王者の鼓動、今ここに列を成す (小金さん)
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クラシック級/5月後半:日本ダービー

 
カレンチャンが出ないので悲しみの投稿
キング好き、あつまれー





 誰が言い始めたか。

 彼女たち五人のウマ娘を指してこう呼ぶ者たちがいる。

 “黄金世代”と。

 

 一つ、セイウンスカイ。

 黄金世代の中で皐月賞を戴いたウマ娘。

 やる気を感じさせないその言動とは裏腹にレースとなればその大逃げで誰より先にレースを終わらせんとする曲者だ。

 世代最速、その冠に偽りなし。

 

 一つ、キングヘイロー。

 未だ重賞こそ得ていないもののレースに出れば入賞確実、無冠の帝王。

 彼女の母親はかつて重賞に幾度も輝いたスターウマ娘。

 マイル・中距離・長距離と活躍の場は多く、その才能に疑いはない。

 

 一つ、グラスワンダー。

 渡来のウマ娘がこの日本にてデビューを果たす。

 大和撫子然とするその姿からは想像もできない走りを見せつけ、デビュー前から“怪物二世”の二つ名をつけられたウマ娘。

 その名が飾りでないことをウマ娘ファンの全員が知っている。

 

 一つ、エルコンドルパサー。

 世界最強を目標に掲げ、世界の片鱗を見せつける“怪鳥”。

 天性のパフォーマーとして人気が高く、特徴的なマスクと相まってその知名度は黄金世代トップ。

 未だ幼き怪鳥の羽ばたきはいずれ世界を揺るがすであろう。

 

 そして最後、スペシャルウィーク。

 亡き母との誓い、そして憧れ。

 それらを胸にターフを直走る。

 レース毎に速くなる成長性、愛らしいルックス、その話題性、時折零れる田舎言葉の親しみやすさからか今注目を集めているウマ娘だ。

 そうやって少女はここに来た。

 東京優駿、日本ダービー。

 誓いを果たすため、誰よりも早く入着して日本一のウマ娘になるために。

 

「私は、勝つんだ……!」

「意気軒高ですね、スぺちゃん」

「そうでなくては困りマース! エルはこの熱く燃え滾るようなレース、勝つためここにいるのですから!」

「熱すぎだよ、私はちょっと涼みに行きたいくらいなのに」

「ターフはすぐそこよ? 皐月ウマ娘が勝負から逃げるなんてこと、このキングが許さないんだから」

 

 彼女らの登場に会場が沸いた。

 コンクリートの床を経由してビリビリとした振動を伝える。

 常人ならば二の足を踏んでしまうような音の中、全員が胸を張って進んでいく。

 主役は私達だと言わんばかりの態度。

 

 間違いではあるまい、しかしここはレース場。

 あなたたちが主役だというのならば喰らって魅せる、センターは私のモノだ。

 言葉に発しない思いに突き動かされ、続々と入場を果たすウマ娘たち。

 だがそんな気持ちさえも吹き飛ばすような圧が全選手を襲った。

 

「……スぺちゃん?」

 

 ゲートを前にしたスペシャルウィークが尋常ならざる威圧感を放ち始めたのだ。

 思えば彼女はグラスワンダーのかけた言葉に返事をしていない。

 それが異常だった。

 普段の彼女をよく知るからこそ黄金世代の困惑は強い。

 グラスワンダーはすぐに始まる激戦に対する認識を改め、丹田に力を籠める。

 ここまで己を追い込んでいるのは初めて見たとエルコンドルパサーが言葉を失い、拳を握る。

 

「……」

「あちゃちゃ、ロックオンってわけ?」

 

 少しだけ、ほんの少しだけスペシャルウィークが振り返った。

 視線の先には先月皐月賞を奪い去り、今最も手強いライバルであるセイウンスカイ。

 瞳からは特に感情を感じられない、それが怖かった。

 獲物をただ見た。

 その動作に、視線に、セイウンスカイの足が止まる。

 

 いや、止まったのは彼女だけではない。

 数多くのウマ娘が縫い止められたように足を止めたのだ。

 ゲートをくぐれば殺される。

 意味もなくそう直感した。

 むろん死ぬなどそうあり得ることではない、だが生物の本能が察したのだ。

 あれと戦ってはいけないと。

 

 少なくともクラシック級のウマ娘が放つ威圧感ではなく、同じクラシック級のウマ娘が受けるには経験が浅すぎた。

 未だ湧き上がる観客とは裏腹に選手たちは冷や水を浴びせられた気分になっていたのだ。

 その沈黙を破るのならばセイウンスカイを置いて他にない。

 誰もがそう考えた中、歓声を押しのけるような笑い声が響き渡った。

 

「オ~ホッホッホッホッ!!!」

 

 勝負服を身に纏い、上品に口元を手の甲で隠しながら大笑するのはキングヘイロー。

 笑い終えた後に体を半身にして決めポーズまでばっちり。

 自信たっぷりのどや顔までセットでどうぞと言わんばかりに耳を震わせる。

 視線を独り占めした彼女は優雅に歩きを再開した。

 

「スペシャルウィークさん、貴方にこのキングと王座を競い合う権利をあげるわ!」

「キングちゃん」

「だから、敵意を向ける相手を間違えないでちょうだい。貴方の最大の敵は私、キングヘイローよ!」

 

 キングヘイローのゲートインを皮切りにグラスワンダーが、次いでセイウンスカイが動き始める。

 いいところ取られたデース!とはしゃぎながらエルコンドルパサーがゲートイン。

 黄金世代よ、かくあれかし。

 そう思わせる光景に他のウマ娘たちも腹を据えてゲートイン。

 気が付けば先頭を行っていたはずのスペシャルウィークがぽつんと取り残されていた。

 

「……くすっ」

 

 なぜだから分からないがスペシャルウィークは小さく笑みをこぼしていた。

 鼻から大きく息を吸って。

 口から吐き出す。

 脱力の後に顔をあげれば視界が広がる。

 友人の、ライバル達の背を見て一つ頷いた。

 

「私だって、負けませんから!」

 

 日本一のウマ娘を決めるレースが今、始まる。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

『一斉にスタートを切りました日本ダービー出遅れはありません』

『位置取りは熾烈になりそうですね!』

『ああっとここで皐月賞ウマ娘セイウンスカイが抜け出した勢いが止まらないグングン伸びる』

『彼女の脚質には合ってますよ、あれが皐月賞を奪った世代最速の逃げ足です!』

 

 実況と解説が素早く言葉を交わし合う。

 綺麗に出揃ったウマ娘たちが各々の走りに合わせた位置取りをしていく。

 さて、火ぶたを切って落とされたこのレース、主導権を握っているのは誰か。

 先ほどスペシャルウィークの圧に誰より早く対抗してみせたキングヘイロー?

 皐月ウマ娘であり、先頭を走るセイウンスカイ?

 凄まじい末脚を持つグラスワンダー?

 才能はワールドクラスのエルコンドルパサー?

 いいや違う、試合前から周囲を威圧していたスペシャルウィークだ。

 

 今も威圧感をまき散らしているわけではない。

 むしろその逆、彼女は静かに中央を陣取っていた。

 先頭グループを追いかける集団の中。

 

『一番人気スペシャルウィークここにいました』

『かかっていないか心配していたんですが冷静な試合運びをしているようです』

 

 風から身を隠すように他のウマ娘に隠れ、レースを進めていた。

 先頭から離されすぎるようだと圧を強めて集団を押し上げる。

 後方のウマ娘への牽制も忘れない。

 前を走るウマ娘が跳ね上げた土に勝負服を汚しながらも冷静に場を支配していた。

 

 まるでベテランのような試合運びだがこれにはワケがある。

 格付けが済んでしまっていたからだ。

 黄金世代の四人以外がスペシャルウィークに逆らえなくなっていた。

 中には反骨心をむき出しにして逆らうものもいたが、それならそれで制御してやればいい。

 そして黄金世代にとっても都合の悪い話ではないと協力的だ。

 

 すべてが掌の上だった。

 思うままに集団が動く。

 そんな錯覚にさえ陥りそうな感覚の中、スペシャルウィークが前を見据えた。

 

 あっという間にレースは中盤。

 ここまでスペシャルウィークが支配したまま大きな動きはない。

 多少の例外はあれど、前にいたものは前に。後ろにいたものは後ろに。

 この形のまま終盤にもつれ込むのかと観客が見守る中、エルコンドルパサーが動いた。

 

 セイウンスカイへと並びかけ、頭を抑えんとしたのだ。

 距離を詰める速度が速すぎて他のウマ娘は反応できていない。

 まるで急に現れたように感じたのか、驚きに目を見張る者もいた。

 だがセイウンスカイもさすがのもの。

 きっちりと反応し、逆にエルコンドルパサーの加速を抑え込む。

 並び立つ形で二人が先頭を往く。

 

「……ッ!!」

「ハァッ……!」

 

 コーナーの出口、二人が同時に加速した。

 他の先頭集団はこれに反応できない。

 加速しようと思った瞬間には後方の集団に飲み込まれた。

 そう、スペシャルウィークもまた加速していたのだ。

 正確には追い上げてきたスペシャルウィークに飲み込まれまいと二人は逃げ出していた。

 飲み込まれたウマ娘はもう上がることはできないだろう。

 事実そうなった。

 

 ステージ終盤に差し掛かるコーナー入口。

 そこで事態は大きく動く。

 

『おーっとここで抜け出してきたのはスペシャルウィーク!』

 

 今まで静かだったのが嘘のようにプレッシャーを放ち、駆け抜けていく。

 風を切り裂き、前へ。

 反応できたのは彼女のすぐ後ろで警戒していたキングヘイローのみ。

 切れ味抜群の末脚がぴたりとスペシャルウィークの後ろに張り付けていた。

 

「はぁ、はぁ……!」

 

 言葉にする余裕なんて一ミリもない。

 だがキングヘイローの瞳は雄弁に語っている。

 逃がすものか、勝ってみせると。

 だからスペシャルウィークもまた必死の形相で手足を動かす。

 ゴールへ誰より先に辿り着くのは私だと。

 

「ハァ!」

「セッ!」

 

 前を往くセイウンスカイとエルコンドルパサーが最終コーナーを抜けて最後の直線へ。

 さらに加速する。

 その加速して見せた二人に追いつくのが今のスペシャルウィークとキングヘイローであった。

 

「負け、ない……!」

「くぅ……!」

 

 あっという間に並びかけ、四つ巴のまま観客の待つ最終ステージへ。

 観客の放つ音圧と熱風に押される独特の感覚。

 ウマ娘の本能が覚る、ゴールはすぐそこだと。

 空気の幕を突き破るようにして前へと進む四人。

 先着争いはこの四人が行うのかとスペシャルウィークが考えたその瞬間。

 

「ァア!!」

 

 コースの内側から切り裂くような末脚が来る。

 空気は突き破るのではなく切り開くのだと言わんばかりの加速はグラスワンダーだ。

 その加速にウマ娘四人がゾッとした。

 来るだろうとは思っていたがこれほど鮮やかに抜かれるとは露ほどにも思っていなかった。

 

 リードはそれほどない。誤差のような差。

 だがその差が勝敗を分けると彼女たちは知っている。

 そこからは短くとも濃密な時間だった。

 

 グラスワンダーに最も近いセイウンスカイが半歩ほど体を寄せる。

 彼女の長い髪の毛が顔にかかるような距離。

 腕が当たるのを嫌ってフォームがほんの少し崩れた瞬間にセイウンスカイが差し返す。

 もうゴールはすぐそこ。

 

 このまま勝ちかとファンが手を握り見守る中を打ち砕いたのはエルコンドルパサー。

 差し返したところを強引に抜き返したのだ。

 才気煥発。

 “怪鳥”の底力がここに開花する。

 

 天才的な勝負勘がこの一瞬に備えさせていたからできた所業であり、もう一度やれと言われても彼女は否定するだろう。

 それほどの出来栄えだった。

 セイウンスカイがグラスワンダーを削ると信じたからインパクトの瞬間を一拍置いての加速は完璧にハマった。

 だからそれ以上を出されたエルコンドルパサーに次の手は残されていない。

 

 残されたゴールまであと十歩もない距離。

 歯を食いしばって走るエルコンドルパサーの前に彼女はいた。

 まるで命を削るような魂の燃焼、その熱に視界が歪む。

 

 スペシャルウィーク。

 彼女の短い髪の毛がどうしてだか長く舞って見えた。

 その姿はどうしてかスペシャルウィークの“憧れ”を幻視させる。

 先頭の景色は譲らない。

 そう言って困ったように笑う先輩の姿が見えた気がした。

 

 必死に追い縋るのはキングヘイロー。

 抜け出したスペシャルウィークへ一歩一歩と距離を縮めている。

 だが足りない。

 分かってしまう、決定的に足りないと。

 前を見る瞳が潤み、形の良い眉毛が歪む。

 せめてあと十メートル。いやさ五メートルもあれば―――――

 

『き、決まったーーーー!!』

『お見事! 日本一ウマ娘に輝いたのはスペシャルウィーク! スペシャルウィークです!』

『二着はエルコンドルパサー! 続いて三着キングヘイロー!』

 

 電子盤に結果が打ち出され、それが結果となった。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「……あら、出迎えご苦労様」

 

 レースを終え、高ぶっていた感情と呼吸を整えながら控え室までの通路を往くキングヘイロー。

 彼女を出迎えたのはキングヘイロー専属のトレーナーだった。

 口数が少なく、しかし出てくる言葉も尊大で、態度もデカく、仕事は完璧。

 そんな背の高い俺様系のトレーナーはタオルと共に彼女の携帯電話を手渡した。

 

「なに? 疲れているのだけど」

 

 確かに携帯電話は女学生の必需品と言ってもいいが、今は携帯よりもドリンクの方が欲しかった。

 と愚痴りかけた瞬間、マナーモードにしてあった携帯電話が震える。

 着信相手を見て思わずキングの顔がしかめられる。

 

「取らないのか?」

「いいえ、あえて取らないだけで―――」

 

 言葉の最中、するりと手から零れ落ちそうになったのは偶然か。

 レースの直後で手に力が入りづらいというのも少なからずあっただろう。

 ただやはり根本には電話相手への確執が離れたく思わせたようにも見えた。

 ともあれ落ちないように握りなおせば通話の繋がる音がする。

 

『もしもし?』

「……」

 

 何とも言えない沈黙が下りた。

 相手のいらだったような催促の声が再度響く。

 電話相手は相当短気のようだ。

 何故ならば続く言葉が挑発のそれだから。

 

『ねぇ、いるなら反応したら? キング』

「……ごきげんよう、お母様」

 

 何事もなかったように答えるのだから実に似た者親子だとトレーナーは一人考え、腕を組む。

 とても尊大な態度である。

 彼を睨んでも意味のないことだがキングヘイローは彼に当たらずにはいられなかった。

 トレーナーは母から電話が来ると察していたからこれを持ってわざわざ出待ちしていたのだと気付いたからに他ならない。

 

『はぁ、やっと返事が返ってきたわ。本当に子供なんだから』

「……簡単に子ども扱いしないで。状況的に返事が難しい時だってあるでしょう?」

『ああ、ダービーに出走していたものね』

 

 実に、実に心温まる親子の会話である。

 側で聞いていたトレーナーも思わずため息が出た。

 

『そういえばすごかったわね、スペシャルウィークさん』

 

 当てこすりのような言葉、いや“ような”ではないのだろう。

 キングヘイローの眉毛が大きくゆがんだのがよく見えた。

 

『あんなに人を惹き付ける走りを見たのは久々よ』

 

 貴方にはできないでしょう?

 そんな言葉が聞こえてくるかのようだった。

 

『あの子が相手だなんて本当に残念』

「……っ」

『諦めという感情も沸いたんじゃない?』

 

 心の底から残念がっていない声。むしろどこか嬉しそうですらあった。

 それがキングヘイローの柔らかいところを逆なでする。

 話に聞いただけだが、スペシャルウィークが生みの親と育ての親、二人の母に愛されてきたのを知っているだけに余計腹立たしかった。

 どうして。

 そう叫びたい気持ちを堪え、続く言葉を待つ。

 もはやお決まりとなったあの言葉を。

 

『これ以上無様な姿をさらす前に帰ってくることをお勧めするわ』

 

 通話は一方的に断ち切られた。

 返事など聞きたくないというように。

 

「……何よ、偉そうに」

 

 ぽつりとぼやいて、もう止まれない。

 ため込んできたすぐに言葉が溢れる。

 

「勝手に電話してきて。無様だ、諦めろだなんて……言いたいだけ言って!

 何が無様なの? 何が諦めろよ!

 そんなもの、この一流のキングには全っ然ふさわしくない言葉だわ!」

 

 瞳には乾いていたはずの涙が浮かんでいた。

 通路の明かりに照らされ、潤んだ瞳が輝いている。

 形の良い眉が釣り上がる。

 美人は怒ると怖いというがキングヘイローからは怖さよりも庇護欲をかき立たせる幼さのそれに見えた。

 

「トレーナー、聞きなさい! 私は次の菊花賞で必ず勝利する! 誰にも一着を譲らないわ!」

「……」

「スペシャルウィークさんだって! セイウンスカイさんにだって!

 グラスワンダーさんにもエルコンドルパサーさん、いいえ誰が相手でも!

 何故なら私はキングヘイロー! 一流のウマ娘なんだから!

 私は……私は、認められるべきウマ娘なんだから……っ!」

「……よかろう。次は菊花賞だな、承知した」

 

 元よりクラシック三冠と言われる皐月賞、日本ダービー、そして菊花賞を目標としてやってきたのだ。

 今更否はない。

 出るからには勝つ、当然の姿勢だ。

 だからトレーナーも頷いた。

 それが茨の道と知りながら。

 

 トレーナーの名はジャック。

 ジャック・アトラス。

 それはかつてキングと呼ばれた男の名前である―――――

 

 

 

 

 




泣いてる時のキングは美人すぎると思いませんか?
え、見たことない?
しよう、育成!
 
 


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クラシック級/5月後半:日本ダービーを終えて

 
よく考えたらこの話までがプロローグなので連続投稿します
 


 

 

 あの電話の後、キングヘイローは入賞式を終え、ライブで盛大に盛り上げ、最後までファンサービスをこなしてみせた。

 そして学園寮に戻ってからスペシャルウィークに改めて祝福の言葉を贈ったらしい。

 貴方とお母様の夢と誓いが叶ったこと、悔しいけれど祝福してあげるわ、などと笑顔でだ。

 だから誰も知らない、気づけない。

 キングヘイローが今まで積み上げてきた努力の全てを無様の一言で否定されたことを。

 無駄な努力なんて止めて帰って来いと再三に渡って言われていることなど。

 ましてやそれが彼女の実母からの言葉だとは。

 知っているのはこの学園でただ一人。

 キングヘイローの専任トレーナー、ジャックだけだ。

 

「……凄まじいな、ここからさらに伸びるか」

 

 彼は今、学園から与えられた個室(トレーナー室)で本日の試合を動画チェックしていた。

 こうして振り返ってみれば明らかだ。

 この試合は一部始終をスペシャルウィークが支配していた。

 勝つべくして勝ったのだ。

 

 その在り様はジャックがかつて掲げていた理想のキング像に近い。

 有象無象(モブ)にでしゃばることを許さず。

 ライバルの実力を限界まで引き出させ。

 その上で、圧倒的なパワーにて叩き伏せる。

 観客が盛り上がること間違いなしの名勝負だった。

 

 事実、あの試合はすでに歴史的名勝負とまで言われて騒がれている。

 ネットではそこかしこの掲示板で大盛況だ。

 その中でキングヘイローの評価は両極端である。

 さすが黄金世代、あるいは黄金世代の恥さらし。

 最初から最後までスペシャルウィークの後ろにくっついていただけ。

 

 これはいつ逆転してもおかしくなかったとも取れるし、ついていくだけで精一杯だったとも取れる。

 事実はその両方だろうとジャックは見ていた。

 逆転を狙って喰らいつき、最後の最後で刺す予定だったはずだ。

 だがスペシャルウィークの渾身の走りがそれを許してくれなかっただけ。

 

 決してキングヘイローが弱いわけではない。

 重賞で三位というのは容易く手に入る結果ではないのだ。

 トレーナーとしての身内贔屓なしに彼女の実力は本物だと断言できる。

 戦術眼、差し足の鋭さ、そして不屈の精神も、ついでに美貌も、そのすべてが一級品だ。

 

 特にジャックから評価が高いのは差し足の鋭さ―――――ではなく、その戦術眼の高さだ。

 会場、バ場の状態、レース展開に合わせた走りを柔軟に組み立てられ、一度立てた戦術に拘らないのも良い。

 勝つためにトライ&エラーを戸惑わない。

 それがあるからこそマイル、中距離、長距離のすべてで上位入賞という結果を叩き出している。

 だがそれ故に想定を超えるような、魂を燃やすようなデットヒート必至のGⅠでは優勝(センター)に届かない。

 

 限界の限界まで己の実力を出し切り、その上で限界を超える。

 そこまでしなければ重賞は奪えず、彼女はまだその領域に立てていない。

 何故ならば、キングヘイローは己の限界まで実力を出し切れていないからだ。

 次の目標である菊花賞までにその課題を克服することができるのか。

 

「……」

 

 ジャックは日本ダービーの映像を頭から再生しなおし、思考の海に沈んでいった。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「キングちゃんキングちゃん! すごかったねー!」

「はいはい。もう、何度目かしらその話は」

「えーっとねー、えっとねー! ……たくさん!」

「ウララさん、少しは落ち着きなさい。一流のウマ娘ははしゃいだりしないものよ」

 

 そこはキングヘイローとハルウララに割り当てられた相部屋だった。

 風呂上がりの湯気を身に纏ったキングヘイローは髪の毛に液体を塗り込み、何度も櫛を入れ、と手入れに余念がない。

 そんな彼女にお構いなしに抱き着いてはしゃぐのはハルウララだ。

 天真爛漫の四字が彼女以上に似合うウマ娘もいないだろう。

 そう思わせるだけの魅力がハルウララにはあった。

 

 彼女が夜遅くにも拘らずテンション高めなのには当然理由がある。

 ……特に理由がなくても元気いっぱいな彼女だが。

 ここまではしゃいでいるのは日本ダービーのせいだ。

 

 ハルウララには日本ダービーに出馬できるだけの実力がない。

 だがそんなことを気に悔やむ前に友人、いや親友たるルームメイトが出走するとあって数日前から楽しみにしていた。

 そしていざ始まってみれば優勝争いのデッドヒートだ。

 

 キングヘイローの活躍に盛り上がらないハルウララはいない。

 そりゃもう飛んだ跳ねたの大騒ぎ。

 生憎と会場に駆けつけることはできなかったがトレセン学園の大型モニターの前ですごいすごいの連呼だった。

 三位になり表彰台に登る姿を見届けてしまえば居ても立っても居られない。

 興奮冷めやらぬままライブ会場へダッシュもやむなしである。

 途中でバテて、専用シャトルバスに拾われるというアクシデントもあったが。

 

 レース会場はチケットが取れなかったものの、ライブ会場の方は他ならぬキングヘイローからチケットをもらっている。

 重賞レースのたびにキングヘイローは自身の取り巻きやルームメイトにチケットを配ったりしているのだ。

 あなた達にセンターで踊るキングを称える権利をあげるわ!とは当人の言である。

 なお関係者優待チケットを自分のお小遣いから捻出していることは彼女とそのトレーナーしか知らない。

 

 そしてそれなりに良い席で他の取り巻きウマ娘と一緒にキングコールもしてハルウララは全力で楽しんだ。

 その興奮が落ち着いてはぶり返しているらしい。

 キングヘイローに抱き着きながらハルウララの可愛らしい尻尾がブンブンと揺れている。

 いつもならそろそろキングヘイローの堪忍袋の緒が切れ、うっとうしい!とベッドに投げ込まれるところだが。

 どうやらその元気も残されていないようだ。

 無理もない。他の黄金世代はエルコンドルパサーを除き、すでに就寝についている。

 スペシャルウィークに至ってはライブの幕が降りると同時に眠り込んでしまったほどだ。

 

「それでね! それでね!」

「仕方のない子ね、もう」

 

 ため息をついて櫛を化粧箱の中へ。

 抱き着かれたまま器用に立ち上がり、ベッドへと座り込んだ。

 もちろんハルウララも一緒だ。

 てしてしっ、とふわふわベッドを叩く尻尾の音がする。

 ハルウララの元気な尻尾をそっとキングヘイローの尻尾が抑え込み、撫でるようにして滑り落ちた。

 かつて己が母親から同じように窘められたことを彼女は覚えているだろうか。

 

「いいことウララさん、こんな夜更けに騒いでいたら他の方に迷惑でしょう?

 レースが近くに控えている方も中にはいます。

 だからお静かに……と言って聞いてくれる貴方ではないわよね」

「え!? わたし頑張って静かにするよ!」

「ちっとも分かってませんわね……」

 

 三位でこれなら菊花賞で優勝などしたらどうなってしまうのだろう。

 そんな一抹の不安を抱えつつ、キングヘイローは掛け布団を大きくめくり上げた。

 

「今夜は特別にキングと一緒に眠る権利をあげるわ」

「え!? いいの!!」

 

 だからもう寝ましょう?

 そう言うようにハルウララの肩を押す。

 どうせ今は元気いっぱいだが彼女もはしゃいで疲れている、ベッドに潜ればすぐにでも意識を手放すだろうという判断だ。

 というか、この調子では別々に寝たところで夜中ベッドに潜り込んでくるに違いない。

 これだけキング漬けの一日だったのだから独りでは寂しかろう。

 そんなことを考えてしまうほどに彼女との付き合いも長い。

 ……いや、まだ暮らしを共にし始めて一年と二か月ほどだが。

 

「ほら、電気を消すわよ。アラームのチェックは大丈夫かしら?」

「うん! うらら~、うらら~♪」

 

 ちっとも確認しないで返事が来た。ご機嫌のお歌まで飛び出す始末。

 キングヘイローもため息と同時に消灯した。

 

 待ちきれないというようにハルウララが布団を叩く。

 すでに自分の体をベッドの奥まで押し込めて準備万端だ。

 誘われるままに潜り込めばハルウララにギュッと抱き着かれる。

 キングの形の良い胸に顔をうずめるような格好。

 彼女がベッドに忍び込んでくる時は決まってこの格好になる。

 自分の胸はそれほど居心地がいいのだろうか?とキングヘイローが悩むも、就寝前の無駄な思考でしかない。

 結論はまとまらず、そっと彼女の頭を抱えるようにして応えてあげる。

 

「なんか変な感じ。いつもはわたしがそっち側だもんね」

「夜中勝手に忍び込んでくるからでしょう? びっくりするから止めなさいと何度も言ってるじゃない」

 

 ベッドの奥、壁側にキングヘイロー。反対側にハルウララがいつものポジション。

 今はそれが逆転している。

 見え方が違ったり、横を向く方向が違うのが新鮮なのだろう。

 薄暗闇の中で視線をあっちこっち。しきりに動かしては目を輝かしている。

 その度に彼女の髪の毛や耳がキングヘイローの顔に当たって実にうっとうしい。

 落ち着けと頭を撫でるように叩いてあげればもう一度胸に顔をうずめられた。

 

「まったく……おやすみなさい、ウララさん」

「うん、おやすみー、キングちゃん……」

 

 二人の口元から寝息が漏れ出すまでそう時間はかからなかった。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「……!」

 

 キングヘイローは不意に目が覚めた。

 己の鼓動がやたら大きく聞こえる。

 尻尾がピンと逆立っているのも自覚していた。

 

「…………はぁ」

 

 ここが己のベッドであり、実家のそれとは比べ物にならないほど狭いことを知って安堵のため息が零れる。

 目の前で眠るハルウララを浅く抱きしめて、それでようやく尻尾から力が抜ける。

 そのせいか、どんな夢を見ていたのかは忘却の彼方だ。

 なんとなく覚えている限りでは。

 

「レースを……」

 

 していた。

 それも日本ダービーをいつものメンバーで走っていた。

 結果はどうなったのだろう。

 夢の中だからぶっちぎりで優勝したのか、それとも悪夢の類だったのか。

 

 なんとなく、昨日の焼き増しだったのではないかと、そう思った。

 だって、何度やっても昨日と同じような展開になる。

 黄金世代の誰にとってもあれが理想のレース展開だったからだ。

 異なるとすれば最後の百メートル。

 あそこで誰が前に出るかで結果は異なるのだろう。

 しかしスペシャルウィークの命を削るような末脚、あれがある限りキングヘイローに逆転はない。

 

『これ以上無様な姿をさらす前に帰ってくることをお勧めするわ』

 

 不意に蘇るのは母の言葉。

 その通りだと思った。

 キングヘイローは心のどこかで彼女の言葉を認めている。

 

 確かに入賞はすごいことだ。褒められてもおかしくない出来である。

 だが勝負として見た時に勝ったかと問われれば、首を横に振るほかない。

 レースは無情。

 勝者と敗者をこれ以上なく決定づけるからこそ勝負と呼ぶ。

 そして二位、三位は敗者だ。

 もちろん四位も五位も、そこから先は等しく敗者である。

 勝者はただ一人、一位の者に与えられるのだから。

 

 翻って、入賞とは何ぞや?

 一言で言えば残念賞だ。

 凄かったよ。惜しかったね。次は頑張って。

 そういった言葉をかけるため、敗者の代表を立たせ、さらすもの。

 

 無様な姿。

 なるほどその通りだと、首肯する他ない。

 それをキングヘイローはよく分かっていた。

 よく分かっていたから二位を取ろうがこの結果では満足できないと言い続けてきた。

 そして皐月賞でも、今回の日本ダービーでも無様をさらした。

 

 この学園へ来る前に何度負けたって首を下げない。

 そう決めていなければとっくに心が折れていた。

 スターウマ娘の子供だと期待が高かっただけに、口さがない言葉も聞こえてくる。

 死ぬほど努力して、心臓が張り裂けそうなほど必死に走って。

 それで結果がこれでは。

 ……一流などと、口が裂けても言えないのではないか?

 

「それでも……私は……」

 

 そう。

 それでも、だ。

 一流だと言い続ける。

 そう認められるまで、認めさせるまで主張し続けるのだと。

 キングヘイロー。

 その名にふさわしい自分であり続けたい。

 自分に誇れる自分でいたい。

 

 だってそうでなければ、目の前で幸せそうに眠っている子に顔向けができない。

 いいや彼女だけではない。

 キングヘイローの取り巻きは他にだっているし、一般のファンの人も全員が全力で彼女を応援している。

 こんな自分を応援してくれる人がいるのだから。

 その期待に応えたい。応えなければいけない。

 何故ならば、一流のウマ娘とはそういうものだからだ。

 

「……一流の、証明を……」

 

 応援してくれるファンのためにも。

 重賞にて勝利を得なければならない。

 即ち、菊花賞での優勝。

 それで野次を蹴飛ばし、ファンに報い、母親に認められる。

 すべてがそこにある。

 

 気が付けばチチチという鳥の鳴き声。

 いつの間にか夜明けを迎えていたらしい。

 静かにベッドを抜け出し、カーテンの隙間を覗き込む。

 朝日は寮の陰に隠れているが空は抜けるような青に染まっている。

 すがすがしい朝がそこにあった。

 

「見てなさい、私こそがキングなのよ……」

 

 誰に向けた言葉なのか。

 それは彼女自身にも分からなかった。

 

 

 

 

 




尻尾に尻尾を絡めるのってなんかえっちくない?
 


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クラシック級/6月前半:菊花賞へ向けて

 
キングのA+が取れないので投稿します。
 
 


 

 

 

「あら、おはようトレーナー」

「……どうした、随分早いようだが」

 

 日本ダービーから一夜明けた早朝五時。辺りはすっかり明るい。

 春も過ぎたのだと改めて感じる空模様である。

 そんな時分、キングヘイローはトレーナー室へとやってきていた。

 

 出迎えたトレーナー、ジャック・アトラスは心底面倒臭そうな顔を隠そうともしない。

 ちなみに彼がこの時間ここにいるのは割といつものことだ。

 朝のトレーニングを終えて、キングヘイローが学業中に眠っている。

 それがこの男の生活サイクルとなりかけていた。

 

 しかし昼夜逆転の生活は良くないとさんざんキングヘイローのお叱りを受けており、最近は減ってきていたはずだったのだが。

 

「どうした、じゃないわよ!」

 

 思わず両耳をふさぐジャック。

 徹夜明けでキングヘイローの金切り声は頭に響いたようだ。

 

「貴方ねぇ、徹夜は止めなさいとあれほど!」

「スペシャルウィークの研究をしていた」

 

 お説教の言葉を一撃で断ち切る。

 彼は二十代後半の大男で、体格がよく、鋭い目つきは荒事を連想させる。

 遠くから見る分には顔だちも整っており、ウマ娘たちからもビジュアルは好しと高評価だ。

 

 しかし致命的に雰囲気が良くない。

 俺様気質の上に態度もデカい。

 そんな相手の突き落とすような返答を受ければ、年頃の女性なら逃げだしても仕方ないと言える。

 

 だがキングヘイローは違った。

 それを真正面から受け止めて、考えるように腕を組んだ。

 さすがに一年以上の期間を二人三脚で生き抜いてきただけあり、今更驚いたりはしない。

 端的に話を進めようとするのは彼の癖だと知っている。

 あれは機嫌が悪いのではなくただ眠いだけなのだろう。

 

「……何かわかって?」

「心当たりはある、が言ったところで貴様に納得はできまい」

「もったいぶらないで、貴方らしくもない」

 

 言うつもりはないのだろう。

 催促したところでむっつりと閉じられた口が開くことはなかった。

 

「ならいいわ、肝要なのはそこじゃないもの」

「いかにして勝つか、だな」

「えぇ」

「現状では難しいと言わざるをえん」

 

 自分でもわかっていたのだろう。

 ジャックの言葉に唇を噛むキングヘイロー。

 ましてや次に狙いを定めた重賞は菊花賞。

 その距離3000メートル。

 キングヘイローが最も戦績良しとするマイルのおよそ二倍もあるのだ。

 

「今のままでもいい勝負はできよう」

「でもそれじゃ」

「意味がない」

 

 ジャックの言葉にこくりと頷く。

 勝つと宣言したのだ。

 どれだけいい勝負をしたって勝てなければ意味がない。

 キングヘイローは常々言っていたではないか。

 一位を取らなければ満足できないのだ。

 レースは勝ってこそキングなのだから。

 

「……キングヘイロー」

「なによ」

「貴様の覚悟はあの頃から変わっていないな?」

 

 その言葉は軽く流すには重たすぎた。

 交わした誓いを忘れてなどいない。

 

 何度泥を被ろうとも、嘲笑われようとも一流を名乗り続ける。

 後退しない、決して首を下げない。

 そして勝利という名の証明を掴んでみせる。

 キングヘイローというウマ娘こそ一流だと叫び続ける。

 

 それはあの日、二人がトレーナー契約を交わすと決めた時の言葉だ。誓いだ。

 だからこそキングヘイローは勢いで返さぬよう呼吸を一つ置く。

 

「当たり前でしょう」

 

 正直なところ心揺らした日もある。

 悔しさに涙を飲んだ日はこの一年でもはや数えきれないほどだ。

 それでも今朝の目覚めと共に理解したのだ。

 

「私はキングヘイローよ、全てのウマ娘関係者にこの名を刻みつけるまで止まるつもりはないわ!」

「ならば」

 

 キングヘイロー以上に覚悟を決めた顔でジャックが答える。

 

「菊花賞以外のレースは出ない。これ一本に集中するぞ」

「分かったわ」

 

 即答である。

 普通ではあり得ないことだ。

 菊花賞は十月後半に行われるレース。

 今はまだ六月を目前に控えたところ、半年近く間をあけることになる。

 そこまで表に出ないとなると怪我でも疑われるだろう。

 ファンにだって徒に心配をかける。

 ネット上でも逃げだしたなどと、無責任な言葉に叩かれるだろう。

 

 また、実戦でしか積めぬ経験というものがある。

 クラシック級の夏、まだまだこれからたくさんの試合を経験する段階だ。

 特に安田記念はキングヘイローの得意とするマイルの重賞。

 ここでの活躍を期待するファンも多いだろう。

 早いうちからシニア級との戦いを経験しておくことは決して無駄にはならないはずだ。

 堅実に行くならばユニコーンSだってある、そこでならば一番人気だって夢じゃない。

 

 本来得るはずだったそれらを放り投げると同時に、長い空白期間のせいで試合勘が失われてしまうことだろう。

 他はすべて出ないということは調整を確認する試合もしないということだ。

 

 ぶっつけ本番。

 まともなトレーナーの出す指示ではない。

 だが構わないとキングヘイローは即答した。

 覚悟を問われたのだ。

 ならば覚悟を以て飲み干すほかない。

 こういうウマ娘なのだとジャックは改めて思う。

 

「キングの誇りを今一度、俺に見せてくれ」

「ふん、当然よ! オーホッホッホッホッ!」

 

 お嬢様笑いが早朝の空に響き渡った。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「……」

 

 早朝のトレーニングを終え、キングヘイローは寮に戻っていった。

 この後はシャワーを浴びて汗と泥を流し、制服に着替えて学業へ向かうのだろう。

 

 結構なことだ。

 そう独りごちてカップラーメンにお湯を注ぐ。

 夜食兼朝飯の定番である。

 というかジャックの主食である。

 もちろんキングヘイローから口うるさく言われているがこちらは一向に治る気配がない。

 

 出来上がるまでのわずかな時間、ジャックは己の魂ともいえるデッキを手に取った。

 無造作に一枚を引き抜く。

 ゆっくりと目の前に持ってきてみればそれはジャックの持つエースモンスターだった。

 デッキに一枚、いや世界に一枚しかないカードである。

 それを当たり前のように引き当てるのはひとえにジャック・アトラスの実力によるものだ。

 彼の決闘者(デュエリスト)としての腕前はプロに匹敵する。

 これくらいはできて当然といったところだ。

 

「レッド・デーモンズ・ドラゴン、俺は一人の少女を地獄に突き落とすやもしれん。

 決して許されることではなかろうな。()()にも恨まれるだろう。

 だが、他ならぬキングが、キングであろうとする者がそれを望むのだ。

 かつてキングだった者として、せめて最後まで連れ添っててやろうと思う」

 

 誰に向けたわけでもない、胸の内からこぼれただけの言葉。弱さだった。

 この大男の弱さは彼のデッキだけが知っている。

 

「カーリーに救われたように俺がキングヘイローを救えるとは思わん。

 俺にできることは徹底的に鍛え上げること、そして背中を見せてやるくらいだ。

 だからどうか、見届けてくれ……我が魂よ」

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「どったのキング、可愛いお顔に私納得いきませんわ!って書いてあるよ?」

「え、ど、どしたんだべー!」

「ええい、うっとうしいですわよお二方!」

 

 チャイムとチャイムの間。

 つまり小休憩の時間。

 自席で考え事をしていたキングヘイローの前を陣取り、見上げるようにして絡んでくるのはセイウンスカイ。

 彼女の冗談を真に受けてハンカチを取り出しながら近づいてくるのがスペシャルウィークだ。

 そんな彼女たちをウェーブヘアで追い払うキングヘイロー。

 もちろん顔には文字なんて一つもない。

 

「物思いにふけることもできませんの、ここは!」

「花の女学生がぼんやり考えることとは……恋かね?」

「こ、恋!?」

 

 スペシャルウィークの良い反応に教室が一瞬静まり返った。

 ギラリンと数多くの目が光ったような気がする。

 ここはトレセンにして女子校。

 恋バナに飢えた少女が掃いて捨てるほどいることを忘れてはいけない。

 

 あらあら、と頬に手を当てながらそっと近づいてきたグラスワンダーもその一人だ。

 その後ろをこっそりついてくるエルコンドルパサーもまた例外ではない。

 

「まさかあの専属トレーナーさんと?」

「あの人ね。顔はいいよね、顔は」

「ちょっと怖いけど優しい人だよね!」

「ケ!? トレーナーと恋愛だなんて都市伝説の類では!?」

「新人の方でも私達とは年齢が一回り違っているのが普通ですからね」

「あのねぇ、こんな大事な時期に恋だのに現を抜かしてる暇があるわけないでしょう?」

 

 ざわつき始めた女子どもを一刀両断。

 伝家の宝刀、ヘイロー族の差し脚はここでも鋭い切れ味を誇った。

 思わずそりゃそうだよねーといった空気が流れる。

 

「だいたい、恋をしていたとしたら悩んだりしてませんわ。

 キングたるもの、堂々たる態度でお付き合いを申し込みますもの!」

「いや無理っしょ絶対」

「私、キングちゃんは奥手だと思うなー」

「エルは告白できないにルチャマスターの魂を賭けるデース!」

「その賭け、きっと成立しませんよ?」

 

 総ツッコミである。

 近くで聞いていた他のクラスメイトからも辛辣なコメントが続いた。

 

 普通に考えて無理でしょ。

 ジュリエッタが街中で騒ぐギャルを微笑ましい顔で見送るくらいない。

 おーおー、顔を真っ赤にしてきょどる姿が目に浮かぶよ。

 このキングと手をつなぐ権利をあげるわって言えたら努力賞あげてもいい。

 口より尻尾の方がよっぽど雄弁。

 キングはデレが過多なんだよね、ツンデレっていう概念に謝って。

 キングって彼女を超えてもはや母親の貫禄……そうだ結婚しよ?

 結局コクられる側じゃんそれ。

 そんなキングちゃんも可愛いよ!

 と、散々な評価である。

 

 終いには妄言は醤油差しにしろと机に醤油差しを置かれる始末だ。

 ある意味愛されていると言えるかもしれない。

 それと密かにこのクラスでエアマスターが流行っているのが窺い知れる。

 

「なんっですの! もうなんなんですの!」

 

 思わず醤油差しを掴んで叫ぶキングヘイロー。

 もう一度髪の毛を振り回して範囲攻撃、それで幾人かの女子は離れていった。

 艦首被弾! 退避ー! ワー!

 ノリの良いクラスメイトである。

 

「んで、どったの?」

「何事もなかったかのように!?」

「いつものことじゃん」

 

 落ち着きなよ。そうぼやきながら机に突っ伏すセイウンスカイ。

 もはや誰の机か分かったものではない。

 手櫛で髪の毛を整えること数秒。

 

「もう、仕方ありませんわね」

「もーもー言ってると牛さんになっちゃうよー?」

「牛さん可愛いべ」

「エルは断然豚派ですね! 豚キムなら何枚でもペロリです!」

「あのー、まぜっかえし続けると休憩時間が終わってしまいますよ?」

 

 ツッコミ切れぬとキングヘイローが拳を握り。

 すかさずグラスワンダーが軌道修正。

 仲良し五人組はクラシック級のライバルとなっても相変わらずのようだった。

 

「ったくもう、貴方たちときたら……」

「もーもー」

「セイちゃん、ステイ」

「よろしい、そのまま無礼なお口をチャックしてなさい」

 

 で?と言いたげな視線がキングヘイローに集まる。

 重賞レースで争ったのが昨日の今日だ。

 彼女のメンタルを心配して集まったという側面がないわけでもない。

 話を聞く体制は自然と整っていた。

 

「……今朝のトレーニングなんですけど」

 

 ぽつぽつと語り始めたのはトレーニングの内容についてだった。

 今までの流れでは、朝はフォームのチェックに終始していた。

 軽く走ってその日の調子の確認が主な狙いだとキングヘイローは理解している。

 

 今朝もフォームのチェックを行いはした。

 したが今までよりも指示の出し方が変わっていたのだ。

 

「なんというか、曖昧というか」

「あいまい?」

 

 って何?とエルコンドルパサーが視線で問いかける。

 向けた先はグラスワンダーだ。

 

「この場合はファジーですね」

「Oh,fuzzy」

「ふぁじー」

「スペちゃん、Fuzzy、ですよ」

 

 ベリベリニホンゴーな発音のスペシャルウィークに即興発音勉強会が開かれた。

 なお数回のやり取りでグラスワンダーの白旗と相成る。

 それをきっちり見届けてからキングヘイローへと主導権が返ってくる。

 

「いつもは特定の状況を想定して行うんです」

「普通はそうでしょ」

 

 残り二百メートル。前は空いており、駆け抜けるだけ。

 序盤左回り。前は詰まっており、できるだけ減速せずに抜け出したい。

 その二つでは走り方はまるで変ってくる。

 前者ではダイナミックに体を動かし前へ前へと体を押し上げる動きに。

 後者では接触を避けるため、自然と動きは小さくなる。

 ベテラントレーナーともなれば腕の振り方一つでどの状況を想定しているのか読み取れる、なんて話もあるくらいだ。

 

「今朝はなんというか、その……非常に精神論的で」

「気合いだべー!とか?」

「気持ちで走り切れ、と言われても困るじゃない?」

 

 その問いに意見は真っ二つに分かれた。

 

「え、そういうものじゃないかな?」

「エルも同意見です。レースは気合ですよ!」

「確かに気持ちも大事ですが、フォームチェック時に言われてしまうと、その……」

「私は気持ちで走れとか言われたらベッドに向かって一直線だ、わははー」

 

 机に突っ伏したままのセイウンスカイが力なく笑う。

 キングヘイローも笑いたい気分だった。

 もし笑えたとしても空笑いにしかならないだろうが。

 

 今までは違ったのだ。

 一年かけて理想のフォームを突き詰め、これだと決めたフォームを崩さずにきた。

 もちろん成長期であるキングヘイローに合わせ、数か月おきに更新している。

 しているのだが、日本ダービーに向けてついこの前整えたばかり。

 合っているなら合っている、ずれているならずれていると言ってほしい。

 

 それが蓋を開けてみればどうだ。

 気合いだ。

 根性が足りてない。

 手札が甘い。

 強い気持ちを持て。

 カードを信じろ。

 歯を食いしばれ。

 尻尾の先までやる気を迸らせろ。

 

 結局納得できた指示は左足の親指を意識しろ、腿はしっかり上げろ、の二つだけだった。

 そこは自分が思うと同時に指示が飛んで来たのでよく覚えている。

 

「急にどうしちゃったのかしら」

「それはおそらく……」

 

 困ったような笑みでグラスワンダーが言う。

 

「キングさんが次のステージに進んだ、ということではないでしょうか」

「次のステージ?」

「はい、それは心技体の内、心の鍛錬だとお見受けしました」

「なるほど?」

 

 なるほどとは言ったものの、まったく納得できていない顔だ。

 心を鍛えるのならフォームチェック以外の時にぜひやってもらいたい。

 そう顔に書いてある。

 

「……ここで悩んでもしょうがないから放課後、直接聞いてみるわ」

「お力になれずすみません」

「ふぁじーん……」

「スペちゃんそれ気に入ったの?」

「スペちゃんをここまで魅了するふぁじーんとはいったい……。

 その謎を解明するため、我々調査隊はアマゾンの奥地へと向かったのデース!」

 

 そんなやり取りもチャイムに遮られてしまう。

 休憩時間も終わり。

 三々五々、それぞれの席へ散っていく。

 

「それと聞き忘れたんだけど、でゅえるって何かしら……?」

 

 遅きに失した疑問へ返事はない。

 静かに地獄の六月が始まろうとしていた。

 

 

 




 
なお醤油差しは昼休憩前に食堂へ戻しに行きました。
キングが。
 
次回、『ミラフォは役に立たない』にアクセラレーション!
 


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クラシック級/6月後半:地獄の特訓

 
今日はキングヘイローの誕生日なので更新です。
誕生日だからって一日予定フリーにしてまで楽しみにしてたのに15時間メンテでトレーナーさんがログインできないの最高にキングらしくて好き

それと予想以上に進みが遅いので今後もストックが溜まってる場合は水曜に更新します。
おかしい、この辺りでスズカと走ってるはずがまだ6月だと……。
 
 


 キングヘイローの生活は日本ダービーを終えてからその密度を上げた。

 一言で表現して地獄の日々だった。

 

 早朝、フォームのチェック。計十キロほど走り込む。

 疲れた体に鞭を打ち、昼間は学業に勤しんだ。

 昼休憩は唯一の息抜きの時間だ。

 まぁ、何をしたところで気が付いた時には眠っているのだが。

 

 夕方、様々な状況に応じた仕掛け(ラン)を熟していく。

 合間に小休憩を挟みつつ走り続けて夕暮れ時、トレーニングは食事へ移行する。

 疲れ果てて食べ物を受け付けない胃に無理やり押し込む拷問のような時間。

 優雅な時間などは一かけらも存在しない。

 バナナジュースは飽きたので明日からはオレンジジュースにしようと心に誓う。

 

 これを終えた後は吐き気をこらえながらレースの勉強だ

 映像を見ながらトレーナーの解説を受けたり、歴史について学ぶ。

 時にはコースへ出て荒れた芝の様子をじっくりと読んだり、その荒れ芝の攻略方法を話し合う。

 体感するとあればここでも走った。

 

 胃が落ち着いて来たらコースが閉められる時間いっぱいまで走る。

 強弱を付けたりしながらひたすら走る。

 とにかく走る。

 この時間帯になるとフォームもクソもない。

 気力だけで体を動かす。

 

 夜中の間はトレーナーからの指示も精神論が殆どを占めた。

 走りながら気絶したことが何度もあったほどの苦行だった。

 見かねた友人や取り巻きたちが並走してくれるようになるのにそれほど時間はかからなかった。

 

 そして夜九時、コースから締め出されてトレーナー室へ。

 そこで秘密の特訓が行われる。

 

 特訓の後はシャワーをたっぷり浴びた。

 湯船に浸かるのは溺死の可能性があるので自粛している。

 実際死にかけて滅茶苦茶ハルウララに心配かけたので反省しきりである。

 それも済んでしまえば、後はもう泥のように眠るだけだ。

 とはいえ最初の数日は体が発する熱と痛みでろくに眠れもしなかったのだが。

 

 もちろんこのような過密なスケジュールで体が持つわけがない。

 気絶するほど走っているのだから怪我をしなかったのは運がよかっただけだ。

 ちなみに気絶する時の倒れ込み方はトレーナー直伝。

 クラッシュには一家言ある、と自信満々に語った彼にとうとう頭がおかしくなったのか?と心配するキングヘイローがいたとか。

 

 無茶なトレーニングを止める声は何度もあった。

 これは強くなれる特訓ではない、体を壊すだけの拷問だと*1

 

 しかしトレーナーは聞く耳を持たない。

 ならばウマ娘を通して、とキングヘイローへ説得をするものの、求めているのは彼女の方だ。

 頑なな態度はトレーナー以上に話にならなかった。

 それでも日に日にやつれていく彼女を心配してスペシャルウィークたちが動く。

 頼った相手は先生だった。

 

 とうとうトレセン学園側から呼び出しがかかり、トレーナーへ厳重注意が言い渡される事態に。

 だがそれで懲りるジャック・アトラスではない。

 彼は理事長を前にむしろ居直ったという。

 

「俺が育てているのはただのウマ娘ではない、キングたらんとする一流のウマ娘だ」

 

 教育者としてはド三流のセリフだった。

 まぁ、キングだからだ!で押し通そうとしなくなっただけ大人になってはいる。

 結局言っていることは同じだが。

 

「詰問! もし故障させたとしてご両親へ如何に説明をする!」

 

 もちろんそんな言い訳で納得できるほど理事長も甘くはない。

 大切なお子さんを預かっている身として親を泣かせるわけにはいかない。

 そう説得に舵を切れば、鼻で笑うのがジャックだった。

 

「金一封と言ったところか」

「憤懣! 金で解決できると!?」

「ああ、よく退学させてくれたとお言葉もいただけよう」

 

 ジャックの物言いに理事長が引っ掛かりを覚えたのはその時だ。

 腰を据え、根掘り葉掘りニンジンポリポリ聞いてみれば事態の全貌に唸る他ない。

 ニンジンは美味い。

 

 結論から言うとこの異常なトレーニングは夏合宿前までの間なら許可された。

 即ちひと月の間、キングヘイローはこの地獄の中で生きていくことになる。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「私のターン、ドロー! よしっ、黄泉ガエルを召喚よ!」

《ケロ》

 

 意気揚々とキングヘイローがカードを盤面に叩きつける。

 光と共に現れたのは翼を持ったカエルだ。

 小さいカエルが天使の輪を頭に乗せながらのっぺりとトレーナー室を動き回る。

 

「それとカードを一枚伏せてターンエンド」

「ふぅん、初手に低レベルモンスターを引けるようにはなってきたか」

 

 対するはジャック・アトラス。

 腕を組んだまま偉そうにカエルを見下ろしていた。

 それもつかの間、ジャックが力強い宣言と共にカードを引き抜けば蹂躙の始まりだ。

 

「ドロー! 俺は手札からバイス・ドラゴンの特殊効果を発動。

 このカードは相手フィールドにのみモンスターが存在する場合特殊召喚することができる!」

「はいはい、その時ステータスが半分になるんでしょ。耳タコよ」

「続いてダーク・リゾネーターを通常召喚! この二枚のカードの合計レベルは8!」

 

 ドラゴンとネズミ?が立て続けに召喚され、二体の体が重なり合っていく。

 キングヘイローはこの展開に飽食気味のようで尻尾も耳も垂れ下がっている。

 疲れ果てた体で付き合うにはテンションも底をついているようだ。

 

「王者の鼓動、今ここに列を成す。天地鳴動の力を見るがいい!

 シンクロ召喚! 我が魂、レッド・デーモンズ・ドラゴンッ!!」

 

 部屋が明々に包まれて灼熱の赤が舞う。

 ど派手なエフェクトに包まれた現れたのは赤と黒に彩られたドラゴンだった。

 ジャックの誇るエースモンスターのご登場である。

 

「カード一枚伏せ、さらに手札からパワー・ジャイアントの効果を発動。

 手札にある低レベルモンスターを墓地へ送ることで特殊召喚!

 その際、コストで支払ったモンスターのレベルと同じ数だけレベルを下げるが……手はあるか?」

「お好きにどうぞ?」

 

 伏せカードの発動を確認するもののキングヘイローは涼しい顔だ。

 ジャックの場には攻撃力3000と2200が並ぶ。

 攻撃力100の黄泉ガエル一枚ではライフ4000など消し飛んでしまうだろう。

 何もないとあればそうなるまでだ。

 ならばとジャックは攻撃を宣言した。

 

「レッド・デーモンズ・ドラゴンで黄泉ガエルを攻撃、アブソリュート・パワーフォース!」

 

 宣言と同時にドラゴンの拳が迫る。

 初めの頃は驚きにうずくまったものだが、さすがに連日同じ光景を見ていれば慣れるというもの。

 キングヘイローは焦らずにプレイングを続ける。

 即ち伏せカードの開帳だ。

 

「ふふん、かかったわね! 罠カードを発動よ、聖なるバリア・ミラーフォース!」

「カウンター罠発動、レッド・バニッシュ」

「はぁ!? 伏せたターンは罠カード使えないんじゃなかったかしら」

 

 ちなみに初心者にありがちな伏せたカードをすぐ使おうとしてできない、というのをキングヘイローは体験済みである。

 

「レッド・バニッシュは場にレッドと名の付くカードがある時、セットしたターンでも使用することができる。

 そして魔法・罠カードの発動を無効にし、破壊する!」

「なにそれずるい!」

「ずるくない!」

 

 一応、場にレッドと名の付くカードがなければ効果を発揮できないというデメリットがあり、何でもかんでも使えるわけではない。

 なおアニメオリジナルカードである。

 ずるい。

 

「手札誘発はないのか?」

「あるわけないでしょ!?」

「はぁ……」

「ため息つきたいのはこっちなんだけど!?」

 

 処理は淡々と進められ、爆風が彼女の体を叩く。

 ライフポイントが大幅に削られ、続く石巨人の攻撃に耐えきれずゲームオーバー。

 今日の秘密特訓もわずか二ターンで終了となった。

 なおいつものことである。

 

「伏せカードを見せつけておいて攻撃力100のモンスターを攻撃表示で召喚。

 これでは攻撃を誘ってますと言っているようなものだ。

 ならば対策されるのは当然と考えておくんだな」

「もー!」

 

 とはいうものの、これでもだいぶんマシになったのだ。

 初日は手札をすべて上級モンスターで占めてしまい何もできずに負けた。

 罠カードを引ければマシ。

 下級モンスターを引けたらいっそすごい、という感じだった。

 それを思えばキーカードとも言える黄泉ガエルと強力な罠カードを共に引き当てたのは拍手モノである。

 それでもジャックの求める水準にはまるで達していないのだが。

 

「だいたいこのデッキ重すぎるのよ!」

「帝デッキとはそういうものだ」

 

 それでそれぞれ一枚ずつしか入ってない帝を初手で引き寄せすぎるのが悪い。

 だが彼女にしてみれば毎度毎度高レベルモンスターを並べるジャックの手札が良すぎるのだ。

 

「貴方のデッキにバイス・ドラゴン何枚入ってるのよ!」

「一枚だが?」

「あーもー!!」

 

 知ってた。

 前にも同じことを言ったキングヘイローはデッキをきっちり確認している。

 本当に一枚しかないのにほぼ初手で持ってくるのだ。

 どうかしてるとしか思えない。確率論に喧嘩を売ってる。

 そう主張したのだがジャックはそんなことはないと否定した。

 

「何度も言わせるな。漫然とカードを引いていては漫然としたカードを引くだけだ。

 こうしたい、こうありたい。心の底からそう願い、デッキに託すのだ」

「それで好きなカードを引けたらカジノで大儲けでもしなさいよ!」

「カジノのカードでは無理だ。

 決闘者(デュエリスト)にとってデッキは己の半身、魂だ。それ故に心を通わせることができる」

 

 もうめちゃくちゃである。

 何を言っているのかまるで分からない。

 思わず頭を抱えるがそれで何かが解決するわけでもない。

 重いデュエルディスクを取り外して立ち上がった。

 

「本当にこんなことを続けてレースに強くなれるの?」

「当然だ」

 

 その自信はどこから来るのだろうか。

 ひょっとしたら他のウマ娘もこうやって陰で特訓してたりするのだろうか。

 いや、さすがにそんなことはないだろう。

 もしかしたら、ひょっとして……?

 未だに悩むキングヘイローを見ながらジャックもまたデュエルディスクを収める。

 

「すべての勝負事はデュエルに通ずる。デュエルで勝負の勘所を掴むのは必須と言っていい」

「本当に?」

「俺に言わせれば、どうしてそこまで疑える?」

 

 あまりに認識に差がありすぎる。

 お互いそう思うものの、どこが食い違っているのか分からないのだから困っていた。

 

 キングヘイローにとってこれ(カードゲーム)はお遊びだ。

 筋力トレーニングですらないこれがどうレースに関係してくるのか一ミリも理解できない。

 

 ジャックにとってデュエルとは魂のぶつかり合いだ。

 これを高めることは生物としてのステージを高めるということである。

 また、デッキと語り合うことで己を知ることもできる。

 時には自分の知らない自分と向かい合うことだってあるのだ

 自己研鑽にこれほど適したものもそうないだろう。

 

 デッキは己自身であり、手札は手段。ライフポイントは勝敗に直接左右するもの。

 全てがレースに活用できる概念だ。

 そこまで考えれば疑う余地など一片たりともない。

 

「……そうだな、例えば貴様はレースのスタート前、何を考えている?」

「そうね、自分や芝の状態だとか出馬してる子の走りとか、いろいろよ」

「うむ、それが最初の五枚の手札だ」

 

 思わず真顔でジャックを見てしまうキングヘイロー。

 何を言い出したんだこいつ。

 そう口にされなかっただけ彼女からの信頼はまだ残っていたようだ。

 

「そしてレース開始と同時にドロー、お互いに場を展開しあうわけだ」

 

 ジャックはしまったばかりのディスクを展開、シャッフルされたデッキへと手を置く。

 怪訝に思いつつキングヘイローもディスクを装着。

 デッキから初期手札を引こうとして視線に止められた。

 

「その時、漫然とカードを引くのではなくレースの時と同様に思考するのだ」

 

 言われ、デッキを見つめながら考える。

 私は差しが得意だからほとんどの場合、中盤で足を残しつつも抜け出す準備をしたい。

 脳裏に描いたのは“黄金世代”の面々。

 強烈な逃げ足を持つセイウンスカイと先行型のエルコンドルパサー。

 この二名に突っかけつつ、スペシャルウィークとグラスワンダーたちと位置を取りあう。

 より優位に立ち回れたものがレース序盤を制する。

 

 これはジャックとのデュエルでも同じことが言える。

 彼は決まって強力なカードを並べてくる。これはいわば大逃げ型だ。

 それを好きにさせてしまってはこちらは勝てない。

 ならばそれを邪魔しつつこちらのターンを迎える必要がある。

 

「だったら本当に私が欲しいカードは……」

 

 強力な罠カードでも、キーカードでもない。

 欲すべきカードはただ一つ。

 吸い込まれるように手はデッキの上へ。

 

「私の、ターン」

 

 ドロー。

 小さくかすれて声にもならないそれは行為によって示される。

 デッキの一番上からたった一枚の引き抜き。

 引き当てたカードは攻撃力0のモンスター。

 背筋の震える感覚があった。

 高揚を伴った寒さに耳が震え、尻尾がピンと逆立った。

 それはある種の快感ですらあった。

 

「それでいい」

 

 何を引いたのか見るまでもないのだろう。

 ジャックは満足げに頷いた。

 

 引き当てたのはバトルフェーダー。

 相手モンスターの攻撃に合わせて召喚することでバトルフェイズを強制スキップさせるカード。

 大逃げの選手の頭を抑え込みつつも己の足を溜める。

 まさにその状況を作るカードだった。

 

「逆もまた然り、レース中にバトルフェーダーほど強力なカードを引き込めるかは貴様次第だな」

 

 ここまで言われれば察するものもある。

 もともとキングヘイローの知能指数は高いのだ。

 いったん紐解き始めれば理解も早い。

 

「手札は手段や可能性、よね」

「ああ」

 

 即ち相手との位置、己の態勢など状況に合わせて取れる手段が今の“手札”というわけだ。

 序盤は一斉スタート。

 自然と“手札”は多く、そしてレースが進むたびに減っていく。

 “デッキ”は己自身、つまりトレーニングで溜め込んだ知識や技量。

 身体的な強さもこれにあたるのだろう。

 

「ライフは?」

「スタミナが一番分かりやすいだろう。

 デッキ残量もある意味でスタミナと言えるか」

 

 ゴール前に体力が切れれば負け。

 大差を許せば逆転不可能なほど大きく突き放される。

 

「……一ミリも理解できないと思ったのは取り消すわ」

 

 もし本当にデュエルで勝負の勘所を掴めるというのならば、今までは場当たり的に走っていただけだ。

 それで勝てるはずもない。

 キングヘイローの持ち味は思考から来る試合の組み立て方。

 強みを自分から捨てていた。

 

「貴方のトレーニングだもの、無駄なわけがないわよね」

「確かに俺は一流トレーナーと自負しているが決闘者(デュエリスト)としての俺は超一流だ。

 黙って俺についてこい、キングヘイロー」

 

 ぶるりと尻尾が震える。

 それはどこか先ほどの快感に似ていた。

 彼になら、そう思わせる何かがそこにあった。

 

「キングへの道をこの俺ジャック・アトラスが示そう!」

 

 地獄の日々の中で行われた悪魔との契約。

 吉と出るか凶と出るか。

 それを知る者は誰もいない。

 

「よろしくってよ。貴方にこのキングを導く権利をあげる!」

 

 ただ一人、キングヘイローにとっては夜明けの明星のようで。

 それは確かな救いだった。

 

 

 

 

*1
実際にキングヘイローはひと月で体重を十キロほど落とすことになる




 
元キン「デュエルはレースにも通ずる!」
キング「理解したわ!」

何言ってんだこいつら。
ちなみにキングヘイローのデッキはジャックからの貸し出しです。


次回、『俺はレアだぜ』にアクセラレーション!
 
 


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クラシック級/7月前半:旧友との語り合い

 
ゴルシウィークなので投稿します。
……ゴルシウィークってなんだ。

四名の方から同じところに誤字報告ありましたので修正しました。 
ありがとうございます。
これめちゃ恥ずかしいので以後ないように気を付けます。
 


 

 

 

「氷帝メビウスに攻撃、アブソリュート・パワーフォース!!」

「きゃあああ!」

 

 キングヘイローのライフポイントがゼロになり、バトル終了。

 日課であるデュエルもそれなりに形になってきただけに負ければ悔しさも一入(ひとしお)といったところ。

 だがここまで連敗しながら負けることを悔しめる辺り、キングヘイローの精神的タフさは異常である。

 

「さっきのターン倒したじゃないそのドラゴン! どうしてフィールドに戻ってきてるのよ!」

「絶対的エースモンスターを据える俺のようなデッキでは当たり前のことだ」

 

 ジャックの言うことは間違いではないが、だからと言って当然のごとく対応できるのは彼の実力の高さがあってのこと。

 デッキに蘇生手段があったとして必要な時に手札にあるかどうかは別問題なのだから。

 

「しかし、多少は見れるようになったな。

 もし貴様のターンに二重召喚が手札にあれば俺は負けていたかもしれん」

「かも、とか言ってる時点で譲る気ないじゃない。

 それにどうして帝が複数手札にいる前提なのかしら」

「いるのだろう?」

「もー!」

 

 いる。

 どういうわけかキングヘイローの初期手札にやたら来るのだ。帝が。

 最初の頃はこれのせいで下級モンスターを引けずに負けていたほど。

 これにはダイワスカーレットばりの「もー!」が飛び出すのも致し方なし。

 この調子ではウシ娘になるのもそう遠くない。

 

「調子も出てきたがデュエルは当分お預けだ」

「そうね」

 

 何故ならば明日からは夏合宿が始まるからだ。

 一応秘密の特訓ということになっているのでトレーナー室が使えない合宿場ではデュエルは行えない。

 同時にキングヘイローの地獄の日々もこれにて終了となる。

 

「俺は明日の朝一番で先入りしている。よって早朝のトレーニングもなしだ。

 多少のランニングくらいは認めるが大人しくしておけ」

「分かってるわ」

「それとこれはまだ確定事項ではないのだが、夏合宿の間は他のトレーナーの力を借りることになる」

 

 他のトレーナーと聞いてキングヘイローが首を傾げた。

 長い髪と尻尾が揺れる。

 彼が他のトレーナーと仲良さそうに喋っているところを見たことがない。

 顔にはそう書いてあった。

 

「奴の力を借りるつもりはなかったのだが、貴様のためならば仕方あるまい」

「お知り合いかしら」

 

 貴様のためと言われ、尻尾がぶんぶん揺れる。

 そんなこと露知らずに平然な顔をして話を促すキングヘイロー。

 かつて口より尻尾の方がよっぽど雄弁と評したクラスメイトがいたが、キングヘイローがツンデレという概念に謝る日もそう遠くないだろう。

 

「古い友人だ」

「貴方の友人……想像つかないわね」

「フン、俺以上の頑固者だ」

「貴方以上の?」

 

 想像がつかなさ過ぎていっそ混乱している。

 きっと人間でもウマ娘でもないに違いない。魚介類とかそういうの?

 

 そんなキングヘイローを置いてテキパキと準備を進めていくジャック。

 朝一番に出るのなら準備は今日中に済ませなければならないだろう。

 それを見て妙なことを考えている暇はないとキングヘイローが覚醒する。

 

「私も準備をしなくちゃ! 朝から慌てて準備なんて優雅じゃないものね」

「水着、体操服、ジャージの三点は二セットずつ用意しておけ。それと避暑地だから夜は冷えるぞ」

「了解。じゃあおやすみなさい、トレーナー」

「ああ」

 

 そっけない返事を返し、ジャックは作業に没頭した。

 どのように再会するのか、ずっとそれを考えていた。

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

 

「おはよう、ジャック」

「遊星、貴様……」

 

 一晩頭を悩ませていた再会はバスの手前であっさりとなされた。

 そこには数多くのトレーナーと先生方が次々とバスに乗り込んでいた。

 

 時間ぎりぎりに来たジャックを待ち受けていたのが不動遊星。

 友であり、仲間であり、最大のライバル。

 彼がさわやかな笑みでジャックを出迎えたのだった。

 

 無視をするようにバスへ乗り込めば平然と後をついてくる。

 遊星にしても今日はがっつり話し込む気なのだろう。

 ジャックが狭い椅子に体を押し込めば隣に遊星が座る。

 逃げ場などなかった。

 逃げるつもりもなかったが。

 

「久しいな遊星」

「ああ、変わりないようで何よりだ」

「お互いにな」

 

 まさかの先制攻撃に戸惑ったジャックだがいざ話してみれば言葉は止まらなかった。

 お互い積もる話もあったのだろう。

 話は自然とどうしてトレセンにいるのか、トレーナーになったのかに至る。

 

「俺は孤児のウマ娘の面倒を見たのが始まりだった」

 

 聞けば彼女らの行く末を想い、改善させるために競技者として鍛え上げたのだという。

 そして僅かな育成期間にも関わらず次々と結果を出していくウマ娘たち。

 そのトレーナーとしての手腕を買われ、トレセン学園にスカウトを受けたらしい。

 

「彼女たちの努力の賜物であって、俺の力じゃないとは言ったんだ」

「しかし周りは放っておいてくれない、か……貴様らしいな」

「かもな」

 

 そして一人のDホイーラーとして、スピードに魅せられた一人の人間としてウマ娘という生物に惚れ込んでいた彼はこのスカウトを大いに悩んだという。

 地元を離れたくない。

 そう考える遊星の心を大きく揺さぶったのはチーム戦というあり方だった。

 絆の力を信条とする遊星にとってそれはどうしようもなく魅力的な響きである。

 

 絆の力を手にした彼女たちが果たしてどこまで行けるのか。

 見てみたいとそう思うのに時間はかからなかった。

 

「そうして悩む俺の背を押してくれたのがラリーだった」

「ラリーが?」

「ああ、この街は俺たちに任せてくれと……大きくなったよ」

「そうか」

 

 言われ、夢想するジャック。

 記憶の中のラリーはともすれば少女に間違われるほどの幼い子供だった。

 その子が遊星の背中を押したというのだ。感慨深くもなる。

 

 どうやらラリーはクロウが街を去った後、彼の代わりに子供の世話を焼き、護り、闘ってきたらしい。

 見た目はまだまだ小さな子供だが数多くの困難を生き抜いた彼は下町の顔役に収まりつつある。

 かつての遊星のように。

 

「だから五年の間だけと契約を交わして俺はここにきた。

 今ではチームスピカでサブトレーナーをやらせてもらっている」

「貴様がいると色々と便利だろうな」

「ありがたいことによく言われる」

 

 よく言われるどころではなく、遊星が抜けたら回らなくなるレベルで大活躍をしている。

 そのため、遊星がいつ抜けてもいいように彼の担当領域をドンドンと狭めている最中なのだ。

 

「最近になってサイレンススズカというウマ娘の担当トレーナーになった」

「噂には聞いている、ここ最近レースを荒らし回ってると」

「トロフィーでチェスでもできそうな勢いだ」

 

 どうも今は走るのが楽しくて仕方ないらしい。

 ただ、レースに出すぎているせいで他のウマ娘とのコミュニケーションが減りつつあるのが専属トレーナーの最近の悩みだとか。

 

「噂なら俺も聞いてるぞ。ここ最近朝から晩まで走り続けているウマ娘がいるらしいな」

「……遊星、俺がウマ娘を本当の意味で知ったのは二年前だ」

 

 水を向けられ、今度はジャックが語り始める。

 とあるデュエルの大会に出場したジャックは当然のように優勝を収めた。

 特に語るところもない大会だったらしい。

 そのデュエル大会はウマ娘のレース会場で開かれたものだった、というくらいか。

 

 小高い表彰台の上からは会場がよく見渡せた。

 この広い観客スペースを埋め尽くすという彼女らの走りに興味も出る。

 どうやら明日にはレースがあるというので翌日は軽食を食べながらちょっと観戦していくか、その程度の認識だった。

 しかしそれを見て頭をパワーツールドラゴンに殴りつけられるような衝撃が襲った。

 

「所詮は走るだけ、ライディングデュエルのスピードと熱狂には敵うまいと思っていた」

「ああ」

 

 よく分かるとでも言いたい遊星の表情。

 彼も当初はそうだったのだろう。

 だが蓋を開けてみればどうだ。

 そこにある熱量はライディングデュエルに勝るほど苛烈だった。

 単純に競う人数が多い分だけそこから発せられる熱はとてつもないことになっていた。

 

「ライディングデュエルの、一対一の勝負ではあり得ない想いの丈がそこにあった」

 

 もちろん一対一でしか成しえない熱というのもある。

 だが決して軽んじていいモノではないと、勝負に生きるジャック・アトラスだからこそ一目で分かった。

 

「そして走ることのレベルの高さ、これにもまた驚かされた」

「ああ」

「未来のライディングデュエルの王者として、見て見ぬふりは出来ぬと思ったものだ」

 

 彼女らのことを知らねばならぬ。

 その使命感に突き動かされ、勉強を重ねる。

 そんなある日、彼はクロウと再会したという。

 

「奴にお前のことを聞かされた時は腸が煮えくり返るような思いだったぞ」

 

 クロウから聞かされたのは遊星がトレセン学園でウマ娘のコーチをしているというものだった。

 先を越されたと、そう机を叩いた。

 負けていられぬと資格を取得し、トレセン学園へと採用されたのが去年のこと。

 

「そこで俺はキングヘイローと出会った」

「なかなかのじゃじゃウマだと聞いている」

「フン、結果も出しておらんのに一流を自称するのだ。

 下らん女だと、口先だけの小物だと思ったがな……覚悟だけはあった」

 

 遠い目をしている。

 わずか一年前の出来事だが濃密な日々がその長さを増大させているのだろう。

 

「だから俺も奴の覚悟に応えたい。遊星、力を貸せ。貴様の力が必要なのだ」

「俺の?」

 

 遊星の目がわずかに開かれた。

 ジャックがここまで言うとは思ってもいなかったのだろう。

 かつての仲間に頼られている。

 思わず頷きそうになった遊星を止めたのは今の立場だった。

 

「勿論、と言いたいところだが……俺にも担当ウマ娘がいる、彼女のことは放っておけない」

「ほう、貴様と交渉をすることになるとは……だがどうしても貴様が欲しい」

「俺はレアだぜ?」

 

 その展開も読んでいたのだろう。

 遊星の言葉を無視し、ジャックは自信満々に言ってのける。

 

「貴様の担当ウマ娘にこのジャック・アトラスが! 直々に指導をしてやらんでもない」

「だが」

「どうせ困っているのだろう? ―――ダンスレッスンに!」

「ぐっ」

 

 乗りに乗っているサイレンススズカ。

 彼女の唯一の欠点と言えばそう、ウイニングライブの出来だった。

 

 容姿は整っており、レースを終えたテンションで行われるライブでは高揚した様子が大変艶っぽく、レースで見せた異次元の強さとは別の愛らしさに参ってしまうファンも多いという。

 だが、目の肥えたファンからまだ足りないという声もあるのだ。

 

 原因は明確だった。

 彼女にとってライブは余禄でしかない。

 もちろんセンターで踊ることはウマ娘の本能が満たされる行為でサイレンススズカも大好きだ。

 ファンの期待に応えたい想いもあり、ダンスレッスンだって真面目に取り組んでいるし、本番だって手を抜いているつもりはないのだろう。

 だが同時に、先頭で走り切った快感に勝るモノではないと知っている。

 その認識が表現に滲み出てしまっているのだという。

 

 何とか改善しようとトレーナーチームが一丸となって頑張っているものの成果は未だ乏しい。

 そもそも当人は努力を怠っているわけではないのだから当然だ。

 どちらかといえば期待値が高すぎることに問題があった。

 レースならばあれこれと指摘し、サポートできる遊星もダンスばかりは……。

 

「ダンスは……苦手だ」

「だから、それをこの俺、ジャック・アトラスがサポートしてやろうと言っているのだ!」

「……できるのか?」

「ことエンターテインメントで俺にできぬことはない!」

 

 その言葉が真実かどうかは置いておいて、彼が鍛えたウマ娘のダンスはどうだったか。

 言うまでもない。

 輝いていた。

 ちらと目にしただけで記憶に残る程度には。

 

「……分かった」

「交渉成立だな、遊星」

「ああ」

 

 がっちりと手を薙ぎ合う二人。

 前方からは小さくも黄色い声が上がった。

 他の同乗者から見れば優等生な遊星と問題児のジャックが仲良さそうに話しているというだけでも気になるもの。

 それも二人が中々の美丈夫とあれば女性の目が集まるのも無理はない。

 

 ちなみにキングヘイローの過剰な特訓のせいでジャックを嫌っているトレーナーは多い。

 だがここで耳を(そばだ)てて聞いていた一部のトレーナーは認識を改める。

 ジャックの持つウマ娘に対する熱量は本物だ。

 何も理由を聞かずに判断するのは早計だと思い改めた。

 

「しかしジャックがトレーナーの道を選ぶとは意外だったな」

「俺にも色々とあるのだ。だいたいそれを言ったら貴様があの街を出るとは―――」

 

 合宿所まではまだまだかかる。

 彼らは移動時間の殆どを会話に費やしたという。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「ちょっとスペシャルウィークさん! バッグ一つが丸々お菓子ってどうなってるの!?」

「えへへー……あ、でも半分はニンジンだよ!」

「そういう問題じゃなーい!」

「スペちゃんはスケールが違いますね、バスに段ボール箱持ち込もうとする人は初めて見ました」

「しかもあの中身、ニンジンだったはずデスよ」

 

 ニンジンひと箱を持ち込もうとした挙句、手持ちバッグの一つは食べ物が占拠しているとなってはさすがのクラスメイト達も呆れるほかない。

 ちなみにセイウンスカイはバスに搭乗して早々寝てしまっている。

 この騒ぎの中でも眠っていられる辺り、年季の違いを感じさせた。

 

「それにしてもキングさん、今日はいつもより肌艶がいいですね」

「あら、このキングのお肌はいつだってツヤツヤよっ」

「今朝は早朝トレーニングなしになったって聞いたからそれじゃないかな?」

「睡眠時間は大切だということですね」

 

 年頃の少女たちは話題に事欠かない。

 美容にレッスンに勉強にファッションにテレビ番組にプロレスにうまぴょいに。

 故郷の話、家族の話、自分の夢、今日のお昼ご飯、そしてこれからの夏合宿。

 まるで話題が尽きる様子がない。

 

 途中エルコンドルパサーのペットの餌やりで騒ぎが起こったがそれさえも笑い話にしてバスは進む。

 トレーナーとの特訓に明け暮れていたキングヘイローには充実した時間だった。

 

 向こうについたら取り巻きのメンバーと一緒に遊ぶ時間を作ろう。

 そう考えて、気づいた。

 最近あのメンバーに構ってあげられてないことを。

 一流のウマ娘にふさわしくない、己のことで手一杯だったと今更になって気づいた。

 

「……私は一流のウマ娘よ、一流なんだから……」

 

 ぼやいて窓から天を見上げる。

 真夏の太陽がサンサンと輝いていた。

 気が付けば夏もすぐそこ、あのままでは見落としていたであろう四季の移ろいを感じた。

 

 この夏は一流に相応しい合宿にしてみせる。

 そうぼやいて、唐突にクラスメイトから押し倒された。

 

「もー! 今度は誰かしら! まったく決まらないじゃない!」

「酔っ……た。キン……ぉくすりぃ……」

「ちょ、エチケット袋はここよ!

 持ってなさい、それとまずはゆっくり呼吸して―――」 

 

 辛そうなクラスメイトの背中をさすりつつ、テキパキと指示を出す。

 一流の保護者の姿がそこにあった。

 

 

 




本当は交渉代わりにバスの中でデュエルさせるつもりでしたが無駄に長くなりそうなのでカット。
二人とも立派なトレーナーになったと思ってここはどうかおひとつ納得ください。

次回、『罠カードオープン! 異次元の邂逅!』にアクセラレーション!
 
 
 


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クラシック級/7月前半:現在地

 
ランキングに乗っていたとのコメントをいただきました。
言われるまで気が付きませんでした。
これもすべては読んでくださる皆様のおかげです。ありがとうございます。
ここはストレートに感謝の投稿です。
 
 


  

 

「はじめまして、サイレンススズカです」

「スズカのトレーナーの不動遊星だ。よろしく」

「あ、はい。キングヘイローです……よろしくお願いします?」

 

 キングヘイローは混乱していた。

 思わずかしこまって頭を下げるくらいに混乱していた。

 

 合宿初日は移動やら施設の紹介やらレクリエーションやらで恙なく終わった。

 同部屋になったクラスメイトと話をしている間に消灯時間となり、朝を迎える。

 虫の鳴き声と遠くに聞こえる潮騒の音が心地よい、なんとも清々しい朝だった。

 早朝特訓のあったこのひと月と比べると天地ほども差があろう。

 

 部屋が分かれてしまったハルウララがちゃんと起きられたか心配しつつ朝食を食べ終える。

 呑気にしてられるのもここまでという上級生の言葉を聞きながらトレーナーの下へ向かうと、そこに今をときめくウマ娘が待っていた。

 唐突すぎて混乱するのも無理はない。

 

「えっと……?」

 

 理解が追い付かない。

 目の前にいるウマ娘は現在、最もトゥインクル・シリーズを騒がせているウマ娘だ。

 中距離を中心に数多くのレースを熟し、その殆どで大差をつけての勝利。

 付いた異名が“異次元の逃亡者”だ。

 最高速度はそれなりといったところだが、短距離のようなペースで中距離コースを駆け抜けていく様はまさしく異次元の走り。

 そこからラストスパートではまだ加速できるというのだから常識の二文字が通用しない。

 大逃げと言えばサイレンススズカ。

 そう考えるウマ娘ファンは多いことだろう。

 

 そんな偉大な先輩がどうしてキングヘイローを待っていたのだろうか。

 ようやく頭が回り始めて大男を見上げる。

 

「ジャック・アトラスだ」

「違う。違わないけども!」

 

 そういうことを求めているのではないと頭を振る。

 ぶおんぶおん。抗議のカールヘアがジャックを襲った。

 

「言っていただろう、他のトレーナーの力を借りると」

「聞いてたけど! サイレンススズカ先輩だとは言わなかったじゃない!」

「遊星の奴に言え」

 

 無茶苦茶である。

 基本的に完璧なトレーナーだが、時折抜けたところを見せるのもこのトレーナーである。

 久々に炸裂したわ。

 そう頭を抱えるキングヘイローに遊星は苦笑しながら提案をする。

 

「とりあえず一本走ってみないか? お互いを知るにはこれが一番だ」

「そうだな、百の言葉を交わすより価値がある」

 

 お互いを理解し合うならデュエルだ。

 そんなノリでトレーナーコンビは頷きあってコースの申請を行う。

 さすがに合宿の稼働初日朝一番からコースを使おうという人はいなかったのかあっさりと予約が取れた。

 視線で会話をしつつスマホをしまい込み、レース場へと向かう。

 

 言葉もなしにズカズカと進む男二人。呼吸はぴったりだ。

 その後ろ姿を見て古い友人と言っていたのを思い出すキングヘイロー。

 側にいるのが当たり前といった空気になるほどと一人納得する。

 思っていた以上に二人の仲は深いらしい。

 

「幼馴染という奴かしら?」

「どうかしら、でも考えるのは後にしましょ。置いてかれちゃうもの」

「ええ」

 

 独り言を拾われて内心驚きつつもサイレンススズカと共に歩き始めた。

 さすがに終始無言というのも気まずいが会話も難しい。

 先輩後輩で選手同士。

 距離感をどう置けばいいのか探り合いながら会話を続ける。

 気が付けばレース会場まではあっという間だった。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

 1600メートルの一本勝負。

 サイレンススズカはいつも通り逃げ切りの態勢で仕掛けた。

 少し物足りない距離。でも相手の実力を測るなら充分か。

 そう思って走り始めた。

 

 正直に言ってしまえば舐めていた。

 相手はクラシック級の、それもまだ体が出来上がってない成長期のウマ娘。

 日夜シニア級でしのぎを削っているサイレンススズカが下に見てしまうのは仕方のないこと。

 ましてや妹のように思っているスペシャルウィークのクラスメイトだ。

 どうしたって同年代のライバルたちのようには見れない。

 

 黄金世代などと呼ばれているがその中でもキングヘイローの評価は最下位と言っていい。

 才能が抜きんでているエルコンドルパサーとグラスワンダー。

 皐月賞を取ったセイウンスカイに念願叶えたダービーウマ娘のスペシャルウィーク。

 彼女らと並べてしまった時、どうしても見劣りしてしまうのがキングヘイローだった。

 

 世代最強集団に選ばれる程度の実力はあるのだろう。

 だがそれを言ったらサイレンススズカだって世代最強の一人。

 紆余曲折を経たが今では間違いなくトゥインクル・シリーズのトップクラスに位置している。

 ドリームトロフィーリーグに進出―――いやこの島国を飛び出すのはいつ頃か、なんて話も持ち上がっているくらいだ。

 

 年下はスペシャルウィーク以外の子のことはよく知らないサイレンススズカだったがキングヘイローのことも名前を聞いたことがある、といった程度の認識でしかない。

 どうしても競技者というよりもスペシャルウィークのクラスメイトという意識が先立つ。

 

 数年後にはひょっとしたらライバルに名を連ねるかもしれない、かな?

 正直なところ、それがサイレンススズカの評価だった。

 今の今までは。

 

「――――ッ!!」

 

 コーナー。

 足を入れて加速するサイレンススズカ。

 曲がり角を利用してちらりと背後を確認。

 開いていた距離がさらに空いていく。

 

 思っていたよりも距離が離れていたことにサイレンススズカは内心驚いていた。

 もっと近くに寄られていたと感じていたのだ。

 だから加速した、だが実際は遠い。

 かかっているのかと自問した。

 返ってきた自答はかかっている、だった。

 だからといって足を緩めるのも危うさを感じさせる。

 それだけの圧力がキングヘイローにはあった。

 

 一流の差しウマはレース中、独特のプレッシャーを放つ。

 “差す”の言葉通り、先頭のウマ娘を突き破るような加速が差しウマの特徴だ。

 逆転を狙う彼女たちはそのタイミングを伺っている。

 それが先行するウマ娘たちのペースを狂わせることがある。

 今のサイレンススズカがそれだ。

 とてもじゃないがクラシック級の出すプレッシャーではない。

 否応なしに認識を改めざるを得なかった。

 

 今のペースでは末脚を削っている。

 このまま行けばキングヘイローの理想通りの展開となるだろう。

 いや距離は取れている、速度を下げて距離を詰められる方が問題だろうか。

 

 どうする。

 サイレンススズカは再度自問した。

 調子はいい。2000メートルもないなら体力は持つ―――このまま往く!

 サイレンススズカは己の欲求を素直に受け止めた。

 

 先頭の景色は誰にも譲らない!

 

「くっ!」

 

 対して追いかける形となったのはキングヘイロー。

 開始直後から影さえ踏ませぬ大逃げには舌を巻いた。

 まだ加速している。

 あれで本当に最後まで持つのか、と驚嘆さえしている。

 

 勝つ為には何か仕掛けなければいけない。

 このままでは先輩の独壇場(タイムアタック)になってしまう。

 何とかしたいが何ともならない。

 これがトップクラスの実力かと歯噛みする。

 

 手札と場がかみ合わない。

 気分は手札抹殺で肥やしたくもない墓地を肥やして手札を総ざらいした感じ。

 後手に回っていると言わざるを得ない。

 

 とにかくハイペース気味で距離を保ち、プレッシャーをかけ続ける。

 ゴール前で差し切るには距離を離されすぎてはいけない。

 かといってこのペースでは肝心の末脚が残らない。

 

 どうする?

 キングヘイローは己の手札を見渡した。

 

 か細いけど勝利の道はある。優雅じゃないけれど、一か八か! ドローを信じなさい!

 

 優等生な走りじゃ勝負にならないと我武者羅に勝ち筋を引き寄せる。

 即ち、スタミナを大きく削って前に出た。

 

 私はキング、一流のウマ娘なのよ!

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

 キングヘイローが短距離走染みた加速でサイレンススズカへと迫る。

 今までジリジリ詰めていたのが嘘のような思い切った加速だった。

 膨れ上がったキングヘイローの圧に呼応するようにサイレンススズカも加速する。

 

「なるほど」

 

 互いが互いに足を削り合う、そんな二人のレースを眺めていた遊星が呟いた。

 どうしてジャックが己に声をかけたのか、この走りを見れば分かる。

 冷静で賢いウマ娘のようだ。

 それでいて愚者の選択もできる。

 視野が広く、勝つ為の道筋を見つけるのが上手い。

 勝ちに拘っているのが見て取れる、良いウマ娘だった。

 

「何度見ても泥臭い走りだ」

「そうだな、ジャック好みの走りだ」

「……口を慎め遊星」

 

 否定はされなかった。

 つまりはそういうことなのだろう。

 

 折れず、曲がらず、屈せず、己の道を直走る。

 これはそういう走りだった。

 だからこそジャックの本気度も伺える。

 

「……本気でクリアマインドを」

「ああ」

 

 二人の会話が止む。

 最終コーナーを抜けるところ、レースもクライマックスだった。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「……ッ!」

「させない!」

 

 一瞬だけキングヘイローがサイレンススズカに並ぶものの、力の差を見せつけるかのように突き放す。

 足をだいぶん削られたが相手も無理をしている。

 お互いが同じ判断を下し、自答する。

 

 ならば前を行く私が有利! このまま勝つ!

 引き寄せた手札は狙い通り! ここで決める!

 

 先行するサイレンススズカの意識が前を向く。

 ここまで来たら後はもう突っ切るだけ。後ろを気にしてもしょうがない。

 そこまで考えて一瞬凍りついた。

 前にあるのは小さな坂。

 高低差こそ低いが、長い登り坂がゴール前のストレートにあった。

 

 サイレンススズカのように長距離を一定の速度で走るタイプは坂に弱い。

 登りで落ちた速度をトップスピードまで上げるのには距離が必要だし、降りで上がりすぎたスピードは過剰になりがちで減速しなければ危ない。

 とはいえ普段ならば気にならないくらい緩い坂だ。

 ゴール目指して駆け抜けるだけ。

 だが―――

 

「まさか……!?」

 

 再三に渡る押上げで削られた足では如実に影響が出る。

 それにこちらに足を使わせたタイミングが絶妙だった。

 一息入れたいところで坂。

 はしたなくも、口汚い言葉でも吐いてやりたい気分である。

 このやろーとかばかやろーとかこんちくしょーとかそういうの。

 

 坂の途中で減速なんてしたら差してくださいと言っているようなもの。

 かと言ってゴール前までにトップスピードまで上げきることはできないかもしれない。

 最初からこれが狙いだったのかと、ほぞを噛むサイレンススズカ。

 

 対して狙い通りの展開に気合を入れるキングヘイロー。

 しかし背中を追い続けた彼女もまたスタミナを大きく消耗している。

 

 中盤で無理な攻めをしたせいか、坂を登る前だというのに心臓が痛いくらい鼓動していた。

 膝もパンパンに張っていて、呼吸も整っていない。

 我武者羅に仕掛けた反動は決して小さくない。

 だがそうでもしなければサイレンススズカは残した末脚でこの坂を登り切っていた。

 

 消耗している?

 だからどうした、勝つ為にはそうする他なかったのだから、これは必要な消耗だ。

 そう割り切ってここまで来た。

 お互い疲れている。

 こんな展開になってしまってはもうやれることはただ一つ。

 

「こん、じょおおおお!!」

 

 ドローを信じてこの展開に持ち込んだ、手札は使い切った。

 だったら後はもう耳の天辺からつま先まで根性で動かすしかない。

 このひと月の間、そうしてきたように気合いで走り切れ。

 倒れるのはゴールした後だと決めて並びかける。

 そう、ゴールはもう目の前だった。

 

 サイレンススズカの隣。

 もうないと思っていたはずのプレッシャーが今まで以上の強さで膨れ上がっていく。

 ここ一番になって悟らされる。

 彼女のことを未だ舐めていたのだ。

 欠片も考えなかった、己が負けるかもしれないなどとは。

 それが十二分にあり得ると知った時、サイレンススズカは蹄鉄で殴られるような衝撃を受けた。

 

 隣を走る少女が私の前を往く? 私の景色に割って入る?

 そんなの、許せるはずがない。

 

 トップスピードがどうとか、スタミナがどうとか、そういう小難しい話はいらない。

 理屈なんて放り投げてターフを蹴りつける。

 体を押し出す。

 先にゴールを割るのは私だ。

 

 考えるのはそれだけ。

 視界がきゅーっと狭まっていくのを感じて手足を動かした。

 集中力がいや増す。

 遊星のコーチングを受け始めてから本当に調子のいい時だけに起きるようになった現象。

 これが出た時は余計な思考が抜け落ち、感覚で全てのことが分かるようになる。

 

 勝てる。

 

 決意が瞳に宿り、サイレンススズカの末脚が爆発する。

 キングヘイローにはまるでサイレンススズカが一瞬消えたようにさえ見えた。

 これが、これこそが“異次元”の走り。

 まるで坂なんてなかったかのように加速したサイレンススズカがキングヘイローの猛追を置き去りにした。

 

 決着は静かに。

 終わってみれば二バ身差での落着となる。

 サイレンススズカを相手に二バ身は健闘したと言えるだろう。

 だがしかし、着差以上の実力差があることを他ならぬキングヘイロー自身が理解していた。

 

 己の得意とする距離での戦いだったのにも関わらず終始サイレンススズカが先行。

 かかりもあり、体力を消耗させることに成功した。

 狙い通り坂の前で足を使わせてリズムも崩した。

 展開だけならばずっとキングヘイローの掌の上だったと言える。

 その上で、一度も彼女の前に出ることは敵わなかった。

 

 完敗だ。

 端的に言って、格の違いを見せつけられた。

 

「~~~~ッ」

 

 思わず泣きそうになる。

 ここに観客(トレーナーたち)がいなければ涙をあふれさせていただろう。

 途中まで手応えがあっただけに悔しい。

 最後の最後、勝負にもつれ込ませたと思ったところでそれさえ許してくれなかった。

 

 特訓の成果は確かにあったのだ。

 それでも結果には繋がらなかった。

 心が折れそうで、足がもつれる。

 

「あ」

 

 疲れ切った体は反応してくれず、体が傾いていくのを感じていた。

 このまま無様に土をつけるのが相応しい気もしたがそれを許してくれない人物が一人。

 

「大丈夫か」

 

 キングヘイローを抱き留めたのは不動遊星だった。

 慣れない異性の匂いにドキンと胸が高鳴る。

 鍛え上げられた肉体ががっちりと少女の体を受け止め、そのまま抱き上げた。

 

「ひゃ」

「ケガをしているかもしれない、下手に動かさない方がいい」

「……」

 

 なぜかサイレンススズカからじっとりとした視線を受けつつ、コースの端へ。

 尻尾の先まで固まった状態でゆっくりと降ろされた。

 出迎えたのは準備万端といった具合のジャックだ。

 

 まず一番に頭からタオルをかけてくれたことがキングヘイローにとって何よりも嬉しかった。

 半泣きの顔を見られるなんて何が何でも嫌だったから。

 そんな少女のことを知ってか知らずか手早くシューズと靴下を脱がせてアイシングと、ケアを施しながら異常がないかチェックを進めていく。

 

「……大事ない、どうせ負けて気が抜けたのだろう」

「うぐっ」

 

 その通りとしか言えない診断にうなだれる。

 良いところなしだと落ち込む姿はまさに子供のようで、自己嫌悪のループが止まらない。

 そんなキングヘイローに顔を上げさせたのはもちろん彼からの言葉だった。

 

「これが貴様の現在地だ。

 勝負勘はシニア級にも通用したが身体能力で劣る、ならばやることは明白だ」

「……そうね」

 

 キングヘイローの瞳に火が灯る。

 己の立ち位置が明白になり、課題が浮き彫りになった。

 目指すべき先が見えた今、うじうじ悩んでいる暇などない。

 

 七月二日、朝。

 キングヘイローVSサイレンススズカ。

 第一戦目、二バ身差でサイレンススズカの勝利。

 

 ここが彼女の現在地。

 

 

 




ちなみにサイレンススズカはこの裏で遊星とお話中。
年下がどうにか必死で作った差をスペックの高さで捻じ伏せておいて、ちょっと危なかったから次は最初から本気出しますと負けず嫌いを発揮させているとか。
こいつ修羅か何かかな?
脳髄にターフ生えてそう。

次回、『何を隠そう、俺はダンスの達人だー!』にアクセラレーション!
 
 
以下蛇足です。
感想欄にて遊星とジャックの知名度ってどんなもの?という質問があったのでここでも答えておきます。

学園に顔を出した当初ならばテレビで見たことある!と騒ぎになったかもしれませんがジャックが現れて1年、遊星が現れて2年が経っています。
彼らにとってはもう遊星とジャックがいるのが当たり前です。
もちろん中には正しくそのすごさを認識している人がいますが、そういう人は「だからと言ってウマ娘でそれが通用すると思われても困る!」みたいに感じてます。
そんな状況でキングヘイローを使い潰すような特訓をしたジャックは相応にヘイトを買ってます。

スペ:田舎娘ゆえの無知。ふぁじーん。一身上の都合により遊星は好きじゃない。
グラス、エル:生まれと育ちが海外勢。日本のデュエリストチャンプ?ふーん。
セイ:他トレーナーと似た感じ。割とどうでもいい。

だいたいこんな感じです。
 
 


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クラシック級/7月後半:ダンスレッスン

 
 
チームランクがAになったので投稿です。
 


 

 

「あ、スぺちゃん」

「スズカさん!」

 

 それは夕食の時間。

 スペシャルウィークとサイレンススズカがそれぞれトレーに今夜の料理を載せて再会した。

 実に三週間ぶりである。

 ルームメイトの二人にとって長いと感じるには充分の空白期間だった。

 

 七月の午前中はクラス合同練習*1が執り行われ、午後は個人・チーム練習が一日の流れ。

 そして本来同じチーム同士である二人は午後に顔を合わせてもおかしくないはずだったのだが唐突にチーム練習から抜けることが決まったのだという。

 八月からは丸一日を好きな練習につぎ込めるようになる。

 そうなれば午前中はチーム練習に合流するとは聞いていた。

 

 それを前にまさかの再会だ。

 テンションの上がったスペシャルウィークは友人たちに一声かけてサイレンススズカとご一緒することに。

 ルンルン気分で食事を始めたスペシャルウィークをサイレンススズカも嬉しそうに眺めている。

 

「スペちゃんも元気そうでよかったわ」

「はい!」

 

 そこで食事の手を止め、スペシャルウィークは匙の先をカチリと噛んだ。

 行儀が悪いと叱りつけるキングヘイローの姿はない。

 

「スズカさんはキングちゃんと練習してるんですよね」

「ええ、すごい子よ。スペちゃんのお友達は」

「はい! それで、ご飯は一緒じゃないんですか?」

「今日は先約があるみたい、お友達とディナーですって。

 それでエアグルーヴもタイキも見当たらないし、独りでいいかなって」

 

 その言葉にテーブルの陰でガッツポーズのスペシャルウィーク。

 オーシャンビューの夕焼けの中、スズカ先輩が不動サブトレーナーと二人っきりで食事。

 なんて恐ろしい字面だろうと夜も眠れない日々が続いていたスペシャルウィーク*2にとって先ほどの言葉は最悪の事態が訪れていない証拠だった。

 彼と食事を取るのが当たり前ですが?みたいな言動をされたらさすがのスペシャルウィークも戦争を辞さない構えである。

 

 ちょっとイケメンで声がよくて人格も優れてるくらいで……ついでにトレーナーとしても優れてて格好良くて優しくて強くてニンジンケーキもくれるからって私の大切な先輩は譲りませんとも!

 

「ちなみに不動サブトレーナーは?」

「キングちゃんのトレーナーとご一緒よ」

「むぅ」

 

 どこか寂しそうに笑われてしまえば唸るほかない。

 スズカさんを悲しませるなんて!という感情と、もうずっとそのトレーナーさんと一緒にいて!という感情が綯交(ないま)ぜになる。

 この感情をどう伝えるのがいいのかと唸るスペシャルウィークを見てクスクスと笑った。

 

「おかげでスペちゃんとご飯を食べられたわね」

「―――はい!」

 

 元気よく返事をしてホクホクの表情でご飯へと取り掛かる。

 山のように積まれたご飯を切り崩していく妹とそれを微笑ましく見つめる姉。

 そんな素敵な食事時間はあっという間にすぎてしまうが、別れがたいと思った二人は次の憩いの場を求めた。

 

「そうだ、八月になったらスペちゃんと行きたいと思ってた場所があるの」

 

 サイレンススズカに名案が浮かぶ。

 去年友人たちと過ごしたカフェがこの時間はまだ開いているというのだ。

 もちろんスペシャルウィークはその提案に飛びついた。

 

 田舎なので日が落ちてしまうとどうしても娯楽の少ない合宿所近辺。

 その中で夜遅くまで営業するこのカフェは連日盛況な様子で、今日もウマ娘の姿が多い。

 

 と言ってもきゃいきゃいと騒げる彼女らはタフな部類だ。

 夏合宿の厳しさにこの時間から倒れ込んでいるウマ娘も少なくはない。

 厳しい鍛錬の後に待つたっぷりの食事を終えて「じゃあお茶でも」と言えるようになるのに普通はひと月以上かかるものなのだ。

 よく見れば慣れのあるシニア級ばかりなのが分かるだろう。

 その中で平然と参加しているクラシック級ウマ娘のスペシャルウィークは少々注目の的である。

 

「ハイソ*3だべー!」

 

 そんなことは露知らず、落ち着きのあるお洒落なカフェに興奮気味なスペシャルウィークだ。

 まるでここにいるだけで大人になった気分である。

 おそろいで注文したダージリンの香りと味と、何より雰囲気に酔いしれつつ、互いのお喋りは止まらない。

 自然と二人はお互いの合宿生活について語り合っていた。

 

「私ね、キングちゃんと訓練するようになってまず思ったのがスペちゃんはすごいなってこと」

「私がですか?」

「……ええ、そうよ」

 

 この子、自覚ないんだ。

 そんな乾いた笑いがあったものの、それすら気付けずにお茶請けのニンジンクッキーを片手に首をかしげるスペシャルウィーク。

 

「キングちゃんってすごく強いの、たぶん私が貴方たちと同じ年の頃よりもずっと強い」

「はい、キングちゃんはすごいんですよ!」

「でもそんなキングちゃんに勝ったスペちゃんはもっとすごいわ」

「え、あ、はひ……」

 

 とろけるような笑みにスペシャルウィークはクッキーをもそもそ齧るしかない。

 そう、サイレンススズカはキングヘイローを通してスペシャルウィークの実力を見ていた。

 チーム合同練習からでは察することのできなかった彼女の底力は己に通ずるほどであると今では正しく理解できている。

 だからこそ、近い将来のライバルとしてではなく、ルームメイトとして警告をするのだ。

 

「気を付けてね。彼女、私と訓練を始めてから数段力をつけてるわ」

「はい、午前中の練習でクラスのみんなが感じてます。キングちゃんが何か変わり始めてるって」

「私、キングちゃんとの訓練は手を抜けないけれど、心の中ではスペちゃんを応援するって決めてるから」

「はい! ご期待に沿えるよう頑張ります!」

 

 意気軒高。

 えいえいむん!とでも言いたげな表情のスペシャルウィークは何とも可愛らしい。

 愛しい妹のような存在を前にサイレンススズカはニコリと笑みを浮かべる。

 幸せを絵に描いたような時間は閉店間際まで続いた。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「ではダンスレッスンを始める」

 

 壁の一面すべてが大鏡で作られたレッスン場にいるのはわずか五名。

 スピカのトレーナーとサブトレーナー(不動遊星)、そして本日のダンストレーナー、ジャック・アトラス。

 レッスンを受ける側のウマ娘はサイレンススズカとキングヘイローの二名だ。

 合同訓練の報酬という面もあり、まずはサイレンススズカが個人レッスンを受けることとなった。

 自然と一人鏡の前に立つサイレンススズカを皆が見守る形になる。

 

「本当にどうにかなんのかね」

「あいつは一流を知る男です、任せてみましょう」

 

 ぼやくスピカのトレーナーは未だ半信半疑といった様子。

 今回のダンスレッスンに参加しているのもそのせいだろう。

 対して話を持ち込んだ遊星はいつもの真顔。

 心配している様子はない。

 

「菊花賞の課題曲は『winning the soul』、どうせだからこれで見てやろう。

 まさか忘れたなどとは言うまいな」

「大丈夫です」

 

 まずはやってみろ。

 そんなジャックの指導にもすっかり慣れたサイレンススズカは文句も言わずに体勢を取る。

 だらりと両腕を下げ、閉じた瞳は自信満々の表情。

 すでに“入って”いる。

 

 それを見てジャックが頷けば、遊星が曲をかける。

 もちろんBGMは『winning the soul』。

 電子音が激しく響く。

 サイレンススズカの足がリズムを取り、左拳を突き上げた瞬間、ジャックがカードを投げて曲を止めた。

 

「カードってキーボードに突き刺さるものだったかしら?」

 

 キングヘイローの疑問は無視された。

 サイレンススズカはセンターの振り付けじゃまずかっただろうかと見渡すばかり。

 スピカトレーナーはカードナンデ!? カード怖い! 恐慌状態だ。

 平然としているのは遊星だけ。

 投擲されたカードを投げ返す余裕さえある。

 曲を止めたジャックはというと怒り心頭といった様子でカードを受け取った。

 

「歌声を聴くまでもない。貴様、俺を甘く見ているな」

「そ、そんなことは」

「もうよい、下がれ」

 

 有無を言わさず、ジャックが鏡の前へ。

 静かにポーズを取った彼を見て遊星が頭から曲を流す。

 何がいけなかったのか、未だ整理のつかないサイレンススズカは突き上げられた拳を見て驚いた。

 まるで衝撃波でも走ったかのように全身が震え、頬が火照る。

 

 全然違う!

 

 ダンスは止まることなく続き、彼は架空のスタンドを掴んだ。

 瞬間、叩きつけられる美声。

 体が大きい男性の歌声はウマ娘のそれとは全くの別物。

 あまりの衝撃にAメロが終わるまで意識が飛んでいたような気さえした。

 なんという熱量、なんというエネルギーか。

 幾度となくライブ会場で歌ってきたサイレンススズカは観客の姿さえ幻視した。

 

 アトラス様ぁー! 素敵ですー!

 きゃー! ジャックー!

 もー! ジャックは私とうまぴょいするんだからーっ!

 

 なぜか秘書風の美女、ウェイトレス姿の美女、瓶底メガネの女性の姿とかやけに具体的な幻視というか幻聴もしたがこれは見なかったことにしてもいいだろう。

 結局気持ちの整理もつかぬままサビが終わり、そこでジャックのダンスも止まる。

 圧倒的な力量の違いがそこにあった。

 

「分かったか、これが俺と貴様の違いだ!」

「……あなたが凄いのは分かったけれど、違いまでは」

「だから貴様はダメなのだ!」

 

 無茶苦茶である。

 違いが分からなければダメだと言われても、分からないから教えてほしいの。

 そう言いたげなサイレンススズカにジャックはもう一度ダメ出しをする。

 

「優等生の皮を被った堕落の使途め!」

「滅茶苦茶言いやがる」

 

 思わずスピカトレーナーがぼやくも、付き合いの長い遊星とキングヘイローにはジャックの言いたいことが何となく理解できていた。

 

「スズカ、ジャックのダンスはどうだった」

「どうって、凄かったとしか」

「他に何か気付かなかったか?」

「気付く……」

 

 しつこく言われて、先ほどのダンスの中に何かしらヒントがあったのだろうと思い返してみる。

 あまりの衝撃にもはやうろ覚えだがいくつか違和感があった。

 

「……そう、ダンスにアレンジが加えてあったわ」

 

 よくよく考えてみると細かいところは大分違ったようにも思える。

 『winning the soul』は随所に女性っぽい動きが取り入れられ、激しい曲調に埋もれない女性らしい強さが表現されていた。

 しかし先ほどのダンスにそのような印象は微塵もなく、終始格好良いが渋滞していた。

 まるで男性のために用意された男性のためのダンスのようだった。

 

「そう、本来複数人で行われるダンスとは一体感が求められるもの。

 だがウイニングライブに求められるのは圧倒的個性だ!

 ファンにとってレースとライブは紐づいている。

 ライブを見ればそのレースを思い出し、レースを見ればライブを思い出す。

 そういうものでなければならない!」

 

 先ほどのアレンジは彼の個性ということなのだろう。

 センターサイドであれをやられればやりすぎと言えるかもしれないが、彼の振り付けはセンターのもの。

 つまりあれは彼のためのウイニングライブだったと思えば、あれこそが彼の表現したい世界なのだと誰もが受け入れざるを得ない。

 サイレンススズカにはそういった芯がなかったのだ。

 

「貴様はレッスン通り、教科書通り踊ることしか考えておらん。

 レースが求道ならばダンスも求道、それも構わんが見てくれているファンのことまで忘れては話にならんぞ。

 貴様のダンスではせいぜいバックダンサーが似合いだ」

 

 ここまで言われればさすがに分かる。

 今日踊ろうと思った時にサイレンススズカは観客(トレーナー)たちのことをチラとでも考えただろうか。

 答えは否だ。

 正しいダンスの手順しか頭になかった。

 俺のことを甘く見ていると彼は曲を止めたが、その通りだった。

 

 今まで、正しいダンスは綺麗だから、綺麗なダンスをファンは見たいと思っていた。

 だがそうではない。

 ファンは綺麗なダンスを踊るサイレンススズカが見たいのだ。

 

「応援してくれるファンにどんな自分を見せたい?

 貴様が考えるべきことはそれだけだ。

 センターで踊るということはそういうことだと魂に刻んでおけ!」

「はい!」

 

 究極な話、ダンスをベーシックのまま踊ることが答えならばそれでもいい。

 これが一番好きだ、これが一番私に合っている。だからどう、これを踊る私は綺麗でしょ?

 心からそう言えるものであれば何も問題などないのだ。

 

 強い想いはウマ娘を輝かせる。

 自信を以て繰り出されるダンスは彼女から一等の輝きを引き出すことだろう。

 

「己と向き合うのは得意分野だろう、貴様はしばらく隅で頭でも冷やすんだな。

 キングヘイロー、来い」

「ふふん、見てなさい!」

 

 入れ替わるように前に出たのはキングヘイローだ。

 すでに二度ライブ会場で踊っている彼女だが今度こそはセンターで踊ってみせると意気軒高の様子。

 

「……どうやら杞憂みたいだったな、俺はチーム指導の方に戻るわ」

「はい」

 

 基本通りに踊るキングヘイローをしり目にスピカトレーナーは部屋を出ていく。

 それから数日後、サイレンススズカのダンスは目を見張るほどの変化を遂げ、チームスピカに激震を走らせることになる。

 主に「お前、うまぴょいしたのか? ゴルシちゃん以外のサブトレと……」と聞いたゴールドシップのせいだが、その話はまたいつかの機会にしよう。

 

 

 

*1
授業の代替え。これを拒否して個人練習すると出席日数が減る。八月以降は夏休みの扱い。

*2
なおスペシャルウィークの平均睡眠時間は九時間。眠れない日々とはいったい……。

*3
ハイソサエティ(セレブな雰囲気)のこと。ハイソックスではない。もちろんイケてるチャンネーの影響。




スペ「あげません!」

スズカ先輩を奪われたくないのか、スズカ先輩に奪われたくないのか。
乙女心は複雑です。
一言で表すと思春期です。

ちなみにジャックはバーニングソウルを漲らせながら踊りました。
万能調味料バーニングソウル。最強の地縛神も美味しくいただける。
ただし右手は燃える。


次回、『月のワルツ』にアクセラレーション!
 
 


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クラシック級/8月前半:友との語らい

 
深刻なゴルシウィークロスなので投稿です。
あのログインのたびに564個の石くれた美少女はどこ……ここ?
 
 


 

  

「違う、考えるんじゃない。感じるんだ」

 

 そう遊星は言う。

 レース展開を考えることは間違いじゃない。

 しかしここ一番では頭でごちゃごちゃと考えていても間に合わない。

 直感の判断で動き出さなければ負ける瞬間というものがある。

 

 キングヘイローにも経験がある。

 思えば先の日本ダービーでもエルコンドルパサーは瞬時の判断でグラスワンダーとセイウンスカイの頭を取っている。

 あれがなければキングヘイローは二着だったはずだ。

 あの加速のタイミングは天才的としか表現を許さない神懸かった差しだった。

 とても考えて出せるものではない。

 

 だから彼の言いたいことは分かる。

 分かるが、できるかどうかは別問題だった。

 

「くっ!」

「もっと風を感じろ!」

 

 忠告を聞きながら砂浜ダッシュ。

 考えるなと言われても雑に走っていては砂に足を取られもつれそうになる。

 なんせ本日も朝からウマ娘たちの走り込みに使われてきた砂浜だ。

 その凹凸は普通に歩くだけで転びそうになるほど荒々しい。

 並走するサイレンススズカと当たらないように距離を保つにも思考が割かれる。

 

 カラーコーンが見えてきた。折り返し地点だ。

 キングヘイローは自然と切り返しの姿勢とタイミングを考えてしまう。

 とても風を感じている暇はない。

 正確には肌に当たる潮風をビシビシと感じているが、そこに何かを見い出す余裕はない。

 

 シャトルランのように折り返し、加速。

 砂が大きく舞い上がる。

 

 力が無駄に入ってる、立ち上がりの姿勢が悪い! もう! なんて無様!

 

 それに比べてサイレンススズカの姿勢は本当に綺麗だった。

 キングヘイローは不出来な自分ばかりが目について矯正を考えてしまう。

 

「……頭が良すぎるのも考え物だな」

「キングヘイローは視野も広い、見えすぎているくらいだ」

 

 トレーナー二人はそれぞれストップウォッチを片手に会話する。

 もちろん悪いことではない。

 最速の機能美とさえ言われるサイレンススズカを追い続けたこのひと月でキングヘイローの姿勢は格段に速いものへと変わっている。

 それは絶えず考え続け、観察し続けたからだ。

 だが長い時間をかけて矯正してきたものではないため、意識していないと途端に姿勢が崩れてしまう。

 それがキングヘイローを苦しめていた。

 

「ラスト一本!」

 

 走り切り、呼吸を整えていた二人が指示と同時に走り出す。

 この日の練習は日が沈むより早く終えられた。

 

 終了前に行ったレースは以下の通り。

 八月十日、夕。

 キングヘイローVSサイレンススズカ。

 第十五戦目、五バ身差でサイレンススズカの勝利。

 

 驚異の十五連勝だった。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「……」

 

 キングヘイローは夕食の後、日の沈み往く海を前にして座禅を組んでいた。

 この場所は火曜のスリルなショックでサスペンスな劇場とかで犯人が追い詰められていそうな海岸だ。

 波打つ音と潮風が強く吹き付ける、とても精神統一には向かない場所を彼女は好んでいる。

 何故ならばここには人が来ないからだ。

 

 数多くのウマ娘がこの地域一帯には詰めかけている。

 日が沈むまであちこちで走り込むウマ娘の姿が見えることだろう。

 だがこの岩場は鍛錬には向かず、落ちたら死んでしまうであろう場所だ。

 好き好んでこの辺りで鍛錬をしようというのは、今のところキングヘイローだけだった。

 

 岩場の中でも平べったいところにシートを敷き、そこで足を組んでいる。

 両手は膝辺り、背筋はピンと伸びて髪の毛は一つにまとめ上げられていた。

 

 キングヘイローはこの数日、日が落ちるまでの僅かな時間をこうして過ごしている。

 胸の中にあるのは様々な感情。

 認められたい。強くなりたい。負けたくない。いいや、スズカ先輩に勝ちたい!

 そう言った想いと一つ一つ向かい合う。

 

 実はこれもジャックと遊星からのアドバイスだ。

 まずは己を知ることが肝要だと、その手段として瞑想が適していると聞いた。

 そして風の向こう側にこそ答えはある、とも。

 そう言われたからキングヘイローはこうして風の中にいた。

 

「……―――ドローッ!」

 

 唐突、風を切るような腕の振りが行われた。

 左腕にデッキはなく、その手に何が引き込まれたわけでもない。

 だがキングヘイローにはこの手札ではないという確信があった。

 

「不甲斐ないわね。それにキングらしからぬ姿を晒してしまったわ。

 笑わないでちょうだいね、セイウンスカイさん」

「あちゃ、ばれてたか」

 

 声をかけた先、崖になっているような場所からひょっこり現れたのはセイウンスカイ。

 手にはやたら長い竹竿があった。

 そう、ここで訓練する人はいないが釣り人にとっては絶好のシチュエーション。

 ウマ娘の中でも釣り好きを自称する珍しい人種がここにいるのは何の不思議もない。

 

「シーバス釣りに来てキングが釣れるのは想定外だったよ」

「どっちかと言えば釣れたのは貴方の方ではなくて? ……竹竿でバスって釣れるのかしら?」

「竿よかルアーだね、欲しいのは」

 

 言いながら見せてくるのは木を削り出して作られたルアーだった。

 パッと見た感じで市販品ではないのが伺える。

 

「貴方もしかして手作り?」

「そ、針以外全部現地調達。こんないい場所があるとは思ってなかったからさ、失敗しちゃったよ。

 来年は陸釣り一式持ってくる」

 

 どうやら持ってきたのは一握りほどの発泡スチロールに刺さっている釣り針だけらしい。

 むしろどうしてそれだけ持ってきたのだろうか。

 キングヘイローの疑問を読み取ったのかセイウンスカイはヘラヘラ笑いながら答えてくれた。

 

「だって針とナイフさえあれば大抵はこうやって現地調達できるんだもん」

「貴方、ウマ娘というより釣り娘の方がお似合いじゃない?」

「将来はそれで食ってくかなー。テレビとか出ちゃってさ、釣り番組持てたら最高かなー」

 

 需要はありそう、でも数回で逃げ出しそうというのがキングヘイローの率直な感想である。

 果たして複数回持つのだろうか。

 結局、今のように勝手気まま、独りで釣り糸を垂らしていそうだ。

 どこか彼女にはそんなイメージがあった。

 

 真面目に検討するなら定点カメラで釣ってる光景を映してるだけの長時間実況とか?

 なんて考え始める辺り、もう瞑想には戻れそうにない。

 ちなみにセイウンスカイが視聴者のこと忘れて釣りしてるだけの動画の需要なら絶対ある。見たい。

 

「っていうかルアーって手作りするものなの?」

「自分で作ったルアーでかかると最高だよ、初回は割とガチで感動する」

「ふぅん?」

「おー、キングも興味出てきた?」

「虫とかいるじゃない、絶対イヤ」

「キング、海釣りはイソメ釣りが最強だよ」

「イーヤー!」

 

 イソメの画像を見せつけられる前に立ち上がって撤収の準備だ。

 セイウンスカイが上がってきたということはそろそろ日が沈んで辺り一帯が暗くなることだろう。

 足元が見えなくなる前に戻らなければ危険だ。

 崖から落ちれば岩肌と波で簡単にミキサー体験ができてしまう。

 そうでなくても岩の段差や隙間に足を取られ、転んで骨折や足を痛めてしまえば一大事だ。

 

 ちゃちゃっと撤退の準備は整い、二人並んで歩き始める。

 どちらが言い出したことでもないが、何となくそうなった。

 

「今日何食べたー?」

「夕食ならニンジンラーメンセットとグレープジュースよ」

「ああ、あれ美味しいけどさ、凄い食べ合わせだね。

 ここのだったらニンジンカレー甘くて好きだな」

「エルコンドルパサーさんは辛くない!って怒ってたわね」

「あれさ、匙を差し出したらパクつくの可愛かったよねー」

「あら、エルコンドルパサーさんはいつだって可愛いじゃない」

 

 とりとめのない会話はどこまでも続き、気が付けば海岸地帯から抜けて辺りは砂浜に。

 太陽もとっくに沈んでお空には月がぽっかり浮いていた。

 でも目が慣れてきたら月の他に数えきれないほどの星々に気付ける。

 

「ここは星が多いわね」

「んー、晴れてると最高だねこりゃ」

 

 さざ波の音がなければ星々に抱かれているような感覚に陥っていただろう。

 それほどの星の瞬きがここにはあった。

 夜の海は驚くほどに暗い。

 だからこそ空の明るさは目に染みるほどだ。

 

「ねぇ、キング」

「何かしら?」

「皐月賞も日本ダービーも惜しかったね」

「皐月賞を取った貴方に言われたくないわよ!」

「たはは、こりゃ失敬。でも本当にギリギリだったよ。

 日本ダービーじゃとうとう惨敗、黄金世代で最下位だもん」

 

 不意に真面目な話が来たがお互い軽い調子で会話は続く。

 きっとその方がいいだろうとキングヘイローは思ったし、セイウンスカイもその気遣いに心の内で感謝していた。

 

「ステイヤーな私にとっては次の菊花賞が本命なんだけどさ。

 血気迫る表情で日に日に強くなってく皆を見てるとなんだか申し訳ないなーなんて思うわけですよ。

 特にスペちゃんとキングの二人ね、なんかもうプレッシャーが凄いじゃん」

「そ」

「そ、ってつれないなぁ」

 

 舐めるな!と叱られるか内心構えていたのに、想定外の反応でちょっと物足りない。

 そんなセイウンスカイの想いを髪の毛と一緒に払うのがキングヘイローだ。

 まとめてあった髪が解け、ふぁさ~と美しいウェーブが星空の中を舞う。

 

「ふん、誰が相手でも私は私の全力を出すだけ。

 セイウンスカイさんが手を抜いたって知っちゃこっちゃないわ。

 ただ後になってあの時は手を抜いてただけなんて言い訳したらぶっ飛ばすわよ!」

「うわー、怖い怖い」

 

 口ではそういうがセイウンスカイは何故か肩の荷を降ろせたような気分になっていた。

 自分の得意距離で決着をつけることにどこか後ろめたさがあったのだろう。

 

 だが隣にいる不屈の王は言うのだ。

 知ったことではないと。

 例えどんな距離だろうと全力を尽くすのだと。

 セイウンスカイはそこに一流の姿を垣間見た気がした。

 

「長距離を理由に貴方が手を抜くのなら普通に勝つだけ。

 本気を出してかかってくるのなら、その上で私が勝つだけよ。簡単な話じゃない?」

「もしも私が手を抜いて勝っちゃったら?」

「中距離でサイレンススズカ先輩に勝てるならその仮定を考えてあげてもいいわ」

「なにその無茶振り」

「うるさいわね、キングの今の目標よ!」

「あはは、なにそれ!」

 

 安心して思わず笑いだしてしまう。

 セイウンスカイの感じる後ろめたさなど杞憂だったのだ。

 距離で区分されている以上、それぞれ得意の距離は違って当然。

 そこを気に病むのがそもそも間違いなのであって、ただレース毎に全力を尽くせばいいのだと当たり前にいうキングヘイローの強さに甘えたかったのだ。

 さぼりがちで手を抜くことを隠さない変わり者でも、そのままでいいと言ってもらいたかったのだ。

 

 それを自覚するとセイウンスカイは徐々に顔を赤く染めていく。

 夜の帳があることを強く感謝した。

 月明りであれば赤面は見られないだろうと、あえて大きく笑った。

 笑って月を見上げた。

 

「うん、キングが友達でよかった」

 

 そしてそんなキングが相手だから私は本気で戦えるんだ。

 

「な、何よいきなり」

 

 逆にうろたえ始めるキングヘイローを見てセイウンスカイにもいつもの笑顔が戻ってくる。

 人をからかう時によくやるあの笑みだった。

 

「なーんでもなーい」

「ちょっと! からかってるのかしら!」

「きゃー、キングが怒ったー!」

「すぐ逃げるんじゃないの! もー!」

「牛だー、お牛様が出たぞー!」

「こうなったら絶対に許さないんだから!」

 

 合宿所まではしゃぎ合う二人の姿はバカップルのようだったとクラスで噂になったという。

 

 




苦戦続きのキングヘイロー。
これでもまだ心が折れないのは友がいてくれたから。
そんな彼女の友もまた、キングヘイローに救われているのです。

次回はそんな支えてくれる友人たちとのお話です。


次回、『地獄のコールに付き合う覚悟はあるか……?』にアクセラレーション!
 
 


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クラシック級/8月後半:Call me KING

 
誤字報告いつもありがとうございます。
助かってます。
単発で飛ぶ方のマックイーン引いたので投稿です。
 
 


「今年はやっぱりサイレンススズカだろ」

「いやいや、今年はなんといっても黄金世代だね。クラシックの話題を独占してるのは伊達じゃないよ!」

「確かに黄金世代も捨てがたいが俺はやっぱりメジロ家の秘蔵っ子が気になるね」

「あら、ジュニア級ならテイオーで決まりじゃない」

 

 ガヤガヤといつも以上に騒がしい海岸。

 ベルトパーテーションで仕切られた向こう側には記者やウマ娘ファンが詰めかけていた。

 今日から三日間はトレセン学園で貸し切りとなっている海岸の一部が解放され、撮影などが解禁される。

 合宿の間で取材が行われるのもこの三日間だけとあり、記者たちも真夏の熱気に負けない熱意で詰めかけていた。

 

 下世話な話をすれば美少女たちの水着姿が撮り放題ということもあって熱心なファンやそうでない者も駆けつけて、毎年大盛り上がりを見せている。

 その盛り上がりっぷりは臨時の屋台が出されるほどだ。

 いつしか夏祭りもこの三日間にかぶせて行われるようになり、今年も盛況な様子だった。

 今夜はきっと綺麗な花火が打ち上げられることだろう。

 

「絶対今年こそはジャックに取材を取り付けちゃうんだから!」

「そう言えばトゥインクルさん家はどこ狙いだっけ」

「ああ、あの名物記者ね、そういや最近見ないな」

「見た目だけなら美人なんだけどなぁ」

「嫁には欲しくないタイプだよな」

「ひどーい、乙名史さんに言っちゃおー」

「じゃお前乙名史が美男子だったら夫に欲しいか?」

「記者たる者として“たられば”には興味ないわね」

 

 記者たちがこうしてワイワイしていられるのも近くに取材対象が来ないためだ。

 張る場所を変えるか否か、その判断にこそ取材者の手腕が問われるというもの。

 そしてそんな彼らの耳に少女の声が飛び込んできた。

 

「菊花賞で栄光を掴む! そのウマ娘の名前はー?」

「「「キングヘイローッ!!」」」

「おーっほっほっほ! そう、私の名前こそ、キングヘイローよー!!」

 

 わざわざ声の届く距離、それもカメラの射線が空いた場所での騒ぎだ。

 涙ぐましくも露骨なアピールである。

 彼らは礼儀とばかりに一枚だけ写真に収める。

 無駄に写真写りが良い。

 苦笑が漏れる中、記者のウマ娘がキングヘイローとその取り巻きの会話を聞き取った。

 

「あの、トレーニングしなくていいんです?」

「あー! ダメダメ! へっぽこポニーちゃん! そこはキング最高ーっ!って言わないと」

「キング最高ー!」

「良くってよ!」

 

 ダメである。

 思わず記者のウマ娘もあきれ顔だ。

 

「あれが噂のご令嬢ね」

「金持ちって話だけどやりたい放題だな」

「いわゆる親の七光りって奴でしょ、マジであの子の親凄いんだから。

 私の現役時代だともう現役卒業してたけど生きる伝説みたいな扱いだったんだよ」

「現役て、デビューしてすぐ沈んでったろ」

「うっさいわね、タマ蹴り潰すわよ」

「「「怖っ」」」

 

 ともあれ涙ぐましい努力も評価には至っていない。

 むしろデビュー前の後輩を無理矢理言うことを聞かせているようにしか見えなかった。

 真実は後輩たちによる善意100%の応援なのだがそれを知るのは内部関係者ばかりだった。

 その時、逆側の方から歓声とシャッター音が響き渡る。

 

「おおおー! スペとウンスだ!」

「ラッキー!」

 

 スペとウンス、この場にいる誰もがその愛称で理解した。

 理解してカメラをその方向へ向けた。

 カメラの先にいたのはスペシャルウィークとセイウンスカイ。

 言わずもがな、皐月ウマ娘とダービーウマ娘のコンビである。

 気のせいか彼女たちがキラキラと輝いて見えた。

 

「はぁっ、はぁっ……! いたいたーっ、セイちゃーん!」

「……ややー、スペちゃんじゃないですか。そんなに急いで何かお困り~?

 ちなみに今日の釣りのベスポジは海岸裏の岩場がですねー」

 

 セイウンスカイはどうやらこの先にある出店に用があるらしく、財布をお手玉にして歩いていた。

 キングヘイローのように取材待ち待機しているわけではないのでここで取材を持ちかけても無駄だろうことは想像に安い。

 そんな彼女に何を言うのか、スペシャルウィークへ俄かに視線が集まる。

 

「ううん、今日は釣りじゃなくて、併走をお願いしたいんだ!

 私、皐月賞で見たセイちゃんの走りが忘れられなくて!」

 

 ストレートすぎる要求にセイウンスカイがたじろぐ。というか眩しさにやられている。

 放っておけば浄化されてしまいそうだった。

 

「ううーん、これは直球。さすが主人公娘。さすスペ。

 でも残念でした! 手の内見せないのがおさぼりウマ娘のポリシーなんでっ!」

 

 言うや否やぴゅーっと駆け出すセイウンスカイ。

 それは砂場であることを忘れさせる見事な走りだった。

 記者たちのフラッシュを焚く手も止まらない。

 

「わっ、速い……! でも私だって!」

 

 多少の出遅れなど気にしないとばかりにスペシャルウィークが後を追う。

 再度焚かれるフラッシュ。

 捕まえるだけならばスペシャルウィークの方が断然に有利。

 すぐに捕まるだろうと誰もが思ったがセイウンスカイの逃げは想像のそれより長続きした。

 その事実に唸る記者たち。

 

「セイウンスカイ、仕上がってきてるなぁ」

「うーん、俺はやっぱりスペシャルウィークのまっすぐさが好きだな。

 彼女の背景を考えると、まだまっすぐでいてくれる事実に涙出そう。周りに愛されてきたんだなぁって」

「それにセイウンスカイをライバル視してるってのもストーリー性あって今日も飯が美味い」

「華もあるし、記事にしやすくて助かるわー」

 

 そんな風にして盛り上がる記者たちを遠くから見つめるキングヘイローがいた。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「たった一度の走りであの二人は名前すらも呼ばれるのね……」

「貴様も名前で呼ばれたいのか?」

 

 木陰から声をかけたのはキングヘイローのトレーナー、ジャック・アトラスだった。

 タンクトップ姿で涼んでいる姿は無駄にウマ娘たちの視線を引き寄せている。

 だが注目されるのに慣れきっている二人はそんな些細なことは気にしない。

 

「ええ、だって私には“キングヘイロー”という名があるのよ。

 “誰かのご令嬢”だとか私には不必要な呼び方……そう思わない?」

 

 不遜ではなく不必要。

 その言葉が彼女の生き様を物語っている。

 期待した返答はなかった。

 ただ、外から彼女を呼ぶ声がする。

 

「キングさーん!」

「カワカミさん!? どうしてここに!」

 

 現れたのは栗毛色の少女、カワカミプリンセス。

 取り巻きのメンバーと楽しそうに会話しているのを散見するデビュー前のウマ娘だ。

 実はキングヘイローのファンを公言しており、もはや取り巻き控えメンバーと言っても過言ではない。

 実際、前のダービーではキングヘイロー直々にライブチケットを配られた一人でもある。

 

「どうしてってわたくしだってトレセン学園の生徒ですもの、合宿に来てもおかしくないはずですわ」

「んもう、そうじゃなくて! だからこそ貴方は真面目にトレーニングを」

「はい! なので! キングさんと一緒にトレーニングをしようかと!」

 

 元気いっぱいに言い返されてしまえば絶句する他ない。

 キングヘイローも自覚しているがどう見たってこれはトレーニングではない。

 そこに参加したいというのだろうか。

 それとも逆にトレーニングへ連れ出そうと?

 

 混乱するキングヘイローにカワカミプリンセスは畳みかける。

 

「うふふっ、わたくし先ほど聞きましたの! 貴方が菊花賞を制するという宣言を!

 わたくし、自ら勝利できると自信満々なお強い方とトレーニングしたいですわ!」

「……ちょっと貴方、色々とピュアすぎない?」

 

 ちょっと将来が心配になる子である。

 

「地獄のコールに付き合う覚悟はありますか?」

「大丈夫、恥ずかしいのは最初だけ」

「カワカミちゃんもやろう!」

「ちょっと!? どうしてやらせようとしてるのかしら!?」

 

 取り巻きからのこっちおいで宣言にうろたえるのは他でもないキングヘイローだ。

 ジャックはため息を零して昼寝の態勢に入る。

 休憩時間くらいは好きに過ごせばいいということだろう。

 

「ごくり……地獄のコール、これこそがヒミツの特訓ですのね……!」

「カワカミさん? 貴方つられてツボを買うタイプでしょう?」

 

 カワカミプリンセスはとっくにやる気だ!

 本当に将来が心配になる子である。

 どうしてキングヘイローはこういう不器用な生き方しかできない子に好かれるのか。

 これが分からない。

 ところで話は変わるが類は友を呼ぶという言葉があるのをご存じだろうか。

 

「……まったく、この子たちったら……もー!」

 

 結局そこで折れてしまうからキングヘイローはキングヘイローなのだろう。

 早くツンデレという概念に謝って。

 

「いいわ! そんなに望むのなら私のコールに付き合う権利をあげる!」

「きゃー! キングの権利をあげる発言だわ!」

「これであと十年は戦える」

「キングのお墨付きです」

「やりましたわ! 

 

 これにてめでたくカワカミプリンセスも取り巻きメンバーに加入と相成ったのである。

 

「ところでトレーナーさんは参加しませんの?」

「ダメよ、彼、一度も参加してくれたことないんだから」

 

 タッグを組んで一年と半年。

 それだけの時間があってまだ一度もキングコールに付き合ってくれないジャックである。

 彼の言い分では「やりたいものにやらせればよい!」とのことだった。

 

「シャイな殿方なんですわね」

「正直これやりたがるのは変人だと思う」

「ウソでしょ!?」

「でもキングちゃんが楽しそうだから私これ好き」

「え!?」

「「分かる」」「分かりますわ!」

「ええ……」

 

 意外な事実も判明したところでキングコールは再開された。

 その脇、眠ると決め込んだジャックの側にしゃがみ込むウマ娘が一人。

 

「あの、トレーナーさん。止めなくてもいいんですか?」

 

 サイレンススズカその人だ。

 記者たちから見えないように木の陰から現れた。

 午前中はチーム全体で遠泳を行っていたはずだが、ジャージに着替えているのは万が一にも水着姿を撮られたくないからだろう。

 トレセン学園のスクール水着は色気の感じづらいデザインになっているがボディラインはどうしても出てしまう。

 細すぎる体形がややコンプレックスの彼女には何が何でも撮られるわけにはいかないのだ。

 

「構わん」

「でもどう見たって逆効果じゃ……」

 

 再三に渡ってキングヘイローの名を叫んでいるが誰一人取り合ってくれない。

 この暑さの中で騒ぎ続ければ罵声の一つも飛んでくるだろう。

 そうなる前に辞めさせるのはトレーナーの仕事でもあるはずだ。

 だがジャックは一切動こうとしなかった。

 

「菊花賞が終わるまではキングヘイローのやることに口を出さない。そういう“契約”だ」

「契約、ですか……」

 

 双方が納得してるのならいいですけど。

 そう零して騒いでいる彼女らを見る。

 コールアンドレスポンスはなんとも楽しそうだ。

 記者たちの目がなければ一度くらいは参加してみたいと思う程度には。

 

「……そっか、じゃれ合ってるんだ、あれ」

 

 気分転換やストレス発散に繋がっているのだろう。

 取り巻きたちは半分笑いながら応答し、キングヘイローの高笑いのキレも増すばかりだ。

 そのうち我慢ができなくなってカワカミプリンセスが飛びつき、キングヘイローが砂に埋もれる。

 そうなってしまえばあとはもう取り巻きたちによる抱き着き、倒れ込みが行われた。

 キングヘイロー特大の「もー!」が響き渡る。

 それはサイレンススズカの言うように、まるで子猫たちのじゃれ合いだった。

 

「遊星の奴はどうした」

「あ、そうです。遊星さんは荷物を取ってくるだとかで今日は朝からいません」

「そうだったな」

 

 短すぎる返事も慣れたものだ。

 どうやらジャックはテコでも動く気がないらしい。

 立っているのも何だし、木陰で涼ませてもらおうと彼の隣に座り込み、溜まった熱を散らすように髪をかき上げた。

 それは生暖かい風が潮の匂いと混ざっていくのが分かるような気さえする穏やかな時間だった。

 

「こうなったら反撃よ! みんなでカワカミさんを押さえなさい!」

「ラジャーです!」

「アラホラサッサー!」

「なんだっけそれ?」

「ズルイですわズルイですわ! せめて一人はこっちにくださいまし! キャー!」

 

 波の音に紛れて少女たちのはしゃぐ声がする。

 

「ふふっ、ホントに楽しそう」

 

 僅かな休憩時間は、こうして少女たちのじゃれ合いを見ている内に終わってしまうのである。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「大変だ、明日の分の日焼け止めがなくなりそうなんだった」

「あったよ、日焼け止め!」

「でかした!」

 

 今日も騒がしい合宿所の一部屋。

 ひと月ほど前は連日死んだように突っ伏していた彼女たちも体力がついてきたのか、それとも単純に慣れて効率的に過ごせるようになったのか、最近は消灯時間までキャイキャイはしゃいでいる。

 そのおかげでキングヘイローの独り静かな時間はないに等しくなったが、この騒がしさを歓迎している自分に気付いてからは好きにはしゃがせていた。

 

 それはそれとしていい加減うるさすぎるので静かにさせようかと思ったところでノックの音が部屋に響く。

 開きっぱなしの扉から小首をかしげて顔を覗かせたのはエルコンドルパサーだ。

 少しだけ落ち込んだような視線で呼びかけられ、キングヘイローはため息と共に立ち上がった。

 

「少し風に当たってくるわ」

「セイの次はエルとデート?」

「ひゅー! キングモテモテー!」

「茶化さないの!」

 

 消灯までには戻っておいでよーという軽い言葉を聞きながら二人そろってエントランスへ。

 道中も会話はない。

 エルコンドルパサーはそのままバルコニーまで行ってしまう。

 のんびりと追いかけてみれば数日前と同じような星空が出迎えてくれた。

 

「……」

 

 柵へと手をかけ、エルコンドルパサーはまだ言い辛そうに月を見上げる。

 何か言おうかと思ったキングヘイローだが、無理に場を繋ぐ必要もないと黙って柵に背を預けた。

 さざ波と少女たちの声、そして時折虫の音が聞こえる。

 

 八月も終わりが近く、夜は大分涼しくなった。

 半袖で過ごすには過ごしやすいというよりもはや肌寒いと言えるだろう。

 

 キングヘイローは纏っていた夏用のストールをエルコンドルパサーの胸元にかけた。

 二人で使用するには短いが、くっついていれば暖かい。

 触れ合った肩のぬくもりがあれば充分だ。

 

「ありがとデス」

「やっと喋ったわね」

「……は、はは……そうデスね。だんまりはエルらしくありません!」

「静かになさい、っとにもう」

 

 耳元で叫ぶんじゃないわよとキングヘイローがぼやけば元気な声でエルコンドルパサーが言い返してくる。

 いつもの雰囲気が戻ってきたかと思って顔を覗き込めば真剣な眼差しが月を見上げていた。

 

「エルとグラスは菊花賞を辞退することにしました」

「そ」

「ケ!? それだけデスか!?」

「うっさいわね……何となく予想はしてたのよ」

 

 何を言われるかとドキドキしていれば想定していた話を持ち込まれただけだった。

 むしろ何故そんな程度のことでこれだけ雰囲気を出せるのだろうか。

 心配して損したわ、という言葉をぐっと飲みこんでキングヘイローは言葉を続ける。

 

「どうせジャパンカップでしょう?」

「うう、お見通しデスか……」

「貴方は散々海外進出を口にしていたもの、内心狙ってるのは知ってたわ。

 グラスワンダーさんもそうね、お目当ての相手と戦うには最短距離でしょうし」

 

 そちらに集中したいというのは充分理解できる。

 重賞中の重賞と言っても過言ではないジャパンカップだ。

 そこへクラシック級の二人が参加枠に滑り込んだというだけでも驚きだが、あの二人ならばという思いもある。

 自分たちとの決着を付けずにという不満もあるのだが門出を祝いたいという思いの方が強い。

 

「今グラスワンダーさんは?」

「スペちゃんたちに話してるところデス。

 明日の取材でエルたちはこのことを発表しマスがその前にみんなには伝えたかったんデス!」

 

 だから手分けをして伝えたと、そういうことだろう。

 キングヘイローは華奢な少女の肩口へ頭を預けた。

 

「……そう、寂しくなるわね」

「ごめん」

「いいのよ。それにお別れってわけじゃないもの」

 

 エルコンドルパサーは数年後にも海外進出を果たすだろう。

 いつかは来るであろう別れの時。

 だが今はまだその時ではない。

 

「グラスワンダーさんにはジュニアチャンプの称号を奪われたおっきな借りがある。

 貴方にだって私は勝ち越せてないんだから……」

「デスね! エルは強いので!」

「ふん……だから、決着は菊花賞ではなく他のレースでつけさせてもらうわ」

 

 最も強いウマ娘を決めるクラシック級最大のレースでこそ道は違えたが、これからも走り続ければ何度だって道が交わることだろう。

 その時にまた勝った負けたとはしゃげばいい。

 だからこそ今は祝福の言葉を贈るのだ。

 

「出走おめでとう、お二人の活躍を心から応援してるわ」

「うん、ありがとデス」

「それとね、彼女と一緒に出るのなら、あの子の目を向けさせるのは貴方の役目よ?」

 

 言葉は返ってこなかった。

 ただ片腕でぎゅっと頭を抱きしめられる。

 それが答えだった。

 キングヘイローも軽く抱き返す。

 

「……うーん、ハグってなんだか恥ずかしいデスね」

「貴方が雰囲気を出すからでしょ、おバカ」

「最初にこれ使って雰囲気出したのはキングの方デスよ?」

「文句があるならそのストールを返しなさい!」

「やーデース!」

 

 神妙な空気もそれっきりだ。

 零距離のまま始まる口喧嘩一歩手前の応酬。

 消灯時間になり、先生に呼び出されるまで二人はそうしていた。

 そうやって笑いあっていた。

 

 夏合宿も終わりが近づく、そんなある日の出来事だった。

 

 

 




ロマンチックなシチュエーションになると無駄にムード出したがるお年頃です。
もちろん後日クラスのみんなから散々からかわれることになりました。
私のことは遊びだったんだね!とセイもノリノリ。
スペは半分くらい本気にしました。
その横でグラスはタンポポ茶をキメてました。
そこまで書くと一万字を余裕で突破しそうだったので無情のカット。

さて、伏線回が続いたので次ははっちゃけるぞー。


次回、『ライディングデュエル! 遊星VSジャック!』にアクセラレーション!
 

水曜更新、間に合わなかったらすまん!
 


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クラシック級/9月前半:ライディングデュエル

 
はっちゃけ回です。
この作品読んでるけどデュエル知らないよ!という奇特な人は後半辺りから読み飛ばしてくれても大丈夫です。
サイレンススズカの頭がわっふー!になってしまったので投稿です。
 


 

「俺としたことが! ウマ娘用のメットを用意し忘れた、だと!?」

「フッ、ジャック、こいつを使え」

 

 遊星が一晩で用意してくれました。

 

 というわけで合宿も無事に終わりを迎えた八月三十一日。

 みんなで朝から合宿所や周辺の掃除を済ませ、バスに乗って帰ろうというタイミングで大型バイク二台がやってきた。

 やたら目を引く赤いバイク―――はまだいい。問題はその横にある白い()()()()()である。

 どれほど大型かというと車輪の中に座席があるくらい大きい。

 

 もちろん乗り手は遊星とジャックだ。

 先日遊星が取りに行っていた荷物の正体がこれである。

 調整も済ませてあり、準備は万全といったところだ。

 バスの中や外から視線を掻っ攫っている二人はそれが当然のようにパートナーの名を呼ぶ。

 

「スズカ」

「キングヘイロー!」

「はい」

「なぁにこれ」

 

 呼ばれて集団の中から出てくる二人。

 サイレンススズカはフリルこそ少ないがガーリーな白いシャツと七分丈のパンツ姿。

 いつもは降ろしている髪をお団子状にまとめ上げているのが印象的だった。

 私これからデートなんですとでも言いたげな幸せオーラを全身から放っているのも華やかさに拍車をかけているのだろう。

 

 その隣、深緑色のシャツに細身のGパンを軽やかに履きこなすのがキングヘイローだ。

 主張こそ薄いシルバーネックレスがアクセントとして胸元で輝いている。

 そんな彼女もまた髪をアップにしてまとめていた。

 シンプルな意匠のパンツルックに髪の毛のアップ。

 これはわざわざお揃いにしたというわけではなく、遊星から指示があったためだ。

 

「誰もツッコまないからもう一度言うわ。なぁにこれ」

 

 予め送迎バスとは別で帰ると聞いていたがまさかバイクだとは思ってもいなかったらしく、キングヘイローは呆れた表情を隠そうともしていない。

 それもやってきたのは二輪車ではない、もはやバイクと呼ぶのも憚られるナニかだった。

 そのナニかにまたがるジャックは愛機をお披露目できたせいかドヤ顔である。

 

「紹介しよう。これぞ我が愛機、ホイール・オブ・フォーチュンだ!」

 

 もう一度言おう。ドヤ顔である。

 そして何の説明にもなっていない。

 もちろんキングヘイローの顔に納得の色はなく、救いの手を求めるように隣の遊星へ視線を向けた。

 

「ああ!」

 

 ああじゃないが。

 ちなみにサイレンススズカはニコニコ笑顔でヘルメットを受け取っていた。

 

「はぁ……それじゃ私は行ってくるけど荷物お願いね!」

「はーい、キングちゃんいってらっしゃーい!」

 

 諸々を諦め、荷物を預けた後輩たちに一声かけてからヘルメットを受け取った。

 もちろん同部屋のハルウララに預けるなんてことはしていない。

 むしろ彼女の世話まで含めて頼み込んでいる。

 

 サイレンススズカの方はと言えば同部屋のスペシャルウィークにお願い済みである。

 安心して任せておける相手だ。

 何も心配もなくデート―――もとい合宿の最終工程を行えるというものだ。

 ただし、請け負ったスペシャルウィークの目は死んでいたとだけ明記しておく。

 

 

 

 

 

ヘイロー――――――――――

 

 

 

 

 

「サイドカーとかそういうのはないのかしら!」

「このホイール・オブ・フォーチュンにそんな不必要なものあるわけなかろう!」

「私の安全には必要なの!」

「それにライディングデュエルとその特訓には邪魔だ!」

「ライディングデュエルってなに!? デュエルするのにバイクに乗る必要あるのかしら!?」

「ある!!!!!!」

 

 彼らは今、ライディングデュエル用のサーキットを爆走していた。

 ヘルメットには通信装置があって走行中でも叫ぶ必要は一切ないのだが二人は至近距離でどなり合っていた。

 どれほど至近距離かというとヘルメットがなければキスができる距離だ。

 座席に座るジャックの膝の間にキングヘイローの小さな体を押し込んでいる状態で、傍から見ればカップルがイチャつきながらタンデムを楽しんでいるようにしか見えない。

 

 どうしてこのような体勢になったかというとホイール・オブ・フォーチュンの形状が特殊なため、通常のバイクのように運転手の背後から抱き着くといったことができないからである。

 というかシートも通常のバイクのそれとは違い、ゲーミングチェアといった方が近い形状だ。

 つまり物理的に背後へ回り込むスペースがないのである。

 

 決してキングヘイローを背後から抱きしめるジャックが見たいとかそういった欲求があるわけではない。

 疑うのであれば是非「ジャック Dホイール」で検索して欲しい。

 他に選択肢がないというのがよく分かるはずだ。

 俺は悪くない。

 ともあれ、そんな距離でどなり合っているものだから肉声と通信音声が二重に響いて耳が痛いほどだった。

 

「風が気持ちいいですね、遊星さん」

「ああ」

 

 そして通信から響く怒声をまるっきり無視して二人の世界に浸るのがサイレンススズカだ。

 彼女はサイドカーと取り付け機構を作ろうとする遊星を止めて背後から抱き着く形を選んだ。

 もちろん疚しい気持ちなんて一切なく、多忙な彼の労を少しでも和らげてあげるためにそうしただけである。

 

 広くはない空間に細いサイレンススズカの体がすっぽり収まって*1何とも具合がいい。

 そして暖かい背中にくっつけば強烈な風もそよ風のようで、やはりサイドカーは必要なかったと一人頷く。

 遊星のヘルメットに頭を預け、密着しながら会話しているのも併走するカップルがやたらうるさいので仕方なくやっているだけだ。

 他意はない。イイネ?

 もし疑うというのであれば1600メートル(芝)で彼女と戦って勝ててから言ってもらいたい。

 

「少し急なコーナーだ、タイミングを合わせて」

「はい」

 

 かなりのスピードで駆け抜けるバイク―――Dホイールはコーナーへ飛び込んでいく。

 体を傾けて華麗に曲がるのは恐怖心もあったが、それ以上に遊星の動きに身を任せる快感の方が大きかった。

 サイレンススズカは終始絶好調である。

 対してジャックとキングヘイローはというと……。

 

「戯け! このホイール・オブ・フォーチュンは繊細なドライビングテクニックが必要なのだ!

 怖がってないでもっと身を預けろ!」

「そうは言っても!?」

「もっと深く体を倒せ! でないと場合によってはコーナーを抜けられんぞ!」

「地面が目の前を高速で滑っていくのよ!?」

「慣れろ!」

「だって私たちのランより速いのよ!?」

「レース仕様のDホイールだぞ、何バリキあると思ってる!」

「知らないわよ!?」

 

 もうしっちゃかめっちゃかだった。

 ちなみに繊細なドライビングテクニックが必要なのは一輪車だからだ。

 二輪より安定しないのは当然である。

 そしてカーブは体を傾ける角度で調整するしかない。

 ……控えめに言って産廃では?

 

「もう少し余裕を持て! 隣のサイレンススズカなど涼しい顔だぞ!」

「あれはタンデムを楽しんでるだけだよ! 現実見えてないに違いないわ!」

「だから! 貴様も楽しめと言っている!」

 

 言って加速した。

 ひゃわわわっというキングヘイローの情けない声も響いたが誰も気に留めない。

 またコーナーが近づいてくる。

 それもS字コーナーだ。

 タイミングを逃せばコースアウト間違いなし。

 

「覚悟はいいな」

「ううっ、覚悟を問うのはずるいじゃない……!」

 

 返事はそれで充分だったし、それ以上は待てなかった。

 コーナーに突入し、機体が沈むように滑っていく。

 重心が落ちるほど大きく傾けた体はそのまま転がっていく自分をリアルに想像させる。

 ウマ娘のレースではあり得ない角度で横へ倒れるのだ。

 本能がバランスを取ろうと逆側に力を入れさせようとする。

 しかしそれでは曲がり切れないのだから理性で抑え込むしかない。

 

 長い一瞬が過ぎ、地面が遠ざかる。

 視界が平行になったと思うより早く逆側へ倒れ込んだ。

 よく見ればすぐそばに遊星のDホイールがあった。

 地面よりよほど近い。

 機体の熱さえ感じ取れそうなほどの至近距離。

 ぶつかればどうなるかなんて考えたくもない。

 

 いっそ目をつむって耐えてしまえばいい。

 そうしたら恐怖心はここまで煽られることもなかっただろう。

 だが、それだけはしたくなかったのだ。

 

「……そうよ」

 

 目を閉じて過ぎ去るのを待つだなんてことができないのだから、彼女は今ここにいる。

 ならばギャーギャーわめきたてるのは後でいい。

 今は訓練の時間で、これはデュエルらしくて、そして何より、トレーナーがやれと言っている。

 

「目が覚めたわ」

「世話の焼ける」

「誰のせいよ! もー!」

 

 気が付けばコーナーなんてとっくに終わっていて、長いストレートを進んでいた。

 ライディングデュエル用のコースなのでストレートは長く、コーナーはまとまっている仕様らしい、などと今更になってコースのことが目に入る始末だ。

 これでは一流失格である。

 そう嘆息するキングヘイローを置いてジャックは遊星へと話しかけた。

 

「もう一周したらそのまま始めよう、ルールは事前に決めた通りだ」

「分かった」

 

 高速でストレートを駆け抜け、コーナーへ。

 ラスト一周は驚くほど静かに行われた。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「フィールド魔法スピードワールド2発動!」

「え、私がドローするの!?」

「そう言った!」

「わぁ、なんだかワクワクしてきました」

 

 一度休憩を挟み、彼らはまたスタート地点にいた。

 その上でライディングデュエルを行うことになったが、始まるその時まで締まらない二人だ。

 主に説明不足なジャックのせいでもあるのだがフォローする気のない遊星のせいでもある。

 そんな状態でもエンジンをふかして発進の準備をしっかりしている辺り、抜け目がないジャックだ。

 ギャーギャー言い合っている間にカウントはゼロへ。

 

「「ライディングデュエル! アクセラレーション!」」

「わふー!」

「ちょ、ま―――」

 

 もちろん待ってはくれないしサイレンススズカのテンションは迷子のままだ。

 あっという間に百キロを超えるスピードでかっ飛んでいくDホイール二機。

 最初のコーナーを前に一瞬遊星とジャックの視線が交わる。

 

 先行はいただく!

 

 火花を散らしてDホイールがコースを往く。

 コーナーを先に抜けたのは遊星だ。

 

「くっ! キングヘイロー! 貴様まだ恐れているな!」

「ごめんなさいってば!」

 

 ここで謝れるキングヘイローは偉い。

 蟹・機・ウマ娘一体となった遊星に分があったのは当然と言えよう。

 

「俺のターン!」

 

 遊星LP4000 SC0  ジャックLP4000 SC0

 

 遊星がカードをドローして僅かに思考を巡らせる。

 ほんの少しの間だったがそれにジャックが違和感を感じるには充分な時間だった。

 

 奴め……何が来る?

 

「俺は手札のクイック・シンクロンの効果を発動!

 手札のカードを一枚墓地に送ることで特殊召喚! 現れ出でよ、クイック・シンクロン!

 続いて手札からジャンク・シンクロンを召喚!

 この時、墓地にあるレベル2以下のモンスターを効果を無効にして特殊召喚する。

 蘇れ、チューニング・サポーター!

 墓地からモンスターが特殊召喚されたことにより、手札からドッペル・ウォリアーを特殊召喚!」

「一ターンに四体のモンスターを並べるですって!?」

「この程度でうろたえるな! 問題はこの後で何を出してくるかだ、括目しろ!」

 

 立て続けに召喚されるモンスターたちにキングヘイローが驚嘆を上げ、ジャックがハンドルを強く握る。

 悩みを一瞬見せたのはなんだったのか。

 それが分かるのはおそらくこの一手だ。

 

「俺はフィールドのチューニング・サポーターとドッペル・ウォリアーにクイック・シンクロンをチューニング!

 集いし希望が新たな地平へいざなう。光さす道となれ! シンクロ召喚!

 駆け抜けろ、ロード・ウォリアー!」

「攻撃力3000!?」

 

 キングヘイローは最上級モンスターの登場に、今頃になって理解する。

 遊星というデュエリストがジャックに匹敵する強者ということを。

 そしてジャックは遊星が何を悩んでいたかを理解する。

 呼び出すモンスターをジャンク・ウォリアーにするか、それとも―――

 

 さぁ、更なるシンクロモンスター。見せてみろ!

 

「ドッペル・ウォリアーがシンクロ素材となったことでドッペル・トークンを二体を特殊召喚する。

 同じくチューニング・サポーターがシンクロ素材となったことでカードを一枚ドロー!

 そしてロード・ウォリアーの効果発動!

 一ターンに一度、デッキからレベル2以下の戦士族・機械族モンスター一体を特殊召喚する。

 再び現れ出でよ、チューニング・サポーター!」

「またモンスターを並べるの!?」

「戯け、攻撃力の低いモンスターを攻撃表示のまま放置してくれるほど甘い相手ではないわ!」

 

 細々としたモンスターたちがその姿を現し、立て続けにチューニングを行う。

 

「ドッペル・トークン二体とチューニング・サポーターにジャンク・シンクロンをチューニング!

 チューニング・サポーターの効果を発動し、レベル2のモンスターとして扱う!

 これで合計レベルは7!

 集いし怒りが忘我の戦士に鬼神を宿す。光さす道となれ! シンクロ召喚!

 吠えろ、ジャンク・バーサーカー!」

 

 そうしてもう一枚のシンクロモンスターが姿を現す。

 二体の威圧感はレッド・デーモンズ・ドラゴンを凌ぐほどだった。

 攻撃力3000にしてターン毎に自分フィールドに低レベルモンスターを呼び出せるロード・ウォリアー。

 攻撃力2700の上、リバースモンスターを安全に処理できる能力を持つジャンク・バーサーカー。

 盤面の優位を確立させつつも手札を三枚残すフォローの細やかさも見せる。

 

「チューニング・サポーターの効果でもう一度ドローし……一枚カードを伏せてターンエンドだ」

「デュエルって素敵。遊星さんの声がたくさん聞けるもの」

「ふん、終わってみればいつもの貴様ではないか……ならば―――俺のターン!」

 

 遊星LP4000 SC1  ジャックLP4000 SC1

 

 サイレンススズカの世迷いごとは当然のように黙殺される。

 初期手札こそジャックが引いたため驚くほど強いが場の不利はもはや語るまでもない。

 これを覆せるほどの一手を引き込めるかどうか。

 早くも分水嶺に立たされたキングヘイローは救いを求めるようにデッキへ手をかける。

 

「お願い、応えて……ドロー! くっ」

 

 カードを引き抜いたキングヘイローの顔が歪む。

 引いたのはSp-サモン・スピーダー。

 強力なカードだが今は使用不可能、これでは二体の強敵を打倒することはできない。

 一瞥したジャックはつまらなさそうに鼻を鳴らしてプレイングを始める。

 

「遊星、貴様が二体の僕を従え、剣とするのならば、俺も倣おうではないか!

 手札よりバイス・ドラゴンの効果を発動。

 このカードは相手フィールドにのみモンスターが存在する場合、特殊召喚することができる!

 この時、攻撃力と防御力は半分になる。現れよ、バイス・ドラゴン!」

 

 ―――召喚を妨害する罠カードではない、か。

 

 一瞬の間を空けてから手札のカードを墓地に送り、さらにモンスターを召喚する。

 

「続いて手札のパワー・ジャイアントの効果を発動。

 手札からレベル4以下のモンスターを墓地に送ることで特殊召喚することができる!

 その際、墓地に送ったモンスターのレベル分、このカードのレベルを下げる。

 俺が墓地に送ったのはレベル1のダブル・リゾネーター、よってパワー・ジャイアントのレベルは5となる。

 そしてチェーン・リゾネーターを通常召喚!」

 

 レベル5のモンスターが二体並び、そこへチューナーモンスターが現れる。

 もちろん狙いはシンクロ召喚だろうがチェーン・リゾネーターはリクルーターである。

 これだけでは終わらない。

 ジャックは宣言通り、二体の剣を並べるつもりだ。

 

「このモンスターは召喚に成功した時、フィールドにシンクロモンスターが存在する場合、デッキからリゾネーターを召喚することができる。

 フィールドには貴様がご丁寧に並べたシンクロモンスターが二体! 条件は満たしているぞ!

 これにより俺はデッキからダーク・リゾネーターを特殊召喚!」

 

 これにて準備は整った。

 ジャックは腕を振るい、力強く宣言する。

 

「レベル5のバイス・ドラゴンにレベル3のダーク・リゾネーターをチューニング!

 王者の決断、今赤く滾る炎を宿す、真紅の刃となる! 熱き波濤を超え、現れよ! シンクロ召喚!

 炎の鬼神、クリムゾン・ブレーダー!」

「え、レッド・デーモンズ・ドラゴンじゃないの?」

「ふん、このカードが相手モンスターを戦闘で破壊した時、次の相手ターンに相手はレベル5以上のモンスターを召喚・特殊召喚できなくなる効果を持つ。

 そして遊星の主力モンスターはシンクロモンスターのみ……そのシンクロモンスターは俺の知る限り殆どがレベル5以上で構成されている。

 シンクロを封じられた遊星など、羽をもがれた鳥も同然!

 貴様のエースモンスターを封じるチャンス、俺は決して見逃さんぞ、遊星!」

 

 言いながらコーナーを危なげなく曲がっていく。

 キングヘイローも多少の慣れができて来たのか、それともデュエルの熱で恐怖心を忘れているのか、それは何とも鮮やかなカーブだった。

 

「そしてレベル5のパワー・ジャイアントとレベル1のチェーン・リゾネーターをチューニング!

 赤き魂、ここに一つとなる。王者の雄叫びに震撼せよ! シンクロ召喚!

 現れろ、レッド・ワイバーン!」

 

 呼びかけに応じ、頭部に焔の揺らめくワイバーンが姿を現した。

 攻撃力2400とこの場で一番攻撃力の低いシンクロモンスターだがその効果は強烈だった。

 

「このカードは一度だけフィールド場の最も攻撃力の高いモンスターを破壊することができる!

 対象はもちろんロード・ウォリアー、貴様だ」

 

 ビッと人差し指と中指を合わせて対象を指し示す。

 ジャックの鋭い眼光がロード・ウォリアーをねめつけていた。

 

「このジャック・アトラスを前にその不遜な態度、目に余る!

 ロードなど知ったことか! 王者はただ一人、この俺だ!」

「くっ!」

 

 宣言と共に爆殺された衝撃が遊星を襲う。

 すぐさま体勢を立て直した彼にクリムゾン・ブレーダーの攻撃が迫る。

 

「クリムゾン・ブレーダー、ジャンク・バーサーカーに攻撃!

 レッド・マーダー!」

「そいつは通せない、羽をもがれるのは痛そうなんでな。

 罠カード発動! くず鉄のかかし!」

 

 それは攻撃を無効にし、もう一度セットし直す防御のカードだ。

 ジャックが攻撃力2700を容易く超えてくるのを想定していたのだろう。

 攻撃を防がれたところでジャックに不満な態度はなく、むしろセットカードを見れて満足しているらしい。

 

 そしてキングヘイローは二人の戦いに武者震いを隠せなかった。

 なんとハイレベルな戦いだろうか。

 無敵の布陣にも思えた遊星の一ターン目、僅か一ターンであの布陣を完成させるのにも驚いたがそれを砕いてみせたジャックの力強さはどうだ。

 逆転の一手を望んでいたが、終わってみればキングヘイローの引いたカード抜きで逆転しているではないか。

 であればあの時臨むべきだったのはドローソース、あるいは罠カードだった。

 

「キングヘイローよ、貴様には先ほどデッキを見せたな。ならばこの展開は読めたはずだ」

 

 すかさずジャックからの叱責が飛んでくる。

 彼はいつもそうだ、キングヘイローが間違いに気付いた瞬間にそれを咎めてくる。

 

「もっとカードを信じろ、俺を信じろ、そして何より、自分を信じろ。

 己すら信じられぬ者に我がデッキが応えることはない」

「……うん、わかったわ」

「よかろう、ならば俺はターンエンドだ!」

 

 絶対強者の二人に挟まれようとも、キングヘイローの心は折れていない。

 ライディングデュエルはまだ始まったばかりだ。

 

 

*1
アキさんは横乗りだったが事情は察して欲しい……スズカのゲートの方が広いデース!!!




裁定ミス、記載ミスがあったらこっそりおせーて。
指摘された分はこっそり直しました……。


終わらねぇ!?ってなったので次回はこの続きからです……デュエルってやたら文字数食うのね。
ちなみにサイレンススズカは遊星の後ろでハスハスモジモジしてますが無害です。


次回、『荒ぶる魂』にアクセラレーション!


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クラシック級/9月前半:魂と可能性

 

前回同様、プレイミスなどありましたらこっそりと指摘いただければと思います。
いったい何の作品書いてたんだっけ?となったので投稿です。
 
 


「俺のターン、ドロー!」

 

 遊星LP4000 SC2  ジャックLP4000 SC2

 

 カードをドローし、併走するキングヘイローをそっと観察する。

 動揺はあったようだが気持ちはまるで萎えていない。

 その様子を見て一度頷く。

 

 気持ちが強い。いい女だ。

 

「遊星さん?」

「な、なんだスズカ」

「いいえ、何でもないですよ、ふふっ」

 

 心なしか腹部に回された腕の締め付けが強くなった気がする。

 だが何でもないというからには何でもないのだろう。

 そう判断してもう一度盤面を見渡した。

 

 ジャックの場には攻撃力2800のクリムゾン・ブレーダーと攻撃力2400のレッド・ワイバーンが並んでおり、伏せカードはない。

 逆転してみせただけでも充分凄いが、いつものジャックならばさらに伏せカードを用意していたはず。

 それは先ほどの会話からも伺える。

 

 最初のターン、実はジャックから頼まれていたことがあった。

 それは“分かりやすく強者であることをアピールして欲しい”というものだ。

 キングヘイローへ圧力をかけたかったのだろう。

 その要望に応えるため、慣れない一ターン目からの仕掛けを行った。

 

 そしてその結果があれだ。

 己の未熟を晒されてもなお戦うことを諦めていない。

 彼女のレースを見てみたいと改めて思った。

 

「……俺は手札からSp-スピード・エナジーを発動。

 ターン終了時までジャンク・バーサーカーの攻撃力をSCの数×200ポイントアップ!

 バトル、ジャンク・バーサーカーでクリムゾン・ブレーダーを攻撃!」

「くっ……仕方あるまい」

 

 ジャックLP 4000→3700

 

「裏守備モンスターを召喚してターンエンドだ」

 

 焦ることはない。ここは一息入れよう。

 そんな遊星の言葉が聞こえてくるような立ち回り。

 冷静な判断にキングヘイローも思わずうなる。

 

「意外ね、一ターン目の動きからしてもっとガツガツ来るかと思ったのだけど」

「奴は焦る必要がないからな。SCが四つを超える次のターンから本腰を入れるつもりだろう」

「なら焦らせてやればいいのよ、私達のターン! ドロー!」

 

 遊星LP4000 SC3  ジャックLP3700 SC3

 

 意気揚々と引き込んだカードを見てキングヘイローは満面の笑みを浮かべた。

 いいカードが引けたと誰が見ても分かる無邪気っぷりである。

 

「ふん、手札からフォース・リゾネーターを召喚。そしてそのままレッド・ワイバーンとチューニング!

 王者の鼓動、今ここに列をなす。天地鳴動の力を見るがいい! シンクロ召喚!

 我が魂、レッド・デーモンズ・ドラゴン!」

「来たか」

「まぁ、おっきい」

 

 巨大な竜がジャックの背後に現れ、熱波が周囲を舐め尽くしていく。

 それはソリッドビジョンだと分かっていても熱さを感じさせるものがあった。

 ジャックの誇る絶対的エースモンスターの招来である。

 

「とは言え、くず鉄のかかしがあると分かっている以上、攻撃は無意味。

 俺はカードを一枚伏せてターンを終了する」

「ならば、俺のターン!」

 

 遊星LP4000 SC4  ジャックLP3700 SC4

 

「俺はジャンク・シンクロンを召喚!

 このカードは召喚に成功した時、墓地のレベル2以下のモンスター一体を特殊召喚する!

 チューニング・サポーターを特殊召喚!

 裏守備モンスターを反転召喚し、このジャンク・ブレイカーとチューニング・サポーターにジャンク・シンクロンをチューニング!

 集いし願いが新たに輝く星となる。光さす道となれ! シンクロ召喚!

 飛翔せよ、スターダスト・ドラゴン!」

 

 涼風と共に現れるのは遊星のフェイバリットカード。

 今ここが高速の最中だということを忘れさせてくれるような優しい風を纏っていた。

 マイフェイバリットが側にいる安心感をどことなく感じつつ、遊星は伏せられたカードを読む。

 攻撃も出来ない状態でわざわざレッド・デーモンズ・ドラゴンを召喚した以上、サポートカード……それも専用サポートカードである可能性が高い。

 

 迷いは禁物、か……。

 

「チューニング・サポーターの効果によりドローし、ジャンク・バーサーカーの効果を発動!

 墓地にあるジャンク・ブレイカーを除外し、レッド・デーモンズ・ドラゴンの攻撃力をジャンク・ブレイカーの攻撃力分下げる!」

 

 レッド・デーモンズ・ドラゴン 攻撃力3000→1200

 

「永続罠発動! スクリーン・オブ・レッド!

 このカードが存在する限り、貴様は攻撃宣言が出来ぬものと知れ!」

「やはり……! だがこいつは受けてもらう!

 Sp-ソニック・バスター! SCが四つ以上ある時に発動することができ、自分フィールド場モンスターの攻撃力の半分をダメージとして与える!」

 

 対象はもちろんジャンク・バーサーカーだ。

 攻撃力は2700、その半分の1350がジャックにダメージとして与えられる。

 

 ジャックLP 3700→2350

 

「ぐっ」「きゃあ!」

 

 転倒しないように耐えながらもキングヘイローは冷や汗を感じずにはいられなかった。

 攻撃を防げたと思ったらすぐに効果ダメージを差し込んでくる。

 油断も隙もあったものじゃない。

 それに、もし先ほどのターンにスクリーン・オブ・レッドを引けていなければ大量の戦闘ダメージと合わせて負けていたと知ったその衝撃は大きい。

 

 本当にこの人、強い……!

 

「一枚伏せてターンエンドだ」

「でも、負けるつもりはないわ! 私達のターン!」

 

 遊星LP4000 SC5  ジャックLP2350 SC5

 

 キングヘイローの気概にデッキが応じたのか、引き込んだのはチューナーモンスター。

 それを見ると同時にキングヘイローは自分の体が熱くなるのを感じていた。

 先ほど感じた冷や汗が一気に蒸発していくような熱さだ。

 しかしよく熱源を辿っていけば熱くなっているのはキングヘイローではないことに気付く。

 そう燃えているのはその背後にいる男。

 ジャック・アトラスの鼓動が燃えていた。

 

「よくぞ、よくぞ引き込んだ! それでこそだキングヘイロー!」

「なになに!? え、ちょっとトレーナー、貴方すっごく熱いんだけど!?」

「この俺の熱き魂が伝わるか!」

「めっちゃ伝わってるわよ! 首の辺りからめっちゃ伝わってるから!」

 

 またしてもぎゃあぎゃあと騒ぎ始める二人をサイレンススズカは不思議そうな目で見ていた。

 何をそんなにはしゃいでいるのだろう、とでも言ったところだろうか。

 

「スズカも感じたことがあるはずだ、アレが来るぞ」

「あれ?」

 

 疑問に首を傾げたが答えはすぐに来た。

 疾走するDホイールの風を吹き飛ばすほどの熱が来る。

 この迸るプレッシャーは遊星の言うようにサイレンススズカにも心当たりがあった。

 都合二十回。

 脳裏をかすめたのはキングヘイローとのレースで感じたあのプレッシャーだ。

 だが、あれとは比べるまでもないほどジャックの圧力は暴力的で思わず遊星に抱きつく腕に力がこもる。

 

「なんて、プレッシャー……!」

「あれこそ、バーニングソウル!」

「そう! これこそ我が魂の燃焼!

 俺は手札からシンクローン・リゾネーターを召喚!

 そしてスクリーン・オブ・レッドの第二の効果を発動、スクリーン・オブ・レッドを破壊して墓地からレベル1のチューナーモンスターを特殊召喚!

 甦れ、チェーン・リゾネーター!」

 

 そして場に出揃ったのは二体のチューナーとレッド・デーモンズ・ドラゴン。

 だが遊星はそこよりも合計レベル10という事実に眉を顰める。

 

 スカーレッド・ノヴァ・ドラゴンではないのか?

 

「遊星よ、我が新たなる力への拝謁の権利を貴様にくれてやる!」

「あ、それ私のセリフよ!」

「我が魂、レッド・デーモンズ・ドラゴンにシンクローン・リゾネーターとチェーン・リゾネーターをダブルチューニング!」

「ダブルチューニングですって!?」

 

 いつまでも騒がしいコンビである。

 しかしいつだってリアクションを忘れないキングヘイローも肩を叩かれてリアクションが止まった。

 いや、叩かれたのは肩ではない。

 ジャックが叩いたのは己の心臓だ。

 熱い熱いと思っていた体がさらに熱を持つ。

 押し付けられた肩が焼けるようだ。

 

「んっ、熱い……!」

「王者と悪魔、今ここに交わる。赤き竜の魂に触れ、天地創造の雄たけびをあげよ! シンクロ召喚!

 現れろ! レッド・デーモンズ・ドラゴン・タイラント!」

「レッド・デーモンズ・ドラゴン・タイラント!?」

 

 見たこともないシンクロモンスターに遊星が驚きの声をあげた。

 先ほどのレッド・デーモンズ・ドラゴンの正当進化系であることが一目でわかるデザイン。

 そしてそのプレッシャーはスカーレッド・ノヴァ・ドラゴンとそん色ない。

 

「シンクローン・リゾネーターが場を離れたことで俺は墓地のチェーン・リゾネーターを手札に加える。

 そしてバトルだ! ジャンク・バーサーカーを攻撃! 獄炎のクリムゾンヘルタイド!」

「罠カード発動、くず鉄の―――」

「無駄だ! レッド・デーモンズ・ドラゴン・タイラントはバトルフェイズ中に発動された魔法・罠カードの効果を無効にして破壊し、さらに攻撃力を500上げる!」

 

 攻撃力4000となった焔がジャンク・バーサーカーに襲い掛かる。

 立ちはだかったかかしごと吹き飛ばされ、遊星のDホイールがバランスを崩す。

 だが慌てずに立て直した遊星の瞳には強い光が宿っていた。

 

 遊星LP 4000→2700

 

「さぁ、来い遊星!」

「ああ、俺のターン!」

 

 遊星LP2700 SC6  ジャックLP2350 SC6

 

 場に残っているのはお互いモンスターカードが一枚ずつ。

 そしてこちらには伏せカードが一枚。

 仕掛けどころだ。

 そう判断し、遊星は魔法カードを発動させる。

 

「Sp-エンジェル・バトンを発動、手札を一枚捨てて二枚ドロー。

 墓地に送ったジェット・シンクロンの効果発動、手札を一枚捨てて特殊召喚!

 さらに手札からSp-ヴィジョンウィンドを発動、墓地のチューニング・サポーターを特殊召喚!

 この二つをチューニング!」

「レベル1と1でチューニング?」

「レベル1のシンクロモンスターも存在するぞ」

「え゛!? どういうこと!?」

 

 もはや漫才に近い何かを無視して遊星は処理を行っていく。

 

「集いし願いが新たな速度の地平へ誘いざなう。光さす道となれ! シンクロ召喚!

 希望の力、フォーミュラ・シンクロン!

 チューニング・サポーターとフォーミュラ・シンクロンの効果で俺は二枚ドロー!」

 

 今までの流れからこれはまだ続くなと感じたキングヘイローはまじまじと盤面を見つめている。

 そしてフォーミュラ・シンクロンのシンクロチューナーという特性に首を傾げた。

 

「ねぇ、トレーナー、これって……」

「そして罠カード、エンジェル・リフトを発動。

 墓地に眠るチューニング・サポーターを特殊召喚!」

「せめてゆっくり眠らせてあげて!」

 

 寝る暇もねぇ!とばかりにチューニング・サポーターが天より降り立ち、キングヘイローは疑問も投げ捨ててツッコミに回る、

 でぇじょうぶだ、これで出番も終了だ。

 

「手札からターボ・シンクロンを召喚し、チューニング・サポーターとチューニング!

 漆黒の翼羽ばたかせ秘めたる刃で風を切れ! シンクロ召喚!

 飛来せよ! A BF(アサルトブラックフェザー)-雨隠れのサヨ!」

「BFだと!?」

 

 驚くジャックへニヒルな笑みを浮かべて遊星は加速する。

 連続コーナーが迫るも彼は気にしない。

 いっそ鮮やかすぎるほど華麗にコーナーを抜けていく。

 

「ウソでしょ……」

「奴め、クリアマインドの先を求めるか……!」

 

 遊星の技量と突っ込める狂気にキングヘイローは言葉をなくし、ジャックは遊星がサイレンススズカに求める期待の高さに半ば呆れてもいた。

 

 ジャックが遊星に一ターン目から動けと要求したように遊星もまたジャックに求めていたことがある。

 それはアクセルシンクロの機会を作ることだ。

 生半可な相手ではそこまで持ち込むことなく勝負がついてしまう故の要求であり、ジャックもまた拒否する理由を持たなかったので加速に割り込むことはしなかった。

 

 それでも、そこまでやるかという思いは隠せない。

 なぜだかトレーナーとして敗北感を味わうジャックであった。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「スズカ、キミにこの光景を見せたかった」

「素敵、景色がスピードの中に溶けていく……」

 

 クリアマインド。

 二人は今、まさに“そこ”にいた。

 サイレンススズカの言うように景色が溶けていき、光の中をDホイールが往く。

 まとわりついていたはずの風もいつしか消え去っており、ここは静寂が支配していた。

 

「クリアマインド……キミにはまだ早い、これを成せば体が壊れてしまうだろう。

 それでも、この世界を見ることは無駄ではないと思った」

 

 嘘偽りなく、ここは二人だけの世界だった。

 ともすれば着ている服さえないような、超感覚の世界。

 スピードのその向こう側にこれほど素敵な世界があるのだとサイレンススズカは知った。

 それが大事なのだと遊星は言う。

 

「いつかキミはこの世界へと己の足で辿り着くだろう。

 その時、どうか迷わぬように……スズカ、俺がキミの道しるべになる」

「道しるべ、ですか?」

「ああ、ここは限界の先の世界。だが世界の果てはここじゃない」

 

 手を取り合い、抱き寄せ、抱き寄せられ。

 二人は微睡むように瞳を閉じる。

 

「限界の先の、さらにその先……これがトップ・クリアマインド」

 

 例え独りでここに来たとしても迷うことはない。

 先で待っている。

 先への行き方を教える。

 だから、先へ。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「集いし星が絆を紡ぎ、祈りと共に未来へ駆ける。光さす道となれ!

 デルタ・アクセルシンクロォッ!!!」

 

 加速して消えていったはずの遊星たちが突如として現れる。

 まるで空間を切り裂いたような歪みの中、それらを切り裂いて直進する遊星を先導するのは未知の竜。

 

「招来せよ、コズミック・ブレイザー・ドラゴン!」

「ふ、ふふふ、ふはははっははは!! それでこそだ、遊星!!」

 

 ジャックが進化しているように、あるいはそれ以上の進化を見せつけるのがこの男だ。

 一歩先へ、弛まぬ進化への渇望。

 これこそが遊星という男の在り方だった。

 そうして辿り着いたのが“辿り着くはずだった進化の可能性の一つ”であるコズミック・ブレイザー・ドラゴンである。

 

 絆の力とは異なる力、しかしそれも掴めば新た可能性が開けよう。

 何一つ無駄ではないし、無駄にはしない。

 無駄なカードなど一つもないのだから、絶望の向こう側で掴んだこの可能性(カード)だとて無駄にはしない。

 この召喚にはそんな意思が込められていた。

 

「バトル!」

「受けて立つ!」

 

 そして互いのモンスターがぶつかり合う。

 衝撃が世界を揺らした―――

 

 




中途半端なところで終わりですが、デュエル自体もここで終了してトレセンに帰宅しましたとさ。
クリアマインドとバーニングソウルを体感させたかっただけなので決着をつける気がさらさらないためです。
(そもそも決着付けるならキングヘイローにドローさせてません)

書いてて痛感したのはこのレベルのバトルに素人(キングヘイロー)を参加させるのは二度と止めようということです。
ヘイローのカード引き強すぎると「強すぎじゃね?」ってなるし、弱すぎると一方的な展開になりすぎるので何度バトル構成を書き直したか……。
ということで次回からはプリティーにダービーするゲームに戻ります。


次回、『一杯3000円!? ブルーアイズマウンテン登場!』にアクセラレーション!
 


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クラシック級/9月後半:皇帝、校庭に現る


遅れてすみません、まだ一日余裕あるしとか思い込んで帰宅したら今日が水曜だと思い出したので投下します。
誤字とかいつもより多めにあったらすみません。


 

「はぁ……はぁ……!」

 

 日の落ちる時間が早くなり始めた頃、キングヘイローは夕焼けの中で息を切らせていた。

 足はガクガクと震え、オーバーワークなのは誰が見ても明らかだ。

 レース本番でもないのに普通はここまで自分を追い込むことはできない。

 こうなる前に足が止まるか、倒れ込むのが普通だ。

 それでも動けと腿を叩き、歯を食いしばる。

 

「くぅ……!」

 

 そうして足を引きずるようにして歩き出す。

 もはやろくに腿が上がらないので走ることはできなかった。

 弱弱しくも執念を感じさせる姿に周囲の人々は声をかけることもできない。

 そしてそれを止めるはずのトレーナーはただじっと見つめていた。

 

 キングヘイローが過負荷をかけ始めてからすでに四日。

 この異様な空気でさえ、どこか慣れが生まれ始めていた。

 そろそろ彼が動くタイミングだと分かっているのだ。

 

「キングヘイロー」

 

 言葉をかけ、ジャックが近寄る。

 閉じかけの瞳が彼を見た。

 酸欠で霞掛かっているであろう視界の奥にギラギラとした光がほのめいている。

 意思だけは尽きることなく胸の内にあるらしい。

 

「ラスト50メートル、行って来い」

「……」

 

 頷くこともなく、ずりずりと体を動かし、50メートルを行こうとする。

 あんな状態で50メートルも行けるはずがない。

 それでもキングヘイローは足を動かす。

 体を倒し、その勢いで足を前に出す。

 

 それは走る歩くというよりたたらを踏むと言った方が近い進み方だった。

 いつ倒れ込んでもおかしくない。

 ギャラリーと化した者たちの中でも気の弱いウマ娘が顔を青くして手を出したりひっこめたりしている。

 助けてあげたい、でも邪魔はしたくない。

 そんなところだろう。

 キングヘイローの取り巻きたちの中には泣き出しそうな子までいる。

 

 凄絶、その言葉を体現していた。

 

 だがそれは長い間続かず、とうとう体力の底をついたキングヘイローが倒れ込む。

 予期していたとでも言いたげなタイミングで受け止めるのがジャックだった。

 

「……やはり菊花賞には間に合わんか」

 

 菊花賞まではもうひと月を切っている。

 時間に余裕があるとは言えない状況になってきた。

 だというのにクリアマインドはおぼろげにさえ見えてこない。

 魂の燃焼、バーニングソウルの方はそれなりの形になってきたが、まだまだ弱い。

 あれでは日本ダービーで見せたスペシャルウィークにも及ばないだろう。

 

 ここまで追い込んだ訓練は本番が近づけば近づくほどできなくなる。

 見切りをつけて他の訓練に移行するかどうか、ジャックは判断を迫られていた。

 

「精励恪勤も過ぎれば毒か、明日は我が身とならぬように気を付けよう」

 

 キングヘイローを横抱きにし、運び出していたジャックを呼び止めたのはシンボリルドルフだ。

 ジャージ姿でいるところを見るとトレーニング明けのようだった。

 薄く上がる湯気をくゆらせながらジャックの前に立ちはだかっている。

 

「何か用か?」

「いやなに、どのような意図があって過酷なトレーニングを課しているのか気になってね」

 

 ご教授いただけると嬉しいのだが。

 そう言ってジャックの顔を見上げた。

 パチリと紫電が奔る。

 

「キミは以前も注意を受けていたはずだ。

 その時は理事長が許可を下していらしたが、今回はそういった話を聞いてはいない」

「そうか」

 

 いつも通りの短すぎる返答。

 バチチッ。急かすように紫電が音を立てた。

 

「……この俺の歩みを止めたければデュエルを以て挑め」

「ならん。ここはトレセン学園だ、ウマ娘とレースを置いて他に優先すべきことはない」

「ならばレースで聞け」

 

 話は終わりだと少女を抱え直し、取り巻きたちへと向かう。

 そこでようやく意識を取り戻した見物者たちが動き出す。

 取り巻きの三人は気絶した王の世話を焼き始め、他の人々はそそくさとその場を離れる。

 独り取り残された皇帝は鼻から息を吐いて、たっぷりと間を置いてから眉間を揉んだ。

 

「模擬レースの時間か、工面するよう相談が必要だな」

 

 多忙極まる生徒会長はこうしてまた仕事を積み上げるのだった。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「おやぁ、カ↑フェ↓。

 どうしたんだい、彼氏がいるのなら親友たる私に紹介してくれないと困るじゃないか」

「親友じゃないので」

「えー!」

 

 アグネスタキオンがお茶を楽しもうとマンハッタンカフェがいるであろう時間にやってくれば、そこには予想通り彼女の姿があった。

 ただし、その隣には大男が優雅にコーヒーを楽しんでいるという想定外もついてきた。

 どこかで見た顔だが興味のないことだったのですぐには思い出せない。

 

「……おや?」

 

 アグネスタキオンが首を傾げていたが、彼が誰なのかを思い出すより先に嗅ぎ慣れぬ香りに気付く。

 カフェテリアには芳醇な香りで満たされているが彼が飲んでいるコーヒーはその中でも一等際立って芳醇であった。

 数回だけ嗅いだことのある香り。

 親友たるカフェが特別な日に楽しんでいた豆だと記憶している。

 

「そう、ブルーアイズマウンテン」

「分かるか」

「飲んだことはないけどねぇ」

 

 了解も取らずに相席したアグネスタキオンは店員に一言”いつもの”と声をかけ、テーブルに肘を付けて大男を見上げた。

 精悍な面構え、装飾の多い服を自然と着こなしている。

 中々目立つ人物のようだがアグネスタキオンはまだ彼が何者なのか思い出せない。

 

「で、馴れ初めは?」

「馴れ初めも何もないです、飲み友です」

「彼女とは仲良くさせてもらっている」

「へぇ」

 

 あの人見知りなカフェがねぇ。

 そうぼやいてますます興味がわいてくる。

 きっとこの顔は二度と忘れまい。

 

「例の友人はなんて?」

「イイヒト」

「It's simple」

 

 このやり取りでも動揺を見せない辺り、“友人”のことも知っているようだ。

 想像以上に深い仲らしい。

 アグネスタキオンはなぜだか分からないが憤懣を覚えた。

 

「それでキミはカフェのどこが気に入ったんだい?

 こういうのは何だけど大衆好きのする性格ではないと思うんだが」

「アナタにだけは言われたくない」

「はーっはっはっはっ! それを言ったらおしまいじゃないか」

 

 ジャックもまたこのやり取りで二人の仲を察する。

 親友じゃないとマンハッタンカフェは言っていたが気心の知れた仲であるのは分かる。

 ならば素直に答えてやるのに否はない。

 

「そうだな、物静かな性格は嫌いではない。騒がしい奴よりかは付き合いやすかろう。

 コーヒーの趣味も良い、とあれば時間を共有するのに不足はないな」

「ふぅん」

 

 性格は嫌いじゃなくて趣味が合って一緒にいて楽しいと。なるほど。

 

「付き合ったらどうだい?」

「男女が一緒にいるとすぐそういう発想になるの、中学生ですか?」

「これは手厳しいな! すまないねカフェ君、憩いの時間にお邪魔してしまって」

 

 別にいいです。

 そう視線で語られればアグネスタキオンとて大らかな気持ちで二人の仲を受け入れようという気分にもなる。

 

「じゃあ“友人”君についてはどう思う?」

「俺の友人にはカードの精霊を視る者がいる。だから驚きはしたがそれだけだ」

「ほほぅ」

 

 なるほどなるほど。

 

「カ↓フェ↑、押し倒すなら早い方がいい」

「そろそろ張り倒しますよ」

「私の脳細胞が告げているよ、これほどキミを理解できるトレーナーは稀だと……トレーナー?」

「どうかしたか?」

 

 充分に蒸らし終えた紅茶が差し出されるタイミングでアグネスタキオンの脳裏に答えがかすめる。

 記憶を掘り掘り、カフェの髪を編み編み、そして紅茶を一口。

 

「……ふぅ、この一杯は目に染みるねぇ」

「なんなんだコイツは」

「自由ですよ、色々と」

 

 ものの一瞬で編み込まれた髪の毛を解きつつ、マンハッタンカフェがため息を零す。

 どうやら色々苦労しているらしい。

 

「そうだ、思い出したぞ。キングヘイローのトレーナーであるジャック・アトラス君か」

「知っていたのか」

「一応全ての組み合わせは頭に入ってるよ。引き出せるかどうかは別にして」

 

 紅茶という潤滑油もあってつるつると記憶の引き出しに成功した。

 ついでとばかりに他にもあれこれと思い出す。

 ジャックがかつてキングと呼ばれていたことも資料にあった。

 まぁ、だからどうしたという話だが。

 

「昨日皇帝に喧嘩を売ったそうじゃないか、昼間誰かが話していたよ」

「そうなの?」

「喧嘩を売られたの間違いだな」

「へぇ」「ふぅん」

 

 どちらも興味ありげだ。

 それはジャックがどうこう言うよりもシンボリルドルフという人物の影響力故だろう。

 彼女が喧嘩を売るなど余程のことだ。

 

「生徒会長と言えども教育方針にまで口を出すのは聊か越権行為だろう」

「さて、どうかな?」

「ああ、キングヘイローってあのヘロヘロになるまで頑張ってる子?」

「その通り、キングヘロヘロさんのことだ」

 

 ここでようやくマンハッタンカフェにも理解が及ぶ。

 ウマ娘を潰されては敵わないと生徒会長が立ち上がる。実に想像に安い。

 そしてそれを跳ね除けるこの男の姿もまたありありと浮かぶのだから困ったものだ。

 コーヒーを飲む時間だけの仲だが、他者の意見を素直に受け入れるタイプでないのはよく分かっている。

 

 頭が回る上にしっかりとした矜持を持っており、行動に自信をもって当たっている。

 シンボリルドルフもジャックも根は似たタイプだ。

 だからこそ対立が成立するのだろう。

 一山いくらのウマ娘やトレーナーではこうはいかない。

 

「で、どうするんだい?」

「どうもこうもない、また突っかかってくるのなら排除するまでだ」

「ブファ!? 排除だって! 聞いたかいカフェ、この学園で生徒会長様を排除するなんて言ったバカはこいつが最初で最後だろうさ!」

「……」

 

 腹を抱えてテーブルを叩いて笑うアグネスタキオン。

 対して口を押さえてプルプル震えているのがマンハッタンカフェだ。

 そんな二人を見たところでジャックは何の痛痒もない。

 静かにコーヒーを飲む。

 

「そんなことよりも問題はキングヘイローのことだ」

「そんなこと!」

「ぶ……なんでもないです」

 

 シンボリルドルフをそんなこと扱いにアグネスタキオンは指を差して笑い、マンハッタンカフェはとうとうお手々のダムが決壊した。

 それほどまでにシンボリルドルフという象徴は学園生にとって大きなものなのだ。

 彼女たちは決してジャックをバカにしているのではない。

 これがジャックの本心だと分かっているからおかしいのだ。

 

 どちらかと言えば問題児グループの二人にとって生徒会とは煙たい存在だ。

 問題児筆頭のアグネスタキオンにしても、他者との付き合いが苦手で目をかけられているマンハッタンカフェにしても思うところは同じ。

 

 “放っておいて欲しい”。

 

 そんな相手を排除するだのそんなこと扱いするのだから痛快と呼ばずしてなんと呼ぼう。

 できればこの結末はじっくりと眺めたいところだが、それはそれとして巻き込まれるのは嫌だ。

 二人の意見は視線でのみ交わされ、合意のもとに決着する。

 何か進展があれば連絡を取り合うことが約束された。

 

「それで、お嬢様がなんだっていうんだい?

 昨日も元気に死ぬまで走ってたじゃないか」

 

 うらやましい話だ、とまでは口にしなかったが皮肉が口に乗らなかったと言えば嘘になる。

 誰にも告げてはいないがガラスの足を持つアグネスタキオンにとって連日無茶なトレーニングを続けても壊れる様子のないキングヘイローの頑強さは垂涎の的であった。

 隣の芝は青いものである。

 

「追い込んではいるのだが結果が伴わん。どうしたものか、考えていた」

 

 そう言ってコーヒーを見つめるジャック。

 女子二人がまたしても視線で会話をする。

 結論は下手に口を出さない方がいい、だった。

 

 彼は相談をしたいのではない。

 そう察せる程度に仲のいいマンハッタンカフェは“きっと愚痴りたいだけだよ”と瞳を閉じた。

 でもそれで黙れるなら生徒会に目を付けられていないアグネスタキオンだ。

 彼女は優雅に紅茶の香りを楽しみながら口を動かした。

 

「それじゃあ会長様との勝負で決めればいいさ。

 何にせよ彼女の意見を通せば無茶はやれなくなる。逆ならば好きにしたらいい」

「……そうだな、これも一つの契機か」

 

 アグネスタキオンからのありがたいお言葉に頷き、コーヒーを飲み干す。

 すっかりといい時間になっている。

 きっと今頃キングヘイローも準備運動を開始している頃だろう。

 顔を合わせたら小言から始まるに違いない。

 

「では俺は行こう、またな」

「はい」

「次は私のオススメの紅茶を紹介しようじゃないか」

 

 二人に見送られて席を立つジャック。

 再会は意外なほど早いことになるのだが、この時の三人にそれを知る術はなかった。

 

 




急募:サイレンススズカに20連敗した後にシンボリルドルフと戦うことになったキングヘイローがこの先生き残るには。

次回、『何あれ走るライトニング・ボルテックスじゃん』にアクセラレーション!
 
 


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クラシック級/9月後半:紅蓮と紫電

 
本作とは全く関係ないんですが最近大天使チエリエルの声優さんが大空直美だと気づいて驚愕しました。あのエンジェルボイスがタマモクロスと同じ声ってマジ?

それと本編ですが途中から何を書いてるのか分からなくなってきたので投稿です。
 
 


 

「あら、会長お疲れ様です」

「スズカか。うむ、今日も精が出るな」

 

 シンボリルドルフの登場に一瞬の間があって、周囲から挨拶の嵐が巻き起こる。

 ここは数ある練習会場の一つ。

 いつもより人の数が随分多いのは気のせいではない。

 

 飛んでくる挨拶の全てに笑顔と手振りで答えるシンボリルドルフにそっと近づくサイレンススズカ。

 その顔は少しの困惑を載せていた。

 

「会長、キングちゃんとレースするって本当ですか?」

「……ああ、それで人が多いのか」

 

 噂が飛び交っているらしいとその言葉で察する。

 レース場には走らずに準備運動をしている者も多いが、脇で話し込んでいるだけの娘も多い。

 観客席も生徒やトレーナーでちらほらと埋まっているのが見える。

 不確定な情報―――噂の段階でこれなのだから注目度はかなり高いと言えた。

 

「その通りだ、さっそく今から申し込もうと思っていてな。

 彼女らはこちらに来ているだろうか」

 

 困惑の色を思案に変え、んゅと唸るサイレンススズカ。

 それから言い辛そうに口を開けた。

 

「ちょっと待ってあげた方がいいかもしれません」

 

 視線が示した先には仁王立ちするトレーナー(ジャック)にキングヘイローがガミガミお説教をしている姿があった。

 ちょっと聞いてるの!だのまた高いコーヒー飲んで!だのそれなら食事にお金をかけなさい!だの、年ごろの娘らしからぬ説教が続いている。

 ジャックの偏食は今に始まったことではないので矯正するのは難しいだろうが言い続けて一年半、キングヘイローが諦める様子はない。

 そしてトレーナー室に積まれているカップラーメンがなくなることもない。

 当初の遅刻への注意はどこへやら、である。

 

「ふふっ、元気なようで結構。血行も良いようだ」

「レースは決行ですか」

「ああ」

 

 サイレンススズカのまさかの被せに盗み聞きしている数人のウマ娘が噴き出した。

 ちなみにサイレンススズカは純度100%天然の発言である。

 会長の抱腹絶倒激ウマギャグにも気づいていない。

 

 ウマ娘だけに、なんてな。

 

「ではレースの邪魔になってもいけないので私は隣のレーンに行きますね」

「すまないな」

「いえいえ、キングちゃんにはいい経験でしょうし」

 

 見学よりも走ることを優先したサイレンススズカの発言は実にいつも通りだ。

 エアグルーヴを通してサイレンススズカとキングヘイローの関係を聞いていただけに少し肩透かしを食らった気分である。

 激ウマギャグをスルーされたとかは関係ない。

 

「そうそう、一つだけ会長にアドバイスです」

「アドバイス? 聞かせてもらおうかな」

 

 同年代からのアドバイスなど中々ない経験だ。

 少々気持ちを弾ませながら耳を向ければいたずらっぽい笑みが返ってきた。

 同性でも頬を赤らめてしまうような輝いた笑み。

 夏合宿を終えてから表情の端々が輝くようになったサイレンススズカは順調にファンを増やしているらしいと聞いたが、嘘偽りではないようだ。

 思えばこれほどしっかりとサイレンススズカと会話した記憶もない。

 人当たりが良くなったのだろう、素晴らしいことだ。

 

「あんまりキングちゃんを舐めちゃ痛い目見ますよ?」

「む、舐めているつもりはないが……いや、折角の忠言だ、心しよう」

「うふふ、では失礼しますね」

 

 そして輝く笑顔のまま行ってしまった。

 舐めるなという忠言の真意がどこにあるかは分からないが、一層気を引き締めようと瞳を閉じる。

 きっちり一秒。

 目を開いたシンボリルドルフが長髪を翻す。

 

「ジャック・アトラス、並びにキングヘイロー。

 約束通り、レースを申し込みに来たぞ!」

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「レース? 私が? 会長と? なんで? ……ん???? どして?????」

「昨日の今日でお出ましとは、せっかちな女だ」

 

 ジャックが話をまとめて戻ってきてもキングヘイローの混乱は収まっていなかった。

 予め噂を聞きつけていればまだ気持ちの準備もできたであろうが、今日のお昼はカワカミプリンセスへのマナー講習として時間を使ったため、その類の情報を仕入れられなかったのがあまりに痛い。

 取り巻きメンバーも心配そうに見つめてくる中、キングヘイローはぐるぐるお目々で自分のほっぺたを引っ張っていた。

 

 ぷるんっ。

 

 張りも弾力も一流のお肌だ。

 ついでに痛いから夢じゃない。

 

「いつまで惚けている」

「???? どうして夢じゃないの?」

「いいから聞け。距離は1600、このコースをそのまま使う。

 メンバーは二人のみ、サシでの一発勝負だ」

 

 ぽくぽくぽく、ちーん。

 

「トレーナー、また貴方が何かやらかしたでしょう?」

「こちらが勝てば生徒会公認で特訓を続けられる、負ければトレーニングに制限を架せられる。分かったか」

「はぁ?」

 

 どうしてそんな事態になっているのか、微塵も理解できないまま着々と準備が進められている。

 気が付いた時にはレース用の蹄鉄シューズを履かされていた。

 

「レース展開だが、こちらが先行で引っ張る形が良いだろう。

 最後の直線でよーいドンの差し勝負になればさすがに勝ち目がない。そうならんようにうまく逃げろ」

「って言っても会長は先攻もできるのよ? ピッタリ張り付かれたらどうするの」

「そうはならん」

「そう……分かったわ」

 

 まるで意味が分からんぞ!という状態だが、レースをやるとなれば話は別だ。

 ゴチャゴチャ余計なことを考えていないで気持ちをレースに向けるのが最優先。

 パンと両頬を叩いて心機一転、思考を切り替える。

 

「仕掛けどころは?」

「任せる」

「他に注意点は?」

「プレッシャーにだけは負けるな」

「そう」

 

 短い応酬で気持ちも切り替わった。

 とりあえず今は会長に勝つ、それだけを念頭に置いて頑張ろう。

 そんな風にして準備が整ったところにシンボリルドルフの声が差し込まれた。

 

「聞き忘れていたのだが、何秒欲しい?」

「は?」

 

 すとんとキングヘイローから表情が消える。

 柔軟を済ませて涼しい顔のシンボリルドルフは続けて問いかけた。

 

「そちらの得意な距離というだけでは足りんだろう、二秒か三秒と言ったところか」

「不要―――「舐めるのも大概にしなさい」

 

 ジャックを押しのけてキングヘイローが立つ。

 瞳にはもう火が入っていた。

 無理もあるまい、まともにやれば大差で勝てると言われているのだ。

 世代最強の一翼を担うキングヘイローにとってそれは侮辱以外の何物でもない。

 

「私はデビュー前のウマ娘じゃないの、クラシック級のウマ娘よ」

「そうだな、そして私はシニア級を牽引しているウマ娘だ」

 

 本番のレースでも争う可能性がある相手だとキングヘイローが言えばその本番では大差で勝てると言うのがシンボリルドルフだ。

 どちらにもプライドがある。

 向かい合えば身長差は歴然。

 女性の中でも背の高いシンボリルドルフと、未だ成長期のキングヘイローでは頭一つ分の差があった*1

 体の厚みも違う。

 迫力という点ではどう贔屓目に見てもシンボリルドルフに分がある。

 それでも一歩も引かないのがキングヘイローだ。

 

「レースに絶対はないわ」

「そうだな、そして順当ならば存在する」

「それを覆してこそウマ娘でしょう?」

「無冠の言葉では―――」

 

 言葉はジャックの腕により遮られた。

 今にも掴みかかりかねないキングヘイローを引っ張り出し、小脇に抱える。

 

「こちらは先行策で行く、そちらで勝手に手を抜いて調整すればよかろう」

「……すまない、言いすぎるところだった」

「構わん、多少のマイクパフォーマンスも仕込んでおらん俺の責任だ」

 

 物理的に口を封じられ、スタート地点へと押し込められるキングヘイロー。

 それでもゲートに入れられれば静かになり、集中してしまう。

 不満の色は隠せていないが、こうなったらレースで証明してやるといったところだろうか。

 興奮気味に尻尾が上下していた。

 

「舐めたら痛い目を見る、か……そうさな、驕っていたやもしれん」

 

 思えば七冠の殆どが薄氷を履むが如しの勝利だった。

 その一つ一つを精一杯積み上げてできたのが七冠という偉業だ。

 わき目も降らずに勝利へと邁進していた自信もあるが、七冠を達成できたのは少なくない幸運があってこそ。

 

 それを忘れ、年下相手にはハンデが必要などとどの口で言えたものか。

 ましてや一度も戦ったことのない相手を勝負にもならない格下だと決めつけて。

 驕っていたやも、ではない。

 驕っていたのだ。

 

 それを認め、瞳を閉じて一秒。

 目を見開いたシンボリルドルフは悠然とゲートに身を沈めた。

 

「よかろう、手は抜かん。確実に差し切る」

「上等よ、そうじゃなくちゃ面白くないわ」

 

 二人だけのゲート。

 それは静かに開いた。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「速いですわ……!?」

「カイチョー! がんばれー!!」

 

 後輩二人に連れられて観客席に来たスペシャルウィークは食い入るようにそのレースを見つめていた。

 確かにメジロマックイーンの言うようにペースは速めだ。

 先行するキングヘイローの後を悠々と追いかけるシンボリルドルフ。

 二人の熱がここまで届いてきそうなほど目に見えない力でバチバチやりあっているのが分かる。

 

「これが……キングちゃんのバーニングソウル」

「サブトレはそういうらしいな、アタシらの世代じゃ覇道って呼ばれてたぜ。

 そんで覇道を代名詞にしてたのがあのルドルフだ」

 

 真剣な目で見つめるスペシャルウィークの横、気だるげな目で見降ろしているのがゴールドシップだ。

 覇道に目覚めつつあるスペシャルウィークには二人の攻防が僅かながらに見えている。

 先を行きながらプレッシャーを与え続けるキングヘイロー。

 その覇道を切り裂くようにして紫電を纏ったまま追走するのがシンボリルドルフ。

 質の違いは火を見るよりも明らかだ。

 

「年季が違う、ありゃ最後まで持たないんじゃね?」

「いいえ! キングちゃんはへこたれたりなんかしません!」

 

 手に汗を握りながら二人を見るスペシャルウィークから反対側の観客席にいるのがエルコンドルパサーである。

 静かに独り、その景色を見つめていた。

 あのシンボリルドルフを相手にたった一人で立ち向かう友人の姿を見て、言葉もなく。

 マスクに手をかけ、しかし外すこともないまま、静かに見ていた。

 

「……」

 

 キング、アナタのその不屈に……正直嫉妬デス。

 

「ここ……よし、そこで……うん」

 

 そして観客席の外、ターフの上で見守っているのがグラスワンダー。

 先行するキングヘイローを己の姿と被せて観戦している。

 元々脚質もレースに対する思考も似た二人だ、どうしてもレース展開は似てくる。

 だからこそ己の仮想としてキングヘイローはこれ以上なく適任であった。

 

 自分の考えと同じタイミングで、同じコース取りを行い、シンボリルドルフと戦う。

 だからこそ分かってしまう。

 次の仕掛け、最終コーナーで並ばれてしまうことを。

 

 貴方はこれをどう凌ぎますか、キングさん。

 

「うわー、盛り上がってるねぇ……」

 

 一番遠くの観客は学校の屋上。

 おさぼりウマ娘を自称するセイウンスカイは双眼鏡を手に、レースを見ていた。

 この距離では双眼鏡を使っても豆粒のように小さい姿でしか見えないが、それでも彼女には充分だった。

 観察の合間に食べようと思って広げたポテチは隣に座るニシノフラワーがちまちま食べているだけでちっとも減っていない。

 

「ふーん、会長は最後に大きく膨らんで真っ向勝負ですか。捻じ伏せに来たねぇ」

 

 その言葉通りになった。

 シンボリルドルフは最終コーナーで距離を大きく使って加速する。

 キングヘイローとも充分に距離を取って、妨害を一切させずに力で捻じ伏せる作戦だろう。

 セイウンスカイがシンボリルドルフだったとしても同じ作戦を取る。

 それほどまでにどうしようもない、絶対の一撃である。

 

 だからって、諦めるキングじゃないよね?

 

「どーすんのさ、王様」

「ふふっ、スカイさんったら。そんなに気になるならもっと近くに行けばいいのに」

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「よくぞその若さで、ここまで覇道を扱えたものだ!」

「こん、のぉ!!」

 

 最終コーナー。

 ここまでは先行のまま順調に来れたがこの最終コーナーで背後を行くシンボリルドルフが大きく膨らんで加速してくる。

 振り返らずとも分かる。

 今までは成りを潜めていたこの圧倒的なプレッシャー。

 これこそが皇帝の実力、本懐。

 温存していた末脚を爆発させんとする気配がウマ娘の本能を強く刺激する。

 

 差される!

 本能が叫んでいる。

 それでも手足を動かすしかキングヘイローにできることはない。

 少しでも飲まれればもうダメーと脱落してしまいそうだ。

 

 それだけは何としても嫌だった。

 だから、足を動かす。

 

「だが、これまでだ!」

 

 宣言と同時に紫電が飛び散った。

 いや、本当は分かっている。

 この紫電は幻想で、シンボリルドルフから放たれる威圧感を可視化しているだけ。

 見えている時点で多少なりとも影響を受けている。

 

 気にしたらダメ!

 

 紫電を振り切ったと同時、シンボリルドルフが爆発的に加速する。

 まるで今まで走っていなかったかのようにグングン伸びる。

 必死に走って開けた距離をあっという間に詰められ、コーナーが終わる頃には並ばれていた。

 

 残る直線は400メートル。

 トレーナーは言っていた。

 最後の直線でよーいドンの差し勝負になればさすがに勝ち目がない。

 それをそのまま再現された形である。

 

「ハッ」

 

 歯噛みしたいのを必死にこらえ、フォームを意識する。

 噛みしめたら腕の動きが悪くなってフォームが崩れるから、吐き捨てるようにして笑った。

 キングヘイローが選んだのはサイレンススズカを追い続けて自然と手に入れた最速の姿勢。

 バカみたいに疲れるから長時間は持たないこれで対抗するしかない。

 400メートルは長い、けどこれしかないから躊躇もしない。

 

「く、のっ」

「ほう……!」

 

 顔は下げない。

 腕と足をしっかり振って尻尾の先まで制御してみせる。

 そう意気込んで加速した。

 二人が並ぶ。

 

 抜けない、でも抜かさせない!

 

 意地だけで体を動かしている最中、脳裏をよぎるのはライディングデュエルのクライマックス。

 燃えているかのように熱いトレーナーの鼓動。

 肩口に押し当てられたあの心臓の音がキングヘイローの全身を伝播した。

 伝わったのは魂の燃焼、それに秘められた膨大なエネルギーの一端。

 

 あれが私にもあれば!

 このターフを焼き尽くすほどの熱量があれば!

 魂を燃やせるのならば!

 

「私に! 力を、ちょうだい!!」

 

 ドクンと、鼓動がターフを駆け抜けた。

 

 不意に視界が赤く染まる。

 青い空は赤く、芝生は黒いカーペットに。

 太陽は陰り、分厚い雲が燃える雨を降らす。

 その景色を()()()()、シンボリルドルフは笑顔を張り付かせた。

 笑顔はそのまま歓喜を示している。

 レースの土壇場、決着を目前にしたところでキングヘイローの覇道が姿を変えたのだから。

 

「ならばこちらも!」

 

 だからこそシンボリルドルフは覇道を真正面からぶつけた。

 雷鳴を轟かせて紫電がターフを駆け巡り、神聖な空気の支配する空間へと塗り替える。

 赤い世界と青白い世界がぶつかり合い、少しの拮抗を以て雷撃が紅蓮を討ち果たす。

 

 3/4バ身。

 紅蓮が打ち砕かれたと同時にシンボリルドルフはゴールを割っていた。

 

 キングヘイローが至ったのは時間にして僅か一秒ほど。

 たったそれだけで体力の全てを使い果たした。

 無酸素運動の限界を迎え、どちゃりと倒れる。

 それだけでは勢い止まらずにゴロゴロと転がっていくではないか。

 

「……トレーナー君、もっと他に教えることがあるのではないか?」

「クラッシュ対策は大事だぞ?」

 

 思わずゴール近くで待っていたジャックへそう投げかけてしまう。

 転がり、汗に土と芝が付着して泥だらけになるキングヘイローを見て思うのはあまりに倒れ慣れていることだ。

 転がる前も受け身をしっかり取れていたし、そもそも転がっているのも衝撃を段階的に殺しつつ、後続から踏まれないように退避する目的があるのだろう。

 それも柵に当たらないようにしっかり外側へ転がっている。

 安全に倒れるための手順が身に沁みついていなければあれはできない。

 

「はぁ! はぁ! ……今の、なに?」

 

 大きな呼吸を繰り返し、わずかに見えた世界のぶつかり合いに疑問を呈す。

 答えてくれる人は誰もいなかった。

 

「キングちゃーん!」

「はわわ、大丈夫ー!?」

「タオル持ってきました!」

 

 倒れたままのキングヘイローへ取り巻きメンバーはお約束とばかりに王の世話を焼き始めた。

 具体的には泥と草を払うことから始める。

 ペシペシナギッペシペシハァーンナギッハァーン。

 

「……まぁ、いい。結果は結果だ、分かっているな?」

「糸口を掴んだ今こそ追い込みをかけたいところだが、仕方あるまい」

 

 こうしてキングヘイローは過度な追い込みの禁止とトレーニング時間は19時までの制限をされてしまった。

 菊花賞を前にこの制限は厳しいが、それに勝るやもしれぬ経験を得たのは大きい。

 秋本番を前に勝利の方程式は完成しつつある。

 

 

 

*1
キングヘイローが公式プロフィールより低い。シニアで159cmに到達する。




ここまでまだ一勝もできてない主人公がいるらしいゾ。
こんな異能力バトルっぽいことしてるのは相手が会長だからです。菊花賞では普通のレースになります。たぶん。
この後カフェとタキオンが合流してわちゃわちゃする予定でしたが蛇足っぽかったんでばっさりカットです、無念。


次回、『料理できるんですけど!卵焼きくらい?作れるし!(嘘をつきました)』にアクセラレーション!
 
 


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クラシック級/10月前半:スコーンにジャムを添えて、約束を

 
いつもよりちょっと長くなってしまいましたが気にせず投稿です。
 


 

「どうしましょう、暇だわ……」

 

 先日シンボリルドルフとレースで敗北してからというもの、トレーニングの密度は明らかに減った。

 今まではトレーニング明けから数時間はずっしりとした疲れが取れず、そのまま死んだように眠る日々を過ごしていたが、最近では夕食前にはトレーニングが終わって午後九時からは時間を持て余す始末である。

 疲労を抜くストレッチや遅れ気味だった来年の分の予習を熟してしまえばもうやることがないのだ。

 そういう時は同室のハルウララと遊んであげたり、遊んでもらったり、一緒に勉強したりすれば問題なかった。

 

 だが休日となるとそうはいかない。

 ハルウララは商店街に出かけ、どこかのお店でお手伝いをしている頃だ。

 取り巻きたちもデビューに向けて自主練習をすると言っていたし、同期のみんなもそれは同じ。

 むしろ重賞レースを前にゆっくりしているキングヘイローの方が少数派と言える。

 

 さすがにベッドでゴロゴロしているわけではないが、机に座ってファッション誌を広げたかと思えば立ち上がって寮の中を訳もなく行ったり来たり。

 でも外に出るのは練習をする人たちがどうしても目に入ってしまう。

 トレーニングを禁止されている今のキングヘイローにとってそれは目に毒だった。

 今頃行われているであろうレース中継を見るなど以ての外だ。

 

「疲労を抜くためとは言うけれど、すっかり元気満タンなのよね……」

 

 むしろじっとしていられないくらいにエネルギーを持て余している。

 それこそ走って発散させたい気分だ。

 

「十一時か……」

 

 朝から随分と時間も経ったことだが、体感では朝から晩までこうしている。

 それがまだ半分も経っていないというのだから堪らない。

 七時半までたっぷり寝たせいか眠気は全くなく、二度寝などできそうもない。

 こういう時はショッピングか、と思いはしたが気分じゃない。

 というか気分で言えば走りたいのだ。

 

「トレーナーはどうしてるのかしら」

 

 何気なく思って連絡を取ってみる。

 

『暇』

 

 しばらくして帰ってきた返事がこれだ。

 

『寝てろ』

 

 なんて雑な扱いだろう。

 心のケアもトレーナーの業務でしょう!と憤慨するも、彼にとっても今日は休日なのだ。

 仕方ないかと諦めもつく。

 でも暇なのは変わりないので携帯を握った。

 

『このキングとお昼を共にする権利をあげるわ!』

『カップラーメンを食べるので遠慮する』

 

「かーっ!」

 

 卑しかインスタント食品ばい!

 というかあれほど止めろと言っているのにまだカップラーメンに拘るか。

 止めさせたいところだが生憎とトレーナーの住んでいる場所を知らない。

 

 というか用もないのに二人で出かけるとかもはやそれはデートだろう。

 ファンに疑われるようなことはすまいとため息をついた。

 

「……暇だわ」

 

 そして何となく目についた尻尾の手入れを始めるのだった。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「あら、ニシノフラワーさん?」

「キングさん? 珍しいですね」

 

 たっぷり時間をかけて尻尾の手入れをして早めの昼食をいただいた後、紅茶を飲むためにお湯を沸かそうと寮のキッチンへ顔を出せば、そこにいたのはニシノフラワーだった。

 小さな体に大きなエプロンをして、手には包丁。

 向かう先には一口サイズに切り分けつつある鶏肉があった。

 

「貴方、お料理とかできるのね」

 

 周囲は随分と片付いていて、動きを見なくても分かるほど手慣れている。

 コテンと首を傾げれば照れ笑いが返ってきた。

 

「そんな、得意ってわけでもないですよぅ」

「そうは見えないけれど……今日のお昼は自分で用意するのかしら?

 折角の休みだものね、料理をするのも素敵なことだわ」

「いえ、これは明日のお弁当の仕込みです」

「お弁当?」

 

 トレセン学園は栄養管理の行き届いた学食があり、余程の理由がない限りはそこを利用するのが普通だ。

 何せ食事も立派なトレーニングの一部。

 素人が作る料理とここの学食を比べてはいけない。

 

 ではなぜ寮にキッチンが備え付けられているかというと、趣味人向けのレジャー扱いだ。

 このトレセン学園に通うのは年ごろの娘ということもあって料理やお菓子作りをするのが好きというウマ娘も少なくない。

 生憎とキングヘイローにとっては給湯室くらいの感覚でしかないのだが。

 

 話を戻すとして、休日に息抜き込みで手料理というのと平日に食べる弁当では意味合いが大きく違う。

 ニシノフラワーは自分で食事を管理できるほどの趣味人だったかと言えばそうではないとキングヘイローは記憶している。

 そして普通に学食で食事をしているのを見かけた記憶もある。

 

「貴方、学食派だったわよね」

「えっと……そのぅ……スカイさんが、食べたいと仰っていたので……」

 

 テレテレとした様子で言われてしまえば察するものもある。

 

「貴方たち、そういう仲だったの?」

「いえいえそんな! 特別な仲だとかそんなことは! 決して!」

 

 遅かれ早かれと言ったところだろうか。

 ここは恋に恋するような子も多い学園という世界で、ついでに言えば女子校で、異性と言えば年の離れた先生かトレーナーか用務員さんくらいなもの。

 恋という夢を見たいのならば自然と矢印は同性へと向かう。

 

 それを理屈として理解しているキングヘイローはそのことを変だとは思わないがジェンダーフリー的な、ガチの恋愛感情ではないとも分かっている。

 当然数いる中にガチ勢もいるだろうがこの場合は例外とさせていただきたい。

 同級生の中でもグラスワンダー、スペシャルウィークなどがこの気配を見せているが惚れた張れたの話である以上、深く踏み込むつもりもなかった。

 

「まぁ、セイウンスカイさんはモテるでしょうしね」

 

 そしてアレはどう見ても同性からモテるタイプだ。

 寮長であるフジキセキといい勝負である。

 今では皐月ウマ娘としての称号も持っており、同年代以下からは憧れの存在と言ってもいい。

 小さなこの少女も例外ではなかったということだろう。

 

 全くの余談であるが、そういった一部の嗜好家(百合好き)からキングヘイローへ熱視線が送られているのをご存じだろうか。

 サイレンススズカとは夏合宿で手取り足取り色々と教わっていた。

 それだけでも同室のスペシャルウィークとの三角関係でご飯が止まらないというのに、数日前に行われたシンボリルドルフとの一騎打ち。

 あれが百合フィルターを通すとキミは私のモノだマウントを取られている(壁ドン&キスの)図が浮かび上がるのだからさあ大変。

 すわ年上キラーかと思えば後輩たちからも愛される受け身系主人公体質を発揮。

 同級生とはセイウンスカイと夜のデートをしていたとかエルコンドルパサーと抱き合いながら暖を取っていたなど噂話に事欠かない、もはやなんでもありである。

 今日もメシが美味い。

 

 ウララ? あれはもはや親子の領域だから……。

 閑話休題。

 

「もしよければなんだけど、お茶請けを作るの手伝ってくれないかしら?」

「お茶請けですか?」

「ええ、暇で暇でしょうがないから紅茶を飲もうと思っていたのだけど、貴方の料理を見ていたら暇つぶしには丁度いいかと思って」

「なるほどー」

 

 手早く鶏肉を切りながらニシノフラワーは残りの仕込み手順を考える。

 手癖のような素早さで鶏肉をポリ袋へ入れ、ひょいひょいと調味料を追加してもみ込んでいく。

 ついでに湯がき終わったアスパラガスをざるへ上げておくのも忘れない。

 

「うん、いいですよ。あと少しで終わるのでお手伝いならできます」

「ありがとう、終わったらお礼に美味しい紅茶をごちそうしてあげるわ」

 

 家から持ってきたとっておきの茶葉がまだ残っていたはず、と考えながら腕まくりをする。

 それはガチンコお嬢様がとっておきというだけあってとてもお高い紅茶なのだが、そんなことは欠片も気付けないニシノフラワーはニコニコ笑顔でお礼はそれで充分ですよと頷いた。良い子!

 渡された薄ピンク色のエプロンを身に着けて手をしっかり洗えば準備は完了だ。

 

「ところで何を作る予定なんです?

 お菓子の材料なら皆さん買ってくるので余裕はありますけど」

「そうね、スコーンとか簡単って聞いたことあるわ!」

「定番ですね」

 

 スコーンの手順を思い浮かべながらニシノフラワーはテキパキとアスパラ巻きを作っていく。

 焼き立てはとても美味しいが冷めてもしっかり美味しいお弁当の定番。

 しかも後は甘辛く焼くだけという状態で冷凍保存できる主婦の心強い味方だ。

 

「それじゃあまずは材料があるか確認してください。作り始めてから材料足りないことに気付くととても悲しいので」

「分かったわ!」

 

 ニシノフラワーが次々と上げる材料を探すこと五分。

 慣れないキッチンをあれこれと探し回る羽目になったが、大した数でもないのですぐに集まった。

 

「大丈夫そうですね」

「これ、補充とかは誰がやってるのかしら?」

「気が付いた人が必要だと思ったら、ですかね」

 

 使用するメンバーがほぼ固定されているのでそこは小さなコミュニティらしく軽いフットワークで対応する雰囲気が通例となっている。

 先ほどニシノフラワーが言っていたようにお菓子の材料は余りやすく、使ってくれる分にはまったく困らないのでドシドシ使おうということだった。

 

「あえて言えば卵とニンジンと牛乳は使う機会が多いのでなくなったら補充するようにしてます」

「今回も卵と牛乳は使うわね。でも大丈夫、まだまだ残ってたから」

「残ってるのもそれはそれで問題なんですけど……」

 

 いかんせん腐りやすい生ものなので残るのは良くない。

 が、食料関係は使おうと思えば一瞬で消える類のものでもあるので気にしすぎないのが吉だ。

 

「では次にオーブンを温めましょう」

「え、焼くんだからフライパンを使うんじゃないの?」

 

 このキングヘイローの言葉にニシノフラワーの手が止まった。

 今まで淀みなく動いていた手がピクリとも動かない。

 油の切れたブリキ人形のようにゆっくりと少女が振り返る。

 

「……つかぬ事を伺いますがキングさんは、その……お料理の経験は?」

「任せなさい、すでに調理実習は修めてるわ!」

「お家で手伝ったりとか」

「あら、勝手に厨房に入るとシェフに叱られてしまうわ」

 

 しぇ、シェフ……。

 

 ぽつりと漏れた言葉がすべてを物語っていた。

 そう、あまりにトレーニング姿が泥臭くて庶民っぽい説教の仕方と気安い喋り方で忘れそうになるが彼女はガチンコお嬢様である。

 メジロ家のご令嬢方が分かりやすくお嬢様してるのも手伝ってついつい抜けてしまうがマジにお嬢様なのである。ホントに!

 今着ている服だって見る人が見ればその仕立ての良さにため息がこぼれても仕方のない逸品である。

 それを躊躇なく腕まくりなどするからお嬢様っぽく見えないのだが、キッチンに立つなど叱られて当然の立場なのだ。

 

 実際包丁を握ったのもトレセン学園の家庭科の授業が初めてだったし、包丁を使った相手は卵焼きというより黄色と黒の混合物でしかなかったが。

 つまりキングヘイローにとって焼く=フライパンの出番なのだ。

 ニシノフラワーはそっと頭を抱えた。

 

 ば、バクシン案件ですぅ……。

 

「あ、全自動卵割り機とかないのかしら?」

 

 残念ながらここにはない。

 卵を割る際に力が過剰になりがちなウマ娘用に全自動卵割り機は存在しているのだが、寮のキッチンには不在である。

 何故ならば卵を割るくらい平然とできるような趣味人しかここを使わないから。

 

「ま、いいわ。キングなら卵の一つや二つ華麗に割るくらいワケないわね!」

 

 その自信はどこから湧いてくるのか。

 これだけでもう卵をグシャアする未来しか見えない。

 

「キングさん! まずはオーブンの準備から始めましょう! 卵は私が割りますので!」

「そう?」

 

 それからニシノフラワーの奮闘が始まるのだが長くなるので割愛とさせていただきたい。

 彼女の苦労が理解できるようにキングヘイローの音声をダイジェストでお伝えしよう。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「バターを刻む……刻むなら彫刻刀がいるのではなくって?*1

 

「ああ、大丈夫よ。ニシノフラワーさんのお手を煩わせるまでもないわ、卵は私がにゃあああああ!?」

 

「殻が! ボウルに卵の殻が!」

 

「この生地を切るようにして混ぜる……こんな感じかしら?

 え、包丁で混ぜちゃいけなかったの? ご、ごめんなさい……」

 

「で、生地をボウルから出して畳む!(ベチッ

 ……それで打ち粉って何かしら? え、やだくっついちゃったじゃない!?」

 

「もうべたべたぁ……」

 

「よしできたわ! あとはこれを焼くだけね! 表面に卵黄を塗る? 全部使っちゃったわよ?」

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「すんすん……まだ指からバターの香ばしい匂いがするわ」

「つ、疲れました……」

 

 バターを刻んで材料を混ぜて生地を畳んで切り分けて焼くだけ。

 たったそれだけの工程でニシノフラワーは突っ伏していた。

 キングヘイローの地頭がいいだけに分量を間違えるなどの致命的なミスはなかったが細かいところでミスを取っていくスタイルが中々に大変であった。

 ミスを取り返している内に次のミスを発動させるといういいから一旦止まって!と言いたくなる惨状であったがバクシン具合で言えば例の学級委員長が頭三つほど抜けていたのでどうにかなった感じがある。

 

 キングヘイローはオーブンの前に陣取り、スコーンが焼けていく姿を楽しそうに見つめていた。

 尻尾がフリフリ、ご機嫌な様子がよく伝わってくる。

 それをぼうっと眺めていたら元気が出てきたのか、ニシノフラワーも体を起こした。

 

「そう言えばまだニンジンありましたよね」

 

 誰に言うのでもなく呟いて野菜室の中を見る。

 ニンジンは調理はしないけど生で齧るという人が一定数いるので適当に引っこ抜くわけにはいかない。

 きちんと調理用カゴの中から取らないと無益な諍いが起きてしまうので注意が必要だ。

 実際私のプリン食べたな問題が勃発してしまうのを目撃したことがある。

 それ以来、充分気を付けようと心に誓ったものだ。

 

 ひょいと一本抜いて軽く洗い、五ミリ幅で刻んでいく。

 まな板を叩く音が聞こえたのかキングヘイローが興味深げに近寄ってきた。

 

「何を作るのかしら?」

「スコーンに乗せる用のニンジンジャムを作ろうかなと思いまして」

「ニンジンジャム! 素敵だわ!」

「はい、美味しいですよね」

 

 というわけで刻んだニンジンを鍋に入れて水を投下、煮ると焼くの半々といった具合で煮詰めていく。

 数分で飛ばした水分の匂いに尻尾を揺らしながらミキサーへ。

 あっという間に液状になったニンジンを先ほどの鍋に戻して大量のお砂糖とレモン汁を加える。

 これで数分煮詰めれば完成だ。

 

 だが、それでは粗熱が取れないままスコーンが焼き上がってしまう。

 それはよろしくない。

 どちらかと言えばジャムは冷えた方が美味しいとニシノフラワーは思っている。

 暖かいのもあれはあれで美味しいのだが出来立てのスコーンに乗せるなら冷たい方が大正義だ。

 

「キングさん、ボウルに氷水を作ってください」

「任せなさい!」

 

 しばらくして完成したジャムを背の低い広口のガラスコップへと注ぐ。

 今日使い切る分しか用意していないのでジャム容器を準備していなかったせいだがこれはこれで面白い。

 そしてそのコップを氷の浮かぶ水へ納める。

 キングヘイローも心得たもので、ボウルの中にコップを逆さに立てていい感じの土台にしていた。

 これで氷水の中に沈んでジャムが台無しになることもない。

 

「……なんだか映えそうね」

 

 氷水に沈むガラスコップの中には色鮮やかなニンジンジャム。

 その色がボウルの中に反射していて、見ているだけでも楽しくなる絵面だった。

 思わずスマホでパチリと一枚。

 

「ウマスタに乗せちゃいます?」

「どうせならスコーンと一緒に乗せたいわね」

「いいですね!」

 

 二人して盛り上がって、ジャムをかき混ぜたりしている内にスコーンが焼き上がる音がする。

 さぁ、お茶会の時間だ。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「キングさんはその……短距離には興味ないんでしょうか?」

 

 それはスコーンと共に美味しい紅茶に舌鼓を打って、勢いそのままに紅茶をおかわりして持ってきた食パンに残ったジャムを載せてちまちま食べ進めていた時のことだ。

 とても言い辛そうにニシノフラワーが問いかけてきた。

 

「今のところ走る予定はないわね」

「ですよね……」

 

 何せクラシックの王道を直走っている最中だ。

 シニアを迎えても目指す先は春秋の天皇賞である。

 足を延ばしたとしてもせいぜいがマイルの重賞くらいで、短距離にまで手を出す余裕はない。

 

「どうしてそのようなことを?」

「……スカイさんの目が追いかけてるのはいつもキングさんのことなんです」

 

 そう来たかーと頭を抱えそうになるキングヘイローに先んじてニシノフラワーが手振りを交えて否定する。

 例えスタートはそこだとしても決してこれは嫉妬の類ではない。

 

「違くて! そういうのではなくて!

 それで、先日の会長とのレース、私も気になって見ていたんですが、遠目でもはっきりわかりました。

 私たちスプリンターの目は誤魔化せません。

 あのラストスパートの走り方、キングさんの脚質は―――」

「そこまで」

 

 小さくても鋭い言葉がニシノフラワーの口に蓋をした。

 有無を言わせない鋭さは彼女の差し足もかくやというほどで、ただ静かに紅茶の香りを楽しんでいる姿からは想像もできないくらい硬いものだった。

 

「キングヘイローの名にかけて、私の行く道は王道と定めているの」

「それは……」

 

 茨の道だと苦悶の表情が物語っている。

 だがそれはとっくの昔からずっと知っていることだ。

 心配してくれてありがとうと苦笑を返す。

 

「でも、貴方には随分とお世話になったわ。

 このお礼も兼ねて勝負したいというのでしたら似合いのレースを見繕うけれど?」

「ありがとうございます。

 私もスプリント一本に絞っているわけではないですから、どこかのマイル戦でぶつかるかもしれません」

 

 でも、と言葉は続いて、しかし止まってしまう。

 下げられた目線が明確に物語っている。

 どうせならばスプリントで、と。

 

「ふふっ、そうよね。心優しい貴方だって立派なトレセン学園の生徒だもの。

 どうせ勝負をつけるのなら全力でやりあいたいだなんて、当たり前ね」

「や、そんな! その……すみません」

「いいのよ。このキング、逃げも隠れもしないわ。貴方の挑戦を受けてあげる」

 

 そう言って微笑むキングヘイローは王道を語る時の硬さなど微塵も残っていない。

 強いて言えば、秋の昼明かりに照らされた鹿毛の頭髪に光の王冠を頂いているくらいか。

 

「シニア一年目は何かと忙しいもの、冬の間にやりましょうか」

「はい、よろしくお願いします」

 

 穏やかに交わされた約束。

 それは後日、大々的に世間へ広まることになるのだが、今はまだその時ではない。

 菊花賞はもう目前にまで迫っていた。

 

 

 

*1
OK、刻んだ!




グッバイ母ちゃんもケーキ焼いた時はそれはもう大変だったんでしょうね。
主に周りの人たちが。


次回、『それは広義の自分磨き』にアクセラレーション!
 
 


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クラシック級/10月前半:己を磨け

 
菊花賞始めようと思ってたんですがこのイベント入れ忘れてたので投稿です。
間延び展開にするつもりはなかったんです!許してください(ジャックが)なんでもしますから!
 
 


「キングちゃーん! ど、どしたらいんだべー!」

「スペシャルウィークさん?」

 

 菊花賞を目前に控え、最終調整に入っていたキングヘイローの下へスペシャルウィークが駆け込んでくる。

 したっと止まるのを見れば調子は良さそうだ。

 その後を追ってくるのは記者だろうか。

 息を切らしながらも足を止めずにここまでくる。

 

「スペシャルウィークさん! あのダービーでの走り、感動しました!」

「次の菊花賞も出場予定ですが意気込みのほどを!」

 

 記者で間違いないようだが、今更そんな取材をしているのを見るに二流の類だ。

 記事を書いた際に一味足りないと感じ、何か面白いネタでも探しているといったところだろうか。

 

「わわっ、みなさん落ち着いてくださいー!」

 

 数名の記者たちから録音機を向けられ、スペシャルウィークがキングヘイローの背中に回り込んだ。

 キングヘイローも呆れた顔でため息を零す。

 それでも振り払ったりせず、そっと尻尾で抱え込んであげる辺りデレが過剰だ。

 

「うぅ、ごめんねキングちゃん。私、こういう取材に慣れてなくて……。

 ど、どうしたらいいんでしょう!? 何を伝えればいいべ!?」

 

 ちょっとしたパニックに陥ってしまっている。

 これではまともな取材もできないだろう。

 だが相手が欲しているのは盛り上がりそうなネタだ。

 このように上がっているウマ娘から強気な発言や作戦の一つでも零れれば御の字と思っている。

 

「……そんなの、質問されたことに答えればいいじゃない。

 無理して面白いことを言おうとなんてしなくていいわ」

 

 軽く肩を叩いてスペシャルウィークを前に押し出す。

 まずは落ち着きなさいと背中を撫でつつ、深呼吸を促した。

 そして数呼吸ほど時間を空けて側を離れる。

 

 スペシャルウィークは向けられっぱなしの録音機を戸惑いながらも見つめた。

 それが合図となり、記者が口を開く。

 

「ずばり! 貴方のライバルは?」

「ら、ライバルですか!? え、えーっと!?」

 

 考えたこともない言葉が飛び出てきて思考は空回りする。

 そこでそのまま走るのに一生懸命で考えたこともありませんとかみんながライバルですとか当たり障りのない答えをできない辺り、初々しさを感じてしまう。

 

 これでもダービーウマ娘だというのに……。

 

 日本ダービーを取った時はこれとは比較にならないほどマイクを向けられていたが、その時はどうしていただろうか。

 思い返してみても自分の気持ちに蓋をするのに精一杯だったことしか記憶にない。

 キングヘイローは人知れず、またため息を零した。

 

 このどこにでもいそうな素朴な少女が一度(ひとたび)ターフに上がれば凄まじい末脚で勝利を掻っ攫う、まるで漫画のようなそのギャップに参ってしまったファンは数知れず。

 今、クラシック級で最も注目を浴びているのはスペシャルウィークで間違いない。

 現に同じ世代最強候補とされる黄金世代のキングヘイローに視線をやる者は一人もいないのだから。

 

 

『あんなに人を惹き付ける走りを見たのは久々よ』

 

 

 母親の言葉が脳裏をよぎる。

 最終調整として動かしていたはずの指先がやけに冷たい。

 

 

『あの子が相手だなんて本当に残念』

 

 

 知らず、奥歯を噛みしめていた。

 耳を伏せ、握っていた拳を努めてゆっくりと開いていく。

 

 

『諦めという感情も沸いたんじゃない?』

 

 

 この言葉を何度思い返したか。

 もはや数えきれなくなるほど繰り返された言葉を先んじて蹴飛ばす。

 

 だからこそ、菊花賞で勝って一流を証明し、世間の誰もが注目せざるをえないような、そんなウマ娘になるために―――

 

「やはり長距離の本命とされるセイウンスカイですか?」

「セイちゃんですか? セイちゃんからは菊花賞と天皇賞(春)に出るって聞きましたけど」

「うおお! マジか!?」

「セイウンスカイからのライバル宣言ですか!? これは熱い!」

 

 誰も自分を見ていない現実に目をつむり、そっと踵を返した。

 

「ってキングちゃん!? 待って待って、一人にしないで!」

「大丈夫よ、貴方の取材の受け方、サマになってるから」

 

 それだけ言って駆けていく。

 止める間もなく、あっという間にその姿は遠くへ。

 入れ替わるように現れたのは大男だ。

 その男の登場にスペシャルウィークの顔が明るくなる。

 ともすればキングヘイロー並みに心強い相手だったからだ。

 

「キングちゃんのトレーナーさん!」

「なんの集まりだ、これは」

 

 実は彼に助けられるのはこれが初めてではないスペシャルウィークは迷いなく彼の背後へ隠れた。

 威圧感のある男の登場に記者たちが一歩後ずさる。

 事情を聞いたジャックはデュエルディスクを展開し、スペシャルウィークをかばうように前へ出た。

 

「貴様ら、正規の手順を踏んでの取材だろうな?

 選手を困らせるような三流記者に取材の許可が下りるとは思わんが。

 御託はいい、聞きたいことがあるのならばデュエルで資格を証明しろ」

 

 結論から言えば噛みついてきた記者の全てをジャックはワンショットで追い返した。ワンターンツーキルゥ。

 その迫力と実力に逃げ去る記者たち。

 どうやら正規の手段に則っていなかったらしい。

 会社名を押さえるのが先だったかと静かに嘆息した。

 

「遊星の奴はどうした、こういう時のための男手だろうに」

「えっと、不動サブトレーナーはスズカさんとレース会場の下見に海外へ……」

「メインのトレーナーは?」

「ゴールドシップさんにPALOスペシャル食らってダウンしてます……」

 

 アタシが一番PALOスペを上手く扱えるんだー!と言い出したゴールドシップがトレーナーを締め上げ、死にかけたトレーナーに追い打ちで今度は逆向きで技を仕掛けるまでがセットだ。

 よって正確にはOLAPを食らってダウンだがスペシャルウィークには細かいことが分からない。

 何がゴールドシップの琴線に触れたのかも分からない。

 とにかく今はトレーナー不在だったのだ。

 

「あ、あの……ありがとうございました!」

「気にするな、俺はキングヘイローの代わりだ」

「キングちゃん、どうしちゃったんだろう」

 

 確かに話の途中で放り投げるなどキングヘイローらしからぬ態度であった。

 いつもなら頼んでもいないのに最後まで面倒を見るのが彼女なのだが。

 

「今は放っておいてやれ、追いかけられても辛いだけだろう」

「え、えーっと……何かあったんですか?」

「何もなかった、が正しい」

 

 その言葉だけでは分からないのだろう。

 未だ困惑の色を残した表情でジャックの顔を見上げるスペシャルウィーク。

 少なくともキングヘイローは彼女にこんな顔をして欲しいわけではない。

 

「時に人は愚かだと分かっていても止まれないことがある。俺もかつてはそうだった。

 友を裏切り、仲間を捨て、偽りの頂点に立ち、満足もできず、しかしそこに固執した。

 愚かなことだった。

 だがあの時間がなければ今の俺はない、そう断言できる」

「……難しいです……」

「ならば分かるように言ってやろう」

 

 そう宣言すればスペシャルウィークは耳をピンと立てて拳を胸の前で強く握る。

 

「教えてください!」

「貴様は難しいことを考えず、菊花賞で戦えばいい」

「菊花賞で?」

「ああ、本気でぶつかれ」

 

 それだけが奴の救いとなるだろう、かつて遊星がそうしてくれたように。

 

 最後までは言葉にしなかった。

 だが分かりやすかったのが良かったのか、スペシャルウィークは何度も頷いていた。

 頷いて、その瞳に火を灯す。

 

「分かりました! 私、全身全霊でキングちゃんと戦います! 走り切ります!」

 

 周囲の人たちが何事かと見つめてくるほどの大きな声での宣言。

 生憎とその言葉は届かせるべき相手には届かなかったようだが、結果は同じだ。

 菊花賞でキングヘイローの命運が決まる。

 それだけのことだった。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「ねぇ、トレーナー。もう少し走ったらダメかしら?」

「また会長にどやされるぞ」

「んもう!」

 

 十月も終盤に差し掛かったこの時期、外は十九時を前にすっかり暗い。

 夕方以降のトレーニングを禁じられたキングヘイローにとってはもどかしい時間だ。

 それも菊花賞を目前に控えた今はなおさらだろう。

 

 逸る気持ちも分かるがそれで無理をされたら本番に差し支える。

 よってキングヘイローはトレーナーに甘えることで逸る気持ちをなんとか抑え込んでいた。

 

「……そう言えば、先日の休暇で貴様が暇と抜かしていたな」

「そーよ、貴方が私の提案を蹴ったことまできっちり覚えてるんだからっ」

 

 しかも日ごろ食べているインスタントラーメンに負けたのだ。

 年頃の少女としてはとてもショッキングな出来事であり、忘れられるはずもない。

 

 今度、このトレーナー室にある分は全部撤去しちゃおうかしら。

 

「この恨みは絶対晴らすんだからね」

「それはどうでもいいとして」

「よくない!」

「暇潰し兼強化案を用意した。勝負服はあるな?」

 

 言われてキングヘイローは部屋の中にある鍵付きのクローゼットを見た。

 そこにクリーニングから帰ってきたばかりの勝負服がスペア共々収まっている。

 

「金具がついているベルトだけを持ってこい」

「分かったわ」

 

 何をするつもりかは知らないがベルトだけならば悪さもできまいと席を立つ。

 新品同様に美しい勝負服からベルトを二つ取り外す。

 金具はKとHのイニシャルでできているお気に入りの逸品だ。

 

「これをどうするのかしら?」

「こいつの出番だ」

 

 彼が取り出したのはスプレー缶のような何かだ。

 いや表面にデカデカと金具磨きSPと書いてあるので研磨剤の類だろうと分かるが。

 

「どして?」

「何がだ」

「どうして磨く必要があるの? 充分綺麗だけど」

「貴様、この金具磨きSP(スペーシアン)が不満だというのか!」

 

 SPでスペーシアン? N(ネオ)はどこいった。

 分かりにくい彼の言葉を読解すると、つまり磨くのは決定事項ということだ。

 その上で文句を言われるということは研磨するアイテムに不満があると理解したのだろう。

 違う、そうじゃない。

 

「んもう! 分かったわよ、やればいいんでしょやれば!」

 

 仕方ないと缶の前に座り込めば織り目の細かい生地が投げ込まれる。

 これを使えということだろうが、生憎と何かを磨くなどという経験はキングヘイローにない。自分磨きを欠かしたことはないが。

 視線でどうしたらいいかを問えばジャックはため息をついてから布を一つ取った。

 この程度でイラッとしていては彼のパートナーは務まらない。

 

 どでかいAの形をしたイヤリングを片方外して机に置く。

 これで試しにやってやろうということだろう。

 普通に口で説明しなさい。

 そう言わないだけキングヘイローは寛大である。

 

「まずはこの布に液状の研磨剤を塗布する」

「ふむふむ」

「そして金具を擦る。これだけだ」

「簡単ね」

「ただし力いっぱいに擦ると表面を傷つけることがある、注意しろ」

 

 特にウマ娘は力が強いため注意が必要だ。

 研磨は撫でるように根気強く繰り返すことが肝要である。

 

 キングヘイローは言われた通り、布に研磨剤を少しだけつけてK字の金具を擦っていく。

 布で包むようにして持ち、こしこしと表面をなぞる。

 変化はすぐに起きた。

 充分綺麗だと思っていた金具がピカピカに輝いたのだ。

 

「え、すごい」

 

 思わずまだ磨いていないHと比べる。

 一目瞭然とはこのこと。

 

 霞が張り付いているような印象とでも言えばいいのか。

 その霞を拭われたKは鏡のように周囲を反射し、光り輝いている。

 まだ磨いていないHはなんというか、普通だ。

 綺麗だが輝いていないし、鏡のように反射している姿も曇って見える。

 

 何が凄いというと、Kにはまだまだ霞が残っているのが分かることだ。

 研磨の足りないところは霞が丸々残っているし、一番研磨したところと数回撫でただけのところでは輝きの深さが異なる。

 つまり全体をたくさん磨けばまだまだ輝けるということ。

 

 それからは黙々と取り組んだ。

 どれほど集中していたかというと夕食を食べ忘れるほど。

 二人静かに金具と向き合う。

 

うっらら~ん、うっららーん♪ ふふんふふふん、うっらら~ん、うっららーん♪

 

「「はっ」」

 

 二人が意識を取り戻したのはキングヘイローの着信音が鳴り響いた時だ。

 キングヘイローは素早く携帯電話を手に取り、ジャックは備え付けの時計を見た。

 すでに二十時を回っている。

 一時間もの間、二人は一言も喋らずに手を動かしていたことになる。

 

「ああ、ごめんなさいウララさん。ええ、すぐ戻るわ!」

「ところで貴様、何だその着信音は」

「ウララさんが私のためにって歌ってくれたのよ、素敵でしょう!?」

 

 反論は許さぬという圧を受け、ジャックは顔をそらして嘆息した。

 どうやらいつものお風呂の時間になっても戻ってこないキングヘイローを心配してハルウララが電話を掛けてくれたようだ。

 それがなければ門限を超えるまでこうしていたかもしれない。

 キングヘイローはしっかりとハルウララに感謝の言葉を述べてから電話を切る。

 

 手早く仕上げを行い、未使用の綺麗な部分で研磨剤を拭き取れば完成だ。

 感慨深さを感じる間もなくベルトをもとの位置へと付ける。

 

「あら、いいじゃない」

 

 思わず言葉が漏れた。

 それほど美しく仕上がっていたのだ。

 今から着るのが楽しみなほど服全体が輝いて見える。

 

「勝負服はウマ娘にとって想いの力の代名詞だ。

 それを磨くということはつまり己を磨くということに他ならない。

 業者に任せたからといって手入れを怠るなよ」

「何よ、ちょっとびっくりするぐらい効果がありそうじゃないの!」

 

 少なくとも次のレースをこれほど心待ちにするなんて、それこそ勝負服が初めて手元に届いた時以来ではないだろうか。

 ワクワクとした気持ちを詰め込むようにクローゼットを閉じる。

 振り返った彼女はニンマリとした笑みを隠そうともしない。

 

「うふふん、菊花賞の楽しみが増えたわね」

 

 指先についた金属汚れを伸ばすように擦り、しかし尻尾は元気いっぱいに揺れている。

 ともすれば歌いだしそうなほど彼女は浮かれていた。

 

「ああ、見せつけてやれ」

「ええ! キングヘイローがここにいるってこと、世間に知らしめてあげるわ!

 おーほっほっほ!」

 

 キレのある高笑いが響き渡った。

 絶好調のままキングヘイローは菊花賞を迎えることになる。

 

 




皆さんお待ちかねッ!!
様々な試練を乗り越えてきたキングヘイロー!
その前に立ちはだかるのは二人のウマ娘!
迎えるはクラシック級の最高峰、菊花賞!
今、ライバルたちとの戦いのファンファーレが鳴り響くのです!
勝つのは最も速いのウマ娘か、最も幸運のウマ娘か……それとも―――。

次回、疾走決闘伝ウマ娘!!
『ジャック散る! キング涙の必殺拳』にぃ、レディィィィゴーッ!!
 
 


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クラシック級/10月後半:菊花賞

 
皆さまは覚えておいででしょうか。
前回までのキングヘイローは錆びた刀で木を切るかのような特訓の日々をすごしていました。
そんな彼女が目標として掲げていたのが菊花賞。
そう、クラシックの王者を決めようというのです。
ジャックと二人三脚の日々を続け、闘ってきたのも今日という日のため。

ライバルとして立ちはだかるのは見違えるほどに力を付けたセイウンスカイとスペシャルウィークではありませんか。
彼女たちもまた修行を終え、この地にやってきたのです……!

それでは! URAファイト、レディィィィゴーゥ!!

(デレレーン、デデデーデーデーン)『ジャック散る! キング涙の必殺拳』
 
 


 

 菊花賞。

 京都競バ場で行われる芝3000のコースはその距離の長さもさることながら高低差4.3メートルの坂を二度登るタフネスさが求められるレースだ。

 スピードとタフネス、その二つを兼ね備えていなければ勝利はできない過酷なレースであり、勝者は“最も強いウマ娘”の栄誉を賜る。

 クラシックの頂点にして終結。

 僅か三分少々の時間に人々は、ウマ娘たちは夢を見る。

 

 特に今年のクラシック級は才あるウマ娘がそろった黄金世代。

 残念ながらグラスワンダーとエルコンドルパサーは出走を辞退してしまったが二人のジャパンカップ出場という吉報に人々は沸いた。

 だからこそ残る三人のウマ娘へと注目が集まる。

 始まってみれば三番人気まで彼女らが独占するのだからその期待の高さが伺えた。

 

 中でも一番人気はセイウンスカイ。

 皐月賞を奪い去った最も速いウマ娘であり、生粋のステイヤーだ。

 実力、適正、魅力、すべてにおいて文句なしの大本命。

 二冠の栄誉を掴むのは彼女か。

 

 三番人気はキングヘイロー。

 長距離もできる秀才だが過去の成績を見る限り本質はマイラーであり、三番人気に落ち着いた。

 むしろ他のステイヤーを差し置いて三番人気に居座る辺り、根強いファンがいるのが伺える。

 果たして、無冠の王者は今度こそ戴冠を許されるのだろうか。

 

 そして二番人気はスペシャルウィーク。

 日本ダービーを圧倒的な実力で以て勝ち取った最も運のあるウマ娘。

 確かな実力があって、その上で運がなければ得られない栄冠を胸にターフへと降り立つ。

 適正は中・長距離であり、ダービーウマ娘の実力は存分に発揮できるはず。

 対抗バの下バ評通り、その二番人気という事実が期待の高さを伺わせた。

 

 その彼女らがレース会場に現れ、観客は大いに沸いた。

 クラシックの決着を迎える今日という日を待ちわびていたのだろう。

 歓声や声援が飛び交い、誰に向けた言葉なのかもわからない。

 そんな中を悠然と行くウマ娘が一人。

 ダービーウマ娘、スペシャルウィークだ。

 

 幾人かのウマ娘たちがビクリと身を震わせる。

 彼女がゲートを前にした光景が日本ダービーを連想させたからだろう。

 あのレースは彼女たちにとってトラウマになりかかっていた。

 

 あの子たちもうこのレースじゃダメだな……。

 

 セイウンスカイが内心で冷酷な判断を下す。

 あの時スペシャルウィークに付けられた格付けを取っ払うには時間と実績が足りていない。

 少なくともこのレース中に覆すのは無理だろう。

 

「キングちゃん」

 

 振り返った彼女は日本ダービーの時とは打って変わって冷静だった。

 冷静に燃えていた。

 瞳に宿した強い意志がキングヘイローを貫く。

 

「私ね、走るよ。最後まで、全力全開で!」

 

 宣言された方は鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をしていた。

 まさかスペシャルウィークにそんなことを言われるとは思ってもいなかったのだろう。

 私?とでも言うように自分へと指を向けていた。

 

 周りで見ていた他のウマ娘たちも似たような気持ちだった。

 そこはセイウンスカイじゃないの?と。

 だが当のセイウンスカイはスペシャルウィークに賛成だった。

 今ここの中で一番警戒しなくてはいけない相手は誰?と聞かれれば迷わずキングヘイローの名をあげるくらいには彼女のことを意識している。

 

 周りはセイウンスカイが本命だと無責任に言ってくれるが冗談ではない。

 キングヘイローの仕上がりを見てまだそんなことが言えるのか?

 そう叫び出したい気持ちでいっぱいだった。

 

「キングちゃんと戦いたい……うん、勝ちたいの」

「貴方……」

 

 スペシャルウィークとは誰かに勝ちたいという思いで走るウマ娘ではなかった。

 走るのが楽しい。

 その気持ちを全面に押し出す……そう、サイレンススズカのような走り方をするタイプだ。

 あそこまで求道に生きておらず、みんなと走るから楽しいという亜種であるが。

 その彼女が明確に敵を見定めた。

 初めてのことにキングヘイローは戸惑い、セイウンスカイはそれを興味深げに眺めた。

 

「だから全身全霊で勝ちに行くね」

「……そう、なら相手になるわ」

 

 短く答え、ゲートの前で並び立つ。

 宣言をするのならばスタートラインは同じがよかったから。

 

「私に目を付けたのは褒めてあげる、貴方の敵はこのキングよ!」

「うん!」

「ちょいちょい、一番人気の私を差し置いて何やってんのさ」

 

 いつもならスルーしてしれっと勝ちに行くところだけど、気が付いた時には声をかけていた。

 セイウンスカイはそんな自分に内心呆れつつも涼しげな顔でゲートイン。

 手をひらひらと振ってこっちにおいでと呼びかける。

 

「おいでよ、誰が一番強いか教えてあげるから」

「セイちゃんにだって負けません!」

「もー! 勝つのはこの私、キングヘイローよ!」

 

 立て続けに二人がゲートイン。

 日本ダービーのような圧力をまき散らすことがなく、ひとまず一安心といった風に何人かのウマ娘がため息を零した。

 彼女らにとって本当の地獄が始まるのはこの後のことだった。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

 私のターン―――ドローッ!

 

 がたんとゲートが口を開き、一斉にウマ娘たちが駆けだす。

 出遅れは二人。

 スペシャルウィークに呑まれていた娘二人だった。

 それらの状況を見渡し、キングヘイローは静かに場を眺めた。

 

 ステイヤーは三人、菊花賞に狙いを定めてきた者たちは全てが好スタートを切っている。

 まずは頭を叩く。

 そう判断してキングヘイローは一度己の胸を叩いた。

 

 ドクンッ。

 

 セイウンスカイは悠々とハナを走る。

 そんな彼女の背を押したのは言うまでもない、キングヘイローの熱気を伴うプレッシャーだった。

 首がチリチリと焼けるように熱い。

 背をぐいぐいと押されるような感覚は掛かっていると自覚させるほどのものだ。

 努めてゆっくり走っているつもりでも足は前へ前へと焦っている。

 

 何さこれ、やばっ。

 

 プレッシャーは一つじゃない。

 それは背後から幾つも来た。

 ドミノ倒しのような焦りの伝播が周囲を走らせ、セイウンスカイたち先頭集団は突き上げを食らって速度を上げざるを得なかった。

 もし速度を上げなければこのまま呑まれて終わる。

 特に一番人気のセイウンスカイは厳しいマークを付けられるだろう。

 まともに考えて下がるなんて選択肢はない。

 

 救いがあるとすればこの速い展開は長続きしないことだろうか。

 キングヘイローがずっと威圧し続けるなんてことをすればその彼女が一番最初にバテるのは当然。

 どこかで息を入れる。

 そこでしっかりと集団を御せばいい。

 

 冷静に展開を読みながらセイウンスカイが集団を引っ剥っていくと不意に威圧感がなくなった。

 時間にして一分ほど経った頃だろうか。

 ほっとしたような雰囲気が浸透する

 みんな一息入れたいところだろう、ペースダウンをするのはそう難しいことじゃない。

 ―――はずだった。

 

「行きますよ?」

 

 そう遠くない位置から聞こえた小さな声。

 ぽつりと漏らしただけの言葉が嫌に響き渡った。

 発言をしたのはスペシャルウィークだ。

 声で分かったし、次の瞬間から放たれ始めた威圧感は忘れようもない。

 日本ダービーで見せたあのプレッシャーが集団を飲み込むのに一秒も必要なかった。

 

 声なき悲鳴が聞こえるような再加速。

 徹底的な逃げ潰しの展開にセイウンスカイはそこまでやるかと叫びたくなる。

 このままではまずい、早急に手を打つ必要がある。

 セイウンスカイはちらりと背後を見てそろばんを弾く。

 

 そっちがタッグを組むならこっちだってやりようはあるさ!

 

 作戦を決め込むと今まで先頭を行っていたセイウンスカイは二位の後ろに付けた。

 風よけとしては壁が小さいがないより余程マシだ。

 

「背中を失礼」

「ちょっと! ……もー!」

 

 そのウマ娘はキングヘイローばりの文句を言いながらセイウンスカイの作戦に乗ることに決めた。

 というかそうするしかない。

 

 差しウマほど抜け出しが得意ではない逃げ・先行型を専門とするこの先行集団は先ほども説明したように後方集団に呑まれればおしまいだ。

 だから先行集団は手を組み、代わる代わる先頭を行って体力の消耗を押さえようという作戦に出た。

 あちらが体力を削ってくるなら手を組んで温存策に出ようという訳だ。

 進路妨害にならないようにだけ注意が必要だったが今のところ上手くいっている。

 

 普通はこんな動きはあり得ない。

 レースである以上、みんな協力し合って最後まで、とはいかないのでどこかで裏切られることになるからだ。

 誰だって出し抜かれたくはない。

 だからこそ鍛えぬいた己の体だけで勝負をするのが本来の姿である。

 

 ひょっとしたら観客席はざわめいているかもしれないが知ったこっちゃないのだ。

 そんな呑気なことが言える空気ではない。

 もし文句があるなら代わりにこのプレッシャーの中で逃げてみて欲しい。

 セイウンスカイたち先頭集団の意見はそれで全会一致を見た。

 

 このプレッシャーの中でまだ勝負を捨ててない彼女たちは根性がある方だ。

 ハイペースで進むレースに付いてこれなくなったウマ娘は脱落気味に最後方の集団へ固まる。

 いつそこに押し込まれてもおかしくない中、ひたすらターフを蹴りつける。

 

 彼女たち先頭集団の心の支えはセイウンスカイの存在だ。

 あの子なら最終コーナーまで私たちを連れて行ってくれる。

 そんな淡い希望を抱いてセイウンスカイが先頭の番だと顔を横へ向ければ、そこには誰も居なかった。

 

「は?」

 

 戸惑いは一瞬で伝わった。

 どういうことだと混乱しつつもローテーションを続ける。

 今更これを止めることもできなかった。

 これが空中分解した時、自分たちは残らず食われると理解していたからだ

 

 ホント、助かったー。

 

 そう息をつくのはセイウンスカイその人。

 後方集団の丁度真ん中に彼女はいた。

 ほど近いところにキングヘイローがいて、呆れたような顔をしている。

 

 焚きつけておいてしれっと抜けるの、セイウンスカイさんらしいと言えばそうでしょうけど。

 

 どうあれこれで先頭集団がぐずぐずになるのも時間の問題となった。

 レースももう2/3を切っていて、スペシャルウィークからの圧力も消えている。

 スタート地点の辺りをついさっき通り過ぎたのでまた坂を登るところだ。

 ここでセイウンスカイを捕らえられたのは大きい。

 

 差し勝負でなら負けない自信があるキングヘイローはこの結果をひとまず良しとする。

 それを分かっているはずのセイウンスカイが自分から下がってきた疑問は脇に置いた。

 

 問題はここから……。

 

 坂を登りながらスタミナとの相談を始める。

 この坂を下りて大きなコーナーを抜ければ最後の直線だ。

 抜け出すための位置取りは坂を下ってからすぐにでも始まる。

 

 先頭集団は最終コーナーの間で垂れておしまいだろう。

 後は抜け出すタイミングと、彼女たちが壁にならないように見極めて動く必要がある。

 

 そうして坂を登り切り、頂上から見渡せる一瞬の視界で判断を下した。

 脳裏に描いた軌跡に自らが戸惑う。

 彗星のような力強い線がキングヘイローのすぐ側を駆け抜けているからだ。

 その流れに乗る、と決めたがそれはいったい誰の描く線なのか。

 今更説明など必要ないだろう。

 

『ああっとここでセイウンスカイが仕掛けた!』

 

 下り坂を利用して加速というのは彼女の脚質に合っていない。

 下手を打てば転ぶ危険な、いっそ無鉄砲と言ってもいい仕掛け方だった。

 ゴールまでの距離もまだ長い。

 あまりのロングスパートに本当について行っていいのか一瞬迷ってしまった。

 

 その一瞬が出遅れに繋がり、セイウンスカイは外を回り込むようにして先へ。

 彼女の背後にはぴったりとスペシャルウィークが張り付いていた。

 

 これ、速い……!?

 

 殆ど直感に従って追随したスペシャルウィークは振り落とされそうな加速の中を走っていた。

 どう考えてもこれでは最後まで持たない。

 だが降りてしまえば勝てない気がする。

 セイウンスカイからは“勝ちを狙う走り”をひしひしと感じ取れる。

 

 セイちゃんは走り切るつもりだ……なら私だって!

 

 最後まで全身全霊で食らいつくまで。

 そう腹を据えて追随した。

 

 釣れたのはスペちゃんだけか、さすがにキングは冷静だよ。

 

 対して高速の中でセイウンスカイは静かに展開を読んでいた。

 序盤からのハイペースは想定外であったがこの降り坂からのロングスパートは夏の間からトレーナーと相談して決めた戦法である。

 そのために体を仕上げてきた。

 このために坂の前で息を入れた。

 例えスペシャルウィークとキングヘイローが付いてこようと差し型の二人ではこのロングスパートは付いてこれず、自滅するだけ。

 エルコンドルパサーだけが厄介な相手だったが、生憎と彼女はここにはいない。

 そして勝つために必要な言葉はもう仕込んである。

 

 加速した二人は崩れかけの先頭集団へあっという間に追いつく。

 背後から来た存在感を彼女たちは本能で察知する。

 つまり大本命様のお通りだと。

 

 させぬとばかりに三人は内と外をそれぞれ閉めた。

 これで開いているのは大外のみ。

 だがコーナーからの加速で大外を通るともなればとてもスタミナは持たないだろう。

 一度ここで捕まり、最終コーナーからまた加速し始めるしかない。

 背を追うスペシャルウィークが思わずそう判断してしまうほど息の合った完璧な対応だった。

 だがこの展開を読んでいたセイウンスカイは当然ながら応手を用意している。

 

「左から失礼」

 

 肉薄しつつ内側を行く娘へと言葉をそっと差し込んだ。

 まさに半歩ほど隙間が空いた瞬間の言葉、この間を抜けるつもりかと左側を閉める。

 少し前に同じようなセリフから今の苦境に立たされたのも相まって素早い反応だった。

 それが(あだ)となる。

 

 直後、セイウンスカイは()()の内を突いた。

 単純ながらも効果は絶大。

 一瞬の判断が命取りになる勝負で平然とブラフを投げ込むのがセイウンスカイというウマ娘だった。

 降り坂の大外から内へ。

 コーナーの横Gを打ち消すアウトインアウトの道程を高速で駆け抜けていった。

 

「!?」

 

 驚きに目を見開いた彼女が見たのは息苦しさに顔を歪めながらも笑うセイウンスカイの横顔と、その後ろを追うスペシャルウィークの靡く髪だった。

 それでぷつりと緊張の糸が切れた。

 敗北を知った彼女たち先頭集団が失速する。

 いわゆるもうダメー状態だ。

 

 垂れる彼女らを置いて先頭を奪った二人は最終コーナーを抜ける。

 本来はここからがラストスパート。

 だがとっくにスパートはかかっている。

 残り400メートルが遠い。

 

 息が切れる。

 肺と心臓が痛い。

 手足が酸欠に痺れている。

 どれだけ息を吸っても酸素が頭まで回らずに意識が朦朧とし始める。

 だが手足を動かすのだけは止めない。

 スペシャルウィークは霞がかった頭で考える。

 

 くっついてるだけじゃダメ、追い抜かないと!

 

 わずかに内へ。

 抜け出しの準備はそれでおしまい、邪魔してくるモノは鬱陶しい風以外一つもない。

 後は力勝負。

 それこそスペシャルウィークの望むところだった。

 

 悪いけど、勝つのは私だ!

 

 全身全霊を込めたスペシャルウィークの加速が、しかし足りない。

 天下一品の末脚はこのロングスパートで見る影もなくなっていた。

 対してセイウンスカイの脚は衰えを見せないままじりじりと距離を離していく。

 

 夏合宿から仕上げてきた体は彼女の狙い通りの力を発揮している。

 決して楽勝という訳ではない。

 だがしかしこのまま行けば勝てるという手応えがあった。

 

 残り300メートル。

 いつもなら一息で走り切れる距離だというのに、それがあまりに長い。

 観客席からの声援さえも圧として感じてしまい、邪魔だと跳ね除けたくなる。

 それほど二人は懸命にターフを蹴りつける、その一瞬。

 ぞくりと背筋に怖気が奔った。

 

「「―――ッ!?」」

 

 世界が暗転する。

 冴え冴えとした秋の青空は赤く染まり、ターフは黒に。

 横たわるレーンがやたら白く、目に痛いほどだ。

 

 酸欠がとうとう目にまで及んだかとセイウンスカイは思いたかった。

 だが本当は理解している。

 ろくに頭が回らない今の状態でも察することができる。

 

 熱風の渦巻く世界にしとしとと燃える雨が降る。

 その中を切り裂くようにして進むのはキングヘイロー。

 集団を発射台にした代償として勝負服を泥と汗で汚した姿で赤の世界を往く。

 

 このお嬢様は、ホントに毎度毎度! ラクさせてくれないなー!

 

 何故だかセイウンスカイから笑顔が零れた。

 負けたくないという想いを一層強く願い、燃える雨の中を直走る。

 

 キングちゃん……私ね、最後まで戦うよ!

 

 スペシャルウィークも出し切ったはずの末脚に冴えが戻る。

 赤い世界を拒絶するような彗星の衝撃が彼女を中心に広がった。

 

 そしてセイウンスカイとスペシャルウィークが加速する。

 あっという間に残り100メートル。

 キングヘイローが追い付いてきたというだけで二人の疲れに対する意識は吹っ飛んでいた。

 

 どきなさい、キングなのよ! 私はッ!!

 

 例のやたら疲れるがやたら速いフォーム―――スプリントスタイルで背を追うキングヘイローは未だに追いつけない事実に唾を吐きたい気分だった。

 具体的には私のへっぽこ!とか貴方たち体力お化けなのかしら!とかだ。

 だがそんな余裕はどこにもなく、必死になって距離を詰める。

 

 僅か数秒で霧散した赤い世界から抜け出し、ちぎれてしまいそうなほど手足を動かす。

 太腿から先の感覚はとっくに消えている。

 痛いとか疲れたとかそういうシグナルを感じ取る機能はスプリントスタイルを初めて十秒くらいで留守になったし、倒れる寸前はだいたいいつもこうなる。

 だから経験として彼女は察している。

 そろそろぶっ倒れるぞ、と。

 

 だが100メートルも切っていて、残り数秒の勝負。

 倒れようが慣性でゴールできそうだとおバカな考えが脳裏を過り、サイレンススズカ先輩ならこの冗談で笑ってくれそうだなと残っていた理性が応答してきた。

 あの人が笑ってくれるならそれもいいかと、どこか気の抜けた自分が頷いた瞬間、耳に飛び込んできた言葉があった。

 

「キングちゃん、がんばれー!!」

 

 ハルウララの声だった。

 この数万人の歓声と風圧の中で誰か一人の言葉が分かるはずもない。

 だからこれは幻聴だ。

 あるいは似た音を拾い上げて作り出した偽りの声援。

 

 そもそも彼女の性質からしてキングヘイローだけを応援するのはおかしいのだ。

 みんながんばれー!が正しいセリフになるだろう。

 だからこれは幻聴で間違いない。

 

 でもそれがキングヘイローの体に劇的な変化をもたらした。

 ファンが見ていてくれると心が理解した瞬間、留守にしていた感覚が戻ってきた。

 痛みと疲れと、何よりターフを蹴る感触が帰ってきて、踏み抜く親指へと力が伝わるのが分かった。

 

 ぐんと体が押し上げられる感覚。

 それでスペシャルウィークに並んだ。

 

 もう一度蹴り付け、体を前へ。

 それでスペシャルウィークを抜いてセイウンスカイと並ぶ。

 

 ゴール板は目と鼻の先。

 少女たちは三つ巴のままそこを駆け抜けた―――

 

 

 




キングヘイローがバーニングソウル使って詰めてきたら二人がスタミナ回復して加速するのバグだと思う。
ところでガチャにウンス追加だそうですね。
この作品書くようになってからウンス好きになってしまったので引きに行きますよ。
想像するのは常に最強の自分……!

次回、『デビュー戦とホープルSの時と、皐月賞と日本ダービーの時も私はずっと! 待ってた!』にアクセラレーション!
 
 


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クラシック級/10月後半:勝利の価値

 
無事に致命傷負いながらセイウンスカイをお迎えしてストーリーの良さに叩きのめされてしまったので投稿です。
 
 


 

「はぁ! はぁ! はぁ……あー、つっかれたぁ」

 

 たった今ゴールを駆け抜けて、徐々に速度を落として体を落ち着かせるセイウンスカイ。

 その隣では猛烈な勢いでキングヘイローが転がっている。

 あれは体力を使い果たしてぶっ倒れたのだろう。

 しっかり受け身を取っていたのを見ているので慌てることなくクールダウンに努めた。

 キングヘイローとは逆側を歩くスペシャルウィークも似たような対応を取っている。

 それを横目に見ながら勝負服の胸元をパタパタと仰いだセイウンスカイはため息をついた。

 

 どーして私の勝負服はこんなにひらひらしてるんでしょーか。可愛いんだけどさ。

 

 併走で何度か経験したことのあるセイウンスカイとスペシャルウィークは当然のように受け入れたが、もちろん周囲は騒然とした。

 当たり前だがレース中に人が倒れるなど普通のことではなく、異常事態発生だ。

 接触したか、はたまた体のどこかでも痛めたのか、どこからも心配している様子が見える。

 一足遅れて次々ゴールインしてくるウマ娘たちも呼吸を整えながらこちらを伺っていた。

 

「……そろそろ起き上がったら?」

「キングちゃん、倒れたままじゃみんなに心配かけるよ?」

 

 手を差し伸べる二人を見上げ、キングヘイローは激しく胸を上下させながら瞳で訴えている。

 勝ったのは誰だと。

 それに呆れたのはセイウンスカイだ。

 差し伸べた手を一度振ってとにかく腕を取れと催促する。

 

 自分で掲示板を見ろということだろう。

 そう理解したキングヘイローは二人の手を掴んで起こしてもらう。

 震える足で立てば喝采が来た。

 どういうことだろうと掲示板を見れば次々に表示されていく数値が見える。

 今の今まで確定していなかったということだろう。

 そしてその天辺に居座るのはキングヘイローの番号。

 

「勝利者が倒れてるなんて格好付かないでしょ?」

 

 言われ、湧き上がったこの感情をなんと表現すればいいのだろう。

 生憎とキングヘイローには適切な言葉が思い浮かばなかった。

 ただやらなきゃいけないことができた、それだけは間違いない。

 

「ちょっと失礼するわ!」

「え、は、キング!?」

「ど、どこ行くんだべー!?」

 

 ウィナーズサークルへと向かうべき場面で控室への通路へ走っていく。

 その様子に怪我の心配はなさそうだと幾人かが胸を撫で下ろしたが、大多数は讃頌したい相手の不在に湧き上がる感情のぶつけどころを見失って困惑していた。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

 クラシック三冠路線の頂上、最後の舞台でこれ以上ない結果! なら今度こそ―――ッ!

 

 入口近くに控えていたジャックから自分の携帯を奪い取って手早くかける。

 こちらから親へ電話をかけるなんていつ以来だろう。

 少なくともトレセン学園へ通うと決めてバッチバチに親子喧嘩をして以来、かけた覚えがなかった。

 

「……っ、早く出なさいよ。どうせ今回も見てたんでしょ」

 

 僅かなコール音にもイライラする様子を見てため息をつくジャック。

 これでは出るのが遅いと言っていた母親に文句は言えないだろう。

 タオルを押し付けて少々強引に汗を拭きとるようにして手渡した。

 通話が繋がったのはそんな時だ。

 

「もしもし! お母様!?」

『……何よ、こんな忙しい時期に電話をかけてくるなんて』

「わ、わわ……私!」

 

 すぐにでも返答が来ると思っていたから、まさかこちらに手番が回ってくるとは思ってもいなくて言葉が詰まってしまう。

 ただ空白を空けてしまうとそのまま電話が切られてしまいそうで何か言わなきゃと自分を急かす。

 何を、何を伝えればいい?

 

「私、菊花賞を取ったの!」

 

 まるで小学生の自慢だった。

 テストで百点取ったの!と同レベルの報告だったがじわじわとGⅠの一つを制覇したのだと実感が沸いて言葉が溢れるように口を突いて出た。

 

「ふふっ、凄いでしょう! あり得ないでしょう!?

 貴方だって想像できなかったでしょう!?」

『はいはい、分かったわ。分かったからちょっと落ち着きなさい』

 

 飛び上がらんばかりに尻尾を上下させ、胸を張って自慢をする。

 そんな年相応の彼女の姿を久しぶりに見た気がするジャックだった。

 

『それで―――菊花賞取れたの? よかったわね』

 

 一瞬だけ電話を持ち直すような間があってから祝福の言葉があった。

 これに気を良くしたキングヘイローはテンションも尻尾も有頂天である。

 

「そうよ! 私があの長距離のクラシックレースで一着になったの!

 やっぱり私にはウマ娘としての才能が―――」

『ええ、そうね。認めるわ』

 

 尻尾がピンと伸びる。

 それが示しているのは驚きだ。

 今まで才能を否定してきたあの母親が認めると言ってきたのだ。

 

 祝福の言葉、才能の認知。

 あの口煩かった母親が自分を認めてくれている。

 それらは全てキングヘイローが求め続けたものだった―――はずなのに。

 

『さ、これでもういいんじゃない。思い出作りだって充分でしょ?』

 

 その言葉で冷や水を浴びせかけられたような気持ちになった。

 全身の汗が引く感覚。

 あるいはそう、谷底へ突き落されたような、そんな気分。

 次に来る言葉が容易に想像できて。

 

『だから無理せずに帰って来なさい』

 

 想像通りの言葉に反応できなくて。

 やっぱり言葉が切れると同時に電話は切られてしまう。

 

「……え?」

 

 理解が追い付かなかった。

 いや追いついているどころか先回りまでできていた。

 ただ知りたくなかったのだ。

 理解したことを理解したくなかった。

 

「どうして?」

 

 彼女の言葉と態度は一貫している。

 結論はいつだってそうだ。

 

「どうして“帰ってこい”なの?」

 

 今までと違って貶すようなことは言われなかった。

 最後にはむしろ気遣うような優しさが言葉の中にあった。

 

 でもそれはこれ以上は期待していないということ。

 いや、そもそも今まで一度でも走ることを期待されたことなどあっただろうか。

 

「どうして、“次のレースを楽しみにしてる”って、言ってくれないの?」

 

 そんなのは決まってる。

 ずっと前から母は言っていたじゃないか。

 

 私に走って欲しくないからだ。

 

「―――ッ!」

 

 携帯を叩きつけようとしてジャックに止められた。

 物に当たるなと瞳が訴えている。

 納得はできたけど、止まれなくて口が動いた。

 

「何が“認めるわ”なの!? どの口でそう言ってるのよ!!」

 

 彼に当たったところで何が変わるわけでもない。

 キングヘイローの中の冷静な部分がそう言っているが、かと言って吐き出さずにもいられない。

 もしこのまま口を閉じていれば何かが壊れてしまいそうでとにかくぶちまけた。

 

「ちゃんと相応しい結果を出したのに! 私こんなに、頑張ったのに……!」

 

 ボロボロと涙が零れる。

 今までの努力は何だったのか。

 この半年の間はどのウマ娘たちよりも努力してきた自信がある。

 果たしてトレセン学園の生徒の中で気絶するまで走った娘が他にどれほどいるだろうか。

 オーバーワークの連続で壊れなかったのが奇跡に近いような前時代的な努力だったが、それがキングヘイローに合っていた。

 だから無茶に無茶を重ねてきたし、結果が付いてきた。

 だというのに……。

 

「……なんで、私を()()()として認めてくれないのよぉ!」

 

 ギシギシと心の軋む音がする。

 走ることはウマ娘にとって本能だ。

 ウマ娘がゲートに入るのを嫌がるのは一時的にでも“走れない状態”になるのを避けたいという彼女たちの生理的嫌悪感によるものである。

 いまいちピンと来ないと思う人がいれば、高いところから下を見下ろして怖いと感じるようなものと理解してもらえればいい。

 それほどまでに走ることへ拘るウマ娘にとって親から走ることを期待されない、認められていないという状態は筆舌に尽くしがたいほどの苦痛だった。

 

 帰ってきなさい。

 その一点張りはとうとうひっくり返せなくて、今までの努力も、菊花賞の冠も無価値だったのではないかと思いそうになる。

 

 そんなはずはない。

 親一人の意見を覆せないなら無価値だなんてはずはない。

 掴み取ったこれは輝かしいモノのはずなんだ。

 己にそう言い聞かせて心が崩れないように縛り付ける。

 宝物をしまい込むようにガチガチに。

 

「ああ、ここにいらっしゃいましたか! 皆さんお待ちですよ……っ!?」

 

 呼びに来たスタッフがぎょっとする。

 キングヘイローの泣き顔を見て腰が引けたらしい。

 無理もないだろう。

 嬉しさのあまり泣いているのかと思っていたら、その顔色は悲愴に染まっていたのだから。

 

 後に取材を受けた彼はこう語っている。

 まるで迷子の子供のようでした、だから元気付けたくて必死でしたよ、と。

 だから彼は励ますように言った。

 

「こ、ここからでも聞こえてきます。一番になった貴方への期待が!」

 

 さすがGⅠウマ娘のお嬢様!

 ご令嬢の力、しっかり見せたって感じね! お母様もきっと喜ぶわ!

 本当にすごいです! やっぱりお母さんの名に違わず―――

 

 ほど近いところにいるファンたちの声はここまで響いている。

 興奮しているのがよく分かる、素直な讃頌だった。

 だからこそ、キングヘイローには耐えられなかった。

 漏れるはずのない言葉が、言うまいと決意していた言葉がぽつりと漏れたのはそのせいだ。

 

「みんなが待っているのはグッバイヘイローの娘? それとも、私?」

「え?」

 

 言われたスタッフには何が何だか分からないだろう。

 だってその質問の答えはどちらも同じで、表現が異なるだけだ。

 彼女の気持ちに気付けるはずなどない。

 

「すまんがインタビューは後にずらしてもらおう。

 ご覧の通りまともに受け答えできる状態ではない」

「は、はい」

 

 気を使われたと俯いていた彼女は気付かない。

 ジャックの視線の先に芦毛の尻尾が揺れていたことに。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「……」

 

 ジャックはキングヘイローを控室に押し込んでから部屋を出た。

 一人にさせたかったのもあるが、それ以上に連絡を取る必要のある相手がいたから。

 そこへ電話を繋げればとても不機嫌な様子で応答が来た。

 

『どうかしたのかしら?』

 

 不機嫌さを隠そうともしないのはキングヘイローの母、グッバイヘイローである。

 彼女を相手にジャックはいつもの不遜な態度を崩さない。

 

「貴様との“契約”、未だライブを終えていないが終了したものと思って構わんな」

『……そうね、菊花賞までというお話だったもの、いいわ。

 トレーナーを止めるなり、続けるなり好きにしてちょうだい』

 

 了承を取ったので電話を切ろうとして妙な空白に疑問を抱いた。

 いつものグッバイヘイローならばすぐにでも通話を切ってしまっている場面だというのに、まだ切られる様子がない。

 どうやら何かを言おうとして言えずに苦悩しているらしい。

 それを言えるようになるまで待ってやれるほどジャックも暇をしていない。

 

「言いたいことがあれば言え」

『あ、その……あの子、泣いてたかしら?』

「ああ」

 

 くぅんと悩ましい声がスピーカーから漏れてくる。

 彼女だって好き好んで一人娘を泣かせたい訳ではない。

 誰に言われるまでもなく買って出た憎まれ役なのだから聞かなければいいだろうに。

 それでも聞かずにいられなかったのは親心故にだろうか。

 親を知らないジャックには何とも言えなかった。

 

「……どうやら、子を育てるのは余程難しいらしい」

『フフッ、そうね。ケンタッキーオークスに勝つ方がよっぽど楽だったわ』

「かもしれん。俺もデュエルキングに返り咲く方が余程楽に思える」

『貴方ならきっと大丈夫よ』

「予定もない」

『あら、なんならウチの子もらってく?』

「予定はないと言った」

 

 ある程度場を和ませたところで空気を一変させる。

 携帯を握る手に僅かに力がこもった。

 

「だが今日のところは任せろ、あの娘が学園で得たのは力を証明する機会だけではない」

『……そうね、貴方に任せるわ。あの子をよろしく』

 

 それだけ伝えて電話は切られた。

 調子を取り戻した途端にこれだからなんというか。

 

 一度嘆息してからジャックは控室に戻ると、頭を抱えたキングヘイローがいた。

 テーブルに突っ伏してブツブツ何かを呟いている。

 

 どうやら泣き止んで色々と冷静になったらしい。

 ウィナーズサークルでのファンとの触れ合いも、その後の取材もすっ飛ばした自分に呆れているのだろう。

 放っておけばずっとそうしていそうなのでジャックは構わずお茶を淹れていたコップを手に取って一息に飲み干し、少し強めにテーブルへコップを置いた。

 

「……戻っていたの」

「それで、どうする?」

「何が」

「インタビューだ」

 

 問えば沈黙が返ってきた。

 答えが決まっていないのだろう、インタビューを受けるとなればこの後の進展も考えておかなければならない。

 母親を認めさせることができなかった以上、諦めて帰るのか。

 それともまだ意地になって食らいつくのか。

 食らいつくにしても王道路線か、はたまた積極的にシニア級へと勝負していくのか。

 考えるべきことは多い。

 

「たぶん、今頃私に代わってスペシャルウィークさんたちがインタビューを受けてるのでしょうね。

 本当の主役。応援されるべきウマ娘として……」

 

 望まれていない自分の走りに何の価値があるのか。

 捻くれた考えに自信が揺らいでいるのを実感する。

 ガチガチに縛り付けた菊花賞の冠がまるでガラクタのように見える。

 こんなにしてまで拘泥する自分がおバカにしか思えなかった。

 

「お母様が言うこと、分からない訳じゃないのよ?」

「そうだろうな」

 

 キングヘイローは頭の悪いウマ娘ではない。

 むしろ相当に頭が回る方だ。

 ただ少し不器用なだけ。

 

 だから同じように不器用な母親の愛もしっかり分かっている。

 今まで散々止めろと言われたのも、娘が憎いからではなく、心配しての言葉だということも。

 己の積み上げた功績が高すぎて、そのプレッシャーに押しつぶされてしまうのが見えているということも。

 

 だけど、そんな貴方の娘だからこそ、応援して欲しかったのに。

 

「選手生命だってそう長くはない。

 一番いい成績を取れたならそれで止めて、みんなから惜しまれながら引退する。

 それが最高の引き際だってことも分かるわ。

 さっさと次のステージに行って、新しい人生に専念した方が幸せだってことも分かる……」

 

 そしてそのための道程がすでに用意されていることも知っている。

 母親としてはそちらに期待しているのもずっと前から知っている。

 それを素直に受け止められないのはキングヘイローの幼さと言っていいのだろうか。

 

 これが反抗期って奴かもしれないわね。

 

「分かった。進展が定まらぬ以上、インタビューはなしだ。

 だがなキングヘイロー、ライブだけは欠かすのを禁じるぞ」

「……そりゃ、やりたいけど?」

 

 どうしてわざわざ言い含めるのだろうか。

 そう首を傾げるキングヘイローにジャックは真剣な眼差しで答えた。

 

「王の名を名乗り、その道を往ったのならば……その道を後からついてくるファンの期待に応える努力を怠るな」

「そのファンの期待がどこかのご令嬢だとしても?」

「バカモノ、そのようなニワカファンの声に揺れるな」

「ニワカファンて……」

 

 ちょっと呆れてしまうが、間違った見方でもない。

 クラシックの中でも注目を浴びているキングヘイローだがその要因の一つとして母親の影響がないとは口が裂けても言えない。

 そしてその血筋を証明するように入賞を続けてきたからファンもついた。

 今回の勝利でファンを名乗る人物は爆発的に増えるだろう。

 つまりそういった浅い部分しか知らないファンにとってキングヘイローとは“ご令嬢”でしかない。

 彼女のことを深く知っていくのはこれからだ。

 

「それともなんだ、貴様はあの取り巻きメンバーやハルウララがどこかのご令嬢としての貴様を見たいとでも言うつもりか?」

「それはないけど……」

「ならばきちんとキングヘイローを見てくれるファンに応えてこい。

 応援してくれてありがとうと、感謝の言葉を伝えてこい。

 進むにしても、止めるにしても、まずはそこからだ」

 

 その言葉はすとんとキングヘイローの胸の内に収まった。

 確かにその通りだ。

 優勝できたのはファンの声援があったからこそ。

 まずはそれに感謝したい。

 

「分かったわ」

 

 力強く頷いたキングヘイローを見てジャックは頷き返す。

 多少はマシな顔になったと目が語っている。

 

「それに以前言ったことだが覚えているか、ウイニングライブに求められるものは?」

「……圧倒的な個性」

「そうだ!」

 

 虚空を力強く掴み、ジャックは吠える。

 

「ライブとは勝利者が己を叩きつける場所だ!

 ご令嬢などと抜かすニワカどもの心を真に撃ち抜け! 掴んで離すな!

 圧倒的パフォーマンス! パワー! 情熱! 力で!!」

「力とパワーが被ってるのだけど?」

「全力を以て捻じ伏せろ!!」

 

 ともあれ彼の言いたいことは何となく理解できてきた。

 揺らぐなと、そう言っているのだろう。

 仮にもファンを捻じ伏せろというのはどうかと思ったが。

 

「いいかキングヘイロー、主役は貴様だ! スペシャルウィークやセイウンスカイではない!

 今日の勝者は貴様で王者も貴様だ!

 そして勝利の価値を決めるのもまた貴様だ!

 キングはただ一人、キングヘイローがここにいるとライブで証明してみせろ!

 それができなければレースなど止めてしまえ!!」

 

 そしてジャックがテーブルに叩きつけたのは一つのデッキだ。

 スライドするように広げればそれはキングヘイローがよく使っている帝デッキだった。

 

「これ……私の……」

「立て、キングヘイロー。ライブ会場へ行くぞ!」

 

 唐突に立ち上がり、部屋を出ていくジャック。

 もちろん止める間なんてない。

 慌ててカードを集め、立ち上がった。

 泥を落とす暇も、髪の毛を整えている暇もない。

 

 手荷物だけを取って置いて行かれないように後を追った。

 まるで覇王とその後を追う家臣のようだ。

 

 んもぅ、これじゃどっちがキングなんだか!

 

「ちょっと、待ちなさいよ! トレーナー!」

 

 今は文句も言えず、ただ必死に彼の後を追うのだった。

 

 




実はここで心の折れ切ったキングヘイローにジャックが「キングを名乗るのならば立て!立ってみせろ!」とキング節をさく裂させるシーンを書きたくて始めた作品です。
が、実際に書いてみればキングヘイローの心は折れかかっていても未だ折れず……。
不屈の王を舐めてました。
次回は書きたかったもう一つのシーン、キングヘイローのライブシーンです。
お楽しみに。


次回、『勝利者の魂ィィィィ!!』にジャスティスファーイ!!
 
 


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クラシック級/10月後半:winning the soul

 
あえて勢いで書き散らしたのでそのまま投稿です。
当作品は勢いでお召し上がりくださるのがお勧めです。
 
 


 

「やっほーキング、さっきぶり」

「キングちゃん大丈夫? 体調不良って聞いてた、けど……」

 

 ライブ会場にセイウンスカイとスペシャルウィークが入ってくる。

 もちろん汗を流し、ジャージに着替えた綺麗な状態での入場だ。

 出迎えたのは未だに泥と汗まみれのキングヘイロー。

 彼女は舞台の上で振り付け確認を行っていた。

 一心不乱といった様子で二人が声をかけるまでその存在に気付かなかったほどだ。

 

「あら、お二人そろって、ようこそ」

「と、とにかく元気そうでよかったです」

「そーだねー、この調子でインタビューもやってくれたらよかったのに」

 

 セイウンスカイの皮肉をしれっと流しながら降りてくる。

 食いついて来ない、と僅かにセイウンスカイの眉間にシワが寄る。

 

「お二人には迷惑をかけてしまったわね」

「私は平気です! キングちゃんにはいつも助けられてばっかりなので!」

「そういうこと言われると私からも強く言えなくなっちゃうんだけど?」

 

 黄金世代の中で一番キングヘイローの手を煩わせているのはサボリ癖のあるセイウンスカイだ。

 サボろうと隠れるセイウンスカイとそれを探すキングヘイローの攻防は学園関係者ならばほとんどの人間が目撃していることだろう。

 

 ともあれ礼儀としてキングヘイローは一度しっかりと頭を下げる。

 改まって畏まられると開き直れないのがセイウンスカイという少女だ。

 もういいよ、と手を振って話を流してくれる。

 

「……でもこれだけは聞かせて欲しいな」

 

 不意に真剣な表情と声が来た。

 セイウンスカイの珍しい顔にスペシャルウィークが何故かびくつく。

 キングヘイローは髪を払って腕を組む。

 いつもの聞く体勢を整えてから視線で続きを促した。

 

「“帰ってこい”って何?」

 

 スペシャルウィークはその時、びしりと空気の固まる音を聞いた。

 聞き間違いかと思って周囲を見渡したが何の意味もなかった。

 ただたた表情の抜け落ちたキングヘイローの顔を直視したくなかっただけである。

 

「……盗み聞きだなんて一流のやることではないわよ」

「お生憎様、こちとら生まれも育ちも庶民なもので」

 

 ごまかしは許さないとセイウンスカイがゆったり尻尾を揺らす。

 しばらくの無言が続き、白旗を上げるようにキングヘイローがため息を零した。

 

「そうね、お二人には迷惑をかけてしまったのだし、話しておくわ」

 

 なんてことのないようにキングヘイローは語り出す。

 母親からトレセン学園に通うことを反対されていること。

 重賞レースに出るたび負け続けて、才能がないのだから帰ってこいと言われ続けていること。

 ようやく勝てた今回も結局は帰ってこいと言われてしまったこと。

 

「あの人はね、私に走って欲しくないのよ」

「そんなっ」

 

 スペシャルウィークにとってその話は想像を絶する世界だった。

 彼女にとって母親とは自分の全てを受け止めてくれる存在である。

 レースどころか北海道からも飛び出てトレセン学園に通うことまで応援してくれた。

 そんな母親にもし仮に一度でも“レースなんて勝てないのだから諦めて帰ってこい”だなんて言われた日にはどうなってしまうのか想像もつかない。

 

 というかもし自分がそうだったらと少し想像しただけで足が震えてしまっている。

 青ざめた顔が彼女の心境そのものだ。

 

「……」

 

 セイウンスカイもスペシャルウィークほどではないが親に反対されたことは特にない。

 むしろダメで元々、“勝負の世界を知ってこい”くらいの気持ちで送り出されたのを知っている。

 期待など全くされておらず、彼女を明確に応援してくれたのは祖父だけだった。

 

 その祖父に皐月賞を取れたと報告できた時はどれほど誇らしかったか。

 あの菊花賞を最後まで走りきれたのは祖父へ菊花賞のトロフィーを見せたいという思いがあったからこそ。

 だから、ようやく勝てたと報告して“じゃあさっさと帰ってこい”と言われたキングヘイローの気持ちを察することはできない。

 

 勝利を自分のことのように喜んでくれる母親も、自分以上に喜んで誇らしい気分にさせてくれる祖父もいない。

 ではどうして彼女はまだここに立っていられるのか。

 セイウンスカイはそれを問わずにはいられなかった。

 

「なら、キングは走るのを止める?」

「うぇ!?」

 

 その言葉に驚愕しているスペシャルウィークだがどれだけ努力しても報われないのならば、それそのものを止めてしまうのは充分あり得る結末だ。

 

「どうかしらね」

「止めちゃうんですか!?」

「今は何も考えられないの。

 ぐちゃぐちゃしすぎてて、今判断を下したら何かを間違えてしまいそうだわ」

 

 そこまで言われればインタビューに顔を出さなかった理由も分かる。

 本当に彼女は今、分水嶺にいるのだ。

 引退するのか、続けるのか。

 その結論を出さないことにはインタビューなど答えられるはずもない。

 

 だからそれを先送りにして、とにかく菊花賞を最後まで終えようというのだ。

 そのために彼女はここに立っている。

 

「……そっか。分かった、もう聞かない」

「ありがとう」

「いいよ、こっちそこ盗み聞きしちゃってごめんね」

「ホントよ! もー!」

 

 いつもの雰囲気に戻った二人にスペシャルウィークは付いていけない。

 同年代との付き合いが少なく、元々判断の早い方ではない彼女は未だに脳裏に母親から冷たくあしらわれる自分の姿がこびりついている。

 うまく切り替えができないでいた。

 

「き、キングちゃんは……寂しくないんですか?」

 

 聞いてすぐに自分はバカだと思った。

 寂しくないわけがない。

 だというのにキングヘイローは悲しげに笑った。

 

「寂しくはないわ」

「え……?」

「昔から私に構ってくれる人じゃなかったもの」

 

 乳母だけは譲らなかったそうだがキングヘイローが乳離れをしてすぐに仕事へ復帰し、キャリアを積み重ねてきたのが彼女の母、グッバイヘイローだ。

 それも家族のためだと理解しているキングヘイローは寂しかったけど我慢できたし、彼女を育ててくれた使用人たちはとてもよくしてくれた。

 父親だって愛してくれている。

 これで不満なんて言ってはいけない。

 そう思って育ってきた。

 

 やがて携帯端末を手に入れたことでキングヘイローの世界は大いに広がり、母親の活躍を知った。

 結婚を機にレースを引退したグッバイヘイローだが残っている当時の活躍は全て見たし、今の仕事にだって興味を惹かれてあれこれ調べるのが楽しくて仕方なかった。

 だから憧れた。

 あれが私のお母様なのだと自慢だった。

 

 その憧れに近づこうと必死に努力して……努力した結果がこれだ。

 憧れがキングヘイローの心を引き裂いた。

 

「寂しくはないけれど、痛いの」

「キングちゃん……」

「でもこの痛みは私とお母様だけのお話、ファンのみんなには関係ない。

 ファンの人たちはたくさん応援してくれたわ、だから私もファンのみんなに応えてあげるのよ!」

 

 どれだけ辛かろうがファンの期待に応えようと必死になるキングヘイローの姿にスペシャルウィークは一流を見た。

 これが最も強いウマ娘の姿なのだと尻尾が震える。

 

「うだうだ悩むのはその後……だから手伝ってくれるかしら?」

「はい!」

 

 両手を胸の前で掴み、力強く返事をする。

 この人を少しでも支えたいと思ったから。

 この人と一緒に走れることを凄いと思ったから。

 スペシャルウィークはこの時初めて、共に走る者の大きさを知った。

 隣で腕を組むセイウンスカイもまた同じ、ライブに対して今まで以上に本気になれそうだった。

 

「よくってよ。貴方たち二人には私の隣に立つ権利をあげる! おーほっほっほっ!!」

「いやいや、キングにもらわなくたってその権利は持ってるよ」

「頑張ります!」

 

 そうしてようやく三名の意識が揃う。

 時間的な都合でリハーサルは一回だけだったがこの三人にはそれで充分だった。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

「すごかったね! キングちゃん本当にすごかったんだよー!」

「うん……すごかった、ね!」

 

 この会話も何週目だろうか。

 元気いっぱいにはしゃぐハルウララに釣られていつもより声を張っているライスシャワーに周囲はほっこりしっぱなしで何週目だとかはどうでもよくなった。

 むしろ無限に続けばいいとさえ思う。

 

 レース会場で泣き出すほど騒いだハルウララは体力を使い尽くしたのか、短い眠りについていた。

 彼女が静かだったのは寝てる間だけである。

 起きた後はライブ会場に向かいながらずっと興奮しきり。

 絶えず尻尾が揺れ、キングヘイローの取り巻きたちはハルウララが迷子にならないようにフォローしつつも興奮に当てられて心地よさの中にいた。

 

 ようやく掴んだ我らが王の栄光に夢心地のままライブ会場へ。

 毎度のようにそこそこいい席に座ることができた。

 これも我らが王のお心遣いによるものである。

 

「ウララ先輩、そろそろ静かにしないと怒られちゃいますよ」

「うわわ、怒られちゃったらキングちゃんのライブ見られない?」

「かもしれません」

「ウララ静かにします! ………………ぷふぁ」

「あのね、ウララちゃん、呼吸はしてもいいんだよ?」

「そうなの!?」

 

 いつもの調子のまま公演の時間が近づいてきた。

 ちなみに取り巻きメンバーはキングヘイローをキング、あるいはキングちゃんと呼ぶのに対してハルウララはウララ先輩と呼ぶ。

 実はキングヘイローが“私のことはキングと呼びなさい!”と言ったのが始まりなのだが先輩と呼ばれないのをちょっぴり寂しがっているぞ!

 

「あ、暗くなりましたね」

 

 誰となく呟けば周囲の明かりが落ちていく。

 ポツポツと光源が消えて急速に暗くなり、沈黙が降りる。

 闇を割くような(スポットライト)が焚かれ、前面に張られている赤い横断幕の切れ間を照らした。

 普段には見られない演出に何事かと注目がスポットライトの先へと集まる。

 

 注目を浚うようにして現れたのは今宵の主役キングヘイローだ。

 泥臭い姿は微塵もなく、磨き上げられた美がそこにある。

 

「お集まりの皆さん、ごきげんよう。

 今日は私の都合で皆さんを振り回してしまったみたいでごめんなさいね。

 ウィナーズサークルでお話できなかった分だけ、ここで時間をもらったの。

 短い間だけだから聞き逃すんじゃないわよ?」

 

 肉声とスピーカーから響く二重音響はライブならではの体験だ。

 ハルウララはこの一年で何度か経験してきたが演奏のないキングヘイローだけの音の空間はまるで彼女に抱きしめられているかのような初めての感覚を覚えさせた。

 

 お耳の先から尻尾の先までキングちゃんだ!

 

 妙な感動をしつつキングヘイローへと熱視線を注いだ。

 

「まずは取材班の皆さん、インタビューの件、ごめんなさい。

 トレセン学園と交渉をして改めてインタビューの場を設けることをここに誓うわ。

 日時は別途連絡を回させてもらいます」

 

 ぺこりと優雅に一礼。

 それはライブ会場というより歌劇の舞台のようだった。

 

「そしてファンの皆さん、これまで待たせてしまったことを詫びるわ。

 このキングが王座に就けたのは皆さんの応援あってのことよ。ありがとう」

 

 また一礼。

 今度は顔をあげてからのウィンクというおまけ付き。

 そのウィンクで取り巻きメンバー全員が心臓を押さえて俯いた。

 他にも全体の二割ほどが同じようにしてうめいている。

 

 ううっ、シンプルに顔がいい……ッ!

 アグネスデジタル! 死ぬな! まだ始まってもいないぞ!

 

「そしてスペシャルウィークさんやセイウンスカイさん、他の娘のファンの人たち。

 貴方たちには特別にこのキングのファンになる権利をあげるわ!

 このライブでハートを浚っちゃうから、覚悟してなさい!」

 

 それだけ言って横断幕の裏に隠れてしまう。

 数秒後、幕が左右に割れていき、舞台が数多くのライトに照らされる。

 それがライブ開始の合図だった。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

 巨大なスピーカーを模したセットに立つのは三人のウマ娘。

 全員が染み一つない勝負服を身に纏い、意気揚々とステップを刻む。

 レースの時の真剣な表情とも違う、張り詰めた表情はその根底に楽しさを滲ませている。

 そこにはキングヘイローとセイウンスカイがウィンクを交わし合う余裕さえあった。

 

 ライトの演出とシンクロした手振りでマイクを掴む。

 キングヘイローは大型マイクへ口づけをするかのように口を開いた。

 

「光の速さで 駆け抜ける衝動は」

「「何を犠牲にしても 叶えたい強さの覚悟」」

 

 ハモるスペシャルウィークとセイウンスカイの歌声。

 その音圧が観客たちを叩く。

 

「no fear」

「一度きりの」

「trust you」

「この瞬間に 賭けてみろ 自分を信じて」

 

 息ぴったりの掛け合いとダンスに観客たちは目を離せない。

 バックダンサーへと視線をやっているのは極僅かだ。

 

 ダンス自体はベーシック。

 基本通りの動きは優秀なお嬢様然としていてキングヘイローによく合っている。

 彼女こそが主役だと誰もが分かるダンスだった。

 

 実際かつてセンターとして歌ったことのあるサイドの二人はもっと奔放だった。

 皐月賞でセイウンスカイが歌った時はダンスの改変が数多く見られたし、フラッシュも多彩で原曲を良く知るファンこそ惹き込む意外性抜群の曲であった。

 日本ダービーでスペシャルウィークが歌った時は体をダイナミックに動かして全身で輝いていたのを今でもよく覚えているファンは多いだろう。

 

「時に運だって必要と言うのなら」

 

 セイウンスカイがマイクを持って前へ。

 ここでダンスアレンジが入り、彼女のファンは沸いた。

 並びかけるスペシャルウィークもマイクを手にダイナミックに動き出す。

 

「宿命の旋律も引き寄せてみせよう!」

 

 本来はセンターが歌う旋律をスペシャルウィークが掻っ攫い、二人センターを陣取る。

 サビに入る瞬間、ドラムに合わせて会場の色が一変する。

 黄色から赤へ。

 そして消灯。

 

 音と光が消える僅か一拍。

 

「走れ今を!!」

 

 キングヘイローの歌声が会場を切り裂いた。

 叫ばずにはいられない情熱が観客たちに湧き上がる。

 そうするのが当然のように両腕を振り上げ、叫び声をあげた。

 

「「「まだ終われない 辿り着きたい場所があるから!」」」

 

 白く輝く舞台で音と音がぶつかり合う空間の中、スペシャルウィークが再び前へ躍り出る。

 

「その先へと進め!」

 

 立ち止まる暇などない。

 辿り着きたい場所があるのならば進むしかない。

 その思いがファンの胸を揺さぶる。

 

「涙さえも強く胸に抱きしめ」

「「そこから始まるストーリー」」

 

 そう、始まるのはこれからだ。

 涙も勝利も、この舞台でさえ始まるための終わりでしかない。

 

「果てしなく続く winning the soul!」

 

 クラシック級の終わりはシニア級の始まり。

 それを歌うこのwinning the soulはクラシックの勝利者がシニアへと挑む挑戦歌でもある。

 彼女たちを追い続けたファンたちにとって特に菊花賞のwinning the soulはその意味合いが強い。

 時代を象徴してきた彼女たちの新たな船出を声援で祝福するのだ。

 

 短い間奏をファンの声援が埋め尽くし、曲は二番へ。

 マイクを手にしたキングヘイローがまた口づけを落とす。

 

「目指した景色は前にしかない that's all」

「本当の情熱とは」

「貫き通す意味の証」

 

 それはキングヘイローを追い続けたファンは涙なしに聞けないフレーズだ。

 どれだけ負けようとも決して首を下げずに最後まで戦い続けた彼女こそ情熱の生きる証明だろう。

 

「shout out」

「ありきたりの」

「fight on」

「プロセスなんて壊すんだ 自分を示せ」

 

 瞬間、キングヘイローがデュエルディスクを展開する。

 彼女がデュエリストという事実を知る者はこの会場に一人しかいないため、観客の全員が呆気に取られた。

 今までがお嬢様然とした丁寧なダンスだったのも相まってこの演出は想定外のもの。

 まさしくありきたりのプロセスを破壊した瞬間だった。

 

「儚い現実に嘆いた言葉は」

 

 歌うセイウンスカイの背後に風帝ライザーが現れ、緑色の風をまき散らす。

 

「想いを宿して 一歩踏み出した!」

 

 続くスペシャルウィークの背後に光帝クライスが現れ、恭しく頭を垂れた。

 そして再度サビへと入るために消灯するのだが、まるで光が光帝クライスに吸い込まれるようにして消えていく。

 

 一拍の空白に差し込まれたのは召喚音。

 どの帝が来ると身構えた彼らが見たのは暗闇に浮かぶ光の環だった。

 

「鳴り止まない 胸の奥で待ちわびた鼓動 届かなくても 笑われても 進め!」

 

 翼の生えたカエルがキングヘイローの頭の上に座し、それを当たり前のようキングヘイローは歌う。

 二人は見るからに強力なモンスターを従えているが己はそうではないと、そう言いたいのか。

 何割かの観客はそう理解したが、デュエリストたちは彼女の真意を理解している。

 

 一歩踏み出したのならばどれほど笑われようとも、届かなかろうとも進むのだと。

 それを象徴するかのようにカエルが跳ぶ。

 

「握りしめた悔しさの残像は ゴールへ導くストーリー」

 

 そのカエルは虚空で光の残像となり、ライブ会場に新たな帝を呼び出した。

 炎帝テスタロスの降臨である。

 

「その足止めるな winning the soul!」

 

 劫火がステージを飲み込み、赤熱した世界に光帝クライスの光が差し込んだ。

 側から吹く緑の風が光と交わり、炎と拮抗する。

 激しいダンスに呼応して帝たちが猛り、ぶつかり合う。

 

「追い続けた答えが 心惑わしたとしても」

 

 セイウンスカイが腕を振るえば風が吹き荒れる。

 

「助走つけて 飛び出すのさ」

 

 スペシャルウィークが三つ指立てて笑顔をまき散らせば光が風を押し込めた。

 

「今がその時だ!」

 

 二人を割るようにしてキングヘイローが一回転。

 マイクスタンドを振り回し、びしっと止まって高笑いのポーズを取れば笑うようにテスタロスが気炎を上げた。

 三者はそれぞれの色をライブ会場全体に散らしながら踊る。

 

「「「掴め今を 変えたいなら 描いた夢を未来に掲げ 恐れないで挑め!」」」

 

 自分こそが主役だと三人が並び立ち、高らかに歌う。

 何一つ恐れることなく前へ進めと、夢を追いかけろと歌う。

 観客たちに指差し、次はキミたちが追いかける番だと発破をかける。

 

「「「走れ今を まだ終われない 辿り着きたい場所があるから その先へと進め!」」」

 

 三体の帝がお互いを討ち合い、光となって散りゆく。

 そうだ、次へ進む前には今を終わらせなければならない。

 

 皐月賞、日本ダービー、そして菊花賞。

 それぞれの頂点に立ったこの三人にとってはドローゲーム。

 これこそが今年のクラシックの終わりの姿だった。

 

「涙さえも強く胸に抱きしめ そこから始まるストーリー」

 

 散った彼らの残滓を掌で掬いながらキングヘイローが前へ出る。

 一歩下がった位置でセイウンスカイとスペシャルウィークがお互いを支え合うようにして立ち、キングヘイローへと並び立つ。

 またしてもこの形。

 

「果てしなく続く winning the soul!」

 

 三人が並び立つこのスタートラインこそ果てしなく続く道の始まりだった。

 

 

「「「「「woh! woh! woh!」」」」」

 

 

 観客たちが声をあげれば応えるように拳を突き上げる三人。

 瞬間、暗転。

 そして光が埋め尽くす。

 

 大歓声が会場を駆け抜けた。

 

 




歌詞をじっくり眺めて思う。
やはりwinning the soulはキングヘイローの持ち歌では?

大盛況のまま幕を下ろしたウイニングライブ。
全てを終えてホテルで息をつくキングヘイロー。
彼女はどのような結論を出すのか。
そして今回出なかったジャックに出番はあるのか。


次回、『オイラたちの戦いはこれからだ。明日勝つ為に寝るぞ―――ッ!!』にアクセラレーション!
 
 


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クラシック級/11月前半:デビューするよ!!!

 
アーマーゾーンッ!姉さんが来るそうですね。
ほ、欲しいけどウンスとよしのんに全力出したので今回は見送り……姉さん欲しいけど。
というわけで悔し涙の投稿です。
 
 


 

「ふぅ……」

 

 キングヘイローはため息を湯船に溶かした。

 京都レース場からほど近い場所にあるビジネスホテルの一室、そこが今日の寝床である。

 人によってはライブ後にそのままトレセンまで帰るという者もいるが、死闘になると予想できていたキングヘイローたちは無難にホテルを予約していたのだ。

 

 こうして泊まるのは初めてのことではないが、これもまたトレセン学園に来ていなければ経験できなかったことだろう。

 ビジネスホテルの一室など彼女の感覚ではちょっと狭いクローゼットのような空間である。

 それでも慣れてしまえば気にならないのだから人間の適応力とは偉大だ。

 足も伸ばせないほど窮屈な風呂など初めて見た時はギャグか何かかと思ったほどだったが、たまに使う程度ならば別にいいかと言えるようになってしまった。

 

 これがお嬢様に必要な経験かと言われれば答えはノーだ。

 レースの結果で以てその地位を示し続けてきたメジロ家などとは違う。

 元から貴族だった家にウマ娘の血が入っただけにすぎず、レースなど言ってしまえば手習いに近い。*1

 

 ウマ娘は力が強く美女揃いなので自身が成り上がって力を持ったり、あるいは時の権力者の血に入ることは珍しくない、当然の成り行きだ。

 ならば両者の違いはと言うとウマ娘であることを基軸に置くかどうかだ。

 先の例では前者がメジロ家、後者がキングヘイローの家である。

 男系女系の違いと言ってもいい。

 

 とにかく、もっと学ぶべきことは他にいくらでもある。

 それらを押しのけてまでレースに拘る理由とは何か。

 

 温かいお湯に包まれて頭がぼーっとする。

 疲れも強く出ているのだろう。

 風呂から上がってしまえばすぐにでも寝てしまいそうな予感がした。

 

 纏まらない思考で風呂上がりにするべきことを思い浮かべる。

 お風呂上りヘアケアは欠かせない。

 それと他のレース結果のチェックと、大量にたまっているであろう祝福のメッセージへの返答。

 そらから、それから……―――。

 

「……ぶくぶくぶくびゃ!?」

 

 うとうとしすぎて水面に顔が浸かっていた。

 耳に水が入ってきたことで意識が覚醒したが、危うく溺れかけた。

 これではまるで仕事に疲れたサラリーマンのようだ。

 一流のやることではないと手早く風呂から上がり、シルクのパジャマに着替えて髪の毛の手入れを始めた。

 

「よしっ」

 

 目が覚めたのをチャンスと捉えて携帯をチェック。

 やはりとんでもない数のメッセージが溜まっており、その一つ一つを丁寧に返していく。

 髪の毛の手入れが済んでもその作業は終わらなかった。

 

 当たり前だがスペシャルウィークとセイウンスカイからのメッセージはない。

 今頃は枕に顔を押し付けて泣いているかもしれない。

 自分がそうだったように。

 

 雑念を払うように首を振って、最後に取り巻きメンバー、そしてハルウララへと感謝の言葉を送った。

 予想通り、その直後に連絡が来る。

 来た相手は取り巻きの一人だった。

 

 ハルウララから来ると思って身構えていただけにちょっと肩透かしを食らいながらも電話に出る。

 部屋の壁は薄く、大声では話せない。

 部屋の鍵とカーディガンを手に部屋を出た。

 

「もしもし?」

『改めておめでとうございます、キングちゃん!』

「どうもありがと」

 

 カーディガンを肩にひっかけて、エレベーターのあるちょっとした広い空間へと来た。

 記憶にあった通り、そこには椅子があってちょっとした雑談ができる場所だった。

 壁に禁煙のマークが張られてるのを眺めながら腰を落ち着ける。

 

「それで、騒がしいようだけどパーティーでもしてるのかしら?」

『それなんですけどウララ先輩が落ち着いてくれなくて』

「うふふ……そう、大変そうね」

『笑いごとじゃないですよ! それで、お疲れのところ申し訳ないんですけれどキングちゃんの力をお借りしてもよろしいでしょうか?』

「しょうがない子ね、代わりなさいな」

『ありがとうございます!』

 

 ことの顛末を聞けばなんてことはない。

 暴走気味なハルウララを押さえてこちらに一呼吸挟めるように、という後輩からの気遣いだった。

 言わずともハルウララの面倒を見てくれる後輩たちに心の中で感謝しつつ携帯をそっと顔から遠ざける。

 

『キングちゃんおめでとー!!!』

 

 遠ざけたにも関わらず煩いくらいの音が来た。

 これは改めて後輩たちに感謝が必要だろう。

 開幕一番にこれを聞かされていたら耳が壊れていたかもしれない。

 隣の部屋にも迷惑だった。

 

「あ、ありがとうウララさん。でも夜も遅いから静かにね?」

『うん、わかったー!』

 

 本当に分かったのか怪しいところだが先ほどよりは落ち着いた言葉だったのでとりあえずよしとした。

 周囲から聞こえてきたのも“ほっ”という吐息だったので動きにも落ち着きが出たのだろう。

 

「ウララさんには本当に感謝しなくてはいけないわ。

 貴方の声援がなければ勝てなかったもの」

『そうなの?』

「ええ、最後の直線、あそこで貴方の声が聞こえたから最後まで走り切ることができたわ」

 

 それは嘘偽りのない本音だった。

 例えあれが幻聴だろうと彼女が応援していてくれたことは間違いないのだから。

 

「ありがとう、ウララさん」

『こっちこそありがと! キングちゃんの走りを見てたら胸の中がわーってなって!

 じっとしてられなくて! すごいって! すごいなーって!

 わたしね、わたしね! デビューするよ!!』

 

 止める暇もなくしゃべり始め、相槌を打っていたら衝撃の言葉が飛び出してきた。

 あのハルウララがデビューすると断言したのだ。

 一体どういうつもりだろうと首を傾げる。

 

「デビューするって、それはいいけれど、貴方トレーナーがいないじゃない」

『うん!』

「うん、て……」

『でもデビューしたいなって思ったの!

 キングちゃんみたいにたくさん練習して、たーっくさん頑張って一着になりたいって! 思ったの!』

 

 力強い宣言に思わず呆気に取られる。

 彼女はそんなことを言う子だっただろうか。

 走るのが楽しい。

 そんなウマ娘の根源を体現したような子だった。

 一着には恵まれなかったが、それでも毎日が楽しくて仕方ないとはしゃいでいるような眩しい子だった。

 

 トレセン学園はいわば周囲全員がライバルだ。

 誰もが胸にギラギラとした闘志を燃やしており、レース中はその思いを迸らせて走る。

 だがハルウララだけは違った。

 2000メートルも超えれば最後まで走り切ることさえ難しい劣等生だが、誰よりも楽しそうに走る子だった。

 勝ちたいという思いが先行しすぎる子ほど彼女の走りとその生き方に感銘を受けるトレセン学園の清涼剤。

 

 そんな彼女が明確に勝ちたいと叫んだ。

 その事実に胸が震える。

 

 以前から負ければ悔しいし、勝てれば嬉しいと言ってるのは知っている。

 だから勝負を投げ捨てているわけではないと分かっていたし、頑張れと応援もしていた。

 それでも彼女では勝てないことを心のどこかでは悟っていた。

 

 それはハルウララが勝ちに拘れなかったからだ。

 競技者としてそれは悪いことではない。

 レースに対するスタンスは人それぞれだ。

 

 キングヘイロー自身もレースは母親を認めさせる手段でしかなく、勝負へのモチベーションはそこの部分が大きい。

 対してハルウララは本気で走るのが楽しいというのがまず最初に来る。

 だから勝敗は二の次だ、というとやはり悪いところのように思えるが走るのが楽しいのだから辛く苦しいトレーニングも彼女にとっては遊びの延長ということであり、美点だ。

 それが本気で走って勝ちたいに変わればどうなるのか。

 少なくとも次の選抜レースでは彼女の本気の走りが見られるだろう。

 

「勝ちたいと思うのは悪いことではないけれど、簡単でもないわよ?」

『うん!』

「それでも頑張るのね?」

『うん!』

 

 覚悟は決まっているようだ。

 何を言ったところで元気のいい返事しか返ってこない。

 ならばため息交じりでも認める他ないだろう。

 そもそもトレセン学園に通っているのだから、その覚悟は遅いくらいだった。

 

『いっぱいいーっぱい頑張ってキングちゃんみたいにわーってみんなを驚かせるの!

 それでセンターで踊るの! だから頑張る!』

「そう……」

 

 自分のようにと言われるとくすぐったいものがあったが、ハルウララの気持ちが分かるだけに強く言えなかった。

 何故ならばキングヘイロー自身が母親の走りに魅せられてここにいるのだ。

 否定などできようはずもない。

 

「分かったわ、なら早く寝てしまいなさい。

 今からそんなにはしゃいでたら明日から頑張れなくなるわよ?」

『そうだね! じゃあおやすみキングちゃん!』

「ええ、おやすみなさい」

 

 返事をしたらぷっつり通話が途絶えてしまう。

 無事に寝付けるか多少心配ではあったが、布団に潜れば眠ってしまうだろうとも思う。

 しばらく窓の外を眺めながら待ってみたが通話が来ることはなかった。

 キングヘイローもその間に気持ちを落ち着かせることができたし、後輩と会話したいのならば明日でいいだろうと結論を出して立ち上がる。

 

「ふふっ、ウララさんに負けてばかりもいられないわね」

 

 笑みを闇に溶かしてカーディガンを翻す。

 部屋に戻るための足取りは軽かった。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「それで、答えは出たか」

 

 それはホテルで朝食をいただいている時だった。

 ジャックはとっくに食べ終えており、食後のコーヒーを楽しんでいる。

 キングヘイローは秋鮭の切り身を箸で切り分けている最中だった。

 ムニエルではない、ただの焼き鮭だがこれがまた美味しいのなんの。

 箸が止まらないとはこのことである。

 

 すぐに返答はせず、切り身をご飯の上に乗せて一緒にいただく。

 上品な食べ方ではないがこれが焼き魚を食べる時の礼儀だと教えられた。

 もしくはワイルドに両手で持って背中からかぶりつけ!という教えだったがこれを教えてきたのがセイウンスカイという辺り結構怪しい。

 でもこの食べ方が美味しく感じられるので続けている。

 機会があればかぶりつくのもやってみたいと思っているキングヘイローである。

 

 閑話休題。

 ゆっくりと咀嚼してお茶を一口。

 飲み込んでからジャックを見た。

 

「それが決めかねているのよ」

「そうは見えんが」

 

 ジャックがそう問うのも無理はない。

 キングヘイローは泰然としすぎていて、悩んでいる様子は微塵もなかったからだ。

 その態度はどう見ても結論を出している。

 

「とりあえず京都杯は近すぎる気がするし、かといって阪神カップも私の直感が違うと言ってるの」

 

 なんの話だとジャックが首を傾げる。

 とりあえずレースを続ける意思があるのは伝わったが、彼女が上げたどちらのレースも短距離だ。

 未経験のレースで重賞を上げる辺り、いつものキングヘイローに見える。

 

「もういっそG1ってことで高松宮記念がいいかしら」

「……何故短距離に拘る?」

「あら、言ってなかったかしら? 私、ニシノフラワーさんと短距離で戦う約束をしてるのよ」

「初耳だが?」

「そ」

 

 そっけない態度で食事を再開するキングヘイロー。

 これは何かあったに違いない。

 そう感じたが突っ込んだところで答えは来ないだろう。

 

 ジャックもコーヒーを一口。

 舌を湿らすようにして味わい、思考をめぐらす。

 

「短距離に転向……器用な貴様のことだ、やってやれんことはないがグッバイヘイローはなんというか」

「知らないわよ、あの人がなんて言おうが私には関係ないわ」

 

 それだけ言ってあぐあぐとご飯をかき込む。

 気が付けば鮭は消えていて、お新香をおかずに〆に入っていた。

 味噌汁で流し込んでからお茶をおかわり。

 そこまでしてようやく一服付いた。

 

「思い出したのよ、初心って奴を」

 

 ぽつりと漏らすように呟き、ヤカンからお茶を注ぎ入れる。

 とてもお嬢様のやることではないがヤカンがやたら似合うお嬢様である。

 

「始まりはお母様の走りに憧れたこと、私のあの人のように走りたいと思ったことなの。

 だからあの人がどう思うだなんて関係ないわ、私は私のやりたいようにやる。

 私が走りたいから走る……私の道が私だけの王道よ」

「王道路線を外れて短距離に行くことが貴様の王道か?」

 

 それは単に逃げではないのか。

 そう問いかけるジャックに“分かってないわねぇ”とぼやくのがキングヘイローだ。

 お茶をすすりながら指を一本立てて見せつける。

 

「長距離は取ったわ」

 

 初めての重賞制覇がG1の菊花賞、距離は長距離。

 二本目、中指も指を立てる。

 

「安田記念、次の私の本命よね?」

 

 今年見送りとしたマイルのG1レース。

 もちろんキングヘイローが次の目標とするレースのド本命と言える。

 三本目、立て続けに指を立ててコップを置いた。

 

「短距離の約束があるから天皇賞・春は諦めるとして、秋の方は外せないわ」

 

 天皇賞(秋)も言わずと知れたG1の中距離レース。

 ここまで上げたレースはどれも距離が異なるG1レースだ。

 キングヘイローらしい我儘な路線である。

 そして四本目。

 小指がピンと天井を指し示し、他の指が握り込まれた。

 可愛らしく小指が揺れている。

 

「となればやはり高松宮記念が私には相応しいわよね?」

 

 高松宮記念とは春のスプリントチャンプ決定戦であり、今まで短距離に出ていなかったウマ娘が急に出て取れるようなレースではない。

 正気を疑うような戯言だ。

 だがジャックは腕を組んで考え始める。

 

「全距離のG1制覇か、大きく出たな」

「言ったでしょう? これが()()()()よ」

 

 さわやかに言い放ち、お茶を一息に飲み干す。

 優雅に手を合わせてご馳走様でしたと食事を終えた。

 

 彼女の言った言葉は確かにジャックに届いた。

 その覚悟の重さに二言はないと頷き、胸の内で反芻する。

 これが己の王道だと、他者は関係ないのだと言い切ったその強さに彼もまた背を押される思いだった。

 

「……分かった、ならば俺も覚悟を決めよう」

「あら、どんな覚悟かしら?」

「貴様が高松宮記念を取れたら話してやる」

「何よそれ、もー!」

 

 早々に席を立ったジャックを追いかけ、キングヘイローは問い詰める。

 

「それって私が取れないと思ってるってことかしら!」

「レースに絶対はない」

「そうよ! だから私が勝てるんじゃない!」

 

 毎度のことのようにギャアギャア言い合いをしながら二人はホテルを立つ。

 トレセン学園まで帰る道中、彼らは今後の路線について詳しく話し合うのだった。

 

 前人未踏の全距離四冠制覇。

 王道と言うよりは覇業、覇道と呼ぶに相応しいそれをこれから一年の間にやろうというのだ。

 やるべきことは山より高くそびえ立っており、現実という壁は想像を絶する厚みで彼らの前に立ちはだかっていた。

 

 

*1
おそらくシンボリルドルフの一家も同様のケースだと思われるが、ならばそこでも覇道を築け!というストロングスタイル一家。好き。




キングヘイローが覚悟を決めたようにジャックもまた覚悟を改めました。
ところで全距離G1制覇は前人未踏でいいんですよね?
過去にいたら申し訳ありません、この世界線ではいない、あるいはまだということでお願いします。
 
 
次回、『キング道第七条、全レースがリングだ!』にアクセラレーション!!

ただし、ダートだけは勘弁な! 
 
 


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クラシック級/11月前半:宣言とその波及

 
すごく今更ですけど独自解釈ありのタグ付けた方がいいんですかね?
といった感じの内容を投稿です。



 

 クラシックを制覇したキングヘイロー、次の目標はスプリントチャンプ!?

 ターフを走る者すべてがライバル! 狙うは全階級制覇!?

 真のキングは私だ! 王、前人未踏への挑戦!!

 勝利した暁には長中マイル短距離無敗マスターキングを名乗ってくれるわー!!

 

 出るわ出るわ、トゥインクルシリーズの記事はキングヘイローの話題であふれかえっている。

 それは先日行われた記者会見でキングヘイロー自身が放った言葉が原因だ。

 

 菊花賞を制した彼女はその場での記者会見を体調不良で辞退。

 改めて開かれた記者会見、今後はステイヤーとして長距離路線で活躍するのかと聞かれた彼女はこう答えた。

 

「次の目標は高松宮記念よ」

 

 長距離でようやく掴んだトロフィー縁を撫でながらの言葉である。

 高松宮記念は言わずと知れた短距離のG1レースだ。

 今まで短距離に出場したことさえない彼女がどこまで活躍できるのか未知数と言っていい。

 今回の菊花賞を取るまではマイラーと思われていたキングヘイローなので全く通用しないということはないだろうが、それでもG1という舞台はあまりに荷が勝ちすぎているように思えた。

 そんな取材者たちを前に高らかに宣言する。

 

「それだけじゃないわ。

 去年の忘れ物、安田記念もいただくつもりよ?」

 

 ざわめく彼らをおいてキングヘイローは上機嫌にトロフィーの縁を撫でている。

 蠱惑的に歪む唇をチロリと赤い舌が濡らした。

 

「私はワガママなの。

 せっかく菊の花をいただいたことだし、並べるための秋の盾も欲しいわ」

 

 盾とは即ち天皇賞のトロフィーのこと。

 ここまで来ると取材者たちはむしろ静まり返っていた。

 

 長距離を制した彼女が短距離、マイル、そして中距離のG1レースを狙うというのだ。

 大胆発言にもほどがあるというもの。

 どの距離でも勝てるというのは、ともすれば他の全選手を愚弄する発言とも取れてしまう。

 これでもし高松宮記念を落とせば道化では済まない。

 この一件が忘れ去られるまで裏通りを歩くことすら苦労するだろう。

 

 今回の取材はそれなりの騒動となり、数時間後には中央レースファンの間に知れ渡ったという。

 

 

 

 

 

    _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「これがキングの王道よ、か……滅茶苦茶やるねー」

「す、すごい、です……」

 

 そこはセイウンスカイの寮部屋。

 ネコのぬいぐるみを胸元に置いてベッドに横たわるセイウンスカイは携帯を眺めながらぼやいた。

 そんな彼女に膝枕をしているニシノフラワーもまた自分の携帯で記事を読んでいる。

 

 掲示板などでも盛大に報じられ、叩いたり叩かれたりの大騒ぎだ。

 ネットの中ではこの話題で持ちきりである。

 

 叩いてる側は“ふざけてる”とか“他の選手への冒涜だ”とか“調子に乗りすぎ”とかだいたいそんな感じ。

 擁護してる側は“ビッグマウスはこれぐらいでないと”とか“このお嬢様面白いから好き”とか“菊花賞取れたからってはしゃいじゃってるの可愛い”とか、どうでもいいから好き勝手言ってるだけだ。

 本気に受け取った側が怒っていて、冗談の類や実力が伴ってないと感じている側が茶化しつつも受け入れている状況。

 共通しているのはどちらも彼女を応援していないところだろうか。

 

「……ホント、苦労を買うのが好きなお嬢様だよ」

 

 だからこそ彼女の実態を知る人こそ応援したくなる、そんな少女だった。

 実際ネットでは盛大に叩かれているがトレセン学園では好意的に受け入れられている。

 それもこれも話を聞いたシンボリルドルフがわざわざ駆けつけ、その挑戦、受けて立つと言って握手を求めていたためだ。

 学生のトップが受け入れたという噂が浸透してからは表立った陰口もなくなった。

 基本に立ち返っただけとも言う。

 つまり、レースで思い知らせるだけだ!と……まぁ、そういうことだ。

 ターフを走る者すべてがライバル!という見出し、これが今のところガチになったというだけのこと。

 

 そんなキングヘイローを想い、セイウンスカイが心配そうにしているのを眺めてニシノフラワーは複雑な気持ちだった。

 言葉にするのなら“またあの人を見ている”とかそんな子供じみた感情だ。

 嫉妬するのも良くないという思いからその感情に蓋をする。

 大丈夫、この程度ならもれたりしない。

 

「でもさ、気がかりなのはフラワーを意識してることなんだよね」

 

 セイウンスカイの言葉にニシノフラワーはびくりと反応した。

 膝枕をされているセイウンスカイがその反応に気付かないわけがない。

 

「“高松宮記念最大の強敵であるサクラバクシンオー選手に対して一言お願いします”」

 

 つらつらと記事の一説を読み上げる。

 ちらーっと顔を下から伺ってみるとニシノフラワーは両手で顔を隠していた。

 首筋まで真っ赤に染まっているので赤面しているのは隠せていない。

 

 照れるフラワーは可愛い、セイちゃん覚えた。

 

「“私にとって最大の強敵はサクラバクシンオー先輩じゃないわ”」

「も、もうやめてくださいっ」

「“ニシノフラワー、小さくも華麗な天才よ”」

「ひゃー!!」

 

 小さくも華麗、という言葉がセイウンスカイから飛び出して来たのでニシノフラワーがダウンした。

 ネコのぬいぐるみにポスンと埋まる音が聞こえる。

 その状態でもじもじされると太股という名の枕が揺れるのでちょっと落ち着いてもらいたいセイウンスカイだった。

 

「でもどうせならキングさんの声マネじゃなくてスカイさんの地声で言って欲しいです」

「おっ、欲しがるねー?」

「スカイさんの声マネ上手すぎて本当にキングさんに言われてるみたいでしたし……」

 

 それはそれで充分恥ずかしいのだが、恋する乙女としてはやはり好きな人の声で聴きたいものなのだ。

 仕方ないなぁ、とぼやきながらセイウンスカイは体を起こした。

 ドキドキと期待して待っているニシノフラワーの顔にさっきまで抱いていたぬいぐるみを押し付ける。

 

「ひゃあ!?」

 

 直前にいたずらっぽい笑みを浮かべたので何か来るとは思っていたが視界が封じられて驚きの声があがった。

 しかも胸いっぱいにセイウンスカイの匂いが飛び込んでくるおまけ付き。

 ぬいぐるみに残るぬくもりもなんだか気恥ずかしい。

 

 そんな思考の横道に入ったニシノフラワーの耳元に吐息が来た。

 びくりと全身が固まる。

 プルプルと緊張に耳が震えている。

 

「私にとって君は花より可憐で、香しい存在だよ」

「~~~~ッ!」

 

 その言葉が耳朶を打つ。

 差し込まれた言葉がまるで熱を持って侵入してきたようで頭が沸騰するような感覚にニシノフラワーはゴロゴロと転がった。

 声にならない声を顔に押し込んだぬいぐるみに向かって吐き出し、うめく。

 

 どったんばったん。

 その様子にさすがのセイウンスカイも額に手を当てて反省のポーズだ。

 

「あちゃー、やりすぎた」

 

 今は友達以上恋人未満といった関係の二人だ。

 こうして他愛ないやり取りも随分増えた。

 そしてニシノフラワーが時折このようなワガママを言ってくることがある。

 基本的に良い子すぎてワガママを言わない彼女が珍しくも甘えてくる時、セイウンスカイは極力受け入れるようにしていた。

 だいたいが甘い言葉の要求だったり手を繋いだりなど、ちょっとだけ恋人っぽいことをする程度のことだ。

 叶えるのは訳ない。

 

 問題があるとすればその度にニシノフラワーがいい反応で悶絶するものだからセイウンスカイの悪戯心に火がついてしまうくらいだ。

 今回もそれが原因でやりすぎてしまった。

 これは一時間くらいゴロゴロしているだろう。

 キングヘイローと何があったのか聞くのは難しそうだ。

 

 次からは気を付けないとね。

 誰に言うでもなくぼやいてセイウンスカイは椅子に腰かけた。

 ベッドは当分ニシノフラワーの占領を許すしかない。

 

「今夜はフラワーの匂いで眠ることになりそうだ……」

 

 これもまた自業自得である。

 

 

 

 

 

    _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「バクシンオー、例のお嬢様について話は聞いてるか?」

「はい! クラスの皆さんに教えてもらいました!」

 

 トレーナーの言葉にハキハキ答えるのはスプリンターの女王、サクラバクシンオーだ。

 現在のトゥインクルシリーズの中で短距離最強を一人上げろと言われれば誰もが口をそろえて彼女の名前を挙げるだろう。

 それほどまでの実力を誇り、また実績も持っている絶対王者だ。

 サクラバクシンオーの驀進を阻んだのは未だクラシック級の幼き天才ただ一人。

 それ以外は全てがサクラバクシンオーの下に膝を屈し続けている。

 ドリームトロフィーリーグに栄転できていないのは年齢制限に引っかかっているからではないか?などと噂されるほどの実力だ。*1

 

 そんな彼女よりも見るべき相手がいると断言したウマ娘が現れた。

 幼き天才ニシノフラワーを倒すべき敵として見ているというのは決して間違いではないだろう。

 だがそれはあくまでサクラバクシンオーを倒せるという目算があればこそだ。

 

「キングヘイローのことはどれほど知っている?」

「まったく!」

「……だろうな」

 

 今までぶつかったこともない相手だから仕方ないとはいえ、話を聞いておいて全く調べなかった神経を疑いたくなるトレーナーであった。

 長い付き合いなので細かいことを気にしてもしょうがないと流してタブレットを見せつけた。

 

「言うだけあって悪くない走りをしている」

「ほほーぅ、確かにラストスパートは中々の伸びですね! 私には敵いませんが!」

「負けんか?」

「はい!」

 

 自信満々に頷くが、無駄に自信にあふれているのがサクラバクシンオーという少女だ。

 どこまで信じていいかが難しい。

 しかしそのかじ取りを誤らなかったからこそ今の成績がある。

 トレーナーは軽く首を振って切り替えた。

 

「この画像は半年以上前の物だ、今はもっと切れ味も鋭くなっているだろう」

「最近の試合はないので?」

「長距離の一戦のみだ」

「……長距離? マイラーと聞いていましたが?」

 

 本当に何も知らないらしい。

 首を傾げる姿は愛らしいが阿呆丸出しで品性がない。

 大人の体に子供っぽい中身というギャップも彼女の魅力ではあるがトレーナーはギャップ萌えを理解できない人種だった。

 近いうちに矯正しようと誓いつつ事情を話してやる。

 

「なるほど、つまり私のライバルですね!」

「……どうしてそうなる?」

 

 間違いではないのだがどうにもニュアンスが異なる気がする。

 そう感じたトレーナーは一歩突っ込んでみると予想外の返答が来た。

 

「全ての距離で戦って制覇するというのはわたくしサクラバクシンオーの道と通じています!

 つまり彼女もまた学級委員長ということでしょう!

 これは負けてはいられません、バクシン! バクシーン!!」

 

 トレーナーは頭を抱えた。

 そう、サクラバクシンオーもまた全距離制覇を公言しているウマ娘の一人である。

 とはいえ彼女の適正は明確にスプリンターであり、行けてもマイルが限界というのが実態だ。

 1800メートルも走れば確実に垂れてバ群に落ちるのが目に見えている。

 というかマイルの1600でもギリギリなのだ。

 

 その上、現在のマイルはタイキシャトルとサイレンススズカ、そしてエアグルーヴといった豪傑と……ふらっとやってくるよく分からない何か(マチカネフクキタル)が集う魔境であり、適正を外しているサクラバクシンオーでは勝ち越すことができていない。

 今期からはさらにグラスワンダーとエルコンドルパサーが参入してくる地獄横丁一丁目だ。

 どうしてそんな戦場に飛び込んでいかなければならないのか。

 

 来年はサクラバクシンオーもマイルの本数を減らし、本格的にスプリントに絞り込んでいくというのがトレーナーの描く路線である。

 しかし目を輝かせて秋の三冠への参戦を語る彼女をどう説得したものか、頭を悩ませるのであった。

 

「とにかく今は一年後より半年、そして目の前のことだ」

「そうですね! JBCスプリントを今年も勝ち越して学級委員長の力を生徒の皆さんに示しましょう!

 はっはっはっー!」

 

 元より対策を取るという性格のウマ娘ではない。

 黄金世代だろうが何だろうが来るというのなら驀進の一撃で突き放すまで。

 万全の体調で送り出せば負けないウマ娘だと知っている。

 トレーナーはそう結論付けてトレーニングに入った。

 

 

 

 

 

    _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「おバカな子ね、とことん自分でハードルを上げるのが趣味なのかしら?

 ……いいえ、本当は分かっているのよ」

 

 誰もいない執務室で独り呟く女性。

 彼女は豊満な体を抱きしめ、ふわふわの髪の毛をくしゃりと握りしめる。

 

「これは私があの子にかけてしまった“呪い”……本当におバカなのは私なの」

 

 出てきた言葉は懺悔か、それとも後悔か。

 

「ねぇ、どうして?

 どうして私はあの子に()()()なんて名付けてしまったの?」

 

 その言葉を聞き届けてくれる相手はいない。

 最愛の娘が茨の道を往く。

 その根源を与えてしまった己の浅はかさを恨みながらペンを手に取る。

 

「あの子が自分の適性を無視してまで王道に拘った理由なんて一つしかない!

 私があげた名前をあの子が誇りに思ってるから!」

 

 悔み辛みを吐き出すかのようにペンを走らせた。

 白い用紙が見る見るうちに衣装のデザインで埋め尽くされていく。

 

「それで結果を出せたと思ったら今度は自分だけの()()!?

 ふざけないで! どれだけあの子を縛り付けたら気が済むの!?」

 

 書き連ねた用紙を握りつぶして机に叩きつける。

 血を吐くような言葉は全て己に向けたものだ。

 そうだとも、彼女は娘を傷つけているのは全て己が端を発していると知っている。

 

 この“呪い”は全て自分の“期待”から始まっているのだ。

 だからもう二度とウマ娘として娘を見ないと、期待しないと誓った。

 

 その結果がこれか?

 苦痛の果てに待つのは地獄か?

 

「……もう、いやぁ……私なんてもう死んじゃいなさいよ……ぅぅ……」

 

 泣き崩れる。

 髪の毛をかきむしり、机に沈み込む。

 

 素直に娘の活躍を願えばよかったのだろうか。

 それは地獄に叩き込むのと同義と知っていても?

 

 結果が変わらないのならば愛した分だけ自分は幸せを享受できる。

 でもそれは代わりに娘が潰れるだけだ。

 

 いいや、やはり発端はキングヘイローなどと名付けたことだ。

 あれが原因だった。

 あれさえなければあの子はきっと―――

 

 

*1
ドリームトロフィーリーグは移籍条件を公開していないため憶測でしかない。




もしもあの子がアサカヘイローの名前であったならば。
彼女はあそこまで王道路線に拘らず、もっと早い段階からスプリンターとして活躍できていたかもしれません。
そしてマイナー路線である短距離中心のレースならば親もまた素直に応援できていたかも……。
これはそういうお話。

ぶっちゃけ暗くしだしたら際限ないので次回ははっちゃけ回=デュエル回です。
あの封印が今解かれる!
 
 
次回、『その者、ゴルシにつき』にアクセラレーション!
 
 


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クラシック級/11月後半:こいつ、できる……!

 
11月後半なのにジャパンカップのシーン書かないで俺は何してるんだろう……。
というわけでゴルシらしさを少しでも感じていただければ、という投稿です。
 
 


 

「よう、ヘイロー! あんたデュエリストだったんだって?

 じゃあアタシと勝負すっか!」

「???」

 

 殆ど喋ったことのない先輩にさも友人であるかのように話しかけられ、しかも芝の上でデュエルを持ちかけられたキングヘイローは混乱の極みにあった。

 何せ今はシャトルランの最中である。

 話しかけてきた相手がトレセン学園の要注意人物筆頭ゴールドシップだったこともあり、警戒すればいいのか注意すればいいのか走りに集中すればいいのか分からなかった。

 分からなかったがとりあえず走るのは止めない。

 トレーナーからの指示もないので次のカラーコーンへ走り込む。

 

「へへっ、シンクロが席巻してるこのご時世に帝デッキとは恐れいったぜ!」

 

 シターンシターンと長いストロークで並走するゴールドシップは涼しい顔だ。

 一分間続けているキングヘイローに比べれば余裕があって当然だが、スプリントスタイルの彼女について来れるのは尋常ではない。

 動揺しつつも次のカラーコーンへ。

 

「でもよ、水臭いぜヘイロー!

 なんでデュエリストなの黙ってたんだ、アタシたちの仲じゃねーか! うぇいうぇーい!」

 

 赤の他人ですが????

 

 走ることに精いっぱいでなければそう言い返していたところだ。

 それにしても何故ゴールドシップはこれだけのスピードで走っているのに喋る余裕があるのだろうか。

 呼吸の妨げになる喋りなんて流しながら走っている時ぐらいしかできないものだ。

 

 つまりまだ全力ではないと?

 そう考えた瞬間、キングヘイローの脚に鋭さが蘇った。

 

「ラスト!」

 

 トレーナーの声。

 ぶっ倒れるつもりで走り、ゴールドシップを突き放す。

 コーンを超えて転がるようにして倒れた。

 

「ふん、悪くないタイムだ」

 

 でしょうよ!

 

 ぜーぜー呼吸しながら瞳でそう返事する。

 半瞬ほど置いて戻ってきたゴールドシップは少し物足りなさそうだ。

 中途半端に走ったせいで気持ち悪いのだろう。

 もう十本ほど走りたいと顔に書いてある。

 

「ま、いいや。そっちはそのうちやるとして……やっぞ! デュエル!」

「……なんで????」

 

 ようやく出せたキングヘイローの疑問は黙殺され、ゴールドシップに引きずられて裏庭へと連れ込まれた。

 用具を片付けたジャックも当然のようにその後を追う。

 

「ん? 私がおかしいの?」

 

 ジャージを土で汚しながらぼやいたがやっぱり誰も返事をしてくれなかった。

 

 

 

 

 

    _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「コンディションもよくなさそーだし、ガチデッキでやるのはまた今度な」

「シャトルランをやった直後でコンディションがいいわけないでしょ……」

 

 返事をしたキングヘイローをべしゃりと捨て置き、ゴールドシップは適切な距離を取る。

 ともあれお互いジャージ姿でデュエルディスクなど持っていないこの状況でデュエルなどできるのだろうか?

 そんな疑問を抱いたキングヘイローを他所にゴールドシップは左側頭部に付けている茶色いヘアカフス(?)を外して左腕にセットする。

 

「は?」

 

 カシャカシャジャキーン!ゴルシィ!

 なんか変形してデュエルディスクになった。

 

 流れるように右側頭部のヘアカフス(?)をスライドさせるとそこからデッキが現れた。

 デュエルディスクにセットしてシャッフルボタンを押す。

 これで準備は完了だ。

 

 デュエルディスクが元の形状より倍以上に膨れ上がっていることとかデッキケースの割には薄すぎることとか、そんなどうでもいいことはゴールドシップには関係ない。

 よく見たら左側頭部にヘアカフス(?)が復活してることと同じくくらいどうでもいい些末な問題だった。

 ただ、キングヘイロー的には問題大ありというだけで。

 

「おう、ヘの字はどうすんだ?」

「ん???」

 

 混乱から立ち直る暇もなく携帯してるのが当たり前みたいな言い方に戸惑うキングヘイロー。

 デュエルディスクどころかデッキすら携帯していない彼女には無理難題だった。

 

 とりあえずトレーナー室に戻っていい?

 そう聞こうか悩んだ彼女に投げ渡されたのはデュエルディスクとデッキケースだ。

 投げたのは当然ジャックである。

 

「愚か者め、デュエリストたるものデッキは常に携帯していろ」

「普通にトレーニングの邪魔じゃない?」

「ゴールドシップを見習え」

「優等生のゴルシちゃんだぞ♪ いぇい♪」

 

 なんかもう白目をむいて卒倒したい気分だ。

 とにかく始めないことにはこの頭の痛い空間が終わらないのだと気づき、手早く準備を終える。

 

 やぶれかぶれってこういうことかしら。

 

 言葉にはせず、ため息として吐き出した。

 だがそれを契機に気分を切り替える。

 ダラダラとした気持ちでデュエルをしたら無様を晒すと知っているからだ。

 

「まぁ、いいわ。やるとなれば先輩でも容赦しないわよ!」

「そうこなくっちゃな」

 

 互いに向かい合い、構える。

 一拍の間があって二人同時に息を吸う。

 

「「デュエル!!」」

 

 キングヘイロー LP4000

 

「私のターン!

 汎神の帝王を発動。手札の帝王の深怨を墓地に送ることで二枚ドロー!

 そして墓地に行った汎神の帝王の第二の効果を発動するわ」

 

 ソリッドビジョンによって映し出された三枚のカードは帝王の烈旋、再臨の帝王、真帝王領域だ。

 効果はそれぞれ相手モンスターをリリース素材にできる魔法カード、帝ステータス専用蘇生の魔法カード、特定の条件下でエクストラデッキからの召喚を封じるフィールド魔法だ。

 他にも細々とした効果はあるが大よそそのような認識で構わない。

 

「ほーん、三積みはまだできてねぇ感じな……あるある」

「さ、どれか一枚を選びなさい。貴方が選んだカードをデッキからドローさせてもらうわ」

「ほいじゃ烈旋で」

 

 バーンと指鉄砲で帝王の烈旋を打ち抜くとビジョンが砕け散る。

 キングヘイローのデッキからカードが一枚だけ飛び出し、それを引き抜けば帝王の烈旋だ。

 手札は潤沢。

 一瞬だけ悩むそぶりを見せ、キングヘイローは裏守備表示で召喚した。

 

「ターンエンドよ」

 

 ゴールドシップ LP4000

 

「……ま、この分じゃいいとこ()()ってとこだろ」

「?」

 

 訝しむキングヘイローを他所にゴールドシップはこの時初めて己の手札を見た。

 瞬間、顔が歪む。

 舌も出して変顔をしているがどこか怒りの感情がこもっていた。

 

()()だと~!? このアタシとしたことが読み違えたか……?」

 

 相変わらず枚数を数えているようだがそれが何を指し示しているのかキングヘイローには理解できない。

 首をこてりと倒し、尻尾も興味深げに揺れている。

 

 ゴールドシップが今使っているデッキは大変に特殊なデッキである。

 どのようなデッキかというと、最初の手札で相手の力量を測れるというものだ。

 格下相手にしか通用しないがゴールドシップはこのデッキのキーカードを何枚呼び込めるかで相手の実力が殆ど正確に分かるという。

 キーカード以外も判断基準になるが、単純に言えばキーカードの枚数が多ければ多いほど実力差が開いているということだ。

 

 枚数がそのまま実力差、つまりこの場合はゴールドシップが二枚上手ということである。

 逆に言えば二枚ほどの差しかないということであり、対戦相手を過小評価していた己にドロップキックをしたい気分のゴルシちゃんだった。

 

「かーっ、無礼てかかって最後の最後で本気になっちゃった会長を笑えねぇぞこれ。

 ……ま、いいや。この感じだと上振れて二枚ってとこだよな。誤差誤差。

 今から引けばノーカンノーカン」

 

 本当に誤差かそれ?

 ともあれ切り替えたゴールドシップは改めてドローフェイズに取り掛かる。

 

「あ、そうそう。聞き忘れたんだけどよ」

 

 ドローフェイズに取り掛かれ。お願いだから。

 

「何かしら?」

「デュエル初めてどんくらいだ? 五年か六年ってとこだろ」

「いいえ? 半年くらいかしら」

 

 デッキの上に置かれた指が動きを止める。

 またしてもゴールドシップは読み違えたのだ。

 それも今度は誤差で済まされる差ではない。

 小さな子供のころからやっていたというのと、つい最近始めましたではその重みがまるで違ってくる。

 

 半年。

 たったそれだけの期間であと二枚のところまで詰められている。

 その事実にゴールドシップはキレた。

 

「はぁ~~!? 一年未満のトーシローにゴルシ様が二枚差!?

 ざっけんなよオラー!! 明日の朝刊乗ったぞテメー!!」

「な、何か気に障ること言ったかしら!?」

「アタシは自分に嫌気が差してんだー!

 チッ、これ終わったらトレーナーとマグロ漁だな! マックイーンもつれて!」

 

 なんやて!?

 マグロ、ご期待ください。

 というわけでホープフルSを目前にマグロ漁が決定した二人のご健勝を祈りつつゴールドシップはカードをようやく引いた。

 

「ドロー! アタシは手札から魔法カード、プレゼント交換を発動するぜ。

 こいつがなくちゃパーティーは台無しだろ?」

「プレゼント交換?」

「お互いデッキからカードを一枚選び除外すんのさ。

 そしてターンエンド時に除外したカードを()()()()()に加えるぞなもし」

「……はぁ?」

 

 素っ頓狂なカードもあったものだとぼやきながらキングヘイローは何を渡すか考える。

 利敵行為にならないカードがいいがこれが中々難しい。

 渡すにはもったいないが再臨の帝王をデッキから選び取った。

 

 ゴールドシップの方はデッキをセットしたまま一枚だけを抜き取り、確認もせずに除外した。

 それで大丈夫なのかと疑問に思うがゴルシのやることだし気にしてもしょうがないよ。

 

「そんで、悪いがこっからはリアルマジで行かせてもらうわ」

 

 リアルガチの間違いでは?

 

「うるせぇ! アタシは手札から魔法カード、星の金貨を発動!

 アタシの鬼引き見てやがれ!」

「マジって話だし、今度はちゃんとしたカードでしょうね?」

「聞いて驚け、アタシのカードを二枚渡すことでアタシは二枚ドローできんのさ」

「!?」

 

 キングヘイローは聞いて驚かされた。

 だってまたしても相手からカードが贈られるとは思っていなかったからだ。

 投げ渡されたカードをキャッチして確認するとレベル1の通常モンスターが二枚。

 ステータスを見てもただのゴミカードでしかない。

 いかにも不要なカードを渡しましたと言った様子だ。

 

「まさか最初から押し付けるためだけにデッキに採用してるとか?」

「おう」

 

 そんなはずないと思いつつも言った言葉を肯定されてしまい、キングヘイローは閉口した。

 奇妙奇天烈なカードばかりデッキに採用しているようだが勝つつもりはあるのだろうか。

 

「そんでこいつがゴルシちゃんの鬼ドローちからよ! ドロー!」

 

 引き入れたカードを見てニヤリと笑ってみせた。

 渾身の引きを得たゴールドシップはカードを二枚伏せる。

 

「こいつらを伏せてアタシはターンエンド。

 そしてお楽しみのプレゼント交換の時間だオラァ!」

 

 宣言と共に巨大なプレゼントボックスが二人の前に二つ現れる。

 華やかなファンファーレと共にリボンが解かれ、中から出てきたのはカードだ。

 キングヘイロー側にあるのはやはりレベル1の通常モンスターである。

 

「……まったく、()()()()()()()()()()なんてどうして()()してるのかしら」

 

 疑問に思いつつぼやいた言葉に反応したのはデュエルを眺めていたジャックだ。

 驚愕の表情をゴールドシップへと向けていた。

 もし彼女がやろうとしていることがアレならば、伏せられたカードはおそらく―――

 

「この勝負、すでに終わっているのか」

「へぇ、何を伏せたのかわかんのか? やっぱアンタはつえーんだな」

「ちょ、ちょっと何よ! 今から私のターンなのよ! ちょっとは応援しなさい!」

「終わった勝負に興味はない」

「もー!!」

 

 キングヘイロー LP4000

 

 伏せカードがなんであろうと踏み倒すまで。

 そう判断してドローしたキングヘイローに待ったをかけるのはゴールドシップだ。

 

「もーもードローに罠カードを発動すっぞ、天使の涙!

 ついでに替え玉天使の涙! バリカタでよろしく店長!

 さぁ、お楽しみはこれからだ!」

「今度は何?」

「自分の手札を相手に一枚渡してライフを2000回復させる!」

「つまりまた二枚こっちに来るのね」

「おう!」

 

 またしても投げられたカードはレベル1の通常モンスターだ。

 これで()()()()()()()()がそろった。

 じゃあもう一枚は頭かしら?

 そう思って……追加のカードが飛んでこないことに疑問を抱いた。

 

「何して―――」

「次はちゃんとしたデュエル、しようぜ?」

 

 顔をあげた瞬間、目の前にいたゴールドシップが耳元で囁いてきてキングヘイローの全身を撫でるような感覚が駆け抜けた。

 反射的に振り払うと闊達に笑いながら離れていくゴールドシップの後ろ姿が見える。

 

「な、何だったのよ……」

 

 誤魔化すように耳を撫でながら手札を確認すると新しい一枚が差し込まれていた。

 それは今までと違ってレベル3の効果モンスターであった。

 何気なくテキストに目を通す。

 

 このカードと「封印されし者の右足」「封印されし者の左足」「封印されし者の右腕」「封印されし者の左腕」が手札に全て揃った時、デュエルに勝利する

 

「……は?」

 

 本日何度目かの“は?”が飛び出した。

 何故ならばテキストを信じる限り、キングヘイローは勝利条件をそろえている。

 どういうことかを聞こうとした瞬間、勝手にデュエルディスクが輝きを放つ。

 

 召喚音が立て続けに鳴り響き、背後に鎖を付けられて封印されている巨人が姿を現したのだ。

 空間と鎖を引きちぎり、その巨体の全てを晒す。

 その威圧感はレッド・デーモンズ・ドラゴンを凌駕していた。

 

「こ、これがエクゾディア……?」

「そう、こいつこそが最強のモンスター、封印されしエクゾ―――」

 

 セリフの途中で拳が叩きつけられ、ゴールドシップは爆発して吹っ飛んで行った。

 ゴルシー!?

 怒りの業火エクゾード・フレイムによりぶっ飛んだゴールドシップは倉庫の扉をぶち破り、ダイナミックお邪魔しますを慣行。

 そのまま平均台の上を滑って跳び箱二十段を鎧袖一触にし、倉庫そのものを揺らした。

 それっきり、周囲は静まり返ってしまう。

 

「………………な、なんだったのかしら」

 

 相変わらず疑問に答えてくれる人はいない。

 文字通りぶっ飛んだ奴だった。

 

 しかしゴールドシップの弾丸訪問の音を聞きつけてやってきた男はいた。

 唐突にいなくなったゴールドシップを探しにきていた遊星だ。

 

「ゴールドシップはここにいたか」

 

 いた。いるではない。

 放っておけばまた姿を消すだろう。

 遊星は手を挙げて簡単に挨拶をすると倉庫へと歩き出した。

 

「待て遊星。あの女、ただ者ではないな」

「それはウマ娘としてか、それとも」

「デュエリストとしてだ、今しがたのデュエルでは実力の底がまるで見えん」

 

 とてとてと寄ってきたキングヘイローから五枚のカードを受け取り、事情を察した遊星はしばらく考えるそぶりを見せた。

 そして一つ頷くとこう表現した。

 

「俺の知る限り、トレセン最強のデュエリストだ」

「なに?」

 

 飛び出してきた言葉は信じがたいセリフだった。

 人口の多いこの学園で最強というのはただ事ではない。

 特に超一流のウマ娘が勢ぞろいするこの学園ではデュエリストとしても一流というウマ娘も少なくないことが予想できる。

 

「俺も何度か負けかけている」

「貴様がか?」

「ああ」

 

 スピカのサブトレーナーとして就いたのも最初の一戦でゴールドシップに目を付けられたというのが大きく影響している。

 チームに参入してからは度々デュエルをする仲だ。

 ちなみにデュエル中とその後のデッキ調整中は大人しくカードを触っているのでトレーナーからは大変感謝されているとか。

 

「キングヘイロー、彼女は何枚だと言っていた?」

「二枚がどうとか?」

「……そうか。それだと大会で立派な成績が残せる程度の腕前ということだ」

 

 それがどれほど凄いことなのかはキングヘイローには分からない。

 だが立派な成績と言われて悪い気はしない。

 ふふんと鼻も高々である。

 

 つまりそれほどの実力者から二枚上手とするゴールドシップの実力はプロ級ということだ。

 遊星を倒しかけたという実績からも間違えた尺度ではないように思える。

 プロ級のデュエリストが辻デュエルを仕掛けてくる魔境、それがトレセン学園である。

 こ、こわい……。

 

「あのようなお遊びデッキを携帯しているような奴だ、まともなデュエリストではないと思っていたが」

「強すぎてまともにデュエルができないからあんなデッキを作ったと言っていた」

 

 それでもあのデッキで実力差が開きすぎる相手だと初手で五枚揃えてしまってゲームにならないのだが、そうでなければ“いかに相手の手札で遊べるか”という別のゲームが始まるというわけだ。

 まともな感性では扱いきれぬ、いいや組むことすらできないデッキである。

 

 今回出番がなかったが本当はエクスチェンジも使い、3ターンほどかけてエクゾディアを完成させるという。

 1ターンと少しで完結させたのは自分にキレた彼女なりの向き合い方だったのだろう。

 

「……なんにせよ迷惑な人ね、遊びたいのなら他の方法でもいいのに」

 

 後になってこのセリフを聞きつけたゴールドシップと将棋をすることになり、連敗記録を刻むキングヘイローだったがチェスで一勝拾ったことで彼女から認められることになったという。

 これはそんなお話。

 

「よう、サブトレじゃねーか! ちょっと(騎空士用の)船準備してくんね?」

「ああ」

 

 ……ゴールドシップは今日も元気にトレセン学園を謳歌していた。

 

 




ゴルシ主人公のデュエル物語書きたいなという妄想を背景にできたお話です。
ゴルシの言動トレスが難しすぎて諦めましたが。
ちなみに学園ではゴルシと同格の実力を持つナカヤマフェスタというウマ娘がいますが彼女も遊び用のデッキとガチデッキを使い分け、そのどちらでも遊星が勝利しています。


次回、『マグロ』ご期待ください
※ウソです
 
 


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クラシック級/12月前半:サクラの軌跡

 
ウ魔王様、暑すぎるのなんとかなりませんか?
ところでグラス、キミはヒーラーじゃなくてアタッカーの間違いじゃ――
【返事がない、ただのしかばねのようだ】
 


 

『強い! 強い! 強すぎる! キングヘイロー二着から三バ身突き放し今ゴール!

 下見ついでに杯を奪取! これが彼女の覇道かー!?』

 

 とまぁ、そんなわけで高松宮記念が行われる中京レース場を走る目的で参加したGⅢレース、朝日新聞杯を難なく制したキングヘイローは自分の部屋でその成果に戸惑っていた。

 GⅢ、重賞の中では最も格下とは言え、列記とした重賞の一つ。

 しかも相手の大半はシニア級であり、その試合をあまりにもあっさりと取ってしまった。

 ホテルを予約していないくらいあっさりと。

 

 今までの苦労は何だったのだろうか?

 そう思わずにはいられない。

 

 菊花賞以外の重賞をどれ一つ取れなかった彼女は今回のレースも良くて入賞どまりだろうと想定していた。

 短距離用に体を鍛えあげている最中でとても中距離用には仕上がっていない。

 目的はあくまで下見であり、シニア級の実力を測れれば重畳くらいに考えていたキングヘイローにとってこの成果は望外の代物である。

 

 だがジャックに言わせれば取れて当然とのことだった。

 それがまた彼女の困惑を加速させていた。

 部屋に戻り、今こうしてベッドの上でうんうん唸っているのもそのせいである。

 

 これまでキングヘイローが出場してきた重賞はどれもライバルたちの姿があった。

 今回はそれがない上にビッグネームもないから余裕だろうと言われていた。

 だが普通に考えればそんなはずはない。

 

 シニア級とクラシック級では試合の経験値がまるで違うのだ。

 身体能力も子供から大人になりかけのクラシック級とは違い、大人の骨格と全盛期の筋力を纏った選手ばかりである。

 栄えある中央レースに登録されている選手なのだから倒して当たり前の雑魚なんて存在はあり得ない。

 

 それなのにあっさり勝ててしまったのはどうしてか。

 しばらく頭を悩ませたキングヘイローはやがて考えるのを諦めて枕に顔をうずめた。

 

 今日のところは私が絶好調だった、ということにしましょう。

 

 相手は強い。

 その上で今日は私が上回っただけ。

 そう結論付けて携帯に手を伸ばす。

 だらしない姿、なんて思いながら動画を開いた。

 

 それはもう何度見たかもわからない動画だ。

 11月に行われた今年のJBCスプリント、ダートの1200メートルのGⅠレース。

 優勝したのはサクラバクシンオー。

 目標と宣言した高松宮記念でぶつかることが想定される強敵の一人だった。

 

 サクラバクシンオーはゲートを一番に飛び出してハナを取るとそのまま驀進。

 ダートを力強く蹴りながら前へ前へ。

 グングン伸びる。

 見ていてなんとも気持ちいい走りをするウマ娘だった。

 

 彼女の走りを眺めている間に勝負は残り200メートルのデッドヒート。

 追い縋る他のウマ娘たちに土をひっかけるような驀進はそのままゴールを果たす。

 二バ身差。

 終わってみれば誰一人影を踏ませない完璧な逃げきりを見せた。

 まるで誰にも先頭譲りたくない誰かさんのようである。

 

「はぁ……ちょっと早すぎじゃない?」

 

 誰に言うでもなくぼやいた言葉を耳で払って動画を閉じる。

 キングヘイローはあの逃げ足に追い縋り、最後の最後で差す筋力を身に付けなければならない。

 長距離コースであった菊花賞とは対照的なステータスが求められる。

 それでも不思議とできないとは思わなかった。

 

 そうよ、私は菊花賞を取ったキングよ! やれないことはないわ!

 

 だけどダートだけは勘弁な!

 彼女自身は気付いていないが菊花賞を、初めての重賞を取ったことでその才覚を開花させていた。

 たった一つの勝利が自信となり、またウイニングライブやハルウララの宣言を通じて母の言葉を乗り越えたことで迷いも振り切れた。

 その走りが朝日新聞杯での勝利であり、キングヘイローの今の実力なのである。

 

 一度の勝敗がウマ娘を変える。

 これは半ば常識のように語られる言葉であるが、いざ己が経験すると分からないものらしい。

 自覚もないまま彼女は強者の道へと乗り出していた。

 

「うっららー! ただいまー!」

「おかえりなさい、ウララさん」

 

 元気よくハルウララが扉を開けた瞬間、だらしなく寝そべっていたキングヘイローは一瞬で椅子に座り、優雅にティーカップを手にしていた。

 キングはだらしない姿を見せない。当然です。

 

 ちなみにハルウララはお風呂上りでほかほかの湯気をまだ身に纏っていた。

 髪の毛は湿っていないようだがボサボサのままである。

 これで寮の中を歩いて来たのかと思うと頭を抱えたくなるキングヘイローだった。

 

「んもう、仕方のない子ね」

 

 隣にあるハルウララの勉強机から椅子を引っ張り出し、パシパシと叩く。

 手にはティーカップではなく半月型のつげ櫛があった。

 それで理解したハルウララは勢いよく座り込んでキングヘイローに背を向けた。

 

「おねがいしまーす!」

「はい。お客様、かゆいところはないですか?」

「お耳のところがかゆいかも?」

 

 そう言って甘えてくる彼女と一緒に時を過ごしているうちにサクラバクシンオーのことはすっかり忘れていた。

 ただただ、毎日努力を重ねるルームメイトを労ってやりたいと、その思いで手を動かした。

 

「あ! キングちゃん勝ったんだよね! おめでとー!」

「それは夕食の時に聞いたわ。でもありがとう」

 

 夜はそうして更けていった。

 

 

 

 

 

    _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

 一度の勝敗がウマ娘を変える。

 それを体験しているのは何もキングヘイローだけではない。

 ここにも一人、それを経験し、しかし昔から変わらず驀進を続けるウマ娘がいる。

 そう、サクラバクシンオーその人である。

 

 今から二年前。

 彼女はとある少女と二人きりで模擬レースを行った。

 理事長からの要請ということで二つ返事で受けたサクラバクシンオーは幼いと表現してもいい少女と走り、勝利した。

 

 勝って当たり前である。

 相手は子供のサクラバクシンオーから見ても子供であり、手足の短さとその筋力差はいかんともし難かった。

 それに当時クラシック級でスプリント負けなしの若き女王であるサクラバクシンオーと、よりにもよってスプリント勝負を行ったのである。

 猿も木から落ちるというが、落ちたところで負けないくらいに実力差があった。

 

 だがそれでもその一戦がサクラバクシンオーを変えたのである。

 

 戦った後、サクラバクシンオーは折角の一騎打ちだったので挨拶をしようといつもの笑顔で振り返った。

 振り返って、固まった。

 経験からして、こういう時に相手は泣いているか悔しそうにしているか、あるいは実力差を痛感して呆然としているかだった。

 だがこの少女は違った。

 

「もう一度お願いします」

 

 ギラついた目で、次は勝つと言外に言っていた。

 息も絶え絶えで肩で呼吸をしているような状態。

 どう見ても全力を出し切った後の体で、それでも次は勝つと。

 

 サクラバクシンオーも呼吸は乱れていたがまだまだ走れそうだ。

 全力を出したわけではないので当然だが、流していたわけでもない。

 先の試合はレースとして成立していた。

 だからこそ驚かされる。

 

 相手はまだ小学生の中頃で、果たして自分が同じ年頃の時に同じことができただろうかと自問する。

 答えは明白だった。

 無理だ。

 トゥインクルシリーズで走るウマ娘たちは全てがサクラバクシンオーにとって憧れの存在であり、その年頃では手の届かない存在だった。

 それとレースをすることなどできるはずもないし、できたところでレースとして成立するかどうか。

 その上で、惨敗した直後に次は勝つなど……とてもではないが言えなかった。

 

 この時、サクラバクシンオーは初めてスプリントで負けた。

 

 結局笑止ッ! 勝負は一度きりであるからこそ身魂を投げ打って行うものである!と一喝されてお流れになった。

 それでもサクラバクシンオーは負けたのである。

 

 それから彼女の不調は続いた。

 年を越しても持ち直すことができず、トレーナーは大変な苦労をすることになる。

 幸いと言っていいのか、サクラバクシンオーが狙うようなレースは当分なく、休息の日々が続いた。

 

 そうして時は流れ、学級委員長として新学期に胸を高鳴らせていたころ、彼女との再会を果たす。

 小学生だったはずの彼女はトレセン学園の制服に身を包み、笑顔でこう言ったのだ。

 

「次は負けませんから」

 

 挨拶なども交わしたはずだ、名前もその時に初めて聞いた。

 それだというのに、覚えているのはその言葉だけである。

 あと覚えていることと言えば、気が付けば()()()()()()()()()ことくらいだろう。

 

 それを機にサクラバクシンオーの調子は徐々に上がっていき、京王杯スプリングカップにて優勝。

 調子を完全に取り戻したスプリント女王はトレーナーにこう宣言した。

 

「では次のレースはプロキオンSと参りましょうか!」

 

 トレーナーは困惑した。

 無理もない、プロキオンSとはGⅢの短距離()()()()()()なのだから。

 ダートなどろくに適性がないことは分かり切っていたはずだ。

 それでもやると断言する彼女を説得するために一度ダートを走らせてみれば、これがまた強かった。

 結果を出されてしまえば否とも言えず、結局そのままサクラバクシンオーはプロキオンSを制してしまう。

 いや、それどころか半年後のGⅠダートレースであるJBCスプリントさえも制してしまった。

 

 彼女は芝とダート、双方において、完全な意味での“スプリントの覇者”になったのだ。

 

 そのきっかけは小学生とのレースで負けたことだった、など誰が信じられるだろうか。

 ましてやスプリントの覇者であるサクラバクシンオーを下すのがその小学生だった少女などと、いくらなんでも出来すぎていて、まるで漫画の世界の出来事のようである。

 それでもそれは事実なのだ。

 サクラバクシンオーにとって揺るぎのない真実なのである。

 

 そして此度もまた彼女の前に立ちはだかろうとする存在がいる。

 キングヘイロー。

 同じ王の名を持つウマ娘であり、サクラバクシンオーと同じ志を持つライバルである。

 即ち全距離制覇。

 

 無敗という訳にはいかなかったが、未だにスプリントの王冠はサクラバクシンオーの頭上で輝いている。

 これを譲るわけにはいかない。

 まだマイルですら勝ち越せていないというのに、唯一手にした短距離でさえ奪われるわけにはいかないのだ。

 もう志で負けるのは嫌だ。

 だからこそ思う。

 

 勝つのはこのサクラバクシンオーです! あなたに勝って私こそが全距離制覇と参りましょう!

 

 だから来いとJBCスプリントの記者会見で宣言した。

 学級委員長として受けて立ちましょう!と。

 バクシンの道は譲らない。

 ライバルである少女と共に薙ぎ払ってみせると豪語した。

 

「スプリントの花冠は、ここにありますとも……!」

 

 彼女の名はサクラバクシンオー。

 燦然と輝くスプリントの覇者である。

 

 




この小学生やばい奴ですね。
ニシノフラワーっていうんですけど……え? ウンスのベッドでゴロゴロしてた? 人違いじゃないですかね。

というわけで内容薄めですがライバル紹介回でした。
バクシンオーやべー奴だわって少しでも感じてもらえればと思います。

別件ですがよしのんをどうにか出せたと思ったところに凛ちゃんとちとちとで死にそうです。助けて。


次回、『キング×グラス! そういうのもあるのか!』にアクセラレーションッ!
 
 


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クラシック級/12月前半:グラスワンダーと曇り空

 
夏バテのせいか体調不良で会社を早退し、ぶっ倒れていました。
そのせいでコーヒーが切れても買いに行けず、カフェイン不足で頭痛がやばいと言うダブルパンチ。
皆さんもカフェイン切れには充分気を付けてください。
 
 


 

 カリカリとシャーペンの滑る音が響く。

 ここはジャックのトレーナー室だが彼の姿はない。

 今いるのはキングヘイローと、その友人グラスワンダーの二人だけだった。

 

 彼女たちが行っているのは年末テストに向けた勉強である。

 学年でもトップクラスの学力を持つ二人は人柄の良さも相まって人前で勉強していると何かと頼られてしまうことが多い。

 応じなければいいだけの話だが、頼られてしまうとつい応じてしまう二人だった。

 かと言って自分の部屋で勉強となるとここでも同室の相手の面倒をついつい見てしまう。

 結局、自身の勉強に集中できないことが多かった。

 

 地味に困っていた二人に提案をしたのがジャックである。

 そんなに勉強したいのならばトレーナー室を使えと偉そうに進言してきた。

 赤点など取られても困るし、学力が下がったと気に病まれても面倒だと言っていた。

 ツンデレ乙である。

 

 それ以降、二人はここで勉強することが増えた。

 もちろん世話を焼くために友達やクラスメイトと一緒に勉強会を開くことも怠ってはいない。

 そのおかげで勉強にレースにとそれぞれ注力して行うことができ、充実した学生生活を送れていた。

 

「さっきから気になってるんですけど、そちらのスプレー缶はいったい……」

「ふふん、最近できた趣味よ! 見なさい、この鏡面仕上げ!」

 

 などと言った息抜きのシーンもあり、和やかに、かつ静かに勉強会は進んでいった。

 他のクラスメイトがいたらこうはいかない。

 少しお喋りを挟んだらそのお喋りが止まらなかったり、ふらりと立ち去ったセイウンスカイを捜索することになったりと騒がしさには事欠かないのだ。

 

 それは騒がしいこの学園では貴重な時間と言える。

 だがそんな時間こそあっという間に過ぎてしまうもので。

 

今のエルなら仮面ライダーの関節だってぶっ壊せマース!

 

 物騒なアラーム音に二人は手を止めた。

 

「……っと、ここまでね」

「あら、まぁ」

 

 そんな二人きりの勉強会もお開きの時間だ。

 勉強も大事だが、それ以上にトレーニングという大事な用も控えている。

 特にグラスワンダーは年末に有マ記念という重賞レース出場が決まっており、トレーニングにも一層身が入っている時期、のはずだった。

 だがどうにもこの数日、キングヘイローにはそのように見えないでいる。

 

 くるりと耳を回して考える。

 どうしてか集中力が足りていないように見えた。

 勉強自体には問題なさそうなのだが、それさえなんだか逃避に思えたのだ。

 

 心当たりがないわけでもない。

 グラスワンダーが時折見せていた闘争心、それをぶつける相手との直接対決が叶わなくなってしまったのだ。

 この有マ記念で戦うはずだった相手が怪我を理由に辞退を発表したのがつい先日。

 しかも相手はそのままトゥインクル・シリーズからドリームトロフィーリーグに栄転が決まっている。

 それからだ、彼女から覇気が失われてしまったのは。

 

 そんな彼女を黄金世代の皆は気にかけていた。

 特に路線が一番被っていたエルコンドルパサーなどはこの有マ記念で目を覚まさせてやると奮起している。

 だが欲を言えば有マ記念という特別な舞台で、二人には思いっきりぶつかり合ってもらいたい。

 そう考えるキングヘイローは口を出すことに決めた。

 

「グラスワンダーさん、少し時間をくれるかしら?」

「構いませんが、どうかしましたか?」

 

 こてリと首を傾げるグラスワンダーは可愛らしかったが見たいのはそんな彼女ではない。

 闘争心を胸に宿したあの怪物が見たいのだ。

 

「貴方にはこのキングと模擬レースをする権利をあげる」

 

 キングヘイローの宣戦布告が高らかにトレーナー室に響き渡った。

 

 

 

 

 

    _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

 それから話はとんとん拍子に進んでいった。

 お互いのトレーナーも唐突な模擬レースを二つ返事で了承した。

 グラスワンダーのトレーナーは彼女がトレーニングに集中できていないことを知っていたし、断る理由がないためである。

 ジャックの方はと言うと“それが貴様の王道(やりたいこと)ならば好きにするがいい、迷うな”と逆に背中を押される始末だ。

 

 さすがにレース場は確保できなかったので練習場の一角を使うことにした。

 テスト前の時期は勉強に集中するウマ娘も多く、人が少ない場所を見繕うのに苦労はしなかった。

 話し合って距離を決める。

 

 2000メートル。

 それが二人の出した距離だ。

 有マ記念に向けて長距離仕様に仕立て上げ中のグラスワンダー。

 短距離に向けて調整中だが、つい先日中距離の重賞を制覇したキングヘイロー。

 その二人が競うならば適切な距離のように思えた。

 

「まぁ、私達なら1600でも2400でも同じよ」

「そうかもしれませんね」

 

 お互い長袖のジャージを着て準備運動をしながらの言葉である。

 仲良く二人手伝いながら柔軟をこなし、苦笑を零す。

 

 どんな距離だろうと二人の脚質は似通っているため、レース展開は変わらない。

 ただどちらが適切なポジションを取り、適切なタイミングに仕掛けられるか。

 そういった勝負になるだろう。

 

 本当はもっと色々なことを喋りたい。

 目標を見失ってしまったグラスワンダーにかけてあげたい言葉はいくらでもある。

 それでもキングヘイローは黙って準備を整えた。

 

 グラスワンダーもまた、多くは語らず。

 ただレースに備えた。

 これがどのような思惑で始まったレースかは知らない。

 ただ模擬であろうともそれが勝負事である以上は勝つつもりでやる。

 グラスワンダーという少女はそんな闘争本能の塊みたいな少女であった。

 

 ゲートも何もない、ただのレーンの途中。

 そこに二人は並び立った。

 立て札の数値を見る限り、ここからスタートして一周とちょっとを走れば2000メートルという距離になる。

 だから構える。

 

 スタートの合図はグラスワンダーのトレーナーの笛だ。

 出遅れ、フライングも充分あり得るラフな形だがしょうがない。

 そもそもそれほど厳格な勝負ではないのだ。

 お互い、どうせ途中はそれなりのスピードで流す。

 多少の出遅れなど誤差だろう。

 

 そんな考えを言葉もなく二人は共有し、集中力を上げていく。

 準備が整ったのを見てトレーナーが腕を振り上げた。

 

「よーい、……ピッ!」

 

 振り下ろすと同時に笛が鳴り、二人がスタートした。

 ハナを取ったのはキングヘイロー。

 美しいフォームで風を切るようにして走る。

 その後ろをぴたりと張り付いたのがグラスワンダー。

 

 二人の速度は通常のそれ。

 しかしその集中力はひり付いた緊張感となり、観る者にただ事ではない何かを感じさせるには充分だった。

 

 事実、先を走っていたウマ娘が背後から来る二人を見てそっと道を開けた。

 あの様子はただの併走ではない。

 そう感じ取ったのか、走り抜ける二人に声をかけることもなく見送った。

 

「凄まじい迫力でしたわね」

 

 そんな後輩の言葉は二人の耳には届かず、冬の闇に飲まれて消えた。

 そしてコーナーへと向かっていく。

 二人の距離は変わっていない。

 だが駆け引きは随時行われていた。

 

 コーナーに入ったところで内を突こうとしたグラスワンダーをしっかりブロック。

 速度を上げてスタミナを削ろうとする彼女をがっちりと抑え込んだキングヘイローの安定感は遠くから見ていても分かるほどだった。

 そしてコーナー終わり。

 キングヘイローが息を入れるためか外に膨らむようにしてコーナーを出た。

 当然グラスワンダーが前へ、その後ろにキングヘイローが張り付いた。

 先ほどとは立場が逆転して後半戦へと入る。

 

 その辺りまで来ると二人の模擬レースに注目するウマ娘たちの姿も増えてきた。

 先ほど道を譲ったウマ娘、メジロマックイーンもその一人だ。

 レース場から出て、体を冷やさないように汗を拭きながら二人のレースを見ている。

 

 細かな駆け引きの応酬。

 非常にレベルの高いやり取りにはため息さえ零れ落ちた。

 普段のレースでもやっているのだろうが、二人きりのレースだからこそそのレベルの高さが浮き彫りになる。

 

 あれが一つ年上の先輩だというのだから堪らない。

 メジロ家の秘蔵っ子として世間で知られるメジロマックイーンだが、来年の自分があそこまでハイレベルなやり取りを行えているのかと問われれば頷ける自信はなかった。

 

 このレベルのやり取りを理解できている時点で素質は充分にあるのだが、当人には気付きにくいものだ。

 ただただ、静かに芸術品のような二人のレースに見入った。

 

 フォーム、呼吸、風向きと強さ、芝の状態、相手の位置。

 それらを的確に選択し、的確に行使し、的確に読み取り、的確に対処する。

 メジロマックイーンは気付けなかったが二人はその上にレース場を照らすライトの位置を把握し、その光から影となっている芝を履まないように歩幅の調整までも行っていた。

 ただ走るという競技だからこそ奥深さが光る。

 キングヘイローとグラスワンダーの試合は玄人こそ唸らせる、レースIQの高い戦いとなった。

 

 その技量に目を奪われていればあっという間にレースも終盤に。

 スタート地点を通り過ぎ、ゴール板へ向かうストレートに乗り込む。

 グラスワンダーが内、その若干外をキングヘイローが行く。

 膨らんだ分だけキングヘイローの若干の遅れ。

 だがほぼ互角の展開。

 

 行け。

 誰かの声が冬のレース場に響いた。

 メジロマックイーンも手を握り、心の内で応援する。

 どちらかを応援するのではなく、そのどちらもだ。

 そしてどちらが勝つのか、一人のレースファンとしてそれが楽しみで仕方なかった。

 

 これまでのレースが嘘のように二人のスピードが跳ね上がる。

 どちらも優秀な差しウマ。

 そのトップスピードはウマ娘全体でも上位に位置する。

 目の回るような足の回転率。

 面白いようにグングンとスピードが上がり、ゴール板の前へ。

 

 400メートルもない空間でキングヘイローが差し、グラスワンダーが差し返した。

 もつれ込むように二人はゴールへと向かうが、そこでキングヘイローのフォームが切り替わる。

 見ていたメジロマックイーンはその威圧感にぞくりと背筋が震えた。

 

 まさか、今まで本気ではなかったと!?

 

 メジロマックイーンの想いが事実かどうかは分からない。

 ただ結果として1/4バ身差でキングヘイローの勝利となった。

 

 最後の最後で差し返したキングヘイロー手腕は見事と言う他ない。

 その証拠にメジロマックイーンならずとも拍手をしていたウマ娘の姿がちらほらあったほどだ。

 だが何故か勝ったはずの彼女が苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 

 勝負の後の流しを終えて二人が足を止める。

 振り返ったキングヘイローは開口一番、口元に手を当てて高笑いを始めた。

 

「おーほっほっほっ!!」

 

 冬空にそれは遠くまで届いたことだろう。

 何とも見事な高笑いであった。

 

 

 

 

 

    _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 高笑いをする友人の肺活量に関心しつつ呼吸を整える。

 全力で走ってすぐに高笑いできるのは素直に凄いが、あれはとても辛いんじゃないだろうか。

 

 どこかぼんやりと見ていたグラスワンダーへとキングヘイローが振り返る。

 その瞳には驚くほど熱がなかった。

 

「グラスワンダーさん、貴方は随分とつまらない優等生になってしまったのね」

「つまらない、ですか?」

 

 問い返したが、実際は分かっていた。

 走りの中で交わした対話は同じ時間の会話よりもずっと濃密で、嘘偽りのない本音だった。

 だからこそ分かる。

 最終直線の闘い。

 あそこでキングヘイローはグラスワンダーに呆れてしまったのだ。

 

 最後の最後、キングヘイローが本気で差しに来た時にグラスワンダーはその背を追うことができなかった。

 ゴールまでの僅かな距離。

 そこで差し返そうと思ったが、足が出なかった。

 そのことを言っているのだ。

 

「言いたいことはレースで言ったもの、多くは語らないわ」

 

 ばさりと髪の毛を払い、優雅な手つきで汗をぬぐう。

 そこには王者の貫禄があった。

 

 レースの内容は途中まで百点だったが最後で失態を晒したグラスワンダー。

 あれは実力の差を見せつけられるような競り合いだった。

 抜かれた分だけ抜き返す。

 そういうような意地と意地の戦いになる、はずだったのに。

 

 足が出なかったなんて、言い訳ですね。

 

 そう、体よりも先に心が付いて来なかった。

 だから足が出ないで負けを晒した。

 なんて無様だろうと冬の夜空を見上げる。

 

「グラスワンダーさん、今の貴方は全然怖くなかったわ。

 ……また明日会いましょう」

 

 それだけ言ってキングヘイローはトレーナーの下へ歩き出す。

 グラスワンダーは後を追うことも、声をかけることも、視線を向けることさえできなかった。

 

 どうして?

 

 ただただ、溢れそうになる涙をこらえるために空を見上げる。

 滴が零れるより先に空から白が零れ落ちた。

 

 どうして、負けたのに悔しくないのでしょう?

 

 見上げた空はぽっかりと空いた穴のようで、グラスワンダーはそれを見続けることしかできなかった。

 やがて近寄ってきたトレーナーにタオルを被せられるまで身動き一つ取れずにいた。

 

「雪が降ってきた、体を冷やすなよ」

「……はい」

 

 言葉もないまま空間を共有する二人とは打って変わり、キングヘイローとジャックはレースの反省会を始めている。

 タオルで汗を拭きとりながらジャックの意見を聞いていたキングヘイローはご機嫌ナナメなのを隠そうともしない。

 

「……そんなに不満か」

「ええ。本当のグラスワンダーさんはあんなものじゃないわ」

 

 勝った気がしないとぼやき、尻尾を揺らしている。

 先月に行われたジャパンカップではクラシック級ながら三位と大健闘し、共に出場したエルコンドルパサー*1と共に世間を大いに騒がせたのだ。

 こんなにあっさり勝てるはずもない。

 だというのに全力を出さずとも勝てたのは拍子抜けと言う他ない。

 気持ち一つでここまで弱くなるものかと驚いてもいる。

 

「バーニングソウルを出すまでもない、と言うのは相手に伝わったはずだ」

「そうね」

「それだけではない、貴様は走りでしっかりと己を語れていた。

 あれで伝わらなければグラスワンダーがその程度の女だったというだけのこと」

 

 厳しい物言いに鋭い視線を投げるが、少しの間を置いて目じりが下がっていく。

 ここで何を言ったところで意味がないと分かっているからだ。

 彼女が立ち直れるのかどうかは、彼女のこれからを見守るしかない。

 

「しかし、貴様も多少は一流らしくなってきたな」

「何よ! 私はずっと前から一流よ!」

 

 いつものようにぎゃあぎゃあ騒ぎながら練習場を後にする二人。

 この後は体を冷やさないために室内での筋トレを予定しているためだ。

 一度だけ背後を、グラスワンダーを振り返るキングヘイロー。

 その場から一歩も動けず、空を見上げている彼女の姿があった。

 

 

*1
エルコンドルパサーは一位。黄金世代はやべー奴らと世間に印象付けた。




菊花賞を機に一皮向けたキングヘイローと絶賛迷子中のグラスワンダーのお二人でした。
ちなみにマックイーンを出す予定はありませんでしたが何故かひょっこり現れました。
この子をどう料理しようか悩みますね……。


次回『メぇぇぇ~~~リぃぃぃぃクリっスマぁぁぁーーースぅ!!』にアクセラレーション!!
 
 


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クラシック級/12月後半:12月25日

 
実はつい最近になってキングの取り巻きウマ娘が二人だと知りました。
今更ですがこの作品では三名の取り巻きがいて、口調もまるで違うのでよく似た別人だと思ってください。
書きたいシーンは決まっていたのですが語彙力が足りずに苦労したので短めですが投稿です。
 
 


 

「キングー! 予約してたケーキ、受け取ってきたよー!」

「キングちゃん! フライドチキンのクリスマスセットその他諸々買ってきましたー!」

「頼んだぞ。王。」

「???」

 

 キングヘイローのトレーナー室はクリスマスカラーに彩られていた。

 彼女の取り巻きが着々と準備を進めており、テーブルにはクロスが敷かれ、その上にはジュースとコップの数々が並ぶ。

 そこに大きなクリスマスケーキとフライドチキンの箱が追加され、準備は万端と言ったところだ。

 若干一名、取り巻きメンバー鉄板の持ちネタがカワカミプリンセスに理解されなかったという悲しい事件があったが全て世は事もなし。

 平和な光景がそこに広がっていた。

 

「ウララ先輩が参加できなかったのは残念ですけどね」

「こればかりはしょうがないわ」

 

 そう、ここにハルウララはの姿はない。

 どうやらライスシャワーと商店街でお手伝いの約束が入っていたようだ。

 商店街もクリスマス商戦の真っ只中で人出はいくらあっても困らないだろう。

 そして夕方の書き入れ時が終わった後は商店街のみんなでパーティーと洒落込むはずだ。

 それを邪魔するわけにはいかない。

 

 お昼過ぎに顔を覗いてきたが二人とも楽しそうにしていた。

 あれはあれで幸せなクリスマスの過ごし方なのだろうとキングヘイローも思わされたほどだ。

 

「ウララさんが羨ましがるような素敵なパーティーにしましょ」

「はい!」

 

 ちなみにジャックの姿もないが今日はクリスマスということで丸一日お休みをもらっているためである。

 冬休みに入り、授業もないので朝から買い物に出かけたりとはしゃぎ回っているが、まだまだはしゃぎ足りない彼女たちはコップに並々とジュースを注いで並び立った。

 

「メリークリスマース!」

 

 キングヘイローの音頭に皆が続き、乾杯の音が部屋に響き渡る。

 今日は楽しいクリスマス。

 お祭りのような一日はまだまだ終わらない。

 

「んー、食べるの勿体ない」

「ケーキに乗ってるサンタさんを食べるタイミング困らない?」

「分かる」

 

 カロリー爆弾のクリスマスケーキを前にはしゃぐ者がいれば、

 

「小骨に気を付けてくださいね?」

「はいですわ! ()()ゥッ!!」

「いやその、大きな骨なら気にしなくていいとかそういうことではなく……」

()()ーッ! ですわ!」

 

 フライドチキンを骨ごと噛み砕くほどの女子力を見せつける者もいる。

 

 各々が舌鼓を打つのを眺めながらキングヘイローはジンジャーエールを背の高いグラスの中で回した。

 背にした窓の奥をちらりと覗けばトレーニングに精を出す者もちらほらと伺える。

 

 さすがにこんな日までトレーニングに打ち込んでいるのはレースが近い者くらいだ。

 主には三つの重賞がそれに当たるだろう。

 つまり、ホープフルSと東京大賞典、そして有マ記念。

 

 ここからでは見当たらないがグラスワンダーやエルコンドルパサーもきっと最後の追い込みの最中だろう。

 いや、あえて今日は休養日にしてくる可能性も充分にあり得る。

 

 もしそうだとしたら声をかけるべきだったかしら。

 

 ぼんやりと考えて、首を振る。

 余計はお節介はあれでお終いだ。

 後はもうエルコンドルパサーに任せると決めたはず。

 

 雪の降る空を見上げ続けていたグラスワンダーの姿がどうにも脳にこびりついてしまっているのが良くないのだ。

 早く有マ記念が始まって欲しいような、まだ始まって欲しくないような何とも言えない気分である。

 

「ほらほら、キングさんもお食べなさいな!」

「骨! 骨には気を付けてくださいね!」

「あら、ありがとう」

 

 ずずいと差しがされたのは紙皿に乗せられたフライドチキンだ。

 紙ナプキンを手に取ってそれを笑顔で受け取り、食べる。

 小さく口を開けてパクリと一口。

 チキンを引いて肉を割くようにして骨から外し、食べていく。

 

 手づかみで食らいつくワイルドな光景のはずなのにどこか上品で、かつとても美味しそうに食べるキングヘイロー。

 唇についた脂を舐めとるように赤い舌がチロリと姿を現す。

 見ていた二人がごくりと生唾を飲み込んだ。

 

「ん、美味しいわね、これ」

「……そ、そうですよね!」

「チェ、チェーン店でこの味が出せるというのだから凄い世の中ですわね! オホホホッ」

 

 取り繕った返事をした二人はその後すぐに背を向けて顔を突き合わせ、小声で会話する。

 

「な、なんだかセンシティブでしたね……」

「キングさんはどうしてあんなにセクシーに食べられるのかしら?」

 

 カワカミプリンセスがワイルドすぎるだけだと思います。

 ともあれそんな二人を不思議そうに見つめるしかないキングヘイローは、仕方なしに皿に乗っているフライドチキンの二本目に手をかけた。

 

 そうこうしている内にケーキの前で陣取っていた二人が切り分けを完了したらしく、ついでに写真も取り終えて満足したらしい。

 取り分けた皿の前に皆を呼び集めていた。

 

「どれがいいー?」

「当然一番食べ応えがありそうなのですわ!」

「食べ応えで言うとこれかな?」

「サンタさんは頭からバリバリ行くと食べ応えありまs―――骨よりはヤワだと思いますハイ」

 

 すっかり取り巻きメンバーに馴染んでしまったカワカミプリンセスはみんなに愛されているらしく、なんだかんだで一番大きなブッシュ・ド・ノエルを渡されていた。

 それを微笑ましく見送ってからキングヘイローは一歩前に出る。

 自然と取り巻きメンバーたちは一歩引いて小さく頭を下げた。

 

「おーっほっほっほ! 貴方たちにはこのキングのケーキを選ぶ権利をあげるわ!」

 

 要約すると“好きなの選んでいいよ”ということなのだが彼女たちは迷うことなく奥に隠してあった皿を差し出した。

 乗っているのは王冠―――もといワンカップの黄色いスポンジケーキである。

 切り分けられたスポンジケーキが王冠の形に組み上げられており、間に挟まっているクリームやフルーツはまるで宝石のようであった。

 学生のクリスマスには似つかわない落ち着いた味わいを楽しめることだろう。

 だがシンプルなのは味だけで見た目は王冠を模しており、そのインパクトは充分だ。

 

「これは……」

 

 最近商店街で流行っているというトレセン学園の生徒に向けた一品であることを彼女は知っている。

 レースで頂点を取った者への祝福の品として売り出された、小さくも珠玉の逸品である。

 もちろん祝いの品なので手間暇をかけられた一流のケーキであるのも間違いない。

 このケーキが生み出された経緯にはハルウララとナイスネイチャが関わっているのだがそれはまた別のお話。

 

「人気の品のため入手が遅れてしまってすみません」

「でも、ちゃーんと年内には間に合ったし!」

「菊花賞の祝勝会には生憎と参加できませんでしたから、わたくしとしてはナイスタイミングでしたわ!」

「キングちゃん。改めてクラシックの王座、おめでとうございます」

 

 おめでとうございます、と言葉が続いてキングヘイローの瞳が潤んだ。

 

「貴方たち……」

「さ、さ、キング! これ持って写真撮りましょ!」

「クラウンは王の手にあってこそですわね」

「こちらの椅子にどうぞ」

「自撮り棒をここに! リュミノジテ・エテルネッル!」

 

 幸いに囲われ、キングヘイローは破顔した。

 その美しさに皆は一瞬だけ押し黙り、全員がそのまま抱き着きにかかった。

 いつかの夏のようにきゃいきゃいとはしゃいで、もみくちゃになって。

 見事な出来の王冠は崩れてしまったけれどそれも愛おしくて。

 

「もー! 貴方たち落ち着きなさい!」

 

 聖なる一日はまだ、終わらない。

 

 

 

 

 

    _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「そういえば」

 

 そこはいつものカフェテリアのいつもの席。

 小説を読み終えて、その読後感を冷めてしまったコーヒーと味わいながらマンハッタンカフェは呟いた。

 

「今日ってクリスマスでしたね」

 

 静かにだが店内にはずっとクリスマスソングが流れているので何とも今更なセリフだ。

 心なしかカフェテリアの雰囲気も甘い。

 よくよく見てみればカップルもいつも以上に多いようだった。

 これにはさすがのジャックも呆れた表情である。

 

「その若さで世捨て人はどうかと思うぞ」

「そうですか?」

 

 友人が少なく、騒がしい雰囲気が苦手な彼女はこういったイベント事には疎い。

 気が付けば終わっている、というのが殆どだ。

 特にクリスマスなど、数日前……下手したら数週間前から街がそれ一色に染まっていたりする。

 クリスマスが終わって、それらが取り払われてから終わったことに気付くのがマンハッタンカフェにとって当たり前なのである。

 よって当日に気付けたのは割と異例のことだ。

 

「でもまぁ、私には関係ないことですから」

「そう無下にすることもあるまい。

 そのイベントでしか味わえない感動というものもある」

「感動、ですか」

 

 やはりどうにも縁遠い物に思えてしまう。

 だがジャックに言わせればレースに出るウマ娘こそこういったイベント事は大事にすべきである。

 感受性を高めることは即ち限界を高める行為に他ならないからだ。

 

 マンハッタンカフェの感受性は決して低くない。

 むしろ高い方だ。

 尖っていると表現してもいいだろう。

 “あの子”の背を追い続けたマンハッタンカフェの見る世界は常人とは大きく異なっている。

 だがそれは可能性でもあるのだ。

 

「そうだな、まずは味覚で味わってみるといい」

 

 店員を呼び止め、手短に注文する。

 しばらくして店員が持ってきたのはブッシュ・ド・ノエルとおかわりのコーヒーだった。

 

「……ケーキ?」

「季節感やシチュエーションというのは大事なものだ。

 クリスマスに友とケーキを食らう。

 それは何気ない日常の中のアクセント、と言えるだろう」

「ですが、この程度で感動など」

「いいから食え」

 

 “強引なんですから”と言いつつもフォークを手に取る。

 マンハッタンカフェとてケーキが嫌いなわけではないのだ。

 甘すぎるのは好きじゃないが、この店の味ならば期待が勝る。

 

 そして一口食べて、その美味しさに頷いた。

 チョコの風味の中にふんわりと香るコーヒーの風味。

 ほんの少しの酸味を感じるのは使われている豆がモカであることを思わせる。

 豊かな香りと酸味がモカの特徴なのだ。

 おそらくチョコの香りに負けないためにモカがチョイスされているのだろう。

 

 チョコとエスプレッソを掛け合わせたカフェモカとはまた違った味わい。

 コーヒーは脇役。

 あくまでスポンジ生地とクリームが主役のケーキと言うのがまたいい。

 これはお菓子屋さんでは出せない、カフェテリアだからこそ出せる、そんな特別なケーキ。

 

「美味しいです」

「そうか」

「……でもクリスマスとどんな関係が?」

「分からんのか、クリスマス期間の限定品だぞ」

「なんと……!」

 

 できれば何かにつけて食べたい味だったので驚かされた。

 日本人特攻とも言われる期間限定商品。

 その破壊力を文字通り味わされたマンハッタンカフェであった。

 

「美味しいと感じることも一つの感動だ」

 

 そしてクリスマスを感じ取るたびに微かでもこの味を思い出すことだろう。

 シチュエーションが大事というのはそういうことだ。

 

「特別な日に特別なモノを食べて、特別な時間を友と共有する。

 さぁ、これでもう貴様に関係ないこととは言わせんぞ」

「むぅ……」

 

 否定できずに唸るしかない。

 結局避けてきただけなのだと教えられる。

 

 複雑な気持ちでパクつくマンハッタンカフェとそれを無視してたった二口でケーキを食べ終えるジャック。

 そんな二人を店員が微笑ましく見守っていた。

 ウマ娘たちのつかの間の休日はそうやって過ぎていくのであった。

 

 

 

 

 

    _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「あら?」

 

 さすがに遊び疲れが見え始め、それでもまだトランプで遊んでいるメンバーを眺めていた時のことだ。

 キングヘイローは仕舞っていたはずの己のデッキがテーブルにあるのを見つけた。

 

「誰か出したのかしら」

 

 誰に言うのでもなくぼやいてそれを手に取る。

 ざらざらと中を見ていて見慣れぬカードがあることに気付いた。

 ちなみにカードは減っていない。

 ただこの一枚だけが増えていた。

 

「……()()うらら?」

 

 




ちなみに黄金世代のクリスマスの過ごし方は以下の通り

スペチャーン:帰郷して親孝行。また、自分がいない内にスズカさんとサブトレが急接近してないか気に病んでる
グラス:休まずに有マ記念に向けて追い込み中
エル:同上デース
ウンス:フラワーと朝から晩まで健全デート

うーん、青春してますねー
 
 
次回、『年末最後の大一番』にアクセラレーション!!
 
 


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クラシック級/12月後半:絶対はボクだ!

 
灰流うららの反響が凄くて正直笑いました。
今回は年末最後の大一番ということで有マ記念だと思った?
残念!デュエル回でした!
 
 


 

「アタシとしたことがなぁ……」

 

 ゴールドシップはチーム部屋に向かいながら昨日27日に行われた有マ記念を振り返り、ぼやいていた。

 結果は二位と大健闘で、トレーナーも大喜びしてくれた。

 冬の近江までマグロ漁に行った甲斐もあったというものだろう。

 一緒に連れ出したメジロマックイーンも無事にメジロマックEーンを回避できた。マグロでも目出度い。

 だがしかし、ゴールドシップとしては負け方が良くなかった。

 

 シンボリルドルフとナリタブライアンが大接戦をする横を抜こうとして、しかし追い切れずにハナ差でナリタブライアンに敗北というのが結末の流れである。

 ナリタブライアンやシンボリルドルフのファンからは突然ゴルシが来て変な声出たとかぐんぐん追い抜く会長の後ろでそれ以上に加速するゴルシはベルトコンベアーの上を走ってるんじゃないかと思ったとか一人だけ画風が違ったなどの素敵な声も届いている。

 

 いつもなら満足の出来だっただろう。

 ウマ娘としては異例ながらレースの順位に拘りがないゴールドシップにとってこれらは最上の褒め言葉である。

 それでも今ここでため息をついているのには理由がある。

 それはウイニングライブのトークタイム(と言う名の休憩時間)での出来事が決定的であった。

 

「ゴールドシップは強かったが今日ばかりは新しい力も重荷になってたようだな」

 

 ナリタブライアンのセリフである。

 ファンやトレーナーたちは首を傾げていたが、シンボリルドルフが一瞬だけ悩まし気な視線をやったり、ゴールドシップ本人も奥歯を噛みしめて認めるような発言をしていたことから彼女の言葉が真実であるのは間違いない。

 ただ、ゴールドシップ的にはナリタブライアンに気を遣わせたことが一番の懸念点だった。

 彼女にはただ気持ちよく走っていてもらいたいのだ。

 

「いいんだよ、ゴルシ様は不沈艦だからな。

 どんな重荷だって背負ってやるって決めたんだ」

 

 そう言い返して、話を断ち切った。

 シンボリルドルフや他のウマ娘たちのフォローもあり、ライブも大盛り上がりで終了となり、この話題はネットで局所的な盛り上がりを見せるに留まった。

 

 ゴールドシップが背負った荷物とはスピカのことであり……ひいてはスペシャルウィークのことである。

 彼女は地元に一時帰宅をする前もグラスワンダーのことを気にかけていた。

 ゴールドシップにとっては妹分のような存在であり、このことを直接相談されたこともある。

 そんな経緯も手伝って、レースを通してグラスワンダーと対話をしていた。

 

 そのせいで最後のぶつかり合いでほんの少しの気力が足りずに負けた。

 負けて、勝者に気遣わせてしまった。

 はっきり言ってこれが一番堪えた。

 

 昨夜はがっつり凹んで、未だにモチベーションが立て直せていない。

 年の瀬ということもあり、トレセン学園にもどこか今年を惜しむかのようなゆったりとした時間が流れていた。

 つまりゴールドシップとしてははっちゃける場がないということである。

 どうにもうまく気持ちの切り替えができないままチーム部屋の扉を開けた。

 

「おいーっす……あ?」

「貴方にはキングを助ける権利をあげるわ!」

 

 そこにはロープでぐるぐる巻きにされたキングヘイローがぺたりと座り込み、それを取り囲むトウカイテイオーとメジロマックイーンの姿があった。

 

「おいおい、拉致監禁は立派な犯罪だぞ?」

「ゴルシがそれ言う?」

「自覚はありましたのね……」

 

 

 

 

 

    _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「逃げようとするからつい……」

「などと供述しており」

「完全にゴールドシップさんの悪影響ですわ……」

 

 ことの顛末は実に単純である。

 一足早い部屋の大掃除を終え、暇を持て余したキングヘイローは同室の相手がいなくて寂しがっているであろうサイレンススズカをお茶会に誘おうとここまでやってきた。

 そして扉を開けたところトウカイテイオーが飛びかかってきたので逃げたら何故かぐるぐる巻きにされて部屋に連れ込まれる。

 混乱するキングヘイローを見かねて、どうにかトウカイテイオーを落ち着けようとメジロマックイーンが近づいたところでゴールドシップがやってきた。

 というわけである。

 

「なに、テイオーってヘの字みたいなのが好みだっけ?」

「ち、違うよ! どっちかっていうならまだマックイーンみたいな正統派お嬢様の方が好きだし!」

「まぁ!」

「は? 私の方が完全無欠式正統派お嬢様ですが?」

 

 縛られていても主張は忘れない。

 主要もメンタルも強いキングヘイローであった。

 

「とにかく! ゴルシが言ったじゃんさ! キングの方が強いって!」

「あー……すまん、こりゃアタシのせいだ」

「話が見えないのだけど?」

 

 というわけで、またしてもことの顛末を語るとしよう。

 それはひと月ほど前のことであった。

 

 ふとしたことでスピカ内でキングヘイローのことが話題になり、ジュニア級組以外の全員が高評価を付けていることが発覚したのだ。

 スペシャルウィークは当然キングヘイローのことをべた褒めしたし、他者に興味が薄いサイレンススズカでさえもキングヘイローを凄い子だと言っていた。

 

 一方後輩組*1からしてみればスペシャルウィーク先輩のお友達で、菊花賞を阻んだ敵である。

 菊花賞を取れたのだから弱くはないのだろうが成績を見るに、いまいちパッとしない。

 なんだかんだで尊敬しているスペシャルウィークほどの凄い相手だとは思えなかったのだ。

 後になってメジロマックイーンは手の平を返すことになるのだが……。

 

 ともあれ話をそのまま信じるのならば、スペシャルウィークよりもずっと凄い先輩になってしまう。

 どこか自己評価の低いスペシャルウィークの言葉は話半分に聞いたとしても、どうにも信じられない。

 トドメがゴールドシップの言葉である。

 

「少なくともデュエルだったらテイオーより才能あるぜ」

 

 デュエリストとしては聞き逃せない言葉である。

 それ以来、虎視眈々とデュエルの機会を伺っていたのだ。

 ましてや()使()()などと聞いてしまっては黙っていることも出来なかった。

 急に手の届くところに現れて、ロープが手元にあったなら捕獲するのも止む無しである。

 

 厳密には強い弱いとは言っていない。

 それでもゴールドシップのうかつな発言が発端であるのは間違いなかった。

 

「……言いたいことは色々あるけど……まぁ、いいわ。そこは大人の対応を見せましょう。

 要するにデュエルしたいだけなのね?」

「うん!」

「いいわよ、丁度昨日……デッキ調整? とやらをしたばかりでやってみたかったところなの」

 

 というわけでデュエルをする流れになってしまった。

 当初の目的はどこへやら、である。

 

「デッキ調整ね……帝王カード三積みできたか?」

「汎神がどうにかってところね」

 

 その話を聞いてトウカイテイオーが疑り深い目でキングヘイローを見る。

 展開したデュエルディスクへとやや乱暴にデッキをセットした。

 

 まだろくに三積みもできてないレベルなのに、ボクより上? 冗談じゃない!

 

 ロープから解放され、デッキを取り出して相対するキングヘイローの表情に気負いはない。

 デュエルディスクを借り受けて装着する姿は呑気そのものだ。

 デュエリストが己の才覚を賭けて勝負する姿勢にはまるで見えなかった。

 

 並んでパイプ椅子に座るゴールドシップとメジロマックイーンは完全に観戦の態勢である。

 どこからか取り出した大きなサングラスをかけ、ゴールドシップはノリノリで仕切り出した。

 

「よーし、これよりトウカイテイオー対キングヘイローの試合を開始すっぞ、二人とも構えろー」

「先行は……キングヘイロー先輩ですわね」

「おっしゃー、そんじゃデュエル開始を宣言してくれ、マックちゃん!」

「デュエル開始ですわー!」

 

 仲良しか。

 ともあれ宣言が告げられ、二人は素早くデッキから五枚のカードをドローした。

 

「「デュエル!」」

 

 キングヘイロー LP4000

 

「私は手札からおろかな埋葬を発動、デッキから黄泉ガエルを墓地に送るわ。

 そしてシラユキを召喚してターンエンドよ」

 

 墓地にキーカードを落とし、フィールドには攻撃力1850の妖精伝姫(フェアリーテイル)-シラユキを出して見せた。

 中々悪くない立ち上がりと言えるだろう。

 ここがスピカという魔境でなければ、の話だが。

 

 正直に言って拍子抜けだよ、キング!

 

「なら、ボクのターンだ」

 

 トウカイテイオー LP4000

 

「ボクは手札からフィールド魔法、真帝王領域を発動! 絶対はボクだ!」

 

 これもまたトウカイテイオーの戦術を支えるキーカードだ。

 特定の条件下でEXデッキからの特殊召喚を封じる効果を持ち、シンクロが席巻している今の環境メタとしてトウカイテイオーが愛用しているフェイバリットカードである。

 だが今回はその効果は重要ではない。

 重要なのは三つ目の効果の方だ。

 

「一ターンに一度、手札にある攻撃力2800、守備力1000のモンスターのレベルを二つ下げることができる。

 ボクは冥帝エレボスのレベルを二つ下げるよ」

「真帝王領域に冥帝エレボス!? まさか、貴方も―――」

「そう! ボクも帝使いだ!」

 

 トウカイ()()()()の名前にある通り、帝王カードを中心としたデッキを扱うデュエリストである。

 数ある帝デッキの中でもトウカイテイオーは最上級帝を多数採用したデッキを好んだ。

 

「トレセン最強の帝使いはボクだってこと、証明してみせる!

 手札から冥帝従騎エイドスを召喚!

 このモンスターを召喚、特殊召喚に成功した時、ボクはもう一度だけアドバンス召喚の権利を得る!」

 

 手札のモンスターのレベルを二つ下げ、アドバンス召喚の下準備を整えた。

 それ即ち、最上級帝の招来の時。

 

「冥帝エレボスをアドバンス召喚!」

 

 それは広いチーム部屋でさえも狭く感じてしまうほどの巨体だった。

 もはや壁と言える石状の王座に腰かけ、キングヘイローを睥睨する帝こそ、冥帝エレボスである。

 

「このカードがアドバンス召喚に成功した時、手札やデッキから帝王と名の付いた魔法・罠カードを二枚墓地に送ることで相手フィールド、墓地、手札の中から一枚を選んでデッキに戻す!

 そこのキミ、頭が高いぞ!」

 

 処す? 処す?

 というわけで妖精伝姫(フェアリーテイル)-シラユキがキングヘイローのデッキの一番上に戻され、彼女のフィールドはがら空きとなった。

 帝の道を塞ぐモノは何もない、当然前進あるのみである。

 

「エレボスでダイレクトアタック!」

「手札のバトルフェーダーを守備表示で特殊召喚! バトルフェイズを強制終了させるわ!」

 

 しかし帝の侵攻を止める者がいる。

 バトルフェーダーがキングヘイローの手札から飛び出し、バトルフェイズを強制終了させた。

 それも何のその、トウカイテイオーは一切気にした素振りを見せずにカードを一枚伏せてターン終了を宣言した。

 

「一枚伏せてターンエンド。切り札、さっそく使っちゃったんじゃない?」

「切り時は見誤らないの、だって私は一流だから。私のターン、ドロー!」

 

 意気揚々とカードを引いた。

 が先ほど飛ばされた妖精伝姫(フェアリーテイル)-シラユキがやってくる。

 なんという運命の悪戯か。

 ちなみに妖精伝姫(フェアリーテイル)-シラユキはキングヘイローのデッキに一枚しか入っていない。

 1ターン目から手札が代わり映えしない状況を心の中では苦々しく思うキングヘイロー。

 ドローロックという概念をまだ知らない彼女だったがその辛さの一端を理解した瞬間である。

 

 それでも逆転の手がないわけでもない。

 相手を倒すだけならそれこそシラユキで充分である。

 

 だけど、伏せカードのこともあるし、ここはこっちを出しておきましょうか。

 

「まずは墓地の黄泉ガエルを効果により特殊召喚。

 そして帝王の深怨を発動、手札の邪帝ガイウスを相手に見せて帝王と名の付いた魔法・罠カードを一枚ドロー!

 そのまま邪帝ガイウスをアドバンス召喚!」

 

 フィールドに現れたと思ったらすぐに天へと昇っていく黄泉ガエル。

 とっとと失せろと邪帝ガイウスは手で払って追い返していた。

 伏せカードが開かれないか、一瞬の間を空けて宣言を続ける。

 

「ガイウスはアドバンス召喚が成功した時、フィールドのカードを一枚除外するわ。

 もちろん対象は冥帝エレボスよ。

 対象が闇属性モンスターだった場合、プレイヤーに1000ポイントダメージ!」

「くっ」

 

 トウカイテイオー LP4000→3000

 

 ほの暗い闇が黒い巨体を埋め尽くす。

 それも一瞬のことだ、それが晴れれば巨体の姿は一かけらも残ってはいなかった。

 ただし、入れ替わりに罠カードが立ち上がっている。

 

「威嚇する咆哮を発動させてもらったよ。

 残念だけどキングはこのターン、攻撃宣言はできない!」

「簡単に通させてはくれないのね、ターンエンドよ」

 

 エンド宣言を聞きながら先ほどのアドバンス召喚についての不自然さを思うトウカイテイオー。

 

 深怨で烈旋を引っ張ってこなかったのはボクの伏せカードを読み切った? ……まさかね。

 1000ダメージを優先しただけに決まってる。だってキングには迫力が足りないもん!

 

 そんなはずはないと首を振り、迷いを断ち切るようにドローする。

 手応えは充分だった。

 

「ボクのターン、ドロー! いよっし! 神引きぃ!」

 

 迫力が足りないと思いながらこの喜びようである。

 果たして迫力が足りないのはどちらだろうか。

 メジロマックイーンは楽しそうにデュエルするトウカイテイオーを見て苦笑している。

 

「墓地にある真源の帝王の効果を発動。

 このカード以外の帝王と名の付いた魔法・罠カードを一枚除外することでモンスターとしてフィールドに特殊召喚!」

 

 先ほどのターン、エレボスの効果で墓地に送られたカードは墓地でこそ真価を発揮するタイプのカードであった。

 コストも一緒に送り付ける辺り、意識してデザインされているのだろう。

 

 帝王の凍志を除外し、真源の帝王が罠モンスターとして現れる。

 だがもちろんリリース要員である。

 時を置かずにトウカイテイオーは宣言を続けた。

 

「真帝王領域の効果で手札の天帝アイテールのレベルを下げ、そしてそのままアドバンス召喚!

 エレボスと同じく、帝王と名の付いた魔法・罠カードを墓地に二枚送ることで効果を発動する。

 攻撃力2400以上、防御力1000のモンスターをデッキから特殊召喚だ!」

 

 トウカイテイオーのデッキから一枚カードが押し出され、それを引き抜いて盤面に叩きつける。

 読み込み音と共に姿を現すのは邪帝ガイウスによく似た怨邪帝ガイウス。

 その効果はアドバンス召喚しなければ発動できないため、単純に攻撃力2800のモンスターということになる。

 だがそれでも最上級モンスターが二体並ぶ姿は威圧感充分だ。

 

「バトル! まずはアイテールで邪帝ガイウスに攻撃!

 この時、真帝王領域の効果でアドバンス召喚されたアイテールの攻撃力は800アップする!」

 

 2800+800、つまり攻撃力3600である。

 あっさりと3000の大台を超え、その衝撃は部屋全体に響き渡った。

 邪帝ガイウスは粉々に砕け散り、キングヘイローのライフを削る。

 

 キングヘイロー LP4000→2800

 

「そして残るバトルフェーダーにガイウスで攻撃!」

「くっ、効果で特殊召喚されたバトルフェーダーはフィールドを離れた時に除外されるわ」

 

 お互いにライフとモンスターを削り合う構図となった。

 しかし微々たる差だが着実にその差は広がっている。

 それは盤面の形もそうだし、ライフとしてもそうだ。

 特にあと一度、最上位帝に直接攻撃を許せば負けるラインにまでライフを減らしてしまったのは手痛い。

 それは一瞬でも気を抜けば負けてしまうということだからだ。

 

「うっしっし、この調子じゃもう次のターンでお終いかな?

 ターンエンドだけど、天帝アイテールの効果で出したカードは手札に戻されるよ」

 

 フィールドからはいなくなったが、裏を返せばアドバンス召喚のチャンスを得たとも言える

 怨邪帝ガイウスの効果は邪帝ガイウスの上位互換である。

 カードを一枚除外し、属性など問わずに1000ダメージを与えるというもの。

 リリースモンスターが闇属性モンスターだった場合はもう一枚除外するおまけつきだ。

 

 フィールドに残っている天帝アイテールを破壊し、なおかつ壁は二枚……いいや安全を期すならば三枚は必要だろう。

 中々に厳しい条件だ。

 トウカイテイオーが勝利を目前にしたようなセリフを吐くのも無理はない。

 果たして逆転の一手は引き込めるのだろうか。

 

「考えても仕方ないわね……私のターン、ドロー」

 

 引き込んだカードを見て、あらと声をあげた。

 ともあれ、まずは墓地から黄泉ガエルを守備表示で特殊召喚するのがこのデッキの流儀である。

 

「貴方にはこのキングの下に馳せ参じる権利をあげるわ、いらっしゃい黄泉ガエル!

 そして汎神の帝王の効果を発動、帝王の凍気をコストに二枚を……ドロー!」

 

 先ほどのターンにサーチした汎神の帝王と今引いたばかりの帝王の凍気を墓地に送り、気合一閃。

 引き込んだ二枚のカードを手首を返すだけで確認する。

 この時、何故だかトウカイテイオーは背筋が凍るような怖気を感じた。

 なんてことないキングヘイローの立ち姿に威圧感を感じていたのだ。

 

 な、何を引いたっていうのさ! いいや、何でも来たらいいよ。その上でボクが勝つ!

 

「続けて、墓地に行った汎神の帝王を除外し、第二の効果を発動するわ」

 

 叱咤するトウカイテイオーを置いて、淡々と処理を進めるキングヘイロー。

 宣言と共にソリッドビジョンが三枚のカードを映し出した。

 

「これ他人にやられるとちょっとイラッと来るね」

「かもしれないわね」

 

 帝王の深怨、汎神の帝王、汎神の帝王。

 このどれかを相手に選ばせ、それをドローするというのだが、トウカイテイオーは悩まずに汎神の帝王を選択した。

 というか他に選択肢がない。

 キングヘイローとて承知の上でこの選択肢を出したのだろうが、いつも他人にこの選択肢を押し付けていたのだとトウカイテイオーもちょっと反省気味だ。

 まぁ、必要なら今後もそうするのだが。

 

 キングヘイローはデッキから押し出された一枚を抜き取り、モンスター召喚に移る。

 軽い調子でモンスターを盤面に叩きつけた。

 

「シラユキを召喚し、効果を発動するわ。

 相手モンスター一枚を裏守備表示に変更し、そのままバトル!」

「帝モンスターじゃない!?」

 

 トウカイテイオーにとって逆にこの展開は想定外であった。

 先ほどのプレッシャーは何だったんだろうか。

 従騎か家臣、あるいは帝王の烈旋から帝をアドバンス召喚、二枚目の壁は黄泉ガエルでカバー。

 それが彼女の読みだったのだが、見事に外された結果となった。

 

 もしかして落とし穴系を引いた?

 

 破壊されるアイテールをそのままに思考を続ける。

 召喚を無効にするタイプの罠カードを引いたのかとも思ったが相手はガエル帝と呼ばれるデッキだ。

 何度も復活している黄泉ガエルは自分フィールドに魔法・罠カードがないことが蘇生条件である。

 その性質上、罠カードは極端に減らされているはずだ。

 現に今まで魔法・罠ゾーンはガラガラのままデュエルは進行している。

 

「これで私のターンは終了よ」

 

 そして、そのままターンエンドの宣言があった。

 もちろん伏せカードなどはない。

 手札誘発を疑ったがここまで来たら出たとこ勝負しかない。

 トウカイテイオーは気合では負けないとばかりにドローを慣行する。

 

「ボクのターン、ドロー!」

 

 

 

 

 

    _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「それで、実際のところはどうなんですの?」

「どうって?」

「テイオーさんを焚き付けた才覚の差とやらは」

「ああ、それね」

 

 観戦していた二人は静かに会話を続ける。

 美しい姿勢のまま観戦を楽しんでいたメジロマックイーンと足と腕を組んで興味深げに眺めているゴールドシップ。

 対照的な二人であるが、並んでいると美しい芦毛色の頭髪がよく似ている。

 よくよく見てみれば顔立ちもどこか似ている、そんな不思議な二人であった。

 

「ご覧の通りだろ、やっぱキングヘイローの方が一枚上だ」

「押されているように見えますが?」

「そりゃテイオーの引きが走りすぎてるだけ。

 いや、むしろキングの引きが良くない……デッキ弄った直後だし、多少の波はしょーがねーな」

 

 姿を見せた帝は未だに邪帝ガイウスだけ。

 今のターンに召喚しなかったということは引き込めなかったということだろう。

 

「それでも、見たところテイオーの猛攻を耐える算段が付いてるみたいだ」

「……ですわね」

 

 キングヘイローは泰然とした態度のままターンエンドを宣言したのだ。

 それは追い詰められた者のする表情ではなかった。

 

「調子が出てなくてもこれだからな……多少の差じゃ、高波が来た時に一気に飲まれるぞ」

「つまりテイオーはこのチャンスを掴めなければ不利ということですわね」

「流れってのはどうしてもあるからなー。それもカードゲームの面白いところだぜ?」

 

 そもそも才覚の差で言えば初手から現れていたとゴールドシップは考える。

 おろかな埋葬で墓地に送られた黄泉ガエルだが、もしあれを初手で引き込んでいたならば冥帝エレボスにバウンスされて墓地には行けず、四ターン目に壁が足りなくて敗北していただろう。

 その観点で見れば冥帝エレボスの被害を最小限に抑えた手だと言える。

 

 それに何より、ゴールドシップはデッキから何かしらの胎動を感じていた。

 キングヘイローのデッキで何かが生まれようとしている。

 恐らくトウカイテイオーもどこかしらでそれを感じているはずだ。

 

「ゴルシ様だって応援してないわけじゃないんだ……勝ちたいってんならここで決めろよ、テイオー」

「頑張れですわー! テ・イ・オー!」

 

 とうとう静かに観戦できずに声を張り上げるメジロマックイーン。

 彼女の声援に生暖かい目を向けながらも、ゴールドシップは胎動の元を気にしていた。

 

 何なんだ、この異様なほどの熱量は?

 

 ゴールドシップは後に語ることになる。

 あれこそが“王者の鼓動”であったと―――

 

 

*1
メジロマックイーン、トウカイテイオー、ダイワスカーレット、ウオッカの四名。こいつらだけで黄金世代名乗れそう




今更ですがテイオー持ってないので口調に変なところとかありましたらこそっと教えてください。
それと試しにアンケート作ってみました。
食指が伸びたならぽちっと押してみてください。
 
 
次回、『受け継ぐ魂』にアクセラレーション!!
 
 


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クラシック級/12月後半:継承せし王者の鼓動

 
書くたびに思います。
もう二度とデュエルは書かねぇ……というわけで投稿です。
今更ですがデュエル興味ない人は読み飛ばしてくれて大丈夫ですよ。
 
 


「ボクのターン、ドロー!」

 

 ここでキングヘイローとトウカイテイオーのデュエルの様子をおさらいしよう。

 手札はキングヘイローに三枚、内一枚は汎神の帝王で確定している。

 トウカイテイオーの手札は今引いたのを合わせて四枚、内一枚は怨邪帝ガイウスであるのが露呈している。

 場にはキングヘイローの低級モンスターが二枚とトウカイテイオーの方に真帝王領域があるだけ。

 

 ライフはそれぞれキングヘイローが2800、トウカイテイオーは3000。

 これだけ聞くとまだまだ続くように聞こえるが二人はお互いに終幕の気配を感じ取っている。

 長く続いたとしても後二~三ターンと言ったところだろうか。

 それを感じ取りながらもトウカイテイオーはこのターンに決めたいと考えていた。

 

「ボクは手札からワン・フォー・ワンを発動!

 雷帝家臣ミスラをコストにデッキから天帝従騎イデアを特殊召喚!」

 

 雷帝家臣ミスラが伏した姿で現れ、その中から光が溢れる。

 そこから現れたのは天帝従騎イデア―――ではなく、ケモミミ幼女だった。

 ぽてりと落ちてきょろきょろと辺りを見回している。

 

「……イデアは?」

「お、うららじゃん」

「うわ、出ましたわ」

 

 うわとか言うな。

 

「おーほっほっほっ! 私は手札から()()うららを発動させてもらったわ!

 このカードを手札から墓地に送ることでデッキからの特殊召喚は無効よ!」

 

 高笑いするキングヘイローの存在に気付いた灰流うららは彼女の背後へと隠れてしまう。

 天帝従騎イデアの召喚を邪魔され、唸るトウカイテイオーを恐る恐る観察していた。

 

「うがー! ちょっと待ってよ、考えるから!」

 

 計算を覆され、このターンの展開を再度計算し直すトウカイテイオー。

 怨邪帝ガイウスと天帝アイテールとなんか適当な帝を並べるつもりだったのだがこれではリリース要員が足りない。

 墓地を確認しながら思考すること数秒。

 

 ……うん、さすがに三体並べるのは無理。でもアイテールまでは繋げられる!

 

「墓地の冥帝従騎エイドスの効果を発動、このカードを除外して墓地にある雷帝家臣ミスラを特殊召喚!

 墓地の帝王の轟毅の効果を発動し、このカードを除外してフィールドの全てのモンスターを闇属性に変更する!

 そして手札から異次元からの埋葬を発動して除外されたエイドスとエレボスを墓地に戻して、と」

「私のバトルフェーダーも戻してくれていいのよ?」

「やだよー、ベロベロー」

 

 立て続けに発動されたカードが宣言通りの効果を発揮していく。

 冥帝従騎エイドスが墓地と除外ゾーンを行ったり来たりして、フィールドに雷帝家臣ミスラが守備表示で現れ、全てのモンスターが闇属性に変わった。

 

 ちなみに異次元からの埋葬は除外されたモンスターカードを三枚までなら敵味方問わずに墓地へ戻すことが可能なカードである。

 バトルフェーダーを戻さなかったのは手札に回収されても面倒だし、何よりシラユキは墓地を利用する効果も持っている。

 わざわざ利敵行為になることはしない。

 キングヘイローも言ってみただけだろう、大して気にしていなかった。

 

「それにしてもしっかり轟毅を落としてたのね」

「あのねぇ、アイテールでガイウスをリクルートする時はセットで落とすもんだよ」

「なるほど、勉強になったわ」

 

 そんな雑談を挟み、トウカイテイオーの宣言が続く。

 

「真帝王領域の効果で手札の怨邪帝ガイウスのレベルを二つ下げ、そのままアドバンス召喚!

 このカードのアドバンス召喚が成功した時、カードを一枚除外して相手に1000ポイントのダメージを与える!

 だけど、今のミスラは闇属性だ。闇属性モンスターをリリースして召喚した場合、その対象は二枚となる!」

 

 キングヘイロー LP2800→1800

 

 そしてキングヘイローの場にはシラユキと黄泉ガエルだけ。

 もちろん選ぶのはその二体だ。

 二体が同時に闇に飲まれてフィールド場からその姿を消した。

 

「闇属性を除外した場合、同名カードをデッキ・墓地・手札からも除外してもらうよ!」

「残念だけどどちらも一枚しか持ってないわ」

「シラユキはもう一枚くらい入れててもいいじゃんさ!」

「だから持ってないんだって」

 

 不毛な会話をしているがキングヘイローは確実に追い詰められていた。

 場はがら空き、手札は実質一枚。

 だがその一枚で怨邪帝ガイウスを止める手段はいくつか存在する。

 だからトウカイテイオーの宣言はまだ終わらない。

 

「墓地の汎神の帝王を除外して効果を発動! ……さぁ、好きなのを選んでよ」

「あらー、帝王の深怨に帝王の深怨に帝王の深怨かー、選びたい放題で迷っちゃうわね―――って一択じゃないの!」

「いいぞキングー! もっと言ってやれー!」

 

 しっかり乗りツッコミをこなしたキングヘイローにゴールドシップのヤジが飛ぶ。

 それらをまるっきり無視してトウカイテイオーはデッキから飛び出してきた帝王の深怨を空中で掴み、それを流れるように墓地へ。

 

「墓地にある冥帝エレボスの効果を発動、手札から帝王と名の付いた魔法・罠カードを捨てることで墓地の天帝アイテールを手札に加える!」

 

 今度は墓地から飛び出してきた天帝アイテールを掴み取り、キングヘイローへ自慢するように見せつける。

 彼女からすれば効果テキストを見せているつもりだろうが肉眼で読める距離ではない。

 トウカイテイオーはどこか自慢げなまま効果を読み上げていく。

 

「アイテールはアドバンス召喚したモンスター一体をリリースしてアドバンス召喚ができるんだ。

 そして忘れちゃいけないのが雷帝家臣ミスラがアドバンス召喚のリリースとなった時、プレイヤーはアドバンス召喚権をもう一度だけ得るってこと……つまり!」

「また来る、という訳ね」

「ご明察! 天帝アイテールをアドバンス召喚!

 デッキから帝王と名の付いた魔法・罠カードを二枚墓地に送り、デッキから天帝アイテールを特殊召喚!」

 

 天帝アイテールがそろい踏みである。

 この猛攻を手札一枚で耐えようと思えばバトルフェーダーか速攻のかかしでも握っていなければならないだろう。

 もしも握っているのならここで吐き出せ、そうでなければお終いだとトウカイテイオーは言っているのだ。

 

「バトル! 天帝アイテールでダイレクトアタックだ!」

「手札からSR(スピード・ロイド)メンコートを特殊召喚! 相手フィールドのモンスターを守備表示に変更するわ!」

「むっかー! しっつこい!」

「私はね、手札が一枚でもある限り諦められない女なの」

 

 天帝アイテールが二体とも守備表示に変更されてしまったので攻撃は無効となり、バトルフェイズは終了となる。

 地団駄を踏みながらもどこかで耐えきられるような気がしていたトウカイテイオーは防衛に関しても万全を期していた。

 

「墓地にある帝王の深怨を除外して真源の帝王を罠モンスターとして特殊召喚。

 ターンエンド、だけどこのタイミングで特殊召喚された天帝アイテールは手札に戻るよ」

「……」

 

 そうしてキングヘイローの手番がやってきたが彼女は今崖っぷちにいる。

 はっは、はひふへボンバー。

 というのも手札が汎神の帝王しかなく、これは直接盤面に影響を及ぼせないカードだ。

 次の相手のターンに天帝アイテールが来ることを思えば壁は二枚欲しいところ。

 そんな都合のいいカードはキングヘイローのデッキにはない。

 かと言って複数枚の攻撃を防ぐカードももうネタ切れだ。

 

 そもそもフィールドにいる天帝アイテールを放置できない。

 あれを倒すためのモンスターもいる。

 

 例えば雷帝ザボルグ。

 これがあれば相手フィールドを一掃できるだろう。

 ただし相手のターンの天帝アイテールに押し負けてしまう。

 

 例えば炎帝テスタロス。

 これがあれば天帝アイテールを破壊しつつ、手札にある天帝アイテールを確実に墓地へ送ることができる。

 一見完璧な対応に見えるが先ほどのターンで天帝アイテールをアドバンス召喚した時に汎神の帝王を墓地に送っていないとは思えない。

 先ほどのターンと同様、汎神の帝王から冥帝エレボスの効果で天帝アイテールを回収という流れが見えている。

 

 ならば逆転は不可能なのか?

 いいや、そんなはずはない。

 

 だって、こんなにも体が熱いもの。

 

 謎の熱量を持つ己にほんの少しの戸惑いと、それ以上の期待が胸中に溢れかえる。

 ドローを信じろ。

 いつだったかトレーナーに言われた言葉を思い出した。

 ドローは可能性だとも言われた。

 

 要するに自分の未来ってことでしょ、自分を信じられない子になった覚えはないわ。

 

 どこかワクワクした気持ちのままデッキを見つめ、指先をかける。

 そんなピンチを楽しむかのような表情にトウカイテイオーの表情が凍った。

 

 私はあの人の娘だもの、自分を信じる理由なんてそれで充分よ。

 

「私のターン、ドロー」

 

 引いたカードを見て思わず苦笑した。

 キミの可能性はまだまだ溢れていると、そうデッキに諭されているような気分を味わえるカードだった。

 

「ふふっ、そうね……ここから先は真なる王の領域よ。汎神の帝王の効果を発動するわ」

「ここに来て二枚ドロー!?」

 

 引いてきた真帝王領域をコストにして二枚のカードを引き込む。

 そこにはどのような可能性を引き込んできたのか。

 確認したキングヘイローはチロリと舌で唇を湿らせた。

 

「そのまま汎神の帝王の第二の効果を発動」

 

 墓地の汎神の帝王が除外され、ソリッドビジョンが更なる三つの可能性を示す。

 帝王の深怨、汎神の帝王、帝王の烈旋。

 それぞれお決まりサーチカード、三枚目の今使っているカード、相手モンスターをリリース要員として代用できるカードだ。

 

「ボクが選ぶのは汎神の帝王だ!」

「よしっ、汎神の帝王をそのまま発動よ!」

 

 喜ぶキングヘイローを見て自分の選択ミスを悟るトウカイテイオー。

 デッキから汎神の帝王を引き抜いた彼女はそのまま発動する。

 コストに捨てたカードは()()()()()であった。

 

「まさか、帝を引けてなかった!?」

「キングに用意される試練はいつだって過酷なモノよ、そしてそれを乗り越えてこそキングなの!」

 

 そして引き込んだカードこそ、今日一番の手応えである。

 試練を乗り越えた先にあるのは確かな力であった。

 ドクンと熱を持った鼓動が伝播し、背筋を凍らせたトウカイテイオーに汗をかかせる。

 

「このプレッシャーは……!?」

 

 トウカイテイオーも良く知っている圧力だった。

 それはスペシャルウィークがレースで放つ圧力と同じもの。

 模擬レースで何度か味わったことがあるので間違いない。

 ゴールドシップが覇道と呼ぶ技なのだがどうしてそれがデュエルの真っ最中に放たれているのか。

 ワケワカンナイヨー。

 

「SRメンコートをリリースして雷帝ザボルグをアドバンス召喚!

 天帝アイテールを破壊するわ!」

「させるもんか! 墓地にある真帝王領域を除外して天帝アイテールのアドバンス召喚権を得る!

 天帝アイテールをリリースして天帝アイテールをアドバンス召喚!」

「凄いですわテイオー、お手本のようなサクリファイス・エスケープ!」

 

 パチパチとメジロマックイーンの拍手が響き渡る。

 帝が来ることが分かっていたトウカイテイオーはこのために天帝アイテールをデッキから持って来たのだ。

 そして計算通り相手の思惑を外した、はずなのに。

 

 どうしてプレッシャーが消えないんだよ!

 

「くっ、アイテールのアドバンス召喚が成功した時、デッキから帝王と名の付いた魔法・罠カードを二枚墓地に送って爆炎帝テスタロスをデッキから特殊召喚する!」

 

 そのプレッシャーを薙ぎ払うために立て続けに壁を用意する。

 これで攻撃力2800が二枚。

 攻撃力2400と1850では倒せないし、トウカイテイオーのライフをこのターンに削り切ることなど装備カード巨大化があったとしても不可能だ。

 

 そしてこの爆炎帝テスタロスはアドバンス召喚時に相手の手札を捨てさせて1000ダメージを与える効果を持つ。

 雷帝ザボルグとの戦闘ダメージを合わせれば2200ダメージ、キングヘイローを倒せる射程圏内だ。

 頼みの綱の手札誘発を奪い去り、勝利を飾るに相応しいカードとなるだろう。

 

 キングヘイローの手札は後一枚。

 手札がある限り諦めきれないというのなら、諦めさせてやるまでだ。

 

 だというのに。

 キングヘイローから放たれる熱量はいや増すばかりだった。

 

「なんなんだ、なんなんだよ、キングに勝ち目はもうないでしょ!

 このままじゃ場のモンスターを一体も倒せない!

 罠カードだったとしてもボクは今墓地に送った帝王の凍気でこのターンに破壊できる!

 光の護封剣だったらガイウスで除外するだけ!

 逆転はもうない……なのに! そのプレッシャーはなんだ!」

 

 トウカイテイオーが喚くのも無理はない。

 彼女は今確実に追い詰めているというのに、心情的には追い詰められていた。

 その心的プレッシャーを跳ね除けようと事実を羅列していく。

 自分が負けるはずない。

 そう信じているのに、キングヘイローの圧力と熱量は高まり続けている。

 

「そうね、普通ならさすがの私も諦めてたかもしれないわ。

 でも誰かが言ってるの、諦めちゃダメって。私を呼んでって……貴方ね、私を呼ぶのは」

 

 怖いくらいの熱量を放っているのに、どこか静かなままキングヘイローは最後の一枚をデュエルディスクに差し込んだ。

 ソリッドビジョンが映し出したのは一枚の魔法カード。

 

「死者蘇生!?

 いや、でも墓地の誰を呼び出したところで逆転なんかできっこない!」

「私が呼び出すのはこの子よ、いらっしゃい―――灰流うらら!」

 

 そしてキングヘイローが呼び出した灰流うららは元気に跳びはね、キングヘイローに抱き着いた。

 まるで良く呼んでくれたと喜んでいるように。

 

「攻撃力0のモンスターで何を……」

「バカテイオー! そいつはチューナーだ!」

「ピェ! まさか!?」

 

 ゴールドシップの怒声で事態を察するトウカイテイオー。

 帝デッキと言うことで頭からその可能性を外してしまっていた。

 真帝王領域は特定の条件下でEXデッキからの召喚を防ぐカードだが、今のキングヘイローはその条件から逃れてしまっている。

 シンクロ召喚に何の障害もありはしない。

 

「雷帝ザボルグに灰流うららをチューニング!

 継承せし王者の鼓動が、不屈の魂を呼び起こす! 貴方に拝謁の権利をあげるわ!

 シンクロ召喚! レッド・デーモンズ・ドラゴン・スカーライト!」

 

 現れたのは赤と黒で彩られた巨大なドラゴンだった。

 その威容はトウカイテイオーに充分すぎるほどの衝撃を与えた。

 キングヘイローから放たれる熱量の正体がこれだと思い知らされる。

 

「レッド・デーモン!?」

「ジャック・アトラスのフェイバリットカードですわ!?」

 

 二人がまだ小学生だった頃にテレビで見たあのドラゴンと名前と姿が酷似していた。

 ただ一人、ゴールドシップだけが冷静に考察をしている。

 

 折れた角と腕の追加装甲? まるで再起を図ってるあのトレーナーそのものじゃねぇか。

 

 キングヘイローは未だ動揺している二人を置いて効果を読み込む。

 と言ってもそう難しい能力ではない。

 すぐに動き出した。

 

「スカーライトの効果を発動、自分メインフェイズ時に一度だけこの攻撃力以下の特殊召喚された効果モンスター全てを破壊するわ!

 そしてその数×500ポイントのダメージを相手に与える!」

「だ、だとしてもアイテールはアドバンス召喚されたカードだ。破壊はされない!」

「でも爆炎帝テスタロスは逃れられない、アブソリュート・パワー・フレイム!」

 

 強烈な炎がフィールドの全てを飲み込んでいく。

 キングヘイローが腕を払えばその炎も、煙も、モンスターさえも消え失せていた。

 

 トウカイテイオー LP3000→2500

 

「キングがただじゃ転ばないのは分かった!

 それでもボクの場にはモンスターが残ってる!

 ダイレクトアタックはない、勝つのはボクだ!」

「いいえ、勝つのは私よ」

 

 それでも勝利を確信しているトウカイテイオーを一刀両断するかのような力強い宣言。

 キングヘイローは一枚のカードを差し込んだ。

 

「魔界の足枷を発動!」

 

 発動されたのは装備カード。

 ガエル帝では相性が悪いため採用されにくいはずのカード群ではあるが使用したターンにフィールドから離れてしまえば問題ないのだ。

 つまりその効果は装備モンスターの弱体化。

 

「アイテールの攻撃力が100に!?」

「バトル!」

「そんなっ」

 

 最後の最後まで可能性を信じ、デッキと向き合ってきたキングヘイロー。

 決着の姿がそこにあった。

 

「レッド・デーモンズ・ドラゴン・スカーライトで攻撃!

 灼熱のクリムゾン・ヘル・バーニング!」

「そんな、バカなぁぁぁ!!」

 

 トウカイテイオー LP2500→0

 

 

 

 

 

    _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「最後の最後までなかなかきつかったな」

「そうね、正直勝てないかもと何度も思ったわ」

 

 トウカイテイオーの展開力に押され続けたがそれでも粘り続け、最後の最後で末脚を爆発させたような勝利。

 それはまるでキングヘイローの走りそのもののようである。

 

「それでも諦めずに掴んだのがそのカードか?」

「……それなんだけど、ゴールドシップさん、見てもらえるかしら?」

 

 言われて、差し出されたカードを見るとそこには何も書かれていなかった。

 白いシンクロモンスターのカードであることが分かるだけの印刷前のような奇妙なカード。

 それは先ほどまでレッド・デーモンズ・ドラゴン・スカーライトだった物だ。

 

「なるほど……ド厳しいな」

「厳しい?」

「ああ、あれほどのデュエルをしてもまだ足りないとさ」

「足りない?」

 

 扱う資格がないということだろうか。

 そんな風に理解しつつもデッキに収めた。

 細かい話はトレーナーに聞けばいいだろうと納得したのだ。

 これに仰天するのはトウカイテイオーである。

 

「ええー! せっかく手に入れた新カードだよ!? もうちょっと気にしようよ!」

「うるせぇ! 他人がとやかく言うもんじゃねーし、テイオーは後でお説教だ!」

「なんでさ!?」

「心当たりがないから問題なんだよ!」

 

 デュエルやりたいなら普通に誘え!とゴールドシップのお説教が始まったが、不思議と物申したい気分になるキングヘイローであった。

 それをぐっと堪え、ギャースカ騒ぎ始めた二人を置いてどこか手持ち無沙汰になったキングヘイローに声をかけたのはメジロマックイーンだ。

 差し出された紙コップには温かいウーロン茶が半分ほど入っていた。

 

「お疲れ様ですわ」

「ありがとう」

「それとスズカ先輩をお探しのようですが、今日はカフェの方にいるそうですよ」

 

 お茶に誘いに来たのだが、どうやらすでにお茶を楽しんでいるようだ。

 これは困ったと嘆息し、ウーロン茶で喉の渇きを潤す。

 

「ほい、ヘの字」

 

 ゴールドシップの声と共に投げられたのは一枚のカードだ。

 キャッチしつつトウカイテイオーを探すと噛ませ犬一年生というプレートを首から下げて正座させられていた。

 気にしていては負けだ、と察してキャッチしたカードを見る。

 

「サルベージ・ウォリアー?」

「おうよ、今のキングに最も適したカードだぜ。入れるかどうかは任せるが、とりあえずそれやるよ」

 

 アドバンス召喚時に墓地・手札からチューナーを特殊召喚するカードだ。

 このモンスターはレベル5であり、灰流うららとチューニングするとレベル8のシンクロモンスターを呼び出せる。

 レッド・デーモンズ・ドラゴン・スカーライトのレベルは8であり、効果の条件がアドバンス召喚と言うのも黄泉ガエルを使っているキングヘイローには適していた。

 ゴールドシップが最も適したカードと言うだけのことはある。

 

「……ありがとう、ゴールドシップさん」

「おーし、じゃあ次はアタシとやっぞ!」

 

 元気よく宣言するゴールドシップだが、部屋に入ってくる前の様子はどこへやら、である。

 すっかり調子を取り戻したらしい彼女は将棋盤を割って中からデッキを取り出してやる気満々だ。

 

 マジーンゴー!じゃねぇよ。

 将棋盤はプールじゃないしデュエルディスクにもならない!

 

 カシャカシャジャキーン!ゴルシィ!

 

 いや、なったっしょ?

 

 ……なったね。

 

「え、ちょっとは休憩させなさいよ!」

「そうですわゴールドシップさん! それに次はわたくしの番です!」

 

 二人のウマ娘に腕を取られ、モテモテのキングヘイロー。

 ちなみにだが、後日後輩二人に無理矢理部屋に連れ込まれたキングヘイローが一時間後に疲れた様子で着崩れた姿のまま部屋から出てきたという噂が流れ、一部の嗜好家(百合好き)達の間で年末最後の大スクープだ!と大層な騒ぎになったらしい。

 

 そうして年越しの日までトレセン学園には少女たちのはしゃいだ声が響き渡るのである。

 

 




はい、難産でした。
どうしてスカーライトを活躍させたいのにアドバンス召喚主体の帝王を相手にデュエルさせたのか、これがわからない……。
前回のアンケート結果を踏まえて活動報告の方にデュエルの詳細を乗せておきました。
興味のある方はどうぞ。


次回『初詣デートとかしたいスズカさんだ』にアクセラレーション!!
 
 


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シニア級/1月前半:晴れ着姿で参りましょう

 
振り袖のキングヘイローが見たい。見たくない?
ウマ娘の中でもトップクラスに和装が似合う子だと思います……というお話です。
 
 


「あけましておめでとう」

「「「あけましておめでとうございます!」」」

 

 元旦の朝七時。

 ぬくぬくのベッドから抜け出して清涼な朝の冷たい風を感じながらキングヘイローとその取り巻きメンバーは一年の挨拶をしていた。

 夜中にメッセージで言葉を交わしていたが、やはり顔を合わせて言うのが良い。

 

 ちなみにキングヘイローは昨晩、年越しの瞬間を起きて過ごすかご来光を眺めるかの二択に悩み、両取りを選んで1時に寝た。

 そして起きたのは6時で、“寝過ごしたー!”とベッドの中で後悔から始まる。

 そんなことをほぼ毎年やっているのが彼女である。

 今年も例にもれずにそうなった。

 こりないしへこたれないキングヘイローである。

 

「今年から私もシニア級、大事な三年間の締め括りの年になるわ。

 大きな目標も掲げていることだし、一日一日を大事にすごs―――くちゅん!」

 

 ちなみにここは寮の外である。

 それはもう寒い。

 

「……中に入りましょうか」

 

 くしゃみをなかったことにしてキングヘイローはトレーナー室に向かった。

 年始早々の作戦会議である。

 

 わいわいと会話をしながら向かえばあっという間に到着だ。

 無遠慮に扉を開ければ中にはジャックがいた。

 床にはたくさんのカードが広がっている。

 

「なにこれ」

「むっ、どうした? 今日はトレーニングなしだと伝えたはずだが」

 

 いつも以上にジャックの目がぎらついて見える。

 取り巻きメンバーの中でも気弱な一人がキングヘイローの背中に隠れたのも無理はないだろう。

 

「貴方、ひょっとして寝てない?」

「ああ、昨晩の年越しデュエル大会が中々に面白くてな。

 ついデッキを弄っていた……ああ、もう朝か」

 

 ダメ人間のテンプレだわ。

 そうキングヘイローが嘆くが、部屋が暖かいのはありがたい。

 部屋に入って暖を取らせてもらう。

 

「それで、貴様らは?」

「初詣に向けた作戦会議よ!」

 

 何故当日になって作戦会議をしているのか。

 これがジャックには理解できない。

 と言うのも、昨晩の話し合いでそう決まったから、というだけの学生のノリと言う奴だから当然である。

 勢いって大事よね。

 

「私は今日からシニア級。

 ファンでない人にも興味を持って応援してもらうためにファン作りも本腰を入れていきたいのよ」

「いろいろと今更だが、おかしなことは言っていないな」

 

 レースのための活動となれば他人事ではいられない。

 ジャックも作戦会議に参加と相成った。

 

 そして三十分ほど話し合った結果、二つの案が残ることとなった。

 一つはキングヘイローの案。

 あえて薄着で初詣に行くことで注目度を上げよう作戦。

 一つはジャックの案。

 王道に晴れ着で観衆を魅了する作戦。

 

 季節感は大事にしろと言うジャックに対して、だからこそあえて薄着で勝負!というキングヘイロー。

 どちらも主張は譲らず。

 最後は民主主義に則り、取り巻きメンバーによる多数決を行うことに。

 

「じゃあトレーナーの案がいいと思う人、挙手!」

「はい」

「はーい」

「……です」

 

 多数決とは時に非常である。

 圧倒的な差を見せてジャックの案が支持され、キングヘイローは膝から崩れ落ちた。

 

「なんでよ! 一人も賛同してくれないじゃない!」

 

 床を両手でポカポカ叩いている姿は年相応……というより少し幼い気もするが似合っているのでヨシ。

 

「体を冷やして風邪でも引いちゃったら大変だし」

「キングの晴れ着姿見たいし」

「えーっと……以下同文です」

 

 全員の言い訳を聞いてとうとう床ペロ状態に。

 一流の取る姿ではないが、数秒後には勢い良く起き上がって吠えた。

 

「もー!」

「貴様のファン代表と言っても過言ではない三人の意見がこれだ。現実を見ろ」

 

 キングヘイローは早朝から元気いっぱいである。

 ジャックの辛口も新年早々切れ味抜群だった。

 

「あの、それで晴れ着の用意はあるんですか?」

「持ってるわよ晴れ着くらい!」

「いえ、トレセン学園に持ってきてるんですか?」

「……」

 

 沈黙が降りた。

 もちろん持ってきているわけがない。

 今からレンタルなどできるはずもないだろうし、この案は廃止かなと数名が思った。

 

 だが、いざやるとなった時にできないとなればキングヘイローの不屈に火が付いた。

 手早く電話を掛ける。

 応答は非常に素早かった。

 

『連絡の方をお待ちしておりました。お嬢様』

「そう、お願いできる?」

『畏まりました。三十分ほどお時間をいただければと思います』

「分かったわ」

 

 それで通話は終わった。

 あまりに手短な応答に聞いているメンバーの殆どが困惑している。

 ただジャックだけが鷹揚に頷いていた。

 

「善き家臣を持ったな」

「私、縁には恵まれてるのよ? さ、朝ごはんにしましょうか」

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「へりこぷたーすごかったね……」

「いつか乗ってみたいな……」

「キングちゃんがお金持ちっぽいことしてるの初めて見ました……」

 

 三者三様の呟きは府中市にある大きな神社の手前で交わされた。

 取り巻きメンバー三人も豪華な振り袖に身を包んでおり、ご令嬢といった風合いを醸している。

 

 一本の電話から始まった騒動を端的に説明するとこうだ。

 ヘリコプターで執事とメイドがやってきて、あっという間にお着換えタイム。

 キングヘイローの美しい姿に拍手を送っていると“彼女らも着飾ってあげて”とキングヘイローからのお達しがあり、このようになってしまった。

 

 着付けを終えてトレーナー室から出れば、これまた華やかな着物を着たジャックが出迎えたのだから驚かされた。

 どうやら彼も執事に着付けてもらったらしい。

 着付けを終えたら執事とメイドは早々に帰ってしまった。

 お礼を言う暇もない素早さであった。

 

 そしてみんなで初詣に乗り込むことに。

 慣れない着物と履物に苦労しつつ、人混みに揉まれつつ、どうにかこうにか参拝を終えて、ここで一息ついているところだ。

 

「キングたちは?」

「ほら、あそこ」

 

 人ごみにいようとジャックは大柄で目立つし、どこか人を引き付ける魅力を持った男性だ。

 女性の目線を追っていけば彼を見つけるのに苦労はしない。

 その隣に美しい振り袖姿のキングヘイローがいるとなれば注目度はものすごいことになっていた。

 ファンやそうでない野次ウマに囲まれてワイワイしているのがよく分かる。

 

 ちなみにキングヘイローは緑を基調にして白い花が咲き誇る見事な柄の衣装をこれまた見事に着こなしていた。

 アップでまとめられた髪の毛といつもより濃いお化粧のせいか普段よりも大人っぽく見える。

 肩にかけられている黒いレースのストールがまた風情を醸し出しており、とても艶やかな立ち姿であった。

 左手に下げられたミニバッグも良いアクセントとなっている。

 

 隣に立つジャックも負けず劣らずの美丈夫だ。

 黒い袴をこれまた見事に着こなし、その上から白い洋風のファーコートを羽織っている。

 年若い男性では衣装に顔負けすることが多い袴を違和感なく着ている時点で凄いのだが、ファーコートが違和感なく溶け込んでいた。

 遠目から見ても分かる美男子ぶりに取り巻きメンバーも一瞬くらりと来たほどである。

 

「初詣で高松宮記念って単語が飛び交うのってすごいね」

「綺麗で強くて格好良くて優しい、そりゃあ人気も出るよ」

「むしろキングちゃんが今までおまけ扱いだったのがおかしな話だったんです」

 

 言葉を投げ合っているが、どこか力がない。

 二時間も並んで参拝をしたのだから無理もないだろう。

 普通に並んでも疲れるところを慣れぬお振り袖でやったのだから精神的な負担も大きかった。

 三人が寄り添い合うようにして大きな木を背にしてぽけーっとしている。

 倒れてしまわないように手を繋ぎ合う仲良しぶりも見せつけている。

 

 元々この取り巻きメンバーはインドア派だ。

 キングヘイローとの出会いも部屋でダラダラしていたのがきっかけである。

 こうしてアウトドア系のイベントに参加するようになったのもキングヘイローと遊ぶようになってからだが、根っこの部分では室内でゴロゴロしていたいウマ娘であり、体力回復にはもう少し時間が必要らしい。

 

 ちなみにだが、彼女たち三人はウマ娘であるため例に盛れずに美少女だ。

 当人たちの認識では“地味な女”ではあるが、それはトレセン学園という顔面偏差値がバグっている環境に身を置いているせいである。

 一歩外に出れば美少女で通用する容姿を備えている。

 それにキングヘイローから何かと美容品をもらっていたりするので肌艶や髪艶はトレセン学園の上位層に位置していたりする。

 

 そんな美少女三人が振り袖姿で着飾り、寄り添い合ってぐったりしている。

 こんなのもはや“どしたん、話きこーか”案件である。

 ナンパされるのも時間の問題かと思ったそこの貴方、安心してください。

 あちらにアグネスデジタルが控えていますので。

 

「ねえキング! そちらの素敵な男性は彼氏ですか!」

 

 元気のいい質問は高校性の女の子からのものだ。

 通行の邪魔にならない場所でキングヘイローとジャックを中心にして輪が出来上がっており、そこで質問タイムや写真タイムを受け付けていたのだ。

 ゲリラファンサービスと言ったところである。

 

「この質問も何度目かしら? そんなに私の相手に見える?」

「そのような事実はない。俺は彼女の専属トレーナーだ」

 

 なおこの後イケメントレーナーとしてバズって、バズったせいでジャック・アトラスだと身バレしてさらにバズるのだが今の二人には関係ない。

 ともあれ、二人して着物を着て参拝に来る仲、と言うのは一般的に彼氏彼女、あるいは夫婦の扱いで間違いではない。

 そのためこの質問は人垣のメンバーが変わるたびに行われるのだが、それは責められないだろう。

 

「あ、じゃあトレーナーに聞きたいんだけどさ」

 

 挙手をしたのは男性だ。

 隣にいる女性と手を繋いでいる辺り、正真正銘のカップルだろう。

 

「なんだ」

「王道路線を止めて高松宮記念に乗り出そうって普通じゃないよね。

 トレーナー的にはどう思ってるの? 止めさせたい? それとも示唆したのはあんた?」

 

 どうやら彼はウマ娘ガチ勢らしい。

 周囲は何それ?という人も少なくないが、半分以上は興味津々に頷いていた。

 

「どうでもいい」

「え?」

「分からんか、どうでもいいが答えだ」

「ちょっと」

 

 あまりの暴投に質問した彼は受け取れず、ぽかんとしてしまっている。

 思わず袖を引いて止めたのがキングヘイローだ。

 

「ごめんなさいね、この人口下手なのよ」

「俺はキングヘイローがどの路線を行こうと口出しはしない。

 俺がトレーナーである限り、キングヘイローは己で決めた道を往く……それが真の王道だ。

 誰もが通る道を王道と呼ぶのではないと知れ」

「ごめんなさいねホントにごめんなさいね、ちょっと口が悪いだけで悪い人じゃないのよ」

「本気で決めたのならばどの道だろうと関係ない。

 そして選手が本気で決めた道を補佐する、トレーナーとは本来そういうものだ。

 トレーナーが道を選ぶなど言語道断、求められれば情報の掲示はしよう。だが(ベチンッ」

 

 物理的に上から物を言うジャックの顔に振り袖が叩きつけられた。

 もちろんキングヘイローのそれである。

 

「少しは容赦なさい!」

「フン! 物を知らぬ若造に教えてやっただけのこと!」

「貴方は全てに一流を求めすぎなのよ!」

「日ごろから一流を望む姿勢が大事であろうが!」

「そうだけども! そういう志を持って生きてる人は少ないから―――」

 

 そしていつも通りぎゃあぎゃあと言い合いになってしまう。

 トレセン学園では見慣れた光景だが、ファンの前で見せるキングヘイローの姿とはあまりにかけ離れた姿に周囲は呆然とするばかり。

 参拝に来ていたウマ娘たちは“またやってるよ”とか“お正月から元気だねー”とか言って通り過ぎてしまう。

 その中にサイレンススズカの姿もあった。

 

「ふふっ、元気そうね」

「ああ」

 

 隣には遊星がおり、彼の腕に寄りかかっているサイレンススズカは少々青い顔をしていた。

 実はスピカのメンバーがそろって初詣に乗り出していたのだ。

 正月早々にトレセン学園へと戻ってきたスペシャルウィークのおかげで必要以上にテンションの上がったスピカメンバーが若さと言う勢いに任せて初詣に出発したのである。

 

 そうしてみんなでやってきたは良いが、人混みが苦手なサイレンススズカはこの視界を埋め尽くすような人の群れにノックダウンしてしまったのだ。

 ()()隣にいた遊星が彼女を受け止め、一旦列を離れることになった。

 というのが顛末である。

 

「よかった」

「え?」

 

 囁くような遊星のイケボがサイレンススズカの耳に届く。

 くっついているので耳が奮えるほど脳の隅々まで浸透する。

 

 これ、死んじゃうかもしれない……。

 

 幸せすぎて死にそう、という言葉をよく理解できていなかったが、今ならちょっと分かる気がする。

 そんなサイレンススズカさんだ。

 

「ジャックたちを見て、顔色が良くなった。彼らのおかげだな」

「……はい」

 

 そんなに顔色を見られていたのかという羞恥と、心配してくれていた嬉しさに顔を俯かせる。

 真っ赤になった顔を見られないように遊星の胸に顔を押し付けるようにもたれかかれば静かに腕を腰に回された。

 

 離してくださいゴールドシップさん! 今行かないといけない気がするんです!

 止めろスペ! 行くんじゃあないッ! 脳が破壊されるぞ!

 

 上の方からそんな声が聞こえてきた気がしたがそんなことは100%気のせいだ。

 人が山ほどいて、それぞれが好き勝手に話をしているこの雑踏で、境内からの声が届くはずもない。

 

 そして遊星がサイレンススズカを抱きしめたのも、通行人とぶつかりそうだったからだ。

 他意はない。

 

「もう少し端に寄ろう」

「はい」

 

 まだぎゃーすか騒ぐキングヘイローとジャックを置いて二人は比較的人の少ない駐車場の方へと向かうのだった。

 

 




無駄に華はあるが色気のないジャックとキングヘイローでした。
それと執事さんとジャックの会話で分かるキングヘイローさん家の正月事情とか書こうとしたけど無意味に長くなってしまったのでばっさりカット。

ちなみにスピカメンバーはみんな私服です。
ちゃんと計画していればマックイーン辺りが全員分の衣装を用意してたかもしれませんね。


次回、『スズカの告白』にアクセラレーション!
 
 


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シニア級/1月前半:三年目の始まり

長らくお待たせしました。
週一のペースで更新を再開していこうと思います。
それと再開に合わせて一部表現方法を変えてみました。
不評なようなら戻します。

 


「ご迷惑をおかけしてしまってすみません……」

「いいんだ」

 

 人の少ない木陰に座り込むサイレンススズカ。

 それを見守るように側に立つのが遊星だ。

 周囲には暇を持て余したのか、走り回っている子供たちの姿しかない。

 遊具も何もない場所でただ走り回る。

 それだけできゃいきゃいとはしゃいでいるのは年若いウマ娘にとってさえ憧憬に近い。

 遠き日の思い出だ。

 

「楽しそうですね」

「ああ」

 

 林と呼ぶのもためらうような広い間隔で木が立ち並ぶ木陰の空間。

 風通りは穏やかで、一月の太陽がほんのりと周囲を温めているような静かな場所だからこそ行列の喧騒が遠くに聞こえる。

 まるでここだけ俗世から切り離されたようでさえある。

 

「遊星さん、隣に座ってください。このままだと喋りづらいので」

「……分かった」

 

 人の目があるところで不用意に近づくのは良くないという遊星の不慣れな気遣いだったのだが、肝心のサイレンススズカは気にしていないようだ。

 袖を引かれるままに隣へ座り込んだ。

 

 ぬくもりが隣にある。

 それだけで心も温まる。

 遊星はやはり人は独りでは生きていけないと思った。

 美少女の隣にいて出てくる感想がそんな壮大なモノの辺り、彼はちょっと普通ではない。

 サイレンススズカは自分の隣にいてまったくドキマギしてくれないことにほんの少しだけ唇を尖らせた。

 

 ドキドキしてるのは私だけですか?

 

 そんな想いを胸に秘めつつ、サイレンススズカは一呼吸挟んで気持ちを落ち着けた。

 これから話したいことは浮ついた気持ちですることではないからだ。

 元を辿ればこうやって二人きりになったのもこの話をするためである。

 人混みに酔って気分が悪くなったのは本当だが、どこかで話し合う時間を作るつもりでいた。

 

 そうしてたっぷり時間を取ってからサイレンススズカは語り出す。

 

「遊星さんは」

 

 言葉を切って顔を上げる。

 隣にいる遊星はいつもの表情で待ってくれていた。

 

「来年、トレセン学園から出て行っちゃうって本当ですか?」

「ああ」

 

 サイレンススズカにとって、できれば否定して欲しかった言葉なのに彼はいつものように頷いた。

 頷いてしまっていた。

 その事実に、ズキリと心臓の辺りが痛む。

 

 頭のどこかで訳もなく、彼とずっと一緒にいられると思っていた。

 そんなはずはないのに無邪気にそう信じ込んでいた。

 彼と一緒に先頭の景色を探し続けられると。

 それが幻想だったと突きつけられて、胸が痛んだ。

 

「理事長が推進しているURAの新レースが予定通りに進行できれば、その決勝戦を見届けて俺は学園を去ることになる」

 

 来年の二月、遅くとも三月には立ち去ることになるだろう。

 そう語られればあまりの近さに目眩さえ感じてしまう。

 

 遊星がサイレンススズカの専属トレーナーになってからまだ一年ほどだ。

 その一年はとっても楽しくて、あっという間に過ぎてしまった。

 だというのにもう一年とちょっとでお別れ?

 走っていればあっという間に過ぎ去ってしまう。

 そう思うと座っているのにくらくらしてきた。

 

 混乱するサイレンススズカに気付けず、遊星は未来に思いを馳せる。

 語られるのはURAの新レースについてだ。

 

「どの距離で走るウマ娘にもスポットライトを、という信念を念頭に置いたレースだ。

 おそらくチーム戦ではないだろう。

 個人戦となればスピカから声がかけられる可能性があるのは長距離にゴールドシップ、中距離・マイルでスズカ、長・中距離でスペの三名だ」

 

 もちろんこの一年の成果次第ではこの想定もひっくり返るだろうが客観的に見て有力候補に挙げてもおかしくないのがこの三人だ。

 後輩メンバーも才覚は一流だが、生憎とシニア以上であることが参加資格の一つだと明言されている。

 来年の今頃はシニアに上がったばかりで実力・実績が疑問視されることだろう。

 エルコンドルパサーのようにクラシック級ながらジャパンカップを優勝するといった快挙を成し遂げれば声がかかるかもしれない。

 しかし新レースに期待をかけているウマ娘は実績作りのため我武者羅になって挑んでくるはず。

 今年のシニアレースは死に物狂いの闘いが予想される。

 

「今年もきっと忙しくなる」

「そう、ですね……」

 

 これは暗に遊星からのマイルに絞って挑戦しないか?という提案だったのだが返事は気のない物だった。

 

「スズカ?」

「……遊星さんは契約更新とか、考えないんですか?」

 

 予想外の返事に遊星は少しだけ戸惑って、それからゆっくりと頷いた。

 

「俺はあの街に帰る」

「私たちを置いて?」

「……ああ」

 

 ズルイ言葉だと思いながら放ったそれさえも肯定で返されてしまう。

 もう覆しようがないことなのだと悟ってしまった。

 だから抱えた両ひざの上に額を乗せて閉じこもった。

 サイレンススズカにはもうそれしか選択肢がなかったから。

 

 それを見てようやくサイレンススズカが落ち込んでいるのだと気付いた遊星は空を見上げた。

 見上げた空の先には彼の故郷が、ネオドミノシティがあるはずだ。

 

 あの日あの場所で5D'sの仲間とは道を違え、離れ離れとなったのは今でも鮮明に覚えている。

 新たな未来への旅立ちとして晴れ晴れとしたものであったが、本来別れとは辛く悲しいものだ。

 人生経験の幼い少女には耐えがたいほどなのだろう、無理もない。

 

「俺も本当はみんなと一緒にいたい」

 

 本音を零せばサイレンススズカは顔を上げた。

 さらりと長い髪が肩から零れ落ちる。

 

「だがそれはできない」

「どうしてですか?」

「俺が選んだ道だからだ」

 

 言われてしまえばサイレンススズカには分からなかった。

 彼がどうして今ここにいるのか、どんな道を選んでいるのか、彼が進む先がどんな未来なのか。

 ただ、彼の見る先に自分の姿はないのだと知って悲しかった。

 トレーナーとウマ娘、その先に彼はいない。

 

「学園で、スピカで得た絆は尊いものだ。それでも俺の未来は絆だけでどうにかできるものじゃない」

 

 その言葉はサイレンススズカに深く納得させるものだった。

 何故ならば皮肉にもたった今、彼は絆に縋った己を振りほどいたのだから。

 

「俺はあの街から離れられない、それを離れてから実感した……だからスズカ」

 

 声をかけられ、その瞳を見る。

 真っすぐな彼の瞳がサイレンススズカを射抜いている。

 

「いつかスピカのみんなで遊びに来てほしい。歓迎する」

「でも離れてしまっては絆は―――」

「絆は絆だ」

 

 断言した遊星は静かにサイレンススズカの手を取り上げる。

 冬の寒さの中にさらされたからか、その手は随分と冷えていた。

 指先と心を暖めるようにそっと両手で包み込む。

 

「離れていても感じられる絆もある。

 今は信じられないかもしれないが、この一年で俺たちの絆をそういったものにしよう」

 

 つまりそれは彼の往く道に自分が立ち寄っても良いということで。

 未来の彼の隣に己の姿が映り込むのをサイレンススズカは幻視した。

 

「……いいんですか?」

「ああ」

 

 受け入れる言葉がサイレンススズカの胸に火を点けた。

 迷子の子供のように泣き出しそうだった彼女の姿はもうない。

 

「おーい! スズカさーん! 遊星さーん!」

 

 遠くで手を振るスペシャルウィークが見える。

 どうやら参拝は終わったようだ。

 サイレンススズカが体調を崩してから列が大きく動いたのだろう。さほど待つことはなかった。

 

「……行こうか、スズカ」

「はい」

 

 遊星と手を繋いだまま立ち上がり、サイレンススズカは当たり前のように彼の腕の中に身を置く。

 まだ体調が万全ではないのだろうと遊星もそれを受け入れた。

 だがそれを受け入れられなかったのがスペシャルウィークだ。

 

「わー! わー! 遊星さんそこ代わってください!」

「スペチャンハシャギスギー」

「ふふ、恋のダービーも大変そうですわね」

「ダービーか、やっぱダービーかなぁ……」

「何よウオッカ、アンタ変な色気出してるんじゃないでしょうね?」

「ったくよー、どうしてここの出店に焼きそばがねーんだ? ひょっとしてゴルシちゃんの凸待ちか?」

「行くなよゴルシ、振りじゃないからな」

 

 幼い子供のはしゃぐ声以外にスピカメンバーの騒がしさが混ざる。

 そわそわするゴールドシップを押さえるのに苦労しているトレーナーは新年早々にだらけ切った顔をしている。

 いつもの光景、二人にはどこかそれが心地よかった。

 その空気の中でサイレンススズカは独り思う。

 

 遊星さんがトレーナーじゃなくなれば……大手を振って恋仲にだって……!

 

 ジワリと欲望を滲ませ、遊星を見上げた。

 だってこの景色だけは誰にも譲るつもりがないのだ。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

 

「くちゅん!」

「寒いか」

「ちょっとね」

 

 それは初詣の帰り。

 日も暮れ始めた商店街。

 風は気にならないほどだが気温そのものが落ちてきている。

 テンションも落ち着いてきた頃合いでは体温が下がってきても無理はない。

 

 ジャックは仕方ないとばかりに来ていたファーコートをキングヘイローの肩にかける。

 ピンと耳が立ち、驚いているのが良く見えた。

 

「……なんだ」

「いえ、ありがと。でもこれ大きすぎるわね」

 

 ジャックが大柄なこともあり、肩幅もぶかぶかだし、裾に至っては地についてしまっていた。

 それでもファーコートは暖かい。

 先ほどまでジャックが着ていた温もりと匂いが何とも気恥ずかしいのだが。

 

「……そうね、貴方たちこっちにいらっしゃいな」

「きゃー!」

 

 ならばとキングヘイローが出した答えがこれだ。

 近くにいた一人を白いファーコートがバクリと食べてしまう。

 

「あ、ぬくぬくです……」

 

 即落ちした様子を見て他の二人も近寄れば同じ結末を迎えるのであった。

 そして出来上がったのが女子四人によるお団子状態。

 まともに歩けるはずもなくキャアキャアとはしゃいでいる。

 

「ふん」

 

 すぐに飽きるだろうとジャックは鼻を鳴らし、何気なく商店街を見渡した。

 正月特有の華やかな雰囲気はここにも満ちている。

 休みを返上して働く人々の姿もあり、中々の賑わいだった。

 その中でも一際騒がしいのは商店街のちょうど中心辺りにある小さな出店である。

 

 新春・大福引祭りと称した会場のようである。

 会場と言っても商店街で開かれたローカルな祭りだ。

 小さな出店と表現したように規模は高が知れている。

 それでも特賞の商品には力が入っていた。

 

「特賞はなんとペア温泉旅行券!

 一等は特上ニンジンバーグ、二等はニンジン山盛り、三等はニンジン一本!」

 

 やはりトレセン学園が近くにあるということで大分とウマ娘よりの内容であったがニンジンはウマ娘問わず人気な野菜だ

 たくさんあって消費に困るということはないだろう。

 それに府中で扱われるニンジンはどれも一流の品で知られている。

 それがタダで貰えるとなれば世の主婦は黙っていない。

 立ち寄ったウマ娘たちも楽し気に参加していた。

 

「ああ、あの旅行券の行き先、確か一流の療養施設のはずよ」

「詳しいな」

「私を誰だと思ってるの?

 一流ウマ娘のキングヘイローよ」

 

 鼻高々でふふんと自慢気のキングヘイローをすかさずヨイショする取り巻きメンバー。

 だがくっついているので何とも格好がつかない。

 

 それからせっかくだし参加してみようかという話になった。

 どちらにせよ新年を祝うためにパーティーを開くつもりだったらしく、ここで買い物が始まった。

 集まった抽選権は全部で四回分。

 

「貴様らで回せばよかろう」

「では私が!」

 

 取り巻きの一人がいざと抽選機に手を掛ける。

 ぐるぐる。ころん。

 

「おめでとう、ニンジン一本だよ!」

「ニンジンでした!」

 

 差し出されたニンジンを受け取り、笑顔でキングヘイローへと向けて見せびらかしている。

 なんというか子供が母親に自慢するかのような光景であった。

 

「次は私が失礼して」

 

 ぐるぐる。ころん。からんからーん。

 

「おめでとー! 二等賞はニンジン山盛りだー!」

「わ、わ、すごい量が来た!?」

 

 ダンボールいっぱいのニンジンが押しつけられる。

 何ならもういっちょとばかりに追加がやって来る始末。

 一人で来ていたら持ち帰れるのか?と不安になる量だった。

 先ほどたくさんあって消費に困ることはないと言ったが嘘だったかもしれない。

 

「ハードル上がってきてるけど……次、行きます……!」

 

 ぐるぐる。ころん。からんからーん!

 

「すごいねお嬢ちゃん、おめでとう! 一等のニンジンバークだよ!」

「す、すごい……です!」

 

 三等、二等、一等と一つずつ商品の内容が良くなっていく。

 残るは一枚。

 引手はキングヘイローとなれば嫌でも期待は上がっていった。

 そんな空気の中、キングヘイローは一切怖気付くこともなく、スタイリッシュに引換券を差し出した。

 

「キングの引きを見てなさい!」

 

 ぐるぐるぐるぐる! ころん。

 

「あ、残念賞。ティッシュです」

「どうしてよ!?」

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「疾風怒涛と現れる! トレードマークは真紅の衣装っ!

 勝負のターフに降り立つは誰か呼んだか神速の怪鳥!

 ”世界最強”エルコンドルパサー! 今ここに参上デェェェスッ!!」

「……エル」

 

 正月早々からトレーニングをと練習場にいたグラスワンダーを出迎えたのは勝負服を身に纏ったエルコンドルパサーだった。

 その身に宿した熱量は瞳を爛々と輝かせている。

 対してグラスワンダーは熱を持てていない。

 そんな彼女にエルコンドルパサーはターフへと誘う。

 

「静かな微笑に隠した闘志。凪ぐ瞳の焔はターフで燃える!

 世界を揺るがす未知なる群青!

 グラスワンダー……さぁ、リングへ!」

「勝負をしたいということですか?」

 

 静かな微笑でエルコンドルパサーを見つめる。

 彼女が突拍子もないことを始めるのは珍しいことではない。

 だがどうにも乗り切れなかった。

 

「エル、すみませんがこの後の予定はすでに埋まっていますので」

「恐れているのですか?」

 

 だから躱そうとしたグラスワンダー。

 それを許さないのはエルコンドルパサーの小さな言葉だった。

 

「―――有マ記念のような無様を晒すことを」

「……ッ」

 

 泰然としていたグラスワンダーの表情が歪む。

 年末に行われた有マ記念。

 そこに二人は出場しており、グラスワンダーは惨敗であった。

 エルコンドルパサーもギリギリ入賞という結果に終わってしまったがレジェンドと言ってもいいメンバーを相手にむしろ健闘した方である。

 翻って、勝負にさえなっていなかったグラスワンダーは無様としか言いようがなかった。

 

「実に、実に退屈でした! 心踊らず! 魂震えず!

 あまりの熱のなさに、エルの視界にすら入りませんでしたよ!」

 

 その原因は明白であった

 以前から公言しているグラスワンダーの目標であった“怪物”打倒。

 “怪物二世”と言われたあの日からそれだけを目標として走り続けてきた。

 

 それを目前として、目の前から消え去ってしまったのだから。

 

「貴方に何が分かるというの、エル。

 ……挑むことすら叶わなくなった私の、何が!!」

 

 目標を定め直すことさえできず、出場した有マ記念ではあの失態。

 グラスワンダーは己を立て直す切っ掛けさえ掴めずにいた。

 これを生き恥と言わずになんと言おう。

 

 だからこそライバルとして競い合ってきた黄金世代はそれを見過ごせない。

 エルコンドルパサーが火の灯らないグラスワンダーのジャージを掴みあげた。

 

「アタシを見ろ!!」

 

 怒声と言ってもいい声量が夕焼けに染まる空に響き渡る。

 

「アタシは電光石火の怪鳥! “世界最強”エルコンドルパサー!

 即ち! 頂点への道を阻む大いなる壁だ!」

 

 その瞳に火よ宿れと、言葉を紡ぐ。

 まるで己の火を分け与えるように。

 

「道の果て、頂点へと歩むアナタが挑むべき! 必ず超えるべき壁!

 グラァス! アナタが欲しているのは“怪物”の二つ名デスか!?」

「……」

 

 はくはくと口が動くも言葉にならない。

 だからエルコンドルパサーが畳みかける。

 

「アナタが目指していたのは、その瞳に映していたのは!

 ―――“怪物”程度だったのデスか?」

「……わ、たし……」

 

 未だ火は点かない。

 エルコンドルパサーは気持ちが萎えかけるのを自覚する。

 このままではダメだ。

 そう思ったから、グラスワンダーのおでこ辺りにある白い頭髪に頭突きをかました。

 ゴチンと、思っていたよりも鈍く強い音がした。

 

「世界最強! 頂点! それを目指さずにいられるお利口さんはエルのライバル足り得ません!」

 

 グラスワンダーさん、貴方は随分とつまらない優等生になってしまったのね

 

 脳裏を過るのは失望の声。

 好敵手だと思っていた人から向けられる冷たい視線。

 ぽつぽつと降り注いだ白い雪が視界と重なる。

 置いてけぼりにされたあの日から一歩も動けていないのだと気付いてしまった。

 

「グラス! いつまで余所見してるつもりデスか!?

 エルは! エルを! アタシを見ろグラスワンダー!!」

「……住不退転」

 

 ガクガクと揺らすエルコンドルパサーの手を止めたのは小さな言葉だった。

 あの日から動けていないのならばもう一秒だって立ち止まっている暇はない。

 何故ならばグラスワンダーがトレセン学園に来る前に誓ったのは世界の頂点に立つことだったのだから。

 

「今この時より、私は不退転となります」

 

 そしてその瞳に火が―――焔が宿った。

 

 止まってしまったままだというのなら、やり直そう。

 まずはそう、世間に醜態を晒したあの日ジャパンカップから。

 

「エル……今から貴方と私、二人でジャパンカップと洒落込みましょうか」

 

 襟をつかむエルコンドルパサーの腕を取り、静かに見上げる。

 たったそれだけでエルコンドルパサーの体が芯から燃え上がった。

 

「上等デス、それでこそグラス! アタシのライバルです!!」

 

 この日、黄金世代の三年目シニア級の始まりの日に。

 グラスワンダーは“怪物”となったのである。

 




 ぐるぐるぐる……ころん。からんからーん!

「おめでとうございまーす! 特賞! ペア温泉旅行券でーす!!」
「ウソでしょ……!?」


次回、『正月太りは乙女の天敵です』にアクセラレーション!
 


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シニア級/1月後半:むっちりキング

 
ちょっと短め。
グラスワンダー覚醒イベの次はセイウンスカイの覚醒イベ伏線回です。
 
 


 

「あー、眠いー」

「ダメよ、貴方一回寝たら起きないじゃない」

 

 正月休みも明けて授業が始まった。

 日常の再開にセイウンスカイの寝たがりも再開してしまう。

 

 だが休み明けで調子が出ないのは彼女だけではない。

 お昼休憩の時間で気の抜けたクラスメイトの幾人かは大きな口を開けてあくびをしてしまう始末だ。

 それをだらしないと憤慨するキングヘイローは少数派と言える。

 

 多数派の中には連休中にトレーニングのしすぎで体力回復できていないという事情の者も含まれている。

 実はセイウンスカイもその中の一人であった。

 彼女は皐月賞ウマ娘として知られているが、実はそれ以来重賞レースで勝利できていない。

 どうにもパッとしない成績続きである。

 

 年末の有マ記念も良いところなしで沈んでしまった。

 七位。

 メンバーを思えば決して悪い成績ではないのだが、やはりため息の一つでも付きたくなるというもの。

 だからこそこの休みはおさぼりウマ娘の二つ名を放り投げて努力を重ねてきた。

 

 どれほど力を付けられたのか。

 それが分かるのはまだ先のことだ。

 怖いような、楽しみなような。

 複雑な気持ちを抱えたままセイウンスカイはキングヘイローを見た。

 

 なんか一回り大きくなってない?

 

「ねぇ、キング……太った?」

「は?」

 

 何気ないセイウンスカイの言葉が教室に響き渡り、キングヘイローの地獄の蓋を開けたような言葉が周囲の音を殺した。

 言わずとも知れた乙女への禁句をまさかのストレートである。

 でも、とクラスメイトのみんなは思った。

 

 私もそれ聞きたかった、と。

 

 だってどう見ても存在感が増しているのだ。

 太ったというよりも―――

 

「Massiveになりましたね、いいことデース!」

「まっしぶ?」

「重厚という意味ですよスペちゃん」

「まっしぶ」

「Non,massive」

「まっしぶぅ」

「……あとで発音頑張りましょうね」

 

 ともあれ話を戻すとキングヘイローは筋量が増えて一回り太くなっていた。

 細身であったはずのキングヘイローは冬服の上からでも分かるほど筋肉が搭載され始めている。

 特にトモの張りは見違えたと断言できるほどに。

 

「紛らわしい言い方をしたセイウンスカイさんは後でお説教ね」

「ぶーぶー、おーぼーだー」

 

 横暴かどうかは置いとくとして、暴パートが一般用語じゃないってマジ?

 

「でもこんなものじゃないかしら」

「早い方だと思いますよ」

「エルなんかはマイル行くときどれだけ筋肉積めるかが勝負みたいなところありますから」

「……筋肉って積んだり降ろしたりするものなんですか?」

 

 スペシャルウィークの素朴な疑問に周囲は固まった。

 え、そんなことも知らないの?と。

 若干名固まった空気に驚いた娘もいたが、みんな考えるより体を動かすタイプである。

 つまり、いくらトップアスリートが集うトレセン学園と言えどもトレーナーに全部お任せ!というウマ娘もいるということだ。

 

「あのねスペちゃん、筋肉って重いんだよね」

「うん」

「だから長い距離を走る人は必要な筋肉だけを鍛えて、後は削るの」

「そーなんだー!」

「……大丈夫かねこの子」

 

 思わず心配になってしまうセイウンスカイ。

 改めてスペシャルウィークを見てみれば筋肉は十二分についている。

 見ていて細いと感じることはない。

 むしろちょっと太ましいくらいだ。こっちはガチで

 

 今はとにかく鍛えて、天皇賞(春)に向けてこれから絞るといったところだろうか。

 まぁ、それはトレーナーが考えることかと思考を放り投げる。

 

「走る距離が短くなるほど筋肉をつけるのが一般的デスね!」

「スペちゃん、これがスプリンターの二の腕」

「おー! なまらすごいべ!」

 

 携帯で表示されたのはサクラバクシンオーのムキっと盛り上がった腕だ。

 力こぶを作っている一枚だが、確かに腕全体が筋肉質である。

 ヒトに比べてウマ娘の筋量は密度が高いため、これをヒトに変換すると丸太のように太い腕となるだろう。

 もちろんここまで鍛える苦労はヒトもウマ娘も似たようなものだ。

 どれだけ鍛えても筋肉がつかないと嘆くウマ娘も少なくはない。

 

「そしてこっちがステイヤーの二の腕です、こちらメロンパン入れになっております~」

「グラスワンダーさん、貴方本当に海外育ち?」

 

 比較対象はセイウンスカイの二の腕だった。

 制服をまくって晒された腕は白くしなやかで、とても細かった。

 それでも駄肉がないため筋肉を纏っているのがよく分かる。

 

「や、恥ずかしいんですけど」

「……スカイさん、すごく締まってますね」

「正月は殆ど休んでないんじゃないデスか?」

「やめやめ! この話お終い! こちとらおさぼりウマ娘ですよ? 寝正月に決まってんじゃん!」

 

 生暖かい目に見守られてつっぷすセイウンスカイ。

 耳が所在なさげに萎れていたのが何とも可愛らしい。

 

「あ、でもゴールドシップ先輩は筋肉すごかったよ!」

 

 スペシャルウィークにとってステイヤーはセイウンスカイとゴールドシップのイメージが強い。

 そしてゴールドシップは大きな体にがっしりとした体格のウマ娘だ。

 聞いていた話と違う。

 

「確かに骨格だけで見たらむしろスプリンター向けよね、あの人」

 

 体が大きいということはそれだけ筋肉を積めるということである。

 そして体が大きければ必然、体重も増える。

 長距離を走るために骨身を削るよりは短距離を走り切る走力を付けた方が活躍できそうなものだ。

 

「ああいうタイプの人はいろんな意味で規格外なんですよ~」

「生まれついてのスタミナお化けデース!」

「これだけ筋肉つけても3000m走り切れるってことだからね、やばいわそれは」

「まぁ、それに脚質や気性もあるし、骨格だけで適正距離が決まるわけでもないわね」

「難しいんだね!」

 

 ちなみにゴールドシップ当人は短距離のことをあっという間に終わっちまってつまんねーんだよなーと言っている。

 走っていてつまらないという評価は想いの強さが走りに出るウマ娘にとって致命的だ。

 後にミホノブルボンがこの気性と骨格の問題について鋼のような精神力で克服することになるのだが、今の彼女たちには関係のないことだった。

 

「じゃあ筋肉が付きやすいキングちゃんはスプリント向きってこと?」

「スプリントも出来るのよ、一流だから!」

「背が高くないから難しいんじゃない?」

「やはりキングさんはマイラーではないかと」

「菊花賞ウマ娘がマイラーだったとか、後の世でこの世代は弱かったとか言われる奴では?」

 

 エルコンドルパサーの言葉にちょっと黙ってしまう一同。

 一瞬そうかもしれない、と思ってしまったのだが割って入ったのは皐月賞ウマ娘とダービーウマ娘であった。

 

「いやいやいや、私は皐月賞でのレコード持ちですよ?」

「私だって、えーっと……日本一のウマ娘になるんですから!」

 

 二人目はともかくとして一人目の主張は説得力があった。

 それなら問題ないかと頷きを以て納得すると再び疑問が沸き上がってくる。

 

「結局キングちゃんの適正距離ってどこなのかな?」

「……さぁ?」

「マイラー、主な勝鞍:菊花賞」

「エル、まぜっかえさないの」

 

 結論はやはりマイラーなのか、とスペシャルウィークが考えているとキングヘイローは高笑いのポーズ。

 さっとみんなが耳を覆った。

 

「おーっほっほっほ! キングの適正距離を教えてあげる!」

 

 お肌ツヤツヤのドヤ顔でこう続けた。

 

「キングの適正距離は“一流”よ!」

「はい、かいさーん」

「何でよ!?」

 

 セイウンスカイの雑な扱いに憤慨していると(しかも本当に解散し始めている)グラスワンダーがこそっと話しかけてきた。

 曰く“勝負服、大丈夫ですか”と。

 

「ヒュ」

 

 顔面が蒼白になったところでチャイムが鳴り響いた。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「ってことがあってさー」

「皆さん仲良しですね」

 

 それは放課後、セイウンスカイがニシノフラワーと一緒に仲良く歩いている時のことだ。

 ジャージを着た二人はトレーニングに向けてのんびり移動中である。

 

「フラワーはスプリンターだけど筋肉そんなついてないよね?」

「はい、私は独自路線ですから」

 

 ゴールドシップと同じように規格外ということなのだろう。

 まず年齢からして普通ではないのだから無理もない話だが。

 

「同じ土俵に上がってたら勝てないから、私はこの軽さを武器にしようとトレーナーさんが言ってくれたんです」

「あのトレーナーがねぇ」

 

 当時は新人トレーナーであったが、トレーナーとしての実力は本物だったとニシノフラワーが証明している。

 しかしあの若さと軽い態度からはどうにも凄腕という印象が似合わない。

 その担当トレーナーは入所事情からして特殊だった。

 実力で飛び級入学を認めさせたニシノフラワーに誰も担当になりたがらなかったのが事の始まり。

 模擬レースで活躍し、実力を見せてもトレーナーになりたいと言う人物は現れなかった。

 

 当たり前だ、担当が付くということは数か月後にはデビューするということである。

 それは余りにリスクが高すぎた。

 トレーナーにとっても、ニシノフラワーにとっても、である。

 

 そんなことをするよりも高等部になるまで、つまり中等部に等しい年齢になるまで待てばいい。

 周囲はそう思ったし、それが当然だと思い、青田買いするようなトレーナーはついぞ現れなかった。

 これには世代が悪かったことも影響している。

 何せ同期はあの“黄金世代”たちだったのだから。

 ただし納得できなかったのがニシノフラワー当人であり、それを不憫に思った秋川理事長である。

 

 畢竟ッ! この才能を腐らせるわけには行かぬ!

 

 秋川理事長の直感は正しい。

 再三に渡って語ったがウマ娘にとって想いとは非常に重要なモノである。

 高きに登るにせよ、低きに堕ちるにせよ、だ。

 

 飛び級での入学を果たし、周囲に認められたと思っていたニシノフラワーに突き付けられた現実がトレーナーの不在である。

 それが幼い少女の心を委縮させ、腐らせたのならばそれは教育現場であるトレセン学園の失態に他ならない。

 そこで白羽の矢が立ったのがニシノフラワーの現トレーナーである。

 理事長秘書の駿川たづなが紹介しての登用であった。

 

 彼に白羽の矢が向けられたのは偏に小学生のウマ娘をトレーニングし、結果を出した経験と成果があったからだ。

 代々トレーナー一族であった彼はちょっとした縁から同い年のウマ娘のコーチを務め、少女に基礎を叩き込んだ。

 その結果、彼女はその才覚を認められ、トレセン学園へと入学を果たしたのである。

 

 ニシノフラワーもその経緯を聞いており、彼の指示には素直に従った。

 そうして掴んだのがサクラバクシンオーの打倒という栄冠である。

 未だ一度しか達成できていないがニシノフラワーの才覚とそのトレーナーの手腕を疑う者はいないと言える。

 つまりサクラバクシンオーに勝つというのはそれほどの偉業であったのだ。

 

「どうしてもすごいトレーナーには見えないんだよなぁ」

「自分のことはだらしない人ですから」

「あー、やっぱり?」

 

 ニシノフラワーに世話を焼かれてるイメージがあったのだが実際そうなのかもしれない。

 まぁ、ウマ娘とトレーナーの関係は人それぞれだ。

 他人がとやかく言うものでもあるまい。

 

「ところで、スカイさんはパーフェクトと言う二つ名を知ってますか?」

「パーフェクト? うんにゃ?」

 

 記憶をさらってみたがセイウンスカイだが、そんな二つ名は存在しなかった。

 少なくとも現役にはいないと断言できる。

 そんな二つ名はさすがの生徒会長様でさえ付けられていないのだから。

 

「トレーナーさんが前に担当してた子のことらしいんですけど」

「え? 前に担当ってあの人ニシノフラワーが初めての担当でしょ?」

「ちょっとその辺り複雑でして」

 

 トレーナーからは詳しくは聞けていない。

 圧倒的強さからパーフェクトと呼ばれ、怪我にて引退したということだけ。

 だから詳しく聞くのも憚れて、気が向いた時にこうして他の誰かとの話題に出しているのだ。

 それでも未だに知っていると言ってくれる人に出会ったことがない。

 まるで何かに阻まれているかのように。

 

「気になるなら図書館で調べてみたら?」

「はい、そうします」

 

 と言い続けてすでに三年目である。

 何故か話題が終わればその単語のことをすっかり忘れてしまうのだ。

 

「それでフラワーの軽さを武器にって?」

「それはですね―――」

 

 そうして今日もまたパーフェクトと呼ばれたウマ娘のことを調べる機会を失うのである。

 歓談する二人を三女神の像がアルカイックスマイルで見守っていた。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「ちょっとトレーナー! まずいわこんなの一流じゃないわ!?」

 

 むっちりー。

 

「ハイソックスが入らないなんて笑えないわよ!」

 

 もっちりー。

 

「くっ、ガーターまであと少し……!」

 

 ぎちぎちー。

 

「大人しく短距離用に衣装を用意すればよかろう」

「ちょっとそこの衝立から入ってこないでちょうだい!」

「見てはおらん、確かここに連絡先が」

「こんなことで勝負服を新調するなんてー!!」

「騒ぐな、どうせ成長期なのだから作り直すのは丁度良い―――あった、この用紙だな」

 

 むっちりー。

 

「やーよー! もー!!」

 

 




この後、長距離用、短距離用、中距離・マイル用の三種類を用意することになりました。
3Dモデルのキングは足細すぎて心配になるレベル。
これでスプリント戦えるの?というのが素直な疑問でした。
もっちりふくふくなキングヘイローも見てみたいですね。

次回、『バレンタインの準備』にアクセラレーション!
 
 


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シニア級/2月前半:乙女たちの決戦準備

 



 

 二月上旬。

 恋する乙女たちが決戦日(バレンタインデー)に向けて行動を開始する頃合い。

 しかし女子校という女性社会に身を投じる学生たちは恋如何を問わず、戦いに身を投じなければならない季節でもあった。

 

 バレンタインチョコの中でもすっかり定番となった友チョコ。

 学校の友人やクラスメイトなどに送るそれは女子同士の格付けチェックの場となっていた。

 情報収集能力、懐具合、美味しさ、独自性、そして何より美的センス。

 それは、ともすればクラスカーストを塗り替えるほどの比重を持つにまで至った。

 

 カースト上位の存在が安いチョコ菓子で誤魔化すなど蹴落としてくださいと言っているようなものだ。

 誰も聞いていないのに“彼にこれを渡そうかなと思ってるの”とハイセンスのチョコレートを携帯で晒せば、上位を狙う者がここぞとばかりに“私お菓子作り得意なんだよね、去年はこんなの作っちゃった”と飛び道具を使う。

 男子は想像もしないであろう戦いがそこにはあるのだ。

 

 他者にマウントを取り、女子力(こぶし)で語るのをカカオの香りとチョコレートの甘さで覆い隠す。

 バレンタインデーほど決戦日というルビの似合う日はないだろう。

 

 などとうだうだ語ったが、トレセン学園はやはりその辺り事情が異なってくる。

 女性社会ではあるが女子力よりもレースの比重がずっと高いため、そこまでじめっとした空気は流れない(流れないとは言っていない)。

 バレンタインというイベントをカジュアルに楽しむ者が多く、二月初めごろから学園全体が甘い空気と香りに包まれるのだ。

 

 それはサイレンススズカとスペシャルウィークという二人のスターウマ娘も例外ではなかった。

 いくら世間様に顔を知られ、下手な著名人よりも多くのファンを持つ少女たちと言えども菓子職人が磨き上げた珠玉の一品の前にはただの女の子と化してしまう。

 これはそんなお話。

 

「どこもかしこもチョコだらけですね!」

「そうね、なんだか目が回っちゃいそう」

 

 トレセン学園から最寄りのデパートで二人はお買い物デート中。

 今日はバレンタインチョコを求めてやってきたのである。

 去年流行ったバレンタインソングやお決まりのバレンタインソングがあちこちから流れ、甘い香りの漂うデパ地下はまるでお祭り騒ぎだ。

 人ごみに慣れていないスペシャルウィークはテンション急上昇中だし、サイレンススズカは二の足を踏み気味だ。

 

 想い人(遊星さん)のために。

 そう思わなければそもそも買いになど来なかっただろう。

 サイレンススズカはバレンタインに興味などなく、毎年貰う側であったから。

 でも今年は違う。だからこそ踏みとどまっていられた。

 

「スペちゃんはたくさん買うのよね?」

「はい! 去年はクラスのみんなからもらってばかりだったので今年はお返しするつもりです!

 それとスピカのみんなと……スズカさんにももちろん用意しますから!」

「ふふ、ありがと」

 

 元気いっぱいなルームメイトが可愛くて仕方ない。

 そんな様子で尻尾を揺らしながらテナントを見て回る。

 二人ともレースの賞金を一部引き下ろしてきているため軍資金は潤沢である。

 そのため選択肢は広い。

 まずはぐるりと一周見て回ることにした。左回りで。

 

「スズカさんは誰に送るんです?」

「そうね、私もスピカのみんなと、たくさんお世話になったスペちゃんとトレーナーさんと遊星さんには特別なのを用意して」

「え! いいんですか?」

「もちろんよ。交換しましょうね」

「はい!」

 

 嬉しそうにガッツポーズを取るスペシャルウィークを置いて指折り数える。

 エアグルーヴとタイキと、フクキタルと……それから、それから―――。

 今まで気にしていなかったが、いざあげるとなると線引きが難しい。

 どこまで渡して、どこから渡さなくていいのか。

 

 走っているだけでは考えなかったことだ。

 気付かない内に、自分は随分とたくさんのことを置いてけぼりにしてきたらしい。

 そう思えるようになったのはスペシャルウィークがやってきてからだった。

 

 妹のように可愛がり、世話を焼いて、先輩風を吹かせて。

 それだけで随分と世界が広がったような気がする。

 

 うん、やっぱりスペちゃんにも特別なの用意してあげないと。

 

「大きなのがいいかしら?」

「スズカさんからもらえるならなんだって嬉しいです!」

「ふふふ、ありがと。それじゃあ探してみましょうか」

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「この辺りですか」

「んだなはん! シチーさんの勧めンで間違いなら!」

 

 マンハッタンカフェはルームメイトであるユキノビジンを連れられて買い物に来ていた。

 とても珍しいことではあるが彼女もまた決戦日に向けて準備をしに来た乙女の一人である。

 

 事の次第は昨晩まで遡る。

 部屋に鳴り響くラップ音を“せっ(うるさい)”の一言で撃退したユキノビジンは登山本を読むルームメイトに詰め寄った。

 

「カフェさん、今年のチョコはどやすんで?」

「……チョコ、ですか?」

 

 慮外のことを言われたとばかりに顔を上げれば大分近い位置にユキノビジンがいた。

 思わずのけぞれば、離れた距離だけ詰められる。

 ここまでぐいぐい来る彼女は稀である。

 

「キングちゃんのトレーナーさんにチョコをプレゼントしましょ!」

「……去年も言ってませんでしたか?」

「だからさ。買うかもしれないって、わたしはっかはっか(ドキドキ)しン待ってたらなンも進展なくって!

 したっけ今年こそはしょしぃの我慢してわたしと一緒に行くでがんす!」

 

 どうやらマンハッタンカフェとジャックの仲を進展させるいい機会だと思っているらしい。

 去年も似たようなことを言われたのを今になって思い出すマンハッタンカフェであった。

 あの時もぐいぐいと詰め寄られて、ついつい買うかもしれないと言ってしまった。

 当然のようにそんなことは忘れるマンハッタンカフェに気になっていたユキノビジンが後日に聞いてみれば“つい”の一言で流されてしまったのである。

 

 ユキノビジンは激怒した。

 この恋愛感情無自覚ウマ娘に青春させねばならぬと決意した。

 ユキノビジンには恋愛は分からぬ。ユキノビジンは以下略。

 

 つまり今年こそは恥ずかしがってないで一緒に買いに行くよ!と、そういうことだ。

 

「恥ずかしいとかではなく……そもそも私と彼はそういう関係では」

「聞きたくね」

「ユキノさん……」

 

 そもそもクリスマスデートをするような仲を恋仲と呼ばずしてなんとする。

 と言い訳拒否の態度を取るユキノビジン。

 当人からすればいつものようにコーヒーを飲んでたらたまたまクリスマスだったというだけで、デートという認識さえなかったのだが。

 

「明日行きましょう!」

「……はい」

 

 渋々頷けば満面の笑みが帰って来た。

 世には友チョコという存在もある。

 気負わずにチョコを買い、義理ですと渡せばいいか。

 と、そんな風にして年上としての度量を見せたマンハッタンカフェであったが、デパートに来た段階ですでに後悔し始めていた。

 

「人、多くないですか?」

「ほにほに」

 

 シチーガールを目指すユキノビジンは去年もここに来て都会乙女のパワーに揉まれている。

 二度目ともなれば人が多いことに同意しつつも先陣を切る余裕があるというものだ。

 予め敬愛する先輩から聞いて目をつけていたテナントへと迷わず向かう。

 それに置いて行かれるわけにもいかず、後を追うマンハッタンカフェ。

 

 ……なんだかあの子の背を追いかけてるみたい。

 

 ちょっとだけ楽しくなってきたマンハッタンカフェは人波をかき分けるように前へ。

 これだけ活気があれば怪異も姿を現しにくい。

 力を抜いて買い物を楽しむのもいいかもしれない。

 

 少し無理矢理にでも気分を持ち上げる。

 そうでもしないと人波に酔ってしまいそうだったから。

 

「カフェさん、あべあべ(こっちこっち)

「前を向いてないと危ないですよ」

「はーい」

 

 それからあれでもない、これでもないと目移りするユキノビジンと並び、ショーケースの商品を見て回り、ピンと来た一品を迷いなく選ぶ。

 マンハッタンカフェは直感を大事にする。

 これだと思えば一直線なウマ娘であった。

 

「ラッピングお願いします、それとこれも」

 

 手慣れた様子で注文するマンハッタンカフェ。

 なんだかんだで都会っ子である、

 一度買うと決めればユキノビジンよりもスマートにこなしてしまうのだ。

 甘い物好きなアグネスタキオンがぶーぶー文句を言わないように彼女の分も購入しておくのも忘れない。

 

「ユキノさんは買わなくてもいいんですか?」

「いいンです。わたしは渡す相手もいないし」

「……では時間もあることですし、ちょっと寄り道しましょうか」

「はい!」

 

 終わってみれば満足のいく買い物だったと頷き、大分余ってしまった時間をお礼に使うことにした。

 具体的にはお洒落なカフェでお茶をご馳走します、とそういうことだ。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「わぁ、スズカさん見てください!」

「美味しそうね」

 

 そんな会話も何回目か。

 飽きもせずに飾られた商品に声を上げるスペシャルウィークを微笑ましく見守っていたサイレンススズカ。

 しかし今回ばかりは彼女も目を奪われてしまう。

 

 スペシャルウィークが指差したのは大福だ。

 いわゆるチョコ大福なのだが、ちょっと変わり種である。

 豆大福のようにぽこぽこ膨らんで不格好なのだが、断面ディスプレイを見るに苺大福のようであった。

 

 餅、ガナッシュ、小さ目の苺という構成はサイレンススズカの好みに合致している。

 大きな苺を使った苺大福というのも贅沢なのだが、食べる時に口を大きく開くのが苦手なサイレンススズカとしてはこちらの方が食べやすそうと思ってしまう。

 豆かと思われたのは小さなチョコクランチで、餅の柔らかな触感の奥からザクザクとした歯触りを楽しめるだろう。

 味の方は食べてみないと分からないが何とも購買意欲をそそられる一品であった。

 これは誰かにあげるというよりも自分が食べたいと思わせられるような魅力がある。

 

「……スぺちゃん、今日のおやつはこれにしましょうか」

「いいんですか!?」

「私も気になるもの」

「やったー!」

 

 もはや姉妹と言うより母子である。スペちゃんの幼児化が止まらない。

 小躍りするスペシャルウィークに苦笑しながらテナントに近づけば店員が驚いた顔をしていた。

 

「す、スズカさんですか?」

「? はい」

 

 何をそんなに驚かれるのだろうと思いながら例のチョコ大福を注文する。

 すると店員がテキパキと動き、袋に包んだ。

 そして会計を済ませてから意を決したようにこういうのだ。

 

「写真一枚いいですか!」

「一枚だけですよ?」

「あの、これ持ってもらっても大丈夫でしょうか?」

 

 ファンサービスなら、と快く受け入れたが差し出されたのは先ほど購入したチョコ大福のディスプレイ用商品である。

 何やらただのファンというわけでもなさそうだった。

 

「えーっと、宣伝に使うのはダメですからね?」

「分かってます。この商品を作ったのは私なんですが……実は貴方が好みそうな菓子を作ろうと思ったのが発案の切っ掛けでして……」

 

 前言撤回、ただのファンだった。

 

 そういうことならば問題ないと笑顔で承諾し、商品を持った状態で店員と並ぶ。

 それを手慣れた様子でスペシャルウィークがシャッターを切る。

 あっという間に撮影は終わったが、店員は何度も頭を下げて感謝していた。

 

「こういうことってあるんですね」

「あるみたいね」

 

 当のサイレンススズカとしてはパティシエさんも販売員してるなんて忙しいのね程度の感想だったのだが。

 それから自販機でお茶を買い、休憩スペースで買ったばかりのチョコ大福を広げる。

 すると大福が六つ並んでいた。

 もちろん仲良く半分こである。

 

「いただきまーす」

「いただきます」

 

 お行儀よく手を合わせてから付属の二股プラスチック楊枝を手に取る。

 どれも同じはずなのにどれから食べような迷うサイレンススズカに対して迷わず端から攻略に取り掛かるスペシャルウィーク。

 それを一口でパクリ。

 

「んー、おいひぃれす!」

 

 その様子に負けじと反対側の大福に楊枝を刺した。

 口の手前まで持ってきて僅かに悩む。

 一口で行くべきか、真っ当に二口で食べるべきか。

 

 お餅だし、無理は良くないわよね。

 

 そう考えて無難に攻めることにする。

 真ん中にある苺目指してハムリ。

 

 まずお餅の柔らかさと、ほんのり感じる塩味に安心と驚きを同時に感じた。

 そして噛み切れば苺の甘みと酸味、ガナッシュの風味と甘みがやってくる。

 咀嚼すればお餅の柔らかさの奥からザクザクゴリゴリとした感触が伝わってくる。

 ガナッシュの優しい甘さと舌触りが苺の酸味とよく合う。

 チョコクランチは逆にジャンクフード的な甘さとなっていてこれが味のアクセントになっていた。

 何より塩気の効いたお餅が甘さだけではない奥行きを与えていて、全体をまとめているのを感じる。

 

「これ、美味しいわね、スペちゃん」

「……!」

 

 すでに三つ目の攻略に取り掛かっていたスペシャルウィークは返事ができず、しかしふんふんと首を縦に振って賛同していた。

 それを見て微笑んだ後、残りの半分も食べてしまう。

 

 そうしてお茶を飲んで一息ついたり、スペシャルウィークに最後の一個を譲ったりして一足早くバレンタインの雰囲気を楽しんだ二人はまったりお喋りモードに入ってしまった。

 いつも一緒にいるのに不思議と話題が尽きることはない。

 あれやこれやと話題は多岐に渡ったがふと思い出したこともあり、サイレンススズカは意を決して踏み出すことにした。

 

「ねぇ、スペちゃんってお正月に戻ってから遊星さんのことを名前で呼ぶようになったわよね。

 帰省中に何かあったのかしら?」

 

 それは些細な変化だったのかもしれない。

 だがとても気になっていたことだったのだ。

 以前からスペシャルウィークは遊星のことを不動サブトレーナーと呼んでいた。

 なのに新年を迎えて帰省から帰って来たら彼のことを遊星さんと呼ぶようになっていたではないか。

 

 帰省の際に“もう無名のウマ娘ではないのだから”と誰か付き添いを付けることになり、そのお鉢が遊星に回ってきたのはよく覚えている。

 他のスピカのメンバーでゴールドシップ、マックイーンがGⅠを目前に控えた状態だったためトレーナーがついていくわけにはいかなかったのだ。

 サイレンススズカにしてみればスペシャルウィークも遊星もいないのでちょっと寂しい年末を過ごしたのは記憶に新しい。

 まぁ、気を遣ってくれたスピカのメンバーや友人たちのおかげで暇だけはしなかったけれども。

 キングヘイローまでお茶会に誘ってくるほどだったので今にして思えば余程寂し気にしていたのかもしれない。

 

 ともあれそう言った事情で二人は年末を北海道で過ごしたはず。

 その時に何かあったに違いない。

 

「そ、それはですね。おかーちゃんが……うう……」

 

 なんだか恥ずかし気に言いよどむスペシャルウィーク。

 その様子に激震走るサイレンススズカ。

 

 ウソでしょ……スペちゃんが乙女な顔をしてる!?

 

「その、おかーちゃんが遊星さんをとても気に入ってしまったらしくて」

「そ、そうなの……遊星さんはとてもできた人だから嫌いな人はあんまりいないと思うけど」

「はい、それで息子に欲しいなんて言い出して」

 

 それってさ、親公認……ってコト!?

 

「まず不動サブトレーナーなんて言い方は止めなさいと言われたんですが、まさか遊星さんがそれに乗っかって来るとは思ってなくて」

「遊星さんも仲良くしたかったってことかしら、良かったわねスペちゃん」

 

 遊星はあくまで仲間として仲良くなりたいだけだと理解しているサイレンススズカはぐっと堪えた。

 ただスペシャルウィーク側がどう受け止めたかは分からない。

 スペちゃんもお年頃、遊星さんを異性として意識し始めてもおかしくない。

 その上で親公認だということ。

 

「なので思い切って名前呼びにしちゃいました。

 えへへ、男性の方を名前で呼ぶのって初めてです」

 

 そうやって恥ずかし気に頬をかく姿は恋する乙女のようであった。

 実際のところどうなのかはスペシャルウィーク自身にも分かっていない。

 ただ慣れない気恥ずかしさに戸惑っているだけだ。

 きっと慣れてしまえば当たり前に受け止められるだろう。

 問題があるとすれば隣に座るサイレンススズカの心境が複雑に過ぎるということだけで。

 

 スペちゃん、恐ろしい子……ッ!

 

 乙女の決戦日、バレンタインデーはすぐそこに迫っていた。

 

 




ユキノとカフェのコンビはルームメイトで共に憧れを追う者同士で野山育ちと趣味が登山。
と掘り下げれば掘り下げるだけ味の出るコンビだと思って出してみましたがユキノの喋りが難しすぎるのでもう出番はありません。
この可能性は他の執筆者に任せます。
それともし方言間違えてたらこそっと教えてください。

ちなみにキングはご用達のお店に注文済みです。
キングはバレンタインだってスマートにこなすのよ!


次回、『ジャック、モテる』にアクセラレーション!!
 
 


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シニア級/2月後半:2月14日

 
前回の予告サブタイトル。
「増える、デジたん」にしようか悩んだんですが意味☆不明すぎたので「ジャック、モテる」にしました。
書いてても☆意味不明☆だったので投稿です。
 


「ぐっ、何と言うことです。早朝の時点でデジたんは何度瀕死になればよいのでしょう……!

 このままではさすがに身が持ちません、これがバレンタインデー……ふふふ、死ぬにはいい日です……」

「立てぇい! デジたん! お前のウマ娘に対する想いはこんなものじゃあないはずだ!」

「……トレーナーさん……ッ!」

 

 あまりに酷い会話がカフェテラス脇で行われていた。

 早めの朝食を食べに来たウマ娘たちはアグネスデジタルとそのトレーナーの奇行を何となしに見守っている。

 というか朝っぱらからこのテンションでやられるとどうしても気になってしまう。

 思い思いの朝食をいただきながらその会話に耳を傾けていた。

 

「行こうぜデジたん、俺たちの夢をこの一日で掴むんだッ」

「ぐぐぐ……はいッ!」

「数々のウマ娘の想いを見守るというのならば……分身殺法しかあるまい!!

 

 ちょっと待てぇ!

 某食堂ばりのツッコミが聴衆の喉元まで出かかった。

 生憎と食事中だったため言えなかったが咳き込んでしまう者もいてちょっとした騒ぎとなる。

 だがそんなのはお構いなしにアグネスデジタルは気持ちのいい返事をした。

 

「はい! 分身殺法、デジたんシャドー!!」

 

 何ィ!?

 十体のアグネスデジタルがカフェテラスの一角を占領する。

 いや、増えたのはアグネスデジタルだけではなくトレーナーもだ。

 それを見ていた者は噴き出してしまうが無理もない。

 普通に大参事である。

 

「ウマ娘ちゃんたちが一度に十か所でてぇてぇをするのなら!!」

「俺たちは十体の人バとなって受け止める!!」

「バレンタインの熱気がアタシたちに火を点けた!」

「ウマ娘たちが尊ければ尊いほど俺たちは熱くなる!」

 

 ヤバい、これは手を付けられなくなる!

 誰か早くエアグルーヴ副会長に連絡を!

 

「アタシのこの手が真っ赤に萌えるッ!」

「尊い見守れと轟きィ、叫ぶゥ!」

「スズカさぁん、スズカさんのチョコ食べたいですよぅ」

 

 一斉に駆け出そうとするアグネスデジタルズ(複数形)の耳にウマ娘の声が飛び込んできた。

 甘えた声で隣を歩くウマ娘に寄り添っているのも見える。

 

「ダメよスペちゃん、放課後にスピカの部屋でって言ったじゃない」

「うう……」

「しゃっきりしないとダメよ。

 ほら、そうやってくっついてるからリボンがずれちゃってる」

 

 手慣れた動作で胸元のリボンを解き、また結んでいく。

 最後にそっとリボンの端を撫でてから満足げに笑顔を浮かべた。

 

「ん、可愛い」

 

 ぐはっ!!×20

 

「ひょえぇ……おまかわ、です……!」

「……スズスペはやはり鉄板……!」

 

 あ、副会長、やっぱり大丈夫です。揃って死んだので。

 どんだけ増えても端から死ぬなら意味ないんじゃない?

 終わったら一つに合体してくタイプの分身か、影分身タイプじゃないんだね。

 

 とまぁ、そんなことがあって今日という一日が始まった。

 本日はバレンタイン。

 甘い香りと味と雰囲気で彩られた乙女の決戦日である。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「アトラス様、これどうぞ!」

「ありがたくいただこう」

「あの、あの! 応援してます、から!」

 

 ぴゃーっと飛ぶようにしていなくなるウマ娘。

 ジャックの手の中にはチョコレートの箱があった。

 

 この男、ジャック・アトラスは非常にモテる。

 去年もいくつかのチョコレートを手渡されていたが今年はその数も増えていた。

 放課後に歩いているだけですでに三つ。

 本命も義理も併せての数だがモテているというには充分すぎる。

 これに合わせて昼休みなどにも貰っているのだから、いくらマンモス校とはいえ一介の専属トレーナーには多すぎる数であった。

 そして四つ目の気配もすぐそこにある。

 

「モテモテですね」

「フラワーか」

「お荷物になってしまいますがどうか受け取ってください」

 

 特に照れた様子もなくチョコを手渡すニシノフラワー。

 彼女は去年に続けてのプレゼントである。

 この二人、実は知らぬ中ではないのだ。

 主に花壇の世話をするニシノフラワーをジャックが手伝っているというだけのことだが。

 

「キングヘイローさんにも無茶を言ってしまったのでそのお礼も兼ねてます」

「そうか……ならばこれはキングヘイローと食べよう」

「はい」

 

 その件について深堀するか悩み、触れないことに決めたジャックはチョコをキングヘイローにも分け与えることを宣言する。

 だが高松宮記念について触れずにはいられなかった。

 

「貴様とキングヘイローが何を言ったかは知らん。

 しかしやるからには勝つ、強敵を引き入れたことに後悔はないか?」

「いいえ」

 

 微笑みながら否定するニシノフラワー。

 その小さな立ち姿から仄かに熱量が立ち上がった。

 

「勝ちたいと思える相手がいるんです。

 それはとても幸せなことだとトレーナーさんが言っていました」

「……そうだな」

 

 不動遊星という生涯のライバルを持つジャックにその言葉は深く頷けることができた。

 その存在の大きさ故に道を間違えたこともあったが後悔はない。

 何故ならば彼がいなければジャックの人生はもっと退屈に満ちていただろうことを理解していたからだ。

 

「最近はヤマニンゼファーさんという方が私なんかを追い越したいと言ってくださって。

 胸を張れるウマ娘でいられたらと思ってます」

「だからキングヘイローから逃げるわけにはいかないと」

「はい、キングさんに勝ちたいと思った自分から逃げてはいけないんだと、今ならばそう言えます」

「そうか、立派なことだ」

 

 見上げている瞳が見ているのはジャックであってジャックではない。

 彼の育てるウマ娘こそ彼女が見ている相手だ。

 ならばその熱量は正しく届けよう。

 

「ならば高松宮記念、楽しみにしていることだ」

「はい」

 

 決意を秘めた瞳に見送られ、ジャックは立ち去る。

 その背後にニシノフラワーは声をかけた。

 

「今度プリムラを植えようと思ってるんです。買い物、手伝ってくれますか?」

 

 返事はない。

 ジャックは振り返ることもなく手を振った。

 

 そして時折呼び止められつつもキングヘイローの待つトレーナー室へ。

 そこにはキングヘイローの取り巻きと共に暖を取る彼女の姿があった。

 

「遅かったわね」

「ああ」

 

 謝りもせずに机の上にチョコの箱を広げる。

 ちなみに書類届け受けにはいくつかのチョコが盛られている。

 あれは女性トレーナーからの物だろう。

 どんだけもらうのだこの男は。

 

「モテモテなトレーナーさんに私からもプレゼントです」

「どうぞ!」

「あの……どうぞっ」

 

 三者三様の勢いでまたチョコが積み上がった。

 ちなみにキングヘイローからのチョコは早朝トレーニングの時に受け取っている。

 

「感謝する」

「いえいえ、お世話になってるので」

「なんだかんだトレーニング見てもらってますし」

「その、いつもありがとうございます」

 

 キングヘイローの相手をする片手間で彼女たちのコーチをすることもある。

 専属トレーナーではないためトレーニングメニューを組むといったことはしていないが相談に乗ったりする程度ならば頻繁にしていた。

 お世話になっているというのはそういうことだ。

 

「それでトレーナー、今日の内容は?」

「ああ、予定通りウェイトトレーニングを中心に行う。

 夕食前には終える、ミーティング後は好きにしろ」

「ええ、分かったわ」

 

 まだまだ肉体改造の途中ということである。

 高松宮記念に出ると決めてからコースを走る時間は半分以下となったキングヘイロー。

 しかしストレスなどは特にないようだった。

 肉体的にも精神的にもきついトレーニングが続いているが彼女の精神力は異常と言ってもよいレベルにある。*1

 これくらいならばどうということもないのだろう。

 

 そして訓練の後はミーティング、と言うことになっているが実際は異なる。

 デュエルによる秘密の特訓だがこれについて語るのはまたの機会としよう。

 

「どうせ今夜も騒ぐのだろう、チョコの暴食だけはするなよ」

「分かってるわよ!」

「ああ、それと……これはニシノフラワーからだ」

 

 がさがさと包みを破いて蓋を開ける。

 まるで宝石のようなチョコレートが並んでいた。

 市販品だが義理チョコだと伝わって、なおかつ力は入っていると思わせる絶妙なラインの品物である。

 

「キングヘイロー、貴様に勝ちたいらしい」

「ふぅん」

 

 興味深げに覗き込み、一つ気に入ったチョコを手に取った。

 ジャックもまた一つをつまみあげる。

 

「決闘を告げる手袋よりも情熱的で素敵だわ」

「一流のウマ娘が相手ならば不足はあるまい」

「ええ、この決闘、避ける手はないわね」

 

 二人、攻撃的な笑みを交わし合ってチョコを口の中へ。

 まるでニシノフラワーの熱量に当てられたかのようにキングヘイローの瞳に火が灯る。

 その様子を見守っていた取り巻きメンバーは”かっくいー”とぼやく他なかった。

 

 まぁ、元々ニシノフラワーからのお誘いを受けたためにこんな事態になっているのだから避けるも何もないのだが……。

 この後みんなで仲良く分け合って食べたのである。

 

 

 

 

 

     _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「あ、タキオンさん、お手紙来てますよ」

 

 カフェの窓際の席にいたアグネスタキオンに気付き、入店してきたのはアグネスデジタルだ。

 どうやら部屋に届けられた手紙をここまで持ってきてくれたらしい。

 研究所の方に行く途中だったのだろう。

 すれ違わなくて良かったと思う反面、この娘ならばすれ違うなんてことは起きないのだろうという嫌な信頼感がある。

 

「おやおや、すまないねデジタル君。……待ってくれたまえ、キミは先ほど向こう側にいかなかったか?」

 

 指の指し示す方(長い袖が垂れ下がって見えない)とは逆側からやって来たアグネスデジタルに首を傾げるアグネスタキオン。

 寮の方から来たのは分かるのだがどうにも時間的におかしい。

 それを指摘するとなんでもないように彼女はこう答えた。

 

「ああ、分身を覚えたので」

「分身?」

「ウマ娘ちゃんに関してのみ観賞*2できる技なんです!

 便利なんですよ、なんといっても―――ヒョエ! フラウンスの気配!

 おっとスピカから濃厚なパクパクの気配も!? 失礼しますねタキオンさん!

 今行きますよウマ娘ちゃんたち! デジたんシャドー!!」

 

 だんだんと人間離れしていく同室を見送り、アグネスタキオンは紅茶を一口。

 舌を湿らすように飲みながら手紙とやらの封筒を見た。

 差出人はトレセン学園となっている。

 

「通告ですか」

「キミのところにも来たのかい?」

「ええ」

 

 一緒にお茶を楽しむのはマンハッタンカフェ。

 彼女は冷めつつあるコーヒーをちびちびと飲みながらカバンへと視線をやる。

 どうもそこに同じ書類が入っているらしい。

 

「来年度中にトレーナーを見つけなれば退学らしいです」

「そろそろそんな時期か、時が経つのは早いものだね」

 

 入学してすぐデビューを目指すウマ娘は多いが、デビューのタイミングを見計らうウマ娘もまた少なくない。

 だが彼女たちの場合は自分に見合うトレーナーに恵まれていないのが原因だった。

 

 自由人で縛られることを嫌い、研究に没頭するアグネスタキオン。

 レースさえ研究の一環であると断言する彼女にとってトレーナーという存在はそれだけで相性が悪い。

 しかしトレーナーがいなければデビューできない。

 その秘めたる才覚を見抜き、名乗りを上げるものがいないわけではないのだが未だお眼鏡に適うトレーナーは現れていない。

 研究結果が世界的な功績を上げているのでお目こぼしを受けているのが現状である。

 

 そして霊障を患い、他人には見えぬ“お友達”を追いかけ続けるマンハッタンカフェ。

 彼女の見る世界を理解できない者。しようとしない者を避けて生きてきた彼女にとってトレーナーを見繕うのは大変な苦労を伴う。

 それでも理解しようとしてくれた人もいた。

 しかしそういう人はマンハッタンカフェの持つ霊を引き寄せる体質によりストレスが溜まり、やがて解約となった。

 ラップ音に悩まされ、通い慣れた道で迷い込み、あるはずのない何かにおびえる日々を過ごしていたとなれば責めるのも難しい。

 有能なトレーナーをこんなところで潰すわけにもいかなかった。

 

 学園側もそういった事情を理解しており、深くは追及してこなかった。

 それでも期限というものは存在するということだろう。

 

「ここほど恵まれた環境もない、できれば離れたくはないのだがね」

「私も、レースには出たい……でもタキオンさんならトレーナーに転向すればよいのでは?」

「トレーナーかい? それはいけないよカフェ」

「いけない?」

 

 できない、と言わない辺りはさすがだがダメというのはどういうことだろうか。

 コテリと首を傾げるマンハッタンカフェの愛らしさにアグネスタキオンも答えてやろうという気分になる。

 書類をテーブルの端に置いて肘をつき、淀んだ瞳を彼女へ向けた。

 

「私は壊すよ、必ずね」

「壊す、ですか」

「ああ、私は担当となったウマ娘を研究と称して鍛え上げる、確かにそれはできるとも」

 

 下手なトレーナーよりも知識を持つアグネスタキオンならばやってやれないことはないのだろう。

 ウマ娘の体からレース場の攻略、走りのメカニズムまで彼女の持つ知識はトレーナーという職業に適っている。

 彼女が本気を出せば優秀揃いの中央のトレーナーにさえ遅れを取るまい。

 

「だが鍛えれば鍛えるほど私の中の研究欲が高まり、やがて限界を超えたトレーニングを課すだろう」

「それは壊れると分かっていて、ですか?」

「いいや」

 

 首を振った彼女の瞳には狂気が宿っていた。

 

「壊すためにやるのさ!」

 

 これが偽ることのないアグネスタキオンの本性。

 知るために壊すのを躊躇わないイキモノである。

 それは例え己であっても―――。

 

「限界を迎えないために、しかして限界を超えるために、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()じゃないか!」

「……なるほど、だから」

「そう、だから私はトレーナーになってはいけないのだよ」

 

 そう言って宿っていた狂気を紅茶の一口で流し去る。

 ともあれ、話を戻そうとばかりに端へ追いやった書類を指先で叩く。

 

「まだまだやりたいことは多いのだがね」

「これも縁、ですから」

「ままならないものだ」

 

 こればかりはどうにもならない。

 そんな結論が出て、二人そろってカップに口を付けた。

 

 話題が途切れ、沈黙が僅かに続いたところで入店してきた男がドカリと座り込む。

 ジャックの登場であった。

 早めにトレーニングを終えたキングヘイローを見送り、ここへとやって来たのである。

 

「おやおや、これはまた大荷物でどうしたのかな?」

「その紙袋は……?」

「チョコだ」

 

 大きな紙袋の中には幾つものチョコが転がっていた。

 その中から一つを取り出し、包装紙を破る。

 どうやらここにはいただいたチョコを消費しに来たらしい。

 

「ならば頼むのはコーヒーではなく紅茶だろう?

 やはりここはアールグレイが……ああ、この時期ならばディンブラをオススメしておくよ」

「いいえ、コーヒーだってチョコに合います。中煎りの豆ならば外れはありません」

 

 すかさず双方が好みの飲み物を勧めれば、ジャックは少しだけ悩んで店員を呼びつけた。

 

「アールグレイのホットを」

「ミルクはいかがしましょう」

「ストレートで頼む」

 

 その選択にマンハッタンカフェは驚愕した。

 何故ならばジャックはマンハッタンカフェと同様コーヒー党だったはずだから。

 いつの間に紅茶党に染まってしまったのだろうと尻尾を揺らした。

 

「そう睨むな、量が量だけにな。コーヒーだけという訳にもいくまい」

「気分を変えたい時にコーヒーか、なるほどねぇ」

「つまり、紅茶は所詮前座という訳ですね」

「コーヒーに飽きてしまっただけかもしれないよ?」

「いいえ、そんなことはありません」

 

 何故か張り合う二人を眺めながらチョコを味わうジャック。

 渡してくれた相手のことを思い出しながらじっくりと咀嚼する。

 ファンの想いが詰まった品だ。

 粗雑に食べるわけにはいかない、というのがジャックの意見であった。

 

 この男、普段の言動に反して感情を大切に扱う面がある。

 粗雑にして繊細。

 ジャック・アトラスの人間的魅力はそんなところにも隠されているのかもしれない。

 

「ところでカ↑フェ↓、私に渡すものがあったりしないかい?」

 

 甘い物とか。

 そうぼやくアグネスタキオンを無視してマンハッタンカフェは姿勢を正した。

 今がチョコを渡す好機だと思い、だがそれで動きを止めてしまった。

 チョコを食べるジャックの姿に見とれてしまっているとかそういうのではない。

 

 何と言って渡せばいいのでしょう……?

 

 義理チョコなのだから構える必要もない、と軽く考えて今に至ったのだが、いざその場面になるとどうしていいか分からなかった。

 ここぞとばかりに内なるユキノビジンが囁く。

 

 他の女からチョコをもらってるトレーナーを見て自分の本命チョコを渡すタイミングと勇気を逃しちゃうシチーさんも美しいべ。

 

 それは闇のユキノなんとかさんだ。

 綺麗で美しく心優しいユキノビジンとは関係ありません。

 

 でも、そうですね。タイミングは逃したくありません。

 

 そう決心してマンハッタンカフェはすすっとチョコを差し出した。

 渡す相手はもちろんぶーたれるアグネスタキオンではなくジャックだ。

 お友達がはしゃいでいる気がするが、きっと気のせいだろう。

 

「不要かとは思いますが……」

 

 何故か言葉尻が上がってしまう。

 白い肌が朱に染まり、白いアホ毛もゆんゆん揺れている。

 何を緊張しているのかと自分に呆れつつ、探るように彼を見上げた。

 ジャックは驚いたような顔をしながら、しかし差し出されたそれをしっかりと受け止める。

 

「ありがたくいただこう、カフェ」

「いえ、そんな……無理して食べなくても大丈夫ですから」

「いいや、必ずいただこう」

「そ、そうですか」

 

 意味もなく熱が上がるのを感じ、とうとう俯いてしまう。

 だがこれでユキノビジンにあれこれ言われることもなくなるだろう。

 そう思えば肩の荷が下りたような気もするのだから不思議だ。

 

 紅茶を持ってきた店員にコーヒーのおかわりを頼み、カップに残ったコーヒーを飲み切れば気恥ずかしさもどこかへ行ってしまった。

 

「……かーふぇー、私にもくーれーよー」

「仕方ありませんね、これで静かにしていてください」

「おや、まさか本当に出てくるとは。ねだってみるものだ。ふふーふ♪」

 

 喜んで包装紙に手を掛けるアグネスタキオン*3を尻目にジャックの様子を伺う。

 チョコを開ける前に名前を呟いているのを見るに、いちいち誰に貰ったか覚えているということなのだろう。

 

 プレゼントを贈ってくれた相手を想いながらいただく。

 もし自分のチョコもそのようにして食べられるのであれば。

 そこまで考えて、消え去ったはずの恥ずかしさが再びマンハッタンカフェを襲った。

 

 なんでっ、これ……!?

 

 わたわたと意味もなく慌て、溢れた羞恥を誤魔化すようにチョコを隠した。

 渡したばかりのチョコにぺたんと両手を乗せている。

 自分でも意味が分からない行動だった。

 どうしてそうしたのか分からず、何を言えばいいのかも分からない。

 だから勢いのまま口を開けた。

 

「その、これを食べるのは私のいない時にしてくださいっ」

 

 本当にどうしてそう思ったのか分からないのだが、目の前でこれを食べられたらどうにかなってしまいそうだったのだ。

 もしもこれを食べた彼が微笑んだりなんかしたら爆発してしまいそうで。

 

「カフェー、これを開けておくれよー」

「自分でやってください!」

「ぶーぶー」

「今それどころじゃないんです!」

 

 甘えるアグネスタキオンを視界の隅に追い払い、また男を見上げた。

 美丈夫と言っていい整った顔が自分を見つめている。

 そう思うとまた顔が赤く染まるマンハッタンカフェであった。

 アホ毛もゆんゆんゆん!と絶好調で揺れている。

 

「……貴様がそうしろと言うのならば従おう」

「す、すみません……」

 

 どうしてこうなったのか。

 降って沸いたかのような感情に戸惑いながらも時は過ぎていく。

 そこには世間を突き放し、己とは関係ないとばかりに孤独を過ごしていた少女の姿はない。

 乙女の決戦日に相応しい頬を染めた少女の姿があり、それを祝福するように影が独りでに揺れた。

 

*1
気絶するまで走るなんてことは普通できないが彼女はそれをほぼ毎日行っていた。充分異常である。

*2
誤字にあらず

*3
白衣の袖から手を出してないので開けられずにふてくされるまであと10秒




「チョコをたくさん貰うのはありがたいのだが、大量のチョコを一度に全て食べるわけには行かない。
 これらはいただいた好意を日々感謝してちょこっとずつ消費して行こう」
「はい!」
「毎度毎度懲りん会長様だな」
「……ん? あっ」

エや下。


次回、『対バクシン的デュエル』にアクセラレーション!!
 
 


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シニア級/3月前半:それぞれの対策

 
やたら長くなってしまいましたが許してください。
サクラバクシンオー、ニシノフラワー、キングヘイローのトレーナーたちによるそれぞれのスタンスの違いを楽しんでいただければと思います。
 
 


 

「おはようございます! いえ、こんにちはと言うべきでしょうか!

 こんにちは! サクラバクシンオーです!!」

「見たかバクシンオー」

 

 トレーナー室に挨拶と共にやって来たサクラバクシンオー。

 その元気いっぱいの挨拶を無視して話題を振るのは彼女の専属トレーナーだ。

 話題を振ってこそいるが、視線はモニターに釘付けである。

 その様子を見て何の話題だったのか察したサクラバクシンオーは腕をピシッと構えてお腹から声を出した。

 

「いいえ! 府中の桜はまだ咲いてはいないようです!」

「誰が桜前線の話題を振った、オーシャンSだ」

「オーシャン? いえ、見てはいませんが。

 それと挨拶はちゃんと返してください」

 

 何度注意しても治らなかった無愛想ぶりに嘆息しつつも彼の横にあったパイプ椅子に座る。

 トレーナーがかじりついて見ていたのはオーシャンSであった。

 スタート前の様子が映し出されている。

 何かと話題にあがっていたような気がするがサクラバクシンオーは大した興味も向けず、日々学級委員長として邁進―――いや驀進に勤しんでいた。

 

「ふむふむ、皆さん調子もよさそうで……おや、見慣れない顔がありますね」

 

 もはや顔馴染と言っても良いスプリンターたちの中に見知らぬ顔が一つ。

 オーシャンSはGⅢの列記とした重賞レースであり、高松宮記念のステップレースの一つともされている重要な一戦だ。

 新顔が顔を出すにはあまり相応しいレースとは言えない。

 

 だが新しい風は歓迎しなければならない。

 サクラバクシンオーはニンマリと笑みを浮かべて何度も頷いた。

 

「ライバルが増える、いいことですね!」

「お前が余程キングヘイローに興味がないのは分かった」

「キングヘイロー?」

 

 はて、どこかで聞いたような?

 ポクポクポク、チーン。

 

「ああ! 学級委員長の!」

「学級委員長ではないが全距離GⅠ制覇を宣言したウマ娘だ」

「随分と……見違えましたね?」

「ああ、しっかりと仕上げている。朝日新聞杯とは別人だ」

 

 朝日新聞杯では中・長距離に適した体格だったが、今ではスプリンターに交じっていてもおかしくない程度に仕上がっている。

 さすがに短距離一本で来ている生粋のスプリンターと比べれば見劣りしてしまうが、レースの勝者は筋力だけで決まるわけではない。

 レース場に立つ資格があると認めたのか、サクラバクシンオーは口を閉じて画面に見入った。

 

 それほど待たずしてレースの準備が整い、いっそあっけないほどゲートが開く。

 キングヘイローのスタートは鮮やかなほど巧い。

 ハナを取って数秒、逃げを打ったウマ娘に大人しく先頭を譲りながら集団へ。

 三位を定位置としてこの集団をコントロールしているように見える。

 

 慣れぬはずの短距離でバ群を支配する。

 その様子には王者の風格さえ見て取れた。

 

 だがこれは短距離レース、彼女の支配は長く続かない。

 あっという間に終盤に差し掛かる。

 こうなれば後はもう思い思いに飛び出してバチバチにやり合うだけ。

 

 中山レース場のゴール前には急な上り坂がある。

 好位先行で丁寧に進めてきたキングヘイローだが、パワーに劣るだけ不利か。

 そう思っていたはずが、決着は坂に至る前についていた。

 

 最終コーナーの半ばから坂の前までの間に抜け出したキングヘイローがまさかの一人旅。

 その勢いのまま坂を登り切り、文句なしの一着で決めてみせた。

 二位とは四馬身差。

 高松宮記念のステップレースを見事勝利で飾る。

 かつて放った大言が輪郭を纏い始めて来たのを感じさせる力強い勝利であった。

 

「素晴らしい伸びだ。

 だが菊花賞を制したウマ娘の勝ち方じゃないな、あれは強いスプリントの勝ち方だ。

 中盤の安定感も良い、優等生なのが透けて見える走りだった」

「それだけじゃありません、皆さんにいつものキレがありませんでした」

「ああ、覇道を使うらしい。それも一等強力な」

 

 優等生の走り。

 先行の脚質から繰り出される伸びやかな加速。

 そして何より強い覇道の使い手。

 

 二人の脳裏に、とある少女の顔がよぎった。

 意識せざるを得まい、この一年―――サクラバクシンオーに至っては三年間ずっとライバルとして見てきたのだから。

 

 その少女の名はニシノフラワー。

 彼らが最も警戒をしている相手の名前である。

 

「おそらく彼女の走りを参考にしたのだろう」

「参考にしたって、それだけでマネできるものなのですか?」

「お前もできるだろう、しっかり叩き込んだはずだ」

「そりゃまぁ、できますけど」

 

 あくまでキングヘイローがやったことは好位先行。

 先頭集団を風よけにして、いいところで飛び出してそのままゴールを掻っ攫う。

 教科書に載っているようなお手本の走り方そのものだった。

 

 脚質が適い、ある程度の経験があればその形を行うことはそう難しくない。

 ただしそれで勝てるかどうかは別問題だ。

 そしてもっと疑問視すべきことがある。

 

「彼女、公式試合で短距離を走るのは初めてだったはずでは?」

「そうだな」

 

 そう、そこである。

 集団から飛び出すタイミングが難しいのだ。

 正解のない問題であるし、何より短距離は他の距離に比べてそのタイミングがシビアである。

 遅れれば後続に飲み込まれるし、早ければトップスピードをゴール板に持ってくることができずに失速して差されてしまう。

 これは全てのレースで言えることだが、距離が短ければ短いほど間違えた影響は大きく響くのだ。

 

 ともすれば数歩の誤差が命取りになりかねない。

 だというのに短距離の平均速度は全レース中最速だ。*1

 速度が早いだけに足の回転率も高い。

 抜け出すタイミングは益々シビアになる。

 

 それを一発で成功させたキングヘイローの経験はどこから来ているのだろうか。

 短距離で模擬レースをやりまくっている、などという話は聞いていない。

 むしろ肉体改造ばかり行っていて走る時間は減っていると聞いている。

 

 情報戦……仕掛けられているのか?

 

 トレーナーが考え込むのを見てサクラバクシンオーは会話を諦めた。

 こうなっては相手にしてもらえないことを経験則で知っている。

 かといって騒いでも叱られる面倒臭い時間である。

 

 仕方ないので静かにレースを見直すことに。

 そうするとトレーナーの視線もレースへ注がれた。

 

「……優等生なのが透けて見える走り?」

 

 モニターに映るキングヘイローへ男の呟きが向けられる。

 

「菊花賞を取ってすぐに短距離に挑むと公言するような破天荒が、優等生?」

 

 ギラギラと男の瞳が鋭くなっていく。

 何かを確信してトレーナーは立ち上がった。

 

「行くぞバクシンオー、あの美しい伸びは忘れろ。撒き餌に付き合うほど暇じゃない」

「は? あ、トレーニングの時間ですね! ではバクシンと参りましょう!」

「あの大男、仕掛けてくるタイプには見えなかったが、そっちがその気ならいいだろう。

 こちらは王者として正々堂々と受けて立つまでだ」

「バクシン! バクシーンッ!」

 

 

 

 

 

    _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「やっぱこの子、目がいいな」

「目ですか?」

 

 ところ変わって小さなトレーナー室でオーシャンSを見るのはニシノフラワーとその専属トレーナーだ。

 ノートパソコンを二人で仲良く覗き込んでいる。

 

「シノさんは耳で相手との距離を測ったりするだろ?」

「ええ、たまにですけど」

「この子はそういうことしないタイプってこと。

 もしもキングヘイローの後ろを取れたらいい感じに不意を突けるかもね」

 

 サクラバクシンオーのトレーナーとは異なった切り口でキングヘイローの強さを解体していく。

 先ほどの男が積み上げてきた知識と経験から来る読みで通し切ったのとは対照的に、こちらは細かく情報を噛み砕いていく。

 ちなみに彼の言うシノさんとはニ“シノ”フラワーのことである。

 

「あと抜群に頭がいい、おそらくトレーナーは具体的な作戦は何一つ立ててないと思う」

「そうなんですか?」

「うん、たぶん予定だと差しで行こうとしてたけど、最初のスタートが上手く行きすぎて先行策に切り替えたんじゃないかなって」

 

 さらに言えばトレーナーは先行策で行くことを想定していたはず、とこのトレーナーは読んだ。

 でなければあの快速の伸びはあり得ない。

 訓練なしにできる完成度ではなかったのだ。

 

「サブプランとして持っていたとか?」

「あのトレーナーが“上手くスタートできたら先行で行きましょう”なんてタイプに見える?」

「すみません……ジャックさんなら作戦を一つにバシッと決めちゃうと思います」

 

 脚質や状況だけでなく人読みも入れて細かくレースを見ていく。

 それはニシノフラワーが考えて走るタイプだからだ。

 このレースの解体もニシノフラワーの糧となる立派なトレーニングなのである。

 

「じゃあトレーナーとしては何をしてるんでしょう?」

「たぶんあの人はあの人なりの勝ち方を見ていて、そこを目指してトレーニングをしてるんじゃないか。

 でも選手がその勝ち方に固執しないように大ざっぱに導くだけ、みたいな……」

「……それでレースができるんですか?」

「できてるじゃん」

 

 解体作業はジャック・アトラスのトレーナー論にまで及ぶ。

 ニシノフラワーがジャックと個人的に知合いということもあってその理解度は正確なものだった。

 

「選手とトレーナーの性格が似通ってるんだと思う。

 だから何も言わずともトレーナーが狙った通りの動きをすることになるんじゃないかな」

「なんだかよく分かりません」

「えーっと、例えばデュエルモンスターズでトレーナーがデッキを組んで、選手がプレイするようなもんかな。

 デッキテーマが決まれば勝ち方も決まってくるでしょ」

「益々信じられません、他人が組んだデッキで勝負できます?」

「そこがあの二人の凄いところだ」

 

 デッキを他人に触られるのも嫌がる人もいる世の中でデッキ構築から全てをお任せというのは普通ではない。

 親が子に、師が弟子にデッキを託すというような場合でもない限り聞かないような話だ。

 そしてデッキを渡されたところで使いこなせるかは別問題である。

 

 一般的なトレーナーとウマ娘の間柄をデュエルモンスターズの例で挙げるのならばこうだ。

 ウマ娘が持っているデッキ(脚質や肉体的ステータス)を見てトレーナーが最適なカード(ステータスや技術)を追加させる。

 もちろんプレイング講座(レース知識)や相手選手の対策を教えるのもトレーナーの仕事だ。

 

 この追加・除外させるカードの考え方で双方の相性が決まってくると言っていい。

 読者に分かりやすくいうのならば遊城十代に「Eヒーローとシナジーがないハネクリボーは抜け」と言われて彼がそれを聞くだろうか?

 互いの意思を尊重できなければトレーナーと選手の信頼関係は成り立たないのである。

 

 それを考えればキングヘイローコンビは異質を極める。

 ジャックが逃げで戦えと鍛え上げれば、キングヘイローは迷うことなく実戦で逃げを選ぶだろう。

 そもそも逃げの練習をしたところで疑問に思うはずだが、彼女はそれを行うのに躊躇わない。

 

 彼がそういうのならそれが勝つ道しるべなのだろうとキングヘイローは考える。

 そしてジャックもまた彼女ならば己の指し示した道を完走できるだろうと考えている。

 単純な信頼関係とは異なり、圧倒的な実力主義から成される信頼感。

 

 あの二人を他の選手とトレーナーのような関係だと思うと火傷をする。

 それがトレーナーの結論だった。

 

「高松宮記念でどんな手を取ってくるのか、予想に拘るとドツボにハマるかもしれない」

「これだけ鮮やかな先行を捨ててくると?」

「そもそも差しウマだろ、キングヘイローって」

「それはそうですけど、短距離は先行で行くことにした可能性だってありますよ?」

 

 まだ納得のいっていない様子のニシノフラワーだがトレーナーは確信に至りつつある。

 彼女の言うことも分かる。

 ステップレースとは実戦で行われる練習のようなものだからだ。

 それで上手くハマった策を捨てるのか?

 いやそもそも捨てるのなら貴重な機会でそれを試した理由は何だ?

 

 ノートパソコンに映る映像はレースなんかとっくに終えていてライブ映像に切り替わっていた。

 レース研究に必要ないはずのそれも解体作業には必要なのだが、今の二人の目には映っていない。

 

「高松宮記念、世間はもうキングヘイロー先行の説が強い、それくらい鮮やかな勝利だった。

 菊花賞を制したスタミナを有効活用するなら当然の策って説得力のある意見もあったな。

 それに忘れちゃいけないのはサクラバクシンオーが負けたのはキミの先行策だけって事実だ。

 あれは枠順、レース展開、シノさんの調子など全ての要素が重なって得られた勝利だったけど、おかげで世間ではサクラバクシンオーに勝つには先行しかないのでは?なんて言われてる」

 

 全てがキングヘイロー先行策を推してきている。

 これに乗せられてこっちが対策を練り、本番で差しだったらどうする。

 短距離は短いのだ。

 少しの動揺がレース展開に大きく影響する。

 

「周囲に影響されない強さを持つバクちゃん(サクラバクシンオー)には関係のないことかもしれない。

 でもキミにはどうだ?」

「戸惑えば負けです……!」

 

 先ほども説明した通り、ニシノフラワーは考えて走るタイプだ。

 戸惑いは思考の混乱を呼び、思考の混乱は破滅を呼ぶ。

 

 これがマイルであれば立て直しもできる。

 だが目指すレースは1200mしかない、時間にして70秒前後の試合である。

 3秒の戸惑いが、5秒の混乱が致命傷となる。

 

 それと忘れてはならないこととして、ニシノフラワーもまた周囲から対策を取られる強者なのだ。

 数秒も隙があればバ群に飲み込まれるのが道理だろう。

 短い短距離では一度飲まれればお終いだ、彼女にバ群を突き抜けるパワーはないのだから。

 

「先行だと決めつけるのは早計だと理解できたかい?」

「はい……まさか初めての短距離挑戦をここまで有効活用してくるなんて驚きです」

「恐ろしく場慣れしてる。ジャック・アトラスの本領はこういった勝負の駆け引きにおける引き出しの多さなのかもしれない」

 

 少なくとも自分と同期のトレーナーが仕掛けてくる技じゃない。

 そう嘆き、頭を抱えた。

 元・デュエルチャンプの称号は伊達ではない。

 ウマ娘のレースにだって通用するのだと理解したからだ。

 

 これはあれだな、デュエル修行の一環でトレーナーになったって話、マジっぽいな。

 

 ならば逆も言えるのだろう。

 ウマ娘のレースで培った経験や知識はライディングデュエルに通用するのだと。

 もしかしたらキング・ジャックの再起は近いのかもしれない。

 

「……とにかく、葵ちゃんとミークに併走のお願いしてこようか」

「はい、先行と差しの両方ですね」

「今度はなに要求されんだろ」

「が、頑張ってくださいトレーナーさん!」

 

 

 

 

 

    _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「マルチ・ピース・ゴーレムで攻撃!」

「きゃあ!」

 

 キングヘイロー LP4000 → 3800

 

 炎帝テスタロスが光の欠片となって消える。

 これで一ターン目に用意した壁が破壊された。

 ジャックの場にはまだ攻撃を行っていないモンスターが一体。

 

「レッド・デーモンズ・ドラゴン・タイラントでダイレクトアタック!

 獄炎のクリムゾンヘルタイド!!」

「くぅ!」

 

 キングヘイロー LP3800 → 300

 

 炎のブレスがキングヘイローを焼く。

 ライフも風前の灯だ。

 だが残った、その事実にジャックは鼻を鳴らしている。

 倒しきれなかったというのにどこか満足げであった。

 

「マルチ・ピース・ゴーレムの効果を発動。

 このカードが戦闘を行ったバトルフェイズ終了時にEXデッキへ戻すことで融合素材となった二体を墓地より特殊召喚する。

 集え、ビッグ・ピース・ゴーレム! ミッド・ピース・ゴーレム!

 さらにミッド・ピース・ゴーレムの効果を発動。

 自分フィールドにビッグ・ピース・ゴーレムが場にある時、デッキからスモール・ピース・ゴーレムを特殊召喚!」

「壁を増やしてきたってわけね、帝には辛い展開だわ」

 

 あっという間にフィールドが騒がしくなるがジャックはこの程度では終わらない。

 パワーデッキを使う彼にしてみれば攻撃力1100のスモール・ピース・ゴーレムなど壁ですらない。

 ただのシンクロ素材でしかないのだ。

 

「戯け、まだ終わってはおらんぞ。速攻魔法ユニゾン・チューンを発動!

 墓地に眠るダーク・リゾネーターを除外し、ミッド・ピース・ゴーレムのレベルをダーク・リゾネーターと同じ3に変更してチューナーにする」

「チューナーに変更するカード!? じゃあここから―――」

「無論、シンクロ召喚だ!

 レベル3のスモール・ピース・ゴーレムにレベル3のミッド・ピース・ゴーレムをチューニング。

 赤き魂、ここに一つとなる。王者の雄叫びに震撼せよ! シンクロ召喚! 現れろ、レッド・ワイバーン!」

「そのカードはあの時の……!」

「ターンエンドだ」

 

 これで場には攻撃力2100のビッグ・ピース・ゴーレムを始めとした大型モンスターが三体。

 しかもジャックが最後に出したレッド・ワイバーンはフリーチェーンでモンスターを一体破壊できる強烈なカード。

 この強力な布陣こそ、ジャックが思うサクラバクシンオー&ニシノフラワーの強さだということ。

 

 ジャックのライフポイントは3900。*2

 ここから一ターンで逆転勝利するのは並みの腕前では不可能、だがそれを求められている。

 三ターンで勝ちきれなければ負けという短距離仕様の特殊ルールなのだ。

 

 しかもバトルフェーダーや帝王の烈旋など一部の強力なカードは取り除かれている。

 このデッキが今の短距離の実力ということなのだろう。

 肉体改造の四カ月を経て、未だ未完成ということだ。

 ならばこそキングヘイローは迷わずデッキに手を掛けた。

 

「私の、ターン!」

 

 そしてキングヘイローのラストターンが始まる。

 勢いよくドローを慣行、会心の引きに笑みを浮かべた。

 

 一ターン目に消耗を最小限に留めたおかげで残り手札は四枚と潤沢だ。

 ライフはギリギリだが、そのリスクギリギリのラインを見極める。

 それがこのデュエルのテーマだとキングヘイローは理解している。

 そしてそれを適えた今、全ての手札を使って勝つのみだ。

 

「まずはスタンバイフェイズ、黄泉ガエルを墓地から特殊召喚!」

『ゲコッ』

「メイン! 雷帝ザボルグをアドバンス召喚!

 雷帝ザボルグの効果でレッド・ワイバーンを破壊するわ!」

「ならばレッド・ワイバーンの効果を発動、ザボルグを破壊する!」

 

 お互いにモンスターを破壊し合い、煙が晴れるまで妙な間が生まれる。

 

「フッ、レッド・デーモンズ・ドラゴン・タイラントを破壊しなくてよかったのか?」

「分かってるくせに、私の末脚はこの程度じゃないんだから!

 レッド・ワイバーンの効果に合わせてこれを発動しておいたのよ!」

 

 立ち上がった魔法カードはサモンチェーン。

 チェーン3以降に発動できるカードで、効果は通常召喚を三回まで行う事ができるというもの。

 つまりキングヘイローはまだ二回召喚を行える―――勝利のチャンスは充分にある。

 

「さらに魔法カード、グリード・グラードを発動。

 相手フィールドのシンクロモンスターを破壊してるターンに発動できるカードで効果は二枚ドロー!」

 

 引き込んだカードは再臨の帝王と灰流うらら。

 最高に心強い相棒の到着にキングヘイローも不敵な笑みで応えた。

 

「再臨の帝王で墓地の雷帝ザボルグを復活させるわ。さらに灰流うららを召喚!

 そのまま雷帝ザボルグに灰流うららをチューニング!

 継承せし王者の鼓動が、不屈の魂を呼び起こす! 貴方に拝謁の権利をあげるわ!

 シンクロ召喚! レッド・デーモンズ・ドラゴン・スカーライト!」

 

 二体のレッド・デーモンズが、神にも匹敵する悪魔たちが今ここに相対する。

 現れたレッド・デーモンズ・ドラゴン・スカーライトの姿にジャックは楽し気に顔を歪めた。

 キングヘイローが召喚に成功したのはわずか数回だが、そのどれもが特大の切れ味を誇ってきた。

 今回もその切れ味を見せてくれるというのだろうか。

 

「フン、だが我がレッド・デーモンズ・ドラゴン・タイラントには及ばんな!」

「そうね、でもビッグ・ピース・ゴーレムは射程内よ!

 レッド・デーモンズ・ドラゴン・スカーライトの効果!

 このカード以外の、このカード以下の攻撃力を持つ効果モンスター全てを破壊するわ!

 アブソリュート・パワー・フレイム!」

 

 ジャック LP3900→3400

 

 劫火がビッグ・ピース・ゴーレムを焼き尽くす。

 これによりジャックのライフが500削れるが打倒にはまだまだ遠い。

 何より攻撃力3500のレッド・デーモンズ・ドラゴン・タイラントが立ちはだかっているのだ。

 

 さぁ、残る一枚の手札でどう来る?

 

 ジャックの脳裏には一枚のカードが浮かんでいる。

 一ターン目からずっと握っているあのカードがもしもそれならば―――

 

「私はレッド・デーモンズ・ドラゴン・スカーライトをリリースして邪帝ガイウスをアドバンス召喚!」

「やはり!」

「邪帝ガイウスの効果を発動!

 闇属性のレッド・デーモンズ・ドラゴン・タイラントを除外し、1000ポイントのダメージを与えるわ!」

「ぐおっ」

 

 ジャック LP3400→2400

 

「これでフィールドはがら空き……最後にフィールドに立つのはこの(キング)ただ一人!

 バトル! 邪帝ガイウスでダイレクトアタックよ!」

「それでこそだ、キングヘイロー……!」

 

 ジャック LP2400→0

 

 これにてジャックのライフが底を突き、勝負ありとなった。

 それを見届けてからキングヘイローはゆっくりとへたり込む。

 体力を使い果たしたのだろう。

 半年以上続けてきたジャックとのデュエルでの初勝利ということも相まって力が抜けた様子だった。

 

「ようやく、勝てた……」

「これならば高松宮記念、期待できるかもしれん」

 

 これだけやってもまだその評価なのか、と思う一方で本当にギリギリだったとも思う。

 何か一つでも間違えていたら負けていた。

 果たして今のような引きを本番でもできるだろうか。

 

「勝てたのだ、少しは喜べ」

「……でも貴方の本気はこんなもんじゃないでしょう?」

 

 遊星とのライディングデュエルを一番近い距離で見ていたキングヘイローはそれを理解していた。

 もしも彼が本気であれば二ターン目に伏せカードが増えていたことだろう。

 それだけの引きの強さが彼にはあるのだと知っているから喜ぶ気にもなれない。

 

 このデュエルは高松宮記念対策でしかないのだ。

 あくまで力量はサクラバクシンオーを基準に抑えられているはず。

 

 ……いや、それでレッド・デーモンズ・ドラゴン・タイラントを出してきてるんだからサクラバクシンオー先輩も大概ヤバいでしょ。

 

 キングヘイローの感想はさておき、決戦の準備は整いつつある。

 王道と称した険しい道程の難所はすぐそこまで迫っている。

 

 短距離の王者となるのは誰か。

 それを見通すのはウマ娘を見守る三女神であっても敵わぬことであった。

 

 

*1
一説にはサクラバクシンオーの存在が短距離レースの高速化に拍車をかけているとか。

*2
一ターン目に炎帝テスタロスの効果でミラー・リゾネーターを捨てさせ、100ダメージを与えている。




デュエルで裁定ミスあったらこっそりおせーてください。

バクシンはいる、悔しいが。
高松宮記念、来る。

次回、『・・・・すごいバクシンだ』にアクセラレーション!
 
 


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シニア級/3月後半:高松宮記念

 
ツンデレツインテール系幼馴染が公衆の面前で髪の毛を下すのは国際条約違反じゃねーか!ってウオッカが言ってました!
すみません嘘です私が言いました!
 


 

「スズカか、キミがここに来るのは珍しいな」

「会長……そうかもしれませんね。

 いつもはチーム部屋で済ませてしまいますから」

 

 トレセン学園にいくつかあるサロンルームの一角。

 ここは生徒向けに開放されており、土日には寮の異なる友人同士でレースを見ようと人が集まる、そんな場所である。

 

 テレビ画面が見えるテーブルで紅茶と報告書を並べているのは生徒会長ことシンボリルドルフだ。

 来訪者に顔を上げてみればサイレンススズカが所在なさげに立っていた。

 どうやら座る場所が他にないらしい。

 笑顔で相席を勧め、広げられていた書類をまとめる。

 

「そうか、スピカはGⅠを控えたメンバーが殆どだから気を使ったというところかな」

 

 正確な指摘にサイレンススズカは曖昧に笑った。

 クラシック級に上がったトウカイテイオーが皐月賞、ダイワスカーレットとウオッカが桜花賞を目前に控えているだけではない。

 天皇賞・春に向けてスペシャルウィークとゴールドシップが鍛錬を重ねている。

 近くにレースを控えていないサイレンススズカはせめて邪魔をしないようにとサブトレーナーを彼女らに預けてここに来ていた。

 

「生憎とエアグルーヴとタイキシャトルはいないぞ」

「そうなんですか?」

「ああ、現地に飛んだらしい」

 

 どうもタイキシャトルがエアグルーヴを引きずって向かったようだ。

 そのおかげで仕事が回ってきたが、これくらいの迷惑ならばいくらでもかけて欲しい。

 それで彼女が友人と楽しめるのならば本懐である、とシンボリルドルフは考えている。

 

「でもどうして二人が?」

「キングヘイローは吐いた大言に相応しい実力があるのかどうか気になるのが大衆の意見ということらしい」

 

 全距離GⅠ制覇を宣言してから重賞を二連勝。

 その実力は確かだと大多数が認め、高松宮記念の勝利に期待をかけている。

 まだ実力は未知数だと疑わしく思う者もこの高松宮記念でそれが分かると注目する。

 結果、今年の高松宮記念は例年にない盛り上がりを見せていた。

 

「そしてもしこの一戦を勝利したとあれば、次は安田記念」

「そっか、マイルの……」

 

 高松宮記念、安田記念、そして天皇賞・秋を目標に掲げているキングヘイロー。

 もしも高松宮記念に勝てばキングヘイローの次のライバルはエアグルーヴとタイキシャトルということになるだろう。

 ライバルとなる側もキングヘイローを気にかけているということだ。

 

「最もエアグルーヴは私とキミの言葉を気にかけてのことだろうが」

「会長と私の?」

「ああ、キミはキングヘイローを凄いと何度も言っていたそうじゃないか」

 

 確かに言っていたと頷く。

 実際彼女はすごい。

 GⅠに限らずに言えばすでに重賞で短距離・中距離・長距離を制覇しているのだ。

 マイラーと言われていただけあってマイルを―――全距離を制覇するのも時間の問題だ。

 その実力を疑う方がどうかしてると思う、とサイレンススズカは言った覚えがあった。

 

 あのサイレンススズカにすごいと言わせる相手である。

 気をかけるなと言われて頷けるエアグルーヴではない。

 同じ理由でタイキシャトルもキングヘイローの走りを見たいとはしゃいでいた。

 

「そして何より、私より彼女に期待を寄せている人物は―――数えるほどしかいないだろう」

 

 いないと断言しそうになるほどキングヘイローにかける期待を垣間見せるシンボリルドルフ。

 元々彼女が全距離制覇を公言した時に一番最初に反応を示したのはシンボリルドルフであった。

 曰く、“その挑戦、受けて立つ”である。

 

 サイレンススズカにその心中を察することはできない。

 だが瞳の奥に灯っている期待という炎は確かに燃え上がっていた。

 

「さて、そろそろ始まるようだが何を見せてくれるかな?」

「きっとキングちゃんらしい走りを見せてくれます」

「そうか」

「はい」

 

 ニコニコと笑うサイレンススズカと、どっしりと構えて画面へと視線を向けるシンボリルドルフ。

 それはまるで夫婦のような光景でした……。

 とアグネスデジタルは閻魔様に語った。

 

 

 

 

 

    _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「改めて、今日はありがとうございます」

「いいのよ、勝ちたいと思わせた貴方の魅力を誇りなさい」

「それはその……」

 

 恥ずかしいですから。

 言葉にならない態度で答えられれば何ともむずがゆい思いがした。

 

 それは控室とレース場の間、観客の足元にある地下通路での会話だった。

 ここを出れば身を削るような勝負をする。

 そんな境界線の世界。

 

 黄金世代は普段こそ仲良くやっているがここで話をしようとする者はおらず、キングヘイローは新鮮な気持ちで喋り歩いていた。

 喋る余裕もないスペシャルウィーク、溢れる闘志を漏れ出させまいとするグラスワンダー。

 勝負を前に集中力を上げるエルコンドルパサーとセイウンスカイ。

 そして喋る相手のいないキングヘイロー。

 

 振り返ってみれば何とも寂しいこと、と考えたところでふと冷静になる。

 あれ?と。

 そう、一番勝負にのめり込んでいて話しかけられるような雰囲気を発していなかったのはキングヘイローだったのだ。

 むしろ彼女の勝負にかける熱量が黄金世代の気持ちを引き締めていた。

 

 勝負を前に周りを見渡せる余裕ができたのはいつからだっただろうか。

 そんなのは考えるまでもない。

 菊花賞の勝利とその後に得た経験、それがキングヘイローを変えたのだ。

 

「そうね、感謝をしたいと言うのなら言葉ではなく、走りで見たいわ」

「はい!」

 

 気が付けば出口はすぐそこまで来ていた。

 観客の声と外の光。

 それを阻んでいたのは一人のウマ娘。

 逆光を背に仁王立ちしているのはスプリントの王者。

 

「待っていましたよフラワーさん! キングヘイローさん!」

 

 サクラバクシンオーがそこにいた。

 すれ違う選手一人一人に挨拶を交わし、最後に入場する。

 それが彼女のルーティンであるのをスプリンターたちは知っていた。

 だが今日ばかりはいつもと目的が違うのだろう。

 明確に二人のことを待っていたのだ。

 

「今日も良いレースにしましょうね、フラワーさん!」

「はい、今日こそ完璧に勝ってみせます」

「楽しみにしています」

 

 そして、とばかりにキングヘイローに視線を向けた。

 紫色の瞳が深緑色を捉える。

 

「王の花冠はここにありますが簒奪はバクシンの一撃で阻みます!」

「いいえ、ターフの王冠は今日をもって私がいただきます。

 スプリントの覇者、その称号を平らげて次はマイル王、秋の盾。それが私の“王道”ですので」

 

 互いに一歩も譲らない。

 ビリビリとした空気のぶつかり合いは、しかしサクラバクシンオーの笑顔にて崩れ去る。

 

「それでこそです! 良いレースにしましょう!」

 

 宣誓のような言葉と共にサクラバクシンオーが両手を上げる。

 何がしたいのかを察したキングヘイローはニヤリと笑って歩き出した。

 つられて動いたニシノフラワーはすれ違う前に気付いて掲げられた手に届けと、ぴょいっと跳ねた。

 

 パチンとハイタッチの音が通路に響く。

 

 しかしそれも外からの歓声と雨音で消えていく。

 二人は揃ってその音の中に身を浸した。

 

「何格好いいことしてんのよ、出にくいじゃん」

「はっはっはー! これでもわたくし、学級委員長ですから!」

「いや、どんな返事よそれは」

 

 キングヘイロー達の後ろにいたウマ娘とサクラバクシンオーの会話を背に芝へと踏み入れた。

 返しウマの時にも感じたがやはり稍重と言った具合だ。

 雨はパラパラ降る程度だが三月の空気は冷えている。

 長くじっとしていたら風邪でも引いてしまいそうだった。

 

「これはバ場も荒れてそうね」

「それくらいの方がいいですよ、タフな試合って嫌いじゃないですから」

 

 涼しい顔でえらいことを言う子だな。

 たまに彼女の専属トレーナーがぼやく言葉と全く同じ言葉を漏らしながらゲートへと身を収める。

 続いてニシノフラワーも小さな体をゲートへと沈めた。

 調子を確かめるようにぴょこぴょこ跳ねて、深呼吸を一つ。

 

 大丈夫、頭に入ってますよトレーナーさん。

 

 焦らない、冷静に。

 そう何度か心の中で唱えている内に全ての枠が収まりつつあるのを察する。

 高まる集中力が圧となって感じられるほどだった、

 

 ニシノフラワーはルーティンとして両の腕で花を象る。

 彼女を象徴するポーズであり、寄っているであろうカメラへ笑顔という花を咲かせた。

 

 総員が構える。

 じゃっと音を立てて滴が跳ねる。

 ゲートが口を開いたのはそんな瞬間だった。

 

 私の―――ターンッ!!

 

 不思議とキングヘイローの言葉が響いた気がした。

 一斉に飛び出していくウマ娘たち。

 出遅れはなし。

 

 ハナを取ったのはサクラバクシンオー。

 その余りあるスピードが彼女から先行という概念を蹴飛ばしてしまった、とさえ言われる加速が雨を切り裂く。

 サクラバクシンオーは逃げているのではない。

 ただ早すぎるから逃げているように見えるだけ。

 そんな怪物(マルゼンスキー)を彷彿とさせるバクシンが今回もうなりを上げた。

 

 ニシノフラワーは集団の先頭付近、四位の位置につけている。

 ならば残りのキングヘイローはどこに?

 答えは集団の中、十位の位置にいた。

 その事実に戸惑うウマ娘もいた。

 数にして十一名。全体の半数以上がそんな戸惑いを見せる。

 

 先行策だったはずではないのか!?

 そんな動揺の声が聞こえそうな中、ニシノフラワーは静かに周囲を観察していた。

 

 トレーナーさんの言っていた通りの展開、これなら……!

 

 意気軒高と闘志を胸に秘め、彼女は前を見る。

 雨も稍重も何のそのと言わんばかりにバクシンしている王者の背中がある。

 サクラバクシンオーも先行ではなく逃げ、これも読み通りだ。

 だがその読みを()()()()のがジャック・アトラスだと言うのだから驚きである。

 

 トレーナーが言うにはオーシャンSで先行したのにはもっと深い意味があるとのことだった。

 もしもサクラバクシンオーがキングヘイローを警戒して彼女を抑えるために先行策をぶつけてくる。

 そんな作戦を立てていた場合、差しで後方にいるキングヘイローはサクラバクシンオーとの削り合いを避け、安全に勝負できる。

 そしてキングヘイローの先行対策を積んできた他のウマ娘たちは先行枠に入って来たサクラバクシンオーにその対策をぶつけるはずだ。

 だって本来ぶつけたい相手はそこにおらず、しかし大本命様が転がり込んでいるのだ。

 こうなったらもうやらないわけがない。

 

 それ故にサクラバクシンオーは逃げを打つ他ない。

 つまりこの状況を作ったのはジャック・アトラスである。

 トレーナーはそう解釈した。

 

 ちなみに先行策で進めるニシノフラワーはどうなのかと言うと。

 彼女にとってその程度の対策はいつものことである。

 対策の対策など積めるだけ積んでいるのだ、いつでも相手になるとばかりに笑みをこぼした。

 

 あっという間に勝負は中盤に差し掛かる。

 コーナーの半ば。

 これを抜ければ最終直線。

 しかしここの直線は長い、仕掛けどころはまだ先。

 今は位置取りが大事。

 

 そう考えたニシノフラワーの耳が迫る音を捉えた。

 力強くも繊細な足音。

 そして呼吸の音。

 すぐそこまでキングヘイローが上がってきている!

 

 瞬間、脳裏に閃く勝利の可能性。

 一つの作戦に拘らず、考えて走るニシノフラワーのアドリブ力が輝く。

 いや、あるいはそれすらもジャック・アトラスの読み通りか。

 

「行くわよ!」

「行きます!」

 

 二人が並び、集団から飛び出す。

 あまりに早い仕掛けに会場と選手たちがどよめいた。

 

 集団で突き上げ、サクラバクシンオーを消耗させるのか。

 頭の回転が速い観客はそう考えた。

 だが真実は違う。

 キングヘイローとニシノフラワーの二人でサクラバクシンオーとぶつかろうと勝負に出たのだ。

 

 雨の降る中で二つのプレッシャーが膨れ上がる。

 紅い炎のようなキングヘイローの圧。

 黄色い風のようなニシノフラワーの圧。

 その二つがたった一人に向けられている。

 

 巻き込まれた逃げウマ娘が秒でもうダメー状態に移行する。

 そんな凶悪なプレッシャーの中、サクラバクシンオーのリアクションはたった一つ。

 ちらりと背後を見た。

 それだけである。

 

 減速も加速もない。

 プレッシャーに押しつぶされるでもなく、焦らず、己のペースでバクシンする。

 覇道と呼ばれる威圧コントロールの対。

 求道と呼ばれる自己コントロールの姿がそこにあった。

 

 二人でも足りないのか、そう萎えかけるニシノフラワーの隣。

 むしろプレッシャーを増しつつキングヘイローが前へ、サクラバクシンオーへと近づいてく。

 

 そうかと気付き、それに続くニシノフラワー。

 覇道が体力を使うように求道もまた体力と、何より精神力を消耗する。

 無駄ではないのだ。

 バクシンを阻むことはできていないが、確実に削ることができている。

 そう思えば追いかける足にも力が入るというものだった。

 

 まずいですね、この展開は!

 

 最終直線に入り、坂を目の前にしたところでサクラバクシンオーの内心に動揺が走る。

 二人からの渾身の突き上げを食らい、想像していたよりも体力を持っていかれた。

 時間にして十五秒ほどのことだったが威圧でここまで削られたのは初めて経験だった。

 

 だが疲れているのはサクラバクシンオーだけではない。

 それほどの覇道を使った対価はしっかりと払っている。

 その証拠に二人の加速はサクラバクシンオーの背後についたところで止まっている。

 追い脚が残っていない―――いやまだ溜めているのだろうか。

 どちらにしたところで、最大の問題が残っている。

 

 つまり置いてけぼりを食った集団の追い上げだ。

 ほぼ万全な状態で彼女たちがやって来る。

 キングヘイローとニシノフラワーの狙いはこれだ。

 

 私達を疲弊させて、勝負の舞台に他の選手を引き入れた……ッ!

 

 ゴール前を待たずに加速し始める集団は間違いなく先頭集団であるサクラバクシンオーたちを狙いに定めている。

 あれに呑まれれば勝負はどうなるか分からない。

 いや、サクラバクシンオーの勝つ確率は確実に下がるだろう。

 この勝負には打倒サクラバクシンオーを掲げるスプリンターしかいないのだ。

 

 絶対に呑まれるわけには行かない。

 そう腹を決めて坂を駆け上がる。

 だがイメージよりも加速が緩やかであったのは芝が濡れているからか。

 力が上手く伝わっていないもどかしさに臍を噛む。

 二つの覇道にさらされ、彼女の求道は見る影もなくなっていた。

 

「いつもの冴えがないねぇ、バクちゃん!」

「もらったああああ!」

「今日こそ、勝ぁつ!!」

 

 そして目の前にサクラバクシンオーへの勝利というニンジンをぶら下げられたウマ娘たちが我武者羅に加速した。

 ゴール前の直進。

 ここで勝負は混沌とする。

 

 抜け出すのは誰か。

 誰が勝ってもおかしくないレース模様となり、皆が固唾を飲んで見守るレース場に花々という彩りが現れる。

 それを幻視しているのは選手たちであった。

 

 しまった。

 そんな言葉が選手たちの脳裏に響き渡る。

 サクラバクシンオーという強烈な光ばかり追いかけていたから、つい足元にある可憐な花を見落としてしまっていた。

 それが棘を持つ危険な一輪咲きだと知っていたはずなのに。

 

 ここが勝機!!

 

 踊らされた彼女たちと違い、ここまでの展開を読んでいたニシノフラワーはこれ以上ないタイミングで抜け出した。

 身一つ分の僅かな差。

 だがそれが勝敗を分ける確かな差となる。

 

 そしてこの展開を作り出したもう一人が黙っているはずもない。

 ニシノフラワーが“混沌から抜け出す”最適なタイミングを選んだとするのならば、キングヘイローが選んだのは“ニシノフラワーに勝つ”最適なタイミング。

 即ち、彼女が加速したその瞬間。

 エルコンドルパサーが日本ダービーで見せた才気煥発の加速タイミングの再現。

 出鼻を叩くような熱量が花々を焼き払う。

 

 この時、キングヘイローの脳裏に浮かんでいたのはジャックと遊星のライディングデュエルだった。

 ジャックが速度を上げれば負けじと遊星が風を纏う。

 相手が強くなるだけ自分も強くなれる。

 そんな闘いを見ているだけしかできなかった自分はもういない。

 

 だから、私に力を寄越しなさい、バーニングソウル!!

 

 キングヘイローは最初からずっと勝負の分け目と見ていた相手はニシノフラワーだ。

 だからこそ彼女の胴を両断するような鋭い一閃を放つ。

 名刀のような切れ味がニシノフラワーを筆頭にまとめて撫で斬る。

 それはゴール板を割った瞬間の出来事であった。

 

「……ッ!!」

 

 泥だらけの衣装、突き上げられた拳。

 その先の空は晴れ間を覗かせ、彼女の勝利を祝福しているかのようだった。

 気が付けば雨は止んでいた。

 

 

 

 

 

    _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

「あれがキングヘイローか……」

「コングラッチレーション!」

 

 喝采に包まれる会場で腕を組み、難しい顔をしているウマ娘が一人。

 エアグルーヴが勝負の結果を見下ろしていた。

 隣にいるのはタイキシャトルだ。

 友人でもあるニシノフラワーの活躍に興奮し、キングヘイローの有言実行ぶりに指笛を鳴らして祝福している。

 

 はしゃぐタイキシャトルにいちいち反応していては彼女の友人は務まらない。

 ただ静かに見下ろすばかり。

 エアグルーヴの視線の先には喜びの感情を爆発させている少女の姿がある。

 菊花賞では喜ぶ姿を見せていなかったため、これが世間は初めて見る彼女の喜ぶ顔であった。

 

 泥まみれで、汗と雨粒に濡れた髪が顔に張り付いている。

 お世辞にも良い格好とは言えないが、年相応の笑顔が可愛らしくも美しかった。

 きっと次の雑誌の表紙は彼女が飾るのだろうと思わせるほど魅力にあふれていた。

 

「そんなに渋い顔してどうしたんです?」

 

 祝福すべき場面だとタイキシャトルが言えば一定の同意を見せつつもエアグルーヴは唸る他ない。

 それでも渋い顔を作る理由が彼女にはあった。

 

「……彼女が強いのは分かった、口だけの戯けでないことも」

「なら勝てない相手だとでも?」

「それは貴様も感じていよう、格上ではないと」

 

 勝てない相手ではない。

 だが格が下であろうと負けることもある。

 今目の前でサクラバクシンオーが敗北したように。

 

 つまり無警戒で勝てるほど甘い相手でもない。

 それが分かっただけでも収穫はあるし、実際の走りを肉眼で見たのもいい経験だっただろう。

 

「だがな、タイキ。とても会長が気に掛けるような相手には見えん」

「Oh、それはそうデスね!」

 

 シンボリルドルフが気にかけ、生徒会に引き込んだ実例としてナリタブライアンが存在する。

 彼女はそれだけの実力があったし、周囲も納得して受け入れた。

 だがキングヘイローにそれほどの実力があるかと言われれば首をひねる他ない。

 

 確かにサイレンススズカが言うように多距離で活躍するのはすごいことだ。

 ましてやGⅠを二つも取ったのだから一流選手と呼ぶのに戸惑いはない。

 しかし、実力と実績で言えばエルコンドルパサーの方が上だと考える者は少なくないだろう。

 同期の中でもこの評価なのだ。

 広い目で見れば格上はまだまだいる。

 

 どうしてシンボリルドルフがそこまで気にかけているのか。

 謎は深まるばかりであった。

 

 視線の先にはレースを共にしたスプリンター達から祝福され、全距離制覇を応援されているキングヘイローがいた。

 スプリンターらしい力強い応援に振り回されているが、そんな様子も観客たちからは暖かく見守られている。

 彼女たちの“こうなったら最後まで勝てよー!”と言う声がここまで聞こえている。

 どうにも世間には何かと敵を作る性格だが、近くにいる者に愛されるウマ娘のようだ。

 

 シンボリルドルフの敬愛される色とも異なるカリスマの色。

 あえて言えばそれが気になったくらいか。

 

「致し方あるまい、答えはターフの上で見つけるとしよう」

「Bang! ね・ら・い・う・ち、デスね!」

 

 そう言い残して立ち去る二人。

 新たな戦いは勝利と共にすでに始まっていた―――




キングヘイローが勝利によって覚悟を示したようにジャックもまたプロ路線復帰を表明する。
ざわつく世間を他所にトレセン学園では例年通りの空気が流れていた。
それは新学期の始まりであり、クラシック級の激闘の始まりであり、三女神が微笑む時期である。

次回、『いそのー、因子ガチャしようぜー!』にアクセラレーション!
 
 


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シニア級/4月前半:三女神の手招き

来週のアプデでロブロイちゃん来るみたいですね。
汚いなさすがサイゲきたない
年末年始を前にこれはあまりにもひきょう過ぎるでしょう?
あ、投稿です。
 
 


 

「何度見てもやっぱカッケぇ! ジャックのデュエルがまた見られるのが楽しみだぜ!」

 

 チーム部屋で独り楽し気にしているのはウオッカだ。

 昨日行われた桜花賞でダイワスカーレットと共に激闘を果たし、世間を騒がせた少女も練習の合間では動画を見て騒ぐただの学生だ。

 生憎の敗退となったが順位は二位と大健闘し、広く世間に存在感を知らしめた。

 一位を奪ったダイワスカーレットは呆れた顔でウオッカを見下ろし、スポーツ飲料を飲んでいる。

 

 本日はレースの疲れを抜くために軽く体を動かしてお終いだ。

 週末に本番(皐月賞)を迎えるトウカイテイオーは今頃追い込みと称して汗を流しているところだろう。

 だというのにウオッカは着替えもそこそこに携帯の画面に夢中だった。

 

 こんなんでも強いってんだからまったくもー!って感じよね。

 

 努力しているのは知っているが、自分ほどストイックではない。

 それをよく知っているダイワスカーレットはウオッカのことが嫌いで仕方なかった。

 

 バカで雑でアホで何かとアタシに突っかかってきて、でもここぞという時の集中力はすごくて……。

 

 ダイワスカーレットが自分とウオッカとの努力量の差に嫌気が差したのも一度や二度ではない。

 僅か一年という付き合いだが数えきれないほど自己嫌悪してきた。

 ウオッカが凄いことを誰よりも知っているから。

 だからこそウオッカには負けたくないと努力も重ねてきた。

 それが桜花賞での勝敗を分けたと彼女は考えている。

 

 今後も競うことは数多くあるだろうが負けるつもりはない。

 そう改めて思った桜花賞。

 

 その直後にこれである。

 ウオッカはダイワスカーレットの覚悟とは裏腹にデュエルのことで頭がいっぱいなのだ。

 一言いってしまいたくなるのも無理はなかった。

 

「アンタね、さっさと着替えなさいよ」

「へーへー、わーったよ……ったく、母ちゃんじゃあるめぇし」

「何よ!」

「なんでもねーよ」

 

 ぶつくさ言いながらも着替え始めるウオッカ。

 側に置いたウマホは画面が付きっぱなしで、止められた動画が目に入った。

 それは少し前にジャック・アトラスがライブ動画でプロ復帰を宣言したものだ。

 桜花賞が終わるまでは見るの我慢すると言っていたので同室のダイワスカーレットも見るのは控えていたがニュースになっていたので大まかな内容は知っている。

 

 高松宮記念が終わった直後にジャックがプロ復帰を宣言し、プロデュエリストたちに宣戦布告したこと。

 あとは貴重なキングヘイローの素顔が垣間見られた映像といった内容だった。

 

「ねぇ、これ頭から再生していい?」

「お? いいぜ」

 

 許可も出たので携帯を手に取り、最初から再生する。

 きりっとした顔でプロ復帰を宣言。

 元ファンとしては嬉しい話だが()()から遠のいた今の彼にダイワスカーレットはときめけない。

 

 どのような路線でプロ復帰するのかを公言しようとしたところで勝負服のキングヘイローが扉から入って来る。

 そこでダイワスカーレットは気付いたが撮影しているのは選手の控室だ。

 キングヘイローが泥だらけで濡れた姿のまま入って来たのを見るに、本当に高松宮記念が終わった直後なのだろう。

 肩を怒らせながら“表彰台に来ない専属トレーナーなんて聞いたことないわよ!”と怒っているのも当然というかなんというか。

 

『それで、サクラバクシンオーは強かったか』

『強いなんてもんじゃなかったわ、スマートに一人で勝つのはすぐ諦めたもの』

『だからニシノフラワーを誘ったか』

『乗ってくれなかったら負けてたわね』

 

 やっぱりあの二人の追い上げは事前に話を通してたわけじゃなかったのね。

 

 意外なところで拾えた情報に頷きつつダイワスカーレットは画面に寄った。

 正直今はデュエル云々よりもレースの方に意識が行ってしまう。

 もっとこの二人の話を聞いてみたかった。

 

 話はトントンと進んで短距離の今後について語り合っている。

 無駄もなく要点だけ話してる様は普段してるケンカ姿を知らなければ秀才コンビという印象が強い。

 

『サクラバクシンオーを倒す手段を実例として得たことが大きいだろうな』

『そうね、そこはすごく感謝されたわ、こんな勝ち方があるんだって』

『なまじニシノフラワーが単独で勝利したせいで独力で勝つイメージが先行しすぎ、短距離界隈は高速化が進んでいた。

 そこに貴様は一石を投じたわけだ』

『さすがのサクラバクシンオー先輩も1対17で潰せるのなら、今後は駆け引きが重要になって来る……』

『これからのスプリント界隈は荒れるだろう』

 

 サクラバクシンオー先輩が強すぎたせいである意味レースが単調になっていた。

 そこを突いた作戦だった、ということか。

 ほうほう、とダイワスカーレットは頷き、鱗が目から零れ落ちるような感覚を覚えた。

 

 すごい、レースにはまだこんな斬り込み方もあるんだ……。

 

 己を鍛えるだけではない。

 こういう戦い方もある。

 努力を重ねるのが趣味と言っても過言ではないダイワスカーレットは新しい研究の着目点を知り、尻尾をぶんぶんと揺らした。

 

「そこから先はキング先輩が可愛いだけだぜ」

「可愛いだけ?」

 

 着替え終わったウオッカが顔を突き合わせるように画面を覗き込んできていた。

 耳が触れ合うような距離。

 だが二人にとってはどうってことない距離でもある。

 

「動画取ってるって気付いて照れだすんだ」

 

 ウオッカの説明通りの事態が起きた。

 携帯のカメラが自分たちに向けられているのを知った彼女が己の姿を恥ずかしがり、急いで携帯を取り上げる。

 画面が揺れて、ジャックの足元が映る。

 どうやら画面を見てこれがライブ映像だと気付いたのだろう、絶句している様子が伝わってくる。

 それからお説教が始まり、不意にライブ映像が途切れた。

 

「……なんていうか、最後はいつもの二人だったわね」

 

 よく見ていた二人の光景が目に浮かび、何故か安堵しているダイワスカーレットがいた。

 ジャックにお説教するキングヘイローの姿はトレセン学園にいれば誰しも一度は見たことのある光景だろう。

 その印象が強かったが、思い返してみればキングヘイローのお説教はいつも生活のあれこれに関連したものだった。

 レースに関したお説教は一つもない。

 先ほどの会話からもトレーナーとしては優秀なのが伝わってくる。

 

 だというのにプロ復帰を目指すのはどうしてだろう。

 ダイワスカーレットの感想はそこに終着した。

 

 高松宮記念を勝利した以上、キングヘイローは間違いなく歴史に名を遺すウマ娘だ。

 そのトレーナーであるということは、ある意味でトレーナーとして最上級の栄誉を得たといっても良い。

 それを投げ捨ててまでデュエリストとしてプロになる理由。

 いや、それさえも彼は過去に得ていた。

 

 トレーナーとして、デュエリストとして。

 どちらも超一流であると証明した彼がもう一度デュエリストとしてトップを目指す理由とは何だろうか。

 

 キングヘイロー先輩を()()にするのではなく、あくまで自分が()()になりたい?

 

 そこまで考えて、あまりに自分に寄りすぎた考え方だなと苦笑した。

 これ以上は考えても分からないと結論を出し、ウオッカに携帯を突き返す。

 

「ありがと、それじゃ部屋に戻るわよ」

「へーへー」

「はいは一回!」

「はいよ、帰りに購買寄ってこうぜ」

「しょうがないわね」

 

 手早く荷物をまとめ、二人並んで歩き出す。

 桜花賞という一生で一度しか経験できない勝負の場でバチバチにやり合った後でも変わらぬいつもの光景がそこにあった。

 

 

 

 

 

    _____ヘイロー―――――

 

 

 

 

 

 新入生たちが未だ慣れぬ学園生活に振り回されている春先の季節、時刻は夕方。

 夕暮れが春の温かさを引き連れて、夜の涼しさを呼び込む頃合い。

 キングヘイローは三女神像の前にいた。

 

「あら、どうして私はこんなところに……」

 

 当人も気づかぬ内にここまで来てしまった様子で少々戸惑っていたが、三女神の像を見上げてる間に落ち着いたようだ。

 尻尾をゆらゆら風に流しながら三女神の顔を眺める。

 思えばこうやってじっくりと観察したことはなかった。

 三体の顔を見るためにぐるりと噴水を回る。

 

「お三方とも方向性の異なる美女揃いね、いろんなコーデが似合いそうだわ」

 

 血筋を感じさせる独り言を呟き、ふと足を止めた。

 それからぼけーっと突っ立ってしまう。

 

「貴様、唐突にいなくなったと思ったらこんなところで何を―――」

 

 遠くからそれを見ていたジャックは何をしているんだと呆れ、一歩踏み出したところで違和感に気付いた。

 三女神の方向から異様な雰囲気を感じ取ったのだ。

 思わず右腕をさするジャック。

 

「……」

 

 かつてはそこに赤き竜の痣があったが、今はそれもない。

 だがそれをさすった無意識の行動が己の防衛本能であったことを悟るには充分だった。

 

「ただの像ではないのか?」

 

 訝しみ、これ以上踏み込むことができなくなったジャックはデッキを握りしめ、覚悟を決めようとした。

 歩き出す直前に声を投げかけられる。

 

「ストップ、そこまで」

「貴様は……」

 

 言葉を投げ込んだのはニシノフラワーのトレーナーである。

 名前を思い出すことはできなかったが顔見知りの登場にほんの少し緊張感が失せる。

 タイミングを逃したとも言う。

 

「貴様はあれが何か分かっているのか」

「分かってるかと聞かれると困るけど、どうなるかは知ってる」

「言ってみろ」

「なんでそんなに偉そうなの、一応同期じゃん」

「知ったことか、今重要なのはそこではない」

「そーですね」

 

 あくまで俺様のまま話を進めるジャックに、仲良くなろうとするのは諦めたのかトレーナーは通路脇の石段に座り込む。

 植え込みなどもあるがそこはキングヘイローの様子をギリギリ伺える位置だ。

 

「結論から言うと、強くなる」

「あれでか?」

 

 惚けた様子で三女神を見上げているだけにしか見えない。

 あれでどう強くなるというのか。

 そもそもキングヘイローは高松宮記念で格上のサクラバクシンオーと同格のニシノフラワーを倒し、一段と実力をつけている。

 彼女らを打倒したという自信がウマソウルにいい影響を及ぼしているのだ。

 ジャックはこれ以上の急激なパワーアップは安田記念を勝たずにはあり得ないと考えている。

 それが覆るというのだろうか。

 

「この時期の夕暮れにここへ独りやってくる子はみんなああなる。

 そして気が付けば強くなっている、これが結論だ」

「何故それを知っている」

「去年もこうしてここで見てたから」

 

 疑いたくなるような言葉だが否定することもできない。

 深堀りするしかないと考え、ジャックは先を促した。

 

「去年はウチのシノさん―――ニシノフラワーとスペシャルウィーク、あとサイレンススズカとタイキシャトルも来てたかな?

 俺が見た限りじゃその程度だけど、どいつも一流選手だ。それが強くなるってんだから困ったもんだよ」

 

 いやシノさん来ちゃったから文句言えないんだけどさ。

 なんてぼやいて、三女神を遠い目で見つめている。

 

「とにかく悪いもんじゃないよ。少なくともここに通ってるようなウマ娘にとっては」

「始まりのウマ娘、だったか」

「守護神様が力を分け与えてくれると思っとけばいいんじゃないの」

「……」

 

 思案するような顔を見せるジャック。

 それを意外なモノを見るような眼で見上げてくるのがニシノフラワーのトレーナーだった。

 

「あんた、こういうオカルトを信じるタイプにゃ見えなかったけどな」

「俺は死者とデュエルをしたこともある、女神に唆されてパワーアップなどむしろメジャーだろう」

「そっすか……」

 

 何言ってんだコイツという表情を隠そうともしなかったが、三女神のせいで人生の迷子になったこともあるこの男としては反応に困る言葉であった。

 やはり元トッププロともなるとそういう経験もしているのだろうか。

 一般庶民でしかない彼には冗談なのかさえ判断がつかない。

 

「それで、貴様はここで何をしている」

「敵情視察……ってだけでもない」

 

 言ってみたが納得の色を見せなかったジャックの無言の圧力に負けて言葉を続ける。

 

「俺には幼馴染のウマ娘がいてさ、中央の選手になったはいいけど、故障したらしいんだよね。

 選手生命を断たれるどころか命にかかわるような怪我しちゃってて。

 なのにウマソウルが悪い方向に作用しててさ、故障を隠して出場しちゃって、しかも勝っちゃうんだよ。

 まぁ、それに気付けなかった周りが悪いって話なんだけど、それは置いといて。

 とにかくこのままじゃまずいと気付いた俺は三女神に頼み込んだわけ。

 何とかしてくれって」

 

 唐突に始まる追想はどこか要領を得なかったが話の流れは理解できる。

 つまり彼は過去に三女神の奇跡を体験しているということだろう。

 だがそこで話は想像の斜め上を走り出した。

 

「気が付けば幼馴染はウマ娘じゃなくなってた。

 周囲もそれを当たり前みたいに受け入れてて、生まれた時からヒトでしたって扱いだった。

 記録は変わってないけれど、記憶はすっかり差し代わってて。

 でも当人と俺だけは覚えてた」

「何故三女神はヒトにした、回りくどかろうに」

「故障を治してもまた故障したら同じことを繰り返すって判断じゃない?

 それに感情を力にするっていうウマ娘特有の不思議パワーであいつは故障の不利を覆してた。

 ウマ娘じゃなくなればそんな無理も通らなくなるってことだったんだと思う。

 実際ヒトになってすぐぶっ倒れたし、そのまま手術コースだった」

 

 どれほど重い故障だったのだろうか。

 それを覆すほどの想いとはどれほどのモノだったのだろうか。

 察することはさしものジャックでさえ敵わないことである。

 

「とにかく、ここで肝心なのは俺と当人だけは覚えてたってこと」

「……つまり、ここで何か不可思議なことが起きた場合に備えていたということか」

 

 そこまで事情を語られれば納得する他ない。

 例えこれが作り話だったとしても三女神による手招きは目の前で起こっている事実だ。

 フォローしようという人物がいることは決して間違いではないだろう。

 

「何故他者の協力を得ようとはせんのだ」

「いやいや、こんなこといきなり言われて納得する方が珍しいでしょ」

「そうか? いや、そうかもしれんな」

 

 自分の人生が一般的でないことを承知しているジャックは頷く他ない。

 ともあれ害しようとしていないのであれば干渉も不要だとジャックは歩き始めた。

 丁度そこでキングヘイローが正気を取り戻し、混乱したように周囲を見回している。

 

 何を幻視したかは分からない。

 しかし今必要なのは彼女が何を見たかではない。

 どれほどの力を授かったのか、だ。

 

「キングヘイロー、鍛錬は終了と言ったが続行だ。併走するぞ」

「え、トレーナー? いつの間に……」

「相手はニシノフラワーだ、シューズの準備は良いか?」

「は!? なんで!?」

 

 唐突に振られた併走依頼に目をむくトレーナーだが、ジャックは鼻を鳴らして指し示した。

 その方向にはぽけーっと三女神を見上げるニシノフラワーの姿がある。

 

「シノさんナンデ!? まさか今年も!?」

「…………ふぇ、トレーナーさん?」

 

 未だ覚醒の途中なのか、ぽけーっとした目のままのニシノフラワー。

 その矮躯に滑り込むようにして近づき、ペタペタとあちこちを触るトレーナー。

 お耳と尻尾確認ヨシッ! トモの張りヨシッ! 可愛いおめめヨシッ!

 

 そんな様子に戸惑っていると徐々に覚醒してきたのだろう。

 パチクリと状況を見回していた。

 

「えーっと……何事でしょうか、これは」

「レースだ、フラワー。やれるか?」

 

 ジャックに言われ、視線を向けたのはもう一人のウマ娘。

 つまり対戦相手はキングヘイローだと理解し、ニシノフラワーの瞳に火が灯る。

 

「やれます!」

「キングヘイロー!」

「ええ、よくってよ」

「俺の意見は聞いてくれないんですかね!? 別にいいけどさぁ!!」

 

 夕暮れ特有の物悲しさなど一瞬で吹き飛ぶような騒がしさを三女神は微笑で見つめていた。

 ウマ娘の未だ解明されていない想いの力とその奇跡のような超常現象。

 ジャックはどこかモーメントの七色を思い出していた。

 

 




三女神に対して深く触れるつもりはありませんが今後の展開次第では触れていく展開もあるかもしれないので伏線として貼っておきます。
回収できなくても許してください。
次回はしばらく勝ち星を得ていない二人による真剣勝負。
黄金世代はターフに並び立てばいつだってバチバチです。


次回、『星雲VS怪物二世』にアクセラレーション!!
 
 


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