描きたい理由 (ウータシリウス)
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描きたい理由
少年は絵を描くことが好きだった。園児の時、みんなから『上手』『可愛い』と言われたのがきっかけで、気が付けば暇さえあれば絵を描いている。そんな生活が数年続いて、高校生なった今でも美術部員になって絵を描いていた。
彼の名前は凛(リン)。女っぽい名前だけど、本人は特に気にしていない。
「今日も風景画を描いているんだね。凛君」
「部長…お疲れ様です」
凛の背後から声をかけたのは香(カオリ)。純白な白髪のショートボブで誰もが認める美少女の美術部長だ。
香はいつも凛を気にしている。昼休みでも部活中でもいつでも一人で絵を描いている事しかしてない彼を…。
「今日は校舎の窓から見える夕焼けを描いたんだ。相変わらず上手だね」
「いえ、部長の方が上手ですよ。オレはこんなに一生懸命書いても…せめて県のコンテストに入賞レベル。一方の香部長は全国の大会で金賞を受賞…。オレなんて足元にも及びませんよ」
「もう、それでも十分凄いんだから、胸を張りなよ」
香は困った顔で彼を見る。それでも凛は彼女の事に振り向きもせず、無心で絵に集中していた。
「ねぇ、凛君はどうして風景画しか描かないの? 人物画とか他にも挑戦しないの?」
「…描く気にならないんですよ人って。どんな風に描いたら満足するかって考えたら面倒になるし…」
「昔はいっぱい似顔絵描いていたって聞いたけど?」
「子供の頃の話ですよ」
他愛もない話をしながらも、凛はまた一枚の風景画を描き終えた。夕焼けの美しさがとても表現されている。誰が見ても『綺麗』とため息を零してしまうほどだろう。
それでも、彼は満足していないようだった。描き終えても達成感のない不満そうな顔のままだ。
道具を所定の場所に戻し、帰り支度を始める。
「…コンクールが近い訳でもないのに、一生懸命絵を描くなんて、凛君は根っからの画家さんだね」
「オレはこれしかないんです。これ以外の楽しみがないだけです」
「その割には…楽しくなさそうだけど?」
「…」
そう。彼は絵を描くだけしか取り柄がない。なのにその絵すら楽しくなくなっている。何のために絵を描いているか、何が楽しくて絵を描いているか…自分でも分からないまま描き続けていた。
「ねぇ、凛君。一緒に帰ろう? 途中まで道一緒だし」
「いいですよ。あ、帰りに何か奢ってとか言わないでくださいよ」
「…………言わないよ」
「その長い沈黙で信頼性ゼロです」
2人は一緒に美術室を出た。ちゃんと戸締りをして、カギを職員室に返し、下校についた。
凛はこんな毎日が明日も明後日も、きっと来週や半年後も続いていく。そう信じて疑わなかった。
1ヶ月後。
今日もいつも通り風景画を描いている。今日は校庭の新緑の木々を描いていた。
「…やぁ凛君」
「お疲れ様です、香部長。どうかしましたか? 今日は少し元気ないようですけど?」
「…少し…体調が悪いみたい。アハハ、季節の変わり目だからね…」
彼女の目元は少し腫れていた。何かあったのは間違いないだろう。
「ねぇ、凛君…。頼みがあるんだ」
「頼みですか?」
筆を止めて、彼女のほうを見る。
「私の似顔絵描いてくれる?」
「……部長の似顔絵ですか?」
唐突な頼みで、思わずオウム返しをしてしまった。今まで風景画しか描いていない彼にそんな頼みをするなんて、今日の彼女はやはり何か変だ。
凛は断ろうとしたが、心の奥底ではやってみたいという好奇心が少しだけあった。だから当然答えは…。
「分かりました…。それじゃ…そこに座ってください部長」
モデルさん用に座る椅子を用意し、新しいキャンパスをセット。彼女は指示通り、椅子に座って、真っ直ぐ凛の方を見つめる。
「…表情が硬いですけど…緊張しているんですか?」
「そうかもね、モデルにされるなんて初めてだったから」
「どうしたんですか? いきなり似顔絵を描いてくれなんて?」
筆を走らせながら、彼女の行動に問いかける。
「…うん。たまには凛君の気分転換にいいかなって?」
「オレの為ですか?」
「ううん。本当は…凛君が私の事どう見ているのかなって気になって」
「オレが部長の事…」
下書きはすぐに終わった。毎日に見ている香の顔だから、輪郭やバランスはすぐにできた。後はここに色を塗っていく。
「ねぇ、私が…卒業とかしていなくなっても…絵は描いてくれる?」
「…そうですね。多分描くと思いますよ。それで美大とかに行って絵の勉強をすると思います」
「もし…そうなったら、またコンテストで勝負できるかもね」
「あはは、何言っているんですか? 部長は全国レベル。オレはよくても県大会レベル。実力差がありますよ」
「…私はね…凛君の方が上手だと思うよ。絵に一生懸命向き合っている君の方が、すぐに私を追い越す。私はそう信じている」
どうしたんだろう、と彼は不思議に思った。彼女の言葉1つ1つがとても暗く、そして重く感じられる。
「…だったら、もしオレが部長より上手な絵を描けるようになったら…。今度は部長がオレの似顔絵描いてくださいよ」
「…うん。分かったわ」
妙な違和感に引っかかりながらも、彼女の似顔絵ができた。
彼女の特徴である白髪が神秘的になり、とても同じ人間とは思えないほどの美しさだ。彼もここまでの完成度になると思わず、我ながら素晴らしい物を描いたと自画自賛したくなるほど。
「ありがとう凛君。その似顔絵、もらっていい?」
「いいですよ。オレの絵でよければ」
「うん、君の絵がいいの」
出来上がった彼女の絵を渡す。その時の彼女は涙を浮かべながらも、とても嬉しそうに笑った。
そんなに嬉しかったのか、と彼自身も嬉しくなって頬を染める。
彼女が泣いていた本当の理由を知ることもなく…。
翌週。
あの日以来、香が美術部に顔を出すことがなくなった。
最初は風邪でもひいたのかと、あまり気にしていなかったが、一週間も来ないとなると不安になってくる。
凛は昼休みを使い、彼女の教室に向かった。
「すみません。香部長って…」
すると、彼女のクラスメートたちから聞いた話が…。
「あれ? 知らないの?」
「香は…転校したんだよ。親の都合でさ」
「え…」
凛は茫然とした。心の中で何かが砕けて壊れていくような音が聞こえる。
似顔絵を頼まれたあの日…あの日が学校に来れる最後の日だったのだ…。
教室を出た凛は、午後の授業もサボってずっと美術室に籠った。絵を描きたい衝動が全く起きない。彼女の突然の別れに、頭の中がグチャグチャになっている。
どうして何も言わずに…。
涙が流れる。嗚咽が止まらない。
そして1つだけ分かったことがあった。
凛の心の中では、彼女はこんなにも大きな存在だったんだと。
『またコンテストで勝負できるかもね』
その時、彼の頭の中で彼女との最後の会話を思い出した。
「そうだ…部長も絵を描き続けている…ならば」
自分が全国大会出場レベルになれば、香とも再会できる。そう思った彼の中には、物凄く描きたい意欲が溢れた。自分の為じゃなく、彼女の為に。
一年後…。
全国コンクールに自分の作品が飾られている。凛はまだその実感が湧かないまま、『銀賞』の自分の作品を見る。
白髪の少女が、楽しそうに絵を描いている姿の絵。タイトルは『カオリ』。
「それでも銀賞…か。部長にはまだまだ遠いな」
他の受賞作品も見ていく。やはり全国大会であってみんなレベルが高い。
「え…」
その中でも最優秀賞の作品を見て、彼は息をのんだ。
タイトルは『リン』。
真面目な表情の少年が、キャンパスに向かって絵を描いている絵だった。そしてその作者は…。
「凛君」
「っ…!?」
不意に背後から声を掛けられた。
その声、その呼び方…。どれほど…聞きたかっただろうか。
彼は涙を流しながら、声をかけた人物の方を見た。
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