金髪の偶像 (結城 理)
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第1ピリオド:金髪の偶像

 

―――――これほど面白くないスポーツがあったのか。

スコアの差で数値化される実力の差、一発逆転の術も存在しない。

闘志が潰えた瞬間に、美しく躍動していた肢体が骸と化す。

中学2年の真夏、果てしなく瑞々しい彼女の黒髪は、どこまでも醜い金色の髪になった。

 

 

 中学2年、二学期。

残暑が余計に体力を奪う日中、サンサンと照り輝く日差しに負けない金髪を持つ女子中学生がその容姿で回りの生徒を威圧していた。

 

「さ、西城さん…?その髪の毛どうしたの!?」「おい西城!校則違反だぞ!」

 

「……うす」

 

隣のクラスの西城樹里は夏休みを経て純真無垢なスポーツマンをかなぐり捨てていた。

彼女が所属している女子バスケットボール部は3年が数名県の選抜メンバーにいて、7月の総体連でも準々優勝できるほどの強さを誇っていた。

だが、8月末の地区大会第三回戦で敗退、先輩方の引退試合となった。それがよほどのショックだったのか、西城は黒髪を金髪に染め、バスケ部にも顔を出さなくなっていたらしい。

始業式から一週間不登校だったらしいから今日まで誰も知る由もなく。

同級生の野次馬が一日中隣のクラスで響いている。

なんというか、かわいそうだなと思った。

 

 翌日の放課後、彼女の不良化の話題は殆ど聞くことはなかった。

周りの配慮か、話題の流行が過ぎたのか、少なくとも西城の風当たりが少しはマシになったようだ。

成績のために体育委員に入っている俺は、関係はなく、一か月後の体育祭に向けて体育館の倉庫で用具の整理をしていた。

「あっ」と女子の声がして、振り返ると、その西城樹里がいた。

 

「‥なんだよ、人の顔ジロジロ見やがって」

 

「ああいや、ガラッと印象変わるもんだなって。髪の毛の色が一回変わるだけでさ」

 

「あっそ。そこ、どいてくれねーか」

 

西城が指をさす先には部員用のロッカーがあって。通すとそそくさとシューズケースを取り出していく。

 

「…邪魔して悪かったな」

 

彼女が一言だけ放った直後、僅かに、それでいてどこまでも重たいため息が聞こえた。

まだ青春盛りの女子が、こんなにも暗い声を出せるのか。

 

金髪、戻さないと面倒なことになると思うぞ。

 

「ちょっと、待ってくれ」

 

「…は?」

 

……しまった。口に出す言葉と心に留めておく本音が逆転してしまった。

すでに俺の腕は西城の手首を掴んでしまっていて。

もう後戻りはできない。しっかり前を、西城樹里を見つめて、向き合ってみよう。

 

「…実はさ、夏休みの女バスの試合、途中から全部見ていたんだ」

 

「はぁ?それって、す、ストーカーじゃねーか!」

 

「ち、違うって!…いや、普通に考えてストーカーとやっていることは一緒かも…」

 

西城の腕を掴んでいるのに気が付いた時点で感じてたが、この時空にいることがすごく恥ずかしい。

 

「まさかアンタ、倉庫にアタシを閉じ込めてハ、ハレンチなことをしようとしてるんじゃないだろうな!?」

 

恥ずかしさで体中から汗が出てくる。でも、言い間違いでも、それを通すことしかできなくて。

 

「落ち着いて。さっきの続きを話させてほしい」

 

西城の両肩をつかんで、もう両者とも逃れられない。しっかりと吐露する準備は整った。

 

「地区大会の三回戦の第3ピリオド、たぶん西城ケガしたよな」「!」

 

バスケのルールはあまり分からないが、西城は確かにあの時相手選手との接触によって内膝を痛めた。あんなに活発に動いていた彼女の動きはあからさまに悪くなり、2分も経たずにメンバーチェンジさせられた。

拮抗していた点差はみるみる広がっていき、3年生の奮闘むなしく敗北した。

 

「まぁ、大体、合っているよ…」

 

「言い方が悪いかもしれないけど、部活をやっていく中でミスやトラブルは起こるし、先輩もいつかは必ず引退する。たったそれだけのことで荒れるのは――」

 

「アタシがどうしようとアンタに関係ねぇだろ!!」

 

大声で怒鳴られ、言葉が遮られた。

不機嫌そうな顔は昨日何度か見たが、怒りを露わにした顔を見たことはなかった。

 

「必死に練習して、部活が終わってもランニング、筋トレ体幹は欠かさなかった!

それでも上手くいかなかったから今年の夏休みから更に追い込んだ!

それでようやく選抜入りしている先輩にも並べてスタメンにもなれた!」

 

怒鳴っていた西城の膝がだんだん震えていき、踏ん張りが利かなくなっているのがわかる。

 

「それなのに…あの時‥激突して、全力で立ち向かえなくなって…!」

 

震える膝を両手で抑えるも、崩れていくのがわかる。

 

「負けたのがわぐ、わかったときに‥役立たずだったって…先輩に、ぃ…」

 

西城が、崩れていくのがわかる。

 

「なんのためにバスケをやっているのか、わかんなくなっちまった…」

 

完全に膝が床についた少女の心の内を聞いて、確信した。

 

「……俺さ、今年の春に肘を故障して、テニスをやめたんだ」

 

「…え?」

 

うつむいていた彼女が少し顔を上げてくれたので、視線を合わせる。

 

「スタメンになろうと必死に練習した結果が故障だってさ。訳が分からなかったよ。

今後肘を酷使するスポーツは一切禁止。努力が全部裏目に出たって思って、後悔している」

 

西城樹里は、俺と一緒だ。

 

「信じていたものに裏切られる気持ち、よくわかるよ」

 

一つだけ違うのは、

 

「でも、西城は、まだあきらめる必要はない。ケガはもう直っているだろう?」

 

西城樹里はまだ立ち向かえる。

 

「すごく自分勝手なことを言っちゃうけど、もうテニスができない俺の未来を、西城のバスケで代わりに見せてほしい」

 

利き腕の左肘と夢が壊れた俺と違い、まだ心が壊れただけに過ぎない。

 

「は、はぁ…!?アンタ、いきなりなんなんだよ―――」

 

「死んだような夏休みに、唯一西城のバスケをしている姿を見ることが『生きている』って気持ちにさせてくれたんだ」

 

壊れた心は、きっと治せる。

 

「テニスができなくても、スポーツマンを支えることは出来るんだって分かったんだ。今、スポーツ医学を猛勉強してる。

西城の頑張っている姿を見かけなかったら気づかなかったかもしれない」

 

西城の努力は、きっと無駄じゃない。

 

「俺に新しい夢をくれた西城に、上を向いてほしいんだ!」

 

西城の努力は、俺が無駄にさせたくない。

 

「俺は、もっと西城がバスケをしている姿を見たい…!夢を応援し続けたい!」

 

 

……

 

…………言いたいだけ言って、黙り込んでしまった。一気にたくさん話しすぎて、引かれてしまったかな。

 

「ふぅん…夢、ねぇ」

 

でも、励ましや、慰めのつもりで言ったわけじゃないから。

 

「ていうか、アンタはアタシの夢が何なのか知っているのかよ?」

 

「う、知らない…さすがに夢を知らないのに応援したいっていうのは勝手すぎた…」

 

心の底から、西城を支えてみたいって、そう思える。

 

「…WJBLだ。バスケットボール女子日本リーグ。アタシはそこで頂点を目指したい」

 

西城を支えられるなら、何でもしてあげたいと、そう思える。

 

「……少なくとも、西城がまたバスケが出来るようになるように努力をすることは出来ると思う」

 

「ははっ、さっきまでの勢いがなくなってるじゃねーか」

 

バッドガールのままでくすぶる彼女の未来を変えられるのなら、俺の未来を西城と変えられるのなら。

 

「けど、そこまで言ったんだ、アタシのこともう一度バスケットマンにしてみろよ」

 

…!

 

「ああ、これからよろしくな、西城っ!」

 

「…西城樹里だ、さっきから下の名前で呼ばないからなんかむず痒くてよ。樹里って呼べよ」

 

一緒に、手を取り合って、がんばっていこう。

 

「…!ああ、これからよろしくな、樹里っ!」「んー」

 

ともに立ち上がり、合図もなしに同時に軽い握手を交わす。急に行動が一致したから、互いにくすくすと笑ってしまった。

 

隠せているかな。初めて見た樹里の笑う顔を見て、どきっとした。

 

 

この瞬間から、俺の中で、西城樹里は俺の夢の先を照らし合わせる偶像となった。

 

 



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第2ピリオド:スキール音

 

 翌週の月曜日、樹里は学校に来なかった。担任の先生に聞くと、毛染めの校則違反により、2ヶ月の停学処分がなされたらしい。

 

……罰が大きすぎないか。このままでは樹里がバスケを再開するどころではなくなるかもしれない。

どうすればいいか、いい案が全く思いつかない。

6限目の頃にはどう考えても一度校舎を爆破する他ないという考えしか浮かばなくなり、一度考えるのをやめた。

もやもやしながら帰宅すると、弟がリビングで録画していたニチアサを見ていて。

外の学校で何が起ころうと、自宅で流れる時間は変わらない。

一度思考を切り替え、日課になったスポーツ医学書の熟読をいつものリビングでいつものように行った。

テレビの向こうでは敵の怪人が高等学校の校舎を破壊して暴れまわっている。

…ちょこっとだけ気になってしまった。教本に栞を挟み、弟の隣のソファに座り、ダイジェストを聞き出す。

敵の怪人は厳しい校則に罰された生徒たちの恨みから生まれ、規則に厳しい人間を襲っているらしい。

他人事とは思えない、怪人にこれ以上ないシンパシーを感じる。

倒された途端悲鳴を上げてしまったじゃないか。

まだ巨大化戦が残っている!がんばれ!負けるなシバルーナ!

 

『嫌なルールがあっても!周りの人と話し合って自分達でルールを変えていくんだ!』

 

……!ヒーローの叫びと怪人の断末魔でひらめいた。

校則が敵なら変えてしまえばいい。

3週間後に生徒会の総選挙がある。立候補者になるか、応援演説等の補助に回って見返りに毛染めの校則の緩和を頼めばいい。

そうすれば樹里の停学を半分は早められる。

よし、さっそく準備に取り掛かろう。

俺に最適のひらめきを獲得させてくれてありがとう、ジャスティスⅤ。

そしてどうか安らかに、シバルーナ。

 

 9月の中旬からおよそ一か月間、それはもう奔走の限りを尽くした。

師走の語源で東西奔走した僧に並んだだろう。

まずは生徒会会長立候補者の有力候補の特定、これは半月に一度行われる委員会会議の中で、選挙管理委員会の生徒からこっそり聞き出して行えた。

自身が立候補者になるという選択肢は面倒が勝つのでナシだ。

候補者は3人いたがその中でも学力トップの高山君の応援に回ることにした。

後日、話を持ち掛けると即決した。

……どうやら友達いなかったらしい。なんというか、うん、ドンマイ。

次に応援演説の文書作成。

所謂陰キャである高山君をいかに生徒に受け入れてもらえるような演説を行うか、かなり難しい問題であった。

成績面を重視する教師側と違い、生徒側が優先するのは堅苦しすぎず、楽しく学校生活を送れるように計らってくれる生徒像だ。

高山君は教師側の生徒像に近い。

そこで内容の相談、及び生徒会長としての厳格な方針の一部修正について数日間話し合った。

幾度となく議論を超え、討論、口論、暴論、幸福論を重ね何とか納得のいく形に落ち着いた。

その間に学力トップの口から放たれる存在否定は普通に傷ついたし、何度も匙を投げかけた。まったく、高山には始末書でも書いてほしいものだ。

原稿の提出、応援メンバーの手続きを終えると、間もなくチャレンジテストがある。

すでに頭脳はフル回転しきっているので、ただただ頭痛。

回答はスペースか?(ワット?)の記入が格段に増えてしまった。頭痛い。チョコが欲しい…。

 

 テストが終わると大体の部活動が秋の大会等の為に活気づく。

同時に、体育大会に向けての準備も本格化する。

より忙しくなるが、俺にとっては好都合だった。

女子バスケ部の練習前に軽く部員と話ができるからだ。

樹里がまた登校出来ても、現在の部員との関係が劣悪な場合、長くは続かないだろう。

個人技のテニスでさえ、団体戦云々関係なく部内の人間関係は重要だった訳で。

手始めに、二年生の女バス部員数人に樹里が抜けてからの部活動の状況と、樹里はどんな部員だったのかを世間話を交えながら聞き出した。

樹里が抜けた後も大きな問題はなく、平常に活動しているらしい。

……なんだか、悔しいな。

翌日更に聞き出すと、もともと樹里は性格、プレースタイル共に一匹狼寄りであるらしく、チームワークが無い訳ではないが若干距離感があったらしい。

心配している部員もいたが総体連の戦績で勢いづいている最中、樹里の心配の優先順位は下げるのは当然で。

樹里の周りの人間環境を変えるには、俺はあまりにも力不足であり、邪魔者だと認めぜるを得なかった。

一週間ほど聞き出しながら体育大会の準備を進める放課後、帰宅後はいつもの学習に加え、図書館から借りたバスケットボールの教本からバスケの基礎を覚える時間を設けた。

クラスメイトが新発売のゲームの話題で持ちきりの中、俺はバスケの世界に没入していった。

忙しく大変な日々だが、バスケを通じて樹里のことを会わずとも知る感覚は、悪い気がしない。

 

樹里の駆ける姿を再び見られるまで、もう少しだ……!

 

 金曜日の6時間目、一縷の不安も残さず応援演説、高山の演説は成功、投票結果を見ずとも次期生徒会長は決まった。

余韻に浸る間もなく、翌日土曜日、全生徒が鎬を削る体育大会の開催だ。

誰もが競技に熱中している中、俺だけは運動場の外だけを駆けまわっていた。

体育委員の仕事の為ではない。

 

――――樹里がいない…!

 

今秋から校則が緩和され、樹里はこの体育大会には登校できるはずなんだ。

担任の教師から連絡は届いているはず。

でも、校内のどこを探しても、樹里が見当たらない。

グラウンド、職員室、食堂、教室、校舎周り、廊下の隅、屋上、部室棟、来賓用の駐車場…。考えつく場所全てを探すが、いない。

……俺の頑張りは、無駄だったのか?

校則を変えるために動かなくても、樹里が再び黒髪に戻せばいいだけだったじゃないか。

バスケを学んで樹里の支えになりたいと頑張っても、部活にマネージャーをつけるのは原則禁止じゃないか。

今までの努力は全部、骨折り損じゃないか。

 

「…自分勝手な偶像を西城に、勝手に押し付けているだけじゃないか……」

 

俺は、なんてつまらない人間なんだ―――――

見慣れたプールの白い壁が、くすんで見え、遠くの生徒の歓声も聞こえなくなっていく。

 

 

 

キュッ、

 

心が折れる音が聞こえる寸前、音が聞こえた。

硬い床にシューズが擦れる音、スキール音だ。

不規則に鳴るその音は、確かに聞き覚えがあって。

 

「……体育館?」

 

今日、まだ行っていない場所が、正解だった。

意識より先に足がその場へと向かわせた。

だんだんとスキール音がよく聞こえるようになってくる。

 

「ハァ、ハァッ、フッ、そりゃ!」

 

夏休みに聞いた一人の少女の吐息が聞こえる。

俺が、支えたいと、そう思った相手の声が、聞こえる。

全開になっていた体育館の扉に立って、彼女のレイアップシュートを打った姿を目にする。

数分前に支配していた不安、後悔が心から完全に取り払われた。

 

「…樹里」

 

再び見たかった光景が、ようやく見れた。

コートを削るようなフットワーク、ゴールに向かってひたむきに駆ける姿勢、彼女の意思に応えるように美しく躍動する肢体。

 

「体育大会サボってまた停学になるつもりかー!」

 

「うわあっ!ごめんなさい…ってアンタか!」

 

「……ひさしぶり」

 

 

俺の偶像に、ようやく会えた。

あの日、体育館の倉庫で見た時と同じ、どこまでも醜かった金色の髪を持ったままだ。

こちらに駆け寄る時も、その髪はなびいている。

 

「…なんか、色々してくれてたみてーだな。アタシの停学期間を早めるために」

 

「樹里が黒髪に戻して反省文を先生に提出していれば、こんなよりみちしなくても良かったんだけどね」

 

黒髪の樹里は、瑞々しかった。

純性というか、汗だくになっていても、見ていてすっきりするような髪色だった。

俺も肘が壊れていなかったら、この髪のような清々しい夏休みを過ごせていたのかなと、そう思わせてくれる黒髪だった。

 

「色々と悪かったな。

でも、アンタの頑張りを友達から聞いてさ、アタシもちゃんともう一度頑張るぞ!って気持ちになった」

 

「……!えーと、くどいようなんだけどさ、樹里はどうして金髪から戻さなかったんだ?」

 

対して金髪の樹里は、濁っているように見えた。

悲しさ、悔しさ、怒り。ブリーチでそれらが無理くり塗りたくられている感じがして、初見はあまり好きじゃなかった。

むしろ嫌だった。

それでも、嫌な金髪を持つ樹里を助けるような行動をここ一ヶ月やり遂げた。

偶像をも重ね合わせた。何故だ?

 

「それは…アンタが…」「ん?」

 

「アンタが、あの倉庫でアタシに手を差し伸べてくれて、その…その時の決意のカッコでいたいっていうか…」

 

「あ、あああ分かった分かった、大体わかったから!なんか恥ずかしくなってくるから!」

 

真っ赤になった樹里の顔を背けて、つい俺も顔を背ける。

不意にそんな顔するの、反則…。

 

だが、その可憐な顔と、先ほどのひたむきにバスケをする樹里の姿から、確信した。

西城樹里の金髪は、濁っていない。

樹里の黒髪が純性であるのなら、樹里の金髪はいわば過純性だ。

瑞々しさを超え、本人以上に情熱を込めている。

悔しさや悲しさだけでなく、喜びや楽しさも見せてくれる、素敵な髪色だったんだ。

 

『生徒の呼び出しをします。2年5組、西城さん。2年5組、西城さん。至急、本部テントに集合してください』

 

「うわあ、呼ばれちまった…。出場競技なんてねーから大丈夫だって思ったんだけどなー」

 

「健闘を祈るよ…」

 

「それじゃ、そろそろ行くよ。ちゃんとアタシ、バスケ頑張るから」

 

「うん、ここ最近でバスケのこととか勉強したから、何かあったら呼んでくれ」

 

「そっか!またその時はよろしくな!」

 

西城が体育館を出る直前、感情が漏れてしまった。

 

「金髪は良くないと思っていたけど、むしろ、綺麗な色だな」

 

「なっ…!う、うるせー!」

 

パスと言うには強引な投げでボールを渡し、そそくさと駆け出して行った。

 

 

……樹里の駆けだす後ろ姿を見て、もう一つ、ここ一か月樹里のために頑張った理由がわかった。

 

「うん。やっぱりよく似合っているよ」

 

俺は、西城樹里が、好きなんだな。

偶像を超えて、好きな女の子としても、見ていた。

そりゃあ、必死に頑張れるわけだ。

これからも、好きである樹里を支え続けたい。

おこがましいだろうが、バスケだけでなく、樹里の心の面でも。

具体像は浮かばないけど、交際なんかもしたり―――――

 

「いや、樹里の夢だけを応援していよう」

 

リングに向かって、シュートを打ってみる。

呟いたこととは反対に、心の内で、自分の恋の成就を祈って。

 

 

ネットを通る音が確かに聞こえた。

 

「…って、肘痛った!」

 

 



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第3ピリオド:バイオレーション

 

……

…………。

 

「なぁ、樹里」「んー?」

 

軽い呼びかけに対して、重い固唾をのむ。

言わなければいけないことを言う前に別の話題を挟みたくなってしまう。

 

「明日の新人戦、シード校になったってマジか?」

 

「ああ、そうそう!一日練習できる日が増えてラッキーだよなー!」

 

決めていたじゃないか、この日には言うって。

話題を戻せ。ちゃんと樹里の目を見ろ。

 

「でも、シードになったら試合前は休みじゃなかったか?」

 

「何言ってんだよ、いつも通り付き合ってもらう約束だろ?」

 

…大丈夫だ。時間も、気合もまだある。

成功…するはずだ。

 

「……ん?どうした?顔、真っ赤じゃねーか。

もしかして、風邪か!?」

 

…………

……

「…今日さ、何日だったっけ」

 

心臓の鼓動が加速する。

 

「はぁ?何言ってんだよ。13日じゃねーか……あ!

アンタもアレか?義理チョコ、欲しいんだろ?」

 

季節に似合わない、手汗が止まらなくなる。

 

「アンタには色々世話になっちまってるからな、義理チョコぐらいは用意するから心配すんなよ!」

 

樹里が向けてくれる笑顔が枷になる。

今まで樹里と接した時間が圧力になる。

 

たった一言が、言えない。

好きだ、付き合ってくれ。と。

 

「そのチョコさ、本命に変えてくれないかな」

 

「……え?」

 

時間が止まったように感じた。

凍えるような風に靡く樹里の金髪が、本当には時間が止まっていないことを教えてくれる。

時間は待つことを知らず、ひたすらに急かしてくる。

 

「俺、樹里のこと、支えたい人だって、思ってた。

今までは、バスケをしている樹里を支えることが、俺の新しい夢だったから」

 

あの日の倉庫の時のように、樹里の両肩を掴む。

あの日の偶像が、揺らぐ。

 

「でも、樹里と一緒に部活後個別練習する度に、段々バスケをしている姿よりも、一人の女子として見ている時間が多くなって……その…」

 

あの日の時より、樹里の両肩はもろく感じて。

あの日の時より、手に力を込める。

 

「俺、樹里のことが、好きだ」

 

あの日の約束が、ないがしろになった。

 

「……アタシは、バスケをするアタシを応援してくれて、練習付き合ってくれるアンタがいてくれたから、バスケットマンに戻れた。

でも、新人戦が控えているこんな大事な時に、そんなことを言われたら…頭がこんがらがっちまうじゃねーか……」

 

だらんと落ちてしまった俺の腕に代わって、樹里の両腕が俺の方を掴む。

 

「おい、ふざけるのもいい加減にしろよ…!

アタシの気持ちを揺さぶって楽しいか!?

なんで試合前にアンタから先に告白されねーといけねーんだよ!」

 

失敗した。膝の力が抜ける。

失敗した。樹里の腕と怒声に押され、地面に倒れる。

失敗した。樹里の顔が滲んで見えない。

失敗した。樹里の声が風以外の原因で聞こえない。

 

「……ごめん…!」

 

失敗した。嗚咽交じりの声が聞こえる。俺の声だ。

失敗した。嗚咽が止まらない。

消失した。樹里の姿は見えず、冷たい夜空だけが嘲笑う。

失望した。自分に。恋心一つで、何もかも台無しになった。

 

「反則、するんじゃなかった……」

 

 

失恋した。西城樹里に、フラれた。

 

 

 

 体育大会の後、代休を挟んだ火曜日、樹里は再び女子バスケ部に顔を出した。

誠心誠意樹里は謝罪したらしいが、顧問や一部部員は当然簡単に許すはずはなく。

一か月間はボールに触れさせてもらえないどころか、体育館に入ることも許されなかった。

その間、一日20キロ、計400キロの罰走をこなすことで、ようやく女バス部員として練習に参加できた。

その間、俺は何をしていたかと言うと、図書室でバスケの勉強をしていた。

今年の4月から中学以下のバスケ選手はゾーンプレスが禁止となる。

夏の試合の動きを思い出し、樹里にとってその変更点は短所になっていたことを理解。

なので、バスケの基礎から、戦術について学んだ。

樹里が一人で広範囲をカバーできるようなシェルディフェンスの方法を学び、それを実現できる個人連メニューを練りだしてみた。

完成した翌日の昼休み、移動教室の途中だった樹里にその旨を伝えると、嬉しそうに納得してくれた。

樹里は罰走した後の河原で自主練をしていたらしく、新しいメニューが出来たと喜んでくれた。

成り行きで、樹里の自主練に付き合うことにもなった。

最初のうちは落ちていた体力を取り戻すのに必死だったが、樹里と一緒の時間が何よりも嬉しくて。

 

樹里を好きだという気持ちが加速していくのが分かった。

樹里が部活に戻れた後も、二人きりの河原で自主練をする習慣は続いた。

女バスの部員と一緒にいなくていいのかと聞いたが、まだ居心地が悪く、アンタと自主練する方がマシかもと答えてくれた。

樹里にとっては部員と馴染めなくなっているのは深刻なことだと思うが、俺は樹里に必要とされていることを、これ以上なく嬉しく感じてしまった。

 

…………。

 

互いに友達以上の関係になっているのも段々分かってきて。

樹里との時間が本当に輝かしく感じた。

誕生日も祝うことができた。

クリスマスも、プレゼントを交換しあえた。

年が開けて初詣でも、樹里と、振袖と共に新年の挨拶もした。

今年も、樹里との時間をバスケを通して過ごしていけますようにと、祈った。

冬期制服の樹里も、普段着の樹里も、振袖の樹里も、見れば見るほど可愛くて。

どんどん下がっていく気温に比例して、胸の奥はますます熱くなった。

カイロでも、病気でもない、恋心によるものなのだろう。

胸の熱が、初めはほくほくと、じんじんと、そしてぐつぐつと。

その熱が、俺を本来の夢から惑わせた。

その熱が、俺の恋路を急かし始めた。

その熱が、俺の偶像を燃やし始めた。

 

「樹里ちゃんにあんまり夜遅くまでベタベタくっつくの、やめてくれないかな?

……もし付き合っているんだったら話は別なんだけどさ」

 

二週間前、同じクラスの桃城に突然そう言われた。

体育大会前に初めて知ったのだが、桃城は女バスの現副キャプテンだ。

最近樹里が部活の練習を、俺との自主練に体力を温存するためにサボりがちになっている為の警告だった。

樹里と付き合いたいという気持ちが、その瞬間より、付き合わねばという焦りに変わった。

その日より、告白する方法を決めるのにひたすら悩んだ。

毎日毎日、焦る気持ちに追われ続けた。

バスケなど、もう毛頭頭にないほどに。

樹里の夢も、頭の片隅に追いやれるほどに。

俺の偶像が、ぼろぼろと崩れそうになっていることに気づけない程に。

 

……そして、俺の考えうる最悪の形で、今に至る。

 

 

 

「にいちゃん最近帰りがまた早くなったよね~」

 

「うん。…勉強楽しいから」

 

取り返しのつかないバレンタイン前日の後から、一度も樹里と会っていない。

クラスが違うのだから、それを実行することは容易だ。

…どうしても、廊下で樹里と偶然すれ違う機会は出来てしまうが。

それが、俺にとっては大きな苦しみになっていた。

言わずもがな、新人戦はおろか、その後の試合も一切見に行っていない。

樹里の自主練も付き合わなくなり、放課後はまっすぐ帰宅する日々が戻った。

 

「そういや、最近ジャスティスⅤ見てないじゃん。もう見ないの?」

 

「うん!もうみんな卒業したから、僕も卒業!」

 

…卒業。特定の過程を終えること。

樹里に失恋したことは、樹里の夢を支えることに対する卒業ということになるのだろうか。

自室に戻り、ペンと参考書を手に取りつつ考える。

現に、もう樹里の夢は応援しているとは言えない。

樹里の姿を見るだけで、あの日の、ふざけるなと顔を真っ赤にし、告白を一蹴されたトラウマを思い出してしまう。

あの一瞬で、あの一言で、あの焦りで

 

「でも嫌だ…いやだいやだいやだ……」

 

……もう自由に樹里を思い出すことさえ許してくれない。

怖い。まだ心の中で、未練の感情が残っている。

諦めきった方が楽なことは、とうに分かっているというのに。

後悔が涙で流れ落ちない程に、強く残っている。

会いたいと、思っている己がまだいる。

 

「もう、ダメなんだよ…!」

 

塗りつぶせ!漆黒に塗りつぶせ!

もう俺は樹里を思う資格なんてないんだ!

樹里を好きな俺は、死ね!

バスケを勉強しても意味なかった!

スポーツ医学も、結局学力が全く足りないじゃないか!

何が憧れだ!何が金髪の偶像だ!

 

「死にたい……ッ…」

 

死ねないから、死にたいと願う。

樹里を諦めたくないから、ただただ絶望する。

似たような絶望に身を委ねていると、欠席が増えていった。

いつしか登校する気力が完全に無くなり、不登校になった。

課題さえ遠隔で提出すればお咎めナシだったのは、高山の配慮らしい。

西城を心の隅に追いやりたかった一心で、自宅でも学力はある程度維持できた。

自宅限定で精神は安定するようになった矢先。

4月1日のクラス発表の日は仕方なく登校する羽目になったのだが。

 

 

 

「……冗談だろ?」

 

エイプリルフールの仕様だと、思いたい。

俺の中学最後のクラスは5組だったのだが。

校内掲示板に張られたクラス表に、確かに『3年5組11番 西城樹里』と書かれていた。

あんぐりと口を開いている中、ちょんちょんと誰かに肩をたたかれる。

振り返ると、金髪が、まぎれもない西城樹里の狂おしい金髪が、春風に乗って靡いていた。

 

「久しぶりだな。

髪、すっげーボサボサじゃねーか」

 

少しニヤける樹里に、伸び切った髪の毛をがしがしと揺さぶられる。

揺さぶられた反動なのか、俺がしばらく虚像にしていた人物が目の前に実像でいるからか、金髪の偶像といた日々が瞬く間にまた思い返された。

顔が熱くなる。久しぶりの日差しにやられたからではない。

目頭が熱い。複雑な感情に吞まれて視界が滲む。

 

「やっぱり俺、樹里を好きだって想いを、諦めきれない…!」

 

抑えられるはずのない涙が溢れる。

44日ぶりに、樹里に泣いているところを見せてしまった。

フラれたら恋心は折れたままだと思っていた。

そんなことは全くなくて。

 

「おいおい、急に泣きだすから何言ったか分からねーよ。

ちょっと髪の毛触っただけじゃねーか」

 

樹里の声、手の感触、瞳、匂い、金色のままでいてくれた髪に至るまでが、恋しいままだった。

あの日から、ずっと。

 



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第4ピリオド:ブザービーター

「やっぱり俺、樹里を好きだって想いを、諦めきれない…!」

 

抑えられるはずのない涙が溢れる。

44日ぶりに、樹里に泣いているところを見せてしまった。

フラれたら恋心は折れたままだと思っていた。

そんなことは全くなくて。

 

「おいおい、急に泣きだすから何言ったか分からねーよ。

ちょっと髪の毛触っただけじゃねーか」

 

樹里の声、手の感触、瞳、匂い、金色のままでいてくれた髪に至るまでが、恋しいままだった。

あの日から、ずっと。

 

「ごめん…俺やっばりあぎらめぎれない!

樹里といなぐで、ぶ、不登校になっで…」

 

俺の声、手が震え、目の前が滲み、啜っても啜っても鼻水が止まらない。

あの日とは比べられない程,感情が止まらない。

 

「と、とりあえず落ち着けって!

何言ってるか分かんねーし……あ」

 

「樹里が一緒じゃないごどがぼんどうにづらくでぇ…ぐぅええ!?」

 

急に樹里に、惨めったらしく伸び切った髪の毛を引っ張られ、引き摺られる。

痛みで我に返り、顔を上げると来賓用の駐車場に連れてかれていて。

 

「…ふぇ?」

 

「いったん落ち着けって。

大勢の生徒の前でアレはちょっと…」

 

……!

つい先刻の痴態を思い返して顔が猛烈に熱くなる。

周りの生徒からすると、さっきの俺は校内掲示板で例の金髪女子中学生が話しかけると突然泣き喚きだすボサボサのヤバい生徒にしか見えないわけで。

そりゃ速攻で引き摺ってでも移動させますよねハイ。

ぐちゃぐちゃになっていた感情の整理は少しずつしているが、落ち着いたら今度は何を話せばいいか分からない。

互いに次の言葉を紡げず、沈黙が流れる。

流石に妙な空気に耐えられなくなって、俺から乾きだした口を開いた。

 

「あ、あのさ樹里、おr「ごめん!!」

 

唐突な謝罪の言葉で遮られる。

意図がわからない。

謝るのはどちらかというと俺の方な筈だが。

 

「あの日…バレンタインの前の日……アタシ、逃げちまって」

 

逃げる?わからない。

 

「せっかくアンタが勇気を出して、告白してくれたってのに、アタシは照れちまって、頭がこんがらがっちまって、ヒドイことを言っちまった」

 

樹里の顔が赤くなっている。わからない。

 

「アタシも、アンタのことが……好きなのによ…!」

 

分からない分からない分からない。

樹里が、俺を…?

いや、確かにフラれた筈だ、からかっているのか…?

 

「エイプリルフール?」

 

「なっ、ちっげーよ!」

 

「いやでも『ふざけんな!』って言ってどついてから走り去ったよな?あの時!」

 

「それは…アレだ。気持ちの整理ができていなかったから……」

 

気持ちの整理ができていないのはまさしく俺もなのだが。

ちょっと待って、順を追ってちゃんと整理させてくれ。

 

「えっと…先に俺が告白します。樹里が拒絶します。けどそれは所謂照れ隠しで、本当は両思いでした……ってこと?」

 

自分で言っててそんな都合のいいことがあるのかと思う。

エイプリルフールのネタとしては結構強いとお

 

「…そうだよ」

 

今年のエイプリルフールは2時間早く終わるらしい。

どうしよう、とてつもなく恥ずかしい勘違いをしていた。

 

「はっずかしいいいぃぃ……!」

 

樹里に今の顔を見られたくない。

人生の中で一番恥をかいてる多分。

両手で鉄仮面を作り、すかさず樹里の後ろを向く。

恥ずかしすぎて逃げ出したい。

そうだ。そのまま逃げよう。

校門に向かって回れ右して顔を隠したままダッシュ―――――できない。

既に樹里に先回りされてる上に呆気なく両手を剝された。

痛い痛い。知らない間に腕力と脚力、成長したなぁ。

夕焼けぐらい赤い惨めな顔が晒され―――――

 

「アタシ、もう逃げないから!」

 

樹里が両手首を掴んだまま、叫ぶ。

 

「アンタの気持ち、今度はちゃんと受け止めるから、」

 

樹里の真剣な目に影響されて、俺の頬が樹里のそれと同じ赤さに戻る。

 

「あの日と、同じ言葉を、もう一度アタシに聞かせてくれ」

 

樹里の決意を聞いて、これまでの恥を全部忘れた。

もう一度、やり直せる。

なんの憂いもなく、樹里に気持ちを伝え直せる。

ありがとう、樹里。

これからも、俺の憧れであり続けてくれ。

 

「俺、樹里のことが、好きだ」

 

「…ああ」

 

 

これは、俺があの日、偶像を壊して言った言葉。

 

 

「俺と、付き合ってください」

 

「……うん」

 

 

そしてこれは、俺が、樹里を新しい偶像にするための言葉だ。

 

4月1日は、俺と西城樹里との交際記念日になった。

初めての、樹里とのキスと共に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 真夏日の猛暑がただでさえ殆どない体力を奪おうとしている中、何かに体を揺すられて目覚める。

 

「―――さん、起きてくださ~い。聞こえてますか~?」

 

「‥‥‥んぁ?ここはどこだ?

ややっ、貴様はもしや、デビ太郎の手先か」

 

「ふふっ、また大昔のアニメの物真似ですか?

手先じゃなくて、貴方の担当看護婦ですよ~。

ベッド起こしますね~」

 

「ははっ、いつもすまんね、はずきさん」

 

いつも通りはずきさんに起こしてもらい、水分補給をする。

 

「そろそろ樹里さんがいらっしゃると思いますので、待っててくださいね~」

 

そして廊下へ出るを見送ろうとして動くも、途中から体を曲げられなくなる。

そろそろこの生活になってから3年経つ…のかな。

 

「いや、2年?8年は越えてた気もするなぁ…」

 

どうも最近の時間の感覚がわからない。

 

「さすがにボケてくるよなぁ」

 

「なーにまた独り言ブツブツ喋ってるんだいあんたは」

 

目の焦点を凝らして聞こえた方へ顔を向けると、樹里が来てくれていた。

 

「もうアナタって呼んでくれないのか?」

 

「何年前の話してるんだよあんたは。

もうすぐ金婚なのに新婚みたいにイチャイチャなんてできないよ」

 

突き放すような言動だが、樹里は穏やかな笑顔をしている。

毎日寝たきりの儂の為に、見舞いに来てくれる。

 

儂の病は治らないというのに。

 

意識はまだはっきりと保てるのだが、体の老衰と未知の不治の病を止めることができない。

数十年前の世界レベルの大パンデミックも、十数年前の未曽有の大震災も乗り越えた日本だが、医療の発展はめざましくはない。

樹里と儂の貯金を崩して海外で最先端治療を受ければかなりの延命は可能だが、儂と樹里は拒んだ。

 

「やっぱり、娘と孫らにもそろそろ会わせた方がいいんじゃないかい?」

 

「何度も言わせんでくれ。儂は誰かを泣かせながら、逝きたくはない。

あの子たちは、優しすぎる」

 

皆が明るく誤魔化しながら接してくれるが、誰もが儂がもう長くないことを悟っている。

儂と樹里は特に。

それにな、と続ける。

 

「これは我儘だが、最期は、儂が最も愛したあなたと…一緒にいたい」

 

もう、今がその時なんだよ。

直感とは、こういう時に最も働くものなのだろう。

目で樹里に訴えると、すぐに理解してくれたようで。

 

「‥‥‥‥そっか」

 

いつもより二歩、歩み寄ってくれた。

音もなく、左手を握ってくれる。

何度も儂の人生を綺麗に彩ってくれた両手の温かさが、今までの人生を振り返らせてくれる。

これが、俺と樹里との最終ピリオドになる。

 

「はずきさん、ベッドの下にある風船を取り出してほしい」

 

「え?はい。…って、いつの間に持ち込んでいたんですか~?」

 

「先週ぐらいに退院した隣の努君…だっけ?かがくれたんだよ」

 

「ああぁ、昨日に退院したあの子が~。

フフッ、ずっと仲良しだったんですね~」

 

「はずきさん、その風船玉、アタシに下さい」

 

ルームメイト?の努君から貰ったレモン色の風船玉を、はずきさんが樹里に渡す。

そのまま樹里が差し入れてくれたケイトウの花を花瓶に入れて水を入れる為に、退室する。

 

「‥‥‥最近、よく昔のことを思い出すんだ。

儂と、樹里との思い出を」

 

タイムカプセルに入った宝物を懐かしむように、手を伸ばして、樹里の髪を撫でる。

反省を金髪で生きてきた樹里の髪の毛は、今はもう立派な白髪になっていた。

 

「いろんなことが、あった」

 

「ああ、本当に。どれもこれも、かけがえのない人生だ……」

 

昔話に、付き合ってくれるか、樹里。

 

………‥‥‥

 

俺は高校に進学と同時に、本格的にトレーナーになることを目指して勉強した。

樹里とは進学先が違うが、交際は続いていたし、恋情は色あせなかった。

樹里は卒業後、夢であったWJBLのチームに所属。

それを追う形で俺は、バスケットボールのストレングスコーチ兼アスレティックトレーナーになった。

言わずもがな、樹里の担当トレーナーである。

程なくして同棲し、生活が安定した頃に婚約、結婚した。

28歳を境に、第一線から退き、樹里との子宝を授かった。

数年前に不治の病に侵されるが、孫の誕生を機にその時こそ知識を総動員して努力したが、結局今の入院生活に落ち着いたな。

 

「―――――儂は、学生時代が、一番楽しかったなぁ」

 

「アタシもだよ。あんたに出会わなきゃ、アタシはこんなに充実した人生を送れなかったさ」

 

「海に行って、渋谷で夜遅くまで遊んでみたりして」

 

「お台場の海浜公園ではしゃいだり、手作りでおせちを作ってみたりもしたし」

 

「よく知らない田舎に飛行機乗って旅行して……」

 

思い出す度、思い出を口にする度、腕の力が抜けてくる。

残された時間が、樹里の素敵な白髪に触れることを許さなかった。

 

「あんた―――――」

 

「そうだ!アレ見せてくれよアレ!」

 

樹里から暗い言葉が聞こえそうだので、少しばかり声を張り上げた。

 

「中3の最後の総体連の、決勝のブザービター!」

 

喉の奥が焼ける感覚があるが、叫んだ。

おそらく、これが樹里との、ラストプレーだ。

 

叫んだ声にはっとなった樹里は、立ち上がり窓の方を向く。

6号のボールではなく、レモン色の風船玉を構えて。

樹里が愛用していたバッシュではなく、スリッパでスキール音を鳴らして。

汗に濡れた偶像の金髪ではなく、汚れを知らない最愛の妻の、純白の髪が靡いて。

 

「…シュッ」

 

―――――!

 

放たれる樹里の最後のシュート。

中学最後の真夏の総体連、第4ピリオド残り0秒で樹里が放ったブザービーター。

 

まったくもって瓜二つだ。

目の前にあの日の樹里がいる。

あの、金髪の偶像が。

 

人生最後に、この光景<プレー>を見られてよかった。

思い残すことはもうないだろう。

 

「―――――大好きだぜ、アンタ」

 

「…俺もだ。

白髪になっても愛し続けられたことが、本当に嬉しかったよ」

 

 

 

 

「俺は、樹里と出会えて、本当に良かった―――――」

 

 

 

 

 

これほど素晴らしかった人生があるか。

バスケも恋も愛も一途に突き進み、不幸な時間も共に受け止めあう。

闘志が潰えても尚、華やかな生き様は骸とならず。

75回目の最後の真夏日でさえ、白髪の愛人として、最期まで寄り添ってくれた彼女がいて。

 

その人が持つ黄金の輝きは、間違いなく俺の憧れであり続けた―――――

 



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