仮面ライダービャクア (マフ30)
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設定目録(随時更新)

【登場人物】

 

望月沙夜(もちづきさや)(イメージCV:上田麗奈さん)

 

年齢 17歳

誕生日 8月1日

血液型 O型 身長170cm

趣味・特技 バッティングセンター、マッサージ施術、スノーボード

好きなもの ぼたん鍋、水族館、お昼寝

苦手なもの 雷、外出時の私服選び、生のタマネギ

 

本作の主人公。

化神と戦う組織・御守衆に所属する御伽装士の少女。

表向きは東海地方のとある町に暮らす高校二年生の女子学生。両目が隠れるほど伸ばした前髪が特徴。長身でスタイルも良いのだが地味で存在感が薄く、口数も少ないので幽霊のような印象を周囲には与えている。

 

目元が隠れていて何を考えているのか分からないので不気味に思われていることもあるが、人当たりは温和で丁寧なので彼女を慕う者も多い。

真面目で責任感が強く、御守衆の活動などの影響もあってやや自虐的。

たおやかで物静かなタイプと思われがちだが割と能天気で子供っぽいところもあり、いたって普通のどこにでもいる少女。気を許した相手にはかなり砕けた言動をみせることもある。

 

長年人里離れた山奥で修練に明け暮れなければいけなかったので社会経験が薄く、浮世離れしている一面も。見かけによらず健啖家。

 

 

常若永春(とこわかえいしゅん)(イメージCV:榎木淳弥さん)

 

年齢 17歳

誕生日 6月23日

血液型 A型 身長171cm

趣味・特技 キーボード演奏、間違い探し、バスケットボール

好きなもの あんかけスパゲッティ、夢や目標に向かって頑張っている人、万華鏡

苦手なもの レバー、ホルモン、雨の日の宅配のバイト

 

 

本作の語り部&もう一人の主人公。

どこにでもいる平凡な男子高校生。黒髪で少し童顔。

人並みに善良で気を許した相手には悪態もつくし、雑な態度を取ることもある普通の少年。

化神のような常識外れの脅威を前にしても恐怖を感じながらも理性的に行動できる。よく言えば物怖じしない、悪く言えば鈍感なタイプ。年相応に青臭く異性にも興味がある。

 

目立った特技や秀でた才能はないが高校進学後様々なアルバイトに手を出したのが功を奏して、大工仕事や家事全般と大抵の事は及第点レベルにそつなくこなせる。また観察力は高く、初めての場所でも土地勘が働く。

中学二年生の時に両親と死別。その後は結婚して独立していた兄のところに居候していたが兄夫婦の第一子誕生を機に現在の下宿先にて一人暮らしを始めている。

兄弟仲は良好。

 

 

 

六角光姫(ろっかくみつき)(イメージCV:ゆかなさん)

 

年齢 31歳

誕生日 11月15日

血液型 B型 身長162cm

趣味・特技 ドライブ、乗馬、将棋

好きなもの 旦那さん、TVゲーム全般、イカ明太

苦手なもの 書類仕事、渋滞、栗きんとん

 

御守衆・中部エリアの頭目を担う女性。

表向きは自動車修理工場六角モータースの経営者として暮らしている。

濃い茶髪のセミロングと切れ長な瞳が印象的な涼しげな美貌の持ち主。

常に笑顔を忘れない豪快で気風の良いマイペースな人物だが本質的には冷徹な切れ者。平時はちゃらんぽらんで雑な物腰であることが多く傍若無人と思われることも多い。

 

保護者代理でもある沙夜とは付き合いが長く歳の離れた姉妹か悪友のような関係を築いている。既婚者であり、婿養子の夫は現役の御伽装士であり、沙夜の師匠の一人でもある。

古くから御守衆に連なる由緒ある家柄で彼女の両親である先代夫婦は京都で後進の育成を行っている。

 

モータースの従業員である四人組(安、杉、中、梶)も全員が御守衆の平装士。

怨面こそ使えないが四人全員が戦闘から支援、装備の整備に情報収集まで何でもこなせるオールラウンダーな精鋭。見た目と言動は少し荒っぽいが全員が気持ちの良いタフガイである。

 

 

【用語】

 

『御守衆』

政府内に秘密裏に存在する陰陽庁お預かりの秘密組織。

京都にある本部を筆頭に日本八地方にそれぞれ支部があり化神や人知を超えた怪異などから人々の平和を守るため活動している。

対化神の切り札である御伽装士の他に各種業務をこなす平装士や裏方担当の職人組などが存在する。表向きは一般人に扮して活動している。

 

『御伽装士』

怨面を用いて変身する戦士。

神通力によって超人的な体術や仙術を扱える。

専用の退魔の魔道具を用いるが種類や所有数はそれぞれで異なる。

変身のための始動キーとなる呪文は「オン・バサラ・ソウシン・ソワカ」という共通のものがあるが固有の呪文を持つ者も多い。

修業を積んで怨面に適合する者と怨面が自ら担い手を選ぶ者と二択の選定方式が存在する。

 

『怨面』

変身アイテム。

化神に対抗するために時の権力者が陰陽師や仏師に命じて作らせた強力な魔道具。

化神の犠牲の他に戦乱や疫病、飢饉、天災などで死んでいった多くの人々の怨念無念が注ぎ込まれている。

怨面には疑似人格のようなものが宿っており、頻度には格差があるがテレパシーで担い手と対話することも可能。

使用者の精神が弱いと最悪の場合は怨面に意識を取り込まれて廃人になる恐れもある。例外として怨面が担い手を得難い存在と認識していると自発的にセーフティを掛ける場合も存在する。

平安初期から幕末までに複数が作成されたとされるが明治維新と廃仏毀釈などの混乱により作成方法や技術などが紛失してしまっているので新造することは難しい。全国各地にあるとされるがその殆どは陰陽庁によって管理保管されている。

 

『化神』

古来より憎しみや恨みなど穢れと呼ばれる負の情念の吹き溜まりに意思が芽生えた存在。

黒い靄の塊から始まり、悪事を重ねて人間社会で穢れを発生させて、それを取り込むことで実体である躯を手に入れていく。

悪事はくだらない悪戯から凶悪な犯罪に相当するものまで多種多様。

既存の動植物に人間社会に存在する武器や道具などが融合したキメラ体であることが殆どだが中には付喪神のように無機物をモデルに躰を形成するものも存在する。

全ての個体が暗天と呼ばれる異空間を生み出すことが出来る。これは現実世界を模倣した太陽の存在しない赤い空の空間で穢れが満ち溢れているので化神の力が強化されている。

 

 

 



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御伽装士目録

 

『仮面ライダービャクア』

 

■パンチ力:12t

■キック力:25t

■ジャンプ力:70m

■走力:100m6秒

 

 

沙夜が魔道具・白鴉の怨面で変身した姿。

神通力を用いて超人的な身体能力や摩訶不思議な仙術を操り化神を討伐する。

ビャクアは素早さと七つ道具を活かした汎用性の高さが長所。長年、怨面の使い手が現れなかったので潜在能力は未知数。反面、変身者への負担も他の御伽装士に比べると大きい。

 

外見は赤く鋭い双眸を持った翼を広げた白い鴉の意匠を持つ仮面。

青みのある黒いアンダースーツ。

真白に金の装飾が施された山伏を思わせる軽鎧と籠手に、両腕を守る群青色の大袖。

腰に巻かれたベルトのバックルはヤツデの葉を模っている。

加えて腰からは両端に深いスリットが入った白い垂れ布が膝ほどまで前後に覆われている

 

 

『退魔七つ道具』

 

ビャクアの専用武器。

 

神通力を武器に通すことで特殊能力や高威力の大技を繰り出せる。

複数同時使用も可能だが沙夜本人への心身の負担が増加してしまうデメリットがある。

破壊された場合でも一定時間をおけば自己修復が可能。

 

 

其の壱:天狗の羽団扇

 

真紅の柄を持つ白銀の羽団扇。攻防一体の武具であると同時に神通力で旋風を作ったり、敵の攻撃を跳ね返すなど特殊な攻撃を行うことも出来る。また羽団扇を介して風と羽根を用いた不思議な仙術を使うことも可能。主だった仙術として以下の物がある。

 

仙術・羽根滑走。

仙術・羽根幻朧。

仙術・羽根隠れ。

 

其の弐:裂空の快刀

 

金色の独鈷のような柄を持つ二刀流の直刀。刀身は少し短いが軽く切れ味抜群。

それぞれの柄頭を合体させることで双刃の槍のようにも使用できる。

必殺技は敵を瞬く間に乱れ切りにする『乱鴉の太刀』。 

 

其の参:雲薙ぎの大鎌

 

蒼い鋼の無骨な見た目の大鎌。神通力を注ぐことで5mほどまで巨大化させることが出来る。

扱いにはコツがいるが広範囲・高威力を誇るのでビャクアが特に好んで用いる。

必殺技は巨大化させた大鎌の切れ味と重量で相手を真っ二つに切り裂く『断邪』

 

 

其の肆:山崩しの大筒

 

鳥面の大きな銃口を持つ長銃型の武具。長い射程と強烈無比な威力を持つエネルギーの弾丸や奔流を発射することができる。

必殺技は螺旋を描き貫通性を高めた光の大奔流を発射する『烈風葬破』。

 

 

其の伍:海砕きの無双籠手

 

赤い鉄の指を持つ石柱のような大きな鉄籠手。

装着すると神経が通い、指先まで自由自在に操ることが出来る。桁外れの防御力と高い攻撃力を持っている。堅牢な装甲を活かして盾の代わりに防護壁としても使える。

必殺技は風牢縛と呼ばれる球状の風の結界に閉じ込めた相手を全身全霊で殴り抜く『嵐壊拳』。

 

其の陸:天地守りの大具足(霊式絡繰大具足 クロウマル)

 

対大型化神を想定した全長三十メートルほどの人型兵器。

天狗と僧兵を組み合わせたような漆黒の鎧を纏った外見をしている。

武装は薙刀と錫杖が合わさったような金色の刃の宝槍と両肩に装備した連火砲。

搭乗者の体力(生命力)を吸収して動力に変換している。

ビャクアの手引きで内部に入ってしまえば誰でも操縦でき、一度に複数人が乗ることも可能。また武器や手など大具足の一部分だけを限定的に召喚することも出来る。

 

其の漆:韋駄天の鎧下駄。

 

朱色の天狗下駄に白い羽根の装飾が組み合わさった足鎧。

目にも止らぬ高速移動や最大で七人の影分身などが行える。

必殺技は七人が全く同時に神通力を纏わせた強烈な飛び蹴りを全方位から食らわせる『乱鴉一陣』

 

『仮面ライダービャクア・セキシン』

 

■パンチ力:42t

■キック力:65t

■ジャンプ力:150m

■走力:100m2秒

 

沙夜が怨面に宿る白鴉の導きの元に呪の力を祝の力に変換した状態で変身した新たな姿。

無理やりリミッターを外して攻撃特化の強化をしたビャクア・マガツよりも全能力が上昇している。高性能及びに後述する特殊な能力を数多く操れる反面、急激に消耗した場合は変身者の負担を考慮して強制的に変身が解かれる。

全能力を最大発揮した状態の活動時間は777秒。

 

外見的な特徴の変化として――。

アンダースーツが緋色に変色。

大袖やベルトに翠色の勾玉の飾りが追加される。

両籠手には黄金に光る宝輪が加わる。

白いフルフェイスの仮面には真紅の紋様が浮き上がり、蒼い宝玉が填め込まれた片翼型の黄金の胸当てが加わる。

神秘的な羽衣がマフラー代わりに首に巻かれる。

 

必殺技は神通力を一気に解放して、燃え盛る白い炎のようなエネルギーを全身に纏って突撃ないし蹴撃を叩き込む『光鴉一殲』。

本人の意思で移動する相手を追尾可能で、一度に広範囲の敵を一掃することも出来る。

 

最大の特徴として、白鴉が封印していた七幻神武と呼ばれる非常に強力な七つの装備や能力を扱うことができる。

 

自然界に存在する元素を源に様々な刀身を発現させる『万象剣・森羅』。

周囲の大地から神通力を吸収・増幅することができる『護恵の勾玉』。

ビャクアが形を維持できる限りはあらゆる攻撃を反射する『宝輪逆天鏡』。

神通力を打撃に上乗せすることで相手を内部から破壊する『神通拳』。

七つ道具を遠隔操作して攻撃する『神通操』。

音無しの高速移動を可能にする『神足通』。

大量の神通力を消費して平行世界を移動する『神通旅程』。

 

万象剣・真打:魂魄剣

 

夜明けの青空のような色をした刃を持つ七支刀型の武具。

万象剣・森羅の拘束を解いた真の姿。

担い手の生命を玉鋼として刃を形成していることにより、この剣は相手の命脈を直接切断するという神懸かり的な能力を宿している。

反面、魂魄剣の刃が折れるという事は担い手であるビャクアの生命の危機に直結するという大きなリスクを持っており、文字通りの諸刃の刃。

 

 

『ハヤテチェイサー』

 

ビャクアの専用マシン。御守衆の職人組が独自の技術力で開発した式神ビークル。

意思を持っているのでAIのように指示を飛ばせば自動で走ってくれる。

遠くに離れていても沙夜が携帯している金属板型の護符からも召喚可能。

白い鴉のようなフロントカウルが特徴的な機体。カラーリングは白地に緑色の疾風のようなラインが施されている。(外見のイメージはギルスレイダーの色違い)

 

 

 



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第一幕 望月さんの放課後

知っている人はご無沙汰しております。
初めての人は改めましてよろしくお願いします。

今回どうしても女性ライダー主役で書きたいネタが出てしまい、約五話~七話ほどの短編策と言うことで本作を書き上げました。

短い物語となりますがお付き合いいただけると幸いです。


 世界は呪いに満ちている。

 怒りがあり、悲しみがあり、憎しみがあり、恨みがある。

 万華鏡を覗いたような、色とりどりの怨念がいまも世界に芽吹いている。

 人が人として生きていく、この営みがある限り――それは続いていく。

 

 だけど。

 

 

 

 

 とある日の、とある町でのちょっとした出来事さ。

 平日昼間の往来に一人のサラリーマンが歩いていた。

 彼だけじゃない。老若男女関わらず誰もがその日の暮らしをこなしていた。

 買い物に出た奥さんも、楽しく遊ぶ学生さんに、あてもなくふらつく根無し草。

 誰もが変わらない普通の一日を過ごしていたわけだ。

 

 けれども、だ……。

 

 お互いに顔も名前も知らない、縁もゆかりもないようなその他大勢の人たちが行き交う路上のどこかで突然に「シュカ」と奇妙な音が聞こえたんだと。

 するとどうなったと思う?

 せわしなく歩いていたサラリーマンのお兄さんの背中がくたびれたスーツごとパックリと切り裂かれて、コンクリートの地面に真っ赤の血の花を咲かせた。

 

 巷じゃ最近、こんな奇々怪々で物騒な事件が後を絶たない。

 他にも自動車がひとりでに宙を舞ったり、電信柱が針金アートみたく捻じ曲がったりと幸いにもまだ怪我人よりも向こう側へと逝った不幸者はいないそうだが。

 特にこの「透明人間の通り魔」と呼ばれるようになった事件はその後もその町の界隈でチラホラと続いた。

 あるときは動物が、またある時は植木鉢や店の看板なんかがザクザク、スパスパと。いずれも近くには誰かがいて、不可視の凶刃が振るわれる度に悲鳴が上がった。

 

 格別の恐怖が生まれたことだろう。

 狂人が刃物を振り回すだけでも恐ろしいのに、相手は姿が見えないのだから吃驚仰天なんてものじゃないだろうから。

 そう、驚きが転じて恐怖を生む。

 生き物って言うのは自分にとって知らない事柄に驚きを覚えるのが常だ。

 喜びに転じる良い驚きもあるが、大抵の驚きは良くないことが起きる前触れみたいなものだ。

 驚きはやがて恐怖へと変わる。恐怖を筆頭に泥を丹念に煮詰めたような真っ黒で薄ら寒い穢れと表現してもいいような、仄暗い負の念へと化けるのだ。

 そんな穢れをご馳走のように思って舌舐めずりをしているような人外の連中がこの広い世界の日陰のずっと奥底に大昔からいることを知っている人間たちはあまりいない。

 

 

 

 

 四月中旬、本日は良く晴れた一日だった。

 高校生活二年目もスタートダッシュの喧騒が一段落したある日の放課後のこと、ボクこと常若永春(とこわか えいしゅん)は仲の良い友達たちとダラダラと人が減った教室で雑談に興じていた。

 

「あー今日も部活出来ないと暇だな」

「しょうがない例の通り魔事件。学校の近所でもあったんだからさ」

「変な音がしたら次の瞬間に切られてるって奴だろ? 犯人忍者か何かかな?」

 

 短髪の見るからに陽気で体育会系な友人その一である西条がこぼす愚痴にスマホの地方ニュースの画面を見せながら言って聞かせる。

 

「お前は忍者にどんなイメージ持ってるんだい西条?」

「いや、だけどよ永春! 忍者はあれだぞ、速い強いスゴいが揃ってるんだぞ? しかもあいつら刀持ってるじゃん! っ……ほら、やっぱり犯人忍者だって!!」

「そうだな。令和のこの時代に忍者まだ生き残ってるといいな」

 

 陸上部の短距離走のエースで単純明快を絵に描いたような気持ちのいい男だけど、脳みそまで速さを追い求めるあまりに軽量化してしまった傾向にあるのが友達として心配になる。

 

「井上はどう思う?」

「そうだな……」

 

 この調子で西条と話しているとボクまで忍者への過度な期待を押し付ける限界オタクになってしまいそうなので隣でずっと二人の会話を聞きつつ、マイペースに読書をしていたもう一人の友人に話を振った。

 

「高性能な光学ステルス迷彩装備を用いた犯行なのかもしれない。古い映画だけどプレデターに出てくるような感じの。いや、ニュースで流れていた情報の限り事件現場に居合わせていた人たちの証言によると奇妙な物音以外は何も可笑しな異変は無かったらしいから、装着者の動作に対する消音機能なんかが組み込まれているとするのなら、それはもう当時のSFの中のアイテムを現実が凌駕したことになるわけだが……」

「どうした急に」

 

 黙っていれば女子受けの良い美形顔の井上はこんな感じでオカルトやSFといった分野が大好きな爽やか系インテリの皮を被った愛すべきオタクだ。ボクたちは他言無用にしているが大手の動画投稿サイトに考察系の動画を投稿しているぐらいの強い熱量と造詣を持っている。

 

「井上! お前がすごいことを話していることは俺や永春にも分かる! でも、俺はお前の言っていることが頑張っても2ミリぐらいしか理解できねえ!」

「ごめんな井上。ボクも英語のリスニングがダメダメなような男なんだ。だから、日本人に分かる言葉でもう少し短く教えて欲しいよ」

「む。すまない」

 

電子音声のアナウンスのように滔々と持論を語る彼の言葉の濁流の前にボクたちは仲良く沈没する寸前だ。

 

「気にすんなって。つまり、事件解決にはシュワルツネッガーが必要だってことだろう。プレデター倒したのシュワちゃんだしな!」

「でも、シュワちゃんもう結構なおじいちゃんだぞ?」

「やっべ、そうだ。タイムマシン作るところか始めなきゃいけねえのか」

「クローン作った方が速いと思うが」

 

「「「っ……ぶっはははは!」」」

 

 しばしの沈黙。からの三人揃って謎の爆笑。

 不謹慎かもしれないが高校生という生き物は無意味でくだらないバカ話を幾らでも作れてしまうし、そこから延々と盛り上がってしまえるのだ。

 大人に片足を突っ込んだ年齢なのだから、真面目に考えれば日々を暮らす地元で凶悪事件が未解決のまま長引いていることに危機感を持つべきなのだがいまいち実感が持てずに対岸の火事気分なのもまた高校生という生き物の性なのだろうか。

 

「あ! そういえばまだ永春から犯人像聞いてなかったわ! 言え!」

「興味深いな。僕たちの説のどちらかと一緒だった。は無しだぞ」

「えー、縛りプレイみたいなのはダメでしょ? じゃあ、妖怪の仕業だったとか?」

 

「……ッ」

 

「聞き覚えのあるフレーズだな」

「パクリじゃ! パクリ野郎じゃあ!!」

「え? あ、ああ……いいじゃんかよ。あと、西条これはパクリじゃなくてインスパイアな!」

 

 ボクの言葉に西条たちが呆れ半分に茶化している最中に、ふと背後から誰かの視線を感じた。二人に悟られないようにさり気なく後ろを見渡す。

 視界に映るのはボクたちと同じように数人が集まってお喋りをしている女子のグループともう一人。

 

(望月さん? いや、まさかね)

 

 教室窓辺の最後尾の席に座る存在感の薄い一人の女子生徒。

 LINEで誰かとやり取りでもしているのか風景と溶け込んでいるかのように静かに自分のスマホと睨めっこをしている彼女。

 

 望月沙夜(もちづき さや)さん。

 

 今年からクラスメートになったその人の存在が目に留まった。

 すらりとした高身長に凹凸がくっきりした抜群のスタイル。

 昔話のお宝級の反物のようにさらりとした美しく長い黒髪。

 伸ばした前髪で両目を隠してしまっているので詳細は不明だが絶対美少女!と評判の謎多き少女である。

 謎多きという表現には様々な理由があるわけだけど――そんな風に望月さんについて回想していると当の本人は無音で立ち上がると鞄を持って歩き始めた。彼女も部活に入っていると言う噂もないし、帰宅するらしい。

 

「望月さん、これから帰るの? よかったらアタシらとカラオケいかない?」

「クーポンあるからいまならお得ですぜ?なんてね♪」

「……ありがと。でも、今日は家業の手伝いが忙しくなりそうなので、また今度」

「ざーんねん! てか、望月さんちってお店やってんだね!」

「なになに、ご飯屋さんとか?」

「えと、あんまりハイカラというわけじゃ。古めかしくて、面白みは少ないと思います。それじゃあ、カラオケ楽しんできて下さい」

 

 呼び止めてきた別の女子たちのお誘いに望月さんはゆったりとした独自のテンポに囁くような喋り方で断ると教室を去って行った。ウィスパーボイスというのだろうか、遠巻きに横聞きしていても耳が気持ち良くなるような綺麗な声だ。

 

「俺、三日ぶりに望月が喋っているとこ見たかもしれん」

 

 彼女が教室を後にして1分後。

 女子グループたちが会話を再開して45秒経過して、西条がそんなことを言い出した。

 

「西条は今日の現国の時間に半分寝てたからね。教科書の朗読してたよ。あと昼休みに巴のお喋りの相手になって相槌打ってた」

「詳しいな。まるで望月さん博士だ」

「せ、席が隣なんだからそれぐらいはね」

 

 不味い。つい口が滑ってしまった。

 これではボクが高校生活の中でそれなりの頻度で望月さんのことを観察していることがバレてしまう。

 

「なんだぁ永春は望月みたいなのがタイプなのか?」

「いや、その……席となりだし、話してみたいかなーとは思うかな」

「そういうもんか? アイツ、なに考えてるか分かんないからちょっと苦手なんだよな」

「近寄り難い雰囲気は確かにあるが彼女は親切で人畜無害なタイプだと思うぞ」

「だよね! 井上よく言った!!」

「永春、やっぱお前……」

 

 そうだね。この際だ、正直に白状しよう。

 ボクは望月沙夜さんのことが気になっている。

 異性としてというよりは人間として、とても望月さんのことをもっと知りたいと思っているんだ。それぐらい、彼女は不思議と魅力を纏っているとボクは感じている。

 

 先の続きを少しさせて欲しい。

 彼女の謎やボクの知っている限りの望月さんの人物像についてだ。

 類稀な恵まれた容姿を持つ彼女なのだが驚くほどに地味なのだ。

 矛盾したことを言っているのは承知の上だけど、学校での彼女は不思議なことに影のように存在感が薄い。

 普通なら彼女ほどの美貌(推定)とプロポーションの持ち主なら良くも悪くも目立って、否が応でも注目の的になるのが当たり前なのに望月さんはいつも賑わいの隅っこ、日陰のようなところにぽつんと佇んでいる。

 だけど全くの無口だとか孤独孤高と言うわけでもなく、話しかければ答えてくれるし、穏やかで気配り上手な人柄だとボクは認識している。

 一つだけ、確かな自信を持って言えるのは望月さんはまるでボクたちと同じ場所に居ても、いつも違う世界に居るようなそんな儚げな空気を持っている。

 陽の差し込む眩しい場所にいる誰かを、暗く静かな日陰の中で優しく見守ってくれているように。

 

「ところで井上はさっきから片手間になに読んでんだ? またオカルトかホラー小説?」

「いや、強いて言うなら一応恋愛小説なのか……人魚姫・異聞ってタイトルだ」

 

 ボクが望月さんについて耽っていると通り魔の犯人当てにも飽きたのか西条が井上の手にしている文庫本に興味を移していた。

 

「アンデルセンの人魚姫の舞台を昔の日本に置き換えて、独自のアレンジを加えたものだけど八尾比丘尼の逸話や日本古来の人魚伝説なんかが破綻することなく盛り込まれていて、なかなかの傑作だと思うよ。実は読み直すのはこれで二回目なんだ」

「ヤオビクニ……助っ人外国人か!?」

「人魚の肉だか生き肝を食べて不老不死になったって伝説の人だよ」

 

 あまりにも日本の文学や民俗に疎い西条にボクが堪らず解説を入れた。

 西条がやっていそうなゲームや愛読の少年週刊誌とかで名前ぐらい出てきそうなのだが我が親友のことなので絵だけ見てセリフは流し見している可能性もあるのだろうか。

 

「不死身ってすげえな、最強じゃん!」

「だと思うだろう? これが後々に意外な形で響いてくるから面白いんだ」

「おーい二人とも、あんまり長居すると流石に生徒指導の先生辺りに注意されるから続きやるなら家でやろうよ」

 

 推しを布教するモードに入りかけた井上を制しながらボクたちも下校することにした。

 でも、確かにボクも少し内容が気になった。

 たぶん井上の口ぶりからすると主人公かヒロインのどちらかが不死身になったところで原作と同じく悲劇的な結末になったのだろう。その人魚姫・異聞という作品も。

 もしも仮に不死身のお陰でハッピーエンドだという結末だったとしたら、井上には悪いけどボクの趣味とその作品は合わないと思う。

 

 

 

 

「じゃあな、また明日!」

「お互い、通り魔には気をつけような」

「全くだな。それじゃあ」

 

 高校の最寄りの地下鉄からボクは西条たちと別れて、独りで家路に就く。

 今日はバイトもないので本屋にでも寄ったり、財布と相談しながら買い食いしながら帰るとしよう。そんな風に予定を立てながら、夕暮れに染まって行く街を歩いていた時のことだった。

 

「あれって、望月さん?」

 

 黒いセーラー服の長身黒髪のシルエットを見つけて、ボクは思わず足を止めた。

 視線の先には間違いなく、気になる彼女が何かを探している様な素振りで雑踏に混じっていた。

 

「意外とボクと家、近所だったのかな? でも、あのキョロキョロした感じは道に迷った系だよね? 家業の手伝いと関係あるのかな」

 

 道案内なら自信はある。住み慣れた地元だし、宅配ピザのバイトをしているから殊更この界隈の地理には明るいと自負がある。

 だけどボクは僅かに躊躇い気味に考える。気安く声をかけていいものかと。

 迷惑にならないだろうか? 

 下心見え見え野郎と嫌われないだろうか?

 恋愛クソ雑魚ボーイの自分ではこの手の話題になるとネガティブなイメージが溢れ出してキリが無い。

 

「いや! ここはいかなきゃでしょ」

 

 彼女を見失わないように目を凝らしながら熟思した末にボクが下した決断は声をかけてみるだった。余計なお節介や勘違いなら謝るだけ、簡単な話だ。

 だけど、もしも本当に望月さんが困っていてそれを見過ごしてしまおうとしているのなら。それが変えようのない過去に流されてしまう前に後悔して傷つくよりも馬鹿をやって傷つきたい。

 

「望づ……って、歩くの速い! えっと……いまどの辺だ!?」

 

 意を決して、歩き寄って声を掛けようとしたのだが肝心の望月さんはかなり遠くのところまで移動していた。背が高いからすぐ見つけられたけど、彼女がこんなに機敏だったとは思わなかった。

 

「あの先は神社だったよな。無駄に広いだけの……とにかく急ごう」

 

 行き交う人の流れを縫うように足早にボクは彼女を追いかけた。

 彼女にだけしか意識が向いていなかったのでその時は気付かなかったけど、先程まで彼女が足を止めてキョロキョロしていたその場所は数日前に透明人間の通り魔によって看板を切り裂かれたお店の軒下だったのだ。

 

 

 

 

 石段を駆け上がって雑木林に隣接する古びた神社と辿りつく。

 中央にある神楽殿や玉砂利が敷き詰められた広い敷地の隅に設置されたブランコは錆つき年季を感じさせる。

 

「昔はよく縁日の屋台とかたくさん来てたのに寂れちゃったよな。望月さんは……いた」

 

 時の流れにらしくなくセンチメンタルを感じつつ、神社を見渡すと彼女は――望月さんは奥にある件の朽ちかけたブランコの傍にいた。

 

「あ、あの望月さん! 学校ぶりです、その!」

「永春くん……? なんで」

 

 後に繋ぐ言葉も考えずに勢いのまま声を掛けるボクの姿に望月さんは微かに肩を震わせえ驚いているようだった。

 

「偶然そこで見かけて、何か探している様子だったから気になって追いかけちゃったんだけど」

「……はぁ」

「その、なんだろ。この辺の地理なら結構詳しいから役に立てるかなって……うん。それだけなんだけどさ……ゴメン、いま明らかに変な奴だと自分でも思うんだけど、ただ――」

「あぶない!」

 

 話しかけたはいいが案の定そこからの言葉に詰まってきもち悪い不審人物ムーブをしているボクに向かっていきなり走り出した望月さんの姿を見て、頭が真っ白になった。

 一拍の間を置いて全身に走る柔らかくも強い衝撃。

 気が付けばボクは望月さんに押し倒されていた。

 同時にすぐ後ろにあった石灯籠が真っ二つにされて崩れ落ちる大きな音がした。

 

「え……ええっ!?」

「ごめんなさい。痛くなかったですか?」

 

 二つの大きくて柔らかく、あたたかな感触を顔に押し付けられながら、彼女の微かに張り詰めた声が耳元に降りてくる。

 

「全然。その、むしろありがとうございます。じゃない! あの、これって!!」

「透明人間の通り魔って永春くんはご存知ですよね? その犯人が私たちの目の前にいます」

 

 押し寄せる情報量に思考が追いつかない。

 ついでに望月さんに最低な賛辞を口にしてしまった思春期の健全な男子高校生な自分が恨めしい。いま、彼女はボクを助けてくれたというのに。

 望月さんが咄嗟に突き飛ばしてくれていなかったら切り裂かれていたのは石灯籠じゃなくて、ボクの体だったろう。

 

「永春くんにお願いがあります。いまからしばらく、この場にいてください。でも、私と化神(けしん)からはなるべく離れていて下さい。危ないですから」

「望月さん。君はなにを知っているんだ?」

「……いまはごめんなさい。話せば長くなりますから」

 

 ゆらりと立ち上がった望月さんの長い前髪の隙間から僅かに見えた紫水晶のような綺麗な瞳。険しい目つきで睨むその視線の先には信じられないものがあった。

 

『ウェヒヒヒ! 小僧ォ……いい顔するじゃねえか? 驚くよなァ、怖いよなァ?』

「黒い靄の……なんだあれ、人間じゃないぞ! 動物!? ま、まさか妖怪だっていうのか」

「半分ぐらい、正解です」

 

 禍々しい黒靄に覆われた人型がこちらに向かってハッキリと話しかけてきた。

 直感で解った。ああ、目の前にいるこれは人間の常識の外にいるナニかだと。

 お化けや妖怪だなんて可愛らしい表現をする類の物じゃない。

 これは絶対にボクたち人間に何かしらの危害を与える怪物ような存在なのだと。

 

「鬼ごっこはもうお終いです」

『嫌なこった! 穢れを育て、穢れを食らいようやく上等な躯を得たんだぜ? またまだ遊び足りないぜえええ!!』

 

 心臓バクバクで狼狽しているだけのボクを尻目に何故だか凛として黒い人型と対峙して言葉を交わしている望月さん。彼女が確か化神と呼んでいたそれは興奮したような口調で声を上げると全身に纏う黒靄を霧散させ、奇怪な異形をボクたちの前に晒してみせた。

 

『人間の娘の肉を切り刻むのはまだやってなかった。試し切りさせてくれよ、ナァ!』

 

 ケバケバしい黄色と黒の毛皮に覆われた二足歩行のイタチのような怪物。特筆すべきはその両腕から伸びた文房具のカッターナイフのような刃だ。尻尾の先端は鎌のようになっている。まるで合成獣のようじゃないか。妖怪も時代に合わせて進化しているとでもいいたいのだろうか。

 いや、あいつの正体はこの際何でもいい。一番の問題はこの化け物の標的が間違いなく自分と望月さんだと言うことだ。ボクはまあ、何をされても大丈夫だと思うけど彼女を意地でも無事に逃がさないと仮に死んでも死にきれない。

 

「望月さん、これヤバいやつだ! 逃げた方がいい! 君だけでも急いで走れ!!」

「……ありがとうございます。けど、平気です」

『グオオッ!? ケッ……これだから御守衆の連中は可愛げが無いぜ』

「うそでしょ」

 

 考えるよりも先に体が動いた。

 自分の体を盾にするようにボクは望月さんと化神と呼ばれる化け物の間に立ち塞がった。

 だがしかし、嬉しそうな囁きが聞こえたかと思うと望月さんはボクを軽々と飛び越えて、ついでに化神を蹴飛ばして神社の神楽殿にしゃなりと立った。

 

「望月さん……?」

「ちょっとだけ、私の秘密をお見せします。あの、怖がらないでもらえると嬉しいかもです」

 

 長い黒髪を風に躍らせ、柔和な大和撫子然とした美貌を露わにした彼女の手にはいつの間にか左手首のブレスレットから取り外した不思議な仮面のようなアクセサリーが摘ままれていた。

 

「オン・カルラ・カン・カンラ」

 

 別人のような低音で謎のまじないの言葉を彼女が唱えると驚くべきことに指と指とに挟まれた白いアクセサリーがどんどんと大きくなったじゃないか。

 それは能の舞台で用いられるお面のようなものだった。けれど、翼を広げた白い鴉の意匠の仮面は古臭くなく、ヒロイックと言えばいいのか独特の凄みが醸し出された見た目をしている。

 

白鴉の怨面(びゃくあのおめん)よ、お目覚めよ」

 

 白い仮面に語りかけ、望月さんは自らの顔にその仮面を被った。

 その瞬間、白鴉の怨面と呼ばれるそれが淡く妖しい光を放ち、彼女の白い肌には無数の蛇が這うような赤い痣めいた紋様が浮かび上がる。

 

「クゥ……ア、ァ、ゥアア――」

「も、望月さん!?」

 

 目の前で起きる彼女の異変。

 赤い痣の出現は痛みを伴うのだろうか、息を殺すような苦悶の呻きを漏らす姿にボクは無我夢中で叫んだ。ボクの声に望月さんは微かに視線を向けて、仮面の奥から「大丈夫ですよ」とばかりに目を細めたのは気のせいではないと思いたい。

 

「――変身」

 

 怨面から溢れ出るのは大いなる力を与える代償に彼女の全身を苛む数多の怨念無念の疼き。

 それに耐えきって望月沙夜は覚悟を以ってその言の葉を唱えた。

 次の瞬間に巻き起こった白く輝く疾風の中で彼女はその肉体を超人へと変えていく。

 

「白い……天狗?」

『糞が! よりにもよって装士に変われる奴だったか! ついてねえぜ』

 

 一陣の風が吹き去った後に現れた白き仮面の戦士に永春は感嘆を、化神バケイタチは悪態をそれぞれついた。

 

「我が名はビャクア。退魔の担い手、御伽装士(おとぎぞうし)が一柱。いざ、お覚悟を!」

 

 青みのある黒いアンダースーツ。

 雪のような白に金の装飾が施された山伏を思わせる軽鎧と籠手に、双肩両腕を守る群青色の大袖。

 腰に巻かれたベルトのバックルはヤツデの葉を模っている。

 更に腰からは両端に深いスリットが入った白い垂れ布が前後に覆われて、彼女が動くたびに風雅に揺れる。

 

 天狗――古来日本に伝わる神懸かった仙術武術を操る神秘の存在。

 沙夜が変身したこの真紅の双眸を持つ白い仮面の者はそんな天狗や夜叉に似た出で立ちをしていた。

 

「すごい……でも、これむしろ仮面ライダーってやつじゃないのか?」

 

 沙夜であった御伽装士と名乗る戦士の姿に永春は思わずそんな言葉を呟いた。

 仮面ライダー。それは半世紀以上も前から日本に流布している都市伝説だ。

 異形の仮面を身につけ巨悪と戦い、無辜の人々を守る自由と平和の守護者。ビャクアと呼ばれるそれはその伝説に語られる怪人物の特徴と酷似してもいたからだ。

 

『小娘! テメエが装士なら遊びはいらねえ! 叩き切ってやら!!』

 

 永春が神々しさすら感じるビャクアの姿に見惚れているとバケイタチの方は殺気を際立たせて彼女へと襲い掛かった。

 

「ヤァアア!」

『おおっぷ!?』

 

 危ない!と永春が声を上げるよりも速く、ビャクアはバケイタチの振り下ろした刃を片手で受け流す。そのままカウンターの上段回し蹴り、続けざまに両の掌を重ねた強烈な打撃を腹部に繰り出して敵をあべこべに吹き飛ばしてしまった。

 

「すごい……!」

「その、私……これでもけっこう強いです」

 

 見た目に恥じない強さを見せるビャクアに間抜けた声を漏らして感激する永春へと彼女は歳相応な可愛らしい所作で両手を握り拳を作ってみせた。

 

『舐めやがって! 二人仲良く賽の目に刻んでやるからな!』

「いいえ。お前はここで私が止めます。オン・カンラ!」

 

 両腕のカッターナイフを研ぐように擦り合わせて威嚇するバケイタチに対して、ビャクアは再びまじないの言葉を叫ぶとベルトのバックルに装填された霊水晶から赤い拵えの羽団扇を召喚して構えた。

 

「退魔七つ道具が其の壱、天狗の羽団扇! いきます!」

 

 かくして、永春の目の前でビャクアとバケイタチが激突する。

 奇しくも春の空は茜色。

 黄昏。古くより逢魔時と呼ばれる時間帯のことであった。

 

 

 

 

 桜の花弁を舞い散らせながらボクの目の前で二つの異形が切り結ぶ。

 獣らしい獰猛な斬撃で襲い掛かるバケイタチのカッター刃を望月さん……ビャクアは片手に持った羽団扇で軽やかにいなしてく。

 

「ハイヤ!」

『ギャンッッ!? こん、な……団扇如きに!』

「まだ!」

 

 ビャクアが振るう羽団扇は全体に神通力が満ち流れることによって羽毛に等しい軽さをそのままに鋼の如き硬さと鋭さを有して短剣顔負けにバケイタチの体を四方八方に切り裂く。

 そのまま思うように敵を嬲れずに精彩を欠く相手の隙をついて片腕を押さえると手刀を振り下ろして脅威となるカッター刃を叩き折った。

一気呵成に攻め切ろうとしたビャクアだったがバケイタチも食い下がる。

 

『良い気になってんじゃ……ねえよガキ!!』

「うわっ。その刃まるで本当の文房具ですね」

 

 喉笛を狙った刺突をギリギリで羽団扇を使って防ぐとビャクアはバックステップを踏んで間合いを整える。破壊したと思ったバケイタチの右腕の刃は折れた部分からギリギリと新しい物がせり出して瞬く間に再生してしまったのだ。

 その再生能力はまさに刃を換えることで末永く使えるカッターナイフの特性を模倣している。

 

『分かったか? 俺から何かを切り裂くって行為を封ずることは不可能なんだよ!』

「みたいですね」

『声がちいせえぞ!! 怖くて震えちまってんのか?』

「いえ。包丁とかならもう少し迫力がありましたけど、カッターナイフの刃だとそういうゆるキャラみたいでほどほどに可愛らしくて滑稽ですね」

『チッ……顔やそのでけえ乳肉の前に小生意気な舌をぶつ切りにしなくちゃだなああああ!!』

 

 自分が有利に立てたと思って勝ち誇るバケイタチだったが意外とキレのある煽りを返してくるビャクアに明らかに怒り心頭といった様子だ。憎悪を剥き出しにして両腕の刃をがむしゃらに振り回し始める。

 次の瞬間に映った光景に思わず背筋が凍り付いた。

 シュパシュパと奇妙な音が鳴り響いて、二つの刃から放たれた真空波が行く手を阻む物体の数々を切断しながらビャクアに迫っていく。

 

『肉を裂く痛み……恐怖を! 美味い穢れを存分に生み出しな!!』

 

 形なき風の凶刃。

 これこそが透明人間の通り魔の絡繰りの真相だったのだ。

 

「カマイタチ!? 風の刃ってやつか? 避けて望月さん!!」

「カンラ!」

 

 だが、永春の慌てた声を受け止めながらもビャクアはその場から動かずに羽団扇を力強く一振りする。一瞬、淡く光った羽団扇が虚空を撫でるとビャクアの眼前には小規模な白い竜巻が発生する。

 

『ぬおおああぁ!? つむじ風を作りやがっただとぉ!?』

 

 荒れ狂う旋風は真空波を呑み込むと意思を持つかのようにバケイタチを追尾してぶつかり弾けた。錐揉み回転をして地面に叩きつけられたバケイタチは地団太を踏んで悔しがる。しかし、悪辣な性根はすぐさま意地汚い作戦を思いたようだった。

 

『ぐぐぐっ! だったら!』

「ッ……なにを?」

 

 長い尻尾で地面を抉り、避けられない程の広範囲に玉砂利と土を浴びせてビャクアを怯ませると卑しい視線をあろうことかボクへと向けたのだ。

 

『これはどうだよ! イィィィシャ!!』

「ボクか!? やっべ――!!」

 

 バケイタチは突如として真空刃を自分にへと狙いを定めて撃ち放った。

 石灯篭を更に短く斬り落としながら風の刃が目の前に迫るのを感じて、反射的に両腕を身構える。

 

「ガッ……!」

「そんな、何やってるのさ望月さん!?」

 

 真空刃が届く間際にビャクアが俊足を駆使して割り込んできてボクを庇った。

 背中に受けた痛みに体を仰け反らせながら、望月さんの辛そうな声が聞こえてくる。

 

『これこれ! お前ら御守の連中はそこの小僧みたいな虫を、弱き民草ってのを無視できないよなぁ? ご苦労なことだぜ!!」

「痛ッ……ク、ア……ッ!」

 

 下卑た笑いを上げながらバケイタチが追撃に放った真空刃が更に彼女の背中に浴びせられる。

 ボクを守らなければならない為に傷つく望月さんの姿を目の当たりにして、悔しさと不甲斐なさがこみ上げてくる。

 

「ボクはちょっとぐらい怪我してもいい! だから、そこから動いて望月さん!!」

「そういうわけにはいきません。化神を退治するのも大事ですが、平和に暮らす人たちを守ることも大切なお役目なので」

 

 仮面の向こうで苦しそうに、だけど優しく微笑む彼女を幻視する。

 望月さんのこと、ボクはまだ分からないことだらけだけどそれでも強く思うのだ。

 このままではいけないと。

 

「ごめん望月さん。ボク、これからちょっと勝手なことするけど……」

「え……?」

「望月さんの言ってたお願い、破るつもりは絶対にないから」

『特大のをいくぜ? 仲良く真っ二つになりやがれ!!』

 

 勝利を確信したバケイタチが大技を出すべく片腕を大きく振り上げた。

 それと同時にボクは飛び起きると無我夢中で明後日の方角へと駆け出す。

 

「ボクは! ここだぞおおお! 狙えるものなら狙えよおおおおお!!」

『なっ……イッヒャヒャヒャ! 見下げたもんだぜ、一人で逃げやがったあの小僧!!』

 

 傍から見れば自分を庇ってくれたビャクアを蔑ろにしておかしな方角へと逃げ去るように映るボクを嘲りながら、バケイタチは遊興とばかりに自慢の刃先の狙いを一人きりになったボクへと移した。

 

「そうだよ。足手まといのお荷物は一時退場するんだよ! こんな風に!!」

「待っ、永春くん!?」

 

 バケイタチがなるべくボクに意識を向けてくれていることを願いながら、ボクは全力ダッシュのまま結構な傾斜になっている出入り口の石段へと迷うことなくダイブした。

 

「全力で! やっちゃえ望月さぁぁぁん!!」

『はああ!? 気でも狂ったのかあのガキ……!?』

 

 最後に張り裂けんばかりの大声で声援を彼女に送ってボクは石段をゴロゴロと転げ落ちていく。

 どうにか頭は庇っているが薄れゆく意識の中で彼女の勝利を願う。

 いや、確信するんだ。ボクと言うハンデがいなくなった望月さんならあんな怪物は敵じゃないと。

 

 

「退魔七つ道具が其の参――!!」

 

 永春がいなくなった神社に再び凛とした声が響く。

 

『しまっ……ギィエエエエ!?』

 

 彼の予測不能な行動に迂闊にも意識を向け過ぎてしまっていたバケイタチが自らの悪手に気付いた時には既に遅かった。白い影が音もなく肉薄して巨大な斬撃が豪快に異形を袈裟切りにした。

 

「……雲薙ぎの大鎌!!」

『うぎゃあああああああああ!?」

 

 ビャクアが振るう蒼い鋼をそのまま型抜きしたような無骨で鋭利な大鎌の一閃がバケイタチの左腕を容赦なく斬り落とした。黒い血飛沫を撒き散らし、たった二人きりの戦場となった神社に化神の絶叫が木霊する。

 

「男の子って、本当に……いえ、あなたの勇気を決して無駄にはしません」

 

 永春が捨て身で作った隙を活かして体勢を立て直したビャクアは裡に秘める闘志を更に奮い立たせると自慢の大鎌を軽々と振り回して肩に担ぐように構え直す。

 

『畜生がぁああ! 死ぬのはてめえの方なんだよおおお!!』

「ハアアアア――!!」

 

 片腕を喪ったバケイタチは半狂乱になりながらも、怒りに任せて真空刃を連発する。

 だが、ビャクアの操る大鎌の曲刃は片っ端からそれらを薙ぎ払う。

 そして、白い影となったビャクアがすれ違い様に再び悪しき異形を薙ぎ刈った。

 

『ぐああ……がああああ!? こんな筈じゃあ……ッ!!』

 

 自らが罪なき人々やか弱い動物たちにしてきたように胴体に大きく真一文字の刀傷を負ったバケイタチは糸か切れた操り人形のように崩れ落ちた。もはや勝負は決したとビャクアはその首筋に静かに大鎌の刃を添える。

 

「観念してもらいます」

『ま……だだ! まだ俺にはこれ(・・)がある! 死ぬのはお前らだああああ!!』

「暗天を開く気ですか? いいえ、いいえ! やらせません!!」

 

 生き汚く足掻くバケイタチは金切り声のような雄叫びを上げるとその体からは先程の黒く禍々しい靄のような瘴気が大量に吹き出し始めた。

 化神の執念深さに驚くビャクアであったが彼女もまた勇気凛凛とここ一番の意地を張り直すと手早く先手を打つ。

 

 

「退魔七つ道具が其の漆! 韋駄天の鎧下駄!!」

 

 三度、ベルトの霊水晶が輝いてビャクアの両脚には朱色の天狗下駄に白い翼の装飾が組み合わさったような足鎧が装着された。

 

「オン・カルラ・カン・カンラ! いざ! いざ! いざッ!!」

 

 目にも止まらぬ速さでビャクアは両手で退魔の印を結び、裂帛の気合でバケイタチへと疾走する。

 

『うぎゃあん!? なんだ!? 装士の加勢か……いや、まさか!?』

「「「「「「「ハイヤァアアアアア!!」」」」」」」

 

 烈風の如き一撃に上空へと打ち上げられたバケイタチを無数の人影が次々と神速にて攻めかかる。それはバケイタチが敵の応援が複数人やって来たのだと錯覚するほどの畳み掛けだった。だが、その真実は少し異なる。

 

『影分身!? ふざけやがって、こんなの俺たちだって余程の大物じゃなきゃ出来ない芸当だぞ! それをこんな小娘があああああ!!』

 

 茜空に響き渡るはビャクアの咆哮、その数七つ。

 魔道具・鎧下駄が秘める能力で彼女はその身を寸分違わぬ七つに分けたのだ。

 これぞ御伽装士の神通力が成し得る奇跡の真髄と言えるだろう。

 

「いざ、お覚悟を!」

 

 七人のビャクアが白風となって黄昏空を舞台に踊り舞い、バケイタチを矢継ぎに打ちのめす。

 彼女はそのまま反撃の隙を与えずに一気に勝負を仕掛ける。

 

 

「退魔覆滅技法! 乱鴉一陣!!」

『があっ……こんなんじゃ遊び足りねえ、ぞッ!? ぐあぁあああああッ!!」

 

 縦横無尽に風が吹き荒び、白い七つの影が魔を退けるべく空を駆ける。

 全く同時に繰り出された必殺の蹴撃七閃がバケイタチに炸裂し、悪しき異形は木っ端微塵に吹き飛んだ。

 

「これにて、落着です」

 

 鳥居のてっぺんに着地したビャクアが静かに残身を取ると神社には変わらぬ寂れた静けさを取り戻していた。燃えるような茜色をとっぷりとした紺色が塗り替え始めた空に黒い鴉の鳴き声が遠くの方で聞こえていた。

 

 

 

 

「うっ……ううん……寒」

 

 冷たい風に吹かれて、微睡が覚めていく。部屋の窓を閉め忘れていたっけ?

 ついてにあちこちが痛い。ボクは何をやっていたんだろう?

 記憶がぐちゃぐちゃではっきりしない。

 

 

「……あ、気が付きましたか? どこか具合の悪いところはありませんか永春くん?」

「ふぁ~ごめん、お静さん……もう五分したら起きますから、あと少し」

 

 というか、ボクの使ってる枕ってこんなに柔らかくて気持ちよかったっけ?

 なんかあたたかくて、いい匂いもする気がする。

 

「ひゃあ! 寝返りしないでください。あと、そろそろ起きないと風邪ひきますよ」

 

 ごめん無理です。

 優しい声の人、すみません。だって、この枕めちゃくちゃ寝心地良いんです。

 

「く、くすぐったいです! 寝息やめ、深呼吸しないでください」 

「へ……あれ、望月さん?」

 

 大きく揺さぶられて、ハッキリと意識が覚醒した。

 目の前にはちょっと顔を赤らめながら、ボクのことを心配そうに見下ろす望月さんの顔があった。きめ細かな前髪が夜風にゆれて、つぶらな紫の瞳が見え隠れしている。

 あれ、これってもしかしてボクは彼女に膝枕されているのだろうか?

 

「ご、ごめんなさい! すぐ起きま……ぶっ!?」

「っ……大丈夫ですか」

 

 慌てて起きようとしたところボクの顔面は大きく突き出た彼女の豊満なお胸に激突。そのまま跳ね返されてしまった。恐るべし女体の神秘。

 

「本当に、本当に色々とすみません。どれぐらい寝てましたボク?」

「そんなには……一時間ぐらいでしょうか?」

「そんなに!? 望月さんこそ寒かったでしょ?」

「いえ。こちらこそ、さっきは助かりました」

 

 周囲を見渡すとすっかり日は暮れてしまったがここは神社の神楽殿の木造階段だった。

 近くにある街灯の頼りない光がボクたちを照らしていた。

 再びゴロゴロと転がって望月さんのお膝から退去する。ここまでやって、ようやく記憶が鮮明に蘇ってくる。

 

 化神と呼ばれる謎の怪物。

 そして、望月さんが変身したビャクアと呼ばれる仮面の戦士のこと。

 分からないこと、知らないこと、多すぎて彼女に聞きたいことは山ほどある。

 

「あの、何から質問していいのか分からないんだけど――……」

「はい。そのことなんですがごめんなさい」

「え……?」

「意味ないかもしれないけど、体を張って手助けをしてくれた永春くんにお礼だけはちゃんと言いたかったんです。ありがとうございました」

 

 順を追って彼女に色々と問い質そうとした時だ。

 望月さんがそっと人差し指をボクの目の前に差し出した。

 彼女の指先に小さな火が灯る。

 

「オン・カンラ」

 

 目の前で幻想的な火が線香花火のように弾けて、ボクの意識は再び暗転した。

 

 

 

 

 記憶消しの術の効果で彼は神社での私のことも化神のことも綺麗さっぱりに忘れるだろう。

 結局、寒空の下に置き去りにしてしまったのは少し罪悪感を覚えるが仕方のない事なんです。

 

 化神を――人外の妖しき存在たちを知るということは様々な危険を招いてしまう。近しい気配を覚えられて憑け狙われてしまうことだってあるし、何よりも知るということは化神への恐れや憎しみといった負の感情。奴らの好物であり、活力となる穢れを生み出す土壌を周囲に伝播させる可能性だってある。

 

 だから、化神のことも私たち御伽装士や御守衆のことも可能な限りは秘匿しなければなりません。そう言い聞かせて、勇気あるクラスメートの男の子の記憶を私は消しゴムをかけるように綺麗に消す。彼が初めてじゃない。もうずっと前からやってたことだ。

 

「くす。私の膝で寝ていた永春くん、大きな猫みたいで可愛かったです」

 

 夜の街を一人でとぼとぼと歩きながら私は自分だけが持つ思い出を反芻しながら小さく笑う。

 

「いきなり石段に飛び込んだ時は驚いたけど、大した怪我もしていなくて本当に良かった。それに比べて、私は……もっとがんばらないと」

 

 神秘に無縁のただの高校生でありながら、精一杯に自分が出来ることをやって私の手助けをしてくれた彼に胸の奥が熱くなるのを感じる。心地の良いぬくもりです。

 

 嬉しかった。格好良かった。彼のような眩しい誰かを守れたことが誇らしい。

 だけど、この想いは誰とも共有してはいけない。少なくともただの女子高生として生きる日向の日常では決して、誰とも――。

 

「カラオケ、行ってみたかったです。あ、でも……私、そんなに歌のレパートリーないや」

 

 寂しそうにため息を一つ。

 それで気持ちを切り替えると望月沙夜は背筋をしゃんと伸ばすと大きく深呼吸をしてからまた音もなくまだまだ長く深い夜を走る。

 

 

 

 

 翌日、ボクは昨日となんら変わることなく自宅で目覚めて何時ものように登校した。

 途中で出くわした西条、井上たちと他愛のないお喋りをしながら朝のHRまでの時間を潰すのだが今朝は一つだけやることがあるのでちょっとだけ別行動を取る。

 席にはまだ鞄が無かったから、昇降口にいれば確実に出会えるだろう。暫く待っていると予想通りに小川の流れのように歩いてくる我が校の生徒たちの中に彼女の姿を見つける。

 

「望月さん、おはよう」

「……おはようございます。あの、なんだかあちこち怪我しているようですけど大丈夫ですか?」

「またまたぁ、望月さんが介抱してくれたんじゃん。必ずなにかお礼するから」

「え?」

 

 相変わらず目元は隠れているが望月さんは口元を小さく緩ませ柔らかな表情で挨拶を返してくれた。どうやら昨日のことを迷惑がられてはいないようで安心した。

 けれど、どうしたことだろう。なんだか会話が噛み合わないような気がする。

 

「昨夜は色々とありがとう。本当に助かったよ」

「あの、なんのことでしょう?」

 

 ボクの言葉に彼女は小首をかしげて聞き返してくる。

 心なしか途中から声が震えているようだった。

 

「いや、その……だからあまり大きな声で言えないけど、望月さんはボクの命の恩人なわけだし」

 

 ボクが小声でそう伝えるとどういうわけか彼女はビクッと大きく震えてから凍ったように動かなくなってしまった。前髪で隠れていても分かる。いま、ボクは彼女にすごい目つきで睨まれているのだろう。

 

「なんで覚えているんですか?」

「はい? うおっ! ちょっ、ちょっと……!?」

 

 ホラー映画さながらにいきなり手を掴まれたボクはそのまま暴走特急のように駆け出した望月さんに連行されて特別棟の空き教室に押し込まれてしまった。

 

「あのー望月さん……ボクはこれからどうされるのでしょうか?」

「永春くんは昨日のことをどこまで覚えているんですか?」

「えっと、その……」

「正直に答えてください」

 

 壁際に追い込まれて、尋常ではない圧を放ちながらダメ押しとばかりに望月さんはズイっともう一歩踏み込んでボクの顔を凝視する。顔が近いし、鼻孔を爽やかないい匂いがくすぐるがそんなことにときめいている場合じゃない。

 

「神社で腕からカッター生やしたイタチに襲われて、それを望月さんがなんか白くてすごいのに変身してやっつけてくれたみたいな……はい、以上です」

「―――!?」

「もちろん誰にも話していないから安心してよ! 絶対に秘密にしておくから」

 

 正直に質問に答えたところ、彼女は激しく動揺して両手で口元を押さえながら息を呑んでいた。

 慌てて、個人の守秘義務も果たしていることを付け足すが彼女の白い両手が少し痛いぐらいにボクの両肩を掴んできた。

 

「それ、本当に私でしたか? 永春の見間違いではないですか? ね?」

「いやいやいや……あ。カンラ!なんちゃって……カッコ良かったよあれ」

 

 どうにもボクの言葉を完全に信じてくれないようなので苦し紛れに昨日、彼女が戦っていた時の物真似をしてみた。陰陽道か何かのお呪いの言葉だろうか?

 なんてことを考えていると目の前の彼女に異変が起きた。ダラダラと冷や汗を浮かべると顔があっという間に真っ赤に染まり、プルプルと震えながら力なく膝から崩れ落ちた。

 

「あわ……はわわっ」

「なんで!? あの、望月さん?」

 

 引きつった笑い声を押し殺すように漏らしながら震える彼女にボクはなんて声をかけようかと慌てふためくばかりだ。

 そして――。

 

「ア゛アアアアアアアアアアアアッ!?!?」

「も、望月さぁーん!?」

 

 彼女の口からはおよそ美少女が出しちゃいけない汚い大絶叫が飛び出した。

 例えるなら、口から炎を吐いて暴れる巨大怪獣の鳴き声のような。

 後から知った話がけど、姿を変えて戦っている時の少しキャラ作ったような仕草や言葉がバレてしまったことにより望月さんの羞恥心が限界突破をしてしまったのだという。

 彼女には辛い話だがこの時の望月さんの大絶叫は「特別棟の少女霊の慟哭」として数年先まで我が校の怪談として伝わってしまうことになる。

 

 

 

 こうしてボクは望月沙夜さんという少女と深く知り合ったことにより、日常の裏側で起こる奇々怪々な事件の数々に巻き込まれていくことになる。

 

 現代の怪奇なる御伽草子の始まりの壱頁目はめくられた。

 もう、閉じることは出来ない。

 退魔の疾風――その名は仮面ライダービャクア!!

 

 

 




そんな感じで第一話始まりとなりました。
別枠でキャラプロフィールを作るつもりですが主人公である沙夜に関して少しだけ補足しますと……。

身長は170cm
スリーサイズはB89 W55 H90の
癒し系大和撫子な黒髪両目隠れの地味子って感じのキャラとなります。

GW中に頑張ってもう一話ほど投稿するつもりでいますがご意見・ご感想など頂けると執筆への励みとなりますのでどうかよろしくお願いします。



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第二幕 夜闇を裂いて

皆様いつもお世話になっています。
今回もどうにか無事に更新することが出来ました。
世界観や設定説明回でもありますので長ったらしい文章も多々ありますが最後まで読んでいただけると幸いです。


 ちょいとお尋ねするんだが、お手前さまには好きな色なんておありかな?

 へえ……そいつは良いご趣味だ。何よりも、お手前さまは今日を心配無用で往来をうろつける。

 ああ、お節介だとは思うが間違っても赤い着物の類を身につけて外を出歩くことだけは控えておいた方がいい。

 

 とある日の、とある町でのちょっとした出来事さ。

 閑静な住宅街に建てられた真っ赤な郵便ポストが突然に焼け溶けた。それはもう飴細工でも作るのかってぐらいにドロドロにな。

 それだけじゃない、火事を消すはずの消防車に山積みになった赤く熟れた林檎の山にと、巷じゃ赤い某かが何処からともなく奇妙な音がしたと思うと次の瞬間には目が覚めるような激しい炎を噴き出して無残な有様になっちまった。

 いまのところは図体のでかくて赤一色の目立つものばかりが餌食になったがいつか人間が火達磨にならないといいんだがねえ。

 

 

 

 

 あの不思議な体験から一日を経て、こうして午前の授業を受けているボクは教室内で侮蔑と愉悦と一つの憐みの視線に晒されている。大まかな内訳は侮蔑が女子と極少数の男子、愉悦が男子(一応半ば称賛も込められている)、そして憐みがある意味で関係者である望月さんだ。

 

「なあ追跡者、シャー芯分けてくれねえ? 昨日買うの忘れてた」

「その呼び方をやめてくれたらいいよ。五本オマケしよう」

「あー……クハハ、なら井上に頼むわ。ごめんな」

「今夜お前の夢に出てロケットランチャー撃ち込んでやるから覚悟しておけよ」

 

 ボクのささやかな怨嗟の声など気にする様子もなく、我が友は少し離れた席にいる井上の元へと去っていった。とはいえ西条だからこそ、このやり取りもただの戯れで未だにちゃんと友達でいてくれていると信用が持てるのが心強い。

 

「ごめんなさい、永春くん。私、やっぱりちゃんと本当のことをみんなに説明します」

「大丈夫。こんなのはきっとすぐに風化してみんなも飽きるから、望月さんは気にしないで」

「こらぁ! もっちーに近寄るなストーカー男!」

 

 追跡者なる奇なるあだ名で呼ばれるようになって、落胆しているボクに隣の席の望月さんは申し訳なさそうにそう呟く。確かにこの状況は針のむしろだけど、ボクの答えはNOだ。これは譲れない――そう、男子高校生には意地があるのです。

 お互いに小声で、特に望月さんは周囲に二人の関係を気取られないように隠れながら話していると横から言葉のナイフを容赦なく突き刺される。

 それは明るい茶髪をツインテールで纏めた小柄で見るからに元気に溢れている感じのクラスメート、巴双葉のものだ。騒々しいところもあるけど、純粋で憎めない女子サイドのムードメーカーだ。

 

「ふ、双葉さんそれは少し言いすぎじゃ……私はもう気にしていませんので」

「甘いぞもっちー! 男子の反省なんて次の日の夕方にはリセットされてるものなんだよ。アタシんちの下の弟とかもそうだもん」

 

 巴さんはボクの知る限り、望月さんとクラスで一番仲が良い。

 正確には巴さんの方が一方的に望月さんを気に入っていて、あれこれ絡んでくるような関係なのだけど。

 そろそろなんでボクが『追跡者』や『ストーカー男』という不名誉なあだ名で呼ばれているのか説明したいと思う。

 遡ること数時間前。大絶叫した望月さんを宥めて教室へ戻ったところ、案の定昇降口で彼女に手を引かれて連れて行かれるところを目撃していたクラスメートたちに理由を問い質された。

 本当のことを喋るわけにもいかず、かといって下手な言い訳でボロを出せば余計に彼女に迷惑がかかることになると考えた結果、ボクの独断である架空の出来事をみんなに喋った。

 それが下校中にボクが望月さんを偶然見つけて、どこに住んでいるのか気になった結果さり気なく無断で尾行したけど、結局バレていて今朝になって真相の追及をされたという内容のものだ。まあ、ぶっちゃけ純然たるストーキングだよね。

 こんな感じでボクはあっという間にクラス内で絶賛精神的島流しな状況になっている。女子たちからは大罪人の烙印を押されたような物だけど、大半の男子たちからは呆れられながらもその蛮勇を褒められて面白半分で弄られているような状況なので想像以上にダメージは少ないと思う。いや、思わせて欲しい。

 

「巴、ボクは自分の愚かな行いを十二分に反省しているんだ。どうか信じてくれないか? ほら、この人畜無害な目を見て欲しい」

「むむっ! 本当にそうかなぁ? うーん……そうかも?」

 

 そう言ってボクは左右揃って視力2.0の目を真剣な眼差しにして巴さんに見せる。彼女は最初のうちは怪訝な顔をしていたが暫くするとボクの真摯な念が届いたのが少しずつ警戒を緩めてくれ始めていた。

 

「あの、双葉さん。永春くんはちゃんと私に反省文も書くって約束してくれているので勘弁してあげてくれませんか?」

「うん、もっちーが言うなら許す! 良い子になれよ常若!!」

「ありがとうございます巴さん」

 

 望月さんの援護射撃もあって、一先ず巴さんからの疑いの目は解けてくれたようだ。

 彼女の直情的だけど素直な性格が微笑ましくも羨ましい。今夜意地でも西条の夢に化けて出てやろうと思っていた狭量な自分も見習いたいものだ。

 

「助かったよ、望月さん」

「いえ……それより」

「うん?」

「昼休み、お昼ごはんを食べたら屋上に来てください。昨日のことについて話します」

「ッ……でも、うちの学校のは施錠されてるはずじゃ」

「それは私の方で手はずを整えておきますので」

 

一難去ったボクに望月さんはそう耳打ちしてきた。

 何とも言えない緊張に自分の心拍が早まるのを感じながらボクは無言で頷いて、その時が来るのを様々な気持ちを巡らせながら待つことになった。

 

 

 

 

 昼休みになり、購買で買ったパンを急いで平らげるとボクは西条たちには図書室で望月さんへの謝罪文を書いてくると言い訳をして、人目に注意しながら普段は閉鎖されている屋上へと続く階段へと向かった。

 

「ホントに開いてる? あの、望月さん……言われたとおりに来たよ」

 

 薄暗い階段と屋上へと続く扉の周りは気味が悪いほど無音で人の気配が無かった。

 恐る恐る手に取ったドアノブの軽さに先程の彼女の言葉が真実だと確信して、ボクは思い切ってその扉を開けて足を踏み入れた。

 

「ふぇ? あ、や……」 

 

 強めの春風が吹く屋上には確かに望月さんの姿があった。

 フェンス下の段差に腰掛けた彼女はまだお食事中だったようで傍らには食べかけの手作りと思われるサンドイッチ。そして当の本人は紙パックの牛乳を両手で持ってまったりと飲んでいた。小動物みたいな仕草が普段の静かでたおやかな雰囲気とのギャップが凄まじくすごい破壊力だ。

 

「ご、ごめんなさッ……ン、ケホコホ!?」

「おおお!? ごめんね、急に乗り込んできて!? はいこれ、ゆっくり飲んで」

 

 早すぎたボクの登場に驚いた彼女は思いっきり咳き込んでしまった。

 なんと間の悪いことをしてしまったのだろうと後悔と、ちょっとだけ食事姿も可愛いのはズルいなと不埒なことを感じつつボクは望月さんの背中をさする。

 

「お見苦しいところを……もう、平気です」

「こっちこそ、ごめん。ノックもせずに大急ぎで来ちゃったから」

「では……早速本題に入らせてもらっても?」

 

少し照れながら咳払いをして仕切り直すと望月さんは真面目な面持ちで口を開いた。

 

「まず、昨日の怪物なのですがアレは化神と呼ばれる大昔から存在する怪異です」

「妖怪とは少し違うって言ってたけど、それはどういう……確かになんか腕からカッター生やしていたけど」

「はい。それこそが化神の特徴なんです。彼らは穢れと呼ばれる人間の恐怖や悲しみ、苦しみといった負の感情が吹き溜まり、意思を持ったものです」

「じゃあ、純粋な生き物じゃない?」

 

 彼女の口から語られる化神の正体。

 新たに生まれたボクの疑問に彼女はコクリと頷いてから、続きを聞かせてくれる。

 

「見た目は生物に似ていますがそれはあくまでその個体に芽生えた意思が一番やりたい悪事凶事に適した異能や躰を手に入れようと欲した結果です。最初は普通の人には視認できない黒い靄の塊から始まり、人知れず悪さを重ねることで人々の間で穢れを生ませ、食らい……やがて昨日のような完全体へと変わっていきます」

「なるほど。だからあんなアンバランスなキメラみたいな姿をしてたのか」

 

 彼女の説明で納得がいった。

 そもそもまともな生き物の枠から外れている異形の存在であるのなら、ボクたち人間の常識なんて通用しないのだからあの道具と生物の合成獣のような不気味な姿形にも頷ける。

 

「あまり驚かずに受け入れてくれるんですね。てっきり、もっと大騒ぎされて質問攻めに合うかと思っていました」

「この目で実際に見ちゃってるからね。信じるしかないかなって」

「はあ……永春くん、意外と肝が据わっていますね」

 

 非現実的な話をボクが自然と聞き入れて本当だと信じている姿に、もっと慌てふためくことを予想していた望月さんは拍子抜けしたようで戸惑い気味に様子を窺ってきた。

 確かに例え実体験を経たとはいえ自分でも驚くほどにボクは冷静に彼女の言葉を肌で理解している心地がした。

 何故と言われたら話がまたややこしくなるから割愛するけど、奇々怪々な体験をするのは実はこれで二度目なので耐性が出来ているんじゃないかと自己分析して見る。

 

「続きをお願いしてもいいかな? あの、望月さんが変わった姿は一体なんなの?」

「……簡単に説明しますとあれは御伽装士と呼ばれる怨面の力で変身した化神を退治する戦士です。私が身を置く組織、御守衆の秘密兵器と言えばいいでしょうか」

「御守衆……そう言えばあのイタチみたいなのもその名前を口にしていたような」

「はい。平安時代の陰陽師などが密かに結成した人知の及ばない怪現象などの専門家組織。現代では陰陽庁お預かりとして秘密裏に化神のような存在に抗う術を持たない人々を守るために活動しているんです」

「井上が知ったら泣いて喜びそうな話だな……あ、絶対話したりしないからね」

 

 ここに来て一気にオカルトっぽいキーワードが連続して飛び出してきたことで少し頭が混乱してきたが取り乱さずに落ち着いて、納得していきたいと思う。

 少し薄情で不謹慎なことを言ってしまえば、ボクがどうこうするようなことではないのだ。歴史の授業を聞くようにああ、そういうものがあるのだという気持ちで飲み込めば混乱は少ないはずだと言い聞かす。

 

「ちなみに望月さんのように変われる人は大勢いるの? その御守衆の中には?」

「……沢山はいません。怨面には数に限りがありますので」

「じゃあ、望月さんはすごいんだね。そんなのを使えるんならきっと一杯努力して、頑張ってきたんでしょ? 昨日だってボクのこと庇って、必死になって守ってくれた。改めて、いや……何度でも言うよ、ありがとう」

「えっ!? いえ……そんな、大したことはしていませんから。こそばゆいのでそのへんで」

 

 彼女の目を――まあ、前髪で隠れて見えないのだけれど、その位置をしっかりと見つめてボクは誠心誠意のお礼を伝えた。彼女がどんな事情を背負っているのかは分からないし、そこまで踏み込んで聞く資格はないだろうけど。だけど、せめて守ってもらう側代表として心からの感謝の言葉を贈ることぐらいはおこがましいことではないと思いたい。

 

「すみません。それでは今度は私の方から質問させてもらっても良いでしょうか?」

「あ、うん。どうぞ?」

「何故、永春くんは私が施した記憶消しの術が効いていないんですか? 貴方は何者なんですか?」

 

 途端に彼女の纏っている空気が豹変した。

 まるでよく研いだ剃刀のように冷ややかで鋭い物だ。同時に望月さんが何を言わんとしているのかも理解していた。これまでボクの疑問に親切に答えてくれた彼女は同時にボクのことをずっと警戒していたんだ。

 

「……意地の悪いことを聞いてしまってごめんなさい」

「平気だよ。さっきの驚きようからするとボクは結構イレギュラーな感じなんでしょ?」

 

 ボクが答える前に申し訳なさそうに彼女は言う。

 キュッと一文字に結んで強張った唇が彼女の心苦しい心境を物語るようでこちらも悪い気がしてしまう。

 

「ボクに答えが分かっていればちゃんと教えるんだけど、ごめん……なんで覚えたままのかボクにもさっぱりで」

「そうですか」

「うーん……本当になんでなんだろうね? 両親やじいちゃんたちも普通の家の人だったし、ボクがちょっと鈍感だからかな。風邪とか引いたこと無いんだよね」

 

 不安と困惑の色が隠せない様子の望月さんをなんとか安心させようと用意できる証明材料を言い並べてみるが心許ない。あと一つ、心当たりが無くもないけど……これはボク自身の問題で完結していることだから。

 

「ボクはどうしたらいい?」

「え……その、永春くん」

 

 このまま二人で解けない問題に悩んでいても時間の無駄だとボクは思って、彼女の都合を優先的に解決すべく切り出した。

 

「望月さんがボクの記憶を消そうとしたのって化神や君たちのことをボクみたいな一般人が知っていると良くないからだよね?」

「はい。大衆に無用な混乱や不安をもたらすことは却って穢れの発生を促して化神たちの誕生を助長させてしまうんです。なので御守衆は歴史の影でひっそりとみんなを守ってきたらしいです」

「やっぱりそうなんだ。じゃあさ、尚更ボクは望月さんに自分のことを預けるよ」

「永春くん……へ? えっ、ええ永春くん!?」

 

 俯いていた彼女はボクの言葉にとても驚いてバッと顔を上げた。

 拍子に前髪が浮き上がって彼女の目元が露わになるがその紫瞳は文字通り驚愕で丸くなっていた。

 

「煮るなり焼くなり好きにして、は少し大袈裟だけど……ボク、普通の一般人だから変に勝手なことするぐらいなら、望月さんたちに身の振りをお任せしようかと思う」

 

 もしかしたら無責任な言葉に聞こえるかもしれないけど、これはボクの本心だった。

 ボクに化神と戦える力やその御守衆の一員になれるような素質があるのなら頑張って訓練してその仲間になるって選択肢もあると思う。

 だけど、現実は非情で悲しいことにボクはそんな都合のいい能力や才能は無い。それなら、何の文句も言わずに身柄を差し出すのが一番彼女たちのお役に立てることだろう。

 

「本気で言っているんですか? お巡りさんに補導されるようなものとは違うんですよ」

「うん。分かってる」

「色んな自由を奪われて拘束され続けるかもしれませんよ?」

「御守衆さんたちの目的を考えたら、正しい対応だと思う」

「特殊な術での実験や尋問……その、最悪の場合は拷問だってされるかもしれないよ」

「自分でも得体の知れない体質だって思えば、怖いけど理不尽じゃないでしょ」

「もう昨日までの日常に戻れないかもしれませんよ。学校にも行けないし、お友達とも会えないかも……」

「望月さん……ボクは昨日、君がいなかったらあの化神に切り刻まれて大変な目に遭っていた。それを望月さんは痛い思いをして庇って守ってくれた。君はそれを仕事だから当然って言うかもしれないけど、ボクにとってみればその恩を返すためならこれぐらい体を張って覚悟を見せないと釣り合いが取れないと思ってる。だから、なんて言われたって……ボクの気持ちは変わらない。望月さんたちにボクはボクを委ねるよ」

 

 声調こそ抑えていたが徐々に昂る感情が盛り込まれ始めた言葉の応酬に区切りをつけるべく、ボクは息継ぎを繰り返して自分の気持ちのありのまま全てを伝え切った。ここまで言っておいて、確かに清々するほどの他力本願にも聞こえるなと少し自己嫌悪を感じてしまうのが我ながら恰好悪い。

 

「どこが普通の一般人なんですか……まったく、意思強すぎです」

 

 二人の間にしばし無音が流れて、どこか明るげな彼女の苦笑が聞こえた。

 望月さんは艶のある黒髪の一房を指でくるくると弄りながら思案して、ボクに語り始める。

 

「永春くんの気持ちは分かりました。ただ本格的な対応については私の一存では決められないので上に報告してその決定に従ってもらうという形で構わないでしょうか?」

「うん。望月さんがそれでいいなら、大丈夫。あー……変なところで意地っ張りでごめん」

「こっちの方こそ、少し熱くなってキツい言葉になってしまってごめんなさい」

 

 化神の説明から始まった奇妙な問答は一応の着地点を見出して終わりを迎えた。タイミング良く午後の授業の始業五分前のチャイムが鳴り響く。

 

「もう時間ですね。私は後片付けをしてから教室に戻りますので先に戻っていて下さい」

「それは悪いよ。何か手伝うこ――」

 

 会話に夢中で何気にまだ昼食も食べきっていない望月さんに申し訳ない気がしてそう言いかけた時だった。白く綺麗な彼女の人差し指がボクの口元の前でシーっとばかりに止る。

 

「……ご安心を。それに私と一緒に戻ったら、嘘の前科が増えちゃいますよ?」

「じゃ、じゃあ……お言葉に甘えて、お先に失礼します」

 

 どこか愉快げに口元を緩める望月さんにボクはすごすごと従う。

 その笑顔に有無を言わせない迫力を感じたと同時に、こんなおどけたこともするんだと嬉しい驚きがあったのは内緒だ。

 

「あ、ちょっと待ってください」

「はい?」

「これから内密な話も増えるかと思うので連絡先を交換させてもらってもいいですか?」

「ボクが!? 望月さんと!? え、ちょっ……よろしいので!?」

 

 あまりにも突然の申し出に思わず変なテンションになってしまう。

 だけど、無理ないと思わないだろうか?

 女子の、それも美少女の連絡先を手に入れられるんだよ。ボクのようなごく普通の一般男子学生なら本来は学生間の裏取引に手を染めなければ入手できないであろう秘宝に等しいはずだ。

 

「もちろん。LINEでもいいでしょうか? これなら教室にいても怪しまれずにお話も出来ます」

「あ、ありがとうございますッ!! それじゃあ、恐縮ですがお先です!!」

「はあ……はい。また教室で」

 

 ボクは深々と一礼してから屋上を去った。

 あれだけ真面目で緊迫した内容の話をしていた後だと言うのに体が羽根のように軽い。

 無論、決してやましい目的や私的な理由で彼女にLINEを送る気は皆無だよ。だけど、宝の地図が手元にあったらそれだけで無敵な気持ちになるのが男子ってものでしょう。

 

 

 

 

 どこか躊躇い気味に一人で教室へと戻っていく彼の背中を見守ってから、私は食べかけのサンドイッチを早口でパクついて。そのままフェンスにもたれて屋上に吹く強めの風を浴び密かに火照りっぱなしだった心と体を冷ます。

 

「男の子って、本当に……ううん。違う、永春くんってズルいです」

 

 実のところ、あんな風に脅しを掛けるような真似をしてしまったわけだけれど彼にどうしてもらいたかったのか私自身も分からなかった。まだ分からない。でも、彼を危険から遠ざけたいという気持ちは本当だ。

 化神との戦いはただの怪物との戦いとは訳が違う。彼らは穢れの集合体――穢れは恐怖や絶望などと説明はしたが更に源流まで辿っていけばそれらはすなわち怨念や恨みといった人間の最も醜くおぞましい情念の一端たちだ。

 

「あんな真っ直ぐに誰かのことを見てくれる彼を私たちがいる陰日向に巻き込ませていい理由はありません」

 

 化神の禍々しさとは人間の持つ醜悪な心根の一部分と言っても過言じゃない。

 退魔だなんて勇壮なことを言っているけれど、御守衆のやることは汚れ仕事に他ならない。目には目を、歯には歯をの精神で鎬を削り合うような。

 私のこの手だって、この身の隅々までだって、怨念無念が煮詰まったような化神の返り血で濡れている。それを彼のような優しく善良な男の子にも強いるようなことになる真似をしたくない。

 

「なってないって、先輩方には叱られちゃうと思いますけど……ずっと義務感や選ばれてしまった使命感で戦ってきたのにあんな言葉をもらったら、揺らいじゃうじゃないですか」

 

 彼には言えなかったけど、御伽装士になる者の選定基準は二つに分けられる。

 一つは過酷な退魔の訓練や実戦を積み重ねて御守衆が所有している怨面のどれかに適合する道。

 もう一つは怨面そのものに見出されて使用者として選ばれる道。

 私が辿った道は後者の方だた。

 忘れもしな11歳のある日、何の縁もゆかりもなかったけど偶然にある騒動が切っ掛けで白鴉の怨面に選ばれてしまった私は親元を離れて、御伽装士になるための修行をすることになった。

 厳しい修行に四苦八苦しながらも正式に一人前ということで活動するようになって二年目になる。お役目には全身全霊で取り組んでいるつもりだけど、それはあくまで才能ある他の誰かがいるのにそれを差し置いて担い手が限られている怨面の使用者に選ばれてしまったという責任感からだった。

 

「男の子ってみんなあんな風に、熱くて気持ちのいい言葉を本気で言えちゃうのかな。言ってることは助けてもらったお礼や、大事なことを他人任せにするようなものなのに……普通のことみたいに本気で言っちゃうんだもの」

 

 きっと、その普通の人を貫けることが彼のすごくて私が眩しいと思ってしまうナニかなのかと一人で得心する。

 御伽装士として活動する二年間の間でも、巻き込まれてしまった沢山の人の記憶を消してきた。

 どんなに術が高度でも、化神と御伽装士の記憶をピンポイント消すのにも限度があるので友達や、知り合いや他人の区別なく、誰かとの間に育んだ思い出や分かち合った大切な気持ちを数え切れないぐらい消してきた。

 消しゴムをかけるなんて比じゃない。白いペンキで塗り潰すように、せっかく撮った集合写真のデータを消すように記憶を消してきた。

 元々そこまで社交的な性格はしていなかったし、山奥に引きこもって修行してきた時間も長いけど……私はいつしか、他人と関わることをおざなりにするようになっていったんだと思う。

 

「誰とも目を合わせないで生きていけば……少しは楽な気持ちでやっていけると思っていたのに、あんな真っ直ぐに目を見られたら困っちゃうじゃないですか」

 

 御伽装士の役目は見返りを求めるようなものではないと分かってはいる。

 だけど、永春くんの――お日様のようにまぶしいただの少年からの感謝の言葉を受けてしまった私の心はどうしようもなく熱く燃えてしまう。

 義務や使命なんてもので縛らずとも、私がこれをやりたいんだという強い願いで御伽装士として頑張って見せるのだと似合わない気合が溢れてしまう。

 

「そうだ……永春くんとのLINE、世間話とかもした方がいいのかな?」

 

 私らしくない小さな悩みを抱きしめて、私も彼を追いかけて足早に屋上を立ち去った。

 

 

 

 

「ごめんくださーい。アカギーズピザです。ご注文の品をお届けにあがりました」

 

 屋上での一件の後はボクの周りに特に大きな騒動は無く、相変わらず西条や井上たちクラスの親しい男子たちに架空のストーキング行為をからかわれたぐらいで学校での一日は終わった。

 

「ご苦労さん。また頼むよ」

「毎度ありがとうございました!」

 

 そして、ボクはいまお店のイメージカラーである赤いユニフォームに袖を通して、同じく赤く塗装された宅配バイクに跨ってバイトに精を出していた。

 諸事情あって一人暮らし……と厳密に言っていいのかは怪しいが兎に角、昔ながらの下宿屋に単身で暮らしている身なので身内からの仕送りはあるものの、可能な限り生活費は自分で賄いたい。

 

「時間的にはいまのでラストになりそうかな? 戻ったら雑用手伝って今日は終わりだといいけど、こういう時は近場の注文入って残業ってオチなんだよね」

 

 春の空は日が沈んでもまだどこかで明るく、帰宅途中の車の波に混じってバイクを走らせながら長めの独り言を呟いてみる。実のところ、黙っているといやでも化神や望月さんのことを考えてしまうから、現実逃避の一種なのかもしれない。

 

「どうなるかは分からないけど、出来るだけ望月さんが嫌な思いしなくてもいいお沙汰だといいけど……ん、なんだあれ?」

 

 角を左折して、がらんと車の量が減った小道を進んでいると奇妙なものを見つけてしまった。いや、偶然じゃなくそれは暗くなった夜だからこそ余計に目立つ異様だった。

 

「なんで看板が燃えてるんだ? 火の気なんてないし、わざわざ誰かがよじ登って放火したのか?」

 

 ボクの暮らしている町はベッドタウンということもあって、ビルが建ち並んで賑やかな区画があっても、すこし脇道や通りをズラすと一瞬で自然の多いのどかな区間に早変わりしてしまうような場所がたくさんある町だ。

 ボクが見つけたその異変も、建物も人気もない小道の傍らにあるものだった。なんと真っ赤に塗られたラーメン屋のポール看板がメラメラと燃えていた。

 

「これ……第一発見者っぽいし、消防車呼ばないとだよね」

 

『ブモォオオオオオ―――!!』

 

「え……うそ」

 

 路肩に停車して消防に電話を掛けようとスマホを取り出した時だった。

 明らかに人間や動物の鳴き声とは思えない咆哮と只ならぬ気配がボクを襲った。

 

『赤! 赤ァ! 赤だぁああああああ!!』 

「マジかよおおおお!!」

 

 恐る恐る周囲を警戒していると目の前に大きな黒い靄が何処からともなく現れた。

 そして、それは信じられない勢いで火の粉のように妖しい輝きへと変わったかと思うと吹き飛んで大柄で筋肉質な牛のような異形に変異してこちらへと突っ走ってきたのだ。

 

『ブウウモォオオオオオ!! 燃・や・さ・せ・ろおおおお!!』

「二日連続ってアリなの!? 冗談じゃないって、ありえねえ!!」

 

 事態が呑み込めないままに新たな化神バケウシに襲われて猛追される羽目になった永春は宅配バイクを加速させると鬼気迫るカーチェイスを繰り広げることになってしまった。

 普通に逆走して逃げては開けた通りに出て、他の自動車を巻き込んでしまうと判断した彼は持ち前の土地勘を活かして細く人気の少ない裏路地などを選んで逃亡を図るがバケウシも自らの言い知れない衝動を刺激させる赤に塗れた彼を簡単にはあきらめず執拗に追跡を始めるのだ。

 

 

 

 

 その頃、沙夜は夕闇の町を巡回していた。

 化神の暗躍やその発生の兆しは無いかを見回る御伽装士としての日課である。

 曜日で分けたその日の巡回エリアを見回り終えて、家路に就こうとした彼女のスマホが突如として鳴り響く。

 

『よお。悪いが帰る途中でおつかいに行ってくれるかい」

「どうしました光姫さん? お夕飯の材料なら昨日の残り使うって決めましたよね」

『んなこたぁ、ちゃんと覚えてるよ。化神が出た。場所は××だ』

「――分かりました」

 

 電話の主の声に沙夜の意識が瞬時に切り替わった。

 踵を返して、化神が現れた方角を向いていまにも全力で掛けようと両足に力が入る。

 

『あんた今日は○○をうろついてたろ? いくらビャクアでも走りじゃ距離がある。アレ使って行きな』

「う、ぐっ……私、あのコの扱い苦手なんですけど」

 

 光姫と呼ばれる電話の主は気風の良い喋り口で迅速に沙夜に指示を出す。対して、走って行く気満々でいた沙夜は魂胆を見透かされていたこともあって渋い顔を浮かべた。

 

『そう思って職人組の連中に調整するよう交渉してやったんだろよ! あとはあんたの気合いだ気合!!』

「や、やってみます」

 

 光姫に叱咤激励された沙夜はその勢いに押されてやや不安がりながらも、こんな時のための移動手段を準備する。

 スマホケースの内側にある収納部に挟み込んでいた護符のような金属板を取り出すと優しく宙に放り投げた。

 

「オン・カンラ! 出でよ、ハヤテチェイサー!!」

 

 風と光が微かに巻き起こると護符を通じて、翼を広げた鴉を模ったフロントカウルが印象的な白と緑のカラーリングをしたカスタムバイクが召喚されたのだ。

 これこそが御守衆が独自の技術力で開発した式神ビークル・ハヤテチェイサーである。

 

「それじゃあ、お願いしますよハヤテ!」

【■■■■――!!】

「きゃう!? も、もうちょっと安全運転でっていつもいっているのに……ッ!」

 

 AIよろしく式神としての特性として自我を有するハヤテチェイサーは騎手である沙夜の呼び掛けに応じて自動運転で荒馬の如く駆け出した。

 同時にその車体は姿隠しの術が発動して不可視の風となった鋼の駿馬は夜の街を駆けていく。

 

 

 

 

『貴様! 見事な赤だぞ!! 最高だ!!! だから儂に燃やさせんか!!!!』

「ありがとうございます! 他の赤色を探して下さいってええ!!」

 

 逃げろ。逃げろ。逃げろ!

 いまだけは法定速度を徹底的に無視して、国道の風になるんだ。

 時速70kmに満たない頼りない速さでボクは無我夢中でハンドルを握る。

 

『ブモォオオオオオオ!!』

「熱ッ!? ヤバい! マジで、笑えないってば!!」

 

 一直線に噴き出された猛火がボクの運転する宅配バイクを掠めた。

 全身から冷や汗が噴き出る。目にも汗が流れて沁みるけど、怯んでいる暇はない。

 ほんの一瞬の判断のミスやほんの僅かでも運転をトチったら終わる。

 

「このままじゃ、ガチで西条の夢枕に立つことになっちゃうぞ! 頑張れボク、ファイトだ……あ!?」

 

 いや本当にそうはなりたくないし、なれないだろうけど。

 赤い体をして、両手の蹄や口元が鋼鉄のガスバーナーになった牛の化神はボクのすぐそこまで迫っていた。

 燃料の残りを確認していた時だった。道に転がる小石に車体が微かだがブレた。気が付けば川沿いの道を走っていたのでボクはそのままバイクごと草の生えた堤防を滑り落ちていった。

 

「ぐっ……泣けちゃうよ本当。うおわっ!?」

『焦らせてくれたな! お礼に全身全霊で燃やしてやろうぞ!!』

「それ、そこの川の中でやるのはダメだよね?」

 

 我ながら命乞いならもっと必死になるか、マシなことを言えと思う。

 牛の化神が炎混じりの荒い鼻息を吹かして、いままさにボクとバイクを焼き払おうとしていた時だった。鴉の鳴き声のようなエンジン音が遠くの方からあっという間に近付いてきて、突風がボクと化神を襲う。

 

「彼から離れろ!」

『ブモッフウウ!?』

 

 聞き覚えのある声にボクは九死に一生を得た気分だった。

 また何かの術を使ったんだろう。透明な風の幕が剥がれていき、ボクの目の前にはスタイリッシュなカスタムバイクに跨った望月さんの姿があった。

 

「助かった……!」

「永春くん、付かぬことをお尋ねしますが小さい頃に罰当たりなことしませんでしたか? それか前世で何か畏れ多いことをしていたとか?」

「ボクだって知りたいです! 本当になんなんでしょうねこの不運(ハードラック)

 

 バイクから降りた望月さんの開口一番の言葉は哀れみと呆れに満ちていた。

 昼間にいくら本心とは言えあんな啖呵を切るようなことを宣言してからのこと体たらくは自分でも何なんだと思う。穴があったら入りたいとはきっとこういう心境なんだと心で理解するよ。

 

「とにかく、ここは私が何とかします。離れていて下さい」

「気をつけて! アイツ、口や手から火を吹くみたいなんだ。あとパワーもすごい」

「分かりました。ご助言、ありがとうございます」

 

 ボクを下がらせて化神の前に立つ彼女にせめてもの援護と知っている限りの情報を伝える。すると彼女は明るい声でそう答えて、再びあの怨面を手にする。

 

「オン・カルラ・カン・カンラ」

 

 白鴉の怨面を沙夜が素顔に纏うと昨日と同じように妖しき光の後に彼女の全身に赤い蛇紋の痣が浮かび上がり、膨大な神通力と共に苦痛や怨の念が流れ込んでいく。

 灼けるような、あるいは凍てつくような――もしくはそのどちらをも内包するような言葉にするのは難しい稀有な痛みに強張る指を強く握りしめて、少女は前を向く。

 

『貴様は装士か……邪魔をするな! 儂は赤を焼かねばならぬ! この昂りを阻むな!!』

「クゥ……ア、ァ、ゥアア――……やら、せるッゥウ……わけが……クッ、ないでしょう」

 

 目の前の少女の素性を理解したバケウシが四足歩行で猛進していた体勢から二足歩行に切り替えて恐怖を煽るように威圧する。だが、沙夜はそんな挑発も全身を苛む苦しみも全て呑み込んで凛とした眼差しを怨面の奥から光らせ、覚悟の言葉を口にする。

 

「――変身」

 

 白光の風が吹く。

 彼女の強い決意を巻き込んで。

 彼女の秘めた新たなる願いを巻き込んで。

 想いを深く厚く抱き直した彼女が風の中で変わっていく。

 

「我が名はビャクア! いざ、お覚悟を!」

『化神バケウシ!! 赤ではないのが不服だが、御伽装士ならば一切合切焼き尽くすゥウゥウウウ!!』

 

 月の光と、人口の灯りに照らされて二つの異形が相まみえる。

 

 

 

 

 バケウシは黒鉄の三本爪を持ったガスバーナー状の両腕から火炎を放ちながら彼女を標的に定めて突っ込んでくる。ダンプカーのような迫力で肉薄する相手にビャクアは素早く跳躍して回避するとベルトから得物の羽団扇を召還した。 

 

『炎上ォオオオオ!!』

「退魔七つ道具が其の壱、天狗の羽団扇! カンラ!!」

 

 神通力を用いた風起こしを浴びせて、自慢の炎をその巨体に返してみせるビャクアだけどバケウシは平然とした様子で紅蓮を突き破り、着地したばかりの彼女に体当たりをぶつける。

 

『そよ風にも感じぬわ! 小鳥風情め!!』

「グゥ……力も硬さも予想以上、だったら!」

 

 蹴飛ばしたサッカーボールのように吹き飛んだビャクアだけど、彼女は地面に叩きつけられる瞬間に綺麗な受け身を取って事なきを得る。そして羽団扇を幻のように消してしまうとまだボクが見たことのない新たな力を行使する。

 

「退魔七つ道具が其の弐、裂空の快刀! ハイヤァ――!!」

 

 彼女の手に握られたのは独鈷のような柄を持つ二振りの切れ味の鋭そうな直刀だった。

 ビャクアは鴉が両翼を広げるように両腕を構えて気を吐きながら暗夜を駆ける。

 放たれた矢のように突っ込んでいったビャクアはバケウシが鋼鉄の口元から吐いた業火を斬り払うとそのまま閃光のような一太刀を食らわせる。

 

『グガアッ!? 童子如きが小癪な……ぬう、ぎえあッ!?』

「一気にいきます! 微塵斬りです!!」

 

 力比べでは分が悪いと判断した彼女は得意の素早さで攻めるつもりのようだ。

 バケウシの火炎や剛力は確かに凄まじい脅威だけど、破壊力の代償に挙動が大きく細かな動きは愚鈍となりがちだ。僅かな攻防でそれを見抜いたビャクアは双刃を自分の指先のように自在に操り、敵の巨体を切り裂いていく。

 

「いけるぞ。頑張れ望づ、ッ……ビャクアァアア!!」

「……はい!!」

 

 気が付けばボクは無意識に彼女へと大声で声援を送っていた。

 無力なら、無力なりにお荷物にならないように努めて後方に下がっていたわけだけど、それでもやっぱり仮面に隠した望月沙夜という少女を知っている者として……何か力になってあげたいと願わずにはいられない。

 ボクの有難迷惑かもしれない声に彼女は噛み締めるような力強い返事を返して再び疾風となって相手に切り込んでいく。

 

「ヤアアアアッ!!」

 

 ビャクアの快刀はまるで夜闇を裂くようだった。

 袈裟切り、横薙ぎ、縦一閃。

 一刀を逆手に持ち替えての乱切りに風車のような大振りの回転撫で斬り。

 神楽でも舞うような剣撃がバケウシの巨体を少しずつ確実に追い込んでいく。

 だが、奥の手を隠しているのは向こうも同じだったようで――。

 

『調子に乗るなよ! ブモォオオオオオン!!』

「きゃあ……こんなにも火力が上がるなんて!?」

「でもおかしい! 火が……収まっていく、なんでだ?」

 

 劣勢を強いられていたバケウシだったが怒号と共に全ての発射口から煉獄のような炎を噴き出すとビャクアも堪らず後退せざるを得なかった。

 彼女は敵への対処を思案しながら反撃に備えて身構える。迂闊に近づけない火の塊のようになったバケウシの異変に最初に気付いたのはボクだった。

 

『ブモォオオオオオン!!』

「なっ……速っ、ガア――ッ!?」

 

 余りにも一瞬の出来事に何が起きたのかボクには分からなかった。

 段々とバケウシが纏う炎が弱くなり、やがて鎮火。残されたのは灼けた鉄のように表皮を赤熱に光らせているバケウシだけだと思ったら、その巨体が瞬く間にビャクアの背後に移動してそのまま彼女を殴り飛ばした。

 

「望月さん!?」

「ゴホコホッ……大丈夫です。離れていてください。どうやら厄介な切り札を持っていたみたいです」

 

 川に架かる橋を支える太い柱に叩きつけられた彼女に慌てて駆け寄るとビャクアはふらつきながらも立ち上がり、怯まず恐るべき力を隠していたバケウシと対峙する。

 

『まだやる気か? いまの儂は貴様よりも速いと分かっているはずだぞ?』

「ハッ! クッ……うわあッ!?」

 

 強者の風格を見せつけて不遜な態度を見せるバケウシに果敢に斬り掛かるビャクアだったが振り下ろした刃は謎の俊足を見せる巨体を捉えられない。大気を焦がすような熱気を放ちながら再び背後に回った怪牛の丸太のような豪腕が彼女を木の葉を散らすように蹂躙する。

 

『白き装士よ、儂は貴様はもう少し賢いものかと思ったが身の程も弁えられないたわけだったというか?』

「まだまだ……これぐらいで挫けると思わないでください」

 

 白く流麗な姿を泥で汚し傷つきながらもビャクアは必死で食い下がる。しかし、自慢の速さは無情にも赤熱発光するバケウシの俊敏さには届かず、更に痛ましく猛攻に晒されるばかりだ。

 

「考えろ……考えろ。何かある、何かあるはずだよ」

 

 何も出来ない悔しさで爪が手に食い込む程強く握った拳のことも忘れてボクは無い知恵を振り絞って利用出来ないものがないか周囲を見渡した。あの化神の速さの謎が解けないか傷つく望月さんを見ているだけしかできない苦しさを堪えながら目を凝らした。

 

『燃やすまでもない! 儂の力で捻り潰してやるわい!!』

「ぐぅ……あああ!?」

 

 そんな時だった。

 片足を掴まれて原っぱにビャクアが叩きつけられた反動で草が土煙と共に舞い上がった。

 彼女はもちろん、バケウシも大量の土や千切れた草を頭から被る。すると草土は一瞬で燃え上がり、焦げた臭いが漂った。

 

「あいつ……熱いんだ。なら、もしかしたら弱く出来るかも」

 

 完全な思い付きだけど、激しく燃え上がってそのまま不自然に鎮火した炎とその後の化神の反則染みたパワーアップとの関係性に一つの仮説を立てたボクは巻き込まれないギリギリまで駆け寄って彼女に向かって叫ぶ。

 

「望月さん! そいつに水ぶっかけて冷ませば遅く出来るかもしれない!!」

「え……水ですか? でも、炎はもう消えて」

「たぶんだけど! そいつは炎の高熱を自分の内側に巡らせて細胞を活性化させてるんだ。だから、火を吐かなくなった代わりに滅茶苦茶身軽に動けてるんだと思う」

 

 突然のボクの提案に快刀の一振りを杖のようについて立ち上がっていた彼女は首を傾げた。そのリアクションは当然だ。だから、続けて昔何かの本で見た知識から思いついた謎への答えを伝える。

 言ってみたがこの仮説は裏付けが甘すぎる。そもそも、昼間に化神は真っ当な生き物とは違うと教えられているのに、ボクのこの推測は人の考えた知識の枠のものなのだ。

 

『それに気付いたところで何ができる! 儂をそこの川にでも突き落とすとでも? ナメクジのような遅さの分際で片腹痛いわああああ!!』

 

 ボクの些細な横やりにバケウシは鼻息荒く唸りを上げて怒号を轟かせる。同時にボクとビャクアは何とも言えない気分で唖然とした。オイオイオイ……やったわ、コイツ。

 

「望月さん!!」

「はい。勝ちます!!」

 

 ビャクアの白い軽鎧が傷つき汚れていても、輝く仮面の真紅の双眸と凛とした声に安堵感が湧き上がる。ようやく、ボクのところに幸運が巡ってきた気分だった。

 

「ハイヤ! これで……どうだ!」

 

 一足飛びで夜空を舞って川の半ばに降り立ったビャクアは二振りの快刀の柄頭同士を連結させて一本の双刃の槍のような形態へと変形させる。そして、精一杯の力で快刀を水車のようにフル回転させた。

 水面のすぐ近くで回り続ける快刀はやがて川の水を吸い上げるとそのまま水竜巻となって上空へと昇っていき、バケウシの頭上で雨のように降り注ぐ。

 

「すごい……雨は雨でも土砂降りだ! これならいけるか!?」

『なんと!? このような手段で……や、やめろぉおお!!』

 

 焼けた鉄に水が掛かった時の音が周囲に響き渡り、苦悶に満ちたバケウシの悲鳴が水蒸気と一緒に溢れていく。周りの気温が上昇するのとは対照的にすっかり体を冷やして体表がひび割れたバケウシは見るからに弱体化したようだった。

 

 

『このような形で熱を奪われるとは……糞! 糞ぉおお、燃やせぬ! これでは赤を燃やせぬぅうう』

「いざ! いざ! いざ!」

 

 双刃形態の快刀を脇構えに携えてビャクアは戦意を失い嘆きの慟哭を上げるバケウシに颯爽と切り込む。苦し紛れに両腕を振り上げて反撃を試みる化神だが無駄な足掻きだ。

 虚空を走り抜けるように肉薄するビャクアが快刀を早業でくるりと回せば二本の太い豪腕はストンと斬り落とされる。

 

『ブモォオオオアアアアア!? な、ならば……道連れにしてでも、燃やして――』

「黙れ」

 

 最後の執念とばかりに無腕となったバケウシは自爆覚悟でビャクアに目掛けて口から火炎を吐こうとする。しかし、口を開く前にバケウシの喉笛を快刀の刃が刺し貫く。言うまでもなくそれはすれ違い様に背後から彼女が決めた情け無用の刺突だ。

 

 

「オン・カルラ・カン・カンラ! 退魔七つ道具が其の参、雲薙ぎの大鎌!!」

 

 喉を串刺しにされて声も奪われたバケウシが痙攣するように悶えることしか出来ないでいると快刀に代わる得物を召還したビャクアがこの戦いに幕を引くべく仕掛けた。

 

 

「退魔覆滅技法……ッ!!」

 

 退魔の印を結び、双眸を眩く輝かせてビャクアは片手で大鎌を大きく弧を描くように振り回す。

 一振り、二振り……三振りと振り回す度に蒼鋼の大鎌は巨大になっていく。その大きさはビャクアの身長と比べて3倍。およそ5メートル以上は優にあるだろう。そして、決着の刻は来る

 

「――断邪!!」

 

 大回転、四振り目……その刻が来た。

 片手で握る魔人の武具のような巨大鎌を天高く振り上げて、彼女は大地を踏み締める。

 一呼吸して、心技体を整えたビャクアは両の手でしっかりと柄を握り締めると全身全霊を込めて闇照らす月と重なる白刃を振り下ろした。

 

『ブ、モォオ……オ、ア……アアッ――!?』

 

 巨大な鎌刃は異様な唸りを上げて落雷のように一直線にバケウシの脳天に直撃した。

 その桁外れの鋭さと重さを以て、巨躯を誇る異形を面白いほど綺麗に真っ二つに両断した。

 化神バケウシはおびただしい黒い血飛沫を噴き出して、静かに爆発霧散した。

 

「これにて、落着です」

 

 敵を退けたビャクアはバケウシが爆ぜた残り火に照らされながら静かに勝利をボクに宣言した。

 だが、その白い具足姿は化神の黒い返り血がべったりとついて、壮烈な有様をしていた。

 これにはボクも息を呑んでなんて声をかければいいのか少し迷った。

 逡巡していると望月さんの方からポツポツと語りかけてきた。

 

「災難でしたね」

「うん。まさかの二日連続だったからね」

「やっぱり怖かったですよね。化神も……私も」

「そんなことは……ごめん。ラストスパートの容赦のなさはちょっとビックリした」

 

 望月さんの声は先程まで生きるか死ぬかの激闘を繰り広げていたとは思えないぐらいに優しい。

 ここでなりふり構わずそんなことないと叫ぶ勇気が足りない自分が情けない。

 

「私の手はこんな風に怪物たちを屠ってきた血で汚れています。あんな風に化神を倒すためなら手段を選ばないこともあります」

「戦いって言うよりも、殺し合いだから……だよね」

「そんな怖い私をそれでもまだ信じられますか?」

 

 彼女の言葉はきっと、昼の選択を変えないかと言うことだろう。

 貝のように口を閉じて、御守衆のことや化神のことを忘れたふりをして、望月さんのことも他人の振りをして生きていけば今よりも安全に日常へと戻れるかもしれないという意味だと思う。

 

「ボクは信じるよ」

 

 さっきは言えなかったけど、この言葉は声にする。

 続く言葉もこれだけは何としてでも言わなければならない。

 

「だって、ボクが前から知っているのは御伽装士の君じゃなくて、同じクラスの隣の席にいる望月さんだから」

「くす。頑固な人です……分かりました」

 

 呆れてあきらめたのか、ボクの覚悟を汲んでくれたのか静かに怨面を外して元に戻った彼女は困ったように微笑んでいた。

 

「身の程知らずかもしれないけど、学校でも困ったことがあったら頼ってくれると嬉しいよ」

「本当ですか? えと……そ、それならテスト期間が近くなったらお言葉に甘えてしまうかもしれません」

 

 くつくつと笑っている彼女に気をよくしたボクはつい親切心を暴走させてそんなことを口走る。

 でも、このやり取りにデジャブを感じてしまう。忘れもしないあの日もこんな言葉を交わしていたような。

 

「任せてよ。ボクに出来ることならなんでも協力するよ」

 

『本当に? 本当になんでも協力してくれるの?』

 

「なんて、ボクに出来ることなんて限られてるかもしれないけど」

 

『それなら……わたしの代わりに、ずっとずっと苦しんでよ』

 

 遠い昔の(おまじない)が後ろからボクの肩を痛いほど強く掴んだことに気付きながら、ボクはあの日と同じ言葉をいま目の前にいる彼女へと堂々と伝えた。

 

 

「ちょっとでもいい。望月さんの力になりたいんだ」

 

 

 

 

 望月さんと別れたボクはどうにかこうにかバイト先のピザ屋店舗へと戻ってこれた。

 店長には道の渋滞や、工事による通行止めなどで迂回しまくって途中うっかり転倒してしまったと説明したら、一応信じてもらえて特にお咎めは無かった。日頃から熱心に仕事に勤しんでおいて良かったと心の内で実感する。

 

「お疲れさまでしたー!」

 

 そのまま無事にバイトを終えて、店を後にして少し歩いていると今日はもう会うことのないと思っていた意外な人から声を掛けられた。

 

「バイト、お疲れさまです」

「望月さん? あ、どうも」

「途中までご一緒しても?」

「いいけど、その……どうして」

 

 激戦の疲れを感じさせないしゃんとした立ち姿と思いもしなかった発言に思わず真顔になってしまう。

 

「もしも、今夜中に三回目があると大変ですからね。念のためです」

「ご心配おかけしてすみません」

 

 なるほどな、と思わずガックリと肩を落とした。

 完全に不運を引き寄せる疫病神か何かみたいな認識をされかかっているのではないかと心配になってしまう。

 

「さっきは言えませんでしたけど、また……手助けをしてもらいましたね」

「あれは偶然だよ。あと、あの牛が思っていたよりも馬鹿で良かったというか」

「でも、永春くんの閃きがなかったらもっと苦戦していました。お世話になりました」

「そ、それなら……どういたしまして」

 

 何となく、このままだとボクと彼女でお礼と謝罪のループを延々と続けてしまいそうな気がしたので烏滸がましい気もするけど素直に感謝の言葉を受けっておくことにした。心なしかいつものように前髪で隠れて分からないはずなのに、彼女と視線がピタリと重なり合ったような気がした。

 その後しばらく歩くが二人の間には無音が続く……なんだか気まずい気がして、何かないかと話題を思案する。

 

「そうだ。望月さんも夕飯まだだよね?」

「はい……そうですけど」

「なら、昨日のお礼に奢らせてよ」

「いえ、そういうわけには! 一応、御守衆は人々を無償で守るというのが旨ですから」

「それはそれ、これはこれ。クラスメートとしてお礼はさせて欲しくて」

 

 女子を食事に誘う。

 この行為が一般男子高校生にとってどれだけチャレンジブルな行為かボクも知らないわけじゃない。だから、ここはゴリ押しと言われても押し通らせてもらう。負けられない戦いがここにもある。

 

「この時間だとファミレスとかしか候補ないけど、それでも大丈夫?」

「ファミレス……ッ?」

 

 その単語が出た瞬間に彼女は固まってしまった。

 もしかして、安っぽい男だと思われてしまったのだろうか。内心焦っているとボクは突然、望月さんに両手をガッツリと握られてしまった。

 

「こんな遅い時間に行ってしまっても良いんですか、ファミレス!?」

「へ……あ、はい」

 

 黒髪の隙間からハッキリと見える彼女の片目が一番星のようにキラキラと輝いていたのをボクは忘れないだろう。こうして、ボクは少しずつおっかなびっくりな目にも遭いながら望月さんと言う少女のことを識るようになっていくのだ。一昨日とは少し変異した何気ない日常の繰り返しの中で――。

 

 

 

 

 最寄りのファミリーレストランは幸いにも空いていて、ボクと望月さんは奥の方の禁煙席へと通された。自動ドアを抜けてからずっと、彼女は平静を装った風でいるが遊園地に遊びに来た子供のように嬉しそうにそわそわしている。

 

「大変です永春くん。オムライスとビーフシチューが合体した凄そうなのがあります!」

「遠慮しないで食べたい奴頼んじゃいなよ、もっちーさんや」

「はい! ごちそうさまです」

「あ、デザートは良かったの? パフェとかパンケーキとかあったよ」

 

 呼び鈴ボタンを押しかけた望月さんにそう言うと彼女は電流が走ったように驚いた様子だ。

 

「奢っていただけるのは一品だけじゃないと、おっしゃるのです?」

「……イェスッ!」

 

 歓喜と驚きで声を震わせる彼女にボクはつい西条たちと一緒にいるノリで親指を立てた。

 

「あなたとお会いできて良かったです。永春くん……沙夜は幸せ者です」

「待った。待って……それは少しオーバーだと思うから、一回クールダウンして好感度をリセットしよう」

 

 失礼かもしれないがファミレスに来てから頭のネジが吹っ飛んだように舞い上がっている望月さんに思わずツッコミを入れてしまった。そこでやっと彼女も自分のはしゃぎ過ぎを自覚したのかほんのり頬を紅潮させて自省していた。

 

「もしかして、望月さんの実家って良家とかそういうのだったりするの? まさかお嬢様だったり」

「いえ、そんな別に普通ですよ。どこにでもいる寺生まれの長女です」

「そっか、ここ来てからずっと楽しそうだったからさ」

「それは本当ですよ。慎ましい家でしたし、小学生の頃には御守衆に預けられて山奥で暮らしていたので……こういう場所にも行き慣れていなくて。正直、未練がないと言ったら大嘘になってしまいます」

 

 照れ臭そうにしている彼女だけど、そこには普通の女の子でいられなかった一抹の悲しみが見て取れた。

 そして、思う。それならボクのやれることが少しずつ見えてきたじゃないかと。陰日向で戦う彼女が暗い闇の奥深くに入り込んで戻ってこなくならないように、ただの日常に繋ぎ止めておく役目を果たせばいいじゃないかと。

 

「ゆっくりでいいからさ、御伽装士も普通の高校生も両立できるように頑張ればいいんじゃない?」

「永春くん……それは」

「それぐらいなら、お手伝いできそうだからさ。これからもよろしく望月さん」

「……はい。頼りにしてます」

 

 ボクと彼女の奇妙な関係はどうやら、一応の着地点を見出せたようだった。

 それから、注文した料理を美味しそうに頬張る彼女の笑顔を見てボクは静かにこの出会いに感謝をする。

 

 ただ――。

 

「ドリンクバー……噂には聞いていましたがなんと言うラインナップの充実さ。桃源郷でした」

「あの、望月さん……別に悪くはないと思うんだけどさ」

「はい?」

 

 食事を終えて、ボクは彼女と他愛ないお喋りなどもしていたのだけど一つだけ言わねばならないことが出来てしまっていた。彼女がドリンクバーでおかわりを注いできた飲み物についてだ。

 

「まだ立派に育つおつもりですか?」

「はあ……あ、はわっ!?」

 

 ボクの不埒な視線で彼女も言葉の意味に気付いたようだった。顔が一瞬で紅くなった。

 下卑た質問だと思うけど、言わねばならなかったんだよ。

 だって、望月さんってばお昼もそうだったけどいまも美味しそうに牛乳飲んでるんだもん。

 

「べ、別に私だって好きで大きくなったわけじゃありませんから。ただ牛乳は栄養有りますし、骨も丈夫になるから飲んでるだけです! それに大きいと色々と苦労もあるんですよ? 肩は凝るし、可愛い下着は選べないし……戦う時の軽業も動き難いときだってあって――!」

「も、望月さんちょっと、言っちゃいけない言葉が連発気味かと!」

 

 前髪に隠れたあの綺麗な瞳はきっと怒りで潤んでいるんだろうか?

 こんな風に口調が年相応に激しくなる彼女は初めてで新鮮でなんだか素敵なものを見せてもらった気分だ。

 そして、同時に思う……彼女もきっと、ボクや学校のみんなとそんなに変わったところはない。自分に出来ることを一生懸命に頑張っている、眩しくてどこにでもいる普通の少女なんだと。

 

 

 

 

 

 




ここまでお読みいただきありがとうございます。
連休が明け、次の土曜日が振り替え出勤と言うこともあり次回の更新は間が空いてしまうと思いますのですみません。

創作活動の励みとなりますのでご意見・ご感想お待ちしております。
それでは!


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第三幕 怨面の秘密

今回ちょっと編成の都合上少しボリューム増になってしまいました。
気長に読んでいただければと思います。


 おや、またお会いしましたな。

 これでお手前さまと顔を合わせるのは三度目になるのかねえ。

 カッカッカ。御仁も存外にモノ好きでございますな。

 さて……ならば、此度は吾とお手前さまとのささやかな友誼の印に昔話の一つもしようか。なんてことない昔々……ってほどではないがあるところにいた童女のお話さ。

 

 とある日の、とある町でのちょっとした出来事さ。

 十と一になる童女が近所に暮らしている同じ歳格好の子供らと遊んでいたら、世にも恐ろしい蜘蛛の化け物に襲われたんだと。

 そいつは恨み辛みが凝り固まった全くにたちの悪い化生でありまして、弱っちい人間を戯れに痛めつけてから食っちまうっていう、なんとも意地汚い野郎でありましてね。

 寂れた片田舎に前触れもなく現れたと思ったら目に映る民草を手当たり次第に襲い始めたんだと。

 この世に神も仏もないものでその童女たちも運の悪いことにその場にいたのでございます。

 化け物っていうものは古今東西どいつもこいつも子供ってもんが大好きだ。

 弱くて、脆くて、よく泣きよく怯える。特上のご馳走というわけさ。

 蜘蛛も当然、童女やその連れたちを玩具にするとじわりじわりと追っかけた。

 子供たちだけは守らねばと息巻いた大人たちを追い散らし、蜘蛛はとうとう童女たちを町の隅っこにある古寺のこれまたカビ臭い土蔵にまで追い詰めたという。

 

 下卑た笑いを上げながら蜘蛛は言うんだ。

 

『子供の肉は柔らかくてうまいんだ。頬肉なんかは絶品だ。生き肝は珍味でな酒もあればなお良かった。どいつから食ってやろうなぁ……お前か? お前か? お前かぁあ?』

 

 子供らは泣き叫んだ。

 童女も泣いた。泣いて喚いて、それでも自分が一番年上だからって蜘蛛の目の前に突っ立って、叫ぶのさ。

 

『しにたくない。おとうさんやおかあさんとお別れしたくない。だから死にたくない』

『しにたくない。今夜の晩ごはんはおかあさんの特製ハンバーグなの。だから死にたくない』

『しにたくない。明日は好きなアニメがやるの。だから死にたくない』

『しにたくない。明日も明後日も学校に行って、みんなとたくさん遊んで勉強して。だから死にたくない』

『しにたくない。わたしもうすぐおねえちゃんになるんだもん。だから死にたくない』

『しにたくない。やりたいことも、いきたい場所も、まだまだ数えきれない。だから死にたくない』

 

 と、まあ人一倍に五月蠅く泣き叫ぶもんだから見事に叩き起こされてちまったのさ。

 え、誰が起こされたと申されますかいお手前さま?

 それはもちろん――吾でございます。

 実に千年以上も蔵の隅っこで埃を被り、枕を高くして眠りこけておりました。

 まあ、起きたところで吾なんぞは仕事をしない方が天下泰平のためと思い狸寝入りを決め込む気でいたんだがね、あんなに涙と一緒に未練を垂れ流されては吾の宿業が疼いて止りません。

 だから、言ってやりました。

 

『どうしても生きてこの世にしがみついていたいのなら、吾を被ると良い』

 

 童女はきょとんとしてから、それでもハッキリと吾を認識して言い返してきやがった。

 

『わたしがお面さんを被ればみんな死なない? この蜘蛛のお化けはどこかに逃げていくの?』

 

 吾ながら呆れちまったよ。

 まさか千年間も昼寝して起きた矢先にこんなにも馬の合うやつに出逢っちまうなんてねえと。だからまあ、珍しく殊勝に忠告はしてやりはしたんですぜ?

 吾を使えば千の恨み、万の辛み……数え切れない怨の念を一生背負っていく羽目になるんだとね。

 

『いいよ。それでもわたしは明日も生きていたい』

 

 小便臭いガキの癖をして一丁前に吠えやがるとあんまりにも面白くて目が覚めちまったよ。だから、吾も言ってやったのさ。退魔のお呪いを教えやろうとねえ。

 

『オン・カルラ・カン・カンラ』

 

 おっといけねえ、そういえばお手前さまにまだ名乗るのを忘れていたねえ。

 こいつはどうも長い間ご無礼を――。

 吾は白鴉。白鴉の怨面。

 昔々、稀代の名匠術師が七日七夜を以って作りだした退魔の魔道具でございます。

 

 

 

 

 カーテンと窓を開けるとまだ少し肌寒い朝の風が部屋へと流れ込んでくる。

 昨夜はたまっていた疲れもあってまさに熟睡だった。おかげで普段は未練がましく掴んだままのまどろみをあっさりと手放して、寝巻の浴衣から着替える。

 

「この一週間は長かったな」

 

 障子戸の奥にある広縁の椅子に腰かけて、深呼吸。

 特に濃密だった二日間を思い返しながら窓の外を眺めると空は快晴。

 気持ちの良い土曜日の朝がボクに挨拶をしてくれているようだ。

 

「……朝飯食べにいこう」

 

 しばらく物思いに耽るふりをして窓の外を眺めて、こんな風にぼーっとしていたらまた睡魔が襲ってくると思い部屋を出た。

 ところでもしかしたら、ボクが生意気にも旅館か立派な日本家屋に住んでいると誤解されるかもしれないのでちょっと我が家同然の下宿屋について語りたいと思う。

 ボクが住まわせてもらっているこの笛吹荘は元々、民宿を営んでいたのを二十年前にリフォームして下宿屋にしたものだ。現在の店子はボクともう一人の住人の二人だけ。そして大家さんである笛吹静江さん(通称お静さん)の三人だけが暮らしている。

 

「先生ー朝ですよ! 先いきますからねー!」

「おぉ……おお。すまーん」

 

 階段を下りて小じんまりとした食堂へと向かう途中に一階にある三つの部屋の内の一つの扉をノックして大きな声で呼びかける。返って来たのはいかにもいま起きたばかりでまだまだ眠たげなバリトンボイスの男性の声だ。

 武士の情けと少しだけ待っていると部屋から浴衣姿のままの背の高い若白髪多めの今年36歳になる中年男性がぐったりした様子で出てきた。

 

「また徹夜ですか?」

「俺のクリエイター能力は夜になってやっと本調子になるからな。全く我ながら非生産的な仕様に嘆きたくなる」

「難儀なものですね」

 

 このパッと見は二枚目だけど、どこか胡散臭そうな風体の彼の名前は水樹八雲。

 地元の大学に勤務する准教授で歴史学を教えている。

 業界ではそれなりに有名なのかゲームやTVドラマのアドバイザーや監修なんかもしているらしい。

 

「そういうお前はどうなんだ? 今週は随分と帰りが遅い日もあったじゃないか」

「別にバイトでたまたま残業と言う名の慈善活動をしていただけですよ」

「なんだてっきり彼女でも出来たと思った。味気のないやつだな。高校生なら火遊びの一つもしないとつまらんぞ」

「二部屋分の本を侍らせてハーレム作ってる人に言われたくないですよ」

 

 先生はボクの兄貴の大学時代のゼミの先生でもあり、こうして一人暮らしをする前から知己のある人だったりする。悪い人ではないのだがマイペースで飄々としていたり、微妙に離れた歳の差もあってボクとは大人と子供と言うよりは世代の違う悪友みたいな会話がしょっちゅうだ。

 

「あらあら、今朝はお早いですね二人とも。朝ごはんできていますから、どうぞ召し上がれ」

「お静さんおはようございます」

 

 ボクと先生が皮肉の応酬を続けながら年季のある廊下を歩いていると大家であるお静さんが食堂の暖簾から顔を出した。出来たての味噌汁の美味しそうな香りが漂ってくる。美味しい朝食をごちそうになって、有意義な休日を過ごしたいものだ。

 

 

 

 

 大量のピザが積まれたバイクを運転してボクは商店街や件の神社を通り過ぎた町外れののどかな道を走っていた。

 

「ま、土曜日って言ってもバイトなんだけどね」

 

 一人寂しくそんなことをボヤきながら、事前に聞かされた注文先の住所に近付きボクは道間違えによる時間ロスがないように神経を尖らせる。

 今回は初めて訪問する配達先であると同時に店を出る前に何故か店長から「ここは上客だからくれぐれも粗相のないように」と謎の念まで押されている場所だった。確かに一度の注文でピザを10枚も頼むお客さんはお得意様以外の何者でもないけど。

 

「あれだな。こんなところに自動車修理工なんてあったんだ」

 

 店先にある駐車スペースにバイクを止めて、目的地を確認する。

 看板には六角モータースと記されているので間違いはない。店名の下に修理・魔改造承りという不穏な宣伝文句があるのは少し謎だがマナーのあるお客様であることを祈りたい。

 

「ごめんください。アカギーズピザでーす!」

「「「「オウ?」」」」

 

 営業中なのか大きな物音がする方へと顔を出して、騒音に負けないようにと大きな声で挨拶をする。返って来たのは野太い四色の声でボクの脳裏には嫌なイメージが浮かび上がり、それは的中した。

 

「おお! もう来たかはえーな、おい」

「たまんねえ匂いだ……脳がゾクゾクするぜ」

 

 工場内にいたのは四人の屈強な男の人たち。

 それぞれが青、赤、紫、橙という派手な色をしたツナギを着ている。控え目に言って凶悪な風貌をしたタフガイたちだった。

 ただでさえ四人とも長身でゴツい体格なのにアゴ髭やメガネやスキンヘッド&グラサンという強面な出で立ちは完全に非合法組織のようだ。レンチやスパナが違う目的のための道具に見える。

 

「あの、ご注文のピザをお届けに参ったのですが……」

 

 恐る恐る話しかけると青いツナギを着たメガネをした格闘家みたいな体躯の一人がズンズンと近付いてくる。これはピザだけ奪われるパターンかなと緊張が走った時だった。

 

「いつもお世話様です。遠いところをわざわざどうも」

「姐さーん! ピザキタっすわ! 財布持ってきてくださーい!!」

 

 青ツナギの人はとても腰低くこちらに声をかけてくれた。さらに後ろにいた赤ツナギのアゴ髭の人が奥にいるもう一人を呼んでいる。少し待っていると白いツナギを着た若い女性が陽気な笑顔を見せて軽い足取りでやって来た。

 

「ちーっす! いやぁこんなに早く来るとは思ってなくてすまないねえ。いま払うからさ」

「お、恐れ入ります。ゆっくりで大丈夫ですよ」

 

 スレンダーなスタイルに濃い茶髪のセミロングに切れ長な目元。サバサバした喋り口調の涼しげな美人さんだった。

 ただ何となくだけど妙に貫禄があって彼女がここのボスなのだと言う実感がしてしまう不思議なオーラを放っている。

 

「あー……わりぃ。手元に小銭しかないからさ、お兄さん母屋の方でお代受け取ってくれないかい? 生憎とアタシも電話中なのを抜けて来てるから離れられなくてね」

「あの、それはちょっと……」

「心配すんなって、踏み倒したりはしないから。なあ、アンタたち?」

 

 財布の中身を確認して、何食わぬ顔でボクからピザ箱の山を手繰り寄せた女性はケタケタ笑いながら工場を抜けた先に見える大きな一軒家を指差す。正直、そんなことを言われても困るんだけど。

 

「ご安心くださいお兄さん!」

「俺たちカツアゲとか絶対しないんで、良い大人ですから!」

「もしも足りなかったら、お店の方にしょっ引いてもらっても結構ですよ!」

「全力で身体でお支払いします!」

「わ、わかりました。毎度ありがとうございます」

 

 タフガイたちの無駄に親身で暑苦しい説得に押し負けて、結局ボクは荷を明け渡して言われたままに母屋にいるご家族の方に代金を請求することになってしまった。

 

「ごめん下さい。アカギーズピザですが工場にいるご家族の方からこちらで代金を受け取って欲しいと言われまして」

「……はーい! すぐにいきまーす」

 

 家の中からはボクと同世代ぐらいの女の子の声が聞こえてきた。

 六角なんて名字に聞き覚えはないけど、もしかしたら同じ学校の生徒の家なのかな?なんてことを考えていると薄暗い家の奥から住人が小走りで駆けてきた。

 

「こんなところまでご足労いただいてすみませんでし……た」

「え……っと」

 

 ボクと彼女はお互いの顔を見合ってから、思わず固まってしまった。

 これは驚くなと言う方が無理だろう。だって、失礼かもしれないが変な人だらけの自動車修理工の家から出てきたのは間違いなくボクの知る望月さんだったのだから。

 

「こ、こんにちは。あ、あの……アルバイトお疲れさまです」

「どういたしまして? うん。慣れた物だから余裕だよ、ははは」

「そうなんですか。コミュニケーションスキルすごいですね、うらやましいです」

「大したことじゃないって。望月さんはなんか髪の毛ちょっと濡れてるみたいだけど何かあったの?」

「これはですね……日課の稽古の後でちょっとシャワー浴びたばかりでして」

 

 お互いに目の前にいるのが誰なのかバッチリ認識しているはずなのに何故だかすごく気恥ずかしく、余所余所しくなって変な世間話を展開してしまっている奇妙な状況。

 まさか、こんな形で望月さんの自宅?を知ることになるなんて夢にも思わなかった。それにいまボクの目の前にいる彼女の格好――ゆったりしたノースリーブのパーカーに健康的な生足がすらりと伸びたショートパンツ。意外なほどラフなオフの望月さんの新鮮な姿を直視できない自分がいた。

 

「おーい、沙夜いねえのかい?ってなんだいフツーにいるじゃん。ずいぶん遅いから様子見に来て損したじゃんよ」

「光姫さん!? 彼です! 彼が永春くんです!」

「え、マジ? ふへっ……いやいやいや超フツーの子じゃん」

 

 出会ってまだ五分も経ってないのに、ボクは生まれて初めてほぼ初対面の人に嘲笑を受けた。いや、本当に誰か順を追って説明してください。

 

 

 

 

「さっきは取り乱してごめんなさい」

「気にしないで。ボクの方こそかなりテンパって変なこと言ってたと思うから。ところでここは望月さんのお家でいいんだよね? あの人は……お姉さん、じゃないよね?」

「そのですね、光姫さんもというか表に四人のお兄さんたちがいたと思うのですがみんなも御守衆のメンバーなんです」

 

 あれから無事にピザの代金を受け取って名残惜しさを感じながら帰ろうとしたボクは何故か光姫さんと呼ばれる女性に捕まって、あれよあれよと客間に通されていた。あと、一応ボクはまだバイトの途中なんだけど。それよりもいま望月さんがサラッとすごいことを言っていたよね。

 

「よお、待たせたな。坊やんとこの店長に話しつけて、ちょっと借りさせてもらえたからよ。安心して寛いでくれよ」

「はああっ!?」

「嘘だと思うなら直接あいつから聞いてごらんよ。ほれ」

 

 油汚れの目立つツナギから洒落た作務衣に着替えたお姉さんがとんでもないことを切り出して、ボクに自分のスマホを差し出してきた。

 

「も、もしもし店長?」

『……すまん常若君。何も聞かずに先輩の言うとおりにしてくれないかい、店のためにも』

 

 電話の向こうから聞こえてきたのは罪悪感にひどく憔悴した店長の声だった。これじゃあまるで脅迫されている被害者だ。いつの間にかサスペンス劇場に巻き込まれている。

 

「あの! せめてもう少し事情を教えてくれませんか?」

『ごめんね。その人、僕の高校の先輩でさ……あと、お店の土地のオーナーでもあるんだよ。だから黙って言うこと聞いてあげてくれないか。大丈夫、犯罪になるようなイカれたことまではしないと思うから』

 

 そう言って店長は一方的に電話を切った。

 理不尽だと思ったし、憤りもないわけじゃないけど店長の事情も理解できてしまい何も言えない。大人の世界は世知辛いんだなあって。

 

「納得したかい?」

「一応は……はい」

「そりゃよかった。聞き分けの良い子は大好きだよ。改めまして六角光姫ってんだ。まあ、座って茶でも飲みな」

 

 座卓の対面。望月さんの隣に風格を見せながら座る光姫さんに促されて半ばあきらめを覚えながら座ると彼女は自分たちの簡単な自己紹介をしてくれた。

 

「話は沙夜の方から聞いてるよ。御守衆のことはコイツから説明されていると思うけど、一応アタシがこの東海エリアの御伽装士や平装士たちを取り纏めている頭目みたいなもんだな」

 

 そう言いながら光姫さんは何の遠慮もなくボクが届けたピザを箱から開封すると目の前で食べ始めた。いや、冷めないうちに召しあがってもらえるのは嬉しいんだけどさ。

 

「山賊じゃないんですから。永春くん、こんな感じの人ですけど本当に私たちの頼れる上司ではあるので信じてくださいね」

「んだよ、猫被りやがって。というかあんたも早く食えよ? チーズカチカチになるとマズいぞ」

「お客様の目の前でそんなお行儀の悪こと普通はしませんからね!」

「あの、お昼時だし俺は気にしないから望月さんも食べてよ」

「いえ。大事なお話もしますしそういうわけには……」

 

 我が道を行く光姫さんと学校にいるときと比べるとかなり明け透けな口調でそれを窘める望月さんというとても珍しい光景を眺めていると狙ったかのようなタイミングで望月さんのお腹がぐうぅーっと鳴った。

 

「その、長居させてもらう感じだしボクもちょっと分けてもらってお昼食べながら話すって言うのはどうかな?」

「……お、お気遣いすみません」

 

 耳まで顔を赤くして、言葉にならない声を漏らし狼狽する望月さんを宥めながらボクは彼女たちの昼食にご相伴にあずからせてもらうことになった。

 ピザをぱくつきながら光姫さんはまだボクが知らなかった御守衆や望月さんたち御伽装士の事情を話してくれた。

 御守衆は現在では非公式ながら政府に存在する陰陽庁が運営している組織で京都に総本山を置き、北は北海道から南は九州・沖縄まで各地に支部があるという。

 中部地方には望月さんを含めて九人の御伽装士が所属しており、光姫さんの旦那さん(婿養子)も現役の御伽装士だそうで彼らはそれぞれに担当する管轄エリアを分担して化神の悪事から人々の平穏を守っているそうだ。

 望月さんは現役学生と言うことも考慮して担当するエリアは比較的狭く、こうして六角家に居候する形でいまはまだ学業を優先しているとのことだった。

 

「にしても記憶消しの術が効かないなんて面白い体している坊やがいたもんだ。で、本当にアタシらに大人しく身の振りを任せるって言うのは嘘じゃないんだね?」

 

 ピザソースがついた指先をぺろりと舐めながら唐突にボクの今後に関わる話題を振ってきた。さっきまではあっけらかんと笑っていた光姫さんの笑みが急に氷のような冷ややかなものに変化したことに言いようのない圧迫感を感じてしまう。

 

「はい。理由は先日に望月さんに話した通りです。酷い目にはなるべく遭いたくはないなと思いますけど、皆さんの活動の邪魔にはなりたくないので」

「そうかい。まあ……随分とお利口な答えだね」

 

 隣で何か言いたそうな望月さんを片手で制して、光姫さんはしばらくボクのことをジッと品定めするかのように見ていた。

 

「坊やのことは京都の方にも一報入れて処分はアタシに一任されているから勿体ぶらずに教えてあげるよ。要観察者ってとこだな」

「はあ……」

「なんだよ? アタシや沙夜に煮たり焼いたりされたかったのかい?」

 

 あまりにも呆気なく、軽い扱いに落ち着いた処遇に生返事を返すと光姫さんは不敵に笑った。まるで気分次第でお前なんてどうにでも出来ると言っているかのようにも聞こえた。

 

「ぶっちゃけるとなアタシらも忙しくてよ。坊やみたいなガキ一人にあれこれ構ってる暇はない。とはいえ……無視も出来ないから御守衆の目の届く場所にはいてもらうけどね。沙夜と同級生ってのは色々と手間が省けて助かったよ。監視とかお目付け役とか面倒なことしなくてこっちも気が楽だ」

「私に後ろめたいこと全部やらせるつもりだったくせによく言いますね」

「いいじゃんよ、お前ボッチなんだし」

「ボッチじゃありませんから。ちゃんとお昼ご飯一緒に食べたりする友だちもいーまーすぅ」

 

 学校では絶対に見れないような言動を見せる望月さんに驚きつつ、ボクの意識はクールな眼差しをにへらと緩めてボクのことは些事だとばかりに言う光姫さんに向いていた。

 望月さんと対照的なこの人の動向や思惑がまるで分からずに無意識に全身が強張った。望月さんは目元こそ前髪で隠れていて何を考えているか分からないとよく言われるような人だけど、じっくり観察していると喜怒哀楽が結構はっきりと読み取れる。

 だけどこの人は真逆だ。常に笑顔を絶やさないようだけど、なんというか深い霧がかかって心が読み取れないような……人当たりは良さそうなんだけどどこか恐ろしさを感じてしまう気がする。

 

「まあ、あれだな……あんまりやんちゃするんじゃねえぞと言っとくよ」

「はい。気を付けます」

「さて……沙夜ぁ。悪いんだけど安や杉たちにお茶淹れてやってくれない? あいつらももう食い終わってるだろう」

「いいですけど、あまり永春くんのことイジメないでくださいよ」

 

 光姫さんに言われて沙夜さんは客間から出て行ってしまった。

 玄関の戸が閉まる音がすると目の前にいる彼女の顔から急に笑顔が消えて、ボクも思わず身構えた。

 

「あいつが戻ってくる前に手短に終わらせたいんだけど、沙夜は坊やにビャクアについて何か話していたか?」

「あの怨面で変身する戦士ってことぐらいしか」

「はぁー……聞いといてよかった。全くあの石頭の頑固者め」

 

 ボクの言葉に光姫さんは大きなため息をつくと何度か自分の拳で額を小突き、また口を開く。

 

「坊やにちょっとクイズなんだがあの怨面に秘められた力の源って何だと思う?」

「あの、どういうことです?」

「三択でいくぞ。A、神々しい正義の力。B、宇宙から降り注ぐ神秘の力。C、禍々しい呪いの力。さあどれだ?」

 

 意味深な含み笑いを浮かべる光姫さん。

 それはズルいだろう。

 こんなの答えをもう言ってしまっているようなものじゃないか。

 だけど、敢えてボクは自分の声でその答えを言わなければならないんだとも自覚する。

 

「……Cの呪いの力なんですか? 本当に?」

「大正解。最初に思い付いた奴が誰なのかとか仔細は資料が紛失していて分からないけど、御守衆が所有している怨面は分かっている物だけでも平安時代の頃に陰陽師やら仏師やらが知恵と力を絞り合って作り上げた呪いの魔道具さ」

 

 にわかには信じられなかった。

 ビャクアの姿は綺麗で神々しくて、どこか儚げでとても呪いの産物だなんて思えない。

 だけど、だけど……一つだけ心当たりがあった。

 望月さんが怨面を被るときに彼女の全身に浮き上がる赤い蛇が這い回ったような痣模様。あれが呪いの証明なのだろうか?

 

「大昔はいまと違って質はさて置き、穢れなんてそこいらで溢れ返っていたらしいからね。なにせ、日本各地で戦に野盗に呪い合いと血生臭い荒事だらけだ……そんな混乱の中で散っていった無辜の民の無念怨念を丹念に注ぎ込んで生まれたのが怨面さ」

「そんな……毒を以て毒を制するみたいなことをやってたんですね」

「思うところはあるだろうが昔の人も必死だったんだろうさ。そして、大事なのはここからだ現実の話をしようじゃないか……他でもない沙夜についてだ。坊やに頼みごとがあるんだよ」

 

 怨面に隠された秘密も十分に愕然とした事実だったけど、望月さんの名前を出されてボクの心臓が早鐘を打つ。まさか変身するたびに寿命を削るとかそういう救いようのないリスクがあるのだろうか?

 

「沙夜が怨面の負の念に呑まれないように学校で気にかけてくれないかい?」

「やっぱり、リスクがあるんですね」

「あいつもちゃんと厳しい修練を重ねて認められた上で白鴉の怨面を授けられている一端の御伽装士だ。万が一の保険だけどな……不慮の事故とは言えあいつは選ばれるのが早すぎたのさ」

 

 やるせないと言った様子で光姫さんは乾いた笑いを薄く作る。

 

「そもそもどうして望月さんは御伽装士になったんですか?」

「沙夜が11歳ぐらいの時にあいつの地元に化神が現れてな。当時の連れたちと襲われて、逃げ込んだ実家の古い蔵に保管されていた白鴉の怨面に見定められたんだとさ」

「じゃあ、生きるか死ぬかの瀬戸際でどうしようもなく、そうなるしかなかった」

「気の毒な話だ。あいつの実家も一応は御守衆の民間協力者程度にこっちの事情も知っていたのが幸いだったけどまさか愛娘が千年以上も担い手の現れない魔道具に選ばれるとは思わなかったろうさ」

 

 初めて知った望月さんの半生とその過酷な事情を聞いて、ボクは不条理だらけの世界に憤るばかりですぐには何も言えなかった。

 

「心も体も真っ当な道を辿って成長する前にあいつは世界の暗がりに浸かりすぎることになっちまった。沙夜は十分以上に頑張ってくれてるがそれでも危ういところがないわけじゃないからね」

「だから、ボクが望月さんに監視されつつ彼女のことを見守れと?」

「坊やの処遇もそういう色んな事情を考慮した上での判断だ。悪い条件じゃないと思うがね」

 

 彼女の役に立てるなら喜んで手伝いたいけど、いまこうして望月さんの身の上話を聞かされてしまったボクには普段のように思い切って二つ返事を答えることが出来なかった。

 ただ部外者同然のボクが何の覚悟や使命といった重荷も背負っていないような奴が気安く関わっていい事柄なのだろうかと。

 そんな風に押し黙って自問自答を続けていると時間切れとばかりに望月さんが戻ってきてしまった。更には入れ替わるように光姫さんのスマホに着信音が響いた。御守衆関係の電話らしくて今度は彼女の方が客間から出て行ってしまった。

 

「大丈夫でしたか永春くん? 光姫さんに変なことされてませんでしたか?」

「うん。何とも……大丈夫」

 

 望月さんがボクの正面に静かに腰を下ろすとふらりといい匂いがした。そう言えば稽古の後にシャワー浴びたとか言っていたような。土曜日のような休日も、雨の日も関係なくきっと彼女は化神からみんなを守るために自分を鍛えているんだろうかと思うと生意気に女子高生も御伽装士も両方頑張ってみようとか言っていた自分に腹が立ってくる。

 

「すみません。まさかこんな急な形で御守衆のことや永春くんへの対応なんかも一気に説明するようなことになってしまって。それにバイトまで途中で切り上げさせるようなこともしちゃいましたし」

「気にしないで……何とも思ってないから」

 

 目の前に確かに彼女はいるのに、なんだかすごく遠くにいるように思えた。

 まさに暗く深い日陰の奥にポツリと佇んでいるように……それぐらい望月さんが生きている世界とボクが暮らす日常は隔絶されていることを思い知らされたような気分だった。

 

「今日は私のこと真っすぐ見てくれないんですね」

「え……?」

 

 ぼそりと彼女の声。

 寂しそうで不満げな、それでも綺麗な望月さんの声が一つボクに刺さった。

 

「いつもの永春くんは……私のあの姿を見た後でも目を合わせようとしてくれていたのに、今日は視線外れてばっかりだなと」

「そうかな? そんなつもりはなかったけど」

 

 言い訳するなよ、ボクの大噓つきが。

 ただでさえ、一つだけずっと隠し事をしているくせにまだ見苦しく嘘を重ねるのか?

 

「ごめん。白状するとお休みモードの望月さんの恰好がけっこう開放的でドキドキしてます」

 

 嘘はついてない。

 ちゃんと彼女のことを見れない理由の一つとして間違ってはいない。

 結局逃げていることには変わりはないけど。

 

「なっ……わ、私これ肌出しすぎでしょうか? はしたない感じですか!?」

「い、いや! そんなことはないと思うよ! 適切だと思うし、もっとだらしない格好でいるJKなんていくらでもいると思いますですよ!」

 

 神妙な面持ちでずいっとボクに顔を近づけて慌てる望月さんの挙動に少しだけ気持ちが紛れて普段の態度で彼女に向かい合えた。だけど、まだボクは彼女を取り巻く環境に触れていいものか戸惑いがあった。どこかぎこちないやり取りを続けていると血相変えた様子で光姫さんが戻ってきた。

 

「沙夜! 急ぎで化神退治に行ってくれ! ちょっと不味い事態だ!!」

 

 

 

 

「安! 杉! 中! 梶! 裏稼業の始まりだ。気合入れて支度しな!!」

 

 六角モータースの工場内に光姫の声が響くと御守衆の平装士でもある男たち四人は地鳴りのような雄叫びを上げて御伽装士の出陣と現地サポートの準備を慌ただしく始めていく。

 工場の地下に設けられた祭壇めいた指令室では光姫が巨大な水瓶を用いた水鏡を介して現地にいる民間人に遠隔式の誘導暗示の術を施して被害を抑える。更に安たち平装士が現地へ赴きより直接的な事後対応に当たるのが御守衆の基本初動であった。

 

「状況を確認するぞ? 緊急の連絡によると隣のエリアで討伐中だった化神が御伽装士の追撃を振り切って逃走。そのままこっちのエリアに進行中とのことだ」

「急がないと被害が広がりますね」

「おうよ。相手はバカでかいタイヤか車輪みたいなふざけたナリでとにかく素早いって話だ。加えて、車や小さな倉庫なんかを轢き潰して遊ぶのが大好きなろくでなしだ。可能な限り速攻で片を付けてこい」

「分かりました」

 

 化神の詳細を聞き終えた沙夜は裏の隠しガレージに待機させてあるハヤテチェイサーに跨ると白鴉の怨面を手に取った。

 

「オン・カルラ・カン・カンラ」

 

 気を引き締めて怨面を被ると彼女の手足に赤い蛇紋様が浮かび上がり、凄まじい力と共に怨面に宿る数え切れない怨念無念、怨嗟の叫びがその身に沁み込んでいく。

 

「クゥ……ア、ァ、ゥアア――」

 

 濁流のように押し寄せる怨の念を弛まぬ集中と緩まぬ気合で受け止めた彼女は拒絶することなく、抗うことなく、ただ優しく抱きしめるように受け止める。そして、怨面に心で告げる。

 この無念、この怨念――全てすべてこの身を介して散らして見せると。悪しき穢れの化神たちにぶつけて浄化して見せようと。

 

「――変身」

 

 覚悟の言葉、呟いて。

 風の中で望月沙夜は白き戦装束を纏い、退魔の戦士へと変わる。

 

「いってきます」

「気を付けて、望月さん」

「……はい。また月曜日に学校で」

 

 背中を見守る永春に怨面の奥で微笑んでビャクアはハヤテチェイサーを駆って、嵐のように走り出した。

 

「坊や。そんなわけでアタシらはこれから大忙しだ。途中まで安に乗っけてもらって今日は帰りな。手前勝手に振り回して悪かったね」

「なにか……力になれることってありませんか?」

「気持ちだけもらっておくよ。いいか、巻き込まれたのならいざ知らず、火事って分かっていて坊やを現地に向かわせるような馬鹿はやらせないからね。あんたもアタシらからしたら守るべき人々の一人だ」

 

 少しでも沙夜の戦いに助力できないかと淡い期待を抱いた永春だったが現実は甘くなかった。光姫の言う正論に何も言い返せずに黙って頷くしかなかった。昨日までの彼ならば一般人らしからぬ鋼の意思で何か行動をしたかもしれない。

 だけど怨面のこと、沙夜の過去のことを知りすぎてしまったいまの彼にはいつもなら踏み出せた一歩を上げることが出来なかった。そうして彼は大人しく安が運転する軽トラの助手席に乗り込んで六角モータースを後にした。

 

 

 

 

 青いツナギの眼鏡のお兄さん。

 安さんと呼ばれている格闘家みたいな圧の強いお兄さんが運転する車に乗せられてバイト先の近くに行くことになっていたボクだったのだが窓の景色を見て違和感を覚えた。

 

「あれ……この道って、あの!」

「少年。漢を見せる度胸はあるかい?」

 

 このルートではバイト先のピザ屋ではなく、少し回り道をして望月さんが化神を迎え撃つ場所へ行ってしまうのではないかと疑問に思ったところで安さんが意味深な言葉をボクによこした。

 

「もしかして、望月さんのところへ連れて行ってくれるんですか?」

「本当は駄目だ。御守衆として俺はご法度をしようとしている。バレたら姐さんにR指定の制裁を受けるだろう……だけどな、お嬢のことを案じればお前さんに頼まれて欲しい」

 

 安さんはハンドルを強く握りしめながら滔々と話しだした。

 

「お嬢は頑張り過ぎだ。あの子があんなに頑張るものだから俺らもどんなに仕事がキツい日でも負けずに頑張ってやろうって気合を入れられる」

「望月さん、学校でも真面目でみんなに優しいですよ。相手の方から話しかけられたらですけど」

「だろうな。俺ん家も代々御守衆に連なる家系でな……拒否権無しにこういうことしてるがそれでも学生の頃はダチたちと馬鹿やれたし、大学にも通えた。けど……お嬢は自分のこと度外視で突っ走ってる感じでな」

 

 それはボクも少し感じていた。

 バケウシと戦った次の日からは前よりかは学校でも何気ない会話をするようになったけど、望月さんは基本的に受け身だ。自分からはクラスの皆と怪しまれない程度に一線を引いている。だから巴さんみたいに望月さんにぐいぐいと話しかけてくれる同性のクラスメートはとても得難い友人だと第三者としては思えてしまう。

 

「俺たちとしてはお嬢にもっと自分の生活を大事にしてもらいたい。だけど、俺らの声は所詮は身内の声だ……言い過ぎれば逆にあの子を縛っちまうかもしれない。けど、お前さんの声なら届くかもしれない」

 

 最初は半信半疑に思っていた御守衆という組織だったけど安さんのような人が居るのなら大丈夫だと思える自分がいた。同時に燻っていた心にあの日の神社のようながむしゃらな火が灯るのを感じていた。

 

「同じ時間を分かち合う同級生ってやつは……上手く言えないけど不可能を可能に出来るって感じがするだろう? 俺の時はそうだった。ママチャリで箱根駅伝のコース激走するとか無茶もやったぜ。だから、もう一度お前さんに聞きたい」

「はい」

「危ないところだ。命の保証はない。でも、お前が死んだらケジメで俺も死んでやる。だから……だから、お嬢の傍にいてやってくれないか?」

「約束します。漢意地ってのをみせてやりますよ」

 

 これはただの我儘だし、望月さんに嫌われてしまうかもしれない。

 だけど、表と裏の両面の彼女を近くで知り続けることが出来るボクにしか出来ないことが一つだけでもあるのなら、ボクはそれを無駄に投げ捨てたくはない。

 

 

 

 

「見つけた」

 

 ハヤテチェイサーを走らせること数分。

私は一般道を我が物顔で走っている件の化神を捉えた。一見するとそれは石灰色をした巨大な車輪のようだ。目を凝らして見るとどうやらそれは貝の殻に近いように思える。

 

「仕掛けます、ハヤテ」

【■■■■――!!】

 

 馬の嘶きのようなエンジン音を轟かせてハヤテは回転爆走を続けている化神を挑発するように追い抜くとそのまま急スピン。普通のバイクならそのまま転ぶのでしょうけど、式神でもあるハヤテならこんな風にスピートとバランスを維持しながらバック走行も出来てしまう。

 

『うわぁあ!? 何だよ急にッ! むう……お前、さっきの奴とは違う装士だな!?』

「……選手交代というやつです。お覚悟を」

 

 突然の乱入者に化神はとても面食らったようだった。

 まるでやんちゃな子供のような声に私は一切の呵責なく戦意を込めた声を返して討伐の準備を始める。

 

「退魔七つ道具が其の伍、海砕きの無双籠手ッ!!」

 

 微かな閃光が収まると私の両腕には紅い鋼の指を持つ石柱と見間違えるような巨大な鉄籠手が装着される。陽の光を浴びて鈍く輝く巌のような力強い黒鋼には黄金色の波模様が彫られている。

 

「フゥゥウウウ……ッ! いきます!」

 

 途端にハヤテチェイサーの速度がガクッと落ちて鈍くなる。それぐらいこの籠手は頑丈であり重い。この魔道具は見た目通りの対力自慢もしくは対重量級相手のとっておきです。 

 私の強みである速さがまるで殺されるという痛いところもあるけれど、生み出される怪力は桁違い。いま神通力によって無双籠手と私の手との間に疑似神経が結ばれてゆっくりと鋼鉄の指が開いていく。

 

「でえええええいッ!!」

『うぎゃああッ!?』

 

 突然に巨大に変貌した私の両腕に化神が虚をつかれている隙をついて、私はハヤテから飛び降り様に大振りの張り手を叩き込んで進行を阻む。

 

『よくもやってくれたな! せっかく気持ち良く人間のおもちゃたちを潰して遊んでいたのにさあ!!』

「車はおもちゃじゃありません。湿った山の中を走っていればまだ可愛げがあったのに……こんな街中にまで逃げ込んだ分も合わせて、きっちりお仕置きしますね」

『あっははは! できるもんならやってみろよ! この僕を! 化神バケカミナの激走を止めれるもんならねッ!!』

 

 バケカミナと名乗る化神は横倒しになった巨大な体を難なく立ち上がらせると再び風をも追い抜くようなスピードで私に目掛けて突進をしてきた。

 

「そのための! この両腕ですッ!!」

『グゥウウウウウ!!』

 

 巨大な硬い車輪を私は正面から受け止める。

 両者の接地面から激しい火花と煙が噴き出して、力と力の押し比べ。

 目に映る器物を手当たり次第にひき逃げしてここまで来たと言うのは伊達ではなく、少しでも油断して踏み込みを緩めれば無双籠手の剛力を駆使しても旗色が悪くなる可能性は十分にあると実感してしまう。

 

『生意気な奴! もうッ、僕に気持ち良く轢き潰されろよ! 

「……お断りです!」

 

 けれど、どんなに相手が手強くても負けてあげる理由は一切ありません。

 特にいまこの状況。戦場となっている総合ターミナル前の道路のど真ん中。

 まだ暗示が効き切っておらずに逃げ遅れている地下鉄や市営バスの利用者たちが大勢いる中でバケカミナに縦横無尽に走り回られるわけにはいかない。

 

「でいッ! やああああッ!!」

『うぎぃ!? や、やめろよぉ!』

 

 力と力のぶつかり合いの反動でバケカミナの巨体が微かに浮き上がったところを狙って、思いっきり左右の側面を殴り抜く。一度で足りなければ、二度三度と大振りだが連続の落石のような鉄拳を浴びせ続ける。

 

『いい加減にしろ!!』

「っわあ!?」

 

 大拳の猛打の前に化神の殻状の車輪体に亀裂が走り始めた。

 一気に叩き壊そうと全身の力を入れ直した次の瞬間に私の右腕は相手の側面からにょきりと飛び出したカニの鋏のような腕に捕まり放り投げられた。

 

「……なるほど、ヤドカリでしたか」

 

 砂ぼこりの向こうにいる人型の姿を晒したバケカミナを見て思わずそんな声が漏れた。

 視線の先にいたのは赤い甲殻に四肢を覆われたヤドカリの面影を持つ化神。その背中には先程の車輪のような貝殻が随分とコンパクトに収縮されてくっついている。

 

『何か文句あるの? 楽しく走って、楽しく蹂躙する! そのための無駄のないこの姿をさあ!?』

「……いいえ。お前たち化神に不条理を指摘するだけ無駄です」

『分かってんじゃん! じゃあさ、あんたのその無駄な命も早いとこ潰してあげるよ!!』

 

 ……無駄な命ってなに?

 軽薄な声を上げて、バケカミナは鋏になっている両腕を突きつけて迫って来る。轢き潰すだけでは飽き足らず、人も物もお構いなしにあの鋏で切り裂くつもりなのだろうか。

 何でもない毎日をがんばって生きる命を、辛く大変なこともある毎日を精一杯に生きる命を、道端の空き缶でも蹴っ飛ばすように面白半分に。

 

『まずはその厄介な腕だ! 肩の付け根から骨ごと断ち切ってあげるよ!!』

 

 怨面が疼く。

 この怨面に刻み込まれた数え切れない誰かたちの無念の叫び。

 この怨面に宿る、生きたくても生きられなかった誰かたちの無数の怨念。

 舐めるなよ、化け物め。

 お前たちがか弱いと嘲笑う人が生み出した情念は貴様たち風情の穢れよりも、ずっとずっと強くて色濃い。それをたっぷりとその身に教えてやる。

 

『ヒャアア……アバアッ!? と、飛ん……だ!?』

「チョキがグーに勝てるとでも?」

 

 両手の指を組んだ無双籠手を神通力で大砲のように撃ち出す。ロケットパンチと言えばいいだろうか。思わぬ不意打ちをまともに食らったバケカミナは上空に吹き飛んでいた。良い位置です。

 

「退魔七つ道具其の弐、裂空の快刀……いざ!」

 

 相手が立て直すよりも速く、召喚した二刀のうちの一本を投げつけて出鼻を挫く。

 鋭い切っ先がバケカミナのどこかに突き刺さったのか汚い悲鳴が聞こえるのを流して、私は信号やビルの壁を跳び伝って相手より上空へと舞い上がるとそのまま勢い良く急降下する。

 

「退魔覆滅技法……乱鴉の太刀!」

『――ッギャア!?』

 

 神通力を宿して妖しい白光を放つ刃による踊るように乱れた無数の剣閃が化神を捉えた。一拍の間を置いて、バケカミナの全身に無数の裂傷が現れて異形の躯はあっという間にズタズタだ。

 私が地上に降り立つとバケカミナは背中に背負った自慢の車輪殻も細切れにして失いボトリと墜落してピクリとも動かない。けど――これは。

 

「死んだふりをしても見苦しいだけですよ」

『あ、あは……あはは。バレてたのか。ざーんねん』

 

 我ながら爪が甘かったです。

 それとも敵の背中にあった車輪殻の強度が一枚上手だったと見るべきでしょうか。無双籠手であれだけ殴って損傷を与えていたのですが恐るべき硬さです。ですがいずれにしても逃がすつもりはない。このままトドメを刺して終わりにする。

 

『しょうがないな。疲れるけど、新しい宿をこさえるとしようか』

「な……ッ!?」

 

 まだ余力を隠していたのかバケカミナは不敵にほくそ笑むと耳鳴りのような音を響かせて体を発光させ始める。すると周囲に散乱していた車輪殻の残骸や自動車なんかが磁石に引き寄せられる金属のように化神に吸い寄せられていく。

 バケカミナを囲むスクラップの山々は生き物のように躍動しながら一瞬で鉄独楽のような形へと変化してしまった。そしてその状態のまま高速回転をしながら空高く浮遊してしまう。これではまるで宇宙人の円盤のようです。

 

『僕はまだまだ遊び足りないんだ。まずは君が壊れるまで遊び尽くしてあげるよ』

 

 新しい姿を得たバケカミナは円盤状態で大量の黒い靄を噴き出して周囲を闇で覆い尽くそうとする。不味い状況ですこれは――。

 

「させない!」

『もう遅いよ! 冥く愛しき暗天舞台よ、我が客を誘え――!!』

 

 大急ぎで快刀を投げつけて、化神たちが持つ恐るべき能力を防ごうと試みましたがあと一歩遅く、黒い瘴気が私を呑み込んだ。

 

 

 

 

「ここは……というか、ボクこれちゃんと起きてるよね?」

 

 ハッキリと覚醒した意識の中でボクはいま自分が置かれている状況に混乱するばかりだ。安さんと別れてから遠くから聞こえてくる騒音を頼りに人混みを潜り抜けた先で望月さんの乗って行ったバイク――ハヤテチェイサーだったかな?それが乗り捨てられているのを見つけたところで突如として広がった黒い靄に呑み込まれて気付いたらこれだ。

 

「おかしいだろ……見た感じは知ってるはずのターミナル界隈なのに、他の人の気配がまるでしない。それどころかたまに吹く気味の悪い風以外に音もなにも聞こえないじゃないか」

 

 目の前に映る景色は夢か幻か――これが現実であることを素直に受け入れることを理性が拒むような、そんな異様な場所にボクはいた。

 逃げ惑う人々のざわめきも、奇怪た乗り物の物音はもちろん小鳥の囀りさえもここには無い。そしてなりよりも――。

 

「この赤黒い空……気のせいじゃなく、太陽が無いじゃないか!」

 

 空を見上げて息を呑むボクの頬を冷や汗が流れた。

迷い込んだこの場所は昼か夜かも分からない暗くは無いが赤黒い色が世界を塗り尽くしたようなところだった。そして、空には本来ならば目を焼いてしまうような眩さを放つ太陽がどこにも見当たらない言い様のない恐ろしさが蔓延する奇奇怪怪な世界だった。

 

「まるで閻魔様がいる地獄みたいだ」

 

 化神と同様に常識の枠から外れた現象に自分は触れているんだと実感して、ボクはふと後ろを振り返り物言わぬ彼女の愛機を見つめた。こんな状況では誰かとは言わず、見知った何かがあるだけでも心強い。

 

「あのー……緊急事態と言うことですみませんがどうかお力をお貸しください。頼みます」

 

 しばらく思案した末にボクは神社にお参りをするように目の前のカスタムバイクへと手を合わせて深々と一礼した。流し聞きだったけど、どうやら式神の一種で自我があるらしいし、ボクのような素人の声が届くか分からないけど念のため。

 

「他に誰かいないか探そう。何かヤバいものに出くわしたら逃げ優先ってことで」

【■■■■――!!】

 

 勝手に乗っていいものか少し迷ったけど、ボクはハヤテチェイサーに跨るとゆるやかに走り出した。心なしか白いバイクのエンジン音が任せておけと鳴いているように聞こえた。

 この異常な空間が暗天と呼ばれる化神が作りだす異空間で、ここではその強さが跳ね上がると知るのはこの十数分後になるとはこの時はまだ思ってもみなかった。

 

 

 

 

 

 一方、永春が移動を始めたのとほぼ同時刻。

 ビャクアとバケカミナの戦いも再開されていた。

 

『アッハッハッハ! 翼のない小鳥さん気分はどうだい?』

「クッ……暗天で強化されているとはいえ、なんて出鱈目な攻撃手段なんですか! カンラ!!」

 

 地獄の釜が開いたような色彩の空を浮遊する円盤形態のバケカミナは外殻から出現させた四本の鋏状の腕から雷撃や火炎弾といった遠距離攻撃を地上のビャクアに浴びせていた。

 集中豪雨のような猛攻をカンラは反撃も出来ずに羽団扇による旋風で吹き払いながらの防戦一方である。

 

『蟻を踏むようにあっけなく、野原の兎を狩るように執拗に……楽しんで殺してあげるからね』

「やれるものなら、です」

 

 静かに闘志を滾らせてビャクアが淡く光る羽団扇を振るうと何処からともなく大量の白い羽根が出現する。上空のバケカミナに狙いを付けてビャクアがもう一振りと羽団扇を動かせば羽根が竜巻のようにうねりながら空へと伸びた一条の道のようになっていく。

 

『そんな!?』

「飛べないならば駆ければいい……御伽装士を軽んじるな!」

 

 仙術・羽根滑走。

 伝説の天狗も舌を巻くような秘技を用いでビャクアは空を駆け上がると我が物顔で空を浮かぶ化神との距離を縮めていく。

 

『驚いたよ。でも、それじゃあ良い的だよぉ?』

「きゃうッ!? 鳥でも虫でも無い飛び方……読みにくいな」

 

 だが、全てが上手くいくわけもない。

 バケカミナは独楽のように再び高速回転をすると無軌道で滅茶苦茶な飛行を行って羽根の道の進行を惑わせると体当たりでビャクアを地上へと叩き落とした。

 

『こういうのは好きかな? 僕は……大好きだ!!』

「なんの! この……!!」

 

 落下中に受け身を取って墜落は避けたビャクアだがバケカミナの念入りな追撃が襲う。円盤形態の中心部から雨のようにウニの棘のような鋭い杭が降り注いだのだ。

 

『ホラホラホラァ! もっともっとだあああああ!!』

「クッ……ッギイィ!?」

 

 決死で体を動かし、羽団扇を振るい続けたビャクアだったが底なしに降り注ぐ猛攻の前についに一本の杭が群青色の大袖を貫通して彼女の左二の腕を刺し抜いた。

 仮面の奥で大粒の脂汗を噴き出して、苦しみ悶えながらビャクアはなんとかビルとビルの隙間に出来た待避所に逃げ込んだ。

 

「ハァ……ハッ…フッ! っあああ!!」

 

 ひり出すような痛々しい声を漏らしながら、ビャクアは自ら腕に突き刺さった杭を引き抜いて捨てる。生温かい鮮血が飛び散って、白い戦装束を真っ赤に染めていた。

 

『隠れても無駄だよ? 君たちの世界で言うところの爆弾って言うやつ? これであぶり出してあげるよ。ちゃんと生きてよね』

 

 荒い呼吸を繰り返して、夥しく傷口から溢れる血液と共に脱力する体を気力で支えていたビャクアに遥か上空から無慈悲な囁きが十数個の黒い塊と共に投下された。

 絶体絶命。ビャクアが無我夢中で出来るだけ遠くへ逃げようと足に力を入れた時だった。

 

【■■■■――!!】

「見つけた! 望月さん乗って! 早く!!」

「え……永春くん? は、はい!」

 

 機械仕掛けの駿馬が嘶いて、少年の叫びが救いの光明をもたらした。

 咄嗟に飛び乗ったビャクアを乗せて、永春が運転するハヤテチェイサーは間一髪で地下鉄の入口へと走り抜けると爆撃の猛威から逃れたのだ。

 

 

 ※

 

 

 地響きと共に地下鉄の入り口から熱風が吹き込んでくる。

 気味の悪い空を浮かぶUFOみたいな化神が話していたのがボクにも聞こえたからこれがあいつの爆撃だというのは分かるが一応は妖怪の部類の存在が兵器染みた攻撃をするのには呆れてしまう。

 

「これで気休めぐらいになるといいけど」

「ありがとうございます。でも、今回は永春くんに感謝ばかりしてはいられません」

 

 酷い怪我を負ったビャクアの腕にハンカチを巻いて応急処置をするが薄緑の布地はあっという間に赤に染まり水っぽくなった。同時に明らかに怒っているような語気の彼女の声が分かってはいたが心苦しい。

 

「……なんで来たんですか? 危ないって光姫さんからも言われていましたよね」

「ごめん。体が勝手に」

「……いえ、すみません。こうして永春くんに助けられた未熟な私に君の行動を咎める資格はありません」

 

 もっと怒って詰ってきつく非難しても良い筈なのに望月さんはそれ以上ボクに何も言わなかった。少しだけ休ませて欲しいと断って、変身したまま冷たい壁に背中を預けた彼女の呼吸はまだまだ苦しく辛そうだ。ボクと彼女の間に気まずい沈黙が流れる。

 

「暗天のこととか聞かなくていいんですか?」

「え……あん、てん?」

「この太陽のない赤い空の世界のことです。ここは化神が作り出した異空間と呼べばいいでしょうか? 御守衆も詳しく解析出来ていませんが穢れが濃いせいで化神も強くなってしまう厄介な場所なんです」

 

 突然、聞かれてもいないことをペラペラとお喋りし始めた望月さんの意図が分からなかった。鳩が豆鉄砲を食らったようなマヌケな顔で頷き続けていると彼女は小さく笑ってから優しい声でボクに言う。

 

「そんな怖くて恐ろしい場所でなんでただの普通な男子高校生くんは平気な顔をして動けるんですか? 永春くんの普通の基準って映画やドラマの主人公基準になっていませんか?」

「あ、はは……ボクもちゃんと恐怖とか感じてるんだよ? ホントに、けど死ぬ気で頑張ってみたら割と上手くいけた……みたいな?」

 

 場を和ませてくれたのだろうか?

 望月さんにつられて、ボクもふざけすぎない程度に砕けた口調と乾いた笑い。どうしよう。なんて答えるのが正解なんだろう?

 

「……そんな普通な永春くんに恥を忍んで頼みがあります」

「なに? ボクは望月さんのどんな力になれる?」

 

 先のやり取りの中で彼女の中で何かの区切りがあったのかは定かではないけど、礼儀正しく正座をして切り出してきた彼女にボクは真剣な面持ちで返事を返した。

 

「あの化神を倒すには長距離に対応できる攻め手と速い足。情けない話ですが手負いの私ではいまは一つをこなすので精一杯です。だから、永春くんには私の足になってもらいたいんです」

「任せて。やるよ!」

 

 二つ返事で了承するとまた望月さんに笑われた。今度はちょっと苦笑い気味に。

 

「だから、どうして君はそう即断即決が出来るんですか? もう、私なんかより遥かに御伽装士に向いてそうです」

 

 困ったように笑う彼女の声。だけど、そこには呆れの色の他に、悔しさや苦しさのような色が混じっているように思えてボクは思わず聞いてしまう。

 

「望月さんも……やめたくなったりするときってあるの?」

「ありましたよ。押し付けられるものなら、誰かもっと相応しい人にこの怨面を譲ってしまいたいって考えたことも、落ちこぼれは出て行けと資格を取り上げられるのなら、それでも良かったかもしれないです」

「逃げたいときも……あったりした?」

「それはなかったですけど、一生物の怪我とかして引退とかにならないかなって考えたことは実はあります。不謹慎の極みですね、内緒にしていて下さいよ?」

 

 ボクの質問に彼女は迷うことなく弱音の数々を吐露し始めた。

 それはおよそ御伽装士を正義のヒーローと考えるのなら失望すらしてしまうかもしれない、情けない言葉の数々なのかもしれない。だけど、それは普通のことじゃないかとボクは思う。

 

「だけど、望月さんは頑張ってくれるんだよね? みんなのために」

「ビャクアに変身している時の私は……自分でも好きだと思える自分でいられますから。眩しい人を、すごい人を、大事な人を、化神から守ってあげられるちょっとだけカッコいい自分でいられますから。くす、これも大きな声では言えませんね。永春くんも呆れていいですからね」

「そんなことない」

 

 珍しく多弁に、そして自虐的に語る彼女の前に思わず立ち上がってボクは強めの口調で声を出していた。

 

「どんな理由でも、目的でも真面目に頑張れる人は誰だってすごいんだよ。望月さんはすごくすごいことを頑張ってるんだよ……呆れるなんて、お願いされても出来ない」

「……ありがと永春くん」

 

 一日、一日と過ぎ去っていく毎日を惜しむこともなく漠然と無駄遣いして生きているようなボクにしてみれば西条も井上も、望月さんも誰もが星のように綺麗ですごい人たちなんだからと柄にもなく熱弁してしまった。そんなボクの言葉に彼女は噛み締めるようにあたたかな声で短く言葉をくれた。

 

「じゃあ、そろそろ勝ちにいこうか?」

「はい。頼りにさせてもらいます」

 

 ボクの差し出した右手を迷うことなく掴んで彼女は力強く立ち上がった。

 

 

 

 

『いつまで隠れてるつもりなんだいこの臆病者のネズミさんたち!! そろそろ瓦礫の山に埋めちゃってもいいんだよ?』

 

 外から勝ち誇ったような化神の挑発の声が大きくなっていた。

 上等だよと、ボクは珍しく闘争本能を燃やしてハヤテチェイサーに再度跨るとハンドルを握る。背中に軽鎧に包まれたぬくもりを感じながら。

 

「準備はいいですか?」

「いつでもいいよ。日本の宅配ピザ屋の底力を見せてやる」

「では……いざ、参りましょう!」

 

 タンデムした彼女の声を合図にボクはハヤテチェイサーのアクセルを解き放つ。白い機影は薄闇を力強く引き裂いて、空中要塞と化したバケカミナが待ち構える外へと飛び出した。

 

『お! 出てきたね、バラバラに吹き飛ばしてあげるよ!』

 

 ハヤテチェイサーが地上へと帰還したのを発見した空の上の化神は嬉々とした様子で円盤みたいな殻から生やした鋏腕を砲門のようにして、火の玉や雷撃を撃って来る。

 ボクの役目はこの砲火の嵐からバイクを操り全力で逃げ回ることだ。そして――。

 

「退魔七つ道具が其の肆、山崩しの大筒!!」

 

 ハヤテチェイサーの後部に控えるビャクアが新たな七つ道具を召喚して反撃に転じる。

両腕で構えるのは鳥顔の意匠を備えた銃口の大きい長銃のような射撃武器だ。

 彼女が狙いを定めて引き金を引くと強烈な光の弾丸が太い軌跡を描いて発射された。その一撃はボクを狙っていた攻撃を見事に掻き消したのだ。

 

「すげえ威力! よっしゃ、撃ちまくっちゃえ望月さん!!」

「ええ、反撃開始です!!」

 

 風を切って疾走する愛機のシートの上でビャクアは力強く叫ぶと上空のバケカミナへと怒涛の連続射撃を仕掛ける。相手が浮遊砲台ならこっちは機動砲台だぞと、ボクたちと化神との白熱の銃撃戦が開始された。

 

『この! このこのこのォ! 生意気だぞ人間がああああ!!』

「うぉおおおおおッ! がんばれボク! 頼むぞハヤテチェイサー!!」

【■■■■――!!】

 

 雨霰とばかりに降り注ぐ稲妻や爆弾に火の玉、何ならミサイルのような何かまで生み出してボクらを狙うバケカミナの攻撃をハヤテチェイサーは生き物のような速く繊細で滑らかな動きで回避する。

 

『くそおおお! 入り組んだ路地裏なんかを走りやがって! 気持ち良く僕が撃った攻撃に当たれよ!! ぐわあッ!?』

「まるで癇癪を起した小さい子ですね。こっちは的が一つしかないのでとても撃ちやすいですよ?」

 

 とんでもない速度と馬力に正直生身のボクは体が持たないと思っていたのだがボクを気遣ってか、キツいところはハヤテが勝手に自分の意思で走ってくれたので負担は想像に状に軽かった。さっきのお参りが効いたのだろうか?

 ハヤテのスピードとボクの土地勘でひたすらに逃げている間にビャクアが赤空に浮かぶ化神に射撃を食らわせる。三位一体の連携で圧倒的な不利が確かに覆りかけていた。

 

『もういい! もういい、もういいい!! さっきみたいに直接轢き潰してグチャグチャにしてやるよ!!』

 

 自分の攻撃は当たらず、地上からの大筒の光弾を何度も被弾するようになって苛立ちが抑え切れなくなってきたバケカミナは全身を回転させて直接ボクら狙ってきた。

 

「望月さんどうしたらいい!?」

「真正面から決着を付けます。位置取り、お願いできますか?」

「やってみる。いくぞハヤテチェイサー!」

 

 雌雄を決すると凛とした声に応えるためにボクはハヤテを開けた車道へ進ませると出来るだけ距離を広げてからUターン。バイクVSUFOの異色の一騎打ちの様相を整える。

 

『死んじゃええええええええええ!!』

 

 攻守交代とボクらが待ち構えているとバケカミナは憎悪の叫びを上げながら高速回転により道路や周囲の物を粉砕しながら一直線に突っ込んできた。彼女の言ったようにチキンレースよろしく正面からの決闘になりそうな予感だ。

 

「いってください永春くん!」

「任せろぉおおおおお!!」

 

 その言葉を待っていたとばかりにボクは出せる限りの猛スピードでハヤテチェイサーを発進させる。気持ちが昂り切っていてここまでくると恐怖や不安なんてものは影も形もない。

 

「オン・カルラ・カン・カンラ――!!」

 

 疾走する機体の上で立ち上がり両足を強く踏み締めたビャクアが片手で退魔の印を結ぶと両腕でしっかりと大筒を構える。神通力と呼ばれる超常の力が漲っていくのだろうか拳大の銃口には光が風と共に収束していく。

 

「退魔覆滅技法――烈風葬破!!」

『イギャアアアアアァァァッ!?』

 

 左腕の痛みも物ともせずにビャクアが撃ち放った大筒からの光の大奔流が炸裂する。

 激しい螺旋を描いて発射された光の矢のような光破はバケカミナを硬い殻ごと容易く撃ち抜いて爆散させた。

 

「これにて、落着です」

「ゥ押忍! お疲れさまッした!!」

「えっ、は、はい……おつかれさまです」

 

 戦いの終わりを告げる彼女の言葉にテンションがハイになったままのボクが西条たちと一緒にいるようなノリと勢いで叫んでしまったところ、望月さんは律義に大筒を構えたまま小さく頭を下げてくれた。男子高校生のバカみないなノリに付き合わせてしまって、ちょっとだけ申し訳ないと思う。

 

「うわ……赤い空が砕けていく?」

「発生源である化神が倒れましたからね。もう少しすれば元の世界に戻れますよ」

「そうなんだ。帰る方法がシンプルで良かったよ」

「暗天に取り込まれるのは私も三度目ですし、御守衆もまだ全貌を把握しているわけじゃないのでなにが起きるかは油断できませんけどね」

「え、縁起でも無いこと言わないでもらってもいいですか望月さん?」

「おや? 怖いもの知らずの永春くんにしては珍しいですね」

 

 珍しく普段よりもお喋りでおどけたことをよく言う彼女に驚かされながら、ボクらは無事に現実世界に帰還することが出来たのは言うまでもない。

 

 

 

「今日はいつも以上にお世話になりました」

「あの、腕……大丈夫なの? 病院行ったほうがいいんじゃない?」

「怨面のお陰で装士は傷の治りも早いんですよ。私の方こそ、ハンカチをダメにしてしまってごめんなさい」

 

 戦いの後、ボクは六角モータースに再び連れていかれて共犯者である安さんと共に光姫さんから軽いお説教を食らうことになった。一応今回は安さんが主犯というわけですぐに解放されたわけだけど。

 そして、バイト先へ戻ろうとしたところで見送りにきてくれた望月さんと二人きりになり、ぽつりぽつりと取りとめのないやり取りを交わしていたのだけれど。

 

「あのさ、望月さん……出過ぎた真似だとは思うけど、そのボクなりに頑張って足を引っ張らないようにするから御守衆としての望月さんにも関わらせてもらえないかな?」

 

 光姫さんから聞かされた彼女の過去と怨面の秘密。

 安さんから聞かされて、頼まれた彼女を取り巻く人々の思い。

 何よりもボク自身の望月沙夜というクラスメートへの明確に言葉には出来ないが何か力になってあげたいと言う想いからでた我儘をボクは彼女に伝えた。

 

「見届けたいんだ。御守衆の時の望月さんのことも忘れない自分だからこそ……みんなのために頑張ってる君をちゃんと覚えて、できたら力になりたい」

 

 湧き出る泉のように気持ちだけが先走る熱情をなんとか言葉にして彼女に話してみたが返答はない。心苦しい沈黙が続くけど、ボクは負けずに彼女を見た。前髪に隠れた彼女の眼と視線を合わせるつもりで。

 

「……なまえ」

「え?」

「名前で呼んでくれるのなら、その、いいですよ」

 

 夕焼け空に吹く風で消えそうな小さな声で彼女はボクの我儘への返事をくれた。

 

「私は君のこと名前で呼んでいるのに、永春くんは私のことずっと名字でしか呼んでくれないのは他人行儀でなんだか落ち着きませんので。それが条件です」

 

 前髪、風に浮いて――嬉しさと躊躇いが混ざったような紫色をした瞳がボクのことを見ていた。真っ直ぐに、真っ直ぐに見ていてくれた。

 

「えっと……本当にそんな条件で良いの? もち……じゃない。さ……さー」

 

 なんだろう。意識したら急に舌が上手く回らないと言うか緊張して言い淀んでしまうと言うか……知り合った頃から名字も合わせて綺麗な名前だなってずっと思っていて、声に出して呼んでみたいって密かに思っていたはずなのに口元が強張ってしまう。

 こんな時ばかり、彼女の視線を強く感じる。

 沢山の穢れや醜い怪物たちを多く見ながら、輝き決して濁らない澄んだ瞳がじっと自分を見つめているのが分かってしまう。嬉しいけど、恥ずかしい。だけど、ここで気合なり勇気なり、男気ってものを見せなければ変えたい何かも変えられない。

 

「これからもお願いします……さ、沙夜さん」

「……こちらこそ、頼りない不束者ですがお願いします。永春くん」

 

 まだ少し冷たい爽やかな風の中で沙夜さんははにかんだように微笑んでいた。

 この名前呼びがボクと彼女は対等の協力者だという印であるのだとしたら、こんなに嬉しいことはないと思う。

 今日ボクは踏み込んでいいのかまだ正解も分からない領域に一歩足を踏み込んだ。そうしたことで自分の知らない世界に触れた。何よりもみんなを守るために何時だって頑張っている沙夜さんのカッコいいだけじゃない色々な一面も。

 だからこそ、日々を何となく生きていたボクは願うんだ。

強くて、弱い彼女の戦いの日々に少しでも力を貸してあげたいと――ボク自身の願いとして。

 

 



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第四幕 甘楽

 やあやあ、お手前さま。

 相変わらず、ご機嫌ようございますかな?

茶菓子の一つ、酒の一献でも用意できればこれ幸いなのでしょうがなんせ吾はしがないお面でございますので他愛のない世間話だけで何卒どうかご容赦を。

 さて、吾がお気に入りの住処に見定めた件の童女なのですがねえ年がら年中カビの生えた饅頭のような湿気た心意気であくせくと化け物退治を繰り返していたと思っていたのでございますが最近はどうも様子がおかしい。

 出逢った頃のように腹の底から笑うことがまた増えてきたようでして、面白おかしく眺めているのでございます。

 切っ掛けはどうやら近頃になって昵懇になってきたどこか妙な匂いのする坊主のようでして、いやはや人間の人生と言うのは何が起こるのか中々見当が付かないもので愉快ですなあ。

 

とある日の、とある町でのちょっとした出来事さ。

 なんてことのない皐月の休日の場景。たまにはこんな幕間も一興ってねえ。

 

 

 

 

 世間が五月の大型連休に賑わうそんなある日の夕暮れ刻。

 六角モータースも既に閉店となり安や杉たち平装士四人組も帰宅して静まり返った工場内で沙夜は一人で黙々と御伽装士としての鍛錬中だった。

 天上から吊るした頑丈な鎖を沙夜は古タイヤを背負った状態で両腕の力だけで綱登りしていく。 命綱は付けているが全身にかかる負荷は言うまでもない。大粒の汗を流しながら繰り返すこと十回。それを三分間の休憩を挟みながら三セット。御伽装士として並みの女子高生離れした身体能力を持っている彼女でもかなりハードな内容だ。

 

「ハッ、ハッ……よし、次ですね」

 

 しかし、沙夜はそれが終わると両腕や指が悲鳴を上げているのも何のそのと、次の鍛錬へと移る。両手首に重りを巻きつけるとサンドバックを相手に一心不乱に拳打を打ち込んでいく。夜の帳が下りた工場内に重く小気味の良い打撃音が響き続ける。

 

(先の戦い……無双籠手に私はまだまだ振り回されていた。もっと使いこなせるようにしないと)

 

 御伽装士にとって、戦いの終わりは次の戦いの始まりの合図だ。

 備えあれば憂いなしとはよく言ったもので特に生真面目な彼女は戦いの中で反省点や課題を見つければこうして欠かさず重点的に鍛錬を重ねて出来る限り未熟な自分の不足を補うように努めていた。

 

(町のみんなを守るために)

 

 腕の筋肉が悲鳴を上げている。骨も軋んでいるようだ。

 でも、ここが頑張りどころだと拳を振り抜く。

 

(みんなの平和な毎日を守るために)

 

 足捌きも意識して、機敏に動かすのを忘れない。

 踏み込みを力強く。重りに縛られていても縺れることのないように。

 

(大切な人たちを守れるように)

 

 予めセットしておいたタイマーが時間一杯になって鳴り響き、最後に沙夜は残心の意味も持たせてサンドバックを全力で殴り打ち止めとした。

 

「ハァ、ハァ……ハァ、ッ……もうひと頑張り、いきましょう」

 

 サンドバックに汗だくの全身をもたれるように預けて荒い呼吸を整える。

 艶のある黒髪もしっとりと濡れて、トレーニングウェアも絞れるぐらいに汗を吸って不快な肌触りだ。しかし、ここで呑気に小休止を入れたら夜風にも吹かれてせっかく温まっている身体が冷えてしまう。

 普通の女子高生なら夜も眠らず遊び倒しても不思議ではないGWの真っ只中に何をやっているんだろうと言う自嘲の笑みも見せながら、沙夜は仕上げとばかりに最後の鍛錬へと移る。

 

「中さんには本当にいい物を作ってもらいました。こればかりはスポーツショップじゃ売っていませんからね」

 

 そう言って沙夜は工場内の片隅にしまってある長大な金属の塊を手にした。

 それは鉄パイプと金属板を大鎌に見立ててL字型に溶接したものだ。

 これは流石に建物の中では振り回せないので沙夜は模造鎌を携えて外に出ると精神を集中させて疲れた体にいま一度力を込めると演武のような素振りを始める。2cmはある金属板が薄闇を裂いて、風を逆巻かせる。

 

「これで……お終い!」

 

 ひとしきり型や斬撃の種類をおさらいして、鍛錬の総締めと渾身の横薙ぎを決めると沙夜の周囲には一片に静寂が訪れた。呼吸を整えて、誰にでも無く一礼をすると沙夜は手早く後片付けをして母屋へと戻っていく。実のところ、彼女にとって本日本当の戦いはこれから始まるようなものなのだから。

 

 

 

 

 六角家の一部屋をお借りしている私の自室。

 いつもと変わらない飾り気のない部屋で私はかれこれ30分近く、勝ち筋?正解の見えない苦しい戦いを強いられていた。

 

「はくしゅん」

 

 寒気を感じて思わずくしゃみがでる。

 無理もない、いまの私は下着姿のままなのだから。

 姿見の向こうには黒地に桜の花びらの刺繍が入ったブラとショーツ姿の自分が思いつめた顔で映っている。

 

 五月と言ってもまだ夜は肌寒い。

 お風呂に入って身体も火照っているからしばらくはいいだろうと思っていたけど、あっという間にそのしばらく程度の時間が過ぎてしまっていたのだろう。

 そろそろパジャマを着ないと湯冷めしてしまうかもしれない。けれど、ベッドに広げた数種類の服を見るとまた自問自答が始まってしまう。

 

 明日のお出かけ、何を着ていけばいいんだろうと。

 そう、このままいくと今年のGWで唯一のプライベートな一日になるだろう彼との買い物。彼――永春くんと二人でこの間の戦いで私の血でダメにしてしまった彼のハンカチの代わりを買いにいくという名目のお出かけ。

 連休に入る前の学校で私の方からハンカチの弁償がしたいと申し出たら、最初は必要ないと断る彼とそういうわけにはいかないと食い下がる私で譲らずにいて。

 どういうわけか気付いたら一緒に街に出掛けて買いに行くことになっていた。たぶん、そう提案したのは永春くんの方だったと思う。

 

「はぁ……一人なら学校の制服でいいのになぁ」

 

 ――思わず溜息。

 我ながら現役の女子高生として由々しき言葉が無意識に出てしまい、更に気落ちしてしまう。元々、私服の数なんて悩むほど持ち合わせていないのに何を着ていけばいいのかでずっと洋服相手に睨めっこを続けている。

 

「変な格好で行って彼に迷惑かけたくないし、センスが無いって思われるのもそれはそれで嫌だなぁ」

「うぃーす! 邪魔するよぉ」

「ひゃあああ!?」

 

 あれこれ考えて、考えて――悶々と迷いながら指先が服の一つに伸びたところで部屋のドアが急に開いて光姫さんが不躾に乗り込んできた。ノックもせずに、この人は本当に。

 

「なにやってんだいアンタ? さては露出趣味への目覚め?」

「明日着ていく服をどれにするか選んでたんですよ! ノックしてくださいっていつも言ってるじゃないですか」

「アタシとアンタの仲じゃないかよ。気にすんなって大きくなれないよ? って、もう色々とデッカいかアンタは! うわっはっはっは!」

 

 反省するどころか、先輩――旦那さんの前じゃ絶対にしない居酒屋さんにいる酔ったおじさんみたいな高笑いと共に光姫さんは人のお尻をスイカでも叩くかのようにパシャリと一撫でしてきた。 今更この人の、この手の過剰なスキンシップについて狼狽えることはないけど、色んな気持ちで身体の奥から熱が戻ってくる。

 上司で、御守衆に入った頃からの保護者兼姉代わりという間柄でなかったらいつか思いっきり懲らしめてやりたいところです。万が一にも自分が大人になってもこんな風にはなるまいと心に決意する。

 

「それで何かご用ですか? わざわざ冷やかしにきたわけじゃないですよね?」

「おお、そうだった。ほれ、明日の小遣い。アンタが男友達と出歩くなんて宝くじで大当たりするぐらいレアだろうからね。美味いもんでも食べてきな……考えてみりゃ、中学の三年間も去年も稽古か化神退治で丸潰れだったんだ。一日と言わずに夜通し遊び歩いて来てもいいんだぜ?」

「……は、はあ。ありがとうございます」

 

 カラカラと陽気な笑顔でさりげなく渡された小さな封筒を遠慮しつつも受け取った。

 それから彼女は色々と気持ちの整理が付かなくて釈然としてない私にお構いなしに勝手にベッドに広げた洋服を手に取ると人のことを着せ替え人形のようにして遊びつつ、ちゃっかりコーディネートまで整えてくれた。

 自由気ままに振舞いつつ、こんな風に気遣いを見せてくれる。いつもこんなだから光姫さんはズルいと思う。

 

「そーいえばさ……あの坊や、常若って名字だったよね?」

「ええ。それがどうかしましたか」

「多分だけど、あの子の両親亡くなってるからうっかり家族の話題とかするんじゃないよってまあ、忠告さ」

 

 あまりにも突然の話題に思わず私の頭は真っ白になった。

 確かに昔ながらの下宿屋さんで一人暮らしをしているようだったけど、振り返ってみると永春くんとの会話でご家族の話が出たことはなかった気がする。

 

「沙夜はまだこの町に赴任してくる前だったから知らないだろうけど、地元じゃそこそこ大騒ぎになってね。前を走っていたトラックの積んでいた資材が業者のミスでちゃんと固定されていなくて崩れ落ちたって話でさ……ご遺体は酷い有様だったそうだよ?」

「知りませんでした。それに永春くんも学校じゃそんな素振り全くでしたし……あの、もしかして化神の仕業ということは?」

「アタシらもそう思って調べてみたけど、本当にただの不幸な交通事故のようでね。そうかい……子供なりに踏ん切りつけて受け入れたんだろうさね。噂じゃ坊やも同乗していたらしいけど、後部座席だったのが幸いだったのか奇跡的に軽傷で済んだそうだよ」

「……そうでしたか」

 

 普段学校ではにこやかにしていることが多いだけに永春くんの家庭にある痛ましい陰を知って私はすぐには言葉が出なかった。

 

「ま、この情報を活かすも殺すもアンタ次第ってこったね」

「なんですかそれ?」

「野郎ってのは何だかんだで女に甘えたい生き物なんだよ。後はほれ、わかんだろ?」

「わかりたくないです。たぶん、光姫さんの言わんとしていることは年齢指定のありそうなものだと思うので」

「あと……おめかしする気でいるなら、たまにはその前髪梳くなり、ヘアピンで留めるなりしたらどうよ? というかなんでアンタそんな前髪伸ばすようになったの?」

「いいじゃないですか。個人的な好みの問題です」

 

 流石にいくら光姫さんが相手でも他人と目を合わせるのが億劫だから伸ばし始めたとは言うのが躊躇われる。

 

「そりゃそうだ。うわっははは! そんじゃアタシは旦那(みーくん)とリモートして寝っから! 夫婦の蜜月を邪魔すんなよーおやすみ!」

 

 私には夜眠れなくなるような衝撃的な情報を巻き散らすだけ巻き散らして、光姫さんは嵐のように去って行ってしまった。明日着ていく服装も決まってしまった私はすごすごとパジャマに袖を通すと特にやることもなくなってしまったので寝る支度を早々に終わらせるとベッドに入った。

 

「……そういえば私、永春くんのこと知らないことだらけなんだ」

 

 あんなことを聞いてしまってすんなり眠れるわけもなくベッドの中で何度も寝返りを打ちながら、永春くんのことを考えてしまう。

 本人は普通の男子と謙遜するけど、眩しい彼のこと。勇気があって、真心があって、ふとした時に可愛さすら見せる彼。

 でも、私はそんな彼のことをもしかしたらまるで解っていないのかもしれない。表と裏のどちらの私のことも忘れることのない彼が近くにいてくれることが嬉しくて、私は私のことを知ってもらおうとするばかりだった気がする。

 永春くんは私が尋ねれば彼自身のことを教えてくれるだろうか?

 

「……なに考えてるんだろう。高望みしすぎですよ」

 

 明日のお出かけに浮かれて身に余る欲を出している自分を嗜めて、私は静かに瞼を閉じた。眠れないにしろ、身体を休めておかないと折角の休日を台無しにしてしまう。

 答えの見えない問題を一先ず頭の隅に押し込んで気持ちを楽にするとなんてこともなく、私はあっさりと意識を手放して深い眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 休日の地下鉄の入り口前の周辺は朝早くから多くの人の波が出来ていた。

 天気は絶好の晴れ。日差しの割に空気はひんやりとしていて、風はやや強めかな。歩きまわるにはこれぐらいが丁度いい。

 

「これってデートになるのか? いやいやいや、そもそも友達にもなりたてだし、そういう勘違いはしないに限るでしょ」

 

 男女二人で休日に外へ出掛けるというイベントに適切な名前を付けるとしたらやはりこの三文字が連想させるけど、自分と彼女の少し数奇な関係を思い出して煩悩を振り払う。

 

「……この格好、変じゃないよな」

 

 向かいのコンビニのガラスに映った自分の姿を見つけて適当に身だしなみを再確認。着慣れた赤のチェックシャツとパーカーの組み合わせにジーンズ。絶望的にダサいことはないと思う。

 行きつけの床屋の雑誌にあったものを真似たよくある男子高校生の私服姿。もちろん値段もリーズナブル。

 

「もしかして、ボクより早く来て駅の中にいるとかはないよね?」

 

 スマホの時計を確認すると待ち合わせまでまだ十五分近くある。早過ぎず、遅過ぎずを意識したらこの時間になったけどそれでもまだ早すぎたかと思っていたら人混みの中に見覚えのあるスラリとした長身を見つけた。

 

「おはようございます。すみませんお待たせしてしまって」

「ボクもちょっと前に来たところだから気にしないでよ、も――う少しゆっくりでも良かったよ沙夜さん」

 

 ボクを見つけて彼女は小走りであっという間に目の前に。

 かつての習慣で思わず前のように呼びかけて、ふと視線の先の彼女の顔が不満げにむくれかけているのに気が付いて平静を装って言い直す。

 

「いえ、実と言うと今日がすごく待ち遠しくて……私はもっと早く出て待っていようかと思ったんですが光姫さんに重い女みたいだからやめろと止められてしまいまして」

「考えるのは一緒だね。ボクも似たようなことを言われてきたよ」

 

 二人で苦笑いを浮かべあってボクたちは早速地下鉄に乗って八駅先にある大きなショッピングモールへと向かった。

 

「沙夜さんの私服って初めて見たけど似合ってるよ。なんて言うかその、美人さんですね」

「ひゃい? そ、そうでしょうか……動きやすさで選んでいるせいでこんな服しか持っていなくて、その……ありがとうございます」

 

 微かに揺れる車両の中でまじまじと見つめる時間が出来たことで彼女の私服姿に思わず胸の鼓動が速くなってしまう。

 モダンなハトメデザインの黒のロングベストと白のブラウスにラップ風のテーパードパンツ。可愛いと言うよりも綺麗と言う感想が先に出る長身でスタイルの良い沙夜さんにとてもピッタリだ。

 相変わらず目元はきめ細かな艶髪で隠れているが照れて口元を緩ませる仕草が何とも言えないギャップになっていて男子の単純な情緒に効果抜群だ。

 今日一日が楽しくなることを願おう。

 いいや、彼女に目一杯楽しんでもらえるように頑張るのがボクに課せられた使命だ。

 

 

 

 

「お買い上げありがとうございました」

 

 女性店員さんのハイトーンな声に見送られて、ボクと沙夜さんは安くて有名な某衣料品店を出る。

 目的地の大型ショッピングモールに来て早々に仮初の目的であるハンカチを購入したボクはちらりと彼女の顔色を窺うと予想通りあまりにも早く買い物が終わってしまったことにどこか不安そうな顔をしていた。

 

「あの、永春くんこんなにあっさり買ってしまって良かったんですか? 他にも色々とありましたけど」

「前使ってたのと同じのが丁度あったからね。それよりもこうしてありがたく沙夜さんにハンカチの代えをプレゼントしてもらえて目的も終わったことだし」

「……も、もう帰りますか?」

「まさか! ここからは思う存分二人で遊ぶよ」

 

 真面目な沙夜さんは買い物が終わったので早々にお開きになると思っていたのかしゅんとした寂しげな顔をしていたけど、ボクの二言目の言葉を聞いて何時ぞやのファミレスの時のように歓喜の雷に打たれたような顔をしていた。

 

「いいのですか? 私なんかと一緒だと不自由な思いをさせてしまうかも……」

「沙夜さん……言っとくけど、ボクは今日という日を丸々一日休みにするために昨日までバイト死ぬほどやってきたんだから、ちょっと強引かもだけど付き合いしてもらうよ。というか女子と休みに遊べるとかそれだけで男子にはご褒美なんだから、もっと強気でいってみよう」

「は、はい! し、真剣遊戯というやつですね……分かりました。謹んでお相手させていただきます」

 

 最初は気後れ気味だった彼女だけどボクが多少ノリ任せで発破を掛けたらやる気になってくれたみたいだ。前髪からチラリと見える左目がやる気で燃えているようだ。

 ちょっとなに言っているのか分からない言葉もあるけどこの様子なら自然体で休みを満喫できそうなのかな?

 

「沙夜さんはどこか行きたいお店とかある?」

「恥ずかしながらここまで大きなお店は初体験でどこがなにやらと言った感じです」

「よし、それじゃあ時間もあるし気になるお店全部回っちゃおうか?」

「……お願いしますっ」

「任された。はぐれないように気を――」

 

 気合を入れて彼女をエスコートしようと意気込んだところでボクは不意にこういう時って手とか繋いだ方が良いんだろうかと不甲斐なく野暮なことで逡巡してしまった。いやでも別にそういう関係じゃないし、意識高すぎるだろう身の程を弁えろよ……等々と思いを巡らせていた時だった。

 音もなく静かに、おどおどした所作で沙夜さんの方からボクの片腕にひしっと腕を組ませてきたのだ。今度はボクに電流が走る。

 

「あの、沙夜さん? これは一体?」

「えっと、ですね。こんなにも広くて人も大勢いるとうっかりはぐれたら迷子になってしまいそうで……永春くんが嫌でなかったらくっつかせてもらっていてもいいでしょうか?」

「ボクの腕で良かったらいくらでもOKだよ。ゆっくりいくから安心してよ、沙夜さん」

 

 猫のように背中を丸めて、不安と照れ臭さで顔を紅く染めて彼女はそんなことを言ってくる。  

 ちょっとコレは反則じゃないかな?と嬉しさで叫びたくなるのを我慢してボクは出来るだけ落ち着いた声を出す。それでもちょっと上擦ったけど。

 こうしてボクはボクで心臓をバクバクさせながら、少しへっぴり腰の沙夜さんと一緒にモール内のお店巡りに繰り出すことになった。

 

「おおー……高いところから見ると本当に広いですね。何日か住めそうです」

「確かアウトドアの専門店もあったし、テントも品物で展示されていたから本当に一週間ぐらいは住めるかもね」

「すごいですね。言葉がすごいしか出てきません」

「通路の合間に椅子の置いてある休憩スペースなんかもあるから疲れたら教えてね」

「お気遣いありがとうございます。けど、そっちは大丈夫だと思います」

「え、本当?」

「はい。永春くんの腕がとても安心できるので頑張ってたくさん回りましょう」

「う、うん。そう……だね」

 

 小さく笑みを浮かべて沙夜さんはボクの腕に絡ませた腕の力をまるで全身を預けるようにちょっと強めた。具体的には言わないけどボクの右腕はきっと、いま世界で一番幸せな感触を味わっていると思う。

 前から少し思っていたけど、沙夜さんは基本的に自分のスタイルに無自覚なのは本当にちょっと罪だと思うんだ。そんなやり取りを交えながらボクたちは面白おかしくモール内を散策していった。

 

 服飾雑貨の専門店の数々を始めとして、書店や海外のアンティークショップのような変わり種のようなお店などをのんびりと見て回っているとふとモール内で営業しているゲームセンターで沙夜さんの足が止まった。

 

「ショッピングモールの中にゲームセンターが丸ごと入っているんですね」

「大概はゲームコーナーみたいなもう少しこじんまりとしたものだけど、ここはそうだね。入ってみる?」

「是非。お願いします」

 

 期待に胸を膨らませている沙夜さんを微笑ましく思いつつ、考えてみると自分も最近はこの手のゲーセンには立ち寄らなくなったことを思い出して、つられて心が躍る。

 店の中に入ると賑やかなBGMと設置された色んなゲームの筐体から流れるSEがセッションを騒々しいまでに奏でていた。

 

「沙夜さん平気? 音、かなり響いてるけど」

「はい! 最初は音圧に驚きましたけど、なるほど……これはどれも楽しそうです」

 

 感嘆の息を漏らして固まってしまった様子の彼女が気になって声を掛けてみる。流石に行き慣れていない人にはこの大音響は苦痛になるかもしれないし。すると彼女は予想外にもキラキラした笑顔を見せてきてくれた。

 

「もしかして、結構ゲーム好きなの? 意外と隠れゲーマーだったり?」

「そこまでのめり込んではいませんけど、光姫さんが買ってきたものをほどほどに一緒になって遊ぶぐらいで」

 

 遠慮がちにそう言う彼女だったけど、ボクがどれか適当にやってみたらと言うと迷わず格ゲーの筐体が並ぶエリアへ向かうとラインナップを一瞥してから、あるゲーム台に座った。

 

「キルティキラ……結構渋いのを選んだね」

「そ、そうですかっ? 光姫さんや安さんたちと遊ぶ機会が一番多いのがこれだったので」

 

 照れ笑いを見せながら彼女はサクサクとプレイするキャラを選択して(やはりというか鎖鎌使いのキャラクターだった)スタートさせる。

 最初はアーケードスティックの操作に不慣れな様子だったけど、何となく予感がしたように沙夜さんは一度コツを掴むと見た目から想像できないぐらいにゲームが上手かった。相手がCPとは言え、流れるような鮮やかなコンボを繋ぎ、きっちり必殺技でトドメを刺すと言う魅せる戦い方をしている。

 

「……沙夜さん、さてはこのゲームやり込んでるよね?」

「くす。ご想像にお任せします」

「ねえ、ちょっと対戦してもいい?」

「いいですよ。どうかお手柔らかに」

 

 彼女の意外すぎる姿を見て闘志を掻き立てられてしまったボクは彼女の筐体の対面に座るとコインを入れた。

 このゲームはよく西条の家で移植版をよく遊んでいた。多少のブランクはあるけどゲーセンの先住民として負けてあげるつもりはないと息巻いてみたけど、その……勝敗はご想像にお任せします。

 それからクレーンゲームに挑戦して二人仲良く惨敗したりなんかして沙夜さんは人生初のゲーセンを楽しんでくれたようだった。余談だけど、流石にプリクラには挑めなかったよ。

 

 

 

 

 ゲーセンを後にしてモール内のお洒落なカフェレストランで昼食を済ますことになったボクたちだったけど、道中で少し気になる物を見つけたボクは少し追加の寄り道をさせてもらってからお客さんで盛況な賑わいを見せる店内のテーブルの一つでSNSで美味しいと話題のミラノサンドを注文した。

 

「永春くん、さっきは本屋さんで何を買っていたんですか? 品物は受け取ってないみたいですけど」

「絵本のセットをね、来週に甥っ子の誕生日だから発送サービスで頼んできたんだよ。ごめんね、お昼少し遅くなっちゃって。直接だと兄ちゃんが高校生のくせに変な気を使うなって受け取らないからちょっと強引にだけどね」

「……お兄さんはお元気なんですね」

 

 兄ちゃんの話題を出したところ沙夜さんが何となく動揺したのが見て取れた。多分だけど、どこからかボクの家族のことを聞いたんだろうなと思った。別に隠しているつもりもなかったし、西条や井上、巴さんも知っていることだから詮索するつもりはないけどそれで気持ちに暗い陰を落としてもらいたくないのでボクは笑顔多めで言葉を繋ぐことにした。

 

「中学の時に両親亡くしてさ、しんどい時に兄ちゃんに随分と助けてもらったから弟としては背伸びしてでも何かしてあげたくてさ。もう引きずったりとかはしてないから沙夜さんも気にないでよ」

「……やっぱり、永春くんは強い人ですね。その、戦う術がどうとか、というわけじゃなくて、しっかり者さんです。私よりもずっと」

 

 沙夜さんの声はすごく優しかった。気を遣うとか、腫れものに触れてしまわないようにする遠慮みたいなものじゃなくて、険しい山道を隣でさり気なく一緒に歩いてくれている様な自然に寄り添ってくれるような優しい声だった。

 

「大変な目にも遭ったけど、その分ボクは周りの人に恵まれていたから。いま住まわせてもらっている下宿も今時考えられないぐらいアットホームと言うかさ」

 

 一緒に頼んだカフェオレを一口飲んで喉を湿らせてからボクはとても出会いに恵まれていると思ういまの生活を思う。

 

「朝起きて。一緒にご飯を食べる相手がいて、毎日ただいまって言う相手もおかえりなさいって言ってくれる人もいるんだ。十分過ぎるよ……それにこうして沙夜さんとも知り合えて友達にもなれたしね」

「いえ、私なんて別に……」

「ボクにとっては命の恩人みたいなものなんだから、そこはもっと胸を張って欲しいな」

「……私はまだまだ、ですので。けど、ありがとうございます」

 

 ボクの言葉に沙夜さんは恐縮してか少し震えた小さな声で答えた。けど、前髪の一房をぎこちなく弄って、露わになった左の綺麗な紫瞳で真っ直ぐにボクを見てくれていた。それだけで身体が熱くなるぐらい無性に嬉しく思えた。

 少し、ボクのことを話し過ぎてしまったかもしれない。あまり楽しい話じゃないと思うから退屈させていないといいんだけど。

 

「ところでこの後どうしよう? モールの中のお店はまだ見ていないところ結構あるけど、残りは食品売り場とか薬局だったり、かなり家庭的なのばかりなんだけど」

「あの、永春くん……窓の外から見えるアレってなんでしょう?」

「え……ああ、アレか。食後の運動にちょっと行ってみる? 意外と楽しいかもしれないよ」

 

 昼食を終えて、午後の予定を相談しようとした時だった。

 沙夜さんは外にある何かを不思議そうに見つめて、ボクに聞いてきた。成程、特殊な環境で生活していたとか関係なく部活もしていない女子にはあそこは珍しいかもしれないと思い、ボクは彼女をそこへと連れて行ってみることにした。

 

 

 

 

 ショッピングモールのすぐそばで営業しているバッティングセンターはGW中ということもあって盛況だったけど、幸いにもすぐにレーンに案内してもらえた。ファミレスや大型商業施設以上に縁遠い場所に沙夜さんは好奇の目で周りをキョロキョロと見渡している。

 

「ここは野球の修練場のようなところですか?」

「半分ぐらいは正解かな。ボールを思いっきり打つと案外気持ち良くてさ! ゲーセンにあったパンチングマシーンとかそういう系列の遊びだよね」

「なるほど……」

「とりあえず、打ってみるから見ててよ」

 

 簡単にバッティングセンターの概要を説明してみたけど、沙夜さんはまだあまりぱっとしていない様子だった。因みに野球の知識を聞いたところベースを一周回ったら1点入るのは知っているぐらいのレベルだったので格ゲーとは違って正真正銘のビギナーさんだ。

 

「なんて言ってみたけど、ボクも来るの久しぶりだからな。こんなもんで、よし!」

 

 ピッチングマシンを初心者向けに設定するとバッターボックスに立つ。

 これで空振りは恥ずかしいから、ここは何としてでもバットに当てたいところだ。

 液晶画面にピッチャーが投げるモーションが映し出されて球が撃ち出される。

 

「……シャッ!」

「おぉー、お見事です!!」

 

 軽やかな金属音が響いて球は無事に大きな弧を描いてネットへと飛んで行った。この感じだろうと2ベースヒットはいけただろうか? そして、少し離れたところで見学していた沙夜さんからの歓声も聞こえてくる。

 

「お上手ですね永春くん! 野球やられていたんですか?」

「兄ちゃんがやってた流れでちょっとだけね。あとはまあ友達と遊び程度に。部活自体はすぐにバスケに鞍替えしたけど」

「そうだったんですか。でもとてもそうは見えない体捌きでしたよ」

「ありがと。とりあえず流れはこんな感じかな? 球種はストレートで遅めに変えておいたから、沙夜さんもやってごらんよ」

「は、はい! やってやります!!」

「あはは……そんなに気負わなくていいからね」

 

 まるでこれから化神退治とばかりに気合を燃やしてバットを携える彼女をリラックスさせながらボクはネットを挟んで彼女のすぐ後ろで見守ることにした。

 初めての体験だから無理はないけどヘルメットを被り慣れてない感じもまた初々しくて可愛いと思ってしまう。

 さて、お手並み拝見と言ったところだけど、御伽装士としてあんなに動ける彼女のことだから内心奇跡を期待しているボクがいた。

 

「――やぁあああ!!」

 

 マシンから白球が投げられるとグラウンドには彼女の勇ましい声が響いた。

 隣で打っていた家族連れなんかは沙夜さんの見た目からは想像も出来ない気迫にビクッと総立ちで驚いている。けど、ボールは後ろのネットを揺らし、沙夜さんは盛大に空振りしてしまっていた。

 

「ドンマイ沙夜さん。初めてなんだからしょうがないよ……落ち着いて、まずはバットを当てることを意識してみて」

「やってみます!」

 

 ボクのアドバイスに強く頷いて構える彼女だったけど、その後も残念ながら空振りを連発。あっという間に三振の初体験を迎えてしまった。三球目なんて力が入りすぎて空振りした後にちょっとふらついてしまっていた。

 隣のレーンのちびっ子兄弟に見かけ倒しと舐められて軽く野次を飛ばされてしまう有様だ。真一文字に唇を結んだ険しい様子でジッとバットを見つめている様子は鬼気迫るものを感じてしまう。

 

「沙夜さんそんなに思い詰めないでいいからね。スローボールって子供でも打てる球種に変えてあげるからちょっと待って」

「むう……いえ、このままで。こうなったら私も奥の手を使います」

「え?」

「ちょっと預かっていて下さい」

 

 前半をせっかく楽しく過ごせたのに、このままだと台無しになってしまうと思って設定を変えようとすると氷のように冷たく静かな声色で沙夜さんが待ったをかけた。

 ロングベストを脱いで、ブラウスの腕をまくり明らかに本気の顔になった沙夜さんは金属バットをグルグルと振り回して手に馴染ませるとバントかバスターを狙うような不思議な持ち方で構えた。

 それは間違いなく、ビャクアとして大鎌を振るう時の構えのそれだった。もしかして、沙夜さんって結構負けず嫌いなのかな。

 

「いざ。いざ。いざ……!」

 

 小声だったけど、確かにその言葉をボクは聞いた。

 あまりの気迫にボクの血の気が少し引いたのと同時に投げ出された白球は真っ二つになっていないのが不思議なぐらいの勢いで一薙ぎされて見事に打ち返されていた。

 

「やったよ沙夜さん!ナイスヒット!!」

「……っ」

「あ、あれ?」

 

 ボクだけじゃなくて、隣のご一家も割れんばかりの歓声を送るが何故か彼女はガックリと肩を落として、俯いたままフラフラとボクのところに近付いてきた。なにやら困り果てた様子に見える。

 

「ど、どうしたの?」

「……あのぅ、ちゃんとした打ち方を教えてもらってもいいですか? いまのは試合に勝って勝負に負けたような、いくらなんでもズルをしたような気がして」

「あ、そういう。いいよ、かしこまです」

 

 打てない悔しさについムキになり御伽装士としての技を使ってしまったことに彼女はかなり自己嫌悪を感じてしまっていたようで、今にも泣き出しそうな狼狽した声でぼそりとボクにお願いしてきた。沙夜さんのこういう真摯なところすごく好きです。

 

「じゃあ、構えてみて……うん、そう。肩の力は抜く感じで」

「えっと、こうですか?」

「そうそう。で、もう少しアゴを引いて……脇を軽くしめる感じかな? 両手で刀握る感じ」

「あ、その例えはイメージしやすくて助かります」

 

 というわけでバッターボックスに二人で立ってボクは文字通り手取り足取りで沙夜さんに基礎の基礎から打ち方を教えているわけだけど、うん……いまのボクと彼女、すごく密着している。なんか当たり前みたいに彼女の体や手とか触っちゃっているし、どうしよう――ボクの鋼の自制心はあっさりとアルミ並みの耐久度にダダ下がりしていると思う。

 

「……これはぁ、やばいって」

「え? 何か間違ってますか!?」

「いぇえっ! いい感じだよ! うん。うん、いい感じ」

 

 服越しとはいえ彼女の体温とかすごく間近で伝わるし、一番ドキドキさせられるのが視線だ。ボクと沙夜さんの身長差は2、3cmぐらいしかないからこんなにも近距離で視線が合うとあの水晶みたいに澄んだ隠れた瞳に吸い込まれるような錯覚を感じてしまう。

 こうして、どうにかこうにか思春期の気まぐれで突発的な煩悩との戦いも並行しながら、バッティングの基礎を彼女に伝授したボクはドッと体力を削りながら後退すると彼女の再挑戦を見守ることにした。

 

「沙夜さんファイトー!」

「はい! いきます!」

 

 そういって構える彼女の姿勢は最初の頃より見違えるぐらいずっと良くなっている。そして、運命の一球が投げ込まれると次の瞬間には気持ちのいい金属音が響いてネットの高い位置が大きく揺れた。

 

「やったぁ……打てましたよ永春くん!!」

「おめでとう沙夜さーん!!」

 

 初めてちゃんとボールを打てたことに沙夜さんは無邪気に飛び跳ねて喜んでいた。

 ネットに負けないぐらいに彼女も揺れる。そう、色々と奔放に大きく揺れていた。

 やったぜニュートン!じゃなくて、ごめんなさい。

 どうもボクの残念な思考回路はまだ冷却が終わっていないようだ。紳士に、紳士にいかなきゃ。

 

 それから一度コツを掴んだ沙夜さんは持ち前のポテンシャルの高さを遺憾なく発揮してホームラン級のヒットを連発して、ボクも一緒になり初めてのバッティングセンターをとても満喫してもらえたようだった。

 楽しい時間はあっという間に過ぎていくもので帰りの地下鉄に乗り込んでいた頃にはあたりはすっかり暗くなっていた。

 朝の時は正直なところ彼女に喜んでもらえるか、素直に楽しんでもらえるのか不安もあったけどこうして一日が終わってみると沙夜さんの笑顔を沢山見せてもらった一日だった。それからボクも彼女のお陰でたくさん笑えた。

 

 

 

 

「今日はありがとうございました。永春くんのおかげで素敵なお休みを過ごせました」

「ボクの方こそ、最高のGWだったよ。果報者すぎてこわいぐらい」

 

 地下鉄を降りてボクたちはギリギリまで同じ帰路を使って、別れることになった。

 何度も嬉しさを噛みしめながらお辞儀する彼女の腕にはホームラン連発の得点で手に入れた青いドラゴンのマスコットぬいぐるみが抱えられている。

 

「今日だけじゃなくて、いつもお世話になってばかりで……永春くんと出会えて本当に嬉しく思っています」

「そ、そんなに言われると恐縮過ぎちゃうよ」

「本当ですよ。御伽装士になってから、こういう人並みの休日は諦めというか見切りのような物をつけていたんですよ。でも、永春くんがこうしてまた楽しい思い出を私にプレゼントしてくれました」

 

 少し言葉に詰まりながら彼女はそんな感謝の気持ちを教えてくれた。

 ボク自身はそこまで大したことをしたつもりはなかったし、ボクの方こそ楽しい時間を過ごさせてもらったこともあって畏れ多いぐらいなのに。

 

「だから私、もっともっと頑張ります。表も裏も、どっちの私も」

「きっと出来るよ。ボクも手伝う……足引っ張らない程度にだけど」

「いえ、そんな。むしろ私の方こそご迷惑でないのなら……私のことを――」

 

 そう言いかけて、沙夜さんは黙ってしまった。

 代わりにさっと彼女の頬が赤くなって、言葉にならない声を漏らしたと思うとブンブント首を振り出す。

 

「あの、どうかしたの?」

「なんでもないです! 最後のは気にしないで下さい! で、では今日のところはこれで! おやすみなさい!!」

 

 少し取り乱しながら、沙夜さんは真面目に別れの挨拶を深いお辞儀と共に済ませると今日一日の疲れをまるで感じさせない軽やかな足取りであっという間に見えなくなってしまった。

 

「おやすみなさい、沙夜さん」

 

 もう彼女の耳には届かないと思いながらボクもその言葉を返すと下宿に向かって足を進めていく。今日は本当に楽しかった。色んな意味で心臓に悪い思いもしたけど、それも含めてとても大切な彼女との思い出だ。

 

「でも、久しぶりに家族のことを話したな」

 

 そんな中で一つだけ、喉に魚の骨が引っ掛かったような気持ちになることが本当に一つだけ。いまは亡き家族のこと、両親のこと――あの日の記憶が鮮明に蘇ってしまう。

 悲しみは乗り越えたと思っていた。驚愕も耐え抜いたと思っていた。だけど、いまでもたまに思う。あの日ボクの身に起きた全ての事柄は呆気ないほどに唐突で衝撃的でまだ悲しみも驚きも本当の意味で感じ切れていないのではないかと。

 

「沙夜さんには……沙夜さんにだけはいつかちゃんと話さないとだよな」

 

 一つだけ。本当に一つだけ、この世で誰にも話していない秘密を命の恩人に等しい彼女にだけは伝えなければいけないと強く心に誓う。そうしてボクはまた暗い夜道を今日という最高の日の思い出を反芻しながら歩いていく。

 

 

 

 

 永春と別れた沙夜はあるところを境に突然走り出すと人気のない廃工場へと向かい、そこで足を止めた。

 

「出てきたらどうですか? ずっと前からこちらも気配は察知しています」

『ほお……鼻が利くようだな。その様子だと腕にも覚えがあるのかな?』

 

 沙夜の冷たい呟きに応えるように倉庫の屋根の上に黒い靄が発生するとやがて人型の異形へと変貌していく。それはカマキリの面影を持つ化神バケトウロウであった。

 緑の巨躯にその腕は四本。通常の鎌腕とは別にショベルカーのアームのような機械腕まで生えている。

 

『俺と戦え、御伽装士』

「……最初から私狙いということですか?」

『そうだ。そも、お前たちの影に怯えながら願望を果たそうとする連中の方が腑抜けていると思わないか? 怨敵を平らげた後に人の世もその命も蹂躙すれば気兼ねないというものだ』

 

 武人か刺客のように静かに淡々と、しかし残虐な異形の性を隠そうともせずにバケトウロウは沙夜を挑発した。そんな相手に彼女は無言でブレスレットから待機状態の怨面を取り外す。

 

「オン・カルラ・カン・カンラ……白鴉の怨面よ、お目覚めよ」

 

 凛とした声に呼応して、白い面が大きくなる。

 心を強く律した沙夜が怨面を顔に纏うと服の下の白い肌に真紅の蛇紋様が浮き出て、神通力と苦痛を伴う怨念無念が注ぎ込まれていく。

 

「クゥ、ッァアア、ア……――変身!」

 

 負の情念も痛みも自らを苛む呪詛も悉く噛み殺して、叫ぶと闇夜に白い風が吹き彼女は超人へと変わる。

 

「我が名はビャクア! いざ、お覚悟を!」

『先手必勝だ。冥く愛しき暗天舞台よ、我が客を誘え――!!』

 

 雲薙ぎの大鎌を召喚して身構えたビャクアにバケトウロウはいきなり全身から黒い靄を大量に噴き出すとあの太陽亡き赤い空に覆われた異空間へと怨敵を引きずり込んだ。

 

「いきなりですか」

『卑怯とは言うまいな? お前を確実に仕留めるためにはあらゆる手を打つ。いくぞ!』

「望むところです。ヤァアアアア――!!」

 

 初手から相手の有利な空間へと連れてこられ不利な状況の中でもいまのビャクアは微塵も動じる気配もなく勇壮に大鎌を振り上げて化神を迎え撃った。

 バケトウロウの鎌腕と巨大な凶器染みた機械腕を相手にビャクアの操る大鎌は命を吹き込まれたような流麗な動きで激しい切り結びを演じる。

 

『ほお! 素晴らしいな、巨大な得物で俺の四つ腕によくもまあ食らいついていく!』

「腕だけでなく、口も回る化神ですね。熟練気取りで本性は自慢したがりですか?」

『……ほざいたな小むす、めぇッ!?』

 

 息つく暇もないバケトウロウの猛攻撃にあわや防戦一方と思われたビャクアだったが饒舌な化神の言葉を淡白に切り捨てると目にも止らぬ巧みな鎌使いで曲刃を煌めかせる。

 するとバケトウロウの自慢の鎌腕と機械腕のそれぞれ一本ずつがあっという間に輪切りとなってすっ飛んだ。

 

『まさかこれほどとは……油断したぞ!』

「だと思います。自分でも驚くぐらいに今日の私は調子が良いので」

 

 悪寒が走るほどの見事な剣閃にバケトウロウが戦慄していると当のビャクア自身も自らの好調さに戸惑いに近い驚きを感じていた。

 体が羽根のように軽く、血肉は熱く燃えているのに思考は常に涼風に吹かれたように清廉と落ち着いていられる。負ける気がしないと確信が持てた。

 

『自惚れるなよ……そういう驕りが死を招くと言うのだ!!』

「残念ですが私は驕るほど自分が達者だなんて思っていないので」

 

 バケトウロウはあまりにも泰然自若としたビャクアの佇まいに激昂すると敵ながら見事と言える隙のない動きで襲い掛かる。だが、この日のビャクアの心技体は尋常ではないぐらい研ぎ澄まされていた。

 

「退魔七つ道具が其の伍、海砕きの無双籠手!!」

『ぐうぅう……なんとおお!!』

 

 敵の武器腕が我が身に触れる紙一重で巨大籠手を召喚装備したビャクアは防御と崩しを同時に行いガラ空きになったバケトウロウの腹に強烈な拳打を叩き込む。

 

「い・く・ぞ・おおおおお!!」

『ちぇやあああああ!!』

 

 鍛錬の賜物か前よりも格段に速く柔軟な動きをするようになった真紅の鉄の指を持つ籠手と奇怪な武器腕が激突する。腕と腕との熾烈なぶつかり合いはやがてビャクアの勢いをバケトウロウが凌ぎ切れなくなり、緑の異形は容赦なく滅多打ちに殴り潰されていく。

 

『ふざけるな! ふざけるなよ!! 躯を得てから俺は身を隠し、穢れを啜り溜めこんで他の連中よりもずっと強大な力を手に入れて御伽装士を屠る算段だったのが……それが!!』

「思った以上に用意周到だったんですね。されど化神よ、貴様は大きな見逃しをしています」

 

 思い通りにならない現実に我慢ならず怒るバケトウロウを鍛えに鍛えて無双籠手を使いこなすまでに至れたビャクアが着実に攻撃を浴びせて追い込んでいく。

 

「私たちだって、日々強くなっていく。人はお前たちなんかよりももっと大きく成長できる生き物です」

『ここにきて児戯のような真似を……馬鹿め――ッ!?』

 

 隠していた大きな翅で低空飛行して間合いの外に逃れたバケトウロウをビャクアは逃がしはしないと右の籠手をミサイルのように発射して追撃を掛ける。

 だが、そこは敵も上手く切り払って対処したと思われたが次の瞬間に視界に飛び込んできた光景に絶句した。

 

「だぁああああああ!!」

『うぶぉあああ!?』

 

 バケトウロウが籠手を弾くとそこには間髪入れずに眼前に迫るビャクアがいたのだ。彼女は籠手をロケットパンチよろしく撃ち出したのと同時に全力でその後ろを追って駆け出して隙のない波状攻撃を決めていたのだ。

 

「いざ! いざ! いざ――!!」

 

 顔面をぐしゃりと凹ませたバケトウロウにビャクアは一気に畳みかけていく。

 大きな鉄指で退魔の印を結ぶと開いた掌を相手に向ける。すると神通力が変換された激しい白い竜巻が吹き荒れてバケトウロウを空中へと飛ばし、そのまま球体の風の牢獄へと変わると動きを拘束してしまった。

 

「捕らえろ! 風縛牢!」

『これは面妖な! う、動けん!?』

「退魔覆滅技法! 嵐壊拳――ハイヤアアアアア!!」

 

 神通力を纏わせ赤く輝く大鉄腕を振りかぶりビャクアは空に封じたバケトウロウへと一直線に駆けると思いっきり飛び上がった。そして、全身全霊の拳を一切の迷い無くぶち込んだ。

 

『ぬぅああああああ!! み、見事――!!』

 

 巨大な鋼の拳に押し潰されながらバケトウロウは文字通りに歯が立たず、鎧袖一触とばかりに自らを蹴散らしたビャクアを称えながら爆発霧散した。

 

「これにて、落着……です!」

 

 戦いに勝利したビャクアは赤い空が砕けて、月が綺麗な夜空の下で呆れるほど強く在れた自分とその原因に気付いて、噛み締めるように勝利の残心を取った。

 

 

 

 

「お待たせしました。暗天に呑まれたので無くしてしまわないか不安でしたけど、無事でよかった」

 

 戦いを終えて、私は返事が返ってくるわけでもないのに昼間にもらったぬいぐるみを抱き上げて語りかける。らしくないことをしていると思ったけど、このコは大切な思い出の形ですし、たまにはいいだろう。

 

「今日の私、どうしたんだろう……なんて、たぶんそうですよね」

 

 必死で戦った。

 それは変わらない。いつもの戦いと何も変わらず、常にその時の全力を尽くして戦う。

 だけど、今日の自分はちょっとだけ褒めても良いと思えるぐらいに上手く戦えて、強くなっていると自覚があった。その理由――とぼけてみたけど、一つしかない。

 

「……永春くん」

 

 彼の名前を声にするだけで胸の奥がじんわりと温かくなる。

 優しい熱っぽさ。だけど、体の芯から焼け焦げてしまうような熱さでもあって不思議な気持ちになる。

 

 私に色んなものを授けてくれる眩しい彼。

 勇気があって、私なんかよりずっと強い普通の男の子。

 普通の高校生らしい生活、そんな私が一度はあきらめて捨て置いた物を拾い上げて届けてくれた優しい彼。

 

 断言できる永春くんという絶対に守りたい誰かが出来たことで今日の自分は昨日よりもずっとずっと強く在れた。日々の鍛錬が実を結んだということもあるけどそれよりもずっと彼の存在は私にとって力と言う火焔を激しく燃え上がらせる薪になっていた。

 

「今度はクレーンゲームも勝ちたいですね。次こそ景品ゲットです。君も一人じゃ寂しいでしょうし」

 

 大事に抱きしめたぬいぐるみに話しかけて、昼間のキラキラした思い出を何度も何度も思い返して、口元だらしなく緩んでしまう。題名のない鼻歌を浮かれて奏でている自分がいた。

 

「また一緒に行ってくれるでしょうか、永春くん」

 

 ふと、脳裏に自力でクレーンゲームで景品を取っても良いけど叶うなら彼からプレゼントされないかと欲深で卑しい気持ちが芽生えてしまう。それぐらい今日と言う一日が楽しかった。楽しくて、楽しくて……やっぱり楽しいしか気持ちが出てこない。

 

「そういえば……私ったら少し永春くんにくっつきすぎたでしょうか? はしたないと思われていないといいですけど」

 

 ああ、いけない。

 自分の行動を振り返ったら急に恥ずかしさで変な汗が出てきてしまう。

 そういう関係でもないのに、図々しくてふしだらなことを沢山してしまっていたのかもしれない。ショッピングモールでも、バッティングセンターでも。

 そういう関係ってなんだ?

 

「あたたかくて、ちょっと固い手だったな。男の子の手ってみんな、あんな風なのかな?」

 

 彼の方から触れてくれた感触と体温を反芻して、一人しかいない夜の中で気兼ねなく私は顔を綻ばせる。微笑むというより、にやけていると言った方が正解かもしれない。

 

「……いつも私を見ていてほしい。だなんて、畏れ多くて言えません。言っちゃいけませんよね」

 

 別れ際に言い切れなかった言葉を振り返って、ここまできて私はまた何時ものように自虐気味に嘲笑した。身の程知らずの浅ましい自分へと戒めの意味も込めて嘲るように笑った。

 

「どっちの自分が仮初の自分なのか、見失うようなことは絶対にしないと……守れるものも守れないでしょ」

 

 蕩けてふやけた心に冷水を浴びせるように強く言い聞かせて、沙夜は笑顔を消す。

 御伽装士としての心を研ぎ直して、彼女は変わらず今日も夜を駆ける。

 悪辣な化神を狩る退魔の刃である自分こそが表の私だと自分に刻印を押すように。

 

「永春くん……貴方がいるから、きっと私は強くいられる。ありがとう」

 

 永春と一緒にいるときの無限に湧き出る泉のようなときめきも。

 身を焼き尽くしてしまうような心地の良い熱も。

 怨念無念の呪いよりも強く激しく沙夜を突き動かして、大きな力を授けてくれる初めて生まれた不思議な感情。

 

 その気持ちの名前を彼女はまだ知らない。

 

 

 

 

 その頃、御守衆・中部支部頭目である光姫の元には京都の本部から信じ難い報せが飛び込んで来ていた。

 

「本当に確かなんですよね、それは? 由々しき事態じゃないですか……御伽装士の殉職者が一名、それに怨面が破壊でなくて紛失っていうのは!?」

 

 スマホを強く握り締めて、光姫は苦虫を噛み潰したような顔をした。

 本部からの緊急速報。それは東北地方にて化神退治を行っていたとある御伽装士の死亡と故人が担っていた猿羅の怨面の行方が不明という驚愕の情報だった。

 化神との戦いにおける戦死ならば辛いことだがある意味で定めである。だが、怨面の行方が分からないと言うのは前代未聞の出来事だった。

 

「分かりました。大きな混乱を招かないよう配慮しつつ、所属の装士たちには事件の旨を伝えて警戒を強化させるようにします」

 

 通話を切った光姫は乱暴に頭をかきながら夜空に浮かぶ月を眺めた。

 

「難儀なことにならないといいんだけどねえ」

 

 事件が起きたのはここから遠く離れた東北の地だ。長い歴史の中で曰くつきの厄介な土地も多くある都合上、かの地に配属された御伽装士・平装士共に名家や精鋭も揃っているからこちらから特別に支援を行うと言うことは今すぐにはないだろうと予測するが消えた怨面という不可解な事態が彼女に嫌な胸騒ぎを覚えさせていた。

 

 

 

 

 

 

 遡ること数時間前。

 黄昏時の夕闇の中でその男は不気味に嗤っていた。

 

「なるほど……これが怨面! 触れただけで感じる威圧感! なんともまぁ度し難い存在がったと言うものだ。くっひゃっはははは!!」

 

 白く痩せ細った幽鬼のような男は質素な黒い和装を纏い血に濡れた猿羅の怨面を愛おしそうに手にしていた。その傍らには御伽装士であった男の亡骸。胴体と喉笛に狂ったように刃物で刺した傷跡が無数に付けられている。

 それらは全てこの嗤う男が化神に襲われた無辜な市民を装って近付き、騙し打ちで負わせた傷だった。

 

「いますぐにでもこの魔道具を隅々まで検めたいところですが御守衆とやらは中々の組織と見ました。ここは一つ、雲隠れして遠くへと落ち延びるのを優先としましょう」

 

 嗤う男は亡骸を不遜にも跨いで深い森の奥へと消えていった。

 いつまでも耳にこべりつくような不快な笑い声を残して。

 

「くっひゃっははははは! さあ! 救世の日は近いですぞ! 小生はその足掛かりを手にしたのだから!!」

 

 奥底の知れない脅威が音無しの侵攻を始めたことをまだ誰も知らない。

 

 




ここまでお読みいただきありがとうございました。
ご意見・ご感想頂けますと執筆の励みとなりますのでよろしくお願いします。

物語も折り返し、大きな事件が動き始めます。


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第五幕 男は嘆く

お久しぶりです。
少し間が開いてしまいましたがどうにか最新話投稿出来ました。

今回はちょっと難産と言いますか、地の文の視点がよく変わって読み難いかもしれませんのでご了承ください。


 お救いせねば。

 お救いせねば。

 

 この悲しみに満ちた世界をお救いせねば。

 

 お救いせねば。

 お救いせねば。

 

 この人間(けがれ)に満ちた地上をお清めせねば。

 

 お救いせねば。

 お救いせねば。

 

 今日も人は怒りを生む。

 今日も人は悲しみを生む。

 今日も人は憎しみを生む。

 今日も人は恨みを生む。

 

 お救いせねば。

 お救いせねば。

 

 けれど、けれど、小生はあまりにも矮小でありました。

 俗世を捨てて山中に籠り、救世の道を求めようと修行に励み早十五年。

 しかし、小生は救いの神を見出すことも出来ずに仄暗い水底で溺れるように日々を悪戯に費やしておりました。

 

 だが、だが、運命の日は何の前触れもなく小生の前に訪れたのです。

 忘れられるはずもない。あれは小生が瞑想に耽っていた時のこと。

 野山の獣にしては騒がしい物音を聞きつけて、足を運んだその先で小生は見たのです。この世の物とは思えない神々しき姿形をした生物と恐ろしき面を纏った夜叉のような人型が争っていたのです。

 

 黒くブヨブヨした全身に血管のような赤い管が迸る姿をしたソレはお面の者との争いの果てに滝壷へと落ちていったのです。その光景を食い入るように見つめていた小生はお面の者に悟られないように走りました。

 何のために?

 ええ、もちろん……現世の生き神としか思えぬ美しきあの御方をお救いするためです。幸いにもその山は既に小生にとっては我が家も同然。秘密の近道を用いて滝壷の下へと辿りついた小生は弱りながらもまだ息があったあの御方――バケヒル様を自らの寝ぐらへと匿いお救いしたのです。

 

 瀕死の傷を負ったバケヒル様は小生に様々なことをお教え下さいました。

 古来よりこの国の陰日向に息づく化神と呼ばれる彼ら古き精霊たちと彼らを人間の世の害悪と見なして狩ろうとする御守衆なる者たちとその尖兵である御伽装士。

 まさに僥倖とはこのことでした。

 バケヒル様との邂逅は小生の長年の悩みに対する答えを授けてくださったのですから。

 化神――嗚呼、なんと素晴らしき御方たちがこんなにも近くにいるとは思いませなんだ。同時に小生は人間という生物への未練を完全に断つことが出来たのです。

 

 化神の皆様のような知恵も意思も力もある尊き御方たちが存在するのならば愚かで醜い人間たちが万物の霊長を気取る資格は無し。地上の支配権を偉大なる化神様たちへと譲り渡す時が来たのだと確信致したのです。

 ですが小生がこのような大願を抱いたというのに無情にもバケヒル様の天命は尽きようとしていたのです。小生は滂沱の涙を流して懇願しました。我が身を食みどうか生き永らえてくださいませと。腕の一本、足の一本程度は惜しくはありませんでした。

 

 しかし、バケヒル様は思わぬことを口にしたのです。

 

 ――お前が俺を食ってみろと。

 

 化神が人を食らうは常なること。

 しかし、人が化神を食うのは見たことも聞いたこともない。故に冥土の土産に俺を食って見せてくれとバケヒル様は仰ったのです。

 愉快そうに笑うバケヒル様のあの御声はいまでも小生の胸の奥に響いております。

 化神様のご期待に応えねばと、おぞましき人間への決別の意もこめて小生はしばしの愕然と葛藤の後に嘆きの涙を流しながらバケヒル様のお身体に喰らいついたのでございます。

 

 化神バケヒル様の血肉を食らった小生がどうなったのか?

 その顛末はどうかこれより、皆々様がご自身の目でお確かめ下さいませ。

 小生が貴方たち人間をこれより清め掃き捨てるその前に――。

 

 

 

 

 五月の連休から早二週間がたったある日の昼休み。

 いつものようにボクは西条、井上と集まってダラダラとくだらない雑談に興じていた。

 

「やっべーな……これ部活始まるよりも前に雨降ってくるんじゃね?」

「そりゃあまあ、この空模様じゃあねえ」

「今朝のニュースでは急なにわか雨に注意だったな」

「曖昧だな、オイ。そこはスパッと断言しようぜお天気お姉さん!」

 

 今年は例年よりも早めの梅雨入りだそうで教室の窓の向こうには鉛色をした空が広がっている。

 

「ダァ~勘弁してくれよ! 折角部活再開したと思ったのに屋内じゃ地味な筋トレしか出来ねえんだぞ? いっそ、校舎の廊下全部使って室内マラソンやろうって提案してみるかぁ」

「よせよせ」

「西条、そのノリは最低でも中学二年で置いていくべきテンションだよ。陸上部だからって走る以外にも鍛えなきゃいけない部分が身体には幾らでもあるだろ?」

「なに言ってんだよ、お前ら。俺にゃ走り続けてないと他に意味なんてねえんだぜ?」

 

 放っておくと陸上部エースの影響力を行使して実行に移しかねない西条をボクと井上で諫めてみるけど当の本人はドヤ顔でなんだか手遅れっぽいことを言っている。

 

「……マグロかお前は」

「西条、パンクな哲学かもしれないけど普通に生徒指導室がゴールになりそうだと思うよ」

「うっそだろ!?」

 

 本当だよ。そもそも廊下は走らないっていう日本の全ての学校における基本的なルールのことを我が親友はまるで考えていないみたいなのが恐ろしい。

 ボクたちのいつもと変わらないやり取り。

 取り留めもなく、深い意味もない……くだらないけど、笑いの絶えないそんな日々の一コマ。

 

(……今日は四人か)

 

 二人と話しながらバレないように視線を移す。

 教室内における窓辺のボクの席があるあたりの女子の集団。

 正確にはクラスの女子たちと楽しげに喋っている沙夜さんの様子をさり気なく覗き見る。

 

(巴さんには感謝?かな……彼女のお陰で繋がりの輪が広がってるみたいだし)

 

 GWが明けてから、沙夜さんを取り巻く環境は少し変わったと思う。

 というよりも沙夜さん自身が少し変わったと見るべきか……自分から積極的に話しかけてくる巴さん以外のクラスメートとも気後れせずに交わろうとしているようにボクには映った。

 ボク自身は見守ることしか出来ていないのが歯痒いけど、沙夜さんが御守衆の活動を理由に他人と距離を置くことが薄れてきていることが自分のことのように嬉しかった。

 

 だからこそ、この間に光姫さんから聞かされた不穏な事件が気掛かりだった。

 沙夜さんたち御伽装士が変身に用いる怨面の一つが東北地方で盗難にあったと言う。光姫さんたちと知り合ってから少しずつ可能な限りだけど、沙夜さんの任務を手伝うことも増えたボクにはごく僅かな情報しか聞かされてはいないが犯人がまだ捕らえられてないということに一抹の不安を覚えてしまう。

 

「おお! 晴れてきたァ!! よっしゃッ……今日は模擬レースやんぞ!!」

 

 あれこれと当事者でも無いのに思考を巡らせていると隣で西条が大声を上げた。

 ビックリして何事かと思って窓の外を見るとどんよりと曇った空の一部から眩い晴れ間が差し込んでいた。ボクのこの胸騒ぎも呆れるほどの杞憂で終わって欲しいところだ。

 実のところ、ボクも傘なんて持ってきてないから夜までは雨降ってもらいたくないのだ。

 

 

 

 

 放課後。

 町は午後五時を待たずして、大雨に見舞われた。

 舗装された道にはあっという間に大小多数の水溜りが出来上がる。

 

「マジか……バイト休みで浮かれてたらこれだよ。沙夜さん大丈夫?」

「なんとか、でも参りましたね。にわか雨くらいは降るかなと思っていましたけど、ここまでとは」

 

 髪も学ランも七割ほど雨に濡れたボクの隣で同じように濡れカラスのようになった沙夜さんがたははと苦笑する。しっとりと濡れた黒髪がどこか色気というか風情が出ているけど、いまは置いておこう。

 何となくの流れで一緒に下校することになって、ゆるくお喋りしながら帰っていた矢先に降り出した雨の前にボクたちはやむを得ず長距離走を強いられることになった。

 タイミングの悪いことにいま信号待ちをしている場所は雨宿り出来るような屋根や軒下が何も無く、降りしきる雨水をボクも沙夜さんもノーガードで受けている。

 

「もう少しでボクの住んでる下宿があるから、沙夜さんも雨宿りしていってよ」

「いえ、こんな濡れた格好でお邪魔するわけには……」

 

 これは風邪を引いても不思議じゃないと思ったボクは沙夜さんにそんな提案をした。言ってから事の重大さに気付いて動揺しまくったわけだけど。

 だけど、沙夜さんはボクの家が一軒家ではないとこに遠慮してかなかなか首を縦に振ってはくれなかった。

 

「沙夜さんの家っていうか、六角モータースまでまだ結構距離あるでしょう? ボクのとこの下宿なら大丈夫。西条や井上なんかもよく寄ってくし、大家さんも親切な人だから」

「でも、その……突然、男の子の自宅にお邪魔するというのは勇気がいるというかなんというか……永春くんのお気持ちだけで平気です。私が全力で走ればあっと――」

 

 今更後には引けないボクと一部もにょもにょと言い淀みながら頑なに遠慮する沙夜さんとで押し問答を続けていると二人の前を大型トラックが勢い良く走り抜けて、気持ちの良いぐらいの水飛沫をボクたちに浴びせていった。ウォータースライダーなんて可愛いレベルでボクと沙夜さんは全身ずぶ濡れに早変わりだ。

 

「……沙夜さん、ボクん家においで」

「……お言葉に甘えさせていただきます」

 

 今までの走りとか、頑張りとかが文字通りすべて水の泡となったボクたち。

だけど、この理不尽な水飛沫は沙夜さんの頑なさも水に流してくれたようで、そこは感謝したいと思う。

 

 

 

 

「ただいま。お静さーん? 永春です、帰りました」

「お、お邪魔します」

 

 彼の背中の後を追って、広い玄関の敷居を跨ぐ。

 民宿を改装した下宿とは前から聞いていたけど、永春くんのお住まい――笛吹荘は木の温かさに溢れたどこか懐かしさを感じる素敵な下宿屋さんだった。

 

「おかえりなさい永春ちゃん。あらあら、見事に濡れネズミさんですねえ。あら、女の子のお友達?」

「そうなんです。ちょっとそこで仲良くトラックの水飛沫を思いっきり浴びちゃいまして」

「は、はじめまして。望月沙夜と言います。永春くんにはいつもお世話になっていまして、ご迷惑かとは思いますが少し雨宿りさせてもらえないでしょうか?」

「まあまあ。そんな畏まらなくてもこんなあばら屋で良かったらいつでも大歓迎ですよ」

「ありがとうございます」

「こちらこそ、よくぞおいで下さいました。沙夜ちゃん」

 

 お静さんと呼ばれる初老の気品のある大家さんはこんな初対面であるにも関わらず、私のことも温かく迎えてくれた。以前、永春くんが言っていた人に恵まれていると言う言葉を早くも実感させられた気がします。

 お静さんは下宿の床が濡れて汚れてしまうことにも嫌な顔一つ浮かべずに私をお家へと招き上げるとペキパキとした手際で準備を整えながらお風呂場へと案内してくれました。濡れたセーラー服も出来るだけ乾かしてくれるとのこと……感謝ばかりです。

 

「……広いお風呂。そっか、元民宿ならそうですよね」

 

 シャワーをお借り出来るだけでも幸いだったのに、お静さんは「どうせ店子の二人も後で入るから」と一度に四、五人は入れる浴槽にお湯まで張ってくれました。

 ボディソープを泡立てたスポンジと熱いシャワーのお湯で泥水や汚れをよく洗い流してから、お言葉に甘えて湯船に浸からせてもらうことに。

 

「はぁ……あったかい」

 

 全身を包むぬくもりに思わず声が出た。

 予想以上に冷えていた身体がじんわりと温まっていく心地の良い感覚にずっと張り詰めていた緊張もほどけていくみたい。

 

「……私、変わったのかな」

 

 身も心もリラックスした私の口からはふとそんな言葉が零れた。

 最近は双葉さん以外のクラスメートの人たちとも会話することが増えてきた。それまでは適当な相槌を打ったりして、悪目立ちしない程度に流して済ませてきていた。

 どうせ高校の三年間の付き合いだろうし、化神の悪事に巻き込まれれば育んだ友情も纏めて消さなくてはならない場合もあるだろうと思っていたから。一種の諦観だ。

 

「きっと……変わったんじゃなくて、変えてもらったんだよね。永春くんに」

 

 まただ。

 彼の名前を声にすると胸の奥があたたかい気分になる。

 お風呂のお湯も心地いけど、この表現する言葉が見当たらない熱は格別だ。

 彼がくれた言葉を信じて、どこかで無意味になると分かっていても学生としての自分にも本気で向き合うようになってから嬉しい意味で毎日が忙しくなった。

 普通の女子高生のお喋りは話題が尽きない。オシャレに、遊びに、美味しいスイーツに――まともに耳を傾けていると相槌を打つだけでも精一杯だった。

 だけど、その慌ただしさは嫌いじゃないと少しずつだけど思えるようになった自分がいた。きっと、永春くんの他に双葉さんがあれこれとどんくさい私の世話を焼いてくれるのも大きな一因だと思う。

 

「私なんて構っても楽しくないと思うのに……みんな、やさしいです」

 

 彼らの優しさに私は何を返せるのだろう?

 断言できることは一つ、みんなの日常を守ること。

 永春くんや双葉さん、クラスメートのみんなの学校生活も何気ない毎日も私が守るんだ。

 二足のわらじは大変かもしれないけど、やってみようと思う。

 

 

「……当たり前だけどこのお風呂、永春くんも使ってるんですよね。さっきの石鹸も」

 

 あ。いけない。

 決意を新たにしたばかりなのになんでそんなこと、こんなところで考えちゃうかな私。

 初めてクラスメートの男子のお家にお邪魔しただけでなく、図々しくお風呂まで借りてしまっているいまの状況。彼と同じ匂いのボディソープを使い、こうして彼が毎日汗を流している湯船に自分も入っている。

 

「お風呂ですし、脱ぎますよね……ふつう」

 

 色々と想像してしまうじゃない。バカだな私。

 身体の芯から一気に熱が高まっていくのが分かる。

 お湯が熱いからじゃない、私の血とか心が火照っている。

 バシャバシャと荒っぽく掬いあげたお湯で顔を洗って逃げるように湯船から上がる。

 

「永春くんだって、早くお風呂入りたいですよね。うん、うん……きっと、そう!」

 

 そそくさと身体を拭いて脱衣所に出ると洗濯籠の中に民宿時代の物だろうか、浴衣が一組置かれていた。着替えに使えと言うことなのだろう。

 お静さんの行き届いた気配りに感激しながらもう一度髪や身体の水気をタオルで拭き取っていく最中、脱衣所の鏡に映る自分と目があった。ありのままの裸の私だ。

 

「……私は彼にどう思われたいんだろう。永春くんと、どうなりたいの?」

 

 慌ただしく動かしていたタオルを持つ手が止る。

 全てを曝け出している自分を眺めていると不意にその肌に赤い蛇紋様が浮かび上がるのを幻視する。

 

「あーもうっ、人様のお風呂場でなに考えてるんですか私。急いで代わらないと永春くんが風邪ひいちゃいます」

 

 綺麗だと褒められたいの?

 素敵な女の子だと好かれたいの?

 身の程を弁えなさい、望月沙夜。

 

 私は御伽装士だ。

 ただの女子高生なんかじゃないんだから、不相応な夢はベッドの中でだけ見るものだ。

 浮かれた心が抱いた雑念を振り払った私は用意してもらった浴衣に袖を通すと生乾きの髪を躍らせながら二階にあると言う彼の部屋へと駆け出した。

 

 

 

 

「勢いで言っちゃったのはボクだけどさ! 本当にマジかよ、こんなことになるなんてさ」

 

 数十分前の自分の言葉を若干後悔しながら、大慌てて部屋を掃除して片付ける。これじゃあ、西条のことをノリと勢いで生きているだなんて馬鹿に出来ない。どっちこっちだ。

 

「物が少なくて良かった……西条と井上のやつ、変なものボクの部屋に置いて言ってないよな?」

 

 バイトの他に御守衆と関わるようになって、部屋を散らかす暇もなかったわけでそこまで血相を変えることもないようにも思えるけど、それでも女子を部屋に上げるなんて人生で初めてのことでベストは尽くしたいと思うのが男の子の性だ。

 

「とりあえず、妙な本やDVDが無くて本当に良かった……令和に生まれて良かったよ」

 

 なんとか沙夜さんがお風呂から上がってくる前に出来る限りの整理整頓を澄ませて汗だか雨水だか分からない額の水気を拭う。

 たまにあの二人が持ち込んでくる大きな声では言えない映像資料の類がいまは無いのが幸いだった。もちろん、沙夜さんに限って押し入れや収納を漁るような真似はしないと思うけど、お互いに年頃の高校生だ。

 軽蔑されるかもしれないがもしもボクの立場が逆転して沙夜さんの部屋に招かれて一人でいる時間があったのなら好奇心に負けないと断言はできない。

 そんな風に一人、達成感と安堵感を感じていると早足で階段を上がってくる足音が聞こえてきた。

 

「お待たせしてすみません。お先にお風呂いただきました」

「もっとゆっくり入ってきても良かったのに。沙夜さん、ちゃんと温まれた?」

 

 ドアの開ける音と障子戸が開くとボクの目の前に浴衣姿の湯上り沙夜さんが現れた。

 予想はしていたけど、大和撫子な彼女に藍色の浴衣はとても似合っている。可愛いとかきれいという表現じゃ足りないと言うか、例えるなら美麗というべきか。

 血色のいい鎖骨辺りの肌なんかは直視するのに罪悪感を覚えるぐらいだ。

 

「それはもう! いいお湯でした」

「ッ……よかった。じゃあ、すぐに戻ってくるからゆっくりしていてよ。そ、それじゃあ」

 

 前髪の隙間から幸せそうに瞳を細めて笑う彼女が小首を傾げると胸元が大きく揺れた。錯覚じゃなく、いつもよりも自由な躍動。そこでボクの脳裏には不謹慎にもある仮説がよぎってしまった。

 もしかして、いまの沙夜さんって下着何もつけていないのではと?

 あの濡れ方じゃあ制服だけじゃ済まないだろうし、遠くでは洗濯機か乾燥機が動いている音が聞こえるし。

 そんなこと当然確認できるわけないし、知ったかと言って何か起きて堪るかなんだけどその想像はボクの理性をかき乱すには十分過ぎた。逃げるように部屋を飛び出して風呂場へと向かったわけだけど。ボクはそれを後になって酷く後悔することになる。

 

 

 

 

 永春くんがお風呂から帰ってくるのを私はぽつんと用意された座布団に正座して静かに待つことにした。何も考えずと言うわけにはいかないので視線はキョロキョロと忙しなく彼の部屋の隅々を観察している。

 

「本当に旅館なんですよね……不思議」

 

 年季のある天井に、八畳間ほどの畳み。

 民宿時代の家具や調度品をそのまま店子さんに貸出しているのか一人暮らしには大きすぎるテーブルや片隅にある小さな金庫。そこにハンガーラックに掛けられた学生服や教科書が詰め込まれたカラーボックスが同居しているのがおもしろい。

 だけど、ここは紛れもなく彼の――永春くんが生活している部屋なんだと呼吸をする度に彼の安心できる匂いが鼻孔をくすぐり実感する。

 

「……ちょっとだけ。うろうろするぐらいなら、いいですよね?」

 

 雨音と壁掛け時計の針の音だけの沈黙に耐えかねて、すくりと立ち上がりお部屋の細部を眺めてみる。押し入れや収納の引き出しを開けるわけではないので軽蔑はされないと信じたい。

 

「……電子キーボード? すごい永春くん、楽器弾けるんだ。あれ、これは?」

 

 普段から小まめに掃除をしているのか、物が少ないのか数冊の雑誌やノートPCといったものがテーブルに置かれているだけでなんというか質素な印象だった。それだけにケースにしまわれたキーボードが存在感を放っている。

 彼に楽器の心得があるというのは初耳だった。何かの機会に永春くんの演奏を聞いてみたいと思っていた時に金庫の上に置かれた二つの写真立てが視界に入った。

 

「これは永春くんのご両親と前に教えてもらったお兄さん夫婦ですか? こっちは……女の人と子供の永春くん?」

 

 写真の一枚はたぶん、永春くんのお兄さんの結婚式に撮ったと思われる家族写真だった。幸せそうな家庭にこの後とても悲しい事件が起きてしまったと思うと虚しさが押し寄せてくる。そして、気になったのはもう一枚の写真の方だった。

 そこには小学生に入りたてぐらいだろうか幼く可愛らしい彼と鮮やかな栗毛の女性が二人で写っていた。とても綺麗な女性だった。年頃はちょうどいまの私ぐらいだろうか?

 女の人のことはさて置き、永春くんの笑顔はこの頃から眩しかったんだと何故だか自分のことのように嬉しいと感じるのは何故だろう。自然と口元がだらしなく緩んでしまう。

 

「沙夜さんお待たせ……ッ」

「ふぁい!? あ、これは……その、ごめんなさい勝手にお部屋を見て回ってしまって」

 

 写真に見入っていた私は未熟にも彼が戻って来た気配にまるで気付けていなかった。

 片手に写真立てを持つ私を見て、永春くんの顔色が変わったことは見逃さなかったくせに。

 

「別にそれは良いよ。そんな謝らなくても大丈夫だから」

「あの……こちらの写真の方は? 永春くんのお姉さんですか?」

 

 すでに無礼を働いてしまっていた私はどこか開き直って直球で彼に聞いてしまった。永春くんは数秒ほど口をポカンと半開きにして考え込んでいたようだったけど、一回大きく肩で息をつくと滔々と写真の彼女について話し始めてくれた。

 

「その人は夕凪さんって言って……なんだろう、昔可愛がってもらっていた近所のおねえさんって感じの人って言ったらいいのか?」

「……はあ?」

「普段何やっているのか教えてくれなかったし、家もどこに住んでいるのかも分からない不思議な人だったんだけどさ、近所の公園とかにいくと大抵夕凪さんがいてよく一緒に遊んでもらったりしてたんだ」

「この人、高校生ぐらいに見えますけど大人なんですか?」

 

 まるで夢の内容を語るようにどこかふんわりとした言葉で話す彼。

 だけど、その顔と声色は懐かしさと嬉しさを帯びていた。

 

「それも教えてもらえなかった。というか、出会った頃に聞いたら怒られたよ。変わった人だったな……一週間連続で顔を合わせる時もあれば、二か月ぐらい見かけない時もあったり」

「旅好きだったとか?」

「どうだったんだろうね。いつも身軽な恰好でいたような記憶しかないけど……あと、ずっとその写真みたいに変わらず綺麗な人だった」

 

 私の隣に立って写真の中の夕凪という女性を覗き込む永春くんの穏やかな表情を見た途端に何故だか胸が苦しいような気分になった。

 そこで何と無く解ってしまった。

 永春くんと夕凪さんとの関係。驚きはあるけど、不思議じゃないと思った。

 きっと、特別な女性だったんだ。 

 こんなにも綺麗な人が可愛がってくれたのなら、小さな子供は自然と強く慕う筈だ。懐くという枠を飛び越えてそれ以上の感情だって抱いても可笑しくない。

 

「あの失礼ですがいまは夕凪さんとは?」

「七年かな……たぶん、もうそれぐらい会ってないよ」

 

 彼は寂しそうな顔で呟いた。

 同時に私の胸の奥にはとても深い安堵感が芽吹く。

 いえ――いいえ、なんでそこで私が安心なんてするの?

 もしかしたら、ご両親と同じように永春くんにとってもう逢うことも許されない人になっているかもしれないのに、どうして私は胸を撫で下ろすような心地になっているの?

 

「あの、沙夜さん? なんだか顔色良くないみたいだけど平気?」

「へ……ぁ、はい。何ともないですよ。大丈夫です」

 

 なにが大丈夫なんだろう。

 彼に気遣われるぐらい顔に動揺が出ていたくせに。

 彼がまだ誰かの物になっていないのが分かって安堵した浅ましい気持ちで胸がいっぱいになっていたくせに。

 

「本当に? 先週も結構化神退治に夜遅くまで頑張ってたし、無理しない方が良いよ」

「ありがとうございます。でも、本当に何ともないんです。ちょっとこんな風に永春くんのお宅にお邪魔するとは思っていなかったから緊張していたのがお風呂に入って気が緩んじゃったのかもです」

 

 私を心配してくれているであろう彼の眼差しと言葉がいまはとても心苦しい。

 必死に動揺を顔に出さないように自分自身を誤魔化すので精一杯になっていると永春くんの方が何かを決意したような真剣な面持ちで口を開いた。

 

「それならいいけど、あのね沙夜さん……こんな時にする話じゃないかもだけど、折角二人きりで落ち着いて話せそうだから、話しておきたいことが――」

「よお、永春! 友達きてるんだって? お静さんがお茶とカステラ用意してくれたから食べに来いよ!!」

 

 永春くんが言いかけているのを遮って、戸が再び勢い良く開いた。

そして、肩を微かに雨で濡らした整った顔の男性がズカズカと入ってきた。なんというか自分の家でよく目にする光景に似ている。

 

「って、あれ!? 西条でも井上でもないじゃないか」

「先生さあ? それでも社会人なの?」

「永春が女子連れ込んでるぅうううう!!」

「人聞きの悪いこと言うんじゃねえですよ!?」

 

 結局、その後はこの笛吹荘のもう一人の住人である水樹さんの乱入やお静さんのご好意でお呼ばれしたお茶の席で質問攻めや止らない世間話に巻き込まれて、永春くんと二人で話すこともままならずに夜になってしまった。

 折角、彼の暮らしている下宿に寄らせてもらったと言うのに私は、そして永春くんの方も何とも言えないモヤモヤした気持ちを残したまま一日は過ぎていった。

 

「……恥ずかしい。明日から、どんな顔をして永春くんに会えばいいんだろう」

 

 その日の夜。

 私はベッドの上で丸まってずっと自虐自責の念に駆られていた。

 嫉妬?妬きもち?

 それも出会ったこともない女性に身勝手な気持ちを向けて、永春くんにも気を遣わせてしまった。

 表と裏の顔を弁えることは怠らないようにしようとあれほど自分に言い聞かせていたのにこの体たらくだ。

 

「……そうだよ。私みたいのなんかより、相応しい良い人なんて彼には幾らでもいるのなんて少し考えれば簡単にわかってた。だって、永春なんですよ?」

 

 身の程を弁えろ。弁えろと、自分を戒めながら私は眠れぬ夜を過ごした。

 

 

 

 

 山を越え、谷を越え、河を越えて、彼らはこの土地に流れてきてしまった。

 邪まな熱情を孕み、野望の道を進む者。

そして、その者が闇の吹き溜まりを練り歩きかき集めた人ならざる同胞たち。

 

「くっひゃっははははは! 感じる、感じる……小生が手に入れた怨面が反応していますぞ。この地には別の御伽装士が確かにいるようですなあ!! 可哀想に……こんな所に住んでいなければもう少し長生きできたでしょうに」

『左様か。どうするのだ同盟者よ? 多勢に無勢で殺戮するか!』

『それとも寝首を狙ってみるのかしら?』

『装士の肉は不味そうだ。食うなら女子供に限る』

『――戯れも良し。――闘争も良し』

 

 

 簡素な黒衣を纏った不気味なほどに白い肌をした痩身の男が嘆く。

 その声、笑いながら――けれども男は嘆いていた。これからあらゆる理不尽と無情が襲い来る人間たちへと男の嘆きが慎ましくも木霊する。

 傍らには数体の化神たちが連なっている。

 それは世にも恐ろしく不思議な光景であった。

 

 

 

 

 翌日。

 昨日の大雨が嘘のような晴天。

 気持ち良く学校生活を邁進したいところだけど、調子が狂う。

 特に沙夜さんと空気が喧嘩をしたわけじゃないのに噛み合わない。気まずい。

 視線が合わないのだ。正確に言うと真っ直ぐ彼女を見ようとしても外されてしまう。

 

「どうした永春? 風邪でも引いたか?」

「ボクはどう頑張っても健康優良児だよ。ちょっと悩みごと」

 

 今朝、学校の昇降口で顔をあさせた時からどこか余所余所しかった沙夜さんの態度。

 理由は解っている。夕凪さんの写真だ。

無理もない、あんな風に思わせ振りなことを言っておいて何も話せていないんだ。

 過去に何かありましたよな感じを醸し出すだけ出しておいて、大事なことをなにも伝えていないんだから、色々と勘繰られてぎこちない態度を取られてしまっても当然だ。

 

「珍しいな。僕たちに話してみろ。恋の悩み以外なら知恵を出し合えば解決できるはずだ」

「ありがとう井上。でもだめなんだ、その悩みのジャンルが限りなく恋に近い」

「むう。そうか、なら仕方な――なんだと!?」

「冗談だよ。この追跡者にそんな浮いた話があるわけないじゃないか」

「永春おめー何気にあの一件のことメチャクチャ根に持ってるじゃねえか? 水臭いぞ話してみろよ」

「西条もありがとな。まあ、ちょっとデリケートなものなんだ。気持ちだけ受け取っておくよ。大丈夫、ボクがちょっとだけ腹を括れば簡単に解決するものだから」

 

 ボクにとっての日常の象徴ともいえる親友たちとのフレンドリーなやり取りを経て、気持ちの折り合いを付ける。

 昨日の話の続きを沙夜さんに打ち明けるのは正直怖い。信じてもらえるのかも分からないし。だけど、彼女には――沙夜さんにだけは伝えないとボクは沙夜さんのことを裏切るようなものだと意を決する。

 HRが終わったら必ず彼女に話を切り出すと強く誓ってボクは一日が終わっていくのを待った。

 

 

 

 

 放課後。

 西条たち部活のある生徒たちがそれぞれの練習場所へと向かって一斉に動き出して人が河川のように流れ出す中でボクは沙夜さんを呼び止めた。

 幸いなことに昨日の話の続きをしたいと切り出したら彼女は「お願いします」と拒否感も見せずに一緒についてきてくれた。

 

「ごめんね、喫茶店でもいいかなって考えたんだけど……やっぱり、本当に二人きりで話したかったんだ」

「そう、ですか。私は平気ですから、それで大切な話というのは――!」

 

 人気のない場所をと考えてボクは彼女をあの神社へと連れ出した。

 ボクと沙夜さんの数奇な出会いの始まりの場所になったあの神社だ。

 学校からここまでの道中に妙に緊張してしまって他愛ない会話もできなかったのが少しきつかった。

 

「夕凪さんとの話にはちょっと続きがあって、そのずっと言えないでいたんだけど……多分、ボクに記憶消しの術が効かなかったのにも――おおっ!?」

「クッ……誰ですか!」

 

 話している途中で先に何かに気付いた沙夜さんがボクの手を強く引いて抱き上げるとそのまま大きく跳んで社の屋根に飛び上がった。

 大きく揺れ動く視界にさっきまでボクたちが立っていた場所に大きな獣の爪痕が刻まれているのが見えた。そして、二体の異形の影も――。

 

『ほお! 女の方が装士だったのか、興が乗るぞ!』

『妾はそこの坊主の方が食べ甲斐があったのじゃが残念だのう』

「化神……それも二体一緒にだって!?」

 

 獣人然とした虎の異形。鋭く大きな爪を持つ化神バケトラ。

 人型の肉体にろくろ首のように長い蛇頭を持つ不気味な姿の化神バケマムシ。

 既に躰を得た尋常でない威圧感を放つ化神がそれも一度に二体まとめてボクたちの前にいたのだ。

 

「沙夜さん……これって!?」

「彼らの狙いは分かりませんが私がやるべきことはシンプルです。危ないのでここに居てください」

「気をつけてね」

「ご心配なく。私は……私がみんな守って見せますので」

 

 何時もとは様子が違うことに胸騒ぎが止まらない。

 けれど、彼らと戦う術を持っている沙夜さんは臆することなく怨面を手にすると屋根から飛び降りて奴らと対峙した。ボクにどこかぎこちない笑顔を残して。

 

「オン・カルラ・カン・カンラ」

 

 余裕綽綽とばかりにふてぶてしく笑って待ち受ける化神たちを凄みのある剣幕で黒髪の奥に隠された紫瞳が睨みつける。

 

「白鴉の怨面よ、お目覚めよ」

 

 諸刃の刃でもある怨面を心を律した彼女が被ると濁流のような怨念が破邪の力・神通力と共にその五体に流れ込んでいく。

 

「クゥ……ア、ァ、ゥアア――」

 

白い肌には無数の蛇が這うような赤い痣めいた紋様が浮かび上がる。

 それは彼女の身命を数多の怨念無念が蝕み、苛む証しだ。

 けれども、沙夜さんはボクたちを守るために夥しい量の情念を受け止めて、超人へと変わる。

 

「――変身」

 

 閃光が弾け、穢れのない白い風が一陣。

 真白の軽鎧を纏った御伽装士ビャクアとなった彼女は二振りの快刀を構えて、化神たちを迎え撃つ。

 

「ヤァアアア! お覚悟!!」

 

 先手必勝とばかりに快刀を振り上げたビャクアが斬り込んでいく。

 白刃が煌めいて、バケトラ達に無数の斬撃が迸る。

 

「グォッ!? 見てくれ以上に威勢が良いではないか! 滾るぞ!!」

「やれやれ……暑苦しい小娘は趣味じゃないのぅ。早いとこ始末するかの」

 

 だが、化神たちもやられてばかりではない。

 バケトラは直ぐに態勢を整えて一振りで丸太も断ち切りそうな大爪でビャクアの快刀と切り結び。バケマムシが口からの溶解液で中距離から援護する。

 ただでさえ、二対一では不利なのに連携まで取られたら彼女が苦戦を強いられるのは明らかだ。

 

「ヤバい……沙夜さん!?」

「大丈夫です。私を……信じて!」

 

 爪撃を凌ごうとすれば溶解液が体を掠めて肌を焼き。

 溶解液を避けようと意識すれば冷ややかな切れ味の爪が彼女の四肢を裂く。

 奮闘空しく徐々に押されて傷ついていくビャクアの姿に堪らず悔しさが滲んだ声だ出てしまう。だけど、そんな狼狽えるボクを彼女の叫びが一喝した。

 

「永春くん……貴方がいるから、私は負けません。だから、心配しないでそこで見ていてください」

 

 眼差しは敵に向けたまま、彼女は静かにそう答えた。

 強い背中がボクの目に映る。

 そうだ。ボクが沙夜さんを信じないで、誰が彼女を信じるんだ。

 

『口だけは達者だが現実を見るんだな御伽装士!!』

『小娘が意地を張るんじゃないよぉ!』

 

 二体の化神が止めを刺そうと同時に襲い掛かった。

 猛虎が爪を振り上げ、大蛇が退路を塞ぐように溶解液を雨のように撒き散らす。

 それに対して、ビャクアは何を考えたのか右手に握る快刀の一振りをするりと手放した。

 

「退魔七つ道具が其の壱、天狗の羽団扇! カンラ!」

 

 目にも止まらぬ速さで空いた右手に召喚された羽団扇を力強く彼女が振るうと巻き起こった白い竜巻が溶解液を跳ね返した。

 

『『いぎぃ!?』』

「まだです!」

『ガァアアアア!? 目、目がァ、あああ!?』

 

 あべこべに溶解液を被って全身を焼け溶かす化神たち。ビャクアはその隙を逃がさずに足元に落ちた快刀を蹴っ飛ばしてバケトラの右目に突き刺した。

 

「カンラ! カンラ! カンラ!!」

 

 淡く輝く羽団扇を仰ぎに仰いで嵐のような強風を化神たちに浴びせて怯ませるとビャクアは自らも白風の中に飛び込んだ。

 

「ハイヤァアアアア――!!」

 

 神通力を四肢に巡らせたビャクアは仙術を駆使して自らの重みを一時的に軽減すると風の流れに乗って宙空を駆け抜けた。そして、バケトラとバケマムシの両名に渾身の一太刀を連続で叩き込んだ。

 

「御伽装士を舐めないでください……!!」

『グウウ……おのれぇええええ!!』

『相打ちになろうとも食らい殺してくれるに!!』

「おっと、そこまでございます。バケトラ様、バケマムシ様。いまはまだ愛しき貴方たちを喪いたくはないのです」

 

 深手を負って後退しながらも殺意を剥き出しにする化神たち。

 抜身の刃のような静かな闘志を燃やして攻勢に転じるビャクアと雌雄を決しようとした時だった。ボクたちの誰のものでもない声が戦いの流れを止めた。

 

「いやはやお見事な腕前ですな御伽装士様。嗚呼、全く嘆かわしい……小生の読みは見事に外れてしまいましたぞ。もっと楽に始末できると踏んでいたのですが手強いものです」

 

 青白い肌をした男の人だった。それでいて浮き出た血管は太く血色が良い。

 ボロの目立つ黒い着物を一枚纏った瘦せ細った男。

若くも見えるし、老けても見える――まるで幽鬼のように見えた。

 その謎の人物は石段を登り切り神社に現れると手負いのバケトラたちを庇うようにビャクアの前に立つ。

驚くべきことにその背後には新たな化神を二体も侍らせていた。大柄な狸のような化神と枝葉が鏡のようになった観葉樹のような奇怪な姿の化神だ。

 

「……誰ですかあなたは? 何故、人間が化神を庇うんです」

「それはもちろん化神(かれら)は小生が崇敬する尊き者であり、慕い合う同胞だからですよ」

「正気で言っているんですか?

……あなたは一体何者です!?」

「失敬。自己紹介が遅れましたな。小生の名は物部天厳(もののべ てんげん)、化神の皆々様に世の救いを見出したしがない救世の徒でございます」

 

 天厳と名乗る不気味な男はボクと沙夜さんの目の前で信じられないことを口にした。

 化神が世界の救世主だって?馬鹿じゃないのか?

 

「そこをどいてください。化神を野放しにしていたら多くの人が傷つき、命を落とすことだってあります」

「良いではないですか。好いではないですか。人間など一先ずのところ全体の半分ほど死に絶えた方がこの世の天然自然には癒しになりましょう」

「正気で言っているんですか、あなたも人でしょう?」

「忌まわしいことにねえ。ですが小生は化神様の献身にて醜き人間という軛から逃れた者でありますので」

 

 大真面目に語る天厳にビャクアは絶句する。

 後ろで聞いていたボクのあまりにも会話が噛み合わないこの男に寒気に近い気持ち悪さを感じていた。

 

「ダメだ沙夜さん。その人はどうかしてる、たぶん言葉じゃ止まらない」

「ほほぅ。存外に辛辣ですね少年。獅子の背に乗る鼠の如く、御伽装士のお嬢さんに守られているのが当然の身分では気持ちも大きくなるのですかな?」

 

 ボクのことなんて眼中にないと思っていたけど、彼は慇懃で棘のある言葉でハッキリと煽ってきた。反論したいけど、その言葉は戦いにおいては無力なボクにとっては事実に近いこともあって悔しいが何も言い返せない。

 

「……彼は御守衆でもない一般人です。守られる側であることの何がおかしいんですか?」

「おっと、怖いこわい」

 

 険しい顔を見せることしか出来ないボクに代わって、ビャクアが聞いたこともないような苛立った声で天厳に詰め寄った。快刀の切っ先を向けて、いまにも斬り掛かりそうな勢いだ。

 

「永春くんの言う通り、何者か知りませんが身柄を捕らえさせてもらいます」

「化神様たちが四人もおわすこの状況でですか? あと、小生もなかなか手強いかもしれませぬぞ?」

「それは……猿羅の怨面!? じゃあ、あなたが東北の仲間を殺した殺人犯!」

「はぁい。小生のような不審な身なりの者が相手でも実に親切丁寧な御仁で……あまりの阿呆ぶりに笑いを堪えるのが大変でございました」

 

 天厳が懐から取り出した猿を模した怨面に緊張が走った。

 まさか、目の前のこの男が御守衆の人たちが血眼になって行方を追っていた怪人物だったなんて思いもしなかった。

 

「ふざけたことを……人の命を何だと思っていますか!」

「嘆かわしいお嬢さんですね。これだけ小生と言の葉を交えたというのにまだ理解できませんか? 人の命? ええ、ええ――ごみ屑と心得ておりますとも」

 

 ビャクアに憐れみの視線を浴びせながら、天厳は嘆く。嘆きながらボクたち人間を嘲笑っていた。正直、ボクはこの血も涙もないような男に怒りよりも理解不能な恐怖を感じる方が勝っていた。

 

「壊れてる……何なんだよアンタ!?」

「永春くん、落ち着いて。大丈夫ですよ、私がいます」

 

 このままでは天厳の狂気に呑まれてこちらの理性まで可笑しくなりそうでボクは無我夢中で声を荒げた。そんなボクを彼女の優しく頼もしい声が宥めてくれる。

 

「麗しいですな。けれど、そこのよく喋る冴えないお荷物のお守りをしながら小生たち五人に勝てると思っているのですか?」

 

 卑しい舌から吐かれる挑発が再びボクたちに浴びせられる。

 ボクは悔しさをどうにか我慢したけれど、彼女は天厳が言い終える前に一足飛びで斬り掛かっていた。

 

「もう……喋るな!!」

「ああ、嘆かわしい。やはり子供か……バケカガミ様」

『――了承した』

 

 怒りに満ちたビャクアの快刀による横薙ぎの一太刀が抜かれるよりも前に天厳の後方に控えていた奇怪な姿の化神バケカガミが動いた。

 その枝葉のような鏡を僅かに動かして天厳と永春、二人の姿を映すと刹那の閃光が瞬く。

 

「は……?」

「……えいしゅん、くん?」

 

 何が起こったのかボクには分からなかった。

 天厳の後ろにいた化神の枝木のような形の鏡になっている腕がほんのちょっと光ったと思ったら、ボクの目の前にどうしてだかビャクアが剣を振りかぶって飛び掛かってくる姿があった。

 沙夜さんの方も何が起こったのか理解できていなかったようだ。だけど、ボクたちがお互いのことを認識できた頃にはもう既に天厳を薙ぐはずだった彼女の快刀は振り抜かれていて――。

 一秒がとても遅く感じられる刹那の瞬間。

 ビャクアの後ろ、ボクがいたはずの社の屋根に立つ天厳が悪鬼のような笑みを浮かべているのがこの目に焼き付いていた。

 

「いっ……かぁ、っ―――」

「う……そ……っなんで、そんな……ああ、あぁぁ!!」

 

 ほんのチクっと痛みが走ると首から下がじわじわと何かで濡れていく。

 生温かくて、ぬるっとしてきもちわるい。

 カシャンと大きな金属音が響いて、目の前にいるビャクアの姿をした沙夜さんがガタガタ、ブルブルと震えていた。

 

 いきが苦しい。

 息をするのがくるしい。

 

 理解が追いつかない。

 ちがう。理解したくなかったの方が正解かもしれない。

 そんなまさか――こんなことがあるなんて。

 

「ぅぶぅぅ……おぇ、っぷえ゛ぁああ」

 

 こみ上げてきた血反吐をボクの意思に関わらず、身体が本能のままに口から吐き出したところでボクは沙夜さんに喉を切り裂かれたことを受け入れるしかなかった。

 

 

 

 

 化神バケカガミ。

 その化神は非力ではあったが希少で恐ろしい能力の持ち主だった。

 自らの枝腕に生えた魔鏡に姿を映した対象同士の位置を入れ換えるというものだ。

 物部天厳はその力を以て、自らと永春の位置をすり替えてビャクアの手によって永春を切り捨てるという悪辣な手段を行使したのだ。

 

「えい……しゅん、くん? なんで! そんな! あああああああ!?」

「――――っ」

 

 ボクの血を浴びて白い体を真っ赤に染めた彼女の錯乱した悲鳴が聞こえる。

 いますぐに沙夜さんを安心させたいのに、身体が思うように動かない。

 喋りたいのに声が出ない。痛みだか、しびれだか分からない感覚で口が上手く開かない。

 呼吸が苦しい。変なところから空気が抜けるような感触が気持ち悪い。

 まるで喉がパンクしたタイヤのチューブみたいだ。

 

「やだ……嘘だ。うそだ……ぁ、えいしゅんくん、しっかりして! ああ、ああああ」

 

 ボクを抱き止めて、叫ぶ沙夜さんの声が響く。

 悲しそうで辛そうな、こんな彼女の声は聞きたくなかったそんな声。恨めしいことに耳だけが敏感に音を捉えている。

 彼女の涙交じりの絶叫に混じって天厳や化神たちの嘲笑う声が聞こえてくる。

 くそ。くそ。くそ!!

 

「―――――」

 

 沙夜さん、ボクは大丈夫だから戦って!

 放って置いてもこれぐらいじゃ死なないから、アイツらを倒して!

 ボクは痛みや苦しみになら幾らでも耐えられるから、君にしか出来ないことをやってくれ!

 

 想いを伝えたいのに声が出せない。

 時間が経つにつれて足に力が入らない。

 血の気が引いて、頭が痛くなってくる。

 くそ。くそ。くそ。

 これぐらいの怪我じゃ駄目なのか(・・・・・)ボクの体はさあ。

 

「わたしの……せいだ。私が……えいしゅんくんを……傷つけた。こんなに血が……馬鹿、馬鹿っ、馬鹿ぁぁ」

 

 沙夜さんが泣いている。

 仮面の赤い双眸から涙が止めどなく溢れている。

 違う。違う。違う。

 沙夜さんのせいじゃない。彼女のせいであるもんか。

 どうしよう。どうしたらいい?

 なにをやったら、この状況で沙夜さんを助けられる?

 そんなことを考えていたら、天厳の厭らしい声が流れ込んでくる。

 

「おやおや情けない。御伽装士ともあろう者がまるで幼子のようですね」

『好機だぞ。二人諸共食い殺してしまうぞ』

「どうか、この場はお控えください。本日はあくまでご挨拶に伺ったまでですので」

『同盟者がそういうのなら意を汲むが良いのか?』

「敵に囲まれながらこのような醜態を晒す小娘ならば取るに足りませぬでしょう。路傍の雑草のようにいつでも踏み潰せましょうぞ」

 

 ボクを抱き止めてその場に蹲り、錯乱したままの彼女を徹底的に見下した視線をぶつけて天厳と化神たちは去っていく。ボクたちは見逃してもらったのだ。

 

「ですが……ビャクアとか言いましたね。小生から情けを施してあげましょう」

 

 天厳は何を思ったのか取り出した小刀で自らの腕を切り裂いた。

 すると溢れ出た血液がまるで生き物のように動いて触手のようにこちらに伸びてきた。

 

「ガァ――!?」

「―――!?」

 

 ビャクアの体がビクンと跳ねて、ボクの腹にも鋭い痛み。

 天厳の血は蛇のような動きで迫った末にその先端を尖らせて彼女とボクの体を串刺しにしたのだ。ボクたちは折り重なったような不格好な形で崩れ落ち膝をついた。

 

「これで小生も少年を傷つけてあげましたぞ。良かったですねえ……あなたのせいだけではありませぬぞ、彼が死にゆく責任は。クッヒャッハハハハハ!!」

 

 嬉々としてそう言い残して、今度こそ物部天厳はボクたちの前から姿を消した。

 

「あああ、あぁ……ぁぁぁ……アアアアァ――!!」

 

 力の抜けたボクの体を抱き止める血染めのビャクアの姿が霞んで見え難くなっていく。

 すぐ傍で聞こえていたはずの沙夜さんの慟哭が遠のいていく。

 心は必死になって意識を保とうとしているのに、指の一本でもいいから彼女のために動かしたいのにやがてボクの意識はブツリと途切れて闇の底へと落ちていった。

 

 あの時、ボクが意地でも話していればこんなことにはならなかったのに。

 沙夜さんが苦しむ必要もなかったのに。こんなんじゃ嘆いても、嘆いても、足りやしないじゃないか。

 

 

 ボクの大馬鹿野郎め。

 

 



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第六幕 いえない傷

こちらではお久しぶりです。
作者の諸事情で予定がかなり遅れてしまいましたがどうにか更新できました。
色々と思いついたアイデアを盛り込んでいるうちに冗長な文章が更に長くなってしまいましたので気長にお読みいただければ幸いです(汗)


 

 

 とても静かな夜だった。

 躯を得たことで更にどんな悪業を成そうかと昂る数分前の己の心とは裏腹に無風の雪原のように静かな夜だった。

 

『ハァ……ゼェ……ヤツはどこだ? まだ……いるのかッ?』

 

 音無しの夜を乱して狗の姿をした我は息を切らして走る。

 この身は負の情念が凝り固まって形を成した身だ。

 野に住まう獣のように本物の臓器があるわけではないと識っていながら、肺が裂けるほどに懸命に走る。恐ろしき死神から逃げるために。

 

『死んでたまるか! ようやく得たこの躯で我はまだこれっぽっちも悪行を成していない。欠片ほどもこの世を乱していないんだ!』

 

 先に受けた幾つもの裂傷から黒い血を零しながら、暗い林を逃げ続ける。

 この牙はまだ人の肉の味を知らない。

 この爪はまだ人の血の温かさを知らない。

 

『間抜けな人間の腹の一つも裂かねば……化神として生まれた意味が――』

「人にとって無害に死ぬために意味があるのでしょう? 貴様たち化神なんてものは……!!」

 

 白銀の三日月が目の前に降って来たと錯覚した時にはもう手遅れだった。

 雑草を薙ぐかのような気安さで我が左腕は両断され、両脚は細切れに切り裂かれていた。

 

『ひぃいいいあああああああ!?!?』

 

 気高い遠吠えにはほど遠い苦痛に喘ぐ悲鳴が自分の口から飛び出していた。

 目の前にはあいつがいた。

 白い天狗を思わせる鎧を纏い、大鎌を担いだ化神(われら)の怨敵が双眸を禍々しく光らせてそこにいた。

 

「殺す前に……聞きたいことがあります。虎と蛇と鏡、あと狸の化神を率いた怪しげな人間の居場所を知りませんか?」

 

 嗚呼……吐き気がする。

 あの御伽装士の白い鎧に迸る、血のような赤い蛇紋様はなんだ?

 奴が近付くだけで我が肉が焼けるようではないか。

 化神は知らない。

目の前の御伽装士が危うい手段で怨面の力を限界まで引き出して凄まじい力を発揮している状態であることに。

 

『知るものか。仮に知っていたとしても……イギイッィイイイ!?』

 

 化神としての沽券を守ろうと気を吐こうとした矢先に白い御伽装士は我が右手の爪の全てを無理やりに引き剥がした。

 

「無駄な意地を張るつもりなら首と胴だけを残して、鼠にでも齧らせましょうか? 狗なら犬らしく素直に白状しろ」

『本当に何も知らない! そも! 化神が人間などと群れることな――』

 

 狗の化神の意識はここで途切れた。

 異様な姿のビャクアが言い終えるよりも前に大鎌で化神の体を十文字に切り裂いたからだ。

 

「……また外れ」

 

 乱暴に怨面を外して変身を解いた沙夜は苛立ちを隠すことなく自分の握り拳を近くの木に叩きつけた。セーラー服の下の腹には包帯が巻かれて薄らと血が滲んでいる。

 

「くそ!くそ!くそ!くそッ!! フゥゥウッ……アァ、ガァアアッ!!」

 

 思うようにならない現実に、大切だった少年を傷つけた化神たちに、何よりも弱く不甲斐ない自分に募る怒りをぶつけるように彼女は何度も拳を硬い木に打ちつける。

 傷つき血が滲んでもそれは止まない。むしろ、傷を負う事を望むかのようで、自責の唸り声を時間が止ったように静かな夜に響かせていた。

 

『なあ、童女。吾は別に異を唱えるつもりはないがねえ……お前さん、本当にそれでいいのかい?』

 

 彼女の意識にぽつりと白鴉の怨面の疑似人格が語りかける。

 だが、その声が沙夜に届いているのかは定かではない。

 

 望月沙夜が謎の怪人物・物部天厳の捕縛の命令を受けてから既に三日が経過していた。

 彼女はこの三日間、負傷した傷が癒えるのも待たずにほぼ不眠不休で天厳たちの行方を追って奔走していた。

 そして、四日目の朝を迎える。

 

 

 夢を見ていた。

 ハッキリと夢だと理解出来る。

 忘れもしない。

 この景色は七年前のあの日に確かにボクに起きた出来事だ。

 いつもの公園で、夕凪さんと遊んでいたらポツポツと降り出した突然の雨。

 穴だらけのドーム型の遊具の中で当然のように降ってくる雨粒に笑いながら雨宿りしていた時のことだ。

 

『永ちゃんは優しい子だね。それにちょっと見ない間にまた大きくなった』

『すぐに夕凪ねえちゃんの背も抜くよ。そうしたら今度はボクのほうが肩車してやるんだ』

『そっか……そっか……やっぱり、永ちゃんも大きくなっていくんだよね』

 

 いつもと変わりのない他愛のない会話。

 なのに、あの人は――知り合ってから何年経っても変わらずにいつでも綺麗なあの人は突然に大粒の涙を流して、泣き始めたんだ。

 

『泣かないで夕凪ねえちゃん。どうしたの? お腹痛いの?』

『ああ……お前は本当に優しいんだね。いつまで経ってもわたしにそんなにも変わらず優しいお前だから、こんなにも悲しくて涙が止らないんだよ』

『ボクに何か出来ることある? ボクが頑張ったら泣きやんでくれる?』

 

 幼いボクには夕凪さんの言葉に含まれた意味なんて、何にも理解していなかった。

 ただ彼女に泣きやんで欲しかった。

いつものように変わらない笑顔の夕凪さんでいて欲しかった。

 ボクの言葉があの日の彼女の最後に残った人間らしい心を壊していったことも知らないで。

 

『永ちゃんはわたしのために力を貸してくれるの?』

『まかせてよ。ボクに出来ることなら何でも協力するよ。ボク、夕凪ねえちゃんのこと大好きだもん』

『本当に? 本当になんでも協力してくれるの?』

『うん! なんて、ボクに出来ることなんて限りられてるかもしれないけど』

『それなら……わたしの代わりに、ずっとずっと苦しんでよ』

 

 瞬間に夕凪さんの佇まいは豹変してボクは微かに濡れた冷たい地面に押さえつけられた。

 そして、真っ赤な血がボクに降り注いだんだ。

 雨で流れ落ちていく傍から絶えずボクの顔や体を生温かい血が、夕凪さんの破れたお腹から流れる血液が流れ落ちては真紅に濡らしていった。

 

『やっと……楽になれる。長かった、本当に永かった』

 

 口角をこれでもかと吊り上げて猟奇的な表情になりながら、それでも人魚のように美しい微笑みで笑う夕凪さんはとっても綺麗で、その手には自らの腹の中から引き摺り出したナニかが握られていて――。

 

『ごめんね永ちゃん。でも、わたしはもう疲れたんだよ……永ちゃんみたいな優しい子をいつか見送ることに、心底疲れたんだ』

 

 まだ脈打つ血塗れのソレを夕凪さんはボクの口に白魚のような指を突っ込んで無理やり開くと容赦なく押し込んだ。

 口の中に一瞬で満ちる血の味と香味。

吐き出したくても痛いほどボクの顔を掴み動かす夕凪さんの両手がそれを阻む。

 何が起こっているのか理解できずにパニックになりながら、ボクはどうしようも出来ずに彼女の指の動きに導かれるままに口の中に詰め込まれたナニかを咀嚼して、咀嚼して――飲み下した。

 

『ありがとう。永春ちゃん』

 

 いっぱいの涙を零しながら、微笑む夕凪さんはこの世の物とは思えないぐらいに綺麗で――。

 

「――――!?」

 

 そこでボクの意識は現実に引き戻された。

 

「永春!? ああ、よかった……先生! すみません、誰か!! 弟が目を覚ましました!!」

 

 飛び起きたボクの隣で聞き覚えのある声がビリビリと響いた。

 ぼやけた視界が徐々に鮮明になっていくと、ボクの真隣りには別々に暮らしている貴夏兄ちゃんがいた。そこでボクはようやく自分な病院のベッドで眠っていたことに気付いた。

 

「――――」

「おい、よせ。喋ろうとすんな。イカれた通り魔に喉切り裂かれてるんだぞ? 腹も軽く刺されてるし、先生が言うにはしばらく声は出せないそうだ」

 

 あれからどうなったんだ?

 足りな過ぎる情報を求めてパクパクと口を開いたが声が出せない。感じるのは気持ちの悪い痛みだけだ。ボクがキョロキョロと落ち着きなく混乱しているとガバっと太い腕で強く抱きついてきた兄ちゃんの言葉で少しだけ状況が分かって来た。

 

「心配かけやがって……まだお前の墓掃除まで面倒みてやるつもりはないんだからな」

 

 愛息子が生まれた時だってこんなにも泣かなかった兄ちゃんの大粒の涙にボクは大人しくするしかなかった。心配しなくてもあれからなにが起きたのかは色んな人が次々にボクに話してくれたので不自由もしなかった。

 

 神社で突然襲われたボクはセーラー服の少女に病院に担ぎ込まれたということになっていた。もちろん、その女子生徒とは沙夜さんのことだろう。

 あれから四日間も意識を失っていたらしく、すぐにでも彼女の方は無事なのか聞きたかったが重傷人はボクの方なのでなかなか思うようにはいかなかった。

 担当医の先生がやって来て、九死に一生を得たとか奇跡的な回復力だとか丁寧に説明をしてくれたけど、申し訳ないけどボクにはそれは全てが無駄な時間だ。

 どうしたって、治る怪我だ。声だってすぐに出せるだろう。

 まるで1+1=2の計算式を数学の授業一コマ分たっぷりと使って説明を受けるようなナンセンスな時間をボクは焦りや苛立ちを隠しながら必死に受け流した。

 

 半日以上かけてボクの諸々の検査などが済んでからようやくボクは筆談で沙夜さんのことを兄や病院の先生に尋ねた。

 彼女も酷い怪我を負っていたはずだ。違う病室に入院しているのならすぐに会いに行って謝って、それからボクのこれは沙夜さんのせいじゃないと伝えないと。

 だが、みんなから返ってきたのは予想外の言葉だった。

 望月沙夜なんて女子生徒は入院はおろか聞いたこともないし、ボクをここに連れて来てくれたセーラー服の少女のことも不気味なほどに曖昧にしか誰も覚えていなかった。

 そこでようやくボクは自分の携帯から沙夜さんの連絡先の一切が消されていることに気が付いた。

 

(たぶん……あの記憶消しの術を使ったんだ)

 

 だけど、一体どうして?

 謎と不安ばかりが心の容量を占拠してもどかしい。

 いますぐに駆け出して六角モータースへ訪ねたかったけど、ボクが自由になった時には既に窓の外が夕焼け色に染まっていた。

 

 

 入院するのは今回で二度目だけど、やっぱり病院の夜は慣れない。

 それも実質四日間も寝ていたわけでただでさえ気になることが多すぎて心穏やかでないいまのボクには睡魔なんてまるでやってこない。

 

(今回は個室なのがありがたい)

 

 ボクたちを襲った謎の化神と気味の悪い男は何者なのか?

 気を失った後、戦いはどうなったのか?

 何よりも沙夜さんは大丈夫なのだろうか?

 考えてみても事実を確認しないと晴れない謎がボクの頭の中でループし続けている。

 

(沙夜さんのせいなんかじゃないからね……)

 

 自分の声が奪われているからだろうか?

 何も考えていないでいると神社での錯乱した彼女の叫び声が反芻される。

 今すぐにでも沙夜さんに出会って伝えたい気持ち。

 あれは化神のせいだから、彼女が気を病むことなんて何もないんだと。

 兄ちゃんに迷惑をかけるのは百も承知でこっそり病院を抜け出そうかなんて考えていた時だった。

 マナーモードにしていた携帯にこんな真夜中に着信が入った。

 番号は知らない番号――じゃない、この番号は見覚えがある。

 彼女の携帯の番号だったはずだ。

 自分が喋れないことも忘れてボクは無我夢中で携帯に耳を傾けた。

 

『永春くん、こんな遅くにすみません。望月です』

 

 ずっと聞きたかった彼女の声だ。

 それでもボクは最初その声があまりにも泣き腫らしたように枯れていて、沙夜さんの声なのか名乗ってもらうまで迷ってしまった。

 喋ろうとして痛む喉を押さえて、ボクは無我夢中で首を振る。

 携帯の向こう側では沙夜さんがまるで留守番電話にメッセージを吹き込むように滔々と話しだしていた。

 

『私がこんなことを言える資格はありませんが命に別条が無くて本当に良かったです』

 

 本当に掠れた声だった。

 もしも、沙夜さんがあのことを悔やんで声を枯らすほど泣いていたのならボクの方こそ謝らないといけない。

 

『本当に勝手だけとは思いますがお別れを伝えるために電話しました』

 

 え――?

 安堵と嬉しさで熱くなっていたボクの心臓は氷水に突っ込まれたように寒気を感じて止ってしまった気分だった。

 

『今回の永春くんの災難は全て私が未熟だったから起きてしまった出来事です。本当にごめんなさい。永春くんは応援してくれましたけどやっぱり私にはどっちも頑張るなんて器用なことは無理なことだったんです。なのでもう学校へも行くことは無いと思います』

 

 待って。待ってよ!

 なんでそうなるんだよ。勝手に一人で決めないでよ。

 叫んで止めたいけど声が出ない。

 痛みなんて無視して捻りだそうとしても呻き声も出てくれない。

 

『身勝手でなんのお役にも立てなかった私ですが厚かましく永春くんに最後のお願いがあります』

 

 少しずつ震えて、言葉が詰まり出す声が一方的に流れていく。

 彼女のお願いを決して聞き逃さないとボクは携帯を両手で握りしめて息遣いすらも逃さないように彼女の言葉に耳を澄ませた。

 

『こんな私なのでどうか……どうか、お願いですから私のことは嫌いになってください。それから思い出すのも嫌な女を明日にはすっきりと忘れてやってください』

 

 携帯電話越しにでも分かる、バレバレの涙声でそう言って彼女は通話を切ってしまった。

 ふざけんな!!

 そんなことを言うためにこんな真夜中にボクが起きているのかも分からないのにわざわざ電話かけてきたのか。

 違うでしょ!こんな言葉を聞くためにボクは――!!

 

 頭に血が上って、思考が真っ白になって、ヤケクソに布団の上に携帯を叩きつけかけた手が止った。そして、慌てて立ち上がったボクは窓の外を開けて真下を見渡した。

 

(いた……!!)

 

 なんでこんな初歩的なことを見逃していたんだろうと自分を呪った。

 彼女を普通の女のことを錯覚していた。だから、どこからか自分の目でボクが起きていいるのを確認してから電話を掛けてきたというやり方を見逃していた。

 暗くて見難いけど、病院の駐車場の一角で夜風になびく綺麗な黒い髪とすらりとした長身。

 間違いなく望月沙夜はそこにいた。

 ボクと目の鼻の先にいて、あんな電話をよこしていたのだ。

 

(待って! いかないで! いかないで! いかないでくれ!!)

 

 窓辺から手を伸ばして、声を出せない口を開いて背中を向けてとぼとぼと歩いて去っていく彼女を求める。

 いまのボクに彼女を繋ぎ止める手段は何も無かった。

 物音を立てるとかそういう意味じゃない。

 あんな大口を叩いておいて、結局彼女の足手纏いになって、沙夜さんの心に傷を作ってしまった愚かないまのボクではどんな言葉も安っぽくて、力になれないと自分自身が折れていたんだ。

 だから、ボクはその夜いつかの昔のように大切なはずの女の子がどこか遠くへ行ってしまうのを情けなく見ていることしか出来なかった。

 

 

 太陽の眩しさが疎ましい。

 進展しない現状と三日もかけて彼らの足取りの手掛かりをまるで掴めていない愚鈍な自分への苛立ちを八つ当たり気味に快晴の空にぶつけてしまう。

 

「お嬢たちを襲った物部天厳とか言う男の素性がある程度分かりました。本名は角田達馬、何てことのない一般人でした。ただ十五年ほど前から和洋問わずカルト系の宗教なんかを齧って術師気取りで山籠りなんかをしていたらしいです」

「変態だな。だけど、そんなただの変態が化神たちを統率できるはずがない。その十五年の間にその変態野郎に何かが起きたと見るべきだね」

「物部という姓で調べたところ一昔前のネットの都市伝説に物部天獄という架空の術師の名前がありましたが……」

「アタシの記憶の限りじゃ裏の世界に物部なんて名前の術師はいない。大方、ネットからその大層な術師様のお名前を頂戴したんだろうね。ハッ……気持ちわりぃねえ」

 

 仮眠と報告のために六角モータースに戻ると作業場では光姫さんと杉さんが資料を片手に話し込んでいた。いま一番会って借りを返したい相手の名前を耳にして、私は血相を変えて二人に詰め寄った。

 

「ただ今戻りました。あいつの居場所が分かったんですか?」

「おかえり。どーどー、ほれ茶の一杯も飲んで落ち着け。残念だけどこっちもまだ空振りだよ」

「すみません、お嬢。いまはまだその変態の素性が少し割れたぐらいで……」

 

 きっと酷い剣幕をしていたであろう私を光姫さんは慣れた様子で宥めるとほどよい温度の湯呑みを渡してくる。

 

「そうでしたか……いえ、杉さんたちもお疲れ様です。では、少し休んだら私もまた出ます」

「風呂。飯」

「はい?」

「アンタいま酷い顔だぞ? あと薄汚ねえし、くせえ」

 

 母屋の方へと急ぐ私の手を掴んで光姫さんは手短にとんでもないことを言う。

 男の人もいると言うのにこの人は何を言い出すんだろう。

 

「なっ!? 急になんですか!」

「仮眠以外にその二つもちゃんと済ませな。じゃなきゃ上役命令で謹慎にするぞ? 生活習慣が乱れているやつは一級の仕事は出来ない。その歳でエネドリとマブダチになるんじゃないよ」

「……分かりました。ついでにみんなの分も作ればいいんですよね?」

「ああ。沙夜はお利口さんだな」

 

 そう言って、光姫さんは汚いはずの私の頭を優しく撫でてくる。

 出会ったばかりの頃と一緒だ。

 厳しい修練に挫けそうになった時や独り立ちしたばかりの頃に任務でヘマをした時と同じだ。

 

「なあ、沙夜」

「今度は何ですか? おかずのリクエストとかは受け付けませんよ」

「永春のことはアンタの落ち度じゃないよ」

 

 光姫さんが口にした彼の名前が心に突き刺さる。

 私が守れなかった彼。

 私がこの手で傷つけてしまった彼。

 あまつさえ、その醜態に取り乱した末に敵に情けを掛けられて見逃されると言う体たらくを演じてしまった未熟の極み。

 

「……落ち度以前の問題です。私が彼を殺しかけてしまったんですよ。この件が落着したらちゃんと処分を下してください。それから光姫さんに渡してあるアレをちゃんと学校に提出してください」

「分かった、分かった。それならお前も油断せず、落ち着いて仕事しなよ。いいかい? ホウレンソウは徹底だ」

「承知しています」

 

 早口で彼女に伝えると私は逃げるように母屋の方へと駆け出した。

 あの光景を思い返すのが怖かった。

 血塗れで苦しそうな息を漏らす彼のこと、ただの少女のように泣き喚く自分の醜態に目を向けるのが怖くて恥ずかしかった。

 

「私はやっぱり弱虫だ」

 

 彼の真摯な言葉と行動であんなにも背中を押されていたのに結局、立ち塞がる大きな壁から目を合わせることが全然できていないんだから。

 

 

 沙夜が立ち去ってしまった後で杉が気まずそうに光姫に口を開いた。

 

「姐さんよかったんですか!? お嬢のメンタル、あれまだガッタガタですぜ!」

「いまのあいつは言葉じゃ止らないよ。なら、あの熱意を上手い具合に舵取りしてやった方が効率的だろ」

「お嬢が血気に逸って殉職とかしたらどうするんですかい」

「そんときは沙夜がそれまでの奴だったってことさ。けど、あいつはそんな半端者じゃない……もう一人で嵐の空も飛んで抜ける立派な渡り鳥だよ」

 

 我武者羅に暴走しているようにも見える沙夜を案じる杉に長く彼女と一緒にいるからこそ、その芯の強さを知っている光姫はあっけらかんと言い放った。

 

「ところであの子の様子からすると坊やの方も無事に起きたと見えるね」

「はい。護衛についている梶から昨日には目を覚ましたようで」

「よっしゃ。そんじゃあ、余計なお節介焼きにいくとするか。杉は引き続き安や中と一緒に変態ご一行の行方探しと襲撃に備えてくれ」

「了解しました!」

「さて、青臭い若人たちのために外堀埋めにいこうかね」

 

 迅速に指示を飛ばしながら、光姫も行動を開始した。

 御守衆の任務とは外れた些細なものだがそれでも大事な部下であり友人にとっての大切な繋がりを守るために。

 

 

 廃墟や空き家という物は珍しいようでいて、探そうと思えばその実幾らでも存在する。

 例えば、学校近くの商店街の片隅で閉店して十数年は経っていると思われる腐食と錆だらけの一件の駄菓子屋などがそうだ。

 

「お待たせいたしました四化神の皆々様。本日の昼餉にございます」

 

 薄暗い空間を無数の蝋燭が照らす異様な駄菓子屋の屋内に座するバケトラたち四体の化神の前に天厳はどこからか拉致して屠った浮浪者の四つの遺体とその血を混ぜた酒と共に捧げた。

 

『おおう! 感謝するぞ人間!!』

『至れり、尽くせりとはまさにこのことよな。欲を言えば妾は女子供の肉を食らいたかったがのぉ』

「お許しくださいませ、バケマムシ様。女人はさておき当世は子供の行方知れずといったものに非常に過敏になっております故に」

 

 供された人肉を化神たちは飢えた獣のようにかっ食らった。

 ムシャムシャと肉を齧り、ゴリゴリと骨を噛む。

 その血生臭い光景は昔話の妖怪の如しだ。

 

『気に病む出ない人間。なぁに戯れに言ってみたまでのことじゃて』

『全くそなたの欲深にも呆れるのぉ』

『――善きことだ。我ら化神、強欲でなくてはならない』

 

 仲間を嗜めながらも未だ実力未知数のバケダヌキ、そして永春を陥れた張本人でもあるバケカガミもまた天厳が用意した人肉と血酒を本能のままに貪っていた。

 その酒に天厳の生き血が混ぜられていることも知らずに、ひいては男が密かに嘲笑を浮かべていることにも気付くこともなく。

 

(嗚呼、嘆かわしいですなぁ化神様方。小生のような男の下策に踊らされているようではいけません。全く以っていけません。これは少々、反省をしていただかなくてはなりませんな)

 

 人間と化神との混ざり物のような男はその胸の内に秘めた大願を成就するための次の策を実行に移す算段を企てていた。

 

 

【ごちそうさまでした】

「はい。お粗末さまでした。それにしても若いってすごいわね。ミキサー食とは言えあの傷からもう普通に食事ができるようになるなんて」

【先生やみなさんのおかげです】

 

 食べ終えた昼食を下膳しにきたナースさんに携帯型のホワイトボードに書き込んだお礼を伝えて見送ると病室にまた気が滅入る静寂がやってくる。

 兄ちゃんが用意してくれたホワイトボードを使った筆談のお陰で意思疎通にはかなり不自由しなくなって一安心してはいるけど、深夜の出来事もあって一人でいると欝屈とした感情ばかりが溢れてくる。 

 

(何やってるんだろうボク……四日前まで沙夜さんに秘密を打ち明けるんだって意気込んでたのにさ)

 

 病室のベッドという鉄格子のない檻の中から飛び出せずにいる自分が情けなくなって、無意識に真っ白なシーツを指が痛くなるほど握り締める。

 

「よぉ坊や! 元気かーい? 見舞いに来てやったよ!」

 

 ノックもせずに軽快な足取りで乗り込んできた顔見知りにボクは無言で飛び跳ねた。

 光姫さんの後ろにはスキンヘッドとグラサンが素敵な屈強な面持ちと体格の梶さんも控えていて、傍から見たらあらぬ噂を立てられそうだ。

 

【せめてノックしてくださいよ】

「堅いこと言うなよ。アタシと坊やの仲じゃないかい? というか良いもの持ってんねえ! 念のために手話の動画見てきたんだけど無駄になっちゃったね、こりゃあ」

【そもそもボクも手話なんて出来ませんから】

「ああ! 確かにそうだね。アタシとしたことがうっかりしていたよ。それよりだ――」

 

 湿気た雰囲気の病室が一気に明るく……いや、騒がしくなった。

 お見舞いの品であるちょっと高そうな洋菓子の詰め合わせをボクに渡すと光姫さんは勝手知ったる様子で椅子に座ると急に姿勢を正した。

 

「今回はアタシらの失態で永春に酷い目に遭わせちゃったねえ……すまなかった」

【顔、上げてください。ボクは皆さんのこと恨んでなんていませんから】

 

 別人のような真摯な態度で頭を下げてボクに謝る彼女の顔の近くにホワイトボードを突きつけた。危険を承知で首を突っ込み続けていたのはボクの方なんだから、御守衆の人たちが謝ってくれるのはこちらとしても心苦しいばかりだ。

 

「なら、詫びの代わりに坊やの知りたいことをアタシの知っている限りで何でも教えてあげるよ」

 

 ボクの気持ちを汲んで頭を上げてくれた光姫さんは涼しげに微笑んでそう言った。

 まるで最初からそのためにここに来たと言っている様な余裕のある態度に今度はボクが腹を空かした犬のように飛びつく番だった。

 

【沙夜さんは? 昨夜ボクに電話をくれた時はお別れを言いに来たって】

「ま、坊やの聞きたいのはそれだろうね。ちょっと長くなるけどいいかい?」

 

 光姫さんの言葉にボクは夢中で首を縦に振った。

 すると彼女は沙夜さんのことを思ってかどこか曇った顔でボクが昏倒した後の顛末を話してくれた。

 沙夜さんは自分も重傷を負っているというのにボクを病院にまで担ぎ込み、通り魔に襲われたと言う最低限の情報だけを残して大騒ぎする人たちの記憶を消した後、自分は六角モータースに戻り緊急事態の報告を光姫さんに済ませて一度倒れてしまったと言う。

 それでも数時間で目を覚まし、傷の痛みを押しのけて学校も休んでこの連日をずっとボクを襲った化神たちと物部天厳と名乗る怪しい人物を探し回っていると言う。

 光姫さんによると一度は沙夜さんに療養するように命じたそうだけど、ボクを守れずあまつさえ傷つけてしまった自責の念と化神たちへの怒りで悔し涙を流し続ける姿に条件付きで行動を許したとそうだ。

 

【そうでしたか。教えてくれてありがとうございます】

「幻滅したか? 顔も出さずに一方的に別れ話切り出してきたアイツにさ?」

 

 ボクは無言で首を横に振った。

 確かに御守衆の人間としては彼女は失敗を犯してしまったのかもしれない。だけど、ボクの友達としての彼女は何も悪いことなんてしていない。

 

【どうしたら、いつもの沙夜さんに戻ってくれると思います?】

「さぁな。アタシはアイツじゃない、沙夜の中のケジメの問題だからねぇ……ついでに言うとアイツはガキの頃から見かけによらず頑固だからな」

 

 ボクの質問に両手をヒラヒラと振って答えてくれた光姫さんに思わず笑ってしまう。

 自分よりも付き合いの長い彼女がそう言うんなら、生半可な言葉で沙夜さんは捕まえられそうにないみたいだ。

 ボクも本気の本気で向かい合わなきゃいけないんだと強く自分に言い聞かせる。

 

【もう一つ。御守衆の皆さんは今回の沙夜さんみたいに守れなかった戦いって珍しいことなんですか?】

「ふむ……そうだな。こう答えると頼りないと思われるかもしれないが守れない、救えないなんて良くあることさ。それこそ不甲斐ないけどね」

 

 光姫さんは真剣に、あっさりと……それでも後ろめたさを感じさせない強い声で答えてくれた。

 

「アタシらだって人間だし、多くは無い人数で陰日向に動いてるんだ。手なんて満足に足りたことの方が珍しいよ。だけど、取り零してしまった命のことを決して忘れずにやり続けるのさ。むしろ、御守衆にとっては続けることの方が本命の戦いだよ」

【戦い続けることがですか?】

「化神との戦いはラスボス倒してハッピーエンドってものじゃないからね。害獣駆除や毎年の台風なんかの自然災害と向き合うスタンスに近いんだ」

【途方もないですね】

「だね。けど、誰かがやらなきゃいけない大事な役目だ。だから波打ち際で砂の城を築くような徒労にも見える積み重ねだとしてもアタシたち御守衆は戦い続けるのさ」

 

 そう語る光姫さんの顔は誇りと自信に満ちていた。

 きっと、沙夜さんも同じような想いを秘めて戦っていたのだと思うと益々自分の覚悟の足りなさが情けなくなる。

 

【ボクはまだ沙夜さんの近くにいてもいいと思いますか?】

「バーカ! そんなもん他人に聞く奴があるか! 好きなようにすればいいさ」

 

 教えてもらった情報と自分の中に溢れてくる感情でぐちゃぐちゃになった末に出たボクの問いかけに光姫さんは結構痛いデコピンを返してくれた。更に謎の封筒をセットでボクに押し付ける。

 

「アイツも若気の至りで好き勝手やっている最中なんだ。坊やも手前勝手を貫けばいいさ! ついでに沙夜がよく懐いているお友達なアンタにそれを預けておくよ」

【これって沙夜さんの退学届じゃないですか!? ボクなんかに預けちゃダメでしょ】

 

 封筒の中身はとんでもないものだった。

 ホワイトボードに文字を殴りかいて慌てて光姫さんに見せた。

 

「かぁーこの朴念仁め。永春だからそいつを預けておくのさ……これでも沙夜の人並みの日常や幸福ってものが少しでも多ければ良いって願っているもんだからね。さて、そろそろ帰るわ」

【ちょっと待って!】

「アタシも忙しいんだよ。念のためボディガードに梶を置いておくから、困ったことがあったら頼りな」

 

 言い終えると光姫さんは大きく伸びをして軽やかな足取りでボクの病室から去っていった。本当に嵐のような一方通行ぶりである。

 だけど、おかげでボクも気持ちの整理がついた気がする。

 昨日までは不貞腐れていたわけだけど、一日も早く喋れるようにリハビリにも真剣に取り組んでみようと思うのだった。

 

 

「君、確か永春のクラスメートの子だったよね」

 

 シャワーと食事と仮眠を摂って、再び物部一派を探している最中に後ろから呼び止めてくる声に私は思わず足を止めてしまった。

 

「やっぱりそうだ。あーっと望月くんで良かったよね」

「永春くんのところの……はい。先日はお邪魔しました」

 

 そこにいたのは若白髪が目立つ端整な顔の男の人。名前は水樹八雲だったはず。

 彼が暮らしている下宿屋の同居人である大学の准教授だと言っていたはず。

 第一印象こそ悪かったけど、お静さんのご好意でお茶をご一緒した時からはぶっきらぼうだけど面倒見の良さそうな印象があった人だ。

 彼の人柄は置いておこう、少し厄介な人に出くわしてしまった。

 

「今日は平日だったと思うんだけど学校はどうしたんだい?」

「えっと……その、ごめんなさい」

 

 昨日に続いて運が無い自分に嫌になってくる。

 知り合いにばれないように用心して装士として活動する際の黒のチェスターコート姿でいたのに、よりにもよって教師に出会ってしまうなんて。

 最悪、補導されるようなことになるまえに記憶を消さしてもらおうかと思っていた時だ。

 

「いいさ。サボりの一つも多感な学生時代の特権さ。次の講義まで暇を持て余していてな。君で良かったら話し相手に付き合ってくれないか? 午後のおやつぐらいは奢ろう」

「は、はあ」

 

 眠たげな目元を片手でぐりぐりと弄りながら気さくに笑う八雲さんに連れられて、私は気が付けば最寄りの喫茶店に連れ込まれて紅茶とアップルパイをご馳走になっていた。

 

「悪いね禁煙席じゃなくて。もうオッサンのルーキーでも無い歳になってきたから本数は控えてるんだけどきっぱり止めるってのは耐え難くて」

「私は平気ですので。こちらこそ、ごちそうさまです」

 

 八雲さんは鼻筋が通ったシャープな顔立ちをだらしなく緩ませて咥えたタバコの煙を堪能しているようだった。こんなことに付き合う時間は無いのだけれど、強引に立ち去っては余計に怪しまれてしまう。私が適当に返事を合わせてお暇させてもらう機会を窺っている合間にも彼はぽつぽつと取りとめのない世間話を話しかけてきた。

 

「そうだ! 永春のやつ昨日意識が戻ったみたいでね。気の毒な目に遭ったけど大事が無くて良かったよ」

 

 不意に飛んできた話題に胸がチクリと痛んだ。

 どうにか平静を装って生返事を返したけど、罪悪感が止めどなく胸の奥から溢れてくる。

 

「余計なお世話かもしれないが暇があったら見舞いに行ってやってくれないか?」

「え、ええ……近いうちに」

「ありがとう、あいつも喜ぶよ」

「いえ、私なんかが行ってもご迷惑になるだけかもしれませんし」

「たぶん……それだけは無いと思うがね」

 

 時間が勿体ないとかそういう問題ではなく、一秒でも早くこの場から抜け出したい気分だった。お願いだから、これ以上彼の話題を出さないでほしかった。

けれど、八雲さんが言った次の言葉に私は耳を疑った。

 

「永春のやつ、ここ最近で随分と変わったんだぜ? その原因は恐らく君だよ」

「あの、それはどういう?」

「俺が言ってたというのは秘密にしてくれよ。なんて言うかだな、すごく生き生きとした顔になったんだよなアイツ。笛吹荘に来たばかりの頃はただなんとなく生きている様な覇気のない感じだったんだけどよ。二年生になってからすぐにガラッと変わったんだ」

 

 初めて聞く私の知らない彼の話に驚きが隠せなかった。

 もう会うつもりもなかった彼なのに、私は浅はかにも自分の知らない彼のことが気になって仕方なくなってしまったのだ。

 

「もしもご迷惑でなかったら、その頃の永春くんについて教えてくれませんか?」

「お安い御用だ。といっても、大した話じゃないがね……中学の終わりにご両親を亡くしているのは知ってるかな?」

「はい。この間、永春くんが話してくれました」

「その喪失感ってのもあったんだと思うけど、下宿始めたばかりのあいつは脱け殻みたいな感じだったな。一見すると何ともないように見えるんだろうが俺は一応こんな仕事だからな、なんとなく見抜けちゃってな」

 

 二本目のタバコに火を点けながら八雲さんはサラサラと続きを話してくれた。

 当時の彼は表面的には健気にアルバイトに励む苦学生のようだったけれど、どこかで自分が生きる世界や人生について無気力で不真面目に向き合っているような危うさがあったという。

 

「……正直、信じられません」

「だと思う。アイツいかにも善良な人畜無害って感じのやつだからな」

「クス。そうですね」

 

 ケラケラと笑う八雲さん態度につられて思わず小さく笑ってしまった。

 今更なのに、知らなかった彼の一面に触れることが出来て嬉しいと思ってしまった。

 

「と、まあ。長々とお喋りしたわけだがそんなアイツが近頃になってなんでか急にキラキラしたみたいに元気になったんでずっと気になってたんだ」

「八雲さんはその原因が私だと?」

「俺はそう睨んでるよ。まあ、アイツを変えたそれが恋なのか否かについてはノーコメントにしておくよ」

「……仮にそうだったとしても、私にはもう」

「俺でよかったら悩み相談承るがどうだい?」

「はい!?」

 

 想定外の言葉に思わず私は間抜けな大声を上げてしまった。

 あわあわと狼狽する私に八雲さんはあたたかく力強い口調で続けた。

 

「永春とあの日何かあったんだろう? 顔に書いてある。君、目元が隠れてるわりには純朴というか分かりやすいよな」

「そうでしょうか」

「人間には赤の他人にしか吐き出せない弱み辛みっていうのもある。騙されたと思って頼ってみてみないか?」

 

 まるで父親のようなどっしりと落ち着いた低い声が頑なに閉じていた私の心の閂を外したようだった。

 御守衆としての守秘義務とか御伽装士の秘密とか後回しにして、私は自分でも驚くほどあっさりと八雲さんにずっと抱えていた後悔と自責の念を話すことが出来た。

 もちろん、化神のことや敵の策にはまった私が永春くんを傷つけてしまったことは伏せてはいたけれど。

 永春くんがあんな目に遭ってしまった原因は自分にあること。

 血塗れになって苦しむ彼を前にして慌てふためいてすぐには何も出来なかったこと。

 無力で不甲斐なかった自分のことを何度も言葉に詰まりながら全部打ち明けた。

打ち明けてしまっていた。

 私の吐露を黙って全て聞いていてくれた八雲さんは暫く黙って頷くような仕草をしてからゆっくりと口を開いた。

 

「よく話してくれたね。ありがとうな。だけど、自分を責めるのはそれぐらいで軽めにしたらどうかな」

「……そういうわけにはいきませんよ」

「じゃあ、質問だがそうやって陰気に自分を責めていれば、永春の怪我はすぐに治るのか? 退院は早まる? 後遺症の有無は?」

「それはッ! ですが私のせいで永春くんが大怪我したのは紛れもない事実です。もしかしたら死んでいたかもしれなかったんですよ!」

「自省は美徳だけど、君はもう少し大雑把に生きることを覚えた方が良い」

「なんですかそれ? あんな償いきれないようなことを犯しておいて私にはそんなこと出来ません」

「そうだろうか? 君の周囲はもう君の失敗を許していると思うよ。後は望月くんが自分自身を許すだけだと思うんだが? というよりも君は永春に顔を合わせるのが怖くて自分に罰を科しているんじゃないのかい」

 

 反論できずに私は息を詰まらせた。

 八雲さんの言葉に心を丸裸にされている感覚だった。

 

「ちょっと本職っぽいたとえ話をしようか。歴史上、人間ってのは間違いばかり犯して生きてきた種族だ……戦争に、政治に、エトセトラ。それも一度犯した間違いを似たり寄ったりで繰り返す。正直言って間抜けにも程がある。でも、失敗を教訓にして何度もより大きく逞しく進歩したのも本当のことだ」

「だから、私にも大雑把に生きろと?」

「大正解! ハナマルをあげようじゃないか!」

「くっ……そこまで本気のトーンで言いますか!?」

 

 次第に熱の入っていく問答の末に八雲さんはおどけた調子でハッキリと私にそう答えた。あまりにも真剣におどけた様子で答えるのでこっちまで脱力してしまう。

 

「それでどうだ? ここまでポジティブに背中を押されたら、ウジウジと後悔に暮れるのが馬鹿になるだろ?」

「ええ……お陰さまでちょっと肩の力が抜けました」

「よかったな。俺もまたこうして迷える若人を導けたと思うと鼻が高いよ」

 

 優雅に長い足を組み直して得意げにする八雲さんに私はぎこちなく、だけど確かにちょっとだけ気が楽になった心地で答えた。

 

「八雲さん、貴重なお話をありがとうございました」

 

 たぶんこの気楽さは自分を甘やかすというものではなく、彼のためにも前向きに現実に向き合うことへの心境の変化だと思いたい。

 八雲さんと別れて喫茶店から出た私は一度大きく深呼吸をした。

 まだ自分がどうしたらいいのかちゃんとした答えも分からない。

 けれど、まずは自分の役目を果たそうと思う。

 憎しみや怒り、自責の念からの八つ当たりではなく御伽装士としての正しい在り方でそれを成そうと思う。

 

 

 

 

 

 

 白昼の校舎に鳴り響く悲鳴。悲鳴。悲鳴。

 永春たちの通う高校は突然の化神たちの襲来に生き地獄のような光景に変貌していた。

 放課後の学校に正面から乗り込んできたバケトラたち四体の化神たちは逃げ惑う生徒や教師たちに天厳より授けられた謎の種子を撃ち込んでいく。

 

『おうおう……あっという間に木になりおったわい。人間の術者崩れと思ったが恐ろしいものを用意するのう』

 

 奇怪な種子を撃ち込まれた人間は生き血を養分に吸われて瞬く間に不気味な樹木へと変貌していく。その名は人柱樹――天厳が企てた大儀式の大切な燃料となるおぞましき樹であった。鬱血した人肌のような不気味な色の枯れ木が校庭や校舎のあちこちに乱立する。

 不格好に捻じ曲がった枝木はまるで助けを求めて手を伸ばす人の手のようだ。

 あっという間に高校を制圧した四化神たちは屋上から自分たちが手掛けた地獄絵図を眺めて悦に浸っていた。

 

『よもや我ら化神がここまで白昼堂々と暴れることが出来ようとは夢にも思わなんだな!』

『ここからさらに大暴れ出来ると思うと武者震いがするのう!』

 

 バケマムシとバケダヌキが目の前の光景に気を吐いて鼓舞し合う。

 千年以上も歴史の影で暗躍していた化神たちがここから表舞台に台頭するのだと。自分たち四体とあの人間の術師に敵はないと勝ち誇っていた。

 だから、彼らはその敵意を察知するのが僅かに遅れた。

 

「退魔覆滅技法――烈風葬破」

『――なん、とッ!?』

 

 彼方から放たれた鋭い一条の光が突如としてバケカガミを射抜いた。

 残る三体の化神たちの動揺が収まるのを待たずして、遥かより白い影が屋上へ切り込む。

 

『御伽装士め! また貴様……か?』

『なんだその姿は!? 本当にあの時の小娘か!』

 

 遠距離からの狙撃によりいきなり仲間の一体を喪った化神たちは怒り狂うが大筒の他に羽団扇も同時召喚して間髪入れずに攻めか掛かってくるビャクアの姿に思わずたじろいだ。

 

「そうですよ。今度は必ずお前たちを倒す……出し惜しみは無しです」

 

 傾始めた陽光に照らされたビャクアの姿は何時ものそれと明らかに異なっていた。

 山伏のような白い軽鎧は刺々しく変わり、全身には変身前の沙夜の肌に浮き現れるような赤い蛇紋様が迸る。

 これこそはビャクア、禁忌の強化術式。

 変身者である沙夜の心身の負担を無視して怨面に宿る力を限界まで引き出した強化形態。

 その名もビャクア・マガツであった。

 

『今日は情けなどかけてやらんぞ!』

「クゥ……ア、ァ、ゥアア――!! 当然です。私とお前たち……殺すか、殺されるかだ!」

 

 羽団扇を振り回してバケトラの爪と切り結んでいたビャクアをバケマムシが横から突き飛ばす。そのまま両手の平に生やした銃口からの溶解液で跡形もなく溶かそうとする。

 だが以前よりも速く、膂力も増したビャクアは怪鳥めいた雄叫びを上げながら踏み止まるとあべこべにバケマムシを地面に投げつける。

 

「お前たちは後だ」

『ガッ――!?』

 

 ビャクアは逆手に持った羽団扇を走らせてバケマムシの両手首を斬り落とすとそのまま山崩しの大筒を棍棒のように振り回して脅威となる首をも徹底的に痛めつける。

 仲間の窮地に残る二体が背後から迫ってくるのを強化された感覚で詳細に感じ取ると強引に足元の相手を投げつけてバケマムシとバケトラの動きを一時的に封じることに成功した。

 

「お前の力はまだよく分からない。妙なことされる前に仕留めます!退魔七つ道具其の弐!」

『勝負勘は良いようだが……甘いのぅ』

 

 愚鈍そうな見た目のバケダヌキにビャクアは快刀を召還しながら肉薄すると隙だらけの敵に容赦なく白刃を振り下ろした。だが、バケダヌキが斬撃を丸々とした白い腹部で受け止めると刃はまるで柔軟なゴムを切ったように深々と食い込み、そのまま弾き返された。

 

「刃で切れない!?」

『無駄じゃよ! 儂の自慢の腹太鼓は伸縮自在。切れぬ! 破れぬ! 貫けぬじゃ! 諦めは大事じゃぞ若いの?』

 

 刀剣だけでなく、槍も弓も銃器さえも寄せ付けない絶対防御を誇る自らの肉体を誇るバケダヌキは老獪らしい卑しい雰囲気でビャクアを威圧する。

 それに対してビャクアは焦らず騒がず、敵の言葉など雑音のように受け流して瞬時に次の手を模索する。

 

「カンラ!」

『うっぷ!? なんじゃこの羽根は……ムッ!』

 

 羽団扇を用いて仙術を使うとビャクアの周囲には視界を奪うほどの羽根吹雪が巻き起る。

 更には激しく舞い踊る白い羽根が幾つかより集まり、無数のビャクアの形になって相手を攪乱した。これぞ仙術・羽根幻影である。

 

『まやかしか……フン! だが、こんなものでは子供騙しにもならんぞ!!』

 

 屋上に発生した羽根吹雪と大量のビャクアの幻の前にバケダヌキは堂々と仁王立ちで構えた。すると死角から矢のような光弾が撃ち放たれてバケダヌキに直撃するも恐るべき耐久力を誇る腹太鼓はそれすらも受け止め切ってしまった。

 

『効かぬといったであろう! 姿を見せてみい! 嬲り殺してくれように!!』

「……確かに刃物も銃撃も無駄ですね。では、そこ以外を攻めましょう」

『なんじゃ……おぼぉおおお!?』

 

 腹を叩いて太鼓のような轟音を響かせて威嚇するバケダヌキの頭上からビャクアは仕掛けた。正面突破が難しいと判断した彼女はなんと携えていた大筒を槍のように構えると容赦なくバケダヌキの口の中に突っ込んだ。

 

「吹き飛べ」

『っぼぎゃぁああああ!?』

 

 バケダヌキがビャクアの攻めの手の内容に青ざめた時にはもう遅かった。

 躊躇いなく引き金を引かれた大筒から放たれたエネルギーの奔流が外皮の防御力などお構いなしに体内に炸裂した。

 

「……しぶといですね」

 

 光が晴れて広がる光景にビャクアは忌々しそうに呟いて投げ捨てていた快刀を拾い直した。そこには肉体の六割を破裂させながらも、まだ生き永らえている変わり果てたバケダヌキの姿があった。

 

『やらせるものか!』

『バケダヌキ! しっかりしな!!』

 

 忍び寄る死神のように白刃を煌めかせてバケダヌキに歩み寄るビャクアを阻むように左右からバケトラたちが襲い掛かる。だが、ビャクアはそれぞれを片腕で容易く二体をあしらうと快刀で十文字に切り裂き、ダメ押しに回し蹴りで弾き飛ばした。

 

『ぐあっ!? 前に戦った時とは桁違いだぞ』

『忌々しい御伽装士め……ッ!!』

「ちゃんと順番に始末してあげますから慌てないでくださいよ」

 

 ビャクア・マガツはその禍々しい姿に違わない圧倒的な戦闘力で三体の化神を歯牙にもかけずに追い詰めていく。

 

「それは少々困りますねえ。しばしお待ちいただけませんか、御伽装士様?」

 

 わざとらしくドアを閉める音を立てて、ビャクアの前にあの人間の皮を被った悪鬼は現れた。

 

「物部天厳……会いたかったですよ」

「おやおや。困りましたなぁ小生、年若い女人に懸想されることなど皆無でしたのでなんとお言葉を返せばよいやら」

「……気安く話しかけないでくれますか?」

 

 吐き気がするような言葉で自分を挑発してくる天厳にビャクアは仮面の奥で額に血管を浮き上がらせながら静かに激怒した。一方で化神たちは現れた天厳にこれ幸いと縋りつき形勢逆転を確信する。

 

『遅いではないか天厳! バケカガミがやられてしまったのだぞ!?』

『仕置きされたくなければ早く妾らに加勢せよ。あの装士を縊り殺してくれる!』

『天厳?』

 

 傲慢に詰め寄る化神たちだったが無言で微笑む天厳に薄気味悪さを感じて後ずさった。この男は自分たちにも明かしていない別の企みを持っていると悟った時には既に遅かった。

 

『『『アア……ァアアア!? 躰ガ!? カラダガァアアアアア――!?』』』

「嘆かわしい。皆々様の醜態……小生とても嘆かわしく思います。思いますのでもう二度と醜態など晒せぬようにさせていただきましょう」

『貴様は人間の分際で妾たちを裏切るつもりかぁああ!?』

「お許しくださいバケマムシ様。ですが貴方様たちとて、いずれは小生を用済みとして喰らうつもりだったのでしょう?」

 

突如として化神たちの躰から黒い血が噴き出し始めたと思うと彼らの躰は流砂のように分解されて天厳が懐から取り出した怨面へと吸収され始めた

 

『天厳ッ! テンゲェエエエエン!!』

「故に小生は思案したのです。化神様を敬いながらも、軽んじられずに対等に並び立つにはどうすればよいのか。その答えがこれです。貴方様たちにはもう忠義を尽くせませぬがどうか小生の贄になることを誉と思い下さい」

「それは猿羅の怨面!? 何をする気です!」

「くっひゃっはははは!! 分かりませぬか? 分からないでしょうなぁあああ!!」

 

 怨面を媒介にした得体の知らない術式にビャクアも驚愕した。やがて天厳の次の動きを警戒して微動だに出来ずに見守るビャクアの前で三体の化神たちは欠片も残さずに怨面にその命も力も吸い尽くされてしまった。

 

 

「物部天厳……お前は何をする気ですか!?」

「言葉で説明するよりはどうかご覧くださいませ。ほら、このように!」

 

 冷や汗を流しながら何時でも斬り掛かれるように身構えるビャクアの目の前で天厳は妖しく発光する猿羅の怨面を被って見せた。

 

「確か前の持ち主はこう言っていましたかな? オン・バサラ・ソウ・ソワカ」

「まさか……!?」

 

 ビャクアをおちょくるような愉快な口調でそう唱えた天厳の四肢に奇怪な紋様が浮かび上がる。

 

「変身」

 

 ビャクアが愕然とする中で怨面を被った物部天厳の肉体はおぞましい暗色の光に包まれて変わっていく。心臓を鷲掴みにされるような言いようのない威圧感を放ちながら。

 

『ほほぅ! これは見事なものですなぁ!! 全身に満ち満ちと力が漲ってくるではないですか!!!!』

 

 憤怒の貌をした猿の如き仮面を持ったその異形は嬉々とした声を上げて大気をビリビリと震わせた。

 

「そんなあり得ない……お前のような人間が怨面を使えるなんて! 御伽装士になれるなんて」

『否ァ! 小生は御伽装士などではありませぬ! この怨面などと言う小道具も己が力で屈服させたまで!!』

 

 仮面の異形は咆哮する。

 やがて天厳であった存在の肉体を覆い包んでいた黒い瘴気が全て晴れてその威容が明らかになっていく。

 魔猿の頭と尾に、無数の大蛇の毛髪。

 剛柔自在の白い狸の胴と出刃包丁のように分厚く鋭い爪を持った鎧のような虎の四肢。

 合成獣の面影を持つ異形の魔人の姿がそこにはあった。

 

『そうですな……さしずめ化神装士ヌエとでも名乗っておきましょう』

 

 御伽装士に極めて近く、限りなく遠い脅威がビャクアの前に立ち塞がる。

 いつかの黄昏時とはまるで違う血染めのような茜空の下で二人の仮面の戦士はいま死合おうとしていた。

 

 




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第七幕 君に捧ぐボクの■■

 中学二年生のある冬の景色。

 目まぐるしく変化を続ける日々の暮らしと多感な年頃に突入した心にはもうすっかり、夕凪さんと過ごした思い出やあの雨の日に起きた別れと遺された言葉のことも古ぼけた過去の物にしていたはずだった。

 地元で珍しく雪がたくさん降り積もって、見慣れぬ銀世界を父さんが運転する車の後部座席から眺めていた時のことだった。

 突然外から聞こえてきた大きな物音と前の席で数秒前まで可愛い初孫の話で盛り上がっていた両親の言葉にならない叫び声。

 何事かとボクが前を向いた時にはフロントガラスを突き破って車の中に鉄パイプや鉄骨と言った資材が鋼の激流になって襲い掛かってきた。

 痛いほど心臓が鳴って、眠たくもないのに意識は一瞬で真っ暗になったように途切れた。

 

 何秒か何分経ったのか、定かではないが意識が覚醒した。

 同時に目の前に飛び込んできた凄惨な車内の変わりように口の中が酸っぱくなって気持ち悪くなる。

人間三人が血も肉も骨もまとめてミキサーに掛けられたように滅茶苦茶になっていたのだから無理もない。

 息を吸うのも苦しくなるぐらいの濃い血の匂いが漂う中で自分に何が起きたのかを信じられないが把握した。

 

 あのお呪いは本当の物だったのだと愕然とした。

 忘れかけていた思い出が後ろから首を絞めてくるような気分だ。

 ずっとあの日の愚かさも別れも夕凪さんのことさえも悪い夢だったと目を背けていた全てが現実で真実だったと証明された瞬間だった。

 ボクは――……。

 

「――」

 

 ベッドから床に落ちた文庫本の音で夢から覚めた。

 読書中に寝落ちして変な姿勢でまどろんでいたせいか背中がすごく痛い。

 あと、首の周りの寝汗も酷い――両親と死に別れた瞬間を夢に見たのだから無理もないことだけど。

 

「――……」

 

 怪我を負う前に気になって井上から借りていた文庫本を拾い上げて、汚れを払う。

 人魚姫・異聞のタイトルに我ながら何とも言えない深い溜息を吐くと換気がしたくて病室の窓を開けた。

 涼しい風に身体の不快感が吹き飛ぶように消えていく。だけど、よく見る夕焼け空とは雰囲気がまるで違う茜空に言い様のない胸騒ぎも覚えていた。

 まるで地獄の蓋を開けたような、煮えたぎる血のような赤い空に――。

 

 

 

 

 高校の屋上は先程まで繰り広げられていた戦いのけたたましさが嘘のように静寂に包まれていた。

 ただ……二つの仮面を纏う人型たちが対峙していた。

 六月の生暖かい空気が凍ってしまいそうな張り詰めた殺気が押し攻め合う。

 白い鴉の面を持つ者と魔猿の面を持つ者の一触即発の領域。

 

『どうしました? 怨敵がここにいるのですよ? 同胞を騙し討ちして怨面を奪い、化神様たちを扇動してこうして世を乱そうと企てる狂人がここに! あぁ……それとも、ご学友の少年を貴女に斬らせた張本人と名乗った方がそそりますかな?』

「喚くな」

 

 御伽装士とは違い口元は露わになった異形の戦士となったヌエは猿の如き牙をチラつかせ、慇懃にビャクアを嘲笑ってみせる。一拍の間も置かず、その挑発の返答とばかりに首筋を狙った怒れる刃が横一閃に走った。

 

『おっほっ! お見事な早業!! 小生の目では追えませんでしたよ。 まあ、良いでしょう』

「あの狸の化神の皮膚と同じ……なら、目でも抉ります」

 

 フェイントを混ぜて高速で背後からヌエの首を斬り飛ばそうと試みたビャクアであったが無念にも三体の化神と怨面の力が混じり合った異形の桁外れに強靭な肉体はその刃を寄せ付けなかった。

 だがビャクアは自身の体が地面に着地するよりも前に次撃へと移った。禍々しく濁ったヌエの目玉を快刀の切っ先で串刺しにしようとする。

 

『人間の肌と同じと思ってもらっては困りますなぁ! 小生と比べればあの少年の首筋は乙女の柔肌のようなものでしょう!! 手触りの違いを事細かに教えてほしいものです』

「くっ……ぁああ!?」

 

 ヌエのざらついた悪意に満ちた言葉がビャクアの心を甚振る。

 見え透いた挑発だと理解していても、快刀を握る彼女の手にはあの時の永春の首を切り裂いてしまった生々しい感触が蘇ったような気分に襲われて、僅かに攻撃の意思が揺らいでしまった。

 その隙を逃さず振り降ろされたヌエの拳打が容赦なくビャクアを叩く。

 手痛い一撃を喰らってしまった彼女の体はまるでゴミ箱へと乱雑に投げ込まれる紙屑のように地上へと吹き飛んでいった。

 

『クヒャッハッハハハハ! これは我ながら吃驚仰天!! 怨面と化神様方の融合体よもやこれほどまでとは!!』

 

 黄昏刻の空にヌエの哄笑が木霊した。

 禁断の――否、前例のない化神の力と御伽装士の力の複合という稀有な方法で生まれた化神装士の圧倒的な力は秘術を発想し試みた天厳さえも驚くしかない程に凄まじいものだった。

 

『その痛ましい姿。察するに貴女も相当な無理を強いて以前よりも力を引き出しているとお見受けしますが残念なことに小生との実力差は明確! それを知りながらまだ争いますか?』

 

 ふわりと屋上から着地したヌエは校庭に出来たクレーターの中心でガクガクと震えながらも立ち上がったビャクアを憐れむ。

 ビャクアは無言のまま海砕きの無双籠手を装着すると、にやついた相手の顔面へと剛腕を叩き込む。この一撃がヌエの問いへの答えだった。

 

「何度戯言を口にしてもやることは変わらない……お前を倒します」

『それは使命ですか? それとも贖罪? はたまたただの八つ当たりでしょうか?』

「……答える必要がありますか! このォオオオオ!!」

 

 壮麗な白い姿を惨めに汚し、何度も血の味のする咳をしながらビャクアは果敢にヌエに格闘戦を挑む。怪力を発揮できる無双籠手の拳は決定打にはならずとも効いているのか時折ヌエから微かに苦悶の呻きのようなものが聞こえた。

 けれど、それ以上にヌエの――天厳の嘲笑を孕んだ言葉が彼女の心に粘着して翻弄する。

 

「学校のみんなを得体の知れない樹に変えて一体何を企んでいるのです!」

『人柱樹のことですか? もちろん小生が成すは化神様の皆々様にとって益となること! 聞けば暗天なるこの世ならざる異界を彼らは生み出せるというではないですか?』

「まさか、この世界を暗天で上書きするつもりなんですか!?」

 

 ビャクアの鉄拳を斧か鎌のような爪で切り払い、得意げに頷いたヌエ。

 危惧していた予想通りの凶行を企んでいた相手の無茶無謀さに彼女は寒気を覚えた。

 

『ですがそれはあくまでも大願の第一段階にすぎませぬ。傷心を押して立ち塞がってくれた貴女には特別に教えてあげましょう!!』

「いぎっ!? ぐぇ――!!?」

 

 無遠慮に力任せで襲ってくる虎爪を必死で防いでいたビャクアの腹に鞭のようにしなる猿の尾がめり込む。皮膚が裂けるような痛みに動きが止ったところに追撃の蹴りが突きささる。丸太をいきなり突っ込まれたような衝撃に彼女は情けない呻きを吐き出して校舎の壁に叩きつけられてしまう。

 

『小生は化神の皆様にこの地上の長になっていただきたいと思っているのです。つまり、人間という動物共を霊長の座から引きずり降ろしたいのですよ!!』

「ハァ……ハア……ッ、馬鹿げています」

『まあ、はい。人間の貴女に理解していただかなくても結構ですので……小生、人間嫌いでしてね』

「私はそんなに利口ではないのでお前と知的な論争なんて出来ないです。でも、そんなもの必要とすることもなく、物部天厳! お前だけは止めて見せる」

 

 瓦礫の中からゆっくりとビャクアは立つ。

 無双籠手はヌエの爪の猛攻についにバラバラに砕けて無残に彼女の足元に崩れ落ちた。

 蹴りを受けた際に逆流しかけた胃液で喉奥がひりつく不快感に眉を顰めながら、次の七つ道具を召喚する。

 

「お覚悟を」

 

 大鎌を構えるその声は苦しげで弱々しい。

 呼吸をすれば血の味が口内に充満する。

 足腰はとっくに悲鳴を上げて軋んでいる。

 だけど、ビャクアは意地だけで万の一つも勝ち目が見えてこないヌエと戦う事を止めようとはしなかった。

 

『あきらめない精神というものも度が過ぎれば鬱陶しさに変わりましょう。小生には敵わないということは貴女が一番良く解っているのではございませんか?』

「それでもやらなきゃいけないんです。こんな私だからせめて、御伽装士としての私だけは務め抜かないと……自分が生きているのが許せないと思うんですよ」

 

 すっかり白けた様子のヌエの言葉にビャクアは気持ちが高ぶるあまりに震えた声で返した。永春を守れなかった。それどころか自分のこの手で傷つけてしまった。

 その現実や彼と向き合うことが怖くで逃げてしまった弱虫な自分――挙げだしたらキリがない不甲斐ないダメな自分への怒りと、御伽装士としての使命感を燃やして沙夜はいま懸命に食い下がろうと足掻いていた。

 

『仕方ありませんな。聞き分けの悪い子供を少しばかり本気で懲らしめるとしましょう』

 

 気だるそうに首を回した瞬間にヌエの姿がビャクアの目の前から消えた。

 そして、次の瞬間に彼女自身の視界がぐるぐると振り乱れた。

 

「うわぁ――!?」

『嗜虐趣味は無いのですがねえ……化神装士(この姿)の能力を測るためにも暴力に耽りますかな!!』

 

 音もなく間合いに入り込まれたビャクアは片足を掴まれると人形のように振り回されて何度も何度も壁や地面に叩きつけられる。

 

「くっ……舐めるな!」

 

 全身に激痛が走り、脂汗が滲み出るがビャクアも負けじと食い下がる。力を込めてヌエの手を外すと躍動。機動力を活かして死角に回り込むと弾丸のような勢いで飛び膝蹴りを打ち込む。更には鬼気迫る勢いで大鎌を四方から振り下ろして斬撃をお見舞いする。

 

『そうでなくてはねえ!!』

 

 果敢に自分に挑んでくるビャクアを羽虫でも見るように嘲り、応対する。

 戦士としての技量はビャクアが上でも全てにおいて圧倒的な力を誇るヌエはその攻撃の悉くを正面からねじ伏せてしまう。

 

『受けてばかりでは退屈しますね。たまには小生のほうから仕掛けましょうか』

「ぐ――っああ!?」

 

 四つん這いの獣のような姿勢から目にも止らぬ速さで突撃していったヌエはあっという間にビャクアの懐に入ると強靭な爪の横薙ぎで彼女を吹き飛ばす。

 ボールのように何度も地面をバウンドしながら転がるビャクアに更なる追い打ちを加えようと猛虎のように飛び掛かる。

 

「このッ! 羽団扇よ、嵐を生め!!」

『おおう!? 面白い真似をすることで』

 

 砂埃に塗れながら何とか体勢を直したビャクアはすかさず新たな七つ道具を召喚すると神通力を注いで全力で一振りした。生み出された白い竜巻が空中にいたヌエを呑み込んで更に上空へと弾き飛ばす。

 

「韋駄天の鎧下駄……いざ!!」

 

 宙空にて無防備になったヌエにビャクアは一気に仕掛けた。

 マガツとなって得たより激しく攻撃的な神通力を解放して疾駆すると幻影のような動きでその身を七つに分けると変わり代わりに必殺に値する蹴りを浴びせていく。

 

『クヒャッハッハッハ! 元気の良いことで結構!!』

「最後まで減らず口ですか……終わりです! 乱鴉一陣!!」

『無駄だと言っておるのですよ。たわけめ!!』

 

 頭部へと目掛けて迫るビャクアの一撃。

 だが、それよりも早くヌエは白い腹を――あの刃も砲撃も無力化したバケダヌキの腹部を風船のように大きく膨らませて、受け止める。

 ダイナマイトが炸裂したような衝撃が生じて大気がビリビリと震える中でビャクアの渾身の攻撃をかわしたヌエはしたりと口元を歪ませた。

 

『では……小生も少し張り切りましょうか! ヌゥオオオオオオアアアア!!』

 

 おぞましい咆哮を上げてヌエが拳を握り締めると禍々しいオーラのようなものが溢れ始めた。ビャクアは咄嗟に身を翻して回避しようとしたが地上に乱立した人柱樹の存在を思い出す。

 元々は人間であったあの樹がヌエの攻撃の余波で消し飛ぶようなことになれば――罪のない人々の命を見捨てることなど御伽装士である以前に彼女には出来なかった。

 

『隙など晒して、余裕ですかな? では、遠慮なく消えエエェイイイイイ!!』

「まずっ、間に合え――退魔七つ道具が其の陸、限定召喚!!」

 

 瞬間、高校の上空で激しい光と炎が爆ぜた。

 ヌエの拳がビャクアに直撃する瞬間に二人の間に巨大で堅牢なナニかが出現して致命傷こそ免れたが彼女は真っ黒焦げになって隕石のように勢い強く地面に墜落した。

 クレーターでは生ぬるい、地面の土が砂のように粉微塵になるような衝撃をまともに受けたことでヌエがすぐ傍に近付いてくるまで動きたくても動けないほどだった。

 

『何かを挟み込ませて凌ぎましたね? 可愛げのないことだ』

「お゛っげぇ――!?」

 

 痛みを通り越して感覚が麻痺している様な状態のビャクアをヌエはみすぼらしい小動物を苛めるかのように何度も蹴りつけ踏みつける。

やがて、麻痺が痛みに引き戻り苦悶の声を上げるようになった頃合いを見てビャクアを再び上空に蹴り上げると蛇になっている頭髪を逆立てる。

 

『翼のない鴉が大空でどのように舞うのか、どうかお見せ下さいませ』

「あっががああぁあああぁッ!?」

 

 無数の蛇髪は口から銃口のようなものをせり出すと一斉に毒液の弾丸を乱射した。

 ついさっきまで意識が飛びかけて、いまも全身を苛む痛みでまだ上手く動けないビャクアは懸命に大鎌を振り回して防御するが自慢の得物の刃はすぐに砕け、全身を撃たれてあちこちの軽鎧が焼け溶けていく。

 

『滑稽、滑稽! まぁだ……やりますか?』

「……うぅ、っお゛ぇ」

 

 猟師に撃たれた小鳥のように地に落ちていくビャクアの首にヌエの尾が巻きついて、宙吊りのような格好で絞めつける。

 くぐもった嗚咽を無理やり上げさせられながら、彼女は痙攣を始めた指先で自分の首を絞める尾を掴もうともがく。ボロ雑巾のように蹴散らされようと沙夜の心はまだまだ折れる気配はない。

 そして、天厳にとってその健気で清廉な姿は至極腹立たしい光景であった。

 適当に嬲り倒して人柱樹にしてしまおうと考えていたものを少し変更しようと姦計を巡らせる。

 だが余裕から生まれたこの僅かな隙にビャクアは捨て身の策に打って出た。

 

「アァ……アアアアァ! 白鴉! 白鴉の怨面ッ! もっと私に力をよこして! 私の命も心も供物にする!! だから、もっと力をよこしなさい!! 力をよこせぇええええええ!!」

『なんと!?』

 

 望月沙夜という人間が出すとは到底思えない猛り狂った叫び声に応じてまずは仮面が妖しく光った。続いて白い武者姿のあちこちに迸る蛇紋様が鮮血のような紅い輝きを放つとビャクアは単純な腕力でヌエの尾を引き千切り、本体へと肉薄する。

 

「ガァアアアアアア!!」

『ガッホォ!? 驚きましたな……この怨面という魔道具、染み込んだ怨念の濃さで言えば並の化神様たちの比ではないはず。貴女も人間ではなくなりますよ?』

 

 生きた嵐のような荒々しさでヌエに攻めかかるビャクア。

 限界を超えた力で殴れば殴るだけ、蹴れば蹴るだけ憎き相手にダメージを与えられるがそれは同時に自分の体も傷ついていく諸刃の剣だ。

 

「構いませんよ……そのほうが私には似合っている」

 

 一撃を繰り出すごとに血が飛び散った。

 

「満たされたいと思ってしまった」

 

 一撃を叩き込むごとに肉が裂けた。

 

「好かれたいと願ってしまった」

 

 一撃を届かせるごとに心が削れていく。

 

「だから……だから永春くんはあんな目に遭ってしまった! 誰が何と言おうともやっぱりアレは私の罪で……私がこの身全てで償わなきゃいけないことなんだ!! 私は御伽装士としてだけ生きなきゃいけなかった!!」

 

 もうとっくに見るに堪えないほどにボロボロになっていた。

 だけど、まだまだこんな痛みや傷では自分を許せないとばかりにビャクアは獣のようにヌエに攻撃を続ける。

 

『ぐっ……好き勝手やらせておけば! 舐めるな!!』

「ウゥァアアアアア!!」

 

 袈裟斬りに振り降ろしたヌエの爪が痛々しくビャクアの胴を深々と裂いて、熟れた果実が弾けたように温かな血が溢れる。だが、ビャクアの拳打は止らない。

 本心から人の心を捨てて、化神や人界を脅かす悪しき存在と戦うだけの人形になってしまってもいいという気概で怨面の力を無理やりに引き出し続けて戦おうとする。

 死なば諸共の勢いでぶつかる彼女の猛攻撃の前についにヌエの肉体も微かに傷が目立ち始めて赤黒い血がボタボタと滴り始めた。

 

「うぅう……ハァ、ハッ……うぅあぁ……ああああああ!!」

 

 雄叫びなのか泣き声なのかも分からない絶叫と共にビャクアがヌエの首を掴みにいく。そのまま全身で飛び込んで首を折る――いや、強引に千切ろうと飛び掛かった時だった。

 

『気が済みましたか? もうお休みの時間ですよ』

「――え」

 

 ビャクアの体がふわりと宙に突き上げられて、夥しい量の血が噴き出した。

 ヌエの傷口から伸びた槍のように尖った無数の血の触手たちがビャクアを滅多刺しにしていたのだ。

 それは天厳が過去にバケヒルの血肉を喰らい手に入れた最初の異能――なにより最も信頼を置いている力だった。

 

「うぁ……ぐぅあ、ああっ!? こんなも、ので……死んでた、まる」

『ご安心ください。簡単には殺しませんよ。むしろ、そのまま捨て置けば貴女は勝手に死ぬでしょうがそれでは面白くない』

「なに……を?」

 

 握り拳ほどの血反吐を吐いたビャクアの仮面の口元から鮮血が漏れ出す。

 操り人形のように全身を血の触手で貫かれ不格好に吊るされたままで彼女は尚も戦おうと手を伸ばす。

 亡者のような凄惨な姿でまだ悪足掻きをしようとするビャクアにヌエは悦に浸った様子で静かに両腕を胸の前で揃える。なんということか、するとヌエの両腕は融け合い形を変えると虎頭の銃口を持つ大砲のように化けた。

 

『虫の標本のようにそこで暫く大人しくしていなさい』

「あ……ガッ――!?」

 

 虎の咆哮のような轟音が鳴るとヌエの両腕が変わった大砲から5cmほどの太さの骨を素材にしたような杭がビャクアへと炸裂した。

 ズブリ――と、力が抜け落ちてしまうような気味の悪い音が一つ。

 杭はビャクアの腹部を貫通するとそのまま勢い良く飛んでいき、彼女を磔刑に処するように校舎の壁に突き刺さる。

 その一撃が決め手となって、ビャクアは限界が迎えたのか怨面が呆気なく外れると淡雪のような光がほつれて変身が解除されていく。

 

「クヒャッハッハハハ! 本当にそれでまだ生きているとは正直なところ驚きですよ!」

「……ぁ、ぁぁ」

 

 杭を伝ってポタポタと沙夜の血液が高所から雫となって落ちていく。

 辛うじて急所は外れたようだが天厳が指摘するようにこれだけの重傷を負って彼女はまだ生きていた。

 血に濡れた前髪から覗く、焦点の合っていない淀んだ眼は倒さなければならない男を未だに見つめて満足に動かない右腕を必死で伸ばしていた。

 

『その執念には感服致しましょう。ですが貴女の戦いはここで終わり』

 

 沙夜が磔にされた足元に転がる白鴉の怨面を拾い、ヌエは冷淡に告げた。

 そして、あの人柱樹の種を彼女にも打ち込んだ。

 

「なにを……うぁあっ、ぁぁあ!? やめっ……いぎ、うっぷぅう……わあぁあぁ」

 

 その光景は悪夢と言う他なかった。

 沙夜の体内で芽吹いた種はあっという間に根を張って彼女を蝕んでいく。

 

「あ、ああぁあ……私に入ってこ、ないで!? ああああああああああ」

 

 おぞましい呪いで満ちた無数の根が沙夜の神経や血管までも侵略していくようだった。

 全身を蟻の大群が這い回るような卒倒しそうな感覚が彼女を襲う。

 痛々しい傷口から芽を出した枝木が触手のように纏わりついて傷ついた彼女の体を包んでいく。

 逃げることも抗うことも出来ずに沙夜は自分の身体を苗床に成長を続ける人柱樹の恐怖とそんな異常事態に陥りながら全身を襲う心地の良い感覚、この相反する二つの衝動に狂ったような声を上げることしか出来なかった。

 

『どうですか痛みも苦しみもないでしょう? そんなものはすべて捨ててしまいなさい。良いのです、これから貴女たち人間は犬畜生と同列へと落ちるのですから』

 

 天厳の言葉が最後まで彼女に届いていたのかは分からない。

 何故なら既に沙夜の意識は途切れていた。

 完全には人柱樹にはならず全身から芽吹き雑多に伸びた枝や蔦に絡まった状態で生かされているような姿。

 全ては自らの計画の成就を沙夜に見せつけようという天厳の悪趣味による差配だった。

 かくしてビャクアを退けた天厳は高校に居合わせた人々を用いて作り出した人柱樹を触媒に禁忌の儀式を実行に移した。

 無数の人柱樹の枝先からは化神が暗天舞台を開く時と同じように黒い靄のような瘴気がゆっくりと放出され始めるのだった。

 

 

 

 

「――!!」

 

 血のような赤い夕焼け空に突然、黒い靄か霧のようなものが溢れ出して、この町に異常事態が起きていることは明らかだった。それも方角の先にはボクらの学校もある。胸騒ぎが強くなった。

 病室の外の廊下からも窓の外からも多くの人たちがアレは何だと騒ぐ声が聞こえてくる。

 きっと化神絡みの何かが起きているんだと思った。

 思ったから、ボクは大急ぎで私服に着替えて病院から抜け出そうとしていた。

 行かなきゃいけないと本能のようなものがボクの体を動かしていた。

 彼女に――沙夜さんに会わなきゃいけない。

 周りに迷惑を掛けてしまうとかそういう諸々は後回しだと思考の隅に追いやって、ボクは躊躇い無く窓枠に足を掛けた。

 

「どこに行くつもりッスか?」

 

 突然、手首を掴まれてふり向くとそこにはスキンヘッドにグラサンという風貌の光姫さんの部下・梶さんがいつの間にか部屋に入り込んできていた。

 

【沙夜さんに会いに行きます】

 

 普通ならば彼の顔を見ただけで怯んだだろう。

 だけど、今日のボクは自分から乱暴に手を振り払うとホワイトボードに書き殴った意思を見せつけた。

 

「反省とか、次は死ぬかもって恐怖心はないんッスか? 御守衆としても、年上の人間としても君を行かせるわけにはいかないですわ」

 

 呆れと同時に心配するような言い方で梶さんはボクを諭した。

 その言い分は正しいと思う。

 でも、いまのボクは正論を前にしても止ることは出来ない。出来ないんだ。

 

【ここで行かなかったら、明日からはどれだけ長生きしても死んだようなものです】

「君に何かあったら、俺も光姫さんにシバかれるとか他人に沢山迷惑を掛けるってのはお分かりになるッスか?」

【いいからどけ ハゲ!】

 

 書き殴ったホワイトボードを突きつけると同時にボクはがむしゃらに彼に殴りかかった。我ながら失礼で最低な奴だと思う。

 だけど、常識も理性も品性も未来も何もかも全部捧げたとしてもボクは行かなきゃいけないと思ったんだ。

 あの雨の日を、あの夜を超えて、沙夜さんに会ってたくさんのことを伝えたいと自分を止められなかった。そんな決意を込めた素人丸出しの不格好なパンチは簡単に梶さんに片手で止められてしまった。

 

「――……!!」

「あー……永春くんでしたっけ? 君、最高っすわ!!」

 

 はぁ!?

 反撃に一発殴られるぐらいは覚悟していたのだけれど、梶さんは白い歯を見せてニカッと表情を明るくすると大声で笑い始めた。

 

【あの? 大丈夫ですか?】

「一緒に来るッス! お嬢は例のオカルト糞野郎を追って君らの学校です。車で近くまで乗せていきますぜ。どうせ俺も安さんたちの手伝いに駆り出されることになるんで」

【いいんですか!?】

 

 あまりにも渡りに船な展開にボクが困惑していると時間が勿体ないと思ったのか梶さんはボクを軽々と担いで窓から飛び降りた。

 そして、難なく着地すると愛車と思われるゴツい自動車に乗り込んだ。確かヘルキャットって名前だったっけ?

 いや、そんなことよりも超展開すぎて理解が追いついていない。

 

【どうして?】

「俺、ボーイ・ミーツ・ガールが大好きなんすわ。最高のハッピーエンドを頼むッスよ」

 

 ヘルキャットは爆音を上げて走り出した。

 完全にアクション映画のワンシーンみたいになってきた車内でさっきの無謀な勢いが嘘のように混乱しているボクに梶さんはウキウキした様子で答えてくれた。

 

「真面目なお話をするとですな。俺も安さんと同じ気持ちってだけですよ。いや、杉さんや中さんも同類ッスか……いい女にゃ、いつだって笑って(いいかお)でいてもらいたいもんでしょ? お嬢を頼んだっスよ」

 

 梶さんの言葉に熱くこみあげるものをボクは感じた。

 ボク自身もずっと分かっていて、色んな理由で目を背けていた当たり前の答えだった。

 沢山の人にこれだけのことをしてもらったんだと改めて痛感したボクもこれから自分がやろうとしていることに腹を括って、その決意をホワイトボードの代わりに携帯のメール画面に打ち込んで彼に見せる。

 

【命かけてきます】

「おう! でも、命は大事にしてほしいッスわ。でないと今度こそ俺や安さん四人まとめて光姫さんに半殺しにされるんで」

 

 一番の本気のトーンで窘められてしまった。

 ふと気がつくと猛スピードで走る車の景色はあの黒い靄のようなものが見えるようになっていた。何が待ち受けているのか定かではないがボクは自分になにも躊躇うなと強く言い聞かせながらじっと目的地へと到着するのを待った。

 

 

 

 

『あ……れ?』

 

 目を覚ますと私はお昼の繁華街のようなところにいた。

 まだ頭の中がぼんやりする。

 何かとても痛い思いをずっとしていたような。

 

「もっちー! なにやってるの、置いてくよ」

『双葉さん? あの、一体なにが?』

 

 突然目の前に現れた双葉さんが私の手を取って、走り出す。

 小柄だけど、いつも私に話しかけてきてくれたり、あれこれと面倒を見てくれる頼れる大切な友人。それだけじゃない、彼女が向かう先には他にも最近仲良くなったクラスメートの方々が私たちを待っていた。

 

「おまたせー! もっちー連れてきた!」

「サンキュ! さあ、テストも終わったし今日は遊ぶよー♪」

「望月さんもちゃんとついてきなよ。JKの青春は短いのだ!」

「えっと、はい! その、お手柔らかに……たはは」

 

 花火のように眩しく賑やかな彼女たちに連れられて、私は休日の町をこれでもかと遊んで回った。オシャレな洋服やアクセサリーが並ぶショップを数え切れないほど訪れて、店先で美味しそうな匂いのするものを片っ端から食べ歩いて。

 カラオケにも行った。

 他のみんなが歌う曲は聞き覚えのないものばかりで、自分が歌える持ち歌も片手で数えるぐらいしかなくて――でも意味もなくみんなで騒いではしゃぐのがどうしようもなく楽しくて。

 気が付けば、外はあっという間に陽が落ちて真っ暗な夜になっていた。

 それでも町はまだまだ明るくて、馴染みのあるはずの夜の暗さや恐いような静けさなんてどこにもなくて。

 

「さーて、次はどこいこうかー?」

「とりあえずマック辺りでご飯にしとく?」

「えーアタシ行くならコメダがいい」

「双葉あんたそれ、量だけで考えてるでしょ」

『すみません。少し家の者に電話してきていいですか?』

「OK。入り口で待ってるわ」

 

 夜、何か大事な日課があったような気がして電話を掛けた。

 家と言っても居候先だ。本当の家族とはもう数年は直接は会えていない。

 

『もしもし光――』

「あら、沙夜どうかしたの?」

『お母さん!?』

 

 聞こえてきたのは間違いなく母親の声だった。

 最近は忙しくてメールでしか近況報告を出来ていなかったはずなのに――。

 まるで毎日顔を合わせている様な気軽なお母さんの声が聞こえてくる。

 

「それはそうよ、家の電話なんだから。お夕飯のことかしら? そんなの気にしないで友達と楽しんでおいで。でも、変なお店とかには行っちゃダメよ」

『い、いかないってばそんなところ。じゃあ、お土産に何か買ってくるからね』

「子供の頃の縁日じゃないんだから気を使わなくていいわよ。来月には毎年の家族旅行もあるんだし。それじゃあまたね、車に気をつけて」

 

 そういえばそうだった。

 なにを変なことを思い込んでいたんだろう。

 私の家はずっとこっちにあって、実家暮らしだったのに。

 遊んでいる間も最近仲良しの妹が少し反抗的だって双葉さんに愚痴ってしまって彼女とお姉ちゃんトークで盛り上がったばかりだったのに。

 

 ――幸せな作り物の記憶が沙夜を塗り潰していった。

 ――家族とは離れ離れにならず、友人にも恵まれた普通の少女の日々。

 ――ぬるま湯のような、ずっと浸っていたくなる苦しみも痛みもない時間。

 

 それらは全て人柱樹に取り込まれた人間が見せられる麻薬のような蕩ける夢幻だった。

 しかし、いまの沙夜にはそれが気付けない。

 

「そーだ! メシいくまえにゲーセンも寄ってこうよ」

「うわっ、出たよ体育会系! お腹空かせてドカ食いする気でしょう?」

「いーじゃん! バッティングマシーンもあるとこ知ってるからさ」

『え!?』

「もっちー、アレ好きなの?」

『いえ……初体験なんですけど、何故だかとても興味が湧いてくるというか』

 

 本当にどうしてそんな言葉に反応してしまったんだろう。

 野球なんて三回空振りしたらダメってぐらいの知識しかないのに。

 何か違和感を覚えながらも、双葉さんたちの楽しげな笑い声を聞いているとそんなこともどうでもよくなっていく。

 不思議だ。

 いつもいつでも小学生の時も中学生の時もこんな風に当たり前のように仲の良い誰かと遊んでいたはずなのに全てが新鮮に感じる。

 

 きっとテスト明けで心が開放的になっているからだろ思う。

 みんなに一歩遅れて私もゲームセンターに飛び込んだ。

 なにをして遊ぼう。

 こう見えてゲームにはちょっと自信があったりします。

 ■■さんに付き合わされて、やり込んできたので双葉さんたちをギャフンと言わせてあげます。

 あれ――私はいま誰の名前を思い浮かべていたんだっけ?

 まあ、いいです。たぶん、妹だったと思います。

 

 毒のように甘く幸せだらけの偽りが沙夜を捕らえて離さない。

 現実の世界での彼女は人柱樹に取り込まれ酷く傷ついた状態で磔にされたままだ。

 

 

 

 

「オイオイオイ! なんだよこれまるで世紀末的なディストピアじゃねえか!!」

 

 運転席の梶さんが慌てた口ぶりでハンドルを切る。

 黒い靄の影響なのか混乱の中心に近付くにつれて街の人たちは正気を失い、錯乱した様子で暴れていた。まるでこれじゃあ知性を無くした動物か何かだ。倒れている人も何人かいる。

 

「クソったれめが! 悪い永春、俺が乗っけてやれるのはここまでッスわ!!」

 

 予想以上の混乱に梶さんは舌打ちをすると狭い路地の入口に車を横付けに停車した。

 

「ここからなら限界まで誰とも会わずに学校に行けるはずですわ! 俺は安さんたちと合流してこの騒ぎに対応する!!」

【本当にありがとうございます】

「選別にコイツもやるッスわ」

 

 ヘルキャットから飛び出そうとしたボクに梶さんは一本のゴテゴテした機械がくっついたナイフを渡してきた。まるで着火マンのような引き金が付いた大きなナイフだ。

 

「丸腰じゃ困るだろ? 俺がカスタムした対化神用だ」

【助かります】

「いいか! 本当にヤバい奴に出くわしたらぶっ刺してから引き金を引け。んで、なるべく離れろ。地獄を見せてやれるからよ。グッドラックだぜ!」

「はい! いってきます!!」

 

 革の鞘に収められた大型ナイフを握り締めて、ボクは駆け出した。

 もうこれはいらないと首の包帯を脱ぎ捨てて一路学校を目指した。

 薄暗く狭い路地裏を進むボクを謎の白い機影が追いかけてきているのに気付くのはもう少し後のお話。

 

 

 

 

「今日は楽しかったねー!」

「所持金ヤバいわ、バイト増やさないと……あっははは!!」

「それじゃアタシん家こっちだから、バイバーイ! うっちーまた明日ね」

「私らも走ればバス間に合うからいくね」

『はい。みんなもまた学校で』

 

 楽しい時間はあっという間に過ぎ去ってしまう。

 でも、寂しくはない。だって、明日もみんなに会えるのですから。

 部活も再開するから大会で良い結果が出せるように頑張らないと……え、でも私って何の部活に入っていたんでしたっけ?

 

 まだ頭がぼーっとしているのが治らない。

 みんなと遊んでいる時も、美味しいものを食べている時もずっと、ずっと霧に包まれたように何かがスッキリしない。

 そんな不思議な心地に首を傾げながら誰もいない静かな夜道を歩いていると道中にあるカーブミラーに映った自分の姿に足を止める。

 

 周囲に誰もいないことを確認してから、マジマジと鏡に映った自分を眺める。

 ちょっとコンプレックスな高い背に長い黒髪。

 短めに切り揃えた前髪とよく綺麗だねと褒められる大きな紫の瞳――。

 ――なんだこの顔???

 

 違う。

 違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う。

 こんなの違う――!!

 

 こんな優しいだけの世界だなんて、あってたまるもんか!!

 

 自分のようで自分ではない顔を見た瞬間に、誰とも目を合わせたくなくて前髪で隠しているはずの双眸が露わになっている自分を目の当たりにして、沙夜の心はこの違和感をハッキリと認識した。

 

 幸せな牢獄の世界に決定的な亀裂が入った。

 それは傷ついた心身でも尚、人柱樹の呪詛に屈しなかった彼女の強い心の賜物。

 そして、何よりも――。

 

『ここには彼がいない! そんなの可笑しいに決まってるじゃない!!』

 

 ずっと足りなくてもどかしさを感じていた欠片の正体に気付いた時、彼女は彼女を取り戻した。

 沙夜の心の中に巣食っていた偽りの世界が砕けていく。

 甘やかすことしかできない偽物の日常が壊れていく。

 

「私は確かに永春くんを傷つけてしまったことを悔やんでる。だけど、それで永春くんって男の子が居なくなれば苦しみや痛みが消えてなくなるなんて……これっぽっちも思っていないんだから!! どこの誰です……こんな偽物の私をやらせていたのは!!」

 

 泣いて怒って叫んで、沙夜は夜闇を裂いて走り出した。

 甘い闇が、心地のいい夜が手を伸ばして迫っても瞳が隠れるほど伸びた前髪を振り乱して蹴散らしていく。

 

「――本当は逢いたいですよ。逢いたいに決まってるじゃないですか! 永春くんに逢って謝りたい。許してもらいたい。また彼の笑顔をみたいし、一緒に笑いたいし……どこかへお出かけだってしたいですよ!!」

 

 真っ暗闇の中を沙夜はこれでもかというほど叫んで、叫んで、叫びながら一心に走る。

 心の中は嬉しいや悲しいでぐちゃぐちゃだ。怒りや楽しさでめちゃくちゃだ。

 泣きながら笑って、それでもあの優しいだけの時間よりもずっとずっと体は軽く、心地が良い。

 

 ワガママだらけで自分でも呆れてますよ。

 確かにいまの私には両方やるなんて器用なことは出来ません。

 それでも願ってしまった想いも、祈ってしまった気持ちも誰でもない沙夜(わたし)の本心だったんです。

 いまはまだ不甲斐なくて成せなくても、やっぱり捨てることなんてもっと出来ないんだ。

 だから私は起きなきゃいけない。

 だから私は戻らなきゃいけない。

 

 永春くんに言った約束(ことば)をもう一度拾い上げて、やり遂げるために。

 まずは裏の私の役目を完遂するために――人の世を、みんなの平和な日々を守るために。

 

 

 

 

「うぅうううおおああああぁああああああああ!!」

 

 

 真紅の空の下、黒い瘴気が充満する学校敷地内に甘露な毒の夢幻を払い除けた少女の雄叫びが轟いた。

 傷の痛みも癒えぬ疲れも知ったことかと体から芽吹き、絡みついた人柱樹の枝や蔦を無理やりに引き千切る。

 

「フッー……! フゥー……ッ! こんなものぉおおお!!」

 

 そのまま沙夜は自分の血のぬめりを利用してその身を貫いたままの杭から抜け出した。

 異物が内臓をすり抜けていく筆舌に尽くし難い感触に吐き気をこみ上げ、脂汗を滲ませながら脱出した彼女は不格好に落下しながらもどうにか受け身を取って自由を取り戻す。

 

「ハァ……ハア……まだ生きてる。この感じなら、もう少し死にそうにはなさそうですね。よし、いけます」

「いいえ。死んでもらいます」

 

 ふらつきながら一変した校庭を探索していると黒靄の瘴気の中から現れた天厳が背後から沙夜を押し倒した。

 

「全くどこまでも期待外れのことばかりする人ですね貴女は! ゴキブリの方が可愛げがある!!」

「くっ……放せ! 私の怨面を返せ! 負ける、もんかッ!!」

「っぎゃあああ!? 目、目がぁぁぁ!?」

 

 沙夜に馬乗りになった天厳はそのまま彼女の首を絞めて殺めようとする。しかし沙夜も疲労困憊の体を意地で動かすと果敢に抵抗して押し退けようと足掻く。

 顔を近づけ自分を笑う天厳の右目に鬼気迫る表情と共に左の親指をねじ込んで潰しにいった。

 

「さっきも目をくり抜くと言ったでしょう! 私をただの小娘だと思いましたか!」

「命だけはと……甘くしておけばこのクソアマめがぁああ!!」

「いぎっいい!? それぐら……いなんだぁああ!!」

 

 右目から流血した天厳はそれまでの慇懃無礼な態度を豹変させて粗野な口調で沙夜の顔を殴打する。それだけでは飽き足らず杭が刺さっていた傷口に指を突っ込んで掻き回すという暴挙に出た。

 呼吸を乱し、目を見開いて失神しそうになりながら沙夜は執念だけで食い下がると歯を食いしばり、殴り返す。

 獣と獣同士の争いのように縺れ合う熾烈な攻防。

しかし、それまでの消耗が災いして徐々に沙夜が劣勢へと追い込まれていく。

 

「ただでは殺さん!! 手足を切断してそこいらの浮浪者の慰み者にしてやろうではないか! いいや、人間では勿体かな? 豚にでも犯させてやった方がお似合いですかな? クヒャッハハハハハ!!」

「――おい」

 

 下郎めいた天厳の高笑いの中に少年の声が混じっていたのを二人は気付けなかった。

 だからこそ、天厳は背後からいきなり髪を掴んで自分を引き寄せる謎の存在に虚をつかれてしまった。

 

「な、なんだ!? だれ……っぼお!?」

「彼女に下品な言葉をそれ以上吐くな」

 

 勢い任せな拳が天厳を殴りつけた。

 だが天厳は地面に倒れることは無かった。

 それは許されなかった。少年が彼の髪を掴んだままにしていたのだ。

 何故なら少年はもう一機、天厳に一発お見舞いしなければ気が済まない相手を連れてきていたからだ。

 

「いまだハヤテ! 遠慮はなしでやっちゃえ!!」

【■■■■――!!】

 

 次の瞬間に嘶くようなエンジン音が響いて、猛スピードで突っ込んできたハヤテチェイサーが思いっきり天厳を撥ね飛ばした。

 情けない悲鳴を上げて黒い瘴気の奥へと飛んでいった天厳に少年は――永春は悪びれずにガッツポーズを取って見せた。

 それから少しだけバツの悪そうな穏やかな表情でずっと会いたかった沙夜に向き直す。

 

「やっとまた会えたね、沙夜さん」

「永春……くん」

「すごい怪我だけど大丈夫そう!?」

「……はい。はい! これぐらい慣れっこですから」

 

 何の前触れもなく現れた永春に沙夜は思わず頭が真っ白になった。

 けれどすぐに嬉しさ多めの万感の思いがこみ上げてきて、震えた涙声でなんとか彼を心配させないように言葉を紡ぎ出した。

 

「良かった。とにかく一度ここから離れ――」

 

 苦しそうにへたり込んだままの沙夜を起こそうと永春が手を伸ばした時だった。

 血で出来た鎌状の触手が後ろから永春を突き刺した。

 沙夜が愕然とする中で永春の体は血の触手に持ち上げられていく。

 

「死に損ないの小僧が……病院のベッドで震えていればいいものを! 小生を馬鹿にした報いを教えてやりましょうや!!」

「永春くん! 天厳やめ――」

 

 それは永春の予想よりも早く舞い戻って来た天厳の殺意に満ちた攻撃だった。

 青ざめた顔で沙夜が手を伸ばすよりも先に天厳は容赦なく血触手を操って永春の上半身をズタズタに切り裂いた。

 

 血の雨が降る。

 永春だった肉の塊、その欠片たちが無残に転がった。

 憂さ晴らしができた天厳の狂った笑いが木霊する。

 憎しみと悲しみに染まった沙夜の怒号が轟いた。

 

「――ごめんね、沙夜さん。ボクは平気だから」

 

 勝ち目のない状態でそれでも道連れにでも天厳を殺してやろうと走り出した沙夜を優しい永春の声が制止した。

 

 

 

 

「えいしゅんくん?」

「いたた……空気読めよ、このエセオカルト野郎。おかげで沙夜さんを無駄に悲しませちゃっただろう」

 

 目の前で起きている光景に沙夜さんは怒りも憎しみも悲しみも全てが吹っ飛んでしまった様子だった。

 安心しろと言う方が無理だとは思うのでやっぱりずっと言い出せなかった自分が忍びない。

 いくら彼女が化け物や凄惨な光景に耐性があるといってもバラバラに切り裂かれた人間の体がまるで映像が巻き戻るように僅かな時間で元通りに再生されるなんてものを見せられたら驚くに決まっている。

 

「なんだ? 何なのだお前は!? 答えろ、化け物め!!」

「本当に腹の立つ人だなアンタは……ボクは人間だよ。ちょっと不死身なだけの普通の男子高校生さ」

 

 わなわなと震えてボクに畏怖の視線を向けてくる天厳にちょっと得意げに言ってやる。

 痛みは思いっきり感じているのでこれぐらいは恐がらせてやってもいいだろう。

 

「なんだよアンタ、そんな時代錯誤の呪術師みたいな恰好しているくせに不死身とか超能力持ってる人間に出会ったこともないの? あ、そういえば光姫さんが言ってたねずっと人間の社会を疎んで山奥に居たんだっけ? 見聞不足だったね」

「あり得ない。不死身だと……そんな超常の異能を持った人間がいるなど。化神様よりも優れた力を持った人間が……いや、そんな怪物など認められるか!!」

「そうか。だったらちゃんと自己紹介しておくよ。常若永春、現代の八尾比丘尼だ!」

 

 

 美人じゃなくて悪かったね。という気取った台詞は心の奥にしまう。

 そんなボクを母親に駄々をこねる子供のように天厳は猛然と否定した。

 なんて見苦しい大人だ。ああいう風にはなりたくない。

 それよりも気掛かりなのは――。

 

「永春くん、あなたは一体」

「ごめんね。ずっと内緒にしていて……もっと早くに沙夜さんにだけは伝えておけば、君にあんなに辛い思いもさせずに済んだのに、本当にごめん」

「……死なない体というのは本当なんですか? じゃあ、記憶消しの術が効かなかったのも」

 

 天厳みたいな奴にどう思われようとも平気だ。

 だけど、沙夜さんがボクの秘密を知ってどんな眼差しを向けるのかは恐くて不安だった。

 恐る恐る視線を合わせてみる。

 すると綺麗な黒髪から覗く水晶のような澄んだ瞳は戸惑いを残しながらも真っ直ぐに優しげな色でボクを見てくれていた。

 

「たぶん、この呪いのせいだと思う。病気とかにも全然ならないし……っと、詳しくはこれが終わったらちゃんと話すよ」

「いや、でも!」

「あいつが怨面を持ってるんだよね? さっきの話聞こえていたから大丈夫、ボクが取り返してくる」

 

 ありがとう、沙夜さん。

 これでもう、ボクは何の躊躇いも後悔も無くなったよ。

 君のために全力でこの命を盾に出来る。

 自然と笑顔が出た。

 いまこの瞬間、ボクだけが沙夜さんの力になってあげられる。

 それが嬉しくて仕方ない。

 全部だ。ボクの全てを君に捧げて、ボクは君の助けになるんだ。

 

「いくら死ななくてもボクに出来るのはこれぐらいだから。沙夜さんのことを支えることは出来ても、アイツを倒したりはちょっと難しい。だから――世界を守るのはお願いしてもいい? 沙夜さん」

 

 我ながら言っていて少し気恥ずかしいセリフを早口で言うとボクは真っ直ぐに天厳へ向かって進み出した。

 

「小生は……小生は貴様なんぞ認めんぞ! さっさと死ね! 死に絶えてしまえ!!」

 

 天厳の生き物みたいな血液が刃となってボクの首を刎ね飛ばした。

 尋常じゃない痛みが襲い一瞬、意識が無くなるが離れた首と胴を繋ぐ血液が勝手に逆戻りして元通りに再生する。

 

「永春くん!?」

「大丈夫。あんまり落ち着ける光景じゃないかもだけど、そこで沙夜さんは休んでいて」

 

 そうだ。ボクの背中の向こうには沙夜さんがいる。

 何があっても、何をされても絶対に立ち止まりはしない。

 勝負だ――天厳。

 

「来るな! 来るなと言っているんだァアア!! おぞましい化け物めええええ!!」

 

 半狂乱の天厳が血触手を鞭のように闇雲に振り回して、ボクの体を何度も滅多切りにして壊していく。だけど、生憎とこの人魚の呪いを受けた肉体は致死の損傷を受ければ受けるほど再生速度が増していく。

 神社で沙夜さんに斬られた時は彼女が咄嗟に力を緩めてくれたのが却って災いして不死の力がギリギリ働かない深手になってしまったがこれだけ致命傷を浴びせてくれるのなら呪いの活性化は凄まじいものだ。

 

「ぐぅううう……ッ!!」

 

 当然だけど、痛みは酷いよ。

 凄い激痛で汗だか涙だか分からない体液が血と混じってドバドバ溢れるし、大変なんてもんじゃない。でも怯んでなんていられない。

 

「ボクは人間だよ」

 

 沙夜さんのために、そして天厳がボクを化け物と呼ぶ限り絶対に譲れない想いがある。

 この呪いはずっとずっと昔から誰かに移り変わってボクのところに流れてきた。

 望んで不死身になった人もいれば、やむを得ない事情でなった人もいると思う。

 夕凪さんがどっちだったかは分からない。

 分からないけど、彼女がボクにこの呪いを押しつけて死んでいったのだとしてもだ。

 

「死なない生き物がいてたまるものか! 早く死ぬんだよ、この醜い化け物風情めがぁ!!」

「いやだね。あと、ボクは……普通の高校生で、人間だ!」

 

 天厳――あんたがボクを化け物と呼ぶ限り、ボクは絶対に挫けない。

 あんたじゃない誰かがボクを化け物と呼んだって、その度にボクはボクを人間と叫ぶぞ。

 だって、そうだろう。

 ボクが自分を化け物だと認めてしまったら、あの優しかった夕凪さんを化け物だと認めてしまうじゃないか。

 だからボクはボクだ――ただの常若永春だ。

 どこにでもいる人間で、沙夜さん(たいせつなひと)のためにちょっとだけ無茶をする普通の男子高校生だ。

 

「それを返せ! これは沙夜さんの物だろう!!」

「ひいい……いっ!? 近寄るな化け物が!!」

「ぐっ!?」

 

 ヤケクソになって突っ走り白鴉の怨面を奪い返したボクの左腕を天厳の触手が斬り飛ばした。腕はすぐにくっつくからいいとして、怨面を持ち逃げされたら大変だ。だから――アレを使うのは今しかないと判断する。

 

「この間の首とここまでのお返しだ」

「あぎいいい!? なんだこのナイフは……ぁあ!?」

 

 借り受けたナイフを天厳の体に突き刺して、言われたとおりに引き金を引いた。

 本当は逃げたかったけど、あいつがすぐに抜こうとしたのでさせまいと取っ組み合いをやり始めてしまった。

 ボクと天厳がそんな風に揉み合いになっている間にナイフの仕掛けが作動して周囲の黒靄を――つまりは化神の力である瘴気を吸収し始めて、やがて。

 

「ぬぎゃああああ――!?」

「痛ぃいい!? マジかよ!?」

 

 梶さんがくれたナイフは大爆発を起こした。

 おかげでアイツに痛手を負わせたようだけど、ボクの方も右手腕の半分がミンチみたいに吹っ飛んで沙夜さんの傍まで転がる羽目になった。

 逃げろとは言っていたけど物騒すぎると思います。

 

「永春くん!? しっかりして下さい!」

「へ、平気……へーき。うん、本当に大丈夫」

「永春くんの秘密はちょっと心臓に悪いです」

 

 ボクを抱き起こしながらアタフタとする沙夜さんの言葉がすごく温かく感じる。

 この数日、この彼女らしい言葉にずっと飢えていたような気がする。

 

「それよりもこれ、取り戻したよ」

「――ありがとうございます。今度は私ががんばる番です」

「よろしく」

 

 ボクが差し出した白鴉の怨面を力強く受け取ると彼女は立ち上がる。

 その儚げな美しさと勇壮な麗しさを兼ね備えた佇まいは最初に彼女の秘密を知ったあの日の放課後と何も変わらないものだった。

 

 

 

 

 血の赤と絶望の黒のみで塗りたくった地獄の再現のような場所にあって、望月沙夜はボロボロに傷ついてなお清らかな雰囲気を醸し出して凛と立っていた。

 

「オン・カルラ・カン・カンラ」

 

 迷いはまだ山ほどある。

 けれど、それはこの先の未来でゆっくりと立ち向かう物だと折り合いをつけることが出来るようになった彼女は再び、その言葉を唱えた。

 

「白鴉の怨面よ、お目覚めよ」

『ああ。待っていたぞ、童女。いや……今回ばかりはちゃんと沙夜と呼ぼうか』

 

 彼女の心にいつかの声が聞こえていた。

 幼いころに初めて変身した時以来の白鴉の声だ。

 

「……こうしてちゃんとお話しするのは二度目ですね。ずっと口をきいてくれないので私は認めてもらっていない半人前だとずっと思っていましたよ」

『お前さんを嫌ってなんかいないさ。ただ吾なんぞと仲良くなっても碌なことはないと気を使っていただけよ』

 

 それは時間にして一分にも満たない僅かな、けれど長く深いやり取りだった。

 

「なら、どうして急に話しかけてくれたんですが? 私がマガツの力を使っても無言だったのに」

『痛い所を付いてくるんじゃねえやい。あの時はまさかこんな大事にまでなるとは思わなかったんでねえ。それにあの小僧……そういうことだったのか。全く吾の鼻も目も随分と鈍ったもんだ』

「白鴉?」

『おっと失敬。長話をしている暇はなかったな。あの紛い物の術師気取りを懲らしめるんだろう? 吾の切り札をお前に授けてやろう』

 

 沙夜の心に白鴉は唐突にそんな話を切り出した。

 

「切り札? そんなものマガツの力以外に他にはもう何も無いはずじゃ?」

『千と二百年ほど昔に封をしてから解放するのは久々の代物だ。せいぜい気張れよ? なに、いまのお前さんなら上手くやれる。そのための言の葉とコツは自然とその心の中に生まれてくるだろうさ』

「待ってください。怨面が出来たのは確か平安時代の頃の話ですよ? 貴方は一体何なのですか?」

『昔話にさして意味はないさ。肝心なのはこれから先のことだろうに……いいか、沙夜。この世はどこまでいっても表裏一体だ。光があれば闇がある。喜びがあれば悲しみがあるように、呪いと怨念があればその彼岸にちゃんと祝福が常にある』

「……はい」

怨面(われら)も同じだ。吾が身に宿る幾千万の怨念無念の持ち主たちだってお前を不幸にしたいわけじゃないんだよ』

 

 飄々とした語り口。

 だけど、その声色には確かに慈しみが満ちていた。

 

『清濁を併せ吞んでお前さんのあるがままに生きてみな。過去にも誰にも負い目を感じることなんて、もうするな』

 

 ぶっきらぼうに言い終えると白鴉は沙夜との思念の会話を切った。

 そして、かつて命を救われ、ここまで一緒に走り続けてきた戦友から最後の一手とばかりに背中を押された少女は決意を新たに真白き怨面を被った。

 

「ありがとう白鴉。それからこれからも私の力になってください」

 

 怨面が淡く優しい光を放ち、彼女の白い肌には無数の蛇が這うような痣めいた紋様が金色に輝き浮かび上がる。

 

(じぶん)貴方(だれか)のためじゃなく、私たちのために」

 

 蛇紋様が浮かび、神通力がとめどなく肉体に流れ込んできても沙夜は苦しむことはなかった。痛みも苦しみもない――何故なら怨面から授けられるそれは怨念が煮詰まった呪いの力ではなく、どこまでもあたたかで優しい祝福の力だ。

 いま葛藤を乗り越えて前よりも強い心を持つようになった望月沙夜を器にして、白鴉の怨面は千を超える歳月を経て染み込んだ呪を祝へと反転させる。

 

「オン・カルラ・カン・セキシン・カンラ――!!」

 

 いま彼女の双眸に戦いへの迷いなく。

 いま少女の心に後悔に立ち向かって進む意志は淀みなく。

 再び、悪しき存在を退けるための言の葉を叫ぶ。

 

「――変身!!」

 

 巻き起こった白く輝く疾風の中で彼女はその肉体を超人へと変えていく。

 

『おのれガキどもがどいつもこいつも! だが、何をしても無駄だ。ただの御伽装士なぞに小生は……化神装士は後れを取るなどありえない!!』

「なら、お前の負けだよ物部天厳」

『なにィ!?』

 

 深手を負いながらも盗んだ怨面で再びヌエとなり傷を回復した天厳が憎悪の限りに吼えた。しかし、沙夜に起きた変化に勝利を確信した永春が疲労を隠して不敵に笑い飛ばす。

 

「我が名はビャクア。ビャクア・セキシン! 退魔の担い手、御伽装士が一柱。いざ、いざ、お覚悟を!!」

 

 光り輝く大嵐が弾け飛び、新たなる変身を遂げたビャクアが敢然とヌエに対峙する。

 燃え盛る火焔のような緋色のアンダースーツに大袖やベルトには複数の翠色に光る勾玉が加わった新たな装い。

 白い両籠手には黄金に光る宝輪が重なり、大いなる力を示すかのように光輝を醸し出し、ふわふわと浮遊する紺碧の羽衣を双肩に纏っている。

 極めつけに白い仮面には真紅の隈取りに似た紋様が浮き上がり、肉体に満ち溢れただけでは足りない凄まじい神通力が蒼い宝玉が填め込まれた片翼型の黄金の胸当てに具現化して彼女の守りを固めている。

 

 その勇ましく神々しい戦装束は天狗を彷彿とさせる武者を超えて、太古の戦神の如く。

 御伽装士ビャクア・セキシン――ここに顕現完了にて候。

 

『どれだけ微々たる力を重ねようとも所詮は哀れなカラスではないか! 今すぐに滅茶苦茶に蹴散らしてくれるに!!』

 

 こんな筈ではなかったのに――と怒り狂ったヌエは傲慢に臆することなくビャクアに攻めかけた。突風のような力と素早さで彼女の眼前に迫ると一撃で肉塊にしてみせようと大爪を振り下ろした。

 

「ハァア――ッ!」

『ぬぅおわああ!?』

 

 気合一声。

 柳の木のようなしなやかな体捌きでビャクアはあべこべにヌエを錐揉み投げで返した。

 

「いざ! いざ! いざ!!」

 

 ビャクアの闘志に反応して羽衣は意思を持つように自動でマフラーのように首に巻き付いて戦闘形態へと変わった。

 

「ヤァアアア――!!」

 

 子供のようにあしらわれた現実に愕然とするヌエに矢継ぎ早にビャクアが仕掛けた。

 神通力が四肢に満ち、音無しの高速移動で肉薄すると剛柔自在の絶対防御を誇るヌエの腹部に重ねた掌打を放つ。

 

『ぐぉおばああああ!?』

 

 神通力を付与して炸裂させたビャクアの一撃は内部からヌエの強靭な肉体を破壊する。

 これが白鴉の怨面が遠い昔に封印して、いまビャクア・セキシンの大いなる力として常世に蘇った七幻神武の一つ、神通撃。

 

『なんだ今の動きは!? 既に虫の息のはずだったというのに!?」

「白鴉の心意気に感謝しなければなりません。まさか傷まで癒せるとは……最初に言っておきますが私のコンディションも仕切り直していますので」

 

 堂々と答えるビャクアの大袖に新たに備えられた翠の勾玉が淡く発光する。

 神通撃と同じく七幻神武の一つである護恵の勾玉は周囲に存在する天然自然のエネルギーを吸収、神通力へと変換増幅して変身者の沙夜の傷ついた体を治癒していた。

 

 

『クソッ! いい気になるなよ! こちらには三体もの化神様の力があるのだ!!』

 

 だが、力を盛り返したビャクアに驚きながらもヌエの戦意も衰えない。

 むしろ、思い通りにならない現実に理不尽なまでの怒りと憎しみを燃やして蛇髪を逆立てて毒液をレーザーのように放出する。

 

「化神の力が何体束になったとしてもいまだけは決して私の気持ちは揺るぎはしません!」

 

 数十条もの毒々しい水流が建物や大地を抉り溶かすがビャクアは演舞のような動きでその乱射の全てを回避する。

 目にも止まらない速く静かな体動。それは七幻神武の一つ、神足通。

 

『これならばどうだ!!』

 

 まともに撃っても攻撃は当たらぬと苦虫を噛み潰したように顔をしかめたヌエであったが今度は卑劣な一手を打つ。

 毒液の放射を続けてビャクアを永春の前に誘導して攻撃を受けざるを得なくしたのだ。

 

『斬っても潰しても死なぬとは言え骨の欠片も残さず溶かせばその小僧はどうなるかな?』

「沙夜さん、ボクに構わないで! たぶん大丈夫!」

「そういうわけにはいきませんよ。来い、物部天厳!!」

 

 迷わず声を張り上げた永春だったがビャクアはヌエの奸計に正面から立ち向かう。

 

『その蛮勇をあの世で後悔するとよい! ガァアアアア!!』

「守り給え……!」

 

 肉食獣のように四つん這いで踏ん張り顎を開いたヌエの口からは巨大な雷の球が撃ち出された。大地を焼き砕き、紫電を走らせて雷球は二人を消し炭にせんと瞬く間に迫りくる。

 しかし、その猛威がビャクアと永春に届くことはなかった。

 両籠手から飛び出した二つの宝輪は重なり合うと回転を行いながら巨大化、黄金に輝き表面が透き通った鏡となったのだ。

 

『そんな鏡に何が出来るというのだ! 滅びよ!!』

「――宝輪逆天鏡!」

『むっおぉ!? イギャアアアアア!?』

 

 貧弱な薄鏡と小馬鹿にするヌエだったが次の瞬間に彼は驚きで蒼白した。

 なんと逆天鏡は雷球を一度呑み込むとそのままヌエに目掛けて反射してしまったのだ。

 頭が真っ白になって身を庇うことも出来なかったヌエはそのまま自慢の雷電の塊に焼かれ痺れた。

 

『そんな馬鹿な……こんなことがあってはならぬ! 小生は化神様たちをこの地上の主に祀り上げ、永遠の楽土を築くのだ! こんなところで止まれるものかぁあああ!!』

「アイツ……自分の身体を切り裂いてなにする気だ!?」

 

 形勢逆転とビャクア・セキシンに歯が立たない窮地にヌエは何を血迷ったのか血触手で自分の肉体のあちこちを裂いて呪いに満ちた血を周囲に撒き散らした。

 

「なるほど。そういうことですか」

 

 正気を失ったようなヌエの奇行に困惑する永春だったがビャクアの方は不穏な複数の気配で彼の思惑に勘付いた。やがてヌエの血でできた血だまりから複数のヌエの分身が次々に出現したのだ。

 

『小生としたことが失念しておりました! 一人では足りぬのであれば手勢を増やせば良いだけのこと! 今度は一切の遊びも情けも掛けませぬぞ? 二人仲良く八つ裂きに屠ってくれる!!』

「望むところです。御伽装士ビャクア……全身全霊でお前を退けます!」

 

 立ち塞がるは多勢無勢のヌエの群体。

 夥しい魑魅魍魎を前にビャクア・セキシンは凛として構えた。

 最終局面――決着の刻は迫る。

 

 




『人魚の呪い』

化神や怨面とは異なる本作の世界に存在する神秘の一端。
いつから存在するのか起源不明の怪異。
遥か昔から数奇な運命を辿って様々な人間に継承されてきた不死身の能力。
例え肉体が粉微塵に爆散しても元通りに再生し、殆どの病魔や術すらも無効化してしまう超常の力。

呪いの保有者が自らの臓腑を他者に食べさせることで呪いは移っていく。
本来の寿命を使い果たした状態で呪いを移すと前保有者の肉体は塩になって霧散する。
どんな武器や攻撃を受けようと、どんな死因も物ともしないが唯一例外として捕食されるという死因の場合は呪いが移り変わってしまい、呪いが上手く発動しないというという落とし穴がある。


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第八幕 白風吹き荒び、赤心燃え滾る

『シャッヒャハハハハ――!!』

 

 嗤い声が響く。

 幾つも重なった嗤い声が響いていた。

 いまにも血の雨が降ってきそうな紅染めの空の下で人型の怪物たちの怒声にも似た嗤い声が響いていた。

 それらは全て天厳の血より生まれ出でた無数のヌエの群体たちの哄笑だ。

 群体たちは人語を介さず、おぞましく嗤ってビャクアと永春を見下している。まるでこれから骨の欠片も残さずに貪り尽くしてやるぞとか弱い獲物に脅しを掛けるかのように。

 

『圧巻でございましょう! 絶景でございましょう! 我が奥の手である分け身の秘術!! 彼らは数分で霧散しますが実力は小生とほぼ同一!!』

 

 本体である天厳が変身した化神装士ヌエが高笑いを上げると群体のヌエ達の眼差しが一斉にビャクアへと集中する。常人であれば卒倒しても可笑しくは無い異様な光景だ。

 

『文字通り、嬲り殺しになりますがお覚悟はよろしいですね?』

 

 静かに佇むビャクアに対して天厳は意趣返しとばかりに口元をにやつかせ、彼女の口上を引用してみせた。

 

「――この程度、覚悟するまでもなく!!」

 

 撒き散らされる下卑た雑言の数々を澄んだ快声が切り捨てるとビャクア・セキシンは五体に淡い光を宿して敵陣へと駆け出した。

 

「ハイヤァアアア――!!」

 

 音無しの俊足・神足通を駆使して無数の敵たちの隙間を駆け回り、翻弄しながら神通撃の乱撃をお見舞いしていく。爪刃をかわし、毒液の弾丸をすり抜け、魔猿の尾をあしらって、繰り出されるは一撃必倒の冴えたる技。

 

『ギェアアッ!?』

「ソラソラソラッ! 沈め!!」

 

 全方位から絶え間なく伸びてくる無数の凶手をビャクアは平手で構えた両碗で次々といなしていく。それはまるで無形の疾風あるいは千変万化の流水のような動きだ。

そうして生み出された敵勢の隙に狙いを定めると猛禽の嘴による一刺しの如き強烈なカウンターを決めていく。

 ざっと五体以上はいたヌエたちはみんな急所に槍で貫かれたような穴を抉られて、霧散していく。

 

『小癪な……あの永春(バケモノ)を巻き添えに押し潰せ! あいつを庇いながらでは全力で戦えまい!』

『シャガァアアアアア!!』

 

 大きな舌打ちをしながら天厳は群体たちに指示を出す。すると無造作にビャクアだけを相手に暴れていたヌエたちは濁流のように一方向へと行軍を開始する。

 牙を光らせて進軍する先には怨面を奪還する際に数え切れないほどに肉体を損壊させられてまだ疲れが抜けきっていない永春もいた。

 

「やっば……ッ!?」

「いえ、大丈夫です」

 

 仮にも人間が化けているとは思えない野獣染みた動きのヌエの群れに永春はある懸念もあって青ざめた。人魚の呪いを受けて不死身ではある彼だが一つだけ、用心しなければならない落とし穴があった。それは捕食されてしまうことだ。

 自分がかつて夕凪から無理やりにそうされたように永春の臓腑を食らえその呪い=不死の肉体が転移してしまうのである。

 痛みと疲労でまだ万全に動かない体に鞭を打って慌てて逃げようとする永春だったがそれよりもビャクアの一手の方が早かった。

 

「――剣よ、走れ」

『ぎゃばああああ!?』

 

 ビャクアの両脇から二条の流星のような鋭い光が飛び出した。それは七つ道具の一つである裂空の快刀だ。二振りの快刀はまるで生き物のようにひとりでに動きまわると永春に迫るヌエの一団をその切っ先で片っ端から八つ裂きにして見せた。

 

『なんとぉ!? そのなまくらは先程圧し折ってやったというのにもう復元されたのか!?』

「お生憎でしたね。ちなみに……ここからは大盤振る舞いです! 大鎌よ、踊れ!」

 

 肉体と同様に装備まで修復していたビャクアに隠すことなく天厳は苦虫を噛み潰したような顔をした。だがその憤慨はすぐに驚愕へと変わった。

 次いで放たれたビャクアの言葉に呼応して召喚された雲薙ぎの大鎌もまた彼女の手を離れていても尚、命を吹き込まれたかのように激しい回転乱舞を開始して担い手の敵を悉く輪切りにすべく奔走する。

 これもまたビャクア・セキシンが誇る七幻神武の一つ、退魔七つ道具を自由自在に遠隔操作して攻防に活用する神通操である。

 

『舐め腐りおってぇ! ならば毒液の豪雨を降らせてみせましょう!』

 

 一方的な蹂躙劇を繰り広げた前哨戦とは打って変わり、数の利を有しながらもどんな攻め手もビャクアに粉砕されてしまう状況に業を煮やした天厳はついに広範囲の無差別攻撃に踏み切った。

 

「やらせない。宝輪逆天鏡!」

 

 だが、群体ヌエの悪辣な攻撃に怯むことなくビャクアは大きく後方へ跳んで間合いを測りながら黄金に輝く宝輪を投げ放ち上空に清らかな円鏡を展開させる。

 

「いまの私には……こういうこともできる!」

「ウギィアッ!?」

 

 新たに召喚した山崩しの大筒を構えるとビャクアは前方の敵集団ではなく、校舎上空から地上を映している逆天鏡に砲撃を解き放った。

 斜線を描いて透き通った鏡面に直撃した光弾はビャクアによって角度を調整された逆天鏡の効果によって反射され、真下で蠢くヌエの群れに炸裂した。

 

「よし、成功です。これなら……もっと受け取れ!」

『ヌギャアアアアアアアアア!?』

 

 咄嗟に思いついた戦法。

 その試射が上出来だったビャクアは間髪入れずに大筒によって極太の光の奔流を逆天鏡へと撃ち放つ。そして、同時に上空で展開する金色の鏡の角度を調整する――出来上がるのは凄絶な光景だ。鏡によって反射された強烈な一条の光は縦横無尽に地上のヌエたちを焼き払ってみせたのだ。

 

『……恨めしいがその力は確かに小生の脅威のようですね』

 

 僅かな間に渾身の策であった自らの群体たちの半数を蹴散らされた天厳は圧倒的な力を手に入れたビャクアに虫唾を走らせながらも芯の部分で冷静かつ強かだった。

 

『小生が健在ならばあの小娘がどれだけ暴れようとも儀式は完遂する。霊長の長が入れ替わる瞬間をこの眼で目の当たりすることが出来ないのは残念至極ですが……勝者になることを優先しましょうか』

 

 天厳はビャクアが群体たちと戦っている間に逃亡して姿をくらませようと企てていたのだ。恥知らずな行為だがその逃亡を許せば、世界が暗天へと上書きされて、化神たちが百鬼夜行の体を成して湧き現れてしまうだろう。

 

「逃げるのか?」

 

 怨面の奥でしたり顔を作りながら、忍び足で戦場から離脱しようとした天厳。

 けれど、その動きは背後から聞こえてきた忌々しい声によって阻まれる。

 

『貴ィ……様!? どけい!』

 

 よほど切羽詰まっていたのだろうか。

 素体はただの一般人でしかない永春の接近に気が付けなかった天厳は無意識に意味がないことは知っていながらも右腕の鋭い爪を振るった。

 血飛沫が噴き上がり、永春の左半身が抉られるがバラバラになった肉片が地面に落ちるよりも前にその全てが巻き戻るような動きで再生される。

 

「逃げるのか、お前? 人間(ボク)相手にこのまま逃げる気か?」

『黙れよ、化け物めが……貴様さえいなければ、小生の悲願はとっくに叶っていたというのに! 化神様たちが繁栄する新世界が、そこに唯一無二の神の朋友として侍る小生の姿がすぐそこまで近付いていたというのに!!』

 

 目が据わった表情で短く問う永春に天厳は腹の底に溜まった怨嗟の情を隠すことなくぶつけた。

 

『貴様こそ、そんな身体で醜い人界でこの先も生きていけると思うのか!? 小生の儀式が実れば人間は牛馬と等しくただの獣の一種に落とす。だが貴様は優遇を確約しようではないですか。化神様たちも物珍しがって寵愛を授けてくれるでしょう』

 

 天厳の大願――それは地上の支配者を人類から化神にすり替えることに止まらず、化神たちとただ一人対等の存在として君臨して、隷属させた人類たちを家畜の如く管理することにあった。

 更にあろうことか不死者である永春の厄介さに舌を巻く天厳はこの状況を打開しようと無略茶な言い分で彼に取り入ろうとまでしてきた。

 

「さっきから聞いてれば……勝手にボクの人生を決めつけるなよな、この無職野郎」

『なっ、にぃ?』

「光姫さんから聞いたよ、あんたのこと。厭世家だか世捨て人か知らないけど、バイトもろくにやったこともない無職のダメ人間が自分に都合の良いことばかり、ベラベラとうるさいんだよ」

 

 静かに怒れる永春の言葉に天厳はあろうことか竦んでしまった。

 力も奇怪な術も持たない、ただどれだけ殺しても死なないだけの平凡な少年の言葉に、およそ万軍の兵士も蹴散らせる力を手に入れた男は身じろいでしまった。

 それはただの人であった時にあれこれと高尚な言い訳を並べて、人間の社会から逃げた物部天厳の化けの皮を被った男と家族と死別や押し付けられた呪いにも腐らずに瀬戸際で踏み止まって生きてきた少年とのほんの些細で圧倒的な差であった。

 

『キィイイイイッ! 言わせておけば、蛆虫にも劣る小僧の分際で! 小生の悲願の何が分かるかぁああ!!』

「そんなもの分かりたくもありません」

「ゴッ、ギャァア!?」

 

 怒りに任せて高々と上げた右腕を振り下ろす天厳。

 しかし、虎爪が永春を頭から三枚に下ろすよりも前に白い疾風が天厳を蹴り飛ばした。

 

「はぁー……ありがとう、沙夜さん」

「永春くんは無茶しすぎです。助かりましたが気が気じゃありませんでしたよ」

「うん。その、ごめんね」

「けれど、君のそういうところに私は何度も助けられました。なので、やるならほどほどにお願いします」

 

 着地の音も立てずにふわりと永春の隣に立ったビャクアは困ったような柔らかな声色で呟く。彼女の言葉に傷こそ無いが血塗れの永春は自分でも予想以上に無鉄砲だった行動を鑑みて苦笑するしかなかった。

 

『馬鹿な……あれだけの小生の分け身をもう倒したというのか!?』

「見て解りませんか? もうお前しかいませんよ、物部天厳」

 

 永春に気圧されている間に切り札であった群体たち全てを撃破されてしまった事実に天厳は異形の顔を歪めで愕然とした。

 

「そろそろ腹を括って、同じ土俵で私たちと向き合ったらどうですか」

『なんだと? 小生が貴様たちのような小童たちと同じだというつもりか』

「初めて遭遇した時からお前は常に自分を優越者のように振舞っていました。だけど、それは言い換えればお前もまた自分以外の人間の誰とも目を合わせられないちっぽけな人だという事でしょう」

『黙れ……黙れ、黙れ、黙れ! どこまで小生を愚弄するかぁああああ!!』

 

 天厳に永春と二人で対峙するビャクアはそう口火を切って滔々と喋り始めた。

 今更、この男に情けを掛けるつもりはない。

 許す気も見逃すつもりもない。だけど、不本意だがどこかで似通った弱さを持っていたかもしれない相手にビャクアは悔いの残らないようにとその言葉を伝えて、対等な戦いを望んだ。

 結局のところ、自らを只人から脱した特別な存在だと陶酔することを手放さなかった天厳は発狂したような叫び声を上げて目の前の怨敵たちを血祭りに上げようと猛然と襲い掛かってきた。

 

「言いたいことは言い終えました。では、決着をつけますよ! 物部天厳!!」

『死に晒せぇええええええ!!』

 

 禍々しい黒光を纏ったヌエの拳が飛び掛かってくる大蛇のような軌跡を描いて迫る。けれど、ビャクアは凛と清らかに迎え撃つと神通力が満ちた両の掌で受け流す。

 

「セェエヤァアアアアア!!」

『おぶっげあばばあばばば!?』

 

 矢継ぎ早に殺気を漲らせてヌエが空いた左腕を振ろうとするが速さで先を行ったビャクアの回し蹴りがヌエの剛腕を弾き飛ばす。そして、無防備になった胴体と頭部に裂帛の気合と共に機関銃の一斉射撃のような荒ぶる拳と猛る蹴りの連続攻撃が炸裂した。

 

 伸縮自在故に打撃を無力化するはずのバケダヌキ譲りの胴を持つヌエの肉体も神通力を浸透さらには内部で爆ぜさせるビャクアの神通撃の前には成す術もなく、怒涛のラッシュの前にあっという間にボロボロにされていく。

 

『こんな……こんなはずでは! 小生の大願……こんなところで終わって堪るものかああああ――!!!!』

 

 爪は砕け、蛇髪は散り抜け、無残に追い詰められていく天厳であったが自分の抱いた野望の正しさを信じて疑わない執念の限りに抵抗を続けた。

 そんな時だった。

 不可思議な現象が天厳に起こったのだ。

 どこからか、無数の黒い瘴気の塊たちが彼方から飛来すると天厳の体内に吸い込まれ始めたのだ。

 

『これは? 嗚呼、ああ……クヒャッハッハッハ!!』 

 

 ニンゲンカ? 怨敵ノニオイモスルゾ? 化神ノケハイモスル

 ナンダッテイイ コノ器ニマジレバ享楽モ飽食モオモイノママダ

 マザリテトケロ マザリテトケロ 生レロ 生レロ

 喰ラエ 喰ラエ  喰ライツクセ

 殺セ 殺セ  殺シツクセ

 乱セ 乱セ  乱シツクセ

 

『やはり運命は小生を見捨てたりはしなかった!! 化神様万ざぁぁぁあああああい!!』

 

 唐突に発生した現象。

 訳も正体も分からない瘴気の塊が数え切れないほどに自らに溶け込んでいく様子に天厳は狂信者のような大歓声を上げて狂喜する。

 

「なんだこの寒気……沙夜さん! アレって一体!?」

「少し、不味い状況かもしれません。迂闊でした……騒ぎが長丁場になりすぎたんです」

「あの黒い靄みたいなの、前に見た化神が躯を手に入れる寸前の様子に似てるけど、まさか!?」

「はい。あれは方々に芽吹いていた化神の幼体です。本来なら少しずつ穢れを食んで成長するのが天厳の禍々しい力を感じとって引き寄せられてしまったんです」

「そんなのって……うわっ!?」

 

 予想外の出来事に驚く二人を前に近隣どころか隣県からまで吸い寄せられた百を超える化神の幼体と同化して突然変異染みた強化をしてしまったヌエがそのおぞましい姿を露わにした。

 

『嗚呼、感謝致しまずぞ化神様! この肉体、この異能! やはり地上を貴方様たちに献上せよとの天の思し召しに他なりませぬぅううう!!』

 

 溌剌とした喜声を空の果てまで響かせて、物部天厳だった存在は自らの爆誕を祝福した。

 半人半虎の異形――それは四足の騎馬武者の亡者にも見間違えそうになる。

 胸部の真ん中には天厳だった人の顔が浮き上がっており、グロテスクな雰囲気を醸し出している。更に胴から伸びる腕はその数合わせて八本。獣の腕や人間の腕、更には虫の脚に蟹の鋏のようなものまでが滅茶苦茶にくっついている。

 猿羅の怨面を貼り付けたままの頭部には剥き出しになった鰐のような口元と鹿の如き双角が生えていた。

 

 その名はアクジキ。

 歪んだ悪漢と怨面と百を超える穢れが混ざり合った末の突然変異により生まれ落ちた最低最悪の化神だ。

 

「……気持ちわる」

 

 異形という言葉の枠からも外れた醜悪で悪寒がするような威風を持ったアクジキの姿に永春は息を詰まらせながら、思ったままの感情を吐露した。

 そんな不意に出た言葉にアクジキの胸に浮き出た人面がにやりとほくそ笑んで反応を示した。次の瞬間に永春はあまりの不気味さに心臓が止ったかと思うような怖気を感じた。

 目線があってしまったのだ。

 飾りだと思っていた天厳の面影を残したアクジキの胸にある人面が――確かな悪意のようなものを孕んだ眼差しを自分向けていた。

 

『ヒョォォォ』

「は……?」

 

 頭部か胸の人面かどちらが発した声か定かではなかった。

 けれど、アクジキの男とも女とも判別できない、ただただ不快な声がしたと思えばその巨躯が瞬きをする間に永春の眼前に肉薄していた。

 

「させませ……んッ!!」

『ヒョォォォ』

 

 アクジキの怪腕の一本が永春を殴り潰そうとした寸前で間に割って入ったビャクアがそれを防いだ。だが、その剛力はヌエの比ではない。

 流石のビャクア・セキシンも苦しい声を漏らして踏ん張るがアクジキはそこでまさかの両前足を立ち上がらせて暴れ馬のように彼女を蹴り飛ばしてしまった。

 

「沙夜さん!?」

「グッ……これぐらいで!」

 

 不格好に地面を転がりながらも何とか体勢を整えたビャクアだが顔を上げると目の前には既にアクジキがそこにいた。

 今度は鋏腕の先端が槍のように突っ込んでくるのを紙一重で回避すると彼女は反撃に重い拳でその胸部を殴りつけた。

 

『あはは。笑止ですなぁ』

「ガ……ァ、ァァ!?」

 

 拳打が通った確かな手応えを感じたビャクアだったがネットリしたアクジキの声と共に双角から放たれた雷撃の直撃を浴びて大きく後退させられる。

 更には胸の人面より火山の噴火を思わせる火炎を吐いて更に二人を追い詰めていく。

 

『どうやら小生は再び上回ってしまったようですなぁ。化神様たちの力をヒシヒシと感じますぞ! やはり絶対はこちらにあるようです。クヒャッハッハッハ!!』

 

 哄笑を上げるアクジキ。

 そこにどこまで天厳の意思があるのか不明だったが先程まで神懸かり的な強さを見せていたビャクア・セキシンが劣勢を強いられる光景がその未曾有の力を証明していた。

 

『決着をつけると先程仰っていましたな? 同感です。貴女たちはここまで良くやったと称賛しましょう。このアクジキ、千の夜を超えても今日の死闘を忘れることは無いでしょう。なので――いい加減に死ね』

 

 有利に覆った戦況に気を良くしたアクジキは再び慇懃無礼な口調に戻ってビャクアと永春を嘲笑う。神の領域にまで浸食したかのような強さを誇るこの悪獣を前に最早成す術は無しと思われた時だった。

 

「それで勝ったつもりですか? 片腹ですね」

 

 僅かに傷つきながらも毅然として立ち上がったビャクアが吼えた。

 

「大盤振る舞いと言ったでしょう。私も攻めの切り札を使わせてもらいます」

 

 当たり前のように告げられた言葉の重きをアクジキの理性が拒んでいる隙にビャクアは星のような光を灯した右手の指先で退魔の印を結ぶ。

 何も無い宙空に召喚陣が刻まれると稲光のような青白い輝きが周囲を照らす。そして、ビャクアは召喚陣に迷うことなく手を伸ばすと七幻神武における最強の力を掴み取る。

 

「万象剣・森羅――抜刀」

 

 厳かにその力の名を唱えながら、右手を引き抜くと一振りの神威に満ちた古拵えの太刀が握られていた。しかし、万象剣と呼ばれたその太刀に刀身は見当たらず、鍔と柄だけの奇妙な代物だった。

 

『はぁ? クヒャッハッハッハハハ! なんですかなそのみすぼらしいガラクタは? よもや、それで小生を倒すというのですかな!』

「そうですけど、なにか問題でも?」

 

 アクジキの嘲笑に対して、ビャクアは涼しげに返す。

 セキシンとしての力の使い方全て、白鴉が教えてくれた。この万象剣の真価も同様に――故にあとはその力を使いこなせる筈だと自分自身を信じるだけだ。

 

『その言葉、地獄で後悔するがいい!』

「――発剣」

 

 自棄にも映るビャクアの悠然とした佇まいが癇に障ったアクジキは強靭な四つ脚で驀進すると正面から彼女を叩き潰しにいく。それに対して、ビャクアは万象剣の刀身の手元の部分・(はばき)を足元の砂に触れさせると不思議な呪文を唱えた。

 そしてアクジキとビャクアが交錯する刹那、彼女は迷いなく刃無き霊剣を横一文字に滑らせた。

 

『ガァルアアアアア――ッ!!』

「ハイヤァ!」

 

 砂塵が舞った。

 否、突如として舞い上がり、鉈のような形に纏まった流砂が暴れ馬のように突進してくるアクジキを切り裂いたのだ。

 

『ぐあっ!? 貴様……一体何をした!? その剣はなんなのだ!?』

「万象剣はその銘が示す通りに世界に存在する万象や元素を玉鋼にして刃を生み出す剣。この砂泥の太刀はその始まり、いきますよ? 千変万化の剣を以て、お前を斬り伏せる!」

 

 万象剣・森羅の在り方を答えたビャクアは砂の刃を振りかぶるとアクジキに斬り込んでいく。神足通による動きを読み辛い無音の駿足を併せて、あっという間にアクジキの巨体に無数の砂に塗れた刀傷を付けていく。

 

『小癪な! そんな針で刺されたような傷など幾ら負っても痛くもか――ぬうう!?』

「気付きましたか? けど、もう遅い!」

 

 剣閃が走る度に砂塵が舞う。

 微々たる傷を笑い飛ばしていたアクジキだったが急に自らの体に強烈な鈍りを感じたと思うとたちどころに大岩を背負わされたような重みを感じて、俊敏な動きが取れなくなってしまう。アクジキ自身は気が付けなかったがその禍々しい体躯はいつの間にか砂塗れになっていたのだ。

 

『面妖な砂で動きを少しばかり制約された程度でこのアクジキが止められるものか!』

「故に……発剣! 万象剣・草木の太刀!」

 

 鈍い動きが災いして接近戦で後れを取るならばとアクジキは双角から雷撃を乱れ撃つ。稲妻が周囲の建築物や地面を抉り、焦がしていく中でビャクアは砂の刃を解くと代わりに壊された花壇の草花を取り込む。

 万象剣の刀身が再び変わる。

 菖蒲の葉に似た薄く良くしなる緑草の刃だ。

 

『フン! そんな貧弱な刀で何が出来る!』

「せやあぁぁ!」

 

 雑草のような刃と侮ったアクジキの腕の一本を草木の太刀は容易く斬り落とした。

 しなる薄刃が独自の風切り音を鳴らして容赦なく切り刻んでいく。

 

『うぎゃぁああああ! こ、この――!?』

 

 やられっぱなしなど認めないと爪を光らせて反撃を試みたアクジキだったがビャクアはこれを鮮やかに飛び跳ねて回避する。更には遠く離れた間合いから万象剣を突き出すと草木の太刀の切っ先は猛然と延伸してアクジキの胴を串刺しにする。その様は路傍に生い茂る草の逞しい生命力を感じさせるものだ。

 

『この程度……どうと言うことなど!! フゥウウウン!!』

 

 黒い血を流して苦悶の声を漏らすアクジキではあるがこちらの執念と力も尋常ではなかった。全身を黒い靄で覆うとそれまで負った深手の全てを再生していく。

 

「あいつも自己再生を!?」

「それなら、こちらから畳み掛けます!」

 

 戦いを見守っていた永春が冷や汗を流すがビャクアは臆することなくアクジキへと打って出た。草木の刃は解け、無手同然で飛燕のように敵の懐に飛び込む。

 

「テェヤァァァ! 鉄腕よ、唸れ!」

『痛っあぁああ!? ど、どこから!?』

 

 自らを囮としたビャクアの奇策は見事に嵌まった。

 万象剣で斬りに来るとばかりに狙いを定めていたアクジキの両側頭部を召喚された無双籠手が殴り挟んだのだ。神通操でひとりでに動く無双籠手はそのまま我武者羅な勢いでアクジキをタコ殴りにしていく。

 

「まだまだ……いきます!」

 

 立ち眩みを起こして棒立ちになったアクジキにビャクアは舞踊のような動きで上段回し蹴りの三連撃を浴びせる。続けて傍らに浮遊する無双籠手を足場にアクジキの頭上に飛ぶと強烈な踵下ろしを叩き込んだ。

 

『ぬぅ、っ……効かぬわぁあああああ!!』

 

 だが、ビャクアが地面に着地するまでの僅かな無防備の合間を狙ってアクジキは再び胸の人面から火炎を放った。爛々と異様に輝く業火がビャクアを飲み込む。

 

『クヒャッハッハッハ! 灰も残さず焼け消えるがよろしい!!』

「羽団扇よ、逆巻け」

『な、ぁあああ!?』

 

 面倒な反射能力を持つ逆天鏡の発動も間に合わずに炎に包まれたビャクアに勝利を確信する。しかし、アクジキの中で盛んになった勝利の高揚は寸前で羽団扇を召還して風の防御陣を展開していた彼女の姿に鎮火する。

 

「発剣。万象剣・火焔の太刀――セェイヤァアア!」

 

 慌てて炎を吐きやめて、変わりに雷撃での攻撃に切り替えようとしたアクジキの胴を燃え揺らぐ火で出来た刃を逆手に持ち替えて疾駆したビャクアが十文字に裂いた。一拍の間を置いて、ボゥ!っと火が灯る音が鳴り、あべこべにアクジキの方が全身を炎に包まれる。

 

『ア……アア、アアアアア!!』

「こいつまだ……どうやったら倒せるんだよ!?」

 

 自らを焼く炎を黒い靄で塗り潰して、アクジキは再度肉体を再生させる。次第に理性は摩耗しているのか人語の数は減り、獣染みた雄叫びが頻繁に轟く。

 劣勢を覆してアクジキを圧倒するビャクアではあるがそれでもこの無尽蔵の生命力と再生能力の前に千日手の様相を呈して来ていた。

 

「……もしかしたら。永春くん!」

「は、はい?」

「少し力をお借りします」

 

 ビャクアが閃いたのはそんな時だった。

 急いで永春の傍に駆け寄るとそっと、その頬に手を触れて彼の血を掬った。

 

「これで……万象剣・魔血の太刀!」

 

 そして、ビャクアは永春の血が付着した手を鎺に添えて飾り気のない真紅の刀身を生成した。

 

「嘘だろ!? そんなものでも刃になるのか!」

「いってきます。ヤァアアア!!」

 

 妖しく煌めく血刀が雷も炎も斬り払い、アクジキを鋭く薙ぐ。

 何度やっても無駄なことだとアクジキは再び黒靄を発生させて傷を癒そうとするが次の瞬間に傷口が妖しく光を放って再生を阻んだのだ。

 

『何が起きている!? グァアアア……何故、傷が癒えない!? その刃で何をしたぁ!?』

「大きな博打でしたけど分かりませんか? 不死の呪いを宿す永春くんの血です。ならば転じて不治の効果を得ることも可能ではないかと……賭けには勝たせてもらいました」

 

 安堵と永春への申し訳なさを含みながら、ビャクアは力強く答えた。

 そのまま逆上したアクジキが飛び掛かってくるよりも速く、四方八方から斬撃を繰り出して追い詰める。

 

 

『イギャァアアアアァ――!?」

「いける! 沙夜さんいっけええええ!!」

 

 不治の傷を与える魔血の太刀がアクジキをなます切りにしていく。

 抉じ開けた勝機を確信して、永春は声の限りに叫んでビャクアの背中を押す。

 

「いざ! お覚悟を! オン・カルラ・カン・カンラ!」

 

 

 その声に勇気付けられて、ビャクアは退魔の印を結ぶと力強く大地を蹴って飛翔した。

 地上のアクジキを見据えて、彼女は両腕を羽ばたく翼のように広げて力を開放する詠唱を叫ぶ。

 

「オン・セキシン・カンラ――テンジョオオオォォォッ!!」

 

 裂帛の叫びを上げるビャクアの全身を神通力が駆け巡り、溢れ出る力は燃え滾る蒼白い炎のようなオーラとなって彼女に纏わる。

 マフラーのように首に巻いた羽衣をたなびかせて流星のように空を駆けるビャクアは赤い空を破ってアクジキへと突撃する。

 

「退魔覆滅技法! 光鴉一殲!!」

『ぬぅううおあああああああああ――――!?』

 

 光輝なる大鴉のオーラを纏って繰り出されたビャクア渾身の飛び蹴りを食らったアクジキは地鳴りのような絶叫を上げながら大爆発を起こした。

 

「おっと! これアイツが被ってた……じゃあ!」

 

 爆風に乗って落ちてきた猿羅の怨面をキャッチした永春は心臓をバクバクさせながら目を見張る。

 風塵は晴れた時、アクジキがいた場所には精魂尽き果てた様子の天厳がぐったりと倒れているのが見えた。

 そこで永春はビャクアの勝利を確信した。

 全てが終わったのだと思われた。

 

 

 

 

『ウゥゥ……アギャ、ウブェアエエ!! ア゛ァアアアアア―――!!』

 

 赤黒い空は晴れず。

 人柱樹にされた人々にも変化は見られず。

 代わりにビャクアと永春の目の前で突然に天厳が白目をむいて苦しみ始めた。

 

「なんだ!? お、おい! 大丈夫かよ!?」

「これは……永春くん、私の後ろに下がってください!」

 

 目玉が飛び出しそうなほど見開き、口からは血の泡。

 血管なのか神経なのか分からない何かが全身の肌から隆起して悶絶する天厳の豹変に戸惑う永春をビャクアは咄嗟に手を引いて後ろに下げた。

 

 喰ラエ 喰ラエ  喰ライツクセ

 殺セ 殺セ  殺シツクセ

 乱セ 乱セ  乱シツクセ

 足リナイ 足リナイ 足リナイ

 

 天厳の肉体を伝って、数え切れない不気味な声色が響いた。

 それは天厳と彼が執り行っていた儀式に引き寄せられた百を超える化神の幼体――その残留だ。

 余りにも濃密で夥しい穢れたちは天厳という軸が崩れたいま、突然変異から暴走と言う最悪の形で進化を遂げていく。

 

 

『お゛……やめください。おやめ、くだ……ア゛ァアアアアア―――!!』

 

 物部天厳という器が溶け合った無数の化神たちの穢れに耐え切れずに崩壊していく。

 肌が裂け、肉はブクブクと膨らんでいく。

 血は煮詰まって黒く染まる。

 闇が、夜が、黒が、どうしようもない漆黒が天厳を糧に育っていく。

 その命を取り込んで、既に幾つも内包している化神の命たちと混ざって驚異的な速度で成長していく。

 

 ――冥く愛しき暗天舞台よ、我が客を誘え!!

 

 そして、誰のものでもない異形の声が鳴き。

 大津波のような瘴気が溢れ出して、ビャクアと永春を一瞬で奇奇怪怪な世界へと引き摺り込んだ。

 

 

 

 

「う……ぐっ!? 沙夜さん!?」

「すみません。こうでもしないと逃げ切れなかったもので」

 

 ふと途切れた意識が戻った時、永春はビャクアに抱えられて暗天へと移り変わった無人の街のビル群を絶賛高速移動中だった。強風に吹かれてすぐに鮮明になった意識で周囲を見渡すと信じられない光景が広がった。

 

『オォオオオオオオオオオオ――!!』

 

 山のように巨大な怪物が太陽のない赤き世界で暴れていたのだ。

 全身が漆黒に染まり、巨躯の至る所に血のような不気味な赤い雑面に似た紋様がある大怪異。

 人型とも四つ脚の獣に近い形態にも見えるそれはもはや化神の枠組みに収めて良いものかも不明だった。

 敢えて、その名を示せというのならば――穢れ切った怪異の名は化神獣アクジキ。

 

『オ゛オ゛オ゛ォオオオオオオオオオオ――!!』

 

 

 化神獣は地獄の亡者の呻きのような雄たけびを上げながら、二人を探して暴れていた。

 角からは稲妻を、口からは炎、腕を振るえば竜巻が起こり、尾を叩けば大地が割れる。

 それはまるで天災が生物に転生したようにも見える悪夢のような光景だった。

 

「沙夜さん。御伽装士ってさ、巨大化とかできたりする?」

「残念ですが……でも、策ならあります」

「本当に!?」

 

 意外なビャクアの返答に永春は彼女の腕の中で驚いた。ビャクアは一棟のビルの屋上で脚を止めると彼を下ろして暫し黙った。

 

「永春くん……お恥ずかしい話ですが私はその七つ道具をまだ一人で使いこなす自信がありません」

 

 そして、決心した彼女は躊躇わずに自分の弱みを永春に打ち明けた。

 

「でも、永春くんが一緒ならどうにかなるかもしれません。だから、お願いします……一緒に戦ってください」

 

 

 だが、同時にビャクアはーー沙夜は以前では負い目や責任から決して面と向かって言えなかった素直な望みを永春に伝えた。

 それはかつての彼女では出来なかったことだ。数々の出来事を経て、様々な苦楽を味わって手に入れた一つの強さだった。

 

「いいよ。ドンとこいだ!」

 

 永春はビャクアの頼みに迷うこともせずに即答した。

 

「むしろ嬉しいよ。ボクはいくら死ななくても世界なんて救えないし、化神みたいな怪物も倒せない。だけど、ボクだからって理由で沙夜さんの助けになるんなら、なんだってやってやる!」

「ーーありがとう、永春くん」

 

 永春の真摯な想いは沙夜の心を熱くさせた。思わず口元が緩むがそれはまだ早いと気を引き絞める。

 そして、気合いを入れると凛とした声で高らかに虚空へと叫んだ。

 

「退魔七つ道具が其の陸! 天地守りの大具足!!」

 

 その声に呼応して、二人がいるビルを中心の巨大な召喚陣が浮かび上がった。

 召喚陣から放たれる光が徐々に力強くなっていくとついに最後の七つ道具が具現する。

 

 それは黒鋼の鎧を纏った巨大な武人。

 それは鴉と僧兵の意匠が組み合わさった鐵の大鎧。

 それは担い手の生命力を動力にして命を宿す無双の絡繰巨兵。

 

「うっそぉおおお!? ロボじゃんこれえええ!!」

「これが六番目の七つ道具! またの名を霊式絡繰大具足クロウマルです!! では、いきましょう!!」

 

 予想の斜め上過ぎる秘密兵器の登場に永春は興奮と驚きを隠せずに大歓声上げた。

 そんな永春の手をとって跳ぶとクロウマルの鉢金にある宝玉から内部に乗り込んだ。

 

 黒き大具足の鴉面の瞳に翠の光が灯って動き出す。錫杖と薙刀な合体したような金色の宝槍を構えて、最後の敵を迎え撃つ。

 既に化神獣は突如として出現したクロウマルに敵意を剥き出しにしていた。

 

「かなり疲れると思いますがいけますか?」

「もちろん! どんなに体力減っても死なないからね……最高の永久機関になってやるよ!」

 

 クロウマルの心臓部にある操縦室にて、ビャクアと永春は操縦桿の役割を持つ突き刺さった儀式剣を一緒に握り締めて、気力を振り絞る。

 何度も傷付いて挫けそうになりながら、ここまで頑張った。

 それをこんなところで無意味なことになんてさせないと少年少女はどこまでも意地を見せる。

 

「「いざ、いざ、いざ……お覚悟を!!」」

 

 心を重ね、いざーー掴み取れ大勝利!!

 

 





次回、本編最終幕。
どうかお付き合いいただけたら幸いです。
よろしくお願いします。


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最終幕 続くキミとボクの放課後

 

 いやはや……久しくご無沙汰しておりまして、まことにご無礼を致しました。

 吾ながら久方ぶりにあの童女の世話を焼いて、あくせくと忙しく働いておりましてねぇ。

 お恥ずかしい事ですが似合わないことをすると調子が狂ってかまいませぬ。

 さて、宿命を背負わされた小娘と呪いを押し付けられた坊主の数奇なお話も此度で一先ずは一巻の終わりとなります。

 

 何卒、最後まで見届けていただければ幸いでございます。

 

 とある日の、とある町でのちょっとした出来事さ。

 連綿と受け継がれてきた怨念塗れのお面と危なっかしい童女、そしてなんてことのない小僧が紡いだ――ありふれた当世のお伽噺ってね。

 

 

 

 

 日輪の無い赤い空。

 生命の気配のない景観だけを写し取って真似た街並み。

 漂うは深く淀んだ穢れを孕んだ瘴気。

 暗天――化神が生み出す未知の異界にて、二つの巨影がぶつかり合う。

 

『オ゛オ゛オ゛ォオオオオ――――!!』

 

 化神獣が雄叫びを上げながら飛び掛かる。

 剣呑な重低音を響かせてビャクアが操る天地守りの大具足――クロウマルと激突する。

 

「なんのッ!」

 

 悪しき獣の牙を宝槍の柄で受け止めるとクロウマルは負けじと腹を蹴り飛ばす。

 更には間髪入れずに黄金の矛先を斜め下へと突きにいく。

 

『オ゛オ゛オ゛ォオオオオ――――!!』

「速い……ですが!」

 

 化神獣は巨体を鞠のように転がして槍撃を避けると角からの稲妻で反撃に出る。

 紫電が飛び散るが神通力が満ち交う黒鋼の装甲を破壊するに能わず。お返しとばかりに繰り出された文字通りの大鉄拳が異形の顔を盛大に歪ませる。

 全長三十メートル相当の巨躯を誇る決戦は周囲の建物を破壊しながら苛烈さを増していく。

 

「沙夜さん! これって腕とか飛んだりするロボかな!?」

「違うと思います。七つ道具の中でこれだけは気軽に稽古するわけもいかなかったので……ごめんなさい! 実はよく分からない装備もあったりなんです!」

「そりゃあそうだよね。大昔にコレ考えた人とか発想力おかしいでしょう!」

 

 クロウマルの胸部中央にて、操縦桿に相当する儀式剣を握りながらビャクアと永春は懸命に大具足を乗りこなして食い下がる。

 しかし、雷に炎、突風に地割れとまるで天災を操るような化神獣相手になかなか決定打を加えることが出来ずに少々焦りを感じ始めていた。

 

「槍の他に印象的なものですと連火砲あたりでしょうか? 両肩についてる大砲みたいなのです」

「それなら、ボクにいい考えがある!」

 

 ビャクアからクロウマルの武装を聞かされた永春は直感で思いついた作戦を伝えてすぐさま実行に移す。鴉面をした巨大な絡繰僧兵は宝槍で炎を斬り払いながら化神獣へと肉薄していく。

 

『オ゛オ゛オ゛ォオオオオ――――!!』

 

 猪突猛進に突っ込んで果敢に攻めかかるクロウマルの宝槍をまるで山猫のような俊敏な動きでかわしていく化神獣。攻撃ばかりで防御のことなど度返しといった荒っぽい動きに下卑た笑みを浮かべると隙をついて懐まで入り込んできた。

 

「いまだ!」

「連火砲……一斉掃射!!」

 

 全てを食らい尽くすような大顎を化神獣が開いた瞬間にクロウマルが素早く動いた。宝槍を手放すと両腕で上下の口を押さえ開き、相手の口内へと両肩の連装砲の射撃を絶え間なく撃ち込んでいく。

 零距離での怒涛の連続砲火。

 ジタバタと暴れるもクロウマルの全身全霊の力で拘束されている化神獣は逃れることも出来ずにやがて内側からブクブクと不格好な紙風船のように膨らんでついには上から半分の体が吹き飛んだ。

 

「倒せたのか?」

「……いえ、まだです!」

 

 唐突に訪れた静寂。

 二人の視線の先には下半身のみで僅かに痙攣する化神獣の残骸があった。

 淡い期待を抱いて安堵する永春を制して、ビャクアがクロウマルを操作して宝槍で更に容赦なく巨大な肉塊同然の下半身を真っ二つに切り裂いた。

 

『オ゛オ゛オ゛ォオオオオ――――!!』

 

 だがしかし、穢れに満ちた獣の嘲笑にも聞こえる雄叫びは再び轟いた。

 化神獣は肉体を八つ裂きにされて泥のように溶け崩れたかと思うと瞬く間に再生されてしまったのだ。

 そして、まるでこの闘争を何十回も何百回も繰り返してやるぞとばかりに化神獣は殺意を剥き出しにしてクロウマルに襲撃を再開。再び熾烈な接戦を繰り広げる。

 

「ハア……ハァ……あれ、どうなってるわけ!?」

 

 クロウマルの動力として生命力を吸い取られている影響もあって、滝のような汗を頬に滴らせる永春が問いかけた。あれではまるで自分と同じ不死ではないかと。

 

「うまく説明できる自信がないのですがアレに宿っている命が一つではないんです。天厳が最初に姿を変異した際に流れ込んでいった化神の幼体とも言える命が混ざり合ったり、分裂したりして内包されている」

「ゲームで例えるなら残機がメチャクチャあるってこと?」

「そう、そんな感じです。だから、仮に一度仕留めてもアレは一つ分の命を切り離し消耗することで全体の死を先送りにしているんだと思います」

 

 化神獣の突進を受け止め、ビルに背面を打ちつけながらも踏ん張るクロウマルの内部でビャクアは敵の不滅の仕掛けを冷静に見抜いていた。

 

「でも、つまり……倒し尽せばいつかは消えるんでしょ? いいよ、とことんまでやってやる!」

 

 最後の正念場にきて、途方もない長期戦を突きつけられた二人。

 だが、永春は疲労でガクつく両脚に力を入れ直させると根性を出して吼えた。

 

「いいえ。それには及びません」

「え……えっ!?」

 

 燃える気合に躊躇い無く水を掛けるようなビャクアの言葉が永春を困惑させる。

 彼女の意図が分からずにキョトンとした顔をしているとビャクアが落ち着き払った声で続ける。

 

「いくら命を切り売りして生き永らえているからと言って無限ではないのなら、私には一撃で片を付けられる手段があります」

「本当に!?」

「ただ……少し準備に時間が掛る代物でして」

「分かった。なら、ボク一人でコイツの動きを封じておく。それならいけるんだよね?」

 

 沙夜がなにを言いたいのか即座に理解した永春は何と躊躇いも不安も見せずに宣言した。あまりの即断即決っぷりに今度はビャクアの方が苦笑する番だった。

 

「いよいよ私の思考まで先読みするようになってきましたね。思い切りが良すぎることもですけど……心配で困ってしまいます」

「はは、ごめんね。でも……沙夜さんの言葉だもん。信じて頼まれる以外の選択肢なんてありえないね」

「――永春くんのそういうところ、ようやくちょっと慣れました。二人で、一緒に、勝ちましょう!」

 

 ビャクアの持つ秘策を永春はどんな内容なのか尋ねることなく時間稼ぎの囮役を引き受けた。そんな普通を自称しながらも窮地において抜きん出て勇気を振り絞れる少年にビャクアは誓いの言葉を残して単身外へと飛び出した。

 

 

 

 

 クロウマルから離れて近場のビルの屋上に降り立ったビャクアはおもむろに頭上を見上げた。赤く濁った穢れた空の下で永春が動かしている黒き巨兵が傷だらけになりながらも懸命に化神獣と戦っている。その動きを封じ込めようと足掻いている。

 

「いきますよ、永春くん。私たちが勝ちにいきます!」

 

 無数の命を持ち、限りなく不滅に近い大怪異へと変貌した化神獣を完全に打ち倒すべく、ビャクアは自らが持ちうる最強の一手を解禁する。

 

「万象剣・真打……鍛造開始」

 

 両腕の宝輪が金色に輝いて、闇を照らしていく。

 大袖を飾る勾玉に翠光が灯り、ビャクアの全身に活力を満たしていく。

 首に巻かれた羽衣が解けて、本来あるべくように彼女の双肩で浮遊する。

 ビャクア・セキシンはまるで戦神のような神秘的で壮烈な風格を醸し出す。

 

 それはまるで月夜の雪のように美しく、野山の清流のように麗しい佇まいだった。

 万象剣の鎺を胸当ての蒼い宝玉に押し当てる。

 ちょうど、彼女の心臓の上に当たる部分だ。

 清廉な声を始動の鍵として、万象剣は自らの拘束を解いていく。

 己に秘められた真の力を目覚めさせて、隠された真の刃を生み出そうと輝きを放つ。

 

「七幻よ、いまこそ束なり集え。神武よ、ここに極限へと至れ――!」

 

 赤き心の鼓動が響く。

 世界に鼓動が響き渡る。

 それはいま生まれようとしている剣の鼓動。

 それはいまを懸命に生きる人の命の鼓動。

 強く、熱く、清らかに――鼓動、鳴り響くこと七つ。

 

 柄を握るビャクアの手に力が入り、赤き双眸が改めて退けるべき敵を睨んだ。

 いま、御伽装士ビャクア(もちづき さや)の生命を玉鋼として、無双の刃が爆誕する。

 

「顕現せよ――魂魄剣」

 

 綺羅星のような輝きを掴んでビャクアは抜刀する。

 彼女の肉体を鞘として、右胸の宝玉から解き放たれた極光がゆっくりと剣の形となって世界に現れる。その鞘走る音色はまるでこの世の一切の不浄を断つような澄み切ったものだった。

 万象剣の真の姿は夜明けの青空のような色彩を持つ不思議な七支刀の姿形をしていた。

 その銘は魂魄剣。

 

『オ゛オ゛オ゛ォオオオオ――――!?』

 

 魂魄剣が放つ幻想的な光を目の当たりにした化神獣は怯え慄いた。その刃の恐ろしさを本能で感じ取ったのだ。

 胸をざわつかせる恐怖を取り除こうと化神獣は形振り構わず巨腕をビャクアへと振り下ろす。

 

「ハイヤァ――!!」

 

 裂帛の気合で薙いだ神威の刃が異形の巨腕を退ける。

 何も無い宙空をただ一振りしただけで、生み出された衝撃波が化神獣をはるか後方へと吹き飛ばしてしまったのだ。 

 

「オン・カルラ・カン・カンラ! いざ! いざ! いざッ!!」

 

 敵が怯んだ好機を逃す手は無いとビャクアは長く繰り広げられた決戦の幕を引くべく、退魔の印を結ぶと力強く空へと跳んだ。

 太陽よりも激しく、月よりも優しげで、星のように眩い魂の刃の凄絶さがいまここに開帳される。

 

「退魔覆滅奥義! 降魔一刀! ハイヤァアアアア――――ッ!!」 

 

 どこまでも煌めく七支の刃が化神獣を唐竹割りで真っ向から斬り裂いた。

 その一太刀に大きさの概念は無用であった。

 その一撃に穢れの色濃さは無意味であった。

 その一閃に蠢く命の膨大さは無力であった。

 

 鋼の剣が肉を斬り、骨を断つならば魂魄剣は生命を斬り落とす剣。

 担い手の生命を刃として相手の魂という対象を直接両断する神域に等しい力を秘めた霊剣なのだ。

 

『アァ……アアア、ァアア……アアアァアア――――ッ!?』

 

 魂魄剣による全身全霊の一撃を受けた化神獣についに必滅の二文字が突き刺さる。

 憎悪に満ちた絶叫とも恐怖と嘆きが溢れる悲鳴とも聞こえる断末魔が轟いて、化神獣と暗天を形作っていた赤い空が砕けていく。

 あれほどの巨体を誇っていた化神獣は驚くほどあっけなく、塵か霧かのように消滅霧散して果てたのだ。

 

「これにて、落着です」

 

 電柱のてっぺんに着地したビャクアが静かに残身を取ると暗天は完全に崩壊して、元の世界に戻っていた。濃紺の夜空に輝く月と星がビャクアとゆっくりと消えていくクロウマルを見守っていた。

 

 ここに長い戦いは幕を閉じた。

 沙夜と永春は運命を手繰り寄せて、勝利を掴んで見せたのだ。

 

 

 

 

 あの日からずっと、どこまでも続く濁った暗闇を理由もなく歩いているような毎日だった。

 味のしなくなったガムを吐き出すことも飲み込むこともせずに、ただ何となく他にすることもないから噛み続けているような日々だった。

 いつから、そんな風に生きることが殺風景でどうでもいいものに変わったんだっけ?

 

 夕凪さんからお呪いを渡されたあの日?

 事故に遭って、両親と死に別れた時?

 正直、そんな事柄ですらどうだっていいとボクは内心思っていたんだ。

 だって、極端なことを言ってしまえばボクはもう他のみんなのように生きていくのに本気になる必要なんてなかったから。

 

 不死とはそういうものだ。

 永遠に生き続けるというのはそんなものだ。

 夢のあるものじゃない。

 ずっと目を背けて、知らないふりをしてきただけ。

 何をしたって死なないということはその程度のものだ。

 自分が生きている世界が白黒テレビのように色褪せて、音だってノイズだらけでつまらなくて煩わしくなる。

 

 人間は――生き物とは生きるために頑張る生命体だ。

 少なくともボクはそういう風に考えている。

 

 衣食住を満たすために頑張る。

 仕事であれ、勉学であれ、趣味であれ、何もしなければ飢えてやがてはみすぼらしく力尽きる。

 だから、生活を充実させるためや富や名誉だとかを高めるために――限りある人生を自分好みに彩るためにがんばって生きている。

 

 喜びもある。

 怒りもある。

 哀しみもある。

 楽しみもある。

 

 誰もがいつかは自分と言う人間にも終わりが訪れると解るときが来るから、代わり映えのない日常だなんて言いつつもみんなその日、その瞬間を本気で生きていくことが出来る。

 

 自分にはもうそれがない。

 

 父母と同じように鉄パイプの濁流で体がグチャグチャに潰れてもほんの数分数秒で元通りに治ってしまう肉体になってから、生きるという行為が無意味に感じるようになった。

 まるで狭い病院の待合室で延々と呼ばれることのない診察の時間を待ち続けるような息苦しさだけがボクにまとわりついて離れなくなった。

 

 だけど、不思議とボクは泣き喚くことも、運命を嘆くこともしなかった。

 この呪い(不死)と向き合う度にあの雨の日の夕凪さんの顔と言葉と涙が脳裏に蘇ったから。

 だから、まだ壊れてしまうのは早すぎると意地のようなものがずっとボクを人間として繋ぎ止めている。

 

 友人たちが夢や未来を語る隣で悟られないように手を抜いて生きるようになった。

 とはいえ、露骨にそんな風に生きていけるわけでもないので少しでも気が紛れるように毎日をバイト漬けにしてみたり、色々と試してみたりもした。何でもいい、忙しさに追われている間はちょっとだけ、気が休まるようだった。

 

 兄夫婦のところで居候して暮らした一年と笛吹荘で一人暮らしをするようになった一年の合わせて二年ちょっとの時間だけでも味わった空虚はとても苦しいものだった。

 これが誰かに呪いを押し付けない限り、終わることなくいつまでも続くと考えたら、とても憂鬱で仕方がない。

 

 夕凪さんもこんな風に感情や心が色褪せ、磨り減っていたのだろうかと思うとあの日の自分の言動に強い後悔と憤りを覚えた。

 もっと違う言葉をかけてあげられなかったのか、彼女の救いになる何かが出来ていてあげれば良かったのにと。けれど、同時にこうも思ったんだ。

 

『それなら……わたしの代わりに、ずっとずっと苦しんでよ』

 

 夕凪さんの最期の願いを叶えるためにこの運命が巡り回ってやって来たのだとしたら、彼女の為に無意味に生きて、一日でも長く苦しんでボクを続けていくことも少しは意義があるのかなと。

 そんな時だったんだ。

 もう何にも感激することもないと思っていた心が高ぶりを覚えたのは。

 

 高校二年生、初めの一日目――ボクは一人の少女を知ったんだ。

 陽の差し込む眩しい場所にいるみんなを、暗く静かな日陰の中で優しく見守っているような雰囲気の少女。

 クラスの誰かがまるで幽霊だとからかっていたその控えめで、だけどどこか満足げな微笑みにボクは見惚れていたんだ。自分で言って照れ臭いけど、苦しいぐらいに胸の奥が熱くなっていたんだ。

 

 理由?

 そんなの一目惚れに決まってるじゃん。

 彼女のことが好きになったんだから、しょうがないだろ。

 

 

「ん……うん……あ、れ?」

 

 目が覚めるとぼんやりと見知らぬ天井が広がった。

 笛吹荘のボクの部屋でも病院でも無い。

 何の変哲もない和室の天井だ。

 

「よかった」

 

 すぐそばで聞き馴染みのある心地の良い声がしてボクは慌てて飛び起きた。

 

「うえっ!? ここって……え、待ってぇ!? 沙夜さん!?」

「おはようございます、永春くん」

「……おはようございます。あの、お邪魔してます?」

「遠慮なく。ただ、最初に永春くんに言わせてください。神社でのこと、病院で電話した時のこと……どれもひどいことをしてしまって、ごめんなさい」

「――大丈夫。もう、気にしてないよ」

 

 薄暗い六畳間の空間に年季の入った時計の音だけが淡々と聞こえる。

 ボクが寝ていた布団の隣で綺麗な姿勢で正座して柔和な顔をしている彼女と部屋の周囲を忙しく見渡したことでようやく、ここが沙夜さんの居候先――つまりは六角家の客間だという事に気が付くのにさほど時間はかからなかった。

 

「まだお疲れかと思いますが少し、付き合ってくれませんか?」

「うん。ボクも……沙夜さんに話したいことがたくさんあるんだ」

 

 楚々とした様子の彼女の声を渡りに船とばかりにボクもそんな風に返事をする。

 この時が来るのが怖かった。でも、ずっと待っていた。

 

 

 

 

 夜明け前の空気は六月だというのにまだ冷たくて、澄んでいた。

 深呼吸をすると心が洗われるようだった。

 いま、ボクは沙夜さんと六角モータースの近くにあるのどかな散歩道を歩いている。

 周りに他の人の気配はない。野良猫の類も見当たらない、本当に誰もいない。まるで二人だけの世界だ。 

 

 ここまで来る道中で戦いの後のことを彼女からも聞くことが出来た。

 沙夜さんの活躍のお陰で物部天厳は無事に討伐。

 盗まれていた猿羅の怨面も回収が完了。

 天厳が引き起こした儀式による混乱や人柱樹にされた人々なども光姫さんや安さんたちに加えて、他エリアを担当している近隣の御守衆の平装士たちが応援に駆けつけて急ピッチで鎮静化に当たり、どうにか丸く収まる目処が立ったという。

 

 一方でボクはと言うと普通なら二桁は死んでいるであろう怪我を負った疲労に、大具足を一人で暫く動かしていた反動が重なって知らぬ間に気絶していたらしく、同じく激戦の後で疲労困憊だった沙夜さん共々帰って寝ろと六角家に放り込まれたという。

 いま着ている上の服も噂の光姫さんの旦那さんか誰かの物だろう、サイズがちょっと大きいので少し落ち着かない。

 兎にも角にも、あれだけの大騒動でも最悪の事態にならずに済んで良かったと胸を撫で下ろす。

 

「それで……その、ですね」

「うん。今度はボクの番だね。どこから話そうか――」

 

 伏し目がちに言葉を詰まらせている彼女にボクはなるべく、世間話をするような気軽な空気を装って隠したり、嘘をついていた本当のボクのことをゆっくりと話し始めた。

 

 夕凪さんとなにが起こったのか。

 あの日の別れ方と受け継いでしまった人魚の呪いのこと。

 両親と事故に遭ったときに本当は自分も死ぬはずだったところを呪いのお陰で生き永らえてしまったこと。

 

「本当に……そんなことが」

「ボクも夕凪さんに聞かされたわけじゃないけど、彼女の心臓を食べさせられた時にね、テレパシーというか記憶とかだけが頭の中に焼きついたような」

「それじゃあ、件の女性が人魚本人と言うわけでもないんですね?」

「たぶんね。本物の人魚がどんな感じだったのか、最初に呪いを受けたのは誰だったのか肝心なところはボクにも分からないんだ。ただ、ボクや夕凪さん以外にも過去に呪いに振り回された人たちがいたことと、この呪いがどういうものなのかは感覚で教えられたみたいな」

 

 改めて人魚の呪いの親切なんだか不親切なんだか分からない仕様には参ってしまう。

 原因とか、解決の手掛かりとかそういうのは結局謎のままなんだから、正直に話したところでどう足掻いたって沙夜さんを不安と困惑を与えてしまうじゃないか。

 

「ずっと嘘ついていて、ごめん。適当なこといって隠してきて本当にごめん」

「謝らないで下さい! 誰だって、そんなものを背負わされていたら隠したくなります」

「そうかもしれないけど……その、これが光姫さんとか安さんだったらたぶん、本当にもっと早くに正直に全部話せていたと思うから」

「え?」

 

 最初に悪かったのも、全部の責任もボクにあるというのに沙夜さんは大きな声でその事実を拭おうとしてくれる。嬉しかった。その優しさに甘えたくないといえば嘘になる。

 でも、それじゃあ駄目なんだと、ボクはどんな未来が待っているのか恐くてずっと言葉に出来なかった想いをゆっくりと声に出していく。

 

「化神が切っ掛けっていうのに複雑な気はしたけど、沙夜さんと仲良くなれたことが嬉しかった。戦いで余計なお世話だったかもしれないけど、ちょっとでも役に立てたことが嬉しかった。買い物とか学校の生活で沙夜さんに頼ってもらえるのが嬉しかった――」

「永春くん……」

 

 ダムが決壊したように気が付けばボクはずっと押さえこんでいた不純塗れの気持ちを沙夜さんに向かって吐露していた。濁って汚い泥水のように自分では思える我欲塗れの真っ正直な想いばかりを。

 

「クラスのみんなが知らない沙夜さんの一面をボクだけが知れたことが嬉しかった。ファミレスではしゃいだり、牛乳大好きだったり、格ゲー上手かったり、結構負けず嫌いなところとか……君のこと、沙夜さんの素敵なところに一番近くで触れることが出来て嬉しくてしょうがなかった」

 

 壊れた噴水のように感情を添削もせずに荒削りしたような言葉が溢れ出して止まらない。

 破裂しても問題ないはずの心臓が激しく脈打って、怖いほど痛い。

 視線の先の彼女は胸元でぎゅっと両手を握り締めて、困惑した様子だ。それでも、あの宝石のように綺麗な瞳の眼差しは真っ直ぐにこちらに向けられている。

 

「だから、だから……ごめんね、いつの間にか沙夜さんにだけは嫌われたくないって、化け物だって思われたくなくて、本当のことずっと言わなきゃいけないって思っていたのに言えなかった。体をバラバラにされても平気な筈のくせして、沙夜さんに嫌われるかもしれないって、そう思ったら……呪いのことを言うのが怖くて、怖くて、言えなかった」

 

 ああ、本当にボクは嘘つきで身勝手でどうしようもない奴だ。

 こうして、言葉にして列挙するだけで嫌気がする。

 自分で言っていても本当に気持ちが悪い。

 完全に粘着質なストーカーみたいじゃないか。

 逃げ出してもらってもいいぐらいの反吐が出るようなボクの言葉を沙夜さんはいまも静かに耳を傾けて聞いてくれている。

 その真摯な姿が眩しくて、同時に彼女にこんな汚い言葉と本心を曝け出している自分に腹が立ってくる。殺せるなら殺してやりたい気分だ。ボクの首を刎ねることが出来た天厳がこの瞬間だけは少しだけ羨ましくも思えてくる。

 

 さあ、常若永春。

 前に行った言葉を本当の意味でもう一度、沙夜さんに伝えるぞ。

 いや、懇願するんだ。

 只でさえ、ボクの愚かさで沙夜さんの身も心も沢山傷つけてしまったその罰を受ける責任があるんだ。甘い夢はもう十分に見させてもらっただろう。

 

「沙夜さん。前に屋上で言った言葉をもう一度、今度は本当の意味で言わせて欲しい」

「……どういうことです?」

「ボクのことを君と御守衆に預けるよ。煮るなり焼くなり好きにしてもいいって意味で」

 

 捲し立てるように喋り続けたせいか肝心な部分を彼女に伝える頃には肩で大きく息をするほどに呼吸が苦しかった。だけど、一言一句言い間違えることも迷うこともなく言う事が出来た。これで人間らしい日々に未練はもうない。

 

「それは私たちに危険な存在として厳重に取り調べられて、実験や拷問の末にみんなの平穏のために処分か封印でもして欲しいという意味ですか?」

 

 眼差しと眼差しがぶつかり合ったまま、どれぐらいが経っただろう。

 太陽が顔を出しつつある、そんな空の明るさを意識する程度の長い沈黙を破って彼女が口を開いた。

 

「そうだよ。だって、恐いでしょ? 八つ裂きにされても死なない奴なんて? ボクにその意思が無くても、ボクが生きている限りは絶対にどこかで大勢の人が苦しむような厄介の火種になる……だから、お願いします。みんなの平和な毎日を守ると思って、ボクのことをこの世から片付けて欲しいんだ」

 

 怨面こそ被っていないものの、凛としたどこか抜き身の刃のような張り詰めた雰囲気のする声でボクに問いかける沙夜さんにボクは深々と頭を下げてお願いした。

 情けないと思いつつも、こうする他に手が見当たらなかった。

 天厳に立ち向かって、呪いの力を使った時にこうすることは決めていた。

 もう二度と、ボクのせいで傷つく沙夜さんを見たくないが為にボクはどこまでも愚者でいようと決めたんだ。

 

 ボクの申し出に答えは返ってこない。

 暫くしてから彼女の規則正しい足音だけが近付いてきた。

 

「永春くん、顔を上げてください」

 

 いつかの夜のように彼女の声が降ってきた。

 けど、今朝はどこか冷やかで棘のある声色。

 

「このッ!」

 

 黙って言う通りにするとボクは顔を上げ様に思いっきりビンタされた。

 首が折れて一回転しそうな力強くて、とても痛いビンタだった。

 脳と一緒に揺れる視界が一瞬だけ、歯を食いしばって怒りを露わにする沙夜さんの初めて見る表情を映していた。

 

「ぐ……いっ…うぅ?」

「今度いまと同じことを言ったら永春くんでも次はグーでいきます」

 

 突然に優しくて柔らかなぬくもりがボクを包む。

 顔を引っ叩かれて、ふらつくボクのすぐ耳元で彼女の声が囁かれた。

 熱い吐息を孕んだ、いまにも泣き出しそうな震えた声。

 ボクは殴られて、すぐさま沙夜さんに抱きしめられていた。

 

「あ、あの……えと?」

「――これがわたしの答えです。あなたは誰にも渡しません」

 

 何が起きているのかサッパリわからなかった。

 沙夜さんに両腕ごと強く抱きしめられていて恥ずかしいことに微動だに出来ない。あたふたと滑稽に驚いていると揺るぎのない意思が宿ったような呟きがボクに届いた。

 涙声の、でも強くて綺麗で清廉な彼女の声。

 

「運命にも、呪いにも、化神にも、この先永春くんのことを好きになるかもしれない他の女の子にも、御守衆にだって……誰にも、誰にも渡したくありません」

 

 痛いほど強く抱きしめられる。

 だけど、その痛みは想いの強さだとすぐに分かる。

 彼女の体温がじんわりと伝わってくる。

 沙夜さんがこんなにもすぐ傍にいることを否応にも意識する。

 

「だって、わたしはあなたに恋をしたから――」

 

 ボクの耳は確かに彼女の言葉を拾った。

 あまりにも予想していなかった出来事にどんな顔をしていいのか、どんな言葉を掛けていいのか分からないで固まっていると抱きしめる腕はそのままに彼女は顔を少し動かして、至近距離でボクを見つめてくる。

 

「だからもう二度とそんな悲しいことを言わないで下さい」

「沙夜さん……でも、ボクはさ――」

「嫌です。聞きたくありません。私も少しはワガママに生きてみようって決めたんです。それにまだ私の話は終わっていませんから、黙って聞いてください」

「は、はい」

 

 よく知る彼女とは思えない押しの強さと剣呑な雰囲気にボクは躾けられた犬のように首を縦に振った。

 うん、本当に不甲斐ない。

 

「永春くん。沙夜はあなたと同じ時間を少しでも長く、一緒に感じていたいです。あなたは嫌ですか?」

「……そんなわけ、ないじゃん。ボクだって、傍にいたい。いられるなら、沙夜さんの一番でいたいよ」

 

 沙夜さんからそんな風に思われていただなんて、夢みたいだった。

 熱い吐息を感じるようなすぐ目の前で真っ直ぐにボクを見つめてくる彼女の顔を勇気を振り絞って見つめ返す。

 くしゃりと可愛らしく乱れた前髪から露わになった紫瞳が鏡のように自分を映していた。

 すぐにぼやけてよく見えなくなったけど、いまにも泣き出しそうなやっぱり情けない顔をしていたと思う。

 

「だったら――いまから、これから、なってください。沙夜だけの永春くんになってください。嘘ついてたこと、隠し事していたこと……それで許してあげます」

 

 見惚れるばかりで、気が付かなかった。

 慕うばかりで、考えもしなかった。

 本当にボクはダメな奴だ。

 だけど、たったいまダメな奴では終われない理由ができてしまった。

 

「本当に……ボクでいいの?」

「あんなにも私への想いを滔々と語ってくれたのに、今更そんな弱腰にならないで下さい。沙夜の瞳は永春くんしか見えていませんよ」

 

 熱く透明な流れ星が一条、彼女の頬っぺたを落ちていく。

 夜を照らす満月のような優しい彼女の笑顔にボクの心と命はもう一度、燈を灯されたような気持だった。

 

「それで……いつになったら答えを教えてくれるんです」

「うん。その前にちょっとだけ、腕の力を緩めてもらっていいかな?」

「ふぇっ? あ、ごめんなさい! 痛かったですか? つい、夢中になって――」

「いや、そうじゃなくて……これがボクの答えってことです」

 

 いましがたの熱情に突き動かされるがままの積極的な彼女は何処へやら。

 あわあわと動転する彼女の背中に優しく両腕を滑り込ませて、ボクも沙夜さんを抱きしめた。

 手に伝わる彼女の透き通るようなサラサラした髪の感触が心地いい。

 

「沙夜さんにあそこまで言われたら、やらなきゃだよね。頑張って君の一番になる」

「ありがとう、永春くん。でも、気負わないで下さい。昨日、あなたが私を助けてくれたように……持ちつ持たれつでいきましょう。呪いも恋も私たちお互いに一人きりじゃあ荷が重そうです。でも、一緒ならきっと大丈夫」

 

 無邪気に苦笑する沙夜さんがとても愛おしくて、ちょっとだけ強く抱きしめた。

 彼女は最初少し驚いたようだけど、すぐに柔らかな佇まいになるとボクの体温や心臓の鼓動を感じようと体を深く寄せてきてくれた。

 

 ボクと沙夜さん――朝焼けの空の下でお互いに大切そうに抱きしめ合った。

 照れ臭くはあったけど、気恥ずかしくはなかったと思う。

 遠くで新聞配達のバイクのエンジン音が聞こえてくるまでボクたちはいままでの思い出とこれからの未来を夢見ながら、抱擁を交わしたまま幸せな気分を堪能していた。

 

 永い長い一日がこうして、ようやく終わりを告げた。

 そして、続く今日がやってくる。

 ボクの日常に色彩は完全に蘇っていた。

 もう二度と手を抜いて生きようだなんて思わないだろう。

 

 

 

 

 それは物部天厳の事件から数日が経ったある日の午後の一幕。

 

「ういー……やっとキリがついたぁ!」

「お疲れ様です姐さん。茶ぁ淹れました」

 

 六角モータースの事務所で連日に渡って机とパソコンに向かって事後処理に当たっていた光姫は最後の書類を送信し終えると豪快に応接用のソファーにダイブして伸びた。

 死人のように疲れ切った上司に四人組を代表して補佐についていた安が顔に似合わずハーブティーを用意して差し出した。

 

「一時は名古屋終わったと思いましたけど、なんとかなるもんでしたね」

「こんな大騒動二度とごめんだよ。我ながら学校や周辺の被害や混乱をよくもまあガス漏れとガス爆発で誤魔化し通せたと思うよ」

 

 据わりきった双眸で乾いた笑いを零す光姫に安は適当な相槌を打ちながら一人でせっせと散らかり切った事務所の片付けに精を出す。

 

「お嬢と永春、大金星でしたね。猿羅の怨面も無傷で取り戻せるとは流石に思ってもみませんでした」

「本当だよ。総本山も東北の面子も感涙ものさ。まあ、あの変態野郎が色々と弄ったせいですぐには使えないだろうがな。新しい担い手も鍛えにゃならないだろうし」

「浄化処置も俺らで執り行いますんで?」

「そこまで世話焼けるかっての。東北の古い名家があったろ? えーっと……」

「夜舞家のことですか?」

「おう。そこだ」

 

 小気味良く指を鳴らして、光姫は事後処理と同時進行でしたためておいた手紙が入った封筒を引っ張り出した。

 

「休暇も兼ねて、沙夜に届けさせようと思ってる。なんなら坊やも同行させてな」

「永春の奴は一応部外者なんですからあんまりこき使っちゃ可哀想ですぜ?」

「いいじゃねえか。どうせあのボンクラコンビはこれぐらい段取りしてやらねえと火遊びの一つもしやしねえさね」

 

 ハーブティーを豪快に飲み干すと光姫は悪党めいた不敵な笑みを作って見せた。

 

「ところで……永春のこと、他の連中には本当に隠しておくつもりですか?」

「なんのことだか?」

 

 本当に保護者代理の自覚あるのかと苦笑しつつ、安は咳払いを一つすると真剣な面持ちで切り出した。永春の抱える人魚の呪いの秘密は光姫や安たちも知る事柄になっていた。

 

「もしもバレたら、後々姐さんも大変なことになりますよ」

「――あたしら御守衆の仕事は無辜の人々の暮らしの安寧を守ることにある。ガキ一人の人生も守れないんじゃ、大店から店仕舞いした方がマシってもんさ」

「ハハッ! それでこそ俺らの姐さんだ!」

「それにあいつには沙夜がついてる。上手くやってくさ……あたしの自慢の妹分だぜ?」

 

 事件の傷跡は少しずつ癒えていく。

 大人たちは希望を信じて、託し見守っていく。

 こうして、季節は移ろいゆく――。

 

 

 

 

「ふー……すっかり、朝の空気が冷たくなりましたね。髪も乾きにくいから困ります」

 

 早朝の鍛錬を終えて、シャワーを浴びたばかりの火照った体から熱が抜けていく速さに秋の深まりを感じる。まだ少し濡れた長い髪の水気を手早くタオルで吸い取って、冬服のセーラー服に袖を通す。

 普通の女子高生ならここでメイクに時間を費やすものかもしれないけど、私の場合はナチュラルメイクと呼ぶことさえもおこがましい程度の簡単なものを少々で済ませる。

 彼が喜んでくれるのなら、将来的にはメイクの技術も一人前になりたいものですがいまのところ、不満や要望も出ていないので良しとします。

 

「それじゃあ、いってきますねナガハル」

 

 返事なんて返ってくるわけでもないのに殺風景な部屋で一等星のような光る存在になっている青い龍のようなマスコットぬいぐるみを軽く抱きしめる。

 以前、彼と一緒に遊びに行ったバッティングセンターの景品として手に入れた物だ。

 名前の由来はその……察して下さい。

 惚気るつもりはありませんがぬいぐるみ一つ抱きしめるだけでも、あの日のことはいまでも鮮明に思い出せてしまう。

 

「くふふ。二人とも、あれだけのことを言ったりやったりしていたのに言葉にするまで他に良い相手が現れるだろうだなんて考えて、気後れしていたなんて――私と永春くんらしいです」

 

 一方通行な慕情だと思っていたら、まさか彼も私にあんな深い好意を抱いていてくれていた――まさかの両想い。人生とは本当に不思議なものですと大人ぶって感慨に浸ってしまいます。

 

「さあ、張り切って今日を始めましょう」

 

 秋晴れの空の下、日々これ鍛錬と駆け足で学校への道を進み出す。

 以前は一人で通っていた通学路――いまでは一緒に通う人がいる。

 もちろん、彼のことだ。もう少し進めば永春くんが暮らす笛吹荘が見えてくる。

 

「沙夜さーん!!」

「永春くん!? そんなに慌てて、どうしたんですか!」

 

 そんな風に思っていたら通学路を逆走するように私を見つけて走ってくる彼の姿に目を丸くする。

 

「ハア……ハァ……それが! 駅前で車や自転車がひとりでに何かに踏まれたみたいに潰され出したって騒ぎになってて! 黒い靄っぽいのが神社の方に移動してるのも見かけたからさ! 電話するよりも走ればすぐに沙夜さんに会えると思って」

「十中八九で化神ですね。情報ありがとうございます」

 

 今日は朝から忙しくなりそうです。

 まさか、放課後を待たずにお仕事が始まるとは――いいえ、これなら今日の放課後はオフということで永春くんと楽しい時間を過ごせると前向きに考えていきましょう。

 

「では、いってきます!」

「気をつけて。ボクの方でも他に情報が手に入ったらそっちに送るよ」

「お願いします」

 

 あの後も永春くんは御守衆に所属こそしていないものの、私のサポートをしてくれています。

 ほぼ公認&専属ということで六角モータースに顔を出すことも格段に増えました。

 それから――いえ、まずはキッチリと私の務めを果たすとしましょうか。

 思い出話はまたどこかでゆっくりとお付き合いください。

 

「オン・カルラ・カン・カンラ」

 

 人目に付かないように家屋の屋根や電柱を飛び駆けながら、ブレスレットに見立てている白い鴉面を手に取ると心を研ぎ澄ます。

 

「白鴉の怨面よ、お目覚めよ」

 

 白い仮面に語りかけ、迷うことなく仮面を被る。

 私の全身の肌に無数の蛇が這うような赤い痣のような紋様が浮かび上がる。

 

 神通力と共にこの身に流れ込んでくる怨念無念の奔流とそれに伴う苦痛――かつてよりは和らいだ気もしますがこれはきっと消えることはない痛み。消えてはいけない痛みなのだと思います。

 超常の力を振るう者として、忘れてはいけない力への畏敬の証なのだから。

 そして、今日も私はその言の葉をどこまでも続く蒼穹に響かせる。

 

「――変身」

 

 白く輝く光の中で私は変わる。

 御伽装士としての戦いに終わりはない。

 いつまでビャクアとして戦い続けるのか、どんな終着が待っているのかは不透明だ。

 でも、大丈夫。

 だって――望月沙夜(わたし)の傍にはそう簡単には死に別れたりしない、常若永春(大切な人)がいつまでも一緒にいてくれるから。

 

「いざ――参ります!」

 

 私はどこまでだって羽ばたいていける。

 

 

 

 

 世界は呪いに満ちている。

 怒りがあり、悲しみがあり、憎しみがあり、恨みがある。

 万華鏡を覗いたような、色とりどりの怨念がいまも世界に芽吹いている。

 人が人として生きていく、この営みがある限り――それは続いていく。

 

 だけど。

 

 世界はそんなものよりも、もっとずっと眩しくてあたたかな祝福に溢れている。

 ボクたちはいつだって、そう信じていたい。

 彼女と一緒に生きるこれからの日々をそう信じて生きていきたい。

 

 

 終幕。

 

 





皆さま、ここまでお読みいただきありがとうございました。
仮面ライダービャクアの本編はここで一応の終わりとなります。
短編形式と言うことで、今後あと数話ほどの番外編を執筆する予定ではありますのでその際はどうかまたよろしくお願い致します。また作者の閃きがあれば長めのお話を書くかもしれません。
最後になりましたがお気に入り登録やご感想、読了報告などでたくさんの励ましを頂いた全ての読者様に本当に感謝しております。
またの機会にお会いしましょう。

それでは。




















 それは交わるべくして交わった二つの世界(仮面ライダー)の物語。
 仄暗い闇の底から放たれた陰謀が恐るべき牙を剥く。
 人知の領域を超えた生命体の魔手が伸びる。
 太古より夜闇に潜む穢れたちの悪意が忍び寄る。

 世界を救うことが出来るのは巡り会った二人の戦士たち。
 伝説たちの力を重ね結びし、不屈の守護者/白き怨面を纏い、七つ道具を操りし御伽装士。

 仮面ライダーデュオル! 
 仮面ライダービャクア! 
 いまこそ世界を守る疾風となれ!!

『仮面ライダーハーメルンジェネレーションズ外伝 デュオル×ビャクア ユニゾンウォー』

 制作決定。
 続報をお待ち下さい。


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番外編
湯けむり羽休め


こちらではお久しぶりです。
今年最後の更新として本当ならユニゾンウォーより先に書こうと思っていたビャクアの後日談&ほのぼのとした日常回のお話を一つお届けです。



 

「一緒に温泉に行きませんか?」

 

 はじまりは沙夜さんのそんな一言だった。

 物部天厳の事件から二週間が経った七月のとある日に彼女からそんな誘いを受けた。

 なんでも先の騒動の混乱や後始末がようやく落ち着いたので光姫さんから事件解決の立役者としてご褒美代わりに休暇をもらったそうだ。

 光姫さんの口利きで御守衆の関係者が営んでいる温泉宿の離れを自由に使わせてもらえることになっているらしい。

 

「湯治といったら大袈裟ですが温泉でも入ってのんびりしてこいと。それで永春くんのご迷惑でなければ一緒についてきてくれないかと」

「嬉しいけど、部外者のボクがご一緒しても大丈夫なの?」

「そこは私の方から説明しておきます。温泉は好きなのですが……一人で行っても寂しいというか、その、また永春くんとお出かけしたいなぁと」

 

 沙夜さんは梅雨の湿気もなんのそのと普段と変わらず漆のように艶やかな黒髪の一房を指でくるくる弄りながら、照れ笑いしてボクの返答を待っていた。

 

「沙夜さんがそうしたいのなら、よろこんで。誘ってくれてありがとう」

「いえ……いえ! こちらこそ、私のワガママを聞いてくれてありがとうございます」

 

 ボクの了承にキラキラした笑顔を見せて深々とお辞儀をする彼女を宥めつつも、そんな沙夜さんが可愛くてこっちまで頬が緩んでしまう。

 ラッキーなことに梅雨の切れ間で次の週末は雨も止むらしいし、良い旅になっておくれとボクは曇天の雲の彼方で瞬いているであろう星に願ったのだ。

 

 

 

 

 太陽の輝きが照りつくアスファルトから燻ぶる夏の香りを僅かに感じながらボクたちを乗せた白い車体が軽快に二輪を回して風を切る。

 

「風が気持ちいいですねー梅雨の蒸し暑さを忘れてしまいそうです」

「そう、だね! あの、やっぱりボクが運転代わろうか? 沙夜さんの骨休めの旅行なんだしさぁ」

「お気になさらず。むしろ、誰かを乗せて走るなんて滅多にないことなのでちょっとワクワクしていますので」

 

 天気は快晴。

 吸い込まれるような真っ青な空の下を旅行姿のボクと沙夜さんを乗せた擬態状態のハヤテチェイサーが目的地を目指して我が物顔で駆けている。

 誘ってくれたせめてものお返しに荷物持ちや運転手役ぐらい引き受けるつもりだったのだけれど、いまハンドルを握っているのは沙夜さんだ。

 元々、ハヤテチェイサーは彼女の愛機なので当然なのだがボクたち以外は殆ど車が走っていない長閑な二車線の山道を滑らかな動きとかなりの速度で飛ばしている。

 

「余計なお世話かもしれないけど、安全運転忘れないでね?」

「……くす。ハヤテ、ハイヤー!」

「ちょっわあああ!?」

 

 我ながらちょっと情けないが彼女の腰に両腕を回してしがみついているボクが遠慮気味にそういうと沙夜さんは意味深な沈黙の後に小さく笑うと得意げにウィリー走行を披露してくれた。

 突然重力にひっぱられて、彼女との間が離れていくのを実感して咄嗟に両腕に力を入れる。後々になってそれは紛れもなく沙夜さんのことを後ろから強く抱きしめている様な格好だなと気付いて、こそばゆさで体温が急上昇してしまったのは内緒だ。

 それにしたって白い二輪車を手足のように操って走る姿はまるで現代の牛若丸だ。え、牛若丸は男だろうって?それじゃあ巴御前あたりに訂正を――いやその、こんなことを考えて誤魔化さないと同乗しているこっちは気が気でないんだよ。

 

「さっ! さささ沙夜さぁん!? 仮にもヒーローが交通安全守らないのは不味いのでは!?」

「これは失敬♪ 永春くんとの二人旅が嬉しくて、少しはしゃいでしまいました」

「沙夜さんが楽しいのは良いことだけど、できたらもう少しハートフルな感じでお願いします!」

「もう少し、私がちゃんとバイクの腕も達者なところをお見せしたかったのですが心得ました。この山を抜けるとそこそこ大きな道の駅がありますのでそこで休憩しましょう」

 

 彼女の知らない一面に触れることができた嬉しさと思わず心臓が止まりそうになる恐怖体験を味わいながら、ボクと沙夜さんは移動時間も余すところなく楽しみながら温泉宿を目指していった。

 

 

 

 

「えーっと、この建物ですね。この離れを一泊自由に使って良いそうです」

「おお……すっげぇ」

 

 道の駅でアイスクリームを食べさせあったり、道中の観光名所に寄り道して記念写真を撮ったりと自分でもビックリするぐらい甘酸っぱいイベントを体験しながら無事に目的の温泉宿に到着したボクたちは女将さんにご挨拶をして、本館から少し歩いて離れに通された。

 和風のコテージのような建物で造られたばかりなのか真新しくて、中に入ると濃厚な檜と畳みの香りが鼻孔をくすぐった。和紙で出来た提灯風の照明のオレンジ色の優しい灯りもとても風情を出している。こじんまりとしているけど、なんだかとても居心地が良い気分だ。

 キッチン設備も整っているから、冬場とかでも盛況するんだろうなと考えながら荷物を置いて一息つく。残念ながら今回は先に夕食を食べてきたので今回は出番はなしだ。

 沙夜さんが贔屓にしているお店の鮎尽くし御膳、美味しかったなぁ。

 

「すごく良いところだね。ボク一人じゃ絶対にこんなところ泊まる機会ないだろうし、沙夜さん様々だよ」

「くす、お風呂から見える景色も素敵ですよ。春は桜、夏は星空、秋は紅葉に、冬は淡雪と何時まででも入っていられる自信があります」

「そうなんだ。天気が良くて改めて感謝だね」

 

 まるで自分の事のようにグッと拳を握ってアピールする彼女が面白い。

 前髪からチラリと見える紫瞳も気合の入った強気な眼差しになっている辺り、絶景が待っているんだろうと期待が膨らむ。

 そして、楽しい旅に浮かれていたのは彼女だけじゃなかったと気付いて青ざめたのはこの時だった。うん、ここまでの道中でなんで思い至らなかったんだろう。

 若い男女二人で温泉ってことはそういうことだろうにさ――。

 

「さっそく入りに行きましょう。タオルといったお風呂セットは脱衣所に――」

「あの……沙夜さん? 一応聞くんだけど、ここの温泉って混浴とかじゃないよね?」

「え……あ」

 

 足取り軽かった沙夜さんの体は恐る恐る問いかけたボクの質問で氷像のように固まった。そして、見る見るうちにちょっと間抜けっぽく半開きに口を開けたままの顔が真っ赤になっていく。

 

「えっと、その……沙夜さん?」

「ッ!!」

 

 一分間以上のフリーズを経て、再起動した彼女は脱兎のような素早さで脱衣所の方に走っていくとしばらくしてまた戻ってきた。

 

「ゼェ……ハア……大丈夫です。男女別でした」

 

 沙夜さん曰く、露天風呂を囲むように数軒のコテージが建っていて、備え付けのシャワー用の脱衣所から渡り廊下を通ることで男女に別れた専用の脱衣所があるらしい。

 わざわざ確認をしてきた彼女は息を切らして、白い肌には汗も浮かんでいるのできっと温泉のお湯が格別に気持ちいいことだろう。

 沙夜さんは時々勢い任せですっごく迂闊なことをする人だということもあの春の出会いから知ることが出来た微笑ましくも素敵な一面だとボクは思う。

 

 

 

 

「おお……すごいや」

 

 待望の露天風呂を前にしてボクは本日何度目かのすごいを呟いた。

 我ながらもう少し情緒なり語彙力を磨いた方が良いと思う今日この頃だ。

 だけど、本当にここの露天風呂は見聞も浅いボクでも分かるぐらいの素晴らしいものだった。庭園のような石造りの湯船と幻想的な灯りを照らす石灯籠、男湯と女湯を隔てる木製の塀まで芸術っぽい細工が施されている。

 

「はぁ~生き返るぅ」

 

 逸る気持ちを抑えて体を洗い、湯船に入ると自然とそんな声が出てしまった。これじゃあ下宿の同居人である三十路の先生を笑えない。

 熱すぎず、温すぎずな絶妙なお湯加減の温泉が一日の疲れと汗を綺麗さっぱり流してく気分だ。

 

「永春くん、ここの温泉はどうですか?」

「沙夜さん? ははっ、極楽でーす!」

 

 ふと塀の向こうから届いた彼女の声に思わずかなり軽いノリで答えてしまう。

 これが良い旅夢気分というやつなんだろうか?

 

「それはよかった。せっかくですし、お背中お流ししましょうか?」

「はぁいっ!? い、いや……それはちょっとハメ外しなんじゃ!? え、その……本気で、言ってますので?」

「ぷっ……ふふふ♪ あっはは、冗談です♪」

 

 唐突過ぎる彼女のお誘いに体の内から体温が上がっていく。

 血が煮えていると言っても大袈裟じゃないと思う。

 流石に浮かれすぎですよ沙夜さんと注意を促そうとする良心と健全な高校生の境界線を踏み越えてしまうかもしれない思い出作りに期待してしまう下心がせめぎ合っていると塀の向こうから、屈託のない吹き出し笑いが聞こえてきた。

 

「ああ!? からかったでしょ? 沙夜さんひどい」

「だってお湯に浸かっているのなら、体はもう洗っているでしょうから」

 

 夕闇の向こう側から聞こえてくる沙夜さんの声はとても嬉しそうだ。

 きっと、してやったりとほくそ笑んでいるんだろう。

 どんな顔をしているんだろう。ボクがまだ見たことのない表情だったのならちょっと勿体ないな。

 

「困ったなぁ……反論できないや」

「ごめんなさい。でも……もしも混浴とかでしたら、永春くんは気遣ってこんな風に一緒には温泉に入ってくれなかったでしょ?」

「うーん……どうだろう? ここまで来てたんだし、どうしてたかは分かんないよ? 旅の恥はかき捨てって言うしさ」

 

 完全にリラックスしていたボクは彼女の穏やかな言葉に深く考えずに思ったままの言葉を返す。

 昔のボクなら確かに鉄の意思(不死故の諦観とも言う)でお行儀の良い選択を取っていたかもしれない。

 でも、いまのボクは自分でも沙夜さんが露天風呂を確認しに行った時にもしものIFな事態に対してどうしていたのか本当に分からない。それぐらいボクは沙夜さんと出会えて変わったんだと実感する。

 

「――そう、ですか」

 

 短く、小さな彼女の返事――水音と夜風でこのときボクは聞き取れなかった。

 だから、急に塀を飛び越えて投げ込まれてきた白いタオルに何事かと驚いて無防備で油断していた。

 

「なにこれ!? い、いまこっちに降ってきたタオルって沙夜さんが投げたもの? 沙夜さん!?」

 

 タオルはふわりと狙ったように石灯籠に引っ掛かった。

 何度声をかけても彼女から返事が返ってこないことにボクが慌てて塀の傍に駆け寄るとすると塀の下から何かがこちら側へと流れ込んでくるナニかを見つけた。

 

「沙夜さんどうしたの? 大丈ぶ――ッ!?」

 

 お湯の中で、それも薄闇と湯煙でよく見えない謎の大きな怪魚にも思えた影に緊張が走る。黒い影はボクの目の前で大きな水柱を作って姿を露わにした。

 

「ぷはっ! きちゃいました」

 

 夕闇の漆黒と灯籠の灯りに照らされておぼろげに扇情的な女体の輪郭が瞳に映った。

 お湯に濡れた艶髪と見惚れてしまう綺麗でしなやかな肢体。

 温泉の熱でほんのりと上気した白い肌は夢で見るような美しさだった。

 前髪も濡れてぺたりとおでこに張りついているせいで宝石のような澄んだ双つの瞳がくっきりと露わになっていた。

 まるで人魚姫だ。

 人魚に良い思い出はないはずなのにボクはぼんやりと目の前の彼女を見てそんなことを――いや、そうじゃない。いやいやいやいやいや!!

 

「さ! さっさささ!? え、ちょっ、待っ! お肌ぁああああ!?」

 

 彼女の大胆さに、彼女の無邪気な笑顔に、彼女の生まれたままの姿に、ボクの理性はナニも出来なくなるぐらいに木端微塵に吹っ飛んだ。

 慌てて目を瞑り――嘘です。下心が罪悪感に屈する限られた時間ギリギリまで彼女の豊かな双丘もくびれたお腹もお湯に浸かって見えるか見えないかの腰回りも沙夜さんの裸を全部ぜんぶ眼に焼き付けてから両手で顔を覆って全面降伏する。うん、我ながら呆れるぐらいのバカ野郎だ。

 

「そ、そんなに拒絶しなくてもいいじゃないですか!? あんな豪胆なことを言っていたので私も勇気を出して羽目を外してみたんですよ?」

「すみません……まさか沙夜さんがこんな行動力のお化けみたいなことをするとは思ってもみなくって、甲斐性なしでごめんなさい」

「お化けときましたか。では、とり憑いてしまっても文句はないですね。ふふん♪」

 

 借りてきた猫のように萎縮するボクに投げておいたタオルで髪を拭く彼女は拍子抜けした様子。前から思っていたけど、やっぱり沙夜さんはご自身のナイスバディがどれだけ男子にとって破壊力があるのか無自覚のようだ。古典的かもしれないけど、本当に鼻血ぐらい出すかと思ったよ。

 慌てふためくボクが余程面白かったのか、驚くべきことに彼女は口元をにんまり緩ませるとご機嫌な様子でさらに密着を企んでくるもんだ。

 とてもとっても嬉しいけど、いまはまだどうかご勘弁を。

 

 

 

 

「お、落ち着きましたか永春くん? 大丈夫そうならお隣よろしいですか?」

「……せ、背中あわせなら何とか。正直に白状するね、裸の付き合いとかボクはまだ耐えられそうにないです。生意気言ってごめんなさーい」

 

 そんな醜態を晒しまくった末にボクと沙夜さんはいま同じお湯に背中合わせでくっついて浸かっている。

 背中と背中を何もかも真っさらに取っ払って、触れ這う肌から彼女の鼓動も体温も全部感じながら同じ時間の中で同じ夜空を眺めている。

 最初はボクと彼女、二人仲良く謝罪の堂々巡りだったけどそれもようやく落ち着いて、いまはどうにかちょっとだけぎこちなく今日一日の思い出話に花を咲かせることができた。

 

「永春くん」

「どうしたの?」

「ずっと、気になっていたことがあるんです」

「なに?」

「初めて、ビャクアとしての私の戦いに巻き込まれた時のことです」

 

 ぽつり、ぽつりと交わされていった思い出話はいつしかそんな昔のことにまで遡っていた。本当に人生が変わった思い出の日の出来事だ。

 

「あのとき、私の身代わりになろうとしたり化神の注意を逸らすために石段から飛び降りたのは不死身という保険があったからですか?」

「まあ、ね。だってボクがお荷物で沙夜さんが痛い思いをしたり、最悪負けちゃったら嫌じゃん?」

「でも、痛みを感じるのは永春くんだって同じじゃないですか? なのにどうして……ずっと不思議だったんです」

「それは……」

 

 言いかけて、言葉に詰まってしまう。

 弱ったな。なんて言葉にすればいいんだろ。

 ただ、そうしたかった。それだけなんだけど。

 いいや、誤魔化すな。ちゃんと言葉にするんだ。

 今度はボクの番じゃないか。

 

「好きな女の子の前で恰好つけたかったから……じゃ、ダメ?」

「ふぇっ!?」

 

 彼女の体がビクンと跳ねて、湯船の水面が揺れる。

 バトンタッチとばかりに今度は彼女が慌てふためいて動揺する番だ。

 触れあっている背中を伝って感じる彼女の鼓動が早まっているような感覚は幻じゃないと思いたい。

 

「ありきたりな理由かもしれないけど、ボクが沙夜さんのことを好きになった理由はなんてことない一目惚れだった。だから、毎日ちょっとでも話ができれば嬉しかったし、声を聞ければその日一日がずっと楽しかった。それぐらいボクは君に夢中だったんだよ」

 

 歯が浮いてしまうようなことを言っている自覚はややあった。

 でも、温泉の熱気で茹っているであろういまだからこそ、恥ずかしさはない。

 むしろ、意地も照れも飛び越して彼女への慕情を素直に伝えられることが嬉しい。

 

「永春くんは変な人です」

「へ、変!?」

「だって、そうじゃないですか。私に秘密がバレるのが怖かったって隠していた気持ちを吐露してくれたと思ったら、今度はそれと真逆のようなことを言ってるじゃないですか? 私はその……人付き合いが苦手で、ずっとあわよくば避けてきたような人間なので困ってしまいます」

「参ったなぁ。しょうがないじゃん……沙夜さんのこと大好きだって気持ちの前じゃ、理屈や道理なんてどうでもよくなっちゃってたわけだから。少なくともボクはそうだったよ」

 

 本当の気持ちだと思う。

 いいや、本当の気持ちだ。

 確かにいつからか秘密を知られてしまうのが怖かった。

 怖くて、迷って、嫌ってぐらい後悔した。

 でも、この体は彼女のために尽くせる機会に貪欲に反応した。彼女に首を裂かれてしまったときだって、躊躇うことなく。

 だから、ボクは言う。

 恋の告白は彼女に先手を取られてしまったから、今度はボクが先を行くんだと意気込んで。

 

「もう一度言うね。ううん……何度でも言うよ。ボクは沙夜さんのこと大好きなんだ。だから、なんだってやれるよ」

「………沙夜は幸せ者ですね」

 

 噛み締めるように嬉しげな声色で彼女がそう言ってくれたことにボクは沢山の意味を詰め込んで「ありがとう」と呟いた。

 

 

 

 

「これでよしと」

 

 備え付けのドライヤーでようやく髪を乾かし終えて、壁に掛けられた時計を一瞥する。

 なるべく急いだつもりでしたがやはりそれなりに時間を使ってしまった。

 待たせてしまっている彼のところに急がないと……急がない、と――。

 

「……やって、しまいました」

 

 永春くんのことを想った途端につい先ほどまでの自分の浅慮で衝動的な行動のあれやこれやが脳内に再生されていき、弱々しくその場にしゃがみこんでしまう。

 湯あたりしたわけでもないのに心臓はバクバクと高鳴って、熟れたトマトのように真っ赤になっているのでしょう。

 

「ただの変態じゃないですか……っ」

 

 消えてしまいそうな小声で叫ぶ。

 なんてはしたないことをしてしまったんでしょう。

 タオルも巻かずに湯船を潜って男湯へ忍び込み、彼の目の前で何もかも晒して……ち、痴女です。不埒者です。我ながら、なんて不束なことを思わずやってしまったのでしょう。

 

 浴衣に皺ができてしまうことも気にせず、頭を抱えて狼狽する。

 きっと、いまの私のような有様を後悔先に立たずというのでしょう。

 どんな顔でこれから彼に会えばいいのか皆目見当が付きません。

 どんな顔で――彼に、逢えば良いのか――……。

 

 恥じらいと戸惑いと後悔はそのままに肌を合わせて同じ湯船でたゆたって、語り合った彼の言葉が再び流れ出す。

 大好きだと言ってくれた。

 彼は確かにそう言った。

 私のことを永春くんが大好きだって言ってくれた。

 聞き間違えじゃない。

 聞き間違えたりするわけがない。

 他でもないこの世界で一番大切な彼の声を。

 この世界で誰よりも好いている人の言葉を。

 

「……沙夜は幸せ者です」

 

 本当は早く彼のところにいかないといけないのに立ち上がれない。

 きっと、いまの私はとてもひどい顔をしているから。

 永春くんの真心いっぱいの言葉を噛みしめたら、こんなにも嬉し涙がとまらない。

 恋は盲目ということでしょうか?

 こんなの昔の私じゃあ考えられませんでした。

 

「……沙夜だって、永春くんのこと大好きです。大好きに決まってます」

 

 勇気を出して、この湯治に誘って良かったです。

 実はご褒美のお休みも羽休めにいってこいだなんて言われたなんて噓でした。

 学校で偶然耳にしてしまった彼のことを佳い人と噂する後輩たちの会話に不安で仕方なくなって、光姫さんに無理を言った数日前の自分が恥ずかしいことこの上ないですが――ちょっとだけ、自分にワガママになって本当に良かったと思います。

 

 さあ、そろそろ行かないと。

 夜はまだまだこれからです。永春くんと話したいことも遊びたいことも山ほどあるんです。涙を拭いて、いつもの私らしく彼の隣にいかないと。

 

 

 

 

「う……ん……むにゃ……あれ?」

 

 微睡みが途切れて、自分が眠りから覚めたことをなんとなくで自覚する。

 まだまだぼんやりとした視界と意識は早朝の薄暗さとエアコンで整えられた涼しい部屋を感じとる。

 ですが、それなら私のすぐ近くで感じるこのぬくもりはなんでしょう?

 梅雨の蒸し暑さとはまるで違う心地の良いあたたかさ――とても安心できて、何故だか抱き心地も最高なのですが?

 

「あ……そうでした」

 

 寝惚けて枕のようにそれに顔を埋めて二度寝しようとしたところで聞こえてきた優しい心音に私は音を立てずに飛び起きた。

 嬉し恥ずかしの号泣のあとでどうにか持ち直した私は永春くんと合流してコテージに戻った後は現代っ子よろしく、二人で携帯ゲームで盛り上がって夏の夜長を楽しんで、そのまま寝落ちしたことを思い出したのです。

 お布団は敷いていたのでその、つまり私が枕と勘違いして身を預けていたものは――やっぱりそうでした。

 

「くー……すー……」

 

 覚悟を決めて視線を下げるとそこには規則正しい寝息を立てて、あどけない顔で眠る永春くんの姿がありました。

 やりました私。彼氏さんに裸を見せた挙句にお次は同衾です。これは親不孝者な娘になってしまうのでしょうか?誰か教えてください。

 

「すー……すー……」

「くす。寝顔を見るのはこれで三回目ですね」

 

 朝の静けさのおかけが彼の寝息が良く聞こえる。

 彼が生きている証拠。おもむろに触れた胸から伝わる心臓の鼓動とセットになって、とても大きな安心感を私に与えてくれている。

 

「永春くーん……信じてますが私に悪戯とかしたんですかぁ?」

 

 三回目だからか私の方も余裕のような物が生まれていたのでしょうか、あるわけないことを呟きながら眠る彼の頬っぺたを指で突いてみたり、なぞってみたりと遊んでみる。

 起きている彼にも普段からこれぐらいやれる意気地があればいいのにとは言うまでもない。ただ今回に至っては既に羽目をはずしに外したせいで多少気持ちが大きくなっていたんだと思います。

 

「旅の恥はかき捨て……ですよね」

 

 ふと思い立って、おもむろに自分の顔をすやすや眠る彼の顔へと近づけていく。

 ただ何となく思ったんです。キスしてみたいなと。

 キス。くちづけ。接吻。

 恋人同士がする愛情表現。

 

「……海外では気軽に親子や兄弟でもするっていいますし、近頃は女子高生なんかは友情のスキンシップですることもあるって雑誌に書いていましたし、ねえ」

 

 この期に及んで言い訳をまくし立てて、自分を奮い立たせるのだから情けない。

 小さい頃に母親にすぐに言い訳をする子は良くないと叱られたことなんかを思い出す。

 

「頬っぺたは……起きてしまうかもしれませんね。ここはおでこで……いや、やっぱり頬っぺたぐらい大胆にいったほうが……」

 

 煩悩のままに、実のところすごくわくわくドキドキと胸を躍らせて彼の顔を眺めてどちらにしようかと迷っていた時だった。それは唐突に訪れました。

 

「ん……ふっ……ぅ?」

 

 ――唇が、触れた。

 彼の唇が私の唇に、そっと。

 頭が真っ白になりました。

 顔や体は真っ赤です。

 なんで?という言葉がずっと山彦のように心の中で反響していました。

 困惑の中でも感じる彼の唇の感触に無意識に骨抜きになりながら。

 

「ちゅっ……ん……っぁ、そのーおはようございます」

「ぁ……まって……ふぇ?」

 

 あわあわと呆然としていると静かに唇が離れていく。

 思わず名残惜しくて声を出してしまいながら、ようやく私は永春くんが起きていたことに気付いたのです。そして、彼の方から私にキスをしてきたことも。

 

「……いつから起きてたんですか?」

「沙夜さんがボクの頬っぺたをぐりぐりしているあたりから」

「なぜ、急にキスを?」

「沙夜さんが嬉しそうに一人で頬っぺたにするかおでこにするかってぶつぶつ呟いていたのでその……ここは男気を見せようと、はい」

「むううううううわああああああっ!!?」

「うわっと」

 

 何をしたいのか自分でも分からないまま、私は気恥ずかしそうにだけどしてやったりと会心の表情を浮かべている彼の胸元に飛び込んでいました。

 ええ、そうです。躾けのなっていない大きな駄犬のようにパタパタと戯れて往生際悪く襲い来る羞恥心から逃れようとしたのです。

 

「沙夜さん落ち着いて。その、可愛かったからボク別に幻滅とか全然してないし」

「知りません! イジワルです永春くん! 腹黒鬼畜ですよ! あなたは良くても沙夜の方は末代までの恥をどれだけ上塗りしてしまったと思っているんですか!?」

「可愛くて、そういうことにも好奇心旺盛な彼女さんを持ててボクは嬉しいけどな」

 

 ほらまたズルい。

 そういうことを迷いなく言うのズルいです。

 永春くんがこんなにも気遣い上手で優しいから、私はどんどん弱みも辛みも何でも見せてしまう。みんなを守らなければならない御伽装士なのに、君の前ではなんと葛藤もなくただの女の子でいられるようになってしまった。

 

「起きてください」

「え?」

「起きてください。正座です」

「は、はい!」

 

 ちょっと凄みを利かせた私の声に彼はすぐさま飛び起きて姿勢正しくこちらを見つめてくる。あの夕暮れと変わらず、あの夜と変わらず、どんな私も受け止めてくれる真っ直ぐな眼差し。

 

「その……怒った?沙夜さん?」

「これからの永春くんの対応次第です」

「どうすればいいかな?」

 

 本当にどこにでもいる普通の男の子で、滅多にいない勇敢で優しくて誠実な人です。なので、私ももう少しだけ甘えさせてもらいましょう。

 

「さっきのキスは無効です。嬉しさとか全部驚きで消し飛んでしまいましたので」

「と、いうと?」

「……もう一回、ちゃんとやってください。彼氏さんらしく、正々堂々とです」

 

 我ながらなんてメチャクチャで傍若無人なことを言っているんだろう。

 もうとっくに旅の最中でもかき捨てできないレベルに至っているだろうに。

 

「お安いご用です。じゃ、じゃあ……心を込めていくよ沙夜さん?」

「……ど、どうぞ」

 

 悟られないように自嘲と猛省を繰り返していると永春くんは楽しげに苦笑して、そっと私の傍に寄る。その微笑みで実感するのです。ああ、これは何をしても敵わないなと。

 

「……ん……ちゅっ……んぅっ……」

「んふ……ぷぁ……ぁむ……ちゅぅ」

 

 やさしく、ふわりと触れあう唇と唇。

 あたたかに濡れた感触がどこまでも深く沈んでしまうぐらい心地いい。

 戸惑いながらも重なって、交わって、絡み合う舌と舌との感覚が溶けてしまうぐらいに熱くて幸せな気持ちを生む。

 

 数秒なのか、数分なのか――数時間にも思えた接吻を終えて名残惜しげに二人の唇が離れていく。私と彼の舌を結んでいた銀色のいけない橋が途切れたと同時に永春くんが強く私を抱きしめた。

 

「これでどうかな?」

 

 彼の指先、震えていた。ついでに声も……きっと緊張と嬉しさでどうにかなりそうなんだと思います。私もそうだから、心臓が破裂しそうなぐらいに暴れている。でもこの全身を食む、壊れてしまいそうなほどの熱がとても愛おしい。

 

「答えは……こうです♪」

 

 あの日、彼が私に応えてくれたように強く優しく抱きしめ返して――そのまま私は永春くんをもう一度お布団に押し倒した。

 

「やっぱり、お仕置きされる流れかな?」

「いいえ。ただなんとなく、もうしばらくこうして仲好くくっついていたいだけです」

「そっか」

「はい」

 

 それはいいねと言ってくれるように丁寧な手つきで私の髪を撫でてくれる彼の手が心地いい。何時もは早起きな私ですが今日ぐらいはもうちょっと永春くんとだらしのない幸せな朝の時間を楽しみたいと思います。

 

「沙夜さん」

「なんでしょう?

「大好きだよ」

「知ってますよ。ねえ、永春くん」

「うん」

「――ずっと、大好きです」

 

 

 それはちょっとした羽休めのお話。

 そしてまた、少年少女は走り出す。

 止まり木のない海原に翼を広げる渡り鳥のように。

 

 

 




慣れないジャンルで四苦八苦しながら書いたもので拙いお話になりましたがここまでお読みいただきありがとうございました
最後になりましたが今年も一年お世話になりました
来年もマフ30と諸々の投稿作品をどうかよろしくお願いします
それでは皆様、よいお年をお迎えください


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