種付けファイター達也くん (minnie_remon)
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プロローグ
プロローグ.1


 王の王

 かれはいない

 ああ 美しい夏よ――

 

 

      ―8月:充希―

 真夏の鋭い日差しを避けるように、私はバス停の日陰で一人佇んでいた。

 ミーンミーンと、セミの鳴き声が耳をつく。周囲には木なんて一本も生えてないのに、この鳴き声は一体どこから聞こえてきてるんだろう。本当に不思議だ。

 でももっと不思議でならないのは、どうしてアイツはこんな所を待ち合わせ場所にしたのか、って事だった。駅前のバス停、確かにこの駅には他にバス停が無いから間違えようもないけど、いくら何でも暑すぎる。それに、分かりやすさなら目の前に見えてるミスタードーナツでも良かっただろう。間違いなく涼しいんだし。

 ちらっと腕時計を確認すると、約束の3分前。1分でも…いや1秒でも遅れたらめちゃくちゃ嫌味を言ってやろう。そう思いながら、カチカチと時を刻む秒針を眺める。時限爆弾のタイムリミット、残り180秒。

 秒針が1周する。さあ、あと2周だよ?ホントに間に合うの?間に合ってくれるの?

 と、その時。

 背後に、ふっと人の気配を感じた。

(何だ、間に合っちゃったのか…)

 残念だな。何故かそんな風に思いながら、ゆっくりと振り返る。

 すると。

「ねえねえ、お姉さん今暇じゃない?」

 …サイアクだった。話しかけてきたのは、見た事もない2人組の男。

 もちろん、こんな男たちと待ち合わせした覚えは無い。

「こんな所にいても暑いっしょ。一緒にもっと涼しいとこ行かない?」

「結構です」

 仕方なく日陰を出て、突き刺すような日差しの中へと歩き出す。でも男たちは、私の行こうとする方向に先回りするようにして前を塞ぐ。

(はぁ…)

 うんざり。こんな事になるなら一人で勝手にミスドに入っとくべきだった。本当に。

 こうなったのも、全部アイツのせいだ。アイツがこんな暑いとこで私を待たせるから…

「――おい」

 と思ってたら、とても聞き覚えのある声が耳に響いた。

 たった一言、それもたった二文字だったけど、声の主は確認するまでもなくて。

「遅いよ達也」

「そうか?充希が早いだけだろ」

「5分前行動って小学生の頃に教わったでしょ」

「覚えてないな…丁度俺が休んだ日だったんじゃないか?」

「風邪もひいた事のない健康優良児が何言ってんのよ」

「ま、そんな話はさておいて」

 達也が差していた日傘をたたんで、私に押し付ける。そう、こいつは日傘男子だ。しかも小学1年生の頃から日傘を差して登校してたという筋金入りの。

「おいコラ、てめぇら何してやがったんだ」

 達也が2人組の男を睨みつけるように言った。それを見て、私はさり気なく達也の後ろに隠れる。

「あぁ、何だテメェ」

 2人組も負けじと達也に食って掛かった。早くも一触即発の雰囲気だ。

 でも達也は一歩も引こうとしない。それどころか、ずいっと前に出て2人組を威圧して。

「謝れ」

「はぁ?」

「この娘(こ)に謝れって言ってんだよ」

 そう言って後ろを…つまりは私を親指で指した。

「て、てめぇ、フザけんのもいい加減にしやがれや!」

 2人組が凄む。でも、その表情はいかにも頼りなくて弱っちく見えた。声を張り上げてるのはオドオドしてるのを隠すためだっていうのがよく分かる。

 対照的に、達也は堂々としていた。この男の辞書には多分、臆するっていう文字が無い。相手が2人組だろうが、達也には全く関係のない事なんだろう。おそらく、きっと。

「ちっ、行こうぜ」

 2人組の片割れが、吐き捨てるように言った。もう片方も賛同するように頷いて背を向ける。

 一件落着…と思ったら。

「コラ待てや」

 あろう事か、達也が男の首元をグッと捕まえた。

「い、いてててっ、な、何しやがるっ…!」

「謝れって言ってんだよ」

「う、うるせえなっ、離せってんだよっ…!」

 加勢するようにもう片方の男が割って入ろうとするけど。

「か…あぁっ…!」

 右手で男の首元を捕まえたまま、達也は左手でもう一人の男の顔を鷲掴みにして。

「ほら、お前も謝れ」

「い、痛ててててててっ…」

 顔面を掴まれた男が苦悶の声を上げる。よっぽど痛いんだろう、抵抗もほとんどせずに苦しそうにもがいている。

「ひっ…」

 それを見て恐ろしくなったのか、首元を掴まれている方の男の顔がみるみる青ざめて。

「す、すみませんでした…」

 ぽつりと、そう口にした。でも、達也は満足しなかったみたいで

「あぁ、聞こえねえよ」

「い、痛たたたたっ…!」

 男をぐいっと引き寄せる。

「謝り方分からねぇってんなら教えてやろうか?」

「ひ、ひぃっ…すみませんでしたぁっ…」

「俺にじゃねえよ!この娘(こ)に謝れって言ってんだよ!」

「ひぃぃぃっ…す、すみませんでしたっ…!」

 達也の後ろにいる私に向けるようにして、悲痛な声を絞り出した。

「も、もういいよっ…」

 今度は私が達也の腕を掴む。

「そうか?」

「その辺でいいからっ、私もう行くよっ」

 収めるには私がいなくなるのが一番、ていうかもう、それしかない。

「えっ、行っちゃうのっ?」

 すぐに達也が追いかけてきた。

 一方、2人組の男が追いかけてくる気配は、全く無かった。

 

………………………………………

 

 結局、ミスタードーナツに直行。なら最初からここにしとけよ、って本気で思いつつ。

「ったく、暴力はダメだって散々言われてるでしょ」

「いや待て、その言い方だといつも俺が見境なく暴力ふるってるように聞こえる」

「さっきのなんて明確な暴力じゃないの」

「いや、あの、充希を助けようとしただけなんですけど」

「それは嬉しいけど、あんな風に喧嘩売るような事する必要はないでしょ」

「…ゴメンナサイ」

 申し訳なさそうに謝る。その寂しげな表情は、ついさっきの達也と同一人物とはとても思えない。

「というか、達也は糖質ほとんど取らないんじゃなかったの?」

 いきなり変な空気になっちゃったから、達也が手にしているドーナツを利用して話題を変える事にする。

「うむ。だからミスドには来たくなかったんだよな」

 とはいえバス停で待ち合わせはないでしょ、とは思うけど。

「ま、来てしまったからには仕方ないからな。うん、甘い。甘くて旨い」

 本当に美味しそうに食べている。でも普段から糖質を断っていたら、ドーナツ一つでも素晴らしいご馳走になるんだろうなとは思う。

「じゃあ今日はチートデイってのにする訳?」

「実は充希の前では糖質制限は解除していい事になってるから」

「…何言ってんの?」

 今は美味しそうにドーナツを食べてる達也だけど、普段は本当に糖質をほとんど摂らない。お米もパンも麺も、砂糖なんてもっての他。毎日のお弁当も、肉類と野菜の類ばかりだ。

 どうして達也がそこまでして普段の食事にこだわるのか、それは言うまでもなく、体づくりの為だ。

 達也は、アスリートだ。それも、全国でも間違いなくトップレベルの。

 全国高校空手道選手権、男子組手の部、連覇。それが達也の成績だ。そう、達也は全国の高校生の中で最も強い空手選手なのだ。

 だから、普段はヘラヘラしてるけど、いざとなるとめちゃくちゃ強い。それこそさっきみたいに、そこら辺の男じゃ数人でかかっても全く相手にならないくらいに。

 そんな達也と私は、幼稚園の頃からの幼馴染みだ。小中学校の9年間では何と8年間も同じクラスだった。そして今も、同じ高校の同じクラスに通っている。

「で、充希は来週見に来てくれるんだよな?」

「いきなり何の話?」

「インターハイに決まってるじゃん」

 全国高校空手道選手権大会、通称インターハイ。高校競技の最高峰にして達也が全国3連覇に挑む大会が、来週に迫っていた。

「今年のインターハイはどこでやるんだっけ?」

 一応聞いてみる。確か2年前が岐阜、去年は徳島だったと思うけど。

「今年は岩手かな」

「行ける訳ないでしょっ」

 ここ(大阪)から岩手なんて、何時間で行けるのかも分からない。ただ、少なくとも日帰りは非現実的な距離だという事ぐらいは直感的に分かる。

「充希が応援に来てくれないと勝てる気がしないんだよなあ」

「また心にもない事言って」

 達也が負けるなんて事は、正直言って考えられない。何せもう、10年近くも不敗を誇っているのだから。それこそ小学生時代から今に到るまで、大小含めてどれだけの大会を優勝したか分からない。達也の部屋にはキラキラしたトロフィーが数え切れないほど並んでいる。ハッキリ言って、同世代の選手とはレベルが全く違うのだ。

「だいいち、私は受験生なんだよ。岩手なんかに行ってる暇無いに決まってるでしょ」

「充希だったら、もう勉強なんてしなくてもどこだって受かるだろ」

「そんな事ないよ。こっちは毎日必死なんだから」

「充希こそ心にもない事言ってやがるな」

 そうかもしれない、と思う。本当に毎日必死なら、そもそも今日の誘いも断ってないとおかしい。

「まあ、確かに岩手は遠すぎるよな」

 そう言うと、達也は諦めたようにかぶりを振って。

「でも、これだけはマジで聞いて欲しいんだ」

「何よ改まって」

「俺、インターハイが終わったら空手を辞めようと思ってるんだ」

「…そうなの?」

「ちょうどいい区切りだしさ」

 意外だった。何て言うか、達也は死ぬまで空手を続けるものだと思っていた。まあ、死ぬまでっていうのは言い過ぎだとしても、空手から離れた達也というのは想像できなかった。

 とはいえ、突然そんな事を言われても、どう返せばいいか分からないっていうのが本音で。

「だから俺、最後のインターハイ絶対に優勝するからさ」

 達也が、少しだけマジメな表情で。

「だから…優勝したら、付き合ってくれない?」

「…またそれ?」

「いや、今回はマジのマジで」

「じゃあ今までのは本気じゃなかったっての?」

「本気だったけど、今回はもっと本気」

「もっと本気って何よ」

 でも、久しぶりだな、と思う。達也に告白されるのは。

 初めては、小学生の頃だったと思う。4年生だったか、5年生だったか。冗談半分な感じだったから、あまり詳しく覚えてもないけど。

 以降、何度か告白された。でも私は、その度に断ってきた。達也の事は嫌いじゃないけど、でも、付き合うっていうのは何となく恥ずかしい気がしたから。

 達也との関係が変化するのが怖かったから、なのかもしれないけど。

 でも、それも中学生の頃までだった。いつの頃からか達也には他に彼女ができて、私に告白してくれる事はなくなった。そして別れたと思ったら、また新しい彼女をつくったりして。

 達也は幼い頃から、女子の人気者だった。でも、それはそうだと思う。運動神経抜群で、空手で全国大会に優勝しちゃうくらいに強くて、しかも顔も、まあ…悪くないし。

 だから達也に彼女ができちゃうのは当然で、そもそも断った私が何かを言う筋合いも無いんだけど。

 だけど…

「というか、坂井さんはどうなったのよ?」

「坂井って、いつの時代の話だよ…」

 坂井さんっていうのは、達也が中学3年生ぐらいの頃に付き合っていたと噂されていた女子だ。まあ、さすがに今は別れたっていうのは知ってるから、言ってみただけ。

「というか、彼女いるのにこんな事言い出したら頭おかしいだろ」

 うん、頭おかしい。でも達也はその『あたおか』を平気でやりそうだから。

「で、どうなんだよ?」

 ドーナツを食べ終えた達也が聞いてくる。私の答えを。

「…今まで何人も彼女つくってきたくせに」

「それは充希に断られたから仕方なくじゃん」

「……」

 達也の事をどう思うか…その答えは、私自信も分からなかった。嫌いじゃない。嫌いな訳がない、けど。

「というか、そんな事を急に言われても答えられる訳ないでしょっ。そもそも、そういうのは優勝してから言うものじゃないの?」

 そう言うと、達也は安心したように。

「なるほど、確かにそうかも」

 緊張していた雰囲気が、一瞬にして緩和される。私も、何となく安心して。

「じゃあま、優勝してから改めて聞く事にするよ」

 



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プロローグ.2

 夏休みの真っ只中だというのに、桜水台(おうみだい)学園の体育館には大勢の生徒が詰めかけていた。特に3年生の女子は全員集合してるんじゃないかって思うほど。

 かくいう私も、その一人なんだけど。

 正面に用意された大きなスクリーンに映し出されている映像は、やっぱり体育館。でも、桜水台学園の体育館なんかとは比べ物にならないくらいに、広くて立派。

 そのど真ん中で戦うのは、真っ白な道着に真っ黒な帯を締めた長身の男。

 達也は、桜水台学園が誇るスーパースターだ。一昨年、昨年と圧倒的な強さでインターハイを連覇した。校舎にはその快挙を示す大きな垂れ幕が今も盛大に提げられている。

 そして今日、全国大会3連覇の大偉業を懸けて、高校生活最後の試合を迎えている。

 今日をもって、達也は空手を辞める…らしい。だから、達也の道着を姿を拝む事ができるのは、多分これが最後。

 今大会、達也のここまでの試合は圧巻の一言だった。…いや、違った。ごく普通の、いつも通りの達也だった。あまりに一方的過ぎて、ハラハラさせられる瞬間すら無い。まるで大人と子ども。達也の拳が、蹴りが容赦なく相手の体に突き刺さり、その度に体育館は沸き上がった。

 圧勝に次ぐ圧勝。そしてあっという間に、決勝戦を迎えた。

 見ている誰もが、達也の勝利を信じて疑わない。でも、それも当然だ。一瞬のピンチも無く、圧倒的な勝利だけを重ねてここまで勝ち上がってきたのだから。達也が負ける姿を想像しろって方が無理な話だ。

 現に、決勝戦も明らかに達也が押していた。ポイントでも確実にリードを重ねて、勝利はもう目前だった。

 周りのみんなは、その瞬間を今か今かと待っていた。もう優勝は間違いない、その瞬間の感動を早くみんなで分かち合いたい…と。

 そんな中、私だけが周りのみんなとは違う感情を持って試合を眺めていた。

 頭にちらつくのは、この前の約束で…

 

 …やっぱり、達也は優勝しちゃうんだ。

 …ホント凄いな。でもそうだよね、達也が負けるとこなんて今まで見た事無いんだし。

 …でも、って事は、達也と付き合う…んだよね、私。

 …いつからだっけ、達也の事を特別に意識するようになったのは。

 …達也と付き合う事になるなんて、幼い頃は想像もしてなかったな。。。

 

 その時、だった。

 相手選手の蹴りが、達也の顔面を捉えたのは。

 

(え…?)

 

 支えを失った体が、物理法則に従うようにぐらりと崩れて。

 そのまま、顔面から落ちた。

 

(嘘…?)

 

 周囲から悲鳴が上がった。でも、それも一瞬。直後には凍り付くような静寂が体育館を包んで。

 スクリーンには、うつ伏せのままぴくりとも動かなくなった達也の後ろ姿が、大きく映し出されていた。

 



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1章 キックボクサー(はじまり~X2年7月11日)
1-1 2年後、夏


     ―2年後:夏:充希―

 西都大学。東の東都大学と並び、日本の二大国立大学の一つと称される大学。

 私、高倉充希が通っている大学だ。

 元々東都大学が官僚や政治家といった国家の中枢を支える人材を育成するために設立されたのに対し、西都大学は学者や文化人など多彩な方面で活躍できる人物の育成を目指して設立されたという歴史を持つ。そんな創立当初の理念を今も受け継いで、学生の個性が最大限に尊重されているというのが、西都大学の最大の特徴だ。

 だから例えば、入試形態も両者は全く異なる。東都大学はペーパーテストのみで合否が決まるのに対して西都大学はスポーツ推薦や自己推薦入学枠も大きく、いわゆる一芸入試枠による入学が全体の3割近くを占めている。

 私は、何とか一般入試枠で合格する事ができた。将来の夢は、できれば大手総合商社に勤めたいなんて思っている。仮に大手総合商社は無理でも、グローバルに世界を飛び回るような仕事をしてみたいな、なんて。

 そして、私の目の前で美味しそうに焼肉定食を頬張るこの男は…言うまでもなくスポーツ推薦で入学。

 小野達也。私の幼馴染み。

 高校時代は空手部に属し、1、2年時とインターハイを連覇し、3年の時は準優勝。最後の最後こそ負けたとはいえ、西都大学にスポーツ推薦で入学するには文句のない実績だ。

 あの日、衝撃的な失神KO負けを喫した達也は、試合前に言ってた通り、空手を辞めた。空手で推薦入学したにもかかわらず、大学の空手部には仮入部すらしていない。

 そして、あの日の問いかけの答えを求めてくる事も、なかった。

 優勝してから改めて聞く事にするよ…という言葉は、前提条件が達成されずに、宙に浮いてしまって。

 だから、私の答えも、ずっと言いそびれたままで。

「あー、食った食った」

 大盛りをも超えた特盛の焼肉定食を平らげ、達也が満足そうに言う。空手は辞めたけど、達也自身はあの頃から何も変わっていない。日傘は差すし、糖質もほとんど取らない。今日は少しだけ白米を食べてたけど達也にとっての白米はかなりの贅沢飯だそうで、普段は豆腐や野菜サラダを主食にして肉ばっかり食べてる。

「なあ充希、お願いがあるんだけどさあ」

「何?またノート?」

「さすが幼馴染み、物分かりが良くて助かる」

「ダメ」

「そこを何とか。今日の昼飯代は俺が持つから」

「へえ、私のノートはお昼1食分にしか相当しないって言うんだ」

「い、いや、そう言ってる訳じゃないけど…」

 ちなみに、今日の私のランチは大学生協の焼き鮭定食、450円。

「じゃあ、俺のサインでどうだ?今にネットオークションで万単位になるぞ?」

「もいっかい言ってみ?ビンタしたげるから」

「そこまでされるような事かよっ!?」

 今年からは、もう達也にノートは貸さないと決めている。思えば、1回生(1年生)だった去年は甘やかせ過ぎた。ちゃんと大学生として自立してもらわないと、こっちがずっと疲れる。

「というか、仲の良い女の子沢山いるんでしょ?その子たちから借りれば?」

「うん、何か誤解してるようだけど、ノートを貸してくれなんてお願いできるのは充希しかいない」

「はあ?いつも違う女の子連れ歩いて?」

「連れ歩いてなんかいないだろがっ」

 まあ、今のはちょっと、私の言い過ぎ。女友達は少なくないみたいだけど…

 でも、どっちにしても、もう今年から私は達也を甘やかすつもりはないから。

「達也も西都大生なんだから、西都大生らしくマジメに講義受けなさいよ」

「それはそうなんだけど、ほら、俺は色々忙しいじゃん」

「何、その自分だけ特別忙しいみたいな言い方。バイトもしてないくせに」

「でもさ、俺の場合は毎日の練習と定期的に試合があるじゃん」

 試合…そう、確かに達也には定期的に試合がある。

 空手を辞めた達也だったけど、格闘技は辞めなかった。正確には、新しい格闘技を始めた。

 その格闘技とは…キックボクシング。

 

………………………………………

 

「玲奈様、ようやく調査が一区切りしました」

 西都大学のとある一室。女学生がファイル片手に言った。

「ありがとう、ご苦労様」

 玲奈と呼ばれた女性が、まずは労(ねぎら)うように言って。

「じゃあ未華子ちゃん、早速だけどその調査結果を報告してくれるかな」

「かしこまりました」

 未華子と呼ばれた女学生が、手にしたファイルから資料を取り出した。

「それでは読み上げます。まず、彼の名前は小野達也。小野妹子の小野に、タッチの双子のうち生き延びた方の達也と書きます」

「…今のは『タッチの主人公の』、で良かったんじゃない?」

 小野妹子っていうのもどうなのかと思った玲奈だったが、そこはスルーして続きを聞く事にする。

「映像をコンピュータに解析させたところ、身長は185cm前後。足がとても長く、股下比率は50%強と推測しています」

「ご、50%強っ…!?」

 間違いではありませんと言うように未華子は小さく頷いて。

「体型から推測するに、体重はおそらく75kg前後。ただし体脂肪率は一般的な水準をかなり下回っていると思われます」

「その根拠は?」

「はい。彼は自己推薦にて本学に入学しているのですが、その推薦事由は高校での部活動の成績でして」

「スポーツ推薦という訳ね」

「高校時代は空手部に所属し、組手無差別級にて1年、2年とインターハイを連覇、3年時は準優勝という輝かしい成績を収めています」

「インターハイって、全国大会って事よね?」

 その通りです、と未華子が頷く。

「素晴らしいじゃない…今までにいなかった逸材よ」

「ですが成績は並だったようで、言うまでもなく一般入試にて本学に入学できる学力は持ち合わせていません。中学校時代の成績もごく平凡だったようです」

「なるほど。でもそんなのはどうでもいい事だわ」

「…そうでしょうか?」

「ええ、続けて」

 未華子が資料をめくる。

「続いて、現在は特定の恋人はいないようです」

「あら意外。どうしてかしら?」

「それは分かりませんが、ただし友達以上恋人未満と言えるような女性が一名存在しているようです」

「へえ、どんな女性なの?」

「彼と同じく本学の経済学部に在籍する高倉充希という学生です。彼女についてはまだ詳しく調べられていませんが、どうやら二人は高校の同級生だったようです」

「その子は可愛いの?」

「あくまで私の主観ですが、普通に可愛いと思います」

「そうなんだ。どうして付き合わないのかしらね」

「続いて、極めて重要な彼の女性遍歴ですが」

 極めて重要、と未華子は強調しつつ。

「彼は幼い頃から相当モテてきたようで、これまで複数の女性との交際経験を確認できました。加えて、女性経験そのものも決して少なくはないようです。今回の調査では、かつて彼と交際していたというA子さんの証言を得る事に成功しました」

「やるじゃない。で、どうだったの?」

「A子さんの証言では、彼はベッドの上でもとても力強く、私はアッサリとKOされて(イかされて)しまった、と」

「…よくそんな証言が取れたわね」

「さらに、彼のモノはとてもビッグで、そのため当時愛用していたゴムは市販されている製品の中でも最大級のサイズのもの、だったという事です」

「何それ…本当だとしたらそんな素晴らしい事はないわ」

「やはり大きい方が良いのでしょうか?」

「大きければ良いと一概に言える訳じゃないけど、男性器のサイズと精力は比例する傾向にあるわ」

 最高の逸材ね、玲奈はそう呟いて。

「で、そのデカチン君は今も空手を続けてるの?」

「玲奈さん、呼称がおかしいです」

 未華子は一応そうツッコミを入れてから。

「彼は既に空手は辞めて、現在はキックボクシングに転向しています」

「キックボクシング?」

「昨年の夏休み頃からプロのキックボクサーとして活動、この1年弱で7戦を戦い全勝、しかも全ての試合で1ラウンドKO勝利という記録を収めています」

「…本当に素晴らしいわ」

 玲奈が満足そうに頷く。

「私からの報告は以上になります。その他細かいデータは玲奈様の目でお確かめください」

 そう言って未華子が手にしていた資料を玲奈に渡そうとするが。

「必要ないわ」

 玲奈は差し出された資料を受け取ろうともせず。

「デカチン君…何が何でもスカウトしなさい」

「…小野達也くんです」

 



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1-2 きっかけ

 話は、また2年前に遡る。

 

 それは完全な出会い頭だった。圧倒的劣勢に追い込まれた男が捨て身で放った、全く成算の無い攻撃に過ぎなかった。

 だが、それが達也の急所を捉えた。しかも達也が息を吸う瞬間に合わせるように最高のタイミングで、鳩尾(みぞおち)のど真ん中に。

 達也の体が一瞬だけ硬直する。その直後、渾身のハイキックが顎に突き刺さり、そこで達也の意識は途切れた。

 気が付くと、そこはもう医務室のベッドの上だった。手術室を思わせるような白く明るい天井を眺めながら、達也は自分が負けたという事を悟った。

 試合で負けたのは、およそ10年ぶり。失神KO負けなどという屈辱は、生涯初めて。

 悔しかった。だから何度も何度も試合の映像を見返した。その度に映像の中の自分はハイキックをまともに受け、何度も畳に顔面を打ち付けた。

 試合を終えて帰ってきた達也に、充希は声を掛けなかった。掛けられなかったと言った方が正しいかもしれない。掛けるべき言葉を見つける事ができなかった。

 だから、決めていた返事も、言えないままになって…

 

「達也は、卒業したらどうするの?」

 秋も深まったある日、充希が達也にぽつりと聞いた。

「大学に進学しようかなと思ってるけど」

 空手で抜群の成績を収めた達也には、多くの大学から推薦入学の話が届いていた。ただ、達也には空手を続けるつもりはサラサラ無かったのだが。

「俺って最強の男じゃん?だから学費免除でいいからぜひ来てくれっていう話を沢山貰ってるんだよね」

「そうなんだ…」

「いや、そこは『最後に負けたくせにどこが最強だよ!』ってイジる所だろ?」

「そんな事思わないよ。達也が強いってのはよく知ってるから」

「そ、そう…」

 あの日の敗戦を、充希は決して茶化そうとしなかった。それどころか触れようともしなかった。まるで記憶の底の一部分にだけ、重い蓋をしてしまったように。

「まあでも、スポーツ推薦で西都大学に行けるんじゃないかって話なんだよな」

「西都大学?」

「もしかしたら来年の春には憧れの西都大生だぜ?凄くね?」

「そっか、達也は西都大学に行くんだ…」

「まだ決まった訳じゃないけどな。ていうか充希はやっぱり東都大学か?」

「…そんなの分かんないよ」

 充希は模試でも常に全国上位の成績を収め、東都大学の合格は確実視されていた。ついに我が校から初めての東都大合格者が出ると、教師たちの期待も一身に受けていた。東都大学以外には有り得ない…周囲からはそんな視線が注がれていた。

「でも俺はやっぱり、充希は東都大に行くべきだと思うぞ」

「何でよ?」

 瞬間、ぴくっと充希の右眉が下がった。それが不機嫌の兆候を示すサインだという事を達也はよーく知っているから。

「あの…俺、何かマズい事言った?」

「何で私は東都大に行くべきなのよ?」

「そ、そりゃ日本一の大学だし、行けるんだったら行くべきじゃないのかなって…」

「東都大が日本一だって、何で達也みたいなバカが判断できるってのよ?」

「…今、俺をディスる必要あった?」

 でも、バカと言われて達也はどこかホッとしていた。あの敗戦以来、充希が必要以上に気を使ってくれているのを痛いほどに感じていたから。

「とにかく、私の進路は私が決めるんだから。達也の指図なんて受けないっ」

「指図した覚えなんて全く無いんですけど…」

 

 結局、教師たちが期待した桜水台学園初の東都大生誕生とはならなかった。大学入学共通テストでは東都大学の合格ボーダーラインを悠々と超えた充希だったが、地元を離れて進学するのを嫌ったのだった。

 その代わり、西都大学に2人の合格者を輩出する事になった。うち1人が推薦入学とはいえ、同じ年に2人の卒業生が同時に西都大学に進学するのもまた、同校史上初の快挙だった。

 

………………………………………

 

 空手で推薦入学したにもかかわらず、達也は空手部には入部しなかった。そんな事が普通に許される辺りはさすが学生の自主性を尊重する西都大学といった所だが、何にせよ達也にとっては気楽で平和な学生生活だった。

 周囲からは、達也が完全に空手から足を洗ってしまった事を残念がる声もちらほら聞かれたけど、当の本人は全く気にしていなかった。最後負けて終わった事に悔しさが無いと言えば嘘になったけど、毎日朝から晩まで稽古に明け暮れる日々はまっぴら御免だった。

 …と、思っていた筈なのに。

 1回生の前期日程を終え夏休みに入った8月の初め、達也はとある格闘技ジムを訪れていた。

 そのジムの名はFAILY。総合格闘技やキックボクシングなど、いわゆるプロ格闘技選手の育成を専門に行っているジムだった。

 達也としては、格闘技の世界に復帰しようと思った訳では決してなかった。そのジムが毎日の登下校で通る道沿いにあったから、普段から少しだけ気にはなっていた。夏休みになって暇になったし、どんな練習してるのかちょっとだけ覗いてみようかな…本当にその程度の軽い気持ちだった。

 しかし、この何気ない気まぐれがきっかけで。

 達也の人生は、大きく大きく変わってゆく事になる。



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1-3 プロ格闘家を秒殺…!?

 FAILYのオーナーを務めているのは斎藤晴香という女性である。かつて女子総合格闘技の世界で活躍し、10年ほど前に現役を退いてジムを設立した。

 世界で戦える選手を育成したいと意欲を燃やしていた晴香だったが、現実はそう甘くはなかった。新興の小規模ジムでは自力で興行を打つ事も難しく、育成どころか選手集めにも苦労する始末。現在所属しているのは男女合わせてもわずか10人弱、しかも目立った実績を残している選手はおらず、経営はかなり苦しいというのがジムの実情だった。

「選手の人数こそ少ないけど、みんな真剣に練習に取り組んでるのよ」

 晴香が達也にジムの様子や練習環境などを紹介する。オーナー自ら達也の『接客』を買って出る事自体が、FAILYの状況を端的に表していると言えた。ふらっと入ってきた若者すら逃したくないというのが本音なのである。

「FAILYは総合格闘技を中心にやってる選手が多いの。達也くんも総合格闘技に興味があって来てくれたの?」

「いえ、特にそういう訳でもないんですけど…」

 晴香の熱は、早くも達也に伝わっていた。何気なく覗いてみただけなんです…なんてとても言えないような雰囲気である。

「達也くんって、見るからに強そうだよね。何か格闘技やってたでしょ?」

 晴香が食い気味に聞いた。

「強そうかどうかは分からないですけど、一応空手を」

「やっぱり。何年ぐらいやってたの?」

「いや、ホントにちょっとだけなんで」

「何色の帯までいったの?」

「まあ、一応黒帯まで…」

「そうなの?凄い!めちゃくちゃ強いじゃない!」

 こう見えてインターハイ連覇したんですよ、なんて言うと面倒な事になりそうな気がしたから、達也は実績を隠しながら答える。

「さっきFAILYには総合格闘技を中心に戦ってる選手が多いっていったけど、キックボクシングの選手もちゃんといるのよ。だから安心して、もし達也くんがFAILYの選手になってくれたとしても、総合格闘技を無理強いするつもりは全く無いから」

「いや、まあ、はい」

「もちろん達也くんが総合格闘技をやってみたいと言うなら一から丁寧に指導するから心配しないでね」

「はは…」

 何と答えていいか分からず苦笑いしながら、達也は練習風景を眺める。

 ジム内では選手たちがトレーニングに精を出していた。試合が近い選手も少なくないらしく、練習の様子からは確かな熱気が感じられる。ちょうど目の前で行われている立ち技形式のスパーリングなども、まるで本番の試合さながらだ。

 だがそれを見ていて、達也はある思いを抱かずにはいられなかった。

 …何か、あまり大したことないな、と。

 スパーリングを行っているのは総合格闘技の選手という事だった。打撃専門の選手でないのだから、立ち技が得意でないのは致し方ない。だがそれを踏まえても、フットワークやパンチのキレなどは、達也の目には正直言って物足りなく映った。

 これがプロ…?これなら俺の方が普通に強くね…?そんな思いが自ずとと込み上げてくる。少なくとも立ち技なら全く負ける気がしないよな、と。

 するとその時、晴香が言った。

「ねえ、達也くんの黒帯の実力、ぜひ見せてくれないかな?」

「はい?」

「軽いスパーリング、ちょっとだけやってみましょうよ」

「ええっ…?」

 

………………………………………

 

 20分後、リングの上にはグローブとヘッドギアを着けた達也の姿があった。

 最初、達也はスパーリングの誘いを断った。だが断っても断っても晴香は達也の実力を見てみたいと繰り返し、しまいには「1ラウンドだけでいいから!」と深く頭を下げるものだから、年上の女性にそんな態度に出られて無下に断る訳にもいかず、ついにスパーリングをOKしてしまったのだった。

 とはいえ、ふらっと見学に来ただけの達也とプロの格闘家がガチンコでスパーリングをする訳にもいかない。なので今回は達也の安全を最大限に考慮し、攻撃していいのは達也だけ、つまり相手選手は達也の攻撃をガードするか避けるかだけという、およそスパーリングとは言えないスパーリングが行われる事になった。

 時間は3分1ラウンドで、キックは禁止。そして達也の相手は、FAILYの中でも最も若い選手が務める事になった。偶然にも達也と同い年だったが、既に総合格闘技の試合で3戦を戦っている正真正銘のプロ選手である。

「はあ、ボクシングのグローブってこんな感じなんですね」

 力が入れづらいな…それがボクシンググローブを始めて装着した達也が抱いた率直な感想だった。実際、ボクシンググローブというものは装着すると拳をしっかりと握る事ができないような作りになっており、慣れるまでは違和感を感じるものなのだ。

 だが達也は、シュッシュッと素振りのように軽く何回か腕を前後させただけで、早くもボクシンググローブを装着しての正しいパンチの打ち方を理解し始めていていた。拳を強く握るんじゃなく、握らずに力だけ入れる感じなんだな…と。

「よろしくお願いします」

 達也とその相手が、リングの中央でグローブを合わせる。スパーリング開始である。

 他の選手たちも各々の練習を止めて視線が一斉にリングへと注がれる中、晴香がスパーリング開始を告げるゴングを打ち鳴らした。

(さて、どうするかな…)

 じわりと前進しながら、達也が考える。今回はスパーリングとは名ばかりで、相手は攻撃が禁止されている。つまり達也は打たれる心配がないのだから、何も恐れる事なくがむしゃらに攻めればいいだけである。

 だが達也は、不細工にパンチを振り回すような事をするつもりは全く無かった。自分だけが攻撃できるという特殊過ぎるルールの中でどうやって自分の強さを表現するか、それだけでを考えていた。

 それに、達也は分かっていた。

 ヘタにラッシュなんかをかけてしまうと、それこそ相手をサンドバッグにしてしまいかねない、と。

(まあ…適度にやるか)

 少しずつ距離を詰めながら、達也が左のジャブを数発繰り出す。相手にはうまくかわされて当たらなかったが、しかし達也は自分のパンチのキレに安心感を覚えた。40%の力でジャブを出したら、実際に40%の威力とキレのパンチを打てた、そんな感覚。それはつまり、己の感覚と体の動きにズレがないと分かった事への安心感だった。

 空手をやめて約1年。ロードワークなんかの軽いトレーニングは継続しているとはいえ本格的な稽古からは遠ざかったままだから、体は相当なまってしまっている。でも感覚は当時のまま。ならば大丈夫、弱くなった自分というものを感覚が理解できてさえいれば、その自分に合わせた攻撃を繰り出せばいい…

 ――パンッ、パンッ、パシンッ!

 また、達也がジャブを繰り出す。さっきより2段ほどギアを上げたジャブ、それが的確に相手の顔面を捉えた。驚いたように相手がガードを上げる。

(うん、そうだよな…)

 さっきのジャブは、当たらないだろうなと思って打った。そして案の定当たらなかった。今度は当てようと思って打った。そして案の定当たった。これもやっぱり、感覚通り。

(じゃあ、次は…)

 圧力をかけるように相手をコーナーへと追い詰め、パシン!とまた左。たまらず相手がコーナー際から脱しようと体を傾けた、その瞬間。

 ――ドンッッ!!

 相手の動きを読み切ったような右フックが顔面に打ち込まれた。その瞬間、相手の足元がグラグラっとふらいて。

 ――タンッ!

 続けざまに、今度は左フックが相手のボディを捉える。撫でるような軽い左ボディだったのだが、とどめを刺すには十分で。

「かはっ…」

 相手がその場にうずくまる。

 その10秒後、スパーリングは終了した。開始のゴングから、まだ1分も経っていなかった。

 

 

 見ていた他の選手たちは、驚きのあまり誰一人として言葉を発さなかった。スパーリングが達也のみ攻撃できるという究極のハンデ戦だった事は確かだが、それを踏まえても達也の実力が桁違いなのは、格闘技をしている者にとっては一目で分かる事だった。事実上、右フック一発で相手をマットに沈めてしまったのだから。

 晴香もまた、達也の圧倒的なパフォーマンスに驚きを隠せなかった。だが、それも当然だった。何せスパーリング開始前は、達也のパンチが一発も当たらないような展開すら予想していたのだから。

「ありがとうございました」

 一礼して達也がリングを降りる。その表情は涼しげで、プロの選手をいとも簡単にKOしてみせたのはさも当然とでも言いたげな雰囲気だった。

「凄いわね…ちょっと信じられない気持ちだわ」

 達也のグローブを外しながら、晴香が率直な思いを口にする。

「たまたまですよ。というか、さすがにルールがルールでしたから」

「達也くん…空手では凄い選手だったの…よね?」

「いやあ、全くそんな事はないですよ」

「もったいぶらないで教えて頂戴っ。というか、もし達也くんに大した実績が無いのにウチの選手があんなにアッサリとやられたっていうんなら、いくら何でも悔しすぎるわっ」

「あ、いや…」

 そうだよな…と達也は思う。あまり謙遜するのもかえって悪いよな…と。

「まあ、実は高校の時にはインターハイを連覇しました」

「い、インターハイって、全国大会をっ?」

「あ、でも最後は負けたんですよ。1年と2年の時は優勝できたんですけど、3年の時は準優勝で」

 という達也の言葉は、もはや晴香の耳には入っていなくて。

「達也くんっ!」

「はいっ…!?」

 次の瞬間、女性特有の冷たい掌の感触が、グローブを取ったばかりの達也の手に伝わって。

「お願いっ、私と一緒に、世界を目指しましょうっ!」



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1-4 knock out

     ―充希―

「…キックボクシング?」

「そう、キックボクシング」

 達也が言う。キックボクシングを始めてみた、と。まるで何かの動画のタイトルみたいな言い方で。

「何でキックボクシング?空手じゃなくて?」

「空手は辞めたって言ったじゃん。まあ新しいチャレンジかな」

「新しいチャレンジって、空手もキックボクシングも似たようなものじゃない」

「分かってねーな、全然違うぞ。野球とソフトボールぐらい違う」

 その真意は、キックボクシングはプロ(=お金を稼げる)けど、空手はアマチュア(=お金を稼げない)って事らしい。まあ、ファイトマネーはお小遣い程度の微々たるものみたいけど。

 何にしても、達也とキックボクシングの取り合わせが私には全くピンと来なかった。違和感しかないというか…達也を近くで見続けてきた私にとっては、空手は達也の季語のようなものなのだ。

「でも、何で今になってキックボクシングなんて始めようと思った訳?」

「それが、最近プロの格闘家の人とスパーリングする機会があってさあ」

「何でそんな機会があるのよ?」

「ま、それは大したきっかけじゃなかったんだけど」

 と、曖昧にぼやかして。

「充希もよく知ってる通り、俺って最強じゃん?スパーリングでプロの選手を瞬殺しちゃったんだよなこれが」

「…は?」

「大事な所だからもう一回言うぞ。プロの選手を瞬殺しちゃったんだよ」

「はいはい、私相手に見栄を張らなくていいから」

「結構手加減してあげたんだけど、それでも楽勝でさ。充希にもぜひ見て欲しかったなあ」

 達也が自慢げに言う。でも、おそらく嘘じゃないんだろうなというのは想像できた。達也はそんな下らない嘘をつくような人間じゃないから。

「それで、これなら結構やれるんじゃないかと思ったから、ちょっとやってみる事にしたってとこかな」

「何か軽いね」

「面白くなけりゃすぐに辞めるし。空手の時だって何気なく始めた訳だからな」

 そう。達也が空手を始めたきっかけは『強くなって女の子にモテたい』という、何ともふざけた理由なのだ。まあ、何かに打ち込む動機が異性にモテたいからっていうのは、男の子としては有りがちな事なのかもしれないけど…何にしても、実際に強くなって女の子にモテるという目標をしっかりと達成してしまったんだから呆れるしかない訳で。

「それで、試合はいつなの?」

「まだ始めたばっかだから全然決まってないから、もうちょい先になると思う」

「ふーん。決まったら絶対に教えてよね」

「言われなくても教えるって」

 

 達也とキックボクシング…やっぱりどう考えても似合わない取り合わせに思えてならなかった。道着を脱いで戦う達也の姿が想像できない。

 でも、達也がもう一度格闘技の世界に身を投じると聞いて、少し嬉しく思ったのは確かだった。

 負けたままで辞めちゃうなんて、悔しすぎるから。

 それに何より、達也は戦ってる姿が絶対に一番カッコいいから…

 

………………………………………

 

 達也のデビュー戦は9月の終わりの日曜日、いくつかの格闘技団体が共同で開催している『knock out』というキックボクシングイベントがその舞台だった。

 ネットで検索してみると、すぐに『knock out』の公式ホームページを見付ける事ができた。もちろん私は全く聞いた事が無かったけど格闘技の世界ではかなりの歴史を持つ大会だそうで、キックボクシング限定のイベントとしては国内有数のレベルを誇るとファンからは認知されているようだった。

 ホームページ内では9月末の大会で行われる試合の全対戦カードが発表されていて、その第一試合に達也の名前があった。ただ、掲載されているのは達也の名前や生年月日といった簡単なプロフィールだけで、空手家時代の実績等は全く紹介されていなかった。

 一方、相手選手は簡単なプロフィールの他に、プロとしての戦績が紹介されていた。それによると20歳の日本人選手で、キックボクサーとしての戦績は3勝1敗。試合のプレビューには『新進気鋭の若手同士による注目の一戦』と記されていた。

 キックボクシング界の慣例とかは分からないけど、私としては達也に不利な試合なんじゃないかと思えてならなかった。だって達也はこれがデビュー戦なのに、相手はプロのリングでもう4戦もしているのだから。しかも3勝1敗と2つの勝ち越し、きっとかなりの有力選手だ。どうしてデビュー戦からこんな強そうな相手と試合をしなきゃいけないのか。こっちがデビュー戦なんだから相手もデビュー戦の選手であるべきだし、そうでなければせめて勝率5割以下の相手を当ててくれないと…そう思えてならなかった。

 しかも、試合会場は東京だった。仕方がないとはいえ、達也にとってはアウェー戦だ。やっぱり何から何まで達也にとって不利な試合だった。

 そして、私にとって何より重要なのは、どうやってこの試合を観戦するのかという事だった。

 達也の再起戦…というより新たなデビュー戦なのだから、試合を見ないなんて選択肢は有り得ない。とはいえ、どんな雰囲気かも分からない格闘技のイベントを一人で東京まで見に行く勇気はさすがに出なかった。達也がいてくれたら強引にでも誘うのに…そんな意味の分からない事を思いながら、私はチケットの購入を躊躇し続けた。

 ところがよくよく調べてみると、『knock out』は某動画配信サイトと業務提携していて、試合の様子はそちらで生配信してくれるという事が分かった。配信を見るためには月額980円という利用料金を払わなければならなかったけど、観戦チケットに比べればずっと安い。それに、他のドラマやアニメも見放題になるらしいから、まあ許せるだろう。早速有料会員登録して、試合の日を待った。

 

 そして、試合の日はあっという間にやって来た。

 



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1-5 プロデビュー戦

     ―充希―

 達也の試合は、その日の第1試合である。格闘技には全く疎い私だけど、こういうイベントでは新人や格下の選手から試合をして、最後に一番強い選手が試合をするって事ぐらいは知っている。デビュー戦の達也がトップバッターとして登場するのは当たり前だった。

 配信が始まり、パソコンの画面に試合会場が映し出された。第1試合だからなのか、それともイベントそのものの人気がイマイチだからなのかは分からないけど、客の数はまばらだった。たまにテレビで目にするボクシングの世界タイトルマッチや大晦日の格闘技イベントなんかとは全く異なる、寂しさすら漂う雰囲気だった。

 これより選手の入場です――リングアナウンサーのコールに続くように、ついに達也が登場する。

「…え?」

 その瞬間、私は驚いてしまった。不意を突かれたような感覚に陥ってしまった。

 なぜなら、ゆっくりと現れた達也は、真っ白な道着を身にまとっていたから。

「…何で?」

 道着姿の達也はもう見納めたと思っていた。でも画面の中の達也は、確かに真っ白な道着を身にまとい、黒帯をギュッと締めていた。これ以上なく見慣れた、でももうずっと見ていなかった達也の『正装』に、思わずドキッとしてしまう。

 やっぱり、似合う。悔しいけど、達也には白い道着と黒い帯が、これ以上なく似合う。

 達也がリングに上がって、少ない観客にアピールするように拳を高く突き上げた。空手家時代には無かった仕草だ。でも、そんな初披露の仕草も不思議と似合っていて……

「っ…!?」

 次の瞬間、私はまたドキッとしてしまった。それは、達也が道着を脱いだ直後の事。

 正確には、ボクシンググローブのせいで自分では道着を脱げないから、セコンドの人に道着を脱がしてもらった直後の事…

(嘘…)

 思えば、達也の『体』を見るのはこれが初めてだった。小学生の頃に水泳の授業とかで見た事はあるけど、そんなのは達也がまだ完全に子どもの頃の話で。

 大人になった達也の肉体を見るのは、初めてで…

(達也って、脱いだらこんなに凄いんだ…)

 カッコ良かった。道着姿よりもカッコいい…そう思ってしまった。ぐうの音も出ないくらいに、私は達也の肉体に見とれてしまっていた。これ以上ないほどに鍛え抜かれた、これ以上ないほどに男らしい肉体に。

 本当に凄い。いつもヘラヘラ笑ってる達也が、実はこんな凄い体を服の下に隠してたなんて…

 少しして、反対側から相手の選手が登場する。こちらの選手もプロのキックボクサーというだけあって見事な体だった。でも、達也と比べると明らかにみすぼらしかった。筋肉の張りも、分厚さも、達也の方がずっと立派だった。相手選手の中途半端に鍛えられた体と対比する事で、むしろ達也の肉体の凄さがより鮮明に映し出されているようにすら思えた。

 両選手の紹介が終わり、リングの中央で二人が対峙する。やっぱり、肉体の仕上がりの差は歴然だった。それを感じているから…かどうかは分からないけど、達也の表情はとてもリラックスしているように見えた。試合の直前とはとても思えない。私と一緒にお昼を食べている時の表情と同じだった。

 

 そして、達也のプロデビューを告げるゴングが鳴った。

 

 試合が始まってまず前に出たのは、プロのリングで既に4戦を経験している相手選手ではなく、達也の方だった。ジャブを数発放ちながら、少しずつ距離を詰めていく。

 達也の圧力に押されるように相手選手が後退する。とはいえ黙って後退する訳ではなく、下がりながらも果敢にローキック、そして左右のパンチを繰り出してくる。

 でも、中途半端な攻撃は、達也には逆効果だった。

 次の瞬間、相手選手の右の打ち終わりに合わせるように、達也の強烈な左フックが――

 

―――ゴンッッッ!!!

 

 観客が少なく会場が静かな分、骨が震えるような鈍い音が容赦なく聞こえた。直後、相手選手のマウスピースが飛んだ。

 次の瞬間、顔面から崩れ落ちたその選手は、うつ伏せのままぴくりとも動かなくなった。レフェリーは1カウントも数える事なく試合終了を高らかに告げた。

 相手が可哀相に思えるくらいの、圧勝。1年と1か月ぶりに見た達也の試合は、たった23秒で終わった。

 



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1-6 プロデビュー戦直後

「ただ今の試合、1ラウンド23秒。青コーナー、小野達也選手のKO勝利となりました!!」

 達也の勝利を告げるアナウンスが響く。記念のトロフィーを抱えながらファイティングポーズを決める達也の表情は、試合直後は思えないほどに涼しいものだった。

「それでは、プロデビュー戦を見事KO勝利で飾りました、小野選手の勝利者インタビューです!」

 試合終了から…というか試合開始からまだ数分も経っていないというのに、リング上では勝利者インタビューが始まった。

「――デビュー戦、見事なKO勝利でした。今の率直な気持ちを聞かせてください」

「ええ、何とか勝つ事ができてホッとしてます」

 謙虚にそう口にする達也だが、その表情は余裕に満ち溢れていた。まるで何度やっても同じようにKO勝ちできるとでも言わんばかりに。

「――初めてプロのリングに立ってみて、緊張はありましたか?」

「いえ、特に緊張しなかったですね。集中してリングに上がる事ができました」

「――それにしても、凄い左フックでした。あれは練習していたパンチだったんですか?」

「え…ああ、はい。そうですね」

 別に取り立てて練習してた訳じゃないけどまあいいか、と達也は思いつつ。

「――相手の中村選手は、プロのリングで既に4戦して3勝という経験がある選手でしたが、その点についてはいかがでしたか?」

「自分にも空手の経験がありますから。経験値では決して負けてないと思って試合に臨みました」

「――そして小野選手、キックを一発も出さずに勝ってしまいましたね?」

「あれ、そうでしたっけ?」

 そう、この試合、達也はただの一発もキックを繰り出していなかった。パンチだけ、しかもほとんど左手一本で相手をマットに沈めてしまったのである。

「あんまり意識してなかったですね。流れでそうなっただけで、でもKOできたんで良かったです」

「――それでは、最後にファンの皆さんに一言お願いします!」

 そう言ってインタビュアーから渡されたマイクを、達也はためらう事なく握って。

「えー、皆さんはじめまして、小野達也と言います。今回は試合があっという間に終わってしまってスミマセンでした。でも今日はまだまだ面白い試合が続きますので、ぜひ最後までknock outを楽しんでください!」

 

 

「達也くん、快勝おめでとう!」

 控室に戻った達也を、晴香は満面の笑顔で祝福した。これまでFAILYに所属した延べ数十人の選手の中で、これだけ短時間での圧勝劇を演じたのは達也が初めてだった。

 しかも達也にとってはデビュー戦、加えて決して弱い相手だった訳でもない。彗星のごとく現れたゴールデンルーキーに晴香の喜びが溢れるのも無理はなかった。

「何とか勝つ事ができて良かったです」

「また謙遜しちゃって、大楽勝だったじゃない」

「いえいえ、そんな事ないですよ」

 と言いつつも、その涼しげな表情が大楽勝である事を物語っていた。実際に達也も、言葉には出さないまでも確かな手応えを感じていた。今日の相手なら100回戦っても100回連続で1ラウンドKO勝ちできるだろうな、それが戦い終えての率直な感想だった。

 ただし、それでも達也にとっては手放しで喜べる試合内容ではなかったようで。

「でも、自分としてはちょっと動きにキレが無かったですね。緊張はしてないつもりでしたけど、体は少し硬くなってしまってましたし」

「あ…あれでも?」

 一方的なKO勝利を飾っておきながらも喜ぶどころか逆に試合内容への不満を口にする達也に、晴香は驚きを禁じ得ない。

「やっぱ1年のブランクって大きいですね。言っときますけど、俺の実力はまだまだこんなもんじゃないですから」

「それは…本気で言ってるの…よね?」

「もちろんです。ま、今日の調子は50~60%ってとこですかね」

「そんな…これで50%や60%だって言うんなら、100%になるとどうなっちゃうの…?」

「そりゃあもう、完全体になりますから」

 楽しみにしててください、笑いながらそう口にする達也の果てしないポテンシャルに、晴香は期待を通り越して怖ろしさすら覚えるのだった。

 彼は本物だ…と。

 

………………………………………

 

 達也の23秒KOデビューは大きな注目を浴び…る訳もなかった。キックボクシングはマイナー競技、無名の新人の試合が注目される筈もない。

 ただ、ごく一部の格闘技系ネットメディアだけは、小さい扱いながらも達也の試合を取り上げていた。『現役西都大生ファイター小野達也、衝撃の23秒KOデビュー』というタイトルの記事では試合内容を写真付きで報じると共に、高校時代に空手でインターハイ連覇という経歴も簡単に紹介し、「衝撃の23秒KO劇で鮮烈なデビューを飾った天才空手家がキックボクシングのリングで今後どんな活躍を見せてくれるのか目が離せない」と締めくくっていた。

 また、記事には敗れた中村選手の試合後のコメントも掲載されていた。

 

――小野選手のパンチは自分がこれまで受けてきたどのパンチよりも重く、力強く感じました。悔しさも湧いてこないぐらいの完敗です。(再戦したいかとの問いに)正直、今の自分ではちょっと勝てる気がしないです。

 

 完敗だけでなく、圧倒的な実力差を認めたコメントだった。まあ、認めざるを得ない試合内容だった事は誰の目にも明らかなのだが。

 そして、記事自体にもコメントがついていた。ただし全く注目されてない試合の記事だけあって、コメントはわずかに5件だけだった。

 

「中村ってかなり期待されてる若手だったはず。この一戦は後に伝説として語られるかもしれない」

「最後の左はマジでエグ杉」

「現地で観戦してました。デビュー戦とは思えない堂々とした戦いっぷりが印象的でした。大物の予感です」

「ていうかこの小野って選手、調べてみたら空手界の超大物じゃねーか。もっと取り上げられるべきだろ」

「何気にイケメンなのが腹立つ」



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1-7 プロ2戦目

     ―達也―

 快勝の余韻に浸る間もなく、すぐに2戦目が決まった。日時は11月の中旬、舞台はデビュー戦と同じく『knock out』だ。

 試合間隔が1か月半というのは短い方だけど、俺としては全く問題無かった。というかむしろ、できるだけ早く試合がしたいと俺から直訴したぐらいだ。デビュー戦でのダメージはゼロだったし、俺としてもどうせ格闘技をやるなら勝ちまくって自身の評価を高めたい気持ちだった。だからできるだけ名の通った強い相手と試合したいというのが本音だった。

 そんな希望が受け入れられたのか、2戦目の相手はタイの選手だった。タイと言えばムエタイを国技とし、ボクシングやキックボクシングの世界に有力選手を多数輩出している国だ。空手家時代に外国人選手と戦った経験の無い俺にとっては初の国際戦、自ずと気合が入った。

 ところが、相手選手の戦績を聞いてガッカリした。なぜならその選手はキャリアが浅い上に負け越しているという、全く強いと言えない選手だったのだ。まあ、自分自身がまだキャリア1戦なんだから贅沢を言える立場ではないけれど、気合いはかなり萎えてしまったというのが正直な所だった。

 これは後に知る事になるのだけど、相手が実力の劣る外国人選手に決まったのは、どうやら俺に原因があったらしい。というのも俺のデビュー戦の内容が圧巻過ぎて、こちらから対戦を打診した日本人選手は皆揃ってオファーを断ってしまったというのだ。それが嘘じゃないという事を証明するようにここから暫くの間、俺の対戦相手はタイやフィリピンやインドネシアといった東南アジアの選手ばかりになる。

 

 試合が決まってから少しして、相手選手の過去の試合映像を手に入れる事ができた。晴香さんに頼んで入手してもらったのだ。

 俺は、試合前には対戦相手の映像を絶対に見たいタイプだ。中には試合前に相手の情報を頭に入れ過ぎるとイメージが先行してしまって自分の戦いができなくなるという選手もいるけど、俺は真逆。対戦相手の映像をじっくりと研究して、しっかりと対策を練って試合に臨むのが俺のスタイルだ。

 実は、そうなったのは充希の影響が大きかったりする。というのも、充希は模試で全国指折りレベルの成績を叩き出すぐらい頭がいいくせに、そこまでガリガリと勉強してる訳でもない。充希曰く『勉強のための勉強はしない』というのをとても大事にしているんだそうで、「義務教育での勉強なんて受験のためなんだから、試験に出ない問題をいくら解けるようになっても意味は無い。無駄な知識を詰め込むんじゃなくて傾向と対策が何より大事なんだよ」って事らしい。

 でもまあ、実際にその通りだと思う。しかもそれは、格闘技にしても同じだと俺は思う。俺たちはリングの上で腕力比べをやってる訳じゃなく、相手を叩きのめす能力を競っているんだから。どうすれば相手を叩きのめせるだろうかと突き詰める事こそ何より重要。自分が目指すべきゴールが明確になれば、取り組むべきトレーニングも自ずと見えてくる。

 と、話が長くなったけど、要は俺は試合前には相手の映像を必ず見たい、って事を言いたかっただけで。

 今回も相手の映像をしっかりと見て、その結果を一言で言うと…

正直に言って、ガッカリ感が増した。

 戦績から予想された通り、今回の相手に強さは感じられなかった。というかハッキリ言わせてもらうと、弱かった。

 攻撃の力強さには乏しく、ガードは甘い。スピードも平凡。もちろん油断は禁物だけど、相当なラッキーパンチさえ貰わなければまず楽勝というのが映像を確認して感じた率直な印象だった。相手を過小評価するのは良くないけど、過大評価もまた禁物。普通にやれば普通に勝てる、というかおそらくは相手にならない。それが冷静な分析だった。

 

………………………………………

 

 プロ2戦目の日がやって来た。

 デビュー戦はオープニングマッチ(第1試合)を任されたけど、この日は俺が登場するのは前10試合中の第5試合だった。晴香さんが言うには第5試合は前半戦のラストを飾る試合で、メインと準メインに次ぐ見せ場の試合らしい。まあ、俺の気持ちを高めるために言ってくれてるだけなんだろうけど。

 試合が進み、俺の出番が来た。

 観客の数は、デビュー戦の時より少し多いかなという程度でやっぱり空席が目立っていた。寂しいけど仕方ない。これが『knock out』の、というよりキックボクシングの現状なんだろう。ただ、こんなマイナースポーツを現地観戦するためにわざわざ足を運んでくれた数百人のファンの存在をとてもありがたくも感じた。それはデビュー戦の時には無かった感情だった。この程度でプロの自覚が湧いたなんて言うべきじゃないかもしれないけど、とにかく全力でいい試合をしてお客さんに楽しんでもらいたいと本気で思った。つまりは、観客が興奮するような圧倒的なKOで勝ちたい、と。

 リングの中央で、対戦相手と向かい合う。相手をナメる訳じゃないけど、やっぱり負ける気はしなかった。

 そして、試合が始まる。

 相手の出方を窺いつつ、ゆっくりと前進する。まずは様子を見ながら、向こうが来るなら躊躇なく迎え撃つ態勢。でも相手はこちらを警戒してか、慎重に距離を取る姿勢を見せた。

 ならばと左ジャブから組み立てて、軽くワンツーを放ってみる。すると狙い通り顔面にヒットし、相手の体が小さくのけぞった。リーチは俺の方がだいぶ長い。早くも自分に有利な間合いを掴んだ気がした。

 続いてローキック。パシン!と乾いた音が響いた。相手が反射的に右を返してくるけど、難なくかわして逆に軽く左を当てて追い返す。

 何でも当たるという感覚。よし、大丈夫。

 確かな感覚を得たなら、もう様子を見る必要はない。いけると思ったら、攻める。

 集中力を高めて、感覚を研ぎ澄ませながらしっかりとタイミングを計って。

 一気に…踏み込む…!

 

 ――ドンッッ!!

 

 フェイントの左を一瞬見せてからの、右ストレート。相手のガードをこじ開けるには到らなかったけど、ガードの上からでも十分に威力は伝わったようだ。よろめくように相手が後退する。

 その隙に前へ出る。左、右、左、右、左、右と体重を乗せた重いパンチを打ち込みながら。

 気が付けば、もう相手をコーナー際まで追い込んでいた。スパーリングなら攻撃を緩めてあげる頃合いだ。

 でも、これはスパーリングじゃないから。俺はお客さんに、豪快なKO勝利を見せる使命があるから。

 

 ――ドンッ!ドンッ!ドンッッ!!

 

 心を鬼にして、パンチの雨を浴びせる。クリンチに逃れようとする相手を容赦なくコーナーポストに突き飛ばし、手加減無しの連打を見舞う。

 一発ごとに、手ごたえ十分の確かな感触が両拳に伝わる。相手は両腕で顔面を必死にガードするけど、その上からであっても十分に効いているのが分かった。

 その証拠に、少しずつガードが下りてくる。必然的に、パンチが顔面を捉え出す。

 そして、ついに。

 

 ――グシャッッ!!!

 

 左ストレートが顔面を捉え、相手の後頭部がコーナーポストにぶち当たった。力を失った顔が、勢い良く跳ね返ってくる。

 そこに右ストレートを合わせる。これがフィニッシュブローになるという確信を持って――

 

 ――ストップっ!ストップっっ!!

 

 その時、レフェリーが間に割って入り、崩れ落ちようとする相手選手を抱きかかえるようにして試合を止めた。スタンディングダウンのルールは無い。つまりは俺のTKO勝ちだ。

 相手選手はレフェリーに体を預けたままぴくりとも動かない。どうやらさっきの左ストレートで失神してしまっていたようだった。ぶらぶらと力無く揺れる両手は赤黒く変色している。

 その痛々しい姿を見て、ちょっとやり過ぎたかなと思ってしまった。観客の目を意識するあまり、強引になり過ぎたかな…と。はるばるタイから来てくれたのに、悪い事しちゃったな…日本を嫌いにならないで欲しいな…とも。

 試合時間は、37秒だった。



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1-8 美しく勝ちたい

     ―達也―

 少し…というか、かなり反省していた。

 何を反省していたのかというと、前回の試合での自分の戦いっぷりについて、だ。

 ノーダメージでの一方的なKO勝利、それ自体には何も不満はなかった。試合の結果としてはパーフェクト、1年のブランクで失われた体のキレもだいぶ戻ったという実感もあった。

 ただ、正直言ってやり過ぎてしまった。

 相手の実力が大した事ないというのは戦う前から分かっていた。実際に拳を合わせてみても、それはすぐに確信できた。

 なら、あんなにボコボコにする必要はなかった。手加減するのは逆に失礼だという事は重々承知しているけど、やっぱり手加減してあげるべきだった。

 試合後、相手の選手は病院送りとなった。検査の結果、顔面の骨折が判明し現在も入院を余儀なくされている。しかも折れた鼻骨が眼球に刺さりかけていたほどの重傷だったらしい。

 選手生命を脅かしかねなうような大怪我だ。なのに俺は、あれだけ相手を痛めつけておきながらまだ飽き足らずに、とどめに全力の右ストレートをぶち込もうとしていた。

 もしレフェリーが止めてくれなかったらと思うと心底ゾッとする。最後の右ストレートが命中していれば鼻骨が眼球を貫いて失明…あるいは大袈裟ではなく、殺してしまっていたかもしれない。

 自分には他人を殺す力がある…考えれば考えるほどそれは怖ろしい事だった。空手の世界では顔面へのパンチが禁止されているから、試合中に大怪我してしまうような事はほとんど無い。でも、キックボクシングのリングは違う。相手をコーナーに詰めて一方的にボコボコにしてもレフェリーが止めるとも限らないし、もっと言えば重い打撃が顔面や頭部に一発決まれば、それだけで命を脅かすようなダメージを与えてしまう事だってある。

(マジで、考えて戦わなきゃダメだよなぁ…)

 自分は、強い。決して奢ってる訳ではなく、事実として強い。ヘタをすれば相手を殺してしまいかねないくらいに…それをしっかりと胸に刻んで戦わなきゃいけない、そう思った。

 

………………………………………

 

     ―充希―

 プロのキックボクサーになった達也は、怒涛の勢いで連勝を続けた。

 試合はだいたい1か月に1試合ぐらいのペース。相手は、デビュー戦以外は全てタイやフィリピンやインドネシアといった東南アジアの選手ばかりだった。

 どうして外国人とばかり試合をするのか聞いてみたら、「日本人選手は俺の強さにビビッて逃げてるんだよ」というのが達也の答えだった。でも、それが嘘じゃないのかもしれないと思えるくらいに、達也の強さは圧倒的だった。

 7戦7勝7KO。しかも7戦で要した試合時間の合計はわずか10分弱と、1試合平均1分半にも満たないという秒殺の連続。

 思い返すと、デビュー戦はドキドキしながら見ていた。達也が戦う姿を見るのは1年とちょっとぶり、あの失神KO負けを喫したインターハイの決勝以来。だからどうしても、あの時の光景が頭に浮かんだ。しかも今度はプロの選手が相手だから、また酷い負け方をしてしまうんじゃないかと心配になった。

 でも今はもう、達也の試合を見ても心配になる事は無い。それどころか、むしろ相手の心配をしてしまう。東南アジアからはるばる何時間もかけてやってきて、わずか1分そこそこで達也にKOされる選手たちが何だか可哀相に思えてならなかった。

 しかも達也の勝ち方は、いつも決まって『狙いすました』ようなKO勝利だった。デビュー2戦目こそ物凄いラッシュをかけて相手をボコボコにしたけど、それ以降の試合ではボディー一発で相手を悶絶させたり、ハイキックを顔面にヒットさせて失神させたりと、言わば『一撃』での勝利ばかり。まるでスナイパーが獲物をライフルで撃ち抜くように、たった一発で相手をKOしてしまう。その繰り返し。

 「もうちょっと手加減してあげられないの?」一度だけそう言ってみた事がある。でも達也の答えは「あれで俺が本気出してるように見えるか?」だった。確かに、全く本気を出してるようには見えない。むしろインパクトのある勝ち方を求めて、遊び心満載でリングに上がっているようにすら見えた。

 加えて、「相手はむしろ俺に感謝するべきなんだぜ。負けた悔しさが人を成長させるんだから」とも言った。確かにそうなのかもしれない。そういう考えでいられなきゃ、格闘技なんてできないのかもしれない。でも…

 何にしても、達也は圧倒的な強さで勝ち続けていた。そしてどれだけ連勝を重ねても、達也が世間から注目される事は全く無かった。達也の試合を伝えるネットの記事も、小さなものばかりだった。

 

「実は来月にも試合があってさ。だから今回だけノート貸してくれないかなって…」

 達也が言う。リングの上では鬼のような強さを見せるけど、リングを離れれば普通の大学生。いや、むしろだらしない大学生。

「何が今回だけよ。ていうかそんなにキックボクシングにのめり込んでるなら休学すれば?」

「そんな事したら、充希と同級生じゃなくなっちゃうじゃん」

「…それがどうしたってのよ」

 達也と話してると今みたいにドキッとさせられるようなセリフがたまにサラッと出てくる。まあ、試合と同じでもうほとんどドキッとしなくもなったけど。

「それに、次はそこそこ重要な試合なんだ。という訳で…お願いしますっ!」

「ダメ」

「これだけ頼んでも?」

「絶っ対ダメ」

 そこそこ重要な試合って何言ってるのよと思う。重要じゃない試合なんてあるの?と。

「とにかく、自分の事は自分で頑張りなさい」

 ピシャリとそう告げると、もう達也はお願いしては来なかった。

 その姿をちょっぴり寂しく感じたりもする私は、やっぱりどこか変なのだろうか…



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1-9 そこそこ重要な試合(vs石井幸三)

 達也が言う『そこそこ重要な試合』の対戦相手は、デビュー戦以来となる日本人選手だった。東南アジアの選手と戦うのは飽きた、こんな試合が続くのならもう辞める、次は絶対に本物の選手と試合を組んで欲しい…達也自身が晴香にそう直訴して実現した試合だった。

 対戦相手の名前は石井幸三。キックボクシング及びムエタイで50戦近いキャリアを誇り、かつてムエタイの二大殿堂の一つとされるラジャダムナン・スタジアムでわずかな期間とはいえチャンピオンになった経験を持つという、知る人ぞ知る強豪選手だった。現在は36歳となり全盛期を過ぎたとはいえ実力はまだまだ健在で、『knock out』を主戦場としている中~重量級の日本人選手としては1、2を争う実力者と言えた。

 そんな実力者との試合が決まって、達也の闘志はこれまでに無く燃えていた。充希の前でこそ普段と変わらないヘラヘラした表情なのだがジムでは一変、鬼気迫る表情でミットを打ち、サンドバッグを叩いた。その様子は、周囲の選手が声を掛けるのを躊躇してしまう程だった。

 そして、試合の日を迎えた。

 

………………………………………

 

 まずは赤コーナー、石井の名がコールされる。格闘技の世界では格上の選手が赤コーナーに陣取るのが通例であり、ムエタイの元ミドル級王者の実績を持つ石井が達也よりも格上の選手であるという事に異論を挟む余地は無かった。

 続いて青コーナー、名前をコールされた達也が一歩前に出て右拳を突き上げる。闘志十分、調整もきっちり成功した。状態は万全だ。

 ただしこの時、達也はちょっとした恥ずかしさを感じていた。その理由は、名前のコールの際に紹介された達也のニックネームに関してだった。

 実は『knock out』では選手にニックネームがつけられるのだが、達也に与えられたニックネームは『天才少年』だった。「プロ通算7戦7勝、しかもその全てが1ラウンドKO勝利という人呼んで『天才少年』小野達也」というコールだったのだが、この天才少年というのが本人的には不満だった。少年というフレーズがいかにも子ども扱いされてるような気がして。

 とはいえ、試合にあたってはニックネームなど些細な事だ。リングの中央で向かい合った瞬間、達也の意識は目の前の相手に100%切り替わった。親子ほども離れた年齢の相手に鋭い視線をぶつける。

 達也にとってこれまでの7戦は、そのほとんどが言わば達也が勝つために用意された試合だった。それは達也自身も十分過ぎるほどに分かっていた。だからこそ今回は本物の相手と戦いたいと直訴し、今日の試合が実現した。実績を見ても、負ける可能性だって十分ある危険な相手だ。

 だが達也は、自身の勝利を信じて疑ってはいなかった。明確な根拠がある訳ではないが、どんな試合でも常に自信を持って試合に臨む事ができるのが達也なのである。それは幼い頃から勝ち慣れる中で培った、勝者のメンタリティーと言えた。

 要は、自信家なのだ。

 

 ゴングが鳴り、試合が始まる。

 

 立ち上がりは静かだった。距離を取り、左ジャブから右、そしてローキックも織り交ぜるというオーソドックスな戦法。これまで7戦全てで開始1分そこそこには試合を終わらせていた達也だが、そんな秒殺記録には興味が無いというような冷静な戦いで、あっという間に開始1分が経過した。

 一見すると消極的にも映る戦い方。だが、達也は決して強敵相手に臆している訳ではなかった。実際、先に手を出すのは常に達也の方であり、石井の反撃はことごとく空を切った。ローキックも難なくカットし、石井の打ち終わりに合わせるように伸ばした右は浅いながらも的確に顔面を捉えた。試合は静かに見えるが、主導権を握っているのは達也の方だった。

 だが達也はあくまで距離を取りながら、慎重な戦いを続けた。左ジャブとローキックを細かくヒットさせ、確実にポイントを重ねていく。たまらず石井が距離を詰めようとすれば華麗なステップでかわしながら、別れ際には軽い一発を見舞ってから追い返す。

 石井の攻撃も何発か当たりはするのだが、達也に効いているような様子は全くない。逆に達也のパンチはジャブであってもその一発一発が重く、石井の体力を確実に削っていく。

 そして1ラウンドも2分になろうとする頃、ついに達也が仕掛けた。

 ノールックでの意表を突いた右ストレート、そして続けざまに左ボディー。上下の連打に石井が後退する。

 その、刹那だった。

 

 ――ゴンッッッッ!!!!!

 

 達也の右ハイキックが完璧な角度で石井の左頬を捉えた。長い足が伸び切った、美し過ぎる一撃。

 石井の体がぐらりとリングに崩れ落ちる。

 試合時間、2分11秒。カウントは不要だった。

 

………………………………………

 

 達也vs石井の一戦は、翌日のネット記事にもしっかりと取り上げられていた。ただ、最初からその記事を探すつもりで検索しなければ見つからないような目立たない取り扱いなのは変わらないが。

 とはいえこれまでの試合とは違ってファンの注目はそれなりに高く、記事へのコメント数は50件を超えていた。

「石井がこんな負け方するとは衝撃」

「小野って弱い外国人相手に1ラウンドKOを稼ぐイロモノ選手と思ってたけど、石井に楽勝するとなるとこれは本物」

「公式チャンネルで動画見たけど、最初の2分は遊んでなかった?ギア上げてからは一瞬に見えた」

「ていうか小野の足が長すぎて反則」

「最後のハイキックなんて殺人レベルだろ…」

 コアな格闘技ファンの中には石井幸三が確かな実力者である事を知る者も少なくなかった。一般人からの注目は皆無とはいえ、格闘技界隈に与えたインパクトという点では決して小さくない勝利だった。

 

 そしてこの日のインパクトが、後に達也をスーパースターへと飛翔させるきっかけとなるのだが、そんな事はまだ誰も知る由が無かった。




1章終了です。ダラダラした展開でスミマセン。

2章からようやくエロが入ってきます。


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2章 種付け(X2年7月12日 ~ X2年8月初旬)
2-1 怪しげな女の子


     ―達也―

 『knock out』で1、2を争うと目されるような実力者に完勝したというのに、自分への注目度が増したような雰囲気は全く無かった。取材が来る事も無ければ、試合を伝える記事もほとんど無し。世間のキックボクシングへの関心の低さを感じずにはいられなかった。

 ただ、「停滞したキックボクシング界を俺が盛り上げてやるぜ!」なんて気持ちには全くならなかった。それどころか、キックボクシングはそろそろ潮時かなとすら思い始めていた。誰からも注目されないリングで戦い続ける意味を見出せなかった。ファイトマネーも安いし。

 うん、やっぱりもう辞めよう。熱心に誘ってくれた晴香さんには悪いけど、このままキックボクシング続けるよりも普通の大学生に戻った方が楽しそうだ。だいいち最初から、飽きたらすぐやめるつもりだったし。

 と、自分の中で結論を確定させた所で、頭を次のテーマに切り替える。現状、俺の身に迫っている最大の問題は、もうじき始まる前期課程の試験だった。これまでは充希がノートを貸してくれてたからそこそこ単位を拾えてきたけど、今回はどれだけ頼んでも貸してくれる気配無し。このまま試験期間に突入すれば、ヘタすりゃ単位全滅なんて悲惨な結果も考えられる。

「ていうか、大学とキックボクシングの両立ってのが最初から無理に決まってるんだよな…」

 そう、そもそも俺の学力では勉強一本に絞っても単位取得は容易じゃないんだから、キックボクシングと両立なんてハナっから無理に決まってる。そういう意味でも、キックボクシングはもう辞めるしかないだろう。

 と、その時。

「…独り言ですか?」

 右側からぽつりと女の子の声が聞こえたから、振り返ってみると。

「うおっ…!?」

 すぐ隣の席に女子が座っていた。しかも、めちゃくちゃ距離が近かった。

「独り言ですか?」

 またぽつりとそう口にする。

「…俺、独り言なんて言ってた?」

「無意識でしたか。ま、独り言なんてそんなものですが」

「……」

 無性に恥ずかしかった。初対面から5秒でこんな恥ずかしい思いさせるとはこの女…

「って誰だよ自分!」

 思いっきりツッコんでしまった。女子に声を掛けられる事自体は別に珍しくもないけど、こんな声の掛けられ方はさすがに初めてだったから。

「ふむ、『お前』ではなく『自分』と言う所に好感が持てますね」

 すると謎の女子は、また小さく何かを呟いたかと思うと。

「申し遅れました。私はこういう者です」

 そう言って、女の子は名刺を差し出してきた。

「HFP…悠木未華子…?」

 HFP(Happy Family Project)理事、悠木未華子とそこには記されていた。

「小野達也様でいらっしゃいますよね?」

「…そうだけど?」

 何で名前知ってんだよ、と思っていると。

「本日は達也様を是非ともスカウトしたいと思って参りました」

「はあ?スカウト?」

「HFPでは現在、優秀な男性スタッフを探しておりまして、達也様は見事、我々の眼鏡にかなったのです」

「悪いけど宗教勧誘はお断りだから」

 怪しさ満載だったから、適当にあしらう事にする。妙に上から目線だし、そもそも何でいきなり名前で呼んでんだよ。

「宗教勧誘ではありません。私どもHappy Family Projectはその名の通り、幸せな家庭づくりを通じて幸せな社会づくりの実現を目指した非営利団体であり…」

「はいはい、頑張ってね」

 可愛い女の子だなとは思ったけど、これ以上話を聞くべきじゃないと俺の直感が告げていた。怪しい輩には近付かず、近付かれたらすぐに離れるに越した事はない。

 という訳で、席を変えるべく立ち上がろうとした、その時。

「話を聞いて下されば、達也様が落としそうになっている単位の方は私どもが面倒を見させて頂こうと思っているのですが」

「…何だって?」

「達也様が昨年1回生時に取得した単位は32単位。これは2回生終了時の足切りラインである60単位にギリギリのペースです」

「う…」

 そう、西都大学では卒業するために150単位を取得する必要があり、その4割となる60単位を2回生終了時までに取得できなければ、その時点で留年となってしまうのだ。

「ところが達也様は、今期の単位を満足に取得できる見込みではないようですが」

 怪しげな女子(未華子ちゃんだっけ?)が残念そうな表情で言う。馬鹿にされてるようで腹が立つ表情だったけど、でも確かに彼女の言う通りで、このまま充希の助力が得られなければ近い将来俺は留年決定…

「…って、何でそんな事まで知ってんだよ!」

 すると未華子ちゃんはしたり顔で。

「達也様の事は徹底的に調べさせて頂きましたから」

「……」

 怖かった。本気で怖かった。

 ここで話を聞かずに逃げ出したら、いつかもっと怖い目に逢わされるんじゃないかと思うくらいに怖かった。

「…分かったよ、話は聞いてやるよ」

「ありがとうございます」

「そのかわり、今言った単位の話忘れんなよ」

「もちろんです。私どもにかかれば、単位の100や200ぐらい何て事はありません」

 さすがに200もいらねーけど、と思いつつ。

「実は現在、HFPでは優秀な男性スタッフを募集しておりまして」

「それはさっき聞いた」

「申し訳ございません。どうせ聞き流されたものと思ってました」

 そう言いつつ、全然申し訳なくなさそうな表情で。

「ですので、本学内にて素質の有りそうな優秀な男性を探しては、こうしてお声を掛けさせて頂いているのです」

「ふーん。で、何で俺がそのターゲットに?」

「端的に申しますと、私どもの眼鏡にかなったからでございます」

 …全く答えになっていなかった。

「疑問に思う点はいくつかあるかと思いますが、その辺りについては後ほど、私どもの代表から直接ご説明させて頂きたいと存じます」

「あ、そう…」

 後ほど代表から、と言われてげっそりと気が重くなった。これはかなり時間を取られそうだぜ…

「ただ、この段階で私からこれだけはお伝えしておこうと思うのですが、私どもが達也様に求めたいものは、たった一つだけでございます」

「へえ」

「それは、達也様の…『種』です」



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2-2 スカウト

     ―達也―

 HFPの代表を務めているのは井上玲奈さんという法学部の教授だそうで、俺はその井上先生とやらの教授室へと案内される事になった。

「言っとくけど一応話を聞くだけだぞ。変な話だったらすぐ帰るからな」

「もちろん構いません。私の役目は達也さまをお連れする事だけですから」

「はあ?俺をスカウトしたいんじゃなかったのか?」

「教授はそう申しています。ですが私個人の意見としては、必ずしも達也様のスカウトに賛成ではなかったりします」

「…何じゃそりゃ」

 そっちから声を掛けておきながら何て失礼な奴だ…と思いながらもついていくと、ようやく教授室へと到着した。

「戻りました」

 そう言って教授室へと入っていく未華子ちゃんに続くように、俺も中へと入る。

 教授室の中は、サッパリとした小綺麗な空間だった。部屋には数台のデスクが並び、比較的新しそうなパソコンが各デスクに1台ずつ配置されている。窓際には観葉植物なんかも置かれていて、まるでベンチャー企業のお洒落なオフィスを思わせるような雰囲気だ。

 そして、デスクの一席に座っていたのは、見た目は若いながらもしっかりと大人びた雰囲気を漂わせた女性が。

「はじめまして、デカ…じゃなくて、小野達也くん」

「デカ…?」

「ううん、何でもないの。それよりこんな所まで足を運んでくれてありがとう。まずはお礼を言うわ」

「はあ…」

 綺麗な女性だった。未華子ちゃんを可愛い女の子とするなら、目の前の人は文字通り綺麗な女性だった。若手を過ぎて充実期に入った女子アナを思わせるような外見、とでも言えばいいだろうか。

 あと、おっぱいがめちゃくちゃ大きかった。しかもただでさえ大きいのに、胸元がはだけた薄着がその大きさを余計に強調していた。もしニュースを読むなら絶対に真横撮りしておっぱいを机に乗せるよな…そう思わずにはいられなかった。

「あの…教授…なんですよね?」

 思わずそう聞きたくなってしまうほどに、目の前の女性は何と言うか…教授っぽくない見た目だった。

 でも、見た目で人を判断してはいけないとはよく言ったもので。

「ええ。一応、法学部の教授をしているわ」

 名刺を渡される。そこには確かに、西都大学法学部教授、井上玲奈と記されていた。

「ええ。でも今日は教授としてではなく、HFPの代表として達也くんを招いたんだけどね」

「はあ…」

 要は教授でありながらHFPとやらの代表も兼ねているという事らしい。

 何にしても、本当に教授だという事が分かって俺の警戒心は半減した。まさか西都大学の教授ともあろう人が怪しい宗教勧誘なんかをしている訳もないだろうから…多分。

「ていうか、HFPって具体的には何をしてる団体なんですか?」

 警戒心は薄まった。でもあんまり長居もしたくないから、単刀直入に聞いてみる。

「ええ、これから詳しく説明するから、どうぞ掛けて頂戴」

 促されて椅子に座ると、未華子ちゃんがお茶を用意してデスクに置いてくれた。

「HFPの正式名称は、Happy Family Project。その名の通り、人々の幸せな家庭づくりをサポートする事を目的とした団体なの。今のメンバーは私以外には未華子ちゃんだけなんだけど、NPO(非営利団体)として国から正式に認可を受けてもいるのよ」

「NPOって、確かボランティアみたいな事してる団体の事でしたよね」

「まあNPOにも色々あって一概には言えないんだけど、大雑把に言うとそんな感じかな」

 玲奈さんは続ける。

「実はHFPでは、才能豊かで優秀な男性スタッフを募集してるの」

「それは、そちらの未華子ちゃんから聞きましたけど」

「単刀直入に言うわ。達也くんは私が見てきた中でも最高の逸材よ。ぜひ、HFPの一員になってくれないかしら」

「ちょ、ちょっと待って下さい」

 本当に単刀直入すぎて全くついていけないから。

「というか、HFPっていうのが具体的に何をしてるのか知らないですし、最高の逸材とかって言われても何が基準でそう言われてるのかもサッパリ分からないですし…ていうか何で俺なんですか?」

 という至極真っ当な疑問に、玲奈さんは。

「一言で言うとね、達也くんがとてもカッコいい男の子だから、ぜひとも君の力を貸して欲しいの」

「…はい?」

 思ってもいなかった一言だった。…俺がカッコいいから?

「背が高くて足も長いし、めちゃくちゃイケメンだし、おまけに空手のチャンピオンなんですって?」

「俺、そんなにイケメンですか?」

「ええ、イケメンだと思うわ。これまでさぞかしモテてきたでしょ?」

「……」

 年上の綺麗な女性からの『イケメン』は結構な破壊力だった。

 素晴らしい…さすが西都大学の教授ともなると、ズバッと真実を言ってくれるんだなあ…

「まあ確かに、それなりにモテてきた方だとは思いますね」

「ふふ、変に謙遜しないのもカッコいいわ」

「事実ですから」

 褒め殺しな気もしたけど、それより何より嬉しさが勝った。何でだろう、同年代の女の子に言われるより全然嬉しいっ…!

「私たちが求めているのは、まず何よりも女性にモテる男性なの。達也くんを見つけた瞬間に「君しかいない!」と思ったわ」

「さすが教授、人を見る目が素晴らしいです」

「そんな達也くんに、ぜひお願いしたい事があるの。これはイケメンでモテモテの達也くんにしかお願いできない事なのよ」

「ええ、ぜひ話を伺いましょう」

「達也くんにお願いしたいのは、単刀直入に言うと『種付け』なの」

「なるほどなるほど」

「女性に種付けして、達也くんの子どもを産ませてあげて欲しいのよ」

「なるほど種付けですか………って、種付けっっっっっっ!!!!????」

 浮かれ気味だったのが、一瞬にして我に返った。

 

 …種付け?…女性に?

 …俺の子どもを、産ませてあげて欲しい?

 

………………………………………

 

 丸二日間じっくり考えた。でも、まだ答えは出ていなかった。

 玲奈さんの話を要約するとこうだ。この社会には子どもを産みたいのに、パートナーがいなかったり、パートナーが男性不妊であるために子どもを産む事ができない女性が多く存在する。そんな女性に『父親役』となる男性を紹介して子宝を授けてあげる…つまり女性に種付けしてあげる…それが、HFPが行っている主な活動…らしい。

 そして、父親役は誰にでも務まるようなものではない。玲奈さんの言葉を借りれば、「種付けを希望する女性が優秀な種を求めるのは当然」だから。

 その点俺は、父親役になる資格十分なのだという。イケメンで、背も高くて健康的で、西都大学という学歴も持っていて、空手やキックボクシングもめちゃくちゃ強くて(…って俺が言ってるんじゃなくて、玲奈さんが言ってんだからな?)、とにかく俺のような素質を持った男はそうそう存在するものじゃない、と。

 まあ、俺の才能や能力を評価してもらえるのは嬉しい事ではある。しかも玲奈さんのような知的な大人の女性に評価されるのは、同年代の女の子にちやほやされるよりもずっと嬉しいと言えるかもしれない。

 だからつい、勢いに任せて首を縦に振りかけたのは確かだ。それに、種付けに全く興味が無いって訳でもなかった。いや、まあ別に何が何でもやりたいって訳じゃないけどさ…

 でも、一つどうしても引っかかっている事があった。それは充希の存在だ。種付けに興味が無くはないけど、充希に内緒で種付けしようっていう気には全くならなかった。もしやる事になったとしても、充希に隠し事はしたくない。それは嘘偽りない本音だった。

 とはいえ、「女性に種付けしてみようと思ってるんだ」なんて充希に言った日にはブチギレられる事間違いなしな訳で…いやマジで絶交も有り得る案件だぞこれは…

 

 

「という訳で、もう暫く考えさせて欲しいんです」

 結局決められなかったから、とりあえず俺は回答を保留する事にした。保留するくらいなら断った方が礼儀としては正しいのかもしれないけど、完全に断ってしまうのも何か勿体ない気がして…

 すると玲奈さんは、特に落胆するような様子も見せずに。

「さすが私の見込んだ男の子ね。何が何でもやりたいですっ!って飛びついてくるようでは逆に不安だったの」

「はあ…」

 女性に種付けできると聞いただけで目の色をガラっと変えるサルみたいな男にはとても務まらないから、と玲奈さんは綺麗な顔に似合わない毒舌を口にして。

「じゃあ早速、種付けの具体的なスケジュールを決めていきましょうか」

「スケジュール?」

「熟考した結果、種付けを引き受けてくれる事を決めたんでしょ?」

「いや何聞いとってん!!」

 思い切りツッコんでしまった。

「え?今確かにそう言ってたじゃない?」

「いやいや、もう少し考えさせて欲しいって言ったんです」

 すると玲奈さんは小さくため息をついて。

「達也くん、いい?引き受けてくれたら沢山の女性とエッチできるのよ?女性を抱きたい放題ヤりたい放題の毎日が待ってるのよ?男として、そんな夢のようなチャンスをみすみす見逃すの?」

「ストレート過ぎるやろ!」

 …というか、種付けに目の色変えるような男には務まらないって今言ってなかったっけ?

「達也くん、よーく考えて」

「な、何すか…」

 今度はじっと目を合わせてきて。

「この社会には、子どもを授かりたいけど授かれない女性が沢山いるの。自分の子どもを産み、育てる…女性なら誰もが自然に抱くようなごく普通の夢すら叶えられない…達也くんは、そんな困っている女性に手を差し伸べてあげようとは思わないの?」

「いや、それは…何とかなればいいなとは思いますけど」

「『何とかなれば』じゃなくて、『何とかしてあげられれば』にどうしてならないの?達也くんは、困っている女性を見捨てるような冷たい心の持ち主なの?」

「そんな事言われましても…」

「達也くんは、今の毎日に心から満足してる?充実した毎日を送ってると胸を張って言える?明日死んでも満足な人生だったと言えるの?」

「な、何ですか急に」

「君はいつもそう、迷ったら尻込みして後ずさりしてしまう。だから毎日が中途半端で、くだらない日々の繰り返しなのよ。今前に一歩踏み出さなくて、いつ踏み出すの?その足は何のためについてるのっ?」

「…何か話が変わってる気がするんですけど」

「変わってる?変わらなきゃいけないのは達也くんの心よ!それに、もし断ったら私は自分が持っている力を総動員して、君の単位取得を妨害するわ。となると君は留年決定、それどころか単位全滅で退学処分になるかもしれないわ。それでもいいの?」

「完全に脅迫じゃねーか!」

 …どこまで本気か分からないけど、玲奈さんの目と口調が本気っぽく感じるから怖かった。隣で未華子ちゃんも「うんうんそうだよなー」みたいな感じで小さく頷いてやがるし…

 とはいえ単位とかに関係なく、ここまで熱心に説得されるなら引き受けちゃおうかなと思い始めているのも事実だった。そもそも絶対に断ろうと思ってた訳でもないし、むしろ実はやってみたい気持ちの方が大きいような気もするし…

「じゃあ、そこまで言うなら…」

「引き受けてくれるのねっ!」

 引き受けるの『ひ』の字も言わないうちに、ガシッと両手を掴まれた。今更拒否すると、マジで単位を奪われかねないような雰囲気だった。

「でも、一つ問題があるんですよ」

「どうしたの?何でも言ってみて?」

 単位なら私がどうとでもしてあげるわよ、と玲奈さんは言うけど。

「単位の話ではなくて…いや単位の方も是非お願いしたいんですけど」

 そう、単位も大事だけど、もっともっと重要な問題があって。

「ちょっと仲の良い女の子がいるんですけど、どう説明すればいいかなと思って」

「仲の良い女の子って、高倉充希さん?」

「な、何で知ってるんですかっ…!?」

「達也くんの事は何でも知ってるわよ」

「……」

 驚きとかじゃなく、単純に怖かった。

「でも、それなら全く心配いらないわ。私が責任を持って充希ちゃんをしっかりと説得するから」

「…本当ですか?」

「ええ、任せておきなさい」

 玲奈さんが自らの胸をドンと叩いた。大きなおっぱいがぽよよんと揺れた。

「それに、今回の件で充希ちゃんはむしろ達也くんを見直すと思うわ」

「見直す?」

「ええ。オスは理論上無限に子孫を残せるけど、メスは妊娠という期間を経なきゃいけないから一生のうちに産める子どもの数は限られるでしょ?だから動物の世界でもオスはメスなら誰でもいいってなるんだけど、メスは強くて生殖能力の高いオスをパートナーに選ぶのよ。だから生物学的に言っても、達也くんが沢山の女性に種付けして生殖能力の高さを見せ付けてあげれば、充希ちゃんの女心がときめいちゃうのは間違いないわ」

「…そうなんですか?」

 いきなり学術チックな事を言われてちんぷんかんぷんだったけど。

「そんなの常識よ。男はヤリマンより処女が好きだけど、女は童貞よりヤリチンが好きなのも同じ理屈なのよ」

「はあ…」

 卑猥な単語がバンバンと飛び出すのが気になって気になって、何を言ってるのかサッパリ頭に入って来なかった。

「でも、そうと決まれば善は急げね」

 すると、すっと玲奈さんが立ち上がって。

「さあ、早速充希ちゃんを説得しに行くわよ」

「い、今からっ?」

「達也くんの種を待ってる女性はごまんといるのよ。グズグズしてる暇は無いわっ」

 



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2-3 三者会談

 急遽始まった、俺と充希と玲奈さんによる三者会談。

 と言っても、実質は充希と玲奈さんによる二者会談…いや、喋ってるのはほとんど玲奈さんだけの独演会。

 話の中で、玲奈さんは俺をこれでもかというくらい持ち上げた。達也くんは種付けに必要な要素を全て備えた完璧な男性、これまで色んな男性をスカウトしてきたけど達也くん以上の人材は見た事がない…と。それはそれは、聞いてるこっちが恥ずかしくなるほどだった。

 充希は充希で困惑した表情を浮かべながらも、玲奈さんの話をしっかりと聞いていた。ただし、時おり俺の方を睨みつけながら…

「充希ちゃんも同じ女なら、子どもを産みたくても産めない女性の辛さは想像できるでしょ?」

「まあ、それは…」

「達也くんは、そんな女性たちを救う事ができる力を持った男性なの。だからお願い、達也くんの力を貸してくれないかしら?」

「というか、私に言われましても…」

「達也くんは、充希ちゃんの了解を得る事が協力の条件だと言ってるの」

「はあ?」

 充希の鋭い視線がまたこっちに向けられたのを感じたけど、俺は気付かないふりをして視線を逸らし続ける。

「今回の話は、全て私が一方的に達也くんにお願いしてる事なの。お願い充希ちゃん、達也くんを少しだけ私に貸してくれないかしら」

「か、貸してくれって言われても、別に私は達也の所有者でも何でもないですから…」

「それは、OKって意味に受け取ってもいいのよね?」

「OKも何も、私が口出しするような事じゃないですから…」

「ありがとう充希ちゃん、本っ当に恩に着るわっ」

 ってな感じで、玲奈さんは強引に充希を承諾させてしまったのだった。

 まあ、ここまでは良かった。問題は会談終了後だ。

 玲奈さんが席を外すや否や、充希がドスの利いた声をこちらへと向けてきたのだった。

 

 

「で、今の話、何?」

 怖かった。文字だけではおそらく伝わらないだろうけど、とにかくめちゃくちゃ怖ろしい口調だった。充希と知り合って20年弱、一番怖い声だったと言っても過言じゃなかった。

「な、何って言われても、玲奈さんが今話してた通りで…」

「私は、アンタの口から説明してって言ってんの!」

「は、はいっ…!」

 コクコクと頷く。とはいえ俺にできるのは、玲奈さんがしてくれた説明を繰り返す事だけだった。だって、本当に玲奈さんが全て話したから。

 ただ、全く同じ話をもう一回繰り返しただけのに、話し終わる頃には充希の怒りは幾分和らいだみたいで。

「はあ、達也がねえ…」

 そう口にする充希の様子は、怒っているというよりむしろ呆れているようだった。

「あれ…もう怒ってない?」

「別に最初から怒ってないわよ」

 いや絶対怒ってたよね?なんて口に出せる筈もなくて…

「ま、達也がやりたいんならやればいいんじゃないの」

 出てきたのは、何とも素っ気ない一言だった。

「いや、本当にいいのか?種付けだぞ?」

「分かってるわよ。というかさっき井上先生にも言ったけど、私に聞くような事じゃないでしょっ」

「ま、まあそれはその通りかもしれないけど…」

 ただし確実に言える事は、黙って種付けを始めて後からバレたら、それこそ死ぬほどブチギレられたのだけは間違いないって事で。

 結論:どっちにしても怒られる。

「まあでもいいんじゃない。井上先生は有名人だし、達也をスカウトしたのもちゃんとした理由があるんでしょ」

「あの人、有名人なんだ?」

「そんな事も知らないの?テレビにもよく出てるじゃない」

「…マジかよ」

 全然知らなかった。ただ後で調べてみたところ、充希の言う通り玲奈さんはワイドショーのコメンテーターをレギュラーで務めているほどの有名な教授だった。驚いた…

 そして、テレビの中ではやっぱりおっぱいをデスクに乗せていた。そりゃそうだよな…

「それに、ドナーの確保が社会問題になりつつあるのは確かだし」

「何?ドナー?」

「だから、精子ドナーの確保が社会問題になってるのは事実なの。そんな事も知らないの?」

 充希が教えてくれる。近頃は女性への精子提供を謳う個人サイトが乱立し、倫理面の問題がクローズアップされるだけでなく金銭面など様々なトラブルが発生しているのだと。そのために国としても精子提供に関するルール作りを急ピッチで進めており、信頼性に足る精子提供団体をNPOとして認可する動きが進んでいるんだとか。

「ていうか、何で充希がそんな事知ってんの?」

「西都大生ならこのくらい知ってて当然でしょ」

 …という事らしい。もちろん俺は全然知らなかった。

「じゃあ今の時代、精子ドナーになっても大した驚きでもないって訳か?」

「まあ、井上先生のようなしっかりした人が率いてる団体なら、別に問題無いんじゃないの」

 そんなこんなで、拍子抜けするほどアッサリと充希の了解を得てしまった。何より充希の口から精子ドナーなんて単語が当たり前のように出てきた事が驚きだった。

 いつから、そんな世の中になってしまったんだ…

「でも、実際に始める事になったらちゃんと教えてよね」

「え…何で?」

「何よ、私には教えたくないっていうの?」

「い、いや、そういう訳でもないけど…」

 正直言って恥ずかしいからあまり教えたくはなかったけど怖くて拒否する事もできず、種付けを始める事になった場合にはその詳細をきちんと充希にも伝える、という事で決着した(させられた)のだった。

 



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2-4 精液検査&種付けマニュアル

     ―達也―

 充希の了解も得ていよいよ種付け生活スタート!

 …の前に、とても重要な過程が一つ残っていた。

 それは、精液検査。俺の精液に十分な受精能力が確認できなければ、種付けの話は全部無かった事になる。

 精液検査を受けると決まって、ガラにもなく緊張した。キックボクシングの試合前は全然緊張しないんだけど、今回は別だった。もし自分が種無しだったらどうしよう…と。そんな不安と緊張感からか、肝心の本番(精液採取)では射精量が普段より少なかったような気がしてならなかった。

 しかし、案ずるより産むが易しとはよく言ったもので。

 精液検査の結果は…合格だった。それもただの合格じゃなく、とっても優良な精液だとお医者さんから絶賛されてしまった。

 具体的な数値は、精液量7.6ml(これでも普段より少なかったんだぜ!)、精子濃度2億6000万/ml。総精子数は19億7600万。ちなみにWHOが定める基準値が総精子数3900万らしいから、なんとその50倍以上の数値だ。

 その他にも精子の運動率とか生存率とか正常形態率とかよく分からない項目がいくつかあったけど、その全てで基準値を大きく上回っていた。俺の精子は自然受精に何の問題も無いどころか、極めて受精能力が高い事が科学的に証明されたのだ。お医者さんからは「めちゃくちゃ妊娠しやすい精子だから子づくりするつもりじゃない時は絶対に避妊しないとダメですよ」とまで言われてしまった。

 ハッキリ言おう、めちゃくちゃ嬉しかった。人生で一番嬉しかったと言ってもいいかもしれない。俺の精液は普通の男より50倍も優れている、女性を妊娠させる能力に圧倒的に長けている…そう思うと自分が神様から選ばれた男であるような気さえした。オスとしての優越感がハンパないというか…とにかく自分自身が誇らしくて仕方なかった。

 嬉しい…マジで嬉しいっ…!!

 

 

 精液検査にも無事合格し、いよいよ種付けに向けた具体的な話が始まった。

 種付けのペースは、まずは週1回程度をメドにして行う事に決まった。玲奈さんとしてはゆくゆくは週2~3回程度のペースを考えているようだったけど、慣れるまでは緩やかなペースの方がいいだろうとなったのだ。

 そして、キックボクサーとしての活動も引き続き継続する事になった。俺としてはもう引退するつもりだったんだけど、やはりキックボクサーとして連戦連勝を続けている事が、俺の『父親役』としての価値を高めているのは間違いないようで。

「これからも勝ちまくって、達也くんが女性に種付けするに相応しい男だっていう事を証明し続けて欲しいの」

 なんだとさ。まあ仕方ないか、体動かすのはストレス発散にもなるし。

「じゃあ、種付けは大学が夏休みになる8月から始めましょう。それまでに、これをしっかりと頭に入れておいてね」

 そう言って玲奈さんから渡されたのは『種付けマニュアル』なるタイトルが付された資料、なんだけど。

「分厚いっすね…」

 その重さに、思わずそう口にすると。

「大丈夫、達也くんには半分くらい関係のない内容だから」

「…そうなんですか?」

「それより、達也くんはどんな女性に種付けしたい?」

「何ですか突然?」

「ゴメンゴメン、いきなり言われても意味が分からないわよね」

 玲奈さんが説明してくれる。曰く、HFPには女性からの問い合わせが殺到していて、種付けの順番待ち状態になっている女性が数十人もいるらしく。

「20代前半の女の子もいるけど、ほとんどは30代から40代ね。女性の妊娠率は年齢と共に低下するから本来なら高齢の女性を優先して種付けするべきなんだけど、達也くんは新人だから、まずは比較的若い女性への種付けをお願いしようと思ってるの」

 そう言って、続ける。

「だから、順番待ちになってる女性の誰に種付けするか、達也くんが自由に決めていいわよ」

「マジっすか…?」

 それって…マジで好きな女性とヤりたい放題って事では…?

「どう?俄然やる気が出てきたでしょ?」

「やる気っていうか…うん、ヤル気が…」

 オスとしての本能が疼き出すのを感じる。毎週好きな女性を選んでヤって、俺の子どもを産ませまくって…

(いやいやいや…何考えてんだ俺っ…!)

 一瞬欲望に持っていかれそうになったのを、ぐっと堪えて。

「いや、やっぱり自分で選ぶのは遠慮しときます」

「あら、どうして?」

「別にそういう事をしたくて今回の話を引き受けた訳じゃないですから。種付けの相手は全て玲奈さんにお任せします」

「本当にいいの?」

「もちろんです。女性の容姿は度外視して、子どもが欲しいと切実に願ってる人を優先してあげて下さい」

 と、カッコをつけて相手選びは玲奈さんに任せる事になった、けど。

 本当は自分で選びたかったのをぐっと堪えた、ってのが正直な所なのは言うまでもない。

 

………………………………………

 

 その夜、俺は玲奈さんに渡された種付けマニュアルなるものをぱらぱらと眺めていた。

 中身を確認してみて、半分くらいは俺に関係がないと玲奈さんが言った意味はすぐに分かった。端的に言うと、マニュアルは女性経験が無い男…つまりは童貞用に作られたものだったのだ。ご丁寧に女性器の位置が詳細に記された図を見た時は、何だか嫌な気分になってしまった。

 だから前半のページは適当に読み飛ばして、しっかり目を通すのは後半部からにする。

 

――種付けには主に『タイミング法』『シリンジ法』『人工授精』の3種類があり、HFPでは特段の事情がない限り『タイミング法』にて行う。また、1人の女性に対する種付けは原則として月に1回、排卵予定日の2日前をメドにして行う。

 タイミング法とは、要は普通の中出しセックスって事らしい。妊娠しやすい日にタイミングを合わせて行うからそう呼ぶのだという。ちなみにシリンジ法とは精液を専用の器具に採取して人為的に膣内に注入する方法、人工授精とはあらかじめ精液を採取して医療機関に持ち込み、科学的に受精を目指す方法だそうだ。ただ、シリンジ法も人工授精も成功確率はあまり高くなく、加えて人工授精は費用も高額になるから、HFPでは原則としてタイミング法のみを採用しているらしい。

 俺としては、タイミング法ぜひとも望む所だった。…いや、別にタイミング法じゃなきゃ嫌だって訳じゃないんだけど、シリンジ法でも全然いいんだけど、でも成功する確率が一番高い方法を採用するのは当然じゃん?だからやっぱりタイミング法がいいと思うんだよな。うん、思う。

 

――種付けは原則としてHFPが指定する場所にて行う。

 種付け場所についても詳しく記されていて、何と都会の一等地に建つ高級タワーマンションの一室だった。種付けのためだけに玲奈さんが自腹で借りているらしい。セキュリティ抜群、部外者立ち入り不可、防音機能完備で隣の部屋への音漏れ心配なし、とある。試しにスマホでマンションの名前を検索してみると、毎月の家賃は一般的なサラリーマンの3か月分の給料に匹敵するんじゃないかってレベルだった。どう考えても種付けのためだけに借りるのは勿体ない部屋だと思うんだけど…何にしても玲奈さんすげえな…

 

 というように種付けに関する概要が列挙されているだけでなく、他にも具体的な種付けのやり方や種付けにおける注意事項や禁止事項も沢山記されていた。例えば…

 

――種付けの体位は、女性が指定する体位にて行うものとする。女性の指定が無ければ体位は任意となるが、その場合は正常位または後背位が推奨される。

 どうして正常位か後背位が推奨されるのかは書いていなかった。そのかわり、正常位や後背位がどんな体位なのかという事は図解付きで詳細に記されていた。その図を見て、やっぱりちょっと嫌な気分になった。

 

――種付け中、女性の体を叩く・傷付ける等の暴力的行為は禁止。ただし処女膜を破る行為は例外。

 …そりゃそうだろうけど、処女膜のくだりはいらんだろ。

 

――射精は必ず女性の膣内に行う。膣外射精(顔射・口内射精など)は行ってはならない。

 …当たり前だよな、種付けなんだから。でも、わざわざ『顔射・口内射精など』って例をあげる必要あるか?

 

――射精は事前通告制とする。射精の際は必ずその旨を女性に告げてから行う事。

 …つまり勝手にイくなって事か。書き方が変に仰々しいんだよな。事前通告制って…

 

――射精時は、可能な限りペニスを深く挿れて射精すること。その方が妊娠確率が上がる。

 …そうなんだ、全然知らなかった。でも常識的に考えて、その方が精子が生きたまま子宮に届きやすい…のかな?

 

 など、様々な決まりや注意事項が大量に列挙されていた。それらを一つ一つ読んでるのは意外と面白かったけど、全部を完璧に覚えるには一日や二日じゃ到底無理そうだった。

 

(ま、なるようになるだろ…)

 

 と、気楽に考えてるうちに。

 種付け本番の日は、あっという間にやってきた。



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2-5 種付けの日

     ―達也―

 窓の外を眺めると、暮れかかる街並みが静かに流れている。

 向かっているのは、都会の中心部にある某高級タワーマンション。いよいよ初めての種付けの日だ。

 ちなみに今日の日付は7月29日。当初は種付けデビューは8月の予定だったけど、相手女性の排卵予測日の関係でこの日に前倒しとなった。種付けの日取りは女性の排卵予測日によって前後する、それをしょっぱなから見せ付けられた形だ。

「本日これから達也さまが種付けする女性のお名前は村岡亜美さん。年齢は32歳、独身の方です」

 隣の運転席でハンドルを握る未華子ちゃんが、種付け相手のプロフィール等を教えてくれる。亜美さんは現在交際相手がおらず、もちろん結婚の予定も無い。でも子どもが欲しいという夢をどうしても叶えたいと、今回思い切ってHFPに相談を依頼、玲奈さんとの話し合いを重ねた末に、種付けを受ける事を決意するに到った、と。

「つまりはシングルマザーをご希望されている女性です」

 未華子ちゃんが続ける。最初からシングルマザーとして、パートナーを持たないという選択肢を希望する女性がこの所とても増加している、と。

多様性、という言葉がよく言われる時代だ。どんな人生を選ぼうが個人の自由だとは思う。

 でも、それでもやっぱりこう思わずにはいられなくて。

「32歳ってまだまだ若いから、そんな大きな決断をするには早い気もするんだけどなあ」

「そうとも言えません」

 未華子ちゃんは俺の言葉を軽く否定して。

「仮に亜美さんが決断をあと3年遅らせたとすると、種付けから出産までスムーズに進んだとしてもお子さんが大学を卒業して自立する頃には、亜美さんの年齢はもう60歳手前です。シングルマザーで収入も安定しない中、還暦手前まで女性一人の力で子どもを育てるのは並大抵の事ではありません」

「なるほど」

 確かにそうだよな、と思う。子育てにはお金がかかるし、国の子育て支援も十分とは言い難い。厳しい現実だ。

「それにもし何も手を打たなければ、未婚で交際相手のいない32歳の女性が死ぬまでに1人以上の子どもを授かれる可能性はわずか3割強です」

「そんなに低いの?」

「女性の妊娠能力は20歳頃をピークとして徐々に低下していき、そのペースは30代の中頃から顕著になります。32歳という年齢は、出産を考えた場合には決して早すぎる事はありません」

「はあ…そうなんだ…」

「というか、先日お渡しした種付けマニュアルにも詳しく書いてあったと思いますが」

「うん、そこはまだ読んでなかったな」

 そう言うと未華子ちゃんは小さくため息をついて。

「達也さまが種無しだったら良かったのにとずっと思ってます」

「良くない」

 …ったく、無理やりスカウトして精液検査まで強制しときながら何を縁起でもない事言ってやがるんだ。

「でも、達也さまのような男性の方が種付けには向いてるかもしれません」

「どういう意味だよ?」

 そう聞くと、未華子ちゃんは間髪置かずに。

「人間的に軽い感じ」

「おい!」

 俺のような重厚で落ち着いた男に何と失礼な。

「良く言うと物怖じしないというか、堂々としているのは種付け向きだと思います。現に今も、初めての種付けを目前に控えて緊張してる様子は全く無いみたいですし」

「ま、緊張しても仕方ないからな」

 なるようになる、というかなるようにしかならない、それは俺の哲学みたいなものだ。もっと言えば、物事の結果はその前段階、つまり準備の段階で全て決まってるぐらいに思っている。

 まあ、精液検査の結果見る時はめちゃくちゃ緊張したけどさ…

「その点、達也様の前任者なんて本当に最低でしたから」

「そういえば、前任者ってどんな奴だったんだ?」

 気になったから聞いてみると。

「前任者は達也さまと違って、成績優秀なエリート学生でしたよ。IQは150台でした」

「あっそ」

 ちょっと気分が悪くなった。やっぱ聞くんじゃなかったぜ…

「ところが彼は女性に全く免疫が無い、言わば真性の童貞だったんです。単純に女性経験が無いだけでなく、女性を目の前にしただけで緊張して声も出なくなるという、救いようのない精神的インポ野郎でした」

「な、なるほど…」

「風俗にも通わせて色々と手ほどきしたんですけど結局ダメで、本番では女性にとんでもない粗相をしやがりました。今思い出しても本当に腹が立ってきます」

「そ、そうなんだ…」

 …前からちょっと思ってたけど。

 未華子ちゃんって、可愛い顔して所々口が悪いんだよな…

 

 未華子ちゃんの口から放たれる前任者への愚痴は、それからしばらく止まらなかった。

 

………………………………………

 

「ふう…」

 心を落ち着けるべく、ひとつ深呼吸をしてみる。ゆっくりと酸素を取り込んで、同じようにゆっくりと吐き出す。

 もうすぐこの部屋に、亜美さんという女性がやって来る。俺に、種を付けてもらうために。

 亜美さんのプロフィールは未華子ちゃんからしっかりと教えてもらった。幼い頃から道を踏み外すことなく、有名な大学を卒業し、今もきちんとした会社に勤めているという。何の傷もない綺麗なプロフィールだなと思った。堅実な人生を歩んでこられたんだろうなと思った。顔写真を見せてもらって、その思いはより確信めいたものになった。真面目さが滲み出たような、いかにも実直そうな人だという印象だった。

 でも、思う。そんな堅実な人生を歩んでこられた人が、なぜ種付けを受けるという決断を下さなければならなかったのだろうか、と。

 いくら多様性が叫ばれる時代とはいえ、見ず知らずの赤の他人から種付けを受けるなんて決して『正常』な道ではない…とやっぱり思う。亜美さんだってきっと本意じゃないだろう。本心ではもっと別の道を望んでいたに違いない。

 一体亜美さんは、どこで道を間違えたんだろう。それとも、正しい道を歩み続けた結果として今日があるのだろうか…

 玲奈さんは言う。これからは家族の形は多様化していくと。シングルマザーは増え、種付けは特別なものではなくなっていくと。

 分からない。俺にはそれが正しい事なのかどうかなんて分からない。正しいか正しくないかという基準で捉えるべきなのかすら分からない。

 だから俺がやるべき事は、自分に託された役割をしっかりとこなすだけ。倫理的にどうとか道徳的にどうとか、そういう難しい事は玲奈さんのような賢い人に考えてもらうとして。

 もっと端的に言うと、前任者のように女性を前にしてモノが勃たないようなみっともない姿だけは晒さないよう、心を整えるだけ…

 そして、ついに。

 

――コン、コン

 

 ドアがノックされる音が、静かな部屋に小さく響いた。




注:未華子ちゃんが言った「未婚で交際相手のいない32歳の女性が死ぬまでに1人以上の子どもを授かれる可能性は3割強」というのは正確な数字ではなく、あくまで物語の中の設定です。


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2-6 はじめての種付け(前)

     ―達也―

 亜美さんと対面して抱いた第一印象はやっぱり「真面目そうな人」だった。容姿で人を判断するのは良くないけど、どう見ても遊んでいるようには見えない。おそらく夜の街なんて全く無縁のタイプだろう。

 そして、これは顔写真を見た時も思った事だけど、普通に綺麗な人だなとも思った。パートナー(彼氏)不在という事だけど、これだけ綺麗な人なら彼氏を作る事ぐらい簡単だろうと思えてならなかった。というか黙ってても男の方から勝手に寄ってきそうな気がする。

 なんて、思っていると。

「ほ、本日は私なんかのために貴重なお時間を割いて頂いて、本当にありがとうございます。た、達也さんの子どもを身ごもれるよう全力で頑張りますので、どうかよろしくお願いします…」

「え、え…?」

 あまりにも畏まった挨拶に、思わず目が点になってしまう。俺の子どもを身ごもれるよう全力で頑張るって…

「い、いや、硬すぎますってっ」

 場を和ませるように言う。でも亜美さんは緊張しているのかそれとも本来の性格なのか、ずっと畏まったまま。言葉遣いも異常なまでの敬語だ。

「と、とりあえずリラックスしましょう」

 いくら何でもこれじゃ種付けなんてできないだろ、そう思った俺は急遽予定を変更して、まずはユルいトークで場を和ませる事にした。

 

………………………

………………

………

 

「それすっごい分かります。暇を持て余しすぎるっていうのも困っちゃうんですよね」

 ベッドに並んで腰掛けてトークする事およそ15分。亜美さんは言葉遣いこそ敬語だけど、表情の硬さはもうすっかり取れていた。口調も初対面の時とは見違えて滑らかだ。

「達也さんって、女性にモテますよね?」

「どうしてそう思うんですか?」

「だって、男の人と話しててこんなに楽しいの初めてですから」

「ホントですか、そんな事言われるとマジで嬉しいですね」

 まあ、トークの内容なんて正直言ってほとんど覚えてない。それだけどうでもいい話だったって事だ。でもそんなトークで楽しんでもらえるなんて、改めて自分のコミュ力に感心するぜ。(←自画自賛)

 とはいえ、こんなホストみたいな事をしに来た訳じゃないから。

「じゃあ亜美さん、そろそろ始めますか?」

「えっ、あ…」

 ピクっと亜美さんの方が震えて。

「そ、そうですね…あの…よろしくお願いします」

 深々と頭を下げる。だから俺も、亜美さんに頭を下げてから。

「では、すみませんけど下の方を脱いで頂いて、ベッドに横になってください」

「は、はい…」

 亜美さんは恥ずかしそうな仕草を見せながらも、小さく頷いてからそっと背を向けた。

 それを見て俺も、自らの準備に取りかかるべく下着に手をかけた。

 

………………………

………………

………

 

「ん、んんんっ、んんっ…」

 亜美さんの口の端から、艶めかしい声が小さく漏れる。出してはいけないと念じていながらも我慢できずに漏れ出てしまう儚くか細い声は、紛れもなく俺の指先によって紡ぎ出された声で。

 じっくりと時間をかけた愛撫によって、亜美さんの秘所はもう愛液でトロトロになっていた。さすがにここまで来れば準備OKだろう。

「はぁ、はぁ、ぅぅぅ…」

 その時、ふいに視線が合ったけど、亜美さんは恥ずかしそうにさっと顔を逸らした、そんな仕草を見て、俺はふと未華子ちゃんから聞かされた前任者の話を思い出す。

(そりゃ、童貞の男にこれは無理だよなあ…)

 種付けでは、男性が女性を100%リードしなければならない(…ってのも確か種付けマニュアルに書かれてた筈)。でも、それはそうだろう。女性はあくまで依頼者でありサービスを享受する立場なのだから、一連の流れは全てこちらが主体的に提供すべきなのは当然だ。

 でも、いくら事前に予備知識を詰め込んで、あるいは風俗とかで練習していたとしても、素人童貞の男がいきなり見ず知らずの女性を前にして、指だけでアソコを優しく濡らしてあげられる訳がない。俺だって童貞の頃は絶対に無理だった。

(アレだな…そこそこ経験積んでて良かった…)

 やっぱ経験値って大事なんだなと、改めて噛みしめながら。

「じゃあ、そろそろ挿れますね」

 ハッキリとそう告げると。

「は、はい…お、お願いします」

 亜美さんは意を決したようにギュッと目を閉じた。

「体勢はこのままがいいですか?それとも、他にご希望の体勢があったりしますか?」

 体位は女性の希望が絶対的に優先されるルール。だから、挿入前に確認してみると。

「あ、あの…大丈夫…です。達也さんに全てお任せします…」

 おそらくそう言うだろうなと予想していた答え。それを受けて、俺も。

「分かりました。じゃあこのまま挿れますね」

 正常位での種付けを宣言する。記念すべき一発目の種付けはやっぱりオーソドックスな体勢がいいだろう、なんて思いながら。

「…うん、よし」

 モノの先を入り口に宛がい、その濡れ具合を再度確認する。

 余談だけど、俺のモノは大きい。正直、かなり大きい方だと思う。コンドームにしたってジャストフィットなサイズのものがなかなか見つからず、市販されてる最大サイズのものでもキツめに感じるぐらいだ。正直に白状すると、これまでの実体験でも挿れるのにはかなり苦労してきた。

 だから亜美さんの秘所の愛撫には丁寧に時間をかけた。これだけ濡れてれば何とか大丈夫だろう…おそらく、きっと。

「じゃあ、いきますね」

 亜美さんの腰を捕まえるように引き付け、挿入の体勢を整える。

「ひぅっ…」

 亜美さんの体が小さく震えた。10歳以上も年上の女性が見せる細かな仕草に、何とも言えない可愛らしさを感じながら。

 ゆっくりと、挿入を開始する。

「はうぅぅぅぅぅぅぅぅっっ……」

 モノを潜らせていくのと同時に、亜美さんから声が漏れる。やはり痛みはあるだろう。その締め付けの強さからも、お互いの性器のサイズがやや不釣合いである事は否めない。

 とはいえ、悪いのは一方的に俺。俺のモノのサイズがちょっと日本人離れしちゃってるのがいけないのだ。不必要な苦痛を与えてしまっている事に、チクリと胸が痛くなるのを感じながら。

 でも、進むペースは緩めない。中途半端に止めるのは優しさじゃないから。

 掘削機が硬い岩盤を穿つようなイメージで、前へ前へと進んで。

「あっ、ああああああっっっ…!!」

 ついに亜美さんの口が開いてしまった。痛そうな表情を見て、また胸が痛むけど。

 それでも心を鬼にして一定のペースで進んでいると、ある所でモノ先がコツンと奥の壁にぶつかったのが分かった。行き止まりに達したのだ。

 でも、行き止まりでありながら行き止まりでないのが女性の体の不思議な所。今度はその壁をさらに奥へと押しやるように、さらに先へと進む。

「んああああああっっ!!ま、待ってっ…!!」

 と言われても、待たない。ここで待つと、再出発にはより大きな苦痛が伴うから。

「あああああっ…あっ…んはあああああああああっっっ…!!」

 そしてついに、モノ先が真の終点らしき部分に辿り着いた。

(ん…)

 試しに下腹部に力を込めて2度3度小さく腰を突き出してみるけど、やっぱりこれ以上奥には進まない。正真正銘の最深部だ。

 それを確認して、まずは小さく安堵する。やっぱり男として、奥まで届いたという事実は嬉しい。

 行き止まりの壁をモノ先でグリグリと押して、これから俺の精子を吹きかける場所をじっくりと下調べして。

「亜美さん、一番奥まで入りましたよ」

「はあっ、はあっ、はあぁっ…」

 亜美さんは胸と肩で息をしていた。ただ、俺の言葉を聞くと、少し安心したような表情になったようにも見える。

「でも、ここからが本番ですからね」

「はあっ、はあっ、あ、あの…」

「どうしました?」

 亜美さんが何か言いたそうにしているから聞いてみると。

「お、お願いです。少しだけ、休ませて頂けませんでしょうか…」

「分かりました」

 少しだけ腰を引いて、ぴたりと動きを止める。種付けは女性の希望する形に沿って行われなければならない…いや、『種付けは』と言うより『性行為は』が正しいだろう。女性の苦痛は極力和らげる、そんな事は性行為における基本中の基本だ。

「安心してください。無理に動いたりなんて絶対にしませんから」

 ニコリと笑顔を作ってそう言うと、亜美さんは本当に安心してくれたように、安らかな表情でひとつ息をついたのだった。



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2-7 はじめての種付け(後)

     ―達也―

 休憩は、わずか3分だった。

 予想外に早い再開のリクエストには逆に心配に思ったけど、亜美さんが言うんだから仕方ない。それに亜美さんとしても、なるべく早く終わらせてしまいたいという思いはあるだろう。そう考えれば、3分というブレイクタイムは決して短くはないのかもしれなかった。

 だから、動く。亜美さんの状態を気遣いながら、一定のペースで腰を前後させる。

「あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あぁぁっ…」

 さっきからずっと、亜美さんから聞かれる声はほとんど同じだった。最初は声を我慢しようとしていた、でももう我慢しきれないと悟ったのかそれとも我慢する必要がないと思ったのか…どっちにしても俺がモノを抜き差しするのに合わせて、『女』としての声が漏れる。

 そんな亜美さんを見下ろしながら、腰を前後させ続ける。あくまで優しめのペースを維持して。

 正直に白状すると、この時の俺はギリギリ冷静を保っているというのが正直な所だった。というのも、亜美さんがアンアンと喘ぐ姿は…普通に美しかった。そして何より、10歳以上も年上の美人女性を喘がせている自分というものは…中々の恍惚だった。やっぱり俺って特別な男だよなぁ…そんなナルシズムを抱かずにはいられなかった。

 だから、もっとガンガンと力強く腰を送りたい…そんな衝動を抑えるのに必死だった。俺の本当の強さを、この年上の女性に見せ付けてやりたい…最近の若者は凄いんだぞって教えてやりたい…なんて気持ちをぐっと堪えながら、優しく腰を送る。

 ただ、一方で困った事態も生じていた。

 もう動き始めて軽く10分は経っているというのに、射精感が一向に訪れないのだ。

 その原因がスローで単調な腰の動きに求められる事は言うまでもなかった。というか、今の動きのままではいつまで経っても射精できそうな気がしなかった。というのも、俺は普段から射精に時間がかかるタイプなのだ。まあ、基準がどんなものなのか分からないから何とも言えないけど、おそらくは遅漏って側に分類される方…だと思う。挿れてからフィニッシュまで30分以上って事も珍しくないし、その気になれば1時間以上腰を振り続ける事だってできる…と思う。

 これまでは「早漏よりは全然いいだろ」ぐらいに思ってたけど、種付けの場合はむしろ早漏男の方が有利かも、なんて思い始めていた。まあ、とはいえ早漏には絶対になりたくないけどさ…

 何にしてもこのままじゃいつまで経っても終われないよな…ってのを自分への言い訳にして。

「亜美さん、今大丈夫ですか?」

「は…はいっ…な、何でしょうっ…?」

 腹をくくって、言ってみる。

「この調子じゃちょっと出そうにないんで、もう少し強めに動いてもいいですか?」

「っ…」

 その問いかけに、亜美さんは一瞬体をこわばらせて。

 でもすぐに、何かを覚悟したように、小さく頷いて。

「はい…ぜひ…お願いしますっ…」

「ありがとうございます」

 了解を得て、俺は亜美さんの腰のぐっと引き寄せる。

 これからギアを上げます、という無言の伝達に、亜美さんがギュッと歯を食いしばって。

 いざ、後半戦。

 有言を実行するように、腰を前後させるスピードを一気に倍まで上げる。

「ああっ!!あっ、あはあああああっ!!」

 不意に亜美さんの体が左右にくねった。おそらくは、急に荒々しさを増した動きに体が無意識に逃げようとしたのだろう。

 でも、申し訳ないけど逃がす訳にはいかない。動きを強めますって、きちんと了承を得た所だから。

 それに何より、俺の本当の強さを知って欲しいから。

「そんなっ…あっ、ちょっ、ダメぇぇっ…!!」

「すみません、ちょっとだけ我慢してください」 

 小さく謝りながら、でも本心では後ろめたさなんて全く無い。亜美さんの腰を掴む腕に力を込めて、逃げようとする体を力強く固定する。

 たとえ亜美さんが全力で暴れたとしても、所詮はか弱い一人の女性の抵抗。俺の力を持ってすれば押さえつける事ぐらい訳もない。事実、腕に少し力を入れただけで亜美さんの腰は膠着したようにぴくりとも動かなくなる。

 鍛え上げた肉体を、正しくない事に使っているような背徳感を少しだけ覚えながら。

 でも、俺からは絶対に逃げられませんよと、無言でそう教えて。

 亜美さんの体を抵抗も脱出も不可能な状態にしてから、勢いよく腰を送る。

「あはあぁぁぁっ、あっ、ああっ、ダメぇぇぇっ、こ、壊れちゃ…うっぅぅぅぅぅっっっ!!!」

 さっきまでとはまるで違う、悲鳴のような声。でも体の方は逃げられない事を悟ったのか、だいぶ大人しくなった。そんな様子を見おろしながら腰を送っていると、まるで亜美さんをレイプしているような感覚に陥ってしまう。

 それが、気持ちいい。不謹慎だけど、嘘偽りなく気持ちいい。

 年上の女性を押さえつけ、自慢のモノを思いっ切り抜き差しする。ガツンガツンと、最奥を遠慮なく連打する。

 どうですか、俺のモノは?亜美さんの元彼はこんな風に奥を突いてくれましたか?そんな事を聞いてみたくなる。俺という男のレベルを、亜美さんの口から直接聞いてみたくなる。

 気持ち良かった。俺がこれまで経験してきた、何人かの同世代の女の子とのHとは全く違った。年上の女性を完膚なきまでに支配する、それは俺が生まれて初めて知る快感だった。

 そして、ついに。

「あはあああっっ!!あっ、ああっ!も、もう…ダメ…ですぅぅぅっっ……」

 亜美さんの体から極端に力が抜けた。そして、ピクピクと小さく痙攣する。俺の攻めに屈したのだ。

「すみません、もう少しですから」

 明らかにイってしまった亜美さんの体を、なおも延々と揺さぶり続ける。もう腕に力を込める必要はなくなっていた。亜美さんの体には、すでに力は篭っていないのだから。

 そんな状態が3分…5分…そしてとうとう、確かな射精感が込み上げてくるのを感じる。

「亜美さん、そろそろ出しますね」

 射精は事前通告制。だがその通告は、おそらくは亜美さんの脳には届いていない。

 だからこれは、単なる勝利宣言。

 動けなくなるまで甚振(いたぶ)った女性に、これからトドメを差しますねと伝えるだけの、冷酷な宣言。

「では、いきますっ…」

 最後にもう一回、ダメ押しのように勝利宣言を繰り返してしてから。

 腰をドンッと突き出して、マニュアルにあった通り、可能な限りモノを奥まで突き刺して―――

「はあおおおおおおおおおおおおおうううううっっっっ!!!」

 断末魔にも等しい亜美さんの悲鳴の中、ドクドクと射精を開始する。

 ビシャッ、ビシャッと精液が噴き出されるのが分かる。精液検査でも極めて優秀と証明された濃い精子たちが、亜美さんの子宮を目指して我先にと飛び出していくのを感じながら。

「ん…」

 思えば俺にとっても、人生初の中出し。それはこれまで何度も経験したコンドームへの射精とは全く違う、力強い射精で。

 ゴムのバリアを剥ぎ取っただけで、精子たちはこんなにも元気になるものなのかと呆れるほどの勢いで…

「くっ…」

 最後、下腹部にグッと力を込め、最後の一滴まで搾り出すように吐き出して…

「ふう…」

 射精終了。一息つくと同時に、すぅっと興奮が冷めていく。そのまま眠り込みたくなるような脱力感を、心地よく受け流して。

「亜美さん、終わりましたよ。お疲れさまでした」

 そう言って亜美さんの表情を確認すると、亜美さんは白目をむいて失神してしまっていた。

 酷い表情だった…でも

 こんな事を言ってしまえば…人として最悪だっていう事は疑う余地もないけど。

 白目をむき、口が半開きのまま気を失っている亜美さんを見て、俺の心に湧き上がってきたのは罪悪感ではなく、圧倒的な充実感と征服感だった。女性の膣内に自らの精子を注ぎ込んだ…女性に、俺の子どもを産ませるための行程を施してやった…しかも、100%俺が望むやり方で…その事実に得体の知れない恍惚を感じていた。

 



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2-8 アンケート

※作者的にはあまり納得できていない回です


     ―達也―

 少しばかり…いや、少しじゃなく、かなり気が重かった。

 亜美さんの膣内(なか)に射精した直後に覚えていたはずの充実感は、驚くほどにアッサリと消えた。そして残ったのは、後悔と自責の念だった。

 亜美さんのイキ顔は、今でもハッキリと思い出す事ができる。わずか数日前の事だから忘れる訳はないんだけど、それにしてもリアルに、記憶の真ん中にぴたりと貼り付くようにして。

 哀れだと思った。見ず知らずの男に体を捧げ、逃げられないように力強く押さえつけられながら、無理やり膣内に精液を注がれた女性の心情を思うと…そして何より、そんな惨(むご)い仕打ちをしたのが他ならぬ自分だという事実に、強烈に心が痛んだ。

 しかも俺は、亜美さんに中出ししながら、確かな快感を覚えていた。この女を征服してやった…そんな愉悦に浸っていたと…

 亜美さんはきっと、俺から種付けを受けた事を後悔しているだろう。俺の事を憎んでいるに違いない。だって俺は、ある意味ではレイプと変わらないような酷い仕打ちを亜美さんにしてしまったのだから。

 もう、辞めよう。俺に期待してくれている玲奈さんには申し訳ないけど、もうとても種付けを続けようという気持ちにはなれなかった。これ以上続けても、俺は種付けの度にレイプ魔と化して、その度に俺を憎む女性が増えていくだけだから…

 

 

 そう決心した俺は、その日の内に玲奈さんの元を訪れた。もう種付けは辞めますと伝えるために。

「あら、いらっしゃい」

 そんな事情を知らない玲奈さんは、明るく俺を迎えてくれた。その笑顔すらも、今の俺には重く感じられた。

「どうしたの?連絡も無くいきなり訪ねて来るなんて初めてじゃない」

「ええ、どうもすみません…」

 玲奈さんが冷たいお茶を用意してくれる。どうやら未華子ちゃんは不在、言うまでもなく俺にとってはありがたかった。

「この間の種付け、ご苦労様」

「え、あ、はい」

 機先を制するように言われて、どう返そうか困っていると。

「なかなか素晴らしい仕事っぷりだったと聞いてるわよ。初めてなのにやるじゃない」

「いえいえそんな」

 聞いてるって一体誰からだよと思ってしまう。まあ、玲奈さんなりの言い回しで褒めてくれてるだけなんだろうけど。

「それで、今日はどんな用があって来たの?」

「…えっと、実はどうしてもお伝えしたい事がありまして」

「ふうん、初めての種付けで何かあったんだ?」

「え、あ…」 

 ストレートに聞かれ、言葉に窮してしまう。

 どう切り出すべきかな…そう思いながら少しばかり思案していると。

「実は、私からも達也くんに伝えておかなきゃいけない事があるのよ」

「へ?」

「はい、これ」

 と、俺が何か言う前に渡してきたものは。

「…アンケートの回答結果?」

「HFPでは種付けの度に、女性にはアンケートに答えてもらっているの」

 見てみると、アンケートの回答者は亜美さんだった。

「言うまでもなく、アンケートの目的はサービスの向上よ。アンケート結果は男性スタッフ…つまりは達也くんにしっかりと確認してもらって、次回以降の種付けに役立ててもらう事になってるの」

「はあ…」

 次回以降なんて言われても、もう辞めるつもりなんだけどな…そう思いながらも、とりあえずアンケート結果を確認する。

 どうせ散々な言われようだろうな、そう覚悟しながら…

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

Q.種付けを務めた男性スタッフの態度や口調はいかがでしたか?

A.とても優しく、紳士的な方でした

 

Q.男性スタッフの容姿や、接してみての印象はいかがでしたか?

A.爽やかで、すごく清潔感のある方という印象でした

 

Q.男性スタッフは依頼者様のご要望にどの程度お応えできていましたか?

A.行為の最中、私が何度も無理を言ってしまったのですが、達也さんは嫌な顔一つ見せる事なく、丁寧に私の希望に対応して下さいました

 

Q.種付けの最中、苦痛は感じませんでしたか?

A.感じませんでした。達也さんが一生懸命そうして下さったのだと思います

 

Q.今回の男性スタッフが提供した種付けについて、10点満点での採点をお願いします。

A.10点(満点)

 

Q.最後に、男性スタッフに対して不満に感じた点や改善すべきと感じた点、その他男性スタッフにお伝えしたい事などがございましたら、ご自由にご記入下さい

A.不満なんて何もありません。達也さんはとても優しく紳士的な方で、素晴らしい対応をして下さいました。本当に感謝の気持ちしかありません。

今回、実際に種付けを受けてみて、子どもを産みたいという思いが一層強くなりました。もし今回は残念な結果に終わってしまったとしても、できる事なら妊娠するまで何度でも達也さんに種付けして頂きたいです。達也さんのように優しくて立派な殿方の子どもを産みたいです。はしたない希望だとは分かっていますが、どうかお願い致します。 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

「……………」

 全く予想していなかった回答に言葉が出なかった。感動してしまって言葉が出なかった、と言った方がいいかもしれない。

「やるじゃない。妊娠するまで何度でもなんて、そんな事滅多に書かれないわよ」

「いや、恥ずかしいですね…」

 マジで恥ずかしかった。でも、恥ずかしさより嬉しさの方が圧倒的に勝った。まさか亜美さんが、ここまで満足してくれていたなんて…

 心を覆い尽くしていたはずの罪悪感が、少しずつ氷解していくのを感じた。自分は亜美さんに酷い事をしてしまったと思ってたけど、でも実は全然そんな事はなくて、むしろ亜美さんはこんなにも俺に感謝してくれていたんだ…

 俺を憎むどころか…俺を求めてくれて…

「で、達也くん、どうする?」

 そんな俺の感動を見透かしたように、玲奈さんが。

「クライアントのそんな切実な声を聞いても、やっぱり種付けを辞めるって言うの?」

「えっ…!?」

 その問いかけに、思わずドキッとしながら。

「や、辞めるなんて一言も言ってないですけどっ…?」

「あら、そうだっけ?」

「い、言ってませんよ。ていうか突然何言ってるんですかっ?」

「なーんか、達也くんがそう言いたそうな顔してるように見えたんだけど」

「っ…」

 そんな顔してたのか…そう思うとまた恥ずかしさが込み上げてくる。

「初めての種付けで色々考える所はあったと思うけど、でも亜美さんの思いはそのアンケートある通りよ。言ったでしょ、世の中には達也くんの力を必要としてる女性が沢山いるんだって」

「そう…ですね」

 もう一度アンケートに目を落とす。そして玲奈さんの言葉を再度噛みしめる。

 俺の力を必要としてる女性が、この世にはまだまだいるんだと…

「種付けっていうお仕事、やり甲斐あるでしょ?」

「…ですね」

 自分自身の意思を確認するように言うと、玲奈さんは安心したように小さく微笑んだ。

 

 妊娠するまで何度でも種付けして欲しいとアンケートには書かれていたけど、その必要はなかった。

 なぜなら、種付けから少しして、亜美さんが無事に妊娠したという知らせを聞く事になったから。

 




2章終了です。

3章からは格闘技メイン、たまに種付けの展開になります。
引き続きよろしくお願いします。


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3章 スターへの道(X2年9/25 ~ X3年5/28)
3-1 二刀流


 かくして、キックボクシングと種付けという二刀流生活を送る事になった達也だが。

 種付けは順調にこなすのに対して、本業である筈のキックボクシングの方は活動が停滞気味だった。

 だが、決して種付けにかまけてキックボクシングへの取り組みをおろそかにしていた訳ではなかった。種付けのペースは週1~2回に抑えてジムには基本的に毎日顔を出しているものの、肝心の試合相手が中々見つからないのだ。

 実力者の石井幸三を1ラウンドで粉砕した衝撃は相当で、『knock out』の範疇ではもはや達也と対等に戦えそうな相手は存在しないというのが実情だった。『knock out』の運営が他ジムの選手に対戦のオファーを出しても、達也の名前が出るや否や「ウチの選手を潰されてはたまらない」と話を打ち切られる始末。まともな対戦相手を見つけられそうな気配は皆無だった。

 そんな状況にはFAILYのオーナーである晴香もかなり責任を感じていたのだが、当の達也は。

「気にしないでください。ま、俺が強すぎるのがいけないんですよね」

 と、全く気にしていない様子。だが本心では、早いとこ適当な試合を組んで欲しいとも思っていた。玲奈から「達也くんが種付けをするに相応しい男である事を証明するために、もっと試合して連勝して欲しいの」と言われまくっていたのだ。

 そして、種付けをしている事自体に関しては充希以外の誰にも伝えていなかった。まあ、当たり前といえば当たり前の話である。

 

「ボクシングか総合格闘技に転向してみる気はない?」

 ある時、晴香は達也にそんな提案をしてみた。キックボクシングはボクシングや総合格闘技に比べて競技人口が圧倒的に少なく、したがって試合を組むのが難しい。それは日本のみならず世界的な潮流だった。

 だが達也は、ボクシングも総合格闘技も全くやる気は起きなかった。達也が最も得意としているのは長い足をフルに活かした蹴り技であり、キックを封印されたボクシングルールで戦う姿は自分自身全く想像できなかったのだ。

 そして総合格闘技に関しては、ボクシング以上に抵抗を感じていた。なぜなら(これはあくまで達也の中にある偏見なのだが)、総合格闘技はお互いの体が密着するから気持ち悪い…というのが達也の持つイメージだった。相手が女性ならいいけど、何が楽しくて筋肉質の野郎と密着して肌をこすり合わせなきゃいけないんだ、と。

 結局、ボクシングや総合格闘技への転向の話はやんわりと拒否して、これまで通り東南アジアから選手を呼んでキックボクシングでの試合を行う事になった。達也のプロデビューからちょうど1年となる9月25日開催の『knock out』に無理やり試合を組み込むような形で、達也のプロ9戦目が行われた。石井幸三戦以来、約2か月半ぶりの試合である。

 相手はタイの選手だった。だが急遽呼び寄せた選手という事もあり実力・調子ともに今一つで、達也の相手を務めるのは完全に力不足だった。試合は開始直後から達也が前に出て、圧力で相手を圧倒。左右の連打であっという間にコーナーへと追い込み、最後は強烈なリバーブロー(肝臓を狙ったボディ)を叩き込んでKOした。ハイキックで華麗に決めてやろうと思ってリングに上がった達也だったが、キックを出す前に試合は終わってしまった。

 そしてその日の夜、達也は試合後に行われるFAILY恒例の打ち上げ食事会を欠席した。

 理由は言うまでもなく、彼が担っているもう一つの仕事をこなすためである。

 

………………………………………

 

 某高級タワーマンションの一室。

 数時間前にリング上での試合を1ラウンドで終わらせた達也は、舞台をベッドに変えて『第2ラウンド』を戦っていた。

「ああんんんっ、あっ、あはぁっ、はぁぁぁぁっ…!!」

 長大なモノを容赦なく抜き差しされ、女性の嬌声が響く。やはり第2ラウンドも、第1ラウンド同様に達也のペースで事は進んでいた。

 試合直後の種付けなど通常ならまず考えられないが、達也にとってはあくまで当初からの計画通りの進行に過ぎなかった。試合の日程は変える事ができないし、女性の排卵日も当然変える事はできない。ならばキックボクシングと種付けのダブルヘッダーをこなす以外に方法はない。そのためには第一の仕事であるキックボクシングを無傷で乗り切る必要があるのだが、達也にとってそのくらいは朝飯前。前代未聞とも言うべきミッションをあっさりとこなしてしまう辺りは、さすが玲奈が『史上最高の逸材』と評するに相応しい男だった。

「あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あああっ…!」

 後背位から、女性の腰をガッチリと捕んで腰を前後させる。そのリズミカルな動きは、まるで試合後のクールダウン代わりの運動のようだ。

 腰を押し込む度に、モノの先端が女性の最奥をググッと押し上げる。その都度、女性の喘ぎ声が上がる。

「大丈夫ですか?」

 腰を動かすペースは変えずに、達也が尋ねた。

「は、はいっ…あっ、あうっ、大丈夫っ、ですっ…」

「痛かったら言って下さいね。緩めますから」

 ここまでの雰囲気からも十分感じられるように、達也はもうかなり種付けに『慣れ』ていた。デビュー戦で亜美を相手にした時のように衝動に負けてしまうような事もなく、今では種付けという任務に誇りを持って女性と対峙する事ができていた。目の前の女性に子どもを授けてあげられるのは自分しかいない…彼女の幸せは自分の頑張りにかかっているんだ…と。

 ちなみに、達也がこの女性に種付けするのは今日が2回目。ちょうど1か月前にも種付けしたのだが、残念ながらその時の結果はハズレ、妊娠には到らなかった。なので達也の巨根は既に経験済みなのだが…

「だ、大丈夫ですからっ、どうかっ、遠慮なくっ…あぁうぅっっっ!」

 大丈夫と言いながら実際はそこまで大丈夫でもなく、女性の感覚には確かな痛みが混在していた。だが、それもある意味当然だった。達也の巨根は1度や2度で慣れられるようなレベルではないのだ。

 だが達也自身は、女性が痛そうな素振りを見せても、正直言ってあまり気にしていなかった。これもまた、経験を重ねる事で培った『慣れ』である。いたずらに女性を痛がらせるつもりはないけれど、ある程度のスピードで動かなければ無駄に長引いて、結局は女性をより苦しませてしまう事になってしまう。ならばある程度の痛みは我慢してもらうしかないだろう…それにもし出産に到ればその時はもっと痛いんだから、ぐらいに考えるようになっていた。

 もう少しすると気持ち良くなる筈だからちょっとだけ我慢してくださいね…そんな気持ちで達也は遠慮なく腰を振り続けるのだった。

 

………………………………………

 

 シャワーを終えて達也が部屋に戻ると、女性はベッドの上で頭の位置を低くし、仰向けになって寝そべっていた。

 実はこの体勢こそが、種付け後に女性が取るべきとされているポーズ、通称『妊娠ポーズ』である。仰向けになって安静にする事で精子を子宮に流し込むための姿勢だ。

「あっ、達也さんっ…」

 達也が戻ってきた事に気付いて、女性が一瞬体を起こそうとするが。

「ダメですよ、そのままの体勢でじっとしてないと」

 それを制して、達也はベッドの端に座る。第2ラウンドでしっかりと女性を『KO』して膣奥に大量の精液を注いだペニスは、今はだらりと下を向いていた。

 とはいえ、全く力の篭(こも)っていない状態でも、常人の全力時を軽く上回るサイズを誇っているのだが…

「あの…達也さん」

「はい?」

 その時、女性が言った。

「今日は…本当にありがとうございました」

「いえいえ、当然の仕事をしたまでですから」

「でも、大事な試合の直後だったんですよね…?」

「ああ…」

 大事な、という修飾語に達也は思わず苦笑いしつつ。

「そういや試合なんてありましたね。すっかり忘れてましたよ」

「ご、ご冗談を…」

「ホントですよ。現に相手の顔はもうあんまり覚えてないですから」

 それは半分本当で、かすかに憶えているのはリバーブローを叩き込んだ直後の悶絶している表情だけだった。

「俺にとっては、キックボクシングよりも種付けの方がずっと大事な役目だと思ってますから」

「そ、そんな…」

「何せこっちは人命がかかってますからね」

 実際、達也にとっては第1ラウンドよりも第2ラウンドの方がよっぽど体力を必要とするラウンドだった。現に第1ラウンドはたった48秒で終わらせたが、第2ラウンドは30分近くも戦ったのだから。

「その…試合の方は…勝ったんですよね?」

 女性が恐る恐る聞く。達也の答えは簡潔で。

「まあ、負けたら流石にここには来ないですよ」

 それを聞いて、女性がくすっと微笑んで。

「達也さんって、常に自信満々って感じですよね」

「そうですか?」

「はい。凄く素敵だと思います」

「どうもありがとうございます」

「私、絶対に子どもを産みます。達也さんみたいな、強く逞しい男の子を産みたいです…」

「そうですね、でも焦らないでください。もし今回ダメだったとしても、成功するまで何度でも協力しますから」

「はい…お願いします…」

 仰向けになりながら、女性は小さく顔を前後させた。

 その健気な姿に、達也の男心は試合に勝った時以上に満たされるのだった。



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3-2 新年一発目は人妻と

     3-2

 

 元日。

 新しい1年の始まりを告げる清々しい朝の光を背に、達也はまだ眠る街を軽快に駆けていた。

 ロードワークは達也の日課だ。試合当日や体調が極端にすぐれない日を除いて、もう10年以上も続けている。空手を引退して競技から離れていた時期ですら、ロードワークだけは欠かさなかった。試験期間だろうが種付け当日だうが関係なし、お正月なんてそれこそ全く関係のない事だ。

 そんな人知れずの努力の成果もあって、達也は連勝街道を驀進していた。

 9月25日にプロ9戦目を華麗なKO勝利で飾った達也は、およそ1か月後の文化の日(11/3)にはプロ10戦目を、そしてクリスマス・イブ(12/24)にはプロ11戦目を戦い、共に勝利を飾った。どちらの試合も実績に欠けるタイの選手が相手ではあったが、それを踏まえても試合の内容はまさに圧巻の一言。相手の攻撃を華麗にかわして自分だけが攻撃を打ち込む姿は試合というよりまるで公開レッスン、そして最後はハイキック一閃と、相手に過度のダメージを残さないような『優しい』KOで実力の違いを見せつけた。

 さらに、もう一つの仕事である種付けの方も、達也は絶好調だった。

 以前受けた精液検査の結果が示す通り達也の精液は受精能力抜群、10月から種付けのペースを増加させた事で勢いは更に増し、40代の女性を一発で妊娠させるなどの見事な仕事っぷりを見せたりしながら、種付けを始めてから年末までのわずか5か月間で15人もの女性を妊娠させてしまった。キックボクシングと種付け、どちらのフィールドにおいても達也の活躍はパーフェクトだった。

 達也自身、どちらの活動にも確かな手応えを感じていた。キックボクシングは全く負ける気がしない。種付けも完全に慣れ、自らの精子の受精能力の高さは実証してみせた。よし、今年は1年で50人の女性を妊娠させてやるぜ!昇りゆく初日の出を眺めながら、そんな途方もない目標を掲げるのだった。

 そしてロードワークも終わり、その日の午後。

 年間50人妊娠という大目標に挑むべく、達也は早くも新年1発目の種付けに臨んでいた。

 

 

「んんっ、んっ、くぅぅっぅぅぅぅぅんんんっ……」

 ギシギシとベッドが小刻みに軋む音と、女性の高い声。

 達也に種付けを受けているのは、理恵という名の女性である。年齢は36歳、3年ほど前までは大野という姓だったが、現在の姓は中田。つまりは人妻だ。理恵の夫が男性不妊である事が発覚し、夫婦で話し合った結果、HFPに種付けを依頼する事に決めたのだ。

 種付けを始めた頃はシングルマザーを希望する女性への種付けばかりを行っていた達也だったが、昨年の末頃からは人妻への種付けも行うようになっていた。一言で言うとステップアップだが、達也は人妻への種付けも問題なくこなしていた。相手の女性が旦那持ちだからといって特に意識する事はない。男性不妊と診断された旦那さんの気持ちを思うと少しばかり胸が痛んだけど…でも、所詮は少しだけ。ならば自分が理恵さんに赤ちゃんを授けてあげるしかないんだからと割り切って種付けという任務を坦々とこなす姿はまるでその道10年を誇るベテランかと思うほどだった。

 もちろんこれまで目立ったクレーム等は皆無、それどころか毎度決まって「もし今回妊娠できなかったら次回以降もぜひ達也さんにお願いしたいです」とリクエストされる始末。種付けの成功率もすこぶる高く、唯一の懸案だった遅漏もかなり改善されて今ではほぼ自由なタイミングで射精できるようにもなっていた。まさにケチをつける点は何一つ見当たらなかった。

「んっ、んんっ、んんんんっっ……」

 達也の腰が前後する度に、理恵の声が漏れる。声を出すまいと必死に堪えながらも口の端から高い声が漏れてしまうその様子に、種付けを受ける立場の女性の侘しさを感じずにはいられない。

 そんな切羽詰まった状況の理恵とは対照的に、達也はあくまでマイペースに、自然体で腰を前後させていた。理恵の年齢相応に熟れた、しかし瑞々しさも確かに残した36年モノの女体をじっくりと楽しむように。

「どうですか理恵さん、痛くないですか?大丈夫ですか?」

 腰を前後させながら、達也が尋ねる。理恵を気遣うような内容とは裏腹に、どこか鷹揚に。

「は、はいっ…大丈夫…ですっ…」

「今理恵さんの中に入ってるのと、旦那さんとの、どっちが大きいですか?」

 続けざまに、そんな事を聞いてみる。ただ、これは達也が最初から聞こうと思っていた事だった。やはり人妻に種付けする際には、女性が普段受け入れているモノと自分のモノの違いは聞いておきたい。もし自分のモノが旦那さんのモノに比べて貧弱なら、恥ずかしくてあまり余裕ぶってはいられなくなるから。

 とはいえ達也は、自分が人一倍太くて長い立派なモノを持っているという事を、しっかりと自覚しているから。

「た、達也さんの方が…大きいですっ…だからっ…あんっ…」

 うんうん、まあそうだろうなあ…と達也は少しだけ気分を良くする。モノの大きさで勝つという事に無意味な優越感を覚える辺りは、言ってもまだ20歳の男の子な部分が滲み出ていると言えよう。

 ちなみにこれまでの所、女性の口から「達也さんの方が大きい」以外の答えはまだ聞いた事がなかった。旦那さんとのペニスサイズ対決でも、達也は全勝街道まっしぐらなのである。

「ちなみに旦那さんのモノはどのくらいなんですか?」

 自身の勝利を確認してから、さらにダメ押しするように聞いてみると。

「ふ、普通、ですっ…こんなに大きくない…あぁんっ…」

「ふうん、そうなんですね」

 腰を前後させながら、達也は小さく頷く。ま、俺と比べちゃ可哀相か、大人げなかったな…とでも言いたげに。

 実際、理恵の旦那のモノが小さい訳では決してなかった。達也のモノが大き過ぎるのである。

「でも大きい方が奥に出してあげられますから、もう少し頑張りましょうね」

「はいっ…お願いします…奥に出してくださいっ…」

 理恵の「奥に出してください」に反応するように、達也のモノが膣内でまた一段と硬度を増した。

 そして数分後、有言実行するように、理恵の最奥に新年1発目の射精を気持ち良くお見舞いするのだった。

 



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3-3 ステップアップ・トーナメント

 1月28日(土)、達也はプロ12戦目のリングに上がった。

 相手は4戦連続でタイの選手だった。昨夏の石井幸三戦以来、日本人選手に避けられるという構図はずっと続いており、東南アジアから格下の選手を呼ぶ以外の選択肢は見つかっていなかった。

 となると試合の結果は言うまでもない。達也の1ラウンドKO勝利である。この日はハイキックではなくミドルキックを横っ腹にクリーンヒットさせ、その一発で相手はもう立ち上がる事ができなかった。

 試合後のインタビューで達也は「実は今日は寝不足なんです。だから早く帰って爆睡したいです」と言って観客を笑わせた。だが、そのセリフは冗談ではなく本心だった。というのも達也は昨夜も種付けに臨んでいたのだが、女性側の都合が急に変わってしまい種付け開始時間が大幅に遅れてしまったのだ。日付が変わって暫くしてから始まった種付けは深夜3時過ぎまでかかってしまい、また運悪くこの日の試合は開始時間が早く、結局4時間程度しか睡眠を取れずに試合会場入りしなければならなかったのだ。

 それでも終わってみれば1分そこそこで楽勝。こうなってはもう、キックボクシングと種付けのどっちが本業なのか分からない。実際にこの頃の達也は、キックボクシングは二の次で種付けの方に重きを置いた体調管理に努めている程だった。

 しかし、そんな達也の意識を一変させる事態が、まもなく訪れる事になる。

 

………………………………………

 

「え…REALに?」

「そう、素晴らしい話でしょっ!」

 晴香が興奮気味に続ける。

「REAL本大会への出場権を懸けたステップアップ・トーナメントへのオファーが届いたのっ!」

「マジっすか…!?」

 その話を聞いた瞬間、達也の頭は一瞬真っ白になった。

 REALとは日本で断トツの知名度を誇る格闘技のイベントだ。世界中の強豪選手が集い、試合のレベルは言うまでもなく最高峰。大会は年間5回程度開催されるのだが、そのほぼ全試合をフジテレビ系列が生中継で全国放送。視聴率は軒並み高く、特に毎年大晦日に開催される大会の視聴率は例年30%を超え、今や紅白歌合戦と肩を並べる年末の風物詩となっている。この国で格闘技を志す全ての者にとっての夢の舞台、それがREALなのだ。

「もちろん、オファーは受けるわよね?」

「当然ですよ、出ない訳ないですよっ」

 どれだけ連勝を重ねてもすまし顔の達也だが、この時ばかりはさすがに興奮を隠せなかった。ついに自分が全国の舞台に立てる…それを思うと嬉しさを抑えられなかった。種付けを第一に考えがちだったのはどこへやら、達也の心は早くもステップアップ・トーナメントへ、さらにはその先にあるREAL本大会へと向いていた。

 

 ステップアップ・トーナメントへの出場が決まってすぐに、達也は玲奈に種付けのペースを以前の週1ペースに戻したいと申し出た。とはいえ完全休養ではなく週1回は続けたいと言う辺り、種付けへの気持ちはしっかりと残っている何よりの証拠なのだが…

「まあ、これも達也くんの価値をさらに高めるための投資と考えるしかないわね」

 事情を聞いた玲奈は意外にもすんなりと快諾した。達也のここまでの種付けの実績は素晴らしく、ペースを落としたいという希望くらいは受け入れざるを得なかった。

 間もなく、ステップアップ・トーナメントの詳細が確定した。出場者は23歳以下の日本人選手4名。キックボクシングルールの試合でトーナメント戦を行い、優勝者には5月末に開催予定のREAL本大会への出場権(対戦相手未定)が与えられるというものだった。

 だが、その出場者の名前に、達也は驚かされる事になる。

 なぜならその中に、達也が高校時代最後のインターハイ決勝で戦った相手…つまりは達也が失神KO負けを喫した因縁の相手の名前があったのである。

 しかもトーナメント表によると、達也はその選手と1回戦で当たる組み合わせになっていた。

 もちろんこの組み合わせは偶然ではなく、REAL運営が意図したものだった。REALとしても『knock out』のリングで1ラウンドKO勝利を続ける達也にはひそかに注目しており、特に実力者の石井幸三に完勝したのを見て、近い内にREALのリングに上げたいと考えていたのである。なのでREALの意図としては、今回のステップアップ・トーナメントは達也に課す『本大会出場への最終試験』でもあった。

 いずれにしても、対戦相手を知って達也のトレーニングにはさらに身が入った。かつて敗れた相手、しかも高校生活を締めくくる最高の舞台で…充希と約束した試合で、失神KO負けという屈辱を味わう事になった因縁の相手だ。もうリベンジする機会は無いと思っていた相手…達也が燃えない訳はなかった。絶対にあの日の借りを返す…100倍返しにしてやる…と。

 

………………………………………

 

 数日後。

 FAILYのジムに、見慣れない顔の選手が集っていた。その数、ジャスト10人。日本人選手だけではなく、東南アジア系の顔をした選手もいる。

 彼らは皆、達也のスパーリングパートナーとして集められた選手たちである。今回、晴香は親交のある他ジムに協力を仰ぎ、各選手に十分な日当を与えるという条件まで付けてスパーリングパートナーをかき集めたのだ。

 小規模ジムのFAILYにとっては、言うまでもなく大きな支出だ。達也が優勝してREALに出場する事になれば莫大なファイトマネーを得られるが、もし負けてしまえば今回のスパーリングに要した費用の回収は不可能に終わってしまう。FAILYにとっても達也のステップアップ・トーナメント出場は大きな賭けだった。

 もちろん、達也もそういった事情は理解していた。だからこそ、スパーリングにも気合いが入った。入りすぎて、スパーリングパートナーを壊しかねない程だった。

「ダメっ、達也くんストップ!」

 猛攻を加える達也を、レフェリー役の晴香が自らの体を入れて止める。直後、スパーリングパートナーは力無くその場に尻もちをついた。

「達也くん、やり過ぎよ。調子がいいのは嬉しいけど、それ以上やると相手が再起不能になっちゃうわ」

「あ、すみません」

 と一応は謝りながらも、達也に申し訳なさそうな様子は全くない。むしろまだまだ殴り足りないというくらいの表情で。

「よし、じゃあ次の奴!さっさと上がって来い!」

 達也が普段の柔和な様子からは想像できないような強い口調で言う。が、誰も積極的にリングに上がろうとはしない。

 だが、それもその筈。達也の強さは圧倒的で、スパーリングの内容は全て一方的、1ラウンド持たずに強制終了という展開がずっと続いていた。かつてデビュー2戦目で相手を殺しかけた反省から試合では『優しく』勝つ事を心がけていた達也だが、この日は全く容赦なし。猛獣のような勢いで連打を浴びせ、スパーリング相手を次々に戦闘不能へと追い込んでいた。

 そんな惨劇を見せられ続けては、集められた選手たちが震え上がってしまうのは当然と言えば当然。彼らはしっかりと日当を受け取っているにもかかわらず、達也の強さに怖れをなしてなかなかリングに上がって来ようとしなかった。

「ったく、誰か俺をぶっ倒してやるってぐらいに気合いの入った奴はいねーのかよ?」

 挑発するように言うが、やはり誰一人としてリングに上がって来ない。それを見て、達也はため息交じりに。

「晴香さん、せっかく俺のためにこれだけ集めてくれたのに、これじゃ練習になりませんね」

「そうね、ごめんなさい」

「いや、謝らなきゃいけないのはアイツらですよ」

 リングの外で怯え切った表情の男たちを哀れむように達也が言う。今日は10人もの選手と繰り返し何度でもスパーリングができると聞いて張り切っていた。100人組手ならぬ100ラウンドスパーリングに挑戦してやろうかと思っていたのだが、蓋を開けてみるととんだ肩透かしである。

「これじゃバイト代泥棒ですよ。腹立つんで、今から俺が改めて一人ずつぶっ飛ばしますよ」

「達也くん、お願いだから少し手加減してあげて…」

 結局、7人の選手が達也と拳を交えるものの全員1ラウンド持たずにストップ。残り3人はリングに上がる事なくバイト代を返上して逃亡してしまった。達也にとっての収穫は自分の調子の良さを確認できた事と、相手に連打を浴びせる感覚を久しぶりに思い出した事ぐらいだった。

 

 そして、ステップアップ・トーナメントの日は、あっという間にやってきた。



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3-4 リベンジマッチ(少しだけ種付けシーンあり)

 万全の状態で、達也は本番の日を迎えていた。週1回にペースを落としていた種付けも試合前2週間はキャンセルし、この日だけを見据えて体をつくり上げてきた。自分史上最高の状態と言い切れる仕上がりだった。

 ステップアップ・トーナメントに出場するのは4人。まずは昼過ぎに1回戦が行われ、そのおよそ3時間後に決勝戦が行われるタイムテーブルとなっている。

 達也にとって1日に2試合というのはプロになって初めての経験だったが、空手家時代には1日に何試合も戦わなければならないのが普通だったからさほど気にはならなかった。ただ、空手家時代は決勝戦まで勝ち上がる事を想定したペース配分を心がけていたが、この日に関してはまずは何が何でも1回戦に勝つ事、初戦の戦いに全力をぶつける事しか達也の頭には無かった。

 1回戦の相手の名は柳川翔太。高校3年のインターハイ決勝で、達也が失神KO負けを喫した相手である。

 柳川は高校を卒業後、名門私立大学に進み空手を続けていた。昨年の大学選手権では全国ベスト4という成績を収めている。高校時代に無敵の達也に唯一土をつけたという実績を考えれば伸び悩んでいるとも言えるが、それでも大学生としては全国有数レベルの実力を有している事もまた確かだった。ただし、キックボクシングの試合に臨むのは今日が初めて。経験値では達也にかなり分があると言えた。

 試合前の合同会見でも柳川は自身の不利を自認する発言を繰り返した。「高校時代に小野選手に勝ったのはマグレに過ぎません。明日の試合は胸を借りるつもりで頑張りたいです」と。

 一方の達也からも、記者が注目するような発言は全く出てこなかった。リップサービスも嫌いではない達也からはこれまで、「今回もできれば1ラウンドで勝ちたいと思っています」のような強気な発言もよく出ていたのだが、今回は「練習した成果を出す」や「精いっぱい戦う」といったつまらない発言しか出てこなかった。

 

 そして試合は、そんな味気ない会見を象徴するように、白熱した試合にはならなかった。

 もう少し具体的に言えば、試合はアッサリと終わってしまった。

 

 グローブを装着しての試合が初めてとなる柳川は、まずは達也の様子を窺う作戦に出た。インターハイ決勝の感覚は柳川にもハッキリと残っており、あの時の記憶が脳裏に染みついているからこそ、達也も慎重になって迂闊に攻めてこないだろうと考えたのだ。

 だが達也は、柳川が消極的なのを見て取るや、思い切って前に出た。

 達也が狙ったのは柳川の顔面だった。空手の試合では顔面へのパンチは禁止されている。柳川の未経験領域を狙うように、達也は顔面へのジャブとストレートで攻勢を強めた。

 そして、柳川が反撃に出た…その刹那だった。

 打ち返そうと柳川のガードが下がった瞬間に、達也の右ハイキックが柳川の顔面を捉えた。

 会心の一撃だった。達也の格闘技人生の中でも3本の指に入るほどの一撃だった。柳川の体は1m後方のロープまで吹っ飛び。そのまま意識を失った。

 試合時間、1分37秒。2年半前にハイキックで失神させられた借りをハイキックで返すという、完璧なリベンジだった。

 

 1回戦のもう1試合は、達也の試合とは対照的に大熱戦となった。23歳の選手と21歳の選手の激突となったこの試合は1ラウンドからお互いにダウンを奪い合うクロスファイト。規定の3ラウンドでは決着がつかずに延長戦へと突入し、結局延長2ラウンドを含めた計5ラウンドを戦い抜いた死闘の末に、23歳の選手が先輩の貫録を見せる形で僅差の判定勝利を収め、達也の待つ決勝戦へと駒を進めた。

 だが、彼の体力は1回戦の死闘を経て既に限界だった。ノーダメージで1回戦を突破した達也との余力の差は歴然、加えて本来の実力差も大きく、達也の相手にはならなかった。試合開始直後から達也が優勢に試合を進め開始30秒過ぎにアッサリとダウンを奪う。何とか立ち上がるもダメージは大きくフラフラで、見かねたセコンドがタオルを投入して試合は終わった。その瞬間、REAL本大会への出場者は達也に決定した。

 

………………………………………

 

「んああっ、あっ、ああっ、ああっ、あはぁぁっ、ひっ、ひあぁぁっっっ!!!」

 部屋には、女性の喘ぎ声が延々と響いていた。荒さと切なさが入り混じった、卑猥な声が。

「あはああぁぁっ、あっ、ああぁぁっっ、んはあぁぁっっ」

 その声は、普段この部屋で聞かれる同質の声と比較しても、明らかに数割増しのボリュームだった。こんなに大きな声で喘ぎ続けては、早晩女性の声が枯れてしまうのではないかと、そんな懸念を抱かせるほどに。

 だが、喘ぎ声が大きいのは、決してこの女性が声の出やすい体質だからではない。彼女の普段の声量は、むしろどちらかというと小さい方だ。

 彼女の声の大きさは、彼女自身ではなく、彼女に声を出させている方にあった。つまりは、彼女の腰をガッチリと掴んで自らの腰を遠慮なく前後させる、若い男に。

 達也は絶好調だった。体調もそうなのだが、何より精神的な部分が絶好調だった。

 まあしかし、それも当然だろう。かつて屈辱を味あわされた相手に完璧なハイキックでやり返して、しかもREALへの出場権もゲットしたのだ。これで喜ぶなと言う方が無理である。まさに気分は最高、一点の曇りも無い快晴気分だった。

 加えてこの日の相手は、(間が悪い事に)達也のタイプにドンピシャの女性だった。具体的に言うと、充希にどことなく似ている女性だったのだ。顔もそうなのだが、背格好や佇まいなど様々な部分で充希に似通った雰囲気をたっぷりと醸し出す、清楚で上品な(達也から言わせれば)女性だった。

 だからどうしても、いつもより興奮してしまう。腰の動きも普段より大きく、強くなる。声を出すまいとする女性の精神力など、アッサリと打ち砕いてしまうほどに。

「うはあぁぁぁっ…あっ…ダメっ…こわれ…るぅぅぅっっ…あっ、いやあぁぁぁぁっっ…!!」

 自慢のビッグ・キャノンから繰り出される下腹部への連打はあまりにも猛々しく、充希似の女性の精神力はもはやズタズタに引き裂かれていた。もう何も考えれられない、何を考えていたのかも分からない…そんな極限状況で、達也の暴力的とも言うべき苛烈な攻めを延々と受け続ける。それは一種の拷問に等しかった。

 そしてついには、声を上げる事すらも難しくなって。

「んはぁっ、ぁっ、はあぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!!」

 女性がカッと目を見開き、顔を大きくのけぞらせた。直後、細い体がビクビクと震える。

「あ、イっちゃいましたか?」

 腰を前後させたまま、達也は満足そうに女性の様子を確認して。

(うんうん、やっぱ俺って、マジで強いよなぁ…)

 普段の達也ならこの辺りでハッと我に返りそうな所だが、この日の達也はあくまで上機嫌。白目をむいて震える女性を思いやるどころか、リングの上だけでなくベッドの上でも相手をKOしてしまう自分の強さに酔いしれる始末。

 そして、これがリングの上なら間違いなくレフェリーストップだが、残念ながらベッドの上にはレフェリーは存在しないから…

「もう少ししたら出しますんで、まだちょっとだけ我慢してくださいね」

 自らの強さを女性の体にとことん刻み込むべく、攻めの継続を宣言する達也。

 『優しくKOしてあげる』という自戒を振りほどいた達也の恐ろしさをまじまじと見せ付ける光景は、この後も延々と続いた。



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3-5 ハイリスク・ハイリターン

 達也のステップアップ・トーナメント優勝を誰よりも喜んだのは晴香だった。所属選手がREAL出場にする事は、ジムにとって最高の栄誉だ。FAILYの名前が広く認知される事は間違いなく、多額のファイトマネーも期待でき経営的にも潤う。ジムの命運を達也に託した晴香の賭けは見事成功したのだった。

「達也くん、REAL本番も絶対に勝って頂戴ね。信じてるわよっ」

「任せといてください。誰が相手でもぶっ飛ばしてやりますから」

 達也もまた、REALへの出場を決めてこれ以上ないほどに上機嫌だった。因縁の相手に完璧な形でリベンジを果たして気分は最高。誰が相手でも負ける気はしなかった。

 そして数日後、本大会での対戦相手が通達された…のだが。

 

 

「ははあ、そう来ましたか…」

 告げられた対戦相手の名前に、達也が何とも言えない反応を見せる。嬉しさとも驚きとも取れない、中途半端な反応を。

 パク・チャンミン。28歳。国籍、大韓民国。3年前に行われた夏季オリンピック、テコンドーミドル級金メダリスト。

 それが、5月28日に開催されるREALでの対戦相手として告げられた人物だった。

 このパクという選手は、日本ではかなり名の知れた人物だった。というのも、3年前のオリンピック決勝で対戦したのが山本という日本人選手だったのだが、この試合の判定が非常に微妙なものとなり物議を醸したのだ。判定負けに納得できない山本陣営は猛抗議したが認められず、結局パクが金メダルを獲得。それだけでも遺恨が残るというのに、あろう事かパクは表彰式の後、授与されたばかりの金メダルを首から提げながら「竹島は韓国の領土」と韓国語で書かれたプラカードを掲げて試合会場を1周するというパフォーマンスを行ったのだ。

 この下品極まりないパフォーマンスは日本のメディアでも繰り返し報じられる事となった。折りしもその頃の日韓関係は様々な問題を抱え冷え込んでいたのだが、この一連の出来事は日本人の対韓感情をさらに悪化させた。以降、日韓関係は改善の兆しの無いまま本日に到っており、今ではどの世代の日本人に世論調査をしてみても嫌いな国の第1位には韓国が挙がるといった状態になってしまっている。

 そんな両国関係の悪化に一役買ったパクはオリンピック後にプロ転向し、現在はキックボクサーとして主にヨーロッパを中心に戦っている。成績も上々で欧州キックボクシング界の強豪選手の一人としての地位を確立しているだけでなく、これまでREALにも2度参戦し共に日本人選手を相手にKO勝利と、日本のファンにとっては何とも腹立たしい成績を残していた。

 

「いやあ、さすがREALって感じの対戦相手ですね」

 達也は思う。これは今までの試合とは注目度がマジで桁違いだぞ、と。

「…いきなり大変な相手ね」

 晴香が言う。達也くんはまだ若くてREALに出場するのも初めてなんだから、もっとプレッシャーのかからない楽な相手を用意して欲しかった、と。

 ところが、達也の考えは全く違うようで。

「そうですか?俺は全然そう思いませんけど」

「でも、もし負けてしまった時には相当のリスクを覚悟しないといけないわ」

 晴香が言う『リスク』は、REALのリングでパクに敗れた2人の日本人選手が既に体現していた。というのも、REALは演出にもとてもこだわる団体であり、かつてパクが参戦した2試合でも『日韓対決』『日本人にとってのリベンジマッチ』などのフレーズが多用され、ファンのナショナリズムを煽れるだけ煽ったのである。ファンは皆、日本人選手が憎きパクをKOするシーンを期待した。だが結果は無惨なKO負け。返り討ちに遭った2選手は『日本の恥』というレッテルを貼られ、世間から猛バッシングを受ける事になってしまったのだ。

 もし達也がパクに敗れようものなら、前記の2人と同様に激しいバッシングに晒される事は火を見るよりも明らかだった。格闘家としての活動に支障をきたすであろう事は言うまでもなく、場合によってはまともな日常生活を送る事すら難しくなる…そんな事態だって考えられるのだ。

「まだ試合を正式に受けた訳じゃないから断る事もできるけど…」

 パクとの試合を受ければ多額のファイトマネーが手に入りFAIRYとしては大いに潤うが、結果次第では達也という唯一無二の逸材を潰してしまうかもしれない。晴香にとっては、試合を受けるべきかどうかは簡単に決められる問題ではなかった。

 だが、どうしても不安が先行してしまう晴香とは対照的に。

「晴香さん、大丈夫ですよ。ていうか、俺が負けると思ってるんですか?」

「そ、そんな事を思ってる訳じゃないけど…」

 と言いつつも、やっぱり不安を隠せない晴香に。

 達也は、自信満々に言い放った。

「こんな奴、むしろ普通にオイシイ相手でしょ」



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3-6 続けてフラれたらもうノーチャンス

 数日後、達也は事前に予約してないと門前払いされるような結構お高いレストランに来ていた。

「いやあ、美味いよなあ。キツい練習の疲れが吹っ飛ぶぜ」

 そんな事を言いながら軽やかにナイフとフォークを操る、その正面には。

「…どういう風の吹き回し?」

 やや怪訝そうな表情を浮かべながら、でもしっかりと料理を堪能する充希。

「いや、最近充希とあんまり話せてなかったじゃん。だから今日は思い切ってデートに誘ってみようと」

「達也にしては、ちょっと背伸びしすぎたお店なんじゃない?」

「大丈夫、ワリカンの予定だから」

「うわ、達也らしい」

「おいっ、そこ信じんのかよっ!俺が出すに決まってんだろっ」

「無理しなくていいよ。どうせ大したファイトマネーも貰ってないんでしょ」

「いや、充希に出させる訳ないだろ。というかお金の話はヤメだヤメ!」

 もうすぐびっくりするようなファイトマネーが入ってくる事が決まっている達也だけど、その金額を口にすると間違いなく引かれるだろうからと内緒にしておいて。 

「まあ、いつかこういうお店に充希と来たいなと思ってたんだよな。これマジで」

「達也にはまだ早いような気がするけど」

「でも、のんびりしてて充希に彼氏ができたら誘えなくなるじゃん」

「…何それ」

 バカな事言ってんじゃないわよとでも言いたげな表情で、充希は視線を料理に落とす。

「あと、一応次の試合決まったから言っとくよ」

「へえ、いつ?」

「5月…何日だったっけな。とりあえず5月最後の日曜日…てか全然興味無さそうな顔してんな?」

「だって、どうせまたアッサリ勝つんでしょ」

「おー、めちゃくちゃ信頼されてるなあ俺」

 喜ぶべきなのか悲しむべきなのか、と達也は苦笑いする。

「でも、今回は結構試合の間隔空いたよね。前の試合は確か1月じゃなかったっけ?」

「言ってなかったけど、実は3月にも2試合こなした」

「は?何それ?」

「心配するな、2試合とも1ラウンドでKO勝ちしといたから」

「…何で言ってくれなかったのよ?」

 充希の表情が少しだけ不満顔になる。

 それを見て達也は、どう言い訳しようかと思案しながら…

「まあ、簡単に言うと凡ミスだな」

「はあ?」

「本当なんだって。決まってから試合まで時間が無くて、つい言いそびれただけなんだよ」

「2試合も?」

「同じ日に2試合したんだよ。いやホント、嘘じゃないって。調べてくれたらすぐに分かるから」

 そう口にする達也だが凡ミスというのは真っ赤な嘘で、今回は敢えて伝えなかったというのが本当の所だった。それは試合の相手が、かつてKO負けを喫した因縁の相手だったからというのが大きな理由だ。もし充希の目の前で同じ相手に2度負けるような事があればちょっと立ち直れないかも…なんて思いが頭をよぎってしまったから。

 でも、完璧なリベンジを果たした今となっては、言っておくべきだったという後悔が大きくて。

「実はその日の1試合目、俺が高校の決勝戦で負けた奴が相手だったんだ」

「え、そうなの?」

「ああ、リベンジはしっかり果たしといたから」

「そんな大事な試合なら、何でなおさら教えてくれなかったのよっ」

「い、いやだから凡ミスだって…」

「まったくもう、いっつも大事な所が抜けてるんだから」

 リベンジを果たしたと告げてちょっとは褒めてもらえるかなと期待した達也だったが、逆に呆れられてガッカリ。

「まあ終わった事はしょうがないけど。それで、次の試合っていうのはどういう相手なの?」

「うん。まあまだ正式に決まった訳じゃないんだけど…」

 そう前置きしてから。

「REALって大会に出る事になったんだけど、知ってる?」

「…は?」

 その瞬間、充希は驚いたような顔を達也に向けて。

「REALって…よくテレビでやってるあのREAL?」

「おお、やっぱ知ってるんだ。充希はそういうのあんまり興味ないのかと思ってた」

「知ってるに決まってるでしょ。格闘技は知らなくても、REALぐらいは知ってるよ」

 充希の言葉からも分かるように、REALの知名度は絶大だ。野球に全く興味が無い人間でも夏の高校野球の全国大会がどの球場で行われるかは知っているのと同じようなレベルと言えば良いだろうか。

「ホントに、REALに出るの?」

「ああ、俺もようやく全国デビューだぜ」

「…凄いじゃない」

「んで、肝心の対戦相手なんだけどさ」

 達也が厚めの肉をひとかけら頬張って。

「パク・チャンミンって韓国人なんだけど、聞いた事ある?」

「えっ…」

 充希の表情に、わずかに影が差して。 

「それって、前のオリンピックでおかしな判定で金メダル取った奴…だよね?」

「ほう、充希の中ではそういう認識なのか」

 ただ、それは充希の認識というより、大多数の日本人の認識と言った方が正しかった。パクの金メダルは微妙な判定ではなく誤審、あるいは審判が買収されていたと信じている日本人も多い。

「そいつと対戦する事になった。もうすぐ発表されると思う」

「だ、ダメだよそんな試合」

「何で?」

「だって、もし負けたら、凄いバッシングされちゃうよ」

「おお、やっぱりそういう事も知ってるんだ」

 パクに負けた2人の日本人選手は、今も誹謗中傷に晒され続けている。パクに負ければ日本中の恥さらしとなってしまう、それは避けられない運命だ。

「まあ、一生懸命戦ったのにバッシングされるのは嫌だよなあ」

「それに、その韓国人って凄く強いんだよね?」

「あれ、そういう認識なんだ?」

「よく分からないけど、負けたって聞いた事ないから」

「確かに日本人相手には負けた事ないみたいだな」

 充希がカタリとフォークを置く。

「ホントに、そんな危険な人と試合するの?」

「まあ、危険は危険だよなあ」

「大丈夫なの?勝てるの?」

「それは分かんねーけど、今そのための練習をめっちゃしてるとこ」

「そうなんだ…」

「どしたん?食事進んでないじゃん」

「そ、そりゃそうだよ。いきなりこんな話聞かされて」

「じゃあ、驚かせついでにもう一つだけ言わせて欲しいんだけどさ」

 そう言って達也は、赤みがわずかに残る絶妙の焼き加減の牛肉を平らげて。

「もし次の試合で負けたら、充希の事はキッパリ諦める」

「…は?」

「だから、俺が次の試合勝ったら…マジで付き合ってくれないかな」

 という突然の告白に。

 充希は特に驚くようでもなく、どちらかというと呆れたような表情で達也に視線を向けて。

「…このタイミングでそれ?」

「え、思い切って告白したってのに反応が薄い!?」

「何が思い切ってよ。もう何回も聞いたわよ」

 いやこう見えて実は結構思い切ったんですけどね…と達也は心の中で呟きながら。

「でも、今回は本当に最後だから」

 一言、そう言ってから。

「勝ったら充希と付き合えるって事になったら、俺、キツい練習でも頑張れると思う。だから、憎き韓国人を倒すためにも、充希の力を貸してくれよ」

「そ、そんな言い方されたら…」

 予想外の角度からの攻撃には、さすがの充希も受け流すのは難しかったようで。

「断ったら…私が悪者になっちゃうじゃないのっ…」

「まあ、今のは言った俺も恥ずかしかったけど…とにかく、今回は本当に最後だから」

 達也と充希の視線が交わる。

 そして、ほんのわずかの無言の後に。

「…分かった」

 先に口を開いたのは、充希だった。

「そのかわり、絶対勝ってよね。私、達也があんなズルい韓国人に負ける所なんか、絶対見たくないからっ」

 



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3-7 大一番に向けて

 間もなく、達也とパクの試合が正式に発表された。その直後から、この一戦は5月28日に開催されるREAL全12試合の中でも1、2を争う屈指の好カードとして注目される事となった。

 だが、この時のファンの心理は期待よりも不安の方が大きかった、というのが実際の所だ。なぜなら、達也がごく一部の格闘技マニアを除いて全く知られていない、ほぼ無名と言うべき選手だったからである。本当にこんな無名の若手がパクに勝てるのか、返り討ちに遭って惨めな姿を晒すだけなんじゃないのか…ファンの中にはそんな空気が色濃く漂っていた。

 とはいえ、決まってしまったからには達也を応援する以外の選択肢は無い。ファンは拭いきれない不安を抱きながらも、小野達也という初めて聞く名の若者にパク退治の願いを託した。何人かのファンは達也に激励の手紙を送り、別のファンは少しでも達也の力になればと、差し入れの品を大量にジムへと送った。

 そんなファンの期待に応えるべく、達也は試合が内定するや否やその正式発表を待たずに、パク戦への準備を始めていた。種付けのペースをぐっと減らし(といってもゼロにはしないのだけど)、パクの過去の試合映像をかき集めて、早速その確認へと入った。

 幸い、パクの試合映像は簡単に手に入れる事ができた。パクはこれまで戦ってきた選手たちとは全く格が違う大物、試合映像は無料の動画サイトなどでも大量に拡散されていた。

 それらの映像を確認して達也が抱いた率直な感想は…意外と強い、だった。

 相手の実力を見極める際は過小評価も過大評価もしてはいけない、それは達也が肝に銘じている事でもある。フラットな視点でパクの試合を確認して感じた印象は、こいつはただの知名度先行型選手なんかではなく、確固たる実力を持った強豪だな…というものだった。オリンピックの決勝戦は疑惑の判定と言われているが、少なくともプロ転向後にREALのリングで日本人選手を下した2試合はいずれも文句なしでパクの完勝、何度やってもパクが勝つだろうなと思える内容だった。他にもヨーロッパの強豪選手と互角以上に渡り合っており、これまで達也が戦ってきたどの選手よりも強い事は間違いないように思えた。

 もしかしたら負けるかもしれない…なんて弱気な事は思わないにしても、勝てる保証なんてどこにも無いというのが率直な感想だった。決してオイシイ相手じゃない、むしろ危険な相手だ…と。

 しかし、達也は、それが逆に嬉しかった。

 これまで達也は、勝てども勝てども大した注目を浴びる事はなかった。空手のインターハイ決勝という舞台であっても、注目してくれるのはせいぜい学校の女子たちぐらい。しかしパクとの試合は、間違いなく日本中が注目する一戦になる。そんな晴れ舞台で勝敗が見えない危険な試合に臨む…それを考えると、自然と胸が熱くなるのを感じずにはいられなかった。

 格闘技なんていつ辞めてもいいと思っていた筈なのに、いざ大一番を前にすると、恐怖心よりもワクワク感の方が圧倒的に大きかった。この試合は、俺という男の価値を日本中に示す最高の舞台だ…と。

 そして何より、達也の気持ちを駆り立てるのは充希の存在だった。これまではどれだけ勝っても何故か全然褒めてくれなかったけど…今回勝てばついに充希と付き合える…!そう思うとめちゃくちゃ気合いが入った。

 おそらくは、勝っても負けても人生が変わる。それも劇的に…

 そんな瞬間ともうすぐ対峙できる事に、達也の心は歓喜していた。

 

………………………………………

 

 試合までおよそ2週間に迫った5月の中旬、達也は出稽古のためにある道場へと足を運んでいた。

「今日はよろしくお願いします」

 達也が礼儀正しく挨拶する相手の名前は山本大志。前回のオリンピックでパクに疑惑の判定の末に敗れて銀メダルに終わった張本人である。

 今回の出稽古は、他ならぬ達也が強く希望したものだった。試合前にテコンドー選手とのスパーリングを経験しておきたい、そして叶うなら、パクと拳を合わせた経験を持つ山本選手と手合わせをお願いしたい、と。山本としても自分が力を貸せるなら労力は惜しまないと達也の申し出を快諾し、出稽古が実現した。

 スパーリングの様子はメディアに公開される事になり、この日はREALの担当をはじめ複数のスポーツ系メディアが取材に訪れていた。テコンドーというアマチュアスポーツの世界で戦う山本にとっては、さすがプロの世界は注目度が違うなと羨ましさを感じずにはいられなかった。

 しかし、肝心のスパーリングは、ハッキリと言ってしまえば地味な内容だった。報道陣としては達也が山本を圧倒してくれれば記事になると期待していたのだが、残念ながら内容はそんな期待には程遠く、むしろ達也が押し込まれるようなシーンが目立った。訪れていた報道陣の多くはこの日初めて達也を生で見たのだが、彼らからは一様に不安の声が漏れた。「おいおい、こいつめちゃくちゃ調子悪いじゃん」「というかこんな弱くて無名の若手がパクに勝てる訳ないって…」「ヘタしたら公開処刑になるんじゃねえのか…?」と。

 

 

 だが、不調に見えたスパーリングこそ、達也にとっては予定通りの展開だった。

 達也が山本とのスパーリングを希望したのはテコンドー選手の距離感や間の取り方を肌で感じておきたかったというのは確かにあるのだが、

 実はもう一つ、もっと重要な目的があったのである。

 



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3-8 幼馴染みとは単なる仲の良い女友達にあらず

 5月27日、翌日に試合を控える24人の選手が一堂に会して前日会見が行われた。

 達也とパクの一戦は、全12試合中の第9試合に組み込まれていた。ただ、これは達也がREAL初出場という事が勘案されたためであり、試合の純粋な注目度という点ではとしてはメインカード(第12試合)にも決して引けを取ってはいなかった。

 事実、記者の質問も達也とパクに集中した。

 まず試合への意気込みを聞かれたパクは「金メダリストとして恥ずかしくない試合をしたい」と力強く答えた。その他の質問にも度々「金メダル」という単語が現れ、自分は世界チャンピオンなのだという自身とプライドを覗かせた。「オリンピックの決勝戦は疑惑の判定だったと日本では言われているが?」という記者の攻めた質問に対しては、「そう思う事で満足できるなら、勝手に満足していてくれればいい」とまたも日本人の気持ちを逆なでするような発言を返し、さらに対戦相手の達也の印象を問われた際には「よく知らない」と素っ気なく答え、続けて「自分はこれまで何人もの日本人をKOしていて、日本人を強いと思った事はない。今回の試合でも、また私がKOで勝つ事になるだろう」と挑発的な言葉を重ねたのだった。

 しかし、一方の達也も負けてはいなかった。この会見がある意味で「全国デビュー」となる達也だが、その表情に緊張感はまるで無く、とてもREAL初出場・初会見とは思えないほどに堂々としたものだった。

 その受け答えの中で、達也が多用したフレーズがある。それが『国民の期待』というフレーズだ。

「パク選手に勝つ事が国民の期待だと思っています」「国民の期待に応えるべく必死に練習を重ねてきました」「勝てる自信はあります。パク選手をKOして国民の期待に応えたい」と、達也は会見で『国民の期待』というフレーズを何度も繰り返した。もちろんこれはその場の思い付きではなく、達也が数日前から考えていたフレーズだった。国民の期待が自分の背中に乗っかかっている事はヒシヒシと感じている。ならばそこから目を背けるのではなく、むしろ言葉にする事で重圧を力に変えてやろう、と。

 そんな達也の堂々とした会見に乗せられるように、記者の質問もテンションが上がっていった。質問の内容が試合から少しずつ離れ始め、ついには「オリンピックでパク選手が優勝した時の判定についてはどう思っているか?」という試合とは全く関係のない質問も飛び出したが。

「自分はテコンドーのルールを詳しく知らないからよく分からないですけど、韓国ってスポーツでよく問題起こしてるイメージが強いですけどね。あ、今のちゃんと韓国語に訳してあげて下さいね」

 と、パクに挑発を返すような強烈な発言を見舞ったかと思えば。

「オリンピックの決勝戦も含めてパク選手の試合の映像はいくつか見ましたけど、全く強そうには見えませんでした」

 と、続けざまに攻撃的な発言を並べて、さらには。

「山本選手ともスパーリングさせて頂いてテコンドー対策はバッチリです。明日は間違いなく自分がKOで勝って国民の期待に応えます!」

 と、山本とのスパーリングの成果を強調した上で、カメラ目線で高らかにKO宣言してみせたのだった。

 控えめに言っても、100点満点の会見だった。

 

………………………………………

 

     ―達也―

 他の選手の事はよく分からないけど、自分自身は大きな試合を前にしてもあまり緊張しない方だと思っている。少なくとも、試合前日に眠れなくなってしまうような事は無い。

 でも、それが良い事なのかどうかは分からない。適度に緊張した方がむしろ良いパフォーマンスを発揮できるという選手もいる。要は人それぞれって事なんだろう。

 とにかく、俺はあまり緊張しない。そうなったきっかけの一つは、幼い頃に通っていた道場の師範から言われた言葉だったりする。

 

 ――緊張する必要は無い。なぜなら、結果は既に決まっているから

 

 勝敗は試合に臨む前の準備段階で既に決まっている。試合とは、単に今までやってきた努力の答え合わせに過ぎない、と。

 そして、こうも教わった。

 

 ――積み重ねた努力は、簡単には消えない

 

 本当にその通りだと思う。よく「練習を1日サボれば取り戻すのに数日かかる」なんて事を言う人がいるけど、俺から言わせればそんなの真っ赤な嘘だ。コツコツと積み重ねた努力の結晶は、1日や2日じゃ絶対に消えない。すり減りもしない。もし1日で消えてしまったのなら、それは本当の意味で積み重ねられた努力じゃなかったってだけの話だ。

 俺は、積み上げてきた。間違いなくベストを尽くしてきたと、誰に対しても胸を張って言える。

 だから、明日の大一番を前にしても、やっぱり大して緊張はしていない。俺自身がやる事は普段の試合と全く変わらないのだから。これまでの努力の結果を確認しに行く、それだけだ。

 でも、緊張はしないけど、不安が無い訳じゃない。緊張と不安は全くの別物だ。

 今回の相手は、俺が今まで戦ってきたどの相手よりも強敵だ。実績も経験値も、比較にならないほど向こうが上。間違いなく俺よりもずっと格上の選手だ。負ける可能性は…決して否定できない。

 もし負ければ俺の身にどんな事態が降りかかるか、それは何となく分かっている。悪い方の未来を想像すると、恐怖心が無い訳じゃない。

「ふう…」

 勝つか負けるか分からない。それは言い換えれば「負けるかもしれない」に等しい。でも、負けるかもしれないなんて考えちゃいけない。勝てる、勝てる…そう念じながら、心を落ち着けるべく一つ深呼吸する。俺が勝つ事はもう決まっている、明日はその結果を見に行くだけなんだ、と…

 と、その時。

「ん…?」

 突然、スマホが震えた。

 メールの着信。見てみると差出人は充希だった。

「珍しいな…」

 こんな遅い時間に突然充希からメールが来るなんて、ちょっと記憶に無いよな…

 そう思いながら文面を確認してみると。

 

 

遅い時間にゴメンね。

いよいよ明日だね。頑張れっ!

試合前に大きく深呼吸してみるとよいかも…

応援してるよ。ファイトっd(^^*)

 

 

「…ははは」

 メールを見ながら、思わず笑ってしまった。今深呼吸したとこじゃねーか、って。

(でも…いいな、これ…)

 まじまじとその文面を眺めてしまう。充希との付き合いは長いけど、こんなメールを貰ったのは間違いなく初めてだった。というか、充希のメールに絵文字が入っていた事自体がおそらく初めてだ。

 嬉しかった。見ているだけで心が暖かくなった。ほっこりしすぎて、逆に闘志が失われそうになるくらいに…

(…って、待てよ)

 その時、ふと気付く。

(明日の試合に勝てば付き合ってくれ…って事は、ハッキリと伝えていて…)

 それでいて充希は、俺に勝って欲しいって思ってる…って事は…

「…マジで、ぶっ倒すしかねーよな」

 気が付けばもう、「勝つか負けるか分からない」なんて不安は、完っ全に吹き飛んでいて。

 …絶対に、勝つ。



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3-9 国民の期待(前)

 5月28日。 

 国内最大の格闘技イベント、全てのファイターが憧れる夢の舞台、REAL開幕。

 その幕開けとなった第1試合は、女子選手同士による総合格闘技ルールの試合だった。どちらの選手もまだ20歳前後と若く、ビジュアル的にも可愛らしい容姿だ。REALは女子選手を容姿で選定しているのではないかという噂があるが、それはあながち嘘じゃないのではと思わせるマッチメークだった。

 試合は、実績的に不利と目されていた方の選手が終了間際に腕ひしぎ逆十字を極め、見事に一本勝ちを収めた。第1試合から早くも番狂わせ、この日の嵐を予感させる波乱の幕開けだった。

 前半戦は試合時間が短めに設定されている試合が多く、順調に進んでいった。際どい判定があり、逆に壮絶なKO決着もあった。その度に超満員の会場が沸き、興奮は徐々に高まっていった。

 そして第9試合、ついに本日最大の注目と言うべき試合がやってきた。達也が国民の期待を一身に背負って、四角いリングに上がる時が。

 小野達也vsパク・チャンミン。まだこの後にも3試合を残しているが、実質的にはメインとも言える一戦である。事実、数日後に判明したテレビ中継の視聴率は、この試合が最も高かった。

 この時、テレビの放送では視聴者の心を煽る映像がこれでもかと流されていた。試合直前の選手紹介VTRではオリンピックでの疑惑のシーンやかつてパクがREALのリングで日本人選手をKOしたシーンを振り返るだけでなく、パクのこれまでの挑発的な発言、さらには野球やサッカーなど他の競技での日韓戦における印象的なシーン等がいくつも流された。一方、達也の紹介VTRでは、高校時代に空手で圧倒的な成績を収めている事と、プロ転向後いまだ全試合KO勝利を続けている期待の若手選手である事が強調して紹介された。前日会見での強気な発言は編集が間に合わずVTRには組み込まれなかったが、それでも「金メダリストvs期待の若手」「空手vsテコンドー」「日本vs韓国」「日本人にとってのリベンジマッチ」と、視聴者の感情移入を誘う対立軸が強烈に強調されていた。

 加えてテレビ中継の画面では、リングに日の丸と太極旗がデザインされているように見えるCG加工がなされていた。ちょうど前の試合が日本人選手とアメリカ人選手の試合だったがそのような加工はなされていなかったのだから、まさしく因縁の日韓戦という構図を煽るための仕掛けである。

 国歌斉唱。達也は胸に手を当てながら目を閉じ、君が代を小さく口ずさむ。

 荘厳な音楽に心を委ねるようにして、精神を集中させる。……勝つ。絶対に勝つ。国民の期待に応えてみせる。そして充希を――

 演奏が終わって、拍手と歓声が巻き起こる。目を開け、キッと相手を睨みつけて。

 

 

 そしてついに、ゴングが鳴る。

 3分5ラウンド、運命の15分間が始まる。

 

 だが、先に結末を少しだけ述べると。

 決着には、そんなに長い時間を要さなかった。

 

 

 割れんばかりの歓声とは対照的に、試合の立ち上がりは静かだった。両者共に相手の出方を探るような立ち上がり。踏み込まず、距離を取って遠目からジャブを交わす。

 普段の達也なら自ら仕掛ける所だが、さすがに今回ばかりは慎重に相手の様子を窺った。デビュー以来全ての試合で1ラウンドKOを続けているが、そんな記録の継続は眼中にも無かった。それどころかむしろ、連続1ラウンドKO勝利という記録をちょっとした重荷にすら感じていた。だからまずは静かに1ラウンドを消化して記録をわざと途切れさせよう、そうする事で2ラウンド以降を冷静に戦える…そんな展開を描いていた。

 慌てずに、冷静に戦う。何より怖いのは、ハイキック等の致命的な一撃をもらってしまう事。特にテコンドーをバックボーンに持つパクは蹴り技が得意だから十分注意しないと…そう警戒しながら、達也はしっかりと距離を取って対峙する。

 そうこうする内に、早くも試合開始1分が経過した。ここまではお互いにダメージの無い、静かな展開だ。それは達也にとっては思い描いていた展開でもあった。やっぱり向こうも慎重になるよな…と達也は間合いを測りながら相手の精神をも図る。

 試合開始1分20秒過ぎ、達也はこの試合初めてハイキックを打ってみる事にした。空手家時代から数え切れないほどのライバルたちをKOしてきた、達也の必殺技だ。とはいえ今回は、決してダメージを与える事を目的としてハイキックを打とうとした訳ではなかった。言わば牽制、飛び道具を見せておく事で相手に警戒心を持たせておこう、という程度の。

 だが、普段ならフィニッシュを狙って繰り出すハイキックをジャブ代わりに用いた事自体が、ある種の隙でもあった。

 パクは、その瞬間を虎視眈々と狙っていた。

 達也の右足が大きく上がった瞬間に合わせるように距離を詰め、大振りの右を繰り出す。

「なっ…」

 それは達也がほとんど想定していなかったカウンターだった。しかも片足立ちの不安定極まりない体勢では、避けきる事は難しく。

「ぐっ……!!!」

 パァンッッ!と乾いた音が響いて達也の顔がのけぞる。プロになって初めての、まともな被弾だった。衝撃で口の中が切れ、血の味がじわっと舌に乗る。

 しかし、このクリーンヒットは、始まりに過ぎなかった。

 連打を避けるよう、達也が咄嗟に顔面を両手で覆う。しかしその反射的行動もまた、パクの読み通りで。

 両手は顔面をガードしている…つまりはがら空きとなったボディを狙うように、パクの2発目が飛んできて…

 

 ―――ドンッッッ!!!!!

 

「かはっっ………!!」

 

 顔面への打撃でガードを上げさせてからの、ボディへの強烈な一撃。見事な、教科書通りの上下へのコンビネーションに、達也の口が開いた。

 そしてそのまま、力無くその場に崩れ落ちた。

「くぁぁぁっ…あぁぁぁっ…」

 腹部を両手で押さえながら、苦悶の表情でうずくまる達也。その様子を、パクが勝ち誇った表情で見下ろす。

 たった2発でのダウン。しかも、10カウントで立ち上がる事が難しそうなのは誰の目にも明らかな、確かなダメージの伴うダウン。

 悪夢のような光景に会場が…いや、日本中が凍り付いた。

 



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3-10 国民の期待(後)

 リングの上では、達也が両手で腹部を押さえながら苦しそうに呻いている。

 静まり返る客席。皆、悪夢を見ている気持ちだった。憎き韓国人を叩きのめすという使命を託した若き侍が無惨にも返り討ちに遭った現実を目の当たりにし、狼狽していた。瞬間、日本中が絶望に包まれたと言っても過言ではなかった。

 しかし、たった1人だけ。

 日本人と韓国人の決闘を公平な立場で裁くために招聘されたアメリカ人のレフェリーだけが、その瞬間に起こった真実を冷静に把握していた。

 その証拠に、待てど暮らせどレフェリーはカウントを開始しようとしなかった。それどころかおもむろにジャッジ席の方へ歩み寄ったかと思うと、英語で何かの指示を出す。

 すると少しして、会場に設置された巨大なスクリーンに、十数秒前の映像がスローモーションで映し出された。

 達也のハイキックが空を切る。直後、パクの右フックが達也の顔面を捉える。疑いようのないクリーンヒットに達也の顔が大きくのけぞり、咄嗟に顔をガードする。

 そして、パクが続けざまに左ボディを突き刺したシーンが流れた瞬間…会場に大きなどよめきが起こった。

 パクの左が直撃していたのは達也のボディではなく、下腹部…股間。

 そう、達也を悶絶させた一撃はボディへの有効打ではなく、明確なローブローだったのだ。

 直後、場内はブーイングに変わった。ブーイングと言うより、怒号と言った方が正しいかもしれない。異様な空気がリングを包む。

 パクは両手を広げて、わざとではないとアピールする。事実、パクの一撃が反則打となってしまったのは故意ではなく、達也の足の長さが原因だった。もし達也が通常の日本人のスタイルなら、パクの一撃はボディを深々と抉っていただろう。だが達也の足はモデル顔負けの長さを誇る。なのでパクが感覚的にボディの高さを狙って放った一撃は、達也のボディの遥か下…股間を直撃してしまったのだった。

 しかし、ローブローの反則においては、故意であったかどうかなどさしたる問題ではない。パクの一撃が疑いようのない反則打である事は映像が証明していた。

 レフェリーが規定通り、パクに減点1を与えた。それを見て、会場はまた大歓声に包まれる。

 かくして、達也は日本人離れした自らの長い足に救われる形になった…いや、冷静に考えると、救われたと言えるかどうかは微妙な所だった。というのも、ダウンは免れたが体に残るダメージという意味では、ボディを食らっていた方がずっとマシだったからだ。

 下腹部に受けたダメージの回復のために5分間のインターバルが設けられる旨がアナウンスされ、また会場がどよめいた。セコンドの晴香の肩を借りるようにして、よろよろと達也がコーナーへと戻る。

 パクを反則負けにしろ、そんな怒声が客席から飛んだ。怒り狂った観客がリング上になだれ込んでくるのではと思わせるくらいに、場内は騒然としていた。

 そんな中、コーナー際で長い足をだらりと伸ばして座りながら、股間に受けたダメージの回復を図る達也の心境はというと…

 一言で言えば、めちゃくちゃ痛かった。21年弱の人生の中で、間違いなく一番の激痛だった。それも断トツで。

 加えて、インターバルがたった5分という事も全く納得できていなかった。何で5分しかねーんだよ!それっぽっちで回復する訳ねーだろ!と。現に1分経っても、2分経っても、3分経っても、4分経っても痛みは全く引かなかった。

 そして、あっという間に5分が経過してしまった。達也にとっては人生で最も短い5分間だった。言うまでもなく、股間は死にそうなほどに痛いままで。

 レフェリーが試合続行可能かどうかを達也に確認する。達也の本音としては、首を横に振ってノーコンテストで試合を終えたかった。今すぐ病院に駆け込んで、優秀な女医さんに男性器の状態を診てもらいたかった。ちゃんと精子が濃いままかどうか確認してもらいたかった。

 でも、しかしである。

 激痛よりも何よりも、達也の中にはある感情が激しく渦巻いていた。

 それは…怒り。ハッキリ言うと、心の中ではブチギレていた。

 男の大事な部分を、それこそ命と同じくらい大事な部分を本気でぶん殴りやがったあのクソ韓国人を、マジでぶっ殺してやらなきゃ気が済まねえ!!!と。

 だから、達也の答えは一つしかなくて。

「だ、大丈夫です…やれ…ます…」

 ゆっくりと立ち上がる。体勢を変えた瞬間にまた違う種類の激痛が走ったけど、表情には極力出さないようにして。

「ほ、本当に大丈夫なの…?」

 晴香が心配そうに尋ねる。達也は少しばかり顔を引きつらせながら。

「ぜ、全然問題無いっすよ…俺は股間もしっかり鍛えてますからっ…」

 と、不意に出てしまった下ネタ発言には晴香も目を丸くするしかなかったが。

 

 とにもかくにも、試合再開がアナウンスされて。

 会場が、今日一番の大歓声に包まれる…!

 

 とはいえ、状況的には大ピンチだった。怒りに任せて試合を再開させてしまったが股間はいまだ激痛、まともにフットワークを使えないどころか、立っているだけでも脂汗が噴き出てくるのだから。

 しかし、そんな達也の事情などパクには関係なし。紳士的な選手なら反則でダメージを与えてしまった直後は攻撃を控えがちになるものだが、この韓国人がそんな美徳を持っている訳もない。ここがチャンスとばかり、パクは一気に勝負に出た。

「くっ…」

 再開直後の猛攻をバックステップで避けようとする達也…が、まともに足を動かせず全くかわしきれない。押し込まれるように、あっという間にコーナーへと詰められる。

 達也の背中に、コーナーポストの冷たい感触が伝わる。試合再開から10秒も経っていないのに、早くも背水の陣だ。

 この時点で、達也に取りうる選択肢は2つだった。すなわちクリンチに逃げるか、肚を決めて打ち合うか。

 おそらくは、クリンチに逃げるのが最善の選択だっただろう。コーナーやロープ際に詰められた際の常套手段、そもそも股間に激痛を抱えながらまともに戦うという事自体が自殺行為だ。ダメージの回復を図りつつ勝負を先延ばしして、でもやっぱり回復しないなら試合を諦めてノーコンテストに逃げるという選択肢もある。セコンドの晴香も大声でクリンチを指示していた。

 だが達也は、本能的にクリンチを拒否した。その理由は、いかにも達也らしくて。

 このムカつく野郎に抱き着くようなみっともない行為だけは絶対にしたくない…と。

 ならば…ここはもう勝負しかない…!

 

 ――ドンッ!ドンッ!ダンッ!!

 

 コーナーを背にしたまま、達也はパクを迎え撃った。堰を切ったように、激しい打ち合いが展開される。

 客席の歓声はさらに沸き立った。もちろんその全てが、達也を後押しする声援だ。だが達也にしてみれば、一歩間違えれば即奈落の底へ落ちかねない危険な賭けだった。パクの攻撃は大振りだがその分一発一発が重く、まともに顔面を捉えられればその瞬間に試合が決してもおかしくなかった。

 だが、そんな極限の状況にあっても。やっぱり達也は達也で。

 パクのパンチをかわし、あるいはガードしながら、自らのパンチは的確に当てる。意識ではなく本能で相手の攻撃をかわし、隙を見つけ出してパンチを打ち込む。超接近戦の中で技術よりも勘を頼りに打ち合いを優位に進めるその姿は、まさに打撃の天才・小野達也の真骨頂だった。

 すると、最初はパクの方が多かった筈の手数が、徐々に逆転していく。打ち合いが30秒も続いた頃には、打ち疲れたパクを押し返すようにしてついに達也はコーナー際を脱した。

 そして、リングのほぼ中央までパクを押し返した時…

 

 ――ドンッ!!

 

 達也のショートフックがパクの顔面を捉え、たまらずパクの顔が下がった。それを狙ったように今度は達也のショートアッパーが顔面に決まり、ついにパクが片膝をついた。

 逆転のダウンに観客のボルテージが頂点に達する。もはやレフェリーのカウントすら全く聞こえない。最高潮の熱狂だ。

 パクがゆっくりと立ち上がる。しかしその刹那、頭の位置がわずかに揺れた。明らかにダメージが残っている証拠だった。

 それを見て取った達也は、試合が再開するや否やラッシュを仕掛けた。1ラウンド終了までまだ1分近く残っている。股間の激痛が治まりそうにないこの状況で訪れたチャンスを逃す訳にはいかないと言わんばかりに、痛みを怒りのパワーに変えて、一気に勝負に出る。

 勢いを増した達也の圧力に押されるように、パクがズルズルと後退する。そしてあっという間にコーナーポストを背にした。

 つい数十秒前とは真逆の体勢で、達也の猛攻が始まった。右、左、右、左、右…容赦のない連打がパクの顔面に、ボディに突き刺さる。

 だがパクにも金メダリストの意地がある。絶体絶命の状況に追い込まれながらも、致命傷となる一撃を避けるべく顔面をガードしながら、クリンチに逃れようと必死に密着を試みる。

 もちろん達也としてはクリンチを許している暇などない。体を預けようとするパクを強引にコーナーへと突き返し、またパンチの雨を見舞う。

(抱き着いてくんなってんだよっ…!)

 文字通り、猛攻だった。パクは必死に防御を試みるが達也の攻撃を全て受け止めきれる筈もなく、ガードの隙間にボディにと重いパンチが刺さり続ける。その姿は、まるでコーナー際に置かれたサンドバッグだった。

 普段の達也なら、この辺りで攻撃を緩めたかもしれない。だがこの時の達也は、完全にプッツンしていた。大事な大事なムスコに強烈な一撃を食らわされた怒りは、この程度の反撃では収まらなかった。やられたらやり返す、100倍返し…いや1000倍返しだ!とでも言うように、我を忘れたような猛打をパクの体に見舞い続ける。

 そうして殴り続けるうちに、ついにパクのガードが下がり始めて…

 

 ――グシャッッッッ!!!!!

 

 鈍い音が響く。それは達也の右ストレートがパクの顔面を捉えた衝撃音だった。パクの後頭部がドスンとコーナーポストに打ち付けられる。

 その瞬間、パクは意識を失った。口が開き、瞳がぐるんと上を向いて白目になる。

 だが達也の怒りは、それでもなお収まらなかった。コーナーポストに打ち付けられて跳ね返ってきた顔面、その喉元を左手で捕まえて。

(おらっ、これで楽にしてやるぜっ…!!)

 顔面のど真ん中を狙って渾身の右ストレートを叩き込む…!

 

「ストーーーップッッッッ!!!!」

 

 その瞬間、レフェリーが達也に体当たりするようにしながら試合の終了を告げた。お見舞いするつもりだった全力の右ストレートが、わずかに逸れて空を切る。

 パクの体が、ドサリとリングに崩れ落ちる。そしてそのまま、ぴくりとも動かなくなった。

 

 試合時間、2分52秒。会場は興奮のるつぼに包まれた。



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3-11 スター誕生

 試合が終わっても、興奮の余韻はしばらく冷めなかった。どよめきとざわめきと拍手が入り混じった、異様な雰囲気が会場全体を覆っている。

「はあっ、はあっ、はあっ…」

 達也は肩で息をしていた。マウスピースを外すのも忘れたまま、口で酸素を求める。観客と同様、彼もまだ興奮の中にいた。

 しかし、そんな中でも勝利者インタビューの準備は着々と進んで。

 気が付けば、まだ興奮状態の達也を取り残すようにして、リングの上はラウンドガールやら女子アナやらで華やかになって。

 

「――それでは、見事なKO勝利を飾りました、小野達也選手のインタビューです!」

「…え?」

 フジテレビの看板女子アナ『サトパン』こと佐藤真美が達也にマイクを向けた。

「――小野選手、見事な勝利でした。率直に今のお気持ちをお願いします」

「え…あ、はい?」

 熱くなり過ぎていたから、何を聞かれたかすら分かっていなかった。だからもちろん、何と答えればいいか分からなくて。

 何だ?何を言えばいいんだ?まだ熱い頭を必死に回転させて、ようやく出てきた言葉は…

「あの…ホントに申し訳ないんですけど、ちょっと座りながらインタビュー受けてもいいですか?」

「――へ?」

「実はまだ、ここが結構痛くて…」

 ギャグと本心の中間。達也がグローブで自分の股間にぽんぽんと軽く触れると、その仕草に客席から大きな笑いが起きた。

「――そ、そうですよね。椅子を用意しましょうか?」

「いや、ここで大丈夫です」

 そう言って、ゆっくりとその場に腰を下ろす。まるでお爺ちゃんのような弱々しい仕草に、また客席からどっと笑い声が響いた。

「――そ、それでは改めまして、見事なKO勝利を飾った小野達也選手にインタビューをしたいと思います」

 達也に合わせるようにしゃがみ込んだサトパンが、再度達也にマイクを向ける。

「――とても大きな注目が集まった試合でしたが、小野選手が試合前に言っていたように、見事『国民の期待』に応えましたね?」

 その質問自体に、客席から歓声が沸き起こる。

「えー…そうですね。いや、良かったです。ホッとしてます」

 この辺でようやく、達也も冷静さを取り戻したようで。

「――試合前は相当なプレッシャーがあったと思うんですが?」

「少しはありましたけど、でも皆さんの応援のおかげで乗り越える事ができたと思います」

「――途中、アクシデントで試合が中断しました。そして再開してすぐに物凄い打ち合いになりましたが?」

「打ち合い…まあ、そうですね。あんまりクリンチしたいと思わない相手だったんで」

「――最後、試合を決めたラッシュの時の小野選手の表情は鬼気迫るものがありました」

「え、俺そんなに怖い顔してました?」

 ホントに?という表情で達也は聞き返してから。

「誤解しないでください。普段の自分、全然怖い人間じゃないですから」

 ユーモアたっぷりの返しに、また客席がどっと沸いた。

「――この試合に向けては、おそらく様々な対策を立てて臨んだと思うんですが?」

「そうですね。パク選手とオリンピックの決勝で戦った山本選手にスパーリングをお願いして、しっかりテコンドー対策を立ててきました」

「――対策はバッチリだったんですね」

「ええ、山本選手には感謝の気持ちでいっぱいです」

 山本を立てる達也の言葉に、客席から拍手が起こる。

「――パク選手は日本人にとって因縁の相手と言えると思うんですが、実際に戦ってみてどんな印象でしたか?」

「うーん、そうですね…」

 既にパクは担架で運ばれ、セコンド陣も全て引き揚げていた。無人のコーナーに達也はちらりと視線をやってから。

「いや、さすがオリンピックチャンピオンというだけあって、想像してたよりずっと強い相手でした。凄くいい右をもらってしまって正直結構効きましたし、あのローブローにしてもボディに来てたらかなり危なかったかもしれないですし」

 パクを立てるような言葉に、会場がにわかにざわついた。

 でも、これは達也の狙い通りの『フリ』で。

「打ち合いも一歩間違えばどうなるか分からなかったと思いますし、本当にやりにくい相手でした。ですけど…ですけどっ…!」

 わざと一呼吸置いて、客席のざわめきが静まるのを待ってから。

「スパーリングさせて頂いた山本選手と比べると、全然弱かったですっっっ!!!!」

 マイクに口を近づけてビシッと決めた一言に、この日一番の歓声が場内を包む。

 日本の格闘技界に、新たなスターが誕生した瞬間だった。




3章終了です


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4章 スーパースターへの道(X3年5/29 ~ X3年12/31)
4-1 激変した日々


 翌日のスポーツ新聞は、全紙が達也の勝利を大きく報じた。野球を差し置いて一面で取り扱うスポーツ紙も少なくなかった。それ程までに、達也の勝利は日本人にとって痛快な出来事だったのだ。

 試合の反響の大きさはSNSの盛り上がりにもハッキリと見て取れた。『小野達也』はツイッターのトレンド1位となり、『小野よくやった』『パクを倒してくれてありがとう』『小野最高すぎる』といった賞賛ツイートで溢れ返っていた。ほとんど無名の若者だった達也は、憎き韓国人を退治するという国民の期待に見事に応え、一夜にしてヒーローへと昇華したのだった。

 

………………………………………

 

     ―達也―

 パク戦の反響は凄かった。

 まず驚いたのが、REALの公式ホームページに寄せられたファンからのコメントの数だった。スタッフの話によると、試合終了直後から俺を称賛するコメントが大量に書き込まれサーバがダウン寸前だったらしい。それを聞いて「俺もついに有名人の仲間入りかも」と思わずにはいられなかった。

 そして、それが単なる思い上がりではなかったという事に気付かされるまで、そう時間はかからなかった。

 なぜなら、知らない人からめちゃくちゃ声を掛けられるようになったからだ。

 お店でも、コンビニでも、普通に外を歩いてるだけでも、色んな人から当たり前のように声を掛けられる。小野選手ですよね、応援してます、頑張ってください、前の試合とても凄かったです、サインください、握手してもらえないでしょうか…と。

 嬉しかった。今まで勝っても勝っても全く注目されなかったからこそ、俺という存在をみんなに知ってもらえた事がすごく嬉しかった。だから声を掛けてくる人たちには丁寧に対応しようと心がけた。サインも握手も断らないようにしたし、写真だって何枚撮ったか分からない。でも、嬉しいんだけど、さすがに声を掛けてくる人が多過ぎるから、気が付けば外出時には帽子やマスクで顔を隠すようになってしまった。

 試合前には全く無かった取材の依頼も殺到した。スポーツ系メディアからの取材依頼だけじゃなく、ワイドショーや普通の週刊誌までも取材に来た。おかげで試合後しばらくは取材対応に多くの時間を割かなきゃいけなくなってしまった。

 そういった諸々の変化を通じて、どうやら俺は単なる有名人というよりも、ヒーローのような存在として世間から認知されていると自覚せずにはいられなかった。自惚れのようだけど、でも現実として世間は俺の事を『憎き韓国人を倒したヒーロー』として見ていた。でなければ「日本人としての誇りを守ってくれてありがとう」みたいな言葉を何度となく掛けられるなんて事があるだろうか。

 そんな言葉を掛けられる度にパクとの試合を受けて良かったと思ったし、あの時棄権せずに股間の激痛に耐えて試合を続行して良かったと思った。もっと言うなれば、幼い頃から毎日必死に努力してきて良かったと心から思った。これまでの厳しい練習の積み重ねがついに報われたような気がした。

 ハッキリ言って、この地位を失いたくないと正直に思った。今は試合直後で過度な注目を浴びてるだけかもしれないけど、できるならこの状況が長く続いて欲しいと本気で思った。イヤらしい言い方になるけれど、世間からヒーロー視される状況というのはとても気持ち良かった。

 そしてもう一つ、試合の前と後で大きく変わった事といえば、そう。

 充希と正式に付き合う事になった。

 とはいえ何が変わったのかと言われると、実はほとんど何も変わってなかったりする。一応、会わない日は毎日必ず電話しようってのを決めたぐらいで、それ以外は以前と全くと言っていいほど同じ。必要以上にイチャイチャするようになった訳でもないし、充希はちょっとした事ですぐ機嫌を損ねて冷たくなる。まあ、それが充希と言ってしまえばそれまでなんだけど。

 そんなこんなで、パク戦に勝利した事であらゆる物事が良い方に動き始めたんだけど、唯一玲奈さんだけは頭を痛めているようで。

「達也くんが勝ち続けるのは嬉しいけど、こんなに有名になっちゃうとさすがに困っちゃうよね…」

 俺が一躍有名人になってしまった事で、種付けに関する様々な調整がとても面倒になってしまったらしいのだ。

 そして、そんな変化は俺自身も、確かに感じていた。

 

………………………………………

 

「凄い…本物だ…」

 部屋に入って対面するとすぐ、種付け相手の美冬さん(27)が驚いたような様子で俺を見て。

「ほ、本当に…本物の小野達也さん…なんですよね?」

「ええ、一応ニセモノではないと思います」

「凄いっ…私、ずっと前から達也さんの大ファンなんですっ」

 鼓動の高鳴りを確認するように、美冬さんが自らの胸に手を当てる。言葉通り、本当に信じられないといった表情で。まあ、「ずっと前から」ってのはいかにも嘘っぽいけど…

 とはいえ、最近はいつもこんな感じだ。俺と対面した女性が最初に見せる反応は『緊張』でも『恥じらい』でもなく『興奮』。俺という有名人を目の前にして興奮を隠せない女性がほとんどだ。

 最初はこっちが逆に恥ずかしかったけど、こうも続くとさすがにもう慣れてしまった。それに、実際に俺は有名人になってしまったのだから、それなりの振る舞いをしなきゃいけないという自覚も芽生えつつあった。もちろん無駄に有名人ぶるのはダサいけど…

 だから俺は、変に謙遜する事なく、あくまで堂々と。

「本日、美冬さんへの種付けを務めさせて頂きます、小野達也と申します、美冬さんに子宝を授けられるよう全力で頑張りますので、どうぞよろしくお願いします」

 半ば定型化された挨拶をしてから、軽く頭を下げると。

「こ、こちらこそよろしくお願いしますっ…」

 美冬さんもぺこりと頭を下げる。年上女性の慌てたような仕草に、変な所で可愛らしさを感じていると。

「あ、あの…」

 挨拶を終えるや否や、美冬さんが。

「も、もし良ければ、体を触らせて頂けませんか…?」

 少し後ろめたそうに、そう尋ねてくる。ただ、これも最近は本当によくあるリクエストだ。

「だ、ダメですか…?」

「いえいえ、構いませんよ。良ければ服も脱ぎましょうか?」

「ぜ、ぜひお願いしますっ…」

 美冬さんの嬉しそうな声に応えるべく、服を脱ぐ。

 これまでの種付けでは、お互いに下だけを脱いで行為に及ぶ事がほとんどだった。でも最近は、ほとんどこの流れで上を脱いで…

「あ…」

 シャツを脱ぎ捨てると、美冬さんの視線が痛いほどに注がれるのを感じて。

「どうぞ好きなだけ触ってください」

「あ、ありがとうございますっ…」

 美冬さんの指先が手のひらが、さわさわと体に触れる。腕から肩、そして胸へと。まるで俺の筋肉を品定めするかのように。

「凄い…ダメ…カッコ良すぎる…」

 やめられない止まらないといった感じで、美冬さんは俺の体をまさぐり続けて。

「はぁぁ…凄い…ダンプのタイヤみたい…」

「タイヤ?」

「はい…硬いのに弾力があって、それにとっても分厚いです…」

 …なるほど、タイヤか。

 そんな比喩で言われたのは初めてだったけど、言い得て妙な気もした。

「あったかい…それに、体からとてもいい匂いがする…」

 それは単に、さっき使った石鹸の香りだな…と思いながら。

 種付けの前にはバスルームで体を清めているんだけど、そこに用意されてる石鹸は超が付くほどの高級品。さすが玲奈さん、細かい所にも抜かりが無い。

「ああ…ホントに素敵…」

 完全に俺の体の虜になってしまったのか、美冬さんはなおも手のひらを這わせ続ける。それはゆっくりと下っていって、割れた腹筋を一つ一つ確かめるようにしながら、ついには臍までやってきて。

(…止まる気配、無いな)

 まあ、別に嫌な気はしない。自身の肉体を女性に賞賛されて、嬉しくない男なんていないだろう。

 とはいえここまで積極的に迫られると、逆にちょっと引いてしまうのも事実だけど。

(…ま、サービスしてあげるか)

 有名人として、ファンは大事にしなきゃいけないから。

「本番の前に、ここも確認しておきますか?」

 おもむろに、美冬さんの手を取って。

 そのままさらに下へと導き、股間へと宛がわせる。

「えっ…」

 美冬さんは一瞬ピクっと腕を震わせたけど、それは瞬間的な反射に過ぎず、抵抗では決してなくて。

「そんな…嘘…」

「どうしました?」

「凄い…おっきい…」

 ズボン越しにでも確かに伝わる男性器のサイズ感に、美冬さんは驚いたようで。

「こんなに大きいの…初めてです…」

 美冬さんの男性経験がどのくらいなのかは知らないけど、どうやら美冬さん史上最大の称号を頂けたらしい。

 それだけでも、十分光栄なんだけど。

「でも、本番の時にはもっと大きくなりますからね」

「う、嘘っ…」

「ほら、まだまだ柔らかいでしょ?」

 そう言って、美冬さんの手をギュッと股間に押し付けてやると。

「ひゃっ…あ…」

 俺のモノにはまだ全く力が入っていないという事を分かってくれたのか、美冬さんは慄くように小さく頷いた。

 

 

 種付けは『優しく』『激しく』『中間』『お任せ』の4パターンから選んでもらっている。最初の頃はそんな余裕は無かったけど、俺も種付けを初めてもうすぐ1年。サービスのバリエーションは増やしていかなきゃいけないから。

 ちなみにこれまでは『優しく』が約6割、『中間』と『お任せ』が2割ずつぐらいで『激しく』をリクエストした女性はまだ皆無だ。俺としてはたまには激しくハードプレイしてみたい…なんて思ったりもするけど、まあこんな筋肉質の体とデカいモノを見せられれば、優しくして欲しいと思うのが普通だろう。

 美冬さんのリクエストもやっぱり『優しく』だった。だから丁寧に下準備して、挿れてからもできるだけ優しく動いてあげた…つもりだ。

 そして、最後の一滴まで残さず中に注ぎ込んで、自分の役目をしっかりと果たして。

「美冬さん、痛い所とか無いですか?」

「はい…大丈夫です」

 美冬さんは足を少し広げ、頭を低くした体勢を取っている。いわゆる妊娠ポーズだ。

 ハッキリ言うと、俺は妊娠ポーズを取っている女性を眺めるこの瞬間が好きだ。スマホで撮影しちゃダメかな…なんて思ってしまうくらいに(さすがにした事ないけど)。

 何にしても、妊娠ポーズを取る女性を眺めていると、一仕事終えたという充実感に浸れるんだよなぁ…

「あの…達也さん」

 その時、美冬さんがふっと口を開いた。

「この前の試合、おめでとうございます」

「どうもありがとうございます」

「私、達也さんが勝ってくれて本当にスッとしました」

「はは、そう言ってもらえると嬉しいですね」

 勝ってくれてありがとう…いったいどれだけの人からそう言われただろう。日本人として、男として、本当に嬉しく誇らしい気持ちになる。

 充希にも聞かせてやりたい。というか充希は俺の価値を分かってない気がする。いや、マジで。

「でも…大丈夫だったんですか?」

「大丈夫とは?」

「その…途中、反則を受けて…」

「ああ…」

 そういやそんな事もあったなあ、と思う。あの時はマジで死ぬかと思ったけど、喉元を過ぎれば何とやらというか…

「そうですね、アソコもしっかり鍛えててホントに良かったですよ」

「は、はは…」

 軽い下ネタジョークに、美冬さんは苦笑い。まあ、鍛えられたアソコの逞しさを身を持って知った直後だからこその苦笑いなのかもしれないけど。

「ま、さすがにちょっと痛かったんで、お返しにボコボコにしてやりましたけどね」

「はい…とってもカッコ良かったです…」

 そう言って美冬さんは、自らの下腹部を、円を描くようにして撫でた。

 まるで、体内で行先に迷っている俺の精子たちを、卵子の元へと導こうとしているかのように。



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4-2 日本代表級の種付け(※問題回です)

※投稿しようかどうかかなり迷った回です



 パク戦からほとんど日を置かずして、達也の次戦が決まった。日時は真夏の8月13日、戦いの舞台はもちろんREALである。対戦相手が未定のまま達也の出場が早々と決まったのは、REALが達也を興行上絶対に欠かせない存在であると考えている証だった。

 パク戦からおよそ2か月半という試合間隔はキックボクシングという競技の激しさを考えれば決して十分とはいえなかったが、これまでほぼ毎月のように試合をこなしてきた達也にとっては、むしろ夏休みを貰ったかのように思えるような長い期間だった。なので1週間ぐらいのんびり旅行でもしようかな…なんて思った達也だったが。

 ところが、残念ながらそんな暇は全くなかった。

 なぜなら、達也のスケジュールが空いたと見るや、ここぞとばかりに玲奈が種付けの予定を大量に入れ込んだのである。

 そしてその中には、日本代表級と言って差し支えない種付けも含まれていた。

 

………………………………………

 

 四つん這いの女性の腰を背後からガッチリと捕まえて、達也がガシガシと腰を前後させる。その力強い腰使いに、女性の声がアンアンと部屋に響く。

 この日、達也が種付けしているのは、イム・ヘリンという韓国人女性だった。

 日韓関係は冷え切っているが、韓国人の中には普段はあまり口に出さずとも実は日本が好きという、言わば『隠れ親日派』も少なくなかったりする。そしてその傾向は、特に若い女性に顕著だった。というのも、韓国人は日本という国に対して、表面的には嫌っていながらも本音では『韓国よりも進んだ凄い国』という認識を持っているというのが本当の所なのだ。同じアジア人でありながら医療分野や科学技術分野など様々な方面で世界トップレベルの技術力を有するに到った日本人を羨んでいる…これが韓国人の『本音』なのである。

 言ってしまえば『日本コンプレックス』。しかし韓国の若い女性は、そんな日本コンプレックスをあまり持っていなかったりするのだ。というよりも、日本にコンプレックスを持つのではなく純粋に日本に憧れる女性が少なくないのである。若い世代の女の子にとって政治や歴史問題など正直言ってどうでも良くて、純粋に「クールでカッコいいものが好き」なのは万国共通だ。韓国の若い女の子にとっては、同じアジア人でありながら自分たちよりもずっと豊かで進んだ社会を築いた日本こそが「クールでカッコいい」対象なのである。

 ヘリンも、幼い頃から日本が好きだった。韓国内で日本を貶めるようなネガティブキャンペーンを目にする度に「頼むからそんなダサい事やめてよ…」としか思えなかった。それは彼女の中で、韓国人男性をますます幻滅させる要因にもなった。

 日本の男性と国際結婚したいなぁ…幼い頃に抱いたそんな思いは大人になっても消えないどころか逆にどんどん膨らむ一方だった。だがそんなヘリンの願いとは対照的に、国同士の関係はずっと最悪なまま。歴史問題やら海の呼称やら旭日旗やら…ヘリンにとっては正直「どうでもいい」としか思えない諸問題のせいで日韓関係は年々悪化し、近年では姉妹都市関係が解消されたり交換留学制度も次々に廃止されたりと、民間レベルでの交流の機会も大幅に減少してしまっている。ヘリンが素敵な日本人男性を巡り合える機会は、年々狭まっているというのが実情だった。

 このままでは日本人男性との国際結婚どころか出会う機会すら無い…でももはや韓国の男とは結婚する気にはなれない…そんなヘリンがHFPの存在を知ったのは30歳を目前に控えた、女性として確かな焦りを感じずにはいられないタイミングでの事だった。もう迷っている時間はない…このまま待っていても、私の目の前に素敵な日本人男性が現れてくれる可能性は限りなくゼロだろうから…ヘリンが種付けを決断するには、そう時間を要さなかった。

 

「はああぁっ、はああっ、あっ、はああっ、はあああっ、あっ、あはあぁぁぁぁっっ…!!」

 ヘリンの喘ぎ声が響く。リミッターが外れてしまったかのような、あっぱれな悶えっぷりだ。

 自身に種を付けてくれるのが小野達也という男性だという事をヘリンが知ったのは、もう2か月以上も前の事である。自分よりも10歳近くも若い年齢には驚いたけど、顔写真を見てとてもカッコいいと思ったし、何よりその経歴にひれ伏す思いだった。西都大学といえば日本で一、二を争うほどの名門で、それこそ韓国一の学力を誇るソウル大学なんて比較にならないほど頭の良い大学。そんな凄い所に通いながら、プロのキックボクサーとして全戦全勝全KOの成績を収めている…何て素晴らしいほどに文武両道の男性なんだろう…と。

 こんな素晴らしい男性に抱いてもらえるんだ…こんな素晴らしい男性の赤ちゃんを産めるんだ…そう思うとヘリンは膣がキュンキュンする思いだった。種付けしてもらえる日がとにかく待ち遠しくて仕方なかった。

 そして、そんなヘリンの子宮をさらに疼かせる出来事が、つい3週間前にあった。

 そう、達也とパクの一戦である。

 パク・チャンミンは、韓国では知らない人がいないほどの有名人だ。オリンピックの決勝戦で日本人を下して世界一の座についた、いわば母国の英雄である。

 そんな母国の英雄と達也が戦うと知った時は、これ以上なく驚いた。本当に試合するの?どっちを応援をすればいいの?達也さんがボコボコにされちゃったら、種付けはできなくなっちゃうんじゃないの?と。

 様々な感情を抱えながら試合を見た。試合が始まっても、まだどっちを応援していいか分からなかった。達也さんに勝って欲しいような気もするけど…同じ韓国人として母国の英雄が負ける所は見たくない気もするし…というか達也さんがいくら強いって言ってもパク選手には勝てる筈ないよ…だって達也さんはまだ大学生なんでしょ、パク選手はオリンピックの金メダリストで、キックボクサーとしても一流の成績を残してるんだよ…と。

 ところが、結果はご存じの通り。達也は股間に強打を受けるという反則パンチを受けながら、韓国の英雄を見事にKOしてしまった。しかも、最後はパクを殺してしまうんじゃないかと思うくらいに、完膚なきまでにボコボコにして。

 それを見て、ヘリンの膣キュンはもう完全にMAX。母国の英雄が完全KO病院送りにされたというのに、ヘリンはその光景に圧倒的な至福を感じずにはいられなかった。

 言うなればそれは、屈伏する至福。自分が信じていた筈の英雄がいとも簡単に半殺しにされて、ああ…私たち韓国人はこの強く逞しい日本人には絶対に適わないんだと思い知らされて。

 

 こんな強い人に…私は抱いてもらえるんだ…

 こんな強い人の遺伝子を…私はもらえるんだ…

 

 そんなヘリンの期待は、この日、ついに現実のものとなって。

 

「んはああっ…あっ…んあああっ、あっ、ああああっ、ひあぁぁぁぁっ!」

 ベッドの上で対峙した達也は、まさにパクとの試合で見せた姿と同じく、野獣だった。

 背後からガッチリと腰を固定され、縦横無尽のピストン攻撃がやむ事無く延々と繰り出される。

「うあぁぁっ、ああっ、あっ、いあぁぁぁぁっっ!!!」

 達也の太く長いペニスは簡単にヘリンの最奥まで届き、穴中の到る所をこれでもかと蹂躙し続けた。かつてヘリンが交際した2人の韓国人男性ではどれだけ頑張っても決して届かなかった深い深い場所を、達也は容赦なく連打し続ける。まるで、パクに無数のパンチを浴びせたあの時と同じように。

「あはああああっ、あっ、あああっ、ひああああああっ!!」

 たまらずヘリンが腰を引こうとしても、達也の腕によって力強く固定されたその部分はピクリとも動かない。その驚異的な力強さに、ヘリンはまた絶頂を覚える。

 母国の英雄をいとも簡単に打ち砕いた圧倒的な力が、今は、私を逃がすまいとするためだけに使われて…

 もう誰も、達也さんを止める事はできないんだ…だってこの人は、私たちの英雄もあっさりKOしちゃうぐらいに強い男性だから…

 だからもし今ここで誰かが私を助けに来ても、達也さんはきっと、そいつを簡単に退治してしまって…

 私に種を付けるまでは…もう…止まらない…

 屈強な日本人に犯される至福を味わいながら、ヘリンは何度もイき続けた。いつしか意識を失って揺さぶられるだけになっても、心は幸せの中に漂ったままだった。

 

 

「ん…」

 ヘリンの力が抜けたのを感じて、達也が心の中で小さく息をつく。

 荒々しい攻めで自らの逞しさをこれでもかと見せ付ける達也だったが、彼の動き自体は実は普段の種付けとほとんど同じだった。相手が韓国人だろうが、特に意識する事はない。普段通り、淡々と自身の仕事をこなす。つまりはイかせて奥に出す、それだけだ。

(…そろそろ限界かな)

 もちろん達也の方にはまだまだ余裕がある。だが一方のヘリンは、もう体に力をまともに入れる事すらできないような状態にまで達していた。これ以上続けると、気を狂わせてしまうんじゃないかと思ってしまうほどだ。

(じゃ、そろそろ終わるか…)

 そう意識して、腰の振りを少し強める。

 すると間もなく、射精感が込み上げてきて。

「では、そろそろ出しますね」

 聞こえていないだろうし仮に聞こえてたとしても日本語通じないだろうなとは思いつつ、でも一応決まり通りにフィニッシュの旨を告げて。

「ん…」

 モノを最奥に押し付けて、射精を開始する。もう射精のタイミングもかなり自由にコントロールできるようになった。やっぱり自分ってやればできる子なんだよなぁ…そんなナルシズムに少しだけ浸りながら、震える子宮にビシャビシャドクドクと精液を打ち付けて。

「ふう…」

 最後の最後まで吐き出して、一つ息をつく。これにて種付け完了だ。

「よっ…と」

 特に名残惜しそうな様子も無く、ペニスを引き抜く。現れたソレは、愛液と自らの白濁液にまみれて怪しく光っている。

 それにしても、恐ろしいほどの大きさだ。こんなモノが本当にヘリンの中を縦横無尽に行き来していたのかと思わずにはいられないほどに…

(ふう…)

 また小さく息をつく。初めて外国人に種付けした達也だったが、特別何かを意識する事はなかった。言葉でコミュニケーションを取れない所にちょっとした不便を感じた、そのぐらいだ。

 ただ、達也自身いつもより若干興奮気味だった感は否めないかもしれない。それはヘリンが韓国人だからではなく、一人の女性として普通に美しかったからに他ならない。

 種付けは種付けと割り切っているつもりではあるけれど、やっぱり達也も男である以上、綺麗な女性に対して気合いが入ってしまうのは仕方のない事なのだ。

(しっかし…綺麗な脚だよな…)

 ぐったりとうつ伏せになったヘリンを見下ろして、ふとそんな事を思う。ほっそりとした脚はスラリと長く、紫外線を浴びた事ないんじゃないかと思うような透明感に溢れていた。失礼な表現にはなるが、普段種付けしているアラフォー女性とは大違いだ。

(ていうか…膝下長いよなあ…)

 ヘリンの脚…特に膝下から足首にかけての長さと細さのバランスは見事の一言だった。多くの女性の体を見てきた達也をもってしても、ちょっとお目にかかった記憶が無いようなレベルの美脚と言えた。

「悔しいけど、下半身のスタイルに関しては日本人の負けかもなぁ…」

 なんて呟いてしまうぐらい、ヘリンの脚は美しかった。

 そんな綺麗な脚を眺めていると、ふと、ある思いに駆られ始める。

 

 …舐めてみよっかな、と。

 

 この衝動を変態と捉えるか、それとも健全な男子の健全な思考と捉えるかは判断の別れる所だろう。ただ一つ言えるのは、達也にはやりたいと思った事を実行するだけの力があるという事だ。そう、少なくともこの部屋においては、達也は王様。王様の欲望を阻止できる者など存在しない。そして仮に何者かが乱入して達也の変態的(健全的)衝動を阻止しようとしても、達也の手にかかれば撃退する事は容易なのだ。

 だから、一度思ってしまうと、達也はもう止まらない。止まる必要もない。

 ヘリンが完全に気を失ってるのを確認して、そっと自らの顔を、ヘリンの脚に近付けて。

 ペロッと、舐めてみる。当然、甘い味がする訳でもないけど。

「ふむ…」

 気取ったように一人で頷きながら、今度は足先の方へと顔を移動させて。

「ふむふむ…」

 また一人で頷いたかと思うと、何を思ったのか足の裏の匂いをくんくんと嗅いで。

 そしてペロリと、足の指の裏側の部分を舐めてみる。

「ふむふむふむ…」

 そしてまた、何かを悟ったように頷きながら。

「…もう1ラウンド、やるか」

 モノが再び硬くなり始めるのを感じながら達也は、ぐったりと横たわるヘリンの腰に手をかけたのだった。

 

 

 2ラウンド目が功を奏したのかは不明だが、数週間後、ヘリンの妊娠が無事に確認された。

 リング上と同じようにベッドの上でも韓国人を完全に支配し、日本代表としての役目を完璧に果たしたのだった。




以上、ストーリーとほとんど関係ない、作者の悪い所が出た回でした


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4-3 パパは強くなきゃいけないから

 梅雨が開けて少しした頃、達也の次戦の対戦相手が発表された。カンフーの使い手という触れ込みのアメリカ人選手だった。

 ただ、詳しくは後述するがこの相手はハッキリ言って達也の『商品価値』をさらに高めるという目的のためだけに選ばれた選手と言って差し支えなかった。

 ここに来てREALの運営サイドは、小野達也という選手の真の才能に注目し始めていた。もっと言えば、達也は『パクを倒した男』という特別な付加価値に支えられただけの選手では決してなく、純粋に素晴らしいスター性を有した選手なのではないかと考え始めていたのだ。

 現状、ファンの達也に対する認識は『パクを倒した男』でしかない。だが冷静に達也のここまでの戦績を見てみると、プロデビュー以来15戦15勝、しかも全て1ラウンドでのKO勝利なのだ。さらに達也はまだ20歳と若く、加えてモデル顔負けの恵まれたスタイルとアイドルのような爽やかなルックスまで持っている。パクを倒したという事実ばかりに目を奪われがちだが、実績・年齢・外見といった達也本来のポテンシャルを純粋に評価しても、スーパースターになれる資質を十分過ぎる程に持ち合わせていると言えるのだ。それに気付いたREALが今後は達也を前面に押し出していこうと考えるのは当然だった。

 

 8月13日、達也は再びREALのリングに登場した。パク戦は挑戦者という色合いが濃かったが、今回はイベントを彩る主役の一人としての出場である。

 そして、達也がREALの『推し』選手となった事はテレビ放送での編集でも明らかだった。試合前に達也の紹介VTRがたっぷりと流されたのだが、その内容はというと…

「普段は西都大学に通うインテリ大学生(自己推薦入学である事には触れられず)、イマドキの若者らしく流行りの曲を好み(実際はあまり音楽を聴かない)、甘いスイーツが大好きなんていうキュートな一面を持っていて(糖質制限してるからスイーツはほとんど食べない)…」

 …と、達也を知る人間からすれば「こいつ誰やねん!」と言わずにはいられないようなとんでもない仕上がり、おまけに「爽やかなルックスで若い女の子から人気沸騰中!」と、まるでアイドルのプロモーションビデオと見まがうような、それはそれは凄まじい紹介VTRだったのだ。

 ただ、紹介VTRはオーバーが過ぎるとはいえ、達也が爽やかなルックスで若い女の子から人気急上昇中なのは決して嘘ではなかった。現に達也の試合になると、F0層(13歳~19歳の女性)及びF1層(20歳~34歳の女性)という格闘技にはあまり興味を持たない層の個人視聴率が5ポイント以上もアップした。

 

 さあ、視聴率もぐんぐん上がってついに達也の試である。リングに上がる達也の表情には、これ以上無い程に気合いが漲っている。

 実は達也には、どうしても勝ちたい『ある理由』があった。まあ、もちろんいつだって勝ちたいんだけど、この日はこれまでの試合以上に、特別な思いを持って試合に臨んでいた。

 というのもつい先日、達也が昨年の夏に初めて種付けした亜美から、無事に男の子を出産したという知らせが届いたのだ。

 HFPではプライバシー保護の観点から、種付けする男性と依頼者の女性が連絡先を交換する事を原則として禁止している。なので達也から亜美に連絡する手立ては無く、亜美が達也に連絡したければ玲奈を介さなければならない。なので達也は、亜美が妊娠したという事自体は知っていたが、それ以降の情報は全く聞かされていなかったのだ。

 早いもので、達也が種付けを始めてからもう1年になる。その間、大事な試合が近付くたびに種付けのペースを落とすなどはしてきたが、それでも最低週1回以上のペースで、達也は世の女性たちの子宮に精子を注ぎ続けてきた。その結果、これまで達也が妊娠させた女性の人数は何と30人。これからは毎月複数の出産の報告が入る予定になっているのだ。

 とはいえ、やはり達也にとって亜美は、初めて種付けした思い入れの深い女性だ。亜美への種付けでは自分自身到らぬ部分があって精神的に落ち込み、一時は種付けを辞めようと思った瞬間もあったが、亜美が書き残してくれた感謝の言葉に励まされて心を持ち直す事ができた。だから達也は今でも時々思う。もし初めての種付けが亜美さんじゃなく別の女性だったら、もしかしたらその時点で種付けを辞めていたかもしれない、と。

 そんな亜美さんが俺の子どもを産んだ…そう思うと達也はつい感慨に浸ってしまうのを止められなかった。同時に、亜美に子どもを授けてあげられた自分自身を誇らしく思った。その誇りは、パクを倒して国民の期待に応えたという誇りにも、決して勝るとも劣らないものだった。

 亜美は生まれてきた男の子に達也から『た』の一字を取って『タクト』と名付けた。それを聞いた達也はちょっとした恥ずかしさが込み上げると共に、自分もついに父親になったんだという自負と責任感が込み上げてくるのだった。

 法律的には、達也とタクト君は赤の他人だ。達也はタクト君の子育てには一切関与しないし、そもそも会う機会すら永遠に無いかもしれない。でも…

 自分はもう父親なんだ。だから絶対に、弱い姿は見せられない。タクト君のためにも今日の試合は絶対に勝って、君のパパは強いんだぞっていう所を見せなきゃいけないんだ…と。

 

 秘めたる闘志の胸に、いざ試合が始まる。相手は前述したように、カンフーの達人という触れ込みのアメリカ人選手だ。

 だがこれも前述したように、この一戦は達也の商品価値を高めるためにプロデュースされたという意味合いが極めて強い試合である。強豪選手同士の試合ばかりを組んでいては毎回壮絶な潰し合いとなってしまって誰の身も持たない。いくらREALが国内最大の格闘技団体とはいえ、トップ選手に「楽な試合」を適度に組み込む事は当たり前の事なのだ。

 このカンフー選手が達也の相手として選ばれた理由は主に二点。一点目は空手vsカンフーという分かりやすい構図を作れるという事、もう一点はこの選手の見かけの戦績が実力とマッチしていないという事だった。つまりこれまでの戦績としては黒星より白星の方が遥かに多く高い勝率を誇っているが、実際は大した相手とほとんど試合をしておらず実力的には今一つ、というのがこの選手の正体なのである。

 そんな選手が相手となれば結果は最初から分かり切っているが…まあ一応、試合の内容を簡単に記そう。

 試合開始直後から、達也は何とほぼノーガードで戦うというエキサイティングな戦術を見せた。両手をぶらぶらと下げ、相手の攻撃を難なくかわしては素早いパンチを打ち込む。相手の攻撃は一発も当たらないのに達也の攻撃は面白いようにヒットする。それはまるで、ベテランの闘牛士の華麗な舞いを見ているようだった。

 そんなファンサービスのような戦いを1分半ほど見せ付けた後、達也は一気に決めに出た。圧力を強めて左右の連打で容赦なくダメージを与え、最後は達也が最も得意とする必殺の右ハイキックで顎を撃ち抜き、その瞬間に相手は失神した。

 パパとしての強さを見せ付ける、まさに言う事なしの完璧な勝利だった。また、パク戦の勝利がフロックではなかった事を全国のファンに証明し、その評価と知名度はさらに高まったのだった。

 

 

 そんな圧倒的な勝利をテレビで観戦しながら、亜美の瞳には自然と涙が溢れていた。私はこの人の子どもを産んだんだ…タクトの中には、この強く優しく逞しい青年と私の血が混じり合っているんだ…と。

 タクトのパパは、日本一強くてカッコいいパパなんだよ…そう呟きながら亜美は、まだ生まれて間もない我が子を抱きしめるのだった。



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4-4 4割バッター達也くん

 達也の次戦は10月7日の土曜日に決まった。舞台はもちろんREALである。

 前回の試合からわずか2か月足らずという短い間隔でリングに上がる事になったが、体にダメージは残っておらず全く問題はなかった。相手は25歳の日本人選手で、あまりメジャーではない団体に属しているために名の通った選手との対戦経験こそ乏しいものの、これまでの通算成績は19勝2敗、目下12連勝中と今最も勢いのあるキックボクサーの一人だった。これがREAL初参戦だったが、ファンの中には達也に一泡吹かせるのではないかという声も少なからずあった。

 だが、そんな一部ファンの予想は全く当たらなかった。いざ試合が始まると、達也が圧倒的な強さを見せ付ける展開となった。長いリーチで間合いを取って主導権を掴み、手数で圧倒しつつ上下に攻撃を散らして着実にダメージを与える。ボディーとローキックで下への攻撃を意識させ、最後は1ラウンド2分30秒過ぎ、相手のガードが下がった瞬間に必殺のハイキックを顎に突き刺して失神KO勝利を飾った。

 この試合で達也が繰り出したハイキックは、フィニッシュとなった1発だけだった。もちろんそれは達也のプラン通りだった。不用意にハイキックを打って大ピンチを招いたパク戦の反省から、今回は必殺技は最後の最後まで取っておこうと決めていたのだ。まさに狙い通りの『一撃』でREALが用意した刺客を難なく退け、これからは達也を前面に押し出していきたいと考えているREAL運営の期待にも見事に応えた。また、2試合続けてハイキックでの失神KOフィニッシュはファンのハートを鷲掴みにし、この頃から達也には『キックの王子様』というイケてるんだかダサいんだかよく分からないニックネームも授けられるようになった。

 

 と、REAL3連勝を飾り強さを見せ付けた達也だが、種付けの方も本業の格闘技に負けず劣らずの驚異的な実績を積み上げていった。

 

 女性の妊娠確率は年齢に大きく依存する。達也が種付けする女性の年齢は平均するとだいたい35歳ぐらいという所だが、普通の男性が35歳の女性と子づくりに励んだ場合、最も妊娠する確率が高いとされる排卵予定日2日前に狙いを定めて中出ししたとしても、10回に1回妊娠すればいい方である。超危険日を狙い撃っても妊娠確率1割以下、それが35歳女性の現実なのだ。ところが、達也の種付け一発成功率は約4割という驚異的な数値を記録していた。これはもう誤差の範囲では有り得ず、達也の精子の受精能力の高さが桁違いである事の証明に他ならなかった。

 毎月のように複数の女性が達也の種付けによって妊娠し、達也の元を卒業していった。記念すべき第一子となるタクト君がこの世に生を受けた翌月には別の女性が第2子となる女の子を産み、さらにほとんど間髪置かずに第3子となる男の子が誕生した。そして来月以降も、かつて種付けした女性たちの出産予定が続々と控えているというのだから…驚愕と言うしかなかった。

 しかも達也が有名人になった事で、種付けを希望する女性も激増する事になってしまった。というのも、以下に示すのがHFPにおいて女性が種付けを受けるに到るまでの簡単なフローチャートなのだが。

 

 

1.種付けを希望する(種付けに興味を持つ)依頼者がHFPに面談希望のメールを送付

 

2.メールを受け、玲奈が依頼者と面談。

 

3.種付けを受けたいという意思が強固であると確認できた依頼者に対し、男性スタッフ(=達也)を紹介

 

4.達也から種付けを受けたいと思った依頼者がHFPに本登録

 

5.本登録後は性病検査等の諸検査を経て、あとは種付けの順番がまわってくるのを待つ(順番は依頼者の年齢や生活環境、さらには達也の希望などを勘案して玲奈が決定)

 

 

 実はこれまでは、上記の3~4の部分で「やっぱり考え直します」と種付けを思いとどまる女性も少なくなかったのだ。最初は種付けを希望していても話が具体的になるにつれて恐怖心を感じたり、あるいは達也がまだ学生であるという事を否定的に捉えたり、はたまた達也のキックボクサーという経歴に「怖そう」という印象を受けて嫌悪感を覚えたり…と、実は達也は自分の知らない所で、かなりの数の女性から拒否されていたのだ。まあ、いくら達也の見た目やスタイルが整っているとはいえ、まだ20歳そこそこのキックボクサーに抱かれなければならないとなると、ベッドの上でどんな乱暴されるか分からない…と女性が考えるのはある意味自然っちゃ自然なのだが。

 しかし達也がパクに勝って国民的な人気者になってからというもの、状況はガラリと一変。玲奈が達也を紹介するや否や依頼者は例外なく驚きの表情を見せ、「本当に達也くんに種付けしてもらえるんですか?」「というかぜひとも達也くんに種付けされたいです!」と、達也を拒否する女性など一人もいなくなってしまったのだ。

 そんな状況だから、夏から秋にかけて達也の種付けがさらにペースアップしたのは当然だった。毎日毎日…とは言わないまでも、少なくとも2~3日に1回は種付けをこなさなければならない日々が続いた。2~3日に1回ぐらい大した事ないじゃんと思う方もいるかもしれないが、達也がそこらのニートではないという事を忘れてはならない。達也はただでさえ大学生とプロ格闘家という2足のわらじを履き、トップアスリートとしての実力を維持できるだけのトレーニングを日々行っている身なのだ。しかも人気者ゆえにメディアの取材なども多く、完全な休養日などただの1日も存在しないような日々だった。

 しかし、種付けマシーンさながらの生活も、秋が深まるにつれてそのペースは落ちていった。というか、落とさざるを得なかった。

 なぜなら達也は、REALにとって一年で最大のイベントとなる大晦日のリングに上がる事が確定していたからである。

 そして、その対戦相手が達也に打診された…のだが。

 

………………………………………

 

「え…金田悠希?」

 晴香から告げられた対戦相手の名前を、達也はつい復唱してしまう。

「もちろん、聞いた事はあるわよね?」

「そりゃまあ、もちろん知ってますけど…」

 困惑したような表情を浮かべる達也。だが、それもその筈で。

「金田悠希って、あの金田兄弟のお兄さんの方?」

 こくりと晴香が小さく頷く。

 金田兄弟というのは、現在の日本格闘技界で最も有名と言っても過言ではない存在である。といっても弟の陽希(ようき)はまだデビュー間もない選手であり個人としての知名度はそこまで高くない。金田兄弟が有名なのは、ひとえに兄・悠希の存在があってこそである。

 では、今現在日本で一、二を争うほどに有名な格闘家である金田悠希とは一体如何なる選手なのか…を紹介する前に。

「で、俺はその金田の兄さんと、キックボクシングで戦うんですか?」

 達也が聞く。しかし晴香は小さく首を振って。

「できれば総合ルールで戦ってほしいというのが、REALからの要望なの」

「…なるほど」

 達也が渋い表情を見せる。 

 そう、金田悠希はキックボクサーではなく、寝技や関節技も含めて何でもありの総合格闘技を主戦とするMMAファイター(総合格闘家)なのである。

「まあ、時代は総合格闘技全盛ですもんね…」

 と達也が言う通り、現在の格闘技で最も人気を誇るのは間違いなく総合格闘技だった。しかも、断トツと言っていだろう。やはり打撃・寝技・関節技の全ての技術が必要となる総合格闘技こそ最強と考えるファンは多く、実際REALにしても、行われる試合の8割以上が総合格闘技ルールである。

「もちろん試合を断る事はできるわ。でも、今後REALへの出場がどうなるかは分からないけど…」

「じゃあ、まあ断りましょうかねえ」

「私の本心を言うと、できれば出て欲しいかなぁ…なんてちょっとだけ思ったりもするんだけど」

「俺今年頑張ったし、大晦日ぐらい休んでも良くないですか?」

「まあ、そうなんだけどね…」

 晴香がぼそっと達也に耳打ちする。

 それは、REALから提示されている今回の試合のファイトマネーで…

「…マジっすか?」

「マジなの」

「…マジかよ」

 達也が絶句する。これまでのREAL2試合でも結構なファイトマネーが出ていたが、聞かされた金額は全くケタが違った。

「やっぱり大晦日ってスポンサーの規模も全然違うんだって。しかも達也くんと金田悠希でしょ?普通に大晦日のメインを張れる試合だから、って」

「すげぇな大晦日…」

 お金には全くと言っていいほど執着のない達也だが、さすがに目を逸らせない金額だった。目がくらむ、という訳では決してないのだが…

(ていうかそんなに貰えるなら、最悪負けても引退して一生暮らしていけんじゃん?)

 それだけの金積んだら、充希も自分の事惚れ直すに違いないよな…何てゲスな事もつい考えてしまう。お金で充希の心を買おうとしてると言うとサイテーなのだが、財力は武器である事も間違いない訳で…剛力〇芽もどう見たってあのオジサンが持ってるお金に目がくらんでた訳で。

「まあ、それだけのニンジンを目の前にぶら下げられて、敵前逃亡するのはプロ失格ですよねえ…」

 と口にする達也の表情には、あまり自信が宿っているようには見えなかった。

「どうする?受けるって返事してもいいかな…?」

「いや…もうちょっと考えさせてください」

 試合に対する恐怖心を抱く事がほとんど無い達也だが、今回ばかりはさすがにすぐには結論を出せなかった。

 その理由は、提示された試合が総合格闘技ルールだからというのが最も大きいのだが、相手が金田悠希だから、というのも確実に大きな理由だった。

 

 なぜなら金田悠希は、一言で言うと悪名高い選手だからである。



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4-5 金田悠希という男

 今、日本で最も人気のある格闘技団体は、間違いなくREALである。

 では、REALにおいて最も有名な選手は誰かというと、真っ先に名前が挙がるのが金田悠希だ。

 事実、金田悠希が登場すると観客は大いに盛り上がり、テレビの視聴率は一気に跳ね上がる。REALにとって金田悠希は、間違いなく看板選手と言える存在だ。

 そんな金田悠希とは、一体どのような選手なのか。

 金田が初めてREALのリングに上がったのは3年前。地下格闘技と言われるような小さな格闘技団体で圧倒的な実績を誇っていた金田だが、この時は全国的にはまだ全くの無名の存在だった。

 REALデビュー戦の相手は杉山という選手だった。彼もこの試合がREAL初参戦で、リングネームは朝ノ富士といった。その名前からも分かるように、元大相撲の力士である。最高位は小結だったが、金星獲得数で歴代上位に名を連ねるなどここ一番での取組に強い力士で、この時点では金田よりも圧倒的に高い知名度を誇っていた。

 この元三役力士との一戦で、金田は鮮烈なREALデビューを果たす事になる。

 試合開始直後、突っ張りながらの突進を見せた朝ノ富士に逆らう事なく、金田は軽やかにロープ際へと下がった。すると朝ノ富士が勢い余って尻餅をついた。

 その直後、咄嗟に起き上がろうとした朝ノ富士の顔面を、金田が思い切り蹴り上げたのである。

 その衝撃で、朝ノ富士の前歯が全て飛び散った。だが金田はここぞとばかりに朝ノ富士に襲い掛かり、顔面へとパンチの連打を見舞う。レフェリーが慌てて試合を止めた時には、朝ノ富士の顔面は血まみれになっていた。

 この、凄惨な秒殺デビューは、ファンにとてつもなく強い印象を与えた。金田悠希はあまりにも残忍なファイターだというイメージは、試合を見た全ての人の脳に強くインプットされた。

 そして金田は、この試合以降も、ファンのイメージに違わない試合を続けた。

 REAL2戦目となった試合では、グラウンドで上になった体勢からヒジを落とし相手を失神させたのだが、角度が悪くレフェリーからは失神したのがハッキリと確認できなかったのを良い事に、その後もしばらく無抵抗の相手にパンチを連打し続けた。さらに別の打撃系ファイターとの一戦では、腕ひしぎ逆十字で相手の腕をへし折ってしまった。

 そんな残忍かつ荒々しいファイトは金田の代名詞となり、彼は一躍、人気選手への階段を駆け上がった。ただしその人気は、言わばアンチ・ヒーローとしての人気だった。ファンは金田が負ける姿を期待して試合を見る、しかし金田はそんなファンの期待を裏切って、挑戦者たちを返り討ちにしてしまう。つまり金田悠希とは、稀代のヒール(悪役)なのだ。

 ただし、金田を単なる悪役と見るのは早計だ。というのも、彼のREALでの戦績は9戦して8勝1無効試合。無効試合は金田の打撃が誤って相手の後頭部に入ってしまったもので、内容的には金田が相手を圧倒していた。つまりREALのリングで事実上の全勝ロードを驀進中という、確かな実力を有した選手である事は疑いようのない事実なのである。

 冷酷なファイトスタイルと確かな実力で、金田悠希は悪役としての確固たる地位を手に入れた。さらに彼は、リングの外でも立派な悪役だった。REALで知名度を獲得した金田は間もなく自身のユーチューブチャンネルを開設。動画自体はぼったくりバーに突撃して支払いを拒否したり、街でケンカ自慢の素人を探してスパーリングを申し込んだり、あるいは外車や高級腕時計といった高価な物をキャッシュで購入してみたりと、およそ人気プロ格闘家が配信するに相応しいとは思えない低俗な内容ばかりなのだが、やはりファンの怖いもの見たさもあって視聴数はうなぎ上り、今ではチャンネル登録者数は200万人を超えている事からもその人気が嘘ではないという事が分かる。

 もちろんこういったユーチューバー活動は自身の悪役イメージを増幅させたいという狙いがあっての事なのだが、その狙いは見事に成功していると言えた。実際、格闘技にはさほど興味がなくともユーチューブに投稿される動画は見るという層も一定数存在し、格闘技ファン獲得の底上げを担っている事も確かだった。金田自身、今では自らを『格闘系ユーチューバー』と名乗っているが、これも「格闘技はケンカの延長であり金儲けのための手段のひとつ」というイメージをファンに持たせるための自己プロモーションの一環と言えた。

 また、金田の『悪役』としてのイメージ作りは、リングの上やカメラの前を離れても徹底していた。所属するジムでは後輩選手は金田への絶対服従を誓わされ、トイレやリングなどの掃除は全て後輩が担当しなければならないのはもちろん、金田が乗る高級外車や履いている靴も毎日綺麗に磨くよう強要されていた。トレーニングが終わり金田がシャワーブースから出てくると、若手選手は金田の元へと駆け寄りバスタオルで彼の体を拭かなければならなかった。まあ、ここまで来ると悪役としてのイメージ作りと言うよりも、単に金田本来の性格が表れているだけかもしれないが…

 いずれにしても、金田は根っからの悪役なのである。かつて一時期だけ金田と同じジムに所属したアメリカ出身のあるレスラー選手は、彼の振る舞いを目にして酷くショックを受けたと述懐する。

 

「何という事だ、これはまるで19世紀の奴隷制度だ。ユウキ・カネダは自分を王様だとでも思っているのか?」

 

………………………………………

 

 達也との試合を打診された金田は、喜び勇むようにオファーを受諾した。達也の人気が飛ぶ鳥を落とすような勢いなのはもちろん知っている。日本中のヒーローとなったキックボクサーと、自身のフィールドである総合格闘技で戦える…金田にとっては断る理由など何一つないどころか、率直に言ってこれ以上無いほどに嬉しいオファーだった。負ける筈がない。強がりではなく、100%嘘偽りなく、金田は自分が達也に負ける姿など想像できなかった。

 また、金田自身の実体験も、彼の強気を後押ししていた。それは今からおよそ1年前、金田にとってREAL6戦目となった試合に遡る。

 その試合の相手は、木山肇(きやまはじめ)という空手家だった。空手の世界選手権で2度の準優勝を誇る日本空手界の第一人者であり、この日が総合格闘技初挑戦だった。

 試合前の会見で、木山は力強く言った。

 

「自分は空手家なので、打撃以外で勝てるとは思っていません。総合格闘技は寝技におけるウエートが非常に高い競技である事は理解していますが、自分には打撃しかない。ただ、打撃に関しては金田選手よりも勝っていると自負しています。打撃で圧倒して、空手の強さを見せたいです」

 

 ところがいざ試合が始まってみると、木山が金田を殴るチャンスは一度も訪れなかった。

 試合開始間もなく、金田は前蹴りのフェイントを入れると、その流れから素早くタックルに入っていとも簡単にテイクダウン(相手を倒して上になる状態)を奪った。

 そこからは、もう一方的だった。マウントポジション(相手に馬乗りになる圧倒的に有利な体勢)から木山の顔面を殴り続け、思う存分に甚振(いたぶ)った挙げ句、1ラウンド残り20秒という所で関節技へと移行。木山が逃れようとしたその隙に背後へとまわり、チョークスリーパーで失神させて決着した。哀れにも白目をむいた木山は、口から赤い泡を吹いていた。

 試合後の勝利者インタビュー、金田は半笑いで言い放った。

 

「ま、空手なんて全く話にならないって事っすね」



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4-6 冷静な判断

 金田悠希との試合を打診された達也だが、受けるかどうかの結論はまだ出ていなかった。

 本音としては、できれば試合を受けたいと思っていた。やはり何と言っても莫大なファイトマネーは魅力的で、一生食うに困らないような大金を目の前にぶら下げられながらみすみすそれを見逃すのは男としてどうなのよ?という思いは小さくなかった。加えて、今後REALで戦っていくからには総合格闘技への挑戦は避けて通れないというのも何となく感じていた。残念ながらキックボクシングはマイナー競技、どれだけ勝っても大して稼げないのは目に見えている。

 とはいえ、向こう見ずに総合格闘技のリングに上がればどんな悲惨な結果が待っているか分からないというのもまた事実。何せ達也は総合格闘技の練習など1秒たりともした事がないのだから。大金に目がくらんで安易に試合を受けたが最後、それこそ金田に歯を全部へし折られて総入れ歯生活になってしまうかもしれない。だから試合を受ける方向で前向きに考えつつも、最終的な決定は依然として下せないままだった。

 

 

 とりあえずは回答を保留したまま、しかし試合を受ける事を見越して、達也は金田戦の対策に取り組む事にした。

 その手始めはやっぱり、金田の試合映像を分析する事である。

 荒々しいファイトスタイルが有名な金田だが、単に荒いだけではなく優れた技術を有したファイターである事はREAL無敗という戦績からも明らかだ。実際、達也が金田の試合をじっくりと観察して抱いた率直な感想は、普通に強い選手だな…というものだった。

 パターンとしては打撃で優位に立てる相手には打撃で押し込み、そうでない場合には低く鋭いタックルを仕掛けてテイクダウンを狙う。そして一度テイクダウンを奪えば、後は強烈なパウンド(相手の上になった状態から振り下ろす打撃)の嵐。多少体勢が不完全でも強引なパウンドで相手の体力を削り、隙あらば関節技や締め技へと移行する。それら一連の流れは力強く、REALという最高峰の舞台で不敗を誇っているのは伊達じゃないと達也は素直に思った。

 そして、何試合か確認した中で最も印象的だったのが、やはり自身と同じ立ち技の選手である木山肇との試合だった。空手の実力者である木山の打撃に対して金田は全く怯む様子はなく、むしろ自ら仕掛けてあっさりとテイクダウンを奪ってしまった。

 そこからは、あまりに一方的だった。

 反吐が出る…達也は本気でそう思った。テイクダウンを奪ってから決着までの数分間に試合としての価値はなく、それは金田が木山を嬲(なぶ)るだけの残酷なショーに過ぎなかった。殴る者と殴られる者、圧倒的優位な立場に立った者が無力な者を一方的に殴り続けるその光景は、もはや格闘技ではなかった。

 なぜこんな残忍な事ができるのか…達也は怒りにも似た感情を覚えずにはいられなかった。金田の実力があってグラウンドであれだけ有利な体勢を築けば、簡単に関節を極める事ができた筈だ。それをせず、ただ延々と殴り続ける…それは万が一にも逆転を許さないという意味においては決して間違った戦略ではないのかもしれないが、達也の価値観とは絶対に相容れないものだった。

 そして試合後のマイクパフォーマンス。金田が相手を侮辱するような発言を繰り返しているようなイメージは達也も持っていた。ただ、具体的にどんな発言をしてきたかという事は全く知らなかった。

 

――空手など話にならない

 

 腹が立った。無性に腹が立った。空手家の偉大な先輩が一方的に殴られ続け、最後は締め落とされて血を吹きながら失神し、挙げ句の果てに空手を侮辱し罵倒される…それは空手と共に歩んできた達也にとって、これ以上なく悔しく、そして許せない光景だった。やり返したい、空手家の意地とプライドをかけて金田をKOしたい…そう思った。

 だが、少なくとも総合格闘技におけるグラウンドの攻防においては、空手の打撃が全く無力だという事は厳然たる事実だった。空手の世界選手権で準優勝という実績を持つ木山がテイクダウンを許して以降、全く反撃できず一方的に殴られ続けた姿が、その事実を如実に証明していた。

 悔しい…でも勝てる保証は全く無い。むしろ勝てないだろう…

 それが、金田の実力を分析して達也が得るに到った、冷静な結論だった。



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4-7 寝技初挑戦…も

「えっ、私ですかっ!?」

 晴香から話を聞かされた香菜が、戸惑った表情を見せる。

「達也くん直々のご指名なの。嫌だったかしら?」

「別に嫌ではないですけど…でも、どうして私が…?」

「それはやっぱり香菜ちゃんが達也くんのタイプなんじゃない?」

「へ、変な事言わないで下さいよっ…!」

「とにかく、今のFAILYは達也くんあってこそなの。香菜ちゃん、我がジムのエースのために力を貸してくれないかしら?」

「わ、分かりました。頑張りますっ…!」

 と、達也に寝技を教える事になったこの人物の名前は森香菜。まだ17歳の女子高生ファイターである。柔道をバックボーンとし、中学時代には全国大会で優勝するなどの素晴らしい実績を残したが、高校入学後まもなくFAILYに入門しプロ格闘家へと転向。これまでグラップリングルール(打撃禁止、寝技と関節技のみの試合)と総合格闘技ルールでの試合を合わせて7戦し5勝1敗1分けと、FAILYの中でも今最も期待されている若手女子選手だった。

 金田の実力をしっかりと認識した達也だったが、全く尻込みなどしていなかった。それどころかむしろ、絶対に金田をぶっ倒してやると気合いに燃えていた。そうなると寝技の練習を避けては通れない。幸いFAILYには総合格闘技をメインに戦っている選手が多く在籍している。金田との試合を受けるかどうかは保留しつつも、大晦日の決戦を見据えて寝技の訓練を開始する事にしたのだ。

 ではなぜ達也が男子選手ではなく実力的に劣る女子選手の香菜に寝技のレッスンをお願いしたのか、それは端的に言うと…「達也くんのタイプなんじゃない?」という晴香のジョークがそこまで外れてもいなかったりする。まあ、タイプというのはちと言い過ぎだが、達也としては「男子選手と寝技の練習なんて耐えられない」というのが本音だった。当然ながら寝技の練習は相手と密着する事になる。濃厚接触を避けて通れないトレーニングを男子選手と…そう考えただけで達也は蕁麻疹が出そうな気分になるのだった。寝技の練習は女子選手としか有り得ない。ならばせっかくなら、可愛い後輩の香菜ちゃんにお願いしよう。それに香菜ちゃんなら基礎から手取り足取り優しく教えてくれるだろう、と。

 最初は驚いた香菜だったが、ジムの先輩である達也からの申し出を断る訳もないのは当然だった。というか実際の所は、香菜に拒否権は無かった。何せ今や、達也はFAILYの大エースにして大黒柱。FAILYにもたらされるファイトマネーの大半は達也が稼ぎ出してくるものであり、ジムとしても達也の活躍を最優先に考えた『達也シフト』を敷いているのだから。

 

「よ、よろしくお願いしますっ」

 練習を始めるにあたって、香菜はガッチガチに緊張していた。同じジムに属しているとはいえ男子キックボクシング選手の達也と女子総合格闘技選手の香菜ではトレーニングメニューも全く異なり、交流の機会はほとんどない。現に香菜が達也と面を向かって話すのは、これが初めてだった。

「よろしくお願いします。というか、何でそんなに緊張してるんですか?」

「そ、それは、達也さんはFAILYの大エースですから…って何で達也さんが敬語なんですかっ…!」

「そりゃ、今回は自分が教わる立場ですから。パシリでも何でもしますんで、ビシビシ教えて下さい!」

「ぱ、パシリなんてさせないですよぅ…」

 この時、香菜は自分がコーチ役に指名された事を驚きつつも、内心ではめちゃくちゃ喜んでいた。というのも、達也の爽やかなルックスこそ実は香菜のドストライクだったのである。強くてカッコいい憧れの先輩、それが香菜にとっての達也だった。まさか私が達也さんに寝技を教える事になるなんて…これがきっかけで別の意味での寝技を教えてもらう事になったらどうしよう…そんな事も頭をよぎったとかよぎっていないとか…

 

………………………………………

 

「じゃあ、まずは柔道形式で寝技の実戦をやってみましょうか」

 練習が始まる。まず香菜が指示したのは、柔道の寝技による実戦練習だった。お互いに背中を合わせて座った状態から始まり、相手の上になって背中を一定時間床に付ければ勝ちという形式だ。

 達也の柔道経験は、中学生の時の体育の授業以来だ。当然、その時に教わった事などほとんど覚えていない。つまり寝技の経験も知識も全くのゼロだった。

 しかし達也は、もしかしたら香菜を抑え込めてしまうかもしれないと密かに思っていた。というか普通に抑え込めるんじゃね?とすら思っていた。何かの間違いがあって抑え込まれても、楽に跳ね除けられるだろうとも思っていた。何せ達也と香菜では体重が全然違うし、パワーの差に到っては大人と子どもぐらい違うと言っても過言ではない。技術や知識が無くても、力づくで強引に押し倒せるだろう、ぐらいに思っていたのだ。

 ところが実際やってみると……全くダメだった。

 香菜のグラウンドでの素早い身のこなしに、達也は全くついていけなかった。そして一度上に乗られたら最後、首元を固定され体の重心となる部分を抑えられほとんど身動き不可能。香菜を跳ねのけたり体の位置を逆転させたりする事なんて夢のまた夢状態だった。

 何度やっても香菜が達也の上になった。回数を重ねると達也が上になりそうなシーンもたまには訪れるのだが、香菜の巧みな動きに翻弄されるように結局は達也が下になる。パワーの差は歴然なのだが、テクニックの差はそれ以上に歴然だった。 

 そんな状態が続くうちに香菜も気持ち良くなってきて、最初は封印していた関節技や締め技も少しずつ見せるようになっていった。下になった状態から何とか脱出しようともがく達也の腕を取り、あるいは首がガラ空きになった所を狙って締め技を入れた。ヘタな抵抗は逆に致命的なピンチを招くだけという事を教える厳しいレッスンに、達也は香菜の体に力無くタップを繰り返すしかなかった。

 完敗だった。自身の考えは甘かったという事を、達也は年下の女の子にみっちりと教えられたのだった。



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4-8 暗雲

 その日の練習終わり、達也と香菜はとあるファミレスに来ていた。

 思いがけない食事の誘いに香菜は内心ドキドキしながらOKしたが、達也は単にこの日の特訓についてまだまだ聞き足りない事があっただけだった。まあ、下心があるなら誘うにしてもファミレスは選ばないだろう。達也に下心が全く無い事が徐々に分かって香菜は内心ガッカリだったが、とはいえ改めて達也に尊敬の念を抱いたのも事実だった。今日教えたばかりの事を深く掘り下げて聞いてくる達也の姿に、やっぱり強くなる人は違うんだなあ…と。

「いや、ありがとう。ホントに勉強になったよ」

 疑問点を一通り聞き終えて、達也が改めてお礼を言う。そして「はあ…」と小さく息をついた。

 その様子を見て香菜は、ちょっと調子に乗ってシゴき過ぎちゃったかな…と小さな罪悪感を抱きつつ。

「その、今日はすみません。達也さんは寝技初めてなのに、ちょっと厳しくしすぎたかもしれません」

「いや、こっちからお願いした事だから」

 そう口にする達也の表情からは、ハッキリと自信が失われているように見えた。無理もない、まだ未成年の女の子にいいように痛めつけられタップを繰り返したのだから。

「で、でも、達也さんはセンスありますよ。寝技未経験とは全く思えなかったです」

「いや、フォローしてくれなくてもいいよ。今日は俺、ホントに身の程を知った」

「そ、そんな事ないですって。私はずっと柔道とかグラップリングとかやってきましたから…単に経験の差ですよ」

 香菜の言葉は半分は達也へのフォローなのだが、半分は本心だった。実際、達也の寝技センスはかなりのもので、とても未経験者とは思えなかった。だからこそ香菜もつい本気になって必要以上に達也をいじめてしまった、という面は多分にあったのである。

「それにしても、こんなにボロボロにされたのは生まれて初めてだな…」

 達也が言う。実際この日の達也は、一生分のタップをしたと言っても過言ではなかった。その相手が年下の女の子というのが達也の敗北感を大きく増幅させていた事は言うまでもなくて。

「そう落ち込まないで下さいよぉ。達也さんは今日が初めての寝技だったんですから、仕方ないですって」

「もし俺と香菜ちゃんが総合格闘技ルールで戦ったら、どっちが勝つかな…?」

「そ、そんなの達也さんに決まってるじゃないですかっ。達也さん、ホント深刻になり過ぎですってっ…」

「いや、俺は香菜ちゃんに勝てる気しないな…」

 嘘ではなく本気でそう思うくらい、達也はヘコんでいた。香菜ちゃんにここまでいいようにやられるのに、金田悠希になんて勝てる訳ないじゃないか…と。

「寝技は今日が初めてですから、すぐ上達しますって。それに達也さんには、必殺の打撃があるじゃないですかっ」

「でも、少なくとも香菜ちゃんがいつも戦ってるグラップリングルールなら、正直俺なんて楽勝だろ?」

「そ、それは…」

 一瞬口ごもる香菜の姿は、明確にこう告げていた。

 はい、楽勝ですっ!と…

「ていうかグラップリングルールで香菜ちゃんがその気になれば、俺を殺す事だって余裕なんじゃないの…?」

「こ、殺すなんて…っていうか何言ってるんですかっ…!」

 このまま試合を受けたら、マジで金田に殺される…まあ殺されはしないとしても、冗談抜きで半殺しにされるだろうな…達也の悲観は深かった。

 

………………………………………

 

 翌日から、達也はある明確な方針を持って寝技の練習に取り組む事にした。

「こうやって足を相手の胴体に巻き付けるんです」

 今、達也が香菜から重点的に教わっているのは、グラウンドの攻防で下になった時に相手の体を自らの足で挟み込む体勢、いわゆるガードポジションという体勢だ。

 実はこのガードポジションこそが、グラウンドでの攻防を制するにあたって大きなポイントとなる体勢なのである。総合格闘技におけるグラウンドでの攻防は、相手の上に乗っていれば有利というような単純なものではない。仮に相手の下になってしまったとしても、ガードポジションさえ維持できていれば一方的に攻められる事はほとんど無い。それどころか寝技を得意とする選手などは、相手を引き込んで自ら下になる場合もあるほどだ。ガードポジションを維持できている限り、上下の位置関係における優劣は無いとさえ言えるのである。

 ガードポジションの重要性は、総合格闘家なら誰もが基本中の基本として理解している。だが達也は、そんな基本すら全く知らなかった。しかし香菜に教わったようにガードポジションを実践してみたところ、上に乗られながらも香菜の体をある程度コントロールできているような感覚を覚えた。

 このガードポジションの習得をはじめとして、達也は寝技での防御法を身に付ける事にトレーニングの全てを費やす事にした。相手のタックルを切る訓練、寝技に持ち込まれ相手に上になられた際に素早くガードポジションに入る訓練、そして関節技や締め技を回避する訓練などである。本職の総合格闘家を相手に寝技勝負を挑まれては万に一つも勝ち目はないという事を素直に認め、守備重視の戦術に活路を見出す事にしたのである。

 達也の格闘センスは凄まじく、守備能力はみるみるうちに向上していった。特にグラウンドに持ち込まれた際にガードポジションに入る技術に関しては、あっという間に本職の総合格闘家にもヒケを取らないレベルにまで上達した。達也の人一倍長い足も、相手の体を挟み込むには有利に作用した。

 ただ、寝技そのものを避けるという根本的な課題に関しては、行き詰まりを感じていた。狭いリング内で相手のタックルをかわし続けるのは難しく、一度組みつかれると振りほどくのは難しい。足に絡みつかれたら相手が香菜であっても振りほどくのは容易ではない…というよりほぼ不可能だった。

 そして寝技の攻防でガードポジションを失ってしまえば、その時点で事実上のゲームオーバー。この日も達也は香菜に幾度となく関節を取られ、その度にタップを繰り返した。



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4-9 種付け中の…開眼?

 薄暗い部屋、軋むベッド、漏れる女性の喘ぎ声。

 この日も達也は、仰向けになる女性の上になり、腰を前後させていた。

 しかし、どこか心ここにあらずといった表情。それもその筈、達也は金田戦のシミュレーションで頭が一杯だった。なので腰の動きも、いつもとは比べ物にならない程に単調だ。

 試合を受けるか否かの回答期限は来週に迫っていた。それでもまだ、達也は答えを決める事ができかねていた。本心としては戦いたい、生意気な金田をぶっ倒して自分の強さを…空手の強さを見せ付けてやりたい。しかし勝利への道筋は依然として全く見えず、無惨な敗北のイメージだけが達也を覆っていた。

 ガードポジションを構築する訓練に関しては、それなりに手応えを得られるようにはなっていた。だが、ガードポジションはその名の通りあくまで防御の姿勢。ガードポジションになれたからといって勝てる訳ではないのだ。結局の所、勝つためにはグラウンドでの攻防を避けるしかないのだが、しかしどれだけシミュレーションを繰り返しても寝技に持ち込まれるのは不可避に思えた。一度や二度ならともかく、試合開始から終了までずっとタックルや組み付きを回避し続けるなんてどう考えても不可能だ。

 そして一度グラウンドへと引きずり込まれれば、もう勝ち目はない。よしんばガードポジションに入れたとしても、KO負けを免れるのが精一杯だろう。

(やっぱ寝技でも対抗できるように…いやそれこそ無理か…)

 いいアイデアが浮かばないまま、不毛な思考だけが頭の中をぐるぐると回る。まさに八方塞がりである。

(うーん、どうすればいいかなあ…)

 思考を一旦リセットしてみようと、達也は種付けに意識を戻した。

 視線を下げると、女性がアンアンと喘いでいるのが目に入る。

(女の人って、やっぱ声出ちゃうんだよなあ…)

 達也の腰の動きはあくまで一定、しかもかなり力を抑制したスローな動きだ。それでも女性は体の奥から溢れ出る呻きを我慢できないといったように、哀れみを感じさせる声を上げ続けていた。膣内を行き来するモノがあまりに長大かつ極太なために、動き自体がスローで単調でも女性を狂わすには十分な破壊力を有している証左だ。

(待てよ…)

 そんな女性の様子を眺めながら、達也はふと思った。

(軽い攻撃でも、元のパワーさえ十分なら威力はしっかり伝わるんだよな…)

 総合格闘技で使用するのは、オープンフィンガーグローブという薄いグローブである。ジャブでもしっかり当たれば、その威力は十分だ。

(となると遠目からでのジャブでも、それなりのダメージは与えられる、か…)

 ほんの少しだけど勝利へのヒントが見えたような気がした。

 その時…

「んっ…!?」

 前後させていたモノに不意に強烈な締め付けが襲い、達也は思わず声を上げてしまう。

 直後、射精感が有無を言わさぬ勢いでせり上がって来るのを感じて。

(や、やばっ…!)

 本能的に堪えようとしたが、直前まで気を抜いていた事もあり、もう時すでに遅しだった。腰の辺りに独特の快感が込み上げる。

 種付けにはすっかり慣れて射精のコントロール技術もほぼ会得した達也だが、それはあくまで集中していればの話。今回はあまりに気を抜き過ぎていたから…

「じゃあ…そろそろ出しますねっ…!」

 射精感を止められない不甲斐なさを感じながら、でもやっぱり我慢できないという事実を認めた達也は、射精は事前申告制というマナーだけは守りつつ、フィニッシュに向かうべく腰の動きを強める。

 そして発射の瞬間、1ミリでも子宮に近い場所に精子を着弾させるために、女性の腰をしっかりと引き付けて…!

「はぁうううぅぅぅぅぅぅっっっっっっ!!!!」

 ドスン!とモノを最奥に突き刺した瞬間、女性はカッと目を見開いた。

 まさに、その瞬間だった。

(え…?)

 達也の中に、予感めいた何かがぞわぞわっと走った。

(引き付けて…一突き…)

 相手を引き付けての、全力の一撃。その破壊力は、相手を一瞬で戦闘不能に追いやるほどに絶大で…

 つまりは…リングの上に当てはめると…

(そうか、その手があるじゃん…!)

 子宮へドクドクと精液を流し込みながら、達也は金田戦への確かな突破口を見出した…かもしれなかった。

 



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4-10 達也と充希(in西都大学)

     ―西都大学キャンパス:達也―

「よお充希…って、えぇっ?」

 俺が声を掛けた瞬間。

 充希はさささっ、と逃げるように小走りで立ち去ってしまった。

「…何で?」

 全く訳が分からなかったけど、とりあえず追いかける。

 すると充希が向かったのは、西都大学が誇る10階建ての学術情報資料館(要は図書館ね)の地下1階という、俺が1度も足を踏み入れた事のない場所だった。

 周囲に学生の姿はない。大量の本に囲まれた静かな場所にひっそりと佇むように用意された長机、その一席に腰掛けた充希は。

「で、どうしたの、達也?」

「いや…どうしたの?じゃなくてさ」

 何事もなかったかのような表情をしれっと向けてるけど。

 …あからさまに、俺から逃げたよね?

 ひょっとして避けられてる?まさかさっきの場所で他の男と待ち合わせしてたとか…?みたいな心配が頭の中を駆け巡るけど。

「だって、達也と一緒にいるとこ誰かに見られたら面倒じゃない」

 と、充希の弁。

 実は俺と充希が付き合っている事は、周囲には誰にも言ってない。というのも充希と付き合うと同時に俺が全国的な有名人になってしまったものだから、付き合ってるとあまり言いふらさない方がいいんじゃないか、という話になったのだ。

 俺としては交際を堂々と公言したい気持ちが強かったんだけど、充希がどうしても秘密にしておきたいと言うから仕方ない。まあ、実際に俺の人物像を取材しようとメディアの関係者らしい連中が大学まで取材に来たなんて話もちらっと聞いたりしたから、充希が俺と付き合ってるって事がバレると怖い目に遭うんじゃないかと感じるのも凄くよく分かる。

 そんなこんなで、大学で充希と話す時はあまり目立たないようにってのを心がけなきゃいけないという、寂しいキャンパスライフを余儀なくされていて。

「でも、こんな所まで来る事はない気もするんだけど」

 ちなみに、充希を見つけた場所から図書資料館までおよそ200m。ちょっとしたジョギングに付き合わされた感覚だ。

それに、こんな人気(ひとけ)のない所で密会してるのをもし見られたら、その方が変な噂が立つ気もするけど…

「達也は自分がどれだけ人気者か分かってないの」

 ピシャリと言われて、俺の負け。

「というか何しに来たのよ。最近全然顔出してなかったんじゃないの?」

「何しにって、俺、れっきとした西都大生なんですけど…」

 まあ確かに、最近は大晦日に向けたトレーニングに本腰を入れてるから、大学の方はそっちのけになってしまってるのは事実だけど。

「最低でも週に1回ぐらいは充希に会っとかないと精神が持たないし」

「……」

 充希が顔をしかめる。

 …え、今のでも怒られるの?

「ま、まあ、出席だけで単位取れそうな講義はやっぱ取っておこうかなと。留年はカッコ悪いじゃん」

「出席だけで単位取ろうっていうのも十分カッコ悪いけどね」

 …ド正論。

「というか、メールでもくれれば出席ぐらい私が代わりに取っててあげるわよ」

「お、マジで?」

 ちょっと信じられない一言だった。マジメが取り柄の充希の口からこんな言葉が出てくる日が来ようとは…

 とはいえ、付き合い始めてぐらいから充希は優しくなった…というか丸くなったように思うのも確かだった。一時期貸してくれなかったノートもまた貸してくれるようになったし。

 ひょっとしたら、ようやく俺を見直してくれたのかな…なんて思ったりして。

「それより、大晦日の試合はどうなったの?」

「ああ…」

 突然、話を変えられる。

「試合するかしないかまだ決まってないって言ってたけど」

「まだ決まってないけど、ほぼ確実に試合をする事になると思う」

「それはやっぱりREALで?」

「もちろん」

「そうなんだ、凄いね…」

「まあ、まだ確実に決まった訳じゃないけどな」

 とはいえ、大晦日の試合はほぼ決まったも同然だった。

 あとは金田サイドが、俺が出した『ある条件』を吞むかどうかだけで。

「相手はもう決まってるの?」

「ん…」

 どう言おうか、迷う。

 なぜなら、金田悠希という名前を出したら、きっと充希は不安になるだろうから。

「まあ、ほぼ決まってるんだけど、契約上誰にも言っちゃいけない事になってるから」

「そう…」

「あ、いや、別に充希が誰かに言いふらすとか思ってる訳じゃないぞ。ただ、ほら、やっぱそこはプロとして公私混同しちゃいけないっていうか…」

「うん、分かってる。ゴメンね」

 …マズい、無駄に変な空気にしちゃったな。

「まあ、どうせ近い内に発表されるから、嫌でもすぐに知る事になるって」

「うん、楽しみにしてるよ」

 …楽しみにしてる、か。

 あんまり楽しみにして欲しい相手じゃないんだけどなあ…

「まあ、試合の方はそんな所でさ」

 今度は俺から話題を変える。

「今日放課後、空いてる?」

「どうしたの急に?」

「いや、一緒にご飯でも行けたらなと思って」

「…練習は?」

「たまには体を休めるのも必要だからな。息抜きも兼ねてデートしたいな、なんて」

「私とのデートは練習の息抜きついでなんだ」

「間違った。充希とデートしたいから今日は練習をサボる」

「……」

 充希が度々見せる、自分のターンでの不意の沈黙。

 不機嫌そうな表情が伴ってる事が多いけど、今回は決してそうではなくて。

「高いフレンチとか行ってみようぜ。おかげさまでファイトマネーはそこそこ貰ってるし」

 と、畳みかけるようにもう一枚カードを切った、その時。

「…ん?」

 ポケットの中でスマホがブルブルと震える振動音が、静かな空間に響いた。

「メール?」

「みたいだな」

「確認したら?大事なメールかもしれないし」

「悪い」

 電話じゃなくてメールの時点で緊急性なんて皆無なんだけどな…そう思いつつ、スマホを取り出してメールを確認する。

 発信元は、晴香さんだった。

 そして、その内容は…

「…なるほど」

 要約すると……大晦日の試合、正式に決定。

 明日、契約書にサインする事になるから、内容を今晩一緒に確認できないか――

「ゴメン、充希。ちょっと急用ができた」

「…そう」

「だから…その、さっきの話、やっぱ無かった事に…」

「……」

 また少しの無言。今度は、全くの無表情で。

「無かった事も何も、そもそも私は元から行くなんて言ってないじゃない」

「ゴメン。ホントマジでゴメン。この埋め合わせは絶対にするから」

「だから、達也は別に穴なんか開けてないって」

「…あ、あと今日の4限目の金融論の講義、俺の出席も頼むな」

「はいはい」

「恩に着る!じゃあまたな!」

 

 充希とデートできなかったのは残念だったけど、仕方がなかった。

 大晦日は、細かいルールが勝敗を分けるような、紙一重の試合になるから。

 だから試合のルールは、隅から隅までしっかりと確認しておかなきゃならないから。

 

………………………………………

 

「………はあ」

 大量の本に囲まれた静かな静かな空間に、とっても大きなため息が漏れた。

 それはそれは、恐ろしいほどの不機嫌さに満ち溢れたため息だった。

 ギュッと歯を食いしばって。目の前にある長机を蹴り上げたい衝動を抑えて。

 ふうっ、と気持ちを落ち着けるような深呼吸の音が小さく聞こえた直後。

 充希が、ぽつりと呟いた。

 

「誰があんたの出席なんか取るか…っ」




自分、こういうほのぼのとした回が好きなんです


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4-11 前日会見

 小野達也vs金田悠希。

 試合が正式に発表された直後からファンは沸き立った。パク・チャンミンを倒して一躍ヒーローとなったキックボクサーと空前絶後の悪役にして実力的にも日本最強クラスと目される総合格闘家が、大晦日に異種格闘技のような形で相まみえる…それは格闘技ファンのみならず、格闘技に興味が無いような人たちの興味も大きくそそる、これ以上無いと言い切れるような好カードだった。

 人々が応援するのはもちろん達也の方である。絶大な人気を有する両雄だが金田はあくまでも悪役、つまりはアンチに支えられた人気であり、真の意味での人気という点においては圧倒的に達也が上。ファンは誰もがパク戦の再来を、達也が金田を粉砕するシーンを期待した。

 しかし、支配の勝敗予想という点においては、金田有利の声が圧倒的多数だった。その理由はやはり、総合格闘技という試合のルールにあった。総合格闘技のリングは甘くない、それはこれまで金田自身が己のキャリアで証明している。元関取の朝ノ富士や世界レベルの空手家である木山が金田を相手にほとんど何もできないまま無惨に敗れ去った事はファンもよく知っている。小野達也は多額のファイトマネーに目が眩んで死刑台に上がった…そんな声すら上がるほどだった。

 

 そして、前日会見の日がやってきた。

 達也と金田の試合は、全14試合中の第11試合だった。なぜ最注目であるこの一戦がメインではなく第11試合という微妙な試合順に設定されているのか、それは中継局であるフジテレビの意向が大きく反映されていた。というのも、この第11試合の開始予定時刻は午後9時前なのである。だから何?と思うかもしれないが、実はREALと視聴率を争うNHK紅白歌合戦が、午後8時55分から午後9時まで5分間のニュースを放送するのだ。言うまでもなくその間はNHKからチャンネルを変える視聴者が多い。紅白歌合戦から一時離脱した視聴者をガッチリと捕まえるために、大晦日のREALでは午後9時前後の試合に事実上のメインカードを配置する事が恒例になっているのだ。

 会見に先立って、試合のルールが確認された。5分3ラウンドの総合格闘技ルール。目つぶし、金的、後頭部への打撃は禁止。4点ポジション(体の4カ所以上または背中がマットに密着している状態)の選手への踏み付け・膝蹴り・サッカーボールキック(頭部への蹴り)は禁止と、ここまではREALで行われる普段の試合と全く同じである。

 しかし今回の試合には、たった一点、ある特別なルールが定められていた。

 それは、両者共に格闘技用のシューズを着用する、というルールである。

 実はこの格闘技用シューズの着用こそが、達也が今回の試合を受けるにあたって唯一提示した条件だった。そこにはもちろん、達也の明確な狙いがあっての事なのだが…

 しかしルール確認に続いて行われた会見では、記者たちは誰もシューズの件については触れようともしなかった。というよりそんな些細な部分は見逃していた、と言った方が正しいだろう。記者たちが注目するのは、翌日の大一番に向けて金田と達也の口からどんな発言が飛び出すのかだけだった。

 そして会見では、記者たちの期待通り、金田のビッグマウスは健在だった。達也を「人気だけの選手」「リアルファイトは素人レベル」とこき下ろして、

「小野くんはまだ若いし総合も初挑戦らしいから忠告しといてやるけど、タップは強めにしないと気付かないぞ?」

 タップが少しでも遅れたら容赦なく腕を折ると金田は宣言した。事実、かつて金田はREALの舞台でタップが遅れた相手選手の腕を折った事がある。まさしく恐怖の予告だった。

 だが達也は、そんな腕折り宣言にも全く動じる事なく、いつも通りの余裕を携えた表情で。

「金田選手の試合は見ましたけど、打撃では自分の方が余裕で上だと思いますね」

 と、金田を逆に挑発するような事を言ったかと思うと。

「金田選手ってリーチも足も短いですよね。だから遠めの距離からのローキックで、こっちが逆に金田選手の足を破壊してやろうと思ってます」

 と、金田の体型を軽くディスりながら、戦い方を示唆する発言まで飛び出した。

 とはいえ達也が距離を取って戦うべきなのは、ワザワザ口に出すまでもない事だった。組み付かれては達也の勝機は薄い…というより皆無だ。そういう意味においても、達也が言ったようにリーチの差は重要なポイントだった。会見に先立って行われた計量では、身長では達也が8cm、リーチでは15cmも達也の方が上回っていた。足の長さは測られてはいないが、おそらく10cmは達也の方が長いだろう。このサイズの差をフルに活かす事は、達也が勝つための絶対条件と言えた。

 それを自認するように、達也は会見を通じて『距離』という言葉を何度も口にした。距離感を常に意識したい、相手の距離にならないようにするのが大事、タックルに入られない距離を…と。

 

 実は、達也の作戦はこの時から既に始まっていた。



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4-12 vs金田悠希(前)

     ―充希―

 あの時は、正直に言うとちょっと残念に思った。誰と戦うか教えてくれないんだ…って。

 契約上言っちゃいけない…それはそうなのかもしれないけど…って。

 でも、今なら分かる。

 あの時達也が試合の事を詳しく教えてくれようとしなかったのは、おそらくは契約上どうこうっていう理由じゃなくて。

 相手の名前を知ったら私が不安になるって、達也は分かっていたから。

 だから、私に余計な心配をかけまいとしてくれたんだって。

 金田悠希。

 その名前は私でも知っている。顔と名前も、もちろん一致する。

 相手の歯を全部折ったとか、腕をへし折ったとか…とにかく恐ろしい選手。

 そんな奴と、達也が戦う…それを少しでも思うだけで、不安と恐怖心が全身を包む。

 3年前の夏の記憶が、まるで昨日の事のように思い出される。またあの悪夢が繰り返されるんじゃないか、と。

 いや、今思えば、あの時の負けなんて大して注目もされていなかった。テレビ中継なんてある筈もなかった。

 今回は日本中が注目する一戦。今日負けたら達也は、それこそ何千万人っていう人たちの前で、歯を全部折られて、腕をへし折られるかもしれない。

 嫌だ…絶対に嫌だ。そんな光景は絶対に見たくない。

 でも、私にできる事は、ただ祈る事くらい。

 達也の勝利を願って、存在するかしないかも分からない神様に、思いが届くよう必死に念じる事くらい。

 勝てなくてもいい…負けてもいいから…

 どうか達也を、何事もない無事な姿で、リングから下ろしてあげてください…と。

 

 

 放送が、始まった。

 試合会場は超満員の物凄い盛り上がりだった。その全員が、達也が手酷く負けて無惨な姿を晒すのを楽しみにしているように思えてならなかった。もちろんそんな訳はないって少し考えれば分かるんだけど、とにかく正常な判断能力を失わせてしまう程の、異常な盛り上がりだった。

 試合が次々と消化されてゆき、会場のテンションはさらに高まっていく。

 その間私はずっと、何か大きなアクシデントでも起きて試合が中止になってくれればいいのにと思っていた。例えば大規模な停電とか、会場でボヤ騒ぎとか…

 でも、そんなアクシデントが都合よく起こってくれる筈もなくて。

 午後9時前。ついに達也の試合の番になった。なってしまった。

 本当は見たくなかった。怖くて仕方なかった。チャンネルを変えようと何度も思った。

 でも、リモコンに手を伸ばそうとした所で思い留まる。

 逃げちゃダメだ。どんな結末が待っていようとも、しっかりこの目で確認しなきゃいけないんだ。

 だって私は、達也の彼女なんだから。

 達也の事を世界で一番応援してるのは、私なんだから。

 

 まず先に入場したのは金田選手の方だった。恐ろしい顔。こんな人が前から歩いてきたら怖くてすぐに道を譲るだろう。絶対に知り合いになりたくない顔。

 すると、パッと画面が切り替わり、客席に座る綺麗な女性がアップで映された。誰だかは知らないけど、タレントさんなんだろうなというのは何となく分かった。一般のファンとは全然違う、独特のオーラを発していた。

 その時、実況のアナウンサーが言う。

「ご覧の通り、金田悠希と交際しているグラビアアイドルの長沢愛佳も、彼氏の雄姿を見つめています!」

 この女が金田悠希の彼女…そう知った途端に不快な気分を覚えた。不安なんて1ミリも無いような自信満々の表情を見せられていると、無性に腹が立った。

 こんなセクシー女優予備軍みたいな奴に負けたくない…言葉は悪いけど、自然とそんな思いが湧き上がってくる。私とこの女が戦う訳じゃないけど…私も達也の彼女として、絶対にこんな奴には負けたくない、と。

 今に見てろよ…その自信満々の表情を、すぐに後悔させてやるんだから、と。

 そして、次は達也が入場する番。

 達也の名前がコールされる。その瞬間、会場が湧いた。

 金田選手の時とは比べ物にならない、物凄い歓声。それを聞いただけで、もう感動的な気持ちになってしまう。

 みんな達也を応援してくれている、達也が負ける光景なんて誰も望んじゃいない。それが間違いなく分かる、暖かい声援。

 リングの中央で、達也と金田選手が向かい合う。まるで顔がくっつくんじゃないかというような至近距離で、金田選手が達也を睨みつけている。

 恐ろしい…でも。

 達也は…いつもと同じだった。何万人という観客のど真ん中で、テレビも含めて何千万という視線を注がれながら、しかもあんな恐ろしい相手に目の前で睨みつけられながら、でもやっぱり普段通りの、自信満々の達也だった。

 それを見て、心から達也を尊敬した。私なら、きっと足が震えて立っていられない。あれだけの視線と歓声を一身に浴びて何事も無いように堂々としていられる達也を、本当にカッコいいと思った。これ以上カッコいい男なんていない…そう思えるほどに。

 両者がコーナーに分かれる。達也のセコンドについている女性のトレーナーらしき人物が、何かアドバイスを送っている。それを聞いているのか聞いていないのか、達也は相手の方だけを見ながら無造作に頷いて。

 

 12月31日、午後8時59分。

 ついに、運命のゴングが…鳴った。



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4-13 vs金田悠希(後)

     ―充希―

 大歓声の中、両者の距離がゆっくりと詰まっていく。でも、接近はお互いの手がギリギリ届かないくらいの所までだった。

 達也が左のジャブを出す。長い左が相手の顔に当たった…ように見えた。続けざまに2発、3発…確かに当たっている。その証拠に、金田選手がジャブを嫌がるように上半身を前後させる。

 達也は遠い位置からジャブを繰り返し放つ。慎重に距離を取りながら、決して深入りしないぞという姿勢で。

 いつもより慎重だな…でもそれでいいよ…素人ながらにそんな事を思った…

…その瞬間。

「っ…!?」

 金田選手が達也目掛けて猛然とタックルを仕掛けてきて、ドキッと心臓が跳ね上がった。

 組み付かれたら達也が圧倒的に不利っていう事くらいは分かってる。だって達也は、今までそういう試合を全くしてこなかったから。パンチとキックだけで戦ってきたから選手だから。

 でも、大丈夫だった。達也は素早く身を引いて、足を掴まれそうになったのをうまくかわした。そしてまた十分な距離を取る。

 また達也が左を伸ばすのを見て、思わずホッとする。よし、最初の状態に戻った。それでいいよ…慎重に距離を取って…

 そう安心しかけた、矢先だった。

「あっ…」

 金田選手が、また物凄い勢いでタックルを仕掛けてきて。

 今度はガシッと、達也の下半身に組み付いたのだった。

「だ、ダメっ…!」

 思わず叫んでしまった。でもそんな叫びも虚しく、達也の体はいとも簡単に倒されて。

 あっという間に、寝そべって上に乗られる格好になってしまった。

「そんなっ…」

 無意識に、画面の隅に表示されている試合時間に目が行ってしまう。そして、また絶望する。

 試合が始まって、まだ30秒ちょっと。1ラウンド終了までは4分30秒も残っていた。

 絶望感。あんな強くて恐ろしい相手に上に乗られて、4分半も耐えられる訳がない。きっと上からいいように殴られて、顔面がひん曲がるぐらいにボコボコにされるんだ…そんな悲惨な結末が自然と頭に浮かんだ。

 目を逸らしたくなるような現実。テレビを消してしまいたい衝動。

 でも私は、全てを見届けなきゃいけない…達也の苦しみを共有できるのは、私だけだから…

 泣きたくなるのを堪えて、ぐっと歯を食いしばって…

 

 ところが、その直後。

 奇跡が………起きた。

 

 次の瞬間、絶望感に圧し潰されそうになったままの私の視界に飛び込んできたのは、達也が殴られる光景ではなくて。

 慌てて試合を止める、レフェリーの姿だった。

「え…?」

 何が起こったのか分からないまま画面に釘付けになるしかない私。少しして、レフェリーが試合を止めた理由がハッキリと映し出される。

 それは、金田選手の顔面。

 達也をタックルで倒した筈の金田選手のまぶたから、大量の血が流れていた。

 物凄い出血だった。すぐにドクターが治療するけど、出血は止まらない。それどころか、むしろどんどん酷くなってるようにも見えて。

 

 そして、信じられないほどに呆気なく。

 試合終了のゴングが打ち鳴らされた。

 

 金田選手は試合終了の決定が不満なのか、到底納得できないといった表情でレフェリーに抗議していた。確かに、私の目から見ても出血こそ酷いけどダメージはほとんど無さそうで、体力的にはまだまだ戦えそうに見える。

 観客も何が起こったのか理解できていないようで、会場は騒然とした雰囲気に包まれている。

 そんな混乱の中、別の審判がマイクを握りながらリングに上がって。

 

「――金田選手の出血が酷く、これ以上試合を続けるのは危険であるというリングドクターの判断により、試合終了とします。なお、出血に到った傷は小野選手の有効な攻撃によるものと認められるため、試合の結果は小野選手TKO勝利となります――」

 

 …え?

 …達也の攻撃で負傷?

 …というか、達也が勝ったの?

 何が何だか分からない…そんな中、画面が試合のVTRに切り替わる。

 スローモーション。距離を取ろうとする達也に金田選手が物凄い勢いでタックルを仕掛けて。

 達也の下半身をしっかりと捕まえた、その瞬間。

「あっ…」

 それを見て、思わず声が出た。

 達也の膝蹴りが、急接近してきた金田選手の顔面に、確かに直撃している…

 その映像が場内のビジョンにも映されたようで、会場からどよめきが上がる。歓声ではなく、どよめき。壮大なマジックの種明かしを見せられているような、そんな雰囲気。

 金田選手は、まだ納得していないというように両手を広げてアピールしていた。でも、それは会場にいる誰の心にも刺さっていなくて。

 

 達也にマイクが向けられ、勝利者インタビューが始まる。

 笑顔で質問に答える達也は、試合前と全く変わらない普段通りの表情で。

 

 …でも、なぜだろう。普段の通りなのに。いつもと全く変わらないのに。

 つい数分前に、こんなにカッコいい男はいないと思ったばかりなのに。

 

 テレビに映る達也は、さっきの達也よりも、さらにカッコよく見えた。




4章終了です。いかがだったでしょうか。

ところで本章の5話目「金田悠希という男」の中で金田が朝ノ富士の顔面を蹴り上げて前歯が全て飛び散るという描写がありますが、実はこれにはモデルとなった試合があります。その試合とは1993年に行われたUFC.1の第1試合として行われたジェラルド・ゴルドーvsテイラ・トゥリ戦。即ち、今や世界最大の総合格闘技団体となったUFCの記念すべき最初の試合です。

テイラ・トゥリはかつて高見州という四股名で活躍した力士でした。怪我のため力士生活は2年と決して長くはありませんでしたが、200kg近い巨体を武器に初土俵から14連勝、デビュー1年で幕下優勝も飾るなど将来を嘱望された力士でした。対するジェラルド・ゴルドーは90年代には日本の総合格闘技やプロレスのリングにも度々上がった選手で、当時から格闘技を見ている方は「ああ、そういえば名前聞いた事あるなあ…」と思うかもしれません。ただし、当時からラフファイターとして悪評の高い選手で、現在テレビ解説なども務めている格闘家の中井祐樹氏は1995年に行われたのヴァーリトゥード・ジャパンという大会でジェラルド・ゴルドーから悪質なサミング(目つぶし)を再三受け、右目を失明しました。しかし中井選手はそんな右目を失いながらも執念のファイトで一本勝ちし、同大会の決勝戦でヒクソン・グレイシーと死闘を演じたのは有名です。

話を戻して、ジェラルド・ゴルドーvsテイラ・トゥリの一戦はまさしく作品内で触れたような、前歯が全て飛び散ってのKO決着という凄惨な結果になりました。当時のUFCのキャッチコピーは「2人の男が金網に入り、1人だけが歩いて出てくる」という何とも凄まじいもので、オープンフィンガーグローブすら無く選手はほとんど素手、後頭部への攻撃も首締めもOK。しかもラウンド無制限で判定もレフェリーストップも無しという今考えると本当にえげつないものでした。さすがに残酷すぎるという事で大物政治家も含めて全米各地から反対運動が巻き起こり、UFCはラウンド制や階級制を導入、さらには攻撃にも制限を加えるなどルールを整備し、リアルファイトを競技化して現在に到ります。最近の試合はレフェリーが止めるのが早すぎるといった声や「ギブアップしない美学」のようなものをよく耳にしますが、このように総合格闘技が競技化されていった歴史を踏まえると、やはりリング上で行われるものは「試合=試し合い」であるべきで、「決闘」や「殺し合い」であってはいけないと私なんかは思ってしまうんですがどうでしょうか…

ところで、このジェラルド・ゴルドーvsテイラ・トゥリ戦は今でも日本の動画サイトなどで見る事ができます。興味があるという方は、一度検索してみてはいかがでしょうか。


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5章 スーパースター達也くん(X4年1/1 ~ X5年5/18)
5-1 スターロード


 パクに勝利した時の反響も凄かったが、金田戦の反響はさらにその上を行っていた。やはり何と言っても大晦日という舞台は注目度がケタ違い、試合時間はわずか1分足らずだったとはいえその間の視聴率は何と60%を超え、直後に行われた達也の勝利者インタビューでは瞬間最高視聴率67.2%を記録した。言うまでもなくこれはREALの歴史上最高の数字であり、その割を食った形で紅白歌合戦は歴代最低視聴率を記録してしまった。NHKとの視聴率対決でも達也の圧勝だった。

 日本全国のファンは、達也に惜しみない拍手を送った。何より、達也が金田のフィールドである総合格闘技ルールを受けて立ち、そして勝利したという事に賛辞を贈った。小野達也こそ真の侍だ…金田のように勝ちさえすれば何でもいいと考えているような野蛮な選手とは違う、と。パクを撃退してヒーローとなった達也は、金田の土俵に乗り込んで金田を破った事で、比肩する者のいないスーパーヒーローとなったのだった。

 ただ、ファンは達也を賞賛したが、それは勝利という結果に対して…言い換えれば金田悠希という嫌われ者に黒星をつけたという結果に対しての賞賛であり、肝心の試合内容については様々な声が上がった。試合内容はスポーツ新聞やネット記事など多くの媒体で詳細に報じられたのだが、総じて「ドクターストップはやむを得ないが消化不良」という論調が多かった。「膝蹴りが当たったのは偶然」、「金田にとっては不運だった」といった論調も多く、負傷TKOではなくノーコンテストという裁定にすべきだったのではという意見や「出血さえ無ければおそらく金田が勝っていた」という意見も少なくなかった。実際、達也の勝利を喜ぶファンたちも「あのまま続けていたら達也が負けていた可能性は高い。TKO勝利となってくれたのは運が良かった」というのが正直な気持ちだった。

 とはいえ、賛否はあろうが結果は紛れもなく達也の勝ちである。金田の負ける姿を待ち望んでいた無数のアンチたちは、この時を待ってましたと言わんばかりの大騒ぎ。試合後のSNSは

 

「金田血まみれざまぁ」

「総合ルールでキックボクサーに完敗しててウケる」

「実力も顔も(小野達也)>>>>>>>>>>(金田悠希)」

 

と大荒れ状態。さらに金田が試合後に自身のユーチューブチャンネルで「俺は全くノーダメージ」「あと10秒あれば小野は死んでた」「早く再戦させて欲しい」と主張するような動画を公開したところ「10秒あればお前が出血多量で死んでたわwww」といったようなアンチコメントが山のように書き込まれ大炎上。まさに手の付けられないようなカオス状態になってしまったのだった。

 しかし当の達也には、そんな狂騒を気にしている余裕はなかった。

 なぜなら、押しも押されぬスーパーヒーローとなってしまった彼には、『小野達也フィーバー』とも言うべき怒涛の日々が待っていたのである。

 まずは挨拶代わりとばかり、年明け早々から取材の嵐。テレビ、新聞、スポーツ雑誌、週刊誌、さらにはファッション誌やエンタメ雑誌に到るまで…毎日休みなく取材を受け続けなければならない日々がしばらく続いた。ワイドショーでは達也が取材の合間に食べた昼食まで報じられる程だったのだから、達也フィーバーがどれだけ凄まじい社会現象だったかが分かるというものだろう。

 そんな取材攻勢も、一ヶ月もするとだいぶ落ち着いた。だが、怒涛の日々は終わった訳ではなく、むしろまだ始まったばかりだった。取材攻勢が終わったと思ったら、今度はテレビ出演やCMといったメディア露出のオファーが山のように舞い込んできたのだ。

 もちろん、達也としては嬉しい事ではあった。元来目立つ事が嫌いではない性格であり、本当は全てのオファーを快諾したい思いだった。ところが、オファーの量があまりにも多すぎて全てを引き受けるのは到底無理な話だった。

 そしてどれだけスケジュールが埋まっても、やっぱり種付けはやめないのが達也で…

 

………………………………………

 

     ―達也―

 この日俺が種付けをする女性は、優子さんという方だ。年齢は30代の後半なんだけど、お世辞抜きで全くそうは見えない。20代と言われた方が信じられるような、とにかく若々しい外見だ。ちなみに女優の深田○子さんに結構似ている。(余談だけど深田○子さんがもう40歳手前だなんてとても思えないよな…)。

 そんな優子さんに種付けするのは、何と今日で7回目。女性の排卵は月に1回だから、もう半年以上も優子さんに種付けしてはことごとく失敗している事になる。種付けが成功するか否かは神様が決める事だからどうしようもないっちゃどうしようもないんだけど、6回もチャンスを頂きながら只の一度も優子さんを妊娠させてあげられないなんて、男として本当に不甲斐なく、情けない気持ちで一杯だ。

 だから今日こそは、絶対に優子さんの胎内に俺の赤ちゃんの植え付けてやるんだと、いつも以上に気合いを入れて臨んだ…のだけど。

「あむっ…んっ…んんっ…ちゅっ…」

 垂れかかる雫を吸い上げるイヤらしい響きは、優子さんの口から紡がれる音。

 優子さんが、口で俺のモノを奉仕してくれていた。

「あふんっ…すごい…硬くて…熱いですね…」

 髪をかき上げながら、優子さんが俺のモノを奉仕してくれる。ただこれだけはハッキリと釈明させてもらうけど、このフェラチオは決して俺が優子さんに強要させている訳じゃない。優子さんが「達也さんは試合と種付けでお疲れだと思うので、ぜひとも疲れを取って差し上げたいんです」というものだから、じゃあどうせだしお願いしようかな…と(←断れよ)

 まあ、こう言っちゃなんだけど、確かに最近はちょっと疲れ気味だった。大晦日の試合は精神的にも凄いプレッシャーだったし、何より試合の後がこれまた休む暇が無くて…

「っ…!?」

 瞬間、モノの先に鋭い痛みを感じて、ピクッと腰を浮かせてしまう。

「あっ…す、すみませんっ…」

 歯の尖った部分で柔らかい部分を突いてしまった優子さんが、咄嗟に謝るけど。

「大丈夫ですよ。一瞬驚きましたけど、全然問題ありませんから」

「あああ…本当に申し訳ありません…何という大変な粗相を…」

「粗相って、歯がちょっと触れただけじゃないですか」

「達也さんは、これからも何百何千という女性に種付けされる、尊いお方です…そんな方の大事な象徴に私なんかが…ああ…本当に申し訳ありませんでした…」

「……」

 ちょっと引いてしまう。ていうか何百何千って…

 ちなみに、去年1年間で俺が妊娠させた女性は…まだ先月の種付け分の結果が確定していない分もあるけど…まあ大体30人といったところだ。大きな試合が続いた事もあって、年初に達成した50人という目標には遠く届かなかった。とはいえ、やれる範囲ではよく頑張った方だろう。

 そして今の所、頂いている出産報告は19件。つまり俺は、まだ21歳5か月という若さにしてもう19人の子どもを持つパパなのだ!いくら世界広しといえど21歳で19人も子どもを持つ人間なんていないだろう。そう思うと、ちょっぴり自分自身を誇らしく思ってしまう。

「本当にすみません…丁寧に奉仕しますので…どうかお許しください…」

「…いや、許すも何も全く怒ってないですから」

 優子さんの様子を見ていると分かるけど…彼女は、俺と接する事に確かな至福を感じている。

 しかしそれは決して優子さんに限った事じゃなく、似たような傾向は他の女性への種付けでも度々感じる事だ。種付けを始めた頃は緊張しっぱなしの女性がほとんど全員だったけど、パクに勝って有名になった頃から女性の様子はあからさまに変わり始め、筋肉を触らせて欲しいだのモノを舐めさせて欲しいだの言われるようになった。そして大晦日に金田に勝った事で、その傾向はより強まった。もはや種付けというより、俺に抱かれる事を楽しみにしてる女性がほとんど…ってのは言い過ぎかもしれないけど…

 …まあ、さすがに優子さんは極端過ぎるけど。

「というか、おかげさまで俺の方も準備万端ですから、そろそろ本番に移りましょうか」

 そう言って立ち上がる。すると名残惜しそうに俺のモノを見つめる優子さんの切ない表情が目に入った。

 そんな表情を見て、今日こそ絶対に優子さんを妊娠させてあげよう…と思うのと同時に、

 今日はちょっと強めに、犯すような感じでやってやるか…そんな思いを抱いてしまうのだった。

 

………………………………………

 

 種付けを終えて、シャワーも終えて。

 ベッドの上で仰向けになって妊娠ポーズを取る優子さんを横目に、服を着ていると。

「あの…達也さん」

 突然、優子さんが俺の名前を呼んだ。

「何でしょう?」

「大晦日の試合、お疲れ様でした」

「見てくれたんですね、ありがとうございます」

「もちろん見ましたよ、国民的行事じゃないですか」

「はは、恥ずかしいですね」

 国民的行事かどうかは分からないけど、実際にエグいレベルの高視聴率だったらしい。何でも高度経済成長期に行われた力道山vsデストロイヤーの試合が持っていた格闘技史上の最高視聴率記録を数十年ぶりに塗り替えたとか何とか…

「あの…一つ教えて欲しんですけど」

 女性がおそるおそるといった感じで聞いてきた。

「あの時の膝蹴りは…狙ったんですか?」

 それは、試合以降本当によく聞かれる質問だった。色んな人から、それこそ百回以上聞かれただろう。身近な人間で聞いてこないのは充希ぐらいで…ていうか何で充希は聞いてこないんだよって逆に思ってしまうけど。

「優子さんには、どう見えました?」

「え、えっと、その…もしかしたら、偶然だったりもするのかな…と」

 うん、そう見えるのが普通だよなあ…と思う。

 俺自身も信じられないくらいの、完璧な一撃だったから。

「まあ、終わった事の種明かしをするのは野暮なんでアレですけど」

 正直言って、あそこまで狙い通りに決まる確率は3割ぐらいかなと思ってたけど。

「俺は偶然に期待してリングに上がるほど弱くないですよ」



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5-2 恋と就活とチョコレート

 2月某日。

 とあるカラオケルームに、人の姿が二つ。

「ふう…」

 男が、ひとつ息をついた。孤独を携えたような、静かなため息を。

「はあ……」

 もうひとつ、男が息をついた。どこか疲労感の入り混じる、重いため息を。

「ふう…はあぁぁ……」

 またまた、男がため息をついた。まるで深呼吸のようにも思える、深いため息を…

「って、何疲れた顔してんのよっ!」

 いつになく元気がない(ように見える)彼氏に喝を入れるように充希が言った。そのツッコミとタイミングを合わせるようにように、ポップなアニソンがタイミング良く部屋に流れ始める。♪こっちのが~アツイよワッショイ!!と…

「そりゃ疲れるっての。死にそうな程忙しいんだぜ」

「じゃあ家に帰って寝てたらいいじゃない。私だって暇じゃないんだから」

「冷たい事言うなあ…」

 まあ、達也ほどではないとはいえ、充希は充希で忙しいというのはその通りだったりする。というのも就活シーズンがついに始まってしまい、最近は毎日のように企業の説明会や就活関連イベントを歩き回っているのだ。

「で、何なのよ。こんな所に呼び出して」

「いや、場所はどこでも良かったんだけど」

 そう、別にカラオケでなくても、顔の差さない個室ならどこでも良くて。

「充希、あけましておめでとう」

「…は?」

「いや、今年初めて会うだろ。だからちゃんと新年の挨拶しとかないと」

「はいはい、あけましておめでとうございます」

 もう2月も後半なのだが、2人が顔を合わせるのは何とこれが今年初めてだった。同じ大学に通う恋人同士だというのに2か月近くも会えていないという事実が、お互いの忙しさを如実に表していた。

「で、何の用なのよ?」

「いや、別にこれといって特別な用は無いけど」

「はい?」

「用も無く彼女に会いたくなったらダメなん?」

「ん…」

 思いもかけない一言に、充希は照れくさそうに。

「…達也もたまにはいい事言うじゃない」

「まあ、用があるっちゃあるんだけど」

「あんのか!!」

「え…あったらダメだった?」

 充希の強い口調に達也は幾分たじろぎながら。

「突然だけどさ、俺、ちょっとカッコ良すぎるだろ?」

「は…?」

「だって今や俺、みんなから愛されるヒーローだぜ?そこらのアイドルなんかよりも余裕で俺の方がモテるじゃん?」

「達也…今自分がとってもイタい事言ってるの分かってる?」

 呆れた表情の充希。だが達也が言っている事はあながち嘘でもなかった。現在の達也の人気は凄まじく、若い女の子からの人気はトップアイドルをも凌駕してしまっている。例えば先週発売の某週刊誌が掲載した「女子高生3000人に聞いた、彼氏にしたい有名人ランキング」では、ジャニーズアイドルや若手イケメン俳優を抑えて達也は堂々の1位、しかも2位に大差を付けてぶっちぎりの1位だった。

 ちなみに、同じ週刊誌に掲載された「男子高校生に聞いた、なりたい顔ランキング」でも、達也はやっぱり1位だった。しかも、やっぱり2位に大差をつけて。やっぱり人気を得るには、実力だけではなく顔もめちゃくちゃ重要な要素だという事だ。

「充希は日本中の女の子が彼氏にしたいと思ってる男と付き合えてるんだぞ。もっと喜ばないと」

「もう黙った方がいいよ。ホントにイタ過ぎだから」

「でも、人気者には人気者の苦労もあるんだよなあ」

 そう言って達也は自らのカバンを開けて。

「ほら、これ見てくれよ」

「は?」

 中から現れたのは、カバンをぎっしりと埋め尽くすチョコレートだった。

 2月の半ばという時期を考えれば、その入手経路は説明するまでもなくて。

「言っとくけど、これでもジムに送られてきた数十分の一なんだぜ。しかもいまだに大量に届くっていうんだから、食べきれる訳ないっつーの」

「へー、良かったじゃん。しばらく食事には困らないね」

 だが、大量のチョコレートを見せ付けられた充希は、どこか冷めた顔で。

「で、これがどうしたの?さっきからモテアピールして楽しい?」

「…怒ってる?」

「怒ってない!」

 いや絶対怒ってるじゃん、と達也は思いつつ。

「いや、実は好きなだけ充希にあげようと思って」

「は?私に?」

「俺一人じゃ食べきれる訳ないから」

「私と二人でも食べきれる訳ないでしょっ」

「まあ、そりゃそうなんだけど…」

 こりゃ機嫌損ねたかな…そう思いながら達也がそっとカバンを引っ込めようとすると。

「分かったわよ、私もいくつか貰ってあげる。彼女だし…仕方ないし…」

「仕方ない?」

「彼氏がバレンタインで貰ってきたチョコレートを食べる系女子になってあげるって言ってるのっ」

「…何じゃそりゃ」

「しょうがないじゃない、達也だけじゃ食べきれないんでしょ」

「別に無理に貰ってくれなくてもいいんだぞ。どこかの施設にでも寄付するし…」

「いいから貸してっ」

「お、おいっ」

 充希がカバンをひったくるように奪い取って、チョコレートを自らのバッグへと入れ替える。

 その様子を見て達也は思った。何だかんだ言いながら結構取るじゃねーか…と

 結局充希は、自身のバッグをチョコレートで溢れさせてから、カバンを達也に返した。

「それで、チョコレートをくれるっていうのが今日の本題?」

「いや、これはどっちかっていうとツカミであってだな」

「ツカミって、いつからそんな芸人みたいな言葉使うようになったのよ」

「就活の調子、どうなのかなと思って」

「え…?」

「いや、最近はあまり電話もできてないじゃん。だから心配になってさ」

「心配って、保護者じゃないんだから」

 そう言いながら、充希は小さくため息をついて。

「まだ本格的には始まってないから、何とも言えないよ」

「やっぱ大手を狙ってんのか?」

「というより、商社関係を中心に回ってる感じかな」

「そっか。充希は昔から、グローバルな仕事がしたいって言ってたもんなあ」

 昔を思い出すように達也が言う。海外で仕事してみたいとも言ってたっけ…と。

「でも、今の所は俺の方がグローバルに活躍してるかな。何たってもうタイ・ベトナム・フィリピン・インドネシア・アメリカ・韓国と6か国の人物と仕事したからな」

「仕事って、ただ試合しただけじゃないの」

 実は種付けでは台湾の女性とも絡んだ経験のある達也だったが、そんな事は言わずに。

「まあ、冗談はさておき」

 達也はぽんと充希の肩を叩いて。

「充希なら絶対うまくいくから、気楽にやればいいと思うぞ」

「はあ…いいよね、就活しない人は気楽で」

「あのな、俺がどれだけのプレッシャーを抱えて大晦日の試合に臨んだと思ってんだ」

「ん…」

 達也の言葉に、充希がちょっとバツが悪そうな顔をする。

 それを見た達也も、逆に「しまった…」と思いながら。

「あ、いや…就活はまた違うプレッシャーあるよな。それこそ人生かかってるし」

「はあ、達也を見てたら自分がどんどん情けなくなっちゃうよ…」

 と、充希が小さくため息をついて。

「あーあ、達也がとても遠い所に行っちゃった気がする」

「何言ってんだよ、ここにいるじゃん」

「あ、そういえばさ」

 ふと何かを思い出したように、充希が聞いた。

「大晦日の試合、何で靴履いてたの?」

「…よく気付くなそんな事」

「気付くよ。だって達也の試合はいつも見てるから」

「充希って昔から、友達が髪切ってきたらすぐに気付くタイプだったもんな」

 でもさすが充希だな…と達也は思う。いくら毎試合見てくれてるったって、シューズの有無なんてまず気にしないだろ…と。

「実はあの試合は、シューズを履くように俺から申し入れた」

「何で?足取られても簡単に倒れないようにするため?」

「まあ、それも少しはあるんだけど」

 さすがの充希でも分かる訳ないか、と達也は思いつつ。

「充希は、あの膝蹴りは狙い通りか偶然かどっちだと思う?」

「狙った」

「……」

 まさかの即答に、達也は一瞬言葉を失って。

「…ど、どうして偶然じゃないと思うんだ?」

「だって達也は入念に準備するタイプだから、あんな大事な試合でノープランだったなんて考えられない」

「…ふむ」

 さすが俺の事をよく分かってらっしゃると、達也はちょっぴり感心しながら。

「あの試合、金田が低いタックルに来るのは分かってた。打撃じゃ圧倒的に俺に分があるからな」

「うん」

「でも試合終了までずっとタックルをかわしきるのは無理って事も分かってたし、タックルに捕まったら俺の負けって事も分かってた」

「捕まったら、やっぱり達也でも勝てないの?」

「残念ながらな。となると俺が勝負をかけるのは、金田がタックルに来る一瞬しかない」

「…そうだね」

「だから俺は、金田の1回目のタックルは敢えて迎え撃たずに避けたんだ。金田が左右どっちの足に、どのくらいの高さでタックルに来るか確認したかったからな」

「そこまで考えてたんだ…」

「野球で言うなら、1球目は見逃して2球目をジャストミートしたって所かな」

「その作戦は分かったけど、靴はどこに関係あるの?」

「充希なら、靴履いてるのと裸足と、どっちの方が勢いよくタックルできると思う?もしくはどっちの方が下半身を踏ん張って膝蹴りできると思う?」

「……なるほど」

 そう、ややもすれば偶然にも見えるあの膝蹴りは、緻密な計画によって組み立てた積み木の最上段。

 シューズの着用も、前日会見での発言も、試合開始早々のジャブの連打も、1度目のタックルをかわしたのも。

 全ては、相手を自分の望む方向に動かすため…より速く正確なタックルを引き出すために撒いた餌だったのだと、達也は告げて。

「言っとくけど、ここまで教えてやったのは充希だけだぜ」

「そうだったんだ…何て言うか…凄いね…」

「お、ようやく充希も俺の凄さに気付いた?」

 鼻高々の達也に、充希はうんと頷いて。

「いつもヘラヘラしてるくせに実はそんな事考えてるのが凄い…」

「…何じゃそりゃ」

 一転、ガクッと転びそうになる達也。

「ま、まあ…何にしても大晦日の試合のおかげでたっぷりファイトマネーも手に入ったし…だから金で困ったら遠慮なく俺に言えよ」

「何、突然のお金持ちアピール」

「彼氏が彼女に金出すのは当然だろ?それに就活は金がかかるって話だし」

 という達也の言葉に、充希は少しばかり寂しそうに天井を見上げて。

「大丈夫、今の所お金には特に困ってないから」

「俺としては充希が困ってるかどうかに関係なく出してあげたかったりするんだけど…」

「気持ちだけ受け取っとく」

 と、軽く受け流して。

「でもありがと。何だか元気出た気がするよ」

「お、そりゃ良かった」

「うん、私も達也みたいに頑張らなきゃいけないなーって思ったよ」



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5-3 練習不足

 金田陣営は達也との再戦を熱望した。金田としては試合の結果に納得しておらず、再戦すれば必ず勝てるという思いだった。

 だが達也は、金田の再戦要求に対してまともに取り合おうとしなかった。そもそも自分としては最初から好んで総合ルールでの試合を受けた訳ではないのに、どうして同じルールでの再戦を受けなければならないのかと。それは達也のみならず晴香も同じ思いだった。なので金田の再戦要求に対してはFAILYの名義で「キックボクシングルールなら考えなくもない」という素っ気ない声明を出すにとどめられた。

 とは言いつつも、REALは基本的には総合格闘技がメインのイベントである。達也が戦いの場をREALに求めるなら、今後も総合格闘技ルールでの試合を避けては通れないだろう。なので練習では、従来の立ち技でのトレーニングに加えて寝技の訓練も継続した。ただし、そのパートナーは香菜をはじめとした女子選手であり、達也が男子選手との寝技スパーリングを頑なに拒否するのは全く変わらなかった。

 しかし、この時の達也は依然としてメディア対応に追われ、練習に多くの時間を割けない日々が続いていた。

 メディアというものは旬の人物をこれでもかと起用する。達也にとっては年明けから年度変わりの3月末頃までの間がまさにメディア露出のピークであり、テレビ番組の収録やCMなどのメディア案件のオファーが途切れなかった。

 

 

 達也が芸能活動に追われてまともに練習できていない間も、REALは達也を主役としたイベントの準備を着実に進めていた。パクと金田を連覇して国民的ヒーローとなった達也はREALにとっても待ち望んでいた新世代のスターであり、これからは達也を前面に押し出して大会を運営していくという方針を明確に固めていた。

 2月の中旬、REALは達也の次戦の相手を決めるべく、日本国内の強豪キックボクサー8人を集めてトーナメント戦を開催した。看板選手の相手を決定するための『予選』を実施するというのはREALでは度々行われる手法であり、思い返せば達也も1年前に同様のステップアップ・トーナメントを制してスーパースターとなるチャンスを掴んだ。ただ、当時のトーナメントも含め同様の試みは通常4人で行われる事が多かったのだが、今回の参加人数は8人。これもまた、他を圧する達也人気の表れと言えるかもしれない。

 実力者8人による挑戦者決定トーナメントを制したのは清水諒という選手だった。くしくも達也と同じく空手からキックボクシングに転向した選手で、REALの舞台でもこれまで何度も国内外の強豪と戦い、そして何度も勝利した経験を持つ実力者だった。

 とはいえ、この挑戦者決定トーナメントにあたっては、清水の下馬評は決して高くなかった。というのも清水は確かに実力者である事は間違いないのだがもう33歳とベテランの域に入っており、20代の頃に比べて力は衰えたという評も聞かれる選手だったからである。実際、清水がREALの舞台に登場するのは3年ぶりだった。

 なので挑戦者決定トーナメントでは苦戦を予想する声が多かったのだが、清水は豊富な経験を活かしたクレバーな戦いで1回戦、2回戦をしぶとく突破。その勢いのまま決勝戦も僅差の判定勝ちを収め、達也への挑戦権を見事に掴んだのだった。

 間もなく、3月24日にREAL~春の陣~が開催される旨がアナウンスされ、そのメインカードとして達也と清水の試合が行われる事も併せて発表された。達也にとっては初めてREALでメインイベンターを務める事になる。名実共にREALの顔…ひいては日本格闘技界の顔となった証明とも言えた。

 達也への挑戦権を掴んだ清水は「負けたら引退する」と公言して自らを奮い立たせ、元気な若手でもついて来られないようなハードトレーニングを重ねた。清水にとって達也との一戦は己の格闘技人生を懸けるに相応しい大一番、自身の集大成を見せるという強い決意で、徹底的に自分自身を追い込んだ。

 だが、一方。

 清水の挑戦を迎え撃つ達也は、試合が近付いても全く気持ちが乗って来なかった。というより、メディア対応に時間を取られてなかなか格闘技の方に軸足を移せない日々が続いていた。試合が決まってもなお、メディアは達也を自由にしてくれなかったのだ。ただ、それも無理のない事だったのかもしれない。何せ達也が出演したテレビ番組は軒並み高視聴率を記録し、達也をCMに起用した商品の売り上げは軒並み好調だったのだから。他にもモデル活動やイベント出演といった多種多様なオファーが舞い込み続け、とてもじゃないが試合に集中できるような環境ではなかった。

 そうしてまともな調整もできないまま、ついに試合の日を迎えてしまった。

 

 

 3月24日。REAL~春の陣~、いよいよメインの試合を残すのみ。

 まずは青コーナーから清水が入場する。リングに上がりライトを浴びるその肉体は完璧に仕上がっていた。無駄な肉が一切無く腹筋がくっきりと浮かび上がっているのが遠目からでも分かる。その姿はとても33歳の選手のものとは思えず、この試合のために究極の調整を施してきた事を伺わせるに十分な仕上がりだった。

 続いて、赤コーナーから達也が登場する。清水の時とは比較にならない、割れんばかりの歓声だ。

 だが、主役であるはずの達也だが、この日の調子は決して良いとは言えなかった。もちろん素晴らしい肉体を誇っていはいるのだが、向かい合う清水と比べると筋肉の張りも体の締まり具合も若干見劣りしているような感は否めなかった。

 達也自身、調整不足は誰よりも分かっていた。さらには相手が自分を倒すために最高の調整をしてきたという情報も得ていたし、実際に向かい合って清水の体を目にして、それが嘘ではないという事も一瞬で分かった。

 だからこそ達也はこの試合を。

 力ではなく戦術で制するしかない、そう思っていた。



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5-4 本領発揮

 ゴングが鳴って、試合が始まった。

 まず達也は距離を取り、長いリーチを活かしたアウトボクシングに徹する構えを見せた。さらにジャブだけでなく、ローキックを多用し、清水の接近を許さない。

 そのローキックが面白いように清水の足を捉え、その度にパシン!パシン!と高い音が響く。

 清水にとっては、これまでに受けた事の無いような強烈なローキックだった。そして何より、これまでに経験した事の無いほどに遠い位置から放たれるローキックだった。自分の手足が届かないような距離からの攻撃に全く打開策を見出す事ができず、一方的にローキックを当てられ続けてしまう。

 このローキック作戦こそが、今回達也が用意してきた戦術だった。というより、実は遠目からの蹴り技主体の戦いこそ、達也が空手家時代から最も得意としている戦術なのである。

 達也は足が長い。股下は90cmをゆうに超える。そして達也は、自分自身の長い足が立ち技での格闘技においてどれだけ有利に働くかを十分に理解している。これまでの試合ではフィニッシュのハイキックを除いて蹴り技をあまり使ってこなかったが、それは相手との実力差があまりにも大き過ぎて得意技を出すまでもなかっただけ。自身の状態に不安を残す今回、封印してきた蹴り主体の戦いをついに解禁する事にしたのだ。

 パシン!パシン!と小気味良い音が響く。遠い距離から繰り出されるローキックが、まるで鞭のように鋭くしなって的確に清水の足を打つ。たまらず清水が距離を詰めようとするとサッとかわして別れ際にジャブ、そしてまたローキック。清水の意識がローキックに取られたとみるや、今度は一転してミドルキック、さらには顔面へ長い左ストレート。遠方からの攻撃は面白いように清水の体を捉えた。

 まるで達也だけが照準付きライフルを持って、遠い場所から清水を一方的に撃っているよう。そんな戦いに、清水の体力は徐々に削られてゆく。

 そして1ラウンドも残り1分を切った頃、ついに達也が仕掛けた。これまでの距離を取った攻撃から一転、力強く踏み込んでワン・ツーを見舞う。

 清水もここで勝負するしかないと応戦し、激しい打ち合いへと発展した。だが、既に体力をかなり削られた上に足も酷く痛めつけられ下半身の踏ん張りが効かない清水と、ノーダメージの達也では勢いの差は歴然で。

 

 ――ダンッ……ドンッッ!!!

 

 顔面への右フック、そして左のリバーブローが続けざまに決まって、ついに清水はその場に崩れ落ちた。

 観客が沸く中、カウントが始まる。清水のダメージは大きく、ここで試合が終わってもおかしくはなかった。だが彼にとってこの一戦は自らの進退を懸けて臨む大一番。不屈の精神で痛みを跳ねのけ、カウント9で何とか立ち上がりファイティングポーズを取ってみせる。

 しかし、不屈の精神が必ずしも幸せな結果をもたらしてくれるとは限らない。立ち上がった清水が見たのは、余裕の表情で歩み来る達也の姿だった。ガードを下げ、不敵な笑みを浮かべながらゆっくりと近付いてくる。まるで死刑執行人が、往生際の悪い死刑囚に引導を渡しに来るかのように…

 その瞬間、清水の体がゾクっと小さく震えた。人間としての生存本能が心の奥底から吹き上がるようにして、清水の理性に訴える。

 

 ――逃げろ。これ以上戦うと…殺される。

 

 足がすくむ。迫り来る達也を迎え撃つか、それとも下がって距離を取るかしなければならないのに、清水はそのどちらもできずただその場に立ちすくんでいた。一応ファイトポーズは取るものの完全に構えだけ。ぶるぶると無意識に足が震える。

 その間にも、ゆっくりと達也が近付く。自らに歯向かった哀れな男に、無慈悲にも死刑を執行するべく。

 …が、その時。

 

 ――カァンッッ!!

 

 1ラウンド終了のゴングが鳴った。と同時に、達也がくるりと引き返す。

「え…あ…」

 清水は何が起きたのか全く分からなかった。分からないまま、去り行く達也の背中を呆然と見つめる。

(た…助かった…?)

 まだ立ちすくんでいる清水を現実へと引き戻したのは、駆け寄ってきたセコンド陣だった。清水に声を掛け、その体をコーナーへと引き戻そうとする。

 …しかし。

「あっ…あぐっ…!」

 その時、強烈な痛みが清水の体を駆けた。一歩踏み出して体重のバランスが崩れた事により、痛めつけられた足が悲鳴を上げたのだ。

 それでも何とか仲間の力を借りながら、コーナーへと戻る事はできたが…

「…酷いな」

 清水の足を確認したトレーナーが絶句するように言う。達也に蹴られ続けた患部は青黒く変色し、酷い内出血を起こしてしまっていた。

 テレビカメラもその状態を映し出す。だが実況のアナウンサーは清水の足の状態よりも、1ラウンドKOが成らなかった事を強調していた。そう、この試合は達也にとってプロ19戦目となるが、1ラウンド終了のゴングを聞いたのはこれが初めてなのである。ダウンを奪われながらも立ち上がり、達也の連続1ラウンドKO勝利記録をストップさせた清水の闘志に、アナウンサーは賛辞を送っていた。

 だが、試合はこの後、唐突に終わりを迎える事になる。

 なぜなら、清水の心はもう完全に折れてしまっていたから。

 セコンドアウトが宣告され第2ラウンドが始まろうとしたその時、青コーナー陣営からタオルが投げ入れられた。その瞬間、試合は終わった。

 観客も一瞬、何が起こったのか分からなかった。だが達也の右手がレフェリーによって高々と掲げられ、また歓声と拍手が沸き起こる。

 公式記録、1ラウンド3分0秒。清水陣営のタオル投入により、達也のKO勝利。

 連続1ラウンドKO記録は、やっぱり途切れなかった。



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5-5 お疲れモード

 試合後、ファンは敗れた清水の潔(いさぎよ)さを称賛した。もしラウンド間にタオルを投入していなければ試合は第2ラウンドへと進み、少なくとも達也の連続1ラウンドKO記録をストップさせる事はできた。そうせずに1ラウンドKO負けを受け入れた清水は素晴らしい、と。

 だが当の清水には、2ラウンドに進むという選択肢は1ミリたりとも無かった。1ラウンドが終わった時点で既に心身共にボロボロでとても戦い続ける気力は残っていなかった、ただそれだけなのである。実際、試合後清水はまともに歩く事もできず、1週間超の入院生活を余儀なくされる事になる。そして試合前の言葉通り、ひっそりと現役を引退をした。

 そして実は、達也に敗れた事がきっかけで現役を去った男は清水だけではなかった。達也がスターダムに昇り詰めるきっかけの相手となったベテランファイターの石井幸三は、達也に完敗を喫した事で引退を決意した。また、達也がデビュー戦で戦った中村は、達也との試合以降深刻なパンチ恐怖症に陥ってしまい、以降はリングに上がっていない。プロのリングにおいて、勝者と敗者のコントラストはあまりにも残酷だ。達也の栄光は、ライバルたちの屍の上に存在しているのである。

 清水戦後も、達也には様々なオファーが舞い込んだ。テレビ出演やCMだけでなく、企業のイメージキャラクターや雑誌の表紙といった広告塔としてのオファー、さらにはプロ野球の始球式や消防署の1日署長などイベント色の強いものまで。それらのオファーを達也はスケジュールの許す限り快諾し、そして求められる仕事を一つ一つ丁寧にこなしていった。ややもすれば過剰なメディア露出はアンチを生む要因にもなるが、爽やかで全く嫌みの無いキャラクターの達也に関しては、メディアに露出すればするほど好感度が増していくような状況だった。

 

………………………………………

 

 ギシギシとベッドが揺れる。呼応するように、アンアンと女性が喘ぐ。

 この日も達也は、子どもを産みたいと願う女性を組み敷き、膣奥に命の息吹を吹きかけるべくガシガシと腰を送っていた。

「んあんんっ…あっ…はああぁっ…あっ、ああっ…あっあっあっあっ…いぁぁっ…」

 下腹部に連打される強烈な責めに、たまらず女性が体をくねらせる。それを達也がガッチリと押さえつける。

「あぁっ…あっ…ああぁっ、あっ、あっ、ああぁっ…」

 無意識に女性は体を逃がそうとするが、鍛え抜かれた達也の肉体の前では、女性の力など無に等しい。女性の体がズレないように、自分がモノを抜き差ししやすいよう固定して、隙あらば逃げようとする体を完全制圧すべく、力強く腰を送る。

「はあぁぁっ、あっ、ああっ、あっ、あっ、んあっ、あっ、あっ、あっ、はあぁっ…!」

 すると少しずつ、女性の体が大人しくなってゆく。体自身が逃げられない事を悟ったのか、それとも逃げる必要はないと理解したのか、いずれにしても達也の動きに対して、少しずつ従順になってゆく。

 それを感じて、心の中で達也は小さく息をつく。もう力を緩めてもいい頃合いか…と。

 そしてなお、マシンのように小気味よく腰を送り続ける。今度はどちらかというと自分のため、射精に向けて自身の感度を高めるために。

 そんなリズミカルな動きがしばらく続いて、女性の喘ぎ声をたっぷりと絞り取って。

「はおおおおおおうううううぅぅぅぅっっっっっっ………っ!」

 最後に、トドメの一撃とばかりに、モノを最奥まで思いっ切り突き刺して。

 射精。ドクドクと、子種が濃縮された白濁の液体を注ぎ込む。

 力が抜けていきそうになるのをぐっと堪えて、女性の腰をガッチリと引き付ける。できる限り奥に射精するために、快感に身が溺れそうになるのを耐えながら。

 タプタプと、膣内が精液で満たされていくのをペニス自身が感じる。達也の1回の射精量は常人の数倍、狭い穴では収まりきらずに射精しながらトロトロと外へ溢れ出てしまう事だって珍しくない。

 それでも、受精する確率を0.1%でも高めるために、最後の一滴まで惜しみなく吐き出して。

「はぁっ……っ」

 無事に射精を完了し、達也が息をつく。まるで全力ダッシュの直後のような、大きな息を。

(あー……やば……)

 射精特有の圧倒的な快感と、それにも勝る疲労感。気を失いそうになってしまうのを、必死に振り払って。

「…終わりましたよ。お疲れさまでした」

 もうほとんど意識を手放している女性に、優しく告げて。

 額に滲む自身の汗を手で拭って、また一つ、息をついた。

 

………………………………………

 

     ―達也―

 長めのシャワーを浴びて、部屋に戻る。

(はあ…)

 また一つ、心の中でため息をついてしまう。認めたくないけど、体は相当に疲れていた。試合よりも種付けの方が疲れる…ってのは種付けを始めた当初からの実感だけど、最近はそれが特に顕著だ。

 正義感…って言うとカッコつけ過ぎかもしれないけど、今の俺を種付けへと駆り立てているのは、紛れもなく正義感に他ならなかった。責任感…と言った方がいいかもしれない。俺は選ばれた男だ…俺は恵まれない女性に子宝を授けてあげるという責任を託された男だ…そう思う事でかろうじて自分を保っている。そもそも種付けは無報酬、どれだけ頑張っても懐が潤う事もなければ、社会的に認められたり褒められたりする事もない。女性を抱けると言っても、大半がアラフォー前後の女性。こんな言い方をすると本当に失礼だけど、モノを勃たせるのに一苦労の女性だって珍しくない。そして今日のように行為の最中にじっとしてられない女性の時は、押さえつけるのに結構な力も必要とする。只でさえこっちは睡眠不足に耐えて頑張ってるんだからせめて行為の最中ぐらいは無駄な体力使わせないで欲しいものだけど、そんな事も言えないし。

 傍から見りゃ、沢山の女性に種付けしてる俺の立場を羨ましいと思う男は多いかもしれない。でも、そんな事を思ってる奴には一度種付けをやってみろと言いたい。断言するけど、中東半端な奴には種付けは絶対に務まらない。現に俺の前任者も、たった1人の女性への種付けすらロクにできずに逃げ出してしまったらしいし。ましてや俺なんて、メディア対応や格闘技までキッチリこなしてるんだぜ?

(あ”ーー……ねむ……)

 本気で眠かった。本当は今すぐにでも眠りこけたかった。何せ明日も朝早くから、特殊詐欺撲滅キャンペーンの啓発イベントとかいうよく分からない仕事が入ってるし…

 でも、まだ落ちてしまう訳にはいかない。

 妊娠ポーズでじっとしている女性とコミュニケーションを取るのも、種付けの一部だから。

「大丈夫ですか?痛い所とか無いですか?」

 眠さと疲労を押し殺して、仰向けになっている女性に聞いてみる。

「はい、今はとても楽です」

「ツラくなったら遠慮なく言ってくださいね。俺が体勢を変えてあげますから」

 そう告げて、ベッドの端に腰掛ける。

(ふぅ…)

 ぼんやりと目の前を眺めていると、ちょうど窓ガラスに自分自身の体が写っているのが目に入った。呼吸する度に割れた腹筋が蠢(うごめ)くように上下しているのは、何だかちょっとグロテスクにも見える。

 自分で言うのも何だけど、よく鍛えられた体だと思う。 ホントによくここまで鍛えたよなと思う。

 とはいえ、数か月前に比べると筋肉の質が劣化したように見えなくもない。

 というか、残念ながらその感覚は間違っちゃいないんだろう。何せ最近、ほとんどまともにトレーニングできていないんだから。それに俺はもうすぐ22歳。まだ十分に若いとは思うけど、体が成長する時期はとっくに過ぎ去った。それはつまり、ちょっとサボれば体はすぐに衰えてしまう段階に来てしまった事を意味している。

(はあ…)

 歳を取るって嫌だな…いつかこの筋肉も全部剥がれ落ちてヨボヨボになっちゃうんだよなあ…それこそ女子高生にも腕相撲勝てなくなって、「おじいちゃんカワイイ」なんて言われる日が来るんだよなあ…ぼんやりとそんな事を思ってしまう。

「あの、達也さん」

 その時、女性が口を開いた。

「ぼんやりして、何か考え事ですか?」

「え、ああ、ちょっと窓に写る自分の体を見てまして」

 すると女性も、窓の方を見て。

「本当に、凄く逞しくてセクシーな体ですよね」

「いえいえい、ショボい体で恥ずかしいと思ってた所ですよ」

「な、何を仰ってるんですか。達也さんがショボい体なんて言ったら、日本中の男性はみんな恥ずかしくて顔上げられませんよ」

「はは…」

 まあ、今は確かにそうかもしれないけど…

「それはそうと達也さん、一つ聞いていいですか?」

「どうしたんですか?」

 女性がこちらに視線を戻して。

「この前の試合、もしかして手加減してあげたり…したんですか?」

「手加減?」

「最後、無理にKOを狙わなかったようにも見えたんですけど」

「ああ…」

 清水選手との一戦、ダウンを奪った後の事を言ってるんだろうとすぐに理解する。

 確かに、再開後にラッシュをかけてればKOできてた可能性は高かっただろう。というか、できてたと思う。

 でも敢えてあの時攻めなかったのは、清水選手が応戦してきて激しい打ち合いになるかもしれない…ってのを少しだけ懸念したからだった。まあ、打ち合いになっても問題なかったとは思うけど、あの日の俺の調子はかなり悪かったから、万が一を避けてリスクを徹底的に避けたというのが事の真相だ。

 でも、今ここでそんな事をつらつらと述べる必要は全く無いから。

「こう見えて俺、何十人という子どもを持つ父親ですからね。優しいパパでありたいんで、可愛い子どもたちにバイオレンスなシーンは見せたくないですから」

「そ、そんな事を考えてらしたんですか…?」

 …まあ、本当はそんな事一瞬たりとも考えちゃいないけど。

 というか、何十人の我が子たちはまだ誰一人として物心も付いてないし。

「でも、連続1ラウンドKO記録がかかってるじゃないですか?」

「別に狙ってる訳じゃないですからね」

 今現在、俺がプロデビューしてから全ての試合で1ラウンドKO勝利中だというのは、メディアでも盛んに言われて世間にもすっかり認知されるようになっていた。何年か前に中学生でプロになった将棋の棋士がデビュー以来無敗の連勝記録を作って話題になったけど、その時と状況はそっくりだ。

 ただ俺自身は、ハッキリ言って連続1ラウンドKO記録なんて大して気にしていなかった。というか、弱い相手とばかり戦って作った記録みたいに思われそうで、ちょっと鬱陶しく感じたりもする程だった。

 だから、清水選手との試合ではようやく記録が途切れたと思ったけど…結局途切れなかった。

 そこに一抹の寂しさというか…虚しさを覚えたりもする。

 あの試合、俺は間違いなく調子が悪かった。全然まともに練習できなかったし、睡眠不足で疲労も抜けていなかった。体にキレが無かったのはよく覚えている。

 対して清水選手は、間違いなく絶好調だった。試合前のコメントもそうだったし、対峙した時に感じた体の仕上がりも申し分なかった。

 でも、試合は俺の勝ち。しかも一方的な内容で。

 清水選手はあの試合に全てを懸けてきた。でも、まともに練習もせずに楽してローキックを連発するだけの俺に全く歯が立たなかった。もっと言えば、清水選手の努力は俺の足の長さの前に全くの無力だった。

 足が長いから勝った…なんて単純なものではないけど…

 人生を懸けて向かってきた清水選手に対して、俺は真っ向勝負で迎え撃とうとせずに楽して勝つ道を選んでしまった…そう思うと申し訳なさも感じるし、何より虚しかった。そんな風にして1ラウンドKOを重ねる事に意味はあるのかと…

「でも、本当に凄いです。これで19戦連続1ラウンドKOなんですよね」

「あ、もう19戦にもなったんですか」

「えっと…もしかして把握されてないんですか?」

「そうですね、どうでもいいと思ってるんで」

「凄い…ほとんどの選手は1ラウンドで勝ちたくても勝てないのに…」

 確かにそうだよな、と思いながら。

「ふああ…俺の前で3分立ってられるような相手に、早く会ってみたいですよ」

 そんな全く思ってもいない事をつい口にしてしまうくらい、眠かった。



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5-6 南アフリカの暴れ馬と、達也の巨根伝説

 季節はゆっくりと、しかし確実に移ろいでゆく。

 だが、達也の人気は全く衰える所を知らなかった。

 年明けの頃のように、達也の昼食がワイドショーで取り上げられるような異常なフィーバーはさすがに過ぎ去った。とはいえ人気が物凄いのは相変わらずで、10社以上のCMに起用されている達也をテレビで見ない日はなかった。バラエティ番組への出演も依然として多く、達也が単独ゲストという番組も少なくなかった。

 ここに来て世間における達也への認識は『パクや金田といった悪を倒したヒーロー』から『強くて優しい好青年』へと確実に変化していた。言い換えれば、達也の圧倒的な人気を支えているのは金田やパクを倒した経歴ではなく、達也自身の人間的な魅力だった。モデル顔負けのスタイリッシュな体型とアイドルのような抜群のルックス、しかし服の下に隠されているのは爽やかな顔からは想像もできないような鍛え抜かれた肉体。人間的にも明るく、謙虚で偉ぶる事もない。しかしパクや金田悠希といった『敵』と対峙した時には、怯む事なく強気な姿勢で迎え撃つ。悪を倒したヒーローとして世間に迎えられた達也は、メディア露出という自己紹介を経て、優しさと強さを兼ね備えた理想の男性像の象徴として捉えられるようになっていた。

 ちなみにこの年の赤ちゃんの名前ランキング(男の子部門)では、『達也』という名前が何と堂々の1位に輝いた。わずか2年前はベスト50位圏外だったのだが、パクに勝った前年に16位までジャンプアップし、そしてこの年は一気に1位である。いかに達也が日本中から愛されていたかが分かるというものだろう。世の親たちは皆こぞって、我が子が達也のように強く優しく逞しい立派な男に成長して欲しいと願ったのである。

 

 

 そんな不動の人気を獲得した達也が清水戦以来のREALのリングに上がったのは6月2日の事だった。達也にとって運命の分かれ目となったパク・チャンミンとの一戦から1年となる大会である。

 相手はダディ・リプスコンプという南アフリカの黒人選手で、『アフリカの暴れ牛』の異名を持つという触れ込みのキックボクサーだった。2メートル近い長身でマイク・タイソンに似た顔を持つという、いかにも強そうな見た目も話題を攫った。

 だが、荒々しい異名やイカツい見た目とは裏腹に実力は今一つで、達也との実力差は明白だった。また、この頃は達也のメディア露出もようやく一巡し、十分とは言えないまでもそれなりの休養や練習時間を確保できるようになっていた。なので達也の状態は清水戦とは見違えて好調。それを証明するように試合は序盤早々から達也が一方的に押し込み開始1分過ぎに最初のダウンを奪う。リプスコンプは何とか立ち上がったが唯一の見せ場は立ち上がったその瞬間だけで、再開後まもなく達也のカカト落としがモロに脳天を直撃し、リプスコンプはその場で昏倒した。2メートル近い選手の脳天にカカト落としを決めるという衝撃的なフィニッシュで、達也は連続1ラウンドKO勝利記録をついに20へと伸ばした。

 と、達也にとっては文句のつけようのない快勝だった。だが賢明な方ならお気付きの通り、この試合は達也の勝利を見込んで組まれた、言わば『調整試合』だった感は否めない。格闘技の世界では、基本的には強敵との連戦は避けられる傾向にある。いくら強い選手であっても、強敵とばかり戦っていてはさすがに身が持たないからだ。昨年大晦日に金田悠希と、3月に清水諒と戦った達也にとって、今回の試合は楽に勝てるボーナス試合に過ぎなかったのである。達也もそれを感じていたからこそ、カカト落としという『魅せる』技をフィニッシュに採用したのだった。

 だが、ファンを少しでも楽しませたいというプロ意識から繰り出されたこのカカト落としが、試合後にとんだ騒動を巻き起こす事になるとは、この時はさすがに誰も想像できなかった。

 

………………………………………

 

 発端は、とある週刊誌だった。それも『週○文春』のような有名な雑誌ではなく、エロや芸能ゴシップのみを扱うようなジャーナリズムとは全く無縁の大衆雑誌が火元となった。

 

「カカト落としで発覚!小野達也の強さの源はマグナム級の巨根にあった!!」

 

 これが、その週刊誌が特集した記事のタイトルである。記事では達也がカカト落としを繰り出すために右足を真上に高く上げた瞬間の写真が掲載されているのだが、その写真ではトランクスが太ももにピシッと張り付くような映りになっており、おかげで股間のモッコリがハッキリと分かってしまうようなアングルになっていたのだ。

 そのモッコリはどう見ても偶然浮かび上がったようなシルエットではなく、しかも通常ではまず見ないようなサイズ感を誇っていた。偶然撮れたにしてはあまりにも出来過ぎで、その写真を100人が見れば100人とも「達也は特大の巨根を持っている」と思う事間違いなしの、ちょっと言い逃れできないレベルの決定的証拠写真だった。

 以下、記事の内容である。

 

~~~~~~~~~~~~~~~

 小野達也旋風はとどまる所を知らない。先日行われたREALのメインイベントで『アフリカの暴れ牛』ことダディ・リプスコンプと対戦した小野はこの日も1ラウンドからエンジン全開。開始早々突進を試みたアフリカの暴れ牛を難なく押し返すと、開始1分過ぎにはパンチの連打で早くもダウンを奪う。カウント9で立ち上がるも既にフラフラとなったリプスコンプの脳天に、最後は小野のカカト落としが突き刺さって勝負あり。試合後小野は「今日は調子が良かったので早いラウンドから積極的に勝負したいと思っていました」と語ったが、まさに言葉通りの会心の勝利。これで昨年のパク・チャンミン戦からREAL6連勝、プロデビューから続く連続1ラウンドKO勝利も大台の20に到達だ。

 調子が良いとは言うものの、1ラウンドKO勝利で有言実行してみせるのだからまさに大物感たっぷり。しかもこの試合で、小野の『大物感』が彼の肉体にもハッキリと表れている事を本誌カメラはバッチリと撮らえた。

 それが上の写真である。見ての通りカカト落としを繰り出そうと右足を高く上げた瞬間、小野の『チン影』がトランクスにもっこりと浮かび上がっているではないか。しかもそのサイズ感たるや、とんでもない大物である。

 本誌は今回激撮された写真の真偽を確認すべく、関係者に取材を行った。すると複数の関係者から、小野の大物っぷりを示す証言が相次いだ。

 小野の古巣とも言える『knock out』に参戦しているある選手は「たまたまトイレで隣同士になった時にチラッと見えてしまった事があるが、あまりに大きいのでつい二度見してしまった。キックボクシング界ナンバーワンなのは間違いない」と羨望の眼差しを向ければ、別の選手は「化け物でした。ホントにもうレベルが違い過ぎる。彼こそ日本代表ですよ」と呆れ顔。小野が所属するFAILYの関係者によると、彼のモノはあまりにビッグなため股間に装着するプロテクターは特注サイズを調達しているのだという。また、高校時代に空手部で小野の同級生だったというA氏の証言が凄い。「桜水台学園(小野やA氏が通っていた高校)には運動部員が共通で使用できるシャワーブースがあるんですが、ブースの一番奥にあるシャワーは『玉座』と呼ばれて、全運動部員の中でアソコが一番デカい男が使うという伝統があるんです。達也は高校1年で空手部に入った瞬間から卒業するまでずっと、玉座のシャワーを使い続けてました。つまり3年間ずっと、桜水台学園一のデカチンとして玉座に君臨し続けたんです。運動部にはアメリカ人やガーナ人とのハーフの男子もいたんですが、達也には全く適いませんでした」

 人体に詳しい湘南医科大学の小保晴子教授(30)も、小野達也巨根説を肯定している。「一般的に足の長さとペニスの長さには相関関係があると言われています。小野選手はとても足が長いので、ペニスもとても長いと考えるのが自然でしょう」。どうやら小野が特大の巨根の持ち主である事はもはや疑いようのない事実のようだ。

 さらに小保教授はこうも語る「ペニスは男性にとっては臓器でもあります。つまりペニスが大きいという事は他の臓器も大きいという事ですから、心肺機能が高かったり疲労回復機能に優れていたりする可能性は高いです。また、東洋医学では男性の力は下腹部に宿ると言われています。小野選手の巨根はまさに、彼の驚異的な強さの源と言えるのではないでしょうか」

 やはり強さの秘密は特大の巨根にあるのか。今のところ小野には女性の噂が全く無く、自慢のイチモツをプライベートでどのように使用しているかは謎だが…いずれにせよあれだけの強さとルックスに加えて特大の巨根まで有しているとは、神様は小野に何物を与えるのかという世の男たちの呻きが聞こえてきそうだ。

~~~~~~~~~~~~~~~

 

 さすが大衆誌と言うしかない記事だが、どんな下らない記事でもすぐにネットニュースになる時代である。掲載された写真はあっという間に拡散され、ネット上はお祭り騒ぎ。達也のウィキペディアにも巨根だと断定されるような書き込みが加わり、達也巨根伝説は日本中が知る所となってしまった。

 達也としては何とも迷惑な話である。普通の男なら恥ずかしくて人前に出られないなんて事になってもおかしくないかもしれない。

 だが、当の達也本人は全く気にしてないようで、記事の件を充希に聞かれても。

「まあ、デカいのは紛れもなく事実だし、別にいいんじゃね?」

 と、全く意に介していない辺り、確かに大物だった。




作者の悪い所が出てしまいました。スミマセン…


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5-7 1年半ぶりの knock out

     ―充希―

 足を棒にして説明会や面接を歩き回った甲斐あって、いくつかの企業から内定を頂く事ができた。

 でも、せっかく複数の企業から内定を頂いても、1社を除いて残りは辞退する事になる。

 内定を辞退しない企業…つまりは来春からの勤め先は、東紅(とうべに)商事に決めた。

 日本を代表する五大総合商社の一つ。社員の平均給与は30代前半でも1000万円を超え、就職先として学生からの人気も高い。

 私としても、就職活動を始めた当初から第一希望グループだった企業だ。だから内定が出た時は、素直に嬉しかった。

「よく分からないけど、東紅って凄いデカい企業なんだろ?凄いじゃん!さすが充希だよなあ」

 就職先が無事に決まった事を電話で告げると、達也はまるで自分の事のように喜んでくれた。凄い、さすがだと、これ以上ないくらいに褒めてくれた。

 もちろん嬉しかった。でも、正直言って、恥ずかしさの方が大きかった。

 だって達也は、私よりもずっと凄い事を成し遂げ続けているから。

 達也は今や『時の人』だ。子どもからお年寄りまで、みんな達也が大好き。誰からも愛されるスーパースター、それが達也だ。

 そんなスーパースターに、ただ就職活動を終えただけで凄いと言われるのが、恥ずかしい。

 思えば達也は、昔から私の事を凄い凄いと言ってくれていた。ピアノが弾けて凄い、速く泳げて凄い、100点ばっかり取ってホントに凄い、と。ピアノも水泳も単に習ってたからに過ぎないし、成績にしても…まあ、成績はそこそこ良かった方かもしれないけど。

 でも今は、私が達也に褒められるのなんて、全くのお門違いで。

 達也は、私なんか及びもつかない、とても高い所に行っちゃったから。

「じゃあさ、近い内に2人で充希の就職記念パーティーしようぜ」

「え…?」

「最近全然会えてないじゃん。でもこれからはまた普通に会えるようになるだろ?」

 達也とは、もう暫く会えていない。私は就職活動で忙しかったし、達也は格闘技とか芸能活動とかで私以上に忙しいから…あと種付けも。

 でも、仕方ない。

 達也はもう、私とは活躍するステージが違う人になっちゃったから。

「前に充希と会ったのってマジでいつだっけ?」

 達也がそんな事を聞いてくる。本当にいつだっただろう、思い出せない。

「私は毎日達也を見てるけどね。テレビで」

「はは、就活で忙しい時にウザかっただろ」

 どうしてだろう、あんなに近くにいたはずの達也が。

 今はもう、とても遠い所に行っちゃったような気がして…

 

………………………………………

 

 REAL8月大会の対戦カードが発表された。

 REALは真夏の8月に開催するイベントを大晦日に次ぐ規模の大会と位置付けており、例年注目の試合が多く組まれる。だが今年の対戦カードには、本来主役となるべき人物の名前が含まれていなかった。

 達也が不出場となった理由は、端的に言うと条件面で折り合えなかったからである。現在の格闘技の主流は総合格闘技であり、REALとしては達也に総合格闘技ルールで試合をして欲しいという希望が強かった。

 だが、それに待ったをかけたのがFAILYだった。

 FAILYにとって、達也は他の何にも代えられない宝物のような存在。ジムの名声を高め、莫大なファイトマネーをもたらしてくれる唯一無二の存在なのだ。達也を勝たせる事、言い換えれば達也を負けさせない事がFAILYにとって最も重要な命題であり、達也を総合格闘技のリングに上げるのはリスクが高いと考えるのは至極当然の判断だった。

 結局折り合えないまま、達也はREAL8月大会の出場を見送る事になった。だが達也は、正直に言うと不出場となった事を喜んでいた。なぜならこの頃の達也はルール云々以前に、格闘技に対して気持ちがあまり向いていなかったのである。

 だがそれも無理はない。今の達也は、国民的ヒーローという地位と一生困らないほどのお金を得てしまったのだから。元々「最強の男になりたい」のような目標があった訳じゃない達也にとって、今の地位はもう十分過ぎるほどに十分な高みにあるのだ。だから次の試合に向けて厳しい練習を重ねようという気が湧いてこないのも仕方がなかった。

 まあ、言ってしまえば典型的な燃え尽き症候群だ。とはいえそんな精神状態で試合から遠ざかったままでは、本当に格闘技から気持ちが離れてしまう。それを避けるためにも、達也は9月1日に開催される『knock out』に出場する事になった。達也にとってはかつて主戦場としていた大会に、およそ1年半ぶりの凱旋である。

 ちなみに、ファイトマネーはREALの数百分の一だった。だがこの試合に関しては達也のモチベーションを繋ぎ止めるための調整試合という意味合いが強く、また達也にとっては自身が駆け出しの頃にお世話になった『knock out』に恩返ししたいという気持ちもあり、ファイトマネーなど本当にどうでも良かった。

 スーパースターが超格安ファイトマネーで参戦してくれるとあって『knock out』は歓喜した。そして、このチャンスを逃すまいと達也の出場をこれでもかと宣伝した。提携している動画サイトも、当日の全試合を無料放送とする事を決めた。

 そして注目の達也の相手は、何とつい先日17歳になったばかりという現役の高校生に決まった。名前は松岡京介、今年の7月に『knock out』が独自に開催した『キックボクシング甲子園』という大会で優勝した期待の若手である。

 大抜擢の人選だった。だが決して奇抜ではなく、考えられた人選であるとも言えた。現状『knock out』全体を見渡してみても、達也と互角に戦えそうな選手は存在しない。そこで白羽の矢がたったのが若手選手だった。若手の有望選手を達也に挑戦させるという構図をつくり、ファンの注目を引こうと考えたのである。

 

 

 試合の前日会見、達也に挑戦する事になった松岡は「自分のような未熟な選手が小野選手のようなレジェンドと試合ができるなんて夢のようです」「小野選手の胸を借りるつもりで思いっきりぶつかりたいです」と謙虚な発言を繰り返した。だがインタビューで何より印象的だったのは発言の内容よりも、松岡がガチガチに緊張してしまって嚙みまくりで何を言ってるのかよく聞き取れなかった事だった。これには隣で聞いていた達也も、思わず苦笑してしまうほどだった。

 しかし、松岡が緊張してしまうのも無理はなかった。というのも、彼は達也を心から尊敬し、憧れていたのだ。その証拠に『knock out』の公式ホームページにある松岡のプロフィール欄を見てみると、尊敬する選手は『小野達也』となっている。達也のように強くなりたい、いつの日か達也のようなスーパースターになりたい…その一心で毎日必死に練習を重ねていた。

 対してスーパースターの達也はさすがに慣れたもので「自分はまだレジェンドって言われるような歳でもないと思ってるんですけど…」と報道陣を笑わせながら、「自分より年下の選手と試合するのは初めてなんでちょっとやり辛さはありますけど、見てくれる人に楽しいと思ってもらえるような試合にしたいと思います」と模範的なコメントで会見を締めくくった。

 

 

 試合当日、会場は超満員だった。チケットが売り切れたのは『knock out』史上初めての事だからそれだけでも凄いのだが、観客席の光景はもっと凄かった。というのも、あちらこちらに若い女性だらけなのである。達也を応援する手作りのボードや横断幕も客席のあちらこちらに掲げられたその様子は、格闘技の会場というよりまるでアイドルのコンサート会場のような雰囲気。達也人気の凄まじさをまざまざと見せつける光景だった。

 そんな異様な雰囲気の中で試合は進んでゆき、客席は普段とは全く違う盛り上がりを見せた。達也効果は抜群で、興行的には『knock out』史に残る大成功を収める事はほぼ間違いなかった。

 ただ、そんな大盛況の裏で、人知れず『knock out』の関係者は慌てふためいていた。

 この日の主役、達也が待てど暮らせど会場に姿を現さないのである。

 もし試合時間になっても達也が現れなければ、イベントは一転して大失敗…それどころか暴動が起きるかもしれない。スタッフは達也と連絡を取ろうと何度も電話を試みたが決まって不通、そうこうする間にも試合は進行し続けた。

 実は、この時。

 信じられない事に、達也は種付けの真っ最中だった。



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5-8 36歳、処女

     ―達也―

 今日はいつもの種付け部屋とは違う、とあるホテルの一室で種付けに臨む。この後に試合が控えていて、いつもの種付け部屋では場所的にちょっと無理があるからだ。

 午前に種付け→午後に試合という強行軍はさすがに初めてだ。かつて前日の深夜から早朝にかけて種付けした事はあったけど、その時ですら確か3~4時間は睡眠時間があったはず。その点今回はマジで休み無し、正真正銘のダブルヘッダーだ。

 でも、実は大して心配はしていない。このくらいの連戦なら難なくこなせる自信はある。それに、今日の試合(格闘技の方ね)の相手を考えれば、このぐらいのハンデをあげないと可哀相だろう。決してナメる訳じゃないけど俺が負ける可能性はハッキリ言って皆無…というか本気を出す事が憚(はばか)られる相手だ。

 長い1日になりそうだけど…ま、頑張ろう。色んな意味で。

 という訳で、まずは第1試合。

 

 

 今日種付けするのは、優以(ゆい)さんという36歳の女性だ。

 部屋で対面して挨拶を交わすや否や、優以さんは消え入りそうな声で言った。

「わ…私のような醜くてつまらない女の相手をして下さって…本当にありがとうございます」

「…はい?」

 早々に、ちょっとばかし面食らった。自分の事を「醜くてつまらない」と形容する女性とお目にかかった事はこれまでなかったから。

「何言ってるんですか。醜くてつまらないなんて言っちゃダメですよ」

 とりあえず、そう言ってみるけど。

「そんな事ないです。本当なら達也さんのような男性に相手をしてもらえる訳がないっていう事ぐらい、よく分かってますから…」

「…どういう事です?」

「だって…こんな顔ですから…」

 どうやら優以さんは、自分の容姿に相当なコンプレックスを持っているようだった。

 確かに、優以さんの決して恵まれている方ではなかった。そんなにブサイクだとも思わないけど、確かに男性からモテる方ではないだろう。

 可哀相だ…優以さんを見ていると、そう思わずにはいられなかった。もちろんそれは優以さんの容姿に対してじゃなく、優以さんが自分の容姿に対するコンプレックスを抱えたまま36年間も生きてきたという事実に対して、可哀相だと思った。

 だから、ここは優以さんの容姿をフォローしてあげるべきかなと思った。実際「そんな事ないですよ、とても綺麗じゃないですか」のような言葉が出かかった。

 でも、と思いとどまる。残念ながら優以さんの容姿は、決して美しい方じゃない。それは…事実だ。

 だから、安易な慰めの言葉をかけても、きっと優以さんの心には響かない。それどころか、かえって逆効果にもなりかねないから。

「優以さん、失礼しますね」

「え…」

 俺は優以さんに近付いて、その手を優しく取って。

 そっと、自らの股間に導く。

「えっ…きゃっ…?」

 俺のモノが服越しに手のひらに触れて優以さんは咄嗟に手を引っ込めようとするけど、俺はそれを許さない。

 半ば強制的に、優以さんの手を俺の股間に密着させて。

「男の人のここ、触った事ありますか?」

 そう聞くと、優以さんがぶんぶんと首を横に振った。

「どうです、服の上からですけど初めて触ってみた感想は?」

「え、えっと…」

 いきなり感想を求められて、優以さんは困ったような表情を見せながらも。

「あ、あったかいです…それに…すごく大きい…」

「大きいですか。でもね、これからまだまだ大きくなるんですよ」

 そう言って、優以さんの手を上下させる。

 すると、モノはみるみると反応し始めて。

「あ…すごい……」

 優以さんもそれを感じているようで、感嘆の声が小さく漏れた。

 そんな、驚きの表情で俺の股間を見つめる優以さんに、言う。

「男のここがどうして大きくなるか、知ってますよね?」

「えっ…」

 さすがに知っているのだろう、優以さんが少し顔を赤らめた。

「簡単に言うと、優以さんに興奮してるから大きくなってるんです」

「な、何を仰ってるんですか…こ、興奮なんて…」

「こう見えて俺、女性には結構うるさいんですよ。優以さんが本当に醜くてつまらない女なら、こんなに興奮しませんから」

「っ…」

 その意味を理解してくれたようで、優以さんが小さく声を震わせる。

 それを見て、俺もホッと一息ついて。

「じゃあ、優以さんのおかげで俺の準備は整いましたし、早速始めましょうか」

 

 

 優以さんが指定した体位は後背位だった。正常位または特に体位の希望が無い女性がほとんどの中にあって、後背位のリクエストは珍しい。

 突き出された優以さんの尻を見下ろす。程よい肉付きだ。

「では、失礼しますね」

 そう言って、優以さんの腰に手をかける。

 すると、優以さん少しだけこちらに振り向いて言った。

「そ、その…初めて…なんです…」

「ええ、伺ってます」

 優以さんが処女だというのはもちろん事前に把握済みだ。種付けの前には、未華子ちゃんから女性の情報をできるだけ教えてもらうようにしている。格闘技と同じで、やっぱり俺は『試合』の前には相手のデータをしっかりと頭に入れておきたいタイプなのだ。

「大丈夫です。これまで何度も初めての方に種付けしてますから、安心してください」

 そう告げると優以さんは、本当に安心したようにまた顔を正面に戻した。

 実際、処女への種付けはこれまで何度も経験してきた。そして不思議なもので、それを言ってやると処女の女性はみな一様に安心した表情を見せて、俺に体を委ねてくれる。

 女心ってホントによく分からないよなと思う。もし俺が逆の立場なら、女性経験を自慢されてるみたいで嫌な気分になりそうな気がするけど。

 充希にしても、俺が種付けしてるのそこまで気にしてないみたいだし…

「リラックスしましょう。別に怖い事をする訳じゃないですから」

「は、はい…」

 頷くものの、優以さんの体にはまだ不要な力がだいぶ入っていた。まあ、一言かけたぐらいで体の芯からリラックスなんてできる訳はない。

「うっ…」

 ピタリと、ペニスの先で優以さんの入り口に触れる。それを感じたみたいで、また優以さんの口から呻きが漏れて。

「あ、当たって…ます…よね…?」

「ええ、凄いでしょ?」

「わ、分かりません…どう凄いのか…」

「凄いんです。もう100人近い女性を妊娠させた優秀な子です」

 …ちょっとムキになってしまった。

「わ、私にも、お願いします…」

 優以さんの体が小さく震える。

 その震えを止めるように、熟れた尻をガチっと捕まえて。

「いきます。動いちゃダメですよ」

 そう宣言して。

 グググッと、進入を開始する。

「うっ、ううぅぅっっ!!!」

 その瞬間、優以さんの体にぐっと力が入った。

「息を吸って」

「えっ…」

「大きく息を吸ってください」

「は、はいぃっっ…」

 指示すると、従順な子どものように大きく息を吸う。

 正直、このタイミングで息を吸う事に意味があるのかどうかは分からない。ハッキリ言って適当な事を言っているだけ、だから実際は息を吸う事で痛みが増しているかもしれない。

 でも、痛みを緩和させる有効な方法なんて、残念ながら無いから。

 俺がしてあげられるのは、優以さんが頼るべき道標を何でもいいから立ててあげる事ぐらいだから。

「かはぁぁっ…あっ、はぁぁぁぁぁぁっ…」

 優以さんの中は狭かった。処女という事を差し引いても、明らかに狭く細い道だった。

 でも、関係ない。ここで止まるという選択肢は無い。

 それに、俺のモノは。

 どんな狭く険しい道でも力強く切り拓いて前へ進める、頼もしい子だから。

「あああああうっ、はっ、あっ…あはあああうぅぅぅぅっっ…!!!」

「…よし」

 絶叫にも近い優以さんの声が響く中、俺はぽつりと小さく呟いた。

 繋がった部分から、赤い液体がたらりと滲む。

 それは、36年もの長きにわたって閉ざされ続けていた細く狭い坑道の開通式を、無事に終えた証だった。

「はああああぁぁっ…あぁぁぁぁぁぁっっ……」

 優以さんは肩で息をしていた。さすがに今すぐに腰を前後させるのはどう考えても酷だった。

「ふう…」

 やるべき仕事はまだまだ残っている。でも、最初の難関を突破して、とりあえず小さく息をつく。

 36歳の女性の処女を貰ってあげるって、それだけでも一仕事だよな…そんな事を考えながら。

 

………………………………………

 

 一滴残らず中出ししてからモノを引き抜くと、優以さんはうつ伏せのままぐったりとしてぴくりとも動こうとしなかった。はあはあと口で息をするのが聞こえる。まさに精も根も尽き果てた、といった状態だ。

「終わりましたよ。お疲れ様でした」

 優しくそう言葉をかける。すなわち「仰向けになって妊娠ポーズを取りましょう」という意味でもあるんだけど、優以さんはやっぱりうつ伏せのまま動こうとしなかった。動けるだけの体力が残っていないのかもしれない。あるいは、俺の言葉すらほとんど聞こえていないのかもしれない。

 そんな優以さんを見ていると、ふと、頭をナデナデしてあげたい衝動に駆られてしまう。「よく頑張りましたね」と褒めてあげたい気持ちになってしまう。

 でも、残念ながら今日はあまりゆっくりしてられる時間が無い。時計を確認すると、当初予定していた時間を30分以上もオーバーしていた。グズグズしてたらマジで遅刻しかねない時間だ。

「…シャワーは浴びなきゃダメだよな」

 このまま直行しようかとも一瞬思ったけど、さすがにそれはマズいかと思い直して、シャワーだけは速攻で浴びる事にした。

 そして、颯爽と第2試合の会場へ向かった。



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5-9 達也のレッスン

 達也が試合会場に現れたのは、試合開始予定時刻の30分前というギリギリもいい所の時間だった。

 前代未聞の社長出勤に関係者は皆達也に何か言いたげだったが、とにもかくにも試合までに現れてくれた事に心底ホッとしていた。何せ最悪の事態を想定し観客の暴動に備えるべく警察に連絡していたというのだから、安堵の大きさが分かるというものだろう。

 さて、紆余曲折もあったが、いよいよ達也の出番である。達也が姿を現すと、客席の到る所から若い女の子の黄色い声援が飛んだ。

 この日は全試合がネットで無料配信されているのは既に書いたが、そのアクセス数に関しては中継開始後しばらくは残念ながら今一つだった。だが、達也の試合が近付くにつれてアクセス数は漸増、達也が画面に現れるようになると急増し、そして試合開始のゴングが鳴る頃には、視聴者数はなんと1000万PVを超えてしまった。一昔前なら回線がパンクしたに違いない、ちょっと信じられない数字である。

 そして今回の試合は『knock out』主催の公式戦扱いなのだが、松岡がまだ未成年という事を考慮してハンデが設けられていた。具体的には松岡が通常通り10オンスのグローブを使用するのに対して達也は分厚い(相手へのダメージが軽減される)16オンスのグローブを使用、そして達也は首より上への蹴り技禁止という二重ハンデである。

 ゴングが鳴り、試合が始まる。

 開始直後、松岡がいきなり飛び出した。前日の会見で見せていた緊張はどこへやら、挑戦者らしく勢い良く攻撃を仕掛ける。

 奇襲とも言える先制攻撃、だが達也は落ち着いてこれを対処した。軽いフットワークで体を前後左右させながら松岡の攻撃をかわし、的を絞らせない。

 この時、達也は感心する思いで松岡の攻撃を受け流していた。彼がかなり緊張しているのは前日の様子からも明らかだった。だから本番でも緊張からほとんど手が出ないのではないかと予想していたのだ。ところがいざ試合が始まってみると、手が出ないどころか開始早々の猛攻。しかも繰り出してくる打撃そのものも、高校生とはとても思えないような威力とキレを感じさせるものだった。

 さすがキックボクシング甲子園の優勝者、中々やるじゃないかと、達也は心の中で若き挑戦者に賛辞を送りを送りながら。

 開始1分過ぎ。そろそろレッスンをしてやるかとギアを切り替えて。

 

 ――ドンッ!!

 

 次の瞬間、達也が放ったカウンターの左が的確に松岡の顔面を捉えた。

 達也がこの日放った最初のパンチ。だがその一発で、松岡の勢いは完全に失われてしまった。ぴたりと手が止まり、ヨロヨロとふらつくようにしながら後退する。

 攻守交替、今度は達也が攻撃を繰り出す番となった。右、左、右…達也のパンチが的確に松岡の体を捉える。顔面にボディーにと、ガードが空いた場所だけを的確に教えるように。

 そう、まさに達也は、松岡のガードが甘くなっている部分を狙い撃ちしていた。それは達也が文字通りこの若き挑戦者の体に叩き込む、ちょっと厳しめのレッスンだった。現に達也はパンチの軌道こそ的確だが、力自体は全力ではなく7割程度に抑えて打っていた。そもそも最初に松岡の猛攻を止めた一発目の左も、実はかなり緩めて打ったものだった。

 達也の力を持ってすれば松岡をKOする事など容易だったが、本気を出そうという気は全く起きなかった。正確に言うと、『knock out』への出場が決まった時には豪快に1ラウンドKOで決めてやろうと思っていた。どんな技をフィニッシュに用いればファンが喜んでくれるか、そんな事を真剣に考えていたぐらいだ。

 だが相手が高校生に決まって、しかも自分を尊敬していると知って、そして実際に対峙して彼の有望性を感じ取って、豪快にKOしてやろうというような考えは消え失せた。今回の機会を彼にとって意味のあるものにするべく、自分なりのレッスンを施してあげよう、そう思うに到ったのだ。

 だから、的確にパンチは当てつつも、決定的な一撃は与えないように力を加減して。

「ほら、休んでないで打ってこい!」

 時には攻撃の手を休め、松岡の反撃を促す。その様子は試合というよりも、まるで師匠と弟子のスパーリングのようで。

「くあぁぁっっ!」

 達也の檄に応えるように、松岡がパンチを繰り出す。だがそれが大振りで、豪快な空振りに終わるだけではなくまたカウンターを当てられてしまう。手を出せばガラ空きになった顔面に、顔面をガードすればボディーに、達也のパンチが容赦なく食い込んだ。

「どうした?その程度か?悔しくねーのか!」

 今度は達也が、ボディを打てと言わんばかりに自らの腹をポンポンと叩いた。それを見た松岡が、達也のボディ目掛けて左右を連打する。

「お、よし、いいぞっ!」

 松岡の連打が5発、6発、7発と達也のボディを捉えた。だが達也は全く痛がる素振りも見せず、むしろ嬉しそうに連打を受け続ける。

 そんな達也主導の応酬がしばらく、続いて、1ラウンドも残り30秒を切った頃。

「よし、じゃあいくぞ、耐えてみせろ!」

 そう宣言して、達也が左ボディーを一発打ち込んだ。それが肝臓に刺さり、松岡の体が前のめりになる。

 そこからは一方的。やはりガードが甘い部分に狙いを定めるように、左右の連打をお見舞いする。さっきまでとは違う『ほぼ全力』まで力を強めたパンチに、松岡は体を丸めるのが精一杯。

 いや、実を言うとまだ反撃する力はかすかに残っていた。しかし先ほどまでのレッスンが、松岡に確かな恐怖心を植え付けていた。

 成算のない中途半端な攻撃は逆効果。今手を出せば、今度こそ顔面に強烈な一撃を食らう…と。

 結局反撃する事も叶わず、松岡は達也の重い打撃を浴び続けた。そして1ラウンドも残り5秒という所で、ついにレフェリーが間に入って試合を止めた。

 残り5秒でのダウン無きレフェリーストップは、達也の連続1ラウンドKO記録を伸ばすための恣意的な判断だと見る向きもあった。とはいえ、レフェリーストップの判断を批判する声は皆無だった。実際、ストップ直前の試合内容は一方的だったし、何より達也がその気になればいつでもKOできた事は誰の目にも明らかだった。

 達也はボディーを何発か受けたものの、実質的なダメージはゼロだった。一方、何十発ものパンチを受けた松岡はフラフラで、達也に施されたレッスンの厳しさを物語っていた。

 試合が終わり、観客は勝者と同じように敗者にも惜しみない拍手を送った。達也のパンチを浴び続けながらも最後まで立ち続けた松岡の姿は、観客の心を確かに捉えたのだった。



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5-10 怒ってます

 イベントは大成功のうちに終わった。ノーギャラに近い格安ファイトマネーで出場した達也は『knock out』に莫大な収益をもたらし、不遇の時代に東南アジアからせっせと対戦相手を探し続けてくれた古巣に最高の形で恩返しを果たした。 

 一方、REALは危機感を抱いていた。達也不在の中で開催された8月の大会はチケットの売り上げこそ当然のように完売だったがテレビの視聴率は伸び悩み、中継するフジテレビには「どうして達也がいないんだ」という抗議の電話も多数寄せられた。大晦日に次ぐ規模のイベントと位置付けている真夏の大会で主役となるべき選手を出場させられなかった代償は小さくなく、スポンサーも水面下でREALに強烈な不満を示した。

 そんな経緯もあって、REALは続く10月大会には何が何でも達也を出場させなければならなくなった。スーパースターの2大会連続欠場などファンもスポンサーも納得しない。REALは達也に大して総合格闘技ルールのオファーを取り下げる事で、何とか10月大会出場の確約を取り付けたのだった。

 しかし、肝心の対戦相手選びが難航を極めた。

 REALにはあらゆるジャンルの格闘家が集う…といっても基本的には総合格闘技の試合を中心としている団体であり、海外の主要キックボクシング団体との太いパイプは持ち合わせておらず、したがって有力な外国人キックボクサーを招聘する力には欠けていたのだ。なので対戦相手は日本人から探す事が基本線になるのだが、日本人選手の有力どころは今春に開催した達也への挑戦者を決めるトーナメント(優勝者:清水諒)で既に消費してしまった。清水の後塵を拝した選手との試合を今さら組んだ所で盛り上がりに欠けるどころか、そもそもあの挑戦者決定トーナメントは何だったんだという話になってしまう。困り果てたREAL運営は10月大会の達也の対戦相手を『X』(エックス)と発表し、その詳細は試合直前まで伏せる事にした。まるで正体不明の未知の強豪を連想させるような仕掛けだが実際は相手が見つかっていないだけ、エンターテインメント業界が困った時によく用いる常套手段である。

 と、達也のマッチメークに四苦八苦するREALだが、当の達也は対戦相手が一向に伝わってこない状況に不信感を募らせていた。というのもREALは達也に対して「対戦相手が見つからない」と正直に伝えるのではなく、「対戦相手はほぼ内定しているが諸事情で発表できない」というような虚偽の説明をしていたのである。本当の理由を言ってくれれば達也ならすんなり納得しただろうが、「対戦相手は決まってるけど教えられない」では話は別だ。達也は試合前に相手選手の事前研究を欠かさないタイプである。しかし対戦相手が不明とあれば、事前研究などできる訳もない。REALが仕掛ける演出の犠牲にされているというのが達也の認識だった。

 結局、達也の対戦相手が発表されたのは試合のわずか2日前、相手はキム・ソンヨンという韓国人ファイターだった。だが、対戦相手が達也に通達されるよりも早くメディアに向けて発表がなされ、達也の不信感はさらに増幅した。まずは俺に伝えるのが筋だろ、それをすっ飛ばして先にメディアに発表するのはいくら何でもおかしいだろ、と。

 そんな達也の不信感は、間もなく怒りへと変わる事になる。もう試合に向けて対策に取り組む時間も無いがそれでも何もしないよりはマシと考えてキムの映像を探したのだが、どれだけインターネット上を探してもキムの試合映像を見つける事ができなかったのだ。動画サイトに見つからないのはもちろん、Go○gleやYah○oで検索してもそれらしき人物は見つからず、ついには韓国の大手検索サイトにアクセスして「キムソンヨン」をハングル翻訳して検索してみても、出てくるのは同姓同名と思しき若手俳優の情報ばかり。結局試合映像はおろかキムのプロフィールすら見つける事ができず、さらにそんな検索を繰り返したものだからパソコンが達也を「韓国に興味あり」と認識してしまい、普通にインターネットをしているだけでも画面の端に韓国系の広告が多数現れるようになり、挙げ句の果てにはAmaz○nをチラ見しただけで「あなたへのオススメ商品」として韓流ドラマのブルーレイが表示される始末。「こんなもん興味あるか!!」と強めの独り言を口にしてしまうほどにフラストレーションは溜まりに溜まった中で試合を迎える事になってしまったのだった。

 

………………………………………

 

 達也の相手がキム・ソンヨンに決まった経緯は、端的に言うと最後まで適切な対戦相手を見つけられなかったという事に尽きる。達也とまともに戦えそうな実力者を用意できぬまま時間切れとなり、仕方なく韓国に矛先を向けたのだ。日韓戦にしておけばそれなりに盛り上がるだろう…というような、ややもすれば安易とも言える妥協案の産物が今回の試合だった。

 だがREALは、後にこの安易なマッチメークを本気で後悔する事になる。その証拠に、この試合を最後に達也がREALのリングで韓国人と戦う事は一切無かった。

 達也の試合は言うまでもなく大トリである。これでREALでは清水戦、リプスコンプ戦に続いて3戦連続のメインカード。完全に日本格闘技界の顔だ。

 試合が順調に進み、ついに達也の出番となった。赤コーナーから達也が登場し、眩(まばゆ)いばかりのスポットライトが注がれる。

 いつも通りの、爽やかながらも闘志十分の表情だ。これから始まる試合へ向けて勝利だけを見据えて気合いに満ち溢れた、そんな表情。

 だが実の所、達也の表情は普段とはほんの少しだけ違った。パク戦以降に達也のファンになったような女の子にはまず分からないだろうが、達也をよーく知っている人が見たら「あれ?」と思う…かもしれない…ようなちょっとした違和感が、達也の爽やかな表情の裏にうっすらと影を落としていた。

 というかぶっちゃけ、その違和感に気付いたのは世界でたった1人だけだった。充希である。

「あ、怒ってる…」達也の表情を見た瞬間、充希は達也が珍しく怒っているのを察した。何でそう感じるのか具体的に言葉で説明せよと言われると難しかったが、でも達也が怒りを必死に隠そうとしている事は画面越しにハッキリと分かった。怒りのオーラが出ている、という感じで。

 実際、達也は怒っていた。達也の認識では「かなり前から対戦相手はキムに決まっていたが、何らかの事情でそれを明かしてもらえなかった」である。ならばキム本人は自分と戦う事を前もって分かっていた訳だから、今日のためにしっかりと対策ができたに違いない。それはいくら何でも不公平すぎるだろ!と。

 そんなセコいマネをしてまで勝ちたいか…達也のはらわたは煮えくり返っていた。直前まで姿を隠しやがって…もっと堂々と来いよ、それがスポーツマンシップってもんだろが!と。

 そして試合は、そんな達也の怒りが凝縮したような展開になった。

 開始直後、達也は様子見する素振りすら見せず、いきなり猛攻に出た。相手は自分の事を研究して対策を練ってきてるだろうからあまり長期戦に持ち込みたくないという思惑もあったのだが、それより何より、相手の対策なんて無意味になるぐらいボコボコにしてやるぜ!という勢い任せの猛攻という意味が大きかった。

 ただ、達也の認識はREALの虚偽説明から生じた誤解であり、実際の所はキムにもこの一戦への対策をする余裕など全く無かった。キムに達也戦が打診されたのは試合のわずか1週間前であり、むしろ達也よりもタイトな調整を強いられたぐらいなのである。

 そして何より、キムは弱かった。調整や対策云々以前に、達也と対峙するには圧倒的に実力が不足していた。それもその筈、REALは今回の試合の対戦相手を韓国人から探すにあたって、万が一にも達也が負ける事のないよう、実績的に大きく見劣りする選手を選んだのである。達也がいくら調べてもキムの試合映像やプロフィールを探し出す事ができなかったのは、彼が韓国国内でも全くと言っていいほど無名の存在だったからなのだ。

 そんな選手が達也に怒りの矛先を向けられては、悲惨な結果が待ち受けているのは火を見るよりも明らかで。

 開始早々の連打に対してキムは必死にガードを試みるも、達也の猛攻を受け止められる筈もなくたまらず後退。そんなキムに対して達也は強烈なボディーので半ば強引にガードを下げさせ、直後に右ストレートで顎を打ち抜いてゲームセット。試合時間19秒はデビュー戦で打ち立てた記録を4秒縮める、自身の最短KO記録となった。

 達也にとっては、まだ殴り足りない気持ちがあったのも事実だった。敢えてガードの上ばかり狙ってコーナー際でサンドバッグにしてやろうかとも思った。だがぐっと堪えて顎への狙い撃ちで失神させたのは、せめてもの武士の情けだった。

 

 

 大楽勝で連勝を伸ばした達也だが、試合が終わってもまだ怒りは収まっていなかった。

「さすが達也くん、全く相手にしなかったわねっ」

 晴香をはじめFAILYのスタッフが達也にねぎらいの言葉をかける。

 …が、当の達也は何を言われても無言。憮然とした表情で晴香たちの言葉を聞き流す。

 そんな不穏な様子を察して、徐々に誰も声を掛けづらくなり…

「ね、ねえ、達也くん?」

 おそるおそる、晴香が聞いた。

「もしかして…怒ってる?」

「ええ、怒ってますよ」

 晴香にしても、達也が今回の試合に到るまでの経緯に不快感を覚えている事はヒシヒシと感じていた。ただ、試合が完勝に終わって怒りはもうだいぶ解けたものと思っていただけに…

「で、でも、試合は達也くんの完勝だったじゃない」

「そんなの関係ないです」

「勝利者インタビューも笑顔で受け答えしてた…よね?」

「プロですから当たり前じゃないですか」

 笑顔でインタビューを受けていた達也だが、内心ではずっと気分が悪いままだった。この際、大観衆の前で一言文句言ってやろうか…そんな思いを我慢しながらインタビューに応じていたのだ。

「晴香さん」

 その時、達也が何かを思いついたように口を開いた。

「な、何…?」

「今回の件、FAILYとして正式な抗議をREALに出しておいてください」

「こ、今回の件っていうのは…」

「言わなくても分かるでしょ」

 もちろん、晴香も分かってはいる。

 ただ、ウチみたいな弱小ジムがREALと事を荒立てるのはちょっと…と思っていると。

「晴香さん」

「ど、どうしたのっ…?」

「俺、FAILYにそこそこ貢献してきましたよね?」

「そ、そこそこどころか、達也くんがいなかったら今のFAILYは存在しないわ。ホント、物っ凄く感謝してるわよっ…」

「今回の件をスルーするってんなら、俺、マジで移籍しますからね」

「じょ、冗談言わないで頂戴っ…するっ、すぐ正式に抗議するからっ…」

 

 後日…というか翌日、FAILYはREALへ正式な抗議文書を送付した。



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5-11 実績十分の立ち技選手

 19秒KO劇となった一戦の反響は大きかった。

 だがその反響は達也への賞賛というよりも、試合そのものに対する批判的な声が圧倒的に大きかった。

 

「何だあのクソ弱い韓国人は」

「Xとか言って散々引っ張っておきながらアレはマジないわ」

「あの韓国人にファイトマネーが出てると思うと胸糞」

「REALはもう二度と韓国人をリングに上げるな!」

 

 SNSは大荒れ。加えてFAILYが正式に抗議を行った事も、SNS炎上のガソリンとなってしまった。

 と、非難轟々と一戦となってしまったのだが、ファンは達也には同情的で。

 

「ただでさえ忙しいのに、あんな試合を強要された小野選手が気の毒でならない」

「日本格闘技界の至宝を無駄遣いするな!」

「というか小野選手を韓国人と関わらせた事自体が罪」

「小野選手の人気と韓国を利用して金もうけに走るREAL」

「そもそも去年の大晦日に総合ルールで金田兄と戦わされたのも意味不明」

「8月の大会に出場しなかったのも、無茶な試合をオファーされてたからなんだろうな」

「REALは小野選手に土下座しろ!」

 

 といった具合でREALに総攻撃状態。これにはREALもたまらず「今回のマッチメークに関して、小野選手及びFAILYをはじめとする関係各位の皆様に多大なご迷惑をおかけした事、心よりお詫び申し上げます。今後はこのような事が無いよう、小野選手に相応しいマッチメークを徹底する所存です」と謝罪声明を発表するに到った。

 天下のREALを謝罪に追い込むのだから達也の影響力たるや恐るべし…なのだが、当の達也はやっぱり納得していなかった。なぜなら、REALが一体何に対して謝罪したのかサッパリ分からなかったからである。そもそも達也は、対戦相手が直前まで不明だった事と対戦相手の発表が自分ではなく先にメディアに大して行われた事に怒っていた。だがREALの謝罪はあくまで「マッチメークに関して」でしかない。これじゃまるで俺が「もっと強い奴と戦いたい、キムのような弱い相手は勘弁してくれ」とゴネてるみたいじゃねーか!と。

 とはいえ過ぎた事をウダウダ言い続けるのはみっともないし、何より一応は謝罪を引き出して多少なりとも溜飲は下がったから、達也もこれ以上は何も言わない事にした。内心では「別に強敵と戦いたくなんてないんだけどな…」と思いつつ。

 しかしREALとしては、大晦日には何が何でもファンが納得する相手を達也にぶつけなければならなくなってしまった。それまでREALでは「最悪、大晦日は小野に炎上系ユーチューバーをぶつければ数字(視聴率)は取れるだろ」といったとても『リアル』とは思えないような意見も出ていたのだが、一連の騒動を経てそんなフザけた案は全て霧散。REALという看板の威信にかけて、実績十分の立ち技選手を探し出さなければならなくなったのだ。

 だが、そこはやっぱり日本格闘技界の頂点に君臨する団体。そのリングに上がる事は、日本の格闘家にとって最大の夢。

 達也が大晦日で戦う相手は、以外にもすんなりと決まる事になる。

 

………………………………………

 

 12月。この日は某民間企業が主催する「新語・流行語大賞」の発表日だった。

 今年は二つのフレーズが大賞を同時受賞した。一つは『じぇじぇじぇ!』というフレーズで、受賞者は今を時めく大人気若手女優の高橋ひかり。彼女がヒロインを演じたドラマは社会現象とも言うべき爆発的ヒットを記録し、その作中で多用されたセリフが文句なしで大賞に選ばれた。

 そしてこの『じぇじぇじぇ!』と並んで大賞を受賞したもう一つのフレーズは…『秒殺』。受賞者は…そう、達也である。

 圧勝に次ぐ圧勝で秒殺というフレーズを世間に広く流行らせたというのが授賞理由だ。

「流行語大賞受賞、おめでとうございます~」

 舞台に上がった達也とひかりが並んで祝福を受ける。だが、笑顔を振りまくひかりとは対照的に、達也はどこかバツが悪そうだった。

 確かにこの所、秒殺というフレーズは流行っていた。そのきっかけが達也である事も確かだった。とはいえ『じぇじぇじぇ!』と比べると、どっちが流行しているかは誰の目にも明らかだった。何せ『じぇじぇじぇ!』は、今やお爺ちゃんお婆ちゃんから幼稚園児まで当たり前のように口にするフレーズなのだ。

「こんな素晴らしい賞を頂けるなんて思ってなかったですから、とても驚いてます」

 一応は笑顔を作りつつも、大して嬉しそうでもない達也。それどころか、早く家に帰りたいというのが本音だった。

 また、達也がそう思うのは他にも理由があって。

「小野選手はやっぱり、プライベートで女性にアタックする時も秒殺狙いですか?」

 司会者から連発されるくだらない質問を、ホントに勘弁してくれよという心境で。

「いやいやそんな…というか試合でも別に秒殺を狙ってる訳ではないですから…」

 何が秒殺だよ。充希を落とすのに何年かかったと思ってんだ…なんて口にする筈もなく。

「それにしても小野選手とひかりちゃん、絵に描いたような美男美女ですよね。どうですか、この際付き合っちゃうっていうのは?」

「ホントにやめてくださいって。高橋さんのファンに怒られますからっ…」

「(ひかり)んー、私はそれでもいいですけどぉ…」

「ちょ、高橋さんも何言ってるんですかっ…」

 ひかりの悪ノリに達也は思わず「はぁ…」と心の中でため息。この辺のくだりは絶対にテレビに乗せないでくれよなと思いつつ。

「ところで小野選手、先日ついに、大晦日の対戦相手が発表されましたね」

「え、ああ、はい」

 突然話題を本業の格闘技に切り替えられて、瞬間的にホッとしていると。

「ボクシング元世界チャンピオンの石山選手と戦う事が決まりました。もちろん秒殺狙いですよね?」

「で、ですから、秒殺は狙ってませんから…」

 それこそ秒で否定する。何せ大晦日に対戦する相手は、今もちらっと出たようにボクシングの元世界チャンピオンなのだ。秒殺を狙うなどと軽々しく口にしていい訳がない。

 石山信弘、34歳。元WBA世界スーパーウェルター級暫定王者。

 ただ、この肩書きをもってボクシング元世界チャンピオンと形容して良いかどうかは、実はかなり微妙だったりする。というのも、詳しい話をしだすと長くなるので端的に述べるが、近年ボクシングの世界ではチャンピオンが乱立状態にあり、酷い時には一つの階級で主要4団体合わせてチャンピオンが10人近くも同時に存在したりしているのだ。そんな事態を重く見たJBC(日本ボクシングコミッション)は、WBAの暫定王者に関しては世界チャンピオンとして認めないという立場を取っているのだ。

 しかしそんな事情など、大晦日の試合を主催するREALにとってはどうでもいい話。REALとしては出場選手を少しでも強く見せるように演出するのは当然だ。REALは石山をボクシング元世界チャンピオンとして喧伝し、そのアナウンスの甲斐もあって世間は、大晦日に達也vsボクシング元世界チャンピオンの一戦が実現すると認識していた。

 と、石山の経歴が多少盛られている部分があるのは事実だが、とはいえWBAの暫定王者を世界チャンピオンとして認めないというのはあくまでJBCの見解であり、国際的には石山は紛れもなく歴代世界チャンピオンの一人なのである。達也の相手として実績的には文句なし、ファンも納得のマッチメークと言えた。

 だが達也は、石山との一戦にはあまり乗り気ではなかった。その理由は、石山という選手の実績や実力ではなくて。

 試合のルールが自分に有利過ぎる事にあった。



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5-12 半端ない強さ

     ―12月某日:FAILY―

「やあやあ晴香ちゃん、久しぶりやなぁ」

「丸木さんこそお元気そうで何よりです。本日はワザワザ遠い所まで来てくださって本当にありがとうございます」

「遠い事あるかいな。30分もかからんがな」

 と、気さくな口調で話すこの人物の名は丸木信雄。大阪市の西に隣接する尼崎の街でボクシングジムを経営している男である。

「へえ、君が小野くんかいな。試合はよう見せてもうとるでえ。まだ2ラウンドに行った事ないんやてな?」

「いや、はは…」

 あまりにフレンドリーな口調に、達也は挨拶を口にするタイミングを失って苦笑いしていると。

「ほいでやな、こいつが今から君とスパーさせてもらう池田や」

「…ヨロシクお願いします」

 パン、と丸木に背中を叩かれた池田が、低い声で挨拶する。達也もそれに呼応するようにペコリと頭を下げる。

「イカツい顔やけどな、一応ウチのエースや。これでもミドル級の日本ランキング2位やさかいな。来年には日本か東洋のベルトに挑戦させたいと思うとるんや」

 と丸木が紹介するように、池田は日本ミドル級ランキング2位のプロボクサーである。現状、日本のボクシング界はミドル級より上のランキングが選手不足でほぼ空位状態である事を踏まえると、池田は日本国内で屈指の実力を有するプロボクサーであると言えた。また、達也が大晦日で対戦する石山が主戦としているスーパーウェルター級は、ミドル級の一つ下の階級。つまり池田と石山はほぼ同じ体格の選手であり、スパーリング相手としてはこれ以上うってつけの選手はいなかった。

「小野くんの実力はテレビでも見てよう知っとるけど、この池田も『尼崎の粗大ゴミ』っちゅう異名を持っとるからな。油断しとったら痛い目に遭うかもしれへんでぇ」

「はい、今日は池田さんのような実力者とスパーリングできる機会を頂けて本当に感謝してます」

「ほおぉ、テレビで見る通りほんまにええ性格した子なんやなぁ。ほいでスパーは池田のグローブが12オンス、小野くんが16オンスっちゅう事ででええんかな?」

「はい、ぜひともそれでお願いします」

 達也の身長は高校卒業時から2cm伸びて187cm、体重も筋肉の増量に成功した現在は90kg前後だ。これはボクシングで言うと、ほぼヘビー級に相当する体格である。対して池田のこの日の体重は75kg前後と、体重差は約15kgにもなる。スパーリングにあたってグローブの厚さにハンデを付けるのは必須だ。

「じゃあ早速グローブを持ってくるから、達也くんも準備して」

 晴香がジムの奥へと消える。それを見て達也も、準備運動しようと軽く体を動かし始める。

 と、その時。

 それまでほとんど黙っていた池田が、すっと達也の元へと歩み寄ってきた。

「池田さん、今日はよろしくお願いします」

 近付いてきた池田に達也は改めて挨拶する…が。

「おい」

 池田は達也の挨拶を無視するように、ギラリと鋭い視線をぶつけながら、殺気満々の声で。

「言うとくけど、俺はお前なんか全く認めてへんからな。覚悟しとけよ」

 

………………………

………………

………

 

 スパーリングは3分3ラウンドのボクシングルールで行われた。

 そして今、予定の9分間をちょうど終えた所…なのだが。

「ふう…ありがとうございました」

 涼しい顔でヘッドギアを外す達也。ほんの少し汗をかいてはいるが、ダメージはおろか疲れたような様子は全くない。

 だが、一方…

「はあ…はあ…はあっ…」

 コーナー際に用意された椅子に腰かけてぜえぜえと肩で息をする池田。もし第4ラウンドがあったとしても立ち上がるのはちょっと難しそうだった。

 その証拠に…

「あちゃー…こらアカンわ…」

 池田の状態を確認した丸木が呆れたような表情で言う。達也の猛打を浴びた体は到る所が赤く変色し、腫れ上がってしまっている箇所も少なくなかった。

 スパーリングは、第1ラウンドの前半こそは引き締まった展開だった。池田の鋭いパンチが達也の顔面を捉えるシーンも何度かあった。だが、均衡していたのは最初の1分半だけだった。第1ラウンド後半からは徐々に達也がペースを掴んで攻勢を強めた。第2ラウンドになると達也が池田をロープ際へと押し込むシーンが目立ち、後半には池田は「ほぼ」サンドバッグ状態。なのでラウンド終了時に晴香がスパーリングの打ち切りをやんわりと提案したのだが、池田サイドの希望により続行。しかし反撃には到らず、第3ラウンドも達也が一方的にパンチを浴びせ続けたままスパーリングは終了したのだった。

 ダウンこそ無かったものの、達也の完勝だった。しかも第3ラウンドには達也が攻撃をだいぶ緩めていたのは誰の目にも明らかだった。達也は不慣れなボクシングルールで、日本最強クラスのプロボクサーを圧倒してしまったのである。

「いや…これは本物やわ…」

 丸木が唸るように言う。愛弟子がほとんどいい所なく完敗を喫したというのに、不思議と悔しさはあまり湧いていなかった。むしろ、とんでもないものを見てしまったというような驚きの方が大きかった。

 他方、晴香はどこか鼻高々といった表情だった。どう、ウチの達也の実力が分かったかしら?とでも言いたげな表情である。

「池田、大丈夫か?立てるか?」

「は、はい…すんません…」

 丸木に促され、ヨロヨロと立ち上がる池田。だが気を抜くとすぐにその場にヘタり込んでしまいそうなほどに、足元はおぼつかなかった。

 

 

「いや小野くん、恐れ入ったわ。すまんな、池田じゃ君のお役には立てんかったみたいや」

「いえいえ、そんな事はないです。学ぶ所はとても多かったですし、本当にいい経験になりました」

「ホンマ君は、顔だけやのぉて性格もイケメンやなぁ…」

 大した子やで…と丸木はかぶりを振って。

「ほな、今日はおおきにやで。池田にとってもええ勉強になったと思うわ」

「こちらこそ、本当にありがとうございました」

 ペコリと頭を下げる達也。その謙虚な態度に丸木は感心しきりで。

「ほら、池田も挨拶せえ」

 まだ顔面の腫れは残っているものの、体力的には何とか回復した池田が小さく頭を下げる。

 そして、達也に向かって。

「悪かったの、さっきはつまらん事言うてもうて」

「いえ、別に…」

「悔しいけど、今日は俺の完敗や。ええ勉強になったわ。ありがとうな」

「いえ、こちらこそ勉強になりました」

「自分やったら誰にでも勝てると思うわ。大晦日も頑張ってくれよ」

「はい、ありがとうございます」

 

………………………………………

 

     ―達也―

「ああ、うん、お休み。体冷やすなよ」

 プツッ、と電子音が切れる。その瞬間、何とも言えない寂寥感に捉われる

 この所、充希との電話は毎晩の日課みたいになっている。それはつまり、充希とほとんど会えてない事を意味する訳で。

(もうすぐ大学も卒業か…)

 ふと、そんな事を思う。来年の春には、俺も充希も大学を卒業して社会人になる。まあ、社会人ったって、俺の方は今と大して変わらないのかもしれないけど。

 充希と付き合えたはいいけど、付き合う前より後の方がむしろあまり会えてないのは何とも皮肉だった。加えて、来春から充希は東京で勤務する事になるという。そうなると、今以上に会えなくなる事は間違いなかった。

 自分も東京に引っ越そうかな、なんて最近はよく考える。ただ、そのためにはジムを移籍する必要がある訳で…

「ま、来年の事は来年になってから考えるか」

 今考えても仕方ないよな、と思い直す。充希にしても、東京での新人研修が終われば大阪勤務になるかもしれないし。

(そんな事より、まずは大晦日の試合、だよな…)

 今日のスパーリングを改めて振り返る。

 池田選手はさすがミドル級日本ランキング2位のボクサーというだけあって、素晴らしい選手だった。パンチのキレも流石だったし、ガードのテクニックも見事だった。

 でも…ハッキリ言って、俺の相手にはならなかった。その理由は、ひとえに体重と体格の差だ。

 ボクシングという上半身へのパンチだけというシンプルなルールの競技において、体重ほど重要なものはない。実際に今日のスパーリングは、それを証明するには十分過ぎるものだった。

 俺は単に、体格差と体重差を押し出して強引に前に出ただけ。なのに池田選手は、俺の単純なパワープレーに全く成す術がなかった。体重差と体格差の前に、池田選手のテクニックは全くの無力だった。

 試しに池田選手のパンチを敢えて何発か貰ってもみた。もちろん痛かった。でも、痛さはあってもダメージはほとんど無かった。ヘッドギアの効果を差し引いても、所詮は下の階級の選手のパンチに過ぎなかった。

 大晦日に対戦する石山選手は、池田選手よりも更に1階級下の選手だ。もちろん当日は体を作ってくるだろうけど、短い期間しかない中で本当の意味で俺と同じ体格を作り上げてくるのはまず不可能だ。

 それに本番はボクシングではなく、キックボクシングルールで行われる訳で…

(やっぱ、つまらない試合にするべきなんだよなぁ…)

 テクニック勝負なら、元世界チャンピオンの石山選手に分があるかもしれない。だから俺の戦い方としては、パワーで押し込むというのが間違いなく最適解なんだけど。

 それはとことん『つまらない』試合になりそうだからなあ…

 

………………………………………

 

 一方、その頃。

「ううっ…うっ…うううううっ…」

 大阪は東通り商店街にある居酒屋で、池田は泣いていた。達也を目の前にしていた時こそ気丈にふるまっていたが、ジムを後にして少しすると、溢れる悔しさはもう止められなかった。

 それを丸木が、慰めるように。

「悔しいよな。悔しい時は泣いたらええ」

「うっ…ううっ…おやっさん…あいつのパンチ…マジ半端ないんすよぉ…あんな速くて強烈なん…絶対避けられへんって…うううっ…」

「分かっとる。でもお前もよう頑張ったやないか。エエのも何発か入っとったぞ。それに階級差もあったやないか」

「でも…マジで悔しいっすよ…普段ボクシングやってない奴に…ええようにボコられて…しかも手加減までされて…うううっ…」

「小野は怪物や。ええ勉強になった思て、また頑張ろうや。な?」

「ううっ…うっ、ううううーーーっ……!」

 悔しさに耐えられず号泣する愛弟子を眺めながら、丸木はグラスを口にして。

「小野達也…か」

 ぽつりと、小さく呟いた。

「石山がなんぼ世界チャンピオンや言うても、あんな化けモンの相手にしたったらアカンで…」



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5-13 優生思想

 年が明けた。

 大晦日に行われた石山との一戦は、達也の勝利に終わった。しかも、当たり前のように1ラウンドKOで。

 試合の勝敗を左右したのは、やはり、両者の体格差だった。

 石山がかつてWBA世界暫定王者に輝いたスーパーウェルター級のリミットは69,85kg。大晦日の試合のために石山は10kg以上の増量を敢行して80kg台の体を作り上げてきたが、それでも達也とはまだ約10kgもの差があった。

 しかも石山の80kg台の体というのは、所詮は無理な増量で作ってきた体であり、体中に筋肉の詰まった達也との仕上がりの差は歴然だった。石山は自身より背が高く体も分厚くて重い達也を相手に真っ向勝負を挑んだが、やはりパワーの差は段違い。石山の打撃は達也の分厚いタイヤのような逞しい体にことごとく吸収されたが、逆に達也の打撃はその一発一発が石山の体の芯にまで響き、容赦なくダメージを与えた。

 パンチの打ち合いでも達也の有利は明らかだったが、途中から達也は蹴りも織り交ぜ、最後はローキックの連発からのハイキック一閃という見事な流れ技で、石山の魂を介錯した。フィニッシュに蹴り技を用いたのは達也の『情け』と言うべきものだった。ボクシングの元世界チャンピオンが、キックボクサーにパンチだけで負けては格好がつかないだろうから…そんな思いを込めて。

 達也としては、結果だけでなく内容も含めてパーフェクトな試合だった。ファンからの評価がさらに高まったのは言うまでもない。

 だが、この年末年始で達也にとって特に大きなトピックとなったのは大晦日の石山戦よりも、その3日後に放送されたあるテレビ番組の方だった。

 

 

 それは、TBS系列で毎年お正月に放送されている「スポーツマンNo.1決定戦」という特番だった。その名の通り、スポーツ選手をはじめアクション俳優やアイドルなど運動神経に自信のあるタレントが多数出演して、様々なジャンルの競技に挑戦して総合得点で順位を決めるという番組である。

 スターが集う出演陣は毎年とても豪華なのだが、今年の注目は何と言っても初出場の達也だった。

 達也の活躍は、圧巻の一言だった。

 パワー系種目はもちろん、瞬発力や持久力を競う類の種目でも軒並みトップレベルの記録を連発し、終わってみればぶっちぎりの総合優勝。トップアスリートが集う中でも桁違いの身体能力を見せ付けた。中でも特に印象的だったのがアームレスリング(腕相撲)で、アイドルや俳優では全く勝負にならないのはもちろん、プロ野球のホームラン王や槍投げの日本記録保持者をもあっさりと秒殺、決勝戦ではニュージーランドから帰化したパワー型ラグビー選手すらいとも簡単に下してしまったのである。まさに日本人離れ、あまりの強さに達也の活躍を楽しみにしていた視聴者も逆に引いてしまい、「小野達也は強すぎるから次回から出場禁止」「殿堂入りだろ」といった反応がSNS上に溢れる程だった。

 そんな中、とあるマイナー女性シンガーがこんなツイートを投稿したのだが…

 

「#スポーツマンNo.1決定戦 を見て改めて思うんだけど小野達也くん最強すぎん?身体能力断トツ&超絶イケメンって前世でどれだけ良い行いを積んだの?政府はもう達也くんに女性を大量にあてがって、彼の優秀な遺伝子を沢山残すべきだと思う」

 

 まあ、所詮はマイナー女性シンガーのツイートである。もちろん心からの主張として発されたものではなく、特に深く考える事もなく呟いた何気ないツイートに過ぎない。彼女自身のツイッターのフォロワー数が数千人程度という事もあり、当初は全く話題にもならなかった。

 だが、このツイートから2日後、人権派ジャーナリストを自称する某著名人のツイートによって、事態は急変する事になる。

 

「ある女性有名人が、『政府が小野達也氏に女性をあてがい多くの子を産ませて彼の遺伝子を多く残すべき』というような事を主張していると知って唖然とした。何とおぞましい考えであろうか。これぞ絵に描いたような典型的優生思想。遺伝子の選別を目論んだナチズムにも通じる恐ろしい思想で、決して看過されるべきではない」

 

 これをきっかけに、女性シンガーのツイートは大炎上した。

 

「これは完全にアウト。明確な優生思想」

「冗談にしても笑えない。こういう遺伝子選別発言に危険性を感じない感性そのものが危険」

「遺伝子に優劣で人を選別するなんて。この女は酷い差別主義者」

「小野選手にも失礼です。小野選手の身体能力は遺伝子だけじゃなく、たゆまぬ努力で得たものです」

 

 だが、一方で。

 

「いやいや女性が小野達也の遺伝子を欲しいと考えるのは普通だろ」

「現実として、この自称人権派のオッサンと小野達也の遺伝子のどちらか好きな方を選べるなら100人が100人小野達也を選ぶ」

「というかこの女性シンガーさん別に本気で言ってる訳じゃなく、純粋に小野達也さんの凄さを賞賛しただけだと思うんですが」

「そら実際にこういう政策が実現されれば問題かもしれんが、所詮は冗談やないか。いつからツイッターは軽い冗談すら言われへんようになったんや」

「まあ、自称人権派の左翼連中は他人の揚げ足を取るのが仕事だからね」

 

 と、女性シンガーを擁護する意見も多く、さらには大炎上のきっかけとなった自称人権派ジャーナリストにもバッシングと擁護の声が交錯し、まさにカオス状態。結局両者共にアカウントを一時非公開にしなければならなくなる程の騒動になってしまったのだった。

 そんな状況を、SNSをやっていない達也は複雑な気持ちで眺めていた。

 何せ…みんなが知らないだけで、もう数え切れないくらい沢山の女性に自分の子どもを産ませている訳で…

 そしてこの日も、当たり前のように種付けの予定が入っている訳で…

 

………………………………………

 

     ―達也―

「ふう…」

 種付けを終えて小さく息をつく。今日も我ながら満足の、力強い射精だった。

 去年は自分にとって、これ以上ない程に充実した1年だった。本業の格闘技は5戦5勝、それも全て1ラウンドKO勝利だ。比較的楽な試合が多かったけど、大晦日にはボクシングの元世界チャンピオンに完勝してトップファイターとしての存在感を見せ付けられた…と思う。メディア対応も積極的にこなし、世間様からの評判もすこぶる良かった…と思う。ありがたい事に若い女の子からの人気を頂けてるのは、正直に言ってマジでめちゃくちゃ嬉しい。

 種付けの方も、去年は1年間で約60人もの女性を妊娠に導く力添えができた。去年1年間で新たに生まれた俺の子どもは35人、1年半前に生まれた『長男』のタクト君から数えるともう既に50人を超えている。自分自身信じられないけど、確かな現実だ。

 本当に、とてつもない事を成し遂げてしまったなと思う。普通の男では一生かけても為し得ないような偉業を、わずか22歳の若さにしていくつも為し遂げてしまった。そう思うと男として本当に誇らしいし、幼い頃から必死に頑張ってきて良かったと心から思う。

 ただ、今の地位に喜びと誇りを覚える反面、怖さを感じるというのも事実だった。いくら何でも出来過ぎだって事は自分自身が一番よく分かっている。だからこそ、一度落ち始めたら転げ落ちるのは速いだろうとも思う。人間、どんな些細な事が転落のきっかけになるか分からない、とも。

 何が何でも今の地位にしがみつきたいとまでは思わないけど、大勢の人の前で無様な姿を晒すのは嫌だし、何よりみんなから愛される存在であり続けたいとは思う。だから今年も奢る事なくトレーニングを積んで、あとは…弱者を利用する訳じゃないけど…社会貢献なんかにも積極的に取り組んで、立場の弱い者に寄り添える男であろう…

 と、そんな事を何気なく考えながら、ふとテレビをつけてみる。

 すると偶然にも、ボクシングの試合が中継されていた。

(あー…)

 タイミング悪いな…と思いつつチャンネルを変えようとすると。

「ボクシングの試合ですか?」

 種付けを終えたばかりの女性が、横になったままの体勢で言った。

「ええ、そうみたいですね」

 興味を持たれてしまったらチャンネル変える訳にもいかないな…とリモコンを置く。

 画面の中では、日本人選手とメキシコ人選手が世界チャンピオンの座を懸けた戦いを繰り広げていた。

「あの、変な事聞いてもいいですか?」

 すると、ふと女性が口を開いた。

「どうしました?」

「やっぱり達也さんなら、こういう試合を見てても、大した事ないなって思ったりするんですか?」

「いやいや、思いませんよそんなの」

「でも大晦日の試合、ボクシングの世界チャンピオンをKOしたじゃないですか。達也さんに負けたチャンピオンの人も、これまで戦った中で達也さんが一番強かったって言ってましたよ」

「……」

 確かに石山選手は、試合後のインタビューでそのような事を言ってくれた。もし俺がボクシングに転向したらすぐに世界チャンピオンになれるだろう、なんてリップサービスも添えて。

 もちろん嬉しい。でも同時に、いくら何でも言い過ぎですよ…とも思う。だって俺は、大晦日の試合の結果をもって自分がボクシングの世界チャンピオンより強い事が証明されたなんてこれっぽっちも思っていないから。俺が勝てたのは、体重とルールが圧倒的に俺に有利だったから、ただそれだけだから。

 でも、格闘技にあまり興味が無い大多数の人にとっては、そういった事情は全く理解できていないみたいだから。

「まあ、たまたまです」

 結局、そう言うしかない。体重が…ルールが…って言った所で、そんな事を理解してくれる女性はいない。

「達也さんって本当に凄いですよね。世界チャンピオンに勝っても、さも当然って顔されてるんですから」

「そんな事ないですよ」

「最近、国の政策として達也さんの子どもを沢山残すべきだっていう意見が言われてますよね」

「あー…そうみたいですね」

 みんな滅茶苦茶な事言いますよね…なんて言える筈もない。だって現に、今も種付けを終えた所なんだから。

「もちろん私は大賛成です。だって、遺伝子は嘘をつきませんから。優秀な遺伝子は少しでも多く次世代に残さないといけないと思うんです」

「はは…」

 …遺伝子は嘘をつかない、か。

 何か、凄いフレーズだな…

「優生思想だって批判してる人もいるみたいですけど、達也さんはそんな声は全く気にする必要はないと思います。達也さんの子どもを産みたいと思っている女性は沢山いますから」

「まあ、別に気にはしていませんけど」

「達也さんが沢山の女性に種付けされてる事を反対派の人たちが知ったら、どんな反応をするんですかね」

 それを想像するのは、ちょっとばかり怖かった。

 自分としては世の女性のために身を粉にして頑張ってるつもりだけど、そう受け取ってもらえる可能性は低いだろうから。

 おそらくは、物凄いバッシングを受けるだろうから。

「お願いですから、俺から種付けを受けた事は一生誰にも言わないでくださいね」

「自慢しちゃだめですか…?」

「絶対ダメです。もし裏切ったりしたら、本気で怒ります」

 そう釘を刺しておかないと、何となく心が落ち着かなかった。



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5-14 進化した姿

 年が変わっても、達也の元には様々なオファーが舞い込んできた。そのほとんどが取材やテレビ出演などメディアに関するものなのだが、中には格闘技に関するオファーもあった。

 その中にあったオファーの一つを達也は受諾する事にした。それは九州は熊本を拠点とするVolcano(ボルケーノ)という地域密着型の格闘技団体からのオファーで、2月中に開催予定の格闘技イベントの目玉としてぜひともリングに上がってもらえないかというものだった。

 これまでなら丁重にお断りする類のオファーなのだが今回達也が敢えて受ける事にしたのは、「今年からは社会貢献的な活動にも積極的に取り組んでいこう」という考えと無関係ではなかった。Volcanoは全国的には全く無名の団体で達也も聞いた事はなかったが、だからこそ「弱小団体を盛り上げる力添えができれば」と思ったのである。加えて、自ら熊本まで出向く事で地方のファンに喜んでもらいたいという気持ちもあった。提示されたファイトマネーはREALの数百分の一だったが、達也にとってはお金など全くどうでも良かった。

 Volcanoとしてはダメ元でお願いしてみたオファーだったが、まさかまさかOKの返事をもらって大歓喜。当然、試合のチケットはあっという間に売り切れた。

 

 

 2月15日(土)、達也は熊本の地へと降り立った。

 達也と戦うのは鶴野という選手だった。Volcanoが認定するチャンピオンベルトを保持している選手であり、要はVolcanoで最も強いキックボクサーである。とはいえ全国的には全くと言っていいほど無名で、もちろん達也も鶴野の名前を聞いた事はなかった。

 また今回の試合には、「達也が1ラウンドでKOできたら100万円、逆に鶴野が達也から1ラウンド耐え切れたら100万円」という懸賞が地元企業から懸けられていた。1ラウンド耐え切れば100万円とは凄い条件だが、それだけ達也といえば『1ラウンドKO』が代名詞になっているという事である。実際、この日駆け付けたファンのほとんどは、地元の戦士である鶴野にも頑張って欲しいと思いつつも、やっぱり達也の豪快な1ラウンドKO勝利を期待していた。

 達也自身はこれまで1ラウンドKO勝利を意図的に狙ってきた訳ではないが、今回は1ラウンドKOを狙ってみようと思ってリングに上がった。鶴野の映像は事前に確認して、実力は大体把握していた。見下す訳ではないけど負ける事はないだろう、それに今回は1ラウンド決着が望まれている試合、ならばファンの期待にチャレンジしてみるか…と。

 そして試合は…達也の1ラウンドKO勝利となった。

 とはいえ、達也が試合前に思い描いていたような盤石のKO勝利ではなかった。やはり過度にKOを狙うとパンチも大振りになり、ハイキックは見透かされたように空を切った。逆に鶴野のショートカウンターが達也の顔面を捉えるシーンもあった程だ。ラウンド中盤以降に達也が攻勢を強め、最後は1ラウンド終了間際に連打をまとめてレフェリーストップとなったが、結局ダウンは1度も奪えないままだった。鶴野の大健闘とも言えるが達也としては不満の残る内容に違いなく、やっぱり1ラウンドKO勝利を意識してもいい事ないな…と反省したのだった。

 と、達也としては決して満足のいかない一戦となったが、生の達也を目にしたファンはお望み通りの1ラウンドKOを見られて大満足。そして試合後のインタビューで達也が賞金の100万円を熊本に寄付する事を宣言して拍手喝采。直後に行われた臨時のサイン&握手会は長蛇の列で達也は2時間以上も色紙にペンを走らせファンの手を握り続けた。

 最後の1人まで握手を終えた時には手の間隔はほとんど無くなってしまうほどに疲れ果てた達也だが、しかしその疲れは、これまで感じた事のないような充実感を伴うものだった。そして翌日はVolcanoの関係者からお礼とばかりに手厚いおもてなしを受け、熊本名物の黒マー油入りとんこつラーメンや馬刺しに舌鼓を打つなど熊本をたっぷりと堪能してから、気分良く地元大阪へと帰ったのだった。

 これからはこういう経験をどんどんしていきたいな…本気でそう思う熊本遠征だった。

 

………………………………………

 

 達也の次戦は3月、続く試合は5月に行われたのだが、この2試合については駆け足で簡単に紹介したいと思う。

 まずは3月16日に行われた試合。舞台はREAL、相手は加藤圭一という巨漢のプロレスラーだった。達也の相手がプロレスラー?と思うかもしれないが、実はこの試合はキックボクシングルールではなく、総合格闘技ルールで行われた。もはや立ち技で達也と対等に戦える日本人選手は存在しない。REALは達也に総合格闘技ルールの試合をしてくれないかと粘り強く交渉を続け、ついに達也が首を縦に振ったのである。相手が本職の総合格闘家ではなくプロレスラーとなったのは、達也への配慮に他ならなかった。

 達也としては依然として総合格闘技ルールの試合にそこまで前向きではなかったが、最終的にはREALの説得に折れるような形となった。総合格闘技に本格的に挑戦して欲しいというファンの声の高まりを感じていたというのも、達也の決断を後押しする事になった。やはり時代は総合格闘技全盛なのである。

 試合前、対戦相手の加藤は吠えに吠えた。流石はプロレスラーと言うべきビッグマウスで達也を挑発し、ブレーンバスターでKOするというような宣言まで飛び出した。

 達也はそんな発言を半ば辟易とした思いで聞いていた。ブレーンバスターは相手の協力があって成り立つプロレス技であり、総合格闘技の試合で決まる事は絶対に有り得ない。自分は意を決して、小さくないリスクを背負って総合格闘技ルールを受けたのだから、そんなプロレス的な挑発はやめてくれよ…これじゃ試合自体が八百長に思われかねないじゃないか…というのが達也の本心だった。

 とはいえ、加藤がプロレスラーらしく大口発言を連発した事もあり、試合は大きな注目を浴びた。そしてこの試合は、達也が負けてしまうのではないかというファンの声も少なくなかった。達也が総合格闘技ルールで試合をするのは、一昨年の大晦日での金田悠希戦以来およそ1年3か月ぶり。あの時の膝蹴りは偶然だという声は今もって大きかった。プロレスラーの加藤に捕まってしまえば、寝技や関節技で達也は普通に負けてしまうのではないか…少なくないファンはそう思っていた。

 だが、不利も囁かれたこの一戦で、達也はファンの度肝を抜く驚愕のパフォーマンスを見せ付ける事になる。

 実は達也は、一昨年の金田悠希戦以来、総合格闘技対策のトレーニングを継続して行っていた。かつては女子高生ファイターの香菜にも全く歯が立たなかった達也の寝技スキルだが、訓練を重ねる中でめきめき上達。今や香菜など相手にならないのはもちろん、FAILYに所属する総合格闘家程度なら誰が相手でも楽に関節を取れる程の実力をつけていた。金田悠希との試合から1年超、達也は人知れず、FAILY最強のキックボクサー兼総合格闘家に進化していたのである。

 しかし、この加藤との試合に関しては、そんな進化した寝技の実力を見せ付けるまでもなかった。

 試合はまさに、達也の独壇場だった。開始早々タックルを仕掛けた加藤をひらりとかわし、強烈なローキックで意識を下げさせる。そして今度は続けざまにハイキック。これが顔面にクリーンヒットし、次の瞬間、加藤の巨体はぐらりと崩れ落ちた。試合時間わずか21秒、たった2発の蹴りだけで、達也は加藤を秒殺してしまったのだった。

 

 

 続く試合は2か月後の5月18日、相手は遠藤直樹という選手だった。もちろん舞台はREAL、そしてルールは前戦に続いて総合格闘技である。

 遠藤は加藤と違い、正真正銘の総合格闘家である。アグレッシブなファイトスタイルで実績十分、さらには人気女優を妻に持つ事でも知られる、実力と知名度を兼ね備えた選手だ。今回こそついに達也に初黒星が付くのではないかという声は少なくなかった。

 だが、試合はやはり一方的だった。

 遠藤は果敢にタックルや組み付きを試みた。しかし達也を捕まえる事はできず、むしろ達也の力強い打撃に押し返され、逆にローキックやジャブで体力を削られる。常に達也が試合をコントロールしたまま時間が過ぎてゆく。

 そして1ラウンドも間もなく4分になろうという所、達也がついに伝家の宝刀を抜いた。そう、必殺の右ハイキックである。試合開始当初は十分過ぎるほどにハイキックを警戒していた遠藤だったが、攻撃を上下左右に散らされ集中力が散漫になってしまった所に狙いすました一撃が突き刺さって勝負あり。またしても寝技にならない、達也の完勝だった。

 かくして達也は、総合格闘技ルールでもあっさりと連勝を飾ってみせた。これでプロデビュー以来26連勝、REALに限っても10連勝、しかも全て1ラウンドKO、それどころかほぼ全ての試合において事実上ノーダメージでの圧勝である。

 小野達也は総合格闘技の世界でも頂点に立てるのではないか…ファンからいつしかそんな声が聞かれるようになっていた。立ち技だけの選手は総合格闘技では通用しない、空手やキックボクシングの打撃など総合格闘技では無力に等しい…多くのファンが持っていたそんな認識を吹き飛ばしてしまう程に、この2試合のインパクトは大きかった。そして何より、ファンは皆、達也のファイトスタイルに魅了されていた。『ファイトスタイル』の部分は『美しさ』と言い換えても良いかもしれない。そう、達也の試合は美しいのだ。狙いすました一撃でKOし、必要以上に相手を痛めつける事はない。加藤戦にしても遠藤戦にしても、達也はハイキックをヒットさせた直後、倒れた相手を追撃する構えを全く見せなかった。一瞬で、一撃で試合を終わらせる…その勝ち方は芸術的ですらあり、ややもすれば勝利絶対主義にも映る従来の総合格闘技とは一線を画するものだった。

 ファンは達也が総合格闘技の世界に留まり続ける事を望んだ。達也とREALのトップファイターが戦う所をもっと見たい、達也がハイキックで総合格闘家たちを美しくなぎ倒す所が見たい…と。誤解を恐れずに言えば、ファンは皆、達也の美しいファイトスタイルが『最強の格闘技』を自認する総合格闘技を打ち砕き、名実共に日本の格闘技界の頂点に君臨する光景を見たいと、そう願っていた。

 

 だが、そんなファンの声とは対照的に、達也の実力を全く認めようとしない男がいた。小野達也など全く強くない、俺の方が間違いなく強い。戦えば間違いなく俺が勝つ、と。

 金田悠希である。




5章終了です。
個人的には中だるみ感が酷い章だと思っております。正直、2~3話にまとめるべきだったかもしれません。knockout凱旋試合とか要らなかった気がしてならない…

ところで今話(5-14)の後半がかなり駆け足の説明文みたいな内容になってしまったのには訳があります。というのも当初は、この部分を「6章:達也くんついに総合格闘技に本格転向編」みたいな感じで独立させた章にしようと考えていたのです。元の予定では6章は全9話、文字数にすると26,000字ぐらいで、実はその原稿は全て完成してます。でも、内容的に投稿できるレベルではないと判断して、泣く泣く全カットでお蔵入りとし、ダイジェストのような形で5章の最後に詰め込んだのでした。
26,000字をカットするのは苦しい決断でした。あまりに勿体ないから、完結後におまけのボツシナリオとして投稿するかどうか考え中だったりします。


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6章 『最強』の称号(X5年6月 ~ X6年1月)
6-1 REAL無差別級グランプリ


 総合格闘技ルールでもあっさりと連勝を飾り、もはや達也の実力は単なるキックボクサーの域に留まらない事を証明した試合から数日後、某週刊誌が気になる記事を掲載した。

 それは、フジテレビの人気アナウンサー・サトパンこと佐藤真美と達也の熱愛疑惑を報じるものだった。

 記事には、達也と真美は取材を通じて知り合い、真美の熱烈なアプローチによって交際に発展。今では真美は「長身・イケメン・巨根」の三拍子が揃った達也にメロメロになっている…というような事が書かれていた。

 だが肝心のツーショット写真は掲載されておらず、熱愛の確たる証拠となるような事は何一つ書かれていなかった。また、その週刊誌自体がかなり低俗なエロ中心の三流誌という事もあり、どうせガセネタだろうというのが世間の受け止めだった。達也も真美も特段のコメントを出さず、記事は世間からすぐに忘れ去られた。

 このガセ記事は、達也の人気に全く影響を及ぼさなかった。それは記事が出た直後にFAILYが東京の新宿にあるスポーツセンターを借り切って開催した、女性やちびっ子を対象とした格闘技講習会(参加費無料)の盛況っぷりを見ると一目瞭然だ。実はこの時期、FAILYは凄まじい達也人気のおかけで入門希望者や問い合わせが以前とは比較にならない程に増加しており、その全てを受け入れるには大阪のジムだけではとても賄いきれないレベルにまで達していた。そこでオーナーの晴香は近い将来本格的に東京進出する事を目論み、そのための実験的試みとして、東京のファンの感触を確認すべく今回のイベントを実施したのだった。

 イベント直前という最悪のタイミングでの週刊誌報道に晴香は不安を隠せなかったが、いざ蓋を開けてみると不安は全て杞憂に終わった。イベントには講師の達也目当てで参加希望者が殺到、三流週刊誌のガセ記事などどこ吹く風の圧倒的達也人気を見せ付け、講習後の握手会ならぬ腕相撲会では達也の腕を握りたいという若い女性が長蛇の列を作った。もちろん女の子の力では両手で挑んでも達也に勝てる訳はないのだが、優しい達也は時折りわざと負けてあげたりしながら楽しい時間を過ごし、イベントは大成功で幕を閉じた。FAILYは近い将来の東京進出に確かな手応えを掴んだのだった。

 そんなやる事為す事全てが絶好調の達也に新たな展開が訪れたのは間もなくの事だった。

 

 

 6月、REALは日本最強の男を決める『REAL無差別級グランプリ』の開催を発表した。近年REALのリングで特に好成績を残す日本人選手8人により総合格闘技のトーナメント戦を行う。8月に1回戦、10月に2回戦を行い、大晦日の決勝戦で名実ともに日本最強の男を決めようというのである。

 もちろん、達也には真っ先に出場オファーが届いた。というよりこの企画そのものが、達也の参加が前提になっている企画と言っても過言ではなかった。達也に提示されたファイトマネーも莫大だった。

 達也は二つ返事でオファーを受諾した。もちろん莫大なファイトマネーに魅力を感じたから…ではない。すでに死ぬまで遊んで暮らせる程に稼いだ達也にとってお金は二の次、魅力に感じたのはやはり何と言っても日本最強の男という称号だった。元々そんなものを目指していた訳では全くなかったが、実際に日本最強の男という称号が手の届く所にあるとなると、それを掴み取りたいと思うのは当然だった。男の子として生まれた以上、一等賞に憧れるのはごく普通の感情。それは普段無欲な達也でもやっぱり変わる事のない、言ってしまえばオスとしての本能なのである。

 加えてこの頃の達也は、総合格闘家としての自分自身の実力にかなりの自信を持つに到っていた。香菜にタップを繰り返したのは遠い昔の話、達也の実力は今やFAILYの男子選手程度なら束になってかかってこられても全く問題なく全員撃退できるレベルにまで達していた。今回のグランプリ開催は、達也にとってこれ以上ない最高のタイミングだった。

 しかし言うまでもなく、グランプリ開催を喜んだのは達也だけではなかった。REALのリングに上がるような選手は皆、自分こそがナンバーワンに相応しい男なのだと信じて日々厳しいトレーニングに励んでいる。トップ選手がこぞってグランプリへの出場意思を示したのは当然だった。

 そんな選手たちの中で誰よりもグランプリに闘志を燃やしていたのが、金田悠希だった。

 1年半前の大晦日では達也を相手に苦杯を舐めた金田だったが、あの時の膝蹴りは偶然であり不運な出血さえ無ければ金田が勝っていたという声は今もって少なくなかった。金田自身も負けを認めておらず、達也との再戦を希望し続けていた。金田にとって今回のグランプリは最強の称号を懸けた大会であると同時に、待ちに待った達也へのリベンジの舞台に他ならなかった。

 そういった事情は、もちろんREAL運営サイドも承知している。だからこそ、発表されたトーナメント表はファンの興味を最大限そそるような組み合わせになっていた。

 達也の名前はトーナメントの左端にあった。対して金田悠希の名前はトーナメントの右端。つまり両者が順調に勝ち進めば、日本最強の男の名を懸けて大晦日に激突する事になる。REAL史上最高視聴率を叩き出した2年前の夜と同じように。

 トーナメントの発表と同時に、出場する8選手の意気込みも発表された。以下、達也と金田のコメントである。

 

小野達也

「このような素晴らしい大会に出場する機会を頂けた事を光栄に思います。もちろん優勝が目標ですがあまり先を見すぎても仕方がないので、まずは8月に行われる1回戦でファンの皆さんに満足して頂けるような試合ができるよう全力を尽くします。応援よろしくお願いします」

 

金田悠希

「できれば1回戦で小野選手と戦いたかったが、こうなったら彼に決勝まで勝ち上がってきてもらうしかない。2年前の借りを倍にして返して優勝したい」



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6-2 充希と美桜とひかりとひかり

     ―充希―

 17時30分、定時終業時刻。でもこの時間に会社を出る社員はほとんどいない。事実上、定時なんて有って無いようなもの。

 18時を過ぎて19時に近付くに連れて、ようやくオフィスから人が減り始める。

「ふう…」

 パソコンから目を離して一息つく。この時間になってくるとさすがに疲れるけど、今日はまだ会社を出る訳にはいかなかった。今日中にどうしても処理しておきたい案件が残ってるから。

「あれ、充希ちゃんはまだ残るの?」

 椅子に背をもたれかけて少しだけ休憩していると、同期の美桜(みお)が声を掛けてきた。明るくて可愛い、男子社員からも人気が高い女の子だ。

「明日から連休だから、今日中にメド付けておきたい仕事が残ってるの」

「ホント、充希ちゃんは頑張り屋さんだよねえ」

 美桜が半分呆れたように言う。でも、実の所は私なんて大した頑張り屋じゃない。この会社には、私よりもずっと頑張っている社員なんていくらでもいる。

「私たち女子社員なんて所詮は男子社員のお嫁さん候補として採られてるんだから、あんまり頑張り過ぎても疲れるだけだよ」

 これは美桜がよく口にするセリフ。まあ、これに関しては残念ながらあながち間違っていないような気がしないでもない。男子社員が言えば問題だろうけど、現実として総合商社は女子社員を男子社員のお嫁さん候補として採用しているという面はあると思う。実際に私の周りでも、「定年までバリバリ勤め上げたい!」なんて言ってる女子社員なんていない。

「充希ちゃんも仕事なんかにかまけてたら、すぐ手遅れになっちゃうよ。結婚ってのはいい男を取り合う椅子取りゲームみたいなものなんだから」

「…何それ」

 今のは初めて聞いた。まあ、分からなくもない表現だけど…

「ところで話は変わるけど、この日曜日に達也くんの試合があるの知ってる?」

「あ、そうだっけ」

 もちろん知ってるけど、何となく知らなかったふりをしてしまう。

 達也と付き合ってるって事は誰にも言ってない。達也と知り合いだという事すら言ってない。そんな事は別に公言する必要も無いと思ってるから。

「明後日の日曜夜8時から、REAL無差別級グランプリって言って、日本で一番強い男を決める大会の1回戦なの。見逃し厳禁だよっ!」

「はいはい」

 美桜は達也の大ファンだ。信者と言った方がいいかもしれない。彼氏がいるにもかかわらず達也だけは特別なんだそうで、こうして試合の度にちょっとした布教活動が行われる。

 でも、美桜が布教活動をするまでもなく女子社員の中での達也の人気は絶大だ。達也が嫌いだという声を、私はいまだかつて誰からも聞いた事が無い。

「達也くんってあんなに強くてカッコいいのに、女性の噂が全く無いっていうのも凄いよね。本当に格闘技一筋、ストイックに頑張ってる証拠だよ」

「…ちょっと前にどっかの女子アナと噂になってなかった?」

「ああ、あれは酷いガセ。一枚も写真無かったし、達也くんは名誉棄損で訴えていいレベルだよ」

 噂を一蹴する美桜。ちなみに私は美桜ほど簡単にガセだと一蹴できなかったから、この件に関しては達也をガン詰めした。そして一応、シロだと結論付けてあげた。一応だけど。

「とにかく達也くんは、絶対に変な女にだけは引っかからないで欲しいよね。女子アナみたいな自意識過剰のヨゴレは本当に近付かないで欲しいよ。少なくとも、達也くんをしっかりと支えてくれる人でないと」

「……」

 何も言えず、口をつぐんでしまう。

 達也を支えてる自覚、ゼロだから…

「私はT大王の鈴木ひかりちゃんとかがお似合いだと思うな。頭も見た目もすごく良くて人間的にも謙虚で、彼女なら達也くんをしっかりと支えてくれそうじゃない?」

「まあ…」

 思わず、脳内で自分と鈴木ひかりちゃんを比べてしまう。もちろんテレビでしか見た事ないから人となりはよく分からないけど、確かに可愛くて優秀で、人間的にも素晴らしいイメージで…

 …私が勝ってるとこなんて、無いな。

「というかそこまで好きなら、美桜も頑張ってアプローチしてみたらいいんじゃないの?」

「そんなのどうやってするっていうのよ?」

「分かんないけど…顔写真入りのファンレター送ってみるとか?」

「適当な事言わないでよ。そんなの無視されて終わりに決まってるじゃない」

 と、美桜が言うのを聞いて、思う。

 もし、私と達也が付き合ってるって彼女が知ると、果たしてどんな反応を見せるのだろうかと。

 羨むのか、妬むのか、それとも何でアンタみたいな女が…と言われちゃうのだろうか。

 少なくとも、好意的には受け取られないだろうな…

「とにかく、明後日は絶対に試合を見る事、分かったっ?」

「はいはい、見ます見ます」

 …まあ、言われなくても見るけど。

 

 

 REAL無差別級グランプリ。今最も実力と勢いがある8人の日本人選手がトーナメント戦を行い、日本一を決める大会。

 達也は優勝候補筆頭に目されていた。本当に凄い事だと思う。多くのファンが日本一強い男は達也なんじゃないかと考えてるっていうんだから。実際に優勝できるかどうかは分からないけど、もうこの時点で、達也は私なんかと釣り合うレベルの人物じゃないように思えてしまう。美桜の言う通り、確かに達也にはT大王の鈴木ひかりちゃんがお似合いなのかもしれない…なんて思えてしまって。

 そして、そんな達也の最大のライバルと目されているのが、金田悠希。1年半前の大晦日、達也が狙いすました膝蹴りで撃退した相手。

 金田悠希はあの試合以降、一度も負けていないらしい。今回は絶対に達也にリベンジするんだと、それこそ顔面が変形するぐらい殴りまくってやるんだと意気込んでいる…VTRではそう紹介されていた。何とも、何ともおぞましいVTRだ。

 達也を応援する身としては、できれば戦うのは避けて欲しい相手だ…そんな事を思いながら試合を眺める。何試合かの前座試合の後、ついにREAL無差別級グランプリが開幕した。1回戦の第1試合と第2試合が行われ、それぞれ私の知らない選手が勝ち上がる。

 そして第3試合…の前に、グランプリに関係の無い試合が1試合だけ行われた。

 その試合に登場したのは金田陽希。金田悠希の弟だ。解説者の話によると、この陽希も最近メキメキと力を付けていてグランプリに出場するだけの力は十分にあるけれど、勝ち上がると兄の悠希と対戦してしまう可能性があるから今回は出場を避ける事になったのだという。

 そんな金田陽希は…確かに強かった。

 試合は序盤から金田陽希が圧倒し、あっさりとKO勝利を飾った。相手があまり大した事ない選手だったのかもしれないけど、金田陽希のパンチはキレがあり、身のこなしも軽やかだった。試合そのものも金田の名に似つかわしくないほどにスマートで、兄とは違う綺麗なファイトスタイルだった。

 試合がグランプリに戻る。1回戦第3試合、金田悠希が登場。

 金田悠希は…やっぱり強かった。

 荒々しいファイトスタイルでペースを握り、優勢を維持したまま1ラウンドが終了。2ラウンド開始早々に相手に馬乗りになってパンチを連打、試合終了のゴングが打ち鳴らされた時には相手の顔面は血まみれになっていた。本当に野蛮というか、見るのも不快になる試合だった。

 そしてついに本日のメイン、1回戦第4試合…の前に、テレビは一旦CMへ。

 すると、まだ試合前だというのに、達也が画面に現れた。

 スポーツドリンクのCM。達也が人気若手女優の高橋ひかりちゃんと共演している。ひかりちゃんが達也に憧れる後輩を演じているというような設定だ。

 こういうCMを見ると、芝居だと分かっていてもちょっと複雑な気持ちになる。だってひかりちゃんは私なんかよりもずっと可愛くてキラキラしてるから。

 ひかりちゃん…そうか、彼女もひかり…か

 もし鈴木ひかりちゃんや高橋ひかりちゃんが本当に達也を好きで、達也に本気でアプローチしたら…

 私なんか、どっちのひかりちゃんと比べても、全く話にもならないな…

 

 CMが明けて、いよいよ達也の試合が始まる。他の試合とは歓声のケタが違う。

 相手の選手は、体格が達也より一回り小さかった。何でも今大会を開催するにあたって70kg以下の選手を対象とした予選を行い、そこで優勝して出場権を得た選手なのだという。解説者が言うには中量級日本一の実力と言って差し支えない選手で、寝技に持ち込みさえすれば体重差はあまり関係が無くなるから達也としても決して侮れる相手ではない、という事だった。

 でも、試合はそんな解説をよそに、開始直後からずっと達也のペースで進む事になる。

 達也の動きはこの日も抜群だった。正確かつ素早い攻撃で相手を寄せ付けない。そもそもリーチが全然違うから相手は寝技に持ち込むどころか達也に近付く事すらままならない。

 そして1ラウンド3分過ぎ、試合を決めたのは、やっぱり達也の足だった。

 時に卑怯とすら言われる、達也の長い足。完全に相手の間合いの外からの筈だったのに、硬い足の甲の硬い部分が、脇腹の柔らかい部分を深々と抉(えぐ)って。

 苦しそうな表情で相手がその場にうずくまる。達也は一瞬だけ追撃する素振りを見せたけど、でもすぐに思いとどまってぴたりを動きを止め、もう攻撃を加えようとしなかった。

 うずくまる選手の元へとレフェリーが駆け寄り、試合続行の意思を確認する。でも確認するまでもなく、試合続行は誰がどう見ても不可能だった。

 一滴の流血もない、完成されたアートのような試合だった。最後、顔面じゃなくて脇腹を狙い打ったのは、不必要に相手を痛めつけないでおこうとしたからじゃないだろうか…相手の体重を考慮して、手加減してハイキックを封印してあげたんじゃないか…そんな事まで思わせるような、余裕たっぷりの勝利だった。野蛮な金田悠希なんかとは全く違う、達也の圧倒的な人気の理由が凝縮されたような試合だった。

 これで一歩、達也は日本最強の男という称号に近付いて。

 同時にまた一歩、私から遠い所へと行っちゃったような、そんな気がした。



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6-3 グランプリ準決勝

 REALグランプリ準決勝、達也の相手は秋本翔一という選手だった。かつて夏季オリンピック柔道90kg級で金メダルを獲得した経歴を持つ本物の柔道家だ。REALでの通算成績は12戦を戦い8勝3敗1分け。3敗は全て強豪の外国人選手に対して僅差の判定負けであり、これまでKO負けは1度もなし。日本人との対戦成績は4戦全勝、しかもその全てで締め技や関節技で一本勝ちを収めている。柔道着を身に着けて試合に臨む事でも有名な、典型的なグラップラー(寝技を得意とする選手)である。

 その実力も去る事ながら、達也にとっては最も相性の悪いタイプの選手と言えた。距離を取っての打撃勝負になれば達也に、逆にグラウンドでの寝技勝負になれば秋本が圧倒的に有利なのは誰の目にも明らかだ。試合前日の会見でも秋本は「小野くんの打撃に付き合うつもりは無い。勇気をもって距離を詰めて自分のフィールド(グラウンド)に持ち込みたい」と語った。秋本が寝技に引き込めるかどうか、勝負のポイントはその一点だった。

 だが、いざ試合が始まってみると、達也の打撃をかいくぐって寝技に引き込む事は、柔道王をもってしても至難の技だった。

 お世辞抜きに、秋本のハイキック対策は万全だった。ガードを高く保ちつつ、達也が不用意な攻撃を仕掛ければ即座にタックルできるような低い体勢を保ち続ける。それを見て取った達也はハイキックを封印せざるをえず、試合は膠着の様子を見せた。

 しかし、静かに見えた展開の中で、ペースを握ったのは達也だった。

 達也が放つローキックがパシン!パシン!と秋本の左足を打つ。それは何気ない攻撃にも見えたが、実は秋本の足に確かなダメージを蓄積させていた。もし秋本が柔道着を身に着けていなければ、試合をテレビ観戦した視聴者はダメージの大きさを理解しただろう。柔道着に隠されているために見えないが、達也のローキックに晒され続けた秋本の太ももはこの時既に青黒く変色してしまっていた。

 足に深刻なダメージを受ければ、それは戦い全体にも影響する。秋本のフットワークは目に見えて鈍り、次第に体重を落として低く構える事も難しくなっていった。こうなっては達也に鋭いタックルを仕掛ける事など夢のまた夢だ。

 試合の趨勢が徐々に見え始めてくる。だが達也は焦る事なく、ローキックで同じ場所を狙い続けた。そして1ラウンド7分過ぎ(グランプリは10分2ラウンド制のルール)、ついに体重を支えきれなくなった秋本がその場に崩れ落ちた。すかさず達也がマウントポジションを奪いパンチを2~3発打ち下ろした所で、秋本陣営からタオルが投入された。

 タオルの投入を最も安堵したのは他ならぬ達也だった。秋本がローキックに耐えきれず崩れ落ちた次点で事実上勝負は決していた。だが、今回のグランプリにはレフェリーストップが無いルールとなっている。つまり選手に意識がありギブアップの意思が無ければ試合は終わらない。達也が勝つには秋本の意識を完全に断つかギブアップを奪うか、さもなくは判定を待つかのいずれかしかない。

 だから、とりあえずマウントポジションを奪った。そして、とりあえず数発だけ軽いパンチを落とした。

 この時、達也はこの試合をどう着地させるべきか迷っていた。もう勝利は動かない。秋本はもう、反撃はおろか満足に立つ事すらできないのだから。殴り倒して気絶させるも良し、あるいは関節を極めてタップを奪うも良し。自分だけが握っている秋本への生殺与奪の権利をどのように行使するか、それだけを考えていた。

 もし上に乗っているのが金田悠希なら、相手が気絶するまで顔面を殴り続けるだろう。だが達也は、そんな事をする気にだけはならなかった。事実上勝敗が決した後で無力な相手を一方的に殴り続けるのは、もはや試合でも何でもなくただのリンチであり、到底取り得る選択肢ではなかった。ならば関節を極めようかとも思ったが、やっぱりそれも気が引けた。というのも達也はこれまで一度たりとも試合で関節技を披露した事のない、根っからの打撃系選手なのである。そんな自分がフィニッシュに関節技を用いるのは、柔道の世界で頂点を極めた男に対してこれ以上なく屈辱的な見せしめになってしまうから…と。

 だから、タオルが投げ入れられたのを見て心からホッとした。惨(むご)い仕打ちも屈辱的な見せしめもせずに済んだ事に安堵し、賢明な判断を行ってくれた秋本のセコンド陣に感謝したのだった。

 

 試合終了後も秋本はしばらく立ち上がる事ができず、最後はセコンドだけでなく達也の肩まで借りながらリングを下り、車椅子で控室へと戻った。試合後の会見で「思い通りに戦えなかった。自分自身の弱さに腹が立つ」と悔しさを滲ませながらも、「小野くんにはぜひ自分の分まで頑張ってもらって、グランプリを制して欲しい」とエールを送った。

 一方の達也も、リング上の勝利者インタビューでは「秋本選手に組み付かれないためには、あの戦い方しかありませんでした。グラウンドに持ち込まれてたら勝敗は逆だったと思います。運が良かったです」と謙虚に語った。どれだけ楽勝だったとしても試合後は必ず相手を称(たた)える、これもまた達也の圧倒的な人気の理由の一つと言えた。

 

………………………………………

 

 達也が完勝を収めた試合から20分後、準決勝のもう1試合が行われ、金田悠希が登場した。相手も金田に負けず劣らずの実績を持つトップファイターである。

 達也は「金田が負けてくれないかなあ…」という期待をちょっとだけ抱きつつ、控室のモニターから試合を見ていた。今さら金田に対する恐れなど全く無いが、できれば関わり合いたくないというのが本音だった。だが、残念ながら達也の期待通りとはいかず序盤から金田が優勢。最後はテイクダウンからパウンドを連打し相手がたまらず顔を背けた所にチョークスリーパーといういかにも金田らしい攻撃で勝利した。

 この結果、大晦日に2年ぶりの再戦が行われる事がここに決定した。



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6-4 私の隣にはヒーローがいる

     ―12月20日(土):充希―

 窓の外には、首都の夜景が広がっている。恐ろしさすら感じるような、とてつもなく煌びやかな夜景が。

 億ションと言われるような高級タワーマンションの、最上階にほど近い部屋。言うまでもなく、こんな所に住む事ができるのは特別な人間だけ。本当なら、私なんて絶対に足を踏み入れられない部屋。

 そんな空間で、ぴたりと肩を寄せ合って座る。

 並んで座る時は、決まって私が左側。私が左利きで達也が右利きだからお互いの利き腕を使いやすいように…って申し合わせた事なんて無いんだけど、でも、気が付けばいつの間にかそれが当たり前になった。

 大学の講義でも、電車でも、デートで一緒に歩く時も、映画館でも、いつも私が左側で。

 それはこうして2人でテレビゲームをしている時も、やっぱり同じで。

「くそっ、また負けか…」

 今やっているのは対戦型の格闘ゲーム、いわゆる格ゲーというやつだ。ちょうど今、私の操るキャラが達也の操るキャラをノックアウトした所。

 達也は、ゲームがヘタ。私だって決して上手な方じゃない…というか普通にヘタな方だけど、達也は私なんて比べ物にならないレベル。おそらく、マリオの1面だってまともにクリアできないような。

「やるな…いつにも増して強いじゃねーか」

「達也が弱すぎるだけだと思う」

 でも、ヘタなのは当たり前だ。だって達也は、幼い頃からゲームなんて全くやってなかったから。毎日道場に通って、ずっと稽古に明け暮れていたから。

 才能と、努力。その果てに得た今の地位。煌びやかな夜景を見下ろせるこの部屋は、必死に流し続けた汗の結晶。

 私の彼氏は、本当に凄い人だ。心からそう思う。

 私なんかじゃ、全然釣り合わないぐらいに…

「ねえ」

 ふと、聞いてみる。

「達也って、女の子にモテたいから空手を始めたって言ってたよね」

「…言ったかな?」

「それって本当なの?」

「…何でそんな事突然聞くんだよ?」

 確かに、本当に達也の言う通りなんだけど。

「何となく気になったから」

「…まあ、その通りだと思ってくれて問題はないけど」

 やっぱり否定しない達也。でも、本当にそんな目的でここまで努力を積み重ねられるのかと思う。友達とも遊ばず、テレビも見ず、スマホも触らず。

「強くなって成功したいとか、お金持ちになりたいとかは考えなかったの?」

「そういうのは別に無かったかな。現に空手なんて世界一になって所で大して稼げないじゃん」

 達也が言う。お金目的なら最初から野球やってた、と。

「じゃあ今、女の子にモテモテになって嬉しい?」

「そりゃ、まあ…もちろん嬉しくない訳はないけど」

 すると達也は、何とも歯切れの悪い感じで。

「…ていうかさ、話題変えない?」

 どうやら達也にとってはあまりしたくない話だったみたいだ。まあ、それはそうかと思う。

「じゃあ、達也ってファンから手紙とかよく貰うよね?」

「あの…あんまり話題が変わってない気がするんですけど」

「どのくらい貰ってるの?」

「うーん…」

 達也は少しだけ考えるような素振りを見せてから。

「ありがたい事に応援の手紙とかもちょくちょく貰ってるけど、でも別にそんな大した数でもないぞ」

 教えてくれた答えは、とても曖昧なものだった。

「そういう手紙って、全部読んでるの?」

「もちろん。これでもできるだけ返信するようにはしてる」

「そうなの?」

 そういうのって無視するものなんだろうと勝手に思ってたけど、でも達也は、さも当然というように。

「そりゃ応援してくれるファンは大切にしたいじゃん」

「私の同僚で達也の大ファンの子がいるんだけど、この前、勇気を出して達也に手紙を出したんだって」

「ほう」

「そしたら直筆で返事が返ってきたって、とっても喜んでたよ」

「おお、それは嬉しい」

「その子ね、達也からの返信を一生の宝物にするって言ってた」

「マジか。そこまで言われたら適当な事書けないな」

「適当な返信してるんだ」

「い、いや決してそういう訳ではない」

 …思わずにはいられない。

 もし美桜がこの場面を見たら、どう思うだろう…と。

 達也への愛情は、私よりも美桜の方が強いんじゃないだろうか…と。

 私よりも美桜の方が、達也を支えられる存在になれるんじゃないだろうか…と。

 私は、達也の隣に居るに相応しい女なのだろうか…と。

「何か食う?」

 ふと、達也が言う。

「というか何か食おうぜ。さすがに腹減ってきた」

「もうすぐ大事な試合でしょ。食べて大丈夫なの?」

「むしろ食べないと勝てる試合も勝てないだろ。で、何食う?」

「…達也に任せる」

「それが一番困るよな」

「クリスマスのディナーは彼氏が決めるのが普通だと思う」

「正確には今日はクリスマスじゃないけどな」

「今更ムード壊すような事言わないでよ」

 今年は24日も25日も平日だから、今日が私たちにとってのクリスマス。

 そんな、大事な日のディナーに、達也が選んだのは…

「じゃあま、ピザでも頼むか」

 突然始まった、2人だけのピザパーティー。その飾らなさは、いかにも達也だった。



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6-5 完全数、28

「数」は「すう」と読んでください。


 12月31日。選ばれし者たちが己の意地とプライドを懸けてリングに上がる、格闘技界において1年で最も特別な日。

 そんな格闘技の祭典とも言うべきビッグイベントのオープニングマッチに登場したのは、何と達也の寝技の師匠、香菜であった。

 学生時代は柔道家として全国大会に優勝するなどの素晴らしい実績を残し、プロ転向後も順調に勝利を積み重ねていた香菜だったが、達也からの打撃指導もあってその実力はさらに成長。昨年春からは『Queen Jewels』という女子総合格闘技団体に参戦し、7戦7勝と文句なしの戦績を残して見事にこの日のリングに上がるチャンスを掴んだ。

 相手は香菜より1歳だけ年上でバックボーンは空手という、打撃を得意とする選手だった。彼女もまた、この日がREAL初出場である。

 試合前、香菜はこれ以上ないくらいに緊張していた。何度も吐きそうになるのを堪(こら)えて、必死に心を落ち着かせながらリングに上がった。だが不思議なもので、リングに上がった瞬間に緊張感は一瞬にして消え去った。相手と正対しても怖さは全く感じなかった。普段『Queen Jewels』の舞台で戦う時と何も変わらないじゃないか、そう思えた。

 そして試合は、香菜が『達也の寝技の師匠』としての実力を如何なく発揮した。

 立ち上がりから相手はフットワークを使って鋭い打撃を放ってきたが、それには付き合う事なく慎重に距離を取る。開始1分過ぎ、相手が思い切って踏み込んで来た所をコーナー際まで誘いこんでからクリンチするように体を密着させ、足を掛けてテイクダウンを奪った。

 グラウンドの攻防になってからは、実力差は明白だった。香菜はスムーズに相手のバックへとまわり、後方から羽交い絞めにするようにしながら顔面へパンチを数発見舞う。最後は相手がパンチを嫌がってガードを試みようとした所に、その右腕を取って腕ひしぎ逆十字固めを極め、あっさりとタップを奪った。試合時間はわずか1分28秒、達也のお株を奪うような秒殺劇だった。

 そんな香菜の華々しいREALデビューを、達也は控室で見ていた。香菜の勝利は自分の事のように嬉しかったが、同時に改めて関節技の怖さを再確認するような試合でもあった。香菜の戦いっぷりは見事だったが、とはいえ今の試合に関しては相手の攻撃があまりにも不用意だったのは確かだ。よく「攻撃は最大の防御」などと言われるが、トップレベルの戦いにおいては必ずしもそうとは限らない。むしろ中途半端な攻撃は隙を作るだけ、そして一度捕まってしまえば挽回は極めて難しい。香菜という師匠に注意事項を再確認させてもらったような気持ちで、達也は一層気合いを引き締めたのだった。

 

 そして、試合が進んでゆき。

 午後9時前。ついにこの日の…いや、この1年のメインカードを迎える。

 

 青コーナーに陣取るのは金田悠希。通算戦績、28戦23勝(19KO)3敗1分け1無効試合。うち、REAL通算戦績は15戦13勝(12KO)1敗1無効試合。その1敗は、ちょうど2年前に達也の膝蹴りに屈したものだ。

 あの日以来、金田は達也へのリベンジを最大の目標として今日までを過ごしてきた。あの試合まで金田は紛れもなくREALの…ひいては日本格闘技界の主役であり、王様だった。だがあの膝蹴りを境に、順風満帆だった格闘家人生は暗転した。主役の座を達也に奪われ、圧倒的な戦績によって支えられていた悪役としての人気も失った。副業であるユーチューブの視聴数は激減、自慢の彼女だった人気グラビアアイドルとも結局別れる事になった。それらは全て、ちょうど2年前の夜から始まった事だった。

 あの日、金田は確実に、達也を侮っていた。だがそれも無理はない。何せあの時の達也は総合格闘技初挑戦、年齢もまだ21歳という若造だったのだから。何というオイシイ相手なんだろう、これ以上なく人気先行型の選手じゃないか…そう思うのは当然だった。

 しかし、あの屈辱の敗戦を経て、そしてそこからの2年間を経て、金田の達也に対する評価は変わった。認めたくないが、奴は確かに強い。奴の打撃…特に長い足から繰り出されるキックのコンビネーションは驚異的だ。準々決勝も準決勝も、強敵を寄せ付ける事なく蹴り倒してしまった。あんな勝ち方はそうそうできはしない。

 だが、それでも弱点は必ずある。それはやはり何と言っても寝技だ。奴はこれまで、グラウンド勝負に持ち込まれた事がない。逆に言えば、奴はこれまで徹底してグラウンド勝負を避けてきている。それはつまり、寝技に自信が無いからに他ならない…

 絶対に、絶対に寝技に引き摺り込んで見せる。そうすればこっちのものだ…その為の戦略は立ててきた…

 

 一方の赤コーナーには小野達也。通算戦績、28戦28勝(28KO)。うち、REAL通算戦績12戦12勝(12KO)。しかも全て1ラウンドでの勝利。これ以上ない、完全無欠のパーフェクトレコードだ。

 だが、そんな完璧すぎる成績に、テレビの前で見守る充希は密かな不安を覚えていた。プロ28連勝、REAL12連勝…それはいくら何でも美しすぎる戦績だ、と。

 というのも、28というのは「完全数」なのだ。完全数とは「その数が持つ正の約数を全て足し合わせるとその数になる」数字を言う。具体的に言うと、28で割り切れる自然数は1、2、4、7、14の5つ。この1と2と4と7と14を全て足すと28に戻る。完全数はとても珍しい存在で100未満の数では6と28しかなく、これよりひとつ大きな完全数は496、その次は8128、その次となると33550336まで跳ね上がる。

 さらに12というのも、数学の世界ではとても美しい数とされている。2でも3でも4でも6でも割り切れる便利な数であり、私たち現代人は知らず知らずのうちに12という数の恩恵を受けて生きている。1年が12か月なのも、時計が12時間で一周するのも、ボクシングの世界戦が12ラウンド制なのも、全て12という数の恩恵にあやかっての事だ。12という数を基準にしたからこそ一年を四季へと容易に分割でき、ボクシングの試合は前半・中盤・後半に分ける事ができるのだ。

 しかし、美しすぎる存在は、得てして脆く崩れやすい。完全数28に1が足されると、29は素数。小数点の世界に踏み込まなければ割り切る事のできない、孤独な数だ。12もまた然り。イエス・キリストは存在してはならない13番目の弟子の裏切りによって死んだ。28も12も、いずれもそのままの姿であるべき美しき数なのだ。

 だから充希は思う。28連勝、12連勝…この記録はあまりにも美しすぎて、もはやこれ以上動かしてはいけない数字なのではないか、と。言い換えれば、達也は今日負けて、28や12という連勝記録は達也のキャリアに永遠に刻まれる事になるのではないだろうか…と。

 でも、充希の不安をよそに、時は進んでいって。

 達也がリングへと上がり、その中央で金田悠希と向かい合い、またコーナーへと別れて。

 

 そして…2年前の膝蹴りの続きが、始まった。



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6-6 再戦(前)

 金田悠希は、対戦相手を深く研究して緻密に作戦を練るタイプではない。試合前はあくまで相手のイメージを大まかに頭に入れておくだけ。打撃系の選手なのか、寝技が得意なのか、構えはどっちの足が前なのか、グラウンドではどの技を自然にかけてくるのか…それらを何となく確認する程度である。

 だが今回の試合にあたっては、達也の試合を何度も何度も見返した。もちろん、REALの舞台で唯一の敗北を喫した2年前の試合も含めて。金田の格闘家人生で、一人の相手をここまで深く研究したのは初めてだった。それだけ彼にとって、小野達也は絶対に倒さなければならない相手だったのだ。この試合に懸ける意気込みという点においては、あるいは達也よりも金田の方が強かったと言うべきかもしれない。

 達也の試合を何度も繰り返し確認する中で、金田はある結論に達した。

 それは、小野達也は紛れもなく強い選手である、という事だ。

 達也の世間からの人気は圧倒的だ。だがそれは格闘家としての純粋な実力に支えられたものというよりも、パクや金田といった大悪役を倒して国民の期待に応えたという経歴や、爽やかなルックスや明るく謙虚な人間性による所が大きい。事実、ファンに達也の魅力を問うと、格闘家としての実力よりも顔や人間性を挙げる声の方が多い。スーパーヒーローに昇華して以降、比較的楽な試合が組まれているのも事実である。だから金田も、小野達也など人気先行型の選手に過ぎないと思い込んでいた。

 だが、映像をじっくりと見れば見るほど、達也は強かった。打撃は文句なしに一級品、しかも手足が長く懐が深いために、相手はタックルに行こうにも組み付く事さえ難しい。特に柔道王の秋本翔一を退けたグランプリの準決勝は、達也の強さが凝縮された試合だった。秋本のタックルはことごとく切られ、逆に鋭い打撃を浴び続けた。グラウンドに持ち込む能力という点においては、秋本は日本で1、2を争うだろう。その秋本が寝技に引き込めなかったという事はすなわち、達也を相手にタックルを成功させる事は極めて至難のミッションであるという事に他ならなかった。

 そして、不用意なタックルには膝蹴りが待っている。あの膝蹴りは偶然だったという声は今もって多い。金田自身もそう思っていた。とんでもない不運に見舞われてしまった、と。

 だが何度も映像を見返した今、金田はもう、認めざるを得なかった。あの膝蹴りは決して偶然などではなく最初から狙っていたもの、達也が撒いた餌に自分自身がまんまと食いついてしまったのだと。

 だから、もう舐めない。小野達也という選手の強さを認めた上で、きっちりをリベンジを果たす。

 そのために金田が持ってきた作戦は、端的に言うと、自分から攻めないという事だった。

 自分からのタックルは危険。達也の懐は深く、膝蹴りなどの反撃を喰らう危険性も高い。だから無理には攻めず、焦らずカウンターを狙う。達也が攻撃を仕掛けてきた時…特に不用意な蹴り技を見せた瞬間に、その足を取ってグラウンドへと持ち込む。そのためには何発か浅いローキックをもらう事は覚悟しよう。しかしどこかで一度捕まえてしまえば、もう勝負はこっちのもの…それが、金田が準備してきた作戦だった。

 そんな金田の作戦もあって、試合は静かな展開が続いた。どんな相手を前にしても怯まず前進して荒々しい攻撃を繰り出す金田にしては、信じられないほどに慎重な戦い方だった。そんな金田の姿に、興奮気味だった観客の歓声も徐々に小さくなってゆく。この試合は特別なのだ、日本格闘技界2大スターの因縁の決着戦にして、日本最強の男を決める戦いなのだ。リング上の緊張感はいつしか会場全体を包み、さらにはテレビを通じて日本中をも包み込んだ。常に勇猛果敢、自ら突進するように前に出る金田悠希がじっくりと達也の隙を窺いカウンターを狙う姿は、あまりにも不気味だった。

 もちろん達也は、そんな金田の不気味さを誰よりも感じ取っていた。

 だが、達也はあくまで冷静だった。なぜなら達也は、金田がこのような戦術を…つまりはタックルを封印してカウンターを狙う戦術を立ててくる可能性は高いと考えていたのだ。

 金田に2年前の膝蹴りの残像が強く残っている事は容易に想像できる。そして何より、金田はこの試合にとてつもない意気込みで臨んでいる。それこそ…殺してやるというくらいの意気込みで。人間というものは、勝ちたい気持ちが強ければ強いほど逆に慎重になる。そんな心理を達也はしっかりと分かっていた。

 だから、不気味さは感じつつも、怖さはない。冷静に、クールに、準備してきたプランを実行するだけ。

 それはやはり、距離を取りながらのローキックだ。だがこのローキックは、決して金田にダメージを与える事を目的として打っている訳ではない。言わば見せ技。足を取られない事を最優先にした、スピード重視の試し打ち。

 そんなローキックが何発かは当たり、何発かは空を切った。さらに達也は、数発に一発はハイキックを織り交ぜる。だがこれも、クリーンヒットを狙ったものではなく言わば牽制球。あくまで金田の意識を上にも向けさせるための見せ技である。

 金田が足を取ろうとするシーンも何度かあったが、その度に達也は体を引いて組み付きを許さない。まるで手押し相撲のような駆け引きが延々と続いた。一瞬の隙も許されない、どちらかの精神が少しでも弛緩すればその瞬間に試合が終わってしまうような緊張感。

 そんな張り詰めた空気の中、あっという間に10分が経過し、1ラウンド終了のゴングが打ち鳴らされた。

 ゴングの音を聞いて、観客だけでなく日本中のファンがふうっ、と息をついた。ひと時だけでも緊張感から解放されたという安心感に、皆少しばかり身を委ねる。見ているだけで心拍数が上がるような緊迫した試合に、自然と酸素が不足しそうになるのを感じながら。

 そしてこのゴングの瞬間をもって、達也のデビュー以来の連続1ラウンドKO記録は28で途絶えた。完全数、28。このまま連勝記録も28で途絶えてしまうのではないかと、充希の不安はまた増幅する。

 ただ、ここで一つ言えるのは、連続1ラウンドKO記録が途切れた事を達也は全く何とも思っていなかったが、逆に金田は残念に思っているという事だった。

 というのも、金田は勝負所があるとすれば1ラウンドの終盤だと考えていたのだ。達也の連続1ラウンドKO記録は日本中が知る大記録だ。達也本人は全く意識していないとよく口にしているが、本心では意識していない訳がない。なので1ラウンド終盤になれば、KOを狙って強引な攻撃を繰り出してくるだろう…そう考えていたのだ。

 だからこそ青コーナーに戻った金田は、1ラウンド終盤になっても全く戦い方を変えなかった達也に驚いていた。代名詞とも言える1ラウンドKOの誘惑を一顧だにせず断ち切って勝負に徹する達也に、改めて勝負師としての強さを感じずにはいられなかった。この男は本物だ…だからこそ、逆に俺が焦ってはいけない。俺はあくまで、奴の隙を窺うんだ…と。

 

 一方の赤コーナー、セコンドに陣取るのは晴香と、この日の第1試合で華々しいREALデビューを飾った香菜である。

 コーナー際に用意された椅子に腰掛ける達也。その体をタオルで拭きながら、晴香が聞いた。

「どうだった達也くん?金田悠希と2年ぶりに拳を交えてみて」

「うん、そうですね」

 しかし、その質問に達也は答えずに。

「ところで晴香さん、もしここで試合終了だとしたら、判定はどっちに上がりますかね?」

「えっ…」

 唐突な逆質問に一瞬戸惑った晴香だったが、すぐに冷静になって。

「絶対にどっちか決めろと言われれば達也くんだと思うけど、恐らくエキストララウンド(延長戦)になるんじゃないかな」

 香菜もそれに同意した。ここまで達也も金田も全くと言っていいほどダメージは無かったが、第1ラウンドを公平に見た時、達也のローキックは浅いとはいえ何発か当たっていたが金田の有効打は皆無だった。また、金田が足を取ろうとするのも軽やかにかわし続けた姿からも、試合をコントロールしているのはどちらかと言えば達也の方と見るのは妥当だった。

 とはいえ、その差はほんの僅かだ。これがボクシングのようにどんなに接戦のラウンドでも優劣をつける事が原則とされている試合なら、達也の判定勝ちになる可能性は高いだろう。だがREALでは、明確な差が無い場合は優劣をつけない。ましてやこの試合は日本一強い男を決める決戦、数発の浅いローキックの差で勝敗が決まるような結末は誰も望んでいない。なので第2ラウンドもこのままの展開なら、判定では決着がつかず延長戦となる可能性は極めて高かった。

 だが達也は、そんな2人の意見を聞いても焦りは全く無かった。現時点で自分が少しでも劣勢なら、それは当初から思い描いていたプランの修正を余儀なくされる事態だった。大きな優勢を築く必要はない。51対49でもいいから、シーソーの傾きがほんの少しでも自分側に来ていればいい、そう考えていた。

「晴香さん、さっき聞いてましたよね。2年ぶりの金田はどうだったって」

「え、ええ」

「さすが日本を代表する選手ですよ。前よりも威圧感は増してますね」

「そ、そう…」

 金田を警戒するような言葉に、一瞬だけセコンドに緊張が走る。

 しかし達也は、自信満々の表情で。

「でもね、この2年間で強くなったのは…むしろ俺の方です」

 

 

 ところでこのインターバルの2分間、日本全国の水道使用量は信じられないほど大幅に増加した。このタイミングを逃すまいと、全国の視聴者が一斉にトイレに駆け込んだのだ。

 人々がトイレからテレビの前に戻り、セコンドアウトの声が響き渡る。

 達也のハイキックが決まるのか、金田が寝技に持ち込んで関節技を極めるのか、それとも膠着した展開のまま判定へともつれ込み、延長戦へと進むのか…

 日本中が固唾を飲んで見守る中、第2ラウンド開始のゴングが鳴り響いた。



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6-7 再戦(後)

 第2ラウンドに入っても、リング上で繰り広げられる光景は第1ラウンドと変わらなかった。お互いに十分な距離を取って間合いを測り、不用意には攻め込まない。達也はローキックを中心に慎重に組み立て、金田は自らのタックルではなくカウンターからテイクダウンをじっくりと狙う。

 金田陣営も、第1ラウンドの見立ては達也陣営と全く同じだった。判定になれば僅かに不利かもしれないが、とはいえ勝敗が分かれるような差ではない。このままの展開が続けば間違いなく延長戦に突入する事になるだろう、と。

 そして金田は、ほんの僅かに不利という展開を逆に歓迎していた。むしろ自分にとっては理想的であるとすら考えていた。

 なぜなら、たとえ僅かとはいえ形勢に差がある場合、有利な方は敢えて戦術を変更する必要が無いからだ。第1ラウンドと同じ展開が続いたまま判定にもつれ込めば、少なくとも達也の負けは無い。おそらくは延長戦に突入だが、もしかすると達也が判定で勝つ事だって考えられる。ならば達也は、この段階で敢えてリスクを冒して攻める必要は無いという事になる。

 金田は考える。少なくともこの第2ラウンド、奴は戦術を変えずに遠めからのローキックやジャブに終始し、あわよくば判定勝ちを狙いに来るだろう…それは金田ならずとも、ごく自然な読みだった。実際に第2ラウンドが始まっても達也は深く踏み込もうとせず、十分な間合いを取る事に腐心していた。それはどう見ても、優勢を意識した者が見せる手堅い戦術だった。

 だが金田は、この程度の差では絶対に判定で決着はつかないという確信を持っていた。たった数発のローキックでグランプリ王者が決まるなど考えられない。だからこそ、じっくりと機を窺い続ける。不用意に出したローキックを捕まえるチャンスを。

 そしてこうも考えていた。第2ラウンド終盤になると、奴は判定を目の前にしてさらに慎重になるに違いない。判定勝利への誘惑に駆られて、今以上に手が出なくなるだろう。その時こそ、こちらからタックルする隙が必ず生まれる筈だ…と。

 遠めから慎重にローキックを放ちながら時間を進めてとりあえず判定を聞いてみたい達也と、自身の判定負けは無い事を確信し虎視眈々と達也の足を狙い続ける金田。そんな両者の思惑が一致するように、試合は緊張感を携えたまま静かに流れ続ける。

 

 しかし。

 両者の思惑は、実は全く一致などしていなかった。

 金田が感じ取った達也の慎重さは、あくまで達也がそう見せていただけであって。

 達也は、最初から判定勝ちなど頭の片隅にも無かった。

 

 それを証明するように、第2ラウンドも7分を過ぎて残り3分を切った頃。

 仕掛けたのは、達也だった。

 

 ―――ダンッッッ!!!!

 

 それまでの静寂から一転、両者の体が勢い良く衝突する。その瞬間、達也は体を低く屈め、金田の腰に組み付いていた。

 誰も想像だにしていなかった、達也の胴タックル。もちろんそれは、金田自身も全く想像していなかった。奇襲とも言うべき攻撃に、金田が必死に達也の体を振りほどこうとする。

 だが、達也のタックルは完璧で、金田の胴体を深く捕らえていた。こうなるともう、引き剝がすのは容易ではなく。

 金田の足に、達也が足を掛ける。香菜に仕込まれた内掛けと、スポーツマンNo.1決定戦で見せ付けた驚異のパワーで金田の体を投げ飛ばすようにして倒して。

 強引に、テイクダウンを奪ってしまった。

 突然の急展開に、それまで固唾を飲んで見守っていた客席から歓声が沸き起こった。誰もが皆、度肝を抜かれる思いでその光景を見ていた。だが、それも無理はない。何せ達也がタックルを見せた事などこれまで一度たりとも無かったのだから。達也はあくまで打撃の選手、グラウンドでの攻防を避けたい選手なのだと誰もが思っていたのだから。

 だが達也にとっては、全て事前の予定通り。いくつか立てておいたプランの一つを実行しただけ。

 相手の裏をかくのは戦いの基本だ。相手の裏が無いのであれば、作り出せばいい。僅かなリードを保ち、攻めて来ないと思わせた所で、一気に攻める。それも、相手が想像していないであろう攻撃で。

 相手を自分が望む方向に動かし、そこに爆弾を仕掛ける。その手法は、実は2年前と全く同じだ。2年前は膝蹴り、今回は胴タックルを確実に決めるために、用意周到に状況を整えた。2年前との違いは罠の種類が微妙に異なるという、ただそれだけの事。

 そして達也は、ここから華麗に仕上げに入る。

 達也が奪ったのは完全なマウントポジションとは言えないまでも、それにほど近い、圧倒的に有利なポジションだった。金田の反撃は難しく、達也はやや不完全ながらもパウンド(相手の上になった状態から振り下ろすパンチ)を放てる体勢だ。第2ラウンドは残り3分弱、仮に決定打が無くともこの体勢を維持さえできれば達也の判定勝ちは濃厚だった。

 だから金田は焦る。とにかく体勢を挽回しない限り、待つのは敗北だけだ。達也が振り下ろすパウンドをかいくぐるようにして必死に脱出を試みる。

 そうして金田のガードに隙が生まれる瞬間を、達也は見逃さなかった。

 金田の左腕をガッチリと捕らえて、背中側にねじり上げるようにして、関節を極める。

 テレビカメラも、達也に捻られた金田の左腕を大きく映し出す。チキンウィング・アームロックが、誰の目にも明らかな形で決まっていた。

 会場のビジョンにもそのシーンが映し出され、大きな歓声が上がった。誰がこんな光景を予想しただろう。達也が初めて見せた関節技…それは同時に、大悪役・金田悠希が初めて見せた、自身の関節を完璧に取られた瞬間だった。

 今度はカメラが2人の表情を映し出した。涼しい顔でアームロックを極める達也。一方の金田は、これ以上無いほどの苦悶の表情だ。そんな今まで誰も見た事のない金田の表情に、会場はさらに沸き返る。

 そんな中、達也がリングサイドのマイクに拾われないように、小声でぼそっと呟いた。

「さ、金田くん、タップしようか。言っとくけど、しっかり強めにタップしてくれないと気付かないかもよ?」

 2年前に浴びせられた挑発の言葉をお返しする。そして、さらに少しだけ強く関節を捻じり上げる。

「くっ…くあぁぁっっっ……」

 しかし、苦悶の表情を浮かべながらもなお、金田はタップしようとしなかった。アームロックが完全に極まっているのは誰よりも金田自身が分かっている。だが、どうしてもタップできないのは金田のプライドに他ならなかった。2年越しのリベンジの舞台、小野達也を殺すと意気込んで臨んだ舞台で、まさか関節を極められた…その事実を受け入れてタップする事は、金田にとっては何にも増して耐え難い屈辱だったのだ。

「どうした?ほら、早くタップしろよ。それとも肩壊して欲しいのか?」

 なかなかタップしようとしない金田に業を煮やしたように、達也がさらに腕に力を込める。この試合にはレフェリーストップは無い。KOはタップがあった時か選手が失神した時のみだ。つまりこの状態から達也が勝つには、金田にタップして貰うしかないのだ。

 これ以上やると本当に金田の肩が外れてしまうかもしれない、そんなギリギリの所まで達也は腕を捻じる。

 だが…

「くっ…極まってねえ…やれるもんならやってみやがれっ…!」

 その言葉に達也は、心の中で小さくため息をつく。

 もちろん達也はこの時、金田の関節を破壊するつもりなど全く無かった。だが、この状況に到ってもまだ負けを認めようとしない金田に、怒りに似た気持ちを覚えてしまうのも確かだった。

 そこまで言うんなら望み通りやってやるぞとつい思ってしまう。これまで金田に骨を折られ、歯をへし折られて敗れていった選手たちの敵(かたき)討ちを、自分がここで果たしてやろうか…と。

 でも、やっぱり思い止まる。いくら金田が不愉快極まりない相手とはいえ、今ここで力を込めれば本当に取り返しのつかない深刻なダメージを与えてしまう事になる。関節技の例に漏れず、アームロックは危険な技だ。肩の脱臼だけでなく、場合によっては靭帯を損傷させてしまう可能性だって十分にある。かつてジョージ・トラゴスというプロレスラーはアームロックで若手レスラーの関節を破壊し、その若手レスラーは腕を切断するに到ったという例もある程だ。

 バイオレンスな試合はしたくない、それは達也が一貫して持っている美学でもある。試合はあくまで試し合い、命を懸けた決闘ではないのだから。

 だから達也は、レフェリーを見上げて。

 完璧に関節を極めた金田の左腕を見せ付けるようにして、小さく首を振った。

 そのジェスチャーに少しばかり戸惑いを見せたレフェリーだったが、しかしその数秒後、大きなジェスチャーで達也にアームロックを解くよう促した。事実上のレフェリーストップである。

 少し遅れて、試合終了のゴングが打ち鳴らされる。そして達也が、ゆっくりと立ち上がった。

 金田悠希の関節を極めるという、誰もが一度は見てみたいと思っていたフィナーレに観客は酔いしれた。この瞬間、REAL無差別級グランプリ優勝の栄冠は達也の頭上に輝いた。23歳と5か月、新世代の若き王者が誕生した瞬間だった。

 

 試合後のインタビューで「打撃ではなくタックルからのグラウンド勝負にいったのは当初からの作戦通りだったんですか?」と問われ、達也は自信たっぷりに答えた。

「2年前の試合は偶然だとかなり言われましたから、今回はファンの皆さんに認めてもらえるような、完璧な形で勝ちたいと思ってました!」

 達也の実力を疑う者はもはや誰もいなかった。実力筆頭格と目される金田悠希に連勝、しかも今回は関節技で撃破という文句の付けようのない完璧な勝利である。達也は名実共に「日本最強の男」の称号を得たのだった。

 

 だが。

 金田悠希との因縁にはまだもう少しだけ続きがある事を、この時達也は知る由もなかった。



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6-8 天空の種付け

     ―達也―

 1月5日、月曜日。世間ではお正月休みは昨日までという人が大半のようだけど、俺にとっても今日が仕事始め、新年1発目の種付けの日だ。

 しかも今日は、ちょっとした訳あって特に気合いの入る種付けだったりする。

 この日のお相手は夢乃さんという30歳ちょうどの女性だ。俺が種付けする女性は大抵がアラフォーで容姿的にもごくごく普通の女性がほとんどなんだけど、時に女優顔負けの美人女性に当たる事もある。夢乃さんもまさに、そんな女性の一人と言っていいだろう。目鼻立ちがくっきりとして、有名人で言うと広瀬ア○スにそっくりだ。

 そんな夢乃さんが種付けを受ける事を決断した理由は、夫の男性不妊である。無精子症という残酷な診断を下された夫に代わって、俺が夢乃さんに赤ちゃんを授ける役目を引き受けたという訳だ。

 とはいえ誤解しないで欲しい。別に夢乃さんが美人の人妻だから今日は特別気合いが入ると言いたい訳じゃない(まあ、それも少しはあるんだけど…)。美人女性や人妻への種付けはもう何度もこなしてきたから、その程度じゃ特に緊張も興奮もしない。

 今日の種付けが特別である理由…それは、実は今から3年ほど前に、俺は夢乃さんに一度種付けしているのだ。

 その時は俺の優秀な精子の力もあって無事に一発で妊娠し、種付けから約10か月後に夢乃さんは元気な女の子を出産した。その子は昨年末に2歳の誕生日を迎えたのだけど、育児にも慣れて落ち着いてきたこのタイミングでそろそろ2人目の子が欲しいという事で、今回再度種付けする事になったのだ。

 1人の女性への種付け回数に制限は設けていない。2人目でも3人目でも、女性の望む限り何度でも種付けしますというのが俺の方針だ。だから『2人目』の種付けに臨む女性は何も夢乃さんが初めてじゃない。とはいえ、かつて種付けした女性と再び体を重ねるのはやっぱり特別な意識が働いてしまう。何より、もう一度俺の子どもを産みたいと言ってくれた事をとても嬉しく思う。だからこそ、どうしても普段以上に気合いが入ってしまう。

 そして今日の種付けは、もう一つ特別な点がある。

 それは、場所。今回は玲奈さんが用意してくれている大阪の種付け専用部屋じゃなく、俺が東京に借りているタワーマンションの部屋を使っているのだ。

 本来なら、自分の部屋に女性を連れ込んで種付けするなんてルール違反だという事は重々分かっている。でも、大晦日の試合に完勝してあまりに気分がいいから、新年1発目の種付けはどうしても、この大都会を見下ろせる部屋でやりたいと思ってしまったのだ。だから夢乃さんには無理を言って、ワザワザ大阪から東京まで来てもらった。もちろんその交通費は俺が負担したけど、イヤらしい話、東京・大阪間の新幹線代なんて今の俺には痛くも痒くもない。REALのリングに1秒立てば余裕でお釣りが出てしまう程度の金額だ。

 足を伸ばして、どでんとベッドに仰向けになる。ちらりと視線を横に向けてみると、大晦日に獲得した立派なトロフィーが目に入る。

 REAL無差別級グランプリ優勝を記念したトロフィー。すなわち、俺が日本最強の男である証。

 嬉しかった。別に日本最強の地位を目指して格闘技に打ち込んできた訳じゃないけど、実際に日本最強の男と呼ばれる地位に立ってみると、心の底からめちゃくちゃ嬉しかった。俺が一番強い…この国で俺に勝てる奴はいない…そう思うと、まるで自分が王様になったようにさえ思えた。

 驕(おご)り高ぶってはいけないって事は重々承知しているけど、でも、心の底から湧き上がる喜びを抑えるのは難しかった。それに、今まで頑張ってきたんだから少しぐらいはいい気になってもバチは当たらないだろうという思いもあった。俺は幼い頃から友達と遊びたいのを我慢して、みんながテレビゲームを楽しんでる時もひたすら厳しい稽古に明け暮れてきたんだ。お盆休みもクリスマスもお正月も、周囲が引くぐらいのハードなトレーニングをこなしてきたんだ。努力に努力を重ねて得た地位なんだから、少しぐらいは喜びに身を委ねてもいいだろう、と。

 勝利の余韻にたっぷりと浸りながら、トロフィーから視線を戻す。

 すると今度は、夢乃さんが俺に跨って献身的に体を上下させているのが視界に映る。

「どうしました夢乃さん?そんなへっぴり腰じゃ、いつまで経っても俺は出せないですよ?」

 鷹揚にそんな事を言ってみる。日本最強の男として迎える、記念すべき初めての種付け。だから今日は、いつも以上に自由気ままにやらせてもらおうと決めている。

 でも。

「ご、ごめんなさいっ…が、頑張り…ますっ…」

 夢乃さんはそう口にするものの、肝心の腰の動きはほんの少し強くなっただけ。

 依然として弱々しいその動きでは、何時間待っても射精感が訪れる事は無さそうだった。

「もっと腰を深く落として、奥まで挿れてみましょうか」

 そう言って夢乃さんの尻や背中をぺちぺちと叩いて奮起を促すが。

「だ…ダメなんです…達也さんの…お、おっきくてっ…」

 それを聞いて俺は「まあ仕方ないか…」と一旦諦める。なんせ俺は、格闘技だけじゃなくアソコの方も最強サイズだから。

 夢乃さんと繋がるのは3年ぶり、どうやら夢乃さんの膣穴は俺のモノのサイズをすっかり忘れてしまったみたいだ。

 ならば、ちょっと強引にでも思い出させてあげるしかない…そう決めた俺は、夢乃さんの腰を両手でガッチリと掴んで。

 力強く…腰を跳ね上げるっ……!!

「はっ、はあうぅぅぅぅぅぅぅっっっっっ!!!!」

 次の瞬間、真下からの一突きに夢乃さんの体がビクン!とのけぞった。

「ほら、入ったじゃないですか」

 モノ先でグリグリと、夢乃さんの最奥と3年ぶりのご挨拶。

「あはあぁぁっっ…あっ…あぁぁぁぁぁっ……」

 夢乃さんは目と口を丸く開かせながら、体を小刻みにピクピクと震わせていた。たったの一撃で、どうやら軽くイってしまったようだ。おそらくは、旦那さんではどう頑張っても届かないような所に触れてしまっているんだろう。

 膣穴の最奥には独特の暖かさがある。女性本来の温もりというか…とにかくそこに触れているだけで、何とも言えない安心感に満たされる。

 旦那さんですら知り得ない夢乃さんの真の暖かさに浸れている事に申し訳なさも感じるけど…まあ、仕方ないだろう。

 何せ俺は、最強の男なんだから。人よりも特別な思いをできるのは当然だ。

「さて…と」

 自身の体を起こすと同時に、逆に夢乃さんの体を寝かせる。そして繋がったままゆっくりと器用にその体をひっくり返して、後背位の体勢を完成させて。

「じゃ、ここからは俺が動きますね」

 そう宣言して、遠慮なくバックからガンガンと腰を送る。

「あはあぁっ…あっ、ああっ、あっ、あぁぁぁぁっっ!!」

 悲鳴のような喘ぎ声を上がるけど、気にせず俺は自由気ままに腰を前後させる。夢乃さんが少しでも体を逃がそうとすれば、力強く腰を引き付けて、お仕置きとばかりにぺちっと尻を軽く叩いて。

「ん…」

 繋がったまま、夢乃さんの体を持ち上げるようにして立ち上がる。体型から推定するに夢乃さんの体重は45kgぐらいだろうか。まあ、俺の力を持ってすれば全くどうって事はない重さだ。

 そしてそのまま、てくてくと窓際まで移動して。

「えっ…なっ…ひあぁぁぁっっ!!」

 大都会の夜景を見下ろしながらの、立ちバック。ガツンガツンと腰を送る。

「いあぁぁぁぁぁぁっっ…あっ、あぁぁぁぁぁっっ!!」

 夢乃さんの体がぴくぴくと震える。もしかすると意識を失いかけてるのかもしれない。だとすると、夢乃さんにもこの素晴らしい夜景を堪能して貰いたかっただけに残念だ。

 ただ、俺はというと…めちゃくちゃ気持ち良かった。

 地上150m、下界を見下ろしながらの、天空の種付け。

 最強の男に相応しい、これ以上ない完璧なシチュエーションに酔いしれながら。

「さあ、いきますねっ…!」

 射精。夢乃さんの最奥、優しく温かい場所に、3年ぶりに俺の精子を送り込む。

 止まらない。一体どこから湧き出てるんだろうと思わずにはいられない、際限なき射精。ビクンビクンと下半身が震え続け、ついには白濁の液体がぽたり、ぽたりと床に零れて。

 でもその間、俺は夢乃さんの体を捕まえる力は決して緩めずに、モノは最奥に押し付けたままで。

「ふう…っ…」

 最後の一滴まで撃ち終えて、少しばかり長めに息をつく。もう限界、正真正銘の弾切れだ。

 最高の気分だった。今までのどの種付けとも、どの射精ともケタが違う、断トツに気持ちいい射精だった。確実に夢乃さんの体に新しい後を宿す事ができただろう…そう思える射精だった。

 ちなみに夢乃さんは、1人目が女の子だった事もあって今回はできれば男の子が欲しいという希望を持っているという事だった。俺に似た強く逞しい男の子が欲しいらいい。ただ、申し訳ないけど男女の産み分けへの挑戦は拒否させてもらっている。聞いた話では7割ぐらい産み分けに成功するような種付け方法もあるらしいけど、悪いけどチャレンジしてみる気には全くなれない。男女の産み分けは命を選別してるみたいでどうしても邪道に感じるし、何より最強の男である俺の子なんだから、男の子だろうが女の子だろうが社会に貢献する素晴らしい人間に育ってくれるに違いない…本気でそう思ってるから。

 射精直後特有の疲労感が全身を襲う。でも、そんなものは気にならないくらいに、とてつもなく気持ち良かった。どうだ、最強の男の種を付けてやったぞ…そんな充実感に浸っていた。



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6-9 道場破り宣言

 年が明けて間もなく、FAILYは東京・高田馬場駅からほど近い場所にジムを開設した。もちろんその原資の大半は、達也が稼ぎ出したファイトマネーによるものである。オーナーの晴香としては夢にまで見た東京進出の実現であり、達也にはどれだけ感謝してもしきれない思いだった。

 この東京進出の背景には入門希望者や問い合わせの激増がある事は以前にも書いたが、他にも達也のトレーニング環境をさらに整えるための一環という意味合いもあった。今や達也の試合はほとんど関東圏で行われ、またメディア関係の活動のために東京を訪れる事も多い。達也の移動負担を少しでも軽減するために、東京にもトレーニングの拠点を作った訳である。

 高田馬場ジムのオープン初日は、新ジム設立を記念して達也のスパーリングの様子がファンに一般公開された。事前告知していた事もあり、多くの女性ファンが詰めかけた。

 達也のスパーリング相手を務めたのは、関東大学リーグに所属する大学生ボクサーたちだった。スパーリングをオファーしたのはFAILYサイドだったが、大学生ボクサーにとっても達也とのスパーリングは願ってもない機会であり、断る者はいなかった。

 彼らは肩書きこそアマチュアとはいえ、プロボクサーに勝るとも劣らない実力を持つ選手たちである。何とか達也に一泡吹かせて集まった女性ファンたちにいい所を見せてやろうと、並々ならぬ気合いでスパーリングに臨んだ。

 とはいえ、所詮は大学生ボクサー。いくらプロボクサー級の実力を持っているとはいえ、言うまでもなく達也の敵ではない。いざスパーリングが始まると大学生たちは手数こそ多いがパンチはほとんど当たらず、たまに当たってもガードの上。逆に達也の手数は少ないもののその一発一発が的確にクリーンヒットし、次々とダウンの山を築いていく。

 結局、達也はいとも簡単に全ての相手をKOしてみせた。もちろんノーダメージ、しかも達也が全く本気を出していないのは誰の目にも明らかで、その様子はトレーニングというよりもまるでレッスン…というより達也のストレス発散のためのスパーリングのようにすら見えてしまう光景だった。

 実際、達也はとても気持ち良かった。表情こそ到ってクールだったが、女性ファンたちの前で自分の強さを見せ付けるのは何とも爽快だった。自らの力を誇示するのは良くないと思いつつも、やっぱり気持ち良いものは気持ち良いから仕方ない。スパーリング相手を務めた大学生たちに対しては、日本最強の男である俺が胸を貸してあげたんだからありがたく思えよ…なんて思う始末だった。

 本当に気持ち良かったのだろう。同様の公開スパーリングは以降定期的に行われるようになり、高田馬場のプチ名物となっていく。

 

 

 さて、日本最強の男という栄誉を手にし、東京での拠点も得て上機嫌な達也だが、先の大晦日の試合を巡って周囲はにわかにざわつき始めていた。

 そのきっかけは、試合後まもなく発された金田陣営からの抗議声明だった。

「12月31日の試合において金田悠希はギブアップしておらず、試合をストップさせたレフェリーは越権行為である。試合はノーコンテストとされるべきであり、改めての再戦を強く要求する」

 つまりは、レフェリーストップは存在しないというルールだったにもかかわらずレフェリーが試合を止めてしまったので試合は無効だ、という抗議である。だがこの声明には大半…というよりほぼ全てのファンが「今さら何を言っているんだ」という反応を見せた。「情けない」「みっともない」「ダサすぎる」「潔く負けを認めろ」といったコメントがネット上には溢れた。

 そんなファンの反応もあって…という訳ではないだろうが、REALは金田陣営の抗議を退け、「続行すると選手の身体に重大な危険が及ぶとレフェリーが判断した」という理由を添えて、達也の勝利を公式にアナウンスした。実際、あの試合において達也のアームロックは完璧に極まっており、金田が逃げる事はどう考えても不可能な体勢だった。「逆にあの体勢からどうやって逃げるのか見てみたい」「そんなに再戦したいならあの体勢から再開すればいい」というファンの声もあったが、確かにその通りと言えた。スポーツマンであり、競技者として試合に臨んでいる以上、関節を極められれば潔く「まいった」すべきなのだ。実際に大晦日の試合では金田は達也に何もできず関節を極められた。それは総合格闘技という競技においては明確な「負け」なのである。

 だが一方で、金田陣営の抗議がある意味では真っ当なものである事も、また事実だった。

 大晦日の試合のアグリーメントには、「レフェリーストップはタップがあった時または選手のいずれかが失神した時のみ」と明確に書かれているのだ。にもかかわらず、レフェリーは達也の合図に呼応するように試合を止めてしまった。これが越権行為でなくて何なのだろうか。REALのアナウンスを借りるならば「選手の身体に危険が及ぶと判断した」からといって、レフェリーが勝手に試合を止めて良い訳ではないのだ。

 レフェリーがルール以外のものに従うのなら、それはもうスポーツとは言えない。そういう意味においては、REALは格闘技を扱うエンターテインメントでしかなかったと言わざるを得ない。金田陣営の抗議は確かに筋が通っていた。

 とはいえ、現実として金田がアームロックを完璧に極められたのは紛れもない事実だ。当の金田陣営も、抗議によって結果が覆る事を本気で期待している訳ではなかった。彼らとしては今回の抗議は副業であるユーチューブの宣伝も兼ねた炎上狙いと、加えて達也への再リベンジマッチの意思を見せておくという意味合いが大きかった。金田にとっては、思ってもみなかった奇襲のようなタックルに屈してしまっただけで、決して力負けではないという思いが強かったのだ。

 だが、適度な炎上を期待した金田の目論見とは裏腹にファンの反応は冷ややかで、直後に金田が自身のユーチューブチャンネルに投稿した動画の視聴数はサッパリだった。動画内で「俺は関節が柔らかいからアームロックは極まらない」などと主張したが、もはや一部アンチから嘲笑されるだけで大した反響はなかった。諸行無常と言ってしまえばそれまでだが、金田は既に過去の人となっていた。かつてREALの顔として日本格闘技界を牽引した大悪役は、もはやスーパーヒーロー小野達也に完膚なきまでに叩きのめされた小者へと成り下がってしまっていたのだ。

 だから達也も、金田の抗議など全く気にもならなかった。2年前に膝蹴りで勝利した時はいずれもう一度戦わなければならないかもしれないという予感もあったが、今回に関してはそんな事は全く思わなかった。達也にとっても金田悠希は完全に勝負付けが済んだ過去の人だった。

 だが、達也にとって金田悠希は過去の人でも、金田悠希にとって達也は過去の人ではなかった。

 抗議が正式に退けられてから2週間後、金田は自身のユーチューブチャンネルに新たな動画を投稿した。「小野達也への果たし状」というタイトルが付けられたその動画内で金田は威勢良く声明を発表したのだが、その要旨が以下である。

 

「自分は大晦日の試合ではギブアップしておらず、負けたとは全く思っていない。今すぐにでも再戦したいと考えている。自分の目的は小野達也を倒す事のみであり、ファイトマネーなど要らないし戦う場所にもこだわらない。REALでのダイレクトリマッチが無理だというのなら、その時は小野達也が所属するFAILYへ道場破りを敢行する。小野達也よ、逃げるな!」

 

 この動画には、さすがに達也も不快感を覚えた。くだらない事を、何が道場破りだ…こんな事になるのなら、あの時望み通りに腕をへし折ってやれば良かったかもな…そんな思いだった。とはいえ再戦要求を受けるつもりは毛頭なく、FAILYとしても一切の反応を示さなかった。もはや金田悠希と関わるつもりは無いという意思表示である。

 だが、事は達也の望む方向には進まなかった。

 なぜなら、大晦日の決戦から1か月と少しが経過した2月のある日。

 金田が数人のスタッフを連れて、オープン間もない高田馬場のジムに乗り込んできたからである。




作者は関西人で、東京の事は全く分かりません。
だから高田馬場がどんな街なのかも全く分かりません。

ただ、作者はゲームセンターとレトロゲームが大好きでして、
今回高田馬場を選んだのは、ミカドという有名なゲームセンターがあるからです。
数年前に仕事で東京出張した際に一度だけ行った事がありますが、
こういうゲームセンターが関西にも欲しいと本気で思いました…


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6-10 激怒

色々ありましたが、読者の皆様から沢山の暖かい声援を頂き私の気持ちも落ち着きましたので、以前のように通常更新を再開致します。
今後は毎日12時に1話ずつ、完結まで投稿する予定です。作品へのコメントや評価、心よりお待ちしてますのでよろしくお願いします。


 金田が道場破りを敢行したのは、ちょうど第2回目の公開スパーリングが行われている最中だった。前回同様に大学生たちを相手にした達也はこの日も圧倒的な強さを見せ付けて集まったファン…特に女性ファンを喜ばせ、自身もノリノリの上機嫌だった。

 そんなタイミングに金田が現れたものだから、ジムは騒然となった。FAILYのスタッフは金田を排除しようと説得を試みたが金田は達也と戦わせろと言って聞かず、引き下がろうとはしなかった。

 公開スパーリングなどとても続けられる状態ではなかった。ファンたちは一様に不満そうな表情を浮かべながらも次々とジムを後にし、スパーリング相手を務めていた大学生たちもやむなく撤収せざるを得なかった。

 達也は怒っていた。何より、せっかく観覧に来てくれたファンたちに対して申し訳ない気持ちで一杯だった。ファンを大事にする事を常に心掛けている達也にとって、金田の愚行は到底許せるものではなかった。

 加えて、金田の他にも撮影用のカメラを携えた数人のスタッフの存在があった事が、達也を激怒させた。

 そう、金田にとって今回の道場破りの最大の目的は、自身のユーチューブチャンネル用の動画撮影なのである。達也に連敗して人気ユーチューバーとしての立場も危うくなりつつあった金田は、ファンの関心を繋ぎ止めるために早急に手を打つ必要があった。そこで思い付いたのが、達也へのリベンジ道場破り企画だったのだ。公開スパーリングが行われ多数のファンが訪れているタイミングでFAILYに乗り込み達也に戦いを挑むという映像を撮影できている時点で、既に目標の8割達成。あとは適当な所で切り上げて、「小野達也は俺から逃げた!」と動画で吠える腹積もりだった。

 だが、そんな金田の炎上系ユーチューバーのようなノリとは対照的に。

 達也はこの時、既にプッツンしていた。ストレス発散の…じゃなくてファンとの大事な交流の機会を奪っただけでなく、自分を利用して動画の再生回数稼ぎを企む金田に、何が何でも制裁を加えなければ気が済まなかった。

「ナメんなよ、この野郎」

 そう言って金田たちににじり寄る達也が見せた形相は、FAILYのメンバーですら見た事の無いような恐ろしさを携えていた。ファンがいる前では自制していた達也だったが、ファンも大学生たちもいなくなった今、もう我慢する必要はなかった。

「おい、勝手に撮るんじゃねえ!」

 スタッフが手にしていたカメラを掴み、それを強引に奪い取る。

「てめぇ、何しやがる!」

「あぁ?」

 突っかかろうとする金田を睨み返す達也。グッと顔を寄せ、今にも殴りかかりそうな雰囲気で。

「上等じゃねえか。そこまで言うならお前の挑戦受けてやるよ。上がれよ」

 そう言って、親指でクイっとリングを指す。

「ちょ、ちょっと達也くんっ…」

 だが、そこに晴香だが待ったをかけた。一触即発のムード漂う達也の元へと慌てて駆け寄って。

「な、何を言ってるのよ。冷静になって頂戴」

 しかし。

「晴香さんは黙っててください。こいつは俺が責任持って始末します」

 その恐ろしいほどの怒りに満ちた雰囲気に、晴香は何も返せず押し黙ってしまう。

 そんな中、達也は再び金田を睨みつけて。

「おい、金田。マジでやってやるよ。その代わり後悔すんなよ」

「はぁ?」

「言っとくが前みたいに容赦はしねえからな。生きてジムから出られると思うなよ」

 

 

 リングの上、対角線上のコーナーに別れて達也と金田が対峙する。3度目にして、正真正銘最後の決戦である。

 戦うにあたって、金田が引き連れてきたスタッフはジムの外へと排除された。というより、達也が強引にジムの外へと叩き出した。達也としては自身が金田のユーチューブ動画の再生回数の足しになるような事態は絶対に許せなかった。隠し撮りや録音を防止するためだけでなく、決戦の様子を証言できる者を排除するという点においても、金田側のスタッフたちを叩き出す事は必須だったのだ。もちろん、達也が奪い取った撮影用カメラも没収したままである。

 ジム内での撮影を禁じられた金田は当初の目論見が外れただけでなく、実際に達也と戦う事になって少しばかり当惑していた。達也が再戦要求に応じる事など有り得ないと勝手に思っていたのだ。道場破りはあくまで視聴回数を稼げそうな動画撮影が目的であり、何ならこれを機会に人気者の達也とコラボ動画シリーズでも始められたらチャンネル登録者数もぐっと伸びるかも、などという可能性もほんの少し考えていたぐらいなのだ。

 だが、ユーチューブはおろかツイッターやインスタグラムにすら興味が無いアナログ人間の達也にそんな勝手な考えが通用する筈もない。それどころか、炎上系ユーチューバーのようなノリは達也を本気で激怒させただけだった。

 こんなつもりじゃなかったのにな、と金田は内心思う。まさか達也がカメラも観客もファイトマネーも無い決闘に応じるなんて思ってもいなかった。だが道場破りと称して乗り込んだ手前、こうなっては引き下がる事もできない。

 ここまで来ればもう戦うしかない…金田は気合いを入れ直す。動画撮影は叶わなかったが、しかし達也にリベンジしたいという思いを強く持っている事は確かなのだ。達也に2度敗れた屈辱を思い出し、目の前の相手を今度こそKOしてやるんだと闘志を燃やす。

 もう一方のコーナー。怒りのオーラに満ちている達也とは対照的に、晴香は不安顔だった。

「達也くん…本当に大丈夫なの?」

「大丈夫とかそういう問題じゃないんですよ。ああいう奴は一度とことん懲らしめてやる必要があるんです。日本最強の男である俺が、責任もってあいつを処刑します」

「しょ、処刑って…」

 達也の口から聞いた事の無いような物騒な言葉に、晴香がまた何も言えなくなってしまっていると。

「そんな事より晴香さん、ちょっと耳貸してもらえます?」

「ど、どうしたの?」

「一つお願いがあるんですけど」

 ゴニョゴニョゴニョ、と達也が遥香に何かを耳打ちする。

 それを聞いた晴香は、少し驚いた表情で。

「そんな事…本当にいいの?」

「いいも何も、こんなの別に試合でも何でもありませんからね。その時は躊躇なくお願いします」

「…分かったわ」

 達也の秘密のお願いを聞き入れた晴香は、小さくこくりと頷いて。

 ついに、達也と金田悠希の、決着の第3戦が始まる。

 

 だが、FAILYのメンバーだけが見守った運命の決着戦は。

 誰もが予想だにしなかった、あまりにも衝撃的な結末へと進んでいくのである。



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6-11 ブラック達也

 ゴツッ、ゴツッ、と乾いた音が響く。肉と肉ではなく、骨と骨がぶつかり合うような、不気味な音が。

 リングの上では、達也が金田悠希に馬乗りになり、顔面を殴り続けていた。

 

 運命の決着戦。だがその趨勢は、決戦開始の合図から1分も経たぬうちに決した。

 大晦日での試合ように互いに慎重な戦いになる事を想定した金田に対し、達也は開始早々に猛攻を仕掛けた。いきなりの奇襲に虚を突かれた金田は反撃の機会を逸してしまい、そこからはもう一方的。達也の重い右フックが顎に入ってふらついた所に2発目の左がまた顎を捉えてたまらずダウン。そのままの流れで、達也があまりにもあっさりとマウントポジションを奪った。

 この時点で、勝敗は事実上決した。結局は過去の2戦と同じように、金田は自身の隙を突かれる形で敗れ去った。初戦は達也を甘く見ていた所での膝蹴り、2戦目は攻めて来ないと思っていた瞬間でのまさかのタックル、そして今回は開始早々の奇襲――

 しかし、実際は金田が隙を突かれたというのではなく、達也が金田の隙をうまく突いたと表現すべきだろう。第2戦での緊迫した試合があったからこそ、今回は開始早々の猛攻が金田にとっての隙となる事を達也は分かっていたのだ。達也の3連勝は、いずれも心理戦での勝利であると言えた。

 加えて、直前まで行っていた公開スパーリングも達也に有利に働いた。大学生とのスパーリングは達也にとって適度なウォーミングアップになっており、ろくに体も動かさぬままリングに上がる事を余儀なくされた金田との状態の差は歴然だったのだ。

 だが今回の試合においては、達也がどのように勝利を手にしたかについては、特に大した問題ではなかった。

 この第3戦において何より重要なのは、達也がマウントポジションを奪ってから繰り広げられた光景だった。

 

 

「オラ!誰が最強なんだ?言ってみろ!」

 延々と金田の顔面を殴り続ける達也。普段の様子からは信じられない、鬼のような形相で。

 達也がマウントポジションを奪ってから繰り広げられた光景は、まさに地獄絵図だった。そもそもタックルからのテイクダウンで奪ったマウントではなく、顔面への打撃でダウンさせて得たマウントである。その時点で金田はもう意識が半ば朦朧としている程のダメージを受けていたのだが、馬乗りになってからも達也は手を緩めず顔面に拳を落とし続けた。金田が本能的に達也の胴体にしがみつくと、その頭部を持ち上げて思い切りリングへと叩き付け、再びパンチの雨を降らせた。パンチから逃れようと金田がうつ伏せになっても、達也はチョークスリーパー(首締め)にはいかず、やはり上を向かせては顔面を無慈悲に殴り続けた。

 首を絞めて失神させるのは容易だったが、楽に寝かせてやるつもりは全く無かった。この戦いを受けると決めた瞬間から、達也はこの無礼なチンピラに罰を与える事を決意していたのだ。自分勝手極まりない理由でジムに乗り込んで無断で撮影を始め、達也にとっての大事な時間を奪った悪党に相応しい罰を。

 金田が意識を失ったと見るや達也はその頬に平手打ちを見舞って目を覚まさせ、さらにパンチを落とした。

 異様な光景だった。戦いが始まる直前に達也の勝利を願ったFAILYのメンバーは皆、今は達也が金田を殺してしまうのではないかと本気で心配していた。金田を処刑する…戦いの前に放った言葉が現実味を帯びる光景だった。

「た、達也くん…もうその辺に…」

 ついに、あまりにも凄惨な光景を見かねるように晴香が言うが。

「何言ってんですか。まだこいつから謝罪と反省の言葉を聞けてないですからね」

 そう言ってなおも平然と殴り続ける。本来ならもう誰かが達也を引き剥がしてでも止めなければならなかったが、誰もそれをできなかった。仲間ですら、達也の恐ろしさに気圧されていた。女子選手の中には泣き出してしまう者さえいた。

 結局、自身が満足するまで拳を落とし続けた達也は、最後は金田を締め落として完全にその意識を断った。

 だが、達也の制裁はまだ終わってはいなくて。

「香菜ちゃん、俺のスマホ持ってきてくれないかな?ロッカーの中のカバンに入ってるから」

「え…は、はいっ…」

 香菜は言われるがまま達也へのロッカーへと走り、スマホを取ってきて達也に渡す。

 すると達也は何を思ったのか、血まみれで失神する金田にスマホを向け、カシャリ、カシャリとその姿を撮影し始めた。

 メンバーたちが呆気に取られる中、達也は金田の無惨な姿を撮り続ける。それも、本当に様々な角度から。失神する金田に馬乗りになって顔面に拳を突き立てる写真や、金田の上半身を起こして肩を組み、達也自身がピースサインを決める写真などを次々と撮影して。

 そしてついには、金田のパンツを脱がせて。

「はは、何だこりゃ」

 金田の大きな体には似つかわしくない貧相なペニスを笑い飛ばしながら、それをもしっかりとスマホに収めた。

 達也が金田に与えた仕打ちはあまりにも凄惨かつ無慈悲だった。無論、正規の試合では達也は絶対にこんな事はしない。むしろ可能な限り相手にダメージが残らない勝ち方を目指し、どれだけ圧勝であったとしても試合後には必ず相手を称える男である。FAILYのメンバーはそれを十分に知っているからこそ、達也の凄まじい怒りを信じられない思いで見ていた。

 もし金田が純粋に決闘を望んだのなら、達也もこんな事はしなかっただろう。達也を激怒させたのは金田の腹黒い魂胆に他ならなかった。自分を利用して動画の再生回数を稼ぎに来た…誰に断る事なくカメラをまわして…大事なファンとの交流の機会までも利用して…その身勝手で無礼な振る舞いが許せなかったのだ。

 達也は無礼な乱入者に過酷な罰を与えた。そして今ここに、2年超に及んだ金田悠希の因縁は完全に決着した。

「ふう…」

 全てを終え、ゆっくりと達也がリングを下りる。まだ気が立っているようにも見える達也の雰囲気に気圧されるように、近くにいたメンバーが思わず後ずさる。

「達也くん…余計な心配、する必要なかったわね」

 晴香が言う。実は対決直前に達也が晴香に耳打ちしたのは、もし自分がピンチになったらメンバー総出で助けて欲しいという事だった。実は達也は、最初から正々堂々と完全決着をつけようなんて全く思っていなかったのである。こんなのは正式な試合でも何でもないのだから、もし万が一不利になればみんなに助けてもらえばいいだろうと考えていた。フェアに見えた戦いは、実は達也にだけ大量の援軍がついているという圧倒的ハンデの下で行われた戦いだったのだ。

 とはいえ、達也が1対1の戦いで金田を返り討ちにしたという事実が揺らぐものではないだろう。達也が開始早々に気兼ねなく猛攻を仕掛ける事ができたのはいざとなれば助けてくれる仲間の存在があったからにせよ、実際には援軍の力を借りる事は無かったのだから。

「晴香さん、俺シャワー浴びてきますんで、すみませんけどそいつ適当に処理しててもらえませんか?」

「え…あ、う、うん…」

 達也がシャワー室へと消えても、まだしばらく不気味な静寂がジムを包んでいた。

 

……………………………………

 

 その後、晴香が呼んだ救急車によって金田は近くの病院へと搬送され、そのまま入院生活を余儀なくされる事となった。顔面が変形するほどに殴られ続けた金田のダメージは深く、達也を激怒させた代償の大きさを物語っていた。 

 そして数日後、FAILYは公式ホームページ上において以下の声明を発表した。

 

 去る○月○日、金田悠希氏がFAILYのジムに突然現れ、弊ジムに所属する小野達也と戦わせろとの要求を突き付けました。小野はこの要求を快諾し、同日、弊ジム内にて両名による試合を行い、小野が勝利致しました事をここにご報告申し上げます。

 なお、この件につきましては上記が事実の全てであり、これ以上の取材をお受けする予定はございません。また、今回の金田悠希氏への対応はあくまで例外的なものであり、弊ジムはこのような道場破りを原則として受け付けておりませんのでご了承ください。

 

 異例の声明にメディアは両陣営に取材を申し入れたが、FAILYサイドは声明で述べていたように、この件に関する一切の取材の拒否した。一方の金田サイドは当初こそ必死に弁解を試みたが、後にFAILYがある映像をホームページ上に公開した所、完全に口をつぐまなければならなかった。

 その映像は、ジム内のリングを常時映し続けている定点監視カメラによって撮影されたものだった。映像には試合開始直後から達也が猛攻を仕掛けて金田からダウンを奪い、マウントポジションを奪ってから数十秒までのシーンが克明に映し出されていた。

 それを見れば、戦いは文句なしに達也の勝利に終わったという事は誰の目にも明らかだった。試合はフェアに行われ達也に反則行為は無く、最後は映像が途中で切れているとはいえその時点において既に事実上勝負が決している事も明らかだった。さらにFAILYの声明には、「金田氏の名誉を鑑みて試合の終盤部分は非公開としましたが、試合の結果等について金田氏からこれ以上の抗議や反論がある場合は、当方としては試合の全てを収めたノーカット映像を公開する準備がございます」という一文が付記されていた。

 

 これ以降、金田陣営からコメントは一切出なかった。この道場破り失敗の一件は金田悠希の人気失墜を決定的にすると共に、達也が紛れもなく「日本最強の男」であるという事を世間に知らしめる事となったのだった。




6章終了です。


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7章 その果てにあるもの(X6年1月 ~ X7年1月)
7-1 日本最強の男ですから


     ―達也―

 この日は、母校・西都大学にある玲奈さんの研究室を訪れていた。

 俺の人生には人様に自慢できるような経歴がいくつかある(と個人的には思ってる)けど、西都大学卒業という学歴もその一つだ。西都大卒…うん、響きがいい。何だかとても賢い人みたいに聞こえる。

 とまあそんな話はいいとして、実は俺は大学を卒業してからも、少なくとも2~3か月に1度はここに足を運ぶようにしている。とはいえ特に大した用事は別に無くて、単なる息抜きとして。

 そして玲奈さんの研究室を訪れると、俺はいつも、部屋の壁に貼られた大きな日本地図をまず確認する。

 その日本地図は、各都道府県がカラフルな色で表示されている。こっちの県は黄色、こっちの県は青色と、まるで各地の降水量を示した天気予報のようにも見える。ちょっと不思議な地図だ。

 とはいえもちろん、各都道府県の色は降水量を示している訳じゃない。実はこれ、俺の子どもの数を都道府県別に色で示した日本地図、通称『ベビーマップ』だ。子どもがまだいない県は無色、1人の場合は水色、2人だと青、3人は緑、4人は黄、5~6人はオレンジ、7~9人はピンク、10人超は赤という風に塗り分けられている。

 今の所、赤色なのは地元の大阪だけ。その周辺である兵庫・京都・奈良、さらには関東圏や愛知・福岡といった人口の多い都府県がピンクやオレンジや黄色といった濃い目の色となっていて、その他は青や水色が全国各地に散らばっているといった感じだ。

 この地図を眺めていると、体の底から力が湧き上がってくるのを感じる。俺は日本全国の女性に子どもを授けてあげられたんだと思うと誇りに感じるし、何より日本全国に散らばる俺の子どもたちに、父親として恥ずかしい姿は見せられないよなと心から思えてくるのだ。

 ただ、俺の努力の結晶とも言うべきこの日本地図は、ある意味では俺の努力がまだまだ道半ばである事を示す地図でもある。

 なぜなら47都道府県のうち3分の1超にあたる20もの県が、いまだに無色のままになってしまっているから。

 種付けを始めて約3年半、長男のタクト君がこの世に生を受けてから3年弱、俺の子どもの数は既に100人を超えた。おそらく、俺は日本一子だくさんな男だろう。俺は日本の最強の男であると同時に日本一子だくさんな男…そう思うと本当に誇らしい気持ちになる。

 でも、まだ俺の種が行き届いていない空白県が20もある。全国の半分近い地域の女性には、俺はまだ何もしてあげられていない…そう考えると本当に申し訳なくやるせない気持ちになる。

 近い内に必ず、この日本地図から空白県を消す…それが今の俺の最大の目標だ。REAL無差別級グランプリを制して日本最強の男の称号を得た今、もはや格闘技で目指すべき所は特に無い。だからこれからは種付けに軸足を徐々に移して行くべきだろう。いや、移していかなきゃいけない。俺の種を待っている地方在住の女性たちの為にも。

 日本中の女性に俺の種を届ける…その大いなる目標を実現すべく、今年初めには俺が資金を全額拠出する形で基金を設立し、その運用を玲奈さんにお願いする事にした。地方に住む女性が種付けを受けられるよう、大阪への交通費や出産後の一時金などに有効活用して欲しいと思っている。

 ちなみに、基金には既に億単位のお金を拠出した。まあ、今の俺にとっては特に痛くも痒くもない金額だ。幸か不幸か俺は高級外車にもブランドの腕時計にも全く興味が無いから、お金は貯まる一方。貯金額は俺が使えるキャパシティを遥かに凌駕してしまっている。だからこれからは、種付けのために私財を積極的に投じていくつもりだ。

 そういう意味では、本業の格闘技の方ではこれからもしっかりと勝ち続けて、たっぷりと稼がなきゃいけないと思っている。俺が勝てば勝つほど、世の女性たちに幸せを届ける事ができる…そう思うとトレーニングにも一層気合いが入るってもんだ。

「達也くん、お待たせ」

「あ、どうもです」

 玲奈さんがコーヒーを淹れてくれたから、俺も日本地図から目を離して用意された椅子に座る。

 ところで、かつては飲み物を用意してくれるのは未華子ちゃんだったけど、今はもうさすがに大学を卒業してここに籍は残っていない。何でも卒業後は政府関連の公的な機関に勤めているんだとか。

「そういえば達也くんって、最近『日本一運が良い男』って言われてるの知ってる?」

「ああ、何かそうみたいですね」

 その話を初めて聞いた時は「何で?」と思ったけど、どうやらこれは俺の試合後のインタビューが原因らしい。勝った後に「今回勝てたのは運が良かったです」といつも言ってるのが元ネタなんだとか。最近では「達也は運だけで勝っている」なんてジョークもあるぐらいだ。

 嬉しいのか嬉しくないのか自分でもよく分からないけど、まあ、世間から小野達也は謙虚な人間だと認識されてるのは決して悪い事じゃないと思う。うん、そうだよな。

「でも、本当は運が良かったから勝てたなんて思ってないんでしょ?」

「いやいや、運は大事ですよ」

 ま、大抵の相手なら、逆に多少運が悪くても勝てる自信はありますけどね…とは言わないでおこう。

「それにしても達也くん、初めて見た頃よりずっと逞しくなったよね」

 コーヒーを口にしながら、玲奈さんがそんな事を言う。

「え、初対面の頃の俺は逞しくなかったですか?」

「あの時も十分逞しかったけど、今はガッチリと筋肉がついて別人になったみたいよ」

「ま、これでも日本最強の男ですから」

 確かに俺の体はこの数年で一回り大きくなった。大学に入った頃の写真を今見返すと、こんなに線が細かったっけと思わずにいられない。その点、今の俺は良質な筋肉が全身にしっかりとついている。自分で言うのも何だけど、まあ、日本最強の男という称号に恥じない肉体と言っていいと思う。

「ねえ、一つくだらない事聞いていい?」

「何ですか?」

「体が大きくなるに比例して、下半身のアソコのサイズも変わった?」

「…ホントにくだらない質問ですね」

 玲奈さんと話していると、当たり前のように下ネタが飛び出してくる。

 まあ、こういうくだらない話もまた、いい息抜きになるんだけど。

「さすがにそっちのサイズは特に変わってないと思いますよ。筋肉じゃないですからね」

「というか、達也くんは元から特大のデカチンだからこれ以上大きくなる必要もないか」

「特大のデカチンとか言わないでください」

「あれ、自覚してなかった」

「…まあ、してますけど」

 特大のデカチンは言い過ぎかもしれないけど、かなりデカい方なのは承知の上だ。まあ、そっちのサイズの方も日本最強の男に相応しい…、て事にしとこうか。

 とはいえ、種付けにおいてはペニスの大きさ(特に長さ)は一定以上あった方が絶対に良いと思う。なるべく奥に…言い方を変えれば少しでも子宮に近い場所に射精した方が精子が元気な状態で卵子へ届きやすい事は間違いないんだから。

 余談として、種付けは正常位か後背位で行う事がほとんどだけど、モノがすんなりと奥まで届きやすいのは断然、後背位だ。そして体感的には、後背位での種付けの方が正常位でやった時よりも妊娠確率が高いような気がする。まあ、あくまで体感だけど…

「この前の精液検査も素晴らしい数値だったし、やっぱりサイズと精力は関係あると思うのよね」

「それ、玲奈さんずっと前から言ってますよね」

 精液検査は年に1~2回のペースで受けているけど、俺の数値は常に良好そのものだ。WHOが定める精子濃度の妊娠可能目安は1500万/ml、日本人男性の平均値は約5000万/mlらしいけど、俺の数値はこれまで1度たりとも2億/mlを下回った事がない。それどころか、最近では3億/mlを超える事だって珍しくない。

 まあ、日本一子だくさんな男の精子なんだから妊娠能力が極めて優秀なのは当たり前とはいえ、検査結果を確認する度に誇らしい気分になるのは確かだ。世間からは天才だ最強だカッコ良すぎると褒められる事が多い俺だけど、自分的には格闘技の実力や顔よりも、この精子力こそが最も自慢できる部分だと思っている。

「私としては早く達也くんの後継者を見つけたいと思ってるんだけど、君ほどの逸材はなかなか見つからないのよね」

「ははは。ま、俺を基準にしたらそりゃ厳しいですよ」

 ついついそんな事を言ってしまう。とはいえ実際、俺を基準にしては他の男があまりに可哀相だろう。何たって俺は日本最強の男にして、各種アンケートで抱かれたい男No.1の座を不動のものにしているスーパースターなんだから。

「未華子ちゃんがいなくなってからスカウト活動も滞っちゃってて…ゴメンね、達也くんに頼みっきりで」

「いえいえ。優秀な後輩が現れてくれるまで、俺が身を粉にして頑張りますよ」

 そう、安心して俺の後を託せるような後輩が早く出てきて欲しい…というか世の女性たちの事を考えれば早く出てこなければいけないのだ。俺のようにイケメンで、背も高くて、少なくとも頭か運動神経のどちらかが全国でもトップレベルに優れてて、なおかつ妊娠能力抜群の精子を持った男が。それこそ今の俺の地位を奪って、俺が抱えている女性たちを全て引き受けてくれるような優秀な男が。

 でも残念ながら、そんな男が現れてくれそうな気配は全く無い。だから世の女性たちに子宝を授けるのは、まだ暫くは俺の役目であり続けるだろう。

 大変だけど…まあ、仕方ないよな。何たって俺、日本最強の男なんだから。



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7-2 自ら切り拓いた王道を突き進む

 読者の皆様はここ数話の感じでお気付きかもしれないが…グランプリに優勝して以降、達也の意識は明らかな変化が見て取れた。

 端的に言えば、自分が日本最強の男なのだとハッキリ自覚にするようになった、と表現するべきなのかもしれないが…

 

 もっとぶっちゃけて言うと、ちょっと…というか、かなり調子に乗っていた。

 

 あるいは「達也に石を投げつけたい!」と思った読者もおられるかもしれない。ただ、達也が調子に乗ってしまうのも無理からぬ所だという事は分かってあげて頂きたい。何たって達也は、日本最強の男を決める大会で優勝したのだから。加えて道場破りに来た金田悠希を完膚なきまでにボコボコにしてしまったのだから。テレビカメラの前では相変わらず爽やかな笑顔を振りまくから世間からの好感度は依然として抜群だが、表には出さないだけで心の中ではかなり調子に乗っていた。あるスポーツ関連番組のインタビューでグランプリを振り返って「どの試合も紙一重の勝負で勝てたのは運が良かっただけです。自分はまだまだ弱い選手だと思っています」と得意の「幸運でした」発言を繰り出しておきながら、でも心の中では「いやいや俺が負ける訳ないじゃん。なんたって日本最強の男だぜ?ていうか今までほぼ全ての試合でダメージすら受けてないんだぜ?」みたいな気分だった。

 達也が調子に乗っているのは、例の大学生を相手にした公開スパーリングもにも表れていた。何とある日のスパーリングに、充希を極秘招待したのだ。達也と充希が突き合っている事は見物に訪れていたファンはもちろん、FAILYのスタッフも誰一人として知らない。そんな中で行われたスパーリングはまさに圧巻の一言だった。

 普段は軽くいなす程度のスパーリングに終始する事も多いのだが、女性ファンたちの中に充希が紛れていたこの日の達也は、まるで自分の強さを誇示するように大学生たちに容赦なく重いパンチを浴びせ次々とノックアウト。しかもダウンしてうずくまる大学生に「ガードが低いからそうなるんだぞ?」などと公開説教までする始末。それはもはやスパーリングと言うより、大学生と女性ファンを利用して自身の強さを充希にアピールするためのショーのようだった。

 まあ確固たる栄光を掴んだのだから少しぐらい調子に乗ってもいいのかもしれなし、大学生たちにとっては達也のパンチを浴びる事はむしろ貴重な経験であるとも言えるのだが…アスリートとしては間違いなく危険な兆候と言えた。

 

 

 そんな達也のX6年初戦は3月…という話もあったのだが、達也はこのREAL3月大会に出場しなかった。REALとしては達也の出場を強く望んだのだが、達也が「少し休みたい」と出場をパスしたのである。

 この不出場に関しても、やっぱり達也が調子に乗ってしまっていると見る向きはあるだろう。だが一方で、これまで達也がずっと試合に出ずっぱりだったのも事実である。何せ達也はREALに初参戦してから昨年大晦日までの約2年半で、REALのリングで13試合も行っているのだから。加えて、REAL以外でも2試合を行っている。年間2~3試合程度しかリングに上がらない選手も少なくない中、達也はほぼ2か月に1試合というハイペースでせっせと試合をこなし、しかも完璧な勝利を重ねてファンや関係者の期待に応え続けてきたのだ。それだけ頑張ったんだからグランプリを制した直後のタイミングぐらい休ませてくれと言われては、それを拒否する権利など誰にも無かった。

 ただ、達也が3月の試合をパスした真の理由は、実は休みが欲しいからという理由では決してなくて。

 お気付きの方も多いだろう。そう、種付けである。

 全国47都道府県全ての地域の女性に自らの子どもを産ませるという大目標を達成すべく、達也はこの2月と3月を「種付け強化月間」と勝手に定め、精力的に種付け活動に邁進する事にしたのだ。

 この2か月間の達也の頑張りっぷりは…それはもう凄まじかった。達也自身が資金を拠出して設立した基金の効果もあって種付けを望む女性は増加傾向にあったのだが、達也はそんな女性たちに片っ端から種を付けていった。これまでの種付けは週に2~3回程度のペースだったのだが、この時期はほとんど週7回…つまりは毎日違う女性に種付けしていたというのだから驚きを通り越して呆れるしかない。一昨日は20代後半の長身女性、昨日は40代の小太りの女性、そして今日は30代の巨乳女性…というように毎夜違う女性の子宮へと注がれる数十億の達也の分身たち。無敵の達也軍団(達也の精子たち)は父親に勝るとも劣らない力強さで子宮内を進撃してはその奥底に眠る卵子を次々と確保し、強く逞しい遺伝子を胎内に植え付けていったのだった。

 

 

 と、まるでグランプリ優勝のご褒美とばかりに種付け生活を満喫した達也だったが、年度が変わった4月からは生活スタイルをきっぱりと元に戻し、格闘家としてのスイッチを入れ直した(この辺りはさすがである)。日本最強の男として迎える初戦は5月に控えていた。

 達也のX6年初戦の舞台はもちろんREAL、相手は白馬龍(はくばりゅう)という元横綱力士だった。

 モンゴル出身の白馬龍は、力士時代は幕内優勝回数26回を誇る大横綱だった。だが土俵の内外において品格に欠ける面があり、抜群の力量とは裏腹に周囲からの評価は決して芳しくなかったのもまた事実だった。そんな白馬龍は昨年秋、後輩力士へ「かわいがり」と称して日常的に暴行を働いていた事実が発覚し、その責任を取る形で関取の廃業を余儀なくされた。白馬龍は日本国籍を取得していた為におめおめとモンゴルへ帰る事もできず、プロレスラーへの転向を考えていた矢先にREALからのオファーが舞い込み、今回の試合が決定した。

 相手が白馬龍という知名度抜群の元横綱だと聞かされた達也の心境は…特に何とも思わなかった。強いて言うなら異種格闘技戦のような形になるのは好きじゃないからあまり気が乗らないな…ぐらいのもので、でも王者としてあらゆる選手の挑戦を受けなければならない立場なのだからまあ仕方ないか、としか思わなかった。だから達也は、試合のルールを打診された際にも、キックボクシングでも総合格闘技でもどちらでも構わないと返答した。立ち技でも寝技でも返り討ちにしてみせますよというのである。これぞ王者の風格漂う態度とも言えるが、逆に王者としてのプライドにどっぷりと浸り過ぎて対戦相手や試合への敬意に欠けているとも言えた。つまりは、やっぱり調子に乗っているのである。

 結局、ルールは白馬龍の希望によりキックボクシングルールに決まった。立ち技は体格差による優劣がモロに表れる。192cm、160kgという恵まれた体格を誇り、寝技や関節技の経験がない白馬龍が総合格闘技ルールを避けたのは当然の判断と言えた。

 ただ、この試合が昨年に行われていれば、白馬龍はおそらく総合格闘技ルールを選んだだろう。昨年の大晦日で達也が金田をテイクダウンしてアームロックを極めた一戦は、達也がもはや総合格闘家としても一流の実力を備えているのだと証明するに十分な内容だったのだ。達也は今や日本最強のキックボクサーであると同時に日本最強の総合格闘家であると認められているのは紛れもない事実だった。

 白馬龍は横綱時代の汚名を晴らすべく、必死に打撃練習に取り組んだ。一方の達也はこれまで通りの(つまりは周囲の選手がついて来られないレベルのハードな)トレーニングをこなしつつ、週2~3回程度のペースで種付けも休まず継続するというもはや定番となった王者の調整を経て本番を迎えた。

 

 

 迎えた試合当日、元大横綱がリングに上がるとあって盛り上がりは物凄く、試合の注目度は大晦日に勝るとも劣らなかった。

 ファンは皆、達也を応援していた。相撲ファンまでも、白馬龍ではなく達也を応援する声の方が圧倒的に多かった。白馬龍はここ20~30年で最強の横綱とも言われていたが、品格面の問題から決して人気は高くなかった。モンゴル出身で日本人力士が束になっても適わないという所も、ファンが少ない要因だった。達也vs世間の嫌われ者という点では、かつてのパク・チャンミン戦や金田悠希戦と同じ構図と言えた。まあ、達也が2月から3月にかけて毎日違う女性に種付けしていたという事実を世間が知れば、応援の対象はひっくり返ったかもしれないが…

 しかし、真実はいつも一つ。モラルや倫理観に欠ける有名人やアスリートが多い中、達也だけはスキャンダルとは全くの無縁、達也こそ皆が待ち望んだ完全無欠のスーパーヒーロー、それこそがファンにとっての真実なのだ。

 そして達也はこの試合でも、ヒーローとしてのあるべき姿を見せ付けた。

 開始早々に思い切って距離を詰める白馬龍。この日のために10kgの増量を敢行して170kgとなっていた巨体が突進する様は強烈でさしもの達也でも押し返す事はできなかったが、すかさずクリンチに逃げて攻撃の間合いを与えない。白馬龍も距離は詰めるもののそこからの攻撃に乏しく、ただ単に密着するだけのような単調な攻撃が何度か続いた。そうこうする内に白馬龍のスタミナは早くも切れ始め、突進力も鈍り出す。こうなると今度は達也の攻撃ターンだ。適度な距離から左右のパンチを顔面へと見舞うと、その素早さに白馬龍は全くついていけない。

 そもそも白馬龍はキックボクシングの経験も技術も素人レベルの域を出ておらず、ガードも極端に甘かった。達也が繰り出すパンチはそのほとんどが的確に顔面を捉え、白馬龍の体力を確実に削る。そして最後は、白馬龍のガードが完全に下がった所に必殺の右ハイキックが顔面を捉え、白馬龍はリングの中央で大の字になって失神した。テレビ画面では192cm、170kgの巨体が大の字になって失神しているのを真上から捉えた衝撃的な映像がしばらく映し出されていた。

 完勝を飾った達也はもちろん満足だった。つい半年前まで史上最強の大横綱と言われた白馬龍を狙い通りにハイキックでKOできて、日本最強の男に相応しい試合ができたという自負もあった。

 ただし勝利者インタビューでは、達也は極力、白馬龍や相撲そのものの名誉を傷付けないようにと注意しながら発言した。「白馬龍さんの圧力は凄かったです」「白馬龍さんは試合までの期間が短すぎて大変だったと思います」「キックボクシングルールは自分に有利でした」「ルールや試合の時期が違えば試合の結果は全く違うものになったと思います」そしてお得意の「今日の試合に勝てたのは運が良かったと思います」…と。

 ただ、言うまでもなく全く本心ではなかった。まあ、発言のうち本心は良くて3割、残りの7割は…いや、ここで書くのはやめておこう。



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7-3 急転直下

 白馬龍との一戦からおよそ2週間後、達也の右足に5億円の保険がかけられたという記事がスポーツ各紙に掲載された。

 要は達也が大手保険会社とスポンサー契約を交わしたという事である。なので別に達也が保険料を支払う訳ではないし、5億という金額にしても数字のインパクトを考慮して適当に決められただけのものに過ぎない。

 ただ、もし達也の右足の価値をお金に換算したならば、5億円程度では全く釣り合わないだろう。現にこれまで達也が右足で相手をノックアウトして得たファイトマネーの総額は、5億円など軽く超えているのだから。そして言うまでもなく、これからも達也はその右足で相手を次々とマットに沈めていく可能性は極めて高いのだから。そういう意味では、達也の『黄金の右足』に対して5億円という保険金はむしろ全くの過小評価と言うべきかもしれなかった。

 まあ、とはいえこの程度のニュースはもはや大した話題にもならない。達也が大手企業と新たなスポンサー契約を交わした、達也にはまた少なからぬ契約金が舞い込んできて、その一部は自身の種付けのための基金に拠出され、達也の子どもがさらに何人か増えるための手助けとなる、ただそれだけの事だ。

 しかし、好事魔多し。禍福は糾える縄の如しとはよく言ったもので。

 その数日後にある週刊誌が掲載した記事が、達也の今後に大きな影響を及ぼす事になる。

 

「小野達也&高橋ひかりが熱愛!?交際スタートは昨年末から!?」

 

 高橋ひかりといえば現在人気No.1の超売れっ子若手女優だが、記事によると達也とひかりは一昨年の冬に新語・流行語大賞を同時受賞した事をきっかけに知り合い、その後バラエティ番組やCMなどでの共演を経て意気投合、昨年の終わり頃から男女の交際に発展したようだ…というような事がかかれていた。

 また、記事にはひかりに近い関係者の話も掲載されていて。

「流行語大賞の授賞式で知り合ってからはしばらく友人関係だった2人ですが、昨年末頃から正式に交際がスタートしたと聞いてます。ひかりちゃんはひたむきに格闘技に取り組む小野選手を尊敬していて、小野選手もひかりちゃんと友人として接する内に、その飾らない人柄に好意を寄せるようになったみたいです。しかもこの2人、歳が同じで誕生日はたった1日しか違わないんですよ(注:小野が7月30日で高橋が7月31日)。まさに運命的なお似合いカップルだと思いますね」

 さらに記事には、熱愛の裏付けとなる写真も掲載されていた。ただしそれはツーショットの写真ではなく、某高級料理店に達也とひかりが同じ日にそれぞれ単独で入店していく写真で、入店のタイミングをずらして店内で合流し、2人きりの会食を楽しんだという事が示唆されるものだった。

 2人が付き合っているという決定的な証拠は無かったが、少なくともかつて他の週刊誌が掲載した達也とサトパン(フジテレビ女子アナウンサー)の熱愛疑惑よりもずっと信憑性は高いように感じられる記事だった。この記事を受けてネットではひかりの過去の言動が洗い出され、バラエティ番組で「格闘技が好き」と言っていた事や、別の番組で好きな男性のタイプを問われた際に「強くて守ってくれる男性」と答えていた事、さらには流行語大賞の授賞式で冗談半分ではあるが「達也と付き合ってもいい」というようなニュアンスの発言をしていた事も掘り起こされた。

 ただ、世間のざわつきをよそに、当の2人は記事に関して完全スルーの姿勢を見せた。ひかりは週刊誌が発売された2日後に某アパレルブランドのイベントに出席したのだが、そこでの会見では週刊誌報道に関する質問を一切禁止する徹底ぶりだった。達也に関してはそもそもタレントではなく、SNSも一切やっていないのでプライベートな内容の記事に大していちいちコメントを出さないのはある意味当然だ。世界で唯一達也に取材する権利を有する人物(充希)に対しても「全くの事実無根、高橋ひかりさんとは確かにCMの共演とかを通じた知り合いではあるけど、特別な関係である訳がない」と電話で釈明し、充希も何とか納得してくれてとりあえずは一件落着。あとは世間の人々が噂を忘れ去るのを待つだけ…と安心しかけた達也だったが。

 ところが、物事は達也の期待した通りには進まなかった。

 なぜなら今回の記事は、昨今の週刊誌が得意としている2週連続スクープの第1弾に過ぎなかったのだ。

 

「小野達也&高橋ひかり熱愛スクープ第2弾!超高級タワマンで真夜中までラブラブ密会!」

 

 それが2週目の記事のタイトルである。第2弾の記事に掲載されていたのは、都内の某マンションに別々のタイミングで入っていく達也とひかりの姿が映った写真だった。記事によると2人が入っていったのは達也が部屋を借りている超高級タワーマンションで、ひかりが乗り込んだエレベーターは達也が部屋を借りているとされる高層階のフロアで止まった…ひかりがマンションに入ったのは午後8時過ぎ、マンションを出たのは日付けが変わった午前0時過ぎだから、4時間もの間2人は同じ部屋でラブラブな時間を共にした…というような事が書かれていた。

 第1弾の記事に続き、今回もツーショットの写真は無かった。だが決定的証拠こそ無かったものの、状況証拠としては2人の交際を裏付けるかなり有力な写真と言えた。前回のように飲食店への出入りなら偶然2人が同じ日に同じ店へ訪れただけという可能性も十分有り得るが、ひかりが達也の部屋があるマンションに単独に入っていく理由など、普通に考えて一つしか無いのだから。

 各局ワイドショーもこの2週連続スクープをこぞって取り上げた。あっという間に世間の認識は「達也とひかりはデキてる」という空気になってしまい、ネット上には「達也ロス」「ひかりロス」といったワードが溢れ返った。「達也様が高橋ひかりと付き合ってると考えただけで涙が止まらなくて死にたい」という反応を女性ファンが見せれば、逆に男性ファンは「ひかりちゃんが小野達也のデカチンでメロメロにされてるなんてマジで死にたい」と嘆く始末。ここまで来るとさすがに達也もひかりも事態を無視する事はできなくなり、達也はFAILYを通じて、ひかりは所属事務所を通じてそれぞれコメントを発表した。

 だが、達也のコメントが「一部報道にあったように、高橋ひかりさんと交際しているという事実はございません」というようなシンプルなものだったのに対し、ひかりの所属事務所から発表されたコメントが「高橋のプライベートは本人に任せておりますが、小野選手とはあくまで仲の良い友人であり、交際の事実はありません」という文言だった事が、記事にさらなる真実味を与える事になってしまった。

 …仲の良い友達?異性の部屋に一人で遊びに行くような?

 それってやっぱり、普通にデキてるって事じゃん!と。

 そして一旦は達也の説明に納得した充希も、第2弾の記事を受けてはさすがに心中穏やかでいられる筈もなく。

 本人の口から真相を確かめるべく、達也を大阪から東京へと呼びつけた。



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7-4 充希、怒る…!!

「で、これ、どういう事?」

 達也とひかりが約4時間のラブラブ密会を楽しんでいたとされる部屋。達也の目の前には、2冊の週刊誌が置かれていた。

「ま、まあ充希、とりあえず落ち着こうぜ」

「いいから早く説明して」

 達也の言葉を無視して充希は説明を求める。どう見てもめちゃくちゃ怒っていた。

 そんな充希の様子には、さしもの達也も「ここで嘘をついたらマジでヤバい」という事を悟らずにはいられなかった。まあ、大阪から東京まで問答無用で呼びつけられている時点で、誰がどう見たって修羅場なのは言うまでもないのだが。

 だから達也は、観念して告げる。週刊誌に書いてある事は、全てではないけど事実もあると。ひかりと2人でご飯を食べた事や、ひかりとこの部屋で約4時間を過ごした事は…紛れもない事実だと。

「ホンっトに悪かった…反省してる。でも誤解の無いようこれだけは言わせて欲しいんだけど、決して浮気とかそういうのじゃないんだ。高橋さんはテレビの世界では俺の先輩で、CMの時とかも演技のアドバイスとか沢山もらって凄くお世話になったから、一緒にお食事どうですかって言われると断れなくて…」

「ふーん。断れなくて、ですか?」

 全く納得していない表情の充希。とはいえ2人での食事までなら、まだギリギリ許せなくもなかった。確かに達也は芸能界という世界においてはひかりの後輩という立場である事は事実なのだ。だから先輩から食事に誘われたら1回ぐらいなら…まあ、まだ許さなきゃいけないのかもしれないと思わなくもなかった。物凄く腹は立つけど。

 しかし、充希にとっての限度は2人きりでの食事までであって。

「じゃあ、高橋さんをこの部屋に連れ込んだ事はどう説明するの?」

 続いて、充希にとって完全にアウトであるお持ち帰りの件を問い質す。

「つ、連れ込んだなんて誤解だって。その、高橋さんと話してる内に、どんな所に住んでるかって話になって、俺が結構眺めがいい部屋借りてるってつい言ってしまったら、高橋さんが1回でいいからその眺めを見てみたいってめちゃくちゃゴネてきて…」

「ゴネてきてって、何相手のせいにしようとしてるのよ?」

「ホ、ホントなんだよマジで。俺から連れ込んだんじゃなくて無理やり押しかけられたというか…本当に…」

「もしそれが本当だとしても、そんなの断るのが当たり前なんじゃないの?」

「それは…まあ本当に充希の言う通りなんだけど…でも、俺だってこの記事には言いたい事あるんだぜ。高級タワマンだとかラブラブ密会だとか、あたかも俺のイメージを貶めるような…」

「被害者ヅラするな!」

「は…はいっ…!」

 それまではまだ冷静だった充希が一転して怒声を飛ばし、部屋には一気に緊張した空気が張り詰める。

「だいいち、さっきから何よ「高橋さん」って。いかにもよそよそしい感じを出して、ホントはそんな呼び方してないんでしょっ!」

「いや、それは…今は第三者だから」

「普段は何て呼び合ってるの?正直に言いなさいよっ」

「ま、まあ…えっと…その、一応、名前で…ひかりちゃん、達也くん、と…」

「………」

 ギロリと充希が達也を睨みつける。そしてそのまま、しばしの静寂。

 充希のターンの筈なのに、何の言葉も返って来ないままで…

「ご、誤解だよ誤解。別にひか…高橋さんだけじゃなくて、テレビで共演した人はみんな結構そういう感じで呼んでるというか…本当、本当なんだよっ」

 しゅんと小さくなる達也。

 すると充希は、なおも鋭い視線を達也にぶつけたまま。

「何白々しい事言ってんのよ!だいたい、最近の達也は調子乗り過ぎなのよ!ちょっと強くてモテるからって、いい気になるんじゃないわよっ!」

「い、いや、決してそんなつもりは…」

「この前のスパーリングだって、何よアレ?あんなくだらないもの見せるためにワザワザ私を呼びつけたのっ?」

「く、くだらないなんて事は…あれもれっきとしたトレーニングで…」

「何がトレーニングよっ!達也が強い事ぐらい、もうみんな知ってるわよっ!それを何?女の子たちの前で自分の強さを見せびらかすみたいに大学生の子たちをボコボコにして、チャンピオンがそんな事して楽しいのっ?」

「いや…あれは…胸を貸してあげたつもりなんだけど…」

「胸を貸すとか言うんなら、一方的にボコボコにするんじゃなくてもっとちゃんと教えてあげなさいよっ!ちょっと自分が強いからって、大勢の女の子の前であんな若い子たちをいじめて、本当、バッカじゃないのっ?」

「い、いや…いじめたつもりは…」

「私、達也があんな最低な事する奴だとは知らなかった。自分の強さをあんな風には使わない人間だと思ってたのに…弱い者いじめするようなくだらない男だったなんて思わなかったっ!見損なったよっ!」

「………」

 馬鹿じゃないの…最低…くだらない男…見損なった…それらの言葉がグサリグサリと達也の心に突き刺さる。

 あれがスパーリングなどではなく、実態は確かに弱い者いじめだったという事は、達也自身がよく分かっているから。

 だから、声を震わせながら。

「ゴメン…充希の言う通りだよ…俺が間違ってた…もうあんな事は絶対にしない。公開スパーリングはもうやめる」

 達也がぽつりという。本当にショックだったのだろう、その声は弱々しい。

 そんな姿に充希は、怒りと呆れが入り混じったような顔を向けて。

「それで、前に電話で話した時は、記事は事実無根だって言ったよね。あれは真っ赤な嘘だったんだ?」

「い、いや…それは嘘というか…その、熱愛っていう事に対して事実無根だって言いたかったんだよ。だって実際、本当にそういうのは全く無いから。高橋さんとはただの知り合いで、それ以上でもそれ以下でもなくて、部屋に来たのも本当にあの1回だけだから…」

「でも、事実無根ではなかったよね?」

「そ、それは…まあ、充希がそう捉えるのなら…」

 誤解を招くような言い方で本当に申し訳なかったと、達也が深く頭を下げる。日本最強の男とは思えない、何とも惨めな格好である。

「それで、その1回のお持ち帰りはどうだったの?ひかりちゃんの体は気持ち良かった?」

「へ、変な事言わないでくれよっ…!本っ当に何も無かったから。テレビ見ながらちょっと話したぐらいだからっ…いやマジで、本当に、そういう事は絶対してないからっ…!」

「4時間も2人っきりで?」

「み、充希だってゲームだけして帰ったりもするじゃんっ…!そ、それにほら、もしそういう事してたら朝帰りになるのが普通だろっ…?」

 一線は超えていない事を頑なに主張し続ける達也。その表情と口調は怪しくもあり、でも必死に真実を話しているようでもあり…

 結局どっちなのか分からないから、充希は達也の本心を確認するようにじっとその目を見つめて。

 そして…

「達也」

「は、はいっ…?」

 最後通牒を突き付けるように、確かめる。

「今日達也が言った事、一つの嘘も無いよね?」

「も、もちろん。神に誓って言う。この期に及んで嘘なんかつく訳ないって…」

 でも、そんな陳腐な言葉では到底信じられないから。

「達也、もし訂正しておきたい事とかまだ隠してる事があるのなら、今正直に言って」

「い、いや、あの…」

「今だけだよ。もし隠し事とか嘘があったとしても、今正直に言ってくれたら許してあげる。でも…」

 ほんの少しだけ、間を置いて。

「もし今後、今日の達也の言葉に嘘があったりまだ隠し事があったって分かったら…私、一生達也を許せない」

「えっ…」

 その、究極とも言えるような問いに、達也の体がピクンと硬直して。

 静寂が、2人を包んで。

 達也の、言葉は。

「そ、その…記事になってない所でも…1回だけ、高橋さんと2人でカラオケに…はい」

 か細い声で白状する達也を、また充希が無言で睨みつける。

「い、いやでもカラオケに行っただけで、それ以上変な事は何もしてなくて…て、ていうか、今言ったら許してくれるんじゃ…なかったっでしたっけ…?」

「本当にそれだけ?もう他には無い」

「な、無いっ…無い無い…もう何も無い…本当に…」

「今だけだよ。よく思い出して。後で訂正しても、もう絶対許さないからね」

「お、思い出すも何も…」

 と言いながらも達也は、何か無かったかと記憶を辿って…

「いや…無い。本当に無い。他に高橋さんと2人で会った事は無いし、今日言った事にも嘘は無い。だから…信じて欲しい」

 その言葉に、また少しだけ静寂が訪れてから。

「そう……分かった」

 それ以上、充希は何も聞こうとはしなかった。



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7-5 反省してます

 充希にこってりと絞られて。

 達也は、一人でめちゃくちゃ反省していた。それこそ、どこかの神社の猿のように反省しまくっていた。

 そもそも達也とひかりが仲良くなったきっかけは、数か月前にゲスト出演した某スポーツ系バラエティ番組の打ち上げの席だった。それまでは番組の打ち上げなど一切参加してこなかった達也だが、その番組は収録が年明け間もない頃で達也がREAL無差別級グランプリを制した直後だった事もあり、ぜひグランプリ優勝をお祝いさせて欲しいと番組スタッフが強引に誘うものだから断り切れずに渋々参加するとそこには番組にレギュラー出演していたひかりの姿もあって、スタッフが機転を聞かせて達也はひかりの隣に座る事になって、人気No.1若手女優を隣にして達也も最初は緊張していたけどひかりのフレンドリーな雰囲気に少しずつ打ち解けて、しまいには普段ほとんど飲まないお酒も入ってしまってさらに話は弾んで…気が付けばいつの間にか今度一緒に食事に行こうかみたいな話になってて…とまあ、ざっくり言うとそんな感じである。

 ただ、達也に情状の余地があるとするならば、彼は決してひかりと付き合いたいとか浮気したいとか考えてた訳ではなかった…という事は言っておいてあげたい。ハッキリ言って、ひかりと仲良くする事に対して特に深く考えていなかったのだ。普通の女友達ぐらいの感覚で、「まあ俺ぐらいのスターになれば、ひかりちゃんレベルの有名人と友達になるのは当然っちゃ当然だよなぁへへへ」程度の感覚だった。ひかりのような有名人からアプローチされる自分、というものに酔っていた。要は、やっぱり調子に乗っていたのである。

 ただ、達也は軽い気持ちでも、充希から見れば達也の行為はとても許せるものではなくて…

 

………………………………………

 

     ―達也―

 

「――最近の達也は調子に乗り過ぎ」

 

 充希の言葉がまた脳内に再生される。強烈な言葉が。

 でも…100%充希の言う通りだった。

 グランプリを制覇して以降、自分が調子に乗ってしまっている事は自分自身何となく気付いていた。

 なのに俺は、それに気付いてないふりをしていた。それどころか「俺は王者なんだからむしろ王者らしく振舞うべきだろ、変に謙遜してもかえって感じ悪かったりするしなぁ」なんて勝手に思い込む事で、調子に乗っている自分自身を正当化しようとさえしていた。

 だけど、充希に一喝されてようやく目が覚めた。最近の自分はあまりに調子に乗り過ぎてしまっている…それは王者の風格でもなんでもなく、ただみっともない姿を晒していただけだ…と。

 さらに、充希の重たい言葉が脳内に何度も何度もこだまする。

 

「――馬鹿じゃないの?」「――最低」「――くだらない男」「――見損なった」

 

 その一言一言が、グサリグサリと心に刺さる。どんなパワーファイターのパンチよりも重く、深く。

 でも、自分自身を思い返せば思い返すほど、本当に充希の言う通りだった。女の子たちの前で力の劣る大学生たちをボコボコにしていい気になっている自分…冷静になった今思い返すと、その姿は反吐が出そうになるぐらい醜く感じられた。いや、実際に醜かった。

 大悪役として名を馳せた金田悠希ですら、自分よりはずっとマシだと思えた。なぜなら金田は、少なくとも自分自身の主義や行為を本心から肯定していたから。自らを悪役と認めて悪を演じていたから。その点自分は、大学生たちに稽古をつけてあげるなどと言ってあたかも善人ぶりながら、実際にはこれ以上なく醜い行為に走っていたのだから…

 

 本当に恥ずかしかった。きっとFAILYの仲間たちも、調子に乗った俺の事を白い目で見てたんだろうな…そう思うと顔も上げられなくなるぐらいに恥ずかしかった。

 でも、反省と後悔と恥ずかしさで一杯だけど。

 同時に、自分の醜さに気付く事ができた嬉しさも、確かにあった。

 もっと言えば、俺の醜さを気付かせてくれた充希には、心から感謝するしかなかった。

 やっぱり俺の事を叱ってくれるのは充希だけ…そんな事はもうとっくの昔に分かっていたけど、でも今回、また改めてそれを実感させられた。やっぱり俺には充希しかいない…充希が傍にいてくれないと、俺はあっという間に醜い男になってしまうんだと。

 今回の件で充希からの信頼はガタ落ちだろう。でも仕方ない、俺はそれだけの事をしてしまったんだから。

 だからこそ、失われた信頼を取り戻すためには、口先だけじゃなく行動と結果で示すしかない。幸いにも試合は近い。次の試合もまた、REALのリングでメインの舞台に立つ事が決まっている。

 必死にトレーニングに励んで、俺が心を入れ替えたと感じてもらえるような試合をしよう…充希が俺の事を見直してくれるような試合を…

 それが、今の俺にできる唯一の事だから…

 

………………………………………

 

     ―充希― 

 達也の大ファンを公言して止まない美桜は、達也の熱愛疑惑が報じられてからというもの、分かりやすく元気を無くした…なんて事は全くなかった。

「私はT大王の鈴木ひかりちゃんを推してたから『ひかり違い』だったけど、高橋ひかりも悪くないんじゃないかな。明るくていい子だし、何たって間違いなく一番旬の若手女優だからね」

 特に悲しそうな様子も見せずに美桜は言う。世間では「達也ロス」なんて言葉も飛び交っているぐらいだけど、どうやら美桜にとって達也は恋愛対象ではなく崇拝の対象らしい。

 だから「達也に彼女がいた事自体は悲しくないの?」と聞いてみても。

「そりゃあ全く悲しさが無い訳じゃないけどさ、でも達也くんは別にアイドルじゃないんだから恋愛は自由だし、何よりあんなにカッコいい男に彼女がいない訳ないって事ぐらい分かってるよ」

 そう言うのを聞いて、一瞬ドキッとしてしまう。

 達也の彼女は高橋ひかりじゃなく、私の筈だから。きっと…いや、間違いなく。

「じゃあ、やっぱり高橋ひかりとは付き合ってると思う?」

 今度はそう聞いてみると。

「うーん、別に負け惜しみをいう訳じゃないんだけど、実は付き合ってないような気もするんだよね」

「どうして?」

「女の勘って言ったら願望みたいになっちゃうんだけど、2人の言葉とか聞いてると、どうも違うような気もするんだよね。もし本当にくっついてるなら、あそこまで書かれて否定する意味も無いと思うし」

「でも、お持ち帰りもしたっていう話だよ?」

「だから高橋ひかりが言ってたみたいに、仲の良い友達止まりってのが意外と本当の所だったりするんじゃないかなって思うんだよね」

 と、美桜が言うのを聞いて、少しだけホッとしてしまう私がいる。

 本当に仲の良い友達止まりであって欲しい…そう思うから。

 もしあの時、達也に嘘をつかれてたとしたら、私…きっと耐えられないから。

「まあでも、どっちにしても時間の問題じゃないかな。遅かれ早かれ、達也くんと高橋ひかりはくっつくんじゃない?」

「…どうしてそう思うの?」

「どうしても何も、既に付き合ってる可能性だって十分にあるし」

「……」

 何も言えない。

 私はただ、達也が嘘をついていない事を信じるしかできない。

「何にしても、達也くんは素晴らしい女性を見つけて幸せになって欲しいよね」

「う、うん…」

 その言葉に、どう返していいか分からなかった。

 私よりも美桜の方が、達也への愛が強いように思えてしまったから。

 私は、達也が私より素晴らしい女性を見つけて幸せになって欲しいなんて思えなかったから。

 でも、私よりも高橋ひかりの方がきっと…いや、間違いなく素晴らしい女性だから…



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7-6 心を入れ替えて臨む一戦

 8月16日(日)

 REALにとって、毎年8月に開催される大会は大晦日に次ぐ規模のイベントである。格闘技界の真夏の祭典には、今年も豪華な顔ぶれが揃った。

 ただしその中に、昨年行われたREAL無差別級グランプリ準優勝者である金田悠希の名前は無かった。年初に敢行した道場破りで達也に惨敗した代償は大きく、特に精神的なダメージが甚大で半年以上が経過した今もまだトレーニングにすら復帰できていないような状態だった。日本格闘技界の先頭を走り続けた金田悠希がREALの8月大会に出場しないのは実に6年ぶりの事であり、時代の移り変わりを象徴していると言えた。ちなみに金田悠希は、この後まもなく復帰を断念し格闘家人生を終える事となる。

 しかし、かつての看板選手を失ったREALだが正直言ってこれっぽっちも痛くなかった。人気選手とはいえ所詮は悪役でしかなかった金田悠希に代わって、今や完全無欠のスーパースターがリングを支えてくれているのだから。

 新時代の絶対王者、小野達也。もちろんこの日もメインイベンターとして登場である。

 今宵のルールは総合格闘技、そして対戦相手はゲーリー・トンプソンという黒人選手だった。『怪力王』の異名を持ち、剛腕をぶんぶん振り回すアグレッシブなファイトスタイルが特徴の選手だ。実績的には中の上といった所でトップ中のトップ選手とは言えないが、攻撃一辺倒で一発を持っている選手でもあり、事実これまでその剛腕でトップファイターを一撃KOしてしまった事も何度かある。やるかやられるかの戦いっぷりでファンからの人気も高く、達也としても決して侮れない相手だった。また、達也が総合格闘技ルールで外国人選手と戦うのは実はこの試合が初めてであり、そういった点に関しても注目を集めた。

 そんな強敵との試合に臨むにあたって達也は…これ以上なく集中していた。絶対に勝つ…それもKOで勝つ…自分が心を入れ替えて必死に頑張ってきた姿を周囲のみんなに…特に充希に見てもらうんだ、と。実際に達也は、充希の説教を頂戴してからは心を入れ替え、例の公開スパーリングも中止してストイックにトレーニングに打ち込んできた。言うまでもなくひかりからの誘いも全て断り、種付けの回数も極力減らした。この試合そのものにはタイトルがかかっている訳でもないのだが、勝ちたいという気持ちはかつてのパク戦や金田戦に勝るとも劣らなかった。

 加えて達也は、この試合に関しては勝ち方にも徹底的にこだわりたいと決めていた。

 トンプソンは立ち技での打撃を得意とする選手だ。だが逆に、グラウンドでの寝技にはあまり自信を持たない選手でもあった。それはトンプソンの実績からも明らかで、REALのリングで何度も勝利を飾っているトンプソンだが、その中に寝技でタップを奪っての勝利は一つもなく、勝ちパターンは全て打撃でのKOか打撃で押し込んでの判定勝ちである。また、負ける時は決まってグラウンドに引きずり込まれての寝技決着だった。

 だから達也としては、確実に勝ちを拾いに行くのであれば立ち技での攻防を避けて寝技に持ち込むのが最も有効な戦法であると言えた。今や達也の寝技技術はトップ選手に勝るとも劣らない。なのでグラウンドの攻防に持ち込みさえすれば、達也が圧倒的に有利だ。

 だが、達也の考えは全く逆で。

 安全に勝とうなんて思わない。トンプソンが打撃自慢か知らないが、俺だって本来は立ち技の選手。相手の得意ジャンルを正々堂々と迎え撃って、完膚なきまでに返り討ちにしてやるぜ…!そんな決意を胸に、達也はこの試合に臨んでいたのだ。

 

 そして、試合開始のゴングが鳴る。

 

 独特のステップでトンプソンが体を前後させる。達也は慎重に距離を保ちつつ、長い足を利したローキックを放つ。まずはお互いに様子を見るような、そんな静かな展開から試合は始まった。

 と、その時だった。

「っ……!?」

 トンプソンの深く鋭い踏み込みと共に、豪快な右フックが達也を襲った。ブン!という空気を切り裂く音と共に飛んできたその拳を、達也はとっさにスウェー(上半身だけを後ろに引く動作)でかわす。

 だが完全にはかわしきれず、右フックが達也の左頬をかすめた。その瞬間、頬の皮膚がピッと切れる。

 油断していた訳ではないが、正直言って想像できていなかった右フックだった。というのも、達也はトンプソンとの距離を十分に取っており、とてもパンチが届くような間合いではなかった筈なのだ。想像の外から飛んできた右フックだった、と表現すれば良いだろうか。

 恐るべきスピードと、空気を切り裂く音が聞こえるようなパンチの威力に、達也は思わず小さく息をつく。ほんの僅か顔を引くのが遅ければ、その瞬間に意識を失っていてもおかしくなかった…本気でそう思った。同時に、白馬龍と戦った時の自分ならモロに食らってKO負けしてたかもしれないな…とも。

 でも、この日の達也は違う。今日の達也は、極限まで集中力を高めた最強の達也なのだ。

 トンプソンが2発、3発とパンチを繰り出す。さすが何人ものトップ選手を葬ってきた実績は伊達ではない、即KOに繋がりかねない豪快なパンチが次々と繰り出される。

 だが達也には、全て見えていた。もっと正確に言うなら、最初の1発でトンプソンが繰り出す打撃のスピードや軌道を、もう完全に見切ってしまっていた。なので頬をかすめたのは最初の1発目だけ、2発目以降はその全てが虚しく空を切り続ける。

 トンプソンがその太い腕をどれだけ振り回しても、達也には全く当たらない。当たる気配すらない。豪快な空振りを続けるトンプソンと、それを華麗にかわし続ける達也。リング上で繰り広げられるあまりにもエキサイティングな光景に、客席から自ずと大歓声が巻き起こる。

 しかし達也には、大歓声は全く聞こえていなかった。かわりに、物凄いスピードを誇る筈のトンプソンの拳が、徐々にスローな動きへと変わっていくような感覚を覚え始めていた。極度に集中力が高まった状態を『ゾーンに入った』と形容する事がある。達也はこの時、まさにゾーンに入っていた。元より高まっていた集中力が、一発当たれば即終了というトンプソンの恐るべきパンチの連打によってさらに研ぎ澄まされた結果、究極の集中状態を作り上げていたのだ。

 達也から見えるトンプソンの動きは、もう完全にスローモーションだった。当たる気がしない。トンプソンのパンチが作り出す空気の流れる音が聞こえ、それに乗るようにしてトンプソンの呼吸の音まで聞こえるような感覚。

 そして、その呼吸のリズムを掴んで、トンプソンが息を吸った瞬間を計って――!

 

 ―――ゴンッッッッッ!!!!!

 

 達也の右フックが、トンプソンの顎を捉えた。狙いから前後上下左右1ミリのズレもない、完璧すぎる一撃。

 その直後、トンプソンの全身から力が抜け、瞳はぐるりと上を向いた。

 そして、ドサリとその場に崩れ落ちる。

 鮮やかな失神KO劇だった。しかもトンプソンを失神へと導いた一撃は達也がその日初めて繰り出したパンチだった。

 本当の意味での一撃KO。あまりにも衝撃的なフィニッシュだった。

 

………………………………………

 

 試合の直後には、いつも達也のスマホには知り合いから大量の祝福メールが届く。もちろんこの日もそうだった。

 だが控室に戻ってスマホを手にした達也は、そんな大量の祝福メールはとりあえずスルーして、真っ先にある人物へとメールを送った。

 その相手はもはや言うまでもないだろう。愛する彼女である。

 

「見てくれた?今日勝てたのは充希のおかげだよ。

 いつも応援してくれてホントにありがとうな!」

 

 試合後に達也が充希へメールを送るのは、実はこの日が初めてだった。普段はこういうメールは恥ずかしくて送れなかったのだけど、この日ばかりは充希の反応を確かめたかったのである。

 いや、反応を確かめたかったのではなく、純粋に感謝の気持ちを充希に伝えたかったと言うべきかもしれない。あの時叱ってくれてありがとう…おかげで俺、心を入れ替えて頑張る事ができたよ…とはさすがに言えなかったけど。

 すると少しして、充希からの返信が。

 

「カッコ良かったよ。おめでとう!」

 

 充希らしいシンプルなメールだった。

 でも達也にとっては、大量に送られてくる絵文字たっぷりの祝福メールよりもこのシンプルなメールの方が圧倒的に嬉しかった事は言うまでもなかった。




タイトルを「全集中の呼吸」にしようか迷いました。


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7-7 第2回REAL無差別級グランプリ開催決定

 8月の大会が終わって間もなく、REALは第2回無差別級グランプリの開催を発表した。試合のルールは10分2ラウンドの総合格闘技、参加者8名によるトーナメント戦によって優勝者を決するという概要は前回と変わらなかったが、いくつかの相違点もあるので主なものを以下に列挙する。

 

1.参加選手には外国人選手も含まれる

2.参加選手のうち6名は主催者推薦とし、残る2名は事前に予選を行い決定する

3.レフェリーストップ有り

4.本戦トーナメント1回戦から決勝戦までを大晦日当日に行う

5.本戦トーナメントの組み合わせは前日(12月30日)に抽選を行い決定する

 

 1と2に関しては、前回は出場者の全てが主催者推薦かつ日本人選手に限られていた事を考えると、より開かれたハイレベルな大会になったと言えるだろう。3に関しては昨年の決勝戦後に金田悠希がゴネた経緯を踏まえての改正である。そして今大会における最大の変更点は4だ。昨年は8月に1回戦、10月に2回戦を行ったが、今年は最大で1日3試合をこなさなければならないワンデイ(1day)トーナメント制が採用される。選手にとってはタフで厳しい変更であり、大晦日の大会を最大限に盛り上げたいというREALの本音が透けて見える。そして5についても、エンターテインメント性の追及に重点を置かれた変更と言えた。

 第2回大会のレギュレーションを知らされた達也も、優勝までのハードルは昨年よりもぐっと上がったと正直に感じた。特に対戦相手の事前研究を欠かさない達也としては、5の変更が最も気になる所だった。

 とはいえ、条件は皆同じなのだから文句は言えない。連覇への道のりに厳しさは感じつつも、新たなレギュレーションに対する不満は全く無かった。むしろ、ディフェンディングチャンピオンとしてどんな相手でも返り討ちにしてやるぜと闘志が湧いてくる思いだった。

 また、達也が並々ならぬ闘志を燃やす要因となっていたのは、やっぱり充希の存在が大きかった。

 8月のトンプソン戦で完璧な勝利を収めて充希からも祝福のメールをもらった達也だったが、残念ながら充希はまだ完全には達也を許した訳ではないようだった。一時期に比べてだいぶ雪解けは進んだものの、とはいえまだ怒りが完全に収まった訳ではないようで、電話で他愛ない話をしてても素っ気ない返しをされる事も多く、聞こえてくる声のトーンも冷えがちだった。だから達也は、大晦日は何が何でも優勝してとびきりカッコいい姿を充希に見せ付けて、絶対に充希を俺に惚れ直させてやるんだ…!と燃えに燃えていたのだ。達也を突き動かす最大のモチベーションはお金でも人気でも名誉でもなく、やっぱり充希なのである。

 

 そして10月に開催されたREALでは、大晦日に行われる本戦トーナメントへの出場権を懸けた予選が行われた。8人の選手が4人ずつAブロック、Bブロックに別れてトーナメント戦を行い、それぞれの優勝者が本戦への出場権を獲得できるという仕組みである。

 外国人選手も複数出場したこの予選、まずAブロックを制したのはノルベルト・マエダという日系ブラジル人の柔術家だった。他の出場選手に比べて体格では劣っていたが、寝技主体の粘り強い戦いで1回戦、決勝戦共に長期戦を制し、見事に本戦へのチケットを掴んだ。

 続くBブロックを制したのは、ボビー・サップというアメリカの黒人選手だった。身長2m10cm、体重170kg、体脂肪率10%台前半というまるでゴリラのような規格外の肉体を武器に昨シーズンまでNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)で活躍していたアメフト選手だったが、肩を故障して引退しプロレスラーに転向。総合格闘技の経験は皆無だったがその類稀なる身体能力を見込まれて今回の予選に参加したところ、1回戦、決勝共に試合開始のゴングと共に相手に突進してパンチを連打し、そのまま驚異のパワーで相手に何もさせずボコボコに殴り倒して秒殺してしまった。世界最大のスポーツ大国アメリカにおいて最も身体能力の優れた男たちが集うスポーツはアメフトだと言われるが、その底力をまざまざと見せつけるようなちょっと信じ難い勝ち方で、本戦トーナメントのダークホースに躍り出たのだった。

 ところでこの10月大会、達也にはワンマッチでの出場オファーがあった。達也が出場するか否かで大会の興行収入は全く違ってくる。なのでREALは達也に「ルールはキックボクシングでも総合格闘技でもどちらでもいい、相手もできる限り達也の希望に沿ったような選手を用意するから…」となりふり構わない姿勢で出場を求めたが、達也はオファーを丁重に断った。理由はもちろん、大晦日に向けての調整を優先するためである。

 達也は本気だった。本気でグランプリ連覇を目標に掲げ、厳しいトレーニングに明け暮れていた。8月のトンプソン戦の時には立ち技での打撃でKOしてやろうと決めていたため直前のトレーニングは打撃だけに絞ったが、今回は誰と対戦する事になるか分からないので寝技のトレーニングもみっちりとこなした。しかもこれまでは「体を密着させたくないから」という理由で忌避していた男子選手との寝技スパーリングも取り入れ、さらにはFAILYの選手とのスパーリングだけでは飽き足らず、足しげく他ジムへと出稽古に通った。REALのリングで弱い相手と戦って小銭を稼いでいる暇など無かったのだ。

 厳しいトレーニングを重ねながら、達也は自分がまだ幼かった頃を思い出していた。思えば、あの頃の達也には何も無かった。強くなって空手の大会に優勝すれば女の子から多少はちやほやされるけど、所詮はその程度。世間から注目される事も無ければ、賞金や副賞を貰えるような事も無い。それでも、ただひたすら強くなる事だけを目指して、友達と遊びたいのを我慢して必死に稽古に明け暮れた。

 そして今、達也は全てを手に入れた。目もくらむような大金、スーパースターとしての地位、日本最強の男という名誉…しかし達也は今も、あの頃と同じように必死に強さを追い求めている。もうこれ以上何も得るものは無いというのに…

 結局のところ、達也が欲しいのはお金でも名誉でも地位でもないのだ。達也が戦い続ける理由、それは何も持たなかった少年時代も、全てを手にした今もやっぱり同じで…

 

 と、達也がグランプリ連覇に向けて必死に汗を流していたのと同じ頃、充希は充希で人知れず孤独感と戦っていた。

 

………………………………………

 

     ―充希―

 あの日達也は、もう隠し事は無いと言った。今後ひかりちゃんと2人で食事には行かない、部屋にも絶対に連れ込まないとも約束してくれた。

 でも、それでも、モヤモヤした気持ちは全然晴れてくれない。それは、決して達也を信じられないからじゃなくて…

 むしろ、私が自分自身を信じられないから…

 高橋ひかりちゃんは本当に素敵な女の子だと思う。もちろん実際に会った事は無いけど、テレビで見る彼女はとっても可愛くて、明るくて、話も上手で。誰がどう見たって、ひかりちゃんは私なんかよりもずっとずっと魅力的な女の子だ。というか、比べる事自体がおこがましい。どう考えたって、私がひかりちゃんに勝てる所なんて何一つない。

 だから、もし達也が私を捨ててひかりちゃんを選んだとしても、それは単なる『普通』の選択に過ぎない。というか誰だってそうするに違いない。議論の余地も無い。

「はあ…」

 本当に、自分がイヤになる。

 私ごときが達也を叱るなんて、一体私は何様のつもりなんだって…

 ひかりちゃんじゃなくて私を選べだなんて、どの口がそんな恥ずかしい事言ってるんだって…

 今の達也は、みんなから愛されるスーパーヒーロー。好きな女の子を自由に選べる立場。世の男性がこぞって羨むような、素敵な女性をお嫁さんに貰うべき人物。

 達也は、私なんかが束縛していい人物じゃない。達也が誰と仲良くしようが、私にはそれを咎める権利なんて無い…

 そんな事は、もう分かり切った事なのに… 



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7-8 連覇へ向けて ~米軍基地編~

 晴香のツテを頼って様々なジムに出稽古に通っていた達也だったが、それにも限界が訪れようとしていた。

 出稽古先でのスパーリングは連戦連勝、それもあまりに強すぎて勝負にならず一方的に相手を痛めつけてしまうような事も少なくないため、このままではウチの選手たちが潰されかねないと各ジムから事実上の出入り禁止を通達されるに到ってしまっていたのだ。言い換えると、もはや達也のスパーリング相手を務められる選手を見つける事すら困難な状況に陥ってしまっていた。

 そんな状況下だったが、この日は久々に達也を受け入れてくれる出稽古先が見つかったという事で、達也はその場所へと訪れていた。

 その場所とはジムではなく、神奈川にある米軍基地・キャンプ座間だった。

 現代の戦争において格闘術は必要なのかという議論はさておいて、基本的にはほとんど全ての国の軍隊において格闘術の習得は必須になっており、その例に漏れずアメリカ軍においても軍隊格闘術が存在する。アメリカ陸軍格闘術はブラジリアン柔術を中心としつつもレスリングや柔道、さらにはキックボクシングなどのエッセンスを取り入れた極めて実戦的なもので、その内容は真の意味での総合格闘技そのものである。アメリカ陸軍兵にとって軍隊格闘術の習得は必須であり、基地内ではその技量を示す大会(模擬試合)が定期的に行われている程なのだ。

 そんなアメリカ陸軍による格闘術大会がこの日もキャンプ座間の基地内で行われるのだが、何と達也がそこにゲスト参戦できる事になったのである。晴香の知り合いの知り合いの知り合いのツテまで頼って実現した飛び入り参加だった。

 メディア活動などを通じてこれまで様々な所に訪れた事のある達也だが、米軍基地内に立ち入るのはこれが初めてだった。入り口で女性軍人からパンツの中まで入念にボディチェックされた際に「ここは日本の法律が及ばない場所になるので勝手な行動は絶対に取ってはいけません、もし不審な行動を取ったり基地内の立入禁止エリアに足を踏み入れる等した時には逮捕され、アメリカの法律にて裁かれる事になります」と通告された挙げ句、「もし基地内において負傷する等してもその責めは全て本人が負う」という念書にサインさせられた時は、温厚な達也もさすがにムッとした。こいつらは自分たちを何様だと思ってやがるんだ…日本で好き勝手にやりやがって…と。

 

 

 軍隊格闘術は、言ってしまえば相手を殺す事を目的とした格闘術だ。なのでその体系には基本的に反則というものはなく、目つぶしも急所攻撃も何でも有りである。戦場での殺し合いにルールなど無いのだから当然だろう。

 とはいえ模擬試合において殺し合いを行う訳にはいかない。模擬試合では目つぶしや急所攻撃だけでなく、グラウンドでの過度な打撃は禁止され、一方がマウントポジションを奪った時点で模擬試合は終了というルールとなっていた。要は総合格闘技のスパーリングと変わらないルールだ。

 米兵たちは皆体格が良く、普段からマシンガンを撃っている連中というだけあって表情にも殺気が溢れていた。飛び入り参加とはいい覚悟じゃないか…達也が日本最強の格闘家か何だか知らないが、世界最強と恐れられる米軍の強さをたっぷり教えてやるぜ…そんな気迫に満ちていた。

 一方の達也も、完全アウェーの雰囲気の中、全く気後れしていなかった。ここに来る前は特別な気負いなど無かったのだが、入り口で屈辱的な注意を受けただけでなく念書にサインまでさせられ、日本の中にアメリカが存在するという現実を見せ付けられ、日本人としての誇りを傷付けられた怒りを覚えていた。

 そして、始められた模擬試合では。

 達也は、その強さを米兵たちに如何なく見せ付けた。

 まず行われたトーナメント戦では、達也は米兵たちを圧倒し、次々にマウントポジションを奪ってアッサリと優勝した。続けて行われた抜き試合でも連戦連勝。打撃で圧倒し、組み付かれても投げ飛ばし、形勢不明のままグラウンドの攻防にもつれ込んでも難しい体勢から関節を取ってタップを奪った。誤解の無いよう言っておくが、米兵たちは決して弱い訳ではない。確かに職業格闘家ではないため細かな技術に劣る部分はあるが、総合的な実力という点においてはプロの選手に勝るとも劣らないと言えるだろう。それこそ関節技を知らない並みのボクサーやキックボクサー程度なら、簡単に組み伏して確保できるぐらいの実力は持っている。

 そんな連中を達也は次々となぎ倒していった。もし米軍基地の存在に反対する市民がその場にいれば、彼らは達也に大きな拍手と喝采を送っただろう。あるいは最近何かと冷たい充希ですら、この日の達也の雄姿を見ればさすがに惚れ直したかもしれない。若き日本人が単身で米軍基地に乗り込み、屈強な米兵たちから次々とタップを奪うその様は、まさしく侍の姿だった。

 実際、達也の強さはその肉体からも見て取れた。言うまでもなく米兵たちは皆屈強なのだが、それでも達也と相対するとその体はみすぼらしく見えた。分厚い筋肉の鎧を纏った達也の肉体に比べれば、屈強なはずの米兵などまるで子ども同然だった。

 結局、抜き試合は17人目の対戦相手を仕留めきれずに引き分けとなって達也の戦いは幕を閉じた。それでも16人抜きは見事の一言だし、引き分けとなった17人目との試合にしても達也が一方的に押し込みマウントポジション寸前まで行っていたので、事実上の勝利と言えるだろう。仕留めきれなかったのは実力云々ではなく、単に達也のスタミナが切れてしまったためである。

 と、楽勝に次ぐ楽勝で米兵たちを圧倒した達也だったが、スタミナが切れるまでスパーリングをやり通すような経験はなかなかできるものでもなく、この日の意義を確かに感じていた。何より、普段のスパーリングでは相手が達也の強さに恐れをなして受け身の戦いに終始する事が多いのだが、この日の米兵たちは殺気を漲らせて向かってきてくれた。まさに実戦さながら、殺るか殺られるかの模擬試合は達也にとってもまたとなく素晴らしいトレーニングとなった。

 しかも模擬試合の終了後は、殺気を向けていたはずの米兵たちは素直に達也の実力に脱帽し、達也に教えを請う者も少なくなかった。達也も惜しむ事なく自らのトレーニング法や関節の取り方を教え、最後はフレンドリーな雰囲気で米軍基地を後にしたのだった。




今回の話で描いた米軍基地内での話は、全てが事実に基づくものという訳ではありません。アメリカ陸軍に軍隊格闘技が存在して基地内でのその大会が定期的に行われているというのは事実の筈ですが…

いずれにしても、あくまでフィクションのお話として捉えて下さいますようお願い致します。


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7-9 連覇へ向けて ~調整試合~

 12月の初旬に開催された『knock out』。その第1試合は「スペシャルワンマッチ」と銘打たれ、『knock out』の全試合を中継する筈の動画サイトでも放送されない、会場に足を運んだ観客にのみ提供される文字通り特別な試合であるという事が同団体のホームページ上にて発表された。つまりは第1試合にネット配信無しのスペシャルな試合を行うから、ファンの皆さんぜひ会場に足を運んでくださいね、という宣伝である。この時点で対戦カードは伏せられたままだった。

 しかし、元より集客力の乏しい『knock out』がその程度の告知を行った所で、観客が増える訳もない。当日の客入りは普段と全く変わらなかった。つまりはガラガラである。

 だが、スペシャルワンマッチに達也が現れた瞬間、少ない筈の観客から大きなどよめきが起こった。誰も想像していなかったスーパースターの電撃参戦、達也が『knock out』のリングに上がるのは松岡京介戦以来実に2年3か月ぶりの事である。

 実は、達也の出場が最後まで伏せられしかも動画配信も無かったのは『knock out』が仕掛けた戦略ではなく、達也自身の強い希望によるものだった。言うまでもなく『knock out』は達也の出場を大々的に宣伝したかったのだが、達也としてはむしろこの試合をできるだけ目立たないように行いたかったという意向を持っていたのだ。

 なぜなら、この試合は達也にとってはあくまで大晦日に備えた調整試合であり、大勢の観客に見せるようなものではないと思っていたのだ。もっと言えば…言葉は悪いかもしれないが…見せる価値の無い試合である、と。

 この試合の目的が達也の調整だというのは、試合のルールが1ラウンド:キックボクシング(3分)、2ラウンド:総合格闘技(5分)というミックスルールで行われる事からも明らかだった。『knock out』はあくまでキックボクシング団体であり、これまで総合格闘技の試合を行った事は一度もない。しかも達也は、対戦相手の選定に関しても『knock out』運営に自身の希望を伝えていた。「体格が自分と同等以上で、総合格闘技の経験に乏しい選手」というのが達也の希望だった。体格はともかく総合格闘技経験の乏しい相手を希望するのは達也らしくないようにも思えるが、これもまた、この日の試合を完全な調整試合と位置付けている事の証左だった。いずれにしても一方の出場者が主催者に対戦相手の希望を伝えるなど前代未聞で、まさに何から何まで達也のために組まれた試合と言えた。

 しかし『knock out』としては、達也の参戦希望を断るという選択肢は無い。達也の望むような条件を満たす選手を見つけ出し、この日のスペシャルワンマッチが実現した。

 達也の相手を務めるのは、中堅のプロレス団体に所属する覆面レスラーだった。「ミスターM」というリングネームで活動しておりこの日もそのようにコールされたが、客席の中にその名前を聞いた事のある者は皆無だった

 そして達也の名前がコールされる。観客は拍手を送りながらも、まだ半信半疑といった雰囲気だった。本当にあの小野達也なのか…と。

 両者がリングの中央で向かい合う。

 体重はミスターMの方が10kg近く重かった。だが不思議な事に、体が大きく逞しく見えるのは達也の方だった。そう見えるのは達也の長い足と腰の位置の高さも要因としてあるのかもしれないが、何より全身を覆う筋肉の付き方が全く違った。ミスターMはいかにもレスラー体型だったが、達也の肉体は格闘マンガのキャラクターのように鍛え抜かれており、美しさを通り越して恐ろしさすら携えている程だった。まだ試合は始まっていないというのに、どちらが強いのか、どちらが男として「格上」なのかはその肉体を見比べただけで誰の目にも明らかだった。実際にミスターMも、後のインタビューで達也と向かい合ったこの時の心境を次のように述懐している。

「小野選手の体を間近で見た瞬間に、これは勝てないと思いました。どうやって鍛えればこんな体になるのだろうかと。自分は今からこんな化け物と戦わなければならないのかと思うと、正直めちゃくちゃ怖かったですよ…」

 

 そして開始のゴングの後にリング上で繰り広げられた光景も、この試合は達也にとって調整に過ぎないという事がハッキリと分かるものだった。

 第1ラウンドはキックボクシングルールだが、達也はほとんど手を出さなかった。ミスターMの正体は達也にも明かされていなかったが、彼が打撃系の選手でない事は繰り出される攻撃を見てすぐに分かった。その技術は拙く、構えも未熟。達也がその気を出せばあっという間に眠らせる事は簡単だった。

 だが達也は、徹底して手を出さなかった。ミスターMの攻撃をかわし、いなし、ガードする。

 そしてそのまま、第1ラウンド終了のゴングが鳴り響いた。

 達也がこの第1ラウンドでテーマとしていたのは、相手の打撃を見切るという事だった。相手がボクサーやキックボクサーといった打撃系の選手でない事はすぐに分かったが、そういった選手の打撃の方が逆にパンチの軌道や打ち出しのタイミングが不規則で避けにくいという事もある。実際この試合でも、ミスターMの繰り出す攻撃はかなり不規則だった。

 しかし達也は、その全てを難なく見切ってみせた。被弾はゼロ、まず最初のミッションは完了である。

 そして次はいよいよ、自分の今の実力を確認するラウンドだ。

 ルールが総合格闘技となる第2ラウンド、開始早々にミスターMは果敢にタックルを仕掛けてきた。ミスターMは打撃に全く不慣れな上に試合前に達也の恐るべき肉体を目の当たりにして、第1ラウンドでKO負けしてしまう事を半分覚悟していた。だがその第1ラウンドで、達也は全く攻めて来なかった。この流れなら、グラウンドに持ち込む事さえできればもしかしたら大金星も有り得るんじゃないか…そう思い俄然元気を取り戻していたのだ。

 しかし達也は、そんなミスターMの思惑を察知していたかのように、いとも簡単にタックルを切る。さらに第1ラウンドとは打って変わって鋭くシャープな打撃を見せ、じりじりと追い込んでいく。

 そして、ガードが下がった瞬間を見計らって…

 

 ――ズドンッッッ!!!

 

 超速の勢いで繰り出されたハイキックが、覆面の上から正確に顎を打ち抜いた。その瞬間にミスターMの意識は途切れ、その場に崩れ落ちた。もちろん、達也は倒れたミスターMに追撃を加えようとはしなかった。

 試合はあまりにもアッサリと終わった。結果こそ2ラウンド2分台の決着だったが、実際は秒殺。達也のキャリアにとっては特に意味のない試合、プロデビュー以来の連勝記録と連続KO勝利記録が31から32に伸びた、ただそれだけである。

 だが、調整試合としての意味は確実に有った。自分の現在地をハッキリと確認する事ができたし、何より狙い通りにハイキック一撃でKOできたのは大きな収穫だった。スパーリングでは相手にハイキックを全力で打ち込むような事はさすがにできない。この日の最大のテーマとして達也が掲げていたのは、ハイキック一撃で相手を失神させるという自身の必殺技の威力とその感覚を再確認する事だったのだ。

 そういう意味においては、この日はローキックを全く打たずにいきなりハイキックでKOしたのも当初の予定通りだった。ローキックは相手に無用の苦痛を与えてしまう。この日の相手の正体は知らされていなかったが、おそらくは本来なら戦ってはいけないような格下の選手なのだろう。実力が違い過ぎるのは明白なのだから、せめて極力痛みを与えずに楽にしてあげないといけない、またそういう勝ち方ができないようでは本番でも勝ち抜けない、そう思っていた。

 試合を終え自らの現在地を確認した達也は、自身の充実ぶりを実感せずにはいられなかった。ガラガラの『knock out』のリングで秒殺勝ちを続けたのはもう5年も前の事。当時も自分はそれなりに強い選手なんだと信じてリングに上がっていたが、今の自分なら、もしその頃の自分と戦っても秒殺勝ちできるのではないか…そんな風にすら思えた。実際に達也の体は、5年前に比べて一回りも二回りも大きく逞しくなり、体重も20kg近く増加していた。もちろん、増量分は全て筋肉であり、体脂肪率はむしろ低下した。筋肉が付けばスピードが落ちると言う者も一部にいるが、それは全くの誤りだ。上質な筋肉がパワーだけではなくスピードの源にもなるのは、100m走を9秒台で駆け抜けるスプリンターの筋肉隆々とした肉体を見ても明らかだ。19歳でプロデビューした達也も既に24歳、20代中盤という肉体のピークとも言えるような年齢を迎え、その体はもはや完成の域に達していた。弛(たゆ)まぬトレーニングの果てに、達也はついに日本最強の男に相応しい、日本最強の肉体を手にするに到ったのだ。そこらのプロレスラーなどもはや達也の相手にならないのは当然だった。

 ここまで強くなれるとは思わなかった…それが試合を終えた達也の正直な実感だった。充希にお灸を据えられてからというもの、己の強さを過信してはいけないと強く強く心に刻んではいるけど、それでも客観的に見て、少なくとも第2回REAL無差別級グランプリ出場者の中に自分より強い者が存在するとは思えなかった。

 

………………………………………

 

 試合は終わった。だが、ここから繰り広げられた光景に、観客は心の底から驚く事になる。

 何と達也が、何を思ったのか、気を失ったまま倒れているミスターMの元へとしゃがみ込んで。

 隠れた素顔を観客に晒すべく、その覆面を剝ぎ取ったのだ。

 

 仰天の行動にまた観客がどよめく。覆面の下から現れたのは達也と似たような歳と思われる若い顔だったが、その正体などもはやどうでも良かった。まるで敗者に鞭打つような無慈悲な行為を達也が行った事に、観客は皆、我が目を疑う思いだった。

 とはいえ達也も、決してこんな行為をしたい訳ではなかった。だが、これも契約に含まれていた事だったのだ。ミスターMは中堅のプロレス団体に所属する覆面レスラーだという事は先ほど書いたが、実は彼は、今日の試合をきっかけに覆面を脱ぎ、以降は素顔で戦う普通のレスラーとして活躍したいと考えていたのだ。なので自分が負けた際には小野選手自らの手によって覆面を剥ぎ取って欲しいと試合前に希望し、達也もそれに了承していたのだった。

 だが観客は、そんな事情など知る由もない。あまりにも非情に映るこの行為を、観客は驚きをもって受け止めるしかなかった。もちろん達也も、観客の驚きはヒシヒシと感じていた。あるいは自身の行為によって不快感を持つ観客も少なくないだろう、という事も。

 しかし達也は、約束通りミスターMの覆面を剥ぎ取った。それはある意味では、自らの調整試合の生け贄となってくれた名も無きレスラーへの感謝の印であり、同時に自身のキャリアと人気に傷がつくような行為を経てまでも、何が何でも大晦日にはグランプリ連覇という偉業を為し遂げたいという強い思いの表れでもあった。

 

 だが、物事は何がどう転ぶか分からないもので、達也に敗れて覆面を剥ぎ取られたミスターMは、これを機にリングネームを本名の森田賢(もりたさとし)に改め、素顔のレスラーとして快進撃を始める事になる。プロレスの世界では実力以上に知名度というものが何より大きな武器になり、さらに言うなら飛躍する為には何かしらのきっかけが極めて重要になる。達也に覆面を剥ぎ取られたという事実は無名だった森田の知名度の上昇に大きく寄与し、同時に団体内での存在感を大いに高める事となった。というのも、この試合の実態は達也の秒殺勝ちだったとはいえ、正式リザルト(結果)は2ラウンドKO決着である。1ラウンドKO勝ちが当たり前の達也を相手に1ラウンドKO負けを免れたという事実は、その試合映像が無い事も相まって森田の評価を大いに高めたのはある意味必然だった。達也相手に1ラウンド耐え凌ぐなんて素晴らしいじゃないか、テコンドー金メダリストも柔道金メダリストもボクシング世界チャンピオンも大横綱も達也には1ラウンドで敗れ去ったのに、と。ミスターM改め森田とはどんなプロレスラーなのかと、所属するプロレス団体には彼見たさのファンが急増した。

 そして数年後には、森田は日本でも指折りの名レスラーとして名を馳せる事になるのである。

 

………………………………………

 

     ―充希―

「えっ…私がですか?」

 最初にその話を聞いた時はとても驚いた。だって、あまりにも唐突だったから。

 頂いたのは、来年春からの海外赴任の話。

 勤務地は…イギリス。

「現地に駐在してる西田くんが近々帰国する予定でね、優秀な若手を送って欲しいという事なんだよ。そこで君を推薦しようかという話になってね」

「でも…どうして私なんですか?」

「高倉くんは英語も堪能だし、仕事ぶりも素晴らしいからね。それに君は海外志向も強かっただろう?」

「仕事ぶりはまだまだ全然だと思いますけど…」

 でも、海外と繋がるグローバルな仕事がしたいというのは小さい頃からの夢だった。だから英語も勉強したし、総合商社を志望したのもそのためだ。一度は日本を離れて生活してみたいという思いもある。さすがに海外に永住したいとまでは思わないけど…

「まあ、いきなり海外となると言うまでもなく生活環境はガラリと変わるから、すぐには決められないだろう。ゆっくり考えて、年明けぐらいまでには結論を聞かせてくれないかな」

「…分かりました」

 ありがたい話だと思う。私の能力が評価されている事も嬉しく思う。

 でも、即答はできなかった。いつかは海外赴任の話があるかもしれないとは思っていたけど、それはまだずっと先の事だと思ってたから。

 それに、来年の春からイギリスで生活するとなると、必然的に失わなきゃいけないものもあるから…




個人的には7章で好きな回は7-4(充希が達也にキツい言葉をぶつける回)と今回です。


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7-10 組み合わせ決定

 12月30日。第2回REAL無差別級グランプリ組み合わせ抽選の日である。この模様はREALのユーチューブ公式チャンネルで生配信され、多くのファンが視聴した。

 前話でも記したように、達也の状態は文句なしの絶好調だった。体調は万全、体に痛い所も全く無し。立ち技も寝技も密度の濃いトレーニングをこなし、他ジムの選手とのスパーリングでは連戦連勝。屈強な米兵たちも全く問題にせず、調整試合も経て試合勘もバッチリだ。さらに言うなら年内最後の種付けを一昨日の夜にこなしたのだが、これも体にキレを持った状態でリングに上がる為には試合の2~3日前に種付け(というか射精)するのがベストという自身の経験則に基づいた調整の一環だった。まさにこれ以上ないやるべき事は無いと言い切れる万全の態勢で、この日を迎える事ができていた。

 そして言うまでもなく、出場選手のチェックも欠かさず行ってきた。

 とはいえ誰と戦うのかが分かっていない中で、全ての出場選手を綿密に研究して対策を立てるのは現実的ではない。なので今回は、各選手の直近2~3試合の映像をざっくりと確認して、その大まかな実力や得意戦法を何となく頭に入れる程度に留めておいた。今や寝技でもトップ選手に全く引けを取らない実力を持つ達也だが、基本的には立ち技での攻防を志向し、ローキックで体力を削ってハイキックでKOを狙うというのが基本的なファイトスタイルだ。相手が誰であろうが自分の戦いを変える必要は無い…逆に言えば自分の戦いさえできれば必ず勝てる…俺より強い奴なんている筈がない…そんな確固たる自信を持って達也はこの場に臨んでいた。

 映像を確認してまず達也の印象に残ったのは、予選を圧倒的な強さで勝ち上がってきたボビー・サップだった。何といっても筋肉隆々の肉体は衝撃的で、170kgの体重を誇りながら余分な脂肪が一切無い選手などいまだかつて見た事が無かった。くしくも達也が5月に対戦した元横綱の白馬龍もリングに上がった際の体重は170kgだったが、同じ170kgの筈なのにボビーの肉体は白馬龍のそれとは全く別物だった。そして予選で見せた試合内容も凄まじく、パワーはもちろんスピードも驚異的で対戦相手は全く何もできなかった。まるで大人と女の子が戦っているよう…というか戦いにすらなっていなかった。

 実際、ファンの中でもボビーを優勝候補に推す声は多かった。REALのオフィシャルサイトではグランプリ優勝者を予想するアンケートが実施されているのだが、当初は達也が圧倒的1番人気だったのが10月の予選が終わってからはボビーへの投票がぐんぐんと伸び、今では達也とボビーの支持が拮抗しているような状態だった。無敵の達也であってもボビーの圧倒的なパワーの前には為す術がないのでは…そう考えるファンは多かった。

 だが達也は、ボビーの底知れぬポテンシャルは認めつつも、決して過度に恐れるべき選手ではないと考えていた。確かに身体能力はとてつもないが、所詮は格闘技を始めて間もない選手。打撃技術はかなり粗削りだし、おそらく寝技はできないだろう。さらには予選で見せたような戦い方が試合終盤まで持つ訳もなく、もし戦う事になっても最初の2~3分さえ凌げば勝手に向こうがガス欠を起こすだろう、そう考えていた。

 おそらくボビーは見た目ほど大した事はない。むしろ達也が最も警戒していたのは、金田悠希の弟、金田陽希だった。

 金田陽希は、REALのリングで既に3敗を喫していた。だがその3敗はいずれもREALにデビューした直後の頃で、ここ2年に限れば負け知らずだった。そもそも昨年の第1回グランプリでも出場すれば優勝候補の一人と目された筈だったが、兄の悠希と対戦する可能性を考慮して出場が見送られた経緯がある。

 金田陽希のファイトスタイルは、兄の悠希とは全く異なっていた。兄・悠希は鋭いタックルと荒々しい打撃が持ち味の攻撃的なファイターだったが、弟・陽希は無駄のないシャープな動きで打撃・寝技共に高い技術を誇る、欠点のないオールラウンダータイプだった。

 そんなファイトスタイルだけでなく、格闘技に対する考え方や人間性も悠希と陽希では全く異なっていた。兄の悠希は総合格闘技をケンカの延長のように捉えており、発言も対戦相手を見下したり小馬鹿にするようなものばかりだったが、弟の陽希にとっては総合格闘技はケンカの延長などではなくあくまで競技であり、試合はトレーニングの成果を発揮する場だった。兄と違い、対戦相手を挑発するような発言もこれまで皆無だった。そんな陽希だからこそ、彼は兄がリング上で度々見せる野蛮な行為には全く共感しておらず、むしろ格闘家として一定の距離を置いていた。それは陽希が所属するジムが兄と違う事からも明らかだった。

 しかしファンにとっての金田陽希は、やはり一にも二にも「金田悠希の弟」である。陽希は兄と違って人間的にまともな常識人なのだが、金田という名前の時点でどうしても悪役になってしまうのだ。なので陽希は確かな実力を有しファイトスタイルもスマートながらも、その実力に見合った人気を獲得しているとは言い難かった。また、兄の悠希が達也の敵としてファンに認知されてしまった事も、陽希にとっては不幸だった。金田は達也の敵、つまり金田は国民の敵なのだ。

 さらに付け加えるなら、陽希のルックスがお世辞にも良いとは言えない事もまた、彼のファンが少なく要因でもあった。何だかんだ言って、見た目が人気(特に女性人気)に及ぼす影響は大きいのだ。達也の圧倒的な人気が、実力だけではなく抜群のルックスにも支えられている事はご承知の通りだ。それこそ達也は「悲報!日本最強の男小野達也、顔でも現役アイドルを公開処刑してしまう…!」みたいなスレッドがあちこちに立てられるレベルのイケメンである。格闘技は全く見ないけど達也の事は大好きという女性ファンもかなり多かった。

 そこに来て、金田兄弟の見た目は…ハッキリ言って残念だった。しかも兄の悠希の場合は大悪役に似つかわしい顔であるとも言えたが、陽希は決して悪役ではないし、悪役になろうとしている訳でもない。純粋に顔でかなり損をしていると言わざるを得なかった。

 だが言うまでもなく、リングの上では顔の良し悪しで勝負する訳ではない。兄の悠希とは非公式戦を含めて3度戦い全てKO勝ちした達也だが、その勝因は悠希の単調なファイトスタイルに起因していた。言い換えれば、悠希は達也が仕掛けた罠に簡単に嵌ってくれる程度の選手だった。だが陽希からは、兄と同じような隙は感じられなかった。パワー・スピード・テクニック・ファイトスタイル、その全てにおいてレベルが高くて穴が無い、シンプルに強い選手だと正直に感じた。

 金田陽希はファンからの人気こそイマイチだが決して侮ってはいけない相手、REALのリングで3敗したのはまだ彼の実力が本物ではなかった時代の話で今は全く参考にならない、今大会最大のライバルになるのはこの男だろう…達也は本気でそう感じていた。

 とはいえ、自分が力を出し切れば十分勝てる相手だという事も正直に感じた。間違いなく強敵ではあるが、俺が俺の戦いをできれば大丈夫、そう思えるほどに達也の自信は漲っていた。

 

 

 抽選が行われ、達也の1回戦の相手はピーター・シュルツというオランダ人選手に決まった。今大会は出場者8人中に外国人選手が4人含まれているが、その1人である。かつてはキックボクサーだったが数年前に総合格闘家に転向したという、達也と似た経歴を持つ選手だった。

 そしてトーナメント表の先を確認すると、順調に行けば2回戦でボビー・サップ、決勝戦で金田陽希と当たる組み合わせとなっていた。ただ、どんな組み合わせでも問題ない、別に1回戦からボビーや金田と当たってもいいと思っていたから、決定した組み合わせ自体には特に思う所は無かった。

 抽選後の会見で連覇へ向けた意気込みを問われた達也は、力強く言った。

 

「連覇に挑戦できるのは自分だけなので、貪欲に連覇を目指したいと思っています。今回は昨年と違って外国人選手も多いですが、日本の男の強さを見せたいと思っています!」

 

 その強気の言葉は全国のファンに対してではなく、充希に向けられたものと言っても過言ではなかった。

 明日は俺が屈強な外国人選手たちを次々とKOするから見ててくれよな…!と。

 

 しかし、先に結果を少しだけ言っておくと。

 大晦日は、昨年のように達也が楽勝を重ねてアッサリと連覇を飾るような簡単な1日とはならなかった。



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7-11 第2回REAL無差別級グランプリ 1

 12月31日。

 達也が過去3度の大晦日で見せた戦いは、いずれも衝撃的でセンセーショナルだった。3年前は大悪役の金田悠希を膝蹴りで葬り、トップアイドルをも凌駕するスーパースターの地位を手に入れた。2年前はボクシング元世界王者を1ラウンドで粉砕し、その驚異的な強さを見せ付けた。昨年は金田悠希の関節を極めて第1回REAL無差別級グランプリを制覇し、名実共に日本最強の男という称号を手にした。

 そして今宵、四たび達也は大晦日のリングに立つ。グランプリを連覇し、自分が最強の男である事を証明するために。

 その達也は1回戦第3試合に登場、相手はピーター・シュルツというオランダ人選手である。

 達也にとっては、比較的やりやすい相手と言えた。なぜなら、シュルツが達也と同じくキックボクシングをバックボーンとする選手だからである。立ち技よりも寝技に自信を持つ元キックボクサーなどまずいない。なのでこの2人が戦えば立ち技での攻防が大きなポイントとなるのは試合前から誰でも予想できる事だった。

 

 果たして試合は、大方の予想通り、打撃での攻防に終始する展開となった。

 そして、打撃戦を有利に進めたのは、達也だった。

 

 達也の動きは完璧だった。シュルツも一流のキックボクサー兼総合格闘家なのだが、そう思わせないほどに達也の打撃はパワー・スピード・キレの全てにおいて文句無し。特にローキックは見事の一言で、シュルツの攻撃は全く当たらないのに達也のローキックは面白いようにシュルツの足を捉え、じわじわと体力を削っていく。

 そして1ラウンド4分過ぎ(グランプリは10分2ラウンド制)、達也のハイキックがシュルツの顔面を顎を捉え、その瞬間に勝負は決した。

 もちろんシュルツは、ハイキックを十二分に警戒していた。しかし達也のハイキックは分かっていても避けられないからこそ必殺技なのである。もちろんそれは達也のハイキックのスピードとキレが抜群なだけではなく、確実に急所にヒットするように達也が状況を整えているからでもあった。ローキックで相手の体力を削りつつ、意識とガードが下がった瞬間に必殺の一撃。もはや定番となった勝ち方で強豪のオランダ人選手を相手に大和男児の強さを見せ付け、まずは難なく1回戦を突破した。ノーダメージで体力の消耗も全く無い、この後に続く2回戦に向けてという意味でも最高の勝ち上がりだった。

 そして続く1回戦第4試合では、ボビー・サップがまたしても驚愕の試合を披露した。相手は日本人選手だったのだが、試合開始のゴングと同時に猛然とダッシュしパンチを連打。何とかクリンチに逃れようとする相手をコーナーへと突き飛ばし、さらに連打。たまらず腰から崩れ落ちた所に上からパンチの雨を降らせた所でレフェリーが試合を止めた。

 試合時間は達也の秒殺記録である19秒を6秒も上回る13秒。REAL史上最短KO記録だった。

 

………………………………………

 

 午後9時前、いよいよ達也とボビー・サップの一戦である

 達也が大晦日のリングに上がるのは4年連続だが、この時間にリングに上がるのも4年連続なのは決して偶然ではない(その理由は4-11『前日会見』を参照)。トーナメントの組み合わせが決定した瞬間から、REALは達也の2回戦をこの時間帯に重なるよう調整した。グランプリ自体は各選手に有利不利が生じないよう公正に行われているが、演出はやっぱり達也中心なのである。

 先に行われた準決勝第1試合では、金田陽希が勝利し決勝戦へと駒を進めていた。だがファンの多くは、この準決勝第2試合こそ事実上の決勝戦と見ていた。実況のアナウンサーまでもが、「事実上の決勝戦と言っていいでしょう!」と口にするほどだった。

 赤コーナー、小野達也。33戦33勝(33KO)。REAL通算16戦16勝(16KO)。

 青コーナー。ボビー・サップ。3戦3勝(3KO)。3戦に要した合計試合時間は僅か1分弱。

 両雄がリングの中央で対峙する。見下ろすように達也を睨みつけるボビー・サップと、対照的に全く目を合わそうとせず、ボビーの首から下に視線を向ける達也。

 この時達也は、ボビーの肉体をじっくりと観察していた。そして、「こいつマジですげぇな…」と感心していた。

 ボビーの体重は170kgである。日常で170kgなんていう体を目にするのは相撲中継ぐらいだが、ボビーの170kgは関取の170kgとは全く違った。何せ、上腕二頭筋も大胸筋も腹筋も太股もボコボコに割れているのだ。間近で見るとマジでえげつないなこいつ…というかドーピングしまくりのサイボーグなんじゃねえのか?ついそんな事を思わずにはいられなかった。

 ただ、恐怖心は全く無かった。むしろ「こいつに勝てばまた俺の評価はグンと上がるよな」なんて思っていた。これまでも達也は、勝てないのではないかと囁かれた試合に勝ち、さらにはルールの壁を乗り越える事で今の地位を掴んだ。そんな過去の成功体験と似たようなものを、今回の試合にも感じていた。

 改めて達也はボビーの体を観察する。何もかもが規格外の肉体なのだが、特に気になるのは腰の高さだった。

 ボビーの腰は、達也の腰よりも高い位置にあった。身長が20cm以上も違うので当然と言えば当然なのだが、達也は自分より明確に足の長い人物を見たのはこれが初めてだった。

 だからちょっぴり悔しかった…というのもあるのだけど、それより何より、ボビーの腰を高さを確認した達也にある考えが芽生えてくる。

 最初のファーストコンタクトで、ボビーが突進してきた所に低いタックルに入れば、あっさりとテイクダウンを奪えるんじゃないか…?と。

 実はそれは、試合前に考えていた作戦の一つでもあった。1回戦突破後、達也は控室で晴香や他のコーチたちとボビー対策を練り続けていた。その中で戦術として候補となったのが以下の3案だった。

 

1.開始早々のボビーの突進に合わせて、カウンターのストレートを顔面にぶち込む

2.開始早々のボビーの突進に合わせて、低いタックルで足を取ってテイクダウンを狙う

3.突進はフットワークで避け続け、序盤はローキックを織り交ぜながらボビーのスタミナ切れを待つ

 

 いずれもボビーが開始早々に突進を仕掛けてくる事が前提の作戦なのだが、まあ、ボビーの突進は達也ならずとも誰もがそう読む所だ。

 達也は1や2の案で意外とあっさり倒せるのではないかという気がしていたのだが、晴香やコーチたちが推すのは3の案だった。アメフト出身のボビーはパワーだけでなくスピードも兼ね備えており、100mを12~13秒で走れるという。170kgの巨体にそんなスピードで突進されては、衝突の際の衝撃は瞬間的には1トンを超えるだろう。正面から迎え撃つのはいくら何でも無謀すぎる。低いタックルを仕掛けるにしても失敗すれば即致命傷になるのは間違いないし、運悪くボビーの膝が達也の顔面に入ってしまえば、それこそ冗談抜きで首の骨が折れてしまうかもしれない。

 という訳で最終的な結論としては3のスタミナ切れ待ち作戦を採用する事になったのだけど、実際にボビーと向かい合ってみて、やっぱり低いタックルでいけるんじゃないかという思いは強くなる一方だった。というか絶対そうすべきだろ、こんなに腰高けりゃ低いタックルが弱点に決まってるじゃん、それに逃げ回ってスタミナ切れ狙うより、いきなりタックル決めてやった方が絶対カッコいいし…と。

 だから、両者がコーナーに別れた時には、達也の肚は既に決まっていた。

 予定変更、タックルだ…!と。

 

 そして、運命のゴングが鳴る。

 

 すると、やっぱりボビーは達也めがけて物凄い突進を仕掛けてきた。まともに当たったらリング外まで吹っ飛ばされそうな、驚異的な勢いで。

 しかし、そんな状況に達也は内心ほくそ笑みながら。

 腰を落として、低いタックルに入る…!

 ……が。

 

 ――ズドンッッッ!!!

 

 達也の顔面が、ボビーの太ももに当たった。柔らかい部分との衝突だったのだが、とてつもない衝撃に達也の意識がほんの一瞬だけ遠くなる。

「くぅっ…!」

 だが、狙い通りボビーの足を捕まえる事はできた。あとはこの太い足を引き込んで巨体を倒せばミッション成功…

 …の、筈だったのだが。

「えっ…?」

 次の瞬間、達也は平衡感覚を失うのを感じた。捕まえていた筈のボビーの足はするりと手から抜けて、ふわふわとした感覚に包まれる。

「な、何だ…?」

 そのふわふわとした感覚の正体が、自身の体が高々と持ち上げられているという事実から生じていると気付くには、そう時間はかからなかった。

 そして、気付いた時には、もう遅かった。

 

 ――ドンッッッッッッッ!!!!!!

 

 ボビーの太ももに衝突した時とは比べ物にならないほどの激しい衝撃が達也を襲う。それは、背中から後頭部にかけてを激しくマットに叩き付けられた衝撃だった。

 本格的に意識が飛びそうになるのを、達也は寸前で堪える。

 その直後、覆いかぶさるように上になったボビーの拳が、顔面へと振り下ろされるのが達也の視界に映った。



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7-12 第2回REAL無差別級グランプリ 2

「ぐっ…くぅっ…」

 嵐のように降り注ぐ顔面へのパンチを、達也は歯を食いしばって必死に堪える。といっても、気合いだけで堪えられるような生易しいパンチではない。重要なのはできる限り密着する事、振り下ろされる拳に力が乗り切る前に、距離を縮めて額などの硬い部分でパンチを受けてしまう事だ。

 マットに仰向けになりボビーに上に乗られた達也だったが、何とかガードポジション(両足を相手の胴体に巻き付ける体勢)は維持していた。この体勢を維持できてさえいれば、ボビーの体をある程度はコントロールできる。逆に巻き付けている足を振りほどかれて完全な馬乗り状態(マウントポジション)になられては、振り下ろされるパンチに対して距離を詰める事ができなくなり、好き放題に顔面を殴られ続けてしまう。つまりは、事実上のゲームセットだ。

 巻き付けた足に力を込めて、ボビーを引き込むようにして密着を試みる。こんな筋肉ゴリゴリの男と密着なんて気持ち悪い…なんて言ってる場合ではもちろんない。密着しなければまともにパンチを受けてしまうのだから。

 ボビーの体を思いっ切り引き付け、さらに下から抱き着くようにしてボビーの動きを極力封じる。ボビーは達也を振りほどこうと太い腕を振り回しては隙を見つけて顔面にパンチを見舞おうとするが、拳と顔の距離が近くてなかなか力の入ったパンチを打つ事ができない。

 開始早々タックルに失敗してパワーボム(相手の体を持ち上げマットへと叩き付ける技)を食らうという特大のピンチを迎えた達也だったが、しかし必死に得たガードポジションだけはとりあえず完璧で、なんとか秒殺負けの危機は脱した。達也の長い足はボビーの太い胴体にガッチリと巻き付いており、そう簡単には外れそうにない。

 とはいえ、達也が不利である事に変わりはない。達也の手足を振りほどこうと暴れるボビーの力は尋常ではなく、それを封じるべく密着しているだけで激しく体力を消耗する。それに、ボビーのパンチを完全に封じ切れている訳でもなく、近距離から強引なパンチが数秒おきに振り下ろされる。それは力が入り切っていないから致命的なダメージにはならないとはいえ、そこそこ…というかかなり痛い。

 そしてさらに言うなれば、170kgの巨体に乗っかられているだけでかなりの負担だ。腹筋に力を込めていないと、胃袋が潰されてしまうんじゃないかと思うほどに。

「くっ…この野郎っ…」

 何とかしなければと思い打開策を探る達也だが、しかし有効な打開策なんてある筈もなかった。とにかく足を絡み付け上半身も引き付けて、できる限り密着を試み続ける。そしてボビーの近距離からのパンチをなるべく額で受け続けながら、隙を探って下からボビーの顔面にパンチをお返しする。

 達也にとっては、つらく厳しい時間だった。全身に力を入れ続け、顔面でパンチを受け続けた。達也も下から何発かパンチを当てはしたが、与えた打撃より受けた打撃の方が数倍多かっただろう。

 そうこうする内にボビーもバテてきたのか、徐々に動きは大人しくなっていって。

 そしてそのまま、第1ラウンド終了のゴングが鳴り響いた。

 

………………………………………

 

     ―達也―

「はぁっ…はぁっ…くっ…」

 ゆっくりと立ち上がる。とりあえずは大ピンチを切り抜け1ラウンド終了のゴングを聞けた事を安堵していた。気を失いそうになった瞬間が何度かあったけど、今はもう大丈夫。とりあえず意識はしっかりしている。

「はあっ…はぁっ…くそっ…」

 ただ、とてつもない疲労が全身を覆っていた。特に下半身の疲労は相当だった。無理もない、あんなデカい体に必死に密着して、しかも振りほどかれないようずっと全力でしがみついてたっていうんだから。冗談ではなく、俺の長い足とスポーツマンNo.1決定戦で圧勝してしまうような体力が無ければ、とてもじゃないけどガードポジションを維持し続けるのは無理だったと思う。いや、マジで。

「はぁっ…はぁっ…はぁぁっ…」

 呼吸が荒い。とりあえずコーナーへと戻らないと。インターバルは2分、その間に少しでも回復を…

「達也くん、大丈夫っ?」

「へ…?あ、ああ」

 戻ろうとしていた赤コーナーは、すぐ目の前にあった。そりゃそうだ。何たって開始早々、赤コーナーからほとんど動かない場所で投げつけられてずっと上に乗られてたんだから。

 つまりは、そんな当たり前すらにも気付いていない程に、必死の10分間だったって訳だけど。

「くっ…」

 用意された椅子にゆっくりと座る。それだけの行為が結構つらかった。

「よく耐えたわね。大丈夫、相手も確実に疲れてるわよ」

 と晴香さんが言う。確かに1ラウンド終盤にボビーがバテてきているのは自分も肌で感じてはいた。パンチの威力も鈍っていたし、何よりボビーの体に込められている力の総量が落ちていた。あれだけ密着していれば、相手が力を入れているかどうかぐらいは嫌でも分かる。

 とはいえ冷静かつ客観的に見て、俺の方が圧倒的に体力を消耗している事は確かだった。

(あー…くそっ…)

 今さらながら、低いタックルなんて狙わなければ良かったと後悔していた。案の定、ボビーのスタミナは不足していた。何たって上に乗って暴れているだけでスタミナ切れを起こしてるぐらいなのだから。当初の計画通りローキック戦法で後半勝負に出ていれば、今頃はリングの中央で俺の右手が高々と掲げられてたかもしれない。

(まあ、過ぎた事は仕方ない…か)

 そう、過ぎた事を後悔しても仕方がない。今の俺がすべきなのは少しでも体力を回復させる事と、残り10分の戦い方を改めて整理する事だ。

 俺ほどではないとはいえ、ボビーはボビーでそれなりに体力を消耗している。インターバル明けにはまた突進してくるかもしれないけど、今度は付き合わずにしっかり距離を取って、本格的にスタミナが切れるのを…

「いっ…いいいっ……!?」

 その瞬間、背中から肩首辺りを強烈な痛みが駆け、思わず声を発してしまう。

「ど、どうしたのっ…?」

「いやっ…いやいやっ…何でもないです」

 晴香さんが心配そうに聞くけど、咄嗟に適当に返す。ただ実際は、何でもないなんて事は全く無かった。現に、今もキリキリと痛い。

 これは…筋を違えたか…とにかく筋肉系の痛みだ。

 おそらくは、開始早々のパワーボムで首をマットに打ち付けられた際に負ったものだろう。戦ってる最中はアドレナリンが出過ぎてたからか全く気付かなかったけど、こうして落ち着いてしまえばその痛みが嫌と言うほど浮き上がってくる。

 というか…何これ…めちゃくちゃ痛いじゃねーか…

 ヤバい…待ってくれ…これはマジでヤバいやつだ…ていうかこんなの戦えないって…

 棄権の2文字がちらっと頭に浮かんだ。ただ、ここで棄権すれば言うまでもなく俺のTKO負けになる。

 それだけは絶対に嫌だった。何せ俺はこの試合でまだ全く力を出せていないから。ちょっと調子に乗って作戦を間違ってしまっただけで、第2ラウンドは絶対に自分の強さを披露できる自信があるから。

 それに…あのゴリラを逆転KOしたら、今度こそ充希は絶対俺の事を見直してくれる筈だから…!

「よし…やってやるぜっ…!」

 2分のインターバル終了の合図と同時に、勢い良く立ち上がる。

しかし…

「いっ、いいいいいっ…!!」

瞬間、ビキビキビキッッッ!!と背中の上部に激痛が走った。

「た、達也くん…」

「ま、まあ見てて下さいよ。最強の男の戦いを見せてやりますよ…」

 おそらくは晴香さんも、俺の異常を感じ取っただろう。だからこそ俺は敢えて強気な言葉だけを並べて、対角線上の青コーナーを見やる。

 するとそこには、ボビーが今にも突進してきそうな構えで、こちらを睨みつけていた。



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7-13 第2回REAL無差別級グランプリ 3

 まずは、第2ラウンドの展開を簡単に要約する。

 第2ラウンドも開始早々にボビーが突進を仕掛けたが、今度は達也もタックルには行かずに横へとかわした。ボビーはなおも追撃したが、達也はロープ際を伝うようにして横へ横へとかわし続けては、時おりローキックを放ってボビーの動きを牽制した。やがてボビーはスタミナが切れ始め、その動きは明確に鈍くなった。

 と、ここまでは達也にとって理想通りの展開だったのだが、想定外だったのは第1ラウンドでの疲労とダメージが大きかった事だった。特に背中から首にかけての激痛は相当で、立っているだけでもかなりつらいレベルだった。

 なので、反撃に出たいのに思うように手が出せない。そうする内にボビーがまた勢いよく距離を詰め、今度はよけきれずにテイクダウンを奪われてしまう。

 ただ、第1ラウンドと同様に達也は仰向けになるや否やガードポジションの体勢をつくってボビーの動きを封じた。ボビーはテイクダウンこそ奪ったもののスタミナは切れており、達也に密着されてなかなか有効なパンチを振り下ろせない。逆に達也が下から放つパンチの方がボビーの顔面にヒットする。不思議なもので、上に乗るボビーよりもマットを背にして仰向けになる達也の方が逆に相手にパンチを当てているような状態だった。

 下からのパンチを嫌ってボビーが立ち上がった。それを受けて達也も立ち上がる。

 そこからは、達也がボビーの突進をかわしながらローキックを小気味良く当てる展開が続いた。だが達也の疲労は大きく、ローキックにいつものようなキレは無く深いダメージを与えられない。そしてそのまま、第2ラウンド終了のゴングとなった。

 規定の10分2ラウンドが終了し判定は…3人のジャッジのうち1人がボビーを支持したが、残り2人はドローと判定した。2人以上のジャッジから優勢と支持されなければ勝利とはならない。延長戦突入である。

 判定を聞いた瞬間、達也は無言で胸を撫で下ろしていた。負けた可能性も十分あると感じていたのだ。実際にジャッジの1人はボビーを支持していたのだから、判定負けとならなかったのは運が良かったとも言えた。

 延長戦は1ラウンド10分。もしこの延長戦でも決着がつかなければ、その時は30分トータルの内容をもって改めて判定が行われる事になる。再判定は無く、泣いても笑ってもこの10分で勝敗が決する。

 そんな運命の延長戦、達也はある作戦をもって戦いに臨もうとしていた。それは試合前には全く考えていない作戦だったが、第2ラウンドのふとしたタイミングで偶然思いついたものだった。

 

 ゴングが鳴り、決着の10分間が始まる。

 

 開始直後、やはりボビーは達也に向かって突進した。達也は予想していたようにそれをかわし、遠い位置から浅いローキックを放つ。

 リング上では第2ラウンドと同じような展開が繰り広げられた。休憩と突進を繰り返す猛牛と、それをかわし続ける闘牛士。お互いに決め手がないまま、時間だけが過ぎていく。

 そんな中、先にチャンスを作ったのは猛牛ボビー・サップの方だった。渾身の突進がついに達也を捕まえ、この日3度目のテイクダウンに成功した。

 だが、これまでの2度のテイクダウンと同様、やはり達也は完璧なガードポジションを確保していた。長い足をボビーの体に巻き付け、下から細かくパンチを当てる。

 見た目の印象では、達也の上に乗っているボビーが圧倒的に優位に見える体勢だ。だが下になっていたとしても完全なガードポジションを確立できてさえいれば、必ずしも不利とは限らない。実際、ボビーもパンチを落とそうとするがその動きは達也の長い手足によってかなり制限されており、むしろ達也が下から繰り出すパンチの方が細かいながらも的確にボビーの顔面にヒットしているような状態だった。

 実は達也は、最初からこの体勢を狙っていた。ボビーの圧力に屈してテイクダウンを許したように見えたが真実はそうではなく、敢えてボビーの突進を受けてグラウンドに引き込んだのだった。

 この達也らしからぬ作戦は立ち技の打撃でボビーを倒す自信が無いから…ではなく、やはり第1ラウンドに負った背中から首にかけての負傷が要因だった。第2ラウンドにテイクダウンを許した際、仰向けになった状態なら痛みがかなり緩和される事に気が付いたのだ。だからこの延長戦、達也は最初からガードポジションだけを狙ってボビーの適度な突進を待っていたのだ。

 とりあえずはボビーをグラウンドに引き込む事には成功した。見た目はあまり良くないかもしれないが、決して達也が一方的に不利という訳ではない。現にボビーも、達也の上に乗りながらも自分の体勢があまり有利ではないという事に気付き始めている。

 だから達也がボビーの体を押し上げると同時に、巻き付けている足の力を少しだけ緩めると、ボビーは安心したように立ち上がろうとした。蛇のように絡みつく達也から一旦逃れてスタンド(立った状態)に戻ろうとしたのは、完全に達也の読み通りだった。

 そして、その一瞬の隙を、達也は狙っていた。

 ボビーが達也の体から離れて一瞬気を抜いたその瞬間、達也は仰向けの状態から思いっ切り腰を跳ね上げて…

 5億円の保険がかかる、黄金の右足を振り抜いた……!

 

――パシンッッッッッ!!!!

 

 まさに日本刀で切り裂いたような一閃。ゼロ地点から蹴り上げられた達也の長い足は、まるでストリートファイターⅡの「昇竜拳」のように真下からボビーの顎を捉えた。

 不意の一撃に、ボビーが尻もちをつく。それを予期していたかのように、達也が素早く起き上がってその巨体にのしかかり、あっという間にマウントポジションを奪った。

 瞬間、会場が沸いた。実況のアナウンサーも声を張り上げ、その隣に座っている自称格闘技通のアイドル系女優は興奮を隠し切れないように絶叫した。無理もない。不利な状況に耐え続けた達也が、ついにこの試合初めて有利な状況を築いたのだから。しかも、もう勝利確定と言っても過言ではない、圧倒的に有利な状況を。

 ボビーは達也の下でもがいたが、達也は慌てずにその動きを制する。達也が得たマウントポジションは完全で、こうなってはいくら怪物的なパワーを誇るボビーとはいえ脱出は不可能だった。まるで駄々をこねて暴れる子どもを りつけるように、達也はボビーを押さえつけてその動きをコントロールする。

 そしてお仕置きとばかりに、顔面にパンチを落とす。2発、3発、4発と。

 ここから先は、勝者のためのみに存在する時間だった。

 

………………………………………

 

     ―達也―

 マウントポジションを奪った瞬間の心境はというと、心の底から安堵していた。敗戦を覚悟した瞬間こそ無かったけど、諦めそうになった瞬間が何度もあったのは事実だった。ボビーのパワーは凄まじく、ガードポジションを保つだけでも極端に筋力とスタミナを消耗した。ガードポジションの状態で顔面に受ける細かいパンチも、決定的なダメージにはならないまでも地味にかなり痛かった。そして何より、背中から首にかけての激痛はハンパじゃない。

 一瞬の隙を突いての逆転。あまりに狙い通り過ぎる気もするけど、でもとにもかくにも本当に諦めなくて良かった。自分で自分を褒めたいって昔誰かが言ったけど、本当にそんな思いだった。

 さらに何発かパンチを落とすと、ボビーはもう脱出の不可能を悟ったのか、暴れるのをやめて両手で顔面を覆った。その無防備な格好に思わず苦笑してしまう。何だよ、イカつい体して可愛い姿見せるじゃんか、と。

 ホッとしていた。そして嬉しかった。もちろん最後まで気を抜いちゃいけないけど、もう勝利は事実上確定したと言っていいだろう。俺は今、予選も本戦1回戦も圧倒的な強さで勝ち上がってきた怪人を、マウントポジションから一方的に殴っている…そう思うと(悪趣味ではあるけれど)正直言ってなかなかの快感だった。今の俺、めちゃくちゃカッコ良くテレビに映ってるよな…そんな事も思ってしまった。

 まだ試合が終わってない中で、たっぷりと勝利の余韻に浸る。思えば俺の試合はいつも一撃KOだから、こういう類の快感は初めてだった。マウントポジションってなかなかいいものだな…男としてどっちが強いかこれ以上分かりやすく見せ付けてやれる体勢って無いよな…なんて思いながら。

 ドン、ドンと何発かパンチを落とす。無防備の相手を殴るのはあまり好きじゃないけど、今日はこいつに殴られまくったからお返しの意味を込めて、本気は出さず軽めに。

 …と、勝者だけが味わえる悪趣味な時間を思う存分享受してから。

 最後はボビーの利き腕である右腕を取って、腕ひしぎ逆十字を華麗に極めてやる。

 その瞬間、ボビーは残された左手で俺の体をぽんぽんとタップした。敗者の合図をしっかりと確認してから、俺はその太い腕を解放してやる。

 勝利のゴングを聞いて、一気に体の力が抜けた。クタクタだった。立ち上がるのも億劫になるぐらいだった。

 でも、充実感はハンパなかった。日の丸を掲げてリングを何周もしたい…そんな充実感を覚えていた。

 

………………………………………

 

     ―充希―

 物凄い試合だった。

 達也の試合は大昔からもう数え切れないほど見てきたけど、でも、こんなにも壮絶な試合はかつて無かった。

 今まで何度も何度も達也のカッコいい姿を見てきたけど、今日の達也は間違いなく一番素敵だった。同じ人間とは思えないような大男を相手に勇敢に立ち向かい、投げられても殴られ続けても必死に耐え続けた達也。どんなに苦しくても決して諦めなかった達也…その姿に、私は心を打たれていた。

 胸が熱かった。何も言葉が見つからないぐらいに、心の底から感動して…

「っ…!?」

 その時だった。

 テレビの画面が切り替わって、観客席が映し出される。

 その中心に映るのは、大勢の観客の中に紛れながらも隠し切れない輝きを纏(まと)った、あまりにも綺麗な女の子で…

「あ……」

 カメラが捉えた高橋ひかりは、ボロボロと涙を流していた。

 達也のあまりにも劇的な逆転勝利に感極まり、周囲の人目もはばからずに号泣していた。

「そう…だよね…」

 その姿を見た時、私の中にある『何か』が、音を立てて崩れてゆくのを感じずにはいられなかった。

 それは怒りとか、悲しみとか、嫉妬とかでは決してなくて。そもそも、そんな単純な言葉で言い表せるような感情じゃなくて…

 達也は力の全てを振り絞って、それこそ命を懸けて、私たちに勇気と感動を届けてくれたというのに…

 そんな最高の姿を見せてくれた達也に、涙の一粒も流してあげられない私は…

 もう、達也の傍にいる資格なんて無いんだ、と…

 

………………………………………

 

 達也の劇的な逆転勝利に観客は熱狂した。だが、死闘の代償は小さくなかった。

 その発表がREAL統括本部長の口から観客とテレビの前の視聴者に発表されたのは、達也の試合からおよそ20分後の事だった。

 

「小野達也選手はボビー・サップ選手との準決勝において背中を負傷し、また疲労が著しい事からこれ以上の試合を行う事は不可能であるとドクターが判断致しました。これによりグランプリ決勝戦は小野達也選手の棄権となり、金田陽希選手の優勝と致します」

 

 発表に会場はどよめいた。達也が背中を負傷している様子など全く見せていなかったし、何より達也と金田陽希が決勝で戦う姿を見られない事が残念でならなかった。しかし、現実として達也のダメージは深刻だった。観客の前でこそ平静を装っていた達也だったが実際のところ背中から首にかけての激痛は凄まじく、試合後にはさらに悪化し満足に背筋を伸ばす事すら難しくなっていた。加えて30分弱の試合時間の半分以上をボビーの巨体の下で力を入れ続けながら過ごした事で、筋肉疲労も限界に達していた。なので発表ではドクターストップとなっていたが、実際は達也から決勝戦の棄権を申し出たというのが真実だった。連覇を掲げて努力してきた達也としても残念な気持ちは強かったが、とても戦える状態ではなかった。

 こうして、第2回REAL無差別級グランプリは金田陽希の優勝となった。決勝戦が無いというのは何とも締まりが悪いのでREALとしてはボビー・サップを達也の代役として決勝戦のリングに上げようとしたが、ボビーは頑なにリングに上がるのを拒否した。ボビーも達也との死闘で疲れ果てており、加えて試合終盤に達也にマウントポジションを奪われてパンチを落とされ腕ひしぎを逆十字を極められた事により、総合格闘技への恐怖心を植え付けられてしまっていたのである。頑なに首を縦に振らないボビーにREALがしつこく説得を試みると、ついにボビーは大声を張り上げ英語で何かを喚(わめ)き散らしながらながらさっさと会場を後にしてしまった。

 

 そんなこんなを経て、最後はリングの中央で金田陽希が優勝トロフィーを受け取り、第2回REAL無差別級グランプリはエンディングを迎えた。

 だが、優勝インタビューを受ける金田陽希の表情は、あまり嬉しそうではなかった。



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7-14 激闘の果て

 第2回REAL無差別級グランプリを制し最強の男の称号を得たのは金田陽希だったが、ファンの認識は全く異なっていた。以下、SNS上のコメントをいくつか抜粋する。

 

・あんな化け物からタップを奪うなんて小野達也最高すぎる!

・怪物はボビーサップではなく小野達也の方だったという解答

・普通の選手なら最初のパワーボム食らった時点で失神してる

・起死回生のハイキックからマウント奪った瞬間は日本中が震えた

・小野達也選手は日本の誇り!

・祝、小野達也(事実上の)グランプリ連覇達成!

・誰がどう見ても小野vsボビー戦が事実上の決勝戦だったよな

・ところで優勝したの誰だっけ?

・金田弟がボビーと当たってれば普通に秒殺負けだろ

 

 と、達也への賞賛一色。一方、優勝した金田陽希を祝福するようなコメントはほとんど無かった。金田が優勝できたのは組み合わせの運に恵まれただけで、達也こそ真の勝者だというのがほとんど全てのファンの認識だった。

 そんな状況を受けて、年が明けて間もなく、優勝者である金田陽希が驚くべき声明を発表した。

 何と、第2回REAL無差別級グランプリの優勝を返上すると宣言したのである。

 声明を要約すると「自分としても今回の優勝には納得できていない。やはり準決勝を勝利した小野選手と自分が戦い、その勝者が優勝となるべきだ。なので小野選手の状態が回復次第、改めて決勝戦をやらせてほしい」というものだった。

 この声明を受けて、REALは金田陽希のグランプリ優勝返上を正式に承認し、優勝者を一時預かりとする事にした。そして、近い内に改めて金田と達也の試合を組むよう調整する事を明言した。事実上の決勝戦開催宣言である。

 もちろんファンはこの流れを支持した。金田陽希の兄とは全く違う潔い声明を評価しつつ、来たるべき決勝戦では達也が金田を華麗にKOして名実共に真の王者となる事を期待した。

 

 そんな状況の中、達也は年明けから少しの間を、病院のベッドの上で過ごしていた。

 背中から首にかけての激痛は酷くて人生一と言って差し支えないぐらいに苦しい思いをした達也だったが、診断結果は筋肉の筋を違えた程度で大事には到っておらず、治療後4~5日もする頃には痛みはほぼ引いた。とはいえ大きな試合が終わった直後という事もあり、体を休める意味も込めて2週間程度入院する事にしたのだ。

 病院でも達也は大人気で、ナースたちはこぞって達也の担当になる事を希望した。中には回診の時に「退院したら一緒にご飯行きませんか」とストレートに誘ってくるナースまでいた程である。もちろん達也の人気はナースだけにとどまらず、リハビリがてらに院内を歩いていたらお婆ちゃんに声を掛けられて長話を聞かされたあげく「相手にどうだい?」と孫娘を紹介されたり、あるいは中庭のベンチで休んでいるとたまたまそこで遊んでいた入院中の子どもたちと仲良くなってしまって、以降毎日のように病室に押しかけられたりと、決してゆっくりとは落ち着けない入院生活だった。

 とはいえ、とても気楽でストレスのない時間だった。日々厳しいトレーニングに明け暮れてきた達也にとっては初めてと言っていいような完全な休養で、心身をリフレッシュするには十分だった。

 そして退院した日には、早速トレーニングを開始した。言うまでもなく、次のターゲットは金田陽希である。

 実は達也は、金田陽希との決戦にはあまり乗り気ではなかった。というのも、ボビー・サップを倒してさらに評価を高めた事で、もう十分に満足していたのだ。思い出して欲しい、第2回REAL無差別級グランプリで達也が最大の目標として掲げていたのは、「充希にカッコいい姿を見せる」という事であり、優勝はその手段であって目的ではなかった。なので優勝こそならなかったが、怪人ボビー・サップを死闘の末に撃退した姿にはさすがの充希も胸キュンだったに違いない…!と、達也はかなりの手応えを感じていたのだ。だから今さら金田陽希と戦いたいとは別に思わない、というのが本音だった。事実上俺が最強って事で評価は定着してるんだから、優勝の称号ぐらいは全然くれてやるんだけどな…と。

 とはいえ、決戦を望む空気がファンの中にある事は嫌でも感じる。加えて、金田陽希に対して申し訳なさのような思いが少しあるのも事実だった。金田が優勝しながらも全く評価されていないのは、俺がが負傷棄権して戦えなかったからからに他ならない…金田としては俺を倒さない事には王者として評価されない…ならば俺としては、金田の挑戦を受けなければならない義務はあるだろう…と。

 決して乗り気ではなかったが、しかし真の王者の義務として、金田陽希との決戦を拒否する訳にはいかなかった。幸い体の方は既に万全でトレーニングは復帰初日から強めの負荷をかけたが全く問題なく、2日目にはジムの後輩(達也効果でFAILYにはこの所若い入門希望者が増えている)たちを相手にスパーリングを敢行してみたのだが、相手がまだプロデビュー前の新人だったとはいえ、達也は左手一本で全ての相手を圧倒してしまった。2週間のブランクも何のその、もちろん背中にも首にも痛みは全く感じなかった。

 そしてスパーリングの後には、遅ればせながら新年一発目の種付けにも臨んだ。こちらも好調で腰の動きは文句なし。種付けの体位もまずは自身が仰向けになっての騎乗位から頃合いを計って正常位に移行という、まるでガードポジション→マウントポジションへと移ったボビー・サップ戦と同様の流れを経て、女性をイかせると同時に膣奥へ気持ち良く射精した。ただ、久しぶりの射精だった事もありその量があまりに大量で、出し終えた頃には肩で息をしてしまうぐらいの疲労感に襲われた。若手たちとのスパーリングよりも遥かに疲労感は大きく、「あいつらとのスパーよりも種付けの方がトレーニング効果は遥かに高いんじゃないか?」と達也は本気で思ったとか思っていないとか。

 とにもかくにも激戦の傷は癒え、達也は再び前に進み始めた。

 ……と、思ったのだが。

 

………………………………………

 

 付き合い始めた当初は毎晩電話していた達也と充希だったが、社会人となってからはお互いに忙しい事もあってさすがに毎日とはいかず、その頻度は徐々に減っていた。とはいえ決して倦怠期とかそういうものではなくメールは毎日欠かさずにするし、週末などの休日前には長電話が恒例になっていた。

 そして、この日は週末。充希は翌日から連休。

「ああ、うん、もう大丈夫。ちょっと背中を痛めてたけど、もう完全に治ったから」

 例の週刊誌報道以降、達也は充希がまだ完全に許してくれていないのを感じずにはいられなかった。電話口から聞こえる声のトーンもやけに低い事が珍しくなく、気まずくなって逃げ出すように電話を切った事も何度があった程だった。ただ記事から半年が経ち、ようやく充希の態度にも軟化が見られる事も感じていた。この日も電話口から聞こえてくるのは、達也が大昔からずっと聞いてきた本来の充希の声だった。

 それにはやっぱり大晦日の試合の効果も大きかっただろう、と達也は思っていて。

「あのゴリラ野郎、力任せに投げつけてきやがって。ま、見ての通りたっぷりお返ししたやったけど」

 まるで自己アピールするかのように得意げに言う達也。まあ確かに、ボビー・サップから試合開始早々にパワーボムを食らって逆転勝ちできる日本人など達也以外にはいないかもしれない。

「充希もさすがに、あの試合は俺がヤバいかもって思っただろ?」

「ううん、達也は凄すぎるから、もう誰に勝っても驚かないようにしてる」

「おお、すげえ評価」

「本当に凄すぎるよ達也は。何かもう、別の世界に行っちゃったみたい…」

「はは、そこまで言ってくれるんだ」

 これ以上無い最高の誉め言葉に、じんわりと嬉しさが込み上げてくる達也。同時に、例の件についてはもうほとんど許してくれたと思っていいのかな、なんて感じながら。

「ところで充希は、仕事の調子の方はうまくいってる?セクハラとかパワハラ受けたりしてないか?」

「うん、そういうのは全然無いかな」

 今はハラスメントは即アウトだらかね、と言葉を繋いでから。

「実は、達也には言ってなかったけど、今年の春から転勤になりそうなんだ」

「お、ついに研修期間が終わったんだ」

「まあ…うん、そんな感じかな」

「で、どこになりそうなんだ?もちろん関西?」

 期待を込めて達也が聞くと。

「うん…実は…イギリスなんだ」

「…はい?」

 想像もしていなかったカタカナに一瞬戸惑ってしまう達也だったが。

「凄いじゃん!それって、夢が叶ったって事じゃんか!」

 すぐに達也は、充希の背中を押すように。

「海外と繋がるような仕事がしてみたいって昔から言ってたもんな。それにイギリスだったら、英語ペラペラの充希には最適じゃん」

「私の英語なんて現地でどこまで通じるか分からないけど…」

「多少通じなくても、充希ならすぐに何とでもできるって」

「でも…イギリスだよ?達也は寂しくないの?」

 ぽつりと充希が聞いた。

「そりゃ寂しいに決まってるよ。でも彼氏として、彼女の夢を応援するのは当然だろ?それに、別にイギリスに永住する訳じゃなくて、また何年かしたら日本に帰って来られるんだろ?」

「…私が遠くに行ってくれて嬉しいとか、思ってないよね?」

「あのな、そういうのは冗談でもやめてくれ。何なら俺も充希と一緒にイギリスに行きたいぐらいだ。というかマジで行きたくなってきた。ついて行っていいよな?」

「ごめん、今のは私が悪かった」

 一言、そう謝って。

「でも、達也はダメだよ。達也は日本のスーパーヒーローだから、日本人はみんな達也の活躍を楽しみにしてるんだから」

「俺にとっては全てのファンより充希が大事だけどな」

 その言葉に、充希も感傷的になってしまいそうなのを堪える。

 どうして達也は…そんな嬉しい事をサラッと言ってくれるんだろう…と。

 でも…

 達也はもう、私が独り占めしていいような存在じゃなくなっちゃったから…

 私なんかには束縛されずに、もっと多くの人に夢を与えて、もっと素晴らしい女性を見つけるべき人だから…

 それが…達也のためだから…

「というかさ、来週にでも一緒にご飯行こうぜ。俺東京行くよ。海外赴任のお祝いしたいし、仕事以外でも話したい事沢山あるしさ」

「しばらく会えなくなるもんね…」

「まあ、めちゃくちゃ寂しいけど、俺は充希の夢をどこまでも応援したいし、それに――」

 

 達也が、充希にエールを送るように何かを言う。

 でも充希は、それを遮って。

 

「だからさ…いい機会だと思うから…」

 

 その言葉を、口にする。

 

「もう…私たち………別れよ?」

 

「………………え?」



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8章 並んで歩こう(X7年1月~ )
8-1 ずたぼろ


これまで7章82話の長きに渡ってお送りしてきた本作も、ついにこの8章が最終章となります。
完結まであと少し、ぜひ最後までお付き合い下さい!


 行き先はそれぞれに違うこと 初めから知っていた二人だね

 それなのに貴方に触れる日はいつも 永遠を感じていたんだ

 めぐり逢いどれくらい経ったかな 苦手な笑顔もうまくなったかな

 それからの二人はいつも一緒だった 

 

 そして、順に大人になった――

 

………………………………………

 

 達也の負傷が軽傷だった事を受けて、REALは改めて第2回グランプリ決勝戦開催の準備に着手した。金田陽希サイドはもちろんFAILYサイドも早期の決戦に前向きで、交渉はトントン拍子で進んだ。

 そして1月の下旬には早くも、達也と金田陽希が3月22日(日)に東京ドームにて激突する事が発表された。

 常識的に考えれば、達也としては潰(つい)えたと思われたグランプリ連覇の夢が復活したのだからこれ以上なくありがたい話である。本来なら、改めての決勝戦開催を提案した金田陽希に感謝の一言ぐらいあっても良かったかもしれない。

 だが、この時の達也は、正直言って試合どころではなかった。

 何とも…本当に何とも間の悪い事に、達也が充希から別れを告げられたのは、金田陽希との試合が水面下で内定してから発表に到るまでの、ほんの数日の間だった。

 それ以来、達也のメンタルは深刻なレベルに陥ってしまっていて…

 

 

 ドンッ、と達也が尻もちをついた。若手選手の放ったパンチが達也の顔面を捉えたのだ。

 衝撃的な光景だった。達也がスパーリングでダウンするなどもちろん初めて。そもそも顔面にパンチを貰う事すらほとんど無く、たまに貰ってしまったとしても「俺の顔面を殴るとはいい度胸じゃねえか」と言わんばかりに反撃して逆に重いパンチをお返しするのが本来の達也の姿だ。なのにこの日は、たった一発貰っただけで力無くダウン。しかも、尻もちをついたまま少しの間立ち上がろうともしなかった。

 何とか立ち上がってスパーリングは再開されたが、達也の動きはとてつもなく重く、繰り出す攻撃も信じられない程に弱々しかった。なので再開後もすぐに若手選手の猛攻を浴び、コーナー際で背を丸めてサンドバッグ状態に打ち込まれてしまったのはむしろ当然の姿だった。

 結局、スパーリングは予定されていた3分2ラウンドのうち、前半の1ラウンドすら消化されずに強制終了となった。これ以上続けても意味がないどころか、ヘタをすれば達也が怪我をしてしまうかもしれない…そう思わせる程に散々な内容だった。

「あの…小野先輩、えっと…ありがとうございました」

 達也をボコボコにした若手選手が申し訳なさそうに言う。彼にしても達也からダウンを奪った時には嬉しさのあまり小さくガッツポーズをしてしまったが、最後はあまりに弱々しい達也を心配して思わず力を緩めた程だった。

 誤解の無いよう言っておくが、彼は決して強いと言えるような選手ではない。まだ二十歳そこそこの駆け出しキックボクサーであり、普段の達也なら左手一本で手玉に取れる程度の相手なのだが…

「はあ…はあ…はあっ…」

 肩で息をしながら、ヨロヨロとリングを降りる達也。状態があまりにも酷いのは誰の目にも明らかだった。

「達也くん…もしかして高熱でもあるの…?」

 晴香もまた、信じられない思いだった。何せつい数日前まで元気そのものな姿を見せていただけに…

「大丈夫です…すみません…」

 全く大丈夫でなさそうな声で力無くそう言ったかと思うと、壁際までとぼとぼと歩いてペタンと座り込む達也。そしてまた、「はあ…」と大きなため息。その表情は暗く、視線は虚ろ。瞳には全く生気が宿っていなかった。

 

 ――達也とはもう一緒にいられない。達也と私はもう、住む世界が違うから…

 

 それが、充希から告げられた別れの言葉だった。「達也は私なんかじゃなくて、もっと素敵な女性が似合う人だから…」とも

 それらの言葉を告げられた後、達也は自分が何を言ったのかほとんど覚えていなかった。「何言ってんだよ」「納得できない」そんな事を言ったような気がする。「俺の悪い所があったら直すから」みたいな事も言ったかもしれない。

 でも、そんな陳腐な言葉では、充希の決意を翻す事はできなくて。

 ついには「今までありがとう」という言葉を残して、電話の向こうから充希の言葉が届く事はなくなって…

 

………………………………………

 

 フラれてから1週間が経ったが、達也は立ち直るどころか、その状態はさらに悪化の一途を辿っていた。

 布団から起き上がるのも億劫、でも少しは体を動かさないと本当に廃人になってしまうからと気力を振り絞ってジムに顔は出すもののそこまでが限界で、とても普段通りのトレーニングを行う事など不可能だった。食事もほとんど喉を通らずに血色は日に日に青ざめて、体重はこの1週間で5kgも減ってしまった。もちろん種付けも一方的にキャンセル状態が続いていた。

 どうしても諦めきれずに何度か充希に電話をかけてみたりもしたが、電話口から聞こえてくるのは決まって冷たい電子音だけ。ならばと今度はメールを送ってみるものの、着信拒否こそされてはいないようだったが返信が返ってくる事はなく、たまにメール受信音が聞こえた時には期待を込めながら確認してみるのだが別人からのメールでガックリと肩を落とし、ついにはメール受信音が聞こえる事自体が怖くなってスマホをサイレントモードに設定したまま布団の中に放り込んでしまって、夜になってから1日分の着信履歴を確認するけどその中に充希からの着信を見つける事はできずにまた気が沈んで…と、しかしまあよくもここまで落ち込めるよなと言わずにはいられない程の、それはそれは悲惨な落ち込みっぷりだった。もし達也が獅子咆哮弾(※『らんま1/2』に登場する響良牙の必殺技。気が重くて沈んでいるほど威力が強い…って古いネタでスミマセン)を撃つ事ができれば、その威力で小さな山ぐらいなら粉々にしてしまうかもしれない…という冗談はさておき、とにかくマジでヤバい状態だった。

 しかも何より悲惨だったのが、そんな達也の状況などお構いなしに、金田陽希との決戦の日が刻一刻と迫っている事だった。

 達也がスパーリングでサンドバッグにされた時には驚き&心配しつつも「何があったのか分からないけど達也くんならすぐに調子を戻してくれるに違いない」と事態を静観していた晴香だったが、調子を戻すどころか日に日にやつれていく達也を目の当たりにしては、さすがに事の深刻さを悟らずにはいられなかった。このままでは3月に試合を行う事などとても無理と判断して試合の中止または延期をREALへ申し入れるに到ったのは、達也を監督する立場としては当然の判断だった。

 しかしREALは、今さら試合のキャンセルなど不可能だとして晴香の申し入れを頑なに拒んだ。ただ、REALの態度は至極当然である。何せ試合の開催は既に両対戦者によって正式に合意されており、それを受けてREALは既に東京ドームまで押さえているのだ。負傷等のやむを得ない理由ならともかく、原因不明の精神的不調などという曖昧な理由での辞退など受け入れられる筈もない。さらにREALは、来たるべき試合は第2回グランプリの決勝戦という位置付けであり正当な理由なき棄権は契約違反に当たるとFAILYに通告した。確かにグランプリ出場の際に取り交わされた契約書には「出場者がトーナメントに勝ち進んだ場合は負傷以外の理由で試合を棄権してはならない」と明確に定められており。原因不明のメンタル不調(しかも実態は失恋)で試合の出場を拒否するなど、誰がどう考えても契約違反以外の何物でもない事は明らかだった。

 試合の日程を変える事ができないと悟った晴香に残された道はただ一つだった。すなわち、全力を注いで達也の状態を回復させる…もうそれしかないのである。

 とはいえ、達也の精神的不調の原因が分からない以上、できる事はと言うと有名なカウンセラーを招くぐらいで…

 しかし、ズタボロになってしまった達也のメンタルは、どんな優秀なカウンセラーをもってしても回復させる事など到底不可能で…




GLAY『way of difference』


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8-2 戦場に咲いた花

 達也の状態を回復させるべく晴香をはじめFAILYのスタッフはあらゆる手段を必死に模索したが、試合まで1か月を切った2月下旬になっても、達也の調子は一向に上向く気配を見せていなかった。最近になってようやく体重は下げ止まりの傾向が見られたものの、それでも昨年の大晦日の時と比べると15kg近くも落ちてしまっていた。人間の体というものは十分な栄養が補給されないと、自身の筋肉を分解して栄養を造り出す。つまり達也の体重減少分は、すなわち筋肉の減少分に他ならなかった。そんな状態だからトレーニングの様子も散々で、ミットを打つパンチは力無く、スパーリングでは無気力な戦いを繰り返していた。

 達也の気持ちは、もはや試合に向かっていなかった。実際、この時の達也の脳内は後悔と自責の念で埋め尽くされていた。どうしてこんな事になってしまったんだろう…どうしてここまで充希に嫌われてしまったんだろう…やっぱりひかりちゃんを部屋に連れ込んだのが一発アウトだったのか…どうしてあんなバカな事をしてしまったんだ…と。

 残り1か月を切った試合の方に頭を巡らせても、今回ばかりはさすがに負けるだろうな…としか思えなかった。でも、自分が惨敗する姿を想像しても、やっぱり戦う気力は全く湧いてこなかった。充希というかけがえのない存在を失った今、戦う意味を見出す事はどうしてもできなかった。

 そんな心身共にボロボロの達也に何とか救いの手を差し伸べたいというのは、晴香のみならずFAILYのメンバー全ての思いであって…

 

 

「達也さん、ちょっといいですか」

 ある日のトレーニング中、その日も全く元気が無い達也に香菜が声をかけた。

 一昨年の大晦日に1ラウンド勝利で鮮烈なREALデビューを飾った香菜はその後も着実に力を伸ばし連勝を重ねていたのだが、彼女の成長に大きく貢献したのが何を隠そう達也の存在だった。というのも柔道出身の香菜は打撃に苦手意識を持っていたのだが、寝技を教わったお返しにと達也が打撃を指導するようになり、それをきっかけに打撃スキルは見違える程に向上。元々持っていた寝技スキルに加えて達也直伝の打撃がミックスされては鬼に金棒で、今では国内の軽~中量級女子総合格闘家の中でも指折りの実力者と目される程になっていた。

 そんな香菜はこの週末に、自身が主戦場とする『Queen Jewels』のフライ級タイトルマッチに挑戦者として臨む事が決まっていた。香菜にとっては待ち望んでいた初めてのタイトル戦で、何が何でも勝ってベルトを手にするんだと死に物狂いでトレーニングに励んでいる所だった。

 だから達也も、香菜に声をかけられた時には「打撃を指導して欲しい」というお願いなのかなと思ったのは当然だった。

 ところが…

 香菜の言葉は、達也の予期していたものとは全く違って。

「達也さん、何があったか知らないですけど、やる気が無いなら帰ってくれませんか?」

「っ…」

 思いもしていなかったキツい一言に、達也は何も言えなかった。驚いたのは他のメンバーも同じで、皆練習していた手を止めて2人の方へと視線をやる。

 そんな中、香菜が続ける。

「みんな真剣に頑張ってるんです。なのに達也さんみたいにやる気の無い人がいたら士気が下がるし、何よりそんな所でぼーっと座られてたら邪魔なんです」

「……」

 何も言い返せない達也。だが、実際に香菜の言う通りだった。今や達也の存在がジム全体の空気を重くし、メンバーの士気を押し下げているのは紛れもない事実だった。

「帰らないっていうんなら真面目に練習してください。何なら私がスパーリングの相手になりましょうか?言っときますけど私だって大事な試合の前だから手加減はしません。本気で締め落としてあげますよ」

「いや、うん…」

 やっぱり何も言い返せず、黙って俯いてしまう達也。誰も一言も発さない、張り詰めた空気がジムを覆う。

 でも、ようやくゆっくりと立ち上がって。

「ごめん…みんなの邪魔をするつもりは無かったんだ…ホントに申し訳ない」

 か細い声で絞り出すようにそう言って、深く頭を下げて。

「悪かった…香菜ちゃん、タイトル戦頑張ってくれよな」

 後はもう、とぼとぼとジムを後にするしかなかった。

 

………………………………………

 

 3月1日、日曜日。香菜が自身初のタイトルに挑戦する日である。

 本来なら、もちろん達也も会場入りする予定だった。それどころか、香菜のセコンドに付こうかという話まであった。だが言うまでもなくそんな話は立ち消えとなり、達也は香菜のセコンドどころか試合会場にすら足を運ぶ事ができず、まるで地蔵のように朝から部屋でじっとしたまま動けなかった。

 こんな事してちゃいけないとは思う。無理してでも動き出さなければどんどん悪くなる一方だという事ぐらいは分かっている。試合まで1か月を切ってしまっている事も、このまま試合の日を迎えると大観衆の前で惨めな姿を晒してしまう事も重々分かっている。でも、分かってはいるけど、どうしても体が動いてくれなかった。

(そろそろ試合かな…)

 達也がちらりと時計を見る。香菜のタイトル戦の開始予定時刻が間もなくに迫っていた。

(さすがに見るぐらいはしなきゃダメだよな…)

 団体の公式ユーチューブチャンネルで中継されている試合映像を視聴するべく、達也は重い腰を上げてパソコンを起動させる。すると程無くして、画面には試合会場の様子が映し出された。まさにこれから挑戦者の香菜がリングに上がろうとしている所である。

(お客さん結構入ってるなあ…)

 ふとそんな事を思う達也。REAL初出場で見事な勝利を飾った一昨年の大晦日以降、香菜の人気はその可愛らしいルックスもあってじわじわと上昇し、今ではツイッターのフォロワー数も5万人を超え、スポーツ系のメディアに取り上げられる機会も増えてきていた。今日の試合に勝ってタイトル獲得となれば、またREALのような大舞台に出場するチャンスが巡ってくる事もあるだろう。まさに香菜の今後を左右する大一番である。

(もし負けたら、香菜ちゃんには土下座して謝るしかないよな…)

 試合前は誰でもナーバスになる。大きな試合の直前ともなれば尚更だ。そんな大事な時期に香菜のメンタルを削ぐような行いをしてしまっていた自分自身の不甲斐なさを恥じながら、達也はじっと画面を見やる。

 香菜に続いて、タイトルを保持するチャンピオンの選手が入場する。香菜ほどではないにしても若い選手だ。女性は男性に比べて肉体の成熟が早く、加えてそのピークが短いために、必然的に若い選手が多くなる。これは格闘技だけでなく、ほとんど全てのスポーツに共通する傾向だ。

 試合が始まる。まずは両選手が立ち技での打撃を交わす。

 達也が見た所、立ち技の技量は両者ほぼ互角といった所だった。香菜の打撃技術は達也の指導の成果もあって格段に上達したが、とはいえ香菜は柔道をバックボーンに持つ選手であり、得意としているのはあくまで寝技である事は変わらない。つまり香菜にとっての立ち技での打撃は、言わば相手をグラウンドに引き摺り込むための引き出しに過ぎない。

 だからこの試合も、香菜ちゃんとしては寝技に持ち込みたい所だよなあ…そんな風に思いながら達也はぼんやりと試合を眺めていた。

 だが…

 試合は、達也の予想したような展開には全く進まなかった。

 香菜は徹底して打撃での勝負を挑んだ。途中、組み付いてテイクダウンを狙えそうな瞬間もあったが、香菜は頑としてグラウンド勝負に持ち込もうとせず、スタンド(立ち技)での打撃にこだわり続けた。まるで、達也から教わった打撃でチャンピオンベルトを獲るんだと最初から決めていたかのように。

 そんな香菜の気迫に負けじと、相手も拳を振り回して応戦する。見た所彼女も、決して打撃に難のある選手ではない。必然的に激しい打撃の応酬が繰り広げられる。

 そもそも女子の試合では、打撃でのKOはほとんど見られない。パワーに劣る女子選手が打撃だけで相手をKOする事は難しく、寝技決着か判定勝負になる事がほとんどだ。だがこの試合に関しては、両選手共に寝技勝負など全く眼中に無いようだった。香菜が打撃勝負を挑み、王者がそれを受けて立った。殴り倒してベルトを奪う…返り討ちにしてベルトを守る…そんなファイターとしての意地がぶつかるように。

「………」

 いつの間にか、達也は試合に見入っていた。開始直後こそ「香菜ちゃん頑張れー」とか「俺だったら今のはこうするかなあ…」とか適当な事を考えながらぼんやりと眺めていただけだったが、いつしかそんなそんな軽い気持ちはどこかに消え去って…誤解を恐れずに言うならば香菜を応援する事すら忘れて…2人の女の意地とプライドを懸けた殴り合いに見入っていた。

 忘れかけていた感情が、達也の中で少しずつ首をもたげ始める。

 

 そうだ、これは戦いなんだ…

 戦いとは…勝利を得るための打算的な戦略を披露する場なんかじゃなくて…

 自分の生き様を…自分自身そのものを全力でぶつける舞台なんだ…

 

 試合は5分3ラウンド、その第2ラウンドまでが終わった。激しい打撃の応酬に終始したここまでの10分間の形勢はほぼ互角だった。

 そして、決着の最終ラウンド。やはりここもお互いに寝技など頭の端にも無いというように、壮絶な打撃戦が繰り広げられる。

 そんな死闘の終止符は、唐突だった。

 第3ラウンド開始2分過ぎ、香菜の右フックがチャンピオンの顎をクリーンに捉えた。たまらずチャンピオンがその場に崩れ落ちる。

 そこに香菜がのしかかる様にして、2発、3発と打撃を加えた。その瞬間、レフェリーが2人の間に割って入り、ゴングが打ちなされた。

 試合終了。『Queen Jewels』フライ級、新チャンピオン誕生。 

 試合が終わっても、香菜は嬉しそうな素振りを全く見せなかった。というより、まだ興奮の中にいるようだった。

 だが、それも束の間。すぐに笑顔が込み上げ、そして嬉し涙へと変わる。努力に努力を積み重ねたものだけが流せる、尊い涙が香菜の頬を伝う。

 直後の勝利者インタビューでは、光り輝くベルトを腰に巻いた香菜が、顔を紅潮させながら喜びの言葉を述べて。

 その、最後の一言。

 

「ファンの皆さん、本日は応援本当にありがとうございました!今月末には私たちFAILYのエースが皆さんに素晴らしい試合をお見せしますので、そちらの方も応援よろしくお願いします!!」

 

 FAILYのエース…それが誰を意味するのかを分からない者などいない。観客にとっても…達也にとっても。

「……」

 達也がパソコンの電源を落として、立ち上がる。何故だか分からないけど、全速力で息が切れるまで走りたい…そんな衝動に駆られていた。

 どうなるかは分からない…もう手遅れかもしれない…でも。

 手遅れとか手遅れじゃないとか、勝てるとか勝てないとかはもう関係なくて。

 後輩の女の子にあんな熱い試合を見せられて、自分も生き様を見せない訳にはいかない…それは理性や感情を超えた、ファイターとしての…男としての本能だった。




最後数行の描写は作者的にはあまり納得できていないんですが…どう書けばいいか分かりませんでした。
私の文章を超えて、達也の微妙な心情を読み取ってもらえればと思います…


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8-3 前へ

 もちろん、心の真ん中にぽっかりと開いた穴が完全に埋まった訳ではない。

 それでも、達也は再び立ち上がった。心の穴を埋めるのではなく、心に穴を携えたまま、また前に進む事を決意したのだ。

 その決意は、トレーニングに復帰して早々の達也の姿にもしっかりと表れていて。

「みんなに迷惑をかけて、本当にすまなかった」

 香菜の試合の翌日、数日ぶりにジムに姿を現した達也は、まずメンバーのみんなに向かって深く頭を下げた。

 そして、こう続けた。

「また俺が少しでもやる気の無い姿を見せたら、遠慮する事なく言って欲しい」

 もちろん嫌な顔をする者は一人もいなかった。誰もが達也の復活を歓迎した。FAILYのメンバーにとっても達也は誇りであり、尊敬する存在であり、何より共に戦う仲間なのだ。

 その日から、達也はハードなトレーニングを再開した。金田陽希との決戦まで3週間を切っていた。

 だが、気持ちだけでは100mを9秒台で走れないのと同じように、落ちる所まで落ちてしまった体の状態を元に戻すのは、気持ちだけでは到底不可能だ。何せ達也の体重は、昨年の大晦日と比べて15kg近くも落ちているのだ。ロードワークではすぐに息が切れ、ミット打ちにも以前のような力は無く、スパーリングでも相手を圧倒する事はもはや不可能。それどころかイキのいい若手選手とのスパーリングでは逆に押し込まれるようなシーンも少なくなかった。

 だが、スパーリングで若手にどれだけ打ち込まれても、もう達也の心が折れる事はなかった。むしろ自分の現在地を教えてくれる若手に感謝する思いだった。

 今の自分は決して強くない。状態は最悪と言っていいだろう。でも、それが何だというんだ。むしろスパーリングを左手一本で圧倒して、本番の試合でもアッサリと秒殺してしまうこれまでの方が異常だったんだ。人間誰しも不調な時はある、そんな事は当たり前だ。でもだからこそ戦うんだ。調子の良い時だけリングに上がって、勝てると分かっている相手をKOする…そんなものは戦いでも何でもない。自分の弱さと向き合って、自分よりも強大な相手に立ち向かうからこそ戦う意味があるんだと。思えば昔からそうだったじゃないか、石井幸三選手に挑戦した時も、パク・チャンミン戦も、金田悠希戦も、勝てる保証なんてどこにも無かったじゃないか、と。

 今の自分がもはや金田陽希よりも弱くなってしまっている事は、達也自身が誰よりもよく理解していた。でも、それでも良いと思った。ずっとまともに練習していないだけでなく食事すらまともに摂れていなかったのだから、弱くなってしまうのは当たり前だ。だが、弱い事は罪ではない。己の弱さに負けてしまう事が罪なのだ。弱い自分を認め、弱い自分に恥じる事なく、弱い自分が持てる全てを力をぶつけよう…3週間後に控えた決戦は、金田陽希との戦いであると同時に、自分自身の弱さとの戦いだった。

 だから達也は、決戦の日までに本来の強さを取り戻す事を諦めた。というより、本来の強さを取り戻すには3週間という時間はあまりにも短すぎて到底不可能だった。とはいえもちろん、勝つ事を諦めた訳ではない。己の弱さと向き合いながら強者と戦う策を模索する、それこそ現状の達也が取りうる唯一の術だった。

 

 

 一方。

 達也が弱さと向き合いながらも必死に前へ進もうとしていたのと同じ頃、金田陽希もまた、決戦へ向けてじっくりと己の牙を研いでいた。

 絶不調の中から光を見出そうともがく達也とは対照的に、金田陽希の調整は順調そのものだった。昨年大晦日のトーナメントでは組み合わせ抽選の運に比較的恵まれた事もあり、1回戦も準決勝もほぼノーダメージで勝ち上がっていた為に疲労は全く残っていない。まさしく絶好調、早く試合がしたくてたまらないとウズウズしているような状態だった。

 また、金田陽希が所属するジム『Klash』にとっても、来たるべき決戦は何としても勝たなければならない大一番だった。

 というのもKlashは国内でも最大規模を誇る老舗であり、これまで総合格闘技の世界において多数のトップ選手を輩出した超名門ジムなのだ。REALの草創期は、Klashが主たる選手供給ジムとしてその大会運営を支えた程である。だがREALの人気拡大は同時に総合格闘技そのものの人気を高めると共に新興の格闘技ジムの勃興を誘発し、ひいてはKlashのような老舗ジムの影響力低下を呼び起こすという皮肉な事態を発生させる事になってしまったのである。現にここ数年、Klashはトップレベルと言えるような選手を輩出できてはおらず、格闘技界における「忘れ去られた存在」のようになってしまっていた。

 そんな状況においてKlashが目を付けたのが金田陽希だった。陽希が兄の悠希と全く異なる信条を持ち、また兄弟仲も決して良好ではない事を見て取ったKlashは、三顧の礼を持って陽希の移籍を実現させた。そして、名門ジムの威信をかけて陽希に最高のトレーニング環境を提供した。専属のコーチを置き、栄養学に基づいた適切な食事を提供し、さらには名門の力を駆使して国内外を問わず豊富なスパーリング相手を用意し、マッチメークにも慎重を期した。それらが奏功したのは、移籍以前は黒星も目立った陽希の成績が移籍後は全て白星となっている事からも明らかである。名門ジム復活の使命を託されて、大金を投じられて育成されたエリートファイター、それが金田陽希なのだ。

 とはいえ言うまでもなく、金田陽希は決してジムの力だけで強くなった訳ではない。確かにKlashから提供されるトレーニング環境は最高でそれこそFAILYとは比べ物にならないが、しかし陽希がREAL無差別級グランプリの決勝まで勝ち上がれる程に強くなった最大の要因は、一にも二にも本人の努力に他ならない。実際、陽希のトレーニング量は凄まじく、それは昨年後半の絶好調だった頃の達也に勝るとも劣らなかった。最高の環境と血の滲むような努力、陽希がトップファイターの地位に上り詰めたのは必然なのだ。

 決戦に向け、陽希の調整は最終段階に入っていた。スパーリングでは本番を想定してキックボクシング上がりの打撃系長身選手が何人も集められたが、陽希は仮想達也として集められた選手たちを文字通り圧倒した。キックボクサーたちは専門である筈の立ち技の打撃ですら押し込まれ、グラウンドに持ち込まれるともう勝負にならなかった。何人ものキックボクサーたちが締め落とされ、あるいは関節を極められタップを繰り返した。

 

 

 両者がそれぞれの調整をこなしながら、1日、また1日と時は過ぎてゆき…

 3月19日(木)、ついに両者の計量の日を迎えた。

 REALでは試合前日に計量が行われるのだが、今回の決戦に関しては試合3日前のこの日に計量及び両選手の試合前会見が行われるという事が前もって決まっていた。達也と金田陽希の試合は第2回REAL無差別級グランプリ決勝戦という位置付けであり、体重に制限は無い。なので計量に大した意味は無いので早い内にさっさと済ませてしまいたいという金田サイドの要望を達也が快諾し、REAL運営もそれを認めた事によって、異例の3日前計量が実施される事になったのである。

 

 この計量及びその直後に行われた会見の場で、試合の行方を左右する『事件』が起こる事になる。



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8-4 決戦前夜

 まず計量を行ったのは金田陽希だった。昨年の大晦日から2kg増えていたが、外見はむしろ大晦日の時よりも無駄な肉が削ぎ落とされているようにも見えた。まるでサイボーグのような究極の肉体に、集まった報道陣からは思わず感嘆の声が漏れた。

 しかし報道陣が驚いたのはむしろその直後、達也の体を見た時だった。

 達也の体は、どう見ても細くなっていた。もちろん一人の男として見た時には素晴らしい体なのだが、少なくとも昨年の大晦日にボビー・サップと死闘を演じた時に比べると、明らかに頼りなく映った。それは決して錯覚ではなく数字の上でも明らかで、体重計が示す達也のウエートは昨年の大晦日に比べて10kg以上も軽くなっていた。

 報道陣からざわめきが起こる。どうしたんだ小野は…3か月足らずで10kg以上も落ちるなんてどこか悪いんじゃないか…ボビーサップ戦で負った怪我が実はまだ治りきってなくて、満足な調整ができなかったんじゃないか…と。

 直後に行われた会見では、当然のように達也の状態に関する質問が相次いだ。「ボビー・サップ戦で負った怪我は癒えたのか?」「大晦日の試合の後は暫く入院していたという事だが調整はうまくいったのか?」「体重が大きく減っているのは意図的なのか?」と。

 だが、達也の口からネガティブな発言が出る事はなかった。「調整は万全」「体重を絞ったのは予定通り」と繰り返し、さらには「グランプリ優勝を返上して自分との試合を要望した金田陽希選手には敬意を表しますけど、試合後にきっと彼は自分の判断が間違いだったと後悔する事になると思いますよ」と、達也にしてはやや挑発的な発言まで飛び出した。

 とはいえ実際の所は、万全には程遠い状態なのは言うまでもない。達也らしからぬ挑発的な発言も、自身の不調を悟られたくないという思いがふんだんに込められてのものだったと見るべきだろう。と同時に、王者の誇りに懸けて、不調を跳ねのけて絶対に勝つんだという強い気持ちがこもった発言でもあった。

 一方の金田陽希には、兄の悠希に関する質問が多くぶつけられた。「兄の悠希選手は小野選手に連敗し道場破りにも失敗したが、この試合は金田家にとってのリベンジマッチと捉えているか?」「試合への秘策を悠希選手から伝授されたのか?」など。どこまでも兄の悠希と関連付けられるその様子は、隣で聞いていた達也ですら少し気の毒に思う程だった。

 だが陽希は特に嫌そうな表情も見せず、報道陣の問いに淡々と答えていった。その様子は慣れたもので、会見などさっさと終わらせてしまいたいという思いが滲んでいるようにも見えた。

 と、ここまでは普通だった。達也の体重が大きく落ちているという驚きはあったにせよ、会見そのものは到って平凡で特筆すべきコメントは語られなかった。

 しかし、一通りの質問が終わって、最後に試合への意気込みを両者一言ずつ求められた際に。

 金田陽希の口から飛び出した発言に、その場は騒然とする事になる。

 

「今回の試合、自分が勝つにはKOかギブアップしかないと思っています。REALのジャッジが小野さんを判定負けにするとはとても思えませんから」

 

 その発言の瞬間、報道陣からどよめきが起こった。しかし陽希は気にせず続ける。

「昨年の大晦日の試合、正当なジャッジなら小野さんはボビー・サップ選手に判定負けでした。それは小野さん自身が一番分かっていると思いますけどね。そういえば第1回のグランプリの決勝でも、小野さんは審判に目で合図して試合を終わらせましたよね。審判にいくら払ってるのか知りませんが、八百長だけはやめて欲しいですね」

 そして、次の一言に報道陣が大きくどよめく事になる。

「だからもし小野さんがOKしてくれるなら、自分としては第1回大会のようにレフェリーストップ無し、さらには判定決着無しで延長無制限の完全決着ルールで戦いたいと思ってるんですが」

 そう言って、挑発するようにニヤリと笑いながら達也の方を見て。

「まあ、小野さんが審判に払ったお金は無駄になっちゃいますけど、どうですか?」

 強烈な挑発だった。誤解の無いよう言っておくが、陽希は兄の悠希と違い、対戦相手に対して無用な挑発をするような男ではない。金田悠希の弟という立場のためにファンからは悪役と見られがちだが、実際は兄と違って常識人であるという事を報道陣はよく知っている。だからこそ、陽希の口から飛び出した強烈過ぎる挑発は驚き以外の何物でもなかった。

 しかも陽希は、ただ達也を挑発するだけでなく、試合の大幅なルール変更まで要求したのだ。それも、レフェリーストップも判定も無く延長無制限というデスマッチのようなルールを。

 報道陣の注目が、今度は一斉に達也に集まる。もう、試合に向けた意気込みを語るような雰囲気ではなくなっていた。

 この時の達也の心境はというと、陽希に対して少なからず嫌悪感を抱いたのは事実だった。審判を買収しているだと、言いがかりも大概にしやがれ、と。

 だが同時に、陽希の勝利に対する強い気持ちを感じたのも事実だった。というよりむしろ、そちらの方が嫌悪感よりも遥かに大きかった。というのも、その発言が陽希自身にとって大きなリスクになる事は明らかだったからである。

 達也は世間から愛されるスーパースターだ。それはすなわち、達也を貶めようとする者は世間の敵として認知されるという事と同義である。言い換えれば陽希は、自身が兄と同じように世間からの嫌われ者として大きなバッシングを受ける事を承知の上で、「達也が審判を買収している」などという誹謗中傷に近い挑発を口にしたのだ。

 誰であれ、周囲から嫌われたいと思う者などいる筈がない。自ら嫌われ者となる事を覚悟してまで精神的な揺さぶりをかけてきた陽希に対し、達也は敵ながらあっぱれと思わずにはいられなかった。この男は本気だ…人気者になりたいなんてこれっぽっちも思っちゃいない…敵役の汚名を被ってでも俺を倒そうとしている…と。

 だからこそ達也も、ここで後ろを見せる訳にはいかなかった。

 自分の調子が全く戻り切っていない事は分かっている…試合が長引けば長引くほど、自分に不利になるのは百も承知。

 …だが。

 

「そこまで言うんなら受けて立ちましょう。完全決着ルール、望む所じゃないですか。お兄さんと同じように病院送りにしてあげますよ」

 

 報道陣から「おおおおっ!」という歓声が上がった。

 この瞬間、達也と金田陽希の試合は総合格闘技というスポーツの範疇を逸脱し。

 男と男の決闘となったのだった。

 

………………………………………

 

     ―3月21日(土)―

 試合前日の夜。

 達也は、一人でスマホをじっと眺める。

 そのメールを見るのは、今や試合前の大事なルーティーンで。

 

~~~~~~~~~~~~~~~

遅い時間にゴメンね。

いよいよ明日だね。頑張れっ!

試合前に大きく深呼吸してみるとよいかも…

応援してるよ。ファイトっd(^^*)

~~~~~~~~~~~~~~~

 

 もう4年も前にもらったメール。でも、シンプルな文面がくれる暖かさは、今もずっとあの時のままで。

 何度見返しても、じんわりと力が湧いてきて…

 

 思えば、達也を突き動かしてきた原動力は、いつも充希だった。充希に認めてもらいたい…充希にカッコいい所を見せたい…そんな想いがあったからこそ、ここまで戦い続ける事ができた。逆に言うと、充希という存在がいなければ、ここまで強くなる事は不可能だっただろう。

 

 だが、もう充希は達也の傍にはいない。悲しくても、それが現実。

 

 でも、だからこそ達也は思う。だからこそ…だからこそ明日の試合は絶対に戦い抜かなければならない…戦い抜いて…勝たなければならないんだ、と。充希がいなくても俺は大丈夫なんだと伝える事こそが、人生の新たな一歩を踏み出そうとしている充希を快く送り出す事に…ひいては…充希の幸せを願う事になる筈だから…

 

 だから、己の強い決意を示すように。

 最後にして初めて、その特別なメールに、『返信』を選んで。

 

 

――充希、今まで本当にありがとう。

沢山迷惑をかけて本当に悪かった。でも、最後にもう一つだけ、わがままを言わせて欲しい。

明日の試合、全力で戦うから…充希が見てくれると信じてる。



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8-5 頂上決戦 1

 3月22日、午後8時。第2回REAL無差別級グランプリはついに決勝戦の時を迎えようとしていた。

 まずは青コーナーから金田陽希が登場する。大きな歓声、しかしブーイングも決して小さくはない。やはり金田はどこまでも『悪役』なのだ。直前でのルール変更要求や達也への挑発も、彼の悪役としての印象をより一層強めていた。

 しかし金田陽希は、ブーイングなど全く聞こえないというように真っすぐリングだけを見据えて歩を進める。世間からの人気などどうでもいい、観客を楽しませる必要などない。ただ目の前の試合に勝つ、目の前の相手を倒して自分が最強だという事を証明するのだ…全てをかなぐり捨てた男の悲壮な決意がその瞳には宿っていた。

 金田陽希がリングに上がる。すると間もなく、会場に流れる音楽がポップでハイテンポなものに変わる。達也の入場曲だ。

 ブーイングが消え、大歓声が湧き起こる。スーパーヒーロー小野達也。彼が負ける姿を望んでいる者は一人もいない。数万の観客は皆、達也が金田陽希を華麗にKOするシーンを望んでいる…それを感じずにはいられない光景だ。

 金田陽希と達也の哲学は異なる。陽希が勝利だけを追い求める求道者だとすれば、達也は勝利の中にも美しさを求めるファイターだ。達也は、数え切れないほどのファンが自分の戦いを見てくれいる事を心の底から分かっている。もちろんその中には、女性や子供も多く含まれている事も理解している。だからこそ達也は、そんなファンの期待に応えられるような勝ち方を模索し、実際にそれを体現してきた。

 だがこの日ばかりは、達也は美しい勝ち方を目指そうという気持ちを完全に排除していた。というより、美しい勝ち方にこだわれば負けるだろうという事を自覚していた。

 自身の調子がどん底の状態にある事は、自分自身が一番よく分かっていた。状態は相手の方が圧倒的に上だろう…だからこそ気持ちでは絶対に負けてはいけない…どんな泥臭い戦い方でもいい…どんな勝ち方でもいい…でも最後に勝つのは絶対に俺だ…と。

 奇しくも、金田陽希と達也が胸に秘める決意は全く同じだった。勝ちたい…美しさは要らない…どんな形でもいいから絶対に勝つ…と。

 しかし、たった一つだけ違いがあるとするならば。

 達也の中には、確かに充希が存在していた。もはや恋人ではなくその声を聞く事はなくなってしまったけど…もう会う事は無いかもしれないけど…充希を『想う』気持ちはやっぱり変わらなくて。

 大勢のファンたちに美しい試合を見せようとは思わない。でも充希には…イギリスへと旅立つ充希には、勇気を与えられるような試合を見せたい…それが、今の俺にできる、大好きな充希への唯一のはなむけだから…

 そんな思いを胸に、達也がリングに上がる。

 リングアナウンサーが両者の名前をコールする。まずは金田陽希、そして続いて達也。34戦34勝34KO、REAL通算17戦17勝17KO。栄光に彩られたキャリアが紹介されて。

 両者がリングの中央で向かい合って。また各々のコーナーへと別れて。

 

 ついに、決戦の幕が切って下ろされる。

 

………………………………………

 

 試合序盤は、あまりにも静かだった。お互いに間合いを測りながら打撃を交わす。だが共に深く踏み込もうとはせず、慎重に相手の出方を探る。その様子は、第1回REAL無差別級グランプリ決勝で繰り広げられた達也と金田悠希の一戦を彷彿とさせるような光景だった。

 この静かな立ち上がりは、お互いの思惑が一致したものだった。金田陽希は自身の要求が通り無制限ラウンドでの試合となる事が決まった瞬間から、この試合が長期戦となるよう志向していた。これまでにも触れたように金田の調整は万全で、スタミナには絶対の自信を持っている。さらに、計量の段階で達也の不調を見て取ったのも金田が長期戦を志向した要因だった。試合が長引けば長くなるほど自分が有利になるというのが金田の見立てであり、実際に試合が始まって達也のフットワークや打撃のキレを間近で感じる事でその思いはより強くなった。達也の動きにいつもの試合のようなキレが無いのは、相対した者ならすぐに感じられる事だった。

 一方の達也も、この試合は早い段階では勝負に行くべきでないと考えていた。長期戦は避けたい所ではあるのだが、とはいえ自身の状態を冷静に捉えた時、自ら不用意に攻め込むのはリスクが大きいという結論に到らざるを得なかった。なので決して勝負を焦らず、カウンター一閃で仕留めるような展開を描いていた。長期戦は好ましくないがやむを得ない、スタミナの不安は気力でカバーしてみせる…と。

 そして、両者ほとんど組み合うようなシーンも無く、第1ラウンドの10分間が終了した。まるで第1回グランプリ決勝戦のリプレイを見ているような、静かな展開だった。

 そして第2ラウンドも、お互いがお互いの出方を探り合うような静かな展開が続く。

 そんな中、先にチャンスを掴んだのは達也だった。鋭く踏み込んでの左ジャブがパシン!と金田の顔面を捉えた。

 決して致命的なダメージを与えた訳ではなかったが、この試合初めての有効打と言えるような一撃に金田の腰が一瞬落ちる。そこに達也が襲い掛かった。

 だが、ここでの金田は冷静だった。

 体勢を立て直そうとするのではなく逆に自ら体を倒して、襲い掛かる達也を引き込むようにして仰向けになった。

 一見すると達也がダウンを奪って金田の上に乗ったように見える光景に、会場が大きく沸いた。だが実の所は、金田は達也の体に足を巻きつけ、ガードポジションを構築する事に成功していた。こうなると達也が上になっているといはいえ必ずしも有利な体勢とは言えない。金田の足によって動きを制限された中で何とかパンチを落とそうとするが、有効なダメージを与えるにはなかなか到らない。

 この時、達也は少しばかり後悔していた。もっと冷静に打撃で行くべきだった、と。あるいは普段の達也なら、ジャブが一発当たったからと言ってこんな風に焦って攻める事なく、じっくりと打撃でのKOを狙ったかもしれない。不調を自覚しているが故に、訪れたチャンスを確実に決めたいという思いが強すぎて、金田のガードポジションに自ら入っていくような悪手に身を投じてしまったのだ。

 結局、その体勢のまま有効な攻撃を繰り出す事ができずに、第2ラウンド終了のゴングが鳴り響いた。チャンスを掴みかけたかに見えた達也だったが、結果的にはダメージすら全く与えられないラウンドとなってしまった。

 そして、チャンスを活かしきれなかった事以上に、達也にとって深刻だったのは。

「はあ…はあ…ふう……」

 コーナーに戻る達也はぜえぜえと肩で息をしていた。

 まだほとんど試合は動いていないというのに、懸念していたスタミナ切れは本人の想定よりもずっと早くやって来た。



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8-6 頂上決戦 2

 第3ラウンドは比較的静かな展開に終始した。接近してもみ合うようなシーンもあったが互いに決定的なダメージを与える事はできず、テイクダウンにも到らないまま10分間が過ぎ去った。

 続く第4ラウンドは果てしなく奇妙なラウンドだった。ラウンド中盤に金田が達也を捕まえついにこの試合初めてのテイクダウンに成功したのだが、達也も金田の体に長い足を巻き付けガードポジションを構築。すると金田は、達也の上に乗ったままほとんど何もせずに残り時間の全てを過ごしたのだ。ガードポジションを維持できてさえいれば下からでも打撃や関節技を狙えるのだが、それはあくまで上にいる者が攻撃を繰り出してきてこその話。相手が動いてくれないのであれば達也としてもどうする事もできず、ただ金田の100kg近い体の重みを感じながら時間が過ぎるのを待つしかなかった。

 第5ラウンド。開始早々、またも金田が距離を詰めて達也に組み付いた。距離を詰めさせない事に定評がある達也だが、試合時間が40分を超えもう完全に疲弊しきっており、いつものようなフットワークを駆使する事は難しくなっていた。前のラウンドでずっと金田の下でガードポジションを維持し続けた事も、達也のスタミナを奪う要因となっていた。

 組み付いたまま、金田が達也の体にコツコツと小さくパンチを当てる。そして小さな膝蹴り。徹底して達也の体力を削る事を目的とした、泥臭く嫌らしい攻撃だ。好調時の達也であれば何という事は無かっただろうが、調整不足でスタミナも枯渇してしまった今となっては、小さな膝蹴りが十分な苦痛だった。

 途中、レフェリーがブレイクを命じるような素振りを見せようとしたが金田は頑として達也から離れようとせず、金田陣営も「ブレイクするなら棄権するぞ!」と激しく抗議。実際、この試合においてレフェリーは『見届け人』に過ぎずブレイクの権利は有していない。レフェリーが距離を取ったのを見て取ると、安心したように金田は膝蹴りを再開した。

 結局そのまま第5ラウンドが終了。このラウンド、金田は組み付きに成功して以降テイクダウンを狙わず、ひたすら小さなパンチと膝蹴りを繰り出し続けた。達也も近距離からの応戦を試みたが金田の方が腰の位置が低く有利な体勢で、達也は小さな膝蹴りをボディーに数十発も受ける事になってしまった。

 そして第6ラウンド。達也は組み付かれないようにと距離を取ろう試みるが、それも虚しく金田が鋭い踏み込みからアッサリと組み付きに成功した。しかも、ラウンドの開始早々に。

 そしてまた、近距離からの小さなパンチと膝蹴りが達也を襲う。

 不思議な事に、金田の膝蹴りは的確に達也の体をボディーを捉えた。ぴたりと密着しているから金田は膝蹴りを打つ箇所を見えない筈なのに、その全てが的確に達也のボディーにヒットするのだ。達也は膝蹴りを嫌って腰を引いたり体の位置をずらしたりするのだが、金田の膝にはまるで目が付いているかのように、達也が逃げる方向を的確に追いかけダメージを与えてくる。

 金田はこんな密着した状態で膝蹴りを当てる特訓にも余念がなかったのか…達也は心の中で金田のテクニックに舌を巻くと共に、自身のピンチを感じずにはいられなかった。見えていない筈なのに、ドスッ、ドスッと小さな膝蹴りが確実に達也のボディーをノックし、決して小さくない苦痛を与える。

 傍目には膠着状態に近いが、ブレイクは無く、ロープ際に押し付けられ逃れる事は不可能。このラウンドも第5ラウンドと同様、金田の正確無比な膝蹴りを耐え続けるしかないのか…

 そう覚悟した瞬間、達也の耳に晴香の声が響いた。

「達也くん、モニター!金田はモニターを見てるわよっ!」

 それを聞いた達也は、咄嗟に顔を大型モニターの方へと向ける。

 するとそこには確かに、密着する自身と金田の姿が大きく映し出されていた。そう、金田は観客用に取り付けられた会場の大型モニターに映る映像で達也の体の位置を確認しながら膝蹴りを放っていたのだ。

 それが分かった達也は、少しばかり安心しながら。

「おいおい金田、それはちとセコいんじゃねえか…?」

 そう言ってお返しとばかり、モニターを見ながら金田を足の甲をカカトでドンッ!と踏み付けた。すると金田は一瞬だけ苦痛に顔を歪めながらも、すぐにニヤリと笑ってからサッと達也から離れて距離を取った。

 この時達也は、敵ながら天晴れという思いを金田に対して抱いていた。会場のモニターまで利用してくる奴なんて初めてだ…何が何でも勝ちたいのはこいつだって同じなんだ…と。

 達也がすっと左手を伸ばして拳を突き出す。すると呼応するように、金田も左手を伸ばしてポン、と拳を合わせる。ここまでの健闘を称え合い、これからの健闘を誓い合うような2人の仕草に、観客から自然と拍手が沸き起こる。

 試合が始まってから、間もなく1時間が経過しようとしていた。

 

………………………………………

 

 第7ラウンド。達也は戦術をガラリと変えた。何と開始早々にごろんと仰向けになり、グラウンド勝負を誘ったのである。

 マットに仰向けになる達也と、立った状態でそれを見下ろす金田。いわゆる猪木―アリ状態だ。

 達也がここまで露骨にグラウンド勝負を志向した事はかつて無かった。それだけ金田の組み付きからの細かいパンチや膝蹴りに手を焼いていたのだ。達也は今や寝技もできるとはいえ、本来立ち技の選手でありグラウンドでの攻防なら金田に一日の長がある。試合の流れが金田に傾いている事を示す光景と言えた。

 だが金田は、達也の誘いには乗らなかった。仰向けになった達也の足を狙ってローキックを放つ。

 しかし達也は一向に立ち上がろうとしない。仰向けになった状態からスライディングのようなキックを放ったかと思えば、今度は一転して顔面を狙って飛び上がるようにハイキック。だが、これは虚しく空を切った。

 第8ラウンド、今度は一転して立ち技での攻防が繰り広げられた。達也がローキックからハイキックという得意技で攻め立てる。しかし肝心のキレに乏しくクリーンヒットには到らない。対する金田もローキックで応戦するがこちらももう大分疲れてしまっており、その攻撃にスピード感は乏しい。お互いに疲れ果てているのは誰の目にも明らかだった。

 こうなると、打撃では決着がつかずお互いにもつれあう展開となるのは必然だ。クリンチのようにどちらからとなく組み付き、脇腹を狙っての小さなボディーや膝蹴りを打ち合っては、また何かの拍子に距離を取っての打撃戦に戻る。しかし決着はつかず組み合い、そして絡み合うようにグラウンドへ…試合は死闘の様相を呈していた。

 ラウンド終盤、グラウンドで達也が金田の足関節を狙った。膝十字が一瞬入りかけたように見え会場からこの日一番の歓声が上がったが、結局フィニッシュには到らず、第8ラウンド終了のゴングが打ち鳴らされた。

 肩で息をしながら、両者がコーナーへと戻る。各ラウンド毎に2分間設けられているインターバルの時間も含めると、試合時間は既に1時間半を超えた。通常は数分、時には1分足らずで決着する総合格闘技の世界では到底有り得ない試合時間だ。観客も大会関係者も報道陣も、さらにはテレビの向こうの数千万人の視聴者も、その全員が「今我々はとてつもないものを目撃している!」という興奮を抑え切れない思いだった。

 

 だが、永遠に続くかにも思われた死闘は。

 次の第9ラウンドで、大きく動く事になる。

 

 第9ラウンド。達也は距離を取りつつ、金田の動きに合わせてカウンターを狙う戦術に出る。残念ながら自ら攻め込んでも有効な打撃を繰り出せるだけの体力が残っていないのは先ほどのラウンドで実践済みだ。もう力を込めた打撃を何発も打つ事はできない…カウンター一撃で仕留めるぐらいでなければ自分に勝機は無い…そんな覚悟で金田と対峙する。

 一方の金田も、達也のカウンター狙いを察知したように距離を取る。第5~第6ラウンドでは早々に距離を詰めて組み付いてきた金田もここに来てさすがに消耗が激しく、下手には攻め込めない程に疲弊していた。

 お互い、できる限り呼吸を小さくして表情も平静を装う。だが、実際の所は共に立っているのもツラい程で、体力はとっくに限界を超えていた。まさしく死闘だった。

 達也が遠めからローキックを飛ばす。だが、決してダメージを与えようとしている訳ではない。言わば、わざと小さな隙を作って金田の攻撃を誘発する事を狙って撒いた餌だ。金田が踏み込んできた瞬間にカウンターを合わせる…達也の狙いはこの一点だ。

 対する金田は不用意に攻め込まない。言い方を変えれば、不用意に攻め込めるほどの体力は残っていない。だから金田も、達也が撒いた餌に食いつくのではなく自分のタイミングで踏み込むべく虎視眈々とチャンスを窺う。

 達也が体の位置を前後させ、金田との距離感を細かく変える。

 この時達也には「最適な間合いは金田に考えてもらおう」というような妙な思考が生まれていた。遠いと思えば金田は攻めて来ない。金田が攻めて来たくなるような、金田にとっての絶好の間合いを提供すべく、ジャブやローキックを挟みつつ細かく立ち位置を前後させる。

 必然的に金田よりも達也の方が動き、リングの中央に位置する金田の周りを達也がぐるぐると回るような位置関係になる。両者共に疲れを隠しながら、じっくりと機を窺う。

 

 しかし、その時。

 リング上の悪魔が、突如達也に牙を剝いた。

 

「っ…!?」

 それは、達也が遠めから右のローキックを放った直後だった。戻した右足がちょうど汗で濡れた地点を踏み、つるっと滑ってバランスを崩してしまう。

 その隙を、金田は見逃さなかった。

「なっ……!」

 この時を待っていたかのような鋭い踏み込みと、強烈な右ストレートが達也の顔面を襲う。

 咄嗟にかわそうとするが、バランスを崩した状態での不安定な体勢では、体を動かせる範囲は限られていて…!

「あぐっっっ…!!」

 金田の拳が、達也の顔面に突き刺さった。瞬間、重い衝撃が脳へと伝わり、ぐらっと腰が落ちる。

 そこに、金田の巨体が覆いかぶさるように達也を襲って。

「………っ!?」

 歓声が、一転して悲鳴に変わる。

次の瞬間、リングの上では金田が完全なマウントポジションで達也に馬乗りになるという、あまりにも絶望的な光景が広がっていた。

 そんな中、場内にアナウンスが鳴り響く。

 

「ファイブミニッツパスト。5分経過――」

 

 第9ラウンドは、まだちょうど半分を残していた。



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8-7 頂上決戦 3

 第9ラウンド後半にリング上で繰り広げられた光景は、達也の勝利を願う全ての人々にとって、悪夢以外の何物でもなかった。

 

 ――ガスッッ!ゴスッッ!ドスッッ!!ゴスッッ!!

 

 馬乗りになった金田が、達也の顔面にパンチを落とし続ける。重い打撃が嵐のように達也の顔面に降り注ぎ、その度に鮮血が散る。

 総合格闘技において究極的に有利な体勢、それがマウントポジション(馬乗り状態)だ。上に乗った者が好き放題に何でもできる体勢と言ってもいい。好きなだけパンチを落とせるし、関節技や締め技を狙う事も容易だ。逆に下になってしまった者は、基本的には為す術はない。下からのパンチは上に乗る者の顔面には届かず、そもそも下からパンチを打とうとすれば自身の顔面がガラ空きになって重いパンチを落とされる。タイミング良く腰を跳ね上げて相手と体勢を入れ替えるという脱出法も一応無い事はないのだが、グラウンドでのポジショニングが確立された現代ではまず決まる事はない。

 つまりは、打つ手なし。達也に残された道は、両手で顔面を覆うか、顔を左右に逸らして振り落とされるパンチのダメージを少しでも軽減するぐらいで…

「あがっ…がっ…はっ…!」

 両手で顔面を覆って必死に防御を試みるが、金田は達也の防御の穴を縫うようにして、重いパンチを落とし続ける。あるいは顔面を覆い隠そうとする手を払いのけ、また拳を落とす。

「くっ…はっ…あぐっ…くはっ……!」

 たまらず達也が顔を横に逸らす。だが、それも全く意味のない行為だ。顔を横に逸らせば今度は横から、つまりは新たに顔の正面となった方向からアッパーのようなパンチが飛んでくる。

 金田が装着する青いオープンフィンガーグローブは、いつしか達也の血で赤く染まった。あるいはこの時、金田がその気になれば達也の腕関節を取る事は難しくなかったかもしれない。だが金田は、関節技は狙わずにあくまでパンチを落とし続けた。関節技に移行するという事は、同時にマウントポジションを解くという事も意味する。もし失敗して関節を取れなければ、せっかく得た最高のポジションを失ってしまいかねない。それだけは絶対に避けなければならないと、金田は無慈悲に達也を殴り続ける。

 ひとかけらの救いも無い、あまりにも凄惨な光景だった。もうやめてくれ、もういいじゃないか、勝利は金田のものでいい、それ以上やると達也が死んでしまう…悲鳴が会場を包み、何人かの女性ファンはその場で気を失った。試合を中継するテレビの視聴率も、この時間帯に大きく低下した。多くの視聴者が、達也の悲惨な姿に耐えられずチャンネルを変えたのだ。

 これが通常の試合なら、とっくにレフェリーが試合を止めていただろう。だが悲しい事に、この試合にレフェリーストップは無い。レフェリーはもうこれ以上試合が続けられるべきではないと感じながら、しかしただ黙って、達也が殴られ続ける様を見守しかなかった。無論、達也が気を失ったと判断したその瞬間には試合を止めるべく準備しつつ。

 金田が延々と拳を落とし続ける。顔面の中心へ、頬へ、顎へ。達也が両手で顔面を覆うと、今度は鳩尾(みぞおち)や横腹にまで重いパンチを落とした。特に鳩尾へと落とされるパンチは強力で、落とされる度に達也の目が見開き口から赤い唾が飛んだ。

 殴る者と、殴られる者。残酷過ぎるコントラストは、達也が金田悠希の道場破りを返り討ちにした際に繰り広げられた光景にそっくりだった。奇しくも弟の陽希が、兄の敵討ちとばかりに金田家の宿敵に痛烈な打撃を浴びせ続ける。

 だが、あの時の光景とは根本的に異なる所もいくつかあって…

「小野さん、ギブアップして下さい」

 金田が達也にだけ聞こえるように小声で呟く。無慈悲に拳を落とし続ける金田だが、関節技や締め技に移行しないのはあくまで自身の勝率を0.1%でも低下させるような事をしたくないだけであり、決して達也を甚振(いたぶ)りたくて殴り続けている訳ではなかった。

「さあ、早くタップして下さい。本当に死んでしまいますよ」

 拳を落としながらまた呟く。金田の言う通り、このまま殴られ続ければ本当に死んでしまう可能性も無くはなかった。それ程までに、リング上で繰り広げられている光景は凄惨で救いが無かった。

 しかし…

「がはっ…!かっ…はっ…くあぁぁっっ…!」

 無数のパンチを落とされながらも、達也の目はまだ死んではいなかった。降り注ぐ拳を見据え、僅かでもダメージを軽減させようと必死にガードを試みる。

 だが、それも虚しく、金田の拳は達也の顔面を捉え続けた。ゴツッ、ゴツッと不気味な音が響き、鮮血が飛び散る。

 レフェリーがちらりと赤コーナーに目をやった。セコンドの晴香に、タオルを投入するよう促したのだ。

 本来ならもうタオルを投げ入れてギブアップしなければならない…それはもちろん晴香も分かっていた。だが晴香の手は硬直したように、タオルを掴んだまま動かなかった。投げなければいけない…達也を救わなければならない…それは分かっている筈なのに、でもどうしても投げられなかった。

「晴香さん、何してるんですかっ!このままじゃ達也さんが殺されちゃいますっ!」

 同じくセコンドにつく香菜が強い口調で晴香にタオル投入を促す。だが、タオルを持つ晴香の右手はやはり動かなかった。まるで達也の瞳の奥にまだ確かに残る闘志の炎に、その動きを止められているように…

「あぐっ…!はっ…かはっ…!」

 しかし晴香が躊躇している間にも、金田の猛攻は続く。ある時間帯から金田は、振り下ろす拳を達也の顎に集中させた。顔面の中心部や頬への打撃は、ダメージを与える事はできても失神には繋がらない。頑としてギブアップしない達也に敬意を表して、金田は顎への打撃で達也を失神させる事を決意したのだ。

 重い拳が振り落とされる。時には横から、アッパーカットのようにパンチが達也の顎へと突き刺さる。

 だが達也は、必死に顎を引いて金田の打撃を耐え続けた。気力を振り絞って上半身を起こして顔面を金田の体へ少しでも密着させ、ダメージの軽減を試みる。

 しかし金田は冷静に、達也の上半身をマットへと押し付け、さらに拳を落とす。そんな光景が延々と、延々と繰り広げられる。

 そして、どれだけ拳を落としただろう。達也の顔面を思う存分に殴り続けた金田が、ついに決めに出た。

「小野さん、今、楽にしてあげますね」

 地獄からの解放を宣言するように、小さくそう呟いて。

 自らの腕を90度に曲げ、達也の喉元へと押し付けた。

「あっ…かはぁぁっっ……」

 ギロチンチョークが入り、達也の意識が少しずつ遠くなっていく。ゆっくりとぼやけ始めた視界がだんだんと赤くなり、ついにはホワイトアウトが始まる。

(充希…みつき…みつ…)

 その時、だった。

達也の脳裏に、ぼわっと充希の顔が浮かんだのは。

 視界はどんどんと薄れていく。でも不思議な事に、充希の顔は対照的に少しずつ鮮明になっていって…

 

(そうだ…充希のためにも…まだ…こんな所で終われねえっ…!)

 

 最後の、本当に最後の力を振り絞って達也が腰を跳ねて両膝を振り上げた。残された全ての力を使った、最後の抵抗。

 それが、金田の背骨にゴンッ、と当たる。

「くっ…!」

 思いがけない反撃に、金田の声が上がる。とはいえダメージは全く無い。背中に膝を当てられ、少し驚いただけだ。

 だが次の瞬間、白く染まりかけていた達也の視界に鮮やかな色が戻った。ギロチンチョークがずれ、脳に血液が巡ったのだ。

 その隙に達也が顎を引き、自らの喉元に自分の腕を当てる。

「このっ…往生際の悪いっ…!」

 金田が拳を落としながら、達也の腕を引き剥がしにかかる。が、それを必死に堪える達也。もう一度ギロチンチョークを入れられたら今度こそアウト。ここが正念場とばかり、気力を振り絞って顎を引き、力強い打撃を顔面で受け続ける。

 その時、だった。

 

 ――ストップ!ストップッ!!

 

 飛び込むようにしてレフェリーが2人の間に割って入り、金田の体を達也から引き剥がした。

(え…え……?)

 一瞬何が起こったのか分からず、無意識のままにレフェリーの方へと顔を向ける。

 まさか知らない間に一瞬気を失ってて、レフェリーが試合を止めたのか…とも思ったけど。

「…ちっ!」

 残念そうな表情を浮かべながら、金田がくるりと背を向ける。それを見て、達也もようやく理解した。

 地獄のような第9ラウンドが、終わったのだという事に。

 死の淵まで追い込まれながらも、奇跡的な生還を遂げたという事に。

「はあっ…はあっ…はあぁっ……」

 とりあえず、仰向けになったまま酸素を補給する達也。だが…

「あふっ……!!」

 血液が気管に逆流してしまい、反射的に血を吐き出す。口の中が血まみれなのはもちろん、肺にまでダメージを負っているのではないかと思う程に体はボロボロだった。

「達也くんっ…!」

 セコンドの晴香と香菜が駆け寄る。本来セコンドは試合中にリングの中に立ち入る事は認められていないが、とてもそんなルールを守っている場合ではなかった。

「達也くんっ、大丈夫っ…?」

「え…あ…」

 ヨロヨロと起き上がり、抱えられるようにしてセコンドへと戻る達也。その途中、口や顔面からボトボトと血が零れる。

 すかさずドクターがチェックに入り、止血が行われる。幸いにも血管に損傷は無いようで、見た目の流血はとりあえず収まった。

 とはいえ体は満身創痍。危機的状況なのは誰の目にも明らかで。

(はあっ…はあっ…くそっ…)

 冷静になりながら、達也は自分自身の現状を確認する。少なくとも顎とアバラがイカれているのはすぐに分かった。

 だが、何とか正気を保っていられるのは複数箇所の骨折による激痛のおかげな気もした。つまりは、気も失えないぐらいの痛みが全身を駆けていた。

「達也くん…ごめんなさい…」

 晴香が申し訳なさそうに言う。その2つの単語の間に「タオルを投げなくて」という言葉が省略されている事はもはや言わずもがなだった。

 そして、続ける。

「もう、ここで終わりにしましょう」

 それが賢明な判断であるという事は達也自身も分かっていた。骨折した顎は閉じる事ができず、はあはあと荒い息に混じるようにぽたりと血が垂れる。

 だが。

「ここで止められちゃ…何のために今のラウンド頑張ったのか分かんないっすよ」

「……」

 晴香は何も言えなかった。悪夢の第9ラウンドでタオルを投げなかった自分に、もはやこの試合を止める権利など無いと分かっていたから…

 インターバルの2分間が終わりに近づく。達也にとってはあっという間の、人生で最も短い2分間が。

「さあ…」

 達也がゆっくりと立ち上がる。それだけで全身が軋む。

 そして、ぽつりと言った。

「1分で決めてくるんで、それでダメだったらタオル投げて下さい」

「え…」

「小野達也の代名詞と言えば、はあっ、はあっ…秒殺っしょ」

 

 その瞬間、セコンドアウトが響き渡り。

 死闘は、運命の第10ラウンドへ――



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8-8 頂上決戦 4

「はあっ、はあっ、ふうっ…」

 息を整えつつ、じっくりと前進する達也。立っているだけでツラいこの状況では、ジャブやローキックを打つ体力すらも惜しい。ほとんど足を止め、残された力の全てを乗せてのカウンターを叩き込むべく、じっと金田を見据える。

 金田も達也の狙いを察知して、まずはじっくりと距離を取った。第9ラウンドで決めきる事こそできなかったが、もはや自分が圧倒的に優位である事は分かっている。焦る必要は全く無い。間もなく勝利は自ずと転がり込んでくる、今怖いのは不用意に攻め込んで強烈なカウンターを食らってしまう事ぐらいなのだから。

 ラウンド数が2桁に突入し、まるで1周して第1ラウンドに戻ってしまったかのような、距離を取っての不気味な膠着がリング上を支配する。両者共にじっくりと、自らの機を窺う。

 

 …だが。

 達也が最後の力を託そうとしていたのは、実はカウンターではなかった。

 じっくりと反撃の機を窺っているように見えた、その瞬間。

 少しだけ、ほんの少しだけ重心を落として。

 

 ダンッ!と達也は地を蹴った…!

 そして、渾身の力で金田の顔面に膝をぶち当てるべく、猛スピードで飛びかかる…!

 

「なっ…!」

 思いもしていなかった奇襲攻撃に、金田が身を引いてかわす。ありったけの力を振り絞って繰り出した飛び膝蹴りは、金田の鼻先を掠めはしたものの直撃には到らなかった。

 しかし、達也にとっては、それも想定内だった。

 なぜなら、残された体力の大半を注ぎ込んだこの飛び膝蹴りですら、実は本丸の攻撃ではなかったから。

「ぐぐっ…!」

 達也が金田の体にガッシリと組み付く。そう、逆転KOを狙ったように見えた飛び膝蹴りは、実は金田との距離を一気に詰めるためのカモフラージュに過ぎなかったのだ。

 そして達也は、密着した状態のまま金田の左腕だけに狙いを定めて。

 強引に、アームロックを仕掛けた…!

 悪夢の第9ラウンドから一転、達也の反撃に会場が沸いた。超満員の観客が、奇跡の大逆転を期待し達也に声援を送る。

 だが、強引な組み付きからスタンド状態でのアームロックなどそうそう極まる筈もない。金田は冷静に左腕を極められないようケアしつつ、残った右腕で達也に細かくパンチを当てる。

 

 しかし、達也はやはり百も承知だった。

 相手が関節技を知らない素人ならともかく、金田相手にこんな強引なアームロックなど、1000回試みても極まる訳がないと。

 だから、飛び膝蹴りだけではなく、この強引なアームロックまでもが。

 最後の一瞬に全てを賭けるための、壮大な準備工作で…

 

「かはっ…!」

 金田のクリンチのような細かいパンチに、達也の口から赤い飛沫が飛ぶ。

 それが、金田の目にぴちゃっ、とかかった。

「うぐっ…」

 もちろん単なる偶然という訳ではない。決して狙っていたという訳でもないのだが、達也と金田の身長差であれば、密着した状態で血を吐けばそれが金田の顔面に…おそらくは目の付近に降りかかるであろう事は簡単に想像できた。

 だからこれは、未必の故意というやつで。

 俺の吐いた血がどこへ飛ぼうが、そんなの知ったこっちゃねえ…何で金田の顔を避けるようにして吐かなきゃならねえんだよ、って思いで。

「くっ…」

 金田が反射的に目を閉じる。その瞬間を待っていたように達也がアームロックを極め…ようとするのではなく、何と逆に金田の腕を解放した。

 直後、金田が咄嗟に距離を取ろうとする。アームロックから逃れてとりあえず視力を回復させたいと金田が体を引いたのは、自身の身を守らんとする動物の本能的行動で。

 達也が全てを懸けていたのは、まさにこの瞬間だった。

 反射的に目を閉じながら体を引く、その無防備な瞬間を狙って。

 ありったけの力を力を込めて、その閉じられた目を狙って…!

 

 ―――ダンッッ!!!

 

 飛び膝蹴りを囮(おとり)にしたアームロック…をも囮にした、目を狙った渾身の右ストレート。それが金田を左目を的確に捉えた。人体における最大の急所とも言える箇所への強烈な一撃に、金田の頭部が瞬間的に下がる。

 誤解の無いように言っておくが、相手の目を狙う打撃は反則でも何でもない。ただ、あまりにも危険な攻撃なので誰もほとんど繰り出さないというのが実情だ。達也自身、相手の目を狙った攻撃はこれが生まれて初めてだった。

 だが、もはや綺麗事を言っているような状況ではない。試合はもう殺るか殺られるか、生きるか死ぬかの文字通り『死闘』となっているのだから。

 だから今度は、瞬間的に下がってきた金田の顔面の下部…顎を狙って…

 

 ―――ゴンッッッッッ!!!!

 

 思い切り蹴り上げられた達也の足の甲が、金田の顎にぶち当たった。直後、あまりの衝撃に沈みかけていた金田の体が数センチだけ浮き上がる。

 だが、それも一瞬。次の瞬間には、力を失った巨体がドサリとマットに崩れ落ちる。

 そこに達也が飛びかかるようにして襲い掛かった。動かなくなった金田に、一心不乱にパンチを落とす。

 2発、3発、4発、5発……今ここで仕留めなければ…ここで殺らなければ殺られるのは俺の方だ…

 まだ打撃を浴びせる。6発…7発…8発…目の前の男がもう絶対に動き出さないよう、ここでとどめを刺さなければ――!!

 

 ――ストップ!ストップッ!!

 

 その瞬間、第9ラウンド終了時に聞こえたのと全く同じ声が、達也の耳に響いた。

 しかし、その声の対象は違って。

 あの時は金田を止めるために。そして今度は、達也を狂気から現実へと連れ戻すために…

 

「小野っ、離れろっ…!」

 

 ストップの声がかかっても、まだ達也は金田の顔面へと拳を振り下ろそうとしていた。それをレフェリーが必死に引き剥がして。

「やめろっ…小野っ、もう試合は終わったっ…!」

 なおも殴りかかろうとする達也。しかしレフェリーが必死にそれを制止する。

 そこに、晴香と香菜も走り込んで。

「達也くんっ、もういいのっ、勝ったのよっ…!」

「達也さんっ、落ち着いてくださいっ、ほら、ゴングが聞こえませんかっ…!」

「はあっ…はあっ…はあっ……え……」

 聞き慣れた声に、興奮状態にあった達也の意識が少しずつ正常な状態へと戻ってきて。

 次の達也が耳にしたのは、試合の終了を告げるゴングが打ち鳴らされる音だった。

「お…終わった…?」

 何とか冷静さを取り戻しながら、前方へと視線をやる。

 するとそこに見たのは、仰向けになったままぴくりとも動かない、金田陽希の姿だった。

「は、はは…」

 その時初めて、達也は状況を理解した。

 死闘は、終わったのだと。

(勝った…勝ったんだ…)

 仰向けになって、天井を見上げる達也。もう起き上がれない…それどころか1ミリも動けない。本気でそう思うぐらいに、体は限界を超えていた。

(はは…もう無理…)

 体のどこにも力が入らなかった。目を開けているのも億劫だった。

 ゆっくりと、瞼が閉じられていく。

 

 そしてそのまま、会場の大歓声に包まれるようにして。

 達也もまた、意識を失ったのだった。



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8-9 夢のあとさき

 公式記録:10ラウンド0分44秒、達也のKO勝利。

 つまり正味の試合時間は90分44秒、ラウンド間のインターバルを含めた総試合時間は109分にも及んだ。まさに格闘技史に残る死闘だった。

 それを象徴するように、試合後は両選手共に病院への直行を余儀なくされた。

 以下、試合翌日に両陣営から発せられたコメントである。

 

 金田陽希

「まず、今回の特別ルールでの試合を受けて下さった小野選手に心からお礼を言いたいです。小野選手はこれまで私が戦ってきたどの選手よりも強く、素晴らしいファイターでした。そんな小野選手と2時間近くも戦えた自分を誇りに思います。

小野選手のグランプリ連覇を祝福すると共に、また戦える機会があれば今度こそ小野選手を超えられるようこれからも頑張りたいと思います」

 

 小野達也

「不細工な試合をお見せして申し訳ありませんでした。特に最後の第10ラウンドにおいて、失神した金田選手に打撃を加え続けてしまったのは自分の未熟さ故であり、恥ずべき行為だったと反省しています。金田選手には日を改めて直接謝罪したいと考えています。

また、目標としていたグランプリ連覇を達成できた事は素直に嬉しいですが、今回の試合は内容的には私の完敗であり、勝利という結果は単に運が良かっただけだと思っています。

今回のような試合を繰り返さないよう、さらに強くなれるようこれからも精進します。応援ありがとうございました」

 

 第1回グランプリとは全く異なる、お互いを称え合う清々しいフィナーレだった。歴史の証人となった全てのファンは、勝者の達也だけでなく敗者の金田陽希にも大きな拍手と賛辞を送った。

 

 そして、全てが終わって。

 

 達也は病室のベッドにいた。試合には勝利したものの全身の複数箇所を骨折するなどダメージは深刻で、当面の間は絶対安静が言い渡されていた。

 

………………………………………

 

     ―達也―

 試合後、沢山の人から祝福と称賛の言葉を頂いた。おめでとう、達也くんは本当に凄い、達也くんこそ最強だ…と。感動しました、最後まで諦めない姿に勇気をもらいました、私もツラい時には達也さんの姿を思い出して頑張ります…ファンからのそういった声も沢山届いた。

 もちろん、嬉しくないと言えば嘘になる。俺の戦う姿が誰かに少しでも勇気や感動を与えられたのならば、そんな嬉しい事はない。

 でも今回ばかりは、本音としては…複雑だった。

 今回の試合の本当の勝者が誰なのか、それは自分自身が一番よく分かっていた。「勝てたのは運が良かっただけ」というお馴染みのコメントも、今回ばかりは100%本心だ。

 あの第9ラウンドは自分の力で凌ぎ切った訳ではなくて、単に時間に救われただけに過ぎない。ラウンドがあと1分長ければ俺はもう立ち上がれなかっただろうし、そもそも金田がもっと早いタイミングで締め技に来ていれば、俺は確実に締め落とされていただろう。これは有り得ない仮定だけど、もしあれが喧嘩だったら俺は殺されていた…とも。

 何より、あそこまで一方的な状況に追い込まれたなら、潔くタップしなければならなかった。今回の試合の本来あるべき結果は俺の9ラウンドKO負け。本来なら第10ラウンドは存在してはいけなかった。

 だからこそ、「最後まで諦めない姿に勇気をもらいました」というようなファンの言葉でさえ、逆に俺を責めているようにすら感じられた。負けを認めろよ、往生際が悪いぞ、と。もちろんそんな意味で言ってくれてる訳じゃないっていう事は、分かってはいるんだけど…

 でも、俺は本当に往生際が悪くて…

(充希は、俺の試合を見てくれたかな…)

 フラれてからもう2か月も経つというのに、俺はまだ、心の穴を埋めきれないままでいた。諦めなきゃいけない、吹っ切らなきゃいけないと何度も思ったけど、でも、どうしても忘れられずにいる。

 あれ以降、充希からの連絡は一度も無い。もちろん、充希が俺の試合を見てくれたかなんて分かる筈もない。

 だから、俺にできる事は、ただ信じる事だけ。

 充希はきっと、俺の戦いを見てくれたんだと。力の全てを振り絞って戦ったあの日の試合が、新たな一歩を踏み出そうとしている充希に、ほんの少しでも勇気を与えられたんだと…

 ただ、信じるだけ…

 

………………………………………

 

 4月になった。

 新しい年度。多くの人が人生の新たな扉を開き、新たな一歩を歩み出す、新しい季節。

 でも俺は、ずっと同じ気持ちを抱えたまま、同じベッドの上で、昨日と変わらない一日を過ごす。

 

 病室の窓を開けると、暖かい日差しと涼しい風が優しく頬を撫でる。

 もう充希はイギリスに旅立ったんだろうな…透き通るような青空を眺めながら、ふとそんな事を思う。新しい暮らしには慣れたかな…言葉や文化の違いに苦労してないかな…変な男に付きまとわれてないかな…なんて。

 寂しい。

 充希が向こうで西洋人の彼氏をつくって、そいつと結婚してハーフの子どもを産んで…そんな未来を想像すると、猛烈に悔しくて、寂しかった。

 でも、俺にはどうする事もできない。充希には充希の人生があるから…俺との決別を選ぶのは、充希の自由だから…

 だから、願わなきゃいけない。

 充希が選んだ人生に、俺のいない人生に、幸せが訪れる事を…。

(ちょっと、寒いかな…)

 4月になったばかりの風は優しいけど、まだ幾分肌寒い。

 窓を閉めようと、ゆっくり起き上がる。

 

 その時、だった。

 風の流れが、一瞬だけふわっと変わったのは。

 

「ん…?」

 病室の扉がゆっくりと開くのを感じて、振り返ってみる。

 すると…

 

「…………え?」

 

 一瞬、時が止まったような気がした。体の痛みも肌寒さも、不思議なぐらいに何も感じなくなって。

 だって、そこにいたのは、もう二度と会えないと覚悟していた…

 

「充…希…?」



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最終話 …そんなお話

     ―達也―

 さらさらと、風の流れる音が聞こえる。

 言葉が出てこなかった。ずっと一番近くにいた存在だったのに、これまで数え切れないほど色んな話をしてきたのに、もう一度会いたいとあれだけ願ったのに…

 でも、いざ目の前に現れると、自分でも情けなくなるぐらいに言葉が出てこなくて…

「ま、まあ…とりあえず、こっちに座る?」

 やっとの思いで言葉を絞り出しながら、ベッドの端に腰掛ける。

 すると充希は、ゆっくりとこちらに近付いてきて。

 何も言わないまま、ちょこんと俺の左側に座った。

(あ…)

 ふと、懐かしい感覚に捉われる。

 並んで座る時はいつも俺が右側で、充希が左側。いつからそうだったかなんて全く思えてないけど、気が付いた時にはもうそれが当たり前になっていて。

 それはこうして、言葉が無くてもやっぱり同じで…

「…イギリス、まだ行ってなかったんだ」

 何か喋らなきゃ…そう思いながら、とりあえずそんな事を言ってみると。

「うん。もうすぐだけどね」

「そっか…」

 また会話が途切れてしまって、風の音が聞こえ出す。

 その風の流れに乗るように、充希の甘い香りが左側からふわっと鼻腔をくすぐって。

「私…達也に謝らなきゃいけない」

 沈黙を破ったのは、今度は充希だった。

 ただ、その言葉の意味が、俺には全く分からなくて…

「謝る…?」

 すると充希は小さく頷いて。

「だって…達也がそんな酷い顔になっちゃったの、きっと私のせいだから…」

「はい…?」

 やっぱり、その言葉の意味が分からなかった。確かに今の俺は包帯グルグルで酷い顔だけど…

 でもそれは充希のせいである筈もなくて、単に俺が弱かったから、ただそれだけの事だから。

「いや、謝るのは俺の方だよ。充希を裏切って…その…本当にごめん」

 許して欲しい、と後に続ける事はできなかった。だって、そんなお願いをする資格は、無いから。

 でも充希は、小さくかぶりを振って。

「ううん、達也は何も悪くない。私がいけなかったの、私が…達也に嫉妬して…」

「嫉妬…?」

「達也は私なんかとは住む世界が違う人になっちゃったのに、私がそれを認められなくて…達也に酷い事をいっぱい言って…」

「何言ってんだよ…一緒の世界に住んでるじゃん」

「そんな事ないのっ…どんどん凄い人になっていっちゃう達也を、私は心の底から祝福してあげられなかったからっ…達也が遠くに行っちゃうのが寂しかったからっ…」

「………」

「だからっ…もう私なんか、達也の傍にいちゃダメなんだなって…」

「………」

 その言葉を聞いていて、何となくだけど、分かった。

 充希に嫌われてしまったと思ってたけど、きっと、そんな事はなくて。

 俺が、充希から離れて行ってしまってたんだと。

「本当にごめんなさい…私が一方的に別れを切り出したりしなかったら、達也はきっと、試合であんな死にそうな思いをする事はなかったのにっ…」

「いや、それとこれとは話が別だけどさ…」

「そんな事ないよ…あの日の達也は、いつもの達也とは全然違ったから…」

「…やっぱ分かる?」

「分かるよ…達也の試合はずっと見てきたんだもん」

「そうだよな…」

 そりゃ充希の目はごまかせないよな…と思う。

 だから間違いなく充希は、あの日の俺の状態が最悪だった理由も分かってしまっていて。

「私、試合を見てて涙が止まらなかった。どうしてギブアップしてくれないの、このままじゃ死んじゃうよって…」

「そっか、ついに充希を泣かせてしまったか…」

 何故だか分からない…もしかしたら感情として何かが決定的に間違っているのかもしれない…けど。

 充希が涙を流してくれたと聞いて、あの時ギブアップせずに耐え続けて良かったと…そう思えて。

 それは、つまり…

 目指していた所に、俺はやっと辿り着けたんだと思えて…

「決めた。今日限りで格闘技を引退するよ」

「えっ…?」

 突然の引退宣言に、充希が驚いたようにこちらを見る。

 だから俺も充希の方を向…こうと思ったけど、やっぱり恥ずかしいから真っすぐ前を向いたまま。

「充希が傍にいてくれないと、俺はあんな殺し合いみたいな試合しかできないし、それに…」

 続きを口にするのは、少しだけ躊躇いつつも。

「空手を始めた時に立てた目標も、ついに達したみたいだから」

「目標…?」

「ああ、思ってたよりずっと長くかかったけど」

「達也が空手始めたのって…女の子にモテたかったからだよね…?」

「女の子にというか、正確には充希に、だな」

「…は?」

 きょとんとした充希の顔が、左目の端に映る。

「そ、そんなの言った事無かったじゃない。前聞いた時も、女の子にモテたいからだって…」

「そりゃ、充希の前で恥ずかしくて言えるかよ」

「っ…」

 また一瞬だけ、静寂が訪れる。

「ま、まあその…充希をこれ以上泣かせる訳にもいかないし…それに勝てば勝つほど充希からどんどん離れて行ってしまうってんじゃ、続ける意味なんて全く無いから」

「ダメだよ…達也はみんなのスーパーヒーローなんだから…達也を応援してるファンは沢山いるんだよ」

 だから引退なんてしちゃダメ、と充希は言うけど。

「確かにファンのみんなには悪い気もするけど…でも、俺にとっては1億人のファンより充希ひとりの方が大事だ」

「や、やめてよそういう事言うのっ…」

「よし、決まり。格闘技は引退っ!という訳で…」

 今度は、恥ずかしさを押し殺しながら、体ごとくるりと充希の方を向いて。

 包帯グルグル巻きの痛々しい顔で、しっかりと充希と目を合わせて。

 

「新しい人生は、充希と一緒に歩きたい。だから…結婚しよう」

「えっ…」

 

 また、静寂が訪れる。

 今度の静寂は、少しばかり長くて… 

 

「どうして…」

 ゆっくりと、充希が静寂を破る。

「どうして…私なの?」

「そりゃ、充希の事が好きだから」

「どうして私じゃないとダメなの?達也ならもっと素敵な女性をいくらでも選べるのに…」

「…それは俺を買いかぶりすぎだって」

「教えて、どうして私じゃないとダメなの?」

「だから、充希の事が好きだから…」

「…そんな曖昧な答えじゃ納得できない」

「え、ええ…?」

 思いもしていなかったの逆質問に、思わず戸惑ってしまう。

 何せ、涙を流しながら「こちらこそよろしくお願いします」みたいな感動的な展開を期待してただけに…

「えっと…まあ、やっぱり充希は可愛いし、女性として凄く魅力的だから…」

「私なんかより、高橋ひかりちゃんの方が可愛いよ…」

「い、いや…ていうか高橋さんとはもう会ってないから…というか充希の方が普通に可愛いし…そ、それにほら、充希はめちゃくちゃ頭良いじゃん、だから人として凄く尊敬できるっていうのも…」

「私なんかより、T大王の鈴木ひかりちゃんの方が賢いよ…?」

「…何で突然T大王が出てきたのか分かんないけど、その人とはそもそも知り合いじゃないし…そういえばほら、前に充希、俺を叱ってくれただろ?あれで俺、改めて分かったんだよ。本気で俺の事を俺を想ってくれるのはやっぱり充希だけなんだって」

「それは…」

「だから…えっとだな…」

 そう、もっと分かりやすく言うならば…

「何て言うか…俺の事を『達也』って呼び捨てで呼んでくれるのは…充希だけだから」

「っ…」

 それは不意に出た言葉だったけど、言った自分が「本当にそうだよな…」としみじみ思ってしまう。

 俺の事を呼び捨てで呼んでくれる女の子は、充希だけ。おそらくは、充希の事を呼び捨てで呼ぶ男も…

「分かった…達也」

 すると充希は、呼び捨てで俺の名前を呼んでくれて。

「その代わり、私からも一つだけ言わせて」

「え…あ、ああ」

「達也はカッコいいから女の子にモテるのは当然だし、少しくらいの浮気なら大目に見るけど…」

 …え、大目に見てくれるの?…っていやいや、浮気する予定なんて全く無いけど…っ!

「私は…達也がどれだけ凄い人になっても…達也の三歩後ろを歩くような女にはなりたくない。私は…ずっと達也の隣を歩きたいっ…!」

 

 

 光が、部屋に注ぐ。

 遠い遠い場所からやってきたその光は、俺と充希を等しく平等に照らして――

 

 

「ああ。死ぬまでずっと、一緒に並んで歩こう」

 

 

 さらさらと流れる風に乗るように部屋へと迷い込んだ桜の花びらが一枚、ひらりと俺の太ももに降り落ちた。

 もしかしたらこの花びらは、神様からの祝福のプレゼントなんじゃないかな…ふと、そんな事を思った。

 いや、絶対にそうだ、そうに違いない。

 充希と二人で歩む人生には、困難も多く待ち構えているかもしれないけど。

 でもその先にはきっと、沢山の祝福に包まれた幸せな未来が待っている筈だから。

 

 …そんなお話。




本作を読んで下さって本当にありがとうございました。本作はこれにて完結です(気が向けばしれっと追加で何か書くかもしれませんが)。お気に入り作品登録・感想・コメント・評価を心よりお待ちしておりますので、ぜひともよろしくお願いします!

そして、実はお気に入りユーザー登録者様限定でおまけシナリオを公開しております。充希とのベッドシーンや『幻の6章・キングハーツ編』など、泣く泣く本編からはカットした未公開シーンやボツシナリオをいくつか公開していますので、読んでみたいという方はその旨を活動報告へのコメントか個別メッセージにてお伝えください。

最後に、読者の皆様へアンケートを1問だけ用意しておりますので、お答え頂ければ幸いです。


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