臆病者の思考 (決闘者なっさん)
しおりを挟む

臆病者の思考

深夜ベッドの上、私は考える。

例えば、たんぱく質は何でできている?

構成元素はこれとこれとこれ元素は粒子でできている、粒子は素粒子でできている。

では素粒子はなにでできている?

とか、なぜ人は殺してはいけない?

犯罪だから?それは法律があるから、ではその法律がなかったら人は殺していいものか?

昔は戦争や戦で人を殺せば褒美がもらえ、たくさん人を殺せば英雄と呼ばれた。しかしそれを近代で起こした人間は大悪党と呼ばれ歴史ではタブー的なあつかいを受けている場合もある。それはおかしいのではないか?

人にこのことを話すとそんなことを考えるな、とよく言われる

ただ、人間は考える生き物だ

そして自分のしらないことを恐れ、否定したり、批判したりしてしまう臆病な生き物なのだと私は考える。

そして、夜の闇のなか湯水のようにあふれる疑問に私は溺れそうになってしまう。

息苦しい、頭痛がする、吐き気もする。

いっそ私のことを、殺してはくれないか?そんなことを思っているときもある。

しかし、理性という警察のようなものが邪魔をする、理性は善人をきどる、ここで死んだら生きたいのに生きれなかった人に失礼にあたる、だとかここで死んだら色んな人に迷惑がかかる。

そんなことを理性というやつはささやいてくるのである。

「邪魔だ!邪魔だ!邪魔だ!邪魔だ!」

「私から命を捨てるという権利を奪うな!」

そんな感情に頭が支配されてから数分考えていると急に死が怖くなる。

痛みをともなう死は嫌だ、じゃあ痛みを伴わない死を考えよう。

睡眠薬を飲んで練炭で一酸化炭素中毒死すればいいのではないか?

答えはすぐにでるが、しかし実行にはうつせない、私も臆病者なのだ。

どんなにどんなに痛みをともない、どんなに吐き気をもよおし、どんなに苦しくても生にすがっていたいのだ、死はどのようなものか私には分からないのだから。

死を恐れ、死にたくないと否定し、死んだら負けと批判してしまう。

命を捨てる権利をなんて言っていた自分は、理性という警察のちょっとした言葉、その程度で変わってしまう主張を、のたまっていたのかと思うと自分に腹が立って仕方がないし、自分にたいして、あきれてしまう。

そんな自己の矛盾を感じながら

今日も生きて眠りにつく、

起きたらこのような思考をしていたことすら忘れてしまうかもしれない

しかし、またいつか同じように考えて生きていくしかないと思う。

だって私は死が分からず死を恐れる臆病者なのだから。




実質初投稿のようなものです
つたなすぎますが楽しんでいただけたら幸いです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。