暴走レゾンデートル (宿木ミル)
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プロローグ「暴走の存在意義」

 静かな暮らしや平穏な毎日を望んでいた。

 人と付き合うことも、キル姫と一緒に戦うことも、私には興味がなかった。

 森でひとり、ただ静かに生きて、異族が襲い掛かってきた時だけ対応して、それ以外は自給自足の生活をして、誰とも関わらないで自然と一緒に生きる。

 そんな日々がいつまでも続いていくと、私は信じていた。

 今日、暴走した私自身……イミテーションに出会うまでは。

 森から抜け出すことになるなんて、昨日の私に言ってもきっと、信用されないだろう。それくらい突拍子で信じられない出来事だった。

 

「……それでも、進もうと思いましたから」

 

 夜の宿。窓から見える月はこうこうと、変わらないまま輝いている。

 変わったのは私自身、そして私の立場。

 ……まだ、不安が残っている。

 けれど、明日になったらなにか変わるだろうか。

 わからない。

 わからないけれど、今はただ、森を抜け出すきっかけとなった出来事が流れつづけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 森の騒音。

 それは、いつものトラブルとは異なっていた。

 私が居座っている森は人が寄り付かないような奥地にあるのもあり、動物たちが争いあったりすることは多い。

 森に迷い込んだ異族が動物に襲い掛かり、混戦になっている場面も見かけたことがある。

 けれども、今日の音はそれらの騒動とはなにか、違っているようにも思えた。

 

「……強大な力を持つ異族がやってきたのでしょうか」

 

 木々が倒れるような音がした。

 空を見ると、鳥たちが慌ただしく森から飛び立っている。

 木の大きな枝に座っていたとしても感じられる大地の揺れもあった。

 ……地震ではない、とはなんとなく察することができた。

 大きな力が動いている。

 

「どうにか追い払えたらいいのですが……」

 

 このまま森が失われていくと、私の居場所がなくなってしまう。

 そうなると、新しい場所を見つける為に大きな移動を余儀なくされる。その途中でもし倒れたりなんてしたら、助けてくれる人はどれほどいるのだろうか。

 今、暴れている存在を追い払うとしても、もし自分の命を奪われるなんてことがあったらどうしよう。重傷を負って、動けなくなったら治療してくれる人なんているのだろうか。

 

「できる限りのことは、やってみないと……」

 

 音が近づいてきている。

 目の前で、木がなぎ倒されていく。

 逃げる、という選択は取れないと感じた。

 逃げたら、襲われる。

 直感的にそう思えた。

 私もキル姫だ。だから、他のキル姫のようにはならずとも、少しなら戦える。

 使い慣れた杖を構え、敵の襲撃に備える。

 木々の間から、何かが襲い掛かってくる。

 ……速い。

 だけど、まだ、なんとか目で追える。

 

「……つっ!」

 

 私に対して振り下ろされた杖の一撃を、こちらも杖の腹で応戦する。

 武器の種類は同じ。

 異族でもない。

 少女の姿をしている。

 そして、私よりも強い力を持っている。

 このまま受けていたのでは、圧し潰される。

 

「……やぁっ!」

 

 杖が折られないように、力の重点を逸らして、薙ぎ払う。

 直線的な攻撃をしていたからか、相手は対応しきれず、弾き飛ばされた。

 魔弾での攻撃の方が撃退する火力は伸ばせる。けれども、まずは距離を取って相手の確認をしたかったのだ。

 敵が何者か、異族でなければ、なんなのか。

 杖を持っている。

 手負いで、傷ついていた。

 断片的に情報が頭の中で整理させても、相手が何者か、までは想像できなかった。

 

「アアアアアアアアァ!」

 

 私が考えていたその時、聞き覚えのある声が、叫び声にも近い咆哮をあげていた。

 右手で木を壊しながら、彼女は私に迫ってくる。

 

「……そんな」

 

 私には知り合いがいない。

 交友を持っていた人なんて、いままでいなかった。

 それなのに、知っている。

 聞き覚えがある声をしている。

 その理由はわかっていた。

 

「暴走した……イミテーション……」

 

 慟哭の声をあげて、私に迫ってくるキル姫。

 そう、それはまぎれもなく私のイミテーション……つまり、ミストルティンだった。

 目の色が黒く濁っている。

 髪や服は固まった血が付着して、平穏とは遠い自分を感じさせる。

 両腕も生傷が多く、出血が止まっていない。

 傷つけられながら、どうしてここに到達してきたのか。

 なぜ、私の元に向かってきたのか。

 ……わかっていた。

 

「……淘汰、ですよね」

 

 傷ついた身体で、暴れまわり、それでも私と対面した。

 目的は、淘汰。

 本能的に行うべきことを理解して、私に襲いかかってきたのだ。

 逃げることはできない。

 淘汰は、キル姫に定められた宿命なのだから。

 相手が暴走したキル姫なのだとしても、どちらかが倒れるまで続いていく。

 他の誰かの加勢がやってくることもない。

 

「わかりました……」

 

 乱暴に杖が振り下ろされる。

 もう、迷っている時間はない。

 

「戦いますっ……!」

 

 その一撃を背面に跳んで回避。

 勢いを保ったまま、杖に魔力を込め、攻撃用の魔弾を解き放つ。

 ホーリービラー。光の柱による牽制だ。

 

「アアアァ!」

 

 効いている。

 傷ついた身体を無理に動かしていた影響か、傷口が開いている。

 しかし、それでもイミテーションの動きは止まらない。

 叫び声にもよく似た咆哮をあげながら、彼女が迫ってくる。

 次は、横振り。

 一回目の回避の動作が大きかったのもあり、避けきれない。

 

「最低でもっ……」

 

 直撃を避けるように杖を構え、一撃を受ける。

 しかし、最初の一撃のように、勢いを受け流すことはかなわなかった。

 

「きゃあ……!」

 

 杖の直撃は避けられたものの、振り回された力の強さもあり、大木の元まで叩きつけられてしまった。

 

「……まだ、大丈夫」

 

 自分に言い聞かせるようにそう言葉にする。

 乱暴にぶつけられて、意識が飛びそうになっている。けれども、まだ生きている。

 死んではいない。

 暴走したイミテーションが持つ握力は私のものを遥かに上回る。当然、俊敏性も、技術力も私よりも高いだろう。

 私がいま、彼女より優位に立っている点。それはきっと、いま、持っている体力だ。

 イミテーションの身体は戦闘が得意ではない私が見てもわかるほどに傷ついている。息もたどたどしく、切り傷も多い。極限まで追い込まれた状態で、それでも立っているように思える。

 それに比べ、私は今受けた一撃以外は捌けている。このやりとりを続けていたら、追い込まれてしまう可能性こそあるものの、まだ動くことができる。

 ……体力に余裕がある間に強烈な一撃を加えられたら、私でも勝つことができるはずだ。

 

「アアアアアァ!」

 

 喉が裂けるような声で、彼女が叫ぶ。

 あの声は怒りなのだろうか。

 それとも、悲しみなのだろうか。

 哀しみか憤怒か。

 戦うことの喜びか、それとも楽になりたいという声なのか。

 ……私には、その声がわからなかった。

 けれど、私にできることはある。

 彼女を淘汰すること。

 キル姫として、彼女を倒すのだ。

 杖を構えて魔力を込める。

 この一撃で彼女との戦いを終わらせる為に。

 

「お願い、うまくいって……!」

 

 相手の行動が発生するより先に私が動く。

 杖の魔力を解き放ち、大地に力を注ぎこむ。

 イミテーションの肢体に周囲にあった木々から蔦が伸び、拘束する。

 

「アアアァアアアアア!」

 

 イミテーションは強引にそこから逃れようと、身体を揺さぶる。このままでは蔦が引きちぎれてしまう。だから、次の手で終わらせる。

 

「……当たって!」

 

 背面の大木に与えた魔力で、成長させた枝のイミテーションの身体に突き刺す。

 狙う箇所は心臓。

 ためらわない。

 迷わず動かした枝は彼女の中心に、確かに刺さった。

 

「アア、ア、ア、ぁ……」

 

 目の色が普通の私の色に戻り、イミテーションの私はその一刺しで静かに命を落とした。

 ……穏やかな表情を浮かべて。

 

「……淘汰、おわりました」

 

 彼女の身体が消えていって、私とひとつになっていく。

 近付いて見つめてみた彼女の姿は、私なんかよりも大人びてみえた。

 

 

 

 

「……そういう、ことだったんですね」

 

 イミテーションと同化した私は、彼女の記憶を探ることができた。

 ひとりで暮らしていた時、マスターと出会い、励ましてもらった記憶。

 彼女が『トルテ』という愛称で呼ばれていたこと。

 段々増えていく仲間と談笑して、こんな日々がいつまでも続けばいいのにと思った願望。

 ……異族の集団に襲われ、マスターと、隊のみんなと逸れ、まばらになってしまったこと。

 ……そして、戦場でマスターに再開した時にはもう、彼の手が冷たくなっていたこと。

 彼女の記憶が、まるで自分が味わったことのように私の中に流れてくる。

 力不足で、多くのキル姫に犠牲を出してしまい、それでも自分が生き残っていることが嫌で嫌で、もうこんな世界はどうにでもなってしまえばいいと思っていたことも、全てが伝わってきた。

 

「……お疲れさまでした」

 

 いまはもういない私に、そっと頭を下げる。

 私はあのイミテーションの私のように、社交性よく生きることはできないだろう。談笑しあう仲なんて、考えもつかなかった。

 私を変えてしまったものが全て失われてしまったのなら、それを壊した世界をねじ伏せてしまいたくなる気持ちも、わからないわけではなかった。

 ……それでも。

 

「私は、あなたが持っていたことを受け継いで生きていきます」

 

 ここで感情を爆発させてしまったら、彼女が生きてきた事実を蔑ろにしてしまうだろう。そう考えて、私は前を向くことにした。

 

「……どうしましょう」

 

 彼女の為に、よりよく生きる。そんな目標を作るのは簡単だ。

 しかし、やっていなかったことをすぐにやれるようになるなんてことはわからない。だからこそ、私は悩んだ。

 

「少し、いいかな」

 

 考えていると、ふたりの人物に話しかけられた。

 

「マスター、その、大丈夫なのか?」

 

 そのひとりは長い黒髪が目立っているキル姫だった。

 ……前に森で別の彼女を見かけた気がする。

 

「問題ないはずだよ、クラウ。いま、彼女は落ち着いているじゃない」

「それはそうだが……もしもという時があるだろう」

「その時はその時。それ以上にわたしは今、彼女に話が聞きたいから」

 

 クラウ。そうだ、クラウ・ソラス。

 生真面目だったのをよく覚えている。

 あの時に見かけた彼女とは違っていても、クラウ・ソラスなことには間違いない。

 

「あなたは、いったい……」

 

 けれども、もう一人のことはわからなかった。

 マスターと呼ばれていて、女性なことは容姿からもわかった。

 ……そして、私のキラーズが共鳴していることも。

 

「はじめまして、ミストルティン。わたしは対暴走執行官のソクラ」

 

 丁寧に、まっすぐお辞儀をしたのちに、彼女は私の言葉を繋げた。

 

「どうか、わたしの仲間になってほしいんだ」

 

 私の新しい道を示すような言葉を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 街の宿。

 月を見つめ、消灯した家が並んでいるのを確認し、世界が変わったことを実感する。

 まだ、ソクラというマスターの性格なども理解していない。

 対暴走執行官というものがなんなのかも、彼女と一緒にいるクラウ・ソラスのこともわからない。

 あのイミテーションはソクラとクラウ・ソラスが追い詰めた時、偶然近くに私がいたから淘汰に向かったという事情があったというのはわかった。

 暴走したキル姫を討伐した野良のキル姫は、通常のキル姫と比べると暴走が発生するリスクが高く、奏官が保護した方がいい、なんて話は聞いた。

 状況に応じて不穏分子として処分させられることもあるというのも街に戻るまでの間に説明された。

 

「まだわからないことは、多いですが……」

 

 それでも、この選択は間違ってなかったと信じている。

 

「私は、私として頑張ってみます」

 

 街に戻る帰路の間に、色んなことを質問された。

 私自身のこと、いままでの生き方に、考え方。

 暴走したイミテーションの記憶も事細かに訪ねてはメモしていた。

 

『彼女が生きてきた証をしっかり遺しておきたいんだ。暴走したキル姫を暴走した存在とだけ見て処理するのは簡単。けれど、それだとなにも遺らない。だから、彼女がいたという事実を少しでも形にしたい。わたしはそう思ってるんだ』

 

 自分の行動の理由を問われた時、ソクラはそう言葉にしていた。

 こういうことをする執行官はそうそういないかもしれないと自分で苦笑していたけれど、私は少しでもその力になりたいと思った。

 

「……『トルテ』が私に淘汰されて、今、私がここにいる。それはきっと意味があること、ですから」

 

 イミテーションの私が呼ばれていた『トルテ』という名前が他の人に知ってもらえた時、私自身、救われた気持ちになった。

 彼女が生きてきたことが認められたみたいで、自分のことのように嬉しい気持ちになった。

 だから、今は私にできることを、精一杯やってみよう。

 そして、マスターの手助けをしよう。心からそう思っていた。

 空に移る月を見つめながら。



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1話「新しい日常」

 宿の寝室の窓から朝日が降り注ぐ。

 ……森以外の場所で迎える朝。

 しっかりとしたベッドの上で眠ることは少なかったから、少しだけ新鮮な気持ちだ。

 上体を起こして、軽く伸びる。

 ……問題なく今日も動けそうだ。

 

「おはよう、ミストルティン。調子はどうだい?」

 

 目覚めたばかりの私に朗らかな声が届く。

 クラウ・ソラスの声だ。彼女はもう私服に着替えている。

 

「お、おはようございます。……調子は、問題ないです。気持ちが必要以上に不安に襲われているということもありません」

「それならよかった」

 

 まだ少し眠気はあるけれども、のんびりするのもよくないだろう。

 隊に加わったばかりの新入りの立場なのだから、足を引っ張らないようにしないといけない。

 

「あの、ご迷惑にはなってませんよね……?」

「迷惑?」

「いえ、行動時間を狭めてしまっていたなら申し訳ないと思って……」

「問題ないよ。私が朝早くから鍛錬してるだけだからね。だから、ミストルティンは気にしなくていい」

「わかりました」

 

 含みを込めた言い方、というわけではないだろう。まっすぐな声で私に話しかけてきているのは様子を伺っていてもわかる。

 行動できるように、荷物を整えていく。

 寝間着から着替えるのはいますぐではなくてもできる。

 

「ソクラさんは……?」

「マスターかい? 彼女なら、いま教会に赴いて色々手続きをしているよ」

「ラグナロク協会ですね」

「今回出会った暴走したミストルティンの報告、それから事後処理と君を仲間に加えたことの伝達、次の任務の請負といった事務をしてるんだ」

「……私、仕事を増やしていないでしょうか?」

「いつもの任務後の仕事さ。ミストルティンが特別気負いする必要はない」

「すみません、気にしてばかりで……」

「構わないさ。むしろ、マスターとしっかり話をする時間を設けられなくて、こちらこそ申し訳ない」

「き、気にしないでください。新入りですし、お話できる時にしっかり話そうとは思っています」

 

 まだ聞きたいことはある。

 迷惑にならないペースで可能な限り会話をしたい。

 私のマスターなのだから。

 

「クラウ・ソラスさんは……」

「クラウでいいよ。呼びずらいだろう?」

「えっと……」

 

 流石に愛称で呼び捨てにしてしまうのは、気にされてしまうかもしれない。

 

「……クラウさんは、こうした時間は、どう過ごしているんですか?」

 

 硬くなりすぎないように、言葉を選んで会話する。

 私の問いかけに対してクラウ・ソラスは苦笑しながら答えてくれた。

 

「ちょっとした休暇として、自由時間を貰っているんだ」

「そうなんですか……?」

「自由行動してていいとは言われているね」

「それは、つまり……」

「私もミストルティンも、街で自由にしていていいということさ」

 

 街で好きに行動していい。

 それは、私からしてみると難しい要求をされているようにも感じた。

 

「どうした、そんな深刻そうな顔をして」

「い、いえ。あまり、街で自由にするということに慣れていないだけです……」

「……だったら、一緒に街を歩いてみるなんてのはどうかな」

「クラウさんと、ですか?」

「ミストルティンが嫌じゃなければの話だけどね」

 

 爽やかな態度が私には眩しく感じる。

 だけど、厚意を無碍にしたいとは思ってもいない。

 

「……わかりました、迷惑にならないように一緒に行きます」

「よし、わかった。少し宿でのんびりしてるから、準備が出来たら言ってくれ」

「はい」

 

 そう言葉を残し、クラウ・ソラスは寝室から抜け出した。

 ……待たせるわけにはいかないだろう。

 それとなく素早いペースで服を着替えるなどの身支度を整えることにした。

 

 

 

 

 

 

「す、すみませんっ、待たせてないですよね」

 

 普段着に着替えたのち、私はクラウ・ソラスと合流した。

 彼女は落ち着いた様子で椅子に座っている。

 

「あぁ、問題ない。むしろ、ミストルティンの方こそ平気かい?」

「何がですか?」

「少し息が上がっているように見えたんだ」

 

 ……彼女の指摘の通り、私は息が上がっていた。

 

「その、焦ってしまって……」

「あんまり人と関わってないから、待たせると悪いと思った、と」

「……そうですね」

「なに、私はいくらでも待てるさ。それに、ミストルティンは真面目だから、不誠実なことはしないって思ってるよ」

 

 彼女の眼差しはやはり眩しい。

 私が一緒にいるとくすんでしまうのではないかと思うくらい、輝いている。

 

「さて、一緒にいこう。ミストルティンはどこか行きたい場所はあるかい?」

「特には思い浮かびません……」

「なら、街を歩くついでにこちらの用事を済ませてもいいかな」

「はい、大丈夫です」

「よし、出発だ」

 

 勢いよく、クラウ・ソラスが椅子から立ち上がる。

 ……なにかトラブルが起こったりしませんように。

 心の中でひっそりと願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 堂々と歩くクラウ・ソラスから離れすぎないように丁寧に私も歩いていく。

 街には人がいっぱいいる。

 油断すると、すぐに人の波に襲われてしまいそうだ。

 ぼんやり遠くを見つめていると、奏官とキル姫が寄り添うように歩いていたりもしている。

 

「珍しい光景かい?」

 

 隣からクラウ・ソラスに話しかけられて、ぼんやりしていたことに気がつく。

 

「はい、森ではいつもひとりでしたので……」

「誰かやってきたりした、なんてことも」

「そうですね、基本的にはなかったです。……強いて印象的だったことを挙げるとしたら、周辺の村から抜け出して迷子になってしまった子がいたくらい、でしょうか」

「その子は大丈夫だったのか?」

「はい、森の抜け方は熟知してましたので、方向がわかればしっかりと送り届けることができました」

「それなら良かった」

 

 ふと、話をしている最中、表情が変化していくクラウ・ソラスに目がいった。

 

「私は、できることをしただけです」

「そうだとしても、手助けしたのはミストルティンの優しさがあるからと思う。だから、誇っていいはずさ」

 

 心配する時は、辛そうな表情になり、鼓舞する時は凛とした顔になる。嬉しいときにはしっかり笑っていたりもする。

 ……嘘とは無縁な、まっすぐさを感じた。

 

「……ありがとうございます」

 

 だから、私も応えるべきだろう。

 彼女と隣にしっかりと戦えるように。

 

「到着したよ」

 

 会話をしながら進み、たどり着いたのは街の工房だった。

 少し大通りから外れた場所にあるからか、人影は少ない。

 工房にいる鍛冶師が出入りしているくらいだ。

 

「おやっさん、今日はいるかー!」

 

 大声でクラウ・ソラスはそう問いかけると、おやっさんと呼ばれた人はすぐにやってきた。

 

「おう、クラウの嬢ちゃん! その様子だとピンピン生きてるなァ!」

 

 かなり大柄な男性だ。

 筋肉で身が引き締まっていて、頭髪は白い。

 年を老いているようには思えない体格で、少し身を引いてしまう。

 

「あぁ、今回もうまく生き延びることができたよ。おやっさんがしっかり武器を鍛えてくれたお陰さ」

「はっはっは! そうだろう! 今後もごひいきに使ってくれよ!」

「工房長も無理はしないでくれよ」

「オレは生涯現役を願ってるからいいのよ!」

 

 いい人なのはなんとなく様子から見てもわかる。

 けれども、声が大きいのもあって、ついビクッと反応してしまう。

 

「んで、そっちにいるのは誰だ?」

「新しい仲間さ」

「ミストルティンです。……よろしくお願いします」

 

 なるべく刺激しないように丁寧に受け答えする。

 

「おう、クラウの嬢ちゃんに比べるとやけに気が小さそうじゃあないか!」

「す、すみません。あまり、人と関わるのは得意ではないので……」

「そういう奴だって結構すげえってぇのは知ってるよ。ここの工房の奴らにゃ、どうもおしゃべりが苦手な奴もいてなァ」

「おやっさんは話すのが好きじゃないか」

「オレ? まぁ、オレはかわいい子と話すのは趣味だからな!」

 

 そういうと、はっはっはと豪快に笑った。

 ……私が凄い存在かどうかはわからない。けれども、慕われている男性なことは、工房から響き渡る音からもなんとなく想像できた。

 

「で、ここに来たってことは武器のメンテだろ?」

「あぁ、ついでに義手の調整とミストルティンの武器の調整もお願いしたい」

「あいよっ!」

「私の武器も……ですか?」

「ミストルティンが嫌ならしないでもいいが……」

「いえ、調整してもらえるのは嬉しいのですが、その、お金なんかは大丈夫かなと……」

 

 長く使っているのもあって杖の状態は完全とはいえないかもしれない。これから戦いに自分から赴くことが多くなるのなら、調整するのは必要だろう。

 ……ただ、私個人の為にお金を使うという行為に対して、内心不安を感じていた。

 

「気になさんなっていいってミストのお嬢! ここのマスターはたんまりお金を持ってるからな!」

「……そうなんですか?」

 

 ミストのお嬢、という不思議な呼ばれ方に困惑しながら、私はクラウ・ソラスの方を向いた。

 

「マスターが請け負っている任務は通常の奏官では対処しないような特殊なものが多いからね。それなりの資金の手持ちはあるよ」

「オレが趣味で作った高額な値を付けた宝刀なんかを余裕で一本持って帰れちまうくらいたんまりってわけだ!」

「だから、お金のことは気にしなくていい。それなりに自由にやりとりできるだけの余裕はある」

「そう言われても……」

 

 だからといって、たっぷり使おうという気持ちになれるほど大胆なお金の使い方をする、というのにはちょっとした抵抗がある。もしも、急に貧乏なんかになってしまったらもっと不幸になってしまいそうで。

 ……ただ、ここで下向きな気持ちで受け答えしても、厚意を裏切るようなことになってしまうだろう。お願いしてみてもいいのかもしれない。

 

「……その、まずは武器の手入れをお願いしてもいいですか?」

「あいよっ」

 

 そっと差し出すように私が普段から使っている杖を工房長に手渡す。

 

「こいつは……ガイアコアか!」

「ガイアコア……?」

 

 丁寧に形状を確認した工房長が、杖の名前を口にした。

 名前もわからず使っていたので、珍しいものを見たような表情を向けられても、どう反応すればいいのか考えてしまう。

 

「ミストの嬢ちゃんは知らないで使ってたのか?」

「えっ、はい。……偶然手にしたこの武器が使っていて扱いやすいと感じたので、使っているだけでした……」

「そうか、拾い物なのか」

 

 私が考えるよりも、もっと難しそうな表情で工房長が考え込んでしまった。

 

「なにか、いわくつきの武器なのか?」

 

 クラウ・ソラスが心配そうな表情で訪ねる。

 

「神地杖ガイアコア。こいつぁ大地の力を操れる杖だ。扱い方によっては小規模な戦術兵器として使うことだってができるから、地域によっては使用を禁止されていることも多い武器さ」

「……そんな危ないものだったんですか」

 

 真剣な声で語る工房長の声を聞いて、不安の感情が募っていく。

 ……やっぱりトラブルを引き起こしてしまった。

 そう思って、気持ちが落ち込む。禁止されているようなものを持ち込んでしまうなんて。

 

「ただしだ」

「は、はいっ」

 

 急に顔を覗きこまれてしまったので驚いて素っ頓狂な声を出してしまった。

 

「熟練したキル姫が運用するんなら話は別だ」

「そ、そうなんですか?」

「ミストの嬢ちゃんはこの杖に魔力を注いで地震を引き起こしたことはあるかい?」

「……大規模な地震はないです。普段は植物に力を与えることに使っているので、そうした地形変動はあまりしていません」

「なるほど、気を付けて使ってるんだな?」

「は、はい、なるべく迷惑にならないように意識しています」

「意味もなく力を使う、なんてこともないんだな?」

「危険ですし、これからもしたいとは思っていません……」

「……なら、大丈夫そうだな」

 

 工房長が覚悟を決めたような表情に変わる。

 

「よし! 嬢ちゃんの武器の調整、オレが引き受けた!」

「……いいんですか?」

「オレはミストの嬢ちゃんなら、この武器を正しく扱ってくれるって信じてるからな!」

 

 そんなに話もしてないのに、工房長は私を信頼してくれた。

 ……それならば、私も頑張ってみたい。

 

「わかりました。うまく使いこなしてみせます……!」

「おう、その気持ちがあればどんな戦場だって乗り越えられるぞ!」

 

 なんだか背中を押してもらった気分だ。

 他人と話していて、前向きになったのは久しぶりかもしれない。

 

「おやっさん、霊装は武器に取り入れる予定かい?」

「あぁ、そのつもりだ」

 

 話がひと段落したことを確認して、クラウ・ソラスが武器の調整についての質問を飛ばしていた。

 

「私が愛用しているカルマと同じように、補強した際に性能が向上するなんてことは?」

「ガイアコアなら水晶刀カルマのように霊装が特殊な反応をするってぇのは聞いたことはあるな」

「……なら、調整し終わったら実戦前に鍛錬しておいた方がいいな」

 

 鍛錬するのには抵抗はない。

 ただ、色々問いかけているクラウ・ソラスの様子が少し気になった。

 

「勝手が変わったりするんですか?」

「あぁ。武器に秘められた力が引き出される都合、基本の性能が同じものだったとしても、やれることが変わっていくからね」

「霊装という技術で、ですか……?」

「うん。ちゃんと自分の武器で実感してるから、それは断言できるよ」

「それなら、わかりました」

 

 真面目な彼女がそういうのなら、本当のことなのだろう。

 武器の感覚を掴むのは必須そうだし、連携をうまく取れるようにもするべきだ。やることが多くても、頑張らないと。

 

「さぁって、一仕事していっか! 先に義手だけ見せてくれよ! クラウの嬢ちゃん」

「あぁ、構わない」

 

 クラウ・ソラスが工房長に近づき、義手を見せる。

 真剣な表情で点検を行っている。

 

「動かしていて気になったなんてことは?」

「ないな」

「軋んだりもしてないな?」

「支障はなかったよ」

「特殊な冷え込んだ地域に赴くなんてことはあったりするか?」

「それはまだわからないな。マスターの任務次第だ」

「まぁ、今の時期ならそんな急激な気候が存在するような場所にはいかなそうだから気にしなくていいか……っと!」

 

 満足げな表情で工房長が笑う。

 

「今回は問題なし! 派手にぶち壊れてないし、損傷もなし。前回のメンテと状態は変わってないぞ!」

「新しいものに取り換える必要もないのか?」

「できねえわけじゃねえが、まだ新品同様に動かせるだろ?」

「……そうだな。すぐに取り換えるのはもったいない」

「なら、大事に使ってくれ。もしぶっ壊しちまってもオレが作ってやるからな!」

「頼もしいな、おやっさんは」

 

 クラウ・ソラスも信頼した相手に向ける、明るい表情になっていた。

 ……こういう関係性は他人と積極的に関わっているから発生するものだ。私もしっかり見習っていきたい。

 

「んじゃあ、次は武器のメンテだ。二人分、工房の奴ら使ってきっちり強化してやつから楽しみに待ってろよ!」

「どれくらい時間はかかるんでしょうか……?」

「休憩も挟むが、お昼のしばらくあと……そうだな、今から三時間後には完成するようにはしておく予定だ。だから、嬢ちゃんたちは休暇でも楽しめばいい!」

「わ、わかりました」

 

 ぺこりと頭を下げる。

 

「お昼に向かってもいいのかい?」

「あぁ、勿論だ! その間にがっつり作業してやるからな!」

「わかった、ならお昼に行こう。ミストルティンもそれでいいかい?」

「はい、大丈夫です」

「よし、お昼に行こう」

 

 急かしたりする必要もないし、心配なことはほとんどない。

 工房長に武器を預け、私とクラウ・ソラスは、一緒に街でお昼を食べに行くことになった。



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2話「私にできること」

「お昼に行くお店も常連さんだったりするのでしょうか……?」

 

 街を歩く傍らで、クラウ・ソラスに尋ねる。

 

「いつも使ってるお店だから、顔は覚えられてるかもしれないね」

「……私が新入りなこともわかりそうですね」

「それは間違いないかもな。ところで、ミストルティンはどういう食事を好んで食べるんだ?」

「そうですね……肉を食べるというより、山菜を食べることが多かったのもあって野菜系の食事の方が好みかもしれません」

「ステーキのようなものは」

「あまり食べたことはないです……」

「それはもったいない。食べてみるのをお勧めするよ」

「……脂っこいものを食べてしまうと、胃がびっくりしてしまいそうで……」

「なら、ささみなんてどうかな。さっぱりした肉は野菜と一緒に食べるともっといい感じになる」

「……悪くないかもしれません」

 

 自分からレストランのような場所に立ち寄ったことはなかったものあって、きっちりした料理を味わうのは久しぶりかもしれない。

 自分で作る分には、焼き加減や毒の有無に気をつければ問題なく食べることができる。けれど、公共の場の食事は、緊張して食欲が失われてしまわないかを考えると、少しだけ心配だ。

 

「……あの、クラウさん」

「なんだい?」

 

 だから、念の為に言葉にする。

 

「その、全部食べられなかったりしたらすみません……」

「気にしなくていいよ。もし食べられなかったとしても、マスターや私が食べるからな」

 

 安心させるようにする為か、健やかな表情でクラウ・ソラスがはにかんだ。

 

「……マスターも一緒にいるんですね」

 

 でも、その中にあった言葉で、私はやっぱり不安になってしまった。

 マスターも一緒に食べるという事実。

 

「もしかして、伝えきれてなかったかい」

「はい、今聞きました……」

「合流して、お昼を一緒にする、というのも」

「知らなかったです……」

「……朝、急に言われてたから、すっかり言いそびれてしまってたな……申し訳ないっ!」

 

 全力で頭を下げてくる。

 予定をしっかり聞いてこなかった私も悪いから、首を横に振って返答した。

 

「あ、謝らなくて大丈夫ですっ! 私は平気ですから……」

 

 それでも、お昼のことを教えられたのもあって、もっと緊張してしまいそうだ。

 マスター、つまりソクラも一緒にいる。気持ちが落ち着かない。

 

「食べにくかったら、テイクアウトもお願いできるが……」

「一緒に食べるので平気です。……色々、慣れないといけませんからね」

 

 ここで内気になっていたらいつまでも前には進めない。

 さっきのクラウ・ソラスのやりとりのように、私もしっかりと色んな相手と話せるようになるべきなのだ。マスターに対して、引っ込み思案を発揮するわけにはいかない。

 

「わかった。……無理はしないようにしてほしい」

「その言葉だけでもありがたいです……」

 

 クラウ・ソラスの心配の言葉に感謝を伝えて、彼女の後ろを歩いていく。

 それから少しの時間が経過して、クラウ・ソラスが案内してくれたレストランに到着した。

 少しの間だけ、会話がないタイミングがあったのは、私が空気を悪くしてしまったからに違いない。だから、反省したい。

 

「ここだよミストルティン。マスターは……」

「わたしはここにいるよ」

 

 お店の正面。やっほー、とわざとらしく手を振って今の私のマスター……ソクラが合流してきた。

 深緑色で、少し髪伸ばしているソクラは、私なんかよりずっと大人のように見える。瞳の色も透き通っていた水のように綺麗な青い色をしていた。

 

「その、こんにちは。ええと……」

 

 マスターというべきか、ソクラというべきか。

 どうするか悩んでしまう。

 

「なるべくはマスターって呼んでもらえたら嬉しいかな」

 

 そうしていると、軽く微笑みながらソクラが私に呼び方を提案してきた。

 

「……それでいいんですか?」

「これでも結構恨みを買いやすい仕事してるからね。個人を特定されない名称の方がやりやすいんだ」

「恨み……」

「元々は奏官と一緒にいたキル姫を討伐する、なんてことも多いからね。仕方がないと思ってるよ」

「そうですか……」

 

 初対面で感じた達観した雰囲気はそのまま、彼女の表情は変わらない。

 悲壮な覚悟、なんて様子もは微塵に感じない。自分のやりたいことをやっているという態度だ。

 

「わかりました。これからは、マスターとお呼びしますね」

「プライベートな場だったら気軽に名前で呼んじゃってもいいけどね。クラウもそうしてるし」

「マスター呼びだけにしてると、寂しそうにするからな」

「そんな表情してる?」

「してるさ」

「……わかりました。なるべく、意識していきますね」

「そうだなぁ、お風呂とか一緒にしたときとか一緒の寝室とか、そういう場所で言ってもらえたら気持ち嬉しいかも」

「……少し近い距離の空間で、ということでしょうか」

「あはは、そういう言い方もあるかもね。気を許せる場面だったらいつでもいいよ」

「……はい、そうします」

 

 ゆったりしているようで、はっきりもしている。

 そんなソクラの態度は不思議と波長に合う。苦手ではないのかもしれない。

 

「さてと、お昼、一緒しよっか。そっちの用事も終わってるんだよね」

「あぁ、武器はもう預けてきてある。義手のメンテも支障なかった」

「それならよし。わたしも依頼の報告と受注は済ませてきたから、色々身軽になってるし、美味しく食べられそうかな」

 

 店前の会話はほどほどに、私たちは料理の注文に進んだ。

 クラウ・ソラスはステーキや麦茶を、ソクラは人参のスープや野菜のソテーを、私は野菜のパイと紅茶を注文して店の外の席に座ることになった。

 

「……店内じゃなくてよかったんですか?」

 

 料理が届くまでの時間、ソクラに尋ねてみる。

 

「人の気が少ない方が食べやすそうだなって感じたから、こっちにしただけだよ」

 

 微笑しながらそう返答してきた。

 ……なんだか心を読まれたような気持ちになるけれど、その配慮はありがたかった。

 

「……ありがとうございます」

「まぁ、わたしも人がいっぱいの場所は得意じゃないからね。クラウも心おきなく肉料理食べれると思うし」

「私はそんなに気にしていないが」

「そうかなぁ。この前がっつり食べてるのを目撃された時、女っぽくないのかななんて気にしてたけど……」

「それはそれだろう。……そこまで、気にしては、ない」

「あはは、そういうことにしとく。ま、ゆったりした方が色々と楽だから外にしたってだけだよ」

 

 私だけではなく、隊の全員のことを考えている。

 穏やかそうな雰囲気をしているけれど、視野が広いのを感じ取れて、とても凄いと思う。

 

「こういう平和な時間は生きてるって気持ちになれて好きなんだよね」

「というと……」

「そのままの意味。お役所様に言葉を選んで話をしたりするのも、事務関連でごたごたするのが多くなると疲れちゃうし、非日常でいっぱいになっちゃうから」

「仕事量、多いのですか……?」

「うーん、そこまでではないけど、ちょっと大変。クラウもそう思うよね」

「ん? あぁ、仕事のそのものの量はそこまでない。ただ、特別な任務が与えられることが多いから、それの手続きが多いだけだ」

「教会に提出する資料を作ったりとかする時は、結構時間がかかったりするよね」

「手が足りないときはいつも手伝ってるな」

「うん、助かってる」

 

 特別な任務。それは対暴走執行官という役職から、理解はできる。

 暴走したイミテーションを討伐するのが主な仕事。私のイミテーションを追いかけていたのはソクラたちだったし、仕事途中に偶然出会ったのはその時の様子を見ていてもわかっていた。

 

「私も慣れてきたらお手伝いできるようにします」

「それは願ったり叶ったりだけど……仕事が波長に合うかまではまだ未知数だから、初任務が終わったらそれは考えよっか」

「向いてないのでしょうか……?」

「ひとつひとつの仕事の結果を引きずりすぎたら、心が疲れちゃうってこと。ミストルティンはちょっと繊細っぽいから気を付けてほしいなって思うの」

「……気を付けます」

 

 暴走した存在と向き合うこと。

 その行為ひとつひとつに心を蝕んでいたら、動けなくなってしまう可能性だってある。

 ソクラの言葉を警告として受け止めた。

 

「その表情」

「……え?」

 

 急に指を指されてしまったのできょとんとした顔になる。

 

「私と一緒に戦い始めたころのクラウによく似てる」

「確かに、活動を始めたころの私によく似てるな」

「そうですか……?」

 

 いまいち容量が得ないので、首を傾げる。

 

「全てをしょい込もうとしてる人の顔だよ」

「責任を感じすぎていると……」

「あぁ、私から見てもそう思う」

「クラウさんまで」

 

 表情に感情が浮かびやすいのかもしれない。

 ふたりに気持ちを看破されてしまった。

 

「ねぇ、ミストルティン。人の手ってふたつしかないでしょ?」

「……そうですね」

「目もふたつで、耳もふたつ。口はひとつで、鼻もひとつ……」

 

 ソクラはひとつひとつ、自分が話した言葉の箇所を触りながら話を続ける。

 

「そんなわたしたちがすべてを観測できるなんて、思ってないんだ」

「限界があると……?」

「ふたつの手で持てるものは限られてるし、ふたつの目で見れる世界も広くはない。音を聞き取る耳だって隣町の音は聞こえないし、遠くのお店の美味しい料理の香りを知ることだって叶わない」

 

 雄弁に、はっきりとした態度でソクラは語る。

 

「だからこそ、わたしたちに今できることをしていくべきだって思うんだ。わたしの立場でやれることをして、街や村にいた人を守ったり、それとは別に暴走した存在のことも調査する。できることをするようにね」

「……それがマスターの仕事、ですか?」

「そういうこと」

 

 背負いすぎず、できることをする。

 ソクラの言葉がすっと心の中に入ってくる。もしかしたら優しい話し方をしていたからかもしれない。

 

「わかりました。私にできることを頑張ります……!」

「その意気だよ。わたしも極力手助けするね」

「私の力も使ってほしい」

「頼りにします」

 

 私を支えてくれる存在が増えたこと。その事実が私の心を前向きにしてくれる。失敗することはあるかもしれない。けれども、きっと頑張れば報われるはず。

 

「……私も同じ話をマスターから聞いたな、懐かしい」

「前から変わらない行動理念だからね」

「あの時からは前に進めてるのかな」

「進めてるはずだよ。大丈夫」

「……クラウさんも、心配性だったんですか?」

「心配性じゃなくて、生真面目だね。クラウもミストルティンも真面目さん」

「マスター、私はそんなに真面目ではないかもしれないよ」

「私も真面目かと言われたら、正直なところ、わかりません……」

 

 偶然同じような言葉が一緒のタイミングで発せられる。

 つい、私はクラウ・ソラスの方を見つめてしまった。

 彼女も私の顔を見つめて、驚いたような表情になっていた。

 

「ほらね、似てる。謙遜しちゃったりするところとかさ」

「そうだな。なかなかいいコンビになれそうだ」

「足を引っ張らないように気をつけます……」

 

 その指摘も、なんだか親近感を感じさせるきっかけになったのなら悪くないのかもしれない。笑うクラウ・ソラスの表情を見つめながらそう感じた。

 

「あっ、話している間に料理が完成したみたいだよ」

 

 ソクラがウェーターの方を振り向いて、確認する。

 それぞれが注文してきた料理が届いてきていた。ひとつひとつ、丁寧にテーブルに置かれていく。どれも美味しそうだ。

 

「じゃあ、これからの無事と幸運を祈って、いただきますっ」

「いただきます」

「いただきます……!」

 

 テーブルを囲んでみんなで食事をとるなんて、初めてだ。

 緊張しているけれど、食が細くなっている感じはしない。

 ……安心しているからだろうか。

 そっと、野菜のパイを口にする。

 

「……美味しいです」

 

 日常の味、というべきなのだろうか。

 柔らかくも、さくさくしているパイの味わいがすっと口に溶け込んでいく。

 

「生きてるって感じがするよね」

 

 人参のスープを口にしながら、ソクラが微笑む。

 

「しっかり食べられることはいいことさ。心のメンテにも繋がるしな」

 

 行儀よくステーキを味わいながら、クラウ・ソラスも笑った。

 日常を大切にしていく、という隊の姿が感じられて私も嬉しくなって微笑んだ。

 各々が雑談に花を咲かせながら、食事が進む。

 楽しい気持ちで食事を一緒にしたのも初めてのことだったから、新鮮な日常の姿を感じ取れたような気がした。

 心配していた食事についても無事にしっかり食べられたので、一安心。

 ソクラとクラウ・ソラスのふたりと声をあわせて、ごちそうさまと言ったあと、私たちはレストランを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おう、全員集合って感じだな!」

 

 お昼を食べ終わったあと、私たちは再び工房まで立ち寄った。

 預けておいた武器の様子を確認するためだ。

 工房長が待ちわびた、といった様子で私たちを出迎えてくれた。

 

「おやっさん、武器の調整は終わったかい?」

「おうよ! ばっちり霊装も組み込んでメンテしておいたぞ!」

「ありがとう」

「ありがとうございます」

 

 クラウ・ソラスの手には水晶刀カルマが、私の手には神地杖ガイアコアが手渡される。調子を整えるついでに、細かいところまで確認してくれたみたいで、帰って来た私の杖は新品のように輝いていた。

 

「いい感じだ。これなら今回も頑張れそうだ」

「前より火力が伸ばせられるよう、もう少し補強しておいた! うまく使ってくれよ!」

「あぁ、期待に応えるよ」

 

 目を輝かせながら、クラウ・ソラスが自分の武器の調子を確認している。

 

「……なんだか、持つだけで魔力が向上しているようにも感じます」

 

 武器を手にした瞬間、いつも以上に魔力を引き出せるような力を感じた。

 錯覚などではなく、武器が私自身の魔力を向上させてくれている。そんな不思議な力を感じ取った。

 

「それは霊装が武器と共鳴してるからだな。慣れねぇ間は普段の感覚とは使用感が変わっちまうしれねぇが、前より武器として強くなったってぇのは保証するぜ」

「……頑張って使いこなしてみせますっ」

「おう! ミストの嬢ちゃんならきっちりできるはずだぞ!」

 

 私も、お礼を言って奮起する。

 うまく活動するのも夢じゃない。杖が勇気を引き出してくれているようにも思えた。

 

「前回、クラウの嬢ちゃんが探索で手に入れていた霊装やインゴットもうまく活用したんでな。両方ともばっちりってわけよ」

「いつもありがとね、工房長」

 

 ソクラがゆったりとした調子で工房長と話す。

 私やクラウ・ソラスのようなキル姫以外の相手や、店員さんなんかと話すときも彼女はそんな調子だ。裏表がない、素直さを感じる。

 

「お得意様だからいいってもんよ!」

「うん、それならいいかな。ところで、わたしが個人が頼んでいたものは用意できたかな?」

「あぁ、過去に言ってたやつだな」

「私用の剣のついででお願いしてた奴だけど……終わってる?」

「そっちの方もばっちりよ! ちょっと待ってろよ! 取り出してくる!」

 

 そういうとそそくさと工房長は工房の奥まで物を取りに行った。

 

「……何か、頼んでいたんですか?」

「いや、私も詳しいことは知らない。マスター、何を頼んでいたんだい?」

「信号弾を飛ばす為の信号拳銃とキル姫用の煙玉を簡略化したものに……愛刀の調整かな」

「結構頼んでいるんだね」

「危機を脱する手段は多い方がいいからね。保険感覚で色々用意しておきたかったんだ」

「なるほど、確かに一理あるな」

 

 クラウ・ソラスは納得したように頷いた。

 

「……あの、マスターも剣術で戦えたりするんですか?」

「それなりに。まぁ、流石に暴走したキル姫に真っ向勝負して勝てるほどの実力はないよ。あって弱い異族程度の相手だったら撃破できるくらいの実力だと思ってる」

「鍛錬の時、私とそれなりに打ち合えるほどの能力はあるけどな」

「でも、まだまだだよ」

 

 これは、謙遜しているのだろうか。

 それとも、事実を言っているのだろうか。

 どちらにせよ、鍛えているキル姫くらいの戦闘力は持ち合わせているように私は感じた。

 

「それに私が打ち合えるって言っても、クラウ・ソラスが鍛錬でわたしによく負けるようになったら、それこそとっても心配だけどね」

「連戦で、私から一本取れるようになってきてるのはマスターが成長してる証さ。私が特別弱くなったわけじゃない。……不敗の剣の名が折れないように、鍛錬は続けていくつもりだよ」

「頼もしいね」

 

 私が増えたことで足を引っ張らないようにしないと。

 ふたりのやり取りを見て、鍛錬に向ける感情が上がったような気がした。

 

「おう、取ってきたぞ! 信号拳銃と煙玉、あと、人間用に重さを調整した白銀の剣だ!」

 

 話をしていると、工房長がそれぞれのものを荷車に乗せて、持ってきた。

 

「ありがとう。試しに使ったりはしたかな」

「両方ともしっかり動くことは確認したよ。ただ、もしものことがあるから、余分に作った銃弾などで実戦前に確認してくれよっ」

「そうさせてもらうね」

 

 荷物として受け取り、ソクラが白銀の剣を手に取る。

 

「……うん、いい感じの軽さだ」

「危険な任務にも耐えられるようにきっちり鍛えておいた。折れるってぇことはねぇはずだぜ」

「頼りにするよ」

「今後ともごひいきにな!」

 

 剣を納刀して、ソクラが工房長にお礼を言う。

 

「代金の支払いはさくっと済ませるね」

「おうよ」

 

 そう言って懐からお金を取り出して、渡す。

 ……料金の量から考えると、全員分の出費を払っているのだろう。

 

「……相変わらず、すげぇ額持ってるよな」

「まぁ、危険と隣り合わせだからね。割に合った価格は貰ってると思うよ」

「それもそうか。無理だけはすんなよ」

「みんなと一緒に生還できるようには気をつけるよ」

 

 軽くやりとりして、お金がぴったりあったことを確認して会計が終わった。

 

「それじゃまた」

「おやっさん、行ってくるよ」

「ありがとうございました……!」

「おう、頑張れよ!」

 

 手を振って、工房から離れて、別の場所に移動することにした。

 

「さて、次の以来の目的地への出発は明日を予定してるから、今日はちょっと鍛錬でもして身体を動かしてよっか」

「悪くない。ミストルティンもそれでいいか」

「あ、はいっ。なるべく足手まといにならないように連携など、覚えます……!」

「気負いしすぎないようにね」

「わかりました」

「あぁ、あと夜も美味しいもの食べたりして、親交を深めたりするのもよさそうかも。色々知る為にね」

「温泉で汗を流すのもいいかもな」

 

 今はまだ、日常を楽しめる状態。

 なら、その状態を大切にしたいとは思った。

 

「……裸を見せるのは、少し恥ずかしいです」

「他の人と一緒したことはなかったの?」

「これまでは一度も……」

「なら、楽しいお風呂の入り方とかも教えちゃおっかな」

「お、お手柔らかにお願いします……」

 

 命を懸けて戦闘を行う時間が訪れるなら、その前にしっかりと生きていくべきだ。後悔しないように、迷惑にならないように、一緒にいてよかったと思えるように。

 マスターのソクラと、キル姫のクラウ・ソラス。ふたりと会話している時間は、森にいるときと流れ方が違うようにも感じたけれど、心地よい時間だと思った。



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3話「ボタンの村へ」

 気がついたころに次の日が訪れていたように感じる。

 それくらい、一日がすぐ過ぎ去っていた。

 

「……昨日が楽しかったから、なのでしょうか」

 

 宿屋の寝室。

 そっと身体を起こして今の状態を確認する。

 体調面は問題ない。

 新しい場所に行く関係から緊張はしてるけれど、不安でいっぱいなんてことはない。それとなくだけど、動けるだろう。

 二日分お世話になったこの宿屋から、しばらく離れることになる。無理だけはしないように、体調管理や身支度はしっかり整える。

 

「薬草などの薬品の調達は問題なさそうです」

 

 工房で武器を送ったあと、私たちが取った行動を確認する。

 まず鍛錬の前に、念の為にと薬草などの調達がしたいとお願いして、ちょっとした買い物をした。我儘だったかもしれないけれども、もしも大怪我したなんてことがあったらと思うと、心配だったのだ。幸い植物関連の知識なら自信がある。うまく調合できるように教えてもらったこともあったから、磨り潰してちょっとした傷薬にするのは私でもできる。

 

「鍛錬については、しっかり移動中に応用なども考えた方がよさそうです……」

 

 夕日が出るより前の時間には、ソクラやクラウ・ソラスと一緒に鍛錬に励んでいた。

 鍛錬の成果としては、自分自身の杖の性能向上についてはそれとなく実感することができたことがよかったことだと思う。

 キル姫用の鍛錬場に置かれていた、強度の高い案山子をホーリービラーの一撃で破壊することができたくらいには、魔力の上乗せが感じられた。

 ただ、普段のように植物に力を与えようとしたら、成長させすぎてしまった場面があったので、それは実戦前にしっかり力加減を感覚で掴めるように意識していきたい。

 

「……反省するべき点は、いっぱい思い浮かびます」

 

 大きい反省点として、ソクラやクラウ・ソラスの動きにうまく合わせることができていなかったのが私自身、気になってしまった。

 二人の連携は流石というべきか、阿吽の呼吸みたいな感じに動けているものの、そこに私が加わる動きを入れると、ちょっと動きが気ごちなくなってしまっていた。

 

「実戦前にいっぱい鍛錬に励まないといけませんね……」

 

 二人は、仕方がないと言葉にしてくれてはいたけれど、どうしても新入りという立場もあって、足を引っ張ってしまうのは申し訳なく思ってしまう。

 幸い、今回の任務の場所は街からは遠いのもあって、まだ時間的な余裕はある。

 道中の村での滞在や、野営などを取った際に、無理しないように身体を動かすのはできるはずだ。そこで、しっかり連携を取れるように意識していきたい。

 

「キル姫でもないのに、ソクラさんは凄く動けていたのも驚きですし……」

 

 無駄のない動き、というべきなのだろう。

 重量が同じ練習用の武器を片手に、クラウ・ソラスと模擬戦をしている時も、相手の一撃をいなすように行動していた。

 武器種にもよるものの、キル姫の握力は基本的に人間よりも強い。その握力に対応する為に、攻撃を真っ向から受けない戦闘を彼女は行っていた。

 ……私も、力はそこまで強いわけではない。だから、急に接近された時の対応手段として、一撃をいなすやり方は私なりに習得するべきだとは思った。

 

「準備や鍛錬のことについてはこれくらいでしょうか」

 

 私服に着替えて、荷物を整える。

 元々所持していたものに追加で物が増えただけだから、量がかさばってしまうなんてことはない。荷車に載せて運ぶというのは説明していた。

 衣類の予備を確認しながら、ふと温泉のことを思い出した。

 

「私よりも、ソクラさんや、クラウさんの方が女性っぽかったな……」

 

 どちらも体格もしっかりと大人びているし、身長だって高い。

 正直、そのふたりと比べてしまうと私はとても子供っぽく感じてしまう。

 一緒にお風呂に入っている時も、気になってしまっていた。

 

「……気にしすぎるのも、よくありませんね」

 

 身長や体型なんかは、努力でどうにかなるものではない。

 気にする癖をどうにか無くしていくことも意識した方がいいだろう。

 私はクラウ・ソラスのように凛とした態度は取れないし、ソクラのように行動するのは難しいだろう。私は私なりに頑張る。それを意識するべきだ。

 昨日にあった出来事を振り返りながら、荷物を整えていたら眠気もなくなっていっていた。

 これからもしっかり活動できそうだ。

 

「……頑張ります」

 

 自分に対して鼓舞するように、呟いてみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宿から出た私たちは、門を抜けて、街の外まで移動した。

 荷車の上にはそれとなく荷物が積まれている。

 

「もう少しここに滞在したい気持ちもあったけど、なるべく早期に解決してほしい依頼がきちゃったから、すぐの移動になっちゃった。……ミストルティン、申し訳ないかも」

「いえ、大丈夫ですよ。生きていられたら、また帰ってこれますし……」

「そうだよね。生きられるように、頑張っていこっか」

 

 ソクラが微笑んでくれたので、ほっとする。

 ……口では生きていたら、なんて言っているけれど、もしものことを考えるとやっぱり不安だ。

 だけど、キル姫がマスターに対して不安を煽るような言葉をいうのはあまり良くないと思って、心の中で不安の感情は抑えた。

 

「本来は宿ではなく、家に戻りたいってマスターは言ってたな」

「そうだね。もう少し長めな休暇が取れたなら、家でゆっくりしたかったかも」

 

 まぁ、今言っても仕方がないんだけどね、と笑いながら、ソクラが返答する。

 

「住居があるのですか?」

「うん、あるよ。それなりに僻地の場所だけどね。鍛錬しても咎められることはないし、いい家だって思ってる」

「きっとミストルティンも気に入るはずさ。近くには森のような、森林浴にも向いてそうな場所もあるからね」

「……森があるのは嬉しいかもです」

 

 人が賑やかな場所も、第三者の目線でいられるのであれば嫌いではない。

 けれども、やっぱり都会のような場所より、森林のような静かでゆったりとした空間の方が気持ち的にも落ち着きやすい。二人に勧められて、行ってみたいという気持ちが沸いてくる。

 

「けど、今は依頼優先。無事に生きて帰れるように頑張ろっか」

「わかった」

「わかりました……!」

 

 ソクラのマスターとしての一声で、身が引き締まる。

 生きて、帰る。

 戦場に向かうことも考えると重い言葉だ。

 しっかり、無事を願う。

 

「よし。忘れ物はないよね」

「服の替えなど、一般的な旅支度は大丈夫です」

「野営用のテントなんかも用意してある。異族が寄らない場所なら、安心して眠れるからな」

「道中の村とかで使えるように、お金もしっかり持ってきてあるよ」

「えっと、回復魔弾以外でも応急処置ができるように、薬草なんかも用意してあります……!」

「各々の武器もしっかりある。……問題なさそうだ」

「ならばよしっ」

 

 各々の表情を確認して、ソクラが号令をかける。

 

「目的地まで、出発!」

「あぁ!」

「ついてきて!」

 

 ソクラが先頭を進み、その後ろに私とクラウ・ソラスが続いていく。

 

「さて、日常から鍛錬だっ!」

 

 クラウ・ソラスはひとりで荷車を軽々動かし、マスターの後ろに続いていく。

 

「馬を使ったりしないんですね……」

「この方が色々楽でね」

「運ぶのに長けた動物を飼育してるわけじゃないし、申請とかすると手続きとかで時間がかかっちゃうから……」

「私が荷車を動かして運んでいる、ということさ」

「なるほど……」

 

 しっかりとした姿勢のまま、クラウ・ソラスは荷車を動かしながら進んでいく。

 その表情には苦しさなんて少しも感じさせない。

 

「ミストルティンも余裕があったらやってみるといいかもしれない。ちょっとした筋トレにはなるよ」

「荷物を落としたりなんかと考えると、やってみるにしても不安です……」

「なに、その時はその時さ。悪路を歩いていたりすると荷物が落ちてしまうなんてことは意外とあるからね」

「急行で結構早足になってる時も落としちゃったりするよね」

「だから、心配いらないよ。動かしたいならいつでも代わろう」

 

 眩しさすら感じるくらい優しい。

 期待を裏切ったりしないようにしたいと改めて気持ちを固めたくなるくらいには、優しさを感じる。

 

「……では、クラウ・ソラスさんが疲労を感じた時にしっかり動けるように体力を温存していきます」

「それはありがたい」

「うんうん。怪我した時とかに動いたりできる子が増えるっていうのはそれだけで嬉しい」

 

 言葉だけにならないようにしたい。

 言うだけなら簡単だ。

 でも、やってみないことにはどうなるかはわからない。

 

「……よろしければ、しばらく動いた後に交代してみてもいいでしょうか」

「構わないよ。目印があったらわかりやすいが、何かあるかな……」

「地図によると分かれ道がある場所があるみたいだから、そこで交代してみればいいんじゃない?」

「よし、そうしよう」

「わかりました。……それが原因で移動速度が遅くしまったら、申し訳ありません」

「構わないさ。どんなことだって慣れることは大事だし、私が動けないような場面でもミストルティンが動いてくれるって気持ちを言ってくれるだけでも、助かるからね」

「初めて続きにはなると思うから無理しないでね、ミストルティン。頑張りすぎようとすると、張り切ってるときのクラウみたいになりそうだから」

「は、はい。気を付けます」

 

 クラウ・ソラスも真面目だからか、しょい込みすぎる癖があるのかもしれない。そう考えると、なんだか同じように指摘されているようにも思える。

 

「……マスター。やっぱり私は集中しすぎてしまいがちなのかな」

「その集中力もクラウの魅力だけどね」

「うまく向き合っていきたいよ」

 

 微笑みあいながら談笑が続き、道を進んでいく。

 私はそんなに積極的には話に加われていないけれど、穏やかな空気が流れているこの時間は、心も落ち着くし好みだったから、嫌という気持ちは沸いてこなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 しばらく進み、お昼ごろの時間。

 まだまだ道は続いていて、目的地までは遠い。

 周囲の状況を考慮して、安全そうだと判断した道の途中で私たちは休息をとることにした。

 現在地は、さっき言っていた分かれ道のあたり。

 看板は傷ついていないし、このあたりで襲撃に会うことはなさそうだ。

 

「今日中にたどり着くのはちょっと難しいかもね。一日休憩を挟んで、到着は明日の夕方過ぎになりそうかも」

 

 お昼として持ってきた燻製肉を食べながら、ソクラがぼやく。

 

「村に直接的な被害がなければいいが……」

 

 不安そうな顔でクラウ・ソラスもパンを食べる。

 

「それは問題ないはずだよ。依頼の情報も不確定だったくらい早期に行動してるし、手遅れなんてことはまずないから」

「……マスターは、そういう依頼をよく頼むな」

「まぁね。そっちの方が動きやすいし」

 

 返答ははっきりとしている。

 いつものこと、という感じなのだろうか。

 

「どういった依頼なのでしょうか……?」

 

 情報を共有しあうことは大切だ。

 そう思い、サンドイッチを食べる手を止めて、尋ねてみた。

 

「話しておかないとね。今回の依頼は目的地であるボタンの村周辺に、暴走したキル姫の出没が確認されたことに対しての詳しい調査と討伐だね」

「暴走したキル姫の情報は届いてないのかい?」

「動きを捉えるのが至難だったみたいでね、詳しい情報は探れてないみたい。目撃情報を参考にすると、剣か槍のキラーズを持つキル姫が怪しいってわたしはにらんでるけど、まだ詳細は不明」

「相手はひとりだとは断言しきれない、ということでしょうか……」

 

 暴走したキル姫が強力な力を持っていることは、私のイミテーションを討伐した時にも身をもって感じている。もしものことを考えると心配だ。

 

「そうなるかも。ただ、そうなると流石にわたしたちだけだと手に負えない可能性が高くなっちゃうから、現地にいる奏官さんに協力を仰ぐこといなるかも」

「ボタンの村には、奏官はいるんですか?」

「駐屯している奏官がいるっていうのは教会からの情報でもう把握済み。……まぁ、うまく協力し合えるかはわからないけどね」

「マスターと馬が合う人だったらありがたいところだが、どうなるかはまだ未知数だな」

「それは本当に心配なんだよね。対暴走執行官ってだけで嫌ってる人は多いから、そういう偏見なしでうまく会話できたら、それが一番いいんだけど……」

 

 珍しくソクラがため息をついた。

 彼女がそんな態度を取っていたことはこれまで見てなかったので、少しだけ意外に感じた。

 

「そんなに嫌われてる仕事なんですか……?」

「前にも聞いたとは思うけど、元々奏官に仕えていたキル姫を討伐することも多い仕事だからね。必要以上の恨みは買いやすいんだ」

「マスターはそうでもないが、対暴走執行官を担当している奏官はキル姫を道具のように運用することも多い。淡々と業務に励み、暴走の兆しが見えたキル姫を有無を言わずに討伐してしまうという存在すらいる。……だから、そうした事情もあって『心無い奏官』なんて言われたりする。珍しくはない話さ」

「そんな……」

 

 私が偶然でも、ソクラと同行することができているのはありがたいことなのかもしれない。

 もしかしたら、別の奏官が私の周辺に訪れていたら、暴走したイミテーションを討伐した私は、この場に立っていなかったのかもしれない。冷たい感触が背筋を襲う。

 

「そんな状況が多い仕事だからこそ、わたしは頑張りたいんだよね。暴走のことを知ることだって、誠実に仕事をこなすことだって」

 

 まっすぐな瞳でソクラが言葉にする。

 その表情に嘘は見えない。

 

「キル姫だって、わたしと同じように言葉を話す。意思を共有できる、友情だって結べる。戦う時の力が違うだけであって、感情は人間と全然変わらない。ただ、暴走したという事実で討伐対象となって、生きてきた痕跡が台無しにされるくらいだったら、生前何をしていたかが知りたいの。わたしなりの力と、立場でね」

「だから、あえて対暴走執行官という立場でいると……?」

「そういうこと。全てが救えるなんて思ってないけど、わたしにできることはやってみたい。それはずっと思ってるから」

 

 できなくたって、頑張ろうとする。

 無理なことがあったとしても、出来る限りのことをしようとする。

 ……素敵な眩しさだ。

 

「……マスターに出会えてよかったって思ってます」

「それは、どうして?」

「関わっている間に、色々と私自身、変わっていけそうな気がしてきましたから」

 

 失敗しても、困難にぶつかっても立ち上がって声をあげる。

 その感情は輝かしいものだし、私も手助けしていきたいと思った。

 

「そう、それならよかった」

 

 ソクラがほっとしたように笑う。

 私の言葉で、少しでも明るい気持ちにさせてあげられたなら、それは嬉しいことだ。もっと、頑張りたい。

 各々がお昼を食べ終わったことを確認して立ち上がる。

 

「次の荷車を動かすの、私がやってみます……!」

「無理はしないようにな!」

「はいっ、精一杯ですが、頑張ります……!」

 

 覚悟はできている。

 やれることをしようという気持ちは、十分にある。

 

「よしっ、再度出発! ボタンの村に到達する前の野営地点の目標は、水源があるところっ!」

「どうして水源を?」

「……やっぱりお風呂には入りたいからね」

「それは同感だ」

「お風呂、作れるんですか……?」

「クラウが火を起こしてくれるからいけるよ。いつもやってる」

「……凄いです」

「本来剣技として会得した技を、水を沸かす為に使うというのも妙な話ではあるけどな」

「いいじゃない、便利だしさ」

「認めるよ」

 

 荷車を持って村への旅路を歩いていく。

 引っ張る荷車の重さは、やっぱり重かったけれども、苦しさを感じるほどではない。

 こつこつ進んでいけるだけの余裕はある。

 適宜、談笑を繰り返しながら、私たちは道を進んでいった。



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4話「受け入れがたい真実と」

 お昼を食べ終わった後の移動も滞りなく進んでいくことができた。

 雨に降られることもなかったし、異族に遭遇することすらなかった。

 私が運んでいった荷車も最初はもたついてこそいたものの、重量が相当なものではなかったので、慣れてきたころには、滞りなく動かすことができた。いざという時の交代も大丈夫そうだ。

 野営に適した場所を発見し、夕食を食べて、鍛錬を行い、順番に作られたお風呂に入ってテントで眠る。そんな流れで一日を過ごすことができたのも嬉しかった。

 鍛錬についても、前より連携が取れるようになったし、成長が実感できた。まだ、無理ができるほどお互いを理解できてはいないけれど、少しつづ、動き方は把握することができている。

 ……お風呂については、ドラム缶風呂みたいなものが用意してあった。律儀に火傷しないようにしてあったから安全に入ることができたけれど、ひとりひとり順番に入っていく都合、のんびりしているのも少し気恥ずかしかった。

 街でも森の奥でもない場所から見た夜空も綺麗で、キャンプのように味わう夕食も美味しかった。

 ……移動中の何気ない時間でも、生きている実感を覚えることができたのは、戦場に赴くという覚悟ができたからなのかもしれない。

 前の私とは世界の見え方が変わっていっている。

 その事実は、不思議なくらい、悪い気持ちはしなかった。

 

 

 

 

 ボタンの村に到着するまでの道のりを私たちは進んでいく。

 マスターであるソクラが先頭なのは変わらない。

 私とクラウ・ソラスは武器を懐に置きながら、その後ろを付いていく。

 今はクラウ・ソラスが荷車を動かしている。

 

「……なんだか、少しだけ妙だと思うんだよね」

 

 考えるような仕草をしながら、ソクラが疑問の声をあげる。

 

「依頼のことかい? 怪しい情報でも見つかったとか……」

「いや、依頼については気にしてないんだけど、妙に静かだなって」

「……異族が襲撃してこないことでしょうか」

 

 私が気に留めていたことを口にする。

 元々暮らしていた森の奥地ですら、異族が襲撃してきたことはあったのに、今回一度も遭遇していなかったのは、気がかりだったのだ。

 

「そうだね。そのことが引っかかってる」

「言われてみれば……本来なら一度や二度は襲ってきても変ではないな」

 

 クラウ・ソラスもそのことに対して疑問を覚えたらしい。

 彼女も原因を探りはじめた。

 

「行商人が長期間の移動の際に奏官やギルドの力を借りたりするのは、異族の襲撃が当たり前のようにあるってことを知ってるから。それなのに、今の私たちには一度も襲撃してきてない。これってなんだか不審だと思わない?」

「……異族の数が減少しているのでしょうか」

「なんらかの理由で討伐されているのは可能性としてありえるかもな。マスター、このあたりに有力なギルドはあったりするかい?」

 

 ソクラに対して、問いかけの言葉が投げられる。

 ギルドに所属しているマスターが定期的に撃破しているのなら、数が減っていてもおかしくはない、といった感じだろうか。

 

「うーん、この地域は街からそれなりに離れた場所なのもあって、目立ったギルドが活動している経歴はないかな。街を出る前にささって調べてはいたけど、そういうのはなかったはずだよ」

「そうなると、野良のキル姫が討伐している可能性が高くなるな」

「うん、その線が推理としては近いのかも」

「……もしかして、暴走したキル姫が討伐しているのではないでしょうか……?」

 

 憶測だけれども、心の内に秘めたままにするよりは、言葉にした方がいいと思ったので、恐る恐る口にしてみた。

 

「無差別に攻撃を繰り返しているのなら、ありえない話ではないな」

「もしそうなら、ボタンの村周辺は結構危ない状況になってるのかも……」

 

 時間が進むにつれて、状況が変わっていくのなら、どんどん悪くなる可能性だってある。それをソクラも感じ取ったのか、真剣な表情で振り向いて、私たちに号令した。

 

「よし。日が暮れるより前にボタンの村に行けるように、早足で進もう。作戦会議とかは、村の中で考えることにする。まずは、村の安否の確認がしたいからね」

「マスターの考えに従うよ」

「はい、急ぎましょう……!」

 

 今はただ前に。

 焦らないように、一歩一歩進んでいくべきだろう。

 

「……あと、あえて今言うね」

「なんだい、マスター」

「昨日の夜に移動していた方がよかったな、とは何があっても言わないこと」

「あぁ、わかった」

「それは、どうしてですか……?」

「未来は変えられるけど、過去は変えられないからね。あと、無理に動いたことで失敗しちゃうよりは、気持ちに余裕を持たせて行動した方がうまくいくってわたしが思って提案した行動だったから。責任はわたしが持つよ」

「わかりました」

 

 感情を追い込んでしまわないようにするために、言葉を発したのだろう。

 わざわざ、なんて思う人もいるかもしれない。けれど、私はそのソクラの行動が優しいと感じた。後悔をさせない為の言葉を言う。マスターとしての真面目さだ。

 

「行こう、ボタンの村に」

「はいっ」

「了解だっ!」

 

 荷車の音が力強く響く。

 きっと大丈夫だと語り掛けるかのように。

 私はどんなことがあっても、私なりに支えようと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 野営していた場所が、ボタンの村に比較的近かったからか、村には早期に到着することができた。

 

「あれがボタンの村だよ。地図が間違ってなければね」

「村人は何事もなく生活してるな」

「厄介事が起きる前に到着できたみたいで何よりです……」

 

 正午を少し過ぎた時間。食事を済ませた後あたりの時間に到達することができたのは焦らず急いだ成果でもある。多くの村人が平和そうに暮らしているのをみて、ほっとした。

 

「すみません、ここはボタンの村で合っていますか?」

 

 洗濯物を干しているおばあさんにソクラが声を掛ける。

 

「あぁ、合ってるよ。そちらは?」

「ラグナロク協会から依頼が届いて、派遣されたマスターです」

 

 丁寧に頭を下げて簡潔に説明する。

 ……対暴走執行官と名乗らないのは、知らない相手に混乱を招かないためだろう。

 

「なるほどねぇ。やってくるって話は聞いていたよ」

「よかったです。あの、村長とお会いすることはできますか?」

「イロニさんなら、この村で一番大きな建物にいるよ。そこにいけばきっと会えるさ」

「ありがとうございます」

「お仕事、頑張ってね」

 

 隊の各々が頭を下げて、おばあさんにお礼を言う。

 村に付いたから、ひと段落。なんてことにはならない。むしろ、ここからが本番だ。やらないといけないことは多い都合、時間に余裕があるとは言い難い。

 

「まずは、村長さんに会いに行こう」

「あぁ」

「わかりました」

 

 荷車を動かしながら、私たちは村の中央部にあるイロニがいる建物まで向かうことになった。

 

「……村そのものはのどか、ですね」

 

 大きい街のような場所ではないのもあって、活気があるというわけではない。

 それでも、村を歩いていると元気そうにはしゃいでいる子供は見かけるし、少し耳を澄ましたら水源から通っている川の水が流れる音も聞こえてくる。

 暴走したキル姫を討伐するといった任務で来ているはずなのに、びっくりしてしまうくらい平和だ。

 

「そうだな。雰囲気も落ち着いているし、戦いの経歴もこれといって発見できない」

「危機管理がうまくできてるのかも。ここに滞在してる奏官さんの指揮能力が高いなんてのも理由にありそうだし、色々調べてみるのは大事かも」

 

 ソクラはさっきのテキパキした態度とは違い、ゆったりとした口調に戻っていた。オンオフの切り替えが素早いのはできる大人、みたいな印象を与える。

 

「この地に人が集まるようになった経歴も気になるな」

「わかる。なにかしら理由があるはずだよね、開拓者がいたりとか……」

「それが、村長さんなのでしょうか……?」

「会ってみないと詳しくはわからないけど、指揮した人はいそうだよね」

「今の村長はイロニという方だったな。……気難しい人でなければいいが」

「初対面で悪態を付いたりしなければ、お互い大丈夫だよ、きっと」

 

 些細な会話から考察まで、色々な話をしていると、村の中心部まで到達できた。

 大きな建物はちょっとしたお屋敷だった。人がひとりで暮らす場所には思えないくらいの大きさだ。赤い屋根をしていたり、目立つ装飾の旗があったりするのもあって、なんだかお城のような存在感を発している。

 

「ここ、ですよね」

「あぁ。なんていうべきか、村らしくはない建物だな」

「ここだけ、空気感が少し違うよね」

 

 各々が屋敷の感想を述べていると、屋敷の表口から誰かが出てきた。

 長い金髪。綺麗な顔立ちをしている。

 キル姫だというのはすぐにわかった。けれど、名前が出てこない。

 

「なっ、カラドボルグ!」

「あら、クラウ・ソラス。あなたがここにやってくるなんて、ちょっと意外だったかも」

 

 すぐに彼女のことを理解したのはクラウ・ソラスだった。

 まるで知っているかのように振る舞っていたから、驚いた。

 

「クラウ、知り合いなの?」

「いや、知り合いではないのだが……その、因縁の関係というべきだろうか……」

「神話の関係性から、意識しちゃってるのよ。きっとね」

「あぁ、キラーズの繋がりね」

 

 それで把握したのか、ソクラはそれ以上突っ込まなかった。

 私が真っ赤な夕焼けから、敵意のようなものを感じてしまうのと同じような感覚だろう。意識してしまうのも仕方がない。

 

「どうにも意識してしまうから、好きにはなれないんだ」

「あら、そっちから来たのにそういうことを言うの?」

「……カラドボルグ。私は喧嘩しにきたわけじゃないからな?」

「わかってるわよ。仕事で来たってことくらい、こっちだってわかっているもの」

 

 会話のペースを全体的にカラドボルグが持って行っている印象だ。

 馬が合うかどうかはわからないけれど、ライバル関係なのは様子を見ていても伝わってきた。

 

「教会から連絡は届いてたってこと?」

「えぇ、マスターのところにしっかり届いてたわ。あなたがソクラでしょ?」

「うん、間違ってないよ」

「そして、そっちが新入りのミストルティン」

「は、はい。ミストルティンです」

「なら、問題なさそうね。私はカラドボルグ。マスターと一緒にこの地域を守っているわ。……探しているのはマスターなんでしょ?」

「そうなるね。もしかして、ここにいるマスターが村長さん?」

「そうよ。イロニは、今のボタンの村の村長で私のマスターなの」

「なるほどね」

 

 適度に情報を整理しながら、ソクラが頷く。

 つまり、イロニさんは村長でもあり、マスターであるみたいだ。

 土地を守るだけの力を持っているということなのかもしれない。

 

「それにしても……」

 

 まじまじとソクラと私がカラドボルグに見つめられる。

 ソクラはともかく、私は見つめられるのが得意ではないので、少し目を逸らしてしまいそうになる。

 

「……うん、いいわね。好きな瞳だわ」

 

 けれども、相手が先に満足してくれたので、見つめられる時間は少なくてすんだ。

 

「わたしたちのことを認めてくれる?」

「それは仕事でうまく立ち回ってくれたらの話ね。ただ、信頼はできるって感じたわ」

「そうなんですか……?」

「クラウ・ソラスみたいなしっかりした瞳をしてたもの。間違いないわ」

「私が基準なのか」

「あら、不満?」

「……いや、不満はない。マスターのことを信頼してくれるのは、こちらとしても嬉しいからな」

「いい信頼関係を築けてるようでなにより。じゃあ、さっそくマスターのところまで案内していくわね」

「お願いします」

「お願いするよ」

「よろしくお願いします……!」

 

 屋敷の前から屋敷の中まで、カラドボルグに案内される。

 整った屋敷の内装は、高価なものはないにしても、住居性はよさそうな印象を感じさせる。適切にお金を使っている、といった感じなのだろうか。綺麗に整備されているのもあって、少し落ち着いた空気を感じさせてくれた。

 

 

 

 

 

 

 客室。

 私とクラウ・ソラス、そしてソクラの三人がひとつのソファーに座ることになった。

 

「待たせてすまなかったな。俺がイロニ、今の村長でカラドボルグのマスターだ」

 

 紅茶を持ってきたカラドボルグと、村長のイロニが向かい側のソファーに座った。

 イロニは村長という言葉の雰囲気からはかけ離れているような印象を感じさせた。

 背が高い男性だ。そんなに歳もいっていないだろう。

 街にいるような風貌をしているのもあって、村長らしい佇まいではないように思える。

 

「よろしくお願いします、イロニさん」

「君は対暴走執行官のソクラ、で合ってるよな」

「はい、問題ないです」

「……もっとギラギラした目の執行官が来ると思っていたよ」

「そうね。キル姫なんて許さない、なんて言ってきそうな人が属してるって思ってたから意外だったわね」

「よく言われます」

 

 ソクラを見ては、イロニは意外そうな表情を浮かべている。

 逆にソクラは、そういうことを言われ慣れているのか、普段の同じ調子で返答していた。

 

「ただ、一般的な対暴走執行官のように、仕事はしっかりこなす予定です」

「頼もしいな。……今回の依頼はこの周辺で出没が確認された暴走したキル姫の討伐になる。それで間違いないか」

「その件でやってきました。……暴走したキル姫の詳しい目撃情報はありましたか?」

「見た人間はいない。痕跡が村の周辺で散見されているだけだ」

「そうですか。痕跡とはどういうものでしょうか」

「なにかの力で抉られた樹木や、戦闘の経歴はいくつか見つかっている。ただ、まだ人が襲われたなんて話は耳に入ってきていない」

 

 話の内容を丁寧にメモしながら、ソクラが話を聞いていく。

 私も他人行儀ではないので、覚えられるように丁寧に耳を傾ける。

 クラウ・ソラスも、真剣な表情だ。

 

「……珍しいですね。無差別に襲い掛かることも多いのに」

「あぁ、不審だ。……だからといって、いつまでも襲わないとは限らない。早期に発見して、討伐できたらそれが一番だが、下手に動くと村に被害が及ぶ可能性がある」

「だから、遊撃として動ける存在が欲しかったということですね」

「蛇の道は蛇という。通常の奏官に頼るより、対暴走執行官の方が臨機応変に対応してくれると思ったから、依頼を寄せたんだ」

「ありがたい限りです」

 

 頭を下げて、ソクラが感謝の言葉を言う。

 

「早速ですが、話を伺っていってもいいでしょうか」

 

 目の色を変えて、次はソクラから話が切り出された。

 

「あぁ、構わない。なんでも聞いてくれ。俺が答えられない質問なら、カラドボルグが答えてくれるかもしれない」

「助かります。……早速ですが、ここ最近、周辺で大きな抗争のようなものはありましたか?」

「ギルド同士の争いといったものとは基本的に無縁な土地だ。そうした争いはない」

「クラウ、メモお願い」

「わかった」

 

 クラウ・ソラスがペンを握り、そのまま紙に書き記す。

 簡潔な言葉でメモ書きに言葉がつけ足されていく。

 

「ミストルティンは私の質問で気になったことがあったら、補足で追求してほしいな」

「わ、わかりました」

 

 うまくできるかはわからないけれど、やれないと言うわけにはいかない。

 ここは私なりに動けるようにするべきだ。

 

「……質問を続けます。最近、やってきたキル姫と奏官の名前の情報を共有することはできますか」

「それは問題ない。これまでにやってきた奏官の屋敷側で管理しているからここ数年の記録は見返せるだろう。カラドボルグ、資料を持ってきてくれ」

「わかったわ、マスター」

 

 カラドボルグが移動する。

 ……ここで、私が言葉を重ねられる点はあるだろうか。

 気になったことはあったから、恐る恐る聞いてみる。

 

「す、すみません。キル姫の状態などは、どうだったでしょうか……」

「どうだったというと?」

「その、見ていて精神的に荒れていたり、不安定だったことはありましたか……?」

「それはなかったはずだ。活発に活動している隊が多かったのは記憶している。心労が重なっている奏官なんていうのは見つからないかった」

「わかりました、ありがとうございます……」

「クラウ、今の情報も書きまとめておいて」

「わかった」

 

 この様子だと、どうにか情報を引き出せたのだろうか。

 こういうことは初めてだったので、緊張してしまった。

 

「ありがとね、ミストルティン。これも大切な情報だから、忘れちゃいけなかった」

「どういたしましてです……」

「そのミストルティンは新入りなのか?」

「そうですね。最近暴走したミストルティンの淘汰がありまして、その時に淘汰で打ち克ったミストルティンです。偶然私のバイブスと共鳴した縁で、仲間になっています」

「まだ未熟ではありますが、頑張りたいと思っています……!」

「頼もしいな」

 

 爽やかな笑顔でイロニが微笑んだ。

 ……硬い表情をしていると、怖い人のように見えるけれど、笑顔になると柔らかい印象をどこか感じた。

 

「マスター? 他のキル姫にうつつを抜かしてるなんてことはないわよね?」

 

 戻ってきたカラドボルグがやきもちを焼いたような表情でイロニを見つめた。

 

「まさか。俺の一番はカラドボルグだよ」

「なら、構いませんわ。おおよそ三年ほどの立ち寄ってきたマスターの情報をまとめたメモ帳を持ってきたから、うまく使ってね」

 

 軽いやり取りをしながらも、資料を持ってきたことを報告してくる。

 長年の付き合いみたいな関係性を感じさせる。

 

「ありがとう。クラウに渡してもらえると嬉しいな。彼女ならうまく纏めてくれるし」

「無駄にはしないでね? クラウ・ソラス」

「言われるまでもない。集中して資料として活用するさ」

 

 カラドボルグが置いた資料を見つめながら、クラウ・ソラスは新しいメモにそれぞれ滞在日時などを整理していく。かなり丁寧な作業だ。

 

「クラウは臨機応変に拾える情報を拾ってくれたら嬉しいけど、無理しないようにね」

「あぁ。……マスターもメモするのかい?」

 

 クラウ・ソラスが言っているように、ソクラもメモとペンを手に取った。

 彼女も情報を書き留めるつもりだ。

 

「任せっきりになっちゃわないようにね。あと、ここから先はうまく私が言葉を繋げていきたいから」

「わかった、そっちは任せる。私は資料の整理整頓を担当するよ」

「よろしくね。……さて」

「聞きたいことはなんでも言ってくれ。満足な返答になるかはわからないが対応する」

 

 準備を行ったソクラが改めて、質問を再開する。

 

「まず、このあたり周辺で有名なキル姫や人物について知りたいです」

「有名、か……そうだな。どのギルドにも所属せず、村の発展の為に止まり続けている俺は有名な存在だと言われていても変ではないはずだ。自画自賛のように聞こえてしまうかもしれないが……」

「自画自賛だとは思ってないですよ。実際、村を支えているというのは奏官を定期的に雇っていることからも伝わってきますから」

「……それならいい。あと、俺と行動を一緒にしているカラドボルグも歴戦の強者だ。並大抵の異族に後れを取ることもないし、雇ったマスターとのちょっとした決闘でも膝を付くことはなかった」

「あら、褒めてくれて嬉しいわ」

「……それは気になるな。是非とも模擬戦してみたい」

 

 カラドボルグの話題になった瞬間、クラウ・ソラスが反応した。

 ライバル意識が強い。

 

「私はいいけど、負けるつもりはないわよ?」

「私も戦うなら後れをとるつもりはないさ。模擬戦だといってもな」

「……その、会話が終わったあと、戦ってもいいんですか?」

 

 ちょっと気になってしまったので、マスターであるイロニに尋ねてみた。

 ここで駄目だったら素直に引き下がらせるべきだろう。私もしっかり声をあげて。

 

「のちの戦闘に後れをとらないなら構わないさ。お互いにいい運動にもなるだろう」

「……それならよかったです」

 

 気になることがあったら、そのことばかりに気が取られてしまうなんてことはあるかもしれない。だから、こういうのはすっきりさせた方がいい。その方が、きっともやもやしない。

 

「イロニさんやカラドボルグ以外には有名なキル姫なんかはいないと」

「そうなるな。あとは特産品が有名で、マスターの行き来がそれなりに多いくらいだ」

「なるほど……」

 

 会話内容を纏めて、ソクラが書き記していく。

 ……会話のみに意識が回っていないなら、私もうまく話を切り出すべきだろう。

 

「あの、過去に有名だった、みたいな方はいらっしゃいますか……?」

「過去、か……」

 

 その言葉を聞いた瞬間、イロニの表情がどこか暗いものになっていくのに気が付いた。

 ……聞いてはいけないことだったのだろうか。失敗してしまったかと思って不安になる。

 

「す、すみません。無理に言う形になってしまうのであれば聞かなかったことにしても構いません……!」

「いいのよ。ミストルティン。マスターが言いにくくなってるのもわかるけど、ここは伝えないといけないところだから。……それでいいわよね、イロニ」

「……あぁ、逃げてばかりではいられない。いつまでも子供ではいられないからな」

 

 覚悟を決めた表情で、イロニが私たちの方を向く。

 

「かつて、この村を成長させたのは一人の青年と、キル姫だった」

「青年と、キル姫……」

「キル姫はヴォータン。そして、青年は……俺の祖父だ」

 

 昔話を語るように、イロニが言葉を繋げていく。

 

「異族が多かったこの地を開拓し、村を形成し、今の姿まで繋げていけたのは、祖父が遺してくれた伝統とその力添えのお陰だ。奏官の力を借りて、見返りのものを手渡して生きるという、な」

「ヴォータンも強かったんですか?」

「強かったさ。俺は、小さなころしか見ることはできなかったが、槍を振るえば王者の闊歩。強く、たくましいその存在は、王たるものとは何かを考えさせてくれた」

「祖父は……」

「……奏官が立てた銅像が庭に置いてある。それで察してもらえたらありがたい」

「……わかりました。つかぬ、質問でしたね」

 

 その言葉で、もういないという事実を皆が把握する。

 重い空気。

 それでも、確かに情報は前に進んでいる。

 

「……死に目を見ることができなかったのに、死んだとは言葉にしたくはない。そんな、自分勝手な我儘だよ」

「村を離れていたんですか……?」

「幼いころの俺は新しい文化に憧れてな。街で奏官として活躍しようなんてことを考えていた。行方不明になっていた父と同じようにな」

「行方不明、ですか……」

「どこかへ行ってくるって言ったのち、姿を現さなかった。……献花は銅像に与えられているから、生きているとは思うが、詳しいことはわからない」

 

 事細かに、ソクラは言葉を綴っていく。

 意味がないことはないというように。

 

「俺は強い奏官になることに憧れた。王のように立ち振る舞うこともしたかったし、評価されるように生きたかった。……自分のことながら、若かったと思ってるよ」

「でも、そのおかげで私と出会えたのだから、全部が無駄なんてことはないでしょう?」

「カラドボルグにはいつも支えてもらってるよ。感謝の言葉しかしか出てこない」

 

 彼女の存在がイロニの救いになっている。

 潰れていないのは、人の支えがあるから。それはきっと幸せなことなのかもしれない。

 

「……では、いつ頃、ボタンの村に戻ってきたんですか……?」

「おおよそ五年前。祖父が死んだ一か月後、遅れて届いた死亡通知を聞いた時に戻った」

「その時に、仕事も引き継いだんですか?」

「そういうことだ。引き継ぎ方を教えてくれる存在はいなかったし、この村長という仕事が手に付くまでは相当時間はかかった。だが、多くの人の力を借りて、俺は今、こうして村長をやれている」

「それは……なによりです」

 

 村としてしっかり多くの人を支えられている。

 後悔してでも、誰かの助けになろうとする献身の姿は眩しく見えると同時に、覚悟を抱いているようにも思えた。

 ……これで、話がひと段落しただろうか。

 ほっと一息つこうとした時だった。

 

「質問、続けていいですか」

 

 静かな声でソクラが言葉を繋げた。

 なにか、核心に触れているような、そんな真実を探すような声で。

 

「……問題ない」

「聞きづらいことを前提で聞きます。……村に戻った時、ヴォータンを見かけましたか?」

「……見かけなかったな」

「村の人に聞いたりもしましたか?」

「した。……しかし、祖父がいなくなった後はばったり消息を絶ってしまったと言われて、それっきりだ」

「その後、ヴォータンが新しい奏官に仕えたなんて話はありましたか?」

「それはなかった。……消息も絶たれたままだ」

「それらしい死体が発見されたことはありましたか」

「……ない」

「暴走したキル姫が報告されたのは最近ですよね」

「あっている。……まさか」

「……イロニさん。辛いことを言います。まだ、憶測ではありますが、前もって聞いた方がいいと考えますので、あえて今、言葉にします」

 

 冷たい空気に、真実を伝える言葉が響き渡る。

 

「暴走したキル姫は、あなたの祖父と一緒にいたヴォータンの可能性が高いです」

 

 受け入れがたいその真実は、重く、心に突き刺さる。

 そして、凍り付いたような空間の中、ソクラの声だけがまっすぐ響き渡る。

 対暴走執行官。その仕事の重さを、私はまだ知っていなかったのだ。



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5話「生きて、帰ろう」

 最悪な可能性を伝えた後の時間。

 イロニとの会話が終わった後の私はソクラと一緒に行動していた。

 クラウ・ソラスは今、カラドボルグと鍛錬を行っている。

 二人はショックこそ受けていたものの、それもキル姫の宿命だと割り切って、暴走した相手に負けないように動きを合わせようと動いていたのだ。

 イロニも悲痛な表情にはなっていたけれども、わかっていたと言葉にして、それ以上は悲しい顔は見せなかった。村長としての願いとして、仮に相手がヴォータンだったとしたら、村の人に伝えたくはないと言っていた。

 ……皆が、それぞれ覚悟を決めて、前を向けている。それなのに、私は前を向こうという気持ちになりきれていなかった。戦いたくない、なんて弱音を吐きたいわけじゃない。ただ、言葉に言い表せない感情が心に渦巻いていた。

 

「ミストルティン。突然辛い任務になっちゃったね」

 

 屋敷の資料室。

 ソクラと私は情報を探しに赴いていた。

 

「……大丈夫です」

「ううん、大丈夫そうじゃない。ちょっと泣きそうな顔してるしさ」

 

 古ぼけた本を手に取りながら、ソクラが優しく言葉をかけてくる。

 お見通しだ。大丈夫なんて取り繕っていても、ちっとも大丈夫じゃないのだ。

 

「……うまく、言葉が出ないんです」

「ヴォータンも、その祖父も偉大な人だったから?」

「それもあります。……ただ、そんな偉大な方も暴走してしまう可能性がある、というのはキル姫の宿命なのだとしても怖く感じてしまいます」

「……そうだよね。複雑な気持ちにもなるよね」

 

 否定することもなく、ただ私の言葉を彼女は受け止めてくる。

 話を聞いてくれているように思えて、どんどん曖昧な言葉が口にされていく。

 

「……暴走の存在についても、よくわからなくなってきます」

「それはいつも思ってる、かな」

「ソクラさんでも、ですか……?」

 

 そう言葉にして、外なのにマスターと言ってないことに気が付いて、謝ろうとした。

 

「いいよ、いまは二人きり。名前で呼んじゃっても構わない」

「暴走と向き合っていても、それでもわからないもの、なのでしょうか」

「……心の在り方だからね。劇的な感情の移り変わりで暴走は発生する、っていうのは定説として存在はしてるけど、それがどうして暴走という形になったかなんてわからない。……人間だって、どうして怒るかとか、どうして悲しい気持ちになるかとか、そういうことはわからないからね」

「……悲しいから、悲しいのではないでしょうか」

「理屈としてはそうなるかもね。でも、涙ってなんで流れるんだろうってわたしは考えちゃう。ミストルティンも、感情はどうして揺れ動くかとか、気になったことはない?」

「……私も、イミテーションのミストルティンの記憶が流れてきた時に、悲しいと思いました。理由を明確に言葉にするのは難しいですが……ただ、心が揺れ動いたことを覚えています」

「その感覚が大切なんだと思う」

「感覚……」

 

 難しいことを言われている。

 けれども、言いたいことは少しだけわかるような気がした。

 悲しい気持ちを説明するのは難しい。

 どうして怒っているかを解明するのだって不可能な話だ。

 

「喜びの理屈も、怒る理由も、哀しむ動機も、楽しい出来事も人それぞれ。同じ人間なんて、ありえない。それはきっとキル姫だって同じなんだと思う」

「キル姫も、ですか……?」

「今、私と話しているミストルティン以外にも、ミストルティンがいて、彼女は笑っているかもしれない。けど、環境が違うから、元々の性格が同じでも、趣味が異なったりしているのかもしれない」

「……ヴォータンさんも、生きている方はきっといますよね」

「わたしたちが探しているヴォータンとは違うヴォータンが、笑顔で頑張っている場所もきっとあるはずだよ。だからこそ、わたしは目の前のことをもっと知りたいと思う」

「目の前のことを……」

 

 いつの間にか積み上げられていた本をひとつ取り出して、ソクラがページを開く。

 そこには、若い青年の姿と、その青年の肩を力強く叩いているヴォータンの姿が映っていた。

 

「これは、ヴォータンさんの記録……」

「暴走したキル姫は戦闘で生じた影響以外の痕跡は遺しにくい。だから、こういうところでしっかり彼女がいたという証を探していきたいんだ。『貴女がいたことは無駄じゃない。きっと、助かっていた人がいたはずだよ』って言葉にする為にね」

 

 写真に写っているふたりの表情はどれも優しいものだった。

 イロニの祖父がどんどん年老いていっても、変わらず支え続けているヴォータンの姿が記録として遺り続けている。ふたりがいた痕跡として。

 

「文章でも、絵でも、写真でも、なんだっていいんだ。暴走したキル姫をただ討伐するだけじゃなくて、その彼女自身のことをわたしは知りたいって思ってる」

 

 資料を見つめるソクラの表情は真剣そのもので。

 仕事をしているという動作以上に、彼女自身の本心が語り掛けてきていると思った。

 

「……ヴォータンのこと、しっかりイロニさんに伝えたいからね」

「……そうですね」

 

 ひとつひとつ資料を集めながら、静かな声でソクラが呟いた。

 ……まだ、不安はある。

 けれども、彼女と話している間に、少しだけでも、気持ちの余裕ができた気がした。

 

「資料集め、もっと手伝いますね」

「ありがとう。ごめんね、わたし個人のやりたいことに付き合わせちゃって」

「いいんです。……それとなくでも、身体を動かしたいなって思えるようになってきましたから」

「それならよかった」

 

 できることをする。

 行動することは変わらない。

 ただ、立ち向かう勇気は得たような気はする。

 相手のことを知る。

 暴走について、考える。

 ……まだ知らないことも多いけれど、今の私にやれることをしていきたいと思った。

 

「ミストルティン」

「はい」

 

 まっすぐ、私の目を見て、ソクラが話しかけてくる。

 

「辛い戦いになるとは思うし、大怪我もしちゃう可能性だってある。もしかしたら、なんていう事態も発生しうるかもしれない、それでも……」

 

 言葉を溜めて、彼女がはっきりと言葉にする。

 

「生きて、帰ろう。生きてさえれば、なんでもできるから」

「……わかりました。可能な限り、善処してみます」

 

 きっと、その言葉を口にしているのは最悪の事態も想定しているからだろう。

 生きて帰る。戦って勝つということでもある。負けたら、きっと命はない。

 ソクラの言葉を、私は静かに受け止めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 イロニとソクラを作戦会議を行い、行動に移すのは明日ということになった。

 深夜に強襲するとなると、視界の都合、こちらが不利になってしまうから、あるべく日が出ている間に決着を付けたいというソクラの経験測からの判断だ。

 ……ボタンの村の護衛がなくなってしまうと、不安があるので、いざという時以外はイロニは村で待機してほしいということも話していた。

 

「暴走したキル姫を発見し次第、青い信号弾を飛ばします。その時は、早期に援護に走ってもらえると助かります」

「村の警備はどうする?」

「……早期に決着を付けることで、警備できるようにしたいです」

「背水の陣ということか」

「暴走したキル姫を相手にするときは、どうしても使える手が多いほうがありがたいですから」

「……了解した。即座に駆け付けよう」

 

 会話の内容を思い出す。

 工房で信号弾を作っていた理由は、合図と誘導の為。協力してもらえるのは、ありがたい。

 

「村への被害を出さない為に、それなりに離れた距離に行きます。……ミストルティンと、クラウには持久戦を頼むことになりそうだけど、問題ない?」

「やってみるさ」

「回復は任せてください」

 

 回復魔弾は心得ている。

 だから、致命傷を負わなければ、いくつか傷を抑えることはできるだろう。だからといって、無理ができるというわけではないので、油断はできないけれど。

 

「よし。カラドボルグはイロニさんと一緒に臨機応変に状況を見て動いてもらえたら、助かるけど……いいかな」

「大丈夫よ。クラウ・ソラスとの連携だって即席ではあるけれど、できるわよ」

「あぁ、いざという時は動きに合わせることはできる」

「頼りにするね」

 

 各々が準備を整え、その後寝室で眠ることになった。

 屋敷の布団はあったかく、明日は戦いが待ち受けているというのに、よく眠ることができた。



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6話「戦闘、痕跡」

 後日、暴走したキル姫を討伐する作戦が決行された。

 村から抜け出した私たちは、木材伐採用に使われているという村付近の森林の奥地に赴くことにしていた。

 

「なにかしら戦闘の痕跡はある?」

「一部の樹木に傷が付いているな」

 

 武器を構えたまま、クラウ・ソラスが付近にあった木に手を伸ばした。

 私も気になって、その木に近づいて確認する。

 

「……強引に抉られているような印象です。武器で傷つけられたものと見ていいと思います」

 

 その木に付けられた傷は、自然の動物が傷つけたような印象ではなかった。

 強引な力によって抉られたような、人工的な傷のように感じる。

 

「そうなると結構近いかな……」

「油断はしない方がよさそうだ」

「そうですね……」

 

 森の中の音を探るのは、経験上慣れている。

 ここは、私が動けるタイミングでもある。

 静かに、音に耳を傾ける。

 木々が揺らめく音、風の音に、穏やかな鳥の声。

 ……平穏な時の森の音だ。

 

「……やっぱり不思議です」

「なにか、気になったの?」

「異族が動くような音が一切しないんです。ここまで静かなことは、外だと珍しいので、少し妙に思えます……」

 

 森で生活している時も、異族の音が聞こえなくなる日の方が珍しかった印象がある。だからこそ、変な感覚だ。

 

「相変わらずか。異変を感じたのは移動中もそうだったが、急に増えることはないからな……」

「異族が増加しない理由は……」

「暴走したキル姫の可能性が高いが、そのキル姫が姿を見せないことには証拠にはならないな」

 

 警戒を解かないように、杖を構えながら歩いていく。

 緊張が続く。

 なにもないという時間が、逆に不安だ。

 

「背後を取られないように気をつけないとね」

「あぁ、不意に攻撃を喰らったら全滅もありえる」

「……もっと探りを入れるべきですね」

 

 様々な手段を使って暴走したキル姫を突き止めるべきだろう。

 ガイアコアを構えて、地面に突き刺す。

 そして、その杖を起点に、植物に魔力を注ぐ。

 

「ミストルティン、それは……」

「植物を通じて森の状況を把握してみます。……探れる範囲は、残念ながらそこまで広くはないですし、細かく状況は判断できませんが、目視よりは見えるかと……」

「わかった、頼りにしてるね」

 

 目を瞑って、杖に手を伸ばし、植物付近の気配を探る。

 木霊ドリュアスのような力がないから、そこまで明確に調べることはできない。それでも、今持っている杖の魔力があれば、それに似たことはできる。

 意識を集中して、状況を確認する。

 前方、小鳥がさえずっている。

 右方向。リスが戯れている。

 左方向。穏やかな川で狸が水浴びをしていた。

 ……ここまでは問題ない。

 

「私から見て、前方、そして右と左は異変はありませんでした」

「後方は?」

「……確認してみます」

 

 息を吸って、深呼吸しながら確認する。

 異変があったら伝えなければならない。

 奇襲されることになるなら、すぐに声をあげる。

 確認していなかった、後方周辺の気配を探る。

 ……小さなリスが、逃げている。

 私がいる位置よりも遠い場所で、騒々しい木々の音が聞こえた。

 鳥が慌ただしく羽ばたいていく。

 ……不穏だ。

 足音が聞こえる。

 これは、人が歩く音。

 獣が動く音ではない。

 重く、そして着実に、私たちの場所にその音は近づいてきている。

 

「……後方、足音が聞こえます」

「なにっ」

「熊とかじゃないよね!」

 

 もっと集中して、気配を辿る。

 ……熊ではない。

 人間によく似た気配だ。

 

「熊では、ありません……!」

 

 一定の距離に近づいたのを確認したのか。

 その気配は、急に駆けだした。

 ……私たちの方向に目掛けて。

 

「……来ますっ!」

 

 風が揺れる。

 勢いよく襲い掛かってきた。

 感知に集中していた私は対応しきれない。

 

「……そこかっ!」

 

 即座に対応したのはクラウ・ソラスだった。

 剣同士がぶつかり合った音が響き渡り、相手を弾き返す。

 急ぎ、私は態勢を整え、向かってきたキル姫を確認する。

 ……クラウ・ソラスも驚愕の表情を浮かべていた。

 

「……カラドボルグ、さん……?」

「そんな、まさか彼女が」

 

 暴走したキル姫はカラドボルグだった。

 狂気に帯びた目をしている彼女の剣は、血で固まった赤い色をしている。

 混乱した状況を理解する暇もなく、次の攻撃が遅いかかる

 

「……くっ!」

 

 クラウ・ソラスが強烈な一撃を受け流すように、剣で対応する。

 暴走したキル姫の身体能力は通常のキル姫のそれを上回る。その為、直接一対一の戦闘になった場合、不利な状況に追い詰められてしまう。

 

「クラウさん! 地形を変動させます!」

「鍛錬で試していたやつだな! 了解した!」

 

 だから、動かないといけない。

 鍛錬で練習した動き。

 

「マスター、気をつけてくださいっ!」

「うんっ、やっちゃっていいよ!」

「……お願い、ガイアコア……!」

 

 ガイアコアの魔力で、小規模な地形変動を発生させる。

 地響きが鳴り響き、森の地形が歪にズレていく。

 魔力がなくなれば元通りになる、一時的な変化ではあるものの、知らない相手からすれば動きずらくなるはずだ。

 

「今回はほんの少しの時間だけの変動です……! すぐに元通りになりますっ」

「今はそれで大丈夫。みんな集まって。こっちも手札を切るから」

 

 私の眼前で発生している地形変動は相手の動きを停滞させるのには十分な働きをしている。

 急ぎ、後退して、陣形を整える。

 

「どうする、マスター」

 

 三人が同じ場所に集まったことを確認して、クラウ・ソラスが問いかける。

 

「煙玉を使って立て直すよ」

 

 言葉を発するのと同時に、煙玉が投げられた。

 人間が扱うように調整されている都合、忍者の技能を持っているキル姫が扱うものより性能は落ちているものの、時間を稼ぐのには適した道具だ。

 

「なるべくもう少し離れよう。次はこっちから仕掛けられるようにね」

「わかった」

 

 退きながら、状況を確認する。

 敵に背は向けない。

 背後を取られないように警戒を強めながら、状態を整える。

 

「……マスター、あのカラドボルグは、イロニ奏官のカラドボルグなのだろうか」

「断言はできない。ただ、雰囲気は違う気がする」

「暴走したキル姫はヴォータンさんではなかったのでしょうか……」

「それも未確定。目の前にいるカラドボルグは完全にイレギュラーだし、予想もしていなかったからね。……ただ、この状況はどうにかしないといけないよね」

「……ということは」

「うん。信号弾、使うよ」

 

 暴走したキル姫を発見したら、信号弾を飛ばす。

 その言葉の通り、上空に青い信号弾が打ち上げられた。

 激しい光が発せられ、私たちがいる位置で何かがあったことをイロニに伝える。

 

「もし、イロニがやってこなかったら、あのカラドボルグが暴走している可能性が高くなる。……すぐに助けにきてくれるかは未知数だけど、それでも救援はあった方がいいからね。ここからはうまく立ち回らないと」

 

 緊張の色を感じさせる声で、ソクラが言葉にする。

 相手から強襲された状況なのもあって、こちらの準備は万全とはいえない。不安があるのも

 

「彼女の無事を願うばかりだ……」

 

 クラウ・ソラスの剣を握る力が強くなる。

 

「煙玉、そろそろ効力を無くします……!」

「……しばらく粘り強く戦うしかないかな」

「なるべく善処します……!」

 

 少しでも、相手を追い詰める為に、行動しないといけない。

 不安な気持ちを抑えて、杖を構える。

 薄れた煙の先には、暴走したカラドボルグがいる。

 

「やぁ……!」

 

 牽制のホーリービラ―。

 それぞれの光の柱が直撃することはないにしても、予め魔弾を置いておくことで、相手の動きを少しでも束縛することはできる。

 

「アアアアアア!」

 

 大きく左右に移動しながら、相手が避ける。

 速度が尋常ではない。

 少しでも目を離すと、見失ってしまいそうだ。

 繰り返し、ホーリービラ―を展開していく。

 当たらなくてもいい。相手を怯ませることができれば上出来だ。

 

「そこかっ!」

 

 大きく飛んだ瞬間を狙って、クラウ・ソラスが一撃を加える。

 

「アアアアッ」

 

 しかし、一瞬の間に剣を構えられ、直撃を避けられてしまった。

 

「……ならっ!」

 

 クラウ・ソラスが作ってくれたタイミング。

 ソクラが懐に潜り込み、白銀の剣で切りかかる。

 ソクラの一撃は、暴走したカラドボルグの右腕に掠るように当たった。

 その一撃が生傷となり、赤く血が噴き出す。

 完全に入ったわけではない。それでも、攻撃が通った。

 

「アアアアアアア!」

 

 叫び声のような咆哮が響き渡る。

 力尽くにクラウ・ソラスもソクラも、武器の持っていない手の腕力で弾き飛ばされてしまった。

 全力の振り回し。ただ、それだけではあるけれども、暴走して加減がなくなった力ではそれだけでも強烈な武器になってしまう。

 

「ぐっ」

 

 クラウ・ソラスはなんとか受け身を取れていた。

 

「……つぅ」

 

 しかし、キル姫の握力に対応しきれないソクラは、全身を地面に叩き付けられてしまった。衝撃を殺しきれていない。打ち所が悪かったら、即死すらあり得ていた。

 

「ソクラさんっ!」

 

 回復に急ぐ。

 人体の急所への痛手が発生しないようにしていただけ幸いだったけれど、このままにしていたら危ない。

 

「マスター、無理はしないでほしい!」

 

 クラウ・ソラスが暴走したカラドボルグの攻撃を引き受けながらも、声をあげる。

 

「あの場面は、攻撃できたから……」

「死んでしまったら元も子もないです!」

 

 杖に魔力を込めながら、状態を確認する。

 額から血が流れている。

 手と足にも擦ったような傷ができている。

 致命傷ではない。それでも、かなりの傷だ。

 

「……そうだね、反省する」

 

 回復魔弾で身体の治癒力に働きかける。

 問題ない、これくらいなら私でも回復できる。

 

「ミストルティン、色々すまないが、支援を頼みたい!」

「……わかりました、そちらも対応します!」

 

 一部の攻撃を義手で受けながら、対応しているクラウ・ソラスも徐々に押されていた。

 状況が目まぐるしく変わっている。それでも、動き続けないといけない。

 

「……ガイアコアっ!」

 

 クラウ・ソラスとカラドボルグがいる場所を中心に地盤変化を発生させる。

 ソクラのの治療も片手間に行っている都合、回せる魔力はそんなに多くはないものの、杖の膨大な魔力で強引に大地を揺るがす。

 戦いやすいように地形を調整して、回復も行って、ソクラ周辺の守りも固める。

 全ての動作を丁寧に行う。

 

「……つっ!」

 

 一瞬、身体全体に激痛が走った。

 無理な魔力消費に私の肉体が悲鳴をあげているのだ。

 いくらキル姫だといっても、そこまで頑丈なわけではない。強力な魔法を連続して使えば、体力消耗は逸れそうに激しいものになってしまう。

 

「ミストルティンっ」

「……流石に、魔力消費が重いです。でも、クラウさんを援護してみせます……!」

 

 意識が飛びそうになってしまった。

 それでも、続ける。

 今、クラウ・ソラスが戦っているこの瞬間を逃したら、私たちは死んでしまうだろう。

 凹凸が発生した地形を使いこなし、クラウ・ソラスが確実に暴走したカラドボルグに攻撃を加える。

 

「これでっ!」

 

 不慣れな地形で発生した敵の隙を付くように、クラウ・ソラスが、暴走したカラドボルグの胴に一太刀を入れた。

 私の位置からでは、すべての状況が把握しきれない。

 それでも、大量の血が噴き出しているのは見えた。

 

「アアアア……!」

 

 叫ぶこともなく、カラドボルグが倒れる。

 その瞬間、私が発生させていた地盤変動も解除され、地面の形が元通りになった。

 地形変動時間の限界だ。これ以上は連続して続けられない。

 

「……ひと段落、か?」

 

 剣を構えたまま、油断なくクラウ・ソラスが見つめる。

 

「山場は超えたのかな……」

 

 治癒魔法が効いてきたソクラも立ち上がる。

 

「それならよかった、です……」

 

 私も立ち上がろうとしたら、ふらっとして動けなかった。

 

「ミストルティン、無理はしない方がいい」

「すみません」

 

 クラウ・ソラスの手を借りながら、立ち上がろうとする。

 

「……クラウ、さん……?」

 

 ……しかし、クラウ・ソラスの義手が、なくなっていた。

 さっきまで、あったのに。

 一瞬でなくなった。

 カラン、という重い音がなった。

 

「ぐ……っ、不覚……!」

 

 クラウ・ソラスが倒れる。

 重さを伴った音が、クラウ・ソラスの義手が落ちた音だということに気が付いたおは、一瞬遅かった。

 

「ア、ァァ……!」

 

 その後ろには、さっき攻撃を加えていたはずの暴走したカラドボルグが立っていた。すべての攻撃は通っている。それでも、まだ彼女は戦えていたのだ。クラウ・ソラスの胴に向けた一撃も痛々しく傷として残っている。それでも、動いていた。

 クラウ・ソラスは傷を負っている。血か噴き出している。

 片方の手がなくなってしまっている。

 義手が強引に捩じ切られてしまった。

 

「クラウさん!」

 

 私のせいだ。

 私が気を緩めさせてしまったから、こんなことになってしまった。

 義手の傷は私には治せない。

 治療魔法では回復できない。

 治癒ができたところで、義手を繋げるなんてことはできないのだ。

 

「……はぁああ!」

 

 ソクラが迫ってくる暴走したカラドボルグに攻撃を加えていく。

 今までより、相手は動きは遅くなっている。それでも、生き続ける執念の力か、暴走して赤くなった目は、まだ色を失っていなかった。

 ……戦うべきだ。

 自分の身を削ってでも。

 

「これで……!」

 

 回復魔弾を発動しながら、いくつものホーリービラ―を展開する。

 魔力消費は気にしない。

 相手が倒れるまで、攻撃を放つつもりだった。

 しかし、ソクラの斬撃が繰り返し入っても、ホーリービラ―が刺さっても、暴走したカラドボルグが止まることはなかった。

 

「……あっ」

 

 魔力と体力が尽き、地面に座り込む。

 ……立つことも、ままならない。

 ソクラも暴走したキル姫の攻撃を受け続けた結果、動けない状態になっていた。

 赤く染まった衣装を纏って、暴走したカラドボルグが歩いてくる。

 もう、使える手段がない。

 意識が朦朧としていて、悪足掻きのように放つドレインの魔弾すら命中しそうにない。

 

「……ごめんなさい」

 

 私がいたからこんなことになってしまったのなら、死んでしまうのは私がいいだろう。それ以外の人はせめて、生きていてほしい。

 ソクラも、クラウ・ソラスも、まだ生きているべきだ。

 目を瞑って、覚悟する。

 もう、生きていられないことを。

 

 剣が空を切る音がする。

 

 ……痛さを感じることはなかった。

 

「ア、アア、アアアア……!」

 

 誰かが、私の攻撃を肩代わりしてくれていたから。

 そっと、目を開く。

 

「……ヴォータン、さん……?」

 

 そこにはヴォータンの姿があった。

 暴走しているのは狂気を帯びている目からしてみてもはっきりしていた。

 それでも、彼女は私を庇ったのだ。

 理由は、わからない。

 

「ウアアアア!」

 

 槍を振るい、カラドボルグを追い払う。

 ……その後、彼女は私の顔を振り向いて、微笑んだ。

 暴走しているはずなのに。

 もう、意識もないはずなのに。

 

『同胞の為によく戦ったな』

 

 と語り掛けてきたような気がした。

 笑ったと思ったら、傷をそのまま、咆哮をあげて彼女は去っていった。

 

「……あれは、叔父のヴォータン……?」

 

 ……信号弾の合図で駆けつけてきたイロニの声が聞こえてきた。

 

「マスター、みんなの早く治療を! 私はあのイミテーションを淘汰するわ!」

「わかった!」

 

 イロニと一緒にいるカラドボルグも無事だったみたいだ。

 

「ここまで追い詰めてくれたことも、お礼して!」

「無論だ! 負けるなよ、カラドボルグ!」

「お膳立てしてもらっちゃったもの。負けるわけにはいかないわ!」

 

 的確な指示を加えながら、イロニのカラドボルグがイミテーションである暴走したカラドボルグを追いかけた。

 イロニは、私に駆け寄ってきて、薬を手渡してきた。

 

「万能薬だ。使ってくれ」

「すみません……」

「構わない。今まで戦ってくれたのは感謝しかない」

 

 回復魔弾では自分の体力を回復することはできない。

 ドレインなら回復はできるものの、急変した事態に対応しきることはできていなかった。

 受け取った万能薬を使って回復を図る。

 ……強引な回復なのもあって、意識が追いつききれていないものの、マナを補充できたこともあり、魔力不足や体力の低下は解消された。

 呼吸を整えていく間に、なんとか気持ちも落ち着きを取り戻すことができた。

 

「……申し訳ありません、クラウさんもお願いします、私はマスターの治療に向かいます」

「あぁ、キル姫用の薬は人間には効きすぎるからな」

 

 身体の感覚を整えながら、ソクラの元まで歩いていく。

 致命傷は追っていないものの、彼女も酷い傷だ。

 打撲のように腫れた箇所も剣で負った切り傷もある。

 

「……イロニさんの救援で万能薬をいただき、動けるようになりました」

「それは、よかった……」

 

 息は荒いけれど、命には別条はなさそうだ。

 その事実にほっとする。

 

「あとは……ヴォータンさんが助けにきました」

「暴走したヴォータンも、いたの?」

「はい。暴走してたはずなのですが……攻撃を庇ってくれて、そのお陰で致命傷を避けられました。……ヴォータンさんは、かなりの深傷を負いましたが……」

「そっか。……不思議、だね」

「暴走したキル姫は意識を持ちませんよね……」

「本能で、守りたいって思ったのかもしれないね……」

 

 傷を庇いながら、ソクラが立ち上がる。

 

「だが、見逃すわけにはいかない。……人を襲ってしまう前に、討伐しないといけないからな」

「クラウさん……!」

「もう、不覚は取らないさ。義手の腕を使うことは叶わないが、片手が動くなら牽制くらいはできる」

 

 クラウ・ソラスが合流してくる。

 イロニも立っている。

 

「その傷で戦って大丈夫なのか。後は俺とカラドボルグに任せてもいいんだぞ。追い詰めるまで戦ってくれたから、休んでも……」

「難しい質問だけど、終わらせないといけないから。すぐに向かわないと、村が危ないかもしれないし」

「討伐時間が掛かり、刺激された暴走したキル姫が人里を襲ったなんて話は少なくない。……戦うさ。ミストルティンも行けるな」

「はい。この任務、完遂させてみせます」

「もし駄目でも、足止めはしてみせるよ」

「……そこまで言うなら、俺は止めない。だが、死ぬなよ」

「死なないよ。絶対」

 

 各々が立ち上がり、ヴォータンが走っていった場所に赴く。

 

「……ヴォータンを、頼んだ……!」

 

 そう言葉を残し、イロニはカラドボルグの元へと向かっていった。

 暴走したカラドボルグの淘汰はイロニたちが後はやってくれるだろう。

 あとは、あの暴走したヴォータンと向き合うだけだ。

 彼女も私たちも、みんな傷付いている。

 どちらが終わるとしても、決着は日が沈み切る前に付くだろうということは感じていた。

 

 

 

 

 

 

「……あのヴォータン、だよね」

 

 血を辿って、たどり着いたのは小さな洞窟の入り口の前。

 そこには、暴走したヴォータンが立っていた。

 

「……間違いないです」

 

 さっき受けた攻撃は抉られるような形となって残り続けている。

 利き腕で槍を持つことが叶わないのか、大振りな槍を片手で持っている。

 

「……随分傷ついている」

「ずっと戦っていたからかな」

 

 衣類のあちこちが切り裂かれていた。返り血が衣装を黒く染め上げている。

 素肌が見える箇所には傷がない場所は存在しない。

 動きも、機敏に動いていた暴走したカラドボルグと比べると遅くなっているように見えた。

 

「……終わらせてあげないと」

「あぁ。行こう」

「……ヴォータンさん」

 

 助けられたから、討てないなんてことはない。

 私も覚悟を決めてここまで動いている。

 ただ、彼女の意思が知りたいとは思った。

 もし、暴走して本人の思わぬ意思で被害を出してしまうことがあったら、報われない。

 相手が私たちに気が付く。

 

「アアアアァ……!」

 

 暴走したキル姫が言葉を発することはない。

 だから、遺された私たちが、その意思を知ることは難しい。

 それでも、知りたいと思うマスターがいる。

 なら、私は応えたいと思った。

 生きて、ソクラと一緒に知りたいと願った。

 

「……ホーリービラーっ!」

 

 光の柱。

 今回は確実に当てに行く。

 光と闇の属性はお互いに背反しあう。だから、高い火力で追い詰めることができる。

 何回か当たったあと、傷を庇いながら、ヴォータンが迫ってくる。

 確かに効いている。それでも、決定打にはなっていない。

 

「マスター、合わせてくれ!」

「行くよっ」

 

 ヴォータンの槍の薙ぎ払いに合わせて、クラウ・ソラスとソクラがそれぞれ剣で対応する。

 間合いの相性は不利。

 それでも、相手の攻撃のタイミングを逸らせれば、一太刀加える隙ができる。

 クラウ・ソラスが衝撃を逸らすように、片手で持つ剣の力で槍に対応する。

 ソクラは両手の力を使い、槍を弾き返した。

 

「あとはお願いっ……!」

 

 相手が弱っていたからか、ヴォータン自身もソクラの手で洞窟付近の岩盤まで追い込まれた。

 

「いこう、ミストルティン!」

「はいっ……!」

 

 クラウ・ソラスの声に対応して、杖に魔力を貯める。

 彼女も渾身の一撃を加えるつもりだ。

 

「決定打にはならないかもしれないが……!」

 

 水晶刀カルマに秘められた力を活かした一撃。

 最大限の加速を込めた一刀がヴォータンに入った。

 叫び声にも似た咆哮が響く。

 

「とどめを!」

「終わりにします……!」

 

 自分自身の魔力と、ガイアコアの魔力を載せて、魔力の蔦を発生させる。

 そして、全ての蔦をヴォータンの身体に貫かせた。

 

「ア……ァ……」

 

 血が噴き出し、狂気を秘めた瞳が元の色に戻っていく。

 今度こそ討伐に成功したのだろう。

 少しずつ、近づいてヴォータンを見つめる。

 

「……ヴォータンさん」

 

 ……力尽き、倒れたヴォータンの表情は、私を救ってくれた時と同じように微笑んでいた。

 

「……依頼そのものはこれで達成かな」

 

 みんなが地面に座り込む。

 気を抜けない状態が続いていたのもあって、精神的な疲労は相当なものだったのだろう。

 

「カラドボルグの方が無事ならな……」

「私なら大丈夫よ。クラウ・ソラス」

「カラドボルグ! よかった、無事で」

「私は平気よ。まぁ、淘汰の影響で少し気持ちが落ちてるかもしれないけど」

「……しばらく無理はしない方がいい。淘汰の後は、感情が不安定になりやすいからな」

「そうね……わかったわ。素直にクラウ・ソラスの言う通りにするわ」

 

 元気そうなカラドボルグと一緒にイロニが歩いてくる。

 

「こちらの淘汰は終わった。……ヴォータンも無事に討伐されたみたいだな」

「はい。……でも、まだ気になることはありますが」

「暴走したキル姫がまだいると」

「そうではないです。……ヴォータンがここにやって来たのが気になったんです」

「どういうことだ」

「……死に場所を決めていたように思えて」

「まさか」

 

 イロニが言葉に詰まった様子で考え出す。

 ……ソクラの言いたいことはなんとなくわかっていた。

 

「この洞窟に、何かがあるということですか?」

「……うん。確認しておいた方がいいなって思ったの」

 

 立ち上がって、ソクラがそう言葉にする。

 

「お手伝いします」

「これも大事なことだからな」

 

 私もクラウ・ソラスも知りたい気持ちは強かった。

 洞窟に向かって歩きだす。

 そこに何があるかはわからないけれど、大切なものがあるとは感じていたのだ。

 

「……俺も付いていって、構わないか」

「問題ないよ。むしろ、ヴォータンとの縁があるイロニさんやカラドボルグには来てほしい」

「わかった。……行こう」

 

 それぞれの感情を胸に、洞窟に入る。

 小さな明かりがこうこうとついているその洞窟は奥がそんなに遠くにはなかった。

 

「……行き止まりみたいです」

「あれは……」

 

 小さな明かりがついた洞窟の最奥部には、古さを感じさせる厳かな日記帳が置かれていた。

 

「日記帳、か……」

「先に、読みますか?」

「あぁ……」

 

 イロニが日記帳に近づく。

 そして、そのまま硬直した。

 

「……マスター?」

「……正直に言うと、自分で読むのは怖いんだ。過去の俺自身に向き合ってるみたいで、恐ろしくてたまらない。……村長にもなったのも子供のようだよな」

 

 イロニが静かに笑う。

 自分を憐れんでいるような、そんな笑い方をしていた。

 

「……読んでもらうのは、平気ですか」

「我儘かもしれないが、それなら問題ない。」

「……なら、ミストルティン。お願いしてもいい?」

「私ですか……?」

「そうね、ミストルティンならいいかもしれない」

「カラドボルグさんまで」

 

 自分には荷が重すぎるのではないかと思っていても、どんどん背中を押されていく。

 

「ヴォータンに直接助けられたんでしょ。なら、きっとマスターも後悔しないわ」

「赤の他人、ではないからな」

「……そうですね、命の恩人です」

 

 あの時、どんなことを考えて私を庇ったかなんてわからない。

 けれども、私がこうして生きている以上、なにかしら意味があるのかもしれない。

 

「……わかりました、読んでみます……!」

 

 後悔しないように。

 私は古くなった日記帳に手を伸ばし、その内容を読んだ。

 ……私の言葉を通じて、語られる日記帳の内容に、イロニは静かに涙を流していた。



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7話「彼女の日記」

『不思議な青年に会った。その青年は王としての存在を誇示する私に対して、「一緒に世界を創っていこう」などと抜かしては、笑っていた。大胆不敵、覚悟を帯びたその表情は王としての佇まいを持っていて、私の同胞に相応しい存在であると感じた。共に生きるきっかけとなったこの日を忘れることはないだろう。……なんだか大真面目な日記になってしまったが、まぁ、こういう日があってもいいだろう。多分』

 

 

 

 

『青年に名前を聞いたら、「名前なんていらない。俺がいたという印が残ればそれでいい」と言葉を返してきた。……それではわからん! わかりずらすぎる! ややこしい名前を勝手に付けるのはやぶさかではなかったので、私は青年のことを敬意を込めて「マスター」と呼ぶことにした! 以後、この日記帳でもマスター名義とする!』

 

 

 

 

『マスターが創りたい世界は村だったらしい。てっきり、王として世界を征服してやろうみたいな野望だとばっかり思ってしまったので、私はひとりでにショックを受けてしまっていた。不覚である。だが、マスターのあの瞳は嫌いではない。付き合ってやろうじゃないの! 村作り!』

 

 

 

 

『村作り、想像以上にしんどい。地道な作業が多すぎる。良質な木材を集めては毛皮を集め、そして安全な空間を探しては異族の発生を観測する……あぁもう、思い出しただけで性にあわーん!』

 

 

 

 

 

『昨日の私は投げやりだった。だが今日の私は違う! 千里の道も一歩より! 国が一日でどがって立つなんてありえんからな! それさえわかれば恐れるものなどない! 同法の為に力を尽くそう!』

 

 

 

 

 

 

『つかれた、なんか面白い話しろー』

 

『木材を切るのは楽しいぞ』

 

『気持ちもなんだか楽しくなるぞー』

 

 

 

 

 

 

 

 

『……反省だ! 私たちに足りないのは反省だ! マスターも猪突猛進に村作りをしてたから気が付いてなかったが、圧倒的に技術力が足りん! よくわかんない文章で日記帳に落書きとか書いたのも、全部反省が足りなかったからだ! そもそも、職人でもないのに、家を作ったりすること自体が無謀だったのだ! もっと人を使おう! そうするべきだ! 同胞であるマスターにも提案しておこう!』

 

 

 

 

 

『マスターの人を使う能力の高さには驚愕した。気難しそうな職人の心を動かすなんて、私にはできそうにもないことをさらりとやってのけたのだ。才能がある! 天才だ! マスターの力があれば、きっといい村が完成する! 私は未熟なままでいないように、マスターと切磋琢磨してきたいぞ!』

 

 

 

 

 

 

 

『……忙しくて長らく、日記に触れられていなかったが、ついに村が完成した! マスターが村長として立ち、街の住人を守り、生活を安定させる。小さな地位かもしれない。だが、マスターは王として成ったのだ! これは凄いことだ! 私は、マスターの同胞! だから、同じ立場として民を守るべきだ! 一番槍として頑張っていくぞ!』

 

 

 

 

 

『マスターが結婚した。私ではないが。……えーい、泣いてなどおらん! マスターと私の関係は同胞! それ以上でもそれ以下でもない! ただ、あのウェディングドレスは一度は袖を通してみたかった……なんて気持ちもあったりする。そんなことはこの日記帳でしか書けんが。とにかくマスターの幸せそうな顔が見れて、よかった! 幸せになれよ!』

 

 

 

 

 

 

『マスターに子供が出来た! 王の子だ! めでたいぞ! お祝いになにか用意したい! 私にできることならなんでもしよう、楽しみが増えたぞ!』

 

 

 

 

 

 

 

『マスターがギルドに誘われても、断っているのは村の為。適度なバランス感覚と人を動かす力はまだ健在だ。……しかし、しわの数が増えているのが気になる。無理だけはしてほしくはないが……』

 

 

 

 

 

 

 

『……マスターの子供が消息を絶った。孫は健在だが、街の奏官の仕事に憧れているらしい。止めるつもりはない。ただ、マスターの子供のように私の前から、この村からずっと離れてしまわないか心配だった』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『マスターが老いた。咳が多くなった』

 

 

 

 

 

 

 

 

『マスターが……いや、もう、なにも書きたくない』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『村を見ると、あの時の感情が蘇ってしまいそうで、不安になる。もし、あの時の衝動に身を委ねていたら、村の住人を襲っていたかもしれない。……マスターが築いてきた栄光を、私の手で破壊することなどしたくはない。私は、ボタンの村の遠くにあった洞窟に滞在することにした』

 

 

 

 

 

 

 

 

『風の噂で、マスターの孫が帰ってきたというのを耳にした。もう一度会ってみたい。だが、今の私が姿を見せたところで、どういう返事が返ってくるかわかったものではない。もしかしたら、感情が爆発して暴走してしまうかもしれない。だから、ここから動きたくはなかった』

 

 

 

 

 

 

『村は繁栄していたと、私を訪ねてきたキル姫が話してきた。名前はカラドボルグ。偶然にも、マスターの孫のキル姫も同じカラドボルグだったのだが、淘汰しあう気が起きなくて、私のところにやってきたらしい。珍しいやつだ』

 

 

 

 

 

 

『カラドボルグが私に提案した。「共犯者にならない?」と。彼女が言うには、客観的に見て、私は極めて暴走するキル姫と近い感情状態になっているらしく、いつかは勝手に暴走してしまうらしい。その前に、やりたいことをやっていくのはどうか、という提案だった。私はその提案に頷いた』

 

 

 

 

 

 

『カラドボルグが提案したこと、それはボタンの村の周辺にいる異族を定期的に討伐することだった。村の奏官雇用のシステムは、まだ成熟しきったとは言い切れず、攻め切られたら潰されてしまう可能性が高い。だから、裏からこっそり守っていこうという話だった。……裏から守る。それは、王としてはふさわしく無い姿かもしれない。だが、それでもマスターが守って、繋いできたものを私は守りたいと思った。協力者であるカラドボルグも、私の大切な同胞だ。彼女に心から感謝したい』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『カラドボルグが、先に失礼するなどといって、この洞穴からいなくなってしまった。……私より、完璧な部分が多い彼女のことだ。自分がこれからどうなるかがわかっていて、迷惑が掛かることがわかっていたから、いなくなったのだろう。私はいつも取り残される。……王の道は孤独なのだろうか』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ひとり、繰り返し異族を討伐する。村には行商人も行き来するようになった。無事に発展してきている。私の役割はもうないのかもしれないな』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『身体が重い。意識も朦朧としている。だが、これだけは書いておきたかった。私のマスターは王として正しく道を創った。私も、その道を阻む存在ではありたくない。もし、私が暴走して、人に刃を向けるようになったら、躊躇わず、討ってほしい。そして、そして……我儘な願いだが……』

 

 

 

 

 

『私の亡骸が遺るなら、マスターと一緒の場所に……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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エピローグ「暴走と存在意義」

 お屋敷の裏にある墓地。

 イロニさんの祖父のお墓の前に立って、静かに手を合わせる。

 ……ヴォータンの亡骸も、ここに埋まっている。

 日記には、言葉以上に彼女の想いが込められていた気がする。

 私が手に取って、読んでいるだけでも彼女の感情が伝わってきて、後半の方は、私自身泣いてしまっていた。

 

「イロニさんに、しっかり伝わったのでしょうか……」

「伝わったさ、きっとな」

「クラウさんっ」

 

 ぼんやりと呟いていたら、クラウ・ソラスに声をかけられた。

 

「その……義手は大丈夫なんですか?」

 

 恐る恐る聞く。

 そう、彼女の義手はあの戦闘で壊されてしまっていたのだ。

 

「あぁ。義手は取り替えることになりそうだ。次の任務までは色々手続きがあるみたいだし、それまでに直してもらうよ」

「しばらくは直らなそうですか……?」

「いや、そんなことはないさ。ここにはそれなりに大きい工房もあるし、おやっさんも向かってくる。だから、そんなに片手だけの状態は続かないと思うよ。日常で使えるような予備ならあるって話らしいからね」

「それはよかったです……」

 

 流石に元通り、とまではいかなくても生活に困ることはないみたいだ。

 帰ってきたあともずっと心配だったから、クラウ・ソラスの言葉を聞いて安心した。

 

「これもイロニの祖父から続いている村の恩恵さ」

「……そうですね」

 

 受け継がれて、続いている。

 ここに村があるから生きていける人がいる。

 みんながやってきたことは無駄ではなかったのだ。

 

「ヴォータンさんと、カラドボルグさんが一緒にいたなんて思いもしませんでした」

「そうだな。日記を読むまでは知るよしもなかっただろう」

「……カラドボルグさんの感情も、淘汰がなかったらどうだったかわかりませんでしたよね」

「あぁ。マスターが彼女に詳しく聞いているが、色んな感情があったらしい」

「……暴走していましたからね」

「ひとつひとつの感情を探し当てるのはなかなか難しいよ」

「それでも、見つけ出すことが大切なんですよね」

「そういうことさ」

 

 この隊の在り方、そして私の動き方がようやくわかった気がする。

 まだまだ未熟でも、できることを増やしていけば、ソクラの理想の手伝いならできるはずだ。

 

「あっ、ここにいた」

「マスター!」

 

 話をしていると、ソクラが私たちがいる場所にやってきた。

 疲れてはいるけれど、余力がありそうな表情だ。

 

「しばらくここに滞在することになったから、よろしくね」

「義手のこともあるからな」

「あと、やっぱりイロニさんの祖父のこととか調べたいって思ったからね」

「資料集めなら、協力します」

「ありがとね、助かるよ」

 

 対暴走執行官だからではなく、他人と向き合いたいから多くのことを調べる。

 それがきっと彼女の生き方なのだろう。

 

「……ミストルティン、とりあえず任務の流れはこんな感じだったけど、これからも一緒にいてくれる?」

 

 彼女が不安そうに問いかけてくる。

 ソクラひとりではできないこともある。当然、私だけでもできないことは多い。

 気持ちが沈んで動けなくなりそうな時があった。

 一瞬、死を覚悟した時もあった。

 それでも、私の答えは決まっていた。

 

「はい……! 未熟かもしれませんが、これからもよろしくお願いします……!」

 

 対暴走執行官のキル姫として生きる道を選んでみたい。

 ソクラの力になりたいと、私は私の意思で強く思ったのだ。

 

「……よかったぁ」

 

 私の声を聞いて、安心していたのはソクラだった。

 

「不安だったんだな」

「色々あったからね、今回の任務」

「……いいも悪いもあったと考えよう。生きていたから、それでいい」

「無事に、生きられただけでも幸せです」

 

 危険な時は命の危機を本気で感じていた。

 だからこそ、こうやって話せる時間が幸せなものに思える。

 

「……ならさ、一緒にどこか食べに行こうよ」

「村の美味しい食べ物屋さん……ですか?」

「うん、いい感じのお店に入って、また生きてる実感を沸かせていく流れで」

「それもいいな」

「よし、出発っ」

 

 元気な声でソクラが号令して、クラウ・ソラスもその後ろに続く。

 私は、ついていく前に、もう一つだけお墓に向かって、声を掛けておきたかった。

 

「行ってきます……!」

 

 村を作り上げた王とその同胞に頭を下げる。

 そして、振り向いて、私はふたりの後を追った。

 

 暴走がキル姫に与える影響は大きいものかもしれない。

 それでも、暴走の理由を探していけば、ただ無意味に暴れているだけではないということを知ることはできる。

 彼女たちの生きた痕跡を探る為に。

 遺された人に想いを伝える為に、私たちは進み続けたい。

 見上げた空はどこまでも青く、世界の広さを感じさせた。



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