鷦鷯(ミソサザイ)の歌声が、彼の慣れ親しんだものとは違うようだった。

 

「……俺は」

 

 生きている。身の丈二メートル近く(六尺五寸)のその長躯、晒された上体はまさに満身創痍だ。火傷を通り越してドス黒く焼け焦げた両腕。額に首にと、全身を覆う無数の刀傷。心臓を串刺されたとしか思えない痕すらある。にもかかわらず。

 

「生きている、のか。何、ゆえに」

 

 何より大切な故郷(くに)を守るためにと、何一つ手段を選ばず、何もかも擲った。そうまでして、結局何もできなかった。最後まで見届けることは叶わなかったが、それでもなぜか今の彼にはわかった。わかってしまった。すべて焼かれ、奪われたのだ。何もかも。何もかもが。

 

「生き延びて、しまった」

 

 彼は苦心して立たせた体から力を放り出し、両の膝を突いた。

 

 多くの兵が死んだ。彼の言葉に従って。多くの将が死んだ。彼のことを信頼して。積み上がる屍を前に、尋常の術では勝てぬと悟った。それゆえに狂った薬師の口車に乗り、禁忌にすら手を染めた。変若水の調べ、不死の験し。多くの民が死んだ。彼の顔さえ知らぬままに。多くの民が死んだ。死に切れぬままに、心だけが。なのに、男は生きている。

 

『有死之榮、無生之辱』

 

 すなわち、誉高き死はあれど、恥に塗れて生きることなし。そんな文言の書かれた旗印を、翻していながら。咎める者が幽世にしかいないとしても、彼は己の有様を許してはおけなかった。腰の後ろに手をやれば、そこには命を預ける業物が一振り。躊躇なく鞘を払い、刃長約一四〇センチメートル(四尺六寸)の大太刀を夕焼けにかざす。これからすることに用いるにはあまりに長すぎるが、ほかに相応しい道具を持ち合わせていないのだ。

 

 義に背き誠に悖り、仁を捨て礼を欠いた。忠義を捧ぐべき祖国は滅んでいる。武士の名誉は九分九厘損なわれ、最後の一片、勇あるのみ。かくなる上は、腹を切って果てるほかに道はなし。辞世の句もなく介錯も望めないが、そんな贅沢な考えがちらとでもよぎったことさえ、彼は恥じた。

 

 刀身を掴む。死闘を経てなお鋭さを失わぬ刃が、主人の指に噛みつき血を啜った。ゆっくりと、持ち上げていく。

 

「さらば」

 

 誰に対してか。何に対してか。口を衝いた別れの言葉は、彼自身にさえその意図を理解できぬうちに、森のざわめきに吸い込まれていった。

 

「い、や、誰、誰か、助けて、助け、助けて!」

 

 ざわめきと呼ぶには、その声はいささか明瞭にすぎた。女の声だ。若い、あるいは幼いと言ってもいい。男は黄泉路の旅支度をする手を止めた。再び立ち上がり、今度は刀の柄をしっかりと握る。いくつかの足音と叫び声が、急速に近づきつつあった。

 

「はっ、はっ、あ、ああっ!」

 

 息も絶え絶え、涙でろくに前も見えていない少女が、足を縺れさせそうになりながら走り込んできた。年の頃は十三、四か。痩せた体を必死に動かし、黒髪を振り乱して、()()から逃げている。

 

「GROBROB!」

「BROGOG!」

「GOBOR!」

 

 それはおおむね人型をしていた。それは少女よりも背格好が小さかった。それはくすんだ緑の肌をしていた。それは言葉とも鳴き声ともつかぬ音を汚らしい唾液と共に撒き散らしていた。それは粗雑な棍棒や石斧で武装していた。

 

 それは、怪物だった。

 

「餓鬼……?」

 

 いつか目にした絵巻物を想起し、やはり己はすでに地獄に落ちていたのかと男は戸惑う。いや正しくは餓鬼は地獄の住人ではなかったような、とも。

 

 なんであれ。彼に戸惑いあれど、迷いはなく。体は自然と動いていた。

 

「ひうっ!?」

 

 刃物を持った半裸の大男が眼前にいたらどうするか。悲鳴を上げて回れ右が模範解答だとしても、怪物たちが背後に迫る少女にはそれすら困難で、踵を返す代わりに立ち竦んだ。恐怖のあまりギュッと目をつぶった彼女のそばを、男は駆け抜けていく。

 

「GROOBG!」

 

 では怪物どもはどうするか。驚きはしたが、邪魔が入ったことへの憤りが勝る。武器を構え、返り討ちだと跳びかかった。

 

 まったくもって、愚かだった。

 

「ふっ!」

 

 片手打ちにて首を一閃、返す刃で後続にも同じ死に様を与えた。打突の勢いは凄まじく、払うまでもなく血糊が刀身から散っていく。筋力技量、間合いにほか諸々。数以外のすべてにおいて、男が圧倒的に上だった。

 

「GRRRO!?」

 

 頼りの数すらも失って、遅れていた最後の一体はようやくやるべきことに気がついた。回れ右だ。その判断もまた遅れているが。男は納刀すると背負っていた大弓に左手を伸ばし、右手は腰に差した(うつぼ)を開いて矢を抜き取った。構え、起こし、引き、放つ。流れるような動きから送り出された矢は怪物の後頭に追い縋り、これを粉砕しても足らず、(ナラ)の大木に深々と突き刺さった。

 

「存外にたやすい。おい、娘」

「あっ……ぃ」

 

 恐る恐る、といった様子で少女は振り返った。横たわる骸には、さほど大きな反応は示さない。いまだ滲む視界の中で、下緒を手繰り弓を背に戻した男の姿は、翼を生やしたようにも見えた。

 

「大事ないか」

「平気……です。ありがと、ございました」

「よし。して、こやつらはなんだ」

 

 無残に転がる怪物たちを見下ろし、男は顎に手を置こうとした。指先の感触で、髭を剃る暇もなかったことを思い出し、わずかに顔をしかめる。

 

小鬼(ゴブリン)、です。たぶん。本物見るの、初めてです、けど」

五布林(ごぶりん)?」

 

 耳馴染みのない語感に首を傾げる。彼はそこで、眦を拭った少女の容貌に南蛮人の特徴を認めた。己はいかなるわけか異国に流れ着いたのか、ならばゴブリンとは異国の物怪どもか。などと考えを巡らせたものの、事ここに至ってはすべて詮なきことと結論づけ、目線を外した。

 

「まあ、よい。ではさらばだ、娘」

 

 今度こそ、別れを告げて歩きだす。為すべきことなきゆえに、為さねばならぬことがあるのだ。

 

「あ、ま、待って、待ってください!」

 

 驚いた。言葉を発した本人が、だ。このままいかせてはならないと、なぜかそう思い、口を開いていた。彼女がいずれかの神に仕える者ではない以上、天より託宣(ハンドアウト)が下ったわけでもあるまい。それは直感(インスピレーション)だった。

 

 男は背を向けたまま、だが足は止めた。

 

「その、えっと、えっと……」

 

 声をかけたはいいが、当然そのあとに窮する。彼女の決して豊富とは言えない人生経験の中に、こんな状況に即した教訓が、都合よく書き記されているものだろうか。

 

「こ、これ、どうぞ」

 

 何が正答なのかは不明なまま、それでも行動することを選んだ。ポケットに入っていた小さな布の包みを開き、不恰好な焼き菓子を差し出したのだ。

 

 男は逡巡した。南蛮焼き菓子(ビスカウト)なら一度食べたことがあり、少女の渡そうとしているものがその類であることは、すぐにわかった。空腹かと問われれば、そのとおりでもあった。しかしながら、これから切る腹に何かを収めるというのは。

 

「いらない、ですか」

「いや、貰おう」

 

 今にもまた泣きだしそうな表情をしていなければ、断ることもできたかもしれないが。彼はいくつか重ねられたそれを一つ摘み、口に運んだ。

 

「んぐ、げほっ!」

「ああっ、ごめんなさいごめんなさい、まずかったですか!?」

 

 やはり泣きだしそうになる少女を手で制しながら、男はなんとか菓子を飲み下した。

 

「喉が、ひどく渇いていた、ゆえ。咽せてしまっただけだ。案ずるな、うまい」

 

 味は薄く、辺りに漂うゴブリンの血の臭いが煩わしかったが、それでも世辞ではなかった。彼には、まともな食べ物などひどく久々なように思われたのだ。

 

「それならお酒、だよね。村に帰れば……あっ」

 

 何事か呟いていた少女だったが、ハッとして周囲を見回すと、この世の終わりのような面持ちになった。

 

「どうした」

「帰り道、わかんない……」

 

 森の奥に入ってはならない。そう父親から言いつけられていたし、ずっとそれに従ってきた。ただどうしてか今日はいつもより好奇心の強い日だった。彼女は、冒険がしてみたくなったのだ。その結果がこれだ。またまた泣きそうになるのも無理からぬこと。

 

「方角は」

 

 鼻をすすりながら、少女はかぶりを振った。

 

「どうしたものか」

 

 放っておく気にはなれなかった。もっとも彼自身、先頃この地で目覚めたばかり。早くも手詰まりの感に苛まれ、天を仰ぐ。すると、木々の狭間から一筋の煙が見えた。

 

「む」

 

 根元に少女の住む村があるとして、黒々としたそれを煮炊きの煙と見紛うほど、彼は呑気ではなかった。火の手が上がっているのだ。

 

「……ゴブリン……!」

「何? ゴブリンがどうした」

 

 少女も黒煙に目を留めたが、見る間に青ざめていく彼女の想像は、男のものとはいささか異なっていた。

 

「聞いたんです。ゴブリンはすごく弱い、から。たくさん集まって、それで、悪い事するって」

「このような妖怪(あやかし)が数多いるのか。ならば、御免」

「わっ!?」

 

 この場に置いてもいけぬと、男は少女を小脇に抱えて走りだした。人攫いめいた様相だが、顔が進行方向を向くようにするくらいには気を遣っている。少女は反射的に身をよじったが、すぐにおとなしくなった。落とさないように焼き菓子を胸元に掻き寄せる様は、何かに祈っているようでもあった。

 

 日はいよいよ陰り、宵闇が彼らを追い立てる。やがて人の時間は終わりを告げ、怪物たちの夜がやってくるのだ。

 

 

 

§

 

 

 

 さすがに帰りが遅すぎる。突然の雷鳴をきっかけに、不安が彼の内から溢れ出していた。

 

 手入れだけは欠かしていない古びた長剣と盾、それに鎖帷子の重さが、戦場を離れて久しい肉体にのしかかる。(きこり)の真似事程度では、戦士の体力を維持するのは難しい。歳も取った。昔のようには動けまい。彼の杞憂であれば、そんなことは問題にならないのだが。

 

 自分などよりよほど賢いし、聞き分けのいい子だからと油断していた。子供のことはよくわからないと、放任主義を気取って諦めていたツケが回ってきたのか。いつもどおり少し進んだ辺りで遊んでくるだけだろうと、森に入る彼女を見送ったことを、彼は後悔していた。

 

 だから、こうして迎えにいくのだ。完全装備とは大袈裟な、と笑われるだけなら、それに越したことはないのだから。彼は娘の笑顔を思い浮かべようとして、うまくいかなかった。笑いかけられたことがあったかどうかさえ、判然としない。

 

 竈の残り火を移した角灯(ランタン)をベルトに提げ、建てつけの悪い戸をくぐる。誰かが悲鳴を発したのは直後のことだった。

 

「なんだ!?」

 

 答えは自らやってきた。欲望と悪意をともがらにして。

 

「BRBOG!」

「畜生が、ゴブリンかよ!」

 

 ここが村外れだからか、二体だけだ。戦士はまず短剣持ちの肩口を袈裟懸けに裂き、武器を取り落とした隙に腹を薙いだ。はらわたも落とし、間もなく命も落とすだろう。続く棍棒の振り下ろしは盾で受け流し(パリィ)、ガラ空きとなった胴の中心へ致命的(クリティカル)な一突きを見舞う。片割れよりは安らかな最期を迎えたゴブリンを足蹴にして、戦士は剣を引き抜いた。

 

 ゴブリンは弱い。腕力も知恵も悪童のそれと大差ない。最弱の怪物という評価もむべなるかな。とはいえ武装した悪童が三、四人もいれば、大人一人殺すぐらいのことはできる。それがもし三十や四十ならどうなるか。答えは火を見るより明らかであり、あまつさえ現実に火は見えていた。

 

「クソッ、どうすりゃいい」

 

 ここですぐさま森に走ったとしよう。辺境の開拓村にしてはそれなりの規模ではあるが、住民の自衛力などたかが知れている。破落戸(ごろつき)めいた彼を疎んじこそすれ、追い出すことはせずにいた村人たちだ。彼は自分が戦況を左右するなどと自惚れてはいないものの、それは見切りをつける理由にはならなかった。そも、一人で暗い森に分け入って人探しというのはあまり現実的ではない。最悪の場合、入れ違いになって娘はゴブリンの餌食だ。方針は定まった。

 

「おい、かかってきやがれゴブリン! 後悔させてやるぜ!」

 

 妻子を庇う農夫に四又の鋤を向けていたゴブリンは、挑発(プロヴォック)が通じたのか、標的を切り替えた。穂先を突き出すその足捌きはどうにもおぼつかない。矮躯に不釣り合いな長物はあっさりと打ち払われ、前のめる勢いのまま剣尖に飛び込んで事切れた。

 

「ああ、あんた……」

「そいつを拾え。死にたくなけりゃあ、戦うしかねぇんだ」

「わ、わかった……ありがとよ。よしやるぞ、ゴブリンなんて怖くない、怖くない!」

 

 腰が引けていた。仕事道具を握り締める手が震えているのは、力んでいるせいばかりではないだろう。戦士からすれば、それで十分だった。

 

 襲撃が始まったばかりの今なら、村人たちと協力すれば勝ち目があるかもしれない。村の安全を確保したのち、娘の捜索を手伝ってもらえばいい。打算といえば、打算なのだろうが。英雄気取りの向こう見ずよりは、よほど賢明な判断だった。

 

「怪物狩りは専門外なのだが、な!」

 

 巨漢の猟師の薪割り斧が、軽い頭蓋を真っ二つにした。見事な一撃だったが、食い込んだ斧頭を抜くのに手間取ってしまう。その様を嘲笑いながら襲いかかる別の個体を、戦士の盾が跳ね飛ばした。

 

「今だ、やれ!」

「う、うおわあぁぁ!」

 

 乾坤一擲の突撃を敢行した農夫は盛大に転倒したが、繰り出された鋤の先端はゴブリンの顔面を捉えていた。賽の目は彼に味方したのだ。

 

「やった、俺はやった!」

「いいぞ、その調子だ。おい、あんたもまだいけるよな」

「ああ。ゴブリンだらけだ、休んでいられん」

 

 ゴブリンは殺せる。小鬼禍(ゴブリンハザード)は災害ではない。立ち向かい、乗り越えるべき障害物にすぎないのだ。実状がどうあれ、そう認識させることが肝要だった。

 

「武器を持て! やつらを殺せ! 家族を守れ! 村を守れ!」

「おおぉぉぉッ!」

 

 剣を掲げ、鬨の声高らかに。続々と戦列に加わる村人たちの先頭に立つ戦士の姿は、詩に歌われる英雄のごとく。柄にもない、と当人としては不本意だったが、やむなしと割り切った。士気(モラル)の高低が戦いの趨勢を決することはままあると、彼は知っている。

 

 そして彼は、英雄とてたった一本の無粋な横矢で死ぬことも知っている。

 

「うっ!? 弓兵だ、気をつけろ!」

 

 肩を揺らす衝撃と鈍い痛みに声を漏らすも、痛痒(ダメージ)にはならない。鎖帷子は刺突を苦手とするものだが、子供にも扱える弱弓に造りの粗い石鏃の矢、あげく遠間からともなれば。

 

「間に合わねぇか……!」

 

 と言っても、やはり射程は強みだ。接近を試みる戦士は二の矢の阻止は不可能と見るや、盾を引き上げた。

 

「BRGRGRG!」

 

 真っ直ぐ向かってくる相手などいい的だと、弦を引こうとした射手の側頭を石ころが打った。怯み、喚き、投石の主を探そうとしたところで鳩尾を長剣が抉る。そこから顎まで斬り開かれ、無粋の代償を払い終えた。

 

「助かった。やるな、坊主」

「お、俺は長男だからな、家を守るんだ。ゴブリンくらい、どってことないさ!」

 

 小さな体を精一杯大きく見せるように胸を張る少年。彼が察知したときにはもう、その身は影に入っていた。

 

「退がれッ!」

 

 容赦なく振り下ろされた()棍棒は、戦士の盾に阻まれ届かない。力比べは膠着状態を生み、尻餅を突いた少年はその間に這うように逃げていった。

 

「なんなんだよ、こいつは」

 

 ゴブリンに田舎者(ホブ)と呼ばれる種が存在すると知る者は、この村にはいなかった。背丈は戦士よりも高く、脂肪で膨らんでいるせいかそれ以上に大きく見える。その体格が見掛け倒しではないことなど、操る得物から推し量れようというものだ。

 

「厄介な野郎だぜ」

 

 拮抗を破り、仕切り直す。防御などしていてはいずれ保たなくなると判断し、戦士は痺れの残る左手を盾から離した。両手で保持した剣を顔の右側に引き寄せ、相手に突きつけるようにして構える。

 

「HUURG!」

 

 技も何もない力任せの兜割り。それは実際に兜を割ってみせるだろうし、人の頭も砕くだろう。守りを捨てた戦士は即座に転がり(ローリング)、回り込んで脇腹を斬りつけた。ただのゴブリンならこれで終いだが、この手合いには決定打たりえない。返す一手は中段の横薙ぎ、再度後退して回避が定石か。

 

「う、おおッ!」

 

 否、あえて踏み込む。逆袈裟斬りでもって、棍棒の軌道をこじ開けた。さらに肉薄し、心の臓を突き上げる。宙に浮いた巨体を地面に叩きつけ、完全にとどめを刺した。

 

「はっ、はぁ、どうだ。舐めるなよ、ゴブリンめ」

 

 剣を杖に数秒、息を整える。そのはずが、彼は息を呑んだ。

 

「HUGBBR」

「HRRUG」

 

 ホブゴブリンがもう二体、加えて通常のゴブリンもいまだ数多く。戦士たちは半包囲されつつあった。

 

「……ハハハハハ」

 

 追い込まれると笑うしかなくなるという話は本当だったと、彼は学んだ。決意、覚悟、奮戦。誰も彼もが人事を尽くしてもなお、悲劇を覆すことは能わず。

 

 だが、時間(ラウンド)は稼げた。

 

「HGU!?」

 

 ホブゴブリンが死んだ。胸から刃を生やし、打ち倒されて即死した。先ほど戦士が仕留めた個体と似た最期ではあるが、込められた威力の桁が違う。大地が爆ぜ、土煙が立ち込めるほどだ。その中心にいる何者かへと、もう一体が鶴嘴を振り抜いた。武器が柄だけになるのを目の当たりにしたホブゴブリンは、それが一瞬あとの己の似姿だと、ついぞ思い至ることはなかった。

 

「お父、さん、お父さん!」

 

 その場に集う者たち、ゴブリンも含めた全員が唖然とする中。戦士のもとに走り寄る黒髪の少女は誰あろう、彼の娘だった。

 

「お前……! よかった、無事だったか!」

「うん。助けてもらった、から。あの人に」

 

 吟遊詩人曰く。その手に細く流麗なる湾刀あり。盗賊山賊撫で斬りに。巨人に魔神、何するものぞ。卓越した剣士、なれど騎士にあらず。ときに神秘の術放ち、されど魔術師にはあらず。かの(つわもの)どもは、こう呼ばわれる。

 

「侍、さん」

 

 男は、侍は。こうして戦場(いくさば)に参じたのだ。

 

「よい娘だ、守ってやれ」

 

 肩越しに一言だけ。すぐに向き直り、敵陣を睥睨する。両足を前後に開き、刀を脇に引き、切先は正面に。左手は、峰の上に漂わせておく。独特の構えだった。

 

「ああ……ああ! おいどこかに、ん、いや。俺のそばを、離れるなよ」

「うん、わかった」

 

 娘を背に隠し、戦士は立つ。彼だけではない。ほかの村人たちもまた、ゴブリンなどに負けるものかと戦意を取り戻しつつあった。風向きが変わったのだ。

 

「貴様らを見ていると、乱破(らっぱ)の衆を思い出す。どこからでも潜り込み、鬱陶しく這い回る鼠ども」

 

 前へ。

 

「一匹たりとも、生かしてはおけぬ」

 

 疾駆する。衝突する両軍、先陣はもちろん侍だ。迎え討つゴブリンは一太刀で二つ首を刎ね、頭を断って三つ、胴体を輪切りにして四つ、刺し通して五つ。

 

「GRGRRB!」

「ふん」

 

 飛来する弓矢を三本、羽虫のように打ち払い、足首を刈らんとする手鎌を跳び越えた。自らの身長ほどの高さに達した侍の姿は、ゴブリンの低い視点では追いきれない。地に縫い留められ絶命するまでのわずかな猶予は、疑問をいだくことに費やされた。

 

 刀身が埋まったのを好機と躍りかかった隻眼の一体を、燃え盛る家屋に蹴り込み、侍は弓に矢を番える。鳴弦は三つ、断末魔の絶叫はなく、代わりに骨肉の砕ける音が三度あった。

 

 大太刀が、大弓が。長剣が、鋤が、斧が。ゴブリンを殺す、ゴブリンを殺す、ゴブリンを殺す! 襲撃者たちは獲物に堕ち、となれば当然、逃げ惑う者もいる。その頭上。

 

「GRBG! GRR? BG——!」

 

 何かが降ってきた。いや()()()きた。灰色の化物だった。

 

 へたな民家など見下ろせるほどの肥え太った巨躯に短い脚、対照的に長い腕。牙の蠢く頭部には黄色い三つ眼が不気味に光り、また羊角が弧を描いている。丸めた背中には、およそ飛行には適さないと思える小さな蝙蝠羽があった。それはまさしく悪魔、魔神(デーモン)だった。

 

「DEEEEAAM!」

 

 その手足だけでも人のごときには恐るべき凶器となろうに、一対の大斧で武装してさえいた。こんな手合いに、誰が挑みかかれるというのか。

 

「あれが(かしら)か」

 

 無論、侍だ。刀を鞘に戻し、弓を大きく引く。限界まで力を蓄え放たれた矢は角に亀裂を生じ、相手を大きく仰け反らせた。眼に当てるつもりだったが、防御されたのだ。これは生半にはいかぬと、侍は警戒を強めた。

 

「DAEAAA!」

 

 激昂と共に羽ばたいたデーモンは物理法則を無視した挙動で浮揚し、やはり物理法則を無視した急加速でもって突進する。剛力、などという次元ではない猛打に、侍は刃を合わせた。続けて右、左と絶え間なく繰り出される攻撃を巧みに捌き、合間に手指を斬り刻んでいく。デーモンの生命力たるや真っ当な生物の比ではなく、少々の傷はすぐに塞がるはずが、再生が追いついていない。切創が深すぎるのだ。ジリ貧を嫌ったか、半歩退がったデーモンは体を捻り、竜巻じみた回転連撃で擦り潰しにかかった。

 

「膂力に頼るか、莫迦め」

 

 その膂力こそが最大の暴威であると証明すべく、次々に大斧が叩き込まれる。侍はこれをことごとく弾き、一歩も引かない。対するデーモンは徐々に太刀筋が乱れ始めていたが、ここで止まれるわけもなく。主導権がどちらにあるかは明白だった。

 

「はぁッ!」

 

 押し返されたのはデーモンの方だ。たまらず飛びすさり、高く上昇する。先ほど以上の速度でもって、轢殺する魂胆だ。

 

「甘い」

 

 広げた両翼を矢が穿つ。風を打ち揚力を得るためのものでなくとも、何かしら飛行するための機能を担う部位には違いない。散々喧嘩を売った物理法則の見えざる手に捕らえられ、デーモンは錐揉みしながら高度を落としていく。そんな死に体でも剣戟に応じようとしているのだからたいしたものだが、この侍を前にしては悪足掻きにすらならない。

 

「NNAANEEEOO!?」

 

 墜落寸前、両者が交差すると、巨大な左手が宙を舞った。傷口から噴き出すおびただしい鮮血の中で、デーモンは溺れるようにのたうち回る。ややあって、体勢を立て直した彼の前には、侍が息一つ乱さずに佇んでいた。

 

「その血の量で動くか。さて、幾たび斬れば死ぬものか」

「MDEEAAA!」

 

 苦戦している。気圧されている。たった一人の侍に。その事実から逃れるように、デーモンは吶喊した。捨て鉢同然の無策な攻勢だ。この一騎討ち、もはや勝負は見えた。本当に、一騎討ちであれば。

 

「何……!?」

 

 侍の左腋の下辺りに、矢が浅く突き立った。粗製の品だ。鎖帷子でも装備していれば防げた程度の。それでも生身の肌には確かな痛痒があり、思わず矢道を辿った視線は、ゴブリンの隻眼とぶつかった。気が逸れたのだ。

 

「ぐうっ!」

 

 刀を盾にできたのは、幸運ではなく技量ゆえ。吹き飛び、家屋を貫通し、地面を跳ね、侍はそこでようやく止まった。総身が痛む。息が苦しい。ということは、生きている。

 

「まだ、だ」

 

 侍と呼ばれたのだ。戦に敗れ、侍う先を失った牢人にすぎない彼が。あの少女は、言葉の意味を正しく理解してなどいない。それでも侍と、そう呼ばれたのだ。

 

 一宿なくとも一飯の恩義あり。義を語る資格なき身であっても、侍とは御恩に報いる者なれば、このまま死ぬわけにはいかぬ。為すべきことが、あるのだ。

 

 動けるか。少なくとも四肢は揃っている。立てる。

 

 得物はあるか。刀はどこかへ消えている。弓はある。支障なし。

 

 矢はあるか。靫をまさぐる手は空を泳いだ。致し方なしと、自身に刺さったままだった矢をむんずと掴み、眉一つ動かさずに引き抜く。矢はある。戦える。

 

 では勝算はあるか。侍はそれを夜空に求めた。赤と緑の()()月が、彼を睨み返していた。ここではお前の常識は通用しないと、静かに教えるように。その月影、たちどころに朧と白み、全天は渦巻く雲に塗り潰された。彼方に稲光が燻り、雷電竜が喉を鳴らす。

 

「巴の、雷」

 

 空ではなくただ一人を見据え、デーモンが歩み迫りくる。憤怒して、歓喜して、怨敵に引導を渡さんと斧を振り被る。全力を込めた薙ぎ払い、侍はこれを跳躍にて躱した。

 

「見せてやろう!」

 

 宙空で弓引けば、渦雲よりこぼれ落ちた黄金の輝きが矢に宿る。解き放たれたそれはまさに一条の雷光となって、轟音伴い飛翔した。

 

「DAEEENN!?」

 

 肉が爛れる皮が裂ける心臓が鷲掴まれる。痙攣するデーモンの右手から斧が滑り落ち、一歩、二歩と後ずさる。そこで、踏みとどまった。渾身の一射は、手首から先のない左腕に阻まれたのだ。まともな矢であれば、狙い違わず喉笛まで貫けたかもしれない。あるいは、侍が万全の状態であれば。

 

「うぐ、あ」

 

 体にうまく力が入らず、呼吸は浅く速い。あの矢には、毒が塗られていたのだ。同じ矢を受けたデーモンはどうかといえば、瀕死ながらも持ち直し始めている。効かないのか量が不足なのか、いずれにせよ影響は皆無だった。

 

 骰子の目が一足りた、足りない。そうして生まれるわずかな差が、勝敗を、生死を分ける。要するに、運がよかったのだ。

 

 つまり——繰り返しとなるが。時間は稼げた。

 

「こっち、見なさい!」

 

 言われて振り向いた三つ眼、うち二つが射抜かれた。笹葉のような長耳の麗人が、外套と翡翠の髪をなびかせて家から家へ跳び渡り、空中から矢を放ったのだ。文字どおり目を奪われたデーモンは、低く馳せる小さな者に気づかない。

 

「《仕事だ仕事だ、土精(ノーム)ども。砂粒一粒、転がり廻せば石となる》!」

 

 短躯ながらも恰幅のよい、白髭の老爺と思しき男が詠う。振り撒いた砂は無数の礫に変じ、標的を滅多打った。

 

「MOAAND!」

 

 逆上とは言うが、頭に上る血ももう乏しいのか、デーモンはいくらか冷静になっていた。射手と術師は邪魔くさいが、それよりもまず目の前の侍を。武器を拾う手間さえ惜しいと、徒手のまま殴りかかる。次の瞬間、彼は己の指が折れる音を聞いた。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らを、どうか大地の御力でお守りください》」

 

 侍の後方、金髪の少女が錫杖を瀟と鳴らす。その真摯な祈祷に応えた神が霊験を賜い、聖なる光の壁が彼らを守ったのだ。敵対者には不可視となるこの守護に拳を打ちつけたデーモンは、骨が肘を突き破る憂き目に遭っていた。激痛と反動に耐えきれず、跪く。

 

「迂闊なり! 往生せよ!」

 

 緑の鱗持つ二足の蜥蜴がこの機を逃すまいと、何かの牙を研ぎ磨いたものらしい曲剣を振るった。立ち上がろうと体重を預けた足の腱を切断され、デーモンは膝立ちの格好となる。

 

「DEANAMMMDOO!」

 

 暴れ狂い追撃を拒むも、体幹が崩れ、あえなく倒れ込む。片腕でかろうじて体を支え、デーモンは見た。人一人の目方など軽く上回るであろう、超重量の大斧を肩に担いだ、侍を。

 

「う、お、おおッ、オオォォォ!」

 

 叩いて、潰す。幾人もの血肉を貪ってきた斧は、主の脳髄を最後の晩餐として、その役目を終えたのだ。

 

「貴様とて、一たびは横矢に救われたのだ」

 

 侍もさすがに力尽き、ばったりと地に伏せた。意識は朦朧としていたが、死の気配は感じていなかった。

 

「卑怯、とは……言うまいな」

 

 彼は、ここに、生きている。

 

 

 

§

 

 

 

 そのゴブリンもまた、まだ生きて、走っていた。隻眼で後ろを見やれば、村はもう遠い。

 

 やってやった。あの男、今頃はデカブツに叩き潰されてるぞ。火の中に蹴り飛ばすなんて酷いことをしたのだから、殺されて当然だ。襲撃には失敗したが、自分は健在だし、最高だ。ねぐらに帰り、傷を癒し、群れを率いてまた襲えばいい。そうだ、今度は自分が長になるのだ。死んだ間抜けどもと違って、賢く立ち回って生き延びた自分ならきっとうまくやれる。あんなでかいだけのやつよりも、ずっとうまく。

 

 など、と。ゴブリンの思考など皆このようなものだ。自分が中心で、自分のおかげで、他人のせい。残虐で悪知恵ばかり働き、欲望に忠実で、そのくせ危なくなればすぐに保身に流れる。

 

 ゆえにこれは、当然の帰結と言えよう。

 

「逃げられるとでも思ったか」

 

 男がいた。周りに散乱しているのは、ゴブリンの死骸だ。彼は安っぽい鉄兜を被っていた。ゴブリンの奇襲に備えるためだ。要所に金属をあしらった革鎧は血が跳ね、そうでない箇所ももれなく薄汚れている。ゴブリンに金臭さを気取られないようにするためだ。物の具の隙間から覗くのは目の細かい鎖帷子。ゴブリンの毒矢や毒短剣から身を守るためのものだ。左腕には持ち手のない小型の円盾を括りつけてある。ゴブリンの巣の中で松明を握るためだ。右手には折れて半分ほどの長さになった直剣。ゴブリンから奪ったものだ。

 

 ゴブリンの考えを読める者がゴブリンと戦うための装備でゴブリンの武器を携えゴブリンの返り血を浴びゴブリンと対峙している。これから何が起こるかなど、それこそゴブリンの頭脳でも予想はつく。

 

「ゴブリンどもは、皆殺しだ」




◆雷角◆

 異郷の侍が佩く大太刀。かの地の刀匠の手になる業物。磁鉄で鍛えられた刀身は硬さと粘り強さを併せ持ち、折れず曲がらず、また鋭い。

 彼は元服以来、ずっとこの刀と共にあった。いつか師の高みへ上り詰めんと、ただひたすらに修練に明け暮れた。大切な、思い出だ。

 刻まれた銘は、"雷角"。

 その切先、神なる竜の角のごとくあれ。


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1-2:明日への道行/Brand New Day

 

「ぐっ」

 

 また小石でも踏んだのか、馬車が跳ね、侍の尻も跳ねた。元より人を運ぶことを前提としていない荷馬車だ。乗り心地など言うに及ばず、慣れぬ者にはつらい。一方ほかの乗客たちは平然としている。乗れればよし、それも幌つきなんて上等も上等、といった思考だった。

 

「毛布、敷きますか? それだと傷が痛むでしょうから」

 

 白い長衣(ローブ)の少女が鞄に手を入れるのを、侍はやんわりと制止した。

 

「心遣いまこと痛み入る。だが体に障りはない。お主のおかげよ」

 

 

 

§

 

 

 

「かたじけない」

「いえ。お役に立てれば幸いです」

 

 木陰に胡座をかいたまま頭を下げる侍の肩に、少女はそっと毛布をかけた。地母神に仕える女神官(プリーステス)たる彼女が何かを唱え手をかざすと痛みは薄れ出血も止まり、加えて常備していたらしい解毒剤(アンチドーテ)によって毒も抜け、侍は回復を果たしたのだ。祝詞を捧げ神の御業を顕す者。侍は彼女を(かんなぎ)の類だと解釈することにした。

 

 ゴブリンは死んだ。デーモンも死んだ。夜明けはまだ遠いが、辺境の村を襲った危機は去ったのだ。村人たちは手当てだ火消しだと忙しく動き回っている。皆疲れ切っていたが、どこか活き活きとしていた。

 

「お主らにも援けられた。礼を言う」

「なぁに、雷光の弓矢なんつう、珍しいもん拝ませてもろうたかんの。こらぁ、儂もなんぞ手妻の一つも披露せにゃならん、と思うてな」

 

 一人勝手に祝杯を上げる白髭の精霊使い(シャーマン)、あるいは道士は、東洋風の衣服にくるまれた太鼓腹をどんと叩いてみせた。顔立ちからして同郷ということもなかろうが、と侍は相手の出自を計りかねて小さく唸る。彼が鉱人(ドワーフ)やその他の種族についての知識を得るのは、もう少しあとのことだ。

 

「そう、それよそれ! 何さっきの! 魔術!? 奇跡!? それとも魔法の武器!? 私にもできないかしら!」

 

 運命的な美しさ、とでも表現すべきか。細くしなやかな肢体に狩装束を纏う耳長の野伏(レンジャー)は、同じ弓の遣い手として興味を惹かれたというより、じゃらされた子猫も同然の無邪気さで侍に迫った。背後から伸びた手に後襟を摘まれて回収されていく様は、これまた子猫めいている。太古の妖精の末裔、悠久を過ごす上の森人(ハイエルフ)にしては、なんとも落ち着きのない性分であるらしかった。

 

「怪我人ですぞ。自重召されい」

 

 侍よりもさらに大柄な蜥蜴人(リザードマン)は少女を降ろすと、鋭い爪の並ぶ指を複雑な形に組んだ。

 

「拙僧の連れが失礼をば。申し訳ない」

 

 その動作が合掌なのだと、侍は遅れて理解した。口振りから、この男(かどうかも判別できないが)は僧職である、とも。革と羽飾りの奇妙な出立ちは、どうしても僧衣には見えなかったが。

 

「ごめんなさい。すごく綺麗だったから、つい興奮しちゃって」

「構わぬ。それより、俺のことはもうよい。村の者らを助けねば」

 

 腰を浮かせようとするのを、女神官はやんわりと制止した。

 

「そうですね。では、私たちはいきますから。ちゃんと休んでないと駄目ですよ?」

「……あいわかった」

 

 こう釘を刺されては、頷くほかない。自覚なく無理をしようとする、どうにも仕方のない輩の対処には、手慣れた様子だった。

 

 高さのバラバラな後姿を見送り、侍はなんとなしに視線を上げた。すでに雲は散り失せ、空には双つの月が変わらずたゆたっている。道は二つ。生きるべきか、死ぬべきか。侍は、己に迷いがあることに気づいていた。それこそが、問題だった。

 

「よう、あんた。やっと見つけたぜ」

 

 そうしていると、鎖帷子の戦士が左腕を吊った姿で歩いてきた。別に侍を探していたわけではない。

 

「ほら、よ。ったく、よくこんな重たいもんブン回せるな」

 

 肩に担いでいた大太刀を、なんとか侍に手渡す。戦士とて筋力は人並み以上だが、愛剣の三倍もの重量となると軽々とはいかない。

 

「すまぬ、手間を取らせた」

 

 受け取ったほうは小枝か何かのように掌中で回し、刃や目釘を改め始めるのだから、戦士が何か不可思議なものを見る目つきになるのも当然だ。

 

「その腕はどうした」

 

 やがて満足したのか、侍は刀を鞘に納めた。

 

「戦ってる最中はてんで気にならなかったんだが、終わったら急に痛みだしやがった。たいしたことはねぇが、娘がな。おとなしくしてろって、手伝わせてくれねぇのさ」

 

 鉱人が火の前に仁王立つのが見えた。手にした盥からブチ撒けられた水が不自然にうねり、燃え上がる家屋に絡みつく。戦火が消えていく。

 

「森で何があったか、あいつから聞いたぜ。村でのことも含めて、本当にありがとうよ。あんたにゃあ、感謝してもし切れねぇ」

「よい。助けた折、あの娘から焼き菓子を貰った。とても、うまかった。その恩を返したまでよ」

「あいつが、そうか……そうか。そう、だったな」

 

 呟く戦士に、訝しげな視線が向けられる。ややあって取り繕うように肩を竦め、一言断ってから座り込み、木にもたれかかった。

 

「昔、傭兵だったんだ。俺が若い頃は、今より国が荒れてたからなぁ。腕っ節しか自慢できることのねぇ俺でも手っ取り早く金を稼げるっていう、安直な考えさ」

 

 この国の外交情勢が一応の平穏を得たのは十年ほど前、先王が崩御し現国王が即位してからだ。今が凪ならばかつては大時化だった。寄せては返す波濤に洗われる砂浜めいて、国境は何度となく書き換えられ、多くの命がそのなみまに消えていったのだ。

 

「あるとき俺のいた部隊が駐留してた村で、いい仲になった女がいてな。かっこつけて、馬鹿馬鹿しい理想の将来を語って、再会の約束をして……それっきりさ。何年かしたら、すっかり忘れてたよ」

 

 ありふれた、夢見る若人たちの儚い恋の物語だった。少なくとも、傍観する限りはその程度のものだ。当人たちにとっては、たいていはそんな耳触りのいい言葉で語れる話ではないが。

 

「だいぶあとになって、たまたまその村の近くを通る機会があった。それで急に思い出して、どうにも気になっちまってな。どのツラ下げてってやつだが、見にいったわけだ」

 

 後ろめたさからか、あるいは淡い期待でもあったものか。いずれにせよ、彼が何かを後悔したのは間違いない。

 

「村は飢饉にやられて、酷い有様だったよ。食い物目当ての連中が襲いかかってきやがる始末だ。そこに、あいつがいた」

 

 寝台に横たわる痩せ衰えた女性。すがりついて嗚咽を漏らす少女。二人を取り囲む、飢えに正気さえ蝕まれた村人たち。その場で行われようとしていたことについて、あえて語る必要はあるまい。

 

「例の女は死んでたよ。歳取って、骨と皮だけになっても、意外と誰だかわかるもんだ。で、あいつと話して、あいつが俺の娘で、母親がずっと俺を待ってたんだってことも知った」

 

 儚い恋などと、とんでもない。一生を懸けた大恋愛だったのだ。だが、すべては遅きに失した。

 

「俺は死体を担いで、あいつと一緒に村から逃げた。あいつはすぐに歩けなくなって、だから持ってた焼き菓子を食わせて、で担いだ。歩いて、歩いて、辿り着いたのがこの村だ」

 

 彼の住居、かつて老いた木樵が住んでいた小さな家の裏手には、簡素な墓標が建てられている。彼の良心の必死の抵抗の成果であり、また罪垢の証でもあった。

 

「傭兵稼業はそのときに廃業したよ。情けないが、心が折れちまったからな。俺の過去も、未来も、人生が全部無意味な気がしたんだ。亡霊にでもなったみたいだった。でもな」

 

 食え。食って、生きてくれ。彼がそう言って押しつけた焼き菓子を泣きながら頬張った少女は、かすかに、しかし間違いなく、笑っていた。きっと、とてもうまかったのだろう。

 

「あいつは、いい子に育ってくれた。それならまあ、少しぐらいは。俺がしたこと、生きてきたことに、意味はあったのかもしれねぇと思うのさ」

 

 彼は少女に恨まれているかもしれない。軽蔑されているかもしれない。しかしその出会い以来、少女は彼を父と呼び、父の背中を見ていた。それだけは確かだった。

 

「生きてる意味なんて、生きてみなけりゃあ、わからねぇもんだ」

 

「生きねば、わからぬ……」

 

 黙って耳を傾けていた侍が、ぼそりとこぼす。それを合図に戦士はハッとして、決まり悪そうに苦笑した。

 

「悪い、妙な話をしちまった。忘れてくれ。あー、ところでよ。助けた礼に菓子を貰った恩返しでさらに助けるってのは、変じゃねぇか?」

 

 至極もっともな指摘に、侍は真顔で返してのけた。

 

「何も異なことはない。()()()()()()()()()()への礼ゆえ、な」

「なんだそりゃあ、屁理屈かよ。ワハハハ——あん?」

 

 弾かれたように立ち上がった二人は、各々の得物に手をかけた。暗がりに何かがいることに感づいたのだ。よくは見えない。火事は消し止められていたものの、篝火が灯されており、そちらを視界に入れていた彼らは夜闇に目が慣れていないのだ。

 

「……ゴブリンか?」

 

 誰何に応答があれば、それでよし。そうでなければ、抜くしかあるまい。侍は鯉口を指で撫でた。

 

「いや」

 

 答えたのは、低く何かに反響する、若い男の声だった。闇の中から染み出すように、不気味な鎧姿が出現する。飾り気のない外見を唯一飾る、兜の上で踊る千切れた赤い房が、いやに目立っていた。その様は、打ち捨てられた甲冑が独りでに彷徨い歩くがごとく。

 

「俺は」

「ゴブリンスレイヤーさん! その、終わったんですか?」

「……ああ」

 

 小鬼を殺す者(ゴブリンスレイヤー)。そう称される男がそこにいた。駆け寄った女神官に頷き、後ろに続く馴染みの面々と、この村の長らしき男を軽く見やる。

 

「巣に逃げるゴブリンどもは殺した。別の方向に散った形跡はない。そちらの首尾はどうだ」

「万事つつがなく。小鬼どもは全滅、デーモンも討ち果たし、犠牲者なし。大勝利と申し上げてよぉございましょう」

 

 深手を負った村人もいたが、癒しの術を会得した聖職者である、この蜥蜴僧侶(リザードマン)と女神官が命を繋ぎ止めた。これこそまさに奇跡だった。

 

「デーモン、とはなんだ」

「あそこに倒れてるでしょ、あの大きいやつ。デーモンぐらい知っときなさいよね、小鬼殺し(オルクボルグ)

小鬼殺し(かみきり丸)だもの、しゃあねぇしゃあねぇ」

「小鬼殺し殿ですからなぁ」

「ゴブリンスレイヤーさん、ですし」

 

 侍は困惑した。戦士はいつの間にやら村長のもとに移動していて、あれやこれや話し込んでいる。色々と置いてけぼりのところに、助け舟が出された。

 

「ま、儂らが着く頃にゃ、あらかたケリはついとったけんどな。そこにおる侍が、そうとう気張ったみたいでの」

 

 侍。侍とは鎧を装備しているものではないのか。あれでは蛮族(バーバリアン)なのでは? ゴブリンスレイヤーは困惑した。水を向けられた当人は、集まる視線を泰然と受け止めている。

 

「村の者らもよく戦った。お主らもだ。これは、我ら皆の手柄よ」

「……いや。少なくとも俺は今回、失敗した。手柄とは言えん」

 

 事態の推移はこうだ。近隣の廃坑を根城にしていたゴブリンを退治すべく乗り込んだゴブリンスレイヤー一行は、巣の規模に対して敵の数が少なすぎることに違和感を覚えた。その後の探索によって裏口と、この村へ通じる大量の足跡を発見。急行するもゴブリンたちがすでに潰走しつつあったため、ゴブリンスレイヤーは村のことをほかの者に任せ、自分は敗残兵の掃討を開始したのだ。

 

「夕暮れ時にやつらが動いたのは想定外だった」

 

 ゴブリンは夜行性だ。夕方とは彼らにとっての明け方にあたる。勤勉などという言葉とは無縁の生物であるからして、そんな気怠い時間から活動することはない。別の何かの意思が介在しない限りは。

 

「デーモンがゴブリン連れて村を襲うなんて、どうやって想定しろっていうのよ。親玉は城とか遺跡とかの一番奥でふんぞり返ってるものでしょ」

「あんデカブツじゃあ、城や遺跡はともかく、さっきの廃坑にゃ入れんだろ。腹がつかえっちまわぁ」

「あら、鉱人が通れるなら平気だと思うけど?」

「ほ、耳しか引っかかるとこのねぇ金床娘がなんぞ言いおる」

 

 妖精弓手(エルフ)が仕掛ければ、鉱人道士(ドワーフ)がやり返す。周囲そっちのけで喧々囂々、戦端を開いた二人に、侍は少々目を白黒させる。

 

「止めずともよいのか」

「絆の形は人それぞれと存じまする」

「そうですね。ああ見えて仲、いいんですよ。……あれ、ゴブリンスレイヤーさん? どうかしましたか?」

 

 兜の奥で光る深紅の双眸は、横たわるデーモンをじっと睨みつけていた。

 

 

 

§

 

 

 

 そして現在。うららかな初夏の日差しを浴び、二台の馬車が進んでいく。先行する一台の幌の下に、侍とゴブリンスレイヤーたちの姿があった。

 

「うっ」

 

 硬い荷台は侍を虐めるのに余念がなく、彼は小さく溜息を吐いた。

 

「やはり、馬は車を引かせるものではなく乗るものよ」

「ほほう、侍殿は騎馬の心得もおありか」

「馬に乗れぬでは侍は名乗れぬ」

 

 武士の道は弓馬の道。剣に優れるのみでは、勝負に勝てども戦に勝てぬ。弓射ち馬駆け、刀を抜くのは最後の段。それが侍の合戦というものだ。

 

「その格好だと侍っていうより狩人って感じだけどね」

 

 麻織のシャツに鹿革のズボンとブーツ、肩を覆う黒い短外套(クローク)。それは実際、あの村の猟師から譲り受けた狩装束だった。いつまでも武装半裸ではいずれ、どこかの街の衛視(ガード)に捕らえられて原義どおりの地下牢(ダンジョン)に放り込まれていただろう。幸運にも体格の近い者に縁があったことで、そんな事態は未然に防がれたというわけだ。あとついでに髭も剃った。大太刀で。

 

「侍さん……どういう職業(クラス)なのかよく知らないんですよね。刀を使うってことくらいしか」

「儂ゃ、一度剣を抜いたら誰ぞの首落さんと気が済まん殺人魔人と聞いとるがの。ほんとけ」

「拙僧は、天よりの侵略者どもを木刀一振りで叩き伏せる豪傑と伺っておりまするが、いかがか」

 

 侍は思案する。抜けば必殺というのは、まあそのような血気盛んな荒武者が知己に多いのは事実。木刀はともかくとして、故郷の伝承によればかつて雲上から降りきたあやかしの軍勢を、侍たちが撃退したことがあるとか。ということは。

 

「おおむね、そのようなものだ」

「マジかよ」

「なんと」

 

 冗談混じりに持ち出した眉唾話に是と返されては、呆気に取られるのも無理はない。

 

「俺は」

 

 黙々と装備の具合を確かめていたゴブリンスレイヤーが、その手を止めた。この男、先だっての戦闘でゴブリンの動向を読み違えたことが尾を引いているのか、ほかの者が宿で休む中で不寝番を決め込んでいた。明けて早朝、馬車に乗ってようやく寝入ったかと思えば、二時間足らずで起きてこのとおり。その間一度も兜を外していない。

 

「侍の斬撃は遠間の敵すら両断すると、聞いた。本当か」

「俺はその境地にないが、そういった芸当のできるお方を知っている」

 

 侍の祖父は、剣聖と謳われるに相応しい達人だった。約十八メートル(十間)先の丸木を斬り分けてみせた彼に、なぜそのようなことができるのかと問えば"いかに斬ろうか、いかに斬るべきか。そう突き詰めるうちに、気づけば刃は飛んでいた"などと答えるのだから、幼き日の侍は煙に巻かれたと不貞腐れたものだ。

 

「そうか」

「いやそこもっと驚くとこ! まるで伝説の森人(エルフ)の勇者じゃない! あ、そうだ、伝説といえば。ねぇ、ちょっと弓見せてくれない?」

 

 これが興味本位で武器に触ろうとする素人なら、にべもなく突っ撥ねているのだが。彼女がそうではないことは侍も承知している。

 

「構わぬ」

「ありがとっ」

 

 荷台に横たえてある大弓を持ち上げ。

 

「重」

 

 弦に指をかけ。

 

「おっ……もっ……!」

 

 引けなかった。

 

「五人張りだ。怪我をしたくなくば、早々に諦めよ」

 

 弦を張るのに五人がかり。この侍は平然と引いてみせるどころか自力で同じ強さに張れるのだが、本来なら張ろうと考えることすら狂気の沙汰、という領域だ。少しは弦が動いているあたり、あの細腕で存外やる、と侍は密かに感心していた。

 

「そうする。うん、やっぱりこれも伝説っぽい!」

 

 弓術を嗜む者として多少は落ち込むかと思いきや、むしろ瞳はいっそう輝くばかり。勢いよく立ち上がる、には幌の高さが足りないので、中腰の姿勢で指を立てた。風精(シルフ)と戯れるようにくるくると空気をもてあそび、優美な声音で語りだす。

 

「かつて災厄の黒き竜あり。その飛びゆく跡に残るものなし。古き森は息吹に焼かれ。鉱の山は爪牙に砕かれ。狭間に栄えし谷の街は、大翼の一扇ぎにて崩れ去る。仇敵討たんと我ら森の民、幾百幾千矢を射かけども、その鱗貫けず。ならば怨敵同じくする山の民、幾千幾万重ねた宿縁、今いっとき忘れよう」

「よかろう!」

 

 膝を立てて白髭しごき、森人の詩を鉱人が割り込み引き継いだ。酒宴の席で披露する、武勇伝もさながらに。

 

「おうさ、任せい、森の友よ。喧嘩仲間と言うからにゃあ、仲間に違いはあるまいて。どれどれモノを見せてみぃ、さあさあ我らが技を御覧じよ。神気満ちたる白木の太枝、真銀(ミスリル)の弦を張ってやりゃあ、稀なる強弓一丁上がり。お次は白鷲の風切羽、こいつは矢羽根に打ってつけ、鏃に矢柄は金剛鉄(アダマンティン)の一本造り。これなる真白い竜狩りの弓矢、担い手たらんと欲すは誰ぞ?」

「え、あっ、えっと……!」

 

 手番(ターン)がやってくるなどとは、思わなかった女神官、慌てた様子で居住まいを正す。詩歌の覚えなどないもので、幼子に聞かせる御伽に似せて。

 

「森の人には重すぎる。山の人には大きすぎる。それならその弓、我が引こうと、手を挙げたのは谷の街の狩人でした。崩れかけた塔の上で一人、ドラゴンに立ち向かうのです。ぎりりと引き絞る彼の勇気に応えるように、弓が聖なる煌めきを発し、弦へ、矢へと宿ります。そして放たれた一筋の光が、真っ直ぐに飛んでいきました」

「GUYYYRRAAAA!」

 

 竜の咆哮、真似てみせた、竜がごとき蜥蜴の人。僧職にして武人であれば、武勲詩歌うはお手のもの。

 

「地を這う小さき者が一匹、灰も残さず去ぬがよい。青き炎たぎる顎門、開かれたそれを矢が砕く。長首二つに割り裂かれ、心の臓腑が穿たれる。黒き竜は大地に墜ち、もはや空駆けることなし。どうか、よき輪廻のあらんことを」

 

 合掌。

 

「って、なんでドラゴンの肩持つ流れになってるのよ!」

「いや何。拙僧、恐るべき竜の血脈に連なる者にして、いずれ己も竜となる身ゆえ。先達には敬意を払わねばなりますまい」

 

 ぐるりと目玉を回す蜥蜴僧侶は、はてどこまでが諧謔なのか。その表情から窺い知るのは、つき合いの長い者でなければ難しい。

 

「ちなみに、ゴブリンスレイヤーさんはご存じでしたか? 有名なお話なんですけど」

「昔、姉に聞かされた。確か『ダークスレイヤー』の物語、だったか」

 

 頭の中身がゴブリンばかりであっても、それだけというわけではない。彼とて、無垢な少年時代を過ごしたのだ。

 

「そら儂らの言う『影墜とし』のこったの。空飛ぶ真黒い巨影を墜とす、鉱人会心の弓矢の銘が、狩人の二つ名として伝わったわけよ」

 

 聞き捨てならぬと長耳が揺れる。

 

「ちょっと、半分は森人が託した素材ありきだって忘れてない? 『光輝の妙弓(カラドタング)』。そう渾名するのが正しいんだから」

 

 森人語を唇に乗せた妖精弓手は、名案ありと手を叩いた。

 

「と、いうわけで。貴方のことはカラドタングと呼ぶわ」

「伝説の弓取りの字名など、俺には分不相応だ。勲しの格が合わぬ」

「これから伝説を作ればいいのよ。そう、()()()になって、ね」

「冒険者? それはどのようなものだ」

 

 話の腰を折るものではないと、知らぬ言葉は脇に置いて聞いていた侍だが、さすがにここは尋ねないわけにもいかなかった。

 

「当然、冒険をする者よ。冒険して、報酬を貰うの。いい? 冒険者になったら、貴方は魔導器の眠る地下墓所に潜ってもいいし、それこそドラゴンの棲む不帰の島に挑んでもいいわ。あとは、うーん、ゴブリン退治でも、いいけど」

「ゴブリン退治をするのか」

「まだ未定!」

「そうか」

 

 ゴブリンスレイヤーは作業に戻った。

 

「待て待て、耳長娘。どうもこの()()()はまだここらにきたばっからしい。道を定めんのはいくらか落ち着いてからのがええじゃろて」

「何言ってるのよ。早いとこ落ち着くためにも、今のうちに足場を固めるべきじゃない。鋼は冷めぬうちに打て、でしょ」

「ぬう……」

 

 さすがに鉱人の格言など使われては、否と返すのも気が咎める。森人相手というのは、なんとも癪ではあったが。鉱人道士が悔しげな顔をするほどに、妖精弓手は得意げになっていった。

 

「そ、れ、に。突如現れた謎の侍、伝説に符合するような強弓、光の矢。これは何かの先触れかもしれない。冒険の、ううん、大冒険(キャンペーン)の予感がするわ!」

「そっちが本音かい。そりゃま、冒険者になること自体は反対せんが、無理強いはいかんぞ」

「わかってるわよ。あと、最初のだって別に建前ってわけじゃないから。人聞きの悪いこと言わないでよね」

「ん、悪くはないやもしれぬ」

 

 考え込む、というほどのこともなく侍は答えを出していた。仔細は不明ではあるが、己の武が役立つ仕事だというのは理解できる。というのも。

 

「ゴブリンどもを斬って食い扶持を稼げるとあらば、俺向きの勤めよな」

「やはりゴブリンか」

「そこにくいついてほしくはなかったかなぁ……」

 

 なんであれ、勧誘に成功したことには違いない。気を取り直して話を進める。

 

「ゴブリンは、いや、自分で言っちゃったし、ゴブリンでもいいけど。とにかく、冒険にいくなら私も同行するわよ」

「ふむ。察するにお主らは皆、その冒険者とやらであるらしい」

「ええ。しかも銀等級、上から三番目。ベテランよベテラン!」

 

 慎ましやかな胸元から、細鎖で首に下げた銀の小板を引っ張り出す。長方の角を丸めた形のこれこそ冒険者の証、認識票だ。

 

「そちらは全員じゃなくて、私だけまだ下から三番目の鋼鉄等級ですけれど」

 

 この一党(パーティ)の面子は女神官以外は皆、銀等級だ。卑屈になるほどではないが、こうして負い目を感じてしまうこともある。

 

「だーいじょーぶっ。貴方みたいないい子なら、すぐ上ってこれるわよ。あ、もちろん()()()()()()()ですぐに、ね」

 

 すかさず抱きすくめた妖精弓手に頭を撫でられ、くすぐったいやら恥ずかしいやら、赤面を禁じえない。

 

「つうたかて、焦るこたぁねぇぞ。一歩ずつでいい。なんせほれ、お前さん儂より足が長いかんの」

「然り。竜への道は長く険しく、突然変異などそうあるものでもなし。大いなる進化は、些細な成長の積み重ねの先にこそ待つものよ」

「そうだな」

 

 もう点検は終わったらしく、ゴブリンスレイヤーは真っ直ぐに女神官を見据えていた。

 

「お前なら、やれると思う」

「は、はい! 頑張ります!」

 

 それは見るものに幸せを分け与えるような、晴れやかな笑顔であり。

 

「……フッ」

 

 侍とて、かすかに笑みがこぼれる光景であった。

 

「とまれ、まずは侍殿が第一歩を踏み出すのが先でしょうや」

 

 王国西方、辺境の街。門は、もうすぐそこだった。




◆朱塗りの大弓◆

 異郷の侍が用いる独特の大弓。師から譲り受け、のちにより強く張り直したもの。鮮やかだった朱は酷使により半ば剥げ落ち、またひどく焼け焦げてしまっている。

 常軌を逸した強弓であり、使用者に尋常ならざる筋力と技量を要求するが、扱いこなせれば桁外れの威力を発揮するだろう。

 彼の弓の巧さには、武芸百般無双を誇った彼の祖父ですら舌を巻いた。

 こればかりは、誰にも劣らぬ。


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1-3:はじまりのはじまり/Press Start

 

 冒険者ギルドは、冒険者と依頼主の仲介をはじめとする支援を担う国営組織だ。ある程度の大きさ以上の街ならたいていはギルドの支部が配置されており、多くの場合、街に入ってすぐの立地に門戸を構えている。

 

「お、今戻りか。お前が手こずるとは珍しいな」

 

 ロビーに集うのは千差万別多種多様な言葉持つ者(プレイヤー)たち。大剣(だんびら)を壁に立てかけた重装の戦士(ファイター)が、槍を携えた美丈夫に声をかけた。あちらでは犬型の獣人(パッドフット)と、比較的細身の鉱人の少女(髭は剃っているようだ)が地図を広げている。こちらで鉱人よりもさらに小柄な圃人(レーア)の少女が談笑している相手は、半森人(ハーフエルフ)の青年だ。

 

 種族の違い、文化(ミーム)の違い、年齢の違い、性別の違い。彼ら彼女らの共通項は、冒険者であるという、ただそれのみ。

 

「手こずってねぇよ、仕事はサクッと片づけた。だが帰り際にデーモンと偶発的遭遇(ランダムエンカウント)すんのはさすがにきつく、は、ねぇかな余裕よ余裕!」

 

 カウンターの向こうで平素どおりに微笑む三つ編みの受付嬢を視認した槍の男は、やや声と覇気を大きくして威風堂々、肩で風を切る。

 

「俺ほどにもなればデーモンの一匹二匹、いきがけの駄賃に軽く捻って終わりですよ!」

「はい、お疲れ様です。大変でしたね、疲労回復に強壮の薬水(スタミナポーション)はいかがですか?」

「あ、はい。一本ください」

「お買い上げありがとうございます」

 

 勝つ者、敗れる者。戻ってくる者がおり、戻ってこない者もいる。そして、時折新しい風が吹き込む。

 

 自在扉を押し開き、ズカズカと踏み入る薄汚い鎧のなんか変なの。異様な雰囲気を漂わせているが、これでもギルドの日常風景だ。連れ添う白装束の少女も同様。違うのはその後ろ、翡翠髪の森人と並んで歩く男だ。

 

「見ない顔だな」

「なんだあのでっかい得物」

「てかガタイがでけぇよ。何もんだ?」

 

 下緒で肩に吊るした刀と弓を揺らし、侍は投げかけられる奇異の眼差しを涼しい顔で受け流す。かつては武将として兵を率いた男、この程度で動じるはずもない。

 

「私、先に席を取っておきますね」

「ああ」

 

 小さく会釈して、女神官は三人から離れていった。同年代のほかの冒険者と挨拶を交わしてはにかむ様子は、神の名においてデーモンを退けたあの勇姿とは似ても似つかない。

 

「ゴブリンスレイヤーさん! お疲れ様です。お帰りが遅いので心配しました、大丈夫でしたか?」

 

 先ほどとは異なる心からの笑みで、受付嬢はもう六年のつき合いになる奇妙な冒険者を迎えた。

 

「ああ。報告を——いや。冒険者希望者を連れてきた。先にそちらの手続きを頼む」

 

 脇にどいたゴブリンスレイヤーの陰から、というかすでに受付嬢からも見えていたのだが、とにかく侍は歩み出た。

 

「えっ、と、登録をご希望の方でしょう、か?」

 

 冒険者になりたい! と街にやってくるのは、何も夢と希望だけに満ちた成人したての農家の三男坊、ないし貧乏貴族の三男坊ばかりとは限らない。宮仕えが肌に合わなかった兵隊崩れや、己の罪業を悔い改めて再始動を図る元山賊。指名手配犯などでもなければ、ギルドはそういった素性(ライフパス)には頓着しない。ならず者(ローグ)前後の不穏分子に首輪をつけて管理することも、業務のうちなのだ。

 

 もっとも明らかに堅気とは思えない武装した大男を前にして、うら若き乙女であるところの受付嬢が平然としていられるかは、また別の話ではあるが。これが仕事中でなく夜道であれば悲鳴を上げて回れ右、だ。

 

「ああ、そうだ。異郷よりの流れ者ゆえ、この国の勝手を知らぬ。造作をかけることになろうが、何卒よしなに頼む」

 

 武骨なようでいて丁寧な、貴人のそれとは違う所作で頭を下げる。侍の体に染みついた、武士の一礼だった。なんとも堅苦しい態度だが、剽軽者(ルーニー)よりは生真面目な人物に好感をいだく受付嬢としては高得点。そも、この男は彼女が誰より信を置く冒険者が、初めて紹介してきた希望者なのだ。そう警戒することもあるまいと、引きつっていたいつもの営業スマイルを修復した。

 

「ご安心ください、私どもがサポートいたしますので。それではまず、冒険記録用紙(アドベンチャーシート)の記入をお願いします。文字の読み書きはできますか?」

 

 差し出された紙()()()()()に刻まれた文字()()()()()()を一瞥し、侍は首を振った。

 

「こちらの字はわからぬ」

「はい、では代筆いたしますね」

「あ、私書いたげる。いいでしょ?」

 

 ひょい、と返事も待たずに羊皮紙をひったくった妖精弓手は、羽根ペンとインク壺を手に侍をロビーの隅にある机へと連れ立っていった。同期や先輩に筆記のできる者がいればそちらに頼むというのも、珍しいことではない。彼女もまた信頼できる冒険者であることだし、任せてもよいと受付嬢は判断した。

 

「それでは、改めまして。ゴブリンスレイヤーさん、報告をお願いします」

「ああ。ゴブリンがいた」

 

 いつものやり取りを始めた二人を横目に、妖精弓手は楽しげにペンを持ち直した。

 

「いくつか質問をさせて、いただきます。嘘偽りなく、答えてください。いいですね」

「始めてくれ」

 

 氏名。年齢。目の色髪の色。只人(ヒューム)で侍の男。様々な種族についてや術のことなどの簡単な用語解説(チュートリアル)を交えつつ、冒険者登録(キャラクターメイキング)を進めていく。今後は外見から年齢を推し量ることはすまいと、侍は目の前にいる齢約二千の少女を見ながら心に決めた。

 

「そういえば、あの雷って結局なんなの。どこに書けばいいかしら」

「巴の雷、という。おそらくは、奇跡とやらが近かろうな。ひとまずはそのようにしておくべきか」

「はーい、そのように、ね。今はいいけど、あとでみんなが揃ったらどういう術なのかちゃんと教えてよね」

 

 そうして受け答えることしばし。

 

「終わったぞ」

「はい、確認します。……記入漏れなどはありませんね、受理します。少々お待ちください」

「ふふん」

 

 妖精弓手は満足げだ。このような表情を街の若者はドヤ顔、と形容するらしい。いや自分も街の若者だけれども。と、多少余計なことを考えながらでも仕事ができる程度には、受付嬢は数をこなしている。背後に何やら慌ただしい気配を感じながら、銀の尖筆を走らせ、ただの白磁の小板に意義を刻み込んでいく。仕上げに鎖を通して、完成だ。

 

「こちらが、認識票です。貴方の身分を証明し、もし何かあった場合には身元を照合する手段にもなります。くれぐれも、なくさないようにしてくださいね」

「心得た」

 

 受け取った認識票を首にかけ、侍は読めない文字に目を落とした。そこに過去は記されていない。経験点ゼロの駆け出し冒険者。それだけが彼の肩書き(プロファイル)となるのだ。

 

「これで登録は完了です。今この瞬間から、貴方は冒険者です」

 

 

 

§

 

 

 

 では早速冒険へ。というわけにもいかない。駆けだしに求められるのは、駆けだす前に足元に注意を払う慎重さだ。いきなり奈落に落ちたり海に落ちたり溶岩に落ちたりするはずがないなどと、どうして断言できようか。

 

 とにもかくにもまずは、そう。先立つものの話からだ。

 

「あ、皆さん、こっちです!」

 

 冒険者ギルドの原型となったのは、冒険者たちの憩う旅籠であったという。そのためか、ギルドの建物は宿と酒場も兼ねているのが常だ。この街の支部の場合、二階に宿泊施設があり、ロビーの隣が酒場となっている。

 

「おう、そっちも済んだんか。儂らのほうもちょうど終わったとこだわい」

 

 休日の遅い朝食か、冒険明けの朝帰りから戦勝会が始まったのか、このような中途半端な時間でも酒場は賑やかだ。喧騒に負けじと若干高めな女神官の声に従い、ゴブリンスレイヤーたちは集合する。

 

「ああ。報酬だ」

 

 等分された四つの小袋が、ジャラリと音を立てて円卓に置かれた。ゴブリン退治の報酬は下水道の巨大鼠(ジャイアントラット)狩りよりは幾分マシ、というあたりが相場だが、今回は群れの規模の大きさと前情報にないデーモンの撃破という要素が重なった。追加報酬込みで一人につき金貨二十枚。仕事をせずに食事と酒にありつき買い物を楽しみ干し草ではなく寝台でねむるこのような休暇を一週間は過ごせる額だ。平民の質素な暮らしなら二ヵ月は保つ。これを一日で稼げると聞けば、貴族はともかく農家の三男坊が鍬を放り出して剣を取るのも致し方なし。

 

「うむ、確かに。しからば、次は侍殿の()()と参ろうか」

 

 蜥蜴僧侶が差し出したのは、大玉の水瓜(スイカ)ほどもある金貨袋だった。

 

「よいのだな」

「無論。あのデーモンの首級(くび)は、ほぼお手前が独力で取ったようなもの」

「そうそう。私たちは最後ちょっと手伝っただけだし、その分の報酬は貰ってるんだから、気にしなくていいのよ」

 

 冒険者と言えど、普通はそう頻繁に武器を持った大型のデーモンと遭遇するものではない。幸か不幸か交戦し斃せても、落とし物(レアドロップ)を回収するとなれば重量や運搬手段、輸送距離といった問題が残る。そうした障害を乗り越えてギルドに持ち込まれた品は、輝かしい成果(トロフィー)として飾られ、相応の対価が支払われるのだ。

 

「いいんかっつうのは、こちらさんの台詞だぁな」

 

 忙しなく目を泳がせながら、おっかなびっくり後生大事に金貨袋を抱えて縮こまっている中年男性は、あの村の長だ。税を納める際にはこういった袋を使うが、それが銅貨銀貨ではなく滅多にお目にかかれない金貨でいっぱいだなんて。前任者である父からは代表者らしくもっとしゃんとしろと言われる彼だが、この状況で邪な企みが欠片も思いつかない辺り、適任なのだろう。

 

「ええ。本当に、いいんですかい?」

 

 あのデーモンは()()の斧を構えていた。つまりは、そういうことだ。

 

「取っておけ、宿代だ。釣り銭はいらぬ」

 

 村長は感極まった表情で、深々と頭を下げた。これならば、村の被害を補填して余りある。

 

「ありがとうごぜぇやす。皆さんも。なんもない村で恐縮ですが、ぜひまた寄ってやってくだせぇ」

「ああ。ゴブリンが出たら呼べ」

「もう、ゴブリンスレイヤーさんっ。縁起でもないですよ」

「そうか?」

「そうです!」

「そうか」

 

 呆れ混じりの視線を面頬に受けながら、ゴブリンスレイヤーは淡々と続けた。

 

「帰りはギルドが、別の冒険者を護衛として手配するそうだ」

「わかりやした。そいじゃあ、私はこれで。何から何まで、ほんと、ありがとうごぜぇやす。ありがとうごぜぇやす……!」

「お気をつけて。貴方の行く末に、豊かな実りがありますように」

 

 一同に見送られ、終始低姿勢のまま村長は帰っていった。大地に寄り添う民のため、地母神への小さな祈りはきっと届くだろう。

 

「俺もいったん戻るぞ。人を待たせている」

「わぁっとる。わぁっとるし引き留めもせんが、たまさかにゃあこっちにもつき合えよ、かみきり丸」

「ああ。たまにな」

「はぁい、お待ちどう! あ、旦那お疲れ!」

「ああ」

 

 相変わらずの無遠慮な足取りで立ち去るゴブリンスレイヤー。彼と入れ替わるように、猫寄りの人といったふうな容姿の獣人女給が、猫そのものの毛皮に覆われた手に盆を乗せてやってきた。普段ならば各々が好きなものを注文するのだが、今回は侍の歓迎会でもあるということで、女神官が前もってあれこれ頼んでいたのだ。並べられる色とりどりの料理、なみなみ注がれた麦酒(エール)が葡萄酒が、出番はまだかとその香りでもって存在を主張する。

 

「ようし、杯持て! 儂らの勝利に! 勇敢な村人たちに! 新たな冒険者に!」

「乾杯!」

 

 侍は一息に杯を半ばまで空け、息を吐いた。初体験の苦みに苦労しつつも、態度に出しはしない。このようなときはまず己の舌の未熟を疑うこと。祖父の教えだ。

 

「これは、米か」

 

 何から手をつけたものかと、見知らぬ料理の数々を眺める彼の目に留まったのは、やや細長い米に茸を混ぜて盛られた皿だった。箸は見当たらなかったので、匙ですくって一口。二口、三口。

 

「うまい」

 

 味も食感も慣れ親しんだものとは異なるが、彼とて市井に生まれた男だ。飯といえば麦稗粟、武家に引き取られてからも米は半分(はんぶ)の麦飯を好んでいた。品種や調理法が違うくらいのことでは文句などありはしない。うまいものはうまいのだ。

 

「おお、誰だか知らないけどお目が高い! そのリゾットの出汁(ブロード)はあたし様の仕込みだよ。野菜選びからしっかり……ありゃ、聞いてないや」

 

 再び通りがかった獣人女給が、その小高い山陵を肉球でぽふんと叩く様など眼中になし。飢えた狼のような食いっぷりだ。昨夜は疲労のせいかすぐに眠りに落ち、今朝は村人が気を遣って起こさなかったために朝食を逃し、身の清めや着替えをしたらすぐに出立の刻限になってしまった。これまでに彼が胃に入れることができたのは焼き菓子が少々と、井戸水をそのまま飲もうとして止められ、代わりに勧められた薄めた葡萄酒のみ。武士は食わねど、などという言葉を彼が知るはずもなく、腹が減っては冒険はできないのであった。

 

「……いや、聞こえている。リゾット、か。好物が増えた」

「んふふー、それは何より。今後ともご贔屓に」

「そうさせてもらおう。もう一皿頼む」

「見てたら私も食べたくなってきたわ。こっちにもお願い」

「はぁい、承りました!」

 

 一粒残らず平らげると、侍はほかの食べ物にも興味を向けた。たとえば、隣にいる蜥蜴僧侶が両手掴みでかじりついている薄黄色の塊などに。

 

 

「んんん、甘露!」

「それはなんだ」

「んも? これはチーズと申しましてな、牛の乳を発酵……うむ、まあ固めたものよ。試されますかや」

 

 牛の乳。それを聞いて侍の顔が曇る。

 

「いかがなされた」

「牛の乳など飲んでは牛になると、童子(わらし)の時分に脅されていたのだ」

 

 その発言を長耳で捉えた妖精弓手は、思わず吹き出してしまった。ともすればはしたなく映るはずのこのような様すら優雅なのは、さすが森人といったところ。一方、優雅にとはいかない鉱人道士は、ゲラゲラと高笑いを上げていた。

 

「はっはっはっは! おいどうするよ、鱗の。お前さん明日にゃモーモー言いだすぞ!」

「これはしたり! 雄々しき角ならば願ったりなれど、毛だの蹄だの生えてきた日には、父祖に顔向けができませぬ」

「あの、ほら、子供の頃の迷信とか、けっこう頭に残っちゃいますし。笑うのはそのくらいに、ですね」

 

 そう、迷信だ。ゴブリンやデーモンとの戦闘は元より、故郷においても本物の怪異に直面した経験がある侍には、それらと迷信の区別くらいつく。

 

「一口貰えるか。まことに牛となるか、確かめてみるも一興よ」

「挑まれるか、よきかな。食とは生、生とは戦、戦に挑んでこその戦士なり」

 

 切り分けてフォークに刺されたチーズを受け取ると、ためらいは一瞬、口蓋に放り込んだ。広がるのはほどよい甘味と酸味、あるいは醍醐味とでも呼ぶべきか。

 

「ほれほれ雷光の、そこで麦酒をぐいとやるのよ」

 

 言われるまま杯を傾け、残っていた中身を干せば、甘酸っぱさと苦味が手を取り踊る。

 

「……ほう。これは確かに甘露、だ」

「さよう、これぞ只人至高の大発明!」

「只人としては否定しておいたほうがいいでしょうか……?」

 

 そもそもチーズは圃人が考案したという説もある。こと食文化において、彼らに勝る種族はない。この店の料理長も圃人だ。では酒のことならどうか。それならもちろん、鉱人が一番だ。

 

「いける口と見た。とならぁ次は鉱人秘蔵の、火酒じゃあ!」

 

 腰に提げていた大徳利を卓上に持ち上げ、侍の杯を満たしていく。以前これで酷い目に遭ったことを思い出し、妖精弓手は渋い顔をした。

 

「ちょっと、多すぎじゃない? それきっついんだから、少しは加減しなさいよ」

「莫っ迦おめぇ、これが鉱人流の歓迎よ。さぁさ、遠慮なくやっとくれい」

「いただこう」

 

 酒とは振る舞うものであり、振る舞われたなら応えるものである。水と間違えれば大惨事は免れない無色透明の液体を、チーズよりも躊躇なく口に含んだ。頭が爆発すると評される強烈な辛さに打ちのめされながらも、腹の底に落とし込む。

 

「か、あぁ……火を吹く、どころではないな。猿酒よりなお辛い。だが……ん、ふ。これも味わいよ」

 

 そのまま杯を空にしてみせた侍は、しかし顔色一つ変えていないではないか。これには鉱人道士も瞠目した。

 

「おお、おお、こいつはたまげた! お前さん、実は鉱人の血が入っとりゃあせんか」

「さてな。少なくともお祖父様は俺より大酒飲みで、俺より身の丈が高かった」

「はぁい、リゾット二皿お待ちぃ!」

 

 酒宴は続く。このような中途半端な時間でも、酒場は賑やかだ。いつ帰れるか、いつ帰れなくなるかわからぬゆえに。冒険者の酒場は、いつだって賑やかなのだ。

 

 

 

§

 

 

 

 腹ごしらえもしたことだし、さあ冒険へ? 冗談を言ってはいけない。棒切れと布の服で怪物と戦おうとするのは、金に困った勇者くらいだろう。侍の装備はそのような貧弱なものではないが、金に困ってもいないので、ギルド併設の工房兼武具屋へと足を向けていた。

 

「きたか。話は聞いとるぞ、侍」

 

 剣、槍、斧に戦棍(メイス)大刀(グレイブ)。重いものに軽いもの、際どいものまで各種揃った物の具。立ち並ぶ商品の林の向こうで、鉱人じみたずんぐりとした体つきの老店主が、帳場に頬杖を突いたまま片目を開けて来客を見定めた。弓と靫と外套は冒頭者登録の際に取った部屋に置いてきたため、今の侍は狩装束に刀だけの姿だ。

 

「鎧だな?」

「そうだ。それと矢も買いたい」

「右の壁際に矢箱がある。鎧はちと待っとれ、持ってきてやっから」

「俺は剣を」

「お前さんの用はわかっとるよ」

 

 食事を済ませるなり街に取って返したゴブリンスレイヤーもまた、案内がてら店を訪れていた。陳列されている武器の中から彼が選び重心を確かめているのは、数打ちの小剣だ。迫力不足の代物ではあるが、使う相手を考えればこれが最適解となる。ゴブリンが好む狭い空間で取り回しやすく、また敵に奪われるようなことがあっても特に脅威にならない。己の戦に合った道具こそが真の名剣なのだ。

 

 そしてそれは矢についても同じこと。長さ、鏃や矢柄の材質、矢羽根の種類。どんな弓で何を狙うかによって、必要なものは変わってくる。

 

「ふむ」

 

 侍は箱に立てられた矢を一本つまみ取り、ためつすがめつ造りを改める。よくも悪くも特筆すべき点のない、普通の矢だ。安定品質の量産品。それがどれほど重要なことか、理解のない彼ではない。

 

「いい矢だ」

「おう侍、こっちこい」

 

 商品を戻し、侍は店主に歩み寄った。傍らにはやや年季の入った防具が積まれている。

 

「侍向けのを見繕った。とりあえず着けてみろ、調整はあとでやってやっから。それと刀ァ見せな。刃の状態によっちゃ、研ぎ直してやる。鎧を買うならこっちはタダでいい」

「ありがたい」

 

 商売人としてのサービスでもあるが、それ以前に武器鍛冶屋(ブラックスミス)なら、その極地の一つとも言うべき東の刀剣に興味を示さないはずがない。重々しい音を立てて置かれた大太刀をゆっくりと鞘から抜き、店主は目を細める。

 

「ほう……質がいいとはいえ、ただの鋼でここまでやるか。こりゃ並の砥石じゃ負けるな。まあやるっつったからにゃ仕方ねぇ、あれ使うか。おい坊主、遺灰持ってこい!」

「はーい、親方!」

 

 店の奥から少年の声が応じた。それを余所に、侍は外套を脱いで具足を装着していく。まずは脛当て、左足からだ。

 

「わ、刀だ。実物は初めてです」

「うん? そういやそうか。んならそのままちと見てな」

 

 店主は丁稚から革袋を受け取ると、油を張った小桶に中身を少しずつ混ぜ入れていった。白くほのかに光る細かな粉末だ。

 

「何をしている」

 

 脛当ての次は籠手、これも左右の順に。

 

「結晶蜥蜴っつう珍しい蜥蜴を、じっくり火にかけて得られんのがこの灰よ。こいつで剣を磨いてやると、刃は研がれるんじゃなく()()。どういう原理かは知らんがね」

「蘇る……?」

 

 よく混ざったところで、小さな絹の薄布をくぐらせた。濾し取られた結晶の灰でキラキラと輝くそれで刀身を挟み、ゆっくりと滑らせる。油に濡れたというだけでは説明のつかない美しい光沢を放つ刃に、吸い寄せられていく丁稚の顔が映り込んだ。

 

「へたに触ると指がなくなるかもしれんぞ? ウワッハッハッハ……そら、あっちの相手してやれ」

「あっ、は、はい! こちら、お買い上げですか?」

「ああ」

 

 ゴブリンスレイヤーは検分を終えたようだ。すでに金貨二枚が用意されている帳場に、丁稚は慌てて跳びついた。

 

「やはり研ぎ代も払おう。その灰、安くはあるまい」

「タダっつったろ、二言はねぇよ。俺に恥をかかせてくれるな」

「そうか。では遠慮なく」

 

 前後に分割された胴鎧の緒を締めて固定し、最後に鉄の陣笠を被る。こうして身支度を終えた侍は。

 

「んぬぅ……」

 

 どこからどう見ても足軽であった。

 

「気になるとこがありゃ教えろ。だがモノが古いのだけは我慢しろよ、侍の客なんて久しぶりなんだ。新造するなら、金も時間もかかる」

 

 実用に差し障りはないのだが。ないの、だが。とはいえ今の己にはちょうどよいかと、彼は自嘲ぎみに受け入れた。体格の都合上、調節の効きやすい簡素なもののほうが助かるという事情も考慮すべきだ。

 

「そう、だな」

 

 腰をひねり肘を曲げ、軽く確認してみる。動きやすさを重視してやや大きく空けられている腋に手を当てながら、ゴブリンスレイヤーの鎧姿を視界に収めて一言。

 

「鎖帷子がいるな」

 

 含蓄深くこっくりと頷く常連客と新規顧客とを交互に見やり、店主はなんとも趣のある表情を浮かべるのだった。

 

 

 

§

 

 

 

 今度こそ、冒険の始まりだ。




◆白磁の認識票◆

 冒険者の証である認識票。白磁のそれは最下級、第十等級を表している。

 冒険者とは一歩間違えればただの無頼漢であり、認識票の色だけが彼らの信用を保証する。ゆえに、昇級には武勲だけでなく社会への貢献や、よき人間性が求められるのだ。

 始まりは皆同じ。記された名が早々に墓に刻まれるか、歴史に刻まれるか。それは神々にすらわからない。確かなことは一つだけ。

 君は、冒険者だ。


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1-4:戦い続ける者/Survivor

 

 よくある依頼だった。

 

 ゴブリンを見た。作物を盗まれた。家畜を奪われた。娘が攫われた。助けてくれ。

 

 よくある話だった。

 

 冒険者歴数分の新人たちが、肩慣らしだと依頼を受けた。二時間後には現地にいた。あれから一日が過ぎている。

 

「俺は三百年続く冒険者一族の八代目だ。初代から受け継がれてきた技がある。素人と思わないでくれよ」

 

 勇ましく剣を振りかざした彼は、ゴブリンを三体殺した。それが彼の戦果のすべてとなった。彼の血脈は、こうして断絶した。

 

「僕にはすごい特技なんてありませんが、ギルド職員として学んだ知識があります。これからは支援するためではなく、肩を並べて戦うためにそれを使います!」

 

 彼はもう二度とギルドの敷居を跨ぐことはない。彼の頭に詰め込まれた知識は、冷たい土の上にこぼれて流れた。

 

「へぇ、虫螻の中にもそんなでかいやつがいるんだ。ま、そのホブとかいうのが出たら、あたしが派手に燃やしてやるよ」

 

 ホブゴブリンはいなかった。彼女はこの場でまだ一度も呪文を唱えていない。喉を震わせ叫んだのは、罵詈雑言と命乞いと、あとは意味を成さないただの音だった。

 

 よくある結末だった。

 

 ありふれた冒険者たちの、ありふれた悲劇だった。どこかの村がゴブリンの魔の手から救われる、少し前に。

 

 残念ながら彼らの冒険は、ここで終わってしまったのだ。

 

 

 

§

 

 

 

「巴の雷?」

 

 森に分け入る冒険者の一党。その頭目(リーダー)たるゴブリンスレイヤーは、聞き馴れぬ言葉に鸚鵡(オウム)返した。

 

「ああ。戦の前に教えておく」

 

 大きな体で器用に木々のあいだを抜けていくのは足軽、ではなく侍だ。腰に大太刀肩に外套、背には大弓。完全武装なら、それなりに様にはなる。

 

「待ってました! もうずーっと気になってたんだから」

 

 先頭をゆく妖精弓手は勝手知ったる未開の森林、と後ろ歩きで危なげなく進む。樹精(ドライアード)が散歩しているかのようだった。

 

「前を見んかい前を。あ、いや見てんのか。胸と背中の区別がつかんわ」

 

 精霊使いたる鉱人道士には、そうは感ぜられなかったのか。売り言葉は在庫が尽きず、買い手にも事欠かず。始まった舌戦はもはや冒険の環境音(B G M)のようなもの、と言うにはいささかやかましすぎた。

 

「お二方。侍殿から大切なお知らせがあるようだ、離れるか口をつぐむかされたい」

 

 シュッと鋭く息を吐いた蜥蜴僧侶の一睨は、蛇よりも恐ろしい。森はそれなりの静寂を取り戻した。

 

「雷、昨日のあれですよね。呪的資源(リソース)の把握は基本ですから、はい。ぜひ教えてください」

 

 実は話を続ける機を逸して困っていた侍を、拾う神の従者あり。真面目な女神官が襟を正せば、まだ小声でやり合っていた二人もさすがに黙る。

 

「巴の雷とは、神なる竜に舞を捧げ、その力の一端を借り受ける異端の技だ」

「舞、ですか」

「竜の力、とな」

 

 神と聞いて竜と聞いて、それぞれに縁深い聖職者たちがさらに興味を深めた。

 

「剣の舞でも蹴鞠でも、跳んで弓引く曲芸でもよい。遥か彼方に座する竜に技が認められれば、雷が分け与えられる。だが雲を泳ぐ竜の力ゆえ、地に足つけては扱えぬ。宙を舞うのだ」

 

 侍は己の秘術を奇跡に近しいと語っていた。実際神の力なのだから奇跡と括れなくもないが、その在りようは確かに異端であった。

 

「でもあの雷、自分に向かって降ってきてたわよね。危なくない?」

「危ういとも。人の身には余る力だ。御し切れねば、焼かれるは己よ」

 

 今は籠手に隠されている、侍の両腕を覆う壮絶な火傷の痕。その所以を、一同は悟ることになった。

 

「加えて俺の技量では、鉄鎧を纏ったままでは雷が散ってしまい操れぬ。それと当たり前だが、空が見えねば雷は呼べぬ」

「あれこれ条件がつくっつうのは、儂の術も似たようなとこあっけんど、輪をかけてむつかしいの」

「しかれども、雷電竜もかくやと思うておれば、よもや雷電竜そのものの力とは。侍殿が手負いでなくば、かのデーモンとて一射で殺し切れていたでしょうや」

「日に何度使える」

 

 沈黙を守っていたゴブリンスレイヤーが唐突に、または当然に口を開き、皆の視線が集まる。彼は頭目だ。本人は向いていないと考えているが、それでも頭目は頭目なのだ。女神官が述べたように呪的資源の把握は基本であり、特に頭目にとっては必修課題だ。

 

「修練では常に倒れるまで舞い続けていたゆえ、なんとも。七十より先は憶えておらぬ」

「ウッソだろ」

 

 鉱人道士が信じがたいものを見る目をしている。これも当然だ。術など四度か五度も放てれば上位の遣い手を名乗っていい。七十など、神話伝承の世界の話だ。そこは称賛されるべきだが、練習内容への呆れも強い。こういう輩はときに変態と呼ばれる。

 

「とは言ったが、同じ戦場でそう幾たびも使うものではない。いかな奥義とて、繰り返せばいずれは破られよう。必ずな」

「そのとおりだ。何事も手を変え、品を変えるべきだ。ゴブリンの学習能力は侮れん」

「そういうお話でしたっけ……?」

 

 すべての道はゴブリン退治に通ず。この男は本気でそのような思考形態をしているのだから、そういう話なのだ。そうなるのだ。

 

「とりあえず、カラドタングから雷の匂いがするわけは理解したわ」

「雷の、匂い? あるんですか?」

「うん。雷がくる! ってときとか、あと深い森の中でも同じような匂いがすることがあるわね」

 

 森人の聴覚が鋭敏であることは、耳を見れば予想のつくことだが、それだけではない。目もよければ、鼻も利く。だからこそ彼女は、野伏にして斥候(スカウト)という役割を担っているのだ。

 

「金気の臭いは、どうだ」

 

 侍以外、全員がゴブリンスレイヤーの発言の意味を知っている。妖精弓手の返答如何で、侍の初めての冒険への感想が大きく変わってくるであろうことも。

 

「大丈夫。きっと雷の匂いのせい。ほんと、大丈夫、大丈夫だから。いいわね?」

「ああ」

「よし。安心して、貴方のことは守ってみせるから」

「よくはわからぬが、わかった」

 

 危険を察知し、これを未然に防ぐ。斥候の使命は果たされた。

 

「止まって」

 

 いや、本当の出番はここからだ。

 

「GRRRU」

 

 各自手頃な茂みに身を潜め、丘の側面に空いた洞窟へ注視する。細部を観察できるのは妖精弓手だけだが、目が多いに越したことはない。

 

「トーテムはあるが、見張りはどこだ」

「あの木の後ろ。サボりね。狼はいない」

 

 ここで言うトーテムとは主に人や動物の骨を組み合わせたオブジェや稚拙な壁画で、ゴブリンの魔術師、小鬼術師(ゴブリンシャーマン)は必ずと言っていいほどこういった意匠で己の知恵や力を誇示しようとする。またゴブリンは食料備蓄に余裕が出てくると、狼を食わずに飼い慣らし、騎獣とすることがある。

 

「と、いうわけです」

「なるほどな。覚えておこう」

 

 一党でゴブリンスレイヤーに次いでゴブリンに詳しいのは、女神官だ。本人にそう伝えれば、赤くなりながら謙遜するだろう。それは褒められたことではなくただの悪影響だという、妖精弓手の抗議ももれなくついてくるだろうが。このかわいい妹分が、先ほどのようなゴブリンスレイヤー式解釈にも疑問を呈さない、なんか変な子となる事態は避けねばならぬ。最年長者の悲壮な決意であった。

 

「ほどよい川があるではないか」

「お前もそう思うか」

「ちょっと。水攻めとか、駄目だからね」

 

 彼女の気苦労は絶えない。

 

「わかっている。約束だからな」

 

 水攻め禁止。火攻め禁止。毒気攻め禁止。その他、およそ冒険にそぐわない奸計は随時禁止事項に追加される。

 

「それに今回は虜囚がいる」

「いなくてもやらないから、普通」

「戦に常道などあるまい。……外道は、あるが」

「然り、然り」

「これ戦争じゃなくてゴブリン退治。あと貴方も便乗しない」

 

 虜囚がいるというわりには悠長だと、はたから見ればそう思えるかもしれない。だが焦りは人から余裕を奪い、余裕のなさは思慮の浅さに繋がる。恐れるなかれ正義は我らにありと、天使(セレスチャル)のように大胆に突っ込んで薙ぎ倒す(ハックアンドスラッシュ)、大いに結構。それが運よく成功したとして、二度も三度も幸運が続くものか。駆けだしに必要な資質は慎重さであり、熟練者に求められるのは初心を忘れないことだ。

 

「狭そうですし、中に昨日のデーモンみたいな大きいのはいないはず、ですよね」

「でかくないやつはおるかもしれんがの。いつもどおり出たとこ勝負ぞ」

 

 もちろん、大胆さが不要というわけでもない。出目が悪かった場合を想定しているからこそ、思い切って賽を振れるという話だ。生きて帰れさえすれば、大失敗(ファンブル)とて得がたい経験となろう。

 

「こんなところでしょ。そろそろ、いい?」

「ああ。頼む」

 

 頭目の許しを受け、妖精弓手は水松樹(イチイ)の長弓を構えた。弦は蜘蛛糸、番える矢は枝、矢羽根は葉で鏃は硬い芽。森人は鉄の武具を好まない。

 

「お主、そこからどう射るのだ。木を抜くつもりか?」

「できないし、やらないわよそんなこと。森人は無闇に木を傷つけたりしないの。ま、見てなさい」

 

 草木に囲まれ弓を取る森人ほど、絵になる情景もそうはあるまい。引き絞るのは一瞬、解き放たれた矢はまさしく弓なりの軌道を描き、前言を違えることなく木をよけてゴブリンの脳幹を横切った。

 

「ふふ。これが森人の射法よ。十分に」

「十分に熟達した技術は魔法と見分けがつかん、だったかの」

「あーっ、この無作法者! 決め口上の邪魔するなー!」

 

 侍は目を見開いていたが、この一党にとってはいつものことだ。森人は曲射をするものだし、鉱人と喧嘩をするものなのだ。

 

「見事だ。わずかな指捌きで矢筋を曲げるとは」

 

 今度は侍が驚かれる番だった。

 

「野伏殿の手の内が視えたのですかや」

「ああ。生半には盗めまいが」

「……貴方、実は森人の血が流れてたりしない?」

「親類縁者に耳長はおらぬ」

 

 侍の出生の秘密が明かされようとしていないときに、ゴブリンスレイヤーはズカズカと屍に近づいていった。女神官も追従する。

 

「あいつは大丈夫だと言っていたな」

「私も大丈夫です」 

 

 神官服の内側から首にかけた小袋を手繰り出し、力強く宣言した。猟師が自然に溶け込むために携行する、香袋だ。

 

「お前はどうだ」

 

 振り返り、妖精弓手にとても大事なことを問う。返答如何で、彼女のこの仕事(ゴブリン退治は冒険と認めたくないらしい)に対する感想は大きく変わってくるだろう。

 

「もっちろん、私も大丈……夫?」

 

 狩装束をあちこちまさぐり、なくてはならないものを探す。そこまで隠しどころの多い服ではない。悪足掻きだった。

 

「……駄目?」

「ああ」

 

 悲鳴を上げなかったことは、評価に値する。

 

 

 

§

 

 

 

 ゴブリンの巣は多くの場合、暗闇に包まれている。熱を視覚情報として捉えられる目と、優れた嗅覚を併せ持つ彼らは、このような環境でもなんら不自由はないのだ。冒険者にとって厄介なのはどちらかというと嗅覚のほうで、金臭さや女、特に森人の体臭は撒き餌も同然。対策としては香袋や、ゴブリンの臭いを利用するといった手段が挙げられる。

 

「部屋出るときに確認しなかった私のっ、莫迦……!」

 

 おぞましい臓物の汁と血に塗れた、妖精弓手の匂い立つ無残な姿はそう、仲間のために我が身を犠牲にする確かな意志の体現なのだ。

 

「お主に助けられたようだ。まこと、かたじけない」

 

 斬り合いの返り血なら慣れているものの、()()は侍もいやだった。誰だっていやだ。彼の数歩前で松明を掲げているこの男なら、嫌かどうかはさておき嫌な顔はすまいが。

 

「……必要なことだ」

 

 森人や鉱人、蜥蜴人はある程度の暗視能力を備える種族だ。光源に頼らねばならないのは只人たちであり、女神官は後衛、侍は戦闘になれば武器で両手が塞がる。五人が六人になっても変わらず、松明はゴブリンスレイヤーが担当することになった。これも必要なことだ。つまりやるべきことをやっているのだから決して無駄ではないのだぞと、彼は精一杯慰めているつもりなのだ。

 

「わかってるわよ、もう」

 

 洞窟は緩やかな下り勾配で、幅は詰めれば三人並べるか、という辺りだった。選んだ隊列はゴブリンスレイヤーと妖精弓手、侍と女神官、鉱人道士と蜥蜴僧侶の順で二人三列。接敵時は妖精弓手と蜥蜴僧侶が入れ替わる、というのは常どおりだが、今回はそこに侍の遊撃が加わる形だ。

 

「脆いの、いやな予感がするわい」

 

 壁を指でなぞり、鉱人道士は目つきを険しくした。地下を故郷とする鉱人が土に触れて嫌な予感が、など洒落にもならない。

 

「壁抜きは、怖いですものね」

「なんの。先人に曰く、罠は嵌まって踏み潰すものであり、嵌まれば覚えるもの。踏破し糧にするがよろしいかと」

「避けることよりも、避けられなかったときのことを考えろ、ということでしょうか。一理ある、ような?」

 

 そのようにして、歪な通路を進んでいくと。

 

「……声。女の人が一人。それとゴブリンが、五」

 

 はたして、妖精弓手の耳は確かだった。

 

 曲がり角の先のちょっとした広間、ゴブリンの詰所らしき天井の高い空間に、火が焚かれている。彼らにとって必要なことではない。これはただの、娯楽だ。

 

「ぎいぃぃあぁっ!」

「GOBBBR!」

 

 傷だらけの柔肌に、新たな傷が生まれる。ゴブリンが虜囚の娘に押しつけたのは燃える木の棒であり、二十四時間ほど前までは魔術師(メイジ)の杖だったものだ。己の粗末な持ち物だけではおもちゃが足りなかったのだろう。

 

「BRGOGRG!」

「あっ……が……うぅ……」

 

 侍は事前にゴブリンの生態について説明を受けていた。彼らはほとんどのものを掠奪で賄おうとする。生産能力というものが皆無なのだ。

 

 食い物は作れない。奪えばいい。高度な道具は作れない。奪えばいい。雌は存在しないから、子は作れない。ほかの種族の雌を奪えばいい。

 

「下衆どもめ」

 

 戦国の世においても、巻き込まれた民が掠奪(乱妨取り)の被害に遭うことはままあった。金品や食料、それに人。雑兵たちは大名の黙認あるいは容認のもと、暴虐の限りを尽くしたのだ。

 

 ところが、この侍が身を置いていた家は事情を異にしていた。彼らにとっての戦とは盗られたものを盗り返すか、盗られぬように守るか。隣国への侵攻などしないのだから、必然的に戦場となるのは自国領だ。乱妨取りなどするものか。時折、弁えない者もいたが、そうした輩は皆斬って捨てられた。もしも今この場に臨むのが彼一人であったなら、あと先考えずにゴブリンたちも即刻斬って捨てていたことだろう。

 

「奥の通路の先は、わかるか」

「ううん、ここからじゃ無理」

「どうするよ。眠らせっか」

 

 鉱人道士は、術の触媒が満載された愛用の鞄に短い腕を差し入れた。

 

「いや。音を消せ、タイミングは任せる」

「準備しておきます」

 

 錫杖を握り直した女神官と頷き合い、ゴブリンスレイヤーは動きだした。松明は不要、通路の角に転がしておく。平時の無造作な歩みとはまるで違う、鎧のこすれ合う音すらない静粛さだ。ほどなく広間の入口に辿り着き、今度は壁を登攀する。

 

 そういえば昔、同じようなことがあったと彼は頭の片隅で思い起こした。記憶の倉庫に積み上がるのはどれも、暗いゴブリン退治の記録(リプレイ)ばかりだが、中には特別な(スパーク)を宿すものもある。あの頃は単独(ソロ)だった。今は違う。彼自身も違う。かつてとは、業前(レベル)が違うのだ。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、遍くものを受け入れられる、静謐をお与えください》」

 

 《沈黙(サイレンス)》が広間を支配するのと、ゴブリンスレイヤーが跳ぶのは同時だった。最初の獲物の首筋へ剣を突き下ろし、心臓に達した刃をねじり、わずかな溜めから一気に引き抜く。開放された傷口から間欠泉めいて噴き出す血飛沫が細かな雫となり、あっという間にゴブリンたちの視界を覆い尽くした。

 

「——!?」

 

 前述のとおり、ゴブリンには熱感知と鋭い嗅覚がある。これが霧や砂塵なら、なんの障害にもならなかっただろう。だが咽せ返るほどの鉄錆の臭いを振り撒く温かい血煙の中では、そんな特性は役に立たない。

 

「——! ——!?」

 

 虜囚に腰を打ちつけた姿勢のまま硬直していた狼藉者は、刺される痛みを思い知って絶命した。これで二つ。ゴブリンスレイヤーは娘を担ぎ上げ、脇目も振らず通路に駆け戻る。彼とて、この赤い煙の中では何も見えはしない。ゴブリンとの差は、地形や彼我の位置関係を瞬時に把握し憶えられるかどうかだ。

 

「この娘を頼む」

「はい!」

「煙はすぐに晴れる。切り込むぞ」

 

 ゴブリンスレイヤーは再突入した。鉱人道士は介抱する女神官の護衛として手斧片手に待機し、四人で攻撃を仕掛ける。

 

「そこ!」

 

 妖精弓手に眉間を射抜かれて三体。その隣で頭が爆ぜて四。

 

「うっわぁ……」

 

 今さらではあるが。弓矢でこのような現象が起こるのはおかしい。彼女が目を疑うのは仕方のないことだ。

 

「——!」

 

 熟達の射手二人の掩護のもと、ゴブリンスレイヤーはやっと反撃に出た五体目の短剣を盾で払い、胸板に剣を埋めて仕留めた。これで室内は敵影なし(クリア)だ。

 

「うぅむ、拙僧の分は残らなんだか」

「ゴブリンはまだいる」

「それは重畳」

 

 奇跡の効果は切れ、薪木の弾ける音がした。

 

「お怪我はありませんか」

「ああ。悲鳴が消えたことで物見がくるかもしれん。奥からは見えない位置にいろ」

 

 松明を持った女神官は指示どおりの場所に移動し、鉱人道士がそこに毛布に包まれてぐったりとする虜囚の娘を横たえた。ほかの者は手早く死骸を隅に片づけていく。血痕は問題ない。彼らがくる前から随分と汚れていた。

 

「お主の術で癒さぬのか?」

「命に関わるほど酷くはありませんから、安全を確保するまでは温存です……いいですよね?」

「ああ。それも任せているからな」

「はいっ」

「静かに。一匹、くるわ」

 

 尊敬する先輩からの信頼に、思わず声が弾んでしまう。恥じるように口もとを抑える女神官を見て、妖精弓手は少し意地悪だったかもと心の中で謝罪した。

 

「GRR……!?」

「七つ」

 

 外の見張り含む。喉を裂かれては奇跡などなくとも叫べず、物見の兵は沈黙した。

 

「うん、もうこっちには——その子、止めてッ!」

 

 全員の注意がゴブリンに向けられていた。そこにわずかな間隙が生じたのだ。

 

「いやだいやだいやだいやいやいやぁぁぁぁ!」

 

 その娘を駆り立てるのは、半端に浮上した意識にこびりついた恐怖と痛苦と絶望。錯乱するまま近くに落ちていた短剣を拾い上げ、まだ穢れた熱を帯びているように思えてならぬ、己の腹へと突き立てた。

 

「駄目、駄目です、駄目っ、です!」

 

 なおも自傷を繰り返そうとする娘を、女神官は必死に押し留める。すぐさま鉱人のゴツゴツとした手が短剣の刃を掴み、捥ぎとった。

 

「毒はねぇぞ、すぐに治療せい!」

「俺が押さえる」

「お願いします!」

 

 拘束を侍に任せ、女神官は放り出した錫杖を縋るようにして掻きいだいた。一番近くにいたのは彼女であり、託されたのも彼女だった。自責の念であふれる思考をなんとか整理し、神への嘆願で上書きする。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、どうかこの者の傷に、御手をお触れください》!」

 

 守り、癒し、救え。そう教える神ならば、そう願う信徒の声を無下にはすまい。柔らかな《小癒(ヒール)》の光が、真新しい傷を塞いだ。

 

「《呑めや歌えや酒の精(スピリット)。歌って踊って眠りこけ、酒呑む夢を見せとくれ》」

 

 赤い壺から酒を一滴垂らし、鉱人道士は術を成した。怪物相手なら口から霧吹き撒き散らすところだが、範囲が人の顔一つ分ならこれだけで事足りる。娘は《酩酊(ドランク)》の中でいっときすべてを忘れ、安らかな寝息を立て始めた。

 

「オルクボルグ」

「わかっている。数は」

「とにかく大勢」

「そうか。ここで迎え討つ。備えろ」

 

 これだけ騒げば、こうなる。

 

「GRROBR!」

「BGGRO!」

「BOROBG!」

 

 やつらがやってくる。せっかくの安穏なる我が家を踏み荒らす招かれざる客を、誅戮せしめんとやってくる。

 

「《禽竜(イワナ)の祖たる角にして爪よ、四足、二足、地に立ち駆けよ》」

 

 蜥蜴僧侶の祈祷に応え、彼の手から投じられた竜の牙が泡立ち形を変えていく。組み上がった竜頭の骨人形、《竜牙兵(ドラゴントゥースウォリアー)》は物言わず、主人の命を待つ。多勢に無勢、されど寡兵であればこそ、一つでも数を増やすことの価値は大きい。

 

「待って、なんか大きいのもいる!」

 

 それはすぐに、森人の耳でなくともわかる、重い足音と共に現れた。

 

「OGRGRAAA!」

 

 ホブゴブリンが子供に思える体長三メートルの巨体に、それに見合う()大棍棒。最弱たるゴブリンの一種にして、手練れの冒険者すら油断できぬほどの例外的強者(イレギュラー)

 

小鬼英雄(ゴブリンチャンピオン)……!」

 

 女神官の脳裏から肩へと、もうそこには痕跡すらないはずの咬傷の痛みが走った。ただの錯覚だ。忌まわしい過去の幻影だ。あのときだって最終的には勝てたのだ。彼女は怯えない。目を逸らさない。あれは斃せると確信しているからだ。

 

「遅すぎる」

 

 ああそうだとも、確かに斃せる相手だ。

 

 考えてもみてほしい。速射でも並のゴブリンの頭蓋骨を粉々にした強弓による、大型のデーモンすら角がひび割れ衝撃で体勢を崩しかけたほどの全力射撃。それが、いくら上位種とはいえゴブリンの、首に直撃したらどうなるか。

 

「えっ」

 

 間の抜けた声の主は女神官かもしれないし、ひょっとしたらゴブリンスレイヤーだったかもしれない。まさかゴブリンか? いずれにせよ、侍以外の誰かだ。

 

「GBO!?」

 

 飛んできた大きな頭に潰されたゴブリンだけは、最期まで何が起きたのか知ることはなかった。

 

 先ほどの記述に誤謬があったと認めよう。例外(イレギュラー)は過大評価だった。天地の狭間には、ときには地底にさえ、ゴブリンごときには想像もつかないほどの超越者がまだまだいるのだ。

 

「……今だ!」

 

 頭目が仕事を思い出し、浮き足立つゴブリンの群れに突っ込んだ。蜥蜴僧侶と侍も続く。こちらは動きやすい広場、あちらは通路にひしめき、ついでにたった今阻塞も出来上がった。またとない好機だった。

 

「あらぁ、弓っつうよか大弩(バリスタ)かなんかと思うたほうがよさそうだの。マジでドラゴンでも墜とせんじゃねぇのか。おっかねぇおっかねぇ」

「あの、私たち、かなり苦戦して、その」

「気をしっかり持って! あいつ絶対只人じゃないから。種族:侍! 記録用紙の書き方間違えた!」

 

 ほとんど自棄っぱちじみた一射は、それでも標的の急所を貫いた。

 

「ふはははは! お見事、お見事! なんと惚れ惚れする一撃か! かようなものを目の当たりにしては拙僧、武心のたぎりを抑えられぬ! イィィィィアァァァッ!」

 

 それはそれは愉快そうに駆ける蜥蜴僧侶の手には武具などない。彼が只人であれば、素手で怪物に挑むなどと、嘲笑う者もいただろうか。しかしそこは蜥蜴人、爪爪牙尾と四度振るえば、四つ骸が折り重なる。

 

「あの身の丈でもゴブリンなのか。デーモンではないのか?」

 

 対照的にこちらは冷静だった。閉所での戦闘に適しているとは言えない長物を、巧みに繰り出しゴブリンを屠る。戦がいつも刀を十全に振れる状況だとは限らない。組み討ちや屋内戦となれば脇差などに切り替える者もいるが、この侍は大太刀と弓ですべてをこなす。間合いを熟知していれば、壁に引っかける愚を犯すこともない。

 

「いや。あれはただのゴブリンだ」

 

 対照的と言えば、彼もそうだ。刃がこぼれつつある小剣を惜しまず擲ち、不用意に飛びかかる愚か者を撃墜。地面に落ちる前にその手から、ゴブリンには勿体ない上質の長剣を掠め取り、右の一体のこめかみに食い込ませる。逆側からくればこちらも逆の手の盾、鋭利に研ぎ澄まされたその縁で気道を断った。

 

 一振りの剣では五人と斬れぬ、とされる。金言に現在進行形で喧嘩を売る不届き者が真横にいるが、それはさておき。武器など消耗品、なくなっても買えばいいどころか敵が持ってくるではないか。ゴブリンスレイヤーはそう考える。その分、一つ一つの得物の扱いに関しては極めた達人になど遠く及ばないのだが、彼は気にしない。達人でなくとも、ゴブリンは殺せるからだ。

 

「っ! 後ろ、右の壁!」

 

 危惧したとおりだ。カリカリパリパリと、雨音に少し硬いものが混ざったような、ベーコンを焼く音にも似た異音が近づいてくる。

 

「離れい! こん娘は儂が背負う!」

「ごめんなさい、お願いします!」

 

 妖精弓手の警告は遅くはなかった。ただ、土の壁のさらに向こうまでは森人でも正確には探知できないというだけだ。

 

「GARAAOG!」

 

 土を砕き散らして現れたのは、二体目のチャンピオンだった。足もとには不気味な装飾を施した衣装に身を包む、杖を持ったゴブリンもいる。シャーマンだ。さらに取り巻きも多数。

 

 冒険者たちは知る由もないことだが。彼らは昨夜と違い、裏口を先に引き当てたのだ。順路であれば、本隊から遠い位置から着実に攻略できたはずだった。そちらに待っていたであろう罠や伏兵の相手をするのとどちらが楽だったかは、もうわからない。

 

「ぬぉっ!? しもうた!」

 

 飛来した土塊をまともに受け、鉱人道士は吹き飛ばされた。痛痒はさほどでもなかったが、背中の娘が別の方向に転がってしまう。

 

「邪魔立てするか!」

 

 侍はすかさず弓を構えようとするも、気を取られた隙に次々と纏わりつく小兵が、残る二人共々手番を遅らせる。男たちは間に合わない。

 

「GOBRAGA……!」

 

 誰より早かったのは、男でも女でもない骨の兵だった。後衛の守りという任を預かった竜牙兵が、主人に倣い爪爪牙尾を叩き込み、チャンピオンを数歩退がらせる。これで敵の機先(イニシアチブ)は潰した。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、闇に迷える私どもに、聖なる光をお恵みください》!」

 

 焚き火の灯などまるで線香。まばゆい《聖光(ホーリーライト)》が洞窟の暗黒を駆逐し、闇に住まう祈らぬ者(ノンプレイヤー)どもの目を焼く。

 

「GBRRGBR!?」

「やるぅ!」

 

 それがただの悪態だろうと詠唱だろうと知ったことかと、妖精弓手の放った矢がシャーマンの言葉を舌ごと引き千切った。

 

「あっ、あの人が……!」

 

 掠りもしない高さで滅多やたらに得物を振り回すチャンピオンのすぐ近くに、あの娘が立っていた。鉱人道士の背から落ちた拍子に目を覚ましたのだ。位置取りがまずい。侍がチャンピオンを射斃した場合、あの大質量の下敷きになりかねない。

 

 ——いや。この位置でいい。彼女にとってはこの位置がいい。これは、彼女の()()なのだ。

 

「OBGROA……!」

 

 ぺたり、と足に何かが触れる感触に、チャンピオンはそこにいたかと棍棒を振り上げた。

 

 虜囚、ではなく冒険者の娘は、元ギルド職員だという仲間から聞いていた。魔術戦士や、自衛の手札を増やしたい魔術師が用いる、呪文の応用技術がある。それは敵に接触して行われるために危険は大きいが、威力もまた絶大だ。

 

 彼女は仲間を信じた。つき合いは短かったが、信じたからこそ仲間だったのだ。だから今も信じて、冒険者となって初めて、真に力ある言葉(トゥルーワード)を口ずさむのだ。

 

「《カリブンクルス(火石)……クレスクント(成長)……ヤクタ(投射)》ァァァァッ!」

 

 杖などただの補助道具にすぎぬ。神が創世に用いたとされる真言が、理を曲げる力を発揮するか否かは、当人の理力次第。彼女は、よい魔術師だった。

 

「GRAAORAAAA!?」

 

 チャンピオンの体内で育ち、大きく膨れ上がった《火球(ファイアボール)》は片足どころか下半身を丸ごと爆発四散させ、余波と残骸が周囲のゴブリンを打ち飛ばした。至近にいた娘はどうなったかといえば、右手で押さえつけた毛布を英雄の外套のようにはためかせ、しっかりとそこに立っていた。

 

「ここで、こんなところで……終わってやるもんか!」

 

 

 

§

 

 

 

 その後の戦いについて、これといって特筆すべきことはない。一党は魔術師の娘とは別に囚われていた村娘も救助し、ゴブリンを殺した。ただ隠れていた敵や逃げた敵がいたとして、どれだけの長さかもわからないこの洞窟を、弾切れの魔術師と意識のない非戦闘員を連れたまま捜索して回るのは難儀だった。ので。

 

「《働け働け土精ども、楽しい仕事のあとになら、ミルクとクッキー待ってるぞ》」

 

 鉱人道士が洞窟の壁に生成した《隧道(トンネル)》を川に繋げ、綺麗に洗い流すことにした。

 

「この手に限る」

「限るな!」

「必要なことだった」

「それは……まあ、いいわ。今回は特別に、ちゃんとした冒険だったってことにしてあげる。カラドタングと、あの子に免じて、ね」

「そうか」

 

 何かをやらかしたゴブリンスレイヤーに妖精弓手が食ってかかる。これもまた、いつものことだ。

 

「はい、いいですよ」

「ありがとう……ございます」

 

 軟膏を塗り包帯を巻かれた左手をそっとさすりながら、魔術師の娘はかすかに口もとを綻ばせた。首には、あのシャーマンから奪還した()()の認識票が揺れている。詠唱限界である三回を使い果たした女神官に代わり、蜥蜴僧侶が治療の奇跡を、という申し出を娘は断っていた。応急手当てでは痕が残ってしまう。そのほうがいいと、彼女は言った。ならば、それでいいのだ。傷痕に、戒めと思い出を込めて生きていく。彼らの冒険はここで終わってしまったが、彼女の冒険はこれからも続くのだ。

 

「生きねば、わからぬ……か」

 

 夢破れた冒険者。一度は己の命を絶とうとしたあの娘は、仲間の仇を前にして怒りを燃やし絶望を焼き尽くし、ついには希望の種火を心に灯した。あのとき死んでいたら、ありえなかった今。そこに意味があるのかは、わからないが。生きてさえいれば、答えが見つかる可能性は常にある。

 

「のう鱗の。お前さん、憶えとるか。弓と矢の話」

「確か……方向性を定める矢羽根が拙僧、突き進む鏃は野伏殿。繋ぐ矢柄は術師殿」

「まとめて支える弓は娘っ子。番えて放つ射手はかみきり丸。とならぁ」

「うむ、まあ、消去法というわけでもありませぬが」

 

 決定打こそ魔術師に譲ったが、戦況に風穴を空けたのは侍だった。初手のあの致命打(クリティカル)がなければ、彼らはシャーマンと二体のチャンピオン、それに雑兵の大群に圧殺されていたとしてもおかしくはなかったのだ。ゴブリンスレイヤーならそれでも何かをやらかして切り抜ける可能性もあるが、どうあれタダでは済まなかっただろう。

 

 力だ。強敵には搦手で挑むのがお約束となっているこの一党に新たに加わった、真正面からすべてを打ち砕く圧倒的な力。それは彼の愛用するあの強弓が象徴するもの。ゆえに。

 

「弦、だぁな」

「弦、ですな」

「おい。少し、よいか」

 

 名前を呼ばれた気でもしたのか、少し離れたところにいた侍がゴブリンスレイヤーたちのもとへ歩み寄った。

 

()()()()

「……俺か」

「ああ、そうだ。一つ、(かしら)であるお主に言うべきことがある。機を逃していたゆえ、今この場で済ませることをまずは許せ」

 

 侍は笠を脱ぎ、武器と一緒に地面に並べた。そして自身も両膝を突いて腰を下ろす、すなわち正座の姿勢を取り、ゴブリンスレイヤーを見据えた。

 

「我が忠義はお国にのみ捧ぐもの。お主にこうべを垂れるわけにはいかぬ。されどこの異国の地にて拾い上げていただいた御恩、知らぬふりでは侍の名折れ。我が刃、我が弓、我が雷。武をおいてほかに能のない軍人(いくさびと)なればこそ、この武のすべてをもって、御恩返しいたす所存。何卒よしなに、願いつかまつる」

 

 困る。ほぼ部外者であるあの娘など、かなり困っている。こういうときに思い切った行動ができる者がいれば、話も進むのだが。

 

「か、た、い! うちの長老ぐらい堅い! とりあえず立って!」

「しかし」

「こういうときは一言、よろしく! これでいいの。私たち、もう仲間なんだから。そうでしょ?」

 

 仲間。問われたゴブリンスレイヤーは、この言葉を使うことにまだ慣れていない。

 

「違うの?」

「いや。そうだと、思う」

「ほら、頭目も認めてくれた。さあ立って立って!」

「……あいわかった」

 

 まだ微妙に得心のいかない表情ではあったが、すっくと立ち上がり、ゴブリンスレイヤーと向かい合った。

 

「では。よしなに、頼む」

「ああ」

 

 仲間。心中で繰り返してみても、どうにもしっくりこない響きだった。だからといって、頭目としての責任を放り出せるほど、ゴブリンスレイヤーは不義理な男ではない。新しい……仲間。迎え入れるのは、頭目の務めだ。

 

「こちらこそ、よろしく頼む」




◆焼き菓子◆

 開拓村の少女が一生懸命拵えた、不恰好な焼き菓子。出立の朝、侍に贈られたもの。

 見栄えは悪くとも、味は悪くない。一口かじればほんのり甘く、元気が出るだろう。できれば少し、飲み物も欲しくなるが。

 あの森の中で食べた焼き菓子は、とてもうまかった。

 もちろん、この焼き菓子も、とてもうまかった。







◆冒険の記憶・嚆矢の章◆

 侍の心中に息づく、冒険の記憶。すべてを失った男の、ありえないはずだった新たな思い出。

 未知なる土地に至った。未知なる文化に触れた。未知なる脅威に挑んだ。未知なる冒険の日々を共にする、得がたい仲間に巡り会えた。

 まこと、人の世、人の生は、未知にあふれている。

 生きてみねばわからぬものの、なんと多いことか。


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Session 2:気骨の章
2-1:古強者たち/Argonauts


 

 侍の朝は早い。

 

 黎明(寅の刻)のうちに寝台から起き上がり、着流し姿でギルドの裏手へ向かう。桶を借りて井戸水で満たし、いったん自室へ。寝巻を脱ぎ手拭いで体を清め、それが済んだら平服に袖を通す。

 

 彼が鉱人道士の贔屓にしている仕立て屋を訪ねたのは、最初の冒険の直後のこと。店主は妙な抑揚で話す丸眼鏡をかけた(バク)の獣人で、初めて来店した本物の侍にいたく感激した様子だった。あれよあれよという間に採寸が終わり、明日の朝一番でこいと言われ店を出れば、背後で閉まる扉に"閉店中"と読めない文字で書かれた札が。

 

 そうしてあつらえられたのが先ほどまで着ていた寝巻と、これだ。深紫の小袖に、黒の袴。裾は、爪先を鋼板で補強したブーツに突っ込んでおく。鎧下を兼ねているため、平服といっても戦装束のようなものだ。

 

「んにゃ、おはよーございまーす、侍の旦那ぁ。今日もありがとねぇ……ふわぅ」

「よい。鍛練のついでだ」

 

 ギルド裏へ舞い戻り、酒場の薪割りを手伝う、というか代行する。さすがに刀は使わないが、ただの手斧であるにもかかわらず芸術的なまでの精度で統一規格の薪を量産していく様は、まさに侍。勝手口から顔を出した獣人女給も、思わずぽふぽふと拍手を送った。

 

「終わったら席で待っててねー。朝ごはんもうすぐできるから」

「今日も早くからすまぬな」

「いいっていいって。お代貰ってるし手伝ってもらっちゃってるし、これは対等な取引なのだ!」

 

 いつも賑やかな酒場にも、営業時間外というものは存在する。冒険の帰りが遅かったり、夜に明かりを灯して読書に熱中していたら空が白み始めていたり。そんなときは空腹に耐え、座して開店を待つことだ。

 

 つまるところ、この朝食は女給と料理長の厚意の表れなのだ。

 

「うまい」

「あたし様の仕込みにおっちゃんの腕前。まずいわけがないよねーまぐむぐもぐ」

「よっしゃよっしゃ、そんなら予定どおりメニューに加えようかね」

 

 本日の賄い料理:試製大蒜(ニンニク)抜きミネストローネ改。

 

 たっぷりの野菜を浮かべたスープで、そこに少量のショートパスタや米が入ることもある、というのが通常のミネストローネだが。侍から聞いた湯漬けの話に着想を得た料理長は、(ボウル)に米を盛り、スープと具材をかけてみることにした。健啖家の冒険者も満足の、食べ応えのある一品である。スープには肉や骨を使っていないため、伝統的に肉食を忌避する森人も安心だ。

 

 そんなミネストローネ漬けを掻っ込む侍の得物は、一対の細い木の棒だ。尖筆に見えなくもないが、それよりも半倍ほど長い。そう、箸だ。

 

 秦皮樹(トネリコ)の薪木を一つ譲り受け、素材を確保。女神官の勧めで購入した便利な道具一式(コンポーネント)、冒険者ツール付属の小刀で削り出し、工房で借りた鑢で形を整えた。まではよかったが、そこで漆がないことに思い至る。さて仕上げはどうしたものか。工作、細工物。それは鉱人の領分であると教わっていたので、鉱人道士に相談したところ、蜜蝋を塗るのがよいとのことだった。

 

 こうして完成した専用箸(マイ・ハシ)は、侍の手の中で万能食器として絶賛活躍中だ。

 

「うーん、やっぱりスプーンで食べてるよりおいしそうに見える。なんでだろ」

 

 酒場の米の消費量が急増しているのは、何も侍が大食いなせいだけではない。その食べっぷりに触発されて米に目覚める同業者は増加傾向にある。妖精弓手などはその筆頭だ。

 

「馳走になった」

「あいよう、今日も気張りな」

「ああ、お主らもな」

 

 しっかり三杯を平らげて、侍は刀を手に三たび外へ出ていく。腹ごなしと鍛錬。素振りの時間だ。大上段から地に着く寸前の一文字。勢いを殺さず流れを変え、手首を返し横薙ぎを往復させ、体ごと回転して袈裟懸け。さらに続けて……舞うように。睨む空に雲はなく、剣風いまだ竜に届かじ。師や祖父の高みは、どこまでも遠い。

 

 そのまま一刻(約二時間)ほど休まず剣を振り、朝の準備運動は終いとする。今度は部屋には戻らない。

 

「よう」

「うむ」

 

 ギルドロビーの中では、今日の依頼書の張り出しが始まるのを待つ冒険者たちが、めいめいに集まって雑談に興じていた。侍の姿を認めて片手を上げたのは眉目秀麗な青年、辺境最強の呼び声高い槍使いだ。格式ばった一礼を返されて、なんとも決まり悪そうにしている。

 

「お、おう……もうちょい気軽な感じでもいいんじゃねぇか?」

「性分だ。癪に障ったか」

「いやいや、そういうわけじゃねぇよ。それがお前の流儀(スタイル)だってんなら、構いやしねぇさ。んで、どうだ。ここの生活にゃ、もう慣れたかよ」

「戸惑うことは減った。皆が世話を焼いてくれるゆえ」

 

 侍が冒険者となってから、一週間が過ぎていた。学び、鍛え、戦う日々だ。(まつりごと)に心を砕く必要がないのは気楽だなどと、かつて彼の傅役だった男が聞けば説教が始まるだろうか。賊の頭目から身を起こしたかの者は、豪放磊落であっても決して浅慮ではなかった。戦上手というだけでは、侍は務まらぬものだ。

 

「そらよかった。けどあいつの一党にいるっつうことは、毎日ゴブリン退治ばっかだろ? 飽きてきたら声かけろよ、俺が本物の冒険ってやつを教えてやる。噂に聞く侍の戦技を見てみてぇしな」

「ふ、ふ。期待……の、大型新人。だも、の……ね」

 

 蠱惑的な肢体の線を長衣の布地に浮かび上がらせ、鍔広の帽子を目深に被った美女が、相棒である槍使いに寄り添った。酒場でたむろする男衆が肴代わりに夢想し合う"イイ女"。それが、魔法の力で現実になったかのよう。彼女はどちらかといえば魔法を使う側、魔女(ソーサレス)なのだが。

 

「よさぬか。今はあの男が俺の(かしら)だ。それに、どのような枕詞をつけようとも、新参者に変わりはあるまい。より鍛錬を重ね経験点とやらを積まねば、轡を並べたところでお主らの荷となろう」

 

 いつもの面子が揃わない。余所から誘いがあった。などの理由で、普段とは異なる顔触れ同士による臨時の一党が結成されるのは、ままあることだ。冒険者のそうした自由な気風には、侍はまだ馴染めていない。

 

「律義で勤勉、しかも謙虚ときた。まったく、うちの一党の小僧にも見習わせたいものだ」

 

 目鼻立ち凛々しく、白鉄の鎧に金の長髪が映える女騎士。彼女の言う謙虚さとは無縁と思しい、堂々たる歩みでの参上だ。

 

「というわけで、そんな熱心なお前のためなら、また訓練につき合ってやることもやぶさかではないぞ」

「どういうわけだよ莫迦。それで冒険にいく前から強壮の薬水(スタミナポーション)飲む羽目になったのを忘れたのか。ガキどもに示しがつかねぇだろうが」

 

 大剣(だんびら)を背負った重戦士が、壁役(タンク)らしく戦友の暴挙を阻止しにかかった。冷や水を浴びせられた女騎士の視線(ターゲット)が移る。

 

「莫迦とはなんだ莫迦とは! いいか。至高神に仕える高名な聖騎士(パラディン)になる予定のこの私が、勝負の途中でバテて引き下がったままなど、それこそ示しがつかんではないか」

 

 足りないのは信仰か威厳かやはり謙虚さか。ただ奇跡を賜っただけの騎士と聖騎士の間には、剣術だけでは埋められない隔たりがあるらしい。

 

「ならば、またいずれ勤めのない折に手合わせ願おう。それでよいか」

「おお、話のわかる御仁だ。ではそのときを楽しみにしておくがいい。今度はせめて奥義を披露しよう」

「秘剣の秘を簡単に投げ捨てようとしてるんじゃねぇよ」

 

 頭目を務める重戦士と、黙っていれば格好いいと評判の女騎士。この場にはいないガキどもこと少年斥候と圃人の少女巫術師(ドルイド)に、会計係を務める半森人の軽剣士。辺境最高の一党とは彼らのことだ。

 

「デーモンの首級(くび)を手土産にギルドに現れ、熟練者(ベテラン)にも一目置かれる。あれが白磁……? では我らはいったい」

「よーし、気合入れ直せおめぇら。青玉ぐらいで満足してたら、あっという間に追い抜かれっちまうぞ」

「一番呑気してたのはあんたでしょ」

 

 この街のギルドを止まり木とする八人の銀の冒険者、そのうちの半数と、今話題の侍が語らっている。それはもう注目の的にもなろうというものだ。

 

「おう、雷光の。それにお歴々も。いつの間にやらよろしくやっとるみたいで何よりだわい」

「うむ。人脈もまた力。淘汰の波を乗り越えるのは得てして、強大無比な個ではなく、多様性に富んだ群れですからな」

 

 そこへさらに銀等級、鉱人道士と蜥蜴僧侶が上階から降りてきた。後ろには、少女二人を連れ立っている。こちらも片方、あまりしっかり者ではないほうは銀等級だ。

 

「ほら、足もとに気をつけてくださいね。冒険の前に治療の薬水(ヒールポーション)を飲むことになっちゃいますよ?」

「んゆぅー、そしたらぁ、貴方に《小癒(ヒール)》かけてもらうー……」

 

 いかに慈悲深き地母神とて、こんなことで頼られては御手を差し出すことを渋りかねない。寝惚けた程度で上の森人が転げるかどうかは、さておき。

 

「……ん」

 

 長耳がぴこと跳ね、半開いた目はギルドの入口へと向かった。半開きが全開きになったあたりで自在扉も開け放たれ、ズカズカと無造作な足音がロビーに響く。なんだあいつはと知らぬ者は囁き、なんだお前かと知った顔が挨拶を交わす。前者は少数、後者が多数。彼は彼で有名人だ。

 

「おはようございます、ゴブリンスレイヤーさん」

「ああ」

「一応、聞いといてあげるけど。今日の予定は?」

 

 残る一人の銀等級。その異名は辺境最優、小鬼殺し。なれば己に課した使命は一つ。

 

「ゴブリン退治だ」

 

 

 

§

 

 

 

 森の中にある木々を一束、巨大な手でまとめて引っこ抜いたような、空白地帯。緑の広場となったそこに、明らかに異質な暗闇が口を広げて待っていた。

 

「見張りなし、トーテムなし。情報どおり、居着いたばかりか」

 

 まともな冒険者ならば迷宮(ダンジョン)だお宝だと心躍ることもあるのだろうが、ゴブリンスレイヤーにはどうでもよいことだ。少なくとも今の目的は冒険ではなく、ゴブリンなのだから。

 

「人の足跡があるわ。ゴブリンのよりも前、何日か経ってる。鎧が五人と、あと軽装の、たぶん女の人が一人。……外には、出てないみたい」

「見たとこ、最近掘り出されたばっかの遺跡だの。どこぞの冒険者が潜って、そのあとでやつばらが住み着いたっつうとこだろ」

 

 草の上なら森人が、土の下なら鉱人が。まったくもって多様性とは力であった。

 

「で、でも、受付さんからそういうお話は伺っていませんよね?」

「拙僧らの拠点とは別の街のギルドに属する者たちでしょうや。縄張り(テリトリー)の外のことまでは把握できまいて」

 

 街の下水道や周辺の野山ばかりが舞台(ステージ)となるのは、駆け出しのうちだけだ。等級が上がるにつれ、遠方へ出向く機会も増えていく。そうして名声を広めて凱旋を果たすこともあれば、二度と戻らないこともある。

 

「どう見る」

「先行した冒険者はいまだ攻略のさなか。小鬼どもはすでに成敗されている。と、いうのはいささか楽観がすぎる。一党壊滅のうえ女人一名、囚われたと仮定して動くべきかと」

「そうだな。中の規模はどの程度か、想像はつくか」

「ちくと待っとれ」

 

 鉱人道士は階段を数歩下り、壁に床に掌を這わせた。綺麗に形を揃えられた暗灰色の石組はとても滑らかで、不自然なほどに月日の経過を感じさせない。

 

「状態はいいけんど、造り自体はそうとうに古い……へたすっと千年かそこらよりも昔、神代(かみよ)でも驚かんぞ。仕事は丁寧、しかも魔法で補強済み。入口はわざわざ隠されとった。こんだけ手の込んだ遺跡とならぁ、玄室一つ二つで終わりってこたぁねぇやな」

「裏口はあると思うか」

「そらあんだろうが、表っからわかるようにゃあなっとらんだろ」

「厄介だな」

 

 ところでお気づきのことと思われるが、こういった場面ではほぼ侍に出る幕はない。具足の腰帯を革のベルトに変え、右側にポーチを取りつけるなどして冒険に順応しつつあるものの、当人の自覚するとおり経験不足は如何ともしがたいのだ。もちろん遊んでいるようなことはせず、先達たちの言葉に耳を傾けながらも、周辺への警戒は怠らないが。

 

「おい、これはなんだ」

 

 その姿勢が功を奏したようだ。

 

「灰、かしら」

 

 風に吹き散らされた灰が、草葉に残っていた。ほかに火の形跡もなく、灰があるだけだ。

 

「ふぅむ。死せぬ死者(アンデッド)の残骸やもしれませぬな」

「だとすりゃ、ここは地下墓地(カタコンベ)か。墓場に不死のバケモンは、お約束だかんの」

 

 ここで途絶えた冒険譚が、アンデッドとの死闘があったとして、その成果はゴブリンたちの寝床のお膳立て(ベッドメイキング)だったのかもしれない。そうであるならば、なんとも救えない話だ。

 

「不死、だと。死なぬのか」

「たぶん貴方の思ってるのとは違うかな。呪いか何かのせいで死んだまま動くやつとか、あと天に昇れない怨霊とか、そういうのよ」

 

 不死者(イモータル)はかく語りき。と言っても、上の森人とて絶対に死なぬわけではない。寿命の概念がないだけで、傷病で命を落とすことはある。神を破壊した男の伝説すら語られるこの地に、はたして真の不死者がいるのかどうか。

 

「尋常の刀で斬れるのか、その、アンデッドは」

「効かないこともあるそうです。そうしたら私が、なんとかしないと……なんとか、します」

 

 死に損ないどもに何より有効なのは、聖職者による解呪だ。蜥蜴僧侶はどちらかといえば物理を本懐とする武僧であるからして、女神官が要となろう。

 

「一度侵入して様子を見るしかないな」

「偵察なら、私だけでもいいけど」

「いや、分断は避けたい。全員で動く。ゴブリンどもの数が多ければひとまず引く。少ないか、姿が見えなければ進む」

 

 侍の参陣により一党の攻撃能力(D P S)が大幅に向上したからといって、ゴブリンスレイヤーの基本方針が変わるわけではない。つまずくおそれは常にある。油断と慢心に手招かれて失敗すれば、そのときは死ぬだけだ。

 

「アンデッドと遭遇(エンカウント)した場合は、いかに」

「一当てしてから決める。どの道、先行した冒険者の捜索も可能な限りはやらねばならん」

「ゴブリンがおらんでも、かの」

「……そうだ」

「そこは即答せんかい」

 

 この会話の間に、女神官は鞄から松明を取り出していた。慣れた手つきで火打ち石を鳴らし、灯火を生む。たくましくも甲斐甲斐しい。

 

「どうぞ、ゴブリンスレイヤーさん」

「助かる。よし、隊列を組め。いくぞ」

 

 カビ臭い空気を焼きながら、一歩一歩下っていく。生者にも死者にも気づかれぬよう、慎重な足取りで。やがて入口が小さな光点になった頃、階段は終端を迎えた。一本道の先を、重厚な石扉が塞いでいる。

 

「調べるわ」

 

 迷宮の罠の探知などは野伏でも斥候でもなく盗賊(シーフ)技能(スキル)だが、いないのだから文句を言ってもいられない。鳴子(アラーム)落とし穴(ピット)罠矢(トリックボルト)。いらぬところで運試しをさせられたくなければ、必要なときに自分から賽を振ることだ。

 

「見た感じは何もなさそうだけど……わっ」

 

 さてこれは、どんな目が出たものか。細指が触れた表面に蜘蛛の巣状の燐光が走り、扉はゆっくりと、くぐもった音を立てて左右に滑り開いた。その向こう。

 

「BRGRRG……」

「GBGBGRR……!」

 

 まず、血の臭いがした。咀嚼音が聞こえる。蠢くいくつかの緑の影。ゴブリンだ。食事に夢中らしい。やつらは雑食だ、人も食う。だが群がる怪物たちが奪い合う襤褸のような骸は……ゴブリンのものではないか?

 

「なんで、こんな……!?」

「八、いや七。弓、ホブ、術なし。潰すぞ」

 

 考えることは、殺してからでもできる。凄惨な光景に正気をすり減らした少女たちは動けず、慌てず騒がずの鉱人は動かず。それ以外の者は、先制の機会を逃さなかった。

 

「一つ」

 

 もっとも入口の近くにいた個体の喉を、嚥下しかけた肉ごと小剣が引き裂いた。

 

「では二つ、三つ」

「GOBRO!?」

 

 続いて侍も走り込み、肋の隙間を縫う大太刀で心臓二つ、まとめて串刺し払い捨てる。

 

「四つ!」

 

 悲鳴を上げることも許さず肺腑を抉ったのは、爪を備えた蜥蜴僧侶の貫手だ。

 

「GBOOR!」

「五!」

 

 こちらは声を発する猶予くらいはあったようだが、それまでだ。遅れを取り戻すべく放たれた木芽鏃の矢が左目に吸い込まれ、半分の視野で天井を仰ぐ。

 

「六つ、おっと失敬」

「いや。これで六」

 

 遅まきながらの反攻を長尾に叩き落とされて虫の息のところに、小剣を突き立て楽にしてやる。が、深く刺しすぎたのかうまく抜けず、ゴブリンスレイヤーは舌打ちした。

 

「七つだ」

 

 同族の腕を振りかざし侍に抵抗を試みる者もいたが、自前のほうの腕を切断され、胸椎を蹴り砕かれた挙句壁に激突、頭部半壊という結果に終わった。

 

「あやつが相手じゃあ、ゴブリンに同情しちまわぁな」

「あ、ははは……」

 

 惨状から目を逸らしつつ、手斧を下ろす鉱人道士。傍らで少々顔を引き攣らせている女神官共々、何もせずに済んだのは幸いだった。術の切れ目が探索の切り上げどきならば、待機することも大事な仕事だ。

 

「強く蹴らねば仕損じると、学んだまでのこと」

「そうだ」

 

 火に照らされ翔る短剣の煌きが、そろりそろりと奥へ逃げようとする片腕のない一体の延髄を捉えて穿った。

 

「とどめは、確実に刺さねばならん」

 

 速く、遠く、正確に。投擲において只人に勝る種族はなく、彼は己の利点をよく理解している。練達の技巧だった。

 

「やはり八だったか……?」

 

 改めて小剣を回収し、刃の状態を確認して鞘に、戻さなかった。今度こそ動く敵はいない。いないが、彼は違和感を拭えなかったのだ。腕の欠けたゴブリンを数に入れなかったのは、どう見ても喰い荒らされていたからだ。一党の面々も、完全に意識から外していた。それがどうだ、あの死骸はろくに血を流してもいない。腕を捥がれた跡も、初めからそういう形に生まれてきたかのように綺麗に塞がっていた。

 

「見間違いだったのかしら」

 

 番えかけた矢を弄ぶ彼女もまた、自身の呟きに信を置くことができずにいる。森人に限って、この距離で見間違いなどと。

 

 いずれにせよ、次に起きた出来事については、皆はっきりと見えていた。

 

「まだ、終わりじゃないみたいです……!」

「全員、扉まで戻れ」

 

 警戒する一党の眼前で、ゴブリンたちの体が急激に腐り落ちていく。血肉は床石を汚す黒い染みになり果て、忌まわしいほど人に似た、その骨格だけが残された。あるいは、脱ぎ捨てたと言うべきか。乾いた音を響かせて組み(立ち)上がった彼らは、生前よりもずっと身軽なのだから。

 

「継戦だ、やるぞ」

「まずは一当てだな、心得た」

 

 骨小鬼(スカルゴブリン)は七体。屍——まともな屍のままなのは、侍に蹴り殺されたものだけだ。

 

「これも数える?」

 

 九、または一つ。結局使うことになった矢が、眼に不気味な光を宿した晒れこうべを弾き飛ばす。まだ止まらない。零だ。

 

「いらん。ゴブリンではない」

 

 研ぎ澄まされた刀ならまだしも、数打ちの剣では通るまい。ゴブリンスレイヤーは松明で足を掬い転倒させ、無防備な背骨を踏み割った。やっと止まった。

 

「こうしたらば、いかに」

 

 物理で対処できるなら武僧の出番だ。飛びかかってくるのを躱して足を掴み、手近な一体に叩きつけて諸共バラバラに。その間に、侍が別の獲物の腰を断っていた。

 

「駄目っぽい!」

「下がっとれ、耳長娘!」

 

 転がってきた頭蓋骨がカタカタと嗤うのを、鉱人お得意の斧が黙らせた。それでも無事な部位が再結合し、戦列に復帰してしまう。下半身のない者でさえ、這いずる、という表現が相応しからぬ速度で執念深く迫りくる始末だ。

 

「奇跡をお願いしましょうか!?」

「まだだ、今は引け!」

 

 愚直な突進を盾で打ち返し、ゴブリンスレイヤーは後退していく。視界に映るものが敵だけになったところで転身、通路へ、階段へと駆け戻った。

 

「ああもう、矢の効きが悪い相手とか大っ嫌い!」

 

 好きなやつがいるものかと誰かに指摘される前に、最後の数段を跳び越え脱出した妖精弓手は、着地と共に弓を構え掩護の姿勢を取った。次いで女神官、鉱人道士、蜥蜴僧侶、侍。最後にゴブリンスレイヤーが飛び出し、そこでさらなる異変は起こった。

 

 追い縋るスカルゴブリンたちが外気に触れた途端、鬼火に包まれたのだ。火は草を焦がすこともなく、ただ自然の摂理に背く死すべき者だけを焼き尽くしていった。

 

「なるほど。確かに、あれは残骸だったようだ」

 

 やがて塵に、灰に還る。取り残された短剣が、鈍く光っていた。

 

「お主、こうなるということがわかっていたのか」

「そうではない。迷宮の番人(ルームガーダー)は、受け持つ部屋から出られんらしい。あれはもうゴブリンではないから、そういう手合いかと思っただけだ。当ては外れたが、まあ、いい」

 

 戦闘終了だ。少々異臭の残る空気を吸い込み、一行は息をついた。鉱人道士などは、もう酒瓶の栓を抜いている。

 

「して、いかがするか。奥へ進むとして、あの異様な小鬼どもが再び現れたならば、同様の策に頼るのは難儀ですぞ」

「カチ合うたんびに耳長に引率(トレイン)させりゃあ、なんとかなっかもわからんがの」

「いーやーよ。反復作業(マラソン)は冒険とは言わないんだからね」

「止まるまで斬り刻めばよい。それで殺し切れるのであれば、楽なものよ」

 

 されどもまだ、最初の玄室を攻略したのみ。骸骨どもを動かす繰り糸の根本は秘匿(クローズ)され、迷宮はその腹の内をおいそれとは明かさない。

 

「撤退はしない。ゴブリンと生存者の有無は確認せねばならん。いざとなれば、今度は奇跡を頼む」

「はい。でも、一つだけ。生存者とゴブリンの、ですよ」

「……そうだな」

 

 暗闇(スクリーン)は変わらずそこにあり、ただその厚みだけが、いや増したように思われた……




◆銀の認識票◆

 冒険者の証である認識票。銀のそれは、第三等級を表している。

 冒険者とは一歩間違えればただの無頼漢であり、認識票の色だけが彼らの信用を保証する。ゆえに、昇級には武勲だけでなく社会への貢献や、よき人間性が求められるのだ。

 規格外の白金、国事に関わる金に次ぐ、事実上の在野最高位。それは一つの到達点ではあっても、冒険の終わりと同義ではない。至った者にしか、見えぬ景色もあるものだ。


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2-2:零落/Exile on Main St.

 

「慈悲深き地母神よ、どうかその御手にて、地を離れし御魂をお導きください……」

 

 跪き、祈る。地上と地下と、両方へ向けて。死は平等なれば、悪辣極まるゴブリンであっても、死者となりては冥福あれかし。余人がどう思おうと、彼女の信条が、胸に刻んだ教義が揺るぐことはないのだ。

 

「終わったか」

 

 それでも、いやそれゆえに。きっと誰よりもゴブリンを憎んでいるであろうこの男が、弔いの意思を尊重してくれることに、彼女は深く感謝していた。

 

「はい。お待たせしました」

「いや。ちょうどいい小休止になった」

 

 松明を再点火し、ゴブリンスレイヤーはほかの面々を見回した。

 

 鏃の細工を終えて黒曜石の短剣を仕舞う妖精弓手。鞄を漁り触媒を整理した鉱人道士。羊皮紙と鉛の尖筆を手に本格的な地図製作(マッピング)の用意をする蜥蜴僧侶。そして手早く刀の目釘を改め、今は悠然と立っている侍。

 

 準備は整った。

 

「いくぞ」

 

 足早に階段を降り、玄室の扉へ近づいた。誰かが近くにいないと、独りでに閉まるものらしい。指先で軽く突つき、先ほどよりも落ち着いて開くのを待つ。念のため警戒はしていたが、彼らを出迎えたのは動かない死骸だけだった。汚れた床、散らばる骨。そのただなかに、いやに目立つものがある。

 

「やはり、共喰いだったとしか思えぬな。これは当然に起こりうることか?」

 

 肉を噛み千切られた主なき腕が、凶行を物語っていた。ゴブリンのやることなどことごとく凶行ではないかと、言ってしまえばそれまでだが、さて専門家の意見はどうか。

 

「いや、滅多にない。飢えたのなら、どこかへ食い物を奪いにいく」

「小鬼とて小鬼なりにものを考えておりますからなぁ。小鬼殺し殿に曰く、"やつらは莫迦だが間抜けじゃない"と」

「そうだ。数を武器とするやつらが、積極的に同族を食糧にすることはない。普通はな」

 

 これは、異常だった。しかも悪いことに、異常の一部でしかなかった。

 

「外に出たくとも出られんかったか、じゃなきゃイカれたか、てとこかの。で、その心は」

「骨だけになる前からアンデッドだった、ですか」

 

 遺跡を離れれば灰になるとわかっていたか、何もわからなくなっていたか。筋は通る。だが通った先はまだ見えぬままだ。

 

「ゴブリン……屍者(ゾンビ)? でも、動きはいつもと変わってない感じだったけど。最後のやつは逃げようとしてたし。っていうか、ゾンビって骨になっても動いたりするものだっけ」

 

 腐液に浸っていないほうの矢を回収しつつ、妖精弓手は知識を辿った。

 

亜種(アレンジ)やもしれませぬ。生ける屍(リビングデッド)は本能のまま動く愚鈍な腐乱死体であると、誰かが定めたわけでもなし」

 

 怪物図鑑(モンスターマニュアル)に記載されていることがすべてではないのだ。仔細が知れぬからこその怪物。白紙を埋められるのは、己の知見と想像力だ。

 

「ちなみに世には、喰らった相手をゾンビに変えるゾンビもおるとか、おらぬとか」

 

 貪られていたはずのゴブリンがどうなったか。状況を鑑みれば、ご冗談をと笑い飛ばすのはためらわれる。

 

吸血鬼(ヴァンパイア)の例があっかんの、ありえん話じゃないわい。こらぁ、噛まれたら娘っ子に清めてもらわんといかんな」

「ゾンビだって鉱人なんか食べないわよ、寄生虫だらけなんでしょ?」

「んなわけあるかい! 喰われんっつうならお前さんのほうだろが、こん金床が」

「何おう!」

 

 冗談ではないが、冗談の一つも欲しい雰囲気だった。陰鬱とした地下に陰鬱な面持ちで潜っても、何もいいことはないのだから。

 

「そろそろ進むぞ。探知を頼む」

「はーい」

 

 気を抜かず、気負わず、彼らは前進する。扉があり、細い通路があり、また扉。二つ目の部屋には、敵影はなかった。正方形の狭い空間で、正面に鎮座する石碑を挟んだ反対側に別の扉がある。

 

「特に罠などなければ、このまま通り抜けるぞ」

「この石碑は調べなくていいんですか?」

「興味がない」

「ですよね……」

 

 よくわからない碑文(テキスト)無視(スキップ)、そんなことよりゴブリンだ。設計者は泣いていい。

 

「えぇー、最深部への道筋(ルート)を開放するための、謎解きの手がかり(T I P S)かもしれないのに」

「……読めるのか?」

「ごめん無理」

 

 事実、よくわからない碑文なのだ。求められる技能の持ち主がいない以上、捨て置くしかない。そのはずだった。

 

「いや、待て」

 

 文字を注視していた侍の脳の奥底で、蒙が啓ける感覚があった。判読はできないまま、語句の意味だけを直接理解させられたのだ。

 

"死を捧げよ。生の息吹は無用なり。死を見据えよ。生の軛は無用なり"

 

「……侍殿。よもや」

「ああ。皆はどうか」

 

 困惑した様子で顔を見合わせる。それが答えだった。

 

「生贄を求めているんでしょうか」

「やっぱ死人占い師(ネクロマンサー)が待ち受けとるんかのう」

「死人占い師」

 

 また侍の知らない単語だ。聞き返したのはゴブリンスレイヤーだが。

 

「とは、なんだったか」

「アンデッドを操る親玉よ。善の死人占い師はまた違うけんども、ま、ここで儂が詳しく説明せんでもよかろ。こんなとこに引っ籠もっとる輩が、真っ当な生きもんなわきゃあねぇもの。十中八九、本人もアンデッドになっとらぁな」

 

 死せる者に助力を請い、その対価として心残りを晴らす術法、すなわち死霊術の遣い手たち。その中でも供養の心を忘れ、己のために死を利用する冒涜者に堕した存在が、悪の死人占い師だ。

 

「ちなみにオルクボルグ、アンデッドはちゃんと知ってたわよね?」

「聞いたことはあった」

 

 質問役が侍に回ってくるせいで忘れがちだが、彼の怪物知識はとてつもなく狭く深い。何について深いかは言うまでもなく。

 

「なんであれあの……ゾンビ、の首魁なら、生きたゴブリンを率いているわけではあるまい。無理に相手をする必要はないな」

 

 さもあらん。推定不死の死人占い師など眼中になし。涙が残っているなら泣いていい。

 

「先を急ぐぞ」

 

 画一的な構造の扉と通路を抜け、さらに奥へ。足音の響き方が変わった。

 

「開けたところに出たわね」

 

 今度は、広大な吹き抜けだった。中心にそびえる柱を足場が取り囲み、そこから外周の扉に伸びる手摺のない石橋が、四辻を成している。暗視持ちでも眼下を見通せぬのは深すぎるのか、それとも別の要因があるのか、妖精弓手には判断がつかなかった。

 

「やつらの痕跡はあるか」

「いんや。ゴブリンの爪なんぞじゃあ、傷一つつかんだろ」

 

 床の減り具合や引っ掻き跡から敵の移動経路を割り出すのは鉱人道士の常套手段だが、今回はそう簡単にはいかないらしい。周囲を探りながら柱に近づいていった彼らがゴブリンの存在を示す手がかりを得ることはなく、見つけたのはそれ以外の形跡だった。

 

 柱の側面が切り取られたかのように開放され、入口を形作っていたのだ。その真横、彫刻に紛れた台座に、蜘蛛を象ったと思しき遺物(アーティファクト)が嵌め込まれている。切れ込みの線からして、三つに分割されていたもののようだ。

 

「鍵ん類か、こらぁ。先に潜った連中が集めて、仕掛けを動かした、と」

 

 内部を覗いてみると小部屋になっていて、中央の床石が不自然に盛り上がっている。経験を積んだ冒険者ならば、これだけで察しはつく。

 

昇降機(エレベーター)か」

「えれ……?」

 

 今回の問いかけは侍の手番だ。

 

「昇降機。人や物を乗せて上下に運ぶ装置だ。見たところ、これは下りだな」

 

 人力のものなら都の闘技場(アリーナ)などで目にする機会もあるが、それとは違う。現代の技術ないし魔術では再現できない仕組みで動作する、古代の遺構だ。かの悪名高き死の迷宮(ダンジョン・オブ・ザ・デッド)においても、冒険者たちはこういった昇降機を発見し活用したという。

 

「ゴブリンがこれを用いることは?」

「可能性はある。連中、簡単に扱える道具や仕掛けなら、すぐに使い方を覚えるからな。そして調子に乗る。道具の力が自分の力だと勘違いしているらしい。……どうだ」

 

 先んじて検分していた二人が、高い位置と低い位置から顔を出した。

 

「罠はなさそう」

「こいつも動力は魔法だろうが、動かすんは見たまんま、単純な感圧板(プレッシャープレート)式だの」

「よし、降りるぞ」

 

 どうやら、簡単に扱える仕掛けだ。ゴブリンスレイヤーは迷わず昇降機に乗り込んだ。決断に余計な時間をかけることの愚かさを、彼は理解している。

 

「最後に乗った者が作動させるのが定法ですぞ、神官殿」

「はい、では……えいっ」

 

 足場が重低音を奏で、壁面が上方へ流れていく。胃の腑が浮く感覚に、侍は小さく呻いた。

 

「わ、思ったより速いです」

「壁に触らんようにせい。いてぇじゃあ済まんぞ。古い様式だと、こういうとこ不親切でいかんわ」

「壁があるだけマシだ」

 

 迷宮に設置されている昇降機の多くは、指で押す操作盤を備えた籠型だ。感圧板のついた足場だけが独立した形のものは、より古い遺跡で見られ、しばし手酷い事故を起こした冒険者たちから罠呼ばわりされる。

 

「う、んぅ?」

 

 また、これは装置の形式には関係ないが、何かと敏感な森人にも不評だ。長耳を押さえて顔をしかめる彼女は、急激な高度変化の弊害に、早くも辟易しつつあった。

 

「耳が妙ならば、唾を飲んでみよ」

「んく……あ。ありがと」

 

 不快感は解消されたようで、耳をぱたぱた羽ばたかせている。そんな射手二人のやり取りを眺めていた蜥蜴僧侶は、長顎に手を添えた。

 

「侍殿の郷里は、山が多いのですかや」

「明察だ。年中雪の溶けぬ山々に、囲まれた土地だった。足腰の鍛えのため、幾たびも登ったものよ」

 

 つい最近までそこに暮らしていたはずが、もはや遠く感ぜられる郷愁にかすかに頬を緩める侍。白く冷え切った景色さえ、彼には温かい思い出なのだ。話を聞く側はといえば、半年ほど前に雪山で大変な目に遭っていたものだから、どうにも共感できそうになかったが。

 

「拙僧も雪国に生まれておれば適応が、いやさ、まず卵から孵れるかどうか」

「鱗のは寒さにゃ弱いかんの。かみきり丸みたく雪ん中で修行してみっか?」

「そんなご無体な」

 

 巨体を縮こまらせて大袈裟に震えてみせる。種族柄、というやつだ。こればかりは、修行してどうにかするにも限界があろう。修行。話題に上ったこの男は、なんの修行をしていたのか。

 

「……一つ、お主に訊ねたいことが」

 

 侍の言葉は、ひと際強い振動とその停止によって遮られた。

 

「なんだ」

「よい。またとしよう」

 

 歓談は終わりだ。上層の乗り口とは対向して設けられた開口部から、一歩踏み出す。これまでとは様相の異なる光景が、彼らを待っていた。

 

「地下墓地、で間違いなかったみたいですね」

 

 頭蓋骨だ。

 

 松明に照らされた広場の壁一面、石棚にならぶ数え切れない量の頭蓋骨。暗い眼窩が、闖入者たちを冷ややかに睨めつけていた。眠りを妨げたことへのせめてもの詫びにと、女神官は静かに祈りを捧げる。

 

「あれ全部、動きだしたりして」

「さぁな。少なくともこれは、もう動かないようだ」

 

 ゴブリンスレイヤーが拾い上げたのは、これもまた頭蓋骨だ。この大きさ、歯の形。ゴブリンだ。

 

「やはりここまで入り込んでいたか」

「骸骨が三つ。血痕は乾き切っておりまする。あまり新しい戦の跡ではありませぬな」

「……気に入らん」

 

 どうにも、事態が面倒なほうへと流れていく。若干の苛立ちを滲ませ、獲物だったものを適当に放り捨てた。ぶつかる音がしなかった。

 

「よう、あんたたち。どうやら同業者みたいだな」

 

 代わりに返ってきたのは、男の声だった。同業と呼ばわったものの、気配を殺して近づいてきた男の言を、鵜呑みにしてよいものか。

 

「何者だ」

 

 宙に浮かぶ頭蓋骨、ではない。丸めた頭に、眉のない相貌。闇に溶け込む黒革の装束には、べったりと血がこびりついている。そして何より目を引くのは背負う得物。長柄の両端に身幅の広い刀身を備えた、世にも珍しい双刃(ツインブレード)大刀(グレイブ)だ。

 

「そう警戒するなよ、同じ冒険者じゃあないか」

 

 ゴブリンの頭を掌の上で跳ねさせながら、男は歩み寄ってくる。着衣のせいで少々わかりにくいが、その足は関節の位置が只人のものとは違い、加えて剥き出しの足先には蹄が生えている。彼は馬人、正確には四脚(セントール)の近縁である二脚(シレノス)なのだ。

 

「おい、本当だぜ? ほら」

 

 首元を飾る鎖を手繰り、認識票を摘み示す。銀だ。

 

 ギルドの査定はそう甘くない。戦果と貢献度、それに人格。すべて揃って初めて昇級が叶うのだ。審査には必ず《看破(センスライ)》の奇跡を会得した監査官が立ち会うため、へたなごまかしなどたやすく見抜かれる。

 

「南の港街じゃあ、ちったぁ名が知れているんだがな。まあとにかく、こんなところで会ったのも何かの縁だ。よろしくな」

 

 玩具を投げ上げ、親しげに右手を差し出した。胡散臭い印象ではあるが、認識票を看板にして世を渡ってきた者が、認識票を疑うのも筋が通らない。

 

「……ああ」

 

 ゴブリンスレイヤーが応じたのを合図に、張り詰めた空気は霧散した。何かが転がる音がした。

 

「しかし、お前だけか。六、いや七人では」

 

 地上に蹄の跡はなかった。この男、足跡を残していない。隠密(ステルス)の達人であることは明らかだ。

 

「ん……おう、それなんだけどよ」

 

 男の目が一行の顔触れを順繰りに確認していく。なぜだろう、女神官は薄ら寒い心地がしてならなかった。

 

「そっちの蜥蜴人の兄さんと、お嬢ちゃんは、聖職者か何かか?」

「いかにも」

「はい、私は地母神様にお仕えしています。あの、ひょっとして、お仲間がお怪我を?」

 

 冒険者の一党において、神の奇跡を降ろせる者にまず期待される役目といえば回復役(ヒーラー)だ。術を温存し道具から優先して使っていく頭目の意向ゆえ、彼女がその方面で活躍する機会は実は珍しいのだが、己の領分を忘れることはない。

 

「察しがよくて助かるぜ。そう、派手にやられちまったんだ」

「ゴブリンか」

「は? いやいや、ゴブリンごときはこのとおり返り討ちにしてやったよ。ただまあ、なんていうか、やたらとしぶとかったからな。十匹かそこら、昇降機で逃げていったぜ。あんたたちも見たんじゃあないか?」

「奥にいったものは、いたか」

「いなかったと思うが。そんなに気になるか? 変なやつ……おっと、悪ぃ」

 

 一つ二つすでに灰になっていたなら、数は合う。では、あれで終わりか。などと。

 

「かみきり丸やい、話が逸れとるぞ」

 

 ゴブリンスレイヤーはそんなことを考え、それから我に返った。

 

「ああ、すまん。続けてくれ」

 

 気を取り直して。

 

「さんざん逃げ回った挙句、生きているのは俺ともう一人だけで、そいつも足の骨が砕けてまともに動けんのさ。聖職者なら完治とはいかなくても、せめてここから撤退できるくらいには、と思ってね」

 

 くたびれた笑みを浮かべる男の顔色は、よくよく見れば青白い。どこかおどけた態度は、空元気だったのか。

 

「私じゃ、酷い骨折を治すのは難しいですけれど。でも」

「うむ。容態を診てみぬことには断言できかねるが、おそらく拙僧の祝祷であればある程度の回復は叶うかと」

 

 地母神の神官と竜司祭(ドラゴンプリースト)では得意分野が違うため、優劣をつけることにあまり意味はないが、こと治療については蜥蜴僧侶のほうが上だと言える。女神官も、一度それに命を救われているのだ。

 

「だったら、お願いだ。仲間には、この先の隠し部屋で待ってもらっている。途中、仕掛けてある罠は俺に任せてくれ。解除できるようなもんじゃあなかったが、避けて進む方法はわかっているからよ。俺はこう見えて、盗賊だからな」

「わかった。案内してくれ」

「……ヘヘッ、ありがとうよ」

 

 どう見ても、ではないかと指摘すべき、自信作(鉄板)の冗句だったのかもしれない。反応の悪さにいたたまれなくなったと見え、馬脚の盗賊はすぐに背を向けると、広間の大階段の先を指差した。

 

「こっちだ。こんな場所だ、足もとには気をつけてな?」

 

 

 

§

 

 

 

「わっ、あ、ありがとうございます」

「少し歩を緩めるべきか」

「いえ、平気です。急ぎましょう」

 

 そこかしこに散乱する人骨に足を取られた女神官を、侍が支えた。確かに、気をつけなくては。転倒にも、死者を踏みつけにしてしまうことにも、それらが立ち上がる可能性にも。

 

「これ、全部貴方の一党がやったの?」

 

 森人の身体能力の前には多少の障害物など問題にもならないとはいえ、気分はよくない。彼女ももちろん、ここで現れるアンデッドがゴブリンの成れの果てばかりではないことくらい、予想はできていた。

 

「ああ。あいつらも腕っ節はそれなりだからな。こう狭くなけりゃあ、追い込まれることもなかったろうよ。七人はやめとけって言ったんだけどな、俺も」

 

 迷宮探索における一党の員数は、六名が限度だとされる。頭目が状況を把握し、また各員が邪魔にならず行動できるのはその辺りまでなのだ。七人以上の例がないわけでもないが、うまくいった、という但し書きがつくものはごくわずか。今回は、駄目だった。

 

「しゃあねぇっちゃあ、しゃあねぇがなぁ。盗賊のおらん六人と盗賊のおる七人じゃ、まだ後者のほうが迷宮にゃ向いとるもの。つうかお前さん、七人で動いとるときに言うない」

 

 馬脚盗賊は、臨時で件の一党に加入していたとのこと。腕利きの盗賊は貴重だ。屈強な戦士も、頭脳明晰な魔術師も、宝箱に仕込まれた爆発罠(イクスプローシブ)一つでこの世から退場(ロスト)する。専門でなくともそれに準ずる技能の持ち主がいればよいが、否とあってはどこからか連れてくるほかあるまい。

 

「それもそうだな、と。そこ、端に寄ってくれ。罠矢の転換機(スイッチ)があるぜ」

 

 教えられればなるほど、床の形に違和感が。これといい通路の端にある小さな矢狭間といい、門外漢ではよく見てもわからないものだ。

 

「あな恐ろしや。おちおち墓参りもできませぬな」

 

 地図に尖筆を踊らせ、印をつける。広間から続く通路、その次の玄室、加えてここにも。すべて死角から矢が飛来するようになっている辺りも含めて、造り手の殺意(コンセプト)が伝わってくるかのようだった。

 

「ここだ」

 

 そうやって中ほどまで進んだところで、一行は立ち止まった。盗賊の手が装飾に偽装されていた仕掛けを押すと、壁の一部が引き込まれていく。その向こうには、別の通路が左右へと伸びていた。

 

「随分と、暗いな」

「暗視も役に立たねぇが、ここを通るのが一番早いんでな。我慢してくれや」

「ああ」

 

 松明だけを頼りに、暗闇へ分け入る。全容は不明ながら、どうも通路というより隧道(トンネル)に近い形状のようだった。

 

「ちょいと待っててくれ。一応、閉めちまうからよ」

 

 扉を開けられる怪物は稀だ。隠し扉(シークレットドア)ならなおのこと。ただ閉めるだけで背後からの奇襲を防げるとなれば、手間を惜しむ理由はない。

 

「よし、それじゃあ……達者でな」

 

 迂闊であった。閉じかけた扉の隙間に体を滑り込ませ、馬脚盗賊は元の通路に戻ってしまったのだ。最後尾にいた蜥蜴僧侶が爪を立ててみても、もはやそこにあるのはただの壁にすぎなかった。

 

「おのれ、よもや謀りおったか!」

「こらぁ向こうからしか開けられん! おうてめぇ、ふざけんのも大概にせい! 早う開けんか!」

 

 胴間声も虚しく響くばかり。返答は、せせら嗤いだった。

 

「ヘヘヘッ、悪く思うなよ。こっちも命が懸かっているんでね。もしあんたたちが——いや。やっぱり、せいぜい恨んで死んでくれや! ウヒャヒャヒャヒャヒャッ!」

 

 遠ざかっていく。完全に、してやられたのだ。

 

「締め出したからには、これで終いではあるまいな」

「だろうな。やはりゴブリンか?」

「違う。何か這って、ううん、転がってくる!」

 

 暗闇にいくつもの光点が瞬き、巨大な石臼を回すような異音が迫る。その正体がなんであれ、自分たちの身を脅かすものだということだけは、皆が理解できた。

 

「走れ!」

 

 号令一下、逃げの一手。この場にとどまれば、どう考えても無事では済まぬ。

 

「速ぇ、すぐに追いつかれっぞ!」

「何あれ、骨っぽい音が混ざってるし、アンデッドだとは思うけど」

「確かめてっ、みましょう!」

 

 森人の聴力は信頼できる。彼女の言葉は信用できる。だから女神官は走りながらも、信仰に身を委ねた。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、闇に迷える私どもに、聖なる光をお恵みください》!」

 

 応え、錫杖からあふれる《聖光(ホーリーライト)》が、漆黒のヴェールを払い暴く。

 

「KLLTLLLO!」

 

 絶叫、ではないだろう。どこに、声を発する器官があるというのか。骨だ。骨塊(スカルブロック)だ。眼を爛々とたぎらせた幾多の骨人(スケルトン)が絡まり一つの大玉となり、乾いた異音を轟かせながら、各々の手足をのたくらせて転がってくるのだ。

 

「効き目あり、どうやら野伏殿の見立てどおりのようで」

「速度は落ちたか。だが止まらんな」

 

 神威を浴びた群体は偽りの生を剥奪され、表層から脱落していくも、全体が瓦解するには足りない。あまりにも多すぎる。

 

「横穴、は無理か、となら……ええい、もそっと時間が、距離がありゃあ」

「間合いか、任せよ」

 

 鞄を抱える鉱人道士、その背後に遷移した侍は。

 

「御免!」

「のわーっ!?」

 

 力いっぱいふんわりと、重たい尻を蹴り飛ばした。

 

「うおうっ、とっと。あんにゃろめ、帰ったらぜってぇ酒奢らせてやっかんな」

 

 放物線を描いて着地し、抗議もそこそこに息を整え集中に入る。触媒として取り出だしたるは、なんの変哲もない土だ。

 

「《土精(ノーム)や土精、風よけ水よけしっかり固めて守っておくれ》!」

 

 撒かれた土は砂塵へと転じ、その下に模型めいた小さな石壁を投げ入れる。仲間たちとすれ違った直後、壁はみるみる膨れ上がり、隧道に封をする土塊の《霊壁(スピリットウォール)》が建立された。

 

「そう簡単にゃ崩されんが、ずっとは持たんぞ」

「ああ、今のうちに距離を稼ぐ。できればまだ光は消すな」

「はい、頑張ります!」

 

 軋む土壁を振り返ることなく、一行は走り続けた。緩やかに湾曲した隧道はやがて直線となり、その先は一本の石橋に繋がっている。

 

「……しもうた、この構造、こいつぁ回廊(ループ)か! 耳長娘、前、どうだい!」

「っ! きてる、さっきのやつ!」

 

 相手は転がる岩(ローリングストーン)などではなく、ある程度の判断能力と執拗(スティッキー)さを有した怪物だ。当然、回り込んでくる。

 

「下の様子がわからんが、仕方あるまい。跳び降りる。術の準備を」

「ほいきた」

「間に合わんかもしれん。《聖壁(プロテクション)》だ、遠くに張れ」

「わかりました!」

「あいや待たれい。ここは拙僧、一手試したく。うまくゆけば、降りずとも済みましょうや」

 

 術の使用回数を確認しよう。女神官は残り二、鉱人道士は三、蜥蜴僧侶は四。ゴブリンスレイヤーの策だと、消耗した二人がもう一つずつ札を切る計算だ。そのうえ、着地地点の安全確保もままならぬ状況での降下。フライパンから飛び出して火の中へ、というのは避けたいところだった。

 

「では任せる」

「承知」

 

 先頭へ躍り出し、蜥蜴僧侶は獰猛に笑った。敵は大きく、同胞(はらから)が背を見守っている。なんと、奮い立つことか。

 

「《おお、気高き惑わしの雷竜(ブロントス)よ。我に万人力を与えたもう》!」

 

 満身にみなぎる恐るべき竜の膂力が一端、すなわち《擬竜(パーシャルドラゴン)》。それを発条(ばね)に爆発的加速でもって猛進し、対手に組みついた。

 

「ぬうぅぅぅん!」

 

 いかに血肉なき骨組みとて、これだけ集まると相応に重い。祖竜の援けがあってなお、まともに衝突すれば轢き殺されかねないが、神憑りの光明に炙られ勢いを削がれているならば。

 

「イィィィッ、アァァァァァァァ!」

 

 止まる。止める。押し返す。内部に取り込むつもりなのか掴み返してくる貧相な腕など、まるで意に介さない。

 

「さあ亡者どもよ、地の底のさらに底へ——ぐぶぅおっ!?」

 

 そのとき、何が起きたのか。後ろからははっきりと見えていた。自分たちを守るたくましい背中から、血と、二本の爪らしきものが飛び出す瞬間が。

 

「なんつうこった、鱗の!」

「え、あっ……!?」

 

 何が、起きたのか。理解した途端、女神官の頭からはすべてが抜け去った。奇跡の灯火はあえなく消える。覆い被さる黒暗に抵抗するものは、松明のか細い明かり。それと。

 

「ぐ、うゥゥ、ヌアァァァァッ!」

 

 いまだ潰えぬ、命の炎。その身を貫かれながらも、蜥蜴僧侶は骨塊を橋下に引きずり落としてのけたのだ。

 

「今、治療を!」

 

 栓の外れた傷口から大量出血を起こしてくずおれる彼に、仲間たちは駆け寄った。自力で癒しの祝祷を行う余力など、残ってはいまい。まずは生死の鍔際から連れ戻す。それで治し切れぬとしても、生存の見込みは残せるのだ。だと、いうのに。

 

「絡繰か……!」

 

 橋が、傾いた。一党全員を上に乗せたまま、九十度軸回転したのだ。宙空に弾き出される。侍だけは咄嗟にへりに手をかけたが、すぐに皆のあとを追った。

 

 深淵が、彼らを飲み込んだ。




◆落陽の双刃大刀◆

 異国から流れ着いた、奇妙な大刀。全体が鋼で造られ、凄まじく重い。

 元は別々の武器だったところを、溶かし接いで双刃に仕立てたらしく、扱いには通常の大刀とは異なる術理が必要となる。

 刀身に彫り込まれた半円の意匠は、太陽を意味するという。回転を伴う連撃は返り血で刃を緋に染め、もって日の巡りを体現するのだと。


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2-3:取り戻すために/Patch Up

 

 ずんぐりとした指で印を結び、声を張り上げる。彼の行動は迅速だった。

 

「《土精や土精、バケツを降ろせ、ゆっくり降ろせ、降ろして置いてけ》!」

 

 精霊たちが重力を宥めすかし、一行の落下速度を大きく減じた。《降下(フォーリング・コントロール)》の準備をしていた甲斐があった。そうならなければ、よかった。

 

「手が、届かない……!」

 

 斜め下方で力なく漂う巨体へと、懸命に伸ばされる女神官の指先が、それでも触れられず。白い袖口が、ゆっくりと噴き上がる鮮血を浴びて赤く染まっていく。

 

 《小癒》には決められた範囲内のすべてに効果を拡散させる遠隔と、対象に手を触れ集中させる直接、二通りの施術方式がある。後者を二度、駄目なら詠唱限界を突破する超過祈祷(オーバーキャスト)でもう一度重ねる。そうでもせねば、助かるまい。彼女の判断は正しかった。正し、かったのだ。

 

「手伝ってください、早く、早くしないと!」

「う、うぅ……!」

 

 請われ、それを黙殺する。妖精弓手は泣きじゃくっていた。彼女が、森人が気づかないはずがなかった。

 

「足を、地へ向けろ。備えねば、ならぬ」

 

 絞り出すように、侍は発した。何が起ころうと、何を失おうとも、ここはまだ戦場(いくさば)なのだと。そう、教えていた。

 

「でも、でもっ」

 

 嗚咽がもう一つ増える。こぼれる雫はふわふわと、場違いなほどの美しさで、松明の火を映して舞っていた。

 

「クソったれめ」

 

 吐き捨てる頭目に、誰もが心中で同意した。

 

 それきり言葉を発する者はおらぬまま、奈落の底へと行き着いた。危惧していたほどの高低差はなく、自由落下でも死にはしなかっただろう。今回ばかりは、その事実は一行には悪い知らせだ。

 

「CRACARACR!」

 

 骨片の山から一つ、また一つと這い出す、原形をとどめていたスケルトンたち。それと、おそらくは巨大な蟹。右の鋏は捥げており、残った左手は血に塗れていた。

 

「ちくと待っとれよ。片ぁついたら、すぐに連れ帰っちゃるかんの」

 

 代わり映えのしない床を足裏で捉えるが早いか、鉱人道士は短い腕を広げ、冷たくなりつつある友の体をそっと受け止め横たえた。悼むのはあとだ。

 

「どう見る」

 

 頭目の反射的な問いかけに、答える者はいない。

 

「……的を照らす。射て」

「ああ」

 

 明かりをかざして駆けるゴブリンスレイヤーは雑兵を適当に跳ね除け、大物へ接近する。迎え討たんとする鋏の根元を、矢が射切った。追撃は別の角度から、仰け反り隙だらけの腹を狙うのは、細工を施された木芽の鏃。

 

「こん、のぉッ!」

 

 怒りを乗せた矢は、二又に分かれていた。矢羽根の役を果たす葉が生む回転を貫通力ではなく、ひねり破ることへ利用するものだ。背甲よりは脆いとはいえ殻は殻、決して刺突の通りやすい箇所ではないのだが、これには耐えられず穿たれる。

 

「予想はしとったが、こやつもか」

 

 後衛を狙うスケルトンの鎖骨を手斧で叩き斬り、鉱人道士は蟹らしきものを見やる。破孔の内側は、虚だった。骨を持たぬ外骨格生物(モノコック)だと、こうなるらしい。

 

「中に、何か光って……? 呪いの、烙印かもしれません!」

 

 こんなときに、アンデッドを前にして、聖職者がいつまでも泣いてなどいられるものか。涙を拭った女神官は屍蟹(デスハット)観察(ルック)していた。一党を支えねば。斃れた仲間の分も——

 

「しからば、意趣返しの好機なり」

 

 ——斃れた仲間の、声がした。幻聴ではない。霊感でもない。皆が聞いた。皆が見た。

 

 こんなときに、聖職者がいつまでも寝てなどいられないのだ。

 

「イィアァァ!」

 

 飛びかかり、腹甲の割れ目を両手で裂き開く。鍛え上げられた肉体は抜け殻ごときたやすく押し倒し、続く跳躍横転からの尾の一打ちでもって、怪しげな印は粉砕された。

 

「ふむ。仕留めきれたようで……む」

 

 宣言違えず意趣返しを為した蜥蜴僧侶。その無防備に見える背中を狙ったスケルトンが、円盾に横殴られた。

 

「おっと、これは()()()()命を拾いましたかな」

「無事、なのか」

 

 傷跡こそ見当たらないが、装束には穴が空き、赤黒く染まっている。何事もないわけがあるか。

 

「無事とは言えますまいが、それよりも。彼奴ばらには弱点がある模様。骨なしは甲羅の裏側、では骨ありならば?」

 

 最初の部屋で交戦したスカルゴブリンを思い出す。ゾンビからスケルトンに変態できなかったもの、骨となったあとで機能を停止したもの。共通項があったはずだ。

 

「背骨か!」

 

 あのときと同じ動作で敵の足を払い、倒れたところで同じ部位を踏み割る。これは人骨だが、何。人とゴブリンの骨格は似ているのだ。

 

「う、ぐすっ、い、今、見えた、印が見えたわ! 背骨、一個一個の、上から十四番目!」

 

 再びあふれ出す涙に滲んでいても、視界に入りさえすれば森人の目は見逃さない。完全に止まったスケルトンの椎骨の、剥離した断面に確かにあった。死すべきものを現世に縛りつける枷、今にも消えゆこうとする刻印が。

 

「細っけぇわ。わからんぞそんなもん」

 

 一呼吸で冷静さを取り戻した鉱人道士は、適当に当たりをつけて斧を振り下ろした。三つ四つ、まとめて破壊すれば問題なしだ。

 

「ならば、こうしよう」

 

 大上段からの一文字。頭から腰、正面から薪のように両断せしめれば、確実に殺し切れよう。二の太刀は、不要だった。

 

「それから、こう!」

 

 生前ならば鳩尾があるべき場所を矢がくぐり、そこで跳ね上がる。胸骨の向こうに隠れた標的を、過たず射ち砕いた。

 

「このまま片づけるぞ。松明をくれ、そろそろ消える」

「は、はい!」

 

 どこかへ飛んでいた思考を慌てて座らせ、女神官は次の松明を取り出してゴブリンスレイヤーに投げ渡した。受け取って火を分け、燃えさしは放っておく。

 

「うわ、何こいつ動甲冑(リビングメイル)!?」

 

 照らし出されたのは、赤い陣羽織(サーコート)と外套を重ねた傷だらけの黒騎士だった。ひしゃげた樽型兜(グレートヘルム)の内側に、生きた人間の頭が収まっているとは思えない。

 

「どれ、ご尊顔を拝見」

 

 装備が重たいのか、大型の長剣を振り上げるその動きは緩慢だ。容易に背後を取った蜥蜴僧侶が兜をむしり取ると、頭蓋骨の残骸が転がり落ちた。

 

「そうとわかれば」

 

 強引に跪かせ、襟元から中に突き入れた手で背骨を千切り抜く。崩れ落ち、けたたましい金属音を断末魔として、黒騎士は沈黙した。

 

 こうなってしまえば、残るは無手のスケルトンだけ。数こそ多かったが、光源が一つになる頃には殲滅は終わっていた。

 

「さてと、まずは。ご迷惑おかけして、申し訳ありませぬ。奥の手に気づかなんだとは、一生の不覚」

 

 合掌し、深々と頭を下げる。自他共に認める軍師役だけに、失策の責をことさらに重く捉えているのだ。

 

「いや、最終的な判断を下したのは俺だ。あの男のことも含めて、俺の責任だ。すまなかった」

 

 責任と言うならば、生真面目なこの男がそこから逃れようとするなどありえない。すると互いに下を向いたままになり、どこで顔を上げるべきかとやや悩むのだ。

 

「はい、そこまで。別に迷惑なんてしてないし、悪いのはあいつでしょ。最後の橋の仕掛けも、きっとあいつよ」

「ほうよほうよ、奇跡的に耳長の言うとおりだわい」

 

 一部聞き捨てならぬと無言で異議を唱える妖精弓手には構わず、鉱人道士は続けた。

 

「んで、お前さんいつ奇跡使うたんだよ。心配させよってからに」

 

 晒された鱗の肌、傷があったはずの箇所を拳槌で軽く小突く。その感触に、思わず眉をひそめた。

 

「なんぞ、冷やっこいぞ。おい、平気なんか」

 

 自分の種族は温血であると公言している蜥蜴僧侶だが、それもお得意の諧謔だったのか。そんなことを考えられるほど、仲間たちは呑気ではなかった。

 

「……アンデッド」

 

 口にした本人こそが、死人のように青ざめていた。神官たる彼女は、いち早く感づいていたのだ。

 

「の、ようですな」

「何よ、それ。嘘でしょ、ねえ!」

 

 勢いよく、だが恐る恐る、蜥蜴僧侶の胸板に触れる。そこにあるべき律動が、ぬくもりが、彼の体躯から亡くなっていた。

 

「死人帰り。……呪い、か」

 

 これが、蘇るゴブリンの真実だった。力なくへたり込む妖精弓手に、誰も声をかけられなかった。

 

「察するに、墓地そのものが呪われているのでしょうや。内部で死した、あるいは瀕死となった者を不死に貶める呪縛。まこと、幸不幸は撚り糸のごとしよ。はっはっは」

 

 笑っている場合か。鉱人道士は乱暴に酒を呷った。笑えないし、素面でもいられなかった。

 

「となら、呪いをどうかせにゃあな。そうすりゃ、元に戻せっかもわからん」

 

 "元"が死体でなければいいが。彼はその一文を、二口目の酒で流し込んだ。

 

「祓か。お主ならば、どうか」

「そんなに大がかりな呪詛ですと、私じゃとても。やっぱり、根源を絶つしかないと思います」

 

 ということは、だ。

 

「じゃあ死人占い師だかなんだか知らないけど、とにかく奥にいるやつをやっつければいいのよね!」

 

 跳ね立った妖精弓手は、努めて明るく言い切った。そう単純な話とは限らないが、できること、やるべきことは変わらない。

 

「では、遺跡の最奥を目指す。ゴブリンは……ひとまず、後回しだ」

 

 松明が、高く掲げられた。

 

 

 

§

 

 

 

「さあ、参りましょうぞ」

 

 松明はあまり探索の役には立たなかった。というより、彼が役立ちすぎた。理由は、これだ。

 

「む、出迎えですな、お相手つかまつる!」

 

 ちょうどここに、武装したスケルトンがいる。彼または彼女に、眼球はついているだろうか。眼窩に不気味な光球が収まっているが、そこに受容器としての機能などありはしない。ではどうやってものを視認しているのか。

 

 魔法視覚。暗視すら用を成さないほどの暗黒空間であっても、超自然的感覚でもって見通せる、アンデッドや魔法生物の能力だ。亡霊や幽体離脱を行った術師といった霊界(アストラル)の存在が持つそれは、物質界(マテリアル)を正しく認識できない不完全なものだが、実体があるのなら。

 

「剣や盾など備えたところで、振るう筋肉がなければ他愛ないものよ」

 

 なんの障害もなし。闇に飛び込んだ蜥蜴僧侶の姿に照明が追いつくまでに、処理は済んだ。

 

「無論、拙僧が竜牙兵の親戚となった暁には、一騎当千を確約しまするが」

「やめい、やめい」

 

 やっぱり笑えない。鉱人道士は渋面のまま、スケルトンの構えていた盾を拾い上げた。精緻な彫金と流れる溝の加工が施された、騎士の盾だ。かなりの厚みで、相応に重く扱いは難しかろうが、逸品だった。

 

「状態がいいな」

 

 隣でゴブリンスレイヤーが拾い上げた長剣も似たようなもので、長らく地下に眠っていたとは思えないほどに刃を保っていた。先刻獲得した黒騎士の剣は予備として鞘に残し、こちらもいただいていく。自前の小剣は破損により廃棄済みだ。

 

「よすぎるわい。魔法の品でも真銀(ミスリル)でもなしに、どんな合金と技法で造ったんか、見当もつかん」

 

 街に帰還してから詳しく調べてみようと、盾を背負う。日の光が恋しくなり始めていた。

 

「なんかますます暗くなってきてない? 罠とか大丈夫?」

 

 鉱人ですらうんざりするほどなら、森人にとっては拷問だろう。しきりに耳を揺らしているのは、知覚をなんとか補おうとしているためだ。先導者(パスファインダー)の仕事をほぼ任せきりにせざるをえないことも、彼女の心労をかさませていた。

 

「戦場で用いられる簡易罠(ブービートラップ)ならばともかくも、遺跡の中となると。口惜しながら、心配ご無用とは申し上げられませぬ」

「仕方ないですよ。専門技能がないと、難しいですから」

 

 何事においても、そうだ。光源が足りぬと珍しく鞄から引っ張り出した携帯角灯(ランタン)を腰に提げ、錫杖を小脇に手挟み地図役(マッパー)を代理する女神官。苦戦しているのは彼女も同じだ。

 

「弩の絡繰であれば、俺が防ぐが」

 

 殿(しんがり)を務める侍の反応速度(Q T E)をもってすれば、背後からだろうが矢の風切り音を聞いてからでも対処は間に合う。もちろん、別種の罠の可能性もあるが。

 

「落とし穴だったら、どうしようかしら」

「尾を掴んではどうか」

「千切れない?」

「それについてはご安心召されい。蜥蜴とは違いまする、蜥蜴とは」

 

 尻尾をうねうね。呑気なものだ。一行はいつもどおりだった。内心がどうであれ、表面上は。それは、それでも、きっといい傾向だ。

 

 このようにして、進むことしばし。もう何度目になるか、すっかり見慣れてしまった扉を開くと。

 

「まさか一人だけとは。あんたたち、すげぇな」

 

 玄室の中心には静かな水面。それを背にして、武器を傍らに安置し下品な姿勢でしゃがみ込む馬脚盗賊がいた。

 

「覚悟はできているのだろうな」

 

 ゴブリンに対するときと同じ、冷徹な殺意に満ちた声。言うまでもなく、ゴブリンスレイヤーは怒っていた。即座に臨戦態勢に入った一行は、彼の指示あらば速やかに報復を果たすだろう。鎖を解き放つそのときを、だが彼は一手見送った。

 

「それとも、何か申し開きでもあるのか」

 

 わけもわからぬまま命をおびやかされ、わけもわからぬままにしておくのは納得しかねる。皆、異存はなかった。

 

「あるさ、あるとも」

 

 ぐっと体重を前に傾け、膝を突き手をつく。さらに頭も床石に押しつけた。

 

「悪かった。だけど悪気はなかったんだ。俺はあんたたちに、手を貸してほしいだけなんだ」

 

 骨格の関係上見た目はやや異なるが、それは土下座であった。

 

「お前は何を言っているのだ」

「莫迦じゃないの」

「阿呆かい」

「戯れ言を」

「……え?」

 

 それのどこが申し開きなのか。考える器官が劣化しているのではあるまいか。当然に呆れるし困惑する。ただ一人を除いて。

 

「なるほど、かような策であったか」

 

 もっとも憤怒すべき者、甚大な被害を受けた蜥蜴僧侶だけは、感服したとしきりに頷いていた。

 

「ヘヘヘッ、本当に話が早い」

「どういうことだ」

 

 ゆっくりと顔を上げた馬脚盗賊へ、疑問と苛立ちを募らせるゴブリンスレイヤー。だが返答には怯えの欠片もなく。

 

「呪いを解きたいだろう?」

 

 それこそ呪いの文言(スペル)のごとく、精神を揺さぶった。二の句を継げるのは、やはりこの男。

 

「同盟を結ぶからには、共通の敵、難題が不可欠。……この者、拙僧同様にアンデッドとなっておるようだ」

 

 死人めいた蒼白な面は、取りも直さず死相であった。黒衣を汚す血糊は当人のもので、彼もまた死に損なっていたのだ。

 

「呪われ同士はわかるのさ。視え方が違うからな」

 

 目元を指で叩く馬脚盗賊は、どこまでも不敵な態度を崩さない。この場を支配しているのは、間違いなく彼だった。

 

「儂らを巻き込むためにあんな真似をしよったんか! てめぇやっぱ騙りか、認識票よう見せい!」

「信じられないか? ほらよ」

 

 投げ寄越された銀の小片を虫でも握り潰すかのように掴み取り、鉱人道士はそれを火にかざし目を眇める。

 

「……嘘だろ、本物かよ」

 

 大きさ形、筆致など、ギルドは細かな規格を定めて偽造(チート)への対処としている。見るものが見れば、すぐに判別できるものだ。つけ加えるならば、馬人の盗賊などという風変わりな仕上がり(ビルド)の冒険者はそうはいない。特徴も一致している以上、他者から奪取したという線は薄い。

 

「おうよ、俺は真っ当な冒険者だぜ。いつもは真面目なもんさ」

「それならどうして、普通に依頼しなかったんですか!」

 

 ギルドを通さないその場での依頼受諾。事後処理が面倒になるうえに、報酬の支払いで揉めるおそれもあることから非推奨とされるものの、緊急の場合はやむなしと認められている。

 

「あんたたちが呪われていれば、そうしていたぜ。それなら、断られることはないだろうからな。だから今、改めてそうする。依頼だ。呪いを解くために、生き延びるために、俺と組んでくれ」

 

 再度、背を丸める。厚顔にもほどがあるが、至極真剣だ。

 

「手がかりはあるんだが、俺だけじゃあどうにもならん。あんたたちの力を借りたい。もちろん、報酬だってたんまり出すぜ」

「ふざけないで」

 

 引き絞られた弦を思わせる張り詰めた声色だった。部屋に入ってから、妖精弓手は鏃を突きつけたままだ。現実の弦を引かずにいられる時間は、もう長くはない。

 

「貴方がここを根城にする死人占い師で、私たちを何かの儀式に利用しようとしてるのかもしれないじゃない」

 

 あっ。そんな声を漏らした者がいた。馬脚盗賊だ。

 

「そうなるか」

「では斬るか? 俺はどちらでもよいぞ」

「ま、待ってくれ!」

 

 両手を組んでの命乞いだ。図星か、はたまた想定外の事態か。まともな体であれば、激しい脂汗が噴き出していたに違いない。

 

「俺は、依頼を受けて遺跡の調査を手伝っていただけだ。アンデッドになっちまったのは雇い主どもに裏切られたからで、死霊術か何か、自分で使ったわけじゃあねぇ! 信じてくれよ、同じ冒険者じゃあないか!」

 

 一度ならず、聞いた覚えのあるような言い回しだった。ゆえに、ゴブリンスレイヤーはこう返す。

 

「そうとも。その冒険者を、騙したのではないか」

 

 信用は金では取り戻せない、とは彼のよく知る人物の言葉だ。高くつくなどというものではなく、取り引きをさせてすらもらえない。それが信用を失うということだ。

 

「つうたかて、なぁ。正体隠して銀等級までいけるやつが、こうも簡単に馬脚を現すもんかね」

 

 いまだに信じがたいといった目つきで銀の認識票に刻まれた文字を追った鉱人道士は、どうにも腑に落ちぬ様子だった。監査官を欺ける者にしては、手口が雑すぎる。少なくとも、その雑な手にまんまとかかった自分たちよりは、ずっと御しにくい相手だろうに、と。

 

「そうなんだよ。昔から、詰めが甘いって言われていたんだ。俺みたいな間抜けに、大それたことができるもんか!」

 

 恥も外聞もなし。こんな者が悪の首魁であるなどとは、あまり信じたくはない。挑む側が情けなくなってくる。

 

「そ、そうだ《看破》! なあお嬢ちゃん、あんた使えないのか。俺が嘘をついていないって、証明してくれよ」

「えっ、と。賜ってなくて。ごめんなさい……?」

畜生(ガイギャックス)!」

「きゃっ!?」

 

 おお、なんということを。神の信徒を前にして、罰当たりな悪態を吐き捨てるとは。妖精弓手がうっかり手を滑らせてしまったではないか。

 

「うちの子を怖がらせないでくれる?」

 

 股間の直下、床石に当たって弾けた矢を目の当たりにして、馬脚盗賊は黙して二度三度頷いた。無駄射ちしたという呟きが耳に入ったが、今のは外したのか外れたのか、確かめる勇気は彼にはなかった。

 

「お前はどうしたい」

「私、は」

 

 流れで、と言うのもおかしいが、ともあれ女神官にお鉢が回ってきた。頭目の問いに唸って悩んで、答えはこうだ。

 

「ごめんなさい。私には、その」

「いや。構わん」

 

 無理もなかった。鋼鉄等級、もう駆け出しとは呼べない冒険者ではあっても、十六歳の只人の少女だ。その小さな手には、状況という荷が勝ちすぎる。

 

「……拙僧といたしましてはな」

 

 その辺りで、静かに佇んでいた蜥蜴僧侶は頃合いと判断し、厳かに歩み出た。

 

「是が非でも生き足掻かんとする意志は、理解できぬでもないのだ。ゆえ、この者の言行にもそれなりの理があるように感ぜられまする」

 

 適者生存(サバイバル・オブ・ザ・フィッテスト)。蜥蜴人が真に寄る辺とする理念はこれだ。秩序と混沌、善と悪といった生き様(アライメント)はあとからついてくる。生を勝ち取った者こそが強者であり、正義なのだ。

 

「おお、あんた、話がわかるな。さすがは蜥蜴人、俺には真似できねぇ」

「しかれども」

 

 ずん、と。すり足がちに踏み込む蜥蜴僧侶は、得も言われぬ迫力を纏っていた。

 

「我が種のなんたるかを知らぬようで。呪いごときで脅しになるとでも。この身が骨に、あるいは灰燼と帰することを、竜の末たる拙僧が恐れるとでも」

 

 足掻いた果てに生き残ることが叶わぬとすれば、それは自身の弱さゆえ、致し方なし。命は巡り、いずれどこかに再誕(リスポーン)するもの。次の己はより強く在るだろう。そう信ずる限り、死に怯えることなどあるまいに。

 

「虚実にかかわらず、必要とあらば御手前と刺し違えてでも、同胞をここより逃がすことも厭わぬ」

「そんな、冗談だろう? チャマー、いや兄弟。命を粗末にしちゃあいけないぜ」

 

 にじり寄る大男に対し、馬脚盗賊は引き攣った愛想笑いを作りつつ上体を反らせていく。武器を取ろうとまではしなかったのは、賢明だった。

 

「心臓の止まった体に未練など」

「ちょっと寝ているだけだ! 解呪すればすぐに飛び起きるさ。あんたはまだ健在、ご存命、人生を謳歌している! 何があっても諦めるんじゃあねぇ、生きてさえいりゃあなんのことはない(ノーカウント)、取り返しはつくんだからよ!」

 

 この男はなぜ自分が死地に追いやった相手を激励しているのか。きっと本人にもよくわかっていない。

 

「……どうにも、まとまらんな」

 

 熱弁を聞き流しつつ、ゴブリンスレイヤーはそうこぼした。珍しいことに、彼は迷っているのだ。ゴブリン退治であれば、などという愚痴めいた余計な考えが邪魔をする。

 

(かしら)とはまとめる者でなく、断ずる者だ」

 

 そんな様を見かね、侍は若き将へ助言を送ることにした。

 

「迷わず、己の意に従い決めよ」

 

 将が迷えば兵も迷う。そして迷えば、戦に敗れる。冒険者とて、人が人を率いる限り、変わらぬ道理だ。

 

「案ずるな。選んだ道がなんであれ、斬って拓いてみせよう」

 

 つまりは、好きにしろと。自分がそのように促される側になるのは初めてかもしない。この思考もまた余計だ、ゴブリンスレイヤーは兜を振って諸々追い出した。

 

「わかった。今、決めた」

 

 さあ、どうする?




◆秘儀・徹甲矢◆

 森人の狩人が扱う秘儀の一つ。

 黒曜石の短剣をあてがわれた木芽鏃が自然と形を変え、二又の矢へと変質する。堅固な甲殻などにも有効となる反面、精度と射程は犠牲になってしまう。

 古い森には尋常の矢では歯が立たぬ、巨大甲虫が潜んでいる。これはそうした獲物に対する備えだが、ときに戦場で用いられ、凄惨な結果をもたらすのだ。


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2-4:照らす光/Dawn of the Dead

 

 沈んでいく。

 

 熱を失っているためか、水の冷たさは我慢できないほどではなかった。望まぬ超常の力を得た瞳には暗い水底が鮮明に映り、そこに至るまでの時間が驚くほど短いことを知らせている。

 

 落ちていく。

 

 浮力を忘れた肉体は間もなく降着し、自力で這い上がることは決してできないだろう。

 

 そして最後の吐息が口から逃げ出し、儚いあぶくとなって溶け失せた。

 

 

 

§

 

 

 

「まず、そうだな。呪いについて説明しようか」

 

 上体を縛り上げられて座らされている馬脚盗賊は、どうにも似合わない真面目くさった顔つきで語りだした。

 

「ここで死ぬような傷を負ったやつは、一度きりの復活と引き換えに、魂を奪われちまう。今の俺たちは、からの器ってわけだ」

 

 床に置かれた角灯をあいだに挟み、対面にゴブリンスレイヤー。その隣に女神官、鉱人道士が並び、逆側には凶器を確保した蜥蜴僧侶が趺坐している。妖精弓手と侍は、()()()の左右についており、何かあれば相応の対処をする構えだ。

 

 口車に乗ってやる。頭目はそう決断したのだ。信用するわけではないが、窮状を脱することのできる可能性があるのなら、危険を承知で賭けてみたいと。彼はそう思い、一党の者たちに頭を下げた。なぜ謝られるのかわからない、ただそれだけ返された。

 

 依頼は受けた。今は質疑応答(インタビュー)の時間だ。

 

「俺を雇った腐れ聖職者ども、ああ、冒険者じゃあないやつらな。連中、使命がどうだかで"聖杯"を探すためにここにきたと言っていやがった。俺が見つけた石碑によると、どうもその聖杯が魂を捕らえているらしい」

 

 聖杯。手にした者を神の御許にいざなうとも、注がれた水を口にすれば不老不死となるとも。古今東西、聖杯探索(グレイルクエスト)の伝承は数知れず。しかしその実態も実在も不確かな、幻の聖宝(レリック)。それが、ここに眠っているという。

 

「体が使い物にならなくなっちまうとスケルトンの仲間入り、その前に聖杯に辿り着けりゃあ、魂を取り戻せる。門番がいるらしいんだが、竜司祭なら話を通せると雇い主の一人から聞き出した」

 

 これが本題だ。彼がゴブリンスレイヤーたちに目をつけた何よりの理由。蜥蜴僧侶こそが、鍵を握っているのだと。

 

「ふむ? 拙僧が竜司祭でなければ、どうする腹づもりで?」

「へっ? 聖職者なんだろう。蜥蜴人で聖職者っつったら、竜司祭じゃあないか」

「そうとも限りませぬぞ」

 

 祖竜信仰が柱であることは間違いないが、闘争により位階を高めるという点で縁のある戦女神や、旅人へ御利益があることから武者修行と相性のいい交易神に仕える者もいる。祖先を敬い、そのうえで神を祀る。なんの撞着があろうか。

 

「……おい、マジかよ。話が違うぜ!」

「えっと、聖職者か、としか聞かれていません、から」

「おおかた、ちょうどいい作り話が思いつかんから、聖職者を探しとるていで確認しようとしたんだろ。人、騙そうとすっからこんなことになんだよ」

 

 本当に、詰めの甘い男であった。

 

「まあ、拙僧はお目当ての竜司祭ゆえ、大事には至らなんだが」

「な、なんだ、脅かすなよ。心臓に悪いぜ」

 

 はっはっは(NICE JOKE)。蜥蜴僧侶は笑っているが、馬脚盗賊としては生きた心地がしなかっただろう。

 

「話を、続けろ。聖杯とやらを手に入れて、どうすればよいのだ」

 

 抜き身の大太刀で顎の下をペチペチとはたかれ、弛緩しかけた表情が真顔に戻る。

 

「すまねぇが、そいつぁ実際に聖杯を見つけるまでは教えられねぇな」

「貴方、まだそんなことを!」

「待て」

 

 掴みかかる妖精弓手を、ゴブリンスレイヤーが遮った。

 

「用済みになれば、俺たちがこいつを殺さん理由がなくなる。向こうからすれば、そうなる」

 

 信用できないのはお互い様なのだ。右手で握手をしながら、左手に短剣を隠し持つ。一度刺してから握手を求めるような手合いに疑われるなど甚だ不服、それでもこらえねばならない。

 

「……ふん」

 

 渋々、といったふうを露わにしながらも、仕方なく引き下がる。成熟した大人とも、聞き分けのない子供とも違う。二千歳とは微妙な年頃なのだ。

 

「聖杯の在処に目星はついているのか」

「あちこち探ってみて呪いを解く方法までは分かったが、手詰まりでね。しょうがねぇからもう一度、雇い主どもの生き残りを締め上げてみるかと思っているところさ」

 

 雇い主ども。どのような者たちなのだろうか。鉱人道士には、思い当たる節があった。

 

「その依頼人っつうのは、黒い鎧の騎士かや」

 

 落下地点で交戦した黒騎士のスケルトン。軽く検分してみたところ、武具の造りは現代のそれだったのだ。

 

「おう。会ったのか?」

「中身は骸骨だったがの」

「そうかい。ざまぁねぇぜ、ウヒャヒャヒャヒャ……」

 

 憎悪に裏打ちされた嘲笑だ。どこまで本気なのか掴めない男だが、こればかりは心底からの情動であると感ぜられる。あるいは、よほどの役者か。

 

「……だが、残っていやがるのは厄介なやつらでな。竜司祭らしい尼と、お付きの騎士長だ。尼のほうはわからねぇが、お供はそうとうな腕っ節だ」

 

 いっそう忌々しげに顔を歪める馬脚盗賊は、無意識のうちに首元を撫でていた。

 

「先を越されて、聖杯を持っていかれたらどうなるかは考えたくねぇ。もう一度言うが、協力してくれ」

 

 協力することについては、もう決定したことなので議論はしないとして。彼の言う強硬手段に訴える前に、ゴブリンスレイヤーには一つ確かめておきたいことがあった。

 

「あの中は、調べたのか」

 

 目線をくれた先にあるのは、部屋の中央に揺れる水面だ。夜中に覗き込む井戸底めいた、不気味な暗闇がそこにあった。

 

「いや、そいつぁ無理だぜ。同じような水場はいくつか見つけたが、どれも深すぎる。アンデッドは水に浮かねぇからな、溺れ死んじまうよ」

 

 蟹が出てくるのは見たな、生死は定かではないが。などと口には出さずにつけ足した馬脚盗賊に対し、ゴブリンスレイヤーは首を傾げた。

 

「アンデッドとは、動く死体……の、ようなものなのだろう」

 

 それならば。

 

「死体に呼吸が必要なのか?」

 

 呼吸を忘れて黙り込む。それをもって、結論は下された。

 

 

 

§

 

 

 

 要するに、錯覚だ。

 

 肺腑が空気を求めてもがくのも。胃が空腹を訴えるのも。死んだ体で生きているがための、誤作動にすぎなかった。

 

 口を固く結んで水底を歩いているうちに、息をしたいという衝動は飼い慣らされた。結ばれているのが口だけであれば、この奇妙な水中散歩を楽しむ余裕もあったかもしれない。縄の食い込む痛みに、馬脚盗賊は溜息の一つもつけずにいた。

 

 ほかの面々はどうしているだろう。視界を傾けると、絡みつく長衣の裾と喧嘩しながら漂う女神官の姿があった。地図はもう諦めた。よって角灯もなし。彼女の手には錫杖と、小さな青い貴石があしらわれた指輪が煌めいている。

 

 水中呼吸の指輪。《呼気(ブリージング)》の術が封入された魔法の指輪だ。ゴブリンスレイヤーが一党の全員に配ったこれらが、長時間の潜水を実現していた。

 

「ほら、力抜いて。私に任せて」

「ありがとうございます」

「いーえ」

 

 人魚(マーメイド)もかくやという優美さで舞う妖精弓手が、女神官の華奢な胴に手を回して補助に入った。全身を包む空気の薄膜のおかげで発声が可能、ある程度近づけばこのとおり会話もできる。また体温を保ち、水の抵抗も抑えられるものの、自在に動けるかどうかは当人の身体能力に懸かっている。

 

「手慣れとるの、かみきり丸」

 

 肉が重い鉱人道士と鉄が重いゴブリンスレイヤーは、アンデッドのごとく歩いている。別に浮かべないわけでもないが、こちらのほうが楽なのだ。

 

「何度も使っているからな」

 

 指輪の持ち主はなるほど、確かに淀みない動きだ。新人(イヤーワン)の時分に見つけた初めての魔法の道具(マジックアイテム)。効果は限定的なようでいて、ことのほか応用が効く。過去のゴブリンアドベンチャー(G A)においても、たびたびこれに頼んで策を講じてきた。

 

「あちらは、いかがか」

 

 馬脚盗賊の肩を叩いたのは、アンデッドそのものとなっている蜥蜴僧侶だ。大刀を背中に括った彼も、指輪を嵌めている。水が染み込んでこなくなる性質を利用して地図を書き、水先案内用に角灯を灯しておくためだ。

 

「……」

 

 指差す先、斜め上方にあるのは水路の出口か別の入口か。返答は首を振ることで為された。

 

 盗賊たる者、高度な地形把握(オートマッピング)能力を備えているのは当たり前。現在地と探索済みの区画との位置関係など、壁の向こうを透かし見るかのように特定できる。あれは、ハズレだ。

 

「む、出迎えですな。お任せしまするぞ」

 

 悪い目が続く。分かれ道に差しかかったところで、剣を帯びたスケルトンが三体、ユラリと歩む。蜥蜴僧侶でも対処はできるが、適役なのは彼ではない。

 

「うむ」

 

 壁を蹴り、大太刀を突き込む。一撃離脱にして一撃必殺、三度繰り返して終いだ。旗魚(カジキ)の狩りを目の当たりにしたことのある者がこの場にいれば、侍の泳ぐ姿はそのように映っただろう。

 

 水練もまた武士の嗜みだ。具足を纏い得物を手に、川を渡り堀を越える。ときに騎馬と並んで重要視される、必須技能なのだ。とはいえ指輪の助勢を加味しても、この侍の動きは泳ぎ上手などという次元のものではなかったが。

 

鰓人(ギルマン)

「河童じゃねぇかな」

 

 かっぱ? 東にはそういう水棲種族がいるそうな。鉱人と森人による侍の血統予想は錯綜していく。

 

「お見事」

「鍛練に比すれば造作もなし」

 

 蜥蜴僧侶のそばまで退がり、侍は平然と述べた。真冬の川で人喰いの大魚を狩ることを引き合いにすれば、こんなものは行水も同然だ。

 

「彼奴ばらは右から現れましたな」

「では、そちらだ」

 

 いつもの即決だ。指輪の連続稼働時間は八時間。効力を失うまでに探索が終わらない可能性は考慮すべきだ。それ以前に、件の聖職者たちが聖杯を見つけるかもしれない。無駄にできる時間などありはしないのだ。

 

 敵襲(蟹もいた)、分岐、行き止まり。それらを幾度か繰り返しながら、一行は前進していった。どうやらここには罠は仕掛けられていないようだ。少なくとも、先頭を歩かされている馬脚盗賊は何も発見できず、何も起きていない。問題は、途中からスケルトンではなく()スケルトンが見られ始めたことだ。

 

「……どうやら、ここが終端のようですな」

 

 やがて、道は一本に収束する。床に対して()()にそびえる水面が、魔法視覚すら通じぬ異様なうねりを孕んで蠢いていた。

 

「このまま通れそうだ」

 

 フィート棒代わりに差し込んだ剣に異常がないのを確認し、ゴブリンスレイヤーは躊躇なく踏み出した。一行もそれに続き、外気に身を晒す。装備の表面に残るはずの水気が拭われているのは、水路に蓋をする力場のせいだろう。

 

 最初に感じたのは、明るさだった。立ち並ぶ石柱に据えつけられた結晶の髑髏が、寒々しい輝きで大広間を満たしている。灯火が欲しくなる程度には薄暗いものの、これまでついて回ってきた、のしかかるような闇ではなかった。

 

「待ちなさい」

 

 緩やかな上り階段を隔てて一段高くなったところに、物々しい雰囲気を醸し出す巨大な石扉がある。その前に人影が二つ、人でない影が一つ。

 

 言葉を発したのは、灰色の長衣と黒のフードで肌を覆った、おそらくは尼僧。仮に竜尼僧とするが、口元や輪郭からして蜥蜴人以外の種族、見たところは只人か森人だ。蜥蜴人の聖職者が皆、竜司祭というわけではないのと同じく、竜司祭が全員蜥蜴人というわけでもないのだ。

 

「貴公……よりにもよって蜥蜴人を連れてくるとはな。どこまでも我々の邪魔をするつもりか」

 

 もう一人は、青い陣羽織と外套で鎧を飾った黒騎士の長。右手に長剣、左手には大型の馬上盾(カイトシールド)を携えている。

 

「当たり前だろうが。騙して悪いが、なんて舐めた真似してくれやがって。生きていて恥ずかしくないのかよ!」

 

 どの口が言うか。

 

「適当なところで手を引けと、警告はした。金目当てか好奇心か知らんが、雇われごときに至宝を拝観する機会を与えるはずもなかろうに。クックックッ……」

「てめぇッ!」

「どうどう」

 

 縄を引き千切らん勢いで激昂する馬脚盗賊は、蜥蜴僧侶に押し戻された。

 

「拙僧らは、解呪さえ成れば去りまするゆえ。お目こぼしいただけませぬかな」

 

 呪われた者同士、相争うのも不毛がすぎる、と。蜥蜴人らしからぬ、だが実に彼らしい穏やかな提案だったのだが。

 

「いいえ、残念ながら」

 

 答える竜尼僧もまた穏やかで、それでいて取りつく島もなかった。

 

「祝福を受けていない方々は、安全に外までお送りしましょう。ですからそのあとはもう、放っておきなさい。私たちのことも、ここで果てる者たちのことも」

 

 語り口はごく柔らかく、確信的。平素は人を教え、導く立場なのだろう。そんな態度は状況や言葉の内容とはあまりにも乖離していて、そこに静かな狂気が垣間見えた。

 

「断る」

 

 話にならない。今日はよくよくつまらない冗談を聞かされる日のようだ。ゴブリンスレイヤーとて、皮肉の一つも思い浮かぼうというもの。

 

「では、始末するほかありません」

 

 竜尼僧が背後を振り仰ぐ。扉と向かい合う白い巨体を見やる。

 

「守人よ、古き勇士たちを招聘し、盗掘者から聖杯を守りなさい」

 

 全高およそ八メートル、ほぼ人型の骸骨だ。ゆっくりと向きを変えたその頭蓋骨には一本の角と、一つきりの眼窩があった。

 

「門番っつうのは、単眼巨人(サイクロプス)だったんか……! 鍛冶神様の従者として神代の武具を鍛えた、半神(デミゴッド)ぞ!」

 

 鉱人道士にとっては畏怖をもって接するべき存在、その成れの果て。以前に末端を相手取ったことのある百手巨人(ヘカトンケイル)とは異なり、戦闘に特化した種族ではないが、単純な骨格の強度だけでも脅威には違いあるまい。

 

「COLLLLC!」

 

 歯を鳴らす音が呼び声の代わりなのか。壁に埋め込まれていたいくつもの大棺が開き、目覚めたスケルトンたちが武器を手にして一行を囲んでいく。

 

「小鬼殺し殿、角灯を」

「ああ、すまん。それで、どう見る」

 

 頭目の問いかけに、今回は即座に答えが返ってきた。

 

「あれはアンデッドではなく、竜牙兵と同じ人形(ゴーレム)の類のようだ。おそらくは指示を受けて門を開く、鍵の役目を担うものかと」

 

 あの大扉がこれまで同様ノック一つで開く仕掛けだと期待するのは、いささか以上に浅慮だ。どうにかして、鍵を手中に収めなくては。

 

「斃せるかどうかは別として、斃すべきではない。さりとて、放置しておれば何をしでかすやら、わかりませぬぞ」

 

 雑兵を壁に、にじり寄る騎士長と竜尼僧、後方に控える巨人。戦力比は。呪文の残りは。地形は。勝利条件は。ポケットには何がある。

 

「よし、やるぞ。手はある」

 

 その言葉を待っていた。女神官、妖精弓手、鉱人道士に蜥蜴僧侶は知っている。侍は知りつつある。馬脚盗賊はこれから知るだろう。彼はやると言ったからには、必ず何かを()()()()のだと。

 

「尼僧に当たれ。殺さない程度にな。それと竜牙兵は、なしだ。敵と誤認しかねん」

「承知」

「騎士を頼む。無理には攻めなくていい」

「応」

「援護射撃だ」

「はいはーい」

「後衛の護衛につけ」

「ほいよ」

「合図を待て」

「わかりました」

 

 打てば響く返事が五つ。それとここにはもう一人。

 

「遊ばせておく余裕はない。働いてもらうぞ」

 

 ほどいた鉤縄を女神官に返却し、ゴブリンスレイヤーは馬脚盗賊に大刀を押しつけた。

 

「あの、巨人をこちらに近づけるな」

 

 死んでこいと告げるようなものだ。この男が、銀等級の盗賊でなければ。職業(クラス)としての盗賊とは斥候の類縁であり、撹乱陽動こそは彼らの独壇場だ。

 

「おう、任せな。後悔はさせないぜ」

 

 乱戦下で自分を一党から遠ざけておきたいという意図もあろうと、馬脚盗賊も理解はしている。そこに文句をつけない程度の分別はあるらしく、ためらわず得物を受け取った。

 

「まずは、敵をこの入口付近まで引き寄せる」

 

 左足を前に、姿勢はやや低く。盾は遠く、剣は高く、蠍の尾のように。剣術の師を持たぬゴブリンスレイヤーが独力にて伝書(フェシトビュッフ)を読み解き体得したその構えは、人頭獅子(マンティコア)を象っていた。

 

「いくぞ!」

 

 開戦だ。敵先陣、スケルトンの剣先を盾でいなしてそのまま殴り倒し、長剣を突き下ろした。両側では大太刀が、爪が暴れている。

 

「《伶盗龍(リンタオロン)の鉤たる翼よ。斬り裂き、空飛び、狩りを為せ》」

 

 二人の竜司祭が、同時に祝詞を唱えた。蜥蜴僧侶の握り込んだ小さな牙が瞬く間に姿を変え、鋭利な曲剣、《竜牙刀(シャープクロー)》が形作られる。

 

「ここでも、立ちはだかるのは貴方がたですか。竜もどき」

 

 対する竜尼僧の手には、研ぎ澄まされた牙の大鎌が現れた。直前まで武器を隠して正面から奇襲をかける、思惑は互いに同じだった。

 

「させるものか」

「させない!」

「させぬ」

 

 割り込み(インターセプト)への割り込みと割り込み。飛来した木芽の矢を盾で受けた騎士長へ、侍が打ちかかる。大太刀と長剣、斬り結びは攻め手が押し勝ち、受け手は退がらざるをえない。

 

「白亜の園を歩みし偉大な羊よ、永久に語られる闘争の功、その一端なりしを授けたまえ!」

 

 決闘の果てに対手と相討ったという祖先へ向けて吼え猛り、蜥蜴僧侶は牙刀を振りかぶった。長首を刈らんとする鎌をくぐり、脇腹を狙う一撃。躱されたらばと伸ばした尾を、強引に引き戻す。削がれた鱗が数枚、わずかな血糊と共に散って落ちた。

 

「こいよ()無し。仲良くしようぜ!」

 

 その攻防によって生じた間隙を見逃さず、馬脚盗賊は敵陣をすり抜けた。

 

 平地を疾駆する馬人には、森人ですら追いつけはしない。眼前に迫る巨骨の拳を見上げながら滑り込み、大刀で床を突いて跳び上がる。進路を塞ぐスケルトンを二体、着地と共に双刃にて払い倒した。とどめなど刺さずとも、あとは巨人が勝手に掃除してくれる。

 

「問題はないな」

 

 あれは放っておいても大丈夫だろう。馬脚盗賊の力量を確かめたゴブリンスレイヤーは、己の役割(ロール)に集中することにした。

 

 蜥蜴僧侶の背に忍び寄る輩の椎骨を縦一閃、向かってくるものには全身を回転させ裏拳の要領で打ち抜く盾殴撃(シールドバッシュ)。さらに今度は自身の後ろ、体を回す動作の中で把握した敵の位置へ、振り向く勢いで袈裟斬った。

 

 ゴブリンより的が大きい。ゴブリンほど小賢しくはない。弱点を突くのは面倒だが、やることはいつもとたいして変わらない。好みに合わない重たい長剣も、骨を断つには具合よし。よって。

 

「やはり、ゴブリンよりは楽か」

 

 哀れ、古き勇士とやらは、ゴブリン以下と評されたのだ。

 

「とはいえ、いかんせん多いな」

「こっち回せい。たまさかにゃあ、鉱人らしい戦をする日っつうのも悪かねぇやな」

 

 単騎で捌ける数には限度がある。無茶は禁物とゴブリンスレイヤーが素通しした一体の攻撃を、戦利品の盾で止めた鉱人道士は、そのまま押し返して反撃の手斧を見舞った。

 

「叔父貴みたく巧かねぇが……!」

 

 鉤に見立てた斧頭の端を相手の盾のふちに噛み込ませ、一気に引き剥がす。

 

 これぞ世に言う、鉱人の盾砕きよ。

 

 すかさず蹴手繰り転ばせ、得物を振り下ろした。およそ体幹の強靭さに関して鉱人に勝る言葉持つ者(プレイヤー)はおらず、その軸に支えられた斧の威力たるや、人の骨など微塵に破砕して余りある。

 

「はい、ちょっと通るわねっと!」

 

 そんな鉱人の斧と並び名高きものは、森人の爪弾く水松樹(イチイ)の長弓。後隙を補う矢が、前傾する鉱人道士の頭越しに獲物を射抜いた。

 

「おいこら、危ねぇだろが」

「大丈夫よ、すっとろい鉱人が頭を上げるまでに三本は射れるもの」

「抜かしおる!」

 

 有言実行とばかりに二の矢三の矢、蜥蜴僧侶と侍の背が守られた。

 

「はっ!」

 

 その甲斐もあり、こちらはほぼ一騎討ちの様相を呈している。斜め十字を描く侍の大太刀を騎士長の剣がなんとか捌き、続く刺突は脇に流す。すかさずの返礼は空を斬り、大きく跳びすさりながらの射撃が盾を激しく揺さぶった。

 

「逃さん」

「逃げぬとも」

 

 弓で刃は防げまい。好機とばかりに距離を詰めんとする騎士長は、右の肘当てを強かに打たれて出端を挫かれた。

 

「侍の居合いとやらか!」

「否。ただの抜き打ちよ」

 

 筋力、技量、得物の射程。現状、主導権(イニシアチブ)は侍にある。それでもある要因が、決着を遠のかせていた。

 

 重厚な板金鎧(プレートアーマー)や金属盾は、いかな名刀といえど生半に斬り裂けるものではない。装甲の継ぎ目や隙間を狙うにも、南蛮甲冑の構造など知識の埒外。侍には、騎士との戦闘経験が不足しているのだ。

 

「もう矢は射らせんぞ」

 

 そこで、射通せるか試してみた。嫌がっている様子からして有効ではあろう。盾が邪魔だ。刀を打ち込み続ければ腕が持つまい。無理に攻めるなとは言われたが、ここは攻めどきだ。と、考えていたというのに。

 

「《太陽礼賛! 光あれ!》」

 

 短い聖句を紡いだ騎士長はごくあっさりと、盾を手放した。両の手で握り締めた長剣が揺らめく《陽炎(ミラージュエッジ)》へと変貌し、太刀筋をなぞる()()幻影の刃が一振り二連の斬撃を生み出す。

 

「面妖な、術を」

 

 剣圧が倍になったのだ。縦横に奔り畳みかける連係(チェイン)は侍の防御を突破するには至らなかったものの、体勢が乱れたところへさらなる強打を浴びた。受けて、止まるのは一瞬。鍔迫(バインド)だ。

 

 刀身に巻きつくような動作で回り込んだ長剣が、顔面を突く。刀にはない裏刃によって緒を斬られた陣笠が、寸前で傾けた頭から飛んだ。

 

 切先近くが重く、高速に乗った攻撃で真価を発揮する曲刀である侍の大太刀。手もと重心で、細かな制御と表裏の切り替えが可能な騎士長の直剣。このような土俵においてどちらが有利かは明白だ。あの女騎士との模擬戦がなければ、彼とて今の技巧を凌げたかどうか。

 

「チィ!」

 

 押し上げ、籠手を打たんと滑り込ませた刃は、手首を返しつつ棒鍔(ガード)に阻まれる。そこから側面下方へ誘導された直後、柄頭(ポンメル)がこめかみに炸裂した。

 

「消えてしまえよ」

 

 騎士長は頭上で剣を逆転させ半歩後退。首筋へ迫る死の予感に従い、侍は前転(ローリング)して事なきを得た。立ち上がり追撃を弾き、間合いを図る。

 

 天秤は傾いた。

 

「《捕食者たる狩人(ヤトウジャ)よ、我が身を光の影となせ》」

 

 それを嗅ぎ取り、竜尼僧が動いた。斬り込むと見せかけてすれ違い、蜥蜴僧侶の視界から消える。

 

「いかぬ、小鬼殺し殿、背後に!」

 

 仲間の邪魔はしない。遠近対応する侍が抑え込まれて射線が一つ減ったならばと、司令塔と思しき男を目標に定めたのだ。蜥蜴僧侶もあとを追うが、スケルトンへの対処で一手番を費やしてしまう。

 

「ふんっ」

 

 ゴブリンスレイヤーが振り返りざま擲った長剣が、()()に防がれた。敵の姿を捉え切れない。ただ目だけが光っていた。竜尼僧の肌や装備が蛸めいて色を変え、背景に紛れているのだ。《擬態(カモフラージュ)》。光量の乏しい環境で視野の制限される兜を装備していては、角灯を借り受けてもなお、暗視も魔法視覚もない彼ではあまりにも不利だ。

 

「ぐはっ!」

 

 大鎌の峰に腹を打ち上げられ、体が高く浮かぶ。首にかかろうとする凶刃に対して反射的にかざした円盾が軌道をずらしはしたが、肩口を浅く抉られ、そのまま床面に引き落とされた。腰の角灯が割れ、火が散り。

 

「《掲げよ燃やせや松明持ち(ウィル・オ・ウィスプ)。沼地の鬼火の出番ぞな》」

 

 突如としていくつもの飛沫となって、竜尼僧に殺到した。火勢は弱く、怯ませる以上の効果はなくとも、《使役(コントロール・スピリット)》の求めに応じた精霊は健気に務めを果たす。火と土こそは鉱人の友なれば、助勢を惜しむことはなし。

 

「っ……!」

 

 主人が炙られるのを見て気が逸れたか。動きの鈍った騎士長の目の前に、頭蓋骨が飛び込んできた。もうご存じだろう、侍の足癖を。弓の早さを。

 

「がっ!?」

 

 死人と視線が交差した、瞬間に爆散し、騎士長は兜を襲った衝撃により打ち倒された。

 

「ゴブリンスレイヤーさん!」

「軽傷だ。だが潮時だな、引け!」

 

 起き上がったゴブリンスレイヤーは、予備の剣を鞘から抜いてスケルトンを払いのけつつ、速やかに退却した。前線の混乱により、雑兵に対処する妖精弓手の負担が増している。無理に攻めるな、だ。

 

「巨人を説き伏せろ、それから敵を黙らせろ!」

 

 聖職者二人が首肯する。

 

「《大地を冠せし馬普龍(マプロン)よ。仮初なれど、我らを群れに加えたもう》」

 

 竜司祭ならば話せるという門番。蜥蜴僧侶は最初からこの可能性を考えていた。

 

「守人よ、どうか矛を収められませい!」

「COOL!」

 

 父祖たる竜の力添えが、言語の壁を乗り越えさせる。《念話(コミュニケート)》は成功だ。巨人と、率いられるスケルトンたちはその場に立ち尽くした。当然、竜尼僧がこれを黙って眺めているはずもないが。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、遍くものを受け入れられる、静謐をお与えください》」

 

 黙っていてもらおう。沈黙を破った女神官が囁いたならば、あとに残るは真の《沈黙(サイレンス)》のみ。《念話》はどのような形であれ、言葉に思念を乗せて交信(テレパシー)を行う術だ。発話不能な状態では意味を成さない。

 

「——! ——!?」

 

 もはや趨勢は決した。さりとて窮鼠の牙は鋭いもの。あの尼僧に扉を開けさせるという副案も無用になったからには、遠慮は無用だ。ゴブリンスレイヤーは腰後ろの雑嚢を漁り、切り札を場に晒した。

 

 それは、筒状に丸められた一枚の羊皮紙だった。留め紐を解き、文字と図形に埋め尽くされた内側を露わにする。あふれる光輝は魔力の証。魔法の巻物(スクロール)だ。

 

「——!」

 

 矢の刺さった兜の奥で砕けた耳から血を流しながらも、騎士長はゴブリンスレイヤーと竜尼僧との間に割って入った。我が身を主人の盾に、その矜持は見事。ただし、望む結果が得られるとは限らない。

 

 まず、冷気が吹き込んだ。雪だ。吹雪だ。……違う。

 

 これは、雪崩だ。白き怒涛、静かなる雪崩(サイレント・アヴァランチ)が、すべてを飲み込み押し流す。

 

 やがて、収まる頃には。広間に冬景色が生み出されていた。

 

「何を、した」

 

 静寂が去り、侍は白い息と共に問いを発した。

 

「《転移(ゲート)》。離れた場所同士を繋げる、魔法だ。雪山の、深い雪の中に繋げた」

 

 《転移》の巻物といえば、主に敵陣への奇襲や緊急脱出に用いられる道具だ。もしくは希少価値の高さから売り飛ばされるか。いずれにせよ、こんな使い方をするのはこの男くらいなものだ。

 

「大丈夫なんですか!? その雪山の近くの村とか、潰れちゃったり」

「それはない」

 

 自動的に消滅していく巻物を無造作に捨て、彼は首を振った。もちろん、不幸な巻き添え(コラテラル)への配慮はしている。

 

「あんなところには、野生の熊でも寄りつかん」

 

 懐かしむような、それでいて苦虫を噛み潰したようでもある、不思議な声色だった。

 

「それで、どうだ。水でも、火でも、毒でもないぞ」

 

 一転、なぜか少し得意げに。それが妙に小憎らしく、妖精弓手はあれこれ言おうとする。だいたい少し前に実際に雪山で雪崩を誘発して、自滅しかけたではないか、などと。そうして、判定は。

 

「……遺跡とか、洞窟とかなら、よし」

「そうか」

 

 不本意だったのだろう、そっぽを向いたまま妖精弓手は答えた。それに満足したのか、ゴブリンスレイヤーは足取りも軽やかに、雪原を踏み締めていく。

 

「アンデッドでよかったと思うことになろうとは」

 

 想定外の雪中行軍になってしまった。《呼気》の副次作用で寒さに多少耐性がつくとはいえ、蜥蜴人としては生身では長居したくない環境だ。

 

「指輪なしでやんなよ。鱗のが凍っちまわぁ」

「わかっている。状況は選ぶ」

 

 水中呼吸の指輪は必須か。さもなくば、すぐに移動するか火を用意するかせねばなるまい。

 

「そうだ、さっきの火は助かった」

「気にすんない。やっぱ儂ゃあ、術のほうが性に合っとるわ」

 

 冷えるからと口実をつけ、火酒を胃の腑に充填した鉱人道士はからからと笑った。

 

「角灯は弁償する」

「いえ。それも気にしないでください。ゴブリンスレイヤーさんのせいじゃないですから」

「そうもいかん。今後に備えて、もっと頑丈なやつを買おう」

 

 つまり。彼からの、贈り物。

 

「それじゃあっ、……お願い、します」

「ああ」

 

 声が上ずってしまったことはどうか見逃してあげてほしい。女神官とて十六歳の少女なのだと、すでに述べたはずだ。

 

 ところで。この広間にはもう一人味方、かどうかわからないが、とにかくそのような者がいたような。馬脚盗賊。その姿がない。見えているのは馬脚だけだ。天地逆さの。

 

「むん」

「ぶほっ!」

 

 侍によって雑に引っこ抜かれた盗賊が、雪の上に転がった。

 

「こ、殺す気か!」

「いや。アンデッドに呼吸は必要なかろう」

 

 近距離なら圧死もありえたが、この位置なら窒息にさえ対策しておけばおおむね安全だ。

 

「死なれては困る。……扉を」

「うむ。守人よ、門を開かれよ!」

「CLO」

 

 そんななか、微動だにしていなかった巨人。ざっくざっくと大扉に近づき、今こそ己の使命を果たさんとする。古き半神の残骸に込められた、力のすべてを懸けて。

 

「COLOOOC!」

 

 伝統に則り、扉を蹴破った。

 

「なんか思ってたのと違う」

「そら、こやつに頼まんと開けられんわな」

 

 質量という錠前を解除する、万能鍵(マスターキー)の仕事はこれで完了だ。間もなく塵に帰っていった巨人に、女神官と蜥蜴僧侶は小さく祈りを捧げた。

 

「あれが、その、なんだ」

「聖杯だ、これで生き返れるぜ!」

 

 豪快に解放された扉の先、円形の部屋の中央にある祭壇に、それは安置されていた。暗い緑の結晶でできた、上下対称の奇妙な杯。腰の長い砂時計、といった風情だ。

 

「まず、俺が毒見役をやる。いいだろう?」

「構いませぬ。どうぞお先に」

 

 許可を得た馬脚盗賊は手指をそっと大刀の刃に這わせ、傷をつける。漏れ出す血の雫を底なしの闇をたたえた杯へ垂らすと、まばゆい光の塊が解き放たれた。何かを探すように室内をさまようこと数秒、急に角度を変え、血の主へと吸い込まれていった。

 

「お、おお。熱い、いや寒い!」

 

 生きている証左である。魂を取り戻した(SOULS RETRIEVED)。解呪は、成ったのだ。

 

「ヘヘッ、ありがとうよ。この恩は忘れないぜ。さあ、あんたの番だ。やり方はわかったろう」

 

 蜥蜴僧侶の目は、馬脚盗賊が間違いなく生者に還ったことを認めていた。少なくとも、呪いについては嘘はついていなかったということか。

 

「では」

 

 真新しい掠り傷から血を掬い、儀式を執り行った。蜥蜴僧侶は、晴れて温血動物へと復帰したのだ。

 

「平気? 調子悪いとかない?」

「絶好調ですぞ、野伏殿。あとは腹にチーズが入れば完璧かと」

 

 ほっと胸を撫で下ろす。これで、ようやく地上に戻れる。チーズは奢ってやろうと、妖精弓手は心に決めた。

 

「……待って。何か、後ろ!」

 

 その安堵を真っ先に捨て去ったのも、また彼女だった。振り向く先で、積もった雪にひびが走り扉へ猛進する。雪片を散らして飛び出した巨大な影が、一行に覆いかぶさった。

 

「よけろ!」

 

 左右に道を空けた彼らには目もくれず、それは祭壇に食らいついた。鋭い牙を覗かせる顎門、一対の鹿角。灰色の鱗に鎧われた長くくねる体と、蝙蝠に似た翼腕。

 

「竜、だと」

「ドラゴンか?」

 

 只人の男たちが乏しい怪物知識を汲み上げる。確かに、竜だ。が、ドラゴンではない。

 

蛇竜(ヴィーヴル)です! 図鑑に載ってました、けど、いったいどこから!?」

 

 知恵と武力を兼ね備えた真の竜とは異なる、獣同然の亜竜の一種。されど竜は竜、脅威度は低くない。油断なく出方を窺う一行は、ゆえに相手の初動を止められなかった。

 

「う、ぐ、はぁ、はぁっ……!」

 

 床面まで下りてきた蛇竜の口の中から、光球が吐き出された。あとを追って這い転がった騎士長、手に聖杯を握った彼に、魂が宿り直す。

 

「申し訳、ございません。貴方の騎士でありながら」

 

 己を救出した竜と目線を合わせ頷き合うと、騎士長は部屋の奥へと離れていった。

 

「よもやあの尼僧、《竜装(チェンジ・ドラゴン)》の術を! いやさ、あれは父祖たる恐るべき竜の似姿を得るもののはず。何ゆえこのような」

 

 蜥蜴僧侶の困惑に、回答はなされない。蛇竜の舌先に言葉なく、代わりに炎がチラついていた。

 

「火を吹くのか?」

「たぶん!」

 

 そうはいくかと射手二人、番えて放てば不気味な金眼を穿って潰す。

 

「VOURRR!」

 

 激痛にのたうち回る、いや、回った勢いそのままに、全身を鞭として薙ぎ払う心算だ。

 

「らぁァッ!」

 

 受けて立つ侍が、弧を描いて大太刀を振り上げる。尾か胴かもわからぬものを深々と斬り開き、弾いてのけた。

 

「あの黒騎士、なんかしてる!」

 

 妖精弓手が見咎めたのは、改めてのたうち回る蛇竜の向こう。騎士長が見覚えのある巻物を開くと空間がひずみ、そこに草原と木々と、西日に色づく空と雲が現れた。墓地の外の風景だ。彼はその中に身を躍らせ、消える。

 

「《転移》か。ああいう使い方も、あるか。……む?」

「VUOORRRU!」

 

 直後に、蛇竜は断末魔の咆哮を上げて斃れ伏した。

 

「聖杯を持っていかれて、奪われた魂を見失ったんだろう。けっ、騎士が主を犠牲にして逃げるとはな。さすが似非聖職者様はやることがご立派だぜ、ウヒャヒャヒャ、ヒャッ!?」

 

 馬脚盗賊の笑いを、地鳴りが断ち切る。周囲の石組が震え境目から燐光が滲み、明らかな異常を告げていた。

 

「やっべぇ。遺跡を補強しとる魔法が綻び始めやがった。崩れっぞ!」

「それだけじゃない、みたいです!」

 

 前室の入口は、魔法の力で堰き止められた水面だった。それが綻ぶとしたら。

 

「逃げるぞ」

 

 洪水になる。水路の規模を考えれば、広間やこの部屋を沈めるには十分な水量があるはずだ。激流に急かされた一行は奥へ、その先に見える隧道へと走った。

 

「オルクボルグがいっつも水攻めばっかりしてるから、神様が怒ってるのよきっと!」

「いつもではない。今回は違う」

 

 雪も水なのでは。指摘する前に、さらなる問題がやってくる。

 

「KUURUOOO!」

 

 白骨化した蛇竜が、もはや翼の役には立たないであろう腕で床を掻き、牙を鳴らして追い縋ってきたのだ。

 

「まだ動くか」

「魂はなく、呪いのみが残る、と。……死してなお変身が解けぬ。何かしら、特異な触媒を用いたか。拙僧の知らぬ外法の類やもしれませぬ」

「なんでもいいから、とにかく急いで!」

 

 燃え尽きようとする蝋燭じみた魔力の輝きが、彼らを照らす。隧道は直線で、末端は広い吹き抜けにかかる橋に接続していた。とりあえず、溺死は免れたらしい。

 

「見ろよ、昇降機だ! 地上行きだといいんだがな」

「ほかに道はない、乗るぞ」

 

 上層にあったものと同じ、円柱状の外壁と足場からなる昇降機だ。馬脚盗賊は一も二もなく駆け込み、すぐに感圧板を押す。などということはせず、全員が搭乗するのを待った。最後尾は蜥蜴僧侶だ。

 

「まだ作動するようですな」

 

 上昇が始まる。幸い、魔力切れの心配はなさそうだ。動力が独立しているのだろう。親切設計だと、言えなくもない。

 

「一安心、ですね」

「そうでもないかも。近づいてくる、また、あいつが!」

 

 硬質の摩擦音が昇降機を追い越したかと思うと、壁を破壊して骨蛇竜(スカルヴィーヴル)の長首が侵入してきた。崩落する石の雨が降り注ぐ。

 

「伏せてな!」

 

 ここでまさかの馬脚盗賊だ。防御手段のない女性陣を特に庇い、大刀を頭上で旋回させた。うなる双刃の風車輪が、石塊を跳ねのける。

 

「ど、どーもっ!」

 

 悔しさを込めた矢を三本まとめ、妖精弓手が追跡者の指関節を破断させた。自重を支えきれなくなり落下、しかし昇降機の端に掴まりとどまる。

 

「きゃあっ!」

「中心に寄れ!」

 

 壁を削り取りながらしがみつく骨蛇竜。損傷が大きすぎたか、昇降路(シャフト)全体が崩壊していく。辛くも落石からは逃れられたが、支えなく空中を浮上する足場の上、もう敵から逃げる手立てはない。

 

「KROUUU!」

「往生際の、悪い」

 

 がむしゃらに振り回された尾の先端を、侍が斬り飛ばす。その間に敵の左手に肉薄した蜥蜴僧侶は、冷たい骨に掌を叩きつけた。

 

「《傷つきなおも美しい蛇發女怪龍(ゴルゴス)よ、その身の癒しをこの手に宿せ》!」

 

 武僧たる彼の本懐は物理である。だからといって、対アンデッドの心得がないわけではない。《小癒》を超える《治療(リフレッシュ)》の術だ。ほとばしる生命の波、すなわち死を滅する猛毒が、呪われし骸を疾走する。

 

 灰となれ。

 

「KOURRRO!」

 

 片腕を喪失した骨蛇竜は滑落しかけ、そこから弾みをつけて強襲した。執念の為せる業か。大顎を開き、せめて一人でも道連れを。

 

「《仕事だ仕事だ、土精ども。砂粒一粒、転がり廻せば石となる》!」

 

 代わりにこれでも喰らえと放り込まれた粘土玉が、岩のような巨石へと変化して口を塞いだ。鉱人道士の精神力によって拡張肥大した《石弾(ストーンブラスト)》だ。

 

「RRUO——!」

 

 ついに重力に屈した骨蛇竜は、奈落へと消えていった。

 

「悔い改めろ、ってんだ」

 

 最後に千切れて取り残された右手の骨を、馬脚盗賊が蹴り落とした。このとき不用意にへりに近づいた彼が足を踏み外さなかったのは、まったくの幸運だ。

 

「うお、おわわわわ!」

 

 振動。明滅する魔力の光。減速。負荷がかかりすぎたのか。

 

「そんな、もうちょっとなのに!」

 

 見上げれば、一部が崩れているものの、橋があるのが確認できる。高度さえ足りれば跳び渡れるだろう。

 

「鉱人、これなんとかならないの!?」

「無茶言うない! 儂ゃ精霊使いで、こいつぁ魔術で動いとる。魔法にもいろいろあんだよ」

 

 魔法の足場。魔法の昇降機。魔法の……?

 

「《聖壁》だ、()()に張れ!」

「はっ、はい! 皆さん、集まってください!」

 

 ゴブリンスレイヤーの思考を瞬時に理解した女神官が、錫杖を掲げた。図ったかのように上昇が完全に停止する。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らを、どうか大地の御力でお守りください》!」

 

 昇降機がただの石板になり、落下していく。乗っていた彼女たちも同じ運命を辿りかけたが、すんでのところで地母神の手が差し伸べられた。

 

 魔法にもいろいろとある。これは、奇跡の昇降機だ。

 

「おお、なんと。拙僧、宗旨替えをする同族の心持ちがわかった気がしますぞ」

 

 ゆっくりと、確実に昇っていく。《聖壁》は術者の拒絶した対象にのみ干渉する、神宿る力の壁。《霊壁》とは違い設置場所を選ばず、また低速で移動させることもできるのだ。憂うべきは、敵からは見えないという点であったが。

 

「まこと、美しきものよな」

 

 神は存外、融通が利く。拒絶してはいても、敵ではないと見なされたようだ。淡く煌めく舞台上、祈る少女と冒険者たち。この光景を目の当たりにできた画家がいたならば、一心不乱に描画(スケッチ)していたに違いない。

 

「ごめんなさい。あんまり、速くは、できなくて」

 

 彼女はそう言うものの、ただ運ぶことのみに専心しているため、戦闘時よりは速度が出ている。あと少しだ。

 

「いや。よくやった」

 

 ほどなくして、十分な高度に達した《聖壁》を橋に寄せることに成功した。遺跡の揺れはかなり大きくなってきている。この橋もあまり長くは持つまい。

 

「いって、ください。私は最後に」

 

 馬脚盗賊を先頭に、一行は走りだした。女神官は己の魂魄の強度で七人分の重量を持ち上げているのだ。足をどけるほかに、彼女の助けとなる方法はない。

 

「神官殿、お早く!」

 

 蜥蜴僧侶の背に続き、祈りを途切れさせぬよう慎重に歩を進める。一歩、二歩、三歩。四歩目で足場が実体ある床に変わり、五歩目で彼女は祝祷を終えた。

 

「——え」

 

 そこで、石組が崩れた。誰かの悲鳴。緑の尾。届かない。浮遊感。それから。

 

「《神よ、我が身に禹歩の奇跡をお貸(God, lend methemiracleof Silly Walk)しください》!」

 

 まさかまさかの馬脚盗賊だ。自身の胸に手を当て何事かを叫ぶと、ただ一歩で後続の頭上を跳び越し、女神官のもとへ到達した。軽い体を肩に担ぎ、落ちゆく瓦礫を蹴る。だが高さも距離も足りていない。

 

 だから、彼はこうする。

 

「え。え、えぇ!?」

 

 "無"を踏む。その様は天馬(ペガサス)にはほど遠い。何かの不具合(バグ)で足が生えてしまい当惑する(パイソン)のような奇怪な動作で、蹄を鳴らさず虚空の(きざはし)を駆け上った。

 

 時の盗人、盗賊の守護神たる奪掠(タスカリャ)神が御業の一つ。その名を《禹歩(シリーウォーク)》。どれほど滑稽であろうとも、紛うことなき()()であった。

 

「愚図愚図するなよ、いけいけいけ!」

 

 やけに高い位置からの一喝で我に返ったゴブリンスレイヤーたちも逃走を再開した。腹立たしいほどの速さで飛翔を続けて先頭に戻った馬脚盗賊を追い、ひたすらに走る。

 

「出口です! 皆さん急いでください!」

 

 自分の置かれた状況は気にしないことにした女神官は、まともなほうの階段の先から注ぐ光を肩越しに捉え、瞳を細めた。

 

 そして、跳び出す。後方で轟く破滅的な不協和音がやむまで、一行は足を止めなかった。

 

 

 

§

 

 

 

「埋まった、か」

「そのようで。呪いの檻が形をなくしたのならば、亡者どもも眠りについたことでしょうや」

「それにゴブリンが残っていたとしても、もう生きてはいまい」

 

 全員生還、地下墓地は森の木々を巻き込んで陥没。これにて依頼は完遂(クリア)だ。

 

「ほかに考えるこたぁないんか、かみきり丸。逃げおった騎士とか聖杯とか、あとこやつとか」

 

 座り込む馬脚盗賊に目をやる。また魂が抜けてしまったのではないかというほど青ざめた面貌から、憔悴ぶりが見て取れた。

 

「超過祈祷。つうか、()()()()聖職者だったんかい」

 

 先刻彼の認識票を改めた際に鉱人道士は、そこに刻まれた技能欄に"神官"の文字が踊っているのに気づいてはいた。ほかに追及すべきことがあったうえに、よもやこの男の祈りが一党の助けになるとは思いもよらず、捨て置いていたのだ。

 

「まぁな。見てのとおり、さ」

 

 丸い頭を撫で上げた馬脚盗賊は、命を賭した祈念の代償として消耗の極致にあり、ぼんやりとしたまま笑みを浮かべた。生き延びるために他人の命を危険に晒しておいて、これだ。どこまで詰めが甘いのやら。

 

「で、どうするの、こいつ」

 

 妖精弓手は、複雑そうな表情で聖なるクソ野郎(ホーリーシット)を見下ろした。この男のしたことは、許されざる所業だ。なのだが。

 

「ゴブリンスレイヤーさん」

「ああ」

 

 雑嚢から小瓶を抜き出し、馬脚盗賊に握らせた。強壮の薬水だ。

 

「ギルドに引き渡す。あの騎士のことも、こいつの沙汰についても、向こうに委ねる」

 

 水に潜り雪を歩き、多少は怒りも冷めた。それに。

 

「自分を善悪の物差にできるほど、俺は上等な人間ではない」

 

 例えばの話だ。

 

 そんなつもりがなくとも、唯一の肉親を犠牲にして己だけ生き残った者と。

 

 意図して他者を利用しながらも、最終的に犠牲を出さなかった者と。

 

 いったい、どちらがマシだ?

 

「だから。それで、いいか」

「仔細ない」

 

 誰よりも早く答えたのは、侍だった。ゴブリンスレイヤーにどのような思案があったにせよ、決断は下された。重要なのは、それだ。

 

「頭とは、つまりまったくそれでよいのだ。鬼討ちの」

「私も、オルクボルグがそうしたいなら、別に」

「妥当なとこだろ。報酬も払うてもらわにゃならんしの」

「戦を終えたあとにまで、血を流すこともありますまい」

 

 そも、この期に及んで私刑(リンチ)など望む者はいない。冒険者と無法者は紙一重であって、同義ではないのだから。

 

「さっきは、ありがとうございました」

 

 何より。元を正せば馬脚盗賊が巻き込んだせいであるとはいえ、直接助けられたという事実がある。少なくとも女神官は、理屈よりも人情の人であった。

 

「そういうことになった。飲め。歩いてもらわねばならん」

「……おう」

 

 頭の中で殴り書いていた、この場を切り抜けるための言い訳の数々はすべて丸めて投げ捨てた。栓を抜き、瓶を高く持ち上げる。

 

「乾杯だ。俺の冒険と、あんたたちの冒険と、そこから生還できたことに」

 

 薄緑の薬水を飲み干せば、肉体に活力が戻ってくる。立ち上がった馬脚盗賊は、懐から小さな護符(アミュレット)を取り出した。

 

「報酬はあとで必ず払う。こいつぁまあ、ただの礼だ」

 

 戯画化(デフォルメ)された木彫りの鼠が、革紐にぶら下がっている。別段、特別な品には見えない。

 

「南の街にいくことがあったら、持っておくといい。厄介事に首を突っ込んじまったときに、きっと役に立つ」

 

 何かしら、まじないがかかっているのかもしれない。それとも呪いだろうか。念のためあとで鑑定を依頼するとして。

 

「貰っておこう」

 

 ゴブリンスレイヤーはそれを雑嚢に仕舞い、傾きつつある日差しに照らされた一党に目を向けた。

 

「……帰るか」

「はいっ」

 

 大変な一日だった。ありふれたゴブリン退治のはずが、思いがけない冒険になってしまった。と、そこまで考えて、彼はようやく自分が冒険をしていたのだと気づいた。

 

 これが始まりにすぎないということまでは、気づけなかった。




◆《陽炎》◆

 太陽神に仕える騎士、その異端が用いる奇跡。

 手にした武器の輪郭を揺らめかせ、太刀筋を隠す。さらに攻撃に一時的質量を持った幻影が追従するようになり、間断なく敵に襲いかかる。

 旅人を惑わせる砂漠の虚像は、太陽の力の昏い一面であり、追い求めるべきではないとされる。ゆえにこれは禁忌であり、影にある者たちによってのみ、ひっそりと伝えられてきたのだろう。






◆冒険の記憶・気骨の章◆

 侍の心中に息づく、冒険の記憶。すべてを失った男の、ありえないはずだった新たな思い出。

 後日一党に宛てて、財貨で満たされた長櫃と、それとは別に金貨一枚が届けられた。あの男なりに、通すべき筋というものがあるのだろう。

 馬脚盗賊。正道ならぬ、善とも悪ともつかぬ、人の道をゆく者であった。


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Session 2.5:若草の章
2.5-1:冒険に貴賎はないというお話/Alchemist Works


 

 薫風にくすぐられ、重なり合う枝葉が身をよじってさんざめいている。波打つ木々にはそれでも陽光の通る隙間は空かず、下生えを覆う影は形を変えない。

 

 暗い草むらを掻き分けて泳いでいく、栗鼠(リス)が一匹。時々立ち止まっては後方を確認し、また走る。繰り返すうちに視界は明るくなり、澄んだ湖が()()を出迎えた。

 

「わあ、綺麗なところですねぇ」

 

 栗鼠のあとを追ってのんびりと歩いてきたのは、宿木(ヤドリギ)の絡みつく杖を持った小柄な少女だった。只人を縮尺したような矮躯に、若干先の尖った耳。草木の棘を踏んでもまるで堪えない頑丈な足裏で、靴も履かずに野山をゆく者。圃人だ。

 

「案内、ありがとうございます」

 

 しゃがみ込み、任務を果たした栗鼠に野苺を手渡す。巫術師(ドルイド)、厳密には女巫術師(ドルイダス)である彼女は自然と心を通わせ、動物の共感者(アニマル・コンパニオン)の協力を得ることができるのだ。

 

「やった、ありました」

 

 水辺に群生する大輪の花に似た緑の野草を丁寧に摘み取り、背中の籠に収めていく。これを蒸留器にかけることで抽出される精油は、強壮の薬水(スタミナポーション)の主要な材料だ。

 

「貴方も見てないで手伝ってください。女の子にだけ働かせるなんて最低ですよ」

 

 少女巫術師の振り仰ぐ樹上には、只人の少年の姿があった。

 

「ひっでー、俺もちゃんと仕事してんじゃんよー」

 

 不安定な枝の上で危なげもなく、少年斥候は大げさな手振りで肩を竦めた。手の中で弄んでいた木の実を一つ、放って寄越す。

 

「腹減ったら食っていいぞ」

 

 受け取ってみれば、それは白い産毛の生えた団栗(ドングリ)だった。虫下しや免疫強化の薬効があることから治療薬(パナケア)の作成に利用されるものの、非常に苦すっぱく、そのまま食用とするには適さない。

 

「食べませんよっ」

 

 よって、抗議と共に投げ返す。彼女は日に五度食事をするのだが、別に大食らいなわけではなく、ただ圃人にはそういう習慣があるというだけのこと。食い意地が張っているのだとからかわれるのは、うら若き乙女として実に心外なのだ。

 

「あ痛!」

 

 無用なところで幸運を発揮して頭部直撃(クリティカル)。標的はもんどり打って藪の中へ転落した。

 

「あっ、ごめんなさい、大丈夫ですか!?」

 

 彼が本気で自分を貶しているわけではないことくらい、六年も一緒に冒険をしている少女巫術師にはわかっている。いつものじゃれ合いのつもりが、つい勢いでやりすぎてしまったのだ。

 

「えっと、この辺に、あれ?」

 

 血相変えて駆け寄り、草を掻き分け探してみるも、見つからず。

 

「わっ!」

「ひゃうっ!?」

 

 真横から飛び出した少年斥候の待ち伏せ(アンブッシュ)にまんまと嵌り、尻餅を突く羽目になった。

 

「ははは、ばーか、斥候が着地ミスるかっての」

「もう! ほんと! 最低!」

 

 結局、いつものじゃれ合いだった。静かな湖畔の森の陰から、少年少女の声がする。ああ、のどか。

 

「二人とも。そのくらいにしておきましょうね」

 

 いやいや、仕事中だ。先ほどまで少年斥候が立っていた枝よりもさらに高い位置から、窘める青年の声がかかった。木立の幹を蹴って三角跳んで、華麗に降り立つ。スラリとした長身に、笹葉とまではいかないが長い耳。森人、ではなく半森人の軽剣士だ。

 

「あまり騒がしくすると、熊や大猪の興味を引いてしまうかもしれませんよ」

 

 どちらも恐ろしい獣だ。少女巫術師の位階(レベル)では対話は不可能。少年斥候の力量では討伐も難しい。二人はあふれる想像力に喉を詰まらせたらしく、押し黙ってしまう。

 

「そうなったら大変です。特に前衛の戦士などは」

「俺ぇ!?」

 

 木の根に躓きかけつつ反応を返したのは、腰に棍棒と長剣を提げ、左腕に小ぶりの円盾を括った少年だ。下水道を主戦場、巨大鼠(ジャイアントラット)大黒蟲(ジャイアントローチ)を宿敵とする新米戦士であるところの彼は、野外の冒険(ウィルダネス・アドベンチャー)には慣れていない。農家の生まれで野遊びの経験くらいはあっても、ろくに人の手の入っていない深い森林に挑むとなると勝手が違うのだ。

 

「もし出たら逃げるわよ、絶対。熊とか無理。猪だって、牙で太腿に穴開けられちゃうんだから」

 

 そんな幼馴染の差し出した手を取って、ほんの少しだけ頬を赤らめながら危なっかしい有様で続く少女。青い茸が入った籠を背負い、簡素な物だが至高神の象徴である天秤剣の錫杖を携えた、見習聖女だ。

 

「マジか」

「マジです。しっかり、彼女を守ってあげてくださいね」

 

 言い残し、軽剣士は猫顔負けの身のこなしで大木に登っていった。危惧する事態に備えて、周囲を見張るつもりなのだろう。

 

「いいなぁ。種族はしゃあないけど、俺も斥候の技能覚えたらもちっと動けっかなぁ。いや魔法戦士ってのもいいかも」

「欲張らないの。戦士の経験だってまだまだなんだから、ちゃんと地に足つけてかなきゃ。ほら、それ採って」

「うーい」

 

 軽剣士は元より、気軽に話せる友人であるあの若い二人もまた、彼らにとっては先輩だ。年齢をごまかして成人を待たずにギルドに登録したがために、昇級がかなり遅れているとはいえ、場数はそれなりに踏んでいる。憧れるのはよいが、当面の目標とするには遠い。

 

 差し当たっては、まず目の前のことに集中せねばなるまい。

 

 世に冒険の種は尽きまじ。とりわけ彼らが活動している西方辺境は開拓の最前線(フロンティア)であるため、依頼の重要度はともかく数に関しては都を上回る。必然、冒険者の数も、消費する薬水などの量も多い。しかし厄介なことにそれらの調合に必要な材料には、人工栽培の手段が確立されていない薬草や藻類茸類が含まれている。つまりは、冒険者の出番というわけだ。

 

 とはいえ、辺境の街周辺だけで乱獲していてはいずれ枯渇してしまいかねない。それゆえ輸入によって調達している部分もあるのだが、このところ主要な仕入れ経路の一つが滞っており、供給に若干の不安が生じている。そこで普段は対象外としている比較的遠方への採集依頼が発注され、新米戦士と見習聖女がこれを引き受けたのだ。

 

「お、見っけたぞ」

「んー、なんか違くない? ねえ、ちょっと。これどうかな」

 

 引き受けたまでは、よかったのだが。報酬も、よかったのだが。こういった依頼が初めてだったのはまずかった。

 

「はーい……あっ。触ってませんよね?」

「うん」

「よかった、それではそのままにしておいてください。絶対」

「触ったらどうなってたんだよ……」

 

 茸の有毒無毒など判別がつかぬ。それ以前に冒険者となってからこちら、遠出したことすらない。無謀だった。仕方あるまい、報酬がよかったのだから。

 

「俺らいなきゃ大惨事だったなこりゃ」

「貴方だって、茸の目利きなんてできないではありませんか」

(おとこ)識別ってのがあってな」

()()()()みたいなこと言わないでください」

 

 そんな迷える若人たちを救ったのは、お姉さんこと女騎士だった。"ならば、うちのガキどもを訓練がてら連れていけ"と提言。さらに"さすがにこいつらだけじゃ、ちと危ねぇかもしれん"という重戦士の判断にもとづき、御目付役として軽剣士が同行を申し出た。採集依頼の報酬は歩合制なので、人手が多くなっても貰いが減るどころかむしろ増える可能性のほうが高い。断る理由はなく、かくして臨時の一党が結成されたのだ。

 

 その後一日を準備と休息に費やし、本日明朝に出立し、現在に至る。

 

「あら、あれってもしかして」

 

 と、このような経緯で採取を続けることしばし。少女巫術師は視界の端に何かを捉えた。仲間たちから離れ、地上に飛び出した根の下を覗き込む。

 

「やっぱりそうだ」

 

 彼女が発見したのは、燃えるように真っ赤な茸だった。露骨なほど危険な風体とは裏腹に毒性は持たず、筋力上昇の薬水(ストレングス・ポーション)の原料になる物だ。

 

「ん、う、届かない」

 

 ひとまず杖と籠を置き腹這いになって、短い腕をいっぱいに伸ばしてみる。もう少し、あと少しで、手が。

 

「きゃあぁっ!?」

 

 何かに捕らえられた。

 

「なんだ、どした!?」

 

 急行した少年斥候の前には、取り残された道具があるのみ。叫び声の主は見当たらなかった。

 

「お、おい、さっきの仕返しかよ。そんならさっさと出てこいって」

 

 返事はない。代わりにガサリ、とすぐそばの藪が鳴いた。安堵の溜息を一つ。さてどうしてくれようか、斥候に奇襲など通用せんぞと笑ってやろうか。

 

「TIIIIIRRR!」

「へっ、なっ!?」

 

 どうすればよい? 自身の身の丈ほどの全長を持つ暗灰色の白蟻(シロアリ)が、鍬形虫(クワガタムシ)のそれと遜色ない大顎を開いて襲いかかってきたのなら。答えはこうだ。

 

「退がって!」

 

 言われるまでもなく跳びのいた少年斥候の眼前で、舞い降りた軽剣士の双曲剣が巨大蟻(ターマイト)の頭部を斬り離した。

 

「すみません、遅くなりました。あの子は?」

「消えちまったんだ、どうしよう!」

 

 焦燥に駆られながらも、軽挙妄動を慎み判断を仰ぐ辺りはさすがの冷静さ。短剣を抜いた彼の耳はすでに、人のものでない足音を複数拾っている。当然、軽剣士も同様だ。

 

「囲まれかけています。まずはあのお二方との合流を優先しましょう」

「わかった!」

 

 二人の姿は……見える。あちらも悲鳴を聞きつけてきたところで、敵に行手を遮られたようだ。

 

「どらぁ!」

 

 新米戦士が右手の得物で気合一閃、横殴る。名を黒蟲殺し(ローチキラー)あるいは潰し丸(マッシャー)、はたまたぶんぶん丸(スイング)。その正体は知ってのとおり、脱落防止の革紐(ストラップ)を追加しただけの、ただの木の棍棒である。

 

「TRII!?」

 

 ただの棍棒が莫迦にできない威力を誇ることまでは、あまり知られていない。衝撃でひっくり返った相手の無防備な胸部へ、左の長剣胸破り(チェストバスター)を突き立て、仕留める。

 

「よし」

「TITII」

「TRRIR」

「RIRRRT」

「何もよくない!」

 

 続々と集まってくる増援を前にしては、一体斃した程度ではたいした意味はあるまい。形勢不利と見た彼らはひとまず逃げを打った。完全な包囲を避けるには有効な手立てではある。

 

「いけません、戻ってください!」

 

 仲間との位置関係を正しく把握していればの話だが。ずっと二人組だったことが仇になった、と言うのは酷か。

 

「TIRIRR!」

「回り込まれてる!?」

「止まんな、突っ切る!」

 

 跳びかかって振り下ろす。技量の介在する余地のない筋力任せでも、大きいとはいえ蟲の頭を叩き割るには事足りる。そのはずだった。

 

「やべっ」

 

 しくじった(ファンブル)。硬い顎が棍棒を挟み込み、文字どおり食い止めたのだ。思考に空白が生まれて一つ、引っ張り合って二つ、剣があることを思い出すまでに三つ。三拍分の遅れの代償は、武器ごと真横に引き倒されることだった。

 

「離れな、さい!」

 

 窮地を救ったのは、見習聖女ががむしゃらに振り回した天秤剣だ。金属製の秤皿が複眼に直撃し、巨大蟻を怯ませる。その弾みでいやな音を立てて折れた棍棒を腕にぶら下げたまま、新米戦士は立ち上がりざまに敵を刺し貫いた。

 

「ごめん、助かっ——危ねぇ!」

「あぁっ!?」

 

 咄嗟に引っ張り寄せた軽い体を庇いつつ、死角を狙った下手人を長剣で打ち払う。間一髪。

 

「足が……!」

 

 間に合ってなどいなかった。スカートを裂いて肌を掠めた鋭い顎は、そこに充填された麻痺毒を微量なれど、血管に送り込んでいたのだ。左足が突然言うことを聞かなくなった見習聖女は、たまらず転倒してしまう。

 

「やられたのか、しっかりしろ!」

 

 囲いを崩した軽剣士たちが向かってきている。あと一手だ。あと一手凌げば活路はあるのだ。複数を相手取り、動けない仲間を守り、己も生き残る。その一手を掴む、手が足りぬ。

 

 見逃した。木陰から機を窺っていた伏兵に気づいたときにはもう遅く。

 

「TIRRR——」

 

 敵はすでに、爆散したあとだった。

 

「へ?」

 

 茸だ。どう見ても茸だった。高さ三メートルにも達する、手足と眼らしき器官を備えた巨大な茸だった。赤傘の茸人(マイコニド)が、拳を叩き込んだのだ。

 

「大丈夫ですか!?」

 

 彼ないし彼女の体ないし柄の後ろから、少女巫術師が顔を出した。見習聖女のもとへ走り寄り、肩を貸す。

 

「こっちの台詞だっつーの!」

「ですが、無事で何よりです」

 

 合流を果たした少年斥候は茸人のほうにも意識を割きつつ、すかさず仲間と巨大蟻とのあいだに割って入った。同族の悲惨な末路に恐れをなしたのか後ずさる敵勢を、軽剣士が撫で斬る。わずかな生き残りは、脇目も振らず退散していった。

 

 こうして、この遭遇戦は冒険者たちと、謎の茸の勝利に終わったのである。

 

 

 

§

 

 

 

 そして、茸だ。

 

 茸人に案内されて一行が辿り着いたのは、森の奥深くにそびえ立つ大樹の(うろ)。より正確には、洞を改造した住居だった。

 

「ん、済んだぞ」

「ありがと」

 

 大きな茸の傘の上にうつ伏せになっている見習聖女の足に軟膏を塗り、新米戦士は息をつく。毒は即効性と引き換えに持続力の低いものだったらしく、解毒剤(アンチドーテ)の世話になる前に麻痺は解けていたし、傷自体も浅い。

 

「よかったわ、たいしたことなくて」

 

 まったくそのとおりだけれども、ところで貴方はなんなのだ。二人は胡乱な視線を向けた。

 

 本と得体の知れない瓶詰めの何かと実験器具が並ぶ中に彼女、少なくとも声は女性のものであるその茸人は生えていた。四肢はないが、やはり眼のようなものがある。ちなみに口は見当たらない。どうやって喋ったのやら。

 

「私が不思議かしら。ええ、茸ですものね。自分でも不思議よ。ふふふ」

「そうなんですかーはははは……」

 

 それよりもまず、信用していいものかどうかだ。茸人はご覧のとおりの強烈な外見に加え、縄張り意識が強く他種族との共生が難しい性質のため、基本的に祈らぬ者(ノンプレイヤー)であるとされている。少女巫術師も助けられたそうだが、さて。どのような意図による行動なのか。

 

「怖がらなくても平気ですよ。いい人だって、この子も言ってます」

 

 その少女巫術師は、掌に乗せた栗鼠が小さな茸をかじる様を眺めて微笑んでいる。彼女を見て、軽剣士も相好を和らげた。

 

「改めてお礼を、ご婦人(レディ)。危ないところにご助力いただき、ありがとうございました」

「いいのですよ。子供を守るのは当然でしょう」

 

 聞けば、先の大茸人はこの茸婦人が自身の体から作り出した分身のようなものなのだという。彼女の意のままに操られ、見聞きしたことを彼女に伝えることもできるのだとか。いよいよもってなんなのだろうか、この生き物は。

 

「……あら、お仲間が戻ってきたみたい」

 

 戸外に立つ歩哨の眼を借りたらしい。少年斥候が扉を開いたのは、十数秒後のことだった。

 

「異常なーし」

「お疲れ様です。少し休んでおいてください」

 

 蟻は仲間を呼ぶものだ。尾行されれば大挙して押し寄せてくるおそれもある以上、追っ手の存在を確認しない理由はない。

 

「そーする、よっと」

「ひゃん!?」

 

 勢いよく茸に跳び座ると、隣で少女巫術師の尻が跳ねた。栗鼠も跳ねた。今日は悲鳴を上げてばかりいる気がする。

 

「あれ、意外と軽い?」

「意外ってどういうことですかっ」

 

 そんなやり取りは軽剣士がさわやかに叱りつけるまで続き、その頃には新米たちも警戒心やら緊張感やらを維持する努力を諦めていた。

 

「それにしても、さ。あんなおっかねぇ蟻がいるなんて、受付さん言ってなかったよな」

「うん。大きな獣のほかには、気をつけなきゃいけないやつはいないって話だったわね」

 

 獣については、森林に分け入るのであれば想定してしかるべき脅威だ。討伐ならともかくも、交戦しない前提での探索程度はこなせなければ、冒険者としてはやっていけない。だからこそ白磁等級の二人でも依頼を受けることができたのだが、どうやら状況が変わったらしい。

 

「あれは、この森の生き物ではないの。つい最近現れて、居着いてしまったのです」

 

 どう変わったのか。語りだす茸婦人は、どこか悲しげなように思われた。

 

「昔、この庵には私の友人の錬金術師が住んでいました」

 

 言われてみれば、なるほど確かに研究室といった趣だ。多彩な薬効植物の自生するこの環境は、錬金術の実験には最適だったのだろう。

 

「あの人が亡くなったあとも、ずっと森を見守ってきたのだけれど。私の力では、群れをなした巨大蟻を抑えることはできません。森の秩序は、食い破られつつあります」

 

 彼女が存外に表情豊かであることを、一行は知った。だから続く文言にも、予想はついた。

 

「貴方がたは、冒険者という人たちなのでしょう? それなら、どうか。あの蟻を退治して、森を救ってくれませんか」

 

 傘を傾けて一礼する茸婦人は、とても小さく見える。ゴブリンに平穏を脅かされ、冒険者ギルドに一縷の望みを託す農村の住人が、ちょうどこんなふうだった。

 

「私、助けてあげたいです」

 

 真っ先に声を上げたのは少女巫術師。精霊信仰(アニミズム)の根幹をなすのは大自然への感謝と敬意であり、調和を守るのは巫術師共通の使命なのだ。

 

「ま、このまま帰っちゃ兄ちゃんたちに自慢できねーしな」

 

 少年斥候は鮫のように笑った。幼さの残る顔立ちのせいでいっそ可愛らしいくらいのものではあったが、精いっぱい胸を張って。格好つけることも仕事のうちだと、彼は先達から学んでいる。

 

「待ってください。報酬の交渉が先ですよ」

 

 そう、これは仕事だ。であれば、軽剣士も己の務めを果たさねばなるまい。

 

「あの、あたしたちさっき助けてもらっちゃいましたし。恩返しってことでいいんじゃないかなー、って」

「そうそう、そんなギルドの人みたく固いこと言わなくても。俺ら冒険者じゃんか」

 

 弱々しく反論したのは見習聖女だ。いまだ新人(ニュービー)の域を出ない身の上、その日暮らしの生活からは脱したとはいえ余裕があるわけでもなく、貰えるものは貰いたいというのが本音。それでも、義理を通したいと願えるだけの意地は捨てていない。傍らで頷く相棒も同じだ。

 

「冒険者だからこそ、です」

 

 それを、軽剣士は容赦なく打ち落とす。平素と変わらぬ調子だというのに、有無を言わさぬ雰囲気があった。

 

「依頼を受けるからには相応の対価を得て、相応の働きを約束する。それが、専門家(プロフェッショナル)というものです」

 

 契約とは何か。冒険を販ぐとはどういうことか。認識票を首にかけるだけで正しく理解できるわけでもなし。若者たちは納得も否定もできかねて、言葉を詰まらせた。

 

「そうね、これはこちらの事情。なんの報酬も提示せずにただ助けを乞うばかりなんて、いかにも厚かましいお願いでしたね」

 

 だが理解できる大人がこの場にもう一人いる。茸婦人は決心に少しだけ間を要してから、こう続けた。

 

「ここにある研究記録をすべて、差し上げます。きっとあの人も許してくれるでしょう。死蔵しておくより、そのほうが有意義ですもの」

 

 世俗を離れた錬金術師の探究の成果。内容によっては値千金の掘り出し物となろう。一行には鑑定のしようのないものではあるが、何。迷宮(ダンジョン)で見出した宝箱だと思えばよい。

 

「よし、やろう。やるぞ」

 

 新米戦士は立ち上がった。

 

 鼠退治ばかりの日々だった。蟻のほうがマシとは言わないが。しかしながら、大切なものを守りたいという(茸だけど)女性の、心からの頼みだ。まるで英雄譚ではないか。こんな冒険の導入(オープニング)を夢見たことが、田舎を飛び出した理由の一つなのだ。

 

「報酬も決まったんだ、いいよな」

「ええ。交渉成立です」

 

 やけにあっさりとした軽剣士と視線を交わし、次いで依頼人に向き直る。堂々と、勇者のように。

 

「ありがとう。私もできる限り協力します。くれぐれもお気をつけて、よろしくお願いしますね」

「おう」

 

 あとは気の利いた台詞の一つも繰り出せれば完璧だ。ちょうどよい、彼には一度言ってみたかった文句があるのだ。

 

 皆が注目している。気恥ずかしさを押し殺せ。せっかくの機会を逃す手はあるまい。今だ、言うぞ、決めてやれ。

 

冒険者(アドベンチャラー)に任せとけ!」




◆金枝の導杖◆

 宿木の生えた楢の枝を、杖に仕立てたもの。巫術師の象徴として知られる。

 精霊術は理力と信仰の両輪を要するが、巫術師は特に後者、すなわち精霊との交流と信頼関係をこそ重視する。これは、そのための触覚なのだ。

 ひときわ古い楢の老木は、強い精霊を寄せるという。そこに根づいた宿木は力を受け継ぎ蓄えており、定められた儀式のもとで切り取れば朽ちることなく、また葉は輝くような黄に染まる。

 金枝と呼ばれる所以である。


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2.5-2:冒険に貴賎はないというお話の続き/Doodlebug

 

 累々と横たわる巨大蟻の骸に、常識的な寸法の蟻がたかっている。やがて彼らやほかの虫、動物、大地と草木の糧となるのだろう。歓迎されざる外来の侵略者は、死してようやく森の一部として認められるのだ。

 

「死骸はほったらかしか。巣に持って帰ってくれてりゃ楽だったんだけど」

 

 死を呼ぶ者たちがやってくる。収集物を庵に預けた一行は、先の遭遇戦の現場へ取って返していた。少年斥候が這うような姿勢で視線を走らせる間、残る面々は周囲を警戒。護衛として同行している二人の茸人と、圃人と同程度の背丈の小茸人も草陰に睨みを効かせている。

 

 茸婦人とて、森が蝕まれていくのを黙して眺めていたわけではない。分身を駆使して巣穴の捜索を試みてはいた。だが彼女の能力ではあまり数を揃えられず、敵の妨害もあって発見には至らなかった。ゆえに、少年斥候に活躍の場が巡ってきたのだ。

 

「実は野伏もやれんだぜ、ってな」

 

 本職ほどではないが、追跡(トラッキング)の心得はある。感覚を研ぎ澄まし、目星をつけろ。

 

「あっちこっちバラバラに逃げてっけど、数が多いのは……っし、こっちだ、みんな」

 

 不自然な角度の草やそこに隠された足跡が、相手の遁走経路を教えてくれる。森になんの痕跡も残さず移動するには空を飛ぶか、さもなくば森人に生まれ変わるしかあるまい。

 

「わっかんねぇ。何が見えてんだよ」

「やっぱり斥候の勉強はしたほうがいいかも」

 

 新米戦士と見習聖女にはただの草むらとしか思えないし、おまけに斥候と野伏の違いもよくわからなかった。獣も通らぬ道をおっかなびっくりついていくので精いっぱいだ。

 

「仲間を増やしてはいかがですか。お二方だけですべてをこなそうとする必要はありませんよ」

 

 そんな子鴨の尾羽を守る軽剣士は小さな花を跨ぎながら、街歩きも同然の歩調で進む。森人の血の濃い彼にはとっては、むしろこういった環境のほうが慣れているのかもしれなかった。

 

「稼ぎ、足んねぇからなぁ。せめて黒曜に上がりゃ、ちったぁ報酬もよくなんだろうけどさ」

「まだしばらくは二人きりね」

 

 欠けている探索技能や、できれば飛び道具の扱いにも習熟している仲間がいれば、彼らの一党の安定度は大きく向上する。となると狩人か、ないし山岳猟兵。いつか、よき出会いがあるだろうか。

 

「たまにだったら今日みたいに手伝ってやんよ。ま、俺も辺境最高の看板しょってっから、安かないけどな!」

「調子に乗らない、余所見しない」

 

 歩きながら振り返った少年斥候の頭を少女巫術師が両手で挟み、進行方向に戻す。

 

 まったく、転んだらどうするのか。彼女の懸念は直後に現実のものとなった。転倒したのだ。小茸人が。顔面から。

 

「わわ、大変! 怪我ありませんか?」

 

 助け起こされると、小茸人は首または腰を縦に振って意思表示とした。分身にすぎないといえど本体と感覚を共有しているため、傷の痛みも伝達されてしまう。心配しない理由はない。

 

「……なあ、お前は平気か?」

「何、転びそうに見えるの?」

「あ、いや。そういうんじゃなくてさ」

 

 歩みを再開した少年斥候たちから気持ち距離を置き、新米戦士は声を落とした。

 

「怪我させちまったろ。俺がトチったせいで。だから、大丈夫かなって」

 

 あの庵での威勢のよさは鳴りを潜め、申し訳なさげに目を伏せる。よい意味で忘れていた悔恨が、きっかけを得て湧出したのだ。

 

「大丈夫に決まってるじゃない。毒も抜けたし、手当もしたんだし、だいたいあんたが悪いわけでもないし。ちょっと気にしすぎ。冒険者ならこんなかすり傷ぐら、い」

 

 そこで、見習聖女ははたと気づく。今まで、怪物の攻撃によって負傷したことなどあったか。なかったはずだ。薬水の味だって知らない。いつも体を張っているのは、前衛を務める相棒なのだから。

 

「……そうよ、あたしだって冒険者よ。覚悟はできてる。守られるばっかりの村娘じゃないんだから」

「でもさ、そしたら俺がいる意味ないじゃんか」

「そんなわけないでしょ、莫迦!」

「なんで怒鳴るんだよ!?」

 

 言いたいこと言いたくないこと、ぎゃーすぎゃーすとぶつけ合えば、周りの者も何事かと足を止める。肩に軽剣士の手が置かれるまでのわずかな時間に、新米戦士たちは体力をひどく浪費していた。

 

「続きは、帰ってからに」

「……はい。ごめんなさい」

「すんません」

 

 互いの顔を視野の外に追いやり、離れる。茹だった感情は急速に冷やされ、細かなひび割れが残された。

 

「あー、えっと。ちょい、あれ見てみろよ」

 

 一行のあいだにも居心地の悪い冷風が吹き通っていく。そんななか、少年斥候は幸いにも何かを嗅ぎつけた。指差す先には毒々しい赤色が散る、踏み荒らされた草地があった。

 

「蹄の跡だ。猪か、鹿?」

「猪です。とっても大きな」

 

 不規則な足運び。周囲に刻みつけられた六本足の爪痕。奇怪な踊り(ボアトロット)の相手は、巨大蟻の群れだったようだ。

 

「寄ってたかって、毒で痺れさせられちゃどーにもなんねーか。四匹がかりで担いで、あっちに持ってったっつーわけだ」

 

 獲物の質量の分だけ深くなった足跡が、森のさらに奥へと続いている。ならば当然、それを追っていった先には。

 

「……あれだな」

 

 うずたかく積み膨れた蟻塚が、門戸を開いて待ち構えていた。

 

「周りは見ておきます。皆さんは、手筈どおりに」

 

 狩りから戻ってくる住民と出くわすおそれは多分にある。軽剣士と小茸人が見張りに立ち、残る面々は巣穴に近づいていった。入口から窺う限りでは、内部への道は只人が三人ほど並んで通れるだけの横幅だ。また、やや急ではあるものの、歩いて入れる程度の下り勾配となっているようだ。

 

「縦穴じゃねーのな」

「重い動物を運び込むためかもしれません」

 

 どうあれ好都合であった。観察を続ける二人の後ろで鞄を開いていた見習聖女は、常備している鉤縄には触れず、厚手の革袋を取り出した。

 

「はいこれ。使うんでしょ」

「お、おう」

 

 気まずさやら戸惑いやら余計なものはいったん捨て置き、新米戦士はこれからやる作業に集中することにした。己の発案した策だ。率先して動かねばなんとする。

 

「じゃ、ちっと離れてくれ」

 

 少年斥候たちが退がり、代わりに茸人が左右につくのを確認。渡された袋をひっくり返し、収められていた細枝の山を巣穴の前に盛る。

 

「私がやる?」

「いや、俺がやるよ。お前ももう離れてろ。ほら、危ないから」

「そ。わかった」

 

 素直すぎて肩透かし、などという雑念も放棄だ。受け取った麻屑を配置し、火打ち石を鳴らす。火の粉は火種に、やがて炎となり、煙が昇り始めた。

 

「よし、頼んだ」

「はい」

 

 速やかに身を引いた新米戦士に続いては、少女巫術師の手番(ターン)だ。

 

「《風の乙女(シルフ)乙女(シルフ)、接吻おくれ。みんなの森に幸あるために》」

 

 涼やかな《追風(テイルウィンド)》が煙に飛び込むと、杖を導に集った風精(シルフ)たちの輪郭が露わになった。白いドレスに召し替えた彼女らは、我先にと巣の中へ翔ていく。

 

「あとは待つだけ、ってか。みょーなこと思いつくよな」

「昔、蜂が納屋に巣を作りやがったとき、爺さんが燻して退治したんだ。ただの煙じゃ蟻にも効くかわかんねぇけど、()()ならいけんだろ」

 

 ただの煙ではない。毒煙だ。もちろん発生源もただの木ではない。夾竹桃(キョウチクトウ)だ。美しい薄紅色の花を咲かせる東方伝来の小高木で、その花に実に葉に枝に幹に根に樹液に燃やして生ずる煙に、果ては植っている土に至るまで毒性を示す天然兵器。あつらえ向きの毒物はないかと茸婦人に相談したところ、提供されたのが錬金素材として保管されていたこれだったのだ。

 

「毒気攻めって、ねえ。あたし、聞いたことある気がするんだけど」

「ああ、うん。煙を使うって考えたら、()()()の話を思い出してさ」

 

 見習聖女の指摘どおり、この一計は結局のところただの受け売りだ。同期の友人、今や鋼鉄等級となった地母神の神官の。さらに元を辿れば、その友人が行動を共にしている銀等級の冒険者による、対ゴブリン戦術の一つだ。

 

「なんか、かっこつかなくてごめんな。さっきも情けねぇこと言っちまったし」

 

 学ぶべきことは数知れず、ただ己の未熟を知るのみ。恥じ入って頭を下げる彼に、返ってきたのは微笑だった。

 

「ううん。あたしこそ、変な意地張ってごめんね」

 

 長いつき合いだ。互いがそこにいるのが当たり前で、喧嘩になるのも当たり前で、仲直りするのも当たり前。いかなる因縁が、いかなる感情が交差しているにせよ、得がたい仲間であることには相違ない。

 

「……頑張るか」

「うん」

 

 煙る不明瞭な行先を、二人はしっかりと見据えていた。

 

 

 

§

 

 

 

 煙が収まるまで、特にやることはなかった。

 

 何も起こらなかったわけではない。耐えかねて巣から飛び出した敵もいたし、外から向かってくるものもいた。茸人に殴り潰されるなり軽剣士に首を刎ねられるなりして、楽に死ぬことのできた果報者がいたのだ。

 

 そうならなかった場合。洞窟に突入した一行を出迎えた惨状が、すべてを物語っていた。

 

「うげぇ」

 

 小茸人の傘が発光し、それを頼りに先陣をゆく少年斥候の眼前に、折り重なって事切れた巨大蟻たちを照らし出す。脱出しようとして渋滞を起こし、力尽きたのだろう。中には虫の息以下のくたばり損ないながらも一矢報いんとする剛毅な輩も見受けられたが、冒険者の敵たりうるにはほど遠い。

 

「どぉうりゃあ!」

「TIRIRI……!」

 

 新米戦士の振るう鈍器が、唸りを上げて打ち倒す。確かな手応えに満足した彼は、光芒の内に新たな武装を掲げてみせた。

 

 それは棍棒と言うにはあまりにも細すぎた。細く、長く、軽く、そして洗練されていた。それは、紳士御用達の(ステッキ)だった。

 

「どうなの、それ」

「そうだな……」

 

 黒蟲殺し二世(ローチキラーツー)。先代が破損したため、茸婦人より譲り受けた阿利襪(オリーブ)の杖を代わりとしたのだ。金属で補強された先端が遠心力を生み、外観に似合わぬ破壊力を示す。示した。そこで閃く。

 

力丸(マイティ)、とか」

「名前はどうでもいいから」

 

 性能(データ)が変わらなくとも、素敵な見た目や名称は己を鼓舞する役には立つ。こともある。見習聖女には解せぬらしい。

 

「俺も短剣になんか名前つけてみっかな」

「男の子って……」

 

 少女巫術師にも解せぬらしい。

 

「ふふ、よいではありませんか。女性の名などいかがです? 愛着が湧くかもしれませんよ」

 

 夜な夜な微笑みながら己の武器に愛を囁く狂人を想像してしまった少女たちの苦い顔に、軽剣士は気づいているのか。後方索敵に意識を割いているからきっと無理だ。毒の影響から立ち直る暇を与えないための速攻戦ゆえ、巣穴の分岐を無視している。体格の問題で入口の防備に残ってもらった茸人たちは信頼に足る戦力ではあるものの、それだけでは挟撃を受ける可能性は排除し切れないのだ。

 

 ……杞憂だったろうか。餌運びの足跡をなぞる道すがら、生きている敵は想定より少なく、抵抗は拍子抜けするほど弱々しい。楽勝だ。

 

 など、とは。若い衆でさえ思ってはいなかった。

 

「そりゃ、蟻だもんな。いる、よな」

 

 ドーム状の広大な空間の、三分の一近くを占拠する異形。そばに十数体ばかり控えている、通常より一回り大柄な巨大蟻が子供にしか見えず、また実際に子供なのだろう。無造作に放り出されている大猪ですら、これほどの体躯と比べては可愛げがあるとさえ思える。

 

 社会性昆虫について、今さら詳細な説明など必要あるまい。わかっていたことだ。

 

「GIRIRIGGI!」

「女王蟻……っていっても、大きすぎじゃない!?」

 

 極大蟻(ヒュージターマイト)だ。大物狩りの経験のない二人は目眩すら覚えていた。対峙したことはないが、これではドラゴンと変わらないのではないか。

 

「お、落ち着いてください。大きいのはほとんどお腹です。頭を叩けば、やっつけられるはずです!」

 

 まともに移動することすら困難になるほど肥大した、その腹部が厄介の種だ。少女巫術師の指差す先で、幾分か小ぶりの巨大蟻が産み落とされている。幼虫だ。胎生なのか卵胎生なのか、そんなことはどうでもよい。重要なのは、放っておけば一行の数的不利がより苛烈なものとなるという事実だ。

 

「ありったけブチ込んで殴り斃す(ビートダウン)、いつもどおりやるっきゃねぇってことか」

「奇跡の使い、じゃない、お願いしどころね」

 

 見習聖女が神への請願を試みることができるのは日に一回のみ。決定的な瞬間を狙わねばならない。

 

「私もとっておきがありますけれど、準備にちょっとかかります」

 

 もう一人の術師も、手札を残している。即座(インスタント)には発動できない分、威力に期待が持てるというものだ。

 

「そんなら俺はやつらの誘導(コントロール)だな」

 

 時間稼ぎの要諦を担うのは少年斥候。派手に立ち回り、引っ掻き回して敵意(ヘイト)を集める。彼の軽捷さが活きるときだ。

 

「直掩は私が。背中は気にせず、お好きなように暴れてください」

 

 双剣を広げた軽剣士が、少女たちを守る盾となる。少年たちの背中を見送る目は、変わらず優しげだった。

 

 ——ところで。誰かを忘れてはいまいか。

 

「よっしゃいくぞって、おい!」

 

 そうだ、茸だ。小茸人が新米戦士の真横を通り過ぎて、いの一番に走りだしたのだ。一歩ごとに傘から振り撒かれる微細な粒子が、光を浴び煌めいている。甘い香りが漂っていた。

 

「RRRITTI」

「TRII」

 

 誘引された巨大蟻たちは獲物に気を取られ、不用意に尻を晒す。動作は緩慢だ。巣の最奥ともなると毒気の被害も十分とはいかなかったようだが、確実に弱っている。

 

「も、らいっ!」

 

 この隙を見逃してなるものか。少年斥候が敵の体を踏んで勢いをつけ、脳天目がけて短剣を突き下ろした。ひねって抉る、致命の一撃でもって即死だ。そこから素早く跳び馳せる(クイックステップ)。慌てた様子で矛先を変えた別個体の顎をくぐり、すれ違いざまに足一本攫っていく。

 

「だっしゃぁあ!」

 

 動きの止まったところへすかさず追撃を見舞う新米戦士。棍棒が体幹を崩し、長剣が急所を射抜く。これで撃破二。敵軍、戦列に風穴が空いた。射線が空いたのだ。

 

「ブッ放せ!」

 

 生態系の歯車を狂わせるもの、外なる害意。やつらは紛れもなく秩序の敵だ。

 

 ゆえに。ここに、天誅を下さん。

 

「《裁きの司、つるぎの君、天秤の者よ、諸力を示し(さぶら)え》!」

 

 見習聖女が唱えれば、顕れしは至高神の剣光、蒼雷の《聖撃(ホーリースマイト)》。真直ぐに咎人へと奔り打った。

 

「RRRIGGIGII!?」

 

  直撃。腰を反り返らせて苦しむ極大蟻は、煙を上げながら膝を折った。さすがにこれだけで死にはしないものの、力なくうなだれている。

 

「おおゥッ!」

 

 雄々しき戦吼(ウォークライ)を轟かせ、新米戦士が畳みかける。左、右と殴打して、稚拙な防御に使われた顎の片方を断ち砕いた。休むことなく今度は垂直に振り下ろし、跳躍してもう一度叩き潰す。

 

「もういっちょ!」

 

 逆手に持ち替えた剣を傷口に突き入れ、深く、深く。あわよくばこのまま……と、欲張ったのは迂闊だった。

 

「GIRRRGR!」

「クッソ、まだ——」

 

 激しくもがく敵から刃が抜け、新米戦士は数メートル跳ね飛ばされた。背中を強かに打ちつけながらも後転、素早く体勢を立て直す。鼠と格闘する日々も無駄ではなかったらしい。おかげで命拾いをした。もし受け身を取れずにいたら。

 

「そんなのありかよ」

 

 己の腹部を自力で切除して突進する極大蟻に、轢き殺されていたに違いない。

 

「蜥蜴か、こいつは!」

 

 反射的に横っ跳んで難を逃れたはいいが、いやよくはない。後衛に素通ししてしまった。

 

「悪い、抜かれた!」

「お任せを」

 

 応え、軽剣士が双剣を重ねて構えると、刀身を軸に荒ぶる風がとぐろを巻く。そこから繰り出される回転斬りは小さな竜巻となり、間合いに入っていた幼虫たちをまとめて吹き飛ばした。さらに速度を増す二回転でもって、地を這う暴風の波を解き放つ。

 

「GIRR!?」

 

 よもや己の巨体が押し返されようとは、翅もないのに宙に浮かぶことになろうとは、極大蟻には思いもよらなかっただろう。背中から落下、転がって着地。受け身まで真似してほしくはなかったと、新米戦士は内心でぼやいた。

 

「……うん?」

 

 ぼやくついでに余所見をした、というわけでもないのだが。なぜか目が合ってしまった。

 

「BOAA……」

 

 大猪だ。なんという生命力(タフネス)か、巨大蟻の群れに切り刻まれたうえに毒を吸い、それでもなお立ち上がるとは。

 

 このとき新米戦士は淡い期待を抱いていた。蟻どもと戦ってくれるのではないか、と。

 

「BAOOO!」

「やっぱりかぁぁぁー!」

 

 淡い期待であった。半分ほどは。邪魔な巨大蟻を蹴散らしながら猛進する猪は、毒殺未遂の犯人へ一直線に向かっていく。

 

「おいおい、やべーってあれ」

「何やってんのあいつ! あの、またさっきのやつお願いします」

「いえ。その必要はなさそうですよ」

 

 新米戦士は走った。闇雲に、ではない。敵味方の位置関係は把握している。あとは速度とタイミングだ。足音が近づく。間に合うか。

 

 ここだ!

 

「ごめんな、()()()!」

 

 本日二度目の横っ跳び、ただしこれは緊急避難ではなく攻撃だ。

 

「BOOA!?」

「GII!?」

 

 硬いものと柔らかいものが、一時にひしゃげる音がした。大猪と極大蟻の、互いの顎と牙とが交差する正面衝突。期待どおりの展開とはいかなかったが、期待以上の威力はあった。猪の命と引き換えに、敵首魁は深手を負って再び地に伏したのだ。

 

「……お待たせ、しました。戻ってきてくださーい!」

 

 そして仕上げの支度も整った。集中を高めた少女巫術師の合図を受け、新米戦士はまだまだ走る。妨害する巨大蟻が一体、飛来した何かがぶつかって砕けると、大仰なほどに悶えて怯んだ。

 

「急いで!」

 

 見習聖女の手にあるのは投石紐(スリング)、投じたのは虫下しの団栗だ。

 

「腕上げたな」

「練習したもん」

 

 合流成功。仲間たちに囲まれた少女巫術師は、地面に立てた杖を握り直し、精霊へと呼びかける。

 

「《お還りなさい薪の王(ウィッカーマン)。供物をこれに、大地の懐へ届けてちょうだい》!」

 

 金枝が震え、光が漏れた。擱座したままの極大蟻の周囲から、無数の細い木々が生え伸びていく。絡まり、拘束し、形作られたのは不恰好ながらも人型の巨大な檻。それがわずかな間を置いて、発火した。

 

「GGGIGIII!?」

「TRRI!」

「TITRI!」

 

 爆発にも似た業火が、標的を焼き祓う。巫術師の秘伝、《炎棺(ファイアリンク)》の術である。助けようとしたのか乱心か、跳び込んでいく巨大蟻たち諸共に、残らず燃え尽きるのだ。

 

「あれ一発だけで終わってたんじゃないの?」

「私はまだ半人前なので、あまり強い火は熾せませんから。それに敵が元気だと、振りほどかれてしまいますし」

「あれで弱火なのか……」

 

 新米戦士たちは若干引きぎみだ。もっと引いている者もいる。物理的に。

 

「話してないで、いこーぜ。俺らも危ねーから」

「そうですね。このままでは窒息です」

「あっ」

「えっ」

「へ?」

 

 言われて気づいた少女巫術師とよくわかっていない二人は、そそくさと撤収にかかった。

 

 ところで。

 

「さあ、茸さんも早く!」

 

 今度は忘れていなかっただろうか? 

 

 一行から離れた場所にいた小茸人は、幼虫と呼ぶには大きい()()()()()巨大蟻をなんとか撲殺し終え、少女巫術師に駆け寄っていった。

 

 その後。女王と、切り離された母胎より這い出したただ一体の後継者を失った個体群(コロニー)は、急速に瓦解していくことになる。

 

 森の安穏は、取り戻されたのだ。

 

 

 

§

 

 

 

 夜。人々は家でくつろぐか、早々に寝床に潜り込むか、それとも酒場に入り浸るか。そのような時間。酒場とも縁深い冒険者ギルドは、まだ業務中だ。依頼斡旋などは締め切っていても、帰還した冒険者からの報告を受けたり報酬を渡したりといった仕事がある。職員も楽ではない。

 

「うっけつっけさぁーん!」

 

 たとえば疲れているところへこんな調子(テンション)で話しかけてくる輩がいても、笑顔で対応するのが務めなのだから。

 

「はい、ご用件はなんでしょうか」

 

 受付嬢から見える顔の角度を斜めに調整し、槍使いは得物の石突で床をトンと叩いて胸を張った。

 

「デーモン退治、余裕の完了です。あの山羊頭、とんだ見かけ倒しでしたよ」

 

 平素よりちょっぴり低音で語る。そんな彼の背後で、艶のある含み笑いが奏でられた。

 

「で、も……連れてた、犬、に。かじられそう、に、なった、わよ……ね?」

「ぬぐ……! 言うなよ、躱したんだからいいじゃねぇか」

 

 言の葉を弄するは魔女の領分、戦士が敵うはずもなし。男前もあえなく形なし。

 

「そうですか、お怪我がないようでよかったです」

 

 これは営業ではなく本心だ。冒険に送り出した人物が戻らないことは、頻繁にはなくとも、たまにはある。残酷な現実を前に心折れ、職を辞した同僚もいた。自分がそうならずに済んでいるのは、待っていれば必ず帰ってくる者も存在するのだと証明するこの二人のような冒険者のおかげだと、彼女は理解している。であれば、労をねぎらうのもやぶさかではない。

 

「ですが、無理は禁物ですからね。体力回復に、強壮の薬水をお勧めします」

「一本ください」

「毎度ありがとうございます」

 

 やっぱり営業かもしれない。

 

「おや、いい飲みっぷりですね」

「ん?」

 

 受付嬢の厚意っぽいものを感じつつ一息に瓶を干した槍使いに声をかけたのは、隣の窓口で報告をしていた軽剣士だった。同期の実力者、しかも浮名を流す色男とあって、一目置く相手だ。

 

「ちなみに、その薬水の材料が何かはご存じですか」

「そらまあ、俺もペーペーの頃に素材集めやったことあるし、だいたいは」

「そうでしょう、そうでしょう。実は今日、我々のところの若い子たちとお友達が採集依頼で大変な目に遭いまして。何かご褒美があるべきだとは思いませんか」

 

 言って指し示す卓を、彼の所属する一党に駆けだし者二人を加えた六名が囲っている。

 

「つっかれたぁ。明日は休もう。ぜってぇ休もう」

「賛成。けっこう貰えたし、のんびりしましょ」

 

 突っ伏す新米戦士の背をそっとさすり、見習聖女はまさに聖女然とした表情で同意した。共に疲労困憊である。行き帰りの手間がない下水はなんて楽なのだろう、でも臭いし汚れるし。立てかけられた錫杖の先で、天秤が揺れていた。

 

「俺も休んで、どっか買い物いくかな」

「それなら一緒にいきますよ。目を離すとすぐ無駄遣いするんだから」

 

 少年斥候と少女巫術師はまだ幾分か元気そうだ。それでも遊び回って帰宅した子供、といった風情がある。きっと放っておくといつの間にか寝てしまうことだろう。

 

「……あー、そうかよ、そういうことかよ」

 

 状況判断は済んだ。よりにもよって受付嬢の前でとは、おのれ策士め。槍使いは後頭部を乱暴に掻きつつ、卓に近づいていく。

 

「よう、坊主どもに嬢ちゃんたち。大冒険だったんだろ、話聞かせろよ。その代わり一杯、いや飯も酒も好きなだけ奢ってやるからよ」

「マジで!?」

 

 椅子を倒す勢いで立ち上がった少年組は、跳ねたり両手を掲げたりして歓喜を表現した。育ち盛りの身に食べ放題のお誘いは魅力的すぎる。

 

「牛肉、とか食ってもいいのか」

「おうよ、おかわりもいいぞ」

「やったな。さすが辺境最強、太っ腹ぁ!」

 

 消耗を忘れたかのようにはしゃぐ彼らを横目に、見習聖女は小さく溜息をついた。

 

「うーん、あたしあんまり食欲ないかも」

「あら、では私が貴方の分もいただきますね。甘いお菓子をたくさん注文してしまいます」

「そうしな。一つ二つ盗まれてもわかんねぇくらい山盛りのスイートロールとかな」

「お菓子。山盛り」

 

 故郷にいた頃も街に出てきてからも、甘味にはほとんど縁がない。それも蜂蜜や果物ではなく砂糖を使った料理なんて! 

 

「食べます」

 

 清貧、質素倹約。それは地母神の戒律だ。自分が仕えているのは至高神だから、遠慮なくお腹いっぱい食べても罰は当たらないはず。誰に対する言い訳なのかは彼女自身わかっていない。

 

「では私は麦酒(エール)だな」

「おい待て」

 

 至高神の信徒がここにも。さも当然といったふうに宣う女騎士に、さしもの槍使いも声を上げた。

 

「ガキどもを鍛えた私にも奢られる権利はあるだろう。何、一杯で構わんさ。もののついでと思え、ケチケチするな辺境最強」

「そうだぞ辺境最強、いいところ見せろ。あと俺も麦酒な」

 

 ここぞとばかりに重戦士の掩護が入る。この二人が息を合わせれば、つけ入る隙などあるものか。

 

「貴方、は、葡萄酒かし、ら?」

「ええ。いやぁ、すみませんね。こんなつもりではなかったのですが」

 

 もはや逃れることはできぬ。

 

「わーったよ、しょうがねぇな。おら、酒場いくぞ酒場!」

 

 戦いと報酬、仲間との語らい。食って飲んで騒いで。

 

 こうして、冒険者の日常は明け暮れていく。




◆風精の双魔剣◆

 大鷲の羽根を象った一対の曲剣。希少なエレメンタルウェポンの一つ。

 風精の加護により常に微風を纏っており、驚くほど軽い。またその気流は刃を合わせることで乱れ、嵐のごとく吹き荒ぶ。

 精霊の祝福を受けた武器は、自ら使い手を選ぶ。森人譲りの美貌と優雅な物腰が、乙女の心を捉えたのだろうか。






◆《炎棺》◆

 巫術師に伝わる精霊術。彼ら独特の神聖な儀式に用いられるもの。

 大地より呼び起こされた無数の木々が対象を封じ込め、炎上する。規模の大きさゆえに精神への負荷が激しく、半端な集中力では発動できない。

 火となり、灰となり、土へ還る。

 そうやって、命は巡る。


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Session 3:舞風の章
3-1:初めてのお使い/Far from Home


 

 依頼の概要を説明します。

 

 今回の案件は、ギルドからの直接の依頼となります。内容は、南の街の状況調査です。

 

 王国内でも指折りの貿易港を有する南の街は、海上通商の要衝の一つであり、ギルドの各種物資調達において小さくない役割を果たしています。ところが現在そちらからの商品納入が停滞しており、なんらかの問題が発生しているものと思われます。

 

 当面のあいだは、それによって皆さんへの薬水(ポーション)や触媒などの販売に影響が及ぶことはありません。ですがあまりに長期化するようであれば、申し訳ありませんが前言を撤回せざるをえなくなるでしょう。

 

 もちろん我々からもあちらに封書を送り問い合わせを試みたのですが、十分な回答は得られませんでした。そこで皆さんには特使として南の街へと赴き、何が起こっているのかを見極めていただきたいのです。

 

 なお、目的はあくまで街の内情把握です。事態の収拾に成功した場合には追加報酬(ボーナス)をお支払いしますが、手に負えるものではないと判断されるのであれば、引き揚げてくださって構いません。

 

 依頼の概要は以上です。

 

 ギルドは、本件を重視しています。……ですから、その。

 

 ゴブリンではないですけれど、お願いできませんか?

 

 

 

§

 

 

 

 冒険者ギルド二階、応接室。

 

 手入れの行届いた胡桃(クルミ)材の机と、あかがね色の長椅子(ソファ)。室内を彩るのは豪奢な調度品、ではなく怪物の頭蓋骨や牙、それに一対の大斧といった戦利品(トロフィー)の数々。待合室(ロビー)とは明らかに異なる雰囲気の部屋に集められた冒険者たちは、受付嬢の言葉に耳を傾けていた。

 

「俺は受けよう」

 

 即決で鉄兜を縦に振った男に、驚きの眼差しが注がれる。彼はゴブリンスレイヤーであり、ゴブリンを殺すためにギルドに籍を置いているのであり、ゴブリンと関係のない依頼に興味を示すことなど滅多にないからだ。

 

「よろしいのですか?」

「ああ。お前の言うように道具が手に入りにくくなれば、ゴブリン退治にも支障が出る。無視できん」

 

 つまり、ゴブリンと関係のある話だ。よって引き受ける。単純明快。驚きが呆れに変わった者が数名いたが、意にも介さず彼は己の一党の面子を見回した。

 

「お前らはどうする。やるか?」

「当ったり前でしょ!」

 

 我が意を得たり、と妖精弓手は手を打った。その音色でさえ上等な楽器のごとくなのだから、まったく上の森人という種族はなんともはや。

 

「使命を帯びたギルドの代行者(エージェント)なんて、まさに私向き、銀等級の仕事って感じじゃない。しかも、ゴブリンなし!」

 

 眼鏡を、なぜかかけている銀細工の()て眼鏡を芝居がかった仕草でクイと持ち上げ、空力特性に優れる胸を反らす。あと文末を強調する。重要なことだ。

 

「適当に森人語(耳長言葉)でもくっちゃべっとりゃ、虚仮威しぐれぇにゃならぁな」

 

 低い位置から低い声。鉱人の短足には只人用の椅子は高すぎる。床に胡座をかいた鉱人道士が呆れ顔のまま喧嘩を安売りすれば、あとは、まあ。ここからのやり取りはいくらか省略するとして。

 

「儂もいくぞい。触媒の仕入れに関わるっつうんなら、かみきり丸じゃねぇが、無視できんかんの」

 

 精霊から特段の寵愛を受ける者でもない限り、精霊使いは触媒の備えなくしては戦えぬ。死活問題とはこのことだ。彼には独自の仕入れ経路を確保している民間の魔法商(タリスモンガー)の伝手もあるが、そちらは掘り出し物目当てであり、普段使いの品の安定供給は望んでいないし望めるほどの在庫もないのだ。

 

「上に同じ。そういった事情であれば、拙僧とて微力を尽くすに否やはありませぬぞ」

 

 高い位置から低い声。蜥蜴人の長尾は背もたれと相性が悪い。壁際に立つ蜥蜴僧侶は、触媒と聞いては看過できぬと顎門を開いた。何しろ竜の牙を用いるのだ。ドラゴンではなく飛竜(ワイバーン)などの亜種のそれで事足りるとはいえ、路傍に転がっているような代物ではない。

 

「ただ、一つ解せなんだが。なぜこの依頼を小鬼殺し殿に持ちかけたのか。こう言ってはなんだが、かような仕事に通暁した者ならば、ほかにおられるのでは?」

 

 そこは皆、疑問だった。ゴブリンスレイヤーの在り方についてはギルドも納得はともかく、理解はしている。というより半ば以上諦めている。断られる公算が高いと知りながら、決して得手とは言えぬ役にあえて彼を抜擢したのはいかなるわけか。

 

「それは、ですね。身も蓋もないのですが、お任せできるだけの等級の方が皆さん以外、遠征に出てしまいまして」

 

 少々目を泳がせながら、受付嬢は歯切れ悪く残酷な真実を告げた。それは要するに。

 

「消去法ってこと? なーんだ、せっかくこう、選ばれし者! ってやる気になってたのにさ」

「すみません……」

「あぁん、そんな本気で謝らないでよ。冗談、冗談だから」

 

 ()()()()()()を虐めるのは実によろしくない大人げない。妖精弓手は深々と下げられた頭を上げさせようと大慌てだ。

 

「あの、それですと私はご一緒できませんよね」

 

 こちらはこちらでうつむき加減の女神官は、着衣の胸元を押さえた。その奥に宿る鋼鉄の鈍い光沢は、銀の輝きとは比べるべくもなし。

 

「問いが増えたな。何ゆえ、我らまでもが呼ばれたのだ」

 

 そして、侍に至っては白磁等級のままだ。机上に置かれた依頼書から情報を引き出す努力には早々に見切りをつけ、彼は受付嬢に視線を移す。妖精弓手を師として読み書きの手習いに励んでおり、つい先頃も尖筆を踊らせて砂盆を掘り返していたところだったが、成果を望めるのはまだ先のこと。勉学にせよ昇級にせよ、一朝一夕にはいかないものだ。

 

「はい。その点に関しましては、しっかりとした理由があります」

 

 気を取り直し、居住まい正し、受付嬢は軽くしわぶいて職務に戻る。

 

「着々と等級を上げている出世頭と、上位の冒険者にも匹敵する戦闘能力の持ち主。ギルドはお二人を高く評価しています」

「ふえ? えと、ありがとうございます」

「恐れ入る」

 

 功を焦った者は往々にして寿命が短く、慎重な者は歩みが遅い。一年ほどで鋼鉄まで辿り着ける新人は稀だ。言うまでもなく、デーモンと真っ向から打ち合える新人はもっと稀だ。注目は必定だった。

 

「だからこそ、我々はお二人の冒険者としての適性を、より詳しく知りたいと考えているのです」

 

 そんな彼らの戦績表(レコードシート)は、今のところ突入殲滅(ハックアンドスラッシュ)ないしそれを目的とした迷宮探索(ダンジョンアタック)で埋められている。確かに、剣と魔法(ファイティング・ファンタジー)は冒険の華だ。されどそれがすべてではない。ほぼそれだけで身を立てた例も少なくはないというかすぐ近くにいるとしても、だ。

 

「なるほどな。試しというわけか」

「そうです。試金石(テスト)と、実地訓練(チュートリアル)ですね」

 

 筋力技量理力信仰よりも、知性に教養それから人品がものを言う依頼も、ギルドには舞い込んでくる。対処できる人材の確保が必要なのだ。

 

「でも、初めての都邑の冒険(シティ・アドベンチャー)がギルドの大事なお使い、なんて。何か粗相があれば、大変なことになっちゃいますよね。私なんかで大丈夫でしょうか」

 

 かけられた期待とは裏腹に、女神官は憂慮する。寺院を飛び出して幾ばくかの時を経たとはいえ、いまだ知らないことだらけの小娘にすぎぬ。彼女は自己をそう評していた。それは、ある程度は事実でもあった。

 

「大丈夫かどうかはわからんが、同行したければ俺は構わん」

「ちょっと言い方」

 

 不安げな目線に淡々と返したゴブリンスレイヤーに、他方から不満げな目線が刺さった。

 

「わからんものは、わからんだろう。やってみんことにはな」

「だから、そこで勇気づけてあげなくてどうするの。根拠がなくても、ううん、根拠はあるわね。この子、礼儀作法(エチケット)とかしっかりしてるし」

「そだの、お前さんよかよっぽど安心して見とけるわい」

 

 同意ついでに再度の茶々入れ。が、妖精弓手はこれを涼しい顔で受け流す。

 

「あーら、お忘れかしらん。私は星風の娘、神代の血筋に連なる上の森人の姫。粗暴な鉱人なんかに心配されるようなことはなくってよ」

 

 ほほほ、と口もとを隠して笑うわざとらしい所作が、それでも様になるのは彼女が本物である証。さすがの鉱人道士も今回ばかりは旗色が悪いと見て取ったか、喉奥で呻いて投了した。

 

「とはいえ、野伏殿とて生まれ出ずるときより礼節を弁えていたはずもなし。すべては学び、磨くものですぞ」

 

 そうやって迷走しかけた話を蜥蜴僧侶がまとめた辺りで、女神官の考えもまとまっていた。

 

「やり、ます。やってみます」

 

 胸の前で両拳を握り気合いを示す。どうにも頼もしさよりかわいらしさが勝ってしまうが、いずれ逆転する日もくるだろう。夢想しつつ、受付嬢は眦を下げた。

 

「頑張ってくださいね、応援しています」

 

 さて、残るは一人だ。

 

「カラドタングはどうしたい?」

 

 冒険者としては駆けだしでも、それ以前にそうとうな修羅場をくぐってきているであろうことは明らか。初心ゆえの物怖じなど無縁と思われる彼だが。

 

「お主らがゆくのであれば、辞する由はない」

 

 問題は、別のところにあった。

 

「んー、そうじゃなくて。何かやりたいこととか、ないの?」

「む……?」

 

 簡単な質問が、しかし侍の思考に歯止めをかける。為すべきことをなくした己に生きる意味が、為せる何某かがあるのか。手探るさなか、答えの在処は杳として知れぬ。

 

「冒険をする目的とか、理由よ。たとえば私は、未知への挑戦、新たな発見、困難を乗り越えた先にある達成感!」

 

 そんな後輩の心中を察したのか否か、びし! と天井を指差す妖精弓手。いける手段があるのなら、彼女は雲上にだって冒険の旅に飛び立つに違いない。

 

「わ、私は地母神様の教えに従って、たくさんの人を守り、癒し、救うために」

 

 実践できている自信はあまりないけれども。女神官がそれでも声を上げたのは、助けが必要な者がここにもいたからだ。

 

「拙僧は、闘争の果てに位階を高め、竜への変生を遂げるため」

 

 人のごときがうそぶけば一笑に付される大望も、蜥蜴僧侶の長い舌が語れば現実味を帯びて聞こえる。あるいは大望だからこそ、冒険者にふさわしいと言うべきか。

 

「儂ゃうまい酒と食いもんだの。なぁに、むつかしく考えっこたぁねぇさな。すぐ手の届く目標でも、とりあえずは十分よ」

 

 続く鉱人道士、こちらは対照的に即物的すぎる。が、そこに命を賭けてもよいと納得づくであるならば、これもまた正答だ。

 

「お前は一党の……一員だが。こちらの都合につき合わせるつもりはない。依頼を受けるなら、それはお前の冒険だ。なんのために、何をするか。決めるのは、決めていいのは、お前だけだ」

 

 今さら己の理由を語るまでもないと悟っているのだろう、今回はゴブリンスレイヤーが、このようにまとめた。侍も考えをまとめるときだ。

 

「俺は……」

 

 南の街。港街。すぐに思い浮かぶのは一つだけで、正しいかどうかなどわからず、だが確かに望むこと。

 

「海を、目の当たりにしてみたい」

 

 (わらべ)のように、そう宣言した。

 

「あっ、私も。そういえば私も見たことないです」

「いいじゃない、初めての海。きっと楽しい冒険になるわ!」

 

 皆、笑っていた。皆、嗤わなかった。侍の出自を思えば、何かしら疑問を抱いてもおかしくはないところだが。遥か極東の地理にまつわる知識を持ち合わせる者はこの場におらず。

 

 ただ純粋に、彼の踏み出した一歩を祝福していた。

 

 

 

§

 

 

 

 南の街は、山岳地帯によって内陸部から切り離された陸の孤島である。

 

 今でこそ街道が整備されたことで通行は比較的容易になっているものの、かつては中央との間に人の往来がほとんどない、王国の裏庭だった。そうした立地ゆえ、近海を跋扈する海賊団や、衛視(ガード)の追跡から逃れた盗賊たちが集まり歪な発展と繁栄を遂げた奇形の街。悪の巣窟。いつの頃からか、そう恐れられるようになっていった。

 

 転機が訪れたのは二十余年前、先王の治世下でのことだ。

 

 当時、街を根城とする海賊たちは親方と呼ばれる人物によって束ねられ、彼らなりの秩序を保っていた。諸外国との戦乱に血道を上げる王はそこに目をつけ、成人したばかりの義姪を嫁がせることで親方を外戚に迎え、公爵の位を与えたのだ。晴れて正式な領主となった公爵とその配下は私掠船団(コルセール)、すなわち国家公認の海賊として召し抱えられ、大手を振って敵国の船を喰い散らかした。上納分を差し引いてもなお余りある掠奪品と、王家からの援助を背景に街は再開発が進められ、ひとかどの都市へと成長していく。

 

 やがて時代は下り、若き王子が玉座を継ぐことになる。彼は政策を平和路線へと転換し、軋轢の種となる私掠船制度を撤廃。海賊たちの多くは真っ当な商船や、周辺海域を守る海兵隊の軍船(いくさぶね)へと乗り移り、生き様を変えながらも荒波の内にとどまった。裏庭は玄関となり、王国はその戸口を大きく開け放ったのだ。

 

「……ふむん。この匂い。そろそろ見えてくる頃かしら」

「もうじき峠に差しかかりまする。しばし待たれよ」

 

 幌に冒険者ギルドの徽章を刻まれた二頭立ての馬車が街を目指し、山を巻く坂道を上っていく。妖精弓手は磯の香りを感じとり、御者を買って出た蜥蜴僧侶の背中越しに連峰を眺めた。ちなみに念のためつけ加えておくと、裸眼だ。

 

「潮風は金物を錆びさせる。気にかけておけ」

 

 心躍らせる彼女へ塩水を差す、不可抗力で耳に入ってしまったありがたいお言葉。ムッとして振り返れば、なるほどいかにも錆には弱そうな鎧男が座っていた。何も、鉄と無縁の森人にわざわざ無駄な忠告をしたわけではなかろう。向けられた相手は別にいる。

 

「はい、ちゃんと油を塗り直してきました」

 

 まず女神官。彼女が長衣の下に着込んだ鎖帷子は、初めて冒険で得た報酬で購入し、またゴブリンスレイヤーに褒められた思い出の品だ。注意を促されずとも、点検を怠ったことなど一度もない。

 

「抜かずに済めば、よいが」

 

 侍の懸念はより深く、愛刀の柄を撫でた。具足も大事だが、刀は輪をかけて繊細だ。塩気に晒すのは避けたい。

 

「まあ、別に戦いにいくわけじゃないですし」

「いや、荒事は想定するべきだ。ギルドもそのつもりで、職員ではなく俺たちを派遣したのだろうからな」

「やっぱりそうですよね……」

「ええい、白ける話すんない。かみきり丸よう、もっとこうあんだろ、気にすっことが」

 

 塩気どころか辛気臭くなりかけた空気を厭い、鉱人道士が口を開いた。強引に話題を変えることに決定。

 

「ゴブリンか」

「マジで言うとるのか」

「ああ」

 

 老人然とした顔貌を余計にくたびれさせる。このままでは駄目だ。

 

「港街ぞ。港街っつうたら海の幸だろが。いつもはありつけん新鮮な海魚が、儂らを待っとるわけよ」

「海魚か。(ニシン)の油漬けなら、食ったことがあるが」

 

 思ったよりは食いつきがよい。調子づいて髭をしごき、朗々と語句を継ぐ。体型から想像がつくとおり、たいていの鉱人は食について一家言あるものだ。

 

「あれも悪かねぇが、油使うんならやっぱ揚げもんだぁな。前に水の街で川魚のを食ったろ。ここいらだと(アジ)か、ちくと時期が早ぇが無髭鱈(メルルーサ)もいいか。小麦粉をまぶしてカラッと揚げてだな、卵と酢のソースに刻んだ玉葱(タマネギ)だの胡瓜(キュウリ)の酢漬けだのを混ぜたやつを合わせりゃ格別よ」

「そうか」

 

 それを素っ気なくぶった切るのは、あんまりだと鉱人道士は思う。

 

「ちったぁ興味持たんかい」

「興味はある。食い物の質は一党の士気に関わるからな。うまいに越したことはない」

「あー……ま、お前さんにしちゃ上出来か」

 

 手応えがあっただけよしとする。しかない。さすがにいたたまれなくなったか、掩護射撃が飛んできた。

 

「ソースじゃなくって、普通に食べる野菜は?」

「ん、そら赤茄子(トマト)よ、耳長娘。元々南洋渡りのもんだかんな、儂らの街よかずっと前から料理に使われとる。この陽気なら、よう冷やしたスープなんかがうまかろうて」

「赤茄子って、あの果物みたいなやつよね。あれ好きよ私!」

「私もです。おいしいですよね」

「チーズはあるのですかや」

「あっぞ、羊の乳でこさえたのが」

「おお、よきかな……!」

「酒はどうか」

糖酒(ラム)砂糖黍(サトウキビ)から作る蒸留酒(スピリッツ)、船乗り連中の力の源よ。甘めぇ香りに油断すっと大火傷、てな具合でな」

「ほう」

 

 身振りを手振りを交えつつ呪文めいて唱える言の葉に、全員が聞き入っていた。精霊を口説き落とすのが本分なれば、この程度は造作もない。矢継ぎ早に受け答え、幌の中が活気と期待で満ちるほど、腹の中が寂しくなる。一行はそろそろ、太陽の位置を思い出す頃だ。

 

「着いたらすぐお昼ご飯にしない?」

「まず向こうのギルドに顔を出す。それが済んでからだ」

「はーい」

 

 森人らしからぬだらけた姿勢で外を見やる妖精弓手。到着はまだか、食事はまだか。彼女に手綱を任せていたら、馬たちはさぞかし苦労させられていたことだろう。

 

「……あっ! ねえねえ、一回停めて」

「ふふ、承知、承知」

 

 左手に見えていた岩肌が途切れ、峠道へと折れる地点。車輪が動きを止めるよりも早く、床を蹴り蜥蜴僧侶を跳び越え馬上に立つ。残る面々は何事かと馬車を降りた、いや降りようとしたときにはもう、妖精弓手の意図を理解していた。

 

「これが……」

 

 思わずこぼした侍が、自然と崖際へ歩み寄る。

 

 山裾の斜面に沿って建ち並ぶ、橙色の瓦屋根。下った先で、緩く弧を描く港湾に大小さまざまな船がひしめいていた。帆を膨らませ旅立っていく一隻を目で追えば、視界を染めるのは果てしない紺碧だ。彼方で空と溶け合う境に想いを馳せるうちに、すばらしい、この美しい世界の広さ(オープンワールド)に圧倒される。探求者たちがどれほど地図を書き足そうとも、描き切れぬ神秘の舞台がそこにあった。

 

「ふおぉぉぉ! 海だぁー!」

「なんでお前さんがいっとう、はしゃいどるんだよ」

 

 馬の背を揺らさずに跳ねる二千歳児を、陽光に目を細めつつ見上げた鉱人道士に、返ってきたのはまばゆい笑顔。

 

「だって、海だもの!」

 

 かつて川を流れる木の葉を追って故郷を離れた妖精弓手は、冒険者になると真っ先にその終端を確認しに向かったものだ。森のことですらすべてを知るわけではないのだから、いわんや大洋においてをや。海の青さこそ、彼女の最初の()()だったのだ。

 

「島が見えます。あんなに、遠くに」

 

 そんな友人の冒険にかける想念の強さは、女神官もわかっていたつもりだった。だが真に理解、共感できたのは、今日が初めてかもしれない。随分と遠くまでやってきたはずが、眼前の大海原に比べれば、その旅程などまるで散歩道だ。波の向こうに何がある。あの島には何がある。沸き立つ感情を好奇心、もしくは冒険心と呼ぶのだろう。

 

「いずれ翼を得、ひとっ飛びに渡りゆく日が待ち遠しいですなぁ」

「生えるの?」

「生やしまする」

「そしたら背中に乗せて!」

「野伏殿が忘れておらねば、必ずや」

 

 千年(しばらく)先の未来を語らい、数分間(しばらく)景色を堪能する。

 

「そろそろいくぞ」

 

 やがて、腰に手を置き黙したままじっと水平線を見つめていた頭目がようやく声を発すると、一行は馬車に戻っていった。

 

「で、次はどうするよ、雷光の」

「次?」

 

 乗り込む際、手を貸した侍に、鉱人道士が問いかけた。

 

「海は見れたろ。次の目的は、なんぞあっか」

「ああ。決まっていよう」

 

 薄く笑って即答する。

 

「酒と、飯だ」

 

 もちろん、皆が笑っていた。ゴブリンスレイヤーでさえ、きっと兜の奥で口角をわずかに持ち上げていた。

 

 気分は上々、馬車は軽快。ほどなくして、街門が一党を出迎えた。




◆銀眼鏡◆

 なぜか妖精弓手のかける銀製の眼鏡。精緻な彫金の施された上質の品だが、度は入っていない。

 只人の講師や学者には、眼鏡をかけている者が多い。彼女はそんな噂をどこかで長耳に挟んだのだろう。

 どうせ児戯とて、まあ楽しげならばよいではないか。


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3-2:寂びついた錨/Remember

 

 例によって例のごとく、冒険者ギルドは街の入口近くに居を構えていた。

 

「ほんとにここ? 間違えてない?」

「看板があるだろう」

「そうだけどさ」

 

 まるで気にしたふうもないゴブリンスレイヤー以外は、困惑ぎみの妖精弓手の心中を察して皆同意していた。彼らが寝泊まりするギルドと目の前のこれ。両者を分かつ(ギャップ)が、看板(板切れ)一枚では()の役に立たぬほどに大きすぎたのだ。

 

「これは、なんとも。趣がある、とでも申すべきか」

 

 蜥蜴僧侶の言は無論のこと手心を加えた表現である。年月を経たというよりはただ顧みられていないだけと思しき石造りの外壁に、曇った窓がいくつか。蝶番に錆びが散りばめられた自在扉は、本当に自在に開けられるのかどうか不安で仕方がない。向かって左側からはお隣さんの圧力を至近距離からぶつけられ、実に肩身が狭そうだ。反対側に設けられた小ぢんまりとした空き地に、馬車を停めておけるだけの広さがあったことは、せめてもの救いだった。

 

「眺めていても始まらん。入るぞ」

「あ、はいっ」

 

 やや慎重に扉を押し開けたゴブリンスレイヤーに女神官が慌てて追従し、ほかの者もそれに倣う。蜥蜴僧侶は頭を低くして、また侍は武具をぶつけないように注意せねばならなかった。

 

 内部は奥行きがあり、外観から予想できるほどには狭苦しくはない。ただ薄暗く猥雑としていて、並べられた卓を占める冒険者であるはずのまばらな人影は、ことさらにならず者じみている(ローグライク)

 

もぐり酒場(スピークイージー)かなんかと違うんか」

 

 それもぼったくられる類の。鉱人道士はぼそりとこぼした。冒険者ギルドの原型は、冒険で糊口を凌ぐ無頼の徒がたむろする酒場だったのだが、室内に立ち込める雰囲気はむしろそちらのほうが近しいようだ。

 

「なんだ、あいつら」

「新入りって感じじゃねぇ。余所者か」

 

 戸の軋む異音に気づいた者たちが、値踏みするような目線を投げかける。女神官などは居心地悪そうに身を縮こまらせたが、ゴブリンスレイヤーは歯牙にもかけずにズカズカと進んでいく。彼のみすぼらしい風体を嘲弄する声が上がらないのは最低限の礼節を守ったのではなく、単に自分たちの身なりとさして変わらないからだろう。

 

「今、いいか」

「どうぞー。伺います」

 

 受付台(カウンター)に頬杖を突いて書類に筆を走らせていた気怠げな若い女性職員が、来訪者の姿を認めて申し訳程度に姿勢を整えた。国営組織たるギルドに勤めているからにはやんごとなき家柄の生まれだろうに、彼女はそれこそ場末の酒場の店員、といった印象だ。

 

「西の辺境からきた者だ。ギルドからの紹介状を持っている。ここの支部長に取り次ぎを頼みたい」

 

 どちらが役人かわからぬほど事務的に述べ、ゴブリンスレイヤーは襟元から認識票を引き上げた。話している相手が上位の冒険者だとわかり、職員はさすがに表情を引き締めた。

 

「銀等級だと? けっ、お貴族様に尻尾振る犬かよ」

 

 その様子を横目に見ていた中年の男が、陰口にしては大きすぎる声量で吐き捨てた。己の首に提がる白磁の小板との差を妬んだ、というよりはもっと直接的な侮蔑の色が滲んでいる。

 

「あー、あの! 支部長はただいま応対中ですので、少々お時間をいただきたいのですが」

「わかった。待たせてもらう」

「ありがとうございます。では、一度書類をお預かりします」

 

 喧嘩を売られた側は、またしても歯牙にもかけない。この種の雑音は聞き慣れたものであり、一度たりとも気に留めたことのないものでもあった。とはいえ表情が確認できないために職員は気が気でない。早足で二階へ続く階段へと逃げる彼女は冷たい感触が背筋を伝うのを覚えつつ、天上の差し手たちに向けて祈る。何も起こりませんように。後ろで露骨に不機嫌そうにしていた森人の人も、どうかあのまま鉱人の人に制止されていてくださいお願いします、などと。

 

「おい、貴様」

 

 しかし、憐れ。声なき祈りは届く前に、地の底から響くがごとき声によって掻き消された。

 

「ひっ……!? なん、だよ」

 

 視線を外した、その意識の空隙を縫って接近していた侍の眼光に、中年男はただそれだけでへたり込みかける。胆力で耐えたのなら少しは格好もついたのだろうが、たまたま壁に寄りかかっていなければどうなっていたやら。

 

「我らの(かしら)への悪口(あっこう)、断じて聞き捨てならぬ。表へ参れ。せめて、その腰のものを握ったまま死なせてやろう」

「お、おう、言うじゃねぇかクソ野郎。返り討ちにしてやらぁ!」

 

 冒険者同士が難癖つけた、つけられたで刃傷沙汰に発展するのは稀といえば稀であり、よくあるといえばよくあることだ。この中年男とて、降りかかる火の粉を払う程度の気概は持ち合わせていたらしい。外に出るどころか、この場で抜剣する勢いだ。それは半ば以上虚勢で構成された、それでも明確な敵愾心だった。

 

「余所者が、調子に乗りやがる」

「ちょいとヤキ入れてやるか」

 

 敵意は伝播する。一人、また一人と席を立つ冒険者たちに囲まれ、ゴブリンスレイヤー一行は各々異なる反応を示した。喧嘩上等とばかりに口端を吊り上げる妖精弓手、やれやれと首を振りながらも腰帯に手挟んだ手斧を掴む鉱人道士。戸惑う女神官を巨体で守り、蜥蜴僧侶が仁王立つ。事ここに至っては乱闘もやむなしかと、頭目もわずかに重心を落とした。

 

「手出し無用。たかが十かそこらの雑兵ごとき、お主らの技を見せてやるまでもあるまい」

 

 ただそう発した侍だけは、邪魔にならぬようにと肩に吊るした刀と弓をそのままに平然として振り返り、激昂する荒くれどもを睨み返した。向けられた背中に無防備なことだとほくそ笑み、中年男は右手を剣の柄にかける。

 

「そこまでにしてもらおうか」

 

 同時。落ち着いた、それでいてよく通る男の声が階段上から投げかけられた。

 

 眉目秀麗長身長耳、漆黒の外套(コート)を纏う森人()()の何者かがそこにいた。森人であるものか。日の光のもとよりも暗がりが似合う青白い肌と、整えられた銀色の頭髪は、森に住まう種族の特徴ではない。

 

闇人(ダークエルフ)……!」

 

 上の森人が答えを導く。喧嘩腰から臨戦態勢へ。鉱人なら喧嘩で済むが、闇人ではそうもいかない。鉱人と同じ地下の住民であっても、あちらは地上と協調して暮らすが、こちらは地上に災禍をもたらす混沌の眷族どもだ。かてて加えて、ゴブリンスレイヤーたちは侍の来航以前、闇人と対決し打倒している。警戒度を跳ね上げるのは必然と言えよう。

 

(シャチ)の兄貴」

 

 一方、周囲の者たちは毒気を抜かれたような面持ちを浮かべた。取って代わるのは緊張と敬意。鯱という字名で呼ばれたこの闇人は、彼らにとって仰ぎ見るべき人物であるらしい。

 

「頼む。刃を収めてくれ」

 

 そんななか、鯱はじっと一人の男を注視していた。

 

「……ふん」

 

 侍だ。視線を交差させること数秒。彼は中年男の喉元、薄皮一枚裂いた矢を静かに下ろし、(うつぼ)に返した。刀より速いためか、それとも刀を使うまでもないと判断したか。いずれにせよ相手は九死に一生を得て、今度こそ床にへたり込んだのだった。

 

「すまんな」

 

 頭を下げる鯱からは、特に悪意は感ぜられない。それで気を緩めるほどゴブリンスレイヤーたちは能天気でもなかったが。

 

「あれは、確か正道(ルタ)神様の……」

 

 正しい答え、よりよい未来のために絶えず研鑽と前進を続けることを教義とする、求道者たちの神。その象徴の一つである真円の聖印が、外套の胸元で揺れていた。目を留めたのは女神官だ。世間にはあまり知られていない信仰ゆえ、彼女が聖職者でなければそれと判別することは難しかっただろう。

 

「そのとおりだ。君と同じく、秩序の神に仕えている」

 

 肯定する言葉に嘘はあるまい。正道神の典則(レギュレーション)は厳しいのだ。信徒を騙る冒涜的背教者であれば天罰覿面、この場で神の怒りを思い知ることになるだろう。

 

「改めて、初見となる。私は、この街の商会の代表を務めている者だ。勝手ながら事情は聞かせてもらった。客人への非礼を、まずは詫びよう」

 

 再度、より深く腰を曲げる。鯱の後ろにはギルドの支部長らしき初老の男と、先の女性職員の姿があった。揉め事の兆候を放置せず速やかに上司と有力者に対処を丸投げしたのは、この職員の英断であった。

 

「ついては何か、埋め合わせをしたいところなんだが。昼食は、もう済ませているだろうか」

 

 一行は顔を見合わせる。彼らは今一度、太陽の位置を思い出す頃だった。

 

 

 

§

 

 

 

 港に臨む通りに建つ、大衆向けの酒場(タヴェルナ)。昼時にふさわしい賑わいにあふれるこの店の外席(テラス)に、ゴブリンスレイヤーの一党は案内された。格式張った高級店では気が休まらないだろうという、鯱の心配りである。

 

「うまい」

 

 円卓を囲み、めいめいに注文した品に舌鼓を打つ。侍が食べているのはやはり米だ。米を補給している。リゾットではない。パエリアだ。旬の二枚貝(バイバル)をふんだんに使った海鮮パエリアを、持参した箸で食べている。パラつく米粒を一切こぼさない、熟達の箸捌きであった。

 

「して、これはどう食えばよいのだ」

「貸してみい」

 

 大皿を半分ほど綺麗にしたところで、中心に居座る大鋏海老(ロブスター)に行手を阻まれた。そこへ差し伸べられた鉱人道士の手が卓上に添えられていた器具を駆使し、硬い殻を花びらのように次々と分解していく。わずか三十秒の早技だ。

 

「ほれ」

「すまぬ。半分(はんぶ)ほど、食うか」

「くれるっつうなら遠慮なく」

 

 茹で上がった身の弾力を楽しみ、それから強めの糖酒で流し込む。酒飲み二人は仲良く息をついた。

 

「これは、よい」

「そだろ」

「……しかしな」

 

 左隣では、ゴブリンスレイヤーが揚げ物に串を刺していた。狐色の衣に包まれているのは、潰した豹芋(ジャガイモ)と無髭鱈の身を混ぜて練ったものだ。それを黙々と味わう。兜の面頬の隙間から。ねじ込むように。

 

「何ゆえ、兜を脱がぬ」

 

 行軍中に糧秣や水袋で同じことをするのは、わかる。野営中などは獣に襲われる可能性もあるので、まあわかる。だが今は街中だ。ほかの客の両目に怪訝の二文字が映っているではないか。という侍の疑問への解答が、これだ。

 

「ゴブリンはどこにでも現れる。奇襲され、頭を殴られればそれで終わりだ」

「常に戦場(いくさば)に在る心持ち、ということか。見上げた覚悟よ」

「うむうむ、まさに戦士の鑑ですな」

 

 納得したようだ。同調する蜥蜴僧侶は、はて本気なのかどうか。スライスと呼ぶには分厚すぎる熟成された羊乳チーズの塊に、生ハムを乗せてかじりつき。

 

「濃厚……甘露!」

 

 と快哉を叫ぶ彼の真意は、胃の腑の底に呑まれて消えた。

 

「感心しちゃ駄目。こういうのは病気って言うのよ病気」

「もう、見慣れちゃいましたけどね」

 

 納得できない妖精弓手と諦観の境地にある女神官は、赤茄子のガスパチョを行儀よくもやや速めに匙を動かしてすすっていた。店の地下にある氷室に蓄えられた氷でほどよく冷やされ、細かく切ったパンや胡瓜に三色の菜椒(ピーマン)を潜らせたスープは、この季節の人気料理だ。

 

「気に入ってもらえたようだな」

 

 食事を楽しむ一行に、微笑みかける鯱。赤茄子煮込みの肉団子を上品な所作で口に運ぶ彼と目が合い、妖精弓手は若干顔を強張らせた。

 

 闇人は森人とは違う。こうしてごく当たり前に肉を食し、森の緑よりも大地の裏側に広がる暗黒を好む。同族と決別して出奔し、善と義のために双剣を振るった異端の闇人にまつわる伝説ならば、彼女も知ってはいる。伝説の真偽がどうあれ、そのような存在は特例中の特例であり、善き闇人などそうそう巡り会えるものではないということも知っている。

 

「むーん……」

「……何か?」

 

 見詰められ、小首を傾げながらも変わらず笑みを湛えた蒼い顔貌に、やはり信用し切れないところがあったのか。決心した表情で、妖精弓手はついに切り込んだ。

 

「三千と、五百歳!」

「残念、三千と八百だ」

「だー、惜しい」

「なんじゃいそら」

 

 悩んでいたのはそこかよとか、鉱人の一生分の年数を誤差扱いするな、とか。諸々すべて、鉱人道士は溜息混じりのつぶやきに集約して吐き出した。それ以上とやかく言わないのは、打ち解けようという努力を邪魔するほど野暮ではないからだ。

 

秩序にして善(ローフルグッド)の闇人、なのよね」

「ああ、そのつもりだ」

「でもさっきの混沌にして悪(ケイオティックイヴィル)っぽいやつら、貴方の言うこと聞いてたみたいだったけど」

 

 混沌や悪といえど曲がりなりにも冒険者である以上は言葉持つ者(プレイヤー)の範疇に収まる程度、一線を越えて祈らぬ者(ノンプレイヤー)に堕した輩とは違うはずだが、それでも信条(アライメント)が真逆の相手とはまず相容れない。ゆえ、あのギルドにいた者たちの鯱への態度は、いささか不自然なものに思われた。

 

「もっともな疑問だ。ふむ。この街の成り立ちについては、把握しているか?」

「え? え、っとぉ……」

 

 目線を送って助けを求める。応じたのは女神官だ。

 

「はい。昔は海賊の街だった、って」

「そうだ。今でも、ここにはかつて海賊団に所属していた者が大勢暮らしている。あの冒険者たちも多くは元海賊、私もそのうちの一人だ。一応、船長をやっていた」

「するってぇと、あやつらはお前さんの仲間だったんか」

「仲間、というよりは同志だな。同じ船に乗っていたわけではないが、志を同じくしていた」

 

 海を眺望する鯱の瞳は懐古の念を帯び、闇人にとっては最近のことを、しかし遠い昔日の思い出として幻視していた。

 

「私掠行為が国に禁止され、我々は生き方を変える必要に迫られた。だが、堅気が肌に合わない者もいる。あれらは、そういった手合いだ」

 

 冒険者ギルドに、暴力的社会不適合者がそのまま社会の敵とならぬよう設けられた安全装置(セーフティネット)としての一面があることは、周知の事実。この街のギルドは、しっかりと役目を果たしていたらしい。

 

「君たちに因縁をつけたのは、等級の高さが理由だろう。自由を束縛する国も国家機関であるギルドも職員たちも、そしてそれらの覚えめでたい上位の冒険者も、彼らはことごとく気に食わないんだ」

「己もまたギルドに属しているにもかかわらず、ですかや」

「だからこそだ。矛盾を抱えた憤懣が淀んだ空気を醸成し、往時を知らぬ若い世代の思想すら汚染する。その結果があの有様だ」

 

 身内の恥を晒すようで忍びないが、と鯱は首を振った。活力を失くし劣化するばかりの知人たちに、複雑な思いを募らせる。他方、もう一人の耳長の情動は単純だった。

 

「なぁにそれ、ただの八つ当たりじゃない。やっぱり一発ぐらい殴っとけばよかったのよ。カラドタングもそのつもりだったんでしょ?」

「否」

 

 水を向けられた侍は、すでに食事を終えていた。彼はそれこそ食後の雑談でもするかのごとく、平然と返す。

 

「斬るつもりだった」

「えっ」

 

 どうやら、何か齟齬が生じている模様だった。

 

「いや、そりゃあ相手は剣持ってたけどさ。何も命まで取らなくても、貴方ならなんとでもできるじゃない」

 

 喧嘩は買うが、あくまでただの喧嘩にすぎない。腹は立つものの、適当に躾をしてそれで終わりと考えていた妖精弓手。

 

「頭が誹りを受けたのだ。たとえ丸腰であろうとも、斬って捨てるが道理よ」

 

 対する侍は苛烈。只人と森人の認識の差? 違う。

 

「俺は気にせんが」

「気にせぬで済むものか」

 

 彼が、侍だからだ。

 

「お主は頭だ。お主が頭なのだ。頭の面目は一味の、一党(パーティ)の面目。お主の兜に泥を塗られたということは、一党の皆の顔に泥を塗られたに等しいと心得よ」

 

 誇りが命よりも重い世界に身を置いていた男だ。それも一国一城の跡目である。されど市井の生まれであり、背負うお家の歴史はわずかに二十年。侮る声があった。資質を疑う目もあった。言いたい者には言わせておけばよい。そんなわけにはいかなかった。

 

「こたびはこの男の顔を立てたが。本来であれば、俺を止めるにせよあのまま斬らせるにせよ、お主が下知を下すべき場だったのだ。面目を潰されてなお波風立てぬようにと黙っていれば、新参者の我らは見縊られ、かえって禍根を生ずることにもなりかねぬ」

 

 ナメられたら終わりなのだ。腹の中で野心を飼い肥えさせた輩はどこにでも、いくらでもいる。どれだけ平和を望もうとも、火種が向こうから飛んでくる。真っ先に焼かれるのは国だ。己でなく。

 

「そういう、ものか」

「そうだ」

「……そうか」

 

 わかったのかわかっていないのか、重々しく応えたゴブリンスレイヤーは悩ましげにうつむき、それきり沈黙した。教える側と教わる側。出立前とは立場が逆だ。

 

 そんな両者を妙に暖かく見守る一行(なぜか鯱もだ)だったが、ふと何かに気づいた妖精弓手が悪戯っぽく笑った。

 

「つまり、オルクボルグはもっと一流の冒険者らしく振る舞えってことよね。吟遊詩人の歌の中みたいに!」

 

 吟遊詩人。その単語に、そばを通りかかった人物が思わず足を止めた。昼時の酒場で一曲ご披露と意気込んでいたであろう彼は、まさにその吟遊詩人だった。それも、知った顔だ。

 

「お、あんた確か、前に水の街で会った」

「ええ。おかげでちゃんと見つけられたわ。辺境勇士、小鬼殺し」

 

 聴衆の容姿などいちいち憶えてはいなくとも、これほどの美人と言葉を交わしたとなれば忘れはすまい。平素であれば再会を祝して即興詩の一つも歌い上げるくらいの機転を利かせるところだが、席を立った妖精弓手が不気味な鎧の男の肩に手を置くのを見て、嫌な予感に頬をひきつらせた。

 

「でも()()()()貴方の歌の内容と本人との間に食い違いがあったのよねぇ」

「……歌になっていたのだったか、俺は」

「然り。拙僧と術師殿は野伏殿からその歌を伝え聞き、そのとき初めて小鬼殺し殿のことを知ったものでしてな」

「そういえば、ちゃんと聞いたことはありませんね」

 

 まずい。この流れはまずい。風聞を好き勝手に脚色して創作した英雄譚(ヒロイック・ファンタジー)だ。このままではそれを当人の前で披露させられる羽目になる。もちろん、話を盛りはすれど名誉を傷つけるような文句は一音たりとも含まれてはいないと断言できる。だからといって。だからといって。

 

「お、おお、かの小鬼殺しの英雄と対面できて光栄だ。出会いを祝して、この街の歌を送ろう。送らせてくれ!」

 

 そんなわけで、吟遊詩人は機転を利かせる。多少苦しい。反応はいかに。

 

「それはいい考えだ。私もぜひ聞かせてもらいたい」

「はっ!? 闇人、ってことは、あの鯱……!?」

 

 大失態だ。動揺のあまり、これから歌う物語にも関わりのある街の名士が、目の前に座っていることにも気づかないとは。もはや退路は絶たれた。半ば自棄になりつつも、吟遊詩人は商売道具のリュートを構える。

 

「よし。よーし、ではしばしおつき合い願いたい。これより皆様を、追憶の海へと招待させていただく。ようこそ、歓迎しよう。盛大にな!」

 

 

 

 荒波越えて彼らはきたる 嵐のごとき滅びの軍勢

 

 迎え討つは我らが親方 嵐を穿て不退の攻勢

 

 向かい風にも涼しげに 恐れず続けと笑いかけ

 

 笑顔のままに散ってゆく 我らの涙も見ぬままに

 

 波濤押し寄せ 暴風吹きつけ 火は消ゆる 火は消ゆる

 

 暗闇にただ一人 膝を屈せぬ者が一人 黒衣を纏う寡婦が一人

 

 波濤押しのけ 暴風切り裂け 火を灯せ 火を灯せ

 

 飛沫は玉と散ってゆく 我らに涙も見せぬまま

 

 向かう姿は壮麗に 恐れず続けと高らかに

 

 導き駆ける我らが女王 嵐を照らす首飾り

 

 荒波越えて我らはゆかん 嵐の彼方へ夜明けを見よ

 

 

 

「海の勇者たちと、麗しの公爵夫人へ捧ぐ歌。"女王の首飾り"。まずは、これまで」

 

 厳かに一礼する吟遊詩人の頭上を、拍手喝采が飛び交う。

 

海の女王(クイーン)万歳!」

()()()()()()!」

 

 いつの間にやら店の客以外の通行人まで旋律に誘われ、群集ができあがっていた。宮廷楽士にでもなったかのような緊張感が、会心の演奏を実現したのだ。

 

「素晴らしかった。きっと、女王(クイーン)にも届いただろう」

「ど、どうも」

 

 裏返しに置かれた帽子に鯱が金貨をそっと差し入れると、それを皮切りにゴブリンスレイヤーたちや聴衆も各々硬貨を放り込んだ。大戦果だ。口々にかけられる称賛に舞い上がる吟遊詩人。そこへ、古ぼけた長衣(ローブ)で全身を覆った人物が近づく。

 

「よかったぜ」

 

 低くしゃがれた、男の声だった。

 

「ああ、ありが……!?」

 

 応じ、吟遊詩人はぎょっとした。長衣の隙間から伸ばされた腕が、節くれ立った硬質の外骨格で形作られていたからだ。

 

 その異形の指先から落とされた金貨が帽子の中で音を立てるよりも前に、男の側頭に何かが突きつけられた。

 

「貴様。なぜここにいる」

 

 湾曲した木材と短い金属の筒で構成されたそれは、先ほどまでの穏和さが嘘であったかのように殺意を剥き出しにした鯱の右手の中で、己の役目を明瞭に主張していた。

 

「構えろ」

「え、あの、何が」

「わかんないけど立って!」

 

 それが武器であることも、どれほどの殺傷能力を秘めるのかもよく知っている侍が、誰より早く動いていた。滅多に目にする機会がないために遅れた鉱人道士と蜥蜴僧侶が続き、知識としてしか存在を知らなかったゴブリンスレイヤー、次いで当惑する妖精弓手と女神官。状況が飲み込めているとは言えないまでも、ひとまず長衣の男を半包囲する形で布陣した。

 

「なぜ、だと。おかしなことを聞きやがる。ここは元々、俺たちの街だったはずだ」

 

 どよめきが巻き起こる中、男はまるで動じた素振りも見せず、ゆっくりと頭巾(フード)を取り去った。

 

「だろう? 相棒」

 

 暗黄緑の体色。感情の読めない複眼。千切れて片方だけになった長い触角が、後ろに向かって流れている。蟲人だ。より詳しくは飛蝗人(ローカスト)、その名のとおり飛蝗(バッタ)の相を持つ種族である。

 

「……っ!」

 

 女神官は錫杖を強く握りしめた。飛蝗人は、ある日突然大群で飛来し地上のすべてを喰らい尽くす、生物災害だ。大地の恵みを全否定するがごとき暴威ゆえに、地母神の教えはこれを仇敵と定めている。彼女の反応は当然のものだ。

 

「脳髄まで黴びたか、貴様。街を捨てた裏切り者が、何をいまさら。老朽して魚の餌になるのが恐ろしくなったか、死に損ないの古老(オールドハンド)

「裏切り者はお前だろうが。あの売女の側について仲間を殺し、挙句今は……クックック、童女趣味はさすがに気色が悪いぜ、クックック——グ、ゲホッ、ゲホッ!」

 

 鯱と古老。罵詈雑言の応酬は、長くは続かなかった。苦しげな様に思うところがあったのか、鯱の右腕がわずかに垂れる。その隙を捉えた古老は武器を払いのけ、酒場の屋根まで一瞬にして跳び上がった。

 

「ハァ、ハァ……ク、ク……まあ、いい。あばよ、相棒。あのジジィにもよろしくな」

 

 さらなる跳躍でもって、古老は完全に姿を消した。

 

「農場のほうにいったぞ!」

「逃すな!」

 

 駆けつけた衛視たちが後を追う。鯱はその行先をしばらく睨みつけたのち、衛視と二、三言葉を交わしてからゴブリンスレイヤーたちに向き直った。

 

「すまん。また、身内が迷惑をかけた」

 

 字名の片鱗はどこへやら、鯱は穏やかな調子に戻っていた。とはいえ声色に若干の堅さは残っていたが。

 

厄介事(トラブル)みてぇだの。腕っこきの冒険者の手助けは入り用かえ?」

 

 そこに、鉱人道士は依頼遂行への糸口の気配を感じ取った。相手は商会の代表、こちらの目的は通商絡み。ずっときっかけを窺っていたのだ。

 

「……そうだな、必要な段階かもしれん。同行してくれ。事情は道中で説明する」

 

 

 

§

 

 

 

 人垣を割って酒場をあとにした一行は、騒動に引き寄せられる住民の流れに逆らい、目抜き通りを上っていった。

 

「先王の時代に活動していた海賊たちの中に、堅気になり切れなかった者がいることは、先刻話したとおりだ。そこには街を離れ、未だに掠奪を続けている頑迷な者も含まれている。古老、あの飛蝗人は、そういった海賊団の首魁だ」

 

 歩調を気にする余裕もなく、鯱はスタスタと進む。女神官は早歩きになり、鉱人道士は小走りだ。

 

「前々から頭痛の種だったが、二年前に女王が亡くなったことで彼女が抑止していた不穏分子がやつらに合流し、勢力を増大させてしまった。近頃は、海上の船どころか港にまで破壊工作を仕掛けてくる始末だ」

「物流が滞っているのは、そのせいか」

「そういうことだ。このうえ古老自身が姿を見せたとなれば、間違いなくより惨憺たる事態が引き起こされる。何を企図しているにせよ、看過するわけにはいかん」

 

 今のゴブリンスレイヤーの質問への返答をもって、彼らは最低限の目標であるこの街の状況把握を達成したことになる。誰もそこには言及しない。乗りかかった船だ。という言い回しを用いるのにふさわしい場面は、他にあるかもしれないが。

 

 そうこうするうちに、彼らは街を一望する高台に建つ白亜の屋敷に辿り着いていた。鯱が一声かけると守衛が柵門を開き、来客たちを招き入れる。

 

「ここって、もしかして」

「公爵邸だ。そう、かしこまらなくてもいい」

「いえ、でも、急にお伺いして大丈夫なんですか?」

「話は私が通す。さあ、入ってくれ」

 

 大扉を押し開き、玄関広間(エントランスホール)へ。女神官にはよくわからない、なんかすごそうな絵画やなんか高そうな壺の飾られた廊下を抜けていく。我が家のように遠慮なく歩む鯱に案内された先は、食堂(ダイニング)だった。

 

「失礼する」

「食事中に、騒がしい。何事だ。それにそいつらは何者だ」

 

 染み一つない白布(クロス)の敷かれた長卓、席についているのはたった三人。鯱の突然の入室に厳しい声を飛ばしたのは、軍服姿の老爺だった。両腕を覆う羽は、装飾ではない。彼はおしなべて寿命が短いとされる鳥人(ハルピュイア)の中にあって例外的な長命種、梟人(ストリクス)だ。

 

「緊急だ、博士(はくし)。古老が街に現れた」

「なんだと……待て、ここでは」

 

 博士は食卓を囲む残る二人の片割れ、賓客たる貴族の令嬢へと目を向けた。当の彼女はそれに気づかず、ゴブリンスレイヤーたちを見て固まっている。相手方の反応も似たり寄ったりだ。それはそうなるだろう。一党と、かつて冒険者であったこの蜂蜜色の髪の女商人は、縁浅からぬ仲なのだから。どうやら、今日はこういうことばかり起こる日らしい。

 

「いや。もうそんな場合ではない。限界が間際であることなど、お前もわかっていたはずだ」

「ぬ……」

 

 思わぬ再会を余所に、鯱は食い下がる。沈黙を肯定とみなし、客人と、上座に座る白百合(リリウム)のような少女に視線を移した。

 

「御両所とも、食事時に大変申し訳ないのだが」

「あ、いえ。お気になさらず」

「構いません。どうぞ、話してください」

 

 我に返った女商人は少々慌てて。齢十ほどであろう幼い公女は、歳不相応な落ち着きで応じた。鯱は微笑して一礼すると、面を上げると共に表情をまた引き締める。

 

「古老は港の近辺に現れ、すぐに霧消した。以前から睨んでいたとおり、街のどこかに潜伏拠点があると推察する。私はその捜索をここにいる、西方からやってきた冒険者たちに依頼したいと考えている」

「血迷ったか」

 

 今度こそ我慢ならんと腰を上げた博士が、猛禽の眼光で鯱を射抜いた。

 

「これまでと同様に、我々海兵隊が事に当たる。そも、余所者に任せられるはずがあるまい。冒険者を雇うとしても、この街のギルドを頼ればいい」

「そうしたとも。そして、そのどちらも失敗した」

 

 失敗、とは言うが。荒くれの海賊を敵に回しての失敗ともなれば、その代償は死ぬほど高くついたことだろう。言葉を選んだのは彼なりの配慮だったが、利発そうな公女の前ではどれほど意味があったのかはわからない。

 

「……貴様、また勝手な真似を」

「海兵隊も。第五位、紅玉等級の冒険者も成果なしだ。今の街にはそれ以上の手練れは存在しない。幸運にも居合わせてくれたこの銀等級の冒険者を除いては、な」

 

 小言の出鼻を挫きつつ、手で示す先に佇むのは安っぽい鎧の男。博士の眉間の皺は深くなる一方だ。

 

「そんな怪しげな男に、信を置けと言うのか」

「……信用なら、私が保証しましょう」

 

 そこへかけられた声は、女商人のものだった。決然と立ち上がり、ゴブリンスレイヤーの傍らへ移動する。

 

「悪いが、部外者の意見を考慮する必要は認められない」

「部外者? 私は商会と取り引きをしていますし、それにこちらの一党の実力を知っています。当事者を名乗る権利は十分にあるはずです」

 

 博士の冷ややかな威圧にも、怯む様子はまるでなし。若輩とて、いや若輩だからこそ、貴族社会の老人たちとの舌戦で鍛えられている。経験では敵わなくとも、度胸で劣りはしないのだ。

 

「さて、怪しいとおっしゃるなら明かしましょう。彼らは西方辺境にその人ありと謳われる小鬼殺しと、その仲間。ゴブリンをご存じですか?」

「最弱の怪物だ。それを殺したところで、誇ることなど何もない」

「ええ、そのとおり。弱く、狡賢く、群れをなし、武器を持ち、隠れ潜み、罠を張り、ときには呪文すら扱う怪物です。たとえば百匹。ゴブリンが百匹待ち構える洞窟を探し出して攻略するなら、貴方は何人の兵を送り込みますか?」

 

 百人だ。と、そう答えないだけの思慮はあった。確実に索敵、殲滅するなら最低でも同数は欲しい、それは事実。だが洞窟という前提だ。一度に突入できる兵力は限られる。多くとも六人一班で、湧き出すように迫るゴブリンどもを擦り潰しつつ、損害に応じて逐次投入。負けはすまい。犠牲を許容すれば。

 

 つまり、結論はこうだ。兵を送り込むべきではない。

 

「ゴブリンスレイヤーさん。貴方なら、何人で挑みますか」

 

 返答に窮するように仕向けられた博士が内心で舌打つ間に、女商人は風向きを掌握する。この奇妙な冒険者が話を合わせられるほど器用でないことは、わかっている。ただ、実直だ。疑いようもなく。

 

「洞窟の中なら百匹程度、俺一人でも勝てる」

「一党全員なら」

「二……いや、今ならその三倍は相手にできるだろう」

 

 《聖光(ホーリーライト)》で機先を制し、《竜牙兵(ドラゴントゥースウォリアー)》で手数を稼ぐ。大群のど真ん中に《酩酊(ドランク)》をかけて一網打尽にするのもよい。敵に射手がいれば、矢の補充もできる。それと、侍は一人で百匹斬りをやってみせるものとする。

 

 大言壮語のようでいて、その実冷静な計算の結果であった。

 

巨人(トロル)とか、人喰鬼(オーガ)がいたって平気です」

「デーモンだって目じゃないわ」

「直近だとあれか、アンデッドの軍団とやり合うたの」

「亜種とはいえ、竜とも対峙いたしましたなぁ」

「こたびの対手は与太者どもか。竜より手強いとは思えぬが」

 

 翻って、こちらは空気を読んで話を合わせられる者たちだ。それでも別段、大見得切ったつもりはない。事実と自負だけがある。

 

「人々の暮らしを脅かす悪意の走狗を影から狩り出し、これを討つ。ここにいるのは、そういうお仕事に精通した方々なのです」

 

 背中を押された。もう一押しだ。女商人は不敵な笑みを浮かべ、こう締め括った。

 

「在野最高位の冒険者との縁故(コネクション)を得る、貴重な機会でもあります。そちらにとっても、悪いお話ではないと思いますが?」




◆英雄譚・小鬼殺し◆

 ある吟遊詩人が伝えた、辺境の冒険譚。放浪の勇士、小鬼殺しの活躍が歌われている。

 小鬼の脅威に怯える弱き民の悲嘆あるところ、彼は必ずやってくる。その手にまことの銀の名剣携え、小鬼の王をも討ち果たしたという。

 美々しい物語には、誇張がつき物だ。

 とはいえ何事も、無から有は生まれないものだが。


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3-3:探索者たちの昼下がり/Pendulum

 

「ごめんなさい!」

 

 作戦会議室(ブリーフィング・ルーム)として宛てがわれた一室で、女商人は開口一番、そんな声を発した。

 

「皆さんに確認も取らずに、差し出がましいことを」

 

 自信と威勢は食堂に置いてきた。今の彼女は、お節介を焼いたはいいがやっぱり余計なお世話だったのではないかと時間が経つにつれてなんだか不安になってきた、一人の娘にすぎない。

 

「いや。助かった」

「お力添えなくば、あの梟人の御仁を頷かせるまでにどれほど時を要していたことか。立て板に水の商売口上、お見事にございまする」

「利に聡く、機を見るに敏。商人になったっつうのは聞いとったが、お前さんもういっぱしのもんだの」

「そんな、私はまだ——きゃっ!?」

 

 照れ臭さのあまり目を逸らしたところへ、側背に忍び寄った妖精弓手が跳びついた。顔を向ければ間近に迫るまばゆい容色。吐息にくすぐられた頬が火勢を増すのは不可抗力だ。

 

「でもさ、どうせなら私のこともちゃんと紹介してほしかったなー、なんて。銀等級はオルクボルグだけじゃないんだから」

「いえそれは、そういう方向に持っていってしまうと都合が悪くて、ですね」

「じゃあ全員認識票を見せろ、って言われたら困っちゃいますもんね」

 

 ノリの軽さに気づく余裕もない女商人の真面目な弁解を、女神官は苦笑しつつ補足した。一党には鋼鉄と白磁もいるのだ。下位の冒険者では心証をよくする手伝いは難しい。

 

「あ、そっか。ごめんごめん。……それよりも」

 

 等級の差も疑問そのものも、彼女にとっては些細なことだったのだろう。すぐに切り替え立ち位置もくるりと入れ替え女商人の正面に移り、妖精弓手は人懐っこい笑みを浮かべた。

 

「久しぶり、でいいのよね。元気してた?」

「はい、お久しぶりです。おかげさまで、頑張れています」

 

 約半年だ。駆けだしの冒険者であった女商人が雪山に巣喰うゴブリンどもに挑み、敗れ。仲間を、尊厳を、家宝を失い。ゴブリンスレイヤーたちの手を取って立ち上がり、報復といくばくかの奪還を果たしてから、半年足らず。年の近いほうと離れているほう、友となった二人の同性とは文通にて近況を伝え合っていたが、こうして再会するのは初めてのことだ。

 

「よかったです。お手紙はいただいてましたけれど、やっぱり直接お会いできると安心ですね」

「そう……ですね。本当に、そう思います」

 

 会えぬ者を思えばこそ、会えることの得がたさが身に沁みる。彼女の眦に光る雫に、友人たちは気づかぬふりをした。

 

「でも、どうしてここに? 最近は水の街と都をいったりきたり、だって書いてありましたけれど」

「ご挨拶、ですよ。この街の商会とは、私が商いを始めてすぐに声をかけていただいてからのおつき合いでして」

 

 目元をさっと拭い、女商人は答えた。商人と言っても、家柄はあっても個人的な実績は何もない若輩だ。冒険者への援助に重点を置くことを標榜しているのが商会の代表たる鯱の琴線に触れたのだとは、彼女には知る由もないが、なんにせよ大店からの商談はありがたい話だった。

 

「あれこれ立て込んでいてまだこちらからお伺いしたことがありませんでしたので、ひと月ほど前から面会予約(アポイントメント)を取っていたのですが……ちょっと時節が合わなかったみたいです」

 

 卸しの遅れから街で何かが起きていることは察していたものの、何が、まではわからず。さらに先方から迎えを寄越すとの申し出を受けている以上は、おいそれと翻意(キャンセル)するわけにもいかず。そんなこんなで、こうなっている。

 

「そらツイとらんかったのう。しかも一枚噛んじまったからにゃ、帰るに帰れんだろ」

「となると、無事家路につけるか否かは拙僧らの働き如何に懸かっておる、と。これは責任重大ですな」

「やることは変わらん。探して、踏み込む」

「しかして斬る。常どおりよな」

 

 困った事態ではある。しかしどうだろう、頼れる知己がいるならば。……知己?

 

「……あの、それで。そちらのお侍さんは新しいお仲間、なのですよね」

 

 そろそろ気になってきたので、女商人はこの場で唯一初対面の男と向き合った。詩の中でしか知らない存在、侍。先日受け取った手紙からは、やはり詩の主役めいた剛毅にして真率な人物であるらしいと読み取れたが、いざ目の前にしてみると威圧感のある風貌のせいもあって意識が張り詰めてしまう。

 

「ああ、そうだ。よしなに頼む」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 折目正しい武士の一礼に、負けず劣らずの丁寧な一礼で返す。礼儀(マナー)(マン)を作ると言うからには、こうした挙措にも人間性の一端が垣間見えるものだ。侍の態度には年長の男にありがちな、年若い娘への無意識かつ無遠慮な慢侮の雑音が毛ほども含まれていない。紳士と称するには雰囲気が鋭利すぎるものの、紳士的であることは確かだった。

 

 友人の友人もまた友人たりうるとは限らないが、彼とはよい関係が築けるかもしれない。そう結論づけた女商人は貴種の性か職業病か、つい品定めしてしまう自身の癖を恥じつつも、相好を緩めた。

 

「失礼します、冒険者の皆様」

 

 すると、一段落つくのを待っていたかのようなタイミングで扉を叩く音が四つ、控えめに響いた。巻きまとめられた羊皮紙を両手で持ち、博士を伴って歩み入る小公女の様は、やはり礼法に則ったものだった。

 

「街の地図をご用意いたしました。どうぞ、お役立てください」

「なんと、公女殿下御自らとは。かたじけない」

「いえ、お坊様。公爵家の者として、街のために働いてくださる皆様を支援するのは当然のことです。お気になさらず」

 

 亡き公爵夫妻の一粒種、当主跡取りとしてふさわしい教育を受けている才媛なのだ。幼くとも、彼女の立ち居振る舞いは堂々としつつも奥ゆかしく、貴人の手本とするに差し支えない。

 

「ご期待に添えるよう、励むことだ。我々に恥をかかせるな」

 

 対照的に、博士は変わらず呑んでかかる。主からのたしなめの目配せにも動じない面の皮は、巌のごときいかめしさを崩さぬままだった。

 

「現在、船舶の入出港規制と海上封鎖の準備を進めている。古老の脱出を防ぐためだが、あまり長くは持たせられん」

 

 そしてここにはいない鯱は、足止めを喰らう羽目になった外国商船との折衝に奔走している。商売の心配をしている場合なのか。場合なのだ。街の安全は守られたが経済は守れなかった、では意味がない。

 

「もっとも、あの男がわざわざ(おか)に上がってきたからには、すぐに大きな動きがあると見るべきだがな。いずれにせよ、時間は限られている」

 

 つまるところ。事の行末は、冒険者たちに委ねられたのだ。

 

「わかった。早速取りかかろう」

 

 

 

§

 

 

 

 ではまず何から取りかかるのかといえば、情報収集をおいてほかにあるまい。

 

 街の地形を確認した一行は、三組に分かれて行動を開始した。海賊による襲撃への懸念はあるものの、固まっていては効率が悪い。むしろ向こうからやってくるならこの上ない手がかりになる、と考えられるだけの度胸が彼らにはあった。

 

「この樽はどちらに置けばよろしいですかな」

「こっちだこっち。いやぁ、さすが蜥蜴人は力強ぇな」

 

 港の東側。港湾機能の一時停止に伴い仕事も停止、とはいかない船乗りたちを手伝い、蜥蜴僧侶は荷運びに精を出していた。

 

 他種族、とりわけ只人から見ると蜥蜴人の容姿は恐ろしげに映るものであり、大抵は警戒される。怪物めいていると言われても竜を目指す身には褒め言葉、実際に混沌の勢力に与して暴れている同族も少なからずいるので反論する気も起きないが。人に声をかけただけで衛視を呼ばれる事案を経験している彼としては、認識票の説得力に頼んで相互理解の努力を怠る、という選択肢はありえないのだ。とはいえ、無用な心配だっただろうか。

 

「兄さん次、これいいかい」

「お任せあれ」

 

 闇人がのんびり昼食を取れる街だ。蜥蜴人くらい、住民たちはどうとも思わないらしい。

 

「それにしても。海賊に脅かされておるにしては、皆あまり堪えた様子がないように見受けられるが」

 

 それゆえこうして世間話もできる。

 

「そりゃな。海に出るってのはそんだけで命懸けだからよ、俺らも待ってる家族も、けっこう腹ぁ括ってるとこがあんのさ。そうそうビビんねぇし、海賊上がりの先輩がたなんかは逆に燃えてきちまってるぐらいだ」

「なるほど。その豪胆ぶり、感服いたしまする。海賊上がりといえば、あの鯱と呼ばわれておる闇人の御仁も元は、海賊であったとか」

「おうよ、鯱の兄貴はすげぇ海賊だったんだぜ。十一年前の戦争じゃ、砂漠の国の軍船を嘘みてぇな数、沈めちまったんだ! いやまあ、そんときゃ俺まだガキだったから聞いただけだけどな?」

 

 興奮した様子でまくし立てる若い水夫の表情は、ちょうど冒険者に憧れる少年のものに似ていた。

 

「それによ、海賊やめてからもすげぇんだ。商会はあっという間にでかくなったし、公女様を助けて、その、まつ……まつり……」

(まつりごと)

「そうそれ、政な。政にも関わってんだ。あの人についてけば街はどんどんよくなってく。今回の騒動だって、きっとなんとかしてくれるさ」

 

 只人から畏敬を注がれる闇人。只人の治める街で執政に携わる闇人。よほどの求心力(カリスマ)を備えていなければ、こうはならない。蜥蜴僧侶は鯱への評価に修正を加えつつ、次なる問いかけを舌先に乗せた。

 

「頼もしい限りですな。ところで、この箱はどこまで運ぶので?」

「いっけね、通りすぎた!」

 

 などという具合に、歓談は続く。わけだが、その間彼の相方はどうしているのだろうか。視点を変えてみることにしよう。少し離れて港の東端。槌の音絶えぬそこは造船所だ。

 

『美しくも厳しい海に』

『乗り越えてゆける船に』

『それを生み出す匠たちに』

 

 作業場の隅に配置された円卓を挟み、二人の鉱人は三度、巵杯(ジョッキ)を打ち交わした。

 

「忙しいとこ悪ぃな、兄弟」

 

 杯の中身は一息で七割減。鉱人語から共通語に戻して、鉱人道士は雫と謝罪で髭を濡らした。

 

 形式上必要な場面を除いて、鉱人は自分たちの住処以外で鉱人語を使いたがらず、固有名詞すらわざわざ共通語の言い回しに置き換える。耳障りな発音を恥じて秘しているのだ、と森人は宣う。それを彼らの前で口走った日には自分の顎の砕ける音を聞かされることになるだろうし、鉱人道士と差し向かう男にはすでにそれくらいのことは実行していそうな凄みがあった。

 

「前置きはいらん。何が知りたい、兄弟」

 

 百五十は上だろうな。()()はそう勘定した。彫り込まれたかのような皺、禿頭、くすんだ赤髭。鉱人とはかくあるべしと体現するかのごとき老熟の棟梁を前にしては、さすがの彼も肩を強張らせざるをえない。

 

「ここんとこ客に海賊がおったかどうか、教えちゃくれんか。海賊かもしれんやつら、でもいい」

 

 普段の剽軽さを封じ、仲間たちが聞いたこともないほど真剣な声音で問う。徳利持参で訪ねた理由は、これだ。

 

 船は消耗品。波と風と雨に、海賊ならば戦闘による損傷も加わる。荒くれ者とて我が家を蔑ろにするはずはなく、修理なり新造なりで船大工の世話になっている可能性は多分にあり、その線を辿ろうという心算だった。

 

「知らん。うちの仕事は船を造る、船を直す。そんだけだ。客が船を何に使おうが、興味はねぇ」

 

 まあそうくるよな。鉱人道士はそう観念した。戦士の家系で術師などやっていたり上の森人と一党を組んでいたりする彼は、同族の中でも割合とはみ出し者の部類であり、本来なら鉱人とは頑固一徹の同義語だ。それも職人ともなれば。

 

「つうたかて、よう。見たとこ戦傷(いくさきず)だらけの船ばっかじゃねぇかい。船大工としちゃ、商売繁盛なんて喜べる状況じゃなかろ。ちくとでも構わん、気になったことがありゃ話してくれんかの」

「小賢しい口を利くな、小僧。海賊どもの相手は海兵隊か、てめぇら冒険者の仕事だろうが。連中がカチ込んでくるんでもなけりゃあ、こっちにゃ関係のねぇ話だ。わかったらとっとと去ね」

 

 杯を干し、裏返して卓に叩きつける。酒席は早々に打ち切りらしい。

 

「しゃあねぇ、そうさせてもらわぁ。邪魔したの」

 

 同じく杯を空にすると、鉱人道士は処置なしと尻を上げた。

 

「ついでに街からも出ていきやがれ。余所者があんま首突っ込むもんじゃねぇぞ」

 

 棟梁はつまらなげに鼻を鳴らすと、修理中の船が並ぶ船渠(ドック)を眺めた。その一番端に安置された老船で目を留め、溜息を一つ。

 

「そら、できん相談よ」

「あん?」

 

 そこへ予想外に返事があった。鉱人道士が立ち止まって首を巡らせている。

 

「いっぺん受けた仕事を、そうそう投げ出せるもんかい。そうだろ、兄弟」

「……生意気な野郎だ」

「叔父貴にもよう言われたわい」

 

 片手を上げて離れていく彼は、いつもの調子に戻っていた。

 

 

 

§

 

 

 

 一方その頃、街の西では。

 

 この辺りは地盤が隆起しており、主要な地区よりもかなり高くなっている。山側が畑、海側が牧場。岬の農場に足を運んでいるのは、ゴブリンスレイヤーと女神官だ。

 

「あれが羊なんですか? 絵で見た羊はもっとこう、モコモコって」

「毛を刈るとああなる」

 

 西の街の近辺では牧羊は行われていないため、女神官が羊を見るのは初めてだった。本格的な夏に備えて涼やかな姿になった羊の群れは、少女の期待を裏切ったことなど露知らず、のんべんたらりと草を食んでいる。

 

「あの羊飼いに話を聞こう」

 

 のんびりする気は一切ないゴブリンスレイヤーはズカズカと真っ直ぐに、ではなく羊を驚かせないように注意して近寄っていく。彼は一党の交渉役(フェイス)だ。こんな薄汚れた覆面男(フルフェイス)に話しかけられれば、正常な判断力の持ち主ならとりあえず二歩は距離を取る。その距離を認識票が埋め、いざ言葉を交わしてみれば存外に誠実(フェイスフル)。ここへくる道すがらもそんな調子で住民に聴取をしていたため、彼に任せておけば大丈夫だと、女神官はちょっぴり気を抜いていた。

 

「……いや。やってみるか?」

「えっ、と、はい。やってみます」

「そうか」

 

 戸惑いつつも、足を止めるのは一瞬だった。ゴブリンスレイヤーを追い越して前に出る。以前の彼女であればこうも即断はできなかった。魔術師の少年との口論に端を発する、自身が臨時の頭目を務めた冒険はまだ記憶に新しい。結果はともかく過程は自慢できるものではなかったが、得るものはあった。依頼人との交渉に当たった経験はその一つだ。

 

「あの、すいません」

「んむおっ!?」

 

 先端が大きく湾曲した特徴的な杖を地面に突き、羊を見守るうちに船を漕ぎ始めていた初老の羊飼いは、ビクリと体を震わせて足もとの犬を驚かせた。

 

「なんだい、お嬢ちゃん」

「冒険者のお仕事で、ちょっとお話を伺いたいんですけれど、よろしいですか?」

 

 認識票を示す。一般人からの冒険者への信用度合いは、白磁では話にならず、黒曜でも少し怪しい、といったところ。では鋼鉄ならどうか。微妙だが、足りない分は礼節と愛嬌と地母神の威光が補ってくれる。

 

「ああ、いいよ」

「ありがとうございます!」

 

 快諾を受け、顔を綻ばせる女神官に釣られて羊飼いも自然と破顔した。犬に監視されている後方の不審者については、ひとまず置いておくことにしたようだ。

 

「それじゃあ、ん……」

 

 では直截に、という先輩の影響下にある思考に自ら待ったをかける。農民にいきなり海賊の話題を振っても困らせるだけではなかろうか。それに、すでに衛視の手が入ったあとだ。質問のしかたには気をつけるべきだろう。

 

「最近何か、変わったことは起きませんでしたか」

 

 漠然としたところから、絞っていく。相手の抱えている情報が当人の中で海賊と紐づけされていない可能性も考慮すると、これがもっとも取りこぼしの少ない方法だと思われた。

 

「変わったことといったら、そうだねぇ。ちょっと前の雷かな」

「雷、ですか。何かおかしなところが?」

「うん。海のほうがやけにビカビカしてるなと思ったら、沖から稲光が、流れ星みたいに空を横切ったんだよ」

 

 海から山へ、指差して記憶をなぞる。確かに変わったことだ。依頼と関係があるかは不明ながらも。

 

「あれは悪い兆しだったのかもしれないねぇ。その頃から海賊に襲われる船が増えたって聞くし、牧場からは羊がたまにいなくなるし」

「ゴブリンか?」

 

 少なくとも、この男が無関係な方向に突き進もうとしていることだけは間違いない。羊飼いは後ずさり、女神官は遠くを見詰め、犬は吠えた。

 

「かもしれませんけど、ゴブリンスレイヤーさん。今は」

「わかっている」

 

 迫る海賊の脅威、街の有力者たちからの依頼。優先せねばならない事柄がなんであるかなど、説明するまでもなく。

 

「少し確認するだけだ」

 

 それはそれとして、ゴブリン殺すべし。ゴブリンスレイヤーのゴブリンスレイヤーたる所以である。

 

「本当に、仕方のない人ですね」

 

 女神官も重々承知でこの男の仲間をやっているので、諦めは早い。一歩引いて譲り、代わりにゴブリンスレイヤーが被害状況や痕跡の有無を事細かに尋ねていった。

 

「では調べさせてもらうが、構わんか」

「もちろん。わざわざすまないね」

「いや。俺の務めだ」

 

 初めは面喰らっていた羊飼いも、どうやら助けてくれるらしいとわかって協力的な姿勢を見せた。どこだろうとゴブリンとは弱者の天敵であり、それを退治する者はもっとも身近な英雄なのだ。

 

「でも、ゴブリンがいそうな山はちょっと遠いですし、どこを調べるんですか?」

「こっちだ」

 

 悩む素振りもなく、ゴブリンスレイヤーは海へと歩いていった。兜を左右に往復させて地面の状態を改めつつ、ときにしゃがみ込み、掌を這わせる。

 

「アテが外れた」

「ゴブリンの足跡はありませんでしたか」

「ああ。これはゴブリンのものではない」

 

 そこかしこに残された蹄の跡の中に、不自然な途絶え方をしているものを認めた。近くにはやけに接地面積の少ない、爪痕にも似た足跡が二人分。土の沈み具合と歩幅から、只人を基準とすると体重はやや軽く、体格は上回っていると推察できる。

 

「おそらく、蟲人だ」

「じゃあ、さっきの……!?」

「そこまではわからん。ただの家畜泥棒という可能性のほうが、海賊の仕業と考えるよりは筋が通る。だがどちらにせよ、あの羊飼いにとっては頭痛の種だろう」

 

 年かさの農夫の姿に何か思うところでもあったのか。ゴブリンスレイヤーにはたとえこれが寄り道であったとしても、そこそこにして切り上げるつもりはまったくないようだ。

 

 迷わず足跡を辿って、グラつく柵を越える。あとで修繕を勧めておこうと頭の片隅に書き留めつつ、崖に近づいた。覗き下ろしてみるも目に入るのは、波に洗われる大小いくつもの岩礁ばかり。

 

「ここを下りたんでしょうか。羊を、捕まえたまま?」

「蟲人の鉤爪の力を低く見積もらなければ、そうなる」

 

 十把一絡げに蟲人と呼称されてはいるが、その内訳、細かな種別は多岐にわたる。壁面や天井を自在に歩き回る者もいるのだ、只人の常識に囚われていては読み違えることになろう。

 

「回り込む手間が惜しい。杭と鉤縄を」

「はい。"出かけるときは忘れずに"と」

 

 一方の只人は、種族的没個性を道具で補う術に長けている。まず杭を二本、小槌で地面にしっかりと打ち込む。なぜ二本なのか解説はいるまい。謳い文句に従い用意してきた冒険者ツール付属の鉤縄を結えつけ、引っ張って支点の強度を確認。障りなし。

 

「これも、やっぱりやってみたほうがいいでしょうか……!」

「そうだが、今はやめておけ。落ちれば死ぬぞ」

 

 制止されるより先に、岩に激突する未来を思い浮かべてしまっていた女神官は、安堵した様子で賛同した。

 

「は、はいっ、失礼します!」

 

 落ち着いた心拍数を別の要因で再上昇させつつ、無骨な鎧にしっかりとしがみつく。華奢な娘とはいえ人一人、負荷をかけての懸垂下降(ラペリング)は容易ではない。ゴブリンスレイヤーはそれをさらにもう一人支えた状態で、かつ逼迫した状況下でもやってのけるのだから、頼らぬ理由があるものか。

 

「いや、そうではなくてな」

 

 ところが、彼は女神官をやんわりと押し戻した。

 

「言い方が悪かった。単独(ソロ)で下りるのは危険だから、補助をする」

「え……え?」

 

 困惑を余所に縄を細い肢体へぐるりぐるり。痛くないように加減と工夫をしつつも、錫杖ごとしっかりと縛っておく。特に自由を奪うような結び方はしていないが、はたから見れば人攫いだ。

 

「よし。縄を掴め」

「はい」

「後ろ歩きだ」

「は、い」

「ふちから身を乗り出せ。足を壁につけろ」

「はいぃ……」

 

 ゴブリンスレイヤーが握る縄を繰り出すのに合わせ、慎重に歩み下りていく。空と牧草と先達の姿が遠ざかり、忍び寄ってくるのは怯懦の念。やってみたほうが、などと発言したことを後悔しそうになり、それからこれも冒険と思い直して気合を入れる。一歩一歩確実に、足を動かしていかなくては。

 

 やがて、女神官は空を蹴った。

 

「あ、れ。ゴブリンスレイヤーさん! 足が、つきません!」

「落ち着け、動くな。あとはこちらで下ろす。真下は岩場だ、滑らないようにしろ」

 

 言われるまま、足がかりを探るのをやめて縄に身を任せる。間もなく靴底が岩肌を捉え、女神官はようやく人心地つくことができた。すると、自分が下りてきた崖を観察する余裕も表れる。

 

「洞窟だ」

 

 抉り込むように穿たれた暗い海蝕洞が、先ほどの落とし穴の正体だった。

 

「縄をほどけ」

「あっ、そうでした」

 

 忘れていた! 慌てて結び目を外し、その場からゆっくりと数歩離れる。それを見届けたゴブリンスレイヤーが縄を手繰って壁を蹴り、飛ぶように降下してくるのを目の当たりにして、女神官は己の未熟を痛感するのだった。

 

「よくやった」

「……やれて、ました?」

「ああ」

「えへへ」

 

 情緒の乱高下が止まらない。そんな己の言動の威力を一顧だにもせず、ゴブリンスレイヤーは周辺の地形に視線を走らせた。

 

「岩礁が遮蔽物になっている。海側から、この洞窟を見つけるのは難しいだろう」

 

 隠れ家にはもってこいだ。これは、当たりを引いたのかもしれない。

 

「偵察するぞ。松明を……いや、あれを試すか」

「わかりました、準備します」

 

 引き続き、女神官の鞄の中身がお役立ち。取り出だしたるは、一見なんの変哲もない小型の角灯(ランタン)。それも枠に硝子を嵌められていない簡素なものだ。

 

インフラマラエ(点火)

 

 呪文の無駄遣い、ではない。彼女に魔術の心得などなく、どこかの魔女の発声を真似して真言(トゥルーワード)をさえずってみても、何も起こらぬなぁと頭を掻くことになるだけ。今のは合言葉だ。応答した角灯に火が灯り、掌からフワリと浮き上がる。

 

 追従灯(フローティング・ランタン)。強風や水でも消えない魔法の火をいだき、使用者の傍らで自律飛行し、しかも思念によって操作できる優れ物だ。そこまでは、よい。

 

 その浮遊機構が、虚空から現出した人ならぬ白骨の奇手が取っ手を握って持ち上げる、という不気味極まる有様でさえなければ完璧だった。もしもゴブリンの巣窟に囚われた村娘が、揺れ近づく灯火に希望を見出したとき、視界に入るのがこれだったならどうなるか。きっと悲鳴を上げる。少なくとも渡されたその日の夜に自室で試行した女神官は叫んだし、ついでに錫杖を引っ掴んで思い切りブン殴りもした。おかげで頑丈さも実証された。

 

「問題なく機能しているな」

「……そうですね」

 

 問題は見てくれを気にするとか一緒に選ぼうとか事前に説明しておくとか、そういった発想のないこの男の感性だと、女神官は切に思う。破損してしまった先代を補填するために貴重な魔法の道具(マジックアイテム)を買い与えてくれたことには、感謝しかないけれども。かつてとある女性への誕生日の贈り物として現金を渡すという暴挙に走ったことからすれば大きな進歩である、けれども。

 

「では、いくぞ」

 

 そうとも知らず満足げに頷くゴブリンスレイヤーの前に、追従灯を移動させる。右手だけの案内人に先頭を任せ、二人は岩窟の中へと踏み入っていった。海水に浸かった足場に注意を払い、それ以上に闇の先へ気を配る。潮騒は徐々に小さくなり、耳朶を打つのは水音混じりの足音だけになっていく。

 

「人の手が入っているな」

 

 足音が乾いたものになり、さらに柔らかさを含むものになる頃には、周囲の外観は岩から土へと変容していた。自然にできた構造ではないと、無数の洞窟に潜ってきた経験が告げている。

 

「ちょっと、明かりを絞りましょうか」

「頼む」

 

 火が細くなり、必要最低限の輝度に。光を殺し音を殺し、気配を殺す。壁伝いに進む道は右手側、つまり街の方向へと曲線を描き、徐々に幅を増していく。やがて地面に映る影絵、向かい合う只人と蟲人のそれを見咎め、ゴブリンスレイヤーは無言のまま兜の横に拳を掲げた。足を止めて聞き耳を立ててみれば、漏れているのが影だけではないとわかる。

 

「おい、合図はまだか。また餌が足りなくなるぞ」

()()が動いてる。出番はもうすぐだ、辛抱しな」

「そいつは、あれに言え」

 

 反響の度合いが、この先の空間にそれなりの広さがあることを教えてくれる。声質からして、不平がちなほうが蟲人か。愚痴が続く。唐突に奥から怒鳴り声、足音。誰かが走ってくる。

 

「ひぇっ、なんだこい——うわ!? 無理だ、離脱、離脱ー!」

 

 何やらすごく、情けない声を上げながら。いくつもの物音を引き連れて。よりにもよって、侵入者たちの隠れているほうへと走ってくる。

 

「……面倒なことになった」

 

 ゴブリンスレイヤーが腰の小剣に手を這わせると、女神官もそれに合わせて錫杖を強く握り締めた。

 

 ところで、これは本当に都邑の冒険と呼べるのだろうか。彼女の疑問を解消するだけの猶予は、もはや残されていなかった。




◆奇手の追従灯◆

 由来の知れぬ魔法の角灯。その製造法は失われて久しい。

 定められた文句を唱えると火が灯り、浮遊しながら使用者に追従する。挙動を意のままに操ることもでき、応用次第で単なる照明器具以上の価値を示すだろう。

 暗闇で光を得ながら両手を空けておける角灯は便利だが、動きの邪魔になることもあり、また衝撃に弱い。それを煩わしく思うのなら、こうした道具を用意するとよい。



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3-4:繋がれざる街/Libertalia

 

「BRRRRUUN!」

 

 不快な羽音が暗い地下祭儀場に響き渡る。高速で飛び回る異音の主は、巨大な(ハエ)と人体が融合したような姿形をしていた。悪名高き魔神王(デーモンロード)の一柱たる蝿の首領(フライプリミアー)、その眷属だ。

 

「うぅぅ……耳がゾワゾワする……! さっさと墜ちなさい!」

 

 自慢の聴力が仇となり、集中を乱された妖精弓手の射撃は精彩を欠いていた。そうでなくともあの機動性では、やすやすと命中させることは叶うまい。

 

「こら、妖精(ピクシー)に頼んでも追っつかんぞ。お前さんら、なんとかできんか!?」

 

 森人の照準を速度だけで振り切る相手だ。近距離ならともかく、遠間を飛ばれては鉱人道士には荷が重い。ではほかの()()呪文使い(スペルスリンガー)はどうか。

 

「《ホラ()……セメル(一時)……シレント(停滞)》」

「《マグナ(魔術)……レモラ(阻害)……レスティンギトゥル(消失)》」

 

 長杖を構える魔女が広域に影響を及ぼす《停滞(スロウ)》の呪文を口ずさみ、標的の《抗魔(カウンターマジック)》とせめぎ合う。見えざる力場は間もなく対消滅し、彼女は小さく落胆の息を吐いた。

 

「ちょ、と、難しい、かも」

「こいつが無理ってんなら俺にも無理だな、っと危ねぇ!」

 

 魔女のなよやかな肢体を槍使いが片腕で抱きかかえ、言葉とは裏腹に危なげもなく跳びのく。想定以上の難敵と、床に衝突して散る(ウジ)の群塊のおぞましさに対して、精悍な顔立ちを忌々しげに歪めた。

 

「いやはや。そう、たやすく解決させてはいただけぬようですな」

 

 もう一人。聖職者も広義の呪文使いではあるが、蜥蜴僧侶の手の中によい札はあるだろうか。

 

「さりとて、あちらの術の数も無限とはいかぬはず。重ね続ければ、いずれは崩せましょうや」

 

 あったようだ。

 

「つまりゴリ押しじゃねぇか」

「こんだけ術師が揃っとりゃあ、そいつもありだの」

「ふ、ふ……単純な、手段のほう、が、有効なこと、も……あるもの、ね」

「DLLLLLE!」

 

 何か嫌な予感でもしたらしく、蝿のデーモンは冒険者たちの策が成る前に排除せんと攻撃態勢を取った。そこへ放たれた矢が回避を強いる。

 

「なんでもいいけど、矢がなくなる前にやっちゃってよね。とどめは私が貰うから!」

 

 

 

§

 

 

 

「……幾度かの攻防の末、ついに蝿男の翅が止まる。墜ちゆく体が地につくより早く、必殺の一矢が闇を切り裂いた!」

 

 紅白の香石竹(カーネーション)が咲き広がる、公爵邸が擁する庭園の中心。日除け屋根の下、四人の男女が大理石の円卓を囲んでいた。話し手は弓を引く動作をしてみせ、それから溜めを作って焦らす。一つ、二つ、三つ。

 

「そして静寂が訪れた。耳障りな羽音がその平穏を破ることは、もう二度とない。悪しきデーモンの企ては、ここに潰えたのである!」

 

 語り結んだ妖精弓手へ、送られる拍手は二人分。残る一人の同席者は、生憎とそのような文化のある土地の出身者ではなかった。

 

「さすがだ」

「でしょー?」

 

 代わりに簡潔な称賛を述べ、侍は紅茶を口に含んだ。

 

「それで、教団に利用されていた方々にはどのような沙汰が下ったのですか。悪事の片棒を担いでしまったとはいえ、騙されていたのなら被害者です」

 

 品位を保ちつつも興奮を隠し切れていない公女は、一方で冷静な疑問に解を求めた。細部に意識が向くのも、聞き入っていた証左だ。

 

「うん。その辺りの証拠もしっかり押さえてあったから、お咎めなしになったわ」

「それは何よりです、ずっと気がかりでしたので。完璧なお仕事ですね」

「ええ、頼りになる方々です」

 

 女商人は激しく同感としきりに頷く。いずれ為政者として街を動かしていくことになる公女に有用性を印象づけておけば、将来的には冒険者たちへの信頼に繋がるはずだ。などという打算は頭になく、友人(とその同輩)が褒められて嬉しいだけだった。

 

 さて、そろそろ首を傾げる頃合いだろう。何を呑気していやがるのだこやつら、と。

 

 こう見えて、また当然ながら、決して遊んでいるわけではない。要人二名に冒険者二名、その他庭園の各所に配置された衛視たち。どう見ても、警護態勢だ。

 

 古老がどのような目論みで街に現れたのかは知れずとも、起こりうる最悪の凶事は自明であり、公女の身に危険が及ぶことがそれだ。とはいえ海上ならともかく陸で海賊が正規兵相手に、莫迦正直に正面戦闘を挑むとは考えにくく、ならば想定すべきは単独ないし少数の刺客。そうした手合いは閉所でこそ厄介な存在となり、加えて防衛側は数的有利を活かせなくなるため、屋敷の中ではなく外に布陣しているのだ。

 

「報告します。海上封鎖は完了。今のところ、異状はありません」

「うむ。引き続き警戒を厳にせよ」

了解(アイ、サー)!」

 

 港から走ってきた伝令が短いやり取りを終え、きた道を辿り去っていく。相手は数名の侍女兼護衛と並び、鋭利な鉤爪を備えた鳥脚で公女の後方に立つ海兵隊総司令、通称博士だ。

 

 衛視隊は海兵隊から選抜された者たちであるからして、この梟人が陣頭指揮を担うのは必然だった。侍と妖精弓手がここにいるのも彼の差配によるものだ。敵が撤退した際、守備戦力から人員を割くことなく出せる討手がほしいというのがその理由。あれだけ冒険者へ依頼を出すことに難色を示しておきながら作戦に組み込んでいる辺り、利用できるものは遠慮なく利用し尽くそうという魂胆か。あるいは、手元に繋いでおかねば信用できないのか。

 

「梟、か」

 

 大曲剣を背負い翼腕を組んだその佇まいに得も言われぬ胸騒ぎを覚えた侍は、娘たちの談笑に紛れて思わず漏らした微声を取り繕うように、紅茶をもう一口すすった。南蛮茶器を傾ける武者の姿というのはなんとも奇矯だ。

 

 大太刀大弓具足、それにベルトにぶら下がる御守りから防具に昇格した真新しい東洋式の兜。この兜は彼の知識を参考に工房で新造された試作品であり、特に鍬形なども取りつけられていないものの、陣笠を被るよりは()()()見栄えになっていた。

 

 このように侍は完全装備。妖精弓手も傍らに長弓を立てかけ、護衛対象の片割れであるところの女商人は、細く引き締まった腰に長短一組の宝剣を帯びている。誰も彼も武装して、その中心には幼い公女。平静を装うも、不安は滲む。滲んでいた。見かねた最年長者が武勇伝(リプレイ)を披露することを思い立つまでは。

 

 平和な街を侵食する邪教団(カルト)の暗影、至高神の神殿から盗まれた神器、それを追ううちに暴かれていく悪事の数々。強行捜査(ガサ入れ)を決行し教団本部にて教祖を捕縛して一件落着、とはならず。至高神の霊験宿す青い瞳の宝珠(オーブ)が副教祖を射竦めたとき、人の形をした化けの皮は引き剥がされ、デーモンの醜貌が露わになったのだ。

 

 と、いった内容を努めて表現を選びながら物語ってみせた。頭目が登場しないのはいかがなものかと彼女自身も思いはしたが、そこは致し方あるまい。ゴブリンが出たのでゴブリンスレイヤーがゴブリンを退治する話は、情操教育(レーティング)的に大変よろしくないのだから。

 

 とにかく、妖精弓手は依頼人の精神安定に一役買ったのだ。となれば。

 

「じゃ、次。カラドタングの番ね!」

 

 勢い、こうなる。

 

「お主……」

 

 無茶振りという語彙は侍の字引には記述されていない。茶の席で年端もいかぬ娘を喜ばせるような話題もだ。……本当に? 読み直せ。

 

「ならば、ある武士の話をしよう。蹴鞠好きの武士の話だ」

 

 以前ふらりと城に現れて、城主たる彼の祖父と意気投合した老境の武者がいた。酒の回った舌が回り、その男が語った若き日の物語。使命を帯びて妻と連れ立ち天下一周、行手を阻むは忍びに剣客それから水軍、丁々発止の大立ち回り。

 

 これなら童子(わらし)の心を掴めるかもしれない。少なくとも当時、元服したばかりだった己は大いに楽しんだものだ、と侍は想起しつつ語り出しを考えていたところで。

 

「……けまり?」

 

 出鼻を挫かれた。当然である。侍の考えが足りなかった。しかし興味は持ってもらえたようなので問題なし。そういうことにして、立て直しにかかる。

 

「鞠を、鹿革を縫い合わせた、このような大きさの玉をな。地につけずに幾たびも蹴上げ続ける、技芸よ」

「お侍様の芸、ですか。見てみたいです」

「鞠があれば」

「代わりになるものでしたら、心当たりがあります」

「お待ちを、お嬢様」

 

 一応は非常事態であることを忘れかけているかもしれない公女は屋敷の中へ向かおうとして、そこに博士が立ちはだかった。

 

「席にお戻りください。御身に万に一つがあってはなりません。どうかこの老体めを、お母君との約束を反故にするような不義理者にしないでいただきたく」

「……わかりました」

 

 こうべを垂れる亡き母の直臣を前にして、公女の心の中にいる少女は公女を思い出した。それでも少女が最後の抵抗とばかりに公女の表情を露骨に曇らせると、博士はほんのわずかに相好を崩す。

 

「侍女に取りにいかせましょう。お嬢様はもう少々、人を使うことを覚えねばなりませんな」

 

 曇りのち晴れ。公女を押しのけて少女が復活し、侍女の一人に駆け寄った。何事か耳打ちして、背を見送ってから公女に戻って優雅に席に着く。

 

 それから数分後。侍たちの前には紅茶のおかわりと、謎の黒い球体があった。

 

「なぁに、これ……わ、グニってなった」

「不思議な手触りですね」

 

 好奇心の権化である妖精弓手が上からつつくと、女商人もそれに倣った。表面に沈んだ指先が、弾力でもって押し返される。金属でも木材でも、皮革でもない。

 

「これは護謨(ゴム)と言って、南洋の島々に生えているある種の木の樹液を固めたものです。あちらの子供たちはこの護謨球を蹴り転がして遊んでいた、と聞き及んでいます」

 

 遠洋から帰ったこの街の貿易船乗りは、旅先で珍品を見つけては公女への献上品(おみやげ)にしている。これもその中の一つだが、転がる球を追いかけて彼女も一緒に階段を転げ落ちるという事故を起こして以来、ずっと仕舞い込まれていた。久々に出番に恵まれて、そのとき顔面蒼白で謝り倒していた贈り主も少しは報われたことだろう。

 

「いかがでしょう、その、鞠の代わりになりますか?」

「ふむ……」

 

 取り上げてみる。大きさ、重さ、強度。軽く確認すると、侍は微笑して頷いた。

 

「やってみよう」

「お願いします」

 

 席を離れ、手鞠を突いて弾み方を見る。二度、三度、四度目で足を出し、甲で受けて止めた。本来は作法や装束に場の準備にあれやこれや決まりがあるとはいえ、今は気にしても仕方がないので頭から追い出して。

 

「では」

 

 まず、垂直に上げる。爪先、内側、蹴り足を変えて甲、膝。さらに高く飛ばして背後に落ちようかという辺りで踵で打つ。立ち位置を大きく動かすことはなく、鞠を目で追いもしない。

 

 それは舞だった。舞って蹴り、鞠が舞い、鞠と舞う。どう蹴ればどう返ってくるのかを見越し、思い描くまま足を繰り出せば、思い描くままの軌跡が現出する。鞠が意思を宿して自ら侍と戯れようとするかのごとき、自在の演舞だった。

 

「これが蹴鞠だ」

「すごーい!」

「まったく姿勢が崩れませんでしたね。体幹が違う」

 

 やがて無造作に伸ばされた手に鞠が降り収まると、大中小と年齢順の音量で娘たちの拍手が響いた。妖精弓手は芸に、女商人は技に目を奪われていたらしい。

 

「お見事です、お侍様。ありがとうございました」

 

 公女からも好評だ。御前蹴鞠は成功と言って差し支えなく、なのに侍はどこか浮かない顔だった。

 

「う、うむ」

 

 上品ながらも無邪気に称賛する貴き童子。その様が()()と重なり、侍は一礼して視線を外した。込み上げる昏い感情はことごとく、この場にはふさわしからぬものであるがゆえに。

 

「……ごめん、静かに」

 

 だが、杞憂であったろうか。もっとも騒がしかった者が声音をガラリと変えれば、雰囲気も一変する。茶会はここでお開きと相成った。公女を残して娘たちは席を立ち、侍はそっと鞠を足もとに置く。博士が手信号で指示を飛ばし、衛視たちが隊列を組んだ。

 

「地面の下、掘って、近づいてくる。位置はまだ待って、わかんない」

 

 妖精弓手が感じ取ったのは振動だった。出どころを探るために長耳を石畳に押し当てれば、極めて遺憾ながら聞き慣れてしまった、土を掘り進む音が鼓膜を苛む。そのうち卓上の紅茶が波立ち、さらに鞠が独りでに動き出すと、細い指先が花園の一角を指し示した。

 

「出てくるわ!」

 

 弾け飛ぶ土と花。姿を見せたのは、暗灰色の外骨格を持つ巨大蟻(ターマイト)だった。

 

「TRRRII——!?」

 

 だったものは即座に、鉄鏃と木芽鏃、二本の矢を受けて砕け散った。

 

「うわあぁぁっ、たっ、痛ぇ!」

 

 するとその背中に剣を突き刺したまま振り回されていたと思しき小男が、投げ出されて顔面から地面に飛び込んだ。痛いで済んだからには矢を受けてはいないわけだから、実に運のいい男だ。

 

 二又の尻尾めいた飾りの垂れる目出し頭巾をすっぽりと被り、夜空にも似た濃紺の装束を纏う辺りは、隠密行動を志向しているように見える。そのくせ鮮やかな黄色の外套を羽織り、佩剣は特徴的な波打つ刃を備えた大振りの炎紋剣(フランベルジュ)と、隠れたいのか目立ちたいのか。種族は圃人か鉱人か、いや腰の下から伸びる本物の尻尾が鼠人(ムーソ)であると主張している。

 

「何者か」

「海賊の仲間かしら」

 

 よりにもよって公爵邸の庭園へ、直下からの闖入である。敵の襲撃とみなすのは当然、衛視たちの慌ただしい足音を背後に聞きながら、二人は油断なく謎の鼠人に次の矢を突きつけた。

 

「違う違う違う話聞けって聞いてくれよ!」

「そうだ」

 

 肯定の言葉は、立ち込める土煙の向こうから。掘り穿たれた穴より地上に現れたさらなる人影は、冒険者たちの見知ったものだった。

 

「え、なんでここに、何してるの!?」

「仕事だ」

「です!」

 

 もったいつける必要はなかろう。得物を小型の曲剣である舶刀(カトラス)に持ち替えたゴブリンスレイヤーと、女神官だ。予期せぬ合流に当惑する妖精弓手に、手短な説明がなされる。

 

「海賊は地下に潜伏していた。あの蟻はどうやら、やつらに使役されているらしい」

「街の下に蟻の巣を掘ったか。して、その男は」

 

 説明が必要なことがもう一つ。先に蟻穴から転がり出た、この小男について。ゴブリンスレイヤーが答える前に、当人の方から口を開いた。

 

「俺はあんたらの心強い助っ人、街の影を駆ける謎の義賊! 私腹を肥やすばかりの悪どい金持ち(セレブリティ)から、持たざる者のために富を盗り返す。伝説の灰色鼠の跡を継ぐ、気高き義賊さ。自分で言うのもなんだが、役に立つと思うぜ」

 

 胸を反らして矮躯を精一杯大きく見せ、頭巾の上からでも得意げな顔が想像できるほどの自信に満ちた口上を決める。やはり目立ちたいのかもしれない。

 

「畢竟するに、盗人か」

「義賊だ! 俺は節操なしの溝鼠(ドブネズミ)とは違う」

 

 こう言ってはいるものの。素性の知れぬ盗賊らしき男となれば、ゴブリンスレイヤーたちとしては苦い経験が直近にあったわけで。

 

「怪しいわね」

「少なくとも敵の敵ではある。味方かどうかはわからんが」

「味方だって言っただろ! さっきも背中を預け合って戦ったじゃないか」

「私よりも後ろにいらっしゃったような……」

「挟み討ちに備えてたんだよ俺は!」

 

 ひたすらに締まらない空気が噴出している。が、一応は非常事態だ。新たな敵の気配が這い出さんとする隧道(トンネル)に、衛視たちが踏み込んでいく。ひとしきり指示を出し終えた博士はついでとばかりに喧しい鼠人を一瞥。

 

「その男は知っている。ケチなコソ泥だ、警戒する価値もない。せいぜい囮にでもしてやればいい」

「なんだとこの——っげぇ、海兵隊のジジィ!?」

 

 反射的に悪態をつきかけた鼠義賊は、一睨みで沈黙させられた。鼠が梟に敵うかという話だ。すぐに興味も失せ、博士は小さく鼻を鳴らす。

 

「それよりも。侵入口周辺は我々が確保する。貴様らはそののち、内部の調査に移れ」

「わかっている。お前らも、準備は済んでいるな」

「ああ」

「もちろん」

「いけます」

「……おい」

 

 ここからはいよいよ本格的に冒険者の領分だ。といったところで侍たちに続いて声を上げたのは、いつの間にか近寄ってきていた女商人だった。

 

「私もいきます。戦います。戦えます」

 

 愛剣の鞘を握り締めて目つきは鋭く、固い意志を示す。この刃は飾りではないのだと。

 

「待って待って、貴方はもう冒険者じゃないでしょ。荒事は私たちの役目。心配してくれるのは嬉しいけど、これ以上つき合わせるわけにはいかないわ」

「自分の身は自分で守ります。今回は足手纏いにはなりません」

「いや別にこの前も足引っ張ったわけじゃ……うー、オルクボルグー」

 

 即座に制止しにかかる妖精弓手は押されぎみ。きっぱりと断るべきだと頭では理解していながらも、こうも真っ直ぐにこられては無碍にするのも憚られ、やむなく頭目に助けを求めた。

 

「……呪文二回は、大きな戦力だ」

「ちょっと!?」

「ふふっ。また一緒に冒険したい、ですよね?」

「えっとその、はい。こんなときに、不謹慎なのはわかっているのですが」

 

 そのゴブリンスレイヤーは術師二名の不在を憂慮して前向きに検討中。女神官は友人の真意をあっさりと見抜いて悪戯っぽく笑った。これで二体一だ。

 

「じゃあ、貴方の意見は?」

「ここはもはや戦場(いくさば)だ。剣を手にして戦場にいる者に、戦うなとは言えぬ」

 

 平時は民、戦時は兵。侍の故郷において兵士とはそういった存在であり、境は実に曖昧なものだった。武器を取って将のもとに集ったならば、誰であれその時点で兵力として数えられる。覚悟ある者を拒む理由はない。今この場でもそれは同じく。

 

「あーもー! 絶っ対、私の目の届くところにいてよね!」

「はい、よろしくお願いします」

 

 こうして飛び入り(ゲスト)二名を加え、一党の体裁は整った。あとは出陣を待つのみ。

 

「皆様」

 

 そこへ、護衛に囲まれた公女が歩み寄る。護謨鞠を抱えた腕にやけに力が入っているのは、緊張を顔に出すまいとする努力の余波だ。

 

「どうか、お気をつけて。事態が解決したら、お茶会の続きをいたしましょう。ほかのお仲間と、そちらの鼠人の方も」

「お嬢様、この男は」

「街のために戦ってくださるのなら、素性は問いません。恩人は恩人です」

「あ、あぁっと、光栄だ、です、公女様」

 

 貴人相手では視界に入れてすらもらえないと思う程度にちょっと卑屈なところのある鼠義賊は盛大にしどろもどろになりつつ、不恰好ながらも彼なりの最敬礼で応えた。

 

「それと、お侍様?」

「なんだ」

「先ほどのお話の続き。あとで、お聞かせ願えますか」

「あいわかった。あとで、必ずな」

 

 交わす微笑みは互いにどこかぎこちなく、それでも約束は交わされた。

 

「進路確保完了!」

 

 報告に戻った衛視が告げれば、手番(ターン)と賽子が回ってくる。

 

「では任せたぞ、冒険者」

「ああ。いくぞ」

 

 突入だ。ゴブリンスレイヤーを先頭に、一党は地下へと下りていく。女神官が内部に残していた追従灯を導に、巨大蟻の死骸を踏み越えて深く、深く。

 

「思ったほど出てこないのね、蟻」

「巣の奥に毒煙を流したからな」

「なっ、貴方、街の真下で毒とか!」

 

 道すがら、公女が聞いたら卒倒しそうなことを平然と宣う輩がいた。一歩間違えれば大惨事、海賊よりタチが悪い。当然、妖精弓手が黙っているわけもなし。

 

「前に使った、硫黄と松脂の煙玉だ。毒気が地上に上がってくることはない」

「そもそも毒気禁止って約束でしょー?」

「ただの害虫駆除に、手段を選ぶ必要もあるまい。蟻なぞに手こずって消耗させられるわけにもいかんだろう」

 

 しっかり理論武装済み、おまけに目に見えて効果がある辺りが、なおのことタチが悪い。その後も浴びせられる文句をことごとく兜の隙間から通り抜けるに任せ、ゴブリンスレイヤーは前進を続けた。

 

「よし、戻ってきたな。おい」

「やっと出番か、待ちくたびれたぜ。さ、ちゃんと俺に着いてこいよ。海賊どもの塒に連れていってやる」

 

 蟻の死骸の転がる中にそれ以外の屍が混じり始め、隧道は分岐する。ここで調子に乗り直した鼠義賊が自信満々、先導役を代わった。

 

「まことに仔細ないのか、この男に案内(あない)をさせて」

「罠だったら罠だったで、そこに敵がいるならやることは変わらん。当てもなくさまようよりはマシだ」

「剛毅な。だが、道理よな」

 

 どうにもどこぞの禿頭を思い出してしまう状況に、不安が漏れるのは無理からぬ。とはいえそこで足が止まるようなら冒険者などやってはいられない。危険を冒すから冒険なのだとすでに心得ている侍は、それ以上何も言わなかった。

 

「信用してくれよぉ……」

 

 物申したいのは鼠義賊のほうだ。

 

「まず覆面を脱いでいただかないことには」

「いや俺謎の義賊だから」

「顔も晒せない人を信じるのは難しいかと」

「そうですか?」

「えっ。……あっ」

 

 顔も知らない男に全幅の信頼を寄せていることに思い至り、女商人は言葉を見失う。こうして不意に訪れた沈黙が破られる頃、一党は隧道の出口、または入口に辿り着いていた。

 

「これは、遺跡か」

「ああ、この辺りにはでかい遺跡が埋まっててな。連中、その隠し部屋を利用してやがったらしい」

 

 眼前にあるのは、至るところに損傷が見受けられる石造りの外壁。特に大きく破損した箇所が、点々と据えられた松明に薄ぼんやりと照らされる通路へと繋がっていた。内部を窺えば、そこかしこ壁や柱の残骸が積み上がっているのが視認できる。

 

「やけに静かね。騒ぎに気づいてないってことはないと思うけど」

「早々に逃げたか、待ち構えているかだ」

 

 定石に従い斥候が足もとや物陰に注意を払いつつ真っ先に踏み入り、仲間たちがそれを追う。遺跡探査なら本業だ。鳴子はないか、落とし穴はどうか。半端な仕掛け罠など意味をなさぬ。

 

 さりとて、どんな生物にも意識の死角というものが存在する。

 

「退がれ!」

「ぐえっ」

 

 侍に後ろから引っ張られた外套が首を絞め、思わず濁った悲鳴がこぼれてしまった。だがそれを聞いたのは本人だけだっただろう。耳をつんざく破裂音がこだますると共に、彼女が立っていた床石を何かが砕いた。体が宙に浮き仰け反った勢いで上向いた視界には、崩れた天井の向こうからこちらを見下ろす敵影が映っていた。

 

「このッ!」

 

 倒れかけた姿勢から瞬時の反撃を放つ。顎の下を射抜かれた標的は半秒ほど硬直したのち弛緩し、グラリと傾いて転落した。石材の山に衝突した肉体から異音と鮮血と、握られていた武器が飛ぶ。

 

「今、何が」

「隠れろ頭を下げろ!」

 

 侍に促されるまま倒れた石柱の陰で身を縮こまらせた一党を怒号と、あの破裂音が追い立てる。この攻撃はなんだ。何をされた。混乱する女神官の目の前に、金属の筒と木材でできた物体が差し出された。見覚えがある。街に古老が現れた際、鯱が似たようなものを取り出していた。

 

「鉄砲だ」

「てつ、ほう?」

「火の秘薬を爆発させて、鉛の弾を撃ち出す飛び道具です。当たりどころが悪ければ、即死です」

 

 血の気の引いた相貌の女商人にそう説明され、彼女以上に顔色を青くする。自身に向けられた凶弾にではなく、それが仲間の鼻先を掠めたという事実に対して恐れをいだいたのだ。

 

「そうか、これが鉄砲か」

「知らずに海賊の相手をするつもりだったのかよあんたら!? あいつら五人いたら一人は持ってるぞ!」

 

 本体に弾に火薬にと、金のかかる代物だ。たとえ軍隊であっても全員の標準装備にするほどの数は揃えられない。とはいえ五人に一人の射手がいるだけでも大いに厄介だ。

 

「どうするの、なんか対策、っきゃあ!?」

「おら、出てこい!」

「さっさと死にさらせや!」

 

 森人の目をもってしても捉えられない速度で飛来する弾丸と森人の耳を蹂躙する銃声、徐々に接近してくる敵勢の気配が、妖精弓手から冷静さを奪っていた。このままでは早々に追い詰められてしまう。

 

「案ずるな、対する術を教える」

 

 しかしここには、鉛弾の飛び交う戦場を経験してきた男がいる。銃火のただなかを刀と弓で凌ぎ切る侍がいる。一つ、二つと指を立て、彼はごく落ち着いた声色でこう説いた。

 

「爆ぜ音に臆するな。怖気づけば、死ぬぞ」

「は、はいっ、頑張ります」

「弾込めは遅い。射返すのならば、そこを狙え」

「わかったわ」

「そして……」

「あっ、危ない!」

 

 飛び出す侍へ、己がそうされたように引き戻そうと伸ばした妖精弓手の指先は空を切った。間髪入れずに海賊の燧発短筒(フリントロックピストル)が吼える。同時、聞いたのは断末魔か——否。金属音だ。何かがぶつかった音だ。弾け飛ぶ音だ。

 

「俺の後ろに、弾は届かぬ」

 

 大太刀が、弾丸を跳ねのける快音だ。

 

「放て!」

「え、えぇい!」

 

 思い切って立ち上がった妖精弓手が返礼の矢を送り出し、迂闊な獲物を狩り取るつもりだった鉄砲持ちに、どちらが獲物だったのかを死をもって示した。さらに銃声が二つ、白刃が二度閃き鳴弦は三回、死体が三体。

 

「クソっ、(ハジキ)が効かねえ!」

(ヤッパ)でやるしかねぇ、いくぞ!」

「いくったって、あんな化物……」

 

 海賊たちの鬨の声が恐怖のどよめきに変わったとき、もうゴブリンスレイヤーは隠れることをやめていた。

 

「前進する。そのまま前を頼むぞ」

「応」

 

 舶刀片手に躍りかかってくる海賊を一刀のもとに斬り伏せ、侍はやや突出して敵を押し返していく。正対を避けて回り込もうとする者もいるが、そちらは後続が処理する。

 

「左をやれ」

「よ、よしきた!」

 

 頭目の指示を受け、鼠義賊が床を蹴った。鼠人の敏捷性と武器の長さが対手の予測を超える加害範囲(キルゾーン)を生み、先の先を奪った波刃が足首を薙ぎ裂く。たまらず転倒したところへとどめを振り下ろす間に、逆側ではゴブリンスレイヤーが二人分の血を剣に吸わせていた。

 

「悪くない」

 

 船上で誤って索具などを傷つけないよう短く造られた剣だけあり、舶刀は閉所戦闘においては具合がいい。おまけに予備はいくらでも敵が持ってくる。いつもどおりだ。海賊はまだまだやってくる、数の差は五倍か六倍かそれ以上か。いつもどおりだ。急所を突けば一手で殺せる。いつもどおりだ。ゴブリン退治でなくとも、ゴブリン退治と同じように対処できるのなら、彼は等級相応の強者であった。

 

「私も……!」

「焦らないでください。じっと待つことも呪文使いの大事なお仕事、ですよ」

「そうそう、そこのお姉さんの言うとおりよ」

「からかわないでくださいっ」

 

 翻って、後衛の様子はどうだろうか。初めて直面する鉄砲の脅威に怯えていたはずの二人はすでに余裕を取り戻しており、気持ちばかりが逸る女商人もそれを見て、剣持つ手が痛むほど力んでいることに気づいて頭を冷やした。無理無茶無謀が三拍子揃えば、たとえゴブリン相手だったとしても死に目に遭う。嫌というほど理解させられた事実だ。己の役割を見つめ直せ、それを果たすべきときは必ずくる。

 

「前、広いところに出るわ!」

 

 そうして押し進む一党の前方、大部屋が彼らを迎えた。敵影多数、ただ障害物となる瓦礫も多く、容易に包囲されることはなさそうだ。

 

「ふん、まさかもう嗅ぎつけてくるとはな。早すぎるが、まあ仕方ない」

 

 そして敵陣を挟んで部屋の反対側にあの飛蝗人が、古老が佇立していた。

 

「挨拶がわりよ!」

 

 先手必勝とばかりに迷わず弦を弾いたのは妖精弓手だ。狙うは頭、一直線。そのはずが、命中寸前の矢は見えない障壁に阻まれて逸れていった。

 

「《矢避(ディフレクトミサイル)》、ですね」

 

 驚くには値しない。事前に鯱から魔術剣士であると聞かされている。少なくとも、鯱が最後に相対した十年前までに習得していた呪文については把握済みだ。

 

「問題ない、破る手立ては知っている」

 

 似たような術を使う者と干戈を交えた経験ならある。ゆえに弱点もわかっている。一拍遅れて動き始めた雑兵たちを警戒しつつ、ゴブリンスレイヤーはベルトに並ぶ短剣を左手で抜き、擲った。《矢避》とはなんらかの道具から射出された矢弾の類を拒むもの。投擲なら素通しだ。

 

「クックック……余所者どもが、死に急ぐこともないだろうに!」

 

 跳躍して回避した古老は長衣の中から、鎌状に弧を描く諸刃の曲剣を解き放った。砂漠の戦士が好んで用いるという武器、鉤剣(ショーテル)だ。かすかな燐光を帯びた剣身を構え、天井を蹴って頭上から急襲する。跳び逃れたゴブリンスレイヤーはさらに短剣を投じ、それが弾かれるのも構わず追いかける形で斬り込んだ。ここにいれば弾丸は相手の術が勝手に防いでくれる。邪魔は入るまい。

 

「数を削れ!」

「任せて」

 

 先の矢は標的の目の前で逸された。ということはあの《矢避》の範囲は人一人分程度しかない。範囲の内側を飛ぶ矢弾には効果を及ぼさないという弱点につけ込まれるのを嫌ったのだろう。つまり、手下たちは丸裸だ。

 

「隠れたって無駄よ!」

 

 遮蔽物を迂回して襲いくる軌道自在の矢が、次々と目標を射斃していった。鉄砲による応射があれば侍が防ぐ。寄せくる者は鼠義賊が迎え討ち、さらにもう一人。

 

「けけっ、殺すにゃ惜しい上玉じゃねぇか」

「う……!」

 

 邪な視線と感情を浴びせられた女商人の手が無意識のうちにうなじへと伸びかけ、剣の重みがそれを押しとどめた。右の突剣(レイピア)を真っ直ぐ突きつけ、左の護短剣(パリングダガー)は体のそばへと寄せておく。一メートルを越す突剣の刃は、ただ向けるだけで防御と攻撃を両立させる。対手はまず剣を払わねばならず、そこに間隙が生じるのだ。

 

「ふっ!」

「ぎっ!? てめ……!」

 

 手首を返せば切先がクルリと円を描き、打ち合おうとした舶刀を躱して逆に手の甲を一突き。同時に跳び退がり反動をつけ、軽やかにかつ深く突き抜く。

 

「……が、あ」

 

 心臓を貫く手応えが掌中に染み込む。引き戻し、代わりに繰り出した護短剣で別の相手の攻撃を受け止めた。奇襲のつもりだったらしいこの男は見開いた目を閉じる間もなく、喉仏を掠め断たれて事切れた。

 

「っは、はぁ、はぁ……」

 

 たった数秒の攻防で、冷や汗が止まらない。それでも、まだ生きている。冒険者を廃業(リタイア)して以降も、鍛錬は怠らなかった。夢枕に忍び寄るゴブリンの幻影を振り払わんがための小娘の必死の抵抗は、あるいはだからこそ、彼女に現実と戦う力を与えていたのだ。

 

「手下どもはなかなか使えるらしいな」

「手下では、ない」

 

 一方、ゴブリンスレイヤーは苦戦していた。技量の差は歴然だ。加えて鎌にも似た鉤剣の剣身。こういった形状の武器は盾で防ぎ切るのは難しいと、すでに学習している。そのためへたに攻勢に出ることはせず、古老自身ではなく剣の腹を狙って打ち落とす、喧嘩殺法でもって時間稼ぎに徹していたのだが。

 

「だがお前は、話にならんな」

 

 長衣の内側から現れた()()()の手とそこに握られた(クロスボウ)が、小手調べは終わりだと告げる。

 

 獣人や蟲人という種族は同じ名で括られていたとしても、実際にはより細かく形態の違いが存在する。飛蝗人も同様であり、翅を背負い飛行能力を備える種がほとんどではあるものの、中にはこの古老のように飛べぬ代わりに二対の腕を生やしている例もある。

 

 それだけなら対処はできた。腕が多いことも弩を隠し持つことも、事前に得た情報の通りだからだ。初めからそのつもりで、真正面に長くとどまらず動き続け、また味方が射線に入らないように注意してもいた。

 

 想定外だったのは、発射された太矢(ボルト)がまるで五寸釘を束ねたかのごとき異様な代物であり、眼前で破裂拡散したことだ。

 

「ぐっ!?」

 

 よけ損なった何本かが腿に突き刺さり、ゴブリンスレイヤーは態勢を崩した。追い討つ鉤剣は反射的に、また不用意に持ち上げてしまった盾を越えて兜の庇の中へ潜り込んだ。

 

「凡夫が」

 

 さらに無造作に振り上げられた右足が彼の体を軽々と吹き飛ばし、石壁に叩きつけた。

 

「ゴブリンスレイヤーさん!」

 

 すぐに治療に走らなくては。奇跡は仲間との合流前に一度使用して残り二回。《聖光(ホーリーライト)》で隙を作り、その間に彼に《小癒(ヒール)》を。

 

 ——違う。女神官は古老の顎から発せられる音を聞き、判断を変えた。

 

「《サジタ()……ケルタ(必中)……ラディウス(射出)》」

「《いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らを、どうか大地の御力でお守りください》!」

 

 《力矢(マジックミサイル)》がくる。妖精弓手の矢よりもなお不自然な軌道で迫る多数の魔力の矢が、必中の真言が示す通りに回避不能とされるほどの超追尾(ハイアクト)で侍に殺到したのだ。実体なきゆえに刀では防げぬそれはしかし、すんでのところで展開された《聖壁(プロテクション)》に遮られて消滅した。

 

「かたじけない!」

 

 これ以上好きにはさせまいと、侍は古老に肉薄した。銃撃からの守りは神頼みだ。

 

「次はお前か、侍」

 

 古老の四つ腕が蠢き下側の手が弩に太矢を番え、上側では得物を両手で握ったかと思うと、先端から縦に割るように分離させた。二刀流、本領でもって相対するべき手合いだと認識したのだ。

 

「参る」

 

 大太刀が閃き一合二合三合、様子見も牽制もなしの必殺を絶え間なく打ち込み剣戟音を奏でる。女神官の祈りが持つあいだに片をつけねば、戦線が瓦解しかねないのだ。

 

「おいおい俺たちだけで残りの敵を凌げってのかよ、無理だ、絶対無理だ!」

「あぁっ、そっちは駄目!」

 

 頼れる盾役が離れたことで臆病風に吹かれた鼠義賊は、喚き散らしながらも敵陣を引っ掻き回していた。気づかぬうちに《聖壁》の陰から出てしまっているが、全力で駆ける鼠人に命中させられるだけの射手は海賊の中にはいないのできっと放っておいても大丈夫だ。実際、何発も撃たれているのに掠りもしない。

 

「敵の隊列が……! こちらに戻ってください!」

「ひぇあ!?」

 

 たぶん今のは肯定の返事だ。そう結論づけた女商人は三つめの武器を掲げた。細指を彩る宝玉の指輪、魔術を補助する発動体に光が灯る。

 

「《トニトルス(雷電)……オリエンス(発生)……ヤクタ(投射)》!」

 

 轟け雷鳴、ほとばしれ紫電。鼠義賊の低い背丈を飛び越えて落ちる《稲妻(ライトニング)》が、撹乱された挙句に密集してしまっていた敵勢をまとめて打ち据えた。

 

「やってくれたな」

「次は貴様だ」

 

 残敵はついに半数を割り、海賊たちはいよいよ浮き足立っている。大勢は決したと言えるが、古老を取り逃しでもすれば戦略的勝利は遠のく。侍は仕上げとばかりに剣圧を強めた。

 

「……う」

 

 そのとき、魔法の轟音に耳朶を揺すられたゴブリンスレイヤーは意識を取り戻していた。起き上がると体中が軋む。荒く呼吸を繰り返すたびに、鉤剣に抉られた頬から吐息が漏れ出していく。激痛で顔の筋肉が引き攣り、瞼を開けるのにも難儀する。だが幸い骨に異状はなさそうだった。折れていないなら動ける。動かせ。

 

 手からこぼれ落ちていた舶刀はそのままに、雑嚢をまさぐって小瓶を取り出した。治癒の薬水(ヒールポーション)を己の血諸共に飲み下せば、多少なりとも痛みが和らぐ。最近、改良され薬効が増したとのことだ。どの程度よくなったのかは体感できるものではなく、ともあれこれで動きやすくなった。動け。

 

 立ち上がり、今度は腰と雑嚢のあいだに括りつけてある鞘から短剣を抜いた。先ほど投げたものとはまるで違う。どちらかといえば古老の鉤剣に似ていなくもないが、これは内側に向かって反るどころか半ばで折れ曲がるようになっている。さらに柄の留め金を外すとその剣身は扇式に開いて三枚に分かれ、目を疑うほど凶悪な真の姿へと変形を果たしたではないか。

 

「お、おぉっ!」

 

 投げ放つ。三連刃(トリプルファング)が風を捉え回転飛翔、空間に曲線を刻み標的に視界外から喰らいつく。

 

「なんだとっ!?」

「はあっ!」

 

 片方の剣を弾き飛ばされガラ空きとなった胴を、すかさず逆袈裟がけに大太刀が一閃。薄黄色の血液を撒き散らし、古老は崩れ落ちた。

 

「畜生、こんなはずじゃ」

「ずらかるぞ!」

 

 手下たちが逃走を図る。一党は負傷者ありで追討は断念だ。

 

「ゴブリンスレイヤーさん、しっかりしてください!」

 

 祈りを中断した女神官は追う代わりに、壁に寄りかかるゴブリンスレイヤーのもとへ走った。女商人もあとに続き、妖精弓手は警戒を優先して見守るにとどめる。

 

「すぐに治療します、いいですね!?」

 

 頷くのを確認し、掌を鎧の胸に置いた。矢傷の処置は後回しだ。兜の中へと刃が突き込まれる光景が脳裏で繰り返され、乱れる思考をなんとか祝詞へと集中させて希う。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、どうかこの者の傷に、御手をお触れください》」

 

 天上よりの光は信徒に託され、傷ついた戦士の身へと流れ伝う。破れた頬が塞がり、ゴブリンスレイヤーはどうにかまともに喋れるまでに回復した。

 

「助かった」

「よかったぁ……」

「心臓に悪い方です。本当に」

「すまん」

「ほんとにほんとよねー」

「すまん」

 

 大事には至らず、仲間たちはほっと息をついた。侍ももはや心配はいらないとみなし、視線を斃れた対手に戻す。傍らには奇怪な形状の短剣があった。

 

「よもや、大手裏剣とはな。あの男、やはり——む」

 

 不意に、古老の体の輪郭が揺らぎだした。全身が淡く発光し、空気に溶けていく。ほどなくして跡形もなく、いや太矢の束と、一枚の羊皮紙を残して消滅してしまった。

 

「……《分身(アザーセルフ)》」

 

 魔術を知る者として女商人が、この現象の原因を言い当てた。彼らが辛くも勝利した相手の正体は。

 

「偽物、だったのかよ。せっかく見つけたってのに」

 

 落胆する鼠義賊に、一党は同意せざるをえなかった。

 

 

 

§

 

 

 

「とどのつまり、陽動だったということだ」

 

 酒場である。木の椅子と卓があり、棚に酒瓶が並び、丸灯(ランプ)の明かりを照り返す。地下遺跡群の一角を改装して造られたもぐり酒場に、彼らは集まっていた。彼らとは先刻の一党に、港から飛んできた残りの面子に、同行した鯱と護衛の衛視だ。それと壁際の席に鼠義賊の仲間であるという二人の獣人が腰を下ろし、帳場席(カウンター)にはもちろん酒場の主人と給仕たちもいる。

 

「儂らはまんまと引っかかったつうわけかい」

「いや、そうでもない。むしろ計画を半分は阻止できたと言っても誇張にはなるまい」

 

 糖酒片手にくつろぐ鉱人道士に、議長役の鯱が応じた。

 

「古老自身が囮となって我々の注目を誘導し、近海の海上封鎖の影響で沖合の警戒が手薄になったところで、悠々と船団を集結させ港に接近。さらに海兵隊が迎撃に出れば今度は街の地下から蟻の群れが出現し、混乱の坩堝に叩き落とす。陸海両面からの陽動だ」

「理に適っておりますな。しかしながら、なぜそのような策であったと断言できるので?」

 

 軍議慣れした蜥蜴僧侶が、真剣な面持ちで疑問を投げかける。回答は、提示された羊皮紙だった。描かれているのは升目に区切られた海と、島と大陸。そこに上から書き込まれたいくつかの印。

 

「古老の分身が持っていた海図だ。海賊の符牒がある。やつらの船がどこを合流地点にして、どう航行しようとしていたのかはこれで判明した。あとは……過去の行動から古老の思考を類推した結果だ」

 

 言葉を区切る。重要なのはここからだ。

 

「そして、わざわざ海図を残した理由も予想はつく。当初の作戦が頓挫した場合の代替案のためだ。我々の戦力を可能な限り多く、船団の停泊している海域まで誘引したいのだろう」

「あからさまな罠じゃねぇか、それ。つき合うことはないぜ」

「放置すれば海上交易は停滞したままになる。かといって半端な数を投入すれば無駄に損耗させられるだけだ。火中に飛び込むほかに、選択肢は残存していないんだ」

 

 苦々しげに首を振り、鯱は鼠義賊の提言を退けた。不利を呑んでの大規模海上決戦は、不可避の未来となったのだ。誰かの溜息を孕んだ空気が、沈痛な色に染まる。

 

「おい、お前たち。その鉱人を見習って何か注文しろ。ここをどこだと思っている」

 

 そこで、低い声を発したのは一人の女性だった。この酒場:迷い猫亭を取り仕切る、猫人(フェリス)の女将だ。大きな耳が飛び出す黒髪に縁取られた顔貌は冷ややかな美しさを湛え、赤い首輪の下、薄紅色の東洋着物に包まれた体躯は細身ながら大柄。ただの猫よりは、どことなく山猫(リンクス)に近い印象を受ける。

 

「おお、これは失敬。では拙僧も術師殿と同じものをば。それと何かチーズを使った肴を所望したい」

 

 いろいろと切り替えるちょうどよい頃合いと見て取った蜥蜴僧侶を皮切りに、各々何か腹に収めることになった。店主と同じ猫人や、兎人(ササカ)といった獣人の女給たちが扇情的な衣装を纏い堂々と歩む。その様を侍は目で追っていた。あの身のこなしは武人のものだ。

 

「奥に個室の用意がある。気に入った給仕がいるなら、そちらに()()を届けさせることもできるぞ?」

 

 そんな侍の様子もまた見られていた。しかも誤った認識つきで。山猫女将の言う果物とやらが何を意味するのかについては、ご想像にお任せしたい。

 

「あ、私も果物欲しい!」

「……は?」

 

 重ねて、そんな山猫女将の様子もまた妖精弓手に見られていた。やっぱり誤った認識つきで。というか彼女の気質からしてこの手の隠語が理解できるはずがない。

 

「私も、ちょっと甘いものが欲しいですね。苺とか」

「そ、そうですね。疲れていますし、はい」

「うん? 顔赤いですよ?」

「気のせいです。そうだ、この地方では芒果(マンゴー)が有名だそうですよ」

 

 女神官も無邪気に果物を希望している。女商人に関しては、どうやら少々耳年増だったようだ。

 

「柿はあるか」

牡蠣(カキ)?」

「ないようだな……」

 

 なお、提案された当人には通じていない模様。ちょっと残念そうだった。

 

「……それで、店主。ここは、この遺跡はなんだ」

 

 そんなこんなで酒と食べ物が行き渡り、人心地ついたのを見計らってゴブリンスレイヤーが口火を切った。鼠義賊に連れられて遺跡の奥へとやってきたわけだが、道中に人通りがあり、怪しげな店があり。これでは遺跡ではなく。

 

「隠し街だ。上の街が海賊の街なら、ここは盗賊の街。向こうと違って昔も今も日の光の当たらない、影の世界さ」




◆南洋投げナイフ・展開式◆

 この世のものとは思えぬほど禍々しい形状をした南洋由来の投擲武器。工房の親方が試作し、のちに改良を施した特注品。

 分厚い剣身は仕掛けにより三つに分かれて広がり、優れた飛翔性と殺傷能力を見せる。また変形前なら通常の短剣としても扱えるが、ゴブリンなどが乱雑に叩きつけでもすれば、簡単に壊れてしまうだろう。

 その価値は、やはり練達した者の手にあってこそだ。


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3-5:自由を求めて/Element of Freedom

 

 明くる朝。

 

 本日天気晴朗なれど波高く、港湾に勢揃いした大型船(ガレオン)十二に小型快速船(キャラヴェル)が二十四、締めて三十六隻もの軍船(いくさぶね)に打ち寄せ急き立てる。

 

 艤装品の点検、物資の積み込み、航路の最終確認に家族との抱擁。忙しなく動き回る海兵たちの面構えはどれも皆、高揚と緊張と不安の綯い交ぜになったものだった。最低限の防備を除くほぼ全戦力を傾けての海戦、十一年前の戦争以来となる大規模戦闘だ。現在の海兵隊には当時を経験していない若者も多く、彼らの心中はすでに大荒れとなっている。

 

「ったく、だらしねぇ。水遊びしか知らんひよっこが、使いもんになんのかね」

 

 いかにも不機嫌そうに眺めていた鉱人の船大工が遠慮なく毒づくと、厳つい肩に掌が置かれた。

 

「そう言うな、棟梁。雛鳥なら、親鳥がしっかり嚮導してやればいい。それに彼らがあまり頼りになりすぎると、我々老人の立つ瀬がない」

 

 老人、と強調して穏やかに笑う鯱は、物騒な得物を担いでいた。長筒(マスケット)を短縮して取り回しやすくした騎筒(カービン)に大型の銃剣(ベイオネット)を装着した、あるいは剣の柄を鉄砲に挿げ替えたかのごとき異様な武器だった。

 

「てめぇは耳長ん中じゃまだまだ若造だろ、嫌味か」

 

 はたき払われかけた手を引っ込め、鯱は船団の端に投錨する一隻の船に目を向けた。

 

「いや、老いたとも。彼女を見て、感傷が胸中を満たす程度には」

 

 最新型の軍船の威容と比べれば明らかに見劣りする、ガレオンとキャラヴェルの中間程度の大きさの老船だ。黒塗りの船体に、告死精(バンシー)船首像(フィギュアヘッド)が据えられている。海賊船:自由への先駆け号。鯱のかつての座乗船が、影のような佇まいで主の帰還を待っていた。

 

「よく間に合わせてくれた」

「どっかの莫迦が、急に乗りてぇと抜かしやがったからな」

 

 見れば、年月を感じさせる外観に反して索具や帆は真新しい。可能な限り補修も施されており、十年ぶりの航海へ向けて整備状態は完璧だった。

 

「すまんな。彼女より速い船を知らないんだ」

「調子のいいことを」

「事実だ。ところで、私が依頼のために訪問したときには、すでに整備作業が始まっていたように思えたんだが」

「定期点検だ。造ったからにゃどんだけ古くなろうと、海の上にあるうちは面倒を見る。うちらはうちらの仕事をこなしとるだけだ」

 

 言い終えると、棟梁はさっさと背を向けてしまう。

 

「見送ってはくれないのか?」

「こっちも忙しいんだよ。てめぇらが帰ってくるまでに船渠を空けとかにゃならんからな」

「フッ、相違ない。では私も、自分の責務を遂行してくるとしよう」

「おう。うちの最高傑作を失くしてきやがったらただじゃおかねぇぞ、しっかり気張んな」

 

 ぶっきらぼうに片手を上げる棟梁を見届け、鯱は桟橋を踏み締めて愛船への家路を辿る。

 

「あっ、鯱の兄貴!」

「すげぇや、俺たち本当に兄貴と一緒に海に出るんだ!」

「またご一緒できて光栄です」

 

 年若い水夫がいた。老いた操舵手がいた。街の興廃この一戦にありと耳にした海賊上がりの商人たちが加勢を申し出たところ、鯱は武装商船には街の警備に当たってもらいたいと説き伏せて謝絶。ならばせめて人手を貸すだけでも、ということで半ば勝手に義勇兵たちが参集したのだ。

 

「ああ、私もだ。あとで孫にも会わせてくれ」

 

 甲板に跳び乗り、各々と軽く挨拶を交わしながら操舵輪のある船尾楼甲板(プープデッキ)のほうへ歩いていく。そこには冒険者たちの姿もあった。

 

「継続しての協力、心より感謝する」

「気にすんない。まさに乗りかかった船っつうやつだかんの。ま、報酬はきっちり上乗せしてもらうけんどな」

「一言余計よ業突く張りの鉱人。それに冒険者なら、こういうときは渡りに船って言うべきでしょ。街の平和を守る英雄になるのよ、私たち!」

「ほほう、野伏殿はわかっておられる。戦となれば思うさま首級(くび)を挙げ、功徳を積む好機にほかならぬ。今日を生き延びれば拙僧もまた一歩、竜に近づけるというものよ」

「このとおり我ら皆、助力は惜しまぬ。いかようにでも使え」

 

 故あって二名不在となったが、これにて役者は揃った。さらには語り手も。

 

「それで、本当に同行するつもりなのか、君も」

「ももももちろんだとも。新しい伝説を生まれる端から詩にできるなんて幸運を、みすみす手放すもんか。最高の武勲詩を仕上げてみせるさ、楽しみにしててくれ!」

 

 リュートの首を折れるのではないかというくらい強く握り締めた吟遊詩人は、なんとか笑顔を取り繕った。自分の活躍を記録したい騎士が吟遊詩人を連れて出征するのはよくあることだが、どうやらこの男には従軍経験など皆無らしい。とはいえ楽器一本歌一つで世を渡ろうと決意して旅立った身の上、逃げださないだけの度胸は持ち合わせている。

 

「承知した。それならば、後世に伝承するのに恥じるところのない振る舞いをしなくてはな」

 

 潮騒が呼んでいる。舞台が待っている。あとは、座長が壇上に登るだけだ。

 

「諸君! そのままで構わない、聞いてくれ」

 

 外套の裾を翻し、鯱は芝居がかった抑揚で言葉を紡ぐ。

 

「私は、多くの闇人がそうであるように地底で生まれ育った。絶対的な階級社会(レイヤード)、閉塞し切った秩序に支配された地下帝国(コンプレックス)だ。自身を監視する隣人を監視し、密告されないために密告する。弱者を利用し、強者を弑逆する。朋輩、恋人、家族、すべてが立身のための階梯であり、また陥穽でもある。陰謀の縛鎖で雁字搦めにされながら、私は生きていた」

 

 どこまで不毛なのか。なんという息苦しさか。それを厭い這い上がろうとすればするほど足場は狭く、いよいよ身動きが取れなくなっていく。

 

「あるとき、私は唐突に解放された。地下水脈の氾濫が何もかも水没させ、激流に呑まれた私は期せずして地上への脱出に成功していたのだ」

 

 大空の青を知った。草原の緑を知った。日と月と星を知った。只人の街の喧騒を知り、そして彼らから見た闇人がどのような存在なのかを思い知った。

 

「未知の世界をしばらく彷徨した末に、この街に漂着した。まだ海賊の根城だった頃だ。公爵閣下、いや親方のおかげで一定の秩序はあったが、平和とは言えなかった。それでも、自由があった」

 

 進んで無法者(アウトロー)となる者はそう多くはない。たいていは、少なくとも本人にとっては、やむをえぬ事情があって外道を歩むことを選ぶのだ。人の心を抱えたまま、人の世を追われた者たちのための楽園。それがのちに公爵となってこの街を治めることになる、一人の海賊が目指したものだった。

 

「闇人が、昼日中に白粉で肌色を偽装することもなく散歩ができて、海を眺望しながら食事を取れる。酒杯を酌み交わして談笑し、困難に当たっては支持し合う仲間と出会える。そんな街がどれだけあることか。私はこの街から自由を拝領した。私はこの街で本当の私になることができた。私はこの街でようやく生まれた。この街こそが、私の故郷なのだ」

 

 鯱は、身命を懸けると決めた。己を拾い上げた男の理想に。志を同じくする友たちに。手にした巵杯(ジョッキ)に注がれた一杯の糖酒に。結局は海賊、やることは掠奪行為、他者を食い物にして生きることになんら変わりはないとしても。街の守護と発展のためならば、悪魔となろうと決めたのだ。

 

「その故郷が今、窮地にある。古老。自由に拘泥するあまり一線を越えた、かつての同志の暴走によって。親方の定めた黄金律(ゴールデンルール)に背き、街の住人すら毒牙にかける放縦を、容認するわけにはいかん」

 

 やがて時代が移り変わり、悪魔である必要はなくなった。人に戻ることを選んだ者と悪魔であり続けようと望んだ者は、このとき決定的に袂を分かったのだ。

 

「これは、私のやり残しだ。私は幾度も失敗してきた。よりよい答えを追求する試行の連続が、致命的な歪形を発生させた。それを修正しなくてはならない。……古老を、討伐する。犠牲なき決着の機会はとうに喪失した。やつの死をもって過去の因縁を清算し、海賊に強奪された故郷の安寧を、海賊の流儀で奪還する。どうか、皆の力を貸してほしい」

 

 固く結んだ拳を掲げ、そっとほどいて差し伸べる。この手を取ってついてこいと。

 

「私の、私たちの最後の掠奪だ。諸君。派手にいこう」

「うおぉぉぉっ!」

 

 歓声が上がり、熱狂が船員たちを満たしていった。寄せ集めの義勇軍が、鯱の意志のもと一つになったのだ。

 

 すると、それに呼応するかのようにどこかで鐘が歌いだした。博士が乗る海兵隊旗船:女王の騎乗槍号の船鐘が出撃を告げると共に、主帆柱(メインマスト)へ多色多様な旗が掲揚される。棚引くそれらは声なき文字なき、連なる図柄にて意味をなす船乗りの暗号。

 

『本船は各員が己の使命を果たすことを確信する』

 

 旗旒信号がこう宣言すれば、応じて鳴らす鐘の大合奏が港を祝福する。

 

「抜錨、出帆!」

 

 そして船長命令は下された。錨綱が巻き上げられ、開かれた帆が風を孕む。海賊討伐船団三十六足すことの一隻、勇壮なる船出に街の住民たちが手を振った。

 

「故郷か」

 

 離れゆく街並みを眺めながら誰知らず、侍は潮風に独り言を含ませた。銭のためだけでない、仲間たちへの恩でもない、斬り合う理由がこれで()()

 

「ならば……守らねばなるまい」

 

 

 

§

 

 

 

 薄霧が、辺りを包んでいた。湿った冷気が肌を撫でる。低い空に海鳥は見えず、水面下に魚はいない。

 

 出港から数時間が経ち、船団は鯱の船が先導する形で古老の海図に示された海域に舳先を進めていた。生命に忌避された、あるいは生命を拒絶するこの霧の海は、船乗りたちにとっても近寄りがたいものだ。海賊が潜むには都合がよい。それゆえ過去何度か海兵隊による捜査が行われたものの成果はなく、いつしか捨て置かれていたのだから、なおさら都合がよい。

 

「ぬふぅ……」

 

 そんな敵地のただなかで、侍は船縁にへばりついていた。呼吸は荒く、額には脂汗が浮かぶ。なんたる不覚、人生初船酔い(バッドステータス)の洗礼である。

 

「平気?」

「大事、ない」

 

 大惨事ではないか。ひどく心配そうに覗き込む妖精弓手に空元気を見せる余力すら、臓腑の内から逆流してくる衝動を抑えることに費やされている。開戦を待たずして、侍は死闘の渦中にあった。

 

「ちくと船室で休んどったほうがよかろ。鱗の、頼まぁ」

 

 仲間も船員たちも船酔いを体験したことはない。侍が苦しむ原因に思い至るまでにしばらく時を要したほどの、まったくの想定外だった。適切な薬なども当然用意しておらず、鉱人道士は処置なしと憐憫の眼差しを向けた。

 

「侍殿、立てますかな。いやさ、担いだほうがよろしいか」

「待、て、待て。すぐに治まる、気遣いない」

「しかれど、そのご様子では」

 

 問答もそこそこにやや強引に連行しようとする蜥蜴僧侶。平素ならばまだしも、今の侍では子供に手を引かれても抵抗できるかどうか怪しく、もはや負傷者と変わらない。速やかに戦火から遠ざけねば。繰り返すがここは敵地、今すぐにでも海賊が。

 

「前方に船影! 数は……多数、としか!」

 

 お出ましだ。帆柱に設けられた檣楼で、遠眼鏡を手にした監視員が声を上げた。色のない景色の上に滲み出すように現れる船、船、船。大きさはまちまちでいずれも海兵隊の主力級ほどではない代わりに、数では勝っていると思われる。というのも、この霧と密集陣形のせいで正確な把握が困難なのだ。ついでに本当に海賊船かどうかも未確定だが、こんな状況で疑う余地がどこにある?

 

「合戦準備! 後方へ伝達!」

「アイアイ、船長!」

 

 鯱が声を張り上げると敵船見ゆの報は旗に託され、船団全体へと伝言されていく。各船は航路を微調整して射線を確保すると、搭載されたいくつもの大弩(バリスタ)を霧中の影に照準し、射程に収まるのを待った。

 

「風をくれ!」

「あいあいさー、っと」

 

 外洋をゆく船には風の司が乗り込むのが常であり、この船においてその役目を担うのは鉱人道士だ。両手を広げて天を仰ぎ、精霊の姿を探して呼びかける。

 

「《風の乙女(シルフ)乙女(シルフ)、接吻おくれ。儂らの船に幸あるために》」

 

 霧中を泳ぐ風精(シルフ)が《追風(テイルウィンド)》の求めに従い、帆を大きく膨らませた。彼女らの加護のある限り、船は風向きによらず自在に走ることができるのだ。船足が増し、彼我距離が詰まっていく。あと少し。もう少し。

 

 入った。

 

発射(てぇー)っ!」

 

 こすれ合う機構が弓とは異なる金属音を響かせて、大矢を解き放つ。低く放物線を描く鉄の驟雨が海を木を帆を人を穿ち、水と木端と血が飛散した。

 

「面舵! 左弩戦!」

 

 当然、敵も黙って針鼠(ハリネズミ)になるばかりではない。射ち込まれた矢を投げ返すがごとく、応射が船団に襲いかかってくる。その一拍前に右に転舵して回避運動、さらに列をなして弦側に居並ぶ大弩を敵船に向けた。船は構造上正面や背後からの攻撃には脆く、また同時に使用できる武装の数も側面のほうが多いのだ。

 

 対する海賊船団は、取舵を選んだ。すれ違う反航戦ではなく並走する同航戦、自分達の損害を抑えるよりも相手への命中率を優先する動き。もちろん両者条件は同じ、ここからは壮絶な射ち合いだ。

 

「俺らの船が簡単に沈むか!」

「痛いのをブッ喰らわせてやれ!」

 

 いよいよ海賊たちの顔が識別できる距離となった。只人だけでなく圃人や蟲人に蜥蜴人、雑多な種族が雑多な装束を纏って一様に怒号を飛ばし、討伐船団と矢雨の応酬を交わす。この激戦はしかし小手調べ。大弩だけで決着がつくことはまずない。敵船に乗り移っての本格的な戦闘に備え、冒険者たちは身をかがめて機を窺っていた。彼女以外は。

 

「おいこら耳長娘、あんま無茶すんない!」

「わかってる!」

 

 物陰から物陰へ、帆柱から帆柱へ。船上を所狭しと跳ね巡り、妖精弓手は的確に敵船の射手を沈黙させていく。すぐに死体が引きずり下ろされて代わりが射撃を再開するが、そうして稼いだわずかな時間は決して無駄ではない、味方が無駄にしない。攻撃の密度に差がつき始めた。

 

「貰っていくぞ」

「へ? あ、おう……?」

 

 他方、待機している右弦(みぎげん)側では、誰かが射手の傍らから大矢を一本引っ掴んで走りだしていた。

 

 唐突だが、ここである荒武者にまつわる話をしよう。

 

 その男、身の丈二・一メートル(七尺)の巨躯に超常無双の怪力宿す。左腕が右と比べ十二センチメートル(四寸)ほども長く、五人張りの強弓を好んで用い、番えるのは一・四メートル以上(十八束)の手槍も同然の大矢であった。鎧武者をやすやすと貫くばかりか、後ろに控えた者の鎧すら射通してようやく止まる弓勢。また兜の鍬形だけを砕き、手元が狂ったと見て侮る対者へ情けゆえ故意に外したのだと返し、退かぬならば次はそちらの望む場所に当ててみせようと言ってのけるほどの精度もあった。晩年は両腕を傷つけられ膂力は衰えたものの、技量はいよいよ全盛となり、ただ一矢にて軍船を撃沈せしめたという。

 

 さて。ここに、五人張りの弓を使いこなす者がいる。ここに、大弩用の大矢がある。ならば、かの武士の船射ちの絶技、まことに能うものか否か。

 

「一つ、試してくれよう」

 

 船首楼甲板(フォークスルデッキ)に堂々と構え、侍は大弓を引き絞り限界まで撓めた。彼は船の造りを知らない。が、頑丈そうな箇所ほど破壊されればただでは済まぬもの。船首から船尾へと渡り船底を支える背骨めいた船材を狙い、放つ。

 

「あ?」

 

 犠牲船の舳先近くにいたこの海賊は、何が起きたのか理解できなかった。いや、船員の中に正しく認識できたものはいなかっただろう。船の背骨、竜骨(キール)の船首側のうち水面に近い部分が折れ砕け、そこを中心に船体が裂け落ちたのだ。均衡を失った船は風に押されるまま前にのめり、轟沈した。

 

「矢を持て」

「へ、へい!」

 

 はたから見ていた者には、かろうじて理解できた。なんか大弩より威力のある弓を使う只人がいる。事態を把握した水夫が自分の使うはずだった大矢を侍に譲ると、もう一隻船が沈んだ。

 

「嘘……あに様みたい」

 

 妖精弓手は従兄から聞いた武勇伝を思い出していた。それを聞けば当の従兄は一緒にするなと憤慨するだろう。船の動きからもっとも負荷の集中する部位と瞬間を割り出して精密に狙撃する、というのが彼の射法であり、こんな力技とは違うのだと。とはいえ。

 

「そろそろ人かどうかも怪しくなってきおったわ」

 

 いずれにせよ人間業ではないという点では変わるまい。

 

「お見事、侍殿。船酔いにも無事打ち勝ったようで何より」

「思い起こさせるな……!」

「失敬」

 

 お労しや、と合掌する蜥蜴僧侶の前で、侍は若干顔を青くしつつもさらなる獲物を見定めた。次はあの船を、と矢を番えかけたところで、敵船団に動きがあった。

 

「反転だと? 何を企図している」

 

 海賊たちが回頭して船尾を向けたのを見て、鯱は訝しんだ。侍の弓に恐れをなしたか。それにしては各船の挙動が揃いすぎている。三々五々に逃げ散っているわけではあるまい。そんな懸念は時間の無駄だと言わんばかりに、速度自慢のキャラヴェル部隊が追撃に踏み切った。進む先に待つものも知らずに。

 

「何かしら、あれ」

 

 妖精弓手にははっきりと目視できていた。最初の攻撃に参加しなかった海賊船が幾隻か、戦列の向こうからこちらを遠巻きにしている。その中にひときわ大型の、造りの異なる船があり、船員がごく小さな火の灯った槍状のものを掲げている。彼のそばに何かが。判別はできない。似たものをつい最近目にしているものの、それらを結びつけるには大きさが違いすぎた。

 

「大きな鉄の、筒?」

「何っ!? どこだ!」

 

 だが侍にはその文言だけで十分だった。指差し示された船に標的を移し、焦りを滲ませながらも狙いは過たず大矢を羽ばたかせる。

 

 水柱が、立った。

 

 外したか。そんなはずはない。逸された。

 

「またしても矢避けの術か、いかぬ——!」

 

 舌打つ間も惜しいとばかりに、侍は鯱のほうを振り向いて口を開いた。声は届かなかった。雷轟じみた炸裂音とそのあとに続く破砕音が、すべてを掻き消したのだ。

 

「ひうっ!? まさかあれも鉄砲!?」

「国崩しだ。あの音、忘れるものか」

 

 妖精弓手は鉄の筒と表現したが、正しくは青銅製。予め砲弾と発射薬を込めた脱着式の薬室(チャンバー)を複数用意しておくことで、速やかな再装填が可能な大筒(カノン)だ。費用がかさむうえに構造と工作技術の問題から精度に難があり暴発の危険もあり、運用の難しい部類ではあるものの、射程と破壊力は侮れない。その恐ろしさは、侍の脳裏に深く刻まれている。

 

「駄目だ、転覆する!」

「ど畜生が、なんで海賊があんなもん持ってんだよ!」

 

 一隻のキャラヴェルが被弾していた。半球を鎖で繋いだ特殊な砲弾によって帆柱を折られ、それに引きずられる形で致命的に傾斜している。砲撃の威力を見せつけられた友軍は、慌てて引き返していった。

 

 やはり敵の動きは計算されたものだった。標的が自分から向かってくるように、射線を遮らないように、作為的な後退だったのだ。

 

「そこか、古老」

 

 回避運動を指示した鯱は、転舵する船に揺られつつも件の砲船から視線を外さずにいた。

 

「ここだ、相棒」

 

 聞こえるはずのない呟きに、聞こえるはずのない返答があった。自分を睨みつけているであろう男へ、古老は顎を歪めて不気味な笑みを贈っていた。

 

「さあ、刺激的にやろうぜ」

 

 敵と味方の注目を浴びながら、主帆柱を跳ね登って頂上へ立つ。四本の腕を大きく広げ、詠う呪文は讃歌のように高らかに。

 

「《カエルム()……エゴ()……オッフェーロ(付与)》!」

 

 吹け。吹け、風よ吹け。帆を吹き破らんばかりに暴れ狂え。力ある言葉の命ずるまま、天空の理はねじ曲げられた。降りだす雨は飛瀑のごとし、うねる波濤は山か壁か。颱風(サイクロン)が渦を巻く、中心に静かな海と海賊たちを囲い守り、外敵を掃き飛ばさんと吹き荒れる。

 

「帆を畳めー!」

「面舵、面舵だ、ぶつかるぞ!」

「利かねぇよ舵なんか!」

 

 船に寄り添う風の乙女たちは、根こそぎ嵐が拐かしていった。水と風、《天候(ウェザーコントロール)》に支配された周囲のすべてが討伐船団に牙を剥く。海兵たちは船体にしがみつき、沈んでくれるなと祈るしかなかった。

 

「錨を下ろせ!」

「アイ——えぇぇっ!?」

 

 祈るのはあとだと聖職者たる鯱は指示を飛ばした。血迷ったかと船員たちは驚愕しているが、それはさておき手は動かす。海中に消えた錨が、捉えるのは展望かどん底か。

 

「ねぇっ、またあの国崩しとかいうの撃ってくるわよ! 避けないと!」

「狼狽するな。命中すると決まったわけではない。君たち冒険者風に表現するなら、生きるも死ぬも一天地六の賽の目次第だ」

 

 嵐の向こうに火がチラつくのが、上の森人には目視できていた。闇人はさらにその先を見据える。

 

「私も君も、賽を振り続けていればいつか、誰かに敗北して死ぬことになる」

 

 衝撃が、彼らを襲った。

 

「だがそれは今日でもなければ、やつらにでもない」

 

 船が急激に進路を変え、横滑り(ドリフト)したのだ。

 

「のわぁぁぁ!?」

「術師殿ー!」

 

 直後に撃ち放たれた鎖弾(チェーンショット)を躱しつつ、海賊たちのほうへと回頭することに成功。不幸にも積まれていた樽と一緒に転がっていった鉱人が一名いたものの、水夫を手伝っていた蜥蜴僧侶の尻尾によって無事救出された。

 

 何が起きたのか。答えは水面を突き破ってやってきた。

 

「QUIIIIII!」

 

 白と黒の体表に、眼の上にもう一組大きな眼があるかのような特徴的な模様。魚に似て、魚とはまるで異なる存在。呼称は様々あり、どう呼ぶべきか。

 

「鯨ぁ!?」

「いんや、こら鯱か!」

 

 ほかには逆戟(さかまた)殺人鯨(キラーホエール)虎鯨(オルカ)とも。全長三十メートルにも及ぶ巨大な虎鯨が、錨綱を咥えて船を曳航しているのだ。

 

「鯱……鯱?」

 

 主に城の屋根に棲息している虎頭の魚を想像して、納得のいかない表情をしている侍は置いておくとして。

 

「なるほど、《使徒(ファミリア)》。船長殿の字名はつまるところ、こういうことにございましたか」

「そういうことだ」

 

 系統は違っても同じ聖職者、蜥蜴僧侶がその正体を察した。高位の神官などはしばし神より使徒を授けられる。生ける奇跡たる使徒は主人と精神や感覚を共有し、共に成長していく。この虎鯨が種の限界を超越し、怪物の域に達する体躯を得たのはこのためだ。

 

「QUUU! QUIII!」

 

 長らく港の守護者の任に就いていた彼は、久方ぶりの大洋を悠々と泳ぎゆく。海賊たちが討伐船団を迂回して街に向かうことを憂慮した鯱が、つい先ほどまで別行動を取らせていたが、もうその必要もなくなった。船団の最後の一隻がこれで揃ったのだ。

 

「嵐を抜ける。主帆(メインスル)前帆(フォアスル)三角帆(トライアングラー)開け! 風は?」

「まだフラれとらんよ!」

 

 錨は回収せずにそのまま綱を噛み切らせ、虎鯨にはいったん潜水してもらう。風精たちが舞い戻り、船首側と中央の大帆、それに後部の三角帆が裂けかねないほどに膨らんだ。

 

主上帆(メイントップスル)前上帆(フォアトップスル)! 船首帆(スプリットスル)も開け!」

 

 帆柱上部の残る二枚と、船首像の頭上を越えて前方に伸びる船首帆柱(バウスプリット)の帆も全開に、船は風を追い越さん勢いで猛進した。目標は敵船団中央、古老の船だ。

 

「兄貴ー! 俺らも忘れないでくださいよー!」

 

 後方からは出目がよかったらしい友軍が五隻、航跡を追ってくる。

 

「鯱を掩護する。遅れるな」

「アイ、サー。信号を」

「不要だ。どうせあの莫迦者どもは勝手にやつについていく」

 

 その中には梟の船もある。水気を吸ってすっかり重たくなった翼腕を鬱陶しげに振り、老司令官は溜息をついた。

 

「クク、さすがだ相棒」

 

 迎え討つ海賊は、数の優位を活かして押し包みにかかった。それでも怯まず向かってくる敵を睥睨し、古老は笑みを深くする。

 

「ならこいつはどうだ」

 

 海中。敵旗船を目指して潜航する虎鯨が、真っ先に異変に気づいた。この種の生物には、反響音を利用して地形や物体の位置形状を把握する能力が備わっている。だからそこに何かがあることはわかっていた。ただ誤認していたのだ。岩礁と。

 

「海から、何かが浮上してくる! 正面、注意しろ!」

 

 使徒が探知したのなら、主人も同時に知覚できる。鯱が警告を発して数秒、乗員たちが身構えてさらに数秒。また、海が突き破られた。

 

「GIRIRIIRIIII」

 

 それは蟲だった。黒玉色(ジェットブラック)の外殻に総身を覆われ、団子虫(ダンゴムシ)に似た体躯に八本の短い脚を生やした、ガレオンと同等の大きさの大鎧熊蟲(ターディグレード)だった。

 

「取舵一杯!」

 

 とにもかくにもまずは回避せねば。全速(フルセイル)で衝突したら一巻の終わりだ。引き起こされた波に舵を揺さぶられながら方向転換する自由への先駆け号に、海兵隊も追従する。

 

「口が、開いて……何かするぞあれ!」

 

 隊列の中ほどに位置する船の上で、海兵は見た。大鎧熊蟲の口腔から針状の器官が飛び出し、自身へ向けられているのを。それが、彼の最期の記憶となった。

 

「GIIIII!」

 

 体内に充填した海水に圧力をかけ、射出する。言葉にすればたったそれだけ。それだけで、船が両断された。大剣のごとき激流の刃が、船体を叩き割ったのだ。

 

「……っ、退避!」

 

 鯱は一緒に吹き飛ばされそうになった思考を繋ぎ止め、即座に対応した。どうやら水圧を維持できる距離は短いらしく、近寄らなければ問題はなさそうだった。

 

「うわ、こっちくるぞ!」

「逃げろ逃げろ逃げろ!」

 

 問題は相手が敵意ある怪物であることと、ガレオンは小回りが利かないという点だ。鯱の船は難を逃れたが、海兵隊は振り切れない。大弩が唸り、侍と妖精弓手の弓もそこに加わって支援するが。

 

「通らぬか」

 

 装甲と言って差し支えない堅牢な外殻が、すべてを防ぎ切った。侍の放った大矢だけは刺さりはしたものの、貫徹には至っていない。

 

「QIIII!」

 

 となれば、怪物には怪物をぶつけよう。呼び戻された虎鯨が全力の体当たりをブチかまし、大鎧熊蟲を押しとどめた。が、そこまでだ。体積も質量も違いすぎる。足止めが精一杯だ。

 

「なんつう戦いだ。儂らの出番はあるんかいな」

「きましたぞ、上から」

「もう、今度は何っ?」

 

 促されて見上げる空に、海賊船から飛び立ったいくつもの影。

 

「BEEEEE」

 

 無数の巨大蜂(ジャイアントワスプ)が、雲霞のごとく押し寄せる。しかも彼らは皆、自身の腹部ほどの大きさの石を抱えていた。

 

「これは、ちょっと気合い入れていかないと、ね!」

 

 敵の意図を察した妖精弓手が、遠間のうちから対空射撃を開始した。昨日からこちら、侍の技に驚かされっぱなしだ。このうえ弓の戦果まで只人の後塵を拝するばかりでは、上の森人としての面目が立たない。奮起する彼女が残矢も気にせず連射すれば、おとなしく的になってくれるはずのない巨大蜂たちがいともたやすく撃墜されていく。

 

「ほれ、矢ぁ取れ」

「ありがと!」

 

 甲板に用意してあった予備の矢筒を投げ渡し、鉱人道士は敵編隊を見やった。すべて墜とすにはいくらなんでも数が多すぎやしないか。

 

「何匹出てくるの、さすがに、きついかも……!」

「まずい、海ん上じゃ止められる術はねぇぞ」

 

 敵船を相手取っていた侍も狙いを変え、大弩を持ち上げて無理矢理仰角つけて迎撃する水夫たちもいるが、どうしても討ち漏らしは生じてしまう。敵、直上。予想どおり投下された石が降り注いだ。当たりそうなのは数個だが、船底まで穴を空けられかねないだけの速度が乗っている。しかも海の上では土精(ノーム)の力も希薄だ。《降下(フォーリング・コントロール)》は使えない。

 

「イィアァァ!」

 

 そこで、物理だ。先刻は鉱人道士を救った蜥蜴僧侶の尾が、石をまとめて薙ぎ散らした。

 

「ごめん、大丈夫!?」

「なんの、なんの」

 

 剥げ落ちた鱗と流れる血に、しゅんと耳を下げる妖精弓手へ、掠り傷だと涼しい顔。どうにか被害なしだ。この船は。

 

「浸水を確認しろ、急げ!」

 

 ほかの船はそうはいかない。暴風雨から逃れたもののうち一隻はすでに撃沈され、加えてこれで中破二、小破二。

 

「QUUU!?」

 

 さらには虎鯨も標的にされていた。直前で水中に逃れていたのだが、巨体が仇になったのだ。赤く染まる海面が、受けた傷が浅くないことを教えている。

 

蟲の王(マイルフィック)……蟲の王だ……!」

「やめねぇか、御伽話だろそんなもん」

 

 およそ人と人の争いとは思えぬ異質な攻撃に晒され続け、さしもの海の男たちも意気を削がれつつある。

 

 蟲の王、と誰かがこぼした。無数の蟲や混沌の怪物を従えてすべてを喰らい尽くす、蟲人の王者。それは飛蝗人の姿をしていると伝えられているが、実際に目にしたと語る者はいない。本当に御伽話なのか、それとも目撃者が皆殺しにされているのか。真偽は定かならず、この場にある事実は、蟲の軍勢の向こうに一人の飛蝗人がいるということだけだ。

 

「いずれにせよ、早急にやつを排除せねば。せめて旗船に打撃を与えたいが、しかし」

「いってください、船長。船は、我々が」

 

 何事かを思い悩む鯱に、老いた操舵手が頷いてみせた。それで十分だった。

 

「諸君! 古老が蟲の王かただの海賊か、私が直接確認してこよう。帰還するまで彼女の面倒を頼みたい」

「そんな、船長がいなきゃ俺らは」

「莫迦野郎お前、船長はさっさとカタつけて俺らを守ってくれるっつってんだ。留守番もできねぇガキじゃねぇだろ、しゃきっとしやがれ!」

「は、はい!」

 

 不安げな若い衆を叱咤して背筋を伸ばさせた水夫に、鯱は声にせず感謝を送った。冒険者たちといくつか打ち合わせ、敵航空戦力の第二波を視界に捉える。

 

「では、またのちほど会おう」

 

 船板を蹴り縄を蹴り帆柱を蹴り、高く高く登っていく。前帆柱(フォアマスト)の頂点からその身を躍らせると、さらなる高みに座する存在へと意識を旅立たせた。

 

「《御照覧あれ、これよりお見せするは四方にてもっとも疾き道筋なり》」

 

 顕れる奇跡は打開への《先駆(パスファインダー)》。空に流星の軌跡描く神速の飛翔でもって、百メートル近い距離を消し飛ばす。次の瞬間、彼は巨大蜂を見下ろしていた。

 

「BEEB!?」

 

 眉間に銃剣を突き立て、引き抜きざまに体を踏み台にして跳ぶ。繰り返し繰り返し、宙空に死の足跡刻み、敵船団への接近を試みる。

 

「やつだ、撃て!」

 

 下方から撃ち上がる歓待の鉛弾を、当てられるものなら当ててみろと言わんばかりに無視して先へ。海賊船から海賊船へ跳び移り、行手を阻まんとする巨大蜂をさらなる足場に変えて、古老のもとへ辿り着いた。

 

「古老ォ!」

「きたか、相棒」

 

 そこへ割って入る巨大蜂。突剣と見紛う長大な針で、同族の仇討ちをせんと迫る。

 

「邪魔だ」

 

 応じる一撃は剣ではなく銃によって。通常より大口径の弾丸が、それに見合う多量の装薬から力を受け取り撃ち出される。巨大蜂を胴から二つに分け、その先で待つ古老の足もと、帆柱の先端を粉砕した。

 

「クックック……!」

 

 心底楽しげに笑いながら、古老は平然と跳びのいた。両者は帆桁(ヤード)の上に降り立ち、ついに対峙する。

 

「親方ー! お助けしやすー!」

「手を出すんじゃねぇ! お前たちは海に集中しろ!」

 

 掠りもしない短筒をなおも構える手下を古老が一喝。鯱はその間に腔圧に耐え切れずたった数発で破損してしまう銃身を、繋がった火皿ごと破棄し、外套の裏から取り出した次弾装填済みの予備に交換した。

 

「親方を僭称するとは。不遜の極地だな、貴様」

「あいつらが勝手にそう呼んでいるだけだ。やつらは希望が欲しいのさ。お前に見捨てられたあいつらは、な」

「見捨ててなどいない、新生した街に馴染めるように尽力した」

「何が新生だ。国に都合のいいように作り替えられただけじゃねぇか。お前も親方もあの女に誑かされたんだ。街はあのままでよかった」

「違う! ただの無法者の根城のままで構わないなどという惰弱な発想では、壊死を待つばかりだった。街が存続するには、革命が必要だったんだ」

「革命だと。街のためにと叫んで仲間を殺すのが革命か。そうだな相棒、俺たちは所詮海賊、殺して奪うしか能がない。だから街を殺して自由を奪う。これが俺の革命さ」

「その自由こそが貴様を制縛しているものの正体だ、古老。私は生きるために自由を願ったが、貴様は自由のためにしか生きていない。まるで、自由の奴隷だ」

「説教のつもりか、それともお得意の演説か? どっちも聞き飽きたぜ、煽動家風情が偉そうに」

「思想家気取りの狂人は、人の言葉も解さんらしい」

 

 舌戦はこの辺りまでだ。ここからは刃が語る。その前に手向けの挨拶を。

 

「《御照覧あれ、これより披露するは四方の風より勝る我が走り》」

「《セメル(一時)……キトー(俊敏)……オッフェーロ(付与)》」

 

 開戦の合図は神への嘆願と神々の言の葉。世界すべてを置き去りに、ただ二人だけが《加速(ヘイスト)》した。真っ向から斬り結び、跳んで離れれば追って跳ぶ。この超常の決闘に、船一つでは狭すぎる。隣り合う船へ、そこから別の船へ。目まぐるしい攻防を繰り広げながら、彼らは元いた場所から遠ざかっていった。

 

 それが、もう一つの合図となる。

 

「弾込めよし」

「点火——!?」

 

 大筒を設置された船首楼甲板で、砲声の代わりに悲鳴が響いて消えた。海から這い上がってきた侍が、砲手の首を刎ね落としたのだ。

 

「ふん」

 

 次いで、ろくに見もせずに軽く刀を一振り。国崩しは青銅、斬って斬れぬことはないと自負してはいるが、それよりも木製の砲架を破壊したほうが楽だ。支えを失ってゴロリと転がった大筒はもうまともに狙いなど定められず、脅威ではなくなった。しかし場数を踏んだ海賊たちは、このくらいでは怯まない。

 

「やりやがったなてめぇ、ぎゃっ!?」

 

 侍は背を向けている。今が好機と跳びかかった装填手は、無防備に思われた背中にしがみついていた竜牙兵に組み倒され、喉を喰い千切られた。骨は動くものと考えるほうがおかしいのだ。

 

「野郎ブッ殺してやる!」

「よせ撃つな、船が吹っ飛ぶぞ!」

 

 瞬く間に砲船をただの船に変えた一人と一体に激昂と罵声、銃口が突きつけられるも、彼らの傍らに積まれた弾薬が引鉄に躊躇を生む。鉄砲なんて捨てて剣で打ちかかっていくしかない。

 

 ここでもう三つ、海賊たちに不幸があった。一つは、転がった大筒が波に揺れる船上で踊り、逆向きになったこと。二つめは、砲手の落とした道火桿(みちびざお)に絡められた火縄にまだ火が燻っていたこと。最後は、侍が大筒の使い方を知っていたことだ。

 

「あまり好かぬが」

 

 蹴り上げた道火桿を掴み、大筒を足で踏み押さえて火縄を火門(タッチホール)に差し込む。点火薬が燃焼し、発射薬を起爆させる。これにより砲身内の圧力が急激に上昇し、栓をしていた砲弾が発射される。

 

「伏せろー!」

 

 そう叫んだのは集団の最前で侍に挑んだ男であり、ゆえに真っ先に犠牲となったのも彼だった。砲弾は海賊たちを薙ぎ倒して帆柱を掠め、船尾楼を喰い破ってようやく止まった。

 

 これで甲板が少し広くなった。侍は背後を竜牙兵に任せて敵陣の空隙に身を滑り込ませ、手近な者から順に次々と撫で斬っていく。爆発物から離れたかと思えば今度は同士討ちのおそれありで、またしても鉄砲は物の役に立たず。海賊たちは刃など通りそうも見えない骨の怪物と、怪物紛いの剣豪相手に白兵戦を余儀なくされたのだ。

 

「うわー駄目だー!」

 

 急襲による混乱は恐慌へと推移しつつあり、もはや海戦どころではない大騒ぎだ。得物を遮二無二振りかざして挑んでいく者、負傷して船内に後退する者が幾度も幾度もすれ違う。そこに見知らぬ男が紛れていることに気づくだけの冷静さは、誰にもなかった。

 

「首尾は上々、と」

 

 首にも尾にも特徴のある目立つ容姿も、統制を失った雑多な種族の寄せ集め衆に混ざるなら、さしたる問題にはならない。申し訳程度の変装として拾ってきた舶刀を放り捨て、蜥蜴僧侶は獰猛に微笑した。

 

 水練の心得のある侍と身体構造的に泳ぎに適する蜥蜴僧侶が、念のためにと頭目から借りてあった水中呼吸の指輪の助けを借り、鯱の単騎駆けを隠れ蓑にして水面下から接近。古老が引き離されたのを虎鯨の鳴き声から伝え知り、速やかに陽動と侵入を実行する。大鎧熊蟲を抑え込むために虎鯨を張りつかせざるをえないうえに、侍の射撃も防御されてしまう。この状況で旗船を叩く手立てが必要であり、仕上げを蜥蜴僧侶が担っているのだ。

 

「さて、務めを果たすといたそうか」

 

 船底の中央付近に触媒たる竜の牙を撒き、坐禅を組む。瞑目して思い馳せるは、遠き祖先の栄枯盛衰。

 

「《白亜の層に眠りし父祖らよ、背負いし時の重みにて、これなるものを道連れに》」

 

 祝祷を終えると、竜牙が泡立ち昇華した。恐るべき竜ですら、悠久の時の流れに呑み込まれればやがて骨となり石となった。竜の名を冠されただけの木端ごときが、その大いなる力の一端に触れたならばどうなるか。

 

「うおっ!? なんだ、今の揺れ!」

「多分浸水だ、誰か見にいけ!」

 

 甲板上で異変に気づいた者たちは、実によい感覚の持ち主だと言えよう。これが通常の損傷であったならば、応急対応(ダメージコントロール)が有効だったかもしれなかった。だが船底が竜骨諸共《腐食(ラスト)》の瘴気に晒され朽ちてしまっては、もはや手遅れだ。今すぐに沈む気配こそないものの、時間の問題だろう。

 

「頃合いか」

 

 敵の様子から策が成ったと悟った侍は、徐々に退却していく。蜥蜴僧侶は自分の空けた穴から脱出する手筈になっている。己も長居は無用と、竜牙兵に背中を守らせつつ海へ。

 

「ぬうぅっ!」

 

 いかせない。船内に繋がる艙口(ハッチ)の蓋が弾け上がり、蜥蜴僧侶が飛ばされてきたのだ。

 

「お主、斬られたのか!」

 

 甲板に打ちつけられた彼の体には、真新しい切創が刻まれていた。出血量からして深手ではなさそうなのは幸いだった。

 

「たいした傷ではありませぬ。それよりも、きますぞ」

 

 即座に立ち上がった蜥蜴僧侶と隣り合い、侍は大太刀を構えた。艙口から人影が飛び出す。何がくるかなど、問うまでもなく。

 

「まったく……手間をかけさせるなよ、冒険者ども」

 

 古老だ。自身と対手と、二色の血で長衣を汚した魔術剣士が、侵入者を迎え討つべく出陣したのだ。

 

 予測はされていた事態だ。相手がまた《分身》を使うであろうことまでは。想定外なのは、こんな中途半端なタイミングで出てきたことだ。本来なら侍が甲板上で暴れて古老をおびき寄せ、入れ替わりに蜥蜴僧侶が侵入するはずだったのだ。ところが船にとどめを刺すべく破孔を広げてやろうかというときになって、敵は破壊工作の現場に現れた。船がまだ浮かんでいるのはそのせいだ。

 

「船代は高く、ぐ、ゲホッ、ゲホッ!」

 

 怒気も露わに武器を構えた彼は、卒然として激しく咳き込みよろめいた。血反吐を吐きながら懐から小瓶を取り出し、乱雑に栓を噛み開けると、中身の丸薬を喉に流し入れる。

 

「船長! あんまり無理は」

「黙れ! いいからさっさと逃げろ、この船はもう持たねぇ」

 

 心配する船員を制して瓶を放り出すと、侍に鉤剣を突きつけた。

 

「邪魔はしてくれるなよ」

 

 海賊たちが小舟を下ろすために散っていく。ここで余計なことをすれば、古老はその隙を見逃してはくれないだろう。それがわからぬ二人ではない。

 

「お主もゆけ。戻らねば船が危うい」

「致し方ありませぬな。どうかご武運を」

「互いにな」

 

 蜥蜴僧侶は迷わず舳先から海に身を投げた。強敵との闘争の機会に背を向けることには口惜しさもあったが、彼の軍師としての理性が本能の手綱を引いたのだ。

 

「お前にはつき合ってもらうぜ」

「望むところよ。貴様が分け身であろうとなかろうと構わぬ。幾たびでも殺すまで」

 

 船の海底行きを決定づけた元凶もその被造物たる竜牙兵も気に留めず、古老はずっと侍を見ていた。この男だけはここで仕留めなければならないと判断したのだ。それは侍とて同じこと。足もとで沈みゆく水時計にはまだいくらかの猶予がある。藻屑と果てるはどちらか、決着をつけるときだ。

 

「《アルマ(武器)……インフラマラエ(点火)……オッフェーロ(付与)》」

 

 先んじたのは古老だった。《火与(エンチャント・ファイア)》を受けて燃ゆる剣を分離させ、一歩踏み込む、その一歩が疾く深い。高速に乗った斬撃は重さと鋭さを増し、打ち合う侍は受け止めずに流して凌いだ。すれ違う形となった両者。二の太刀は振らせぬと竜牙兵が割り込むも、顎下を蹴り上げられてガラ空きとなった腰骨を切断され、沈黙した。

 

「ここならば矢は」

 

 《矢避》の内側なら弓が使える。侍の応手は跳びすさりながらの一射、まだ宙にある竜牙兵の残骸を目くらましとしたこれを、鉤剣が叩き落とした。

 

「当たらねぇさ」

 

 返礼は嘲弄と弩だ。散裂する太矢は帆柱を盾にしてやり過ごし、陰から飛び出すと同時に射返す。今度は防がず索具や帆桁を跳ね渡っていく古老には、嗾けられた矢のことごとくが届かない。

 

「なんという捷さか」

 

 勢い余ってあわや船外へ、と思われたところで船縁を蹴り急接近、斜め十字に斬り開く。侍は剣身の交点を正確に打ち据えて弾き、攻守は入れ——換わらない。船板を踏み締め低い姿勢から右の振り上げ、旋回して左また右、低く跳躍して縦回しの連撃。苛烈な猛襲のさなかにも刃の表裏を返して打ち合う点をずらす細やかな技巧を見せる古老は、押し切らんと攻め立てた。船上という不安定な足場においては、船戦(ふないくさ)に精通した海賊に分があるのは間違いない。されど大太刀の長刃は間合いを容易に詰めさせず、またその剛剣が寄せ手から体力を奪っていく。

 

「はっ!」

「やりやがるな、どうにも」

 

 太刀筋の緩んだ寸毫の間を逃さず、侍は反撃に転じた。長衣の端を裂かれながら後退した古老に追撃の刺突が迫る。顔面を捉えかけた切先はしかし、交差する鉤剣に挟み込まれわずかに逸された。

 

「だがまだ青いな」

 

 動きの止まった侍の腹へ、弩が向けられた。すでに空中で矢を番え直していたのだ。

 

「ぬ……!」

 

 刀身を寄せ戻す暇もなく、やむなく柄から手を離し大きく横っ跳んで太矢を避ける。古老は薄笑いを浮かべ、奪った武器を海へ投げ捨てた。

 

「そら、取ってみろ」

「言われずとも」

 

 間髪入れず大弓が弾け、宙を舞う刀の軌道と矢筋が重なった。船の上に跳ね返ってくる愛刀を掴み取る前に、駆けくる敵へ牽制射撃を見舞うことも忘れない。

 

「器用な真似、しやがる」

 

 自慢の得物と再会した侍。そこへ投擲された鉤剣が火の輪めいて飛来した。防御するには体勢が悪いと見て回避し、跳びかかりざまの兜割りを打ち振るう。身を引いた古老へ、続けて下段から突き込もうと両足に力を溜めた。

 

「がぁっ!?」

 

 そのとき、()()から喰らいついた炎刃が彼の右肩を抉り裂いた。尋常ならぬ魔の火炎は瞬刻のうちに傷を焼き焦がし、気が遠のくほどの酷痛をもたらす。刀を握っているのがやっとで、体幹を立て直すこともままならない。

 

「間抜けが」

 

 もし、侍がもっと冒険者として経験を積んでいたならば。剣を投げた時点で、投げても手もとに戻ってくる魔法の武器(エンチャンテッドアーム)である可能性に考えが及んだだろうか。やはり彼は古老の言うとおり、いまだ未熟だったのだ。

 

 そして熟練となる機会は今、もう一方の剣で首を狙う古老によって永遠に失われようとしていた。死神の鎌がその先端で皮を破り、肉を断ち。

 

 ——止まった。

 

「ぬ、う、おぉっ!」

「莫迦な!?」

 

 腕一本で押し返された古老は、驚愕のあまり絶句した。斬り落とすには至らずとも、確かに致命傷を与えたはず。

 

 いや。焼け爛れた傷は見るも無残、だが気道や頚動脈には達していない。死に体を晒した状態でも的確に急所を守り切る、侍の技術の為せる業であった。

 

 とはいえ好機には変わりない。追い討てば片はつくはずだ。それがどうしたことか、古老は動かない。むしろ無意識のうちに後ずさってすらいる。

 

「……あのとき、何がなんでも殺しておくべきだったか」

 

 斬られ、焼かれ、なお斃れぬ。顔色に生気なく、ただ剣気ばかりは、より一層たぎらせて。侍の凄絶極まる様が、恐れを知らぬ海賊の長の心胆を寒からしめたのだ。

 

「どうした。この首……まだ、落ちておらぬぞ」

 

 手負いの獣が低く唸る。鋼の爪牙を剥き出しに。

 

 風向きが、変わり始めていた。




◆死線逸らし◆

 致命の一撃を受けてもなお戦い続ける、武人の体術。

 回避も防御も間に合わぬ生死の鍔際において、わずかな体捌きで急所を刃から外し、最小限の手傷でやり過ごす。

 どこを斬れば殺せるのかがわかっているということは、どこを斬られなければ殺されぬかがわかっているということだ。

 それは、幾度も死線をくぐった猛者にしか得られぬ知見であろう。


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3-6:女王の首飾り/My Favorite Things

 

 いつからそこに人が住み始めたのかは、定かではない。

 

 港街と内陸とのあいだに横たわる連峰の真下。入り組んだ通路を内包する外壁部と、広大な空洞に建物が立ち並ぶ都市部からなる、地下遺跡群(テレイン)。荒廃しながらも原形をとどめていたこの迷宮(ダンジョン)に目をつけた盗賊たちが、隠れ家として利用するようになり、崩れていない玄室に戦利品を隠したり木材を持ち込んで扉を拵えてみたり。彼らと取り引きを行う故買屋(フェンス)情報屋(リサーチャー)が集まってきたり。それが、隠し街と呼称される領域の成り立ちだ。

 

 隠し街は港街とはあくまで別の街であり、地上の民のほとんどは存在すら知らない。が、実は緩やかな同盟関係が結ばれており、それに関わる人間や彼らの連絡員が街の境界を跨ぐこともある。

 

 たとえば海上交易の利権に目がくらんでやってくる、礼儀を弁えない外様商人が、優しい忠告に耳を貸さず港街の和を乱す振る舞いを繰り返すとき。

 

 たとえば潜伏する海賊の捜索を冒険者に依頼したうえで、捜査対象が地下に潜んでいる場合に備えた別働隊が必要なとき。

 

 この街の住人は、そういった事態に求められる技能の持ち主たちなのだ。

 

 街は今、常以上の静けさに支配されていた。点在する松明に熱はなく、住人たちはきっと、上の街の喧騒に紛れ込んでいることだろう。避難させられているのだ。これから行われる戦いから。

 

「えぇと、この通路を右に曲がって……」

 

 廃都の奥に看板を掲げる酒場が一軒。迷い猫亭の扉の隙間からは、光が漏れていた。店内で卓に地図を広げている女神官は、道順を記憶に押し込もうと四苦八苦しているところだ。頭に方位磁針が埋め込まれているような男と行動を共にするからといって、憶えなくてよいなどということはあるまい。万が一はぐれたらどうするのか。

 

「それからここは行き止まりで、次を左、ですね」

 

 女神官よりも経験浅い女商人は、より緊張感を滲ませている。引き続き協働させてほしいと申し出た際には妖精弓手に前にも増して猛反対されており、それを退けてまでこの場に立っているからには、足を引っ張るわけにはいかないのだ。

 

「そう緊張するなよ、お嬢ちゃんたち」

 

 浮かぶ表情は真剣を通り越して深刻の色相だ。見かねた鼠義賊が、気さくな調子で声をかけた。

 

「俺の経験から言えば、こんなビズほど実際には肩透かしのミルクランさ。普段どおりにやればそれでいいぜ、チャマー」

「は、はい……?」

 

 勇気づけようとしてくれているらしいことは伝わったものの、何やら耳慣れない単語がちらほら。二人は並んで小首を傾げた。

 

「こんな仕事ほど肩透かしの簡単なもの、だそうだ。それとチャマーとは、お友達という意味だ」

 

 内心を察したらしいゴブリンスレイヤーが注釈を挟む。するとそれが、娘たちよりも鼠義賊のほうの興味を招いた。

 

「お? ひょっとして、あんたも兼業なのか?」

「いや。俺は仕掛人(ランナー)ではない。少しばかし縁があるだけだ」

 

 仕掛人。大都会の影を走る者(シャドウランナー)。ギルドに属さず、表沙汰にできない依頼をこなす非合法の冒険者、または冒険屋。ときに正規の冒険者が密かに副業とすることもあれば、逆もある。鼠盗賊もその類であり、活動の割合としては半々といった辺りだ。

 

 彼らの存在に関しては女商人も噂くらいは耳にしたことがあり、女神官も昨日聞かされていたのだが、具体的にどのような職種なのかはよくわかっていない。知るべきことなのかどうかさえも。

 

「少し、か。そうも言っていられんところに踏み入っているかもしれんぞ、お前」

 

 帳台のそばに置かれた大樽に片膝を抱えて腰かけた山猫女将が、悪戯っぽく笑ってゴブリンスレイヤーのベルトを指差した。

 

「あの禿馬から護符(アミュレット)を受け取っただろう」

「ああ。これか」

 

 雑嚢のそばに括りつけてある、小さな木彫りの鼠。地下墓地での騒動の際に馬人の盗賊から礼として渡された品だ。南の街にいくなら役立つはず、と言われたので持ち込んでいたのだ。

 

「そいつには、一部の獣人にしか嗅ぎ分けられない匂いが染みついている。この匂いを漂わせているやつは、何者だろうと我々の同胞と見なされるという、符牒だ。そうでなければ、余所者のお前の策に乗ったりはしない」

「なるほど。しかし、やはりあの男は仕掛人だったか」

 

 あの馬脚盗賊が仕掛人の隠語(ストリートスラング)を口走っていたのを、ゴブリンスレイヤーは聞き逃していなかった。これといって問いたださなかったのは、彼が他人の素性を詮索する質ではないためだ。

 

「元仕掛人だ。冒険者になるときに廃業したよ。縁が切れたわけでもないが。それにしても、まさかあいつがな」

 

 一方、山猫女将が彼に向けたのは好奇に満ちた視線だった。頭の軽い男なら何かを勘違いしそうな。女神官はなぜかちょっぴりモヤモヤとした気持ちになった。

 

「お前はどうだ? これもまた縁だ。こちらの仕事を試してみる気があるなら、相談に乗ってやるぞ?」

「遠慮しておく」

 

 重たい鉄兜を左右に振って、妖婦の誘惑をすげなく拒絶する。女神官はなぜかちょっぴりホッとした。

 

「理由は」

「俺は、ゴブリンスレイヤーだ」

「……んん?」

 

 返答になっていない返答に、山猫女将は硬直でもって困惑の意思表示とした。女神官は苦笑した。

 

「ゴブリンスレイヤー、小鬼殺し、ねぇ。こんなこと言いたかねぇがよ、あんた本当に頭目やれんのか?」

 

 苦笑では済まされないと、離れた席に座っていた犬人(カニス)の精霊使いが胡乱な目を向けた。犬そのものの顔貌には、不信感が張りついている。

 

「いくら銀等級でも、新米向けの依頼ばっか積み上げた雑魚狩り屋に、命は預けられねぇぞ」

 

 この犬人霊媒は鼠義賊の一党の構成員であり、同じく冒険者との兼業だ。つまり、首に提げた鋼鉄の認識票が表している実績は、実態の半分ほどでしかないということ。であれば、彼が認識票に置く信の重さも推測できよう。

 

「この期に及んで、そんなことを。実力が不確かなのはそちらも」

 

 気分はよくないもののもう慣れてしまっている女神官は静観を選んだが、女商人は違った。恩人が侮蔑を受けた。それだけでならず者紛いの男に食ってかかるだけの度胸と若さが、彼女にはある。

 

「待て」

 

 とはいえ、庇うはずだった当人に制止されては黙るしかない。撫然とした様子から、少し引き離して宥めたほうがよいかと友人の袖を掴もうとした女神官は、しかしゴブリンスレイヤーの雰囲気がいつもと異なっていることに気づいて思わず動きを止めた。

 

「……やれるだけのことはやったし、やる。それで勝てるかどうかは、わからんが」

「おい」

「わからんが。俺はそうやって六年、生き残ってきた。依頼人を守りながら、百匹を超えるゴブリンを迎え討ったときも。ゴブリンを率いていた……巨人を相手にしたときも。小鬼英雄(ゴブリンチャンピオン)も、小鬼の王(ゴブリンロード)も、小鬼聖騎士(ゴブリンパラディン)も。自分の持っているものと……一党や、知人の、力」

 

 淡々と、事実を述べるだけ。彼は己のしてきたことを誇りになど思ったことはないし、誇り方も知らない。それでも、歯切れ悪くとも。

 

「ありったけを叩き込んで、すべて殺してきた。今回も、そうするだけだ」

 

 ゴブリンスレイヤーは、一党の頭目として。啖呵を切ってみせたのだ。

 

「ハハハ、すげぇなあんた、大物だ。あぁ、嫌味じゃないぜ」

 

 すると、窓の外を眺めながら葉巻を吹かしていた大男が手を打った。犬人霊媒と同じ白い毛並みの、熊人(ウルス)の戦士だ。

 

「気を悪くしないでくれよ。そいつはちょいと、あんたを試したくなったのさ。ビビりだからな」

「うっせ、慎重派だっつーの。……とにかく、俺は口先だけの莫迦とも鉄火場で突っ張れねぇ莫迦とも仕事すんのは御免だが、あんたはどっちでもなかった」

 

 声音を和らげた犬人霊媒は、彼なりの親しみを込めて笑顔を作った。

 

「今日はあんたが頭目だ。喜んでいいんだぜ、なんせこの俺様の信用(クレジット)を得たんだかんよ」

「口先だけの莫迦」

「聞こえてんぞ熊ァ!」

 

 犬人が顎突き出すのを、熊人が片手でいなす。いつの間にか空気は弛緩していた。

 

 祖母と食事にいくときでさえ善後策(バックアップ)を用意して、裏取りを怠るな。

 

 ゴブリンスレイヤーは頭の片隅で埃を被っていた、仕掛人の警句を思い出していた。おそらく、彼に関する情報などすでに調べはついているはずだ。疑わない者は長生きできない。仕掛人の世界とはそういうもので、つまり今のやり取りはそういうことだ。

 

「ゴブリンスレイヤーさん……?」

「問題ない。今、解決した」

 

 黙りこくっているのを不思議がって兜の庇を覗き込んでくる女神官から、それとなく顔を背けた。慣れないことをして時間差で恥じ入る程度の人間味くらいは、彼も持ち合わせている。

 

「やはり、貴方は銀等級にふさわしい方です」

「ふふっ、そうですよね」

 

 感銘を受けたらしい女商人が目の中に星を住まわせているのが、余計に羞恥心を煽る。我がことのように胸を張る女神官の姿も、見事な追い討ちであった。

 

「残念ながら楽しいお喋りの時間はここまでだ金髪のお嬢ちゃんたち(ブロンディーズ)。お客さんだぜ」

 

 そのとき、廃都の黒い景観の中に光が瞬くのを白熊戦士が認めた。遮光機(シャッター)つきの角灯を用いた発光信号だ。偵察と連絡の任に就いている酒場の女給たちが、来訪者の接近を知らせているのだ。

 

「数は、四十」

「えっ、そんなに?」

「ついでに妙な、でかい木箱を乗せた荷車が三つ、と。ハハ、まったく勘弁してほしいよな」

 

 早くも臆病風と踊り始めた鼠義賊に、白熊戦士は軽妙な態度を崩さず応じた。

 

 予想どおりの展開だった。港街の戦力を沖合いに誘い出しておいて、空き巣を狙わないわけがない。なんとなれば、公女の身柄さえ手中にしてしまえば海賊たちの勝利なのだから。そこで、彼らの出番と相成ったのだ。

 

「準備はできているな。作戦(ミッション)開始。目標は護衛対象(ホスト)の安全確保と敵部隊の全滅。子供(ジューヴ)目当ての変態どもを生かして帰すな」

 

 山猫女将の号令一下、仕掛人たちが動きだす。

 

「それじゃ、いくとするか。あんまり気は進まねぇが、美人の頼みは最優先さ」

「ま、俺に任せとけ。あんたらには楽させてやるわ」

 

 白い二人が扉をくぐる。もう一人はどうした。

 

「普段どおり、普段どおり、普段どおりやれば大丈夫、大丈夫。なあ、あんたらもそう思うだろ?」

「お前もいけ!」

「はいぃ! すいません女将さぁん!」

 

 物理的に尻を蹴飛ばされた鼠義賊も、騒々しくあとを追った。ゴブリンスレイヤーもそれに続く。

 

「俺たちも出るぞ」

「はいっ」

 

 声の揃った娘たちは、顔を見合わせて微笑んだ。隣に友、目の前には頼れる男の背中。戦場に赴くに、一切の怯懦なし。追従灯に火を入れて、闇を掻き分け出撃する。照らし切れない暗黒の、その彼方に敵はいた。

 

 街に繋がるいくつかの坑道の一つを通り抜けてやってきた、黒衣の集団。明かりも持たずに進む彼らは、頭から伸びた触角をしきりに動かして周囲の地形を探っている。蟻人の刺客たちだ。

 

「散れ」

 

 隊長が短く発すると、部隊は複数の班に分かれて外壁の開口部から侵入していった。内部構造については潜伏中に網羅している。防衛のための戦力がごく少数であることも把握済みだ。だからといってなんの被害もなく遂行できるなどと楽観はしていないが、最終的に目的を果たせるならば多少の犠牲は厭わない。蟻人とは生来そんな種族だ。

 

 と、いうのはなんとも甘い考えだった。

 

「う、なんの音——ぐあっ!?」

 

 足を置いた床石がわずかに沈み、起動したのは罠矢(トリックボルト)。近距離なら鎧すら貫通するのが弩という武器だ。軽装の刺客はひとたまりもなく、自分の心臓が作る血溜まりの中に斃れ伏した。

 

「罠か。注意を」

 

 直近で見ていた彼はあくまで冷静に警戒度を上方修正し、数十秒後に不自然な床を発見した。当然に避けて通り、その脇の感圧板(プレッシャープレート)に気づかず矢を受けて死んだ。

 

 ()()のではないか。

 

 この遺跡の造りは以前探索した地下墓地と同じ様式のようだと鉱人道士が気づいたとき、ゴブリンスレイヤーはそう見当をつけた。果たして、あったのだ。同種の罠が。作動させるための魔力の流れこそ絶たれてはいたが、機構そのものに損傷はなく、ならば足りない部分を単純な仕掛けで補ってやればよいだけだ。

 

「床に気を配れ」

 

 後続に呼びかけた彼は、道を塞ぐ瓦礫がたいした量ではないと判断して撤去を行い、押さえるものを失った縄つきの大石に潰された。罠矢ばかりでは芸がない。蜥蜴僧侶と侍が協力すれば、重量物に高さという武器を与えるのもたやすいことだ。

 

「こちらは通れん。向こうだ」

 

 指揮を引き継いだ者は迂回路を辿り、薄い木材の上に床石を敷き直して偽装された奈落に吸い込まれていった。罠の設置場所については、暗視持ちの斥候役として妖精弓手が助言したのだ。上の森人ですら発見困難なように隠蔽されては、簡単には見破れまい。もっとも彼女の目方では、こんな落とし穴(ピット)など機能しないだろうが。

 

「またか……なら、そこだ」

 

 苛立ちも隠さず隘路を早足に進行するこの男は、天井から吊り振られた釘だらけの角材に、人生最後の接吻をすることとなった。造船所の廃材が街の敵を誅するとは、この上ない有効活用だった。

 

 壁に設けられた覗き穴から機を窺っていた兎人の女給は、自身の挙げた戦果に満足すると速やかに移動していく。転換機(スイッチ)を踏むのが自分でなくとも、罠は容赦なく発動するものだ。

 

「えぇい、なんなんだここは!」

 

 死の罠の地下迷宮(デストラップ・ダンジョン)へようこそ。

 

 熱烈な歓迎に揉まれた刺客たちは、一番先行していた班が外壁を突破する頃にはすでに、兵力を四割近く喪失していた。

 

「やっと、着いた」

「油断するな、先は長い」

 

 本当に長かった。目抜き通りなどという気の利いたものはなく、待ち受けるのは細く込み入った路地、路地、路地。迷宮はまだまだこれからだ。

 

「あぁぁっ、しまった、こんな玩具に!」

 

 また一人、絡め取られた。建物の屋根から垂らされた吊り上げ縄(スネアトラップ)にかかったのだ。

 

「早く縄を切れ、これ以上頭数を減らすのはまずい」

「わかって、いる……!」

 

 天地逆さの吊るされた男(ハングドマン)に同胞の視線が集まる。生者は死者よりも目を引くものだ。しかも彼自身は罠からの脱出に意識が向いている。なんと迂闊な、固まって立ち止まるとは。

 

「《運命握る犬の導師(ホーチンイクワ)、街路の影に叡智を示せ》」

 

 そんな隙を、仕掛人の前で晒すとは。自らを触媒とした犬人霊媒の《使役(コントロール・スピリット)》によって像を結ぶのは、彼の守護精霊(トーテム)たる犬の精霊だ。跳びかかる獰猛な野獣(サベージ・ビースト)に驚きはしたものの、野良犬めいたみすぼらしい姿に蟻人たちは拍子抜け。その瞬間、彼らはまとめて吹き飛ばされた。咆哮と共に放たれた不可視の《力球(パワーボール)》が、外骨格を打ち砕いたのだ。

 

「どんなもんじゃい! 犬を見縊ったやつは早死にすんだよ」

「あいつが術者か」

「やべっ」

 

 勝ち誇る犬人霊媒に、難を逃れた敵が殺到する。精霊を連れて逃げだせば追ってくる追ってくる、危機探知も疎かなままに。

 

「うりゃぁぁあ!」

 

 高位に待機していた鼠義賊が跳び下り、殿(しんがり)を務めていた男を炎紋剣で叩き斬った。振り返って応戦を試みた者は、鳩尾へのカチ上げ突きで即死だ。

 

「うわ重い重いどけどかしてくれ!」

 

 そこまではよかったが、死体に覆い被される形となりもがく様はどうにも格好がつかないし、敵が待ってくれたりもしない。

 

「何やってんだ阿呆、さっさといくぞ」

 

 反攻せんとした生き残りを精霊に喰い殺させ、犬人霊媒は仲間を救出した。戦闘音を聞きつけたほかの敵が近づいていることを、彼らの鋭敏な聴覚はすでに察知している。どうやら早急に邪魔者を排除するつもりらしい。この場にとどまっている時間はなかった。

 

「いたぞ」

「逃すな」

 

 駆け足で角を曲がって細い階段を上る。背後に迫る殺意に、二人はしてやったりとほくそ笑んだ。脇道に入ればこのとおり、追手は転がってくるいくつもの樽とご対面だ。逆走しても間に合わない。巻き込まれた蟻人たちは階段を転げ落ち、割れた樽の中身を浴びることになった。

 

「遠慮なく飲んでくれ。俺は糖酒より麦酒(エール)のほうが好みなんでな」

 

 階段上に姿を見せた白熊戦士が、どこまでも呑気に無慈悲に告げる。

 

「あばよ、酔っ払い」

 

 放り込まれた葉巻は《火球(ファイアボール)》の一撃にも似て、酒浸りの犠牲者を猛火に包んだ。

 

「莫迦にしてくれる……!」

 

 燃え移る前に離れた一人が、短剣を構えて挑みかかった。獣人の中でも近接戦闘においては最強格と目される熊人に。正面から。単独で。

 

「おいおい、そいつは濡れ衣だぜ」

 

 白熊戦士の右手には、独特の形状の剣が携えられていた。短めかつ幅の広い剣身に、梯子を連想させるような柄が繋がっている。横木の部分を握ることで、刃が拳の延長上にくる造りだ。拳刃(ジャマダハル)という名のこの武器は使用者の筋力を活かしやすく、熟練者であれば竜の鱗すら貫くという。

 

「端から莫迦だろ、お前ら」

 

 ただ真っ直ぐに、突き出す。剣どころか肘まで埋まった腕を引き抜くと、風穴の空いた死体は火の中に葬られた。

 

「ちょろいもんだな」

「ああ、俺たちの敵じゃないぜ」

「こんぐらいなら、俺様の出る幕でもなかったかもな」

 

 余裕の一人と調子に乗る二人、三人の仕掛人は再び走りだした。もう近場に敵はいない。次はあの冒険者たちの助勢に向かうべきか、それとも別の区画か。少し耳をそばだててみよう。

 

「今のを見たか」

「調べるぞ」

 

 建物の前を通り過ぎようとした刺客の一団が、窓の中を横切っていく光に足を止めた。覗いてみても光源は見当たらない。捨て置くわけにもいかず、彼らは入口に見張りを立てて音もなく突入した。室内は奥まった構造で、神代(かみよ)の石卓と誰かが持ち込んだ木椅子が倒れていた。

 

「——。——?」

 

 敵影なし。最奥を調べていた男は伝えようとして顎を開き、その声は音にならない。慌てて振り返った彼の触角が感知したのは仲間たちの亡骸と、不気味な甲冑だった。

 

「——!」

 

 遺言すら許されぬ喉笛に小剣を押し込み、ゴブリンスレイヤーはそのまま得物を手放した。椅子の下に配置しておいた新たな剣を拾い上げ、背を向けている見張りも同様に忍び殺しつつ外へ。

 

「五つ。片づいたぞ」

 

 戦いとも呼べぬ掃除を終えて声を発すると、隣の建物に隠れていた女神官と女商人が合流し、さらに囮にした追従灯が戻ってきた。

 

「ゴブリンスレイヤーさん、大丈夫でしたか?」

「ああ、やはりこの角灯は買って正解だった。ゴブリンにも有効だろう」

 

 奇跡の影響下での待ち伏せ(アンブッシュ)。獣人たちのように夜目が利かなくとも障害物の位置は憶えればよく、至近距離なら相手の輪郭くらいは見える。隠形に長けた者と《沈黙(サイレンス)》の組み合わせは、やはり凶悪の一言であった。

 

「あの、彼女はそういうことを心配しているのではないと思いますよ」

「そうか。そうだな。術もうまく働いてくれた」

「そ、そういうことでもないんですけれど……でも、ありがとうございます」

 

 貴方の身を案じているのだと改めて表明するのも何やら面映ゆく、女神官は賛辞を素直に受け取ることにした。単に役に立てて嬉しいというのもある。皆が夜遅くまで戦支度に勤しんでいるあいだ、祈祷による精神の摩耗を回復させるために眠っていたものだから、なおさらだ。

 

「そちらは問題なかったか」

「はい、誰にも気づかれてはいません」

 

 同じく十分な休息を取った女商人は、攻撃に集中するために前がかりに動かざるをえない頭目に代わり、女神官の直掩に当たっている。今のところは特に剣を振るべき状況は訪れておらず、いささか手持ち無沙汰な様子ではあったが。あとで重要な役目が待っているので、体力を温存しておけるに越したことはない。

 

「よし、では次だ」

 

 状況がまだ己の掌に収まっていることを確認し、ゴブリンスレイヤーは計画を進めていく。

 

 公女の安全を確保するには何が最善か。

 

 まず街から脱出させるという案は、ほかならぬ公女自身によって固辞された。

 

 領地に危機が迫るときに我先にと逃げだす者に、為政者たる資格はない。

 

 彼女は気丈にもそのように言ってのけた。そうでなくとも護衛を引き連れて移動すれば居場所を教えているようなものであり、逆に小勢で密かにとなると気取られた際の対処が難しい。街のどこかに身を隠すにしても、同様の問題がつきまとう。

 

 ならば堂々と迎え討てるだけの戦力を集中運用するか。海上に兵の大半を割いている状況でそんなことをすれば、街そのものの防備が破綻するだろう。ゆえに逃げも隠れもせず、万端整え少数精鋭で要撃する。

 

 偶然か宿命か、それは実に冒険者向きの盤面(セットアップ)だった。

 

 遺跡を拠点に選んだのは、ここがもっとも防衛に適した環境だったため。敵が公女の所在を掴んでいるのは、探りを入れられる前にこちらから情報を流して油断を誘ったため。いざ攻め入ってくれば、大量の罠と阻塞で侵入経路を限定しつつさらなる死地へと引きずり込み、兵力を漸減させる。

 

 罠を踏んだ誰かの絶叫がこだまする。無音のうちに息絶えた骸が積み重なる。祈りと詠唱。鉄と炎。

 

 たった一つの冴えたやり方など知らない男のたった一つ勝ち筋は、ただ一つの出し惜しみもない、前言違えぬありったけだった。

 

「手こずった」

「すぐにこいつを出すぞ」

 

 そうして戦いの趨勢が防衛側に傾いていくさなか、辛くも罠を掻いくぐり、遅れていた一団が廃都に到達した。件の木箱を運ぶ者たちだ。彼らが荷物の蓋を開けると、窮屈そうに手脚を折り畳んでいた巨大蟷螂(ジャイアント・マンティス)が一斉に飛び立った。

 

クソッタレ(ドレック)、飛び越えてく気か! 空気を読みやがれよ!」

 

 体長三メートルほどもある蟲が頭上で翅を震わせていれば、離れていようがいやでも気づく。吐き捨てた白熊戦士は拳刃を鞘に収め、新たな敵を追跡すべく両手足で石畳を蹴った。巨大蟷螂の飛行能力はさほど高くないらしく、滑空と着地を繰り返すような飛び方ではあったが、獣人の足でも追いつけるかどうかは微妙な速度だ。後ろの仲間を気にしている暇もない。

 

「ちょ、待っ、前衛が術士を置いてくんじゃねぇ!」

「ひえぇ、一匹こっちくるぞ!」

 

 肉壁がいなくなったら困る。大急ぎで白熊戦士に続こうとしたあとの二人の行手を、一対の大鎌が遮った。

 

「なんとかしてくれ早く術術術!」

「わーってるっての!」

 

 臆せず挑む精霊犬が吼え猛り、《力球》が撃ち放たれる。が、使役者の焦りが伝染したのか狙いが狂い、片眼片腕を捥ぎ取るにとどまった。

 

「やべっ、仕留め損ねた。撤退する」

「はぁ!?」

 

 その成果から目を背けるように方向転換した犬人霊媒は、迷わず逃げを打った。精霊とて、そう立て続けに術を使えるわけではないのだ。数歩で追いついた鼠義賊共々、できるだけ細い路地を選んで走り抜ける。これなら手出しできまい、と思いきや上から鎌が伸びてきた。

 

「う、わぁっ!」

 

 間一髪、炎紋剣がこれを防ぎ、身代わりとなって弾き飛ばされた。

 

「もう駄目だ、無理だぜこんなの!」

「黙れ走れ急げ!」

 

 距離を置いて集中する時間を稼がなければ、精霊に指示を送ることすらままならぬ。しかし建物の合間を縫って必死に逃げ続けるも、巨大蟷螂は執拗に追いかけてくる。万事休すか。そんなとき、彼らの眼前に一人姿を見せたのはこの男。

 

「あっ、ゴブリンスレイヤー! 助けてくれ!」

「おいあんた戦士だろ、前に出ろよ前に!」

「ああ」

 

 犬人霊媒に催促されるまでもない。ゴブリンスレイヤーは松明片手に平然として巨大蟷螂と向かい合うと、雑嚢から取り出した何かを進路上に投げ割った。

 

 それは卵だった。正確には、卵だったものだ。貼り合わされた殻の中身は香辛料や、すり潰した長虫などの刺激物の混合物。ゴブリンスレイヤー謹製の催涙擲弾(ライオット・グレネード)である。しかも、虫除けの作用のある薄荷(ハッカ)を刻んで加えた改良型だ。

 

 砕けた殻と共に粉末が散って舞えば、吸い込んだ巨大蟷螂はたちまちのうちに悶え、のたうち回る。効果は抜群だ。

 

「ぎゃー!? 薄荷臭ぇ!」

 

 鼠人にも抜群だ。離れていても漂ってくる匂いだけで、顔をしかめて後ずさってしまう。蟲以外にも有効なこともあるようだ、いずれゴブリンにも試してみよう。投げた本人はそんなことを考えていた。

 

「っしゃ、貰った!」

 

 対照的になんともなさそうな犬人霊媒が追撃に移り、今度こそ命中した《力球》が巨大蟷螂を四散させた。先ほどまでの慌てぶりを忘れ去り、自信に満ちた表情を決めている。

 

「やっぱり俺が最強かー」

「右だ莫迦!」

 

 浮かれ切った呪文使いなど、狙わない理由がない。建物の陰から襲いかかる刺客。その武器持つ手を、小さな矢が射止めた。怯んだところで側頭部に小剣が打ち刺さる。

 

「吹き矢か。巧いものだ」

「ま、まぁな……ふぅ……散々な目に遭った……」

 

 投擲した剣を回収したゴブリンスレイヤーは、咄嗟の射撃を成功させた鼠義賊を静かに賞嘆しつつ、酒場の方角へ視線を向けた。彼女たちは、間に合ってくれただろうか。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、が弱き我らを、どうか大地の御力でお守りください》!」

 

 最終防衛線である大階段にて待ち受けていた女神官は、地の底からでも届くようにと声を張り上げていた。《聖壁》に激突した巨大蟷螂が、階段下の広場へ墜落していく。そこに敵勢の生存者たちが集結し、()()()()()()と音を鳴らしながら向かってきた。

 

「今です!」

「《トニトルス(雷電)……オリエンス(発生)……ヤクタ(投射)》!」

 

 閃光が女商人の凜とした横顔を照らす。巨大蟷螂を直撃し貫いた《稲妻》は水浸しの広場に落ちると拡散し、地に足つけた者たちの全身を突き上げた。悲鳴も掻き消す雷鳴がやむと、生命の焼き切れた形跡が白い煙となり、惨状を覆い隠すように立ち込める。全滅だ。

 

「本当に、あの人から教わったとおりに」

 

 雷は、水を伝わり広く散る。

 

 侍から授けられた知恵だった。しかしながら、何をどうすればそんなことを知りうるのやら。雷雨の日に魚釣りでもしていたのか。彼女の疑問に答えは出ず、近づいてくる足音によって中断させられた。

 

「おお、こいつは……。楽に終われるか、願ったりだ」

「死んだふりなどされては敵わん。確実に息の根を止めるぞ」

 

 残る一体の巨大蟷螂を単騎で撃破した白熊戦士と、ゴブリンスレイヤーたちだ。ゴブリン退治のときと同じように始末をつけにかかる様に、女神官は見ないほうがよいと友人に促した。

 

 それから間もなくのことだ。暗黒にいだかれた廃都に勝鬨が、響かなかったのは。

 

「……三十九?」

 

 各々の戦果に女給たちの報告、この場に転がる死体。合計は、ゴブリンスレイヤーの口にした数字で間違いなかった。あと一人。不意に訪れた静寂のなか、酒瓶の割れる音がいやに大きく聞こえた。

 

「いつの間に……!」

 

 失態を呪う頭目を先頭に階段を駆け上がり、獣人たちが彼を追い越していく。酒場の扉を蹴破り、室内に飛び込むとそこには。

 

「遅かったな」

 

 額から血を流して昏倒する蟻人と、瓶の首を手にしたままそれを見下ろす店主の姿があった。

 

「女将さん無事だよな、あの子は」

「そりゃ無事に決まってんだろ」

「女将さんいるもんな」

 

 安堵の息を漏らす熊犬鼠。目の前の女性への心配は微塵もないらしい。

 

「お前らにはあとで山ほど説教がある。楽しみにしておくんだな」

「やっべ」

 

 三人の態度が気に食わなかったのか、山猫女将は恐怖の宣告を下した。口は災いの元とは、まったくよく言ったものである。

 

「その前にこいつを縛り上げて倉庫に放り込んでおけ。どうも海賊どもとは違う匂いがする。あの梟ジジィに引き渡せば、小遣い稼ぎにはなるだろう」

 

 唯々諾々と従い刺客を運んでいく仕掛人たちと、手早く床に散らばった破片の掃除を始める女給たち。どうにも締まらないが。

 

「作戦完了だ。ご苦労だった」

 

 彼らは、勝利したのだ。

 

「やった……やりました!」

「はい。誰も欠けることなく」

 

 娘二人が喜びを分かち合う。対して頭目は兜の奥で悔しげに呻いた。

 

「だが、不手際があった。すまん」

「構わん。四、五人は抜けてくると思っていた。一人なら、まあ及第点だ」

 

 それはつまり四、五人なら問題なく対処できたということか。店内にも罠を張ろうとして却下された理由の一端を、ゴブリンスレイヤーは悟った。彼女のいる場所こそが、最終防衛線だったのだ。

 

「ほら、もう出てきていいぞ」

 

 一仕事終えた山猫女将は先刻まで椅子代わりにしていた大樽に近寄り、軽くノックした。すると内側から蓋が持ち上がり、公女がおっかなびっくり顔を覗かせた。

 

「手を」

「ありがとうございます」

 

 丁寧に引っ張られ、外に出る。目をしばたかせるのは丸灯がまぶしいのか、暗闇が眠気を誘ったのか。そんな少女らしさはすぐ引っ込める。

 

「皆様、お手数おかけしました。重ね重ね、お礼申し上げます」

 

 粛然と腰を折る様からは、幼さも刺客に狙われていたことへの怯えも感ぜられない。さすがは自分も船に乗って皆を応援したいと息巻いて、博士を果てしなく困らせただけのことはある、年齢に似合わぬ豪胆ぶりだった。少なくとも、そう取り繕うだけの気概があった。

 

「あとは海の連中が帰ってくるのを待つばかりだな」

 

 ざわめく内心を見透かした山猫女将の肉球に頭を撫でられて、公女の頬はようやく緩んだのだった。

 

「……いまさら言うことでも、ないのだが」

「はい?」

 

 おもむろに首を巡らせたゴブリンスレイヤーは、女神官と目線を合わせた。

 

「お前も、あちらに参加したかったのではないか。海は初めてだと、言っていたろう」

 

 本当にいまさらだった。この男の気の遣い方が不器用なのは重々承知しているので、彼女も指摘することはしないが。それに、思い返せば今回は特に何くれと新しい経験をさせようとしてくれていたではないか。不満などあろうはずもない。

 

「また、次の冒険の機会に。生きていれば、きっと次はありますから」

 

 公女に椅子を薦めて談笑し始める女商人を目で追いながら、聞こえないように、言い聞かせるように、彼女はささやいた。

 

「そうだな。海にゴブリンが出るかもしれん。海ゴブリン……小鬼船団(ゴブリンフリート)……小鬼海賊(ゴブリンパイレーツ)……?」

 

 なんかもう台無しである。女神官とて、こればかりは不満だった。おぞましい想像の世界に旅立ってしまったゴブリンスレイヤーを連れ戻すべく、やや大袈裟に錫杖を揺り鳴らす。

 

「と、とにかく! 今は皆さんの無事をお祈りしましょう」

 

 もう一度、大地の底から天上へ、さらに沖へ。祈りよ届けと、彼女は静かに言祝いだ。

 

「慈悲深き地母神よ、どうかその御手にて、地を離れし者たちをお導きください……」

 

 

 

§

 

 

 

 しかし地母神の加護も、海洋までは及ばぬというのか。

 

 海賊討伐船団は、苦戦を強いられていた。

 

「またくるぞ!」

「取舵ー! 回避しろ!」

 

 巨大蜂の群れが、傷ついた海兵隊の船を包囲していた。落とす石が払底しつつあるのか、彼らは尾針を用いた接近戦に移行している。帆に多少穴を空けられた程度なら帆走に支障はなく、また攻撃には重要な索具を選んで破壊するほどの精密さもない。

 

 危険なのは船員たちだ。

 

「誰か、薬を……!」

「ここで倒れるな、中に——うぐっ、あぁぁ!?」

 

 毒に苦しむ仲間を助けようとした水夫が、背中から刺し攫われて海に投げ込まれた。解毒にせよ止血にせよ、船に積まれている物資には限りがあり、人手も足りていない。

 

「羽蟲ごときに、こうまで掻き乱されるとは」

 

 損耗に歯止めをかけようと飛翔した博士は、鳥脚で大曲剣を操り、単身で敵の一群を抑え込んでいた。一太刀ごとに敵を屠り、されど数的不利はいかんともしがたく。

 

「BEEEB!」

「しまっ、た……!」

 

 翼に針が突き刺さる。すぐさま振り払うも、姿勢を維持できずに高度を落としていく。海面に、ではなく船板に不時着して転がり、帆柱に衝突してなんとか停止した。

 

「く、やはり、私ではこの程度か」

「おい、しっかりせい!」

 

 彼を助け起こしたのは、鉱人道士だった。ここは、自由への先駆け号の甲板だ。

 

「毒、が」

「ほれ解毒剤(アンチドーテ)あっぞ、自分で飲めっか」

 

 痙攣する手で小瓶を受け取って飲み干す。冒険者ギルド製の魔法の薬水(ポーション)は値段こそ張るが、相応の効き目はあるようだ。呼吸が整うまでの数秒を、博士はそんなことを考えて過ごした。

 

「助かった。報酬に色をつけよう」

「そらいい、ますます死ねんくなったわ」

「おい、すまねぇがまた修理頼む!」

「ほいきた!」

 

 鉱人道士は大工道具片手に船内に走り込んでいった。落石が途絶えても、敵船からは大弩の矢が飛んでくる。鉱人たるもの槌を持てば玄人裸足、応急修理で大忙しだ。

 

「数が、多すぎ!」

「野伏殿!」

 

 無論、こちらも暇ではない。空襲に抵抗する妖精弓手の頭を下げさせ、蜥蜴僧侶は間近に迫った毒針を鷲掴んで敵の体を船縁に叩きつけた。この弓兵には防空戦闘に集中させたいところではあったが、敵に脅威認定されたのか、妨害が激しく中断させられてしまう。

 

「BEBEEE」

「QIIU!」

 

 素通しとなった編隊から逃れるために、虎鯨は深く潜水せざるをえなくなった。巨大蜂はごく短時間なら水中でも生存できるらしく、半端な深度では急降下で突っ込んでくるのだ。

 

「GIRIRIII」

「あいつがくるぞ、逃げろ!」

「駄目だ操舵手がやられた! 誰か代われ!」

 

 こうなれば、大鎧熊蟲を抑えるものはない。手近な船に照準を定め放射された水流は、直撃こそしなかったものの船尾を掠り、舵を破壊した。これで、まともに行動できるのは鯱と博士の船、二隻ばかりだ。

 

「なんだよ、これ、なぶり殺しじゃねぇかよ!」

「やっぱり俺たちじゃ、昔の親方たちみたいにはやれないのか……」

 

 船団の大多数はいまだ暴風雨に弄ばれている。海賊は数に任せて押し包む。上にも下にも蟲が蠢く。古老と相対する二人はこちらを助けることなどできず、こちらから掩護することもままならぬ。

 

 誰かが、戦局を変えねばならなかった。

 

「……え」

 

 ()()に真っ先に反応したのが妖精弓手だったのは、必然だったと言うべきか。なぜならそれは音だったから。それは事のほか近くから聞こえてきたから。

 

 それは、リュートの音色だった。

 

 

 

 嵐の檻が我らを囚え 奇蟲の獄吏が我らを苛む

 

 自由は何処(いずこ) 自由は何処 波間に投げた問いが沈む

 

 答えを返す我らが先達 大洋を貫く彼らの航跡 

 

 自由はそこに 自由はそこに 波間の先へ迷わず進め

 

 彼らを見よ 背中を追え 故郷を守りし彼らに続け

 

 風が吹く 背中を押す 故郷よりきたる風はやまぬ

 

 我ら先駆け 海原を駆け 羅針盤すら想いのままに

 

 気ままな風を束ねて前へ 黄金の時代へいざゆかん

 

 

 

 彼は、悲鳴を上げるために船に乗ったわけではなかった。

 

 彼は、目をつむって縮こまっているために船に乗ったわけではなかった。

 

 語り伝えるために。目撃者となるために。その一意でここにいる。

 

 だから歌う。言葉の刃で武装して。

 

 これこそが、吟遊詩人(バード)の戦いなのだ。

 

「歌……?」

 

 船上を満たす死と破壊の音をすり抜けて、歌声は響き渡る。魔法のように、奇跡のように。未完の英雄譚が、海の勇士たちの心を吹き抜けていった。

 

 彼らは気づく。

 

 これは、俺たちの歌だ。ここは、歴史だ。ここが、伝説だ。俺たちこそが、英雄だ!

 

「……まだ、ここからだ」

「船は浮かんでる」

「俺たちは生きてる」

「まだ、戦える!」

 

 声援(バフ)を受けた水夫たちが、総身に活力を蘇らせる。たかが歌で何を莫迦な、などと嗤うなかれ。うまい糖酒と陽気な船歌があれば、船乗りは無敵なのだから。

 

「誰か旗を掲げろ! 文章は」

「わかってらぁ、皆まで言うな!」

 

 場違いなほど鮮やかな旗が、主帆柱を並んで登る。

 

『我らが女王に首飾りを贈れ』

 

 それはかつての戦争で用いられた合言葉だった。意味するところは、"勝利して生還せよ"。

 

「いくぞお前ら!」

「首飾りを贈れ! 首飾りを贈れ!」

 

 生きて帰るべく、前へ。たとえ死せども、その死が仲間を生かすと信じて。海賊も蟲の群勢も魔の嵐も、彼らを止めることなどできはしない。猛々しい雄叫びが詩の旋律に編み込まれた、この大合奏(セッション)はもはや彼らのものだ。

 

「ふははははは! やはり戦はこうでなくては!」

 

 愉快痛快呵々大笑、そのくせ落ち着いた眼差しで、戦闘民族たる蜥蜴僧侶は戦場を俯瞰した。

 

「野伏殿はあの使徒を守ることに専念してくだされ。あれが斃されれば進退窮まるは必定」

「でも、船はどうするの。こっちにもけっこうな大群がきてるけど」

「何、高く飛ぶなり小出しに攻めてくるなりされれば難儀なれど、一塊で寄せてくるのならばしめたもの。やりようはありまする」

「じゃ、任せた!」

 

 やれると言う。ではやってもらおう、自分は自分の役目を果たせばいい。妖精弓手は信頼だけを置いて離れていく。受け取った男は船首楼に立ち、大きく息を吸い込んだ。

 

「《偉大なりし暴君竜(バォロン)よ、白亜の園に君臨せし、その威光を借り受ける》!」

 

 歌に乗せて轟いたのは《竜吼(ドラゴンロアー)》だ。竜とは最強にして最恐の生物であり、弱肉強食は自然の摂理。巨大といえど所詮は羽蟲、蜂がこれに挑めるわけもなし。

 

「BEEEE!?」

「BBBBEB!?」

 

 群れは乱れに乱れて逃げ惑い、同族とぶつかったり海に墜ちたりした挙句、術の効果範囲外にいたものまで巻き込んでの大混乱を引き起こした。

 

「ああいうのやるなら先に言ってほしいわねー」

 

 咆哮にちょっと驚いてしまった妖精弓手が、ぼやきを一つ。味方に影響を与えることはないとはいえ、いきなり後ろで使われると耳と心臓に悪い。あの吟遊詩人はよく歌い続けられるものだ。彼女は感心した。

 

「QUIIII!」

「BEEEBEE」

「おおっと、これ以上、勝手は許さないから!」

 

 再び浮上した虎鯨を標的にした巨大蜂の群れが、片端から撃墜されていく。邪魔が入らないのならこちらのものだ。かてて加えて、一度に襲来する数も比較的少ない。何しろこれまでに相当数が木芽鏃の餌食となっている。戦力が尽きつつあるのだ。

 

「もう面倒臭ぇ、あのクソ鯨を殺せー!」

「ひゃはっ、いい的だぜ!」

 

 だが船は別だ。ここで埒を明けるつもりか、急接近する小型船が一隻。岩塊じみた熊蟲に体当たりを繰り返している虎鯨はすでに傷だらけだ。大弩の斉射でさらなる痛痒(ダメージ)を受ければ、あの巨体でも命に関わる。

 

「やらせるかよ。全員しがみつけ!」

 

 待ったをかけたのは女王の騎乗槍号だった。速やかに回頭、敵船目がけて疾駆する。

 

「駄目だ駄目だ、面舵! いったん距離を——」

「鈍間がすぎるな」

 

 諦めて退散しようとした海賊船の船尾楼に、羽根が舞い落ちた。低空を横切った博士が、船長と操舵手と、舵輪までもまとめて大曲剣の錆にしたのだ。

 

「この老害が、よくも」

「私に構っている場合か」

 

 逆上する海賊たちの剣からスルリと逃れ飛び、猛禽は狩りの成就を予言する。

 

「よい的だぞ、貴様ら」

 

 舵を取る術を失った船に、迫りくる騎乗槍(ランス)の穂先。誰かが真っ先に海に飛び込んだ。賢明な判断だった。

 

「ブチ込めー!」

「安心しな、痛いのは最初だけだ!」

 

 衝角突撃(ラミング)。船首下方、水面下に据えつけられた衝角(ラム)を用いた、もっとも古く強力な対船攻撃手段だ。ガレオンの大質量を乗せたその一撃は無防備な左舷(ひだりげん)船腹を食い破り、なおも止まらず船体を真っ二つに断裂させた。

 

「行き足が止まりかけてやがる、今のうちにやっちまうぞ」

 

 大技の代金として支払った速力を取り戻す前に、別の海賊船が動きだす。それも複数だ。手数が足りていない。たった二隻で対処できるものか。

 

 であれば、数を増やせばよい。

 

「帆が破けようが帆柱が折れようが構うもんか! とにかく船を走らせろ!」

「彼らに続けー!」

「首飾りを贈れ!」

 

 歌を聞くには遠くとも、旗は彼らにも見えていた。強引に嵐を脱した軍船が、続々と戦列に参加していく。海賊とは集団戦闘の練度が違う。舳先を並べて陣形を組み直せば、その様は移動する要塞のごとし。蟲一匹通しはしない。

 

「いい、歌だ」

 

 音楽と信号、仲間たちの鬨の声。船だけでなく海上を漂う木片や蜂の死骸すら足場にして跳び交う、高速の剣戟のさなかにあって、それらは確かに鯱のもとにも届いていた。

 

「そろそろ、決着をつけさせてもらおう」

 

 この男の青い肌は敏感に、戦場を覆う空気の変化を読み取っていた。ここが潮目だ。どのみち、長引かせるのは得策ではない。

 

 闇人の身体的特性は、おおむね森人と同様だ。全身の筋肉が精密かつ効率的に連動することで卓抜した巧緻性と瞬発力を両立している反面、作りが繊細すぎて持久力に乏しい。

 

 そこへきて、《加速》だ。この術は肉体の消耗をも加速させる。彼はすでに、息が上がり始めているのだ。

 

「気が合うじゃねぇか、相棒!」

 

 対する古老は一見するに疲弊した素振りはないものの、威勢のわりに決定打を欠いていた。太刀筋に粗が目立ちつつある。剣を交える鯱には手応えからそれがわかった。

 

「錆びたな、貴様」

 

 打ち合っては離れ合う膠着状態から、鯱が押し、古老が退がる展開へ。このまま足場にできるもののないところまで追いやってしまえば。

 

「BEEEE」

「何っ!?」

 

 そう考えたのは、古老も同じだった。巨大蜂の脚に掴まって高所へ退避し、攻撃を空振ったことで体勢の乱れた鯱に別の蜂を群がらせる。

 

「この、程度で!」

 

 おかげで、踏み台ができた。まだ射程内だ。敵の体を蹴り、射落とさんと放たれた太矢をよけつつ、より高く自身を跳ね上げる。追いつく。

 

「《カエルム()……テッラ()……ノドゥス(結束)》」

 

 斬り裂いたのは、蜂の体だけだった。

 

 《加速》を解除した古老が新たに唱えた呪文は、《跳躍(ジョウント)》だった。空間を越境する、零時間移動の魔術だ。

 

「獲った!」

 

 掻き消えた彼の姿は、鯱の上方にあった。無理矢理に身をよじってかざした銃剣が、振り下ろされた鉤剣の片割れを防いだが、もう一方は脇腹に埋まっていた。もつれ合いながら、二人は海中に没する。

 

 王手(チェック)だ。古老の指先が、弩に矢を番えるべくうごめいた。鉄砲は水に浸かれば撃てなくなる。彼が弩を好む理由がこれだ。

 

 鯱の武器は銃剣と奇跡。剣は鍔迫り合って動かせない。声を発さず念だけで祝祷を行うこともできるが、猶予はない。使徒の助力も間に合うまい。王手は詰み(チェックメイト)となったか。

 

 結果を語る前に、繰り返そう。銃剣だ。銃と、剣だ。

 

「悪いが、譲れないな」

 

 なぜ、喋れる。古老の疑問への回答は、刃を支える鯱の()()と、そこに光る指輪と、剣を分離(パージ)した騎筒を構える右手だった。

 

 どうせこちらでは使う機会もないからと、ゴブリンスレイヤーに貸し渡されていた水中呼吸の指輪。これが生み出す空気の膜が、鉄砲を海水から保護していた。

 

 撃発、射出。大口径弾が標的の頭部を爆砕する。残された胴体は水底に引きずり込まれていき、ほどなくして溶けるように霧消した。

 

「やはり分身だった、か……ぐ、う」

 

 傷口に栓をしていた鉤剣も消え失せ、鮮血があふれ出す。一緒に抜けていきそうになる意識を歯を食い縛って繋ぎ止め、鯱は海面を睨んだ。

 

 本体は、この向こうにいる。旗船の上に。侍と、殺し合っている。

 

「ギィ……!」

 

 分身が撃破されたことを感知した古老は、苦々しげに顎を鳴らした。苛立ちの原因はそれだけではない。

 

「俺は、敗れぬ……こたびこそは、敗れられぬ」

 

 うわ言のように、というにはあまりに力強く発して、侍は大太刀を振るった。脳裏にチラつく幻影は、雪降る城下町、暖かな港街、童の微笑み、その陰り。

 

「クソッ!」

 

 この男は、なんだ。あの焼き抉られた肩を見ろ。剣を扱えるはずがない。それがどうだ、むしろ技の冴えが増しているではないか。攻めあぐねているうちに《火与》の効果も切れて今や防戦一方、後ずさる古老の前で、侍は腰を落として刀を右脇に構えた。

 

 そこからは、まさに怒涛の猛襲だった。

 

「おぉッ……!」

 

 逆袈裟、刃を返し片手打ち、低く跳んで回転切り、着地する前にもう一振り、足をつけて横薙ぎ、攻撃の拍を早めての袈裟がけ。

 

 息つく暇など与えはしない。弾けども弾けども止められはしない。斬撃の瀑布、剣閃の舞。

 

 これぞ侍の会得せし奥義が一つ。浮舟渡りである。

 

「くたばり、損ないが!」

 

 捌き切れず、苦し紛れに突きつけた弩が叩き割られた。続けて、体を回して繰り出される下段払い。これを跳ね越え、古老は対手の肩を蹴って大きく退がった。

 

「ぬうっ!」

 

 侍は衝撃と激痛をこらえられず転倒した。さすがの彼も、すぐには起き上がれない。

 

「ゲホッ、ゲホッゲホッ! っく、はぁ」

 

 しかし古老もまた、体勢を崩して血反吐を吐いていた。

 

 自分の複製を遠隔操作するという、人に生来備わっていない機能をもたらすがために、脳に瞳を得るなどとも形容される《分身》。異能の代償は、二人分の消耗が術者の心身に蓄積すること。そこに《加速》をかけ、さらに本体との同時行動。鎮痛剤でごまかすにも限度がある。おしなべて短命な種族である蟲人のうちにあって、異常なほどの齢を重ねてきた古老の肉体は、もう壊れかけているのだ。

 

 こんなはずではなかった。

 

 掠奪を繰り返して拿捕した船があっても、乗り込む人員が不足した。後援者(パトロン)から引き出せたのは暗殺集団と、大筒を搭載した軍船一隻だけ。だから《天候》で敵の連携を断絶させ、数の差が露呈する白兵戦を極力避け、とある筋から入手した薬で洗脳した蟲を利用して戦力の穴埋めを試みた。そうしたうえで鯱を釣り出し、分身に道連れにさせる。そのつもりだった。

 

 旗船への冒険者の侵入を許し、破壊工作を受けたせいで手下を逃がさねばならなくなり、侍相手に片手間で一騎討ちを演じる羽目になった。これによって鯱との戦闘に集中できなくなり、切り札となる魔術も使えないまま分身を亡失した。それどころか、今や自身の命すら危うい。

 

 そもそも、この海戦自体が不本意なのだ。本来の計略ではもっと街に接近し、(おか)に伏せていた兵と時宜を合わせて攻め入り、公女を拐かして交渉に持ち込む流れだった。その用意は昨日、冒険者たちに台無しにされた。

 

「冒険者……冒険者。冒険者、冒険者、冒険者ァ!」

 

 己と街との因縁とはなんの関わりもない部外者の分際で、よくも。憤怒の焦熱が、灰になりかけている古老の生命の薪木を、再び燃え上がらせた。

 

「《セメル(一時)……キトー(俊敏)……オッフェーロ(付与)》!」

 

 《加速》。足もとに落ちていた、手下の持ち物だった舶刀を二本拾い上げ、四刀にその速度を纏わせて跳びかかる。もう分身のために見当識を分割する必要もない。これが、正真正銘の全力だ。

 

「なん、と……!」

 

 ようやく立て直した侍を襲ったのは一撃、いや四連撃離脱の波状攻撃。反撃どころか受け太刀も満足にできず、交差するごとに装甲が削り取られていく。

 

「俺たちは、自由だ! 自由になるんだ! 生も、死も! 誰にも奪わせねぇ!」

 

 交差するごとに、互いの死が近づいてくる。砕け散りそうな体を気力だけで駆動させながら、古老はまだ焼け残っていた思考力の欠片を酷使し、算段を組み立てていた。

 

 鯱の性情は熟知している。あの男は引かない。必ずこの船に乗り込んでくる。それまでに侍を仕留められればよし。さもなくば二対一、この体は耐えられない。だからそのときは、切り札を投入する。まとめてやるには最適だ。

 

「殺す」

 

 頭を使うのもここまでだ。あとは殺すだけ。絶対に殺す。どう足掻こうと殺す。古老は感情のまま船板を軋ませ、本能のまま剣を操った。あまりに疾く、四つ腕を超えて六臂の阿修羅のごとく。

 

「捉え、られぬか」

 

 研ぎ澄まされた怒りと殺意の塊を前に、侍はかろうじて耐え忍んでいた。あの敏捷に攻防一体の四刀、つけ入る隙など見当たらない。いっそ雷を招来して回避も防御もねじ伏せてくれようか。いまだ表面に水気を残した具足が、その選択肢を拒絶する。海水の導電性の高さなど彼の知るところではなかったが、鉄鎧を帯びている時点でどのみち論外、制御不能となった雷で自滅するだけだ。

 

「ならば」

 

 ここで彼は、あろうことか刀を鞘に納めた。代わりに手にしたのは大弓だ。敵の凶刃は籠手の一部を犠牲にして凌ぎ、弦を引く。肩を負傷している現状では威力も精度も十全でなく、放たれた矢は船上の装飾となるのみ。

 

「当たらねぇと言っただろうが」

 

 躱しては、射かける。射かけては、躱す。《加速》を使う以前と変わらず一射たりとも命中せず、また躱すといっても躱し切れているわけではない。解体されていく防具の裏からは、鮮血が流れだしていた。

 

「数を重ねればどうにかなるとでも!」

 

 矢が尽きるのが先か、力尽きるのが先か。古老は今度こそとどめを刺さんとして、足に力を込めた。

 

「ああ、そうだ」

 

 その右足が、沈んだ。

 

「重ねれば、崩せる」

 

 大矢でなくとも万全でなくとも、侍の弓はなお強力。突き立った幾本もの矢が甲板にひびを走らせ、飛蝗人の脚力が思い切り踏み抜いたのだ。

 

 侍はすでに弓を背負い、刀の柄に指をかけている。それを見て古老は直感した。次の一挙動は、脱出のために費やしてはならないと。あれは、なんとしても止めなくてはならないのだと。

 

「喰らえ!」

 

 ありふれたかけ声は注意を引くためだ。左右から挟み込むように投射した一対の鉤剣は、ただの牽制だ。一度嵌まった手にもう一度かかる愚鈍でもあるまい。弾くはずだ。弾けば、止まる。仕切り直すのはそれからでよい。

 

 侍は、これを、弾かなかった。

 

「はぁ、あぁッ……!」

 

 侍には、師が二人いた。一人は、彼に異端の技を伝授した外来の武芸者。もう一人は、彼に剣の基礎を仕込んだ祖父だ。

 

 抜いたと思ったときには対手はもう斬られており、斬られたと思ったときには二の太刀を浴びている。祖父は、まさしく剣聖だった。

 

 いつの日か追いつき追い越せと望んだ、祖父の背中が。

 

 今日この日の、類稀な強者との血戦が。

 

 そして、あの日穿たれた傷痕を疼かせる、宿敵との戦いの記憶が。

 

 侍の刃を、新たな位階へと押し上げる。

 

 深く。低く。踏み込み、投じられた剣の下を掻いくぐる。直前に放った矢のあとを追って、ただ一歩で間合いを詰めた。阻むのは舶刀二振り。

 

 ——遅い。

 

「ッつあァァ!」

 

 居合い一閃、電光石火。阿修羅の腕をも斬り落とす。

 

「ぐっ……《カエルム()……テッラ()……》」

 

 剣もなく弩もなくとも、彼はまだ戦闘能力を失ってはいない。古老は腹の底からせり上がってくる苦悶の声から、力ある言葉を削り出した。

 

 それも、遅い。

 

「させぬ」

 

 侍の左手が首を掴み締め、呪文の最後の一節を握り潰したのだ。

 

「うおォ!」

 

 片手で引きずり上げた相手の体を振り回し、主人のもとへと帰ってきた鉤剣に対する盾とする。そのまま甲板へ打ちつけ突き破り、浸水の進む船内へ自分ごと叩き落とした。

 

「かはっ!」

 

 拘束を解かれた気道に反射的に空気を送り込んだ古老の、暗くなりつつあった視野に明度が戻る。彼の複眼すべてが、両逆手で振り上げられた大太刀の白刃を映していた。

 

「終いだ」

 

 心の臓を狙い、刺し通す。刀を手繰り戻した侍の前で、破滅的な量の血液が大輪の花を咲かせた。

 

「はっ、はぁ、はぁ」

 

 弾みでよろめいて数歩退がり、彼は片膝を折った。火傷と出血で、こちらも限界だ。残心すらままならぬ。

 

「……そう、か。この辺りが、俺の……ゲホッ、ガフッ!」

 

 だが古老は瀕死ながらも、まだ息があった。蟲人は、内臓の位置も只人とは異なるというのか。

 

「まあ、殺しているんだ。殺されも……するさ」

 

 喉を突くべきだった。己の詰めの甘さに歯噛みする侍は刀を杖にして立ち上がり、古老はそれより先に末期(まつご)の呼気を吐き出した。

 

「《ウェントス()……ルーメン()……リベロ(解放)》」

 

 呪詛と共に。

 

「おのれ——!」

 

 収束する光耀。解き放たれる疾風。よりにもよって術者を中心として発動された《核撃(フュージョンブラスト)》が、侍の眼前で爆裂した。

 

 それは船を半ば以上呑み込み、大筒の装薬を誘爆させた。砲弾が四方八方へと弾け飛び、周囲の海賊船や近づきつつあった討伐船団の船を打ち据える。

 

「うわぁぁぁっ、なんだ、何が起きた!」

「敵船が吹っ飛んだぞ!」

 

 自由への先駆け号も例外ではなく、後帆柱(ミズンマスト)が半壊させられた。

 

 そんななか、船上の妖精弓手は、自らを取り巻くすべての音が遠ざかる感覚に襲われていた。なぜなら、たった今木端微塵になった船には、彼が。

 

「そんな……カラドタングゥゥゥ!」

「呼んだか」

「うぇいっ!?」

 

 いた。わりと近くに。鯱の肩を借りて、立っていた。

 

「なん、えっ、どう、どうやって!?」

「フ、フフ。()()の生還、というやつ、だ」

 

 冗談めかして言った鯱は緊張の糸が切れたのか、その場に倒れ込んだ。支えようとした侍も同様だ。

 

「って、酷い怪我じゃない! ねえ! 治療お願い!」

「直ちに!」

 

 走り寄ってきた蜥蜴僧侶が、二人の容態を改める。まず侍は、傷の数こそ多いものの急所は外れている。いや外したのかと、彼の技量のほどに感嘆した。

 

 鯱のほうはというと、こちらは肝をやられている。放っておけば失血死もありえたが、出血はすでに収まっていた。この男、鉄砲用の火の秘薬を使って傷口を焼き固めたのだ。止血の代わりに傷自体は悪化してしまう、荒療治どころではない乱暴極まる処置ではあったものの、その急場凌ぎの甲斐あって一命を取り留めたわけだ。

 

「ふぅむ、これならば」

 

 蜥蜴僧侶は患者たちのそばに趺坐し、祝詞を詠んだ。

 

「《傷つきなおも美しい蛇發女怪竜(ゴルゴス)よ、その身の癒しをこの手に宿せ》」

 

 《治癒(リフレッシュ)》、その恩恵を分散させての範囲回復だ。効果量は落ちるが、別々に施術する余力がないのだ。二人とも重傷の中でも比較的マシな部類の重傷だったのは、幸いだった。

 

「感謝する、御坊。それで、戦況は」

 

 腹に手をやりながら身を起こした鯱が尋ねると、蜥蜴僧侶は長首で海上を示した。

 

「ご覧のとおりに」

 

 戦域を囲う嵐は、急速に勢力を弱めつつあった。元より魔術による強引な天気の改竄、いつまでも維持されるものではない。

 

 次々と嵐から抜け出した軍船が、逆に嵐に逃げ込もうとする海賊たちを追い立てる。形勢が逆転しかけていたときに旗船が爆沈したことで、勝敗は決定づけられたのだ。

 

 歌い終えた吟遊詩人が、水夫たちから称賛されている。空には蜂の羽音もなし。あとは。

 

「GIRRRI」

 

 この大鎧熊蟲をどうするかだ。

 

「……戦う意志は、もはや持たぬと見えるが」

 

 大矢を手にした侍の所感は、ある意味では正しかった。船からも虎鯨からも関心を失い、どこかへ泳ぎ去ろうとしているようだ。

 

 どこへ。鯱は気づく。

 

「面舵一杯! あの蟲を追え! あれは、街に向かっている!」

 

 にわかに、今一度、水夫たちが慌ただしく動きだした。虎鯨も攻撃を再開する。

 

「GIRIRRR」

 

 されど一顧だにせず、大鎧熊蟲は遠い陸地だけを目指して進んでいく。古老の怨念に憑かれでもしたかのように。あれほどの巨体に上陸を許せば、ただ這い歩むだけで街は壊滅するだろう。

 

 阻止せねばならない。なんとしても。

 

「おう雷光のに、船長さん。戻っとったか。んで、こらぁ……」

 

 そのとき、甲板に上がってきた鉱人道士が辺りを見回し、状況を察してニヤリと笑った。

 

「船長さん。ちくと、使徒を呼んじゃくれんかの。あー、船一隻分ぐれぇあいだを空けて、こっち寄せてくんろ」

「構わないが。何か策が?」

「モチ。儂ゃ今回、風精を口説いただけだかんの。ここいらでいっちょ大仕事、とっときを披露したらぁ」

 

 彼が鞄をまさぐり引っ張り出したのは、古代文字がびっしりと刻み込まれた、謎の金属板だった。船縁に近づき、傷だらけの虎鯨を見やりながら文字をなぞる。

 

「《戦だ出会えい護精(スプリガン)。百折不撓の(つわもの)一人、隊伍に加えちゃくれまいか》!」

 

 右手で金属板を掲げ、左手は服の内側に隠し路銀として縫いつけてあった藍玉(アクアマリン)をむしり取った。躊躇なく海に投じると、石は水面に落ちることなく光の球へと変じ、虎鯨を包み込んで膨張していく。

 

 やがて、光が弾けて消える。するとそこには。

 

「QUIAAAA!」

 

 五倍もの体積を得た虎鯨がいた。

 

「おお、おお、これぞまさしく大怪獣! 惜しむらくは鱗がないことか! 術師殿いつの間に、かような術を会得なされたので?」

「あん地下墓地のあとよ。デカブツ相手にすんのに使えそうな手ぇ用意しとったほうがいいかと思うての」

 

 興奮しきりの蜥蜴僧侶。彼の反応に気をよくした鉱人道士は、ご満悦で白髭をしごいた。

 

「さあさ、船長さんよう。あとんこたぁ、頼んだぞい」

「ああ。最後の仕上げといこう」

 

 鯱が念ずる。虎鯨が応じる。《巨大(ビッグ)》を受けた体は、戦場においては集中攻撃の餌食にされてしまう。これまでは使いたくとも使えない術だったが、もはや彼の邪魔をする者はいない。海洋の頂点捕食者、かの伝説の大渦獣(レビヤタン)さながらに威風堂々、獲物の真前に立ちはだかった。

 

 対峙してみれば、大鎧熊蟲が小さく思えるほど。ああ、開かれた顎門の恐ろしさたるや。生え揃う牙の一つ一つに、侍の射る大矢すら及びもつかぬ殺傷力を秘めているのだ。

 

 それが、閉ざされ。噛んで、砕く。

 

「QUIIIAA!」

 

 喰い千切った頭部を天高く放り捨て、虎鯨は勝鬨を響かせる。ゆっくりと沈みゆく死骸は、海底に消えていった。

 

「……すげぇ。すげぇ!」

「見たか!? 見たよな!」

「当たり前だろ!」

 

 蟲の頭が海に飛び込む音を呼び水に、大壮観(スペクタクル)に圧倒されていた船員たちは我に返って歓声を上げた。

 

「大活躍じゃない。鉱人もたまには役に立つのね」

「なぁにがたまには、だよ。儂がおらんかったらお前さん、百万回は死んどるわ」

 

 軽口を交わす森人と鉱人。健闘を讃え合う蜥蜴人と闇人。歌う虎鯨。水夫たちの笑顔。

 

「紙が足りなくなりそうだ」

 

 嬉々として筆を走らせる吟遊詩人は、ふと手を止めて視線をさまよわせた。

 

 あの侍はどこだ?

 

「う、ぼぁぁ……」

 

 船尾楼から海を見下ろす彼は。まあ。うん。

 

『船酔いに苦しむ侍』

 

 その一文をしっかり二本線で消して、優しい詩人はたった今目にした光景を、心の奥に封じたのだった。

 

 

 

§

 

 

 

 港街の命運を賭けた戦いは、街の勝利をもって幕を下ろした。

 

 帰投を果たし、合流した冒険者たちは公賓として迎えられ、祝勝会に招かれる運びとなった。もちろん女商人も一緒だ。

 

 生きて帰った同志たちと乾杯を。帰らぬ者には献杯を。そこに冒険者と通ずるものがあるのは、必然と言えよう。航海を冒険と呼ばずしてなんと呼ぶ。船乗りもまた、冒険に生きる者なのだ。

 

 ちなみに余談となるが、迷い猫亭の面々は公女直々の招待を丁重に辞退し、代わりに連絡手段を教えていた。再会せぬことを願うと、言葉を添えて。

 

 かくして、場面は薄暮の近づく公爵邸へと移る。

 

 夕焼けから宵闇へ、海が塗り替えられていく。ゴブリンスレイヤーたちが集められたバルコニーからは、その様子がよく見えた。

 

「ほんとに平気?」

「大事ない」

 

 薄暗くとも、森人の前で顔色の白さを隠すことなどできはしない。鉱人道士に繕ってもらった着物の袖をそよ風に泳がせ、侍は多少は生気の戻った顔に薄笑いを作った。

 

 激しい戦闘やその他で憔悴した彼は観念して船室で横になった、と思いきや刀の分解清掃(オーバーホール)を始め、気が済むとやっと仮眠に入った。港に到着しても目を覚まさなかったのでそのまま交易神の寺院に搬送され、改めて手当てを受けることに。起きたのはついさっきだ。体調は、見た目ほど悪くはない。

 

「あ、そういえば……お侍さん。雷と水について、知恵を授けてくださってありがとうございました。おかげさまで、うまくいきました」

「よい。俺もお主の教えに助けられた。礼を言う」

 

 魔術師と一戦交えるなら、いかにして詠唱を妨害するかが肝要だ。仮に発声に頼らず術を発動する手段を用意していたとしても、中断させられてしまえば集中を練り直す必要に迫られる。そこで手番を一つ浪費するわけだ。

 

 女商人の助言は、確かに侍の糧となったのだ。

 

「皆様。お待たせしてしまい、申し訳ありません。間もなく準備が整います」

 

 そうやって彼らが雑談に興じていると、白い本繻子(サテン)のドレスに着替えた公女が、バルコニーに歩み出てきた。供をする二人、博士は軍服、鯱も正装だ。

 

「あの、私たち、普通の格好で大丈夫でしょうか」

 

 女神官は憂慮する。元々礼服を着ていた女商人はいいとして、冒険者たちは旅装のままだ。いや、彼女自身は神官衣が正装なので問題はないが。

 

「ご心配なく。種族であれ服飾であれ、何も咎めないのがこの街の流儀ですので」

「それは一安心ですなぁ。拙僧、只人の礼装など着せられても尻尾が収まらぬゆえ」

「つうたかて、よう。かみきり丸の鎧は、ほんとにいいんか?」

 

 問題は主にこの完全防備(フルアーマー)野郎である。

 

「ちゃんと磨いてきた。万が一ゴブリンが」

「はい、そこまでねーオルクボルグ。今日はもうゴブリン禁止。せっかく珍しくあいつらの顔を見ないまま終われそうなんだから、余計なこと言わないでよね」

「わかった」

 

 などというやり取りを見て、公女はくすくすと笑っていた。楽しげなので衣装はこのままで、よし。

 

「だが無礼講とはいかんぞ。私は事後処理のためここを離れるが、くれぐれもお嬢様に失礼のないように」

 

 咳払いをした博士が、冒険者たちに釘を刺す。すると、公女が何か悪戯を思いついたような表情を浮かべた。母親に少し似てきたかと、鯱は暖かに見守っていた。

 

「博士。貴方にも、祝勝会に参加していただきます」

「それは、しかし」

「お仕事は明日にしましょう。そのあとは、しばらく休暇を取るのです。理由はおわかりですね?」

「……御意に」

 

 二代に渡り仕える、偏屈ながらも忠義に厚い老臣へ、有無を言わさぬ労いであった。これがもっとうまく飴と鞭を駆使するようになるとますます母親に近くなるな、と鯱は期待に若干の恐怖を溶かし入れて見守っていた。

 

「お嬢。日没だ」

「そうですね。皆様、どうぞ後ろを、港のほうをご覧ください」

 

 そんな鯱に促され、公女は賓客たちを伴って手すりへと身を寄せた。

 

「この街の最高の宝物を、お見せします」

 

 夜の帳が陸海を等しく黒に染める。港湾の中心にそびえる灯台に、火が灯された。

 

 この街の灯台は、過去に一度破壊されている。

 

 十一年前。北方から湧き出した"死"の瘴気によって王国全土が厄災に見舞われた折、混乱に乗じて砂漠の国の軍勢がこの街に攻め込んだ。その際、"死"への対処に国力を傾けていた当時の王は早々に山を崩して街道を寸断し、街を切り捨てた。

 

 街を拠点とする私掠船団は公爵のもと団結して外敵を迎え討ったが、物量差に押され、港への揚陸を許してしまう。公爵自身を含む多大な殉死者と引き換えにいったんは撃退に成功したものの、撤退する敵軍は停泊する船や港湾設備にも損害を与えていった。

 

 指導者を失い、港は荒れ果て、物資も戦力も枯渇しつつあった。敵は近海を取り囲んで逃げ道を塞ぎ、再攻撃の準備を進めていた。

 

 滅亡の波が押し寄せてくる。絶望が人々を支配しようとしていたとき、旗手を継いだのが公爵夫人だった。

 

 寡婦の装いのまま船に乗り、海へ。博士や、ためらいなく追従した船長こと鯱と共に敵陣に突き進んでいく彼女を、誰もが諦念をいだいて見送った。夫のあとを追うつもりなのだろう、と。

 

 だが、彼女は帰ってきた。船ごと掠奪した物資を手土産にして。

 

 夜の迫る頃だった。港にまだ比較的小さかった虎鯨が顔を出し、彼の鳴き声が公爵夫人たちの帰還を街に知らせた。船乗りたちは驚き、慌てた。灯台は壊れたままだ。桟橋も多くは破損しており、このまま着港させるのは危険だった。

 

 そこで彼らは、停泊する自分たちの船に篝火台を立てた。燃やす木端ならいくらでもあった。港に直接設置しなかったのは、船乗りの意地がそうさせたのか。迷わないように、できるだけ明るくなるように。残存するすべての船が灯台となった。

 

 歓喜をもって出迎えられた公爵夫人は、しかし港に踵を下ろすことはしなかった。勝利するまで陸には上がらぬと宣言し、船にとどまったのだ。

 

 気高く、厳しく、何者にも屈することはない。味方からは海の女王と称され、敵からは告死精と恐れられる。出港のたび、彼女に従う船が増えていった。帰港のたび、彼女を待つ灯火が増えていった。

 

 港湾に居並ぶ船がことごとく、燦然と闇を照らす。弧を描く光の列は、高台から見下ろせばまるで輝石のようで。

 

 だから、誰かがこう呼んだ。

 

「女王の首飾り」

 

 冒険者たちの眼下に、それはあった。公爵夫人と仲間たちが、ついに勝利を手にした証。再建された灯台、軍船、商船に漁船までもが、玉光を放っていた。

 

「お母様が、そして皆様が守ってくださった、宝物です」

 

 そのすべての煌めきが凝縮された、何より美しい宝石が一粒、公女の潤んだ瞳からこぼれ落ちた。

 

「わぁ……うわぁ……!」

 

 女神官は、言葉もなく見入っていた。彼女だけではない。皆、溜息なりうなり声なり、意味をなさない音を漏らすばかりだ。

 

「……守れた、のか。俺は」

 

 少しして、侍はごく静かにつぶやいた。気づいた妖精弓手が目にした彼の面相は、今までになく柔和だった。

 

「これが、冒険よ。悪くないでしょ?」

 

 ゴブリン退治以外の、まともな冒険に彼を連れ出すことができたのは、これが初めてだ。冒険者の道に誘った張本人として、先輩は満足げだった。

 

「まこと、よいものだ。水軍どもに挑み、宝を勝ち取った。挑戦と、達成か」

「発見は?」

「……俺は、船が不得手だとわかった」

「ぷふふっ」

 

 この男、冗談が言えたのか。それとも本気か。妖精弓手はしばらく肩を震わせていた。

 

「さて、そろそろ室内に戻るとしよう。今日の主役たちを、皆が待っている」

 

 頃合いを見計らって、鯱が宝箱の蓋を閉じる。戦利品の確認が済んだなら、次は宴の時間だ。

 

「だとよ、かみきり丸。今度ばっかしは逃さんぞ。潰れっちまうまで飲ませちゃるかんの!」

 

 肩に手を回す、には背丈が足りない鉱人道士は、ゴブリンスレイヤーの脇腹を肘で小突いた。すると。

 

「ああ。たまにはつき合うという、約束だ。それに」

 

 逡巡から言葉を区切り。

 

「仲間、との時間も、大事にしなくては駄目だと。()()()に言われたしな」

 

 なんて続けた彼の調子が、まるで親の言いつけを素直に守る子供のようで、事情を知る者たちは思わず吹き出してしまうのだった。

 

「だっはっはっは! ほうかほうか、さしものかみきり丸も、嫁さんにゃ敵わんか!」

「違う」

 

 否定の句は笑い声に押し流され、彼はもう何かを言い返すのは諦めた。

 

「そうだ、せっかくだから乾杯の音頭もやってもらいましょ!」

「ほほう、それは妙案ですな」

「同感だ。こちらからもぜひ要望したい」

 

 閃いた! と妖精弓手が指を鳴らせば(鳴らなかった)、割合とノリのよい蜥蜴僧侶が顎を上下させる。ついでに主催側の許可も下りた。

 

「……俺がか」

「適任だと思いますよ」

 

 女商人も同調。ゴブリンスレイヤーは助けを求めて女神官を見た。

 

「何事も経験、やってみるべきです!」

 

 侍を見る。

 

「これも(かしら)の務め」

 

 孤立無援であった。

 

「……わかった」

 

 それきり、彼は黙ってしまった。口上を考えているのだろう。必死に。真面目に。

 

「こら、今夜は特別うまい酒が飲めそうだわい。のう雷光の、お前さんとはいっぺん勝負してみたいと思うとったんだが、どだ?」

 

 上機嫌でほどよく軽くなった太鼓腹をさすりつつ、鉱人道士は空気の杯を傾けた。鉱人に飲み比べを挑むなど、素手で獣を狩ることにも匹敵する無謀だ。さりとて侍も只人の枠を外れた大酒豪(ワク)。これはよもやがあるやもしれぬ。

 

「すまぬが、今宵は飲まぬつもりだ」

 

 ところが、驚くべきことに。侍は首を横に振った。

 

()席の続きを、と約したゆえな。それに、舌が回らなくなっては困る」

 

 しゃがみ込んで目線の高さを合わせ、彼は公女に微笑みかけた。

 

「茶請けは、蹴鞠好きの武士の話でよいか」

「はい。憶えていてくださったのですね」

 

 あの場においてはふさわしからぬという自覚のある、わがままな頼みだった。もうそれを恥じる理由はない。今は、公女は少女でよいのだ。

 

「じゃあさじゃあさ、私もお茶菓子出したげる。聞いたことない? 森人の焼き菓子」

「あの、叙事詩に語られる、秘密の製法で作られるお菓子ですね」

「そうそれ。とーってもおいしいんだから。カラドタングにもあげるわ。食べたことないでしょ?」

「うむ。楽しみにしておこう」

 

 少女は今夜、生まれて初めて夜更かしをする。侍の口から紡がれる異国の物語に胸を躍らせ。見たことのない菓子を頬張り。鉱人道士と船大工の棟梁の飲み比べを応援し。最新作を完成させた吟遊詩人の歌声に聞き惚れて。

 

 夢のようなひとときは、やがて本当の夢に変わる。母のぬくもりを感じながら舟を漕ぐ少女は、まばゆい明日へと旅立っていったのだ。




◆《巨大》◆

 護精の加護を求める精霊術。

 同意を得た生物を身につけているものごと一時的に巨大化させ、相応の筋力と強靭さ、重量を与える。ただし細かな動作や回避行動は難しくなるため、使いどころを見極める必要がある。

 護精は精霊たちの財宝を守る峻厳な番人であり、しかるべき対価を払えぬ者に力を貸すことはない。

 御利益に期待するなら、御寄進を惜しまぬことだ。






◆派生攻撃・追い斬り◆

 矢を射たあとに、前方に大きく踏み込む居合いを放つ、侍の見出した新たな戦技。

 飛び道具を打ち、追い、瞬く間に距離を詰め、斬る。それは元来、彼の流派に属するものではない、忍びの技だ。

 あらゆる流派を貪欲に、無心に飲み込んでいく。これもまた一つの、異端の剣の形であろう。






◆冒険の記憶・舞風の章◆

 侍の心中に息づく、冒険の記憶。すべてを失った男の、ありえないはずだった新たな思い出。

 出立の朝、吟遊詩人も馬車に同乗させることになった。出来上がったばかりの歌を、一刻も早く世に送り出したいのだと。

 南の街を舞台とした武勲詩は人々を大いに楽しませ、その中で侍の活躍もまた、広く知られることとなる。

 竜骨砕きの異名と共に。


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