死なないからってどうしろと? (明石雪路)
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プロローグ

 こんにちは。君が今日来た新人だね。これまでと違う生活に少し戸惑うとは思うけど、何かあったら私に聞いて欲しい。こっちのシスターさんが君のお世話係。必要な物は彼女に頼め。エッチなお願いは……「神罰」扱い不慮の事故にあっても良いなら頼むといい。聖典に目を通しておきなよ

 

 色々話したいことはあるんだが、必要な情報を三つ伝えよう。

「この世界には創作物の様な魔法が存在する」

「この国ではもう10年近く戦争が続いている」

「君はこの世界に来るに当たって、超常的な力を貰っている」

 

 一つ目に関してはもうそのまま飲み込んでくれ。無理? じゃあそこのシスターさんに頼もうか。魔法じゃなくて奇跡? 悪かったよ、奇跡を見せてくれ。……ほら、手のひらで光の玉が浮いてるぞ。これぞ神の御玉……なんちゃって。

 

 もういいだろ。二つ目だ。

 この国では戦争が長引き、こっちもあっちも国力を低下させていた。敵地に近い街を要塞に作り替え、国の端っこの村からも徴兵しなくてはならないくらい切羽詰まっていたんだ。それでもどちらも戦い続けたのは、失ったものが多かったからだ。

 ギャンブルで賭けすぎて、勝つ以外にやめられなくなったと言うか……。君らの世代なら、ソシャゲのガチャに課金しすぎて目的のキャラを出すまで引っ込みがつかなくなったと言った方がわかりやすいか。

 そんなもんだから、その国ではまぁ「なんでもやった」わけだ。国が引き飛ぶような古代の禁忌魔術の研究をしたり、不可逆的な肉体の改造をしたり。ああ、ナントカって古代兵器を博物館から引っ張ってきたこともあったらしい。

 日本でも似たような事あったよね。

 国中が何か打開の一手を探し続けて、「それ」を最初に見つけたのはとある宗教の教会だった。

 神様に祈りが届いたんだって。

 なんだと思う?

 

 別世界に住まう知的生物を呼び出し、協力を仰ぐ…。

 

 平たく言うと、「異世界召喚」だよ。

 

 ここで三つ目なんだが、つまり君はいっぱい人を殺して英雄になってもらうために呼ばれたんだよ。

 

 こちらの意見を聞かずに呼ぶなんて馬鹿げてる。初めにパンフレットでも招待状でも送れって話だよね。……まぁ、大体のやつは楽しそうに暮らしてるよ。

 受験や就職に悩んでた若者ばっかが呼び出されて、何もしなくても目的とそれの達成に必要な能力を貰えて、このままここで生きていけば一生安泰だって言われたんだ。欲しいものは何でもくれる確約までしてくれてそりゃあ言うこと聞くよね。結局裏でイケナイことを考えてるメタボなおっさん共の人的資源にされてるだけだってのにな。

 

 そんなこと出来ないって? 平気平気。なんせ召喚された人間は君も含めて全員に特殊な力「祝福」を受けているからね。みんなミュータントみたいな超人なのさ。心の問題だって? それもどうせ変わるよ。

 そうそう、これも言っておかなきゃ。

 祝福はランダムで、それによっては人を殺す以外の役割を与えられるんだよ。土を操る力だったら中央で色々な建築物を作らされるし、人を操れたら議会で好きな法律作り放題だろ?

 英雄を求めて召喚しても、狙った祝福を持ってきてくれるわけではないらしい。

 この辺りもガチャみたいだよね。

 

 ではこれから君の祝福を調べよう。

 

 戦場で英雄になるか、誰かに雇われてサラリーマンみたく勤めて高給取りとして暮らすか、それとも実験台の上で被検体になるか。君はどれになるだろうね?

 

 



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血液型は無くなった

「随分と頼られたもんだな。この英雄さんは」

 黒髪の女、新見咲耶(にいみ さくや)は、そう呟いて絵本を閉じた。

彼女がいるのは、大司教にあてがわれた一室だ。高級ホテルの如き豪華絢爛な様はここが王国大聖堂の一室であることを忘れさせる。

彼女が呼んでいたのはこの国では桃太郎レベルにメジャーな『ベルグベルツのえいゆう』という童話である。

戯れに手にとって見たが、

(結局超がつくほどのお人好しが人助けするだけの話だったな。まあ、子供に『見習って人に親切にしろ』って教えるための物だし、当然っちゃ当然か)

絵本を木製のデスクに置く。

ソファから立ち上がると、暖炉の上の時計を確認した。時間だ。

白衣を羽織ると、ドアを開けた。白衣なんて目的地ですぐに脱ぐのだが、この聖堂内での身分証のようなものなので仕方が無い。

ドアの両脇に立っていた警備(と言う名の咲耶の見張り)に

「私はこれから施術だ。その、今回も来るのか」

「肯定です。私が同行します」

そう言って警備の一人がついてきた。身の丈ほどの槍を持ち、腰には短剣を帯びている。左胸のエンブレムは、ペンタグラムの中の中にアームの等しい十字架。何があってもマニュアル通りな、つまらない男である。

 

カツカツと硬質な足音が屋根の高い聖堂に響く。耳を澄ますと、下の階層から僅かに喧噪が聞こえてきた。宴か何かでもやっているのだろう。ゲラゲラと下品な笑い声が聞こえてくる。一応ここは国で最も大きな宗教組織、『アーディア教』の総本山なのだが……。

「君は行かなくてもいいのか?」

「私の任務は貴女の護衛です」

なんともつまらない返事だ。

目的の部屋のドアを開けると、そこは現代的な空間が広がっていた。

手術室。

その部屋を一言で表すならそれが一番合っているだろう。

壁は一面大理石で覆われている。部屋の中央に設置されている手術台は、石の上に布を重ねて作ったマットが敷いてあり、更にその上に絹のシーツをかぶせてある。

地球のルネサンス調とロココ調を混ぜたようなデザインの大聖堂には似合わない一室は、最近召喚された『聖人様』のためにわざわざ用意されたものだ。

部屋にはすでに三名の人間がいた。

一人は、部屋のなかの護衛。先ほど側を歩いていた護衛と大差ない格好をしており、部屋の隅でたたずんでいる。

もう一人は、黒い祭服に身を包んだ神父。カトリック教会の司祭平服にも似ていた。

そして、三人目は手術台に横たわる少年。

胸から腹にかけて患者服を開けて露出させている。

あどけなさの薄まった、少し大人びた顔は今は安らかな眠りについており、これから起きることなど欠片も暗示させない。

「彼はちゃんと意識を失っているんだろうね?」

「もちろんです、ドクター。五時間は起きることは無いでしょう。」

「ならいい」

緑色の手術服に着替えた咲耶は、丹念に石けんで手を洗うとタオルで水気を拭い、少年の脇に立った。

 腹の近くに立ち、両手を胸の高さで上げるその様はこれからからオペを始める事を如実に表している。

本当はゴム手袋もしたかったが、そもそもこの国……否、この世界に無いのだから仕方ない。

「では始めよう。」

(くそくらえだ)

咲耶は心の中で舌打ちをした。

こんなものは手術でもなんでもない。ただの搾取だ。

それでも自分は逆らうことが出来ず、言われるがままにここに立っているという事実は、彼女に取って生き恥に他ならない。

(すまない)

咲耶は、少年の胸にメスを刺し入れた。

 

少年、龍童良太郎は、薄暗い石づくりの牢屋の中で目を覚ました。

 寝起きの頭は霞がかっているのか、思考がハッキリとしないが、少なくとも自分が見たこともない場所で寝ていたということはわかった。学ランではなく見たことのない麻の服を着ていて、木の手枷が嵌めてあった。

 

 「ここは、何処だ……?」

 

 無意識に呟く。石と大して変らない感触のベッドのせいか、背中がズキズキ痛んだ。

 

 首をゆっくり動かして周囲を見渡す。

 四畳ほどの細長い部屋だった。自分の今横になっているベッドをもう二つ並べたら部屋は埋まってしまいそうだ。さして狭くないのだろうが、窓が鉄格子の向かいの壁の高い所に一つしかないので奇妙な狭窄感を醸し出していた。足下のほうに便器、鉄格子に食事を入れるためのスリットがある。こういうのはユニットベッドルームとでもいうのか。

 不意に喉の渇きを感じた。

 鉄格子の向こうに人影が見えたので、

 

 「すみません、水を一杯くれませんか?」

 

 鉄格子の側に立っていた人間が、こちらをみた。

 ヘルメットのような兜に、身の丈ほどもある槍。左胸の、ペンタグラムの中にアームの等しい十字が描かれたエンブレムは所属組織のものだろうか?

 

 「お目覚めになられましたか。」

 

 少し安堵したような顔をして、どうぞと木製のジョッキに水を汲んで渡した。

 格子の隙間から受け取って礼を言うと、手枷に難儀しつつも一口飲む。

 ひんやりと冷たい感覚が喉から渡り、一息ついた。

 冷たい水を飲んだからか、意識が大分しゃっきりしてきた

 「ここはどこなんでしょうか?」

 「ここはウィラト大聖堂の地下の牢屋です。意識がハッキリしたようなので、先生を呼んできますね」

 

 そう言って兵士の男は去って行った。

 思考がクリアになると、疑問が次々と湧いてくる。

 聖堂なんて聞いたことがない。ここは日本なのか。何故自分は鉄格子の中で手枷を嵌められているのか。出してもらえるのか。牢屋の中なのに兵士の態度が柔らかいのはなぜなのか。

 眠る前の最後の記憶があやふやだ。冷静になって記憶を探ってみる。

 

 思考にふけっていると、外から足音が聞こえてきた。なにやら騒がしく、揉めているようだった。

 

 「おやめください、これから診断を控えているので、面談は後で……」

 「あーあー、うるせえなあ。俺がこの教会にどんだけ貢献してきたと思ってやがる。テメエ如きがオレと同じ戦果だせんのか? 命令出来る権利があんのかよ」

 「しかし……!」

 

 足音を立てて、一人の男が牢屋の前に立った。

 若い。年は良太郎と同じくらいか。真っ赤なジャケットにパンツ。ファッションに疎い良太郎でも、趣味が悪いとわかる格好だった。

 「おいおいおい、この聖人様はもうお目覚めじゃあねえですか」

 

 不快感を呷る口調で喋る男。

 

「あなたは、誰ですか」

「緊張しなくていいぜ、龍童。同い年だしな。タメ口許してやるよ」

「……じゃあ、アンタは誰だ」

 

 良太郎は男の尊大な態度がひっかかり、少しむっとしてしまう。

 

 

「ウィラト大聖堂護衛隊長、金城彰。日本人な」

「日本人って、そこの人は違うのか」

「今この世界にゃ日本人は百人くらいしかいねえよ。オレからしたら百人も、だがな」

 

 金城のその発言は、良太郎の疑問を大きく刺激するものだった。

 

「どういう、ことだ? 日本人が百人くらいって、ここは、この大聖堂があるのは日本じゃ無いのか?」

「うるせえな、別にオレはテメエとお話したいわけじゃねえんだよ。ただ大司教のオッサンの話が本当かどうか試したくてな」

「何の話だ……?」

 

 金城は、右の人差し指を立てて良太郎に向けた。

 

「?」

 

 急な金城の行動が理解できず、ついその人差し指を見てしまう。

 

 そのとき、不思議な事が起こった。

 

 金城の指先から唐突に炎が発生し、球状になって良太郎に飛んできたのだ。

 

「うわあ!」

 

 注視していたおかげで、首を横に振ることには成功したが、躱しきれずに左耳に命中した。

 

「ガッ、アアアアアアアアアアアアアアアア!」

 

 

 火の球は左耳に着弾すると爆発し、良太郎の耳を吹き飛ばした。

 肉がえぐれ、血が噴き出す。左から音が聞こえなくなった。鼓膜が破れたのかもしれない。

 急に湧き上がる激痛で、バクバクと心臓の動きが速くなるのがわかる。

 

「ハッ、ハッ、いきなり、何すんだ……。」

 

 息も絶え絶えの良太郎が金城を睨むが、当人は罪悪感など欠片も見せない。むしろワクワクと目を輝かせて良太郎を見ていた。

 

「いいから、左手どけろよ。傷口見えねえだろ」

「なんっ、お前、俺に何したかわかってッ……!」

 

 そこまで言って、良太郎はギョッとした。

 左手に、耳の感触があった。

 

「えっ」

 

 信じられないというように左手でまさぐると、先ほど吹き飛ばされた耳が元に戻っている。流れていた血も止まっており、袖で拭うと、直ぐに綺麗になった。聴覚の違和感もない。

 人の耳を吹き飛ばしたくせに金城はテンションがブチ上がっている。良太郎は困惑していた。

 

 

 

「おお、本当に治るんだな! すげえ、おもしろ!」

「どうなってんだ、これは!」

「もうちょっと試してもいいか?!」

 

 興奮冷めやらぬ金城は外道な企みの元、再び人差し指を向けた。

 良太郎は目をつむって痛みに備えるが、結局火球は飛んでこなかった。

 そっと伺うと、白衣の女が金城の腕を掴んでいた。

 

「君、私の患者に何してるのかな。何か問題が起きたらどうするつもりなの?」

「んだよ、ババア。どうせこいつは死なねえんだから少しぐらい怪我すんのはいーだろ」

「再生能力には未知の部分が多い……。君の能力が下手な干渉によって龍童君の再生能力を阻害するケースも無いと言い切れない。そのとき処分されるのは誰だろうね。武力系の転移者の席って少ないんじゃないの?」

「死ね」

 

 金城は女の腕を払って一言吐き捨てると、その場を去って行った。

 

 「コンプレックスの塊だな。折角異世界に来たのに没個性な能力だったからか」

 「えと、あなたは」

 

 そうだった、と女は牢屋に向き直り、椅子を鉄格子の前にもってくるとドカリと腰を下ろした。手をしっしと払うと見張りは出て行き、地下室には二人だけ残った。

 

「こんばんは。私は新見咲耶。君の担当医だ」

「龍童良太郎、です。担当医師というのは?」

「そのままの意味だよ。君の体調管理、メンタルヘルス、施術を担当している。今回は術後経過を見に来たんだ。施術するようになって、初めて意識がはっきりし始めた日だからね、今日は。」

「術後って、俺はどこか悪いところがあったんですか? 病気かなんかで、だから牢屋に隔離的な?」

「いや、違うよ。牢屋にいるのはただ、逃げないように、だ」

 

 強調するように咲耶は言う。

 良太郎は意味がわからなかった。自分の過去を顧みても牢屋に監禁されるような罪は犯していないと思うのだが……。

 

「じゃあ、どうして俺は牢屋に」

「君の耳が治る事に関係しているよ」

 

 言われて、良太郎は左耳をなでた。あきらかに吹き飛び、鼓膜まで破けた良太郎の左耳は今は何事も無く再生している。

 

「率直に言おう。君はこの世界に召喚されてから、心臓を五つ、肺を六つ、肝臓を九つ、腎臓を十四個摘出されている。」

 

 「は?」

 

 訳がわからなかった。召喚されるとはなんだ。そしてなんで臓器が二桁も摘出されるのだ。人間の臓器はほとんど一つか二つであることは小学生でもわかることだ。

 

「何かの冗談ですか?」

「いいや、マジだよ。この世界に来て受け取った君の祝福は〈不死身〉。つまり肉体がいくら破壊されても再生するんだ。耳も治ったろ?」

 

 現実感がなかった。召喚された、不死身になったと言われて、はいそうですかと受け入れる奴がどこにいる。先に隠しカメラとパネルを抱えたADでも探した方が賢明というものだ。

 だが、良太郎はついさっき、金城の異能とも呼ぶべき力の破壊力、そして不死身能力の一端を実地で体験している。吹き飛んだはずの左耳をなでた。

 じゃあ、ウソじゃ無いのか。いやでもまさか。

 混乱して言葉が出なくなった良太郎を見かねて、咲耶はつづけた。

 

 

「とりあえず、今の状況について説明しておこう。

 ここは我々の住んでいた日本国ではない。というか、世界が違う。別の星とか、別の銀河とか、そういうのではない。異世界というやつだ。

 君は今から一週間前に、友人と三人でこのウィラト大聖堂の祈祷室に召喚された。召喚というのはこの聖堂の、アーディア教オリジナルの奇跡のことでね。この国を助けてくれる、祝福を与えられた勇者を呼ぶものらしい。実態は私たちの世界からランダムに無許可で人間を呼び出して異能を付与して厄介ごとを押しつける他力本願なシステムなんだが。」

「はー、いやっ、うーん……」

 

 突飛な内容に頭の処理が追いつかない。異世界。異世界である。頭の中で反芻してみるが、やっぱりしっくりこなかった。クラスのモッサリメガネがめちゃくちゃ押しつけてきた小説にそんなタイトルのものがあったような……。召喚はわかる。マナを払ったり、モンスターを一体か二体生け贄にするやつだ。

 

 頭をひねって思考を巡らせる良太郎に、咲耶は言った。

 

「正直このあたりは飲み込んでくれないと困る。もっと驚くべきことがあるのでね」

「わ、わかりました。……じゃあここが異世界だとして、さっきいっていた祝福というのは?」

「祝福ってのは君の不死身とか、金城の炎とか、まあ超能力のことだ。この世界に呼び出された人間はもれなく祝福を受けている。私もね。」

「ちなみに、どんなものか聞いても」

「〈解析〉。見ている物を十全に理解する力、だよ。数式を見れば途中式と答えがわかるし、けが人を見れば何処が重傷でほっておくとどのくらいで死ぬかとかわかる。」

「な、なるほど?」

 

 正直よくわからなかった。

 というか、ちょっと待て。

 

「友人というのはなんですか? 俺は一人でここに来たわけじゃないんですか?」

「ああ。同時に二人、男子一人と女子一人で召喚されたと聞いたよ。黒髪で背の高い男子と、茶髪でセミロングの。名前は……」

「刃金英二と旅掛美里?」

「そうそう、そんな名前だ。」

 

 その名前は、龍童良太郎にとって忘れられるはずのない名前だ。

 同級生である刃金英二と旅掛美里。彼らは良太郎の幼なじみであり、かけがえのない親友なのだ。

 

「今、あいつらはどうなっているんですか? 俺みたいに体を切り刻まれているんじゃ」

「そんなことはない。君の祝福が特殊なだけで、彼らは大司教の命令によってしかるべき場所に派遣されているはずだ。VIP待遇で。」

 「そ、そうですか。なら良いか……?」

「よくはないよ」

 

良太郎の楽観を、咲耶は真っ二つに否定した。

 

 「よくはないんだ、良太郎君。このままでは君たちは非人道的な扱いを受けて使い潰され、きっと元に戻れなくなる。」

 「え?」

 

 咲耶は真剣な眼差しで良太郎を見つめて言った。

 

「君はすでに元に戻るから、と言う理由で不当に臓器を摘出されている。もしこれが地球なら無許可の臓器摘出によって傷害罪だ。この時点でこの世界のモラルなんでたかがしれるが、そんなことはどうでも良い。

考えてみたまえ。不死身を成立させるほどの再生力を持つ君の腹をどうやって切り開くんだ。切開しているうちに傷は塞がってしまうだろう。」

「え……」

「答えはね、器具を使って傷を固定するんだ。張り付かないように頻繁に交換しながら。そして君には薬効耐性もあるから麻酔は効かない。だから魔術師による催眠魔術をかけて施術をおこなっていたんだよ。精神に作用する魔術は被術者へ甚大な影響があるはずなのにだ。意識が一週間戻らなかったのもそれのせいだ。」

「……でも、寝ている時に行われるんでしょう? それで再生するなら、助かる人がいるなら、俺の臓器をいくらでも持って行ってもかまいません。」

 

 良太郎はきっぱりと言い放った。

 咲耶は絶句した。牢屋の中の目の前の少年は、痛くないなら臓器をとっていけと言っているのだ。お人好しなのか、深く物事を考えていないのか。二十年と少し生きてきた咲耶にとって見たことのない人種だった。痛みを感じないとはいえ、自分の体を刻まれるよりも他人の治療を優先するとは、まるで幸福な王子様だ。

 だが、現状が見えていないのならば教えるだけだ。

 

「じゃあ良くない理由を追加しよう。問題はそれにすら耐性をつけ始めていることと、この教会連中は神ではなく金に仕えていると言うことだ。麻酔や魔術が効かなくなったくらいで君という金のなる木を手放すとは思えない。いつか君は生きたまま腸を抜かれる羽目になるぞ」

「な……」

「それだけじゃない。君の友人二人の派遣先は戦場だ。派手に戦火が飛び交い、派手に人が死んでいくそうだ。特別な訓練を受けていない高校生がそんなところに送り込まれて、生きてゆけると思うか? 死ぬことはなくても、正気を保てるわけがないと思わないか?」

「そんな……」

 

 今度は良太郎が黙る番だった。不死身なら、そして誰かが助かるなら臓器をいくらでも持って行ってもかまわない。だが、生きたまま身を斬られる覚悟なんてできるだろうか。それだけではない。大切な二人が危険な目に遭うのだとしたら……。

 

「先生、俺はいつこの牢屋から出られる?」

「この国から臓器移植を必要とする人間がいなくなるまで、とか大司教は考えそうだ。なんせ君の臓器は誰に対しても拒絶反応を起こさないから、将来君を必要とする人間が現れるなんて言ってね。」

 

 良太郎の心の中で、焦りが生まれ始めた。映司は、美里は無事なのか?

 一刻も早くここから出て、二人を探したい。会いたい。そして、元の世界に帰りたい。

 自然と毛布を握りしめていた。

「君、この牢屋から出たいか? 友人たちと元の世界に帰りたいか?」

「! もちろん。俺は、最初はこんな目に遭うのは自分だけならいいかと思った。助かる人もいるわけだし。けど、俺の友達が危険な目に遭っているなら助けに行きたい。悪いけど、世界のどこかの誰かよりも俺の大切な人を優先したい……。こう考えるのって、俺は嫌なやつかな」

「全然。いたって普通の感性だよ。」

 

 咲耶はあっさりと言い切った。

 

「なら、覚悟を決めたまえ。これから襲いかかる痛みにも、絶望にも、打ち克つという覚悟を。」

 

 咲耶はそう言って立ち上がり、白衣のポケットから鍵を一つ放り投げた。

 慌てて手かせのはまった両手で受け止める。

 「これは?」

「三階の東側一番奥の私の研究室の鍵だ。近いうちにチャンスが訪れたとき、中にあるものをもっていきなさい。アーディア教の最強兵器を調べてやるという名目で置いてあるんだ。それじゃ」

「待ってくれ、どうして俺の脱走を手助けするんだ」

「医者は患者の意思を尊重するものだろ?」

 

 咲耶は牢屋の前から立ち去り、薄暗い地下室には龍童良太郎だけが残った。

 

 




読んでいただきありがとうございました。 
感想お待ちしております。
よろしければお気に入りと評価おねがいします。

固有名詞ちょくちょく間違えてるごめんなさい。


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モツを求める少女

りゅうどう、と名札をつけた男児は、珍しい昼食が弁当の日にもかかわらず教室の隅で本を読んでいた。

 着ている服は、デザインや素材は良さそうだが、袖や裾はクタクタに伸びている。

 ぺら、と捲られた本は水でも吸ったのか、波打っていた。

 だが、特に少年は気にしていなかった。自分だけ弁当がないのが、誰とも話していないのが恥ずかしくて、本を読んでいるふりをしているだけなのだから。彼はその本の内容を一ミリも覚えていなかった。

 周囲の同級生は、弁当を食べながら遠巻きからコソコソと良太郎を噂している。父親が借金をこさえていなくなったときからこの調子だ。

 仕方ない。と良太郎は思っていた。自分はそれまで他人のことをなんとも思っていなかったから。自分がないがしろにされるのも道理だな、と考えていた。

 そろそろかな。クラスのナンバー2のグループから一人、目の小さい少年が良太郎に向かって歩いてきた。手にはペットボトルがあり、泥が詰まっていた。先日相談した器の小さい担任はおおらかな心を持って許すようお達しだ。いっぺん水でも被れば良い。

いじめっ子がニヤニヤと気持ち悪い笑いを浮かべながら近づいてきて、

「弁当がないなら、これでも食わせてやるよ。」

泥の入ったペットボトルの蓋を開けて、

「だったらお前が食いやがれ」

 第三者の手によってペットボトルはいじめっ子の口の中に突っ込まれた。

 いじめっ子は口いっぱいに広がる泥の味に狂喜乱舞、うめきながら床をのたうちまわる。

 「まずは自分が食わなきゃな。人に食えないものを食わすもんじゃないぜ」

 普段と全く違う展開に言葉を失っていると、この事態を引き起こした主犯、はがねという名札をつけた坊主頭が今の事態を全く気にしていない様子で言った。

「なあ、おまえがこないだテストで学年一位とったやつ?」

「そ、そうだけど」

「じゃさ、俺らに勉強教えてくんね? 弁当分けるから! こないだの通知表でやばい数字出しちゃってさー! 1をとるのは順位だけで良いよなあ!」

教室の入り口では、ツインテールの女子が申し訳なそうに良太郎たちを見ている。

「まあ、良いけど……」

泥から助けてもらったしなあ。

その日から良太郎は刃金映司と旅掛美里に勉強を教えることになり。

良太郎は親友が二人できた。

 

 

 

 新見咲耶と話をした日の夜。良太郎は眠ることができなかった。

 祝福を受けた二人は、重要な戦力として戦場へ運ばれると咲耶は言っていた。

 怪我はしていないだろうか。二人は、何事もなく過ごせているだろうか。

 自分はどうすればここから出られるだろうか。

 見張りは今もすぐそこにいるので、下手なまねはできない。

 何度も同じことを考えては霧散していく。

 

 「どうすればいいんだ」

 

 ぽつりとそんなことをつぶやく。

 そのとき、見張りの体が動いた。

 (やばい、聞かれたか?!)

 

良太郎は懸念したが、どうやら違うらしい。見張りの体はそのまま倒れ込んだ。死んではいないようだ。

そして、一人の男が現れた。見覚えのある顔だ。

「金城!」

「さっきはどうも。仕返しに来たぜ。」

 

金城は手のひらから生み出した火球で鍵を破壊すると、良太郎の首根っこをつかんで外に出した。ジタバタと暴れるも、抵抗むなしくなすがままに引きずられていく。

(別に筋肉質には見えないのに、なんでこいつは俺を片手で引っ張れんだ?!)

 

「離せよ! おい、どこに連れてくんだ!」

「この大聖堂の裏には、墓と、ちょっとした広場があってな。そこでおまえがどのくらい破壊しても再生するか実験する。」

「ふざけんな! そんなの先生が許すわけが……」

「そりゃババアには言ってないに決まってんだろ」

 

 金城は下卑た笑みを浮かべた。

 

 「自分の限界を知るってのも悪くないぜ、聖人様?」

 (限界になったら死ぬじゃないか!)

 良太郎は心の中で突っ込んだ。

 

いくら不死身と言っても、実際に死んでから生き返った経験や記憶があるわけじゃない。咲耶から「あなたは不死身なので、死んでも生き返りますよ」と言われただけだ。それに、この祝福があるとわかるのは、怪我をしたり、死亡したあとなのだ。つまり、

(俺はこいつの実験とやらで再生できる保証がない。死んだらそれまでだ!)

 

 この状況を打開できる方法を探っても、何も思いつかない。金城の謎の筋力と、爆発する火球。死なないだけの良太郎は、金城を打ち倒すことができないのだ。

 (やばい、殺される……)

 

 

 そのときだった。

 地下牢から一階の廊下に出たとき、突如飛来した鉄球が金城の頭を横からぶん殴った。

 

「は?」

 

 金城はそのまま昏倒し、ピクリとも動かなくなった。

 ゴロゴロ、と落下した黒い鉄球は少し転がった。

 良太郎が鉄球が飛んできた方向を見ると、ボウガンを構えた若い女性がいた。

 肩まで伸びた金髪を後ろで括り、黒いシャツに黒いジャケット、黒のパンツにサイハイブーツと、全身を黒で統一されている。

腰のベルトには長方体の薄い箱を二つと、鉄球を三つ備えてあった。

「し、死んだ?」

「威力は押さえたし、悪くて打撲でしょ。それよりも」

 

 

 金城の近くに転がった鉄球を拾うと、少女は金城を地下牢に引っ張り始めた。

 

「手伝って。大聖堂で人が倒れてたら、見回りに見つかっちゃう」

「お、おう」

 

 少女と良太郎は、地下牢に金城を運ぶと、牢屋の中に縄で縛って置いてきた。鍵もかけたかったが、どうせ吹き飛ばされるので関係なかった。

 隠蔽を終えると、少女は言った。

「あなた、なんで地下牢から引っ張り出されていたの? 数ヶ月も前に罪人は新設された監獄に集められたはずだから、この大聖堂の地下牢も封鎖されたはずだけど」

「逃げないように、だって。最近召喚された俺の祝福が目当てなんだそうだ。」

 

 最近召喚された、というワードを聞いたとき、少女の眉根がピクリと動いた。

 

「召喚された? じゃああなたがリュードーリョータロー? 聖人の?」

「聖人かは知らないけど、俺は龍童良太郎だよ」

 

 良太郎が肯定した瞬間、少女は良太郎に詰め寄った。

 

「じゃあ! どんな人間にも適応する〈聖人の肉〉はちゃんとあるのね!?」

「聖人の肉って俺の心臓とかのこと? それなら十何個か摘出したってきいたけど」

 

 少女は驚きからか瞠目した。そして目をつむり、少しの間無言の時が流れた。

 

 「私は、すでに摘出されたあなたの臓器を聖堂から盗みに来たの。どこに保管してあるかわかる?」

「いや……俺が意識を取り戻したのはさっきだ。場所も教えてもらってない」

「そう……ありがとう。この廊下の端のドアの見張りは眠らせておいたから、逃げるならそこから逃げて。音をできるだけ立てたくないから、手枷は逃げてから自分で壊してね。」

 

指さしてそれだけ言うと、少女は立ち去ろうとして

「待って!」

 

良太郎は腕をつかんで引き留めた。

 

 

「俺も、アンタについて行っていいか?」

「なんで?」

「うまく逃げ切れたとしても、俺にはこの世界の知識も生き抜く力もない。いや、不死身だから死にはしないか……。でも、碌に生きていけないと思う。俺はこの世界に一緒に召喚された幼なじみを探したいんだ。そのためにこの聖堂の、俺の先生の研究室からあるものを手に入れなきゃなんない。

 俺は無力だ。多分見張りも倒せない。だからアンタの力を貸してほしい。礼として、この聖堂で俺の臓器が見つからなかったら俺から直接取り出したってかまわない。頼む!」

 

 良太郎は頭を下げた。きっとこれは千載一遇のチャンスだ。ここでモノにできなければ、この異世界で近いうちに挫折する。

 少女は少し目を右上に向けて考え、そして

「足引っ張んないでよ」

 

 それだけ言って走り出した。

 良太郎はパッと顔を上げると、慌てて後をついて行った。

 

「アンタの先生の研究室ってどこ?」

「三階の東側一番奥!」

 

少女の案内によって二人は聖堂の中を進んでいく。

 廊下を渡り、階段を上り、二人は目的地に向かっていった。

 

 聖堂内を進んでいきながら、良太郎はあることに気づいた。

「こういうところの見張りってあんまりいないものなのか? ガラガラじゃない?」

「人を雇う金がないのよ」

「ここって国教レベルの宗教の本山じゃないの?」

「ここは支部みたいなものよ。金がないのはこの聖堂を改修するのに司教のデブどもが予算を使い切ったから。その分結界とかは強化されてるけど、人の目は少なくなったわ。聖人の肉を貴族に切り売りするのもそのせいね」

 

 良太郎はげんなりした顔で少女の話を聞いた。

 まあ、地球にも宗教改革みたいな似たような話はあるし、金が絡むと宗教が腐るのはどこの世界でも同じと言うことか。

 

 「ここか」

 二人は、三階の東側一番奥、目的地である新見咲耶の研究室に到着した。

 「開けるよ」

 良太郎は咲耶から受け取った鍵を差し込み、ひねった。

 ドアの向こう、咲耶の研究室は大量に物が置いてあった。

 だが置き方に規則性があるので、散らかっているわけではないらしい。単純に物が多いのだ。

奥の二メートルの天井いっぱいの本棚に所々隙間を作りながら本がしまわれており、木製のテーブルには大小様々な大きさの木箱がいくつも置いてある。釘で蓋をしているあたり、勝手に開けるのはよろしくなさそうだ。

一番多いのは紙だ。今の紙のようにツルツルしておらず、何かガサガサしている。

 

 

 「もしかしてこれ全部か? どれかを持って行けば良いのか?」

 「あれは?」

 少女が指さした先には、身長175センチの良太郎よりも少し高い、真っ黒な箱が置いてあった。

 すべての面が黒く染まっていて、どこかほかの保管物とは一線を画すことが見て取れた。

 良太郎が触れてみると、思いのほかつるつるした感触が返ってくる。

 

「鍵穴なんて見当たらないけど」

「魔術による鍵は回すんじゃなくてかざすんだよ」

「なるほど。○uicaみたい」

「?」

 

 良太郎が咲耶から受け取った鍵を試しにかざすと箱の色が抜け、ガラス張りの箱の中身が露わになった。どうやら魔術で細工されたショーケースだったらしい。

 そしてその中身は、

 

「鎧、か?」

 

一着の鎧が飾られていた。世界史の教科書で見たような全身を鉄板で覆うようなものではない。鎧布の上から、関節の動きを妨げない範囲で装甲が取り付けられている。

 良太郎はそっとショーケースをなでた。

 

「それがあなたの捜し物?」

 

クロスボウを適当にテーブルに置いた少女が、手当たり次第に手頃なサイズの箱を背嚢に放り込みながら言った。

 

「わからない。けど、なんか惹かれるんだよな……」

 

 良太郎は鎧の入った箱をベタベタ触りながら検める。

 

「あっ!」

 

 嬌声が聞こえて良太郎が振り返ると、奥まで言って物色していた少女がうれしそうに瓶を1つ抱えてきた。

 

 「これ! 私が探していたやつ! 奥の金属の箱の中に入ってた!」

「……俺の肝臓?」

「そう!」

 

 自分のモツをまじまじ眺めて持ち上げてしまうという、中々ない経験をしてトロフィーを集めてしまった良太郎の心境や如何に。

 「やっと見つけた。これで姉様も助かる……」

「……お姉さんが病気なのか」

「青カビ病っていう病気でね。人の体内で繁殖する上に魔術で治らないんだ。器官が死んでいくのを実感しながら死神が来るのを待つしかない。でも、これがあれば!」

 

良太郎は手に持った瓶が急に重たくなった気がした。俺が脱走することで助からない人もいるのか。

 

 

「じゃあ、ここでその希望をぶっ壊してやるよ」

 

 

その思考は、肝臓の入った瓶が両手ごと爆発することでかき消えた。

火球が瓶に命中し、先ほどのように爆発。瓶も、手枷も、持っていた両腕も肘から先が吹き飛んだ。鎧の近くにあった書類が、焼けながら燃えていく。

「グアアアアアアアアアアア!」

「キャアアアアアア!」

 両手から止めどなく血があふれ、良太郎は地面をのたうちまわる。

 爆発にあおられた少女も、肌を火傷し転がった。

 瓶の中の肝臓は半壊し、残った肉も焦げている。

 

 研究室の外から火球を飛ばした金城は、よほどスッキリしたのかゲラゲラ笑っていた。

 

「ハハッ、炙りレバーじゃねえか!」

「リョータロー!」

 

少女は、自分の怪我もかまわず良太郎の元に駆け寄った。

良太郎はすでに両肘の再生を半分終えていた。

その異常な再生力に少女は驚愕した。

「すごい、本当に聖人なんだ」

「やつの狙いは、俺だ。君は早く逃げろ」

「その女も逃がす訳ねえだろ、馬鹿か。」

 

金城が指鉄砲を向ける。だが、

 

「オオオオオッ!」

 

 雄叫びを上げ、良太郎は金城にタックルした。

 ただの力任せの体当たり。押し倒すことはできなかったが、必死に金城にしがみつく。

 

「良いから行けッ、早く!」

「てめえ、離しやがれ!」

 

 

 がむしゃらに肘を良太郎の背中にたたき込む。良太郎の予想通りだった。どうやら金城の火球は、近いと自分への被害が怖くて打てないらしい。ミシミシと骨がきしむ音がするが、良太郎には関係なかった。あの女の子が逃げる、その時間が稼げれば。

 少女は逡巡したが、決断するとクロスボウを持って研究室の外に走って行った。

 

「てめえは、黙って、家畜みてえにバラされてれば良いんだ!」

 「ガアアアアア!」

 

 金城はこめかみに血管を浮き上がらせると、良太郎の服を掴んで廊下に投げた。

 「クソッタレ……。アアアアア! 本当に腹立つなぁ!」

 金城は頭をガシガシ掻くと、出て行った。

 資料がくすぶる研究室。ショーケースの中は、空っぽになっていた。

 

 

 

 そして、廊下では。

 

 「ごめん、リョータロー。捕まっちゃった……」

 「駄目だったか……」

 

兵士に取り押さえられ、身動きがとれなくなった少女がいた。

 クロスボウも背嚢も取り上げられ、丸腰になった少女は両腕を広げる形で二人の兵士に拘束されている。

 さらに、金城に踏みつけられ、良太郎も身動きがとれなくなった。

「クソが。手間ばっか増やしやがって。殺す理由も増えちまったなあ、おい」

「あの女の子は俺が脅して強引に連れてきたんだ。見逃してやってくれないか」

「この聖堂に入っている時点で死刑だよ、マヌケ。」

 

 良太郎の懇願は金城に届かなかった。クソ、どうすれば良いんだ。

 歯を食いしばって策を練る良太郎をみて気が変わったのか、金城は口角をつり上げた。

 

 「龍童、カワイソウなお前にチャンスをやるよ。あの女か、お前か。どっちかを助けてやる。どっちが助かるかは選ばせてやる。」

 「あの女の子を助けてくれ。」

 

 即答だった。一秒も経たずに良太郎は選択する。

 その回答は読めていたらしく、金城は下卑た笑みを浮かべた。

 

「おー、かっこいいねえ。じゃあ、あの女を殺すか」

「な……?!」

 

 少女を取り押さえていた兵士は縄で少女を縛ると、素早く距離をとった。

 火球に備えているのだ。

「約束が違うぞ!」

「誰がテメエなんぞと約束を守るんだ、バーーーーーーカ!!!」

 

 良太郎は金城に蹴り飛ばされ、廊下の石の壁にたたきつけられた。肺の空気が強引に吐き出され、大きくむせてしまう。

金城が人差し指を少女に向ける。

金城の人差し指から生まれた火の玉は体積を増やし、大きくなり、肥大化し、そして

 

 「テメエのせいで女が消し炭になるぜ、死ぬほど後悔しやがれ!」

 「リョータロー!」

「やめろおおおおお!」

 

火球が発射される。回転しながら火の玉は真っ直ぐ少女の元に近づいていく。

良太郎は、間に合わないとわかっていても駆け出さずにはいられなかった。

良太郎はやけに火の玉がゆっくり動いているように感じられた。

否、自分が速くなっているのだ。全身を包み込むような不思議な感覚。

間に合え。間に合え。間に合え! 血流が加速し、自分さえも追い越すように駆ける。

 

そして、

 

火球は爆発した。

爆熱と爆風が聖堂の廊下内を奔り、三階が熱気に包まれる。

窓ガラスがすべて吹き飛び、近くの森の小動物は驚いて一斉に逃げ出した。

 

 

少女は、目を瞑っていた。あの爆発する火球を食らえば、ひとたまりもないことはわかっていたから。

 だから、爆音がしたにも関わらず、自分が五体満足である理由がわからなかった。

 そっと目を開けると、

 

 「間に合った」

 

 鎧騎士が、少女の眼前に立ってこちらを見ていた。




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変身

少女は、目を瞑っていた。あの爆発する火球を食らえば、ひとたまりもないことはわかっていたから。

 だから、爆音がしたにも関わらず、自分が五体満足である理由がわからなかった。

 そっと目を開けると、

 

 「間に合った」

 

 鎧騎士が、少女の眼前に立ってこちらを見ていた。見覚えがある見た目と声。先ほどの研究室にあった鎧であり、その声の主は、

 「もしかしてリョータロー? 私をかばったの? その姿は?」

 

「俺もよくわからない。さっきの研究室にあった鎧だと思うんだけど」

 

 自分でも信じられないといった様子で鎧騎士はそう答えた。少女は手を引かれて立ち上がった。

鎧騎士……良太郎は輝く鎧に身を包んでいた。さきほど研究室で見たときとは印象が全く違う。どこか活力というか、血潮が巡っているようだ。

 

 

「多分、これが先生の言っていた助けだ。すごく力が沸いてくる」

 良太郎は、両手をしげしげと見る。ゆっくりと指を動かしてみるが生身の時とは感覚が全然違った。すべての血管が開いているというか、自分の思ったとおりに動ける気がする。

 腰の左には剣が、左腕に円盾が装備されている。

「どういう仕組みかわからないけど、これならアイツにも勝てる!」

 

 

 

鎧騎士は金城の方を見た。金城は謎の圧力にたじろぐが、頭を振って追い出した。 

 

「やっちまえええええッ」

 

金城の号令とともに、後ろで控えていた兵士が突っ込んできた。

 

「貴女は隠れてろ!」

 

鎧騎士は腰から剣を引き抜くと、一番槍を力任せに剣でもって叩き落とした。

続けて後ろから突きに来た兵士の懐に入り込む。絶好の機会。

 

(これ、思い切り打ち込んだら死んじゃうんじゃね?)

 

刃を使わず、みぞおちを柄で強打。うめく兵士をヤクザキックで蹴り飛ばし、後続を混乱させる。

 横合いから攻める兵士の槍を躱すと、剣の腹でブッ叩く。

 倒れゆく仲間にたじろぐ兵士に向かって盾を突き出した猛チャージ。思い切り食らった兵士はふらつきながらも意識があるようなので、こちらも剣の腹で一叩き。

 戦い方はチンピラの鉄パイプと変わらないが、鎧騎士の一振りは鎧の身体強化によって驚異的な一撃と化す。

 

「ウラァ!」

 ヤクザキックで蹴り飛ばし、次の兵士に飛びかかる。

 戦いの様はチンピラのそれであったが、生身の時よりも膂力が上がっているため、まさしく獅子奮迅ともいえる暴れ方だった。

 数では有利。祝福も戦闘向きである自分の方が有利。金城のその考えはものの数分で破綻した。

 金城が少女を人質にしようと近づくと、足下に最後に倒された兵士の槍を投げつけられ、たじろいだ隙に鎧騎士は少女をつれて距離をとっていた。

「これで形勢逆転だぜ」

「ちょっと、肩を抱かないで」

 

赤面した少女を離すと、鎧騎士は金城に向き直った。

一対一。鎧騎士は片手剣を左の鞘にしまい、右の拳を岩のように堅く握りしめる。

金城は、べたつく汗をダラダラと流し、めちゃくちゃ焦っていた。

(なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ!? さっきまで俺が勝ってたよな!? 何で俺があんなやつとタイマン張らなくちゃならねえんだ! アイツは家畜だったのに急に強くなりやがって。そんなのチートだろ! 俺の〈爆炎〉は範囲がでかくて至近距離じゃ使えねえ。近づかれたら終わりだ! 祝福とボーナスで身体強化をもらっちゃいるが、それじゃあ僅差の戦闘になっちまう。おれは圧倒的に勝ってないと戦いたくねえってのに!)

 そういうところが僻地に飛ばされた理由なのだが、金城は気づいていない。

 

 

「ふざけんなァ!!」

 

 金城はガッと右の手のひらを突き出した。廊下を埋めるかのごとく成長した火球が、鎧騎士に襲いかかる。

 (ヤバい!)

 先ほどの一発とは一線を画している。

 鎧騎士は姿勢を下げ、左の円盾を上げて防御。

 受けきれるだろうか。

 火球は飲み込まんと鎧騎士に迫り、そして

 

 

ッゴオオオ!!と。熱風を巻きながら爆発した。

 

 金城は勝利を確信し、少女は絶望しかけた。

 爆炎の中から、重装備の騎士が現れた。

「姿が、変わった?」

少女の言うとおり、鎧騎士の姿は先ほどとは変わって重戦士とも呼ぶべき姿となっていた。先の形態よりも鈍重さを感じさせるが、その分防御力は格段に上がっているようだ。

片手剣と円盾は、タワーシールドとハンマーに変わっていた。

「この鎧は姿を変えることができるのか!」

「クソッタレエエエエエエ!」

 

 ヤケクソになった金城は破れかぶれの乱れ打ち。火球が何発も鎧騎士に命中するが、どの爆発も堅牢な盾と装甲に守られ、ダメージにはなっていないようだ。

 

 「なら!」

 

良太郎は、重戦士のまま走り出した。

 

(速く走りたい。一瞬でやつの懐に届くくらい!)

 

 想いが通じたか、重戦士の姿が光り輝いた。

 装甲がすべてパージされ、新たな形態へと組み替えられてゆく。

 新たな姿は、

 

「武者か!」

 

 良太郎を包む鎧は、戦国時代の武将ともいえるような姿に変貌していた。先の重戦士の姿よりも、体が軽い。

 一番最初の姿よりも敏捷性が大幅に上がった武者スタイルでもって鎧騎士は一瞬で間合いを詰める。

 

(殺される)

 

 金城は自分の死期を悟った。新たな武器、緩やかにカーブを描く曲刀は一瞥しただけでもかなりの業物であることがわかった。

 だが金城の悪寒は全くの的外れだった。

 鎧騎士は刀を素早く峰側に持ち直すと、バットのフルスイングの容量で思い切り振り切った。

 「ダアアアラッシャアアアアアア!!!」

 低速ライナーで鋭くカッ飛んだ金城は、廊下の奥の壁にぶち当たり、めり込んで気絶した。

 金城彰、戦闘不能。

 

「やった、か」

 

 気が抜けたように鎧騎士が膝をつく。

 影から様子をうかがっていた少女が駆け寄った。

「ねえ、体調は大丈夫なの?」

「わからん。心臓がやたらバクバクしてる」

 

 息も絶え絶えに鎧騎士が言った。

 

「逃げないと。荷物はある?」

「そりゃ、集めたけど……」

「じゃあ飛ぼう」

「は?」

 

 鎧騎士は、背嚢とクロスボウを抱えた少女を背負うと、割れた窓から飛び出した。

 

「キャアアアアアア!」

「ウオオオオオオオ!」

 

 落下速度がグングン増し、地面がドンドン近づいてくる。

 

「ねえちょっと待って死ぬ死ぬ死ぬ!?」

 

 結論から言うと、少女は死ななかった。

 鎧騎士が落下寸前に、自分を下にしながら木をクッションにしたからだ。

 しかし。

 

「リョータロー! しっかりして!」

鎧が解除された良太郎は両足をあらぬ方向に折れていた。

耳からも血を流しながら、良太郎は死に体になりながらも口を開いた。

「痛いので……あんまり揺すらないで……」

「生きてる?」

「死にそう」

「……ねえ、なんで私を助けようと思ったの?」

「そりゃあ……」

 

 良太郎は咳き込んで血塊を吐き出し、

「えっと、貴女が……名前なんだっけ」

「エルナ・ドルドエヴァよ。エルナで良い」

「エルナさんが、最初に助けてくれたから……」

 

 たったそれだけで。それだけで迫り来る兵士や爆発に立ち向かい、恐るべき祝福持ちを打ち倒したと言うのか。鎧だって、装着できる確信があったわけでもないのに。

「あなたってお人好しなんじゃない?」 

 

 エルナが言ったが、返事は帰ってこなかった。

「リョータロー?」

 

 

龍童良太郎は、絶命していた。

 




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取引と食事

 「おろ?」

 

良太郎が目を覚ますと、見たことのない植物の生える森の中にいた。

 「でっか……」

 良太郎の近くには、幹が直径十メートルはありそうな巨木が生えていた。ギネス記録は11メートル近くあるので、この植物は地球基準ではかなりの大木であることがわかる。少し首を動せばトコトコ歩くキノコが見え、ウツボカヅラに似た植物が素早く動いてキノコを捕食すると中年男性のようにゲップした。悪夢だろうか。

先日とは違い、良太郎には記憶がはっきりと残っていた。

自分が異世界に来たこと。不死身になったこと。謎の鎧の力を手に入れたこと。エルナという少女に会ったこと。そして、この世界のどこかにいる幼なじみを見つけると決意したこと。

 (信じられないなんて言ってられない。ここはもう日本じゃ無いんだ)

 

何か良い香りがして見てみると、近くでエルナが鍋の中身をかき混ぜていた。地面に直置きしているにも関わらず湯気を上げている。魔術というやつだろうか。鍋の下からのぞく文字や模様の円もそれらしい。

 「起きた?」

 

お粥を金属の皿によそう。

「さっきまで心臓が止まって瞳孔が開いていたけど、その様子なら無事ね。さすが聖人様」

「ここは?」

「ウィラト大聖堂から少し出たとこのウィラトの森。追っ手は心配しなくて良いよ、この森は遭難しやすくて、入念な準備ができてないと熟練の猟師も入ってこないから」

 お粥を金属の皿に乗せると、

「一人で食べられる?」

「そうだなぁ」

 

 ここは龍童良太郎にとって決断の時であった。

「いや、大丈夫だよ」とでも返せばそのまま一人で食べることになるが、「無理だ」といえば食べさせてくれる可能性がある。昨日は聖堂内が薄暗かったこともあってよくわからなかったがエルナはかなりの美人だ。こんな美しい女性にあーんしてもらえるチャンスはそうそう無いのでは?

 

「すこし腕が痛むから、食べさせてくれない?」

「そういえばあなたすぐ治るんだったわね。はい」

 

 器ごと渡されてしまった。黙って皿を受け取る。良太郎の旅は始まったばかりだ。

めそめそしながらお粥を一口かっ込んでいると、不意にエルナが口を開いた。

「リョータローはこれからどうするの?」

「そりゃ、すぐにでも映司達を探しに」

「森がどのあたりに位置していて、あなたの幼なじみが何処にいて、自分の資産がどの程度かわかって言ってる?」

「え」

 

 言われてみれば確かにそうだ。一週間寝っぱなしで、着ていた服も全て取り上げられていて、てか、この世界のことなどなにも……。

 とりあえず自分の持っている物を確認してみた。

 麻のシャツとズボン。謎のよくわからない鎧。以上。

 知識、無し。

 どこに出しても恥ずかしくないほどの素寒貧である。

「どうしよう」

 

 あまりの積み具合に顔が引きつってしまう良太郎を見て、エルナはため息をついた。

「そんなあなたに提案があるわ」

「お聞かせ願いたい」

「肝臓を一つ譲ってくれない? 報酬は貴方の幼馴染みが見つかるまでのナビ」

「引き受けた」

 

 良太郎の即答に、エルナは少したじろいでしまう。

 

「ず、ずいぶんと安請け合いじゃない」

「今の俺は何もできないからな。死なない体とよくわからん鎧しか無い今は、あなたの提案は蜘蛛の糸だから」

「切れやすいってこと?」

「……唯一のチャンスってこと」

 

この世界に芥川龍之介はいない。

コホンと咳払いして、

 

「改めて言おう。俺はエルナさんの提案を引き受ける。肝臓一つやる代わりに、異世界での生活を助けてくれ」

「契約成立ね」

 

 良太郎は右手を差し出した。

 

「あ、握手って文化ある?」

「あるわよ、互いの信頼を証明するものとして」

 

 エルナは応じて右手を差し出し、二人の手が互いの手を握りあった。

 

 

 

 

「そういえば、医療ってどのくらい発達してるの? 臓器移植って俺らの世界じゃかなり高度な技術だとおもうんだけど……」

「そうなの? こっちじゃかなり歴史のある技術よ。魔術があるから、そっちに比べたら結構すごいことできるしね。」

「じゃあ、あなたのお姉さんも魔術でどうにかなるんじゃないの?」

 エルナは人差し指をたててクルクル回しながら、

 

「確かに私たちの世界は魔術が根幹を担ってる。インフラも、思想も、軍事力も。でも、医療だけはそうではないの。

病気も傷も治せる、いわゆる『手をかざすだけで何でも治す治癒魔術』は使える術士が少なくてね。風邪とか、とれた腕とか、細胞を蝕む菌とかは薬草や縫合とか切除とかで対処するしか無い。あなたの世界じゃ難しい臓器移植がこちらではそうでもないのは、そういう、『世界の基盤である魔術』で押さえられない穴を埋めるために発達したからよ」

「なるほど」

「話を戻すわ。私の姉は青カビ病という病気に冒されていて、肝臓の動きが停止している。それで移植する肝臓が必要になるんだけど……。これはそっちでも同じだと思うけど、臓器移植の技術はあるけど臓器の提供は少なくて、用意しようとするとすごく値段が高いのよね。だからあなたの臓器を盗んでこようと思ったの。誰にでも移植できるからどうですかってアーディア教の司教が貴族諸侯に宣伝してたのも知ったし」

「へぇ」

 

 良太郎はなんともいえない顔でうなずいた。

(でも、それって母親の医療費のために強盗するのとあんまり変わらんよなあ)

 やってることは犯罪なので、100パーセント同情できる物でもない。

 「だから俺は金のなる木とか言われてたのか……。でもさあ、俺が無限にその、臓器がとれるんだったら供給が増えて市場価格が下がって、安くなるんじゃない?」

「沢山とれるって世間に公表しなければいいのよ。あんまり用意できませんっていえば値段ふっかけられるでしょ」

「それやってるの本当に教会なの? 全然人のためになってない……」

 100パーセントエルナ派になった。

 良太郎はあまりの異世界宗教の腐った商魂に呆れかえってしまった。いっそ起業でもすれば良いのではないだろうか。

 「それで、私たちみたいな市井の人々は異世界からの聖人様の奇跡を賜れないから、盗みに入ったのでした。」

 

 

 

 

「そうだ、あなたおなか減ってない?」

 

 エルナは良太郎の空になった皿を見て言った。

「まあ、すこし足りないかも。」

「じゃあ、私の村に移動しながら臆病リスでも捕っていこう。カロリーもあっておいしいよ」

「どんなリスなの?」

 

 荷物をまとめ、二人は歩き出した。

 

「普通の森リスと変わらないんだけど、名前の通り臆病なリスでね」

 

 エルナはおもむろにクロスボウに鉄球を装填すると、木を選択し、あたりをつけて打ち出した。

 鉄球はドンっという重い音と共に木を震わせ、葉を数枚落とした。

「今のは?」

「臆病リスは夜行性で、木の中に巣を作って休むんだけど、臆病すぎて大きめの音で吃驚して死ぬの。」

 

 鉄球をヒットさせた、ちょっとした大木を調査するとピクピクと痙攣している真っ黒な小動物を何匹か見つけた。体毛が薄く、顔が地球のリスよりも薄くて、

なんだか……。気のせいか。

「こんな感じでやってみて。木は近くの葉っぱの歯形で判別できるよ。私は今とれたやつを解体してるから」

「うし」

 

 良太郎は気合いを入れて食いかけの葉っぱを探した。

「とは言ったが、どうやって音を立てるんだよ……」

 良太郎は適当な大きさの木の棒を拾うと、ウロウロと臆病リスがいそうな木を探す。

 

「これかな?」

 

 それっぽい木の枝を見つけると、バッターのごとく構える。

 気合い十分。目指すはスリーランだ。

 そう思って振りかぶった瞬間、唐突に上からリスが数匹落ちてきた。

「およ?」

 

 上に目線をやると、

 

「ヴェアアアアアアアアアアアアアアア!?」

 

 背が三メートルはありそうな石の巨人が目の無い顔でこちらを見ていた。

 

 

 

「何今の」

 エルナがリスの皮を剥いでいたとき、良太郎の悲鳴を聞いた。

いぶかしげに立ち上がったとき、

 

「あなたの相棒が、私の使い魔に出会ったのでしょう」

 

 聞き慣れない声がして振り向くと、コートのようなスーツを羽織った男が木の陰から現れた。

 

「あなたは誰?」

「異世界人を憎む者。遍く異世界人を滅ぼす者。学院の伝統派といえばわかるでしょう」

 

 男は不敵に微笑む。

 

「そして、私たちが異世界人の支持者も殺害対象ということもわかるのでは?」

「私たちの邪魔するならぶっとばすわよ」

 

 エルナは、クロスボウに投矢カートリッジを装填した。

 




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カラドエリア

エルナの主武器は、複合型クロスボウである。

直径七センチまでの球体と、専用の矢をどちらも装填、発射できる武器である。

これによって打撃と貫通を選べるのだが、この武器の旨みはそれだけではない。

すなわち、

 

(っ! また煙幕か!)

 

襲撃してきた魔術師、アックス=ベイルンは一体を覆う白い煙に手を焼いていた。

 対面してからずっとこの調子だ。ひたすら煙幕を張り、視界を奪い、そして

 

(急所を狙った狙撃が来る!)

「防御せよ!」

 

 アックスの裂帛の命令に応じて、足下から伸びた粘液が飛来する矢を絡め取った。

 金属鏃の矢は自動する粘液によって勢いを一瞬で殺され、ペッと吐き出された。

 10リットルはあるだろうか。青みがかった透明な水の塊。粘度を持ってプルプルと震えるそれは、アックスの使い魔の一匹である。名を簡易粘液生物と言う。

 アックスの命令に従う忠実さ、高速で打ち出すウォーターカッター、体内で高速で渦巻くことで発揮される防御力、液状というあらゆる物理攻撃に対するアドバンテージ。そしてマスターの危機に自立して対処する柔軟性。極めて優秀なスペックを持っていると言っても良いだろう。

 だが、アックスは簡易粘液生物を従えてなお、エルナ・ドルドノヴァを討ち取るに至れなかった。

(先ほどから煙幕が全く晴れない。絶えず補充しているのだろう。しかもこの森、なぜか音があまり響かない。そのせいで全く彼女を補足できない……。)

 太めの木に背を預け、アックスは出方をうかがう。粘液生物の射程は五メートル。矢に対してカウンターを打ち込むには距離が足りない。では近づけばいいのではないかと考えるかもしれないが、エルナは煙の中のアックスに対して的確に矢を撃ってきているのだ。まだ何か手札があると考えて良いだろう。迂闊に近づいて罠にかかるのは避けたかった。

 しかも、

(新たな使い魔を錬成しようとしても、術が発動しない。魔術阻害(ジャミング)魔術阻害弾でも使っているのか!)

 魔術阻害弾とは、魔術の発動を阻害する煙を発生する物である。

① 大気中のマナを収集、②真言や祈祷、魔道具の使用 ③発動の3手が魔術行使の主な手順である。その第一手順である大気のマナを拡散させるのが魔術阻害弾だ。

 あくまで術の発動を阻害する物なので、すでに生成していた粘液生物は問題ないが、手駒はこれ以上増やせないことになる。

 

(いつ帰ってくるかわからないゴーレムを待つという受け身の戦法はとりたくないが、さて、どうしたものか)

 

 

(とでも考えている間に、やつを倒す!)

 

エルナは新たな矢の弾倉を装填しながら森を駆ける。

魔道具であるゴーグルで白煙の中の襲撃者は補足していた。

 残る阻害弾は1つ。もう時間はかけられない。しかし、やつには優秀な護衛がいる。

 

(スライムって特定の薬品をぶち込んだら自壊するって研究結果があったような。なんだっけ……。)

 

 思い出せねばジリ貧になって殺されるだけだ。思い出せ、思い出せ。

 足下が留守になっていたからか、エルナは足を滑らせた。ギャグのように美しいフォームでずっこけ、顔面を強打。

 

「なんで足下ヌルってんのよ……」

 

 木に手をついて起き上がると、ブーツが赤く染まっているのがわかった。

 加えて、鉄くさい悪臭がエルナの鼻を刺激する。

 

「血?」

 

 見れば、地面がそのあたりだけ赤く染まっていた。ではその血の出所はどこからなのか。

 木には、見知った人間がもたれかかっていた。

「リョータロー……?」

 

 龍童良太郎は、胴を大きく陥没させて絶命していた。

 胸から腹にかけてぺちゃんこ。血で真っ赤に染まっており、所々白いのは砕けた骨だろうか。

 エルナが組んだばかりの相棒の亡骸に絶句していると、損壊した首が重さに耐えかねてか、頭部がゴトリと落ちた。

 脈など、計るまでも無い。

 信じがたい現実を前にして、エルナは全身から嫌な汗が噴き出すのを感じた。

 クロスボウを持つ指先が冷えていく。

 

「そんな……リョータローは、聖人のはずじゃ……」

 龍童良太郎は不死身である。それは間違いないはずだ。それに、彼には例の鎧がある。簡単に負けることはないと考えても良い。なのになぜ死んでいるのか。なぜすぐに復活しないのか。

 

 

 

強烈な気配を感じて振り返ると、至近距離の三メートル近い石の巨人が豪腕でもってエルナを掴み上げた。人間とは桁違いの膂力で細身のエルナの体が締め付けられる。

 エルナの意思とは無関係に持ち上げられ、あっという間に拘束された。

 渾身の力を振り絞るが、岩の拳はびくともしない。

 

「グッ、ぐううう……。」 

「おや、私のゴーレムがすでに始末していましたか。」

 

 スライムを連れて、スーツコート姿のアックスはゆったりとした足取りで近づいてきた。

 

「異世界人は何かしら祝福を持っているそうですが、見た感じ大したことはなかったようだ」

 

 良太郎の死骸と傷のないゴーレムの真っ赤な右の拳を見て

 

「ふむ、異世界人は死亡、支援者も拘束。あとはあなたを殺すだけですが、もったいないですね。……そうだ、あなたは処女ですか?」

「な、何?」

 

 随分と唐突で空気の読めない質問だったが、体を圧迫されているエルナにとってはそれどころではなかった。

 

「処女の血は術の媒介に貴重なので。ここで無為に捨てていくのはもったいない。」

「絶対言うか、変態……」

 

 親指で首を刈るジェスチャーをすると、アックスのこめかみに青筋がビキリと立つのが分かった。

「この状況でその返事とは。自分の立場も理解できないほどの猿でしたか」

「初対面の女に処女か聞くとか、そっちの方が猿でしょ」

「黙れよ雌豚」

 

 先ほどまでの落ち着いた様子とは打って変わった口汚い罵倒とともにアックスはエルナを睨みつけた。知識人ぶった蛮人だったようだ。

何を思いついたか、餌を見つけた飢えた獣のように口角を釣り上げた醜悪な笑みでアックスは言った。

 

「仕方が無い。貴様はこのままゴーレムに圧搾されて殺す。果物みたいに血があふれるだろうから、スライムにでも飲ませますか。」

 

 性根まで腐った魔術師を前にして、エルナの思考は詰みを認めることができなかった。

 先ほど組んだばかりの相棒は死に、そのまま復活してくる気配は無い。

 

(こんなところで終わりなの? せっかく姉さんを助ける手立てが見つかったのに。あと少しだったのに。こんなクソ野郎のせいで)

 目じりに涙がたまる。

 目じりに涙がたまる。ジワジワと、絶望がエルナの心を覆い、覆い、覆い……

 

 

「させるかバー……カッ!」

 

 突如アックスの背後に現れた人影は、アックスの股間を容赦なく蹴り上げた。

 

「~~~~~~~~!!!」

 

 股間に甚大なダメージを受けたアックスは、悶絶しながら地べたを転がった。 

 どうすればいいかわからないといった様子でスライムがオロオロとアックスの回りを動き回る。

 一瞬で変わった状況に、エルナの心は正気に戻った。

 

 

 ではその不意打ちは誰によるものか。考えるまでもなかった。

 

「リョータロー、やっぱり生きてた」

「俺も信じられないけど、あれじゃあ死ねないんだよな」

 

 

 自分の血で真っ赤にそまった麻のシャツを脱ぎ捨て、良太郎は地べたのアックスたちに向き直った。

 

「ぶべあ……、なぜ貴様が生きている……。確かに肉餅になって死んでいたのに」

「俺は不死身らしいからな。原理はよくわからないけど。……よくも俺を殺して、エルナさんにセクハラ発言しやがったな。ボッコボコにしてやる」

 

 良太郎は諸手を腰の左にあてた。その仕草は、まるで鞘から抜剣するように、

 

「装着」

 

 そして良太郎は、剣を抜いた。

 鞘口を押えていた左手から光の粒子が現れ、瞬く間に全身を覆う鎧が展開していく。

 エルナも、アックスも、光の奔流に思わず顔を覆う。

 そして輝きが収まり、現れたのは一人の鎧騎士。輝く装甲に身を包んだ戦士がそこにはいた。

「聖堂で見た鎧だ……」

「ああ、すこしだけこれのことがわかった気がする」

 

 一瞬にして鎧騎士となった良太郎の姿を見て、痛みから復活したアックスは茫然としていた。

 

「これは……アーディア教の最強の霊装、聖装天鎧カラドエリア。なぜこの鎧を貴様が」

「知らね。いつの間にか装着できるようになってた」

 

ざっくばらんと言い放った鎧騎士カラドエリアは、右手にもつ剣をアックスに突き付けた。

 

「これが何だか知らんし、アンタがどこのだれかも知らん。だが、一殺一セクハラのケジメはつけてやんよ」

「物の価値も知らん阿呆め、私が力でもって教育してやる!」

 

 アックスの合図に合わせて、ゴーレムはエルナを投げ捨てた。

 

「テメエッ」

 

カラドエリアはひとっ飛びで投げ飛ばされたエルナを空中で受け止めて着地。ゆっくりと木にもたれかけさせた。

外道な行いに、良太郎の怒りのゲージが溜まる。

エルナから離れるように間合いをとるカラドエリアに向けてゴーレムが動き出し、剛腕による大ぶりなパンチを繰り出した。シンプルにして最強の一撃。これが生身の良太郎を挽肉にせしめた一撃である。

 カラドエリアは、左の円盾を掲げて構えて防御を試みる。

 体格差は歴然であるが、良太郎は昨日の戦いで、鎧によって身体能力が爆発的に上がることは理解していた。あっけなく殴り倒されるなど

 負けたのはカラドエリアだった。

 パンチが直撃し、カラドエリアが後方に大きくぶっ飛ばされた。ぶっ飛んだ。木々をへし折りながら、面白いように飛んでいく。

「リョータロー?!」

「ハハッ、口ほどにもない!」

 

 

 

だが次の瞬間、一陣の風とともに折れた木々の向こうから鎧武者が弾丸のごとく急接近。ゴーレムの眼前に飛び出すと、居合を一閃叩き込んだ。

 青みがかった鋼の刃が、石の頭部を切断せんと襲い掛かる。

 斬ることは叶わなかったが、尋常ではないインパクトにゴーレムはノックバック。

 

「やっぱ斬れねえ!」

「すごい、その姿だと素早さが上がるんだ!」

「速いだけだ。ゴーレム!」

 

上体をそらしたゴーレムは、弾みをつけて拳を繰り出した。次は両拳を握っての振り下ろし。

 いくら最強の鎧といっても、この一撃を受けることはできない。それはこの場の全員が分かっていたことだ。だが、カラドエリアにはもう一つ形態がある。

 

「装甲換装!」 

 

 光の奔流から現れたのは、フルプレートの重装騎士だった。タワーシールドとメイスを装備。

 タワーシールドを掲げ、再び防御を試みる。重心を低くし、丹田に力を込める。

 

「ブっ潰れろおおおおおお!」

「オオオオオオオオオッ!!」

 

 衝撃で大気や塵が吹っ飛ばされる。

 砂塵が巻き上がり、晴れるとそこには両腕を粉砕されたゴーレムと、盾を構えたままの姿のカラドエリアがいた。

 「全然効いちゃいねえぞ」

 

 カラドエリアがメイスをゴーレムの膝に打ち据える。

 石造の足はヒビを走らせながら崩れ落ち、片膝の姿勢になった。

 

「まだまだァ!」

 

 さらに連打。鋼鉄塊のようなメイスがゴーレムを打つたびにヒビが走り、崩壊していく。

 両腕、片足を失ったゴーレムはなすすべもなく殴打を食らい、腹部にトドメの一発をもらって石に塊石塊に成り果てた。

 自分の使い魔が滅びる光景を前に、アックスは言葉を失ったが、

 

「ま、まだだッ」

 

 

 アックスはめげずにスライムに命令を下した。

 彼にはまだスライムがいる。そいつを使えば鎧なぞ無視して窒息させることができる。

 だが彼の思惑通りには行かなかった。

 パシャリ、と。スライムは水っぽい音をたてて球体を失い、地面のシミに消えてしまったからだ。

 ゴーレムこそ攻撃力最強だが、汎用性などでを鑑みると手持ちで総合的に一番強いのはスライムだと信じていたアックスは、相棒の無様な姿を見て悲鳴を上げた。

 

「何でだよおおおおお!? 俺のスライムはっ、防御性能は一番高いのに! 術だって解いてねえ。なんで自壊するんだああああああ!」

「スライムって酸性の液体で溶けるのよね」

 

 声の方を見ると、頭から血をながしたエルナが座り込んでいた。

 そして近くには一部を引きちぎられた植物が。

「獰猛ウツボカズラ……。「大食いカズラ……。そいつの胃液を使ったのか!」

「正解。水の操作じゃなくてスライムなあたり、アンタ流体生物の形成維持が苦手でホウ酸混ぜたクチでしょ。」

 

 

 自分の使い魔どころか苦手な分野すら看破され、アックスは赤面した。

 使い魔二匹は消滅し、敵は二人とも健在。しかも一人は最強の礼装を持っている。

 勝算など見込めない、絶望的な状況。

「まだやるか?」

 

 重装備の騎士が、アックスを仮面越しに睨む。

 アックスの先ほどまでの昂ぶった気持ちは急激に冷え、その場にへたり込んだ。

 今は手札を全て失い、首のすぐそばに刃が当てられた状態だと言ってもいい。完全に詰みだ。

 だって、それを示すように女が拾い上げたクロスボウを構えて

 

「ってちょっと待て!」

 

 エルナのかまえるクロスボウを掴んだのは、鎧騎士だった。

 

「今、何しようとした?」

「ほっといたら仲間連れて追っかけてくるだろうし、殺そうかと」

「いやっ、それは、駄目だろう」

「何言ってるの? 私も殺されそうになったし、あなたは一度殺されてるでしょ」

「もしアイツを殺したら仇討ちで仲間達の殺意が上がるかもしれないだろ! 生かしておけばまだ話し合えるかもしれない!」

 

 二人が口論を始め、魔術師は置いてけぼりになった。

 またとないチャンス。アックスは走り出した。鎧を顕現させた人間を相手にしても勝てるわけが無い。今はこの場から逃げ出すべきだ。

 アックスは小瓶からスライムの予備を取り出すと、靴にかけた。素早く

〈凍り付け!〉

 

 魔力を乗せて呪文を唱え、靴を凍結させた。これで簡易スケートの完成である。

「あっ、逃げた!」 

 

 二人が気づいたときにはアックスはすでに逃げ出し、かなりの距離が開いていた。

 決着のつかない討論に耐えかね、エルナは

「殺さなくて良いから、縛り上げるなら良い?! 」

「ごめん、今は無理……」

 

 息も絶え絶えになった良太郎は、カラドエリアを解除して膝から崩れ落ちた。

 気持ち悪かった。横隔膜が変に動いて呼吸はままならないし、心臓も痛くなるほど跳ねている。ビートを刻み、全身から嫌な汗が流れ、頭の中はガンガンと痛みがビートを刻んでいた茨がまとわりついているように痛む。

 

 急に弱った良太郎の背をさすりながら、エルナは心配そうに尋ねた。

「どこか悪いの?」

「全部……。死ぬほど気持ち悪い。昨日と同じだ。もしかしたら、この鎧は装着するたびにこうなるのかも……」

 

 襲撃者は去った。

良太郎は、新たな力の使い方を知って心強く思うと同時に、新たな力は自分にも牙を向く諸刃の剣であることも身をもって知ることとなった。

そして、新たな相棒との思考の差異も。

 

 

 

 アックスは、森の中をひたすらに進み続けて疾駆し続けていた。

 止まればあの鎧武者が追いつくのではという妄想が頭から離れず、トップスピードを出し続ける。

 恐怖を感じる一方で、脳の片隅では一つの疑念が湧き上がっていた。

 

(魔術阻害弾。魔術によるテロや暴徒の鎮圧に使われていたものだが、無差別に魔術を打ち消すデメリットのせいで逆に犯罪者の必須アイテムになった過去がある……。そんな反社会的魔道具を持っているとは、あの女は何者なんだ?)

 

少しずつ意識が思考に寄ったからか。

 唐突に脛の高さに現れた紐に気づけず引っかかり、頭から転んだ。

 速度が非常に高かったこともあって何度も転がり、十数メートル進んでから止まった。

 

「ぐうう……、なんだ、今のは」

 

 三半規管がシェイクされ、不安定な意識のままふらついて立ち上がると、目の前に一人の男が立っていた。

 十代後半くらいだろうか。シャツの上からゆったりとしたコートを羽織り、裾の裂けたズボンとサンダルという出で立ち。

 

「誰だ、貴様は!」

「ふんふん、見た感じ魔術師っぽいな。まだ見たこと無いタイプだ」

 

 アックスの問いかけを無視して青年は顎に手を当てる。その声はどこか女性じみており、本人も、

 

「あれ? なんかキモいな。ん、んんん。これでいいか」

 

 軽く咳払いをすると、見た目にふさわしい低音になった。

 

「こいつを倒せばかなりの経験値を見込めるな。モンスターはそろそろ飽きたし、殺すとするかー?」

 

 どこかずれた発言を繰り返す青年にアックスは疑念を抱いたが、同時に怒りも混み上がってきた。

 

「貴様もずいぶんとなめた発言をしてくれるな。この私に手を出した罪、死をもって贖うと良い」

「おー、すごい殺意というか、気合はいってんな。やっぱめちゃくちゃ作り込まれているなあ」

 

 

 アックスの厳めしい表情を見てなお青年は気楽そうである。

 そのなめ腐った仕草が、アックスの逆鱗に触れた殺意の引き金となった。

「死ね」

 アックスが真言を唱えると、周囲に落ちていた無数の枝が集まり、1つの蛇となって襲いかかった。

 

 一つ一つは他愛も無い枝であるが、束になって襲いかかられてはひとたまりも無い。雑に鋭い枝枝でズタズタに皮膚を引き裂かれ、治りがたい傷を負う。否、それだけで無く、肉を致命的なまでに削り取ることだろう。

 蛇は男に肉薄し、顎をガバリと開いた。

 しかし、男は特におびえた様子もなく、気の抜けたかけ声を発した。

 

 

「えいや」

 

 シュン、と何かが通り過ぎた。

 一陣の風かと思った。

 アックスは、自分の先をすり抜けたのが目の前にいた男だとは考えられなかった。

 補足できなかった。だが、背後から聞こえる男の声が、今神速で移動した男だと証明している。

 ゆっくりと振り返ると、視界の端に、「ぐねぐねと形を変える何かの影」が見えた。

 その影の主を見る前に、アックスの頭はきれいに輪切りになって地面に落ちた。

 

 振り返り、バラバラと分解していく枝の蛇を見て、そして頭部がスライスされたアックスの遺体を見て、右拳から三本の鋭利な、30センチはある刃を生やした男は嬉しそうに言った。

 

 

「悪そうな魔術師討伐! これで経験値もガッポリだぜ!」

 

 



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人みたいなリスと鬼みたいな姉

忙しすぎてめちゃ時間がかかってしまいました。申し訳ない…。


 

 

前回までのあらすじ

 

異世界に召喚され、不死身となった良太郎。

離ればなれになった幼馴染みを探すため、異世界人エルナ・ドルドエヴァと臓器と引き換えに異世界でのナビを頼むことに。

教会から逃げ出し、とある魔術組織の刺客を撃退し、ようやく一息ついたのだった。

 

 

 

 

 「とりあえず食事にしよう」

 

というわけで、先ほど集めたリスを食べることになった。

都会っ子というわけでも無いが、肉は17年の人生で豚牛鳥くらいしか食べたことが無い良太郎は、初めてのリスにドキドキです。だがその前に、良太郎は優先したいことがあった。

「上裸でうろつく度胸が無いんだけど、何か服ない? シャツとか」

「ああ、それならね」

 

 エルナは背嚢から、ナップザックを1つ取り出した。

「なんか袋とリュックのサイズおかしくね? 袋の方がおおきそう」

「これ魔法道具だから。外見以上に物が入るのよ」

「え、じゃあ四次元ポケットじゃん! すごいなあ……!」

 

 許可を得てウキウキしながら袋に手を突っ込む良太郎。

 背嚢の深さより腕の方が長いはずなのに、伸ばした腕が全部入ってしまった。ウケる。

 

「こっちの方が見てほしいんだけど」

 

 そう言ってエルナが取り出したのは、学ランだった。見間違えるハズも無い。龍童良太郎の通う斑目高校の制服である。右の袖のボタンをうっかり全然違う別のボタンで直した所もちゃんとある。

 

「なんでエルナさんが持ってるの?」

「研究室漁ってる時に、箱の表面に見たこと無い言語で書かれてたから、異世界の物かなって。もってきた。」

「これ俺のだよ。ありがとう」

 

 制服に着替えた良太郎は、ピクリとも動かないリスをつまみ上げた。

 先ほど見たときも思ったが、薄い体毛といい、平たい顔といい、なんだか

「人間みたいだな……。」

「ああ、それってよく言われてるよ」

「言われてるんだ……。これどうやって食べるの?」

 

 

地面に木の枝でがりがりと魔術用の陣を書くエルナに、良太郎が恐る恐る尋ねた。

 

「別にたいした事しないわよ。皮剥いで内臓取り出して、ふん」

 

 少し力んで、切れ込みを入れたリスの皮を一気に剥ぐエルナ。皮の下からピンク色の筋繊維が露わになった。

 

「うッ!?」

 

グロテスクな光景に良太郎は呻いてしまった。皮を剥ぐという行動もだが、この臆病リス、皮を剥がすと人間にそっくりなのだ。

 

「な、なあ。この……臆病リス? 実は喋ったり、知能があったりとかはないよな?」

「ないわよ。見た目で敬遠する人が多いけど、哺乳類の一種だし、牙もツメもあるから手を抜くと怪我させられるわよ。」

 

 内臓を取り出し、中に香草を詰める。スプラッター映画でも見ているようだ。いや、映画の方がマシかもしれない。なぜならこれから食べるからだ。

 確か最近借りた漫画では包丁でたたいて肉団子汁っぽいものにしていた。潰す時点で心がやられるが、肉団子で食べる方が罪悪感は無いk

エルナは鉄串をブッスリとリスの尻から突き刺し、頭頂から貫いた。

まさかのウラド公スタイルである。扱いが魚と一緒。見た目が人間とかなり似ているので、なおさらである。良太郎は大きな耳や長いツメに注目することでリスであると自分に言い聞かせるのに必死だった。

 

「これ、そこの陣の周りに指していって」

「ハイ」

 

 真顔になった良太郎は無駄口をたたかずにブスブス陣の周りに指していく。オカルトチックな模様の円の周りに串刺しのリスを並べるその光景は悪魔召喚の儀でも行っているかのようだ。

 エルナが真言を少し唱えると、円の真上に陽炎が揺らめき、皮を剥かれたリスが油を滲ませながらパチパチと焼き色をつけ始めた。

 頃合いを見計らってエルナは術を止め、小さな袋から塩を少しつまんでリスにかけると、良太郎に渡した。

 しかし良太郎は鉄串を持って固まってしまった。虚ろなリスと目が合った。だが固まった理由はそれだけではない。

 

(どこから食べるんだよ、これ……)

 

 だが良太郎は気づいている。ただ、受け入れられないだけだ。つまり、

 

「いただきます。」

 

エルナは、リスの頭部からガブリと噛みつき、食いちぎった。筋肉反応か、前足があがって口に当たっていた。まるで自分を食おうとする巨人にあらがう無力な人間だ。

 あまりにもあんまりな食べ方に、良太郎は唖然とした。

 

「ほ、骨とか堅くないのか?」

「臆病リスって文字通りすごく臆病で、逃げるためにひたすら減量するのよね。だから肉は多くないけど骨密度もあまり高くないから、かみ砕けるわよ」

「さいですか。……いただきます。」

 

 良太郎は覚悟を決め、ひと思いに口に入れた。

 パキッと頭蓋をかみ砕く歯ごたえ。さらになにかトロリとした柔らかい舌触りがする。

 いくらよりも堅いこの球体は目玉だろうか。奥歯で潰すとパチュ、と割れた。

 あまり感触にとらわれないように集中して頭部を食べ終わり、そのまま全身を食べ終えた。どこを噛んでもパキパキと骨の折れる硬質な感触があった。味は中々良かった。鶏肉っぽい。

 

「歯ごたえが嫌すぎる……」

 

 食べる前よりもげっそりした様子でいうと、同じタイミングで食べ終わったエルナは苦笑した。

 

「最初はみんなそういうけど、だんだんハマってくるのよね」

「まさかの珍味ポジか。始めに言ってほしかったな」

 

その後、良太郎はもう二匹食べた。エルナの言うとおりだった。

 

 

 腹が膨れると冷静になってくる。

 

「さっきの襲ってきたやつは誰なんだろうか。教会のヒト?」

「あれは学院の懐古主義の伝統派ってやつね」

「ふん?」

「魔術の捉え方が違うというか……。簡単にいうとさっきのやつは魔術の研究をしてる学院っていう組織の人間で、学院は教会と殺したいほど仲が悪くて、あなた達異日本人は教会で召喚されたから教会派の人間と思われてる。言っておくけど、学院の全員が日本人を嫌っているわけではないよ」

「でも一部には俺を殺そうとする人間がいるってことね」

 

 うんざりした様子で良太郎は言った。

 俺はただ友達と元の世界に帰りたいだけなのに。

 異世界旅は早速いくつかの問題を抱えて始まることとなった。

 

 

 食事を終え、二人は進み始めた。

どのくらい歩いたか、遠くに発見した民家の群れがだんだん近づいてきて

 

「着いた。ここが私の住む街、ベルムよ」

 

 そこには、木と漆喰でできた家屋が等間隔に並ぶ街が広がっていた。

 

 

 ベルムの街は、三十年以上前に作られた円形の街である。主な産業はウィラトの森で伐採された防音性の高い木材だが、近年は伐採によって縄張りを侵し過ぎて「森の主」の怒りを買うのではという懸念があり、出荷率を抑えると共に教会によって植林が行われている。

 

 

 

町並みは、良太郎の想像よりも普通だった。

 三角屋根の大小様々な家々が連なって整頓されている。店舗も兼ねた民家が建ち並ぶ道は街の中央に集まり、真ん中には周囲の建築物より少し背の高いアーディア教のエンブレムが掲げられた教会が建っている。街の周囲は太い木々とレンガの壁で円く囲まれていた。

 

「こっち」

 

 エルナの先導に従って良太郎はついて行く。

 木々の隙間をすり抜け、レンガの壁に当たる。エルナが慣れた手つきで壁を押し込むと、ボコリと音を立てて一部が外れ、人一人通れそうな穴ができた。

 

「なぜコソ泥のような入り方を?」

「この町は教会が仕切っていて、検問にも教会の人間がいるからよ」

 

 足がつくと言うわけだ。見つかったら地下牢に返され、また「臓器の木」にされるだけだ。

 

(教会の人間に見つかったらヤバいって話だけど、この格好って目立たないのかな?)

 

 良太郎は疑問に思ったが、そこであることに気づく。

 街ゆく人間の服装が、どうも既視感があるのだ。何というべきか、家屋の素材や構造、並びはどこか欧州を思わせるのに、着ている服はワイシャツやジャケット、学生とおぼしき子供に関しては黄色い帽子や黒の学生用蘭服を着ている。スーツ姿の人間もいた。

 

「なあ、俺の居た……日本の学ランに似てる服着た子供が多いけど、この世界じゃメジャーなの?」

「前に召喚された日本人の服を模倣して、学校の制服にしたらしいわよ。あの黒いスーツってやつもねとか、他の服とかも。デザインが良くて私は好き」

 

 良太郎より以前に来た人間が学ランやスーツを広めたらしい。この世界はすでに地球文化に影響を受けているようだ。もしかしたらスマホやコンビニが並ぶのも遠くない……。いや、既にどこかで作られているかもしれない。

 

「着いたわよ」

 

 同じようなデザインの民家の1つの前でエルナは立ち止まった。

 ドアの前の鉢植えの下から鍵を取り出すと、エルナは鍵を回して家の中に入る。

 続いて入ろうとして、ドアの前に動こうとして……。

エルナが水平にぶっ飛びながら飛び出してきた。

 

「え?」

 

 突如吹っ飛ばされた相棒を見て、動揺しながら駆け寄った。

 鼻血をだして目が虚ろになっている。どれほどの衝撃を受けたのか。

 

「エルナさん!? 何があった?」

「あの……お姉ちゃんが……」

「姉?」

 

 ドアの前には、寝巻きとおぼしきゆったりとした服の上からカーディガンを方にかけた、『病床の美女』がそこに立っていた。腕を組んで足を肩幅に開いての堂々たる出で立ちである。柔和な笑顔に怒気を添えて。

 

「エルナちゃん。なんで叩かれたかわかる? 」

 

 人を2メートルぶっ飛ばして叩いたと来た。

 にっこり笑顔からにじみ出る圧が強い。初対面だが、良太郎にもこの女性が怒っていることがわかった。

「返事をして欲しいのですが」

 

 

 せめて庇わねばと思い、良太郎が割り込んだ。

 

 

「あ、あの、エルナさん気絶しかけてるというか意識混濁してるっぽいんですけど……」

「あ?」

 

 素早く伸びた右腕が良太郎の襟を掴んで持ち上げる。足を振るが、石畳に届かない。まるでビレトスに捕まったレオンだ。

 

「私は指名手配された妹との話し合いで忙しい。貴方は何処のどちら様ですか? 答えによっては命を差し出していただきます。」

「ぐうう……せめて表情と声色はそろえてくださいよ! ミスマッチさが一層恐ろしい怖いッ!」

 

良太郎は息苦しくなって涙がにじんだ。

 

「待ってお姉ちゃん……その人は、お姉ちゃんの病気を治せるかもしれない人なの……」

「うん?」

 

 持ち上げられていた体がゆっくりと下ろされ、良太郎は地面のありがたさを噛みしめる。

 姉を名乗る人物はコホンと小さく咳をこぼした。押さえた右手は血で少し染まっている。

 彼女は、エルナと良太郎を交互に見た後、ふぅと息を吐き、

 

「詳しい話を聞きたいと思います。」

 

 ドアを開け、二人を家の中に促した。

 

 

 

「なるほど、彼が祝福を受けた日本人で、不死身で、教会に利用されていたと……」

 

 一階のテーブルに、エルナと良太郎が並び、エルナの姉・ニーナ・ドルドエヴァが向かいに座った。

 これまで会ったあったこと、良太郎のこと、そしてエルナと良太郎の契約内容を聞いたエルナの姉、ニーナ・ドルドエヴァはお茶の入っていたカップを置くとしばし瞑目した。

 そして、口を開く。

 

「エルナちゃんが出稼ぎに行ったと嘘をついて、教会に潜入した挙げ句お尋ね者になったというのは姉として恥じる他ありません。ですが、私の身を案じての行動なのでそこは感謝し、考慮しようと思います。ありがとう、ニーナちゃん。私のために無茶をしてくれて。」

「お姉ちゃん……」

「具体的には拳骨5発で済ませます。」

「ヒッ!?」

 

 エルナの顔が青ざめ、恐怖で引き攣った。

 

(どんだけ怖いんだ?)

「それと……龍童君? ああ、家名はこちらですか?」

「はい、そうです」

「良かった。あなたが私のドナーになってくれると言う話ですが。甘んじていただきたいと思います。もちろん報酬もできる限りお支払いします。」

「本当ですか!」

 

 良太郎の声がうわずった。これで異世界での旅で足りない知識や物資を補える。

 

「ですが、エルナちゃんを連れて行くことは許可できません。」

「え?」

「は?」

 

 エルナと良太郎は同時に困惑した。

 

「お姉ちゃん、どうして」

「龍童君が探している幼馴染みは今も睨み合っている西の戦地にいるかもしれないのでしょう? そこにたった一人の家族が行くことを許すことはできません。」

「しかし、僕はこの世界に知らないことが多いので……」

「私の昔の知り合いに元ベテランの冒険者がいます。きっと力になってくれるはずです」

「……それはありがたい」

 

 良太郎は言葉を失ってしまった。理にかなっているし、今後の旅の案内人がエルナである必要性は無い。

 

「とりあえず今から医者と連絡を取って、来てもらいます。近いうちに手術をお願いしてもよろしいでしょうか」

「は、はい、それはいつでも」

「ありがとうございます。それでは。適当にくつろいでいてください。部屋は客間があるので、そこで」

 

ニーナは席を立つと二階に上がっていき、リビングにはエルナと良太郎だけが残った。

 




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マジカル☆オペレーション

夜。夕飯をご馳走になり、シャワーを借り、自由時間になった良太郎は、客間にいた。

テーブルとソファベッドをどかして広めの場所を確保し、真ん中に立つ。

これから良太郎は、ある実験をするつもりだった。

 両手を左腰に、鞘に入った剣を抜くように当てる。

 

(やっぱりか)

 

 するとどうしたことか、左腰には一瞬で剣が現れていた。右手で柄を、左手で鞘を掴み、そして引き抜く。良太郎の体が光に包まれ、瞬く間に全身を甲冑に包む鎧騎士の姿になっていた。左手には円盾も装備されている。グリップを掴むのでは無く、小手に固定されているようだ。

 

「この鎧は、武器を引き抜こうとすると現れる。名前は、カラドエリア」

 

 森で襲ってきた魔術師が言っていた名前だ。それほど有名なものなのだろうか。カラドエリアという名前については後でニーナに聞いてみるとして、今は鎧の分析が先である。

剣を一度鞘に戻し、体に意識を向けてみる。

 着ていない状態よりも、体が軽くて力がみなぎっているのがわかった。視力も上がり、夜目も利くのか、窓の外から隣の家の中の壁のシミまで見える。耳を済ますと近くの酒場の愚痴が聞こえた。

 

「ちょっと面白いかも」

(はあ、困ったことになった……)

 

 だが、エルナの声が聞こえると慌てて集中を切った。申し訳ない気がしたというか、

 

(変態っぽいことをしている自分がヤだな)

 

 もとの作業に戻る。

 試しに、右手で左手を殴ってみた。かなり力を込めて、拳をぶつける。ダン!! という重い音がし、左手に衝撃が伝わった。恐るべき威力だ。このパンチを生身の人間に当てれば、内臓を破裂させるくらいはするだろう。壁を始めに殴らなくて良かった。

 

(この力の使いどころは、かなり真剣に見極めないと)

 

ジャンプして天井に頭をぶつけたところで、次の調査。

 

 右腰に手を当てると湾曲を描いた剣、刀が現れ、引き抜くと光を噴出させると共に戦国時代の鎧武者を思わせる姿になった。先ほどよりもさらに身軽になった感じがしたが、代わりにどこか肌寒さというべきか、何か薄くなったような気がした。

 

(これまで二回使った感じ、素早さと攻撃力が上がるって感じかな? その代わり装甲を捨てているのかも)

 

 背中側の腰に手を当てると、今度は横向きにメイスが顕現した。銀色の八面体を先端に構えたメイスは重厚感があり、なんでも砕けそうな威圧感を孕んでいる。掴んで振りかざすとやはり和風の鎧は、厚みのある重戦士の姿になっていた。左手には身長ほどもあるタワーシールド。体が重くなり、動きが騎士や武者の時よりも早く動けないだろうなと直感した。

 

(これは武者とは違って、素早さを捨てて攻撃と防御に全フリしてる感じだ)

 

 

 良太郎はその後も動きを色々と試してみたが、三分経ったくらいで急に気分が悪くなった。心臓を捕まれたような不快感と全身に鉛を詰められたような倦怠感。鎧は光の粒子となって消え去り、寝巻き姿の良太郎だけが薄暗い客間に残った。全身から嫌な汗が噴き出し、喉がこもって咳をしたら血塊が出た。骨が軋むように痛い。

 

(カラドエリアは……装着すると死にそうなくらい気持ち悪くなる!)

 

ソファーの背もたれを倒してできたベッドにしがみつくように倒れ込む。

 五分ほどで症状は消え去ったが、良太郎の心中は未だ穏やかでない。

 

(この症状が毎回出るようなら、何度も戦闘なんてしていられない。)

 

 縁もゆかりもないもないこの異世界での良太郎のわずかなカード。教会の追っ手や学院の刺客に対して、切り時を誤れば待っているのは破滅だけだ。

 

 

 

 

 

次の日。

 

 

 良太郎達三人がジャックス(この世界で言うトランプ)で遊んでいたとき、唐突にドアが蹴破られた。

「何?!」

「邪魔するよ!」

良太郎がビビる中、ニーナの家のドアを蹴破ってメンチを切りながら現れたのは60歳過ぎの老婆だった。顔や手は皺だらけにも関わらず背筋はピンとしており、老いを感じさせない佇まいである。ヒョウ柄のローブにドクロの首飾りは大変趣味が悪かった。左手にはトランクにキャスターをつけた茶色のキャリーバック。

 大富豪で負けまくっていたニーナは手札を捨ててゲームを無かったことにすると、突然の来客を出迎えた。

 

「こんにちは、カフカさん。お久しぶりですね」

「ひさしぶりだねニーナ! 安静にしろっつってんのによくもまあ遊んでいられるな!」

 

彼女はカフカ・レンズ。これから良太郎からの肺摘出とニーナへの肺移植を担当する医者兼魔術師である。

 

「まあこのくらいならあまり体に響きませんから。」

「とっくに余命宣告から二年経ってるしな! 普通半年で死ぬってのに、とんだ化け物だよお前さんは!」

「え、そうなの?」

 

良太郎がこっそりエルナに聞くと、疲れたように答えた。

 

「昔から体が丈夫だから……。私が知ったのも半年前だし。症状を気合いでこらえてたのよね」

 

 初対面のときから薄々感じていたが、ニーナは結構なゴリラなのかもしれない…。そんなことを考えていると、カフカが良太郎を認めた。

 

 

「アンタが例の異世界人かい?!」

「は、はい。僕が龍童良太郎で、ニーナさんの臓器提供者です。」

「ずいぶんとひょろい体型だね! 飯は食ってんのかい?!」

「はあ、昨日もご馳走になりました」

「嘘つけ! これでも食っときな!」

「これから施術ですよね?」

「そうだった! やっぱやめときな!」

 

 カフカは一度渡した臆病リスの干物(子人のミイラに見える)をひったくるとガツガツ食い始めた。

アグレッシブな女性である。

 

「さて、早速始めるか!」

「あの、何処で手術を行うんですか?」

「ここ!」

「はあ?!」

「驚くことがあるかい、被術者がいて、ワシがいて、横になる場所があれば手術なんてすぐだよ」

 

 驚く良太郎をほっぽって、カフカはキャリーバッグから患者服を二着取り出すと、良太郎とニーナに放った。

 

「さあ! 早速始めるか!」

 

 

 並びの良い健康的な黒歯をむき出してカフカはキマッた笑みを見せた。

 

 

 

 魔術に回復させる手段は無いものの、手術を補助する手段は存在する。例えば水系の魔術は出血を抑えることができるし、念動力を操れば患部を傷つけること無く患部を露出させることもできる。麻酔は睡眠魔術をかければ代用できる(この場合は精神に障害を引き起こすケースもあるので、専用の資格が必須)。

 では、高い免疫力と切開してもメスを取り込んだまま塞がるほどの再生力をもった良太郎の場合はどうするのか。すなわち

 

「腕が、腹ン中入っていくよォォォ?……」

 

 腕とメスを透過させて直接患部に届かせる。

良太郎は情けない悲鳴を上げながら自分の体に起きた異常な光景を眺めていた。

 カフカの、呪文がビッチリと書かれた包帯の巻かれた右腕が、泥の中にでも突っ込むようにゆっくりと良太郎の体内に入っていく。良太郎は現在、痛覚をバグらされながら肝臓の切除が行われていた。

 

「これか? いや、違うなァ」

「スピードくじを引くような感覚で人の腹を探らないでくれ……!」

 

 モゾモゾと体内の「何か」を捕まれる感覚に、良太郎は暴れ出したくなる。だが、ここで大きく動いたら手元が狂って悪化させることは確定的に明らかだ。必死に衝動をこらえて様子を見る。

 

「うう、注射も刺さるまで見ちゃうタイプなんだ俺は。気持ち悪……」

「仕方ねえだろう。麻酔打ってもすぐに起きちまうんだから」

 

 良太郎の祝福である不死身能力は、害を及ぼすと判断した物は全て分解、無毒化してしまうらしく、いくら打っても効かないのだ。というわけでとられた手段が「痛覚を魔術で麻痺させ、体表を透過させる」になったのである。

 

「本来は感覚操作も人に使うと逮捕なんだが……ワシは魔術を行使する医療行為に関しちゃ大抵の資格は持っておる。安心しな」

「ま、魔術にも制度があるのね……」

「多分これだな、取り出すぞ」

 

 カフカの指先に魔力で刃が生成され、的確に肝臓を良太郎の体内から乖離させていく。プツプツという感覚が腹の中から聞こえた辺りで良太郎は考えるのを止めた。

 右手が良太郎の体から引き抜かれ、クリムゾンの臓器が姿を現した。

 金属のトレイに湯気を上げた新鮮な肝臓が置かれた。現実味が無かった。

 

「さあて終わったぞ! これからニーナの方のオペをやっから、さっさと出て行って寝ときな!」

 

急にテンションが上がったカフカに促され、良太郎はぽっかりと穴の開いたような気分(ぽっかりと体内に空間はできているが)で体を起こそうとするも、上手く立ち上がれない。結局部屋の外にいたエルナの肩を借りてその場を後にした。

 

 

 

 

 意識が覚醒した良太郎は、見慣れない天井を見て自分が誰かのベッドで寝かされている事を悟った。

 

「目、覚めた?」

 

 ベッドの脇には読みかけの本を閉じたエルナが顔をのぞき込んでいた。

なんか良い匂いがする。エルナの部屋だろうか。

 

「覚めた。かも」

「良かった。じゃあこれ、食べといて。カフカさんは体力を使ったに決まってるから、食っておけってさ」

 

そう言って小さなテーブルに置かれたミルク粥(?)を指さした。

 

「何これ?」

「お粥。麦とリンゴを煮詰めて、ランドホーンの角を砕いて振りかけた料理よ。」

「ランドホーンってなに?」

「角が三本生えた地面を泳ぐ牛。三本角を木に化かして隠れて仮をする魔獣ね。肉食の牛で地面を泳げるから捕獲が難しいんだけど、角がしょっぱいから調味料として優秀なのよね。肉もミネラルが多くて」

「ウンウン、なるほどね」

 

 けったいな生物な上に情報量が多すぎる。良太郎は生返事しかできなかった。

気を取り直していただきますと木製のスプーンで一口食べてみると、甘塩っぱくて美味しかった。

 

「何か柔らかいお粥の中にシャリシャリした食感があるな。美味しい」

「リンゴを刻んで混ぜたのよ」

 

 薄く笑うと、エルナは読書に戻った。

良太郎は食べて、エルナは読書をして、静かな時間が流れる。

 

(そういえば、なんで言葉が通じるんだ?)

 

 ふと良太郎はそんなことを考えた。朝に新聞を見せてもらったときは、よくわからない記号が並んでいて訳がわからなかったのを覚えている。だが、現地の人とは問題なく話せている。

 

(なんかこう……不思議な力で翻訳されているのかな?)

 

 

 自分が生き返って腹の中に腕を突っ込める世界である。魔術があるのだから翻訳ぐらいあってもおかしくないだろう。良太郎はそう考えることにした。

 食べ終わるとタイミングを見計らってエルナが本を閉じた。

 

「おかわりいる?」

「欲しいっす」

「ちょっと待ってて」

 

 エルナはお盆にカラの食器を乗せて出て行った。

 手持ち無沙汰になってあちこち見回すと、良太郎は本が多いことに驚かされた。壁には天井まで背のある本棚にビッチリと本がしまわれており、横にして隙間に無理矢理詰めてある。棚の足下にも何冊かがピタリとそろえて積まれ、机は両サイドに壁を形成していた。

 地球では活版印刷ができるまでは本は貴重なものだったはずだと、うろ覚えの世界史の知識を掘り起こしてみる。この蔵書を見る感じ、本は多く普及される当たり前のものなのだろうか。クラスのオタクメガネの家には埋め尽くすほどの漫画やライトノベルが置いてあったので、エルナは何かしらのオタクなのかもしれないなとも推測してみる。

 机の上にはクロスボウとカプセルや矢、試験管やビーカーといった調合用機材が転がっていた。エルナの主武装らしいので手入れの最中なのだろう。森で使った煙幕もここでつくっているのだろうか。そういえば、聖堂でも森でも、やたら戦闘に慣れていた用だったが、普段何をしているのだろうか?

 部屋中を見ていると、

 

「お待たせ」

「ひゅーッ!!!」

 

 

 お盆にお粥を乗せて戻ってきたエルナに話しかけられて心臓が止まるかと思った。

 冷静に考えれば女子の部屋をジロジロ見て私生活を想像する変態である。

 いや、断じて変態では無い。別に女の子の部屋だからといって興奮することはないし、良い匂いがするなとも考えてはいないのである。本当である。

 

「何?」

「い、いやなんでも……タハハ」

 

 必死に取り繕ってお粥を受け取り、ごまかすようにかっ込んだ。やはり美味い。

 

「ねえ」

「うん?」

 

 半分ほど平らげたところで、エルナに話しかけられて良太郎は顔を上げた。

 

「やっぱり私も行くわ」

「え、でもお姉さんにとめられてなかったっけ」

「良いの良いの。適当に黙って出ていちゃおう」

「いや、まあ、エルナさんがいいなら良いけど。ちゃんと言っといた方が良いんじゃないの?」

「話聞いてくれないかもしれないし」

「でも、ちゃんと話はつけておいた方が良いと思うよ。心配していってくれてるんだしさ。俺もこの世界に来ること親とか友達に言えてないし」

「……あのさ、私の昔の」

 

 エルナがそう言って切り出したところで、

 

 

 ドッゴオオオオオオ!! と。

 街の外周部の壁からの轟音が窓を叩いた。

 

「大変だあ!! 森の主が街を襲いに来たぞお!!」

 

 住民の叫びを聞いて音の出所を見ると、複数本の触手が入り口から伸びていた。

 それは、良太郎の知識の中で最も近しいものを上げるとするならば、

 

「蛸?」

 




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グシャット・オクトパス

やっと時間ができたのでまたちょっとずつ書いていこうと思います。


「なんだ、あれ…」

 

街の外周で謎のタコの触手がのたうちまわっている。街に向かって触手が振り下ろされるたびにバシン、バシンと燐光が閃き、うっすらとドーム状の光の壁が瞬く。

 

「軟体生物ににた巨大魔獣……あれが森の主? でもなんで……」

 

エルナは突如街の外に現れた謎の触手に没我の声をこぼす。

エルナの部屋からその様を見ている良太郎は、タコにも驚きこそすれ、それよりも気になった事があった。

 

「タコもよくわからないけど、あの光の壁って何だ?」

「あ、ああ。あれは結界ね。外周の駐屯地に神官がいて、非常時には展開するようになっているの」

 

 なるほどと返してタコを見る。だが、良太郎はそこで変化に気づく。

 触手が壁にぶつかるたびに、結界にヒビが入っているように見えるのだ。否、気のせいでは無い。確実に亀裂が結界を覆い始めている。今タコの進行を遮っている結界が割れたらどうなるかは火を見るよりも明らかだ。

 良太郎は右腰から抜刀し、鎧武者に姿を変える。

 戦闘態勢に入った良太郎を見てエルナは驚いた。

 

「ちょ、どこいくの!?」

「あのタコを退治……最低でも追っ払ってくる。このままじゃ街が危ない」

「でも、あのサイズは」

「俺のこの鎧なら、なんとかなるはずだよ。それに俺、生き返るから」

「……じゃあ私も行く。あなた一人じゃ、死んだ後に生き返る暇もなく殺され続けそうだし」

「わかった。じゃあ、先に行ってるから。」

 

 そう言って藍色の武者は窓から飛び出していった。

 エルナは一連の流れについて行けずに一瞬唖然するが、すぐに我に返った。

崖を飛び降りた時と言い、胴体を潰されたのに逃げなかったときと言い、今回も無茶をするに決まっている。エルナは部屋のボウガンと弾薬をいくつかナップザックに詰めて追いかけようとして

 

「待ちなさい」

 

 虚空に浮く魔方陣から現れた鎖に縛りつけられた。

 

「お姉ちゃん……」

「あなたを行かせるわけにはいきません」

 

エルナの前に立ち塞がったのは、ニーナだった。

 

 

 

 

 

 疾風の速さを手に入れたカラドエリアは、屋根の上を伝ってタコの元へ向かう。

 蹴躓きそうな速度で街を突っ切る間、強化された聴力によっていくつもの声が聞こえた。

 

(一体何が起きているんだ。父さんや母さんは無事なのか)

(神官や警史がなんとかしてくれる、大丈夫、大丈夫……)

(怖いよ……助けて……)

 

 カラドエリアは、さらに踏み込んで加速する。

 良太郎自身この街に来て1日も経っていないし、特に愛着はない。だが、人々の安全が脅かされるのでは無いかと思った時、全身を燃えるような何かが貫き、戦闘態勢に入っていた。    

 昔の、英二と美里に会う前の自分ではきっとあり得なかったことだ。

 

 

 

 グングンと触手と距離が縮まり、頃合いを図って大跳躍。外周の壁を飛び越える。

 やつは、いた。外周部の整えられた芝生を荒らしながら暴れる怪物。

 緑の表皮、細かい触手を毛髪のように細く生やした頭部に牙の生えた円形の口、苔むした触手。太いしなやかにして強靱な腕をぶん回して結界を破壊し、人間を殲滅せんとするそれは、神の使いとも呼べるような冒涜的な姿をしていた。

 良太郎はぶっ殺してやる、とは思わなかった。

 如何に異世界の生物と言っても、彼らにも何かの事情があるのではないかと考えたからだ。

 だが、それでも。

 

「人里を襲ったんだ。半殺しぐらいは覚悟しろ」

 

 

 カラドエリアは鯉口を切る。

 突如閃き現れた襲撃者にタコが反応。触手の一本を稲光のごとく空を奔らせ繰り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お姉ちゃん、お願い。この鎖を外して」

「駄目です。外したら龍童君の元へ……あの森の主へ挑むつもりでしょう」

「当たり前でしょ。アイツ一人で勝てるわけない」。

 

エルナの姉、ニーナは魔術符を持ったまま離さない。

 

「あなたが行ったって勝ち目はありません。」

「………」

 

エルナは黙ってニーナをにらみ返す。

 

「あなたが昨日の会話で、黙って去るつもりだったのは知っていました。何故です。何故彼にこだわるのですか? 彼について行けば苛烈な日常になるのは予想できる。それはあなたにとって避けたいことなのではないですか? そう思ったから私は……」

 

 ニーナの瞳に哀憐が宿る。エルナは、昔のことを顧みた。

 

 

 エルナの過去は、簡潔に表すならば人殺しの手伝いである。

 とある貴族の馬鹿な三男坊の血を引いてしまった彼女は、紆余曲折を経て裏社会の一組織に流れ着いた。

元々あった冒険者という定義の曖昧な職業を隠れ蓑に、殺しや人さらいが跋扈していた数年前。彼女は調合士として数多の犯罪組織の行いに加担していたのだ。

 エルナは薬の調合のセンスを買われて爆薬や毒薬を作り続けた。

 

 そんな歪んだ人生からエルナを救い出したのは、自分の年下の従姉妹の存在を知った特一級冒険者ニーナ・ドルドエヴァだった。

彼女はエルナを犯罪に加担させた全ての組織、そしてエルナが組織にいた証拠を全て文字通り灰燼に帰した。

それが2年前。それからは特に命を脅かされるような事は無く安穏に生活が続き、半年前に姉の疾患を知った。これが大まかな彼女の生い立ちである。

 だが、彼女がその人生で欲したのは、安穏だけではない。

 

 

「それは少し違うよ。お姉ちゃん」

 

 エルナはハッキリと告げる。

 

「私は、命の危険があるような生活が怖かった。でもそんなことより、関わる人間の誰もが私を最期まで信じず、助けてくれなかった事のほうが怖かった」

 

 とある暗殺計画の時は、警史の踏み込み調査の囮に立たされた。

 幼いエルナを利用して罠を仕掛けることもあったし、失敗して逃げ遅れたときに救助が来たこともなかった。必死に命を繋いでアジトに戻ったエルナにかけられた言葉は、「なんだ、助かったのか」。

 数年経った頃には、エルナは誰も信じていなかった。誰も彼もが仕事だけの関係。危うくなったら切り捨て、駄目だと判断したら見捨ててきた。

 

「でも、彼は違う。龍童良太郎は違う。これまで何度も裏切る機会も見捨てる機会もあったのに、彼はそれをしなかった。命を賭けて私を助けてくれたし、今だって街のために戦っている。」

「だから、彼を信じて協力したいと?」

「わがまま言ってるのはわかってる。でも約束したから。」

「そうですか」

 

 ニーナの目つきが変わった。魔術符を握る手に力がこもる。

 

「では、私もわがままを言おうと思います。……エルナちゃんは絶対に行かせません。これまでのあなたの人生を考慮すれば、ここで茨の道に戻る必要はない。森の主は私がなんとかします。」

「病み上がりのお姉ちゃんじゃ難しいでしょ。悪いけど……断る」

「ではどうするのですか? その拘束された状態で」

 

 エルナは体に密着するように縛り付けられた左手をこっそりと腰に巻いたポーチに伸ばしていた。

 そしてカプセルの一つを掴み、握りつぶす。

 

「こうするわ」

 

バシュ、という破裂音と共に白煙が廊下内に充満する。魔術阻害弾だ。魔力によって編まれた鎖は光の粒子となって消滅した。

 そして煙が消えた頃には、エルナはその場にいなかった。

 

エルナは、窓から飛び出すと、混乱渦めく町中をすり抜けるように走った。

「今からそっちに行く。良太郎……無事で」

 

 

 

 カラドエリアは触手の突きを足の裏で受け流し、体が回転。その流れを利用して抜刀し触手を切りつける。

 その恐るべき抜刀速度と刀の切れ味は、切り落とした触手の先端が物語っていた。

 初撃はまずまず。

 良し、とほくそ笑んだのもつかの間、続いて襲いかかった触手に反応が遅れた。

 刀を振り切った姿勢だったので、左腕を絡め取られる。折れると思った時には遅かった。

 枯れ木のようにポキリと左腕が折れ、言葉にならない悲鳴を上げる。

脳が反射的に右手に刀を持ち替えて左腕を切断する判断を下せたのは、奇跡にも近かった。

 

 

 カラドエリアは地面に真っ逆さまに自由落下。落下による怪我は無かったが、切り落とした腕の付け根が燃えるようだ。恐る恐る傷口を見ると、肉は沸騰するように膨れ上がって再生を始めている。

 

「く、はは。人間離れしてるなあ」

 

 良太郎は強がって笑おうとしたが、痛みで上手くいかなかった。

 再生が完了し、剣を抜く。大丈夫、まだやれる。

 

「装甲……換装」

 

カラドエリアの右手に直剣、左手に円盾が顕現。

 鎧騎士姿となったカラドエリアに、鞭で打つように横薙ぎに触手が繰り出された。円盾を掲げてガードを試みるが、やってしまったと気づく。

 盾に防御された触手がそのままカラドエリアに巻き付いたのだ。よく見れば吸盤では無く茨の様な棘が付いている。

 

(そっか……陸上で動くから、吸盤よりもスパイクみたいな棘の方が良いんだ)

 

 全身に絡みつかれた状況で現実逃避めいて余計なことを考える。

 最期の一手間と言わんばかりに触手は力んで哀れな餌を締め上げる。

 ミキミキと嫌な音を立てて骨が折れ、茨が刺さって出血した。

 ポイッと触手を振ってカラドエリアを放り投げると、ボロ雑巾の様に落っこちた。

 

 全身が燃えるように熱を持っているのを感じる。良太郎は朦朧とする意識の中で兜越しにタコをぼんやりと見た。なにもハッキリと考えがまとまらないのに、戦わなくてはという思いだけが残っている。

武器はまだある。戦える。剣を杖のようにして立ち上がって。

 

 

良太郎は吐血し、血は兜の隙間からあふれ出た。

 

 「なん……ちくしょ……」

 

変身が解ける。タコは触手を器用に操って動かない良太郎を持ち上げると、ひょいと口に放り込んだ。

 




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昔と盾と謎の男

 

 体中は沸騰しているかのごとく熱いのに、脳髄だけは冷えていた。

 

(何故か再生が遅い。全然動けない)

 

皮膚が触手の締め付けで割れ、流れた血がワイシャツを汚している。潰れたトマトの様になった良太郎は、苔むしたタコの頭部から生えた細い触手によってゆっくりと持ち上げられ、ヤツメウナギの口にも似た口に運ばれていく。

 

(喰われたとして……俺は融解と再生溶けて治ってを繰り返すのかな?)

 

良太郎が口の中に放り込まれる。

 

(その前に咀嚼されるか)

 

 思考がもはや足掻くことを選んでいなかった。ただこれから起きることを想像するだけで、解決策を探ろうともしない。

 全身の骨折は未だ治らず、抵抗のできぬまま飲み込まれていく。タコは触手で動けぬほどの怪我を負わせた後に口に放り込み、消化液で溶かしていくのだろう。咀嚼をしないとは、なかなかの悪食である。

 

(ごめん、英治、美里……)

 

 死に体の良太郎の脳裏に過去の映像が映し出される。

 小五のとある年明けの冬の日の事だ。

 寒いっつってんのに英二の提案でペットボトルロケットを飛ばしに河川敷に行った時。

近くの橋の下でカツアゲがあった。

年齢は中二か中三か……。小学生でかなう相手ではないだろう。

怯えているのは良太郎たちの学校の低学年の子だった。自分たちよりも年上の人間が自分たちより年下の人間を恐喝していたのである。

良太郎は正直怖かったので、その場を去ろうと提案しようとしたのだが、口を開く前にエイジがとんでもないことを言ったのだ。

 

「なあ、ペットボトルロケットをあいつらにぶち当ててやろうぜ」

「私もやる」

「は?」

 

結果的にカツアゲ犯は水を滴らせて唇を真っ青にしながら逃げだし、低学年の子達は英二達に感謝しながら帰って行った。

 

「羽金くんは、僕のときもだけど、どうして助けたんだ? 旅掛さんだって一緒になって喧嘩してたし……」

 

 英二の部屋で濡れたり殴り合って汚れた服を着替えた彼に、良太郎は聞いた。

 英二は少し思案して、

 

「多分、あのチビ達ってお年玉もらったばかりで、何買おうとかいろんな楽しいこと考えてたと思うんだよな。でも盗られたら全部パアじゃん。それってすごく嫌だなって思ってさあ。そしたら……ホラ。やっちった☆。」

 

 そう言ってお汁粉をすすった。「粒餡の皮が歯に挟まった……」

 

「あとみっちゃんがあーゆーの嫌いだし。」

「そりゃそうだよ」 

先の喧嘩でとれた上着のボタンを直しながら旅掛美里が言った。

 

「ああいう、他人を暴力でどうにかさせようとする人嫌い。二人が行かなかったら私が喧嘩したかも」

「実際、みっちゃんの方がオレらより強いしな。みっちゃんのじいちゃんにカラテだっけ?教わってるからさっきの喧嘩も無傷だし。握力とかマジでゴリラ……イテテテテアダダダダダダ!!!耳が耳がちぎれるちぎれる!!??」

「そ、そんなことないし! ちょっと力持ちなだけだし!」

 

 美里は頬を赤らめながら英二の耳を引っ張り、晩年のピカソになるのではと懸念するほどの痛みで顔が真っ赤になる英二。

 二人のその姿を見ていると、嬉しくなるような、腹の底がなにか温かくなるような、心が満たされるような気がした。

 

 思い出した。このとき憧れたのだ。困っている人間を損得考えなく助けようとする二人に。

 別にそれが正しいという訳じゃない。事情をわかっていないのに首を突っ込むことがいつも正しいとは限らないし、今回だって説得できたかもしれないのに武力行使だ。

それでも、龍童良太郎という大人ぶって世の中を冷めた目で見ていた少年にとって、他者の事を考えて動ける人間というのは始めて見る存在で、輝かしく見えたのだ。

 それからも三人で一緒に連んで、困っている人がいたら手助けして、たまに喧嘩して……。

 二人に影響されたから今回もタコに挑んで……。

 

「てか、何か暑くなってきたな」

 

 言われてみれば確かに暑い。今は冬のはずじゃ無いか。ストーブがあるからってこんなに暑くならない。なんなら物が燃える匂いも……。

 焦げる匂いと尋常でない暑さを感じて、良太郎の意識は覚醒した。

 

さっきのは夢だと判断すると同時に、こちらに緑色の触手が伸びてくるのが見えた。

 

「え?」

 

 体の動かせない良太郎は胃の中(?)で病葉のようにかき回され、あれよあれよと言う間に口から吐き出された。

 一度飲み込まれたはずなのにどうして生きているのか。どうして吐き出されたのか。

 良太郎は訳もわからぬまま、ヌメヌメして芝の上に転がる。

 

「よかった、良太郎やっぱり無事だった」

 

 制服があちこち溶けている上に粘液でコーティングされた良太郎の元に駆け寄ったのはエルナだった。

 

「エルナさん。どうして」

「さっき言ったでしょ。後から行くって。……なんかヌルヌルするね」

「俺も。そんなことより、今何が起こったんだ?」

 

 タコの方を見ると、体中の黒い火傷と燻る火に口から液体らしき物を吐きかけて消火していた。あれは先ほどの消化液か? 自分の体は溶けないらしい。

 

「ああ、私が奴に可燃性の油弾を撃って点火した。飲み込まれるのは見えてたから、なんおか吐き出させようと思ってね。体表が苔むしていたから、思ったより燃えるね」

「でも、それだけでタコは止まらないと思うよ……」

 

 実際にタコは自身にまとわりつく炎は既に鎮火している。表面はかなり焦げているが、致命傷には至っていないようである。

 エルナは腰からカプセルを取り出して煙幕を張ると、良太郎を近くの木の陰に引っ張っていった。

 

 

「良太郎、まだ動ける? あの鎧の力でなんとかできない?」

「一か八か体内に入ってめちゃくちゃに暴れればダメージを与えられそうなんだけど、体が動かん」

「じゃあ、これ使ってみて」

 

 そう言ってバックパックから取り出したのは紫の薬液が入ったアンプルだった。

 

「なにそれ?」

「過回復薬。前にカフカさんと一緒に作った薬。一飲みでどんな病人も全快する薬を作ろうって調合したのは良いんだけど、魔力の過剰摂取による暴走と栄養過多で細胞が崩れちゃう失敗品になったのよ」

「俺死ぬんじゃね?」

「多分だけど、あなたの回復力は周囲に漂う魔力とそれまでとった栄養やカロリーに左右される。だから鎧を顕現するたびにひどく疲れるのよ。なら、常人が超過するほどの回復薬はあなたになら上手く効くかもしれない」

 

 エルナの眼はふざけているわけでも、やけになっているわけでもなかった。

 良太郎はしばし迷ったが、覚悟を決めると力を振り絞って小瓶を掴み一気に呷った。

 大丈夫。しくじったって死ぬだけだ。

嚥下した瞬間喉が焼けるように痛み、手足から血の気が引いた。全身は凍えるように冷たいのに、臓腑だけが灼熱を帯びている。

異常な体温変化にも関わらず、良太郎の心中は高揚感で満たされていた。

 

 血液はガソリン、心臓はエンジンとなって良太郎を突き動かす。さっきまでの脱力感が嘘の様に吹っ切れている。

 粘液を取り払って立ち上がり、右の剣を抜く。

 

「装着」

 

 良太郎の体はカラドエリアに包まれた。

 思考がクリアになり、文字通りの全能感が鎧中を満たしている。

 

「良太郎、大丈夫?」

「ああ。これなら行ける。ありがとう」

 

 何をすべきか、何が最善かが感覚で理解できた。

カラドエリアは、右腕の円盾を右足に近づけた。するとどうしたことか、盾はレールを走るように腕からに移動し、足の側面にバチリとはまった。それだけではない。盾はバシャリとカイトの骨のように三つ叉に分かれたでは無いか。

 

「盾はただの盾じゃない。これも攻撃手段の一つなんだ」

 

 カラドエリアは剣を地面に突き立てると、天高く飛び上がった。

 狙いはタコ。目と目の間。

 

「ハアアアアアアアアア」

 

 右足を引き絞って蹴りを繰り出すと、分かれた盾からジェットのごとく推進力が生み出された。爆発的な加速によってカラドエリアは隕石めいてタコに襲いかかる。

 

「ウリャアアアアアアアアア!!!」

 

 さすがのタコも驚異的であると見なしたのか、無数の触手で打ち落とさんと迎え撃つ。

 

だが、止まらない。カラドエリアの蹴りは一本目の触手を貫き、二本目を吹き飛ばし、三本目を裂いて突き進む。

直撃。

インパクトによって芝は津波打ち、木々が大きくうねる。タコのいた地面は陥没し、岩盤を捲りあげた。

土ぼこりが晴れると、触手を根元から数本失ったタコと膝を突いて動かないカラドエリアがいた。

 

「良太郎!!」

 

 エルナは近づこうとしたが、そこでタコが生きていることに気づく。

 タコは残った触手を動かして体勢を立て直そうとしている。

 エルナはボウガンを構えたが、タコがこちらを襲わないことに違和感を覚えた。

 どうすればいいのだろう。

 

「待ってエルナさん!」

 

 カラドエリアは体を引きずってエルナに駆け寄った。

 

「体は平気なの? タコはどうなったの? 敵意を感じないけど……」

「あれは、俺がわざと外したんだ」

 

カラドエリアはとんでもないことをいった。

 

「はあ?! なんっ、街を襲った怪物でしょ?」

「でも、殺すのはやり過ぎだ。あのタコは森の主で、ずっと森の奥にいたんだろ? ここまで出てくるのは不自然なんじゃないか? なんか理由があるのかと思ってさ」

「!」

「だから、あれで済ませた。タコだし、すぐに生えてくるだろ。」

 

 タコは大きな黒目でジッと二人を見た。

 先に視線を外したのはタコの方だった。減った触手で体を引きずって森の方を向き、ヨタヨタと進んでいった。

 

 

「こっちが手出ししないって、わかったのかな」

「だとしたら俺も嬉しいんだけどな」

 

そのときだった。

 

 

突如、森から黒い影が飛び出した。

影は一直線にタコに突撃、そのまま口内に飛び込んだ。

ブチブチと肉を裂く音がして、黒い影は反対側から突き抜ける。

頭部をぶち抜かれたタコは触手を痙攣させ、やがて脱力してピクリとも動かなくなった。

 

タコの頭を貫いたのは一人の男だった。身長は一八〇ほど。手足は、爬虫類めいた鱗の黒い皮膚と指先に鋭利な爪、敢えて言うならばドラゴンのような手足をしている。筋肉が多くて太いためか、茶色のコートと黒のズボンは裾や袖が裂けていた。

 

彼はゆっくりと良太郎たちの方を見て、

 

「悪いな。今回のクエストとヌシ討伐の経験値はオレが貰ったぜ。ゲームクリアには必要不可欠なもんで」

「ゲームクリア?」

「そーだよ。このクソみたいなゲームから脱出するためにな」

 

 訳のわからないことを言った。

 




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プレイヤー:片桐空色

突如タコを一撃で殺した男は腕を変形させて人間の手足に戻ると、馴れ馴れしく話し始めた。

 

「雰囲気でわかったぜ。オマエもプレイヤーの一人だろ? オレは片桐空色。ソライロってかいてクイロだ。片桐でもクイロでも好きに読んでくれ」

「龍童良太郎。良太郎でいい。……その、アンタの言うゲームクリアっていうのはどういう意味なんだ?」

 

 

 良太郎はエルナを自分の体で隠すように立ち位置を変えた。眼前の男がどうにも信用ならなかったからである。

 クイロは良太郎の問に嬉しそうに答えた。

 

 

「良く聞いてくれた。この世界は俺たちが過ごしてきた世界とは全く違う。なんせ人間がぼそぼそ呟いたら火炎だの雷撃だのが跳んでくるんだからな。だからオレはこの世界はバーチャル世界で、なんかのミッションを果たしたらゲームクリアになるって考えてんだ。」

「……なるほど」

 

 良太郎は正直あり得ないと思った。

 この世界がゲームだとして、頬を撫でる風は、肌を焼く太陽光線は、踏みしめている土は全てデジタルデータだとでもいうのか。日本にいたときとほとんど変わらないではないか。確かに、普通に考えて魔術というオカルトが一般に普及した世界など信じられるはずもない。だが、この世界の動植物や後ろにいるエルナや街の人々を見ていると、この「生きている感じ」は仮想の物だとはとても思えないのだ。

 

 

 

「だからあのタコも殺したのか?」

「ああ。ゲームの基本はレベリングだろ? とりあえず『名前付き』ッぽい奴はだいたい殺して回ってるよ。おかげで強くなった感じすんぜ」

「なに?」

 

 会話に不穏な空気が流れる。未だに鎧を解いていない良太郎は拳を握りしめ、エルナも空気を感じ取ってかボウガンの弾に触れている。

 

「森で会った変な魔術師とか、オレを喚んだ教会の人間とかな」

「殺したのか? 本当に?」

「良太郎」

 

 静かな怒気を孕んだ事を察し、エルナが制した。声を潜めて忠告する。

 

(今あなたは体力を消耗してる。再生が追いつかないとカラドエリアの維持だってままならない。適当に言いくるめて退くべきよ)

(だけどコイツは)

 

「聞こえてるよォ」

 

男が言った。

 

「そっちの美少女はオマエの仲間か? 良いなァ、オレそういうサポートキャラに会えてないんだよ……。

でもあんまり感情移入しない方が良いぜ。なんせすぐ死んじまうからな。こんな風に」

 

クイロは話しながら適当な石を掴み上げて弄んだと思ったら、唐突に投擲。その先には、崩れた外壁から槍を構えて飛び出した兵士がいた。おそらく、森の主(タコ)が動かなくなったので防御に固めていた人員を割いて現場に派兵したのだろう。

 

 

「貴様ら、そこを動くな! 森の主の襲撃について……」

 

 だが、兵士は豪速で投擲された石で喉を削り取られ、そのまま絶命した。

クイロは兵士が飛び出すことを予測して石を投げていたのだ。

 

「うーん。やっぱモブを殺しても何も実感沸かないなァ。こう…名のある騎士とか魔術師の方が良いんだろな?」

 

 人一人殺害したにも関わらず、クイロは気にも留めていない。

 

 敵だ、と認めた瞬間義憤が脳髄を叩き、良太郎は踏み込んでいた。

 現在装着しているカラドエリアは最速の武者スタイルではないが、騎士スタイルでも常人以上の瞬発力を発揮する。

一瞬で間合いを詰めて右拳を放つ。良太郎は格闘技の経験こそなかったが、英二に付き合って人よりは多く殴り合いの喧嘩の経験があったこと、そしてカラドエリアの補助もあって繰り出したパンチはそれなりの威力になっている。

クイロはそれを難なく躱すと数歩距離を置いた。

 

「良いねえ! オレもスキルを持った日本人と戦うのは初めてだ! どんくらい経験値がもらえるのか、試させて貰うぜ!」

 

 右腕をガッと突きだすと、表皮が音を立てて変化する。蛇の鱗、虎の爪。

 

「ッシャア!!」

「フッ」

 

 次々と放たれる空手の熊手に似た突きを盾のない籠手で捌く。鉄球のように重く、槍の様に鋭い一打が連続して打ち込まれ、良太郎は攻撃に移れない。

 そちらに気をとられたからか、不意に繰り出された前蹴りに対応できなかった。

 いつの間にか筋肉が丸太のように太く膨張した脚から土手っ腹にぶち込まれた蹴りはカラドエリアの上からでも絶大な威力で、良太郎は数メートルぶっ飛ばされて地面を転がった。

 内臓まで届いた衝撃が激しく良太郎を蝕み、耐えきれなくなって鎧が解ける。

 

 

「良太郎!」

「ハア、来ちゃ駄目だ……」

「なんか調子悪そうだな。やっぱタコにやられてたンだな」

 

 腹を押さえて呻く良太郎を近づいて見下ろすと残念そうにクイロは言う。

 

「悪かったよ。本調子じゃないのに喧嘩売っちまって。」

「ふざけん……な!!」

 

 最後の力を振り絞ってカラドエリアを顕現、直剣で斬りかかったが、クイロはそれを難なく躱し、エルナの方に蹴り飛ばす。

 

「うーん。ここで殺しちゃうのは勿体ないな。レベルの高い相手を倒したときこそ大量の経験値が見込まれるってもんだ。……そだ」

 

 何かを閃いたクイロは口角を釣り上げた。

 クイロの赤い瞳が、瀕死のカラドエリアと寄り添うエルナを捉える。

 

その瞳を、エルナは見たことがあった

 

(昔の同業者にあんな奴がいた。裏切る前や逃げ出す前に見せる、何かやらかす直前の目だ。早く逃げなきゃ!!)

 

「お嬢さん、余計な真似すんなよ」

 

 手首のスナップだけで投げた石がボウガンに命中。ケーブルを破壊された。射出不可。なんという命中精度か。

エルナの頬に冷や汗が垂れた。しかし緊迫した状況はすぐに打開された。

『何か』が起きたのだ。

 

「そこの者共! そこを動くな!!」

 

 壁の方から大音声が響き渡り見てみると、かなりの数の兵士がこちらに杖や槍、ボウガンを構えて隊列を組んでいた。

 

「我々はドルドの街の警史隊である! 森の主、ブラドウラバスによる街への襲撃が止んだので現場の確認に来た! 主の遺体について、何があったのか重要参考人として事情聴取を行う! 速やかに武器を捨てろ!」

 

 警史隊。街を護衛する、軍と警察を兼ねた組織である。

 

「良太郎、ここは逃げよう」

 

エルナは良太郎に打診した。「な、なんで……」

 

「奴がどこかの教会の人間を皆殺しにしているなら、指名手配がされているはず。教会ともつながってるから拘束されて聖堂に戻されるかもしれない。一度逃げ出した金のなる木をまた逃がすほど、大司教は馬鹿じゃない」

「……エルナさんがそういうなr

 

だが、クイロはここで思わぬ行動に出た。

 

 

「困りましたな! 我が主! ここで森の主を従えて国家に対して宣戦布告をするはずだったのに、ここまで奴が暴れるとは思わなんだ!」

 

 こちらに対して嫌疑をかけている警史隊に向かって大声で告げたのだ。

 

「は? お前何を言って……」

「主よ! ここは私が暴れて時間を稼ぎます! どうかお逃げください!」

 

クイロはそれだけ言って警史隊に突っ込んでいった。再び腕を爪に変化させると、次々を警史たちを裂いていく。

 

「あいつ、いきなり何を言ってるんだ?」

「あの男、とんでもないこと言いやがったわね……! ひとまず逃げよう。私があなたを担ぐ。鎧は絶対脱がないで!」

 

 エルナはジャケットの内ポケットか赤色の小瓶を一つ取り出すと、栓を抜いて一気に飲み干した。

 

「ふうううう……」

 

 エルナが深く息を吐くと蒸気が出た。首元の黒いバンダナを口を覆うように巻く。

 

「エルナさん? 今何を飲んだ?」

「虎の子の身体強化薬。しっかり捕まってて」

「え。ウワアアアアアアアアアアア!!?」

 

 エルナはそう言って首の後ろで鎧を着たままの良太郎を担ぐと、地面を抉りながら踏み込んで駆けだした。

 先ほどまでいたところに魔術による火炎弾や、ボウガンの矢が刺さる。だがエルナはものともせずに走り続けた。

 ギリギリのところで魔術や武器による追撃をかわして、森の中に飛び込んだ。

 木々が流れるように後ろにかっとび、多い茂る葉が増えて暗くなる。

 途中、高速で接近した枝がカラドエリアの兜にぶつかって折れた。エルナの服を所々裂いた。

 

 

走り、走り、走り。どのくらい走ったのか。緑の匂いが濃い、薄暗い小川の近くでエルナは脚を止めた。

大量の汗を滴らせるエルナに、学生服を赤黒く染めた良太郎が横になりながら聞いた。

 

「エルナさん。さっきあいつはなんで俺たちが仲間みたいなこと言ったんだ?」

「理由はわからない。ただ、これで私たちは大犯罪者になったって事は確かね」

「何?」

 

 バンダナを外し、清流の水を手ですくって飲みながらエルナは言った。

 

「だって、クイロがテロをしようとしてたって言って、私たちがアイツの言うことに従って逃げたから。鎧は脱がなかったら面は割れてないだろうけど、町中で鎧姿でいたら警史が跳んでくるかもね」

 

 

 

 

 片桐空色は二十人目の兵士を顎を引き剥がして殺したところで、

 

「キリ番だし、そろそろ隠れるか」

 

 クイロはそう言って高く跳躍した。空中から警史や神官の増援が着ているのが見えた。

街の中に入り、外れのゴミ捨て場に落っこちた。

 

「うわあ! 急に人が落っこちてきた……」

 

 街が被害に遭っていたのにベンチで仕事をサボっていたスーツ姿の男が、ゴミ捨て場に近づく。中を伺おうとした瞬間、男は伸びてきた腕に捕まれてゴミ箱に連れ込まれた。

 

「……!」

 

 ごそごそと中で蠢き、ゴミが少しこぼれた。

 まもなくしてスーツ姿の男がゴミの中から出てきた。パッパッとゴミを払うと、鼻孔を生臭さがくすぐった。自分の腕の匂いを嗅ぐと、眉をひそめる。

 

「うえ、臭いなァ」

 

 ベンチの脇に置かれた鞄を拾い、勝手に漁るとおしゃれなラベルの付いた小瓶が出てきた。

 

「よしよし」

 

 適当に何プッシュか香水をかけて再び匂いを嗅いで一安心。

 スーツの男に姿を変えた片桐空色はニヤリと笑って、人通りの戻った大通りへ歩いて行った。

 

 

 

 その後、エルナの危惧したとおりになった。

 龍童良太郎は引き続き保護対象としての捜査。

 片桐空色も大量殺人犯としてそのまま指名手配。

 

 追加で、赤色の鎧騎士と金髪の黒バンダナの女が片桐空色の仲間であるとして逮捕状が発行、指名手配される。

 なお、金髪の女は先日のウィラト大聖堂襲撃犯と同一人物の可能性があるとして別に捜査が行われることとなった




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とりあえず森を出ましょうか

 

 警史隊の追跡を辛くも振り切り、ウィラトの森の奥まで逃げ込んだ二人。

 良太郎は血まみれの学生服を、エルナは汗だくの服を小川で洗っていた。

 エルナは換えの服に着替えているが、良太郎はパンツ一丁である。

 もちろん良太郎が下流である。

 ガシュガシュ学ランをこすると、小川がピンク色に染まった。

 おもむろにエルナが口を開いた。

 

 

「タイムリミットは60日ってところね」

「はい?」

 

 頭を上げると、エルナが木と木の間に張ったロープに服を掛けながら返した。

 

「あなたの友達を助けるためのよ」

「ああ、なるほど。でもなんで60日なんだ?」

「今の戦争は休戦期間を設けていて、それが解除されるのが60日後なの。どっちの国も長期間戦い続ける体力なんてない。だから定期的に休戦しながら戦おうって、協定を結んでいるのよ」

「そんなスポーツみたいに行くもんなの?」

「行く」

 

あっさりと肯定した。

 

「なぜならお互いに向こうの戦力の彼我がわからないから。今起きてるベルグベルツ・コトラ戦争は10年以上続いてるんだけど……。ああ、ベルグベルツが私たちの国の名前ね、コトラがあっち。休戦しながら戦おうって決まったのは開戦から3年経った頃。いつまでやっても終わらないから、一時休戦して国力を再生させるのと、魔術を初めとした技術力を伸ばす目的でこちらが申し込んだのね。相手もそれを承諾。休戦が解除されて、じゃあ滅ぼそうって攻めたら向こうも戦力が上がってて、それをずっと繰り返したらここまで続いたって訳。」

「泥仕合だな」

 

 学ランをギュウと絞って、良太郎もエルナに習って干す。

 エルナは服が全て干されたのを確認すると、たき火を点けた。

 

「うん。でもそのせいで魔術が発達したし仕事が増えて貧富の差もいくらか解消されたから、『戦争の断続はベルグベルツ共和国にとって最適で健全な国家行動である』なんていった経済学者もいるけどね」

「へえ」

「話を戻すけど、その休戦期間が終われば戦いが再開して、連れ去る難易度が上がるかもしれない。だからタイムリミットは60日だって言ったの」

「なるほど、残り二ヶ月か……」

「え、一月ないでしょ」

 

 よくわからないことを言われ、良太郎は少し脳がフリーズした。

 

「えと、一ヶ月って何日?」

「月によって大分変わるけど、今月は17日。あと二日で四月。四月は60日くらいね」

「……。因みに1年は何ヶ月で何日?」

「15ヶ月で、487日」

「……まあここ地球じゃないもんな!!」

 

 ちょっとずつ異世界の事情の飲み込み方がわかってきた良太郎だった。

 

「じゃあ俺たちは何処に向かえば良いんだ?」

「西の主戦場、ガルガン荒野。最短で30日で着くはず。」

 

 良太郎はパンツ一丁で立ち上がった。

 

「ヨシッ、行こう!!」

「自分の格好見てから言ってね」

 

 というわけで服が乾く間、食事をとることになった。

 エルナと一緒に集めたのは、売りに似た果実だ。

 何故か等間隔に並んでいるのが特徴的だった。

 

「これはなんて植物なの?」

「コビウリ」

「媚び売り? 瓜なの?」

「瓜だよ。媚びを売ってるんじゃないかってくらい甘いの」

 

エルナが包丁で真っ二つに切ると、白い果肉が露わになった。

 スプーンを受け取って一口食べると、驚くほどの甘さが良太郎を襲った。思わず耳の下の辺りが痛くなる。唾液腺が弾けそうなくらい甘い。生クリームと小豆とメープルシロップを混ぜたような甘さだ。ここまで甘いのにさっぱりしているのが不思議だった。

 

「ここは森の奥で、木々が濃すぎて鳥が降りてこない。たまに小動物が来るくらいだから種子を遠くまで運ぶために、ひたすら甘くして食べてもらえる様になったって訳。でもその小動物も多くないから、ずっと糖度をため込んで……」

「ここまで甘くなると。賢いねえ。」

「ちなみに、誰にも食べてもらえないと弾け飛んで種子を飛ばすのよ」

「……いやもうホントに、賢い」

 

 良太郎は甘党というわけでもないので半個で止めようとしたが、エルナに丸々1個分食べるように勧められた。どうやらこの果実はカロリーも多く含まれているようで、「良太郎の祝福に栄養素が使われているかもしれないので、いっぱい食べろ」ということらしい。

 実際森の主と戦ったときの再生が遅く、これが直前に肝臓摘出手術をおこなったからだと考えた良太郎は納得、塩味を恋しく思いながら一個、エルナが食べきれなかった半個合わせて1個半食べた。

 

 

 食事を終えた二人は服を乾いた回収すると、森の北側から抜けて、川を下って移動することになった。良太郎は学ランのしたにパーカーを着、エルナはジャケットにピタリとしたパンツ、膝よりも高いサイハイブーツ。葉っぱを適当にこすると全体がカーキ色に染まった。

生地は全世界に広く生息地を持つカメレオンの皮を使用しているらしい。

 

ここまで訪れた場所を簡単に説明するならば、大聖堂の西側に巨大なウィラトの森、西に抜けると街。現在は森の中央なので、北に向かって森を抜け、そこから西に延びる川を下るというのが、二人の移動経路である。

 

 

 

 

「これ何?」

 

 良太郎が背負わされているのは木の皮を剥いで組んだ籠である。即席にしては中々丈夫な造りで、背中と同じくらいのサイズ。

 

「森を抜けた所の村で少し路銀を増やしたいから、森の資源をいくつか回収しながら歩くよ」

「了解」

「じゃあまずこれ」

 

 そう言ってエルナはコビウリを渡した。

 

「はい」

「あとこれ」

 

 紫色の毒々しいカラーリングの葉っぱを渡した。

 

「はい」

「これも」

 

 胎児ほどの大きさのミイラを渡した。

 

「キャアアアアアアアアア!!」

 

 良太郎は女の子みたいな悲鳴を上げた。驚きのあまり思わず取り落とす。

 

「なにこれ!? この森は人を喰って育つことで有名的なーッ!?」

「マンドラゴラ」

「うあ?」

 

 一瞬良太郎はハワイ辺りの赤い花が思いついたが、すぐに人間に似た植物の根っこをさしていることに気づく。むかし何かのファンタジー小説で読んだ気がする。

 

「は、初めて見た。これがマンドラゴラか」

 

よく見れば首の辺りに切れ込みがある。

 

「なんか首かっ切られてるんだけど」

「叫び声を聞くと精神に異常をきたすから、さっさと黙らせるのが早いの」

「はあ、さいですか」

 

 発声する植物の根っこ。

 良太郎は喉元を切られた胎児のミイラを籠に放り込んだ。なんとも猟奇的な光景だった。

 しばらく二人は黙って歩いた。

 ガッサガッサとかき分けて森を歩いていると、良太郎は先ほどの日本人のことを思い出した。

クイロとかいったか。

 

『この世界はゲームだ』

 

 始めて聞いたときはあり得ないと思ったが、そう考えるのも無理はないと思う。

実際この世界では、地球では決して見られないような超常現象が多い。クイロが言うように仮想現実であると考えるのも無理はない。夢の可能性だってある。

問題は、『この世界が偽物である』という根拠が弱いのだ。いま五感で感じ取っている物、環境を認識する感覚は地球にいたときと変わりない。これが仮想世界なら、日本にいたときを現実と断言することも出来ないだろう。

ここまで来ると哲学やSFチックな方向に行きそうなので、良太郎は考えるのを止めた。ここが現実にせよ仮想世界にせよ……英二と美里を助けることに変わりは無い。今は協力者であるエルナと共に目的地へ向かうだけだ。

そしてクイロ。奴はこの世界を仮想だと認識した上で殺戮を繰り返している。どちらにせよこの世界の秩序を乱していることに変わりない。次にあったら必ず拘束ししかるべき場所に突き出そうと良太郎は決めた。

 

(俺のことを好き勝手殴ってくれたしな)

 

 そんなことを考えていると、何かを踏みつけ足下でパキリという音がした。

 

「ん?」

 

 足下には、乾いた臆病リスの死体が頭を組み砕かれていた。自分が踏んづけてしまったと理解し、思わず誤ってしまう。「やっべ、ごめん」リスは蔓が拘束する様に巻き付けられている。

「食虫植物みたいなものかな」

 

 拾い上げようと屈む。近づいて見ると、リスの体から蔓が伸びていることがわかった。

「あれ、蔦が体から生えてる?」

 

 手を伸ばすと、葉っぱが引っかかってチクリと痛みが走った。葉で腕を切ってしまったのだ。学ランの上から。その葉っぱは鉄に似た鈍い銀色をしており、それこそ刃のような……。

 

「あう?」

「良太郎?」

 

 エルナは後ろから変な声がして振り返ると、ばったりと倒れ込む良太郎の姿があった。

 

「ちょっと、良太郎!? どうかした?」

「わからね……。急にだるくなって……」

 

 もしやと思って近くの葉っぱを確認すると、刃のごとく鋭い葉が低い位置に生えていた。

 倒れ込んだ拍子にさらに切ったのか、顔や手にも切られた痕がある。

 

「ごめん、食獣植物がここら辺に生えてるのを忘れてた。手足の痺れとかない? 血が止まらなくなったりするんだけど」

「いや……ひたすら体が重い……」

「でもここで止まるわけにも行かないし……。森の外の村まであと少しだから。我慢して」

「へい……。お願いします……」

 

 息も絶え絶えな良太郎が力なく親指を立てると、エルナは笑みをこぼした。

 そして、先ほど拾った紫色の薬草を囓った。身体強化役の素材になる薬草だ。嚥下すると、良太郎と採取品の入った籠を担いて歩き出した。

 

 

 夜。エルナはなんとか荷物二つを担いで森のすぐ外の村にでた。エルナはそのまま村長を務めるシワシワのおばあさん魔術師に話をつけ、森の採取品をあらから渡すことで滞在を認められ、空き家を一晩借りることになった。茅葺き屋根の、1LDKである。部屋の真ん中には囲炉裏がある。

 

 

夕飯時。

「あの葉が生るのは、ブレードリーフって植物ね」

「なに? それ……」

 

 村の猟師から譲って貰った肉や野菜が炙られるのを見ながら、良太郎は聞いた。

 エルナはブーツの先端に先ほど採ってきたブレードリーフの葉を埋め込みながら話した。

「葉っぱの刃で毒で動物の動きを止め、傷口から種を直接植え付けて繁殖する植物のことよ。麻痺毒は即効性があるから切られたらまずアウト。最悪呼吸も出来なくなる。あなたが倦怠感だけで済んだのは、祝福のおかげね」

「なんで葉っぱが鉄みたいになってるのさ」

「たしか……土壌中の鉄分を吸収してるらしいわよ。一部に抽出して、鉄の刃を作ってるらしい。」

 

 そう言ってエルナはブーツのつま先にブレードリーフを埋め込んだ。

 踵をぶつけると、シャキンと刃が現れる。スパイ映画にでも出てきそうな装備である。

 

「因みに、この毒はどうやって切りつけても麻痺までしかいかないのよ。子供も大人も、死にはしない。麻痺するだけ」

「不思議な植物だねえ」

 

 二人は焼けた肉が刺さった鉄串をとって食べる。中々上手かった。野菜は味は悪くなかったが、少し硬かった。

 

 

夕飯を食べ終わり、良太郎は野菜の皮やら肉の骨やらをまとめて村のゴミ捨て場に捨てに行った。土の中に捨て、ある程度貯まったら埋めるらしい。貝塚の様な物だ。

 

(うーん。いきなりエルナさんの助けばかり借りて面目ない。)

 

 早速旅の足を引っ張った形になったことは、いくら彼女を雇ったとはいえ情けない。

 女の子の前で少しは格好つけたいというのもある。

 

(ところでエルナさんはいくつなんだ? 何してた人なのかもわからん)

 

 どこか都合の良いタイミングで聞いてみるか等と考えながら家に戻る。

 そんな良太郎の姿を、森の奥から監視する目があった。

 森の中で過ごすには似つかわしくない、丈の長いコートの様なスーツ。

それを羽織った人間が4名。彼らはアックス=ベイルンの同胞、魔術を教える機関『学院』のはぐれ者集団、伝統派のメンバーである。

 




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Magician In Boat

道中で魔獣に襲われることもあるこの地域では、舟運がそれなりに発達している。

河川用大型船ミカヅキ。全長50メートルを超える大きな船である。三階層の大きな船にて。

「なんてこった……」

 良太郎は、ミカヅキの1番上の観覧席の端っこで水面を見つめてうなだれていた。今の服装は学ランを止め、黒い綿のシャツと灰色のパーカー、ジーンズという格好だった。なんで地球の服がそこらの村でも買えるというと、単純にこちらの方がシンプルで便利だかららしい。先に来ていた異世界人(日本人)が持ち込んだ服飾技術やデザインは、この世界では大いにウケているようだ。

 さて、何故良太郎が落ち込んでいるかというと、ここまで自分が役立たずだったからである。

 村で一泊した翌日。良太郎を起こしたエルナは中古の革の背嚢と良太郎の着替えを買い、朝ご飯を用意して待っていた。

「コレ食べたら出発するよ。何か欲しいものとかある?」

 特になかったので支度を整えて家を出ると、村に一日三本しか来ないはずの馬車が自分たちを待って停車していた。エルナがチップを払い、待ってもらっていたらしい。

 早朝に出発して昼頃着いて、船の切符もエルナに買って貰って乗船した。

 極めつけはコレだ。

 

「いくらかお金渡しとくから、好きなもの食べていいよ」

 

 お小遣いまで貰ってしまった。なんという母性。コレがバブ味というやつか。否、良太郎はただのヒモである。

 出費は全てエルナ持ち、ガルガン荒野までのルートもエルナ任せである。

 

「頼りっぱなしじゃ駄目だよなあ……」

 

 そうは思うが、実際に何をすれば良いかわからない。仕事の求人自体はあるようだが、移動を続けるために長期のものは駄目だし、日雇いの小銭では焼け石に水だ。

 答えが出なかったのでとりあえず先ほど買ったホットドッグを食べた。香辛料が利いていてかなり辛かったが、美味しかった。

 部屋に戻ろうと思ったが、エルナに「しばらく入ってこないで」といわれていたので、適当に時間を潰すことにする。

 現在乗っている船、ミカヅキは三階建ての構造になっている。喫水線より下の地下室は貨物置き場とトイレ、その上は客の個室、さらに上は売店やベンチのある休憩所にレストランもある。一番上はテラス。

 良太郎は休憩所に入った。マガジンラックから新聞を掴んで適当な席を探す。

 

「お姉さん、コーヒーがさっきの『駅』の倍なのは納得した。じゃあせめて連絡先を教えてくれませんか?」

「こちらをどうぞ」

「あの、陸地の方の売店のチラシじゃなくて……」

 

 売店で死ぬほどスーツが似合わない客と店員のやりとりを尻目に、良太郎は席について新聞を広げた。

 

(空き家の適当な本やニーナさん家の新聞でもわかったが、何故か文字も読めるんだよな)

 

 異世界でリスニングもヒアリングも完璧なのでこれくらい誤差だなと判断。新聞を流し読みした。

『ついに渡来異世界人100人突破』

『次期アーディア教法皇、決定。』

『ベルムの街でテロ』

 うわっ、と思いながら三つ目の記事を読み進めて行くと、良太郎のカラドエリア騎士スタイルが指名手配されていることがわかった。エルナは顔をバンダナとゴーグルで隠していたからか、特に顔写真の様なものはなかった。片桐空色の似顔は載っていたが、変身能力で顔を変えてしまえば意味がないだろうな、と良太郎は思った。

(しかし鎧姿が指名手配か……。迂闊に装着できないな)

 黙々と新聞を読む良太郎。

 彼のいる三階のドアを開けて、二人組の男達が入ってきた。丈の長いコート。ソフトモヒカンの強面男と、黒の長髪を後ろでまとめた男だ。

 二人はアイコンタクトを取ると分かれた。ソフトモヒカンは運転席へ。長髪は似顔絵を取り出して聞き込みを始めた。

 

 

 エルナは、二階の客室フロアの個室にいた。テーブルだけでなくベッドにまで様々な物を広げている。それは、ビーカーやフラスコ、小さなランプといった実験機材、色鮮やかな薬草や生き物の死骸といった森での戦利品、さらには売店で買った飲食物もある。統一感のないラインナップだった。これらからエルナ流の武器を作成するのだ。

 ランプに火を点け、ビーカーの中に入れた赤い薬草の水分を飛ばす。

 その間にすり鉢で何かの生物の頭骨を砕く。

 風車のおもちゃとアクセサリ作成用の小瓶で作った遠心分離機に市販の調味料を投入して回転させる。

 布を重ねたこし器で、植物のエキスをろ過していく。

 他にも集めた素材を熟練の手つきで加工し、混ぜていく。魔術阻害弾を調合しているのである。

 特性のカプセルに詰めて完成。三つほど作ると、今度は別の薬品を作り始めた。

 

(森の主との戦闘で大分装備を使い切ってしまったし……。いつかの戦闘に備えて準備をしておかないと)

 

 少なからず揺れる船内にも関わらず正確な手順と操作によって異世界の錬金術師は自前の装備を調えていく。

 昔無理矢理覚えさせられた忌まわしい技術は、現在恩人を助ける力になっている。

 皮肉な物だが、今役立つのならばそれでもいいとエルナは思っていた。

 姉以外に利害でしか他者を見てこれなかった自分が、誰であっても利害を無視して助けようとすることができる純粋な彼を手助けすることが出来る。そう考えると何故だか嬉しくなってくるのだ。どうしても彼を友達の元に連れて行ってあげたいと思う。

 そのためなら使える物は何でも使おう。やれることは何でもしよう。

 自分の過去を話すのは……今じゃなくてもいいだろう。

 ここまでの合理的な判断が出来るのも闇社会の調合士経験のおかげだと考えると、さすがに乾いた笑いが出た。

 

「よし、終わり」

 

 完成した薬品を手のひらサイズのガラス瓶に詰めて栓をして終了。

 いくつかをジャケットの内ポケットとベルトポーチに、残りを容量が見た目の倍近くあるリュックに納める。このチャックとかいう鞄の口を閉じるシステムを持ち込んだ異世界人には金一封差し入れたい。

 実験道具もしまうか……とどれから片付けるか考えているところでドアが数回ノックされた。

 

 

 

 

 

 エルナ達の部屋のドアがノックされる数分前。

 コンコン、ととある部屋のドアがノックされた。個室で読書をしていた老紳士は、本に栞を挟むとメガネを外して立ち上がった。

 

「はいはい、何ですかな」

「失礼します、ミスター」

 

 ドアを開けると、禿頭の偉丈夫がいた。サングラスを着けており、厳格な雰囲気の男である。スーツの様に黒く、コートの様に長い上着を着ていて、前は留めてある。彼は返事を聞く前に押し入って部屋に入った。後ろにはボサボサ頭のギークっぽい男も控えている。彼も似たような格好をしていた。

 部屋をザッと見渡して、

 

「ここではないようだ」

「まあ一つ目の部屋ですから。そう簡単に見つからないでしょう」

「な、なんじゃ急に。失礼だろう」

 

 イキナリの出来事に慌てて老爺が抗議した。

 

「申し訳ない。こちらをご覧ください」

 

 禿頭の男が上着の内ポケットから手帳を取り出し、適当なページを開いて見せた。

 んん? と見せつけられた手帳を確認しようと老爺が顔を近づけて……

 ボサボサの男が後ろから老爺の頭に手のひらを当てた。その手には埋め尽くすほどの文字がびっしりと書かれている。

 

「『今の、出来事は、忘れる』」

 

 魔力を乗せて言葉を放つ。老爺はフウと息を吐いて糸が切れた人形の様に力を失った。

 禿頭の男はそっと抱きかかえるとベッドに寝かせる。

 

「この術は彼の精神に問題無いんだろうな」

「もちろんです。今、気を失ったのは本人が自分で脳内の消された記憶の整理をしているからでしょう。安全性には気をつけてますよ。その代わりワード三つまでしか命令できませんが」

「ならば良い。次に行くぞ」

「はいはい」

 

 二人の男は老爺の部屋を出た。

 

 

 エルナの個室。

 やるべき事は終わったので、良太郎を呼びに行こうとしたところで、ドアがノックされた。

 良太郎か。ドアを開ける。

 

「ごめん、もう作業は終わったから、部屋に…」

 

 否、禿頭の偉丈夫だ。スーツの様なコートをまとっている。

 森で襲ってきた魔術組織、伝統派の魔術師!!

 

「お嬢さん、少しよろしいですか?」

「ッ……ええ、何かご用ですか?」 

 

 向こうはこちらを良太郎の仲間だと気づいていないようだ。エルナは焦る気持ちを押さえ、一つも顔に出さないで対応する。

 

(森でボコボコにした魔術師の仲間か。カタギリとかいう異世界人がトドメをさしたらしいけど、私たちと勘違いして敵討ちに来たかな? まあ何にせよ奴らは異世界人が嫌いだけど)

 

「人を探しております。中を改めさせていただく。」

 

 言うやいなや禿頭の男は部屋に入ってきた。随分と乱暴な捜索だ。

 実験機材の並ぶ部屋を一見すると一言「違うか」

 

「あの、もう良いですか?」

 

 何もわかっていないふりをしてエルナが尋ねると、禿頭の男は手帳を取り出した。

 

「作業中でしたか。失礼をしました。すまないがこちらの……」

「待ってくださいネスさん。」

 

 若い男が禿頭の男を制止した。エルナの頬に冷や汗が垂れる。

 

「ここの実験道具の組み合わせと残った材料は見たことがある。魔術阻害弾の材r

 

 この後追求されることを予見したエルナは、即座に禿頭の男を鉄球で殴りつけた。靴下に入れて作った即席の鈍器だ。遠心力によって高まった威力は一発でネスと呼ばれた禿頭の男を昏倒させた。若い男は魔術印が刻まれた右手を突き出してきたので、腕をひねり上げて自室の壁にぶつける。連続してたたきつけると動きが鈍くなったので、ベルト裏に隠していた指サイズのナイフを取り出した。森に自生している、毒を持つ刃っぱだ。ネスと若い男の腕を浅く傷つける。

 

「よし。」

 

 身体的ダメージと毒で満足に動けなくなった二人を縄で括ると、適当な空き部屋に放り込んだ。

 目的を聞く前にノしてしまったが、奴らの目的は大体は掴めている。奴らは復讐に来たのだ。

 

「良太郎を探さないと」

 

 エルナは、手がかりになる物を求めてポケットをまさぐってみる。

 すると、胸元に手帳があった。中を開いて見ると……

 

 

 場所は再び待合室に戻る。

 長髪の男は乗客に手当たり次第に話しかけ、似顔絵の男の聞き込みを行っていた。そして数人目の派手なシャツのおじさんは、「そこにいるよ」と指を指した。その先にはパーカーを着て新聞を読んでいる少年……と、その奥に売店の女性にダル絡みを繰り返す死ぬほどスーツの似合っていない男がいた。上着を脱いでいて、ワイシャツの袖を捲っている。軽薄そうな印象を持ち、よく見ると年が若い。良太郎と同じくらい、16、17歳と言ったところ。

 少年は長髪の男と目が合うと、グリンと首をひねった。明らかに後ろめたいことのある動きだ。

 何か店員に言ってシカトされると、少年は早足で歩き出した。長髪の男はポケットから手帳を取り出した。魔術をかけた対となる手帳に、書いた物を同期させる魔術道具。役割はメールに近い。

『対象を発見。二階待合室から後方階段へ移動中』

 手早く書き込むと、追跡を始めた。

 

 

 

「ひええ……。なんでこの船のトイレはそのまま川に繋がってるんだよォ……」

 

 良太郎は、ヤバいくらい痛む腹を抱えてトイレに閉じこもっていた。

 便器は洋式と変わりないが、仕組みはボットンである。つまり、出した糞尿が川にそのまま捨てられる。ゴウゴウ音がしてくるのがめちゃくちゃ怖い。音姫というか音漢である。

 喫水線より下にいるのに水が入ってこないのは、この船がスクリューでも外輪でもなく周囲の水を魔術によって操作して推進する外流式だからであると、トイレの張り紙に書いてある。うるせえ馬鹿。

 

「ふっ、くう……」

 

 波の様に押し寄せる痛みをこらえてうめき声を上げる。

ヤバい。痛い。先ほど食べた香辛料たっぷりのホットドッグがまずかったのかもしれない。

良太郎がここから出るには、まだまだ時間がかかりそうだ。

 

 

 伝統派の4名の内、二名は戦闘不能、一名は追跡中、一名は不明。

エルナは手帳に書き出された場所に向かい、謎のクッソ似合わないスーツの少年はメモの場所、後方階段に向かう。

 良太郎はトイレでンコしてる。

 




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魔法の筒

最初にかち合ったのは、謎の少年とエルナだった。

 客室フロアから階段に向かっていたエルナは、階段から走ってきた少年と衝突。

 豪快にぶつかってエルナは突き飛ばされた。

「うわっ!!」

「うっ」

 

 エルナが頭を振って立ち上がると、何故か倒れることのなかった少年は心の底から済まなそうに手を伸ばしていた。

「すまねえ、お姉さん。怪我とかないか?」

「え、ええ。平気」

「よかった。今忙しくなかったらお詫びにお茶でも誘ったんだが、そう行かなくてね。悪いけどもう行くよ」

 

 それだけ言って、前方へ走り出した。

 エルナがポカンとしていると、コートの男が階段からこちらに飛び出してきた。

 

(まずい、来る!!)

 

 エルナがジャケット裏のジャックナイフに手を伸ばして臨戦態勢に入る。

 だが、男はエルナを一瞥すると

「どけ!!」

怒鳴られたので思わずそのまま端に避けると、男はそのまま走り去った。

「は?」

 

 自分を追ってきたんじゃないのか。目的はあの少年か? もしかして思い違いをしていたんじゃ……。顎に手を当てて思案する。

 が。男は数メートル走ると、唐突に足を止めた。長髪の男はゆっくりと振り返る。

 

「待て。そこの女。何故その手帳がそこにあるんだ?」

 

 何かと思って足下を見ると、手帳が落ちてある。何か複雑な模様が描かれた表紙が特徴の、少し厚めの手帳だ。禿頭の男から拝借したものだったが、ぶつかった表紙に落としていたらしい。

 

 

「それは私の同胞しか持ってない物で、とびきり貴重な物なんだ。落とすはずがない。お前が持っていたのか? 何故持っていたんだい? お前は何者だ?」

 

 男の目が細められ、中指に赤い宝石の着いた指輪が嵌められた。

 エルナは心の中で舌打ちをした。結局戦うことになるのか。「それは秘密で」

右手でジャケット内のホルダーからナイフを抜き、左手で野球ボール大の魔術阻害弾を取り出そうとしたところで……極めて重要な事に気づいた。

 

(ここでコレを使ったら、船が止まるんじゃない?)

 

 この船はスクリューでも外輪でもなく、魔術によって周囲の水流を操ることで動いている。その術を繰り出すためには船全体に術をかける必要があり、すなわち魔術阻害弾の対象となる。仮にコレを使った場合、船は動きを停止する恐れがある。機械にとっての電子パルスのような存在である魔術阻害弾は、森とは違ってこういう人工物の多い場所ではかえって厄災となり得るのだ。(それがほとんど全ての治安維持組織の正式装備から外れた所以である。)

 

「ナイフ一本でくるのか。」

(今から走って逃げるか……。いや、絶対背中を打ち抜かれるな。炎か、氷か、雷か、何か)

 

 頬を汗が伝う。他にも魔術を封じる策として催涙弾があるが(そもそも詠唱させないという原始的なプランである)、どのタイミングで仕掛けるべきか。

 

「女性でも手は抜かないよ。『風神は一歩で彼方へ駆ける』」

 

 詠唱するやいなや男の姿が消えた。否、エルナの真ん前で身を低くしている。一瞬で10メートル近くの距離を縮めたのだ。男は風を纏った拳を握りしめている。

 ヒュオ、と空気の切る音が聞こえる。風を操って加速しているのか。分析したときには遅かった。

 身を退く前に男の拳がエルナの腹を捕らえた。真正面からぶち込まれたストレートによってエルナの体は数メートル飛ばされる。内臓が裏返ったと錯覚するほどの衝撃で立ち上がれない。刺さるような痛みを感じて見ると、手や顔の辺りにも細かい切り傷が出来ていた。真空刃でも纏わせていたか。

 

「グッ、グウウ……」

「他愛もないな。お前もわかっていたんじゃないか? 『逃げ切れない。勝ち目がない』って。それでも生存本能という名の惰性で向かってきたんだろう?」

 

 ぐらぐらと揺れる視界に長髪の男を捉える。千鳥足で無理矢理立ち上がるが、小突けば倒れ込んでしまいそうなほどの瀕死状態だ。

 右のナイフはインパクトの瞬間に力んだおかげで手放していなかったが……。土壇場で切りつけたが、刃に血は付いていない。

 

「さて、お前をふん縛ってからリーダー達を探すか。このフロアにいるだろ。」

 

 長髪の男が首をならしたところで、彼の肩甲骨の辺りに投擲用ナイフが突き刺さった。

 

「何?」

 

 男は驚愕したが、ナイフの飛んできた方角を見ると、口角をつり上げた。

 ナイフの出所は、謎の少年が走り去った前方階段からだ。そして、少年が左手を突き出した状態で男を睨んでいる。

 

「一番下の貨物室でケリをつけてやろうと思ったのに、全然来ねえから何だと戻ってみればよお、なんでテメエは女の子を殴ってるわけ?」

「やっと見つけたぞ、キタミ・シンゴ」

 

 キタミシンゴ。エルナの聞いたことのある名前だった。

 かつて潜入していた大聖堂では、他の教会で召喚された異世界人の情報が常に共有されていた。そのときに聞いた名前だ。受けた祝福はなんだったか……。

 

 キタミはスーツの上着を脱ぎ捨ててネクタイを放り捨てると、ワイシャツの袖を捲った。

 

「よお、俺に用があるんだろ。だったら、その女の子に手ェだすんじゃねえよ。男らしくタイマン張りやがれ!」

 長髪の男は肩に刺さったナイフを抜いて捨てると、指輪をつけた手を当てた。ジュウと言う焼ける音がして目線をやれば、傷口が焼けて塞がっているのが見えた。

 

「ふん、この女が同胞に何かしらの被害を与えた可能性があるからな。この女も逃がす訳には行かん。」

「そうかい。じゃあテメエはシメてからお仲間と一緒に川に捨ててやる」

「やってみ……ろッ!!」

 

長髪の魔術師が腕を払うと一直線に炎が飛び出し、キタミに向かって襲いかかる。

(傷口を塞いでいるときにわかった。あの指輪は炎のエレメントを封じた魔道具か!)

 

 魔道具とは簡単に言えば、「誰でも魔術を簡単に行使できるようになる道具」の事だ。

 魔術とは周囲から魔力を集めて体内で練り上げ、真言詠唱や祈祷、筆記詠唱によって発動する。魔道具とはこの際の祈祷や詠唱を道具一つで簡略、飛ばして発動することが出来るのだ。パソコンのコントロールキーのような物だろうか。

 今回の魔道具は言うならば火炎発射機だ。

 

 そして今。放たれた炎の槍は真っ直ぐに少年を貫かんと襲いかかり、

 キタミが突き出した右腕に触れた瞬間、瞬く間に消え失せた。

 

 男も、エルナも何が起きたかわからなかった。

 キタミだけが無傷の右手を当たり前の様に扱っている。

 長髪の男は目を見開き、しかしそれ以上に感情を見せずにただキタミを睨んでいる。

 

「何か、変なことでもあったか?」

 

 口角を浅く上げ、薄く笑っているともとれる表情を見せるのは「何かをした」キタミだ。

 

「魔術は法則に関係なく事象を引き起こす技術だろ。だから無から炎を作り出せるし、温度変化も関係ナシで風を発生させることが出来る。じゃあ、そんな『あり得ない炎』がパッと消えるのも不思議じゃないよな?」

「……なるほどな。コレがお前の受けた祝福か。魔術を消し去る力」

 

 長髪の男は合点がいったのか、安堵した顔で答えた。

 

「なら、お前はたいした脅威じゃないな」

 

 床が陥没するほどの勢いで男は踏み込み、跳んだ。

 真っ直ぐ高速でキタミへの距離を縮める。エルナが受けた攻撃と同じだ。風の魔術で加速して殴る。シンプルにして強力な技。その上今回は火炎の指輪を装備している。まともに食らえば着弾点が焼けただれるだろう。

 

(だめだ……魔術師は魔術のために体を鍛える。強化を打ち消したってただでは……)

 

 だが、それは杞憂に終わった。

 向かってくる長衣の魔術師に対して、キタミは左手を突き出した。

 男は不審に思ったが、かまわず拳を振り上げる。

 キタミはこぼしたのは一言だけ。

 

解放(リリース)

 

 瞬間、キタミの左手から炎の槍が飛び出した。それは長髪の魔術師の男が放った物と同じ炎槍。大気を焼きながら直進し、飛び込んできた男の胸に命中、爆発した。低い爆発音を立てて男は炎に焼かれた。全身焼ける様な事はなかったが、爆発のショックで倒れた。

 丸焦げの男に向かってキタミは飄々と話す。

 

「勘違いしているよ。俺の祝福は打ち消すんじゃない。『触れた物をどこかに仕舞って、好きなときに取り出す』能力だ。今回はアンタの炎をいただいた。悪かったね」

 

 キタミは左手からハンカチを取り出すと、座りこむエルナに近づいていって、

 

「お嬢さん、コイツをどうぞ。女性に血は似合わない。」

 

 クセぇ言葉を垂れやがった。エルナは黙って断り、袖で口元を拭って立ち上がる。

 

「コイツらはあなたを探しに来たの?」

「多分ね。俺は今重要な任務を負っているから。俺はキタミシンゴ。これ身分証明書ね」

 

 取り出された免許証大のカードには、『北見信悟』と書かれている。

 

「グレイシャープ家運送部顧問……。なんか地味な肩書きね」

「ひでえ!! 一応伯爵だからめちゃ名門なんだぜ。」

「じゃあ、なんであいつらがあなたを探しているのか教えてくれる? 運送部門だし、なにか重要な物を運んでいるとか」

「その通りだ。我々はそこの異世界人、キタミ・シンゴを追ってこの船に乗っている。」

 

 三つ目の声がして二人が振り返ると、先ほどエルナが適当に隠した禿頭の男、ネスがサングラス越しに信悟とエルナを睨んでいる。縄はとっくに破っていたらしい。

 

「そこの少女に用はなかったが、少しばかり話を聞かせて貰おう。ジェム!!」

「はい! 『光は、煌めきと共に……』」

 

 ジェムと呼ばれて、ボサボサ頭のギークっぽいメガネの男がネスの後ろから現れた。

 魔術紋の刻まれた右腕を突き出して何か呪文を唱えようとして、

 

「おっと、させるか!!」

 

 キタミが左手の平から何かを射出した。ナイフだ。狙うのは顔面。刃渡り20センチ近くある大型のナイフが高速でジェムに向かって飛んでいき、ネスの右腕がそれを防いだ。

 女性のウエストほどもある豪腕に刺さるが、堪えた様子はない。恐るべきタフネスである。

 ジェムの詠唱は止められなかった。

 

「『人々の思い出を消し飛ばす』」

 

 ジェムの右手が、一瞬青色に光った。

 

「あ……」

「うっ……」

 

 光をモロに目撃したキタミとエルナは、ショックを浴びてとろんとした目になった。目の前の魔術師達に対して目の焦点が合っていない。

 ネスは右腕からナイフを抜き取って捨てたながらジェムに尋ねた。

 

「二人の意識は無事なんだろうな。やたらと記憶を消されると困る。」

「ええ、一時的に混乱させただけです。厳密には数十秒間の記憶を消しただけですが。これかr

 

 そこまで言ってジェムはばったりとうつ伏せに倒れた。

 何が起きたのか瞬時に理解したネスはスーツが張り詰めるほど筋肉を膨張させて腕を振るうが

 

「遅いッ!!」

 

 かいくぐって懐に潜り込んだ藍色の鎧武者は容赦なくネスの脇腹に右拳をたたき込んだ。

 襲撃者は、先ほどまで腹痛でトイレに籠もっていた良太郎だ。

 バックステップで距離をとった良太郎は刀を抜かず、拳を構えてメンチを切る。

 

「俺が腹を壊している間によくわからんことになってるが……お前敵だろッ」

 威勢の良い事を言ったが、良太郎は兜の下で冷や汗をかいていた。

(いくらスピード特化の武者だからって、腹にパンチ食らってノーリアクションとかあるか普通?)

 

「ただの正当防衛だ。味方ではないのは合っている。そして」

 

 ネスはゆっくりと良太郎に対して半身になり、拳を構えた。

 

「これから敵になる」

 

 第二ラウンド開始。良太郎とネスのタイマンである。

 




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パンチングコング

伝統派とは、魔術を研究する機関「学院」における特定の思想をもつ一派の一つである。

 

「清流のごとき魔術の歴史に汚れ無し。我らが由緒ある原始の魔法使い也」

 

 つまりは自分達だけの魔術だけが正当な魔術であり、他は亜流に過ぎないという選民的な考え方の持ち主である。

 魔獣調教や神式模倣、神への祈り、依存型の魔道具(違いは後述)といった別種の魔術は粗悪品であり、あくまで魔術円や魔術紋を用いた昔からの発動、そしてなにより魔術師が魔術を唱えることが正式な魔術の行使の仕方だと考えている。

 とは言っても実際に別の思想の持ち主に危害を加えようとする人間は少ない。自分たちの魔術に不純物が混ざらなければ良いのだ。

 では今回の相手は?

 

残念ながら手を出す方である。

 

 

 

 

 

「場所を変えよう」

 

 ネスはそう言って床を思い切り殴りつけた。バキバキと木材が割れる音がして禿頭の巨漢と武者が下層に落ちる。

 客船ミカヅキの最下層は貨物室だ。

 客室のある上階からの光を浴びて、積み重ねられた木箱が露わになる。

木箱は壁際に整頓され、縄で固定されている。真ん中はちょうど荷物を運ぶために開けており、ちょっとしたスペースになっていた。

 

「くそ、公共の施設でなんてことするんだあのハゲ……」

 

 良太郎は立ち上がる木くずにうんざりしながら周囲を警戒する。落下の際にネスを見失ってしまったのだ。良太郎よりも高く積まれた荷物は人一人隠れるには十分な障害物だ。

 良太郎の纏うカラドエリアは視覚も強化してくれるが、砂埃を透過してくれる能力はないらしい。

 

(というか木くずにしては見えなさすぎ……違う、煙幕か!)

 

 後ろから衝撃。カラドエリアは首もガードがあるので、隙間を縫うように手で首を絞められる。必死に引き剥がそうとするがびくともしない。なんという握力か。

 藍色の鎧武者ではパワーが足りない。ならば。

 

「装備換装!」

 

 腰の後ろにメイスを喚び出し、変身。カラドエリアは紫の重戦士に姿を変えた。

 メイスは抜かず、超パワーによる肘打ちを繰り返して拘束から脱出。

 

「エルナさんみたいな真似しやがって……!!」

「むう……」

 

 拘束を無理矢理解かれたネスは脇腹を押さえている。好機。

良太郎は少し開いた距離を詰めて詰め顔面にパンチを放つ。だがネスは顔面に拳をめり込んでいるにも関わらず、体幹が全くぶれていない。

 

「はあ!?」

 

それどころか、向こうも殴り返してくる。鎧の上から重たい一撃が刺さり、良太郎は面食らった。

 

連続して攻撃。

今の良太郎の拳は一発一発が戦車砲のごとき威力を持つはずだが、ネスは良太郎のパンチを正面から受けている。ガントレットに覆われた拳が着弾するたびにドン! ドン! と痛々しい音がするのだがネスはかまわず殴り返してくる。

 

(カラドエリアはどの形態でも常人以上のパワーを発揮する。この重戦士の状態なら一発で骨が砕けても可笑しくないし、俺はさっきマジで殴ったはずだ……。なんで平気そうなの? なんだあのハゲゴリラッ……!?)

 

 そしてネスのパンチはカラドエリアの上から重たい衝撃が伝わってくる。果たして本当に人間なのか。これも魔術のおかげなのか。

 ネスは良太郎に殴られてもなおひるまず殴り返す。常人離れしたパンチの応酬が続き、

 一発、良太郎の渾身の右ストレートがネスの左鎖骨にクリーンヒット。骨の折れる感触が籠手の上からも伝わり、心の中で良しと歓声を上げた。

 

 が、カウンターを受けて良太郎は膝をついた。

 

「ガッ……!!」

 

良太郎が先に限界を迎えた。

腹に正拳突きをモロに喰らい、良太郎は膝を屈した。追い打ちを避けるために踏鞴をふみつつも距離をとる。

 体力はそろそろ限界を迎えようとしている。良太郎は心底動揺していた。

 ネスは割れたサングラスを胸ポケットに仕舞った。隠されていた真っ黒な瞳が露わになった。そしてダラリと下がった右腕をチラと見て一瞥して、にやりと笑った。

 

「ふん、さすがカラドエリア。素人さえもそれなりの戦士にさせる。鎖骨が折れて腕が上がらん」

 

 ふざけるな。しこたま殴って鎖骨一本か。どれだけ筋肉ダルマなんだ。

 だがここでカラドエリアの名前を聞き、良太郎は前に森であった魔術師も同じ名前を言っていたことを思い出した。

 そういえばエルナの姉、ニーナに聞くはずだったのだが結局聞けずじまいだった。

 新しい情報を入れるチャンスか。片桐空色の様に話が通じないような人間でもなさそうである。

 

「アンタ、この鎧のこと知ってるのか」

「知っている。全ての魔術師の汚点だ。」

 

 吐き捨てるようにネスは言う。まるで身内の恥を公開しているかの様な態度である。

 

「魔術師の? これは教会で作られた物じゃないのか?」

「魔術と奇跡の違いなんて呼び方だけだ。教会の奴らだって魔術を行使しているだけで、神などいるわけがない。奴らは魔術を神の奇跡だと思い込んでいるだけだ。」

 

 この鎧について、そして魔術についてまた一つ謎が増えた。

 かなり気になる情報だが、これ以上この状況で聞き出せそうもない。

 

「そんなことよりも貴様、なぜ武器を使わない? カラドエリアの特性は複数の武器による汎用性の高さだ。パンチではなくメイスを使えば私に致命的なダメージを与えることができたのに。」

 

 良太郎は喉の奥で引っかかるのを感じて咳き込んだ。鉄の匂いがして、兜の中で吐血したのがわかった。目の前の男の姿が揺らぎ始め、変身の限界が来たのがわかる。

 

「メイスで殴れば……アンタはただじゃ済まない。俺はアンタを殺す気はない、俺は人を殺さない」

 

 そこまで言って、カラドエリアが解けた。光の粒子となって空気中に霧散していく。

 そして血を吐いた少年の姿が露わになり、ネスは瞠目した。

 

「こんな小さな子供が戦っていたのか。」

(言うほど小さくねえだろ……)

 

 ネスは深く息を吐くと、

 

「今日は止めにしよう。私も仲間も負傷しているし、カラドエリアの切り札を出されてはこの船すら無事では済まない。一般人を巻き込むことは私達の道理に反するのでね」

「エルナさんに怪しい術かけて、床ぶち抜いて、俺のことを殴りまくって、道理もクソもあるか……」

「確かに。それは我々が直しておこう。また会おう」

 

  ネスはジャンプで上の階に移動。すぐさま何かの術を使用したのか、床の破片が浮き上がって穴を塞いでいく。やがて穴は完璧に元に戻り、光を失った貨物室は壁際のランタンのみがひっそりと数多の木箱を照らしていた。天井から足音が遠ざかり聞こえなくなった。

 

「なんだったんだよマジで……」

 

 良太郎は鎧の副作用によって動けず、縫い付けられたように男が去って行くのを見ていた。否、鎧のせいだけではなく、ネスの異常な強さもあるだろう。何度殴っても倒れず、殴り返す鉄壁の男。また会おうなんて言っていたが、次に会ったら勝てるだろうか? 

 全身に鉛の詰まったような疲労感が良太郎を襲い、眠りたい気持ちに駆られるが、ここはカビくさい貨物室だし、エルナもよくわからん男もほったらかしだ。のそのそ歩いて部屋まで戻った。

 

 

 

 

「俺は北見信悟。まずは助けてくれたことを感謝するよ。ありがとな」

 

 正気に戻ったエルナに休むよう強く言われ、栄養を摂って休んだ後。

良太郎とエルナの部屋にきた信悟は初めに感謝の言葉を口にした。

 ベッドで上体を起こした良太郎は素直にお礼をいわれてこそばゆくなって首を撫でた。

 

「ああ、どうも。エルナさんも襲われてたしね。ああ、俺は龍童良太郎。こっちが」

「エルナ・ドルドエヴァ。よろしく」

「ああ、よろしくな。」

 

 

 挨拶もそこそこに信悟は椅子に座ると、ある物をテーブルの上に置いた。

 

「俺が運んでいたのは、これだ。」

 

 長方形で板状、片面のほとんどがタッチパネルで側面にコネクタを差す穴がいくつかあるそれは

 

「スマートフォンじゃんか」

「すま……何?」

 

 良太郎は少し驚き、エルナは怪訝そうな顔をした。

 エルナが試すすがめつしてスマホを観察する中、信悟が話し始めた。

 

「俺の雇い主は魔術を応用した新しい技術の研究をしていてな、別世界の技術の塊であるスマホやいろんな端末を集めてるんだ。でもそれらはこの世界じゃかなり貴重なもんで、いろんな企業や研究室もほしがってる。おおっぴらに運んでちゃすぐに襲われちまう。だから手ぶらでいろんな物を隠し持てる俺を雇い、俺はこうして船に乗ってるわけだ。さっきの奴ら……外的技術の魔術への侵入を敵視する伝統派が俺を襲ったのもそのためだと思う。」

「なるほど。状況はわかった。でもお前が一貴族に勤めることを教会はなんていってるんだ? 呼び出した異世界人の管理には厳しいと思うけど」

「戦争じゃ戦力にならないし応用も利かないから別に良いって。荷物持ちに金をいっぱい払いたくなかったみたいだし、俺の雇い主が金用意してほしがったらトントン拍子で移籍? が決まったぜ」

 

 良太郎は正直うらやましいと思った。自分は地下牢で「臓物のなる木」だったからだ。

 スマホの計算機を開き、五桁の計算を繰り返していたエルナは良太郎に、

 

「ねえ、この赤と白の奴は動かないの?」

「ああ、圏外だからな。それとその隣の奴と……このあたりは使えないよ」

「そう」

 

 エルナは使えるアプリが少なくて少しがっかりしたようだが、すぐにまた弄り始めた。

 

「えーと……スマホの出所は?」

「教会が異世界人から買い取ってるんだよ。俺も売った。それを教会から横流ししてもらう。教会側も誰かがほしがるのがわかってるから俺らから買い取るらしい。ちなみにこっそり売るのは、新聞社に異世界人を利用して金儲けしていることがバレたくないからだそうだ。」

「ふーん、みんな売るもんなのか」

「充電切れたら意味ないし、それよりすげえ祝福貰ってるからな。どうでも良くなるんだろ……。俺のことは話したぜ、そっちも話せよ」

「えっ、いや、うーん」

 

 良太郎は唸った。自分の境遇は信悟と比べると温度差があるのではないか? しかし信悟は胸を開いて話してくれたし、こちらも話さねば無作法というものか。

 

「エルナさんの事も少し話して良いか? そこを削ると話しづらい」

「良いわよ別に。もう解決したし」

 

 それだけ言ってスマホに視線を戻した。その態度は年頃の女の子にように見える。

 了解も出たので話すことにした。ゴホンと咳払い。

 

「俺は目が覚めたら牢屋にいて……」

 

 良太郎は言葉を選んで話し始めた。

 エルナは、写真をとっては感嘆の声を漏らし、編集しては笑みをこぼしていた。

 

10分後。

 

「お前……。めちゃ過酷な異世界ライフを送ってたんだな……」

「えっ、お前ガチ泣きかよ」

 

 目頭を押さえながら震える声で信悟が言った。天を仰ぎ涙が流れるのをこらえている。まさかの男泣きである。信悟は左手から取り出したハンカチで涙を拭った。

 そこで、スマホをいじっていたエルナが我に返った。

 

「なんで泣いてるのよ?」

「俺らの境遇に同情してくれたっぽい」

「ダチを助けるために逃げ出して、街のためにバケモンと戦って、今日は俺も助けてくれた! あんたら良い奴だなあ!! エルナちゃんもお姉さん思いだしよぉ……」

 

 信悟は拳と手のひらを打ち合わせると、

 

「なあ、あんたら俺と一緒に雇い主のいるグレイシャープ家にこないか? あの人の発明はきっと旅の役に立つよ」

 

 

 

 

用語解説

 

魔獣調教

 魔術を扱える獣、「魔獣」を調教して魔術を使わせる手法。(例:幻術を使うシェイプシフター、小鬼魔術師、ドラゴン等)。動物虐待だの術の効果にばらつきがあるだのと欠点が多く課題をもつ歴史の浅い手法

 

神式模倣

 神の持ち物などの模型から魔術を発動する手法。(例:雷神の帯、軍神の投擲槍など)

似ている度合いによって効果が変わる。模型は五つある国立博物館に厳重に保管されている。

 

神への祈り

 神への祈りで、超常現象を引き起こす手法。術師本人に負担が少ないことから教会的には奇跡が起きているとされるが、魔術的にはあえて無意識で行うことによって身体への負荷を減らしていると解釈されている。考えるのではなく感じて発動している。理論的では無いので効果があまり安定しない。

 

 

依存型の魔道具

 この世界の人間は僅かでも魔力を練り上げることができる。このタイプの魔道具はわずかなその魔力を利用して道具そのものが大気から魔力を生成、発動させることができる。本来ならば大気中のマナから魔力を練り上げるのは術師本人であり、その技量が魔術師の優劣を決める一因となる。なのでこの道具は魔術師そのものを否定するのではないかと学院では否定的な意見が多い。

 




 最後の用語解説は、ただの趣味です。
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リンゴと酒と馬

「ごめん、エルナさん。勝手に決めちゃって」

 

夜。夕食を終えた良太郎は、部屋で新聞を読むエルナに謝罪をした。

 

「なんで謝るのよ。私はあれで良いと思ったから何も言わなかったのに」

 

 信悟の「雇い主のところへ行く」という提案はかなり魅力的な物だった。旅の役に立つ何かがあるというなら是非欲しいし、雇い主が新たな技術を欲しているのならば、「カラドエリア」の情報を売れると考えたからだ。売れれば金になる。旅の資金には困らなくなるはずだ。

 

(この世界じゃ医療は地球と同じくらいの水準らしいし、最悪「俺の中身」を売れば……)

「貴族相手に臓器売ろうとか考えてたらひっぱたくからね」

「ヴェ!?」

 

 良太郎は図星を突かれて奇声を上げてしまった。

 

「旅の旅費は私の貯金で十分足りるから平気。だから心配しなくて良いよ。」

「でも、俺はずっとエルナさんに頼りっぱなしだ。食べ物も着る物も」

「それが契約内容でしょ? 『あなたの肝臓をくれる代わりに、あなたを友達の元へ連れて行く』。私はあなたのおかげで姉が助かったことをすごく感謝してる。だから私も対価として全身全霊であなたを友達と会わせる。なら、物の準備からスケジュール管理まで私が行う。変なこと言ってる?」

「ぜ、全然そんなことないよ。でもな……」

「それとも、私が信用できない?」

 

 眉を下げ、少し悲しそうな顔をするエルナ。

 若干上目遣いで、至近距離で見つめられた良太郎は悩みとか全て飛んでいった。

 ランタンのオレンジ色の光に照らされて金色の瞳がキラキラと光って

 

(可愛すぎるッッッッッッッッッ!!)

 

 良太郎の心中は大パニックになっていた。心臓の鼓動が早くなっているのを感じる。クラスの同級生の女子と話すときはそんなこと無かったのに。頬や耳が熱くなってきた。紅潮しているのだろう。ヤバい、絶対バレたくない。

 

「は、や、あの……。いや俺はエルナさんを信用してる疑った事なんて無いこれからも頼りにしてるそういえば昼間には戦って蹴られてたんだよなじゃあそろそろ休んだ方が良いベッドは使ってくれ俺は外の空気を吸ってくるッ!!」

 

 一息で言い切った良太郎は席を立って部屋を出た。

 一人部屋に残されたエルナは部屋の時計を確認した。時刻は九時頃を差している。

 

「なにそれ」

 

 いきなり早口になって部屋を飛び出したのは何故なのか。エルナはよくわからなかったが、目が泳ぎまくっている様を思い出して小さく笑った。

 傷は特に痛くないし、時間もまだ早い。エルナはリュックから本を取り出した。

 

「私は椅子で良いかな」

 

 

 

 夜風が熱くなった頬を撫で、ひんやりと心地良い感触がする。

 頭も冷えてきたので一安心。冷静になると先ほどの言葉が反芻された。

 

『私を信用できない?』

 

 そんなことはない。何度も窮地を助けてくれたし、今良太郎が英二と美里の元へ行けるのは彼女のおかげだ。ただ良太郎が気にしているのは、

 

(完全に頼り切っているのがな……。旅をマネジメントして貰うのは別に普通なんだろうが、どうしても手伝いたいって思っちゃうな。自分が座ってて人にやって貰ってるとむずがゆくなる)

 

 

「よお」

「ん?」

 

 良太郎がブツブツ考え事をしながら一番上のテラスに出ると急に声をかけられ、見てみると北見信悟がいた。

 傍らには飲み物の入った瓶や食べ物の袋がいくつかあった。

 

「龍童じゃん。何やってんだ?」

「外の風でも吸おうかなって。北見は」

「晩酌だよ。お前もどうよ」

 

 特に断る理由も無いので食べ物を挟んで隣の席に座る。

 月明かりが随分と明るく、夜にも関わらず周りがよく見えた。

 瓶のラベルを見てみると、アルコール何%の文字が。

 

「お前同い年だよな」

「この世界じゃあ15歳から飲めるんだと。郷に入ったら、な?」

「確かに日本人が海外行ったら未成年でも酒飲めるけどさあ」

 

 抵抗を示す良太郎に、信悟はやれやれと言うように肩をすくめた。

 

「わかったよ、じゃあコイツでも食え」

 

 信悟は紙袋から、黄色と黒の縞模様の丸い果実を取り出した。

 

「何コレ?」

「リンゴ」

「こんな蜂みたいな色のリンゴあるかよ」

「でも店の人はリンゴだっていってたぜ。まあ食えばわかるよ」

 

 何が? と思いながら一口。シャリ、と言う音とともに甘い味が広がり、歯に種が挟まった。

 

「は、ええ? 果肉の外周に種埋まってるんだけど。でも味と食感はリンゴだ。美味いけど…これホントにリンゴか?」

 

 引っかかった種を必死に取り出そうとする良太郎を見て信悟は笑った。

 

「ポジション的にはリンゴだ。」

「ポジション?」

「その果実は、果肉の外周に種があって育つと色は黄色と黒になる。でも味や形、育つまでの期間はリンゴだ。この世界じゃそれを使ったジュース、パイがあって、メジャーな果物だ。」

「ああ、俺らの世界のリンゴと、この縞々の果実は同等の存在ってことか」

「そうだよ。結構面白いだろ」

 

 そういって信悟は酒瓶を持ち上げた。

 

「アルコール度数、5パーセント。」

「俺は日本じゃ酒を飲んだこと無かったけど、コレは結構美味いよ」

「……もしかしたらコレも、俺らの世界のお酒とはいくつか違うのかもしれないな」

「お、知りたかったら確かめるしか無いねえ」

 

 ニヤニヤ笑う信悟に酒瓶を手渡されて良太郎も観念した。

 

 数分後。少しばかりテンションが上がって喋る二人の姿があった。

 つまみのポテト(コレも少し地球のと風味が違うが美味い)を食べながら益体もないことをダラダラ話していたが話題はシフトしてゆき、エルナの話になった。

 

「ところでよお、あの金髪美少女と一緒に旅なんて羨ましいことしてるじゃねえか、ああ?」

「まあ、確かにそうかもなあ。すんごい世話焼いてくれるし、料理は美味いし。丸焼きばっかだけど……」

「俺は一人で回って飯も自分で調達してるってのに、くそっ」

「俺は何度も命失ってるけどな」

 

 信悟に肩を殴られ、殴り返した。

 

「だからお前何度も殺されてるんじゃ無いの? 羨まし罪で」

「マジかよ、だとしたら……まだ殺されちゃうなあ、困った困った」

「キエエエエエエ!!」

 

 ついに限界を超えた信悟が良太郎の頬をビンタしたが、動じていないのか良太郎はニコニコしている。キッショ。

 溜飲が下がった信悟は酒瓶を呷り、

 

「でも、エルナちゃんって何者なんだろな。旅の旅費全部負担できるって、そうとうなお嬢様だったとか?」

「森の薬剤師に弟子入りして勉強してたんだって。でもそれにしては結構ダーティーなんだよな……。前に襲ってきた魔術師を殺そうとしてたし。タコとやったときもあんまり動じてなかった」

「物騒だなぁ……。疑ってるなら、ホントのこと教えてって聞いてみれば?」

「えっ」

 

 良太郎のポテトを取る手が止まった。

 

「だってそれが一番早いじゃん。」

 

 確かにそうだ。それが一番手っ取り早い。だが良太郎は

 

 

「いや、全部終わってからでいいや」

「あっそ。まあお前が良いなら良いけどね」

 

 その後も雑談をして盛り上がり、適当な時間に切り上げた。

 

 

 

 部屋に戻ると、エルナが机に突っ伏して寝ていた。

 ベッドが一つしか無いのは部屋代を節約するためだ。エルナは心配するなと言っていたが、良太郎がゴリ押した。

 

「ベッド使ってって言ったのに」

 

 良太郎は苦笑して、エルナを抱えてベッドに寝かせた。鼻孔を良い匂いがくすぐったので、急に犯罪臭がしてきて息を止めた。

椅子に座り、毛布の一枚をベッド下の引き出しから取り出して被って眠る。

 頭の中では、さっきの話が反芻していた。

 

「エルナさんは何者なんだろな。」

 

 やけに戦闘慣れしていること。様々な薬品を扱えること。貯金がかなりあること。そして、人を殺すという選択肢がすんなり出ること。

 堅気では無いのかもしれない。冒険者とか言う職だったのかもしれない。答えは出ない。だが別にそれでも良いと思った。

 身寄りのない良太郎の最初の友達。必死になって助けてくれる彼女が悪人のはずは無い。元の世界に帰るときにでも尋ねればいい。

 そう結論づけた良太郎はやがて微睡み、意識は沈んでいった。

 

 

 翌日の正午。

 

 『駅』で降りた3人は信悟の予約していた馬車を待っていた。

 

「あのウマ何食ってるんだ?」

「焼いた肉かな? チーズ乗っけてるね」

「草食じゃ無いのか」

「この世界のウマは雑食らしいぜ。あれはウマが人を食べないように美味しく味付けしてるらしい。グルメにすることでマズい人間を襲わないようにしてるんだな」

 

 また1つ異世界豆知識が増えたところで、予約していた馬車が来た。舌を出してウインクするウマのロゴをドアに貼り付け、ばんえい馬並に筋骨隆々、モリモリ筋肉を持つウマに引かれて走る一頭立て馬車は3人の前で停車した。

 車輪は黒いゴムが嵌めてあり、車軸にはサスペンション一式が搭載されている。少なくとも地球の歴史において中世の馬車にサスペンションは搭載されていない。御者台には剣が立てかけられている。

 こういう辺りは異世界人の知識の偏りが原因だったりするのだろうか等と良太郎は考えてみる。

 

 眼帯にヒゲという強面に制服と思しきグレーのスーツを来た御者は降りてくると、信悟に向かって言った。

 

「3人ですか。1人と伺っていましたが」

「ああ、新しくできた友達を連れて行こうと思って。代金追加で払います」

「いや、ウチのウマなら二人増えても問題ありません。むしろ箱が少し手狭になるが、変えますか?」

「大丈夫ッス」

 

 ジロリと赤い隻眼で睨まれ、良太郎は思わず肩をすくめてしまう。エルナは全然ビビっていないが、胆力はどうなっているのか。

 

「馬に水を飲ませたらすぐに出発します。トイレは済ませておいてください。途中で降りられません」

「えっ?! あ、はい」

 

 ドスの利いた低い声で引率の先生みたいな事を言われてしまった。

 

「飴いりますか?」

「い、いただきます」

 

 軍曹みたいな見た目と慇懃な気遣いのギャップで少し混乱してきた。

 飴は滋養効果を優先するタイプだった。好みの分かれる味で、良太郎と信悟は苦い顔をした。エルナは結構気に入っていた。

 

 

 御者と良太郎達三人を乗せた馬車は険しい山を登って屋敷へ向かう。ゴムタイヤなどの悪路対策が無ければ尻が4つに割れていただろう。

 

「随分へんぴな場所にあるんだな。貴族なんじゃないの?」

 

 良太郎が言うと、隣に座るエルナが返した。

 

「この辺りって結構レアな鉱物が採れる所よね。それ目当て?」

 

 エルナの推測を、向かいの席に座る信悟が肯定した。

 

「そうそう、鉄だけじゃ無くてね。魔力伝導率の高い魔鉱石も良くとれるらしい。魔術工学の研究を進めるには最適な場所なんだとよ。高い金払って山ン中にラボを建てたんだ」

「よっぽど研究に対して真面目なんだな。その人は」

 

 

 

 

グレイシャープ家、研究ラボ。

 

「旦那様。旦那様……。クソジジイ!! ××××!!」

「ああ? なんじゃいうっさいのお!! もっと静かにしゃべりなさい!」

 

 

 話し声よりもうるさい金属音を立ててハンマーを振り下ろす上裸の老爺は、メイドにやかましい胴間声で返事をした。

 

 

「北見様がもうすぐお帰りになるそうです。あと、会わせたい人間がいると」

「あのガキ途中で殺されたりしなかったか、よしよし。給料上げといてやれ。あと、なんかおおっぴらに言えない悪口とか言わなかった?」

「言ってません。それより、もうお年なのですから無茶は控えてください。今年70でしょう」

「無茶ァ? この肉体で無茶な事なんかあるかい! それになにより…。」

 

 

「ワシが国の次世代技術を支えてやらねば、誰がやるってんだ?」

 

 アレグリオ・グレイシャープはタバコに火をつけ、自信たっぷりに言い放った。。

 




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アレグリオ・グレイシャープ博士

1時間後。

 

 草木が無くなり、黒い土や石が多くなった山の中腹。開けた土地の真ん中に二階建ての一軒家があった。石造りの家は貴族の屋敷の割には飾らない見た目だったが、どこか気品を感じさせる。大きさは裏手に広がっているのは畑だろうか。

門は馬車が二台並んで通れそうな大きさで、横に人が通るための普通のサイズのドアがあった。

 3人が馬車から降りると強面の御者はウインクをして飴をもう一つ投げた。

そして馬を繰り、来た道を戻った。

 門を目の前にして、良太郎が言った。

 

 

「なあ、ここってインターホンとかあるのか?」

「ベルを鳴らすんだ、これ」

 

 信悟がボタンに手を伸ばすと、触れる前に門が開いた。行き場を失った信悟の右手はくねくね動いてポケットに突っ込まれた。

 そこには、男と女がたっていた。

 男の方は黒のスーツを纏い、髪を整髪料で分けている。黒縁メガネは知的な雰囲気を持たせ、紳士と呼ぶにふさわしい格好をしている。

 女の方は黒と白のメイド服を着ていた。黒髪ロングを後ろで束ね、前で小さく手を組んで立ってピクリとも動かない。

 

 

「お帰りなさいませ、北見殿。そしてようこそ、お客人方。私はハリー・マグナ。グレイシャープ家の会計士兼護衛魔術師です。こちらがメイドのルカ・メイベル」

「よろしくお願いいたします。」

「どうも。龍童良太郎です。よろしくお願いします。」

 

良太郎はピシッとした2人に負けないように居住まいを正して挨拶を返す。

エルナの自己紹介も終わると、信悟が言った。

 

「ハリーさん、2人が昨日連絡したバイトだよ。博士に会わせたいんだ」

「ああ、博士ならラボにいます。お連れしましょう。こちらです」

 

 

 

 

「グレイシャープ博士の専門は魔術工学です」

 

 

 外見通り屋敷も派手な装飾は無く、質素な物だった。

 ルカに荷物を預けた良太郎とエルナはそのまま研究室に向かうこととなった。

 ハリーが良太郎とエルナ、信悟を先導する。

 

 

「発動する魔術を増幅させる増幅器や、詠唱手順を飛ばして発動できる魔機ではなく、非魔術師でも魔術を行使できる道具、『魔道具』の開発を行っています。博士は本分野の第一人者です。まあ、そもそも研究機関がほとんどありませんが」

 

 

ハリーは廊下の端、小さい書庫のドアを開けた。階段は螺旋状に下へ続いている。地下へ向かう階段を降りながら良太郎が尋ねた。

 

 

「どうしてですか? かなり需要のありそうな分野だと思うんですけど」

「魔術というのは魔術師が大気中の魔素(マナ)を集めて魔力に練り上げるところから始まります。これは才能があって訓練した者しかできません。呪文や詠唱を物に書き込んだところで魔力を流せなければ話にならないので、結局非魔術師は使えません。あなた方にわかりやすく言うと魔術師が電池で、魔機は電池の無いスマートフォンです。」

「じゃあ、電池を作ればいいんじゃないですか? 何かその……魔力を貯められるような」

「昔だれもが考えましたが、上手くいきませんでした。研究の末やっと出来たのは特別な土と葉、一週間煮詰めたワインと豚の肉を混ぜていっぱいに詰めこんだ樽。注ぎ口から火を一瞬吹いて中身は腐りました。それを見てほとんど全ての研究者は『魔術師一人育てる方がマシ』と口をそろえて研究室のバッジを捨てました。だが、アレグリオは捨てなかった。」

 

 ハリーは凹凸の大きな指輪をドアのくぼみにはめ込むと、右に捻った。

 ズズ、と重たい音を立ててゆっくりと扉が開いた。

 

「おお……」

 

 向こうの景色を見て、良太郎は思わず声をこぼした。

 エルナも黙ってこそいたが、目を見開いている。

 

 

 

 広さは、体育館ほどあった。山の中の地下にもかかわらず壁や床はコンクリートで舗装されている。天井から吊されたランタンがLEDよりも明るく煌々と空間を照らしている。一角のガラス張りの長方形のスペースには黒板と机や大量の紙束がある。ビッチリと文字や図面が書き込まれている辺り、あそこが設計室なのだろう。数字や計算式ではなく見たことの無い文字の羅列なのが地球とは違う点と言えるだろう。

 

 

 だが何よりも目を引くのは、中央に並ぶ大量の鉄の塊だ。すべて違ったデザインをしているが、キチンと整頓してある。いくつかは天井からの滑車で吊してあった。その周囲には丸いディテールのゴーレムが水晶の目玉で何か確認しては胸のボードに何か記している。

陳列しているそのどれもが、良太郎にとって見覚えのある物だった。

 

 

「あれ、車じゃないか? あっちのはブルドーザー。羽あるのって飛行機か?」

 

 異様な光景だった。工場に並んでいるような機械が、石の人形によって整備されている。

 

「ここは、」

「そのとーりッ」

 

 

 どこかからか男の声が聞こえたと思いきや、一大の大型二輪車が唸りを上げて飛び出した。運転手は木製のフルフェイスメットを被り、まっしぐらに良太郎達の元に奔ってくる。

「ちょっと……やばいやばいやばい!!」

 

 

 良太郎が悲鳴を上げ、エルナが良太郎を庇い伏せる。信悟は階段の方に逃げた。

 ハリーだけが直立不動で迫り来るバイクの前に立っていた。まるで絶対に安全であることがわかっているかのように。

 

 

 バイクはドリフトしながら止まろうとして失敗、転倒。ハンドルやタイヤを地面に削り取られながら横向きにゴロゴロと転がり、投げ出された運転手はうつ伏せにたたきつけられた。

 死んではいないようで、運転手はブツブツとなにか呟きながらヒビだらけのヘルメットを脱ぎ捨てた。運転手は立派なヒゲを蓄えた厳つい老爺だった。服も顔もボロボロだったが気にもしないでポケットから取り出した手帳に何か書き記している

 

「うーむ、細かい操作を可能にした結果強度が落ちたか。あー……速度じゃ無くて7段階とかの段階製にするか……よし!!」

 

 

 一通り書き終えると、伏せの状態から回復した良太郎とエルナのもとにフラフラとした足取りで近づいていった。

 

「おい、怪我とか無かったか? いや、バイクの破片とかはないと思うが、躱した拍子に足をくじくとか」

「いえ、何も……」

「そうか。ならよかった……」

 

 

そういって老爺はバッタリと倒れた。

 

「あー、脳が揺れたっぽくて動けん。ハリー……頼む……」

「承知しました」

「ええと、もしかしてこの人が」

 

 

 良太郎が尋ねると、ハリーは男を老爺を担ぎながら答えた。

 

「その通り。この人がこの屋敷の主、アレグリオ・グレイシャープ博士です」

 

 

 

客間に連れてこられてしばらく待つと、ワイシャツとチノパンに着替えたアレグリオが入ってきた。

 良太郎とエルナの前にアレグリオが座り、持っていたファイルを隣に置いた。

 

 

「いやすまん。さきほどは見苦しいところを見せたな。ワシがアレグリオ・グレイシャープだ」

「初めまして、龍童良太郎です」

「エルナ・ドルドエヴァです」

「どんな人間かはシンゴからの手紙を読んだ。なかなかタフな連中だそうだな。」

「ええ、まあ。この世界にきて浅いですけど、いろんな事が起きてパニックになりそうです。魔術師とか、タコ……」

「タコ? あのベルムを襲ったアレか?」

 

 タコについて口を滑らせそうになったので、エルナが肘で小突いた。あそこで暴れた『赤い騎士』は警史大量殺人犯と繋がっているとされて、現在指名手配中だ。無関係を装っておくべきだ。冷静にエルナはフォローした

 

 

「ええ、私の姉があそこで暮らしていて。あのとき私たちも街にいたので怖かったなと」

「ああ、確かにアレは古い記録にしか残ってない巨大種の一つだからな。希に見る災害みたいな物だ。」

 

 特に疑われるような事は無かったようだ。

 さっさと本題に入ってしまおうと思い、エルナが仕事の話を切り出した。

 

「私たちの仕事について伺いたいのですが」

「ああ、それだ」

 

 

 思い出したように手を叩いた。ファイルから一枚の紙を取り出すと、テーブルに置いた。

 

 

「期間は10日。業務内容はワシが現在作成しているマシンの試運転。報酬はマシンを一つとそこに記してある金。開発が上手くいかなかったらそこの金額と代わりの旅費。どうだ。」

 

 

 エルナの持つ書面を横から覗くと、桁がいっぱい並んでいるのを目撃した。驚きすぎて逆に声が出なかった。

 この世界に来て数日。良太郎もさすがに相場もわかってくる。だからわかる。この金額は破格だ。地球だったらコレで五年は食っていける。震える声で良太郎は尋ねた。

 

 

「い、良いんですか?」

「もちろん。なんせ……」

 

 

 

 

 

「何度も死ぬことになるからな!」

 

意味:そいつは生命保険だ。

 アレグリオは笑顔でそういった。

 




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Build knight❜s Bike 

タイトル変えました。


「準備は良いか?」

「着ぶくれすぎて動きにくいです」

 

 アレグリオに話しかけられた良太郎は、ヘルメットのバイザーを上げ、苦しそうに答えた。

 

 

良太郎、アレグリオ、信悟の三人は屋敷の裏でマシンの試運転を始めようとしていた。

良太郎は厚手の革の上着とカーゴパンツ、ブーツとグローブに木製のヘルメットを装着していた。

 ここまで重装備なのは、良太郎は怪我どころか死んでも蘇るが、再生を繰り返すと再生速度は落ちるのでできるだけ怪我をしないようにという配慮からだ。

 

 難儀してバイクにまたがろうとする良太郎の姿を見て、信悟が言った。彼は今回はデータの採取とバイクが壊れた際の回収班を兼ねている。

 

 

「アレを着れば良いじゃんか。船で来てた武者みたいな」

「そういえばお前の手紙に書いてあったな。おいリョータロー、見せてみろ。」

「あー…わかりました」

(騎士のやつ見せなければ大丈夫か)

 

「装着!」

 

 そう言われ、良太郎は右の刀を抜いた。胸部から光を放ち、瞬く間に全身蒼色の鎧武者の姿になった。カラドエリア武者フォーム。

 

良太郎はアレグリオが自分を見たとき、一瞬目を見開き動揺した気がした。

 怪訝に思ったが、その後はいつも通りに(といっても先ほど会ったばかりだが)戻り、

 

 

「そのタイプの兵装は昔学院で見たことがある。体内にしまえるタイプは体から魔力を補給して動くから、使うと死ぬほど疲れるだろう」

「はい、ずっと装備しているとすんごく酔います」

「じゃあ解除しとけ。そこまで上等な奴を着なくてもいい」

 

 

 良太郎は変身を解き、先ほどの厚着で実験に臨むことになった。

 

 

 

「ではこれから魔導三式二輪車8号の走行テストを行う。シンゴ! 燃料を入れろ」

 

 

 良太郎の目の前にはオンロード型のバイクが置いてある。信悟は左手から一つの単三電池サイズの固形物を取り出した。

 

「それは?」

「これがグレイシャープ博士が作った超圧縮魔力剤。水に溶かすと高濃度のマナを含む魔法の聖水となるのだ」

 

 芝居がかった口調で言うと、信悟はエンジンタンクに超圧縮魔力剤を放り込んで距離をとった。

 

 良太郎は深く息を吐いて集中する。良太郎はバイクに乗った経験は無い。信悟曰く、操作は地球の物とは大きく異なるらしい。あっちよりも簡単との事だが果たして。

 ギア右のグリップを捻り、エンジンをかける。ドルンという重たいエンジン音では無く、フオンというパソコンのような静かな音がした。このバイクはハンドル操作のみなのだ。

 そして速度と前進を司る左のグリップを捻る。発進。

 

「あ

 

 信悟達は、良太郎が消えたかと思った。

 ヒュン、という風を切る音とともにバイクは発進、良太郎は目にもとまらぬスピードで木に激突した。

 

 

「龍童!?」

「どうなった?」

 

 もうもうと立ちこめる砂埃の中からフラフラと良太郎が危うい足取りで出てきた。腕は見ていて痛くなるような折れ方をしていて、半分割れ落ちたヘルメットから血の涙を流しているのがわかる。まさしく満身創痍と言った有様だ。信悟の肩を借りて元の位置に戻ったときには傷はほとんど再生した。良太郎は先ほど1ダースに詰めてよこされた栄養剤(ポーション)の小瓶を一本掴んで飲み干すと、博士に尋ねた

 

 

「博士。これからずっとこんな感じ?」

「こんな感じ」

 

 

 良太郎はがっくりと項垂れた。

 それからはひたすらテストを行っていた。

 

 

「9号の走行テストを行う」

「なあ、コレ進んでるか?」

「魔術式の記述ミスだな。回収(リコール)!」

 

 

「10号の走行テスト」

「変な匂いがするし音もやばいしコレホントにヤバい待って待ってまt

「龍童ォォォォォォ!」

 

 

 

「11号」

「博士えええええええええええ……」

「浮いてる浮いてる!!」

 

 

 

「12号」

「なんか遅くね」

「自転車くらいだな」

 

 

 

 それから何台か走行テストを行ったところでその日のテストは終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 良太郎がバイクの爆発に巻き込まれている頃。

 

 屋敷のキッチンでは、エルナとルカがひたすらマジックインクを混ぜ合わせていた。

 マジックインクとは魔術に必要な魔術式を記す際に用いるインクの事である。

 市販もあるのだが、値段が馬鹿にならないので原材料を安く集めてここで作っているのである。

 

 

「きっつ……」

 

 

 ボウルの、粘りのある液体を混ぜ合わせながらエルナはぽつりと漏らした。

 作業自体はさして難しくないのだが、作業量も必要なインク量も多いのである。

 乳酸が溜まって腕が動かなくなってきたため、エルナはこっそりドーピングを少量摂取したレベルである。

 

 

「疲れたら休んでもいいですよ」

 

 

 表情一つ変えずにルカが言った。

 今の愚痴が聞かれてしまったのだろうか。

 

 

「あ、いえ。大丈夫です。お気になさらず。ルカさんは」

「問題ありません」

 

 それっきりである。

 エルナは愛想笑いを作り、ボウルに意識を集中させた。

 作業が始まって1時間。ずっとこんな感じである。

 業務に対しての質問と確認を初めに終わらせると、それ以上会話は無い。

 手順通りに薬品を混ぜ合わせ、練り、加熱を終えて給仕係のゴーレムにタンクに詰めたインクを渡す。

 ルカもエルナも慣れた手つきで混ぜ合わせるので、キッチンはほとんど音が無かった。

 

 

(いたたまれない……)

 

 

 そこで外の広場から爆発音が聞こえてきた。エルナは実験の音かとすぐに目星をつけたが、話題を振るチャンスだと考え直して知らんふりしてルカに話しかけた。

 

 

「さっきの爆発は何だったんですかね?」

「魔術式の記載ミスでしょう。加速するための動力を指向性のある爆発魔法にするとたまに暴発します。」

「なるほど。いつもあんな危険な実験を? 博士が行うと怪我で大変な事になりそうですけど、いつもは誰が乗っているんですか?」

「博士です。これまでは確実に安全な結果になる物しか実験が出来ずにいたのですが、龍童様のおかげである程度危険な実験機のテストも行えるようになりました。きっとこの一日だけでも大きく研究が進むと思います」

「それはよかった。」

「研究が進むのはあなたの協力のおかげでもあります。今夜はおそらくグレイシャープ博士が大量に改良機を作成するので、インクが大量に必要になりますから。手際も良いしとても助かってます」

「そう言っていただけると嬉しいです」

 

 褒められたのだろうか。エルナは会話が1番長く続いたことよりも嬉しくてにやついてしまう。

 

(……なんでこんなに話しかけてるんだろう?)

 

 

 急に降ってわいた疑問がエルナの心中に広がった。どうせ数日の付き合いなのだし、別に淡々と仕事をこなせばいいのに。

 こっそりと横目にルカを見て脳内で首をかしげていると、ルカが口を開いた。

 

 

「……昔と比べてかなり雰囲気が変わりましたね、天使の塵(エンジェルダスト)

 

 エルナは心臓が止まるかと思った。

 

 

 天使の塵。

 

 

 それは、エルナの昔の工作員時代のコードネームだった。

 




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過去と氷とカラス

 

 

 

グレイシャープ家の屋敷のキッチンにて。

 

 ルカとエルナの間には緊張感のある空気が漂っていた。

 それはもちろん、ルカがエルナの過去を知っているからである。

 

 

(どうして知ってる? あのときから5年もたっている。髪も背も伸びたし見た目大分変わったと思うんだけどな……)

「なんで、私の昔の名前を」

「元気そうで安心しました。昔の事を引きずっている様子も無いですし。そろそろ夕飯の支度をしましょう。手伝ってください」

「はい……え!?」

 

 

 緊張感を持っていたのはエルナだけだった。

 ルカはそう言うとバスケットをエルナに渡した。

エルナはこの流れでは私の過去を知っている理由を話したりするのではないのかと考えたが、ルカは言いたいことは言い終わったと言わんばかりにインクの作成作業を終え、さっさと調理器具を棚から取り出し始めた。

 

 

「いや、えっと、その」

「食材を地下の倉庫に取りに行きましょう。そこの籠を持ってきてください」

「はあ」

 

 

ルカはぐいぐいと話を進め、気づけばエルナは倉庫で背負った籠にジャガイモとにんじんを詰め込む作業に移っていた。

だんだん過去の話を切り出そうとする自分が間違っているのでは無いかと心がくじけそうになってきたエルナだったが、皮むきをする段階で尋ねた。大分タイミングを逃したようである。

 

「あの!」

「ピンクのピーラーは私の物です。あなたはそちらの黒いのを使ってください」

「そうじゃなくて! どうして私の昔の名前を知っているんですか? 私は組織を辞めて以来誰にも言ってないのに」

「あなたのインクの混ぜ方です。初めてにしては手際が良いし、なにより音を立てないようにする混ぜ方をあなたに教えたのは私です」

「…………あ、もしかして小さいときの指導先輩?」

「あなたに教えていたときの私にコードネームは無かったので、ただの『14番』でしたが」

 

 

 エルナはハッキリと思い出した。6歳の頃、組織に買われて技術者32番として教育を受けたときの指導先輩だ。

 

『英才教育』というプロジェクトがあった。幼い子供達に毒物や違法魔術をたたき込み、純粋テロリストを作ろうというプロジェクトである。その初期メンバーにルカ、二期生にエルナがいたのだ。

 

 

 才能があったエルナはすぐにルカを追い抜いて大人の研究者達と同じラボに入ったが、ソレまでの僅かな期間はルカの指導を受けていたのだ。当時年の近い関わりある人間はごく僅かしかいなかったので思い出すことが出来た。

 

 

「私はあの特一級冒険者の手によって組織を壊滅させられた後、ハリーさんに拾って貰い、この屋敷に連れてこられました。そして私は今メイドとして忙しくも幸せな日々を送っています。他の同い年の子達は保護された子の他は組織に依存したり心神喪失したり、碌な目に遭っていませんでした。でもあなたは今、心も体も不健康には見えません」

「姉と2年近く一緒に過ごして、どうにか一般常識を学ぶことが出来て……」

 

 

 ルカは皮むきを終えると、野菜をざく切りにしていく。エルナも手が止まっていたことに気づいて皮むきに戻った。

 

 

「それはよかったです。では、そのことを龍童くんには伝えましたか?」

 

 

 エルナの手が再び止まった。

 

 

「いえ、昔は薬剤師の元で修行をしたことがあるとだけ……」

「そうですか。それがあなたの選んだ事なら私は何も言わないしこっそり曝露もしません。ただ、私たちは業の深い過去を背負っている。背負わされた。将来いつその過去からの刃が振り下ろされるかわかりません。そのときどう切り抜けるかはあなた次第です。」

 

 

 テロリストどもの研究員として毒薬を作ったこと。爆薬を作ったこと。実際にエルナはそれらを使ってはいない。だが、それらが何をするかは知っている。そして、作るように命じた奴らが何に使うかも、気づいていた。

 

 

 エルナの罪は、どのくらいの大きさなのだろう。

 

 

 

夕食の時間にて。

 

 

 大きな食堂で、良太郎、エルナ、アレグリオ、信悟、ルカの5名が長方形のテーブルを囲んでいた。

 昼間の疲労や育ち盛りから野郎どもはガツガツ飯を頬張っている。

 夕飯のメニューは白いカレーっぽい物、色とりどりのサラダになんか辛い胡椒風味のケチャップらしき調味料、鳥の手羽先みたいな肉を甘辛く焼いた物だった。各が食べる中、元気の無いエルナに良太郎が声をかけた。

 

「エルナさん、どうかした?」

「! い、いや別に。そうだ、マグナさんがいないみたいだけど、どうしたのかな、タハハ」

 

 昼間のことを考えていたエルナは悟られないように話題を振ると、アレグリオが「それはだな」と切り出した。

 

 

「船で伝統派の連中に襲われたと言っとったろう。それの調査にな。どこで情報を掴んだのかとか、どの程度の人間が動いているのかとかな」

「ははあ、それで……。てか、他に人はいないんですか?」

 

 

 

 今この食卓に集まっているのは五人だけだ。貴族の屋敷にしては少々……というかかなり少ない。

 

 

「ここは数ある荘園の一つだからな。本宅ならもっと使用人がいる。ここにルカとハリーしかいないのは情報漏洩を危惧した結果だ」

「そんなに情報って漏れるものですか」

「ガンガン流出する。盗むためにメイドだの警備だのに化けて潜入する奴もいる。使い魔を使役して盗聴する奴もな。ワシがここに来て初めに手をつけたのは、結界の構築だ。おかげでここの敷地には蟻一匹入ってこれん」

「じゃあ、メイベルさんもマグナさんもスンゴイ信頼してるんですね」

 

 

 良太郎が言うと、アレグリオは自分が褒められたかのように嬉しそうな顔をして笑った。

 

「グハハハ!! まあ超すごいワシが選んだ奴らだからな。半端な奴じゃここで働けんよ」

 

 

 夜。

 グレイシャープ家最寄りの船着き場から二駅離れた宿場町にて。

 ハリーは、船を降りるとすぐに出口の脇によって鞄を足下に置いてメガネをかけた。緑色の模様が入った変わったメガネである。そのレンズを通して緑がかった周囲を確認。

 

「いた」

 

 

 ハリーは短く呟いた。三階建ての宿屋、その屋根の上に1羽のカラスが停まっている。一見何処にでもいるカラスだが、動きが随分とぎこちない。首を振って歩いてはいるが、羽をピクリとも動かさない。そして視線は船着き場の出口から離れていない。極めつけに魔力の流れが少しだけ見える。

 魔術師に使役されている証拠だ。

 

 

 ハリーは人混みに紛れながら宿屋へ行き、三階のスイートを借りると旅慣れた様子で部屋に向かった。メガネは着けたまま、カラスの魔力経路が繋がった部屋を確認。

 三階のもう一つのスイートルームだ。

 隣の部屋に入ると鞄を静かに置き、そのまま耳を押し当てて中の様子をうかがった。

 

『なあ、俺たちっていつまでここにいれば良いんだっけ』

『対象の人間がここを通るまで。そしたらカラスを持ち主のとこに返して、さっさとトンズラするんだよ』

『そうか。ここ飯は美味いし居心地良いし、ずっと来なくても良いのにな』

 

 

 どうやらハリーの探していた人間のようだ。

 ハリーは目標の部屋のドアの前に立つと、手袋を嵌めた。手のひらと甲にいくつかの魔術式と、手首の裏に一つのフレーズが記されている。

 

 

『吹雪の中で、彼の心は優しく灯る』

 

 

 ハリー・マグナは氷の魔術師である。

 ハリーは手のひらをドアに押しつけると、呪文を詠唱した。

 

「『私の手のひらの中で誰もが凍る』」

 

 ヒュンと、ドアに一瞬で霜が降りた。

 

 鍵穴に触れ、そっと手を離すと氷で形成された鍵の取っ手が生えている。

 カチリと回すと施錠が外れ、壁も天井も花瓶の花でさえ凍り付いた部屋にハリーは入っていった。

 時間が止まったような部屋の中で、ピクリとも動かない男が3人いた。テーブルで適当にボードゲームをしていた2人と、ベッドで仰向けになっている男が一人。

 霜が降りて曇った窓の外からコンコンと音がして見てみると、カラスが窓枠でぴょんぴょん跳びはねていた。凍らせたのは部屋の中だけなので、カラスに憑依していたベッドの男の意識だけが助かったのだろう。

 

 バキバキと氷を割りながら窓を開けると、ハリーと目が合ったカラスが下手な羽ばたきで逃げようとしたので、ハリーは素早く首根っこを掴んだ。

 

 

「いいですか。これからあなたにいくつか質問をします。答えてくれれば解放します。嘘を吐いたりだんまりを決め込むなら、友人方とあなたの体はかき氷の様に粉砕され、あなたは一生をその姿で過ごすことになります。いいですか? それでは質問を始めます」

 

 

カラスはヘッドバンドよろしくぶんぶんと首を縦に振った。

 

 

 

 




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いろいろごと

 やっと時間がとれました。


良太郎とエルナがバイトを始めて三日目。

 2ケツしたスクーターが、グレイシャープ家の屋敷のある山から下りてきた。ブルブルと弱々しい駆動音()をならして、麓の馬車駅の近くに停まった。

 そこそこ人目に付く場所であるが、特に隠す必要も無いので放っておく。

 良太郎は作業用のツナギ、信悟は今日もスーツである。

 

 運転手の良太郎がスタンドを立て、エンジンとタイヤの魔力経路を立つ間に、『左手』から記録用紙とスケッチボードを取り出して書き込み始めた。

 

 

「なあ、停めるのこれでいいんだっけ」

「それでいい。少し記録を取るから、受付の近くの鳩郵便でハリーさんから手紙来てないか見てきてくれ。あとベーコンサンド買ってきて。チーズをたっぷりと振りかけてさ」

 

 

 良太郎が買い出しに行っている間、信悟は屋敷から麓までの走行記録を書いていた。

 距離20キロを30分。走行機能はだいたい地球のスクーターと同じくらいだ。

 二人乗りであることと、踏み固められているとは言え山道を走破できたことを考えるとまあまあの性能と言えるだろう。その代わり時速40キロに届かないくらいが全速力なので、なんとも言えない。性能の割に制作費用がえげつないので性能よりも材料面で見直すべきか。

 車軸をチェックすると、小さなヒビが入っていた。魔力伝導率の高い素材を選んだ結果、強度が足りなかったようだ。再び左手から工具箱とパーツケースを取り出すと、レンチを取り出してパーツの交換を始めた。

 

 

「戻ったぜ」

 

 

 作業がちょうど終わった頃に後ろから声がして振り返ると、良太郎がホットドッグとベーコンサンドを持って立っていた。

 近くの木陰で食事を取る。

 飯を食べながら良太郎が尋ねた。

 

 

「そのスクーターのメンテとか慣れてるけどさ、こっちでずっとそういうの勉強してんの?」

「ああ、屋敷に雇われてからは博士とハリーさんからたたき込まれた。」

「ふーん。ハリーさんって紳士みたいな人だろ。初日に出かけちゃったからよく知らないんだよね。どんな人?」

「くそ真面目だな。丁寧で冷静で優しいけど厳しくもある……みたいな。完璧超人だ。あとクソ強い」

「強い?」

 

 

 ゴクンと飲み込んで、昔の恥ずかしいときの事を思い出すように言った。

 

 

「俺がこっちに来たばっかりの時さ、半年くらい前だけど、結構荒れてたんだよな。ネットも無いし知り合いもいないし、やっと貰った変な能力は他の奴よりもショボかったもんだから教会の奴も俺を舐めてたし。そんなときに俺を見つけてくれたのが博士で、会いに来てくれたのがハリーさんだ。アレが無かったら俺は今頃あの、前言ってた……クイロ? みたいにヴィランみたくなってたかも」

「北見がねえ。人に歴史ありってやつか」

 

 

良太郎は信悟におちゃらけているイメージを持っていたので、そういう過去があるのは意外だった。

 

 

「この屋敷に来る時も地球人を排斥しようとするグループに襲われたんだけど、ハリーさんが助けてくれた。そん時に言ってくれたんだ。『あなたは我々にとって必要な人間です、どうか生きるのを諦めないでくれ』ってさ」

「へえ」

 

 

 興奮した様子で話す信悟を、良太郎は相づちを打って聞いていた。

 

 

「ヤバかったよホントに。バッタバッタと氷柱とか冷気で倒してってさ。息一つ乱れてないし超かっこよかった。それで憧れて俺もスーツ着てんだ……」

「そうか」

「そうだ、手紙来てたか?」

「貰ってきたよ。ほら」

 

 

 ポケットから封筒を取り出すと、信悟に渡した。

 

「ふーん。明後日には帰れるのか。明日伝統派の待ち合わせに強襲して警史に突き出してから帰るって」

「一人じゃ危なくね? あのジョン・マクレーン並に厳つい奴がまとめてる組織なんだろ。みんな強いんじゃないの?」

 

 

良太郎は船での戦闘を思い出した。カラドエリアのパンチを受け止め、倍以上の力で投げ飛ばした怪力。二度と会いたくない相手だ。

「まあハリーさんだし勝つだろ。」

「なんて雑な。それフラグだからな」

「いやお前マジで舐めんな。あの人超つえーし」

「……」

「…」

 

 その後適当に雑談を続け、昼ご飯のゴミを捨てると屋敷に戻った。

 

 

 屋敷に戻ってからは再び試作品のテストがあった。ホバーや反発力(?)で浮くマジカルギミック搭載機が多かったが、どれも失敗。良太郎がいっぱい命を散らせて終わり、タイヤが一番という結論に至った。

 

 

 

 

その夜。

 

 良太郎達が食堂で夕食を摂っていると、遅れてアレグリオが入ってきた。

 

「いやスマン遅れてしまった悪いがワシは夕飯を部屋で食べようと思う。」

 

 

 入ってくるなり、早口でアレグリオが言った。随分な言い草だな、と良太郎は思ったが、アレグリオはどこか変な様子である。先の言葉を言ったきり何も言わなくなってジッとルカを見つめている。

 

 

「承知しました。夕飯は、」

「おお、それは美味そうだ。いただこう」

 

 

 まだ何も見せていない。

 ルカはソレで何かを察したようで、黙ってキッチンに向かった。

 

「ねえ、アレは何なの?」

 

 エルナが尋ねると、信悟は肩をすくめただけだった。どうやら彼は知らないようだ。

 

 

「どうぞ」

「ありがとうでは部屋でいただこう」

 

 

 それだけ言ってアレグリオはさっさと出て行ってしまった。

 

 

「メイベルさんは何か知ってるんですか?」

「ついて行くと面白い物が見られますよ」

 

 

 それは気になる。

 良太郎は最後のパンの一切れを放り込むと、席を立った。

 

 

おかしな博士に興味を特に持たなかったエルナと信悟はそれぞれ部屋に戻ってしまったので、良太郎だけアレグリオを探すことになった。

 ランプが薄く照らす廊下を良太郎が一人歩く。

 外から見た感じと中を歩いた感じでは広さが違う気がする。コレも魔術のおかげなのかと考えながら廊下を歩いていると、薄く開いているドアを見つけた。

 何かと思ってのぞき込むと、歯抜けの本棚と目が合った。ここは書庫のようである。

 四角い部屋の真ん中に大きな本棚が等間隔に並んでいるのだ。

床は大量のハードカバーの本が散乱し、荒らされたような散らかり具合である。壁も天井まで届くほどの本棚がなっていたが、こちらもやはり所々本が抜け落ちている。

 踏まないように気をつけながら部屋の端の角まで行くと、向こうの奥の角で開かれた本が浮いていた。しかもページはペラペラとめくられている。耳を澄ますと、カチャカチャと何かがぶつかる音も聞こえてくる。

 

 

「なんかの魔術かな」

 

 

 あり得ない光景ではあるが、良太郎は鎧が体の中に埋まり、腕を腹に突っ込まれ、バイク事故で吹き飛びタコに食われても生きている男である。そこまで驚くことは無く、カラスが券売機で切符を買っているのを見るような気分で観察していた。

 良太郎がよく見ると、何かが本を持っている。何故かぼやけてよく見えない。

 

 

(なんだアレ……)

 

 

そちらに集中していたからか、良太郎は足下の本の山を崩してしまった

 

 

 すると変化が起きた。浮いた本がページをめくるのを止め、何かが良太郎の方を見たのだ。

 それは、光が人型になったと言うべき造形をしていた。頭があり、体があり、腕があり、足があった。それらは全てぼんやりと光を放っている。その光る腕は本をもっている。先ほどページを捲っていたのはコイツだろう。

 しかしなんと面妖なことか。顔も何もなく、ただ、光が人型となっている姿は不気味であった。

 

「おい、何してんだ」

 

 ノイズかかった声でそんなことを言いながら、スイ、と空中を滑って光ののっぺらぼうが良太郎に向かってきた。カラスの券売機どころでは無い。口さけ女が長ドス握りしめて突っ込んできた様な物だ。

 

 

「へえあああ装着!」

 

 

 だっさい悲鳴を上げながら良太郎は反射的にカラドエリアを展開。赤の騎士となって諸刃の剣を抜いた。切っ先を光に向けると、

 

 

「落ち着けリョータロー」

 

 

突如本棚が迫り、壁側の本棚に押しつけて良太郎をがっちりと挟み込んでしまった。

 カラドエリアで良太郎のパワーは上がっているはずだが、それでも動けない。本棚も何かしらの力を受けているのだ。

 

 

「ふんぬぬぬぬ……あれ?」

 

 

書庫荒らしの犯人。光ののっぺらぼう。それらの正体は、カラドエリアによって拡張された視力が教えてくれた。

 

 

「グレイシャープ博士?」

「イキナリ人の書庫に入ってワシを殺そうとするな。」

 

 

 ふわふわと浮きながらアレグリオはため息を吐いた。部屋の隅ではアレグリオの肉体が無心にパンを口に放り込んでいた。

 

 

 

 魂を体に戻したアレグリオは

 

「ウオッ」

 

 

 レモンの皮を吐き出した。肉体を自動操縦にした結果、皿の上の物を全て食べていたらしい。エフエフと咳き込むアレグリオに、良太郎は尋ねた。

 

 

「幽体離脱してたんですか?」

「まあな。栄養を摂りつつ勉強も出来る。昔はこれで学院のテストを乗り切ったもんだ。」

「寝ながら飯食ってるみたいだ。体調とか平気なんですか?」

「全然。体に戻ったときに少しふらつくが、ソレが収まると元気が沸く……チッ!!」

 

 

 良太郎は目の前で歯の隙間の肉の筋が詰まりまくって不機嫌そうなアレグリオを見て、便利な魔術とは思わなかった。

 スジをとってスッキリとした表情になったアレグリオは、思い出したように言った。

 

 

「というか、お前さんの方が無茶しとるだろう。カラドエリアなんて骨董品の鎧着て森の主を倒すなんてな」

「!!」

 

 

 カラドエリア、そして森の主というワードを聞いて良太郎は反射的にアレグリオを見た。

 

 

 カラドエリア。

 大聖堂の研究室で日本人、『解析』の祝福を持つ新見咲夜によって良太郎に託された魔道具。あらゆる身体能力の強化と三つの装備形態、そして命を削る副作用をもつピーキーな鎧である。

 良太郎はソレでもって襲いかかったタコに似た怪物を

 

 

「赤色の鎧騎士ってカラドエリア着たお前だろ。黒バンダナはドルドエヴァか」

「知ってたんですか?」

「これでもこの国の魔術工学の第一人者だからな。新聞の写真と、テストの時に見せた蒼色の鎧ですぐにわかったよ、お前さんが指名手配中の悪党コンビだってな。」

「……どうしてすぐに警史に突き出さなかったんですか?」

「じゃあ、お前さんらは悪党なのか?」

「いえ」

「そういうことだ」

 

 それでいいのぉ? 良太郎はいまいち納得いかなかったが、自分が悪人でないことがわかってくれているようだったのでそれ以上追求しなかった。

 そして何より聞きたいことがあった。

 

「あの、博士はこの鎧について何か知っていることは無いですか?」

「見た感じお前、鎧のすごさわかってなさそうだな。良いぞ」

 

 オホンと咳払いをして、

 

 

「太古の昔、空から来る悪魔を討伐せんと国に100万の騎士が集結した。彼らは世界中のレアメタルと、発見されていた数多の魔術を集めて作られた鎧、魔装天鎧を身に纏って戦場に突撃した。その鎧の頑強さたるや、一万の死者も出さなかったほど。悪魔は絶滅し、人類の天敵も現れず不要となった鎧は鉱石に戻され、乗り物や装飾品などに姿を変えた。今残っているのは博物館や学院の研究資料と教会の倉庫に10着あるかどうか……」

「じゃあめちゃ貴重じゃないですか!」

「めちゃ貴重だ。教会から持ってきたんだろ? 普通に指名手配するレベルだぞ」

「……まあどうせ俺自体も捜索対象だろうし、国宝の一つや二つ持ってても同じかな……」

「お前さんといいシンゴといい、地球人の境遇には流石に同情したくなるな」

 

 

 うつろな目で現実を受け止めた良太郎に、アレグリオは珍しく同情的な言葉をかけた。

 

 

「そうだ、博士はこの鎧に興味ないんですか? 一応コレも魔道具ですよね?」

「ない。学院の卒業研究で死ぬほど記録とって見飽きたし。それに、結局ソレは兵器だからな。ワシはもう兵器は作らねえ」

「さいですか。……『もう』?」

 

 

 言葉尻を捉えて良太郎が繰り返すと、アレグリオは一瞬後悔したような顔をして、不機嫌になった。

 

 

「もういいだろ。明日も朝からテストするんだからさっさと寝ろ」

「わかりましたよ。……そだ、肉体を操作するときはもっと語彙とか抑揚とか増やした方がいいですよ。不自然極まりなかったから」

「魂引っこ抜いて生き霊にするぞ!」

 

 

 散らばっているハードカバーが浮き上がりべしべしと良太郎を叩き始め、良太郎は突然のポルターガイストにひいいと悲鳴を上げて部屋を出て行った。

 そんな後ろ姿を見て、アレグリオは昔教鞭を執っていた頃を思い出した。

 

??? 場所不明。深夜

 

 

 伝統派のボス、ネス・ミルドズムは部下を数名連れて宿場町外れの廃墟に向かっていた。

 数年前に閉鎖された劇場だ。街の中心部に新しい劇場が出来てから客足が途絶え、今では堅気で無い者のたまり場となっていた。もちろん数日前に「清掃」は終えている。

 

 

 今この世界では地球からの文化の輸入が多い。小説や劇の話だけで無く、演出方法も新しく伝授されているという。この劇場が荒れ果てたのも、地球産の技術を取り入れた劇場が新しく建てられたからだ。この、世界を超えた文明開化は果たしてどんな結果をもたらすのだろう。

 

 

 ネスは真っ直ぐに劇場に向かうと、軋む木製のドアを開けた。

 中のチケットの販売所の横のドアを開けると、荒れ放題の舞台が広がっていた。

 500ちかい観客席はどれも綿が抜けたか椅子ごと引っこ抜かれている。テーブルを代わりに置かれている箇所もあった。

 

 

 その奥の舞台に、一人の男が立っている。黒縁のメガネをかけ、黒のスーツに身を包んだ紳士然とした男である。

 

 

 ネスはその男をみて、ニヤリと笑った。事前に調査は済ませてある。

 

 

「こんばんは、ハリー・マグナ! 舞台に立って何か芸でも見せてくれるのかね?」

「そうだな、大捕物なんてどうだ。あなた方が悪役(ヒール)だ。観客はいないのですぐに終わらせよう」

 

 

 ハリーの両手袋の魔法陣が起動、冷気を纏う。

 ネス達伝統派のメンバーもまた、各々の武器に魔力を通わせ始めた。

 




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氷の時代

 

 

 戦闘が始まると同時に、スポットライトがハリーを照らし出した。

 古い劇場によくある光を拡散させる石、熱光石で出来たライトである。蝋燭の火のような小さい明かりでもレンズを通すと対象を明るく照らすが、熱量が高く長時間使い続けると発火の恐れもある不良品である。

 ハリーは唐突な高温を喰らいつつも怯まずに光の出所を確認した。特製のメガネによって眼球が焼ける心配は無い。

 

(なるほど、魔術の炎でライトの熱を高めているのか。私の氷を封じる策か)

 

 同時にネスの後ろのドアから十数人の魔術師が駆け、扇状にハリーを囲むように包囲陣をしいた。さらに魔術師達の杖や指輪から炎が発射。大量の炎がハリーを覆い尽くす。

 逃げ場のない炎の牢獄。普通の人間が喰らったら一瞬で炭化するだろう。

 

(だが奴は常人では無い。これだってただの牽制だ。少しでも魔力や体力を削るための)

 

ネスはしばらく静観していた。全て作戦通りだったからだ。だが、彼の姿が炎で見えなくなると部下達に怒鳴った。

 

 

「おい、炎出し過ぎだ! 奴の姿が確認出来なくなったら……」

「どう反撃してくるかわからなくなるな」

 

 

 背後で声がして、ネスは確認する前に裏拳を繰り出した。

 いつの間にか回り込んでいたハリーは上体を反らして裏拳を回避。隙の出来たネスの土手っ腹に思い切りナイフを突き込んだ。

 

「フン!」

「ぐッ……」

 

 ネスは魔力防壁でギリギリ直撃を躱しつつ距離を取り、陣形を敷いていた魔術師を一瞥した。包囲していたメンバーの内、一人が血を流して座席に倒れているのが確認出来た。

 

 そしてハリーの手には赤い氷の付着したナイフが一振り。

 大方ナイフの投擲で一人を殺し、炎の薄くなった所を駆け抜けたと言ったところか。

 

 後ろでの戦闘に気がついて部下達はネスの方を見た。

 

「ボス! 奴は何処ですか!?」

「ここだ!」

 

 

 

 。喰らったパンチは確かに生身の人間のものだった。なのに、確実に存在しているはずのハリーはだんだんと姿が朧気になっている。

 

(周囲の空気に水気を含ませて光をゆがめているな。この高温の中で水を操る腕も見事だが、周囲の炎の光の反射も含めてここまで見えなくなるとは!)

 

 だがいつまでも怯んでいられない。ネスは素早くハリーの消えゆく腕を掴むと、舞台の方に投げた。ハリーは両手から冷気を噴射して体勢を立て直すと、魔術師の一人の近くに着地した。

 

「貴様!」

 

 杖を向けられる前に顎を蹴り上げて戦闘不能にすると、腰からもう一本ナイフを抜いて投擲。刃の重みで回転するナイフはさらに近くの魔術師の頭蓋をかち割った。

 

 部下達が半狂乱になって炎を生み出し続けるのを、ネスは一喝して止めさせた。

 

『傾注せよ! 炎の牢獄は停止! 魔力の鎖で奴を拘束しろ!』

 

 魔力を込めた命令は、強制力こそ無いが正気に戻すには十分である。従う意思は既に彼らの中にある。

 

 残った10名弱の魔術師は一斉に鎖を生成。発射された鎖はハリーの手足めがけて殺到した。オレンジに光るエネルギーの鎖は初めの数本はハリーのナイフによって打ち落とされたが、やがて1本目が左腕に巻き付いた。その一本を破壊しようとする前にさらに追撃。いくつもの鎖がハリーの体に巻き付いて動きを拘束した。

 鎖で封じられたハリーを見て、ネスは

 

「捕まえたぞ吹雪の魔術師。」

「仕方が無い。本気を出そう」

 

 

 ハリーが右手を強く握りしめると、革手袋に刻まれた魔術紋が強く光り出した。

 

 

『大いなる竜は冬の魔女に魅入られた』

 

 

ハリーを中心にマイナス何十度もの猛吹雪が吹き荒れた。急な冷却によって劇場の壁や柱がバシバシと悲鳴を上げる。吹雪の帳は一瞬で劇場内を覆い尽くした。魔術師達の多くは防御魔法も破られ、炎の魔術を唱えることすら出来ずに氷の彫像に姿を変えた。

 

 

 頃合いを見計らってハリーは吹雪を止めた。

 腕には魔力鎖が巻き付いていたが、術師が絶命したことによって脱げ殻のように強度を失っていた。鎖は少し力を入れただけでパキパキと硬質な音を立てて割れた。

 

 

「しまった、全員死んでしまったら証人がいなくなってしまう」

 

 

 首謀者であるネスの生存を確認しようと近づくと、

 

 目の前にいた巨漢ネスの氷の彫像の胸元がボウ、と炎を吹き出し始めた。魔術が発動しているのだ。

 馬鹿な。意識など凍り付いたはずなのに。

 

「今のが君の本気の一部なのだろ? 魔術名は『冬の女王の息吹』使うとあまりの寒さに術師の君でさえ動きが鈍くなる……」

 

 氷の封印を解きながら、炎を纏い始めた巨人はハリーの襟を掴んで放さない。

 ネスは待っていたのだ。ハリーが本気を出し、隙を見せるのを。

 他の魔術師も火を灯し始め、次々と氷の封印が融かれてゆく。

 ハリーはネスの腕から逃れようともがくが、

 

「無駄だ。」

 

 顔面に拳をたたき込まれ、ハリーは動かなくなった。

 ダラリと四肢を投げ出したハリーの体を無事だった二人の魔術師が両側から支え、ネスの前に膝立ちで頭を差し出す姿勢になった。

 そこでネスはあることに気づく。

 

「おい、14人の同胞がこの劇場にいたはずだ。今ここにお前達二人しかいないのは?」

 

 ネスの問に、長髪の魔術師は気まずそうに答えた。

 

「ハリー・マグナの広範囲氷結魔法で12名は凍結。そのまま砕け散りました。」

「……そうか」

 

 この場に集めた術士は全員防御魔法と炎を付与していたはずだ。万全の手練れの魔術師をまとめて相手取る力量に、仲間を失った悲しみとは別にネスは敵ながら拍手したい気持ちになった。

 

「さすがは元西部戦線防衛戦隊、『根源の魔術師(マジシャンオブカオス)』の一人と言ったところか……。だが、今回求めているのはその力ではない。ジェム!」

 

 

 呼ばれて劇場の扉からひょこひょこ現れたのは、ボサボサ頭の魔術師だ。船にて信悟とエルナに術をかけようとした男である。

 

「やれ」

「はい!」

 

 ネスの指示を受け、ジェムは魔術紋で真っ黒の右手を出した。その手でハリーの頭に触れると、右手が青く輝きだした。

 

 

「『汝の心は開かれる。無限に広がる記憶の海で、私はあなたの御霊を掴む。私に従い給え』」

 

 

 ジェムの得意とする分野は、精神系魔術である。今ジェムはハリーの精神にハッキングを行っていると言える。ジェムの指から伸びる糸はハリーの精神に絡みつき、汚染し、そしてハリーは虚ろな目の中に蒼色の光を灯して目を覚ました。

 

 ネスは自身の意識を無くしたハリーを見て、

 

「これで鍵を手に入れた。仲間を集めろ」

 

 

 

 

 

「ヒューッ、気持ちいーなあ相棒!」

「もっと飛ばせ龍童! コイツならもっとイケるだろ!」

 

 

 今日も実験と買い出しを兼ねてバイクを走らせる馬鹿どもは、クソやかましく騒ぎながらいつもの麓に降りた。

 

 

 いつものように良太郎が買い物と手紙の受け取りを済ませる間に、信悟が点検を行う。

 

(屋敷を出るときには気がつかんかったけど、今日結構寒いな。今の時期って地球の春と同じ暗いって聞いてたのに)

 

 鼻水をズバズバ言わせながらチェックシートの項目を埋めていく。

 

「あ、魔力スンゴイ減ってるな。今度は燃費がネックか」

 

 

 超圧縮魔力剤を追加しようと傍らの作業箱に手を伸ばしたところで、信悟は自分の手に雪が当たったことに気がついた。

 




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