(完結)二人の緋皇 ―閃の軌跡Ⅱ― (アルカンシェル)
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1話 宣誓

前回の内容に加筆させて頂き、第一話とさせていただきます。
改めて連載を再開させて行こうと思いますので、改めてよろしくお願いします。




 一ヶ月前、帝国宰相ギリアス・オズボーンが狙撃されたドライケルス広場にて一人の少年が壇上に立つ。

 

「――親愛なるエレボニア帝国の民よ、よく集まってくれました」

 

 皇族特有の金糸の髪を持つ少年は背後に《蒼》を含めた、機械仕掛けの巨人達を従えて堂々と続ける。

 

「先月、この場でオズボーン宰相が狙撃された事件がありました……

 犯人は未だに公開されておらず、皆不安に思っている事でしょう」

 

 その声は導力ネットを通じ、また導力ラジオを持って帝国全土に、それどころかゼムリア大陸全土に向けて放送される。

 

「エレボニアの民よ。僕は告げる。帝国は今、未曾有の危機に瀕していると」

 

 少年の両脇は四大名門の当主たちが控え、彼の正当性を市民に裏付けさせる。

 

「今日、この場を借りて僕はあの日、帝国を導いて下さった《鉄血宰相》を暗殺しようとした罪深い犯人を公表させていただきます」

 

 少年は広場に集まった市民を見回して、その名を口にする。

 

「その者の名は《オリヴァルト・ライゼ・アルノール》」

 

 その言葉に市民は静まり返り、ざわめく。

 

「皆も知っているように、彼は僕の腹違いの兄になります……

 ですが、彼は己の立場を弁えず皇帝の椅子を欲し、この度の蛮行に至ったのです」

 

 疑念の囁きを押し潰すように少年は語り掛ける。

 

「幸い、父上は四大名門と当主たちの迅速な対応のおかげで無事です。かくいう僕も彼らに助けられました」

 

 少年は顔を伏せ、気丈に振る舞いながら言葉を続ける。

 

「ですが、《鉄血宰相》の尊い命は失われてしまった。これは決して許されない罪です」

 

 護る人々の情に訴えかけるように、同情を誘うように少年は訴える。

 

「彼は帝位を簒奪せんために僕の姉を攫い、皇族に代々伝わる《緋の騎神》さえも盗み出した。それがあの日の真実です」

 

 不安を囁く民衆に少年は力強い言葉を投げかける。

 

「鉄血宰相という偉大な指導者を失い、皆不安を感じているでしょう……

 だからこそ、僕はここに宣言します。オズボーン宰相の意志は僕が継ぐと!」

 

 少年は拳を握り宣言した。

 

「僕は確信している! エレボニアの民が団結すればこの程度の《国難》など容易に乗り越えることができると!」

 

 その言葉を示すように彼の両脇に控える四大名門が無言で自分達の存在を魅せつける。

 

「僕はここに誓おう! 罪深き兄を正し! 《大いなる騎士》をこの手に取り戻すことを!」

 

 そして少年は名乗る。

 

「エレボニアの民よ……僕こそが次期エレボニア帝国皇帝――セドリック・ライゼ・アルノールである!」

 

 

 

 

 

 

 サザーランド州。

 セントアーク大聖堂の前には多くの人だかりが集まり、カール・レーグニッツは即席で造られた壇上に立つ。

 

「親愛なるセントアーク市民の皆さん、初めまして。私は帝都知事カール・レーグニッツです」

 

 カールは鉄道憲兵に身辺を護られながら告げる。

 

「本来なら帝都知事である私がこのセントアークにいることを不思議に思われるでしょう……

 その訳はこの場を借りて説明させて頂きたい」

 

 平民ばかりが集まっている広場をカールは見渡して口を開く。

 

「皆さんもご存じの通り、帝都ヘイムダルは四大名門の当主たちによって不当に占領されました……

 私は鉄道憲兵隊のおかげでこのセントアークに辿り着き、帝都で起きた事件の真実を話すためにこの場に立たせて頂いております」

 

 カールは一呼吸置いて、はっきりと告げる。

 

「まず先に言わせていただきたい……

 先日、帝都でセドリック皇子が発表した声明は全て偽りだと!」

 

 その一言に広場はざわめく。

 

「皆さんも導力ラジオのオズボーン宰相閣下の御言葉を聞いているはず!

 閣下を狙撃した犯人の名は《クロウ・アームブラスト》!

 彼は厚顔無恥にもセドリック皇子が声明を発表したあの場にいた《蒼の騎士》であり、《帝国解放戦線》のリーダーである《C》でした」

 

 ざわめきは大きくなり、カールは確かな手応えを感じながら続ける。

 

「皆さんの戸惑いは分かります……

 《帝国解放戦線》は壊滅したはずだと。ですが、思い出して下さい……

 その発表をしたのが誰だったのかを……そう! 四大名門のカイエン公爵にログナー侯爵の御二人です!」

 

 戸惑いのざわめきは少しづつ小さくなり、市民はカールの言葉に聞き入ってしまう。

 

「皆さんも噂話として聞いたことはあるでしょう。四大名門がテロリスト達を支援していると……

 それが真実であり、彼らは我等の《鉄血宰相》を暗殺しようとし、さらには偽物のセドリック皇子を祭り上げこのエレボニア帝国を乗っ取ろうとしているんです!」

 

 カールの発言の証拠に、並び立つ鉄道憲兵隊のミハイルが口を挟み、クロウ・アームブラストが宰相狙撃の犯人だと証言する。

 

「さらにそれらの罪をあろうことかオリヴァルト皇子に擦り付けようとしている! こんな蛮行を許して良いはずがない!」

 

 拳を握り締めて叫ぶカールに同調する声が上がり、その声は瞬く間に伝染して広場は熱狂に包まれる。

 本来ならこれだけの騒ぎを起こせば領邦軍が踏み込んで来るのだが、その気配はない。

 何故なら既にセントアークは帝都から脱出した正規軍と鉄道憲兵隊によって制圧が完了しているからに他ならない。

 

「セントアークの市民よ!

 貴方達も旧態依然の貴族がもたらす搾取は身に染みて分かっているはず!

 これ以上、四大名門の彼らの傲慢を野放しにしておけば、帝国に未来はない! 故に今こそ立ち上がる時なのです!」

 

 市民の士気がこれ以上ない程に上がっている。

 自分らしくもない演説にカールはオズボーンの様にできたかと安堵する。

 見る者が見れば、彼には《黒》の瘴気が纏わりつき、それが市民たちへと伝播しているがそれに気付ける者はその場にはいない。

 

「この場で紹介させていただきましょう……

 私たちエレボニア帝国正規軍の正当性を示す、旗頭を――」

 

 そう言ってカールは壇上の場を譲り、代わりにそこに立ったのは赤い礼服に金糸の髪を持つ青年。

 

「やあ、セントアークの諸君。知っている者もいると思うが名乗らせて頂こう」

 

 不本意だと言う内心を顔に出さず、《放蕩皇子》はセントアークの市民に対してにこやかな笑みを振り撒き名乗る。

 

「僕はオリヴァルト・ライゼ・アルノールである」

 

 ――どうしてこうなってしまったんだろうね……

 

 外面を取り繕いながらもオリヴァルトはこの状況に苦悩する。

 起きてしまった内戦に嘆くも、オリヴァルトは貴族派、革新派、どちらの陣営にも肩入れせず、中立の立場として互いを滅ぼし合う戦いを回避しようと努めていた。

 しかし、その努力は先日の帝都でのセドリックを名乗った何者かによって台無しにされた。

 だがオリヴァルトの胸中を締めるのは徒労ではなく、憤り。

 自分の中にこんな感情があったのだと、オリヴァルトは自嘲する。

 

 ――いくらボクでも譲れない一線はあったということか……

 

 脳裏に今は亡き母の顔をオリヴァルトは思い出す。

 帝国貴族の策謀によって命を落とした母の存在と、名と立場を利用されて居場所を奪われた弟の存在が重なる。

 

 ――同じような欺瞞を繰り返すことは許さない……

 

 かつてリベールで言った己の言葉を思い出す。

 今日まで多くの貴族と顔を繋ぎ、話し合って来たが結局オリヴァルトの言葉は彼らに届くことはなかった。

 

「しかし、それでも――」

 

 自分の中の《黒》い衝動を呑み込んでオリヴァルトは自分の言葉を待つ帝国市民に正規軍を率いて四大名門を討つことを宣言するのだった。

 

 

 

 

「ふう……」

 

 演説が終わり、壇上から降りたオリヴァルトは熱狂する市民たちを他所に陰鬱なため息を吐く。

 

「大丈夫か、オリビエ?」

 

「ああ、ミュラー。大丈夫だよ。全て受け入れた上での決断だ」

 

 気遣ってくれる親友にオリヴァルトは笑顔を繕って答える。

 

「とてもそうには見えないが……」

 

「柄ではないことは承知しているよ……

 だけど、誰かが正規軍の旗頭にならなければ状況は更に酷くなる。だからボクが立つしかなかっただけの話さ……

 それにこうでもしないとボク自身を護る手立てもないからね」

 

 帝都のセドリックの宣言によりオリヴァルトは逆賊として帝都中に指名手配されてしまった。

 

「あれが本物のセドリックの宣言なら、ボクは喜んでリベールに亡命しているんだけどね」

 

「オリビエ……」

 

「帝国は何も変わらなかった……

 ボクの母上やハーメルの悲劇、そしてオズボーン宰相の狙撃……

 彼らはまた同じ欺瞞をまた繰り返そうとしている」

 

 彼ら四大名門が偽物のセドリックを用意していたことを考えれば――

 

「それだけは見過ごすことはできない」

 

 例え、これまでの主義を捨てることになったとしても本物の弟を見殺しにする選択肢はオリヴァルトにはない。

 それに自分の身を護ることも理由の一つだが、暴走しそうな彼らや市民に対しての抑止力になることも考えての立身でもある。

 正規軍に占領されたとはいえ、セントアークにはまだ多くの貴族が残っている。

 戦闘の末に捕縛された領邦軍も少なくはない。

 彼らにオズボーン宰相が殺された憎悪の矛先が向けられないために、節度ある誇り高いエレボニア人として振る舞いをオリヴァルトが訴えたおかげで正規軍は秩序を保っている。

 

「はぁ……」

 

 らしくもなく肩肘を張っているオリヴァルトにミュラーはため息を吐く。

 しかし苦言を告げることはない。

 ミュラーもまたオリヴァルトが立ち上がらなければ正規軍はまだしも、それに平民は貴族への憎悪を爆発させて暴徒と化していてもおかしくはない。

 

「あまり無理はするなよ」

 

「この程度の無理なんてクロスベルで戦ってくれた彼に比べれば……彼?」

 

 自分の口から出て来た言葉にオリヴァルトは首を傾げる。

 “彼”とはいったい誰の事だろうか。

 その疑問に向き合おうとオリヴァルトは考え込む。

 

 ――何か忘れてはいけないことがあったような……

 

 それが何なのか、思考の霧を探ることに神妙な顔をして没頭するオリヴァルトにミュラーは彼を安心させるための報告をする。

 

「ランドナーから朗報だ。クリス・レンハイムをノルド高原で発見、怪我もなく無事だそうだ」

 

「そうか! それは何よりだ」

 

 掴みかけた“それ”は思考の霧の奥に消え、オリヴァルトは次の瞬間気に掛けたいたことも忘れ弟の無事に安堵する。

 

「ではミュラー。《紅き翼》の件は――」

 

「アルゼイド子爵にそれは任せてある。安心しろ」

 

「そうか……」

 

 オリヴァルトは笑みを浮かべると北の空――ノルドの方の空を見上げる。

 

「ボクはこんなことになってしまったが、セドリック……どうか君に女神の祝福を……」

 

 自分ではなれなかった《第三の風》に弟がなってくれることをオリヴァルトは祈るように願うのだった。

 

 

 

 

 




 原作との差異。
 カール・レーグニッツが帝都から脱出していること。
 正規軍及び鉄道憲兵隊がクロウが宰相狙撃の犯人だと大々的に公表。
 それに伴い、四大名門のテロリストの支援も暴露し、彼らの正当性を糾弾。
 しかしこれだけでは正規軍の欺瞞情報だと突き返されるので、正規軍は旗頭としてオリヴァルトを支持する形で対抗する。

 オリヴァルトは革新派に取り込まれることは不本意であるが、正規軍が制圧した地方の貴族の身の安全を引き換えに旗頭になることを受け入れる。




 なお閃Ⅱとは別に前回の閃Ⅰは完結させましたが、短編を掲載するかもしれません。
 現段階でのネタとしては、

「ラウラのアルバイト」
 借金返済のためにキルシェで働くことになったラウラ。
 主にウェイトレスの仕事をしているのだが、ある客に愛想が足りないと言われて……

「園芸部フィー先輩」
 トールズ士官学院に入学して数ヶ月、園芸部に時期外れの新入部員?が入る。
 彼女の名前はリン。
 フィーは初めてできた後輩に何を思うのか。

「導力ネットチェスを作ろう」
 マキアスが所属している第二チェス部は少ない部員、代わり映えのない相手としか打つことができない状態に伸び悩みを感じていた。
 そのことを寮での会話で話題に出したところ、リィンが落ちものゲームの「ポムっと」からチェスでもそういうのができないのかと提案する。
 全国の相手と身分に関係なくチェスを打てるということにマキアスは興味を示し、導力ネットの勉強を始めるのだった。

 今はこの三人のくらいしかネタは思い浮かんでませんが、できたら一巡位はⅦ組のそれぞれの話を書いてみたいと考えています。
 なお時系列はともかく、リィンの多忙でそんな暇はなかったとかはあえて考えずに書こうかと考えています。




NG

 クリスは一人で空を見上げて呟く。

「リィンさん、僕はどうしたら良いんですか?」

 独り言に誰かが答えてくれるはずもなく――そう思った所でクリスは肩を叩かれた。

「――っリィ――」

「みししっ」

 そこにいたのは遠いクロスベルのテーマパークのマスコットみっしぃだった。

「…………何で?」



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2話 緋の目覚め

 

 

 

 風が吹く。

 

「――ぅ……」

 

 清涼な風が頬を撫でる感触にクリスは強張っていた瞼をゆっくりと開く。

 

「…………ここ、は……?」

 

 身体を起こして辺りを見回せば、そこは崖の狭間。

 遠くでは鳥の――鷹の鳴き声が聞こえてくる。

 

「…………僕は……いったい……」

 

 気だるい虚脱感を感じながらクリスは直前の記憶を振り返る。

 

「たしか……今まで……戦って……」

 

 その戦闘と今自分がいる場所が結びつかず、クリスは困惑したまま思ったことを口にする。

 

「………………夢……?」

 

「そんなワケないでしょ」

 

 クリスの独り言に応える声が背後から。

 振り返るとそこには《緋》がいた。そしてその肩に乗った黒猫――セリーヌは偉そうに告げる。

 

「ようやくお目覚めね、クリス・レンハイム。いえ――セドリック・ライゼ・アルノール」

 

「……セリーヌ……」

 

「あいにくだけど、これは夢なんかじゃない」

 

 まだ空ろな顔をしているクリスにセリーヌは突き付けるように言葉を続ける。

 

「過酷で、冷酷で、残酷な、嘘も偽りもない“現実”よ」

 

「現実……」

 

「グズグズしている暇はないわ。《核》が傷付いたことで“テスタ=ロッサ”はしばらく動けない……

 まずは自分の身を守ることを考えなさい――《緋の起動者》」

 

 セリーヌの一方的な言葉にクリスは戸惑いながら、意識を失う直前の出来事を思い出す。

 

「そうだ……僕はクロウと……《蒼の騎神》と戦って……」

 

 改めて見る《緋》の姿はひどいものだった。

 前面の装甲はどこもかしこも罅割れ、左腕はかろうじて繋がっている。

 背中の翼も半分だけとなっており、その修復を優先しているのか《テスタ=ロッサ》の意識はない。

 

「それにしても派手にやられたわね。まったく初めての“同期”だったとしても情けない」

 

「むっ……」

 

 セリーヌの物言いにクリスは顔をしかめる。

 

「確かにあの一撃を防ごうとした無謀を責められても仕方がないけど、背中の傷はセリーヌのせいだろ?」

 

 全てを自分のせいにされてはたまらないとクリスは言い返す。

 天を貫くほどに巨大な光の剣を防ぎ、その時点で《テスタ=ロッサ》の損耗は危険域に達した。

 かろうじて逃げるだけの行動は可能であり、Ⅶ組のみんなとアンゼリカが乗る《ティルフィング》を盾にする形でセリーヌの指示で《緋》はクリスの意志を無視して逃亡した。

 しかし――

 

『逃がすかよ』

 

 神機と合体していたオルディーネは分離し、地上で牽制するしかないⅦ組を無視して騎神の中でも優れた飛翔能力を駆使して飛んで逃げる《緋》に追い付き、その背中に痛烈な斬撃を浴びせて撃ち落とされた。

 

「それは……」

 

 その時のことを思い出してセリーヌはそっぽを向く。

 これが地方貴族の長男程度なら見逃されていたかもしれないが、帝国の次期皇子であるクリス、ことセドリックを見逃す理由はクロウ側にはない。

 彼女の安易な行動の結果、《テスタ=ロッサ》は完全に沈黙し、クリスの意識はそこで途切れている。

 

「人のことをとやかく言う前に自分の行いを反省したらどうなんだい?

 偉そうにしているけど、君に実戦経験はないはず。戦況が分からないくせに勝手に動くからこうなったんじゃないのかい?」

 

「何ですって!? わたしがいないとまともに《テスタ=ロッサ》を動かすこともできないくせに!」

 

「何だとっ!?」

 

「何よっ!?」

 

 ぎゃあぎゃあ、わあわあと二人はしばらくの間、溜めた鬱憤を吐き出すように罵り合う。

 

「はあ……はあ……それで結局僕達はどうしてこんなところに? そもそもここはいったい何処なんだい?」

 

「知らないわよ」

 

 ふんっとセリーヌはそっぽを向きながら応える。

 結局のところ、撃墜された時点で意識を失ったのはセリーヌも同じで、目覚めたのもクリスの少し前程度でセリーヌも現状を把握し切れていなかった。

 

「はぁ……」

 

 クリスはため息を吐き、踵を返し歩き出す。

 崖の隙間から外へと出て見れば、空の蒼と大地の緑が一面に広がる絶景が目に入る。

 

「ここは……もしかしてノルド高原か?」

 

 かつて特別実習の実習地の一つだったがクリスとは縁はなく、それでもクラスメイト達が撮って来た写真や描いた絵で景色だけは知っていた。

 

「へえ、良く分かったじゃない。って、どこに行くのよ!?」

 

 そのまま歩き出したクリスにセリーヌは慌てて後を追い駆ける。

 

「グズグズしている暇がないって言ったのは君の方だろ?

 《テスタ=ロッサ》は当分動けそうにないし、この場所なら誰かに見つけられることも早々にないはずだ……

 なら僕達がまずやることは食料調達と並行して人里を見つけなくちゃ野垂れ死にだよ」

 

「それは……そうだけど……」

 

 皇子とは思えない順応振りにセリーヌは困惑する。

 

「ここがノルド高原の何処か分からないけど、馬も導力車もない僕達にとって君が考えている以上に危険な状況なんだよ」

 

「っ……ああ、もう分かったわよ!」

 

 主導権を握れないことにセリーヌは苛立ちながらもクリスの後を追い駆ける。

 

「ところであんたの装備は《テスタ=ロッサ》の中に残したままだけど良いの?」

 

 その一言にクリスは力強く踏み出した一歩を後戻りするのだった。

 

 

 

 

「これは絶景だな」

 

 切り立った断崖の上から見下ろすノルドの風景に場違いな状況と分かっていてもクリスは思わず感嘆の息を吐いた。

 空の蒼と大地の緑。

 頬を撫でる清涼な風は話に聞いていただけでは決して味わうことができない爽快な解放感をクリスに与えてくれる。

 

「場所は……何処だろう……? あそこに見えるのが監視塔かな?」

 

 崖の下に見える建築物にクリスは曖昧な地図を頭の中に描いて、今いる場所をノルドの北東辺りだと仮定する。

 

「それにしてもよりによって、どうしてこんなところに……?」

 

 道のようになっている崖を見下ろせば、背筋が寒くなる程に深い谷。

 標高も高く、吹き付ける風は強い。

 

「とにかく平野に降りよう」

 

「そうね……」

 

 方針を決めて、一人と一匹が歩き出そうとしたところでその気配は背後に現れる。

 

「え……?」

 

「この気配は!?」

 

 光が結実し、彼らの背後に一角の竜とも言える《蒼き氷獣》が現れる。

 

「オオオオオオオオオオオオッ!」

 

 全身を氷で覆われた幻獣が咆哮を上げるとノルドの風に雪が混じり、瞬く間に吹雪となる。

 

「まずいっ!」

 

「ちょ!?」

 

 クリスはセリーヌを抱え上げ、下り坂となっている道を落ちるように駆け下りる。

 平野に辿り着いたところでクリスは足を縺れさせて草むらに倒れ込む。

 投げ出されたセリーヌは器用に空中で身を捩って着地すると、倒れ込むんだクリスに呆れた言葉を投げかける。

 

「大した逃げっぷりね」

 

「魔獣相手に意地を張っても仕方ないだろ……

 それに今の身体は本調子じゃないみたいだし、山の上の吹雪は本当に危ないんだよ」

 

 たった一回の全力疾走で息も絶え絶えになっている自分の身体に、どれだけの消耗をしていたのか考えながらクリスは呼吸を整える。

 

「あれは魔獣じゃなくて幻獣よ……

 本来、この次元に現れるはずのない存在、帝国とその周辺で起きている何らかの“乱れ”や“歪み”が影響を及ぼして顕現させたのかもしれない」

 

「それは……帝国全土が旧校舎みたいな上位三属性が高まった場になりつつあると言う事?」

 

「そう取ってもらって構わないわ……

 それよりもどうするつもり? あの幻獣のせいで“彼”の下には戻れなくなってしまったわよ」

 

 セリーヌの指摘にクリスは駆け下りた坂道を見上げる。

 幸いなことに《幻獣》はクリス達を追い駆けてくる気配はない。

 しかし、テスタ=ロッサを置いて来た場所に続く道は目の前の坂だけだとするのなら、氷の幻獣を撃破しない限り彼の下に辿り着けなくなってしまった。

 

「考えても仕方がない。今は一刻も早く体の調子を戻さないと」

 

 武器は《魔剣テスタ=ロッサ》と小型導力銃だけ。

 消耗し切った体ではただでさえ扱いの難しい魔剣の力を暴走させる危険さえある。

 いくら動けないとは言っても、幻獣程度に壊される《騎神》ではないだろうとクリスは割り切った判断を下す。

 

「ここがノルド高原の北東なら、目指すべきはガイウスの家族がいるだろう中央か、北端に位置するラクリマ湖を目指すべきだろうね」

 

「あんた、来たこともないのに良く知っているわね」

 

「はは、ノルドについてはドライケルス大帝の武勇伝の始まりの地だからね。当然の知識だよ」

 

 そう言っている内に呼吸が整い、クリスは立ち上がる。

 幻獣の影響なのか。ノルドの風に冷たさが含まれ、まだ“十一月”に入ったばかりだと言うのに雪がちらつき始めている天気にクリスは危機感を募らせる。

 

「さあ、先を急ごう」

 

 セリーヌを促すクリスだったが、その頭上を飛行艇が通過する。

 

「あれは帝国の哨戒機? 助かった」

 

 頭上を通過して旋回して戻って来る帝国製の哨戒機にクリスは安堵し、救助を求めるように手を振る。

 

「ちょ、やめなさい! もしかしたら貴族派の勢力かもしれないのよ!」

 

「大丈夫だよ。ノルド高原はクルト――僕の親友の叔父さんがゼンダー門を仕切っているんだ……

 多少の拘束はされるかもしれないけど、会えばいくらでも弁明はできるから」

 

 顔見知りがトップにいるからという安心から無警戒にクリスは近付いて来る哨戒機に手を振り続け――おもむろに手を降ろした。

 

「ねえ……」

 

「何、セリーヌ?」

 

「今、飛行艇に下に設置されている砲門が動いたように見えたのは私の気のせいかしら?」

 

「奇遇だね。僕にもそう見えた」

 

 漠然と眺めるのではなく、状況を俯瞰し、そこにある要素を瞬間的に掴み取る。

 それが戦場を生き残るコツだと教えてくれた言葉が脳裏に過り――

 

「セリーヌッ!」

 

 再びセリーヌを抱えてクリスはその場から飛び退き、直後飛行艇の砲が火を噴いて連射された弾丸がクリス達が一瞬前までいた空間に掃射された。

 

「な、な、な……何でいきなり撃って来るのよ!?」

 

「僕に分かるはずないだろ!」

 

 腕の中で驚くセリーヌに負けじとクリスは声を張り上げ、再び全力疾走を始める。

 

「ああ! もうっ!」

 

 見晴らしの良い高原においてクリスがいくら全力を振り絞って走ったところで空を飛び回る哨戒機を振り切ることなどできるはずはないのだが、哨戒機は散漫な威嚇射撃を繰り返すだけでクリスを直接撃つ気配はなかった。

 

「これは……誘導されているわね」

 

「やっぱりそう思う?」

 

 腕の中のセリーヌの言葉にクリスは同意する。

 哨戒機の兵士たちにどんな意図があるのか分からないが本気で当てようと言う気概を感じ取れない。

 

「また撃って来るわよ!」

 

「了解。あ――」

 

 背後を覗き見るセリーヌの指示に合わせてクリスは走る方向を切り返す。

 しかし、クリスは足をもつれさせたたらを踏む。

 

「ちょ、何やってるのよ!?」

 

 転倒は免れたものの、唐突に足を止めたクリス達に動揺したのかタイミングがずれたのか、威嚇射撃のはずだった銃撃の射線と入ってしまったとクリスは直感する。

 

「くっ――こうなったら」

 

「何を――にゃ!?」

 

 絶体絶命の窮地に策があると言わんばかりのクリスはセリーヌの首根っこを掴み叫ぶ。

 

「セリーヌバリアッ!」

 

「はあっ!」

 

 自分を盾にするクリスにセリーヌは抗議の声を上げるものの、既に用意していた防御術を展開し、短い機関銃の掃射を防ぐ。

 

「よしっ!」

 

「よしじゃないわよ!」

 

 首根っこを掴まれ吊るされて自由のないセリーヌは抗議するように長い尻尾でクリスの額を叩く。

 

「私はあんたのあの玩具じゃないのよ!」

 

「ごめんごめん、でもあの子たちを玩具って呼ぶのはやめてくれないかな……

 今のお詫びなら今度雑貨屋で一番高い猫缶を買って上げるから」

 

「…………そんなもので誤魔化されたりしないわよ」

 

「はいはい」

 

 尻尾を揺らすセリーヌを抱え直してクリスは逃亡を再開する。

 

「ところで良い考えが一つあるわよ」

 

「何? あの飛行艇を落とせる大魔法がセリーヌにあるとか?」

 

「そんなんじゃないわよ。いい? 二手に分かれて撹乱するのよ」

 

「あはは、そんなの僕が狙われる一択じゃないか、さては僕を囮にして自分だけ助かるつもりだね。この人でなし」

 

「そうよ。私は猫だもの」

 

 先程の盾にされたお返しと言わんばかりにセリーヌは言い切る。

 しかし、そう言いながらも抱えられているクリスの腕の中から逃げる素振りはない。

 憎まれ口と軽口の応酬をしながら一人と一匹はとにかく逃げる。

 目を覚ましたばかりの一人と一匹はどちらも本調子には程遠い。

 そうした言葉の応酬をしていなければ、緊張の糸が切れてしまう予感を一人と一匹にはあった。

 

「もう少しだけ辛抱してくれ。この先に石切り場の跡地がある、そこなら飛行艇も――」

 

 セリーヌに掛けた言葉を切ってクリスは足を止める。

 

「今度は何――っ」

 

 飛行艇を監視していたセリーヌは振り返ってクリスと同じように息を呑む。

 何処に潜んでいたのか、自分達の行く手を遮るように現れたのは領邦軍の制服の兵士たちと――

 

「機甲兵まで……」

 

 三体の機甲兵が猟兵達の背後に威圧するように立って、巨大な導力ライフルの銃口をクリス達に向けていた。

 

「手を上げろ!」

 

「貴様は何者だ? この高原の者ではなさそうだが」

 

「事と次第によってはこの場で拘束させてもらう」

 

 問答無用で撃ってこない領邦軍兵士たちにクリスは安堵しながら名乗る。

 

「待ってください。僕は怪しい者ではありません……

 この制服を見て分かると思いますが、僕はトールズ士官学院の者です……

 わけあってこの地に辿り着きました。どうかそちらの責任者であるゼクス中将と面会させて頂けないでしょうか?」

 

 丁寧なクリスの言葉に兵士たちは目を丸くし、次の瞬間笑い出した。

 

「何がおかしいんですか?」

 

「ククク、貴様の目は節穴か? 我々はノルティア州領邦軍だ」

 

「それは……」

 

「ゼクス中将に会いたいのなら合わせてやろう……

 ただし我々がゼンダー門を占領した後の牢屋の中でだがな」

 

 その言葉を合図に領邦軍人たちはクリスを包囲するように展開して導力ライフルを向ける。

 

「…………金色の髪に真紅の士官学院の制服……

 おい、もしかしてこいつは第一級指名手配犯のクリス・レンハイムじゃないのか?」

 

「何……!?

 あの畏れ多くもバルフレイム宮に忍び込みセドリック皇子の命を狙った逆賊のクリス・レンハイムだと!?」

 

「え……?」

 

 兵士たちの奇妙な物言いにクリスは混乱する。

 

「こいつが本物なら大金星だ! 拘束させてもらうぞ!」

 

「くっ――」

 

 導力ライフルを威嚇するように突き付け近付いて来る隊長格の兵士にクリスは思わず身構える。

 

「おっと! 逃げようと思っても無駄だぞ。何と言っても我々には最新鋭のあの機甲兵が――」

 

 隊長が背後の機甲兵を自慢げに誇ったその瞬間、その機甲兵は爆発した。

 

「あはははははははっ!」

 

 導力エンジンの爆音が轟き、無邪気な笑い声と共に彼女は現れ、担いでいた対戦車砲を投げ捨てシャーリィ・オルランドは導力バイクを加速させる。

 

「おおおおおおおおっ!」

 

 救援は彼女だけはなく、黒い軍馬に乗った長身の青年――ガイウス・ウォーゼルがクリスを包囲する領邦軍の中に槍を振り回して陣形をかき乱す。

 

「シャーリィ! それにガイウスもっ!」

 

 仲間たちの登場にクリスは安堵と同時に歓声を上げる。

 

「あ、あれは《血染めのシャーリィ》!」

 

「い、いかん撤退、撤退だ! 監視塔まで撤収する」

 

 領邦軍の反応は早く、しかしそれでも爆走する導力バイクから跳んだシャーリィが彼女の《テスタ=ロッサ》のチェーンソーを一閃させ、機甲兵の頭を一薙ぎで狩り、それを蹴って再び跳躍し走り続ける導力バイクへと着地する。

 

「シャ、シャーリィ……」

 

「と、とんでもないわね」

 

 不意打ちで一機、そして正面から瞬く間に機甲兵を生身で斬り伏せたシャーリィの業の格好良さにクリスは魅せられ、セリーヌは唖然とする。

 

「二人とも無事のようだな」

 

 そんな一人と一匹にガイウスが声を掛ける。

 

「ああ、何とか――」

 

 そこまで応えたところでクリスは全身から力が抜け、その場に膝を着く。

 

「クリスッ!?」

 

「ごめん……ガイウス……安心したら急に力が……」

 

 クリスが意識を保っていられたのはそこまでだった。

 

 

 

 



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3話 最初の一歩

 

 

 

「ここは……」

 

 目を覚ますとそこは無機質な壁に最低限の調度品が飾られた部屋だった。

 見覚えのない部屋に首を傾げながらもクリスはまず最初に体の調子を確かめる。

 

「…………良し。だいぶ回復したな」

 

 ノルド高原で目覚めた時の倦怠感がだいぶ薄れた感覚にクリスは安堵し、自分の身体から部屋への観察に意識を切り替える。

 

「部屋の様子から推測すればゼンダー門かな?」

 

 枕もとの棚に置かれた眼鏡を習慣で掛けながら場所の特定を行い、ガレリア要塞で宿泊した時のことを思い出す。

 もっともあの時の集団で泊まった部屋よりも上等な士官用の個室に見える。

 そして――

 

「…………アルフィン?」

 

 自分が寝ていたベッドに突っ伏して眠っている双子の姉がいることにクリスは目を丸くする。

 

「…………そうか、シャーリィが……」

 

 機甲兵を相手に格好いいバイクアクションで大立ち回りを演じていた赤い少女のことを思い出し、彼女が頼んだ仕事を全うしてくれていたことに安堵する。

 

「でもどうしてノルドに? たしかユミルで落ち合うはずだったのに?」

 

 戦場に出る前にいざとなったら決めていた集合場所ではないことにクリスは首を傾げる。

 あそこなら山奥ということもあり、貴族派の手は届きにくい上に少数だが精鋭である元《北の猟兵》という頼れる戦力が常駐している。

 それにユミルは彼の――アルフィンの親友のエリゼの故郷なのだから。

 

「え……?」

 

 不自然に組み変わった思考にクリスは違和感を覚え、額に手を当てる。

 

「ん……」

 

 しかしその違和感に気付く前に、傍らのアルフィンが身じろぎを始め、ゆっくりと体を起こす。

 

「…………セドリック?」

 

 寝惚け眼で目覚めた弟の顔を見て固まるアルフィンにクリスはバツを悪くして目を伏せる。

 

「その……おはよう……って、そろそろ昼になりそうだけど」

 

 壁に掛けられている時計を見てクリスは誤魔化すように笑う。

 

「――っ――」

 

 しかし、そんなクリスの誤魔化しを他所にアルフィンは感極まった様子で彼の胸へ飛び込んだ。

 

「あ……」

 

「セドリック……良かった目を覚まして」

 

「アルフィン……」

 

「本当に、本当にセドリックなのよね? 本当に……」

 

「アルフィン……?」

 

 その身を確かめるようにきつく抱き締めてくる双子の姉の初めて見る姿にクリスは戸惑う。

 兄譲りの図太い、クリスが憧れるものを持っている姉の珍しい姿。

 密着する体が以前よりもずっとか細く、こんなにも弱々しいものだったのかとクリスは場違いにも思う。

 

「ごめん……心配かけたみたいだね」

 

「本当よ……帝都があんなことになって、セドリックも行方が分からなくなって……

 なのに突然、帝都に貴方が現れたと思ったら、お兄様をオズボーン宰相の暗殺犯だって宣言して……それに、それに……」

 

「僕が兄上を!?」

 

 身に覚えのない行動にクリスは驚く。

 

「そこから先は私が説明しよう」

 

 唐突に部屋の扉が開き、入って来たのは隻眼の男。

 

「お久しぶりです。セドリック殿下」

 

「ええ……お久しぶりです、ゼクス中将。それにトヴァルさんとエリゼさんも無事で何よりです」

 

 ゼンダー門最高責任者であるゼクス・ヴァンダール。

 その背後の付き従う様に一緒に入って来たトヴァルとエリゼがそれぞれ頭を下げる。

 

「よう無事で何よりだセドリック皇子」

 

「おはようございます。壮健そうで何よりですセドリック殿下」

 

 恭しい挨拶にクリスは苦笑をしながら訂正する。

 

「皆さん、確かに僕はセドリックですが、今はトールズ士官学院のクリス・レンハイムです」

 

 その指摘にゼクス達は一様に顔をしかめる。

 

「それについては殿下にはお伝えしなければならないことが多くありますが、まずは軽く食事を摂る良いでしょう」

 

 言われ、クリスの腹は空腹を思い出したようにタイミング良く鳴る。

 

「あ……」

 

「セドリック……」

 

「申し訳ありません」

 

 不躾な自分の身体にクリスは思わず恥じる。

 

「なに、腹が減っていると言う事は御身が健康な証拠。すぐに準備をさせましょう……“これから”の話は、その後に」

 

「分かりました」

 

 急かしはしないものの尋常ではないゼクスの態度にクリスはアルフィンの抱擁を解く。

 

「あ……」

 

 弱々しいアルフィンは引き留めるようにクリスの服を掴んで放さない。

 

「アルフィン」

 

「貴方は本当にセドリックなのよね? 本当に……偽物でも幻でもなくて、本当にここにいるのよね?」

 

「アルフィン?」

 

「セドリック……貴方は――っ……」

 

 アルフィンは何かを言いかけて言葉を呑み込む。

 そうしてクリスとエリゼの顔を交互に見合って黙り込んでしまう。

 普段はっきりと物を言う彼女には珍しい歯切れの悪さ。

 しかし、いくら促してもアルフィンは頑なにその心の内を話すことはなかった。

 

 

 

 

 

 ゼンダー門の前、襲撃を警戒して待機する装甲車の一つは赤毛の少女が日向ぼっこのベッドと化していた。

 しかし、周りの正規軍人たちはそれを咎めることはしない。

 岩壁の下に陳列された彼女の戦果がそれを許し、何よりもそんな状態でありながら誰よりも早く敵の接近を察知する少女の力をこの場で疑うものは誰もいない。

 

「よっ――」

 

 シャーリィが唐突に体を起こすと、精鋭の軍人たちはすぐさま周囲を警戒する。

 が、そんな彼らの反応を他所にシャーリィはゼンダー門を振り返る。

 そのタイミングで重厚な鉄扉が開き、クリスが出て来た。

 

「ようやくお目覚め坊ちゃん?」

 

「おはようシャーリィ。でも坊ちゃんはやめてって何度も言ってるでしょ」

 

 いつもと同じ調子で出迎えてくれたシャーリィにクリスは苦笑を返し――岩壁に整列されている機械の生首にぎょっと身構える。

 

「シャ、シャーリィ……あれって……」

 

「ん? ああ、ここ一ヶ月のシャーリィの戦果」

 

「首狩りシャーリィ……」

 

 ゼクスやゼンダー門の中で聞いた彼女の功績から名付けられた新たな異名にクリスは納得する。

 が、クリスはすぐに気を取り直してシャーリィに礼を言う。

 

「まずはありがとう。約束通り、アルフィンとエリゼさんを護ってくれて」

 

「後で追加労働手当てを要求するから気にしなくて良いってば……

 それに結果的に正解だったかもしれないけど、最初の目標のユミルに辿り着けなかったんだけどね」

 

「それでもだよ。重要なのは“何処”じゃなくて、二人の“無事”だから」

 

 トヴァルから聞いたノルドに来た経緯。

 帝都で先にアルフィンとエリゼを確保したトヴァルと一悶着を起こしつつ、身を隠すためエリゼの故郷であるユミルを目指した。

 しかし、ルーレまで辿り着いたもののユミルへの道には貴族連合の厳重な警備体制が敷かれており、ルーレに潜伏するのにも限界があると判断してノルド行の列車に紛れゼクス中将に保護を求めた。

 結果的にはそのおかげで合流できたのだから、不幸中の幸いだろう。

 

「ユミルか……ねえシャーリィ」

 

「ん……?」

 

「シャーリィは■■■さんのことを覚えている」

 

 自分の口から出たとは思えないノイズの様な雑音交じりの言葉にクリスは顔をしかめる。

 が、シャーリィはそんな雑音に気付いていないのか気に留めず、クリスの疑問に答える。

 

「■■■? 誰それ……?」

 

 予想通りの反応にクリスは落胆を感じながらも、エリゼもそうだったので予想はしていた。

 

「状況は聞いているんだよね?」

 

「うん……」

 

 クリスは直前のゼクスとのやり取りを反芻する。

 

 オズボーン宰相の狙撃事件から一ヶ月。

 《貴族派》改め《貴族連合》によって帝都は占領され、帝国全土の主要都市が一つを除き同じように占領された。

 各地に配備されていた帝国正規軍は唯一、逆に占領したセントアークに集結しながら各地で散漫な小競り合いを行っている。

 そして先日、小康状態に陥った均衡を崩す発表が帝都でなされた。

 貴族連合の後ろ盾を得たセドリックがオズボーン宰相の狙撃の犯人をオリヴァルト皇子として、クリス・レンハイムを《緋の騎士》を盗み出したオリヴァルトの先兵として声明を発表した。

 これに対して革新派はこれまでの《貴族派》が行って来たことを公開し、オリヴァルトが彼らの上に立ち、内戦は更に激化した。

 

「まさか僕の偽物が現れるなんて……しかも兄上がまさか革新派の旗頭として立ち上がるなんて……」

 

「人気者は辛いね。でも面白くなってきたよね?」

 

 クリスが現れたことで内戦がさらに激しくなる予感を感じてシャーリィは獰猛な笑みを浮かべる。

 

「で、どうする?」

 

「その前にガイウスは? それに他のみんなもノルドにいるの?」

 

「ガイウスはラクリマ湖に避難した家族と北の方で急に雪が降り出したから、それの調査……

 他はルーレまでガイウスはアリサと一緒だったみたいだけど、なんかそこで別れて他のは知らない。でも一応みんなトリスタから脱出は出来たってガイウスは言ってたよ」

 

「それは良かった」

 

 望む答えが聞けてクリスは安堵の息を吐く。

 そして改めて次の行動を考えるが、既に何処へ行くかは決まっていた。

 が、それを言う前にノルドでやることが残っている。

 

「確かめに行かないといけないことがある。でも、とりあえずこのノルドで起こっている問題を解決することが先決かな?」

 

 共和国と結託して監視塔を占領し、更には高原全土を覆う通信妨害。

 それによって帝国本土と連絡が取れずゼンダー門を任されている第三機甲師団は消耗戦を強いられている。

 シャーリィの活躍により戦況は拮抗状態になっているが、貴族連合も正規軍も《機甲兵》という兵器に慣れつつある状況でシャーリィの無双がいつまで通用するかは分からない。

 戦闘が激化すればガイウスが学院で絶賛していたこの光景が戦火に焼かれる。

 それは彼の友として、そして一人の帝国人としても見過ごすことはできない。

 

「他にも《貴族連合》に《テスタ=ロッサ》を奪われる前に回収しないといけないんだよね」

 

「って言う事は、まずはガイウスと合流か……」

 

 シャーリィは装甲車から降りると傍らに置いておいた導力バイクに跨る。

 アンゼリカから貸し出されたそれにはいくつかの改造が施されており、彼女の《テスタ=ロッサ》を設置する側面のラックに対戦車砲がそれとは逆の位置に三つ設置されている。

 

「それじゃあ行こうか?」

 

「一応僕はゼンダー門の中で大人しくしていて欲しいってゼクス中将に言われているんだけど……」

 

 偽物のセドリックがいることもあり、クリスはゼンダー門から離れないことを厳命されている。

 

「ふーん、で? それに大人しく従うの?」

 

 にやにやとシャーリィはクリスの意志を問う。

 

「まさか」

 

 クリスはそれに苦笑を持って応じる。

 

「僕はトールズ士官学院で自分から動かなければ、何も変えられないって学んだんだ……

 女神に祈って待ってるだけの軟弱な皇子なんて、それこそ偽物だよ」

 

 クリスは躊躇うことなくシャーリィの後ろの席に跨る。

 

「アルフィン達はここにいる限りは安全だろうから、ここからは僕の護衛ってことでよろしく」

 

「そうこなくっちゃ。やっぱりシャーリィは護るより攻める方が性に合ってるからね」

 

 クリスの答えに満面の笑みを浮かべてシャーリィは導力バイクのエンジンを吹かす。

 

「あ、あのセドリック殿下、それにシャーリィ・オルランド……何を――」

 

「すいません! ちょっと忘れ物を取りに行ってきます!」

 

 駆け寄ってくる兵士にクリスは笑顔で応え――

 

「どこに行くつもりよあんた達!」

 

「セドリックッ!」

 

 ゼンダー門からタイミング良くセリーヌを先頭にアルフィンやゼクスが降りて来る。

 

「ゼクス中将! トヴァルさん! アルフィンとエリゼさん、あとついでにセリーヌを頼みます!」

 

「皇子っ!?」

 

「それじゃあしゅっぱーつ!」

 

「ああ、もう!」

 

 シャーリィの合図にセリーヌは、置いて行かれてなるものかと発進する導力バイクに飛び乗る。

 

「待って! セドリック!」

 

 更にアルフィンが思い詰めた顔で追い駆けるが、導力バイクと人の足では競うまでもなく一瞬で彼女は置いてきぼりにされる。

 

「ごめんアルフィン! 話は戻って来てから聞くよ!」

 

 その言葉を残して導力バイクは見る見ると小さくなっていく。

 

「セドリック皇子……何もそんなところまでオリヴァルト皇子に似なくても……」

 

 立ち尽くすアルフィンの背後。

 ゼクスは導力バイクで去っていく彼の背中に、彼の兄が学生だった頃を思い出し青い空を仰いで嘆くのだった。

 

 

 

 

 



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4話 黒き風

 

 ノルド高原北部。

 そこは一足早い雪が降る一方、風光明媚な景観のラクリマ湖。

 その湖畔に建てられた山荘は、激化する貴族連合と帝国正規軍の争いから避難したノルドの民の居住用のゲルは――美しい風景とは対照的に炎に包まれていた。

 

「うあああああああっ!」

 

「あんちゃんっ! あんちゃん!」

 

 至る所から悲鳴と泣き声。そしてそれを覆い隠すような機銃の音が鳴り響く。

 

「貴様らっ!」

 

 暴虐の限りを尽くす猟兵にガイウスは激昂して槍を振るう。

 

「ふん――」

 

 猟兵はその一撃を余裕を持って躱して距離を取り、ガイウスを包囲するように展開して銃撃を浴びせる。

 

「くっ――」

 

 槍を回転させて銃撃を防ぎながらガイウスは負傷を覚悟で距離を詰めようとするが、猟兵達は銃器を持たないガイウスに接近を許さず銃撃を絶やさない。

 

「うおおおおおおおっ!」

 

 ガイウスは咆哮を上げ、猟兵達の包囲を無理やり食いちぎる。

 傷を代償に一人、また一人と猟兵達を斬り伏せていく。

 

「そこまでだ!」

 

 そんな獅子奮迅の戦いをするガイウスに勝利を確信した声が掛けられた。

 

「あんちゃん……ガイウスあんちゃん……ぐす……」

 

 振り返ると、猟兵の一人が小さな幼子を抱え導力銃を突き付けていた。

 

「リリ……貴様ら恥を知れっ!」

 

 妹を――幼い子供を人質に取る所業にガイウスは人生で感じたことのない怒りを感じる。

 だが猟兵は悪びれた様子もなく平然と応える。

 

「依頼は冷徹かつ確実に――

 それが猟兵というものだ。大人しく投降し、クリス・レンハイムを引き渡してもらおうか」

 

「だから、クリスはここにはいない!」

 

「だったら貴様がそいつをここに連れて来いっ! さもなくば――」

 

「ひっ――」

 

「やめろっ!」

 

 これ見よがしに引き金に指を掛ける猟兵にガイウスは声を上げる。

 

「ふ……それでいい。ひとまずその槍を捨ててもらおうか」

 

 ガイウスの絶望の顔に猟兵は気分を良くして指示を出す。

 

「くっ……」

 

 苦渋で顔を歪めながらガイウスは言われた通り槍を手放す。

 

「そうだ、それでいい……」

 

「お前には昨日、お前達が回収した学生を連れて来てもらおう……

 ここにいないとすれば、おそらくはゼンダー門だろうが、お前が出入りしていることは調べはついている……

 そいつを連れて来れば――」

 

 猟兵の言葉は一発の銃声にかき消された。

 

「がっ――!?」

 

 背後からの銃撃にガイウスは息を吐き、膝を着く。

 

「よくもやってくれたな」

 

 先程、ガイウスが倒したはずの猟兵が血走った目で熱を持つ導力銃の銃口をガイウスに向ける。

 

「おい! 勝手なことを――」

 

「うるせえっ! こいつはここでぶっ殺してやる!」

 

 仲間の制止を振り払いその猟兵はガイウスに向けて引き金を引き――

 

「くっ――」

 

 咄嗟に身を投げ出して射線から少しでも逃げようとしたガイウスの目の前が見覚えのある背中に塞がれた。

 銃声が連続して炸裂し、その背中が音と合わせるように痙攣する。

 

「あ――」

 

 目を大きく見開きガイウスは言葉を失う。

 ガイウスを庇った男、ラカン・ウォーゼルは苦悶の声一つ漏らさず、己の血の海に倒れ伏した。

 

「あ…………」

 

「おとーさん……?」

 

 ガイウスとリリはその光景にただ、ただ呆然とする。

 

「ちっ……まあいい」

 

 ガイウスと交渉しようとしていた猟兵は面倒になったと言わんばかりにため息を吐く。

 

「おい! そいつを寄こせ。コイツの目の前で惨たらしく殺してやる!」

 

「いい加減にしろっ!」

 

 なお止まらない仲間の暴挙に猟兵は乱暴に伸ばされた手から幼女を護る。

 しかし、その所業にキレた者がいた。

 

「貴様ら……」

 

 初めて感じる己の内から湧き出る憎悪。

 故郷を我が物顔で蹂躙し、家族さえ手に掛け、更には幼子さえ勝手な理由で手を掛けようとする外道たちにガイウスの中の箍が外れる。

 

「貴様ら、全員っ! 殺してやる!」

 

 ラクリマ湖に黒い風が吹き荒れ、一匹の《鬼》が生まれた。

 

 

 

 

 

 それは血に飢えた魔者だった。

 それは破壊の権化だった。

 

「くそっ! 近付くな距離を取って弾幕を――ぐあっ!?」

 

 一人、また一人と十字の槍が振られる度に猟兵は強化防護服がまるで紙のように引き裂かれ、穿たれ命を散らしていく。

 

「この死にぞこな――」

 

 応戦しようとした猟兵は気付けば黒い風に体を両断され、ラクリマ湖の畔はその青い景観とは対照的な血で赤く染まっていく。

 

「あん……ちゃん……」

 

 その光景にウォーゼル家の末娘のリリはただ呆然と立ち尽くし、全てを見ていた。

 

「あんちゃん……」

 

 小さくうわ言を繰り返す。

 呆然とした眼差しに焦点はなく、心が砕けてしまったかのように兄を呼ぶ言葉を繰り返す。

 

「あんちゃん……」

 

 その声に《獣》が反応する。

 全身を血で染めた《獣》はのそりと振り返り、十字の牙を手にリリに歩を向ける。

 

「ぐううううっ!」

 

 人の姿をしていながらも、その喉から出て来た声はまるで獣の唸り声のようだった。

 《獣》はそれが誰なのか認識せず、ただ動く者、生きている者を殺戮するために槍を振り被り――

 

「どーんっ!」

 

 シャーリィが操る導力バイクから繰り出されたワイルドスタンピードが炸裂した。

 

「シャーリィはその子とガイウスのお父さんっぽい人を頼む!」

 

 《獣》を轢き飛ばすと同時にカタパルト発射と言わんばかりに後部座席から飛び出したクリスが叫ぶ。

 

「があっ!」

 

 空中に吹き飛ばされた《獣》は追従して来るクリスに槍を突き出す。

 

「っ――」

 

 真正面からの力任せな刺突をクリスは魔剣で受け止め、身体を捻って《獣》の胴体を蹴り飛ばしラクリマ湖に叩き落とす。

 

「今のはガイウス……まるで兄上から聞いた■■■さんみたい……っ――」

 

 美しい景観のはずのラクリマ湖が煉獄の様な目を背けたくなる光景にクリスは顔をしかめ――ラクリマ湖が黒い竜巻によって爆ぜた。

 

「ガイウス!」

 

 黒い竜巻に乗って跳躍し襲い掛かって来たクラスメイトの名を叫ぶ。

 が、鬼気に染まった金の目をしたクラスメイトはクリスを敵と認識して十字槍を振るう。

 

「っ――」

 

 先程の無理な体制から繰り出された突きとは比べ物にならない衝撃にクリスは息を詰まらせる。

 

「ガイウス! 目を覚ませ! もう敵はいない! だから――」

 

「があっ!」

 

 息もつかせない連続突きがまだ完調していないクリスの手から魔剣を弾き、次いで繰り出された渾身の一撃が――クリスと彼の間に展開された魔法陣が受け止める。

 

「ちょっと病み上がりのくせに無茶してんじゃないわよ!」

 

 足元に魔法陣を展開し、セリーヌは無数の火球を放つ。

 

「――――」

 

 《獣》はすかさずその場から飛び退いて、降り注ぐ火球を避ける。

 

「ありがとうセリーヌ! 助かった」

 

「そんなことは良いから! 来るわよっ!」

 

 魔剣を拾う間もなく、《獣》が迫る。

 

「っ――」

 

 覚悟を決めるのは一瞬、クリスはその場で身構え――力任せに突き出された一突きを掻い潜るように身を沈ませて躱すと同時に槍を取り、突撃の勢いをそのまま背負い投げに利用して《獣》を大地に叩きつける。

 

「セリーヌッ!」

 

「分かってるわよ!」

 

 クリスの言葉にセリーヌが応えると、地面から現れた光の鎖が《獣》をその場に縛り付ける。

 

「があ――うがああっ!」

 

「くっ――」

 

「ガイウス、大人しくしてっ!」

 

 もがく《獣》にクリスは槍で抑え込むように圧し掛かり、セリーヌも術に力を注ぐ。

 しかし、《獣》の内から吹き出る“黒い風”の勢いは収まらず、圧し掛かるクリスの身体を打ちのめす。

 

「まずい……これは抑え込めない……」

 

 全力を振り絞りながらもクリスと同様に病み上がりのセリーヌは《獣》が纏う呪いの大きさに弱音を吐き――

 

「そのまま抑え込め」

 

 クリスでも、シャーリィでも、セリーヌでもない。声が一人と一匹の耳に届き――

 

「空の金耀の力を持って、ここに邪悪を退けん」

 

 厳かな祝詞。

 《獣》を中心に星杯の魔法陣が浮かび上がると、金の光が黒い風を蒸発させるように消し飛ばす。

 

「――――っ」

 

「ガイウス!?」

 

 がくりとそれまでの抵抗が嘘であったかのように静かになったガイウスをクリスが呼ぶ。

 返事はないが、穏やかな呼吸と消えた鬼の気配に危機は一難去ったとクリスは安堵の息を吐き、振り返る。

 

「貴方は……確か……」

 

 ノイズ交じりの記憶を遡り、見覚えがあるはずなのだが■■■を通した記憶のせいなのか名前が出て来ない。

 

「ふむ……どこかで会ったかな?」

 

 老人の方は初対面のはずのクリスの反応に首を傾げる。

 

「……いえ、何でもありません。どなたか存じませんが助かりました」

 

「いや、君たちのおかげで余計な怪我をさせずにガイウスを救う事が出来た。礼を言わせてもらおう」

 

 そこにいたのは星杯の紋章を首から下げた偉丈夫な老人は特に偉ぶることもなく、クリスに礼を返す。

 

「……その様子だとガイウスの知り合いみたいですが。それにその紋章……七耀教会の者ですか?」

 

「ああ、巡回神父をしておるバルクホルンだ……

 さて、名乗ったばかりで悪いが手を貸してもらえるかな? ガイウスはもちろん、ラカンを――」

 

「まだ息はあるよー! でもシャーリィにはこれ以上の処置は無理かな?」

 

 踵を返すバルクホルンに応えるようにシャーリィが声を上げる。

 その事にクリスは安堵の息を吐き、改めて血に染まったラクリマ湖の情景に顔をしかめる。

 

「これが……これが人のすることなのか……」

 

 猟兵が、ひいては領邦軍が引き起こした惨状にクリスは嘆くことしかできなかった。

 そしてその嘆きに、セリーヌはただ目を伏せた。

 

 

 

 






原作ユミルの第一被害はノルドの人達に代わって頂きました。
これにより原作では薄かったガイウスの内戦介入の理由付けを考えています。




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5話 責任の在り処

 

 

 

「そうか……」

 

 ゼンダー門の作戦司令室に重い沈黙が満ちる。

 ラクリマ湖での猟兵によるノルドの民の襲撃。

 

「領邦軍が高原に猟兵を放ったことは気付いていたが、避難が裏目に出たか」

 

 こうならないように族長のラカンには領邦軍との戦闘が本格化する前にラクリマ湖まで避難することを勧めたのだが、この結果である。

 

「やはり僕のせいでしょうか?」

 

「いいえ、セドリック皇子。それは違います」

 

 落ち込むクリスにゼクスは首を振る。

 

「生き残った猟兵を尋問したところ、元々ゼンダー門攻略にガイウスを利用する算段を彼らは考えていたようです……

 今回の責はこの私の見通しの甘さが招いたことに他なりません」

 

 通信妨害のこともあり、ゼクスが事を把握できたのは先に逃がされたグエンとシータが乗った導力車がゼンダー門にエンジンを焼きつかせて走って来た時。

 そこから出来る限りの早さで救出部隊を編成させて送り出したが、部隊がラクリマ湖に着く頃には全てが終わっていた。

 

「むしろ皇子は良くやってくれたでしょう……」

 

 偶然とは言え、ゼンダー門に向かっていたグエン達と遭遇し、救出部隊に先行してラクリマ湖に辿り着き、負傷者の手当てや安全の確保。

 遅れて到着した救出部隊もそのおかげで迅速な対応が行えて多くのノルドの民を救う事ができ、下手人である猟兵も生かして捕えることができた。

 

「でも……」

 

「皇子、例え皇子がいなかったとしても同じ事は遠からず起こっていました。自分さえいなければと思うのは検討違いです」

 

「っ――分かってる……だけど、領邦軍……帝国人がこんなことを容認するなんて……」

 

「そう? 汚い仕事は猟兵に押し付けて、華々しい戦果は自分のモノにする。帝国だと珍しくもない猟兵の使い方だけどなぁ」

 

 苦渋に震えるクリスに対して、シャーリィは常識だと言わんばかりに今回の騒動を受け止めていた。

 

「それよりも、確かにノルドの民の襲撃は前々から考えられていたみたいだけど。今の問題は違うでしょ?」

 

 反省ばかりをする会議にシャーリィは現状を突き付ける。

 

「クリス・レンハイムを確保するために帝国本土からの増援が来る……

 通信妨害で孤立している第三機甲師団にこれから始まる総攻撃を凌ぐ算段はあるの?」

 

 会議室に重い沈黙が満ちる。

 既にこの一ヶ月の間でかなりの消耗戦を強いられて来た。

 シャーリィのおかげで盛り返せはしたものの、それが一時しのぎでしかないことはゼクスも理解していた。

 

「やはり僕がここにいることが争いの火種となっているなら、僕が投降すれば――」

 

「それはなりません!

 奴等は既に偽りの皇子を矢面に立たせています。そんな所に皇子が赴けば何をされるか。最悪、御身の命さえ保障はないのですよ」

 

「だけどこれ以上、朋友であるノルドの大地を帝国の勝手で汚すわけにはいきません」

 

 エレボニアの皇子と言う身分だと言う事は分かっているが、他人の命を天秤にして割り切れる程にクリスは割り切ることはできなかった。

 

「まあまあ二人とも落ち着いてくださいよ」

 

 白熱しそうになるゼクスとクリスの間にトヴァルが割って入って仲介する。

 

「とにかく貴族連合のガイウスを利用したゼンダー門攻略作戦は未然に防げたわけだが、むしろ問題はここからでしょう」

 

「そのことだがランドナー君。君にはセドリック皇子とアルフィン殿下を連れてアイゼンガルド連峰へと逃げてもらいたい」

 

「ゼクス中将!?」

 

 驚くクリスを無視してゼクスは続ける。

 

「アイゼンガルド連峰は険しいが、それを抜ければノルティア領のユミルに抜けられる……

 御二人を匿うならこのような軍事基地よりもずっと適しているだろう。そして折を見て、セントアークにいるはずのオリヴァルト皇子の下まで送り届けて欲しい」

 

「…………まあそれが妥当かもしれませんが、セドリック皇子。貴方はどうしたいんですか?」

 

 ゼクスの方針に一応の理解を示しながらトヴァルはクリスに話を振る。

 

「だから僕が貴族連合に投降すれば、これ以上の戦闘は――」

 

「言っておくが、俺の予想だと貴方が貴族連合に投降すればむしろ内戦はより激しくなるだろうな」

 

「っ――」

 

「貴族連合が貴方の贋物を立てている以上、奴等にとって貴方は必ず生け捕りにしないといけない存在じゃない……

 むしろ捕まえたその場で処刑する。なんてことだって十分にあり得るだろうよ」

 

「だからって、ここでユミルに逃げてどうなるんですか?

 ユミルをノルドの民の様な目に合わせても良いって貴方達は言うんですか!?」

 

「それは……」

 

「流石に連中もそこまで……いや……」

 

 クリスの指摘にゼクスとトヴァルは唸る。

 哀しいことにその指摘が完全な的外れだと楽観視することはできなかった。

 

「だからってな……ならクロスベルに行きたいって言っていたのはどうするつもりなんだ?」

 

「それは……」

 

 トヴァルの指摘に今度はクリスが口ごもる。

 クリスが内戦よりも優先して目指す場所、それがクロスベル。

 彼の自治州が独立宣言を発表して既に一ヶ月。

 トヴァルの話では既にクロスベルは帝国軍によって占領されたらしいが、それ以上のことは何も分からない。

 そして一ヶ月経つというのに、帝国に“彼”が戻って来た様子がないどころか、会う人達から彼の記憶が失われているのが現状だった。

 今更遅いかもしれないが、帝国の内戦よりもクリスの中ではそちらの方に天秤は傾いていた。

 

「確かに僕は早くクロスベルに行きたいと思ってます……

 でもここで僕達の友人やその家族のことをこのままにしておくことはできません」

 

 ここにはいないガイウスを始めとノルドの民。

 ラカンは一命を取り留めたが、このままゼンダー門攻略作戦が始まれば収容したノルドの民がまた危険に晒される。

 

「他に方法があるなら教えてください! 僕なら捕まった後に《テスタ=ロッサ》を暴れさせれば脱出できる可能性だってあるんです」

 

「むうう……」

 

「ちょっと整理しましょうか」

 

 無茶苦茶な強硬手段を提示したクリスにゼクスは唸り、助け船を出すようにトヴァルが提案する。

 

「まず第三機甲師団を不利にさせているのはノルド高原全域に展開されている通信妨害によるものだ……

 これのせいで戦車や装甲車間での細かな連携が取れなくて劣勢を強いられている。その上帝国本土との連絡もできず消耗戦になっているわけですよね?」

 

「ああ、その通信妨害もこちらのみで領邦軍側は通信を利用している」

 

「で、セドリック皇子はノルドの民を見捨てられないか?」

 

「それもありますが、領邦軍の目的が僕だけじゃなくて《テスタ=ロッサ》もだとしたら、今の彼と一緒にアイゼンガルド連峰を追い付かれずに抜けるのは難しいと思います」

 

「騎神なのにか? 確か飛べるはずだよな?」

 

「今の損傷だと難しいと思います」

 

 結局、回収することが叶わなかったが幸いにも《テスタ=ロッサ》に続く道は一本道であり、遠目で確認した幻獣もまだ退治されていなかった。

 

「場合によっては《テスタ=ロッサ》を抜きに投降すれば、彼らはそれを見つけるまで僕を殺すことはできないと思いますが」

 

「その分、どんな拷問をされるか分かったもんじゃありませんよ」

 

 楽観的なことを言うクリスにトヴァルはため息を吐く。

 

「んで、おそらく領邦軍の目的はセドリック皇子の身柄と《緋の騎神》なのは間違いない……

 ただ幸いなのは、まだアルフィン皇女がここにいることはまだばれていないみたいですが、正規軍としては皇子達を領邦軍に差し出すことはあり得ないんですよね?」

 

「その通りだ」

 

 トヴァルの確認にゼクスは頷く。

 

「とは言え、奴等はセドリック皇子を捉えるためにゼンダー門への総攻撃を計画しているわけで、監視塔側と帝国本土からの挟撃が本格的になれば消耗している第三機甲師団に勝ち目はない」

 

 これが現在の自分達だと改めて認識させられる。

 

「ねーねー、セリーヌ。セリーヌだったらこの場を何とかできる方法があるんじゃないの?」

 

「にゃ? いきなり何を言ってるのよ?」

 

 会議の内容を半分に聞きながら、シャーリィは部屋の隅で丸くなっているセリーヌに尋ねる。

 

「だってセリーヌは魔女の使い魔でしょ? こういう時の都合の良い魔法って御伽噺の定番じゃん」

 

「アタシにそんなことを言われても……」

 

「フフ、セリーヌは嘘が下手だね。それに《緋》を貴族連合に渡したくないって言う点については利害が一致すると思うんだけど」

 

「う……」

 

 シャーリィの指摘にセリーヌは唸る。

 そして気付けば、会議室にいる者達の注目が集まっていることにセリーヌは思わず怯む。

 

「…………ああ、もう分かったわよ!」

 

 観念するようにセリーヌはノルドの地図を広げたテーブルの上に跳び乗る。

 

「《緋》を貴族連合に渡さないでこの地から逃げるための手段はあるわ」

 

 そう言ってセリーヌはノルドの南部のある地点をその猫の手で指し示した。

 

 

 

 

 

 日が落ちて、明日の作戦のために今から出発しようとしていたクリスはその足をとある一室に向けた。

 

「あ……エリゼさん」

 

 その部屋の前、食事を乗せたトレーを抱えたエリゼにクリスは声を掛ける。

 

「セドリック殿下……」

 

「その食事、ガイウスに?」

 

 エリゼが持っている決して豪華とは言えない粗食を一瞥してクリスは部屋の扉に向き直る。

 

「はい……」

 

 浮かない顔をするエリゼにクリスは首を捻る。

 今のゼンダー門は人手が足りないため、エリゼやアルフィンも雑事の手伝いをしている。

 その一環でガイウスに食事を持って来たのだろうが、何故かエリゼは部屋に入ることに足踏みしていた。

 

「どうかしたの?」

 

「…………いえ……」

 

 自分でも良く分からない感情にエリゼは戸惑う。

 担ぎ込まれたガイウスの様子。

 血に塗れ、放心していた姿に忌避感を覚えるよりも既視感を覚えた。

 それがうまく言葉にされることはなかったが、クリスは特に追及することはなく、自分も一緒に入って良いかと許可を取る。

 

「ガイウス、入るよ」

 

 ノックをして部屋に入ると、そこには壁に背中を預けて膝を抱えるガイウスがいた。

 

「ガイウス……」

 

 その目は虚ろで、クリス達が入って来たのに気付いた様子もなく身じろぎ一つしない。

 

「ガイウスさん……」

 

 その姿にエリゼはますます強くなる既視感に困惑する。

 そもそも自分とトールズ士官学院Ⅶ組との面識も親友の弟のクラスメイトという位置に過ぎない。

 身分を隠した皇子のクラスメイトということもあるが、それでは説明がつかない距離感にやはりエリゼは違和感を覚えずにはいられない。

 

「ガイウス、そのままで良いから聞いてほしい」

 

 そんなエリゼを他所にクリスはガイウスの傍らに膝を着いて一方的に語り掛ける。

 

「バルクホルン神父の処置のおかげでラカンさんは一命を取り留めた、リリちゃんやガイウスの家族も多少の怪我はあるけど、みんな無事だ」

 

 そう言うものの、本格的な冬を前に物資のほとんど焼き払われてしまい遊牧民としては生命線が奪われたに等しい。

 帝国の皇子として賠償と援助を惜しむつもりはないが、それをするには今のクリスにはあまりにも無力だった。

 

「謝って済む問題じゃない。だけどせめてこれ以上このガイウスが愛してやまないこの地が戦火に焼かれないように尽力するから」

 

 どこまでも無反応なガイウスにクリスは言うだけのことは言って立ち上がる。

 

「もし内戦が終わったら――いや、何でもない」

 

 言いかけた言葉を呑み込んでクリスは一足先に部屋を出る。

 

「ガイウスさん、今日まで大変お世話になりました」

 

 出て行ってしまったクリスにエリゼは慌てて、ガイウスにこれまでの礼を言う。

 

「明日、私たちはセドリック皇子と共にこの地から去ります……

 そうすればセドリック皇子が仰っていたようにこの地での貴族連合と正規軍の戦いはひとまず終わるはずです……

 ですから……その……ありがとうございました」

 

 探して出て来た言葉は結局クリスとそう代わらないものだった。

 そして、同じくガイウスからの返事はなく、エリゼは用意していた食事を置いて部屋を後にした。

 

「………………」

 

 静寂が部屋に満ちる。

 

「…………ちがう……ちがうんだ……」

 

 どれだけの時間が経ったか、ガイウスは一人懺悔するように頭を抱える。

 

「帝国人のせいじゃない……俺が浅はかで……愚かだったから招いたことなんだ」

 

 猟兵は言っていた。

 家族を人質にしてガイウスを、ゼンダー門攻略の足掛かりにすると。

 自分がゼンダー門と交流していることを把握されていたことがウォーゼル家の襲撃の理由であり、そこにクリスは関係なかった。 

 

「俺はあの時から何も成長できていないのか■■■……っ――!?」

 

 口に出た言葉にガイウスは奇妙な頭痛を感じて――

 

「あの時? あの時とはいつの事を言っているんだ?」

 

 口について出た言葉にガイウスは首を傾げた。

 

 

 

 

 

 



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6話 逃亡作戦

遅くなって申し訳ありませんでした。

黎の軌跡の発売日が決まりましたね。
まさかフィーが続投するとは思っていませんでした。

前倒しできる内容なら《■の軌跡》としてとある盗品を依り代にした彼とアニエスと繋がりを作って閃ⅡとⅢの間でやるのもありかと考えていたりします。





 

 

「はあっ!」

 

 月明かりが照らす高原の中、クリスは渾身の一突きを氷の幻獣に突き立てた。

 それが決定打となり氷の幻獣は断末魔を上げ、魔獣と同じようにセピスを撒き散らして消滅する。

 

「やったね」

 

「ええ」

 

 クリスはシャーリィとハイタッチを交わし、そこで切り替える。

 幻獣は前哨戦に過ぎない。

 ここからが本番であり、二人は振り返って遠くに見える監視塔を見下ろした。

 

「どうやら気付かれていないみたいだね」

 

「セリーヌの結界のおかげだね」

 

「ふん、当然よ」

 

 夜の闇の中ではアーツの発光や火炎放射や銃口のマズルフラッシュは目立つが、それが監視塔に察知された気配はない。

 ここに来る道中も導力バイクは無灯火でと気を使っていたが、特に問題はなくひとまずクリスは安堵の息を吐く。

 

「とりあえず、はい」

 

 シャーリィは導力バイクの収納スペースから双眼鏡を取り出してクリスに投げ渡す。

 

「監視塔のてっぺんを見てみて、大掛かりなオーブメントがあるのが分かる?」

 

「…………ええ、いかにもっと言うのがありますね」

 

 双眼鏡でそれを確認したクリスは頷く。

 

「ゼクス中将が知らないオーブメントだから、占領の後に設置したと通信妨害のオーブメントだと考えてたぶん当たりだろうね」

 

「つまりあれを破壊できれば……」

 

「ま、ここからどっちのプランで行けるかは“アレ”次第ってところかな?」

 

 シャーリィは振り返り、丘の上の岩場の隙間の奥にいるだろう存在を振り返る。

 

「ええ、夜明けまでもうすぐですから急ぎましょう」

 

 双眼鏡を下ろしてクリスは自分が目覚めた場所、《緋の騎神》の下へと歩き出し、シャーリィとセリーヌがそれに続く。

 

「…………テスタ=ロッサ」

 

 そこには変わらない姿て膝を着いて鎮座していた《緋の騎神》がいた。

 

「うわ! ボロボロ……って《騎神》がボロボロなのはいつものことか」

 

「あはは……」

 

 シャーリィの感想をクリスは笑って誤魔化す。

 

「そ、そんなことより起きてくれ《テスタ=ロッサ》」

 

『――――休眠状態ヨリ復帰――再起動完了』

 

 クリスの呼び掛けに数秒遅れてテスタ=ロッサが応える。

 

「ん、機体の損傷はともかく霊力は十分に回復しているわね」

 

「早速で悪いけどテスタ=ロッサ。これから“精霊の道”を使って移動したいんだけど、大丈夫かな?」

 

『回復した霊力の半分を使う事になるだろう。だがこの場では“道”を開くことはできない』

 

「“道”を開ける場所はこっちで把握しているから問題はないよ……

 ただ……そこに行くまでに戦闘になるかもしれない。単刀直入に聞くけど、今“千の武具”を使う事はできるかい?」

 

『“精霊の道”を使うのなら推奨はしない』

 

「そうか……それじゃあ当初の予定通りプランAで――」

 

『ただし起動者が所持している霊力の結晶体を使えば一度の行使は可能だろう』

 

「霊力の結晶体……もしかしてこれのこと?」

 

 クリスが取り出したのは先程倒した幻獣が残した七耀石の混合石。

 稀に魔獣の体内で特殊なバランスで再結晶されたそれは金銭的な価値はないが、加工すれば特殊な効果を持つクォーツを生成できる。

 

「ううん……惜しいけど背に腹は代えられないか」

 

 何故か学院で使っていた《ARCUS》のクォーツが全部なくなってしまっていたため、貴重なクォーツの原石を使ってしまうことに躊躇してしまうがクリスは仕方がないと割り切る。

 

「じゃあプランBで行くってことで良いんだよね?」

 

「ええ……」

 

 シャーリィの確認にクリスは力強く頷いた。

 

 

 

 

 

 ノルド高原に朝がやって来る。

 眩い日の出が高原を照らす中、眩む光に紛れて《緋》は隠れた岩の隙間から抜け出して長大なライフルを構える。

 

「長距離ライフル《アンスルト》、アンカーを設置」

 

 クリスの想念で具現化した長大なライフルは銃身の下に設置された杭を地面に打ち込み、姿勢を固定する。

 砲撃の姿勢を固めた《緋》の肩にシャーリィが双眼鏡を片手に飛び乗り、告げる。

 

「距離6500アージュ、東から5アージュの風。それから――」

 

 淡々と観測主としてシャーリィが必要な情報を伝える。

 

「こちらに気付いた様子は今のところない。このまま大人しくしていてくれ……」

 

 風霊窟から離れ、監視塔からも視認できる状態にあるため、今すぐにでも監視塔のサイレンが鳴り響く可能性はある。

 緊張を感じながらもクリスは慎重に狙いを付ける。

 

「シャーリィ、撃つよ。手筈通り、着弾点の観測を頼むよ」

 

「りょーかい。ま、外しても良いから気軽に撃ちなよ」

 

 緊張をほぐす様な軽い調子の言葉にクリスは苦笑を浮かべて、深呼吸を一つ。

 

「――――行け」

 

 気合いとは裏腹に《緋》は静かにライフルの引き金を引き絞る。

 撃ち出された弾丸は音速を超えて、監視塔を掠め、その向こうの大地を穿ち、轟音と巨大な土煙を上げた。

 

「次弾装填っ! シャーリィ!」

 

「左に五度、仰角は二度くらい上げて」

 

 一発目の情報からシャーリィは無駄口を叩かず、修正の指示を出す。

 

「左に五、仰角は二……」

 

 監視塔で鳴るサイレンの音を遠くに聞きながら、クリスは慎重に指示通りにライフルの狙いを修正する。

 外れた狙撃によって拡大した視野の監視塔から蜂の巣を突いたように飛行艇と機甲兵の大群が吐き出される。

 

「…………好都合だ」

 

 自分たちの姿を双眼鏡で見つけ、階下に報告に走る兵士にクリスは呟く。

 一時的に無人となった屋上。

 これなら精密に装置だけ狙わずに屋上そのものを吹き飛ばして構わない。

 《騎神》による、巨人のスケールで行う狙撃。

 

「次弾のエネルギーが溜まった。いつでも撃てるわよ!」

 

「良し……これを撃ったら命中を問わずに“精霊の道”まで走るから二人とも準備を」

 

 セリーヌとシャーリィに指示を出し、クリスは呼吸を整え、引き金を引き絞る。

 それから数秒遅れノルド高原の通信妨害は消え去った。

 

 

 

 

 

「このままで良いのかガイウス?」

 

 慌ただしくなる基地の喧騒の中、バルクホルンはガイウスに尋ねる。

 

「…………バルクホルン神父……」

 

 時間が経って落ち着いたのか、声に反応したガイウスは顔を上げる。

 

「今、お前の友がノルドのために戦っている。もう一度聞く、お前はそうやって膝を抱えているだけで良いのか?」

 

 憔悴した顔のガイウスにバルクホルンはあえて厳しい言葉を投げかける。

 

「…………俺にそんな資格があるんでしょうか?」

 

 上げた顔を戻してガイウスは恥じるように心の内を吐露する。

 

「俺が外の世界を学べばノルドの安寧は護れると思っていたんです……

 だけど、それは思い上がりに過ぎなかった。所詮俺一人が何かをしたところで帝国と言う大きな国を前にノルドはただ蹂躙されるだけの弱者に過ぎなかった」

 

「そうだな……個人にできることには限界があるのは真理だ」

 

 嘆くガイウスに対してバルクホルンは慰めるでもなくその言葉を肯定する。

 

「だが彼らはその個人の小さな力でこの大きな流れに諍おうとしている……

 お主はこのまま何もしないつもりなのか?」

 

「…………仕方がないでしょ」

 

 ガイウスは苦虫を嚙み潰したよう顔をして答える。

 

「俺の力なんて、所詮この程度の小さなものに過ぎなかったんですから」

 

 ノルド伝来の槍の腕はガイウスの自慢だった。

 それだけではない。

 外の世界を知るために行った士官学院で多くのことを学び、成長できたと思っていた。

 しかし実際に事が起きた時、自分は何もできなかった。

 ただ獣のように暴れるだけ。

 士官学院で学んだことを何一つ生かすことはできず、そしてこの一ヶ月の間、何も変えられなかった現状にただ嘆くことしかできなかった。

 

「俺が士官学院で学んだことなど、何の意味も――」

 

「ガイウスあんちゃんっ!」

 

 自虐する言葉は部屋に飛び込んで来た妹、シータの叫びに遮られた。

 シータは荒くした息を整えることも惜しんで訴える。

 

「あんちゃん! 母さんとトーマを止めてっ!」

 

「母さんとトーマを止める?」

 

「早く来てっ!」

 

 何のことだと首を傾げるガイウスに、待っている暇はないとシータはガイウスの手を取り、無理矢理立たたせて駆け出した。

 

「ふむ……」

 

 取り残されたバルクホルンはどうしたものかとため息を吐き、その後を追い駆けた。

 ゼンダー門の外に出ると朝日が昇り、今から出撃しようとしているゼクスに掛け合う二人の姿があった。

 

「っ――何だあれは?」

 

 ファトマとトーマに纏わりつく黒い風にガイウスは思わず目をこする。

 

「お母さん、トーマ! お願いだから戦場に行くなんてやめて!」

 

 シータはそれが見えていないのか、悲鳴のような声を二人に掛ける。

 

「シータ、ガイウス……貴方達はお父さんとリリ、それからみんなのことを頼みます」

 

「母さん……いったい何を……」

 

 初めて聞く怖いと思う母の言葉にガイウスは背中を冷たくしながら聞き返す。

 

「帝国の貴族はみんな俺がこの父さんの槍で殺してやるんだ」

 

「トーマ……」

 

 先の襲撃でラカン程ではないが負傷していたトーマはぎらついた目で見覚えのある十字槍を握り締める。

 優しく物静かな性格の弟が見せる憎悪を滾らせた姿にガイウスは息を呑む。

 

「ま、待ってくれ二人とも。まさかクリスの作戦に参加するつもりなのか!?」

 

「ええ。あれだけの事をされて黙っているノルドの民ではありません」

 

 明らかに感情を暴走させているトーマを止めることはせず、ファトマは静かに怒り狂っていた。

 

「御二人ともお気持ちは分かります。帝国の事情でノルドの民である貴方達を巻き込んでしまった申し訳ないですが、ここは我らに任せて頂けないでしょうか」

 

 血の気を滾らせる二人をゼクスは何度も窘める。

 族長が意識不明の重体。

 遊牧民族の家財のほとんどが燃やされた彼女たちの怒りは分かる。

 とは言え、ここで説得を切り上げれば、独断で戦場に馬で直接乗り込んで来そうな気迫を漲らせている二人を放置することはできない。

 

「いいえ、これはもう帝国だけではなくノルドの問題でもあります」

 

「そうです! 例え刺し違えることになっても父さんの仇を取るんだ!」

 

 二人を取り巻く黒い風はさらに濃くなって彼らの感情を表すように荒れ狂う。

 

「これが――クリスが言っていた“呪い”なのか……」

 

 客観的に見ることができて初めてガイウスはこの現象の恐ろしさに身震いする。

 二人ともガイウスが知らない形相で、声音で憎悪を滾らせている。

 それはガイウスにとって知らない彼女たちの顔だが、決して誰かに捻じ曲げられたものではない。

 ガイウスが猟兵に対して感情を爆発させたように、二人は帝国へとその怒りの矛先を向けていた。

 

「落ち着いてくれ二人とも! これから始まる戦闘は俺達が割って入れる規模じゃないんだ!」

 

「そんな理由で引き下がれるわけないでしょ?」

 

「ガイウスあんちゃんだって、あいつらを許せないって思っているはずだ!」

 

「それは……」

 

 トーマの言葉にガイウスは言葉を詰まらせる。

 その瞬間、二人を覆っていた黒い風がガイウスに流れて、纏わりつく。

 

「っ――」

 

 思わず後退りそれを振り払うが、そんな抵抗は意味はなく黒い風に触れたガイウスは思考が澱むのを自覚する。

 

 ――俺はなんて無力なんだ……

 

 改めてガイウスは己の無力を思い知る。

 戦車や機甲兵の近代兵器を始め、戦闘のプロである猟兵。

 そして人を闘争に駆り立てる《呪い》についても、二度も経験していたというのにまた再び《呪い》の衝動に呑み込まれようとしている。

 ただ見る事しかできない自分の無力さを呪い――

 

「――女神の光よ。邪悪なるものを退けたまえ」

 

 厳かな言葉は背後から。

 神秘的な光がガイウス達を覆い尽くそうとしていた黒い風を払い除ける。

 

「っ――」

 

「あ……」

 

 張り詰めたものが切れた反動なのか、ファトマとトーマはその場に崩れ落ちる。

 

「ふむ……報告は聞いていたが今のが帝国を蝕む《呪い》というものか」

 

「バルクホルン神父……今のは……?」

 

 かざした星杯の紋章を下ろし唸るバルクホルンにガイウスは呆然と振り返る。

 

「なに、少し精神を落ち着ける法術をな。二人とも昨日の今日で気が荒ぶっていたのだろう……

 ゼクス中将。彼らのことは私に任せ、どうぞ出立してください」

 

「うむ、かたじけない」

 

 ゼクスは大人しくなってくれたウォーゼル家に安堵のため息を吐き、ガイウスを一瞥して戦車に向かって歩き出す。

 

「あ……」

 

 その背中にガイウスは声を掛けようと手を伸ばし、言葉は続かず半端に手を伸ばして固まる。

 

「やめておくと良い。ノルドの地が戦場になっているとは言え、これは帝国の内戦……

 お主はそこに飛び込む覚悟があるのか?」

 

 それでも無理矢理前へと踏み出そうとしたガイウスの背にバルクホルンが言葉を投げかける。

 

「友情、それも良いだろう。ドライケルスに協力したノルドの民はそれを理由に獅子戦役を戦ったのだから……

 しかしだな、ガイウス。戦う理由に他人を使うべきではない」

 

「それはどういう意味ですか?」

 

「もしもこの先、帝国の内戦でお主が命を落とした時、それを友のせいにするつもりか?」

 

「っ――そんなつもりは……」

 

「お主にそのつもりがなかったとしても、残された家族がどう思う?

 自分の身を守るために退くことは決して恥ではない」

 

「…………」

 

 諭す言葉にガイウスは俯く。

 これから起こる戦いはそれこそ戦車や機甲兵、騎神が主体となる戦場。

 そこで生身のガイウスにできることはなく、《呪い》に対してもガイウスは見ることはできても対処する術を持たない。

 

「俺は無力なのか……」

 

 仮に今からクリスを追い駆けたとしても、騎神を持つ彼の戦いに自分はどれだけ貢献できるのだろうか。

 彼が戦っている背後でしたり顔をして頷いていることしかできないと言うのなら、いない方がマシなのではないかとさえ考えてしまう。

 それでも自分は無力だと割り切り、ガイウスは出発して行く戦車や装甲車から目を離すことはできなかった。

 

「――ガイウスさん、ガイウスさん」

 

 そんな風に苦悩するガイウスの背後から少女の声が掛けられる。

 

「ティータか……君も無事だったの――え……?」

 

 振り返ったガイウスは予想が外れた姿に目を丸くして固まる。

 そこにいたのは金髪の幼い女の子ではなく、士官学院の戦闘教練で何度も世話になった戦術殻だった。

 

「あ……そう言えばティータの声を登録していたな」

 

 原理こそガイウスは全て把握しているわけではないが、戦術殻がティータの声を使って喋り出すようになっていたことを思い出す。

 

「ようやく見つけました」

 

 嬉しそうに左右に揺れる戦術殻にガイウスは思わず微笑を浮かべる。

 

「どうやら俺を探していたみたいだが、トリスタからここまで……いったい何の用だ?」

 

「はい! 博士たちにこれをⅦ組の誰かに渡すように頼まれました!」

 

 そう言って戦術殻は人で言う胴体の部分の装甲を開き、中に納められた翠の《匣》をガイウスに差し出した。

 

 

 

 

 

「くそっ……」

 

 石柱群の丘の下、膝を着いた《緋》の中でクリスは思わず悪態を吐く。

 

「くくく、手こずらせおって」

 

 その前に立つシュピーゲルは勝ち誇るように剣を突き付ける。

 

「この程度の相手に……」

 

 先に倒した二体の機甲兵を含め、それは決して強い相手ではなかった。

 言い訳にするつもりはないが、思うように戦えない原因は《テスタ=ロッサ》の鈍さにある。

 監視塔を狙撃した高原の北東部から南西に位置する石柱群まで走って移動したことによる霊力の消耗に機体の損傷も含め、クリスが考えていた以上にまだ《テスタ=ロッサ》は戦闘ができる状態ではなかった。

 

「……ヴァリマールだったらこんな相手に手こずらなかっただろうに」

 

 ここにはいない“彼”を思い出しクリスはぼやく。

 ヴァリマールならば監視塔から出撃してきた機甲兵に追い付く前に空を飛んで石柱群に辿り着いていただろう。

 それでなくてもヴァリマールならば、走るだけでこれほどまでに霊力を消耗しなかっただろう。

 

『あーあ……どうする坊ちゃん? 助けが必要?』

 

 見兼ねたように、失望を乗せたシャーリィの声が《ARCUS》越しに聞こえて来る。

 

「っ――」

 

 石柱群の立地から、跳躍で丘の上へと行ける騎神に対して導力バイクは大きく迂回しなければならない。

 そのため先の騎神戦にはシャーリィの援護はなかったのだが、負けた言い訳になるわけではない。

 

「まだだ! テスタ=ロッサ! 魔王と呼ばれた意地を見せろっ!」

 

 クリスの叫びに《緋》は低い鳴動を響かせる。

 

「っ――こいつまだ動くか!?」

 

「うあああああああああっ!」

 

 機体に残った霊力を絞り出すように《緋》は膝を着いた体勢から体当たりをするように機甲兵に突撃する。

 

「な、何だと!? そんな野蛮な戦法、貴様それでも帝国男児か!?」

 

「数の利を使っていたお前達が言うな!」

 

 腰に体当たりをしてマウントを取った《緋》は倒れた機甲兵の頭に拳を振り下ろして粉砕する。

 

「はあ……はあ……はあ……」

 

 顎を伝う汗を拭うのも忘れクリスは喘ぐ。

 

「ちょっと大丈夫?」

 

「…………僕なら大丈夫だ」

 

 セリーヌに応え、クリスは踵を返して《緋》を跳躍させる。

 その一跳びで丘の上まで辿り着いた《緋》はちょうどそのタイミングでやってきた導力バイクと石柱群の中央で待っていたアルフィン達を確認する。

 

「お待たせしました。今から《精霊回廊》を開きます」

 

 《緋》を石柱群の中央に歩かせ、クリスは安堵の息を吐く。

 監視塔の狙撃から、石柱群にある《精霊回廊》を利用した転移術で貴族連合に目立つようにノルドから脱出する。

 それがクリス達の計画であり、監視塔からの大部隊は第三機甲師団が食い止めているためほぼ計画通りに進んでいる。

 

「セリーヌ」

 

「ええ、少し待ちなさい」

 

 セリーヌが応えると同時に《緋》の足元に複雑な文様の魔法陣が広がる。

 

「シャーリィ、それにトヴァルさん! 魔法陣の中に入ってください!」

 

 《緋》の中からクリスは二人に指示を出す。

 

「はいはーい」

 

「了解っと」

 

 シャーリィは導力バイクで、トヴァルは軍用の導力車を言われた通りに魔法陣の中へと進める。

 

「結局ガイウスは来なかったね」

 

「仕方ないよ。ガイウスはノルドを、家族を守らないといけないんだから」

 

 シャーリィが漏らした呟きにクリスはゼンダー門の方に視線を送り応える。

 

「って言うかシャーリィがそう言う感傷に浸るのはちょっと意外だな」

 

「言ってくれるじゃない坊ちゃんのくせに……ま、らしくないのは認めるけどさ」

 

 素直に認めたシャーリィにクリスは苦笑する。

 初めて会った時と比べると彼女も随分と丸くなったものだと感心して――彼らの頭上を巨大な影が通り過ぎた。

 

「何だ!?」

 

 帝国の本土側から飛んで来たのは大型の飛行艇。

 パンタグリュエルには及ばないものの、巨大なその飛行艇は《緋》の頭上を大きく旋回すると、その下部のハッチを開く。

 

「増援……まずい」

 

 ワイヤーに吊るされて降りて来る機甲兵が五機。

 既に稼働限界を迎え、ただでさえ少なくなった霊力で《精霊回廊》を開こうとしている《緋》にそれらを迎撃する余力はない。

 

「ちっ――」

 

 シャーリィは躊躇うことなく導力バイクを発進させ、魔法陣から飛び出すとSウェポンの《テスタ=ロッサ》を抜いて爆走する。

 

「シャーリィ!?」

 

「シャーリィのことは良いから準備ができたら行ってっ!」

 

「無茶だ!」

 

 《首狩りシャーリィ》と呼ばれるだけの戦果を上げて来たのは相応の装備があったから。

 ここまでの道中で魔獣や貴族連合の哨戒機を追い払うために多くの武器を使ってきた。

 例え残っているのが規格外の武器であるSウェポンでも、それだけで機甲兵の相手取るにはシャーリィでも厳しいだろう。

 

「ふふん、この程度の修羅場なんて全然――」

 

 意気込むシャーリィの言葉を遮るように、降下していた機甲兵の内の一機が爆発した。

 

「え……?」

 

 爆発の衝撃でワイヤーが外れ、機甲兵は空中に投げ出されてノルドの大地に叩きつけられる。

 

「今のは――」

 

 第三機甲師団の砲撃かと考えたところでクリスは蒼い空を舞う《翠》を見た。

 

「あれはティルフィング……?」

 

 背中に機械の翼を背負った《翠》は大きく旋回して手にしたライフルの銃口を残った機甲兵に向ける。

 装填されている弾倉を撃ち切る連射で残りの四機も最初に撃墜された機甲兵と同様の末路を迎える。

 そして《翠》はライフルを持ち替えると、その姿が槍へと変形する。

 そのまま《翠》は飛行艇へと突撃し、すれ違いざまに船体を斬りつけた。

 

「…………まさか……」

 

 機関部を損傷して墜落していく飛行艇を横目にゆっくりと眼前に降りて来る《翠のティルフィング》からクリスは目が離せなかった。

 ティルフィングが着地をすると、身体が開き中からクリスが思っていた通りの人物が現れる。

 

「ガイウス……」

 

 ガイウスがティルフィングから降りると、それは光に包まれて次の瞬間には見慣れた戦術殻に変化する。

 戦術殻は翠の匣を呑み込むように胸の装甲の内側に納める。

 

「ガイウス、どうして……?」

 

 ようやくそこでクリスは重くなった口を開いて問いかける。

 

「すまないクリス……俺は――」

 

『セドリック皇子っ!』

 

 気まずそうに言い訳を口にしようとしたガイウスの言葉を遮って、逼迫したゼクスの声が通信越しに響く。

 

「ゼクス中将? どうしたんですか、随分と慌てているようですが?」

 

『セドリック皇子! すぐにその場から離れてください! 列車砲が発射されます!』

 

「列車砲……? どういうことですか?」

 

 列車砲と言えばガレリア要塞に設置された超大型の導力砲。

 それがどうしてノルドにあるのか理解できずクリスは叫ぶように聞き返す。

 

『貴族連合はどうやらゼンダー門を攻略するために監視塔で組み立てていたようです。とにかく皇子はそこからお逃げください!』

 

「逃げろって言っても80リジュ砲弾の爆風……今から逃げ切るのはちょっと無理かもね」

 

 ゼクスの言葉にシャーリィが冷静に他人事のように判断を下す。

 

「っ――セリーヌ! 《回廊》はまだなのか!?」

 

「あともう少しよ!」

 

 テスタ=ロッサを中心に魔法陣は一際明るく輝く。

 同時に東の空に黒い何かが雲を突き破るように撃ち上げられたのをクリス達は見た。

 

「っ――ティルフィング!」

 

 ガイウスが叫び、戦術殻が納めた《匣》を再び差し出したその瞬間――流星がノルドの空を一直線に閃く。

 翠のティルフィングが展開し、ガイウスが乗り込むよりも早く、“ソレ”は黒い凶弾に追い縋り一刀両断、二つに両断された砲弾が一拍遅れて爆発し、炎と煙がその姿を覆い隠す。

 

「行けるわ! テスタ=ロッサッ!」

 

『了解――精霊の道を起動する』

 

 皆が空の爆炎に目を奪われている中、セリーヌと《緋》は転移術を起動する。

 

「――――待って――」

 

 クリスは咄嗟に中断を叫ぶが起動した式は止まらず、転移術の光は彼らを呑み込み、ノルドの地から消し去った。

 その光景を爆炎の中から現れた《灰》が静かに見送るのだった。

 

 

 

 



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7話 これから……

 

 

 

 

「悪いな皇子様。スポンサーがその《器》を望みでな。お前だけは逃がすわけにはいかないんだよ」

 

 持ち前の飛翔能力で追い縋って無防備な背中を斬りつけ墜落させた《緋》を見下ろして《蒼》は勝ち誇る。

 彼の仲間達が決死の覚悟で《緋》を逃がす防波堤となろうとしたが所詮は地を這い回るしかできない生身の人間。

 帝都で鉄道憲兵隊を置き去りにしたように空を飛べばそこは《蒼》の独壇場。

 Ⅶ組の覚悟を嘲笑い、唯一抵抗できる可能性があった《青》の機神は仲間たちが抑えてくれている。

 

「…………はっ、やっぱり大したことねえじゃねえか」

 

 沈黙する《緋》の手応えのなさにクロウは失笑する。

 《魔王》などと呼ばれていても、所詮は温室育ちの皇子を起動者にした騎神。

 起動者の差や《蒼》の新たな力を考慮しても、帝都で《緋》を討ち取ることは容易だっただろうとクロウは考える。

 

「ま、とにかくそれはお前には過ぎた代物だ。回収させてもらうぜ」

 

 カイエン公の望みを果たすべく、《蒼》は《緋》に手を伸ばす。

 

「あら、それは契約違反じゃないかしら?」

 

 その手を蒼い魔法陣が壁となって阻んだ。

 いつからそこにいたのか、蒼いドレスを纏った美女が《緋》の向こうに立っていた。

 

「ヴィータ……裏切り者が今更何の用だ?」

 

 苛立ちを露わにしてクロウはその姿を騎神越しに睨みつける。

 

「裏切り者とは随分な言い方ね?

 私はあくまでも貴方達の協力者に過ぎない。私の目的のために手を貸して上げていただけで私と貴方達の関係はあくまで契約を前提にした関係だったはずじゃなかったかしら?」

 

「はっ……《幻焔計画》とやらから外されたくせに偉そうにしてんじゃねえよ」

 

 クロウの見下した声音にヴィータは沈黙を返す。

 

「別に契約を破るつもりはねえぜ。煌魔城とやらの中で騎神と戦う、それまでは好きにさせてもらうだけの話だ」

 

「好き勝手されたらその煌魔城を現出させる条件が満たせなくなるかもしれないのだけど?」

 

「そんなもん俺の知ったことじゃねえ」

 

 取り付く島もないクロウにヴィータは肩を竦める。

 

「とにかくそいつをカイエン公が御所望でな。邪魔するって言うならお前でも容赦しないぜ」

 

 今なら導き手のよしみとして見逃してやるとクロウは通告する。

 

「随分と生意気になったものね。三年前はもっと可愛げがあったのに」

 

 悪い方向に成長してしまった起動者をヴィータは嘆く。

 

「うるせぇ……とにかく邪魔をするな。だいたいお前如きに何ができるって言うんだ?」

 

 上からの見下す言葉にヴィータは深々とため息を吐き――

 

「クロウ、少し頭を冷やしなさい」

 

 蒼の杖を地面を叩く。

 それを合図に無数の蒼の魔法陣が《蒼》を取り囲んだ。

 

「なっ!?」

 

「魔女が何故、騎神の導き手と呼ばれていたのか分かるかしら?」

 

 膨大な霊力の奔流に目を剥くクロウにヴィータは語り掛ける。

 

「それはね……悪しき者が起動者に選定された時、それを止める力があるということなのよ」

 

 取り囲んだ魔法陣は《蒼》の動きをその場に抑え込む束縛と共に、その頭上にさらに巨大な魔法陣に囲まれた蒼い月を生み出す。

 

「これが私の全力……」

 

 病み上がりの身体は無理な魔法の行使によって悲鳴を上げる。

 しかし全身に走る痛みをおくびにも出さずヴィータは杖を振り下ろす。

 

「終極魔法・蒼月」

 

 蒼の光の鉄槌が降り注ぎ破壊をもたらす。

 

「深淵よ」

 

 それだけに留まらず、ヴィータは別の魔法を並列で起動する。

 トリスタの下に通る《精霊の道》をこじ開け、《緋》と《蒼》を大地に沈ませる。

 

「ヴィータッ! テメエッ!」

 

 クロウの悲鳴を無視してヴィータはトリスタから二体の騎神を放逐した。

 

「っ――流石にきついわね」

 

 息を絶え絶えに杖を支えにヴィータは蹲る。

 

「姉さんっ!」

 

「魔女めっ! よくもクロウを!」

 

 エマとスカーレットの叫びが響き、《紅のケストレル》が振り返り様に法剣を振るう。

 

「そこまでだ!」

 

 巨大な刃の鞭が割って入った剣匠の一撃に寸断され、大砲を構えていた黒のゴライアスが真紅の竜機に頭上から奇襲を受ける。

 

「双方、剣を納めたまえ。これ以上の戦闘はオリヴァルト・ライゼ・アルノールの名において許さない」

 

 そしてトリスタの空にオリヴァルトの声が響くのだった。

 

 

 

 

「そっか……兄上が来てくれたのか……」

 

 鬱蒼と生い茂る森の中、焚火を囲んで語られた自分が気を失ってからの一部始終にクリスは頷く。

 

「テスタ=ロッサをノルドに転移させたのはヴィータさんだったのか……」

 

「ああ、だが皇子達の仲裁も空しく、彼らはカレイジャスに攻撃の矛先を変え、俺達はアルゼイド子爵に促されてその場を離脱したんだ」

 

「皇族の仲裁で戦闘をやめなかったの?」

 

 ガイウスの言葉にクリスは驚くが、すぐにそんな言葉が通じる相手ではなかったことを思い出す。

 

「ま、テロリストだしそんなものか」

 

「それはそうとクリス……すまなかった」

 

 佇まいを直し神妙な顔をしてガイウスはクリスに向かって頭を下げた。

 

「ガ、ガイウス?」

 

「俺達はあの時、お前を逃がすために騎神と戦う覚悟で立ち向かった。だが結果は最悪を招いてしまった」

 

 空を飛べるオルディーネを止める術はなく、逃げるという選択をさせてしまった《緋》は《蒼》の追撃を無防備に食らう事態に陥った。

 自分達の分を弁えずに騎神の戦いに首を突っ込んだ結果、《緋》は激しく損傷してクリスはそこで意識を失ってしまった。

 その責任の一端が自分達にあるとガイウスは謝る。

 

「別にガイウスが謝ることじゃないよ……

 騎神の戦いに生身の人間が介入できないのは僕も良く知っているから」

 

 帝都での暗黒竜、ノーザンブリアでの虚神の戦いでクリスはそれを経験している。

 

「僕だってあの時、もっとできていたことがあったはずなんだ……

 クロウ先輩に負けたのは誰かのせいってわけじゃない。僕たちみんな、甘かったせいだと思う」

 

 機甲兵と合体した騎神の一撃をあえて受けたことに後悔はない。

 聖女の一撃並の出力があった一撃。

 背後にいた仲間達やトリスタの街のことを考えれば回避する選択肢はなかった。

 

「防ぐにしてももっとうまく防御結界を張ればダメージを逃がすことだってできたはずだ……

 それに心の奥で思っていたのかも、クロウ先輩が本気で騎神の力を生身の人間や街に振るう事はないって」

 

「そうだな……だが思い返してみればクロウ先輩はガレリア要塞の襲撃を主導し、列車砲でクロスベルを砲撃しようとしていた。それに……」

 

 クリスの呟きにガイウスはガレリア要塞の惨劇を思い出して唸る。

 ガイウスにとってはガレリア要塞だけの話ではない。

 特別実習で帰郷した時、帝国と共和国の仲を煽ってノルドに戦乱を起こそうとしたテロリストのリーダーでもある。

 その後も何食わぬ顔で先輩風を吹かせて、その顔の下で嘲笑っていたと言うのなら怒りが込み上げて――

 

「ガイウス?」

 

「っ――何でもない」

 

 油断をすればすぐに思考が黒い方向へと傾きそうになることにガイウスは慄く。

 

「クロウ先輩にはザクソン鉄鉱山で会ったけど、正直期待外れだったなぁ」

 

 ため息を吐くシャーリィにクリスは顔をしかめる。

 

「あんな奴に負けるなんて、シャーリィが鍛え直して上げないといけないかな?」

 

「それは歓迎だけど、腰を落ち着けられる場所を見つけるまでは我慢してくれるかな」

 

 煉獄のような特訓の日々を思い出してクリスは蒼褪めながらも、それくらいしないとクロウに追い付けないと判断する。

 

「ま、流石にここでやらないけどね。お姫様たちもいることだし」

 

 シャーリィは周囲の森と食事が進んでいないアルフィンとエリゼの二人に視線を送り獰猛な笑みを治める。

 

「アルフィン、それにエリゼさん。もしかして口に合わなかったかな?」

 

 ゼクスが用意してくれた導力車に用意してくれてあったレトルトのカレーとライスという皇族や貴族では考えられない粗食。

 クリス達は特に抵抗はなかったのだが、身分と何よりシャーリィとは違う女の子に配慮が足りなかったのかとクリスは戸惑う。

 

「……本当に貴方はセドリックなのよね?」

 

「またその話? クリスとして何度も会っているはずだけど」

 

「だって……」

 

 クリスの呆れが混じった言葉にアルフィンは不安な感情を隠し切れず彼が用意してくれた食事に視線を落とす。

 パック詰めにされ温めるだけの食事だが、薪を集め火を熾し澱みなく作業していたクリスの姿はアルフィンが知る弟とはかけ離れていた。

 

「クリスがセドリック皇子だって証拠は“アレ”で間違いないでしょ」

 

 シャーリィは膝を着いて鎮座している《緋》を指差す。

 

「《緋のテスタ=ロッサ》は皇族であるアルノール家の血筋の者を起動者に選ぶという話です……

 それにこうして顔を合わせてみれば、彼がこの半年学院で共に学び過ごしたクリスであることは間違いありません」

 

 そしてガイウスも丁寧な口調でアルフィンの不安に応える。

 

「それは分かっています……でも……」

 

「姫様……」

 

 不安を払拭できないアルフィンにエリゼが寄り添う。

 

「って言うか、これからどうするつもり?」

 

 重くなった空気を嫌ってシャーリィが話題を変える。

 

「クリスはクロスベルに行きたいって言ってたけど、予定変更するんだよね」

 

「うん、クロスベルに行く理由がなくなったから……」

 

 自分達を護るために列車砲の砲弾を斬り裂いた《灰》の姿をクリスは思い浮かべる。

 クロスベルに行く理由は“彼”に起きた何かを確かめるため。

 だが、健在な《灰》の姿を確認できた以上、クロスベルで起きた真実より、《灰》と合流することの方が優先度が高くなった。

 

 ――あの人と合流できれば、この内戦は勝ったも同然だから……

 

「とりあえず今やるべきことは僕達の――アルフィンとエリゼさんの身の安全の確保かな」

 

「まあそれは良いけど、案はあるの?」

 

「候補としては兄上がいるセントアークに行く。それかノーザンブリアに行くか、リベールに亡命するかの三択かな? アルフィンはどれがいい?」

 

「どれが……って……」

 

 選択を迫るクリスにアルフィンは戸惑う。

 

「セドリック、貴方はどうするつもりなの?」

 

「そうだね……アルフィンを送り届けたらⅦ組のみんなと合流しようと思う」

 

「それ、何か意味があるの?」

 

 クリスの提案にシャーリィが疑問を投げかける。

 

「シャーリィ?」

 

「だってさ、Ⅶ組って言ってもそれぞれに家庭の事情があるんでしょ?

 順当に考えたらアルバレア公爵家のユーシスは貴族連合、マキアスは正規軍に協力しているって考えるのが自然じゃないの?」

 

「それは……」

 

 クリスがあえて考えないようにしていた事実を突き付ける。

 

「それに解放戦線、というより西風の団長にパパを殺されたエリオットは正規軍側に着くだろうし、ミリアムもそうだろうね……

 フィーは家族とは戦えないとか言い出したら貴族連合に着いてるかもしれないよ」

 

「そうだな……

 ラウラのアルゼイド子爵家は皇族派、エマとアリサはどちらに着くかは分からないが、もしかしたら俺達はみんなと戦う事になるのかもしれないのか」

 

 シャーリィの指摘にガイウスは仲間と戦う未来を想像して唸る。

 

「学院の襲撃からもう一ヶ月経っているんだよ。みんな、それぞれ身の振り方を考えていてもおかしくないんじゃないかな?」

 

 その気はなかったが、シャーリィはクリスとの認識のずれを指摘する。

 目を覚ましたばかりで、トリスタでの戦いからまだ数日しか経っていないクリスに対してシャーリィを始めとしたⅦ組はすでに一ヶ月の時間を過ごしていた。

 

「だいたい誰に頼ろうとしてるのさ?」

 

「…………それは……」

 

 無意識に《灰》に乗っているはずの彼に頼ろうとしていたことを指摘されたように感じてクリスは黙り込む。

 

「クリスはⅦ組の中心で皇子様なんだから自分で決めちゃえばいいのに」

 

「僕が……決める……でも僕は所詮お飾りの皇子だから……」

 

 この内戦で自分が声を上げたとしても貴族連合も革新派も耳を傾けてくれるとは思えない。

 一番簡単なのはオリヴァルトに任せること。

 しかし、脳裏に思い出すのは兄が語ったⅦ組が意味する“新たな風”。

 

「僕は……」

 

「――戻ってきたみたいだね」

 

 迷うクリスからシャーリィは視線を外して振り返る。

 

「トヴァルさん」

 

「おう、今戻ったぜ」

 

 森を抜け、一人で近くの街、ケルディックの偵察から戻って来た遊撃士が歩いて来る姿に、クリスは話が途切れたことに安堵の息を吐く。

 

「お帰りなさい。トヴァルさん、どうでしたか街の様子は?」

 

 労う様にガイウスは飲み物を渡す。

 それを受け取りながらトヴァルは困ったように肩を竦める。

 

「何かあったんですか?」

 

「ああ、ちょっとまずいことにな」

 

 焚火を囲む空いている椅子に座りトヴァルは見て来たものを告げる。

 

「ケルディックは第四機甲師団に占拠されていた……

 それだけなら良いんだが、奴等は貴族連合にオズボーン宰相の暗殺の罪を認め、今すぐ皇帝を解放するように要求を出した……

 それが為されなかった場合、アンゼリカ・ログナー、パトリック・ハイアームズを始めとした士官学院から逃げてきた貴族生徒達を処刑すると宣言しちまったんだ」

 

 

 

 



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8話 貴族と平民

 

 

 

 クロイツェン州、交易町ケルディック。

 クロイツェン州にとって大陸横断鉄道と接するその町は盛んな交易で賑わう町である。

 特に注目するのは町の中央にある大市。

 クロイツェン州に留まらず各地の商人が集まり開催される市場は毎週大きな賑わいを見せていた。

 しかし、その大市は周囲の仮設店舗は片付けられ、中央には広々とした台が設置されていた。

 

「いやー、あれが昔話に出て来る断頭台というやつか、実物は初めて見るが中々に壮観だね」

 

「ア、アンゼリカ先輩。何を呑気にしているんですか」

 

 前に手を拘束されながら、台の下からそれを見上げてアンゼリカは場違いな軽さで笑う。

 そんな彼女の様子に蒼褪めた顔でパトリックが反論するものの、その声は小さく、周囲の騒音にかき消されてしまう。

 

「聞けば領邦軍の倉庫の奥で埃を被っていた一品だそうだ。もしかしたら獅子戦役の頃、オルトロス偽帝を処刑したものかもしれないね」

 

「だから……何でそんなに呑気にしていられるんだ……

 くそっ……こんなことなら学院から逃げ出さなければ良かった……」

 

 オズボーン宰相の狙撃から始まった貴族連合の各地の重要拠点の襲撃。

 トールズ士官学院もその例にもれず、迎撃に出撃した教官やⅦ組達を退けた貴族連合が行ったのは旧校舎の破壊だった。

 旧校舎を破壊する砲撃を本校舎に向けたものと勘違いした生徒達や避難していたトリスタの市民たちは慌てて学院から脱出することになり、パトリックもその内の一人だった。

 何の準備もなく外に投げ出され、パトリックは自身の故郷であるセントアークを目指そうとした道中で正規軍に保護された。

 彼と同じように正規軍に保護された者は多く、最初は貴族の子女だからと言っても酷い対応はされなかった。

 正規軍の様子が変わったのは、数日前の導力ラジオで放送されたセドリック皇子による宣言の直後だった。

 

「正規軍があの放送を聞いたのなら、この反応も理解できるよ」

 

「ですが、オズボーン宰相を暗殺した真犯人が貴族連合だなんて革新派のでっち上げに決まってる」

 

「いいや、残念だがそれは真実だ」

 

 頑なに認めようとしないパトリックにアンゼリカは目を伏せて首を横に振る。

 

「そんな……」

 

「オズボーン宰相にガレリア要塞襲撃におけるテロリストの手引き、それだけではない帝都で暗黒竜を蘇らせたことさえ、貴族連合によるものだったのだよ……

 その全ての罪をあろうことか、セドリック皇子の偽物を使い、オリヴァルト殿下やクリス君に擦り付けようとしている厚顔無恥さ……

 その筆頭に私の父がいると思うと恥ずかしさに首を吊りたくなるね」

 

「アンゼリカ先輩……」

 

 ブラックジョークを口にするアンゼリカにパトリックは頭痛を感じる。

 ジョークの内容はともかくそれは決して他人事ではない、四大名門としてセドリック皇子を支持しているハイアームズ家もまた正規軍の怒りの矛先が向いているのだから。

 

「…………どうして……先輩はそんなに落ち着いているんですか?」

 

 壇上の下、舞台の裏であるそこからは表側の集まっている市民の顔は見ることはできない。

 しかし、それでもこの公開処刑を一目見ようと大市を埋め尽くす人で埋め尽くされ、至る場所から貴族への恨み言が聞こえて来る。

 

「さあ……どうしてだろうね……」

 

 重税に次ぐ重税。

 その使い道が機甲兵であり、オズボーン宰相の暗殺、さらには帝国解放戦線の活動資金として流れていたという真実にクロイツェン州の民の怒りは爆発している。

 彼らにとっては他領の貴族だと言う事はもう大きな問題ではない。

 積み重なった不満の爆発。

 クロイツェン州には元々その兆候があり、鬱憤を晴らすのにちょうどいい貴族がそこにいた。

 さらに言えば本来ケルディックを護る領邦軍が第四機甲師団の猛攻に早々に撤退をしたこともその一因だと言えるだろう。

 

「お喋りはそこまでだ。上がれ」

 

「ようやく出番かい」

 

 軍人の演説が終わってアンゼリカ達は壇上に登れと導力ライフルを突き付けられて促される。

 

「ひっ――」

 

「やめたまえ、君も帝国男児ならそんな脅しを――」

 

「黙れっ!」

 

 銃口に体を竦ませるブリジットの前にアンゼリカは臆することなく割り込み、次の瞬間には銃床で殴られていた。

 

「ぐっ――」

 

「アンゼリカ先輩っ!」

 

「――私は……大丈夫だよ。子猫ちゃんたち」

 

 庇われたブリジットとまじかで振るわれた暴力に悲鳴を上げそうになる貴族の子女たちにアンゼリカは倒れそうになる体を堪え、笑顔で彼女たちに振り返る。

 

「さあ、壇上に行こうか。ここで愚図ってしまったら怖い兵士さんたちに処刑の前に撃たれかねないからね」

 

 身体を竦ませている貴族の子女たちにアンゼリカは少しでも時間を稼ごうと言わんばかりに促す。

 

「アンゼリカ先輩……」

 

「さあ、君も――」

 

 最後となったパトリックを急かし、アンゼリカも壇上に上がる階段に足を乗せ――

 

「ハイアームズ。ログナー。そのまま聞け」

 

 階段の脇に控えていた兵士が視線を固定したまま、二人に一方的に話しかける。

 

「広場にレンハイムとオルランドがいる。混乱が起きた時、生徒達はお前達が冷静にさせろ」

 

「きょ、教官――」

 

「さあ、早く早く」

 

 聞き覚えのある声に振り返り問い質そうとしたパトリックの背を押してアンゼリカは壇上へと上がる。

 

「ほう……これは予想以上に壮観な眺めだ」

 

 大市だった場所を埋め尽くす人、人、人。

 

「貴族を許すなっ!」

 

「俺達は戦争をするために税金を払っていたんじゃない!」

 

「お前達のせいで何人の人が死んだと思ってやがるっ!」

 

 途切れることのない罵詈雑言に流石のアンゼリカも足が竦む。

 ログナー家もハイアームズ家も別の地区の領主のため、彼らの言葉は的外れに過ぎないのだが決して他人事では済まない問題でもある。

 

「今日、この日! 我々は帝国の悪しき文化と決別する! これは私たち平民の貴族共への宣戦布告である!」

 

 壇上の代表者の言葉に広場の市民たちは歓声を上げる。

 

「さて、誰から裁かれる? 特別に順番くらいは選ばせてやるぞ」

 

 アンゼリカ達の背後から死刑執行人が言葉を掛ける。

 

「無論、私が最初だろう」

 

 男の言葉に一斉に震え上がる同級生や後輩たちを横目にアンゼリカは気丈に名乗りを上げる。

 先程の言葉があっても、断頭台の最初になる立候補をするのには大きな恐怖がある。

 だが四大名門の子女として下の者達への示しと貴族への不満を爆発させた平民の怨嗟と向き合う責任からアンゼリカは畏れながらも歩み出る。

 

「しかしクリス君とシャーリィ君の二人か……個人的には白馬の王子様はトワを希望するのだが、ままならないものだね」

 

 アンゼリカは弁明することさえ許されず、断頭台の前に座らされて――

 

「シャーリィ」

 

「りょーかい!」

 

 アンゼリカが断頭台に括りつけられようとするその瞬間、民衆は固唾を呑み込むように静まり返り、その中で二人の少年と少女が動き出し――

 

「待ちやがれっ!」

 

 その静寂を破る声が響き渡った。

 正規軍の、民衆の、そして今まさに動き出そうとした者達も、全員が一斉に振り返り、大市の入り口に立った少年を見る。

 

「誰だ貴様は!?」

 

 壇上の軍人は刑の執行を邪魔され不快そうに顔をしかめて尋ねる。

 

「その処刑をすぐにやめろって言ってんだ! こ、こんなの間違ってる!」

 

 数千の視線に気押され震えながらも緑の士官学院の制服を着た少年は叫んで抗議する。

 

「…………アラン……」

 

「わお……良い度胸してるじゃない」

 

 クリスはフェンシング部の仲間の登場に目を疑い、シャーリィは荒ぶった民衆たちを前に正面から挑むその姿に思わず笑みを作る。

 

「やめろだと!? 見たところ君は士官学院の平民生徒のようだが、ならばこいつら貴族の悪辣さは分かってるはずだ!」

 

「ふざけんな! そいつらと内戦を起こしている貴族は関係ないだろ!」

 

「無関係なはずないだろ! こいつらの親が起こしたんだ!」

 

「だったらこいつらも同罪だ!」

 

「平民のくせして領邦軍の手先が!」

 

「この裏切り者!?」

 

 一つの言葉を言い返すアランに対して民衆たちが一斉に反論し、更には石を投げる。

 

「っ――」

 

「させないよ!」

 

 けたたましいエンジン音が威嚇するように鳴り響き、アランに向けて投げられた石つぶてがシャーリィの一閃に弾き飛ばされる。

 

「お前――オルランド!?」

 

「何をしているんだシャーリィ!?」

 

 民衆の前に飛び出してアランを庇ったシャーリィに遅れてクリスもまた彼女の隣に立って魔剣を構える。

 

「クリス!? お前無事だったのか!?」

 

 シャーリィに続いて行方知らず、しかも帝国全土に指名手配をされた部活仲間の登場にアランは目を剥いて驚く。

 

「話は後にしてくれアラン。それよりシャーリィ」

 

 段取りを狂わせたシャーリィを咎めるように横目でクリスは睨む。

 

「ごめんごめん、でもこっちの方が面白そうって感じたからさ」

 

 “テスタ=ロッサ”を持ち替えてシャーリィは掴みかかって来ようとする暴徒に火炎放射をチラつかせて威嚇する。

 

「ほら、こいつらはシャーリィ達が引き付けて上げるから続きを言いなよ」

 

「オ、オルランド……」

 

 シャーリィに促され、アランはたじろぐ。

 そこに壇上から悲鳴のような声が響く。

 

「何をしているのアランッ!?」

 

「ブリジット……」

 

「何をしに来たの! 自分が何をしているのか分かっているの!?」

 

 身が竦む狂気に身を震わせながら、ブリジットは無謀な幼馴染を責めるように問いかける。

 

「何をって……そんなのお前を助けに来たに決まってるだろっ!」

 

「そんなこと望んでない!」

 

 幼馴染の真っ直ぐな言葉にブリジットは拒絶を示す。

 

「これは私の……貴族の問題なのよ! 貴方は関係ない! だから帰って!」

 

「そんなことできるわけないだろ!

 だいたい責任って何だ!? ブリジットの親父さんが内戦に関わっていたとして何でお前が処刑されなくちゃいけないんだ! そんなの間違ってるだろ!?」

 

「でも……」

 

「おい! 余計なことを――ぐえっ!?」

 

「余計は君の方だよ」

 

 ブリジットを黙らせようとする軍人をアンゼリカは身体ごと体当たりをして押し倒し、その上にのしかかる。

 

「…………もしかして勘違いしているの?」

 

 何かを決意するようにブリジットはアランを蔑むような眼差しを向けて叫ぶ。

 

「貴方は幼馴染だけど、平民の貴方が私と釣り合うとでも思っていたの!

 最後だから教えて上げる私はアラン……貴方のことが……貴方の事がずっと前から大嫌いだったのよ!」

 

 その叫びは静まり返った広場に木霊する。

 拒絶の言葉にアランは思わず押し黙り、唇を噛む。

 

「アラン……」

 

「うるせえ、余計なことを言うな」

 

 気遣って来るクリスの言葉に振り返らずにアランはそのまま一歩前へと歩き出す。

 

「お前が俺を嫌っているならそれでも良い……それでも俺はお前を助けるっ!」

 

「アランッ! だから私は――」

 

「らしくないこと言ってんじゃねえよ! お前のへたくそな嘘なんかに騙されるわけないだろ!」

 

 アランの一喝にブリジットは怯む。

 

「ど、どうしてそこまで……」

 

「どうしてって……それはお前が……俺のす――幼馴染だから」

 

「そこで日和るなよ」

 

「ぶーぶー、今更退くなよ」

 

 口ごもるアランにクリスとシャーリィの野次が飛ぶ。

 

「幼馴染って言うだけで、この公開処刑に乗り込むなんて、どう思うシャーリィ?」

 

「幼馴染程度の間柄でそこまでするってアランってばバカなの?」

 

「おい……お前ら……」

 

 好き勝手な野次を言う背後の二人にアランは体を震わせる。

 

「お、幼馴染だから何だって言うのよ! 身の程を弁えなさいこの平民っ!」

 

「ほら、ちゃんと言わないから」

 

 拒絶を返すブリジットの言葉にクリスは咎めるようにアランの背に白い目を向ける。

 

「っ――この野郎……覚えておけよ」

 

 アランはクリスを一睨みしてから振り返り、深呼吸をする。

 

「ブリジットッ!」

 

 その声は広場に大きく響く。

 続く言葉を何にするか、多くの言葉がアランの脳裏に浮かぶ。

 

「っ――アラン、お願いだからもうやめて……」

 

 その言葉はこの期に及んで命乞いを一つもしない気高い少女の顔を見て吹き飛んだ。

 

「ブリジット……俺はお前が好きだ」

 

「っ――」

 

「貴族とか平民とか関係ない……お前の事がずっと前から好きだった……」

 

 学院で再会した時からずっと溜め込んでいた言葉はアランが思っていた以上にあっさりと口に出ていた。

 

「な……な……」

 

「だから俺は誰がなんと言おうがお前を助ける。例えお前が俺のことを嫌いでも関係ないっ!」

 

 アランはそう言うと携えた剣を抜き、貴族の処刑を見るために集まった民衆の中へと踏み込む。

 

「かかって来やがれっ! 邪魔する奴は容赦しねえぞ!」

 

 大市を埋め尽くす民衆に向かってアランは啖呵を切り――

 

「って……は……?」

 

 覚悟していた群衆からの暴行はなく、むしろ広場の中央の処刑台まで開いた道にアランは目を疑う。

 

「信じられないわね……」

 

 大市を見渡せる木の上に陣取っていたセリーヌはその光景に目を疑う。

 憎悪と怨嗟の坩堝と化していた広場は一人の青臭い若者の気に当てられて清浄なものへとなりつつある。

 

「これが“愛”ですわね」

 

「なるほどこれが“愛”か」

 

 いつでもティルフィングを呼び出せるように待機していたガイウスはアルフィンの言葉に納得したと言わんばかりに頷く。

 素人目でも取り巻く空気の変化が理解できるだけに否応なく、その後の展開の期待に胸を躍らせる。

 貴族と平民。

 互いにもう滅ぼし合うしかないと思われていた状況の中で投じられた一石。

 貴族の死を望んでいた民衆は愚直な少年の結末を見届けるために、道を譲る。

 

「なっ……」

 

 魔が差した、箍が外れた。

 そんな言葉がアランの脳裏に過り、集中する数多の視線に先程とは別種のプレッシャーを感じてアランは剣を構えたまま立ち竦む。

 

「早く行けって」

 

 焦らすアランの背をクリスが押す。

 

「っ……」

 

 クリスに恨みがましい視線を送りながら、アランは恐る恐ると言った様子で民衆が作った道を歩き出す。

 

「くっ――それ以上近付いたら――」

 

「やめろ」

 

 壇上の前で警備についていた軍人が近付いて来るアランに銃口を向けるものの、ナイトハルトがそれを制止する。

 そうして誰にも邪魔されることなく、貴族を処刑するための壇上に上がったアランは四大名門の子女達に目もくれずブリジットの前に立つ。

 

「ブリジット……」

 

「…………アラン」

 

 見つめ合う二人を周りの者達は固唾を飲んで見守る。

 

「俺はお前の事が好きだ」

 

 やはり口に出た言葉はシンプルなものだった。

 それに対する答えは――

 

「……………………はい」

 

 ブリジットは顔を赤くし俯き、か細い声で頷いた。

 次の瞬間、大市を埋め尽くす歓声が響き渡った。

 内戦が始まって一ヶ月。

 荒む一方の空気の中で生まれた貴族と平民のラブロマンスに群衆は本来の目的を忘れて沸き立つ。

 貴族の処刑を遂行する空気は払拭され、祝福の言葉が飛び交う。

 

 そして――ケルディックの空を真紅の神機《アイオーンK》が舞い、破壊の雨を降らせるのだった。

 

 

 

 

 

 





原作で思いましたが、スカーレットはあの生い立ちでどうしてケルディックの焼き討ちを行ったヘルムートを容認したんでしょうね?
確認したら嘆いてはいたけど、それ以上のことはしてないんですよね。

オズボーンの狙撃で燃え尽きて死に場所を探していたことを差し引いても、スカーレットの家族に降り掛かった不幸以上のことをケルディックに強いた側にいたので同情心がなくなったんですよね。
せめてルーレでのボスだったなら……

それともこれがあったから復活したオズボーンに対して再起しなかったのだろうか?



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9話 焼討

 

 

 最初は町の末端を狙うように無数の爆弾が降り注ぐ。

 更には遠くから放たれた導力砲の野太い光線が風車小屋を粉砕し、火の付いた残骸が町に、周囲の田園に降り注ぐ。

 更には周囲の家屋が突然爆発し、貴族の処刑を見るために集まった市民たちは次の瞬間、悲鳴を上げて一斉に逃げ出した。

 

「っ――」

 

「うわっ」

 

 間一髪という所でクリスとシャーリィは壇上に上がり、大市の出口へと殺到する人の波の流れから逃れる。

 

「こ、これは……」

 

「帝国解放戦線《S》……」

 

 空を舞う見覚えのある真紅の機体にクリスは躊躇わず空に手を掲げて叫ぶ。

 

「来い――緋の騎神《テスタ=ロッサ》!」

 

 クリスは光に包まれ――何も起きなかった。

 

「来ないね」

 

「…………ぅ~」

 

 掲げた腕を所在なさげに下ろしてクリスは頭を抱える。

 シャーリィの言葉通り、《緋》が呼び出しを無視したわけではない。

 『応っ!』と了解の返事は念話越しに聞こえている。

 しかし《緋》は何を思ったのか、この一刻を争う状況で転移ではなく飛翔でクリスの呼び出しに応えた。

 

「ヴァリマールならできたのに! ヴァリマールならできたのに!」

 

「落ち着きなさい!」

 

 地団太を踏むクリスにセリーヌが諫める言葉を投げかけ、翠のティルフィングに抱えられたアルフィンとセリーヌが壇上に降ろされる。

 

「ガイウス!」

 

『南から機甲兵の大部隊が迫っている。空の敵は俺が相手をするからみんなはそちらを頼む』

 

 ガイウスはそれだけ告げて蒼い空を悠々と飛んでいる真紅の神機に向かって飛び立った。

 

「セドリック……あの……」

 

「セドリック殿下! アルフィン殿下!」

 

 アルフィンの言葉を遮ってナイトハルトが二人に駆け寄る。

 

「御二人はこの場で待機してください。君達も、今は下の広場に降りるのは危険だ。だから――」

 

 拘束されていた貴族生徒達の縄を切るように指示を出しながらナイトハルトは大市の唯一の出口に殺到する民衆に顔をしかめる。

 

「っ――二人俺について来い! 仮設店舗を破壊して出口を増やす――」

 

「その必要はない」

 

「なっ!?」

 

 ナイトハルトの言葉を遮るように銃声が鳴り響く。

 

「うわっ!?」

 

「ぐおっ!?」

 

 壇上にいた軍人たちは次々に凶弾に倒れ、ナイトハルトは咄嗟に身を翻してその弾丸から逃れることに成功する。

 しかし――

 

「むんっ!」

 

 マシンガントレットの一撃が彼を捉え、ナイトハルトは人がすし詰め状態の大市の出口へと吹き飛ばされた。

 

「ナイトハルト教官!!」

 

 瞬く間に人の波の中に呑み込まれたナイトハルトにクリスは飛び出そうとして――

 

「おっと動くなよボン。お前さんたちも今日の目的じゃないとはいえ、保護対象ってことになっとるからなあ」

 

「迎えが来るまで大人しくしてもらおうか」

 

 胸に蒼い鷲の紋章をつけた黒いジャケットを纏った二人――レオニダスとゼノがそこにいた。

 

「西風の《罠使い》と《破壊獣》……シャーリィの鼻を誤魔化すなんてやってくれるじゃない」

 

「そういうお前は星座の《人喰い虎》……話には聞いていたがまさか本当にフィーのクラスメイトになっていたとはな」

 

「うちのフィーに変なこと、教えてないやろな?」

 

 ゼノとレオニダスは貴族生徒達を守るように背にしてシャーリィを威圧する。

 

「はっ……何を言い出すかと思えば、捨てたくせにまだ保護者気取り? ねえ、なんか言ってやったら?」

 

 常人では震えて動けなくなりそうな殺気を叩きつけられながらシャーリィは嘲笑を返して、あらぬ方向に呼び掛ける。

 

「うん、ウザいかな」

 

 次の瞬間、空中を疾走して加速した少女が弾丸を思わせる速度で飛来し、レオニダスのマシンガントレットに着弾した。

 

「むうっ!」

 

 彼女の小さな体躯から繰り出されたとは思えない程に重い衝撃にレオニダスは唸る。

 妖精は受け止められた蹴撃から、そこを足場に空中に跳び、何もない空間を蹴るように宙を舞ってシャーリィの隣に着地する。

 

「フィー……」

 

「お前……」

 

 《赤い星座》のシャーリィと肩を並べて様になっている様子に二人は思わず目を見張る。

 

「ふふん……」

 

 二人の渋面にシャーリィは鼻を鳴らして挑発する。

 そのシャーリィの態度にやはり二人は顔をしかめ――すぐに取り繕う。

 

「悪いなぁフィー。できれば世間話でもしたかったとこやけど……」

 

「時間だ」

 

 そういうゼノとレオニダスの言葉を合図をするようにケルディックの駅舎が爆ぜた。

 

「なっ!?」

 

「帝都から直送された機甲兵や。線路の封鎖は機甲兵で簡単に撤去できるし、先頭車両は爆弾にしとけば一石二鳥ってことや」

 

 爆炎の中から立ち上がる機甲兵を見上げながらゼノが語る。

 駅舎の爆発になんとか大市から逃げ出した民衆が巻き込まれ、新たな悲鳴が上がる。

 

「なっ――くそっ!」

 

「セドリック!?」

 

 纏った光から抜け出して壇上から飛び降りたクリスにアルフィンは悲鳴のような声を上げる。

 

「何やってんのよ!?」

 

「ええ……ごめん、フィーここは任せた」

 

 すぐさまその後にセリーヌとシャーリィが続く。

 

「ん、任された」

 

 その場を任されたフィーは双銃剣を構え、ゼノとレオニダスと相対する。

 その頭上を領邦軍の飛行艇が横切った。

 

 

 

 

 

 

「くそ……くそ……早く来てくれっ!」

 

 まだ到着しない《緋》に苛立ちを感じながらクリスは走る。

 未だに人がごった返す大市の出入り口。

 抜けた先の広場の先の駅舎は燃え上がり、その中から現れた機甲兵が逃げ場を失い立ち尽くす民衆に向かって巨大なライフルを向ける。

 

「やめろおおおおっ!」

 

 クリスの叫びは空しく響き渡り、密集地帯に撃ち込まれた砲弾が爆ぜ、人がまとめてゴミのように吹き飛ぶ。

 

「あ……ああ……」

 

 爆風から顔を腕で守りながらクリスは一瞬で様変わりした駅前の広場に言葉を失う。

 

「何で……何で……」

 

 貴族連合の機甲兵は煉獄の様な光景に躊躇いも戸惑いも感じず、持ち込んだ榴弾を見せつけるようにデタラメに町に向かって撃ち続ける。

 一発撃つたびに悲鳴が上がり、家屋が焼かれる。

 

「早く……テスタ=ロッサ……誰か……助けて■■■さんっ!」

 

 クリスの悲鳴は空しく木霊するだけだった。

 

「おじいちゃん……おきてよ、おじいちゃん……」

 

 助けを求めるクリスの耳にその声が聞こえてきた。

 煤に汚れたその子は倒れた祖父を必死に揺さぶっていた。

 

「っ――」

 

 気付けばクリスは少女に向かって走っていた。

 直後、二つの動きがあった。

 機甲兵が少女がいる方向に榴弾を放つ、シャーリィが駆けるクリスの横から体当たりをしてその場に伏せる。

 一瞬遅れて、爆風が二人の頭上で吹き荒れる。

 そして顔を上げた時にはもうそこに少女はいなかった。

 

「…………シャーリィなんで邪魔を――」

 

 自分の上にのしかかるシャーリィに文句を言おうとしたクリスは眼前の彼女の顔に息を呑む。

 

「ったく、手間を掛けさせないでよね……っ――」

 

 短い文句を口にしてシャーリィは気を失ってしまう。

 

「シャーリィ……?」

 

 身体に回した手にぬるりとした感触を感じてクリスは息を呑む。

 

「僕は……僕は……」

 

 立ち上がることを忘れ、クリスは軽はずみな行動に後悔する。

 そこへクリスの目の前に、ようやく緋の騎神《テスタ=ロッサ》が辿り着く。

 

「…………何で……今更……」

 

 遅すぎる“騎神”、現れない“英雄”。

 クリスはただ呆然とそれを見上げる。

 傷だらけの体。半分だけの翼。

 彼は自身が出せる最高の早さでこの場に駆け付けてくれたのはクリスにも分かっている。

 だけどそれでもあとほんの少しだけ早く来てくれていれば、あの名も知らない少女を助けられたのではないかと考えてしまう。

 

 ――汝、力を求めるか――

 

 そんな声がクリスの脳裏に声が響く。

 

 ――力を求めるのなら――

 

 鋼鉄のように重々しくも、どこか懐かしい“呼び声”。

 

 ――くれてやろう――

 

 その声に応えたクリスの髪は白髪に染まろうとするが――代わりに彼の緋色の魔剣が漆黒へと染まった。

 

 

 

 

 

 暴徒と化したケルディックの民衆から罪のない貴族の子女を救い出す。

 その名目で行われた強襲作戦は順調に進んでいた。

 その襲撃に備えていた第四機甲師団は善戦するも、戦車ではどうしようもない高高度から爆撃して来る神機と町の内部に侵入された機甲兵にまで手は及ばなかった。

 貴族連合は一連の民衆や第四機甲師団の愚行の見せしめと言わんばかりにケルディックに破壊をもたらす。

 

 そうして散って行った多くの“命”を呑み込み――《魔王》は蘇る。

 

 

 

 

 






プロジェクト・テスタ=ロッサ始動?
 テスタ=ロッサの強化。
 《魔獣化》と軌跡世界で書くとしょぼく聞こえますが、図らずも以前にオルディーネの強化案の一つだった《魂喰い》による強化になります。
 散った“命”を糧に機体は完全修復。
 その上でクリスは《贄》となり、安全装置ありの《鬼の力》を得ることになりました。
 どこまで強化されるかは未定です。


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10話 緋の魔王

 

 

 人がいなくなった大市に一台の飛行艇が着陸する。

 

「どうやらあの平民は思いの外使えたようだな」

 

 その光景を別の飛行艇で見ていた軍人は一番の目的が順調に達成されていることに安堵の息を吐く。

 今回の処刑が知れ渡るとほぼ同時に領邦軍に詰め所に単身で乗り込み、捨石になっても構わないと言い切った少年の勇気と漢気は口に出さないが領邦軍は高く評価する。

 

「しかし隊長。やり過ぎではないでしょうか?」

 

「作戦の概要は既に説明したはずだ……

 奴等は既に護るべき無力な市民ではない、自分の立場を弁えず貴族の処刑を画策し、あまつさえバリアハート襲撃を企てる反逆者に過ぎん」

 

「それは分かっています……ですが……」

 

 操縦桿を握り締めながら操縦士は逃げ惑う市民だった者達を見下ろす。

 第四機甲師団に煽られたとは言え、ケルディックの住民が超えてはいけない一線を超えてしまった。

 クロイツェン州の枠を超え、ログナー家とハイアームズ家まで敵に回してしまった以上、クロイツェン州を治めるアルバレア家にはケルディックを潰す以外に選択肢はなくなってしまった。

 

「お前達が悪いんだ。お前達が悪いんだ……」

 

 下に向けて機関砲を掃射している砲撃士が繰り返す呟きに操舵士は唇を噛む。

 そう言い聞かせなければいけない程の煉獄に良心が痛まないわけではない。

 

「せめて処刑なんて言い出さなければ……」

 

 思わず呟いてしまうが、幸い上官の耳には入らなかったのか、咎められることはなかった。

 このままクロイツェン州領邦軍が彼らの処刑を見過ごせば、革新派を打倒した未来でログナー家とハイアームズ家を代表として犠牲になった家から責任追及をされるだろう。

 四大名門から降ろされることはなかったとしても、その中での発言力は著しく低下することになる。

 逆に捕まった貴族子女達を無事に救出できたなら、ログナー家とハイアームズ家に大きな恩を売ることができる。

 それこそ、貴族連合軍主宰の立場をカイエン公爵から奪うことも夢ではない。

 

「クロイツェン州が帝国のトップになるか……悪くないな」

 

 間接的とは言え自分達が一番になることに悪い気はしない。

 ケルディックを焼くデメリットは大きいものの、それをするだけのメリットは存在していた。

 

「私たちの正当性は助けた子供たちが証明してくれるだろう」

 

 直前にどちらの陣営にとっても想定外のことが起きたが、それで革新派が処刑を中止すると宣言したわけではない。

 大勢に取り囲まれ理不尽な憎悪を向けられた子供達の心の傷がどれほどのものか想像もできない。

 

「入電――捕らえられていた貴族の子女たちは全員救出できたようです……ですが――」

 

「どうした?」

 

「第一優先保護対象のアンゼリカ・ログナー嬢が手枷を外せと抵抗しているようですが……」

 

「ログナー侯からの許可は得ている。そのままで構わん。抵抗が激しいようならスタンロッドの使って気絶させておけ」

 

 何故、救出対象に猛獣のような対処が許可されているのか通信士は首を傾げつつ、通信士はその胸を相手に伝える。

 そして隊長はおほんと咳払いをして、部下たちに言う。

 

「我が艇は救助艇の浮上に伴い、護衛からケルディック制圧に任務を変更する!

 思い上がった平民共に、貴族の恐ろしさを教えてやれ!」

 

『イエス・サー!』

 

 隊長の指示に隊員たちは躊躇を捨てて返事をする。

 救助艇が上昇し、バリアハートに進路を向けて発進する。

 その瞬間、それを見守っていた彼らの飛行艇は激しく揺れた。

 

「何だ!? 奴等の抵抗か!?」

 

「分かりません。被害状況は――」

 

 激しく揺さぶられながらも墜落しないように艇の姿勢を維持させた操舵士はそれを見た。

 

「緋……」

 

 飛空艇の前方の窓一杯に埋め尽くされた《緋》。

 

「まさか《緋の騎神》!? 何でこいつがここに!?」

 

 今回の任務とは別に最優先捕獲対象である《緋の騎神》の突然の登場に艦橋は騒然とする。

 そんな彼らに《緋》は頭を鷲掴みにした機甲兵を振り上げ、棍棒のように叩きつけた。

 

 

 

 

 機甲兵を叩きつけられた飛空艇がひしゃげ、墜落して爆発する。

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』

 

 その光景を睥睨した《緋》は緋い翼を広げて雄叫びを上げると、その両手に剣が現れる。

 

『――ッ』

 

 顕現した剣を無造作に左右に投げる。

 剣は砲弾のように大気を切り裂き、ケルディック上空を周回して銃弾の雨を降らせている飛行艇をそれぞれ貫く。

 今度は墜落する様を見届けず、《緋》は地上に向かって急降下。

 第四機甲師団とバリアハートから進軍してきた機甲兵の部隊が撃ち合う戦場のど真ん中に粉塵を巻き上げて着地する。

 

「何だ!?」

 

「こいつは緋の騎神《テスタ=ロッサ》! 何故ここに――」

 

 突然の乱入に第四機甲師団とクロイツェン州領邦軍は狼狽え、領邦軍はすぐに我に返って檄を飛ばす。

 

「囲めっ! 《緋の騎神》の奪還はセドリック皇子からの勅命だ! 貴族子女の救出に、《緋の騎神》の奪還の功が合わされば――」

 

 彼がそれを言えたのはそこまでだった。

 第四機甲師団から素早く攻撃目標を《緋》に切り替えて、指示に従って左右に展開した機甲兵の部隊は次の瞬間、長い尾の一薙ぎにまとめて薙ぎ払われた。

 

『グウウウウウウウウウウウウッ!』

 

 《緋》は獣の様な唸りを上げ、薙ぎ払った機甲兵たちに目もくれずに空を見上げる。

 そこには《真紅の神機》と《翠の機神》が激しい攻防戦を繰り広げていた。

 《緋》は右腕にランスを顕現させると同時に飛翔する。

 

「くっ――」

 

「ふふふ、さっきまでの威勢はどうしたのかしら?」

 

 高速で飛び回りながら撃ち合う戦いはどちらも直撃することないが、武装がライフル一つだけのティルフィングに対して、身体の各所に導力砲を装備しているアイオーンKが優勢に立ち回っていた。

 反撃にライフルを撃つも、動き回る的に当てることは難しく、《翠》は防戦を強いられていた。

 

「あら……?」

 

 計器のアラートにスカーレットは《緋》の接近に気付く。

 

「生きていたのね皇子様。でも――甘いわよ」

 

 奇襲を仕掛けようとする《緋》にスカーレットは笑う。

 

「ダメだ! クリスッ!」

 

 接近戦を仕掛けようとする《緋》にガイウスは止まるように叫ぶ。

 

「ブラッディストームッ!」

 

 《真紅》の四対八翼の翼の一部が分離すると、それらは八つの刃となって独自に飛翔する。

 八方に散った刃はそれぞれが独自に動き、《緋》に殺到する。

 《翠》が接近戦をしようとしても、全方位からの攻撃に阻まれ敵わなかった攻撃。

 

「っ――」

 

 咄嗟に《翠》はライフルを撃つが、ガイウスの腕では的が小さすぎて当たらない。

 真っ直ぐ突撃して来る《緋》に八つの刃がそれぞれ死角から襲い掛かる。

 八つの衝撃を受けて怯む《緋》に《真紅》は両腕の導力砲を撃ち込み、《緋》は爆炎に包まれる。

 

「あははっ! 所詮はこんな程度ね!」

 

 《騎神》と言えども中身は世間知らずのお坊ちゃんに過ぎない。

 自分達のリーダーとは雲泥の差だとスカーレットは嘲笑う。

 

 ――何がおかしい?――

 

「え……?」

 

 直接脳裏に話しかけられたような声にスカーレットは思わず呆ける。

 次の瞬間、《真紅》に無数の刃の奔流が襲い掛かる。

 

「なっ――」

 

 水流にも見える一撃だが、そこに含まれた剣刃は鑢を掛けるように逃げ遅れた《真紅》の脚を削り落とす。

 爆炎が晴れた、そこに分離した刃が結合した剣を構える《緋》がいた。

 

「何で――お前が教会の法剣を!?」

 

 ――この程度で我を破壊しようなどとは愚かな――

 

 スカーレットの疑問に答えず、それは侮蔑の蔑みで《真紅》を見下す。

 その体躯には刃と砲撃によるの傷は一つもない。

 

「っ――」

 

 《真紅》は今回のために増設した爆撃用のコンテナを開き、残ったミサイルを《緋》に向けて撃ち尽くし、結果を見る事もなく機体を反転させる。

 視界を埋め尽くす弾幕に《緋》は無造作に手を翳し、緋の波動を放つことでミサイルは誘爆しケルディックの空に大輪の爆炎を咲かせる。

 脇目も振らずに逃げた《真紅》はその数秒で彼方まで距離を取ることに成功する。

 

「逃げられたか……どうするクリス? クリス?」

 

 《翠》からの呼び掛けに《緋》は答えず、《緋》は使う事がなかったランスを構える。

 

「何を――」

 

 ガイウスが戸惑っている間に、ランスに緋の霊力が迸り――次の瞬間、投擲される。

 音速を優に超えた速度で投擲されたランスは逃亡した《真紅》を掠め、オーロックス山脈に命中し光の爆発を生み出す。

 

「なっ――」

 

 絶句するガイウスを他所に《緋》は踵を返し、バリアハートの方向へ逃げようとしている飛行艇を見据えて、その手に新たなランスを顕現させる。

 

「――待て! クリス!」

 

 澱みなく新たなランスが投擲され、ガイウスは“勘”に任せてライフルを撃つ。

 撃ち抜かれたランスはその場で爆発し、閃光と轟音をケルディックの空に撒き散らす。

 

「クリス……」

 

 運良く撃ち抜けたことに安堵しながらガイウスは《緋》に向き直る。

 

 ――我の邪魔をするか?――

 

「クリス……いや違う……」

 

 乗っているのは彼かもしれないが、《緋》が纏う空気に動かしている者は違うと気付く。

 

「っ――」

 

 次の瞬間、尻尾からの刺突が襲い掛かり《翠》は反射的に仰け反って眼前に鋭い穂先が突きつけられる。

 

「くっ――」

 

 咄嗟にライフルを十字槍に変形させ、眼前の尾剣を弾き《翠》は《緋》から距離を取る。

 

 ――憎い――

 

 脳裏に過る声にガイウスは顔をしかめる。

 同時に《緋》から漏れ出す黒い瘴気におおよその事情を察する。

 

「まさかクリスまで《呪い》に……」

 

 かつて自分が特別実習の時に暴走してしまった時に止めてくれたのが彼だけだっただけにその事態にガイウスは――

 

「――クリスに止めてもらった?」

 

 戦闘中だと言うのにガイウスは思考に生まれた違和感に固まる。

 半年前の特別実習の時、ノルドの守り神である巨人像が動き出し彼を攻撃させてしまったことが脳裏に浮かぶ。

 何もおかしくない、矛盾のない記憶なはずなのに、反芻しようとすればする程、思考が歪み、激しい頭痛に見舞われる。

 

「うぐっ……これはいったい……」

 

 その苦しみは《翠》にフィードバックされるように機体は固まり、その隙を逃さず《緋》はその手に剣を顕現させ斬りかかる。

 

「っ――」

 

 苦し紛れに十字槍で受け止めるものの、力の差は歴然であり、あっさりと槍はその手から弾き飛ばされる。

 動きが鈍い《翠》に《緋》は返す刃を薙いで地面に叩き落とす。

 更に墜落させた《翠》を追い駆けて、止めの一撃を落とす。

 その刃は――《青のティルフィング》の双銃剣が受け止めた。

 

「大丈夫、ガイウス?」

 

「フィーか、すまない助かった」

 

 《翠》では受け切れなかった一撃を受け止めている《青のティルフィング》の背中にガイウスは助かったと安堵の息を吐く。

 

「あ……ちょっと持たないかも」

 

「くっ」

 

 しかし、安堵も束の間。

 フィーの弱音に《翠》は慌てて機体を飛ばして《青》の背後から退く。

 それを確認して《青》は合わせた刃を弾き、《緋》から距離を取る。

 

「これ、どういうこと?」

 

「詳しいことは分からない。ただクリスもまた《呪い》に囚われてしまったようだ」

 

 端的に状況の説明を求めるフィーにガイウスは推測で答える。

 

「了解、とりあえず強めに殴れば良いんだっけ?」

 

「……俺達にできることはそれくらいしかないだろう」

 

 《呪い》の発生に対して自分達はあまりにも無力だと実感しながら《翠》は《青》の隣に並ぶ。

 

 ――その程度の“力”で我の邪魔をしようなどとは愚かな――

 

 《緋》は咆哮を上げると、その背後に膨大な霊力を迸らせる。

 顕現されるのは無数のライフル。

 

「なっ――」

 

「やば――」

 

 その銃口に緋の霊力が溜まる。

 そこに宿る“力”の大きさに二人は息を呑む。

 二人の機体の防御力では防げない攻撃。しかし、背後にはケルディックがある。

 そして二人が打開策を思考するよりも早く、無数の砲台が一斉に火を噴いた。

 無数の銃口から撃ち出された《緋》の光弾は野太い一つの光線となって二機に降り注ぎ――空から降って来た太刀、それを中心に展開された“鏡”が緋の破壊を空へと逸らした。

 一拍遅れ、空から降りて来た《灰》が地面に突き刺さった太刀を引き抜き、《緋》と向き直る。

 

「ヴァリマール……」

 

「助かった……」

 

 その背中にガイウスとフィーは何故か言い知れない安堵を感じてしまい、首を揃って傾げる。

 その間にも《緋》は新たな剣をその手に作り出し、《灰》に斬りかかる。

 

「…………」

 

 《灰》は静かに太刀を盾にするように構え、その一撃を受け止める。

 《翠》を簡単に吹き飛ばし、《青》も力負けした《緋》の一撃を《灰》は受け止め――

 

「っ――ふざけるなっ!!」

 

 クリスの激昂が響き渡った。

 絶叫と共に繰り出される剣戟を《灰》は後退りながら受けに徹する。

 その動きにクリスはさらに苛立つ。

 

「お前は■■■さんじゃない!」

 

 その名を叫ぶことで頭痛が走るが構わず叫ぶ。

 “彼”によく似た立ち姿と太刀捌き。

 よく似ているだけで、クリスの目から見ればただ表面をなぞっているだけの醜悪なものまねにしか見えない。

 現に“彼”だったら難なく防いでいただろう剣を《灰》は防ぎきれずにその体に傷を増やしていく。

 その事実がさらにクリスを苛立たせる。

 

「お前がこれをやったのか!? お前がっ!!」

 

「――きゃあっ!」

 

 途切れることない連撃の末、《灰》の太刀は《緋》の一撃に弾き飛ばされる。

 

「――っ!」

 

 《灰》から聞こえて来たのは女の子の悲鳴。

 しかし、クリスにはそれがどうしたと言わんばかりに無防備となった《灰》に剣を繰り出す。

 

「やめろクリス!」

 

「らしくないよ」

 

 戦意がない相手をなぶる《緋》を見兼ね、《翠》と《青》が両側から抱き着くように《緋》を抑え込む。

 

「放せっ! こいつは! こいつだけは!」

 

 単体では力負けをしたものの、二機掛かりの抑え込みに《緋》はもがき――尾を地面に突き立てた。

 

「がっ――」

 

「なっ……」

 

「うそ……」

 

 地面を伝って突き出された尾剣が《灰》の胸を貫く。

 

「は……はは……あはははっ! やったよ■■■さんっ!」

 

「クリス……」

 

 聞こえて来る狂ったような哄笑にガイウスは痛々しさを感じ、《緋》から噴出する黒い瘴気に《翠》と《青》は吹き飛ばされる。

 

「クリスッ!」

 

「くっ……いい加減にしてっ!」

 

 二人の制止を無視して《緋》は空中に無数の剣を顕現する。

 胸に風穴が空いた《灰》に“千の武具”が降り注ぐ。

 剣が腕を、槍が脚を、斧が肩に、矢が頭に穿たれ、瞬く間に《灰》は無惨な姿に変わって行く。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 霊力の限界まで“千の武具”を撃ち尽くした《緋》は力を失ったように膝を着く。

 立ち上る土煙がその攻撃の激しさを示していた。

 しかし、それにも関わらず金属がこすり合う音が土煙の中から聞こえて来る。

 

「くそ……」

 

 土煙の中から覚束ない足取りで出て来た《灰》にクリスは思わず悪態を吐く。

 右腕を失い、顔の半分は抉れ、装甲の至る所は砕け、肩から胴体に突き刺さった槍を残った左腕で引き抜きながら《灰》は前へと進む。

 

「動け《テスタ=ロッサ》! まだ終わってないぞ!!」

 

 クリスの憎悪の声に《緋》は唸るように駆動音を上げ、すぐに沈黙する。

 

「動け! 動けっ! 動けよっ!」

 

 何度も叫ぶが《緋》は答えることはなく、《灰》は《緋》の前に辿り着く。

 差し伸べた《灰》の手が、人で言うところの《緋》の頬に触れる。

 

「――ご――ん――さい――」

 

「やめろ! 放せっ! くそっ!」

 

 いくら抵抗しても《緋》はぴくりとも動かず、《灰》は《緋》に半壊した額を合わせる。

 

「っ――」

 

 その瞬間、思考の熱が急速に奪われクリスの意識は遠のく。

 

「――――ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」

 

 その言葉を最後にクリスの意識は闇に沈むのだった。

 

 

 

 



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11話 理不尽な選択

 

 

 

「それでは貴方は一人でケルディックの処刑に乗り込んだんですか?」

 

「ああ――じゃなくて、はいっ」

 

「それは随分と無謀なことをしましたね。聞けば随分酷い状態だったと聞きますが……」

 

「はい……

 学院の同級生たちを取り囲んで、貴族は殺せ、貴族は殺せって血走った目で……とても正気とは思えませんでした」

 

「あろうことか、その市民の暴走を煽ったのが革新派の第四機甲師団という話ですからね……

 ケルディックに限らず、他の都市でもこういった革新派の暴走が起きているようです……

 記憶に新しいのだと先週のラインフォルト社爆破事件でしょうか?」

 

「ラインフォルト……それってⅦ組の……」

 

「ええ、ルーレのラインフォルト社の居住フロアの爆破された事件です……

 これによってイリーナ会長と彼女の娘のアリサ嬢の二名が巻き込まれたようです……

 この事件も犯人は帝国正規軍のものだとハイデル・ログナー氏が発表しています」

 

「そ、そうなんですか?」

 

「ええ、革新派はオリヴァルト皇子を担ぎ上げているようですが、実態は皇子の意向を無視した動向が多く、ケルディックのように各地で市民を煽っていると聞きます……

 帝国市民はくれぐれも軽挙な行動は慎んでください……

 それでは最後に勇敢な恋人に救ってもらったブリジット嬢、一言お願いします」

 

「あ、あの私とアランは恋人じゃなくて、その……あう……」

 

「そ、そうですよ! 俺達は……」

 

「ふふ、初々しいカップルですね……以上、ヘイムダル放送でした」

 

 

 

 

 

「ここは……」

 

 目を覚ましたクリスは見覚えのない部屋を見回して首を傾げる。

 数日前に同じような経験をしたが、ゼンダー門の時とは違い、武骨ではなく調度品で飾られた室内は明らかにミラが掛かっていると分かる。

 

「お、目が覚めたか」

 

 むくりと起き上がったクリスに傍らに控えていた少年は読んでいた本を閉じて立ち上がる。

 

「君は……」

 

「ちょっと待ってろ。すぐに責任者を呼んで来る」

 

 あの人から“技”を授けられ、密かにクリスが対抗心を燃やしていた少年――スウィンは人の気も知らずに淡々と部屋を出て行ってしまう。

 

「…………ここは何処なんだ?」

 

 深呼吸を一つして、嫉妬心を呑みこみクリスは部屋を見回す。

 

「……みんなは……それにケルディックはどうしたんだろう?」

 

 部屋の造りからそこがケルディックではないことを察する。

 クリスは手っ取り早く確認するため、ベッドから降りて窓を遮っているカーテンを払って外を見ようとして固まった。

 

「こ、これは!」

 

 クリスは思わずベッドのサイドテーブルに置いていかれたスウィンが読んでいた本を手に取って目を見開く。

 

「《Rの軌跡》の最新巻にして最終巻! 発売延期になった本がどうしてここに!?」

 

 クロスベルが行った資産凍結の影響により、発売が危ぶまれた大衆向けの娯楽小説。

 クリスにとってその発表は数日前のことであるのだが、実際は既に一ヶ月の時が過ぎているため、無事に発売されていたとしてもおかしくはない。

 

「そう言えば、これはどうなっているんだ?」

 

 今まで深く考える時間がなかった疑問にクリスは首を傾げる。

 人々の記憶から“彼”の記憶が消えている異常。

 この小説の主人公は名前こそ違うが、その“彼”の旅を記した物語。

 因果の改変は“本”にどのように影響しているのか、内容も気になるが読むことに躊躇いを感じてしまう。

 

「…………」

 

 クリスは誰もいない部屋を改めて見回す。

 別にいけないことをしているわけではないのだが、周囲の視線を気にし、窓と本に視線を交互に移す。

 

「…………うん。これも現状把握のため、決してケルディックのことを蔑ろにしているわけじゃないから」

 

 誰に言うでもなく、自己弁護をクリスは固める。

 ここが何処なのかはスウィンが呼びに行った誰かが説明してくれるのを待てばいい。

 しかしこの本に関しては、今後の内戦の状況では本屋に行く暇も、落ち着いて読書に耽る時間が取れるわけもない。

 

「このチャンスを逃したら、いつ読めるか分からない……」

 

 勝負はスウィンが誰かを呼びに行き、戻って来る数分。

 責任者の状況次第ではもう少し待たされるかもしれないが、千載一遇のチャンス。

 

「それにこれはあの人が本当にいたという証明でもあるんだ……

 前巻は湖畔の研究所であの子が犠牲となって主人公を逃がした場面で終わっている……その後の話か……」

 

 以前の記憶を反芻し、クリスはごくりと唾を飲む。

 果たしてあの後、彼とあの子はどうなったのか。

 最終巻だけあって今までの本よりも厚いが、この数分に全てを掛ける気持ちでクリスは集中力を研ぎ澄ませ――

 

「いざ――」

 

「やあ、お目覚めになられて何よりです、セドリック殿下」

 

 部屋に入って来たルーファスにクリスは視線を送り、開いた本の一ページをそっと閉じるのだった。

 

 

 

 

「それじゃあここはクロスベル? しかもケルディックの焼き討ちから三日も寝ていたなんて……」

 

「本来なら君も重症者と同じようにウルスラ医科大学病院に搬送しようかと考えたのだが、セリーヌ君が疲労だけだと言っていたのでね……

 君達にはこのオルキスタワーの客室に宛がわさせてもらった」

 

「それは良いんですけど……」

 

 皇子に対しての扱いではないと謝罪されるが、ウルスラ医科大学病院もケルディックの負傷者を受け入れて忙しくなっていること、それに加えて護衛の観点からの処置だと説明される。

 

「それよりもケルディックはあれからどうなったんですか?

 それにルーファス教官が何故クロスベルに?」

 

「そうだね……まずは私が何故クロスベルの総督になっているのか説明しよう……

 もっともつまらない話さ。トールズ士官学院で拘束された私はある日、父と面会してこのクロスベルの総督になれと命じられたのだよ」

 

 資産凍結から始まったクロスベルの横暴な振る舞い。

 何者かの手によって、ディーター・クロイスの悪事が白日の下に晒され、大義名分を得た特務支援課によって彼が逮捕された。

 それが切っ掛けで帝国軍はクロスベルを制圧することに成功したが、同時に勃発した内戦によりクロスベルを統治する余裕は貴族連合にも革新派にもなかった。

 そこで白羽の矢が立ったのだが、ルーファスだった。

 

「今回の内戦での数少ない、取り決めの一つでね……

 クロスベルの統治にはそれぞれの代表者を置くことで協力して統治し、帝国内での不和を持ち込まないと取り決められている」

 

「それぞれの代表者?」

 

「革新派からはクレア君とレクター君の二人が代表として来ているよ……

 おそらくは貴族連合は私を使って“鉄血の子供”を封じようとしているのだろう」

 

 革新派にとってもルーファスはアルバレア家の筆頭から外れたとしても、その才覚が衰えたわけではない。

 そんなルーファスの復帰を畏れた革新派は彼を監視する人材をクロスベルに派遣する必要があった。

 そんな事情をルーファスは憶測も交えながら語る。

 

「そして私が選ばれたのは、この動かない腕と《金の騎神》がカルバード共和国への牽制にするためだろう……

 もっとも、クロスベルが行った資産凍結のせいで経済恐慌が起きたカルバードに帝国へ侵攻する余裕は今はなさそうだがね」

 

「《金の騎神》……もう動かせるようになったんですか?」

 

「いいや、外見だけは取り繕っているが戦闘は厳しいだろう……

 それでも《騎神》がここにいるという事の意味、カルバード、クロスベルにとっても大きな抑止力となるという事だ」

 

 クリスは先程見下ろした窓の外、オルキスタワーの前の広場に立たせていた《金の騎神》に納得する。

 

「ケルディックの事についても御安心を……

 重症者はウルスラ医科大学病院へ搬送、破壊された家屋もすぐにとは言えませんが、撤去と復興の作業は始まっています」

 

「撤去作業って……」

 

 あまりにも軽い言葉にクリスは顔をしかめる。

 

「あんなことをしたのに、それだけなんですか!?

 いや、そもそも廃嫡されたとは言え、アルバレア公爵家の貴方をケルディックが受け入れたと言うんですか!?」

 

「そうしなければ、生き残ったケルディックの市民は生きる術がなかったからね」

 

 そう言ってルーファスはテーブルの上にこの数日分の帝国時報を置いた。

 

「なっ!?」

 

 そこには大きな見出しでケルディックの処刑を非難する記事、当時の現場の写真と共に掲載されていた。

 

「ケルディックの処刑に関しては既にこの内容の情報が帝国に出回っている……

 罪のない貴族の学生を一方的、かつ弁明も聞かずに処刑を断行……

 各地でこの処刑の事を非難する声が上がっている。おそらくケルディックに手を差し伸べる者は誰もいないだろう」

 

「そんな……あれだけのことをしておいて」

 

「むしろあれだけで済んだと思った方が良いだろう」

 

「なっ!?」

 

 ルーファスの言葉にクリスは耳を疑う。

 

「もしもあの処刑が決行されていたら、ログナー家とハイアームズ家、他の家の者達も報復としてケルディックは文字通り帝国の地図から消えることになっていただろう」

 

「だけどアランが――」

 

「そのアラン君は領邦軍の協力者だった……

 それに彼のおかげで場の空気は確かに変わったが、君は処刑を中止するという宣言を聞いたのかな?」

 

「それは……」

 

 ルーファスの指摘にクリスは口ごもる。

 現場にいたからこそクリスはケルディック側の視点で見てしまうが、人質の奪還作戦の一環だったと言われてしまえば口を噤むしかない。

 

「以上がアルバレア公爵の言い分であり、ケルディックと第四機甲師団の生き残りは自分達の非を受け入れました」

 

「…………そうですか」

 

「そしてセドリック殿下。ヘルムート・アルバレアの伝言を伝えます」

 

 続くルーファスの言葉にクリスは思わず身構える。

 

「貴方が所有している《緋の騎神》を皇室に返還し、二度とヘイムダルの地を踏まないことを誓うならば、今後の貴方とアルフィン皇女の身の安全を保障する。とのことです」

 

「なっ!? 何だその要求は!?」

 

 突き付けられた条件にクリスは思わず激昂する。

 が、ルーファスは涼しい顔をしてそれを受け流し、事務的に続ける。

 

「アルバレア公が何を考えているのか、おおよそ検討はつきます……

 あえて私に《テスタ=ロッサ》を回収しろと命じず、伝言だけで済ませたことにも意味があるのでしょう」

 

「元々《テスタ=ロッサ》は皇族のものだ!

 それにヘイムダルの地を踏むな!? あんな偽物を用意しておいてそれを言うのか!?」

 

「心中お察しします」

 

 クリスの激昂にやはりルーファスは涼し気な言葉を返す。

 

「でしたら殿下。貴方は自分こそ、本物のセドリック皇子だと名乗りを上げますか?」

 

「当然です」

 

 ノルドからケルディックと、それをする暇がなかっただけで大きな都市に辿り着いた時点で貴族連合に偽物のことを宣言することは考えていた。

 だからこそルーファスの質問にクリスは即答する。

 

「それはあまり得策とは言えないでしょう」

 

 しかし、ルーファスはそれを窘めるように進言する。

 

「……どうしてですか?」

 

 感情に任せて反論しようとする心を抑え込み、クリスは理由を尋ねる。

 

「皇族である証として殿下が証明できるのは《緋の騎神》なのは間違いないでしょう……

 ですがそれは周知されていることではありません。だからこそ、貴族連合は皇子の偽物を祭り上げたのです」

 

「で、でも……」

 

「今の皇子には自身を護る力もなければ支持してくれる後ろ盾、貴方に付き従う家臣や仲間もいない……

 例え貴方が正しく本物であったとしても、四大名門の当主達の権謀術策の前には無力な子供でしかありません」

 

「でも!」

 

「特別実習で彼らの器を見極めたつもりですか? 彼らは曲がりなりにもあの“鉄血宰相”と渡り合ってきた傑物ですよ」

 

「っ――」

 

 クリスにとっての憧れの一つを引き合いに出され、思わず押し黙る。

 

「《騎神》は強力ですが、それだけでこの混迷とした情勢を切り拓くことはできないでしょう」

 

「だ……けど……」

 

 淡々と告げるルーファスに言い返そうとクリスは思考を巡らせるが、彼を納得させるだけの理屈はすぐに思い浮かばない。

 

「むしろ《騎神》を使って内戦に介入するのなら、戦火は大きくなり、ケルディックの比ではない大きな争いの原因となります……

 殿下には民や仲間をその戦いに巻き込む覚悟がありますか?」

 

「…………覚悟……」

 

 それを問われてクリスは押し黙るしかない。

 自分だけならばそれこそ突き進むことに躊躇いはないが、自分の戦いが第二第三のケルディックを生み出すとなれば尻込みしてしまう。

 俯いたクリスにルーファスは苦笑を浮かべると席を立つ。

 

「アルバレア公にはまだ皇子は目を覚ましていないと報告しておきましょう……

 スウィンとナーディアのどちらかを伴っていれば、クロスベル内での行動も自由にされて結構です」

 

「ルーファス教官……」

 

「ただこれだけは覚えておいてください……

 貴方が迷っている内にも情勢は刻一刻と変化して行きます。猶予はあまりないでしょう」

 

「っ……」

 

 ルーファスがアルバレア公爵への返答を先延ばしにしてくれても、帝国内での内戦が進んでいるのだと暗に告げられクリスは唇を噛む。

 これからの帝国の進退に関わる大きな戦になっているのに、皇族である自分とは関係なく情勢が進んでいることに屈辱さえ感じる。

 

「ルーファス教官」

 

 胸の奥の苛立ちをクリスは何とか呑み込み、部屋から出ようとするルーファスの背に尋ねる。

 

「――Ⅶ組のみんなはどうしているか分かりますか?」

 

「ええ、まずシャーリィ君に関してはウルスラ医科大学病院へ搬送されましたが、既に意識は取り戻したそうです」

 

「シャーリィ……良かった」

 

「ガイウス君とフィー君はそれぞれルーレとレグラムに昨日の時点で出発しています」

 

「ルーレとレグラム?」

 

「ルーレでは先日、ラインフォルト社の最上階の一室が爆破される事件があり、イリーナ会長とアリサ君の二人が巻き込まれたそうです」

 

「なっ!? 二人は無事なんですか?」

 

「一命は取り留めたそうですが、詳しいことは調査中です……

 レグラムではアルバレア公爵の命により、クロイツェン州の意志を統一する名目でレグラムを治めるアルゼイド子爵家と交渉をしているそうです……

 ただヴィクター卿は不在であるため、ラウラ君が代行としてアルゼイド家として立ち、アルバレア公爵家からの交渉役はユーシスが担っているそうです」

 

「ラウラとユーシスが……」

 

「そしてマキアス君とエリオット君の二人はセントアークにて革新派の本拠地にいることが確認できています……

 他のミリアム君とエマ君に関しては、こちらも調査中になります」

 

 それで終わったと言わんばかりにルーファスは踵を返す。

 

「ま、待ってください!」

 

「まだ何か?」

 

 意外そうな顔でルーファスは首を傾げる。

 

「ひ、一人足りませんか?」

 

「さて……」

 

 クリスの指摘にルーファスは目を伏せて思案する。

 

「アリサ・ラインフォルト、ラウラ・S・アルゼイド、フィー・クラウゼル、エマ・ミルスティン、シャーリィ・オルランド、ミリアム・オライオン」

 

 順にルーファスは名前を上げていく。

 

「ユーシス・アルバレア、マキアス・レーグニッツ、エリオット・クレイグ、ガイウス・ウォーゼル、そしてクリス・レンハイム」

 

「――っ」

 

「以上十一名がトールズ士官学院特化クラスⅦ組だと私は記憶していますが?」

 

「ルーファス教官は覚えていないんですか?」

 

 何故自分だけが“彼”のことを覚えているのか。

 その答えの一つとしてクリスは“起動者”であることが条件だと推測したのだが、《金の騎神》の起動者であるルーファスはクリスの質問に困惑を返す。

 

「覚えていないとは誰のことかな?

 ああ、もしかして君達の担当教官の――」

 

「違います!

 そこのスウィンとナーディアがトールズに来る切っ掛けになった人です!

 “ティルフィング”を開発したり! ルーファス教官が今年の初めにユミルに来た切っ掛け!

 帝都の暗黒竜やノーザンブリアを塩化から浄化して――

 そうだ! ヴァリマールはどうしたんですか!?

 テスタ=ロッサを回収したなら、そこにいたはずのヴァリマールはどうしたんですか!?」

 

「落ち着いて下さいセドリック皇子」

 

 捲し立てるクリスにルーファスは何を言われているのか分からない困惑の顔をしながら宥め――

 

「あんた、趣味悪いぞ」

 

 そんなルーファスにスウィンが呆れたように肩を竦めた。

 

「え……?」

 

「ふふ、勝手にネタ晴らしはしないで欲しいね」

 

 スウィンの指摘にルーファスは苦笑を浮かべる。

 

「え…………?」

 

 そんな二人のやり取りにクリスは思わず呆け、すぐに我に返る。。

 

「もしかして……」

 

「俺は違うぞ……だけど、俺達をエンペラーから助けてくれた“誰か”がいることは分かってる」

 

 クリスの期待に対してスウィンは先に弁明する。

 ならばと顔を向けたルーファスは笑みを浮かべて頷いた。

 

「ああ、もちろん。私は《超帝国人》の“彼”のことは覚えているよ」

 

 

 

 

 

 

 

 暗い、暗い部屋に規則正しい音が響く。

 シャッ、シャッ、シャッ。

 それは刃物を研ぐ音。

 

「………………」

 

 その女は感情が凍り付いた目で黙々とナイフの刃を研ぐ。

 

「待っていてください。イリーナ様、アリサお嬢様……すぐにわたくしが……」

 

 一心不乱にナイフを研ぐ彼女の耳には幻聴が何度も響く。

 

『一番悪いヤツを殺せ、コロセ』

 

 それは尊敬する母のような存在の声であり、

 

『一番悪いヤツを殺せ、コロセ』

 

 最も愛おしい妹の様な存在の声であり、

 

『誰かを選べないと言うのなら、“ぜんぶ”を殺してしまうと良い』

 

 悔恨を掻き立てる声が彼女の背中を押した。

 

 

 

 

 

 

 



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12話 クロスベル

 

 

 

 《碧き零の計画》

 それはクロスベルの独立運動の背後で行われていた計画。

 《D∴G教団》の成果を利用し《零の至宝》を作り出し、その力を持ってゼムリア大陸の歴史をクロスベルを優遇した歴史に改竄する計画。

 実際にそれが可能だったかは一先ず置いておくとして、ディーター・クロイスを隠れ蓑にしたイアン・グリムウッドとマリアベル・クロイス、アリオス・マクレインの三名が推し進めていた計画だった。

 アリオス・マクレインは仲違いをしたのか、《大樹》に同行することなくオルキスタワーの上階で心神喪失状態で発見された。

 イアン・グリムウッドは《大樹》にて特務支援課が逮捕。

 マリアベル・クロイスに関して、特務支援課の面々は一様に口を噤み、彼女の所在を語ることはしなかった。

 帝国憲兵隊の調査によると、マリアベル・クロイスは計画の失敗を見届けた後、《身喰らう蛇》に参入。

 特務支援課は彼女を逮捕することはせず見逃したことから、何らかの密約を交わした可能性が考えられる。

 

 注釈:マリアベル・クロイスと特務支援課のエリィ・マグダエルは旧知の仲である。

 

 現に特務支援課はイアン・グリムウッドを連行し警察本部に引き渡した後、不明瞭な報告書を残して出奔した。

 以降、クロスベル警察を経由して帝国政府が出した出頭命令にも応じず、依然彼らは姿を晦ましている。

 

 オルキスタワーでディーター・クロイスを逮捕したのも彼らだが、彼と取引をしてマリアベル・クロイスを見逃す取引をしていた可能性は十分に考えられる。

 クロスベルの異変と独立の騒動は帝国軍がクロスベルを制圧したことで鎮静化されたものの、特務支援課の不可解な行動には警戒が必要だろう。

 もしかすればディーター・クロイス達の計画はまだ継続していることを視野に入れ、ジオフロントに潜伏した特務支援課、並びにクロスベル国防軍を名乗った反帝国主義者たちへの警戒を厳にするべきだろう。

 

 なお彼らの支援者として疑いが強い親類縁者を拘束することを進言します。

 

 報告者:クレア・リーヴェルト。

 

 

 

 

 

「何をやっているんだ……」

 

 自分が気を失っていたこの一ヶ月の帝国時報やクロスベルタイムズを読み漁ったクリスは最後にクレアが持って来たルーファスに提出する報告書に唸った。

 特務支援課の報告書によれば、マリアベル・クロイスには逃げられたとあった。

 しかし、それが真実なのか確かめようにも彼らが姿を隠したため、問い詰めることはできない。

 帝国軍は目下、彼らの捜索をしているがジオフロントの乱雑な造りと市民の協力があるのか、その成果は芳しくない。

 何度も呼び掛けているにも関わらず、応じようとしない特務支援課の態度は当然帝国人たちへの心象を最悪なものへと傾けていく。

 そして巷の噂話に耳を傾ければ、特務支援課は帝国の不当な占領に対して、再び独立を目指して力を蓄えているクロスベルの希望だと言う話が囁かれている。

 

「これは本当にロイドさん達なんですか?」

 

 クレア達の報告書を読む度に、半年前に共に過ごしていた彼らの人物像が崩れていく。

 

「ええ、残念ですが報告書に嘘偽りはありません」

 

 わざわざ一番新しい報告書の複製を届けてくれたクレアは目を伏せて首を振る。

 

「帝国人の僕達には分からない何かがあるかもしれないけど、いくら何でも……」

 

 これまでのクロスベルの暴挙の数々により、帝国のクロスベルへの心象は最悪とも言える。

 資産凍結に始まり、ガレリア要塞の消滅。《身喰らう蛇》との密約に《D∴G教団》との因縁。

 これは何も帝国だけに留まらず、ゼムリア大陸全土においてクロスベルには疑惑の意志は向けられている。

 

「クロスベルの独立はディーター・クロイスの独断だったことになっているんですよね?」

 

「ええ、ただ帝国に占領される前にクロスベルの議員の誰かが独立宣言の無効を宣言していれば、まだ穏便に済ませる事が出来たんですが……」

 

「ですが?」

 

「先日、ロイド・バニングスとランディ・オルランドの二名がジオフロントからオルキスタワーへ不正アクセスを行い、機密情報を盗み出しました」

 

「ええ……?」

 

「さらに端末は初期化され、クロイス家が過去行って来た悪事、そして彼らがクロスベルに何を残したのかを調査していたレクターさんが頭を抱えることになりました」

 

「…………ク、クレアさん?」

 

 淡々を告げるクレアにクリスは及び腰になる。

 

「人を忙殺させておいて、本人たちは街で魔獣退治に遊撃士活動をして市民の御機嫌取り……

 聞いていた人物像とは違い、随分としたたかな人間だったようですね」

 

 冷ややかなクレアの呟きにクリスは背筋を凍らせながら精一杯のフォローをするために会話を続ける。

 

「な、何かの間違いじゃないんですか?」

 

「残念ですが、ジオフロント内で交戦したので間違いありません……

 そして彼らがディーター・クロイス派として動いていることはほぼ間違いないでしょう」

 

「…………機密情報を盗み出したのはクロスベルにとって不利になる後ろ暗いことがあるから……ですか?」

 

「そう考えるのが妥当でしょう……

 ディーター・クロイスを逮捕したことも計画の内と考えるべきでしょう……

 未だに警察官を名乗っていましたが、彼らにどんな正義があったとしても、警察官が行うことではありません」

 

 クロスベルにとっての警察はエレボニアにとっての憲兵隊。

 その憲兵隊の一員として、ロイド達の立場を弁えない行動にクレアは思う所があるのだろう。

 

「クルトは……クルト・ヴァンダールはどうしていますか?」

 

 話を変えるつもりでクリスは気になっていた親友の所在を尋ねる。

 

「特務支援課メンバーの内、ワジ・ヘミスフィアはクロスベルを離れてアルテリア法国へと帰国……

 ノエル・シーカーは出向元の警備隊に戻っていますが、クルト・ヴァンダールに関しての足取りは掴めていません。おそらく……」

 

「っ……何をやっているんだクルト」

 

 言葉を濁したクレアの表情からクルトは特務支援課メンバーと共に地下に潜伏しているとクリスは察する。

 クロスベルの異変で何が起きたのか。

 《灰》の起動者となっていた少女はまだ目を覚まさず、クレア達がまとめた報告書からでは事件の概要だけしか分からない。

 《大樹》に向かった“彼”に何があったのか。

 同じく《大樹》へと乗り込んでイアンを捕まえて来た特務支援課なら何かを知っているかもしれないのに、彼らは帝国の呼び掛けを悉く無視している。

 

「まさか本当にクルトやロイドさんはディーター・クロイスに……とても信じられない……」

 

「残念ですが半年もあれば、心変わりするには十分な時間と言えるでしょう……

 それにどれだけ世間的に善人だったとしても、その本性が必ずしも同じとは限りません……

 ディーター・クロイスがそうであったように、クロウ・アームブラスト、そして私の叔父……」

 

 実感が籠ったクレアの言葉にクリスは押し黙る。

 “心変わり”。

 その言葉で連想するのは帝国に潜む《呪い》。

 厳密にはまだクロスベルは帝国領ではないが千年を超える呪いの根がクロスベルに伸びていたとしても不思議ではない。

 

「ルーファス総督はロイドさん達をどうするつもりですか?」

 

「帝国の内戦が終結する時期を目安に出頭命令は続けるそうです……

 その猶予を過ぎても出頭しないのであれば、特務支援課はクロイス家の私兵と化していると発表し、七耀教会と遊撃士協会にも掛け合って国際指名手配犯として処理するようです……

 もちろんそれは彼らがこれ以上罪を重ねなければの話ですが」

 

「…………そうなりますよね」

 

 客観的に見ても、異変後の特務支援課の行動は不可解な部分が多い。

 交流があった自分が説得を呼び掛ける。

 一瞬、そう提案しようとしたが何の力も影響力もないお飾りの皇子でしかない自分に何ができるのだろうかと口を噤む。

 ただでさえ内戦のことに思考の大半を費やしている状況でロイド達の報告を聞くことは出来ても、対応できる余裕はない。

 例え《異変》の結末を聞き出す理由があっても、それをしたところで“彼”が戻ってこないのなら優先度は低い。

 

「セドリック殿下、あまり根を積めない方がよろしいかと……

 まだ病み上がりですし、アルフィン殿下も心配しておいでですよ」

 

 クレアは振り返り、部屋の外から彼の様子を伺って覗いている皇女とその付き人に視線を送る。

 

「アルフィン? それにエリゼさん……」

 

 指摘されて彼女たちの存在にクリスは気付く。

 

「セドリック、少し休まないと」

 

「お気持ちは分かりますが、御自愛ください殿下」

 

 アルフィンに付き従う形で入って来たエリゼが持つトレイには様々なパンとティーポットが乗せられ、それを見た瞬間クリスの腹は空腹を訴える。

 

「もうそんな時間か……」

 

 固まっていた体を解し、クリスは目頭を押さえる。

 

「セドリック無理をし過ぎよ。昨日起きたばかりなのに」

 

「そんなことは言ってられないよ……

 こうしている間にもⅦ組のみんなは動いているし、内戦だって進んでいる……

 アルバレア公の要求はアルフィンだって聞いただろ? 僕にはのんびりしている時間はないんだ」

 

「そうかもしれないけど……」

 

「せめて兄上と合流できれば……」

 

 現在の内戦の情勢を思い浮かべながら、クリスはオリヴァルトと会う方法を考える。

 革新派の旗頭にされながら、実際の発言力はないお飾りになっているがオリヴァルトと合流できれば新たな道が拓けるかもしれない。

 だからこそ、クリスは足りない頭で必死に考える。

 

「セドリック……」

 

 そんな必死な弟の姿にアルフィンは複雑な喪失感を覚える。

 頼りなかった弟の成長に戸惑えば良いのか、喜べば良いのか、再会から時間が経った今でもアルフィンはどうすれば良いのか分からない。

 

「でも良い機会かもしれない。アルフィン、君はエリゼさんと一緒にそれこそルーファス総督にこのまま保護を受けるべきだと思う」

 

「セドリック!? いきなり何を?」

 

「単刀直入に言おう。“全て”の決着がつくまでエリゼさんと避難して欲しい」

 

「ば、馬鹿なことを言わないでちょうだい!」

 

 突然のクリスの提案にアルフィンは声を大にして反論する。

 

「帝国が大変なことになって、お兄様も貴方も戦っているのにわたくし一人がどうして――」

 

「だったら聞くけど、君に何が出来るんだい?」

 

 いっそう突き放す口振りでクリスは言い放つ。

 

「皇城や女学院で蝶よ花よと育てられ、過ごして来ただけの君が」

 

「っ――」

 

「この内戦はセドリック皇子とオリヴァルト皇子の継承権争いにすり替えられようとしている……

 こんな混迷した状況の中、もしも“第三の風”としての道を見つけられたとしても君の存在意義は邪魔にしかならない」

 

「………………」

 

 クリスのきつい物言いにアルフィンは押し黙る。

 彼の言葉は厳しいがそこに自分に向けられた愛情があることは感じ取れる。

 そして――

 

「それに僕にとって、エリゼさんは大切な人だからこれ以上危険な目にあって欲しくないんだ」

 

「………………え?」

 

「で、殿下!?」

 

「もしもエリゼさんに傷一つでもつけば僕は生きてられないだろうからね」

 

「待って……待ちなさいセドリック……貴方は自分が何を言ったのか分かっているの!?」

 

 先程とは一転して朗らかに笑いながら告げられた言葉にアルフィンは大いに戸惑う。

 

「何をって……事実を言ったまでだけど?」

 

 エリゼに何かがあれば、それこそ“彼”は次元の壁や因果を超越して馳せ参じてくれるかもしれないが、それは同時に守れなかった自分の命の危険に――命の危険がないスパルタの危機に他ならない。

 

「エリゼさんだけじゃない。ユミルのテオ男爵やルシアさんも僕にとってはもう大切な人達だから、安心してアルフィンと国外に避難していて欲しい」

 

 慌てるアルフィンを他所にクリスは真摯な眼差しをエリゼに向ける。

 

「えっと……その……大変光栄なことなのですが……」

 

 当のエリゼはその真意を理解できるはずもなく、クリスの大胆な告白に顔を赤らめて戸惑う。

 

「っ――」

 

 その瞬間、クリスの背筋に寒気が走る。

 何事かと振り返って見るが、そこには壁しかない。

 

「…………もしかして……あり得るのか?」

 

 冗談交じりに思い浮かべたその可能性にクリスは生唾を飲み、エリゼに振り返る。

 

「で、殿下……?」

 

「ちょっとセドリック本気なの!?」

 

 熱い眼差しを向けられたエリゼは思わずたじろぎ、アルフィンは更に混乱し――

 

「盛り上がっているところ失礼します」

 

 その言葉は場の空気を読んで沈黙を保っていたクレアではなく、新たに部屋に入って来たルーファスの言葉だった。

 

「ルーファス総督、いかがしましたか?」

 

 いち早く反応したクレアが敬礼をしながら、用件を尋ねる。

 

「《鳥》が籠の中に入ったと《仔猫》から報告があった。速やかに部隊の準備をしてくれるかな?」

 

「このタイミングで……やはり目的は“彼女”でしょうか?」

 

「おそらくそうだろう。協力してもらえるかな?」

 

 下手に出るようなルーファスの言葉にクレアはため息を吐く。

 

「貴方に思う所がないわけではありませんが、このクロスベルでは協力することに異論はないと伝えたはずです……

 どうぞ、遠慮せずに《要請》を命令してください」

 

「それでは――」

 

「待ってください!」

 

 勝手に話が進めていくルーファスとクレアにクリスが割って入る。

 

「今の話はもしかして……」

 

「ええ……殿下が察した通りです」

 

 クリスの嫌な予感をルーファスが首肯する。

 

「特務支援課がこのオルキスタワーに侵入しようとしています」

 

 

 

 

 ウルスラ医科大学病院にて、二人の女が膝を着き合わせて語り合う。

 

「つまりよ。東方の気功術を使えば体型は自由自在なわけなのよ」

 

 一人は数ヶ月前の重症からとある霊薬によって助かり、今回はその経過を調べるための入院患者。

 

「ふーん……でもそれって不自然な力が入っているからあんまりそそられないんだよね」

 

 一人は先日、仲間を庇って全身に爆発の衝撃を受けた入院患者。

 なお後者は寝て、食べたからもう治っているといって元気一杯の様子。

 

「確かに不自然な力みはバランスを崩すわ。でもこう考えられないかしら?

 今までどこにいるかも分からなかった自分の理想が追求できると」

 

「自分の理想?」

 

「あの子の自然体が一番良いのは私も否定しないわ……だけど、心のどこかでもしかしたら妥協していたんじゃないかと思うのよ」

 

「妥協って……そんなのあんたに一番似合わない言葉だよね?」

 

「ええ、でもしかたがないでしょ?

 こればかりは努力とかで済ませられるものじゃないんだから……でも、東方の気功術なら、私の理想を突き詰められる可能性があるのよ!」

 

「うーん……でもなー」

 

「貴女も感じたことはあるはずよ!

 大きさが良くても弾力が不満があった、弾力は良くても形にこれじゃないって感じたこともあったでしょう?」

 

「それはたしかにあるけどさ……」

 

「でも気功術を使えば、理想の大きさ、理想の弾力、理想の形を追求できる! ならばこれを使わない道理はないわよね?」

 

「ま、一理あるかな? 合う合わないは実際に触ってから判断すれば良いしね」

 

「どうやら分かってくれたようね。と言うわけでリーシャ!」

 

「やりません」

 

 見舞いに来た少女はにべもなくその女の提案を切って捨てた。

 

「いたたたっ! 二年前にリベールで《銀》にやられた腕の古傷が疼くっ!」

 

「ならばその両腕、ここで斬り落としてやろうか《人喰い虎》」

 

「いたたたっ! 誰かさんを庇って折れた腕が今になって痛み出したわ!」

 

「イリアさん……」

 

 

 

 

 

 

「ティオの陽動はうまく行ったみたいだな」

 

「この様子だとお嬢の方も怪しまれてないみたいだな」

 

 狭い小型のエレベーターの中でロイドとランディは順調にここまで来れたことに安堵の息を吐く。

 オルキスタワーの最上層とジオフロントを繋ぐ要人用の緊急エレベーター。

 先の地下活動の成果もあり、このエレベーターはまだ帝国軍に気付かれた様子はなく、ロイド達は帝国兵と遭遇することなくオルキスタワーへの侵入を成功させることができた。

 

「待っている二人のためにも必ず成功させないとな」

 

「ああ、今度こそキーアの手を掴んでみせる」

 

 拳を握り締めてロイドは気合いを入れる。

 だが、その気合いとは裏腹にロイドは自分達がしていることが本当に正しいのか疑問を感じてしまう。

 何か大切なことを忘れてしまっているような空虚感が胸を締め付け、今自分達がしていることが本当に正しいのか疑ってしまう。

 

「…………なあランディ、俺達は本当に正しいんだよな?」

 

「おいおい、ここに来て弱気なこと言ってんじゃねえよ」

 

「自信を持ってくださいロイドさん、貴方は僕達の“中心”なんですから」

 

 ランディとクルトの言葉でも胸の中の空虚は晴れない。

 

「気持ちは分からなくもないけどな……キー坊の反抗期で不安なのは分かるが、そんなんじゃ帝国の魔の手からキー坊を救う事なんてできないぜ」

 

「ランディ」

 

 歯に衣着せないランディの物言いをロイドは諫めるようと語気を荒げる。

 が、悪し様に言われた帝国人のクルトはランディに頷く。

 

「僕の事なら気にしないでください。帝国によるクロスベルの占領、納得できないのは僕も同じですから」

 

「だけどクルト、君までこんな事に付き合わなくても……」

 

「それ以上言わないでください。選んだのは僕ですから」

 

 強い決意を滲ませたクルトの目にロイドは押し黙る。

 帝国での立場を持っているはずのクルトをクロスベルの事情に巻き込んでいる後ろめたさを何度も感じていた。

 今日までは地下活動の裏方に徹してもらっていたが、今回の作戦に関してはクルトの強い希望もあって押し切られてしまった。

 そのことにロイドは罪悪感を覚えずにはいられない。

 

「俺達のクロスベルを取り戻すためにもまずはキー坊を取り戻さないとな」

 

「そうですよ。キーアにあんな顔は似合わないですから」

 

 クルトの言葉にロイドは別れ際のキーアの顔を思い出す。

 今にも泣きそうな顔をして別れを告げたキーア。

 彼女に強く拒絶されたことがショックで、重傷を負っていたイアンの救助を優先しキーアを追い駆けるのをエステル達に託した判断は果たして正しかったのだろうか。

 

「――――っ」

 

 突然、頭に走った痛みにロイドは顔をしかめる。

 

「おいおい、ロイドまたか?」

 

「大丈夫ですか?」

 

「あ……ああ、大丈夫だ。すまない、こんな大事な時に」

 

 慣れているはずの痛みを振り払うようにロイドは頭を振る。

 それだけで頭痛と感じていた違和感が晴れる。

 

「俺達のクロスベルを取り戻すためにも、まずはキーアを助けないとな」

 

 ディーターを、アリオスを、イアンを逮捕した。

 その結果、クロスベルは諍う術もなくエレボニアに占領されてしまった。

 不当な弾圧を受けているわけではないが、クロスベルの市民たちの顔はこの一ヶ月、明らかに消沈し活気をなくしていた。

 だからこそ、自分達が立ち上がらなければと何かに背中を押されるようにロイドはクロスベルの希望となるべく地下活動に勤しんだ。

 

「そうだ……俺達は間違ってない……」

 

 ロイドは自分に言い聞かせる。

 警察官である自分の行動は正しい。

 だから自分が信じた道を突き進み、壁を乗り越えれば良いのだと、脳裏に思い浮かべた兄が黒い笑みを浮かべて囁き、ロイドは頷いた。

 エレベーターの中に到着を告げる電子音が響く。

 

「ここからは時間との勝負だ」

 

「おうよ。こういう仕事は慣れっこだ。遅れるんじゃねえぞ二人とも」

 

「ええ、御二人の背中は僕が護ります」

 

 激励を掛けるロイドにランディとクルトが応える。

 そうしている内にエレベーターの扉が開き、三人は勢いよく飛び出し――一気に駆け抜けようとした足を止めた。

 

「おい……ロイド、最上階に出るんじゃなかったのか?」

 

「そのはずだけど……」

 

 ランディの疑問にロイドもまた困惑した様子で周囲を見回す。

 オルキスタワーの外観からは想像できない怪しげな機械が乱立した空間。

 それはメンテナンス区画と詐称されていたクロイス家の技術の結晶である魔導区画。

 

「待ってくれ、今ティオに確認を取る」

 

 ロイドは《ARCUS》を開いて通信を試みるが、いつまで経っても回線は開かない。

 

「……どういうことだ……?」

 

 《ARCUS》を閉じてロイドは顔をしかめる。

 ここまで、これまでの地下活動も順調だっただけに、この不測の事態にロイド達は困惑する。

 そんな彼らにどこからともなく声が掛かる。

 

「来てしまったんですね」

 

 それは少年の声。

 どこか失望と諦観を滲ませた声でその少年はロイド達の前に現れる。

 

「君はクリス……いや――」

 

「セドリック殿下……どうして貴方がこんなところに?」

 

 ロイドの言葉に重なるようにクルトは予想外の人物の登場に目を見開く。

 

「…………殿下……か……」

 

 クリスはため息を吐き、感じた憤りを呑み込んで特務支援課と向き直る。

 

「それはこちらのセリフだ。君達は何のつもりでオルキスタワーに潜入したんだい?」

 

 穏やかな口調の質問にロイド達は警戒心を緩める。

 かつてクルトの世話役として一緒に特務支援課のビルで一時期ともに過ごした仲間だけにロイド達は事情を説明する。

 クリスが進学のために帝国へ戻ってから、キーアと言う少女が特務支援課にやって来たこと。

 その子が帝国に捕まり、今オルキスタワーに監禁されていること。

 自分達は帝国から彼女を取り戻すためにここにいる。

 

「だからセドリック殿下、どうか俺達に力を貸してください」

 

 終始、顔に笑みを浮かべて話を聞いてくれていたクリスにロイドは頼む。

 

「…………一つ、こちらからも聞いて良いですか?」

 

 黙ってロイド達の主張に耳を傾けていたクリスは質問を返す。

 

「クルト、君が特務支援課に――いや、クロスベルに来た切っ掛けは何だったけ?」

 

「え……それは……」

 

 突然の質問にクルトは目を丸くし、嫌味と取れる質問に顔をしかめた。

 

「それは僕が殿下の飛び級に反対し、貴方に負けたから……

 武者修行の意味を込めて兄上が特務支援課に参加することを掛け合ってくれたから」

 

「それだけかい? 《超帝国人》という言葉に覚えはないのかい?」

 

「超帝国人? 《大いなる騎士》の伝承と共に語り継がれている帝国の伝説の話が何の関係が?」

 

 クリスの質問にクルトは訳が分からないと首を傾げる。

 

「もういい」

 

 そんなクルトの反応に、クリスは今まで張り付けていた外面を剥がして深いため息を吐く。

 

「貴方達の事情は良く分かりました」

 

「殿下、それじゃあ――」

 

「ええ、だから――」

 

 徐にクリスは右手を上げて指を鳴らす。

 

「っ――後ろだっ!」

 

 その気配をいち早く感じ取ったランディが警告を叫び、彼らの背後で黒い傀儡が音もなく何もなかった空間に現れると同時にその肩を蹴って少年がランディに斬りかかる。

 

「っ――」

 

 スタンハルバードで双剣の連撃を防ぐが、続く蹴りにランディはロイド達の輪から強引に話される。

 

「ランディッ! くっ!?」

 

「クラウ・ソラス」

 

 叫ぶロイドに銀髪の少女が黒い傀儡を嗾ける。

 瞬く間に特務支援課は分断され、その場にクリスとクルトが取り残される。

 

「殿下! これはいったいどういうことですか!?」

 

「君たちは自分が何をしているのか分かっているのかい? 君達がしていることは犯罪だ」

 

「だけどキーアが――」

 

「それ以上口を開くなクルト!」

 

 苛立ちを露わにしたクリスの叫びにクルトは思わず息を呑む。

 初めて見る幼馴染の激情。

 何をそんなに憤っているのか理解できず、クルトはどんな言葉を掛けるべきなのか分からず立ち尽くす。

 

「君たちは変わったよ。以前のみんなはクロスベルの独立なんて考えていなかった」

 

「それは……殿下が帝国へ帰ってからいろいろあったんです」

 

「だから、何をしても良いって言うのかい?」

 

「それは……」

 

「不法侵入に機密情報の隠匿、そして今度は女の子の誘拐かい? それが仮にも警察官がすることか?」

 

「だけどそうしないとクロスベルは本当に帝国に支配されて二度と独立することができなくなる……

 それにキーアは特務支援課の子供だから」

 

「だから何だって言うんだ?

 クロスベルはそれだけのことをしたんだ。今の帝国の占領も破格の条件で為されていることをどうして分からない?」

 

「しかしそれじゃあクロスベルの誇りは!」

 

「誇りって何だい? 半年前、数ヶ月をクロスベルで過ごした僕はそんな言葉一度だって聞いたことはないよ」

 

「それでも……それでも僕達はディーター大統領を逮捕した責任が……クロスベルの市民の希望として――」

 

「特務支援課は《解放者》なんて巷では言われているらしいけど、だったら特務支援課じゃなくて《クロスベル解放戦線》とでも名乗ったらどうなんだい?」

 

「っ――セドリック!」

 

 そこに込められた意味は分からないものの、最大の侮蔑を込められていることを感じ取りクルトは激昂する。

 特務支援課は失意に沈んだ自分を救い上げ、再び双剣を握るために支えてくれたクルトにとって大切な居場所。

 それに唾を吐か付けられるクリスの言葉は例え幼馴染の親友、エレボニアの皇子だとしてもクルトにとって許せない一線。

 

「今の言葉、取り消せ!」

 

「いやだと言ったら?」

 

 侮蔑の眼差しにクルトは突き動かされるように導力刃の双剣を抜く。

 それに対してクリスもまた漆黒の魔剣を抜いた。

 

「今度こそ、勝たせてもらいます殿下! そしてキーアを今度こそ守り抜く!」

 

「君達には無理だ」

 

 その言葉を合図に二人は激突する。

 

 

 

 








原作のロイド達を好意的に見られる人ってどこら辺が納得できているんでしょうかね?
自分は閃Ⅱから創に至るまでフォローのしようがないくらいにお前達が言うなと言う気分でロイド達の行動を見ていました。



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13話 特務支援課

 

 

 剣を交えた瞬間、クリスは後ろ腰に装着していたホルスターから小型の導力銃を抜き放ち、至近距離からクルトに向けて発砲、連射する。

 

「っ――」

 

 クルトは後ろに跳躍すると同時に左の導力剣を一閃し、銃弾をまとめて薙ぎ払う。

 

「…………」

 

 かつてはそれで勝負が着き、肩透かしをくらった一幕。

 今度は油断も慢心もない、本気の戦いになるというのにクリスの心は高揚するどころか自分でも不思議なくらい冷め切っていた。

 

「何だその顔は!?」

 

 それがお気に召さなかったのか、クルトは顔をしかめて声を荒げる。

 

「…………今の君に言っても分からないよ」

 

 投げ槍にクリスはそれに応える。

 

「っ――」

 

 クルトは眦を上げながら、闘気を練り上げる。

 彼が纏う気の激しさが今の感情を表し、それでいて冷静を保ちながらクルトは言葉を投げかける。

 

「あの時と同じだと思うなよ」

 

「御託は良いよ。それとも君がクロスベルで学んだのは口だけなのかい?」

 

「っ――」

 

 クリスの挑発にクルトは襲い掛かる。

 クリスはそれに応えるように剣を振り被る。

 互いに右手に握った剣をぶつけ合い、魔剣を盾にしながらクリスは銃の間合いを保とうとする。

 させじとクルトは間合いを詰めて双剣を走らせる。

 

「っ――」

 

「もらった!」

 

 数合の攻防の末、下から救い上げるように放った剣戟が導力銃を捉え、クリスの手から弾き飛ばされる。

 チャンスだとクルトは双剣に光を宿らせ――

 

「リヴァルト」

 

 クリスがその名を呟くと、漆黒の魔剣が怪しく光り、その光は空になった左手に集束され、翠の魔剣となって顕現する。

 

「くっ――テンペストエッジッ!」

 

 どんな理屈か分からないが、クルトは構わず戦技を繰り出す。

 

「テンペストエッジッ!」

 

 対するクリスも二つの魔剣に風を帯びさせて双剣の乱舞を繰り出す。

 

「っ――ふざけるなっ!」

 

 見様見真似の技にクルトは咆え、剣に更に力が籠る。

 勢いを増したクルトの剣戟がクリスの剣戟を押し潰し、翠の魔剣が宙を舞う。

 

「殿下が双剣で僕に勝てるはずないだろ!」

 

 競り勝ったことに気分を良くするクルトに対してクリスは剣を弾かれてかすかに痺れた手を冷めた目で見下ろした。

 

「…………こんなものだったのか……」

 

「何……?」

 

 失望したような、落胆を交えたため息を吐くクリスにクルトは顔をしかめる。

 怪訝そうにするクルトにクリスは剣を向け呟く――

 

「ブリランテ」

 

 次の瞬間、漆黒の魔剣が紅蓮の炎に包まれ、一回り大きな大剣へとその姿を変える。

 

「なっ!?」

 

 常識外の変化にクルトは大きく目を見開く。

 

「クルト、ちゃんと受けないと死ぬよ」

 

 忠告を一言、クリスはクルトに背中を見せる程に体を捩じる。

 繰り出す技は見様見真似だが、何度もその目に焼き付けた一撃。

 踏み込むと同時に回転させた遠心力を繰り出すようにアレンジしたクリスなりの一撃。

 

「螺旋撃っ!」

 

「――っ」

 

 反応に遅れ、回避より防御を選んでクルトは双剣を交差し――

 

「ぐぅっ……」

 

 大剣の一撃を受け止め切れずクルトはたたらを踏んで大きくよろめく。

 

「まだまだっ!」

 

 柄を持ち替え、身体ごと回して大剣を振り回しクリスは追い打ちを掛ける。

 

「っ――」

 

 クルトが体制を建て直すより早く繰り出された一撃をクルトは再び双剣を盾にして、その身を揺らす。

 

「――こんな戦い方どこで習ったんですか!?」

 

 たまらずクルトは叫ぶ。

 クリスの一撃は両手を使って受けなければならない程に重い。

 斬撃で相殺しようとすれば、簡単に押し切られ、双剣術の利点をこんな風に荒々しい攻撃で封じてくるとは想像もしていなかった。

 

「そんなことを気にしている余裕はあるのかい?」

 

「っ――そっちがその気なら――」

 

 クリスの物言いにクルトは歯噛みし、双剣の導力刃を消し、伏せて炎を纏う大剣の横薙ぎの一閃を躱して距離を取る。

 

「モードβ《剛剣》」

 

 二つの柄を直列に連結させ、発生させた導力刃はクリスのブリランテに劣らない程の大剣。

 

「なるほど、そういう武器なのか」

 

 感心したようにクリスは一つ頷き、

 

「エリクシル」

 

「え……?」

 

 大剣の炎が消えたと思った瞬間、クリスは先程までの回転移動とは異なる一直線の突撃でクルトに迫る。

 

「ふっ――」

 

「っ――」

 

 思った以上に様になっている刺突をクルトは咄嗟に大剣を盾にする。

 

「どうしたんだいクルト? さっきから全然攻めてこないじゃないか?」

 

「ぐっ――この――っ!?」

 

 クリスの挑発にクルトはムキになって大剣を振り被ろうとしたタイミングで金の穂先がクルトの眼前を掠める。

 反撃に強引に大剣を振るが、クリスは一歩後ろに下がるだけで難なくクルトの攻撃を回避する。

 

「な……」

 

「ほらほらどうしたんだいクルト? もう終わりかい?」

 

「っ――モードΔ《風御前》」

 

 間合いの外から視認が難しい雷光の刺突を嫌ってクルトは距離を取り、オーブメントの接続を切り替えて薙刀を構える。

 

「これなら――」

 

 仕切り直したところでクルトは目を丸くした。

 

「…………え?」

 

 槍を消したと思ったクリスは何を思ったのか、クルトに背中を向けると脇目も振らずに駆け出し、最初に弾き飛ばした導力銃を拾う。

 

「しまった――」

 

「クルト、君はさっき双剣で僕は君に勝てるはずないって言ったよね?」

 

 クリスは左手に導力銃を、右手に《ARCUS》を構えて告げる。

 

「それは正しいよ。だけど、この戦い方でなら僕に君が勝てるはずないんだよ。《ARCUS》駆動っ!」

 

「っ――」

 

 クルトの周囲に七耀の力が渦巻く。

 正面突破を考えるが、突き付けられた銃口にクルトは二の足を踏み――

 

「あ……」

 

 次の瞬間、クリスは思わず横を見た。

 

「っ――どこまで馬鹿にするつもりだ! そんな手に――ぐはっ!?」

 

 激昂したクルトは次の瞬間、クリスがよそ見した方向から吹き飛んできたロイドの体当たりを喰らう。

 

「ロ、ロイドさんっ!」

 

「ク、クルト……すまない……」

 

 大きくよろめき、薙刀を落としながらもロイドを受け止めたクルトがその次に見たのは黒い鎧を纏って飛翔する銀髪の少女。

 

「アルカディスギア――」

 

 少女はその小さな体躯に不釣り合いな大きな鉄の拳を握り込み、解き放つ。

 

「はこうけんっ!」

 

 鉄の拳はロイドとクルトを纏めて捉えるのだった。

 そして――

 

「まだやりますか、ランディさん?」

 

「……いや、降参だ」

 

 仲間をやられ、三人に囲まれたランディはベルゼルガーを下ろして両手を上げた。

 

 

 

 

 

「くっ……まさかここまで力の差があるなんて……」

 

 膝を着いて悔しがるクルトをクリスは冷めた気持ちで見下ろした。

 

 ――あの人も、もしかしたらこんな気持ちだったのかな?

 

 弱いながらも《黒い気》を纏っている支援課の三人にクリスはそんな感想を抱く。

 特務支援課の一連の行動が《呪い》によって促されたものだとすれば、諦観して仕方がないと割り切るしかない。

 しかしクリスが考えるのは、自分達Ⅶ組の行動。

 マキアスを初め、Ⅶ組の大半は《呪い》に侵されて愚行を行ってしまった。

 もちろん、《呪い》が晴れた後はみんな後悔し、憑き物が落ちたように前を向けるようになった。

 それ自体は喜ばしいことだが、クリスはまだ《瘴気》を漂わせているクルトに失望と諦観を感じずにはいられなかった。

 

 ――クルトはダメだ……《黄昏》の戦力にはならない……

 

「どうして、どうやって殿下はそれだけの“力”を手に入れたと言うんですか?」

 

 見上げるクルトの嫉妬が混じった眼差しにクリスは優越感を抱くことはなかった。

 

「僕が強くなったんじゃない……君達が弱くなったんだ」

 

「なっ――?」

 

「言ってくれるじゃねえか」

 

 クリスの指摘にクルトとランディは心外だと言わんばかりに顔をしかめる。

 

「本当は君達も理解しているんじゃないかい? 自分達が間違ったことをしていると」

 

 その言葉にクルト達は沈黙を返す。

 

「何の欺瞞もなく、ただひたすらに真っ直ぐではいられなくなった……

 正直見ていられませんよ。クロスベルの大きな《壁》を前に悩みながらも一歩ずつ前に進もうとしていた貴方達が見る影もない。それに……」

 

 彼らが成長していないのは“彼”の存在が消えた影響かもしれないと思考が過る。

 

「――そんな君達に負けてなんてやるものか!」

 

「殿下……?」

 

 突然のクリスの激昂にクルトは目を丸くする。

 

「…………まあいい。少し予定とは違うけど、君達はここで拘束する」

 

 頭を振ってクリスは彼らへの憤りを呑み込み、三人に告げる。

 そうして戦いは特務支援課側の敗北で幕を閉じた――かに見えた。

 

「ッ……まだだ!!」

 

 それまで沈黙を保っていたロイドはゆっくりと体を震わせながら立ち上がる。

 

「ようやくここまで辿り着いたんだ……!」

 

 満身創痍でトンファーを構え、ロイドはその身にこの場でクリスだけが見れる《黒い瘴気》を立ち昇らせる。

 

「絶対に負けられない……!

 大樹の時は届かなかった……だけど今度こそ絶対に……ッ!」

 

「ロ、ロイドさん……」

 

「……ロイド……」

 

 彼の叫びに共感するようにクルトとランディが纏っていた《瘴気》がロイドへと流れて一つになる。

 

「…………本当に君達は……」

 

 その光景にクリスはため息を吐く。

 

「ッ――うおおおおおおっ!」

 

 ロイドは雄叫びを上げる。

 心を燃やし、彼が纏う闘気は彼の心情を表すかのように激しく燃え盛る。

 ただしその色は《黒》。

 

「良いでしょう、そちらがその気ならもう容赦はしません」

 

 不屈の闘志を漲らせるロイドにクリスは覚悟を決める。

 いくら《呪い》に背中を押されていたのだとしても、この行動は紛れもないロイドの選択に他ならない。

 それ程までにあの少女がロイドにとって大切だと言うのなら、これ以上の問答は無粋だとクリスは魔剣を抜く。

 ロイドがトンファーを身構え、クリスが魔剣を振り被る。

 ロイドは雄叫びを上げて床を蹴り、クリスは突撃して来るロイドを迎え撃つ。

 

「ちょっと待ったああああああっ!」

 

 制止の声が魔導区画に響き渡り、それとは別に黒髪の青年が音もなく二人の間に現れ、次の瞬間ロイドとクリスは彼の手によって宙を舞っていた。

 

「なっ!?」

 

「くっ!?」

 

 何とか受け身を取ってクリスは着地し、渾身の一撃を極めるはずだったロイドは彼とは対照的に無様に床に転がった。

 

「その喧嘩はもうお終いよ」

 

 そして二人の間にツインテールの娘が立って宣言した。

 

「エ、エステルさん……」

 

「エステル、どうして君がここに?」

 

「どうしてじゃないわよ、ロイド君」

 

 はぁ、っとエステルは大きくため息を吐いて、背後を振り返る。

 

「ほら、話さないといけないことがあるんでしょ?」

 

 そこで二人はエステルが何かを背負っていたことに気付く。

 それが何なのかはすぐに分かった。

 

「…………うん」

 

 エステルの言葉に小さく頷いた声に、ロイド達は目を大きく見開く。

 エステルはその場に膝を着いて背負った少女をその場に降ろし、その女の子はロイド達に向き直った。

 

「ロイド……それにクルトとランディ……」

 

「…………キーア」

 

 クロスベルの独立からすれ違っていた彼らは、ここにようやく再会するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 








自分が碧の二次創作を作るなら、追加シナリオはバニングス捜査官の事件簿かな?

通商会議後、ロイドに一本の電話が届く。
彼はガイ・バニングスの死の真相を知っているとロイドに告げ、この情報をいくらで買うかと情報料を要求して来た。
真実を知りたいとは思うものの提示されたミラを用意することはできないと断る。
しかし次の日、クロスベルで殺人事件が起こる。
その被害者はロイドに取引を持ち掛けた人物だった。
この事件を切っ掛けにロイド達はガイの事件の調査を始める。

という感じの話で本編の補強をしていたかもしれません。




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14話 夢の終わり


とりあえずお気に入りユーザー限定の設定を試させていただきます。



―追記―
活動報告にも書きましたが、登録申請を多く公平性を欠くのと手間を考えて通常投降に戻しました。

御迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。

感想に関しては基本的にどんなものでも受け入れるつもりではありますが、アウトの境界が自分でも曖昧なので皆様の節度に任せるとしか言えません。

ただ基本的に自分は軌跡シリーズ全てのキャラを愛しているので、貶めたり不遇のまま死なせることになったとしてもそれは変わりません。

長々と書いていますが、改めてご迷惑をお掛けしました。
今後とも自分の閃の軌跡をよろしくお願いします。







 

 それを見た時、キーアは全てを思い出した。

 同時に数多の因果にあり得なかった“未知”に困惑した。

 “雲の至宝”。

 後にキーアがなる“零の儀式”のシステムを利用して生まれたあり得ない可能性。

 そもそも“彼”に騎神を持って来て欲しいと頼んだのは、飛行艇がオルキスタワーへ突撃をする未来や列車砲の砲撃が撃たれた未来への備えのはずだった。

 しかし、実際に起きたことはキーアが見たどの未来とも違う結末だった。

 何が未来を歪めたのか“全能”となったキーアでも見通すことができない因果にただ戸惑うことしかできなかった。

 

「どうしたんだキーア?」

 

 ロイドはそんなキーアのささやかな変化に気付き、尋ねる。

 

「ううん、何でもない。キーアは元気だよ!」

 

 一つ、嘘を吐いた。

 彼らに打ち明けても、何の解決にならないから。

 ロイド達には自分の問題を解決する“知識”がないから。

 

「大丈夫、安心してクロスベルの未来は私たちが護るから」

 

「うん、エリィ達ならきっとできるよ」

 

 また嘘を重ねてしまう。

 ロイド達にそれだけの“力”がないのをキーアは知っている。

 オルキスタワーで自分達の限界を思い知らされ、受け入れることができずにいるエリィ達に真実を告げることをキーアはできなかった。

 

「むむ、キーアは情報工学の才能もあるようですね。キーアが将来、何になるのか楽しみです」

 

「将来……うーん、キーアにはよくわかんないや」

 

 嘘で不安を誤魔化す。

 ティオが語る将来など分からない。

 “至宝”にならなければ自分と言う存在を維持できない未来。

 “至宝”になってクロスベルの守護神となって戦う。それしか自分には道はないのだから。

 

「安心しろキー坊、帝国や共和国が攻めて来たとしても俺が返り討ちにしてやる」

 

「うん、ランディは強いもんね」

 

 本心を押し殺して嘘を重ねる。

 キーアが頼るべきなのは唯一の“未知”である“彼”なのだろうと結論に達している。

 だけどそれを明かすことはできない。

 帝国や“彼”に対抗心を燃やし拒絶の壁を作っているみんなにそれを打ち明けるのは裏切りだと、キーアはその未来を選ぶことはできないと自分に嘘を吐く。

 

「帝国人だってそこまで愚かじゃない。どうか信じてほしい」

 

「うん、帝国の人が悪い人じゃないって、ちゃんとキーアも分かってるよ、クルト」

 

 不安に揺れるクルトを慰めながら、キーアは列車砲を撃ってクロスベルを滅茶苦茶にされた未来があったことを隠すために嘘を吐く。

 一つ嘘を吐く度に、何かが歪んでいく。

 その嘘を守るために、新しい嘘を吐く度に罪悪感が胸を締め付けられる。

 

「キーア、それ以上無理をするな。君が全てを放棄したとしてもクロスベルがこの世から消えるわけじゃない」

 

「無理なんてしてない……だってこれが一番良い未来だから」

 

 全てを放棄してしまえと言うアリオスに嘘を吐く。

 一番良い未来は“自分”が目覚めない未来。

 ロイド達と言葉を交わさず、ただ眠り続ける未来こそがクロスベルにとって一番安寧とした未来だと分かっていても、その道を選べない自分にキーアは嘘を吐き続ける。

 

 ――ヨコセ……ヨコセ。ソノ“力”ハ吾ノモノダ――

 

 そして日に日に大きくなっていく声。

 いつの間にかキーアにとっての希望は、悪魔に見えていた。

 

『良かったら貰ってくれないかな? またあんな事件があった時にでも使ってくれ』

 

 思い出す言葉とそこに込められた意味にキーアは気付かない振りをして、また嘘を重ねる。

 そしてその嘘と欺瞞を重ねた代償は自分ではなく、“彼”に押し付けるという最悪なものとなった。

 

 

 

 

 

 

 碧の大樹の最奥。

 クルト、ワジ、ノエル。そしてエステルとヨシュアは目の前の白い闇とも言える空間を固唾を飲んで見守っていた。

 彼らが見守る中、白い闇は収束して消える。

 そうして代わりに現れたのはキーアを抱えたロイド達だった。

 

「フフ……戻って来たか……」

 

「キーアちゃん……」

 

「皆さん……よかった……」

 

 それぞれが安堵の息を吐く。

 

「あれ……?」

 

「っ……」

 

 そんな彼らの背後で遊撃士たちは首を傾げる。

 

「ふぅ……ただいま、みんな」

 

「心配を掛けたみたいでごめんなさい。でも見ての通りキーアちゃんは無事よ」

 

 キーアを抱きかかえたロイドとその傍らに寄り添っているエリィがクルト達に応える。

 

「どうやら元の姿に戻れたみたいだが……」

 

「どうしましたキーア? どこか痛いんですか?」

 

 ロイドの腕の中で、呆然とするキーアにランディとティオはその身を案じる。

 

「……ごめんなさい」

 

「え……?」

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

 

「キーアちゃん!?」

 

 急に頭を抱えて謝り出したキーアにロイド達は慌てる。

 

「大丈夫ですキーア。ランディさんが言っていたお尻ぺんぺんは冗談ですから!」

 

「そ、そうだぜ! 本当にやるつもりはなかったから泣くなっ!」

 

「ちがう……ちがうの……」

 

 必死にあやそうとしてくる四人にキーアは首を振って否定する。

 ならば何に謝っているのか理解できず特務支援課メンバーたちは困り果てると、そこでエステルが声を上げた。

 

「ロイド君っ! ■■■君はどうしたの!?」

 

「エステル……」

 

 キーアからエステルに振り返り、ロイドは答える。

 

「■■■君って誰のことだ?」

 

「…………え?」

 

 全く聞き覚えのない名前だと言わんばかりの反応にエステルは固まる。

 

「っ――ちょっと変な冗談はやめてよロイド君!

 ■■■君は■■■君よ! あの《灰の騎神》の起動者の■■■・■■■■■■■のことよ!」

 

「ロイド君達が白い闇の中に入った後、■■■君が追い駆けて行ったのを君達も見ていたはずだよね?」

 

 叫んで訴えるエステルとヨシュアは自分達の言葉の違和感に気付かず、彼らを問い質す。

 

「……そう言われても……」

 

 二人の指摘にロイドは《灰の騎神》を見上げるが、何故帝国の“大いなる騎士”がこの場にいるのか思い出せず首を傾げる。

 それはロイドだけに留まらず、外で待っていたクルト達も同じだった。

 

「…………キーアのせいなの……」

 

 困惑が支配する空気の中、罪悪感に満ちたか細い声が上がる。

 

「キーア?」

 

「キーアちゃん、それどういう事?」

 

 様子がおかしいキーアにロイドはさらに困惑し、エステルが彼女に詰め寄ろうとして目の前に現れた男に止められる。

 

「そこまでにしておきたまえ、エステル・ブライト」

 

「教授……っ!? まさか貴方の仕業なの!?」

 

 咄嗟にその場から飛び退き、エステルは反射的に棒を構え、ヨシュアも無言で双剣を抜く。

 

「いいや、この件に関しては私は何の関与もしていない」

 

「だったら、どうしてみんな■■■君のことを忘れているのよ!」

 

「君が気にする必要はないさ。君達もおそらくこの“大樹”から出れば彼の事を思い出すことはできなくなるはずだからね」

 

 説明を求めるエステルにワイスマンはあっさりとその要求を受け流し、代わりに伝言を伝える。

 

「まるで自分は例外みたいな言い方だな」

 

「そう取ってもらって構わないよ、ヨシュア……今は説明の時間すら惜しい」

 

「時間が惜しい?」

 

 オウム返しに聞き返す言葉に応えず、ワイスマンは話し始める。

 

「彼から君達に遊撃士として仕事の依頼だ……

 内戦が起きている帝国において、彼の妹と二代目《幻の至宝》であるナユタ、そして彼の故郷であるユミルを護り、安全を確保すること……

 そしてそこの《零の御子》を帝国のとある人物に引き渡すこと」

 

「なっ!?」

 

 ワイスマンの突然の提案に、彼女の保護者を自負している者達は驚愕の声を上げる。

 

「どういうつもりだ? キーアを利用しようと言うなら――」

 

 抱いたキーアを守るように抱え直しながら、ロイドはワイスマンを睨む。

 

「君達は私の話まで覚えていないのかな?

 《零の御子》はその出生から短い命を運命づけられている、それを解消するために然るべき知識を持つ者に委ねる……

 それとも君達に彼女の寿命の問題を解決できると? そこの第九位殿に具体的な方法があるとでも言うのかな?」

 

「……流石にホムンクルスについての技術は七耀教会も持ち合わせてはいないかな」

 

 水を向けられたワジは目を伏せ、首を振る。

 

「それなら俺達も――」

 

「残念だが、その者達は彼にとって重要人物なのでね。君達の様な恩知らずを近付けさせるわけにはいかないのだよ」

 

「なっ!?」

 

 謂れのない誹謗中傷に特務支援課一同は絶句し、

 

「言ってくれるじゃねえか……」

 

「まさか私たちがキーアを貴方達、結社に渡すとでも思っているのかしら?」

 

「心外ですね」

 

 キーアをたぶらかすワイスマンにそれぞれ武器を構える。

 

「自分達が何を忘れているのか、それさえも理解できずにいるから論外なのだよ……

 まあいい。元々君達と問答するつもりはないのだから。それで彼らはこう言っているが君はどうするのかな?」

 

 凄むランディ達を無視して、ワイスマンはロイドに――キーアに質問を投げかける。

 

「つい先程の出来事だと言うのに改変をされた彼らにここで何を説明したところで無駄だろう……

 そのような愚物など放っておいて、さあキーア……いや、キーア様どうぞこちらに」

 

 何を思ったのか、その男は意地の悪い笑みを浮かべて恭しくキーアに手を差し出した。

 

「お前っ! その顔で、その言葉を!」

 

 今のゲオルグ・ワイスマンは《D∴G教団》の司祭であったヨアヒム・ギュンターの身体を器にしている。

 彼の今の言動は数ヶ月前の《教団事件》のことをロイド達に否応なく思い出させる。

 キーアは渡さないと言わんばかりにロイドは抱えていた彼女を強く抱き締め――拒絶するようにその小さな手に押し返された。

 

「キーア?」

 

「ごめん……みんな……」

 

 そう言ってキーアはロイドの腕から降りる。

 

「キーアは行かなくちゃ行けないの」

 

 キーアは自分を守ろうとしてくれている家族たちの間をすり抜けるように彼らの前に出る。

 

「あ……」

 

 ロイドが伸ばした手はキーアに届かず空を切る。

 

「ロイド達は忘れちゃったみたいだからもう一度言うね」

 

 そう言って振り返ったキーアの顔は今にも泣き出しそうだった。

 しかし鏡の城での決別にあったはずの悲壮感が消えた、作り笑いにロイド達は言葉を失い、彼女を止める言葉を呑み込んでしまう。

 

「ごめんね、みんな……キーアはちゃんと罪を償わないといけないの……

 でも安心して、どんなに時間が掛かっても必ずみんなの所に帰って来るから……だからその時まで……またね」

 

 その言葉を最後にキーアは《灰》の掌に乗って自分達の元から去って行った。

 去り際にエステル達がキーアの事は必ず守ると約束してくれたが、ロイド達はディーター・クロイスの独立宣言の黒幕だったイアンを逮捕できた達成感に浸ることもできず虚無感に支配されることとなった。

 その後、頬に赤い紅葉を張り付けたマリアベルが現れ、捨て台詞を残して行ったのだがロイド達に彼女を追い駆ける気力はなくなっていた。

 だが、“大樹”から帰還したロイド達に休む暇などなかった。

 国土を護る三体の《神機》と《零の騎神》を失ったクロスベルは直後のエレボニア帝国の侵攻に対抗することなどできるはずもなく、その占領をただ受け入れることしかできなかった。

 

 

  *

 

 

 そして、その別れからロイドには待ち望んでいた、キーアにとってはバツの悪い再会となった。

 

「キーア……」

 

 言いたい事も碌に言えずに別れることになったキーアを目の前にロイドは言葉を詰まらせる。

 言いたいことは沢山あったはずなのに、いざ彼女を前にすると用意していたはずの言葉を忘れてしまう。

 

「ごめんなさい、ロイド」

 

「な、何でキーアが謝るんだ?」

 

 彼女が突撃してこない事に一抹の寂しさを覚えながらロイドは何とか言葉を返す。

 

「むしろ俺達の方が謝らないと……本当ならすぐにでもキーアを追い駆けて帝国に行くつもりだったのに」

 

 ロイド達がキーアを追い駆けられなかったのは、占領した帝国軍によってあの事件であり逮捕できた三人の極刑を宣告されてしまったからだ。

 帝国に冤罪を掛けて市民を扇動し、《D∴G教団》の創始者でもあったディーター・クロイス。

 遊撃士の立場を利用し、周辺国への働きを行っていたアリオス・マクレイン。

 そしてクロスベルのあらゆる情報を取りまとめてディーターを影から操っていた黒幕、イアン・グリムウッド。

 いつか再び、本当の意味でクロスベルが独立するために必要な存在だとマリアベルに諭されたこともあり、ロイド達はこの一ヶ月、彼らの減刑と地盤固めのための地下活動に勤しんだ。

 

「だけど帰って来てくれたってことはもう良いんだよな? キーアの身体はもう大丈夫なんだよな?」

 

 久しぶりの再会だからだろうか、キーアの顔は別れた時からやつれているように見える。

 

「とにかく一緒に帰ろう。エリィにティオ、課長にツァイトも待っている」

 

 手を差し出すロイドにキーアは悲しそうに首を振る。

 

「クロスベルに戻って来たのは偶然なの……だからキーアはまだ帰れない」

 

「そんなっ!」

 

 ロイドはキーアの背後に控えるエステルとヨシュアを睨む。

 その視線にエステルは静かに首を振って謝罪する。

 

「ごめんロイド君。キーアちゃんのお願いで、キーアちゃんの身体を治すより先にエリゼちゃんを探すことを優先して」

 

「っ――キーアの寿命のことなら俺達も何とかする方法を調べているんだ」

 

 ジオフロントの端末に残されたクロイス家の情報をかき集めている。

 断片的ではあるがデータ化されたクロイス家の錬金術の書の一部も見つけ、確かな手応えを感じている。

 だからこそ、ロイドはあの時掴めなかった手をキーアに差し出して訴える。

 

「まだ全然足りないけど、それでも必ず俺達がキーアの身体を治して見せる。だから帰って来てくれキーア」

 

「ちがう……ちがうの……」

 

 自分が行った愚行に気付いていないロイド達にキーアは一層罪悪感に胸を締め付けられながら、首を何度も振る。

 

「キーア……どうして……?」

 

 拒絶されるとは思っていなかったロイドはそんなキーアの反応に立ち尽くす。

 

「キーアが帝国に行ったのは……行ったのは……キーアの身体を治すためじゃない!」

 

「なっ!?」

 

 もちろんそれも理由の一つだが、今はヴァリマールの力によって不死者となっているため、急ぐことではない。

 エステル達も、“彼”の家族の事は自分達に任せて、キーアは治療を優先して良いと言ってくれたが、キーアの意志でそれを拒絶してこの一ヶ月、帝国内をヴァリマールで飛び回った。

 

「キーアは“あの人”の代わりに“あの人”が護るはずだったものを護らないといけないの!」

 

「あの人?」

 

 曖昧なキーアの言葉にロイドは眉を顰める。

 どこの誰だか全く心当たりは思い浮かばないが、キーアについた悪い虫の気配に黒い衝動が胸の奥から湧き上がる。

 キーアはロイドが纏う気配の変化に気付かずに続ける。

 

「それだけでキーアがしたことが償えるわけじゃないけど……

 全部が終わるまで……“あの人”が帰ってくるまでキーアはクロスベルには帰れない」

 

「キーア……」

 

 沸々と湧き上がる不快感がロイドの中で大きくなる。

 だが悪い虫の件を問い質すことをぐっと堪えてロイドは言う。

 

「クロスベル独立も歴史の改竄もディーターさんやイアンさんが考えたことだ。キーアのせいじゃない」

 

「ちがう……ちがうよ……

 キーアの“力”があったからディーターもイアンもそうする“道”を選んだの……全部キーアがいたから……

 キーアが目を覚まさなければ、ロイド達が教団事件で死んじゃうことも、猟兵がクロスベルを襲う事も、帝国に占領されることもなかった……

 全部、全部キーアのせいなの!」

 

「キーア……」

 

 捲し立てるキーアにロイドは思わず怯む。

 

「デミウルゴスがどうして消えることを選んだのか、キーアにはそれが分かるはずだった……

 なのにベルが教えてくれた、みんなといる未来をキーアは選んじゃった」

 

「それの何がいけないって言うんだ!」

 

 自分を責める言葉にロイドは反論する。

 

「いなければ良かった。そんなこと言わないでくれ!

 キーアがいてくれたから俺達は今まで頑張って来れたんだ……

 マリアベルさんが言っていたキーアが俺達に好意を抱かせていたことだって、そんなのただの切っ掛けにしか過ぎない!

 俺達がキーアを好きなのは誰にも侵すことができない“真実”だ。なのにキーアは俺達と過ごした日々が全部“嘘”だったって言うのか!?」

 

「それは……」

 

 訴えかけるロイドの言葉にキーアは目を伏せる。

 

「キーア……」

 

 押し黙ったキーアにロイドは安堵して一歩近付き――

 

「そうだよ」

 

 キーアの拒絶の言葉に足を止めた。

 

「ずっとキーアはロイド達に“嘘”をついていたんだよ」

 

「キーア……」

 

「ずっとみんなを騙して、ずっと良い子の振りをしていた。キーアは本当は悪い子だったの」

 

「だったら、そんな顔をするな!」

 

 思わず怒鳴ってロイドは言い返す。

 

「そんな顔で言う言葉が信じられるはずないだろ!? 取り繕った“嘘”じゃない、キーアの本当の“真実”を教えてくれるまで俺は――」

 

「もう良いだろロイド」

 

 それまで事の成り行きを見守っていたランディがロイドの肩を抑える。

 

「ランディ?」

 

「とりあえずキー坊は元気でやっている。今はそれで良いだろ」

 

「だけど――」

 

「お前には分からないかもしれないが、これは誰かが悪かったって話じゃねえんだ……

 誰よりも自分が許せない。だからケジメをつける。そう言いたかったんだろ?」

 

「ランディ……」

 

 ランディの言葉にキーアは小さく頷く。

 

「それからな。女の秘密はむやみに暴くもんじゃねえ。女の“嘘”は黙って受け入れてやるのが男ってもんだろ」

 

「そんな馬鹿な……」

 

 警察官としてあるまじきランディの言葉にロイドは眉を顰める。

 

「ランディさん、それは極論過ぎると思います」

 

 クルトもランディの言葉を受け入れられずに白い目を向ける。

 

「あれ? 俺、格好いいこと言ったはずなんだけどなぁ?」

 

 真面目な二人の生真面目な反応にランディはわざとらしくおどける。

 

「とにかくだ。キー坊のことはエステルちゃん達に任せて、俺達はいつか帰って来るこのクロスベルを守っていれば良いんだよ」

 

「ランディ……」

 

 全てに納得できたわけではない。それでも受け入れなければいけないのだとランディに諭され、ロイドは“力ずくでキーアを取り戻せ”という囁きを呑み込む。

 

「分かった――」

 

「いいや、君達も取るべきケジメを取ってもらわないとならないな」

 

 その場に新たな声が響く。

 それは遠巻きに見ていたクリスやアルティナ、スウィンのものではない。

 区画の奥から多くの帝国兵を引き連れて、クロスベル総督ルーファス・アルバレアが現れる。

 そしてロイド達が来た道からは、エリィがクレアに、ティオがレクターに促されるように現れる。

 

「なっ!?」

 

 ロイド達にとって不俱戴天の敵とも思える侵略者の親玉の登場に咄嗟に武器を構える。

 

「ふっ……」

 

 そんなロイド達の反応にルーファスは不敵な笑みを浮かべて指を鳴らす。

 その音を合図に彼の背後の帝国兵たちがロイド達に向かって来る。

 

「くっ――ここで捕まるわけには」

 

 既に捕まっているエリィとティオを助ける算段を考えながら、脱出する方法を探るロイド達だったが帝国兵たちはロイド達の前で足を止めると抱えていたパイプ椅子を五つ並べ、足早にルーファスの背後に戻る。

 

「さあ、席に着きたまえ特務支援課の諸君」

 

 呆然とするロイド達に、先に同じパイプ椅子に座っていたルーファスが着席を促す。

 魔導区画に場違いな椅子。

 それも彼の様な貴公子が座るとは思えない質素な椅子だと言うのに、その姿に品を感じてしまうことに息を呑む。

 

「な、何のつもりだ?」

 

「こちらが出した出頭命令を拒否され続けたのでね。だからこそ、こちらから出向かせてもらったまでだよ。何かおかしいかな?」

 

 真意を覆い隠す作り物の笑みにロイドは彼の背後にいる者たちに気付く。

 

「課長……それにマグダエル市長……」

 

 自分達と同じようにパイプ椅子の席を用意される二人。

 そして帝国兵に付き添われながら最新のオーバルカメラを肩に担いだレインズとマイクを握ったグレイスが一同を撮影できる位置に移動する。

 

「私は暫定とは言え、このクロスベルを治めることを任された身……

 民の不満に対しては可能な限り聞き入れるつもりでいる。もちろん治安維持組織の意見などはとても重要だと考えているよ」

 

 あくまでも穏やかな声でルーファスは話し合いを促す。

 

「だが至らない私には何故君達が頑なに帝国の支配を受け入れられないのか理解できない……

 この場で君達を逮捕、拘束しないことは約束しよう。発言の内容についても罪に問うつもりはない……

 クロスベルの統治者として君達が持つ不安を教えて欲しい。同時に私は君達に今のクロスベルがゼムリア大陸全土からどのような目で見られているのか自覚して欲しいと考えている」

 

 あくまでも強制ではないと言いながら、映像を映すことができるオーバルカメラの意味にロイドは既に《籠》の中に囚われたことを自覚する。

 彼の言葉通り、ロイド達が使ったエレベーターへの道を帝国兵は遮る様子はない。

 逃げることは簡単だが、それをすればどうなるか想像は容易だった。

 

「…………いったい、いつから?」

 

「ふふ、それを知りたければ座りたまえ、ロイド・バニングス」

 

 あくまでも穏やかに促すルーファスにロイドは従う以外の選択肢はなかった。

 そしてこの日クロスベル特務支援課は市民が見守る中、解散が宣言されるのだった。

 

 

 

 

 

 

「では最初に聞かせてもらおう……

 君達はクロスベルの独立騒動において、《零の至宝》はあくまで道具であり、彼女を使っていたディーター・クロイスとイアン・グリムウッドこそが諸悪の根源だったと言うのだね?

 しかし、君はそう言いながら二人の減刑を望んでいるわけだ。では果たして誰が一番悪かったと思っているのかな?」

 

「……そ、それは……」

 

「いや、そもそもこの二人と今は留置場にいるアリオス・マクレイン……

 この三人は君の兄であるガイ・バニングスを殺害し、その罪を隠蔽した犯人なのだが、恨みはないのかね?

 逮捕し、余罪を明らかにするのなら理解もできるが君がしていることはそれと真逆な行為なのだが釈明をしてもらえるかな?」

 

 口ごもるロイドにルーファスは矢継ぎ早に質問を重ねる。

 その光景をクリス達は離れて傍観していた。

 

「…………いきなりぶっこんだな」

 

「そりゃあ、資産凍結を正常化させて、各方面に謝罪しなくちゃならなかったり、クロイス家の遺産の調査を邪魔されたり、貧乏くじを引かされていたからな。相当頭に来てるだろ」

 

 クリスの呟きにスウィンがこの一ヶ月のルーファスの働きを思い出して答える。

 

「自業自得です」

 

 そしてアルティナは優しさのない一言を特務支援課に向ける。

 

「やーお疲れー」

 

 そんな三人の集まりにナーディアが労いの言葉を掛ける。

 

「お前もな」

 

「なーちゃんの方は全然楽だったよー。なんたって上と下が優秀だったからねー」

 

 ナーディアの仕事はジオフロントに潜伏して不法なハッキングを行っていたティオと特務支援課のアジトを特定するために動いていたクレアとレクターのサポート。

 しかし、二人の能力によって得た情報とルーファスの統制を右から左に、左から右に流すだけでナーディアは特にこれと言った仕事を果たさずに目標を捕らえることができた。

 

「まあ、流石のロイドさん達も相手が悪かったとしか言えないかな」

 

 実働部隊をこのオルキスタワーの魔導区画におびき寄せるためにわざとキーアの情報を漏らしたことといい。

 何重にも渡る罠を用意されていた場に特務支援課が踏み込んだ時点で勝敗はほぼ決まっていた。

 そして討論に関してもルーファスの独壇場となっていた。

 そもそもの特務支援課の反帝国活動の理由は感情論による部分が大きく、終始ルーファスが会話の主導権を握っていた。

 

「クロスベルは今、存続の危機に立っている」

 

 いくらゼムリア大陸の中心にある立地とは言え、金融都市による資産凍結により今まで積み上げて来た信頼は崩れ落ちた。

 さらにはクロイス家が《D∴G教団》と密接な関係があったこと。

 ガレリア要塞を消滅させるだけの兵器を開発、隠匿していたこと。

 ジオフロントやオルキスタワー、ミシュラムの用途不明施設の開示。

 ルーファスが重ねる質問にロイド達、特務支援課はもちろん同席を許されたヘンリー・マグダエル元市長もクロスベルと言う都市の全容を把握できていないことを露呈させる結果となった。

 

「…………行こう」

 

「良いのか? あそこにいる奴はお前の親友なんだろ?」

 

 踵を返したクリスにスウィンが尋ねる。

 彼が親指で指す先のパイプ椅子に座る親友をクリスは一瞥する。

 

「良いさ。クルトだって負ければこうなることは分かっていたはずだからね」

 

 もしくは自分達が正しいのだと信じて微塵も疑ってなかった様子から負けるとは思っていなかったのかもしれない。

 だが仮にも貴族、武闘派であり、守護役ということもあり政治に疎くても貴族の子息。

 正直、ルーファスの土俵に誘い込まれた以上、クルトを始め特務支援課に勝ち目があるとは思えない。

 むしろこの一ヶ月、地下活動をあえて見逃していたのではないかとさえクリスは考える。

 

「それよりも……」

 

 クリスは振り返り、キーアに向き直る。

 

「っ――」

 

 クリスに睨まれ、キーアはびくりと体を震わせる。

 

「君に聞きたいことがある。“あの人”……《超帝国人》に何があったのかを」

 

 ロイド達クロスベルの行く末が気にならないわけではないが、それ以上にクリスは過去の方が気になってしまう。

 

「え……“あの人”のこと覚えているの?」

 

 クリスの言葉にキーアは目を丸くして驚く。

 

「おそらく僕が《騎神》の起動者だから、後はあそこのルーファス総督も《超帝国人》のことは覚えているよ」

 

「ルーファスも……」

 

 振り返ったキーアは小さく安堵の息を吐く。

 

「ううーん、それにしてもキーアちゃんとクリス君を二人きりにさせないといけないのか……」

 

「別にエステルさん達も立ち会ってくれて構いませんよ?」

 

「そうしたいのけど、僕達はその“彼”についての話を聞いているとその記憶について消されているみたいでね……

 “彼”に妹がいた。“アルティナ”と一緒にいた“誰か”って言う風に関連して何とか記憶は維持できているけど、それも長く持たないだろうね」

 

「そう……ですか……」

 

 ヨシュアの説明にクリスは肩を落とす。

 

「ねえアルティナちゃん? 《影の国》で私たちに会ったこと覚えてる?」

 

「何ですか急に? 貴女のような人は知りません」

 

「そっかぁ……」

 

 アルティナに不審者を見るようなジト目で睨まれてエステルは肩を落とす。

 

「僕達の事は良いけど、《超帝国人》って言う渾名に心当たりはないかな?」

 

 落胆するエステルを他所に何故かヨシュアもアルティナに対して質問を重ねていた。

 

「正直、帝国にまつわる伝承に因んだ渾名をあえて名乗っている人なんて、オリビエさん――オリヴァルト殿下くらいに強烈な印象がありそうな人なんだけど」

 

「そんな不埒な人知りません」

 

 にべもない答えにヨシュアもまたエステルと同じように肩を竦める。

 

「まあ、それは良いとしてクリス君。覚えてる?

 ケルディックでキーアちゃんが乗っていたヴァリマールを君が乗っていたテスタ=ロッサでボコボコにしていたこと」

 

「え……僕がヴァリマールを?」

 

 言われ、記憶を反芻するがケルディックでテスタ=ロッサに乗った後の記憶は正直興奮し過ぎて曖昧だった。

 

「そう言うわけだから、クリス君とキーアちゃんを二人きりにするのはちょっとね……」

 

「今の話を聞く限り、ルーファス総督にも記憶はあるみたいだから彼に仲介に立ってもらうべきなのかもしれないけど……」

 

「ふふ、それならば私が立ち会って上げようじゃないか」

 

 声は背後から突然に気配と共に現れ、一同は一斉にその場を飛び退いて振り返る。

 

「っ――出たわね。教授」

 

 忌々しいと言わんばかりにエステルは顔をしかめる。

 

「彼が……あの……」

 

「フフ、御初にお目にかかります。セドリック殿下。私はゲオルグ・ワイスマン。以後お見知りおきを」

 

「気を付けてクリス君。こいつは人の認識と記憶を操る力を持っているから」

 

「大丈夫です。彼については僕も聞いています。精神に干渉する術に対しての対処も一通り教えられましたから」

 

 立場上、覚えていて損はないと教えてもらった精神防壁をクリスは己の内側に意識し、彼の言葉を話し半分に聞くように注意力をあえて散らして向き直る。

 

「ほう、ルフィナ・アルジェントかそれとも《超帝国人》の薫陶かな?」

 

 その対処法にワイスマンは賞賛を送る。

 

「両方です。貴方と出会う事があったら決して貴方の言葉に心を掴ませないように注意しろと教えてもらいました」

 

「それはそれは、では挨拶代わりに私の力の一端を経験してみるかね?」

 

「ちょっと教授」

 

「大丈夫です、エステルさん」

 

 不穏な提案をするワイスマンを戒めようとするエステルをクリスが止める。

 

「例えこの人が何を言っても、僕の心は奪わせたりしません。僕はこれでもエレボニア帝国の次期皇帝なんですから」

 

 自信満々に宣言するクリスにワイスマンは一言告げる。

 

「《超帝国人》は私が育てた」

 

「詳しく」

 

 クリスはその一言にあっさりと心を掴まれ、その背後でエステルが棒を振り上げた。

 

 

 

 

 






《超帝国人》

エステル
「それにしても《超帝国人》か……」

ヨシュア
「どうしたのエステル?」

エステル
「いや、これまで“あの人”とか“その子”で通していたでしょ? だから本名じゃないけどちゃんと呼べることが新鮮で」

ヨシュア
「人の記憶を操作する。ワイスマンと同じ能力だけど規模と強制力の差を考えると恐ろしい話だね」

エステル
「それにしても《超帝国人》か……ううーん」

ヨシュア
「無理に思い出そうとしない方が良いんじゃないかな。何がトリガーになって記憶が消されるか分からないから」

エステル
「そうなんだけど……何か思い出せそうなんだよね……えっと……あっ!」

ヨシュア
「エステル? まさか……」

ワイスマン
「ほう、流石は剣聖の娘か……」

クリス
「エステルさん……」

エステル
「超帝国人、帝国人、つまりはオリビエ、そしてワイスマン……つまり《魔界皇帝》っ!」

クリス
「ま、魔界皇帝? 何ですかそれ?」

エステル
「確か上半身が裸で、その剥き出しの身体に顔まで広がっている光る入れ墨――」

ワイスマン
「聖痕と言いたまえ」

エステル
「聖痕が刻まれていて、マントに王冠を被った《超帝国人》と言えば《魔界皇帝》って名乗っていた気がする」

スウィン
「いやいやいや、何だその変態」

ナーディア
「なーちゃんたち、そんなエンペラーを超える変態に助けられたの? ちょっとショック」

クリス
「ヨ、ヨシュアさん……?」

ヨシュア
「…………確かにエステルが言っていた人と対面したことがある気がする……
 それにオリビエさんの帝国人にイメージとも一致する?」

クリス
「ワイスマン?」

ワイスマン
「うむ、だいたい合っているね」

クリス
「そんな……裸にマント……僕にはまだそこまで恥を捨てる事なんてできない! 流石です《超帝国人》!」

アルティナ
「超帝国人……やはり不埒な人のようですね」

キーア
「えっと……たぶんエステルが誤解していると思うんだけど……」





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15話 そして帝国へ




予約投降を試してみました。

今回、ルーファスがあるキャラ達に血も涙もない悪魔の如き所業を行いますのでご注意ください。






 

 

 

 まだ人が寝静まっている日も昇らない早朝。

 クロスベル国際空港の一角に彼らは集まっていた。

 

「本当にこれ、貰って良いんですか?」

 

 《紅の翼》程ではないが巨大な飛行艇を前にクリスはレクターに確認する。

 

「ああ、ルーファス総督が使って良いから役に立ててくれってよ」

 

 忙しくてこの場にいないルーファスに変わってレクターが説明する。

 元は翡翠色だったと聞く、黒一色の大型飛行艇。

 それは元々貴族連合に所属していたルーファスに与えられていた機甲兵運搬用の彼の専用機。

 ルーファスやオーレリアなど地位が高く、武勇に優れた者達を効果的に運用することを目的に、格納エリアを多く取った輸送スペースには最大三機の機甲兵を搭載できる。

 《ティルフィング》のように戦術殻に格納できない《テスタ=ロッサ》にはありがたい支援だとクリスは喜ぶ。

 

「操縦に関してはスウィンが一通り覚えてくれたから任せればいい。給料はルーファス持ちだから気にすんな」

 

「その分後が怖いですけどね」

 

 至れり尽くせりの支援。

 その分、後で何を要求されるのかクリスは恐ろしさを感じる。

 

「まあ手段を選んでられる余裕はないんだけど」

 

 特務支援課の公開処刑が終わった後、クリスはルーファスを交えて様々な話し合いをした。

 キーアやワイスマンによって語られたクロスベルの《碧の大樹》の中での出来事。

 零の空間というものがどんなものかは想像することしかできないが、《黒》の罠でもあったのなら《彼》の帰還は絶望的だった。

 しかし、それによってクリスは心の奥に残っていた甘さを捨てられた気がした。

 

「それでも、これは僕がやらないといけないことなんだ」

 

 《彼》はどれだけ“力”を持っていても身分的には地方の男爵の息子でしかない。

 特別であってもこの内戦の行く末を背負って行動しなければならない義務などない。

 義務があるのはそれこそ次期皇帝であるセドリックなのだ。

 

「それにしても良く許したな」

 

「キーアのことですか?」

 

 レクターの指摘に飛行艇に搭乗させるために歩いている《灰》をクリスは見る。

 

「まあ……言いたいことは色々あったんですが……」

 

「ですが?」

 

「ルーファス総督の一言で……まあ、納得はできませんでしたが呑み込めました」

 

 激昂した自分を宥めた言葉を思い出してクリスは唸る。

 

『何を怒る必要がある?

 例え次元の彼方へと飛ばされた所で彼は《超帝国人》なのだよ!

 更なる進化をして戻って来るのに彼女を責める理由などあるのかい?』

 

 そして付け加えられた一言。

 

『それとも君は《超帝国人》が彼女の様な小娘に負けたままで終わると本気で思っているのかな?』

 

 自分が一番彼の事は分かっていますと言わんばかりの態度に丸め込まれてことに気付いたのはだいぶ後だった。

 

「はあ……やっぱりまだまだだな」

 

 既にクリスが内戦に関わるためのシナリオさえ用意されており、夜逃げされたということでアルバレア家に報告が行くようになっている。

 全てがルーファスの掌の上だと、クリスは自分の力で内戦を切り拓く決意が萎えそうになる。

 

「ところでレクターさん。ルーファス総督の部下という人はまだですか?」

 

「……ああ、もう少しかかるだろう」

 

 含みのある言葉にクリスは首を傾げる。

 

「って言うか、結局姫様も一緒に行くのか」

 

「ええ、どうやらキーアのことをだいぶ気に入ってしまったようです。我が姉ながら情けない」

 

 飛空艇に乗るのはクリスとキーア。他にまずアルフィン。

 彼女もまたクロスベルに留まることを認めず、同行する決意を固めていた。

 キーアの事を気に入り、冷遇する自分を責めて来たのはきっと関係ないと思うが、彼女との距離を測りかねている今ありがたくもある。

 

「アルフィンの付き人としてエリゼさん、二人の護衛としてアルティナ」

 

 飛行艇の操縦と管理、待機要員としてスウィンとナーディア。

 エステルとヨシュアは途中までは同乗するものの、別行動でルフィナを探すことになった。

 

「ちょっと忘れてないわよね」

 

「も、もちろんだよセリーヌ」

 

 足元からの抗議にクリスは動揺を悟られないように応える。

 

「と、ところでレクターさん! ルーファス総督はあの人の専用機まで貸してくれるらしいですけど、どんな機体ですか?」

 

「それは――見た方が早いんじゃないか?」

 

 答えようとしたレクターは後ろを振り返る。

 飛行場のゲートをくぐり、足のローラーで低速で走って来る機甲兵。

 

「…………え……?」

 

 その風貌にクリスは目をこする。

 そこにいたのは《ピンク》だった。

 

「待たせたようだな」

 

 胸のハッチが開き、操縦席から現れた男もまた機甲兵に負けず劣らずの奇怪な姿をしていた。

 黒い仕立ての良い貴族然とした服装。

 立ち姿からも育ちの良さが分かり、携えているのは騎士剣。

 そこまでは良いが、注目すべきは頭。

 黒いヘルメットですっぽりと頭を覆い隠している姿はかつて対峙したテロリストを思い出す。

 

「あ、貴方がルーファス総督の部下の人ですか?」

 

「ああ、仮面についてはご容赦願えるかな殿下、いやクリス君……

 ルーファス総督程ではないが、私も貴族連合に顔が割れている身、表立って君と行動すると実家に迷惑を掛けてしまうからね」

 

「は……はぁ……」

 

 歯切れの悪い言葉を返し、クリスはルーファス専用だった機甲兵に目を向ける。

 バリアハートを想起させる翡翠のシュピーゲルと聞いていたが色も形も原型がない。

 武骨で動き辛そうな追加装甲が至る所に張り巡らされ、ピンクの塗装で彩られている。

 いくら身分を隠すためとは言え、やり過ぎではないかとクリスは頭痛を感じる。

 

「これがルーファス総督の専用機……こんなしょぼそうな機甲兵が……」

 

「しょぼそうな……神を畏れない暴言だよなぁ……」

 

「…………まさか……いや……そんな……」

 

「ん? 二人ともどうかしましたか?」

 

「いや、何でもねえよ。あの機甲兵はあれだ。こいつと同じで身分を隠すためにあり得ない塗装と追加装甲で誤魔化してんだよ」

 

「……何でもないわ。たぶん気のせいよ」

 

「不安にさせてしまってしまったようだが、安心するといい」

 

 仮面の男は機甲兵から飛び降りてクリスの前に立つ。

 

「君達の補助をルーファス総督から指示されたものだ。よろしく頼む」

 

「え、ええ……こちらこそ」

 

 求められた握手にクリスは応じて、尋ねる。

 

「名前はこの場では聞かない方が良いんですよね。では何と呼べば良いんですか?」

 

「ふむ……そうだな。では私のことは《C》とでも呼んでもらおう」

 

「《C》……」

 

 名乗ったその名にクリスは目を細める。

 

「ふふ、中々に皮肉だろう? 貴族連合の協力者と同じ名を名乗る存在が君の味方となるのは」

 

「…………どうやら貴方とルーファス総督は仲がよろしいようですね」

 

 名前一つで敵味方問わずに混乱させるようとしているやり口はルーファスらしいとさえ思えてしまう。

 

「ちっ――やっぱり俺も同行したかったぜ」

 

 そんなクリスの様子にレクターは舌打ちをして嘆く。

 

「さて、クリス君。これから帝国へ向けて出発するわけだが、最初に何処を目指すつもりかな?」

 

 挨拶を切り上げて《C》が今後の方針を確認する。

 

「そうですね……まずは行き先は――」

 

 いつ間に集まっていたこれからの仲間達にクリスは向き直り、行く先を口に――

 

「へえ……どこに行くつもりなの?」

 

 その瞬間、獣のようなプレッシャーがクリスに襲い掛かった。

 

「あ……ああ……」

 

 まるで虎に出会ったようにクリスはその身を震わせる。

 

「ねえ……シャーリィを置いて何処に行くつもりなのかな?」

 

 巨大なSウェポンを肩に担いで、ウルスラ医科大学病院に入院していたはずのシャーリィ・オルランドは笑顔で質問を重ねた。

 

「えっと……」

 

 咄嗟に言い訳を考える。

 そもそもクリスが目を覚ましたのは一昨日であり、昨日特務支援課と戦い、その翌日の早朝が今である。

 無事に意識を取り戻して元気でいるという報告を受けていたから、すっかり意識の隅に行ってしまっていた彼女を宥める方法を探してクリスは必死に思考を回す。

 そんな風にしどろもどろになるクリスを見兼ねて《C》が言葉を掛ける。

 

「あまりからかってやるな。ルーファス卿から連絡は受けていたのだろう? それで乗り遅れたのなら君の責任だ」

 

「ちぇ、もうちょっとからかわせてくれても良いのに」

 

「ル、ルーファス総督がシャーリィに連絡を……ぐぬぬ……」

 

 その事実に感謝すると同時に言いようのない敗北感をクリスは感じてしまう。

 クロスベルの統治に特務支援課への処遇。更に自分の支援。

 多忙を極める中、細部まで配慮を行き届かせるルーファスの先見の明にクリスは兄や“彼”と違った劣等感を刺激される。

 そして、そんな彼に不穏な目を向ける者が一人。

 

「ルーファスさんに嫉妬するセドリック……それに……」

 

 アルフィンは自分を忘れたことを理由に彼をいじるシャーリィに注目し、その視線を隣のエリゼに移す。

 

「姫様?」

 

「姉の立場の危機? いえ、セドリックの本命はいったい」

 

 いろんなものに姉は苦悩するのだった。

 

 

 

 

 






 大雑把に事情は共有できたということにして、とりあえず出発させました。
 要望が多ければ飛空艇内で絆イベントが発生します。
 簡単に特務支援課のことを語ると、セルゲイが全て自分の指示だったと主張して処罰を一身に引き受け、ロイド達は逮捕を免れる。
 ロイドはクロスベル軍警察に、ランディはタングラム門の警備隊、ティオはエプスタイン財団にそれぞれ引き取られる。
 エリィに関してはマリアベルの親友だったこともあり、監視も兼ねてルーファスの秘書官となる。
 クルトに関しては、ここではあえて語りません。





シュピーゲル・アサルト
元はルーファス専用の翡翠色の機甲兵。今は彼の部下と名乗る《C》が操縦者。
クリスの支援者の身バレを防ぐために大幅に改装し、全身をピンクに塗装。
さらに追加装甲を各部に取り付けて、外見はむしろヘクトルに近い。しかし――

灰のヴァリマール
「……」

緋のテスタ=ロッサ
「……」

ピンクのシュピーゲル・アサルト?
「……」

灰のヴァリマール
「…………」

緋のテスタ=ロッサ
「…………」

ピンクのシュピーゲル・アサルト?
「…………」

灰のヴァリマール(半壊中)
「もしや――」

ピンクのシュピーゲル・アサルト?
「言うな」

緋のテスタ=ロッサ(憎悪の汚染中)
「これはあまりにも……お労しや兄上……」

ピンクの■■・■■■■
「言うなっ」





クロスベル議会
ルーファス
「や、やあ、諸君。おはよう」

クロスベル議員A
「お、おはようございます。ルーファス総督……?」

クロスベル議員B
「おい、どういうことだ? 何か今日のルーファス総督が一回り小さく見えるぞ」

クロスベル議員C
「今まで完璧過ぎて近寄り難いカリスマのオーラがなくなっている?
 今の彼を見ていると何故か手助けをしたくなってしまう! この保護欲をくすぐられる佇まいはなんだ!?」

クロスベル議員D
「以前の超然とした大人の微笑みも良かったが、今は少年の様な初々しさとあどけなさを感じる微笑み……これはこれで良い!」

ルーファス?
「……………うぐぐ……胃が痛い」


 ………………
 …………
 ……

レクター
「よしっ!」

クレア
「良しじゃありません。全く貴方達は……はぁ……」

エリィ
「どうしてこんなことに……」






選択肢
 ルーレ
 ラインフォルト社の爆発事件を境に街に正体不明の辻斬りが現れ、ノルティア州の首都とは思えない程に街は閑散としていた。
 先行していたガイウスと合流したクリス達は戦闘音を追い駆けて街を駆け回り、吊るされた紫電の遊撃士を発見する。

 レグラム
 クロイツェン州に属するレグラム、アルゼイド家は先日のケルディックの暴動のこともありアルバレア公爵家への恭順を求められていた。
 父、ヴィクターがいないことでラウラは答えをはぐらかして来たが、時間稼ぎも限界が訪れる。
 武の双璧であるアルゼイド流を尊重し、同時に武を尊ぶ帝国の風潮から貴族らしく決闘を挑まれることになる。
 そして、アルバレア家の代表はユーシスだった。
 決闘の方式は未定。ただし機甲兵を含み武器は自由になるのは最低条件にするつもりです。

 セントアーク
 正規軍の部隊が各地から集まり、戦力の増強に伴い街には貴族を批難する声が大きくなっていく。
 オリヴァルトの方針でセントアークに未だに残っている貴族も高まって行く反貴族の意識に危機感を抱く。
 帝都奪還作戦が着々と進められている中、集まった兵士たちの士気を上げるための楽師団が結成され、そこで演奏をしていたのはエリオットだった。






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16話 折り合い





 

 

 クロスベルを日も昇らない早朝に発った飛空艇は一時間も経たずに着陸しようとしていた。

 

「システム、オールグリーン……良いよ、すーちゃん。このまま着陸して」

 

「了解」

 

 ナーディアの誘導に従って、スウィンはシステムを着陸モードに切り替える。

 飛空艇は速度を緩めて滞空し、ゆっくりと地上へ降りて行く。

 

「凄いなスウィン。僕より年下なのに飛空艇まで操縦できるなんて」

 

 操縦席に座り澱みなく端末を操作して行くスウィンにクリスは感心する。

 

「ふふん、もっとすーちゃんを褒めて良いんだよー」

 

「何でお前が応えてんだよ?」

 

 誇らしげに先に答えるナ―ディアにスウィンはため息を吐く。

 

「組織にいた頃に乗り物の操縦を仕込まれただけだ。自慢できることじゃねえよ」

 

「それでもなーちゃんはもっとすーちゃんのことを自慢したいのー」

 

「自慢って……確かに操縦していたのは俺だけど、ちゃんと操作出来ているのはナーディアのおかげだろ」

 

 小型ならいざ知らず、機甲兵を三機運搬できるサイズの飛空艇は実際に操縦してみてだいぶ扱い辛かった。

 うまかったと言うのなら、風の影響を計算したり、エンジンの出力を絞り、オペレートしてくれたナーディアこそが褒められるべきだとスウィンは主張する。

 

「すーちゃん……」

 

「何だよ?」

 

「抱き締めても良い?」

 

「寝言は寝て言え、いくら何もない荒野でも着陸するまで気を抜くな」

 

「はーい♪」

 

 しかめっ面で返すスウィンにナーディアは無碍にされたにも関わらず楽し気に答える。

 

「何と言うか……」

 

「多くを語らずとも通じ合っている……これが《愛》ですね」

 

 あえてクリスが言葉を濁したことをアルフィンが拳を握って断言する。

 

「むむむ、ヨシュアだってこれくらいできるわよね?」

 

「エステル、張り合わなくて良いから」

 

 何故か対抗意識を燃やしたエステルをヨシュアが宥める。

 

「それにしても話には聞いてたけど、凄いね」

 

 そんな和気あいあいとしていた空気がシャーリィの一声で現実に引き戻される。

 

「…………着陸完了」

 

 沈黙が満ちた艦橋にスウィンの報告が響く。

 

「大丈夫ですかキーアちゃん?」

 

「うん……ありがとう、エリゼ……キーアは大丈夫……ちゃんと受け止めるって決めたから」

 

 膝を震わせるキーアをエリゼが気遣うものの、返って来たのは虚勢を張った言葉。

 

『いったい誰が信じるだろうね。一ヶ月前までここにはエレボニア帝国最大の軍事要塞があったと』

 

 重い沈黙を破り、《C》が窓の外に広がる一面の荒野に感嘆を漏らす。

 

「《騎神》にこんなことする力はないから、やったのは《零の至宝》とやら何でしょうけど派手にやったわね」

 

 セリーヌの呟きに一同の視線がキーアに集中する。

 目の前に広がる荒野。

 それはまるで雄大なノルドの開けた景観を思い出させる。

 しかし、それは帝国の《灰》とクロスベルの《零の至宝》が激突した戦場。

 要塞どころか山脈が大きく削れ原型さえもなくなったガレリア要塞の跡地だった。

 

 

 

 

 

「それじゃあエステルさん達はここで降りるんですか?」

 

 飛空艇からガレリア平原に降りたエステルとヨシュアの二人を見送る形でクリスは最後の確認をするように声を掛ける。

 

「うん、ケルディックに残ったトヴァルさんのことも気になるから」

 

「その後はサザーランド州に向かうつもりだよ」

 

「ケルディック……」

 

 それは結末を聞いたものの、クリスも気になっていた場所である。

 

「でもここからケルディックに行くのは双龍橋を渡る必要がありますし、ケルディックからサザーランド州にはどうやって行くつもりなんですか?」

 

 内戦の影響で鉄道が止まり、各地では検問が敷かれていると聞く。

 そんな中、クロイツェン州からサザーランド州への大移動を行うと言う二人の身をクリスは案じる。

 

「大丈夫大丈夫、この一ヶ月同じように帝国中歩き回っていたんだから」

 

 そんなクリスの心配など何の問題もないのだとエステルは笑って答える。

 

「そうですか……でもどうしてサザーランド州に?」

 

 プロの遊撃士が言うのだから自分の心配など杞憂なのだろうと納得してクリスは質問を変える。

 

「オリヴァルト皇子に会おうと思ってね。それから――」

 

「あたしのお遣いを頼んだのよ」

 

 ヨシュアの言葉に重ねるように答えた声はクリスの足元から。

 

「セリーヌ?」

 

「二人にはあたしの手紙をエリンの――魔女の隠れ里に送ってもらうように頼んだのよ。そのための鍵も預けているわ」

 

「魔女の隠れ里……それはまたどうして?」

 

 クリスの質問にセリーヌはため息を吐く。

 

「どうしても何も……エマとこのまま合流しても《灰》と《緋》、二つの騎神の補佐することなんてできないからよ……

 長に来てもらうかしないと手に余るわ」

 

「そ、そうなんだ……」

 

「だいたい今回の“戦乱”はどこかおかしいのよ……もしかしたら“獅子戦役”よりも激しい戦乱になることを覚悟していた方が良いわよ」

 

「それ程の……」

 

 セリーヌの言葉にクリスは思わず唾を飲む。

 

「でも意外だな」

 

「何がよ?」

 

「セリーヌが……と言うかエマもローゼリアさんも秘密主義だから、自分達のテリトリーにエステルさん達を招き入れることをするとは思ってなかったから」

 

「…………仕方がないでしょ。あたしだって本当なら部外者をエリンに入れる様なことはしたくないわよ」

 

 クリスの指摘にセリーヌはそっぽを向く。

 

「安心してセリーヌ。ちゃんと仕事上で知り得た依頼者の秘密は遊撃士として誰にも喋ったりしないから」

 

「そう願うわ」

 

 エステルに素気ない言葉を返すとセリーヌは飛空艇の中へと戻って行く。

 

「あははは……」

 

 つれない猫の態度にエステルは誤魔化すように笑う。

 

「ああ言っているけど、エリンの里にルフィナさんがいるかもしれないって教えてくれたのはセリーヌなんだ」

 

「そうなんですか?」

 

 ヨシュアの言葉にクリスは意外そうにセリーヌの後ろ姿を見送る。

 ヨシュア達の最優先の保護対象であるエリゼが見つかったため、次のルフィナ、正確には彼女と一緒にいるはずのナユタの保護が彼らの仕事になる。

 

「それはそうとクリス君、もし余裕があったら一度ユミルに行って欲しい」

 

「ユミルに?」

 

「うん、あそこには君達以外に《超帝国人》のことを覚えている人がいるんだ」

 

「なっ!? それはいったい誰のことなんですか!?」

 

 思わぬ事実にクリスは驚く。

 一番に思い浮かべるのは“彼”の義両親だが、騎神と関係ない彼らが親子と言っても覚えていられるとは思えない。

 だが、あそこは精霊がいた土地でもある。

 《黒》の因果が及んでいない可能性はゼロではない。

 

「ごめん、そういう雰囲気を感じさせた人がいただけで、確証はないんだ」

 

 もっともヨシュアも自信がないのか、曖昧な言葉で答えを濁す。

 

「……分かりました。そちらもセントアークにいるはずの兄上に会うことができたら、僕もアルフィンも無事だと伝えてください」

 

「モチのロンよ……ところでクリス君」

 

「はい? 何ですかエステルさん?」

 

 突然、顔を引き締めエステルはクリスに詰め寄ると、その両肩に手を置き顔を寄せて告げる。

 

「クリス君はそのまま真っ直ぐに成長してね」

 

「…………はい?」

 

 エステルの懇願を理解できずにクリスは首を傾げた。

 

 

 

 

 

 

『ああ、それで問題ない。2番目と3番目、それから6番目の草案は却下』

 

 エステル達を見送り船内に戻ったクリスは特徴的な声に足を止める。

 

「この声は……」

 

 不信な声だが、その正体を思い浮かべながらクリスはその方向に足を向ける。

 

『その三件に関しての修正案はヘンリー氏に任せればいい……ああ、それ以外は問題ない。あの二人の判断だ、信じよう』

 

 声の主は身を隠していたわけではなく、騎神と機甲兵のある薄暗い格納庫の入り口で仮面を着けたまま通信機を片手に何処かに連絡をしていた。

 

『基本的に君達の自由にしてくれて構わないさ。そんなものいくらでも後で修正できる……

 それで君達がどういう思想の持ち主であるか理解もできるし、後でしわ寄せを受けるのは君達ではなく市民だと言う事を忘れないことだ。では――』

 

 クリスの存在に気付いた《C》は通信を切り上げる。

 

「今のはどこに連絡を取っていたんですか?」

 

『クロスベルのルーファスと少々ね。確認するかい?』

 

「…………いえ、必要ありません」

 

 疑わしい行動だが、元々はルーファスから派遣された自分の監視役だと思えば考えるだけ無駄だとクリスは思考を放棄する。

 その気になれば、自分に一切気取られることなく策を巡らせられるルーファスが信頼を寄せる部下なのだから、自分の浅はかな抵抗など墓穴を掘らされるだけだと割り切る。

 ただ気になるのは――

 

「貴方はこれからどうするつもりなんですか?」

 

『どう、とは?』

 

「その仮面です。そんなものを付けていたら街の中を碌に歩けませんよね?」

 

 姿を消すオーブメントでもあれば話は別だが、そんな姿で街を歩けば例え内戦中だったとしても通報されるだろう。

 

『ああ、それなら問題ないよ』

 

 そう言うと《C》は徐に仮面の額に手を伸ばし――あっさりと仮面を脱いだ。

 

「え……?」

 

 現れた茶色が掛かった髪と黒い瞳。

 《C》はクリスに少しだけ素顔を晒すと、すぐにまた《C》の仮面を着けてクリスの疑問に答える。

 

『見ての通り、決して素顔を晒さない誓約があるわけではない……

 ようは領邦軍や正規軍に私と言う存在が気付かれないようにすれば良いだけ、街に潜入することも何の問題もない』

 

 そう言ってのける《C》にクリスはもしかしたらと思っていた可能性が否定されたことを考えていた。

 

 ――クルトじゃなかったか……

 

 想像していた青銀の髪じゃないことにクリスは安堵する。

 少しだけ見た茶色の髪はどちらかと言えば、オズボーン宰相に近い髪色であり、帝国では珍しい色ではない。

 

 ――って何を期待しているんだ僕は……

 

 クロスベルで突き放したはずの幼馴染が味方になっていることを心のどこかで期待していた自分に気付いてクリスは振り払うように頭を振る。

 

『フ……とは言え、絶対ではない……

 とりあえず私はキーア君と一緒にセリーヌ君が提案した霊窟の調査を行うとしよう」

 

「それはありがたいですけど……」

 

 セリーヌ曰く、内戦が原因で帝国各地の霊脈が乱れている。

 霊脈の澱みは人に感染し、思考を鈍らせて激情に走らせる。

 ケルディックの事件はそれが原因の一つだとセリーヌは語り、それを解消するにはノルドでクリス達が遭遇した内戦の気にあてられて顕現した幻獣を排除することがその土地の鎮静化に繋がると言うのが魔女の意見だった。

 その結果、クリス達の方針は直接抗争に介入する一方で、霊脈の浄化が目的となる。

 それに幻獣を倒せば、騎神の強化・修復に利用できる高純度の七耀石を手に入れることができるのでやらない理由はなかった。

 

『何か含みがあるようだが?』

 

「貴方が強いと言うのはそこそこ分かるつもりだけど……

 実際、どれくらいにできるんですか? 場合によっては今のうちに手合わせをして確認しておきたいんですけど」

 

 魔剣の柄に触れてクリスはあからさまな挑発をしてみる。

 

『なるほどもっともな意見だ……

 言葉だけで済ませてしまえば、クロスベルに残して来たルーファスよりも私の方が強いと断言できるな』

 

「それはまた随分と強気ですね」

 

『信じられないと言うのなら、この通信機で確認を取ってもらっても構わないよ?』

 

 そう言って《C》は先程使っていたオーブメントをクリスに向かって差し出す。

 

「…………いいえ、それには及びません」

 

 絶対の自信があるような《C》の物言いにクリスは魔剣から手を放す。

 

「それにしてもルーファスさんのことを呼び捨てなんですね……

 ただの部下にしては随分と親しいようですが、いったいどんな関係なんですか?」

 

『フフ、御想像にお任せするよ。一言だけ言わせてもらえばただならぬ関係とだけ言っておこう』

 

 ガタン――

 

 《C》の言葉にクリスが何かを言うよりも、格納庫の扉に何かがぶつかった音が大きく鳴る。

 そしてその向こうで誰かが足早に去って行く足音が扉越しに響くのをクリスと《C》は感じ、二人は黙ってその気配を見送るのだった。

 

 

 

 

 

「セ、セドリック――いえ、クリス。ど、どうしたのかしら?」

 

 これからのこともあり、呼び方を矯正させたアルフィンが挙動不審な様子でクリスを出迎える。

 

「どうしたって……」

 

 それはこちらのセリフだと言おうとした口を噤み、クリスはその場を見回す。

 運搬が目的のこの飛空艇には数少ない個室。

 そこは主にオーブメントの工作室であり、飛空艇の整備に必要な工具などが収められている部屋。

 決して広くはないのだが作業台もあり、武器の整備もできる。

 現にその作業台にはテスタ=ロッサの整備をしているシャーリィがいるのだが――

 

「シャ、シャーリィさん……その魔導杖はいったい……?」

 

 思わず敬語になって声を掛けてしまう。

 アルフィンの挙動不審よりもシャーリィのその手の中にある杖の方がクリスにとって衝撃は大きかった。

 

「んー? これがどうかした?」

 

 クリスの指摘に難しい顔をしてそれをいじっていたシャーリィが軽くその魔導杖を振る。

 

「っ――」

 

 それはアルフィンがルーファスに用意してもらった魔導杖のはずだった。

 しかし、出発前に見たものよりも大幅に改造されているそれにクリスは言葉を失ってしまう。

 

「いや……別に良いんだけど……」

 

 エマやエリオットの長杖とは違い、柄の長さは短杖か中杖と言うくらいだろう。

 それ自体は問題ないのだが、肝心の導力機構の部分が大幅に変わっていた。

 銀の十字の上に七耀の力を増幅・発信する結晶体を囲むハート型のフレーム。

 それがアルフィンの好みなのかもしれないが、整備のためとはいえシャーリィが握っているのが致命的に似合ってない。

 

「歯切れが悪いなぁ」

 

 そんなクリスを不信な目で見返して、シャーリィは魔導杖を作業台の上に置かれた凶悪なフォルムの“テスタ=ロッサ”の隣に置く。

 笑いを堪えていたクリスは息を整えて、改めてその場にいる三人に向き直る。

 

「みんなオーブメントの整備をしていたんだね」

 

 作業台には“テスタ=ロッサ”に魔導杖。そして三つの真新しい《ARCUS》が置いてある。

 

「……本当にアルフィンもこの内戦に関わるのかい?」

 

「ええ、あなたにはああ言われたけど、やはりエレボニア皇女として逃げるわけにはいきません」

 

「それはもしかしてキーアが理由じゃないだろうね?」

 

「それは……」

 

 クリスの指摘にアルフィンは言葉を詰まらせる。

 

「やっぱりね。どうしてキーアにそこまで入れ込んでいるんだい?」

 

 理由次第では今からでもクロスベルに追い返すぞと言わんばかりにクリスは凄む。

 

「だ、だってわたくしよりも小さな子供が何の関係もないのに戦うって言うならわたくしだって……」

 

「キーアは事の発端を作り出した元凶だ……

 帝国の内戦は元々クロスベルの独立騒動に正規軍を送り込んで、帝都の守りが薄くなってその隙をオズボーン宰相は突かれた……

 直接の原因でなかったとしても切っ掛けになったのは間違いないし、詳しくは言えないけどあの子のせいで内戦が長引いているのも事実なんだ」

 

「でも、それでも――」

 

「何よりあの子が贖罪を望んでいる。見ただろ?

 この更地になった荒野を。あの子が《至宝》の力を使ってやったんだ」

 

「っ――」

 

 かつてここに鉄とコンクリートの要塞があったと言う事はアルフィンも聞いたがとても想像ができない。

 

「でも何だか放っておけなくて、それに何だかナユタちゃんに似ているような気がしたから余計にそう思うの」

 

「ナユタに似ている?」

 

 言われて、ノーザンブリアの特別実習から“彼”が拾った《塩の杭》から生まれた赤子の姿を思い出す。

 アルフィンに言われて考えるが、髪の色も違うし、年齢も離れていることもあり、クリスにはあまりピンとこない。

 

「だいたいクリスはキーアちゃんに厳し過ぎるんじゃないかしら?

 罪悪感に苦しんでいる女の子をさらにいじめるなんてそれでも帝国男児ですか!? わたくしはあなたをそんな子に育てたつもりはありません」

 

「君に育てられたつもりはないよ!」

 

 ズレたことを言い出すアルフィンにクリスは叫ぶように抗議する。

 

「ふ、二人とも落ち着いてください」

 

 ヒートアップしていく姉弟の口論にエリゼが堪らず割って入る。

 

「むう……」

 

「うぐぐ……」

 

 すっかり生意気になった弟にアルフィンは憤りを感じ、自分よりも聡明なはずの姉の浅はかな考えにクリスもまた憤りを感じる。

 

「御二人とも……ふふ……」

 

 場違いながらもそっくりな顔で怒る二人にエリゼは思わず笑みをこぼす。

 

「ほら見なさい。エリゼに笑われてしまったじゃないですか」

 

「他人のせいにしないで……ってエリゼさん? それは何ですか?」

 

 憮然とアルフィンに言い返してクリスはエリゼに振り返ると、目があったそれに思わず固まる。

 

「えっと……」

 

 クリスが指すものはエリゼの二の腕についているクロスベルのテーマパークのマスコットみっしぃだった。

 それも完品ではなく誰かの使い古しのぬいぐるみ。

 ぬいぐるみの中では小さいサイズのみっしぃの姿は酷いものだった。

 全身が痛んでおり、尻尾は半分程ちぎれ、耳も欠けている。

 中身の綿が出ないように丁寧な修繕をされているが、うっすらと返り血の痕まで残っており、異様な風格がそのみっしぃにはあった。

 

「実はクロスベルを発つ前にレンちゃんにお守りだと言われて頂いたんです。何でもご利益のあるありがたいみっしぃだそうです」

 

「レンちゃんに……?」

 

 みっしぃとレン。

 その組み合わせにクリスは懐かしい出来事を思い出す。

 自分が特務支援課でクルトと一緒にお世話になっていた頃、レンが動くみっしぃを連れて来たことから始まった事件。

 結局、動くみっしぃはヒツジンとの戦いを境にその行方は分からなくなり、レンもその時の事を語ろうとはしてくれなかった。

 余談だがその日からティオは三日ほど寝込んだ。

 

「…………まさかね……」

 

 その時のみっしぃなのだろうか。とクリスはジッとみっしぃを見つめるが、あの時のように動く気配はない。

 

「あ、あの……クリスさん……そんなに見つめられるのは」

 

 視線は自分でなくても、強い眼差しを感じてエリゼは居心地が悪そうに身を捩る。

 

「ああ、ごめん……エリゼさん、行動力があり過ぎる姉だけどどうかよろしくお願いします」

 

 そう言ってから、クリスはもう一人の護衛役がいないことに気付く。

 

「そう言えばアルティナちゃんは何処に?」

 

「先程キーアさんの監視をしていると、二人で甲板に向かいました」

 

「そう……」

 

 キーアとアルティナ。

 一見問題ない組み合わせだが、何だか嫌な予感を感じずにはいられない。

 なのでこの場でのアルフィンとの会話を切り上げ、クリスは最後にシャーリィに質問する。

 

「話を変えるけど、シャーリィが入院中、シグムントさんたち《赤い星座》の誰かがお見舞いに来たりしたの?」

 

「ん? そんなことないけど、どうして? もしかしてクリスったらパパたちを雇おうとか考えてる?

 お坊ちゃまのお小遣いで雇える程、ウチは安くないよ」

 

「そんなことは分かってます。ただ、《赤い星座》が帝国の内戦に雇われている可能性はあるのかなって思って」

 

 ディーター・クロイスに雇われていた《赤い星座》は彼の逮捕に合わせてその姿を晦ませた。

 少なくてもクロスベルからは既に撤退しているそうだが、その足取りはまだ掴めていないのがクレアの報告にあった。

 

「仮に、もし《赤い星座》が貴族連合に雇われていたらシャーリィはどうするんですか?」

 

 緊張を孕んだ質問をクリスは唾を飲む。

 Ⅶ組の仲間としてクリスはシャーリィを信頼しているが、同時に彼女は自分の護衛という仕事での付き合いでもある。

 もしも《赤い星座》が敵に回っていた時、彼女が敵に回ると言うのなら今後の付き合い方を考えておかないとクリスは警戒する。

 

「別にどうもしないよ。クリスの護衛期間は来年の三月一杯が一先ずの期限だから、例えパパ達と依頼が重なったとしても関係ないよ」

 

「それは……良いんですかシャーリィさん。御家族なのに?」

 

 あまりにもあっさりと言い切るシャーリィにアルフィンは戸惑い質問する。

 

「良いの良いの、パパたちだってそのつもりだろうし、まだ敵に回ったって決まったわけじゃないしね」

 

「そ、それもそう――」

 

「それに一度くらい戦場でのパパと戦ってみたかった気持ちもあるからね」

 

「っ――」

 

「シャ、シャーリィさん」

 

 獰猛な笑みを浮かべるシャーリィにエリゼとアルフィンは思わず腰が引ける。

 

「ところでクリス、これなんだけどどう思う?」

 

「どうって……?」

 

 徐にシャーリィは作業台に乗っていたアルフィン用の魔導杖を手に取る。

 

「巷ではこういうのが流行ってるんだよね? シャーリィにはよく分からないけど――」

 

 そう言ってシャーリィはその場でくるりと一回転して魔導杖を突き出すように構える。

 

「ラジカールシャーリィちゃん参上!」

 

「…………」

 

 突然ポーズを極めてウインクを送って来たシャーリィにクリスは固まった。

 

「トカレフ、マカロフ、クリンコフ♪」

 

「ぶふっ――それサラ教官の――」

 

 突然歌い出したシャーリィに今度こそ耐え切れずクリスは吹き出しメタなことを口走りそうになったところで――

 

「ヘッケラー&コックで――見敵必殺っ!」

 

「へっ……?」

 

 次の瞬間、ハート型の杖が二つに割れ、クォーツがスライドしてズレて銃口が伸びる。

 クリスが止める間もなく、引き金が引かれ銃声が鳴り、ゴム弾が発射される。

 

「うがっ!?」

 

 額にそれを受け仰け反り倒れていくクリスにシャーリィは満足そうに頷き、アルフィンに振り返る。

 

「とまあ、こんな感じの仕込み武器を付けておいたからうまく使ってね」

 

「はい、ありがとうございます。シャーリィさん」

 

 これまでクリスに好き放題言われていた溜飲が下がったと言わんばかりにアルフィンは差し出された魔導杖を受け取るのだった。

 

「……はぁ……」

 

 そんな光景にエリゼはため息を漏らすのだった。

 

 

 

 

 

 

 一面見渡す限り、何もない荒野にハーモニカの音色が響く。

 アルティナは甲板の先端に立ち尽くすキーアに対して何も言わず、暇つぶしだと言わんばかりにハーモニカを吹く。

 

「っ――」

 

 オーブメントのような淡々とした音色にも関わらず、その演奏にキーアは罪悪感が刺激されて胸が痛くなる。

 

「死にたいとでも思っているのかい?」

 

 そんなキーアの背に声が掛かる。

 

「クリス……」

 

 振り返ったキーアは何故かおでこを赤くしたクリスに向き直る。

 

「…………どうなんだい?」

 

「……そういうことは考えてないよ……そんなことも考えちゃいけないってキーアは分かってるから」

 

 ここにいた人達を消したこと。

 あの時の《神機》の操縦はほぼ自動的なものだった。

 列車砲を撃たれたことの市民の怒りに呼応してやり返した言わばクロスベルの反撃。

 だが、そこに絶対に自分の私情がなかったのかと問われればキーアは口ごもってしまう。

 

「アルフィンは君を許したみたいだけど、僕は帝国の代表として君を許すわけにはいかない」

 

「…………うん」

 

 クリスの言葉をキーアは頷く。

 

「キーアは知らなかった……ううん、知ろうとしなかった。クロスベルの外にいる人もキーアと同じで大切な人がいるんだって」

 

 自分は帰って来なかった家族を待つ気持ちを知っているはずだったのに、それを帝国や共和国に押し付けた。

 

「君に資産凍結の件を言っても仕方がないけど……」

 

 そう一言を入れてクリスは語る。

 

「そのせいで、帝国や共和国だけじゃない多くの国や自治州の経済が混乱して失業者が生まれ、路頭に迷う者が出た……

 今、カルバード共和国で起きている経済恐慌の原因は間違いなくクロスベルにある」

 

「っ――」

 

「ミラを奪う事は生きる糧を奪うこと、仕事を奪う事はその人の誇りを奪うことだと僕は思う」

 

 クルトはクロスベルの誇りのためと言っていたが、果たしてあのやり取りで何処まで理解してくれたのだろうかとクリスは考える。

 

「ガレリア要塞だけじゃない。そう言った間接的な原因も含めて考えればクロスベルの独立騒動で他国が受けた被害はまだ大きく広がっている。それが君達が犯した罪だ」

 

「……うん、分かってる」

 

「だけどまあ、“あの人”の事で君はもう責任を感じる必要はない」

 

「え……?」

 

 荒野を見据えていたキーアはクリスのその言葉に耳を疑う。

 

「むしろこんな結果になってしまったのは僕達の――いや僕の責任だったんだ」

 

「クリスのせい……どうして?」

 

 意味が分からずキーアは聞き返す。

 

「“あの人”が《赤い星座襲撃》の事件でクロスベルに行って帰って来てから様子がおかしいことに僕は気付いていた」

 

 クリスは自分を見つめ直して出て来た後悔を語る。

 

「気付いていたのに、僕は目先の学院祭に夢中で気付かない振りをしていた……

 楽しみにしていた学院祭と教えてもらった《起動者》の運命のことしか考えられなくて、“あの人”の苦悩を見過ごしたんだ」

 

「クリス……」

 

「僕はあの時、“彼”を一人で行かせるべきじゃなかったんだ!

 クロスベルへの宣戦布告までと与えられたヴァリマールを修復するための猶予、そこで僕は死に物狂いで《テスタ=ロッサ》を使えるようにして一緒に戦えるようになるべきだった……

 その努力を放棄して、“あの人”ならば大丈夫だと高を括って怠惰に見過ごした僕に君を責める資格なんてない」

 

 もちろんクリスがクロスベルに行ってできたことは高が知れているかもしれない。

 だがついていけなかったとしても、貴族連合のトリスタ襲撃の際に《蒼》を倒せるだけの力があれば何かが変わっていたのではないかと考えてしまう。

 

「僕がもっと強ければ、こんなことにはならなかったんだ」

 

「それは違うよ」

 

 自分のせいだと己を責めるクリスをキーアは否定する。

 

「“あの人”はほとんど見ず知らずのキーアを助けてくれた……

 ロイド達が生きている未来が欲しかったからズルをして何度も……何度も“あの人”に助けてくれるように仕向けて利用した……

 ロイド達を、クロスベルも全部欲しいって、そんな風に何もかもを欲しがって、キーアは“あの人”にそのしわ寄せを押し付けた……

 だから全部キーアが悪いの!」

 

「いいや、悪いのは僕の方だ!」

 

 責任を叫ぶキーアに張り合う様にクリスが自分のせいだと声を上げる。

 

「キーアのせい!」

 

「僕のせいだっ!」

 

「キーア!」

 

「僕っ!」

 

 半ば意地を張るように自分のせいだと主張を重ね――

 

「ならば喧嘩両成敗にしましょう。《クラウ=ソラス》」

 

「え……?」

 

「へ……?」

 

 そんな二人のやり取りに何を思ったのか、アルティナは戦術殻を召喚する。

 そして黒い傀儡は音もなく二人の間に現れ、その鋼の拳を二人の頭に落とすのだった。

 

 

 

 

 

 






 ちょっとクリスの主張は強引だったと思いますが、二人の関係はこんな感じで落ち着きました。
 Ⅶ組はⅦ組で原作でもそうですが、クロスベル行きのリィンをただ待っていただけなのはちょっと薄情たと思うのでクリスに反省してもらいました。




 追加ルート:オルディス
 ルーファスが抜けた穴を埋めるべく、各地の将校との連絡に駆け回っていたオーレリアの下にその知らせが届く。
 ジュノー海上要塞が正規軍に奪取され、研究中だった海に牽引していた機動要塞も同時に奪われた。
 要塞に配備されていた機甲兵。
 それに加え魔煌兵と機甲兵を融合させた新型機を手に入れた正規軍は帰還したオーレリアを討ち取るために攻勢を掛ける。
 機甲兵同士がぶつかり合う戦場と化したラマ―ル州の運命はいかに!?

 そう言えばラクウェルで彼が貴族連合に対抗してファフニールを結成しているわけですが、オーレリアのテリトリーで良く生きてたな。




 《C》の素顔について。
 髪色に関しては最初の一度で印象付けるのと、相棒の説得のために染めています。
 顔自体は格納庫を意図的に薄暗くしていたことでクリスが気付く前に仮面を被り直しています。
 染めた髪色に関しては、何故その色なのかは御想像にお任せします。





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17話 狂いし者たち





黎の軌跡は変身ヒーローものみたいですね……

リンやノイでも同じことができそうですかな?
でも、閃Ⅲでは音楽家から灰の王で変身させようかと思っていたけどなぁ……





 

 

 

「やっと着いた」

 

 ガイウスと別れ、貴族連合の目を盗んでようやく辿り着いた故郷。

 機能美を追究し、街そのものがラインフォルトの影響を色濃く受ける景観にアリサは帰って来たのだと安堵する。

 

「さてと……あんまり長居はできないのよね」

 

 郷愁をそこそこに切り上げ、コートのフードを被ってアリサは歩き出す。

 トリスタ襲撃からⅦ組は散り散りに逃げることになり、そんな自分達に貴族連合は重要人物と言う事で、保護対象という名目で手配が掛かっている。

 しかしそれも実家に戻れば、貴族側の大義名分は使えなくなる。

 なので人目を憚らず家に帰れるのだが、アリサの意識は仲間たちに向いていた。

 

「ここで車の一台でも確保できたらいいんだけど」

 

 アリサが考えるのは自分をここまで送ってくれた仲間のこと。

 街に入れば、出られなくなることを危惧してガイウスとは街の外で別れた。

 しかし、この道中で彼にかなりの世話になったアリサはこのままで良いとは思っていない。

 ルーレのラインフォルトの下に戻れば安全が得られる。

 しかし、Ⅶ組としてそんな選択肢を選ぶことはできなかった。

 

「あの機甲兵のことも問い質さないといけないしね」

 

 ルーレの門からでも見えるラインフォルトの高層ビル。

 母がどんな思惑であの兵器の開発を認めたのか、特別実習で彼女に切った啖呵のこともありアリサは今のラインフォルトを見極めるためにも踏み出して――

 

「待ってくれっ!」

 

 必死な声が横から掛けられた。

 

「えっ……?」

 

「よかった……間に合った……」

 

 ぜーぜーと運動不足なのだろうか、アリサに駆け寄って来た男は息を絶え絶えにして項垂れる。

 

「オジ様!? どうしてここに!?」

 

 帝都の特別実習から交流ができたルーグマンの登場にアリサは目を丸くする。

 

「ぼ、僕のことはいい……それよりもこれを……っ――」

 

「オジ様!? どこか悪いんですか!?」

 

 ルーグマンはクォーツを差し出そうとして頭を押さえて苦悶の声をもらす。

 そんなルーグマンを案じてアリサは手を伸ばし――

 

「触るなっ!」

 

「っ!?」

 

 拒絶の言葉にアリサは身を竦ませる。

 しかし、ルーグマンは怯えた顔をするアリサに手で顔を隠したまま、優しく語り掛ける。

 

「怒鳴ってすまない。だけど……今は時間がないんだ、アリサ」

 

「オジ……さま……?」

 

 呼び捨てにされたことに違和感を抱かず、アリサは苦しむルーグマンにただ困惑する。

 そんなアリサの様子にルーグマンは優し気な眼差しを向ける。

 

「君の戦術殻、ダインスレイブにこのクォーツをインストールするんだ……

 詳しい機能を説明している暇はないが、それは君達を守るためのプログラムだ。どうか信じて欲しい」

 

 懇願する今のルーグマンと、度々連絡をしていたルーグマンとの印象がずれてアリサは戸惑う。

 しかし、心の何処かで自然と彼の言葉を無条件でアリサは受け入れていた。

 

「いいかい、僕がここから去った後……すぐにだ……すぐにそのプログラムを――ぐっ……」

 

「オジ様っ!?」

 

 一際大きく苦しみ出したルーグマンに先程の拒絶を忘れてアリサは手を伸ばす。

 だが、ルーグマンが後退ったことでアリサの手は空を切った。

 

「すまないアリサ……もう限界のようだ……」

 

 じりじりと後退りながらルーグマンは酷く後悔した眼差しをアリサに向ける。

 

「こんなことしかできない僕を恨んでくれ!」

 

「オジ様っ!」

 

 止める間もなく、ルーグマンはアリサに背中を向けて駆け出した。

 遠ざかって行く背中にアリサはただ手を伸ばす。

 何が起きていたのか、アリサには何も分からない。

 ただ押し付けられるように渡されたクォーツが――これまで幾度となく通信で交わした言葉以上に今のやり取りにアリサは胸が熱くなっているのを感じていた。

 

「何なのよ……?」

 

 何一つ理解できなかった。

 用途不明のクォーツ――プログラムを精査せずにダインスレイブに組み込むことはその戦術殻をくれた本人だったとしても技術屋の娘であるアリサには抵抗のあることだった。

 しかし、それでも今の彼の言葉には無条件で信じて良いと思える何かをアリサは感じた。

 故に、アリサは己の武具である戦術殻を呼ぶ――

 

「ダイン――」

 

「おや、そこにいるのはもしかしてアリサ君かな?」

 

「っ――」

 

 召喚を中断し、聞こえて来た声にアリサは身構える。

 

「おお!? そう警戒しないでくれたまえ」

 

 アリサの警戒態勢におかしなくらいにその男は狼狽える。

 

「ハイデル伯爵?」

 

「トリスタが賊軍に襲われたと聞いたが無事で何よりだ」

 

「っ――」

 

 白々しい言葉にアリサは怒鳴ろうとした言葉を必死の思いで呑み込む。

 

「もしかして君は一人でルーレまで辿り着いたと言うのかい? 流石イリーナ会長の御息女と言ったところかな?」

 

「…………申し訳ありません。ハイデル伯爵。母に無事な姿を一刻も早く見せたいので失礼します」

 

 ハイデル・ログナーはラインフォルト社の第一製作所を束ねる取締役。

 厳密には貴族連合ではないのかもしれないが、通報されれば厄介だとアリサは会話を切り上げる。

 

「ああ、そうだね。引き留めてしまって申し訳ない」

 

 ハイデルも特にアリサを引き留めようとはせず、その言葉を受け入れる。

 彼が自分を捕まえようとしないことにアリサは安堵の息を吐き――

 

「イリーナ会長のところに行くのなら、すまないがこれを会長に渡してもらえるかな?」

 

 そう言ってハイデルは抱えていた箱をアリサに差し出した。

 

「これは……?」

 

 持てない程ではないが、ずしりと重い箱の中身をアリサは尋ねる。

 

「機甲兵に関する重要な部品でね。イリーナ会長に提出を求められていたものだよ」

 

「機甲兵の……」

 

 事も無げに言うハイデルに、アリサは彼に機甲兵のことを問い質すべきか迷う。

 

「私も忙しい身でね。ではアリサ君、よろしく頼むよ」

 

「あ……」

 

 止める間もなくハイデルは踵を返し、駐車してあったリムジンに乗り込むとアリサが止める間もなく発進してしまった。

 

「…………はあ……」

 

 ルーグマンと言い、ハイデルと言い、こちらの意志を無視して勝手に押し付けて行ってしまった大人たちにアリサはため息を吐く。

 

「だけど、これは渡りに船かも」

 

 ハイデル伯爵からの提出物。

 アリサ個人で面会を申し込んでも無視される様が簡単に想像できるが、荷物を届けるという口実があるなら最低でも顔を合わせることができるだろう。

 

「よし……」

 

 アリサは気持ちを切り替えて歩き出す。

 その手には箱と一緒にクォーツも握られていたが、後で良いかとアリサは考えてしまう。

 

 その選択を後悔することを彼女はまだ知らなかった。

 

 

 

 

 

 

「ふ……無駄な足掻きを……だが存分に諍えば良い……

 その諍いが徒労となる絶望、それが貴様を殺す毒なのだから……フフフ……ハハハハハ……」

 

 

 

 

 

 黒銀の鋼都市ルーレ。

 帝国北部ノルティア州の州都であり、四大名門のログナー家が治める都市。

 大陸最大の重工業メーカー、ラインフォルト社を中心に据えた重厚かつ機能美が溢れた建築物に溢れた街は異様な静けさが満ちていた。

 

「……簡単に街に入れたのは良いんだけど」

 

「何か、きな臭いねえ」

 

 本来なら門の前に門番として領邦軍の兵士が駐在しているはずなのに、誰もいなかったことにクリスとシャーリィは警戒心を高める。

 

「あら? 騒ぎを起こさずに街に入れたんですから良いじゃないですか」

 

「まあ……そうなんだけど」

 

 楽観的にこの状況を見ているアルフィンにクリスは歯切れの悪い言葉を返す。

 何故か貴族連合の戦力配置図を持っていた《C》のおかげでノルティア州に飛空艇を着地することができ、そこから徒歩でルーレに辿り着き、街の中に入ることもできた。

 全てが順調だが、だからこそ警戒を緩めてはいけないのだがそれを戦士ではないアルフィンに求めるべきではないとクリスは呑み込む。

 

「それにしてもルーファスさんは流石としか言えないな……」

 

 改めてクリスはルーレ潜入のメンバーを見回して、彼が用意した変装の服に感嘆する。

 シャーリィはⅦ組の制服ではなく、猟兵としての露出度の高い彼女の普段着だが、アルフィンとエリゼが着ている服はどちらもトールズ士官学院の緑の――平民の制服。

 士官学院の知名度を利用し平民だと第一印象を抱かせる方法としては悪くない。

 

「それにしてもキーアちゃんは大丈夫でしょうか?」

 

「《C》とセリーヌが付いているから大丈夫でしょう。それに今回は下調べですから」

 

 来た道を振り返るエリゼにクリスは安心させるように応える。

 確かに《C》にキーアを任せるのは心配だが、ルーファスが信頼を寄せている部下であるのだからこのタイミングで裏切ることはないだろう。

 

「ガイウスと合流できれば人員の振り分けにも余裕ができるから、今回だけは我慢しましょう」

 

「とりあえずここで話していても目立つだけだから移動しない?

 先に来ているガイウスと合流する? それともアリサが入院しているっていう病院に行く?」

 

「そうだね……まずはガイウスと合流しよう……

 導力メールによればダイニングバー『F』を拠点にしているみたいだから、まずはそこに行こうと思う」

 

「ああ、あそこか」

 

 鉄道憲兵隊の繋がりがありそうだったバーのことを思い出しシャーリィが歩き出す。

 

「ダイニングバーですか?」

 

 その言葉に印象にアルフィンは顔をしかめる。

 

「何やら不埒な響きですね」

 

 アルフィンに同調するようにアルティナがジト目をクリスに向ける。

 

「い、いやバーって言ってもいかがわしいお店じゃなかったよ」

 

「本当かしら?」

 

 アルフィンの咎める様な眼差しにクリスは居たたまれなくなる。

 

「行けば分かるよ」

 

 弁明は無駄だとクリスは諦めて歩き出す。

 立体的な構造が特徴のルーレの街の中で、空中回廊の南側に店を構えるダイニングバー。

 しかし、昼間は営業していないのか扉には準備中の札が掛かっており――

 

「ひゃああああああっ!」

 

 まだ営業していないはずの店から貴族の風貌の男が悲鳴を上げて飛び出した。

 男は脇目も振らず、クリス達の間を掻き分けるように走り去って行く。

 

「…………何あれ?」

 

「さあ?」

 

 クリスとシャーリィが振り返って去って行く男に首を傾げたその瞬間、目的地としていたダイニングバーが爆発した。

 

「え……?」

 

「ひゅうっ!」

 

 呆然と立ち尽くするクリス達に対してシャーリィは口笛を吹いて囃し立てる。

 

「何々!? 随分シャーリィ好みなことやってるじゃない!」

 

 そう叫ぶシャーリィに応えるかのように、黒い煙が昇る店の中から二人の人影が現れる。

 

「このクソメイド! 何とち狂ったことしてるのよっ!」

 

「邪魔ですサラ様、そこを退いてください」

 

 紫電とメイドが空中で剣とナイフをぶつけ合って吠える。

 

「え…………?」

 

 Ⅶ組の担当教官とⅦ組が生活する第三学生寮の寮長の本気の戦いにクリスは目を疑う。

 

「どうしてサラ教官とシャロンさんが戦っているんだ!?」

 

 街の中だと言うのに二人は手加減をする様子もなく、本気で銃を撃ち、鋼の糸を振る。

 弾丸が街を破壊し、鋼の糸がまるで刃物のように街路灯や石畳に爪のような斬痕を走らせる。

 

「アハハッ! 二人とも凄い凄いっ!」

 

「言ってる場合じゃないよシャーリィ!」

 

 殺気を剥き出しにして戦う二人に興奮した声を上げるシャーリィをクリスは窘める。

 

「退いて下さいサラ様! 邪魔をするなら貴女であっても容赦しませんっ!」

 

「上等っ! 二年前の借り! ここで返してやろうじゃないのっ!」

 

 叫びながら二人は跳び上がり、刃を交えながらルーレの家屋を縦横無尽に駆けて行く。

 

「…………いったい何が起きてるんだ?」

 

 取り残されたクリスは呆然と呟く。

 第三学生寮での生活から決して仲が悪いとは思わなかっただけに、今の二人の殺し合いにしか見えない戦闘が信じられなかった。

 

「ゴホ……ゴホ……」

 

 呆然と立ち尽くすクリス達の背後で咳き込む声が聞こえて来る。

 

「しっかりしてください。ここまで来ればもう大丈夫です」

 

 肩を貸したダイニングバーのマスターに青年は声を掛けながら、煙を掻き分けるように外へ出て来る。

 

「ガイウス!?」

 

「――っ……クリスか」

 

 ガイウスはクロスベルから一方的に別れた彼の顔を見て安堵の表情を浮かべる。

 

「今、サラ教官とシャロンさんが凄い勢いで斬り合って、何処かに行っちゃったんだけど何があったんだい!?」

 

「それが……俺にもよく分からないのだが」

 

 どう答えて良いのかとガイウスはマスターを介抱しながら言葉を濁す。

 

「とりあえずサラ教官たちを追い駆けた方が良いんじゃない?」

 

 そう提案するシャーリィにクリスはガイウスを見て悩む。

 

「行ってくれ。俺もマスターを安全な場所に送ったらすぐに行く」

 

「分かった。アルフィン達もそれで良いね?」

 

「え…………ええ……」

 

 二人の殺気にあてられて放心していたアルフィンは何とか返事をする。

 そうしてクリス達は街で本気の戦いを行う二人を追い駆け――目にしたのは鋼の糸で簀巻きにされて逆さ吊りにされたサラの姿だった。

 

 

 

 

 



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18話 RFの娘たち

 

 

 

 

 

「ぐっ――どうして私は……」

 

 ルーレ市の路地裏、女は頭を押さえながら呻く。

 その背後には憲兵隊の諜報員が無様な姿で雁字搦めにされて吊り下がっている。

 彼は鉄道憲兵隊の諜報員。

 サラの邪魔で一度は逃したが、どうにか確保してあらゆる手を使い尋問を行ったが、貴族連合の発表に反してラインフォルト社爆破事件への関与については潔白だった。

 しかし、正規軍はあろうことか新型機甲兵の奪取を計画し、ルーレ市への襲撃を企てていた。

 ラインフォルト社の爆破がその先駆けだとすれば、正規軍への疑いが完全に晴れたわけではない。

 今後のことを考えれば、既に正規軍はラインフォルトを脅かす敵だと女は認識していた。にも関わらず――

 

「どうして私は……殺せないのですか……?」

 

 手の中の刃をかつての頃のように雁字搦めにして動けなくした敵に突き立てるだけの簡単な作業のはずなのに、女は自分でも信じられないことに諜報員を見逃した。

 それも今回だけではない。

 ルーレ市に潜伏していた正規軍、領邦軍問わず怪しい敵、自分を止めようとする敵、全てを女は見逃していた。

 

「っ――」

 

 頭痛に女は頭を押さえる。

 

 ――コロセ、ユルスナ、スベテヲコロシテシマエ……

 

 女の衝動を突き動かそうとする囁きが聞こえて来る。

 それに同調し、それこそが自分の本質だと受け入れようとする自分がいる。

 その衝動を押し留めようとする声が脳裏に蘇る。

 

「イリーナ……様……」

 

 ――むやみやたらに噛みつく狂犬はうちには必要ないわ。ウチのメイドをしている間はもう少しお淑やかになりなさい。娘の教育に悪いわ……

 

「わたしは……わたくしは……」

 

 “クルーガー”なのか“シャロン”なのか。

 虚ろだったはずの心が二つの顔によって軋む。

 ただ一つ、どちらの心も許すなと訴えている。

 計画した者、厳重なセキュリティが掻い潜って社長室へ爆弾を運んだ実行犯。その他の協力者。

 その全てに報いを受けさせなければいけない。

 そして、ラインフォルトを脅かそうとしているのなら外敵も排除しなければいけない。

 それがシャロン・クルーガーが己に課した使命。

 

「…………ふふ、ならば好都合というものですね」

 

 女は顔を上げて笑みを作る。

 犯人はまだ分からない。

 だが、ラインフォルトを襲う敵が来る。

 

「お出迎えの準備をしないといけませんね」

 

 楽しそうに、嬉しそうに、笑いながら彼女の目は虚ろだった。

 

 

 

 

 

 

「母様……」

 

 ルーレの中で一番大きな病院。

 その中でも一番大きな病室と一番良いベッドに寝かされたイリーナの姿は痛々しいものだった。

 治癒術を限界まで行使して何とか一命は取り留めたものの、まだ意識は回復していない。

 そんな想像をしたこともなかった母の姿にアリサは呟く。

 

「どうして……私なんか庇ったりしたのよ?」

 

 その呟きに答えは返って来ない。

 思い出すのは爆発に飲まれる直前の出来事。

 覚えのない荷物を差し出され思案すること数秒。

 イリーナは差し出した小包を乱暴に払い除けるとアリサを抱き締めるようにして伏せた。

 直後に小包は爆発し、アリサが事の顛末を知ったのは数日前に目を覚ましてからだった。

 

「どうして……っ――」

 

 繰り返そうとした言葉をアリサは呑み込む。

 どうしてなど問わなくても分かっている。

 爆弾を払い除けた時の必死な顔。

 庇うために抱き締めてくれた力強さと温もり。

 それこそ言葉よりも雄弁にこれまでイリーナの想いを感じることができた。

 

「違うわよね……」

 

 今自分がすべきことは何なのか、考えてアリサは涙を拭って立ち上がる。

 もしもイリーナが目を覚ましていたらどんな言葉を掛けてくれるか、想像する。

 今まではそこで分からないと思考を停止していたが、今なら言葉とそこに込められた本心まで想像できる気がした。

 

 ――いつまでそうしているつもり? 泣いている暇があったらこの失態を挽回してみなさい……

 

「ええ、イリーナ・ラインフォルトの娘が泣き寝入りなんてするはずないものね」

 

 簡単に想像できてしまった母の言葉にアリサは苦笑を浮かべる。

 

「今度は私が母様を守る。愛しているわ母様……」

 

 それだけを最後に言い残してアリサは病室から出る。

 そして廊下で待っていたクリス達に向き直る。

 

「早速で悪いんだけど、クリス……

 ガレリア要塞でエリオットに使った“霊薬”ってまだあったりする?」

 

 既にガイウスからクリスの生存を聞かされていたアリサは再会の挨拶を後回しにして尋ねる。

 

「え……? ああ、一応あれから補充はもらったけど、今は手元にないよ」

 

 トリスタの襲撃が突発的だったこともあり、補充された“霊薬”を学生寮の部屋に置きっぱなしにしていたことをクリスは思い出す。

 

「今は……と言う事はトリスタにあるのね? なら、取引をしましょうクリス」

 

「取引?」

 

「ええ、私は母様のためにその“霊薬”が欲しい……

 それから今後のラインフォルトを守るために貴方達“皇族”の後ろ盾が必要だと考えているわ」

 

「それは……」

 

「今、ラインフォルトは微妙な立ち位置にいるわ……

 貴族連合が勝てば、母様の意識がないことを良いことにハイデル卿が会社を牛耳るでしょうね……

 かと言って革新派が勝てば、機甲兵開発に協力していたラインフォルトは政府に接収される可能性だってあるわ」

 

 冷静に内戦が終わった後のことをアリサは語る。

 

「だからラインフォルトを守るために“功績”が欲しいの……

 それと合わせてさっき言った“霊薬”。この二つのために私は貴方に協力するわ」

 

 Ⅶ組の仲間としての情ではなく、アリサ・ラインフォルト個人として内戦に関わる意志を示す。

 その要求にクリスは答えあぐねてガイウスに振り返る。

 “霊薬”の存在をここまで忘れていたが、彼の父の負傷のことも考えれば素直に頷くことはできない。

 だがその心情を察してくれたのか、ガイウスは何も言わずに首を横に振る。

 

「……アリサはそれで良いの?」

 

「言ったでしょ。ラインフォルトは日和見をしていられないって」

 

 内戦が終わった後の展望を語るアリサの主張はクリスにとって、悪くない条件だった。

 元々、何も差し出せるものがない身のクリスにとっては協力してくれる条件を提示してくれた方がありがたいくらいだ。

 シャーリィは帝国政府との契約の延長。

 ガイウスにしても、ゼクス中将に家族の保護と援助を報酬として契約が交わされている。

 

「それでも僕にできることは口利きすることしかできないし、“霊薬”だって今どうなってるか分からないよ?」

 

 皇族の発言力が弱いこと、“霊薬”に関しても学生寮の自分の部屋がどう扱われているのか分からない以上、確約はできないとクリスは言葉を返す。

 

「それで構わないわ。後で契約書を作っておきましょう」

 

「…………えっとアリサ……?」

 

 淡々と告げるアリサにクリスは戸惑う。

 

「ん? どうかした?」

 

 いつもの調子で首を傾げるアリサのギャップにクリスはやはり違和感を覚えて指摘する。

 

「今のアリサは何だかイリーナさんみたいだね」

 

「え……?」

 

 クリスの一言にアリサは目を丸くし、一連の会話を思い出して微笑みを浮かべる。

 

「ふふ、ありがと」

 

 イリーナに似ていると言われて悪くない気になっている自分にアリサは驚きながらも受け入れる。

 

「ところでもう一つ良いかしら? シャロンの事なんだけど――」

 

「その前にこっちからも一つ良い?」

 

 アリサの言葉をシャーリィが遮って一つの疑問をぶつける。

 

「報酬の内容は良いんだけどさ、今のアリサは何処まで役に立つの?」

 

「それは……」

 

「聞いた話だとアリサだって爆心地の中心にいたんでしょ? 怪我人を連れて行ける程、こっちには余裕はないんだよね」

 

「っ――だったらどうやって証明すれば良いのかしら?」

 

 喧嘩腰にアリサはシャーリィに向き直る。

 

「ふふ……」

 

 シャーリィは不敵な笑みを浮かべ、“テスタ=ロッサ”が収められたケースを落とす。

 

「っ――」

 

 ケースが落ちた重い音と衝撃にアリサは身を竦ませ――その隙にシャーリィはその背後に回り込み、羽交い締めにするようにアリサの胸を鷲掴みにした。

 

「ちょ!? 何するのよ!?」

 

「ふふん! シャーリィを振り解けたら最低限の力はあるって認めて上げるよ」

 

 そう言いながらシャーリィは鷲掴みにしたアリサの胸を揉みしだき始める。

 

「ちょ――やめ……あ……」

 

「おお! 委員長には劣るけどラウラよりも良い!」

 

 彼女を守るメイドがいないことを良いことにシャーリィはここぞとばかりにアリサの胸を堪能する。

 

「あらあら」

 

「シャ、シャーリィさん、アリサさんは怪我人ですから、その……」

 

 アルフィンはその光景に傍観を決め込み、エリゼはどうやって仲裁しようかと迷う。

 

「不埒ですね」

 

 そしてアルティナは軽蔑の眼差しをシャーリィに送る。

 

「…………凄いね。このタイミングでもシャーリィはブレてない」

 

「ああ、だが……その……」

 

 回れ右をしたクリスとガイウスは背中から聞こえて来るアリサの嬌声に居たたまれなくなる。

 

「あ! そこはダメ――いい加減にしなさいっ!」

 

 そしてアリサの怒りの拳骨がシャーリィに降り注ぎ――窓の外、ルーレの象徴とも言える巨大な導力ジェネレーターが爆発した。

 

 

 

 

 

「それに嘘偽りはありませんね?」

 

 ラインフォルトの工場にて、女は生け捕りにした正規軍の部隊長を締め上げていた。

 

「ほ、本当だ! 私が直接見たわけではないが……部下がハイデル・ログナーがアリサ・ラインフォルトに怪しい荷物を渡しているところを目撃している」

 

 自分の命、そして部下の命を惜しんで部隊長は女の問いに知っている事を答える。

 もっとも部隊長からすれば隠すような事柄ではない。

 

「そう……ですか……よりにもよってアリサお嬢様を利用したと……」

 

「ご、誤解は解けたようだな。どうだ? 君も貴族連合のやり方に怒りを感じているのなら我々に協力して――」

 

「お黙りなさい」

 

「がっ――」

 

 女は首を掴んでいた手に力を込める。

 女の細腕一本で持ち上げられた男は握り潰すような圧力に声にならない悲鳴を上げる。

 

「例え貴方達がラインフォルト家を爆破した犯人ではなかったとしても、ラインフォルト社に弓を引いた愚か者であることには変わりありません」

 

 感情の乏しい虚ろな言葉にも関わらず、そこに宿る憤怒の激情の矛先は暴挙を自分達の利のために見逃した者へ向けられる。

 

「せいぜい自分の罪を悔い改めて――ぐっ――」

 

 ナイフを振り被り、女はそこで頭を押さえて苦しみ出す。

 二つの囁きが再び女を揺らす。

 

「こいつらは…………殺して良い……はずなのにっ!」

 

 技を錆び付かせたわけではないと言うのに、何度も経験したはずの一線を超えること躊躇っている自分に女は困惑する。

 

「わたしは……わたくしは……」

 

 よろめき、蜘蛛の巣に捕らえた正規軍達を放置して女は歩き出す。

 頭を押さえて右に左と揺れながら歩くその姿は病人の動き。

 しかし、歩みを進める度にそのブレは少しずつ納まっていく。

 

「ふふ……うふふふ……」

 

 顔を上げ、シャロン・クルーガーは憂いが解消したと言わんばかりの微笑みを浮かべる。

 

「ハイデル・ログナー。彼は殺しても良い人間でしたね」

 

 “クルーガー”も“シャロン”も満場一致で“コロシテ”しまえと囁いている。

 

「ふふふ……あはははは……」

 

 狂ったように笑いながら、シャロン・クルーガーは貴族街へと足を向ける。

 その足取りは軽やかだった。

 

 

 

 

 



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19話 絡み合う糸

 

 

 

 

 ルーレにおいて、最も目立ち高い建築物と言えばラインフォルト社である。

 対して、最も歴史が深く広い建築物と言えば、ログナー家の侯爵邸が上げられる。

 その侯爵邸はその長い歴史に終止符を打つかのように紅蓮の炎に包まれていた。

 

「っ――」

 

 目の前で焔が弾け、張り巡らせた鋼の糸が身代わりとなって焼け落ち、女はその場に膝を着く。

 

「やれやれ……ようやく止まってくれた」

 

 嘆息するのは独特な雰囲気を持つ少年。

 

「……ほとんどテメエは何もしてねえだろうが」

 

 そしてそんな少年を気だるい、そして不愉快な眼差しでマクバーンは睨む。

 

「アハハ……それは言わないお約束だよ」

 

 マクバーンの不機嫌な言葉に軽薄なノリで笑いを返したカンパネルラは自分を睨む女に向き直る。

 

「フフ、クルーガー。怖い顔をしないでおくれよ」

 

「っ――」

 

「二年ぶりじゃないか。ってシャロンって呼ぶんだっけ?」

 

「うるさい……わたしの邪魔をするなっ!」

 

 親し気な言葉を無視して女は吠える。

 その殺意に満ちた目は二人ではなく、その背後で腰を抜かしているハイデルから一時も離れることはない。

 

「フフ……変わったねぇ、君も……

 《木馬團》から結社入りしたばかりの頃とは大違いだ」

 

「10年くらい前だったか? あのにこりともしなかった小娘がここまで成長するとはな」

 

 感情をむき出しにする女にカンパネルラとマクバーンは感慨に浸る。

 

「とにかく君に好き勝手に暴れられると計画に支障が出るんだよね」

 

 衰えない女の眼光にカンパネルラは肩を竦めると、本題に入る。

 

「いくら執行者に自由の権利が保障されているからって、やり過ぎは良くないってことさ」

 

「うるさい……うるさい……うるさいっ!」

 

 聞き分けのない子供のように女は頭を振り乱す。

 聞く耳を持たない女にカンパネルラは再び嘆息する。

 

「そんなに彼のことを殺したいならさ……実験に協力してよ」

 

 カンパネルラはハイデルに振り返り、悪魔のような微笑みを浮かべる。

 

「ひぃっ!?」

 

 ハイデルは悲鳴を上げて後退ろうとするが、壁に背中をぶつける。

 

「そんな怖がらなくても大丈夫だよ。うまく行けば君も生き延びることができるかもしれないからさ」

 

 そう言うとハイデルの返事を待たずにカンパネルラは指を鳴らす。

 すると彼の目の前に小さな火が空中に灯る。

 

「君はこれからユミルに逃げるんだ」

 

「ユミルに逃げる……」

 

 カンパネルラの言葉をハイデルは虚ろな顔で繰り返す。

 

「そう、それだけで良い。ほら、早く行って」

 

 カンパネルラに促され、ハイデルは朧げな足取りで歩き出す。

 そんな彼をマクバーンは見送り、顔をしかめてカンパネルラを睨む。

 

「おい……」

 

「そんな顔をしないでよ。君だって“彼”には早く戻って来て欲しいんでしょ?

 これはそのための実験なんだから」

 

「ちっ……」

 

 悪びれた様子もなく言ってのけるカンパネルラにマクバーンは舌打ちをしてそれ以上の追及はやめる。

 

「フフ……そういうわけだからシャロン。君も彼を殺すのは少しだけ――」

 

「ああああああっ!」

 

 カンパネルラの言葉を遮る雄叫びを上げ、女は短剣を構えて邪魔者――カンパネルラに突撃する

 

「あ……」

 

 女の短剣がカンパネルラの胸に突き立てられるその瞬間、焔が爆ぜる。

 

「っ――」

 

 女はその衝撃に反対側の壁に叩きつけられて倒れる。

 

「はは、助かったよ」

 

 自分を守ってくれたマクバーンにカンパネルラは礼を言う。

 

「別に助けたつもりはねえよ」

 

 そんな言葉にマクバーンはどうでもいいと言わんばかりのそっぽを向く。

 

「つれないなぁ……

 まあ、そういうわけだから。彼を殺すなら時と場所を考えてってことだよ」

 

 カンパネルラは倒れた女に一方的に言って踵を返す。

 

「それじゃあ行こうか?」

 

 それで仕事は終わったと言わんばかりにカンパネルラはマクバーンに向き直る。

 

「…………良いのか?」

 

 倒れた女を顎で指してマクバーンは尋ねる。

 

「この程度で死ぬならその程度だって事だよ。それに……運が良かったらこの場も生き残れるさ」

 

 カンパネルラは意味深にあらぬ方向を一瞥する。

 

「……ま、どっちでも俺には構わねえがな」

 

 マクバーンもまたカンパネルラの視線の先を一瞥してから肩を竦めると振り返る。

 

「あれ? どうしたの僕や盟主に問い詰めたいことがあったんじゃないの?」

 

「ああ、ちょっと野暮用が出来たからな。それは後回しだ」

 

 そう言って止める間もなく炎の海へとマクバーンは歩き出した。

 

「フフ……つれないなぁ」

 

 そんな彼の背中をカンパネルラは見送り、彼もまた転移の魔法陣を展開してその場から消える。

 そして倒れたままの女の上に、炎によって倒壊した瓦礫が降り注いだ。

 

 

 

 

「こ、これはっ!」

 

 黒竜関から戻ってきたゲルハルト・ログナーは燃え上がる祖先から引き継いできた屋敷を見上げて言葉を失う。

 

「ち、父上……」

 

「おお、無事だったかアンゼリカ」

 

 燃える屋敷の前、逃げ延びた家臣団を纏めていた娘にゲルハルトは安堵する。

 先日、ケルディックから救出され、保護という名目で屋敷に軟禁していただけに火災の報を聞いた時は肝を冷やした。

 

「ちっ……ルーレ市だけに飽き足らず侯爵邸まで手を出すとは」

 

 アンゼリカの報告で幸いなことに家族や屋敷で働いていた使用人に逃げ遅れた者はいないことに安堵する一方で、ゲルハルトはルーレで横行している辻斬りに代々受け継いできた屋敷を燃やされた怒りが湧き上がる。

 

「閣下! どうやら賊はユミルに向かったようです」

 

「何……ユミルだと?」

 

 部下の報告にゲルハルトは眉を顰める。

 ユミルと言えば、ノルディア州を治めているログナー家が主催した社交界に参加しようとしない不届きな貴族。

 何故そうなったか思い出すことはできないが、皇族のお気に入りだからと言って侯爵家を軽んじている態度には決して良い印象を持っていない。

 

「…………ちょうどいい……」

 

 未だに見つかっていないオズボーンの亡骸。そしてそのオズボーンの生家があったユミル。

 内戦が始まっても不干渉を決め込むシュバルツァー家。

 アルバレア公爵からの調査を打診されていたこともあり、ゲルハルトがそれを決断する。

 

「これより賊を追ってユミルへ向かう!

 ラインフォルトにも新型を出させるように言え、組み上がっている分だけで構わん!」

 

 ゲルハルトの指示に部下たちが返事が動き出す。

 それを見送り、ゲルハルトは顔に傷のある大男に振り返る。

 

「貴様にも動いてもらうぞ」

 

「ああ、構わねえぜ」

 

 猟兵は待ちわびたと言わんばかりに獰猛な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 燃え盛る炎の中からその少女は女を背負い、息も絶え絶えに脱出を果たした。

 

「あ、危なかった……」

 

 エマは物陰に隠れるようにシャロンを下ろして息を吐く。

 アリサが爆弾により負傷したという報を聞いて、あの手この手を使って貴族連合の検問を掻い潜って辿り着いたルーレに辿り着くことができた。

 そこで見掛けたのがシャロンであり、彼女にアリサのことを尋ねようと追い駆けた先に待っていたのは怪物だった。

 

「それにしても……」

 

 魔術があるが故に火はエマにとって脅威ではない。

 しかし、シャロンを倒した二人はエマ一人では手に負える相手ではない最悪な組み合わせだった。

 それもあの二人には気付かれていた様子であり、隠れていたエマは気が気ではなかった。

 

「っ……陽光よ、彼女を癒せ」

 

 思い出して背中を凍らせながら、エマはシャロンに癒しの魔術を施す。

 導力魔法よりも効果が高いそれは火傷を負ったシャロンを癒していく。

 

「さて……これからどうしましょう」

 

 一度の術で治せるだけの応急処置を済ませエマは次の行動を考える。

 いろいろとアリサにはやらかしてしまった借りがあるため、ルーレにやって来たのだが肝心の彼女の居場所が分からない。

 それどころか何故シャロンが侯爵邸を襲撃し、執行者の二人に返り討ちにされたのかさえも分からない。

 分からないことだらけで頭を悩ませるエマはふと、近くに自分の《使い魔》の気配を感じた。

 

「セリーヌの気配……もしかしてルーレに来ているの?」

 

 彼女が無事だったことを改めて実感した安堵にエマは息を吐き、まだ遠いが念話を試みようと意識を集中し――シャロンは音もなく身を起こした。

 

「あらエマ様ではないですか?」

 

「え……?」

 

 満身創痍な状態を一切感じさせず、いつもの第三学生寮の寮長の微笑みを浮かべて話しかけてくる女にエマは思わず震えた。

 

「申し訳ありません、今ゴミ掃除に忙しくて。すぐに済ませるのでお嬢様と一緒にお待ちください」

 

 女はそのまま立ち上がると優雅な動作でエマに一礼する。

 いつものメイドの姿なのだが、何かが致命的に噛み合っていない不気味さにエマは思考が停止する。

 

「では、失礼します」

 

「あ――待ってくださいシャロンさん」

 

 我に返って女を止めようとするが、彼女は一息で家屋の屋根に跳躍してエマの目の前から消えてしまうのだった。

 

 

 

 

 



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20話 虚ろな人形

 

 

 

 

「どうしてこうなった、どうしてこうなった、どうして――」

 

「落ち着いてください。ハイデル殿」

 

 頭を抱えるハイデルをテオは落ち着かせながら、困ったと言わんばかりにルシアと顔を見合わせる。

 

「違うんだ。私が用意したものは……あんなことになるなんて思っていなかったんだ」

 

 誰に向けた言い訳なのか、それでもテオ達の事が目に入っていない様子に一同は途方に暮れる。

 彼の事はルシアと万が一に備えてノーザンブリア兵の一人に任せ、テオとアプリリスは部屋から出てシュバルツァー当主の執務室に移動する。

 

「とりあえずクレドに周辺を探らせていますが、今のところ彼を囮にした襲撃の兆候はありません」

 

 今更ながらハイデルをシュバルツァー邸に連れて来たことをアプリリスは後悔する。

 明らかに厄介ごとの火種。

 とは言え、ノルディア州領主のゲルハルト・ログナーの弟が魔獣の餌になるのを見過ごせばそれはそれで問題になるだろう。

 

「ううむ。いったいルーレで何が起きているのだろうか?」

 

「潜入させていた草からの定時連絡も途切れてしまっています……

 とりあえず碌でもないことが起きているのは間違いないでしょう」

 

「エステル君達からエリゼが無事だったことが知れたのは内戦が始まって唯一の朗報か」

 

 肩を竦め、テオは一ヶ月前にもなる内戦の始まりを思い出す。

 オズボーン宰相狙撃事件が起きたあの日、ユミルもまた貴族連合の襲撃を受けることとなった。

 当日はユミルの地形が味方したこともあってアプリリスが指揮をするノーザンブリア兵のおかげで機甲兵なる最新兵器を退けることはできた。

 二日目は何処からともなく現れた《灰の騎神》と二人の遊撃士の援軍もあり、貴族連合は完全にユミルから撤退した。

 しかし、同時にアプリリスにとって不可解なことがいくつも起こっていた。

 貴族連合を追い払うと逃げるように去って行った《灰の騎神》。

 それに同乗して連れて来られ、残った二人の遊撃士の歯切れの悪い会話。

 そして郷の人間たちを始めに起きた不可解な現象。

 

「君達には世話になってばかりだ。改めて礼を言わせて欲しい」

 

「いえ、相手は違えど私たちがユミルに滞在していたのはこの時のためですから。それに“彼”がしてくれたことを思えば当然の事です」

 

「“彼”か……」

 

 エリゼの他に自分達には養子にした息子がいるとアプリリスは教えてくれた。

 それに実感は湧かないものの、シュバルツァー家を継ぐ男子がいないこと、今は行方が分からないがナユタと言う赤子をシュバルツァー家に迎え入れようとしていること。

 そしてこの家の一室にある誰のか分からない男物の部屋がアプリリスの記憶を裏付けるものとなっていた。

 

「しかし何度聞いても思うのだが、少々話を盛り過ぎではないかな?」

 

「事実です」

 

「私の息子があの《灰の騎神》に乗って帝都に現れた暗黒竜を倒し、ノーザンブリアに再出現した《塩の杭》を調伏し……

 クロスベルでは戦略級爆弾から各国の首脳陣を守り、オルディスでは千を超える魔獣の大暴走を鎮めてみせた」

 

 テオはアプリリスに聞いた“息子”の功績を繰り返して思う。

 

「やはり信じられんな。確かに各地でそう言った事件が起き《灰の騎神》が現れて平定したとは聞いていたが、とても私のような小さな領主の息子で納まっている子供とは思えないな」

 

 しかも、まだ十七になったばかりの士官学院生である“息子”に子供がいる事実がさらにテオを複雑な気持ちにさせる。

 

「それが《騎神》に選ばれた者の力と言う事でしょう……

 あれからノーザンブリアとも連絡を取り、私の親友の一人が“彼”の事を覚えていることが判明しました……

 私と彼女の共通点は塩化病の末期症状を“彼”に救われたこと……

 言ってみれば私たちは一度死を経験している。おそらくそのおかげで“彼”の記憶を消す魔術から逃れられたのだと思います」

 

「そうか……」

 

 誰がどんな思惑で“息子”の存在を消したのかは分からないが、そんな理不尽に諍う事が出来ていない自分に腹が立つ。

 

「しかしいったい誰がこんなことを?」

 

「それは分かりません。今の《灰の騎神》に乗っている誰かに聞けば何か分かるかもしれませんが――」

 

「テオ殿っ!」

 

 突然叩かれた扉の音に二人は会話を切り上げる。

 

「どうした?」

 

「不審な女が山道に入って来たようです。随分殺気立っているようですが」

 

「そうか……やはり来たか」

 

 錯乱状態のハイデルを囮にして、ユミル攻略の足掛かりの作戦。

 内戦の初日以降、穏やかだった日々が終わり本格的に内戦に巻き込まれることになるのかとテオは唸る。

 

「不審者の特徴は?」

 

「……どうやらメイドのようです」

 

「メ、メイド?」

 

「メイドか……」

 

 その報告にテオは困惑で驚き、アプリリスは顔をしかめる。

 メイドと言われて彼女が思い出すのは二年前。

 帝国の遊撃士協会襲撃事件に合わせてノーザンブリアの各地で起きた不審な事件。

 塩化の実験を行っていたアプリリスは首都から離れられなかったので伝聞でしか知らないが、その野生のメイドは結局捕縛することはできなかったと聞いている。

 

「もしもあの時のメイドだと言うなら、警戒が必要だろうな」

 

「ええ、どうやらクレドが見覚えがあると言っていたのでその時のメイドかと思われます」

 

「そうか……ならば私も出よう」

 

「アプリリス君?」

 

「そのメイドも陽動の可能性がある。他の者達は郷の警戒に務めろ。よろしいですねテオ領主?」

 

 指示を出して、最後にテオに確認を求める。

 

「ああ、郷の防衛については君達に一任する。よろしく頼む」

 

 頭を下げるテオを残してアプリリスは外へ出る。

 ふと空を見上げれば、どんよりとした黒い雲が空を覆っている。

 

「……今夜は吹雪きそうだな」

 

 ここよりさらに北に位置するノーザンブリアでは珍しくない曇り空にアプリリスは言い知れない不安を感じ、それを振り払って駆け出す。

 

「――ん?」

 

 しかし、その足を止めアプリリスは空をもう一度見上げる。

 灰色の雲を背に翠の機械人形がユミルの空を横切った。

 

 

 

 

 

 

「――シッ!!」

 

「っ――!」

 

 揃えた双剣の一撃をメイドは短剣で受け止め、大きく弾き飛ばされる。

 

「くっ……」

 

 痺れる腕に女は表情を曇らせる。

 体が重く、うまく動かない。

 それもそのはず、連日連夜にルーレ市を駆け回り、果てには《劫炎》ともやり合ったことで女の身体は肉体的にも精神的にも既に限界を超えていた。

 

「それでも――」

 

「遅せえっ!」

 

 鋼糸は尽きかけ、唯一の武器だった短剣がその手から弾き飛ばされ、途切れることのない連撃がメイド服を赤く染めて行く。

 

「どうした、その程度か!?」

 

「っ――がっ!」

 

 剣を躱したところで男の蹴りが女を捉える。

 身体の中が軋む音を聞きながら、女は雪の上を転がる。

 

 ――早く起きないと……

 

 しかし、彼女の意思に反して体は膝を着く。

 

「どう……して……」

 

 膝だけではなく全身から力が抜けて行くことに女は顔をしかめる。

 

「クカカ……どうやら限界みたいだな」

 

 クレドは女に剣を突き付ける。

 彼女はノーザンブリアでの戦いの時、サラの側にいた。

 それが何故、殺気立ってユミルに乗り込んで来たのか、問いかけても邪魔としか言い返さない者をユミルに近づけるわけにはいかない。

 

「わたしは……行かないと……」

 

「はっ……テメーの事情なんか知るか」

 

 睨んで来る女の言葉を切って捨てる。

 

「シュバルツァー男爵の意向に背いちまうが……テメーは危険すぎる」

 

 血反吐を吐き、満身創痍でありながらもその目の殺意はまるで衰えない。

 剥き出しの殺意はクレドにとって心地よいもの。

 出来る事なら彼女が万全な時に手合わせを願いたいと思うが、この危険な人間をユミルに入れることを見逃す程、クレドは甘くなかった。

 

「ま、そう言うことだ」

 

 膝を着いて立ち上がろうとする女の前に立ち、クレドは剣を掲げるように構え――

 

「散れやっ!」

 

 躊躇うことなく振り下ろされた刃は――割って入ったブレードに受け止められ甲高い音を立てた。

 

「っ――」

 

 女は自分を庇った誰かの存在に驚くよりも先に、残る全ての力を使って這うように彼、彼女たちの横をすり抜けて駆け出した。

 

「…………オイオイオイ」

 

 足を引き摺って駆けているつもりの女をいつでも追い付けると横目にし、クレドは自分の剣を受け止めた乱入者を睨む。

 

「どういうつもりだ、サラ?」

 

「どうって言われてもね」

 

 サラはクレドの剣をブレードで受け止めたまま器用に肩を竦める。

 

「クレドが何であのクソメイドを殺そうとしていたのかは理解できるけど、アレのことは内の生徒の身内だからこっちに任せてもらえないかしら?」

 

「クカカ……はい、そうですかって引き下がると思ってるのか?」

 

 獰猛な笑みを浮かべるクレドにサラはため息を吐く。

 

「さっきのも含めて、この借りは大きいわよ」

 

 背後にメイドの姿にサラは愚痴を漏らし、クレドの剣を弾く。それを合図に二人の手合わせが始まるのだった。

 二人の戦闘音を背後に女は傷付いた体を引き摺って山道を急ぐ。

 

「待っていてください……イリーナ様、お嬢様……」

 

 既に思考には背後の戦いはない。

 彼女にあるのはユミルに逃げ込んだ怨敵の首を取ること。

 それが肝心な時分に居合わせることができなかった不甲斐ない役立たずのメイドができる唯一の償いだと信じて進む。

 

「ハイデル・ログナー」

 

 その憎き名を女は呟く。

 大切な主人を爆殺しようとしたことだけではない。よりにもよってその実行犯に敬愛を捧げる妹分を利用した。

 

「ハイデル・ログナーッ!」

 

 その名を口にする度に、今にも力を失いそうになる四肢に熱が籠る。

 そこに“虚ろな人形”などと自嘲していた面影はない。

 

「ハイデル・ログナーッ!!」

 

 ただひたすらに前へと突き進む彼女の目の前に、ユミルの門が近付いて来る。

 ここからが本番だと女は意識を研ぎ澄ませていく。

 ハイデルの護衛がいるかもしれない。

 先程の男のようにユミルが保有している私兵が襲って来るかもしれない。

 だが、どれだけの戦力が待っていたとしても必ずハイデル・ログナーの下に辿り着く覚悟で女は――

 

「あ……」

 

 女は――シャロンは待ち構えていた少女に思わず足を止めた。

 

「…………シャロン」

 

 少女――アリサはシャロンの痛々しい姿に顔をしかめた。

 

 

 

 

 

 結社《身喰らう蛇》に所属するエージェント、執行者No.Ⅸ《死線》のクルーガー。

 それがアリサがサラから教えてもらった姉と慕っていた者の裏の顔だった。

 二年前、ノーザンブリアの各地で騒ぎを起こしサラを足止めし、リベールの異変の前準備の計画を成功に導いた知られざる立役者。

 

「二年前か……」

 

 その時期のことを思い出してアリサは沈鬱な気持ちになる。

 あの時は自分もまた誰も祝ってくれない誕生日に衝動的にリベールのツァイスへと家出した。

 あの時のシャロンの里帰りの理由を今になって知ったアリサは複雑な気持ちになる。

 アリサにとってシャロンは優しくも厳しい姉のような存在。

 しかし、サラにとってはラインフォルト家に害がなければ古巣の悪事を手伝うような外道。

 話を聞いた時には信じられなかったが、目の前の血に染まったメイド服を纏う彼女の歪んだ形相を見れば信じずにはいられない。

 

「…………シャロン」

 

「お……嬢様……」

 

 姿と形相とは裏腹に返って来た声が普段と変わらないことにアリサは小さく安堵する。

 

「シャロン、貴女は――」

 

「お嬢様ではありませんか。お茶を御用意しますが、少々お待ちください」

 

「っ――」

 

 顔を自分の血で染めながら出て来た普段と同じ通りの穏やかな口調にアリサは息を呑む。

 そこだけ切り取れば普段通りの彼女なのだが、場所と彼女の姿が今の彼女の異常さを際立たせる。

 

「もうすぐ、もうすぐです。イリーナ様とお嬢様を殺そうとした下手人の首をわたくしが――」

 

「それはこれのこと?」

 

 目を虚ろにするシャロンに対して、アリサは背後に合図を送る。

 

「ひ、ひぃっ!」

 

 情けない悲鳴を上げてシャーリィに首根っこを掴まれてその場に連れて来られたのはシャロンが目の仇にしていたハイデル・ログナーその人だった。

 

「ハイデル・ログナァァァァァッ!!」

 

 何処にそれだけの力が残っていたのか、シャロンは獣のような咆哮を上げ飛び出す。

 

「待ちなさいシャロンッ!」

 

 アリサの制止は間に合わず、一直線にハイデルに突撃したシャロンは――

 

「《ARCUS》駆動――」

 

 横からクリスが電撃の檻が待ち構えていた場所に展開し、シャロンは憎い仇を目の前に導力魔法で拘束される。

 

「ぐっ……がああああっ!」

 

「咆えない咆えない。御主人様が待てって言ってるんだから大人しくしなよ」

 

 まるで狂犬に言い聞かせるようにシャーリィはシャロンの威嚇に物怖じせず応じる。

 隣のハイデルは顔を蒼白にして逃げ出そうとしているが、シャーリィの手はがっちりと彼の後ろ首を掴んでいて逃がす心配はなさそうだった。

 それを確認してアリサはシャロンの前に回り込む。

 

「お嬢様っ! そいつは! そいつはっ!」

 

「ええ……分かっているわ」

 

 激昂するシャロンにアリサは静かに頷く。

 

「私に爆弾を持たせて、母様を殺そうとした――」

 

「ち、違うっ!」

 

 アリサの言葉にハイデルは慌てた素振りで反論する。

 

「私が用意したものはあんなものじゃない! 私もイリーナ会長にあれを渡せと言われただけなんだ!」

 

「それはもう聞いたわ」

 

 ティルフィングを使ってシャロンより先に確保した時に聞いた言い訳を繰り返すハイデル。

 

「なら誰が貴方に爆弾を渡して、母様や私を殺そうとしたのかしら?」

 

「そ、それは……」

 

 アリサの質問にハイデルは口ごもる。

 自分の潔白を証明しなければいけないのに、当時のことが思い出せない。

 イリーナ会長を監禁する計画を立てていたはずなのに、気が付けばこんなことになっていた。

 

「分からない……何も思い出せない……

 だけど本当なのだ! 私ははめられたんだ、信じてくれ!」

 

 白々しいハイデルの態度にシャロンは眦を吊り上げる。

 

「やはり殺すべき――」

 

「弁えなさいシャロン」

 

「っ――」

 

 殺意を漲らせるシャロンの前にアリサは立つ。

 

「今ここでこの人を殺したところで1ミラの価値もないわ……

 むしろここで彼を殺したら、貴族連合に大義名分を与えてそれこそラインフォルトは接収されてしまうわ」

 

「それでもっ! そいつはイリーナ会長を、よりにもよってお嬢様の手で」

 

「まだ母様は生きているわ!」

 

 シャロンの声に負けじとアリサが叫ぶ。

 

「そしてラインフォルト社の利権を欲しがっているのはこのハイデルだけじゃない!」

 

 ハイデルを操っていた黒幕が存在するかもしれない。

 それでなくても、見舞いに来たラインフォルトの各部署の取締役達の顔を思い出しアリサは憤る。

 言葉ではイリーナの無事を喜んでいたが、果たして何処まで本心だったのかアリサには測り切れなかった。

 

「ここでこの人に報復をしたとしても、それでラインフォルトを守れるわけじゃない! だからシャロン。馬鹿なことはやめなさい」

 

「馬鹿なことではありません」

 

 諭すアリサの言葉を女は静かに首を振って否定する。

 

「わたくしは……わたくしが守らなければいけなかった……

 それなのに肝心な時にお側を離れて、お嬢様と会長を危険にさらしてしまった……

 そんな役立たずの至らなかったわたくしでも最後の意地があります」

 

 シャロンは深呼吸をしてハイデルを睨み、アリサに告げる。

 

「それに意味ならあります……

 ラインフォルトに手を出せばどうなるか、その男を見せしめにして思い知らせて差し上げましょう……

 もちろんこの責任がお嬢様達に向かわないように致しますから安心してください」

 

「シャロン……貴女……死ぬつもり?」

 

 言葉の端から彼女の覚悟を読み取ってアリサは顔を険しくして聞き返す。

 

「…………この七年……虚ろな人形でしかないわたくしには勿体ないくらいの幸せな夢でした」

 

 シャロンはアリサに微笑む。

 血に頬を汚していながらも、それはアリサが良く知っている微笑みだった。

 

「お嬢様、イリーナ会長に代わり貴女に会長から頂いた《シャロン》と言う名を返上させていただきます」

 

「シャロンッ!?」

 

「わたくしの銘は“クルーガー”」

 

 アリサの言葉を拒絶するように女は名乗りを上げ、クルーガーは最後の糸を一閃し拘束の導力魔法を吹き飛ばして立ち上がる。

 

「お嬢様……所詮わたくしはこんなことしかできない人形、本当の意味で救いようがない存在なのです」

 

「シャロンッ!」

 

 何度呼んでもその声に彼女は応えない。

 業を煮やしたアリサは背後の仲間達に向かって叫ぶ。

 

「みんなっ! 力を貸して! この分からず屋を止めるために」

 

「もちろんっ! 全力でサポートするよ」

 

 アリサの決意にクリスが応え、それにガイウスとエマが並び、シャーリィはハイデルの首根っこを掴んで下がる。

 そして――

 

「遅いですよお嬢様」

 

「え……?」

 

 一番前にいたアリサが弓を構えるよりも早く、クルーガーは滑り込むように間合いを詰めていた。

 

「あ……」

 

 傷だらけだというのに、護身術を習った時とは比べ物にならない速さにアリサは反応できず、クルーガーの掌打は――割り込んだクリスの魔剣に受け止められた。

 

「シャロンさん! 貴女は本当にそれで良いんですか!?」

 

「所詮は血塗られた道。お嬢様達の礎となれるなら本望です」

 

「だけど……」

 

 近くで見たクルーガーの様相にクリスは思わず言葉を濁す。

 彼女のトレードマークとして見慣れたメイド服は血で染まり、剣で受け止めた掌打も思っていた以上に軽い。

 まさに満身創痍。

 動けているのが不思議な程の重傷と疲労があるのだとクリスは察する。

 

「――っ」

 

 そしてそれを肯定するように、後ろに下がったクルーガーは体を支え切れずに膝を着く。

 

「シャロンさんっ!」

 

 倒れそうになるクルーガーにクリスは思わず手を伸ばし――その手が掴まれた。

 

「え…………?」

 

 クルーガーを受け止めようとしたクリスはその手に引き寄せられ、足が払われる。

 

「なっ!?」

 

 空中で鋼糸に両足を縛られ、クルーガーは無造作に片手でクリスを山道の外へと投げ飛ばす。

 そこは切り立った崖。

 

「シャロンさんっ! 貴女って人は――」

 

 恨み節を残してクリスは重力に従って落ちる。

 

「クリスさん!」

 

「下は川です。クリス様なら死にはしないでしょう」

 

 崖に向けて駆け出そうとエマにクルーガーは呟き、手にした魔剣を乱暴に投擲する。

 

「危ないっ!」

 

 乱回転して飛来する魔剣をガイウスが咄嗟に十字槍で弾き――その槍の刃の根元を掴まれ、ガイウスは次の瞬間地面に叩きつけられていた。

 

「がっ――」

 

「ガイウスさん!」

 

 追撃にクルーガーはガイウスを踏みつけ、その上で拳を握り込む。

 エマは戦術リンクからガイウスの反応が間に合わないと察して、魔導杖を振る。

 しかし光弾を放つも既にそこに彼女はいなかった。

 

「どこに――」

 

 エマは周囲を見渡して彼女の姿を探す。

 その背後にクルーガーは音もなく忍び寄り、静かに両手をエマの首に添える。

 たったそれだけでエマは声を上げる暇もなく崩れ落ちた。

 

「あ……」

 

 気が付けばその場に立っているのはアリサ一人だけだった。

 クルーガーは距離を取って呆れているシャーリィに参戦の気配がないことを確認してアリサに向き直る。

 

「何を驚いていらっしゃるのですか?」

 

「シャロン……」

 

「わたくしが本気を出せば、お嬢様達が敵う道理はありません」

 

「っ――」

 

 満身創痍のクルーガーの指摘にアリサは唇を噛む。

 サラから話には聞いていた。

 執行者とは一国の軍隊を一人で相手取り、蹂躙する達人。

 いくらそんな彼女でも満身創痍の今なら戦術リンクを駆使すれば戦えるとアリサは思っていた自信はあっさりと砕かれた。

 

「さあ、その男を引き渡してください」

 

「っ――近付かないで!」

 

 アリサは今度こそ弓を引いて、矢をクルーガーに突きつける。

 

「それ以上近付いたら射つわよ」

 

 精一杯の威嚇。

 クルーガーはそれに冷ややかな目を向けて――

 

「どうぞ、御自由に」

 

 そう言って一歩進む。

 

「止まりなさい。止まって……お願いだから止まってよシャロンッ!」

 

 一歩、また一歩。

 向けられた矢に物怖じせずに近付いて来るクルーガーにアリサは悲鳴を上げ――矢を放つ。

 

「っ――」

 

「…………え……?」

 

 しかし矢はクルーガーを射抜くことはなかった。

 

「そんな……」

 

「お嬢様程度の力では、わたくしの修羅を止めることはできません」

 

 射られた矢を危なげなく手で掴み、脇に捨てながらクルーガーはアリサの横をすり抜ける。

 

「わたくしを止めたければ、シャーリィ様を使うべきでしたね」

 

「あ……」

 

「お嬢様の敗因は、わたくしをどんな手段を使っても止めると言う覚悟がなかったことです」

 

 囁かれた言葉にアリサはただ立ち尽くすことしかできなかった。

 Ⅶ組で一番強いシャーリィに頼ること、ティルフィングを使わなかったこと。

 きっとシャロンなら自分の話を聞いてくれるはず。

 それがどんなに甘い期待だったのか、アリサは痛い程思い知らされ膝を着く。

 そんな彼女を一瞥し、クルーガーは改めてハイデルを捕まえているシャーリィに向き直る。

 

「改めて言います。彼をこちらに渡してください」

 

「うーん、どうしよっかなー」

 

 言いながらシャーリィは“テスタ=ロッサ”の銃口をクルーガーに向ける。

 先程のアリサの威嚇には怯みもしなかったクルーガーは足を止める。

 

「別にシャーリィはこんなおじさんがどうなっても構わないんだけど――」

 

「なっ!?」

 

 シャーリィの言葉にハイデルは目を剥く。

 

「ま、待ってくれ私はログナー侯爵家のものだぞ! いや、ミラか!? ミラなら後でいくらでも――」

 

「ちょっと黙っててくれないかな?」

 

「ひぃっ!?」

 

 “テスタ=ロッサ”の銃床に小突かれ、ハイデルは無様な悲鳴を上げる。

 

「…………要求は何ですか?」

 

 そんなハイデルを極力見ないようにしてクルーガーは尋ねる。

 いくら手負いでも、足手纏いを守りながら戦う事はシャーリィが得意とするものではない。

 

「要求なんて別にないよ。ただ勝負がついたって判断するのは少し早いんじゃないかな?」

 

「っ――」

 

 咄嗟にクルーガーは身を捩る。

 するとそこに一本のナイフが飛来する。

 掠めたナイフは空中で制止すると、括りつけられた鋼糸によって投擲されたナイフは薙ぎ払われる。

 追撃を跳躍して躱したクルーガーはシャーリィ達から離れてしまったことを歯噛みしながら、予想よりもずっと早く復帰して来た少年に振り返る。

 

「クリス様……

 意外ですね。あれでどうなると思っていませんでしたが、ここまで早く戻って来るとは少々過小評価し過ぎたようですね」

 

 嘆息するクルーガーにクリスは叫ぶように言い返す。

 

「自慢じゃないけど、あそこの崖からは何度も突き飛ばされているんだ」

 

 入学前のユミルでの合宿の際の記憶を思い出しクリスは震える。

 命綱はあったものの、クライミングで失敗して川に落ちたことは一度や二度ではない。

 まさかその時の経験が生かせる時が来るとは思っていなかったが、突き落としたシャーリィに感謝する気にはなれない。

 

「立ってアリサッ!」

 

 トラウマを振り払いクリスは放置されていた魔剣を拾って呼び掛ける。

 

「クリス……でも……」

 

「ラインフォルトを守るって決めたんだろ!? なのにその体たらくは何だ?」

 

 自分に取引を持ち掛けて来た時の強さを忘れてしまったかのようなアリサの姿にクリスは苛立つ。

 

「ラインフォルトを守る?」

 

 そしてクリスの言葉に応えたのはアリサではなくクルーガーだった。

 

「ふふ……」

 

「何がおかしいんですか?」

 

 侮蔑を感じる笑みにクリスは顔をしかめる。

 

「ええ、おかしいですね……

 “ラインフォルトを守る”。身の程を弁えずにそんなことを仰っていたとしたら笑わずにはいられないでしょう」

 

「なっ!? シャロン!?」

 

 無遠慮で見下した言葉にアリサは絶句する。

 

「身の程って……私は本気よ! 倒れた母様に代わって私がラインフォルトを守るって決めて――」

 

「お嬢様にイリーナ会長の代わりが務まるわけありません」

 

「…………え……?」

 

 アリサの決意をクルーガーは容易く切り捨てた。

 

「会長がお嬢様に向けていた愛に気付かず、ハイデル・ログナーのような俗物がいるラインフォルト社で一人で戦っていた会長のことを見向きもしなかったお嬢様がラインフォルトの何を語れるというのですか?」

 

「それは…………」

 

「アリサお嬢様、貴女は会長やわたくしに守られるだけのか弱い存在……

 貴女にはイリーナ会長が持つ先見の明もカリスマも人の上に立つための非情さも何一つない……

 無力で無智で無垢で、世界の穢れを知らないお姫様。それが貴女です」

 

「…………シャロン……」

 

 母が倒れた今、手段こそ違っても頼めば助けてくれると疑っていなかった存在からの言葉にアリサは打ちひしがれる。

 

「アリサお嬢様。貴女と一緒に過ごした時間は幸せでしたが、同時にとても苦しかったです……」

 

「シャロン……何を言っているの?」

 

「明るい光が濃い影を作るように……お嬢様と一緒にいればいるほどわたくしは自分の本性――フランツ様を殺した罪を思い知らされていたのですから」

 

「………………え……?」

 

 クルーガーの言葉を理解できずアリサは間の抜けた言葉を返していた。

 

「貴女はずっとフランツ様を殺したわたくしを姉として慕っていたのですよ、アリサお嬢様」

 

「何を……シャロンが父様を殺した? 馬鹿なこと言わないでよシャロン!」

 

 突然明かされた真実にアリサは混乱する。

 そんな彼女の姿にクルーガーは慈しむ眼差しを送る。

 

「本当に愚かですね……

 親に守ってもらい、ただ与えられるのを待つだけの雛鳥……

 幼稚で稚拙で我儘な貴女の事が――」

 

 言葉の途中、場の空気を読まずにそれは投げ込まれた。

 

「っ――スタングレネードッ!」

 

 シャーリィがいち早く投げ込まれたそれの正体に気付き、警告を飛ばす。

 同時にクルーガーが動き、それに遅れてクリスも動く。

 

「させないっ!」

 

 これ幸いとハイデルに向かって突撃するクルーガー。

 それを阻むためにクリスが追い駆ける。

 アリサは呆然と立ち尽くし――次の瞬間、閃光が爆発して狙撃の銃声がユミルの山に木霊した。

 

 

 

 

 

 



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21話 宿業

 

 

 

 どんよりとした雲の下、銃声の音が山彦となって木霊する。

 

「…………どうして……?」

 

 アリサは銃に撃たれた衝撃を感じて呟いた。

 

「…………どうして……なのでしょうね……」

 

 呆然とした呟きの返事はすぐ傍から。

 

「どうしてわたくしはまた貴女を……」

 

 あの時のように、自分の行動を説明できないクルーガーは困惑しながらも、安堵するようにため息を吐く。

 

「貴女なんて、わたくしにとっては会長から頼まれてお世話をしていたに過ぎないのに……」

 

 あの時の事は今でも昨日のように思い出せる。

 

『ラインフォルトのメイドとして今日からこの子の世話をお願いするわ』

 

 夫を殺したと言った得体の知れない暗殺者に娘を任せるなど、イリーナの正気を疑ったものだ。

 暗殺者として生きてきたクルーガーにとって、メイドと言う仕事も潜入に都合が良いと言うだけで最低限のことしかできなかった。

 

「わたくしにとってお嬢様は……会長の娘に過ぎなかったのに……」

 

 気付けばアリサを狙撃から身を盾にして守っていた自分にクルーガーは苦笑いを浮かべる。

 シャーリィとクリスの攻撃を無視し、刺し違えてもハイデルの首を取るつもりだったのに、

 しかし気付けば、アリサへの狙撃を感知してクルーガーはその身を盾にして彼女を守っていた。

 

「こふっ……」

 

「シャロンッ!」

 

 本気の殺意を向けたはずなのに血を吐く自分を案じてくれるアリサにクルーガーは微笑みを返す。

 

「ああ、良かった……」

 

 ラインフォルト社の時は間が悪く居合わせることができなかったが、今回は間に合った。

 あれだけ執着していたハイデルの首などもうどうでも良い、と思える程の安堵を腕の中のか弱い存在に感じる。

 

「…………指先一つで簡単に摘み取れる命がこんなに愛おしく感じるなんて……」

 

「シャロン……」

 

 その言葉にアリサはようやく自分が知っているシャロンが戻って来てくれたのだと安堵して――

 

「お別れです、アリサお嬢様」

 

 そう言った瞬間、クルーガーはアリサを突き飛ばした。

 

「え……?」

 

 アリサは信じられないと目を大きく見開き、咄嗟に伸ばした手が空を切る。そして――

 

「デストラクトキャノンッ!!」

 

 極大のエネルギーの砲撃がアリサの視界を染めた。

 

「っ――!?」

 

 目の前で爆ぜる閃光の衝撃にアリサは息を呑む。

 そして衝撃波が過ぎ去ったそこには大きく抉れた山道だけが残っていた。

 

「………………うそ……」

 

 そこに姉と慕った女性の姿はない。

 

「うそよ……」

 

 アリサはゆっくりと立ち上がり、クレーターとなった崖にふらふらと歩き出す。

 

「アリサッ!」

 

 そんな放心状態のアリサをクリスが抱きかかえ、駆け抜ける。

 

「ハハハハハハハッ!」

 

 そこにガトリング砲の掃射が癇に障る哄笑と共に降り注ぐ。

 

「調子に乗ってんじゃないよ」

 

 高所から一方的に攻撃して来る男――ヴァルカンにシャーリィが負けじと“テスタ=ロッサ”で応戦する。

 しかし、立地の差によりシャーリィの銃撃は届かない。

 それどころか銃撃の間隙に降って来るグレネードにシャーリィはハイデルの首根っこを掴み、逃げ惑うことを強いられていた。

 

「ちょっとクリス! こいつも引き取ってくれない!」

 

「ひぃいいいいいいいいいっ!」

 

 足手纏いにうんざりだと言わんばかりのシャーリィに、ハイデルは降り注ぐ銃火に悲鳴を上げ続ける。

 

「くそっ!」

 

 自分達にも向けられた砲火の雨にクリスは思わず毒づく。

 高所を取られ、ヴァルカンを含めた四人の機銃掃射による飽和攻撃。

 

「おらおら! ザクソン鉄鉱山の時の威勢はどうした!?」

 

 一方的に攻撃できる有利の中でヴァルカンはシャーリィやクリス達にかつての鬱憤を晴らすようにいきり散らす。

 

「………………ウザいな」

 

「落ち着いてシャーリィッ!」

 

 険吞な光を帯びたシャーリィをクリスは咄嗟に窘める。

 

「でも――あ……」

 

 唇を尖らせて文句を言おうとしたシャーリィの手を振り払い、ハイデルが必死の形相でヴァルカン達の下へと走る。

 

「ま――待ってくれ! 君達は兄上達が雇った部下だろ! 私はゲルハルト・ログナーの弟だ! 君達は私を助けに来てくれたんだろ!?」

 

 その訴えに銃火が一時的に止まる。

 

「ああ、聞いてるぜ」

 

 シャーリィやクリス達に部下の銃口を合わせたまま、ヴァルカンはハイデルに応じる。

 その言葉にハイデルは安堵のため息を吐き――

 

「だったら早く、私を助けて――」

 

 ハイデルの言葉を遮って、一発の銃声が鳴り響く。

 

「…………え……?」

 

 ハイデルは自分を貫いた衝撃に目を丸くし、ゆっくりと視線を下ろす。

 銃弾を受けて血がにじみ出した腹を見て、ようやく激痛を感じてその場に崩れ落ちる。

 

「そんな……どうして……私はログナー家の……」

 

「そのログナー家の御当主様からの伝言だ……

 ログナー家の威光を守るため、ここで死んでくれだとよ」

 

「…………え……?」

 

 ハイデルは意味が分からないと崖の上のヴァルカンを見上げる。

 

「ラインフォルトを乗っ取るためとは言え、その社長を爆破して殺そうとしたのはやり過ぎだったって事だ……

 この件に関してログナー家は関与していない。そうするためにはお前に生きていられると困るんだとさ」

 

「そんな馬鹿な……」

 

「実行犯のお前が消えて、生き残りのラインフォルトの娘の口を封じて、その犯人はルーレを騒がせていた辻斬りに全て罪を負ってもらう。そういうシナリオだ」

 

「なっ!?」

 

 ハイデルへの宣告の隙に岩陰に身を隠したクリスは絶句する。

 

「そんなことのために……」

 

 ラインフォルトの爆破はハイデルの独断だったとしても、その罪を隠蔽するためにシャロンに全ての罪を被せようとしているログナー家のやり方に怒りが込み上げる。

 

「あとはユミル侵攻のための口実だ……

 ログナー当主の弟が非業な死を遂げた事をユミル侵攻の大義名分にして鉄血のクソ野郎の故郷を焼き尽くしてやるんだ」

 

「っ――」

 

 更なる言葉にクリスは言葉を失う。

 ユミルがオズボーン宰相の故郷だったことも驚きだが、勝手な理論武装でユミル襲撃を企てている様はまさにハイデルの兄とも思えてしまう。

 

「これは夢だ……夢に決まっている……」

 

 意識が朦朧としているのか、ハイデルは虚ろな言葉を繰り返す。

 

「“お前もログナー家の者ならば、貴族としての責任を果たせ”だとさ。そう言う事だから死んでくれよ、ハイデル・ログナー」

 

 改めてヴァルカンはガトリング砲をハイデルに向ける。

 

「っ――」

 

 アリサをクレーターの底に置いてクリスは彼女の弓矢を持って駆け出す。

 ハイデルの行いにはクリスも思う事があるが、こんな身勝手な理由の口実に利用されることを見過ごせるわけなどない。

 

「デストラクトキャノンッ!!」

 

「――ジャッジメントアローッ!!」

 

 導力弓の出力を最大にして撃ち出された砲弾を横から射貫く。

 

「ちっ――」

 

 空中で砲弾は爆ぜ、ヴァルカンは怯む。

 そこに崖を駆け登るシャーリィが“テスタ=ロッサ”を唸らせて肉薄し、更に何処からともなくサラとクレドが挟むように高台を陣取っていたヴァルカン達に襲い掛かる。

 

「テスタ=ロッサッ!」

 

「ノーザン・ライトニングッ!」

 

「消し飛びなぁっ!」

 

 チェーンソーとブレイド、そして双剣のそれぞれの必殺が繰り出される。

 

「はっ!」

 

 しかし迫る三つの刃にヴァルカンは不敵な笑みを浮かべると、彼女たちの刃は不可視の結界に弾き飛ばされた。

 

「なっ!?」

 

 弾き飛ばされたシャーリィは猫のように高台の下に着地して歯噛みして驚いた顔を上げる。

 

「あれは!?」

 

「知っているのエマ?」

 

 ヴァルカン達の周囲を守るように浮かんでいる術式の文様にエマが驚きの声を上げる。

 

「実物を見るのは初めてですが、あれは“大地の結界”……

 《空の至宝》の絶対領域に匹敵する《大地の至宝》の防御結界。それがどうして……」

 

「《大地の至宝》……」

 

 エマの解説にクリスは眉を顰める。

 

「ククク……」

 

 そんなエマの驚愕にヴァルカンは気を良くして腕を上げて指を鳴らす。

 その音に反応するように彼の背後の空間が歪み、それは現れる。

 

「あれは……」

 

「黒い機甲兵……」

 

 通常の機甲兵と比べると倍以上の大きさを誇る巨大な機械人形。

 それはかつてトリスタを襲撃した先兵としてⅦ組が戦った機体でもある因縁のある存在だった。

 

「こいつに組み込まれている《大地のオーブ》の力は大したものでな……

 リアクティブアーマー以上の最硬絶対防御の盾を俺にくれたわけだ」

 

「それがお前の余裕の正体か……」

 

 高台を取った時から反撃への警戒心が低かった理由にクリスは歯噛みする。

 

「――ダインスレイヴッ!!」

 

「アリサ!?」

 

 突然背後から上がった声にクリスは驚いて振り返る。

 

「お前がシャロンを! お前達が母様をっ! お前達みんな、殺してやるっ!」

 

「まずい」

 

 巨大な機械仕掛けの弩弓を構えるアリサに危機感を覚えたクリスは再び駆け出し、倒れて蹲るハイデルを確保する。

 

「アアアアアアアアアアアッ!」

 

 悲鳴のような雄叫びを上げ、アリサは鉄の矢を撃つ。

 

「無駄だ」

 

 音速を超える鉄の弾丸を前にしてもヴァルカンは動揺することなく、黒い陣が彼を中心に再び展開される。

 結果は先程の三人と同じ。

 しかし弾き飛ばされるはずだった鉄の矢はその破壊力によって結界の衝突の衝撃に砕け散る。

 

「ククク、良い顔をするじゃないか」

 

 鬼のような形相のアリサの神経を逆なでるようにヴァルカンは笑い、光に包まれる。

 まるで起動者が騎神に搭乗するようにヴァルカンは《黒のゴライアス》に乗り込むと、その手に部下たちを乗せる。

 

「最低限の仕事は果たした。後はログナー侯に任せるとするか」

 

「待ちなさいっ!」

 

 アリサ達の事など歯牙にも掛けず、踵を返すゴライアスにアリサは眦を上げて叫ぶ。

 

「ティルフィングGッ!!」

 

『はーいっ!』

 

 場違いな女の子の声で戦術殻がアリサに応えて彼女の背後に現れ、胸の装甲を開いて匣を出す。

 次の瞬間、匣から光が溢れ戦術殻は“機神ティルフィング”へと姿を変えてアリサを取り込む。

 

「待ってアリサッ!」

 

 クリスの制止の言葉を無視し、翠は空へと飛翔する。

 

「――逃がさない」

 

 空を飛べば麓へと降りて行く巨大な機甲兵はすぐに見つけることができた。

 《翠》の装備の長距離ライフルを構え、照準を《黒のゴライアス》の背中に狙いを付ける。

 

「――っ」

 

 殺意を込めて引き金を引くも、撃ち出された銃弾は先程の矢と同じように黒い結界陣によって弾き飛ばされる。

 

「――っ」

 

 その結果にアリサは苛立ちを抑え切れず、次の弾丸の引き金を引こうとしてそれを見た。

 

「あれは……」

 

 それは《黒のゴライアス》が向かっている先。

 ユミルの山道の下の麓に展開している領邦軍の大部隊。

 それがユミル襲撃のために貴族連合が用意したものであり、最大望遠をしたモニターの中でヘクトルの肩に乗っているゲルハルト・ログナーを見つける。

 

「あなたがっ!」

 

 シャロンや自分、ついでにハイデルを殺すことを指示した男の顔にアリサは叫ぶ。

 まだライフルの有効射程範囲外だと言う事も忘れ、《翠》はゲルハルトにその銃口を向ける。

 《黒のゴライアス》が引き連れて飛んで来る《翠の機神》を見据え、ゲルハルトは左右に整列している機甲兵の横隊に指示を出す。

 

「ダインスレイヴ部隊、構えっ!」

 

 ゲルハルトの号令に機甲兵たちは一斉に足からアンカーを地面に突き立てて機体を固定する。

 そして構えるのは機械仕掛けの巨大な弩。

 

「――撃てっ!」

 

 そして破壊が降り注いだ。

 

 

 

 



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22話 燃える怒り




 黎の軌跡、発売おめでとう。




 

 

 

「うぐっ……」

 

 呼び出した《テスタ=ロッサ》に乗り込んだ瞬間、クリスは突如として込み上げて来た破壊衝動に吐き気を感じた。

 

「何だこれ……」

 

 一人でヴァルカンを追い駆けて行ってしまったアリサを追い駆けようと騎神に乗り込んだが、自分の意志とは関係なく《魔王》へ変形しようとする《テスタ=ロッサ》をクリスは必死に抑え込む。

 

 ――コロセ――コロセ――全テヲ滅ボセッ!

 

 聞こえてくる幻聴。

 その声はクリスの衝動を煽り、染めて行く。

 

「鎮まれ……君達の無念は分かっている」

 

 声に共感しようとしている自分の衝動をクリスは歯を食いしばって耐える。

 しかし、耐えたところで思考を蝕む衝動は大きくなるばかり。

 《テスタ=ロッサ》の中の怨念と戦術リンクを通して伝わって来るアリサの憎悪が共鳴するように互いを煽り、クリスを塗り潰して行く。

 

「があああああああああっ!」

 

 それに諍おうとしたクリスの思念が《テスタ=ロッサ》が暴れ出す。

 

「ちょっと何してるのよ!?」

 

 同乗したセリーヌがクリスの突然の絶叫に驚く。

 

『オオオオオオオオオオオオオッ!』

 

 敵を求める《テスタ=ロッサ》とそれを押し留めようとするクリス。

 二人の意志が鬩ぎ合い、《テスタ=ロッサ》はデタラメに暴れ出す。

 手頃な崖を殴りつけ、地面を踏み砕き、その度に雪が舞い上がる。

 

「クリスさん……セリーヌ何があったの!?」

 

 騎神の外から、突然の《テスタ=ロッサ》の凶行から離れてエマが尋ねる。

 

「分かんないわよ。いきなり正気を失って暴れ出して――にゃあっ!?」

 

 デタラメに暴れ回る《テスタ=ロッサ》の中でセリーヌは操縦席の脇から転げ落ちそうになる。

 そんなセリーヌの言葉にエマは一つの可能性を考える。

 

「まさか“暗黒竜”の呪いが再発したの?」

 

 “長き封印によって“呪い”は鎮静化”したと言っても今は内戦によって帝国の各地の霊場は乱れている。

 それに触発された可能性は大いにある。

 

「セリーヌッ!」

 

「分かってるっ! こっちを向きなさいっ!」

 

 エマの呼び掛けにセリーヌはクリスの前に回り込む。

 

「落ち着きなさいっ!」

 

 外の景色を投影しているモニターを足場にしてセリーヌはクリスと目を合わせ、それを起点にしてエマが精神を鎮静化させる魔術を行使して荒ぶったクリスの想念を鎮める。

 

「ぐぅ……ありがとう……助かったよエマ、セリーヌ」

 

 暴れていた《テスタ=ロッサ》はそれで大人しくなり、その場に片膝を着く。

 

「それは良いわよ。それより何で暴れ出したりしたのよ? クロスベルで動かした時はこんな事にならなかったわよね?」

 

「たぶん……帝国だから、それも近くに貴族連合がいるからだと思う……」

 

 荒くなった呼吸を整えながら、クリスは自分を塗り潰そうとしたものの正体を口にする。

 《テスタ=ロッサ》の中に感じたのは数多の憎悪。

 ケルディックで犠牲になった民の魂を喰らってそれまでの損傷を修復した代償に《鬼の力》のような衝動が《テスタ=ロッサ》の中に生まれていた。

 それが《エンド・オブ・ヴァーミリオン》を呼び覚まそうとしていた。

 

「なっ!?」

 

「クリスさん、すぐに《テスタ=ロッサ》から降りてくださいっ!」

 

 《緋》の暴走の危険を聞かされたエマはすぐにクリスに騎神から降りろと叫ぶ。

 しかし、《緋》は首を横に振った。

 

「それはできない……」

 

「クリスさん!? 今の《テスタ=ロッサ》は危険なんですよ!!」

 

「分かってる。だけど飛び出して行ってしまったアリサに追い付くためにも、ここで《テスタ=ロッサ》から降りるわけにはいかない」

 

 猟兵が一当てして早々に撤退をする。

 十中八九、それは釣りと言う戦法であり、アリサが向かった先には罠が待ち構えているだろう。

 そして待ち構えている罠もおそらく機甲兵が配備されているだろう。

 

「ヴァルカンの話を聞く限り、貴族連合はハイデルの犯行を隠すために確実にアリサを始末したいと思っている……

 このまま貴族連合にアリサが捕まったら何をされるか分かったものじゃない! とにかくアリサを連れ戻して来る!」

 

「クリスさん……でも……」

 

 アリサと《テスタ=ロッサ》を天秤に掛けてエマは迷い、セリーヌはため息を吐く。

 

「仕方ないわね。五分で済ませなさい」

 

「セリーヌ!?」

 

 使い魔の妥協にエマは驚く。

 

「こうなったコイツは梃子でも動かないわよ。ただしそれ以上は私たちも《テスタ=ロッサ》を抑え込める保障はできないわよ」

 

「ありがとう、セリーヌ」

 

 やれやれと嘆くセリーヌにクリスが礼を言う。

 

「むぅ……」

 

 通じ合っている二人の声にエマは唸る。

 自分の知らない一ヶ月の間で随分と距離を縮めた様子のクリスとセリーヌに感じる嫉妬が果たしてどちらに対してのものなのか、エマは悩む。

 

「とにかく僕達はアリサを追う。エマ達はそこで死に掛けているハイデルとシャロンさんの捜索をお願い」

 

 そう言ってクリスは《テスタ=ロッサ》を大きく跳躍させる。

 

「クリスさんっ!」

 

 呼び止める間もなく文字通り飛んで行ってしまった《テスタ=ロッサ》にエマは手を伸ばし、肩を落とす。

 

「ここに《ティルフィング》があれば……」

 

 “魔女”なのに騎神の戦いについて行くことさえできない無力な自分にエマは悔しさを感じずにはいられなかった。

 

 

 

 

 出遅れてしまった《緋》はユミルの空に高く飛翔して周囲を見下ろす。

 

「これは……」

 

 場違いながら、眼下に広がる光景にクリスは言葉を失う。

 風光明媚なユミルの山脈。

 クリスが訓練で駆け回った山は雪に覆われ、どんよりとした天気でありながらも一面の銀世界はまさに絶景だった。

 飛行艇の航路になっていない、そしておそらく“彼”も見たことがないだろうユミルの空からの景色にクリスは感動を覚える。

 

「ちょっと――」

 

「分かってる」

 

 急かすセリーヌの言葉にクリスは頷く。

 湧き上がる衝動は一時的に鎮静化しても、タイムリミットは五分しかない。

 一秒でも無駄にできない状況にクリスは意識を切り替えて、先行しているはずの《翠の機神》と《黒の機甲兵》の姿を探す。

 

「――――見つけた」

 

 先行する《黒のゴライアス》はスノーボードコースを踏み荒らして麓へと滑走し、《翠のティルフィング》はその背に何度もライフルで射撃している。

 だが、《黒のゴライアス》の絶対防御障壁に阻まれ弾丸は全て防がれていた。

 

「まずいわよ」

 

「分かってる!」

 

 セリーヌの叫びにクリスもまた叫び返す。

 《黒のゴライアス》の進路の先、麓の平原には十数機の機甲兵が弓のような兵器を構えて待ち構えていた。

 

「アリサッ! 狙われている! すぐに逃げて――」

 

 戦術リンクを繋いでクリスが叫ぶ。しかし、それは遅かった。

 遠目に見える機甲兵たちの弓がマズルフラッシュのように一瞬だけ瞬き、次の瞬間山が爆発した。

 

「なっ――!?」

 

「にゃ!?」

 

 遅れて《緋》を叩く衝撃波と凄まじい轟音。

 そして爆発によって巻き上げられた土と雪が空高く飛翔していた《緋》に降り注ぐ。

 

「堕ちてる! 堕ちてるわよっ!」

 

「分かってる! 立て直せ《テスタ=ロッサ》!」

 

 機甲兵の攻撃だろうか。

 その射線外、それもだいぶ距離があったはずなのに余波だけで前後不覚になる程の衝撃を受け、《緋》は必死に姿勢制御を行って墜落を免れる。

 

「いったい何が……」

 

 大地に着地して周囲を見回してみても巻き上がった土煙で何も見えない。

 

「何だったのよさっきのは?」

 

「分からない。貴族連合の機甲兵用の武器かもしれないけど、戦艦の導力砲でもこれだけの破壊力はないはずだけど……」

 

 クリスとセリーヌはひたすらに困惑する。

 しかし、分からないものを考えても仕方がないとクリスはすぐに切り替える。

 

「アリサ、無事かい? アリサ?」

 

 《ARCUS》に向かって呼び掛ける。

 通信に返事はなく、戦術リンクのラインも繋ぎ直すことができない。

 今の攻撃で撃墜されてしまったのか。

 仮に当たっていなかったとしても《緋》と違って射線上、そして爆心地に近かった《翠》は果たして無事なのかクリスは思わず最悪なことを思い浮かべ――

 

「見つけたぜ。皇子様よっ!」

 

 土煙を引き裂き、横手から巨大な機械の拳が《緋》を殴りつけた。

 

「ぐっ!?」

 

 《黒のゴライアス》の一撃に《緋》はたたらを踏んで向き直る。

 

「《V》……ヴァルカンか」

 

「ククク、釣れたのはラインフォルトの娘だけだと思ったが、お前さんも来てくれて安心したぜ」

 

 聞こえて来た品のない声にクリスは眉を顰める。

 

「ラインフォルトの娘……アリサはどうした!?」

 

「さあな? ダインスレイヴを喰らったんだ。運が良ければ死体も残っているだろうよ」

 

「――っ……ダインスレイヴだって……」

 

 ヴァルカンの口から出て来た兵器の名にクリスは絶句する。

 その名はアリサの戦術殻の名前であり、導力魔法で鉄杭を撃ち出す質量攻撃。

 その破壊力は大型手配魔獣を一撃で粉砕させる程の威力があり、それが機甲兵のサイズとして使われたのならこの惨状に納得できる。

 

「安心しろ。お前はゲルハルト侯爵様からその《騎神》と一緒にできるだけ傷付けず確保しろって依頼されているからな」

 

 そう言うヴァルカンの背後、土煙を吹き飛ばして再びダインスレイヴが撃ち出された。

 

「なっ!?」

 

 思わず振り返り、鉄杭はユミルの山の中腹に着弾し巨大な土煙が立ち昇る様をクリスは見せつけられる。

 

「正気か!? あそこには人が住んでいるんだぞ!?」

 

 クリスの位置からでは正確に測れないが、ダインスレイヴの狙いが温泉郷ユミルだったことは明白だった。

 

「はっ! それが何だって言うんだ?

 貴族のくせに貴族連合に協力しない男爵家、他の貴族の見せしめにも丁度いいって話らしいぜ」

 

「なっ……」

 

「ついでにユミルはオズボーンの故郷だ。あのクソ野郎をいぶり出すためなら街の一つや二つは“政治的に止む得ない犠牲”ってやつだ! ハハハッ!」

 

 ヴァルカンの哄笑にクリスは頭の芯が熱くなるのを感じた。

 それに呼応するように“魔女”に鎮めてもらった《テスタ=ロッサ》に宿る怨念もまたざわめき出す。

 

「ちょっと――」

 

「ごめん、セリーヌ」

 

 暴走の兆しにセリーヌがクリスを振り返るが、彼女の思案を無視してクリスは《緋》の手に剣を顕現させる。

 

「ヴァルカン……お前も、貴族連合も狂っている」

 

 オズボーン宰相を襲撃し返り討ちにされ、仲間を家族を皆殺しにされた彼の経歴には自業自得と呆れはしても同情の余地もあった。

 彼らにとってオズボーン宰相が不俱戴天の仇であり、狙撃を成功させても死体の確認するまで安心できないことも理解できる。

 ギリアス・オズボーンは何と言っても“超帝国人”の実父なのだ。

 ならば“超帝国人”らしい劇的な復活を果たしても何の不思議もないと言うのがクリスの見解であり、念には念を押そうとする貴族連合の気持ちもその点では分からないわけではない。

 しかしそれでも人として超えてはいけない一線があるとクリスは考える。

 

「テスタ=ロッサッ!」

 

 《緋》の中の怨念とクリスの意志の方向性が一致する。

 闘争の意志に呼応するように《緋》はその躯体に霊力を漲らせる。

 

「行けっ!」

 

 周囲に剣群を顕現し、そのまま撃ち出す。

 

「はっ! 無駄だっ!」

 

 降り注ぐ剣群はゴライアスの防御結界に弾かれ、お返しとばかりに肩の導力砲を撃ち返される。

 

「っ――」

 

 大地を蹴って《緋》は砲弾を躱し、間合いを詰めて斬りかかる。

 風を宿した鋭い剣戟。

 だが、それもまた結界に受け止められる。

 

「クハハハ! どうしたその程度か!? 《緋の魔王》なんて呼ばれているくせにオルディーネより弱いんじゃねえか!?」

 

 《蒼》ならばできたぞ。

 そう言わんばかりのヴァルカンの言葉にクリスは苛立つ。

 

「今度はこっちの番だ!」

 

 そう言ってゴライアスは拳を振り被る。

 

「――何のつもり――」

 

 明らかに間合いの外からの動作にクリスは警戒心を強める。

 

「ぶっ飛びやがれっ!」

 

「にゃっ!?」

 

 驚きの声は隣のセリーヌが上げる。

 クリスは驚くよりも先に機体を動かして、腕だけが飛んで来た拳を回避する。

 

「拳を飛ばした!? 何てデタラメなっ!?」

 

 ロケット噴射で拳を飛ばして来たゴライアスの武装にクリスは込み上がるものを感じながら、チャンスだと《緋》を走らせる。

 ロケットパンチには意表を突かれたが、片腕を使った攻撃は本体の弱体化を意味する。

 《リヴァルト》から《ブリランテ》に武器を持ち替え、《緋》は渾身の一撃を――

 

「後よっ!」

 

 セリーヌの声にクリスは反射的に応じて機体を無理やり横に倒した。

 次の瞬間、拳の先端をドリルに変えたロケットパンチが《緋》がいた空間を疾走し、空振りながらも本体の右腕として戻る。

 

「ロケットパンチがドリルにっ!?」

 

 正面から意表を突く攻撃の本命は背後からの奇襲。

 良く考えられている武装にクリスは歯噛みする。

 

「ククク、さっきまでの威勢はどうした皇子様よっ!」

 

「うるさい、黙れっ!」

 

 調子を良くしているヴァルカンの囀りにクリスは苛立ちを募らせる。

 

 ――もっと力を――

 

 昏い感情に突き動かされるようにクリスは力を望む。

 それに呼応するように《緋》は機体を震わせ形態を――

 次の瞬間、大地が大きく揺れた。

 

「何だっ!?」

 

 暴風を伴うダインスレイヴの砲撃とは違う、下から突き上げるような大きな震動。

 そしてそれは起こる。

 

「あっ……」

 

 ダインスレイヴが巻き起こした土煙に劣らない激しさで山の頂上が爆発する。

 クリスが目にしたのは鮮やかな色の赤。

 それは例えるなら真っ赤な噴水。

 だが、それは決してそんな生易しいものではなかった。

 

「ユミルの山が噴火した……?」

 

 知識としてはクリスも聞き覚えがある。

 しかし、それを実際に見るのは初めてのことだった。

 山崩れとも雪崩とも違う、山の災厄。

 真っ赤に焼けた“大地の焔”が雨となって戦場に――ユミルに降り注ぐ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 








 天然物の“大地の焔”。鋼の器によく馴染みそうですよね。







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23話 人による天災




黎の軌跡。仕方がないと言えば仕方がないですが、この作品に対して結構ギリギリでアウトなのかセーフなのか判断に困る設定が増えてますね。

とりあえずシズナさん。貴方はまごうことなく姉弟子様です。








 

 

 

 

 山の頂から真っ赤なマグマが吹き上げる空の中、漆黒の飛行艇を操縦するスウィンは顔を引きつらせる。

 

「まじかよ……素人にこんな空を飛ばさせるなよ」

 

「いやー帝国人はやることが派手だねー」

 

 隣のナーディアが緊張感のない感想を漏らすが、その顔は今すぐ帰って寝たいと言っている。

 彼女ではないが、全くの同意だとスウィンはため息を吐く。

 

「申し訳ありません」

 

 そんな二人に艦長席に座ったアルフィンは謝る。

 窓の外には山の頂から吹き上がる真っ赤なマグマ。

 噴火の音は腹の奥に響くように重く、外の危険は飛行艇の中にいても感じられる。

 

「ですが今は皆さんだけが頼りなのです」

 

 頂から溢れたマグマは山道に沿ってゆっくりと下へと流れている。

 それが何を意味しているのか、通信士の席に座っている親友――エリゼを見なくても分かる。

 

「命の危険を伴うことは重々承知しています。ですが、あそこにはエリゼの家族が、たくさんの帝国の民が住んでいるんです。ですから、どうか――」

 

「はいはい、分かってますよー」

 

 深刻なアルフィンの懇願をナーディアが遮る。

 

「報酬に色をつけてくれるって話はついているから皇女様が気にしなくていいさ」

 

「そーそー、もしも皇女様も御礼がしたいって言うならなーちゃんは一度でいいから宮廷料理って言うのを食べてみたいなー」

 

 未曾有の災害を前にスウィンとナーディアは緊張感のない言葉をアルフィンに向ける。

 状況が分かっていないわけではない。

 しかし年下の彼らは気負うことない――軽口さえ言える余裕のある態度にアルフィンは恐怖に震えている自分を恥ずかしく思ってしまう。

 艦長席に座ってなければその場にへたり込んでしまいそうな程に怖い。

 守るべき帝国の民が噴火した山の災厄に呑み込まれようとしているのに人に任せることしかできない自分を不甲斐なく感じてしまう。

 

「落ち着きたまえ、アルフィン殿下」

 

 ナーディアの提案にうまく言葉を返せないでいたアルフィンに、いつの間にかいなくなっていつの間にか現れて自分達をユミルに急行させたワイスマンが言葉を掛ける。

 

「君の役割は先程話した通り、そこから最初に放送でユミルの民に語り掛けることだけ……

 それをしてくれれば後は部屋に閉じこもってくれて構わないのだよ」

 

「っ――」

 

 アルフィンの役割は救助隊としての旗印を示すこと。

 それだけだと満場一致で決められ、その口上も《C》とワイスマンによって台本は瞬く間に作り上げられアルフィンに押し付けられた。

 この大災害に役に立てると主張をアルフィンは自分の無力さを噛み締めながら呑み込んだ。

 キーアが示したマグマがユミルに到着するまで約30分の時間を一秒たりとも無駄にしないため、問答のやり取りすらしている暇はないのだから。

 しかし、呑み込んだはずの言葉をアルフィンはまだ消化し切れずにいた。

 

「…………大丈夫です」

 

 それでもアルフィンはワイスマンの提案に首を振る。

 エリゼのように土地勘があるわけでもなく、アルティナのように戦術殻を使って地震で倒壊した家屋を掘り起こす力もない。

 スウィンやナーディアのように飛行艇を操縦することもできなければ、キーア達のように《騎神》に乗れるわけでもない。

 この局面でアルフィンが感情の赴くままに動くことはただの足手纏いにしかならない。

 それを自覚し、呑み込んだ上で自分がこの席に座っていることの意味をアルフィンは考える。

 

「わたしがこの場にいるだけで避難の目印となり、皆さんを安心させられることができるのなら部屋に閉じこもってなどいられません」

 

「……結構」

 

 アルフィンの答えにワイスマンは満足そうに頷き、外へと目を向ける。

 そこでは甲板から《桃の機甲兵》と《灰の騎神》が空へと飛び立つ準備をしていた。

 

「《C》、キーアさん。御二人とも気を付けて」

 

『ええ、お任せを皇女殿下』

 

『うん……キーアが絶対にみんなを守るから』

 

 通信画面に怪しい仮面とスウィン達よりさらに幼い少女がアルフィンの言葉に応える。

 《桃》と《灰》は飛行艇から飛び立つ。

 

「キーアが護る……あの人の代わりに……絶対に誰も死なせたりしないっ!」

 

 《灰》はその上空に舞い上がり、太刀を翳して温泉郷を覆う結界を作り出す。

 かつてクロスベルを覆った結界。

 規模こそ小さく、維持できる時間も今のキーアではそれ程長くない。

 しかしそれでも降り注ぐ火山岩の雨から郷を守るだけの力はある。

 

「やれやれ、改めての初陣の相手が大自然とは」

 

 何故か飛翔機関を持っている《桃》の操縦者――《C》は愚痴をこぼしながら、機甲兵用の導力ライフルを構えて引き金を引く。

 結界では防ぎきれない大きな火山岩を狙い澄ました一射で撃ち抜いて砕く、もしくは銃撃の衝撃を利用して温泉郷への落下コースから逸らす。

 

「っ――」

 

 砕けた火山岩が眼前を掠めたことに《C》は仮面の下で息を呑む。

 かなりの落下速度と焼けた石は下手な機甲兵の武器よりも破壊力を有しており、それこそ直撃すれば機甲兵を容易く貫くだろう。

 

「当たらなければどうということはあるまい」

 

 そう割り切って《C》は導力ライフルの射撃を続行する。

 

「中々面白いものだ。指揮を任せて全力を尽くすと言う事は……」

 

 《C》は仮面の下で場違いな笑みを作り、自分に与えられた役割を全うする。

 そしてユミルの上空に飛行艇が滞空して、アルフィンは意を決してマイクを取る。

 

「ユミルの皆さん、わたくしはアルフィン・ライゼ・アルノールです」

 

 ユミルの空にアルフィンの声が響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………何ていう事を……」

 

 山の噴火、それに伴い流れ出した溶岩と降り注ぐ火山岩の雨をクリスは言葉を失って立ち尽くす。

 

「はっはっはっ! ド派手な花火じゃねえか!」

 

「っ――」

 

 興奮した哄笑にクリスは抑え切れない憤りを感じながら振り返る。

 

「花火だと……お前たちは自分が何をしたのか分かっているのか!?」

 

 この惨状にどこか享楽を感じさせる声にクリスの中の憎悪が膨れ上がる。

 

「それがどうした?」

 

 しかしヴァルカンは少しも悪びれた様子もなく言い返す。

 

「これはお前達、皇族があのクソ野郎を宰相なんかにしたからこうなったんだ!」

 

 終わらない。終われない。

 一番の復讐を果たしてなお、燃え上がった“焔”は突き動かされるように次に燃やす何かを求めずにはいられない。

 家族を――仲間を殺した男に確実な死を。

 そんな男を好きにのさばらせている皇族も、影の協力者であるユミルの男爵もヴァルカンにとっては等しく復讐の相手に過ぎない。

 

「ああ……もしも奴が生きているとしたら、ククク……

 自分の拠り所を全部ぶっ潰されて、それでもあの鉄面皮がどう歪むのか愉しみだなぁっ!」

 

「――っ」

 

「落ち着きなさいクリス! 憎悪に任せて戦ったらアンタは《テスタ=ロッサ》に呑み込まれるわよ!」

 

「それがどうした!? こいつは今ここで殺しておくべき外道だっ!」

 

 セリーヌの忠告にクリスは怒鳴り返す。

 

「ククク、流石帝国の皇子様じゃねえか、今のお前は鉄血と同じ顔をしているんだろうな」

 

「っ――」

 

 人の神経を逆撫でする物言いにクリスはいよいよ我慢の限界に達して――ユミルの山に青白い光が瞬いた。

 

「何だ!?」

 

「あの光は……」

 

 拡大されたモニターの中で空に太刀を掲げた《灰》を中心に結界が温泉郷を守るように展開される。

 一目で噴火から郷を守っているのだと分かる光景にヴァルカンは舌打ちをする。

 

「おい! ゲルハルト侯爵、とっととダインスレイヴ隊にあれを撃ち落とさせろ!」

 

「させるかっ!」

 

 ヴァルカンの指示に《緋》は疾走する。

 紅蓮の大剣をその勢いのまま突き出す。

 

「甘いんだよっ!」

 

 すかさずゴライアスは《大地の楯》を展開してその刺突を受け止める。

 

「それはこっちのセリフだっ!」

 

 《緋》は霊力を励起させ、その背後に武具を生み出す。

 

「顕現しろ《ファクトの眼》」

 

 それは一見すれば術式が刻まれた“魔球”。

 《紅のティルフィング》用の魔導杖の機能を拡張するために造られた浮遊ユニット。

 それを十数の魔球を顕現させ、《緋》はゴライアスの遠い背後で陣取っているダインスレイヴ隊の下に転移で飛ばす。

 

「ロード・ガラクシアッ!」

 

 魔球から放たれた魔弾がダインスレイヴ隊に降り注ぐ。

 武器の性質上、足場を固定していたため降り注ぐ無数の魔弾を浴びて薙ぎ倒される。

 

「テメエッ!」

 

「セリーヌッ! 《眼》の制御は任せる! 残った機甲兵にダインスレイヴを撃たせないように牽制してくれっ!」

 

「ちょっ!?」

 

 キーアが作り出した光で冷静さを取り戻したクリスは矢継ぎ早に叫ぶ。

 

「どうした《テスタ=ロッサ》! 《緋の魔王》の力はその程度かっ!?」

 

 大剣と楯の結界。

 ゴライアスに押し負けていながら不甲斐ないとクリスは叫ぶ。

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』

 

 その一言がプライドを刺激したのか、クリスの高揚に共鳴するように《緋》もまた唸りを上げ、変身する。

 各部の装甲が開き、一回りその体を大きくし、背中に翼と尾が顕現する。

 そしてそれとは別に胸と大腿部に取り付けられていた新たな機構が駆動する。

 エンジンのような加速器が回転し、《緋》の霊力を調律する。

 

「ぬおっ!?」

 

 《緋》からの圧力が増し、倍以上の体躯にも関わらずゴライアスは後ろに押し込まれる。

 

「貫けっ!」

 

 渾身の力を込め、《緋》は大剣を更に押し込み――その刀身はひしゃげ砕け散った。

 

「なっ!?」

 

「はっ!」

 

 片や大剣が砕けた勢いのまま前のめりに大地の楯に激突し――

 片や目の前で結界に頭から突撃し、無様に仰け反った敵に安堵の息を吐きながら好機だとほくそ笑み、ゴライアスの肩のキャノンを向ける。

 

「くそっ!」

 

 クリスは悪態を吐き、剣の柄を投げつけて叫ぶ。

 

「爆ぜろっ!」

 

 柄に残った霊力が強制解放され、それをゴライアスのキャノンが撃ち抜き、《テスタ=ロッサ》と《ゴライアス》の間に爆発が起きる。

 

 

 

 

 

「ではフラガラッハの操作権を一時的にエリゼ・シュバルツァーに貸与します」

 

 《ARCUS》のシステムを応用し、副戦術殻の《フラガラッハ》の操作権をアルティナはエリゼへと移行する。

 本来の仕様ではない使い方であり、およそ戦闘に耐えられない使い勝手だが災害救助と言う意味ではエリゼの役に立つだろう。

 

「あ、ありがとうございます」

 

「一応言っておきますが、貸すだけでちゃんと返してもらいますから」

 

「は、はい……」

 

 感情の起伏の乏しい眼差しで念を押して来るアルティナにエリゼは戸惑いながら頷く。

 

「…………何か?」

 

「い、いえ……何でもありません」

 

 クロスベルから同行することになったこのアルティナと言う少女についてエリゼは未だにその距離感を掴みかねていた。

 以前、母ルシアとのリベールへの旅行の時に出会った女の子。

 あの時とは雰囲気が異なる気もするが、何故すれ違っただけの女の子のことを鮮明に覚えているのか不思議でならなかった。

 

「注意力が散漫です。やはり船内に残っていた方が良いのでは?」 

 

「気遣ってくれてありがとう……でも本当に大丈夫です」

 

 自分よりも年下の少女だが、その堂々とした場慣れした雰囲気に年の差など何の意味もないのだと理解する。

 本来ならアルフィンと同じように船に残っているべき素人。

 しかし上空から見た故郷の光景に居ても立っても居られず、救助活動に志願した。

 ダインスレイヴの衝撃や噴火に伴う衝撃、降って来た火山岩によって倒壊した家屋。

 エリゼの実家であるシュバルツァー邸もまた火山岩の直撃を受けて、火の手を上げていた。

 

「父様……母様、無事でいてください」

 

 着陸のためのわずかな時間をエリゼはただ女神に祈り、意識を研ぎ澄ませていく。

 

「ああ、エリゼ君。少し良いかね」

 

 そんなエリゼにワイスマンが声を掛ける。

 

「はい、何で――」

 

「何のようですか?」

 

 エリゼが振り返り応えるのを遮って、アルティナが素早く二人の間に回り込み、《クラウ=ソラス》が彼を威嚇するように拳を構える。

 

「ア、アルティナさん?」

 

「ようがあるのならそこで言ってください。貴方はエリゼ・シュバルツァーの半径5アージュに近付かないでください」

 

「アルティナさん?」

 

 寡黙だと思っていた少女が口早に自分を庇うことにエリゼは困惑する。

 しかし、失礼とも取れるアルティナの態度にワイスマンは笑う。

 

「嫌われたものだね。いや当然と言えば当然か」

 

 ワイスマンは言われた通りにそれ以上、二人に近付かず距離を取って話し始める。

 

「エリゼ君。君に一つ覚えておいてもらいたい言葉があるのだよ」

 

「覚えておいてもらいたい言葉?」

 

 この極限状態でそんなことを言い出すワイスマンの意図が分からずエリゼは首を傾げる。

 そんな彼女にワイスマンは意味深な笑みを浮かべ、彼女の腕に取り付いているみっしぃのぬいぐるみを一瞥する。

 

「大したものではないよ。そのぬいぐるみと同じでお守りのようなものさ」

 

「…………はぁ……」

 

 要領の得ない説明にエリゼはますます首を傾げる。

 

「その言葉は――――」

 

 そして教えられた言葉の意味が理解できず、エリゼは聞き返す。

 

「それはどういう意味ですか? 私には――」

 

「言葉の内容に大した意味はない。重要なのは言葉そのもの」

 

 エリゼの疑問を遮ってワイスマンは続ける。

 

「君がその言葉の羅列を紡ぐことに意味がある。魔法の言葉とはそういうものだよ」

 

「はぁ……」

 

 やはり意味が分からないとエリゼは首を傾げ――飛空艇が着陸した震動に揺れた。

 

「さて、ここからは時間との勝負だ。覚悟は良いかね?」

 

 ワイスマンの確認と共に、飛行艇のハッチが開く。

 彼の真意は分からないが、エリゼは疑問を脇に置き《フラガラッハ》の腕に座る。

 アルティナもまたそれを見届けてから《クラウ=ソラス》の腕に慣れた様子で座り、ハッチが開き切る前に外へと飛び出した。

 

「………………ん?」

 

 自分が担当する区画に真っ直ぐ向かおうとしたアルティナは後ろ髪を引かれたように振り返る。

 視線が向いた先は人気のないユミルの共同墓地。

 そして次に火の手が上がっているシュバルツァー邸。

 何故か胸を締め付けれる痛みを感じながら、アルティナは後ろ髪を引かれつつも生体反応が下にある倒壊した家屋に向かって行くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「動いてよ……お願いだから動いてよ……どうして……どうして…………」

 

 土砂に体の半分が埋まった《翠の機神》の中、少女は聞こえて来るだけの外の音を何もできずに聞かされ続けていた。

 

 

 

 

 

 



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24話 諍う者たち

 

 

 

 

「っ――」

 

 “千の武具”で顕現させた魔剣が楯に阻まれて砕ける。

 

「どういうことだセリーヌッ!?」

 

 ゴライアスの弾幕を横に駆けて回避しながらクリスは叫ぶ。

 

「たぶんアンタのイメージの強度が《テスタ=ロッサ》や《大地の楯》に追い付いていないのよ」

 

 遠隔で慣れない魔道具を操りながらセリーヌはクリスの疑問に答える。

 

「イメージって……」

 

 現代の導力技術として取り付けられた加速器《フェンリル》のおかげで《緋》が纏う霊力は目に見えて膨れ上がった。

 それに対応して“千の武具”の術式が更新されたわけではなく、実物ではないクリスのイメージによって作り出されている魔剣は実戦に耐えることはできても今の《緋》の膂力には耐えられないものだった。

 

「あの《大地の楯》を破る都合の良い魔法はないの!?」

 

「そんなものあるわけないでしょ! あれは《大地の至宝》の防御結界なのよ! って言うか気が散るから話しかけないで!」

 

 《ファクトの眼》を操り、まだ半数近く残っているダインスレイヴ隊の邪魔をしているセリーヌは質問を重ねるクリスに邪魔だと吠える。

 

「…………」

 

 口を噤んでクリスは目の前のゴライアスを改めて睨む。

 ダインスレイヴは一つだけでも脅威になる破壊兵器。

 それこそガレリア要塞にあった列車砲に匹敵するだけの破壊力を持っている。

 今、ユミルを守っている仲間たちのためにも自分がここでダインスレイヴだけは確実に破壊しておかなければならないのだが、それをするには目の前の《黒のゴライアス》が邪魔だった。

 

「ハハッー! どうしたさっきまでの威勢は何処に行った!?」

 

 癇に障る哄笑にクリスは苛立つ。

 騎神の二倍近い巨大な体躯。

 それに合わせて拡張された両腕のガトリング砲に肩の導力砲。

 それに加えてミサイルポットも装備しており、正面からの攻撃に意識を集中すれば上空からのミサイルが降って来る。

 

「どれだけ撃つんだ!?」

 

 あまりの弾幕の多さにクリスは愚痴を漏らす。

 これだけの攻撃を続ければ、内包している導力はとっくに尽きてもおかしくないのに《ゴライアス》に衰える気配はない。

 ドンッと言う重い音、山がまた噴火した音が背後から響く。

 

「…………ぐずぐずしている暇はないか……」

 

 相手との武器の差に不平をもらしても仕方がない。

 状況訓練として、“テスタ=ロッサ”を始めとした完全武装したシャーリィや太刀を持った“彼”に素手で挑まされた時と比べれば今の状況はまだマシだと思える。

 

「シャーリィならどう戦う? 《超帝国人》ならどうやって《大地の楯》を攻略――」

 

 それを思い浮かべ、唐突に《緋》は足を止めた。

 

「あん?」

 

 極力、《緋》を壊さず鹵獲しろと依頼を受けていたヴァルカンは思わず攻撃の手を止める。

 

「何だ、ようやく諦めがついたのか?」

 

 ヴァルカンの問い掛けに《緋》は応えず、手を前に差し出し――剣を顕現させる。

 

「ぶっ!」

 

 現れた剣に思わずヴァルカンは吹き出した。

 それは機甲兵が使う剣よりも細く、先程まで《緋》が使っていた《翠の剣》や《紅の大剣》と比べると貧相とも言える程に頼りない武器だった。

 

「おいおい、何だそれは? そんな細い棒でこの《ゴライアス》とやろうだなんて正気か?」

 

「猟兵のくせに無学だね……

 これは“太刀”と言って、東方の剣。帝国の主流の騎士剣とは違って“斬る”ことに特化した刃……

 それこそ達人が使えば、金剛石だって両断できるほどにね」

 

「…………はっ、脅しのつもりか?」

 

「ただの事実だよ。僕に剣術を教えてくれた“あの人”ならその程度の防御結界なんて紙のように切り裂けるだろうさ……

 もっともそれ程の楯を持っていても貴方のような人に僕の一太刀を受ける度胸なんてないでしょうね」

 

 嘲笑を滲ませた挑発にヴァルカンは沈黙し――

 

「は――上等だっ!」

 

 《緋》に向けていた銃口を収め、ゴライアスは導力を防御結界に集中させ、それこそ盾を構えるように身構える。

 別に受けて立つと言い出すことを期待したわけではなく、警戒心を煽る程度のつもりだったクリスは面を喰らいながらも呼吸を整える。

 

「――――いざ、参るっ!」

 

 太刀を陽に構えて踏み込む。

 防御の構えが誘いであることに最低限の警戒をしつつ、そこで集中し切れないのが“彼”との違いなのだろうとクリスは自嘲しながら太刀を振り下ろす――振りををして左の拳を振り被る。

 

「ゼロ・インパクトッ!」

 

 クリスが思い描くのはかつて王城の城壁、それも複数枚重ねられた防壁の二枚目だけを打ち砕く絶技。

 だが、いくら思い描いたとしても太刀であったとしてもそうであるようにクリスの不意の一撃は《大地の楯》によってこれまでと同じように揺るぎもせず受け止められる。

 

「はっ! 何を企んでいるかと思えば、無駄な努力だった――」

 

「そんなこと僕が一番分かっているさ。それに僕の一撃はここからだっ!」

 

 自分が《超帝国人》にも《痩せ狼》にも届かないことなどヴァルカンに嘲笑されるまでもなく理解している。

 故に《大地の楯》に触れた左手に霊力を紡ぎ、右手の太刀の霊力を組み替える。

 

「魔弓バルバトス! 雷槍エリクシル!」

 

「っ!?」

 

 槍を矢に見立て、拳を当てた状態で既に射の構えを作る。

 そして最速最短で射程や精度を度外視した力を二つの武具に注ぎ込む。

 

「貫けっ!」

 

 零距離から放たれた《雷矢》と《大地の楯》が激突し、二つの力は拮抗し爆発する。

 

「くっ!」

 

「うおおおおおおっ!」

 

 爆発の衝撃に一人は歯を食いしばり、一人は悲鳴じみた雄叫びを上げながら機体を制御する。

 

「くそっ! 箱入りの甘い皇子のくせになんて無茶しやがる!」

 

 戦闘狂の猟兵がやりそうな自爆戦術にヴァルカンは思わず愚痴る。

 その操縦席にはアラートが鳴り響き、《大地の楯》機体の各所がオーバーヒートを起こしたことを示していた。

 

「ちっ……」

 

 思わず舌打ちをする。

 幸いにも《大地の楯》の源になっているオーブそのものは無事。

 機体そのもののダメージも少なく、《楯》はなくなっても機体そのもののリアクティブアーマーは健在であり、普通に戦う事はまだできる。

 

「調子に乗り過ぎたなクソ皇子」

 

 防御力が高く、守りを固めていたからこそ無事だったが、爆発の衝撃をもろに受けた《緋》はおそらく無事ではないだろう。

 肝を冷やされた仕返しに、ログナー侯爵に献上する前に少しだけ痛めつけてやろうヴァルカンは舌なめずりをして――

 

「もらったっ!」

 

 舞い上がった土煙を掻き分け、全身の装甲をボロボロにした《緋》は両手に剣を持ってゴライアスに襲い掛かる。

 

「なっ!?」

 

 驚きながらもヴァルカンはそれに即応し、眼前で剣を振り被る《緋》に腕のガトリング砲を向けるのを間に合わせる。

 

「ここは僕の距離だっ!」

 

 しかし《緋》は発砲された攻撃を寸前で躱し、下から救い上げるように剣を一閃。

 即席で作り出した剣では鋭さが足りず、それでも鈍器としてゴライアスの右腕をひしゃげさせ、たたらを踏ませる。

 そんなゴライアスに《緋》は止めと言わんばかりに剣を突き出し――

 

「これで終わり――っがぁ!?」

 

 唐突に全身に走る痛みにクリスは悲鳴を上げ、《緋》は失速する。

 

「うおおおおおおおおおおおっ!」

 

 恥も外聞も忘れヴァルカンはゴライアスを全力で後退させ、《緋》の刃はわずかにゴライアスの装甲を削って空を切る。

 

「ちょっ!? クリスどうしたの――」

 

 《ファクトの眼》が突然消え、セリーヌは振り返って言葉を失った。

 クリスと騎神を間接的に繋げている操縦桿とも言える宝珠から蔦のように黒い呪いの触手が彼の腕に絡みついている。

 

「っ――脅かしやがって……」

 

 慌てて後ろに向かって全速力でゴライアスを走らせたものの、剣を半端に振って膝を着いた《緋》にヴァルカンは悪態を吐く。

 

「ともあれこれで依頼は達成だな」

 

 沈黙した《緋》に動く気配がないことにヴァルカンは安堵の息を吐く。

 しかし次の瞬間、ヴァルカンの視界は揺れた。

 

「っ――何だ!?」

 

 操縦桿を握っていた手から力が抜ける。

 目の前の計器、導力のEPの残量を示す針が見る間に減少していく。

 

「どうなってやがる!?」

 

 そう言ってヴァルカンが見たのは外の光景を映し出す画面。

 そこには《緋》を起点に“緋色の風”が吹いていた。

 

『な、なんだ!?』

 

『何かが吸い取られて……力が……』

 

『そんな機甲兵が止まる!?』

 

 通信機から領邦軍の様子が伝わって来る。

 

「ちっ――」

 

 何が起きているのか分からないが、原因は《緋》であることは間違いないと判断したヴァルカンは肩の導力砲に残ったエネルギーを回す。

 出力は三割。

 何もせずに待っていたとしても《緋》に喰われるだけならばと開き直り、ゴライアスに残された力をその一撃に集中させる。

 

「死ねっ! デストラクトキャノンッ!!」

 

 放たれた破壊の砲弾。

 その一撃は無防備な《緋》に命中――する寸前に紐を解く様に霧散し、その光の残滓は《緋》に呑み込まれる。

 

『――――――――』

 

「っ!?」

 

 かすかに《緋》は動いて顔を上げる。

 視線が合ったヴァルカンはそこに感じる肉食獣のような視線に息を呑んだ。

 未だに噴火を続けるユミルの山。

 その麓では《緋色の風》が満たされ、そこにある命を貪り尽くしていき、それは近くの郷にまで及ぶのだった。

 

 

 

 

 

「おかしい……」

 

 導力が尽きたライフルを交換しながら《C》は状況に違和感に気付く。

 

「あまりにも多過ぎる……」

 

 《C》も火山の噴火などに立ち会った経験はないが、もっと散漫に飛び散って良いはずの岩石は大きいものはどれも真っ直ぐユミルに目掛けて落ちようとしている。

 

「これが“因果”……“呪い”とは大自然にまで働きかけると言うのか……」

 

 もしそうだとしたら、《黒の騎神》はいったいどれだけの力を有した存在なのか想像することは難しい。

 そしてこのまま岩石の弾幕が増えれば、処理が追い付かないことは目に見えている。

 

「ナ―ディア君、避難の状況は?」

 

『ええっと……郷の総人口の二割を収容できたかな? っと言うかまだ五分も経ってないよ?』

 

 その報告に《C》は驚く。

 既に長い時間を戦っていたと錯覚する程の疲労が体を重くしている。

 慣れない《機甲兵》を操縦していることが原因か、それとも背中に守るべきものがあると言うプレッシャーによるものか。

 身体の疲労もそうだが、武器の消耗が思っていた以上に早い。

 とてもではないが、このままのペースでは残りの二十五分も持たないだろう。

 

「やああああああああっ!」

 

 しかし《C》の思うとは裏腹に結界を安定させたキーアが岩石の排除に参戦する。

 “彼”の動きをコピーした一閃が騎神の倍はあるだろう岩石を簡単に両断し、返す刃が剣閃を飛ばし両断した岩を弾くように吹き飛ばす。

 

「っ――」

 

 その大物の後ろに潜んでいた岩石が《灰》に迫り――直撃の寸前、《桃》が横から岩石を蹴り飛ばす。

 

「キーア君、前のめり過ぎだ。それでは持たないぞ」

 

 一撃一撃を全力で放つ《灰》を《C》は窘める。

 《桃》が壊せない大きな岩石を率先して《灰》は破壊して行くが、その一撃には過剰な威力が込められており、さらには結界の外に落ちるものまで斬っていた。

 

「大丈夫……キーアは大丈夫だから」

 

「しかしそんなペースでは――」

 

「キーアは守らないといけないの……あの人の代わりにユミルを守らないと、キーアが……」

 

 自分が自分がと言い聞かせながら太刀を振る《灰》に《C》はそれ以上の問答は無駄だと口を噤む。

 必死に“彼”の代わりを務めようとしている感情が先走ってしまっている。

 それを落ち着かせている余裕など今はない。

 

「しかしどうする……?」

 

 目の前の難題に《C》は仮面の下で苦悩する。

 噴火は断続的に続き、落ちて来る岩石は増える一方。

 山道に沿って流れて来る溶岩流も何処かで流れを変えなければキーアの予測通りにユミルは文字通り火の海に呑み込まれてしまう。

 

「君ならどうする?」

 

 思わず独り言を呟いてしまう。

 “彼”ならば数多の落石を太刀の一閃で薙ぎ払い、返す刃で山を切り開き全てを解決できていたかもしれない。

 そんな想像が容易にできるからこそ、《C》は常識の思考を超えられない己に苛立つ。

 その苛立ちを叩きつけるように新たに飛来した岩石に《C》は銃口を向ける。

 

「――ダメッ! 避けて《C》!!」

 

 突然のキーアの忠告に《C》は困惑する。

 結界の上に落ちて来る岩石。

 見逃すことができないものを避けろと言う言葉、そう言いながら《灰》は大きく旋回して自分がやると言わんばかりに方向転換する。

 その様に――“彼”に「貴方には無理だと」言われたような錯覚を感じ、《C》は逡巡することなく引き金を引いた。

 

 ――なるほど……

 

 着弾してわずかに欠けるだけに終わった銃撃に《C》はキーアの言葉の意味を理解する。

 これまでの脆い岩石に比べて随分と硬い。

 一発では無理だと察して《桃》は導力ライフルの銃撃を重ねる。

 一発ごとに岩石の表面は削れていく。

 

「っ――」

 

 しかし芯を撃ち抜くことはできず、さらにはいくら撃っても軌道が逸れる事もない。

 その事実に不信を感じたところで、岩石は目の前に迫り――《桃》は背中を《灰》に突き飛ばされる。

 

「螺旋撃っ!」

 

 《灰》の渾身の一撃がその岩石を捉え――太刀は弾き返された。

 それでもなお砕けなかった岩石はわずかに軌道を逸らし、ユミルの上空に張り巡らされた結界に衝突し――貫通して凰翼館を直撃した。

 《灰》と《桃》が浮遊する高さまで温泉の源泉が吹き上がる。

 熱湯を浴びながら、《C》は自分が目にしたものを呑み込もうと必死になっていた。

 

「今のは……まさか……」

 

 黒く焼け焦げた岩石の中、銃撃と斬撃でわずかに外殻が削れ覗き見ることができた不審な岩石の中身。それは――

 

「ゼムリアストーン……そんな馬鹿な……」

 

 それは大陸最高峰の硬度を持つ稀少金属。

 山の力が最も集まる深部から飛来して来た岩石と考えれば決してあり得ないことではない。

 しかし、誰が赤熱したゼムリアストーンの石礫など想像できるだろうか。

 見上げた空には焔を纏った岩石がまだあることに《C》は絶句する。

 

「この全てにゼムリアストーンが含まれているわけではないだろうが……」

 

 自分達には破壊不可能であり、結界を貫通する破壊力を有している。

 だが、ある意味で最も安全な《機甲兵》の中という安全は失われた。

 

 ――状況が変わった。回収できた者達だけを回収してすぐに撤退するべきだろう。このようなところで無駄なリスクを負う必要はないはずだ……

 

 冷静な思考の部分で《C》は早々に見切りをつける。

 破壊は不可能でも最低限の進路を妨害することはできる。

 《灰》と《桃》で防衛対象をユミルから飛行艇に絞り守りに徹すれば、飛空艇そのものは守り抜くことはできるだろう。

 その場合の犠牲者も必要な損切りだと割り切ってしまう。

 

「…………いいや。それは愚策だね」

 

 《C》は眼下の光景を一瞥し、その考えを首を振って否定する。

 この割り切りをキーアやアルフィンが認めるとは思えない。

 提案すればそこで生まれる問答で余計な手間が増えるだけどだと自嘲する。

 

「キーア君は穴の空いた結界の修復を行ってくれたまえ」

 

「う、うん……でも《C》は?」

 

「私はその時間を稼ぐ……この場は任せた」

 

 《灰》を置き去りにして《桃》は更に上空へと飛翔し、光を伴った虚空から巨大な剣を召喚する。

 

「しかし、こうも早くバラすことになってしまうとはね」

 

 《C》は自嘲しながら《桃》の飛翔をやめ、自由落下に身を任せて剣に全ての力を集中して叫ぶ。

 

「カグツチッ!」

 

 次の瞬間《桃》は焔に包まれた。

 

「ぐうっ!」

 

 桃色の装甲は泡立つように溶解を始め、《C》は全身を焼かれる悲鳴を噛み殺し、焔を剣へと集束させる。

 少しでも気を抜けば破裂する圧力をその手に感じながら、赤熱した刀身が二又に開く。

 圧縮された焔が一条の熱線として解放される。

 

「灼熱砲――イフリート――」

 

 撃ち出された一条の熱線は巨大な岩石を貫き、余波の熱風が周囲の岩石を巻き込み焼滅させる。

 

「っ……」

 

 現在視認できている岩石を全て消滅させた代償はバスターソードを構えた右腕の痛み。

 

「だがこれで時間が――」

 

 稼げると言う言葉は更なる噴火の音にかき消された。

 

「っ――まるで狙い澄ましたかのように……これが《呪い》と言うのなら《黒》の力とはいったいどれほどのものだと言うのだ」

 

 新たな岩の砲撃に《C》は思わず愚痴を漏らした。

 

 

 

 

「アハハハッ! いっちゃえっ!」

 

 チェーンソーが凶悪なエンジンの音を響かせ、シャーリィが振る。

 幾人もの血を吸って来た猟兵の刃はその名に恥じない切れ味で、地震の影響で開かなくなった教会の扉を切り落とした。

 

「よしっ! 穴が開いたぞ!」

 

「よく頑張った。もう大丈夫だ」

 

 場所を開けたシャーリィと入れ替わる様に元・北の猟兵達が彼女が開けた穴に殺到し、中の生存者の救助作業を行う。

 

「――って何をやらせるのさっ!」

 

 一拍遅れてシャーリィはつまらないものを切らされたと憤慨する。

 

「そう言わないでくださいシャーリィさん」

 

 憤るシャーリィをエマが何とか宥める。

 

「私の導力杖やガイウスさんの十字槍では……倒壊した家屋を効率よく切ることはできなくて……その……」

 

 エマもこの提案をした時はあり得ないと思ったのだが、シャーリィの“テスタ=ロッサ”の一部の機能は現在最も必要とされている武器なのは間違いなかった。

 倒壊した家屋に倒木、一部で起きた小規模な雪崩の融解。

 様々な場面で“テスタ=ロッサ”が重宝することは自明の理であった。

 

「ちぇっ! シャーリィにも《ティルフィング》があればなぁ」

 

 愚痴をこぼしながらもシャーリィは油断なく周囲に神経を張り巡らせている。

 既に銃撃を受けたハイデルは最低限の治療を行い飛行艇の一室へ押し込んで来た。

 そしてユミルの住人の避難誘導にサラ達と別れて行動を始めたが、状況は芳しくなかった。

 

「アルフィン殿下の呼び掛けのおかげで動ける人は広場に集まってくれていますが……」

 

 問題はダインスレイヴの衝撃波で薙ぎ倒されて飛んで来た倒木や岩など、噴火の地震によって倒壊した家屋から脱出することができなかった人達になる。

 いくらユミルが小さな郷でも、自分達と駐在していた元・北の猟兵達だけで郷の全てをフォローするのは難しかった。

 

「って言うか、そもそもあの飛行艇にこの郷の人間全員を収容するのはちょっと無理だけど、そこのところどうするつもりなんだろうね?」

 

「…………いえ、それはおそらく大丈夫でしょう」

 

 シャーリィの指摘にエマは言い辛そうに答える。

 確かにユミルの郷の住人を全て収容することはできないかもしれない。

 だが既に死者も多数出ている。

 そうして目減りした人数ならば決して無理ではないとエマは計算してしまって自己嫌悪する。

 

「あーあ、人命救助なんてシャーリィのガラじゃないんだけどなぁ」

 

「でも、ちゃんと動いてくれるんですね」

 

「そりゃあ今のシャーリィはⅦ組だし……それに……」

 

「それに?」

 

 珍しく言葉を濁し、どこか遠くを見て物思いにふけるシャーリィにエマは首を傾げる。

 失言だったとシャーリィは頭を掻く。

 

「大したことじゃないよ。昔ランディ兄が崖崩れを利用して《西風の旅団》の二個中隊を殲滅した作戦を思い出しただけ」

 

「あ……」

 

 シャーリィの答えにエマは彼女の本業を思い出す。

 

「ふふ、軽蔑した?」

 

「それは……」

 

 シャーリィの問いにエマは言葉を窮する。

 

「別に気を使わなくて良いよ。多分委員長が普通で、シャーリィの方が普通じゃないんだから……

 ただあの作戦の後、ランディ兄が何を考えて団を抜けたのかなって思っただけ」

 

 シャーリィはかつて温泉を目的としてやって来た郷の光景と今の光景を比べて目を細める。

 

「…………もしかしてシャーリィさんも猟兵をやめたりは……」

 

「そんなのあり得ないよ」

 

 エマの指摘をシャーリィは笑顔で否定する。

 

「確かにちょっと思う事はあるけど、シャーリィは猟兵以外の生き方なんてできないって……

 そりゃあ仕事によっては護衛も人助けもするかもしれないけど、そこは変わらないよ」

 

「シャーリィさん……」

 

 知ってはいたが、改めてシャーリィが自分とは違う業を背負った生き物なのだとエマは認識する。

 おそらくシャーリィは戦場で会えば、それがⅦ組の仲間だったとしても戦い、殺すことを躊躇うことはないだろう。

 

「ところで――」

 

 悩むエマを見兼ねてシャーリィは話題を変えようとしたところで、目の前の凰翼館が爆発した。

 

「え――?」

 

「委員長っ!」

 

 咄嗟にシャーリィはエマの手を引き、“テスタ=ロッサ”を地面に突き刺してその陰に伏せる。

 破壊は一瞬。

 結界を貫通して降って来た岩石は凰翼館を一撃で粉砕し、その衝撃で温泉が間欠泉のように吹き上げる。

 

「あーあ……ここの温泉、結構気に入ってたんだけどなぁ」

 

「そんなことを言っている場合ですか!?」

 

 呑気に肩を落とすシャーリィにエマは怒鳴る。

 

「って言うか、結界はどうしたのさ?」

 

 シャーリィは空を見上げ、穴が開いた結界を見上げる。

 

「あの強度の結界が破られるなんて……一体何が落ちて来たって言うの!?」

 

 エマもまたキーアが張った結界が破られたことに慄く。

 

「ま、そこはシャーリィ達が考える事じゃないけど……」

 

 シャーリィは考えても分からないものは分からないと割り切り――聞こえて来た音に目を細める。

 

「しまった。それは完全に失念してた」

 

「シャーリィさん? 何を言っているんですか?」

 

 これ以上まだ何かが起きるのかとエマは聞きたくないと思いつつも尋ねる。

 

「それはもちろん、溶岩流から逃げて来る魔獣の大群だよ」

 

「…………あ……」

 

 

 

 

 

 

「秘剣、鳳仙花っ!」

 

 舞うような剣舞が襲い掛かって来た雪飛び猫たちを纏めて薙ぎ払う。

 だが、入れ替わる様に新たなスノーラットがエリゼに襲い掛かり、《フラガラッハ》に殴り飛ばされる。

 

「――ここは通しませんっ!」

 

 助けてくれた戦術殻に感謝の念を送りながら、エリゼは呼吸を整えて啖呵を切る。が――後続の魔獣の群れに息を呑む。

 

「何て数の魔獣……」

 

 結界のせいで迂回するしかなかった魔獣たちは、結界の消失を敏感に察知して最短距離で山を下ろうとユミルへと突撃して来た。

 彼らにユミルを襲う気はない。むしろ山の脅威やダインスレイヴが起こした被害から助かりたい一心で必死に走っているのだろう。

 

「っ……」

 

 エリゼは逃げ出したい気持ちを堪えて剣を固く握り締める。

 

「きっと皆さんが気付いてくれているはず、それまでここは私たちが護ります」

 

「―――――――」

 

 エリゼの意気に応えるようにフラガラッハも怯むことなく拳を構える。

 優秀な彼ら、彼女たちは郷に魔獣が踏み入った瞬間に察知して向かって来てくれているはずだとエリゼは信じて剣を振る。

 その期待は正しく。

 領民の避難の指揮を執っていたテオとアプリリスはサラとガイウスを山門に向かわせ――

 アルティナは漆黒の鎧を纏って飛び――

 エマとシャーリィは雪道を駆け――

 

 ――紅い風が吹く。

 

「…………え……?」

 

 唐突にその場にいる全員は原因不明の虚脱感に見舞われる。

 飛ぶ者は制御を狂わせ、走るものは足をもつれさせ、灰色の戦術殻は停止する。

 そしてエリゼは魔獣を斬り損ねて大型魔獣に撥ね飛ばされた。

 

「あ……」

 

 宙を舞ったエリゼは回る世界の中でサラ達が駆けつけて来てくれたことに安堵する。

 

「後は頼みます。皆さん――」

 

 “魔法の言葉”に祈るより先にエリゼは託す言葉を呟く。

 領主の娘としての責任を果たせただろうかと、思いを馳せエリゼは大小さまざまな魔獣の群れの中へと落ちて行く。

 そんなエリゼが最後に見上げることになった空には――

 

 ――あれは……鳥?

 

 場違いにもエリゼは視界に入った紫に近い青――《紺》色のユミルでは見たことのない鳥に目を奪われ――

 

「氷煌演舞刃っ!」

 

 その空から無数の氷柱と共に彼女が降って来た。

 その少女は空中でエリゼを抱きかかえると、事も無げに魔獣の群れを蹂躙して叩き潰した氷の柱に着地する。

 

「エリゼちゃん、よく頑張ったね」

 

 お姫様抱っこでエリゼを抱えた青い少女は安心させるように微笑む。

 

「ダーナさん」

 

 それは数ヶ月前、聖アストライア女学院に後輩の姉だと紹介された転入生。

 淑女を育てる女学院の生徒にあるまじき戦闘力を見せつけられたエリゼは困惑に言葉を失い――何とか言葉を探して叫ぶ。 

 

「ダーナさんっ! 何って恰好をしているんですかっ!?」

 

「あ、あれ……?」

 

 後輩の言葉に蒼い民族衣装を纏ったダーナは思っていたのとは違う反応に首を傾げた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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25話 ユミルの悲劇



遅くなって申し訳ありませんでした。
これにてユミル、ノルディア州編は終了になります。


追記
オーバルカメラにはヴァルターの一撃に耐えられる耐衝撃性とマクバーンの焔に耐えられる耐火性、つまりは耐爆性が本当に必要だったと思った黎でした。







 

 

「ちがう……ちがう……」

 

 《灰》を操りながらキーアは頭を振る。

 

 ――何が違うの? これがきーあが求めた平和でしょ?

 

 黒い自分が囁く。

 

 ――クロスベル以外なんてどうなっても良い……

 

 ――ロイド達だけが平和なら他がどうなったって構わない……

 

 ――帝国も共和国もロイド達をいじめる悪者なんてみんな殺し合っていれば良いんだよ……

 

「ちがうっ! キーアはこんなことに……こんなことになるなんて知っていたら……」

 

 嗤う囁きへのキーアの反論は弱々しい。そんな彼女を嘲笑するように声は続く。

 

 ――帝国だけじゃない。共和国も経済恐慌が起きてたくさんの人が困っている……

 

「っ……」

 

 その声は果たして自責の念から来るものなのか、それとも《呪い》によるものなのかキーアには分からない。

 

 ――あの時、きーあが消えていれば……“彼”がここにいればユミルは守れたはずなのに……

 

「ああ……」

 

 眼下の郷にもはや最初の街並みは残っていない。

 凰翼館が潰れ、ケーブルカーの駅は崩れ、教会は炎上する。

 一つ、一つ、キーア達の力が一歩及ばないごとにユミルの営みは無残に破壊されていく。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 幾度も繰り返した懺悔をまた繰り返す。

 帝国の内戦の切っ掛けはガレリア要塞の消滅。

 結社を通じてクロイス家と貴族連合の間で密約があったとキーアは聞いているが、どんな内容だったのかは知らない。

 それでもこれは――

 

 ――そう、これは全部きーあのせいなんだよ……

 

 その言葉にキーアの心は自己嫌悪を募らせて――

 《灰》の胸と大腿部の加速器が駆動を始める。

 

「あ……あああ……アアアアッ!」

 

 掲げた左手の上に巨大な黒い球体を生み出す。

 かつてガレリア要塞を消滅させた《零》の力。

 鐘の補助がなければ使えない力だが、自身を消し去りたい程の自己嫌悪を呼び水に無理矢理引き出した黒い力は《灰》の身体を末端から消滅させた行く。

 

「これで――」

 

 《識》が見せる答え。

 噴火を止めるためには消滅の力で山そのものを消してしまえばいい。

 

「みんな消えちゃえっ!」

 

 大きく振り被って《灰》は山へ消滅の力を投げ放つ。

 黒い球体は山を削る様に突き進み、その中心で集束するように全てを巻き込み消滅する。

 

「…………やった……」

 

 息を弾ませ、キーアは山の噴火を止められたことに安堵し――息を呑む。

 

「そんな――」

 

 削られ歪になった山が崩れる。

 消滅を免れた山肌は支える地盤を失い、ユミルの郷そのものがその大地から崩壊する。

 それは避難民を乗せた飛行艇をも巻き込み、キーア達が護ろうとしたものを全て吞み込んで火山は消滅した。

 

「あ……ちがう……キーアは……キーアは……」

 

 こんなつもりじゃなかったと、キーアは顔を手で覆い――

 

「キーア君っ! それはダメだっ!」

 

「っ――」

 

 耳を叩いた《C》の言葉にキーアは我に返る。

 放つ寸前の黒い球体をキーアは直前に見た光景を幻視して咄嗟に撃つ方向を空へと逸らす。

 消滅の力は立ち昇り空を覆い隠す噴煙を呑み込むように爆ぜ、場違いな蒼い空が広がる。

 

「今のは……キーアは何をしたの?」

 

 眼下のユミルが無事であることを安堵の息を吐きながら、キーアは自分が見た光景に背筋を冷たくする。

 《零》の力を利用して未来を観測したことはあるが、その時とは違う感覚にキーアは戸惑う。

 言葉で表現するなら“力”に行動の主導権を取られたような感覚。

 至宝としての力はクロスベルにいた時ほど使えないものの、キーアは自身の“力”の得体の知れない部分に恐怖を覚える。

 

「やれやれ、あんなものを撃てば山そのものを崩しかねなかっただろう」

 

「ご、ごめんなさい」

 

 咎める《C》にキーアは謝る。

 直前に見た白昼夢のことを考えれば《C》の言葉は全くもって正しい。

 噴火を止めることはできても、それでユミルを崩壊させてしまえば本末転倒でしかない。

 素直に謝る彼女に《C》は嘆息し、彼女が一気に空を晴らしてくれてできた空白の間に息を吐く。

 

「だが、奇しくも飛行艇が発進する間を稼げた。この場は離脱して船を直接守るとしよう」

 

「え……でも……」

 

 《C》の言葉にキーアは迷う。

 それはユミルの守りを放棄することを意味している。

 船や避難民を優先することはキーアも納得していたが、実際の現場に出てキーアはユミルを切り捨てるその選択を前にして躊躇ってしまう。

 

「キーア君」

 

「…………うん、わかってる」

 

 空を一掃してもまたいつ噴火するか分からない状況では悠長に迷っている暇はない。

 それに《灰》も消滅の力の反動で少なくない部位を消失させてしまい、残存霊力も含めていつ機能を停止してしまうかも分からない。

 割り切るしかない。

 気持ちに区切りをつけ、《灰》は荒ぶる山に背を向ける。

 

「あの人なら、どうしていたんだろう?」

 

「…………」

 

 キーアの口から漏れた独り言に《C》は黙り込む。

 自分達は役目を全うした。

 しかし達成感など微塵もない。

 苦汁を呑み込んで、妥協を選ぶしかない自分の不甲斐なさを噛み締めて踵を返し――

 

「っ――避けろっ!」

 

「え?」

 

 《C》の叫びにキーアは呆けた声を返し、次の瞬間《桃》に突き飛ばされる。

 直後、《桃》を中心に水の激流が発生し、《桃》はその水圧に押し潰され、《灰》はその余波に吹き飛ばされて大地に墜落する。

 

「うう……いったい何が……」

 

 地面に叩きつけられた痛みに悶えながらキーアは《灰》を起こし、自分を庇ってくれた《C》を探し――鉄球のような尾に殴りつけられた。

 

「きゃあっ!」

 

 振り返ればそこには騎神に匹敵する巨大な魔獣――幻獣がいた。

 

「何で幻獣がここに――ひゃあ!」

 

 態勢を立て直そうとする《灰》に狂竜は頭から突進して押し倒し、そして《灰》の上で地団駄を踏む。

 

「っ――」

 

 暴力的な足に踏まれる度に《灰》の身体は軋み、亀裂が走る。

 

「っ……このっ! どいてっ!」

 

 キーアの必死の抵抗を嘲笑う様に狂竜は何度も何度も《灰》を踏みつけ、そしておもむろに口を開く。

 

「え……きゃあっ!?」

 

 口から吐き出されら毒々しい色の吐息を《灰》は頭から浴びせかけられる。

 その色が示すように猛毒である吐息は《灰》の装甲を蝕み、そして狂竜は腐食した装甲をまるで御馳走だと言わんばかりにかじりついた。

 

「あ――――っ!!?」

 

 体を喰われた痛みをフィードバックしてキーアは絶叫する。

 

「いやっ! 放して!」

 

 錯乱したキーアは滅茶苦茶に《灰》を動かし、振り回した太刀が狂竜に当たるがあっさりと手から弾き飛ばされてしまう。。

 そして《核》の上を踏みつけられた衝撃にキーアは息を詰まらせ、意識が遠のく。

 痛覚をそのままに体を食べられる痛み。

 装甲を咀嚼する音、《核》の中まで浸食して来た毒の空気。

 クロスベルを旅立ってから何度も戦闘は経験したはずなのに、迫り来る死の気配を否が応なく感じてしまう。

 

「…………いたい……いたいよ。誰か助けて……《C》……クリス……ロイド……」

 

 助けを求めた声は弱々しく。

 それに応えるものはいない。

 ただ《灰》の装甲を咀嚼する音が響き、そして背を付けた大地に地震の震動を感じた。

 

「誰かキーアを――ちがうっ」

 

 諦めそうになった意志をキーアは奮い立たせ、《灰》は胸にかじりついている狂竜の頭を掴み押し返す。

 

「キーアは……キーアは……」

 

 狂竜が力任せに頭を押し込んで来る。

 腐食した《灰》の腕は軋み、今にも壊れてしまいそうな程に頼りない。

 それでもキーアは叫ぶ。

 

「キーアは守るためにここにいるんだから!」

 

 キーアは《識る》。

 どんな抵抗をしても間もなく霊力を使い切る《灰》にここから助かる術はない。

 それでもキーアは諦めずに《識》で凝視する。

 その抵抗を歯牙にも掛けず、狂竜は《灰》に顔を掴まれたまま食事を再開する。

 

「ううっ……」

 

 激痛がフィードバックされ、再び死の気配が忍び寄る。

 気が狂いそうな恐怖を抑え込み、ひたすらに集中力を高めてキーアは――《深淵》に触れた。

 

「あ……」

 

 不意に狂竜に見えた光の線に指を合わせる。

 その指は固いはずの竜の鱗に音もなく沈み込み、そのまま《灰》は線に沿って指で狂竜の肩をなぞり――切り落とした。

 

「ガアアアアアアアアア!?」

 

 狂竜は数秒遅れて感じた痛みに悲鳴を上げて仰け反り、それを逃さず《灰》は狂竜の下から脱出して太刀を拾う。

 

「っ――」

 

 技も何もない一太刀と振り回された鉄球がぶつかり合い、光の線をなぞった刃は紙を裂くように抵抗を感じさせずにそれを両断した。

 

「――あは――」

 

 右腕と尾を切り落とされのたうち回る狂竜を見下ろしてキーアの顔を不気味に歪む。

 狂竜の身体に走る無数の線。

 それに沿うように太刀を振れば抵抗もなく切れる手応えにキーアは“力”を実感する。

 

「あはははっ!」

 

 お返しだと言わんばかりに《灰》は狂竜を踏みつけて何度も何度も斬りつける。

 絶命した幻獣は七耀の光となって大気に還り切るまで《灰》は太刀を振り続けた。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……行かなくちゃ……」

 

 目が、頭が焼けるように熱い。

 視界に映るものには幻獣と同じように光の線が見える。

 

「っ――」

 

 その無数の光の線を見たキーアの目は更に熱くなり――誰かの手の平がキーアの視界を覆い隠した。

 

「あ……」

 

 顔に触れた手のぬくもりにキーアの身体から力が抜ける。

 《灰》は膝を着き、疲れ切ったキーアの意識はそのまま落ちて行く。

 

「待って……キーアはあなたに謝らないといけないことが……」

 

 キーアは自分しかいないはずの操縦席で振り返るが、薄れゆく意識に抗う事はできず眠りに落ちた。

 それに合わせてヴァリマールの意識も落ちる。

 そんな《灰》の背後に狂竜とは別の幻獣が忍び寄り――空から降って来た翼を持つ魔煌兵によって潰された。

 

「ククク……坊主程じゃないが、根性を見せるじゃねえか」

 

 動かなくなった《灰》を見下ろし、魔煌兵の中から男が笑った。

 

 

 

 

「おおっ!」

 

 それを見た者達は思わず感嘆の言葉を漏らした。

 山道を塞ぐように現れた三体の巨大な甲冑人形が身の丈に迫る程の盾を持ち、地面に突き立てて横に並ぶ。

 山道を伝って流れ落ちて来た溶岩をその盾で受け止め、先に掘っておいた堀へと溶岩は流れを変えて逸れて行く。

 

「おおおっ!」

 

 そして郷の中でもまた魔煌兵が各所で現れ、これまでの破壊によって生まれた瓦礫を撤去していく姿に歓声の声が上がる。

 しかし歓声とは裏腹にダーナの顔は優れなかった。

 

「…………またこの光景を見ることになるとは思ってなかったかな」

 

 《星》によって破壊された街並み。

 空を見上げれば半透明の結界が広がり、その向こうには焔を纏った《星》が見える。

 

「あ、あのダーナさん」

 

 哀愁を漂わせるダーナにエリゼは恐る恐る声を掛ける。

 

「ん? 何かな?」

 

 憂いの顔を隠し、女学院にいた頃のような微笑でダーナはエリゼに振り返った。

 

「ありがとうございます。これでユミルは救われました」

 

「あ……」

 

 ユミルを代表した感謝の言葉にダーナは思わず目を逸らす。

 

「ダーナさん?」

 

 そんな不自然なダーナの態度にエリゼは首を傾げる。

 彼女の背後には、エリゼと同じように既に助かったつもりの人々の安堵が広がっている。

 そんな人たちに水を差すいたたまれなさと無力感を感じながらダーナは口を開く。

 

「喜ばせてしまって申し訳ないけど、私がやっているのは悪あがきに過ぎないんだよ」

 

「悪あがき?」

 

「《緋色の予知》……」

 

 ダーナは目を伏せてエリゼに説明する。

 

「私の予知は色によってどれくらい確実か分かるの……

 緋色に染まった予知は避けることのできない確定した未来。だからユミルの郷がなくなることは変えられない」

 

「そんな……」

 

 ダーナの言葉にエリゼは絶句する。

 

「なんとかならないんですか?」

 

「これは努力で変えられるものじゃないの……ごめんね」

 

 申し訳なさそうに謝るダーナにエリゼは詰め寄り、叫びかけた八つ当たりの言葉を呑み込む。

 

「――それでもありがとうございます」

 

 ダーナが来てくれてなければ、魔獣に轢かれて死んでいた身だったことを思えば感謝こそすれ、罵倒する理由はない。

 今も魔煌兵を召喚し、溶岩を受け止めて避難する時間を稼いでくれていることを思えば十分に働いてくれている。

 

「ですがどうしてダーナさんはユミルに?」

 

 その憤りを誤魔化すようにエリゼは話を逸らす。

 

「ダーナさんはミルディーヌと一緒にオルディスへ向かうと言っていましたよね?」

 

「ミュゼちゃんのことは安心して。ちゃんとイーグレットのお爺様たちの所に送り届けたから」

 

 後輩の安否を気遣うエリゼにダーナは無事を知らせる。

 

「私が来たのは、ミュゼちゃんにお願いされたからだね」

 

「ミルディーヌがお願い?」

 

「うん。《緋色の予知》のことを話してユミルが危ないことを知ったミュゼちゃんは自分は良いからエリゼちゃんやアルフィンちゃんを助けに行って上げて欲しいって言い出したの」

 

「そうですか……」

 

「……だけど、ミュゼちゃんにお願いされてなくても来てたかな」

 

「え……?」

 

「『自分にもしものことがあれば、義妹や家族のことをお願いします』……そう頼まれていたから」

 

「頼まれた……いったい誰に?」

 

 そう聞き返すエリゼにダーナは困った顔をして言葉を濁す。

 

「……ごめんね。たぶん今のエリゼちゃんには言っても意味はないんだ」

 

「ダーナさん」

 

 ワイスマンやクリス達と同じようなことを言うダーナにエリゼは顔をしかめる。

 

「それよりエリゼちゃんも早くあの空飛ぶ船に戻って、後は私がやっておくから」

 

「ダーナさん、ですが……」

 

 避難を促されてエリゼは迷う。

 予定していた時間は過ぎたが、まだ飛行艇は発進していない。

 

「飛行艇に乗れる人には限りがあるんでしょ? 残っている人達は私が誘導するってアルフィンちゃん達に伝えてくれる?」

 

 理由をつけて自分を先に避難させようとする意志をエリゼは感じ取る。

 そしてダーナはエリゼが行きやすいように郷中に聞こえるように声を上げる。

 

「飛空艇に乗り切れない人、体力がある人は西に集まって下さい! 魔煌兵を使って私が切り拓きます!」

 

 その言葉によって人の動きが変わる。

 唯一の命綱だった飛行艇に群がるのを止め、ダーナやテオの誘導に従って体力のある者達は郷の西側へ移動していく。

 捨てられる積み荷を捨て、人を乗せられるだけ乗せた飛行艇は周囲の安全を確認してハッチを閉じ、空へと飛び立つ。

 残された大人や体力がある者達は魔煌兵が切り拓いた道を歩いてユミルから脱出する。

 決して大都市ではない秘境だった郷からは人の陰はなくなり、閑散とする。

 そんな郷の半壊した領主邸を麓からのダインスレイブとは違う、導力砲による砲撃が撃ち抜く。

 それを呼び水に大地が割れ、ユミルそのものが山崩れとなって崩壊した。

 

 

 

 

「何で……何でこんなことができる?」

 

 膝を着いた黒のゴライアスの首を掴んで持ち上げ、クリスは黒い瘴気を纏いながら話しかける。

 最後の力を振り絞って行ったゴライアスの砲撃は見事にユミルを撃ち抜いて崩落させた。

 救助活動を行っていたアルフィン達が無事なのかどうか、今のクリスには分からない。

 

「言ったはずだ。オズボーンに関わる全てを俺は燃やし尽くすってなあっ!」

 

 生気を吸われ、息も絶え絶えにしながらもヴァルカンは気炎を吐く。

 

「そのために何の罪もないユミルの人達を巻き込んで、それが人間のすることか!?」

 

「関係ならあるって言ってんだろうが!」

 

 言い返すヴァルカンにクリスは呆れ果てる。

 ユミルがオズボーン宰相の生まれ故郷であり、狙撃された彼が匿われている候補地の一つだと言う事は聞かされた。

 しかし、そんな理由でだけで一つの郷を崩落させるのはあまりにも度が過ぎていた。

 

「もう良い……死ねよ」

 

 悪びれもしないヴァルカンにクリスは《緋》の手に力を込める。

 

「ククク……お前にそんなことができるのか?」

 

 まるでクリスにはそんな度胸はないと言わんばかりにヴァルカンは嘲笑を浮かべる。

 散々邪魔をしてきたⅦ組だが、所詮は子供の集まり。

 自分達を殺せる機会はこれまで何度もあったのに、その甘さで何度も取り逃がして来たことからクリスには人を殺せる度胸などないのだと高を括ったような言葉。

 

「それに例え俺を殺しても、俺の意志は解放戦線の仲間の中に息づいている……

 例えここで殺されたとしても、帝国の全てを焼き尽くすまで俺達は止まらないんだよ!」

 

「だから何だって言うんだ?」

 

 静かにクリスは言い返す。

 

「そうだな……お前の言う通り、僕はまだ人を殺す覚悟なんてできていないかもしれない……」

 

 だけど、と言葉を区切り、黒い意志を呑み込んでクリスは言葉を作る。

 

「お前はまだ殺すつもりなんだろ?」

 

 彼が吐いた言葉を信じるのなら、彼らはオズボーン宰相に所縁のある全てを滅ぼし、狙撃して殺した彼の死体を見つけるまで破壊と殺戮を繰り返す。

 今のユミルのような事を他でも繰り返すというのなら、例え手を汚すことになったとしてもクリスはもはや躊躇わない。

 

「お前はここで死んでおけ」

 

 これから先の犠牲を少しでもなくすためにクリスは《緋》が掴む手から黒のゴライアスからあらゆる力を吸い取り――

 

「ハッ……流石はあのクソ野郎の国の皇子様だな」

 

 声と共に横撃された衝撃に《緋》はゴライアスを放して吹き飛ばされる。

 

「っ――クロウッ! 来てくれたのか!?」

 

 その衝撃に一帯を覆っていた緋色の風が消え、息を吹き返したヴァルカンは自分を庇う様にたたずむ《蒼》の背中を見て叫ぶ。

 

「おう……随分と派手にやってるじゃねえかヴァルカン」

 

 噴火した山と崩落した山を一瞥し、クロウは喜悦を含んだ声で応える。

 

「ここは俺に任せて、お前はログナー侯爵を連れて撤退しな」

 

「……ああ、気を付けろよクロウ」

 

 クロウの指示にヴァルカンは一言残して撤退する。

 それを見送り、《蒼》は《緋》に向き直る。

 

「クク、久しぶりだな。偽物のセドリック皇子」

 

 揶揄うようなの呼び掛けにクリスは眉を潜めながら立ち上がり、《蒼の騎神オルディーネ》を睨む。

 

「帝国解放戦線リーダー《C》――いや、旧ジュライ市国出身、クロウ・アームブラスト……」

 

「そういえばアランドールがいるクロスベルに行っていたらしいな」

 

 告げられた肩書にクロウは肩を竦める。

 

「話は聞いたよ……

 ジュライが帝国に併合された時、先輩の祖父が起こしたテロ事件……その意思を継いで先輩はテロリストに――」

 

「ふざけんなっ!」

 

「なっ!?」

 

 突然の激昂と共にダブルセイバーで斬りかかって来る《蒼》にクリスは驚きながらもその一撃を手に剣を生み出し受け止める。

 

「じいさんじゃねえ! 全部、全部お前達、帝国が――オズボーンのクソ野郎がやったことだ!」

 

「っ――それを貴方が言うかっ!」

 

 クリスもまた激昂して、剣を振り抜き《蒼》を弾き返す。

 ゼムリア大陸北西に位置する、帝国に併合されたジュライ市国。

 その併合するきっかけとなった鉄道の爆破事件。

 犯人は見つからず、様々な憶測が当時のジュライでは飛び交った。

 その中でもっとも有力な説だったのが、大国である帝国の経済圏に呑み込まれ、乗っ取られることを危惧したアームブラスト市長が起こした犯行だったと話だった。

 それを全て鵜呑みにしたわけではないのだが、クリスは激昂してクロスベルで資料を読んだ時から考えていた指摘を叫ぶ。

 

「アームブラスト先輩はテロリストをしているじゃないか!」

 

「っ――」

 

「表の顔がどんなに善人だったとしても、裏の顔があるんだって証明しているのは誰だ!?」

 

「ぁ……」

 

 欺瞞を突き付けられ、クロウは直前までの余裕を忘れて怯む。

 それはクロウがずっと目を逸らして来た疑問。

 考えてしまえば決意を鈍らせてしまうと無意識に感じていた矛盾。

 

「アームブラスト市長の罪を誰より証明しているのは他の誰でもない、アームブラスト先輩じゃないか!」

 

「――れ」

 

「だいたい疑われる容疑者なら他にも――」

 

「黙れっ!」

 

 クリスの言葉を遮ってクロウは叫び、《蒼》は《緋》に斬りかかる。

 

「あいつさえいなければ全部うまく行っていたんだよ! あいつさえいなければっ!」

 

「それは――こっちのセリフだっ!」

 

 クロウの身勝手な言葉にクリスも言い返す。

 彼がオズボーンを狙撃しなければ、“彼”は単身で、即日にクロスベルを制圧をしようとは思わなかっただろう。

 

「オズボーンの味方をするならお前も敵だっ!」

 

「罪のない民を巻き込む外道が!」

 

 《蒼》と《緋》は黒い瘴気を纏い激突する。

 剣を交える度に大地は揺れ、大気が鳴動する。

 黒が混じった《蒼》の霊力が迸り、黒が混じった《緋》の霊力が迸る。

 クロウはクリスを、クリスはクロウを敵と見定め、それぞれ相手の命を狩るために刃を振るう。

 

「コロス――ホロビロッ! エレボニアッ!」

 

「オマエタチハ――イキテイテハイケナイイキモノダッ!」

 

 《蒼》は装甲を開き、全身に金の光を纏う。

 《緋》は装甲を開き、その背後に無数の武具を顕現させる。

 

「ガアアアアアアアッ!」

 

「シャアアアアアアッ!」

 

 《蒼》は最高の速度で《緋》に突撃し――

 《緋》は最高の手数を引き下げて《蒼》に突撃し――

 

「いい加減にしなさいっ!」

 

 次の瞬間、マクバーンから要請を受けて駆け付けた《銀》によって《蒼》と《緋》を空高く打ち上げられるのだった。

 

 

 

 

 

 







リザルト
《桃》灼熱砲の反動、狂竜リンドバウムのグランシュトロームの直撃を受けて大破
《灰》消滅の《零》の力の反動、狂竜に喰われて大破
《緋》《銀》の250年前の借りを含んだ一撃を受けて大破
《蒼》上のとばっちりで大破?




原作の設定を否定するつもりはないんですが、アームブラスト市長が本当に潔白だったのか自分は以下の根拠で怪しいと考えています。

1孫にギャンブルを教えた市長
 正確にはカードなどのゲームらしいですが、それらを楽しむ余裕がジュライにあり、帝国の資本で娯楽が活性化していたと考えると首を傾げます。
 まあこれは市長の忠告を聞き流し、クロウが遊び歩いてしまって祖父を追い詰めたという自責の念に繋がっているかもしれませんが。

 《空》では表向きでは善人だったダルモア市長が借金を理由に事件を起こしていたのも彼の印象を悪くしている一因ですね。


2黒の史書の性質
 預言があるため、起きる事件に備えているだけで良いのがオズボーン側のスタンスであること。


3鉄道網が繋がったことで不利益を被った人がいる事
 原作では帝国政府とジュライのことしか語られていませんでしたが、鉄道網が繋がったことで、それまでジュライと帝国間の関税を独り占めにしていたあの貴族様が一人だけ損をしています。
 オズボーンに利益を掠め取られた彼が果たして黙って見ているだけで終わるのでしょうか?


4作中でも述べた通りクロウの存在。
 意図的なんでしょうけど、原作で語ったアームブラスト市長の人物像はクロウとよく似ています。
 そんなクロウがテロリストになったのに祖父は本当に何もしていなかったのか?



他にも理由はありますが、以上の理由でアームブラスト市長を怪しんでいます。
もちろんオズボーンが働きかける理由があることも理解していますが、アームブラスト市長側にも実行するだけの理由や根拠は十分にあったと考えています。







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26話 セレンの園




今回の話は幕間の話となります。





 

 

 そこにはもうかつての風光明媚な光景などなかった。

 もっともダーナが知るその場所は季節外れの大雪が吹雪いていた時のものだったり、千年前の光景であったりと以前の光景を惜しむことはできなかった。

 

「私は……また守れなかった……約束したのに……」

 

 抉られた岩肌。

 大きなクレーターの中央に突き立つ鉄杭。

 半分砕けた石碑に灰が降り積もる大地。

 それらの光景はダーナにかつての故郷の最後を彷彿とさせる。

 

「っ――」

 

 感傷を振り切ってダーナは砕けた石碑に手をかざす。

 石碑はほのかな光を明滅させると幻の様に消え、洞窟が現れる。

 ダーナは一度振り返り、その洞窟へと踏み入る。

 氷の回廊を抜け、氷霊窟へと進み、祭壇へと登る。

 そこで石碑にしたように手をかざす。

 すると新たな通路が現れ、その先へと進む。

 

「あ……」

 

 覚悟を決めて踏み込んだ広間の光景にダーナは見上げる程に大きく育った“樹”に思わず安堵する。

 

「良かった……ここは無事だった……」

 

「ここが《セレンの園》って奴か?」

 

 ダーナの後について来た二人の内、壮年の男は巨大な“樹”に圧倒されながら尋ねる。

 

「はい……」

 

 その言葉にダーナは頷き、足元の石板に書き残された説明を読み上げる。

 

「《セレンの園》は各々の時代を生きし“人”の想念が辿り着く場所……

 想念を糧として彼の“樹”は育つ……

 想念とは闘争の“黄昏”から零れ落ちた、“人”の悲嘆、祈りと言った意志に他ならない」

 

「悲嘆や祈りね……」

 

 ダーナの言葉に男は頭を掻く。

 戦闘狂を自称する男にとって馴染むのは“闘争”の想念であり、場に満ちた神秘的な空気の元を知ってしまうと途端に居心地の悪さを感じてしまう。

 

「“黄昏”もまた“人”の意志、積み重なりし想念を利用した超越者の如き大いなる力……

 “涙の樹”が育ちし時、忌まわしき“黄昏の大樹”に諍うことが可能となろう」

 

 読み終えて、ダーナは改めて広間の中央に位置する“樹”を見上げる。

 《セレンの園》の目的は“闘争”とは逆の想念を積み上げることで“黄昏”に匹敵する因果を紡ぐこと。

 ダーナの時代では当時の過去の想念を合わせてもまだ“樹”は若く、“黄昏”の因果を払い除ける力はなかった。

 しかし、今はあの時よりも“樹”は大きく成長している。 

 触れて、調べてみなければまだ分からない。

 それでも一縷の希望を胸にダーナは一歩前に踏み出し――

 

「やはり、来ましたか」

 

 落ち着いた声が響き渡ると彼女たちの背後に彼らは現れる。

 

「あ……」

 

「お久しぶりです。ダーナさん」

 

 その内の一人、海洋生物のような外見の異形が丁寧な口調で話しかけた。

 

「ヒドゥンさん……」

 

 ダーナは彼の名を呟き、獣人の異形のミノス、翠の異形のネストール、そして黒装束の頭巾で顔を隠したウーラを順番に見据える。

 

「《セレンの園》か……懐かしいのう」

 

 ネストールは感慨深く《園》を見回す。

 

「ネストールさん?」

 

 その言葉にダーナは哀愁を感じ取り首を傾げる。

 嫌な予感を感じながら、ダーナはそれを口に出せずにいるとミノスがそれを見透かしたように口を開く。

 

「その様子なら気づいているみたいだな」

 

「ミノスさん……」

 

 ミノスは腕を組み、淡々と事実だけを告げる。

 

「ここの水道橋は各地の“人”に対応している」

 

 彼が言う水道橋とは“樹を取り囲むように六方に造られた橋。

 そこから少ない水が滴り落ちて、“樹”に水を与える造りとなっているが、その水量はあまりにも少なかった。

 

「人がこの地に打ち込んだ《機》によって霊脈は壊された……

 各地から集まるはずの想念は途切れ、蓄えたそれも噴火と言う形で発散させられた」

 

「っ……」

 

 流れが途切れ、枯れようとしている水道橋を見上げるミノスからダーナは視線を落として俯く。

 

「“黄昏”ほどの摂理に干渉するにはそれに匹敵する膨大な想念が必要だった……

 “想念の樹”を見れば自ずと分かる。あの“樹”は確かに成長したが、まだまだ若かった……」

 

 ウーラが“樹”を見上げて続ける。

 

「地上で生きた過去の“人”の想念を積み重ねても未だに足りていなかった……

 そして人の騒乱により、ユミルの霊脈は断たれ、想念の水は程なくして完全に途絶えるだろう」

 

「すでに“緋色の予知”とやらで視えているのじゃろう?」

 

 ウーラの言葉を引き継ぐようにネストールが諦観を滲ませて告げる。

 

「もはや我々に諍う術などありはせん」

 

「あなたは最後まで本当によく頑張りました」

 

 ダーナを労う様に、そして自分達に言い聞かせるようにヒドゥンは――《セレンの園》を造った者として告げる。

 

「だからこそ理解したと思います……

 “黄昏”を止めることが到底不可能であるということを」

 

 改めてダーナは振り返り、園を見回す。

 想念の流れが途切れた水道橋。

 散り始めた“樹”の葉。

 さらに目を凝らせば壁面などには無数の亀裂が走り、建物そのものが崩落しようとしている。

 その光景に否が応でなく理解させられる。

 

「…………ここが…………」

 

 ダーナは目を伏せ、張り詰めていた糸が切れたように膝を折る。

 

「この園が最後の頼みの綱だったのに……」

 

 その姿に異形たちは目を伏せる。

 彼女の無念はそれこそ自分達の無念。

 むしろ彼女よりも長い時間を掛けて《セレンの園》を維持し、一縷の希望に縋っていたからこそその絶望は深い。

 あまりに長い時間を掛けた悲願だったからこそ、それが潰えて憤りを感じるよりも“諦観”してしまう。

 彼らはかつて滅ぼされた“絶望”をようやくを受け入れ、“黄昏”に屈した。

 ダーナもそうなるだろうと言わんばかりに異形たちは彼女を見守り――

 

「……まだ……」

 

 小さく呟き、ダーナは立ち上がって顔を上げる。

 

「まだだよ」

 

 その顔に“絶望”はあっても“諦観”はなかった。

 

「…………やはり、貴女は諦めないんですね。ダーナさん」

 

 ウーラは予想通りだと言わんばかりに頷き、他の三人に視線を送る。

 

「どうやら貴女が言った通りになりましたね」

 

「で、あるならば手早く済ませるとしよう」

 

「ああ、こいつになら託せる」

 

 ウーラの言葉に応えるようにヒドゥン達は頷き合うと、その体に光が灯る。

 

「これは……?」

 

 ウーラの別の名を呼び、彼らの行動にダーナは困惑する。

 

「このままでは私たちは“黄昏”に呑み込まれるでしょう」

 

「千年掛けて集めた“涙の想念”……それをこのまま《黒》に奪われてしまうのは惜しい」

 

「“樹”に残った想念と儂ら自身の想念……

 《黒》を滅する“力”には及ばないだろうが、打ち合う“力”の足しくらいにはなるだろう」

 

 四人の身体は光に溶けるように薄れ、広間の四方へと散って行く。

 

「おそらく、この後私たちは“黄昏”を支える守護者として利用されるでしょう」

 

「それがどのような形で使われるかは分からんが、その時は躊躇わず妾達を倒すと良い」

 

「クク、せいぜい足掻いてみせるんだな」

 

 最後の言葉を残して異形たちは光となって消え、三つの水道橋へと吸い込まれた光は《想念の水》となって“樹”へと注がれる。

 

「…………ダーナさん。御武運を」

 

「待ってサライちゃん!」

 

 ウーラは黒装束のフードを脱ぎ、ダーナにそう言い残すとヒドゥン達と同じように光となって消える。

 そして他の者達と同じように水道橋の一つから水が溢れ、“樹”は一際大きく成長する。

 

「…………」

 

「…………で、どうするんだ嬢ちゃん?」

 

 立ち尽くすダーナにこれまで空気を読んで黙っていた男は尋ねる。

 

「……お願いします。ルトガーさん」

 

「良いのかい? “力”を受け取るって言うなら、嬢ちゃんが受け取るってのが筋だろ?」

 

「想念の力は摂理や理法とは相反するもの。私が扱う理力とは対極にあるものだと思う……

 それに私にはまだできることがあるかもしれない。だから“力”は戦う貴方達に受け取って欲しいかな」

 

「そうか……」

 

 男、ルトガーは一つ頷き、ならばと自分と同じように黙っていた少女に振り返り、促す。

 

「そういうことだ。頼めるかシオン?」

 

「はい」

 

 ルトガーの呼び掛けにシオンは頷き、手をかざして戦術殻を呼ぶ。

 

「それじゃあシオンちゃん。その戦術殻を“樹”に掲げてみて」

 

 ダーナの指示にシオンは頷き、戦術殻が光り輝く“樹”の前に差し出される。

 それを合図に“樹”は広間を満たす程の光を放ち、紫の戦術殻へと集束していく。

 戦術殻の姿は変わらなくても、その中に騎神を滅する《想念の剣》の力が宿る。

 

「《デュランダル》を《ミストルティン》として更新します」

 

 淡々とした口調でシオンは告げる。

 園を満たしていた想念の光は薄れ、それと共に“樹”は枯れ、“水”は干上がる。

 瞬く間に《セレンの園》は朽ちていく。

 先人たちが“黄昏”に対抗するために千年維持し、ダーナも希望にした存在の終わりに胸が締め付けられる。

 

「――行きましょう」

 

 後ろ髪を引かれる思いを振り払いダーナはルトガーとシオンにここの用は終わったと告げて踵を返し歩き出す。

 

「っ――」

 

 気付けばダーナは一人でそこに立っていた。

 

「これは《緋色の予知》? 何で今?」

 

 突然の予知の発動に思わずダーナは身構える。

 いつからだっただろうか。《緋色の予知》の“絶望”しか見えなくなったのは。

 こう言った事象の合間、ダーナの心が弱るその度に《緋色の予知》を見せさせられる。

 

「ここは……《セレンの園》?」

 

 緋色に染まった景色の場所は変わらない。

 既に役目を果たして終わってしまったこの場所にいったい何があるのだろうかとダーナは首を傾げて周囲を見回して振り返り――息を呑んだ。

 

「……うそ……」

 

 そこにはダーナが初めて見る《色》があった。

 《緋色》の景色を塗り潰すように広がって行く《灰色の樹》。

 枯れたはずの“涙の樹”の場所に、あの“樹”よりも小さな幻想的な結晶の“樹”。

 その根元には――

 予知から現世へと意識が戻るのもまた唐突だった。

 いつの間にか追い越されていたルトガーとシオンの二人の背中から振り返って《セレンの園》を見渡す。

 そこにあるのは役目を終えて朽ちた“樹”と荒れ果てた建築物だけ。

 

「私にも……まだ選べる未来があった……」

 

 予知を反芻してダーナは胸に込み上げてくるものを感じずにはいられなかった。

 《緋色》を侵す《灰色の予知》。

 それが何を示しているのか、数多くの予知を見て来たダーナも分からない。

 それでも――それでもダーナの瞳から涙が零れた。

 

「…………ありがとう……」

 

 誰にともなくダーナは礼を呟き、自分に望まれた役目を果たすために双剣を抜く。

 

「あの人も……私と同じ……」

 

 その存在が消されてもなお諍っている人がいる。

 自分は孤独ではないのだと、この時代に流れ着いたことをダーナは女神に感謝する。

 

「ここが……必要になる時が来る。だから――」

 

 ダーナは一呼吸で跳び、枯れた“樹”に間合いを詰めると双剣を――その根元に《焔》と《大地》の剣を突き立てた。

 

 

 

 

 

 

 



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27話 暗中

 

 

 オスギリアス盆地。

 ユミルとは山を挟んだラマ―ル州に存在する人の手が及んでいない荒野。

 そこに飛空艇に詰め込まれたユミルの郷の住人と、魔煌兵に先導されて山を踏破して辿り着いた者達は互いの無事を喜び合う。

 しかし、アルフィンはその喜びを分かち合うことはなく、艦長席に肩身を狭くして座っていた。

 

「――ですから、ここはノーザンブリアへと向かうべきかと思います」

 

 そう提案するのはユミルの警備隊として在住していたアプリリス。

 滅びるユミルから脱出できたものの、本格的な冬が始まろうとしている季節。

 ただでさえ着の身着のまま脱出した自分達には今日の食べ物にさえないのが現状である。

 例え火山の噴火や山崩れから逃れることができたとしても、このままでは寒さに凍え、飢えによって動けなくなる未来が待っている。

 その恐ろしさを誰よりも理解しているアプリリスは避難先にオスギリアス盆地から目と鼻の先にあるノーザンブリアを挙げる。

 

「だけど、ノーザンブリアに行くにはドニエプル門を超えないといけないんだろ?」

 

「いくら目と鼻の先でも、貴族連合の関所をこの人数で超えるのはちょっと難しいんじゃないかなぁ?」

 

 アプリリスの提案にスウィンとナーディアが反対意見を出す。

 

「この飛行艇にはステルス機能がついていると聞くが?」

 

「確かにそんな機能はあるけど、この人数を詰め込んで長時間の移動はお勧めしないぜ」

 

「今倒れている人の中には酸欠でとかで体調を崩している人達もいるもんねー」

 

 スウィンの答えにナーディアが付け加える。

 小さくても郷一つ分の人口を収容できる程、飛空艇は大きくない。

 

「それに今回はうまく行ったけど、操縦をミスったら詰め込んだ奴等が圧死していた可能性だってあるんだ。そう言う無茶は勘弁してくれ」

 

 そう言ってスウィンは肩を竦める。

 

「先程クラウ・ソラスに乗って外観を目視で検査しましたが、火山岩の飛沫を受けて各部に細かい損傷が多数ありました……

 航行に支障がなかったとしても一度、専門家に診てもらうことを進言します」

 

「そうなると飛行艇は導力車程度と考えた方が良いか」

 

 アルティナの報告にテオが地図に新たな情報を書き込む。

 アルフィンが何も意見を出せないまま、会議は進んでいく。

 

「《C》から連絡があったよ。《騎神》はティルフィングも含めて回収できたみたい。こっちに向かっているけど驚かないように、だって」

 

「驚かないように? どういう意味でしょう?」

 

 ナーディアの報告にアルティナが首を傾げる。

 

「こちらに向かっているのならすぐに分かるでしょう」

 

 会議室に浮かんだその疑問をテオがその一言でまとめる。

 

「私たちの現状は確認できたので、会議はひとまずここまでとしよう……

 具体的な方針はクリス君達と合流してから改めて考えよう」

 

「そうですね……《騎神》に頼れるのならできることの幅も広がりますし、別の良案も彼らにあるかもしれません」

 

 テオの提案にアプリリスも賛成し、それに異を唱える者はいなかった。

 会議はそこで終わり、テオとアプリリスは避難民の様子を見て来ると艦橋を出て行き、アルフィンはまだナーディア達がいるにも関わらず深い息を吐き出した。

 

「お疲れ様、お姫様」

 

「ナーディアさん」

 

 労いの言葉を掛けてくれるナ―ディアにアルフィンは自嘲を口にする。

 

「わたくしは本当に役立たずですね。これならエリゼと一緒に下に行っていた方が良かったのに……」

 

 意見の一つも上げられなかったことにアルフィンは自分がここにいる意味を振り返る。

 我儘を押し通して外国に避難せず弟たちと一緒に帝国に戻ったものの、アルフィンはみんなが戦い、頭を悩ませている時に何もできていなかった。

 

「これならクロスベルに残っていた方が良かったのでしょう」

 

「んーお姫様はもうギブアップだったりするの?

 この程度のこと、割とよくあることなんだけどなー」

 

「あんな事がよくあることって、信じられません」

 

「本当だよ。標的を一人殺すために大型旅客船を爆破する……

 なーちゃん達が所属していた組織だとそういうやり方をする人達もいたから」

 

 事もなげに、それこそ世間話のような気軽い口調で闇の深い話をするナ―ディアにアルフィンは息を呑み、スウィンに視線を移す。

 否定して欲しいと思った眼差しにスウィンは肩を竦めるだけで、ナーディアの言葉を否定しようとはしなかった。

 

「帝国でもこういった焼討は獅子戦役の頃に各地で起こったという記述があります」

 

 更に追い打ちを掛けるようにアルティナが歴史の話を持ち出す。

 

「そもそもあんたが下に行った所でできることなんてないし、あんたの役目は椅子に座っているのが仕事みたいなもんなんだから別に良いんだよ」

 

「スウィンさん……」

 

「それぞれが自分の役割を全うする。あんたがここにいるってだけで下の連中が暴動を起こさない一因になっているんだ。だからあんまり自分を卑下する必要はないんだ」

 

「…………ありがとうございます。スウィンさん」

 

 際限なく落ち込もうとしていたアルフィンの心は彼の言葉によって、少なからず軽くなる。

 

「むー……」

 

 成り行きで見つめ合うスウィンとアルフィンにナーディアは半眼になり、おもむろにスウィンの腕を抱き締めるように取って体を寄せる。

 

「おい、ナーディア?」

 

「残念だけど、すーちゃんは売約済みです」

 

「売約って……いきなり何言ってんだお前は?」

 

 突然のナーディアの主張にスウィンはたじろぐ。

 

「あらあら……」

 

 アルフィンはこんな状況だというのに普段と変わらない二人の様子に思わず笑みを浮かべ――艦橋にアラートの音が鳴り響いた。

 

「…………どうやら近付いて来る機影があるようです」

 

 いち早くその警報に反応したアルティナが端末を操作して報告する。

 

「っ――貴族連合の追手ですか?」

 

「……東から大型飛行艇。ですがこれは帝国で運用している飛行艇のどれともデータは一致しません」

 

「どれどれ……お? 向こうからメッセージが来ているね」

 

 アルティナに並んでナーディアも端末を操作し、相手から送られてきた伝聞をそのまま読み上げる。

 

「こちらは《C》。現在、《紅の方舟》グロリアスにてそちらに向かっている……だってさ」

 

「《C》が驚かないようにと言っていたのはこのことだったんですね」

 

 アルティナは思わず嘆息する。

 

「《紅の方舟》と言うのは分かりませんが、どうやら無事に合流できそうですね」

 

 《C》からの連絡に改めてアルフィンは安堵の息を吐き、またアラートが響く。

 

「今度は何だ?」

 

「…………西の方角から大型飛行船《ルシタニア号》……オーレリア・ルグィンの名で避難民の保護にやって来たと言っています」

 

「オーレリア・ルグィンって、たしか貴族連合の将軍だよな?」

 

「ユミルからの追手じゃなくてオルディスからの追撃かな? 避難民の保護なんて言っているけどちょっと怪しいねー」

 

 アルティナの報告にスウィンとナーディアは警戒心を強める。

 

「それから南側からもこちらに近付いてくる機影があります……これは《紅の翼》カレイジャスです」

 

「カレイジャス……まさかお兄様っ!」

 

 その報告にアルフィンは歓声を上げる。

 奇しくも詰んだ状況に陥っている彼らの下に新たな光明が示されるのだった。

 そして目立つ三つの飛行艇の接近に紛れ、一体の機甲兵が白旗を掲げてオスギリアス盆地に向かっているのに誰も気付かなかった。

 

 

 

 

 

「…………」

 

 《黄金の羅刹》は腕を組み、無言で彼女を睨む。

 

「…………」

 

 対するは顔を兜で隠した《鋼の聖女》。

 《羅刹》からの覇気を受け流し、事の成り行きを見守る様にたたずむ。

 

「セドリック! アルフィン! 二人とも無事で良かったっ!」

 

「あ、兄上……」

 

「お、お兄様……」

 

 感極まって双子の弟妹を抱き締めるオリヴァルト殿下にクリスとアルフィンは戸惑いながらも抱擁を拒むことはしなかった。

 そして――

 

「この度は私の父がとんでもないことをしでかしてしまい、申し訳ありませんでした」

 

 東方の最大の謝辞を述べる姿勢――土下座をする少女が一人。

 

「アンゼリカ殿。君が気に病むことではないだろう。顔を上げてくれたまえ」

 

「いいえ、本来なら護るべきノルティア州の一員であるユミル、あろうことかログナー家が率先して襲うなどあってはならないことですっ!

 ここは腹を切って詫びを――」

 

「アンちゃんダメーッ!」

 

「落ち着いてアンッ!」

 

 自刃しようとするアンゼリカをオリヴァルトと一緒にカレイジャスでやって来たトワとジョルジュが止める。

 

「早まらないでくださいアンゼリカ先輩」

 

 ガイウスはそれに加勢してアンゼリカを羽交い絞めにする。

 

「止めるな! 帝国貴族として、いや一人の人間として私はっ! 私はっ!」

 

 いつもの彼女ならトワに抱き着かれた時点で邪な思考に酔いしれているはずなのに、定着したイメージを振り払うアンゼリカの取り乱しように彼らはどう扱って良いか困る。

 

「しょうがないなぁ……」

 

 それを見兼ねてシャーリィが嘆息し、両腕をガイウスとジョルジュに押さえつけられるアンゼリカの背後に回る。

 

「よっと……」

 

 首に手を回して一捻り、それだけであっさりとアンゼリカの意識は落とされ静かになる。

 

「それじゃあ話し合いを始めようか」

 

 何事もなかったようにシャーリィはその場を仕切って“テスタ=ロッサ”の銃口を最初にオーレリアに向けた。

 

「貴族連合の将軍がいったい何の用? 事と次第によっては覚悟はできてるんだよね?」

 

 その場にいる者達の言葉を代弁するシャーリィの発言に緊張が高まる。

 オーレリアは銃口に気を止めず、周囲を見回す。

 遠巻きに事の成り行きを見守っているユミルからの避難民たちの手にはそれぞれ石が握られている。

 彼らが暴走していないのはテオが自制を促しているからであり、この状況下でも統制が行き届いている人望にオーレリアは感心しながら口を開く。

 

「今の私は貴族連合の将軍としてではなく、ただの個人としてこの場に来ている」

 

 そう言ってオーレリアは振り返り、ルシタニア号の入り口でオーレリアの指示を待つ私兵を顎で指す。

 

「彼らは確かにカイエン公爵家の一派だが、クロワールに従う者たちではない……

 それにこの《ルシタニア号》も所有者の名義は私だが、艦長は彼女だ」

 

 そう言ってオーレリアが指したのは《紅の方舟》の方から降りてその場にいるダーナだった。

 

「彼女のお願いに応えて、私は人員を貸し出したに過ぎん」

 

「へえ……《黄金の羅刹》が顎で使われているなんて意外だなぁ」

 

 挑発めいた言葉をオーレリアは鼻で笑う。

 

「信じる信じないは好きにすれば良い。この場で《ルシタニア号》への命令権を持っているのはダーナであり、部下も私の領地の私兵であり貴族連合とは別の扱いになっている」

 

「オーレリアさんの言っていることは本当です」

 

 オーレリアの主張を裏付けるようにダーナが付け加える。

 

「本当はゼファーさん達と私の三人で来るつもりだったんだけど、ユミルが崩落するならって《ルシタニア号》を貸してくれたんです」

 

 ダーナの言葉に一同はその飛行艇を見上げる。

 クリス達がクロスベルから乗って来た飛行艇よりも大きく、元は旅客船だったこともあり避難民を収容するのには十分な大きさを持っている。

 オーレリア・ルグィンは信じられなくても、火山の噴火の中助けに来てくれたダーナなら信じられると張り詰めた緊張の空気が弛緩する。

 もっともシャーリィは《ルシタニア号》よりもダーナの背後に控えるゼファーと呼ばれた男に意識が向いていた。

 

「ん? どうしたお嬢ちゃん?」

 

「………………」

 

 シャーリィの視線に“西の風”の意味を持つ男――ゼファーはわざとらしく笑みを浮かべる。

 

「クリス達から聞いてたけど本当に生きていたんだ《猟兵王》」

 

「おいおいさっき自己紹介しただろう。俺はゼファー・イーグレットだって、そこのダーナのパパだ」

 

「フィーに言い付けるよ?」

 

「それはやめてくださいって言いましたよね?」

 

「むぅ……」

 

 シャーリィの指摘とダーナの拒絶にゼファーもといルトガーは唸る。

 

「ま、シャーリィは別にどうでも良いんだけど、《西風》は貴族連合に雇われているんじゃないの?」

 

「一流の猟兵でも流石に死人まで駆り出すサービスは請け負っていなんでな……

 それにこっちのボスに言われて、一つ心残りができちまったんだよ」

 

「心残り?」

 

 シャーリィから見て最高の死闘を《闘神》と繰り広げた彼が何を心残りにしたのかシャーリィは興味を持つ。

 

「俺の事は今は重要じゃないだろ? ダーナの嬢ちゃんさっさと仕切ってくれよ」

 

 誤魔化してルトガーはダーナに話を振る。

 オーレリアとルトガーを経由し、改めて注目されてダーナは切り出した。

 

「私がユミルが崩壊する《緋色の予知》を見て、オーレリアさん達は御覧のように皆さんを受け入れてくれる準備を整えてくれていました……

 オルディスは貴族連合の主導者であるカイエン公爵家の領地ですが、皆さんの安全は私が必ず守ってみせます」

 

 ダーナの宣言には未だにオーレリアへの敵意は消せないものの、助かる道が見えて避難民たちの空気が軽くなる。

 

「で、羅刹の方は分かったけど聖女様は何をしにここに来たの?」

 

 シャーリィは次にアリアンロードに銃口を向ける。

 やはり彼女もまた動じることなく、理由を話し始めた。

 

「今回のユミルの崩壊は《黒の史書》の預言にあり、回避は不可能なものでした……

 しかしこれ程の規模の災害となった一因は《結社》の執行者の関与があったからに他なりません……

 その詫びと言うわけではありませんが、皆さんを安全なところへ移動する手助けのため《グロリアス》を借りて来ました」

 

 ユミルに最後まで残った騎神たちと土砂に埋もれていたティルフィングを回収したのはついでだとアリアンロードは付け加える。

 

「もっとも《ルシタニア号》があるのなら、無駄足だったようですが」

 

「連れて行く宛がないなら、そうだよね。ただノーザンブリアに避難するって言うならグロリアスの方が良いかもね?」

 

 オルディスが嫌ならば、ノーザンブリアへと避難する手はある。

 元々旅客船だった《ルシタニア号》では関所や国境警備の目を掻い潜ることはできないが、グロリアスならば問題なく避難民をノーザンブリアに届けることは可能だろう。

 

「それに――いえ、これは後で構いませんね」

 

 クリスとキーアに視線を向けて何かを言いかけてアリアンロードは首を振る。

 

「――それで……」

 

 最後にシャーリィはオリヴァルトに視線を向ける。

 

「僕は――」

 

「クリス達が心配で、貴族連合の偽物を引き摺り下ろす旗頭を引き込むことを理由に革新派を説得して押し通して来たってところかな?」

 

 シャーリィの推測にオリヴァルトは思わず言葉を止める。

 

「いや、その通りだが言い訳をさせてもらうと僕達がセントアークを発った時にはユミルはまだ知らなかったのだよ」

 

「移動距離を考えたらそんなものか……」

 

 オリヴァルトの言い訳にシャーリィは頷く。

 《緋色の予知》に《黒の預言》。この二つを理由に動いていたダーナとアリアンロードが特別であってオリヴァルトが情報で出遅れてしまうのはある意味仕方のないことでもある。

 

「ですが、テオ殿。帝国正規軍で貴方達を保護することは可能です」

 

 オリヴァルトはテオに向き直り提案する。

 現在、セントアークに集結した正規軍はオルディスとヘイムダル間の補給線を分断するために北上している。

 

「テオ殿、貴方には貴族連合――ゲルハルト・ログナーに弟のハイデル・ログナーを謀殺したという嫌疑が掛けられています」

 

「そんなっ! ハイデル卿はまだ生きているのに!」

 

 オリヴァルトがもたらした情報にクリスが憤る。

 

「ええ、僕もそれが濡れ衣だと分かっています……

 ですがオーレリア将軍の庇護下に入るにしても、ノーザンブリアへ避難するにしても貴族連合がどんな無茶をするか分からないので絶対の安全は保障できないでしょう」

 

「ほう、だが正規軍で保護したとしても平民たちが貴族であるシュバルツァー卿を受け入れるのかな?」

 

 オリヴァルトの主張に対してオーレリアが負けじと言い返す。

 

「ええ、僕達の目の届かない所で不当な私刑が行われる可能性は否定できないでしょう……

 なのでテオ殿、リベールに亡命する気はありませんか?」

 

「亡命……ですか?」

 

「ええ、幸いリベール王国には僕の伝手がありましてね、セントアークに残っていた貴族も安全のため同じ理由でリベールへ亡命しなくてもパルム方面まで避難してもらっています」

 

 加えて貴族連合がテオを確保しようとしてもセントアークで正規軍が盾となることができるため、追手から彼らを守ることができる。

 

「…………こんなにも早く駆け付けてくれた貴方達が本気で私たちを守ろうとしてくれていることに感謝します」

 

 降って湧いた三つの道に、詰んでいると思っていた状況が開けたことにテオは安堵を感じながら感謝を言葉にする。

 

「ですが、事はあまりに大きく重要です。話し合う時間を頂けないでしょうか?」

 

 本当なら少しでも早く安住の地へと移動しなければいけないのだが、即断するには重い選択だった。

 それに加えてユミルから脱出して今に至るまで動き続けていたテオも疲労が限界でもあり、正常な判断ができる自信はなかった。

 

「ああ、構わん。食事などはこちらが提供しよう。希望者がいるのなら《ルシタニア号》の客室を使うと良い」

 

「では、こちらは周辺の安全に尽力するとしましょう」

 

 オーレリアの提案に続いて、アリアンロードもまた提案する。

 

「デュバリィ、エンネア、アイネス」

 

「こちらに」

 

 アリアンロードが名を呼ぶと、いつの間にか彼女の背後に鉄機隊が膝を着いて彼女の命を待つ姿勢を取っていた。

 

「今から一昼夜、魔獣を一匹たりともこの場所に近づけないようにしてください」

 

「はっ」

 

 三人を代表してデュバリィが短く答えると、彼女たちはオスギリアス盆地の三方へと散って行く。

 

「ふむ……何も用意していない僕達は何もできないが……ならばっ!」

 

 オーレリアとアリアンロードがそれぞれ必要な支援をしているのに対抗しようとオリヴァルトは何処からともなくリュートを取り出し――

 

「傷付き、疲れた者達を癒すためにこのオリヴァルト・ライゼ・アルノールが一曲歌わせて――」

 

「やめて下さい、兄上」

 

「空気を読んでください、お兄様」

 

 オリヴァルトの善意の演奏は双子の弟妹の辛辣な言葉によって止められるのだった。

 

 

 

 

 

 夜が更ける。

 本格的な冬が始まった季節でもあり、肌寒さを感じる空気の中、クリスは難民キャンプから離れた場所に置いた《騎神》達を見上げた。

 

「はは……壮観だな」

 

 《緋の騎神》と《灰の騎神》に加えて《銀の騎神》。

 それ以外にも《桃色の機甲兵》に《翠の機神》。そして鳥の翼を持つ《魔煌兵》。

 その内の四機は見るからにボロボロだったが、巨人が立ち並ぶ光景に不思議な高揚を感じずにはいられない。

 だがそんな高揚からクリスは現実を見つめ直して拳を強く握り締める。

 

「また……僕は守れなかった……」

 

 ケルディックに続き、己の無力さを改めて意識せずにはいられなかった。

 予知や預言があったから、ユミルが滅ぶことは決定事項だった。

 そう言われてすぐに割り切れるはずもなく、クリスの中には黒い感情がくすぶる。

 

「結局、僕は無力なお飾りの皇子のままなのかな?」

 

 予知の範疇外のところではシャロンを助けることはできたはずだった。

 イリーナに続きシャロンを失い、ユミルを破壊したのが自分が開発した武器だったと知らされ、塞ぎ込んでいるアリサに慰めなければいけないと分かっていても、クリスにはそんな余裕はなかった。

 むしろ今、彼女と顔を合わせてしまえば黒い衝動に任せて心にもないことを口走ってしまいそうな気がしてならなかった。

 

「ダメだな。やっぱり僕はあの人みたいになれないか……」

 

 思わず自嘲する。

 分かり切っていたことだが、自分の何もかもが“彼”に劣っていると自覚する。

 “彼”ならば、例え預言があったとしてもユミルを守れただろう。

 “彼”ならば、憎しみに駆られることなく、クロウや帝国解放戦線を打倒していただろう。

 “彼”ならば、この内戦をもっと早く平定させることができただろう。

 考えれば考える程、ここにいるのが自分ではなく“彼”だったら良かったのに、と思ってします。

 

「あ……」

 

 思考に耽っていると背後で声が聞こえて来た。

 誰が、と思って振り返るとそこにはキーアがいた。

 

「何をしているんだい? 明日は早いんだからもう休まないと」

 

「うん……それは分かっているんだけど……」

 

 居心地が悪そうにキーアは頷く。

 しかし踵を返して寝床に戻ろうとはせず、クリスの横に立ってヴァリマールを見上げた。

 キーアに夜更かしをさせたと知られたら、ロイド達にどんな小言を言われるかと場違いなことを考えながらクリスも改めてテスタ=ロッサを見上げる。

 無言のまま、互いの乗騎を見上げて思案に耽る。

 そして長い沈黙を破ったのはキーアだった。

 

「キーアは……弱いね……」

 

「ああ……僕も弱い……」

 

 キーアの呟きにクリスは共感して頷く。

 

「《騎神》の力を十全に使いこなせれば預言の強制力だって跳ね除けることができるはずなんだ。あの人がそうして来たみたいに」

 

「そうなの?」

 

「ああ、帝都での暗黒竜から始まったエンド・オブ・ヴァーミリオンとの戦いやノーザンブリアでのデミウルゴスとの戦いとか……

 それこそ天変地異とも言える異変をあの人は何度も跳ねのけて見せたんだ」

 

「ノーザンブリア……デミウルゴス……え……?」

 

 クリスが悔し気にもらした言葉にキーアは自分の耳を疑う。

 

「ノーザンブリアでデミウルゴスと戦ったの?」

 

「え……ああ、情報統制されていたから君は知らないのも無理ないか」

 

 キーアの反応に苦笑をしてクリスは《彼》の偉業を語り出した。

 クリスは堰を切ったように饒舌に語り出し、ついでに《Rの軌跡》をキーアに布教する。

 キーアは戸惑いながらも、後で読んでみるとその本を受け取る。

 クリスはトールズ士官学院に一年早く入学した経緯を話しながら、帝都での騎神戦の激しさを熱く解説する。

 キーアはヴァリマールや“彼”の活躍に熱心に耳を傾けて、相槌を打つ。

 クリスは続けてノーザンブリアでの特別実習の武勇伝を誇らしげに語りつつ、《塩の杭》の錬成とそれを利用して顕現した《幻の至宝》の事を話す。

 キーアはその話を聞いて頭を抱えた。

 

「超帝国人、こわい……」

 

 自分が誰に喧嘩を売っていたのか、自分がどれだけ思い上がっていたのか理解してキーアは震える。

 

「そんな大げさな……そう言えばキーアってどことなくナユタちゃんに似ているような……」

 

「ナユタって誰!?」

 

「誰って……さっき言っていた二代目《幻の至宝》のことだよ」

 

「――――っ」

 

 事も無げに告げられた事実にキーアは言葉を失う。

 クリスはキーアのことを《零の至宝》としてしか認識していないが、《幻の至宝》とはそれこそ《零の至宝》の原形とも言える存在。

 いつの間にか存在していた自分の姉妹という存在にキーアは驚きながら、《零の至宝》の錬成が二番煎じになっていたことに超帝国人の偉大さを思い知らされる。

 

「超帝国人、こわい」

 

 キーアは繰り返す。

 そんなキーアにクリスは首を傾げつつ、空を見上げて別のことを呟く。

 

「そう言えば、兄上も覚えていなかったな……」

 

 キーアに渡した《Rの軌跡》の一巻のこともあり、もしかしたらと思って尋ねてみたが返って来た答えは予想通りのものだった。

 《Rの軌跡》はオリヴァルトがお忍びでリベールを旅した時の物語。

 主人公とオリヴァルトの違いについて、彼も首を傾げていたが物語を脚色する程度のアレンジと言う認識程度で違和感から不自然に気を逸らしているような言動をしていた。

 

「何だろう……この気持ちは……」

 

 “彼”と兄の間には特別な絆、信頼関係があったはずなのに脆くも崩れてしまったことに複雑な気持ちを抱く。

 それが因果を自在に紡ぐ《黒》の力だと分かっているのだが、特別だと思っていた兄が普通でしかなかったことに気付いてしまった。

 兄を尊敬する気持ちが消えたわけではないのだが、虚脱感のような失望を抱かずにはいられない。

 

「僕がしっかりしないと……」

 

 《黒》に対抗できるのは《騎神》に選ばれた起動者のみ。

 その事実を改めて認識したクリスは決意を新たにする。

 

「ここにいましたか」

 

 そんな二人の背中に清廉な声が掛けられた。

 

「っ――」

 

「あ……」

 

「お久しぶりです、御子殿。それにアルノールの子も」

 

 兜を脇に抱えたアリアンロードは静かに一礼して二人に歩み寄る。

 

「壮健そうで何よりです御子殿、いえキーアと呼ぶべきですかね」

 

「うん……ありがとう」

 

 アリアンロードの言葉にキーアは複雑な声で礼を返す。

 

「……どうやらヴァリマールの力を借りて半分《不死者》となっているようですね……

 それこそ《彼》と同じような状態というわけですか」

 

 キーアの状態を見て、アリアンロードは短命であったはずのキーアがまだ生きている理由を察する。

 《灰の騎神》の起動者がキーアにすり替わったことに思う所がないわけではないが、アリアンロードは不満の言葉を呑み込む。

 

「それにしても随分と派手に壊しましたね」

 

 傷付いた騎神達を見上げて、その惨状にアリアンロードは嘆息する。

 

「だから何だって言うんですか?」

 

 《テスタ=ロッサ》の損傷の大半は貴女のせいだという言葉を呑み込んでクリスは憮然とした言葉を返す。

 

「彼らを直す当てはあるのですか?」

 

「それは……」

 

「ないのならイストミア大森林に行くと良いでしょう」

 

「イストミア大森林……ってどこ?」

 

 アリアンロードから出て来た地名にキーアはクリスを振り返る。

 

「サザーランド州、セントアークの西にある森のことだよ……そこにいったい何があるって言うんですか?」

 

「イストミア大森林は魔女の隠れ里があります……

 傷付いた《騎神》を修復するならば帝国の中でももっとも適した霊場でしょう」

 

「魔女の隠れ里……それってエマの故郷ですよね? 貴女がそれを教えても良いんですか?」

 

「良いですかアルノールの子……

 魔女の自主性に任せてしまえば、彼女たちは事態が取り返しのつかない段階になるまでその重い口を開くことはありません」

 

 断言する言葉には有無を言わせない実感が籠っていた。

 その迫力にクリスとキーアは思わず唾を飲む。

 

「よ、用件はそれだけですか?」

 

 イストミア大森林のことは改めてエマに尋ねてから決めようと考え、クリスは話を切り上げようとする。

 

「いえ、これからが本題です。アルノールの子、どうやら武装デバイスの選択がまだのようですね」

 

「《テスタ=ロッサ》には“千の武具”があります。必要ないでしょう」」

 

 先程のクロウとの戦いでの横槍を入れられたことを思い出しながら、クリスは子供じみた反抗心からぞんざいな言葉を返す。

 

「それで《蒼》に勝てると考えているのなら甘い」

 

 クリスの答えにアリアンロードははっきりと断言する。

 

「詳しく語ることはできませんが、エンド・オブ・ヴァーミリオンを使いこなせない貴方では勝ち目はないでしょう」

 

「っ――」

 

 想定される《蒼の王》がどれだけの力を持っているか分からないが、合体パーツの一つに過ぎないゴライアスの絶対防御を抜くことに四苦八苦していただけにその指摘に反論できなかった。

 

「そんなのやってみなければ分からないだろ!」

 

 語気を荒くしてクリスは反発する。

 

「それとも敵である貴女が武装デバイスを恵んでくれるとでも言うんですか?」

 

「はい、そのために私はここに来ました」

 

 クリスの言葉にアリアンロードはあっさりと頷く。

 

「え……?」

 

「アルグレオン」

 

 アリアンロードの呼ぶ声に《銀》は立ち上がり、背負っていた布包みを手に取ると音もなく大地に突き立てた。

 

「これは……剣……?」

 

「剣だけど……」

 

 巻かれた布が取り払われ、露わになった中身にクリスとキーアは困惑する。

 それは鍔も柄もない、かろうじて“剣”の形を取っている鋼の棒。

 

「ええ、《鋼の剣》です」

 

 クリスとキーアの困惑を他所にアリアンロードは彼らが漏らした呟きを肯定する。

 

「これを貴方に譲りましょう。今の私よりも貴方が持つことの方が相応しいでしょう」

 

「…………」

 

 アリアンロードの施しにクリスは顔をしかめる。

 《鋼の聖女》にして《槍の聖女》だった彼女が差し出した《鋼の剣》。

 自分を象徴する《鋼》に、彼女の本領は《槍》なのに《剣》。

 これ見よがしな御下がりの施しはクリスの自尊心を逆撫でするには十分だった。

 

「っ――馬鹿にするなっ!」

 

 クリスの叫びに呼応して、《テスタ=ロッサ》が立ち上がって差し出された《鋼の剣》を払い除ける。

 

「クリスッ!? ヴァリマールッ!」

 

 クリスの突然の凶行にキーアは驚きながらも“彼”を呼ぶ。

 

「応っ!」

 

 ヴァリマールは返事をしながら、払い除けられた《鋼の剣》を空中で受け止め、夜の静寂を守る。

 ヴァリマールのファインプレイにほっと胸を撫で下ろしているキーアを他所にクリスはアリアンロードを睨んで叫ぶ。

 

「何が《鋼の剣》だっ!? お前の力なんているもんか!」

 

「ですが――」

 

「クロウなんて僕の力だけで倒してみせるっ!」

 

 一方的に叫んでクリスは踵を返し――

 

「クリスッ! この《剣》は――」

 

 駆け出そうとしたクリスの背をキーアが呼び止める。

 

「いらないって言っているだろっ!」

 

「でも――」

 

「っ――それなら君が使えば良いじゃないか! とにかく僕は《鋼の聖女》の施しなんて受け取らないからなっ!」

 

 そう言い捨てるとクリスは今度こそその場から駆け出した。

 

「えっと……」

 

 ヴァリマールの手の中にある《鋼の剣》と《鋼の聖女》を交互に見比べてキーアは困り果てる。

 

「あの……」

 

「…………そうですね。もし貴女が良ければその《剣》を受け取ってもらえますか?」

 

 何故とクリスがあれ程の反発したのか首を傾げつつ、アリアンロードはキーアに向き直り提案する。

 

「でも……この《剣》はあの時、貴女とあの人がぶつかり合ってできたものだよね?」

 

 それこそ自分が持って良いものではないとキーアはヴァリマールに《鋼の剣》を差し出させる。

 

「貴女が気に病む必要はありません。責められるは貴女の状況を利用した我々《結社》が負うべきもの」

 

「でも――」

 

「それでも納得できないのなら強くなりなさい」

 

 渋るキーアにアリアンロードは優しい口調で諭す。

 

「自分の弱さを認め、《剣》に相応しくないと思うのなら相応しいと思えるように強くなりなさい……

 そして貴女の手でその《剣》を“彼”に返して上げてください」

 

 それに“零の気”を《鋼の剣》に帯びさせることができたのなら、という思考をアリアンロードは胸に秘める。

 

「それじゃああなたはどうするの? これは《黒》との戦いに必要なんでしょ?」

 

「必要ありません」

 

「でも――」

 

「あの戦いで私は新たな境地を見出すことができました。それをモノにするためにもその《鋼の剣》は重荷でしかありません」

 

 そう言ってアリアンロードは踵を返し、《銀》は無言でその場に膝を着く。

 一人残されたキーアはヴァリマールの手に残された《鋼の剣》を見上げて途方に暮れるのだった。

 

 

 

 

 

 

 








 後日譚その1
ダーナ
「キーアちゃん、その《剣》見せてもらえる?」

キーア
「え……? はい、どうぞ」

ダーナ
「ありがとう……《焔》と《大地》の器を錬成した《鋼の剣》。本当にできるなんて……」

クリス
「……………………」

キーア
「えっと……やっぱりクリスが使う?」

クリス
「て、帝国男児に二言はない……ぐぬぬ……」





 後日譚その2
アプリリス
「このような時に提案するのは皇子達に心苦しいのですが……」

オリヴァルト
「おや、どうしたんだいアプリリス君?」

アプリリス
「実はハリアスク広場にヴァリマールと《超帝国人》の像を造らせて頂きたいんです」

オリヴァルト
「《超帝国人》の像だって?」

アプリリス
「ええ、帝国にノーザンブリアを救って頂いた恩を忘れないために、形あるものを残そうと考えた次第です」

オリヴァルト
「それにしたってどうして《超帝国人》なんだい?
 あれは確かに帝国史に残る伝説的な存在だがそんなものを造ろうものなら貴族派がうるさくなると――」

クリス
「アプリリスさんっ! 是非造ってくださいっ!」

オリヴァルト
「セドリック?」

クリス
「例え兄上だろうとこれは譲れません。いえ、父上やオズボーン宰相が異議を唱えたとしても僕が必ず認めさせますっ!」

オリヴァルト
「セドリックが燃えている……くっ……こんなに成長したとは……」





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28話 サザーランド州攻防戦

 

 

 

「来たか……」

 

 ドレックノール要塞に近い防衛線でウォレスは《機甲兵》ヘクトルの中で思わず笑みを浮かべる。

 

「いかんな」

 

 誰にも見られていないにも関わらず、ウォレスは口元を手で隠し高揚を落ち着かせようと深呼吸をする。

 そもそもウォレスは今回の決起にはあまり乗り気ではなかった。

 既存の兵器とは根本的に異なる最新鋭の導力兵器。

 技術的なアドバンテージを持ち、クロスベルの暴挙が引き起こした国難を利用して革新派の総大将であるであるオズボーン宰相を討ち取り圧倒的なアドバンテージを貴族連合は得ることができた。

 公平な戦場などないことはウォレスも重々承知しているが、あまりにも有利過ぎる戦場に武人として不満を抱いている者はウォレスだけではない。

 もっとも貴族連合の中でもウォレスのような気概を持つ者は少数派でしかなく、その一方的な蹂躙を楽しんでいた者達の方が大多数だった。

 

「しかし、それで足元を掬われていては仕方がないな」

 

 呆れることにセントアークを奪われたのは気が早く祝杯を挙げたハイアームズ直下の貴族達が原因だった。

 当主がヘイムダルへ赴いていたこともあり、誰も止める者はおらず、市民と正規軍が結託してセントアークは陥落した。

 そして落ち延びたその貴族は恥知らずにも後方でふんぞり返ってセントアーク奪還をウォレスに指示した。

 自分も部下の兵も士気は低かった。

 しかし――

 

「――来たか」

 

 見えた敵軍の先頭を走る《琥珀の機神》にウォレスはもう一度笑みを浮かべる。

 二つの《騎神》を元に学生が作り出した《機甲兵》とは似て非なる機械人形。

 両肩の下に設置された大型の導力砲に近接武器としてビームザンバー。

 一見すれば《機甲兵》の中でも重装甲なヘクトルよりも鈍重な機体に見えるが、あらゆる面でヘクトルを凌駕している。

 

「まさか戦車相手に無双したことをやり返されるとはな」

 

 一度はセントアークを目前にした侵攻は突如現れた《琥珀の機神》によって撤退を余儀なくされた。

 強いて欠点を上げるなら操縦者が戦闘の達人ではないこと。

 しかし、それでも彼は一戦一戦、正規軍の助けも借りてついには防衛線を押し返すにまで至った。

 

「ふ……貫禄が出て来たじゃないか」

 

 《琥珀の機神》に随伴しているのは機甲兵の半分の大きさの機械人形、《紅の翼》の戦力であるトロイメライと言う無人機が二体。

 それに加えて鹵獲され、色を塗り替えられたドラッケンが数体と戦車。

 まさに一丸となって正規軍を従える姿は彼の父親を想起させる。

 

「これではオーレリア将軍のことをとやかく言えないか」

 

 自嘲しながらウォレスは部下を鼓舞する言葉を叫びながらヘクトルを発進させる。

 相手が先日のこちらの攻撃と同じならばドラッケンには《剛撃》のナイトハルトと《光の剣匠》のヴィクター・S・アルゼイドが乗っている。

 どちらも魅力的な敵だが、それよりも今のウォレスには《琥珀の機神》に意識を集中する。

 

「今日こそ、お前を倒すっ!」

 

「やってみろ! エリオット・クレイグッ!」

 

 全回線に向けて叫ばれた通信機からの少年の叫びにウォレスは望むところだと返す。

 完成された武人との緊張感のある読み合いも良いが、剥き出しの敵意をがむしゃらにぶつけて来る敵もまた違った意味で気持ちを高揚させてくれる。

 機甲兵《ヘクトル》の“黒旋風”の槍が、機神《ティルフィング》のビームザンバーがぶつかり合い、サザーランド州の何度目かになる攻防戦の火蓋が切られた。

 

 

 

 

 

「どういうことですか! 父さんっ!」

 

 セントアークの鉄道憲兵隊の詰め所。

 マキアスは執務机を叩いて抗議の声を父、カール・レーグニッツにぶつける。

 突然部屋に入って来て怒鳴り散らした息子にカールは肩を竦めて読んでいた書類を執務机に置く。

 

「それでは分からん。何が言いたいマキアス?」

 

 落ち着いたカールの物腰に激昂したマキアスは怯みながら先程渡された辞令書を突き付ける。

 

「僕に避難民を連れてパルム、リベールへ行けってどういうことだって聞いているんだ!?」

 

 ドレックノール要塞攻略侵攻作戦に出発するエリオットに同行するつもりだったマキアスに突然下された辞令。

 おかげで戦場に行く学友を見送ることしかできなかった。

 

「何を言うかと思えば、辞令はそのままの意味だ。お前には戻って来るオリヴァルト殿下が連れて来る避難民の誘導をしてもらう」

 

「だからどうして僕が!? ドレックノール要塞攻略を目前に控えた今、僕だけ後方に回されるなんて納得できない!」

 

「どうしても何も、これまでの作戦でもお前は後方支援ばかりだったじゃないか」

 

「それは僕が乗れる《ティルフィング》がないから……」

 

 士官学院でマキアスが搭乗していたのはエリオットと同じ《琥珀》のティルフィング。

 エリオットが使えば、必然的にマキアスは乗れなくなるのは自明の理だった。

 

「だが鹵獲した《機甲兵》に乗ろうともしていないのだろ?」

 

「それは……」

 

 カールの指摘にマキアスは口ごもる。

 鹵獲した《機甲兵》は少なく、ナイトハルトやヴィクターが乗ると言われてしまえばマキアスでなくても自分が乗りたいとは口にできるわけがない。

 もっともカールはマキアスの沈黙を別の意味で捉えて、ため息を吐く。

 

「今ではエリオット君は正規軍にとって貴族連合に対抗できる“希望の星”だ……

 彼の意志もそうだが、亡くなられたクレイグ中将の仇討ちを掲げる彼を支持する者は正規軍に多い」

 

 セントアークの街にまで侵攻され目の前でエリオットに命を救われたカールだからこそ、正規軍や今のセントアークの民がエリオットに掛ける期待の重さが理解できる。

 

「これまでは市民からの志願兵を募っていたが、分断された正規軍や憲兵隊が合流できている……

 人員不足が解消されたのなら、お前のような民間人の志願兵は随時後方に回ってもらうつもりだ」

 

 そこに親として息子の安全を考える気持ちがないとは言い切れないが、それでもカールの言葉には筋が通っていた。

 

「でも僕は士官学院生で……」

 

「例え士官候補生でもお前はまだ民間人だ」

 

 いくら言葉を重ねてもカールはマキアスの主張を全て正面から言い返す。

 自分よりも弁が立つ相手にトールズ士官学院では経験することのなかった――否、経験はあっても貴族の言葉だからと耳を塞いできたマキアスがカールに勝てる道理はない。

 

「どうして……あと少しで……あと少しで貴族を倒せるのに」

 

 言い負かされ俯いたマキアスが絞り出した言葉にカールはやはりと彼が抱える闇を感じ取る。

 

「それも理由だ。今のお前は降伏した貴族を撃ち殺しかねん」

 

「っ――父さんは奴等が憎くないのか!?」

 

 何処までも冷静に、それこそトールズ士官学院から脱出しセントアークで再会を果たしてからも変わらない父の態度にマキアスは激昂する。

 

「オズボーン宰相が暗殺されてっ! 

 貴族はあろうことか皇族を“保護”したと宣って、宰相閣下を狙撃した罪をオリヴァルト殿下に擦り付けて僕達を逆賊扱い!

 父さんだってあのセドリックが偽物だと言う事くらい分かっているはずだろっ!?」

 

 捲し立てるマキアスに対してカールは変わらない落ち着いた態度で言葉を返す。

 

「彼らがどれだけ罪深かったとしても、私たちが憎悪に任せて人を裁いてはいけないんだ」

 

「っ――」

 

 日和見な発言にマキアスはこれまで蓄積させていた父への感情を爆発させる。

 

「貴方はいつもそうだっ!」

 

「マキアス?」

 

「姉さんが自殺した時も……」

 

 あの頃から父は何も変わっていない。

 多くを語らず仕事に没頭することで貴族への恨みを誤魔化す。

 それともあれだけの事件だったのに、恨みを一欠けらも感じない冷淡な人間だったのか。

 もはや父がどんな人間なのかマキアスには分からない。

 

「マキアス。今ここで貴族連合と戦ってしまえば互いを滅ぼすまで止まれない戦争になる。それだけは避けなければいけないんだ」

 

「だからって貴族がしたことを許すって言うのか!?」

 

 盟友であるオズボーン宰相を暗殺されたにも関わらず、普段と変わらず自分の仕事に徹するカールの在り方にマキアスは失望する。

 

「ここにいるのがオズボーン宰相なら、この貴族の暴挙に毅然と言い返して、とっくに貴族を倒して帝国を平定していたでしょうね」

 

 それだけ吐き捨ててマキアスはカールに背を向ける。

 

「マキアスッ!」

 

 自分を呼ぶ声を無視してマキアスは執務室のドアを開け放つ。

 

「マキアスッ! 私は――私たちはオズボーン宰相になんてなれない!」

 

 父の叫びにマキアスはドアを開いた姿勢のまま固まる。

 

「私も、お前もオズボーン宰相やエリオット君達とは違うただの凡人だ」

 

「っ――」

 

 諭すような言葉。

 それが言い訳のように聞こえ、マキアスはただ歯を食いしばって部屋から出て、力任せにドアを閉めた。

 

 

 

 

 

「くそっ……」

 

 肩を怒らせてマキアスは歩く。

 その胸中には言葉では言い表せない激情が渦巻いていた。

 

「くそ……」

 

 思えばどこで差がついてしまったのだろうか。

 セントアークの街の中まで《機甲兵》に侵入され、接収した正規軍の重鎮が集まる拠点となっていたハイアームズ邸まで攻め込まれた時、マキアスとエリオットの前に《ティルフィング》を匣詰めされた戦術殻が現れた。

 街中にも関わらず行われた正規軍と貴族連合の戦闘の混乱の中、突如として現れた《機甲兵》に諍える力を前にしてマキアスは固まり、エリオットは躊躇することなく乗り込み、彼は“英雄”となった。

 

「あの時、僕がエリオットより早く踏み出せていたら……」

 

 矢面に立って戦うエリオットを支持する正規軍人は多い。

 今は亡きオーラフ・クレイグ中将の息子だと言う事もあり、文官でしかないカール・レーグニッツの息子なんかよりも軍人受けが良い。

 気付けば自分もテストパイロットだったはずの《ティルフィングY》はエリオットの専用機という認識が広まっていた。

 

「奴等は……倒して良い貴族なのに……」

 

 Ⅶ組の経験を経て、貴族の中にもちゃんと尊敬できる者がいることをマキアスは知った。

 現に正規軍には《光の剣匠》のアルゼイド子爵が協力してくれている。

 だがしかし、やはり帝国にはそうではない貴族の方が多かった。

 

「くそっ」

 

 毒づいてもマキアスには既に出陣してしまったエリオット達に追い付ける手段はない。

 大義名分を掲げて貴族を撃てる機会を目前にして取り上げられたマキアスは行き場のない衝動をぶつけるように壁を叩く。

 

「ふむ、荒れているな少年」

 

「っ――」

 

 誰もいないと思っていた所に掛けられた声にマキアスは驚き振り返る。

 

「なっ!?」

 

 そこにいた人物にマキアスは二重の意味で驚く。

 

「だ、誰だあんたは!?」

 

 そこにいたのは一言で表現するなら変質者だった。

 長袖のトレンチコートを着込み、顔には頭まで覆い隠す紅毛の鬣をつけた獅子のマスクを被り顔を隠した男が腕を組んで仁王立ちしていた。

 

「私の事は“紅獅子”もしくは“レオマスク”と呼ぶが良い」

 

「は……はぁ……」

 

 堂々とした名乗りにマキアスは返答に頭を悩ませる。

 そんなマキアスの戸惑いを見透かして“紅獅子”は挨拶を切り上げて本題に入る。

 

「マキアス・レーグニッツ。君に頼みがある」

 

「僕に頼み?」

 

 不審者の言葉にも関わらず、マキアスは誰かを呼ぶために叫ぶことを忘れ、彼の言葉に聞き入ってしまった。

 

 

 

 



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29話 束の間の葛藤

 

 

 

 

「それじゃあこれからの方針を話そうと思う」

 

 カレイジャスの作戦室においてクリスは仲間たちを見回して話し合いを始める。

 

「ひとまず僕はセントアークに着いたらイストミア大森林、エマの故郷である《魔女の里》に《騎神》の傷を癒すために行くつもりなんだけど良いよね」

 

「ちょっと待ってください」

 

 クリスの提案にさっそくエマは待ったを掛ける。

 

「どうしてクリスさんがエリンのことを知っているんですか?」

 

「それは……《鋼の聖女》が教えてくれた」

 

「っ――あの女は……」

 

 クリスの答えにセリーヌが顔をしかめてため息を吐く。

 

「まあ良いわ。エリンのことはエステルとヨシュアの二人にも話してあるから、もう黙っていてもあまり意味はないしね」

 

「え……セリーヌ!?」

 

 そんなこと聞いてないと使い魔から告げられた言葉にエマは自分の耳を疑う。

 自分よりも融通が利かないと思っていた使い魔の変化にエマは複雑な気持ちになる。

 とは言え、損傷が激しい《騎神》を直さなければいけないという案に異論を挟むこともできず、エマは口を噤む。

 

「それで大勢で《魔女の里》を訪ねるのはエマ達にとっても本意じゃないだろうから、僕とキーアの二人で――」

 

「三人よ」

 

 クリスの言葉を遮って、セリーヌが訂正する。

 

「三人?」

 

「ええ、大破した《騎神》は三体。そうよね?」

 

 そう言ってセリーヌはクリスでもキーアでもない人物に振り返った。

 その人物はセリーヌの視線に応えようとしなかった。

 

「アンタよアンタ、《金の起動者》ルーファス・アルバレア」

 

 カマかけだと思われたのか、誤魔化そうとする《C》にセリーヌは半眼になってその正体を口にする。

 

「え……ルーファスさん……?」

 

「《金の起動者》?」

 

 セリーヌの指摘にクリスとエマは揃って首を傾げる。

 ルーファスはクロスベルの総督として、自分達を送り出した。

 クリスに至ってはすぐに仮面の下の正体を確かめたのだが、髪の色も違えば、左腕が動かなくなっているルーファスとは違い五体満足の人物であり別人だと納得していた。

 エマは先の戦闘で《緋》と《灰》、それに桃色の機甲兵しか見ておらず、《金》の姿がなかったことに首を傾げる。

 

「……やれやれ、こうも早くバレてしまうとはね」

 

 《C》は肩を竦めて、頭を覆い隠した仮面に手を掛けて、脱ぐ。

 その下から出て来た顔はクリスが以前に見た者とは違っていた。

 

「なっ――!?」

 

「クロスベルにいるはずじゃ……」

 

 金色の髪に整った顔立ちの貴公子。

 セリーヌが言った通り、ルーファス・アルバレアがそこにはいた。

 

「参考までに教えてもらえるかな? どうして私だと分かったのかな?」

 

「犬程じゃないけど、あたしだっての鼻が利くのよ。それに……」

 

「それに?」

 

「ヴァリマールと一緒にあれだけの大立ち回りをしていたのよ。隠す気なんてなかったんじゃないかしら?」

 

「私としてもあそこで目立つことは不本意だったさ」

 

 セリーヌの指摘にルーファスは自嘲する笑みを浮かべる。

 

「ちょっと待ってください。どうしてルーファス教官が《C》になっているんですか?

 あの時確かめた人は? それにクロスベルにいるルーファスさんは? その左腕はだって動かないはずじゃなかったんですか?」

 

 我に返ってクリスはルーファスに質問を重ねる。

 

「順に応えよう……

 君に見せた顔は予め変装していたものだよ。髪の色は染め、照明を薄暗くしていたこともあってうまく誤魔化せたようで何よりだ」

 

「なっ……」

 

「クロスベルにいるルーファスは逆に私の変装をしてもらった影武者だ……

 クレア君とレクター君にはちょっとした取引をしてもらって協力してもらったのだよ」

 

「《鉄血の子供》の二人を丸め込むなんて、何をしたんですかね?」

 

「ふふ、それは御想像にお任せするよ」

 

 サラの疑問をルーファスは軽く流し、最後にルーファスは動かないはずの左腕に視線を落とす。

 左腕の負傷は彼がアルバレア公爵家から廃嫡された理由。

 いったいいつから完治していたのか、何故治っているのにクロスベルに左遷されたことを甘んじて受け入れていたのか。

 クリスは様々な可能性を考えながら答えを促す。

 

「その左腕はいつから完治していたんですか?」

 

「完治などしていないよ」

 

「え……でも……」

 

「そもそも最初から動かせなくなっていたのは嘘なのだから」

 

「…………うそ……?」

 

「おや、君は気付いていなかったのかな? 《彼》はすぐに気付いていたのに」

 

「っ……」

 

 揶揄う言葉にクリスは思わず言葉を呑み込む。

 

「やっぱり腹黒……」

 

「まっ……俺達を士官学院に雇い入れる理由作りになっていたから文句はないけどな」

 

 ナーディアとスウィンは《C》の正体も左腕のことも知っていたかのような態度にクリスは顔をしかめる。

 

「そのことでユーシスがどれだけ気をもんでいたのか、貴方は知っていたはずだ」

 

「それはアルバレア家の問題であって君が気にすることではない」

 

 クリスの指摘をあっさりと聞き流すルーファスにクリスはさらに顔をしかめる。

 

「いったいどうして貴方が僕達について来たんですか?

 左腕の負傷が嘘だと言うなら、まだ貴族連合と繋がっていると言う事なんですか?」

 

 クリスの言葉に艦橋の空気が張り詰める。

 

「安心したまえ、私がアルバレア家を廃嫡されたことは紛れもない事実……

 内戦に介入しようとしているのは極めて個人的な理由からだ」

 

「個人的な理由?」

 

「君も《彼》に起動者の本当の戦いの事がいつ起こるのか、教えてもらっただろう?」

 

「それは……」

 

「もはや槍さえ不要の境地に至っている《聖女》にこれ以上差を付けられないためにも、この内戦で私は《騎神》の力を試したいのだよ……

 そしてこれは君も他人事ではないはずだ」

 

「…………」

 

 ルーファスの指摘にクリスは押し黙る。

 思い出すのは今朝、オスギリアス盆地を出発する直前にキーアがアリアンロードに掛けた言葉が切っ掛けで起きた一騒動。

 

「だから安心したまえ、この内戦においては私は君を裏切ることはない」

 

 真っ直ぐとに見つめて来るルーファスの眼差しにクリスは肩を竦めて大きくため息を吐く。

 彼が本当の事を語っているのか、クリスには分からないがユミルでの正体を隠そうとしなかったことからひとまず信用することにする。

 

「さて、話を逸らしてしまったね……

 セリーヌ君の言う通り損傷した《騎神》達を直すためにも私も《魔女の里》へ行かせてもらおう」

 

「え……? あ……」

 

 《C》が使っていた桃色の機甲兵のことを思い出してクリスは首を傾げる。

 

「ちょっと待ってください! じゃああの機甲兵の正体はエル=プラドーなんですか!? あの派手な金ぴかがどうして桃色になっているんですか!?」

 

「ははは、そんなもの装甲を塗料で塗り潰せばどんな色にもできるさ」

 

 悪びれもせずに告げられた所業にクリスは顔を引きつらせる。

 帝国の伝説的な存在である“大いなる騎士”にそんな大それたことをできる胆力はある意味で尊敬に値する。

 

「……もう良いです」

 

 本題に入る前に疲れ切ってしまったクリスは息を大きく吐き、改めて切り替える。

 

「とにかくセントアークに着いたらひとまず二手に分かれて行動しよう」

 

 魔女の里へ赴くのは起動者三人と魔女であるエマとセリーヌ。

 そして最前線であるセントアークからひとまずユミルの民をパルム方面に避難させるのに同行するのをサラを筆頭にして残りの仲間達に任せる。

 

「アリサはどうするつもり?」

 

「アリサは……」

 

 サラの指摘にクリスは口ごもる。

 会議の呼び掛けはしたものの、アリサは宛がわれた個室から出てこようとしなかった。

 茫然自失となっていたアリサに無理もないとクリスは思う。

 ラインフォルト社爆発事件から始まり、イリーナは意識不明の重体。シャロンは生きているのが絶望的な行方不明。

 家族の不幸に加えて、機甲兵が使いユミルを滅ぼした兵器、《ダインスレイヴ》は基礎理論をアリサが作り上げた兵器だった。

 その事実にアリサは打ちのめされたのか、《結社》によって土砂に埋まっていた《ティルフィング》から救助された彼女は一言も話せていない。

 

「イリーナ会長にはアンゼリカ先輩が護衛をつけてくれたんですよね?」

 

「ああ」

 

 クリスの確認にアンゼリカが頷く。

 以前のザクソン鉄鉱山で解放戦線が起こした事件を切っ掛けにログナー侯爵の在り方に疑問を感じていた軍人は多かった。

 彼らによって燃えたログナー邸から別の場所に軟禁されるはずだったアンゼリカは解放され、足代わりに《機甲兵》まで用意してもらって送り出された。

 

「むしろ彼らによって私は送り出されたと言うべきでしょうね」

 

「そうですか……領邦軍の中にそういうまともな貴族がいてくれるのは朗報なのかもしれないですね」

 

 ユミルの惨状を思えば決して許せるものではないが、そう言う貴族がいてくれることにクリスは安堵する。

 

「ならアリサはテオさん達と一緒に難民として保護してもらう方が――」

 

「その必要はないわ」

 

 徐に扉が開き、クリスの言葉を遮ったのはアリサだった。

 

「アリサさん……もう大丈夫なのですか?」

 

 やつれた顔で入って来たアリサにエマが慌てて駆け寄る。

 

「ええ、ごめん。心配かけたわね」

 

 明らかにやせ我慢をしていると分かる顔でアリサはそれに答え、クリスに向き直る。

 

「私は大丈夫よ。だからこれから先の作戦にも参加するわ」

 

「アリサ……」

 

「病院でした約束はまだ有効よね? だから私はこんなところで立ち止まっているわけにはいかないのよ」

 

 ラインフォルト社を守るためにアリサがクリスと交わした二つの約束。

 皇族の後ろ盾と《大地の霊薬》。

 その二つのために挫けそうになっている心を無理やり奮い立たせているのが分かる。

 

「ふーん……でもアリサはハイデルのおじさんのことは良いの?」

 

 アリサの鬼気迫る様子に躊躇っていた質問をシャーリィが単刀直入で尋ねる。

 

「っ――」

 

「今ならあのおじさんに止めを刺すなんて簡単だけど、そこのところはどうするつもりなの?」

 

 息を呑むアリサにシャーリィは容赦なく質問を重ねる。

 今回、ログナー家がアリサにしたことはあまりにも多い。

 

「…………あの人のことはもう良いわ」

 

 拳をきつく握り締め、アリサは血を吐くように答えを絞り出す。

 

「この内戦を終わらせて、ハイデルもゲルハルト侯爵の罪も全部帝国政府の司法に任せるわ……

 その上でハイデル卿には減刑を取引材料にしてラインフォルトに尽くしてもらう……それが私が考えられる落し所よ」

 

「アリサ……」

 

「母様やシャロンを奪ったあいつらは許せないわ! でも私の手だってもう……」

 

 ティルフィングの中から見ていることしかできなかった光景をアリサは思い出して体を震わせる。

 次々とユミルの山に放たれていく“ダインスレイヴ”の鉄杭。

 それが引き起こした火山の噴火と山崩れ。

 この時アリサはようやく列車砲を生み出してしまったと嘆いていた祖父の嘆きの意味を理解した。

 

「…………分かった」

 

 深く追及することはせずクリスはアリサの同行を認める。

 最初に疑問を投げかけたシャーリィもアリサの答えに満足したのか、それ以上の追及はしなかった。

 

「アリサのことはこれで良いとして、肝心のあんたはどうするつもりなの?」

 

 サラの言葉にクリスは気持ちを切り替える。

 

「確かクリスはオリヴァルト殿下に自分に代わって正規軍の旗印になって立ち上がって欲しいと言っていたな」

 

 ガイウスがオスギリアス盆地でオリヴァルトが提案していたことを思い出す。

 

「今の貴族連合が正規軍を、ひいてはオリヴァルト殿下を攻撃する理由は、彼らがオズボーン宰相を狙撃した犯人だとセドリック殿下のお墨付きがあるから」

 

「だけど、あのセドリック殿下は……」

 

 トワの呟きにジョルジュがクリスに改めて視線を送る。

 

「……おそらく彼は貴族連合が用意した“僕”の替玉でしょう」

 

 貴族連合が“彼”を用意した理由は理解できるが、不条理を感じずにはいられない。

 

「今の内戦はセドリックと兄上の皇族の継承権争いに置き換わろうとしている……

 この戦いが続けば、どちらかの勢力が滅ぼされるまで争いは止まらないというのが兄上の見解だ」

 

「だが、ここでセドリックが名乗りを上げて自分こそが本物の“セドリック・ライゼ・アルノール”だと公言して立ち上がれば、貴族連合の大義名分を揺るがすことができる」

 

「貴族連合も一枚岩ではないので、生じた動揺の揺らぎからお兄様が《第三の風》となって、両陣営を仲介しようという話でしたね」

 

 クリスの言葉に続いて、エリゼ、アルフィンもまたオリヴァルトからされた提案を振り返る。

 

「…………それで本当に良いのかな?」

 

「セドリック?」

 

 クリスが漏らした呟きにアルフィンは首を傾げる。

 

「何を言っているの? 本物のセドリックは貴方で、帝都にいるセドリックは偽物なのよ! だったら私たちに正義があるはずよ」

 

「だけどそうやって貴族連合を倒したとして、その後はどうなるの?

 正規軍がケルディックでしたみたいに関わった貴族をみんな処刑するって言い出したらどうするんだ!?」

 

「それは……」

 

「御言葉ですが殿下」

 

 口ごもるアルフィンに代わってアンゼリカがクリスの疑問に答える。

 

「貴族連合は既に一線を超えてしまっています。温情は嬉しいですが、四大名門は私も含めここで滅びるべきでしょう」

 

「アンちゃん!?」

 

「アン!?」

 

 突然何を言い出すのだとトワとジョルジュはアンゼリカの言葉に驚く。

 

「クロウは……彼らはどんな理由があったとしてもオズボーン宰相を狙撃して暗殺した……

 仮にオリヴァルト殿下の仲裁が成功したところで、貴族連合の重鎮を生かしておけば、第二第三のオズボーン宰相が現れた時、彼らはまた暗殺と言う方法で自分達の都合を押し通すでしょう……

 いえ、セドリック殿下の偽物を用意しておくくらいです……

 次の暗殺の対象にされるのは、それこそクリス君やオリヴァルト殿下達になることも十分に考えられることでしょう……

 そう言う意味ではオリヴァルト殿下の考えは楽観的としか言えません」

 

「アンゼリカ先輩……」

 

「ですが、これだけは覚えておいてください……

 領邦軍には立場故に、間違っていると分かっていても従わなければならない者達や帝都のセドリック殿下が本物だからと純粋に信じている者もいるでしょう……

 責任は全て、この内戦を引き起こした私たち四大名門が負うべきことだと進言させていただきます」

 

 悪ふざけがないアンゼリカの態度に一同は呆気に取られる。

 貴族としての毅然とした態度のアンゼリカに、それこそ彼女こそ偽物ではないかと言いたくなるのをクリスは堪える。

 

「じゃあどうすれば良いと思いますか?」

 

「それは……」

 

 口ごもるアンゼリカを尻目に、クリスは我関せずと言う態度を取っているルーファスに視線を向ける。

 

「ふふ……」

 

 彼は優雅に微笑むだけで何かを提案しようとする素振りは見せない。

 どうしたものかとクリスは嘆息して――そこに新たな乱入者が現れた。

 

「セドリック殿下、御報告があります」

 

 会議室に入って来たミュラーが険しい顔で報告する。

 

「予定ではセントアークに着陸するはずでしたが、航路をパルムに変更させていただきます」

 

「パルム? たしかクルトの故郷だったよね?」

 

「ああ」

 

 キーアの呟きにクリスは頷きながらミュラーに聞き返す。

 

「何かあったんですか?」

 

 オーレリアの計らいにより、オスギリアス盆地から特別にオルディスを掠める形でセントアークに向かっていたはず。

 航路変更するような理由に考えを巡らせながらミュラーの答えを待つ。

 

「実は……我々が君達を迎えに行った後、正規軍はドレックノール要塞に強襲を掛けたらしい……

 その戦闘の余波でイストミア大森林に火の手が上がっているようだ」

 

「え……?」

 

 ミュラーの報告にエマは徐に席を立ち、次の瞬間駆け出した。

 そしてカレイジャスの甲板に出たエマは眼下を覆い尽くす大森林の先、カレイジャスが進路上に立ち昇る巨大な炎を見た。

 

 

 

 

 

 

 








槍さえ不要となった境地

キーア
「あ、あの! どうすればあなたみたいに強くなれますか!?」

クリス
「キーア、そんな帝国人にとって畏れ多い質問をするなんて……」

《C》
「だが彼が錬成した《剣》を不要と言い切った根拠は確かに知りたいものだね」

アリアンロード
「……良いでしょう。これが“彼”によって得られた私の新たな境地です。《金剛》――」

クリス
「うわ……えげつない量の闘気が聖女の右手に集まってる」

《C》
「これは凄まじいの一言では済まないな」

アリアンロード
「私のこの手が光って唸る! 貴方を――」

キーア
「それ以上はダメ―ッ!」



テイク2

アリアンロード
「こほん……《鬼の力》とはすなわち、《焔》と《大地》の至宝の力です」

キーア
「えっと……」

アリアンロード
「零の御子である貴女には縁のない話ではありますが、それぞれの“力”を汲み取った新たな技……
 左手に靭き大地の力を宿した《大地の盾》……
 右手には私の250年の研鑽の末に編み出した全てを貫く“天雷の右腕”……
 そしてここに猛き焔の一撃を加えた、その名も《天地魔――」

キーア
「だからダメだってばっ!」




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30話 獣たちの狂宴

 

 

 

 その声は戦場に唐突に響き渡った。

 

「愚かな逆賊へ告ぐ。我々の手の中にはフィオナ・クレイグの身柄がある。彼女の無事を望むなら今すぐに武装を解除して投降せよ」

 

 突然の降伏勧告に思わず手を止めたのは正規軍だけではない。

 

「何をしているっ!?」

 

 眼前の“ティルフィング”の存在を忘れウォレスは機甲兵を振り向かせながら叫ぶ。

 戦車の傍らに立ち、後ろに手を縛った女に剣を突き付ける将校の姿にウォレスは目を剥く。

 

「貴様っ! 護るべき民間人に刃を向けるなど! それが軍人の――帝国男児がすることかっ!」

 

「黙れっ!」

 

 ウォレスの声に負けじと将校が怒鳴る。

 

「貴様が帝国男児を語るなっ! たかが士官学生の一人も仕留めることのできない無能が!」

 

「っ――」

 

 思わずウォレスは無能はそちらの方だと叫び返したくなるのを堪える。

 

「ふんっ! 役立たずはそこで見ていろ」

 

 黙り込んだウォレスに気を良くして将校は改めて正規軍に向けて勧告する。

 

「繰り返す、この《紅毛のクレイグ》の娘の命が惜しくば直ちに武装を解除しろっ!」

 

「っ――エ、エリオット……」

 

 喉元に刃を突き付けられ、顔を蒼褪めさせているフィオナの声が拡声器を通して戦場に響く。

 その光景に正規軍は一様に眦を吊り上げ、怒りに染まる。

 しかし、それでも理性を持って戦闘を中断する。

 

「ふん、それで――」

 

「っ――」

 

 将校がその光景に満足した瞬間、ウォレスが乗るヘクトルがティルフィングの大剣によって吹き飛ばされた。

 

「何をしているエリオット・クレイグッ!?」

 

 十字槍を犠牲にしてその一撃から身を守ったウォレスは戦闘を止めようとしないティルフィング――エリオットに怒鳴る。

 

「あれが見えないのか!? 彼女はお前の姉、命が惜しくないのか!?」

 

「何を言っているの?」

 

 通信機から聞こえて来た冷たい少年の声にウォレスは背筋を凍らせる。

 

「ここで戦闘を止めたとして、貴族連合が姉さんを無事に返してくれる保証がどこにあるの?」

 

 返す刃がヘクトルの左腕を斬り飛ばす。

 

「くっ――」

 

 ウォレスは仰け反るヘクトルの姿勢を保つために必死に操縦桿を操作する。

 その間にもエリオットの声は続く。

 

「戦いをやめて、貴方達は僕達を皆殺しにするんだろ?」

 

 たたらを踏んで転倒を免れたヘクトルの頭を大剣が貫く。

 

「父さんは貴方達が支援していたテロリストに最後まで戦った……

 そんな父さんの娘である姉さんが、卑劣な脅しに屈して自分だけ生き残りたいなんて言うはずないっ!」

 

 倒れたヘクトルを踏みつけ、ティルフィングは大剣を掲げる。

 

「ええいっ! 何が《黒旋風》だっ! 良いだろうならば――」

 

「《黒旋風》討ち取ったり! 正規軍のみんなっ! この剣に続けっ!」

 

 領邦軍の将校が戦場に響かせた声をエリオットの声に搔き消される。

 

「うおおおおおおっ! クレイグ中将の息子が覚悟を示したぞっ!」

 

「我らの英雄に続けっ!」

 

「卑劣な貴族連合を許すなっ!」

 

 一度は降伏を考えた彼らは士気を今まで以上に燃やし、突撃する。

 

「くそっ!」

 

「何やってんだあの将校はっ!」

 

「ウォレス将軍をお助けしろっ!」

 

 士気を昂らせる正規軍に対し、領邦軍の士気は逆に落ちる。

 《黒旋風》を討ち取られたこと、その原因を作った人質を使っての降伏勧告。

 それに納得できる者は決して多くはなかった。

 

「うおおおおおおおおおっ!」

 

 止まっていた戦場が再び動き出す。

 拮抗状態だった戦場は鬼気迫る正規軍の猛攻によって崩れる。

 《機甲兵》に生身のまま集団で群がり、一機、また一機と《機甲兵》はその動きを止めていく。

 

「エリオット……」

 

 その光景を見せつけられたフィオナは呆然と彼らを扇動した弟の名を呟く。

 自分の命を軽んじる言葉を聞かされたが、オーラフ・クレイグの娘としてどんなことをされても命乞いをしない覚悟はフィオナもできていた。

 もしも父が生きていたのなら、エリオットと同じ事を言っていただろう。

 それを白状だとは感じない。

 むしろエリオットに亡き父の面影と軍人として成長したことを嬉しく思う。

 

「でもどうして……どうしてこんなに哀しいの……?」

 

 弟の成長を喜び切れないフィオナはただ呆然と戦争の光景の前に立ち尽くす。

 

「うわああああっ!」

 

「た、助けてくれ! 大人しく投降するから…………」

 

 ティルフィングの大剣によって機能を停止した《機甲兵》の中から命乞いの声が響く。

 その声と言葉の内容にエリオットは顔を不快に歪めて、追い打ちを掛ける。

 

「ぎゃあっ!」

 

「君達にそんなことを言う資格があると思っているの?」

 

「…………どうか……どうか命ばかりは……」

 

 必死の命乞いにエリオットは眉を潜める。

 

「そんなに死にたくないんだ……」

 

 ティルフィングは突き付けた大剣を下ろす。

 その様子に機甲兵のパイロットは安堵の息を吐き――

 

「だったら戦わなければ良いんだっ!」

 

 大剣に代わってティルフィングは両肩に設置されたダブルバスターキャノンを向ける。

 

「エリオットッ!?」

 

 命乞いをする相手に止めを刺そうとする光景にフィオナは悲鳴を上げる。

 

「そこまでだっ!」

 

 引き金が引かれる直前、背後からヴィクターが乗る《機甲兵》がティルフィングの肩を掴み引き倒す。

 野太い二条の光線が機甲兵から逸れて街道の横の木々を薙ぎ払う。

 

「アルゼイド子爵……邪魔をするなっ!」

 

 攻撃を逸らされ激昂したエリオットは振り返り様に大剣を薙ぐ。

 

「っ――落ち着くんだエリオット君っ! 敵は降伏している。命までを取る必要はないっ!」

 

「こいつらは父さんをテロリストを使って殺したんだっ!」

 

 諭す言葉にエリオットは声を張り上げて言い返す。

 

「こいつらが始めた戦争なのに! こいつらのせいで沢山の人が死んでいるのに! こいつらが姉さんを人質にしたのに! 何が死にたくないだ!」

 

「エリオット君……」

 

 叩きつけられる言葉の気迫にヴィクターは目を見張る。

 Ⅶ組の中でも大人しく、目立たない純朴な優しい少年が黒い瘴気を纏う程の憎悪を滾らせると誰が想像できただろうか。

 

「っ――何が《光の剣匠》だ」

 

 ヴィクターは己の二つ名と共に自分の未熟さを恥じる。

 彼が危険だという兆候は気付いていた。

 あえて彼を戦場に立たせたのは、彼の希望と正規軍の期待を背負わせ亡き父の責任を想像させることで彼の理性を繋ぎ止める腹積もりだったのだが、その思惑は裏目に出てしまった。

 父を殺されたこと。

 姉を人質にされたこと。

 軍人として、亡き父を想像し毅然として態度で姉を切り捨てる判断をしてしまったこと。

 そして好き放題していた敵が恥を忍ばずに命乞いをしたこと。

 それらが絡み合った結果、エリオットは憎しみが爆発した。

 

「聞けっ! エリオット・クレイグッ!」

 

 同じ帝国貴族として恥を感じながら、それでもとヴィクターはエリオットに呼び掛ける。

 

「憎しみで剣を振るうなっ! そんなことをすれば《修羅》に堕ちて戻れなくなるぞっ!」

 

「でもっ! あいつらはっ!」

 

 まだ聞く耳があるエリオットにヴィクターはまだ間に合うと言葉を重ね――

 

「きゃあっ!」

 

 その悲鳴が戦場に響いた。

 

「姉さんっ!?」

 

 振り返れば人質にされたフィオナがシュピーゲルに乱暴に掴まれ持ち上げられる所だった。

 

「ええい、この場は撤退だっ! この場を放棄する!」

 

 フィオナを掴んだシュピーゲルは、先程の将校の声で叫ぶ。

 

「各自、散開してドレックノール要塞に帰還せよっ!」

 

 そう言うと一目散にシュピーゲルは街道から東の森へと逃げ込んだ。

 

「フィオナッ!」

 

 その背中をその場にいる誰よりも早く一機の――正規軍側の《機甲兵》が追い駆けて森に入る。

 

「な……」

 

 ヴィクターはあまりのことに言葉を失ってしまう。

 

「くっ……撤退! 撤退だっ!」

 

 そして数秒遅れて我先に逃げ出した将校に代わって誰かが叫ぶと領邦軍は蜘蛛の子を散らすように

 

 

「ふ……ふざけるなっ!」

 

 そして今度こそ完全にエリオットの最後の一線が崩壊し、彼の纏う黒い気が伝播するように正規軍達に広がる。

 

「逃げるな卑怯者っ!」

 

「貴様らっ! どこまで恥知らずなのだっ!」

 

「エリオットの姉君を救い出せっ!」

 

 それは煉獄のような風景だった。

 飛び交う怒号。

 統率もなく撤退を始めた貴族連合軍は我先にと仲間を押し退けるように鬼のような形相の正規軍に背を向ける。

 

「鎮まれっ! 鎮まれっ!」

 

 ヴィクターの声はその煉獄の喧騒に空しく掻き消される。

 

「鎮まれっ! 皆の者!」

 

「ヴィクター・S・アルゼイド」

 

 誰も耳を貸さない中、背後から自分を呼ぶ声にヴィクターは一人でも己の声が届いたことに安堵して振り返り――

 

「言ったよね? 邪魔をしないでって」

 

 振り返った《機甲兵》の画面に映るのは光を湛えたダブルバスターキャノンの二つの砲門の輝き。

 最後の一線が切られ、箍が外れたエリオットは目の前の邪魔者を排除するために――引き金を引いた。

 

 

 

 

 

「何だ……これは……?」

 

 そこに辿り着いたマキアスは言葉を失ってしまう。

 破壊された街道。

 機甲兵や戦車の残骸。

 貴族連合軍と帝国正規軍のそれぞれの兵が入り混じり無造作に倒れて血の海を作り出している惨状。

 それだけならまだ耐えられた。

 

「何なんだこれはっ!?」

 

 堪らず叫ぶ。

 そうしなければ吐いてしまう程に凄惨な光景がそこにはあった。

 それは一方的な虐殺だった。

 戦う力を奪われ、降伏して白旗を上げる貴族連合を正規軍は一方的に嬲り殺しにしていく。

 悲鳴を上げ、命乞いをしてもそれを嘲笑い踏みつけているのが正規軍だと言う事にマキアスは目を疑ってしまう。

 

「何で……こんなことに……」

 

 戦争なのだから人が死ぬ。

 その光景を見る覚悟はできていた。これが貴族側の虐殺だったならやはり貴族は最低だと納得して憤ることができた。

 だがそこにあった光景はマキアスにとって同胞とも言える平民、革新派側の兵士による虐殺だった。

 

「何で……何で……」

 

 狭い《機甲兵》の操縦席でマキアスは何故と繰り返す。

 Ⅶ組として貴族も平民も人であることは変わらないと学んだ。

 だが、学んだだけだったのだと思い知らされる。

 同胞の獣じみた咆哮の数々にマキアスは人の本質がそれなのだと突き付けられる。

 

「むぅ……呪いとはこれ程のものだったとは」

 

「あ……」

 

 聞こえて来た言葉にマキアスは一欠けらの希望を見つけたと言わんばかりに顔を上げる。

 《機甲兵》の外、肩に仁王立ちするレオマスクもまたマキアスと同じように煉獄のような光景に覆面の下の顔をしかめていた。

 

「そ、そうだ……“呪い”だ……全部“呪い”のせいなんだ……」

 

「いや……“呪い”の後押しがあったとしてもこの光景は彼らの憎悪が作り出したものだ」

 

 マキアスの現実逃避の言葉をレオマスクは否定する。

 

「長年に渡る貴族への不満の爆発……

 この場が異界化する程にここには負の想念が満ちている」

 

「……確かに計器では上位三属性の力が強まっていますけど……」

 

「マキアス君、君はそこから出て来るな。出れば君もこの瘴気に中てられて正気を失うだろう」

 

「っ――それなら貴方は?」

 

 ドラッケンの頭を動かし、肩に乗るレオマスクをマキアスは見る。

 

「私は平気だ。なんと言っても鍛えているからな」

 

 ははは、と自信満々に笑うレオマスクにマキアスは場違いながら深い安堵を感じてしまう。

 もしも一人でこの場にいたら、《機甲兵》に乗っていても果たして正気を保てていたかマキアスは自身を持てなかった。

 

「それよりも二番コンテナのミサイルを上空に撃ってくれ」

 

「ミ、ミサイル!?」

 

 突然の物騒な指示にマキアスは驚く。

 

「安心するが良い。ミサイルの中身はこんなこともあろうかと用意された暴徒鎮圧用の催眠誘導弾だ……

 まだ《黄昏》が本格化していない今なら、彼らの“呪い”は意識を奪えばそこで途切れる」

 

「そ、それなら……」

 

 マキアスは言われた通り《機甲兵》を操作してミサイルを上空に撃つ。

 空高くで炸裂したミサイルは雨を降らせ、大地に降り注いだ液体は瞬く間に気化して辺り一帯に白い煙で包む。

 撃ち上げられたミサイルに見向きもせず貴族連合を嬲っていた正規軍も必死な命乞いをしていた貴族連合も等しく、眠りにいざなわれて獣の喧騒が鎮まりマキアスは安堵のため息を吐く。

 

「これでこの戦争も終わるのか?」

 

「いや、これはこの場の対処療法でしかない……

 この戦いにおける“呪い”の発生源は他にいる。その者を止めなければ再び彼らは“呪い”に呑み込まれるだろう」

 

「まるで病原菌だな……」

 

 人から人へ感染するような扱いにマキアスは言い得て妙だが納得する。

 

「時に少年、君もまた一度“呪い”に吞まれたことがあったらしいな?

 君はいったいどうやって正気に戻った?」

 

「僕の場合は……女神のようなシスターに出会って道を示してもらったんです」

 

「それだけか?」

 

「え……?」

 

 ドラッケンの目を通してレオマスクはマキアスの目を覗き込む。

 

「本当に君を“呪い”から救ってくれたのはそのシスターだったのか?」

 

「…………え、ええ……いや……」

 

 マキアスは首肯して、首を横に振って記憶を反芻する。

 

「僕はシスター・リースに救われて――いや違う。彼女に懺悔を聞いてもらったけど……僕は……僕は……そうだ■■■に……」

 

 ノイズが走った思考にマキアスは眉を顰める。

 

「■■■って誰だ?

 ■■■……■■■……■■■・オズボーン……そうだ!

 僕はオズボーン宰相に助けてもらったんだ!」

 

 思い出した記憶にマキアスは耳障りなノイズが消えたような晴れやかな気持ちになる。

 

「…………本当にそうなのかね?」

 

「ええ、僕が自分の中の“呪い”を払ってくれたのはオズボーン宰相です。オズボーン宰相のおかげで僕はⅦ組に居続けられたんです」

 

 先程まで記憶を絞り出そうとしていた苦悩がなかったかのようにマキアスは軽い調子で、深い感謝を思い出し――

 

「そうだ……全部オズボーン宰相のおかげなのに……貴族がまた奪った……」

 

「もう良いっ!」

 

「はっ――」

 

 レオマスクの一喝で暗い思考に堕ちかけたマキアスは我に返る。

 

「あれ……僕は何を……?」

 

「何を呆けている? 初めての戦場で怖気づいたか?」

 

「そ、そんなわけないっ!」

 

 困惑するマキアスを嘲笑うレオマスクの声にマキアスは精一杯の強がりを返す。

 

「それなら結構……本当の鉄火場はこの先なのだからな」

 

「え……?」

 

 レオマスクの物言いにマキアスは首を傾げ、遠くから鳴り響いた砲撃の音が大気を震わせた。

 

「な、何だっ!」

 

「森だっ! どうやら主戦場は森の中に移っていたようだ」

 

 レオマスクは木々が薙ぎ倒されて横道を指して叫ぶ。

 そしてそれを示すように森の向こうでまた砲音が響き、黒煙が立ち昇る。

 

「この音……もしかしてティルフィングのダブルバスターキャノン?」

 

 聞こえて来る砲撃の音に聞き覚えがあったマキアスはこの先でエリオットが戦っているのだと察する。

 

「怖いか少年?」

 

「ぐっ……」

 

 不意のレオマスクの指摘にマキアスは思わず怯む。

 ここの最前線だが大勢が決した終わった戦場に過ぎない。

 この先には戦場を狂わせた“呪い”の感染源がいる。

 直前に見た煉獄のような光景以上のものが待ち構えているのだと思うと、腰が引ける。

 

「この先で戦っているのは僕のクラスメイトなんです」

 

「ふむ…………」

 

 マキアスの突然の独白にレオマスクは静かに頷く。

 

「エリオットはⅦ組の中で一番優しくて、戦うよりも音楽が好きな奴で……

 本当ならティルフィングに乗って、矢面に立って戦うような人じゃないんだ」

 

「…………もしかすれば、そのエリオットが“呪い”に侵されているかもしれないのだぞ?」

 

「それなら、尚更行かないと……」

 

 あの時、どん底に堕ちた自分を救い上げてくれたシスターのように。

 あの時、“呪い”によって暴走する自分を止めてくれたオズボーン宰相のように。

 

「今度は僕が救う番なんだ!」

 

 マキアスは決意を叫び、左半身が熱線で抉られ黒焦げになって倒れた《機甲兵》を跳び越えて、木々が薙ぎ倒されてできた森の道に踏み込んだ。

 

「くっ……良い友達を持ったなエリオット」

 

 何故か感激しているレオマスクの声はマキアスの耳に届くことはなかった。

 

 

 

 

 








 ユミルが閃Ⅱで最大の山場で、その後は大人しめの話にするつもりだったのに何故かユミルに匹敵しそうな修羅場になっていた……

 初期プロットだと一進一退のサザーランド州の攻防戦のおりに、セントアークでエリオットと合流。
 英雄として扱われているエリオットは出撃時以外では避難民に音楽を奏でていた。
 しかしその音楽は人の戦意を煽るものであり、エリオット自身も戦う事に積極的になっていた。
 そんなものはエリオットの音楽ではないということから口論になり、ならばとオリヴァルトの一声で音楽対決が始まるのだった。

 と言うのが初期プロットだったのに気付けば黒エリオットが降臨してしまいました。
 いや、閃Ⅳで音楽で呪いを浄化するなら、これくらいのことを乗り越えて欲しいと思ってはいたんですけどね。




 ハイアームズ家についての考察
 この家は閃Ⅱでは内戦が始まった段階で民間人の保護に徹していたため、戦後処理の処罰を最小限にして免れていました。
 自分はこれまで貴族連合、革新派、どちらが勝っても良いような立ち回りをしてずる賢く立ち回ったという印象がありました。
 ですが、考察を深めたらハイアームズ家は違う見方が出て来たので、この場を借りてまとめさせていただきます。

 まず最初に百日戦役の戦後処理を行ったオズボーンはハーメルの悲劇と言うハイアームズ家にとって致命的な弱点を握られることになります。
 これがあるため、ハイアームズは四大名門でありながらオズボーンに強く意見をすることはできなくなります。

 またハーメルの秘密がいつ漏れるか分からない不安があり、万が一を考えそれまでの典型的な貴族の態度を改めることにします。
 平民を使う貴族から、平民を支える貴族という体制への切り替え、後に四大名門の良心、人格者と呼ばれるようになるのはこれが原因です。

 オズボーンに強く意見を言えないこと、平民に優しくするハイアームズは、他の四大名門から軽んじられ、下位の貴族はその空気を察してハイアームズ家を落ち目と見下し始めた。

 ハイアームズ家の当主はそう言った誹謗中傷を甘んじて受け止め、平民に寄り添う貴族のスタンスを貫いた。
 そう言った背景から、貴族史上主義を改めて十年の時を経て、振る舞いは板につき、当主自身も古い貴族制度と現代の発展した文化の折り合いを受け入れ、オズボーンの急激な変革の全てではないものの、変革自体には前向きに捉えていた。


 内戦においては、四大名門としては発言力はほぼなく冷遇され、下位の貴族はここで功績を上げてハイアームズ家を押し退けて新たな四大名門になろうと画策する者もおり、四大名門でありながら貴族連合の中では孤立していた。
 四大名門であることから貴族連合から離反することは許されず、民間人の保護を優先して戦火を抑えることに徹したのはハイアームズ家なりの抵抗だったのかもしれません。


 またパトリックの兄二人はハーメルの悲劇の事についての情報共有をして、平民に優しい貴族というスタンスに納得して振る舞いを改める。
 しかし、当時まだ幼かったパトリックにはハーメルの悲劇のことを知らされなかった。
 これによりパトリックの視点では父がオズボーンの下手に出て、平民にへりくだり、貴族社会では他の貴族から落ち目と見下されている背中を見て育ってしまう。
 彼の貴族然としようとする在り方は父や兄への反発であり、自分が落ち目のハイアームズを救ってやるという気持ちが逸ったしまったものである。


 ちなみに侯爵家でありながら、閃Ⅰで男爵家の主人公に自分から声を掛けたのは、社交界で冷遇されているシュバルツァー家に少しだけ共感を持ち、純粋に仲良くなりたいと思ったからであったからかもしれません。
 が、パトリック自身にその自覚は薄く、パトリックが想像する貴族然とした態度で接してしまったため原作のような空回りをする羽目になってしまったのではないでしょうか。


 閃Ⅱにおいてトールズに引き籠っていながらも、考えを改められたのは自分が考える理想の貴族の姿と現実の貴族の姿の乖離が激しかったから。
 父からハーメルの悲劇の事を伏せられたまま、ハイアームズ家の事情をある程度説明され現状に悩み抜いて、彼なりの折り合いを見つけた結果なのかもしれません。



 以上がハイアームズ家のバックボーンをパトリックの在り方を踏まえて想像してみた結果になります。
 閃や内戦だけで見るとオズボーンと対等にやり合える狡猾な人という印象でしたが、ハーメルの悲劇のことを踏まえて考えるとオズボーンと貴族連合の板挟みを喰らったかなりの苦労人という印象に変わりました。
 これが正解だとは言い切ることはしませんが、人格者と呼ばれるという意味では納得できる理由を付けられたと考えております。





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31話 二つの主張


どうにか今年中の投稿が間に合いました。
一年間、皆さまお付き合いいただきありがとうございます。
来年もよろしくお願いします。







 

 エレボニア帝国の中でも最大の規模を誇るイストミア大森林。

 周辺の街には様々な伝承や噂話が数多く存在している。

 曰く、森の最奥には吸血鬼が住んでいる。

 曰く、森の最奥にはとある冒険家が残した金銀財宝や最強の武器防具が存在している。

 曰く、森の中には異世界に通じる扉が存在している。

 眉唾な噂ばかりだが、中にはそれを証明する事実も存在している。

 迷いの森とも呼ばれ、森の奥に進んでもいつの間にか別の場所に出てしまう。

 とにかく不思議な森であり、去年の暮れには謎の光の爆発によって西側の一部が消滅している天災も起きていることもあって地元の住人にとっては積極的に関わろうとする者はいない。

 そんな迷いの森の中を巨大な機械の人形達が疾走する。

 

「しょ、将校殿……これ以上進めば……」

 

「ええい、うるさいっ!」

 

 追従する部下に将校は怒鳴り声を返す。

 

「愚かな平民どもめ」

 

 木々を躱しながら奥へ奥へと機甲兵を走らせる。

 左手に握った人質の事など配慮せず、その将校は自分にひれ伏せなかった正規軍への苛立ちを口にする。

 

「私は次の四大名門になる男だと言うのにっ!」

 

 自身の領地であるサザーランド州を戦って取り戻そうともしないハイアームズ侯爵家を押し退けて四大名門になる野望。

 そのための功績として逆賊であるオリヴァルトの首印を上げるはずだったのに、悉く《機神》が邪魔をしてくれた。

 

「どいつもこいつも人の話を聞こうとしない……これだから平民はっ!」

 

 自分が人質を使ったことを棚上げして、家族を悩まず切り捨てた冷血な少年を罵る。

 

「止まれっ! 逃げるなっ! 人質を解放しろっ!」

 

「うるさい黙れっ!」

 

 自分達の後方を走り追い駆けて来るドラッケンからの怒声に彼もまた怒鳴り声を返す。

 幸いなことに隊長機であるシュピーゲルと一般用のドラッケンの間には走行速度の差はほとんどなく、生い茂る木々を躱しながら進む彼らの間の距離は縮まることはない。

 

「くそっ……」

 

 単騎で突出してしまったこと。

 中々縮まらない距離にナイトハルトは表情を曇らせる。

 

「いっそう機体を捨てるか……いや、それはダメだ」

 

 不慣れな機甲兵での追跡を諦めて、己の足を使って追い駆けることをナイトハルトは考えるがその案をすぐに却下する。

 森の中で速度は落ちているとはいえ、導力車並みの速度で移動している。

 どちらかと言えばパワーファイターであるナイトハルトに導力車を生身で追い越す《紫電》のような真似はできない。

 仮に追い付けたとしてもフィオナが囚われている隊長機の他に二機の機甲兵がいる。

 隊長機ではないにしても生身で相手をするには手こずる。

 

「くそっ……」

 

 現状、地道な追いかけっこをするしかないことにナイトハルトは悪態を吐き――

 

『ナイトハルト教官、そのまま真っ直ぐ走って下さい』

 

「エリオット?」

 

 通信の直後、戦術リンクが結ばれる感覚を受けナイトハルトは何事かと首を傾げたその瞬間――

 

『ダブルバスターキャノン』

 

「っ!?」

 

 ナイトハルトが走らせる機甲兵のすぐ脇を野太い光線が貫く。

 森を一直線に焼き払った砲撃の一撃は更にナイトハルトから離れるように横に薙ぎ払われる。

 木々を、精霊信仰のものと思われる祭壇を、森に生きている魔獣や動植物を容赦なく薙ぎ払い、光の熱線は森を切り開き機甲兵が戦えるスペースを作り出す。

 

「な………なっ……悪魔めっ!」

 

 脇目も振らずに逃げていた貴族連合の将校は振り返って叫ぶ。

 

「悪魔で良いよ……あなた達を滅ぼせるなら……」

 

 炭化して倒れた木々を踏みつけ、砲撃の余波で森に着いた炎を背に琥珀色の《ティルフィング》がその道を戦車や装甲車を引き連れて現れる。

 

「…………クレイグ中将……」

 

 その堂々とした佇まいにナイトハルトは殉職したはずの彼の父の面影を見る。

 

「そ、それ以上近付くなっ! 近付けばこの女を殺すぞっ!」

 

「貴様っ、この後に及んで……」

 

 往生際の悪い将校の行いに憤慨しながらナイトハルトは彼女の姿を見て絶句した。

 機甲兵の手の中でぐったりと項垂れて動かないフィオナは果たして生きているのか、死んでいるのか一目で判断できなかった。

 機甲兵に握り締められた圧力か、剥き出しのまま森の中を走らされたからなのか、それとも先程の砲撃の余波か。

 ともかく、彼女にはもう意識がないことは確かだった。

 

「…………」

 

 そんな姉を前にして、エリオットは忠告を無視するように前へと踏み出した。

 

「き、聞こえないのかっ! それ以上近付くなっ!」

 

 機甲兵が動く度にフィオナの体が揺れる。

 

「だから何?」

 

「っ……」

 

 トールズでの彼を知っているだけに、ナイトハルトは黒い瘴気を感じさせる彼の声に耳を疑う。

 

「さっき言ったはずだよ? 例え姉さんを人質に取られたとしても僕はお前達を倒すって……」

 

「き、貴様っ! 肉親を見捨てると言うのか! それでも人間かっ!?」

 

「ふざけるなっ!」

 

「婦女子を盾にしている貴様が言えた言葉かっ!」

 

「何が貴族だっ! 恥を知れっ!」

 

 貴族の言い分にエリオットよりも彼の取り巻き達が激昂する。

 

「うるさいっ! うるさいっ! 私は次期四大名門だぞっ! ハイアームズ侯の上に立つ私に平民如きが指図をするなっ!」

 

 数多の怒号に怯むことなく言い返した将校は苛立ちのまま続ける。

 

「ええいっ! 役立たずが!」

 

 あろうことか、シュピーゲルはフィオナを投げ捨てる。

 

「フィオナッ!」

 

「姉さんっ!」

 

「今だっ! 撃てっ!」

 

 咄嗟にナイトハルトとエリオットが宙に投げ飛ばされたフィオナを追い駆ける。

 どれだけ強がってもやはり肉親は捨てられないと読んでいた将校は二機の機甲兵に命令を飛ばす。

 

「で、ですが……」

 

「あの《機神》と《機甲兵》がなければ正規軍など烏合の衆に過ぎんっ! 貴様はこんなところで死にたいのかっ!」

 

 将校の叱責に躊躇った機甲兵たちが空中のフィオナを追い駆ける二機の巨人に導力ライフルを向け――引き金が引かれる。

 

「がっ!?」

 

「ぐっ……」

 

 都合、三機の一斉掃射を浴びせられた二つの巨人は大きく仰け反り――

 

「この程度で――」

 

 しかし、ナイトハルトは腕に直撃を受けて爆散しようが構わず機甲兵を走らせ、剣を投げ捨てて手を伸ばす。

 

「フィオナッ!」

 

 必死に伸ばした手がフィオナの――眼前で空を切る。

 

「――――あ……」

 

 純粋にあと一歩足りなかったのか、それとも機甲兵越しの目算を誤ったのか。

 フィオナを捕まえることができなかったナイトハルトは絶望に染まり――

 

「この馬鹿者がっ!」

 

「なっ!」

 

 叱責の声と共に機甲兵の頭を蹴って、突然現れたその男はフィオナを空中で抱き締めると危なげなく大地に着地した。

 

「き、貴様は……」

 

「あなたは……」

 

 その男は奇抜な格好をした男だった。

 顔に紅の獅子のマスクにトレンチコートを身にまとった戦場には場違いな存在感を持つ男はナイトハルトとエリオットの動揺を無視してフィオナの容態を確かめる。

 命に別状はないことに彼は安堵の息を吐いて、振り返る。

 

「ええいっ! 二人揃って情けないっ! それでもオーラフ・クレイグの息子で、部下なのかっ!?」

 

「っ――」

 

「くっ……」

 

 男の叱責にエリオットとナイトハルトは悔し気に歯噛みする。

 

「特にナイトハルトッ!」

 

「は――はいっ!」

 

 突然名指しされ、ナイトハルトは思わず背筋を伸ばし、機甲兵の中で敬礼をしてしまう。

 

「その程度でフィオナを娶ろうなど十年早いっ! 猛省しろっ!」

 

「はっ――」

 

 勢いに任せて返事をしたところでナイトハルトは我に返る。

 

「待てっ! 私とフィオナ殿はそのような関係ではない。いや、そもそも貴様は何者だっ!?」

 

 言い訳を口にしながら、ナイトハルトはフィオナを横抱きに抱えた男を観察する。

 紅の獅子のマスクで顔を隠した不審者。

 フィオナを助けてくれたが、正規軍にこのような者はいなかったと警戒心を強める。

 

「ナイトハルト教官、彼は父さんの知人の紅獅子、レオマスクさんです」

 

「クレイグ中将の……?」

 

 エリオットの説明にナイトハルトは記憶を反芻するが、このような知り合いがいるなどとそれこそ聞いたこともない。

 

「ふんっ! この後に及んで日和りおって」

 

「む……」

 

 レオマスクの侮蔑の言葉にナイトハルトは顔をしかめる。

 

「何処のどなたか存じないが、フィオナ殿をこちらに渡してもらおう」

 

「それには及ばん。この娘は私が責任をもって安全な場所に運ぼう」

 

「貴様のような不審者にフィオナ殿を任せるわけにはいかん」

 

 レオマスクとナイトハルトは睨み合って、視線の火花を散らせる。

 

「えっと……」

 

 緊迫した空気が弛緩した雰囲気にエリオットは困った声をもらし――

 

「もらったっ!」

 

 姉を無事に取り返した安堵の隙を突き、撃たれてもなお健在だった《ティルフィング》にシュピーゲルが剣を一閃。

 

「がっ!?」

 

 思わぬ不意打ちを受けたティルフィングはその手から大剣を弾き飛ばされ、返す刃に吹き飛ばされる。

 

「くはははっ! この忌々しい騎神擬きがっ! 私の力を思い知るが良いっ!」

 

 仰向けに倒れた《ティルフィング》にシュピーゲルは剣を振り下ろす。

 

「っ――このっ!」

 

 振り下ろされる剣をティルフィングは腕を盾に立ち上がろうと試みるが、滅多切りに振り下ろされる剣戟に地面に縫い付けられる。

 

「ふはははっ! 所詮は子供! 貴様の武勇などその機体の性能によるものでしかないのだっ!」

 

 一方的に嬲れることに気を良くして将校は叫ぶ。

 そして、それは彼だけではなかった。

 

「思い知れ平民どもっ!」

 

「これで貴様たちも終わりだっ!」

 

 ナイトハルトの《機甲兵》とエリオットの《機神》が無力化されたことで、随伴していた二機のドラッケンもまた息を吹き返したように暴れ回る。

 取り囲むように展開していた歩兵の中を走り、戦車や装甲車を一方的に蹂躙して行く。

 それはまるであの日、オズボーン宰相が狙撃された日の帝都の時のように。

 

「っ――調子に乗るなっ!」

 

「それはこちらのセリフだっ!」

 

 せめてもの抵抗にエリオットが叫ぶと怒鳴り返される。

 

「平民が貴族に逆らうなっ! 貴様たちはそうやって這いつくばっているべきなのだっ!」

 

「ふざけるなっ! 人を何だと思っているんだっ!?」

 

「貴様ら平民など家畜に過ぎんわっ!」

 

「家畜だって……」

 

「ああ、そうだ……いや、家畜以下だ」

 

 将校は言葉を改めて続ける。

 

「貴様ら平民はいつだってそうだ……

 貴族の苦労も知らず、責任も果たせない場所から不平不満を撒き散らすだけの害悪な存在に過ぎん」

 

「そうやってお前達が僕達を見下すから――」

 

「見下しているのは貴様らの方だっ!

 我等がどれだけの時をこの地を、民を守って来たと思うっ!?

 それを貴様らはオーブメントの発展を理由にたった50年で掌を返して、我らを見下し蔑ろにし始めたっ!」

 

「っ――そんなこと僕が知るもんかっ!」

 

「それが貴様らの本性だっ!

 人の不足をただ賢し気に批難するだけ! 都合が悪くなれば耳を塞ぎ何も責任を負おうともしない!

 餌を求めて騒ぐだけの雛鳥でしかない貴様らを家畜以下と言って何が悪いっ!」

 

「それでも……それでもお前達は“悪”だっ!」

 

「そんな言葉など既に聞き飽きたわっ!」

 

 シュピーゲルは渾身の力を溜めるように構えを変える。

 

「エリオットッ!」

 

 動かないドラッケンを放棄したナイトハルトが剣を手にシュピーゲルに斬りかかる。

 

「邪魔だっ!」

 

「ぐっ――」

 

 しかし、《機甲兵》の一閃が生身の人間を容易く弾き飛ばす。

 

「父親と同じところに逝けることをせいぜい女神に祈るが良いっ!」

 

 シュピーゲルは溜めた剣を両手で《ティルフィング》に突き立てるように構え――

 

「そこまでだっ!」

 

「ぬおっ!?」

 

 横からの砲撃を受けてシュピーゲルは大きくよろめく。

 

「何者だっ!? 不敬であるぞっ!」

 

 倒れそうになるシュピーゲルが態勢を戻しながら叫ぶ。

 しかし、返答は砲声。

 撃ち込まれた散弾にシュピーゲルは崩れかけていた態勢を更に崩し、続く散弾が剣を持つ腕を、転倒を堪えていた足を砕く。

 その光景に戦場が止まる。

 そのタイミングを見計らって、両手に散弾銃を装備した深紅に塗られた《ドラッケン》が姿を現す。

 

「貴族連合の大将は僕が討ち取った」

 

「その声は……マキアス?」

 

 聞こえて来た声にエリオットは深紅のドラッケンの操縦者を察する。

 しかし、マキアスは何を思ったのか倒れた《シュピーゲル》と《ティルフィング》、両方に銃口を突き付けて叫ぶ。

 

「帝国正規軍、君達の《ティルフィング》は僕が押さえた……

 双方、武器を納めろ。これ以上の戦闘は認めない」

 

 マキアスは両軍に呼び掛け、戦闘の中止を求める。

 戦場は硬直したものの、誰もまだマキアスの言葉に従う素振りはない。

 

「…………驚いたな……こんなにも何も感じないなんて……」

 

 そんな緊張を孕んだ空気の中、マキアスは拡声器を切って独り言ちる。

 今、自分の目の前で貴族が倒れている。

 待望した貴族を土に付けていると言うのに、マキアスの心中には虚しさどころか罪悪感を覚えていた。

 直前の貴族の慟哭とも言える主張。

 その意味の全てを理解できたわけではないのだが、図星と感じる部分もあり、自分の中の何かが大きく揺れていた。

 

「貴様っ! 誰に銃を向けているのか分かっているのかっ! 所属を言えっ!」

 

「今はそう言うのはどうでも良いんだ……

 僕は貴族連合でも帝国正規軍でもない。とにかくこの戦闘を止めるために貴方からも部下に呼び掛けて下さい」

 

 ようやく銃撃された衝撃から立ち直った将校が不敬だと叫ぶが、マキアスは冷静に聞き流し、停戦を促す。

 

「エリオット。君もだ」

 

「マキアス……」

 

 マキアスに促されるものの、エリオットはただ《ティルフィング》の中から彼の機体を睨む。

 

「これ以上、戦火を広げることはどちらも望まないはずだ!

 森に火まで点けて……このままじゃ内戦所の話じゃなくなってしまうだろっ! 戦う場所を考えろっ!」

 

 イストミア大森林は帝国最大規模の森だ。

 戦闘にかまけて森に点いた火を消そうなどとは誰もしていない。

 もしもこの火が森全域に燃え広がりでもすれば、そこで起きる二次被害も含めてどれだけの災害になるか考えただけでも恐ろしい。

 

「ええいっ! 平民の分際で私に指図するなと言っているだろっ!」

 

「そんなこと、こいつらをみんな倒してからやればいい」

 

 マキアスの言葉に二人は取り付く島もなく憎悪を叫ぶ。

 

「マキアスッ! 君なら分かるだろっ!? 貴族がどれだけズルくて汚いのか……

 僕達は特別実習を通じて見て来たはずだっ!」

 

「それは……」

 

 Ⅶ組として帝国各地を回った特別実習。

 そこで起きた様々な事件には帝国解放戦線の影があった。

 帝国解放戦線の影は即ち貴族連合の工作だった。

 ケルディックの大市で盗難事件も、鉄道ジャックも、ノルドに戦争の火種を起こしたのも、夏至祭で暗黒竜を復活させたことも。

 どこに行っても帝国解放戦線の暗躍があった。

 

「クロウや貴族連合は帝国をただ自分達の好きなようにしたいだけだっ!

 そのためにオズボーン宰相を殺して、父さんを殺して、姉さんも殺そうとした!

 マキアスのお姉さんだってそうやって貴族に殺されたんでしょ!?」

 

「小僧、言わせておけば――」

 

「同じことを繰り返すしかしないんだったらお前達はもうここで滅びるべきなんだっ!」

 

「あれが……繰り返される……?」

 

 エリオットの叫びに感化されてマキアスの記憶が脳裏に蘇る。

 日曜学校のテストで100点を取ったあの日、それが嬉しくて褒めて欲しくて従姉の家に行った。

 そこでマキアスを出迎えたのは優しい笑顔ではなく、天上から吊るされたロープに首を括った変わり果てた従姉の姿だった。

 

「っ――」

 

 それを思い出すとマキアスの胸の内に黒い感情が湧き上がる。

 エリオットが纏う黒い焔がそんなマキアスの感情に燃え移る。

 

「お前達が……」

 

 右手の散弾銃を突き付けた貴族の《機甲兵》に視線を落としてマキアスは操縦桿を握る手に力を込める。

 

「ふん……」

 

 マキアスの殺気を感じて観念したのか、その将校は徐にハッチを開き巨大な銃口の前にその身をさらけ出す。

 

「ぐっ――」

 

 引きかけた引き金を寸でのところでマキアスは堪える。

 

「舐めるなよ平民ども」

 

 しかしマキアスの必死の制止に気付きもせず、将校は通信機を片手に声を張り上げる。

 

「我々は貴様らに屈したりしないっ!」

 

「――何を……?」

 

「サザーランド領邦軍、総員に最後の命令を告げるっ!」

 

 黒い焔を纏い将校は全周波数に通信を繋げて命じる。

 

「戦って死ねっ!」

 

「なっ――」

 

「投降することなど許さん! 上に立つ者を敬う事を忘れた愚民どもを根絶やしにするために戦い、その血をエレボニアの未来に捧げよっ!」

 

「ふざけるなっ!」

 

 ティルフィングが突きつけられた銃口を跳ね除けて、導力砲を将校に向ける。

 

「私は貴様らなどに媚びはせんっ! 投降などするものかっ! そしてこの命も貴様らになどくれてやるものかっ!」

 

 光が収束を始める砲門を前に将校は怯むことなく叫ぶと、通信機を握る手とは逆の手に持ったスイッチを押す。

 

「フハハハハハッ! エレボニアに栄光あれっ!」

 

 狂ったような哄笑を上げ、直後彼が乗っていた《機甲兵》から光が溢れ出し――

 

「なっ――」

 

「まずい」

 

 咄嗟にマキアスはエリオットのティルフィングを押し倒して伏せる。

 直後、《機甲兵》は焔と鉄を撒き散らして――自爆した。

 

 

 

 

 

 

 

「ウオオオオオオオオオッ!」

 

「エレボニアに栄光あれっ!」

 

 そこは煉獄のような光景だった。

 指揮官の最後の命令と自爆を皮切りに、敗走していた領邦軍が攻勢に転じた。

 その勢いはもはや死を厭わない死兵。

 最後の命令――呪いに突き動かされる形で一人でも多くの正規軍を道連れにしようと獣じみた声を上げて正規軍に襲い掛かる。

 

「滅びろ貴族共っ!」

 

「オズボーン閣下の仇っ!」

 

 そして正規軍もまた彼らの空気――呪いに中てられたように獣と化して貴族連合に襲い掛かる。

 血で血を洗う闘争が満ちた世界。

 

「…………」

 

 その光景を睥睨したエリオットは《ティルフィング》を発進させ――

 

「待つんだエリオット」

 

 その背にマキアスのドラッケンが再び銃口を突き付ける。

 

「ダメだ……これ以上戦ってはダメだ……みんな帰って来れなくなる」

 

「…………もう手遅れだよマキアス」

 

 自分でも驚くほどに穏やかな気持ちでエリオットはマキアスに言葉を返す。

 

「もう僕の中の憎しみは止められない。それこそ貴族を根絶やしにしないとこの憎しみは治まらないんだ」

 

 それは今戦っている正規軍も同じ。

 貴族への憎悪が自分ではどうしようもなく闘争を求める。

 

「どうしてっ!? 君は軍人になるより音楽家になりたいって言っていたじゃないか!」

 

「マキアス……僕はずっと父さんに守ってもらっていたんだ……

 僕が好きなことをできたのは父さん達、軍人が僕達を守ってくれていたからなんだ」

 

「だからってクレイグ中将が今の君を望んでいるはずないだろっ!?」

 

「僕はもう良いんだ」

 

 エリオットは諦観を滲ませて首を振る。

 

「今の帝国には音楽なんて無力な“弱さ”に過ぎない……

 今帝国に必要なのはオズボーン宰相のような“揺るぎない力”なんだ」

 

「エリオットッ!」

 

「誰かの“音楽”を守る……

 父さんが僕にしてくれたように、友達の……みんなの“弱さ”を守るための軍人になる」

 

「それで君は良いのかっ!?」

 

「マキアス……僕を止めたいなら撃ちなよ」

 

 エリオットから鳴りを潜めていた黒い瘴気が再び溢れ出す。

 

「できないよね? 戦術リンクを通して分かるよ。君には僕を撃てない」

 

 そう断言してエリオットはティルフィングの歩を進ませる。

 

「エリオットッ!」

 

 マキアスの叫びにエリオットは振り向かずに戦場へと突撃して行く。

 

「――――くそっ!」

 

 血に染まりに戦場へと向かって行った友を止められなかったことを悔やんでマキアスは叫ぶ。

 

「僕は何て無力なんだっ!」

 

 理を持って貴族を言い負かしてふんぞり返っていたくせに、エリオットを説得する言葉がまともに出て来なかった自分の底の浅さを呪いたくなる。

 

「オズボーン宰相……僕はどうすれば良いですか?」

 

 かつて修正の拳としてオズボーンが打った胸に手を当てて、マキアスは亡き彼に思いを馳せる。

 当然のことながら、思い出の中のオズボーンは何も語らない。

 しかし――

 

「――それは違う……エリオット」

 

 あの時感じた、拳の熱を思い出したマキアスは顔を上げた。

 あの拳には確かに人を変革させる“熱”があった。

 しかし、決してそれだけはない“温もり”もそこにはあった。

 その“温もり”が“弱さ”と言って切り捨てることなどできるはずが――してはいけないとマキアスは漠然と思う。

 

「エリオット、僕は――」

 

 その“温もり”に背中を少しだけ押されてマキアスは煉獄へと踏み込んだ。

 

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 

 煉獄に大音量の叫びが響き渡る。

 

「マキアス?」

 

 突然の音にエリオットは何事だと振り返り、正規軍も貴族連合も戦闘の手を止め、警戒心をそのままに音の発生源――深紅の《機甲兵》を振り返る。

 

「君達、いい加減にしろよっ!」

 

 マキアスの絶叫が戦場に木霊する。

 

「そんなに戦争が好きかっ!? 人殺しが楽しいか!?」

 

 狭い操縦席の中、マキアスは頭をかき乱し勢い任せに戦場に説教をする。

 この先、マキアスは自分は煉獄を味わうことになると分かっていながら、突き進む。

 

「貴族も平民も――それにエリオットッ!」

 

 深紅の《機甲兵》は両手の散弾銃を投げ捨て、高らかに叫ぶ。

 

「戦争なんて下らないっ! 僕の歌を聞けっ!!」

 

 エリオットが捨てると言ったものを拾い上げ、マキアスは戦場には場違いな歌を歌い始めた。

 

 

 

 







 閃Ⅰの学院祭でのバンドを生かしたくてやりました。後悔はしていません。



 ピコーン
 《黒》攻略ルート『歌による説得』




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32話 歌の力

明けましておめでとうございます。
今年もどうかよろしくお願いします。



軌跡シリーズの歌は楽曲コードがないようなので、歌詞の部分は頭の部分だけ書いて省略していますので、お手数ですが各自で補完してください。

これでもダメかもしれませんので警告が来たらこの話の話は書き直します。


追記
ファルコム様の楽曲は以下のコピーライトの貼り付けだけでよろしいみたいなので後日、この話は修正させていただきます。


1月11日の時点で修正しておきました。


使用楽曲

「 琥珀の愛 / 空を見上げて~英雄伝説 空の軌跡 ボーカルバージョン~ / Copyright © Nihon Falcom Corporation 」

「 明日への鼓動 / 英雄伝説 閃の軌跡I オリジナルサウンドトラック / Copyright © Nihon Falcom Corporation 」

「 閃光の行方 /英雄伝説 閃の軌跡II オリジナルサウンドトラック / Copyright © Nihon Falcom Corporation 」





 そこはまごう事なき戦場だった。

 煉獄があればそこがそうだと言われても疑えない程の血と硝煙が満ちた戦場。

 貴族は平民を。

 平民は貴族を。

 我が身を顧みず、一人でも多くの敵を殺すために人を捨て、獣となって敵に喰らいつく――はずだった。

 

「流れ行く、星の」

 

 深紅のドラッケンがヤケクソのように叫び戦場を駆ける。

 歌を聞けと言っておきながら、その言葉は歌として成り立っておらず、ただ歌詞を叫んでいるだけ。

 あまりにも場違いで、何事かと戦いの手を止め、罠を警戒して貴族連合も帝国正規軍も振り返ってしまう。

 

「いい加減にしてマキアスッ!」

 

 そんな戦場には不釣り合いな騒音を撒き散らし、混乱を誘うドラッケンをティルフィングが追い駆ける。

 

「みんな帝国の未来のために戦っているんだ。マキアスだってここで貴族を倒さないといけないことくらいわかるだろっ!」

 

「焦がれれば、想い」

 

 エリオットの呼び掛けを無視してマキアスは歌い――叫び続ける。

 

「君に手を汚せなんて言わない、せめて僕達の邪魔をしないでっ!」

 

 自分のことを棚に上げ、士官学生は民間人だと説得する。

 

「叶うことなどないっ! 儚い望みなら!」

 

 しかし、マキアスはどれだけの言葉を向けても堪えることはない。

 

「せめて――」

 

「っ……」

 

 音程もバラバラ、息継ぎも滅茶苦茶。

 学院祭の時に教え込んだはずの心を全て忘れた音痴ぶりにエリオットは苛つき――

 

「マキアス……」

 

「君の涙を、琥珀にして」

 

「――人の話を聞けっ!」

 

 無視し続けて音楽とは認めることはできない騒音を撒き散らすマキアスに業を煮やしてエリオットは激昂と共にダブルバスターキャノンを撃つ。

 

「ひぃ――」

 

 迫り来る野太い光線にマキアスは息を呑み、ドラッケンを跳ばす。

 地面に身を投げるように伏せたドラッケンのつま先を野太い光線が掠める。

 

「分かっただろマキアス? この戦場の中で音楽なんて何の役にも――」

 

「あなたには……何が聞こえているの」

 

 土煙の向こうから途切れたはずのマキアスの声が響き始める。

 

「…………マキアス……」

 

 外の音、そして戦術リンクから響かせて来る騒音にエリオットは更に苛立つ。

 

「もうどうなっても知らないからねっ!」

 

 大剣を振り被り、上段の構えからの剣の重量を利用した横薙ぎの一閃。

 戦技《サイクロンレイジ》。

 生身では未だに扱う事が出来ない技を、ティルフィングの性能に頼って繰り出す必殺の一撃。

 

「星空に誓い合った――」

 

「――え……?」

 

 十分な破壊力を持った一撃をあろうことかマキアスは歌いながら、ドラッケンを後ろに仰け反らせて振り抜かれた刃を躱した。

 

「――まぐれだっ!」

 

 更に一歩踏み込み、返す刃で切り返す。

 

「あの日の約束――」

 

 しかしその一撃もマキアスは分かっていたと言わんばかりに紙一重で避けた。

 

「なっ!?」

 

 自分もそうだが、マキアスの体術はⅦ組の中で下から数えた方が早い。

 とてもではないが攻撃を紙一重で躱すなどという武芸者みたいなことができるはずないのに、正確な見切りを立て続けにされエリオットは驚愕する。

 

「求める世界は!」

 

 そんなエリオットを他所にマキアスはヤケクソじみた歌を叫びながら、内心で悲鳴を上げていた。

 

 ――無理無理無理っ! って言うか何をしているんだ僕はっ!?

 

 今更ながら何をしているのか、自分の行動を振り返って正気を疑う。

 エリオットを説得しようと思い立ったものの、彼に掛けるべき言葉は情けないことに何一つ思いつかなかった。

 魔が差したとしか言えない暴挙。

 ただ今のエリオットに万の言葉を尽くしたとしても、説得することができるとは思えなかった。

 

 ――情けない。肝心な時に僕は役立たずだな……

 

 弁舌は得意だと自負していた。

 士官学院でも難癖をつけて来る貴族生徒を言葉で撃退したことも一度や二度ではない。

 だが、その自慢の弁舌はこの戦場を前にして言葉を作ることさえできなかった。

 

「とても大きくて――」

 

「このっ――」

 

 更に踏み込んできて振られた刃をマキアスはエリオットが動き出す前にドラッケンを操作して回避行動を取る。

 

 ――戦術リンクのおかげで攻撃のタイミングは分かる……

 

 これがラウラやフィーだったなら、例え分かっていたとしてもマキアスの腕では躱せなかっただろう。

 

「うるさいうるさいっ! 耳障りな音で騒ぐなっ!」

 

 エリオットはがむしゃらに大剣を振る。

 

 ――右、左……からの突き。そして導力砲……

 

「いつのまにか夢さえ忘れていた――」

 

「なっ!?」

 

 息を吐かせない連続攻撃をやはり歌いながら躱すマキアスにエリオットは絶句する。

 

「何で……何で……何でっ!?」

 

「過ぎ去ってく、季節の波に呑まれ――」

 

 エリオットは戦術リンクから思考を読まれていることに気付かずムキになって攻撃を続ける。

 

 ――憎い、貴族が憎い。父さんを奪った貴族やクロウが許せないっ!

 

 戦術リンクは次の攻撃だけではなくエリオットの思考も伝えて来る。

 

 ――その気持ちは分かる……

 

「溺れそうになる時だって――」

 

 マキアスも士官学院に入学したばかりの頃は貴族なんていなくなれば良いと思っていた。

 

 ――でも今は、何も知らず全ての貴族がいなくなれば良いとは思わない……

 

「めぐりめぐる、軌跡の息遣いを――」

 

 Ⅶ組で過ごした日々にマキアスは成長を感じている。

 それでもエリオットの気持ちが分からないわけではない。

 

 ――僕だってクロウや貴族連合は許せない……

 

 人を傷付けるための嘘を平然と吐き、貴族の先兵となり多くの人の命を奪い、果てはこの内戦の引き金を引いた平民の先輩は貴族連合に《蒼の騎士》と持て囃されている。

 オズボーン宰相を殺した暗殺者のくせに、貴族連合の《英雄》と祭り上げられている彼をマキアスは決して許すことはできないだろう。

 

 ――だからこそ、君があんな奴等のために全てを捨てて修羅の道を進むなんて間違っているっ!

 

「感じられるのなら――迷いなどないさっ!」

 

 剣よりも音楽が好きだと語った優しいエリオットに戻ってくれと願ってマキアスはⅦ組で過ごした日々を想いながら歌う。

 

「だから何だって言うんだっ!」

 

 マキアスがぶつけて来る想いを拒絶するようにエリオットが叫ぶ。 

 

「今更、どんな夢を見れば良いって言うんだっ!」

 

 在るはずの温もりが奪われ、胸は凍り、胸を打つ鼓動は憎悪を掻き立てる。

 血は真っ赤なマグマのように燃え上って、怒りの刃を握る力へと変わる。

 この気持ちを晴らすためには鬼となって戦わなければ、気が済まないと衝動に突き動かされる。

 

「空にこだまする――」

 

「もう良いっ!」

 

 纏わりつくマキアスの歌声をエリオットは振り払うように叫ぶ。

 

「みんなっ! あの邪魔者を排除して!」

 

 一人では埒が明かないと、エリオットは周囲の兵たちに声を掛ける。

 

「民間人風情が戦場に出て来るなっ!」

 

 エリオットの叫びに我に返った正規軍がそれぞれ導力ライフル、戦車、対戦車砲を深紅のドラッケンに向ける。

 

「戦場を汚す愚か者めっ!」

 

 それに加えて貴族連合の機甲兵達もまた深紅のドラッケンにその銃口を一斉に向ける。

 皮肉にもマキアスと言う共通の敵に貴族連合と正規軍は思いを一つにする。

 

「明日への――がっ!?」

 

 そしてマキアスは突然増したエリオットのどす黒い想念の圧力に歌を途切れさせてしまう。

 エリオットを通じて感じた戦場に渦巻く《呪い》。

 とても一人では受け止め切れない感情にマキアスの思考は黒く染まるのを通り越して、身体が硬直する。

 

 ――あ、僕は死ぬんだ……

 

 機甲兵を走らせることもできず、周囲を埋め尽くす銃口にマキアスは死を予感する。

 そして次の瞬間――

 空から降り注いだ無数の剣群がドラッケンの周囲に突き立ち、盾となって数多の凶弾からマキアスを守った。

 

「何だっ!?」

 

「この剣は……」

 

 エリオットが、マキアスが突然の剣の雨に驚き空を見上げ――《緋の騎神》が戦場に降り立った。

 

「《緋の騎神》テスタ=ロッサ」

 

「クリス……いや、セドリック殿下……」

 

 九死に一生を得たマキアスはそれまでの緊張を弛緩させて脱力する。

 エリオットを正気に戻すことはできなかったが、彼が到着する時間を稼げたのならよくやっただろうと自画自賛する。

 

「マキアス……」

 

「クリス……」

 

 通信が繋がり、目の前のモニターにクラスメイトの無事な姿が映りマキアスは安堵の息を吐く。

 

「クリス。エリオットを――」

 

「大丈夫だよマキアス」

 

 クリスはマキアスの言葉を遮り、全て分かっていると頷いて彼に背を向け、戦場に――エリオットのティルフィングに向き直る。

 

「クリス……君も僕の邪魔をするのかい?」

 

 エリオットは痛む頭を手で押さえながら現れたクリスが敵なのか確認する。

 

「エリオット……いや正規軍も領邦軍も……」

 

 《緋》は大地に突き立った無数の剣から二つを無造作に選んで両手で抜く。

 

「頼んだぞ……クリス……」

 

 その背にマキアスは願いを込めて祈り――

 

「今はとにかくマキアスの歌を聞けっ!!」

 

「クリス――――――ッ!?」

 

 歌を続行しろと叫ぶクリスにマキアスは絶叫する。

 

「ちょっと何とち狂ったこと言っているのよ」

 

 クリスの傍でセリーヌが呆れたツッコミを入れる。

 

「何を言っているんだいセリーヌッ!」

 

 呆れたセリーヌに対してクリスは鼻息を荒くして捲し立てる。

 

「これは原作再現なんだよっ!」

 

「原作再現?」

 

 興奮するクリスにセリーヌが胡乱な言葉を返す。

 

「あの人は――《超帝国人》はリベールで暴動寸前だった二つの勢力を歌で仲裁したんだよっ!」

 

「そういえば……クリスの好きな《Rの軌跡》にそんな話があったような……?」

 

 クリスの言葉にマキアスは強く勧められて読んだ小説の内容を思い出す。

 

「対立していた二つの陣営はその歌のあまりの美しさに涙し争い合うことの愚かしさに気付いて、手を取り合うことができた……

 マキアスがしようとしていることは、まさにそれなんだっ!」

 

「えっと……クリス……?」

 

 マキアスにはそんな意図はなかったのだが、クリスは彼の弁明を聞こうともせずに羨ましがる。

 

「僕としたことが初心を忘れてしまうなんて……悔しいけど、今はその役目はマキアスに譲るよ」

 

 本気で悔しそうにするクリスにマキアスは頭を抱える。

 

「さあっ! 歌うんだマキアスッ! 君の歌でエリオットを、みんなを正気に戻すんだっ!」

 

「頼むから僕の話を聞いてくれっ!」

 

 歌っていた時の自分を棚に上げ、明後日の方向に暴走するクリスにマキアスは叫ぶ。

 

「はぁ……もう良いわ。それより三人がかりの神気の解放で修復できたのは八割よ。あまり無茶をするんじゃないわよ」

 

「分かってる」

 

 他の《騎神》が霊力を絞り出して送り出してくれたことを指摘するセリーヌにクリスは頷いて、ティルフィングに向き直り――

 

「クリス。君も僕の邪魔をするの!?」

 

 言葉と共に振り下ろされたティルフィングの大剣を《緋》は両手の剣を交差して受け止める。

 

「エリオット……」

 

 まじかで見た黒い瘴気を纏うティルフィングの姿にクリスは顔をしかめる。

 

「エリオット、今すぐティルフィングから降りろっ! その機体は戦争をするためのものじゃないっ!」

 

「綺麗ごとを言うなっ!」

 

 二人は斬り結びながら、叫び合う。

 

「剣も銃も所詮は人殺しの道具だっ! 機甲兵も騎神も同じだ! だったらそれを正しく使って何が悪いっ!?」

 

「違うっ! ティルフィングは“あの人”が残してくれた《希望》だっ! それに《騎神》だって争うために造られたものじゃないっ!」

 

「そんなこと、誰が信じるって言うんだっ!」

 

 言葉と共に剣が火花を散らして弾け合う。

 

「――随分と様になっているじゃないかエリオット」

 

 Ⅶ組の中でアーツを主体にした戦闘スタイルだったエリオットの剣にクリスは目を見張る。

 

「余裕のつもりかっ!」

 

 誉め言葉を嘲笑と受け取ってエリオットは更に剣戟を激しく加速させる。

 

「っ……ふぅ……」

 

 クラスメイト達が激しく殺し合いをする光景を前にマキアスは大きく深呼吸をして息を整え――歌い始める。

 

「あなたは何かを信じているの――」

 

 再会された歌に伴って、戦場全域の導力通信が乗っ取られるて音楽が流れ始める。

 複数のギターの音に、キーボード、そしてドラム。

 その音にマキアスは思わず笑みを浮かべてしまう。

 

「目の前の闇はとても深くて、立ち向かう勇気を失くしていた――」

 

 心をあの学院祭の頃に戻してマキアスは歌う。

 

「語り合った時は嘘じゃないから――挫けそうになるときだって――」

 

 あの時の自分達は貴族や平民とは関係なく、一つの歌を歌う事ができた。

 通信の向こう――戦術リンクが遠く離れている彼らと繋げて、仲間達が自分と同じ気持ちでいてくれることを嬉しく感じる。

 

「ひとつになる、軌跡の息遣い――」

 

「ええいっ! 誰かこの耳障りな歌を止めろっ!」

 

 誰かが叫び、それに応じるように戦車が機甲兵が足を止めたドラッケンにその銃口を向け――空からの銃撃がそれを阻止する。

 

「今度こそ、役に立って見せる」

 

 空を舞う《翠の機神》が戦場を睥睨しながら氷の霊力を宿す魔銃を構える。

 歌うドラッケンを狙う者を牽制しつつ、燃える森林に氷の弾丸を撃ち込み鎮火させる。

 

「エリオット君、今援護を――」

 

「邪魔だっ!」

 

 《緋》の尾剣の一閃が颶風を巻き起こして群がる兵士たちを軽くいなす。

 

「クリスッ! 君は帝国の皇子だろっ! だったらどうして邪魔をする!? 君も貴族の横暴を許せって言うのかっ!?」

 

「それは――」

 

「こんなことになったのも君達皇族が情けないせいだ! だから僕達の邪魔をするなっ!」

 

 ぶつけられた不満にクリスは閉口する。

 権威はあっても権力はない。

 それが現在のアルノール家の現状であり、言うなれば外面を良く見せるための神輿でしかない。

 

「オリヴァルト殿下もアルゼイド子爵もそうだ!

 二言目には平和だ和睦……きれいごとで何が変えられるのさっ!」

 

「くっ――」

 

 ティルフィングの剣圧に《緋》は怯む。

 

「風が歌い出す、明日への鼓動――」

 

「音楽なんかで世界が救われないんだっ!」

 

 態勢が崩れた《緋》にティルフィングは至近距離から二つの導力砲を向ける。

 

「ダブルバスターキャノンッ!」

 

「防げっ! テスタ=ロッサッ!」

 

 野太い光線が撃たれ、《緋》の手に現れた盾がそれを受け止める。

 

「くぅ……」

 

 触れる物を焼き尽くし押し潰さんとする光線を盾で受け止めてクリスはその圧力に歯を食いしばる。

 

「アアアアアアアアアアアアッ!」

 

 エリオットが獣じみた咆哮を上げる。

 導力砲の光線に戦場の空気が混じるように黒く染まってその勢いが増す。

 

「これは……」

 

 スペックを超えた威力を発揮したダブルバスターキャノンに大地に踏んばっていた《緋》の足が浮く。

 

「雲間に閃く、虹のように――クリスッ!?」

 

 自分を庇う《緋》の劣勢にマキアスは思わず歌を止めてしまう。

 黒い奔流が《緋》を呑み込み、そのまま勢いを衰えさせることなくマキアスのドラッケンにも迫る。

 

「あ……」

 

 咄嗟にマキアスは逃げようと機甲兵を操作して――

 

 ――歌うんだマキアス――

 

 聞き覚えのない声が耳元で囁かれた。

 

「え……?」

 

 振り返ってもそこには誰もいない。それでも声は続く。

 

 ――痛みは俺が引き受ける。だから――

 

 声はノイズの呑み込まれるようにか細くなって消えてしまう。

 しかしその声に何かを感じ、マキアスは逃げようとした手を止めて前を向く。

 

「道を――」

 

 何かに促されるままに、マキアスは歌い続け――黒い光が押し込んだ《緋》と一緒に爆ぜて、マキアスの歌を掻き消す。

 

「はぁ…………はぁ……はぁ……」

 

 ダブルバスターキャノンに気力を根こそぎ奪われたような気だるさでエリオットは息を切らせる。

 

「ははは……」

 

 今、自分は友を二人殺した。

 

「どうして涙が出て来るんだろ? あの二人は僕の敵になったのに……」

 

 軟弱な自分は殺したはずなのに、友達を殺したという実感がエリオットの胸を締め付ける。

 しかし――

 

「だから、ほら……顔をあげて――」

 

 導力通信から流れ続ける歌にエリオットは耳を疑い、顔をあげてそれを見た。

 

「嘘だ……」

 

 立ち昇る黒煙を晴らすような勢いで白い風がドラッケンを中心に吹き荒れる。

 

「ダブルバスターキャノンを防ぐなんてドラッケンにできるはずない!」

 

 《機甲兵》には搭乗者の“闘気”を増幅させて戦技を拡大する機能が存在している。

 アースガードのような防御結界を作り出す戦技もあるが、マキアスやドラッケンの闘気量や性能ではダブルバスターキャノンを防ぐには至らないはずだった。

 しかし、ドラッケンからは目に見える程に濃密なオーラが立ち昇っている。

 

「過ぎ去っていく、季節の波に呑まれ――」

 

 マキアスの歌に呼応してその白い光は大きく脈動する。

 

「これはまさかっ!?」

 

「セリーヌ、これが何か分かるの!?」

 

「イストミア大森林は元は《焔の至宝》を祀っていた土地なのよ……

 つまりここには《魂》を司る力のカスが残っていて、あいつの歌に反応している……のかもしれない」

 

「そんなことあり得るの!?」

 

「それ以外にこんな現象の説明はできないわよ」

 

 異常なまでに昂るマキアスの気にはセリーヌを言葉を肯定する説得力があった。

 

「溺れそうになる時だって――」

 

 マキアスは深く集中する。

 学院祭でエリオットに教わった歌に心を込めることを思い出し、クリスが語ったノーザンブリアを救った歌を思い描く。

 

「めぐりめぐる――」

 

 そしてマキアスの叫びが歌としてなるにつれ彼が纏う白い光は大きく輝き波紋となって戦場に広がって行く。

 そして――

 

「私はアルフィン・ライゼ・アルノールです」

 

 気付けば戦場の空には《紅の翼》カレイジャスがいた。

 

「貴族連合並びに帝国正規軍に告げます……

 両陣営共に武器を置いて即刻戦闘をやめなさい……

 もはやこの戦いは戦争などではなく、血で血を洗う獣の殺し合いに過ぎません。そのような絶滅戦争など皇族は認めません」

 

 空から響く皇族の至宝とも呼ばれた少女の声。

 

「アルフィン皇女殿下……」

 

「姫様……」

 

 戦場を仲裁しようとする健気な声に熱が揺らぐ。

 しかし、それでも目の前の敵を信じることなどできるわけがないと固く握り締めた手を解くには足らない。

 

「歌えっ!」

 

 その迷いの中、少年が叫ぶ。

 

「セドリック・ライゼ・アルノールが命じるっ!」

 

 未だに立ち込める黒煙を振り払い、剣を掲げて《緋》が宣言する。

 

「未だに戦闘を続けようとする者、武装を放棄して歌う者に攻撃を仕掛けるような非道な輩は僕がこの《緋の騎神》で叩き切るっ! だから安心して降伏しろっ!」

 

 クリスの宣言が戦場に響き渡る。

 その言葉に最初に答え、動いたエリオットは《緋》に斬りかかる。

 

「いい加減にしてっ!」

 

「それはこっちのセリフだっ!」

 

 剣を交え、言葉を――意志をぶつけ合う。

 

「貴族は滅びなければいけないんだっ!」

 

「そうやって平民が貴族を、貴族が平民を殺し合った先に本当に平和になると思っているのか!?」

 

「平和になるさっ! 敵を全て殺し尽くせばそれで平和になるに決まってるっ!」

 

「そんな闘争の果てに誰も残らないことがどうして分からないっ!?」

 

「そんな綺麗事なんてもう聞き飽きたんだ!

 僕達が武器を捨てても貴族は戦いを止めないっ! だったら戦うしかないじゃないか!」

 

「そうさせないために僕達は戦っている!」

 

「何の力もない皇族に何が出来るって言うんだっ! 君達皇族が情けないから貴族はここまで増長したんだっ!」

 

 エリオットの言葉がクリスの痛い所を突いて行く。

 

「それに僕はもう選んだんだ! もう引き返すことは――」

 

「光になって、道を照らし出すよ――」

 

 それは歌うマキアスに重なって導力通信に流れたのは大人の声だった。

 

「え……?」

 

 マキアスではない歌声にエリオットは耳を疑う。

 

「そんなはずはない……あの人は僕が撃った……」

 

「アルゼイド子爵に続けっ! 正規軍よ! これ以上の戦闘は無意味だっ!」

 

 エリオットの思考を肯定するようにナイトハルトの声が響き渡り、彼もアルゼイド子爵にならって歌い始める。

 だが、正規軍は困惑するだけで貴族連合を前にして武器を下ろすことはなかった。

 

「風が歌い出す――」

 

 そこに新たな声が加わる。

 

「ウォレス・バルディアス准将の命令を伝える」

 

 彼の副官が最初の一人として歌うウォレスに代わって、命令を貴族連合に伝える。

 

「命を無駄に捨てるな! そして皇族の命を聞けっ!」

 

 貴族連合にもまた困惑の空気が広がる。

 

「くっ――」

 

「こんなことで――」

 

 しかし、それでも正規軍は、貴族連合は銃を向け合う。

 

「雲間に煌く――」

 

「虹のように――」

 

 しかし、《光の剣匠》でも《黒旋風》でもない歌声が重なり、銃口の一つが下へと降りる。

 歌を口ずさむ。

 それをすると、今まで腹の底に渦巻いていた黒い感情が薄れ、何故自分がこれほどまでに憤っていたのか首を傾げる。

 一人、また一人と。

 歌が呪いの熱病を癒す。

 訓練された兵士であっても、武装を解除した敵に油断しなくても、歌い出した敵に対応する訓練は行っていない。

 その困惑が隙間となって、マキアスの歌が彼らに響く。

 

「これ以上歌うなっ!」

 

 それを拒むようにエリオットが咆哮を上げて、マキアスに突撃する。

 

「エリオットッ! もうやめるんだっ!」

 

 クリスがそこに割って入り、振り上げられた腕を掴み、体当たりをするように体を張って止める。

 

「貴族と平民は分かり合えるっ! これがその証拠だっ!」

 

 学院祭の時のように貴族と平民が、隔てなく一つの歌を歌う光景がこの戦場の中で再現される。

 そこに希望があるのだとクリスが叫び、エリオットは頑なに否定する。

 

「そんなのはまやかしだっ! どうせすぐ人は過ちを繰り返すっ!

 どれだけ綺麗な音楽を奏でても、人は簡単に音楽を壊す。音楽なんて……音楽なんて……」

 

「だったら……何で戦術リンクで繋がっている!?」

 

 頑なに音楽を否定するエリオットにクリスは彼の欺瞞を突き付ける。

 

「エリオットが本当に音楽を拒んでいるなら、とっくにマキアスとの戦術リンクは切れているはずだっ!」

 

「違う――」

 

「違わないっ!」

 

「違うっ! 僕は――」

 

「エリオットッ! マキアスの歌を聞くんだ――いや、エリオット君も歌えっ!」

 

「――っ……やめて……もうやめて……」

 

 真っ直ぐに見つめて来るクリスを拒むようにエリオットは呻く。

 そこにはもう最初の強い拒絶はない。

 

「空にこだまする明日への鼓動――」

 

 空から響くアルフィン達の歌声。

 

「瞬き煌く、星のように――」

 

 正規軍の軍人たちがそれに続く。

 

「光になって、道を照らし出すよ――」

 

 アルゼイド子爵が歌う。

 

「だから行こう、僕らの未来へ――」

 

 森の消火作業をしながらアリサの歌声も響く。

 

「風が歌い出す、明日への鼓動――」

 

 ウォレス准将が歌う。

 

「雲間に煌く、虹のように――」

 

 貴族連合の軍人たちがそれに続く。

 

「架け橋になり、道を描き出すよ――」

 

 ――呪いなんかに負けるなっ! 君の音楽を取り戻せっ!

 

 エリオットの目の前でクリスが歌と共に思いを叩きつけるように歌う。

 

「もうやめてくれ……」

 

 弱々しい拒絶。

 胸の奥に封じたはずの衝動がそのまま涙になったように溢れて止められない。

 

「だからほら……顔を上げて」

 

 その言葉に父が死んでからずっと俯いていたエリオットは顔を上げる。

 

「まっすぐ前を向いて――」

 

 そしてマキアスの歌が響く。

 

「――行くよ。僕は――」

 

 そしてエリオットは――

 

「行こう――」

 

 

 

 

 戦場に場違いな歌が響く。

 帝国全土に発展する貴族と平民、互いを根絶やしにするための戦火の火は大きくなることなく、消え去った。

 

「おおおおおおおおおおっ!」

 

「マキアスッ! マキアスッ! マキアスッ!」

 

 戦場はそれまでとは異なる別の熱気に包まれていた。

 正規軍と貴族連合に囲まれた深紅のドラッケンは腕を掲げて、歌い切った余韻に浸るように静かに佇む。

 その堂々とした佇まいに両陣営は彼の勇気ある行動を称えるように賞賛の歓声を上げる。

 そしてまさしく歌で貴族連合と正規軍の血で血を洗う戦争を止めた張本人であるマキアスは――

 

「どうしてこうなったっ!?」

 

 衝動に任せて行った自分の行動を振り返り、ドラッケンの操縦席で人知れず頭を抱えるのだった。

 

 

 

 

 




NG 帝国の呪い
アルフィン
「原作再現ですか……お兄様が書いたお話は本当だったんですか?」

オリヴァルト
「ははは! 少しだけ誇張しているけど、概ね書いた通りだよ」

ミュラー
「殿下……」

オリヴァルト
「しかし懐かしいね。実を言うと歌で暴徒を止めようとしたのは本当だけどオズボーン宰相に止められてね……
 いやーいつもは拳なんだけど、あの時の足蹴にされた衝撃はなかなかで……ん……?」

 思い出に浸るオリヴァルトはその時の痛みの記憶から――存在しない記憶を振り返る。

「ふっ……お互い水も滴る良い男になったしまったね」

「お戯れが過ぎますぞ、オリヴァルト殿下」

「こらこら、ここではオリビエと呼んでくれって言っているじゃないか」

「そんな畏れ多い」

「ふっ……君はいつまで経っても頑なだね。まあそこが可愛い所なんだけど……
 どうだね? 二人の再会を祝して今夜は朝まで飲み明かそうじゃないか」

「お、皇子……」

「オリビエだよ。オズボーン宰相……いや、ギリアス」

「私は亡き妻を裏切ることはできませんっ!」

「そう言いながら体は正直じゃないか……」

「なりませんっ! なりませんぞ!」

「ふふふ、照れなくたって良いじゃないか。一緒に温泉に入って、狭い牢屋の中で身を温め合った仲じゃないか」

「皇子、やめてくださいっ! ああ……アアアアアアアッ!」

オリヴァルト
「アアアアアアアアアアアッ!!」

アルフィン
「お兄様っ!?」

ミュラー
「どうしたオリヴァルト!? 突然叫び出して!?」

オリヴァルト
「おのれっ! ギリアス・オズボーンッ! ボクの記憶に何したっ!?」

アルフィン
「あの温厚なお兄様が憎しみに染まってしまうなんて……これが帝国の“呪い”!?」

ミュラー
「気をしっかり持てオリビエッ!」

オリヴァルト
「うおおおおおおおっ! ■■■君、カムバアアアアアアック!」






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33話 繋ぐ手

 

 

 

 

 

 その日、四大名門の一角であるハイアームズ侯爵は四大名門からの脱退を表明した。

 切っ掛けは《カレイジャス》を中継してサザーランド州全土に放送された貴族連合と帝国正規軍の激しい戦闘。

 それまで小競り合いだったが、互いを滅ぼし合うまで止まらないという空気は何も戦場にいる兵士だけではなかった。

 遠く離れたセントアークの民間人、ドレックノール要塞に詰めていた予備兵力。

 戦場の熱がそこまで届いたのか、それとも焼けた森の煙に麻薬のような効能でもあったのか、サザーランド州全域が“闘争”の坩堝と化した。

 もはや軍人だけに留まらず、民間人さえも武器を取ろうとしたその時、彼の歌が響き渡った。

 カレイジャスを通じてサザーランド州の導力通信やラジオに放送された一人の少年の歌。

 

「あなたは何かを見つめているの――」

 

 決してその歌は上手いわけではなかった。

 練習した努力は感じられるが、素人臭さは丸出しだった。

 それでもその歌に込められた想いは放送を通してでも伝わてくる。

 

 ――君が本当にしたいことはそんなことなのか?

 

 真摯に、ひたむきに、そして純粋に。

 その場にいない人々には彼が誰に向かって歌い――訴えているのか分からない。

 それでも歌を通した呼び掛けに熱狂に狂った人々が己を省みるだけの正気を取り戻させた。

 

「こうして未曾有の暴動を未然に防いだ勇気ある少年を人々は讃えてこう呼んだ、《超帝国アイドル・マキアス》と……」

 

「ちょっと待てっ!」

 

 マキアスはしたり顔で宣ったクリスの胸倉を掴んだ。

 

「君という奴は……」

 

 クリスとの再会にマキアスは沢山言いたいことがあったにも関わらず、憤りを露わにする。

 謝罪したいことがあった。

 トールズ士官学院襲撃の際、力を合わせて戦えば《蒼の騎神》から彼を逃がすことくらいはできるだろうと自惚れて判断を誤ってしまった。

 空を飛ばれる。

 たったそれだけで《蒼の騎神》に対して何もできず、背中を見せた《緋の騎神》への追い打ちを指を加えて見ている事しかできなかった屈辱。

 クリスは果たして無事なのだろうか。

 この一ヶ月、それだけが気掛かりであり、本来なら元気な彼の姿に喜んだ再会になるはずだったのだが。

 

「いや、だって事実でしょ? それだけのことをマキアスはやったんだから胸を張れば良いのに」

 

「ええいっ! 君は相変わらずか!?」

 

 胸倉を掴まれ揺さぶられながらもクリスは心底羨ましそうにマキアスを賞賛する。

 初手で弄りに来るクリスにマキアスは眦を吊り上げ――ため息を吐いて肩を落として同じ言葉を繰り返す。

 

「全く……君は相変わらずか」

 

 戦争によって歪んで行ってしまったエリオットを見ていたこともあり、変わらないクリスの様子にどこか安心を覚える。

 

「でも、本心だよ……僕は何もできなかったから」

 

 ノルドやケルディック、そしてユミルのことを思い出してクリスは気落ちする。

 

「そっちも大変だったみたいだな」

 

 帝都でのセドリック殿下の宣言に合わせ、クリスは指名手配されたことはマキアスも知っている。

 

「でもどうして突然歌を歌うなんてことを?」

 

「エリオットが音楽なんてどうでも良いなんて言い出したからだ」

 

 クリスの疑問にマキアスはため息を吐いて答える。

 

「学院祭の時、散々僕達にダメ出しをしていたエリオットが突然そんな風に意見を翻したんだぞ! 許せないと思わないか!?」

 

「あー」

 

 クリスはあの時のエリオットの鬼教官振りを思い出して、触れるべきではないと話題を変える。

 

「ところでマキアスはこれからどうするつもり?」

 

「これから……」

 

 クリスに言われ、マキアスは俯く。

 

「どうしたの、マキアス?」

 

「いや、大したことじゃない」

 

 父の忠告を無視して戦場に突撃したことを思い出してマキアスは唸る。

 別にそこに強制力があったわけではなければ、カレイジャスの難民を出迎えるという与えられた仕事もある意味では行っているので文句を言われる筋合いはない。

 しかし、基本的に放任している父も今回ばかりは何を言って来るか分からない。

 

「僕のことよりも君の方はどうするんだい?」

 

「僕……?」

 

「ああ、皇宮に居座っている君の偽物のこともあるし……君が正規軍の旗頭になってくれるなら……」

 

 言いかけた言葉を思わずマキアスは止めてしまう。

 

「なあクリス……君はこのまま正規軍を率いるつもりなのか?」

 

「マキアス……?」

 

「いや、それが正しいことだと言うのは分かっている。ただ……」

 

 マキアスは戦場を思い出して続ける。

 

「正しいという事は時に人を狂わせる。僕はこの一ヶ月の間でそう感じたんだ」

 

「正しい事が人を狂わせる?」

 

「ああ、エリオットや正規軍を見ていて思ったんだ……

 オズボーン宰相の暗殺に、その罪をオリヴァルト皇子に擦り付けたこと、偽物の皇子を祭り上げたこと、貴族連合の方が間違っているのはどう見ても明らかだ……

 だけど、だからと言って何をしても許されるわけじゃない」

 

「うん……それは分かるよ。ケルディックでも捕えた貴族の子女を処刑するなんてことがあったから」

 

「貴族が間違っているとしても、僕達まで同じところに堕ちてはいけない……

 もしもそうやって争ってしまえば、それこそ最後の一人になるまで殺し合うだけの戦争になってしまう……

 だから、正規軍を率いる意志があるのなら、よく考えて欲しい」

 

「マキアス……」

 

「本物の次期皇帝。この手札を正規軍が手にした場合、正規軍の行いは君を免罪符にしてあらゆる行為が正当化されてしまう……

 君が正規軍の手綱を握れるのならそれで良いんだが、君もエリオットみたいになってしまうのかと思うとね……」

 

「マキアス……」

 

 照れくさそうにそっぽを向くマキアスにクリスは感慨深い気持ちになって涙を浮かべる。

 

「あのマキアスがこんなに立派になって……」

 

「い、いきなり君は何を言い出すんだ!?」

 

「あの貴族と言う言葉を聞くだけで周囲に噛みついていたマキアスがこんなことを言える人間になるとは思っていなかったよ」

 

「ぐ……あの時のことは言うな……」

 

 引き合いに出された黒歴史にマキアスは唸る。

 

「とにかくだ。正規軍に合流すると言うのなら、自分の影響力をちゃんと考えた上で判断してくれたまえ」

 

「うん、分かってる」

 

 マキアスの忠告にクリスは頷く。

 

「ところでマキアス。君は《超帝国人》って呼ばれている人の事を知っているかな?」

 

「《超帝国人》? それはいったい誰のことだい?」

 

「…………いや、何でもない」

 

 マキアスの分かり切っている答えにクリスは愛想笑いを浮かべて誤魔化した。

 

「クリス……君は――」

 

 そんな彼の様子にマキアスは首を傾げ――

 

「ああ、マキアス君。ここにいたか」

 

 そこに第三者――オリヴァルトが声を掛けて来た。

 

「兄上」

 

「セドリックも御苦労だったね」

 

「いえ、無理を言ったのは僕ですから」

 

 上空とは言え、本来なら迂回するつもりだったカレイジャスを戦場に近づけたのはクリスの判断だった。

 結果的にはカレイジャスに乗せたユミルの避難民に被害もなく、サザーランド州の戦場も最悪な悪化を免れたが避難民たちの暴動が起きてもおかしくはなかっただろう。

 

「ところで兄上、マキアスに何か用があったんですか?」

 

「うん……セドリックにも聞いて欲しいんだが、実はあれからドレックノール要塞に詰めていたハイアームズ侯爵から連絡があった」

 

「ハ、ハイアームズ侯爵から、ですか? いったいどんな無理難題を要求してきたんですか?」

 

 貴族からの連絡と聞き、マキアスは警戒心を強める。

 

「いやいや、ハイアームズ侯は今回の事を切っ掛けに貴族連合からの脱退の意志を示して、ハイアームズ家として正規軍との和解の話し合いがしたいと提案してくれたんだ」

 

「本当ですか?」

 

 思わぬ朗報にクリスは喜ぶ。

 

「元々ハイアームズ侯は貴族派の中では穏健派で通っていた人だったからね」

 

「…………それは信用できるんですか?」

 

 マキアスは朗報だと喜んでいるオリヴァルトに疑いの眼差しを送る。

 

「ハイアームズ家と言えば、Ⅰ組のパトリックの家だったはず……とてもではないですが……」

 

 彼にはⅦ組の授業に乱入したりとあまり良い記憶がない。

 親と子で同じとは限らないが、数度の謁見ですれ違った程度の面識しかないハイアームズの人柄は果たして信用できるものなのか警戒してしまう。

 

「どんな理由があっても内戦を扇動した貴族のトップであることは変わらないと思いますが?」

 

「まあまあ、そう目くじらを立てないでくれたまえ」

 

 そんなマキアスの警戒心にオリヴァルトは苦笑する。

 

「今までは四大名門として、サザーランド州の下の貴族達からの圧力があったから仕方がなく貴族連合に所属していたんだよ……

 だけど、君の歌によって心変わりをした貴族が多く現れたおかげで、ハイアームズ侯はサザーランド州の実権を取り戻すことができたということなのさ」

 

「そ、それは……」

 

 自分の歌が切っ掛けだと言われてマキアスはバツが悪そうに顔を背ける。

 

「まあ、ハイアームズ侯との交渉はこれからだが、平和的にサザーランド州の戦いを治められるのならそれに越したことはないだろう」

 

「そうですね……」

 

「突き当たっては、マキアス君にはセントアークで公開ライブを行ってもらいたいのだよ」

 

「へ……?」

 

 オリヴァルトの申し出にマキアスは間の抜けた返事をしてしまう。

 

「実は今、セントアークでは空前絶後のマキアスブームが起きているんだよ」

 

「マキアスブームって、本当ですか兄上?」

 

 呆けるマキアスに代わってクリスが聞き返す。

 

「うむ」

 

 鷹揚にオリヴァルトは頷いて説明を続ける。

 

「戦争の熱狂に囚われていたのは戦場の兵士だけではなかったようでね……

 セントアークの市民もまた決起寸前な空気だったのはマキアス君も知っていたはずだろ?」

 

「え、ええ……」

 

「しかし、マキアス君の歌を聞いて市民も冷静さを取り戻してくれたみたいでね……

 フフ、今市街では君の凱旋を待ちわびた市民で賑わっているそうだよ」

 

「なっ……」

 

 オリヴァルトの言葉にマキアスは絶句する。

 

「ど、どうして戦場の出来事が街にまで伝わっているんですか?」

 

「それはもちろんボクがカレイジャスを経由してサザーランド州全域に君の歌を放送したからさ」

 

「――――」

 

 マキアスは言葉にならない声をもらす。

 

「いやー申し訳ない。カレイジャスにもっと良い放送機器を搭載していればサザーランド州だけとは言わず、帝国全土に君の“愛”を送り届けることができただろうに」

 

「ちょ――」

 

「しかし、安心してくれたまえ!

 セントアークでのライブは導力ネットで配信を予定している!

 存分にマキアス君の歌をゼムリア大陸全土に響かせてくれたまえっ!」

 

「ちょっと待ってくださいっ!」

 

 乗り気が暴走するオリヴァルトにマキアスはようやく我に返って抗議の声を上げるのだった。

 

 

 

 

 

 

「おばあちゃんっ! それは本当なの!?」

 

 カレイジャスの一室でエマの悲鳴が響く。

 彼女以外猫二匹しかいない部屋で、エマは白猫のキリシャが持って来た手鏡に向かって話しかけていた。

 

『うむ……先の戦争のどさくさに転位石にどうやら細工をされてしまったようでのぅ……

 外からの侵入を防ぐはずの結界が吾らを閉じ込める結界へと作り替えられてしまったようなのじゃ』

 

 映っているのはエマではなく、幼い少女――ローゼリアは手鏡の中でやれやれと肩を竦める。

 

「そんな……あの戦闘の裏でそんなことが……」

 

 イストミア大森林を燃やしていた炎はアリサが乗るティルフィングの働きで鎮火された。

 一部は燃えてしまい、セントアークに近い転位石は破壊されてしまったものの、本来ならばエリンへの出入り口は森の中に複数存在している。

 しかし、その全てが機能不全を起こしているという事実にエマは犯人を思い浮かべる。

 

「やはり義姉さんが……?」

 

 転位石の位置を知っていて、それに干渉できる能力がある者として上がる容疑者にヴィータ・クロチルダの名前を上げる。

 

『どうじゃろうな? あやつは今、貴族連合や結社とは距離を置いていると聞くが……』

 

「そうかもしれないけど……違うならいったい誰が……?」

 

『…………犯人の特定は難しいじゃろ』

 

「おばあちゃん」

 

 含みのある言い方をエマは追究しようとして――

 

『それよりも今回の内戦についてはエマ。お主に全てを任せる』

 

「…………え?」

 

『説明した通り、此度の内戦には《魔女》はお主以外は関わることはできん……

 故に、起動者達のことはお主に一任する』

 

「ちょ――おばあちゃん、いきなりそんなこと言われて……」

 

『おおっと、念波の感度が悪くなって来たようじゃの……

 なに安心するが良い。今、エリンには二人の遊撃士が来ていたから結界を直す算段はついている』

 

「ゆ、遊撃士!? どうして今!?」

 

『ああ、それからアルノールの小僧に伝えておいてくれ。超帝国人の関係者はエリンで保護しておるのでお主は内戦に集中せよと、ではな』

 

 鏡の中でローゼリアが一方的に告げると、像が揺らいで交信が途切れる。

 

「おばあちゃん!? 超帝国人って何!? おばあちゃんっ!?」

 

 交信が切れ、自分の顔を映すだけの鏡にエマは一人叫び続ける。

 

「はぁ……」

 

「気が済んだかしら?」

 

 肩を落としたエマにセリーヌは懐いて来る白猫――キリシャを尻尾であしらいながら声を掛ける。

 

「うう……」

 

「いい加減、覚悟を決めなさいよ」

 

 《魔女の里》のバックアップがないことが決まり、何処かにあったいざとならば長を頼れば良いという甘い考えが取り上げられてエマは不安に駆られる。

 

「そんなことを言っても、私……どうすれば……」

 

「ロゼはあんたに任せるって言ったのよ。だったら好きにすれば良いじゃない」

 

「でも……」

 

「“導き手”なんて言っても、今代の起動者達はキーアを含めて、自分で道を決められる人間よ……

 今更、あたし達が何を言ったとしても、それは変えられないわよ」

 

「セリーヌ……」

 

 肩を竦ませる黒猫の発言にエマは耳を疑う。

 素体が猫であるからか、人の機微に疎かった使い魔の微妙な変化と口では憎まれ口を叩いているのにそれを寛容に受け止めている空気は以前の彼女にはなかったものだった。

 

「セリーヌは私の使い魔ですよね?」

 

「は? いきなり何を言っているのよ? そんなの当たり前でしょ」

 

「むぅ……」

 

 自分の半身でもある使い魔を取られたかのような感じがしてエマは唸る。

 そんなエマの嫉妬にセリーヌはため息を吐く。

 

「それともここで降りる?」

 

「それはダメ!」

 

 セリーヌの提案をエマは強く拒絶する。

 

「まだ義姉さんとちゃんと話ができていない。それに……」

 

 脳裏に蘇るのはオルディスでのやり取り。

 自分よりも幼い、それこそローゼリアと同じくらいの幼女――母と同じ名で呼ばれたイソラという少女が何なのかもまだ分かっていない。

 

「そんな理由で帝国の内戦に関わるつもり?」

 

「あの子はオルディーネの、クロウ先輩の武器となっていました……だから貴族連合と戦っていればきっと……」

 

「覚悟ができているならあたしは何も言わないわ――っていい加減にしなさい!」

 

 じゃれついて来るキリシャにセリーヌはふしゃーと威嚇する。

 

「にゃあー」

 

 しかし、本気の敵意がないことを察してかキリシャは人懐っこい鳴き声を上げるだけでセリーヌから離れようとしない。

 

「ああ、もう……」

 

 エマに頼まれ一匹でエリンの里へ赴き、ローゼリアが結界が閉じる前に送り出した白猫。

 それを労う気持ちがあるだけにセリーヌは諦めたようにキリシャの好きにさせる。

 

「セリーヌ……」

 

「何よ?」

 

「この一ヶ月で何があったのか、改めて教えてくれる?」

 

 ルーレで合流してから落ち着いて情報交換する暇がなかったこともあり、エマはそれを聞き出そうとセリーヌに向き直り――

 

「エマ君、ちょっと良いかな?」

 

 それを扉が叩かれて中断された。

 

「その声はオリヴァルト殿下?」

 

 何かあったのかと声に応えるようにエマは返事をして扉を開ける。

 そこにはにこやかな笑みを浮かべたオリヴァルトと、魂が抜けかけた様子のマキアスがいた。

 

「…………え?」

 

 嫌な予感がエマを襲う。

 

「実はエマ君にお願いがあるんだよ」

 

 固まるエマにオリヴァルトはそう言うのだった。

 

 

 

 

 

「――僕の歌を聞けっ!」

 

 カレイジャスの甲板をステージにして、マキアスは人の海を見下ろしながらヤケクソに叫んで歌い出す。

 彼の他には導力ギターを演奏するアンゼリカとガイウス、導力キーボードを演奏するジョルジュ。そしてドラムをアリサが叩く。

 彼らの演奏に集まったセントアークの市民たちは歓声を上げる。

 

「はぁ……」

 

 煌びやかな光景をエリオットはカレイジャスの艦橋から見下ろしてため息を吐く。

 民衆を前に演奏したことはエリオットも何度も経験した。

 それこそ今日の出撃前にも戦意を鼓舞させる意味で演奏した。

 歓声は負けていない。

 それでも活き活きとした笑顔の観衆の顔はエリオットの演奏では見られないものだった。

 

「やあ、エリオット。こんなところで何をしているんだい?」

 

 自分以外誰もいないと思っていた艦橋で声を掛けられたエリオットは振り返る。

 

「クリス……」

 

 クリスはエリオットの隣に並んで、眼下のステージを見下ろす。

 

「何だか学院祭でのステージがずっと昔のことみたいだ」

 

「うん……」

 

 同じものを見下ろしてエリオットは頷く。

 

「君は参加しないのかい? 兄上に声を掛けられたんだろ?」

 

「僕は……僕にはもうそんな資格はないから」

 

 クリスの問いにエリオットは力のない笑みを浮かべて答える。

 

「僕は音楽を戦争の道具にした……僕の演奏がみんなを戦場に煽っていた。音楽をそんな風に扱った僕にあのステージに立つ資格はないよ」

 

「エリオット。それは“呪い”のせいだって説明しただろ」

 

「うん。本来の僕だったら父さんの仇を討つよりも泣き寝入りしていただろうね」

 

「だったら……」

 

「でもクロウ達に復讐をしたいって言う気持ちだって嘘じゃないんだ」

 

「…………そっか……」

 

 クリスはエリオットの矛盾を否定も肯定もせずに頷く。

 

「…………今の僕の手は音楽をするにはもう……」

 

「エリオットは《超帝国人》のことを覚えている?」

 

「え……?」

 

 意味が分からないクリスの質問にエリオットは虚を突かれる。

 

「知らないなら。アネラスさんのことは覚えている?」

 

「うん……ラッセル博士の定期連絡を受け取りに来たリベールの遊撃士だよね」

 

 クリスの質問の意図が分からずエリオットは首を傾げる。

 

「ラウラが自慢していたよね……『一番大切なのは正しい道を進むことじゃないんだよ』」

 

「あ……」

 

「『間違えたって気付いたなら正して、踏み外したと思ったら戻って、堕ちてしまったのなら元の道に戻る方法を探す……

  そうやって、時には進んだ時以上の距離引き返して、進んでいくことが《剣の道》――ううん《人の道》なんだと私は思うの』」

 

 その言葉は道を違えそうになったラウラが自慢げに語ったアネラスからもらった言葉。

 続く言葉をクリスは呼ぶ名前を変えて彼女のように問いかける。

 

「エリオットにとって音楽はたった一回失敗しただけで捨てられる簡単なものだったの?」

 

「それは……」

 

 口ごもるエリオットにクリスは苦笑して背中を向けた。

 

「クリス?」

 

「ここから先は僕の役目じゃないよ」

 

 そう言って艦橋から出て行くクリスとすれ違って入って来たのは二人。

 

「あ……ナイトハルト教官……それに……姉さん……」

 

 ナイトハルトに支えられて現れたフィオナからエリオットは思わず顔を逸らす。

 

「エリオット……」

 

「っ――」

 

 ――無事で良かった……

 

 咄嗟に言いそうになった言葉をエリオットは寸前で呑み込む。

 実の姉を見捨てる選択をした弟にそんなことを言う資格はないとエリオットは自罰して俯く。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 気まずい空気がそこに漂う。

 

「…………ごめん」

 

 エリオットは小さく何とかそれだけ絞り出し、顔を伏せたまま逃げるようにフィオナの脇をすり抜け――

 

「エリオット」

 

「っ――」

 

 すれ違う手を掴まれてエリオットは止まる。

 

「姉さん、僕は……」

 

 どんな理由があろうと、エリオットはフィオナを見捨てようとした。

 優しかった姉の責める言葉を想像してエリオットは体を震わせる。

 エリオットの手を掴む手はとても弱々しく、その気になれば簡単に振り払える。

 しかし、それをすることはできなかった。

 

「…………フィオナ姉さん。僕は――」

 

 呼吸を整え、罵倒される覚悟を固めたエリオットはようやく顔を上げてフィオナを見る。

 しかし、そこにはエリオットが想像した顔はなかった。

 

「エリオット、久々に貴方のバイオリンを聞かせて欲しいな」

 

「…………え?」

 

 そう言ってフィオナの代わりにナイトハルトがバイオリンケースを無言で差し出して来る。

 

「ね、姉さん……僕は――」

 

「だめ?」

 

 上目遣いでお願いして来るフィオナにエリオットは思わずたじろぐ。

 そこには見捨てられた怒りも、悲しみもない。

 いつもの、いつもよりも甘えた顔をしたフィオナがいた。

 

「姉さん……僕はもう音楽は――」

 

「お願い、エリオット」

 

「…………………」

 

 珍しい姉からのお願いにエリオットが諍う術などあるわけなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 急遽開かれることとなったカレイジャスの甲板をステージにしたコンサートは大いに盛り上がった。

 開幕は今日、その名をサザーランド州全域に轟かせたマキアス・レーグニッツが務め――

 

「トールズ士官学で生徒会長をしていますトワ・ハーシェルです……

 歌う曲は《Cry for me, cry for you》です、聞いてください」

 

 体力的にも持ち歌的にも一人では無理だと泣き言を言うマキアスを助ける形で、トワが――

 

「I swear……」

 

 巻き込まれたエマが――

 

「ふふ、カレイジャスを使ってコンサートを開くことは夢だったのだよ」

 

 オリヴァルトまでもリュートを掻き鳴らして歌い始める。

 余談だが、彼の護衛役は今回の事件の顛末が顛末なだけにオリヴァルトの暴走を止めることはできなかった。

 代わる代わる演者の中には貴族連合のウォレスや、正規軍の軍人までいる。

 もう争う必要はないと示すようなアピールに民衆は困惑しながらも、それを受け入れた。

 そして――クロスベル出身という幼い少女と入れ替わって彼が甲板に現れた。

 

「あ……」

 

 直前の盛り上がりが嘘であったかのように静まり返り、バツが悪そうに民衆は彼から視線を逸らす。

 

「ど、どうもエリオット・クレイグです」

 

 その名前は民衆は良く知っていた。

 この一ヶ月、セントアークを貴族連合から守り戦い続けた革新派の英雄。

 カレイジャスを使う事はなかったものの、彼は出撃の前と後ではバイオリンを演奏して聴衆を鼓舞していた。

 父を奪われ、誰よりも貴族連合を憎んでいた少年。

 散々頼り、祭り上げて来た少年を裏切るような和平をアピールするコンサートに民衆は水を掛けられたように静まり返る。

 

「えっと……」

 

 もっともバツが悪いのはエリオットも同じだった。

 オリヴァルトに頼まれた時には、散々民衆を扇動した過激派筆頭とも言える自分が立つべき舞台ではない。

 それでなくても一度捨てると覚悟した音楽を、姉のお願いに諍えず受け入れてしまった自分の意志の弱さを嘆く。

 

「…………聞いて下さい」

 

 いろいろ言わなければいけないと考えていたはずなのに、結局エリオットは迷いを振り切ってバイオリンを構える。

 

 ――ああ……

 

 今日も出撃前にバイオリンを演奏したはずなのに、エリオットは初めて発表会に出た時の高揚を思い出す。

 

 ――僕はこんなにも音楽が好きだったのか……

 

 音楽を戦争を煽る道具にしたこと後悔。

 意地を張って捨てると言っていたものへの執着。

 “呪い”が消えた今、その反動もあってなのか音楽が好きだと言う気持ちが溢れ出す。

 もはやエリオットの思考には万を超える聴衆も、姉への償いという意識も彼方に忘れ、バイオリンを愛しく愛でるように指で撫でる。

 

 ――♪――

 

「っ――」

 

 たった一音で聴衆は思わず息を呑む。

 これまで聞いて来たエリオット・クレイグの演奏とはまるで違う音に別の意味で静寂が生まれる。

 そんな聴衆の反応さえもエリオットは見向きもせず、自分の音楽を取り戻してくれた友人達を想い、エリオットはバイオリンを弾く。

 

 

 

 

 

「おおおっ!」

 

 その光景を家屋の屋上で一人鑑賞していたレオマスクは感激の声を彼の演奏の邪魔にならないように小声で器用に慟哭する。

 心を揺さぶられる美しい音。

 今まで凡庸と思っていた才能の開花にレオマスクはただ感動に打ち震える。

 

「エリオット……ぐすっ……立派になったなぁ」

 

 悔いるように見つめながら、レオマスクはこんなこともあろうこと用意していたラインフォルト社製の導力カメラを取り出し、エリオットの晴れ舞台を記録に残して行く。

 エリオットの単独演奏が終われば、逃がすまいと彼の先輩達やマキアスがエリオットが退場する前に次の曲を演奏し始める。

 戸惑い、困惑しながらもエリオットは久しぶりの笑顔を見せながら彼らと共に演奏を始め、エリオットの演奏に聞き惚れていて民衆もまた歓声を上げて盛り上がる。

 

「良い友を持ったなエリオット」

 

 ただその光景を嬉しく思うレオマスクは――

 

「両手を上げ、ゆっくりとこちらを振り返ってもらえるかな」

 

 背中に剣を突き付けられる気配。

 

「ほう……私の背後を取るとは中々やるようだな」

 

 言われた通り、レオマスクは両手を上げ、ゆっくりと振り返る。そして――

 

「怪しい奴」

 

「怪しい奴」

 

 《C》は紅の獅子の覆面をした者にそんな感想を抱き――

 《紅獅子》は黒いヘルメットのような仮面を被る男にそんな感想を抱く。

 

「いや、あんたらどっちも人のこと言えないから」

 

 そこにスウィンの鋭いツッコミが入った。

 

「貴方がマキアス君に機甲兵を提供し、戦場に駆り立てた元凶のようだが……

 《魔女の里》への道を閉ざしたのは貴方なのかな?」

 

 《C》はスウィンのツッコミを無視して尋問を始める。

 

「ふ……もしそうだと言ったらどうするかね?」

 

「ここで貴方を拘束させてもらうっ!」

 

 言うや否や、《C》は剣を一閃する。

 

「ふっ! 甘いっ!」

 

 レオマスクは後ろに跳び退き、その体を空中に晒す。

 しかし、彼の背後で空間が揺らぎ黒の戦術殻《クラウ・ソラス》が現れるとレオマスクを殴りつけ、無理矢理屋根の上に押し戻す。

 

「ぬおっ!?」

 

 思わぬ不意打ちにレオマスクは覆面の下で目を剥き、斬りかかって来るスウィンの斬撃をコートの下に装備していた篭手で受け止め――次の瞬間、鋼の糸に足を取られていた。

 

「捕まえた♪」

 

 四肢を空中に吊られるように拘束されたレオマスクにナーディアが無邪気な笑みを浮かべる。

 

「流石だ」

 

 《C》はそんな彼女を労い、剣を鞘に納めて尋ねる。

 

「さて、スウィン君にナーディア君、拷問の心得は?」

 

「……趣味じゃないが、一応のスキルはある」

 

「ん……こういうのは、むしろなーちゃんが得意かな?」

 

 そう言うとナーディアは宙吊りにしたレオマスクの前に立ち、徐に抱えたクマのぬいぐるみの頭に鍼を突き立てた。

 

「コツはね~最初は緩やかに苦痛を与えるの」

 

 一本、二本と楽し気にナーディアは突き立てる鍼を増やしていく。

 

「相手に『これなら耐えられそう』って思わせるんだよ」

 

 楽し気に喋るナーディアを止める者はいない。

 

「それから徐々に苦痛を上乗せして、徐々に徐々に相手の精神を摩耗させるの……

 それでも吐かないなら、次は体を切断するかな。これも一気にじゃなくて、少しずつね」

 

 見せつけるようにクマをハリクマにしながらも、ナーディアの口調はどこまでも無邪気だった。

 

「まずはつま先、次に足首、その次に膝、最後に太もも……

 腕も同じね~、指の一本一本、手首、肘、肩」

 

「むぅ……」

 

 子供の狂気に満ちた言葉にレオマスクは唸る。

 

「でも、そんなに切断したら血が流れ過ぎて死んじゃうかも。

 だからちゃんと縫い合わせてあげるね~」

 

 ナーディアはぬいぐるみに鍼を刺すのをやめて笑いかける。

 

「ぬいぐるみのように、針と糸で、綺麗に繋ぎ直してあげる……

 なーちゃん、こういうの得意だから、絶対死なないようにするよ、そこは心配しないで」

 

 おしゃべりするナ―ディアはそこで困った顔をする。

 

「でもでも、ちゃんとした手術じゃないから、縫い合わせても動かせないかも……

 繋がっているのに動かせない。痛いのに動かせない……

 左手も、右手も、左脚も、右脚も、どんなに頑張っても動かせない……

 お揃いにしたいなら、瞼も口も縫っちゃおうか?」

 

 まるで歌うようにリズムを使って問いかける。

 子供特有の残酷さなのか、無邪気な言葉であっても冗談では済まない本気が垣間見える。

 

「そうしたら意識だけがそこに残って、何をしても無駄になるの」

 

 拷問されるよりも少女の狂気を孕んだ言葉にレオマスクは圧倒される。

 

「でも大丈夫、身体に糸をたくさん繋いで、なーちゃんが動かしてあげる。お人形さんのようにね~」

 

 そこでナーディアはアルティナに振り返る。

 

「あっ! そしたら、クーちゃんのお友達にできるかな?」

 

「《クラウ=ソラス》を変な名前で呼ばないでください」

 

 その少女はナーディアの狂気を簡単に聞き流す。

 そんな素気ない対応にナーディアはただ笑顔を返してレオマスクに向き直る。

 

「でね、それでも吐かない人には、次はもっと楽しくしてあげるの……口をね――」

 

「――もう良いっ! ふんっ!」

 

 次の瞬間、レオマスクは体に闘気を漲らせ、四肢に絡まる鋼の糸を無理矢理引きちぎった。

 

「ええっ!? 大型魔獣も拘束できる糸なのに!?」

 

「下がってろナーディアッ!」

 

 すかさず、場所を入れ替わるようにスウィンがナーディアとレオマスクの間に割って入る。

 

「ふ、甘いな少年」

 

「それはオジサンの方だよ」

 

 正面から来たスウィンに拳を構えるレオマスクの背後からシャーリィが“テスタ=ロッサ”を一閃。

 レオマスクの身体は両断され――煙が噴出する。

 

「スモークグレネード!?」

 

「ふはははっ! また会おう諸君っ!」

 

 煙の中、レオマスクの声が響く。

 そして立ち込めた煙が晴れるとそこにはもう紅獅子の覆面を被った怪しい人影はどこにもなかった。

 

「ごめん、逃がしちゃった」

 

「構わないさ。ああ言う類の人物を拘束できるとは思っていないからね」

 

 謝るシャーリィに《C》は気にしなくて良いと首を振る。

 

「良いのですか? 今ならまだ索敵して追い駆ける事も可能ですが?」

 

「それをすれば大事になってしまうだろう。今宵の宴にそれは無粋と言うものだ」

 

 アルティナの提案も《C》は却下する。

 

「さて、後は君達も宴を楽しむと良い」

 

「わーいっ! すーちゃん、あーちゃん行こうっ!」

 

「お、おい……ナーディア」

 

「ですから人を変な呼び方で呼ばないでくださいと――」

 

 二人の手を取って歓声を上げるナ―ディアにスウィンとアルティナは肩を竦める。

 

「おいしいもの食べたいし、せっかくだからなーちゃんたちもステージに出てみる?

 あーちゃんはハーモニカを吹けるから――」

 

「やです」

 

「あーちゃん? えっと……」

 

「やです」

 

 ナーディアの思い付きをアルティナは食い気味で拒否するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 








NG
アリサ
「私の歌も聞けええええっ!」

シャロン
「きゃああああああ! アリサお嬢様ああああああっ!!」

アリサ
「シャシャシャ……シャロン! 貴女死んだはずじゃなかったの!?」

シャロン
「何を仰いますかアリサお嬢様……」
 このシャロン・クルーガー、アリサお嬢様のアイドルデビューという一大イベントのためならば、例え煉獄の底に堕とされたとしても這い上がってみせましょう」

クリス
「…………その理屈なら……」

アルフィン
「ねえエリゼ、それにアルティナちゃんもコンサートに出てみない?」

エリゼ
「姫様?」

アルティナ
「やです」





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34話 求める道

 

 

 Ⅶ組の仲間達や先輩、それにオリヴァルトが盛り上げるコンサートの喧騒から離れたセントアークの病院の一室にクリスはいた。

 

「そうか……エリオット君は持ち直したか」

 

 ベッドの上でクリスから改めてその報告を聞いたヴィクターは安堵の息を吐く。

 ある意味、ハイアームズ侯の動向よりも気掛かりだった懸念の解消はヴィクターにとって何よりの朗報だった。

 

「彼には悪いことをした……

 いくら《ティルフィング》を使えるからと言って頼り過ぎてしまったようだ」

 

「エリオットも貴方に謝らないといけないって自分を責めていました……

 コンサートが終わったらお見舞いに行くと言っていました」

 

 既に何度か訪れ、その度に顔を合わせることができずに引き返していたことをクリスはあえて黙っておく。

 

「謝られる筋合いはないのだがな……

 この負傷は彼を利用しようとした私たちが受ける当然の報いなのだから」

 

 暴走寸前だった正規軍をエリオットという英雄で制御しようと試みたのはヴィクター達なのだから。

 

「私たちはオズボーン宰相の仇討ちと意気込む彼らの怒りを抑え込むことはできなかった」

 

 オリヴァルトやヴィクターではどれだけ呼び掛けても正規軍の中には反発心ばかりが肥大して行った。

 彼らにとって必要なのは《オリヴァルト皇子》という大義名分だけ。

 《ティルフィング》を操り、《機甲兵》と戦える力を持っていたエリオットを正規軍は担ぎ上げた。

 エリオット自身も正規軍の思惑に同調するところがあり、それを受け入れた。

 そして自分達はエリオットとは面識があったことを利用して、彼を通じて正規軍の舵取りを行った。

 

「エリオット君自身も暴走する危険性をあえて見ぬふりをして、大を生かすために小の犠牲を容認してしまった」

 

 このまま戦いが続けば、内戦が終わる頃にはエリオットの心身はボロボロになっていただろう。

 ナイトハルトと共に、戦場でエリオットの隣に立って戦ったが、終ぞ復讐に燃える彼を鎮める事はできなかった。

 

「情けないものだ。《光の剣匠》などと仰々しい二つ名を授かっておいて、一人の子供に道を諭すこともできないとは」

 

「いえ、アルゼイド子爵達はよくやっていたと思います」

 

 今日は、貴族連合と正規軍の争いが最高潮に達した。

 しかし、オリヴァルト達がセントアークに残された貴族を保護していなかったら人質作戦を行っていたのは正規軍の方だったかもしれない。

 

「それを思えば、僕がやって来たことなんて……」

 

 今までの事を振り返ってクリスは陰鬱な気持ちになる。

 ユミルでは戦う事ばかりに気を取られ、守るべきものを間違えた。

 ケルディックでも怒りに我を忘れてしまった。

 ノルドでは起き抜けのせいで碌に動くこともできなかった。

 そして何より――

 

「僕があの日、クロウ先輩に負けていなければこんな事態になっていなかったのに」

 

 全てはそこからだったとクリスは後悔する。

 

「殿下、先程も言いましたがこれは殿下の責任ではありません……

 《機甲兵》なる兵器の開発を見逃し、オズボーン宰相暗殺を止められたなかった大人たちの――」

 

「エリオットにはそれで良いかもしれません。でも僕は大人や子供という前にエレボニアの皇子なんです。それに――」

 

「それに――?」

 

「…………いえ、何でもありません」

 

 クリスは言いかけた言葉を呑み込む。

 子供と言うのなら、いなくなってしまった“彼”もまたそうして守られるべき側にいるはずだった。

 だが、“彼”がここにいればエリオット以上に頼られ、“彼”はそれに応えようとしてしまうだろう。

 そして自分やオリヴァルトも男爵家の長男が背負う謂れのない重責を押し付けていたかもしれない。

 

「そう言えばアルゼイド子爵は……」

 

 言いかけてクリスは言葉を止める。

 ヴィクターは自分と共に何度か“箱庭”を訪れている。

 そういう意味での繋がりはⅦ組よりもあるかもしれないと考えたが、ここまでの話題で“彼”のことに一切触れて来ないことでクリスは質問をやめる。

 

「やはり不安ですか?」

 

「え……?」

 

 再三言葉を呑み込むクリスにヴィクターが話を振る。

 

「正規軍を率いる事、人の上に立つこと、まだお披露目も行っていない貴方には重たい責任だということは確かでしょう」

 

「それは……」

 

「ですが、貴族の中には帝都にいるセドリック皇子が偽物だと知らず、皇族への忠義によって戦っている者もいます……

 貴方が名乗りを上げて立ち上がってくれれば、それだけで貴族連合の足並みを乱すことができるでしょう」

 

「でもそれをするには僕が本物の《セドリック》だと証明しないといけないはず」

 

 《緋の騎神》がアルノールの血筋を起動者に選ぶということを民衆は知らない。

 それに加え、ハイアームズ侯を除く四大名門の支持に、現皇帝であるユーゲントが帝都のセドリックを否定していない以上、現状でクリスが本物であると証明することは難しい。

 

「それに僕には正規軍を率いて戦うなんて……」

 

 脳裏に浮かぶのはケルディックでの狂気。そしてユミルを守らずクロウと戦う事を優先した自分をクリスは思い出して首を振る。

 

「僕じゃダメです……」

 

「クリス君……」

 

「今回は大丈夫でしたが、僕はこの内戦で戦う度にお腹の奥に“憎悪”が溜まっているのを感じるんです」

 

「“憎悪”……ですか……」

 

「ケルディックで行われた処刑と焼討、ノルディア州ではログナー侯爵の身勝手な振る舞い。そして《蒼の騎神》……

 戦う度に僕の中で彼らへの“憎悪”が膨れ上がっている気がするんです」

 

 今回のサザーランド州の争いはクリスにとって他人事ではない。

 クロウ達を前にして自分が“獣”になってしまうのではないかという不安が浮かぶ。

 自分の暴走が正規軍を狂わせるのか、それとも正規軍の狂気が自分を狂わせるのか。

 

「それに僕という大義名分を正規軍に与えてしまえば……

 彼らは貴族連合を倒した後、新しい敵を求めて貴方やテオさん達のような善良な貴族にまでその刃を向けるかもしれない……

 そう考えると僕は……」

 

「…………そこまで至りましたか……」

 

 クリスが想像する一つの結末にヴィクターは感心する。

 

「秘密裏に貴方への武術指南を任され、貴方の成長を見守っておりましたがどうやら善き成長をなされたのですね」

 

「アルゼイド子爵……」

 

 誇らしげな言葉を掛けられるものの、ヴィクターの中での自分の関係がそういうことに補完されているのだとクリスは気付く。

 

「…………殿下、オリヴァルト皇子と共に行く道に不安を感じると言うのなら、これを受け取ってもらいたい」

 

 そう言ってヴィクターが差し出したのは大き目の鍵だった。

 

「……これは?」

 

「その鍵は《カレイジャス》を起動させる起動用の鍵になります……

 同じものをオリヴァルト殿下が持っていますが、それは今は良いでしょう」

 

「そんなものをどうして僕に?」

 

「貴方が望めば、オリヴァルト殿下は喜んで《カレイジャス》を貴方に使わせるでしょう……

 ですがセドリック殿下はそれを望んでいないのでしょう?」

 

「それは……」

 

「私たちは《第三の風》になることはできませんでした……

 ですが、セドリック殿下が“新たな路”を望むのでしたら、それが必要になるかもしれません……

 与えられた選択肢の中から選ぶのではなく、自分で選ぶこと……

 例え同じことだったとしても、そこには違う意味があるのだと私は思います……

 それに今の私が持っていても無用の長物に過ぎませんから」

 

 自嘲するようにヴィクターは笑う。

 

「お身体はそれほど悪いんですか?」

 

 機甲兵越しだったとはいえ、ティルフィングのダブルバスターキャノンを至近距離で受けたのだ。

 いくら導力魔法に治癒術があるからと言っても、治せる怪我には限度がある。

 

「全治までおよそ半年と診断されました……

 子供を戦争に利用した報いと考えれば安いものでしょう」

 

 砲撃を受け、五体満足であり半年で済むことを喜ぶべきか、それとも《光の剣匠》が内戦に関われなくなったことを嘆くべきなのかクリスは迷う。

 

「クリス君。君が感じている“憎悪”は決して間違ったものではありません」

 

「アルゼイド子爵……それでも僕は皇太子なんです……

 感情のまま誰かを憎むことは許されない、負の連鎖を断ち切るために我慢をしなければいけない立場なんです」

 

「それは違います」

 

 クリスの言葉をヴィクターは首を振って否定する。

 

「“憎悪”は人の中にある“怒り”の感情の一つに過ぎないのです……

 怒ることは決して間違いではありません、全てを許す必要もない……

 まずはその“怒り”を受け入れなければならない……と私は思っていますが、エリオット君を導けなかった私が言えたことではないですね」

 

「……いえ……」

 

 今度はクリスがヴィクターの言葉に首を振る。

 

「言いたいことは分かります」

 

 “怒り”を理由を付けて呑み込もうとしても、そこにあるものから目を背けた“欺瞞”でしかない

 しかし、頭で分かっていても自分の中に生まれた“憎悪”をどうすれば良いのかクリスには分からなかった。

 

 ――■■■さん、貴方はどうやってこの怒りを呑み込んだんですか?

 

 仇敵としか言えないワイスマンやレーヴェ。

 憎いはずの彼らと肩を並べることを選べた先人にクリスは胸中で問いかけた。

 当然、その問いに答えなど帰って来ることはなく、ヴィクターは思案に耽るクリスに話題を変えた言葉を投げかける。

 

「セドリック殿下、一つ頼みたいことがあります」

 

 そんなクリスにヴィクターは部屋の片隅に置かれた長大なトランクケースに視線を向けた。

 

 

 

 

 

 病院を後にしてクリスはセントアークの街を歩き、各所から聞こえて来るマキアス達のコンサートの歌や音楽に耳を傾ける。

 この内戦中に貴族と平民が入り混じったコンサートなど帝国史を取ってみても前代未聞の珍事。

 しかし、マキアスが繋げた貴族と平民の歩み寄りの一歩。

 それを無駄にさせないためのコンサートとなれば彼のお目付け役のミュラーも強く反対することはできず、混乱を極めていたレーグニッツ知事を押し切り、カレイジャスコンサートは実行された。

 

「…………はぁ」

 

 聞こえて来る音楽にクリスはため息を吐く。

 このコンサートのもう一つの目的はクリスが覚悟を固めるまでの時間稼ぎ。

 Ⅶ組の中で除け者にされた寂しさを感じつつも、オリヴァルトが自分に時間を作ってくれたことには感謝しかない。

 

「それでも……出たかったな……」

 

 今のクリスの立場は極めて難しいものだった。

 帝都の偽物のセドリックの宣言のせいで指名手配をされ、当たり前だがセドリックと同じ顔をしているため、コンサートに出ると事情を知らない市民を混乱させてしまう。

 しかし、それらの事情を考慮してもあの煌びやかなステージに後ろ髪を引かれてしまう。

 

「僕はどうすれば良いんだろう」

 

 ヴィクターから受け取った鍵を見下ろしてクリスは呟く。

 オリヴァルトと共に偽物と貴族連合を打倒するために立ち上がることが一番良い方法だと思うのだが、踏ん切りがつかない。

 

「そもそも僕は……本当にクロウ先輩を殺せるのかな?」

 

 目を瞑って思い出す学院生活。

 だが、学年の違いもあって同じ時間を過ごした記憶はほとんどない。

 むしろ彼を憎む理由ならいくらでも思い浮かぶ。

 

「僕は……」

 

「いささか、不用心ではありませんか?」

 

 迷うクリスの背中に声が掛けられた。

 聞き覚えのない声にクリスは振り返る。

 

「いくら今のセントアークで戦闘行為が禁じられているからと言って、皇太子である貴方が一人でいるのは危機感が足りないと言わざるを得ないでしょう」

 

「お前は……帝国解放戦線の《G》――ギデオンッ!?」

 

 敵の幹部の突然の出現にクリスはその場から跳び退き、ヴィクターから預かったトランクケースを落として剣を抜く。

 

「ふふ……」

 

 ギデオンはそんなクリスの反応に帝都の地下墓所で見せた時のような笑みを浮かべて腰に差した導力銃を抜く。

 

「っ――」

 

 目の前の男を警戒しつつ、クリスは伏兵を警戒する。

 そんなクリスを嘲笑う様にギデオンはクリスに一歩詰め寄り――

 

「くっ――」

 

 クリスは目の前の敵を見誤ったことに気付く。

 導力銃、学者の風貌、帝国解放戦線の幹部の中では劣っていたとしても油断して良い相手ではなかった。

 その証拠に体を前傾にして踏み込んで来る彼の動きには澱みはなく、確かな修練を感じさせる程に堂が入っていた。

 

「αっ!」

 

 咄嗟にクリスは叫ぶ。

 不可視状態で控えていた戦術殻はその声に反応してクリスの背後に現れると、彼を守るように障壁を展開して――

 

「お願いしますセドリック殿下、どうか私の話を聞いてくださいっ!」

 

 導力銃を地面に置いて、ギデオンはそのまま滑り込むようにクリスの足元で額を地面に擦り付けた土下座が――炸裂した。

 

「…………………………え?」

 

 剣を構えたまま固まったクリスは長い沈黙の末に、困惑の声をもらすのだった。

 

 

 

 

 

 

「父上、お考え直しください」

 

 ユーシス・アルバレアの胸中は失望に染まっていた。

 

「《金の騎神》は東の脅威に備えるために、正規軍と取り決めてこのクロスベルに配備すると決めたこと……

 それを一方的に破棄すると言うのですか?」

 

 狼狽えたように父、ヘルムートの要求にルーファスが反論する。

 ガレリア要塞どころか、ガレリア山脈が消滅した今、東からの侵略に帝国は脆弱になっていると言わざるを得ない。

 現在のカルバード共和国はクロスベルが行った金融凍結の混乱からまだ抜け切れておらず、当面の間は安全であってもいつ侵攻して来るか分からない。

 それを警戒し、また抑止力として《金の騎神》がクロスベルに配置されたのだが、ヘルムートは今日、突然現れてアルバレア公爵家の名前を使って引き取ると言い出したのだった。

 

「ユーシス、君からも父上に言ってくれ」

 

「…………俺は父上の命に従うだけです」

 

 向けられた兄の弱気な言葉にユーシスは不快感を感じながら無愛想に答える。

 父の我儘とも言える行動に弱腰なルーファス。

 ユーシスはこんな兄など見たくはなかったと目を伏せる。

 

 ――ここまで落ちぶれてしまったのか……

 

 オルディスでの騎神の選定を勝ち抜いた代償に左腕の自由を失ったルーファス。

 それが原因でアルバレア公爵家の次期当主候補から外され、トールズ士官学院の教官となった。

 そこまではユーシスも不満こそあれ、陰りを感じなかったルーファスに文句を言うつもりはなかった。

 しかし、内戦が始まり本来なら貴族連合の総指揮を取るはずだった彼がクロスベルに左遷されたように遠ざけられることになった。

 そのせいなのか、左腕が動かなくなっても衰えることがなかった気品が今は見る影もない。

 

「ユーシス……」

 

 弱々しく自分の名を呼ばれることにユーシスはルーファスの眼差しを無視する。

 

「ったく……随分と勝手なことを言ってくれるじゃねえか」

 

 父を説き伏せられないルーファスを見兼ねて彼の秘書官として後ろに立っていたレクターが肩を竦めて口を挟む。

 

「ふん! だからわざわざ《機甲兵》ゴライアスを持って来てやったと言っているのだ……

 拠点防衛という点では《騎神》よりも使えるはずだ」

 

「まあ、そうだけど……そもそも《金の騎神》だけ持って行ってどうするんだ? あれはルーファス以外には乗れないはずだぜ」

 

「そんなもの、我がアルバレア家に伝わる秘術を持ってすればどうとでもなる」

 

「秘術?」

 

 レクターは首を傾げ、ルーファスを振り返る。

 ルーファスは知らないと首を横に振る。

 

「む……」

 

 目と目で通じ合うレクターとルーファスにユーシスは顔をしかめる。

 亡くなったとは言え、元鉄血の子供であるレクターと元アルバレア公爵の貴公子にしては随分と近い距離だという事に不信を感じる。

 

「まあ良いか……そこまで言うなら是非、乗ってみて下さいよ……

 それで本当に乗れるって言うなら持って行けばいい」

 

「ちょっとレクターさんっ!?」

 

「どうせ断ってもこの公爵様が聞きやしないって、だったらやらせちまえ」

 

 口を挟もうとするクレアにレクターは小声で耳打ちをする。

 

「ふん! 分かれば良い。さっさと我が《騎神》の下に案内するが良い」

 

「へいへい」

 

 

 ………………

 …………

 ……

 

 そして、膝を着いて鎮座する《金の騎神》を前にヘルムートは古びた本を開いて呪文らしきものを唱える。

 すると、彼は光に包まれ《金の騎神》に吸い込まれるように消えた。

 

「そんな……」

 

「うそ……」

 

「あれ? 《金》ってあんなにゴツかったか?」

 

 その光景にルーファスとクレアは絶句し、レクターは違和感に首を傾げる。

 

「くくく……」

 

 笑いを押し殺した声が響くと、膝を着いていた《金》がゆっくりと立ち上がり、身体の調子を確かめるように腕を動かす。

 

「見たかカイエン公っ! 私にも乗れるぞ! 《大いなる騎士》エル=プラドーにっ!」

 

 ヘルムートはこれまで溜め込んでいた鬱憤を晴らすように虚空に向かって叫ぶ。

 《蒼の騎士》の後ろ盾となり貴族連合軍の主宰を気取るカイエン公。

 《蒼の騎神》を乗り回して英雄を気取って大きな顔をしているテロリスト崩れにもこれ以上好きにさせない。

 

「《黄金》を取り戻したアルバレア家の力見せてくれようぞっ!」

 

 帝国の内戦に《金の騎神》が――

 

 

 

 

 

 

 

「うむ、オルキスタワーに残された“霊子変換機能”は問題なく動いたようだな」

 

 その光景にG博士は満足そうに頷くのだった。

 

「うむ、三機のアイオーンのシステムを利用した《金の神機》メッキ=プラドー。どこまでやれるか見せてもらおう」

 

 Y人形師が博士の隣でしたり顔で頷いた。

 

「レン、しーらない」

 

 そして少女は何も関係ないとそっぽを向くのだった。

 

 

 帝国の内戦に《金の神機》が参戦するのだった。

 

 

 

 

 









《金の神機 メッキ=プラドー》
 オルキスタワーに残った神機のデータを元にG博士とY人形師が《金》の張りぼてを好き勝手に改造した機体。
 《零の至宝》のバックアップの代わりに主導力にフェンリルを使用。
 “霊子変換機能”により機体と融合することで操作を簡略化。
 追加武装としては《β》の翼と拡散光子砲と《γ》のディフレクションバリアを搭載。





NG もしも《金》にユーシスが乗ったとしたら

ユーシス
「俺にも乗れるぞっ! 《大いなる騎士》、金のエル=プラドーにっ!」

クリス
「ダメだユーシス!」

ユーシス
「これは“呪い”などではない、俺の意志でお前達と戦う事を決めたのだっ!」

クリス
「そんなことを言っている場合じゃない! その機体に乗り続けたら君は――」

ユーシス
「今更もう遅い。もはや俺とお前達の間には埋めようのない溝があるのだ」

《C》
「ふ……ならば君の相手は私がしようではないか」

ユーシス
「誰だか知らないが、そんな浮ついた色の《機甲兵》などにこの《エル=プラドー》が止められると思っているのか!? 身の程を知れっ!」


 ………………
 …………
 ……


ナーディア
「俺にも乗れるぞっ! 《大いなる騎士》、金のエル=プラドーにっ! どやっ!」

ユーシス
「……」

クリス
「これは“呪い”なのではない! 俺の意志でお前達と戦う事を決めたのだ――くわっ!」

ユーシス
「…………」

マキアス
「もはや俺とお前達の間には埋めようのない溝があるのだ……
 ああ、あったな……僕たちとの間に埋めようのない認識の溝が……くっ……」

ユーシス
「………………」

ルーファス
「寂しいものだね。どうやら私たちの間にあった絆は仮面で覆い隠せるものでしかなかったとは……
 ああ、浮ついた色の我が機甲兵殿は我が愚弟に何か言いたいことはあるかな?」

ピンクのシュピーゲル・アサルト
「ユーシス・アルバレア……強く生きろ」

ユーシス
「………………いろいろ言いたいことはありますが……とりあえず兄上、一発殴らせてください」

ルーファス
「はははっ! 思えばお前とこうやって戯れたことはなかったな」

ユーシス
「兄上っ!」





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35話 反理想郷への分岐点

 

 

 

 この混迷を極めるエレボニア帝国の貴族連合と革新派の戦争の中で、クリス・レンハイムという少年の立ち位置は極めて微妙な立ち位置にいる。

 皇族のみが乗ることを許された《緋の騎神》を盗み出した大罪人。

 戦争の元凶を作り出した一人。

 それが貴族連合の主張であるが、セントアークは革新派の勢力下にあるため、民衆でそれを信じている者は少ない。

 そもそもオリヴァルトの仲間が《緋》を貴族連合から逃がしたという認識ではあるのだが、クリス・レンハイムがどういう顔をしているかまでは認識していなかった。

 それに加えてセドリック・ライゼ・アルノールも先の宣誓式から表舞台に立つことはなく、大々的なお披露目もまだだったことも合わせてその容姿は周知されていなかった。

 そのおかげでクリスは元々士官学院生としてのイメージチェンジをしていたこともあって、他人の空似として街を歩くことはできていた。

 しかし――

 

「お願いしますセドリック殿下、どうか私の話を聞いてくださいっ!」

 

 導力銃を差し出すように地面に置いて土下座するギデオンが大きな声で叫ぶ。

 

「…………………………え?」

 

「貴方様のお怒りはごもっともですが、どうか! どうか私の話を聞いてください! セドリック殿下っ!」

 

 頭を下げたまま叫ぶギデオンの声は周囲の放送に負けないくらいの声量で、その必死さが伝わって来る。

 そして彼の行動はとても良く目立った。

 

「何だあれ……?」

 

「今、セドリック殿下って聞こえなかった?」

 

「まさか、セドリック殿下は皇宮にいるはずだろ」

 

「でもあのオリヴァルト殿下はあのセドリック殿下は偽物だって言っていたけど……」

 

 往来で土下座する男に注目が集まり、彼が口走るセドリックの名に疑心暗鬼が生まれる。

 

「ちょ、ちょっと――」

 

 周囲の反応に気付いてクリスはギデオンに土下座をやめさせようと試みる。

 

「セドリック殿下っ!」

 

 しかし、了承を得るまで梃子でも動かないと言わんばかりの土下座の気迫がそこにはあった。

 

「まさか本当にセドリック皇子?」

 

 聞こえて来た呟きにクリスは息を呑む。

 オリヴァルトからは然るべき状況を作って民衆の前に名乗り出て欲しいと言われ、くれぐれも目立たないように言い含まれれている。

 

「セドリック――」

 

「うるさいっ!」

 

 こちらへの配慮などまるで考えもしないギデオンにクリスはこれ以上喋るなとヴィクターから預かったトランクケースをその後頭部に振り下ろした。

 

「ぐはっ――な、何故……?」

 

「あははっ! お酒でも飲んでいたのかな?」

 

 周囲に笑って誤魔化し、クリスは呼び出した戦術殻に短く命令をする。

 

「α、そいつを僕達の飛行艇に連行して」

 

「はーいっ!」

 

 少女の声で翠の戦術殻は応えると、気絶したギデオンを抱えて光学迷彩で姿を消す。

 それを見届け、クリスは民衆に愛想笑いを振り撒いて――

 

「失礼しましたっ!」

 

 脱兎の如く逃げ出した。

 

 

 

 

 

 

「セ、セドリック殿下……? これはいったいどういうことでしょうか?」

 

 覚醒したギデオンは椅子に縛り上げられている状況に困惑して目の前でこちらを睨んで見下ろすセドリック皇子にギデオンは問いかける。

 顔をしかめたセドリックは大きくため息を吐く。

 

「あんな往来で僕の正体を叫んだりするからだ」

 

 その説明だけで理解したのか、ギデオンは相槌を打って謝罪する。

 

「なるほど……それは申し訳ないことをした」

 

 本当に理解しているのか怪しいふてぶてしい謝罪にクリスは顔をしかめる。

 

「ところで何故私は拘束されているのでしょう?」

 

「そんなの当たり前だろ? 君達が今まで何をしたか忘れたとは言わせない」

 

 ギデオンの疑問にクリスは何を言っているんだと返す。

 今でこそ、貴族連合の《蒼の騎神》の直属という公の立場を手に入れているが、元は帝国解放戦線の幹部の一人。

 いくら話し合いを望んでいるからと言っても、拘束しないで良い相手ではない。

 

「それは誤解です殿下」

 

「誤解……?」

 

 悪びれた様子もなく言うギデオンの態度にクリスは眉をひそめる。

 

「ええ、私は貴方の敵ではありません」

 

「…………何を今更……」

 

 ギデオン達、帝国解放戦線とⅦ組の間には多くの因縁が存在している。

 クリスにとって最初の特別実習においてケルディックで起きた盗難事件。

 その後も鉄道ジャックに、ノルドでの帝国と共和国の戦争を誘発させようとしていたこと。

 夏至祭の帝都で暗黒竜を復活させたこと。

 そしてクロスベル通商会議とガレリア要塞襲撃。

 彼らは様々な場面で己の勝手な大義名分を掲げて暴虐を尽くして来た。

 

「僕は貴方達が憎くてたまらない……

 貴方達は僕が尊敬していたオズボーン宰相を撃った」

 

「殿下、そもそもそれが間違いです。オズボーン宰相こそ、帝国を歪めていた――いや……」

 

 振りかざした主張を唐突に止めて、ギデオンは顔をしかめて視線を落とす。

 

「帝国の歪みは僕も気付いていたさっ!

 でもそれはオズボーン宰相が宰相になる前からあったものだっ!」

 

 クリスは知っている。

 多くの人達が貴族の横暴で苦しめられてきたことを。

 

「…………ええ、その通りです」

 

 てっきり反発して来ると思っていたギデオンはクリスの反論に静かに頷いた。

 椅子に縛られ項垂れているギデオンにクリスは強い違和感を覚えずにはいられなかった。

 

「……こんなはずじゃなかったんです……オズボーン宰相さえ打倒できれば帝国は正しい姿を取り戻せる……そう信じていたんです」

 

 訥々と語る言葉には帝都で感じた妄信や狂気はなく、そこにあるのは後悔と戸惑い。

 別人のように毒気が抜けたギデオンの様子にクリスは肩透かしをくらったように困惑する。

 

「オズボーン宰相が目指す未来が間違っているとしても、貴族連合が目指す未来が正しいとは限らない……

 そんな単純なことに私は今までどうして気付かなかったのか……」

 

「……どうやらちゃんと会話は成立するみたいだね」

 

 肩を竦め、クリスは憤りの感情をひとまず呑み込む。

 

「貴方に……貴族連合側の誰かとは一度ちゃんと話をしておきたかったんだ」

 

 本来なら四大名門の当主の誰か、ハイアームズ侯が適任だと考えていた。

 しかし、貴族連合の中でもハイアームズ家の地位はそこまで高くなく、クリスが求める情報はほとんどなかった。

 ギデオンも貴族連合の内情については詳しいとは思えないが、その代わり帝国解放戦線の内情に関しては精通しているはず。

 どちらかと言えば、自分よりも先輩達が欲している情報を持っているという意味でならギデオンの情報には価値がある。

 

「ええ、何でも聞いてください。拘束もこのままで結構です」

 

 殊勝にもギデオンは椅子に縛られている状況を受け入れる。

 

「もちろんタダでこちらの話を聞いてもらおうなどと虫の良いことを言うつもりはありません。それなりの交渉材料は持って来ています」

 

「交渉材料……?」

 

「ええ、例えば……通商会議の時、クロスベルから依頼された各国首脳陣の暗殺計画の証拠などです」

 

「…………え……?」

 

 ギデオンの言葉をクリスは一瞬、理解できなかった。

 

「これを使えば未だに反抗的なクロスベルの民衆を従わせる良い交渉材料になるのではありませんか?

 ルーファス・アルバレアに恩を売り、貴方の地盤固めを行うには丁度いいと具申します」

 

「通商会議の暗殺計画って……あれは帝国解放戦線と共和国のテロリストが……」

 

「わざわざ私たちが共和国のテロリストと足並みを揃える理由は本来ならありません……

 オルキスタワーの構造と会議のスケジュール、空路警備の穴、オルキスタワーの防衛機能の掌握コード……

 全て、クロスベル側から結社を通じて提供されたからこそ私たちは共和国のテロリストと手を組んだのです」

 

 確かに帝国側と共和国側からの二度に渡るハッキングにより、襲撃に必要なデータを奪ったと考えるよりもクロスベル側から提供されたという方が筋が通っている。

 一見すればオズボーンやロックスミスがテロリスト達が呼び込んだように見えていたが、彼らが確実に敵対する組織を動かせるわけがない。

 

「むしろクロスベルが呼び込んだとするなら、つじつまが合うけど……」

 

 ただでさえ、州全体に《D∴G教団》の団員だという疑いが向けられているクロスベル人にとってこの情報は致命的な威力を持つ。

 

「でも、それなら何で暗殺計画は失敗したんだ?」

 

「私も共和国のテロリストもクロスベルの言い分を全て信じたわけではありません……

 クロスベルにどんな思惑があって私たちを利用しようとしたか分かりませんが、提供されたデータも全てが正しかったわけではなかった」

 

 ギデオンはあの時、窓の外から機銃掃射が失敗になった予想外を思い出す。

 

「それ故の導力爆弾――フェンリルでしたが運悪く不発弾を掴まされてしまったようです」

 

「運悪く……貴方は自分が何をしたのか本当に分かっているのかっ!?」

 

 不発のくだりをひとまず置き、クリスは思わず激昂して胸倉を掴む。

 

「この際オズボーン宰相を殺したいというのは良い!

 だけど何の関係もない各国首脳やクロスベルの50万人を巻き込もうとした!

 ディストピアだかなんだか知らないが世界を巻き込んだ戦争を起こそうとしていたのは貴方の方だっ!」

 

「…………ええ、返す言葉もありません」

 

 以前の彼ならば、それでもオズボーンを殺すためなら必要な犠牲だと言い切っていただろう。

 しかし、ギデオンは本気で後悔しているようにクリスの罵倒を受け入れる。

 

「ちっ……」

 

 そんな豹変した態度にクリスは苛立ち、掴んだ胸倉を突き放す。

 

「クロスベルのことは後で良い! それよりも貴方が知っている事を洗いざらい吐いてもらう」

 

 そうクリスが宣言したところで、部屋に慌てた様子でトワ達が飛び込んで来る。

 

「クリス君っ!」

 

「黙秘権があると思わないことだ、こっちには拷問のプロだっているんだからね」

 

 駆け付けた仲間たちを背にクリスはギデオンとの話し合いに臨むのだった。

 

 

 

 

「まずは帝国解放戦線の成り立ちについて話そうか……」

 

 椅子に縛られたままの姿でギデオンは語り出す。

 

「その前に少し私の話をさせてもらおう」

 

 そう断ってギデオンは自分の切っ掛けを語り始める。

 

「私は帝都の学術員の政治哲学を専攻にした助教授をしていた」

 

 昔を懐かしむようにギデオンにクリス達はとてもそうは見えないという感想を抱く。

 

「三年前、オズボーン宰相の強硬的な領土拡張主義を批判したことが原因で私は学術員を罷免されてしまった」

 

「それは自業自得じゃないのかな?

 聞けば、許可なく公共の場で勝手にビラをまいて、その批判もかなり過激にエスカレートさせていたみたいじゃないか」

 

 被害者ぶっているギデオンにクリスはクレアから聞いていたギデオンの前科を指摘する。

 

「そうね……そんな過激な思想の持ち主をいつまでも助教授のまま在籍させていたら、そこの学院長の管理責任にもなるし生徒たちに与える影響も考えれば当然の判断ね」

 

 クリスの指摘にアリサも頷く。

 

「ようするに貴方って士官学院に入学したばかりの頃のマキアスなのよね」

 

「ぐはっ――」

 

 続けたアリサの言葉に当の本人は胸を押さえて蹲る。

 他の仲間達はギデオンとマキアスを見比べて、なるほどと頷く。

 

「矛先が貴族かオズボーン宰相かの違いと言うことですか…………

 ああ、バリアハートでユーシスさんやルーファス教官の悪口を言って捕まるんじゃないかってあの時はハラハラしていましたね」

 

「うぐぐ……」

 

 否定せず、具体的な例を出してエマにマキアスは唸る。

 

「あの頃のマキアスか……サラ教官、たしか特別実習で改善されなかったら退学の可能性があったんですよね?」

 

「ええ、ルーファス理事とイリーナ理事の二人が特にね。ええ、本当……」

 

「おおおお……」

 

 ガイウスとサラの会話にマキアスは体を震わせる。

 

「ユーシスやラウラと僕達が話しているだけでも嫌な顔していたもんね……

 それにクリスは仕方ないとしても、アリサにも突っかかっていたよね」

 

「やめて…………やめてくれ……」

 

 エリオットの呟きに黒歴史を暴かれる気持ちで懇願する。

 

「へえ、マキアスってば結構ヤンチャだったんだ」

 

「…………」

 

 Ⅶ組の中で当時を知らないシャーリィは揶揄う口振りで笑うが、もはやマキアスは唸る気力もなく、テーブルに突っ伏した。

 

「えっと、そんなにひどかったの?」

 

「それは……」

 

「うん、まあ詳しくは本人のためにも聞かないであげて」

 

「良くもまああの狂犬が、貴族と平民の架け橋になれたものだね」

 

 キーアの質問にトワとジョルジュ、アンゼリカは言葉を濁したりとそれぞれの反応を返す。

 

「トールズでもマキアスの貴族嫌いの思想が他の生徒に感染する可能性があったとすれば……

 貴方が学術院から罷免されるのは当然のことではないですか? まさかその恨みからテロリストに?」

 

「いいえ」

 

 マキアスいじりから話を戻したクリスの質問にギデオンは首を横に振る。

 

「学術院を退職させられたことに関しては私も納得しています。ただ……」

 

「ただ?」

 

「セドリック殿下達は革新派の内情を御存じですか?」

 

 ギデオンの問いにクリス達は顔を見合わせて首を捻る。

 面識がある革新派と言えば、マキアスの父であるカール・レーグニッツと鉄道憲兵隊のクレアだろう。

 

「その二人だけでも結構ですよ……

 私が言いたいことは、彼らは鉄血の部下ではなく狂信者と言うべき存在だと言うことです」

 

「狂信者……それはまた物騒な呼び方だね」

 

「あくまでも私が彼らに抱いた第一印象に過ぎません……ですが、私の危機感はここから来ていると言っても過言ではありません」

 

 ギデオンは何かを思い出して身震いをして続ける。

 

「私はギリアス・オズボーンが怖かった……

 あの圧倒的なカリスマとそれに目を焼かれ彼が為すことを全て肯定して、彼の言葉だけに盲目的に従うだけの革新派こそが私は帝国を脅かすテロリスト集団にしか見えなかった」

 

「それは被害妄想が過ぎるんじゃないかしら?」

 

「いや……その気持ちは今なら少し分かるかな」

 

 アリサの指摘にクリスが首を振る。

 

「僕も士官学院に進学するまで無邪気にオズボーン宰相の力強さに憧れていたから……」

 

 オズボーン宰相は良くも悪くも光だった。

 この人について行けば良いのだと思わせる自信に満ちた佇まい、そこから溢れるカリスマは皇族など霞むほどに力強かった。

 しかし今はギデオンの言う通り、オズボーンの力強さに憧れと同時に畏怖を感じてる自分をクリスは認める。

 

「学術院を退職した私には政治家となって正面からオズボーン宰相と対峙する道もあったでしょう……

 ですが、何の後ろ盾もない助教授でしかなかった私はオズボーン宰相と弁論を交わす前に、彼を取り巻く革新派によって亡き者にされていたでしょう」

 

「それは……」

 

「実際に私はオズボーン宰相を批難したという理由で平民に襲われているんですよ」

 

 ギデオンの告白にクリス達は押し黙る。

 

「彼らはオズボーン宰相が放った刺客ではないでしょう……

 ですが、おそらくオズボーン宰相は明るみに出ていない市民の暴行を見て見ぬふりをしている節があった……

 私はこれらのことから帝国がこのままでは狂ってしまうと危惧し、当時私を助けてくれたカイエン公の伝手で《帝国解放戦線》に参加することを決めました」

 

 締めくくられたギデオンの半生にクリス達は彼に向けていた敵愾心を忘れて押し黙る。

 単なら逆恨みのテロリストだと思っていたギデオンが語る革新派を外から見た視点。

 それは今の内戦の暴走ぶりを見た後では決して彼の作り話だと一笑することはできなかった。

 

「貴方の戦う理由は分かりました……」

 

 重苦しい空気を破って声を上げたのはガイウスだった。

 

「しかし、それでも貴方達が俺の故郷に戦争の火を点けようとしたことを許すことはできない」

 

 温厚なガイウスとは思えない憤りに満ちた目でギデオンを睨む。

 

「言い訳はしない……あの時の私は、どんなことをしても何を犠牲にしてもオズボーンを撃つためなら許されると思い込んでいた……

 いや、帝国の歪みを正せるのは自分達だけだと言う選ばれた存在になっていたのだと、酔っていたんだろう」

 

 ガイウスの憎悪を静かに受け止めるギデオンはやはり今までの彼とは根本から違って見えた。

 

「それで今は貴族連合が間違っていると気付いたから、裏切って革新派に着こうって言うのは虫が良過ぎるんじゃないの?」

 

「図々しいのは承知しています!

 ですが、今貴族連合を止めないと帝国どころかゼムリア大陸全土がとんでもないことになってしまうっ!」

 

「さっきもそんなことを言っていたけど、具体的に何があるって言うんだい?」

 

 ギデオンが何故焦っているのか理解できず、クリスは答えを促す。

 

「君達はどんな形であれ、最大の敵であるオズボーン宰相を倒すことに成功しているはずだ。なら後は消化試合なのにどうして宰相の死体を血眼になって探しているんだ?」

 

「殿下は知りませんか? 彼はリベールとの百日戦争の直前、生死不明の大怪我を負っていたことを」

 

「生死不明の大怪我?」

 

「ええ、彼の自宅を何者かが襲撃された……

 彼の妻子はそこで亡くなり、彼もまた現場に残った血痕の出血量から生存は絶望的だった……

 しかし、その後行方をくらませていたオズボーンはいつの間にか皇帝と面会を果たし、一介の軍人でしかなかった彼は宰相となっていた」

 

「…………」

 

 ギデオンが語るオズボーンの過去にクリスは言葉を返すことなく黙り込む。

 

「そんなことが……」

 

「つまり貴族連合はオズボーン宰相の奇蹟の復活を警戒しているという事なんですね」

 

 アリサはオズボーンの知られざる経歴に絶句し、エマはオズボーンの復活の理由を思案しながら言葉を漏らす。

 

「…………ちなみに……その時に亡くなったオズボーン宰相の妻子の名前は何って言うか知っていますか?」

 

 少しの熟考を経て、クリスは緊張を孕んだ質問を投げかける。

 

「いえ、流石にそこまでは把握していません」

 

「そうか……」

 

 答えが返って来なかったことにクリスは複雑な気持ちになりながら息を吐く。

 

「貴族連合が止まらない理由は分かった……

 それで貴方は彼らの何を危惧しているんですか?」

 

「先日、貴族連合内で新型の《機甲兵》が完成しました」

 

「新型の《機甲兵》?」

 

「実際はオルディーネの合体用に改造された“ケストレル”と“ゴライアス”の量産型なのですが……

 問題はこの二機に搭載されたシステムなんです」

 

 ギデオンが神妙な顔をして二枚の写真をテーブルの上に出す。

 

「《風のケストレル》」

 

 それはドラッケンやシュピーゲルと比べると細身な《機甲兵》だった。

 

「風の……」

 

 その単語に真っ先に反応したガイウスがテーブルに乗り出してそれを凝視するが、クリスにとってそれ以上に引き付けられるものが写真に写っていた。

 

「これは“太刀”?」

 

「ええ、東方由来の剣です」

 

 クリスの呟きにギデオンは頷き、彼の危惧を口にする。

 

「この《機甲兵》はクロスベルの剣聖、アリオス・マクレインの戦術プログラムが搭載された――無人機なのです」

 

「無人機……それも八葉一刀流の剣聖……」

 

「アリオスの……」

 

 クリスとキーアは改めて写真に写る、整然と並ぶ“ケストレル”の一機一機がアリオスや“彼”と同等の剣技を使うという事実に眩暈を感じる。

 

「…………いったい何機あるんですか?」

 

「今なお、この機体は生産されているので正確な数字はお答えできません」

 

 剣聖が量産されるという悪夢にクリスは絶句する。

 

「もう一つの“ゴライアス”……

 こちらには《V》と《S》の砲と結界陣を再現した新武装が搭載された無人機です」

 

「《V》と《S》の技……」

 

「こっちも無人機……貴族連合は戦争を機械任せにやるつもりなの?」

 

 アリサはこれが戦場に参戦した場合を想像し、ギデオンを問い質す。

 

「カイエン公はこのシステムを絶賛すらしています……

 死を畏れぬ機械仕掛けの兵士。文句も言わず、ただ命令を忠実に従い、いくらでも用意できる理想の兵士……

 これを使い、内戦を平定した後はゼムリア大陸制覇に乗り出すつもりだそうです」

 

 貴族派と革新派を超えた先の未来の展望。

 それは決して夢幻ではないのだろう。

 戦場を無数の《風の剣聖》が駆け回り、無数の機甲兵が絶対防御と砲撃で蹂躙する。

 更には貴族連合にはまだ《ダインスレイヴ》という長距離質量兵器まで存在している。

 

「オズボーン宰相を止めて、来るディストピアを回避する私の大願はまだ叶ったとは言えません……

 ですが、貴族連合がもたらす未来もまた私は受け入れることはできません」

 

「ギデオン……」

 

 必死に訴えかけるギデオンに彼がどうしてこれまでの主義主張を捨て、クリス達の前に現れたのか理解する。

 《機甲兵》の無人機化。

 これが戦場に導入されれば貴族連合側の戦死者は限りなくゼロになるだろう。

 だが、同時に人としての何かを致命的に失う危うさを持っている。

 

「戦争を機械に任せてしまえば、それはもはや“ゲーム”でしかありませんっ!

 ですから、どうかっ! どうか貴族連合を止めてくださいっ!」

 

 身体を椅子に縛られてなければその場に土下座していただろう勢いでギデオンは頭を下げるのだった。

 

 

 

 

 








補足説明
通商会議の襲撃について
原作ではオズボーンとロックスミスが隙を見せたことでテロリスト達を呼び込んだようにみせていました。
一見すれば、全て二人の策略に見えますが、直前のジオフロントでのティオとの合流でのイベントではカンパネルラがオルキスタワーのデータを横流ししています。
結社とクロイス家が繋がっていたことを考慮すれば、順当にクロイス家が結社を通じてテロリスト達に構造データを横流ししていたとするのが妥当だと考えます。
ただ各国首脳の暗殺計画はあくまでもテロリストを呼び込む口実であったでしょう。

本来の筋書きはテロリストをクロスベルの力で捕縛することで、自衛能力を示した上でテロリストを呼び込んだ責任をオズボーンとロックスミスに擦り付けて、独立宣言を行おうとしていた。
しかし、二人がそれぞれ《赤い星座》と《黒月》を雇っていたことでディーターの計画は頓挫し、あの半端な意識表明になったのでしょう。

要するにテロリストをダシにして謀略を巡らせていたのはオズボーンとロックスミスだけではなかったという事ですね。







強化型ケストレル 《風のケストレル》
閃Ⅱで登場したアリオスのデータを搭載したレジェネンコフ零式の技術を機甲兵に流用したケストレル。
高機動状態での排熱問題は無人機にすることで得られたコックピットスペースに冷却システムを乗せてクリア。
もちろん完全な《剣聖》の再現はできないものの、最大のメリットは量産することができて複数人の剣聖を戦場に投入できることでしょう。

自分の剣技が帝国で悪用されていることを知ったアリオスさんはどう思うでしょうね。




強化型ゴライアス
《V》のデストラクタキャノンと《S》のグラールスフィアを導力技術で再現した武装を搭載した大型機甲兵。

イメージはガンダムWのMDビルゴです。






NG?

ケストレルA
「私は八葉一刀流、風の剣聖アリオス・マクレイン」

ケストレルB
「私は八葉一刀流、風の剣聖アリオス・マクレイン」

ケストレルC
「私は八葉一刀流、風の剣聖アリオス・マクレイン」

○○○○・○○○○○
「……結社のような悪の組織ならともかく、誇り高い帝国貴族が戦争を機械任せにするとは嘆かわしい」

ケストレルA
「私は八葉一刀流、風の剣聖アリオス・マクレイン」

ケストレルB
「私は八葉一刀流、風の剣聖アリオス・マクレイン」

ケストレルC
「私は八葉一刀流、風の剣聖アリオス――――私は八葉一刀流“初伝”、私は八葉一刀流“初伝”」

○○○○・○○○○○
「んふふふふふふ……これで良し」






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36話 宿題


 前話にまとめて投稿していた方が良かった話かもしれません。
 とりあえず情報整理はここまでで、次の話から行動を再開させる予定です。







 

 

 

「《C》はギデオンの話をどう考えますか?」

 

 夜も深まった深夜。

 飛行艇の艦橋でクリスはこの場で自分達の会話を聞いていた《C》に尋ねる。

 

「一人の見解としては興味深いがそこまでだね。聞く価値もない」

 

 あっさりと言ってのける《C》にクリスは呆れる。

 

「本当なら今頃、貴方が貴族連合の参謀として彼らを動かしていたはずなのに随分な言い様ですね」

 

「そうかね? 所詮は自分の感情を制御できない俗物、鉄砲玉くらいにしかならないと思われて当然ではないかな?」

 

 辛辣な言葉にクリスは肩を竦めて答えを言葉にするのを誤魔化す。

 

「彼がもしもオズボーン宰相の前任の宰相か、もしくは次期宰相という立場ならば彼の主張もある程度認めることは吝かではない……

 帝国の未来を憂いていると言いながら、宰相の代わりに帝国を支え導く気概もない彼らをどう評価しろと?」

 

「それは……」

 

「帝国の未来を憂いていると言うのは建前に過ぎない。彼の本質はあくまでも学者、ただ自分の持論の正しさを証明したいだけさ」

 

「そこまで言いますか……」

 

 クリスも帝国解放戦線に掛ける情けなど持ち合わせていないが、《C》程に辛辣にはなれない。

 

「仮にこれからの帝国を背負う意志があったとしても、暴力によって政敵を排除しているため、もはや彼らが作る未来は恐怖政治にしかならないよ」

 

「そこまで分かっていて参謀になる予定だったんですか!?」

 

「ふふふ……」

 

 慄くクリスに《C》は意味深な笑いを返す。

 

「でも、ギデオンの主張に筋が通っていなかったとしてもオズボーン宰相が貴族と平民の対立を促していた黒い噂は事実なんですよね?」

 

「その事に関しても、私は彼らの主張を全て論破できるがね」

 

「ええ……」

 

 話を逸らそうとしたクリスは《C》の自信に満ちた言葉にドン引きする。

 

「《V》なら僕だって論破できるけど……《S》も?」

 

「彼女には同情の余地はあるのを前提として話をするが……

 地上げや平民の財産を地位とミラを使って取り上げると言うのは貴族が行ってきたことなのだよ……

 例えば、Ⅶ組の最初の特別実習で起きた半貴石を巡るトラブルを聞いていないかな?」

 

「あ……」

 

 言われてクリスが思い出したのは、自分が行かなかったバリアハートの特別実習での出来事。

 《ドリアード・ティア》と呼ばれる半貴石を巡る貴族と平民のトラブル。

 規模こそ差はあるが根幹にある問題は確かによく似ていた。

 

「半貴石を結婚指輪にしたいか、漢方として利用したいか……

 これは見解の相違であり、どちらを責める問題ではないだろう……

 しかし中には平民から取り上げた土地や財産を、思っていたものとは違うと簡単に捨て去る者もいる……

 そう言う者が存在することを考えれば、オズボーン宰相の政策は被害者が少ないくらいだろう。それに君はカプア特急便を覚えているかね?」

 

「カプア特急便って……ルーファス教官たちがユミルに来るのに利用したリベールの運輸会社ですよね?」

 

「ああ、実は彼らはリーヴスを治めていた元帝国貴族でね……

 資産や領地を鉄血宰相に騙し取られたという噂があるが、彼らはリベールという新天地で再起することに成功している……

 では何故、政府からの援助があったにも関わらず《S》はテロリストにまで身を落としたのかな?」

 

「それは…………誰もが成功できる程に強くなかったからじゃないですか?」

 

「それもある。だが彼らが大切にしていた“先祖伝来の土地”も開墾を果たした祖先の努力があったからこそのもの……

 祖先と同じ努力をできない……

 ただ継承されたものの上に胡坐をかいているのなら、彼らは平民でありながら昨今の先祖の功績に縋って生きている貴族と同じだと言わざるを得ない」

 

「…………そういう考え方もあるんですね……」

 

 《C》が示す見識にクリスは感心する。

 ギデオンから聞いた解放戦線の幹部たちの生い立ちを軽く聞いた中で《V》の例外はあっても同情できるものを彼らに感じていた。

 

「もっともオズボーン宰相の政策の犠牲者なのだから彼を恨む資格はあることは確かだろう」

 

「…………それじゃあ結局どっちが悪いんですか?」

 

 しかし直前の言動を翻す《C》にクリスは困惑する。

 

「こんな論争など意味はないよ……

 オズボーン宰相は噂通りの悪なのかもしれない……

 しかし、彼が悪だからと言って帝国解放戦線が正当化されるわけではない……

 彼らは既にオズボーン宰相と同じ穴の狢なのだが、彼らはそれを理解していないように感じるね」

 

「そうですよね……」

 

 ノルティア州で遭遇した《V》やクロウは以前に増して人の言葉を聞こうとしない狂気を纏っていた。

 

「それじゃあクロウの言い分の穴って何なんですか?」

 

 クリスは改めて一番気になっていたクロウについて尋ねる。

 

「僕は噂通りアームブラスト市長が鉄路を爆破した真犯人だと思うんです……

 ただ根拠はそれこそクロウ先輩がテロリストだということくらいで……」

 

「ふむ……その質問に答えることはできるが……そうだね、それは宿題にしておこう」

 

「ええっ?」

 

 意外な答えにクリスは声を上げる。

 

「君が本気でクロウ・アームブラストと相対するつもりがあるのなら、彼にぶつけるべきは私の答えではなく、君自身が出した答えであるべきだろう」

 

「僕自身の答え……」

 

「だが、あえてヒントを上げるならジュライは“アルセイユを用意できなかったリベール”という事だ」

 

「リベール……アルセイユ……」

 

 思わぬヒントにクリスは意味も分からず首を傾げ、ため息を吐く。

 

「どうして僕の周りの先生ってスパルタが多いのかな?」

 

 今の《C》や士官学院でのルフィナの個別指導を思い出せば、その前の皇宮での授業が凄く易しいものだったと思えてくる。

 

「それにしても……宿題か……

 そう言われるとオズボーン宰相を思い出すな」

 

 思い出した記憶に連想してクリスはオズボーン宰相との思い出を振り返る。

 

「今の《C》――ルーファス教官はオズボーン宰相に似ていましたね」

 

 ただ率直な感想をクリスは言葉にする。

 学院でのルーファスはまさに貴族とはこうであるべしと言わんばかりの貴公子然とした振る舞いと言動を取っていた。

 それにオズボーンを擁護するような意見もそんな貴族は決して口にしたりはしないだろう。

 

「む……そうかね」

 

 クリスの言葉に《C》はくぐもった返答をする。

 どこかバツが悪い、失言をしてしまったルーファスの反応にクリスはある可能性を閃く。

 

「ルーファス教官、貴方は……もしかして……」

 

「…………何かな?」

 

 歯切れの悪い反応にクリスは確信を得ながら、気付いた真実を突き付ける。

 

「貴方は――オズボーン宰相の隠れファンですねっ!」

 

「……………」

 

 今は畏怖を感じるようになったものの、オズボーン宰相への尊敬の念が消えたわけではない。

 故に同好の士を見つけたようにクリスは目を輝かせてはしゃぐ。

 

「表向きにはルーファス教官は四大名門の跡取り候補だったわけですから、表立ってオズボーン宰相の凄さを称賛するわけにいかないですよね!」

 

「…………」

 

「この手の話題って“あの人”とはできなかったから何だか嬉しいな」

 

「…………はぁ、貴方と言う人は……」

 

 《C》は思わずため息を吐く。その言葉には笑いの気配があった。

 

「馬鹿な子ほど可愛いという言葉があるが、なるほどこれがアルノール家の人誑し力と言うものか」

 

 ユーシスや“彼”を始め、およそ優秀な者達しか周囲にいなかったルーファスにとってクリスはある意味で新鮮な眩しさがあった。

 仕方がないと呆れさせながらも、手を伸ばして助けてしまいたくなる。

 ルーファスが敬う“彼”とは異なるカリスマ性に惹きつけられるものを感じてしまう。

 

「馬鹿って……それは酷くないですか?」

 

「そう言われたくないのならしっかりと宿題を果たし、クロウ・アームブラストと決着を着けてみたまえ」

 

 《C》の指摘にクリスは緩んだ表情を引き締めて――

 

「あの二人とも……」

 

 今まで沈黙を保っていたアルフィンが口を挟んだ。

 

「何だいアルフィン? 今日はもう休んだ方が良いって言ったのに何か用?」

 

「はあ……用があるのはわたくしじゃありません」

 

 ぞんざいな弟の言葉にアルフィンはため息を吐き、隣に座っているキーアに視線を送る。

 

「キーアちゃん……キーアちゃん……」

 

 うつらうつらと舟をこいでいるキーアをアルフィンは揺さぶって呼び掛ける。

 

「だいじょーぶ……だいじょーぶだよエリゼ……きーあ、ねむってないよ」

 

 アルフィンをエリゼと間違いながらキーアは自分は起きていると眠そうな目をこすりながら答える。

 既に時間は深夜。

 良い子は既に眠る時間なのだが、キーアはある理由でクリスと《C》の話し合いが終わるのを待っていた。

 

「クロスベルのことについては明日、改めて話し合うって言ったはずだけど……」

 

「だめ……きーあもちゃんときく……きかないといけないの……」

 

 そんな眠そうな顔を言われてもとクリスと《C》は困ったように顔を見合わせる。

 こうなることが分かっていたからクロスベルのことについては明日に回すことにしたのだが、どうやらキーアはそれを待つことはできなかったようだ。

 

「そうは言っても、今の僕達にできることはほとんどないんだけどな」

 

「ギデオンが提出した暗殺計画の導力メールのコピーだが、クロスベルのジオフロントから送信されたものに違いないが……」

 

「どうかしましたか?」

 

「この送信場所を示しているコードはジオフロントB区画、第八制御端末。そこは何者かによって既に破壊されていたはずだ」

 

「……証拠隠滅ですか……明日、レクターさんに連絡して最後に端末を操作した人物を洗ってもらいますか?

 たぶんディーター・クロイスの協力者だと思いますから」

 

「その程度が妥当だろうね……

 帝国の内戦に集中しなければならない現状で、この情報を公開してクロスベルに暴動を起こされてはたまらない」

 

「そう言うわけで、この事については内戦が終わるまで保留にするから、キーアはもう寝た方が――」

 

「ごめんなさい」

 

「え……?」

 

「ん……?」

 

 突然謝ったキーアにクリスと《C》は揃って首を傾げる。

 

「えっと……B区画の第八制御端末……きっと最後に触ったのは……ロイドたち……です」

 

 キーアの正直な告白にクリスと《C》は天井を仰いだ。

 

「また特務支援課か……」

 

「ロイドさん……」

 

 

 

 

 

 






リーダーは誰だ!?

クリス
「そう言えば一つ、疑問なんだけど」

ギデオン
「何ですか? 私に分かることでしたら全て答えるつもりですが……」

クリス
「そこまでかしこまった疑問じゃないんだけど、どうやって帝国解放戦線のリーダーを決めたのかなって」

トワ
「そう言えば……」

ジョルジュ
「確かに結成が数年前ならクロウはまだ16歳くらいだったのかな?」

アンゼリカ
「ザクソン鉄鉱山で会った《V》は子供をリーダーにして黙っているような物分かりの良い男には見えなかったな」

ギデオン
「もちろん最初は私たちもいがみ合っていたものだよ……
 だが魔女が導く試練を共に潜り抜け、共に修羅場を乗り越えることで私たちは同じ意志を持つ同志なのだと互いの理解を深めた……
 そうして《蒼の騎神》を得る頃には皆、クロウをリーダーと認めていました」

クリス
「…………僕達が旧校舎で受けた試練をクロウも受けていたのか……」

エマ
「それで姉さん……ヴィータ・クロチルダはどういう理由で帝国解放戦線の中からクロウ先輩を“起動者”に選んだんですか?」

アリサ
「そう言えば《騎神》って帝国人じゃなくても乗れるのね?」

エリオット
「でもキーアちゃんも乗れているし……でもクリスの“テスタ=ロッサ”は皇族専用だったね」

ガイウス
「だが確かに疑問ではあるな。戦闘のプロである猟兵」

マキアス
「それに七耀教会の法剣を修めた教会の剣士」

シャーリィ
「あれを戦闘のプロって認めたくないけど、三年前のクロウならあのチンピラの方が強くてもおかしくないよね」

サラ
「それに自分の手でオズボーン宰相を殺したいって言うなら《起動者》の席を他人に譲るとは考えづらいわね」

エマ
「どうなんですか?」

ギデオン
「私は彼女ではないので正確な理由は分かりませんが……その……」

エマ
「その……?」

ギデオン
「………………“顔”……そう魔女は言っていました」

エマ
「…………………へえ……そうですか……“顔”ですか……」

クリス
「おおお、落ち着いてエマ! ヴィータさんの事だからきっと冗談――ひぃっ!」

エマ
「ふふ、フフフフフ、姉さんったら……くすくす……」




*ここでは《蒼》の試練は帝国解放戦線のメンバーで行い、その過程で絆を深め合ったということにしています。




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37話 豹変



 長らくお待たせして申し訳ありません。
 やはりⅦ組+先輩とクロウの関係を描写するのに難しいですね。

 少し強引な展開となってしまいましたがご容赦ください。









 

 

 

 

「それではアプリリスさん達はこのままユミルの人達についてくれるんですね?」

 

「ええ、いつまでになるかまだ分かりませんが、最低限でも生活が安定するまでノーザンブリアに帰るつもりはありません」

 

 アプリリスの答えにクリスは安堵の息を吐いて感謝する。

 カレイジャスでセントアークに無事に辿り着いたユミルの住民の今後の展望はまだ明確に決まっていない。

 ひとまずはセントアークで、その後は戦線から離れることを目的でパルムへ。

 そこからリベールに亡命するかは、疲れ切った彼らにそこまで考える余裕はない。

 

「それは助かります。できることなら僕達も最後まで付き合いたかったんですが……」

 

「御身の立場を考えれば仕方がないでしょう……

 それに救ってもらったのに、“彼”の故郷を守り切れなかった私たちがここで帰るわけにはいきません」

 

「アプリリスさん……」

 

 彼女の気持ちはクリスも良く分かる。

 クリスも出来る事ならユミルの人達を優先したいが、周りがそれを許してくれない。

 

「ユミルの人達のこと、よろしくお願いします」

 

「勅命、承りました」

 

 恭しく頭を下げてアプリリスは退出する。

 

「それじゃあみんな、これから僕達がどうするか話し合おうか」

 

 クリスは己の仲間達に向き直り、第二、第三のケルディックやユミルが生まれないための話し合いを始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回のユミル崩落とサザーランド州の消耗率はこんなものね」

 

 そう報告したアリサは席に着く。

 

「ありがとうアリサ……それにしても、分かってはいたけど……」

 

 改めて知らされた自分達の状況にクリス達はため息を吐く。

 クロスベルから乗っていた飛行艇はオスギリアス盆地で簡単な修理はされたものの、オーバーホールが必要であり今後の利用は推奨できない。

 《翠のティルフィング》はカレイジャスに搭載していた交換パーツのおかげで修復は完了している。

 エリオットが使っていた《琥珀のティルフィング》も酷使が酷かったものの、まだ十分に戦える。

 それに対してマキアスが乗った機甲兵はほぼ再利用不可能だった。

 

「肝心の《騎神》も“テスタ=ロッサ”以外は当分動けそうにないか」

 

 三機とも損傷が激しかったのを《灰》と《桃》の二機の神気をつぎ込んで《緋》だけをすぐに戦闘ができる程に回復させた代償でもある。

 イストミア大森林の霊場が使えなくなったことから、《灰》と《桃》を復活させるには別の霊場が必要になる。

 

「セントアークにも騎神を封印していた霊場は一応あるけど、二機まとめて修復できる程じゃないわよ」

 

「それに動けるようになったと言っても《緋の騎神》も休ませなければいけません」

 

 セリーヌとエマの意見にクリスは聞き返す。

 

「他の霊場の当てはないの?」

 

「ここから一番近い場所だと……やはりレグラムのローエングリン城でしょうか」

 

「レグラムと言えば、フィーがクロスベルで別れて向かった場所だな」

 

 エマの答えにガイウスが追加の情報を付け加える。

 

「レグラムにはラウラがいるらしいけど……それにユーシスも……」

 

 クロスベルにいた時点ではクロイツェン州統一を目的に動いているアルバレアと内戦に参加しないと反対するアルゼイドの意見を違えている状態にあった。

 その矢面に立っているのはⅦ組のユーシスとラウラである。

 

「ユーシスはもう貴族連合になったと思うべきなのかな?」

 

 Ⅶ組として特別実習を通して、貴族の歪みを共に見て来た仲間がどうしてとクリスは戸惑う。

 

「正直、信じられないな」

 

 クリスの呟きにマキアスが頷く。

 

「認めたくはないが、良くも悪くもユーシスには一本の筋が通っていた……

 あの男が普段から言っていた“貴族の義務”と言うものが僕には分からなかったが、今の貴族の無法を見て見ぬふりをする男ではなかったはずだ」

 

 ユーシスに対しての考えを語ったマキアスはふと、訪れた沈黙に首を傾げる。

 

「まさかマキアスの口からユーシスを擁護する言葉が出て来るなんて……」

 

「流石は貴族と平民の架け橋、《超帝国アイドル》と言うべきかしら?」

 

「なんだか感慨深いね」

 

 と、クリスとアリサ、そしてエリオットがマキアスの成長に浸り、他のⅦ組も苦笑しながらも同意する。

 

「ええいっ! 僕のことは今はどうでも良いだろ!?」

 

「えっと確かにユーシスさんらしくない行動ですけど、何か事情があるかもしれません……

 貴族の家には私たちでは分からないしがらみがありそうですから」

 

「そこら辺は本人に直接聞けば良いんじゃない?

 と言う事で、次の目的地はレグラムで良いの?」

 

 激昂するマキアスを宥め、エマが議題を進行させシャーリィが指摘する。

 

「うん、《騎神》の回復を考えるならそれが妥当だと僕は思う。ラウラやフィー、それにユーシスとも合流したいし」

 

「で? ラウラとユーシス、どっちに着くつもりなの……

 いや、ユーシスと戦う覚悟が坊ちゃんはちゃんとできてるの?」

 

「それは……」

 

 続くシャーリィの問いにクリスは黙り込む。

 

「クリスだけじゃないよ。みんなもユーシスやそのクロウ先輩って人と本気で殺し合うつもりはあるの?」

 

「殺し合うなんて……そんな……」

 

 物騒なシャーリィの言葉にトワが慄き、場に重苦しい空気が流れる。

 

「そう言う君はユーシスと戦えるのかい?」

 

 即答できない苦し紛れにアンゼリカが聞き返す。

 

「当然」

 

 その質問にシャーリィは即答で言い切った。

 

「シャーリィは今、帝国政府にクリスを守れって依頼でⅦ組にいるんだよ……

 例えここにいる誰が敵に回ったとしてもシャーリィがすることは変わらない」

 

「っ……」

 

「当然、そっちが気にしているクロウ先輩もね」

 

 付け足された名前にトワ達は息を呑む。

 

「それは――」

 

「ねえ、何でそのクロウ先輩に拘るの?」

 

 思わず反論しようとしたトワの言葉はシャーリィに遮られる。

 

「クロウ先輩は帝国解放戦線で、テロリストなんだよ?

 シャーリィ達、猟兵と同じ……ううん、それ以上の人殺しなんだけど、そこら辺ちゃんと分かってるの?」

 

「あ……」

 

 突き付けられた言葉にトワは押し黙る。

 

「根は良い人だから? 憎めない人徳があるから?

 復讐のために一つの都市を焼き払う事を容認するような奴が本当は善人?

 いくら何でも猟兵だってそこまではやらないのにさ」

 

「いや、しかし……」

 

 クロウがして来たことを突き付けて来るシャーリィにアンゼリカは返す言葉が出て来ない。

 

「クロウ先輩にとって、真の仲間は先輩達じゃなくて帝国解放戦線だったって事でしょ?」

 

「……クロウのことを親友だと思っていたのは僕達の独りよがりだったって言うのかい?」

 

「裏切った相手に執着し過ぎ」

 

 ジョルジュの反論をシャーリィはその一言で切って捨てる。

 

「ねえクリス」

 

 煮え切らない先輩達に呆れたため息を吐いてシャーリィはクリスを呼ぶ。

 

「何だいシャーリィ?」

 

「まさかクリスもクロウを殺すなって言ったりしないよね?」

 

 シャーリィの質問にクリスは答えず、目を伏せる。

 

「そんな甘いことを言うようなら、クリスはここでふん縛って監禁するんだけど」

 

「ええっ!? 何でいきなりそんな話に?」

 

「半端な覚悟と意志で戦った所で無駄死にするなら立場上シャーリィはクリスを守らないといけないから……

 戦う事までは否定しないけど、あいつらってオルキスタワーで自爆戦術使って来た奴等なんだよ、変な仏心を出したら死ぬのはクリスの方なんだよ」

 

「僕は……」

 

 胸に手を当ててクリスは考える。

 

「正直、僕はクロウ先輩との面識はあまりないんだよね」

 

 最初は学院ですれ違う上級生くらいの認識。

 彼と関わりを持つようになったのは帝都での特別実習から。

 その後でもリベールへの小旅行や単位不足の補習代わりにガレリア要塞への下級生の引率で顔を合わせたくらいでしかない。

 

 ――思えば、ガレリア要塞の襲撃もクロウ先輩が内部から手引きしていたって言う事なんだろうな……

 

 あの時の凄惨な戦場を思い出し、胸の奥に渦巻く黒い感情をクリスは自覚する。

 

「だけどこれだけは言える。僕はクロウ・アームブラストを許せない」

 

「クリス君っ!?」

 

「トワ会長、クロウ先輩はテロリストです……

 たくさんの人を殺し、オズボーン宰相を撃ってこの内戦の引き金を引いた大罪人です……

 僕は次期帝国の皇帝になる者として、これ以上彼らの暴挙を見過ごすわけにはいきません」

 

「でもっ!」

 

 一見すれば冷静な言葉を並べるクリスだが、その瞳には抑え切れないクロウへの憎悪が見えてトワは声を上げる。

 

 そんな二人を一瞥し、クリスは会議室の一同を見渡して宣言する。

 

「僕はクロウ・アームブラストを討つ」

 

 はっきりと言葉にすると、それまで悩んでいたしこりが消えたようにクリスの口は動き出す。

 

「僕達はこれまで特別実習を通して帝国の歪みを見て来ました」

 

 目を伏せて思い出せば色々あったと懐かしい気持ちが込み上げてくる。

 

「平民を見下して好き勝手振る舞う貴族もいれば、オズボーン宰相の威を傘に礼節を忘れた平民たちもいた……

 争いの切っ掛けは確かにオズボーン宰相だったのかもしれないけど、争う原因はずっと前からあったんだと思う」

 

 マキアスの従姉の事件や士官学院で貴族生徒が平民生徒を見下している現状にはオズボーン宰相は関係ない。

 

「何より、オズボーン宰相に国の舵取りを任せたのは僕の父でもあるユーゲント皇帝です……

 皇族として僕はクロウ先輩や帝国解放戦線の怒りと向き合う義務から逃げるわけにはいかない。だから僕はクロウ・アームブラストと戦います」

 

 言いたいことを言えて息を吐くと改めてクリスは一同を見回す。

 

「僕のクロウ達と戦う“根拠”はこんなところかな?

 このまま貴族連合の好きにさせてしまえば問題は帝国だけに留まらないって言うのも理由は二の次になるけど、それで良いかい?」

 

 同席を許したギデオンに問いかければ、彼は恭しく頭を垂れる。

 

「ええ、無人操作の《機甲兵》が開発されたとは言え、クロウの《蒼の騎神》が貴族連合の最高戦力だと言うことは変わりません……

 貴族連合の野望を崩すのなら、クロウを倒すことが一番の近道でしょう」

 

 クリスの宣言にギデオンは昔のことを思い出す。

 

「思えば、最初に会った時から彼は変わってしまった……

 変えてしまったのは私なのでしょう。どうか彼を止めて下さい。そのためならこの身はいかようにしてくれて構いません」

 

「分かった」

 

 ギデオンの覚悟に頷いてクリスは仲間たちに向き直る。

 

「そう言うことだ……もし君達が顔見知りとは戦えないと言うなら、ここで降りてくれて構わない。どうする?」

 

 ギデオンの言葉に頷き、クリスは改めて一同に覚悟を問う。

 

「シャーリィはまだ帝国政府に契約を切られてないから当然付き合うよ」

 

 いの一番に答えたのはシャーリィだった。

 

「僕は…………もう貴族連合の全てを滅ぼしたいとは思ってないけど、父さんを殺したクロウ達を好き勝手させちゃいけないと思う」

 

 彼女に続くのはエリオット。

 先の戦闘に後ろめたさはあるものの、憎しみだけではない理由で戦い続けると告げる。

 

「あたしもクロウ達を倒すことには賛成よ」

 

 そう答えたのはアリサ。

 

「ラインフォルトのことだけじゃない。クロウや貴族連合には聞かなくちゃいけないことがあるから」

 

「私も……私も異論はありません」

 

 重い口を開き、エマもまた“根拠”を口にする。

 

「クロウ先輩は義姉さんが導き手となった《起動者》です……

 でも義姉さんと彼らが袂を分けている以上、《蒼の騎神》は私たち《魔女の眷属》が回収しなければならない“力”です」

 

「俺はみんなと違って大層な理由があるわけではないが」

 

 そう切り出したのはガイウスだった。

 ガイウスはギデオンを一瞥して口を開く。

 

「俺の故郷であるノルドは二度に渡って帝国解放戦線と貴族連合に戦火を持ち込まれた……

 あの穏やかで美しく、俺が愛してやまない大地を汚した報いを受けさせる……

 それが俺の戦う理由だが、それ以上に俺はⅦ組が好きだ」

 

「え……?」

 

 突然のガイウスの告白じみた言葉に一同は虚を突かれる。

 

「まだみんなと出会って半年ほどだが、俺にとってお前達はもはや兄弟同然だと思っている……

 そんな兄弟を助けるのに、それ以上の理由はない」

 

「ガイウス……ありがとう」

 

 臆面もなく言われた言葉にクリスはこそばゆいものを感じるが、自然と御礼が口に出ていた。

 

「みんな……」

 

「トワ……もう無理だ」

 

「でも……クロウ君がおかしくなっちゃったのはきっと“呪い”のせいだから」

 

「“呪い”……」

 

 トワが漏らした呟きにマキアスはあの時の衝動を思い出す。

 

「そうだな……“呪い”なら仕方がないか……」

 

 ガイウスもまた、ノルドを汚された時に溢れた激情を思い出し、クロウへの敵愾心を緩める。

 

「“呪い”のせいなら仕方ないわよね」

 

「むしろ“呪い”なら私はクロウ先輩を責められません」

 

 アリサとエマもまたそれに同調する。

 

「君達は……何を言っているの?」

 

 直前までのクロウを打倒する意識は何処へ行ってしまったのか、前言を撤回するように彼を許そうとしている空気にクリスは困惑する。

 そんなクリスにマキアスが向き直る。

 

「僕にとってクロウ先輩は貴族ではない、憎むべき相手じゃなかった……

 それでもカイエン公の手先だったことを考えれば、僕にとって敵なんだけど……」

 

 うまく整理がつかないとマキアスはため息を吐く。

 

「とりあえず僕はクロウ先輩に騙し取られた50ミラの借りを返すために一発殴りたい」

 

「50ミラ?」

 

「ああ、入学した直後くらいだったかな?

 手品を見せてやるから50ミラを貸してくれと言われて、そのまま持って行かれたんだ」

 

 既視感のある出来事がマキアスの口から語られて、クリスはそれを思い出す。

 

「僕も……同じことをやられた」

 

「え……クリスも?」

 

 クリスとマキアスは無言で顔を見合わせ、揃ってガイウスとエリオットに視線を送る。

 

「俺は手品ではない……

 自動販売機の下に落ちた硬貨を必死に取ろうとしていた姿があまりにもあれだったから……50ミラを貸したことはある……」

 

「えっと僕は学食で……」

 

 二人はそのままアリサとエマに視線をパスする。

 

「あ、あたしはないわよ」

 

「むしろサラ教官に……」

 

「ちょっ!? え、エマ。あれはその日の内に返したでしょ? 本当に寮に財布を忘れただけなのよっ!」

 

 エマの言葉にサラは狼狽えて弁明する。

 

「そう言えば、ブレードの勝ち分まだ払ってもらってなかったな」

 

 そしてジョルジュの呟きにより場は静まり返った。

 

「ちなみに50ミラもあれば狙撃用の弾丸が一発は買えるよ」

 

 シャーリィの余計な豆知識で更に場の空気が冷える。

 たかが50ミラ、されど50ミラ。

 自分の50ミラがオズボーン宰相を撃った弾丸に変わったと思えばあまりいい気はしない。

 

「どうやら貴族連合や帝国解放戦線という前にあのバカはケジメを着けさせなければ――」

 

「あ……」

 

 ため息を吐き、この議題をまとめようとしたアンゼリカはトワの漏らした声に止まった。

 

「トワ……」

 

「な、何でもないよアンちゃん!」

 

「まさかトワ会長も貸していたんですか?」

 

 両手を振って誤魔化そうとするトワにクリスが図星の指摘する。

 

「えっと……」

 

 視線を彷徨わせて答えを濁すトワに一同はいろいろ察する。

 

「その様子だと50ミラでは済まないようですね」

 

「なら100ミラかしら?」

 

「えっと……」

 

「違うようですね。でしたら200ミラ、それとも300ミラですか?」

 

 エマの質問にトワは黙り込む。

 

「まさか500ミラ?」

 

「べ、別に一度に貸したわけじゃないよ。一年生の時から少しづつ……それに通商会議に行く時、半分は返してもらったから……その……」

 

「つまり元は倍の1000ミラだったの!?」

 

「しかも通商会議と言えば、ガレリア要塞の列車砲で……トワ会長を巻き込むと分かっていたんですよね……」

 

 エリオットは総額に驚き、マキアスはそれに気付いてしまう。

 

「いや……まさか……そこまで……」

 

「でも……学生の顔がフェイクでしかないなら、それがクロウ・アームブラストの本性」

 

 再び沈黙が訪れる。

 その静寂にギデオンはいたたまれず、肩身を小さくして俯いて沈黙に徹する。しかし――

 

「ギデオン、当時クロウは列車砲でオルキスタワーを撃つことに何か言及していたかい?」

 

 穏やかな声でアンゼリカがギデオンに話を振る。

 

「い……いいえ、特に何も……トールズ士官学院の学生が通商会議にいたと言うのは私にとっても初耳です」

 

 殺気を向けられているわけではないが、ギデオンは嘘偽りなく答える。

 そんな彼の答えにアンゼリカは穏やかな笑みを浮かべて頷き、クリスに進言する。

 

「クリス君……いえ、セドリック殿下」

 

「な、何ですかアンゼリカ先輩?」

 

「クロウは私が殺します」

 

「え……でも……」

 

「父、ゲルハルトの事……

 そしてクロウの事、近くにいながら彼らの本質に気付かなかった己の不明には恥じる気持ちしかありません……

 この汚名を濯ぐためにも、どうか私に奴を八つ裂きにする権利を任せて頂きたい」

 

「アンゼリカ先輩っ!」

 

「アンちゃん落ち着いてっ!」

 

 物騒な物言いにアリサとトワが声を上げる。

 

「しかし――」

 

「とにかくダメったらダメッ!」

 

 暴れ荒ぶるアンゼリカにトワが叫んだ。

 

 閑話休題――

 

「さっきも言った通り、クロウは僕にとっての“壁”ですからいくらアンゼリカ先輩でも譲るわけにはいきません」

 

 荒ぶるアンゼリカをどうにか宥めてクリスが主張する。

 

「ですがっ!」

 

「気持ちは分かります。ですが、アンゼリカ先輩にはクロウと戦う術がないでしょ?

 持ち出して来た《機甲兵》で《騎神》と戦えると考えるなら甘いですし、《機神》だって――」

 

「しかし、それでは約束が違うじゃないですか」

 

「約束……?」

 

 心当たりのないクリスは首を傾げる。

 

「《C》に……クロウに辿り着くために協力してくれると言っていたじゃないか。だから私達をプロジェクトに参加させてくれた」

 

「…………その約束をしたのは僕じゃない」

 

 アンゼリカの訴えにクリスは首を横に振って答える。

 

「……え?」

 

 その言葉を漏らしたのは誰だったのだろうか。

 そう言う理由でプロジェクトに参加し、自分達もティルフィングのテストパイロットをしていたⅦ組はクリスの答えに首を傾げる。

 

「…………君達は“ティルフィング”がどうして開発されたのか……それも分からないんだね?」

 

 今まであえて触れなかった話題をクリスは指摘する。

 

「何を言っているんだ、クリス?」

 

「“ティルフィング”はクロスベルやガレリア要塞に現れた《騎神》に対抗するために旧校舎で発見されたヴァリマールを参考に開発されたものだったはず」

 

「ええ、《テスタ=ロッサ》の起動者になったクリスと一緒に戦えるようにって、Ⅶ組をオリヴァルト殿下がテストパイロットに抜擢してくれたのよね」

 

「違う」

 

 ジョルジュとアリサの答えをクリスは首を振って否定する。

 

「“ティルフィング”は本来、内戦なんかに使っていいものじゃない……

 “ティルフィング”は……あの人が残してくれた“力”なのに……どうしてみんな、忘れているんだ……」

 

「クリス……?」

 

「何を言っているんだ君は?」

 

 一同はクリスの言葉を理解できず戸惑う。

 その顔に、その言葉にクリスは憤りを感じずにはいられない。

 

「そうですか……僕があの人の代わりにアンゼリカ先輩達と約束をしたことになっているんですか……他に僕はみんなとどんな約束を交わしていましたか?」

 

 今すぐ叫び出したい衝動を抑え込んでクリスは自分の認識と仲間たちの認識の差を擦り合わせる。

 

「約束……そう言われたらあれだろうか?」

 

「卒業する前に、オリヴァルト殿下に勝負を挑むから手を貸して欲しいということだろう?」

 

 ガイウスとマキアスの答えにクリスは絶句した。

 

「無理を言って進学を早めたから、その成果を集大成を見せたいって言っていたわよね?」

 

「ええ、具体的に何で勝負をするかまでは決めていないようでしたけど」

 

 続くアリサとエマの言葉にクリスは体を震わせる。

 クルトの例もあり覚悟はしていたが、ここまで仲間と自分の間に溝ができていたとは思わなかった。

 

「クリス? どうしたの顔が真っ青だけど?」

 

「ま、複雑でしょうね。本当なら挑戦すると決めていた相手と手を取って協力しないといけないのは……

 内戦の終わり方次第では、もう競争する機会がないんだから」

 

 呆然とするクリスをエリオットが気遣い、サラが慰めの言葉を掛ける。

 二人だけではない。

 クリスの異変を感じ取り、Ⅶ組のみんな、先輩達、それにエリゼとついでにギデオン。

 クリスと同じく顔を険しくしているアルフィンとキーアを除いて、その場にいる誰もがクリスを気遣っている。

 そんな彼ら気遣いをクリスは――

 

 ――気持ち悪い……

 

 その一言をクリスは何とか言葉にせずに吞み込んだ。

 これまでⅦ組の誰もが“彼”のことを覚えておらず、キーアが《灰》に乗っていることにさえ疑問を感じていなかった。

 見て見ぬふりをしてきた“欺瞞”に、自身の約束さえ歪んでいたことにクリスは気付く。

 

「クリス君? どうしたの顔が真っ青だよ?」

 

「…………どう……して……」

 

 気遣う仲間たち。

 その表情は本心からクリスを気遣っているのは分かる。

 しかし、もはやクリスにはその顔や言葉はとても薄っぺらいものにしか感じられなかった。

 

「どうしてみんなっ! ■■■さんのことを忘れているんだっ!」

 

 ここまでの不満をぶちまけるように、胸の奥の黒い感情に突き動かされるようにクリスは気付けば叫んでいた。

 

「僕がした約束はそんなものじゃないっ!」

 

「ク、クリス?」

 

 突然のクリスの激昂に一同は訳が分からず戸惑う。

 そんな間の抜けた表情にクリスは理不尽と分かっていても憤りを感じずにはいられない。

 

「どうしてみんなおかしいって思わないっ!?」

 

 その訴えは理不尽だとはクリスも分かっている。

 しかし、それでももう黙っていることはできなかった。

 

「内戦が始まるまで僕達にはもう一人、大切な仲間がいたのに!

 僕の目標もっ! “ティルフィング”もっ! 全部、全部あの“人”がくれたものだった……

 みんなだってあの“人”に返し切れない恩があるはずなのにどうしてそんな簡単に忘れることができるんだっ!」

 

 ここまで“彼”を覚えていたのはどれも一度は“彼”と敵対した者たちばかり。

 今はもう思い出せなくなっているエステル達もまだ“彼”のために動いてくれているのに、Ⅶ組は組み替えられた約束を疑問も感じずに受け入れている。

 なまじ記憶を保持している者達がいるだけに、Ⅶ組の絆の不甲斐なさを意識せずにはいられない。

 

「クリス……」

 

「いきなり何を言っているんだ?」

 

「少し休んだ方が良いんじゃないですか? 聞けば目覚めてからずっと張り詰めていたようですし」

 

 クリスの訴えにⅦ組は揺れることはなかった。

 彼らの心配が《ARCUS》を通じてクリスは理解できる。

 しかし、その生温い気遣いは今のクリスにとって神経を逆撫でするものだった。

 

「違うっ! おかしいのは君達の方だっ!」

 

「そう言われても……」

 

 錯乱しているようにしか見えないクリスの豹変に彼らは戸惑う。

 

「じゃあ夏至祭で《暗黒竜》を倒したのは!?

 ノーザンブリアの塩化を浄化したのは!?

 オルディスに現れた魔煌兵の大群を退けたのは誰なんだ!?」

 

「誰って……」

 

 一同は顔を見合わせ、トワが代表して答えた。

 

「全部オズボーン宰相のおかげだよね?」

 

「…………は?」

 

 トワが何を言っているのか理解できず、クリスは間の抜けた声を漏らした。

 

「だから全部オズボーン宰相がしてくれたことでしょ?」

 

「その前のノルドでの帝国と共和国との抗争も止めてくれたのもオズボーン宰相だったな」

 

 トワの答えを補強するようにガイウスが語る。

 

「貴族への偏見に暴走する僕を諫めてくれたのもオズボーン宰相だった」

 

「僕は父さんと喧嘩をしたんだけど、仲直りする切っ掛けを作ってくれたのはオズボーン宰相だったよ」

 

 そしてマキアスとエリオットもそれに続く。

 

「私がリベールに家出した時に相談に乗ってくれたのもオズボーンの叔父様だったわね」

 

「ヴィータ姉さんが結社から離れることができたのもオズボーン宰相のおかげですね」

 

 アリサとエマもまたオズボーン宰相への恩を感じさせる事を言い出す。

 

「……何を……何を君達は言っているんだ?」

 

 みんなが示し合わせたようにオズボーンのおかげだと口を開く異常な光景にクリスは慄く。

 

「…………これが因果を組み替えるって言う事なんだね」

 

 おぞましいと吐き気を覚える光景を前にキーアはこれが自分達がしようとしていた改変なのだと、罪悪感に俯く。

 

「これがあり得ない心変わりや不自然な意識の変化……あの人が言っていた通りだ」

 

 ――ようやく分かった……

 

 愕然と肩を落としながら、クリスは“彼”が“ティルフィング”を与えておきながら自分達に共に戦って欲しいと言わなかったのか理解した。

 

「――別れよう」

 

 一抹の寂しさを感じながらクリスは突然、そんなことを言い出した。

 

「クリス君?」

 

「僕はもう……君達に背中を任せて戦えない」

 

 先程まで聞いたそれぞれの意識表明はもう心には響かない。

 

「何を言い出すんだ君は!?」

 

「言葉通りの意味だよ。僕はもう君達を信頼できても信用できない」

 

「クリス!?」

 

「君達はこのまま兄上と合流すると良い……

 対機甲兵兵器として“ティルフィング”を持っている君達を兄上達はきっと歓迎してくれるよ」

 

 一方的に言ってクリスは席を立つ。

 

「ちょっと待ちなさいクリス!」

 

 そのまま扉へと歩き出したクリスの前にサラが立ち塞がる。

 

「退いて下さいサラ教官」

 

「そう言うわけにはいかないわ。何が不満なのかちゃんと言葉にして言いなさい」

 

「言っても貴方達には理解できないですよ」

 

 嘲笑するようにクリスは言い切る。

 サラ達にとっては突然心変わりしたように豹変したクリスに困惑する。

 

「クリス、君はいったいどうしてしまったんだ?」

 

「僕達の絆はこんな風に壊れるようなものじゃなかったはずだ」

 

「絆ね……」

 

 白々しく聞こえる“絆”という言葉をクリスは鼻で笑う。

 “彼”のことを忘れてしまっているというのに、どの口が“絆”だと宣うのだろうか。

 

「オーブメントに頼って作った“絆”にどれだけの価値があるんだい?

 オーブメントを使って人の心を覗いてその人のことを理解できたとでも? クロウのことを何も気づかなかったくせに」

 

「――っ」

 

 クリスの指摘に先輩達は息を呑む。

 もっともクリスにとって、それは自分に向けた皮肉でもあった。

 

 ――《ARCUS》のおかげで僕はあの人と対等になれたと思っていた。でもそれは違った……

 

 クロウが本心を隠していたように、“彼”はⅦ組を戦いに巻き込まないように線引きしていた。

 彼がクロスベルに向かう時、何を考えていたのか今ではもう知る術はない。

 

「だからってあんた一人で貴族連合と戦うつもりなの!? そんなの担当教官として――」

 

「サラ教官、いつまで貴女は教官でいるつもりですか? これは特別実習なんかじゃないんですよ」

 

「それは……」

 

「それでも僕の前に立ちはだかるなら……ええ、もう良いです……僕は《Ⅶ組》を止めます」

 

 言葉にしてみれば驚くほど簡単にその言葉が出て来たことにクリスは自分でも驚いた。

 “呪い”に翻弄されるしかない仲間達。

 それとも“彼”がいない学生生活に価値を感じていなかったのか。

 

「キーア、ギデオン。場所を変えて話をしよう」

 

「え……う、うん……」

 

「……分かりました」

 

 クリスの呼び掛けに二人は切り捨てられたⅦ組を気遣いながらも頷き、席を立つ。

 

「待ちなさいセドリック!」

 

 誰もが呆然とクリスの豹変に驚き、見送る中でアルフィンが声を上げる。

 制止の声を無視してクリスは会議室の扉を開く。

 

「まさか……クリスさんも“呪い”に?」

 

 エマの呟きにクリスは一度振り返る。

 

「そんなことを言っているから、君達はダメなんだ」

 

 全ての不都合を“呪い”のせいにする。

 それはクリスにとって全部“ノイ”のせいだという責任転換にしか聞こえなかった。

 

「セドリック、待ちなさい! 貴方は――」

 

 アルフィンの言葉を背にクリスは再び歩き出すのだった。

 

「………………いったい何が起きたんだ?」

 

 突然豹変したように見えたクリスの態度にマキアスが呟きがクリスがいなくなった会議室に空しく響いた。

 

 

 

 

 

 

「クリス……本当にこれで良かったの?」

 

 駆け足でクリスに追い駆けたキーアは不満そうにクリスに尋ねる。

 

「良いか悪いかじゃない。いつ心変わりが起きるか分からない味方に背中は預けられないという話だよ」

 

 “彼”もこんな気持ちだったのだろうかと考えながらクリスは応える。

 

「みんながクロウを更生させたいと思うのは別に良い……

 だけど。僕は宰相を撃ったクロウを裁かなければいけないんだ」

 

 次期帝国の皇帝になる者として、そこは譲れない一線でもある。

 

「キーアだってみんながおかしいと思っただろ?

 あの人がして来たことを全部オズボーン宰相の功績だとすり替えられているのに、スウィン達が気付いている記憶の矛盾に気付いてもいない」

 

「その事なんだけど、戦術オーブメントを見せてもらえる?」

 

「《ARCUS》を? 別に良いけど……」

 

 突然のキーアの要求にクリスは首を傾げながらそれを渡す。

 

「そう言えば、Ⅶ組をやめるなら《ARCUS》は返さないといけないか……」

 

 とは言え、導力魔法を使える恩恵を捨てるわけにはいかない。

 どうしたものかと悩むクリスだが、キーアの次の言葉に耳を疑った。

 

「うん。これはやっぱり《グノーシス》だね」

 

「え……?」

 

 思わぬ答えにクリスは目を丸くする。

 

「人と人の心を繋げるシステム……《叡智の薬》程の効果はないけど、根本にあるシステムはきっと同じだと思う」

 

「こ、これが《D∴G教団》の技術を流用されたオーブメントだって言うのかい?」

 

「分からない。別の“力”も働いているけど……キーアはそう感じたよ」

 

 キーアの答えにクリスは考える。

 そういうシステムだと疑問を考えずに使っていたが、言われてみれば導力技術よりも魔術的な技術の方が強い装置であり、得体のしれないシステムだとクリスは考え直す。

 

「“アークス”と“グノーシス”……」

 

 そして言い掛かりかもしれないが名前も何処か似通っている。

 

「この戦術オーブメントにどこまで強制力があるか分からない。それでもアリサ達が自己矛盾に気付かないのはこれのせいだと思うよ」

 

「……たしかに《ARCUS》には強い感情を共有してしまう欠点があるけど……」

 

「この場合は多数の意見を自然と受け入れちゃう感じかな?」

 

「そうか……連携を妨げないように思考が均一化される……何もそれは戦闘に限ったことじゃないのか」

 

 連携の不備とはすなわち意思伝達の齟齬から生まれるもの。

 入学当初はあった意見の対立も気が付けば、少なくなっていた。

 それを馴染んだのだと思っていたが、《ARCUS》の機能によって無意識に相手が譲れる範囲を言葉にするまでもなく感じられると考えれば説明ができる。

 

「あと《蒼の起動者》は殺しちゃいけないって言う“因果”がみんなに見えたよ」

 

「《蒼の起動者》を殺してはいけない因果? それはいったいどういうことだい?」

 

「それ以上のことはキーアにはわかんない」

 

 クリスの追及にキーアは首を振って答える。

 

「そうか……」

 

 その答えについてクリスは思考を巡らせる。

 今回の場合ではトワが言い出したクロウの行動が“呪い”のせいだという事がそれに当てはまる。

 

「《起動者》は二年後の“相克”まで生かされる。あの“人”がそんなことを言っていたな」

 

 もしそれが正しいのなら トワがクロウを擁護し、それにⅦ組が同調するようにクロウを許す空気になってことに説明が着いてしまう。

 

「これはテストモデルで……将来的には軍に正式採用される……」

 

 《薬》とは違う形で帝国全土に《ARCUS》が配備される。

 Ⅶ組では留まらない規模で、人々を扇動するのにこれ以上ないシステムであることに気付くとクリスは背筋が凍り付く。

 

「キーア、この事は誰にも話さないでくれるかな?」

 

「うん、それは良いけど……どうするの?」

 

「正直、僕一人の手には余る。だから後で《C》に相談するよ」

 

 ここに来て新しい懸念の材料が増える。

 《ARCUS》とはいったい何なのか。

 単なる戦闘システムでは留まらない、何かの悪意をクリスはそこに感じずにはいられなかった。

 

「それはそうとキーア。君はこれからどうする?」

 

 クリスは深呼吸をして気持ちを切り替えて話題を変える。

 

「え……?」

 

「正直に言えば、君には一緒に戦って欲しい」

 

 Ⅶ組を切り捨てたことで身軽になったものの、数的戦力はなくなった。

 

「でもここから先は“守るため”の戦いでは済まない……

 ここから先は互いの主張の潰し合い、滅ぼし合う戦いになる。帝国の戦いにこれ以上、君を巻き込むのは忍びない」

 

 人を殺すことになりかねない戦場にこれ以上キーアを連れて行くことを危惧して、クリスは提案する。

 キーアにはこれから出て来る無人機に専念してもらえば良いかもしれないが、それでも事故と言うものは起きる。

 

「大丈夫だよクリス……」

 

 そんなクリスの気遣いにキーアは儚い笑みを浮かべる。

 

「キーアの手はもう汚れてるから……だから大丈夫……」

 

「キーア……」

 

「でも一つだけお願いして良い?」

 

「何だい?」

 

「キーアががんばるから、ロイド達のこと守ってあげて」

 

 ギデオンからもたらされたロイド達への嫌疑のことなのだろうとクリスは察する。

 

「…………僕が勝ったらロイドさん達への恩赦は約束する」

 

「うん……」

 

 クリスとキーアは頷き合い――

 

「でもクリス、これからどうするの? 飛行艇もみんなもいないのに」

 

「それなんだよなぁ……」

 

 腕を組み、クリスは勢い任せにとった自分の行動を反省する。

 もしかすれば別室で会議室の様子を見ていた《C》達もクリスの行動に呆れて、見放されているかもしれない。

 

「僕達だけなら精霊回廊を使えば済むけど、やっぱり飛行艇と言う拠点は欲しいんだよなぁ」

 

 クリスはヴィクターから預かったカレイジャスの鍵に視線を落とす。

 

「ここで兄上に泣きつくのもバツが悪いし」

 

 オリヴァルトのⅦ組を否定した手前、カレイジャスだけを貸して欲しいなどと言えるわけがない。

 

「……いっそ盗む?」

 

「クリス……?」

 

 どこかの猟兵じみたことを言い出したクリスをキーアはジト目で睨む。

 

「アハハ、良いじゃんそれ!」

 

 しかし、クリスの提案を笑って受け入れる声が一つ。

 二人が振り返るとそこにはギデオンを片手に引き摺って来たシャーリィが満面の笑顔を浮かべていた。

 

「はぁ……全く何しているのよアンタは……」

 

 そしてシャーリィの肩の上でセリーヌが呆れ切ったため息を吐くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 







Ⅶ組集合を待たずにクリス君がⅦ組から離脱しました。
原因はひとえにⅦ組にクリスが進学を強行した理由である《超帝国人》がいなかったことでしょう。






《ARCUS》について

 便利な術でも弱点は必ずある、と某忍者も言っているのでデメリットを考えてみたのが今回の話になります。

 欠点は主に思考、思想の共有です。
 共感の強要とでも言うべきことでしょうか。

 ガイウスで例えれば、ノルドの生活は素晴らしいという意見に対して都会の便利さの方が良いという感想を抱いていても、ガイウスの感情に共感してノルド最高という感想で統一されます。

 マキアスとユーシスで例えれば、互いの踏み込まれたくない距離を無意識で把握し、本来ならトライアンドエラーを繰り返して身に着ける距離感を一度の失敗だけで完璧に把握できるようになります。
 この二人がAとBの意見を出した場合、言葉を交わすことなく互いの妥協案を把握できるのが《ARCUS》の恩恵になります。
 しかし、これに慣れると無意識での判断基準が一つに均一化され、別の意見を考えるという思考を鈍らせることに繋がります。
 結果、無意識での判断基準が均一化された集団となってしまいます。
 Ⅶ組が原作主人公に前に倣えという思考になっていたり、閃Ⅱでは相対すらしていないⅦ組がクロウに好感度MAXだったのはこれが原因になります。


 そして最後の副作用としてはリンクした相手との自己認識の共有です。
 戦術リンクを結ぶことは極端に言えば、自分の存在を二つに増やすことに近い感覚になるでしょう。
 そのためリンク先の相手を特別に害そうという意識が希薄になってしまうのではないかという副作用です。
 例えるなら、他者を自分と見立て相手の殺害が自殺と誤認してしまう気持ちが生まれてしまうことです。
 そのため敵対しても本気で相手を憎んだり、殺そうということができなくなってしまいます。
 この副作用は原作主人公とクロウとの間に発生したものと考えています。


 もちろん戦闘外で戦術リンクを使ってなければこれらの副作用は現れないはずだという意見もあるでしょう。
 そこら辺は長期間での戦術リンクの行使の影響と相性の問題とお考えください。
 というか試験運用なのでこういったデメリットが現れるかを調べるのを含めてⅦ組なのだと考えています。

 自分は《ARCUS》は“響きの貝殻”を基礎にして開発されたものだと思っていましたが、《Ⅶの輪》というシステムが後付けされていたのでアルベリヒがクロイス家から奪った《グノーシス》の効果をオーブメントに落とし込んだものなのではないかと考えてみました。
 将来的に戦術オーブメントが携帯電話として個人単位で普及されることを見越して、黒焔のプレロマ草とリンクする端末として人を扇動するシステムになるでしょう。

 《アークス》と《グノーシス》の名前が響きが似ている邪推してしまったのが今回の設定を作った切っ掛けだったりします。

 当然ではありますが、オリヴァルトは《ARCUS》のこの裏側の仕様は把握できていません。






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38話 二人の皇子

 

 

 

「くっ……これはどういうことだ!?」

 

 目の前で起きた出来事にミュラーは思わず叫び、発着場に縛られて放置されている警備兵たちを見つける。

 

「ミュラーッ! これはいったい何があったんだい!?」

 

 遅れてその場に到着したオリヴァルトが声を上げる。

 

「分からんっ! もしかすれば貴族連合の間者かもしれん」

 

 ミュラーは忌々しいと言わんばかりに駆動音を響かせて今にも飛び立とうとしている《カレイジャス》を睨む。

 時間は早朝。

 厳重な警備が敷かれていたはずの《カレイジャス》は待機要員を含めて外に追い出され、何者かによって占拠、強奪されようとしていた。

 

「とにかくお前は下がれ。ここは俺が何とかする」

 

「ミュラー」

 

 ミュラーは剣を抜き、既にタラップが収められたカレイジャスに飛び乗る決意を固める。

 危険だが甲板に飛び移るべく助走をつけて走ろうとした矢先、カレイジャスの甲板の扉が開いて下手人がその顔を見せた。

 

「おはようございます兄上」

 

「セドリック!?」

 

 思わぬ下手人にオリヴァルトは目を剥いて驚き、ミュラーは思わず足を止める。

 

「これはいったいどういうことなんだい!? そこで君は何をしているんだ!?」

 

 カレイジャスの駆動音に負けないようにオリヴァルトは声を張り上げて問い詰める。

 対するクリスは用意していたマイクを取り出して、その叫びに答える。

 

「故合って、カレイジャスは貰って行きます。兄上――いえ、オリヴァルト皇子」

 

「なっ!? いや何を言っているんだい君は?

 こんな強奪じみたことをしなくても、君が望むなら《カレイジャス》は君に喜んで譲るのに」

 

「それじゃあ駄目なんですよオリヴァルト皇子」

 

 弟への施しを当たり前のように行う兄にクリスは苦笑する。

 

「貴方が僕を常に立てようとしていることは分かっています」

 

 自分が正当な皇帝の血筋であり、オリヴァルトは妾腹の子。

 継承権を持たないが年齢が一回りも大きいこともあり、オリヴァルトはセドリックを差し置いて自分が次期皇帝に祭り上げられないように一歩引いて自分やアルフィンを見守ってくれていた。

 

「ここで貴方からカレイジャスを受け取ってしまえば、今までと何も変わらない。だから奪う事にしました」

 

「いったい何を言っているんだ!?」

 

 意味が分からないとオリヴァルトは叫ぶ。

 

「オリヴァルト皇子、勝負をしましょう」

 

「え……?」

 

「僕は僕のやり方で貴族連合を倒します。オリヴァルト皇子も貴方が望むように今の内戦を治めて下さい……

 それでどちらが次期皇帝に相応しいか決めようじゃないですか」

 

「いや、そもそも僕には継承権なんて最初からないことは知っているだろ?」

 

「なら継承権があったなら違うと言うんですか?」

 

 長年胸の奥にあったしこりを意識しながらクリスは続ける。

 

「ずっと……ずっと貴方を尊敬していました……

 でも同時に惨めな気持ちを気付かない振りをしていました」

 

「セドリック……」

 

「貴方が本気を出せば、僕なんか簡単に蹴落とすことができるはずだった……

 それをしなかったのは貴方の“愛”なんでしょうが、同時にこの上ない侮辱でもあるんです」

 

「セドリック。僕はそんな……」

 

「争う気がない――本気で相対すれば自分が勝つと疑っていないんですね?」

 

「っ――」

 

 息を呑むオリヴァルトにクリスは苦笑する。

 

「ええ、僕もそう思っていました」

 

 そしてその事実を認める。

 

「僕は兄上やアルフィンとは違って頼りなくて、幼い頃から二人と比較され宮中の者達から陰口を囁かれていた……

 そして僕は兄上の才覚と自由な立場を妬みながらも、皇太子を譲られたことに安堵すると同時に罪悪感を抱いていました」

 

「セドリック……」

 

 初めて明かしてくれている弟の心内にオリヴァルトは呆然と立ち尽くす。

 

「兄上、これでも僕は士官学院に入学して強くなったんです」

 

「……ああ、それは認めるよ。君は本当に強くなった」

 

「だから兄上、喧嘩をしましょう」

 

「喧嘩?」

 

 脈絡のない言葉にオリヴァルトは首を捻る。

 

「喧嘩、競争、言い方は何だって良いんです……

 とにかく僕と、どちらが次の皇帝になるか、この内戦の解決を懸けて僕と戦ってください」

 

「そんなことをしなくてもボクは皇帝になるつもりはない」

 

「それは分かっています……

 だからこれは僕の我儘なんです。皇太子の座を譲ると言うのなら僕を負かせた上で譲ってください……

 そうしてくれれば、僕はこの罪悪感を晴らして、敗北の苦汁を呑んで一歩前へ進める」

 

「…………しかし……」

 

「これは僕から貴方への挑戦でもあるんです」

 

 躊躇うオリヴァルトにクリスは言葉を続ける。

 

「貴方が本気になれば、未だにオズボーン宰相の影響が濃く残る正規軍をまとめ上げることができたはず……

 それをしなかったのは、この内戦で功績を上げて、民衆からセドリック皇子よりもオリヴァルト皇子の方が次の皇帝に相応しいと思われることを避けるため……

 でもそんなことは気にしなくて良いんです」

 

「セドリック……」

 

「僕はクロウを、貴族連合の主宰のカイエン公達を倒します」

 

 クリスははっきりと宣戦布告を告げる。

 

「敬いながらも軽んじられているアルノールの力を見せつけ、貴族連合でも革新派でも、第三の風でもない僕が一人勝ちしてこの内戦を治めてみせましょう」

 

「セドリック……そこまで……」

 

 貴族派と革新派の仲裁、平和的な仲裁を考えていたオリヴァルトにはない結論に達した答え。

 アルノールが一人勝ちをする。

 それは途方もない

 弟の成長を感じ取り、オリヴァルトは感激する。

 

「ならばセドリック。僕は――」

 

「逃げないでくださいオリヴァルト皇子」

 

 喜んで道を譲ろうとするオリヴァルトの言葉を遮るようにクリスは告げる。

 

「僕は貴方が望む道とは違う道を行くんです……兄上は兄上が望んだ道を進んでください」

 

「しかしセドリック――」

 

「《Ⅶ組》は貴方の代弁者でも、スケープゴートでもありません」

 

「っ――」

 

 クリスが突きつけた、自分では気付いていなかった“欺瞞”にオリヴァルトは思わず息を呑む。

 

「トールズ士官学院特化クラス《Ⅶ組》を設立した責任が貴方にはあるはずです」

 

 彼は夏至祭の邂逅の時、第三の風になることを無理強いするつもりはないと言った。

 しかし、彼らはいつの間にか当たり前のように“第三の風”になろうと動いている。

 

「アルフィンや僕の味方を作るためという考えもあったんでしょうが、事ここに至って貴方は裏方に徹することはできなくなっているはずです」

 

 革新派の正規軍がオリヴァルトを認めていない理由はそれに当たる。

 彼の平和的思想は置いておくとしても、オリヴァルト自身が積極的に内戦を解決しようという姿勢が感じられない。

 もちろんオリヴァルトなりに内戦を解決しようと本気ではいるが、オズボーン宰相の苛烈さに慣れている彼らにとって、様々な理由で足踏みしているオリヴァルトを信じ切ることはできなかった。

 

「だからオリヴァルト皇子――」

 

「クリス、そろそろ切り上げて」

 

 更に言葉を重ねようとしたクリスの背後からシャーリィが急かす。

 《カレイジャス》の暖機運転が完了し、いつでも飛び立てる状態へとなった。

 会話による時間稼ぎの目的は達したが、そこから時間を掛け過ぎてしまえば正規軍が集まって飛び立てなくなる。

 

「分かりました。オリヴァルト皇子――いえ、兄上」

 

「セドリック……」

 

 これが最後だとクリスは告げる。

 

「兄上のカッコいいところを見せてください」

 

 言いたいことをその一言に集約させてクリスは告げる。

 それを合図にするようにカレイジャスは風を巻き起こして浮き上がる。

 

「それでは兄上っ! 次は帝都で会いましょう!」

 

 その言葉を残してカレイジャスは上昇し、東の空へと旋回すると飛び立って行ってしまった。

 

「………………」

 

「行ってしまったな」

 

 呆然と立ち尽くすオリヴァルトの背にミュラーが声を掛ける。

 

「お前のリベールの冒険譚に触発されてトールズ士官学院に今年入学したいと言い出した時はどうなるかと思ったが、セドリック殿下にとっては良い成長ができたようだな」

 

 護衛役のクルトさえいらないと言い出した時はどうなることかと頭を抱え、今でも一人で行動したがるのが誰に似たのだかと悩むが、彼なりの逞しさを感じたことに安堵する。

 

「それでお前はどうする?」

 

 弟のセドリックは覚悟を示した。

 この内戦で二つの陣営を和解させるのではない、オリヴァルトが定評したものとは違う第三の道を選んだ。

 その道は茨の道だろうが、《騎神》に選ばれた者ということを考えると期待をしてしまう。

 

「ミュラー……僕はこれでも色々と配慮して生きてきたんだ」

 

「ああ……」

 

 呆然とした呟きにミュラーは頷く。

 

「母上が謀殺されて……セドリックの邪魔にならないように……目立たないように、期待されないように……

 その中で自分なりの道を探してここまで歩いてきた……つもりだった……」

 

「そうか……」

 

「…………良いんだろうかミュラー? ボクは本気になっても?」

 

「お前の弟はもうそれで潰れる様な軟弱者ではないだろう……

 例え潰されたとしても、腐らずそれを糧にして立ち上がれる“男”だ」

 

「そうか…………そうか……」

 

 ミュラーの答えをオリヴァルトは反芻する。

 

「ミュラー」

 

「何だ?」

 

「レーグニッツ知事とハイアームズ侯を呼んでくれ」

 

「何をするつもりだ?」

 

「覚悟は決まったよ。オズボーン宰相が残した地盤を――帝国正規軍を引き継ぐ……

 そして二週間、いや一週間で各地に散っている正規軍をまとめてカイエン公に直談判をしに行こうじゃないか」

 

 カレイジャスが消えた空を見上げながらオリヴァルトは自分の中で生まれた決意を言葉にする。

 

 

 

 

 

「はあ……」

 

 その一方でクリスはカレイジャスの甲板でへたり込んでいた。

 

「ああ、もうこれで後戻りできないなぁ」

 

「何ヘタレてんのさっ!」

 

 蹲るクリスの背中をシャーリィが叩く。

 

「ぐっ……ゴホゴホッ……シャーリィ……」

 

 強い衝撃に咳き込みクリスは振り返る。

 

「良い啖呵だったよ」

 

「…………あ……」

 

 シャーリィからの賞賛にわずかにあった罪悪感が霧散して消える。

 

「やっぱり“称号”って言うのは自分の手で掴み取らないと意味ないよね」

 

「……シャーリィはもし“戦鬼”の称号をランディさんの方に継がせるって言われたらどうしていたかな?」

 

「そんなのランディ兄もパパも両方ぶっ飛ばして誰が“戦鬼”が相応しいか思い知らせてあげるよ」

 

「…………はは、シャーリィらしいや」

 

 猟兵と皇子。

 本来なら交わることのない両者だが、この感覚については共感できた。

 

「それより分かってるの?」

 

「何だい? 怖気づいたのかい?」

 

「まさか!」

 

 クリスが聞き返した言葉にシャーリィは喜悦を含んだ笑みで応える。

 

「貴族派と革新派、両方を出し抜いて一人勝ちを狙う……うんうん、そうでなくちゃ面白くないよね」

 

 楽しそうにこれから始まる戦争にシャーリィは笑う。

 クロウの事、貴族や平民の主張など関係ないと言い切って付いて来てくれたシャーリィに頼もしさを感じる。

 

「ここから先は悠長にしている暇はないと思うよ」

 

 ハイアームズ侯爵が鞍替えしたことで情勢は大きく変化した。

 これまでまとまりがなかった正規軍もおそらくオリヴァルトが本気になってまとめ上げるだろう。

 

「最終決戦は近いだろうね」

 

 おおよそ一週間。

 それが《C》が出した見立てである。

 

「――ここから先は競争です、兄上」

 

 クリスは遠ざかったセントアークを遠目に呟く。

 初めての兄への挑戦であり、兄弟喧嘩。

 絶対に勝って見せると意気込み、クリスは拳を握り締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 






仮面

ギデオン
「なっ!? その仮面……まさか……」

《C》
「ふふ……久しぶりだな同志《G》」

ギデオン
「同志《C》……あり得ない……《C》は……《C》の正体は……」

《C》
「私の正体はそこまで重要かな?」

ギデオン
「なん……だと……?」

《C》
「帝国解放戦線のリーダーとは、君にとってどういう存在かね?」

ギデオン
「帝国解放戦線のリーダー……」

《C》
「そう、《C》とは歪んだ帝国を正すために立ち上がった憂国の士っ!
 ならば《C》の真贋はその行動で示すべきであるだろう」

ギデオン
「《C》の真贋……」

《C》
「そう、そう言う意味では君もまた《C》なのだよ」

ギデオン
「私も……《C》……」

ナーディア
「なんか楽しそうだねー」

スウィン
「これもある意味洗脳なのか?」





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39話 貴族の義務

 

 

 

 

 

「考え直せラウラ。父上……ヘルムート・アルバレアは本気なんだ」

 

 使者としてレグラムを訪問したユーシスは頑なクラスメイトを案じて訴える。

 

「何度も言うがアルゼイド家はヘルムート卿の要求を受け入れることはできない」

 

 ユーシスから告げられた勧告にラウラは領主代理として首を横に振る。

 彼からもたらされた勧告はアルゼイド家の貴族連合への参加。

 クロイツェン州の意志を統一することを名目にアルバレア家は皇族の承認の書状を持ち込んでアルゼイド家に恭順を迫っていた。

 今回は最後通告としてラウラと交流があるユーシスが説得の使者として訪れたが、それでもラウラの答えは同じだった。

 

「ユーシス、そなたも分かっているはずだ……

 貴族連合が掲げる“義”に何の正当性もないことを」

 

 このセドリックの署名がされた書状も無意味だとラウラは断じる。

 世間的にはセドリックは皇宮に貴族連合に保護され、彼らの活動を支持している。

 しかし、皇宮のセドリックが偽物であることをⅦ組は知っている。

 

「今、クリスも《緋の騎神》と共に目覚め動き出している」

 

 ラウラは傍らに控えている親友、フィーに視線を送る。

 

「…………そうか……クリスは無事か」

 

 一瞬、ユーシスは険しい顔を緩めて安堵する。

 が、すぐにそれを引き締める。

 

「だが、それとこれとは話は別だ……

 既に貴族連合は大きく動き出している。もはやこの書状が本物なのか偽物なのかという事に然したる意味はない」

 

「ユーシス……」

 

「だいたい今更あいつに何が出来ると言うのだ?

 クリス・レンハイムは何処かの男爵家に過ぎない。奴が本物の皇子だと言う事を知っている者は極一部の人間しかいない」

 

「ユーシス!」

 

「仮に俺達、《Ⅶ組》が集まった所で出来る事は高が知れている」

 

「ユーシスッ!!」

 

「それともお前は領主代行の役目を放り捨てて、クリス達と共に行くつもりか?」

 

「それは……」

 

 淡々と現実を突き付けてくるユーシスにラウラは口ごもる。

 

「貴族連合はこの機会に帝国内の不穏分子の一掃を行い、貴族の選別を行うつもりだ……

 オズボーン宰相の息が掛かっていた貴族、四大名門よりも皇族の権威を優先する貴族……

 貴族に逆らえばどうなるのか、この内戦を使って父上達はその意味を平民に思い知らせるつもりでいる」

 

「その筆頭が我がアルゼイド家と言う事か?」

 

「アルゼイド、ヴァンダール、そしてノルティア州のシュバルツァー男爵家……

 この三家は特に皇族からの信頼が厚いが故に貴族連合にとっては邪魔な存在でしかない……

 だが、今ここでアルゼイド家が貴族連合への恭順を示せば、受け入れると父上の承認を得て俺はここにいる……

 ラウラ、決断を……さもなくばレグラムはケルディックのようになるぞ」」

 

「ケルディック……正規軍が平民を煽って暴動を起こし、領邦軍が《機甲兵》の大部隊を送り込んだと聞くが」

 

「うん、結構な犠牲者が出たよ」

 

 不確かな情報を、その場にいるフィーが当事者として肯定する。

 

「し、しかし――くっ……」

 

 元々、アルゼイド家はクロイツェン州の領主であるアルバレア家の意向と衝突することは多かった。

 その上、貴族派ではなく皇族派とも言える中立派を主張していたが、そんな日和見な態度を貴族連合は見過ごす程甘くはない。

 

「ユーシス……そなたは本当にこれで良いのか?」

 

「俺の意見など関係ない……

 父やカイエン公が決めた方針に俺が反論したところで誰も聞く耳など持ちはしない」

 

「しかし、そなたは最後通告として私の説得にこの場に来ている……

 本当ならそれさえもなく、クロイツェン州領邦軍はレグラムに侵攻して来たのではないのか?」

 

「…………」

 

 ラウラの指摘にユーシスは押し黙る。

 

「それにこのような大きな選択は若輩である私には荷が重い。父上の判断を――」

 

「甘えるなラウラ・S・アルゼイド」

 

 これまでの要求を躱して来た文句をユーシスは切り捨てる。

 

「ヴィクター卿が《紅き翼》の艦長となり、オリヴァルト殿下と共に正規軍に吸収された今、レグラムの領主はお前であり、お前が判断を下さなければならないことだ……

 これ以上、その言い訳を続けるのなら貴族連合はアルゼイド家に恭順の意志はないと判断する」

 

「くっ……」

 

 ユーシスの指摘にラウラは苦虫を嚙み潰したように顔をしかめる。

 もはや猶予はないと言うユーシスにラウラは必死に慣れない思考を巡らせる。

 

「なんか……らしくないね」

 

「フィー?」

 

 二人の貴族のやり取りを静観していたフィーがラウラの背後で呟く。

 

「ラウラがちゃんと貴族しているのも意外だったけど、ユーシスってそんなに貴族だったの?」

 

「フィー!?」

 

「……それはどういう意味だ?」

 

 フィーの指摘にユーシスは顔をしかめながら聞き返す。

 

「学院ではマキアスとかに“貴族の義務”だとか口癖みたいに言っていたけど、結局お父さんに逆らうのが怖いだけなんでしょ?」

 

「っ――何だと?」

 

 フィーの言葉を侮辱と捉えたユーシスは眦を上げてフィーを睨む。

 

「違うの? 帝国解放戦線を支援して、あいつらの死を偽装してオズボーン宰相を狙撃させて、その上クリスの偽物を使ってる……

 筋を通していないのはどう見たって貴族連合側……

 ラウラ風に言えば、“義”は正規軍の方にある……

 なのに貴族連合の間違いに目を瞑ってそっち側に付いたってことは、ユーシスはマキアスが言っていた卑怯な貴族だったって事でしょ?」

 

「そういうお前の方こそ、そちらに付くとは意外だったな」

 

「む……どういう意味?」

 

 言い返してきたユーシスの言葉にフィーは顔をしかめる。

 

「元猟兵のお前に帝国への愛国心があるわけではないだろう?

 貴族連合はお前の家族の《西風の旅団》を雇い入れている。Ⅶ組として動くよりも家族恋しさに貴族連合に付くとばかり思っていたぞ」

 

「…………別にゼノ達のことはどうでも良い」

 

 ユーシスの指摘にフィーは自分でも不思議な程に彼らに執着していない自分に疑問を感じながらはっきりと答えた。

 

「わたしはオズボーン宰相には借りがあるから」

 

「オズボーン宰相に借り?」

 

 意外な繋がりにラウラは首を傾げる。

 

「そ……クロスベルに拘留されているガルシアと面会させてくれるように便宜を図ってくれたり、アルカンシェルに口利きしてくれたり」

 

「ふむ……そう言えばそんなことがあったような…………私もオズボーン宰相に借金が……んん?」

 

 何かがおかしいとラウラは首を捻るが、それに構わずフィーは続ける。

 

「わたしは今まで銃を持つ生き方しか知らなかった。でも銃を捨てた生き方があるって教えてくれたのはオズボーン宰相だった……

 でもそのオズボーン宰相はクロウに撃たれた……

 猟兵にだって恩義を感じる情はあるし、恩を仇で返すのは流儀に反する……

 だからゼノ達と戦う事に躊躇う理由はないよ、誰かさんと違って」

 

「生憎だが、お前と違って俺には背負うものがあるだけだ」

 

 自分の都合など知りもせず蔑むフィーにユーシスは苛立つ。

 始まりは確かに貴族連合がクロウを利用して弾丸だったかもしれない。

 だが、もはや帝国全土に燃え広がった内戦の焔はクロウだけのせいだと言えない所まで激しく燃え上がってしまった。

 次期アルバレア公爵家当主であることが内定したとしても、まだ学生でしかないユーシスに与えられた権限も人望もあるはずもない。

 ユーシスができることなど高が知れている。

 

「もはや事態は学生が介入する域を超えている。俺はただ次のアルバレア公爵として、少しでも被害を抑えるためにできる限りのことをしているに過ぎない……

 それともお前達はオリヴァルト殿下の《Ⅶ組》として帝国のために命を懸けて戦う理由があるとでも言うのか?」

 

「それは……」

 

 ユーシスの言葉にフィーは思わず目を逸らす。

 

「お前に俺の事情を理解しろとは言わん……

 根無し草で責任を背負う事もなくいつでも、どこへでも逃げられるお前と俺では違うんだ」

 

「むっ……」

 

 ユーシスの棘のある言葉にフィーは顔をしかめる。

 確かに自身は元猟兵であり、帝国には特に愛着など感じていない。

 それでも《Ⅶ組》として過ごした半年は心地よく、《西風》とは別種の愛着を感じるようになっていた。

 

「確かにわたしには帝国に愛着はそれほどないけど、《Ⅶ組》のみんなのためなら戦っても良いって思ってるよ」

 

「そうか……だが俺が優先すべきは貴族連合でも《Ⅶ組》でもなくクロイツェン州の民だ」

 

 互いを睨みつけるユーシスとフィーの険悪な空気にラウラは右往左往と狼狽える。

 

「ふ、二人とも……落ち着いてくれ」

 

 学院では珍しい二人の会話を仲裁しようと頭を悩ませる。

 “中心”や“重心”がいなければ、こんなにも簡単になってしまう自分達の横の絆の繋がりは薄かったのかと思わず考えてしまう。

 

「別に俺はフィーの在り方に文句を言うつもりはない」

 

「それはわたしも……ユーシスが決めた道ならそれで良いんじゃない?」

 

「お前達……実は似た者同士なのではないのか?」

 

 あっさりと矛を納める二人にラウラは納得がいかないとため息を吐く。

 

「そんなことよりも今はレグラムの身の振り方だ」

 

 ユーシスは脱線した話を戻し、ラウラに言う。

 

「父上がレグラムを制圧することを決めたことにはまだ理由がある」

 

「理由?」

 

 首を傾げるラウラにユーシスは少し躊躇いながらも告げる。

 

「先日のサザーランド州での貴族連合と正規軍の大規模な戦闘は知っているな?」

 

「うむ」

 

「その戦闘でヴィクター卿は正規軍に撃たれて戦死されたらしい」

 

「…………え?」

 

「この情報が正しいかどうかはまだ調べさせている最中だが、レグラム侵攻について最も警戒すべき《光の剣匠》がいなくなった……

 父上はアルゼイド家を取り潰す絶好の機会だと判断してしまったのだ」

 

「相手が弱ったところを狙い撃つ……戦のセオリーかもしれないけど、あの人がそれで殺されたって言うのはちょっと信じられないかな?」

 

 呆然と立ち尽くすラウラに代わってフィーが口を挟む。

 

「それは俺も同感だ……

 しかし貴族連合が導力ネットを使って確度が高い情報だと帝国全土に流している」

 

「そうなると、もう真実がどうとかって話じゃないのかな?」

 

「ああ、ヴィクター卿はカレイジャスの艦長として正規軍に協力していた。だがその彼を背後から撃ったとなれば、正規軍を批難する声も上がるだろう」

 

 忌々しい事に導力ネットと言う拡大した情報網を利用し、貴族連合は自分達に都合の良い報道を行っている。

 その真偽を確かめる術もまた導力ネットであり、ヴィクター卿の死亡説を否定するものもあるのだが情報が錯綜して何が正しいのか分からない状態だった。

 

「レグラムの民にとってヴィクター卿が撃たれたことは無視できない事実のはずだ……

 これを機に貴族連合に参加するのなら、これまでの不敬は水に流しても良いと父上から了承は得ている。だからラウラ」

 

 ユーシスは決断を迫る。

 中立を守り、日和見を認めないアルバレア公爵家と徹底抗戦する。

 もしくは正規軍への報復のためにレグラム市民の決起。

 ヴィクターの人望はレグラムの外にまで及んでいることを考えれば、決起の焔はレグラムだけには留まることはないだろう。

 

「………………誰に父上はやられたのだ?」

 

 呆然と立ち尽くすラウラは何とか質問を絞り出す。

 

「…………撃ったのは…………ティルフィングだ」

 

「っ――」

 

「ティルフィングだと消去法で《琥珀》だよね……

 シャーリィはクリスと一緒にいるから除外して、マキアスかエリオットのどっちかって言う事?」

 

 出て来た二人の名前に重い沈黙が流れる。

 まさかという思いが半分と、あの貴族をとにかく憎んでいたマキアスの姿からもしかしたらと考えてしまう。

 そしてそれはエリオットも同じ。

 ガレリア要塞で父を《猟兵王》に殺され、それを指示していたのが貴族だと知ってしまった彼の復讐心がどうなっているのかラウラ達には分からない。

 

「先程は代理でも領主だと言ったがヴィクター卿の安否が分からない今、お前がレグラムの方針を決めなければいけない。その責任から逃げるな」

 

「っ……」

 

 ユーシスの厳しい言葉にラウラは唇を噛む。

 ここがレグラムにとっての岐路だと言う事はラウラも理解した。

 

「私は…………私は……それでも貴族連合に協力することはできない」

 

「ラウラッ!」

 

「貴族連合にはどう考えても“義”はない! これはそなたも分かっているはずだ!」

 

「例えそうだったとしてももう貴族と平民の戦争は起こってしまった……

 ならば大義などに拘らず、少しでも不幸な出来事から民を守ろうとして何が悪い!」

 

「だからと言って――」

 

「ならばお前はこのままレグラムを滅ぼされるのを黙って受け入れるのか?」

 

「っ――」

 

「いや、レグラムは出来る限り無傷で制圧するように努めるだろう。だが次にレグラムの領主にされる者がまともだと期待するなよ」

 

「っ……」

 

 ラウラは必死に思考を巡らせて考える。

 何もユーシスは貴族連合を認めて、降伏を訴えているわけではない。

 貴族の剪定。

 確かにアルバレア公爵家とアルゼイド子爵家は決して仲が良いとは言えないが、まさか鉄血宰相の排除に便乗してそこまでするとラウラは全く予想もしていなかった。

 

「くっ……」

 

 黙り込んでしまったラウラにユーシスはため息を吐く。

 

「今日はこれで帰らせてもらう」

 

「ユーシス?」

 

「明日、同じ時間に改めて答えを聞きに来る。それまでに身の振り方を考えろ」

 

 それがせめてもの猶予だと言ってユーシスはラウラに背を向けた。

 ユーシスはそうしてアルゼイド邸を後にして、残されたラウラは力が抜けたようにその場にへたり込む。

 

「大丈夫?」

 

「フフ……みっともない所を見せてしまったな」

 

 差し出されたフィーの手を取ってラウラは立ち上がる。

 

「もっと言い返せば良かったのに」

 

「いや、ユーシスと口で勝負しても私には勝ち目はないだろう」

 

 剣に傾倒して来た自分と違って、あらゆる分野を学び、それに相応しい振る舞いを身に着けたユーシスとでは勝負にならないことをラウラは自覚する。

 剣だけではなく、もう少し領地の運営の仕方など学んでおけば良かったと、ラウラは後悔する。

 

「でも……」

 

「言ってやるな。ユーシスもユーシスなりに戦っているんだ」

 

 ユーシスの立場は理解できる。

 アルバレア公爵家の当主が健在である以上、ユーシスには軍を動かすだけの権限はない。

 それでもレグラムの危機を伝えに、下の者に任せておけばいい使者を自分で引き受けたり、彼なりにクロイツェン州の一員であるレグラムを貴族連合の内側から守ろうとしてくれているのは分かる。

 

「しかし父上がティルフィングに撃たれて戦死したと言うのは……」

 

「ちょっと信じられないね。でも欺瞞情報を流すのは戦争の常套手段でもあるよ」

 

「うむ……そうだな……

 父上は背中から撃たれたくらいで死ぬような人ではない」

 

 自分に言い聞かせるようにラウラはヴィクターの安否を祈る。

 

「くっ……こんなことになるならもっとちゃんと導力ネットについて学んでおけば良かった……」

 

 情報の元である導力ネットをどこまで信じて良いのかラウラは唸る。

 ユーシスがくれた一日の猶予。

 それまでにレグラムの身の振り方を決めなければいけないこと、領主代理として選択を迫られた重責をラウラは実感する。

 

「貴族の選別か……」

 

 オズボーン宰相の排除に飽き足らず、そこまでの暴挙に出る貴族連合の理不尽さにラウラは怒りを感じずにはいられない。

 

「どうするつもり?」

 

「どうすれば良いと思う?」

 

 フィーの問い掛けにラウラは気弱に聞き返す。

 

「そんなことわたしに言われても困る」

 

「そうだな……すまん」

 

 決めなければいけないのは領主の娘であり、代理の自分。

 しかし、どうすれば良いのかラウラには分からなかった。

 

「父上の威光がなければ中立さえ保てないか……情けない」

 

「クリスはルーレの方に行っちゃったみたいだからね。クリスがいればもう少しマシな選択ができたかな?」

 

「…………そうだな」

 

 今、貴族連合の暴走を止められるとすれば、《緋の騎神》を扱えるクリスだけだろう。

 どういう基準で彼がルーレを選んだかは分からないが、クリスがここにいてくれたらと思わずにはいられない。

 

「で、本当にどうするつもり? ユーシスと戦うの?

 何だったらバリアハートに潜入して引っ搔き回して来ようか?」

 

「いや、フィーがそんな危ない橋を渡る必要はない」

 

 フィーの提案をラウラは却下する。

 

「しかし………いや……フィー、一つ頼まれてくれないか」

 

「ん、何をすれば良い?」

 

 小さな体で即答で頷いてくれるフィーに頼もしさを感じながらラウラはその場にクラウスも呼んで自分の考えを告げる。

 

「レグラムを放棄する」

 

「本気? いくら小さい街だからって、住民全員を避難させようなんて無理があるよ、第一どこに行くつもり?」

 

「エベル湖の南西からサザーランド州のパルムに出られる街道がある。距離はあるが徒歩でいけない距離ではない」

 

「だからって……」

 

 ラウラの提案にフィーは渋る。

 

「フィー。私はこんな私欲に塗れた戦争でレグラムの者達が血を流すことも、血で汚れることも望まない……ならばもう逃げるしかあるまい」

 

「それで良いの? アルゼイド流は帝国の“武の双璧”って呼ばれているんでしょ?」

 

「“誇り”と民の安全を秤に掛けることなどできない……

 それにパルムへ行けば、父上の件についての真実も分かるはずだ」

 

 希望的観測だが、ヴィクターが生きている事を信じたいし、Ⅶ組の仲間のこともラウラは信じたい。

 だが、このままレグラムに閉じこもっていても真実は分かるはずもなく、貴族連合もこれ以上レグラムの引き籠りを許すつもりはない。

 

「だけど貴族連合が見逃してくれると思う?」

 

「朝霧に紛れれば多少の猶予は得られるだろう。それと――」

 

 フィーの疑問にラウラは決意を固めて告げる。

 

「《青のティルフィング》は私が使わせてもらうが、良いか?」

 

「良いけど、何をするつもり?」

 

「貴族連合に決闘を申し込む。まあ殿は私に任せろ、と言う事だ」

 

「ラウラ……それは……」

 

「奴等が排除したいのはアルゼイド家であってレグラムの民ではない……

 それに“武”を尊ぶ帝国の、アルゼイド家の権威を堕としたいのならばこの申し出を受けないはずはないだろう」

 

「でも……」

 

 気丈な顔の奥に秘めた決意を感じ取り、フィーは昔のことを思い出してしまう。

 

「死ぬ気なの?」

 

「フィー……私は何も命を捨てるつもりは――」

 

「うそ……今のラウラは団長が“闘神”と戦いに行こうとしていた時と同じ顔をしている」

 

「それは…………光栄と言うべきか……」

 

 名高い猟兵王と並べられたことにラウラは嬉しさ半分の苦笑を浮かべる。

 

「貴族連合が正々堂々の決闘なんて受けるはずがない……

 仮に受けたとしても、絶対に卑怯なことをしてくるはず」

 

「それならそれで構わない。貴族連合の注意を私に集められるのならむしろ望むところだ」

 

 そもそもの数に圧倒的な差があり、《機甲兵》が主力となっている貴族連合の軍隊にレグラムの兵力が敵う道理はない。

 唯一対抗できる戦力である《機神》の存在を貴族連合は無視できないとすれば、ラウラが戦う意味はある。

 

「…………納得できない」

 

「フィー?」

 

「団長もそうだった。ちゃんと帰って来るって言ったのに、退き時を忘れて死ぬまで戦い続けた」

 

 その時のことを思い出したのか、フィーは体を震わせながら続ける。

 

「ねえラウラ。撹乱と暗殺ならわたしができる。それこそ帝国の伝説の暗殺者《漆黒の牙》みたいに。ラウラやⅦ組のためならわたしは――」

 

「フィー、気持ちは嬉しいがそれでは駄目なんだ」

 

 フィーならば確かにバリアハートに潜入してあの伝え聞く《漆黒の牙》のようにヘルムート・アルバレアの暗殺をすることはできるかもしれない。

 しかし、それはラウラが望む決闘と同じ、死を覚悟しての暗殺になるだろう。

 レグラムと貴族連合の問題にフィーがそこまで身を捧げる必要もなければ、ラウラ自身もフィーにそれを望まない。

 

「これはアルゼイドである私の意地でもあるのだ」

 

「意地を張って死んだら意味はない。生きていたもの勝ちって言うのが“猟兵”の勝利条件」

 

「フィーの言いたいことは分かる」

 

 ただ自分の身を案じてくれている優しい少女にラウラは微笑む。

 

「しかしこれは私の“貴族の義務”なのだ」

 

「“貴族の義務”なんてもう誰も守ってないのに?」

 

「誰も守っていなかったとしても、私がその“義務”を放棄する理由にはならぬ」

 

「…………わたしには理解できない」

 

「そうだろうな……だが、それで良いんだ」

 

 納得しないフィーにラウラは苦笑する。

 

「頼む。フィー親友としてレグラムの民を導いて欲しい……

 そなたが私の民を守ってくれるなら、私は心置きなく戦える」

 

「………………そんな風に頼まれたら断れないか」

 

 決して譲ろうしないラウラにフィーは諦めのため息を吐く。

 

「んっ……分かった。レグラムの人達はわたしが護る」

 

「フィー、そなたに感謝を――」

 

「ただし」

 

 感謝を告げるラウラの言葉をフィーは遮る。

 

「わたしは猟兵だから報酬を要求する」

 

「ほ、報酬……」

 

 突然のフィーの申し出にそこまで考えていなかったラウラは狼狽える。

 これから死地に向かう自分が支払えるものやミラの相場を思い浮かべるが、それを言葉にする前にフィーが要求を突き付ける。

 

「全部終わったら《キルシェ》の一番高いパフェ。踏み倒したら許さないから」

 

「フィー」

 

 言外に死ぬなと言わんばかりの報酬にラウラは微笑む。

 

「ああ、必ず支払おう」

 

 ラウラとフィーはどちらともなく握手をするように拳を突き合わせ、それを約束として互いの戦場へと赴くのだった。

 

 

 

 






 うまく書けた自信がないので補足説明。

 レグラム編でのテーマは“貴族の剪定”。
 内戦を終わらせた後を見据えて、貴族連合に恭順しなかった、もしくは中立を保ち日和見をし続けた貴族を取り潰す予定があります。
 アルゼイドやヴァンダールは四大名門よりも皇族に忠誠を誓っているので、皇族を傀儡にしている貴族連合にとっては邪魔な存在であるため、内戦中に排除するのが貴族連合の考えです。
 またシュバルツァー家はオズボーン宰相の故郷と言う理由以外でも、これらの理由に当てはまるので貴族連合が排除するべき貴族としてリストアップされていました。


 ユーシスは貴族連合の方針を止めることはできないが、内側から少しでも被害を少なくするように尽力しています。
 彼が使者としてラウラの説得に名乗りを上げなかったら、ヘルムートはレグラムに宣戦布告と同時に攻撃を仕掛けていました。





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40話 誇りの在り処

 

 

 

 

 そこには変わらない醜悪な光景が未だに続いていた。

 

「見れば見る程に美しい。アルバレア家に伝わっていた《金の騎神》と言うに相応しい」

 

「この黄金の輝きに比べれば、《蒼》や《緋》など地味と言わざるを得ないでしょう」

 

「ましてや《灰》……くくくっ半端な色の騎神は半端なものを選ぶと言う事でしょうかね?」

 

「その点、この《金の騎神》はやはり高貴な血筋を分かっているのでしょう」

 

「どこの馬の骨ともしれないならず者に栄えある《騎神》を貸し出したカイエン公など、貴族連合の主宰に相応しくありません」

 

「ヘルムート様こそ、次代のエレボニアの上に立つに相応しい」

 

 アルバレア家の庭園。

 その中央に膝を着く《金の騎神》の前で行われているお披露目の催しはユーシスがレグラムから戻って来てもまだ続いていた。

 

「ふふ……」

 

 《金の騎神》と共に称えられるヘルムートはユーシスが見たことのない満足そうな笑みを浮かべていた。

 

「っ――」

 

 ユーシスはレグラムの報告をすることをやめて、踵を返す。

 持て囃されて嬉しそうにするヘルムートも、《金の騎神》の威光に擦り寄りゴマをするクロイツェンの貴族も正視することができない程にユーシスは醜く感じた。

 

「…………今の四大名門をドライケルス大帝が見たら何を言うか……」

 

 正門から裏門へと周りながらユーシスはかつてオズボーンから投げかけられた言葉を思い出す。

 兄、ルーファスの重傷と彼の出自を知ることになった折にオズボーン宰相と話をする機会が会った時のことを思い出す。

 話した内容はほとんどユーシスの愚痴だった。

 だが、オズボーン宰相は嫌な顔一つせず、ユーシスの言葉一つ一つに相槌を打ち応えてくれた。

 

「ドライケルス大帝か……」

 

 オズボーンからユーシスに掛けた言葉は先程呟いた言葉だけ。

 そこに込められた意味は分からないものの、オズボーンが言わんとした貴族への評価が今のユーシスには理解できた。

 

「あれが貴族だと……? あんな奴等が貴族だと言うのか?」

 

 自尊心を満たす父に、媚びへつらう貴族。

 それだけはない。

 執事のアルノーに確かめれば、一ヶ月前のあのオズボーン狙撃から彼らはもうこの内戦は勝ったと言わんばかりに祝杯を挙げていた。

 《機甲兵》というアドバンテージを生かせば、様々な対応に遅れていた正規軍を制圧し、内戦を一ヶ月も長引かせることなどなかったはず。

 貴族の怠慢のおかげで、クリスが復活する時を稼げたことは幸いかもしれないが、泥沼化した戦火に晒され続けている民のことを思えば決して良かったとは思えない。

 

「くそっ……」

 

 そんな貴族たちの怠慢を咎める事もできず、ユーシスにできたことは与えられたわずかな兵を使ってクロイツェン州の安全を見回ることだけだった。

 現在の領邦軍は猟兵を雇い入れたこともあって、その質は決して良いとは言えない。

 隙あらば小さな村落で略奪を行おうとする者、領邦軍の権力を笠に着て街で横柄な振る舞いを行う者。

 統制が取れていない。

 治安が乱れている。

 にも関わらず、内戦を始めた父やそれを支持している貴族は危機感が薄く、語るのは内戦が終わった後のことばかり。

 今もクロスベルのルーファスから半ば強引に奪って来た《金の騎神》を誇るばかり。

 

「豚共めっ!」

 

 塀の向こうから聞こえてくる貴族たちの歓声にユーシスは思わず毒突く。

 が、そんな陰口しか言えない自分に嫌気が差して肩を落とす。

 

「フィーの言う通りだな」

 

 レグラムでフィーに言われた言葉を思い出して自嘲する。

 結局、今の貴族を蔑んでいながらそれを正すこともできない。

 クロウと面会しようとしても取り合う事さえしてもらえない。

 何もできていない惨めさをユーシスはただ噛み締めることしかできなかった。

 

「お帰りなさいませユーシス様」

 

 裏門に回ったユーシスを執事のアルノーが迎える。

 

「ああ、今戻った」

 

 当たり前のように出迎えてくれたアルノーにユーシスは安堵を感じながら告げる。

 

「レグラムの事で父上に報告したいことがある。すぐに――」

 

「旦那様はレグラムについては全てユーシス様に任せると仰っておりました」

 

「っ――」

 

 アルノーから伝えられた無責任な父の言葉にユーシスは眩暈を感じる。

 

「ユーシス様」

 

「大丈夫だ」

 

 気遣ってくるアルノーにユーシスは絞り出すように応える。

 

「了解した。それで《西風》の二人はもう戻っているか?」

 

「それでしたら――」

 

「おお、ここにおるで」

 

 アルノーがユーシスの背後に視線を向けたところで訛りのある声が掛けられる。

 振り返るとそこには《西風の旅団》のゼノとレオニダスがいた。

 

「ボン様の依頼通り、街で無銭飲食を繰り返していた猟兵はオレらが締めておいたで」

 

「……仕事が早いな」

 

 いつの間に背後を取っていたのか。

 その事への文句をユーシスは呑み込んで、今朝指示したばかりの仕事を済ませてきた二人の働きに感心する。

 

「同業者の横暴は無関係ではないからな」

 

「猟兵が皆、お前達のように話の分かる者達であれば良いのだがな」

 

「行儀の良い猟兵ちゅうのもおかしな話やけどな。それよりフィーは元気にしとったか?」

 

 報告もそこそこに切り上げて尋ねて来た内容にユーシスはため息を吐く。

 

「そんなに気になるなら、仕事は他の者に任せて同行しても良いと言ってはずだが?」

 

「それはほら……今フィーと顔を合わせるのは気まずいと言うか……」

 

「むぅ……」

 

 察してくれと言葉を濁すゼノと唸るだけのレオニダスにユーシスはもう一度ため息を吐く。

 バリアハートに戻り、領邦軍の指揮を執る中に猟兵達の扱いもユーシスの仕事として割り振られた。

 それは良いのだが、この二人は暇を見つけては学院でのフィーのことを聞き出そうと訪ねて来るのは正直鬱陶しいと感じていた。

 最初こそは離別した家族を気遣っている関係に羨ましさを感じていたが、彼らのことを知ればただの女々しさだと言う事が分かりユーシスの中では一流の猟兵という評価からただの親バカに傾きつつあるのが二人への認識だった。

 

「明日、レグラムにもう一度行く」

 

「それは……」

 

「ラウラの返答次第ではレグラムを武力制圧することになるだろう……

 フィーと戦えないと言うのなら、ここに残ることは許そう」

 

「おいおい、ボン様。それはいらん気遣いってもんやろ」

 

「ああ、敵として戦場でまみえるなら相応の覚悟は俺達も、フィーもできている」

 

 猟兵らしくゼノとレオニダスはフィーと戦う事になる可能性を潔く受け入れている。

 しかし、レグラムで話したフィーの言葉からその二人の言葉にユーシスは一つの疑問を感じ、口にする。

 

「お前達はいつまでフィーを猟兵扱いするつもりだ?」

 

「……は?」

 

「それはどういう意味だ?」

 

 ユーシスの質問が意外だったのか二人は目を丸くする。

 

「既にフィーは猟兵以外の道があることに気付いている……

 クロスベルでアルカンシェルの稽古に参加したこともあれば、園芸部でもそれなりにうまくやっているらしい……

 銃に頼らない生き方を見つけつつあるフィーに猟兵の流儀を押し付け、後ろ髪を引かせているのはお前達ではないのか?」

 

「…………」

 

「…………」

 

 ユーシスの指摘にゼノとレオニダスは黙り込む。

 

「お前達の仕事ぶりは信頼できる……

 しかし、フィーが絡んだ時お前達は正しい判断をすることができるのか?」

 

 不確定要素はいらないと伝えるユーシスにゼノとレオニダスは熟考するように沈黙をして重い口を開く。

 

「ボン様……いやユーシス様」

 

 どこか斜に構えていた態度をゼノは改める。

 

「そこまでフィーの事を想ってくれていたとは……」

 

 レオニダスは腕を組み、遠くの空を見つめて感慨深く頷いた。

 

「そこまでフィーのことを想ってくれているのなら……いや、しかし……」

 

 何やら苦悩をし始めるレオニダスにユーシスはため息を吐く。

 冷遇する父に疎ましさを感じてはいたが、妹離れができない家族と言うのがこんなにも鬱陶しいものなのだとユーシスは気付く。

 

「付き合いきれん」

 

 ユーシスは二人との会話を切り上げて踵を返す。

 二人を置き去りにして屋敷に入れば、そこには二人の同級生がユーシスを待っていた。

 

「何だ、二人とも来ていたのか?」

 

「あ……ああ……」

 

「一度、ちゃんと顔を合わせて礼が言いたかったからな」

 

 歯切れ悪く頷くパトリックと律儀なことを言い出すアランにユーシスは素気のない態度で応じる。

 

「礼など必要ないと伝えてあったはずだ……

 あの作戦、父はお前がブリジット嬢の処刑を確認した後でケルディックを粛正するつもりだった」

 

「だけどお前が進言して俺にあの猟兵の二人を付けて、処刑させないように進言してくれたんだろ?

 お前の――ユーシス様のおかげでブリジットを助けることができたから、本当に感謝している」

 

「ふん、死なせて利用するよりも恩に着せて利用した方が良いと考えただけだ」

 

 アランの感謝にユーシスはやはり気のない返事をする。

 

「それよりユーシス。ハイアームズ侯が貴族連合を裏切って正規軍に着いたというのは本当なのか?」

 

「……ああ」

 

 パトリックの質問に彼らが訪ねて来た理由をユーシスは察する。

 

「安心するが良い。三男では父上にとって人質としての価値も感じないだろう」

 

「それは……」

 

「ユーシス……言葉を選べよ」

 

 ユーシスの答えにパトリックは顔をしかめ、アランはため息を吐く。

 一緒に救出されたアンゼリカは早々にログナー家が引き取って行ったが、ケルディックでの正規軍の非道を証言するという名目でパトリック達はバリアハートに滞在している。

 

「事実だ。それとも自分を見捨てた家族を恨んで一軍を率いてみるか?

 今なら父上に媚びへつらって裏切り者の首を献上すれば、サザーランド州を与えてくれるかもしれないぞ……

 三男のお前が家督を継ごうとするなら、今は絶好の機会だろうに」

 

「っ……」

 

 息を呑んで黙り込むパトリックにユーシスは目立たないように剣に触れる。

 

「僕に…………あの庭園にいる奴等みたいに振る舞えと言うのか?」

 

「そう言うけど、取り巻き引き連れて偉そうにしていたのは良くやってたじゃねえか」

 

「なっ!?」

 

 アランの歯に衣着せぬ指摘にパトリックは目を剥き声を上げて反論する。

 

「僕があの豚共と同じだと言うのか!? ふざけるな訂正しろっ!」

 

「なっ!? このバカッ!」

 

 同じことを思っていても決して口に出さなかったアランはパトリックの失言に狼狽える。

 

「馬鹿と言ったか! 貴様――あ……」

 

 激昂しながらもアランが自分を見ていないこと、彼の視線の先にユーシスがいることを思い出しパトリックは蒼褪める。

 よりによって、アルバレア家の中でその当主を、ユーシスの父を豚呼ばわりした自分の失態にパトリックは気付く。

 

「ふん……」

 

 しかし、当のユーシスはそっぽを向いて聞かなかった振りをして、二人に別の話題を振る。

 

「あれが貴族連合の未来だ」

 

 ユーシスに促されてパトリックとアランは窓の外の《金》を見て、どちらも顔をしかめる。

 二人の反応にユーシスは平静を繕いながら、同じ感想を感じていることに安堵する。

 

「あの中にブリジットの親がいないのは良い事なんだよな?」

 

「ユーシス。僕達にできることは――」

 

「何もするな」

 

 パトリックの進言を最後まで言わせず、ユーシスは拒絶する。

 

「お前達はそのままブリジット嬢の実家で息を潜めて嵐が過ぎ去るのを待て」

 

「いやしかし……君はどうするんだ? レグラムに侵攻するという話は聞いている……

 レグラムにはⅦ組の仲間が治める領地のはずだ。君がわざわざ指揮を取らなくても……」

 

「勘違いするな。俺は別に父に従わされているわけではない……

 だいたいあれに指揮をさせたらどんな二次被害があるか分かったものではない」

 

 後ろでふんぞり返って無理難題を言うだけならまだしも、功に目が眩んだ独断専行や責任の擦り付けなど無能な味方程邪魔な存在はいない。

 内戦に翻弄される民のことを思えば、彼らに戦争させるくらいなら自分がやった方がマシだとユーシスは言い切る。

 

「しかし、それでは君は……」

 

「それ以上言うな。パトリック……俺はアルバレア公爵家なのだ」

 

 ユーシスの諦観を滲ませた言葉にパトリックはそれ以上の反論ができずに押し黙る。

 アランもまた何かを言いたげにしながらも、ユーシスの覚悟を感じ取って追及を避け、別の話題を振る。

 

「なあ仮に貴族連合がこの内戦を勝ったとしたら、どうなるんだ?」

 

 アランの質問にユーシスは目を伏せ、熟考しながら応える。

 

「獅子戦役と同じだ……

 恐怖と暴力で帝国を支配したオルトロス偽帝がドライケルス大帝に討ち取られたように終わるだろうな」

 

 庭では《金の騎神》とヘルムートを中心に帝国の明るい未来の話題で盛り上がる。

 その陰で若者たちが貴族連合の未来は決して明るいものにはならないと嘆いていることを彼らは知ろうともしなかった。

 

 

 

 

 

 

 バリアハートとレグラムを繋ぐエベル街道を五機の機械人形と四基の戦車が物々しく進軍する。

 戦闘を歩くのは剣と盾を携えた《紅》の機械人形。

 追従する《機甲兵》とは別の思想で作られたと一目で判る《機神》。

 追従する他の《機甲兵》もまた通常とは異なっている。

 ブレードライフルを片手に無数の鉄杭や円盤を装備したドラッケン。

 右腕に巨大なガントレットを装備したヘクトル。

 そしてそれらをレグラムの門の前で待ち受けていたのは《紅》によく似た《青の機神》。

 

「…………止まれ」

 

 ユーシスは部隊に指示を出すと、一人だけ前に出て《青》と対峙するように《紅》を進ませる。

 

「その様子では覚悟は極まっているようだな」

 

 大剣を地面に突き立て仁王立ちで出迎えた《青》に、その佇まいからラウラの選択をユーシスは推測する。

 元より曲がったことが嫌いな根っからの武人である彼女があの降伏勧告に屈するとは思っていなかった。

 

「ああ……だが、答える前にユーシス。そなたには一つ……いや二つ謝っておかなければならないことがある」

 

「謝る必要などない。それがお前が決めた道だと言うのなら胸を張って――」

 

「いや、そうではなくてだな」

 

 ラウラの声は気まずそうな調子を含ませて続く。

 

「私はレグラムのみんなをパルムへと夜逃げさせるつもりだった」

 

「…………そうか」

 

 ラウラの言葉にユーシスは《青》の背後、レグラムの門に視線を向ければそこには一人の老執事が佇んでいた。

 

「私は殿として残り、そなた達の追手を食い止める……

 だがその考えをみんなに伝えたところ、みんな私を残しては行けないと言われてしまった」

 

「そうか……」

 

 老執事だけではなく、門の向こうにはラウラの雄姿を見守るようにレグラムの民が集まっていた。

 数人の親しい執事とメイドの見送りしかなかった自分との違いに思わずユーシスは失笑を漏らす。

 

「それが一つならもう一つの謝罪は何だ?」

 

 ラウラが夜逃げを選んでいたことは意外だったが、ユーシスは尋ねる。

 

「うむ……」

 

 ラウラの声に合わせ、《青》が地面に突き立てた大剣を抜く。

 

「私は今からヘルムート・アルバレアの首を狙って一騎駆けを行う」

 

「それは……」

 

 言外にユーシスの父を討ち取ると宣言したラウラにユーシスは動揺していない自分に驚く。

 

「私がこの戦いに散れば、レグラムは無条件で降伏することを約束する。この勝負、受けてくれるな?」

 

「…………自分が何を言っているのか分かっているのか?」

 

「ああ……」

 

「俺達は先遣隊に過ぎない……

 今日のお前の返答次第ではすぐに部隊をレグラムに送り込む準備は整っている」

 

「ああ……」

 

「本隊は機甲兵だけでも二十機配備されている……

 いくら《ティルフィング》が《騎神》に近い性能を持っているからと言ってもお前のやろうとしていることは自殺行為でしかないのだぞ」

 

「ああ、分かっている。だが今の私は無敵だ」

 

 レグラムのみんなの期待を一身に背負ったからこそ、途方もない敵に対して臆する気持ちはない。

 

「っ……」

 

 堅い覚悟をしたラウラにユーシスは何とか思い直させる言葉を探す。

 

「あかん、これはあかんでユーシス様」

 

「ああ、どうやら彼女は肚を括ってしまったようだ」

 

 導力通信で同じ言葉を聞いていたゼノとレオニダスがこれ以上の説得は無駄だと告げる。

 

「しかし――」

 

「ユーシス。そなたは昨日私に覚悟があるのかと聞いたな?

 だがそなたこそ、貴族連合に、帝国解放戦線の言いなりとなって無辜の民を殺す覚悟はあるのか?」

 

「それをさせないために俺は貴族連合にいると決めたのだっ!」

 

「だがそれが理想論でしかないと言う事はそなたも分かっているはずだっ!」

 

「っ――」

 

「クリスがいれば、などと言うなよ……

 確かに本物のセドリック皇子が立てば貴族連合の正当性は崩れる……

 その時まで貴族連合の横暴を制御できれば、被害は最小限に食い止められばそなたは満足かもしれないが、その道は――」

 

「言うなラウラ。それ以上は……」

 

 核心に触れようとしたラウラの言葉をユーシスは遮る。

 

「…………そうだな。これ以上の言葉は不要だな」

 

 ラウラは――《青》は大剣を構えもう一度宣言する。

 

「私は諸悪の根源であるヘルムート・アルバレアにクロウ・アームブラストも斬る……

 皇族であるクリスの手を煩わせない。それがアルゼイド家の役割であり、本分だっ!」

 

「お前の覚悟は分かった。今ヘルムート・アルバレアを殺させるわけにはいかん」

 

 決死の覚悟を固めたラウラに対してユーシスもまたそんな彼女と戦う覚悟を決める。

 

「ふふ……思えば同じクロイツェン州出身だというのにそなたと剣を交えたことがなかったな」

 

「親同士の折り合いが良いとは言えないのだ、Ⅶ組と言う括りがなければお前とは関わることなどなかっただろうな」

 

 戦いを始める直前とは思えない程、穏やかな言葉を二人は交わす。

 そしてどちらともなく黙り込み、ラウラが合図を上げるように吠える。

 

「征くぞっ! 貴族連合っ! アルゼイドの力っ! とくと見よっ!」

 

 《青》が駆け出す。

 導力車のように足にタイヤで走る機甲兵とは違い、人のように大地を蹴って加速する《青》の勢いにユーシスは――《紅》に剣と盾を構えさせる。

 

「総員っ! 敵は《青の機神》ティルフィングッ!」

 

 《紅》の号令に合わせ、機甲兵と戦車が動き出す。

 複数の銃口や砲塔を向けられるにも関わらず、《青》は怯むことなく、むしろ速度を上げて突撃する。

 

「ハッ、ええ度胸や、お嬢様……フィーの親友ちゅうだけはあるな」

 

「我ら西風の護り、簡単に通れるとは――」

 

 油断なく構える二機と特別仕様な武装からただ者ではないと察したラウラは叫ぶ。

 

「フィーッ!」

 

「ん――任せて」

 

 《青》の背中にしがみついていたフィーは《ARCUS》を外部から《青》に接続して一時的にその制御権を得る。

 次の瞬間、《青》はその姿をブレさせた。

 

「なっ――!?」

 

 土煙を舞い上げて五体となった《青》は走る勢いを緩めず突撃する。

 

「何やと!?」

 

「むっ」

 

 大剣を振り上げて突進して来る《青》にそれぞれの機甲兵たちは身構え、迎撃する。

 だが、その攻撃は《青》を捉えるものの空を切って幻影が掻き消える。

 そして《青》は背中や足から風を吹かせてそんな彼らの頭上を飛び越えて、彼らの防衛線を突破した。

 《青》はそのまま脇目も振らずに駆け出し、その背中に張り付いていたフィーは貴族連合の機甲兵を振り返る。

 

「ふん……」

 

 人を見下すような嘲笑だけを残し、フィーは《青》の肩へと移動して前を向く。

 もう《青》もフィーも振り返らず、ユーシス達はその背を見送るように立ち尽くす。

 

「チイ……やるようになったやないかフィー」

 

「目標、防衛ラインを突破。これより追撃を開始する。本隊への報告は任せていいな?」

 

「ああ、俺もすぐに追い付く」

 

 レオニダスの進言にユーシスは頷き、導力通信を操作する。

 

「ん……?」

 

 その傍らで視界に違和感を覚えてユーシスは顔を上げる。

 その動きに連動した《紅》がレグラムの向こう、朝霧の奥にあるはずのローエングリン城を凝視する。

 

「………………気のせいか?」

 

 何かが動いたような気がしたが、機械の目に映る光景は静かな湖畔の城だけで特に異常は見られない。

 ユーシスはすぐに疑問を振り払い、導力通信をバリアハートに繋げた。

 

「こちらユーシス・アルバレア」

 

 さて、どう父にラウラの宣戦布告を伝えるか、ユーシスは頭痛を感じてため息を吐くのだった。

 

 

 

 

 

 



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41話 アルゼイドの戦い

 ヘルムートは無能と言うイメージが強いようですが、この作品内ではそれなりの力を持っているようにしています。
 解釈違いを不愉快と感じさせてしまうかもしれませんが、御容赦ください。



 ヘルムートが強い根拠
1四大名門として武芸の英才教育受けていた
2若かりし頃、彼が比較されるのが、
 ヴィクター、マテウス、オズボーン、オーラフ。
 最低でもこの四人を比較対象にされる世代なので求められる武芸の質が高かった
3オズボーンの政敵として対抗できるだけの力があったこと

 もちろん現代では鍛えた才覚や剣の腕は様々な理由で錆び付いて衰えていますが、“腐っても鯛”だと自分は考えています。






 レグラムとバリアハートを結ぶエベル街道に横隊を組んで機甲兵と導力戦車が敵を待ち構える。

 

「――来たぞ。総員構えっ!」

 

 双眼鏡で街道を駆けて来る《機神》を確認し、指揮官が号令を上げる。

 それに合わせて機甲兵や導力戦車が一斉に銃口や砲門を向ける。

 

「――撃てっ!」

 

 十分に引きつけて一斉射撃が《青》を襲う。

 降り注ぐ砲弾の雨に《青》は大剣を上段に構え――振り下ろす。

 

「地裂斬っ!」

 

 剣閃が砲弾の雨を斬り拓いて大地を割る。

 その衝撃波が横隊の中央に走り、弾け飛ぶ大地の破片が横隊の中央で爆発する。

 

「っ――」

 

 巻き上がった土砂に視界が閉ざされる。

 幸いなことに距離があったため、剣閃の威力は導力戦車を一台破壊するにも至ってはいなかった。

 しかし――

 

「おおおおおっ!」

 

 舞い上がった土煙の中、横隊の中に跳躍して突撃した《青》は咆哮を上げる。

 

「なっ!? 何だ引き込まれ――」

 

 指揮者の指示を待ち、土煙の中で敵の攻撃に備えていた機甲兵は何かに引き寄せられる力に狼狽える。

 

「せいやっ!」

 

 気合い一閃。

 戦技によって吸い寄せられた機甲兵たちが横に薙ぎ払われ、《青》はこじ開けた横隊の隙間を前へと駆ける。

 

「くっ――反転っ! 次弾装填急げっ!!」

 

 薙ぎ倒された機甲兵の下で導力戦車が駆け抜けた《青》の背中に照準を合わせ――

 

「させないよ」

 

 声と共に導力戦車の中で煙が爆発した。

 

「なっ!? 何だこれはっ!? げほげほっ!」

 

 無視された導力戦車は次々と煙を吹き出し、フィーはそれを見届けて機甲兵の頭に着地する。

 

「くっ――よくもやってくれたな」

 

 前に振り返れば《青》の前進しながら繰り出された一撃を一体の機甲兵が剣で受け止めていた。

 

「流石は女でもアルゼイドの剣士というわけかっ! だが貴様の悪あがきもこれまで――」

 

「――邪魔だ」

 

 口上の途中にも関わらず、《青》は剣を隙だらけに突き付けていた機甲兵に踏み込み大剣を振り下ろす。

 

「今日限りで帝国最強の看板はこの――へ……?」

 

 貴族の偉そうな声は機甲兵の頭と共に潰され、返す刃が無防備になった機甲兵が吹き飛ばし、無事だった機甲兵を巻き込んで転がる。

 

「…………」

 

 思わずフィーは薙ぎ払われた機甲兵を視線で追い――頭を振って嫌な思考を振り払う。

 

「フィーッ!」

 

 機甲兵を薙ぎ払って振り返る《青》にフィーはすぐさま具足の機構を使ってその肩に着地する。

 それを確認して《青》はすぐに踵を返して走り始めた。

 

「…………何とかうまく行ったみたいだね」

 

「……うむ」

 

「やっぱり貴族連合もまだ《機甲兵》の練度は高くないみたい。戦車との連携も悪かった」

 

 フィーは今の戦闘の手応えの感想を呟く。

 これが生身同士での戦いならこんなに簡単に防衛線を突破することはできなかっただろう。

 念のため背後を確認して見るが、倒れた《機甲兵》を立て直すことに躍起になってすぐに追って来る気配はない。

 

「次もこんなにうまく行くと思わない方が良いよ」

 

「ああ……」

 

 ラウラの気の抜けた返事にフィーは首を傾げる。

 

「……やっぱりああいう戦い方は嫌?」

 

 大技で戦場をかき乱し、まともに戦わず混乱に乗じて防衛線を突破する。

 例え相手が貴族らしく名乗りを上げても決して付き合うなとフィーは予め厳命していたが、やはり納得ができてないのだろうか。 

 

「いや、一人一人まともに戦っていたらキリがないと言うのは私だって理解している」

 

「じゃあ何が不満なの?」

 

 ここから先は死地。

 ラウラに命を預けると決めたが、不調となったラウラにフィーは作戦をここで切り上げるかどうか提案する。

 

「別に本当にユーシスのお父さんの首を取る必要はないよ?

 大立ち回りを演じて、ラウラが身を隠せばそれだけでいつ襲って来るか分からない暗殺者として抑止力になれるって説明したよね?」

 

「だがそれはあくまでヘルムート・アルバレアの喉元まで辿り着けばの話であろう? 大丈夫だ。私はまだやれる」

 

「じゃあどうしたの? 心ここにあらずって感じだったけど」

 

「それは……フィーに謝らねばならないと思ったんだ」

 

「わたしに謝る?」

 

「覚えているか? 鉄道憲兵隊での特別実習の時のことを?」

 

「うん……覚えているけどそれが何?」

 

 思い出してみればあの時も、レグラムからバリアハートを経由してガレリア要塞を導力車で目指す実習だった。

 

「私はあの時からフィーを“猟兵”ではなく、一人の人間として見るように努めていた……

 そなたのことは人として信頼できるし、決して血に飢えた死神ではないと分かっていたからな」

 

「それで……?」

 

「だが、そなたを認めていた一方でやはり“猟兵”の存在を認められなかった」

 

「…………そう」

 

「ああ、勘違いしないでくれ。認められないと言うのはむしろ“猟兵”を雇う者達のことだ」

 

 フィーに勘違いされないようにすぐにラウラは訂正と説明を続ける。

 

「軍と言うのはいざという時に、民の前に立ち戦うために日々鍛えている……

 にも関わらず、戦うべき時に他人をミラで雇い入れて“戦争代行”をしてもらう……

 己の責務を全うしない依頼主。猟兵以上に私は彼らのことが理解できなかった」

 

 人手を充実させる目的があるかもしれない。

 しかしそれを差し引いても、やはりラウラには納得できないものだった。

 

「戦うために、守るため、貴族はそのために様々な特権を得て、有事の際に民を守る。貴族とはそのために存在していると私は考えていた……

 だから責務を果たさず、鍛えた力を使わず“猟兵”を雇う者達を臆病者とさえ思っていた」

 

「…………それで?」

 

「だが、今は彼らの気持ちが少し分かった」

 

 ラウラはため息を吐く。

 

「民の犠牲はもちろん、私はアルゼイドの門下の誰も犠牲になって欲しいとは思えなかった……いや、言えなかった」

 

 本来ならラウラは防衛線で貴族連合と戦うつもりだった。

 共にラウラと戦うために残ると言う彼らを《機甲兵》と戦うには無力だと言い切って彼らの主張を拒絶した。

 

「彼らが犠牲になるくらいなら、こうして一人で戦う事の方が気が楽に感じてしまう……

 ミラでレグラムのみんなが誰も死なないで済むと言うのなら、猟兵を雇っても良いかもしれないと私は考えてしまった」

 

 誰も犠牲にならない方法を考えに考えてラウラが出した答えの中には、自分が最低だと見下した方法があった。

 もっとも考えたがラウラに猟兵を雇う伝手も時間もなかったので、実現することはなかったのだが。

 

「結局何が言いたいの?」

 

「ええっと……」

 

 フィーの追求にラウラは口ごもる。

 感じたことをそのまま口にしていたため、分かりにくかっただろうかとラウラは言葉を選ぶ。

 

「フィー、改めて私はそなたたちが“死神”などではないと分かった……

 “猟兵”とは私が思っていた以上に必要とされる者達だったのだと分かった気がする……

 貴族と立場を笠に着て、私利私欲を満たす貴族こそ害悪な存在なのだろうな」

 

「…………それ、ラウラの考え過ぎ」

 

 勝手な自己完結をしたラウラにフィーは肩を竦めて彼女の答えを切って捨てた。

 

「いや、しかし――」

 

「猟兵は軍人の代わりに矢面に立つなんて高尚なこと考えてないよ……

 基本的に戦争が好きで好きでたまらないろくでなし」

 

 養父の顔や後から入って来たクラスメイトの顔を思い出しながらフィーは続ける。

 

「それに大半の猟兵が略奪をする弱い者いじめが好きな奴等で、《西風》や《赤い星座》の方がむしろ少数派だと思う」

 

「だが、そなたは戦いが好きだと言うわけではないのだろう?

 それにフィーはこんな馬鹿げた特攻に付き合ってくれているではないか」

 

 ラウラの指摘にフィーは考え込み、昨夜のこと、それに学院での生活を反芻しながら口を開く。

 

「わたしはずっとラウラやユーシス、それにマキアスも馬鹿だなって思ってた」

 

「ふむ……?」

 

「確かにわたしは自分の生まれも分からない孤児だけど、血筋なんて目に見えない不確かなものに囚われて生き方を自分から縛っているみたいで理解できなかった……

 それに特別実習で見て来た貴族は好き勝手やっていたし、私欲のために略奪する“猟兵”と何が違うのか分からなかった」

 

「…………そうだな」

 

 猟兵と貴族の違い、両方が身勝手だと言うフィーの主張にラウラは頷く。

 

「一皮剥けばユーシスもそんな貴族だった、ラウラももっと追い詰めれば本性が見えるんじゃないかと思った」

 

「それがそなたが私に同行した理由か?」

 

 フィーが密かに幻滅していた事実にラウラは思わず自嘲する。

 しかし、フィーは首を横に振って否定する。

 

「昨日、ラウラがレグラムのみんなに説得されたのを見て、これが正しい貴族と平民の姿なんだって分かった」

 

 レグラムの住民を前にラウラが逃げろと訴え、彼らは彼女の意思に反してラウラと共に戦う事を望んだ。

 どちらも折れず、逃げ時を失い、折衷案としてラウラが一人で特攻する作戦に至ったのだが、彼女たちを愚かとフィーは思えなかった。

 

「ふむ……そなたにとって貴族とはいったい何なのだ?」

 

 フィーが出した貴族とは何か、自分の中で貴族像が揺らいでいるラウラは訊き返す。

 

「貴族って言うのは、“お父さん”なんだと思う」

 

「“お父さん”?」

 

「団長も命を無駄に捨てるなって言っていたけど、いつも撤退する時は殿を務めていた……

 あの時、みんなに慕われていたラウラに団長の背中を思い出した……

 ラウラにとってレグラムは、わたしにとっての《西風の旅団》なんだよね?」

 

「…………ああ……ああ、そうだな」

 

 フィーの質問にラウラは頷く。

 血筋と言う意味ではラウラの家族はヴィクターであるが、レグラムが家族だと言う事は言われるまでもないラウラにとっての当たり前だった。

 しかし、フィーに言われて貴族とは何なのか腑に落ちた気持ちになる。

 内戦が始まり、レグラムに戻ってから何度も考えていた貴族は何なのかという問いに一つの答えを得た。

 清々しい気持ちを抱きながら、気力を充実させ、ラウラは見えて来た第二防衛ラインを見据える。

 

「ならばレグラムの父として死んでも役目を果たさなければな」

 

「ラウラは死なないよ。わたしが護るから」

 

「それは心強いっ!」

 

 今度の防衛戦には空に飛空艇が見える。

 だが、それでも気力は充実しており負けるとは思えなかった。

 

 

 

 

「見失っただと!」

 

 バリアハートの南門に張った陣でその報を受けたヘルムートは怒りを露わにする。

 

「も、申し訳ありません」

 

 伝令の通信兵は理不尽な怒りに頭を下げながら、そこにいた兵に代わって状況の説明をする。

 

「アルゼイドの娘が乗る《機神》を飛空艇で追い詰めたものの、南クロイツェン街道とエルベ街道を繋ぐ橋にて崖下へ転落」

 

「なんだ撃退できたのではないか」

 

 その報告にヘルムートは肩透かしされる。

 

「いえ、それが崖下を調査したところ《機神》の残骸は発見できませんでした」

 

「そんな馬鹿なことがあるか!」

 

 あり得ない報告にヘルムートは兵を怒鳴りつける。

 《機甲兵》を隠してきたこともあり、巨大な兵器の隠蔽が困難なことをヘルムートは良く分かっている。

 

「さっさと見つけ出せと伝えろっ! それからユーシスは何をしている!?」

 

「ユ、ユーシス様でしたら本陣が危ないと河川の調査を他の者に任せ、こちらに向かっているそうです」

 

「……ユーシスめ」

 

 河川を伝えばバリアハートの東側に出られるが、《青の機神》は飛行能力を持たない。

 いくら《機神》や《機甲兵》が人に対して巨人であっても、その城壁を乗り越えることはできないことは目に見えている。

 そもそもルーファスならば、《機神》を見失うようなこともなかっただろうと考えヘルムートは舌打ちをする。

 

「ちっ……忌々しい」

 

 ルーファスならできた。ルーファスならばできた。

 ユーシスを見る度にどこからか聞こえて来る囁き。

 それは自分の内面からのものでもあり、ルーファスとユーシスの出生を知る者の陰口でもある。

 それを聞く度に、息子たちを通して弟との優劣を比較されるように感じてしまう。

 

「やはり平民の血のせいか……」

 

 ユーシスの不出来をヘルムートは平民の血のせいにする。

 そんなユーシスに次代のアルバレア家を任せる事はヘルムートにとって屈辱だが、諸事情で後の子供を作れなかったヘルムートにとってユーシスを貴族として迎え入れたのは苦渋の決断だった。

 

「そうだ……私は悪くない……私なら……私なら……そうか……」

 

 虚ろな目をしてうわ言を繰り返すヘルムートは振り返って《金》を見上げる。

 

「ユーシスなどに任せず私がやれば良いのか……」

 

 元々レグラムの制圧は《金》の初陣の華々しい戦果とするつもりだった。

 交渉は決裂したのだから、もう何の憂いもなくレグラムを潰して良いのだとヘルムートは気付く。

 

「ヘルムート様」

 

「もはやユーシスなどに任せてはおけんっ! 私が出るっ!」

 

 その宣言にヘルムートの取り巻きがおおっと声を上げる。

 

「で、伝令っ!」

 

 そのタイミングに合わせるかのように先程の兵が《青の機神》の発見を告げに現れる。

 

「《機神》が東門に現れましたっ!」

 

 それは予想通りであり、予想外でもある報告。

 

「ふん……まさか本当に川を伝って来るとはな」

 

 防衛線をすり抜けるための妙案だったかもしれないが所詮は子供の浅知恵。

 今頃は川底で発見されて軍の集中砲火でも受けているかとヘルムートは考える。

 

「それで撃破したのか?」

 

「そ、それが……」

 

 兵はヘルムートの質問に言葉を濁す。

 

「どうした、さっさと報告しろ」

 

「あ……《青の機神》は城壁を駆け登り、現在南に移動中のようです」

 

「…………は……?」

 

 その報告にヘルムートは耳を疑い目を丸くする。

 

「貴様は何を言っている? 馬鹿馬鹿しい多少の違いはあっても《機甲兵》が城壁を駆け登ることなどあるものか」

 

 想像したのはあまりに非常識な光景。

 故にヘルムートは呆れ兵を叱責しようとしたところで――轟音が上から響く。

 

「見つけたぞ、ヘルムート・アルバレア」

 

 降って来た声は少女のそれ。

 バリアハートの南門。その上に立つ水が滴る《青の機神》は大剣の切先を眼下のヘルムートに向ける。

 

「なっ!? 馬鹿な!?」

 

 自陣の背後に現れた《青の機神》にヘルムートは目を剥いて驚き、その次に感じたのは怒りだった。

 

「私を見下すか……子爵の娘ごときがっ!」

 

「その首は正直いらないが、代わりにそちらの《騎神》の首を貰うっ!」

 

 瞬時にヘルムートと傍らにそびえ立つ《金》のどちらが重要か判断を下したラウラは《金》に向かって城壁から剣を下に構えて飛び降りる。

 

「何をしている奴を撃ち落とせっ!」

 

 遅れて叫んだ指示だが、外側に向かって展開していた導力戦車も機甲兵もその指示に即応できず、《青》は一直線に《金》へと落下し――遠くからの狙撃によって弾き飛ばされた。

 

「くっ――」

 

 銃撃の衝撃に弾かれた《青》は城壁に叩きつけられながらも態勢を立て直して大地に着地する。

 

「どうやユーシス様、オレの狙撃もなかなかのもんやろ?」

 

「ああ、流石だな」

 

 遠距離からの狙撃を決めたゼノはユーシスに腕前を褒める。

 

「お前達はここで待機だ」

 

 間に合ったことに安堵しながら、ユーシスは《紅》を進ませる。

 本陣は自然とユーシスの《紅》に道を開け、《紅》は程なくして立ち上がった《青》と向き合う。

 

「父上、無事ですね」

 

「う……うむ」

 

 まずは領主の無事を確認し、明確な返事が返って来たことにユーシスは改めて安堵する。

 

「だいぶ無茶をしたようだなラウラ」

 

「っ――そなたこそ、私達が知っている《紅》のスペックではまだ追い付かれないはずだったのだが」

 

「開示していない“奥の手”を使っただけだ。お前のようにな」

 

 以前ラウラが生身で垂直な壁を駆け上がったことを思い出し、まさかという思いで本陣への帰還に全力を費やしたのだが、まさか《機神》で本当に壁走りをやったことに呆れてしまう。

 

「ユーシス、そこを退いてくれ。貴族連合はもはや戦火をいたずらに広げるだけの衆愚に成り果てた……

 同じ貴族として、ここで彼らを正さなければ私を信じてくれた、これまで尽くしてくれた民に示しがつかない」

 

「…………お前の言い分は分かる。だがそれを認めるわけにはいかん」

 

 腐ってもクロイツェン州をまとめている領主なのだから。

 それを口にせず、真っ直ぐに貴族の本分を語るラウラにユーシスは眩しさを感じながら、《紅》の剣を《青》に向ける。

 

「投降しろラウラ。もうお前に勝ち目はない」

 

 敵陣の奥深く、彼女らしくない奇襲も失敗した今、それ以外にラウラが生き残る術はないのだと訴える。

 

「断る」

 

「…………だろうな」

 

 迷う事のない返答にユーシスは羨ましさを感じながら剣を抜いて――

 

「《ARCUS》駆動……」

 

 ユーシスの呟きに伴い、《機神》によって拡張した導力魔法が《紅》の背後に火球を生み出す。

 いつでも撃ち出せるように火球を待機させ、剣と盾を構える。

 携行性と言う観点から機能を限定的にしなければならないのが従来な戦術オーブメントだが、《機神》にはその制約はないに等しい。

 《紅》は既存の導力魔法を全て使える反面、高い判断力が求められる機体として仕上がっている。

 

「いくぞラウラ・S・アルゼイドッ!」

 

 レグラムでは躱されてしまったが、今度はこちらの番だと言わんばかりに《紅》は《青》へと斬りかかった。

 

 

 

 

 バリアハートの南門の外ではレグラム侵攻のために召集された部隊は当の南門から離れてその戦いを見守っていた。

 《機甲兵》ではあり得ない反射速度と機敏な動き、そして時にはバリアハートの城壁まで足場にして縦横無尽に駆け回る《青》。

 剣と共に炎で攻め、風を纏って追い縋り、大地の石で守り、水が足元から奇襲させ、様々な方法で立ち回る《紅》。

 

「ちっ……」

 

 あらゆる攻撃を獣じみた勘と反射で躱す《青》にユーシスは舌打ちする。

 《青》の攻撃手段は大剣だけ。

 故にシンプルであり、その動きには一切の迷いはなく、その速さに出遅れれば瞬く間に勝負は決してしまうだろう。

 

「ぐぬぬ……」

 

 果敢な攻めをあらゆる手段で迎撃し捌き切る《紅》にラウラは攻めあぐねる。

 《紅》の攻撃手段は剣に導力魔法。さらには打撃として盾まで使う。

 立て続けに撃ち込まれる導力魔法の性質を読み違え、後手に回れば飽和攻撃によって瞬く間に勝負は決してしまうだろう。

 

「これがそなたの本気かユーシスッ!?」

 

「ふんっ! そういう貴様はこの程度かラウラッ!?」

 

 純粋に褒めるラウラに対してユーシスは見栄を張るように侮る言葉を口にする。

 もっともそれは口だけで油断も慢心もないことは互いに理解している。

 《機甲兵》では立ち入ることのできない激しい戦い。

 一進一退、紙一重の攻防に誰もが息を呑み、手に汗握る――

 

「ええいっ! 何をしているユーシスッ! さっさとその無礼者を討ち取れっ!」

 

 先程の屈辱を燃やし、ヘルムートが叫ぶ。

 

「っ――父上……」

 

「それでも私の子供かっ!? ルーファスならその程度の小娘など軽くあしらっているぞっ!」

 

「っ……」

 

 その言葉にユーシスの動きが乱れる。

 

「もらったっ!」

 

 その隙を見逃さず、《青》の一閃が《紅》の手から盾を弾き飛ばす。

 

「浅かったか。だがここで畳み掛ける」

 

 攻め手をいっそう激しく追い立てる《青》に《紅》は精彩を欠いた動きで徐々に、徐々に追い込まれていく。

 

「くっ……」

 

 その光景にヘルムートは歯噛みし――その背後に“妖精”が忍び寄る。

 

「もらった――」

 

「させるかっ!」

 

 ヘルムートを確保しようとしたフィーとレオニダスが交差する。

 

「っ――いたんだレオ……」

 

 ヘルムートの確保に失敗しながら、フィーは油断なくレオニダスと向き合う。

 ユーシスに追従して追い付いたのはゼノの機甲兵だけ。

 レオニダスがそこにいたことはフィーの予想外だった。

 

「足の遅いヘクトルは置いて来た。どうやら正解だったようだな」

 

 状況判断能力の高さと割り切りの良さ。

 流石は一流の猟兵だとフィーは身内の働きを誇る一方で、今の奇襲でヘルムートを人質に取れなかったことを悔やむ。

 

「アルバレア卿は下がっていろ」

 

 レオニダスは邪魔だと言わんばかりにヘルムートを振り返りもせずに告げる。

 

「っ……どいつもこいつも……私を見下して……」

 

 寡黙な彼なりの言葉をヘルムートは侮蔑と捉え、叫ぶ。

 

「エル=プラドーッ!」

 

 その叫びに応じるように《金》は胸元に光を灯す。

 それに合わせヘルムートの体に同じ色の光が宿り、その光は《金》へと呑み込まれるように一つになる。

 

「フフフ……ハハハ……」

 

 《金》と融合することで身体はまるで最盛期に若返ったように活力に満ち、思わず笑いが込み上げる。

 

「これは……」

 

「父上……」

 

 《青》と《紅》は思わず手を止め、空に浮かび上がる《金》を見上げる。

 

「頭が高いぞっ!」

 

 《金》は翼を広げるとそこに内蔵された複数の光子砲を撃つ。

 

「父上っ!?」

 

 《青》を狙って降り注ぐ無数の光の雨。

 自分を巻き込むのを厭わない攻撃に《紅》は立ち尽くし――

 

「ユーシスッ!」

 

 咄嗟に《青》が《紅》を突き飛ばす。

 《紅》を攻撃範囲から逃した《青》は降り注ぐ光子の雨を反射と勘で躱し、大剣で受け止める。

 

「くっ……」

 

「ふん、子爵の娘が……先程の威勢はどうしたっ!?」

 

 次弾がまとめて撃ち込まれ、《青》は逃げ惑いバリアハートの壁へと追い込まれ――

 

「はああああああっ!」

 

 《青》は咆哮を上げて高い城壁を駆け上がる。

 上から撃たれた光子は壁や地面を穿ち、それらを跳び越え壁を助走に使って宙空に陣取る《金》に《青》は斬りかかる。

 大剣に洸翼を宿し、《紅》との決着に備えていた一撃を繰り出す。

 

「奥義――洸凰剣っ!」

 

 アルゼイドの一刀に《金》は素早く翼の砲門を閉じ、機体の前面の装甲を展開し目の前に半透明の結界を作り出す。

 

「おおおおおおおおっ!」

 

 気合い一閃。

 結界ごと斬り伏せると全身全霊を込めた一撃は――結界によって受け切られた。

 

「なっ!?」

 

「《金の騎神》を舐めるなっ! アルゼイドの小娘っ!」

 

 剣戟の勢いを受け切った《金》は結界を閉じるとその手にアルバレア家の兄弟剣を模した剣を両手に抜く。

 

「くっ――」

 

 宙空に無防備を晒す《青》は咄嗟に大剣を盾のように構え――

 《金》の右の剣が素早く凄烈な三連突きを繰り出し、左の剣が魔力を帯びて一閃を澱みなく連携する。

 

「くははっ! その程度かアルゼイドッ!」

 

 《青》を壁に叩きつけ、そこに縫い留めるように剣戟を浴びせる。

 

「っ――」

 

 《青》は剣戟をその身に受けながら、相打ちを覚悟した一撃を振る。

 

「ふん……」

 

 決死の一撃は難なく躱される。

 

「まだ――」

 

 《青》は返す刃で後ろに距離を取った《金》に大剣を投げつける。

 

「温いっ!」

 

 それさえも容易く剣で弾き、《金》は翼の砲門を一つにまとめるように前へ向け、一つの砲撃として光子を撃つ。

 

「がっ!?」

 

 熱線が《青》を焼き、爆発。

 城壁の破片と共に《青》は地に落ちる。

 

「ラウラ……」

 

 装甲に施された術式防護のおかげで原形を保っているものの、焼け焦げた無惨な姿に思わず《紅》は駆け寄り――その前に《金》が降り立つ。

 

「何をしているユーシス?」

 

「ち、父上……」

 

 初めて見る父の戦いぶりにユーシスは畏怖を感じ思わず後退る。

 慄くユーシスの反応にヘルムートは気分を良くし、倒れた《青》に視線を落とす。

 

「そうだな……ユーシス。お前がアルゼイドの娘に止めを刺せ」

 

「え……?」

 

「二度も言わせるな。お前がこの娘を殺せ」

 

「な、何を言っているんですか父上っ! もう勝敗は決した、これ以上敗者を貶める必要はないはずですっ!」

 

「この娘はアルバレアに逆らった。それがどういうことか、他の貴族にも分かるように見せ締める必要がある……

 それともユーシス。貴様は私に逆らうつもりか?」

 

「っ――」

 

 機体越しに凄まれ、ユーシスはたじろぐ。

 今までにない程に言葉に立ち振る舞いに覇気が漲るヘルムートにユーシスはまるで別人ではないかと感想を抱く。

 

「早くしろ」

 

 有無を言わせない語気で急かされ、ユーシスは《機神》越しに持つ剣を震わせる。

 ラウラが挑んで負けた。

 こうなる結末を彼女は理解していただろうが、ユーシスは同じ釜の飯を食べた友を斬る覚悟はできていなかった。

 

「…………フィー」

 

 助けを求めるように視線を巡らせるが、ラウラの相棒としてここまで来たフィーはゼノとレオニダスの二人と対峙して抑え込まれていた。

 

「っ……」

 

 《青》の前に立ち、剣を突き付けながらもユーシスは躊躇う。

 

「――――オオオオオオオッ!」

 

 その躊躇いに《青》が最後の力を振り絞るように這うように《紅》に体ごと突撃する。

 

「っ――ラウラッ!」

 

 体当たりに弾き飛ばされた《紅》は《青》に向き直る。

 副武装のナイフに洸翼を宿し襲い掛かる《青》の闘争の覇気に中てられ、《紅》は咄嗟に剣に冷気を宿して最高の技で迎え撃つ。

 

「洸刃――」

 

「クリスタル――」

 

 二つの必殺が交差する――その瞬間、《青》と《紅》の間にそれは着弾する。

 

「なっ!?」

 

「ぐっ!?」

 

 それが落ちた衝撃を至近距離から喰らった《青》と《紅》は吹き飛ばされ地面を転がる。

 

「…………くっ……何が……」

 

 全身の痛みに耐えながら《青》は顔を上げる。

 衝撃で舞い上げた土埃が晴れるとそこには一振りの大剣が、まるで大地を穿つかのように深く突き刺さっていた。

 

「…………ガランシャール……?」

 

 騎神サイズの巨大なアルゼイドの宝剣にラウラの思考が止まる。

 何故と言う思考がラウラの頭を埋め尽くす。

 その疑問に答えるように宝剣が降って来た空から《緋》が戦場に降り立つ。

 

「君達は……何をしているんだっ!?」

 

 戦場に苛立ちを募らせたクリスの叫びが木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 




 IFもしもこの場にあの親子がいたら

エリカ
「よっしゃあああっ! そこよラウラッ! じじいの機神なんてぶっ壊せええっ!」

アルバート
「うおおおおおおっ! ユーシス! エリカの機神などに負けるなああああ!」

ティータ
「お母さん……おじいちゃん……」











修正版おそらくこうだったヘルムートの半生。

 ヘルムート・アルバレアは完璧な貴族だった。
 弟に慕われ、父の期待も厚く、多くの者に尊敬され憧れる貴族の模範と言える貴公子だった。

 彼はどこまでも完璧だった。
 当主の座を継ぐ前から、領地の管理を完璧にこなし、民の不満をコントロールしてみせた。

 彼は兄としても完璧だった。
 自分より劣る弟に対して、蔑むことなく弟がより高みへ至れるように助言を惜しまなかった。

 彼は夫としても完璧だった。
 出会いは見合いであり、幼少期から決められた政略結婚だったものの、彼は不平を漏らさず、妻が求める愛を囁き大切に扱った、

 ヘルムート・アルバレアは非の打ち所がない程に完璧な人格者だった。
 だからこそ、弟は兄に嫉妬した。
 だからこそ、妻は彼が囁く愛を疑った。

 魔が差した。
 一度でいい、どんなことでも良い、兄に勝ちたいと弟は切望した。
 上辺だけの美辞麗句、政略ではなく真実の愛を妻は欲した。
 二人の利害が一致し、彼らは過ちを犯す。

 ルーファスが生まれたこと、兄の妻を寝取って自分のものにした達成感と初めての勝利に弟は優越感に浸る。
 弟の暴走はそこで止まらず、次期当主の座を兄から奪おうと画策した。
 しかし、それは失敗に終わり、弟と妻の不貞も罪も全て暴かれることとなった。

 処刑を断行し、妻の実家まで処断しようとした父をヘルムートは諫め、心を乱さず二人を裁いた。
 弟はアルバレア家から追放、妻は別宅に生涯幽閉。
 子供には罪はないとして、ヘルムートは引き取ったルーファスを自分の息子として扱った。
 ヘルムートは感情に暴走することなく、被害が一番少なく誰の不満も暴走しないようにこの事件を治めるのだった。
 一人の例外を除いて……

 その問題の兆候は些細なことだった。
 100点が取れるはずだった政務が些細なミスで99点になってしまったこと。
 完璧だったが故に、ヘルムートはその1点の失点を理解できず、次の政務、その次の政務に挽回を臨む。
 しかし、時が流れる程にヘルムートの采配が悪化する一方だった。
 他人にとっては十分な成果。
 ヘルムートはそれを認められないものの、他人の前ではそれを見せることなく完璧な貴族の仮面を被り続けた。
 理想の未来を描けるのにそこに辿り着けないジレンマ。
 ヘルムートは思い通りにならないことに焦りを感じ始める。

 イップスとも呼ばれる体や思考を侵す心の病。
 多くの民や親類の不満を卒なくコントロールしたヘルムートは自身の不満を呑み込めてはいなかった。
 貴族社会において信頼をしていた弟や妻による初めて裏切り。
 妻を寝取られ、子供を作るという点である意味初めての敗北。
 それらが原因であるものの、ヘルムートにとっては原因不明の不調。

 復縁をして改めて子供を妻との間に作ろうとするも、妻は弟に操を立ててヘルムートを拒絶する。
 妻はヘルムートをオーブメントのような冷血漢と罵る。 
 ヘルムートは貴公子の仮面を被り続ける。
 政務の点数はまた落ちていく。

 そのヘルムートの無理を唯一察した傍付きのメイドにヘルムートは溜め込んだ不満を吐き出し一夜を過ごしてしまう。
 メイドの妊娠が発覚するも、ヘルムートはその子供が自分の子供なのかという疑心暗鬼に苛まれる。
 それを察し、自分や子供の存在がストレスになることに気付いたメイドは潔く身を引いてアルバレア家から出て行く。

 以降、天才的だったヘルムートの能力は日に日に落ちていく。
 以前は察することができた民の不満、信頼できる人間の判断ができず、ヘルムートは無難な政策を行う事しかできなかった。






 ルーファスの実父がヘルムートの弟ではなく兄だったと勘違いをしていたので、修正版と差し替えさせていただきます
 以前との違いとしてはヘルムートをルーファスよりの人物にして、弟と妻の裏切りと敗北感による挫折が原因で天才から凡人に落ちてしまったと考えました。




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42話 蘇る天才

 

 

 貴族連合と、それにたった二人で対抗しようとしたラウラとフィーの注目を浴びながら、《緋》は戦場に降り立った。

 “千の武具”で作り出した“ガランシャール”を大地から引き抜き、《緋》は一同を見渡す。

 

「何をやっているんだ君達は……」

 

 “ガランシャール”の投擲の衝撃で吹き飛ばされた《ティルフィング》を交互に見てクリスは苛立った言葉を吐き出す。

 マキアスとエリオットの争いとは違う、殺し合い。

 ヴィクターが革新派側のオリヴァルトについている以上、いつかは起きていたクロイツェン州の貴族間の争いだと言う事は分かる。

 

「“ティルフィング”は《Ⅶ組》で争うためのものじゃない。その中にある“力”は――」

 

「今更出て来て勝手なことをほざくな」

 

 クリスの叫びにユーシスは冷めた言葉を返す。

 

「そうだクリス……そなたは下がっていろ」

 

 二人はクリスを無視して戦うべき相手を見据える。

 互いに不本意だと言いたげな口調であるにも関わらず、《機神》越しには闘争の黒い闘気を燃え上がらせる。

 

「もう遅いんだ……貴族派と革新派の争いはどうしようもない程に悪化してしまった」

 

「これはレグラムの存続を懸けた戦いなのだ」

 

 ユーシスが諦観を口にして、ラウラも後には引けないのだと叫ぶ。

 口では言い訳をしながらも、ティルフィングから漏れる殺意という黒い気配はとてもクラスメイトに向けるものとは思えなかった。

 

「――っ」

 

 クリスは何かを言いかけて口を噤む。

 回復に掛けた一ヶ月は別にしても、クリスはレグラムとルーレの二択の内、ルーレに行くことを先に選んだ。

 もしも先にレグラムに来ていれば二人の仲違いを防げたのではないかと考えてしまう。

 

「第三の風など、もはやこの大火の前には炎を大きくする風にしかならない……もうお前の出る幕ではないのだ!」

 

「これはアルゼイドの戦いなのだ! アルノールは下がっているが良いっ!」

 

 二人はクリスに邪魔だと叫ぶ。

 それが本心だと言わんばかりの言葉にクリスは皇族の威光が貴族に取って無意味なものだと突き付けられる。

 

「ユーシスッ!」

 

「ラウラッ!」

 

 《緋》の事など目もくれず、先程の続きだと二つの《機神》は咆える。

 《青》はナイフを投げ捨て、地面に突き立った“ガランシャール”に手を伸ばす。

 “義”は自分にある。

 天の父が力を貸してくれるとラウラはそこまで考えて違和感に気付く。

 操作システムの関係上、《機神》は操縦すると言うよりも《機神》になるという感覚で操縦する。

 すなわち視線や相対感覚も巨人のそれに引き上げられ、目の前の大剣は生身を遥かに超えた大剣となっている。

 その大剣“ガランシャール”は《青》が触れる前に、ひとりでに浮き上がる。

 

「なっ――!?」

 

 次の瞬間、見たのは虚空を握るようにして“ガランシャール”を振り被る《緋》の姿。

 

「それでも僕は――」

 

 大剣を求めて飛び込んで来た《青》を《緋》は“ガランシャール”の剣の腹で殴打する。

 盛大に吹き飛び大地を転がる《青》に《紅》の足が止まる。

 

「ク、クリス……?」

 

「これでラウラ・S・アルゼイドを倒したのは僕だ」

 

 立ち上がる気配のない《青》から《緋》は《紅》に向かって“ガランシャール”を突き付ける。

 

「そんな言い分が通じると思っているのか?」

 

「僕を誰だと思っているんだいユーシス。僕はセドリック・ライゼ・アルノールだぞ」

 

「っ……」

 

 機体越しに叩きつけられる威圧に《紅》は思わずたじろぐ。

 

「下がれユーシス」

 

 気後れする《紅》に代わってヘルムートの《金》が前に出る。

 

「お前は……」

 

 一見すれば《金の騎神》だが、クリスはその正体を知っている。

 クロスベルのレクターからの報告。

 シュミットとヨルグの二人によるレクターが命名した《金の神機》メッキ・プラドー。

 気の抜けた名前だが、そこに乗る男の存在を感じ取った《テスタロッサ》の中の焔が燃え上がる。

 

「っ……これは……」

 

 《緋》の中、怨念が渦巻くように空気が変わったことにセリーヌは慄く。

 

「鎮まれ……鎮まれ……」

 

 その空気に中てられてクリスも黒い衝動に呑まれそうになる。

 

「どこの馬の骨か知らぬが、皇族を詐称する大罪人めっ! このヘルムート・アルバレアが成敗してくれるっ!」

 

 勝手な言い分を大声で放送し、《金》は《緋》に斬りかかる。

 

「詐称するだと! 貴方は僕が本物のセドリックだと知っているはずだっ!」

 

 両手に剣を持つ《金》に対抗し、《緋》も双剣を手に生み出し剣戟を受け止めながら叫ぶ。

 

「知りませんなぁ」

 

 返ってきたのは白々しい言葉。

 

「セドリック皇子はバルフレイム宮に居られる。貴様の方が偽物、それが帝国の認識だっ!」

 

「そうしたのはお前達だっ!」

 

 言葉と共に剣を交える。

 流石はユーシスとルーファスの父と言うべきなのか、話に聞いていた以上の剣の冴えに息を巻きながら気持ちで負けないように声を張り上げる。

 

「そうやって自分の都合の良いように真実を捻じ曲げてケルディックの人達を虐殺したのかっ!」

 

「奴等はクロイツェン州の領民でありながら私を裏切ったっ! 当然の報いだっ!」

 

「そんな理屈が通ってたまるかっ!」

 

 ヘルムートが言葉を発する度に《緋》が喰った魂が憎悪を滾らせる。

 

「正規軍に協力するとはそういうことなのだよ……

 あろうことか奴等は貴族に手を掛けようとした、殲滅しなかっただけありがたいと思えっ!」

 

「ふざけるなっ!」

 

 あまりに一方的なヘルムートの言葉にクリスは激昂する。

 

「ちょっとクリスッ!? 落ち着きなさいっ!」

 

 セリーヌの制止は遠く、最初から限界だった《緋》は憎悪を爆発させるように変化する。

 それに呼応して《緋》の身体は膨れ上がり、その様相が変化する。

 緋黒い焔を纏い、騎神は一回り巨大となる。

 

「グウウウウウウウ!」

 

 獣のように喉を鳴らし、クリスは《金》を睨む。

 

「ホロビロッ!!」

 

 《緋》が大地を爆発するように蹴り出し《金》に迫る。

 纏った緋黒い焔が大気や大地を溶かし突き進む。

 焔の塊となった《緋》は巨大になった体躯から“ガランシャール”を振り下ろす。

 

「ふ……その程度か」

 

 大振りの一撃をヘルムートは鼻で笑い、《金》は大地を滑るように振り下ろされた一撃を躱す。

 轟音を立て、大地が割断される。

 

「ニガサナイッ!」

 

 地面を薙ぐような横薙ぎの一閃を《金》は計ったようなタイミングで跳び、双剣を交差させて《緋》の腕を斬りつける。

 

「グッ……」

 

「見えるっ! 見えるぞっ! そうだこの感覚だっ!」

 

 危なげなく立ち回る《金》の中からヘルムートの哄笑が響く。

 導力砲も結界も使わず、二つの剣だけで《緋の魔王》に大立ち回りを繰り広げる《金》の姿に観客と化していたユーシスは目を疑う。

 

「あれは……誰だ……?」

 

 そう呟くほどにヘルムートはユーシスが知っている姿からかけ離れていた。

 

「おおおっ! ヘルムート様が……あの頃のヘルムート様が帰って来たっ!」

 

「た、隊長!? それはどういう意味ですか?」

 

「あのヘルムート様がこんなにできた方だったなんて……ルーファス様なら納得なんですが」

 

 古株の指揮官たちの感動に共感できない若い兵たちはユーシスと同じ困惑に陥る。

 

「馬鹿者があの方はルーファス卿の父君であるのだぞ! あれくらいできて当然なのだっ!」

 

「二十年前、前領主様がお隠れになり、弟君まで出奔したクロイツェン州が割れようとした時……

 ヴァンダールの双剣術をたった一年で皆伝に至りまとめ上げた麒麟児……

 それがヘルムート・アルバレア様なのだっ!」

 

「そんな馬鹿な……」

 

 《機神》が拾った音声にユーシスは信じられないと唸る。

 アルバレア家に拾い上げられたユーシスは今まで一度もヘルムートが剣を握っている様を見たことはなかった。

 そんな彼が帝国で名高い、ヴァンダールの双剣術を皆伝していたというのは寝耳に水だった。

 

「チィッ!」

 

 クリスは動き回る《金》に苛立ちを募らせる。

 

「ふん……図体ばかりの木偶の坊が私の敵ではないっ!」

 

 衝動に突き動かされるまま振り回され、撃ち出される剣群の嵐。

 その立ち回りにクリスは憎悪に支配されながら、ルーファスやクルトの影を見る。それがクリス自身を苛立たせる。

 

「この――」

 

「遅いっ!」

 

 背後に無数の剣を召喚し直す《緋》に《金》は翼の導力砲を一斉に撃ち出し、顕現した瞬間の武具を撃ち抜く。

 

「っ!?」

 

 背中に霊力の爆発を受けてつんのめる《緋》に《金》は正面から突撃する。

 

「我が剣の錆となるが良いっ!」

 

「死ヌノハオ前ノ方ダッ!」

 

 大地から《緋》の尾剣が《金》の眼前に飛び出す。

 躱す余地のない不意打ちにクリスは勝利を確信し――《金》は唐突にその姿を掻き消し、尾剣は空を貫いた。

 

「ナニ!?」

 

「《空》属性の力!?」

 

 目を疑うクリスとセリーヌは感じ取った魔法の気配に目を見張る。

 次の瞬間、《緋》の目の前の空間が歪み《金》が現れる。

 消えた時間は一秒にも満たない短いものだったが、《金》は巨大な体躯と化した《緋》の懐に入り込むのに成功する。

 

「オオオオオオッ!」

 

 突撃の勢いを乗せ兄弟剣が閃き、巨大な《緋》の右腕が斬り飛ばされる。

 

「ガアアアッ!?」

 

 《緋》の右腕の喪失に合わせて、その痛みがクリスの右腕に走る。

 

「その首もらったっ!」

 

 斬り抜けた《金》は振り返り、今度は《緋》の首を狙う。

 

「――舐めるなっ!」

 

 振り返り様に振るったのは左の拳。

 霊力を纏わせただけの渾身の拳と《金》の兄弟剣が激突し、軍配は《緋》の拳に上がる。

 

「ちっ――所詮は模造品か」

 

 家宝の宝剣を模しただけで材質は機甲兵の剣と同じだった兄弟剣にヘルムートは悪態を漏らす。

 

「くそ……ユーシスの父上がこんなにできる人だったなんて……」

 

 予想外のヘルムートの実力にクリスは息を吐く。

 そんなクリスにセリーヌが声を掛ける。

 

「あんた……正気に戻ったの?」

 

「おかげさまでね」

 

 皮肉にも右腕を斬り飛ばされた痛みで憎悪に支配されていたクリスは正気を取り戻すことができた。

 振り返れば力に任せてただ暴れるだけだったことを反省しながら、クリスは油断なく身構える。

 燻ぶる憎悪を胸の奥に感じながら、クリスは深呼吸を繰り返して衝動を抑え、セリーヌに尋ねる。

 

「セリーヌ。さっきメッキが消えたのはいったいどういう理屈なの?」

 

「分からないわ……《空》属性の力であいつの周囲の空間が歪曲したところまでは見えたけど……せめてもう一回見れたら」

 

「分かった……」

 

 大した情報ではないが、目の前の敵にはこちらの攻撃をすり抜ける手段があるのだとクリスは認識する。

 

「とにかくこの体だと不利か……」

 

 クリスは巨大になった《緋》の姿を見下ろし唸る。

 《エンド・オブ・ヴァーミリオン》となった《緋》は確かに強力だが、その分隙も大きく、これまでの感覚と違い過ぎてクリスには扱い切れない。

 クリスの願いを感じ取ったのか、《エンド・オブ・ヴァーミリオン》はその全身に亀裂を走らせると次の瞬間砕け散る。

 

「ふ…………むっ……」

 

 砕けた《魔王》にヘルムートは勝利を確信した笑みをもらすが、残骸の欠片が降り注ぐ中から元の大きさに戻った《緋》が現れたことで口元を引き締める。。

 

「まだ諍うか、無駄なことを」

 

 左の拳を固めて構える《緋》に《金》は侮蔑を吐きながら折れた兄弟剣を構える。

 息を整える間をおいて、《緋》と《金》は同時に動き出し――

 

「ウオオオオオオオッ!」

 

「はあああああああっ!」

 

 《緋》の拳が――

 《金》の兄弟剣が――

 

「そこまでにしていただこう」

 

 空から現れた二機の《機甲兵》がそれぞれの一撃を太刀が受け止めた。

 

「っ――これはケストレル!?」

 

 太刀で拳を受け止められた《緋》はギデオンからもたらされた新型《機甲兵》の登場に目を剥く。

 

「もう完成していたのか……って――」

 

 ケストレルから距離を取り、慌てて周囲を見渡せば頭上が陰る。

 

「……パンタグリュエル、いつの間に……」

 

 貴族連合の飛行戦艦が浮かぶ空を見上げ、クリスは顔をしかめる。

 地上にはクロイツェン州領邦軍、そして空にはパンタグリュエルの援軍。

 いくら《騎神》が通常の機甲兵を圧倒できるからと言っても、これらが合わさった“数”に対して勝てるとは軽々しく言えない。

 

「これはいくらなんでもまずいわよ」

 

「分かってる」

 

 このまま戦うか、それとも逃げるかクリスが考えたところで、同じくケストレルに剣を止められた《金》が声を上げた。

 

「何のつもりだクロワールッ!」

 

 《緋》に対して隙だらけになるのも構わずヘルムートは叫ぶ。

 

「誰の許可を得て、バリアハートの上空を飛んでいる!? 事と次第では貴様とて容赦しないぞっ!」

 

「そう目くじらを立てないでくれたまえ」

 

 ヘルムートの声に甲板に立つカイエン公が答える。

 

「高い所から失礼する。アルバレア卿。そしてクリス・レンハイム君……

 一応名乗らせてもらおう。私はラマ―ル州の統括者にして《貴族連合》の総主宰を強めるクロワール・ド・ユーゼリス・カイエンだ」

 

「要件を言えっ!」

 

 クリスの反応を待たず、ヘルムートが聞き返す。

 そんな彼にクロワールは肩を竦める。

 

「クリス・レンハイム……

 今回は君に用があってこうして馳せ参じさせてもらった」

 

「僕に……?」

 

 今更話がしたいと言い出したクロワールの意図が理解できず、クリスは困惑する。

 

「クロワール。貴様……これは私の手柄だっ!」

 

「そう頑なになることもあるまい、別に私は君の功を奪いたいわけではない……

 そもそもだ……

 正規軍との約定を破り、東の脅威に備えるための《金の騎神》を勝手に持ち出しておいて言えたことかな?

 “鉄血の子供達”を言いくるめるのにどれだけの労力を支払ったか、分かるかね?」

 

「む……」

 

 痛い腹を突かれてヘルムートは唸る。

 

「そう言うわけだ。クリス君――君を我が艦に“招待”したい」

 

「っ……どうして今なんだ!?」

 

「フフ、帝国各地での華々しい活躍は耳にしている。それで、一度君とじっくり話を合ってみたいと思ったのだよ……

 これまでの事……そしてこれからの事も含めてな」

 

 どの口が言うんだとクリスは憤る。

 

「君には関係ないかもしれないが、招待に応じてくれるのならば貴族連合がレグラムに侵攻しないことを約束しよう」

 

「それは……」

 

「もちろんレグラムが決起するか、正規軍がレグラムを経由してバリアハートに攻め込もうとするのならその限りではないが、どうかね?」

 

 クロワールの提案にクリスはユーシスが乗っている《紅》と未だに倒れている《青》を順に見る。

 反論すると思ったヘルムートはクロワールの勝手な提案に異を唱えるかと思いきや、不気味な沈黙を保っている。

 

「…………分かった」

 

 逡巡してクリスは結論を出す。

 

「そちらの申し出に応えさせてもらいます」

 

「ど、どういうつもり!? わざわざ本拠地に来いなんて罠にきまっているじゃない!?」

 

 クリスの承諾に傍らに控えていたセリーヌが驚き、忠告する。

 

「ありがとう、心配してくれて……

 だけど、僕は知らないといけないんだ。貴族連合が何を思ってこの内戦を引き起こしたのか」

 

 ハイアームズ侯とも話をしたが、総主宰であるクロワールにこそするべき問い。

 何故オズボーン宰相を暗殺したのか。

 貴族連合は帝国をどこに向かわせようとしているのか。

 それにクロウ達、帝国解放戦線のことについても。

 

「テスタ=ロッサ、セリーヌを降ろしてくれ!」

 

「ちょっ……何を言い出すの!?」

 

「セリーヌはシャーリィと合流して、《C》達のところに戻って欲しい……

 さっきの《金》が起こした現象も《C》なら何か知っているかもしれない」

 

「それは……」

 

「頼む。テスタ=ロッサ」

 

 もう一度頼むと、セリーヌは光に包まれる。

 

「ま、待ちな――」

 

 言葉を途切れさせ、セリーヌは《緋》の中からいなくなる。

 改めて空を見上げると、兄弟剣を納めた《金》が無言で先導するように飛び立つ。

 クリスはその誘導に従うように《緋》を飛ばそうとして――先程自分の拳を受け止めたケストレルに視線を向ける。

 

「…………っ」

 

 太刀を持って棒立ちしているケストレルに人が動かしている気配はない。

 《風の剣聖》アリオス・マクレインの剣技をプログラムされているらしいが、クリスは思わず“彼”の面影を探してしまう。

 

「女々しいぞ」

 

 自分にそう言い聞かせてクリスは今度こそ飛び立ち、二機のケストレルがそれに続いて空の《パンタグリュエル》に向かって飛翔した。

 

 

 

 

 

 








《金》の追加武装
《空の匣》参考:ベクタートラップ
空間を歪曲させ、それが戻る反動を使った高速移動がゼロシフト、《空の翼》の原理なら、こちらは空間を歪曲、圧縮して疑似的にその場から消失したように見せかける技術。
シュミットとヨルグの渾身の一作。





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43話 白銀の巨船Ⅰ




クロウ好きの人は注意してください





 

 

 貴族連合が誇る大型飛行戦艦《パンタグリュエル》。

 その甲板にはワイヤーで繋がれた“緋”とそれを監視するように“蒼”と“金”が佇んでいた。

 自身は拘束されることもなく案内されたクリスは《騎神》が並ぶ光景を見下ろせる艦橋に案内された。

 

 ――ラマ―ル州のカイエン公爵……

 

 向き合う男にクリスは自分の中で情報を整理する。

 直接顔を合わせるのは特別実習で起きた異変の後始末として父に謁見した時。

 その時のクリスは“彼”のおまけでしかなかったのだが、クロワールの中でどうなっているのか気になる。

 

「セドリック殿下」

 

 クロワールはクリスの本名を口にする。

 

「率直に言って、私はこれ以上ことを荒立てなくないのだよ」

 

「何を……言ってるんですか?」

 

 まるで本意ではないというクロワールの物言いにクリスは眉を顰める。

 

「元々、我々が事を起こしたのは“宰相閣下”のやり方があまりに理不尽だったからだ……

 陛下からの信任をいいことに伝統と習慣を軽んじ、帝国の全てを意のままに造り変えんとする傲慢さ――貴方も感じていたのではないですかね?」

 

「それを貴方が言うか……」

 

 確かに特別実習で各地を赴いた時、そう言った話は何度も耳にした。

 あまりに剛腕かつ強引、敵を作っても顧みないやり方は皇宮で聞いていただけの彼の武勇伝とはかけ離れた印象をクリスに与えた。

 

「オズボーン宰相の政策が帝国解放戦線のようなテロ活動の原因だったとしても、彼らの活動までがオズボーン宰相の責任なんかじゃない」

 

 クリスは背後に控えているクロウを睨む。

 どんな気持ちでそこにいるのか、クロウはクリスの睨みに肩を竦めるだけだった。

 

「君はオズボーン宰相に洗脳されているのだよ」

 

「洗脳……?」

 

 同情するような眼差しを向けて来るクロワールをクリスは訝しむ。

 

「彼は指導者ではない。扇動家だ……

 彼の言葉は一見すれば聞こえは良いが、帝国を、ひいては世界を闘争で染め上げ全てを我が物にしようとする野心家に過ぎない……

 彼が導く帝国の未来は決して輝かしいものではなく、闘争に満ちた“ディストピア”となっていただろう」

 

「それは……」

 

 ギデオンが言っていた主張を予め聞いていたこともあり、クロワールの言にクリスは盲目的に彼に憧れていた時の自分を思い出す。

 

「だが諸悪の根源は消えた。あの狙撃から既に一ヶ月、そろそろオズボーン宰相の死を確定したと判断しても良い頃合いだろう」

 

 まだ死体は見つかっていないが、いつまでもそれに拘っていられないとクロワールは告げる。

 

「これ以上帝国解放戦線が国を乱すことはない……

 ならば時計の針を少し戻すだけでエレボニアの旧き善き伝統を取り戻すことが出来る……

 後は残った者同士がわだかまりを捨てて手を取り合うだけ――そう思わないかね?」

 

「とても思えません」

 

 クロワールの問いにクリスは即答を返す。

 

「あれだけの事をしておいてこのまま済むとでも?」

 

 脳裏に浮かぶのは貴族連合や帝国解放戦線がこれまでして来た非道の数々。

 

「帝都占領に、父上と母上の幽閉、市民全員を人質に取っているも同然だ……

 それにあのセドリックはいったい誰なんだ!?」

 

「御安心を、別に彼は陛下の隠し子ではありません」

 

「それで納得しろって言うのか?」

 

「あれは所詮偽物に過ぎませんよ。貴方が私達に協力し陛下を説得して頂けるなら無用の長物、すぐにでも処分いたしましょう」

 

 貴族らしい傲慢な言葉にクリスは顔をしかめる。

 

「他にも“敵国”――クロスベルと背後で密約を結んでガレリア山脈を消滅させたそうじゃないか……

 いくら僕を貴族連合に引き込んだとしても帝国正規軍が黙っているはずがない」

 

 例え偽りの御旗が本物の御旗にすり替わっても、正規軍の熱が治まることがないのはオリヴァルトが彼らを制御できていないことから明らかだった。

 

「フフ……だからこそ貴方の“力”を貸してもらいたいのですよ」

 

「え……?」

 

 想像していた答えとは違う反応にクリスは目を丸くする。

 クロワールは腕を組んで、呼び上げるようにそれを言葉にする。

 

「蒼の騎神に、金の騎神。そして緋の騎神に殿下の陣営にいる灰の騎神……

 帝国に伝わる《巨いなる騎士》が四騎揃えば貴族連合は機甲兵部隊と合わせて正規軍の機甲師団を圧倒できよう」

 

「機甲兵の新型はどうするんですか?

 人を自動で殺すオーブメントなんて馬鹿げてる」

 

「おや耳が早い、しかしそれは何故?」

 

「何故って……“武”を尊ぶ帝国がそんなものに頼るのはおかしい」

 

「ですが、無人機の運用が成功すれば、戦争での死者はいなくなる。それはとても良い事ではないですか」

 

「それは……」

 

 自信満々に言い切るクロワールにクリスは怯む。

 

「死を畏れぬ機械仕掛けの兵士。文句も言わず、ただ命令を忠実に従い、いくらでも用意できる理想の兵士……

 これが完成し、四つの《騎神》の力が合わされば今まで誰も成し遂げることが出来なかったゼムリア大陸を制覇する偉業を貴方は成し遂げることができるのです!」

 

 熱弁を奮うクロワールにクリスは逆に冷める。

 

「貴方もオズボーン宰相に劣らないくらいの扇動の才能がありますよ」

 

「おやおや」

 

 皮肉を返すとクロワールはにやにやと笑う。

 

「流石にこの内戦でオズボーンに騙されていた正規軍のものに使うのは忍びない……

 なにより彼らはオズボーンの仇討ちと称してもはや暴徒と化している……

 彼らに私たちとの力の差を見せつけると言う意味では《騎神》が現状では最も有効でしょう……

 故にこのままいたずらに戦を長引かせないためにお力を貸して戴けませんか、セドリック殿下?」

 

「……仮に僕が貴方達の手を取ったとしてもそんな簡単にできることではないと思いますが?」

 

 いくら《騎神》達が強力でも操るのは人間。

 疲労もする。

 それにキーアを巻き込む気もなければ、甲板に立つ《金》を《騎神》と思い込んでいるクロワールが滑稽にも見える。

 

「いや、“機甲兵”という存在が戦場に登場した意味は絶大だ」

 

 クリスが渋った答えをヘルムートが否定する。

 

「火力と装甲は主力戦車に劣るものの、それを補えるだけの機動力と汎用性……

 そして、それ以上に重要なのは人々に与える心理的な衝撃だろう」

 

「それは……」

 

 まるでルーファスのようなヘルムートの物言いにクリスは目を見張る。

 

「フフ、我々が人である以上、人型の巨大な“何か”に惹かれ――あるいはかしずき、頭を垂れずにはいられない」

 

 クロウに並び立つ見知らぬ男が陶酔したように語り出す。

 

「ましてや《騎神》は帝都、ノーザンブリア、オルディスを立て続けに救っている……

 《騎神》の存在は貴方が思っている以上に敵を畏怖させ、味方を鼓舞する象徴となるでしょう」

 

「ま、否定はしないぜ」

 

 男の主張にクロウは図々しい態度で同調する。

 

「貴方は?」

 

 クロウの言葉を無視してクリスは見慣れない学者風の男に尋ねる。

 

「挨拶が遅れました。私はアルベリヒ・ルーグマンと申します、これでもカイエン公の相談役をしております。以後お見知りおきを」

 

 仰々しく頭を下げる男が名乗った名前にクリスは聞き覚えがあるような気がするが、気のせいだと次の瞬間彼から意識が離れた。

 

「今一度言おう――諸悪の根源、ギリアス・オズボーンが去った」

 

 仰々しくクロワールは告げる。

 

「後は速やかに内戦を終結させ、あるべき秩序を取り戻すだけなのです」

 

 全ての責任はオズボーンにあると言わんばかりの言葉にクリスは眉を顰める。

 帝国解放戦線のテロ行為も、貴族連合の各地での弾圧も、正規軍の暴走も全てオズボーンのせい。

 クリスにはクロワールがそう言っているように聞こえた。

 

「そうすれば全ては元に戻ってくる」

 

「っ――」

 

 クロワールは優し気に諭すようにクリスにとって耳障りの良い言葉を並べる。

 

「全てが元に戻る……?」

 

「君達の学院生活を始めとした平穏な日々が」

 

 それは諍い難い誘惑だった。

 だが蝶よ花よと皇宮で守られて育った皇子ならばクロワールの言葉に耳を傾けていたかもしれない。

 矮小な自分でも何か役に立てるならと、意気込んで彼に協力をしていた自分を想像してしまう。

 

「戻るわけ……ないだろ……」

 

「ふむ……?」

 

 クリスの呟きにクロワールは首を傾げる。

 そんな態度がクリスの癇に障る。

 

「戻るわけないだろっ! どれだけの人が死んだと思ってる!? どれだけの物が失われたと思ってる!?」

 

 クリスの激昂に彼らは表情を変えない。

 

「平民だって僕達と同じ人間だっ! 失った命は戻らない! 人の上に立つ貴方達がどうしてそんな簡単なことも分からないんだっ!?」

 

 それに全てが戻ると言っても、クリスが憧れたオズボーンも、クロワールの言動では“彼”も戻って来るとは到底思えない。

 

「学院生活だってそうだ!

 《Ⅶ組》のみんなはこの内戦で家族が傷付いたり、自分の領地を守るために戦ってしまった! ■■■さんもいないっ!

 もうあの頃には戻れないんだ!」

 

「確かに全てが元通りになるというのは難しいでしょう」

 

 クリスの叫びにクロワールは落ち着いた声音で応える。

 

「ですが人の上に立つからこそ、私たちは失った過去ではなく常に前を、未来を見据えなければならないのです……

 次期皇帝として育てられた貴方なら分かるでしょう?」

 

「……あ」

 

 クロワールの言葉にクリスは価値観の隔たりを感じてしまう。 

 人の死を数字の上で判断しているかのような眼差し。

 言葉では死者を悼んでいるものの、それは周りの人の目に対してのアピールのようにクリスには感じた。

 同時に既視感に気付く。

 今のクロワールはクリスが憧れたオズボーンと通じるものがあった。

 言葉や態度はそれらしく振る舞い、心の奥底では打算と謀略を巡らせる。

 執政者として正しい姿なのかもしれないが、そこに言いようのない恐ろしさを感じてしまう。

 

「四大名門の当主として苦言しましょう」

 

 怯んで黙り込んでしまったクリスにヘルムートが口を挟む。

 

「今は冷静に状況を見極める事だ。オズボーン宰相がいない革新派など烏合の衆に等しい。どちらに着く方が帝国の未来のためになるのかを」

 

「貴方達は……」

 

「フフ……今日は戦闘を終えたばかりですからこの辺にしておきましょう。詳しい話は明日改めてするとしようじゃないか」

 

 気安い言葉を掛けて来るクロワールにクリスは口を噤み、拳を握り込む。

 

「どうぞこちらへ、クリス・レンハイム殿」

 

「“客室”へご案内します。お食事などもそちらで――」

 

 兵士に促されてクリスは振り返る。

 

「ああ、そう言えば……」

 

 不意にヘルムートが思い出したように一つの提案をする。

 

「カイエン公、あの場での借りの件だがアルフィン皇女を私に頂けるかな?」

 

「は……?」

 

 艦橋から退出する寸前だったクリスは思わぬところで出て来た姉の名前に振り返る。

 

「アルバレア公爵、そなたはいきなり何を言い出す?」

 

 あまり良い話題を想像していないのか、あからさまにクロワールは顔をしかめ先を促す。

 

「お前はアルノール家の血筋にそこまで拘っていないのだろう?

 ならば私が彼女を有効活用してやろうと言っているのだ」

 

 ヘルムートの背後でクリスが凄い顔をして睨んでいるのが見えているのはクロワールだけだった。

 

「どうするつもりかね?」

 

 クリスを刺激しないように気を付けながらクロワールは尋ねる。

 

「彼女にはルーファスの子を産んでもらう」

 

「…………正気かね?」

 

 《金》を壊し、片手が不自由になったことを理由にアルバレア家から放逐し、更には貴族連合の参謀になるはずだったルーファスをクロスベルに左遷したのはヘルムートに他ならない。

 そして彼女の双子の弟のクリスがいるこの場でその話題を出したヘルムートの意図がクロワールには分からなかった。

 

「いったい何を考えているのだ?」

 

「それを貴様が知る必要はない」

 

 それ以上の追及を拒むヘルムート。

 その表情から何も読み取れずクロワールはため息を吐く。

 先日まで凡人だったはずなのに、この変わり様。

 《金》を得たことでクロウとは違い、良い意味で自信を取り戻したようだが、古くからの知己としては嬉しいが自分の立場を脅かすライバルの復活に喜んでばかりはいられない。

 最悪、この場でクロワールの目的を暴露されかねないため、クロワールはヘルムートの提案を条件付きで了承する。

 

「皇族の扱いについては君に一任しよう……彼の説得も含めてな」

 

 そう言ってクロワールはクリスに視線を送り、責任を放棄した。

 

 

 

 

「くそっ……」

 

 夕陽が沈んでいく光景を《パンタグリュエル》の一際豪華な客室の窓から眺めながら、クリスは憤りを募らせる。

 カイエン公達との面会で収穫があったかと問われれば、首を傾げる。

 カイエン公も、アルバレア公もクロウもオズボーン宰相を撃ったことを後悔した様子はなく、むしろ誇らしげにしている。

 それどころかケルディックの事もユミルの事も、必要な犠牲だったと割り切っている。

 とても彼らの人間性をクリスは理解することはできなかった。

 

「はぁ……」

 

 ため息を吐いてクリスは振り返る。

 テーブルの上には場違い場違いとも思える豪華な食事が並んでいる。

 内戦で苦しむ民のことを思えば、そんな食事に食欲が湧くはずもない。

 

「フフン……悩んでるみてーだな」

 

 ドアが開くとそこにはクロウ・アームブラストが立っていた。

 

「…………何の用だ?」

 

「そんな顔をするなって」

 

 睨むクリスにクロウは肩を竦めておどけて見せる。

 

「お前の事だから、のほほんと甘い事考えているんじゃねえとかと思ったがクソ真面目に悩んでるみたいだな。腐ってもこの国の皇子様ってわけか」

 

「っ――余計なお世話だ」

 

 毒気が抜けているのかユミルの麓で戦った時のような闇をクロウには感じない。

 むしろ今は学院の先輩だった時の雰囲気を作って接して来る彼の面の皮の厚さに嫌悪を感じる。

 

「こんな所で油を売っていていいのかい?

 貴族連合軍の《蒼の騎士》……随分と活躍しているそうじゃないか……

 他国の出身者が帝国の《大いなる騎士》をおもちゃのように乗り回して、貴族連合軍の犬として働いて持て囃されるのはそんなに楽しいかい?」

 

「……言うじゃねえか」

 

 痛烈な皮肉にクロウは肩を竦める。

 

「ま、そこら辺の負担はヘルムート卿が《金》を持ち出して来てくれたおかげでこれからは半分になるし……

 お前さんがこっちに来てくれれば、更に楽ができるってもんだ……

 というわけで、迷ってないでとっとと決めちまえよ」

 

「まるで僕がカイエン公の提案を受け入れるのが当然みたいな物言いだね?』

 

「だってお前、好きだろこういうの?」

 

 まるでクリスの事は何でもお見通しだと言わんばかりに学院での先輩風をクロウは吹かせる。

 

「貴方は――」

 

「確かにオズボーンを殺す引き金を引いたのは俺だ……だが、内戦で帝国を支配しようとしているのは貴族連合だ……

 こんなに戦火が広がったのは俺のせいじゃない」

 

「本気で言っているのか……?」

 

 確かに内戦を続けるのは貴族連合の都合だが、その引き金を引いたのはクロウなのだ。

 学生の時から軽い先輩だと思っていたいたが、ここまで無責任だったのかとクリスは呆れる。

 

「鉄血のやろうを撃ったことは……まあやり過ぎだったかもしれねえがな」

 

「は……?」

 

「別に鉄血のやろうが“悪”だと言うつもりはねぇ……

 ただまあ、祖父さんがヤツに“してやられた”のはたしかだ……

 祖父さんの仕込みで、チェスやらカードゲームは得意だったから、そうなると“弟子”としては師匠の仇を討ちたくなるってモンだろ?」

 

 聞いてもいないのにクロウは言い訳を並べる。

 

「帝国に存在する歪み……それを鉄血が拡大しているのは確かだった」

 

 まだ帝国領でなかったジュライ出身なのにあたかも昔の帝国を知っていると言わんばかりの言葉。

 

「それらを見極め、最大限に状況を利用し、乾坤一擲の一撃でゲームを制する」

 

「ゲーム……?」

 

 クリスの呟きを無視してクロウは続ける。

 

「ジュライが今、平穏であるのを考えると勝負事の“後始末”――内戦を終了させて、帝国に平穏を取り戻す必要もあるだろう」

 

 クロウは振り返り、人の良い先輩を装い恰好を付けるように言った。

 

「だから――そこまでがオレの“ゲーム”ってヤツだ」

 

 何処までもゲーム感覚なクロウにクリスは眩暈を感じた。

 同時に黒い衝動が湧き上がる。

 

「それが……貴方の“根拠”というわけか……」

 

「あん?」

 

「ふざけるなっ!」

 

 次の瞬間、呑気に気取っているクロウの頬にクリスは拳を叩き込み吹き飛ばす。

 

「っ――てめえいきなり何しやがる!?」

 

 壁に叩きつけられてしりもちを着いたクロウは突然殴って来たクリスに怒鳴る。

 

「殺して欲しいならそう言えっ! 何が“ゲーム”だっ! 人の命を何だと思ってる!?」

 

 このまま殴り殺してやると言わんばかりにクリスはクロウに掴みかかる。

 

「っ――」

 

 クロウはクリスの拳を受け止める。

 

「なに今更良い人ぶっている……お前は人殺しだ……」

 

 掴まれた拳を押し込みながらクリスは憤怒をその目に宿し叫ぶ。

 

「何の罪もない人達を戦争に巻き込んで大勢殺した大量殺人鬼だ」

 

「っ――違うっ!」

 

 クリスの憎悪にクロウは拳を振り、クリスがそれを受け止める。

 

「俺はオズボーンとは違うっ! この内戦を貴族連合に勝たせれば俺は“英雄”だっ!」

 

 それまでの飄々とした態度は何処へ行ったのか。クロウもまた激昂してクリスに言い返す。

 

「何が“英雄”だっ! トワ会長はお前に殺されそうになったって言うのにまだ事情があるはずって信じているんだぞ!

 あんな良い人達を裏切って! 軽い気持ちで復讐して! 何の責任も覚悟もないくせに帝国の未来を語るな!」

 

「っ――うるせえんだよっ!」

 

 押し合う拳。

 そこにクロウはクリスの腹に蹴りを入れて対面の壁まで蹴り飛ばす。

 

「げほっ――げほっ――」

 

「ああっ! そうだよ俺は人殺しだっ! お前に言われなくてもそんなこと分かってんだよ!」

 

 蹲って咳き込むクリスに追い縋り、そのままクロウは彼の腹を横から足蹴にする。

 

「そうしたのはお前達帝国人がジュライを滅茶苦茶にしたからだっ!

 お前達がっ! 帝国さえいなければ祖父さんは死ななくて済んだ! 人殺しになんてならずに済んだ……

 全部お前達のせいだっ!俺は……俺は悪くねぇっ!」

 

「このっ!」

 

「うおっ!?」

 

 何度も蹴って来る足にクリスがしがみ付き、投げるように引き倒す。

 テーブルを薙ぎ倒し、クロウはクリスが手をつけていなかった宮廷風の料理を頭から被る。

 

「っ……」

 

「ぅ……」

 

 二人は互いを睨み合って立ち上がる。

 

「クロウ・アームブラストッ!」

 

「エレボニアがっ!」

 

 どちらともなく拳を振り被り――

 

「やれやれ、騒々しい」

 

 ズンッと次の瞬間、クリスは全身に重さを感じた。

 

「ぐっ――」

 

 全身が鉛のように重くなり、まるで重力が増したような圧力がクリスの肩にのしかかる。

 

「うぉ……」

 

 それはクリスだけではなく目の前のクロウも同じで、二人はその重圧に踏ん張り、一歩も動けなくなる。

 

「ちっ……」

 

 そして二人の耳に舌を打つ音が聞こえた。

 振り返れない二人に、ぎしりぎしりと床を軋ませる足音が近付いて来る。

 

「うるせえんだよガキどもっ!」

 

「そ――の声は痩せ――」

 

「寝てろっ!」

 

 重力が上乗せされた拳が二度振り下ろされ、クリスとクロウは二人仲良く並んで気絶した。

 

 

 

 






NG アルバレアの業

「カイエン公、あの場での借りの件だがアルフィン皇女を私に頂けるかな?」

 突然そんな事を言い出したヘルムートにクリスは深呼吸を一つして告げる。

「タイムッ!」

 そうしてその場にいた四人は一時的に蟠りを捨てて顔を突き合わせて円陣を組む。

クリス
「どう思います、今の言動。僕にはヘルムート卿がアルフィンを娶るように聞こえましたが」

クロウ
「やべえな帝国貴族……歳の差を考えろって話だし、そもそも歳を考えろよな」

アルベリヒ
「人の業とはここまで深いものなのか」

クロワール
「ううむ。これはもしやあの噂は本当だったのかもしれぬな」

クリス
「何か知っているんですかカイエン公?」

クロワール
「昔、アルバレアの貴族は社交界でこんなことを言ったことがあると聞く……
 そう……「女は16を過ぎたら婆である」と」

アルベリヒ
「ええ、私もその話は聞いたことがありますね」

クロウ
「マジかよ……ってことはもしかしてアルバレアの連中にトワってもしかしてどストライクなんじゃねえか?」

クリス
「16歳って貴族にとってお披露目の歳ですよね……
 まさかユーシスの出生の秘密って……平民に産ませたのは16歳以下だったから!?」

クロウ
「おいおい、やべえなアルバレア……金持ちは変態になりやすいって言うのもマジなのかもしれねえな」

アルベリヒ
「人はどこまで堕ちるというのだ……もしや閣下も?」

クロワール
「滅多なことを言わないでくれ! 私はいたってノーマル……ん? 何かねセドリック殿下、その目は……」

クリス
「オルディス、カイエン家に伝わっていた《蒼の騎神》……起動者……レンタル……支援、パトロン……そして顔……あっ……」

クロウ
「ちょっと待てクリス、てめえ今何考えた!?」

クリス
「いや、別に……クロウが男色家のカイエン公に身売りして《蒼の騎神》を借り受けているとか、全然考えていないよ」

クロウ
「なんだそれはふざけんな!」

クロワール
「殿下っ! 何をいきなりミルディーヌのような事を言い出すのですか!?」

クリス
「大丈夫、僕はそう言う事にはある程度理解しています……
 お二人の関係はアルフィンやミルディーヌ、アンゼリカ先輩とあとドロテ先輩にあることないことちゃんと話しておきますから」

クロウ
「ピンポイントでやべえ奴等に言おうとしてんじゃねえっ!」

クロワール
「殿下っ! 私はあんなミルディーヌが描いた耽美な文化など、帝国の新しい文化などとは認めませんぞっ!」

????
「み、皆さん落ち着いて下さい。人の趣味は自由だと思います……
 例え、ヘルムート卿がロリコンだったとしてもそれは人の嗜好なので……ええっと……」

ヘルムート
「貴様ら、とりあえずそこに直れ、叩き切ってやろう」






言い訳
クロウが好きな人には申し訳ない展開でしたが、自分は幕間の時のクロウの言動は終始何を言っているんだと言う風に感じました。
燃え尽き症候群で済まない軽さ。
撃って溜飲が下がったから軽く言っているかもしれませんが、ちょっとむかついたから殺したやったぜ、みたいなノリで言われたのはモヤっとしました。

他にも良い人アピールが過ぎて、帝国版のマリアベルかとさえ思いました。




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44話 白銀の巨船Ⅱ

 

 

 

 

「クカカ、随分と良い顔をするようになったじゃねえか」

 

 クロウと殴り合った翌日、対面のソファに行儀悪く身を預けて座るヴァルターが傷だらけのクリスの顔を褒める。

 

「むぅ……」

 

 ぶすっと拗ねるクリスにヴァルターは温泉郷で会った時のことを感慨深く感じる。

 

「もうすぐあれから一年か……あのもやしみたいなガキがよくまあ鍛えたじゃないか」

 

「べ、別に貴方に褒められても嬉しくはありません」

 

 嘘である。

 目の前の男は《身喰らう蛇》の執行者の一人であり、武術の達人。

 そんな男からの誉め言葉に喜ばないはずはないのだが、今の彼は貴族連合側に所属している敵、そんな男の言葉に素直に感情を出すわけにはいかなかった。

 

「ククク……」

 

 しかし、そんなクリスの葛藤を見透かすようにヴァルターは笑う。

 

「っ――それにしても結社が貴族連合に加担しているとは思いませんでした」

 

 これまで各地で結社の影は見え隠れしていた。

 しかし、本格的に自分達とは敵対していないことから気にしていなかったが、貴族連合の船にヴァルターがいたことに驚いた。

 

「クロスベルで暴れ足りなかったって言うのもあるが……

 元々貴族連合の中で“幻焔計画”を観察して調整する奴は別にいたんだよ。そいつらが軒並みボイコットしやがったから仕方がなくな」

 

「ボイコットって……」

 

 悪の秘密組織から出て来るとは思えない自由な言葉にクリスは呆れる。

 

「しかし解せねえな」

 

 ヴァルターはサングラスの奥の目を細め、クリスを睨む。

 

「っ……何がですか?」

 

 突然の威圧。飢えた狼を前にしたような殺気をクリスは肚に力を込めて耐え、聞き返す。

 

「ふん……」

 

 殺気はすぐに治まり、ヴァルターは鼻を鳴らす。

 

「えっと……」

 

「お前じゃない」

 

 戸惑うクリスにヴァルターは呟く。

 

「帝国に何かを期待していたはずなんだが、ちっカンパネルラめ。何を隠してやがる」

 

 苛立って愚痴を吐き出すヴァルターにクリスは何となく察する。

 彼が誰と戦う事を期待していたのか。

 

「まあ良い。今のお前ならそこそこ楽しめるかもしれないからな」

 

「それは……貴方も貴族連合の一員として戦うと言う事ですか?」

 

「はっ……そんな肩書に興味はねえよ。結社の方針はただ、お前が“そこ”まで辿り着くか見届ける事だけだ」

 

 思わせぶりな言葉。

 直接相対するつもりはないが、ちょっかいは掛けて来るという宣言にクリスは何と返すか困る。

 

「貴方は……リベールのツァイス地方で結社の実験として地震を起こさせたんですよね?」

 

「はっ……懐かしい話をしやがるじゃねえか」

 

「どうしてそんなことが出来たんですか? かなりの家屋が倒壊したと聞きましたが」

 

 ユミルの時はあまり実感できなかったが、内戦で様々な凄惨な光景を見て物語の中だ事件がどれだけ凄惨なものだったのかクリスは理解できるようになった。

 

「クク……そう恐い顔するなって……

 俺はな、潤いのある人生には適度な刺激が必要だと思うのさ。いわゆる手に汗握るスリルとサスペンスってやつだ……

 いつ自分が死ぬとも判らない……そんなギリギリの所に自分を置く。それをリベールの奴等にも味わってもらいたかったんだよ」

 

「…………いい迷惑だったでしょうね」

 

「何だ? 昨日のクソガキにしたように殴りかかって来ないのか?」

 

 落ち着いた様子のクリスの様子にヴァルターは拍子抜けしたように尋ねる。

 

「これが帝国で行われたことならば、貴方と僕の間にどれだけの力があったとしてもこの場で剣を抜いていたでしょう……

 ですが、その話はリベールで行われたことであり、昔の話。僕がどうこう言うのは筋違いでしょう……

 それに貴方達は自分達の行いを“外道”だと認識している。その点では貴族連合なんかよりずっとマシだと思います」

 

「は……図太くなったじゃねえか。《蒼の騎士》なんかよりずっと歯応えがありそうじゃねえか」

 

「それは光栄ですけど、たぶんまだ僕はアームブラストよりも下だと思います……

 これまで互角に戦えたのは《テスタ=ロッサ》のおかげだと思いますから」

 

「それだけ分かってるなら十分だ。あんな奴よりもお前は強くなれるぜ」

 

「本当ですか?」

 

「あのクソガキはもう底が知れたな……

 ただでさえ帝国正規軍は《機甲兵》に対処し切れてないって言うのに、《蒼の騎神》を使って楽に蹂躙して調子に乗っている……

 少し前までは復讐心でなんとか維持できていたみたいだが、もう堕ちるだけだろ」

 

 心底つまらなそうにヴァルターはクロウをそう評価する。

 

「そうですか……」

 

 現状、クロウと相対できるのは《騎神》を持っている自分達だけ。

 例え帝国最強と名高いヴィクターやマテウスと相対したとしても、人と比べて巨大な上、《蒼》は《騎神》の中でも優れた飛翔能力を持ち制空権を一方的に握っている。

 一人だけの特別を振りかざし、最前線でありながら《騎神》という安全の中で戦うクロウは刺激を求めるヴァルターに受け入れられるものではない。

 

「その点、お前にはその類の慢心はなさそうだな。いや《騎神》にそれ程の期待をしていないのか?

 それとも《騎神》を使ってなお勝てない相手を知っているのか、そっちの方が俺には興味があるな」

 

「そんな……流石にあの人たちも生身で《騎神》をどうこうできるはずないですよ……ないですよね?」

 

「何で俺に聞くんだよ?」

 

「だって“あの人”はともかく、そっちの《鋼の聖女》はこないだも“もはや槍さえ不要”なんて言い出したんですよ」

 

「へえ……《鋼の聖女》がそんなことをねぇ」

 

 良いことを聞いたとヴァルターは獰猛な笑みを浮かべる。

 

「失礼します」

 

 そこにドアがノックされて領邦軍の兵士が入って来る。

 

「クリス・レンハイム殿、朝食をお持ちしました」

 

「さてと……」

 

 部屋に入ってテーブルに料理を並べる兵士に対してヴァルターは席を立つ。

 

「一応、お前は“客人”扱いだ。帝都に到着するまでせいぜい好きに過ごすんだな」

 

「……」

 

「脱出したけりゃ勝手にするんだな……

 その時は俺が相手してやれるし、お前を殺すために雇っておいた“暗殺者”って言うのも無駄にならなくなるからな」

 

 そう言い残してヴァルターは部屋を出て行こうとして、立ち止まる。

 

「……まだ何か?」

 

 立ち止まったヴァルターをクリスは訝しむ。

 

「大したことじゃねえよ。鼠に噛まれないように気を付けるんだな」

 

 そう言い残してヴァルターは部屋から出て行ってしまった。

 

「鼠……? この船には鼠が出るんですか?」

 

「い、いえ……仮にも貴族連合の船ですのでそんなことはない……はずなんですが」

 

「何分、この大きさですから。忍び込んでいないとは言い切れないでしょう」

 

 クリスの質問に兵士たちもまた困惑するのだった。

 

「朝食は以上です。それからカイエン公爵様からこちらを預かっております」

 

 そう言って差し出されたのは導力ラジオだった。

 

「これは?」

 

「今日の正午より、帝国正規軍におられるオリヴァルト殿下が声明を発表するようです……

 こちらを使ってお聞きくださいとのことです」

 

「…………そうですか、ありがとうございます」

 

 クリスが導力ラジオを受け取ると、兵士たちも部屋から退出する。

 

「…………はぁ……まいったな」

 

 緊張に強張っていた体から力を抜いてクリスはため息を吐く。

 

「クロウ達だけなら出し抜けると思っていたんだけどな……」

 

 セリーヌが指摘した通り、パンタグリュエルは敵地のど真ん中。

 それでも逃げ出すだけならば《テスタ=ロッサ》を暴走させてできると思っていたのだが、ヴァルターや暗殺者の存在が未知数過ぎた。

 

「とは言え、セリーヌにはちゃんと戻ると言ったから無駄に時間を浪費するわけにはいかないか」

 

 カイエン公達、貴族連合の動機が昨日の話で全て理解できたとは言えないがあれ以上話しても意味はないだろう。

 

「だけど、どうやって逃げるか」

 

 見積もりが甘かったことを反省して、クリスが考えていると。

 ぐう……とクリスの腹が漂う宮廷風料理の朝食の匂いに空腹を訴えた。

 

「そう言えば昨日はアームブラストと殴り合って結局食べてなかったな」

 

 昨日と同じであまり食欲は感じないが空腹を身体が訴えている。

 意地を張っても仕方がない、逃げるためにも体力を付けなければと割り切ってクリスは食事に手を付けた。

 

「……うん、おいしい」

 

 良い料理人を雇っているのだろう。

 皇宮で食べていた味と遜色ない料理にクリスは思わず顔を綻ばせる。

 ぐう……と再び腹の音が響く。

 

「食べてるんだから、静かにしてくれ」

 

 第三学生寮で生活していたとはいえ、皇子である。

 空腹で腹を何度も鳴らしたと礼儀作法の先生に知られれば、どんなことになるかクリスは恐ろしい想像をして――ぐうと空腹を訴える音が部屋に響く。

 

「…………誰かいるのか?」

 

 最初の音は自分だった自覚はあった。

 しかし今の三回目の音に、二度目の音は自分ではなかったとクリスは気付く。

 クリスの呼び掛けに誰かが答えることはない。

 隠れられるのはベッドの下か、クローゼット。

 四度目の音に耳を澄ませながら、クリスは警戒心を強くしてまずはベッドの下を覗き込み――

 

「おなかすいたっ!」

 

 その頭の上に頭上のダグトを壊してミリアム・オライオンが降って来て――

 

「ぶへっ!」

 

 クリスの頭に着地した。

 

 

 

 

「んー、おいしー♪」

 

 ぱくぱくとクリスに用意された食事をミリアムが瞬く間に食べていく。

 いったいいつから《パンタグリュエル》に潜入していたのか。

 唯一確認できていなかった《Ⅶ組》の最後の一人の無事な姿にクリスは安堵する。

 

「ヴァルターが言っていた鼠って君のことだったんだね。いったいいつからいたんだ?」

 

「もぐもぐ……ん-この部屋の上には昨日からいたよ。クリスが来たって言うから会おうかなってずっと待ってたんだよ」

 

「昨日から……」

 

 全く気付かなかったことにクリスはがっくりと項垂れる。

 ヴァルターに褒められたが、結局自分はまだまだなのだと痛感する。

 

「それでミリアムは何で《パンタグリュエル》に潜入なんてしたんだい?」

 

「もぐもぐ、ごくん……うん、この戦艦を爆破しようと思って」

 

「そう爆破か……え……?」

 

「カイエン公とできればアルバレア公、それから《蒼の騎士》が集まったこのタイミングが絶好の機会だったんだけどなぁ、何でクリスがここにいるの?」

 

「待て待て待てっ!」

 

 無邪気に物騒なことを言うミリアムにクリスは思わず声を上げる。

 

「《パンタグリュエル》を爆破って本気か!?」

 

「だってそれが一番効率が良いじゃん」

 

「いや……でもこの船にどれだけの人が乗っていると思っているんだ!?」

 

「んーでもみんな貴族連合なんでしょ? だったら別に良いじゃないかな」

 

「良いわけないよっ!」

 

「うーん……」

 

 食事を終えたミリアムはクリスの言葉に腕を組んで考え込む。

 

「でもさ、クロウの理屈で言うならオジサンを殺されたボクはクロウや貴族連合に復讐をしても良いって事だよね?」

 

「それは……」

 

 復讐とミリアムには似つかわしくない言葉にクリスは戸惑う。

 

「そりゃあオジサンはいろいろ悪い事をしていたかもしれないけど……

 何か良く分からないけど、胸の奥がもやもやして一番悪い奴を殺さなくちゃって思うんだ」

 

「ミリアム……」

 

 《Ⅶ組》に入って来たミリアムは世間知らずだった。

 無邪気で天真爛漫な性格をしているが、その思考の根幹にあるのは猟兵に近いドライな死生観を併せ持つアンバランスな子供。

 ミリアムはオズボーンの暗殺を理性では自業自得だと判断し、同時にオズボーンを殺されたことに怒りの感情を芽生えさせていた。

 

「君もそうなのか……」

 

 クリスは項垂れて呟く。

 

「ん? どういう意味?」

 

「君もみんなや僕みたいに、貴族連合を許せない、殺すって言うんだな……」

 

 頭を抱えてクリスはこれまでのことを振り返る。

 ガイウスの家族が傷付いたノルドでの貴族連合が雇った猟兵たちの非道。

 ケルディックで起きた正規軍による貴族子女の処刑とそれに対抗して襲撃した貴族連合との戦闘。

 クロスベルではロイド達がとにかく帝国が悪いの一点張りで話が通じなかった。

 ノルディア州ではラインフォルト社が爆破され、シャロンが復讐鬼となり、巡り巡ってユミルが消滅した。

 サザーランド州ではイストミア大森林を燃やす程に正規軍と革新派の争いは激化した。

 そしてクロイツェン州ではラウラとユーシスが殺し合いにまで発展した戦いを繰り広げていた。

 

「どうしてこんなことになってしまったのかな……」

 

 気付けば自分もクロウや貴族連合に怒りではなく、憎しみを募らせるばかり。

 学院にいた頃はただトールズ士官学院の中では不真面目な先輩だと言う印象しかなかった。

 留年の危機があったので、もしかすれば同級生として彼も《Ⅶ組》になっていたかもしれない。そうすればもっと仲良く……

 

「いや、ないな」

 

 聞けばクロウは遅刻やサボリの常習犯であり、授業中には居眠りさえしていたと聞く。

 フィーでさえ授業は眠らずに起きているし、《Ⅶ組》は基本的に真面目な者達が多い。

 みんな、自分を高めるために学院に来ているのにそんな不真面目で授業を妨害するような男を果たして受け入れただろうか。

 

「まあ、みんなお人好しだから、馴染めるのかもしれないけど」

 

 それでも皇子として厳しい教育を受けて来たクリスにとっては話に聞くクロウの生活態度はとても理解し難いものだった。

 

「ねえ、ミリアム」

 

「ん……なーにー?」

 

 デザートのフルーツの盛り合わせの山を崩し始めたミリアムにクリスは尋ねる。

 

「ジュライの鉄道爆破事件……これをオズボーン宰相がやったって言うのは本当なの?」

 

 緊張を孕んだ声でクリスは尋ねる。

 導力ネットで調べた限り、ジュライの事件の犯人は未だに見つかっていない。

 いくらオズボーン宰相が凄いからと言って、他国の重要施設に何の痕跡も本当に残さなかったのかと疑問に感じるのだが、目の前のミリアムはそれを可能とする戦術殻を持っている。

 

「君の《アガートラム》なら誰にも気付かれずに鉄道に爆弾を仕掛けることはできたんじゃないかな?」

 

 学院の教材で使っている量産型の戦術殻には人を乗せて動き回るだけの出力はない。

 しかし、《アガートラム》はミリアムを乗せてかなりの長距離を飛べる上に光学迷彩なる機能まで持っている。

 秘密裏の破壊工作員として彼女程、適した存在はいないだろう。

 

「うーん……」

 

 クリスの質問にミリアムは腕を組んで考え込む。

 

「ジュライの事件って九年前だよね? その時はボク、まだ生まれてもいないかも」

 

「あ……」

 

 肝心な部分を外したクリスは頭を掻く。

 

「でも前任のオライオンの可能性はあるけど、オジサンが直接爆破したっていうのは考えにくいかな?」

 

「それはどうして?」

 

「オジサンってボクに調べて来いって要請はするけど、何かを壊して来いとかって直接要請したことってほとんどないんだよね」

 

「それは……何だか意外だな」

 

「だよね。自分はいくら悪く言われても構わないって顔しているけど、汚れ仕事をボクやクレア達にして来いなんて言わないんだよね」

 

「…………それは納得できるかも」

 

 そう言えばオズボーンの黒い噂を聞くことはあっても、彼の直属の部下の《子供達》には揶揄される風評はあっても非難される悪評を聞いたことはない。

 背負うのは自分だけで良いと言わんばかりに抱え込む気質はクリスが知っている“彼”を彷彿とさせる。

 

「それにオジサンのやり方って基本的に“待ち”だからね……リベールの時もそうだったし」

 

「リベールの時?」

 

「うん、あの空中都市の事まで知っていたか分からないけど、レクターが作ったリベールの情報網からだいぶ早い段階で大規模導力停止現象が起きるって予想していたみたいだよ」

 

「いや、それは結社と結託していたって僕は聞いているけど……」

 

「そうなの? ああ、そっか……だから他の準備は無駄になったんだ」

 

「他の準備? 蒸気戦車以外にも何か用意していたの?」

 

「これ以上はキミツ情報だからダメ」

 

 そこで口を噤んだミリアムにクリスは思考を整理する。

 

「……あれ? リベールの場合、帝国が侵攻したとして、それって最終的に誰の責任になるんだろう?」

 

 “異変”を起こしたのは結社であり、帝国がリベールの内部でそれを支援したわけではない。

 帝国が蒸気戦車を準備していて対応していたのは確かにタイミングが良過ぎるかもしれないが、それが地道な情報収集の結果なら責められる謂れはないのではないだろうか。

 

「ミリアム……結局のところ情報局ってどういう組織なんだい?」

 

「だからこれ以上はキミツだってば」

 

「僕は次期皇帝だけど、それでも話せない?」

 

「むー」

 

 身分を使って来たクリスにミリアムは唸る。

 

「ほんのちょっとだけだよ」

 

「それで良い」

 

「って言ってもボクも他の情報局員のことってほとんど知らないんだよね。だいたいがレクターの部下? みたいな感じだから」

 

「そうなのかい? てっきりミリアムみたいな工作員で構成された秘密部隊だと思っていたんだけど」

 

「それはボクの方が例外なの……情報局のほとんどは別に何の技能も能力もない一般人だよ」

 

「一般人?」

 

 意外な答えにクリスは目を丸くする。

 

「やっていることはレクターやオジサンの指示で、他国とかに住んでもらって、そこで起きた事件とか何がおいしかったのか報告するだけらしいよ」

 

「え……重要施設に潜入して機密情報を盗み出して、最後には施設を爆破しながら脱出するとかしないの?」

 

「そんな小説みたいなことはボクだって滅多にしないよ」

 

「…………そうなんだ。でもそんなことをして何の意味があるの?」

 

「さあ? ボクには分かんない」

 

「…………」

 

 ミリアムのはてな顔にクリスは黙り込む。

 

「あ、でも近頃リベールでも同じようなことを始めた人がいるってオジサンが言っていたかな」

 

「リベールに…………あ、リシャールさん」

 

 かつてリベール旅行をした時に面会した元リベール軍人の大佐のことをクリスは思い出した。

 《R&Aリサーチ》という調査会社を各地に諜報員を送り込んでいると聞き及んでいる。

 目的は導力ネットで拾い切れない現地の生の情報を収集するものだとクリスは教えてもらった。

 

「そっか……リシャールさんと同じ事をオズボーン宰相はしていたのか……」

 

 諜報員と言われれば聞こえは悪いが、彼らには別に重要施設へ潜入して機密情報を盗むこともテロリストのような破壊工作をするわけではない。

 なんだったら毎日、その地域の出版社が出している地方新聞を送って来ることだけ良いと言う仕事内容に意味があるのかとその時のクリスは首を傾げた。

 

「結社やテロリストの動向の把握……

 他国だからと言って、気にしないか、それともこちらに飛び火するかどうか見極めるためにも情報は必要なんだ」

 

 クロウが主張する鉄道爆破に対するタイミングの良過ぎる帝国の介入はそれで説明がつく。

 

「いや、仮に指摘しても認めるかな?」

 

 オズボーンが犯人ではない可能性の芽。

 オズボーンの死体を確認できなかったものの、カイエン公が彼の死を確定させたせいなのか復讐心が萎み始めているクロウはこの指摘を受け入れるだろうか。

 

「…………無理だろうな」

 

 指摘したところで、知るかと聞く耳を持たないクロウが容易に想像できる。

 

「結局……僕はクロウ・アームブラストをどうしたいんだろ?」

 

 《緋》の中にある憎悪と自分の感情の境界線が分からなくなり始めている。

 

「ごめんなさい、今いいかしら」

 

 そこでドアがノックされる。

 

「ミリアム」

 

「うんっ」

 

 呼び掛けにミリアムは頷くと素早くベッドの下へと身を隠す。

 それを見届けて、クリスは応えた。

 

「どうぞ」

 

「失礼します」

 

 入って来たのはミリアムよりも小さな女の子だった。

 この場には似つかわしくない幼子だが、彼女がミリアムと同じ存在なのだと彼女の背後の蒼い戦術殻が示している。

 

「えっと……君は……?」

 

「私は《OZ80》イソラ・ミルスティンと言います」

 

「僕は知っていると思うけど、クリス・レンハイム……え……ミルスティン?」

 

 名乗り返してクリスは彼女が名乗った姓に耳を疑う。

 ミリアムよりも一回り小さい体。

 そしてクリスが知るクラスメイトを思わせる顔立ち。

 

「君はもしかしてエマの妹だったりするのかな?」

 

「いいえ」

 

 クリスの質問にイソラは首を横に振るう。

 小さな子供だと言うのに言葉使いと仕草は随分と大人びた印象を受ける。

 

「私はエマの母です」

 

「そっか、エマのお母さんなんだ…………えええっ!?」

 

 この小さな女の子があのいろいろ大きな《Ⅶ組》のクラス委員長の母だという事実を素直に受け止めることはできなかった。

 

「いや、ローゼリアさんがお婆ちゃんだと言う事を考えれば、あり得なくはないのか?」

 

「あら、婆様のことも知っているのね」

 

 クリスの言葉にイソラが反応を示す。

 少なくても、全くの無関係な人間ではないことをクリスは察する。

 

「とりあえず部屋に入れて貰えるかしら?

 貴方には聞きたいことがあるし、場合によっては私は貴方の脱出に協力してあげられます……

 ただ私にはこうして自由意志を保っていられる時間は少ないから……」

 

「……っ、分かった」

 

 親しみを感じる笑みを浮かべながら、何処か焦っているようにも見えるイソラの様子にクリスは驚くのを止める。

 こんなことならばセリーヌも一緒に来てもらうべきだったかと後悔しながらクリスは部屋にイソラを招き入れるのだった。

 

 

 

 

 



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45話 白銀の巨船Ⅲ

 

 

 

「いなくなっただと!?」

 

 もぬけの殻となった部屋でクロワールの叱責が響く。

 

「も、申し訳ありません」

 

「ですが、クリス殿は一度も部屋から出た様子はなく――」

 

「そんな言い訳はいい」

 

 言い訳をする兵士たちの言葉を遮ってクロワールは部屋を見回す。

 昨夜、クロウと派手に喧嘩をした痕跡が残る部屋は何処かが破壊されたわけではない。

 もちろんクローゼットの中もベッドの下も調べさえたが、そんなところに隠れているわけもない。

 

「ええい、ユーゲントのように大人しく引き籠っていれば良いものを」

 

 苛立つクロワールは憤りを露わにして振り返る。

 

「何をしていたそなた達はっ!」

 

「悪い悪いちょっと煙草をな」

 

「私の仕事は“殺し”なのだがね」

 

 へらへらと笑うチンピラと悪びれもしない黒いローブの男。

 アルベリヒの紹介により迎え入れた《結社》のエージェントと外国の“暗殺者”なのだが、どうにも胡散臭くて信用できない。

 

「ええいっ! 貴様たちもあれを探せっ!」

 

 クロワールの指示にヴァルターとローブの男は肩を竦めると踵を返して歩き出した。

 

「そう焦る必要はねえんじゃねえか?」

 

 そんなクロワールにクロウは声を掛ける。

 

「ここは空の上、アイツが逃げるには《緋の騎神》を使わなけりゃいけないんだ。探さなくても甲板で待ち構えていれば向こうから来るだろ」

 

「そんなこと分かっている」

 

 クロウの指摘にクロワールは頷く。

 

「ならばお前もここで油を売ってないで働いてみせろ」

 

「へいへい。いくぞイソラ」

 

 クロワールの命令にクロウは肩を竦めて、傍らに控える少女を呼ぶ。

 

「…………はい」

 

 蒼い少女は人形のように無機質に頷き、クロウが歩き出すとそれに合わせて歩き出した。

 その少女の反応にクロウは先程とは違うため息を吐く。

 

「こいつもこいつで何考えてるんだろうな」

 

 本人に聞こえているにも関わらずクロウは愚痴る。

 アルベリヒからクロスベルで失ったダブルセイバーの代わりに《蒼の武具》として渡されたがどうにも馴染めず居心地が悪い。

 内戦で各地の正規軍を叩くため彼女と一緒に飛び回り、その間に話しかけたり、笑わせたりしようとしたがピクリとも表情を動かさないのでクロウはもうイソラとの会話を諦めた。

 

「まあ、ちゃんと働いてくれるなら文句はねえか」

 

 所詮は内戦までの付き合い。

 そう割り切ってクロウは一度振り返る。

 

「しかしどうやって逃げたんだろうな」

 

 クロウは甲板を目指しながらクリスが部屋から消えた謎を考える。

 

「…………」

 

 背後に付き従うイソラは何も答えることはなかった。

 

 

 

 

 ダクトと言う物がある。

 それは気体を運ぶ配管であり、決して人が移動に使って良いものではない。

 そもそも、ダクトとは一方通行とは限らず様々な方向へ入り組んで伸びている。

 小さな子供なら這って進むことは可能かもしれないが、ダクトは階層を跨いで様々な場所で繋がっており、作った者でもどこに繋がるか分からないのだ。

 故に様々な観点からダクトの中まで調べようとする者達はいなかった。

 そしてそんなダクトの中を音も立てずに歩くのは二人――いや二匹。

 

「みしし」

 

 ダクトの中、十字路に行き着いたみっしぃはみーしぇにどちらに行くのか振り返る。

 

「みしし」

 

 みーしぇはあっちだと丸い手で右の通路を指す。

 

「みしし」

 

 みっしぃは分かったと頷くと右のダクトへと歩を進める。

 

『それにしてもイソラさんがくれた“聖魔の首飾り”は凄いね』

 

 と、みっしぃ――クリスはみーしぇ――ミリアムを振り返りながら頷く。

 

『そーだね。ボクもこんな体験をするとは思わなかったよ』

 

 テクテクとクロスベルのマスコットであるみっしぃとみーしぇがダクトの中を歩く。

 “聖魔の首飾り”。

 これを装着した者はその身を一時的に幻獣に変貌させることができる。

 理屈まで説明を受けている暇はなかったが魔女の技術で作られた魔道具であり、身体が縮小してみっしぃになったことでクリス達は客室から人知れず脱出することに成功した。

 

『しかし、ティオさんが狂喜乱舞しそうな魔道具だな』

 

 今はもう懐かしいと思えるほどの記憶にクリスは感慨深くなる。

 

『ティオって、ボクとがーちゃんで撃ち合いした人だよね? なんかイメージが違うなー』

 

『確かに普段のティオさんとみっしぃが絡んだ時のティオさんだと全然違うよ。現に以前、クロスベルに本物のみっしぃが現れた時……』

 

 言いかけた言葉をクリスは止める。

 

『んーどうしたのクリス?』

 

『いや……もしかすると……』

 

 あの時は本物のみっしぃが現れたのだと思ったが、もしかしたらあれも魔道具を使った誰かの擬態だったのではないかとクリスは気付く。

 

 ――クロスベルに魔女がいたのか。それとも……

 

『くっ……貴方はどこまで僕の先を行けば気が済むんですか』

 

『クリス?』

 

 突然悔しがり始めたクリスにミリアムは首を傾げる。

 もっとも悔しがっているように見えるが、同時に嬉しそうにしているのでミリアムは余計に理解に苦しんだ。

 

『何でもない。ところでそろそろかい?』

 

『うん、そうだね』

 

 みーしぇは頷くと、足元の通風孔を蹴る。

 予め、各所の留め具を緩めていたらしく、格子はあっさりと外れる。

 みっしぃとみーしぇはかなりの高さに見えるそこから躊躇うことなく飛び降りた。

 途中、二匹は縮小した“聖魔の首輪”を外すと人の姿に戻り、危なげなく着地する。

 

「ここは……格納庫か……」

 

 クリスは当たりを見回して、左右に並ぶのはギデオンがもたらした情報に会った新型の《ケストレル》と《ゴライアス》。

 本来は拠点防衛用として騎神の倍はある体躯の《ゴライアス》だが、その全長は《ケストレル》と大差はない。

 むしろ《ヘクトル》に近い印象を受ける。

 それがそれぞれ十機ずつ並ぶ光景は壮観だったが、同時にこれがプログラムだけで動く機械人形だと思うと顔をしかめずにはいられない。

 

「クリス、向こうから外に出られるよ」

 

 クリスの心中などお構いなしに、ミリアムが甲板へと上がれる階段がある扉を指差す。

 

「…………そうだね。行こう」

 

 今の自分にこれらの機体をどうこうしている暇はない。

 そう割り切って踵を返し、ミリアムに促された扉に向かって歩き出す。

 

「ほう……ここにいたか」

 

 その二人の前で扉が開き、現れたのは古びたローブを纏った男だった。

 クリスとミリアムはその場から跳び退き、同時に剣を抜き、《アガートラム》を呼び出した。

 

「黒いローブ……もしかして貴方がナーディア達が言っていた《皇帝》か?」

 

「ほう……あれが君にそこまで話しているとは意外だな」

 

 男は纏っていたローブを脱ぎ捨てる。

 そこには黄金の兜と鎧、杖と宝珠を持った男をクリスが確認した瞬間――

 

「《ARCUS》駆動――エアブラスト」

 

 最速を持ってクリスは質量を持たない風の弾丸を叩き込む。

 風の弾丸がエンペラーに命中して弾けて強風が吹き荒れる。

 

「ミリアムッ! 飛び越えてっ!」

 

「りょーかい!」

 

 クリスは《アガートラム》に掴まり、ミリアムも飛び乗り怯んだエンペラーの頭上を飛び越える。

 そして階段があるだろう壁にアガートラムが拳を振り被る。

 

「貴様らっ! 誰の上を跨ごうとしているっ!」

 

 激昂と共にエンペラーは《照臨のレガリア》を起動する。

 

「わわっ!? 落ちる!?」

 

 突然強まった重力に《アガートラム》がくりと落ちそうになり、ミリアムは驚く。

 しかし、クリスは彼女から聞いていた通りだと薄く笑い。アガートラムからエンペラーを見下ろして告げる。

 

「そっちこそ、帝国で誰の許しを得て《皇帝》なんて名乗っているんだい?」

 

 できるだけ不遜に、挑発をするようにクリスは続ける。

 

「だいたいこの程度の重力で《アガートラム》を落そうなんて百年早いんだよ」

 

「ちょっとクリス!?」

 

 勝手なことを言うクリスにミリアムが抗議をしようとするが、クリスはそれを手で制して口を噤ませる。

 

「…………どうやら死にたいらしいな。ならば見るが良い《照臨のレガリア》の全力を!」

 

 クリス達を覆う重力場の力が増す。

 

「くっ……頑張ってがーちゃん!」

 

「大丈夫だよミリアム」

 

 必死に重力場に対抗しようとするミリアムとアガートラムにクリスは微笑み――

 

「大地の魔槌《グラティカ》」

 

 魔剣テスタ=ロッサの力を使って、顕現させたのは巨大なハンマー。

 空中に顕現させた魔槌をクリスは手に取ることはせず、下に落す。

 

「潰れてひれ伏せっ!」

 

「なっ――」

 

 最大出力の重力場の恩恵を受けて魔槌はエンペラーの頭上に落下して直撃する。

 

「おおおおっ!?」

 

 格納庫に響き渡る凄まじい轟音と共にアガートラムを落そうとした重力場が掻き消える。

 

「クリスやるー」

 

「はは、全部ナーディアの分析のおかげだよ」

 

 重力場に対する手札。

 質量を伴わない《風》のアーツを始めとした様々な対抗手段。

 “彼”がいる時に交わしていた戦術談義の中で、エンペラーと言う敵に対してナーディアは様々な有効手段を考えていた。

 その一環が今の攻防であり、今ので倒せたとは思えないが通用するという事実を確かめられたのはナ―ディア達にとって大きいだろう。

 

「急ごうミリアム」

 

「うん――」

 

「おいおい、それはねえだろ」

 

 次の瞬間、目の前の壁が爆ぜる。

 

「せっかくだ。こいつを捌いていけよっ!」

 

 現れたヴァルターは階段から躊躇なく飛び降りてクリスに向かって拳を振り下ろす。

 

「ルミナスッ!」

 

 クリスは迷わず、一番早く顕現できる二つのナイフを両手に顕現させる。

 突き出された拳にナイフを重ねて合わせ――砕かれる。

 その衝撃でクリスはアガートラムから弾かれ、ヴァルターはアガートラムの頭を蹴ってクリスに追い縋る。

 

「さあ、どうする!?」

 

 もう一度振り被られた拳にクリスは息を呑む。

 自分がこれまで造ってきた武具ではヴァルターの拳は防げない、仮に防げたとしてもその一発で済むはずがない。

 まるで時が止まったような錯覚を感じ、クリスは己を殺すだろう拳に見入り――

 

「照臨のレガリアッ!」

 

 無我夢中で手を前に出し、《テスタ=ロッサ》の聖痕を刻んだ魔剣の力をフル稼働させる。

 

「っ――」

 

 頭が焼き切れるかのような熱と激痛に耐え、クリスは複製した《黄金の王笏》を握る。

 

「はっ――」

 

 先程のナイフと同じように砕いてやるとヴァルターは王笏に拳を叩き込む。

 クリスの霊力で造られたアーティファクトは一秒しか持たずに全体に亀裂が走る。

 しかし、その一秒でクリスは叫ぶ。

 

「堕ちろっ!」

 

 崩壊する王笏に命じてその力――接触した部分に強力な重力を発生させる――効果をヴァルターの拳に発動させる。

 身体に掛かる重力が増したヴァルターはクリスの目の前で直角に下へと落ちる。

 

「クカカ……今のは中々良かったぜ」

 

 そう言い残してヴァルターは急降下してクリスの視界から消える。

 クリスはアガートラムにキャッチされてヴァルターが飛び出して来た穴へと運ばれた。

 

「ぶはっ!」

 

 階段に着くなり、クリスはその場に蹲り息を呼吸を激しくする。

 

「クリス……だいじょーぶ?」

 

「だ、大丈夫だよ……この程度の負荷……“八耀”を複製しようとした時と比べたらどうってことない」

 

 息を整え、鼻血を拭いクリスは手に新たな魔剣を作り出す。

 

「燃やせブリランテ」

 

 炎剣を階段に突き立て、炎が階下へと走り、金属製の階段を燃やす。

 炎はスプリンクラーによってすぐに鎮火されるが、溶けた階段は原型を留めていなかった。

 

「これで少しは時間を稼げるはずだ」

 

「なんかクリス、シャーリィとかフィーに似て来たね」

 

「はは、僕なんて二人に比べればまだまだ大人しい方だよ」

 

 謙遜を口にしながらクリスは呼吸を整える。

 

「それより急ごう、ここから追って来れないと言っても安心はできないから」

 

「うん!」

 

 階段を駆け上がるクリスにミリアムは《アガートラム》に乗って追従する。

 そして甲板に繋がるハッチを《アガートラム》の拳が吹き飛ばして、二人は外に出る。

 

「《テスタ=ロッサ》は…………あった!」

 

 外に出てクリスは周囲を見回して己の相棒を見つける。

 

「うん、じゃあクリスが脱出したら気兼ねなく爆破して良いね」

 

「ミリアム……」

 

 彼女の言葉にクリスは思わず足を止める。

 脱出に手を貸してくれても、オズボーン宰相の仇討ちを忘れていないミリアムをどうやって説得するかクリスは悩む。

 

「意外と早かったじゃねえか」

 

 そんな二人に声が掛った。

 振り返れば、《緋》の傍に佇む《蒼》の足下からクロウとそれに付き従うイソラが現れた。

 

「ククク、どうやって部屋を抜け出したのかと思えば《鉄血》の狗の手引きだったか」

 

「何をーボクは狗じゃなくて《白兎》だよ!」

 

 クロウの濁った眼差しを向けられながらミリアムは言い返す。

 

「イソラさん……」

 

 その一方でクリスはクロウの後ろに付き従っているイソラに目を向けていた。

 部屋を訪ねて来てエマの話を嬉しそうに聞いていた彼女の面影はそこにはない。

 ただ虚ろな人形のような無表情で佇むその姿にクリスは痛ましさを感じずにはいられない。

 

「それにしてもまさかお前が結社の《執行者》たちを退けて来るとはな。少しは《起動者》として成長したってことか、お坊ちゃま?」」

 

「おかげさまでそれなりの修羅場を潜ってきたからね」

 

 クロウの挑発を受け流しクリスは余裕を装った言葉を返す。

 

「はっ……お前の潜って来た修羅場なんざ俺の足元にも及ばねえ。そいつを改めて思い知らせてやるぜ」

 

 そう言い放ち、クロウは双刃剣を構え、それに倣ってイソラも蒼い戦術殻を無言で展開する。

 

「修羅場ね……仲間がいないようだけど良いのかい?」

 

 クロウの他の仲間、ヴァルカンとスカーレットの姿がないことを指摘する。

 

「テメエ如き、俺一人で十分だっ!」

 

 昨日の続きだと言わんばかりにクロウはクリスに斬りかかる。

 

「ミリアムはイソラさんを抑えて」

 

「らじゃー!」

 

 素早く役割分担を決め、クリスはクロウの双刃剣を受け止める。

 

「ハハッ……今の一撃を受け切るとはな」

 

「いつまでも見下しているんじゃない!」

 

 双刃剣を弾き、返す刃をクリスが振る。

 クロウは双刃を回転させ、それを弾き、そのままもう一方の刃を振るう。

 

「っ……」

 

 仰け反るようにその場を跳び退き、クロウはそれを追い駆ける。

 

「どうしたお坊ちゃま! その程度か!?」

 

「雷槍エリクシル」

 

 魔剣を鞘に納め、代わりに顕現させるのは雷の力を宿した十字槍。

 間合いを取った突きにクロウは一転して防戦となる。

 

「ちっ……本当に《緋》の力を使いこなしているみたいだな」

 

「そう言う貴方は……前より弱くなったんじゃないのかい?」

 

「んだと!?」

 

 クリスの指摘にクロウは眦を上げる。

 双刃剣の間合いの外から嫌がらせのように突いて来るだけのクリスに苛立ち、クロウは双刃剣から二丁拳銃に持ち替える。

 

「遅い――」

 

 クロウが銃を抜くのに合わせて、クリスは槍を捨て《風剣》を手にクロウに肉薄する。

 

「っ――」

 

 銃を交差させ、クリスの斬撃をクロウは受け止める。

 

「余裕がなさそうですね。クロウ先輩?」

 

「抜かせっ!」

 

「一つ、昨日貴方に聞けなかったことがあるんだけど……」

 

「何のつもりだ?」

 

 銃と剣で鍔迫り合いをしながらクリスは質問を投げかける。

 

「どうして貴方はアームブラスト市長の政策が間違っていないことを前提に話をしているですか?」

 

「何が言いたい!?」

 

「ノーザンブリアの《塩の杭》の発生が1178年。ジュライに鉄道網が延長したのが1194年……

 どんな政策を打ち出していたかは知らないけど、十六年掛けてジュライを立て直せなかったのならアームブラスト市長は無能だったと言わざるを得ない」

 

「っ――」

 

「クロウ・アームブラスト……もしかしてオズボーン宰相を恨んだ本当の意味は――」

 

「うるせぇっ!」

 

 銃を乱暴に振り回してクロウはクリスの言葉を振り払う。

 クロウの反応にクリスはため息を吐きたくなる。

 自分の言葉は所詮世間知らずの皇子の薄っぺらい言葉だと言う事は自覚している。

 しかしそれでも、一切こちらの言葉に耳を傾けないクロウの頑なさに辟易してしまう。

 クリスは甲板を駆け、クロウの銃撃から逃げ回り――先程捨てた雷槍を拾って投擲する。

 

「っ――」

 

 槍がクロウの銃を弾き、怯んだクロウにクリスはすかさず肉薄し風を伴った剣を振るう。

 

「ちっ……」

 

 二つの銃を落したクロウは痺れる腕を抑えて後退る。

 

「ミリアムッ!」

 

 そんなクロウの横を駆け抜けながらクリスは叫び、《緋》の足下に辿り着く。

 

「ごめんね、いーちゃん!」

 

 突き飛ばすように《アガートラム》が《アロンダイト》を殴り飛ばして、《緋》の肩にミリアムは乗る。

 クリスを取り込み、起動した《緋》は拘束されたワイヤーを弾き飛ばしながら立ち上がる。

 

「…………悪ぃな殿下」

 

 立ち上がった《緋》にクロウは自分の《騎神》に走り寄ることもせず、呟く。

 

「イソラ!」

 

「…………はい」

 

 クロウの呼び掛けにイソラは頷き、“降魔の笛”を取り出した。

 そのまま澱みなく笛を口に運び、美しい音色を奏でる。

 

「――っ!? 何だ……?」

 

「クリス?」

 

 《緋》の奥から黒い焔が燃え上がる。

 

「あああ…………あああああああっ!」

 

 黒い焔は中のクリスに絡みつき、操縦桿に添えていた手にゼムリアストーンの結晶が生える。

 

「イッ――アアアアアアアッ!」

 

 まるで無造作に手を引きちぎられたかのような激痛にクリスは悲鳴を上げる。

 だが、結晶の増殖は瞬く間に手から腕へと浸食して行く。

 

「テスタ=ロッサに喰われる!?」

 

 《緋》がケルディックで散った魂を取り込んだように、今度は起動者であるクリスまで取り込もうと暴走する。

 

「っ――がーちゃんっ!」

 

 クリスを苦しめる原因をイソラだと判断したミリアムは《アガートラム》と共に彼女に殴りかかる。

 

「させねえよ」

 

 その拳をクロウが双刃剣で受け止める。

 

「くっ……」

 

「ウアアアッ! っ――があああああっ!」

 

 身体を内側から引き裂かれるよな激痛に悲鳴を耐えようとしてもクリスの口からは絶叫が繰り返される。

 全身を覆い尽くす黒い呪い。

 これまでの比ではない黒い呪いの衝動を破壊に転換する間もなく、クリスは《緋》に呑み込まれて――

 

『ミリアム、君の力を貸してくれ』

 

 誰かがそう囁いて肩に触れた気がした。

 

「え……? 誰? オジさん?」

 

 ミリアムは咄嗟に振り返るがそこには《アガートラム》しかいない。

 そして光り輝く《アガートラム》にミリアムは自分ができることに気付く。

 

「がーちゃん! 《アルカディスギア》!」

 

 《アガートラム》を身に纏ったミリアムは上空に大きく飛ぶ。

 

「はっ! 無駄だ! デットリークロス!」

 

 助走をつけて突撃して来るミリアムにクロウは十字の剣閃を放つ。

 だが、イソラを狙わなかったミリアムに掠ることはなく、銀の弾丸となってミリアムは《緋》に突撃する。

 

「いっけええええええええっ!」

 

 一つの弾丸となった《戦術殻》と《OZ》は光となって《緋》を貫いた。

 

 

 

 

 

「がはっ!」

 

 身体を激しく揺さぶる衝撃にクリスは咳き込んだ。

 身体から生えたゼムリアストーンは砂となって崩れ落ちていく。

 

「…………一体何が……?」

 

 全身を犯す呪いの熱が引いて行く。

 いや正確には右腕に《緋》の中にあった“憎悪”が全て集まって行く。

 

「この腕は……?」

 

 先日《金》との戦いで失ったはずの右腕がそこにはあった。

 白い装甲を下地に禍々しい赤い光が刻印として刻まれ、凶悪な“鋼の爪”を宿す“機械の腕”――《アガートラム》。

 

「っ……!?」

 

 困惑するクリスは頭痛に顔をしかめ、一瞬の白昼夢を見る。

 

「■■■さん……貴方と言う人は……」

 

 クリスが見たのは一人の少年がボロボロになりながら生身で《騎神》と戦っている姿。

 そこに余裕なんてないはずなのに、《緋》に喰われかけた己を助けてくれたことへの感謝と彼の手を煩わせてしまった申し訳なさにクリスは憤る。

 

『クリス! 大丈夫!?』

 

 《緋》の中にミリアムの声が響く。

 

「ああ……もう大丈夫だ」

 

 全身を犯していた呪いは右腕だけとなる。

 全てを突き動かす“呪い”の衝動をクリスはまだ抑えることはできない。

 だが、右腕にだけ集中するのならできるという確信がクリスにあった。

 クリスは《緋》を立ち上がらせてミリアムに言う。

 

「さあ、もうここに用はない。行こう」

 

「行かせると思うか?」

 

 その言葉に応えたのはクロウだった。

 踵を返す《緋》の前に《蒼》が立ち塞がり、遅れて背後の《金》も立ち上がる。

 《騎神》と《神機》に挟まれながらもクリスは動揺はなかった。

 

「そっちこそ、今の僕を止められると思うなっ!」

 

 《緋》は《蒼》に肉薄して右手の拳を振るい、《蒼》は双刃剣の柄でそれを受け止める。

 

「オオオオオオオオオッ!」

 

「なっ!?」

 

 体中に漲る力を爆発させるように力任せに振り抜いて《蒼》を甲板の外へと双刃剣の上から殴り飛ばす。

 

「ちっ! 何をしている!?」

 

 《金》に乗ったヘルムートは殴り飛ばされた《蒼》に舌打ちをして術式を起動する。

 空間が歪曲して、そこに引き込まれるように《金》は姿を隠す。

 

「ミリアムッ!」

 

『うんっ!』

 

 《緋》は《金》が消えた空間に爪を突き立て――歪曲した空間を引き裂く。

 

「なんだと!?」

 

 歪曲した空間に隠れたはずなのに、元の空間に引きずり戻されたヘルムートは目を剥いて驚愕する。

 次の瞬間、《金》は《緋》の尾に殴り払われ、パンタグリュエルの甲板に叩きつけられる。

 

「ここで貴方達を倒すことはしません」

 

 倒れたヘルムートにクリスは宣戦布告するように告げる。

 

「決着は然るべき時、然るべき場所で、帝国の民が納得する形で着けさせてもらいます」

 

 一方的に言って《緋》は飛び立つ。

 

「ふっざけるなぁっ!!」

 

 《蒼》が装甲の各所を開き、一時的に出力を増幅した第二形態となり、翼を大きく広げて飛翔する。

 飛翔能力に優れた《蒼》が空のフィールドを存分に使った加速からの突進。

 

「あの世に逝けええええええっ!」

 

 憎悪を漲らせ、音を置き去りにした速度から繰り出された一突き。

 《緋》は《蒼》の最速の必殺の刃を――右腕で鷲掴みにして受け止めた。

 

「なっ!?」

 

 驚愕するクロウに《緋》は左腕で《蒼》の首を掴む。

 

「はああああああっ!」

 

 《緋》は《蒼》を振り回して急降下し、パンタグリュエルの甲板に叩きつける。

 

「がっ――くそが……」

 

 フィードバックされた激痛にクロウが呻き、見上げた空には巨大な焔があった。

 

「我が深淵にて閃く緋の刻印よ」

 

 《緋》が両手を前に翳し巨大な焔の火球が生み出される。

 

「天に昇りて、煉獄を焼き払う劫焔の柱と化せ」

 

 膨れ上がった焔球を握り潰すように右腕が喰らう。

 そして手の甲を砲門に変形させて《蒼》を――パンタグリュエルに向ける。

 

「聖痕砲――メギデルスッ!」

 

 《緋》はパンタグリュエルから空へと照準をずらし――力が解放する。

 真紅の熱線が空を引き裂く。

 パンタグリュエルに放っていれば塵も残さない熱量の砲撃にクロウは言葉を失い、身体を震わせる。

 

「…………ミリアム」

 

『な、何……?』

 

 砲撃を撃ち切ったクリスは《緋》と同化しているミリアムに声を掛ける。

 

「パンタグリュエルは爆破しない。良いね?」

 

『う、うん……』

 

 戦艦どころか、街一つ焼滅できそうな一撃を撃って平然としているクリスにミリアムはドン引きしながら頷いた。

 

「ふぅ……」

 

 《緋》をパンタグリュエルから離してクリスは息を吐く。

 

「どうにか脱出できたな……」

 

 《緋》の右腕と自分の右腕を見下ろしてクリスは感慨に耽る。

 “彼”が自分にくれた“力”。

 正直、過ぎた力だと思うがこの内戦を勝ち抜くには必要な“力”であることは間違いない。

 

「ありがとうございます。■■■さん……」

 

 “彼”に頼らないつもりだったのに結局頼ってしまった不甲斐ない己を恥じながら、クリスは自分はまだまだなのだと改める。

 

『えっと……クリス、これからどうするの?』

 

「そうだね。まずはカレイジャスに――」

 

 言いかけたところで気配を感じて《緋》は振り返る。

 そこには《紅の翼》が真っ直ぐにこちらに向かって来る光景が見えた。

 

「来てくれたのか……」

 

 迎えに来てくれた仲間たちにクリスは安堵しながら、カレイジャスへと進路を向けた。

 

 

 

 

 

 

「くそおおおおおおおっ!」

 

 《蒼》の中でクロウは悔しさを叩きつけるように計器を叩き絶叫する。

 自分は選ばれた存在だったはずなのに、《緋》に成す術なく叩きのめされた。

 何故、自分ではなく帝国の皇子なんかがと思わずにはいられない。

 

「荒れているなクロウ・アームブラスト」

 

「っ――アルベリヒ」

 

 声を掛けて来たアルベリヒにクロウは《蒼》の中から睨む。

 

「どういうことだ!? 《騎神》は最強の“力”のはずじゃなかったのか!?」

 

 《灰》や今見た《緋》と比べれば、改修したはずの《蒼》のなんと脆弱なことか。

 

「私もまさか《緋》があのような進化を果たすとは思っていなかったよ。だが、《緋》にできたのなら《蒼》にもできるはず」

 

「本当か!?」

 

「ちょうどギデオンが裏切り、パーツが空いているので何とかしてみましょう」

 

 酷薄な笑みを浮かべてアルベリヒは告げる。

 

「安心したまえ、今回の戦闘において君は合体をしていなかった。つまり君は本気ではなかったはずだ」

 

「それは…………ああ、そうだ」

 

 アルベリヒの物言いにクロウはそれまでの憤りを呑み込んで頷いた。

 簡単に丸め込まれたクロウにアルベリヒは呆れながらも踵を返して《緋》が飛び去った空を見上げる。

 

「根源たる虚無の剣……いや、虚無の腕というべきか……

 これも預言の範囲内だと言うのですか、イシュメルガ様?」

 

 アルベリヒの疑問は誰かが答えるわけでもなく、空に消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 









根源たる虚無の腕

テスタ=ロッサは《アガートラム》を装備した。
“呪い”は右腕に集約された。
“はがねのつめ”を手に入れた。
“聖痕砲”を手に入れた。
“劫焔の弾丸”を手に入れた。


クリス
「■、■■■さん……これはちょっと過保護じゃないですか?」

《C》
「フフ、どうだねエル=プラドー?
 内戦に参加しなかったら、黄昏で何の準備もなしにこれらと戦う事になっていたわけだ」

エル=プラドー
「何なのだ!? 此度の戦は!?」

ヴァリマール
「…………諦めろ」

キーア
「えっと……■■■が元気そうでよかった……ってキーアが言っちゃダメだよね」






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46話 放蕩皇子

 

 

 

 クロスベルの独立宣言からなる宣戦布告に対する意思を表明しようとしたオズボーン宰相が何者かに狙撃されてから二ヶ月。

 帝都ヘイムダルの市民の不満は日に日に膨れ上がっていた。

 ラジオの放送を始め、出版物では連日、オリヴァルトは皇帝陛下に弓引く逆賊だとセドリック皇子が何度も繰り返した。

 かつては姉のアルフィンよりも愛らしいと言われた彼は一度だけの宣誓にしか公の場に出ていないが、放送で何度も聞く彼の言葉は傲慢と不遜に満ちたものだった。

 変わり果てたセドリック。

 それを支援する貴族連合。

 更に一度全国に指名手配までされ顔を公開された帝国解放戦線のテロリスト達を貴族連合は迎え入れている。

 そんな元テロリストと仲良く接する《C》の頭文字を持ち、オズボーン宰相が最後に言い残した《クロウ・アームブラスト》。

 貴族連合が祭り上げる《蒼の騎士》と仮面のテロリストである《C》を繋げて考えるのは当然の成り行きだった。

 

「何が逆賊だ……」

 

 街を偉そうに巡回する領邦軍人に向けられる目は冷たい。

 本当は誰がオズボーンを暗殺したのか市民は分かっている。

 だが、それを口に出して言えないのは軍人の武力と《機甲兵》の脅威。

 そして各地で正規軍を無双の働きで鎮圧していると報道され、我が物顔で皇宮に居座る《蒼の騎士》の暴力が向けられることを畏れ、自分達を守るために口を噤む。

 

「私はガレリア要塞でテロリストに夫を殺されたのに……どうして……」

 

 ただどれだけ悔しくても涙を呑んで耐えるしかない。それが無力な市民にできる唯一の事だった。

 果たして当の《蒼の騎士》は気付いているのだろうか、彼がしている行いが自分が受けた屈辱だったことを。

 

「何が《蒼の騎士》だ……オルトロス偽帝の再来め……」

 

 恐怖と暴力で逆らう者の口を噤ませる《蒼の騎士》の所業は歴史で語られるオルトロス偽帝そのもの。

 クロウを知らない市民にとって、彼の存在はただ恐怖の象徴でしかない。

 オズボーン宰相を殺しても止まらないテロリスト。

 貴族連合に取り入って次はいったい誰を殺すつもりなのか、このまま帝国を支配するつもりなのではないかとさえ考えてしまう。

 《蒼の騎士》がオルトロス偽帝ならば、必然的に現代のドライケルス大帝が求められ――

 

「帝国市民、並びに帝国の全国民の皆さん――ご機嫌よう……

 エレボニア皇帝ユーゲントが一子、オリヴァルト・ライゼ・アルノールである」

 

 その日の正午、エレボニア帝国全土に導力ラジオに、導力ネットを通じてオリヴァルトの声が放送される。

 情報規制されている帝都や州都にもその声は潜伏している正規軍の協力者の工作によって届けられる。

 

「まずは謝罪させて欲しい……

 ボクは帝国がこんな状況に陥っているにも関わらず、帝国正規軍の御旗として立ちながらボク自身の言葉を皆さんに届けなかったことを」

 

 オリヴァルト皇子の言葉は謝罪から始まった。

 セドリック皇子に、貴族連合にオズボーン宰相の暗殺の罪を擦り付けられ、セントアークで正規軍と合流しながらもその時声明を代弁したのはカール・レーグニッツだった。

 正規軍の神輿に過ぎない皇族。

 貴族連合を止めることができなかった皇族が今更何を言うのかと市民は訝しむ。

 

「まず先に前提として僕はバルフレイム宮にいるセドリック皇子をボクの弟とは認めない……

 レーグニッツ知事が先日述べたように、彼は貴族連合が用意したボクの弟の偽物で間違いない。だが残念なことに今のボクにはそれを証明することはできない」

 

 オリヴァルトは一つため息を挟み続ける。

 

「貴族連合はボクが皇帝の座を欲してオズボーン宰相を殺害し、父上を殺逆しようとしたと報じているようだがそれもデタラメだと改めて断言させてもらう……

 そもそもボクは皇位などに興味はない……むしろ皇帝の第一子だったことを憎んだ時もあったくらいだ」

 

 皇子の言葉は普段の親しみを感じる明るい声とは違っていた。

 その変化にセドリック皇子のことを思い出す。

 しかし、彼の言葉はただ真摯であり、決して不快に感じるものではなかった。

 

「君達も知っての通り。ボクは庶子、平民を母に持った子供であり、それ故に長子でありながら皇位継承権を持たない……

 しかし君達は知っているだろうか。ボクと母は父上に迷惑を掛けないように身を引き、帝国の小さな村に住んでいたことを……

 そして父上が皇帝に即位する際に母上――アリエル・レンハイムは貴族が雇ったとされる猟兵によって亡き者にされ、ボクもまた命を落とすところだったことを」

 

 そのオリヴァルトの言葉に市民は耳を疑った。

 あの“放蕩皇子”と呼ばれ、明るく親しみ易い皇子がそんな過去を背負っていた事実に市民は驚く。

 

「はっきり言わせてもらおう。ボクは数多の貴族によって支配され、愚にも付かない因習としがらみに雁字搦めになった旧い帝国の体制を憎んでいる」

 

 皇族にあるまじき言葉に民衆は耳を疑う。

 しかし、それに頷く者達も多くいた。

 

「皇妃として平民を皇族に迎え入れることを嫌い、母上にそんな気はなかったにも関わらず謀殺した犯人をボクはまだ知らない……

 だが、帝国にはそう言った事件はいくつも起きている」

 

 その言葉に覚えのある者は頷く。

 彼の演説を直接見て、聞いているカール・レーグニッツは頷く。

 導力ネットを通してクロスベルで見ているクレア・リーヴェルトは頷き、レクター・アランドールは遠くを見る。

 

「そして今回の発端となったオズボーン宰相の暗殺……その罪をボクに擦り付けたわけだけど……

 貴族連合に問いたい。君達は一体いつまで同じことを繰り返すつもりなのだと!」

 

 オリヴァルトは言葉に怒気を滲ませて、放送の向こうの貴族連合に問いかける。

 

「ボクはこれまで貴族の中にも、君達なりの誇りと良心があるのだと信じ、理解しようと歩み寄ろうとしてきた……

 だが、これが君達が言う誇り高き貴族の振る舞いだと言うのか?

 自分達に都合が悪いものはとにかく暴力に物を言わせて排除する……

 猟兵に、テロリストにやらせたからと、自分の手は血で汚れていないと君達はそう主張するつもりなのかい?」

 

 ハイアームズ侯爵はただ目を伏して俯く。

 

「君達は歴史の偽帝オルトロスと何が違う? 君達は帝国の歴史の何を学んできたと言うのだ!?」

 

 オリヴァルトの言葉にクロワールは忌々しいと言わんばかりに顔をしかめる。

 

「これ以上、同じような“欺瞞”を繰り返すことをボクは許さない」

 

 力のある言葉が帝国全土に向けて放送される。

 

「改めてここにボク、オリヴァルト・ライゼ・アルノールは宣言しよう!

 貴族連合が繰り返す“欺瞞”を正すために戦うと!」

 

 オリヴァルトははっきりと貴族連合に宣戦布告をする。

 

「とは言え、ボク達皇族には権威はあっても権力はない……偉そうなことを言っているが戦いは帝国正規軍に頼るしかボクにはできない」

 

 ははは、とこれまでのシリアスな空気を緩めるようにオリヴァルトは笑う。

 

「以前、ボクはオズボーン宰相に手を組まないかと打診されたことがある……

 今の貴族の体制を憎む気持ちは同じだと共に手を取り旧き帝国を改善しないかと、その時のボクは自分の主義を通すために彼の手を取ることはしなかった」

 

 オリヴァルトとオズボーンの知られざる関係が明かされて人々は驚く。

 

「もし、あの時ボクが自分の美学を捨てて彼の手を取っていれば、こんな凄惨な戦争など起こさないで済んだかもしれないと思うと申し訳ない気持ちで一杯になる……

 ボクはオズボーン宰相と同じにはなれない。だが、ボクなりに彼の意志を継いでこの帝国をより良い国にする努力は惜しまないつもりだ」

 

 オリヴァルトは壇上から自分を見つめる数多の軍人たちに向かって頭を下げる。

 

「どうか帝国正規軍よ。人々の安寧を守る気高き《騎士》たちよ。ボクに力を貸して欲しいっ!」

 

 オリヴァルトの懇願に応えるように軍人たちの声を上げる。

 

「…………ありがとう。だけど君達には一つだけ約束して欲しい」

 

 盛り上がる軍人たちを宥め、オリヴァルトは襟を正して続ける。

 

「ボクは貴族を憎んでいると言ったが、滅ぼしたいと思っているわけじゃない……

 理由があって貴族連合に参加しなければならなかった者もいる。貴族の中にはちゃんと尊敬できる者もいる……

 貴族と言うだけで殺すべきだと思わないで欲しい。例え血に塗れることになってもボクは父上や母上、弟妹達に恥じることはしない……

 ただ“闘争”を求めるだけの獣にならないで欲しい……

 そうなってしまえばこの内戦を勝ったとしても、君達は第二第三の貴族連合となってしまうだろう……

 ボクは貴族も平民も関係なく、君達には誇り高く、気高くあって欲しいと願っている」

 

 オリヴァルトの願いに貴族は、平民は、軍人は何を思うか。

 それはオリヴァルトには分からない。

 

「そして最後になるが、本物のセドリックもまたボクとは違う所で戦っている……どうか君達の次の皇帝になる弟を信じて欲しい」

 

 そう締めくくられた言葉でオリヴァルトの放送は終わった。

 

 

 

 

 

「はあ……」

 

 オリヴァルトの演説を舞台裏で聞いていたアリサはため息を吐く。

 

「流石はオリヴァルト殿下……《Ⅶ組》の設立者と言うべきかしら?」

 

 壇上から領邦軍と正規軍が、そして民衆が混じった人の波にオリヴァルトは笑顔で手を振っている。

 

「これから大変になるわね」

 

 アリサは舞台から視線を戻して仲間たちに向き直る。

 既に《Ⅶ組》のメンバーにはオリヴァルトから話は通っている。

 貴族連合の《機甲兵部隊》に対抗できるのは《ARCUS》を持ち《機神ティルフィング》を操縦できる《Ⅶ組》だけ。

 全面戦争となれば、正規軍以上に頼ることになってしまうとオリヴァルトに頭を下げられた。

 

「この呼び掛けでサザーランド州以外の正規軍も応えてくれると良いんだが……君達はどうする?」

 

 マキアスは一同を見回して尋ねる。

 そこにいるのはエマ、アリサ、ガイウス、マキアス、エリオット。

 それに加えて前任の《Ⅶ組》であり、《機神》の開発に協力して乗ることができるトワ、アンゼリカ、ジョルジュ。

 

「私はもちろん、オリヴァルト殿下と一緒に戦うわよ」

 

 一番に勇ましい声を上げたのはアリサだった。

 

「貴族連合には好き勝手やられた借りが多いし、クリスが《霊薬》の件についてはオリヴァルト殿下に協力してくれればくれるって書置きを残していたから」

 

 母は重体。姉は行方不明。

 残されたラインフォルトも貴族連合が勝てば、乗っ取られることは目に見えている。

 アリサにはオリヴァルト達、正規軍に勝ってもらわなければ困るのだ。

 

「それに……」

 

「それに?」

 

 アリサの呟きをガイウスが聞き返す。それにアリサは首を横に振る。

 

「何でもないわ、それでガイウスはどうする?」

 

「俺も……オリヴァルト殿下と共に戦う事に異論はない」

 

 アリサに促されてガイウスも己の意志を言葉にする。

 

「ゼクス中将の約束はクリスを守ることだったが、クリスの書置きでは代わりにオリヴァルト殿下を守って欲しいと言われてしまったからな」

 

 ガイウスは手紙の内容を思い出して肩を竦める。

 

「それに貴族連合は猟兵を使って、ノルドを汚し、俺の家族を傷付けた……その報いを受けさせなければ俺が納得できない」

 

「僕も……」

 

 ガイウスの言葉にエリオットが同調する。

 

「マキアスに止めて貰ったけど、僕はやっぱり貴族連合や帝国解放戦線を許すことはできない」

 

「エリオット……」

 

「でも勘違いしないで、もう貴族を皆殺しにしたいだなんて考えてないから」

 

 そう告げるエリオットの顔に軟弱さはない。

 一皮むけたような精悍な顔つきで亡き父に誓う様にエリオットは仲間たちに自分の中の思いを吐露する。

 

「僕は天国の父さんが恥じない子供として戦うよ」

 

 落ち着きを払ったエリオットの佇まいにマキアスはホッと胸を撫で下ろす。

 

「僕もオリヴァルト殿下と共に戦う事に異論はない……

 オリヴァルト殿下の演説のおかげで貴族を殺し尽くす、何て戦いにはならないだろうからね……

 もしもまた正規軍が暴走するようなら僕達で止めるしかないだろうしね」

 

 自分の役目は戦う事ではなく、両者の暴走を防ぐことだとマキアスは考える。

 

「エマ君はどうするつもりだい?」

 

 マキアスはキリシャを抱えるエマに話を振る。しかし、エマはその声に反応せず、愚痴を呟いていた。

 

「私を“導き手”にしてくれるって言ったのに……クリスさんのばか……セリーヌのばか……」

 

 起動者と使い魔に置いてけぼりにされた魔女見習いは見事に不貞腐れていた。

 

「えっと……先輩達はどうするつもりですか?」

 

 今のエマに話しかけても無駄だと判断したマキアスはアンゼリカ達に話を振る。

 

「私に異論などあるはずがないよ。父上はやり過ぎた。それを正すのは私の役目だろう」

 

 毅然とした態度でアンゼリカが答えるのに対してトワは迷いながら自分の考えを口にする。

 

「私はまだ戦争をするって実感は湧かないんだけど……やっぱりクロウ君とは一度ちゃんと話がしたい。ごめんね、こんな自分勝手なことしか言えなくて」

 

「別に良いですよトワ会長。私たちも何だかんだで私情がありますから」

 

 恐縮するトワを慰めるようにアリサが声を掛ける。

 

「僕もトワと同じかな。もっとも僕の役割は《機神》の整備が主になるだろうけどね」

 

 そんな様子に自嘲を浮かべながらジョルジュも答える。

 

「そう言えばサラ教官は?」

 

 ふとアリサは担当教官がいないことに気付く。

 

「サラ教官ならオリヴァルト殿下に遊撃士の活動許可をもらったから援軍を呼ぶって導力通信機に張り付いているよ」

 

「そう……それは頼もしいわね」

 

 ジョルジュの答えにアリサは少しだけ安堵する。

 正規軍や吸収した領邦軍、そして市民がオリヴァルトが設立した《Ⅶ組》に向ける期待は重い。

 そして自分達が使える《機神》は二体。それからアンゼリカが乗って来た《機甲兵》とトロイメライが二機。

 そしていくら正規軍の援護があるからと言っても、《機甲兵》に対して《機神》は数で圧倒的に負けている。

 

「…………やっぱりユーシスとラウラは敵になるのかしら?」

 

 その言葉に重い沈黙が流れる。

 ここにはない二機の《機神》の使い手たちが何を考えているのか、アリサ達には知る術はない。

 

「…………何で出て行っちゃったのよクリス」

 

 アリサが漏らした愚痴に答えられる者はいなかった。

 

 

 

 

 クリスは玉座に座っていた。

 見下ろす謁見の間が現実よりも広く感じるのは、整然と並ぶ人達の多さ故だろう。

 彼らは今までこの広い謁見の間にすし詰め状態で押し込まれ、口々に怒声と怨嗟を叫び散らしていた。

 だが、今は静かなもので、それまでの喧騒が嘘だったかのように静まり返っている。

 

「うん……判ってる」

 

 整列した彼らは口を噤み、クリスを見上げている。

 彼らの中の憎悪がなくなったわけではない。

 むしろその想いは口を噤んだことでより大きくなっているのが睨まれているクリスには分かる。

 

 ――僕が彼らを裏切るようなことをすれば、この焔は瞬く間に僕を焼き尽くすだろうな……

 

 “彼”がしてくれたのはあくまでも彼らを並ばせて静かにしてくれただけ。

 苛烈で猛り狂った憎悪を静かなる焔として呑み込み、度し難い独裁者を討つ機会をじっと待っている。

 だが、彼らの眼差しにクリスは身が引き締められる気持ちになる。

 

 ――それに……

 

 謁見の間を満たすのは何も憎悪だけではない。

 

 ――お願いします。どうか残された家族を守って下さい……

 

 憎悪の中に埋もれた言葉が心に響く。

 

「約束するよ。君達の無念は僕が必ず晴らす」

 

 玉座から立ち上がってクリスは己に向けられた眼差しに誓いの言葉を返す。

 

「――ス……クリス……ちょっと起きなさいってば!」

 

 頬を叩く柔らかい感触にクリスは目を開く。

 

「はぁ……やっと起きた……」

 

 セリーヌはテスタ=ロッサの計器の上でため息を吐く。

 

「もうオリヴァルト皇子の演説終わっちゃったわよ」

 

「大丈夫だよセリーヌ。ここでちゃんと兄上の声は聞いていたから」

 

 クリスは持ち込んだ導力ラジオを見せて苦笑する。

 

「……まあ、何だって良いけど……収穫はあったわけ?」

 

「うん……僕が向き合うべき帝国の歪み……倒さなければいけない敵がどんな存在なのかちゃんと分かったよ」

 

「……あんた、何か変わった?」

 

 セリーヌはクリスの顔をまじまじと見つめて尋ねる。

 

「さあ、どうだろう?」

 

 はぐらかすように答えてクリスは《緋》から降りる。

 

「ミリアムはどうしてる?」

 

「あの子なら眠いって言ってたから、客室を使わせているわよ」

 

「そう……」

 

 あれから《緋》の右腕は爪を残して《アガートラム》と分離した。

 “聖痕砲”は合体しなければ使えないが、“呪い”が爪という一点に集約されたことで《緋》の暴走の危険はほぼなくなった。

 

「セリーヌ、みんなは艦橋?」

 

「ええ……まあ……」

 

 クリスの質問にセリーヌは歯切れを悪くして頷く。

 

「どうかしたの?」

 

「…………はあ……あんたに客よ」

 

「僕に客?」

 

 クリスは首を捻る。

 場所は《騎神》を回復させる場としてレグラムのローエングリン城に戻って来たのだが、昨日の今日でどうやって自分の居場所を突き止めたのだろうか。

 

「まあ、会ってみれば分かるか……」

 

 軽い気持ちでクリスは艦橋に入ると――

 

「セドリック……来ちゃった、てへ」

 

 可愛らしく媚びを売って来た姉、アルフィンにクリスは顔を引きつらせる。

 彼女の背後の右側にはアルティナが素知らぬ顔で立ち、エリゼが申し訳なさそうな顔をしている。

 そして……

 

「初めましてクリス・レンハイム君。私はリベールの民間調査会社から派遣されましたミスティです」

 

「いや、貴女はヴィータさんですよね?」

 

「ミスティです」

 

「ですから――」

 

「ミスティです」

 

 笑顔で押し通すミスティに彼女の背後にいる二人に助けを求めるようにクリスは視線を送る。

 一人は知らんとばかりに目を伏せているロランス・ベルガー。

 そしてもう一人は東方風の衣装に目元を仮面で隠した見たことのない女性。

 どちらもミスティを諫める素振りはしてくれない。

 

「えっと……そっちの人はロランスさんで、貴女は?」

 

「私は……《銀》。《空の御子》との契約を果たすために、貴方に協力しに来ました」

 

 女――《銀》は淡々とした口調でクリスの問いに答える。

 

「…………いろいろ分からないことはあるんですが……」

 

 《銀》という存在はクリスも知っている。

 かつてクリスがクロスベルの特務支援課でクルトと共に世話になっていた時に聞いたイリア・プラティエを狙った凶手。

 そんな存在が何故、自分に協力しにわざわざ帝国まで来るのか、彼女の言う《空の御子》とは誰なのか。

 いろいろ気になることは多いのだが、まず確かめるのは――

 

「《銀》って百歳を超えたおじいさんじゃなかったんですか?」

 

「…………それは誰に聞きましたか?」

 

「え……ランディさんですけど?」

 

「そうですか…………クロスベルに帰ったらやることが増えましたね」

 

「あははははははははっ!」

 

 ランディを言外に〆ると呟く《銀》の背後で、彼の従妹が爆笑していた。

 

 

 

 

 

 







 《銀》
 後天的完全記憶能力、故の例外。
 《銀》という存在が歴代の《銀》になったものを全て含めた存在であるため、彼の《銀》は《銀の道》の一部として残っています。
 因果操作も彼女に集中して行えば消すことができますが、現在《黒》は彼女の存在を認知していません。

 クロスベルで合流しなかったのは、“彼”が敵対していたキーアがクリス陣営にいたから。
 “彼”の痕跡を探るために帝国へ侵入した際に、帝国に入る口実で訪れた《アルカンシェル》の帝都劇場への出演交渉の際にヴィ――ミスティと合流した。
 彼女の目的は二つ。
 結社の見届け役として貴族連合にいる《痩せ狼》との決着。
 “彼”との10億ミラ分の借りを返すこと。





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47話 ノルティアの戦場

 

 

「フン……」

 

 目の前で繰り広げられる光景にゲルハルトは不機嫌そうに顔を歪める。

 

「圧倒的ですね。新しい《機甲兵》の力は!」

 

「あの《隻眼のゼクス》の部隊も《機甲兵》の前では烏合の衆と変わりませんね」

 

 しかしゲルハルトの不機嫌さに気付かず、従者としてゲルハルトについてきた貴族たちは子供のような無邪気な歓声を上げる。

 ルーレとノルドを結ぶ国道の中でも険しいアイゼンガルド連峰で第三機甲師団に上を取られているものの、貴族連合の陣地は落ち着きを払っていた。

 幾度となく鳴り響く、身を竦ませる戦車の大砲の轟音。

 降り注ぐ砲弾の雨は新型機甲兵《ゴライアスβ》の装備である浮遊ユニットのオーブメントが作り出す結界陣によって全て弾き飛ばされる。

 そして防ぐだけではなく、《ゴライアスβ》は横隊を組んで右腕に装着された大型の導力砲で応戦する。

 まだプログラムが完全ではないのか、それとも下からの砲撃のせいなのか効果的な命中はない。

 それでも鉄壁の結界陣と戦車に匹敵する射程の導力砲の砲撃は第三機甲師団の足を止めるのには十分だった。

 

「ケストレル三機……敵陣に突入します」

 

 通信士が観測士からの報告を叫ぶ。

 それを切っ掛けに戦車の砲撃の音が止む。

 代わりに聞こえてくるのは山彦のように木霊する破壊音。

 

「流石のゼクスも《風の剣聖》をプログラムされた《機甲兵》には勝てぬか」

 

 見上げた先の丘の上から三機の《ケストレルβ》が駆け回る地響きが伝わって来る。

 銃が開発され、戦車が開発され、人が剣を持って戦う意味が少なくなったこの時世、《機甲兵》の開発されたことで一層“武”の価値は落ちている。

 帝国の旧き文化である“武”の否定でもあるが、技術の革新に思う所がないわけではないがゲルハルトはその不満を呑み込む。

 どれだけ人が己を鍛えて、銃弾を凌駕することができたとしても人は空を飛ぶこともできなければ、巨人になることもできない。

 《機甲兵》に翻弄されるゼクスをゲルハルトは蔑むことはしなかったが、これも時代の流れなのかと複雑な気持ちになる。

 

「ところでゲルハルト様、何故ヘクトルを用意しているのですか?」

 

「戦闘は《機甲兵》に任せて、ゲルハルト様はこちらの天幕でお休みください」

 

 もはや《機甲兵》が結果を持ち帰って来るのを待てば良いという領邦軍の将校にゲルハルトは眉をひそめる。

 

「必要ない」

 

「ですが……」

 

「くどいっ!」

 

 ゲルハルトは媚びを売って来る将校を追い払い、じっと第三機甲師団と機甲兵の戦いを見続けて、それを待つ。

 

「報告します」

 

 そして領邦軍の兵士がそれを伝えて来た。

 

「後方から所属不明の機甲兵部隊が接近しています。その中には《翠の機神》もあり、おそらくはアンゼリカ様だと思われます」

 

「――来たか」

 

 その報告にゲルハルトはヘクトルに乗り込んだ。

 

 

 

 

「このバカ娘がっ!」

 

「このバカ親父がっ!」

 

 ノルドとルーレを繋ぐ街道で、二機の《機甲兵》が多くの者達に見守られながらぶつかり合う。

 二人はどちらもログナー侯爵家に連なる者。

 シュピーゲルに乗るのはアンゼリカ。

 ヘクトルに乗るのはその父のゲルハルト。

 互いに武器は持たず、ただ拳と意志をぶつけ合う。

 

「どうした娘よっ!」

 

「グッ!」

 

 重装機甲兵のパワーと重さから繰り出された拳をシュピーゲルは両手を交差して受け止める。

 

「修めたという東方の武術もその程度のものだったか!?」

 

「ッ――はああああああッ!!」

 

 気合いを込めた雄叫びと共に、シュピーゲルは拳を押し返すが、その瞬間ヘクトルは自分から拳を引いて距離を作り、改めてシュピーゲルの懐に入り込む。

 

「温いぞ! 馬鹿娘がっ!」

 

 両の拳を使って容赦なく責め立てるヘクトルにシュピーゲルは後ずさりながらも、掌を使ってその拳を受け止める。

 

「ハハッ、父上こそ耄碌したのでは!?」

 

 ヘクトルの猛攻に見栄を張るようにアンゼリカは叫ぶ。

 

「力押しで抑え込めるほど《泰斗》は甘くない! 貴方の自慢の武器は使わないのかい!?」

 

「ふん! 生意気な。貴様のような馬鹿娘にはこの拳で十分よっ!」

 

 余裕を感じさせるゲルハルトの声にアンゼリカは歯噛みする。

 

 ――まさか父上がここまでできるとは思わなかった……

 

 自分が勝負を挑めば拳で応じて来るだろうと読み、それならば《泰斗》を修めている自分の方に武があると思っていたアンゼリカの予想は簡単に覆されてしまった。

 “武”を尊ぶ帝国の中にあっても、素手格闘術は野蛮と見られる偏見がある。

 もちろん各流派では武器を失った時の心得として素手の型は存在しているが、あくまで護身用という程度のはずだった。

 

「どうした馬鹿娘よっ! 先程までの威勢はどうした!?」

 

 重装の機甲兵だというにも関わらず、ヘクトルは軽いステップを踏んでシュピーゲルに殴りかかる。

 

「ハッ!」

 

 飛び込んで来たヘクトルに合わせてシュピーゲルは回し蹴りを繰り出す。

 

「むっ」

 

 しかしヘクトルは動じず、肩の装甲で受け止める。

 

「何故っ! これ程の実力を持ちながら何故、貴方はこんな非道に加担しているのですか父上っ!」

 

 堂に入った構え。《泰斗》を習ったからこそ気付いたゲルハルトの武の厚みと誠実な拳を感じアンゼリカはこれまで溜めた憤りを爆発させる。

 

「何故オズボーン宰相の暗殺を見過ごした! 何故ラインフォルトを乗っ取ろうとした! 何故ユミルを崩壊させた!」

 

「…………」

 

「答えろっ! ゲルハルト・ログナー! それが誇り高い貴族のすることなのか!?」

 

 シュピーゲルの拳をヘクトルは掴んで、ゲルハルトは言い返す。

 

「貴様のような放蕩娘が“貴族”を語るなっ!」

 

 ヘクトルの拳がシュピーゲルの胸を打つ。

 

「ぐはっ!」

 

 機体を通して走る衝撃にアンゼリカは息を絞り出して仰向けに倒れる。

 

「貴族の責務から逃げて遊び歩いていた“放蕩娘”が私に意見をするなど烏滸がましい」

 

「っ……私は逃げてなど――」

 

「貴様はオリヴァルト殿下とは違う! 次代のログナー家を背負う者としてお前は振る舞わなければならなかった!

 それを拒絶したお前が今更、何を言おうと聞く耳は持たん!」

 

「っ――私は貴方の言う何もかも雁字搦めにされた貴族などになるつもりなどはないっ!」

 

「だから貴様は馬鹿なのだっ!」

 

 立ち上がったシュピーゲルは下からかち上げた拳によって再び倒される。

 

「そう言って士官学院で女の尻を追いかけ回して遊んでいたから、貴様はクロウ・アームブラストの闇に気付かなかったのだろう!」

 

「っ――」

 

「お前だけだ! セドリック皇子でもオリヴァルト皇子でもない!

 お前だけがクロウ・アームブラストの暴挙を止められる可能性を持っていた!

 その事実から目を逸らしている貴様に貴族連合を批難する資格などない!」

 

「それは……」

 

 突き付けられた“欺瞞”にアンゼリカは言い返そうとして、口を噤む。。

 ゲルハルトの言う通り、学院の中で一番近い場所にいながらクロウが《C》だったことに気付きもせずにのうのうと自由を満喫していたのだから反論できない。

 

「お前はいつもそうだ……

 何事も卒なくこなせるが“壁”に当たればすぐに逃げてしまう……

 ログナー家と向き合わず、私が教えた“武”を極めず、“泰斗”に逃げても小手先の技で満足している……我が娘として恥ずかしい限りだ」

 

「言わせておけばっ!」

 

 立ち上がる勢いに任せてシュピーゲルはヘクトルに殴りかかる。

 

「ふんっ!」

 

 対するヘクトルは仁王立ちでその拳を顔で受け止める。

 

「やはりな……」

 

「な……?」

 

「貴様の拳には何の重みも感じんっ!」

 

 突き飛ばすように無造作に押し返され、シュピーゲルはたたらを踏んで後退る。

 

「貴様は何もかもが半端者だ!」

 

「何だと……」

 

 吠えるゲルハルトにアンゼリカは悔しさに歯噛みする。

 

「ログナーの“武”を捨てたことは良い……

 だが、わざわざキリカ殿程の女傑の時間を貰っておきながら、“素手ならば学院生最強”程度で満足して腕を鈍らせたことが私は我慢ならん!」

 

「何故父上が師の名前を……いや、それの何が悪い! 私はログナー家の者として相応の評価を――」

 

「帝国の武人を語るなら! 素手“で”最強を何故目指さん!? 貴様のその半端が“泰斗”の看板に泥を塗っていると何故分からん!」

 

「っ――」

 

 ゲルハルトの叱責に怯み、アンゼリカは彼の意図を理解する。

 “泰斗”を修めたアンゼリカが一方的に有利なだけの素手“ならば”という条件。

 そんな条件で“最強”と呼ばれることに何の価値があるのか。

 そう問われてしまえば、アンゼリカには返す言葉もない。

 

「分かったようだなこの馬鹿娘が!」

 

「ぐっ……しかし父上たち、貴族連合が愚かなことをしていることには変わりない」

 

 言葉に詰まりながら、苦し紛れにアンゼリカは反論する。

 

「そんなことは分かっている」

 

 しかし返って来た言葉は意外にもアンゼリカの追求を肯定するものだった。

 

「だったら――」

 

「だが、その愚かなことをしなければならない程に帝国がオズボーンによって危うくされていたのだ!」

 

「それはどういう意味ですか!?」

 

「これ以上貴様と話すことはないっ!」

 

 ゲルハルトはそれ以上話すことはないと会話を打ち切る。

 

「今の貴様はただオリヴァルト殿下の腰巾着に過ぎん! 己の足で立つこともできん小娘は早々に去るが良いっ!」

 

 仁王立ちして叫ぶヘクトルの気迫にアンゼリカは怯む。

 精霊回廊を使ってサザーランド州からノルティア州へ飛び、ノルドから南下を始めたゼクス中将を迎え討つべく準備をしているゲルハルトに奇襲を仕掛けた結果がこれである。

 ただ頭の固く融通の利かない典型的な貴族だと思っていた。

 悪く言えば軽んじていた父にアンゼリカは初めてその大きさを実感し、畏怖を覚えた。

 

『アンゼリカ先輩、いつでも撃てますけど』

 

 アリサからの通信にアンゼリカは迷う。

 正規軍がオリヴァルトを中心に纏まりつつあるが、依然貴族連合の勢力は大きい。

 第三機甲師団が劣勢に立たされている今、何としてもゲルハルトを倒してノルティア州領邦軍の士気を挫く必要があるのだが、アリサに狙撃させて果たしてそれで勝ったと言えるのか。

 

「どうしたアンゼリカ! 私は去れと言ったはずだ!」

 

「っ……」

 

 父の失望を滲ませた言葉にアンゼリカは狭いコックピットの中で駄々を捏ねるように頭を振る。

 

「私は……私は……」

 

 ゲルハルトの言う通り、アンゼリカの行動は全て今更だった。

 ログナー家と、貴族の立場と向き合う事もせず放蕩したことも。

 “武”を極めるわけでもなく、“泰斗”を教わっておきながら研鑽を怠り鈍らせたことも。

 一度の衝突で分かったつもりになっていたクロウとの関係も。

 全てが手遅れになってから自分はようやく動き出したのだと、アンゼリカは自分の行動の意味を父に気付かされた。

 

「だが……それでもっ! まだ! 勝負は着いていない」

 

 アンゼリカは黒い瘴気を纏い、シュピーゲルは黒く染まりながら立ち上がる。

 ただ気持ちでも負けたくないとアンゼリカは衝動のまま叫ぶ。

 

「勝負は最後の最後まで分からないもの……ギャンブル好きの友人にそう教えてもらったんです!」

 

「この期に及んで縋るのがテロリストの言葉か! そんな体たらくで奴の前に立とうと言うならば私がここで引導を渡してやるっ!」

 

 抜き足による自然な動作でシュピーゲルはヘクトルに肉薄する。

 それは生身であっても生涯一番の手応えを感じた踏み込み。

 

「ハアアアアッ!」

 

「オオオオオッ!」

 

 ほとんど密着した状態からシュピーゲルは拳を繰り出し、ヘクトルは不自然な態勢になりながらもその拳を拳で迎え撃つ。

 

「ガアアアアアアア!」

 

 アンゼリカは獣の様な咆哮を上げて、抑え込まれた拳に更に力を込め――シュピーゲルの右腕とヘクトルの左腕がその拮抗に耐え切れず爆ぜた。

 

「なっ!?」

 

 その結果にアンゼリカは目を剥いて固まり、ヘクトルは残った右の拳を握り締め叫ぶ。

 

「答えろアンゼリカ! 貴族とは何だ!?」

 

「貴族……貴族とは……」

 

 アンゼリカは眼前に向かって来る拳を見つめながらゲルハルトの言葉を反芻する。

 しかし答えは出て来ず、ヘクトルの右腕が――吹き飛んだ。

 

「えっ……?」

 

「ちっ! 一騎打ちに無粋なっ!」

 

『貴方のせいで……母様が……シャロンが……』

 

 通信機から漏れて来るアリサの怨嗟。

 アリサの声が響く度に、アンゼリカの目の前でヘクトルが狙撃によって右肩を、右足を、そして頭が吹き飛ぶ。

 

「ぐっ……おのれっ!」

 

「待ってくれ! アリサ君っ!」

 

 瞬く間にボロボロになっていくヘクトルにアンゼリカはアリサからの射線の前に立つ。

 

『アンゼリカさん! どいてくださいっ!』

 

「ダメだアリサ君! 頼むから待ってくれ!」

 

『でもっ!』

 

 反論の声がアンゼリカの耳を貫くが、それでも続く弾丸が飛んで来ることはなかった。

 

「今の狙撃は……ラインフォルトの娘か?」

 

 背後からゲルハルトの落ち着いた言葉が掛けられる。

 

「ええ、その通りですよ。貴方と叔父上が結託してラインフォルトを乗っ取ろうとして生き残ったアリサ君ですよ」

 

「…………」

 

 アンゼリカの嫌味にゲルハルトは沈黙を返す。

 

「父上、私は確かに半端者だったかもしれません。アリサ君には言うべきことが――」

 

 アンゼリカの言葉を遮るように背中を爆風が叩く。

 

「くっ――父上っ!」

 

 この後に及んで不意討つかとアンゼリカは振り返り、目を疑った。

 

「何だ……これは?」

 

『アンゼリカ先輩っ! 第三機甲師団を壊滅させた《機甲兵》が突然貴族連合の陣地に攻撃を仕掛けています』

 

 狙撃地点から戦場を観測したアリサが叫ぶ。

 

「何故……機甲兵が貴族連合を撃つ?」

 

 アンゼリカが呆然と立ち尽くしている間にも《ゴライアスβ》は設置した天幕を撃ち抜き、運搬用の導力車や飛行艇を次々に撃ち抜いて行く。

 《ケストレルβ》は逃げ惑う領邦軍人を足元に駆け回り、操縦士のいない《機甲兵》や二人の決闘を見守っていた《機甲兵》を次々に斬り伏せていく。

 

「おのれ……カイエン公め、謀ったな……」

 

「父上……?」

 

 心当たりがあるのか、ゲルハルトの険しい声にアンゼリカが訝しむとアリサの声が響く。

 

『アンゼリカさんっ! 危ないっ!』

 

「なっ!?」

 

 咄嗟に身を翻し、《ケストレルβ》の太刀がシュピーゲルの残った左腕を肩から斬り飛ばす。

 

「あ……」

 

 腕を斬り飛ばして駆け抜けた《ケストレルβ》の背後から、さらに二機の《ケストレルβ》が疾風の風となって続く。

 

「させるかっ!」

 

 ヘクトルは左足だけで大地を蹴り、二機をまとめるように体当たりをしてシュピーゲルを救う。

 

「父上っ!? ぐあっ!?」

 

 助かったと安堵をする間もなく、《ゴライアスβ》の砲撃の余波を正面に喰らってシュピーゲルは仰け反るように倒れる。

 

「くそ……何がどうなっているんだ!?」

 

 騒ぐアンゼリカだが目の前のモニターに太刀を構えた《ケストレルβ》が映る。

 “それ”は太刀を黒く染めて振りかざし――それがアンゼリカが最後に見た光景だった。

 

 

 

 

 第三機甲師団とノルティア州領邦軍の戦闘は最後の一人になるまで互いを殺し尽くす凄惨な戦闘となった。

 真実を知るのは、その場から逃げ出すことに成功した《機神》のみだったが、彼女の声が届く前に既に真実は決まっていた。

 

 

 

 

 

「ふむ……ゲルハルトはゼクス中将と相打ちとなって戦死したか」

 

 皇宮の一室でノルティア州での領邦軍と正規軍の衝突の報告を聞いて、クロワールは動じた様子もなくワインを傾ける。

 

「やれやれ四大名門の一人が情けない。当主が出しゃばって前線に出るからそうなるのだ」

 

 仮にも近い立場の者の戦死の報告だというのに、クロワールの顔に悲しみはない。

 

「やはり帝国は私が治めてやらなければいけないようだな…………ふふふ、はははははははははっ!」

 

 まるで予定通りだと言わんばかりにクロワールの笑い声が響き渡った。

 

 

 

 

 

 



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48話 秘密基地



大変遅くなって申し訳ありません。
モチベーションか、それとも別の何かなのか、とにかく書くことは決まっているのに指が動かないという感じなかなか書けませんでした。

次回の更新がいつになるか分かりませんので、気長に待っていてください。





 

 

 

 リベール王国にとって、エレボニア帝国の内戦は決して対岸の火事として他人事で済ませれるものではなかった。

 十二年前に起きた《百日戦役》で交わした密約のこともあり、果たして内戦の勝者が再びリベールに侵攻してこないと言う保障はない。

 出来る事ならリベールに友好的なオリヴァルト皇子に勝ってもらいたいのだが、情勢は彼に不利だという状況だった。

 《機神》という存在はあるものの、その数は《機甲兵》と比べて圧倒的に少なく、《蒼の騎神》と戦えるのかどうかについても未知数。

 正しい方が勝つ。などというのは物語の中の話に過ぎない。

 とは言え、他国でしかないリベールは表立ってオリヴァルトを支援することはできず、せいぜい戦争によって住む場所を失った難民の避難を受け入れる程度のことしかできないのが現状だった。

 表向きは――

 

「あははっ! リーシャとは一度こうして戦ってみたかったんだよねっ!」

 

 カレイジャスが駐留している格納庫の前の広場でシャーリィは《テスタ=ロッサ》を振り回しながら歓声を上げる。

 

「私は別に貴女の事なんてどうでも良いんですけど……」

 

「そんなこと言わないでよ……クロスベルですれ違った時は何か違うと思ったけど、今のリーシャは凄く良いよ」

 

「…………と言うか、名前を連呼するのはやめてくれませんか?」

 

 今の自分の何がシャーリィの琴線に触れたか考えず、リーシャはチェーンソーが起動していない“テスタ・ロッサ”を斬馬刀で受け止めながら彼女の言動を咎める。

 イリアの退院を見届けて、“彼”への借りを少しでも返すためにクリスに協力することを決めた《銀》――リーシャは隠していた名前を連呼するシャーリィにため息を吐く。

 おかげで《銀》であることを隠すことは出来ず、素顔を晒すことになってしまった。

 

「ええぇ……あんな大胆な体晒しておいてそんなこと言われても、あの体を見れば誰だってリーシャが《銀》だって気付くでしょ?」

 

「そんなの貴女かイリアさんくらいです」

 

「そうかな? うちの先輩だとできそうなんだけどなぁ」

 

「……それよりどうして私は貴女と手合わせをしなければいけないんですか?」

 

 視界の向こうでは《剣帝》が少年と少女を鍛えると名目で剣を交えているが、リーシャは突然シャーリィに襲われた。

 

「それはほら、一応クリスの味方をするならリーシャの実力の確認をしないといけないでしょっ――!」

 

 役得だと言いながら、シャーリィは鍔迫り合いから刃を外し、右足を軸にその場で独楽のように回る勢いに任せて“テスタ・ロッサ”を振り抜いた。

 

「っ!?」

 

 思わぬ衝撃にリーシャは目を見張りながらも後ろに跳んで、剣戟を受け止める。

 

「リベールの頃から随分と腕を上げたみたいですね」

 

「あの時は“テスタ・ロッサ”はなかったけど。今ならリーシャに勝てるかもしれないよ」

 

「そんな挑発には乗りませんよ」

 

 これはあくまでも手合わせの範囲だとリーシャはシャーリィの挑発を受け流す。

 そんなリーシャにシャーリィは唇を尖らせて、何かを思い出したように口の端を吊り上げた。

 

「リーシャはさ。どうして《痩せ狼》がアルカンシェルを襲ったのか知ってる?」

 

「それは私がいたから……」

 

「うん、そうだけど……どうして《痩せ狼》がアルカンシェルに《銀》がいると知っていたと思う?」

 

「それは……まさか……」

 

「うん、シャーリィがリーシャ・マオが《銀》だって《瘦せ狼》にばらしたんだよね」

 

「っ!」

 

「帝国政府の依頼を受けたシャーリィにはもういらない情報だから――おっと」

 

 これまで受けてばかりだったリーシャの殺気が乗った横薙ぎをシャーリィは後ろに跳んで避ける。

 

「…………あの事件は私の“業”が呼び込んだもの。貴女を責める資格は私にはありません」

 

「それにしては今の一撃は殺気がこもってなかった?」

 

「あの程度の一撃に反応できないのなら、ここで貴女は退くべきではないですか? ええ、クリス君のサポートは私がして上げますから」

 

「あははっ! 面白いこと言うねリーシャはっ!」

 

 “テスタ・ロッサ”を振り被りシャーリィは一閃する。

 激しい剣戟の音を響かせながら二人は己の刃を殺意を込めて振る。

 

「二人とも、程々にしてくださいね」

 

 余人が入り込む隙がない手合わせをする二人にクリスは離れた場所から忠告を飛ばす。

 

「分かってるって!」

 

「問題ありません」

 

 普通に二人は剣を振りながらクリスに返事をする。

 傍目には殺意しかない手合わせだが、シャーリィは“テスタ・ロッサ”を剣以外の機能を使わず、リーシャも暗器を使う様子はない事から大丈夫なのだろうとクリスは判断してその場を離れた。

 

「そちらはどうですか?」

 

 シャーリィとリーシャから離れてクリスはレーヴェ――ロランスに声を掛ける。

 

「見ての通りだ」

 

 素気ない言葉を返すロランスは顎でその光景を指す。

 そこにはヴィータ――ミスティと対峙するスウィンとナーディアがいた。

 

「ああっ! くそっ! 重力場なんてどうやったら斬れるんだよ!?」

 

「すーちゃん、そのまま抑えてっ! ああ、もう! この導力魔法、制御難し過ぎっ!」

 

 魔術で重力場を再現したミスティを仮想敵にしてスウィンとナーディアが四苦八苦している。

 

「とりあえず、スウィンに上げた“魔剣”の調子は悪くなさそうかな?」

 

 重力場の中でも普段通り動けているスウィンを見てクリスは己が作った“レガリアの魔剣”が砕けていないことに安堵する。

 

「騎神に由来する異能だったか?」

 

「ええ、《テスタ=ロッサ》の“千の武具”で“照臨のレガリア”の特性を含ませて造り出した“魔剣”です……

 僕の霊力ではなく、セピスを錬成して造っているから消えたりはしないんですが……

 スウィンッ! アーティファクトを使うコツはできると信じることだよ!」

 

「そんなこと言われても――っ!」

 

 右手に“レガリアの剣”と左手に“風剣リヴァルト”を持ち、懸命に振っているが二つの魔剣はクリスが扱うような剣魔法には至っていない。

 重力場への干渉もそうだが、風はそよ風程度。

 これならば導力魔法を使った方が良いくらいだろう。

 

「アーティファクトの力を引き出すのはまだ時間が掛かりそうですね」

 

「だがないよりはマシだろう」

 

「そうですよね……」

 

 “照臨のレガリア”の力をその身で受けてみて感じたのは、何の準備もなしに挑めば例え《達人級》の猛者だったとしても対抗できないだろう。

 

「貴方が“エンペラー”の相手を引き受けてくれるなら、こんなことしなくても良いと思うんですけど」

 

「これは奴等の因縁だ。援護はしても良いが、俺の出る幕ではない」

 

 クリスの指摘にロランスは拒絶を返す。

 ミスティ達と共にこちらの陣営に来てくれたロランスだが、彼自身は積極的に介入しようという意志はないように見えた。

 

「何か言いたそうだな?」

 

「……いえ……」

 

 ロランスの指摘にクリスは首を横に振る。

 正直に言えば、もっと早く。それこそユミルの時に彼らがいてくれたらと思わずにはいられない。

 

「いや……貴方達はこれまで何をしていたんですか?」

 

 胸の内の疑問を誤魔化すようにクリスは尋ねる。

 

「ミスティとは別行動をしていたが、俺はラマ―ル州の暴動を鎮圧していた」

 

「ラマール州の暴動?」

 

 ロランスから出て来た言葉にクリスは首を傾げる。

 

「貴族連合に雇われていた猟兵が戦火を意図的に広げて辺境のアルスターで略奪を働こうとしていたの潰したり、ラクウェルで不良グループが機甲兵を盗み出した騒動を鎮圧していた」

 

「それは……」

 

 その説明だけでも、帝国の西側でもかなりの事件が起きていたのだとクリスは察する。

 本来なら自分達が目端を利かせて対処していなければいけない事件だと考えれば、このタイミングで彼らが自分達と合流してくれたのも責める資格はないだろう。

 

「どれだけの犠牲者が出たんですか?」

 

「それを知ってどうする?」

 

 何かを試すような眼差しを向けて来るロランスにクリスは思わず息を呑む。

 ロランスはクリスの正体を知っている。

 ここで何を言っても白々しい言い訳になってしまうのではないかと考えてしまう。

 

「僕は……」

 

「あまり坊やをいじめちゃダメよ、ロランス」

 

 クリスが言葉を絞り出そうとしたところでミスティが二人の会話に割って入った。

 ロランスはミスティとクリスを交互に一瞥すると、肩を竦めてへたり込むスウィン達に向かって歩き出す。

 

「さあ、立て」

 

「ちょ、ちょっと待って……」

 

「あーもーなーちゃんは限界……」

 

 息も絶え絶えなスウィンとナーディアの抗議は無視されて、《剣帝》による稽古が始まった。

 

「………………はぁ……」

 

 ロランスから向けられていた威圧感がなくなりクリスはいつの間にか溜めていた息を大きく吐き出した。

 

「ごめんなさいね。彼、帝国人だけど皇族とかにはあまり良い感情を持っていないから」

 

「……何となくそう感じていました……」

 

 以前は“彼”を挟んで少しだけ会話したくらいだったから分からなかったが、ロランスが自分に良くない感情を向けていることはクリスも理解できた。

 流石に詳しい事まで察することなどできないが、それでも今協力してくれることに感謝する。

 

「ところでヴィ――いや、ミスティさん。貴方達は“あの人”のことを覚えているんですよね?」

 

 クリスは周りに人がいないことを確認して、改めてミスティに尋ねる。

 

「ええ、私とロランス。それから《銀》は“超帝国人”の事を覚えているわよ」

 

「それは一体どうして? エマやセリーヌだって覚えていなかったのに?」

 

「私もそれについては調べるために一度国外に出ていたんだけど」

 

 そう前置きをしてミスティは続ける。

 

「一番強く忘却の因果が働いていたのは帝国人……

 カルバードやリベールでも一部の例外を除いて“彼”のことは覚えていなかったわ」

 

「一部の例外……」

 

 それが《銀》なのかと考えつつ、クリスは首を傾げる。

 

「それならどうして貴方達はあの人のことを覚えているんですか?」

 

「ふふ、“ティルフィング”に彼の《力》を分割した時があったでしょ?

 あの時にちょっとだけ“雲”の力をこっちのペンダントに入れさせてもらっていたのよ」

 

 そう言ってミスティが首から下げた古びたペンダントをクリスに見せる。

 “ティルフィング”の中にある“核”と比べれば遥かに小さいクォーツの結晶。

 “力”そのものに影響があるとは思えないが、掠め取ったのかとクリスはミスティを睨む。

 

「ミスティさん」

 

「ふふ……大丈夫よ。ルフィナも“彼”も気付いていて見逃してくれていたし、そもそもこのペンダントは私にとっても意外な副産物なのだから」

 

「良く分かりませんが、“あの人”が納得しているなら僕が言う事はありません」

 

 懐かしむようにペンダントを眺めるミスティにクリスはそれ以上の追求をやめておく。

 

「貴女が覚えている理由は分かりました……それで国外まで出て、何が分かったんですか?」

 

 クリスの問いにミスティは顔をしかめて明後日の方を向いた。

 その様子にクリスはいろいろ察してう。

 

「何も分かっていないんですね」

 

「そんなことないわよ……

 改変規模がゼムリア大陸全土。それから《銀》が何故因果に囚われていなかったのか解明できれば、“彼”を呼び戻す糸口になるはずよ」

 

「ふむ、やはり因果の忘却はゼムリア大陸全土に広がっていたようだね」

 

 ミスティの言葉に答えたのはクリスではなかった。

 

「ワイスマン……」

 

 いつものように何処からともなく現れたワイスマンにクリスは振り返り、ミスティは嫌そうに顔をしかめる。

 

「そうなると私の推論が正しいと考えてよさそうだね」

 

 顎に手を当てて考え込むワイスマンにクリスは聞き返す。

 

「推論?」

 

「あら? いきなり湧いて来て何を言い出すのかしら《教授》?」

 

「ふふ、そう邪険にしないでくれたまえ。同じ使徒であった誼、何より共に《黄昏》に挑む同士ではないか」

 

「誰がっ!」

 

 馴れ馴れしいワイスマンを拒絶するようにミスティはワイスマンを睨む。

 

「えっと……それで一体何が分かったんですか?」

 

 一方的とは言え、険悪になりそうな空気にクリスは口を挟む。

 

「忘却の因果がゼムリア大陸全土に広がっていると言うことは、《黒》の影響力、支配下がそこまで広がっていると言っても過言ではないだろう」

 

「まさか教授、貴方は《黄昏》が帝国だけでは治まらないと言うの?」

 

 何を想像したのか、嫌悪を忘れてミスティはワイスマンに聞き返す。

 

「帝国側だけを“呪い”で駆り立てるより、全ての人類を巻き込んだ“闘争”を引き起こす……

 《零》の力を取り込んだ存在であることを考えれば決して不可能ではないだろう」

 

「それは……二年後の《黄昏》では世界で今の内戦のような事が起きると言うんですか?」

 

 《黄昏》については“彼”から触り程度には聞いていた。

 これまでは目先の内戦ばかりに気を取られて考えている余裕がなかったが、クリスはそれを思い出して顔をしかめる。

 

「ふ……とは言え、これはあくまでも《黄昏》に向けての話。君は目先の内戦について集中すると良い」

 

「…………ええ、そうさせてもらいます」

 

 考えなければいけないことは多いが、それもまずはこの内戦を乗り越えてからだとクリスは割り切る。

 

「はあ……気は進まないけど、《黄昏》について話を聞かせてもらえるかしら教授?」

 

 ため息を吐いてミスティもまたワイスマンへの拒絶感を呑み込んで提案する。

 

「ああ、もちろん構わないよ。《焔》の眷属の意見と考察は私も大変興味深い」

 

 ミスティの提案をワイスマンは笑顔で受け入れる。

 目先の内戦に集中するべきだと割り切ったばかりだが、二人の意見交換にクリスは興味を覚える。

 

「セドリック殿下……あ……」

 

 しかしその誘惑を断ち切るようにギデオンがその場に現れる。

 

「何ですか?」

 

 ミスティを見て固まるギデオンに向き直り、クリスは要件を尋ねる。

 

「あ……いえ……その……《C》が殿下を呼んで来てほしいと……」

 

「分かりました」

 

 ギデオンの伝言に頷きながら、彼の顔を見てクリスはミスティに振り返る。

 

「ミスティさん。貴方はこちら側についてクロウやイソラさんをどうするつもりなんですか?」

 

 クリスの問いに、ワイスマンと意見交換を始めようとしていたミスティは口を噤み、ギデオンも突然出て来たクロウの名前に息を呑む。

 

「貴女が二人をどうしたいのか、そこだけははっきりと教えてくれませんか?」

 

 ミスティやロランスが頼もしい戦力であることは疑わない。

 しかし、ミスティ――ヴィータは《蒼の導き手》であったことも変えようのない事実。

 ギデオンもそうだが、彼女たちが土壇場で裏切られることは避けたい。

 

「そうね……

 クロウに関してはもう成り行きに任せるしかないと思うけど、もしもクリス君がまだクロウを助けたいと思うならこれを使うと良いわ」

 

 そう言ってミスティは先程見せた物とは違う真新しい蒼のペンダントをクリスに差し出した。

 

「これは?」

 

「今のクロウが“呪い”に背中を押されて暴走しているなら可能性はあるわ……

 もっとも正気に戻ったとしても、クロウにとっては良い事なのかは分からないけど」

 

「こんなもので“呪い”の衝動が本当に抑えられるんですか?」

 

 見た目はただのペンダント。

 いくらミスティが“魔女”だからと言って、クロウ達に切り捨てられた者の魔道具にどれ程の効果があるのかクリスは疑う。

 

「それは私が昔、《超帝国人》の“鬼の力”を封じるために造ったペンダントと同じものよ」

 

「…………“鬼の力”を……」

 

 ミスティの言葉にクリスは目を伏せて考え込んで、愛読書の内容を思い出す。

 

「ボースの時の! 姉弟子に救ってもらった時に出て来たペンダントのことですか!?」

 

 思わぬ食いつきにミスティは首を傾げて、一度ワイスマンを振り返る。

 

「ええ、そうよ……《福音計画》の影で人知れず“超帝国人”を守り何度も窮地を救って来たのは私よ……

 そしてそれが意味することは、彼が《超帝国人》になれたのは私のおかげと言っても過言ではないでしょうね」

 

「待ちたまえ、魔女殿」

 

「あら、何かしら教授?」

 

「《超帝国人》を育てたのは私なのだがね」

 

「貴方がしていたのは“彼”をいじめていただけでしょ? それを育てたなんて言うのはちょっと図々しいんじゃないかしら?」

 

「ふ……私が与えたのは試練であり、決して彼に強制などしたことはないのだが?」

 

 ふふふとミスティが笑い、はははとワイスマンが笑い、二人は視線で火花を散らせる。

 

「えっと……」

 

 突然始まった“使徒”の対立にクリスは戸惑う。

 

「あの……殿下、先程の……」

 

「ああ、そうだね。《C》の所に行かないと」

 

 ギデオンの言葉にクリスはこれ幸いとその場を後にするのだった。

 

 

 

 

 カレイジャスの甲板に出たクリスは目当ての人物を見つけ、その向こうに膝を着いている《騎神》に目を向けた。

 

「エル=プラドー……本当だったんだ」

 

 ヘクトルの装甲を剥かれ、内部のフレームまで桃色に塗装されていた《騎神》は度重なる戦闘によって所々剥げて下地の金色が見え隠れしている。

 別に疑っていたわけではないのだが、改めて《金の騎神》だったことを実感する。

 

「じゃあ、そういう感じにして良いのね?」

 

「ええ、よろしくお願いします。エリカ博士」

 

 エリカ・ラッセルと話をしていた《C》はクリスに気付いて振り返る。

 

「それでは後はよろしくお願いします」

 

「ええ、任せておきなさい」

 

 意気揚々と去って行くエリカの背中を見送り、クリスは《C》に尋ねる。

 

「エリカ先生に何を頼んでいたんですか?」

 

「エル=プラドーに着せる装甲の件でね」

 

「着せる装甲って……」

 

 微妙な言い回しにクリスは苦笑いを浮かべるが理解はできる。

 “テスタ=ロッサ”と“ヴァリマール”と違い、これまでの“エル=プラドー”はヘクトルの装甲を改修して纏っていた。

 霊力を供給すれば修復できる《騎神》の装甲とは違い、同じ事をしても“エル=プラドー”にはヘクトルの装甲を直すことはできず、かと言って一から自分の装甲を錬成するのは修復するよりも霊力と時間が掛かるようだった。

 

「どうするつもりなんですか?」

 

「五体目の“ティルフィング”の装甲を借り受けることになった」

 

「…………色はどうするつもりですか?」

 

「ん? それはエリカ博士に任せていますが?」

 

「そうですか……それより何か用ですか?」

 

 深く追求することはせず、クリスは本題に入る。

 

「ええ、こちらの帝国各地に配置していた密偵から集めた情報をまとめたので、出発前に目を通していただきたい」

 

 そう言って《C》がクリスに渡したのは辞書のような厚さの報告書の束だった。

 

「これを……明日までに?」

 

 後は戦うだけのだと思っていた所に差し出された報告書の束にクリスは慄く。

 

「それでも厳選したものです。取り分け把握しておいてもらいたいことは昨日にあったノルティア州領邦軍と第三機甲師団との抗争の結末です」

 

「それは確かに重要ですね」

 

 言われるがままクリスは報告書を捲り、顔をしかめた。

 

「アイゼンガルド連峰の一角が両陣営の部隊ごと消滅? これってまさか!?」

 

「ええ、現場から唯一生き延びたアリサ君の証言を照らし合わせれば、ガレリア要塞を消滅させた力場と同じものによるものでしょう……

 これについてキーア君が先程カシウス准将に呼び出されてエリゼ君とアルティナ君の両名に付き添われて出頭しています」

 

「キーアが……」

 

 見掛けないと思っていたキーアがそんなことになっていたとは思わなかった。

 

「でもどうしてキーアが呼び出されたんですか?」

 

「それは特務支援課が公開した《零の至宝》が操る《神機》についてのレポートが原因になります」

 

 曰く、ガレリア要塞を消滅させ、帝国軍と共和国軍を撃退したクロスベルの《神機》は《零の至宝》の力がなければただの木偶の坊だと特務支援課は公表してキーアの安全を確保した。

 しかしアイゼンガルド連峰の消滅による《神機》の影が各国に緊張を走らせた。

 《神機》はキーアがいなければ動かない。

 貴族連合には二機の《神機》が運用されているが、それを例外としても新たな《神機》の影にキーアが真っ先に疑われるのは当然の帰結だった。

 

「幸いなことに、キーア君のアリバイは私たちが証明できる。カシウス准将もそれが分かっているが、クロスベルに各国の追求が予測されるのでカシウス准将ひいてはリベールの女王陛下にそのフォローを頼んでおきました」

 

「仕事が早いですね」

 

 報告書を捲れば既に他国への釈明まで含めた展望がまとめられている。

 それを読み込み、クリスはふと思ったことを口にする。

 

「キーアは本当にクロスベルに帰ることはできるんですか?」

 

「それは難しい問題ですね」

 

 クリスの疑問に《C》は偽ることなく答える。

 

「今回のように《神機》の影がちらつけば真っ先に疑われるのはキーア君でしょう……

 そして今のキーア君には《零の至宝》としての“力”が残っていませんが、果たしてそれを信じてくれる者はどれだけいるでしょうか?」

 

「クロスベルの人は信じないと?」

 

「人は自分にとって都合の良い事しか見ようとしないものです……

 独立と、二大国を退けた勝利の美酒をもう一度と願う人は必ず出て来るでしょう」

 

「でもキーア自身、もう《神機》を動かすことはできないって」

 

「確かに特務支援課の報告にはそうありました。しかしそれを誰が証明できるでしょう?

 それにクロスベルには《零の至宝》を錬成した施設が全て残っています……

 それを使ってキーア君の意志や安全を度外視して彼女をもう一度《零の至宝》にしようとする者も出てこないとどうして言い切れるでしょうか?」

 

「そうですね……キーアにその意思はなくてもロイドさん達を人質にされればキーアは自分の身を捧げることは躊躇わないと思います……

 そうなるとやっぱりキーアがクロスベルに帰るのは難しいんでしょうか?」

 

「私なら《零の至宝》が生まれた玉座があるミシュラム……

 用途不明な魔導区画があるオルキスタワー……

 《至宝》を錬成するための巨大な陣であるジオフロント……

 最低でもこの三つを解体しない限り、キーア君にクロスベルに地を踏ませたくはないですね」

 

「ミシュラムとオルキスタワー。それにジオフロントを解体って……そんなのクロスベル市そのものを根本から作り直すようなものじゃないですか」

 

「その通りです。それらをやるにはクロスベル市民の強い反発が容易に想像でき、経済に与える影響も考えればあまり現実的ではない……

 ゆえに《零の至宝》の再錬成を封じることを考えるなら、クロスベルを解体するよりもキーア君をクロスベルから遠ざけた方が遥かに容易だろう」

 

「理屈は分かりますけど……それは……」

 

「私たちが許したところで、《零の至宝》の力を背景に資産凍結で独立を脅迫された各国が果たして彼女を許すか……

 特務支援課の者たちはキーア君をただの女の子と扱おうとしているが、世界がそれを許しはしないだろう……

 キーア君も今回の事で、自分が如何に世界から畏れられているのか理解したでしょう」

 

 帝国軍と共和国軍の両方を同時に撃退し、山脈さえも消滅させる力を持ち、それを振るった責任。

 理屈はクリスも分かるがここまで共に戦って来た彼女の望みを叶えて上げたいと考えてしまう。

 

「僕にできることはないのかな?」

 

「殿下の、エレボニア帝国の監視下にある。それだけでも他国にキーア君の扱いについて口を挟みづらくなっています……

 それにリベール女王の信認を得られるかはキーア君次第でしょう」

 

「アリシア女王の信認って……」

 

「今のキーア君に必要なのはクロスベルの味方ではなく、外の味方ですよ」

 

 特務支援課と言う保護者に守られてるだけでは得られない外の地位ある者の擁護。

 それは彼女の今後において大きな助けになるだろう。

 リベールに補給に来たついでにキーアの事へのフォローをしている《C》にクリスは脱帽する。

 

「結局、僕達がキーアにできることは後ろ盾になる事くらいなんですね」

 

「そのためにはこの内戦を勝って、貴方の発言力を高めなければいけないですよ」

 

「勝たないといけない理由が増えたな」

 

 《C》の指摘にクリスは身を引き締めて、彼の報告書に目を通して行く。

 

「トリスタでオーレリア将軍とⅦ組が交戦……ラウラとユーシスが正規軍に合流した?」

 

「ラウラ君はともかく、ユーシスはいったいどのような心変わりがあったのでしょうね」

 

 Ⅶ組が集合したことに安堵しながら困惑するクリスに《C》は仮面の下で笑う。

 

「それから……帝国西部から帝都に《トゥアハ=デ=ダナーン》が移動中?」

 

「どうやらカイエン公が制御に成功したようですね。貴族連合の戦力に《魔煌兵》が導入されたと考えて良いでしょう」

 

「《機甲兵》だけでも厄介だって言うのに、兄上は大丈夫かな?」

 

「それを私たちが考えても仕方がないでしょう」

 

 クリスの心配を《C》は一言で済ませ、黙り込む。

 

「どうかしましたか?」

 

「セドリック殿下」

 

 《C》は佇まいを直してクリスに提案する。

 

「戦場にヘルムート・アルバレアが出て来た場合、その相手は私に務めさせていただきたい」

 

「それは……」

 

 《C》の正体はルーファス・アルバレア。

 つまりは父親と戦うと言い出した《C》にクリスは認めて良いのか迷う。

 今の自分と“テスタ=ロッサ”なら《蒼》と《メッキ》の両方と戦える自信はある。

 だが、自信はあってもやはり一番の脅威になるだろう《蒼》との戦いに集中したいという気持ちもある。

 

「ヘルムート卿は貴方の父上ではないんですか? そんな人と貴方が無理に戦う必要はないんじゃないですか?」

 

「セドリック殿下……私はずっと逃げていたんですよ」

 

 《C》は徐に仮面を脱ぎ――ルーファスは素顔を晒す。

 

「父上の心内が理解できず、問い質す勇気を持てずただ腐って……そして私は“あの方”に縋った」

 

「あの方?」

 

 聞き返された言葉をあえて無視してルーファスは続ける。

 

「答えはそこにしかないと分かっていた。なのに私は父上に真実を確かめることを畏れ、都合の良い逃げ道に目を眩ませて目を背け続けていた」

 

 これではユーシスを笑えないとルーファスは自嘲する。

 ヘルムートの顔色ばかりを窺って、本音を口にできなかった姿はまさに同じではないかとルーファスは思う。

 そのユーシスが貴族連合を離反して正規軍に組した。ならば自分も“父”と向き合う時が来たのだと覚悟を決める。

 

「偽物とは言え《金》を駆り戦場に自ら赴いた今の父は私の知らないヘルムート・アルバレア……

 貴方にとってオリヴァルト殿下が超えなければならない《壁》であるように、ヘルムート・アルバレアは私の超えなければならない《壁》なのです」

 

「ルーファス教官……」

 

 アルバレア家の事情を知らないクリスだが、自分を引き合いにされた言葉は頷かざる得ない。

 

「でも、貴方には帝国の防空網を破る先駆けをしてもらうことになっていたはずですが、キーアに代わってもらうという事ですか?」

 

 クリスは視線を“エル=プラドー”へ、その背後に組み立てられている《オーバルギア》に向ける。

 《騎神》を覆い被せる鋼のフレームに後ろに増設された飛翔機関が接続され、長距離航行が可能となるように改造されている。

 それだけではなく、フレームには長距離用狙撃用のバスターキャノンを肩に、両手には盾と一体化したダブルインパルスカノン。

 足や二の腕にはミサイルラックを増設されている。

 それとは別に飛翔機関のコンテナには多弾装ミサイルを始めとした様々な兵器が詰め込まれたオーバルギアはちょっとした武器庫となる予定だった。

 あまりに自重しなかったことから格納庫では組み立てられず、甲板で組み立てられている程なのだ。

 

「帝都の防空戦力を突破するための強襲型オーバルギア……

 カレイジャスが突入するための先陣を切る役目はどうするつもりなんですか?」

 

 帝国はリベールとの《百日戦役》によって飛行艇による手痛い反撃を受けたことがある。

 その時の反省をから対空戦力には力が入っているとクリスは聞いている。

 《騎神》の力を使えば、その防衛線を突破することはできるかもしれないが、それには相応の霊力を失う事になるだろう。

 その消耗を抑えるために用意されたのがこのオーバルギアになる。

 

「もちろんその役目も果たした上で、父上との対決をさせていただきます」

 

「……それは背負いすぎでしょう。いくらオーバルギアでの戦闘には霊力は使わないからって言っても疲労はするでしょ? 先陣は今からでも僕が代わって――」

 

「いえいえ、皇子にそのようなことをさせるわけにはいきません」

 

 二人は隙あらば自分がと互いを牽制する。

 “機神用オーバルギア”はラッセル一家がリベールに帰国してから開発した拡張ユニット。

 四機の特化した性能を他の機体にも扱わせることを目的としたものであり、《機神》だけではなく《騎神》にも互換性はある。

 なので今からでも《緋》に役割を交代することは出来る。

 

「いやいや、ルーファス卿は父上との決闘が望みなら、帝国皇子として憂いなく果たさせてあげるべきでしょう」

 

「お気遣いはありがたく。ですが《エル=プラドー》とこのオーバルギアの力ならば、帝都の防衛線の突破など準備運動にしかならないでしょう……

 それにクロウ・アームブラストとの決闘を望んでいるという点では私も、殿下も同じはずです」

 

「…………まあ、そうですよね」

 

 クリスはため息を吐いて引き下がる。

 シャーリィが羨んだように、クリスもこの過剰火力を思う存分撃ちまくってみたい誘惑に駆られるが改めて自重し、話を戻す。

 

「でも、貴方は《空の匣》に対抗する手段を持っているんですか?」

 

 ヘルムートの《金》には奥の手とも言える《空》属性の術がある。

 それに対抗できる力は《緋》の“鋼の爪”。

 ルーファスの《金》にはそれに準じる力は今のところない。

 

「具体的な手段はまだありません」

 

「なら――」

 

「ですが、それでも“彼”ならば、戦えば勝つでしょう」

 

「むっ……」

 

「“彼”にできるのならば、私もしてみせましょう」

 

 ルーファスらしからぬ根拠の薄い言葉だが、その言葉にはクリスは弱かった。

 

「そうですね……あの人は圧倒的な不利な逆境も乗り越えて見せてくれた……

 ユミルを救えなかった僕達だけど、それくらい跳ね除けられるようにならなければ、戻って来てくれた時に合わせる顔がありませんよね」

 

 《壁》に挑むのはルーファスだけではない。

 まだ全容を掴めていない“騎神”と“神機”が合体した《オルカイザー》なるものがクリスの相手になる。

 未知の敵に挑むという点ではクリスもルーファスも変わらない。

 

「分かりました。ヘルムート卿はルーファス教官にお任せします。ただし」

 

「ん?」

 

「言ったからにはちゃんと勝ってくださいよ」

 

「ええ、もちろんです」

 

 ルーファスは苦笑を浮かべてクリスと約束を交わすのだった。

 

 

 

 

 

「セドリック……」

 

 その呼び声にクリスは顔を上げて振り返る。

 

「アルフィン。まだ寝ていなかったのかい?」

 

 既に夜も深い。

 明日始まる帝国の決戦を考えれば、既に仲間たちは英気を養うために眠りについている時間だった。

 

「それは貴方もでしょう」

 

 アルフィンはクリスの隣に座り尋ねる。

 

「何をしていたの?」

 

「別に大したことはしてないよ」

 

 右腕をじっと見つめていたクリスはアルフィンの問いに笑みを返す。

 すっかり大人びた顔をするようになった弟にアルフィンは感慨深くなる。

 

「本当に逞しくなったのね」

 

「アルフィン?」

 

 首を傾げる仕草にアルフィンは苦笑する。

 こういう小さなところは変わっておらず、クリスが弟のセドリックなのだとアルフィンは安心する。

 

「皮肉よね……弟よりも聡明な姉……

 そんな風に言われていたのに、この内戦で私ができたことなんて何もなかった」

 

 自嘲して落ち込むアルフィンにクリスは提案する。

 

「ねえアルフィン。今からでも遅くないから君はここに残った方が良いよ」

 

「いいえ、私もエレボニアの皇女なのです」

 

 逞しくなった弟の背中に縋りたいという誘惑を振り払い、アルフィンは毅然と言い切る。

 正規軍に残れば兄であるオリヴァルトが理由を付けて後方にアルフィン達を避難させようとしていた。

 軍事教育も受けておらず、護身もできないのだから当然なのだが、兄妹の中で一人だけ蚊帳の外に置かれていることに我慢ができずにアルフィンはエリゼとアルティナを巻き込んでクリスと合流した。

 

「何もできないならせめて見届ける。それくらいはさせて」

 

「アルフィン……」

 

 今にも泣き出しそうな姉にクリスは肩を竦める。

 

「それにお父様とお母様を救うのでしょう? お父様達の世話くらいは任せて」

 

 アルフィンの言葉にクリスはため息を吐く。

 現在のカレイジャスはミスティ達を含めても人員はギリギリで運用している。

 作戦では最初に皇帝陛下を救い、その後にクリスは《蒼》やカイエン公達との戦いに臨む段取りになっている。

 カレイジャスの指揮は消去法でシャーリィに一任することになるが、旗頭としての艦長という意味ではアルフィンを据え置く意味はある。

 

「それでも危険だよ」

 

「それはみんな同じよ。私には何もできないかもしれないけど、帝都がユミルのようになるかもしれないと思うとジッとしていられないわ」

 

 決意が固いアルフィンにクリスは目を伏せる。

 双子故に彼女の気持ちはクリスにはよく分かる。

 ユミルで感じた無力感。内戦で傷付いて行く民。激しさを増して行く貴族連合と正規軍の戦い。

 皇族として何かをしなければいけないと急き立てられる焦燥はクリスも感じていた。

 それに加えて今のアルフィンはかつて自分が感じていた家族に対しての劣等感を抱いているのだろう。

 

「分かった……じゃあ貴族連合に対しての呼び掛けはアルフィンに任せるよ」

 

 貴族連合も決して一枚岩ではない。

 皇帝陛下を取り戻し、四大名門が掲げる大義名分を否定すれば皇族の言葉に耳を傾けてくれる貴族がいることをクリスは信じている。

 そこに自分やアルフィンの声が届けば、無益な犠牲は一つでも少なくすることができるかもしれない。

 

「一緒にこの内戦を終わらせよう」

 

「セドリック……ええっ!」

 

 アルフィンは弟の言葉に強く頷いて、最後に付け加える。

 

「ねえセドリック……貴方はいなくならないわよね?」

 

「大丈夫。僕はクロウなんかには負けないよ」

 

「…………そうじゃなくて……」

 

「アルフィン?」

 

 何かを言いかける姉にクリスは首を傾げる。

 

 ――やっぱり不安なのかな……?

 

 この内戦でアルフィンが言った通り、自分達が護れたものは少ない。

 だからこそ、帝都での決戦にも良くないイメージを考えてしまうのは無理もないだろう。

 

「それでも僕は負けないよ。僕は帝国の未来を背負うアルノールなんだから」

 

 かつてのか弱い弟からは想像もできなかった強い言葉にアルフィンは目を伏せる。

 

「セドリック……貴方に空の女神と獅子心皇帝……そして“あの人”……超帝国人のご加護を」

 

「アルフィン!?」

 

 姉の口から出て来た言葉にクリスは驚く。

 まるで“彼”を覚えているような口振り、正面から見据えた姉の顔にあるのは今までいろいろな人で見て来た虚ろな困惑はない。

 

「アルフィン……君はもしかして……いや、この話は内戦が終わった後にしよう」

 

 今問い質してしまえば、“彼”に頼らないと決めた決意が揺らいでしまうかもしれないと考えてクリスはその疑問を先送りにする。

 

「ええ、ですからセドリック……無事に帰って来てくださいね」

 

「もちろんだよアルフィン」

 

 アルフィンの祈りにクリスは力強く頷いた。

 

 

 

 

 

 








 オーレリアの参戦とⅦ組集結とトリスタ奪還は諸事情により省略しました。




機神用オーバルギア
それぞれの機能に特化した四機のティルフィングの機能の内、《青》を除いた性能を補助するために拡張ユニット。
飛翔能力、火力、導力魔法の兵装を外付けにするのが本来の仕様であるが、強襲用として過剰装備となっています。
機神用ではありますが、霊力消費を抑えることを目的として騎神にも互換性があります。


シャーリィ
「いいなぁっ! いいなぁっ! いいなぁっ!」

ミリアム
「アハハ! すごいね! ボクもいろんな兵器は見て来たけど、ここまで凄いのは初めてかも!」

クリス
「えっと、本体にはフェンリル増幅器に直結した高出力ビームソードにシールドダブルインパルスカノンが二つ。それと使い捨てのミサイルラックが両手両足……
 オーバルギアには連射性と射程距離を重視したロングレンジバスターキャノンと導力魔法の発生装置……
 飛翔ユニットコンテナの中には導力ライフルに導力バズーカ。大剣に十字槍、スタンハルバート。多弾頭ミサイルに空中散布型の導力機雷などなど……」

スウィン
「ちょっとやり過ぎじゃないか? Ⅶ組全員の役割を《C》一人にやらせるのかよ?」

アルバート・ラッセル
「“ティルフィング”用に開発しておった試作の武装を詰め込んでみたのじゃ……
 半分とは言え帝国そのものを相手取るのなら武器はいくらあっても足りんじゃろ」

ナーディア
「それはそうかもしれないけど……これはかわいくない」

キーア
「うん……エル=プラドーはティルフィングの装甲でカッコよくなったけど、オーバルギアのせいでヘクトルより重そう」

クリス
「いやいや、二人ともこの場合はむしろそれが良いんだよ! ね、スウィン!」

スウィン
「俺に振るな……まあ、悪いとは言わないが」

エリカ
「まあ機神用のオーバルギアもまだ試作段階だからどうしても大きくなっちゃうのよね。小型化と武装の選別は今後の課題ね」

シャーリィ
「いいなぁっ! いいなぁっ! いいなぁっ! ティルフィングSが使えたらシャーリィが使いたかったのに!」

《C》
「さて、調子はどうかなプラドー?」

エル=プラドー
「……………悪くはない……悪くはないが、これが騎士の姿か?」






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49話 開戦

 

 

 

「はあああああああっ!」

 

 気合いが籠った雄叫びを上げて《青のティルフィング》はガランシャールを模した大剣を振り下ろす。

 

「ふっ…………」

 

 対する《黄金のシュピーゲル》は鈍重な動きで、それでも流れる様に大剣の一撃を軽々といなす。

 

「はあああああああっ!」

 

 戦場にラウラの声が響き、機械の巨人とは思えない程の機敏な動きで《黄金》を責め立てる。

 

「ほう、オルディスからまた腕を上げたようだなラウラ」

 

 対する《黄金》は嬉しそうな声を返しながら、無手で《青》の攻めを捌いて行く。

 

「――っ! 何のつもりだルグィン卿っ!」

 

 ラウラは堪え切れずに叫ぶ。

 

「何故そのアーケディアを使わない! 私など素手で十分だと言うのか!」

 

 ルグィン家に伝わる宝剣を模した機甲兵の大剣を背負い、さらには腰に別の剣を携えておきながら無手で戦う《黄金》にラウラは激昂する。

 

「ふむ……別に其方を侮っているわけではないのだがな」

 

 余裕の言葉が返って来ることにラウラはさらに苛立つ。

 不本意な形でセリーヌからユーシスを経由して渡された父の形見である《ガランシャール》を受け取っていながら、相手に剣を抜かせることもできていない自分に怒りが込み上げて来る。

 

「時にラウラ、其方は何かを忘れていないか?」

 

「何……?」

 

 オーレリアの問い掛けにラウラは首を傾げる。

 

「この内戦の中で、何かが足りないと胸の中に空白があるのではないかと聞いているのだ?」

 

「それは……」

 

 オーレリアの指摘にラウラは思い当たるものがありそうな気がして考え込む。

 振り返ってみても何かが欠けているとは思えない。

 確かにⅦ組はクリスとミリアム、それにシャーリィもいないが、彼らは別の場所で戦っている。

 唯一、貴族連合側にいたユーシスは貴族連合に掴まったラウラを解放すると共に正規軍に合流してくれた。

 

「それは……」

 

 又聞きでしかラウラはクリスがⅦ組から抜けたことを知らない。

 だが、見ている方向、目指しているものは同じだと分かっている。

 だからⅦ組はまだ誰も欠けていないはずなのに、ラウラはオーレリアに指摘された空虚がざわめくのを感じた。

 

「ルグィン卿……貴女は何を――」

 

「さて、何を忘れているのかは私も分からないのだがな……」

 

 胸の内の空虚にオーレリアは焦がれる。

 この内戦で考えていたヴィクターやマテウス達との果し合いが霞むほどの空虚。

 自分が求め、焦がれていた思い出すことのできない《宿敵》は何処にいるのだろうかとため息を漏らす。

 

「なるほど……これが“恋”と言うものか」

 

「は……?」

 

 通信機から聞こえて来る姉弟子らしからぬ呟きにラウラは耳を疑う。

 

「さて、妹弟子よ。語らいはここまでだ」

 

 空気が変わり、機甲兵越しに感じる威圧感にラウラは身を固くする。

 

「ガランシャールを持って戦場に来たのだ。相応の覚悟はしているのだろう?」

 

 《黄金》の機甲兵の中でオーレリアは獰猛な笑みを浮かべる。

 

「っ……」

 

「ヴィクター師やこの期に及んで動こうとしないマテウス師に代わって、せめて剣を抜かせてくれよ、妹弟子」

 

 

 

 

 

「ダブル・バスターキャノンッ!」

 

 遠くの丘に向かって《琥珀のティルフィング》が砲撃を行う。

 それに合わせて周囲の戦車も空に向かって砲撃を始める。

 遠過ぎる的に当たることはないが、牽制の砲撃は相手側の砲撃の手を止める。

 戦争の始まりはまず長距離の砲撃戦。

 エリオットは逸る気持ちを抑えながら己の役割に徹する。

 

『エリオット君、大丈夫かい?』

 

「はい、問題ありません」

 

 通信から聞こえて来るジョルジュの声にエリオットは深呼吸をしながら応える。

 当てることを目的としてない牽制。

 エリオット達の前には《紅》が率いる機甲兵部隊が砲弾の雨が降る最前線を駆けている。

 彼らへの砲撃を減らすことがエリオットの役割の一つ。

 

「ジョルジュ先輩、みんなの状況は?」

 

『うん、オーレリア将軍と会敵した《青》の霊力消費が少し激しいね……

 それから《紅》もそろそろ目標地点に到着するから準備を始めた方が良いかな?』

 

「分かりました」

 

 ジョルジュの言葉に頷いてエリオットはバスターキャノンのシステムから別のシステムを切り替える。

 砲撃の構えを崩した《琥珀》は各部の増幅器の装甲を開いて、全身を駆動する。

 そして疑似的な《機神》の視覚の中にエリオットが慣れ親しんだ鍵盤が浮かび上がる。

 

「リバイバルシステム起動」

 

 そう呟き、エリオットは鍵盤の一音を叩く。

 装備された外部スピーカーから音楽が流れ始め、それは術となって光の波紋となって広がる。

 かつてリベールで導力を停止させた光と同じ光。

 しかし、周囲の砲撃を続ける導力戦車は止まる気配はない。むしろ砲撃の間隔が短くなっている。

 《輝く環》の力が導力停止現象に対して、《琥珀》のそれは逆に音楽を触媒にいて導力を与える力。

 戦術リンクを利用して距離を無視して他の機体への導力を供給し、更にはその余剰で周辺のオーブメントを活性化させる。

 ヨルグ・ローゼンベルクが《パテル=マテル》のシステムに《輝く環》の特性を組み込んだシステム。

 

「っ……」

 

 エリオットは鍵盤に指を走らせて術の展開の維持に集中する。

 《リバイバルシステム》は導力の供給だけに留まらず、そのオーブメントの性能を一時的に強化する。

 導力戦車による砲撃の弾幕は《琥珀》が抜けた以上に密度を増し、届かなかった相手陣地へと射程を伸ばす。

 その砲撃密度に貴族連合側の牽制砲撃が止まる。

 

「今だっ! 総員全力で前進せよな!」

 

 その隙を突くように最前線を駆けていた《紅のティルフィング》が追従する機甲兵に檄を飛ばす。

 散発になった砲弾の雨を躱しながら前へ、前へと進み《紅》は予定していた地点で急停止する。

 

「――来るぞっ! 機甲兵は前に出て楯を構えろ!」

 

 ウォレスの号令によって追従して来た機甲兵が楯を構えて《紅》の壁になる。

 

「ユーシス卿を守れっ!」

 

 次の瞬間、まだ遠い離れた敵陣から足を止めたその部隊へ砲撃が集中する。

 機甲兵は戦車と比べて火力と射程に劣っていると一部では思われているがそれは正しくない。

 確かに汎用として規格化した機甲兵は戦車に劣る部分はあるかもしれない。

 だが、その程度の問題は武器を持ち替えれば済む話なのだ。

 

「っ……来るぞっ!」

 

 ウォレスの声に合わせ、遠くに光が瞬き無数の光の砲撃の雨が降り注ぐ。

 人が“剣”や“銃”を状況に合わせて持ち替えることができるように、人を模した《機甲兵》も戦車に負けない兵器を持たせれば、それだけで指摘された欠点を補うことが出来る。

 

「踏ん張れっ! 決して陣形を崩すなっ!」

 

『応っ!』

 

 次の瞬間、光の雨が降り注ぐ。

 撒き散らされる衝撃と鳴り響き地響き。

 《機甲兵》の壁越しにそれらを感じながらユーシスは《ARCUS》を駆動する。

 

「ARCUS駆動――」

 

 剣をその場に突き立て、拡大した導力魔法を――戦術リンクから供給される《琥珀》からの導力も使って――駆動する。

 

「アースシールドッ!」

 

 大地が輝き、光の壁が戦場に線を引くように部隊の前面に広く展開される。

 

「戦車部隊、前進! 配置に着き次第、曲射砲撃を実行せよ!」

 

 矢継ぎ早に指示が飛び、《紅》が展開した壁まで前進した戦車部隊が空に向けて砲撃を始める。

 敵側からの砲撃を受け止め、術の維持に集中する。

 《紅》を護った機甲兵は前進して来る戦車の守りを彼に任せて結界を飛び越えてさらに前進する。

 

「ユーシス・アルバレア。まだいけるな?」

 

「当然だ」

 

 ウォレスの呼び掛けにユーシスは強く頷く。

 

「オリヴァルト殿下に無理を言って参戦させてもらっているのだ。これくらいして当然だ」

 

 いくら《ティルフィング》を使えるからと言っても、本来貴族連合勢力としてクロイツェン州で活動していたユーシスが正規軍に合流しても信頼を得て、前線を任されるのは周りが許さない。。

 オリヴァルトとラウラの口利きがなければ、ケルディックの惨劇を忘れていない者達の袋叩きにされてもおかしくはなかっただろう。

 

「これくらいか……十分な働きだと思うがな」

 

 ユーシスの謙遜にウォレスは苦笑する。

 機甲兵とは違い、導力魔法を扱える《紅の機神》は未だに対機甲兵戦闘を確立し切れていない正規軍にとって不可欠な支えになっている。

 今行った結界陣の構築によって、戦車部隊は安全に射程距離を確保でき、当初想定していた被害はかなり抑えられている。

 それに彼が連れて来た《青の機神》が戦場を一人で覆す可能性がある《黄金の羅刹》を抑えてくれている。

 それだけでも十分な貢献をユーシスは正規軍にもたらしていた。

 

「あまり気負い過ぎるな。貴族連合側だったのは俺も同じだ」

 

「ウォレス准将……」

 

「それよりもここから戦闘は本格的になるが、本当に良いのだな?」

 

「ええ……これ以上、クロイツェン州の貴族たちを増長させるわけにはいきませんから」

 

「…………そうか」

 

 ウォレスはユーシスがクロイツェン州で何を見て、何を理由に立ち上がったのか追及はしなかった。

 貴族連合の在り方に矛盾を感じても口を噤み、軍人としての責務を全うし続けたウォレスにはユーシスの気持ちは良く分かる。

 軍人であることもそうだが、立場の低い男爵家を始めとした下級貴族は上級貴族に逆らう事は難しい。

 誰も彼も己の中の正義を貫けるわけではない。

 多くの者は正しい方に着くのではなく、勝つ方にいることを望む。

 そもそもオリヴァルト皇子が立つまで、この内戦の結末の後の未来図を示せていたのは貴族連合だけだったというのも離反者がいなかった理由でもある。

 

「さて、このまま押し切れれば良いのだが――むっ?」

 

 ウォレスは敵陣地から空に飛ぶ影を見た。

 

「何だ?」

 

 機甲兵の目を操作して視野を拡大すれば見えたのは《機甲兵》だった。

 

「機甲兵が空を飛ぶだと?」

 

 ウォレスは自分の目を疑った。

 《機甲兵》の元となった《騎神》は当たり前のように空を飛ぶが、《機甲兵》はまだその域に達していない。

 その例外が正規軍側に一体だけ存在しているが、貴族連合側から飛び立った《機甲兵》は十を超えていた。

 

「まさかこんな短期間で飛翔ユニットを完成させたのか?」

 

「いや、良く見ろ」

 

 驚くウォレスに同じものを見たユーシスはそれを指摘する。

 

「奴等の足下……あれは従来の飛行艇だ。どうやら甲板の部分に無理矢理機甲兵を固定して飛ばしているようだ」

 

「そんな方法で……」

 

 恐ろしく単純な方法だが、果たして何処まで効果があるのかウォレスは悩む。

 

「貴族連合もまだ《機甲兵》の運用に関しては模索している段階なのだろう」

 

「冷静だな。君は制空権を取られることの意味を知らないのか?」

 

 動じないユーシスにウォレスは訝しむ。

 それにユーシスは苦笑をして自信に満ちた言葉を返した。

 

「問題ない。こちらの空には俺達の友がいる」

 

 

 

 

 《紅》が構築した結界の上空を《翠のティルフィング》が飛び超える。

 追従するはずだった飛行艇部隊を置き去りにして単身で敵陣の深くまで飛翔する。

 

「この戦いにどんな意味があるのだろうな」

 

 近付いて来る敵の機甲兵を眺めながらガイウスは複雑な呟きを漏らす。

 帝国の士官学院に留学を決めた時には、自分が戦争に参加するなどとは夢にも思わなかった。

 今のガイウスは帝国正規軍に雇われる形で戦闘に参加している。

 もちろんⅦ組としての友情や、学院で過ごしたことで帝国に対して愛着が湧いたという理由もある。

 だが、それ以上に貴族連合が勝てばノルドに開発の手が入ると聞けばガイウスにとって戦うには十分な理由だった。

 

「何故、お前達は戦う!?」

 

 相手に届いていないと分かっていてもガイウスは叫ばずにはいられなかった。

 ノルドの、自分の家族に降り掛かった悲劇。

 ユミルの悲劇。

 Ⅶ組の絆や、育んだ友情を思えば余計に貴族連合の人間が仲間達と同じ帝国人なのにこうも違うのかと悩む。

 

「っ――」

 

 相手の機甲兵が飛行艇の上で《翠》に向かって銃口を向ける。

 対する《翠》も銃と槍を合わせた銃槍を両手に構えて更に加速する。

 

「くっ――」

 

 体感で飛翔を操作する感覚は訓練したとは言え、未だに慣れない。

 

「――そこ!」

 

 アリサならばとっくに命中させていただろうと考えながら、ガイウスは十分に《機甲兵》との距離を詰め、銃槍の引き金を引く。

 放たれた弾丸は機甲兵に命中する。

 だが威力は低く設定していたため、一発で破壊には至らない。

 もっとも初めからガイウスは銃撃で戦うつもりはなかった。

 

「もらった!」

 

 両手の銃槍を固く握り締め、機甲兵とすれ違い様に振るう。

 高速で飛ぶ《翠》から繰り出された一撃は無造作に繰り出しただけでも術式保護されている《機甲兵》の装甲を砕くには十分だった。

 そのまま空を翔け抜けて、次の敵には飛行艇の飛翔ユニットを小突くように破壊して一つ、また一つと《機甲兵》を乗せた飛行艇を落して行く。

 

「っ……大丈夫だ」

 

 煙を上げて落ちていく飛行艇を見下ろしながらガイウスは自分に言い聞かせる。

 《翠》が破壊して回った飛行艇の飛翔ユニットには主翼の他に副翼が存在している。

 主翼が航行中に破損しても、副翼があれば不時着は可能だと教わっているが、彼らが墜落するのではないかと気が気ではなかった。

 

「……どうやら問題はないか……」

 

 降下していく飛行艇たちを見下ろしてガイウスは一先ずの安堵の息を吐く。

 

「ここからが本番だ」

 

 《機甲兵》の飛行部隊は正規軍にとっては想定外の戦力だった。

 振り返り、相手をすると想定していた飛行空母《パンタグリュエル》を中心にした空挺部隊をガイウスは睨む。

 

「さあ、いくぞ」

 

 パンタグリュエルを始めとした貴族連合の航空部隊の牽制がガイウスの本来の役割。

 意気込みを改めて突撃しようとした《翠》は――その横を黒い閃光が掠めた。

 

「何だ!?」

 

 黒い光の砲撃は背後から、《翠》はその場を大きく旋回して振り返ると遥か空の遠くに空を飛ぶ鉄の塊を見つけた。

 

「何だあれは!?」

 

 正規軍側から現れた、ガイウスが知らされていない兵器に警戒を強める。

 そこに正規軍、貴族連合、全ての人間に伝えるように通信回線が開いた。

 

「こちらはセドリック皇子が率いる真・帝国解放戦線。これより戦闘に参加する」

 

 次の瞬間、黒い光が再び放たれパンタグリュエルに命中した。

 

 

 

 

 

「レールハイロゥを起動します。甲板にいる作業員は速やかに艦内へ撤収してください」

 

 ミスティのアナウンスに伴い、カレイジャスの甲板の柵が格納される代わりに二つの透明な光のレールが艦首を超えて伸びる。

 本来ならここで格納庫からリフトで甲板に移送するプロセスが入るのだが、既にレールハイロゥの発射台には一体の《機神》が待ち構えていた。

 その風貌は異様の一言に尽きる。

 身体の隙間に設置できるだけの銃火器を背負い、その背後には小型の飛行艇を背負っている。

 貴族連合の機甲兵のフライトシステムが足に空飛ぶ下駄を履かせたものならば、この《機神》のそれは飛行艇の操縦席に機体を乱暴に突き刺した風貌とも言える。

 

「火器管制システムとのリンクは問題なし……《貝殻》を用いた各騎神との戦術リンクも良好」

 

 その《機神》の皮を被った《騎神》に乗り込んだ《C》はヘルメットの内側に表示された火器管制を始めとした増設ユニットの状態を確認する。

 

「システムはオールグリーン。では艦長代理、号令をどうぞ」

 

 《C》と同じものをカレイジャスの艦橋で確認していたミスティは艦長席に座るアルフィンに振り返る。

 アルフィンは緊張した面持ちで小さく頷き、マイクに向かってカレイジャスにいる者達に話しかける。

 

「これより《紅い翼》は帝国の内戦に参戦します」

 

 流石皇族と言うべきか、本業のミスティに劣らない滑舌でアルフィンは宣言を言葉にする。

 しかし、残念なことにこの《カレイジャス》には彼女が皇族だから従ってくれる行儀の良い帝国人は一人しか乗っていない。

 もっともそれは分かり切っていることであり、この号令もただの合図でしかない。

 幾分かの責任感を忘れアルフィンは肩の力を抜いて頭を下げる。

 

「何の力もない皇女でありますが、どうか皆さんのお力を貸してください」

 

 通信機越しに聞こえて来るアルフィンのお願いに《C》は仮面の下で笑みを浮かべる。

 

「不思議なものだと思わないかプラドー」

 

「何のことだ?」

 

 出撃を目前に話しかけて来た起動者に《エル・プラドー》は言葉を返す。

 

「本来、私は貴族連合の参謀として内戦に参加するはずだった……

 それが皇帝家の忠臣のような立場で先陣を切る羽目になるとは、人生と言うものは分からないものだ」

 

 《C》はこの内戦の結末は想像できている。

 以前の《C》ならば無駄なことはしないと、ここで傍観者に徹していただろう。

 

「“彼”と出会ってから、私は知らない自分を教えられるばかりだ」

 

 “彼”だけではない。

 皇族としての責務を全うしようと足掻くクリス。

 クロスベルの罪を背負ったキーア。

 人としてさえ扱われてこなかったスウィンとナーディア。

 彼らの足掻きや葛藤、生き様を見ていると年長者である自分が不甲斐ないことはできない気持ちにさせられる。

 

「さて、プラドー。私たちの作戦目標を改めて確認しよう」

 

『うむ』

 

「私たちの最終目標は貴族連合側にいる父上、ヘルムート・アルバレアが乗る《メッキ・プラドー》の撃破……

 そこに至るまでにはセドリック皇子がヘイムダルに辿り着くための露払いをする。それが本来の作戦行動だったわけだが」

 

 そこで一度言葉を切って《C》は画面に帝都の西の空に浮遊している巨大な球体の映像を呼び出す。

 

「機動要塞《トゥアハ=デ=ダナーン》……どうやらオルディスでの雪辱を晴らす機会が巡ってきたようだ」

 

 カイエン公の勢力が解析し魔煌兵の製造プラントを活用できるようになったと聞く空中要塞。

 

「帝都に在住している貴族連合の本隊合流される前に西側で私たちが落とす。できるな?」

 

『誰に言っている、当然だ』

 

 以前、《金》は初期起動だったことを差し引いたとしても、無数の魔煌兵の物量に押し切られる形で敗北した。

 その後に準起動者によって挽回したものの、あれを自分の力だと《金》は開き直るつもりはない。

 何より格下だと思っていた《灰》が自分を打ち負かした物量をものともせず蹂躙した事実に《金》は敗北感を覚えずにはいられなかった。

 それを晴らす機会が訪れたのなら、装甲を着替えさせられ桃色に塗装され、更には銃火器まみれとなって騎士の面影がなくなったことなど屈辱など些細なことでしかない。

 《金の騎神》エル・プラドーはそう思い込むことにする。

 

「ふ……頼もしい限りだ」

 

 やる気に満ちている《エル・プラドー》に《C》は笑みを浮かべる。

 

『間もなくサザーランド州からヘイムダルへの州境になります。発進タイミングを《C》に譲渡します』

 

「了解した」

 

 艦橋からのミスティの報告にカタパルトのロックが外れる。

 《C》はヘルメットの下で深呼吸を一つ。

 

「《ティルフィングP》――《C》出撃する」

 

 その号令を持って五体目の《ティルフィング》の装甲を纏った《騎神》が帝国の空へと飛翔した。

 

 

 

 







 カレイジャス
 原作とは違い先に《騎神》の存在を知ることとなったため、専用の発進システムを増設しています。
 技術はとある存在が提供してくれた《リベル=アーク》のレールハイロゥを甲板に展開させた射出機。
 “彼”は転移があるので必要ないと主張していたが皇子や博士や博士や博士や孫娘の熱望により搭載された。



 クロウ・アームブラスト
 演説中のオズボーン宰相を遠方から狙撃、暗殺した犯人。
 彼はジュライ併合の切っ掛けとなった鉄道の爆破事件がオズボーン宰相によるものだと主張し、強い恨みを持っていた。
 しかし、オズボーン宰相がその爆破事件に関わっていた物的証拠も証人も存在しない。

 また彼が通う士官学院の同級生及び後輩たちは、彼にも事情があったのだと同情的に擁護している。



 現実で嫌な事件が起きてしまいましたが、クロウがした事に近いと考えるといろいろ考えさせられます。






NG 赤い彗星?

《C》
「《ティルフィングP》――《C》出撃する」

ティルフィングP
「…………………ルーファス、いや《C》よ」

《C》
「ん? どうかしたかね?」

ティルフィングP
「ティルフィングPの“P”は《プラドー》の“P”で良いのだな? ピンクの“P”ではないのだな?」

《C》
「…………」

ティルフィングP
「…………」

《C》
「第一次加速開始――くっ……何と言う殺人的な加速かっ! だが“箱庭”で経験した《空の翼》の負荷と比べれば、耐えられる!」

ティルフィングP
「《C》!?」






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50話 参戦

 

 

 

「プラドー、ロングレンジバスターキャノンを使う」

 

『正気か?』

 

 通常の導力による飛翔に加え、内燃燃料を使った噴射機関による加速は凄まじく機体に掛かる負担もまた凄まじいものとなっていた。

 全身を万力で締め付けられるような重圧。

 操縦者への安全や操縦性を度外視し、速度の限界挑戦に挑んだ飛翔ユニットは最高の“格”の《金》のフレームでなければ、最悪はバラバラになっていてもおかしくない程の力が全身に掛かっている。

 その中で肩に設置された大砲を撃つなど、反動でどうなるか想像もつかない。

 

「問題ない。姿勢制御はこちらで行う」

 

 そう言う《C》の手は新たに増設されたキーボードの上で目まぐるしく踊る。

 《金》にはそれが何をしているか分からない。

 だが、己の身体に矢継ぎ早にかかる導力魔法の数々に彼の働きを察することが出来る。

 《騎神》はまず第一の条件としてその者の“武”の高さを選定基準とする。

 しかし今の《C》が見せているのは本来評価されることのない“術”に類する高み。

 《騎神》の――それも飛翔能力に秀でた《蒼》を上回る速度で飛ぶことを可能にしているのは現代技術の他にも《C》がリアルタイムで細かな設定を調整して更新しているからに他ならない。

 

『しかし、まだ戦場は遠いぞ』

 

 《金》の目を持ってもまだ戦場は遠い。

 もっともこの速度なら数分もしない内に貴族連合と正規軍の最前線に到着できるだろうと《金》は予想する。

 攻撃を開始するならば、もっと近づけば良いと《金》は進言する。

 

「いいや、この距離がベストだ」

 

 その提案を《C》は却下する。

 これ以上近付けば、まずレーダーで捕捉される。

 それでは奇襲の効果が半減してしまうと《C》は言い切る。

 

『しかし――』

 

「問題ない。今の私には《識の目》があるのだから」

 

 “響きの貝殻”を使って強化した戦術リンクにより、今の《C》は一時的にキーアの目で世界を見ていた。

 風の流れを始め、温度に音波、気圧が視覚情報となって《C》の優秀な頭脳を圧迫する。

 外部情報だけでも過剰だが、それに加えて機体の状態――装甲一枚の感覚さえも《C》は把握できていた。

 常人ならば拡大した感覚に混乱して発狂してしまいかねない情報量。

 これがキーアだったならば感覚で不必要な情報は遮断しているのだが、《C》はあろうことか自身のスペックを持って膨大な情報をねじ伏せる。

 

「これがキーア君やレン君の視界か……大したものだ」

 

 感心しながらも《C》の操作の手は止まらない。

 大まかに造られた飛行プログラムを逐次更新していく。

 この異常な重圧の中、怯まずむしろ楽しんでいるようにも見える《C》に《金》は閉口する。

 

『……どうなっても知らんぞ』

 

 《金》は諦めて起動者に身を任せる。

 未だに《金》の目を持ってしても点としか認識できない貴族連合の飛行艦隊。

 しかし、今の《C》の目にはどれが《パンタグリュエル》なのか《翠の機神》の活躍を含めて認識できる。

 その果てには地上で弟が正規軍側に立って戦っていることも把握できる。

 

「悪いね。ガイウス君、それにユーシス。ここから先は私たちの舞台だ」

 

 千里眼の如き目を持って、最前線で戦う二人に《C》は謝罪しながら、通信機に話しかける。

 

「こちらはセドリック皇子が率いる真・帝国解放戦線。これより戦闘に参加する」

 

 その言葉と同時に《C》はロングレンジバスターキャノンの引き金を引いた。

 

 

 

 

 

 黒い一条の光が何処からともなく飛来し、《パンタグリュエル》に命中した。

 

「被害は!?」

 

 艦を任されている領邦軍の艦長はすかさず被害報告を求めるが、帰って来たそれは肩透かしをするものだった。

 

「被害は……ありません!」

 

「何だ虚仮おどしか」

 

 艦橋の窓を覆い隠す程の黒い光が命中した時は冷やりとしたが、何事もなかったことに貴族の艦長は遅れて憤りを露わにする。

 

「どこのどいつの仕業だ! 索敵は何をしている!?」

 

 そう叫んだところで《パンタグリュエル》が揺れた。

 

「何だ!? 被害はないはずではなかったのか!?」

 

 苛立った声で叫ぶ艦長に答えたのは操舵士だった。

 

「艦の導力が低下!? 高度が維持できません!」

 

「何だと!?」

 

 目に見えた損傷はなかったはずだと考えながら、艦長は指示を飛ばす。

 

「第二エンジンに切り替えろ!」

 

「そ、それが第二エンジンの導力も低下して……」

 

「何だそれは……まるで《導力停止現象》ではないか!?」

 

 安全装置を含めた導力の喪失に艦長は狼狽え、最悪の予想が頭を過る、

 しかし、次の報告で艦橋に安堵の空気が流れた。

 

「導力の低下……止まりました。しかしメイン導力にサブ導力ともに残存量は三割……

 兵装への導力の供給も考えると、これ以上の航行は危険です」

 

「むう……仕方あるまい」

 

 艦長の決断は早かった。

 

「《パンタグリュエル》は戦線を離脱する。周囲の飛行艇に通達し撤退を援護させろ」

 

 武勲を立てるよりもカイエン公から借りた《パンタグリュエル》を墜落させてしまう失態を重く見て、指示を出す。

 だがそれに部下たちが従うよりも先に別の声が上がった。

 

「レーダーに反応あり! 正規軍の後方からこちらに急速で接近して来る機影あり!」

 

「カレイジャスか!?」

 

 この内戦で最も警戒するべき最新鋭の皇族の船。

 それには貴族連合が把握していない未知の技術が使われており、先程の導力を直接現象させた謎の兵器にも納得できる。

 

「それが……」

 

「どうした?」

 

「カレイジャスではありません」

 

 観測兵はレーダーの動きからその機体の速度を想像して息を呑む。

 それは計器の故障ではないかと思う程に異常だった。

 《カレイジャス》以上の速さの飛行艇が存在しないわけではない。

 速度で言うなら《カレイジャス》の元となったリベールの《アルセイユ》の方が速い。

 だが、レーダーから読み取れる速度はその《アルセイユ》よりも速いかもしれない。

 

「未確認飛行体から第二射来ます!」

 

「何としても回避しろ!」

 

 導力を直接減少させる謎の砲撃。

 もう一度命中すれば、緊急着陸さえできなくなり墜落する。

 しかし、最悪の想像が現実になることはなかった。

 《パンタグリュエル》の隣の飛行船が黒い光に撃ち抜かれる。

 爆発や炎上は起きないが、その飛行船も《パンタグリュエル》と同じように突然高度を落し始めた。

 

「何が起きているというのだ!?」

 

 黒い光は次々と貴族連合が展開している飛行船を撃ち抜いて行く。

 効果もそうだが、まだこちらの武装の射程距離の外から精密な狙撃で一方的に撃たれているなど悪夢でしかない。

 

「未確認機、こちらの射程に入ります!」

 

「迎撃を――」

 

「待てっ!」

 

 観測兵の報告に即応する砲撃兵に艦長は咄嗟に止める。

 《パンタグリュエル》の導力は著しく減少している。

 安全を考えれば兵装の導力を飛翔機関に回すべきではないかと、迎撃と安全を天秤にして艦長は迷う。

 その迷いに敵は待ってくれない。

 

「未確認機、なおも接近っ! あ――」

 

 観測兵が絶句する。

 その理由は艦橋に詰めていた者達は前面の窓を見て察する。

 遠くに見えた小さな点が瞬く間に大きくなり、次の瞬間高度を落した《パンタグリュエル》の頭上を通過していく。

 

「あれは……機甲兵なのか……?」

 

 艦を揺るがす振動にその場に尻もちを着いた艦長は呆然と呟く。

 一瞬見えた飛行艇には《機神》と呼ばれている機体が埋まっていた。果たしてあれを《機甲兵》と呼ぶべきなのか《飛行艇》と呼ぶべきなのか悩んでいると声が上がる。

 

「未確認機、旋回を開始! 戻ってきます!」

 

 悲鳴のような報告。そして後部確認用の導力カメラが捉えた映像が端末に映し出され、更なる驚きを叩きつけられる。

 飛行艇が搭載したコンテナの蓋が開く。

 上下左右、様々な場所に設置されたコンテナから撃ち出されたのは数えるのも馬鹿馬鹿しいと思うくらいの夥しい数の導力ミサイル。

 ミサイルが尾を引く煙に未確認機は瞬く間に覆い隠され、放たれたミサイルの数々は《パンタグリュエル》を中心に戦線に降り注ぐ。

 

「――くっ……煙幕だと!?」

 

 死を覚悟するもミサイルは煙を撒き散らすだけのスモーク弾だった。

 窓の向こうは煙で満たされ、更には導力波を撹乱する機能もあるのか、導力レーダーも利かなくなる。

 

「忌々しい! それでも帝国男児か!?」

 

 羽をむしられ、目と耳を塞がれた艦長は口汚く罵ることしかできなかった。

 だが、天が味方をしたのか強い風が吹き《パンタグリュエル》を覆い隠していた黒い煙が晴れる。

 そして彼らが見たのは――

 

「《紅い翼》……カレイジャス……」

 

 悠々と高度を《パンタグリュエル》を始めとした貴族連合の飛行艦隊の防衛線を突破する皇族の船を見送ることしかできなかった。

 

 

 

 

 

「帝都ヘイムダル……」

 

 貴族連合の防衛線を抜け辿り着いた帝都の空を《カレイジャス》の甲板からクリスは感慨深い気持ちで街を見下ろした。

 飛行艇で見下ろしたことは少ないが、バルフレイム宮からよく見ていた光景。

 トールズ士官学院に入学した時には、戻ろうと思えばすぐに戻れると割り切っていたその場所にクリスは郷愁を感じずにはいられなかった。

 

『クリス君、皇帝陛下は現在カレル離宮に幽閉されているわ。《カレイジャス》は予定通りそちらに向かうけど、任せて良いのね?』

 

「はい」

 

 ヘイムダルの市民に悪いと感じながら、クリスは気持ちを切り替える。

 

「行くよ――《テスタ=ロッサ》」

 

『応っ!』

 

 振り返って見上げた《緋》がクリスに応えて、彼を取り込む。

 同調した体の調子をクリスは確かめながら、レールハイロゥの台座に乗る。

 

「《緋の騎神》テスタ=ロッサ――クリス・レンハイム、行きますっ!」

 

 レールハイロゥのカタパルトから撃ち出された《緋》は《カレイジャス》から先行する形でカレル離宮へ向かって飛翔する。

 

「こちら――セドリック・ライゼ・アルノールだ」

 

 セリーヌの術で《騎神》の声を拡声して眼下のカレル離宮に向けてクリスは話しかける。

 帝都ヘイムダルの北西に位置し、崖の合間に建てられた皇族の別邸。

 バルフレイム宮とは別にクリスが育った家とも言える場所。

 改めて帰って来たのだなとクリスは感傷に浸る。

 だが、懐かしい景観の中には記憶にないものが配備されていた。

 

「対空砲……まあ予想通りか」

 

 崖の上を始め、そこには空からの侵攻を防ぐための大砲が各地に点在している。

 カレル離宮は文字通り離れであり、配備された砲台は多くない。

 

「セリーヌ、下の声は拾える?」

 

「ちょっと待ちなさい」

 

 セリーヌは術を行使し、地上の声を拾い集めて《緋》の中に流す。

 

「セドリック殿下を語る逆賊がっ!」

 

「ここを何処だと心得る! 不敬者めっ!」

 

「対空砲、何をしている! 早くあの忌々しい《機甲兵》を撃ち落とせっ!」

 

 聞こえて来た地上の怒号にクリスとセリーヌは黙り込む。

 

「大した近衛隊ね」

 

「あ……あははは……」

 

 セリーヌの言葉にクリスは乾いた笑いを返すことしかできなかった。

 クリスの想像ではカレル離宮に押し込まめられた近衛隊は皇帝の身柄の安全を最優先にするために貴族連合に従っているのだと考えていた。

 他の民衆は分からなくても、警護として顔を知ってくれているはずの近衛隊が偽物を区別できていないことにクリスはショックを感じる。

 

「道を開けろ! 何てやってみたかったんだけどな……」

 

「そんなことはどうでも良いでしょ? それよりどうするの?」

 

「大丈夫、意外ではあるけど想定の範囲だから」

 

 だからこそクリスは《緋》に乗って先行したのだから。

 

「魔弓バルバトス」

 

 左手に造りしは巨大な弓。

 照準を着けるために動き出す砲門を見据えながらクリスは弓に霊力を充填しながら矢を番う。

 

「セリーヌ」

 

「ええ、照準は任せなさい」

 

 頼もしい返事にクリスは笑みを浮かべて引き絞った矢を放つ。

 

「ジャッジメントアローッ!」

 

 放った一矢が枝分かれして十二の矢となって飛ぶ。

 放たれた矢はセリーヌの魔術によって十二の移動砲台へと誘導されて、全ての的を射抜く。

 

「――爆ぜろっ!」

 

 射貫いて砲手が逃げるだけの時間を与えてクリスは矢を爆破する。

 十二の砲台は一斉に爆ぜ、空への防御力を失ったカレル離宮に《カレイジャス》が降り立った。

 

 

 

 

 《ティルフィングP》に護衛されながら《カレル離宮》に《カレイジャス》は辿り着く。

 《ティルフィングP》は着陸した《カレイジャス》を見届けると、そのまま西の空に浮かぶ《トゥアハ=デ=ダナーン》へとの向かう。

 そして《カレイジャス》から戦闘員が降りて来る頃には、帝都方面の街道から貴族連合の援軍もまた到着していた。

 

「近衛軍中隊と装甲車二台と機甲兵が一機……あの様子だと後続もありそうだね」

 

 《カレイジャス》から降りたシャーリィが《緋》から降りたクリスに振り返る。

 

「どうする? シャーリィが蹴散らして来ようか?」

 

 “テスタ=ロッサ”を肩に担いでシャーリィが獰猛な笑みを浮かべる。

 

「いや……ここは……」

 

「ここは俺に任せてもらおう」

 

 そう言って、クリス達に背を向けて歩き出したのはロランスだった。

 

「それは助かりますけど、一人で大丈夫なんですか?」

 

 シャーリィの言葉を信じるのなら、敵は見えている部隊だけではない。

 何より相手に機甲兵もいる。普通ならば生身の人間一人に任せるのは無謀なのだが。

 

「問題ない」

 

 返って来た言葉は素っ気なくも頼もしいものだった。

 彼にそんな心配は無用だとクリスはあっさりと認める。

 

「分かりました。後続の部隊はロランスさんに任せます……

 《カレイジャス》の周辺の守りはキーアとスウィン、ナーディアに任せる。離宮へは僕とシャーリィ、ミリアムと《銀》で行く」

 

「待ってセドリック」

 

 手早く班を分け、いざ離宮へ行こうとしたところで艦橋で待機することになっていたはずのアルフィンがエリゼとアルティナを伴って《カレイジャス》から降りて来る。

 

「……あの……やっぱり……私も……」

 

「戦闘の邪魔になるからアルフィンは《カレイジャス》で待機している約束だよね?」

 

「分かってる……でも……」

 

 約束は分かっている。

 戦場では何の役に立たないことも自覚している。

 それでも父と母を助ける場面だからこそ自分も一緒に行きたいと居ても立っても居られない。

 今のアルフィンの気持ちをクリスは手に取る様に分かる。

 そもそもこうなることは想定していた。

 

「エリゼさんとアルティナの二人から離れない。これを守れるなら今回だけは許す」

 

「え……?」

 

 出撃前はしつこいぐらいにリベールに置いて行こうとした弟があっさりと言を翻したことにアルフィンは目を丸くする。

 

「行きましょう姫様」

 

「んっ」

 

 呆然と立ち尽くすアルフィンにエリゼとアルティナが背中を押して促す。

 その様子はまるで最初からこうなることが分かっていて、根回しもしていたと示すようにエリゼの腰には細剣があった。

 

「むぅ……」

 

 弟の手の平の上だという事にアルフィンは状況を忘れて頬を膨らませるのだった。

 

 

 

 

「止まって下さい」

 

 詰め所からの坂を登り切り、カレル離宮の扉の前の広場で《銀》は徐にクリス達を止めた。

 

「どうかしたんですか?」

 

 クリスは《銀》の突然の行動に首を傾げる。

 だが、その答えはすぐに分かった。

 足を止めたクリス達の前でカレル離宮の大きな扉に亀裂が走る。

 

「っ……」

 

 次の瞬間、扉は内側から爆ぜて石礫となってクリス達の足下まで降り注ぐ。

 《銀》が止めてなければその洗礼を頭から被っていただろう。

 

「はっ……流石と言っておくか」

 

 そして破壊された扉の向こうから現れたのは《痩せ狼》ヴァルターだった。

 

「《銀》に《血染め》に《白黒兎》……それに……ククク、随分と面白いメンツが集まったじゃねえか」

 

 ヴァルターはクリスを褒めるように笑う。

 選り取り見取りの歯応えのある獲物達を前にヴァルターは拳を鳴らす。

 

「月並みだがここを通りたければ俺を倒すんだな。どいつから来る? いや――」

 

 殺気交じりの言葉をヴァルターは《銀》に叩きつける。

 

「クロスベルの続きと行こうぜ《銀》!」

 

 凄まじい闘気を漲らせるヴァルターだが、対する《銀》は冷めた反応を返した。

 

「勘違いしないでもらえますか」

 

「あん?」

 

「私が帝国に来たのは《銀》として十億ミラ分の仕事を果たすため……

 そして“彼”の代わりにセドリック皇子の露払いをするため、ここでリーシャ・マオの復讐心を優先することはありません」

 

 はっきりとお前は二の次だと告げる《銀》にヴァルターは顔をしかめる。だがすぐに気を取り直して言い返す。

 

「はっ、だとしてもここで俺と闘わなければこの先には進めないぜ?」

 

「そうですね……」

 

 《銀》はヴァルターの言葉を認めてクリスに振り返る。

 

「どうしますかセドリック皇子? 御命令とあらば、十秒でこの駄犬をどかして見せますが?

 それとも全員で掛かって確実に息の根を止めますか?」

 

 求めるのはクリスの許可。

 物騒な物言いなのは《銀》の本音なのだろうが、聞き逃せない言葉がそこにはあった。

 

「十秒とは随分大きく出たじゃねえか? クロスベルでの千日手を忘れたのか?」

 

「覚えていますよ。その上で今は貴方を倒すための手段は用意していると言っているんです」

 

「上等じゃねえか」

 

 ヴァルターは律儀にクリスに視線を送り、許可を出せと促す。

 

「全員で掛かれば、むしろしぶとくなりそうですから、貴女だけで倒せるならお願いします」

 

「承りました」

 

 そう言って《銀》が構えたのは斬馬刀でも暗器でもなかった。

 

「エニグマ駆動」

 

 第五世代戦術オーブメントを駆動させた《銀》に一同は困惑する。

 

「ちょっとリーシャそれはないよ」

 

 シャーリィは思わず口を挟む。

 

「確かに《瘦せ狼》は格闘術に特化した戦闘スタイルだから、導力魔法で距離を取って戦うのは間違いってないかもしれないけどさぁ」

 

「誰が……距離を取って戦うと言いましたか?」

 

 シャーリィの疑問に《銀》は振り返らず、エニグマから導力を励起させたエネルギーを球体にして左手で持つ。

 本来ならばオーブメントの中でそのエネルギーは火や水に変換して撃つものなのだが、導力のまま外に出せばエネルギーはただ霧散するだけ。

 

「おい……まさか……」

 

 《銀》がしようとしていることに一同が困惑する中、何かに思い至ったヴァルターが目を剥く。

 

「《銀》が“東方人街の魔人”と呼ばれた所以の御業、見せて上げましょう」

 

 左手の導力の“外気”に《銀》は右手で練り上げた“内気”をぶつけさせる。

 相殺しようとする二つの気を反発、増幅するように調整をしながら一つになった“気”を身体に取り込む。

 

「――――神気合一」

 

 次の瞬間、クリス達の目の前から《銀》は消えた。

 

「うおっ!?」

 

 そしてヴァルターは《銀》の拳を顔面に喰らいカレル離宮の壁に叩き込まれた。

 分厚い壁が砕いて貫通し、離宮を揺るがす震動がクリス達の足下を揺らす。

 

「………………ふぅ」

 

 拳を振り抜いた《銀》は溜めた息を吐き、残心を解く。

 その吐息には心なしか清々しい爽快感があった。

 

「…………《銀》……それは……」

 

「あははっ! 何それ!? すごいじゃないリーシャ! 何をしたの!? どうやったの!?」

 

 クリスが“彼”を彷彿させる《銀》に掛ける言葉を迷っていると、シャーリィが歓声を上げて《銀》に擦り寄る。

 

「補助の導力魔法じゃあそこまでの出力は出せないよね?

 クォーツから改造したの? ねえ、教えてよぉ!」

 

 馴れ馴れしく擦り寄り、どさくさに紛れて胸に手を伸ばして来るシャーリィを《銀》は彼女の顔を掴んで腕をつっかえ棒にしてそれ以上の接近を拒む。

 

「《銀》……今の“神気合一”は……?」

 

「“神気合一”とは“外気功”と“内気功”を一つに合わせる技に近いものです……

 術理として紐解けば“彼”の技は決して真似できないものではありません。もっとも私はまだ戦術オーブメントを呼び水にしなければ使えませんが」

 

 以前クリスも“彼”から“神気合一”の原理を聞いたことはある。

 しかし特殊なクォーツで再現したことがあるとクリスは聞いているが、《銀》は“鬼の力”を宿すクォーツは持っていない。

 

「戦術オーブメントの本質は七耀の力を操作するオーブメントです。それをただの導力魔法を使うための装置にするかは使い方次第です」

 

「…………なるほど、年の功という――」

 

「何か言いましたか?」

 

「いいえっ! 何でもありません!」

 

 殺気を飛ばされてクリスは即座に口を噤む。

 

「それにしてもあの《痩せ狼》を本当に十秒で倒すなんて……あは! ねえリーシャ、内戦が終わったらさぁ――」

 

「丁重にお断りします」

 

 シャーリィの言葉に《銀》は素気のない言葉を返す。

 

「…………とりあえず進みましょう」

 

 弛緩した空気を引き締めるようにクリスは一同を促した。

 瓦礫と化した扉の残骸を超えてカレル離宮に入ると、そこには異様な空気が漂っていた。

 

「セリーヌ……?」

 

「ええ、上位三属性の力が働いているわね」

 

 外の喧騒を他所にカレル離宮の中は不気味な程に静まり返っていた。

 

「ねえねえ、それよりもあれ……」

 

 周囲への警戒をしながらミリアムがエントランスホールの先、階段に体を預けるように倒れているヴァルターを指差した。

 どれだけの衝撃があったのか、壁を貫通して階段に叩きつけられた彼の周囲はクレーターとなって潰れている。

 

「もしかして死んでる?」

 

「あの程度で死ぬほど可愛げがあるとは思いませんが……」

 

「クカカ」

 

 クリスの疑問に応えるように、そして《銀》の推測を肯定するようにホールに笑い声が響く。

 

「まさか……そんな手を使ってくるとはな……」

 

 壁に背中を預けたまま、ヴァルターは仰け反っていた血だらけの頭を戻す。

 ギラギラとした眼差しを《銀》に向けるが立ち上がる気配はない。

 

「どうする? 止め刺す?」

 

 シャーリィは“テスタ=ロッサ”を構えて確認する。

 

「やめておいた方が良いでしょう」

 

 シャーリィの提案に《銀》は首を横に振る。

 

「手負いの獣は何をするか分かりません。少なくてもすぐには立ち直れないだけのダメージにはなっているはずです。後はこれで十分でしょう」

 

 《銀》はいくつかのクナイを投げ放ち、その全てをヴァルターの身体を紙一重で掠らせて彼の影をその場に縫い留める。

 

「影縫い……ま、それくらいが妥当か」

 

 相手は半死半生でも《執行者》。

 特にヴァルターのような手合いは攻撃すれば元気になるだろうと同類の気持ちでシャーリィは“テスタ=ロッサ”を下ろした。

 

「しかしまさか《銀》が戦術オーブメントなんて使うとはな」

 

 影縫いでその場に固められたままヴァルターは《銀》に話しかける。その言葉は軽かった。

 

「行きましょう」

 

 それを無視して《銀》はクリス達を促す。

 

「え……ええ」

 

 クリスは頷くものの、ヴァルターから目が離せなかった。

 クリスだけはない。シャーリィもミリアムも、そして先を促した《銀》もその場に足を止めてしまっていた。

 

「俺はなぁ……今まであらゆる武術を喰らってこの拳の糧にして来た」

 

 突然始まったヴァルターの自分語り。

 血まみれで満身創痍なはずなのに飄々とした不気味な態度のヴァルターにアルフィンは体が震えるのを感じる。

 

「剣も槍も、とにかくあらゆる武術を喰いまくって俺の糧にしてきたわけだ」

 

「何が言いたい?」

 

 堪らず《銀》は聞き返すとヴァルターは口端を大きく吊り上げて笑う。

 

「つまりはこういうことだ」

 

 ヴァルターは視線を下へ、降ろす。

 クリス達はそれに倣って視線を彼の手元に落して見たのは、右手に握られた戦術オーブメント。

 無手の格闘家であるヴァルターが“それ”を持つ意味にクリス達は先程の《銀》を連想して息を呑む。

 

「まさか!?」

 

「あらゆる技をこの拳の糧にして来た《痩せ狼》が導力魔法なんていう贅肉をそのままにしておくわけねえだろ?」

 

 そしてヴァルターは告げる。

 

「エニグマ駆動――神気合一っ!」

 

 奇しくも先程の《銀》と同じ現象がヴァルターの身に起きる。

 “闘気”と導力魔法の“魔力”が混ざり合った“神気”を纏い、ヴァルターは影縫いの拘束も怪我もものともせずに立ち上がる。

 

「ヴァルターまで“神気合一”を使うなんて」

 

 まるでバーゲンセールだ、という言葉をクリスは飲み込んで戦慄する。

 

「さあ来いよ《銀》! クロスベルの続きをしようじゃねえか!」

 

 もはやヴァルターの中には《執行者》として内戦を見届けるという役割など微塵も残っていない。

 《銀》が覚えた技と自分が覚えた技が同じと言う、この偶然の一致にヴァルターは昂らずにはいられなかった。

 

「っ……やはりこうなってしまいましたか」

 

 想定外だが想定通り、影縫いを破ったヴァルターに《銀》はため息を吐き、戦術オーブメントにEPチャージを挿す。

 

「セドリック皇子、先程の言葉は撤回させてもらいます」

 

 ヴァルターを倒し切れなかったことを《銀》は謝罪するが、それを責めることをクリスはできなかった。

 

「いえ、早々にヴァルターの奥の手を切らせることができただけでも良しとしましょう」

 

 カレル離宮はクリスの家だが敵地でもある。

 後続の援軍はロランスに任せて安心ではあるが、だからと言ってのんびりしていられるわけではない。

 そう言う意味でヴァルターを本気にさせた《銀》の行動は決して無駄ではない。

 

「では――」

 

「ハッ、いつまでお喋りしてやがる?」

 

 次の瞬間、クリス達はヴァルターから距離を取って目を離していなかったにも関わらず、クリス達の中央に音もなく現れた。

 

「なっ!?」

 

「まずは一人」

 

「っ――!?」

 

 狙われたのは重い武器を持つシャーリィ。

 “神気”を纏った拳を見てシャーリィは死を覚悟する。が、《銀》が彼女を突き飛ばし彼と同じく“神気”を纏った手で拳を受け止める。

 

「ここは私に任せて行ってください!」

 

 ヴァルターの拳を掴み、抑え込みながら《銀》は叫ぶ。

 

「リーシャ……っ……」

 

 何かを言いかけたシャーリィは屈辱に顔を歪めてそれを呑み込み踵を返す。

 

「行こう……」

 

「うん……そうだね。悔しいけどボク達じゃリーシャの邪魔にしかならないみたいだから」

 

 シャーリィが駆け出し、ミリアムがそれに続く。

 

「セドリック皇子も早く!」

 

「はいっ!」

 

 《銀》の声にクリスは頷くと腰を抜かしていたアルフィンに手を伸ばし――

 

「私に任せてください。《クラウ=ソラス》」

 

「え……? ちょっと待ってくださいアルティナさん!?」

 

 アルティナが《クラウ=ソラス》にアルフィンを抱えさせてシャーリィ達の後を追って駆け出した。

 

「エリゼさんも」

 

「は……はい。でも……」

 

 後ろ髪を引かれる形でエリゼは《銀》の背中を見る。

 《銀》とヴァルターはいつの間にか両手を突き合わせ、力比べをするように“神気”をぶつけ合い、それだけでホールが激しく揺れている。

 

「悔しいけど僕達は彼女の戦いに割り込むことはできません。悔しいですけど」

 

 例えオーブメントを使っていたとしても“神気合一”に至っている二人にクリスは嫉妬の念を感じながらするべきこと、できることを考える。

 

「僕達が父上を救い出せれば、《銀》には戦わず逃げるという選択肢ができるんです。だから僕達は僕達がすべきことをしましょう」

 

「…………分かりました」

 

 クリスの言葉にエリゼもまた走り出す。

 そしてクリスもそれを追い、ホールから出る。

 直後、まるでそれを待っていたかのようにホールで一際大きな轟音が鳴り響くのだった。

 

 

 

 

 

 








神気合一レベル(独断と偏見による大雑把な区分になります)

レベル0 知識では分かる
クリス
「外気とかどうやって集めるのか分かりません」

ラウラ
「ぐぬぬぬ……」


レベル0.5 完全オーダーメイドの戦術オーブメント
ギルバート
「ふははははっ! これが結社の技術だ!」

カシウス
「ふむ、これなら麒麟功の方が使えるな」



レベル1 自分とは別の存在から常に外気が供給されているため、合一だけに集中できる人達
アリアンロード
「最大出力でしか使えないので自分の体が暴れ馬になった気分です。精進が足りませんね」

オズボーン
「《騎神》から供給されている“気”を利用していると言う点ではズルをしているようなものだがな」



レベル2 最初の集気の切っ掛けが必要で合一はできる
《銀》
「外気を自力で集めることはまだ無理ですが、後の合一と“神気”の維持はできるんですよね」

ヴァルター
「まだ三割の確率で不発させちまうがな」



レベル4 以上のことを自力でできる(技の完成ライン)
シズナ(予定)
「オーブメントで切っ掛け? 騎神の供給? そんなのに頼るなんてまだまだだねぇ」


レベル5
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「初代《銀》に術の原理を教えてもらって、《黒》の力に頼らなくてもできるようになりました……
 それから神気状態でも出力の強弱ができるようになって、一日中神気状態でもいられます」




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51話 カレル離宮

 

 

 

「ぐはっ!」

 

 皇族の住まいであるカレル離宮の廊下で《アガートラム》に殴られた近衛兵達が宙を舞う。

 

「そこっ!」

 

 持ち込まれた機械人形をシャーリィが“テスタ=ロッサ”のチェーンソーで引き裂いた。

 

「流石だね」

 

 援護のために抜いていた導力銃の役目がなかったことを少し残念と感じながらクリスは二人を労う。

 だが、二人はいつものように明るい言葉を返すことはしなかった。

 

「ミリアム? シャーリィ?」

 

「うん、シャーリィの方は問題ないけどさ……」

 

 念のためと言わんばかりに両断した機械人形を更に細かく解体したシャーリィは振り返り、《アガートラム》が殴り倒した近衛兵に油断なく向き直る。

 

「――皇帝陛下の下にはいかせない。皇帝陛下の下にはいかせない。皇帝陛下の下にはいかせない――」

 

「皇帝陛下の下にはいかせない。皇帝陛下の下にはいかせない。皇帝陛下の下にはいかせない

 

「―――――皇帝陛下の下にはいかせない。皇帝陛下の下にはいかせない。皇帝陛下の下にはいかせない――――――」

 

 複数の兵士たちが口々に同じ言葉を繰り返しながら立ち上がる。

 その顔に表情はなく、目を虚ろにして明らかに正気ではない様子だった。

 

「皇帝陛下の――」

 

「がーちゃん!」

 

 会敵からずっと同じ言葉を繰り返しながら斬りかかってくる近衛兵の剣をミリアムは《アガートラム》に防がせる。

 

「わわっ!」

 

 先程まで一方的に殴り倒していた《アガートラム》だが、今度の一撃は先程までのそれとは異なり、《アガートラム》がたたらを踏むように後退る。

 

「ミリアムッ!」

 

 《アガートラム》を押し退けてミリアムに迫る近衛兵にクリスは導力銃を撃つ。

 クリスの導力銃は剣の補助を目的としており、撃った弾丸は対象を麻痺させるための電撃の弾丸。

 しかし近衛兵はその弾丸をその身に受けても何の痛痒も感じないと言わんばかりに剣を振り上げる。

 

「フラガラッハ」

 

 アルティナの二つ目の戦術殻が振り下ろされた剣を受け止める。

 

「あーちゃん!? それにふーちゃん!?」

 

「私とフラガラッハを変な名前で呼ばないで下さい」

 

 ミリアムの声にアルティナは無表情な返事をしながら《フラガラッハ》に近衛兵を殴らせる。

 

「皇帝陛下の下にはいかせない。皇帝陛下の下にはいかせない。皇帝陛下の下にはいかせない」

 

 壁に叩きつけられた近衛兵はやはり何事もなかったように立ち上がり、同じ言葉を繰り返す。

 

「セリーヌ、これは?」

 

「おそらく上位三属性が働いている影響でしょうね」

 

 明らかに正気を失い、どれだけ痛めつけても不死の化物のように立ち上がって来る近衛兵達にセリーヌは顔をしかめる。

 

「したり顔で説明してないで何とかしてよ。あれって“魔女”の領分でしょ?」

 

 牽制の射撃に怯みもしない近衛兵達にシャーリィは辟易しながらセリーヌに働けと文句を言う。

 

「そんなこと言われたって私にできることはないわよ」

 

「はぁ……普段偉そうなことばっかり言ってるくせに使えない」

 

「何ですって!?」

 

「これならミスティに来てもらっていた方が正解だったかな?」

 

 不貞腐れたような、シャーリィは棘のある彼女らしくない嫌味を吐く。

 

「別に良いけどさ、猟兵でも命よりも“流儀”が大事だって言う奴もいるからさ……

 でもセリーヌがどうにかできないって言うなら、ここから先はもうシャーリィも手加減抜きで皆殺しを始めちゃうよ?」

 

「っ……」

 

 クリスの方針で、近衛兵を始めとした貴族連合の兵も帝国の民だから極力殺さないようにしたいというのがクリス陣営の方針である。

 シャーリィとしては依頼主のクリスの方針に従うことに不満はない。

 だが、殺さなければ止まらない呪われた兵士まで気遣っていられる程シャーリィは甘くなく、クリスもシャーリィに宣言に異を唱えることはしなかった。

 

「私は……」

 

 セリーヌの逡巡は一瞬、すぐにため息を吐いて一同の前に進み出る。

 

「仕方がないわね」

 

 セリーヌを中心に魔法陣が広がる。

 導力魔法とは違う“魔女の魔法”の行使に一同は目を見張り、その中でもシャーリィは敵に向けていた眼差しよりも鋭い視線でセリーヌの背中を睨む。

 

「ロゼから受け継いだ術……できれば使いたくなかったんだけど……」

 

 セリーヌの身体は魔術の光に包まれ、次の瞬間――

 

「その必要はありません」

 

 声は廊下の向こうから。

 彼女の主であるエマが魔導杖をかざすと三人の武器に深紅の焔が宿る。

 

「くらいなさいっ!」

 

「こっちです!」

 

 アリサとトワが並んで矢と魔導銃を撃つ。

 背後からの攻撃に彼らが振り返る間にサラとフィー、そしてミュラーが距離を詰めてそれぞれ焔を纏った剣を一閃する。

 

「ぐはっ!?」

 

「うぐっ!」

 

「ぎゃあっ!」

 

 彼女たちの攻撃を受けた近衛兵は崩れ落ち、纏っていた瘴気が晴れ、それ以上立ち上がることはなかった。

 

「サラ教官!? それに――」

 

 サラを始めとしたⅦ組のメンバーにミュラーの登場にクリスは驚いたところでリュートの音色が廊下に響いた。

 

「やあ、クリスにアルフィン。こんなところで奇遇だね」

 

 皇族の紅の礼服のオリヴァルトではなく、白い旅装束を纏ったオリビエがそこにいた。

 

「兄上っ!?」

 

「お兄様っ!?」

 

 驚愕する双子にオリビエはうんうんとしたり顔で頷く。

 

「奇遇だねって、どうしてここに!? 正規軍はどうしたんですか!?」

 

「はははっ! 正規軍とは何のことかな? ボクはクリス・レンハイムの兄であるオリビエ・レンハイム……

 正規軍の旗頭となっているオリヴァルト殿下とは別人さ」

 

「いや、そんな言い訳は……」

 

「ところでクリス。影武者とは良い文化だと思わないかい?」

 

 意味深な笑みを浮かべるオリビエとバツが悪そうにしているⅦ組の女性陣にクリスは察する。

 ルーファスが《C》として行動するために、クロスベルのルーファスという替玉を使っている事と同じ。

 今の正規軍の本陣に座っているのはⅦ組の男性陣の誰かがオリヴァルトに変装しているのだと。

 

「分かりました。そっちは良いです……

 それよりどうやってカレル離宮に潜入したんですか?」

 

「古来より離宮や皇宮には秘密の地下通路というものがあるのが定番でね……

 エマ君に精霊回廊を使って帝都近郊まで転移してもらってその地下道を使ってここまで来たんだよ」

 

「そんな地下道がここに?」

 

「ヴァンダール家の一部の人間にしか知られていない地下通路です」

 

 オリビエを補足するようにミュラーが説明を付け加える。

 

「本当なら俺だけで潜入するつもりだったのですが」

 

「何を言うか親友。君一人でこんなおいしい――もとい親友である君を一人で敵地のど真ん中に行かせるわけないじゃないか」

 

 ミュラーは良い笑顔で肩を叩くオリビエを睨み――言葉にしかけた説教を呑み込む。

 

「ミュラーさんが一人で潜入するって言うのも珍しいですね?」

 

「聞いてくれたまえクリス。実は――」

 

「確かめたいことがあったんです」

 

「確かめたい事?」

 

「父、マテウスはいったい何をしているのか……

 本来なら俺達が使った地下通路を使って皇帝陛下を貴族連合の魔の手から遠ざけるべきはずなのに、父上は内戦が佳境と迎えるこの戦況で変わらずに動く気配がないのはどういうことなのか……

 父上がもしも貴族連合の主張を鵜呑みにしているというのなら、最悪自分が……」

 

 音信不通な父の心積もりが分からずミュラーは苦悩する。

 

「そう言う事ですか……」

 

 ミュラーの皇族の護衛役であるヴァンダール家の責任感にクリスは納得する。

 確かに言われてみれば守護役筆頭のマテウス・ヴァンダールがこの期に及んで動こうとしないのは気になることだった。

 

「……いやまさか……」

 

 今は転がっている近衛兵達を見下ろしてクリスはその可能性を考えてしまう。

 

「さて、クリス。つもる話は互いにあるだろうが、ここは一先ず休戦としないかい?」

 

「休戦ですか?」

 

 オリビエの提案にクリスは聞き返す。

 

「本当ならボク達は君達より先に皇帝陛下をお救いするつもりだったのだけど、奇しくもボク達三人はここにいる……

 ならば兄弟仲良く、皇帝陛下を助けるのが一番美しいと思わないかい?」

 

「お兄様……」

 

「僕は……」

 

 オリビエの提案にクリスはオリビエと一緒に来ている《Ⅶ組》のラウラを除いた女性陣にサラとトワに視線を送って言葉を濁す。

 彼女たちを見て思わず考えてしまうのは“呪い”の影響。

 上位三属性の異常な空間となっている離宮で果たして彼らがいつまで正気でいられるのか、クリスには判断ができない。

 

「…………一緒に行くことは構いません。でも僕は兄上達と共闘をするつもりはありません」

 

 頑なな態度でオリビエの横をすり抜けて歩みを再開するクリスにオリビエは困った顔をして後に続く。

 

「ちょっとクリス」

 

 サラが呼び止めるが無視して進むクリスにオリビエは肩を竦める。

 

「申し訳ないサラ教官、どうやら弟は遅めの反抗期のようだ」

 

「ここでこれ以上問答をしている余裕はないだけです……

 僕達を進めさせるため、外で戦ってくれている人達がいる。彼らに報いるためにも僕達は一刻も早く皇帝陛下の下に辿り着かなければいけないだけです」

 

 このタイミングで《Ⅶ組》のみんなとまで言葉を交わしてしまえば口論に発展する予感がある。

 

「ま、そうだね。敵地で悠長におしゃべりはありえない」

 

 それに真っ先に頷いたのはフィーだった。

 前を歩くクリスに考えていた文句を呑み込み、歩き出す。

 そんなフィーにならって一言言いたいと思っていたⅦ組は顔を見合わせてからそれに続く。

 

「やはり父上がいるのは一番奥の間でしょうか?」

 

「おそらく、そうだろうね」

 

 クリスの呟きにオリビエは頷く。

 三階に上がり、長い回廊を歩きながらクリスは隣を歩く兄に質問を投げかける。

 

「兄上はクロウ・アームブラストを許すつもりなんですか?」

 

「…………」

 

 返って来たのは沈黙。クリスは構わず続ける。

 

「仮にクロウ先輩の主張が全て本当で、オズボーン宰相が悪だったとしても……

 オズボーン宰相の罪は彼を宰相に任命した皇帝の、僕達皇族の罪でもある……

 だけど、僕は復讐を免罪符にして更なる悪事を重ねたクロウを許すことはできません」

 

「クリス……」

 

「兄上が……トワ会長達の意志を汲みたいというのならそれは構いません……

 でもトワ会長達のようにクロウを許したいという人がいるように、クロウを絶対に許さないという人間がいるということを忘れないでください」

 

「…………ああ、その通りだ」

 

 オリビエにとってクロウは直接の面識は少なかったが、前任のⅦ組としていろいろ協力してもらった恩がある。

 故に擁護したいという気持ちがあるが、クリスが指摘した通りそれはオリビエの個人的な理由でしかない。

 

「本当に成長したな」

 

 隣を力強い足取りで歩く弟にオリビエは感慨深く涙ぐみ――突然、クリスは足を止めた。

 

「え…………?」

 

「ん……? どうしたんだいクリス?」

 

 回廊を半分程歩いたところで足を止めたクリスにオリビエは首を傾げる。

 近衛兵の増援が来たわけではない。

 むしろ三階に上がってからは静かなくらいだと感じていたオリビエが前方に視線を向けてそれを見た。

 

「子供?」

 

 そこには無造作に倒れていたのは一人の少年だった。

 黒い髪に、トールズ士官学院Ⅶ組の制服を着た少年。

 うつ伏せに倒れた少年の顔は見れないがその姿にオリビエは言い様のない衝動が込み上げてくるのを感じた。

 

「あ……ああっ!」

 

「■■■さんっ!」

 

 エリゼが狼狽えるのとアルフィンが戦列を忘れて飛び出したのは同時だった。

 周囲の警戒を忘れて少年に駆け寄ったアルフィンは投げ出された少年の手を取って叫ぶ。

 

「■■■さんっ! ああ■■■さんっ! な、なんでこんなに体が冷たく……」

 

 必死に呼び掛けるアルフィンの姿にオリビエは既視感を覚えて叫ぶ。

 

「ダメだ! アルフィンそれから離れるんだ!」

 

「え……?」

 

 兄の叫びにアルフィンが振り返ると、伏せていた少年が造り物の顔を上げる。

 誰も、何かを感じて反応できなかったがオリビエはかつての経験から抜き撃ちでアルフィンに襲い掛かろうとした少年の人形の額を撃ち抜いた。

 

「あ……」

 

 アルティナがすかさずアルフィンを抱きかかえて空中に退避する。

 そしてオリビエの射撃に遅れて、我に返った一同は一斉に銃を、魔法を、矢を放ち、人形は瞬く間にボロボロになって爆発する。

 

「…………今のは…………ボクは……誰を撃った?」

 

 呆然と呟いたオリビエに誰も応えを返す者はいなかった。

 言葉にできない“衝動”を感じているのはオリビエだけではない。

 何かとても大事なことを忘れているのではないかと立ち尽くす彼らに声が掛かる。

 

「うーん……最新の自走導力地雷とか言うとったけど、一人も巻き込めんかったか」

 

「ここまで来た者達だ。あの程度の罠では通用しないという事だろう」

 

 人形が起こした爆発の黒い煙が晴れると、そこには二人の猟兵がいた。

 

「ゼノ……それにレオ……」

 

「ここで“西風”の二人か」

 

 言い様のない不快感を胸に感じながらフィーとシャーリィは二人を睨む。

 

「まーまーそんな怖い顔せんといてや。ほんの挨拶代わりやないか」

 

 悪びれた様子もなくゼノは笑うが、一同の異様な沈黙にバツを悪くして頭をかく。

 

「ゼノ……今のは何?」

 

 フィーの質問に良く聞いてくれたとゼノは嬉しそうに話し始める。

 

「あれはうちらのSウェポンを注文しとる工房が作った最新の自走導力地雷ちゅうもんでな……なかなかおもろいやろ?」

 

「ふざけるなっ! あれのどこが面白いんだ!?」

 

 悪趣味極まりない自走導力地雷にクリスはようやく声を上げて怒鳴り散らす。

 

「別に人間を爆弾にしたわけやないんやからそんなに怒らへんでもええやろ?」

 

 飄々とした態度にクリスは我慢の箍を外して剣を抜き――

 

「待ってクリス」

 

「フィー! 邪魔をするなっ!」

 

 肩を掴むフィーの手を乱暴にクリスは振り払う。

 

「邪魔なんてしないよ」

 

「え……?」

 

 意外なフィーの言葉にクリスは振り返るが、フィーはその横をすり抜けて前に出る。

 

「どうしてクリスがわたしたちに怒っていたのか、少しだけ分かったかも」

 

 地雷の外見をさせられていた少年は《Ⅶ組》の制服を着ていた。

 フィーには彼に見覚えのない初めて見る顔だった。

 しかし、その見覚えのないはずの少年を爆破され、フィーが感じたのは怒りだった。

 そしてアルフィンやクリスの反応を見る限り、“彼”が《Ⅶ組》にいたはずだったのだろう。

 

「ゼノとレノの相手はわたしがする。だからクリス達は先に行って」

 

 双銃剣と導力ブーツを起動させフィーは構える。

 

「おいおいフィー、オレら二人を一人で相手しようなんて随分と生意気言うようになったやないか?」

 

「敵との力の差は冷静に分析しろと教えたはずだ。お前では俺達には勝てん」

 

「いちいちうるさいなぁ」

 

 ゼノとレオニダスのフィーを諫める言葉はシャーリィが吹かせた“テスタ=ロッサ”のエンジン音に掻き消される。

 

「別にあんた達がどんな武器を使おうかなんて、そっちの勝手だから別に良いんだけどさぁ」

 

 シャーリィもまたフィーやクリスと同じように理由の分からない怒りに苛立っていた。

 これまで奔放に生きて来たシャーリィにとって初めて感じる憤り。

 あの少年は決して雑に爆破されて良い相手ではないと、知らない自分が胸の奥で激怒しているのをシャーリィは自覚する。

 

「クリスは悪いけど護衛はここまでにさせてもらうよ……

 シャーリィはこの二人を何が何でも潰したくなったから」

 

「シャーリィ……いえ、僕からもお願いします。ガツンと思いっきりぶっ飛ばしてください」

 

 ここまで仕事に徹してくれていたシャーリィの我儘をクリスは認める。

 むしろシャーリィがそう言ってくれていなかったら、第一目標を忘れてクリスが戦おうとしていただろう。

 

「ん……まあシャーリィなら良いか」

 

 シャーリィが提案するタッグにフィーは頷く。

 

「はっ……ガキどもが調子に乗り過ぎやろ」

 

「我ら西風の守り、簡単に通れるとは思うなよ」

 

 ゼノとレオニダスはそれぞれブレードライフルとマシンガントレットを構える。

 それと対峙するフィーとシャーリィはそれぞれの銃口を二人に突きつけて――

 

「あ……」

 

 後ろから見ていたクリスはシャーリィが“テスタ=ロッサ”を片手に、もう片方の手を後ろに隠して《ARCUS》を駆動させていることに気付く。

 

「――ヒートウェイブ」

 

 シャーリィの小さな呟きを持ってゼノとレオニダスを中心に導力魔法の炎が発生する。

 

「なっ!? 人喰い虎が初手で導力魔法やと!?」

 

「っ――だがこの程度で我らの不意をついたと思うなよ」

 

 意外なシャーリィの行動に驚きはしたものの二人は歴戦の猟兵であり、炎の中心から素早く後退して距離を取る。

 

「もちろんそんなことを思ってないよ。欲しかったのはこの距離だからっ!」

 

 シャーリィはチェーンソーの刃帯の一方が外れ、剣の鞭となって炎の向こうの二人に振り下ろされる。

 

「おいおい! まさか!?」

 

「法剣……テンプルソードだと!?」

 

 導力魔法以上に似合わない教会の法剣を思わせる刃にゼノとレオニダスは驚愕する。

 

「いつの間にそんなものを?」

 

「チェーンソーの刃って法剣に似てるって言ったらティータが作ってくれたんだよね」

 

 クリスの疑問にシャーリィは笑いながら“テスタ=ロッサ”を振り回す。

 火炎を纏った剣鞭が嵐となってゼノとレオニダスに襲い掛かり、吹き荒れる暴風が回廊の一角を二人ごと吹き飛ばす。

 

「や……やったの?」

 

「うーん……派手に吹っ飛ばしただけかな?」

 

 引き戻した刃帯をチェーンソーに戻してシャーリィは新しい兵装の調子に満足そうに頷く。

 

「むぅ……一人でやらないでよ」

 

「あはは、ごめんごめん」

 

 唇を尖らせるフィーにシャーリィは軽い謝罪をしてクリス達を振り返る。

 

「じゃあシャーリィ達はあの二人に止めを刺して来るから」

 

「後は任せた」

 

 ひらひらと手を振るシャーリィと言葉少なく告げたフィーは二人を追うように破壊された回廊から外へと飛び降りた。

 

「…………大丈夫ですかエリゼさん?」

 

 シャーリィ達を見送り、静かになった回廊でクリスは振り返ってへたり込んだエリゼを気遣う。

 

「セドリック殿下……今の人は……? 私は……私は……」

 

「無理に思い出そうとしなくて良いんです。あれは人形……

 貴女の中にいたはずの人と同じ顔をしていても、ただの人形なんですから」

 

 他の人を見るが、エリゼ程の動揺をしている者はいない。

 

「エリゼさん、貴女はここで引き返した方が――」

 

「いいえ、大丈夫です」

 

 呼吸を整えてエリゼは立ち上がる。

 

「今の私はシュバルツァー男爵家の長女であり、姫様の友であり、護衛役です……無様をさらして申し訳ありませんでした」

 

 アルフィンを守るために動けなかったことを毅然と謝罪するエリゼにクリスは複雑な感情を抱かずにはいられなかった。

 エリゼと話したい事、“彼”の名を叫んだアルフィンに問い詰めたい事は山ほどできたがそれをしていられる余裕はない。

 

「…………行きましょう兄上。目的地はもうすぐそこです」

 

 葛藤を振り払い、クリスはオリビエを促して進む。

 

「あの猟兵に関しては二人に任せておけば良いでしょう。それよりも覚悟をしてください」

 

「覚悟……?」

 

 首を傾げるオリビエにクリスは告げる。

 

「ミュラーさんの懸念が正しいのなら、この先にいるのはおそらく……」

 

 クリス達は回廊から進み、最奥の間への扉の前に立つ。

 ここに至ればクリスでも分かる。

 

「これは……」

 

「どうやら上位三属性が働いている原因はこの扉の先にあるようですね」

 

 セリーヌとエマはその濃密な気配に慄く。

 クリスは一度振り返り一同の顔を確認する。

 クリスの陣営としてミリアムにアルティナ、アルフィンとエリゼ。そしてセリーヌ。

 オリビエの陣営としてミュラーとサラ、そしてアリサとエマとトワ。

 扉の向こうに“猛獣”がいるような気配を感じながらも、誰もそれに臆する様子はない。

 

「それでは開きます」

 

 クリスの言葉に一同は武器を構え――オリビエは警戒を彼らに任せてクリスの隣に立った。

 

「兄上?」

 

「さっき言っただろ? 一時休戦だと……共にこの内戦をくぐり抜けて来た姿を父上に見せようじゃないか」

 

「……兄上……」

 

 おどけた調子で微笑みかけて来るオリビエにクリスは苦笑をして、扉の左側の取手を掴む。

 

「わ、私も……」

 

 オリビエに遅れてアルフィンも前に出てクリスの手に己の手を重ねる。

 

「ふふ、初めての兄妹の協同作業というわけか」

 

 オリビエは右の扉の取手を掴む。

 三人は一度顔を見合わせ、息を合わせて扉を開いた。

 

「ようこそ御出で下さりました、皇子皇女殿下」

 

 最奥の広間、風光明媚な景色を一望できる壁一面の窓を背にクリス達を出迎えたのはパンタグリュエルで会った男だった。

 

「アルベリヒ・ルーグマン」

 

「おじさま……どうしてここに?」

 

 彼の名を呟くクリスの言葉にアリサの驚きが重なる。

 知り合いなのか、カイエン公の相談役とアリサが面識があったことに驚くが、それを口にするより先に広間に声が上がった。

 

「いかん! セドリック、オリヴァルトもアルフィンを連れて逃げるのだ!」

 

 その声はアルベリヒの背後、窓際に立っていたプリシラ皇妃に付き添われたクリス達の父、ユーゲント皇帝のものだった。

 

「父上っ!」

 

 二人の無事な姿にクリスは安堵すると共に声を上げる。

 だが、その二人を隠すように一人の男が彼らの間に立った。

 

「なっ!?」

 

 それは異様な風貌の男だった。

 一つ目の鉄兜を頭に被り、そこから生えた《戦術殻》の触手に上半身を鎧のように寄生された男は近衛兵達のようにうわ言を繰り替えして大剣を構える。

 

「皇帝陛下には指一本触れさせない……皇帝陛下には指一本触れさせない」

 

「なっ……」

 

 その姿にミュラーは言葉を失う。

 鉄仮面のから聞こえて来る声。

 《戦術殻》の鎧の下にある服装と何よりも彼が構えている“ヴァンダールの宝剣”が彼の正体を気付かせる。

 

「父上……何ですか?」

 

「皇帝陛下には指一本触れさせない……皇帝陛下には指一本触れさせない」

 

 その呼び掛けに彼は応えない。ただ同じ言葉を繰り返す。

 

「貴様っ! 父上に何をした!?」

 

 上半身を戦術殻に呑まれたマテウスの姿は先程の人型自走導力地雷とは別の悍ましさを感じさせ、ミュラーはその場にいるアルベリヒを睨む。

 

「ふふ、彼に動かれては《貴族連合》の邪魔になるので少々洗脳させてもらったのだよ」

 

「洗脳だと!?」

 

 今にも襲い掛かって来そうなミュラーの気迫にアルベリヒは余裕に満ちた態度でマテウスに話しかける。

 

「マテウス卿、どうやら彼らは皇帝陛下の命を狙う逆賊のようです……

 皇帝陛下を守るため、その“ヴァンダールの剣”を思う存分に振るってください」

 

「皇帝陛下……命……逆賊…………守る……守る……ヴァンダール……」

 

「ち、父上……」

 

「オ…………オオオオオオオオオオオオオオオッ!」

 

 マテウスの叫びと共に呪いの風が広間に吹き荒れる。

 

「皇帝陛下に仇なす者は全て――キル――」

 

 マテウス・ゾア・バロールは雷神を纏う剛剣を振り下ろした。

 

 

 

 

 

 






内戦でも黄昏でも仕事をしてなかった(役に立っていなかった)マテウス卿。
かなり重要な役職持ちなのに原作ではいったい何をしていたんでしょうね。


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52話 傀儡

 

 

 

「はああああああっ!」

 

「オオオオオオオッ!」

 

「喰らいなさいっ!」

 

「とりゃあああっ!」

 

 クリス、ミュラー、サラ、ミリアムの四人が同時に広間の中央を陣取るマテウスに攻撃を仕掛ける。

 いくら達人であってもマテウスの腕は二本、剣は一つ。

 四人の同時攻撃ならば繰り出された三つの剣と拳は――ゾア・バロールが張った障壁に受け止められる。

 

「ちっ――」

 

 舌打ちをしながらクリス達はその場から離れる。

 

「剣よっ!」

 

「とっておきの一発だ!」

 

「レインボーショット!」

 

 前衛が退いたタイミングに合わせてエマの魔術の剣が、オリビエとトワの十字砲火がマテウスに降り注ぐ。

 

「破邪顕正」

 

 マテウスの剣の一閃が虚空を切り裂き、黒い閃撃に魔法も導力の弾丸も全て呑み込まれる。

 

「はははっ! これがマテウス卿の本気か、すごいじゃないか!」

 

「笑い事ではない」

 

 笑うオリビエにミュラーは顔をしかめながら突っ込みを入れる。

 

「いや、笑うしかないだろ親友? 士官学院の頃の手合わせなどとはまるで違う。マテウス卿はボク達の事を敵として認識しているのだから」

 

「くっ……」

 

 オリビエの指摘にミュラーは唇を噛み、父の醜態に憤り斬りかかる。

 

「目を覚ましてください父上っ!」

 

「皇帝陛下には指一本触れさせない……皇帝陛下には指一本触れさせない」

 

 鍔迫り合いながら叫ぶミュラーにマテウスは同じ言葉を繰り返す。

 それはある意味で正しい皇室の警護を役目とする『アルノール家の守護者』の姿なのかもしれない。

 貴族連合に組していた最悪ではなかったが、父の変わり果てた姿にやるせなさが込み上げて来る。

 

「皇帝陛下には指一本触れさせない!」

 

「ぐっ……」

 

 洗脳されているにも関わらず、マテウスの剛剣には一遍の曇りもなく、むしろ全身に満ちた《呪いの力》がミュラーの剛剣を軽々と弾く。

 

「ミュラーッ!」

 

 オリビエの声を背後にミュラーは躊躇のないマテウスの剛剣を――剛剣はクリスとサラが剣を交差させて受け止める。

 

「戦えないならさがってください! ミュラーさん!」

 

「ここは私たちが!」

 

 二人は動きを同調させ、導力銃を至近距離から連射する。

 ほぼ零距離の銃撃は戦術殻が作る不可視の結界に阻まれる。

 しかし、それは織り込み済み。

 クリスが連射を続けている間に、サラは導力銃を宙に投げると閃光弾をその場で炸裂させる。

 

「ギガントブレイクッ!」

 

 すかさずミリアムがマテウスの鉄仮面に包まれた脳天に巨槌に変形させたアガートラムを叩き込む。

 

「やったか?」

 

 剛剣を封じ、障壁を前面に出させて無防備な上から攻めた連携に俯瞰して見ていたオリビエは思わず言葉をもらす。

 

「…………うそぉ……」

 

 しかしミリアムの渾身の一撃はマテウスの左腕一本で受け止められていた。

 後衛の援護を受けて、前衛組は何度目かになる攻撃から撤退してマテウスから距離を取る。

 幸いなことに広間の中央を陣取っているマテウスはその場を守ることを優先して追撃をすることはない。

 

「…………次はクリスの番だけど、どうする?」

 

 追撃はないものの、警戒として前に出て導力銃を向けるサラはクリスに尋ねる。

 ここまで手を変え、品を変えてマテウスの守りを突破しようとした。

 ミュラーを主軸にした攻撃、サラの機動力を生かしマテウスを無視して皇帝を確保しようとした策も、今の同時攻撃にミリアムの渾身の一撃。

 その全てが封殺された。

 今のクリスを教え子だと侮っているわけではないが、彼の能力はどれも二流。

 自分達が通用しなかった相手にクリスを主軸に戦術を構築しても通用するとは思えない。

 

「…………試したいことがあります。五分……いえ、三分時間をください」

 

「良いわ。やってみなさい」

 

 クリスの提案にサラは即答を返す。

 

「少佐! ミリアムもそれで良いわね!?」

 

「……ああっ!」

 

「オッケー!」

 

 自分を残してマテウスに向かって行く三人をクリスは見送って、後衛まで下がる。

 

「セリーヌ。あれをやるから補助をよろしく」

 

 不安げな声を掛けて来るアルフィンを無視してクリスはセリーヌに呼び掛ける。

 

「あれって……本気なの?」

 

 クリスの提案にセリーヌは思わず聞き返す。

 

「僕の中でマテウス卿に通じるかもしれない手札はあれしかない。だったらやるしかないだろ?」

 

 クリスは深呼吸をして《テスタ=ロッサの魔剣》を鞘に納めて意識を集中する。

 

「顕現せよ……《ブリランテ》」

 

 もはや慣れた感覚でクリスは離れた《テスタ=ロッサ》の霊力を使って“炎の大剣”を右手に錬成する。

 

「ああ、もう!」

 

 悪態を吐きながらセリーヌは魔法陣を広げてクリスのサポートを始める。

 

「クリスさん、セリーヌ……一体何を?」

 

 見たことのない術の行使にエマは二人が何をしようとしているのか分からず困惑する。

 

「っ――」

 

 クリスは息を詰めて、左手で胸を掴む。

 胸の奥に燃える《呪いの焔》。

 帝国人なら全ての者が持っている《呪いの種火》にして《鬼の力》の源泉。

 度重なる暴走によってそれを意識することにできるようになったクリスはその“力”に触れて解放する。

 

「ぐっ……うぅ」

 

 《呪い》の力を自分ではなく剣に注ぎ込む。

 再三に渡る暴走でクリスは自分に《呪い》を御する、《神気合一》に至れる“器”ではないと思い知った。

 それこそ《銀》や《痩せ狼》のように戦術オーブメントを使った所で身に余る力をその身に留めることはできない。

 だからこそ、クリスは《神気合一》への羨望は捨てた。

 

「これが……僕の《鬼の力》だっ!」

 

 クリスは自分の中の《鬼気》を剣につぎ込む。

 “アガートラム”が《テスタ=ロッサ》の内なる呪いを右腕に集約させたように、剣に《鬼気》を宿らせる。

 紅耀石で造られた刀身の結晶が膨張するように大剣を覆い尽くし――余分な結晶が音を立てて砕け散る。

 

「っ……」

 

 一回り大きくなり、紅と黒が入り混じった炎の大剣を陽に構え、クリスは駆け出す。

 

「退いてくださいっ!」

 

 声と共にクリスは駆け込み、身体を一回転させ遠心力を乗せた炎の斬撃を横に薙ぎ払う。

 

「螺旋撃っ!」

 

 炎を伴った一撃にゾア・バロールの結界が砕ける音が響き、盾にした剛剣が跳ね、決して動こうとしなかったマテウスの足が後ろに三歩たたらを踏む。

 

「よしっ――っう!」

 

 自分の力が通じると分かった瞬間、マテウスの反撃にクリスは大きく弾かれ、押し込んだ数歩を戻される。

 

「まだまだっ!」

 

 クリスは怯まず炎剣を振る。

 片手で振るっていた剛剣を両手で握り締めてマテウスはクリスを迎え討つ。

 

「おおっ……」

 

「ああ……」

 

 マテウスに後退りさせた。

 その事実にクリスの雄姿を正面から見ていたユーゲントと、背後から見ていたオリビエの感嘆が重なる。

 

「見ているかプリシラ……セドリックがマテウスと剣を交えている」

 

「ええ……ええ……あの頼りなかった子がこんなにも強く育ったのですね」

 

 皇帝と皇妃は息子の成長を目の当たりにして感激する。

 

「トールズに一年早く進学したいと言い出した時はどうなるかと思ったけど……」

 

 クリスがどうして護衛役を付けずに一年早く、士官学院に進学したいと言い出した理由は思い出せない。

 しかし、そんな些細なことよりもオリビエは弟がマテウスという帝国最強の一角と戦える程に成長をした事実に嬉しくなる。

 そして、彼らとは別にクリスの戦いに感嘆をする者がもう一人いた。

 

「ふむ、《鬼の力》をそう使うか」

 

 腕を組み、顎に手を当てて戦場を観察していたアルベリヒは期待していなかった皇子の成長に軽い驚きを感じていた。

 

「“千の武具”に《鬼の力》を乗せるか……」

 

 《鬼の力》とは今やゼムリア大陸に住む九割の人間に潜む《鋼の呪い》。

 今や帝国だけに留まらず世界中の人々の中に存在する“呪い”は本来なら体の外で作用することはない。

 

「それを可能としたのは《緋》の“千の武具”の力か……《緋》の変化も含めて実に興味深い」

 

 “千の武具”は霊力で錬成しているため、ある意味で体の延長と見ることが出来る。

 

「体の外では《呪い》が人格に与える影響も最小限に済ませることが出来るか……しかしアルノールの血の力を付与術如きに費やすとは嘆かわしい」

 

 時代が違えば大魔術師にもなれただろう才能を錬成と付与というつまらない術に消費されていることにアルベリヒはため息を吐く。

 見た目は派手で、一見すればマテウスと斬り結べているがそれは周りの的確な援護のおかげに過ぎない。

 クリス自身の武芸の腕は凡庸。

 いくら武器を強化したところで、《達人》の域に至ることはない。

 

「やはり見るべきものなどありませんでしたよ閣下」

 

 独り言を呟き、この無駄な時間を終わらせるためにゾア・バロールに新たな命令をアルベリヒは送る。

 

「動かないで」

 

 その背に突きつけられたナイフの感触にアルベリヒはその動きを止めた。

 

「ほう……」

 

 背後からの声にアルベリヒは振り向こうとして――

 

「動かないでと言ったはずよ」

 

 ナイフを背中に押し付けられてアルベリヒはその動作を止めて、話しかける。

 

「マテウスの警戒範囲を読み解き、仲間たちを囮にして私の下まで辿り着いたか……ふふ、一体誰の薫陶だろうな」

 

「黙りなさい!」

 

 皮肉を多分に含んだ賞賛にアリサは禍々しい短剣を強調するようにアルベリヒの背中に押し付ける。

 

「オジ様……貴方には聞きたいことが山ほどあるけど、まずはあのマテウス卿を操っている戦術殻を止めなさい!」

 

 私情を押し殺してアリサはアルベリヒに要求するが、返答はアルベリヒの忍び笑いだった。

 

「私情を捨て、仲間の働きさえも合理的に利用する……それはイリーナの薫陶かな?」

 

「っ……」

 

 背後で命を握られているというのにアルベリヒはむしろ楽し気にアリサに語り掛ける。

 

「ダインスレイブは見事だったよ。機甲兵用の兵器へと転用するのも楽だった。あの薫陶はフランツか、それともグエンによるものだろうか?」

 

「何で……何で父様やお爺様の名前が……貴方はいったい……」

 

 アルベリヒの不気味さに突きつけた短剣をアリサは震わせる。

 

「ああ、“魔女”の邪魔さえなければ、私の“器”になるはずだった歴代最高の逸材」

 

「っ……」

 

 振り返らずに遠くを見て語り始めるアルベリヒにアリサは背中に冷たいものを感じる。

 言葉で説得などせず、問答無用で殺すべきだとアリサは合理的な判断をする。

 だが、その一方で父と同じ顔をしたアルベリヒを、何よりも人を殺すということにアリサは躊躇してしまう。

 その迷いに――

 

「クルーガー」

 

 アルベリヒがその名前を呟くと短剣を突き付けていたアリサの腕が撥ね上がった。

 

「なっ!?」

 

 そのまま腕に絡まる糸がアリサを持ち上げて、宙吊りにする。

 

「ふふ……」

 

 アルベリヒは悠々と振り返り、腕を吊るされたアリサを見る。

 

「っ……」

 

 目を合わせてアリサはアルベリヒのまるで虫を観察するような眼差しに体を震わせ、彼の背後に着地した女性に意識が奪われる。

 

「シャ……シャロン……?」

 

 目元を黒い仮面で覆い隠し、服装はメイド服ではない露出の激しいスニーキングスーツを身に纏っているがその姿は紛れもなく姉と慕い、ユミルの地で自分を庇って谷底に墜ちた姉の姿だった。

 

「生きて……いたの……シャロン……」

 

「…………」

 

「シャロン?」

 

 何も答えずアルベリヒの背後に控えるシャロンにアリサは戸惑う。

 

「ふふ……」

 

 含み笑いを浮かべるアルベリヒをアリサは睨みつける。

 

「シャロンに何をしたの!? こんなハレンチな格好をさせてっ!」

 

「…………まず一つ言わせてもらおう。彼女の今の姿は、彼女の趣味だ」

 

「嘘よっ!」

 

「嘘ではないよ。彼女はラインフォルトのメイドになる前から、この姿を色香を武器にする暗殺者だった」

 

「シャロンが……暗殺者……?」

 

 アルベリヒが語るシャロンの正体にアリサは耳を疑う。

 しかもラインフォルトのメイドになる前ともなれば、今の自分よりも幼い頃からそんな暗殺者だったという事実にアリサは困惑する。

 

「だが、そんなことは今はどうでもいい」

 

 アリサの戸惑いを無視してアルベリヒは手を伸ばす。

 

「ラインフォルト家が崩壊しその才能の芽は潰えたかと思ったが、この内戦で君の才能が枯れていないことが分かった」

 

「っ……」

 

 言葉の意味は半分も分からない。

 それでも無機質なアルベリヒの眼差しに、自分は何故こんな男を信用して縋ったのかと自己嫌悪に恥じる。

 

「良い機会だ。ここで“預言”を戻そう。所詮この“器”は間に合わせのものに過ぎないのだから」

 

 アルベリヒは傍らに黒い球体を出現させると、アリサの額に触れる。

 

「アリサッ――ぐっ!」

 

 アルベリヒの背後でクリスが声を上げたところでマテウスの一撃が炎の剣を叩き、押し返す。

 床を滑るように吹き飛ばされたクリスは大剣を構え直し――その刀身に亀裂が走る。

 

「しま――」

 

 大剣はそれを切っ掛けに音を立てて砕け散る。

 そこにすかさずマテウスは追撃に迫る。

 

「父上っ!」

 

「行かせないっ!」

 

「がーちゃんっ!」

 

 強引に割り込んだミュラーとサラを剛剣で薙ぎ払い、障壁を張った《アガートラム》とミリアムを跳躍して背後を取り蹴り飛ばす。

 

「くっ……」

 

 《鬼の力》を使った剣が砕けた反動で身体が痺れるクリスの前にマテウスが立つ。

 オリビエ達の援護射撃はゾア・バロールの結界に阻まれ彼の邪魔にはならない。

 

「セドリックッ!」

 

 皇帝の声さえもマテウスを止める一因にはならない。

 

「マテウス卿……」

 

 こんなところで終わるのか。

 クリスは痺れる体で凶刃を掲げたマテウスを睨む。

 

「クリスッ!」

 

「セドリック!」

 

「アリサさんっ!」

 

 マテウスの剛剣が振り下ろされる。

 アルベリヒの手がアリサの額に触れる。

 

 そして――

 

「――――どうやら間に合ったようですね」

 

 マテウスの剛剣を細身の長剣で受け止めた男は安堵の息を吐く。

 

「アルゼイド子爵!?」

 

 自分を庇った男の背にクリスは驚く。

 それはセントアークの病院に入院しているはずの《光の剣匠》、ヴィクター・S・アルゼイドだった。

 

「どうして貴方がここに!?」

 

「帝国の一大事の今、怪我をしているからと寝ていてはアルゼイドの名折れというものですよ殿下」

 

 顔だけを振り返らせてヴィクターは余裕の笑みを浮かべる。

 

 そして――

 

「っ……邪魔をするか」

 

 アルベリヒの手は奇妙なことに彼自身の逆の手に掴まれてアリサに触れることはなかった。

 

「何処までも忌々しいフランツ・ラインフォルト」

 

 そのまま誰にかに後ろに引っ張られるようにアルベリヒは後退り、顔を曇らせる。 

 

「父様? どうしてその名前が?」

 

 彼の口から出て来た名にアリサは困惑する。

 

「だが、無駄だ……貴様がいくら抵抗したところで――」

 

 それは突然だった。

 戦場の喧騒に美しくも背筋を凍らせる歌声が響き渡る。

 

「――始まったか」

 

 アリサへの意識を逸らして、アルベリヒは振り返り窓の外へと視線を向ける。

 帝都の方向のから立ち昇る蒼い光の柱を見上げる。

 

「そんな……この唄は……この唄声は……」

 

 同じものを見上げたエマは声と歌の内容、二重の意味で耳を疑う。

 

「魔王の凱歌」

 

 次の瞬間、離宮を、帝国を揺るがす地震が起きる。

 

「っ……一体何が……?」

 

 光の柱はクリス達が見ている間に変化していく。

 

「あれは……夏至祭の時に現れた《煌魔城》?」

 

 窓の外に見えていた帝都のバルフレイム宮の変貌した姿はかつて《終焉の魔王》が現れたことで変貌した城が現れる。

 

「以前の発現はイレギュラー……

 今回の《煌魔城》の出現こそ、“史書”の預言による内戦の幕を引く舞台」

 

 困惑するクリス達に説明するようにアルベリヒは語り始める。

 

「まあ、それも本来ならば《灰》と《蒼》の闘争の舞台だったのだがね」

 

 肩を竦めるアルベリヒにユーゲントは顔をしかめる。

 

「“史書”……まさか“黒の史書”のことか。カイエン公の相談役と名乗っていたが、君は何者なんだ?」

 

「ふふ、いくら皇帝陛下であってもその質問には答えられませんね」

 

 ユーゲントの質問をアルベリヒは不遜な態度ではぐらかす。

 そこで鳥の鳴き声が響き、広間に蒼い鳥が舞う。

 

「グリアノス!?」

 

 エマがその鳥に驚いていると、グリアノスはクリスの頭の上に降り立ち、ミスティの声で喋り始める。

 

「工房長……貴方はまさか《蒼の騎神》を魔王に仕立て上げる気だと言うの?」

 

「これはこれは魔女殿、壮健そうで何よりです」

 

 抜け抜けとアルベリヒはミスティに応え、否と首を振る。

 

「残念ですが、それは誤解というものですよ」

 

「誤解ですって……?」

 

「ええ、この儀式は《魔王》に至るものではありません……

 そう……これは《蒼の騎士》クロウ・アームブラストに《魔王》を超えた《超帝国人》となってもらうための儀式なのですよ」

 

「…………何ですって?」

 

 思わず、ミスティは聞き返した。

 

 

 

 








 イソラの功績
 以前感想でイソラさんが前アルベリヒを殺したことでフランツに憑依先を変えて被害が広がっただけみたいなことを書きましたが、改めてイソラさんの戦いによる変化を考察させていただきます。

 一見すればラインフォルト家が分解する切っ掛けの遠因になったとも言えるイソラさんの戦いですが、もしもイソラさんが刺し違えなければ当然アルベリヒの憑依は先延ばしになっていたでしょう。
 アルベリヒはそのままで《黄昏》に臨んでいたのかもしれませんが、一枚絵を見る限り老人だったので《黄昏》前には体を変えていたと思います。
 その候補先がアリサだと自分は考えました。

 フランツへの憑依がなくなったことで、アリサは両親と祖父の三人から何の憂いもなく技術や物の考え方を学び、成長するでしょう。
 そこにジョルジュでも関わらせて地精としての資質を伸ばせば、彼にとって“最高の器”となるのではないでしょうか?

 アリサがアルベリヒの“器”になっていたら《灰》の陣営の勝機はほぼなくなるでしょう。
 そう言う意味では憑依先をフランツにし、アリサの成長を阻害して“器”の候補から外したイソラさんの戦いは可能性を広げたという意味では無駄ではなかったでしょう。

 この話でアルベリヒがアリサにダインスレイブの開発をさせたのは“器”の候補だった彼女の能力を測る意味が彼にはありました。







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53話 再会





黎Ⅱのロングムービーについて

共和国特殊部隊――壊滅


………………うん、いつものことですね。







 

 

 

 

 クリス・レンハイムは大きく息を吐いて首を振った。

 

「何を言い出すかと思えば、クロウ先輩を《超帝国人》にする? 馬鹿を言わないで欲しいですね」

 

 やれやれと肩を竦めてクリスは告げる。

 

「同じ起動者だからって、あの人が《鋼の聖女》や“あの人”と同じ領域を名乗るなんて烏滸がましい!

 だいたいクロウはジュライ人じゃないか!」

 

「えっと……そう言う問題なのかな?」

 

 クリスの発言にどう反応して良いのかとトワは苦笑いを浮かべて困る。

 

「そう言う問題ですトワ会長」

 

 臆面もなくクリスは言い切った。

 しかし、それに対してアルベリヒは嘲笑を浮かべて答える。

 

「くく……残念ながらもはや人が定義した民族の枠組みなど関係ないのですよ」

 

「それはどういう意味だ?」

 

「クロウ・アームブラストも帝国人だという事ですよ。少なくとも血の一滴程度の帝国の血を引いているでしょう……

 そしてそれは彼に限ったことではない。この千年の時を経て“エレボニア”の血はゼムリア大陸全土に拡散していることを確認することができた」

 

『…………やはりそういうことなのね』

 

 アルベリヒの意味不明な言葉を理解できたのはグリアノス越しのミスティだけだった。

 

「姉さん、それはどういうこと?」

 

『私は貴女の美人なお姉さんではなくて、ミスティよ』

 

「そういうのは今は必要ないでしょ!?」

 

 こんな状況だと言うのに誤魔化そうとする義姉にエマは思わず声を上げてします。

 

「で、どういうことなのよ?」

 

 眦を上げるエマに代わってセリーヌが続きを促す。

 

『今の貴女達に説明したところで意味のない事よ』

 

「姉さん――」

 

「エマ、その話はそれこそ後回しにしてくれないかな」

 

 頭の上のグリアノスに詰め寄って来るエマを宥めながらクリスはアルベリヒに向き直る。

 

「貴方は何者ですか?」

 

「ふむ? 先程名乗ったはずっだが?」

 

「ええ、カイエン公の相談役のアルベリヒ・ルーグマン……

 ですが貴方の口振りはあまりにも裏側の事情に精通し過ぎている」

 

 ヴィクターと闘っているマテウスに取り付いた戦術殻をクリスは一瞥する。

 戦術殻はミリアムやアルティナも使っている。

 学院でも教材として使用され、クリスも魔剣の運搬役という形で使っていたし、今は《機神》を格納するのにも使われている。

 だが、アルベリヒの戦術殻はそれらと比べると明らかに異質なものだった。

 

「それに《超帝国人》……つまり貴方は“あの人”の事を覚えている。という事なんでしょう?」

 

「ほう……」

 

 クリスの指摘にアルベリヒは意外そうに目を細める。

 

「もっともミスティさんの反応から見ればその正体も検討は着きます……

 つまり貴方は《焔の眷属》とは対である《大地の眷属》といった所でしょう?」

 

「ははっ!」

 

 続く言葉にアルベリヒは笑う。

 

「まさか、数合わせでしかなかった君がそこに気付くとは」

 

 感心するように呟き、アルベリヒはクリスを褒める。

 

「どうだねクリス君。いやセドリック・ライゼ・アルノール。今から“彼の者”の祝福を受ける気はないかな?」

 

「彼の者の祝福?」

 

 突然のアルベリヒからの提案にクリスは訝しむ。

 

「そう、本来の預言ならば君はこちら側にいるべきなのだ……

 歪まされた預言を正すためにも君には是非ともこちら側に来てもらいたい」

 

「そんな訳の分からない説明で僕が靡くとでも思っているんですか?」

 

「もちろんタダとは言わない“祝福”を受け入れれば君も“超帝国人”へと至ることができるだろう」

 

『クリス君』

 

 熱を帯びたアルベリヒの勧誘に頭の上のグリアノスからミスティの刺さるような声がクリスに向けられる。

 

「僕が“超帝国人”に至れる……?」

 

「そう。君は渇望していたはずだ。誰よりも強く雄々しくあることを、君ならば《蒼の起動者》以上の“超帝国人”になれるだろう」

 

『クリス君、耳を貸してはダメよ』

 

「僕が……“超帝国人”……はははっ」

 

 ミスティの呼び掛けを無視してクリスは笑う。

 

「むっ」

 

 その笑いは歓喜のものではなく、嘲笑だと察してアルベリヒは顔をしかめた。

 

「何がおかしいのかな?」

 

「失礼……貴方があまりにも初歩的な勘違いをしているのでつい笑ってしまったよ」

 

「ほう……私のどこが勘違いをしていると?」

 

「ならば問おう! “超帝国人”とは何だ!?」

 

「フッ……何を言い出すかと思えば……“超帝国人”、それは他者を圧倒する“力”以外にどんな答えがあると?」

 

 自信満々に答えるアルベリヒにクリスははっきりと告げる。

 

「“超帝国人”――それは“愛の戦士”!」

 

 言葉に熱を込めてクリスは続ける。

 

「あの人は強かったから“超帝国人”と呼ばれたんじゃない……

 弱くて悔しくて怖くて……それでも誰かのために歯を食いしばって立ち上がって突き進んだ」

 

 この内戦を駆け抜けて、クリスは少しだけ“彼”のことが分かった気がした。

 

「《鬼の力》や《神気合一》、《至宝の力》……そんなもの、あの人の“力”のおまけでしかない」

 

「“力”など所詮は人殺しのためのものに過ぎない……

 どんな美辞麗句で装飾したところで人は“闘争”を求め、他者を滅ぼす“力”こそを至上とする。そこに“愛”などという幻想など入り込む余地などない」

 

 クリスの言い分にアルベリヒは負けじと言い返す。

 だが、一言言い返すとアルベリヒは肩を竦めて、クリスへの興味を切り捨てる。

 

「まあ、良い……“愛”などという幻想など“力”の前には無力だと“彼ら”に証明してもらおう」

 

 アルベリヒが指を鳴らす。

 それを合図に鍔迫り合いをしていたマテウスが苦しみ出した。

 

「ぐっ……おおおおお……」

 

 離宮に満ちていた瘴気がマテウスへと集まり、黒い霧に埋もれていく。

 霧の中から戦術殻がマテウスから離れるが、彼の苦悶に満ちた声が鳴りやむことはない。

 

「これは……まさか……」

 

 これによく似た気配をクリスは知っている。

 

「“魔人化”……いや……“鬼人化”」

 

 黒い霧が晴れるとそこには一回り大きな体躯へと変貌したマテウスだった二本角の“鬼”が現れる。

 

「ガアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 大気を震わせる咆哮を上げる“鬼”。

 

「マテウス……」

 

 鎬を削ってきたライバルの変貌にヴィクターは思わず目を伏せ、次の瞬間剣に洸翼を宿す。

 

「アルゼイド子爵っ!?」

 

「止めないで下さい殿下……マテウスは私が斬ります」

 

 悲壮な決意を固めるヴィクターにクリスは首を振る。

 

「いいえ。こうなったら僕も手段を選ぶつもりはありません……」

 

「シャロンッ! 何をするの!? やめなさいっ!」

 

 マテウスの向こうではアリサがシャロンに雁字搦めに拘束されていく。

 

「さて、ここでの私の役割が終わった。せいぜい君が言う“愛”の力を持ってマテウス卿とクロウ・アームブラストを倒せるのか見物させてもらうとしよう」

 

 アルベリヒはゾア・バロールに抱えられて窓際の高台へと移動し、シャロンはアリサを担いで生身で跳んでそれに続く。

 文字通り高みの見物と言った体でアルベリヒはクリス達を見下ろす。

 

「くっ……」

 

 このままではアリサが攫われる。

 更には《鬼人》となったマテウスの戦闘力を考えてクリスはミュラーとサラに言葉を掛ける。

 

「二人とも、マテウス卿の相手は僕がします……隙を見て父上と母上、それにアリサの奪還を任せます」

 

「任せるって……どうするつもり?」

 

 聞き返すサラの言葉にクリスは行動を持って答える。

 

「来いっ! 《緋の騎神》テスタ――」

 

「その必要はないわよ!」

 

 クリスの召喚を遮るように声が響き、それは現れる。

 

「うりゃあああああああああっ!」

 

 白い虎のような巨大な魔獣に跨り、紅耀石の棒を携え一人の少女が広間に乱入する。

 魔獣の上から少女は“鬼人”に一撃を当て、仰け反らせると彼が纏っていた瘴気は棒が纏っている焔によってわずかに散らされる。

 

「あの棒はまさか……ローゼリアの聖別を受けた武具か!?」

 

 自身を滅する可能性のある武具にアルベリヒは思わず身を乗り出す。

 直後、耳元で鳴り響いた鋼の剣戟の音に身を竦ませて振り返る。

 

「なっ!?」

 

 目の前には刃。

 いつの間にか現れた黒髪の少年の双剣をシャロンが紙一重の所で短剣で受け止めていた。

 

「ふっ――」

 

 少年はシャロンに奇襲を防がれたことを気にも留めずに双剣を閃かせアリサを縛っていた鋼糸を断ち切ると、シャロンから奪う様に高台から飛び降りる。

 

「ヨヨヨヨ、ヨシュアさんっ!?」

 

 横抱きに――俗にいうお姫様抱っこで救出されたアリサは眼前の美少年に狼狽する。

 

「黙って、舌を噛むよ」

 

 忠告は短いものだったが、実際の着地にアリサに伝わる衝撃はほとんどない。

 

「はあっ!」

 

 少女は魔獣を踏み台にして、渾身の一撃を“鬼人”に振り下ろす。

 盾にした大剣に対して少女を力任せに棒を振り抜き、“鬼人”を窓の外へと叩き出す。

 

「ふぅ……」

 

 残心の息を吐き、太陽を思わせる笑顔で少女は振り返った。

 

「お待たせ、オリビエ!」

 

「エステル君……それにヨシュア君……はは、まさか君達がこのタイミングで来てくれるとは思ってもみなかったよ」

 

 二人の登場にオリビエは思わず苦笑する。

 

「ふふん……二年前とは逆になったわね」

 

「二年前……ああ、懐かしいな。そんなこともあったね」

 

 エステルの言葉にオリビエは、二年前のエルベ離宮でシェラザードと共に颯爽とエステル達の援軍に駆け付けた時のことを思い出す。

 

「助かったわ。エステル、ヨシュア」

 

 伏兵が間に合ったことにほっと安堵の息を吐いたのはサラだった。

 

「間に合ったのはサラさんがあの子を残しておいてくれたからです」

 

 アリサを下ろしてヨシュアはエステルが跨っていた白い魔獣を振り返る。

 

「あの魔獣は……」

 

 クリスが首を傾げていると、白い魔獣はエマに近付いて行く。

 

「ありがとうキリシャ。もう戻って良いわよ」

 

「にゃあっ!」

 

 エマが労う様に頭を撫でると白い魔獣はその体の大きさに似つかわしくない声で鳴く。

 そして光に包まれると小さなネコへと変身する。

 

「ちょ――ちょっとエマ!? 今のキリシャだったの!?」

 

 そのことにセリーヌが一番の驚きを示す。

 

「にゃあ」

 

 かわいらしい声でセリーヌにキリシャは答えると、エマの肩に乗る。

 

「えっと……私の魔力で補助して……その……でもセリーヌだって悪いんですよ。私を置いてクリスさんの方に行ってしまったんですから」

 

「だからって聖獣化はまだわたしにだって出来ないのに……」

 

 ぐぬぬっとセリーヌは唸る。

 

「それよりエステルさん、御二人はエリンの里に閉じ込められていたはずじゃなかったんですか?」

 

 クリスは話題を変えるようにエステルに何故ここにいるのか尋ねる。

 

「うん、そうなんだけどローゼリアさんが頑張って送り出してくれたの」

 

「それで森から出たところで丁度サラさんと連絡が取れてね。皇帝陛下を救出するためのバックアップを頼まれたんだよ」

 

「何だいサラ君。それならそうと言ってくれれば良かったのに」

 

 ヨシュアが付け加えた説明にオリビエは振り返る。

 

「二人と通信が繋がった場所が間に合うか分からない所だったから、殿下達には話さなかったんですよ。殿下達は皇帝陛下の下へ」

 

 談笑に移りそうな空気を締めるようにサラはクリス達を促し、サラは未だに高台に残っているアルベリヒを睨む。

 

「随分と“裏”の事情にお詳しそうだけど、もしかしてアンタが私の教え子をたぶらかしたのかしら?」

 

「たぶらかしたとは人聞きが悪いな……

 私もカイエン公も彼に無理強いなどはしていない。彼がこれまで行って来たテロ活動は紛れもなくクロウ・アームブラストが望んで行ったことだ」

 

「嘘っ!」

 

 アルベリヒの言葉にトワが声を上げる。

 

「クロウ君はちょっと不真面目だけどそんなことをする人じゃない!」

 

「それは君が彼の本質を知らないだけだ……

 クロウ・アームブラストは復讐を理由に貴族の先兵として暗躍し帝国の民を苦しめ、何の関係のないノルドやクロスベルを戦火に晒すことも厭わないような男だ……

 君達はそんな外道に何を期待しているのかな?」

 

「それは……“呪い”のせいで……」

 

「全ては“呪い”が悪いか……便利な言葉だが、君達は帝国の“呪い”の何を知っていると?」

 

「それは……」

 

 口ごもるトワにアルベリヒは嘲笑を浮かべて追い打ちをかける。

 

「クロウ・アームブラストがテロリストに堕ちたの紛れもない彼の意志によるもの……

 そして今、帝国市民を生贄として新たな“力”を願ったことも彼自身の意志……

 さらに言えば、今ジュライで起きていることにさえ目を逸らし続けている……

 結局のところクロウ・アームブラストは根っからの“外道”でしかないのだよ」

 

「好き勝手言ってくれるじゃない」

 

 アルベリヒの一方的な物言いにサラは教え子を貶されたと眦を上げる。

 しかし、クロウへの悪口よりもトワには聞き逃せない言葉があった。

 

「帝都の市民を生贄にするって……それってどういう意味……?」

 

 帝都ヘイムダルにはトワの実家がある。

 トワの両親は既に他界しているが、引き取って育ててくれた叔父夫婦に弟分。

 アルベリヒの言葉に彼らの安否に不安がトワの胸に湧き上がる。

 

「それは君達の目で直接確かめると良い……もっとも彼から逃げ切れればの話になるだろうがね」

 

 

 

 

 

 

「父上……母上……」

 

 クリスはオリビエとアルフィンを後ろに父であり皇帝であるユーゲントとその妻にして皇妃であるプリシラと対面する。

 

「御無事なようで何よりです。二人とも」

 

「ああ、其方達も良くぞ。ここまで辿り着いた」

 

 子供たちの無事な姿はもちろん、三人が手を取り合って至ったことにユーゲントは感慨深いものを感じずにはいられない。

 

「積もる話はありますが、今は避難を……

 マテウス卿があれで倒せたとは思えませんし、どうやらすぐに帝都へ向かわなければいけないようですから」

 

「ちょっとセドリック、ようやくお父様とお母様に会えたというのにその物言いはないでしょ」

 

「いや、良いのだアルフィン」

 

 家族の再会だというのに淡々と事務的な素気ない態度を取る息子に、むしろその成長した姿にユーゲントは喜ぶ。

 

「我らがこの場に留まるのは多くの者に迷惑をかけるだけだ。そうなのだろう?」

 

「はい、沢山の仲間が僕達がここに辿り着けるように道を拓いてくれました……

 彼らはここの敵が押し寄せないように今も戦ってくれているんです」

 

「そうか……」

 

 真っ直ぐに自分を見つめ返す息子にユーゲントはもう何度目になるか分からない感動を噛み締める。

 

「父上達はこのまま《カレイジャス》に乗ってもらいますが、良いですね兄上?」

 

「ああ、それで構わないよ。できればボク達も一緒に乗せてくれると嬉しいのだけどね」

 

「それは良いんですけど……兄上達はどうやって逃げるつもりだったんですか?」

 

「ふふ、その話は長くなるから離宮から脱出してからに――」

 

 オリビエの声を遮って、ガラスが割れる音が広間に鳴り響く。

 それはアルベリヒとシャロンが高台の窓を割って逃げ出した音。

 それは窓の外、風光明媚な景観の滝壺に落されたはずの“鬼人”が窓を突き破って広間に舞い戻った音だった。

 

「なっ!? あの崖を登って来たのか?」

 

 死んでいるとは思っていなかったが、エステルの一撃を受け滝壺に落されてもすぐに戻って来るタフさにクリスは驚く。

 

『コオオオオオオオ』

 

 もはや彼は繰り返していた言葉は言わない。

 それが一層不気味で、瘴気を呼気で漏らす様はさながらホラー小説に出て来る怪物を思わせる。

 

「兄上達は先にカレイジャスへ」

 

「いいえ、セドリック殿下。ここは私に任せて頂きたい」

 

 剣を構えるクリスを遮ってヴィクターが前に進み出る。

 

「皇帝陛下をお助けできた今、ここに残る理由はないでしょう……

 ならばここで殿として残るのは一人で十分なはず、そしてあの馬鹿者を止めるのに残るのは私が適任でしょう」

 

「ですがアルゼイド子爵、貴方の身体では……それにかの宝剣だってラウラに託してしまったのに」

 

 短い戦闘でありながらも、ヴィクターの身体は既にかなりの傷を負っている。

 そもそもヴィクターは安静にしていなければ重傷を負っていた身。

 この場に駆け付けてくれただけでも十分に賞賛されることをしている。

 

「このままでは貴方の命が――」

 

「セドリック殿下、我らがすべきことを間違えてはいけません」

 

 彼の身を案じる言葉は遮られる。

 

「今の私が帝都へ同行したとしても役に立つことはないでしょう……ならばここで全てを費やすことこそ、殿下達の最大の支援となるでしょう」

 

 既に自分の体が限界に近い事を察しているヴィクターは一同に視線を巡らせる。

 セドリックの顔を見て、彼の――娘のクラスメイト達を見て、エステルが背負っている長大な布の包みを見る。

 

「ヴィクターさん、それなら私たちが――」

 

「君達にはするべき役目があるのだろう?」

 

 エステルの申し出をヴィクターは断る。

 彼らをこの場から送り出すことが自分の役割だと決意を固めて、ヴィクターはクリスに頭を垂れる気持ちで告げる。

 

「帝都を……いえ、帝国を頼みます。セドリック皇子」

 

「っ……分かりました」

 

 ヴィクターの決意を感じ取り、クリスは後ろ髪を引かれる気持ちを振り切る。

 

「さあ、父上。それに母上も……」

 

 オリビエに促されてユーゲントとプリシラもまたヴィクターを残すことに躊躇いを感じながらも広間を後にする。

 意外なことに一同が広間から出て行くまで“鬼人”は苦悶の唸りを上げるだけでその場から動こうとはしなかった。

 

「マテウス……」

 

 それがわずかに残っているマテウスの意志なのかをヴィクターに判断することはできない。

 

「情けない姿だな」

 

 二人きりとなったところで、ヴィクターはマテウスに対して気安い、呆れた言葉を投げかける。

 

「貴族連合から陛下を守れず、良いように利用されたか……

 皇族の守護り手《ヴァンダール》が聞いて呆れるというものだ」

 

 親友とも言える宿敵のこんな無様な姿など見たくはなかった。

 

「今のお前は私を凌駕しているだろう……だが――」

 

 ヴィクターは剣に洸を宿して構える。

 

「魂と意志を宿さぬ曇った剣に負けるつもりはない」

 

『ウ――――オオオオオオオオオオオオオオッ!』

 

 押さえつけていたものが解き放たれたかのような咆哮を“鬼人”が上げる。

 そして洸の剣と瘴気の剣が激突する。

 

 

 

 

 

 








NG もしもあの時、彼女の意識があったなら

シャロン
「ああ、手が勝手に……ごめんなさいアリサお嬢様……
 くっ……アルベリヒ、私にこんなことをさせるなんて」

アリサ
「シャロンッ!? そんなことを言っていて何で笑っているのっ!
 ちょ――やめ、そこは……あっ……」






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54話 西の戦場

 

 

 

 時間は《煌魔城》の出現の前に遡る。

 

「ふははははっ! 圧倒的ではないか我が軍は!」

 

 帝都西部に位置するリーヴス近郊の上空――《幻想要塞》から眼下の戦場を見下ろしたヴィルヘルム・バラッド侯爵は笑う。

 増産された五体の《ゴライアスβ》を地上に配置して守りを固め、《幻想要塞》に乗せた《機甲兵》に砲撃させるだけで精鋭と呼ばれていたはずの機甲師団は成すすべなく壊滅していく。

 それはノルティア州アイゼンガルド霊峰での戦いを彷彿とさせる一方的な戦場だった。

 

「《魔煌兵》も出すぞ! ここで奴等の反抗の意志を徹底的に粉砕するのだ!」

 

 バラッドの命令に応じて要塞の中にあった百体の《魔煌兵》が戦場に降り立つ。

 

「何と言う事だ……」

 

 あまりに一方的な戦況にミハイルは思わず悪態を吐く。

 手の届かない遥か高みから一方的に砲撃され続け、さらには《空中要塞》から降りて来る夥しい数の《魔煌兵》。

 《機甲兵》だけでも持て余していたのに、新たに増えた《魔煌兵》の軍団は正規軍に絶望を与える。

 

「くそっ……次から次へと……」

 

 正規軍も内戦が始まってから遊んでいたわけではない。

 これまでの兵器の概念を一新する《機甲兵》を多くの犠牲を払って戦い方を学んで来た。

 しかしそれにも限界はあり、またその学習を嘲笑うかのように新型が投入された。

 

「何が貴族だっ!」

 

 思わずミハイルは毒づく。

 貴族のイメージにあった潔い決闘という姿はこの戦場にはない。

 あるのは圧倒的な優位を維持して、遊び感覚で踏み散らかす暴力だけ。

 

「退くなっ! 何としてもここであの《空中要塞》を足止めするのだ! 奴等を中央に行かせてはならん!」

 

 軍人の意地を張り、ミハイルは激励を飛ばす。

 もはや防戦に徹することしかできないが、少しでも全滅までの時間を長引かせるのが己の役割だと割り切る。

 

「いよいよとなればこの身を使って一機でも――」

 

 行進してくる魔煌兵を睨み、悲壮な決意を固める。

 しかし、その決意は突如降り注いだ導力ミサイルの雨によって無駄に終わる。

 

「何だ!?」

 

 《魔煌兵》に降り注ぐ数えきれない導力ミサイルの雨が戦場を爆炎で包み込み、轟音を撒き散らす。

 

「何だ!? 何が起きてる!?」

 

 轟音に掻き消された言葉をもう一度叫び、ミハイルは報告を求める。

 

「て、敵《魔煌兵》の七割が喪失……未確認の飛行体……《空中要塞》に向かって行きます!」

 

 

 

 

 

 

 

「オーバーブーストの残存導力残り一割……サブフライトシステムに切り替える」

 

 機体の後ろに設置した長大なプロペラントタンクを切り離す。

 オーバルギアの鎧を纏い、抉れた外壁の縁で長大な導力ライフルを構えて地上の的当てをしていた《機甲兵》達を飛び越えて“桃色の騎神”は滑るように《空中要塞》に着地する。

 

「これが貴族連合の兵士か……」

 

 突然乗り込んで来た《桃》に機甲兵達は一機も即応することはなかった。

 機体越しにも感じる彼らの狼狽え振り。

 よく見れば、その機体も上位機種の“シュピーゲル”ではあるものの、同じ姿のものは一つもない。

 家督を示すパーソナルカラーで塗装され、装甲には様々な意匠を施された彫刻や飾りが付けられている。

 それらの光景に《C》は空中要塞に陣取る者達がおおよそ何者なのか察する。

 

「悪いが、君達に上で騒がれるのは鬱陶しいのでね。排除させてもらう」

 

 戦場には似つかわしくない装いの機甲兵に《桃》は両手に装備したガトリング砲を構える。

 

「ひっ――」

 

「待て! 私は次期カイエン公となる――」

 

 彼らの悲鳴じみた命乞いはガトリング砲の咆哮によって掻き消される。

 両手の二連装ガトリング砲の計四つの砲門が火を噴き、まだ振り返る事もできていない《機甲兵》を右から左へと薙ぎ払う。

 降り注ぐ無数の弾丸は“シュピーゲル”のリアクティブアーマーの装甲を叩き、瞬く間に内包導力を削り、その防御力を無効化した上で華美な《機甲兵》を鉄くずへと変えて行く。

 

「それが貴族の姿か?」

 

 辛うじて生き残った“シュピーゲル”も周囲の導力戦車も蜘蛛の子を散らしたように逃げ惑い、《桃》に向かって来る者はいない。

 

「所詮は遠くから撃つことしかできない臆病者か」

 

 呟きながら《桃》は振り返り、目前に迫った《魔煌兵》の剣をガトリング砲のシールドで受け止める。

 同時に足に増設されたコンテナから導力ミサイルを撃ち込んで撃破する。

 

「…………囲まれたか」

 

 逃げ惑う貴族達とは違い、いくつもの《魔煌兵》が彼らの指示とは別に緊急用の迎撃システムとして《桃》の排除に動き出す。

 それぞれが剣を槍を斧を持ち、袋叩きにせんと襲い掛かって来る《魔煌兵》に《桃》はガトリング砲を掃射してその機先を挫き、各パーツに増設されたコンテナの蓋を開く。

 肩に、腰に、足に増設されたコンテナの中には小型の導力ミサイルが限界まで詰め込まれた導力ミサイルが白い噴煙を吐き出し、一斉に撃ち出される。

 

「何だこれは!? 何なんだ!?」

 

 バラッド侯爵は目の前の光景に悲鳴を上げる。

 後方から導力ライフルで地上の敵を撃つだけの簡単な戦場だったはずだった。

 地上の正規軍を的に競い合っていた貴族達は今、競い合ってその場から逃げ惑う。

 

「ええい! 何をしているさっさとその痴れ者を排除しろ!」

 

 バラッドはアルベリヒから渡された宝珠に命令を叫ぶと、それに応じて壁だと思っていた扉が開いて新たな《魔煌兵》が《桃》に突撃し――ハチの巣にされる。

 

「ひぃっ!?」

 

 壁を穿つ弾丸の衝撃と降り注ぐ《魔煌兵》だった残骸にバラッドはその場に腰を抜かして悲鳴を上げる。

 雑な命令に雑な動きで従う《魔煌兵》など《桃》の敵ではなかった。

 硝煙弾雨が阿鼻叫喚の悲鳴を奏でる。

 

「向かって来る気概もないか……《魔煌兵》もこれでは彼女の防衛本能の方がマシか」

 

 肩透かしにあった気分で《C》はため息を吐く。

 そもそも遠くから銃を撃つだけで気分を良くして功績を誇っている相手に期待などするだけ無駄だった。

 そこにある機甲兵や導力戦車のほとんどを破壊して、《桃》は弾丸を撃ち尽くしたガトリングやミサイルコンテナを外す。

 幾分か軽くなった体を軽く震わせて、右手に剣の柄だけのグリップを持つ。

 

「フェンリル始動――」

 

 胸と腰に増設された装甲が開きブースターが駆動し、直結した剣の柄に霊力が集中する。

 発振体を起点に吹き荒れる導力の奔流が巨大な剣を形作る。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」

 

 雄々しい雄叫びを上げて《桃》は《空中庭園》から空へと身を投げ出す。

 そして巨大な導力の刃を《空中要塞》に突き立てて、身体ごと落下する動きに合わせて剣を振り下ろす。

 巨大な刃は《空中要塞》を深く抉り、そのエネルギーが要塞中を駆け巡って各所で爆発が起こり、高度を落して行く《空中要塞》を尻目に《桃》は地上へと降りる。

 

「あれが学生が造った《機神》なのか……《機甲兵》とはここまでできるものなのか……」

 

 わずか数分の間で遠目に見えていた《空中要塞》は炎上する様にミハイルは呆然とした言葉をもらす。

 地上に展開した貴族連合と正規軍が揃って墜落していく《空中要塞》に見入って立ち尽くす。

 唯一、残った《ゴライアスβ》が空から降りて来る《桃》を砲撃で迎え撃つが、一手早く撃ち込まれたスモークグレネードが戦場を煙で満たす。

 

「さて……」

 

 煙が充満する戦場の中に降り立ち、《C》はレーダーを頼りに動く。

 目指すは導力ミサイルと一緒に撃ち込んでおいた武装コンテナ。

 そこには剣や槍などを始め、導力マシンガンが詰め込まれており、《空中要塞》で使い切った武装の補給に臨む。

 

「良し……後は地上にいる正規軍に任せれば良いだろう。私たちは補給が済み次第、東に向かう」

 

『了解したわ。ただ今のところ、どこの戦場にも《金の神騎》は出て来ていないわ』

 

「そうか……」

 

 ミスティの報告を聞きながら《C》は装備コンテナに辿り着き、最後のスモークグレネードを周囲に撒き散らして武装を取り出して行く。

 実剣と槍を背中のバックパックに、双銃剣は太ももに、導力ショットガンは後ろ腰に装着。

 そして導力ライフルを両手に持ち、そこで《C》は眉を顰めた。

 

「…………ない」

 

 まだコンテナに残る武装に《C》は違和感を呟く。

 《C》はコンテナに積んだ武装の全てを記憶している。

 その中にあったはずの武器がない事を訝しみ――

 

「ねえ、もう補給はそれで良いの?」

 

 涼やかな少女の声が煙の中から響く。

 

「っ――」

 

 咄嗟に《C》は《桃》を後退させ、直後――

 

「零の型――《双影》」

 

 一陣の風が吹き、大地に突き立ったコンテナが音もなく斜めにずれ、滑り落ちた。

 

「うん……良い“太刀”だ」

 

 一閃の風により周囲の煙が晴れ、黒ゼムリアストーン製の太刀に見惚れるドラッケンがそこにいた。

 

「貴族連合の剣はどれもナマクラだったけど、この“太刀”は凄く良いなぁ」

 

 ドラッケンから聞こえて来る無邪気な少女の声。

 

「君は……何者だ?」

 

 コンテナの中にあったはずの“太刀”を持ったドラッケンに《C》は悪寒を感じながらも、それを隠して余裕を装って尋ねる。

 

「私は“猟兵”だよ」

 

 《C》の質問にドラッケンの少女は軽い調子で応える。

 

「二つ名もなければ、帝国では無名の雇われ兵士だよ」

 

「……その口振り、“共和国”の猟兵ということかな?」

 

「お? 良い“観”をしているね、お兄さん」

 

 《C》の指摘に少女は愉し気な声を返す。

 

「共和国の猟兵が何故、帝国の内戦にいるのか聞いても良いかな?」

 

 質問をしながら《C》はドラッケンを観察する。

 その機体は至って普通のドラッケンだった。

 違う点を敢えて上げるのならば、支給されるブレードや盾、導力ライフルなどの武装ではなくコンテナから盗み出した黒ゼムリアストーンの太刀を手にしている事。

 ただそれだけなのに《C》は喉元に刃を突き付けられた気になる。

 

「帝国が開発した既存兵器とは大きく異なる《機甲兵》は共和国の猟兵の中でも有名で注目されていてね……

 どんなものかなってちょっと遊びに――じゃなくて見極めに来たんだよ」

 

「君のような女の子が貴族連合に紛れ込むことができたものだね。ましてや《機甲兵》を任される程とは」

 

「そこは……ほら、親切な同僚が快く譲ってくれたんだよ」

 

 少しだけ言い淀んだ言葉に《C》は譲った猟兵の身に降り掛かった不幸に少しだけ同情する。

 

「しかし猟兵か……」

 

 声の質はかなり若い。

 もっともそれで侮ることはしない。

 Ⅶ組ではシャーリィやフィーが一流として軍人を凌駕する力を持っているだけに少女がそれを超える存在であったとしても《C》は驚かない。

 

「後は私自身の事情かな……ちょっと弟弟子にお遣いを頼まれちゃったんだよね」

 

「弟弟子?」

 

 少女から出て来た言葉を《C》は思わず聞き返す。

 だが少女は《C》の呟きを無視し、《桃色の機神》を観察していた目を細める。

 

「うん……いいね貴方……」

 

 途端少女からの威圧が増す。

 

「お遣いの合間のお遊びのつもりだったんだけど、《機甲兵》を使った戦闘……何よりもこの“太刀”の使い心地、試させてもらおうかな」

 

「やれやれ……《西風》以外にもこれ程の使い手が紛れていたとは」

 

 《C》は肩を竦めて巡り合わせの不幸を嘆く。

 目前に父との対決を控えていることを考えれば嘆かずにはいられない。

 

「ところで名前を聞いても良いかな?」

 

「悪いが今はお忍びでね。本名は明かせないので私のことは《C》と呼んでくれたまえ」

 

 少女の質問に《C》は素っ気なく答える。

 

「そういう君は?」

 

「奇遇だね。お忍びなのは私も一緒なんだ……だからここはあえて《S》と名乗っておこうかな」

 

 少女の名乗りに《C》は状況を忘れて笑いそうになる。

 だが、そんな《C》の事など気にせずドラッケンは黒の太刀を上段に構える。

 その姿に《C》は“鋼の聖女”と対峙するつもりで身構え、新たに装備した二つのアサルトライフルを突き出すように前へと向ける。

 

「フフ、いい気当たりだ……でも……」

 

 機械の体越しに感じる闘気に《S》は獰猛な笑みを浮かべつつ顔をしかめる。

 

「まあ良いか……それではいざ、尋常に勝負!」

 

 

 

 

 

 

 






いつものラスボス前の中ボス。
《C》の相手はは共和国の猟兵の《S》さんです。
共和国では帝国で使われている《機甲兵》の情報が回り始めており、各猟兵団は漠然とした情報の《機甲兵》がこれまで活躍していた《騎神》に匹敵するものなのか注目しています。
《S》は弟弟子のお願いもあり、単身で《機甲兵》を見極めるために帝国にやってきて、適当な猟兵団の部隊に潜り込んで《機甲兵》の操縦士を説得(拳)して譲っていただきました。

なお彼女の付き人は共和国で頭を抱えています。



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55話 東の猟兵




今回予告
ドラッケン、死す!






 

 

 

 《ゴライアスβ》のプログラムが更新される。

 戦場に降り立った《桃色の機甲兵》を精査して、正規軍の《機神》の類似品と判断。

 背中を向けて向かって来る《機神》に右腕の導力砲を構えて攻撃を開始する。

 《機神》は後ろに目をつけているのではないかという反応で《ゴライアスβ》の砲撃を紙一重で回避し、その流れ弾が《ドラッケン》に迫る。

 だが太刀の一閃が導力の光線を薙ぎ払って掻き消した。

 《ゴライアスβ》達に友軍を撃った動揺はない。

 ただ《機神》に対して機械的に砲撃を続ける。

 《ドラッケン》に追い回されながら《機神》は《ゴライアスβ》に向け、デタラメにアサルトライフルで反撃する。

 攻撃動作に反応して《ゴライアスβ》は防御結界を展開し、《機神》からの攻撃を防ぐ。

 途切れた砲撃に《機神》は《ゴライアスβ》を飛び越えるように跳躍して、背後に回り込む。

 《ゴライアスβ》はその動きに即応して振り返り、着地しようとしている《機神》に――

 

「――邪魔――」

 

 その一言と共に五体の《ゴライアスβ》の首が飛んだ。

 

「っ――」

 

 地面を滑るように背後に飛びながら《機神》は両手のアサルトライフルを乱射する。

 それに対する《ドラッケン》の行動は前進。

 黒い太刀が目に留まらない速さで振られ、弾丸は《ドラッケン》から逸れて後方へとすり抜ける。

 

「逃げてばかりいないで斬り合おうよ」

 

「その申し出は丁重にお断りさせてもらうよ……

 その技と太刀筋、《八葉》の者とお見受けする。《剣聖》に剣で挑むほど私は愚かではないよ」

 

 弾丸をいなされながらも、弾幕を這って《ドラッケン》の接近を拒みつつ、《C》は馴れ馴れしい《S》の誘いを断る。

 

「いろいろ違う所はあるんだけど」

 

 《C》の指摘に《S》は悩む。

 名を隠した手前、流派を名乗れば本名を隠した意味がなくなる。

 

「とりあえず私はまだ《剣聖》じゃなくて、《中伝》だよ」

 

「《中伝》……」

 

 初めて乗ったであろう《機甲兵》をまるで人間の動きのように動かし、機関銃の銃弾さえも掻い潜る少女が《剣聖》に至っていない事実に《C》は驚く。

 

「いや“彼”も中伝だったか」

 

 “彼”だけが特別だと思っていた八葉一刀流の認識を《C》は改める。

 

 ――ともかく今は目の前の《S》をどうするか……

 

 まともにやり合えば苦戦は必須。

 ヘルムート・アルバレアとの戦いを控えていることを考えれば、ここで大きな消耗を受けるのは得策ではないと《C》は考える。

 

 ――だとすれば最も効率が良いのは彼女の自滅を待つことか……

 

 《機甲兵》の最大稼働時間と彼女の動きが与える限界を計算して《C》はおよそ十分で《ドラッケン》の方に限界が訪れると判断する。

 それまで徹底的に距離を取って戦えば如何に《八葉一刀流》の使い手であったとしても逃げ切ることはできるだろう。

 

「ふーん……良いよそっちがその気なら――」

 

 踵のタイヤで走っていた《ドラッケン》は何を思ったのか、人間のように足を使って駆け出した。

 

「せーのっ!」

 

 直後、《ドラッケン》は大地と水平に跳んだ。

 

「なっ!?」

 

 砲弾と化した《ドラッケン》に《C》は絶句しながらもアサルトライフルで迎撃する。

 

「――九十九颯っ!」

 

 ライフルの弾幕を全て斬り払い、《機神》と《ドラッケン》はすれ違う。

 

「まずは二つ……」

 

 《機神》の背後で滑るように着地した《ドラッケン》から得意気な声が聞こえてくる。

 すると、二つの導力ライフルは先端から細切れとなり取手だけを残して崩れ落ちた。

 

「ええいっ! 共和国の猟兵は化物か!」

 

 《C》の目をしても見切れなかった早業に叫びながら振り返り、導力ショットガンを装備すると同時に導力魔法を駆動する。

 

「ファイアボルトッ!」

 

 撃ち出された火球に合わせて散弾を撃つ。

 

「おお! 導力魔法まで使えるんだ!」

 

 《ドラッケン》は横へと駆け出して火球と散弾から回避する。

 とにかく近付けないように導力魔法と散弾を連射して《機神》は《ドラッケン》をその地点へと誘導する。

 

「そこだ! エインシェントグリフ!」

 

 地の上位導力魔法。

 大地の魔法陣を展開して巨大な石柱を落す導力魔法を《機神》の規模で発動させる。

 それはもはや隕石に匹敵する巨大な石柱に《ドラッケン》は天を覆い隠した石柱を見上げる。

 

「わあ! 上位アーツを《機甲兵》で使うとこうなるんだ」

 

 しかし《S》の声は何処までも無邪気に明るかった。

 そして《ドラッケン》は落ちて来る巨大な石柱に逃げるのではなく、太刀を鞘に納めた。

 

「まさか――いや彼女が《八葉》の中伝ならば」

 

 生身や《騎神》ならばともかく《ドラッケン》ではという思い込みを捨てて、彼女の次の行動に《機神》は身構える。

 

「荒れ狂え――嵐雪っ!」

 

 氷風纏う一閃が巨大な隕石を綺麗に二つに斬り裂いた。

 驚愕するべきことだが、《C》は技を放って動きを止めている《ドラッケン》に銃口を向けて――背後からチンという静かな音を聞いた。

 

「っ――」

 

 そして先程のライフルと同じようにショットガンと肩の導力魔法の発振体が斬り落とされた。

 

「さあ、後いくつ斬り落とせば剣を抜いてくれるのかな?」

 

 耳元で囁く声に《機神》はその場から跳び退く。

 そして体の各所に装備した武装を外した。

 

「お、やっとその気になってくれたか」

 

「君を相手に逃げて時間切れを待つことは不可能だと思い知らされたよ」

 

 散らばった武装から《機神》は剣、そして盾を拾い上げて構える。

 《S》は眉を顰めつつ尋ねる。

 

「でも……まだ足りないなっ!」

 

 目にも止まらない踏み込みに《機神》は勘に任せて盾を構えて太刀を弾く。

 

「っ――いけるか」

 

 目に追えなくても体が反応してくれる。

 その事に安堵しながらも《機神》は反撃の剣を振り下ろす。

 黒い太刀が《機神》の刃を受け止めて、鍔競り合いになる。

 

「力比べならこちらの方が有利だ!」

 

 尋常ではない剣の使い手だが、量産型の《ドラッケン》であることは《C》にとって唯一の勝機。

 おそらく二度はこないチャンスに《機神》は力任せに剣を押し込んでいく。

 

「…………ねえ、その鎧は脱がないの?」

 

 太刀を横に構え、上から押し潰されて膝を着いた《ドラッケン》から出て来たのは調子の変わらない質問だった。

 

「その手には乗らない。この重量と膂力で一気に――」

 

「そっちの鎧のことだけじゃないよ。幾重にも重ねた分厚い“城塞”じみた心の仮面」

 

「っ……」

 

 まるで心の内を見透かすような物言いに《C》の背中に怖気が走る。

 

「仮面を被るのは傷付くのが怖いから?

 それともいくつもの仮面で覆って本当の君がどこにいるのか、君自身も分からないのかな?」

 

「黙れ……」

 

 どんな苦境であっても優雅に振る舞う。

 そんな貴族としての在り方を忘れ、《C》――ルーファスは語気を荒くする。

 

「あまりにも分厚くし過ぎて、本当の自分が分からないのかな?

 そんな心がバラバラで私に勝とうだなんて十年早いよ」

 

「黙れっ!」

 

 力任せに《機神》は剣を振り切る。

 だが、そこにいたはずの《ドラッケン》を捉えることはなく、《機神》の剣は大地に突き刺さる。

 

「くっ――」

 

 危なげなく太刀で剣を逸らした《ドラッケン》は素早い身のこなしで立ち上がる。

 

「フフ、少しは良い顔をするようになったじゃない」

 

 挑発じみた声にルーファスの心は乱れる。

 

「適当なことを機甲兵越しに何が分かると言うのだ?」

 

「見えなくても分かるものだよ」

 

「世迷言を!」

 

 実力行使で黙らせようと《機神》は《ドラッケン》に斬りかかる。

 

「本当に勿体ないなぁ……それだけの才覚があったなら一角の“武人”になれただろうに」

 

 踊るように《機神》の剣を躱して、すれ違い様にオーバルギアの腕部に《ドラッケン》は傷を刻む。

 

「くっ……」

 

 本体にまで及ばない傷だが、ルーファスはその傷に心がざわつく。

 

「ムキになっているのは図星だからでしょ?」

 

 《S》の指摘にルーファスは沈黙を返し、呼吸を整える。

 

「…………そうだな。認めよう」

 

 心を落ち着けてルーファスは潔く認める。

 

「多重人格という程ではないが、私は常に複数の自分の目で己を評価して行動している」

 

 アルバレアの貴族としてのルーファス。

 “あの方”の筆頭としてのルーファス。

 そして今は《C》としてのルーファス。

 今の《C》の行動を充実していると感じている一方で、どこか冷め切った思考で自分やクリス達を見ている自分には気付いていた。

 

「だがそれが何だと言うのだね?」

 

 ようやく目が慣れて来た斬撃を盾で弾きながらルーファスは言い返す。

 

「人は“役割”を演じるために仮面を被る。そんなこと誰だってやっていることだ!」

 

「別にそれが悪いとは言わないけど、自分の芯をそれで見失ってたら本末転倒だよ」

 

「分かった風な口を利くな」

 

 幾度目かの斬撃を盾で防ぎ、次こそは反撃できるとルーファスは確信する。

 

「…………はぁ……もう良いや」

 

 しかし、距離を取った《ドラッケン》は少女のため息と共に太刀を下ろした。

 

「…………何のつもりだ?」

 

「その“機体”なら見えると思ったんだけど、お兄さんは結局上で的当てしていた貴族と同じみたいだね」

 

「なん……だと……?」

 

「亀みたいに守ってばかり……私の“目”もまだまだだなぁ。君はもっと隠れ熱血系だと思ったのに」

 

 もはや完全にルーファスから興味を喪失させた《S》は踵を返す。

 

「待てっ! 私が上の貴族と同じとはどういうことだ!?」

 

「だってお兄さんって不意打ちや漁夫の利で勝っても喜べる人でしょ? うん、とっても帝国の貴族らしいよ」

 

 《S》の言葉にルーファスは目を見開き、言葉を失う。

 ルーファスから言わせれば不意打ちも漁夫の利も勝つための立派な戦術でしかない。

 目的を達成するためなら騎士道精神と貴族の矜持など捨てられる。

 恥じるつもりはないその在り方のはずなのに、自分が忌み嫌う醜悪な貴族と同類だと言われて反論が出て来なかった。

 

「ちがう……私は……」

 

 “目的”のために効率を考えて何が悪い。勝てない蛮勇など自己満足でしかない。

 その言葉は出て来なかった。

 貴族としてのルーファスが《空中要塞》の運用の仕方としてはありだと認めていたから。

 

 ――勝てば良い――

 

 この内戦で見続けて来た貴族の姿はそう言い続けていた。

 

 ――勝てば良い――

 

 効率を求めて勝つことしか考えていない自分は常にそう言い続けていた。

 醜いと蔑んでいた貴族の姿と、そんな彼らを冷笑しながら同じことをしている自分が重なりルーファスは言葉を失う。

 

「私は……私は……」

 

 変われたと思っていた。

 アルバレア家から追放され、“彼”やクリス達と共に過ごす遅めの青春のような日々に新たな成長ができているのだと思っていた。

 だがそれは違った。

 “仮面”が増えただけでルーファスの本質は何も変わっていない。

 

「これが貴族……私なのか……」

 

 己の醜い姿を自覚したルーファスは―― 無防備な《ドラッケン》の背中。

 アルバレアとして何人にも負けることは許されないと、貴族のルーファスが囁く。

 “目的”のためならばどんなことでもできると、筆頭のルーファスが囁く。

 ここで倒さなければ内戦の脅威となると、《C》のルーファスが囁く。

 その囁きに――魔が差した。

 

「っ……」

 

 握り締めた剣を静かに構える。

 その切先が葛藤に揺れるが、何かが背中を押すようにルーファスを前へと押し出した。

 

「っ――――」

 

 雄叫びを押し殺し、無防備な《ドラッケン》に《機神》は襲い掛かり――

 背中を向けたまま《ドラッケン》は黒い太刀の鯉口を静かに切る。

 

「――零月一閃――」

 

 

 

 

「所詮、私などこの程度の“器”だったのだよ」

 

 貴族のルーファスが諦観に満ちた微笑みを浮かべる。

 

「この身は不義によって生まれた穢れた身……あの方を“父”を乗り越えるなど身の程知らずな望みだったのだよ」

 

「あの方にはレクター君もクレア君もいる。私にできることはあの方にもできるのだから潔くここで散るべきだろう」

 

 筆頭であるルーファスは己の力不足を嘆く。

 

「クリス君もスウィン君もナーディア君も、私が導く必要などない。キーア君に至っては私は邪魔な存在でしかないだろう」

 

 《C》であるルーファスは所詮は打算だけの付き合いだったのだと割り切る。

 

 ――ああ、ここで私は終わりか……

 

 全てが遅く感じられる時間間隔の中、首を一太刀で撥ね飛ばさんとする刃にルーファスは苦笑を浮かべる。

 

 ――意外と早かったものだな……

 

 不義の子が身の程を弁えず、あの男を“父”と仰ぎ、《金の騎神》の起動者になったこと。

 全てが分相応だったのだとルーファスは自嘲する。

 

 ――私は……超帝国人になれなかったようだ……

 

 せめて散り際は潔く、高潔でありたい。

 美しいとさえ思える太刀筋をその目に焼き付けてルーファスは――

 

「死ぬなよ。アンタに死なれたらオレ達も困るんだ」

 

「そーそー、るーちゃんには全部が終わったら特別手当てをたんまり払ってもらわないといけないからねー」

 

「この仕事が終わったらみんなで帝都の《ノイエ・ブラン》で打ち上げしようよ」

 

「あの……この戦争が終わったら勉強を教えてもらえませんか? クロスベルのためにキーアに何ができるのか知りたいの」

 

 走馬灯のように脳裏に駆け巡る仲間たちの言葉。

 

「誰も死なないでください。全員で生き残って完全勝利を目指しましょう」

 

 激化した内戦の中でも理想論を掲げた次期皇帝の言葉を思い出し。

 

「ぐうっ!」

 

 背中を押されて踏み出すはずだった一歩をルーファスは強引に半歩に変える。

 直後、美しさを兼ね備えた美しくも力強い一閃が、装甲の隙間を寸分違わず捉えて、《金》の首まで薙ぎ払った。

 

「――――おや?」

 

 必殺の一閃の不発の手応えに《S》は首を捻る。

 目算よりも半歩足りなかったのは自分が読み違えたからなのか、それとも相手が踏み込まなかったからなのか。

 それを判断する前に《機神》が技後硬直で固まる《ドラッケン》に激突する。

 

「わたしはっ! わたしはっ!」

 

 半分切り裂かれた喉の痛みも貴族としての優雅さも忘れてルーファスは感情が赴くままに叫ぶ。

 

「わたしはしねないっ!」

 

「あはっ!」

 

 魂が籠った叫びと不格好な悪あがきに《S》は失望の表情を一変させて無邪気な笑みを浮かべる。

 

「もらったっ!」

 

 体当たりによって浮き上がった《ドラッケン》に千載一遇の好機と《機神》は半ばから斬り裂かれた剣を横薙ぎに振り抜き――

 

「甘いっ!」

 

 空中で身を捩り繰り出したつま先が持ち手を砕く。

 

「なっ!?」

 

 ルーファスが驚愕に目を見開く間にも、足蹴りに遅れて独楽のように回転する《ドラッケン》が横薙ぎの一閃を繰り出す。

 

「っ……」

 

 咄嗟に身を引いて、左手に残った盾でその一撃を受け止める。

 

「ダメだよ! そこで守り入るのは!」

 

 危なげなく着地した《ドラッケン》は前へ、前へとさらに剣戟を激しくする。

 《機神》は左腕の盾に身を隠し、《S》はその姿にやはり失望を――

 

「プラドーッ!」

 

 次の瞬間、《機神》から焔が溢れる。

 

「っ!?」

 

 深紅の焔に異質な何かを感じ《ドラッケン》は初めて自分から距離を取る。

 

「へえ……」

 

 深紅の焔は《機神》のオーバルギアと桃色の装甲を焼き溶かし、《金》の輝きを露わにする。

 

「やだなぁ……出し惜しみなんて……」

 

 剥き出しの《金》のフレーム。

 深紅の焔は《金》が抜いた柄に集中し深紅の刀身へと焔が固まって行く。

 

「さしずめ火之迦具土神の剣とでも呼ぶべきかな?」

 

 重装甲に数えきれない武装の数々よりも魅力的な深紅の剣を前に《S》は愉しそうな笑みを浮かべる。

 

「うん――すごく良い感じだ」

 

 その姿に満足そうに《S》は頷く。

 

「これまでの無礼は謝罪するよ。そしてそれ程の物を抜いてくれたのだから、こちらもこれ以上の出し惜しみは無作法と言うものだ」

 

 《ドラッケン》は太刀を正眼に構える。

 

「こおおおおおっ……」

 

 《S》の呼気が大気を震わせ、《ドラッケン》に黄金の闘気が溢れ出す。

 

「まさか――」

 

 その覚えのある脈動にルーファスは息を呑む。

 

「神氣合一!」

 

 黄金の光に包まれる《ドラッケン》。

 

「さあ、行こうか! 今なら――」

 

 息巻く《S》だったが、目の前のモニターが突然切れた。

 

「…………え……?」

 

 そしてそれはモニターだけではなく、各所の計器からも光は消え失せ、狭い操縦席に漆黒の闇が満ちる。

 

「ええ!? 何で!? 良い所だったのに!?」

 

 ガチャガチャと足元のペダルを踏み、操縦桿を動かして、バキッと音が鳴って壊れる。

 

「あれ……?」

 

 暗闇の中、外れた左右の操縦桿に《S》は冷や汗を垂らす。

 

「これは……」

 

 突然動かなくなり、黄金の闘気を拡散させた《ドラッケン》を訝しむが、直後に機体の各所から上がった黒い煙に状況を察する。

 

「ええっと……あれ? ハッチも開かない……」

 

 奇蹟的に通信機は無事だったのか、中の《S》の困惑ぶりがルーファスの耳に届く。

 

「やれやれ……何とも締まらない幕引きだ」

 

 肩を竦め、助けるべきかと考えたところで《ドラッケン》が縦に割けた。

 

「っ……」

 

「ふう……危なかった」

 

 中から大太刀を持って機甲兵を斬り裂いた脱出した《S》は焦ったとばかりに額を拭う。

 

「なっ!?」

 

 中から《ドラッケン》を二つに斬ったことにルーファスは驚かない。

 八葉一刀流の中伝ならばそれくらいできるだろう。

 驚いたのは彼女の姿。

 長く美しい白い髪の少女。

 年の背は自分よりも低く、ユーシス達と同じくらいに見て取れる。

 声から若いと思っていたが、ルーファスが驚いたのはそこではない。

 白く長い髪に漆黒の大太刀。東方風の衣装であり、女性の体つきをしている点は明確に違うのだがその姿にルーファスがコーディネートした“彼”を想起させるには十分だった。

 

「“剣鬼”」

 

「やれやれ……オーブメントは脆くて敵わないな」

 

 《S》は左右に倒れて行く《ドラッケン》から危なげなく地面に着地して嘆く。

 

「だけどまあ、頃合いだったかな。あれ以上やっていたら遊びじゃ済まなかったかも」

 

 ため息を吐きながら《S》は大太刀を鞘に納めると、《金》を見上げる。

 

「フフ、中々楽しかったよ。機会があれば今度は生身で仕合おうよ」

 

 先程までの戦いぶりからはとても想像できない軽い調子にルーファスは調子が崩される。

 

「それじゃあ私はこの辺で、弟弟子のお遣い、ワイスマンって言う人を探さないといけないからね」

 

「弟弟子……? それにワイスマン? 待てそれは――」

 

 ルーファスの制止は《ドラッケン》の爆発に掻き消される。

 そしてその爆炎が晴れた時にはもう《S》の姿はそこにはなかった。

 

「…………彼女はいったい……」

 

 まるで嵐のような少女だったとルーファスは生き残った安堵の息を吐く。

 だが、それも束の間――

 

「やってくれたな!」

 

 聞こえて来た声はルーファスにとって慣れ親しんだもの。

 

「来たか……」

 

 《ドラッケン》の残骸を踏み潰すように《金》の前に《金の神騎》――ルーファスにとって本命のヘルムート・アルバレアが降り立った。

 

 

 

 

 



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56話 アルバレア

 

 

 

「やってくれたな」

 

 西の戦場を好き放題蹂躙し、貴族連合も正規軍も等しく蹂躙された戦場は内戦の最終局面だというのに遠巻きの睨み合いとなっていた。

 西の部隊は《空中要塞》を利用して正規軍を速やかに殲滅し、中央の本隊に合流する手筈となっていた。

 しかし無敵のはずの《空中要塞》は堕とされ、地上部隊の《機甲兵》もほぼ壊滅。

 正規軍側の被害も甚大ではあるが、両者ともに別の戦場に援軍として駆け付けるのは難しい程に壊滅していた。

 もっとも被害の規模に対して人的被害が少ないのは、戦場をかき乱した二機が他に目もくれていなかったからに過ぎない。

 

「貴様、何者だ! 名を名乗れ!」

 

 カイエン公に恩が売れるということで救援に駆け付けたヘルムートは戦場に佇む《機甲兵》に向かって叫ぶ。

 戦場に立つその《機甲兵》は異様な風貌をしたものだった。

 ヘルムート自身は完成品しか見たことはないが、本来ならあるはずの装甲はなく、駆動部の機関が剥き出しなまるで造りかけの機体。

 しかしその機関部やフレームは内部構造だというのに金色に光り輝いていた。

 

「くっ……」

 

 造りかけであってもなお美しい機体にヘルムートは息を呑む、まるで自分が乗っている《金》が劣っているような錯覚を感じながらそれを振り払うようにもう一度叫ぶ。

 

「私の名は……《C》……真・帝国解放戦線の《C》だ」

 

「《C》だと!? その名は――」

 

「フフ……貴族連合の“裏”の部隊とも言える非道のテロリストではなく、本物のセドリック皇子が率いる者ですよ」

 

 驚くヘルムートに《C》は挑発するような笑みを浮かべる。

 

「それとも肖像権でも訴えますか? 《C》は貴族連合の英雄だと?」

 

「むっ……」

 

「いや……」

 

 挑発じみた言葉に《C》は頭を振る。

 そして徐に《金》から降りた。

 

「…………何のつもりだ?」

 

 剥き出しの《核》から降りて来た《C》をヘルムートが訝しむ。

 光となって乗降するその現象は騎神特有のものだったはずだと訝しむ視線を感じながら《C》は仮面を掴み、その素顔を晒した。

 

「父上、私です……ルーファス・アルバレアです」

 

「……何故お前がここに? それにその左腕……そうか、ウルスラ医科大学病院での治療に成功したか」

 

 先日、会った時はまだ左腕を吊るしていたが、今のルーファスの左腕はオルディスでの後遺症から完治したように自由に動いている。

 その事にヘルムートは安堵し、すぐに顔を引き締めた。

 

「クロスベルから駆け付けた心意気は買おう。だがお前はそこで何をしている?」

 

 遠目に彼らの戦いはヘルムートも駆けつける合間に見ていた。

 ルーファスが降りた機体は今は無残な姿をしているが、《空中要塞》を墜とし、貴族連合側の《機甲兵》と戦っていた。

 明らかな敵対行動。

 その真意を問い質す感情が乗った声をルーファスは懐かしく感じながら言い返す。

 

「私は父上、貴方の真意を尋ねたく、こうして馳せ参じました」

 

「私の真意だと?」

 

「クリス君から聞きましたよ。私にアルフィン皇女殿下を娶らせようとしていると……それは何故ですか?」

 

「そんなことか……」

 

「私も貴族として育てられた身、政略結婚を否定するつもりはありません。しかしだからこそ聞きたい、何故ユーシスではなく私なのかと」

 

「…………」

 

 ルーファスの質問にヘルムートは沈黙を返す。

 

「《蒼の騎士》を有するカイエン公が貴族連合で大きな発言力を持っている……

 アルバレアが《金の騎神》を取り戻したとしても、オルディスでの私の敗北が尾を引いてアルバレアの支持が弱いことも分かります……

 だがアルバレア家の発言力のための政略結婚なら、何故廃嫡にした私をこの期に及んで利用しようとするのですか」

 

「そもそもお前を一度アルバレア家から離したのは《蒼》と比べて《灰》があまりにも……《灰》が……」

 

 ふとヘルムートは内戦前と内戦中の《灰》の活躍の差に首を傾げる。

 何故自分は、自分達はあそこまで《灰の騎神》を警戒していたのか思い出すことができずに困惑する。

 

「私をクロスベルに遠ざけて、《灰》にユーシスをぶつけるつもりだったんですか?」

 

「そうだ。ユーシスにはこの内戦で功績を上げさせなければならなかった……だと言うのに……」

 

「今まで散々ユーシスを冷遇しておいて、利用しようなどとは虫が良いのでは?」

 

「何を言っている? 今、ここでユーシスに功績を積ませなければ、他の貴族達がユーシスを認めるはずがないだろう」

 

「それは……」

 

「私が認める認めないではない。周りの貴族共がユーシスという存在を認めない限り、私は奴に甘い顔をするわけにはいかんのだ」

 

「……それが……ユーシスを冷遇する本当の理由ですか?」

 

 平民の血が流れているから遠ざけている。

 そう思っていたルーファスにとってヘルムートの答えはある程度納得の行くものだった。

 

「ですが、それは私を優遇する理由にはならないはず……私は……」

 

 ルーファスはそこで言葉を止め、らしくもない緊張に躊躇い声を震わせながら今までずっと言えなかった言葉をヘルムートにぶつけた。

 

「私は貴方の本当の息子ではないのだから」

 

 ルーファスの言葉にヘルムートは息を呑むこともせず、静かな沈黙を置いて口を開いた。

 

「…………やはり気付いていたか」

 

「父上……」

 

 自分が気付いていたことを気付いていたヘルムートにルーファスは息を吐いて呼吸を整え――

 

「ならばお前も分かるだろう? ユーシスが私の子供ではない可能性に」

 

「…………え…………」

 

 ヘルムートの言葉の意味が分からず、ルーファスは間の抜けた言葉を漏らしていた。

 が、ヘルムートは構わず続ける。

 

「八年前、あの女は訃報と共にユーシスを認知してくれと私に遺言を残した……

 お前には気付かせないようにしたが、当時ユーシスをアルバレア家に迎えるにあたって他の貴族共は当然騒ぎ立てた。ユーシスは本当に私の息子なのかとな」

 

「それは……」

 

「貴族や資産家には良くある話だ……

 ありもしない関係を捏造し、公爵家に取り入ろうとする……ノルティア州でも似たような事があった話だ」

 

「っ……」

 

 ヘルムートの言葉でルーファスが思い出すのはシュバルツァー家の事。

 今はもう限られた者しか覚えていないが、“彼”をシュバルツァー家が迎え入れるに当たり、様々な誹謗中傷がテオ・シュバルツァーに向けられた。

 それと同じ事がユーシスをアルバレア家に迎え入れる時にあったとしても不思議ではない。

 むしろ男爵家だったシュバルツァー家とは違い、公爵家のアルバレア家の方が風当たりは強かったと考えるのが普通だろう。

 

「ですが貴方はユーシスを自分の息子だと認めたのではないのですか!? だからユーシスにアルバレアを名乗ることを許したはずっ!」」

 

「ああ、その通りだ……ユーシスの母と一夜を共にした事は事実だ……

 だが、それが何の証明となると言うのだ? 私が愛した妻は裏切り……ルーファス、お前は私の子供ではなかったのだぞ」

 

「…………あ……」

 

 ヘルムートの言葉にルーファスは自分の思い違いに気付く。

 “平民の血”を引いているから実子であってもユーシスを遠ざけていた。

 公爵家のメンツを保つために、不義の子を実子として扱い優遇していた。

 それがルーファスが想像していたヘルムートの“欺瞞”であり、貴族の矛盾。

 ヘルムートを愚かな人間だと蔑んでいたが、彼の事情はルーファスが思っていた以上に複雑だった。

 

「今でもアルバレアとしての私が囁くのだ……『ユーシスは本当に私の息子なのか』と……」

 

「ですが――」

 

「あの女は己の死を持ってユーシスの真実を隠した! 何故だっ!」

 

 ルーファスがそうであったように、ヘルムートはこれまで溜め込んで来たものを堰を切ったように叫び散らす。

 

「本当にユーシスが私の息子だと言い張るのなら! あやつは生きるべきだったのだ!

 あの程度の病気などで死を受け入れて……死んでユーシスを押し付けるくらいなら、私に頼って生きるべきだったのだ!

 私は妾一人守れぬ情けない人間だと思ったのか!? 私を信じぬと言うのなら、私はどうやってあの女の言葉を信じれば良いと言うのだ!?」

 

「父上……」

 

 吐き出されたヘルムートの激情にルーファスはただ呆然と立ち尽くす。

 俗物だと思っていたヘルムートの中に渦巻いていたものの大きさにルーファスはただ圧倒され自分の小ささを思い知らされる。

 

「ユーシスはまだ何も成していない。ならば奴に甘くすることなどできるはずもない……

 士官学院を首席で合格できなかった奴が何と陰口を言われているか、お前は知っているか?」

 

「…………いいえ……ですが今年度の首席は――」

 

 理事として士官学院の内情を知る者としてルーファスは反論をしようとして――

 

「私の息子、お前の弟とは思えない不出来な子供……私の息子ではなく、弟の――お前の父の子供ではないのか、それがユーシスに向けられている評価なのだ」

 

「なっ!?」

 

 ヘルムートの言葉にルーファスは言葉を失った。

 ユーシスがヘルムートの実の子なのか疑われる根拠は理解できる。

 だがよりによって、ヘルムートの弟、つまりルーファスの実の父の子供だと疑われているという事実は何と言う皮肉だろう。

 そしてその噂話はヘルムートにとって冗談では聞き流すことができないものだとルーファスは察した。

 

「父上……」

 

 何と言葉を掛けて良いのか、ルーファスには分からなかった。

 弟に裏切られ、妻に騙され、妾に利用され、長子は不義の子であり、そして次男には托卵の疑惑。

 当のユーシスはヘルムートの意向に逆らい貴族連合を離反して敵対している。

 そして自分も――

 

「愚かだったのは私の方か……」

 

 ヘルムートの矛盾を理由に軽蔑していた己をルーファスは恥じる。

 

 ――言うのか? 私の父としての尊敬は既に“あの方”に捧げていると――

 

 ルーファスが想像もできない苦しみを抱えるヘルムートに、別の人間を“父”と感じていることに後ろめたさを感じずにはいられない。

 

「…………いや……この期に及んで嘘はつけないか……」

 

 本音をさらけ出してくれたヘルムートに対して、ルーファスはいつものように本心を押し隠そうとしてできなかった。

 

「これで満足かルーファス? ならば――」

 

「父上……私は貴方に言わねばならないことがあります」

 

 話を切り上げようとしたヘルムートにルーファスは待ったを掛ける。

 

「お前の話は後で聞いてやる。今は――」

 

「貴方が私の父であることは変わりません。ですが、今の私は別の人間を父と崇め敬っています」

 

「…………何だと……?」

 

 機体越しに聞こえてくるヘルムートの声が重く、静かに響き渡る。

 未だかつてヘルムートのそんな声を聞いたことがなかったルーファスは思わず体を震わせるほどの寒気を感じる。

 

「私は《鉄血の子供達》の一人……その筆頭を務めさせてもらっています」

 

「…………」

 

 ルーファスの告白にヘルムートは重い沈黙を返した。

 

「父上……」

 

 予想していた叱責がないことにルーファスは訝しむ。

 罵倒されることも覚悟していたが、ヘルムートの反応は異様と言える程に静かだった。

 

「お前も……私を裏切るのか……」

 

 長い沈黙の末に零された言葉にはどれだけの感情が詰まっていたのか。

 

「やはりお前はあの二人の息子だったという事か……」

 

 静かな声が響く中、黒い瘴気が《金の神機》を浸食していく。

 

「違う! 私は――」

 

 反論しようとしてルーファスは言葉を止めた。

 指摘された言葉に実の両親と同じ事をしていたのだとルーファスは気付いてしまう。

 

「私は……」

 

「もう――黙れっ!」

 

『いかん』

 

 瘴気に全身を侵された《金の神機》は剣を抜くと呆然と立ち尽くす生身のルーファスに向けて振り下ろした。

 咄嗟に《金》は逃げる素振りを見せないルーファスを左手で掴み、後ろに跳躍して《金の神機》の一撃から退避する。

 

「はははは……ハハハハハハハ……」

 

 戦場に壊れたヘルムートの笑い声が木霊する。

 

「父上……」

 

 その壊れた哄笑にルーファスは顔を歪める。

 《金の神機》の翼が広がり、空へと撃ち出された光子砲のレーザーが《金》に降り注ぐ。

 

『ルーファスッ!』

 

「ああ……」

 

 《金》の呼び掛けに鈍い反応で頷きながらルーファスは《騎神》に搭乗する。

 

「……こうなることは分かっていた……分かっていたんだ……」

 

 《鉄血の子供》となった時から、いつかこうなる日が来ることはルーファスは想定していた。

 だが、実際の決別はルーファスが想像していた以上に胸を痛くさせる。

 

「ホロビロホロビロホロビロホロビロ――全テ滅ビテシマエバイイノダッ!!」

 

「っ――」

 

 呪いに呑み込まれたヘルムートの叫びにルーファスは顔を歪ませる。

 

「これが私の罪か……」

 

 ヘルムートの最後の一線を壊してしまったことにルーファスは嘆く。

 ルーファスの不義はヘルムートの尊厳を容赦なく踏みにじった。

 

「ガアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 まるで獣となったかのような咆哮を上げて《金の神機》は《金》に剣を抜いて襲い掛かる。

 

『ルーファス』

 

「ああ、分かっている」

 

 《金》の呼び声に答えるようにルーファスは深紅の剣を構え――アルバレアの兄弟剣と激突する。

 

「っ――」

 

 その瞬間、ルーファスの脳裏に浮かび上がったのは遠い昔の記憶。

 まだ互いに本当の親子だと思っていた頃、彼から剣を学んだ時の情景をルーファスは思い出してしまうのだった。

 

 

 

 

 








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57話 二つの《金》

 

 

 

 

 

 

 

「ひっ――」

 

 貴族連合の兵士は咄嗟に乗っていた装甲車から飛び降りた。

 直後、水平に飛んで来た《金》が装甲車の隊列を薙ぎ払った。

 

「くっ……」

 

 その内の一台を背中で押し潰した《金》は咄嗟に深紅の剣を上に持ち上げ、振り下ろされた兄弟剣の二つの刃を受け止める。

 双剣で押し潰さんとする圧力に《金》の右手は悲鳴を上げる。

 先の《ドラッケン》との戦いで蹴り砕かれた右手は指が欠けて今にも剣を取り落としそうになる。

 

「おおおおっ!」

 

 その剣の背に盾を当てて突き飛ばすように押し返す。

 

「ふん――」

 

 その勢いに逆らわずに後ろへと飛翔した《黄金》は翼を広げて光子のレーザーが降り注ぐ。

 

「うわあああああっ!」

 

「ヘルムート卿! おやめください! こちらは味方ですっ!」

 

 貴族連合の陣地にも関わらず降り注ぐレーザーの雨があらゆるものを撃ち抜いていく。

 領邦軍の兵士や将校の悲鳴などお構いなしに《黄金》の攻撃は激しさを増して行く。

 

「父上っ!」

 

 《黄金》を追い様に《金》は飛び立ち砲撃の隙間を縫うように接近して斬りかかる。

 

「ぬるいッ!」

 

 《金》の剣は片手で受け止め、もう一方の剣で《黄金》が斬り返す。

 

「くっ――」

 

 盾でそれを受け止めつつ、一当てした《金》は後ろに下がる。

 そして今度はこちらの番だと言わんばかりに《黄金》が斬りかかる。

 

「ハアアアアアアアッ!」

 

 双剣の乱舞を剣と盾を駆使して《金》は受け止め――

 

「そこっ!」

 

 一瞬の隙を見極め《金》は剣を突き出す。

 

「甘いわっ!」

 

 危なげなく《黄金》は一突きを剣に滑らせていなし、すれ違い様に背中を斬り払う。

 

「うぐっ!」

 

 斬断には至らないものの装甲のない《金》の体がくの字に折れ曲がり、ルーファスの身体に痛みを走らせる。

 

「今のは――」

 

 だが痛みよりも一連の動きにルーファスは既視感を覚え、記憶を手繰り寄せていた。

 

「今の動きは……」

 

 それはまだルーファスが幼かった頃、ヘルムートとの剣の稽古の時の記憶。

 目に見えた隙に飛びついて手痛い反撃を喰らった時の事を思い出してしまう。

 

「何故こんな時にこんなことを思い出す……」

 

 態勢を立て直し、追撃の剣を受け止める。

 その度にもう思い出すこともしなかったヘルムートとの日々をルーファスは思い出してしまう。

 十数年ぶりに剣を交えている。

 剣を交わすたびにそんな感傷に心を揺らされる自分にルーファスは戸惑う。

 

「――だとしても、今日こそは勝たせて頂くっ!」

 

 感傷を振り払って、《金》は距離を取って剣を掲げる。

 

「ブルドガングレインッ!」

 

 掲げた剣に並ぶように深紅の剣が五つ現れて飛翔する。

 五つの剣はそれぞれ《金》の意志を持って《黄金》を囲み、一斉に襲い掛かる。

 

「ブルドガングレイン」

 

 それを迎撃するのは《黄金》が生み出した黒の剣。

 飛翔して襲い掛かる飛剣を寸分違わず同種の剣で撃ち落とされ、互いの剣は砕け散る。

 

「なっ!?」

 

 しかし砕けた深紅の剣は蒸発するように消滅したのに対して黒の剣は砕けた破片となって《金》に降り注ぐ。

 剣の残骸はガラス片のようになって《金》の盾に突き立ち、引っ掻き傷を刻む。

 装甲がない今、直撃すれば無視できない盾に刻まれた傷にルーファスは顔をしかめる。

 

「今のは何だ?」

 

 理解できない苛立ちを感じながらルーファスは呟く。

 

「ふん……どうやら貴様はその程度のようだな」

 

 少し暴れて溜飲が下がったのか、理性を取り戻した声に挑発と優越感を滲ませてヘルムートは嘲笑する。

 

「言ってくれますね……」

 

「貴様がその秘剣を修得したのはこの一年の間だろう……

 だが私がこの秘剣を修めたのは三十年前、年季が違うのだ」

 

「それが何だと言うのですか? 私は既にこの《ブルドガングレイン》は極めている。私に足りないのは実戦経験だけだ」

 

「自惚れるな小僧! 極めると言うのはこういうことを言うのだ!」

 

 そう言って《黄金》は兄弟剣の“エルヴァース”を前へと翳す。

 

「何を……?」

 

 ふと、ルーファスはクリスがバリアハートで兄弟剣の内の一つを砕いていた報告を思い出す。

 だが二本の兄弟剣は健在で、この短い時間の中で作り直させたのかと考えたところでヘルムートの声が響く。

 

「散れ……《ブルトガング》」

 

 その言葉を合図に、闘気で編まれた“エルヴァース”は砕け散る。

 

『ルーファスッ!』

 

「っ――」

 

 警告の声にルーファスは咄嗟に《金》を横に跳ばせる。

 直後、花のように煌く無数の刃が《金》がいた空間を呑み込み、放置された《ヘクトル》を斬り刻んだ。

 

「なっ!?」

 

 刃に呑み込まれた《ヘクトル》は見るも無残な姿に変わり果て崩れ落ちる姿にルーファスは絶句する。

 だが息を整える間もなく、無数の刃群は蛇のように《金》を追い駆ける。

 

「まずいっ!」

 

 咄嗟に《金》は空中へと飛び、その足元の地面が削られる。

 

「剣を生み出す戦技にこんな使い方があるとは……」

 

 剣を生み出す過程において刃のみを無数に細かく造り、それを操作しているのだとルーファスは分析する。

 砕けた刃は小さく一つ一つの攻撃力は決して大きくはないが、剣で弾くことが困難な程に小さく、何よりも数が多い。

 大地を削る刃群はそのまま《金》を追い駆けてくる。

 

「――焼き払えっ!」

 

 深紅の剣を一閃し、迫り来る無数の刃を焔で薙ぎ払う。

 無数の刃が焔に焼かれて消滅する様にルーファスは安堵の息を吐き――焔のカーテンを突き破って飛来した剣に息を呑む。

 

「っ――」

 

 咄嗟に返す刃で飛来した剣を弾く。

 だが、その強度はあまりにも脆く振れただけであっさりと砕け散り――飛び散った破片が一斉に《金》に襲い掛かる。

 

「がっ!」

 

 “核”を盾で隠すようにした瞬間、荒い鑢で擦られる痛みが全身を襲う。

 

「ほ……焔を……」

 

 装甲がない剥き出しのフレームを削られる痛覚はまさに骨を削られる痛み。

 これまでに経験したことのない激痛を味わいながらルーファスはもう一度焔で刃群を吹き飛ばそうとして――二本の剣が《金》を貫いた。

 

「がはっ!」

 

 そこが限界だった。

 《金》は飛翔を維持できず、無様に墜落する。

 

「ふん……この程度だったか」

 

 声に失望を乗せてヘルムートは大地に這いつくばる《金》を冷めた目で見下ろす。

 

 ――殺セ、滅ボセ、追放ナド必要ナイ――

 

「ああ、そうだな」

 

 耳元で囁く己の声にヘルムートは頷き、《黄金》は倒れ伏す《金》に向けて“イシュナード”を構える。

 

「…………」

 

 わずかな逡巡を挟み、《黄金》は何かを振り払うように剣が振り下ろされ――《金》の手がその刃を受け止めた。

 

「くっ――往生際が悪いぞ! ルーファスッ!」

 

「まだだ……私はまだ……」

 

「貴様も貴族なら潔く介錯を受け入れろっ!」

 

 叫ぶ父の激昂にルーファスは唇を噛み、叫ぶ。

 

「神騎合一っ!」

 

 《金》の霊力を逆流させ、その力を増幅させる。

 

「っ――!?」

 

 かつてオルディスで成功した術だったが、心の内に迷いを抱えた今のルーファスが扱えるものではなかった。

 《騎神》の霊力にルーファスという存在は容易く呑み込まれ、《闘争》の呪いを燃え上がらせる部品と化す。

 それは《神騎合一》ではなく《鬼気》の解放。

 

「ガアアアアアアアアアアアッ!」

 

 獣のような咆哮を上げて《金》は力任せに深紅の剣を振り抜く。

 黒い焔の剣閃が《黄金》を吹き飛ばす。

 

「ぬうっ!? ルーファス……貴様っ!」

 

 《金》が纏う《鬼気》に呼応して、《黄金》が纏う《呪い》がより濃くなりヘルムートの殺意が膨れ上がる。

 

「ヘルムート・アルバレアッ!」

 

「ルーファスッ!」

 

 駆け引きを忘れ、《金》と《黄金》は殺意を剥き出しにして最大の速度で正面から激突する。

 深紅の刃が《黄金》の肩を貫き――兄弟剣の刃が《金》の胴を貫いた。

 

「あ……」

 

 騎神越しに息子を貫いた感触にヘルムートは息を飲む。

 

「――ヘルムート・アルバレア……私は……わたしはっ! 貴方が――」

 

 対する《金》は貫かれながらも弱々しく拳を握って《黄金》の顔を殴る。

 言葉にできない憎しみと憤りを込め、力のない拳が何度も何度も《黄金》の顔を叩く。

 

「ふん……」

 

 ルーファスの叫びを無視して《黄金》は乱暴に《金》を蹴り、剣を抜く。

 支えを失い落下していく《金》を睥睨して、《黄金》は翼の導力砲を向ける。

 

「……これで……これで私の悪夢も終わりだ」

 

 わずかに逡巡するもそう呟いて、ヘルムートは翼の導力砲の引き金を引く。

 六条の光が墜落していく《金》を穿つ。

 左腕が肩から弾け飛び、顔が半分削れ、そして《金》の“核”を光条が貫き――

 

「ったく、ヘタクソ過ぎて見てられねえな」

 

 誰かの声が響いた。

 

「何っ!?」

 

 “核”を撃ち抜いたはずの光が焼き尽くされる。

 そう形容するしかない異様な光景を目の当たりにしてヘルムートは目を剥いていると《金》は全身から焔を溢れさせ大地に着地する。

 そして次の瞬間、焔が《金》を中心に渦巻き爆発が起こる。

 

「っ――」

 

 一息で空に舞い戻った《金の魔神》はその勢いのまま深紅の剣を突き出して《黄金》に迫る。

 咄嗟に盾にした剣を代償にその一撃を逸らし《黄金》は《金》から距離を取る。

 

「――貴様、何者だっ!」

 

 ルーファスではない荒々しい気配にヘルムートは叫ぶ。

 

「はっ! 別に誰だって良いだろ」

 

 対する声はやはりルーファスのものではなく、粗野な声が返って来る。

 

「こいつがあまりにもヘタクソだったからな……俺の“焔”があの程度なんて思われちまったら困るんだよ」

 

「何を言っている貴様は――」

 

「劫っ!」

 

 深紅の剣が振り抜かれ、焔が津波となって押し寄せる。

 

「ぬおおおおっ!?」

 

 “ディフレクションバリア”が焔を受け止めるが、焔の津波に《黄金》は押し流される。

 

「シャアアアアアアアアアアッ!」

 

 吹き飛んだ《黄金》に《金》は全身から焔を噴出させて追い縋り、障壁に深紅の剣を穿つ。

 その一突きは《黄金》ごと激しく揺さぶり、障壁は砕け散る。

 

「おらぁっ!」

 

 剣を引き戻しながら《金》は《黄金》を足蹴にする。

 

「くっ……調子に乗るなっ!」

 

 たたらを踏むように後退しながら《黄金》は剣を振り、新たな刃群を生み出しその奔流を《金》に放つ。

 

「はっ! 甘いんだよ!」

 

 対する《金》は焔の濁流を放つ。

 刃の奔流と焔の濁流は正面からぶつかり合い、焔が全てを呑み込み突き進む。

 そしてそれは《黄金》を呑み込み――

 

「あん?」

 

 手応えのなさに彼が眉を顰めた瞬間、《金》の背後の空間が揺らぎ《黄金》が剣を薙ぐ。

 

「ちっ――」

 

 完全な不意打ちにも関わらず、《金》が纏う焔の衣が《ブルトガング》の剣を振れた瞬間に焼き尽くす。

 

「おもしれえもん持ってるじゃねえか」

 

 悠然と振り返る《金》に《黄金》は距離を取ると、その姿が揺らぎ消える。

 《空の匣》。

 空間歪曲を利用した、百の物体を一に圧縮してその場から消失したように見せかける技術。

 そこにいるがそこにいない。

 その状態を利用して《黄金》は宙空に無数の剣群を生み出した。

 全方位から飛来する剣の群れに、刃片の奔流。

 それらを目くらましにしながら、一瞬だけ《黄金》は現れて不意打ちをして空間に消える。

 

「くくく……良いじゃねえか……」

 

 《黄金》が消える原理を知らない彼は楽しそうな笑みをこぼす。

 デタラメに全周囲攻撃を持って現れた瞬間を狙って全てを焼き尽くすこともできるのだが、彼はあえて奥の手を切る。

 

「良いぜ……特別だ。俺のとっておきを見せてやる」

 

 《金》の左手に四角い石のような《方石》が現れる。

 

「《焔庭》――無間煉獄」

 

 《方石》から光が溢れる。

 光は《金》とその周辺に潜んでいた《黄金》を問答無用で《方石》が作り出す世界に取り込む。

 

「…………何だ……これは?」

 

 空間圧縮で隠れていたはずの《黄金》は景色が一変した光景に思わず立ち尽くす。

 焼け焦げた大地に炎が埋め尽くす空。

 煉獄という場所が本当に存在するのなら、こんな場所なのではないかとヘルムートは場違いにも考えてしまう。

 

「簡単なことだったんだ……」

 

 目の前に対峙する《金》は何かを馳せるように語り始める。

 

「俺の焔が空間を壊しちまうなら、俺の力で俺が全力を揮える世界を作り出せばいい。そう《影の国》や《箱庭》のような世界をな」

 

「世界を作る……何を言っているのだ貴様……」

 

 聞こえて来る常軌を逸した理解できない言葉にヘルムートは周囲の熱さを忘れて寒気を感じる。

 

「どうした? さっきまでの威勢はどこにいった?」

 

 話しかけてくる《金》の言葉に《黄金》は思わず後退る。

 

「この……化物めっ!」

 

「だったらどうする? 無様に跪いて命乞いでもするか貴族様よっ!」

 

「っ――オオオオオオオオオッ!」

 

 嘲笑を含めた挑発に《黄金》は雄叫びを上げて“イシュナード”と“エルヴァース”を構え、更に翼を広げて周囲に千の《ブルトガング》の剣を展開する。

 そして突撃。

 空に追尾レーザーを撃ち上げ、千の剣群を引き連れて雄々しく《黄金》は《金の魔神》に斬りかかる。

 

「やめろ……」

 

 千の剣が折られ塵も残さず燃え尽きる。

 

「やめてくれ……」

 

 翼はもがれ、踏み砕かれる。

 

「こんなことを私は望んでいたわけじゃない!」

 

 自分ではないルーファスがその光景に喜んでいることを――片目を《鬼眼》に染めたルーファスは懸命に否定する。

 

「マクバーン! もうやめてくれっ!」

 

「はっ」

 

 ルーファスの懇願をその存在は鼻で笑う。

 

「そんな体たらくで何言ってやがる?」

 

 《呪い》に侵されているルーファスの言葉など聞く耳はないと《魔神》は崩れ落ちた《黄金》の胸に深紅の剣を突き立てる。

 

「あ……」

 

「これはお前の弱さが招いたことだ」

 

 《金の魔神》は見せつけるように《黄金》を片手で持ち上げて掲げ持つ。

 世界が深紅の剣を中心に集束を始め、黄金の焔が《神機》を包む。

 《焔庭》が集束するにつれて焔は更に激しく燃え上がり――天に巨大な火柱を現実界に立ち昇らせた。

 

 

 

 

 帝国の西側で展開されていた戦場はもはや原形を留めていなかった。

 整備された街道を始め、焼け果てた大地はあまりの熱量にガラス化して一種の幻想的な光景を作り出していた。

 そんな光景の中央でそれぞれの半身を朽ち果てさせた《神機》と《騎神》は膝を突き合わせるように向き合っていた。

 

「ぐっ……いったい何が……」

 

 《黄金》だったものは妙にすっきりとした頭を振りながら呻く。

 

「……やってくれたな……《火焔魔人》」

 

 同じく《呪い》だけが焼き払われた《金》のルーファスは彼の揶揄う笑みを想像しながら悪態を吐く。

 二人を侵していた《呪い》は浄火の焔によって清められた。

 これでオルディスでの貸しは返したと言わんばかりの想念を残して《火焔魔人》の気配は《金》から完全に消え失せていた。

 

「ルーファス……」

 

 毒気が抜けた困惑したヘルムートの声がルーファスの耳に届く。

 

「父上……」

 

 生憎だが、状況は把握できていても困惑しているのはルーファスも同じ。

 だが《魔人》がくれた好機に応えるべく、ルーファスは《金》を立ち上がらせる。

 ギギギと立ち上がるだけで全身が軋み、今にも崩壊しそうな音を立てる。

 それでも《金》は最後の力を振り絞る様に深紅の剣を構える。

 

「決着を着けましょう父上」

 

「…………ああ、そうだな」

 

 ルーファスの提案にヘルムートは頷き《黄金》を立ち上がらせる。

 こちらも《金》と同じように身じろぎするだけで崩壊の音を響かせる。

 それでも《黄金》は堂に入った構えで“イシュナード”を構える。

 

「…………」

 

「…………」

 

 鏡合わせの同じ構え。

 かつては見上げた彼の姿を《黄金》に重ねて――

 かつては見下ろしていた彼の姿を《金》に重ねて――

 今、二人は同じ高さの目線を交わして――

 

「オオオオオオオオオオオッ!」

 

「ハアアアアアアアアアアッ!」

 

 踏み出すのは示し合わせたように同時。そして――

 

 

 

 

 それは霊視融合システムの暴走なのか。

 重なり合った《黄金》と《金》は光の粒子となって混ざり合っていく。

 その足元でルーファスは横たわるヘルムートを抱きかかえていた。

 

「父上……」

 

「………………ルーファス」

 

 ルーファスの呼び掛けにヘルムートはゆっくりと目を開き、見上げた彼の顔に憑き物が落ちたような安堵の息を吐いた。

 

「そうか……私は負けたのか」

 

「父上……」

 

「もう良い……もう無理をして私を父と呼ばなくても良いのだ」

 

 ルーファスの言葉にヘルムートは力なく首を横に振る。

 

「私はどうやらお前の良き父にはなれなかったようだ……」

 

「っ……どうして! どうしてユーシスではなく私なのですか! 私は貴方にとって両親の裏切りの象徴のはず!

 なのにどうして私を特別扱いするのですか!?」

 

 この後に及んで向けられた眼差しに叫ぶようにルーファスはヘルムートに問いかける。

 

「ルーファス……私はお前にずっと言いたかったことがあった。言わなければならないことがあった」

 

「それは……っ」

 

 恨み言を覚悟してルーファスは目を伏せる。

 思えば、自分が不義の子だと気付いた時からルーファスはこうなることを避けていたのかもしれない。

 だがこの期に及んで逃げることはしない。

 黙してヘルムートの怨嗟を受け止める覚悟を決めるルーファスにヘルムートは長年胸に秘めた言葉を告げる。

 

「お前は――悪くない」

 

「………………え……?」

 

「全ての罪は私の弟と妻にある……お前が生まれたことを卑下する必要はない」

 

「な…………何で……?」

 

「許せとは言わん。こんな簡単なことを伝えられなかった愚かな私を恨め」

 

「何で……何を言っているのですか! どうして――貴方は恨んで良いはずだ!」

 

 恨むのはそちらの方だとルーファスは叫ぶ。

 

「なのにどうして私を恨まないのですか!」

 

「それは私がお前の父だからだ」

 

「それは……」

 

 口ごもるルーファスを尻目にヘルムートは自分を抱えるルーファスの腕を見下ろす。

 

「あの小さな赤子が……こんなにも大きくなったか……」

 

「父上……」

 

「あの日、お前を初めて抱き上げた時……私は父となったのだ……

 それまでアルバレアの部品でしかなかった私はお前が誇れる“父親”になることを誓った……

 だからお前は私にとって“息子”なのだ……本物か偽物かなど関係ない」

 

「そんな……そんな理由で……」

 

「だからこそ……私は抱き上げたこともないユーシスを“息子”と認めることはできなかったのだろうな」

 

 今まで理解できなかった己の胸の内が自然と言葉となってヘルムートは息を吐く。

 

「これが敗北か……」

 

 全身の感覚がない。

 全てを出し尽くし、その上で負けたというのにヘルムートの心に苛立ちはなかった。

 貴族連合の未来などもはやどうでも良いとさえ思える程にヘルムートは満ち足りていた。

 

「ルーファス……お前がオズボーン宰相を慕っていた気持ちは分からないわけではない」

 

「父上……?」

 

「あの男には不思議な魅力があった……」

 

 ヘルムートが思い出すのは彼を宰相にすると紹介された時の皇帝陛下の顔。

 それまでただの一般兵でしかなかったオズボーンに向けるにはおかしい陶酔し切ったユーゲント皇帝の顔を知っているからこそヘルムートは四大名門はオズボーンを警戒した。

 

「だがあの男を信じ過ぎるな……あの男の言葉は確かに民を思って聞こえの良い言葉かもしれないが、あの男は真に帝国の平和など見ていない……

 奴が何を企んでいたのかは分からんが……ぐっ――」

 

「父上っ! それ以上はお体に障ります」

 

 咳き込むヘルムートをルーファスは案じる。

 

「…………まだ私の事を父と呼んでくれるのか?」

 

「貴方は“父”でした……

 本当に愚かだったのは貴方の愛情に気付かなかった私の方です」

 

 ヘルムートも苦しんでいたのだと今なら分かる。

 弟と妻の裏切り。

 残された子供たちの名誉。アルバレア家の名誉。

 家柄に縛られ、他人の尻拭いを押し付けれた彼の半生の苦しみはどれ程のものだったのかルーファスには想像もできない。

 自分こそが一番の被害者だと考えていたことをルーファスは恥じる。

 

「父上、どうか今の話をユーシスにもしてください。そして抱き締めて下さい。貴方が私にしてくれたように」

 

「…………そうか……そうだな……」

 

 ルーファスの言葉にヘルムートは苦笑する。

 

「それだけで良かったのかもしれないな」

 

 ヘルムートはようやく見つけたユーシスを認める切っ掛けを得たことに笑みを浮かべて――蒼い風が吹いた。

 

 地響きが大地を揺らし、大気が穢れ、遠く離れた帝都のバルフレイム宮が異形の城へと変貌を遂げた。

 

 

 

 

 

 

 






《焔庭》無間煉獄
対超帝国人用に自分が本気を出せる空間。
主がいなくなった《箱庭》の維持と予備のバックアップを受け持つ契約を交わし、代わりに煉獄領域を貰った《劫焔》の新たな遊び場。

その領域の全てが彼の支配下であるため、《空の匣》の機能を力技で捻じ伏せています。



NG ディストピアへの脇道

ヘルムート
「あの男には不思議な魅力があった……
 そうあれは宰相として彼を紹介された時、私達はユーゲント皇帝の陶酔し切った顔を見て気付いたのだ」

ルーファス
「気付いたとは……何を?」

ヘルムート
「そう……陛下はオズボーンに手籠めにされたのだと」

ルーファス
「…………」

ヘルムート
「陛下の息子のオリヴァルト殿下の性癖も! アルフィン皇女の趣味も!
 あの男に歪められたに違いない!
 今ここで誰かがあの男の野望を食い止めなければ帝国の未来は閉ざされてしまうのだ!」




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58話 西風の旅団

 

 

 

 

 

 

「はあああああっ!」

 

 シャーリィの咆哮が響き渡り、炎を纏ったチェーンソーの刃が伸びる。

 刃の蛇は向かって来る自走地雷の少年たちを薙ぎ払い爆散させていく。

 

「ふっ――」

 

 足に装着した具足のオーブメントの効果により、大気を蹴ってフィーは空中で跳躍し、爆発の中を突っ込んで来た自走地雷を上空から強襲してその首を落す。

 抱き着き自爆しようと腕を広げる別の自走地雷からフィーは後ろに跳んで場所を開ける。

 

「ひゃっはぁああああっ!」

 

 すかさずシャーリィがそこに飛び込み、チェーンソーの刃を持って自走地雷を両断する。

 

「シャーリィ!」

 

「良いよ!」

 

 夥しい数の自走地雷に囲まれているにも関わらず、二人は余裕の表情で頷き合い背中を合わせる。

 

「シルフィードダンスッ!」

 

「デスパレードッ!」

 

 背中を合わせた二人はその場で回転して双銃と機関銃を乱射する。

 《人喰い虎》の銃弾が自走地雷の少年たちを穿ち、《妖精》の弾丸が弧を描いてその弾丸の上に着弾――人形達は内側から爆破されていく。

 

「ふう……だいぶ離宮から離されちゃったみたいだね」

 

 もはや動く自走地雷がなくなった所でシャーリィは“テスタ=ロッサ”を下ろして息を吐く。

 

「だから言ったのに、誘い込まれてるって」

 

 シャーリィの言葉にフィーはため息を吐く。

 離宮から外へと《西風》の二人を追い出したが、レオニダスとゼノは離宮を守ろうとせず、むしろ逃げるように後退して潜めていた自走地雷を嗾けて来た。

 大量の自走地雷に追い立てられながら、移動させられたのはカレル離宮から少し離れた列車の車庫広場。

 

「シャーリィ……」

 

「分かってる。いるね……」

 

 フィーの呼び掛けにシャーリィは頷く。

 肝心のゼノとレオニダスの気配だけはない。

 車庫広場の周囲の至る所にある遮蔽物から無数の敵意と懐かしい気配達にフィーは複雑な気持ちになる。

 

「腕を上げたようだなフィー。それにしても《人喰い虎》とあれ程の連携を……むぅ……」

 

「フィー。いくら何でも付き合う友達は選んだ方が良いで、もう猟兵じゃないんやから」

 

 周囲への警戒心を強める二人に、戦場とは場違いな気安い雰囲気で散々逃げていたレオニダスとゼノの二人は何事もなかったように現れる。

 

「レオ、ゼノ……それに……いるんでしょ、みんな?」

 

 フィーは正面の二人、そして自分達を取り囲んでいる気配に呼び掛ける。

 その声に反応して姿を見せたのは黒いジャケットに“蒼鷲”の紋章を着けた猟兵達。

 

「《西風の旅団》……あれ? でも《火喰い鳥》のお姉さんはいない?」

 

 取り囲んだ《西風の旅団》を見回してシャーリィは彼女を始めとした何人かがいないことに気付く。

 

「久しぶりだね……みんな」

 

「ああ、ゼノ達から聞いていたが元気そうで何よりだ」

 

「できればこんな戦場でアンタと出会いたくはなかったんだけどね」

 

 フィーの言葉にライフルを構えた男と剣を持った女が答える。

 《西風の旅団》にとってフィーは完全に袂を別ったと思っていただけに、彼女が帝国の内戦にここまで深く関わって来るとは予想外だった。

 

「ま、みんなにも積もる話はあるだろうけど、これで詰みや」

 

「武器を捨て、この内戦が終わるまでお前達には大人しくしてもらう」

 

 ゼノとレオニダスがその場を仕切り、彼らの言葉に従ってフィーとシャーリィを取り囲んでいた《西風の旅団》は一斉に武器を構えて戦闘態勢となる。

 

「…………もしかして……」

 

 そんな彼らを見回してシャーリィは一言呟く。

 

「フィーをこの内戦から遠ざけるために、シャーリィ達をここまで誘導した……何て言わないよね?」

 

「はは、そんなんちゃうでー」

 

 シャーリィの指摘をゼノは笑って否定する。

 それでも疑いの眼差しをやめないシャーリィにゼノは咳払いをして誤魔化して続ける。

 

「ともかくお前さん達にはここで退場してもらう」

 

「抵抗すると言うのなら……相手になろう」

 

 闘気を漲らせるゼノとレオニダスにシャーリィは白い目を向けてから黙り込んでいるフィーを横目に見る。

 

「大丈夫……もう揺るがないから」

 

 シャーリィの視線にフィーは答えてゼノ達に向き直る。

 

「どうして団長が死んだ後、みんないなくなったのか……

 今まで何をしていたのか……もう聞かない……」

 

「ふむ……」

 

 意外なフィーの言葉にレオニダスは訝しむ。

 

「団にいた時のわたしは猟兵にしかなれないと思っていた……

 でもわたしは何にだってなれるんだって士官学院の先輩がリンが……《Ⅶ組》のみんなが教えてくれた……

 団長は表の世界でわたしに生きて欲しかったんだって、今なら分かる」

 

「フィー……」

 

「わたしは今まで守ってもらってばかりだった……

 守ってもらって……足を止めて待ってるばかりで……

 士官学院にいてもいつかみんなが迎えに来てくれるんじゃないか……そう思ってた……

 だから団のみんなに……クリスに置いて行かれた……」

 

 フィーは真っ直ぐにゼノとレオニダス、そしてその場にいる《西風の旅団》に宣言する。

 

「わたしはもうみんなに守ってもらわないといけない弱い“妖精”でなんていられない……

 《Ⅶ組》の仲間だって胸を張って言えるように頼ってくれるように、わたしはもう大丈夫だって団長に分かってもらうためにも……」

 

 フィーは一度目を伏せて心に決めた言葉を口にする。

 

「……わたし自身の復讐と恩返しとして、団長はわたしが――殺す」

 

 その瞬間、《西風の旅団》に漂っていた空気が変化する。

 

「…………本気か……フィー?」

 

 サングラスの下で目を細めゼノは聞き返し、レオニダスもフィーの暴言を窘める。

 

「考え直せフィー。確かに団長はお前の故郷を奪ったかもしれない。だがそれはそもそも……」

 

「みんなこそ、考え直した方が良いんじゃない?」

 

 二人の言葉をフィーは真っ向から受け止めて否定する。

 

「団長が良く分からない方法で生き返ったみたいだけど、それでどうするつもり?

 一度解散した団を作り直して、また団長と一緒に猟兵を続けるの? 何もかも元通りかもしれないけど、そこにわたしの居場所はないんだよ」

 

「それは……」

 

「むぅ……」

 

 フィーの指摘に二人は口ごもる。

 

「わたしには“団離れ”しろって言っておいて、みんなはいつまで“団長”に甘えているつもり?

 そんなことのために今みんなが動いているって言うなら、団長がいなくちゃ前に進めないなんて言うのなら……」

 

 フィーは双銃剣を構えて宣言する。

 

「そんな情けない《西風の旅団》はわたしが知っている《猟兵団》なんかじゃない! 団長を倒す前にわたしがみんなをここで倒すっ!」

 

「っ――」

 

「フィー……」

 

「ぶっはっ! あははははははっ!」

 

 フィーの宣戦布告に怯む《西風の旅団》に対してシャーリィは声を上げて笑う。

 

「良く言ったねフィー!」

 

「シャーリィ……叩かないで」

 

 背中をバンバンと叩いてくる《人喰い虎》にフィーはジト目を返す。

 その目を無視してシャーリィはフィーに続いて溜め込んで来た不満をぶちまける。

 

「シャーリィもさ、アンタらに言いたかったことがあるんだよね」

 

「何やと?」

 

「《赤い星座》のお前が我らに何の用があると言うのだ?」

 

「あん?」

 

 心当たりがないと言わんばかりのゼノとレオニダスの態度にシャーリィは眦を上げる。

 

「シャーリィ、どうどう」

 

 フィーに宥められながらシャーリィは何とか心を落ち着かせてその不満を言葉にする。

 

「こんなこと言うまでもないはずなんだけどさ、シャーリィ達は“猟兵”だよ……

 どんな酷い戦場で死にそうになっても、生きてれば“負け”じゃない。それが“猟兵”の中の常識みたいなものだったのにさ……

 アンタ達が“猟兵王”を生き返させるなんてことするから、うちが《西風》に負けたことになってるんだよ。どうしてくれるつもり?」

 

「そ、それは……」

 

 考えてもみなかった《赤い星座》への風評被害にゼノはばつが悪そうに顔を背ける。

 しかし、シャーリィはすぐにその怒りを治めた。

 

「まあ別にうちの評判なんてどうでも良いんだけどさ……」

 

「む? だったら何をそんなに怒っている?」

 

 聞き返したレオニダスの問いにシャーリィは“テスタ=ロッサ”を地面に叩きつけて宣戦布告をする。

 

「わっかんないかなー? アンタ達は“闘神”と“猟兵王”の勝負を穢したんだよ!」

 

 今でも瞼の裏に思い出せる、見ているだけでも熱くなれる二人の殺し合いを思い出しながらシャーリィは続ける。

 羨ましいとさえ思った死闘。

 だからこそ、その戦いに終わってからケチをつけた《西風の旅団》にシャーリィは怒りを覚え、Ⅶ組としてではなく、《赤い星座》の一人として目の前の何も分かってない猟兵団に告げる。

 

「うちの団長をコケにしてくれた落とし前……どうしてくれるつもり?」

 

「それは……」

 

 自分達の事、自分達の団長の事にしか頭になかったレオニダスはシャーリィの詰問に閉口することしかできなかった。

 

「本当はパパ達も呼んで全面戦争でもしようかと思ったんだけどさぁ……」

 

 思っただけでしなかったのは、それをすればシグムントは恐らくその依頼料をクリスに吹っ掛けていたから。

 もっとも今はそんな必要はなかったとシャーリィは感じていた。

 

「フィーが言っていたけど、“猟兵王”がいないアンタ達程度ならシャーリィだけで十分だよね」

 

「シャーリィ、勝手にわたしの獲物取らないでよ?」

 

 意気込むシャーリィにフィーが釘を刺す。

 

「このガキどもが……」

 

「どうやらお仕置きが必要みたいだな」

 

 大勢に囲まれながらも、すっかり勝った気になっているフィーとシャーリィに、そして何より団長を殺すと宣言されたことで、《西風の旅団》はその身に黒い瘴気を漂わせる。

 

「フィー……団長を殺すなんて本気か?」

 

 殺気立つ周囲と同調するように闘気を溢れさせながらゼノは最後の確認をする。

 

「団長にはお前も生きて欲しいはずだ。それにお前程度の腕で団長を殺すなど不可能だ」

 

 レオニダスもフィーの言葉を撤回を求める。

 そんな二人の姿にフィーはため息を吐いた。

 

「今のわたしじゃ届かないことは分かってる……その時になったらたぶん迷ってためらって泣いちゃうかもしれない……

 それでも……やるって決めたから……

 それにこれはたぶんきっと……団長自身が望んでいることだとわたしは思う」

 

 そうでなければ今になってフィーの故郷を焼いた仇などと明かす理由がない。

 今の状況に一番の違和感を持っているのがルトガーなら、その介錯と復讐を望んでもおかしくない。

 

「それに団長は今のわたしの家族を傷付けた……だからわたしは《Ⅶ組》のために《西風》と戦うことを躊躇わない」

 

「フィー……」

 

「そしてきっとその先にクリスが――■■■がいるなら……ゼノ、レオ、みんな……邪魔をする奴はみんな倒す!」

 

 無意識に誰かの名前を呟き、フィーは纏わりつく瘴気を払う風の闘気を纏う。

 

「っ……」

 

「いい加減、いつまでも保護者面はやめなよ」

 

 シャーリィもまた赤黒い闘気を溢れさせて“テスタ=ロッサ”を構える。

 

「猟兵の粋も分かってない寄せ集めはここで死ね! いやシャーリィが殺す! 今日を《西風の旅団》の命日にしてあげるよっ!」

 

「あっ! こらっ!」

 

 誰よりも早く駆け出して“破壊獣”へと斬りかかって行くシャーリィをフィーは咎めながら、わずかに遅れて駆け出し――シャーリィを追い抜いて“破壊獣”に双銃剣を振るう。

 小さな刃と鉄塊のマシンガントレットが激突の快音を合図に“妖精”と“人喰い虎”のコンビと《西風の旅団》の戦いが始まるのだった。

 

 

 

 

 

「どうやら手助けの必要はなさそうですね」

 

 遠く離れた狙撃ポイントで、集音マイクを構えたついでに覗いていたライフルのスコープからガレスは顔を上げた。

 

「ああ、そのようだな」

 

 シグムントはガレスの呟きに頷き、ザックスは周囲に展開させていた《赤い星座》のメンバーたちに撤収の合図を送る。

 

「どうやらお嬢は《Ⅶ組》で良き成長をなされたようですね」

 

「ふ……俺達に気付いていないのならまだまだだな」

 

 娘を褒められながらもシグムントはまだ甘いと評価する。

 とは言え、《西風の旅団》の残党に感じていた憤りを代弁して啖呵を切った娘にシグムントは誇らしげだった。

 

「それで貴様らはどうする?」

 

 シグムントが振り返り、頭を抱えている二人に尋ねる。

 一人は黒いスーツにサングラスの大男。

 一人は赤いプロテクターを纏った緑髪の女。

 その傍らにはもう一人、小さな女の子が控えているが、そちらの少女は一連の盗聴に無関心を貫いていた。

 

「はあ……どうしてこうなったんだか」

 

 ため息を吐き、双眼鏡で始まった戦闘を覗き込んで大男――ゼファー・イーグレットはもう一度ため息を吐く。

 

「《西風の旅団》が俺の――いや兄貴のワンマンチームだってことは薄々気付いちゃいたんだがな」

 

 不本意でも生き返ってしまったことを割り切り、ゼノ達の我儘に付き合ってやるかと延長戦を投げ槍に受け入れた。

 そうやって咎めることなく現状に流されるままにいたせいで《西風の旅団》は二度目のルトガーの喪失によって完全に暴走していた。

 別に猟兵崩れのように略奪を好んで行う三流に落ちたわけではない。

 だが、今の《西風の旅団》は報酬に踊らされて、良いように使われているだけの便利屋にしか見えなかった。

 

「《赤い星座》の方が問題なく立て直しているだけに、へこむなぁ」

 

「うちは兄貴と俺、二つの重心を持っていたからだろう。《西風の旅団》はルトガーが中心に成り立っていた団だ。残された副長に“猟兵王”の代わりが務めるわけはない」

 

「うぐっ」

 

 シグムントの言葉に緑髪の女は胸を抑えて蹲る。

 

「それにしたって……フィーの成長と比べるとな……」

 

 ちゃんと決別を決め、果てには“猟兵王”を殺し直すと宣言したフィーにゼファーは思わず顔を綻ばせる。

 出来る事ならフィーには銃を捨てて表の世界で生きて欲しいと願っていたのだが、自分を超えると言う宣言に嬉しさを感じずにはいられない。

 

「ふ……あんたには人をスカウトをする才能はあっても、育てる才能はなかったということだ」

 

「いや、全くもってその通りだ」

 

 肩を竦めるゼファーのへこんだ様子にシグムントは《西風の旅団》に向けていた溜飲を下げる。

 

「それであんたはどうするつもりだ? 《西風》を助けるつもりならば俺が相手になるぞ」

 

 ガレスとザックスを下がらせてシグムントは己に背を向けたまま戦場の観戦を続けるゼファーに尋ねる。

 

「まさか……これはあいつらにとっても試練って奴だ。ここでフィーとそっちの嬢ちゃんに負けて折れるようなら、遅かれ早かれ“猟兵”としてやっていけねえよ」

 

 それに元々、《西風の旅団》に引導を渡すつもりだったことをゼファーは言葉にせず飲み込む。

 完全にタイミングを逃してしまったこともあるが、“猟兵王”に挑むなら多勢に無勢であっても《西風の旅団》を見事乗り越えてみせろとさえ思う。

 

「しかしつくづく度し難いな」

 

 ゼファーは改めて自分の業を感じ取ってため息を吐く。

 フィーに足を洗って表の世界で生きて欲しいと遺言を残したくせに、今は自分を殺すと宣言したフィーに期待を感じずにはいられない。

 

「来いよフィー。ここまで……そうすれば……いや、それはないか」

 

 “闘神”とは違う期待を胸にゼファー・イーグレットは彼女たちの戦いを見守り――

 

「それでお前はどうするんだ、アイーダ?」

 

 ゼファーは未だに頭を抱えている女、元《西風の旅団》の副長である《火喰い鳥》アイーダに話しかける。

 アイーダはため息を吐いて顔を上げて答える。

 

「どうも何も、フィーがあの様子なら私の出る幕ではないでしょう団――ゼファー殿」

 

「そうなのか?」

 

「そもそもあんな怪しげな男の言葉を信じて団長を生き返られるなんてことは反対だったんです……

 そのせいで団は割れて、なし崩しに解散する羽目になったというのに今更助けて欲しいなどと馬鹿げた手紙を送りつけて来るから……」

 

 当時の事を思い出したのか、アイーダは顔をしかめる。

 

「あー」

 

 元副長の苛立ちにゼファーはばつが悪そうに戦場へ視線を戻す。

 

「お、あいつら《機甲兵》を持ち出して来たか」

 

「はあっ! 生身の人間に機械人形を使うなんて何を考えているのよ!」

 

 ゼファーの呟きにアイーダは眦を上げる。

 

「いや、あの二人なら大丈夫――」

 

「ゼファー」

 

「ん? どうしたシオン?」

 

 言葉を遮ったシオンにゼファーは振り駆る。

 

「ん……」

 

 そう言ってシオンはあらぬ方向を指差すと地響きが起きる。

 

「そっちは帝都の方だが……」

 

 促されるままにゼファーは双眼鏡を覗き込んで見たのは、帝都ヘイムダルの象徴とも言えるバルフレイム宮が変貌していく様だった。

 

「あれが《獅子戦役》の時に現れた《煌魔城》って奴か……ん?」

 

 ゼファーは双眼鏡の中で見覚えのあるものを見つける。

 それは《煌魔城》の尖塔の部分に下半身と同化した《蒼の騎神》。

 緋の城は蒼へと染まり、空を蒼のオーロラが覆い隠す。

 そして城は《蒼》から伸びた樹木のような根に浸食されて更なる変貌を遂げる。

 城を半身として巨大になった《蒼の騎神》が翼を広げる。

 その姿は教典にある“悪魔”を想像させる程に禍々しく、瘴気を帯びたその姿は“暗黒竜”の再来を感じさせる。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」

 

 巨神となった《蒼》は羽を広げて咆哮を上げ、蒼い風を巻き起こす。

 風は帝都の中を駆け巡り、カレル離宮にまで届く。

 

「ガアアアアアアアアッ!」

 

「シャアアアアアアアッ!」

 

「何!?」

 

「どうなってるの!?」

 

 至る所で上がり始めた獣のような咆哮にフィーとシャーリィは思わず攻撃の手を止める。

 カレル離宮で戦う者達が、帝都に取り残された者達が、各地で戦う貴族連合と正規軍がその蒼い風に触れて――変貌する。

 蒼の光を宿し、その姿は巨大化する。その姿はどことなく《蒼の騎神》に似た魔煌兵。

 蒼の瘴気に触れた、帝都の人々は一人、また一人と“蒼の眷族”となって魔煌兵へとその姿を変えて行く。

 

 

 

 

「そうだ……それでいい」

 

 煌魔城の中、少女の唄声が響く中、玉座のような祭壇の前でクロワール・ド・カイエンは一人悦に浸る。

 玉座に座るのは《蒼の騎士》クロウ・アームブラスト。

 その背後には尖塔に生えていたはずのオルディーネが控えている。

 

「“愚帝”によって打ち砕かれた祖先の大望の“暗黒竜の儀式”!」

 

 《蒼》を触媒にして、手心のない《魔王の凱歌》は城を顕現するだけでは留まらず、どこまでも響き渡り《呪い》を撒き散らす。

 

「ついに――ついにこの時が来たのだ!」

 

 クロワールは身を翻し、外を一望する。

 蒼い風で染め上げられた帝都ヘイムダル。

 その呪いを受けて眼下の民は力の無いものから忠実なる《魔煌兵》へと変貌していく。

 

「これがオルトロス帝が望んだ世界か……」

 

 帝都ヘイムダルの人口はおよそ80万人。

 その全てが《魔煌兵》となり、己の思うがままの人形となることにクロワールは興奮を隠せない。

 否、それはもう80万人では済まない。

 このまま《蒼》の力が増せば、近隣のトリスタもリーヴスも飲み込み、エレボニア帝国の全てが自分のものとなる。

 

「そう……私はオルトロス帝が成し得なかった《魔界皇帝》となるのだ!」

 

 

 

 

 

 







「団のみんなはオレらとは別に動いとる。“団長を取り戻す”ためにな!」

 みんなと言いつつ、閃ⅢとⅣで誰も増えなかった西風の旅団……
 そして取り戻すと言いながら、当たり前のように団長と一緒に登場して満足そうだった二人……
 果たしてこの二人は閃Ⅲ以降に本当に必要だったのだろうか?





煌魔城と魔王の凱歌の効果について
例に及ばず、この二つもエマが悲壮し、禁忌とされていたけど帝都は割と無事だったのでどんな効果があったのか水増ししてみました。

この二つの効果は暗黒竜が現れた時の帝都に満ちた瘴気の再現になります。
暗黒竜が出現した時はヘイムダルは死都となり、当時の皇帝はセントアークへと逃れています。
当時のものは《魔煌兵》による眷族化ではなく、人や動物を魔獣へと変貌させたものになります。

それを再現しようとしたのが獅子戦役の頃のオルトロス帝であり、そうして生み出されたのが《煌魔城》と《魔王の凱歌》になります。
彼はこれを使って帝都市民を魔煌兵という眷族にしてドライケルスを迎え討とうとしました。
そういう背景があって《煌魔城》の破壊ができなかった魔女はこれを封印して禁忌としたのではないかと考えました。

原作ではヴィータが手加減をしてコントロールしていたので被害は《魔王》が出てくるまでほぼなかったのですが、ここではイソラがアルベリヒの傀儡なのでブレーキ役としては全く機能していません。



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59話 貴族連合

 

 

 

 帝都ヘイムダルが変貌していくバルフレイム宮だった皇宮は蒼の煌魔城へとなり、頂の《蒼》から機械の根が城とへと根を下ろし、大地へ帝都にまで伸びて行く。

 それはまるで一つの植物の“大樹”のように《騎神》は煌魔城と絡み合っていく。

 

「あれは……あの“大樹”は……」

 

 《カレイジャス》の艦橋から望遠映像でその光景を見ていた一同は変貌していくヘイムダルにただ絶句し――

 

「……何かノーザンブリアでも見たわねこんなあり得ない光景……」

 

 ふと、そこまで動揺を感じなかったアリサが呟いた。

 

「第二の《塩の杭》か……そう言えばそんなこともあったね」

 

 アリサの呟きに今は遠い昔とさえ感じてしまう特別実習の時のことをクリスは思い出す。

 

「んー……目算だと800アージュくらいかな?」

 

 流石のミリアムもこの状況では声に緊張感がある。

 

「煌魔城……250年前の獅子戦役でも姿を現したという魔城です」

 

「《獅子心皇帝》と《槍の聖女》、《焔の聖獣》に封じられたもの……

 本来なら《緋のテスタ=ロッサ》がなければ顕現するはずはなかったのだけど」

 

 エマの呟きにミスティが補足を加える。

 

「こんなものを出現させて何をしでかすつもりなの……?」

 

 サラは嘆くミスティに向かって質問する。

 

「煌魔城の役割は、それこそ獅子戦役よりも更に前の《暗黒竜の異変》を限定的に再現するものよ……」

 

「暗黒竜の異変?」

 

「それって……当時の皇帝がセントアークに逃げ延びてヘイムダルは死の都となったって歴史の教科書にあった」

 

「死の都というのは比喩じゃないわ……

 逃げ遅れた生きとし生けるものは暗黒竜の瘴気に当てられて魔獣や魔人に変貌した地獄……

 《魔女の眷属》と《地精》が力を合わせても、元に戻すことは不可能だと諦めた災厄……ある意味では《塩の杭》と同じね」

 

「それをオルトロス帝は獅子戦役の時に再現しようとしていた?」

 

 映像の中でヘイムダルの至る所で現れた《魔煌兵》達は大通りへと集まり外へと向かって行進していく。

 

「これが獅子戦役の時の光景……」

 

 いったいどれほどの数がいるのか、オルトロス帝が最後まで戦えていた理由をクリスは理解する。

 数え切れないほどの《魔煌兵》。

 あれが元は人間だったという事実と、貴族連合と帝国正規軍の戦いに参戦しようとしている事に慄かずにはいられない。

 

「…………どうすれば良いんですかミスティさん?」

 

 叫び出したくなる衝動を呑み込み、クリスは何をすべきなのか尋ねる。

 その質問にミスティはわずかな逡巡を置いて口を開いた。

 

「獅子戦役の時と同じなら……“眷族化”の感染源となっている《蒼》の騎神とその起動者の排除することよ」

 

「それってクロウ君を――」

 

 ミスティの言葉にトワが絶句する。

 

「……それで“眷族化”が止まるとして《魔煌兵》にされた人間が戻れる目安はどれくらいなのかしら?」

 

 クロウを排除する。その意味を一旦飲み込んでサラは民間人についての説明を求める。

 

「本来なら私が《魔王の凱歌》を唄って、ここまでにならないように制御するつもりだったのに」

 

「姉さんっ!」

 

 ミスティの言葉にエマが眦を上げる。

 それを手で制しながらミスティは続ける。

 

「アルベリヒに《幻焔計画》を乗っ取られた時から、こんなこともあろうかと準備はしてきたわ……

 でも結局《魔王の凱歌》に対抗するだけの魔術を使うまでには回復しなかった……彼らを救う手段は私には……ないわ」

 

「そんな……」

 

 ミスティの手がないと言う言葉に艦橋に重い沈黙が流れる。

 

「姉さんっ! 諦めないで!」

 

 その沈黙を破る様にエマが叫ぶ。

 

「姉さんができないなら私がやる!」

 

「ダメよエマ。これは貴女には負担が大き過ぎるわ。別の方法を探しましょう」

 

 ミスティはエマの身を案じて、別の手段を模索する。

 

「姉さん! 私は姉さんが里からいなくなってから、姉さんに追い付くために“巡回魔女”として認めてもらうために頑張ったんだよ……

 まだ姉さんから見たら未熟かもしれないけど、お願い私に帝都を守らせて!」

 

「エマ……」

 

「“魔女”としてじゃない……

 エマ・ミルスティンにとって帝国には大切なものが、守りたいものがあるの……

 だから私は帝国を守るために全力を尽くしたい。そのためならどんなことでもするから!」

 

「それ程の覚悟を……」

 

 ミスティはエマの宣言とも言える言葉から感じる成長を感じて目を細める。

 良くも悪くも“魔女”と“外”を区別して人見知りになっていた義妹が帝国を使命としてではなく、人として守りたいと言い切ったことにミスティは感動して――

 

「それじゃあエマがこう言ってくれたことだし、遠慮はいらないわね」

 

 言質を取ったと言わんばかりにミスティは綺麗な微笑みを浮かべた。

 

「え……?」

 

「オリヴァルト殿下、第五倉庫のあれを使わせていただきます……

 それからヨシュア、婆様から“杖”を預かって来ているのでしょ? それを渡してちょうだい」

 

「え……え……ねえさん……?」

 

「何でもしてくれるんでしょ?」

 

 困惑するエマにミスティはヨシュアからエステルが背負っていたものを受け取り、改めて微笑みかける。

 その笑みにエマは嵌められたのだと気付くがミスティはその準備を進めて行く。

 そんなエマを他所にオリヴァルトが声を上げる。

 

「待ちたまえミスティ君。第五倉庫のあれを使うと言う事はつまり“アレ”をすると言うことかい!」

 

「ええ、“アレ”です」

 

「本気なのかい! “アレ”は禁忌として第五倉庫に封印されたもの……それを使う事の意味を君は分かっているのかね!?」

 

「この非常事態で手段は選んでいられません。そしてできることなら皇子やアリサさん達にも手伝って欲しいのですが」

 

「わ、私も!?」

 

 話を振られて驚くアリサに対して、オリヴァルトは迷うことなく承諾する。

 

「ふ……どうやら《カレイジャス》の秘密兵器を解き放つ時が来たようだな」

 

 ミスティの言葉にすっかりとやる気になるオリヴァルト。

 

「ねえミュラーさん。第五倉庫の“アレ”って何?」

 

「察してくれ」

 

 エステルの質問にミュラーはそれだけを絞り出して項垂れる。

 

「たぶんオリビエさんのことだから、秘密にしておきたかったもの……なんだろうね」

 

 この護衛役が禁忌にしたものを想像してヨシュアは遠い目をする。

 

「それはそれとしてヨシュアとエステル。貴方達二人は帝都に下りてもらうわ」

 

 喚き始めるエマを片手であしらいながらミスティは遊撃士の行動を決める。

 

「それは別に良いけど、あたし達があの《蒼い風》の中に入って大丈夫なの?」

 

「あの《蒼い風》は霊力を奪うもの、ある程度気を高めれば跳ね除けることは可能でしょう」

 

「なるほど……」

 

「それに貴女達は聖獣の聖別を受けた武具を持っているわ。その点でも貴女達なら今の帝都でもそれなりに動けるはずよ」

 

「うん、分かった。それであたし達は何をすれば良いの?」

 

 躊躇なくエステルはミスティの指示に頷く。

 その躊躇いの無さにミスティは少し驚くが、すぐに気を取り直して続ける。

 

「貴女達にしてもらいたいことはまだ《魔煌兵》になっていない人達の救出よ……

 おそらくだけど、帝都80万人が一斉に《魔煌兵》になったとは考え辛いから、無事な人もしくはまだ成り切っていない人がいるなら助けて上げて欲しいの」

 

「そう言う事なら。うん、遊撃士のあたし達にはうってつけな仕事ね」

 

「そ、それなら私も!」

 

 意気込むエステルに同調する形でトワが手を上げる。

 

「帝都には私がお世話になっている叔父さんと叔母さんがいて……それに土地勘もありますから役に立てると思います!」

 

「カレイジャスには運搬車も搭載していたはずだ。ヨシュア君」

 

「ええ、ミスティさん。僕達は導力車を見て来ます」

 

 ミュラーとヨシュアはそう言って車の確認のため艦橋を後にする。

 それを尻目に見送り、サラは先程敢えて話題を避けた本題を振る。

 

「それで肝心の《煌魔城》は……いいえ、クロウはどうすれば良いのかしら?」

 

 その一言に艦橋に重い沈黙が再び訪れる。

 

「こういう儀式の場合は、触媒にされている依り代を壊すか、儀式を起こしている術者を排除するかね」

 

「僕は以前に言った通り、クロウを殺すことは躊躇いはないですよ」

 

「っ……」

 

 クリスの言葉にサラは俯く。

 キーアが言っていた《蒼の起動者》を生かしておく“因果”があったとしても、事態はもう彼を擁護できる範囲を超えて大きく取り返しのつかないものになっている。

 

「分かってる……分かってるわよ」

 

 クロウにどんな思惑があって、こんなことをしでかしたのかは分からない。

 既にオズボーンへの復讐は果たしているはずなのに、何故暴走を続けるのか。

 一年、彼の担当教官として面倒を見て来たはずなのに、クロウの考えていることは分からない。

 葛藤するサラやトワ達にクリスは嘆息する。

 別にそれを責める気はない。

 自分達と違って、サラやトワはクロウとの付き合いは長い。

 だが、彼女たちの意思を配慮していられる余裕は今はない。

 

「クロウとの決着は僕が付けて来ます。みんなは――」

 

「ちょっと良いかな」

 

 クリスの言葉を遮って、場を仕切っていたミスティに代わって通信席に座っていたナーディアが手を上げた。

 

「何かあったのかい?」

 

「今、導力通信で貴族連合から連絡が来たよ」

 

「それは……」

 

 このタイミングでの通信に緊張が走る。

 

「映像を正面のモニターに出してくれるかい?」

 

「はーい」

 

 間延びした声で返事をしてナーディアは端末を操作する。

 数秒遅れて、モニターが起動してその人物が映る。

 

「君は……」

 

 そこにいたのはクリス達が思い浮かべたクロウでも、クロワールでもなかった。

 

「このような突然の通信、申し訳ありません」

 

 ミント髪の少女はまず不躾な通信を謝罪して名乗る。

 

「私の名はミルディーヌ・ユーゼリス・ド・カイエン……

 現カイエン公であるクロワール・ド・カイエンの姪に当たる者です」

 

 

 

 

 

 帝都ヘイムダルの南に位置する軍の演習地に《カレイジャス》は降り立つ。

 周囲は貴族連合の部隊に囲まれているが、彼らに攻撃の意志はない。

 本来ならすぐにでも《煌魔城》へ突入するべきなのだが、貴族連合を代表して会って話をしたいというミルディーヌの申し出を無視できないものがあった。

 《カレイジャス》から降りるのはクリスとミリアム、アルフィン。その護衛役としてエリゼとアルティナの四人。

 そして警戒を示すように《灰》が彼らの相対に立ち会う。

 他の者達はそれぞれの準備に奔走している。

 いわばこの会談はその準備が整うまでの繋ぎでしかない。

 

「突然の提案を受け入れてくださり――」

 

「そう言うのは結構ですミルディーヌ公女」

 

 貴族連合の基地の中、背後に《黄金のシュピーゲル》を控えさせながら頭を下げようとするミルディーヌの言葉をクリスは不躾にも遮った。

 

「ちょっとセドリック」

 

 それを貴族として相応しくない作法だと非難してくるアルフィンを無視してクリスは続ける。

 

「僕達は君達、貴族連合が引き起こした“異変”に対処するために余裕はない。挨拶も礼儀もこの場では不要だ、要件を言ってくれ」

 

「そうですね……」

 

 単刀直入な言葉にミルディーヌは頷く。

 

「先程、貴族連合の主宰であるカイエン公から全軍に通達がありました……

 内容は切札を使って、迫る帝国正規軍を一網打尽にすると……おそらくあれがそうなのでしょう」

 

 振り返り、遠目に見える《煌魔城》をミルディーヌは振り返る。

 

「それ以上の説明はなく、貴族連合の兵士は突然現れた《城》と――それを切っ掛けに仲間が《魔煌兵》と呼ばれるゴーレムに変貌したことに動揺しております」

 

 それこそ帝国正規軍と戦っている場合ではないと言わんばかりに前線は混乱を極めた。

 《煌魔城》の出現により、貴族連合と帝国正規軍の戦いは止まっている。

 

「それだけではありません……

 《蒼い風》から逃れて帝都から逃げ出した市民をわたくし達は保護しています。そして彼らが教えてくれました。今の帝都の中がどうなっているのかを」

 

「僕達も空から見たよ」

 

「わたくし達は不信に感じながらもカイエン公の言葉を信じ従っていました……

 ですがこの“異変”を造り出している元凶がカイエン公ならば、このような蛮行は決して許せるものではありません……

 どうかわたくしたちに逆賊であるクロワール・ド・カイエンを討ち取る機会を与えてください」

 

 説明を最小限に、ミルディーヌは要求を述べる。

 

「つまりカイエン公を裏切るから僕達の仲間にして欲しいということかな?」

 

「ええ、そうなります」

 

 クリスが言い直した言葉にミルディーヌは頷く。

 悪びれた様子もなく、感情が読み取れないミルディーヌの顔にクリスはため息を吐く。

 

「一つ確認しておきたいんだけど、ダーナさんをユミルに送ってくれたり、ルシタニア号をオスギリアス盆地に派遣してくれた彼女たちのボスは君かい?」

 

「さあ、何のことでしょう、ふふふ」

 

 優雅に微笑んで惚けるミルディーヌにクリスは肩を竦める。

 

「はっきり言わせてもらえば、僕は君達を信用できない」

 

「ちょっとセドリック」

 

「アルフィンは黙っていて……

 僕には《煌魔城》の出現が貴族連合の総意によるものなのか、カイエン公の独断によるものなのかを判断することはできない」

 

 盤外の情報など分かるはずもなく、これまで見て来た貴族の在り方を考えると平民などいくらでも変わりがあると考えて認める者達がいてもおかしくない。

 

「殿下が疑いになるのは当然です……

 ですが信じてください。わたくしたちも守るべき民をあのような“異形”にしてまで勝利したいとは思っておりません」

 

「その言葉を信じるとしても君達には何が出来ると言うんだい?

 カイエン公の隣にはおそらく《蒼の騎士》がいる。君達に《騎神》を討ち取る力があるとでも?」

 

「ですが、わたくし達にも出来ることはあると思います」

 

 クリスの質問にミルディーヌは怯まず言い返す。

 

「例えば……わたくしは既に各地の貴族連合の部隊に“異変”が起きた場合の根回しは済ませてあります」

 

「なっ!?」

 

 ミルディーヌの言葉にクリスは耳を疑う。

 《煌魔城》が出現したのはつい先程。

 なのにこの状況を見据えていたという言葉はにわかには信じられないものだった。

 

「根回しというのは具体的にはどんなものなんだい?」

 

「各地での帝国正規軍との戦闘の中断、停戦することを約束させています。もっとも最後の条件としてわたくしがセドリック殿下を説得できたらの話ですが」

 

「君は……」

 

 ミルディーヌは言外にこの内戦を終わらせるカードを見せて来る。

 彼女が提示する条件はどれもクリス達にとって魅力的なものだった。

 帝都の面積は言うまでもなく広大。

 エステルやヨシュアだけではとてもカバーしきれない。

 だが、ここにいる貴族連合の部隊の協力があればより多くの者を《魔煌兵》になる前に救い出すことができる。

 そして《煌魔城》への対処ばかり気が取られていたが、貴族連合と帝国正規軍が帝都がこんなことになっていてもまだ争っていられるのはあまり気持ちがいい事ではない。

 

「ミルディーヌ公女、貴女の提案は分かった……

 でも君はいったいどういう立場でここにいるんだい? この部隊の指揮官だとでも言うつもりかい?」

 

「はい、その通りです」

 

 クリスの質問にミルディーヌは頷く。

 

「もっともわたくしはただのお飾りとして叔父にオーレリア将軍の部隊に押し込められたに過ぎません」

 

 作戦の立案や戦場での指揮なども全て将軍に任せて指揮官の席に座っているだけのお飾りでしかなかったのだとミルディーヌは自嘲する。

 

「ですが、これでもカイエン家の公女です。他の指揮官とお話しすることはできるんですよ」

 

 ふふふと笑みをこぼすミルディーヌにクリスは底知れないものを感じる。

 

「クリス……」

 

「分かってる」

 

 アルフィンの呼び掛けにクリスは頷く。

 条件は悪くない。

 この“異変”に怖気づいて、不信に感じながらも従うしかなかったカイエン公から離反するという意味では今が絶好の機会とも言える。

 そして一人でも救いたいと考えているクリス達にとって、ミルディーヌの提案は怪しくても受けるメリットは十分にある。

 そもそもこの地に降り立った時点で、貴族連合を取り込むことは想定の範囲だった。

 

「分かった。君達の協力を受け入れる」

 

「ありがとうございます。クリスさん――いえ、セドリック殿下」

 

 ミルディーヌは感謝から頭を下げ、その行動に遠巻きに見ていた兵士たちもほっと胸を撫で下ろす。

 

「申し訳ないが、一つよろしいですか?」

 

 しかしまとまりかけた会合に待ったを掛けたのはミルディーヌの後ろに付き従っていた《黄金のシュピーゲル》だった。

 

「オーレリア将軍? 何を?」

 

 ミルディーヌの困惑を他所にシュピーゲル――オーレリアはクリスを見下ろして居丈高な言葉を発する。

 

「先程、其方は私に《蒼の騎士》を討ち取ることはできないと言ったが、果たして殿下にそれができるのでしょうか?」

 

「オーレリア将軍、それ以上は不敬になります。慎みなさい」

 

「いいえ、ミルディーヌ殿下。これは重要なことです」

 

 ミルディーヌの制止を振り切ってオーレリアは続ける。

 

「逆賊クロワール・ド・カイエンとその筆頭騎士であるクロウ・アームブラストを討ち取る“力”を証明できないのであれば、私は其方を送り出すことはできません」

 

 駄々を捏ねる様なオーレリアの言い分にクリスは違和感を覚えながら尋ねる。

 

「“力”を証明しろと言うのは具体的にはどうしろと?」

 

「言うまでもない。《騎神》に乗っていただこう」

 

 そう言って《黄金のシュピーゲル》は“アーケディア”を模した機甲兵の剣を構える。

 それだけでオーレリアが何を望んでいるのか理解する。

 

「オーレリア将軍、僕はそんなことをしている暇はないと言ったはずですよね?」

 

「貴方が本物のセドリック皇子だと言う事は認めましょう……

 ですが、だからこそ“力”がないというなら貴方を《蒼》の下に向かわせることはできません……

 代わりに私がこの身命を賭して、カイエン公と《蒼の騎士》の首印を取って来ることを誓いましょう」

 

「オーレリア将軍……」

 

 ある意味、彼女らしい意見。 

 《緋の騎神》に《蒼の騎神》を倒せるだけの見込みがあるのか、なければそれこそ貴族連合がここでクリスに従う理由はない。

 そしてクリスに見込みがないのなら、皇族を死地に送り出すことは出来ない。

 それがオーレリアの主張なのだが、クリスはやはり違和感を覚える。

 

「ミルディーヌ、どうやら――」

 

 これ以上は付き合い切れないと、クリスはまとまったはずの交渉を打ち切ることに決めて――

 

「セドリック殿下、一当てするだけで良いんですよ」

 

 先程のオーレリアへの驚きを忘れたかのような笑顔でミルディーヌはクリスに囁いた。

 

「……それはどういう意味だい?」

 

「この交渉でこの部隊の全ての兵が殿下の傘下に入ることを納得しているわけではありません……

 この“異変”による混乱に乗じた意識統一など一時的なものに過ぎません……

 貴族連合の主宰であるカイエン公に反旗を翻すか、彼が起こした“異変”を受け入れるか、迷っている者達も多いのです……

 だから彼らの迷いを払うためにも《黄金の羅刹》を討ち取った“栄誉”が必要なのです」

 

「ミルディーヌ……貴女は……」

 

「オーレリア将軍も納得しております……

 それに何もこれは兵士に限ったことではありません。帝都から逃げてきた市民を安心させるためにも、どうか現代のドライケルス大帝となってください、セドリック皇子」

 

 ようやく違和感の正体に気付く。

 一連のオーレリアの言動はヤラセ。

 

「それは正気なのか?」

 

 “武人”として八百長など決して認めない。

 それがクリスの知っているオーレリアだ。

 だが、ミルディーヌはそれを否定する。

 

「正気です。オーレリア将軍は納得しています」

 

 ミルディーヌが代弁するオーレリアの覚悟にクリスは閉口する。

 

「もちろん他の打算もあります……

 このままセドリック皇子が独力で“異変”を解決しカイエン公を討ち取れば、貴族連合は処罰を畏れ最後まで抵抗をすることになるでしょう……

 ですので戦後のためにも、わたくし達にはこの場面でカイエン公に反旗を翻してセドリック皇子に従ったという事実が必要なのです……

 厚かましいお願いをしているのは自覚しています、ですがこれがわたくし達がセドリック殿下に差し出せる代償です」

 

「っ……」

 

 恭しく頭を下げるミルディーヌにクリスは顔をしかめる。

 

「テスタ=ロッサッ!」

 

 そして憤りに任せてクリスは《緋》を呼ぶ。

 格納庫にいた《緋》はその声に応じて、短いながらも空間転移でクリスの背後に現れて、彼を乗せる。

 

「そうだ……それで良いのですセドリック殿下」

 

 立ち上がる《緋》に“シュピーゲル”の中からオーレリアは頷く。

 部下たちが迷いなく戦うためならいくらでも泥を被ると、“武人”としてではなく“将軍”としてオーレリアの覚悟は決まっている。

 

「さて派手に散らせて頂くとしよう」

 

 これで内戦が終わっても、貴族側にも生きる目ができる。

 それにオーレリアにはオズボーン宰相の暗殺を止められなかった者としての負い目もある。

 暗殺計画に関わる位置にいたわけではないが、一人の武人としてオズボーンと手合わせしてみたかったとさえ思っていた相手。

 そんな宰相を暗殺という非道な手段で排除したカイエン公とクロウに思う所がないわけではないが、“公人”として徹して来た。

 

「出来る事なら、本気の殿下とも剣を交えてみたかったものだがな」

 

 ユミルで彼を鍛えた頃をオーレリアは懐かしむ。

 もうあの穏やかな温泉郷は失われてしまったと思いを馳せ、オーレリアは――

 

「オーレリア将軍……僕を舐めないでください」

 

 苛立ちが混じったクリスの声がオーレリアの耳に届いた。

 

「ええ、将軍やミルディーヌが言いたいことは分かります」

 

 この人についていけば大丈夫。

 そんな安心を抱かせるオズボーンや“彼”にクリスが感じていたカリスマが今求められているのだと言う事は分かる。

 そして《蒼の騎士》との戦いを控えている《緋》を消耗させるわけにもいかないことも配慮してくれているからこその、ヤラセでもあるのだろう。

 

「でも……」

 

 ユミルの崩壊の後で秘密裏に手を貸してくれたことを考えれば、彼女たちの提案を受けるのは吝かではない。

 

「貴女だって……僕が乗り越えたいと思った一人なんです」

 

「セドリック皇子……」

 

 あの頼りなかった皇子が士官学院での生活とこの内戦で逞しく育ったことにオーレリアは感慨深いものを感じる。

 

「セドリック皇子、今は皇子としての務めに――」

 

「だから本気で行きます」

 

 オーレリアの言葉を遮って《緋》は剣を掲げるとその周囲に七つの武具が浮かび上がる。

 

「ふむ……」

 

 言葉はもはや不要かとオーレリアは口を噤み、《シュピーゲル》に大剣を構えさせる。

 “千の武器”を持つ《緋の騎神》。

 不本意な戦いであるが、教え子に向けられる殺気の心地よさにオーレリアはほくそ笑む。

 

「七つの武具をいなし、最後の殿下の一撃を受ければ良いか……」

 

 負けることを決めているオーレリアに見せ場が与える配慮を感じて思わず苦笑する。だがその考えはすぐに否定された。

 

「勘違いしないでください。オーレリア将軍」

 

 《緋》は右手に魔剣を握り、左手に浮かんでいる大剣を握る。

 

「一撃で僕は貴女を倒す!」

 

 そう宣言するクリスは脳裏に一人の少年を思い浮かべていた。

 特別実習の時に“彼”が拾って来た暗殺者。

 突然増えた弟分に不満は多く、ましたや“彼”だけの八葉の技の一端を教えてもらっていることに嫉妬もした。

 内戦では目立たないが良く働いてくれて信頼もしているが、やはり複雑な感情を抱かずにはいられない。

 その中でも一つだけ、彼に――スウィンにクリスは憧れているものがある。

 それは即ち――

 

 ――合体剣ってカッコイイよね――

 

「ブリランテ――」

 

 左手の大剣を半物質まで錬成を緩めて、右手の魔剣に乗せる。

 魔剣を覆い隠すように炎の霊力が包み込み、その刀身を伸ばす。

 

「エリクシル――」

 

 周囲に浮かぶ武器から“雷の槍”を取り、同じように魔剣に重ねる。

 

「っ――」

 

 長大な炎の刀身の先に雷の刃先が生まれ、同時に右手に掛かる剣の重さが増す。

 

「リヴァルト――」

 

 次は《風の剣》を取り剣に重ねて、刀身に深緑の片刃の刃が生まれる。

 更に肥大化した重量を支え切れず、その切先が轟音を立てて大地に埋まる。

 

「グラティ――っ!?」

 

 続く巨槌に手を伸ばしたところで、周囲の武器は砕け散った。

 ここが今の自分の限界だと察したクリスは剣先が大地に埋まった剣に爪を立てるように強く握り込み、“力”を込めて持ち上げる。

 ギギギと、貴族連合の基地に《緋の騎神》の体が軋む音が鳴り響く。

 身の丈を超える鉄塊。尋常ではない“力”を感じさせる剣が持ち上がっていく様を誰もが息を飲んで見入ってしまう。

 

「覚悟は良いですかオーレリア将軍っ!」

 

 重い動きで巨剣を肩に担いだ《緋》からクリスの叫びが響く。

 その声にオーレリアは返事をすることを忘れ――

 

「くっ……ハハハハハハハハッ!」

 

 腹の底からオーレリアは声を上げて笑った。

 

「貴方には“一”を極める才能はないと言ったが、なかなかどうして……」

 

 明らかに扱い切れていない巨剣だが今この場においては些細な問題に過ぎない。

 この戦いがヤラセである以上、オーレリアは打ち合わなければならない。

 アルゼイドとヴァンダールの剣を極め、あらゆる名剣をその目にして来たオーレリアにしても理知の外に“三重の剣”とも呼ぶ巨剣。

 浮かんでいた武器の数を考えればどこまで重ねることができるのか、それこそ“千”の武器を一つに重ねることができるのか興味は尽きない。

 

「いや、今は良いか」

 

 クリスの将来に期待を感じながら、オーレリアはその思考に一旦蓋をする。

 そして先程とは比ではない闘気を練り始めた。

 

「オ、オーレリア将軍っ!」

 

 闘気が生み出す風に髪を抑えながらミルディーヌは剣に“洸”を宿した《シュピーゲル》を驚きの表情で見上げる。

 

「申し訳ありません。ミルディーヌ様」

 

 “公人”として“将”として、ここで《緋》と本当に剣を交えるメリットなどない。

 だが、ここでこの一撃を受け止めなければ一時期とは言え彼の師となった者として、それこそ無責任だろう。

 

「何より、やはり不正は良くないな」

 

 民のため、部下のため、己を曲げようとしたオーレリアは理論武装をして《シュピーゲル》を歩かせる。

 

「っ――」

 

「さあ……殿下見せて頂きましょう。貴方のこの一年の成長を」

 

 剣の重量によってまともに動けない《緋》の間合いに無造作に居座って《シュピーゲル》は大剣を構える。

 

「今日こそは届かせてもらいます!」

 

 右手に《鬼気》を焔のように溢れさせ《緋》は巨剣を振り上げる。

 

「受けて立ちましょう! セドリック皇子っ!」

 

 《シュピーゲル》は“洸”の大剣を掲げる。

 そこに技も駆け引きもない、渾身の一撃が激突する。

 貴族連合の兵士が、帝都から民が、アルフィンとミルディーヌが、そして《カレイジャス》からユーゲント皇帝が見る。

 凄まじい颶風と轟音を鳴り響かせて――剣が砕け散った。

 

「っ――どうだっ!」

 

 振り抜いた巨剣の勢いに流された体を踏ん張りながら、クリスは溜め込んだ息を吐くように叫ぶ。

 

「ええ……」

 

 そんな喜色を含んだ声にオーレリアは砕けた大剣の慣れ果てを見下ろして満足そうな笑みを浮かべる。

 これがまともな戦いだったなら負けはしなかった。

 機甲兵用のアーケディアでなく本物ならば砕けなかった。

 様々な言い訳が頭に過るが、全て教え子の成長の喜びに流し、オーレリアは最後の務めを果たす。

 

「セドリック皇子……」

 

 黄金の《シュピーゲル》は膝を折り、《緋》に頭を垂れる。

 

「これより私は貴方の臣下として働きましょう」

 

「ああ、許す」

 

 機甲兵越しにも分かる厳かな礼にクリスも背筋を伸ばして答え、右手の巨剣を散らしながら新たな《大剣》をその手に造る。

 

「セドリック・ライゼ・アルノールが命じる……

 これより其方は我が部下として帝国正規軍と協力し帝都の民を救え、折った剣の代わりはこれを使え」

 

 そう言って差し出すのは《緋》の力で造り出した折ったばかりの宝剣《アーケディア》。

 

「御意――」

 

 恭しい態度で剣を受け取った《シュピーゲル》は立ち上がり、オーレリアは周囲を見回して剣を掲げて声を張り上げる。

 

「これより我らはセドリック皇子と共に逆賊クロワール・ド・カイエンを討つ!」

 

 その宣言に貴族連合の基地の至る所から歓声が上がり、セドリックの名が叫ばれる。

 

「これで内戦は終わる……」

 

 《緋》の中、自分の名を連呼する兵や民の声を聞きながら、クリスは浮かれるよりも今後の事を考える。

 お膳立てされたとは言え、クロワールを共通の敵にすることで貴族連合と正規軍を共闘させることはできた。

 それで互いの蟠りがなくなったわけではないが、歩み寄るという点では確実に一歩前進したはずだと思いたい。

 そして、その一歩を無駄にしないために何としてもカイエン公とクロウを討ち取らなければならない。

 

「今度こそ決着を着けさせてもらうよ、クロウ」

 

 聳え立つ尖塔にオルディーネを飾った禍々しい城を見上げてクリスは呟く。

 後顧の憂いはなくなった。

 帝都のことはオリヴァルトやエステル達、オーレリアと後に正規軍とやって来るだろう仲間たちに任せれば良い。

 自分はもう振り返らずに進めば良いのだと、決意を新たにして――

 

「ん……?」

 

 歓声に沸き立つ群衆の向こう、街道への出入り口から見覚えのある四人が基地に入って来たことにクリスは気が付く。

 

「…………な……んで……?」

 

 三人を付き従えて堂々と貴族連合の基地を歩くその存在に沸き立つ民衆はクリスに遅れて気付き、静まり返って行く。

 そして自然と人垣は割れて、彼らの道ができる。

 

「ゼクス中将……」

 

 男の右に控えるのはクリスが小さい頃から世話になった隻眼の幼馴染の叔父。

 

「それにアンゼリカ先輩とログナー侯爵……」

 

 左側に連れ立っているのはアンゼリカとログナー侯爵。

 

「どうして……貴方が……?」

 

 彼らは共にアイゼンガルド連峰での機甲兵の暴走によって消滅したはずだった。

 そんな彼らがどうして生きているのか。

 しかも争っていた陣営のゼクスとログナーが険悪な様子もなく、肩を並べて一人の男に付き従っているのか。

 多くの困惑があるものの、彼らの生存以上にクリスは先頭を歩いている男に最も驚愕していた。

 

「フフフ、お見事でした。セドリック殿下」

 

 低く艶のある声がクリスを褒める。

 

「良き成長をなされたようで、これも女神の導きでありましょう」

 

 クリスの、民衆の注目に動揺せず、黒髪の男は不敵な笑みを浮かべる。

 

「遅ればせながら、最後の局面にはどうにか間に合ったようですね」

 

 申し訳なさそうな謝罪を口にして、男は名乗る。

 

「ギリアス・オズボーン。これよりセドリック殿下の傘下に入り、貴族連合と共に逆賊カイエン公を討ち取る手助けをさせていただきましょう」

 

 

 

 

 







 この時に閃Ⅱをやっていて思ったこと、甲板に人が出ているのにミサイルを回避するだけとは言え機関全速で飛ぶのはあかんのではと思いました。
 続く閃Ⅳの機動要塞突入も人力での対空砲と防御で強行突破は流石に無理があるような気がしました。




 原作だと貴族連合の内戦後のダメージコントロールはルーファスが担っていたと考えます。
 この話ではそれがないためミルディーヌによって落とし所を作る下準備として貴族連合と正規軍の停戦を持ちかけています。
 そうしないとカイエン公の連座でミルディーヌを含めた親戚にも累が及んで処罰の対象となる為の自衛です。

 カイエン公がオーレリアの部隊にミルディーヌを押し付けていたのは、あわよくばこの内戦中に彼女を排除する思惑がありました。
 それを逆手にとって、ミルディーヌは各部隊の隊長にダーナ製のお守りを持たせて“異変”が起きた時に発言力が得られるように足場造りをしていました。

 やっていることは空でのオリヴァルトとカシウスに近いのかな?




 《緋》の武装デバイス
 重剣
 スウィンの剣を参考に“千の武器”で生み出す武器を折り重ねて強化を重ねた合体剣。
 今は芯になる“テスタ=ロッサ”を除いて三つの武具を重ね合わせるのが限界となります。
 また武具同士の反発を抑えるための《右手の鬼の力》がなければ固定化はもちろん振り回すこともできない、現時点では欠陥武具です。

 “千の武器”の改造であり、マテウスの時の《鬼の力》の付与術が1に+10するものとすれば、今回のは武器の1だった部分を10にするものになります。


 余談ですが、閃Ⅲからのアガットの“重剣”がガランシャールやアーケディアを見慣れたせいか、随分小さく感じていました。





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60話 帝都ヘイムダル

 

 

 

 

 帝都ヘイムダルの南の空に《カレイジャス》が飛翔する。

 その甲板にはレールハイロゥのカタパルトが展開され、《灰の騎神》ヴァリマールが発射台の位置に着く。

 

『キーアさん、本当に貴女も参加するんですか?』

 

 ミスティに代わって通信士となったエリゼの声にキーアは申し訳なさそうに顔を伏せて頷く。

 

「うん……キーアはこのためにここにいることを選んだから」

 

 エリゼは“彼”の義妹。

 だが今のエリゼは“彼”の存在を覚えていない。

 記憶を想起させる可能性があった故郷のユミルもなくなり、“彼”の痕跡が消えたこの世界でエリゼが“彼”を思い出すことはおそらく不可能だろう。

 

「でも……」

 

 自分よりも一回り幼い少女が《騎神》があると言っても矢面に立つことにやはり罪悪感を覚える。

 

「ありがとうエリゼ……でもね……」

 

 優しいエリゼにキーアは笑みを返す。

 

「最初は罪滅ぼしのつもりだった……“あの人”の代わりをキーアがしないといけないんだって思っていた……

 でも今はキーアの意思でクロスベルを守りたいって思ったように、帝国のみんなも守りたいと思ってるの」

 

 ディーターが経済攻撃によって、帝国と共和国にクロスベルを攻撃させた守らされた時とは違うのだとはっきり言える。

 

「キーアはキーアの意思で戦うって決めたから。だから大丈夫……」

 

『キーアさん』

 

 決意が固いキーアにエリゼはそれ以上何も言えず、そこでエリゼとの通信は一度切れる。

 

「ねえ、ヴァリマール、聞いてくれる?」

 

「何だ?」

 

「キーアはね……クロイス家の人達と同じだったの」

 

 懺悔をするようにキーアは《灰》に帝国での戦いで感じたものを言葉にする。

 

「失ったものは二度と戻らない……

 キーアはそれが分からないで“みんな”と一緒の未来が願った……

 だからクロイス家と同じ間違いをしたの……

 失った“みんな”を取り戻すために至宝の“奇蹟”に縋った……“前”と“今”、同じ“みんな”だけど違う“みんな”だったことを見ない振りして」

 

 ここにいる自分はこの世界の“キーア”なのか、それとも前を経験した“キーア”なのか。

 その境界は曖昧で、自身は統合されて一つになっていると割り切れるが、それならば“みんな”はどうなのだろうかと考える。

 

「キーアは……あの時、“みんな”が何を言い残そうとしていたのか、聞くことを拒んだ」

 

 ヨアヒムを通して目の当たりにした惨劇。

 死に逝く彼らはうわ言に何かを言い残していたが、それを耳を塞いで拒絶したキーアはその最後の言葉を知らない。

 そして命を賭して“キーア”を守ろうとして果たせなかった彼らの遺言を知る術ももうない。

 

「キーアはその“欺瞞”からずっと目を逸らし続けていたの」

 

 《零の至宝》などと呼ばれていたが、やっていたことはむしろ失われた至宝を取り戻す妄執に囚われたクロイス家と変わらない。

 失った“存在”を求めるだけで、何故失ったのか考えず、心のどこかで失敗してもやり直せば良いのだと“今”と向き合わなかった。

 

「“みんな”に必要だったのは守って、道を整えることじゃなかった……

 必要なのは“みんな”が強くなるための“超クロスベル人”の試練だったんだよね」

 

「それはやめておけ」

 

 キーアの答えにヴァリマールは思わず突っ込む。

 

「ダメなの?」

 

「むぅ……」

 

 小首を傾げるキーアにヴァリマールは“彼”のような人間が増えるゼムリア大陸を想像して身震いする。

 

「良いか? あれは選ばれた極一部の人間が至れる境地、常人が同じ経験をすれば必ず途中で命を落とすか心が折れる」

 

「でもロイドなら……きっとロイドならどんな《壁》も乗り越えられるよ」

 

 ヴァリマールの忠告にキーアはそれでもロイドならばできるのではないかと期待をしてしまう。

 

「そ、それはともかく今は汝のことに集中するが良い」

 

 このままでは本格的に特務支援課育成計画を考えてしまうキーアにヴァリマールは話を戻す。

 

「この内戦が終わっても、汝にはすべきことがあるのを忘れるな」

 

「うん……」

 

 今は半不死者でも、ホムンクルスとしての短命の身体を治す目的もあれば、ルーファスと協力してクロスベルをより良くしたい願いもある。

 特務支援課の“みんな”にも話したいことは沢山ある。

 そして何よりも自分の代わりに《零の世界》に置き去りにされた“彼”の救出。

 必要ならば、それこそもう一度、今度は自分の意思で《零の至宝》になる覚悟さえキーアはできている。

 

『キーアさん、皆さんの準備が整いました。発進どうぞ』

 

「うん、分かった……」

 

 エリゼの報告にキーアはヴァリマールとの会話を切り上げて深呼吸をする。

 自分の“力”は所詮“彼”やアリオスの模倣。

 そして模倣であるはずなのに、何かが足りず彼らを再現し切れてはいない。

 そのため《騎神》の中では最弱にさせていることをヴァリマールに悪く思う。

 

「それでも露払いくらいはできるから」

 

 クリスと《テスタ=ロッサ》を消耗させずに《煌魔城》へ届ける。

 それがキーアの役目。

 “彼”の代役としてではなく、共に戦って来た仲間たちのために、キーアは戦う決意を固めて宣言する。

 

「キーア。《灰の騎神》ヴァリマール――いってきます!」

 

 《灰》は帝都の空へと飛翔した。

 

 

 

 

 飛び立った《灰》と入れ替わるように甲板のリフトの下から《緋の騎神》が運び上がる。

 

「帝都ヘイムダル……」

 

 先にカレル離宮へと迂回してため、見過ごすことになった帝都の光景にクリスは感慨深いものを感じずにはいられなかった。

 空から見下ろす帝都の街並み。

 それに近いものは普段から皇宮から見ていた。

 進学して皇宮を離れてからも一度、《カレイジャス》のお披露目の時にこの光景を見ているのだが、それでも感じ入るものがある。

 

「僕は帰って来たよ」

 

 かつての美しい町並みは瘴気に満ちて見る影もない。

 そして何よりもクリスの居城は《蒼の騎神》を頂きに異形の大樹の城へと変貌しており、帰って来た郷愁を邪魔をする。

 いっそう《緋》の強化に使われているフェンリルが元の導力魔法爆弾だったら、我が物顔で皇宮の先端に居座る《蒼の騎神》を爆破してやろうかと物騒なことを思わず考えてしまう。

 

「…………本当に帰って来たんだ」

 

 クロスベルの独立宣言とオズボーンの狙撃から始まった帝国の内戦。

 クリスとしては《蒼》との初戦で負けて一ヶ月出遅れてしまい、偽物を祭り上げられ偽物扱いされたりと散々な目にあって来た。

 助けられたものがあった。

 助けられなかったものがあった。

 誰かを頼ろうと縋る気持ちはいつの間にか消え失せ、自分がやらないといけないとがむしゃらに突き進んだ末にここまで辿り着いた。

 

『クリスさん……』

 

「大丈夫です、エリゼさん」

 

 遠い目をするクリスを案じてエリゼが声を掛ける。

 それに返事をしながら、クリスは深呼吸をする。

 勝っても負けても、これで長かった内戦は終わる。

 もちろん負けるつもりはないが、長かった旅の終わりが目前に不思議な気持ちになる。

 

「貴族連合のことはミルディーヌとオーレリア将軍に任せられる……

 正規軍のことも今なら兄上とオズボーン宰相に任せれば良い」

 

「まさかあの男が生きていたなんてね……」

 

 クリスの呟きに隣のセリーヌがぼやく。

 

「確かに驚いたけど、今は問い詰めている暇はないよ。ところでセリーヌ、君はエマの所に残らなくて良いのかい?」

 

 いつもの定位置に座っている黒猫にクリスは尋ねる。

 

「聞けば、かなりの大規模な魔術らしいじゃないか? そっちのサポートに回った方が良かったんじゃないかな?」

 

「向こうにはキリシャがいるから何とかなるでしょ……

 アンタを放っておけないって言うのもあるけど、エマに厄介事を押し付けてあの女が同行するって言うなら、監視は必要よ」

 

「ミスティさんはこの場面では裏切らないと思うけどな……あの人もクロウを起動者にしたことに責任を感じているみたいだし」

 

「ふん……本当にそんな殊勝な考えがあるのかしらね」

 

 セリーヌは鼻を鳴らしてそっぽを向く。

 その姿にクリスはハハハと愛想笑いをする。

 

『クリスさん、レールハイロゥの充填完了しました』

 

「了解……」

 

 エリゼの報告に言葉を返してクリスは気を引き締める。

 後方の憂いはもうない。

 自分がすべきことはもうこの内戦を扇動したものと、引き金を引いたテロリストを打倒すること。

 むしろ一刻も早くこの二人を倒さなければ、帝都の市民は全て《蒼の眷族》に堕とされる。

 ミスティの見立てでは、これから行うエマの対処処置を施しても夕暮れの《黄昏時》が戻って来れなくなる人間に戻れる限界点。

 だがそれは目安でしかなく、浸食の仕方次第ではもう戻れない人もいるかもしれない。

 

「それではクリスさん、発進どうぞ」

 

「はい……いや、違うな……」

 

 エリゼの報告にクリスは苦笑を浮かべて否定する。

 

「え……?」

 

 首を傾げるエリゼを他所にクリスは改めて名乗りを上げる。

 

「セドリック・ライゼ・アルノール! 《緋の騎神》テスタ=ロッサ! 出陣するっ!」

 

 トールズ士官学院《Ⅶ組》のクリス・レンハイムではなく、エレボニア帝国の皇子としてセドリックは《紅の翼》を飛び立った。

 そして飛び立った《灰》と《緋色》を追うように蒼い巨鳥が翼を羽ばたかせた。

 

 

 

 

 

 《灰》と《緋》が飛び立ったリフトに次が現れる。

 

『えっと……』

 

 その姿にエリゼは言葉を失い困惑する。

 レイルハイロゥの台座に乗っているのは車輪のない導力車のような存在。

 飛行艇のように飛翔機関があるわけでもないのにレイルハイロゥの上に浮かぶように滞空してエリゼの合図を待っている。

 

『ミリアムさん……本当にそれで行くんですか?』

 

 エリゼはその白い乗り物に乗っているミリアムに尋ねる。

 

「うん! それがどうかしたの?」

 

 返って来たのは無邪気な答え。

 エリゼは困惑に頭痛を感じながらも、モニターの向こうでエリゼの合図を今か今かと目を輝かせて待つ少女の気持ちに水を差さないように努める。

 

『それではミリアムさん、発進どうぞ!」

 

「はーい!」

 

 ミリアムは白い飛翔体の中でハンドルを握って名乗りを上げる。

 

「ミリアム・オライオン! がーちゃん! いきまーすっ!」

 

 

 

 

 

 

 アガートラムが飛び立ち、それ以上、発進する機体はないというのにリフトはもう一度動き始める。

 甲板に辿り着いたリフトは、そこからレイルハイロゥの足場によって光り輝く舞台として更にせり上がる。

 舞台に立つのは三人。

 右手にはギターを構えたアリサ・ラインフォルトが。

 左手にはリュートを抱えたのオリヴァルト・ライゼ・アルノールが。

 そして中央には緋色のドレスを纏った歌姫――エマ・ミルスティンが佇む。

 

「フフフ、ついにこの時が来た!」

 

 オリヴァルトは状況を忘れたかのように喜悦を含んだ声を弾ませた。

 彼らの背後には緋色と蒼色の杖が立てられ、大型導力スピーカーや導力キーボードを始めとした様々な楽器が置かれている。

 カレイジャス第五倉庫に詰め込まれた、オリヴァルトの趣味の産物。

 いつか《カレイジャス》で帝都の空から空中リサイタルをしたいという夢のため秘密裏に集めたが、ミュラーに没収された楽器と機材。

 それらが日の目を見ることになると言う事でオリヴァルトは上機嫌だった。

 

「アリサ君! 調子はどうだい!?」

 

「はい……各種の導力楽器……問題なくいけます」

 

 ノリノリなオリヴァルトと生真面目にオーブメントの最終調整を行うアリサにエマは隠れてため息を吐く。

 

 ――どうして私がこんなことを……

 

 内心で嘆きながらも一度引き受けたからには役目を果たさないといけないと、エマは自分に言い聞かせる。

 

 ――クリスさんの導き手は私だったはずなのに、それにセリーヌも……

 

 確かに何でもすると言い出したのは自分なのだが、当の義姉は凱歌への対抗をエマに任せ、クリスと共に《煌魔城》に突入することになっていた。

 儀式を止めさせるという点でも魔女のどちらかが《煌魔城》に突入する必要があるのは分かる。

 そして今の義姉には《凱歌》を唄う体力がないのならば、この配置を了承するしかない。

 

 ――だからと言って、どうしてこんなに準備が良いの!?

 

 叫び出したくなる衝動を呑み込み、エマは周囲の導力カメラのこともあり笑顔を保つ。

 聞けばこの緋色のドレスは義姉がオペラで来ている物の色違いだとか。

 他にもまじかる風衣装やパンク風衣装に学院祭でエマが着た衣装まで抜かりなく用意していた。

 

 ――あの人は一体どこまで見通していたの……

 

 感じた憤りは半分、もう半分は義姉の周到さに圧倒される気持ちがある。

 背後の大型導力スピーカーから流れ始めた音楽には彼女がアレンジを加えたもの。

 エマの役目はそこに魔力を供給する役であり、そこに義姉がいなくても術は成り立つようにお膳立てされていた。

 

 ――まだまだだな――

 

 巡回魔女として認められて追い付いたと思ったが、差は里にいた時から広がる一方だったとエマは思い知らされる。

 しかし、不満はあれど義姉の気持ちも分からないわけではない。

 自分が導いた起動者の暴走。

 それに対する責任のためと真っ直ぐな眼差しでお願いされてはエマに折れない理由はなかった。

 

「エマ君、大丈夫かい?」

 

「はっはいっ! 大丈夫ですいつでもいけます!」

 

 オリヴァルトに呼ばれ、エマは声を大にして返事をしながら没頭していた思考を払う。

 義姉への想いや、魔女としての役目、憤りなど不満は様々あるが、この眼下の《魔煌兵》を救う可能性があるのは自分だけだと言われてしまえばその戦場を放り出すことなどできない。

 それに先に言った通り、帝国は既にエマにとって掛け替えの存在になっている。

 

「最初の唄は何にしますか?」

 

「うむ、ここはボクの十八番の《琥珀の愛》でどうかな?」

 

 オリヴァルトの提案にエマは頷き、アリサが端末を操作して大型導力スピーカーから音楽が流れ始める。

 それを補強するようにオリヴァルトとアリサが演奏を始め、エマは導力マイクを取って口を開く。

 

「流れ行く、星の――」

 

 

 

 

 

 空から《緋の風》を吹き下ろす。

 だが、鉄路を踏みしめて帝都の外に現れた蒼い瘴気を纏った《魔煌兵》は歩みを緩めず行進する。

 

「これは壮観だな」

 

 外壁のトンネルから途切れることなく増え続ける《魔煌兵》にオーレリアは《黄金のシュピーゲル》の肩に立ち、複雑な内面を見せるように顔をしかめる。

 

「怖気づいたのかね、オーレリア将軍?」

 

 そんなオーレリアに声を掛けるのは横に佇む《漆黒のドラッケン》の肩に立つギリアス・オズボーン。

 

「そんなはずなかろう……

 怖気づくのとは違う。あの一体一体が元は帝国の、私達が守るべき民だと思えば、魔獣退治の考えで斬るわけにはいかないと感じただけだ」

 

 ミルディーヌからその可能性を示唆された時は世迷言をと一笑したが、実際に夥しい数の魔煌兵達を前にしてしまえば笑う事はできない。

 

「これがカイエン公の策か……」

 

 これならな確かに正規軍を一網打尽にできる物量だろう。

 だが、それを受け入れる程にオーレリアは腐ってはいない。

 

「フフ、平民など貴族の奴隷ではなかったのかな伯爵殿?」

 

「その言葉は侮辱か、鉄血宰相?」

 

「さて、どうでしょうね」

 

 睨んでも柳に風と受け止めるオズボーンにオーレリアはやはり本物かと、目の前にいる男に答えを決める。

 胸を撃たれて死んだはずだが、肝心の死体を貴族連合は確保できなかった。

 もっとも偽装の方法などいくらでもある。

 この可能性を考えて貴族連合は愚かにも各地の草の根を焼き払う勢いで探し回ったのだから。

 

「他の貴族は知らんが、私は一度たりとも“平民”が劣っていると考えたことはない」

 

「それは御立派ですが、その矜持は今は忘れるのがよろしいでしょう」

 

「何……?」

 

「彼らはもう救えない」

 

 オズボーンは続々と現れる魔煌兵の群れに、何かを思い出すような遠い目をしながら繰り返す。

 

「もう救えないのです……むしろあの《蒼い瘴気》が感染するように周囲の生物を魔煌化させていく、情けも躊躇いもここでは命取りになるでしょう」

 

「…………そうか」

 

 何故そのような目して、何故そこまで詳しいのかオーレリアは問わず、その忠告を受け止める。

 どれだけ苦しい戦いになるとしても、カイエン公の暴挙を止められなかった責任として出来る限り《魔煌兵》は生け捕りにするつもりだった。

 足を重点に破壊して移動力を奪えば、何とかなるのではないかという期待は考えない方が良いのだとオーレリアは判断する。

 

「全軍に通達する。帝都から溢れた魔煌兵の群れはここで叩く……

 彼らの元の姿は考えるな。一人でも逃せば、そこから更なる《魔煌兵》が生まれる事となる! どんな犠牲を払ってもここで止めろっ!」

 

 オーレリアの言葉に対して軍の士気は決して高くない声を上げる。

 無理もない。

 異形の巨人と化しても、元は帝都の民。

 本来なら守るべき対象に剣を向けなければいけない状況を作ったのが、貴族連合側だということも士気が低い理由だった。

 

「違えるなっ! 我等にはまだ救えるものがある! この《黄金の羅刹》に続けっ!」

 

 戸惑いは分かっているが、それ以上に言えることはないとオーレリアは我先にと突撃する。

 

「正規軍よ! 貴族などに遅れを取るな! 逆賊カイエン公から帝都を取り戻すのだ!」

 

 オズボーンの叫びに正規軍は士気の高い。

 《鉄血宰相》の奇蹟の復活の高揚があるかもしれない。

 だが、それ以上に貴族に対する黒い衝動がオズボーンの声に導かれるように宥められる。

 

「おおおおおおっ!」

 

 誰かがオーレリアに続くと、それが切っ掛けになって総員が駆け出し始める。

 機甲兵が戦車が装甲車が歩兵が突撃する。

 殺気を漲らせて突撃して来る一団に行進の先頭を歩く《魔煌兵》が剣の抜く。

 それに合わせて抜剣の音が各所で鳴り響く。

 

「怯むなっ! 突入部隊の血路を開けっ!」

 

 部下を鼓舞する叫びを上げて、《黄金のシュピーゲル》は無数の《魔煌兵》の中に斬り込んだ。

 

「フフ、まるで生前のリアンヌを見ているようだ」

 

 その背中にオズボーンは別の郷愁を感じていた。

 今でこそお淑やかではあるが、あれは中々にじゃじゃ馬だったと懐かしむ。

 

「宰相!」

 

「何かねゼクス中将?」

 

 足元から呼ぶ声にオズボーンは聞き返す。

 

「いい加減後方に御下がりください! 貴方は病み上がりなのですよ」

 

「やれやれ、君までそんな事を言うのか?」

 

「御身はこの内戦が終わった後にこそ、働いていただく重要な役目を持っているのです……

 にも関わらず、あのような“少年”を《機甲兵》に乗せて何を考えてなさるのですか?」

 

 ゼクスはオズボーンが乗る《黒のドラッケン》の背後に佇む、通常色のドラッケンを睨む。

 

「あ、あの……俺は……その……」

 

 ゼクスの睨みに“少年”はあからさまに狼狽する。

 

「フフ、あまり脅してくれるなゼクス。彼は私の“切札”なのだから」

 

「むぅ……」

 

 オズボーンの言葉にゼクスは不信な眼差しを送るものの、それ以上の追求はしなかった。

 

「私達、第三機甲師団も前線に向かいます。良いですね、くれぐれも無茶はなされぬように」

 

 ゼクスは最後に釘を刺して、オーレリアが暴れる戦場に向けて戦車を進軍させた。

 

「…………あ、あの……俺……本当にこんなものに乗せてもらって良いんですか?」

 

 ゼクスが睨んだ《ドラッケン》から不安に満ちた子供の声が聞こえて来る。

 

「ああ、何も問題はない。と言いたいところだが、状況が状況だ。私からくれぐれも離れないようにしてくれたまえ」

 

「は、はいっ!」

 

 まるで新兵のような初々しい反応にオズボーンは思わず苦笑を浮かべた。

 

 

 

 

 

「っ……」

 

 空から見下ろす帝都の光景は酷いものだった。

 多くの家屋が内側から爆ぜるように倒壊して、無数の魔煌兵が列を成して外を目指して行進していく。

 《蒼い瘴気》はそれだけでは留まらず、異形の魔獣が発生し、更には地下からも魔獣は這い出しくる。

 まさに《死の都》の再来と呼べる光景が眼下に広がっていた。

 

「ちょっと分かってるでしょうね」

 

「……ああ、大丈夫だよ。セリーヌ」

 

 瘴気の霧の中、まだ誰かがいる気配がする。

 だが、それを助けに行くのは自分ではないとセドリックは必死に言い聞かせて自制をする。

 彼らを救うのはエステルに任せることになっている。

 自分がすべきことは瘴気の発生源である《煌魔城》を攻略すること。

 例えここで彼らを見捨てても、それが彼らを本当に救うための方法なのだから。

 

「クリスッ!」

 

 自制に集中するセドリックに先行していたキーアの叫び声が届く。

 直後、進行方向の空の向こうでレーザーが撃ち上げられる。

 

「っ――」

 

「下からも来るよっ!」

 

「ミスティさん! ミリアム!」

 

 続く忠告にセドリックは追従している二人に声を上げながら回避運動を取る。

 直後、野太い導力砲の光が空を貫き、降り注ぐレーザーの隙間を縫うように《緋》と《灰》は飛翔する。

 

「フフ、今のを躱せたの」

 

「だが今のは挨拶代わりだぜ」

 

「お前達は……」

 

 ドライケルス広場に陣取るゴライアスの面影を持つ《神機γ》とその上空に滞空するケストレルの面影を持つ《神機β》

 当然それらに搭乗している者達は帝国解放戦線の《V》ことヴァルカンと《S》ことスカーレットの二人。

 

「月並みだけど、儀式が終わるまでここは通さないわよ」

 

「ああ、だが待てなんて言わねえぜ。お前達はここで俺達がぶっ壊してやるぜっ!」

 

 機体越しでも分かる程の殺意を撒き散らして二人は叫ぶ。

 

「お前達の相手をしている暇はないんだ! ミリアム!」

 

 一撃で終わらせてやるとセドリックはミリアムを呼ぶ。

 

「うんっ! がーちゃん行くよっ!」

 

「その必要はない!」

 

 光り輝く《アガートラム》を差し置いて、声が響き《翠》の風が《緋》達を追い抜く。

 

「何!?」

 

 狙撃銃からの遠距離射撃を受けて《赤のケストレル》は大きく揺れる。

 

「ちっ――どこから出て来やがったっ!」

 

「貴様の相手は私だっ!」

 

 《翠》に遅れて、飛行艇に乗った《青の機神》が足場を蹴って大きく跳躍し《ガランシャール》で斬りかかる。

 砲撃を中断した《黒のゴライアス》は結界で剣戟を受け止め、《青》は弾かれた勢いのまま後ろに下がって危なげなく着地する。

 

「ガイウス! ラウラ!?」

 

「ああ、どうやら間に合ったようだ」

 

「うむ、待たせたなクリス」

 

 セドリックの驚きに通信の回線が開いて、画面に二人の顔が映る。

 

「状況は聞いている。この二人の相手は俺達に任せると良い」

 

「其方は早くクロウの下へ」

 

 《翠》は《赤》を牽制するように導力ライフルを連射して挑発し、《青》は地面を走り《黒》に向かって再度斬りかかる。

 

「二人とも、それはキーアが――」

 

「いいや。君こそがクリスと共に《煌魔城》へ行ってくれ」

 

「今は、一刻も早くあの城をどうにかするべき時なのだろう!」

 

 露払いは自分の役目だと言おうとしたキーアにガイウスは拒絶を示し、ラウラが促す。 

 ガイウスもラウラも、自分達を置いて行ってしまったクリスには言いたい事、聞きたいことは多くある。

 だが、それを悠長に話している暇はないと、己がすべきことはここだとセドリックを《煌魔城》へ向かわせることを優先する。

 

「それに帝国解放戦線には俺達にも少なからずの因縁がある」

 

「ガレリア要塞で散った多くの命だけではない……貴様らの身勝手な行いで起きた数々の不幸、ここで贖ってもらうぞ!」

 

 ガイウスとラウラの迷いのない叫びにキーアは気押されて思わず口を噤む。

 

「…………分かった……」

 

 迷う《灰》の肩を《緋》が掴み、ガイウスとラウラにこの戦場を任せることをセドリックは決める。

 

「二人とも、今更僕がこんなことを言うのは虫が良いかもしれないですけど――」

 

「皆まで言うなクリス。例え行く道が異なり時には対立し敵になっても、私達は《Ⅶ組》だ……それで良いのではないか?」

 

「ラウラ……」

 

「お前が決めた道を進めば良い。間違っていたのならその時は俺達が友としてお前を止めてみせる。だから気にする必要はない」

 

「ガイウス……」

 

 短い言葉でありながら、セドリックが《Ⅶ組》から離れたことを受け入れた二人は改めてここは任せて先に行けと告げる。

 

「二人とも、死なないでよ」

 

 少しだけクリスに戻って、セドリックは二人に仲間としてそれを求める。

 

「ふっ……当然だ」

 

「ああ、我らは死なん。安心するが良い」

 

「――行こう。キーア」

 

 踵を返して《緋》は《灰》を促す。

 

「行かせると思って!?」

 

「テメエはここで墜ちるんだよ!」

 

 だが、進もうとする《緋》を阻むように《赤》と《黒》が導力砲を照準する。

 

「させんっ!」

 

 《翠》が加速して狙撃銃とは逆の手に握った十字槍を前に《赤》に突撃する。

 

「地裂斬っ!」

 

 アルゼイドの剣が地面に衝撃を走らせ《黒》の足を揺さぶる。

 

「なっ!?」

 

「ちぃっ!」

 

 態勢を崩す二機の間をすり抜けて《緋》と《灰》はドライケルス広場を抜ける。

 

「ちっ……抜けられたか」

 

「だけど無駄よ。城の門は例え《騎神》の力でも壊せない結界が張ってあるのだから」

 

 ヴァルカンとスカーレットは抜けた《騎神》にさして興味を持たず、対峙する《機神》に意識を向けるのだった。

 

「クリス! お城の門に強い結界があるよ!」

 

 飛翔をしながらキーアは《識》の目で見たことを伝える。

 

「――なら、あれをやるよキーア」

 

「あれって……本当にやるの?」

 

「もちろんだよ!」

 

 何処か楽し気なセドリックの声にキーアは一抹の不安を感じながら意識を集中する。

 

「使うよ貴方の《力》――」

 

 《灰》の手に《緋》の霊力が集束する。

 オーブに込められた術式を起動し、キーアが予め設定していた四つの武具の内の一つを顕現させる。

 それは“銃”。

 最新の導力銃ではなく、中世の意匠を思わせる細く長い銃身。

 

「――出ろっ!」

 

 わずかな逡巡をしながらもセドリックはこの場で最適な武具をその手に顕現させる。

 

「まさか吾がこれを手にする時が来るとはな」

 

 造られた馬上槍に感慨深い呟きを漏らしたのは《テスタ=ロッサ》自身だった。

 

「行くぞっ!」

 

 《緋》は《灰》の前に立ち馬上槍を天高く掲げるように構え、穂先を中心に竜巻を纏う。

 

「良しっ! 撃ってキーア!」

 

 槍を前に構え、風を纏った《緋》は翼を広げて背後の《灰》に向かって叫ぶ。

 

「う、うんっ!」

 

 《灰》は戸惑いながらも銃を両手で構えて、《緋》の背中の中央に照準を合わせ――引き金を引く。

 

「「合技――スターブラストッ!!」」

 

 銃の魔力を背中に受け、纏った《緋の弾丸》は《煌魔城》の門を撃ち抜いた。

 

 

 

 

 

 








注意:ロイドとエリィの「スターブラスト」です、超級――ではありません。




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61話 絶望拡大





黎の軌跡Ⅱ発売、おめでとうございます。
新作が発売しましたが、この話ももう少しで終わるのでゲームよりもこちらを優先するつもりです。




 

 

 

 行進する《魔煌兵》の足下を三台の導力車が疾走する。

 《魔煌兵》は攻撃をしてこない導力車には目をくれる様子もなく行進を続ける。

 間断なく続く《魔煌兵》の足音が地面を揺らし、トワの不安を掻き立てる。

 

「それじゃあサラさん! アタシ達は東地区の方を目指すから」

 

 並走する導力車からエステルが通信越しに叫ぶ。

 

「ええ、頼んだわよ」

 

 その声に応えながら、サラはヨシュアから借りた双剣の片割れを確かめるように触れる。

 救出すべき民間人を捜索するため、突入班は聖別された武具を持つエステルとヨシュアのみだったが、領邦軍と正規軍から導力車と人手を借りて棒と剣を分け合う事で三つの班を作る事が可能となった。

 エステルは彼女の棒を装備したまま、ヨシュアと組み東地区へ。

 正規軍からはゼクス中将がヨシュアの剣の一つを借りて、北西のサンクト地区にある大聖堂を目指し。

 そしてサラ達はトワの実家がある西のヴェスタ地区を最初の目標に生存者を探す事となった。

 

「やれやれ、奇蹟の生還を喜ぶハグをしている暇なんてね」

 

 サラ達が乗る導力車のハンドルを握っていたアンゼリカはいつもの軽口を叩く。

 

「あんたねえ、生きていたなら連絡しなさいよ」

 

「すまないねサラ教官、私もできればそうしたかったのだけどオズボーン宰相に止められてしまってね」

 

 アイゼンガルド連峰でのノルティア州領邦軍と第三機甲師団の戦闘は領邦軍が優勢だったものの、《機甲兵》の暴走とガレリア要塞を襲った消失の力によって両軍ともに消滅した。

 アンゼリカも黒い爆発に呑み込まれたことは覚えているが、目を覚ませばそこにはオズボーン宰相がいた。

 

「彼が言うには、カイエン公は内戦の後自分が帝国の頂点に立つため、邪魔な四大名門を排除させるために《機甲兵》に罠を仕掛けていたようだ」

 

 オズボーンが語る真相にゼクスやアンゼリカはすんなりと受け入れることは出来たのだが、ゲルハルトは明確な証拠がない限り信用できないとオズボーンの協力を拒んでしまった。

 

「結局、宰相が言っていた《煌魔城》が現れたことでようやく父上も折れてくれてね……

 だいぶ遅れてしまったが、最終局面には間に合ったというわけさ」

 

 もっともアンゼリカとしても自分が拳でゲルハルトを説得してみせると意気込んで返り討ちにされたという点で帰り辛かったという事実は言わないでおく。

 

「鉄血宰相がね……」

 

 宰相と言い、ミルディーヌ公女と言い、《煌魔城》が現れてこうなることを予見して準備をしていたという事実にサラは訝しむ。

 

「いや……今考えないといけないことじゃないでしょ」

 

 疑惑を振り払い、サラは今やるべきことに集中する。

 

「っ……それにしても嫌な光景ね」

 

 《蒼い瘴気》に満ちた帝都。

 緋色のレンガの美しい街並みは至る所で崩壊して、無事な家屋を探すのが難しい。

 そして崩壊した街並みに反して、逃げ惑う人は見当たらない。

 市民の全てが頭上の《魔煌兵》に変貌を遂げているいう事実はあまりにも現実感が薄かった。

 

「これをクロウが引き起こしたのか……」

 

 そう呟くアンゼリカはハンドルを握る手に力を込める。

 振り返れば気付ける点はいくつもあった学院生活。

 そしてゲルハルトが指摘した通り、内戦が始まってからクロウと会おうしなかった事をアンゼリカは悔いる。

 

「私がもっとしっかりしていれば……」

 

「らしくないわね」

 

 自分を責めるアンゼリカにサラが声を掛ける。

 

「あんたはいつだって肩の力を抜いて、好き勝手に生きていたじゃない。そんなに真面目なキャラじゃなかったでしょ?」

 

「……今回のことで父上と話す機会がありました」

 

 茶化してくるサラにアンゼリカは彼女の言う真面目な顔のまま答える。

 

「もしも私がこの時点でログナー侯爵家を継ぐと決めた場合……領を割るつもりかと怒鳴られましたよ」

 

「それは……」

 

 ゲルハルトの言い分をその一言で理解したサラは思わずアンゼリカから視線を逸らす。

 

「私は心のどこかで、どれだけふざけていても最終的にはログナー侯爵を継げて当然だと思っていたんです」

 

 街に出て自分なりに平民と付き合ってみたのは、その考えもあってのこと。

 次期侯爵として“平民”に受け入れられる自分でありたい、その願いもあってルーレの市民はアンゼリカを受け入れてくれていた。

 

「ですが、ログナー侯爵になるには“平民”からの信任を得ると同様に“貴族”からの信任を得る必要があった……

 私はその点で全く信用されていなかったらしい」

 

 貴族の子女としての責務を果たさず放蕩三昧。

 更にはお見合いもまともにしない女好きであり、血を残すことに否定的。

 アンゼリカが問題を起こすたびに、周りから廃嫡するべきだと嘆願を受ける程にアンゼリカは次期侯爵として期待されていなかった。

 そしてアンゼリカを支持してくれるのはノルティア州の中でもほんの一部にしか過ぎないのだと教えられた。

 

「貴族の責務を放棄して遊び歩く者をどうして信用できるか……

 血を残す義務を放棄した者をどうして代々続く侯爵の当主を継がせるのか……

 自分だけが有利な“武”をひけらかして一番になったとサル山の大将を気取っている恥知らずをどうして領主として称えなければいけないのか」

 

 様々な理由からノルティア州の貴族はアンゼリカがログナー侯爵になることを望んでいなかった。

 むしろ彼女を追い落して、自分こそ次期侯爵になるのだと真っ当に努力している者さえいる。

 それが教えられたノルティア州の貴族のアンゼリカの評価だった。

 

「でもそれはあんたの良い所でもあるのよ」

 

「サラ教官にそう言ってもらえるのは嬉しいですね……私が侯爵家を継がないのならば、きっとそれでも良かったのでしょう」

 

 ゲルハルトもアンゼリカが長子でなければ、そこまで口うるさくはしなかったと言っていた。

 その点では長子でありながら庶子であって、皇位継承権を持たないオリヴァルトを羨ましく思える。

 

「結局のところ、私には覚悟がなかったんですよ……

 ログナー家を背負う覚悟も、この状況においても理由を付けてクロウの下に行こうとしないのも結局は嫌なことから逃げ回っている子供に過ぎなかったというわけです」

 

「それは私も同じよ」

 

 アンゼリカの自嘲にサラも同調する。

 

「この期に及んで教え子と向き合う事しないで遊撃士としての職務の方を優先しているなんて、我ながらどうかしてるわよ」

 

 内戦が始まり、《Ⅶ組》はちりじりになった。

 だが一人ならば、サラはその気になれば貴族連合の中にいるクロウと接触を図る事はできたはずだった。

 それをしなかったのは、やはり逃げていたのだろうとサラは思う。

 

「たぶん……顔を合わせていたらよくやったって言っちゃうって分かっていたんでしょうね」

 

 オズボーンが狙撃された事件を導力ラジオで聞いていた時、少しでもクロウによくやったという気持ちがなかったわけではない。

 《鉄血宰相》は帝国で遊撃士をして“守銭奴”とまで裏の二つ名で呼ばれるくらいに荒稼ぎしていたサラから仕事の場所を奪った怨敵でもある。

 もしも魔が差していたら。

 もしもノーザンブリアが二度目の《塩の杭》で滅んでいたら。

 もしも父を失ったあの戦場が帝国との戦いだったとしたら。

 巡り合わせ次第ではサラも《帝国解放戦線》になっていたかもしれないと考えてしまう。

 ノーザンブリアをオズボーン宰相に救ってもらったというのに、

 

「あたしはクロウに共感しちゃってるんでしょうね……教官だけに」

 

「サラ教官……それはない」

 

「えっと…………あ、アンちゃん。そこの通りを右に曲がって」

 

「ちょっと!」

 

 場を和ませようとした気遣いは二人に届かず、サラはやさぐれたため息を吐く。

 

「はいはい。やっぱりあたしは教官なんて向いてないのよ……

 カシウスさんの真似事なんて無理だったのよ。アルティナが死んだ時だってあたしは何もできなかったんだから」

 

 サラのぼやきにトワは首を傾げる。

 

「サラ教官、何を言っているんですか? アルティナちゃんは生きていますよ」

 

「そうですよサラ教官、縁起でもないことを言わないで下さい。アルティナ君のような美少女の損失はゼムリア大陸の大いなる損失なんですから」

 

「え……ああ、そうよね。何を言っているのかしら?」

 

 トワとアンゼリカの指摘にサラは自分が口走った言葉に首を傾げる。

 アルティナ・オライオン。

 ルーファス・アルバレアの部下であり、ミリアム・オライオンの妹。

 彼女は死んだことなどなく、今はアルフィンとエリゼの護衛役として《カレイジャス》に残っている。

 その姿はサラも見ているはずなのに、違和感が拭いきれない。

 

「っ……」

 

 ノーザンブリアに特別実習で帰った時にアプリリスに撃たれた胸が疼く。

 まるで何かを思い出せとざわめく胸の鼓動にサラは不安を大きくして――

 

「アンちゃん止めてっ!」

 

 トワの叫びにサラは思考を切り替える。

 トワは導力車を止めさせると、制止する間もなく外に飛び出してしまう。

 

「アンゼリカはここで待機っ!」

 

 車を守れと言い残してサラも外へ出てトワの後に続く。

 導力車では超えられない瓦礫を掻き分けて辿り着いた雑貨店だったもの崩れた建築物を見上げてトワは言葉を失って立ち尽くす。

 

「……酷いものね」

 

 周囲に満ちる異常な霊力。

 それを感知する才能を持たないサラでも上位三属性が働いていると分かる。

 それ程に導力車の外の空気は澱んでいた。

 そして、立ち尽くすトワの後ろに立ってサラは周囲を見回す。

 崩れているのは《ハーシェル雑貨店》だけではない。

 むしろ無事な家屋を探す方が困難とも言える荒れ果てた瓦礫の山がそこかしこに広がっている。

 

「トワ……」

 

 この周辺で発生した《魔煌兵》は既に大通りに出てしまったのだろう。

 静まり返った瓦礫の山は、まるで戦場の跡地のような寂寥感に満ちていた。

 

「トワッ!」

 

 茫然自失となっているトワの肩をサラは揺さぶる。

 

「サラ……教官……?」

 

「呆けている時間はないわよ! 近くに避難できる場所は――」

 

 言いかけたところでサラは振り返る。

 

「こっちよ」

 

「サラ教官!?」

 

「きゃああああああっ!」

 

 突然走り出したサラにトワは戸惑うが、次の瞬間子供の悲鳴が響き渡る。

 

「っ……」

 

 消沈した気持ちを聞き覚えのある声にトワは引き締めてサラの後を追い駆ける。

 瓦礫となっても分かる慣れ親しんだ道筋にトワは声が何処から聞こえて来たのか察する。

 そこは周囲の崩壊から難を逃れた公園だった。

 

「くそっ! こっちに来るなっ!」

 

 その広場の中央に多くの魔獣に囲まれた子供たちがいた。

 身を寄せ合うように震える子供たちを守る様に一人の男の子が木の枝を持ってにじり寄って来る魔獣に振り回す。

 

「カイ君っ!」

 

「――トワ姉ちゃんっ!?」

 

 トワの叫びに男の子が振り返る。

 それを隙と見て狼の魔獣達は一斉に子供たちに襲い掛かる。

 

「っ――」

 

 トワは咄嗟に魔導銃を向けて、引き金を――

 

 ――ダメ、カイ君達に当たっちゃう……

 

 魔獣たちの向こうには子供たちがいることにトワは魔導銃を撃つことを躊躇してしまう。

 その逡巡もなくサラは導力銃を撃っていた。

 弾丸は狙い違わず魔獣に着弾し、それを起点にサラは加速する。

 弾丸に引き寄せられるように魔獣に肉薄したサラは勢いをそのままに剣を一閃して斬り抜け、子供たちの下に辿り着くと跳躍して回転――

 子供達の頭上を回転しながら飛び越え、その合間に周囲の魔獣の頭を連射した弾丸の雨を降らせていく。

 

「すげぇ……」

 

 まさに《紫電》の如き早業で取り囲んでいた魔獣たちを一瞬で屠ったサラにカイは目を輝かせる。

 

「……無事の様ね」

 

 今の一瞬で周囲の敵を倒したサラは残心に周囲を見回しながら子供たちの様子を確認する。

 

「カイ君っ!」

 

「あ……トワ姉ちゃん!」

 

 改めて声を上げて駆け寄って来たトワにカイは振り返るも、力尽きたようにその場にへたり込む。

 

「良かった! カイ君、良かった……」

 

 カイに抱き締めてトワは泣きながらその無事を喜ぶ。

 

「トワ姉ちゃん……うわあああああああっ!」

 

 それまで気丈に振る舞っていたカイは感極まって声を上げてトワの腕の中で泣き叫ぶ。

 

「トワさんっ!」

 

「お姉ちゃん!」

 

「ちびトワねえっ!」

 

 泣くカイに触発され、近所の子供達なのか、随分と慕われた様子で子供たちはトワに殺到する。

 

「えへへ……みんな、無事で良かった」

 

 涙を拭い、トワは子供たちに笑顔を作る。

 その光景を見守りながら、サラは状況の分析とトワが子供達を落ち着かせるまで周囲を警戒する。

 

「残っているのは子供達ばかりか……大人の方が《呪い》の瘴気の影響を受けやすいって事なのかしら?」

 

 推測を口にしながらサラは今後のことを考える。

 子供たちが無事だったという事は不幸中の幸いなことなのだが、同時に厄介事でもある。

 ここだけでも十数人の子供。

 瓦礫の下に生き埋めにされている可能性を考え出してしまえばキリがない。

 

「サ、サラ教官!」

 

 最悪の可能性を考えていたサラに抱擁を交わしていたトワの悲痛な叫びを上げる。

 

「こ、これっ!」

 

 トワが差し出したのはカイの右腕。

 そこには《魔煌兵》と同じ様相の鋼の腕があった。

 

「っ……」

 

 袖を捲らせてみれば、付け根はじりじりと体の方へと浸食していく。

 

「他の子供達は?」

 

「ここにいる中でこうなっているのは俺だけだよ……」

 

「そう……」

 

「ねえ、トワの先生……俺もああなっちゃうの? 父さんや母さんみたいに……あんな風に……」

 

 触れたカイの小さな手が震えている。

 《魔煌兵》へと変貌する恐怖は計り知れない。

 

「ねえ……どうしてこんなことになってるの?」

 

「それは……」

 

「どうして父さんと母さんが魔物になっちゃったの!? 俺達を守ってくれるって言っていた領邦軍は何をしているの!? ねえ――」

 

 カイの右手に何処からともなく《蒼い風》が吹き、絡まる。

 

「これは……」

 

 風だと思っていたものをまじかで見てサラは瘴気の正体に気付く。

 それは“糸”。

 可視化する程の《蒼い霊力》の無数の糸はおそらく《ARCUS》由来の人と人を繋げるもの。

 カイに絡まる《蒼い糸》に触れれば、聞こえて来る聞き覚えのある声の幻聴がサラの中で響く。

 

 ――憎い……全てが憎い――

 

 思考の奥に染み渡る怨嗟の言葉は《ARCUS》で繋ぐように心の奥に染み渡り、サラの中にある感情を揺り動かそうとする。

 

「っ――」

 

 サラは剣を一閃して自分とカイを取り込もうとした“霊糸”の風を斬り払う。

 

「…………あれ?」

 

 怨嗟を漏らしていたカイは我に返って目を白黒させる。

 

「今は余計なことを考えなくて良いわ」

 

 カイにサラはヨシュアから借りた剣を握らせる。

 そうすると変貌していた右手は波を引くように元の子供の手へと戻って行く。

 《聖獣》の加護を持つ武具が役に立ったことにサラは安堵する。

 

「悪者のことはあたし達に任せて、貴方はこの子供達と一緒に安全な場所で待っていればいいの」

 

「でも父さんと――っ」

 

 カイは言いかけた言葉を呑み込む。

 

「ふふ……」

 

 周囲の子供が同じ不安を抱えていることを察して口を噤んだカイに褒めるようにサラは頭を撫でる。

 

「トワ、この子達を連れてアンゼリカのところまで戻るわよ」

 

「は、はいっ!」

 

 いつまでもこんなところにはいられないと、サラが叫んだ瞬間それは起こる。

 公園の遊具を壁にしていたその背後の家屋が爆ぜて《魔煌兵》が現れる。

 

「っ――」

 

 その《魔煌兵》は何を考えたのか大通りの行進に向かわずサラ達に視線を落とすと、その手に握っていた剣を振り被る。

 

「トワッ! その子達は任せたわよ!」

 

「サラ教官っ!」

 

 サラは自分のブレードを抜いて両手で構える。

 自分一人ならいくらでも逃げられる。

 だが、ここで自分が退けば子供達は《魔煌兵》の剣に薙ぎ払われる。

 それだけはさせないとサラは紫電をその身に纏って――

 

「ぬおおおおおおおおおおおおっ!」

 

 決死の覚悟でサラが魔煌兵の剣を弾こうとするが、その機先を制するように野太い声が響き渡り《魔煌兵》は横撃されて倒れた。

 

「なっ!?」

 

「ふ――他愛もない」

 

 八アージュの巨体をものともせず蹴り飛ばした男は危なげなくサラ達の前に着地する。

 

「あんたは……」

 

 振り返った男の顔は頭からすっぽりと被る獅子のマスクで覆い隠されていた。

 

「マキアスに《機甲兵》を与えて唆した男」

 

「ふむ……どうやら誤解があるようだな」

 

 警戒心を露わにするサラにレオマスクは弁明の言葉を考える。

 しかし、睨み合う二人は同時に振り返り、レオマスクが蹴り飛ばした《魔煌兵》に向き直る。

 その《魔煌兵》は顔を大きく歪ませながらもゆっくりと立ち上がる。

 

「トワ、早くっ!」

 

「はいっ! みんなこっちだよ」

 

 サラに促されてトワは子供達をアンゼリカが待っている導力車へと誘導する。

 

「どこの誰だか知らないけど、今は味方って考えて良いのよね?」

 

「無論だ」

 

 レオマスクはサラと肩を並べて《魔煌兵》に構えると、その《魔煌兵》は空に向かって咆哮を上げた。

 

「何を……」

 

 突然の行動にサラは訝しむが、その意味はすぐに理解する。

 

「来るぞっ!」

 

 レオマスクの忠告の声が上がると、帝都の外へと向かっていた魔煌兵達が一斉に振り返る。

 

「っ――」

 

 それは夥しい数の魔煌兵の一部に過ぎない。

 だが、生身で相手にするにはあまりにも数が多過ぎる。

 

「悪いけど頼らせてもらうわよ」

 

「ふ……大船に乗ったつもりで任せるがいい」

 

 悲観した様子も怯む様子もないレオマスクにサラは苦笑する。

 

「あんた、変なマスクの割りに良い男みたいじゃない」

 

 サラの趣味とは少し異なるが、ふざけた様相の奥にある芯の強さに渋みを感じてサラは軽口を叩く。

 

「……申し訳ないが私には妻と子供が二人いる」

 

「べ、別にそういう意味じゃないわよ!」

 

 ド真面目に返して来るレオマスクにサラは声を上げて言い返し――

 

「来るぞっ!」

 

 レオマスクの言葉を合図にするように魔煌兵達は一斉に二人に襲い掛かった。

 

 

 

 ………………

 …………

 ……

 

 

 

 横転した導力車。

 泣き叫ぶ子供達。

 子供達を守る様にアンゼリカが傷付いた体を推して立ち塞がる。

 そして――

 

「あ……」

 

 カイはトワの腕の中で呆然と固まる。

 

「トワ……ねえちゃん……」

 

 握っていた剣が零れ落ちて、その手が魔煌兵へと変貌していく。

 

「ああ……アアアアアアアアアアアアッ!」

 

 

 

 

 

 

「――♪」

 

 眼下の地獄のような光景を目の当たりにしながらエマは懸命に唄を紡ぐ。

 果たしてそれがどれだけ役に立っているのか。

 もしかしたら体よく義姉に最前線から遠ざけるための方便だったのではないかとさえ考えてしまう。

 

「どうやら《カレイジャス》の下の“蒼の瘴気”は防げているみたいよ」

 

 そんなエマの不安を拭う様にアリサが艦橋からの情報を告げる。

 

「それは何よりだ」

 

 オリヴァルトはその報告に安堵しながら、甲板の下を覗き込む。

 《カレイジャス》は帝都の南側、駅前広場の少し東側に滞空している。

 外へ向かう《魔煌兵》の行軍を横から観察できる位置にあるが、魔煌兵の群れは《カレイジャス》に見向きもせず外へと出て、そこで初めて“自動的”な行動から正規軍と領邦軍の部隊に襲い掛かって行く。

 

「っ……」

 

 戦い合い《魔煌兵》と《機甲兵》、入り乱れる戦車や歩兵たちの奮闘。

 ただ見ていることしかできない歯がゆさに、エマの後悔は募る。

 

「どうして私はお婆ちゃんを呼んでなかったの……」

 

 もっと早く、イストミア大森林が燃やされる前ならば《魔女の里》に救援を求めることができた。

 今、唄を紡いで《蒼い風》を帝都から外に漏らさないようにするだけで精いっぱいの自分の力の限界を思い知らされる。

 

「エマ君。あまり自分を責めないでくれたまえ」

 

「オリヴァルト殿下……」

 

「君は良くやってくれている。むしろ何もできていないのはボクの方だ」

 

 エマと同じようにオリヴァルトはこの光景に後悔をせずにはいられない。

 心のどこかでオリヴァルトは高を括っていた。

 いくら貴族が愚かといっても、ここまでの愚行を行うとは考えていなかった。

 もし知っていれば、何かを変えられたのではないかと考えてしまう。

 皇子として、この帝国を影から見守って来た《焔の眷属》と一度会っておくべきだったのではないかと考えてしまう。

 

「それでも今、ボク達の唄がここに響く理由が“焼け石に水”の行為だったとしても、そのわずかな取りこぼしをボク達の“諦観”で潰すわけにはいかない」

 

 帝都の瘴気の中で生き残っている者達はサラやエステル達の呼び掛けに応じて《カレイジャス》の下へ向かってきている。

 それに――

 

「エマ! オリヴァルト皇子!」

 

 通信が開き、同時にエマは戦術リンクの範囲に繋がった《彼》の存在を感じる。

 

「エリオットさん!」

 

「話は聞いているよ。リヴァイヴァルシステム起動」

 

 先行した二機とは別に帝都の中に潜入した《琥珀》はエマの唄を仲介し、増幅するスピーカーとして地上で音楽を鳴らす。

 

「ふう……これで少しは安全な地帯を増やせるかな」

 

 《琥珀の機神》が来てくれたことで少しはマシになったかとオリヴァルトは安堵のため息を吐く。

 

「二人とも、次の曲をそろそろ」

 

 アリサが端末を操作して、ミスティが残した音楽を流し始める。

 エマとオリヴァルトは頷き合って、それぞれの立ち位置に戻る。

 ミスティの録音した音楽を芯にアリサとオリヴァルトが演奏を重ね、そして新たに加わったエリオットの演奏も加わる。

 そこにエマの呪文として唄を紡ぐ。

 

「―――響け響け永遠に――」

 

 《カレイジャス》を中心に広がる《緋の波動》が《蒼い風》を押し返すように防波堤となる。

 事態を解決する力はなくても、解決するために《煌魔城》に向かった彼らが元凶を倒すまで一秒でも長く持ちこたえて見せると彼女たちの最善を尽くす。

 

 

 ………………

 …………

 ……

 

 

 それは巨大な触手の魔獣だった。

 “アビスワーム”と一般に知られているその魔獣は、その周知を裏切る程に巨大で空にいたはずの《カレイジャス》に絡みつき締め上げる。

 それは《魔煌化》の影響なのか、それとも《機甲兵》という存在に適応した魔獣の進化の形なのか誰にも分からない。

 分かっているのは“唄”は途切れ、大きく傾いた《カレイジャス》から落ちまいと演奏者たちは必死に欄干にしがみつくことしかできないと言う事。

 

「このっ!」

 

 地上で《琥珀》が大剣を振る。

 だが“アビスワーム”を一匹両断する間に新たな“アビスワーム”が《カレイジャス》を捕まえる。

 

「ああ……《紅い翼》が……」

 

 逃げて来た市民は空を見上げて希望が魔獣に喰われている様に絶望する。

 

 

 

 

 

 

「あ…………」

 

 そこに辿り着いたユーシスは言葉を失った。

 《金の騎神》エル=プラドーの足下には二人の男がいた。

 黒衣を纏った青年の足下には一人の男が横たわっている。

 意識を集中した《機神の目》はその姿を拡大してユーシスにそれを見せつける。

 

「父上っ!?」

 

 絶叫しながらユーシスは《紅の機神》から身を投げ出すように飛び降りて駆け寄る。

 

「ああ……」

 

 駆け付けたユーシスが見たのは胸に剣を突き立て横たわる父、ヘルムートの姿だった。

 

「父上……」

 

 胸に剣を突き立てられ、血だまりに沈むヘルムートはどう見ても既に事切れている。

 どれだけの無念だったのか、壮絶な死に顔を残した父の死に顔にユーシスは一瞬で怒りに支配される。

 

「貴様が父上を殺したのかっ!?」

 

 《蒼い瘴気》を纏ってユーシスが振り返り――息を飲む。

 

「兄上っ!?」

 

 黒衣の青年の顔を見てユーシスは瘴気を纏いながらも狼狽える。

 何故クロスベルにいるはずのルーファス・アルバレアがここにいるのか。

 まさか――と考えてユーシスは頭を振ってそれを否定する。

 

「兄上っ! 父上が――」

 

「ああ……」

 

 ユーシスの狼狽にルーファスは冷めた声で頷く。

 

「いったい誰が父上を……兄上は犯人を――」

 

「私が殺した」

 

「…………え?」

 

「ヘルムート・アルバレアを殺したのは……私だと言ったのだよユーシス」

 

 淡々とルーファスはいつもの優雅な微笑みを浮かべて父殺しを弟に告げる。

 

「何を……何を言っているのですか兄上っ!?」

 

 ルーファスの言葉にユーシスはあり得ないと狼狽え、そして気付く。

 

「まさか兄上も《呪い》に!?」

 

 その可能性に思い至ったユーシスにルーファスは冷たい笑みを浮かべる。

 

「やはりお前は愚かな弟だなユーシス」

 

「兄上……?」

 

「ユーシス……お前は雛鳥だ……

 ただ餌を与えられることを待つだけで何もしない雛鳥……私が最も忌み嫌う怠惰な貴族、父上と同じだ」

 

「っ……」

 

 今まで見たことのない蔑むルーファスの眼差しを向けられてユーシスは息を飲む。

 

「兄上……本当に父上を……父上を殺したというのですか……?」

 

 声を震わせてユーシスはもう一度、縋る様に問う。

 

「どうして……貴方が……」

 

「それは簡単だ……私が“鉄血の子供”の一人だからだ」

 

「………………え?」

 

 その告白にユーシスは父の死と同じくらいの衝撃を受けた。

 そんな動揺を露わに固まるユーシスにルーファスは笑いかけて続ける。

 

「愚かな弟よ……ユーシス、私はお前がアルバレア家に来た時からずっと……」

 

「兄上……」

 

「……ずっとお前のことが嫌いだったのだよ。ユーシス」

 

 

 

 

 

 

「あははははっ!」

 

 その魔煌兵は湧き上がる力に声を上げて《黄金のシュピーゲル》に斬りかかる。

 

「っ――」

 

「これが“力”! さぞあんたは俺達の事が滑稽に見えていただろうなっ!」

 

 魔煌兵が繰り出した大剣を、機甲兵越しに受け止めてその衝撃にオーレリアは息を飲む。

 まるでヴィクターやマテウスなどの達人と剣を交えているかのような手応え。

 

「っ――――オオオオオオッ!」

 

 鍔迫り合いからオーレリアは咆哮を上げ全力の闘気を爆発させて大剣ごと魔煌兵を両断する。

 

「はっ……はっ……はっ……」

 

 一つの魔煌兵を斬るたびに全力を振り絞らされ、何度斬ったかもはや数えることも忘れてオーレリアは喘ぐ。

 “将”となったことで久しく忘れて体力を尽きるまで剣を振るうこと。

 だがそれに浸る間もなく、斬り伏せたはずの魔煌兵が立ち上がる。

 

「……またか……」

 

 両断された傷は結晶の群れに覆われて、傷一つない魔煌兵へと修復される。

 《カレイジャス》からの“唄”が途切れてから、倒したはずの《魔煌兵》は次々と立ち上がり、その損傷が《蒼い風》によって癒され戦線に復帰する。

 復活した《魔煌兵》を倒しても、何事もなく復活する敵の群れに士気を維持することはできず、軍隊は《魔煌兵》の群れに呑み込まれようとしていた。

 

「好い様だな《黄金の羅刹》」

 

 膝を着く《黄金のシュピーゲル》に魔煌兵が侮蔑の言葉を投げかける。

 それはその一体だけではない。

 多くの斬り伏せたはずの魔煌兵達が《黄金のシュピーゲル》を取り囲む。

 

「これが《煌魔城》と繋がっている事の意味か……」

 

 言葉から《魔煌兵》となった彼らが元領邦軍であり、大剣を使っている様からアルゼイド流やヴァンダール流を修めた者達だと言う事は察することはできた。

 彼らは《煌魔城》から“力”を供給され無限の再生と何よりもその技術を“達人級”まで引き上げられている。

 そしてそこに至れなかった“劣等感”を薪にしてオーレリアを押し潰さんと魔煌兵達は群がる。

 どれだけ強くても有限でしかないオーレリアも“不滅”である魔煌兵達と闘い続けることはできない。

 

「他の者達は……」

 

 通信の向こうから聞こえて来る部下や正規軍の状況も酷いものだった。

 倒しても倒しても際限なく復活する《魔煌兵》。

 空にいたはずの《カレイジャス》がないことから、絶望が戦場を覆い尽くしていることはオーレリアも理解する。

 

「情けないものだ……私の“剣”はここまでなのか?」

 

 オルディスでは見ていることしかできなかった《魔煌兵》の大軍を前にオーレリアの膝は折れようとしている。

 

「これが“罰”か……」

 

 《槍の聖女》に迫る武功欲しさにカイエン公が行わせた《宰相暗殺未遂》から目を背け、受け入れた者に今更女神が微笑むわけはないのだとオーレリアは自嘲する。

 自分の最後がこんな雑兵に埋もれるように終わる皮肉にオーレリアは自嘲して――

 

「らしくないですね」

 

 声が響く。

 

「うおおおおおおおおっ!」

 

 《黄金のシュピーゲル》を取り囲む魔煌兵達の中に一機のヘクトルが十字槍を振り回して飛び込む。

 

「何をしている!? オーレリア・ルグィンはそのような女ではないだろう!」

 

 無様に膝を着いた《黄金のシュピーゲル》にヘクトルは咎めるように叫ぶ。

 

「その声は……ウォレスか?」

 

 弱々しいオーレリアの声にウォレスは眉を顰める。

 

「何だその体たらくは!?」

 

 《機甲兵》越しとはいえ無様を晒すオーレリアにウォレスは激怒する。

 《煌魔城》が出現し、ミルディーヌと生きていたオズボーンの名の下に貴族連合軍と正規軍の戦いは終結した。

 後は現れた《煌魔城》をどうにかするべく軍をまとめ上げて駆け付けた戦場はまさに地獄だった。

 倒しても倒しても復活する“不滅”の《魔煌兵》があまりにも人知を超えていることはウォレスにも分かる。

 例え《黄金の羅刹》と言えどもその力は“無限”ではない。

 どれだけ気高く振る舞っても、周りの阿鼻叫喚な悲鳴に士気を維持することも難しいだろう。

 

「《黄金の羅刹》が……天下の大将軍となると言った女が潔く首を差し出すな!」

 

「っ――」

 

「それにまだ希望はあるっ!」

 

 ヘクトルの振るう十字槍が白い焔を纏い旋風を巻き起こす。

 

「希望だと……そんなものがどこに……」

 

 訝しむオーレリアだが、機体越しに肩を叩かれ振り返る。

 

「ケストレル……?」

 

 振り返った画面に映るのはクロスベルの《剣聖》のデータをプログラムされたケストレルの一機だった。

 

「いや待て、無人機が何故?」

 

 命令された行動しかできないはずの無人機が繊細な手つきで機甲兵の肩を叩くなんてできるはずがない。

 怪しむオーレリアに《ケストレル》と通信が繋がり――

 

「みししっ!」

 

「……………………は……?」」

 

 そこに映っていたのは継ぎ接ぎだらけのクロスベルのマスコット、みっしぃだった。

 

 

 

 

 

 

「これがお前が書き加えた筋書きか……」

 

 悲鳴を上げる少年の《機甲兵》を助けながらオズボーンは独り言を呟く。

 戦場に満ちた絶望。

 減ることはなく増えるばかりの《魔煌兵》。

 堕ちた《紅き翼》。

 討ち取られる《黄金の羅刹》。

 《蒼》に負ける《緋》と《灰》。

 絶望が戦場を満たす時、人は“英雄”を求める。

 

「在り来たりだが、効果的だろうな」

 

 帝都市民の半分を魔煌兵としての戦力として確保し、己は劇的に《黒の騎神》に選ばれて《蒼の騎神》を打ち倒す。

 そうすることで帝国の貴族と平民を問わず、貴族も平民も等しく人心を掴む“英雄”にオズボーンはなる。

 《黒》が描いた預言は覆ることはない。

 そしてオズボーンもそれに諍えない。

 

「誰か……諍って見せてくれ」

 

 何もできない自分を恥じながら、オズボーンは願う。

 《放蕩皇子》でも《指し手》でも《羅刹》でも《遊撃士》でも《緋の皇子》でも《零の御子》でも誰でも良い。

 既に盤外へと押しやられてしまった“息子”のように誰かが《黒》の思惑を超えてくれとただ信じることしかオズボーンにできることはない。

 《黄昏》に繋がる希望を願い、オズボーンは《黒》の人形としてその時が来るまでただの“人”として振る舞い踊り狂う。

 

 

 

 

 

 

 



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62話 巨人戦




黎ⅡはPVで分かっていましたが、ループ系のバッドエンド量産みたいですね。
ケチをつけるわけではないですが、それって碧でやるべきストーリーシステムのような気がします。

キーアがズルと言っていたやり直しとどう差別するのか、それともみんなが渡った赤信号にしてクロスベルのズルを更に誤魔化すのか気になるところです。




 

 

 

 

「ちぃっ! ちょこまかと!」

 

 帝都の空を二つの巨体が飛び回る。

 一つはかつてクロスベルの空の下でカルバード共和国の飛空艇部隊を単機で全滅させた《神機》。

 《紅のケストレル》という姿に改修された《神機》は《翠の機神》を追い回すようにレーザーを乱射する。

 

「くそっ……」

 

 《翠》はレーザーの合間を縫うように飛びながらガイウスは悪態をもらし、散漫な銃撃をして《翠》を加速させる。

 そして馬上戦の要領でガイウスは右手に握った十字槍をすれ違い様に一閃――だが《紅の神機》の装甲には傷一つ付かない。

 

「無駄だって言ってるのよ!」

 

 どれだけ攻撃を受けても《紅の神機》にはシュピーゲルの一部にだけ搭載されている《リアクティブアーマー》がある。

 導力が尽きない限り、どんな物理衝撃も導力魔法も寄せ付けない鉄壁の守り。

 

「いい加減堕ちなさいっ!」

 

 《紅の神機》は大きく旋回すると、腕に内蔵した導力砲を撃つ。

 直射砲は誘導追尾砲よりも回避は容易いものの、その威力は大気を焼いて風を巻き起こして軽い《翠》の機体は煽られるように態勢を崩す。

 その姿勢を戻し呼吸を整えながらガイウスは考える。

 

「あの装甲をどうにかしない限り、俺に勝ち目はないか」

 

 《紅の神機》と戦うのはこれが二度目となるが、改めて《神機》の性能の差を思い知る。

 特に《リアクティブアーマー》のせいで《翠》の攻撃は銃撃も槍撃も通用しない。

 それに加えて《紅の神機》は《機神》の倍に近い大きさを持っている。

 ガイウスにはどれだけの導力をため込んでいるのか皆目検討も付かない。

 もっともガイウスには分からない事だが、《紅の神機》はクロスベルのそれと同じく帝国と同化しつつある《蒼の騎神》のバックアップを受けているため、理論上は無限のエネルギーを内包しており、導力切れという概念はない。

 

「このまま続けてもいつか捉えられるか」

 

 機体の状況をガイウスは確認する。

 度重なる砲撃を回避しても、完全回避は難しく既に機体の損耗は二割に及んでいる。

 今はまだ飛行を続けていられるが、このまま消耗が続けば《翠》は飛ぶための翼を失い、後は嬲り殺しにされるだけなのは目に見えている。

 

「やはり賭けに出るしかないか」

 

 《リアクティブアーマー》の攻略法はアリサが分析して答えを出している。

 一つは導力が尽きる持久戦。

 もう一つは一度の出力限界を上回る破壊力で《リアクティブアーマー》の強度を突破すること。

 さらに上げるなら装甲のない関節部分やカメラ部分などをピンポイントで狙うことが効果的だが、ガイウスにはそこまでの精密な攻撃手段はない。

 

「《β》ライフルを換装、予備の槍を出してくれ」

 

『はーい』

 

 ガイウスの要求に戦術殻はティータの声で命令を実行する。

 左手に持っていた長距離ライフルは《匣》に格納されて、新たに現れたのは右手に持つ十字槍と同じ物が握られる。

 

「よし――」

 

 両手に槍という不格好を気にせず、ガイウスは《翠》を飛ばしながら呼吸を整える。

 

「何をしようと無駄なのよっ!」

 

 槍を両手に持ち、遠距離武装を捨てた《翠》に《紅の神機》はここぞとばかりに砲撃を連射する。

 翼から追尾のレーザーに、両手の内臓導力砲。

 夥しい光が《翠》に降り注ぐ中、ガイウスは焦らず己の内に力を溜めて解き放つ。

 

「うおおおおおおおおっ!」

 

 全力を振り絞る様に闘気を迸らせ、漲る“力”は《機神》の胸をや各部の装甲を展開して増幅器が駆動し、それに合わせて《翠》の背中に黄金の紋章が浮かび上がる。

 次の瞬間、降り注ぐ無数の弾幕が《翠》を包み込み、相互干渉する形で爆発が連鎖して、帝都の空を埋め尽くす。

 

「フフフ……これまで散々邪魔をしてくれた報いよ」

 

 その光景にスカーレットはほくそ笑み、《紅の神機》は上空から堕ちて来た竜巻に囚われた。

 

「っ――つくづくしぶといわね!」

 

 空を埋め尽くす弾幕を抜けて《紅の神機》の頭上を取った《翠》は紋章と金色の光を纏い、右の槍から竜巻を繰り出して《紅の神機》を風の牢獄に捕らえた。

 

「ふんっ! それで動きを止めたつもりかしら? この程度の風、神機の力なら――」

 

「疾き風よ――唸れっ!」

 

 出力を上げて竜巻から逃れようとする《紅の神機》に《翠》は左の槍から新たな竜巻を放つ。

 

「っ――」

 

 二つの竜巻は一つとなり、《紅の神機》の拘束を強める。

 

「風よ――槍よ……俺に力を貸してくれ」

 

 祈る様にガイウスは念じ、二つの十字槍を合わせる。

 片方の槍は元々戦術殻が変形したもの、それが実体の十字槍を覆うように一つとなり《翠》の手には一回り巨大化した十字槍が生まれる。

 金色の紋章が翼のように広がり、《翠》は竜巻の中央に加速する。

 

「吼天カラミティランサーッ!」

 

 全身を黄金の槍にした突撃は竜巻の中を翔け抜ける。

 

「っ――舐めるなっ!」

 

 《紅の神機》から無数の刃が排出され、円を描いて《翠》を阻む結界《グラールスフィア》を展開する。

 

「オオオオオオオオオオオオオオッ!」

 

 黄金の槍と真紅の結界が激突し、眩い閃光が迸る。

 

「貫けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」

 

 ガイウスの気迫の一押しに真紅の結界に亀裂が走る。

 

「っ――」

 

 それを見た瞬間、スカーレットは《紅の神機》を動かし――結界が崩壊する。

 結界を突き破った《翠》はそのまま突き進み、半身をずらした《紅の神機》の翼を一つ、突き破ってすれ違う。

 

「くっ――外されたか!」

 

 千載一遇の好機に致命傷を与えらなかったことをガイウスは歯噛みする。

 対するスカーレットは《紅の神機》の中で、傷付けられたことに苛立ち黒い瘴気を纏う。

 

「やってくれたわね雛鳥の分際でっ!」

 

 一つ翼を失ってもまだその飛翔力は健在な《紅の神機》は《翠》を振り返り、そして叫ぶ。

 

「行きなさいっ! インフィニティスパローッ!!」

 

 《紅の神機》を守った刃片が今度は《翠》を追い駆け、取り囲む。

 

「何を――ぐあっ!?」

 

 取り囲むだけで襲ってこない刃片を訝しんだところで背後に銃撃された衝撃を受けて《翠》は仰け反る。

 何が、と振り返ろうとするが、それより前に刃片が《翠》の前で止まる。

 

「っ――」

 

 二つの片刃、その中央に挟まれた銃口にガイウスは息を飲み、銃撃されて《翠》は仰け反る。

 そこに刃片が体当たりをするように《翠》の装甲を引き裂く。

 

「がっ!」

 

 後ろから前から、全方位から来る銃撃と剣撃にガイウスは《翠》の中で激しく揺さぶられる。

 

「くっ……」

 

 幸いなことに、銃剣の一撃はどちらも大きくはない。

 しかし、数は多くどこから来るか分からない。

 

「終わりよっ!」

 

 戸惑いその場に滞空する《翠》に《紅の神機》は死角から両手の導力砲を撃つ。

 

「しま――」

 

「ガイウス君、そのまま動かないでください」

 

 通信から聞こえた声に応える暇はなく、《翠》は爆炎に包まれ――

 

「砕けっ! 時の魔槍っ!」

 

 《匣》に守られた《翠》の周囲に“千の矢”が降り注ぎ、飛び回っていた刃は一つ残らず撃ち落とされる。

 

「――何だっ!?」

 

「どうやら間に合ったようだなガイウス」

 

 通信から聞こえて来たその声は先程とは別のもの。

 だが、ガイウスにはどちらも聞き覚えのある声だった。

 

「その声は……バルクホルン先生!?」

 

 立ち込める爆炎を吹き飛ばすように二つの飛行艇が帝都の空を舞う。

 既存の飛行艇とは造りの違う見慣れない船体には《05》と《08》の数字が描かれている。

 

「天の車《メルカバ》……どういうつもり!? 法国が帝国の戦いに介入すると言うの!?」

 

「どういうつもりも何も、アンタがそれを言うか?」

 

 スカーレットの叫びに独特な訛りがある青年が呆れた声を返す。

 

「オレはもうそれをやめたんやけど、言わせてもらうで元従騎士スカーレット」

 

 陽気な声でありながら、寒気を感じる冷たさを含む声が告げる。

 

「アンタを“外法”と認定する」

 

 

 

 

 

 

「はははっ!」

 

 ドライケルス広場において巨大な《黒の神機》がその巨腕を振り回す。

 

「っ――」

 

 《青》はその巨腕を戦術殻に取り込ませて内包、再現している“ガランシャール”で受け止める。

 

「俺がお前達に負けていたのは《ARCUS》のせいだ! 一人のお前が勝てるはずねえんだよ!」

 

「くっ……」

 

 殴られた衝撃を踏ん張って受け止めた《青》に《黒の神機》は両肩のガトリング砲を掃射する。

 《青》はその場に身を固めて防御の姿勢を取る。

 

「金剛っ!」

 

 ラウラの硬気功が《機甲兵》で言う所の《リアクティブアーマー》として同調している《青》に宿る。

 彼女の気力が続く限り、《機神》は砲弾さえ弾く防御力を得る。

 これを駆使して《青》は《黒の神機》を責め立てていたのだが、今は足を止めて防戦に徹していた。

 

「どうした!? 攻撃して来いよっ!」

 

 嘲笑を含めた挑発にラウラは眦を上げるが、堪える。

 その理由は背後の倒壊した建物にいた。

 

「ううう……こわいよおねえちゃん」

 

「だいじょうぶ、だいじょうぶだから」

 

 幼い姉妹が《青》の背後で砲撃や震動に身を寄せ合って震えている。

 《黒の神機》はその二人の姉妹を確認すると、あろうことか彼女達を巻き込むようにガトリング砲や導力ミサイルを乱射し始めた。

 弾丸やミサイルをその身で盾となり受け止めながらラウラは叫ぶ。

 

「貴様っ! それでも男か!? 猟兵の“流儀”はどうしたっ!?」

 

「はっ……何を言ってやがる。これが俺の――アマルガムの“流儀”って奴だ」

 

 ラウラの叫びをヴァルカンは笑みを持って答える。

 

「敵は一方的に効率よく安全に蹂躙して殺し尽くす! それが猟兵の戦い方って奴だ!」

 

「馬鹿な……」

 

 そのために女子供を人質にすることも厭わないヴァルカンにラウラは絶句する。

 フィーやシャーリィと交流して“猟兵”の戦い方は邪道であっても彼らなりの拘りという“流儀”があるのだと理解して受け入れることができた。

 だがヴァルカンの言う“流儀”は彼女たちのそれとは根底から異なる価値観のものだった。

 

「ははははっ! お前みたいな奴はどいつも同じだな! これ以上やり易い相手はいないぜ」

 

「っ……」

 

 まるで導力が無尽蔵にあると言わんばかりに《黒の神機》はガトリング砲を撃ち続ける。

 降り注ぐ弾丸を《青》はただひたすらに“ガランシャール”を盾にして耐える事しかできなかった。

 

「くはははははっ!」

 

 馬鹿のような笑い声にラウラは苛立つ。

 生まれてこの方、ここまで軽蔑できる敵に会ったことはないラウラは今すぐヴァルカンの首を斬り落としたい衝動に駆られる。

 だが、歯を食いしばってひたすらに耐える。

 一番良いのは幼い姉妹が自分達の足でこの場から逃げ出すことだが、幼い子供にそれを求めることはできない。

 

「貴様は“戦士”ではない! この卑怯者!」

 

「はっ……負け犬が吠えてやがる」

 

 ラウラの罵りをヴァルカンは鼻で笑う。

 

「くそ……」

 

 弾丸が装甲を穿つたびにラウラの気力が削られていく。

 このまま《黒の神機》の攻撃が続けば、程なくして力尽きてしまうのは目に見えている。

 そうなれば《青》は背後の子供達と共に《黒の神機》に蹂躙され尽くするだろう。

 

 ――ならば、見捨てるべきだろう――

 

「黙れ」

 

 戦況を冷静に分析している自分が誘惑を囁く。

 

 ――このままでは共倒れだ。ならばいっそう仇を取ると誓って戦った方がマシなはずだ――

 

「黙れ! 黙れ!」

 

 ――ならばこの場で無駄死にする気か? お前はクリスに任せろと言ったはずだ――

 

「それでも――」

 

 曲げられない一線があるのだとラウラはどれだけの銃弾を浴びても、膝を折らずに立ち続ける。

 

「ふっ……そろそろ終わりにしてやるぜ」

 

 散々痛めつけて溜飲を下げたヴァルカンは戦闘を切り上げるように《黒の神機》を変形させる。

 上半身を折る様に前のめりにして肩のガトリング砲を回転させて入れ替える。

 《黒の神機》のフェンリルが唸りを上げ、突き付けた砲門に光が宿る。

 

「っ――」

 

 それがどれ程の攻撃なのかはラウラには分からない。

 だが、尋常でない“力”が集束しているのだけは理解できた。

 そして今のラウラの体力の《金剛》では受け止め切れないと言う事も同時に理解する。

 

「命乞いをするなら今の内だぞ」

 

「誰が貴様のような男にそのようなことをするか!」

 

 ラウラは咆えて、体中の力を振り絞り《金剛》で身を固める。

 

「はっ! じゃあ死ねよっ!」

 

 二つの砲門の光が臨界に達するように輝きを放つ。

 それをラウラは真っ直ぐに睨みつけ――狼狽えたような声を上げた。

 

「待て……」

 

「はっ! 今更遅いんだよ!」

 

 前言を撤回するようなラウラの制止を嘲笑って《黒の神機》は二つの大砲の引き金を――

 

「それはあまりにも無謀だ二人とも!」

 

「「鳳凰双烈波っ!」」

 

 ラウラの叫びと同時に二人の女性が《黒の神機》の左右から身体を駆け上って焔を纏った棒と太刀の渾身の一撃を突き出したそれぞれの大砲の横腹に叩き込む。

 

「何っ!?」

 

 思いがけない衝撃に《黒の神機》はたたらを踏み、バスターキャノンの砲撃は《青》から逸れて帝都の街に一条の傷を刻む。

 

「っ~~~~~~っ!」

 

「いったああああっ!」

 

 硬い鉄を全力で殴り、斬りつけた衝撃にエステルとアネラスは手を痺れさせる。

 

「御二人とも……」

 

 サラからもしもの時のために、秘密裏に帝都に遊撃士を潜入させていたことはラウラも聞いている。

 だが市民の避難誘導に徹していると思っていただけに、《機神》の戦いに生身で介入して来たことにラウラはただ驚く。

 

「久しぶりねラウラちゃん」

 

「…………アネラスさん」

 

 痺れる手を振って誤魔化して笑顔を向けて来るアネラスにラウラは言い様のない安心感を覚える。

 

「もう大丈夫だよ。子供達はヨシュアが安全な場所に避難させているから」

 

 続くエステルの言葉にラウラは《青》を振り向かせれば、蹲っていた子供たちはいなかった。

 

「そうか……守り切れたのか……」

 

 安堵すると一気にラウラの身体に疲労が現れて《青》はその場に膝を着く。

 

「ラウラちゃんはそこで休んでいて、こいつの相手は私達がするよ」

 

「アネラスさん、それは無茶だ」

 

 《機神》よりも倍の大きさを持つ《黒の神機》に生身で挑もうとしている二人にラウラは耳を疑う。

 

「大丈夫よ。こういうデカブツの相手は初めてじゃないんだから」

 

「ですが――」

 

 棒を構えるエステルにラウラが言葉を掛けようとして――

 

「あら……《パテル=マテル》をあんなお人形さんと一緒にするなんて、エステルでも許さないわよ」

 

「へ……?」

 

「この声は……」

 

 息巻くエステルとアネラスは突然聞こえて来た幼い声に虚を突かれて周囲を見回した。

 そしてそれは頭上から降って来た。

 

「《パテル=マテル》はそのお人形さんより遥かに格好よくて、アタマがよくて、頼りになるんだから」

 

 新たに現れた《巨人》の掌でスミレ色の髪の女の子がクスクスと笑う。

 

「れれれ……レンッ!」

 

「レンちゃん!? どうしてここに!?」

 

「さあ、何でかしらね」

 

 驚くエステルとアネラスにレンは小悪魔的な笑みを浮かべてはぐらかす。

 

「ちっ……やりやがったな!」

 

 突然の遊撃士の乱入と新たな《赤い巨人》の登場に楽しみを邪魔されたヴァルカンは声を苛立たせる。

 

「ガキ共には逃げられたか……まあ良い」

 

 利用していた子供を逃がされたがヴァルカンに危機感はない。

 元々普通に戦っていても《蒼》から“力”を供給され続けている《黒の神機》が負ける道理はない。

 人質を利用したのはあくまで楽に敵を蹂躙するため、自分が優位であることは変わらない。

 それによく見れば増えたのは女子供ばかり、むしろ蹂躙できる相手が増えたことにヴァルカンはほくそ笑む。

 

「ふん、そんな型遅れの機体でこの《ゴライアス・アイオーン》に勝てると本気で思っているのかよ!」

 

 《神機》とは一回り小さく、武装も貧弱な《パテル=マテル》をヴァルカンは見下し、《黒の神機》に拳を振るわせる。

 

「パテル=マテルッ!」

 

 レンは《パテル=マテル》の掌から地上へ飛び降りて叫ぶ。

 《パテル=マテル》はレンの意思を受け取り、電子音で応えながら《黒の神機》の拳を掻い潜って鉄の拳を《黒の神気》の胸に叩き込む。

 その衝撃に《黒の神機》は大きく後退った。

 

「何だとっ!?」

 

 見た目の鈍重さに似つかわしくない動きにヴァルカンは驚くが、《リアクティブアーマー》の強度の規定値を超えていないことに安堵する。

 

「デストラクタキャノンッ!」

 

 仕返しだと言わんばかりに《黒の神機》は肩の導力砲を撃つ。

 

「エニグマ駆動――」

 

 その砲撃はレンが張った導力魔法の障壁に受け止められる。

 

「ああもう! レン無茶しないでっ!」

 

 《パテル=マテル》を主軸に戦闘を始めたレンを追い駆けてエステルが走る。

 

「ラウラちゃんはそこで休んでいて」

 

 アネラスは一度《青》を振り返る。

 

「…………いえ、これは帝国の戦い。レンやエステルさん達に頼り切るわけにはいきません」

 

 ラウラは立ち上がろうとして、《青》よりも自分の体の膝が笑っていることに気付く。

 

「その様子じゃ無理だよ。だから――」

 

「五分、いえ、三分時間をください。それで回復させます」

 

「ラウラちゃん?」

 

「フェンリル駆動――」

 

 訝しむアネラスに説明するよりもラウラは《青の機神》の機能を作動させる。

 胸や機体の各所が開き、増幅器の役割を持つオーブメントが周囲の導力をかき集める。

 

「――集気――」

 

 人で言う所の“外気功”による回復術。

 周囲の“氣”を取り込み、自分の“力”に変換する。

 《青の機神》は極限まで《ARCUS》の同調率を上げているため、導力の回復は搭乗者の回復にもなる《青》の奥の手。

 

「…………分かった。でも無理はしないでちゃんと回復してきてね」

 

 《青》に力が戻る気配を感じ取ってアネラスは半端な状態で来るなと告げて、戦場に向かって駆け出した。

 

「やはり使うしかないか……」

 

 その背を見送りながらラウラは別の決意を考えて、懐から《銀耀石》を砕いた粉を詰めた試験管を取り出す。

 恥じるべき行動はなかったと思うのだが、何故自分には圧倒的な力がないのかと無力さを悔やむ。

 

「“力”……そう言えば何故私は《金剛》や《外気功》を知っている?」

 

 どちらもアルゼイド流にはない技なのに、当たり前のように覚えていて使っている自分に首を傾げる。

 そして今握っているエマに調合してもらった《薬》を使う奥の手も本来の自分ならあり得ない邪道の技。

 

「何故……私は……これを……」

 

 《薬》を握り締めてラウラは思い出せない何かに戦場であることを忘れて困惑した。

 

 

 

 

 

 



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63話 悪性変異

 

 

 都市部の喧騒を他所にその場所は静けさを保っていた。

 予め人払いをされていたのか、そこに《魔煌兵》の気配はなく、スウィンとナーディアは顔を見合わせて頷き合い、歩を進める。

 《カレイジャス》の操縦や通信管制は離宮攻略で増えたミュラー達に任せ、二人は戦闘の最中に送られて来た手紙に答える形で別行動を取っていた。

 

「クリスタルガーデンで待つって……《エンペラー》がこんなことをするなんてちょっと意外だねー」

 

「同感だ……間違いなく罠なんだろうが……」

 

 油断なく公園の中を歩くが二人の警戒心を他所に襲撃はなく、拍子抜けするほどにあっさりと《クリスタルガーデン》に辿り着いた。

 

「どうしようすーちゃん……なーちゃん、嫌な予感しかしない……!」

 

「《剣》か《棘》……本当に誰も配置していないのか?」

 

 ナーディアの不安にスウィンは周囲の気配を探りながら、彼女と同じように嫌な予感を感じる。

 スウィンとナーディアは顔を見合わせて、それぞれの武器に触れる。

 この時のため用意した対皇帝戦のための魔剣や導力魔法。

 万全の準備とは言い難いが、それでもこの数ヶ月の間で勝つための手段はこの手の中にある。

 一縷の小さな希望でも“組織”から逃げることを考えていた時よりも遥かな好条件。

 

「とは言え、ここで《エンペラー》をどうにかしておかないとなーちゃん達には生きる目はないからねー」

 

 《エンペラー》が存在している限り、“組織”の統制は崩れない。

 散発的な暗殺ならば対処できるかもしれない。

 だが、統制が取れた“組織”として暗殺に来るのならば、いつか二人はその命を落とすことになるだろう。

 

「…………ナーディア。今からでも遅くない。お前だけでも――」

 

 扉に触れてスウィンは迷ったスウィンはナーディアだけでも逃がす提案をする。

 玉砕を覚悟すれば《エンペラー》を殺せるかもしれない。

 だが、その場にナーディアがいれば自分は躊躇ってしまうだろう。

 

「ずっと一緒だって約束したよねすーちゃん」

 

 迷うスウィンの手に自分の手を合わせてナーディアは微笑む。

 

「…………そうだったな……」

 

 その答えにスウィンは諦めたように肩を竦めて、二人は扉を開いた。

 《クリスタルガーデン》の中は植物園となっており、平時では市民の憩いの場となっている場所だった。

 二人はすぐにその男を見つける事が出来た。

 場違いで派手な趣味の悪い黄金の鎧兜を纏った《エンペラー》は我が物顔でベンチの一つに腰を掛けて、二人を待っていた。

 

「久しいな、我が道具よ」

 

「くっっ――」

 

「っ……」

 

 思わずスウィンとナーディアは身構える。

 だが、予想した不意打ちはなかった。

 

「ふふ、外の生活は随分と楽しかったようだな」

 

 まるで世間話をするような気安さで話しかけてくるエンペラーに二人は違和感を強くする。

 

「何のつもりだ? 俺達を殺しに来たんじゃないのか?」

 

 睨むスウィンの返事に肩を竦める。

 

「やれやれ、ならば早速本題に入るとしよう」

 

 そう言いながらエンペラーは立ち上がる。

 

「クロウ・アームブラストを殺して、我のもとへ帰れ……

 そうすれば、組織を裏切ったことは不問とする」

 

「何を寝ぼけたことを……」

 

「そうだよ――って……え? クロウ・アームブラスト? セドリック皇子じゃなくて?」

 

 勢いで否定しようとしたナーディアは命じられた内容に耳を疑う。

 

「カイエン公爵からの依頼だ……

 この内戦中に《蒼の騎士》クロウ・アームブラスト、並びに元帝国解放戦線の《V》と《S》も同様に始末しておく……

 《煌魔城》を出現させ、彼らはもう必要ないそうだ」

 

「それは……」

 

「分かりやすいしっぽ切りだねー」

 

 扱い切れない狂犬達がその牙を自分達に向けない内に処分しておきたいというカイエン公の考えは理解できる。

 スウィンとナーディアも直接の面識はないが、クリスやギデオンの話を聞く限り、かなり自分勝手な人間であり、二人は彼らがユミルの崩壊やケルディックの虐殺に関わっていたことも記憶に新しい。

 

「君たちもこの帝国の内戦を経験して理解したはずだ……

 何故“組織”が必要とされているのか、このゼムリア大陸に何故、“暗殺者”や“猟兵”がこれ程までに多いのか……

 世界には殺しておくべき人間が多過ぎると言う事を」

 

「っ――」

 

「確かにそうかもしれないけど……」

 

「君たちが殺して来たのはそういう世界の“ゴミ”だ。“人”と思い罪悪感を覚える必要などない」

 

 エンペラーの言葉に二人は閉口する。

 

「そして君たちも理解できたはずだ。“外”と“私達”が違う事を、己の“業”を」

 

「“業”だと!?」

 

「言っていることが意味不明過ぎなんだけど……」

 

 心当たりのない二人は揃って首を傾げる。

 そんな二人に《エンペラー》は彼らの“欺瞞”を突き付ける。

 

「君たちの“剣”が何よりの証拠だ」

 

 エンペラーはスウィンが握る“魔剣”を指して続ける。

 

「我を殺したいのだろう?

 この数ヶ月、そのために己を研ぎ澄ましてきたのだろう?

 それこそが君たちの“業”。自由が欲しいと言っておきながら、君たちは遊撃士協会に行くことも、アルテリア法国へ行こうともしないのは何故だ?

 どちらの組織も“庭園”の情報を出しさえすれば、丁重に君たちを保護してくれただろうに」

 

「え……」

 

「あ……」

 

 保護してもらう。

 個人としてではなく、組織に守ってもらうという選択肢があったことに二人は戸惑う。

 

「結局、君たちは骨の髄まで“人殺し”なのだ……

 平穏が、自由が欲しいと口では言っても“剣”を手放すことは出来ない。それが《3》と《9》なのだ」

 

「俺は……」

 

「…………」

 

 何も言い返せない自分達にスウィンとナーディアは驚く。

 決意を固め、“組織”から逃げると決めたはずなのに。

 スウィンに至ってはナーディアの兄であり、パートナーであるエースを殺しても諦められなかったのに、今エンペラーを否定する言葉が思い浮かばない。

 

「それを理解できたのならば、この一時の逃亡にも価値はあっただろう……

 改めて言おう、我のもとへと帰れ。そうすれば、組織を裏切ったことは不問としよう」

 

「……不問にするだなんて、随分とらしくないんじゃないかなー?」

 

 苦し紛れにナーディアはエンペラーに言い返す。

 

「ふむ?」

 

「絶対支配がモットーで“組織”に背いた人間を全員容赦なく殺してきたエンペラーが条件付きとは言え、なーちゃんとすーちゃんの裏切りを『不問にする』なんて……

 以前のあなたじゃ考えられないことよ?」

 

「……その事について答える前に、我も《9》、君に問おう……何故、君は生きている?」

 

「…………え……?」

 

「あの日、我は確かに君への止めは刺さなかった……

 だが背いた人間を全員容赦なく殺してきたからこそ断言しよう。《9》、君が負った傷は決して生き残れるものではない……

 そして《3》、顔を合わせて確信した。我にあの屈辱を味合わせたのは君ではないと」

 

「屈辱……?」

 

「そうだ! あの日! 我にあれ程の屈辱を与えた“何者”か!」

 

 エンペラーは突然目を剥き、激昂してあの日から滾らせてきた憤りを叫ぶ。

 

「顔を思い出すことはできないが確かに存在していた……

 あの男を殺す! 今の我に重要なのはそれだけだ! 君たちの裏切りなど、この屈辱を晴らすことと比べてしまえば些事に過ぎん!」

 

「こいつ……」

 

「…………なーちゃんたちから興味がなくなってるのは良い事なんだけど……」

 

 たぶんエンペラーが拗らせている相手はクリス達が時々口にしている自分達の恩人である《超帝国人》なのだろうと二人は考える。

 

「ナ―ディア」

 

「うん、すーちゃん」

 

 二人は頷き合って、それぞれの武器を構える。

 

「何のつもりだ?」

 

「色々気付かせてくれたけど、オレたちがどういう存在なのか決められるのはオレたちだけだ……

 今はあんたの言う通り、“道具”が“人間”に焦がれてるだけかもしれない……

 だけどこの気持ちを本物にするために、あんたという過去から決別するために、エンペラーあんたをここで倒す!」

 

 スウィンはエンペラーに剣を突き付けて啖呵を切る。

 

「それになーちゃんたちに勝てるつもり?」

 

「なんだと……?」

 

「覚えているよね。なーちゃんの得意領分……

 なーちゃんとすーちゃんは確かにあなたに一度負けた。でもそれは古代遺物の“力”を見誤ったせい」

 

「…………」

 

 黙り込むエンペラーにナーディアは続ける。

 

「それになーちゃん気付いちゃったんだよねー……

 あなたがなーちゃんとすーちゃんに教えた暗殺術。それって裏切られたとしてもあなたに絶対に勝てない戦闘術だったんだって」

 

 外の世界の様々な技術や魔法に触れて得た確信。

 この帝国には件の《超帝国人》以外にも重力を操作する程度ならどうとでもできる猛者たちが存在している。

 

「今のなーちゃんとすーちゃんには沢山の人がくれた技と武器がある……

 そしてあなたの動きは癖も、思考パターンも、力の限界も全部解析済み。残念だけどあなたの勝機はもうないの」

 

 ナーディアの勝利宣言にエンペラーは目を細め、次の瞬間喉を震わせた。

 

「くくく……」

 

「っ……」

 

「アハハハハハハハハッ!」

 

 そして声を大にして高笑いを上げる。

 

「やはりまだ子供だな《剣の9》よ」

 

「むっ……」

 

「我の底を見切ったとは面白い事を言う。ならば見せてやるとしよう」

 

 そう言ってエンペラーが取り出したのは杖と宝珠――ではなく一本の長剣だった。

 

「え…………?」

 

「照臨のレガリアじゃないっ!?」

 

「君たちは私の、自分達の通り名を忘れたのかな?」

 

「通り名……《3》と《9》……それが――」

 

「違うよすーちゃん!」

 

 訝しむスウィンより先にナーディアはその事実に気付く。

 

「すーちゃんは《剣の3》。なーちゃんは《剣の9》……そしてエンペラーは四つのガーデンの内の《剣の庭園》の管理人」

 

「あ……」

 

 《剣の庭園》の管理人と呼ばれていながら、スウィンはエンペラーが“剣”を握っている姿を見たことはない。

 そしてそれはナーディアも同じだった。

 見切ったと思っていたエンペラーの力とは別の、ナーディア達にとって初見、未知数の剣技。

 これまで重ねた努力が全て無駄になる。

 

「フフフ……」

 

 驚き慄くスウィンとナーディアの動揺をエンペラーは嘲笑う。

 

「さて、この名を名乗るのはいつ以来になるだろうか」

 

 そう独り言を呟き、エンペラーは剣を鞘から抜く。

 

「我はキング……《キング・オブ・ソーズ》……

 せいぜい錆落としの役に立ってくれたまえ《スリー・オブ・ソーズ》そして《ナイン・オブ・ソーズ》」

 

 

 

 

 

 

 変貌した城の中を二つの《騎神》と蒼い鳥、そして白い戦術殻が飛ぶ。

 城に蔓延る古代の魔獣も、様々な仕掛けも無視し、壁や天井を《緋》が持つ巨槌で打ち壊して上へ上へと突き進む。

 そうして辿り着いたのは《蒼い瘴気》が立ち込める、本来なら《緋の玉座》と呼ばれるに《緋》と《灰》は降り立った。

 

「あれは……」

 

 キーアは玉座の柱に体の半分を埋める《蒼の騎神》を見上げる。

 

「あれが《蒼の騎神》オルディーネ……でも外の尖塔にあったのは……」

 

「おそらく《煌魔城》と同化させたことの影響でしょう……

 今は《オルディーネ》が付いているだけでしょうが、《煌魔城》を《蒼》の器にして巨大化させるつもりなのでしょうね」

 

 遅れてグリアノスから降りたミスティは帽子とサングラスを確かめながらキーアの疑問に答える。

 

「それってこのお城が《騎神》みたいになっちゃうってこと?」

 

 ミスティの説明にミリアムは驚き聞き返す。

 

「ええ、そうなっても不思議ではないでしょうね。《七の騎神》の元となった存在を考えればあり得ない話ではないわ」

 

「このお城が……《騎神》みたいに動く……」

 

 それを想像してキーアは緊張に唾を飲む。

 

「そんなことはさせないよ」

 

「ちょっとあんた――」

 

 セドリックは最悪な想像をするキーアに安心させる言葉を掛けて、徐にセリーヌを操縦席に残して《緋》から降りて前へと進み出る。

 

「貴女達はそこに、いつでも動けるようにしていなさい」

 

 ミスティに言われてキーアとセリーヌは《騎神》の中で待機する。

 そしてセドリックに付き従う形でミスティとミリアムがその後に続く。

 

「美しい光景だと思いませんか?」

 

 《降魔の笛》を奏でる少女を隣に、どんな原理でか映し出されている無数の映像を見上げていたクロワール・ド・カイエンは背中を向けたまま語り出す。

 

「《愚帝》ドライケルスと《鉄血宰相》によって歪となったヘイムダルは《煌魔城》の出現を持ってあるべき姿を取り戻そうとしている」

 

「あるべき姿だって!?」

 

 見上げた映像にはそれぞれの戦いが映し出されている。

 数多の《魔煌兵》に埋もれるように蹂躙される領邦軍と正規軍。

 第一浸食から逃れた市民たちが次々と《魔煌兵》に変貌して戦いに加わって行く。

 帝都の空で《紅の神機》が《翠》と見慣れない二機の飛行艇と優勢に戦っている。

 ドライケルス広場で《黒の神機》が《青》と《巨人》を圧倒している。

 

「あら……?」

 

 セドリックが凄惨な光景に言葉を失っている所でミスティの呟きが、響いた。

 

「どうかしたんですかミスティさん?」

 

「いえ、何でもないわ」

 

 誤魔化すようにミスティは告げて、一歩引いたように会話から離れる。

 

「そう、あるべき姿なのだよ!」

 

 クロワールは悦に入った声で叫び、振り返る。

 

「私の祖先が君臨し、支配するはずだった《巨いなる帝都》! 私はついに我が一族の悲願を叶えることができたのだ!」

 

「一族……祖先……?」

 

「私もアルノールの血を引いているのだよ」

 

 クロワールの言葉の意味が分からないセドリックに目を見開く。

 

「そう――皇帝オルトロス・ライゼ・アルノールの血を!」

 

「オルトロス帝の!?」

 

「公爵家出身の第二妃より生まれ、後の世に《偽帝》と称される人物!

 獅子戦役の次代、帝都を支配し、ドライケルス帝に敗れた彼の血を私は受け継いでいるのだ」

 

「……そんな……かの《偽帝》の血筋が公爵家に受け継がれていたなんて」

 

「獅子戦役終結の折、その事実は闇へと葬られた……

 かの愚帝もこれ以上、貴族勢力と事を構えたくなかったのだろう。だが――」

 

 クロワールは拳を握り締めて続ける。

 

「我が公爵家は決してその屈辱を忘れたことはなかった……

 《巨いなる帝都》ヘイムダル……

 その支配者の証たる《緋の騎神》と《煌魔城》を再び手に入れるために!」

 

「《テスタ=ロッサ》を……」

 

 セドリックは思わず振り返り、《緋の騎神》を見上げる。

 そう言えば《獅子戦役》ではオルトロス帝側の機体だったことを思い出しながら、セドリックは言い返す。

 

「そんなことのために……こんなことを起こしたというのか?」

 

「フフ、かの宰相も目障りであったし、《結社》の工房長の協力も得られた……

 そして《帝国解放戦線》という駒と《蒼の騎神》の起動者の覚醒――あらゆる意味で機は熟していたのだ」

 

 万感の思いを胸にクロワールは叫ぶ。

 

「今こそ間違った歴史は正される時っ! 我が手に《緋の騎神》を取り戻し。しかる後、旧き善き秩序を帝国に取り戻していく……

 それこそが私の大望――公爵家の果たすべき使命なのだ!」

 

「呆れるわね」

 

 クロワールの名演説に嘆息したのはミスティだった。

 

「貴方達が仮にセドリック皇子から《テスタ=ロッサ》を奪ったとしても、直系ではない貴方を《テスタ=ロッサ》は認めることはないでしょう」

 

「はっ……何を言い出すかと思えば」

 

 ミスティの指摘をクロワールは鼻で笑う。

 

「《緋のテスタ=ロッサ》がオルトロス帝の血を継ぐ私を認めないはずない!

 仮に君の言葉が真実だったとしても、この時代のアルノールの血筋を絶やせば、私こそがアルノールの直系になるのだよ!」

 

「なっ!?」

 

 無茶苦茶な暴論にセドリックは耳を疑う。

 クロワールの言い方では自分だけではなく、全ての皇族を殺し尽くすと言っているように聞こえる。

 

「アハハ! すごいこと言うね」

 

「笑い事じゃないよミリアム」

 

 ミリアムの呑気な言葉に、湧き上がりそうな衝動をセドリックは何とか押し留めてクロワールを睨む。

 

「フフ……戦いとは“数”なのだよセドリック皇子!

 獅子戦役の頃を超える《魔煌兵》の軍勢と《蒼の騎神》!

 例えこの場にドライケルスとリアンヌ・サンドロットがいたとしても、もはや私の勝利は揺るがない!」

 

「っ――」

 

 ふざけるなという言葉は周囲に浮かぶ映像に呑み込まされた。

 現在進行形で《魔煌兵》はその膨大な数で軍を壊滅させている。

 時間が経てば、その魔煌兵の軍勢が《蒼》の援軍として駆け付けてしまう。

 

「テスタ――」

 

「落ち着いてセドリック皇子」

 

 焦る気持ちから《緋》に乗り込もうとしたセドリックをまだ早いと止める。

 

「見たところ儀式はまだ完了していないわ……

 今ならまだ眷族の長となっている《蒼の騎神》を倒せば、80万の魔煌兵は機能を停止するでしょう」

 

「そ、そうですか……」

 

 ミスティの見立てにセドリックは深呼吸をして息を整える。

 

「…………ところで」

 

 一触即発の空気にミスティは、笛を奏でる少女を一瞥してから《蒼の騎神》を見上げて新たな言葉を投じる。

 

「いつまで黙っているのかしらクロウ」

 

 だがミスティの声にそこにいるはずのクロウは応えない。

 

「クロウ?」

 

「無駄だよ」

 

 クロワールは少女を振り返り、演奏を中断させて杖を構えさせる。

 少女が石突で床を叩くと魔法陣が広がると玉座の間に怨嗟に満ちた声が木霊する。

 

『オズボーン殺ス! オズボーン殺スッ!! ギリアス・オズボーンッ!!』

 

「これは……」

 

「クロウの声……」

 

 聞こえて来た耳から《呪い》が掛かるのではないかと思う程の呪詛。

 獣じみた声だが、それは間違いなくクロウ・アームブラストのものだった。

 そして玉座と融合していた《蒼》は鎖が解かれたようにもがき柱から這い出て来る。

 

「ハハハッ! 征くが良い! 《蒼黒き獣》よ! 我に《緋》を取り戻し! 我が覇道の《礎》となるが良い!」

 

「っ――」

 

 もはや言葉は語り尽くしたと言わんばかりにクロワールは《蒼》を嗾ける。

 

『ガアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』

 

 這い出た《蒼》は四つん這いのまま立ち上がろうとせず、その体を変貌させていく。

 《緋》が《緋き終焉の魔王》となったように、《蒼》は起動者の憎悪と《帝都》に満ちた負の想念に呑まれて《蒼き絶望の悪魔》と化す。

 

「くっ……」

 

「クロウ……ここまで堕ちてしまったのね……」

 

 獣じみたクロウの咆哮とオルディーネの変貌にミスティは目を伏せた。

 

「ミスティさん、僕は躊躇いませんよ」

 

 肌で感じる《蒼》の増大した霊圧にセドリックは最後の覚悟を決める。

 

「《テスタ=ロッサ》! ミリアムッ!」

 

『応っ!』

 

「がーちゃん! 行くよっ! がったーいっ!!」

 

 セドリックの呼び掛けに応え、《緋》は彼を取り込み立ち上がる。

 そしてミリアムは《アガートラム》と一体化して、《緋》の右腕に宿る。

 そして《灰の騎神》がその隣に並び立った。

 

「悪魔と化した《蒼》に《緋》と《灰》が挑む……

 ある意味では正しい《獅子戦役》の再現なのかもしれないわね」

 

 かつて《緋き終焉の魔王》に《銀》と《灰》が挑んだ光景を思い描き、ミスティは《蒼》と《灰》の獅子戦役で済ませようとしたことを考える。

 《預言》は回避しようとすれば、より大きな厄災となってその身に返って来る。

 果たしてこの“揺り戻し”が何が原因だったのか、ミスティには推測することしかできない。

 

「……まあ良いわ」

 

 ミスティはその一言で“悪い魔女”に切り替える。

 そしてミスティは玉座で高みの見物を決め込むクロワールとそれに付き従う少女――イソラに目を向けた。

 

 

 

 

 

 



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64話 諍い人

 

 

 

「これがお前が言っていた後始末なのか!? クロウ!」

 

 《蒼黒き獣》の爪を右腕で受け止めながらセドリックは叫ぶ。

 

「ガアアアアアアッ!」

 

 答えは咆哮。

 

「無駄よ! 完全に《呪い》に呑み込まれてるわ」

 

 クロウに代わってセリーヌが彼の状態を告げる。

 

「邪魔ヲスルナアアアアアッ!」

 

「っ――――ふざけるなっ!」

 

 激昂に合わせて《緋》は拳を振り抜き《獣》の拳を弾き、そのままその顔面を殴る。

 

「いつまでお前は被害者のつもりでいるつもりだ!」

 

 《パンタグリュエル》で義理や惰性で内戦に参加していたクロウは《魔煌兵》を通して知ったオズボーンの生存が彼の復讐心を再燃させている。

 その活き活きとした様子にセドリックは苛立ちを大きくする。

 

「貴方達のせいで帝都がこんなになっているのに何様のつもりだっ!」

 

「ウガアアアアッ!!」

 

 セドリックの言葉を無視して《獣》は咆えて《緋》を殴り返す。

 

「くっ――」

 

 右腕で受け止めた《緋》はそのあまりの衝撃に脚が床を削り後ろに押し出される。

 

「――凄いパワーだけど、これくらいならまだいける」

 

「グルルルルッ――」

 

 《獣》は唸り、《蒼の翼》を大きく広げるとその翼の先を鋭い剣に変える。

 

「……ますます獣染みて来たな」

 

 両手の爪と四つの刃が増え、《獣》は強くその場を踏みしめ――まだ《蒼》の名残が残っている顔の口の部分が横に割けた。

 

「――えっ?」

 

 次の瞬間、その口から光の砲撃が放たれる。

 

「何だそれっ!?」

 

 完全な不意打ちにセドリックは目を剥いて――

 

「ゼロ・フィールドッ!」

 

 《灰》が杖を翳して展開した絶対障壁が野太い光の砲撃から《緋》を守る。

 

「ありがとうっ! キーア! それにしても《騎神》はあんなことまでできるのか!?」

 

 感謝を叫びながら、セドリックは戦車砲に匹敵する攻撃に戦慄する。

 

「二度は撃たせないっ!」

 

 その場に留まり、次弾を撃つ溜めを行う《獣》に《緋》は両手に剣を錬成して斬りかかる。

 《獣》は正面から振り下ろされた剣を素手で受け止める。

 両手で刃を握り締め《緋》の動きを止めると背中の刃翼が法剣の剣のように伸びてその切先が四方から《緋》に迫る。

 

「ちょ! どうするのよっ!?」

 

 セリーヌの叫びに答えるより早く《緋》は掴まれた二つの剣を手放して自由を得て、法刃を掻い潜る様に《獣》の横をすり抜ける。

 

「そこっ!」

 

 振り返る瞬間に《緋》は新たな剣をその手に生み出して《獣》の背中を薙ぐ。

 前のめりになった《獣》は振り返り様に四つの法刃を薙ぎ払う。

 

「楯っ!」

 

 咄嗟に楯を作り出す。だがまるで紙を引き裂くように法刃は楯を切り裂いて《緋》に迫り、《灰》が展開する絶対障壁に阻まれる。

 

「その程度かっ!」

 

 《灰》の防御に任せて《緋》は《獣》に肉薄して剣を振るう。

 

「その程度なのかっ! クロウ・アームブラストッ!」

 

 獣に堕ちてしまったとは言え、互角に戦えていることにセドリックは憤りを感じて叫ぶ。

 パワーもスピードも防御力、攻撃手段の多さも元の《蒼》と比べものにならないくらいに上がっている。

 なのに手応えは以前に戦った時よりも劣っているように感じてしまう。

 

「本当にそこまで堕ちたのか! 答えろっ!」

 

 決して余裕があるわけではない。

 《獣》が繰り出す攻撃は全てが致命になりかねない威力を秘めている。

 《灰》の防御支援があってこそ、一方的に攻めていられるが実際はそこまで優勢というわけではない。

 

「無駄だよクリス……その人の“心”はもうそこにはないよ」

 

 セドリックの叫びにキーアが答えを返した。

 

「それはどういう意味だい?」

 

 《獣》の攻撃を捌き前を向きながらセドリックは聞き返す。

 

「沢山の人の“想念”に埋もれて、もうその人の“心”はここにあるけど、ここにいない」

 

 《識》の目で見えたままを告げるキーアは“クロウ・アームブラスト”に複雑な思いを馳せる。

 

「この人はキーアと同じ……

 オルディーネの中にいる亡くなった友達の“想念”が多過ぎて、もう自分では何かを決められなくなっている」

 

「“友達”の想念?」

 

「うん……クロスベルの通商会議で襲って来た人達とか……

 その時のガレリア要塞で戦っていた人、あと何処かの鉱山で戦った時に死んだ人達とか、とにかく沢山の人の“想念”がその人を縛ってるの」

 

 キーアは《識》たままを言葉にし、それに合点がいったとセリーヌが頷いた。

 

「なるほど、そう言う事だったのね」

 

「っ――したり顔で頷いていないでちゃんと説明してくれっ!」

 

『そーだそーだ!』

 

 一匹で納得しているセリーヌにセドリックとミリアムは抗議する。

 

「別に大したことじゃないわよ……

 帝国解放戦線がどうして死ぬことを畏れずに、玉砕していたのか……死んでもオルディーネに“想念”を喰わせるように契約をしていたんでしょうね……

 ようするにあんたがケルディックでやったことと同じ事をして、呑み込まれたのよ」

 

「…………そう言う事か」

 

 キーアの言葉を解説されて、この目の前の《獣》の正体をセドリックは理解する。

 死者の想念により突き動かされたオズボーンに復讐をするためだけの魂まで束縛された存在。

 それが帝国解放戦線の《C》の正体であり、今の《獣》の姿はそれの成れの果て。

 

「僕も一歩間違えていればこんな風になっていたのか」

 

 死者の想念に縛られ、突き動かされるだけの人形。

 それが今の《蒼黒き獣》を操る起動者の正体。

 荒れ狂う想念に飲まれかけたことがあるだけに、クロウに同情はしないが複雑なものを感じてしまう。

 いつから突き動かされていたのか。

 それが分かった所で彼の罪が消えるわけではないが、セドリックも道半ばで膝を着くことがあれば内に秘めた想念により自我を縛られることになるのだろう。

 

「――――鎖よ」

 

 《緋》は宙空に鎖を錬成すると《獣》の突撃を受け止める。

 

「ブリランテッ!」

 

 続けて炎の大剣を作り出し、勢いを止めた《獣》に《緋》は斬りかかる。

 

「ガアアアアアアアッ!」

 

 《獣》は両腕を前にもがき――その腕の装甲がスライドして銃口が覗いた。

 

「はあっ!?」

 

 両腕に仕込まれた導力兵器に《緋》は慌てて止まり、ガトリング砲の掃射に大剣を盾にする。

 

「クリスッ!」

 

 大剣に身を隠す《緋》の左右に魔法陣が突如展開する。

 《獣》は《緋》への連射を止め、《緋》を挟む魔法陣と同じものに左右の魔法陣に撃ち込む。

 

「がっ!?」

 

 魔法陣を通して弾丸が《緋》に降り注ぐ。

 怯み、その場から後退る《緋》に《獣》は力任せに鎖を引きちぎり、黒い瘴気を纏う両腕を振り抜く。

 十字の剣閃が放たれ《緋》に迫り――

 

「――させないっ!」

 

 《灰》が緋色のトンファーを両手に構えて剣閃を受け止める。

 

「キーアッ!」

 

「――っだいじょうぶ……大丈夫だけど……」

 

 重い剣圧を《灰》はトンファーを半壊させながら弾き、追撃に襲い掛かる《獣》を抜刀で迎え撃つ。

 

「二の型――《疾風》!」

 

「メルトスライサー!」

 

 《灰》と《緋》が瞬速の剣で駆け抜けて《獣》の両腕が飛ぶ。

 

「やったか!?」

 

 振り返った《緋》が見たのは斬り飛ばした両腕が切断面から生えた結晶に覆われて、復元された《獣》の姿だった。

 

「機体の再生……まさか《蒼》も使えるなんて!」

 

 驚くセドリックに対し、《獣》は怒りの咆哮を上げる。

 

「ヴォオオオオオオヲヲヲンンンン!!!」

 

「なんだ――!?」

 

 先程までとは違う咆哮にセドリックは警戒をして――《緋》は《灰》に突き飛ばされた。

 

「キーアッ?」

 

 次の瞬間、足元から蒼い稲妻が《灰》を捉えてその動きを縛りつける。

 

「――うぐっ……」

 

 そして四つの魔法陣が取り囲むとそこから四つ法刃が《灰》を貫いた。

 

「キーアッ!?」

 

 貫かれた刃が抜かれる際に《灰》の腕はもがれ、脚は削られ、胴が抉られ、首が千切れる。

 《騎神》越しでも致命傷になりかねない激しい損傷にセドリックは目を見開き。

 

「……だい……じょうぶ……」

 

『規定範囲を超える損傷を確認――《金のオーブ》によるオートリペア起動』

 

 キーアの苦しみが混じった返事と《灰》の機械的な言葉が重なり、傷付いた《灰》は先程の《獣》と同じようにゼムリアストーンの結晶に包まれて――完全修復された形で蘇る。

 

「くっ………《グラン=シャリネ》十本分の値段のオーブが」

 

「えっと……本当にロイド達に請求しないよね? ルーファスの冗談だよね?」

 

「そんなこと言っている場合じゃないでしょ!」

 

 致命の一撃をやり過ごせたことに安堵しながらも別のことを気にするセドリックとキーアにセリーヌが叫ぶ。

 《金のオーブ》。

 《エル=プラドー》の力で元は起動者の保護を目的としたオーブに改良を加え、およそ500万ミラ分のセピスのエネルギーを内包させた使い捨ての回復アイテム。

 《零のオーブ》や《緋のオーブ》の代わりに提供されたものの、その製法から一つしか用意できなかった身代わりアイテム。

 《緋》にではなく《灰》に設置して正解だったと安堵しながらも、《緋》は改めて《獣》に向き直る。

 

「こいつはもう何をしてくるか分かったものじゃない。一撃で“核”まで吹き飛ばす技で一気に蹴りをつけるべきだ」

 

 戦後処理を考えれば死体でもクロウの遺体はあった方が良いと言われていたが、そんなことを気にしている余裕はない。

 時間を掛ければ掛ける程、《獣》はこの戦いの中で進化して、その戦い方を最適化していく。

 

「それは良いけど、当てはあるの? 《緋》も《灰》も一撃の威力がある技はないわよ」

 

「聖痕砲がある」

 

 セリーヌの問いにセドリックは右腕に視線を落として答える。

 

「問題はどうやって溜めて当てるかだけど……」

 

 今の《獣》に一騎で挑むことは無謀。

 更に言えば足を止めれば転移で攻撃を飛ばして来る危険もある。

 

「仕方がない――キーア、使わせてもらうよ」

 

「うん、気をつけてね」

 

 それを使う事を決めたセドリックは剣をその場に手放す。

 その剣が床に跳ねるより早く、黒い球体に包み込まれて《緋》は《獣》の視界から消えた。

 

「グル――ッ!?」

 

 次の瞬間、《獣》は背後から《緋》に殴られた。

 たたらを踏んで振り返った《獣》は右腕で剣閃を飛ばすと同時に右の翼の法剣を薙ぎ払う。

 三つの刃に《緋》は反応せず命中する――寸前、再び黒い球体に包まれて姿を消し――三つの斬撃は空振る。

 

「はあっ!」

 

 頭上に現れた《緋》は両手を合わせて《獣》の頭に叩き落とす。

 脳天の一撃が響いたのか、《獣》は後退りながら頭を振る。

 

『いけーやっちゃえクリス!』

 

 ミリアムの声援に後押しされる形で《緋》は《獣》に殴りかかる。

 《金》に搭載した《零のオーブ》の力が“識”ならば、《緋》に搭載した《零のオーブ》の力は“次元跳躍”。

 ただし、それを使用する場合は“千の武具”が使えなくなるほどに燃費が悪い。

 もっともそれだけの価値はあり、次元跳躍を連続して行う《緋》に《獣》は翻弄される。

 

「くぅ――」

 

 もっともセドリックには《獣》を圧倒しているという余裕はない。

 “千の武具”を使うのとはまるで違う術理に頭が沸騰しそうになる。

 しかしそれでもそれを使い続ける。

 

「ガアアッ!」

 

 《獣》の爪を右腕で受け止める。

 畳み掛けるように法刃を飛ばす《獣》の背後を取り――それを狙って法刃が起動を変えて《緋》を追い駆ける。

 しかし、出現と同時に《緋》は再び黒い球体に消えて、《獣》の正面に戻る。

 

「歯を食い縛れクロウッ!」

 

 腰溜めに拳を構えてセドリックは叫ぶ。

 右手の《アガートラム》の拳を握り込み、自分のこれまでを走馬灯のように振り返りながらセドリックは渾身の一打を《獣》の顔に捉えて叫ぶ。

 

「破甲拳っ!」

 

 首を折り砕く勢いで叩き込んだ一撃に《獣》は吹き飛び、壁に叩きつけられる。

 

「キーアッ!」

 

 セドリックは叫ぶと同時に《緋》を再び跳躍させて《灰》の隣に立つ。

 

「うん――霊子変換、オーバルスタッフをガンナーモード――《アンスルト》に移行――」

 

 魔導の杖を長大なライフルに変えて《灰》は構える。

 

「フェンリルに接続、オーバルエネルギー充填――」

 

「我が深淵にて閃く緋の刻印よ――」

 

 《灰》の各所から増幅器が駆動して、ライフルに直接エネルギーを供給する。

 そのライフルに《緋》は右腕で触れて、《鬼気》で更に強化しながら《疑似聖痕》の力と“劫炎の弾丸”を装填する。

 

「40……80……出力120%っ!」

 

「天に昇りて、煉獄を焼き払う劫焔の柱と化せ」

 

 《緋》の力で錬成されたライフルは過剰に供給される“力”に亀裂を走らせる。

 それに構わずキーアとセドリックは声を合わせて叫ぶ。 

 

『メギデルスバスターッ!!』

 

 極大の砲撃が発射される。 

 首を修復して立ち上がった《獣》が見たのは光の壁とも言える砲撃。

 喰らえば死ぬ。

 そう予感しながら、逃げ場のない砲撃に《獣》は両手を前に突き出して光を受け止める。

 

「ガアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 両手が焼ける。

 迫り来る死に諍う様に《獣》は死に物狂いに抵抗し――その背に《金色の紋章》が浮かび上がる。

 

「何だ!?」

 

「あれは……」

 

 そして、次の瞬間《緋》と《灰》は撃ち返された“金色の光”に呑み込まれた。

 

 

 

 

 赤いアラートが艦橋を染める中、壮年ながらもたくましい体つきの男は背中に“金色の光”を宿す。

 

「守護騎士第八位《吼天獅子》が命ずる……《聖痕砲》メギデルス――展開っ!」

 

 メルカバの機首を中心に金色の紋章が浮かび上がり、機体の全導力が収束されて《聖痕砲》が発射される。

 

「想念砲――オル・バスターッ!」

 

 対する《紅の神機》は変形して“想念”を乗せた主砲を放つ。

 二つの主砲がぶつかり合い、“聖痕”の力とスカーレットの“想念”が絡み合い、鬩ぎ合い――

 

『ああ……それを待っていた……』

 

 メルカバに悍ましい声が響く。

 

「何だ――むうっ!?」

 

 艦長席に立っていた《吼天獅子》グンター・バルクホルンは次の瞬間、《黒い瘴気》に束縛されていた。

 

『寄こせ……寄こせ……全ては吾のものだ……』

 

「これは……」

 

 自分の中に触れる悍ましい感触。

 そしてそれは本来なら何人にも干渉できない“聖痕”に触れられたことにバルクホルンは戦慄する。

 

「――――ガアアアアアアアアアアアアッ!」

 

 黒き呪いによって浸食されたバルクホルンに抵抗する術はなく、ただ悲鳴を上げる事しかできなかった。

 

 

 

 

 

「返せっ! それは! その剣はっ!」

 

 激情した《青》の突撃に《黒の神機》は奪った大剣――《ガランシャール》を一閃する。

 

「がっ!」

 

「クハハハッ! アルゼイド流とやらも大したことねえな!」

 

 良い感じの大剣の調子にヴァルカンが声を上げて笑う。

 

「それじゃあ――これで終いだっ!」

 

 そして大剣を容赦なく、地面に倒れたスミレ色の髪の少女に振り下ろされる。

 だがそれが届く寸前、各所の装甲が剥がれ落ちた《パテル=マテル》が《黒の神機》に体当たりをしてその軌道を無理矢理逸らす。

 

「きゃあっ!」

 

 剣がレンの横を抉り、颶風を撒き散らす。

 

「ちぃっ! しぶといんだよ!」

 

 まだ動く巨人にヴァルカンは苛立ち、大剣で薙ぎ払おうとする。

 だが、《パテル=マテル》の腕は《黒の神機》の身体をフルパワーで抱え、ブースターを点火する。

 

「え――」

 

 電子音で《パテル=マテル》はレンに話しかける。

 

「《パテル=マテル》……な、なにを言ってるの……? ダメよ……ダメに決まってるじゃない!」

 

 《パテル=マテル》はレンの制止を振り切ってブースターを臨界突破させて《黒の神機》を空へと持ち上げていく。

 

「こいつ――まさか自爆する気か!?」

 

 狼狽して《黒の神機》は剣を持たない手で《パテル=マテル》を殴りつけるが、その腕は剥がれず空へと急上昇して――

 

「死ぬなら一人で死んでろ!」

 

 《黒の神機》はガランシャールを《パテル=マテル》を脇下から突き立てた。

 そして――

 

「ウオオオオオオオオオオオオッ!」

 

 黒い闘気を機体に漲らせた《黒の神機》は《パテル=マテル》の腕を力任せにこじ開ける。

 

「ガアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 獣のような雄叫びを上げ、《黒の神機》もまたブースターを全開にしてその場に旋回し、《パテル=マテル》を投げ飛ばされる。

 そして――

 

 

 

 

「ああ……やはりこうなってしまったか……」

 

 ギリアス・オズボーンは機甲兵の中で落胆していた。

 

『さあ、今こそ吾を呼ぶが良い。ギリアス』

 

 昏く悍ましい声がようやくオズボーンに掛けられる。

 それは全て《黒》の思惑通りに進んだという事に他ならない。

 《蒼》に《緋》と《灰》は倒れ、他の戦場ももはや決した。

 後は劇的に《黒の騎神》を呼び、全てを自分が倒してしまえばこの内戦は終結する。

 

『どうした? 早く吾を呼ぶが良い』

 

 急かす言葉にオズボーンは諦観の嘆きのため息を吐き――心を鋼に固めて叫ぶ。

 

「来るが良い――っ!?」

 

 その瞬間、何かを感じてオズボーンは言葉を止めた。

 

『何を――』

 

「あれは……何だ……?」

 

 空を見上げたオズボーンはそれを見た。

 

 

 

 

 

 

 巨大なアビスワームから解放されながらも墜落した《カレイジャス》の甲板の先に彼らはいた。

 一人はゲオルグ・ワイスマン。

 一人は白銀の長い髪を持つ女剣士。

 一人は怪盗紳士ブルブラン。

 呆然と膝を着いているオリヴァルト達を背に、彼らは一様に船首に佇むぬいぐるみ、みっしぃとその左右に浮かぶ二つの人形に視線を集中させていた。

 

「“空”のサクラメントプログラムを起動――」

 

 何かを振り払うように黒髪の人形リンは叫び、目の前に浮かぶ古い銀時計のような“導力器”と一つの宝石に手をかざす。

 

「“ゲネシス”を掌握――“八耀石”から“八耀”を観測……補足――」

 

 リンの言葉を受け取り、彼女もまた振り払うように叫ぶ。

 

「“焔”と“大地”のサクラメントプログラム起動――■■■の魂と魄を分離っ!」

 

 びくりとみっしぃの体が跳ねるが、反応はそれだけ。

 その事にノイは目を伏せ、続ける。

 

「シャード接続――固定――」

 

 ノイの叫びに応じて黒い霊子がみっしぃを中心に渦巻く。

 

「シャード同調――固定――」

 

 リンの叫びに応じて白い霊子がみっしぃを中心に渦巻く。

 

「鬼気浸食――」

 

「神気解放――」

 

 黒と白の霊子は螺旋を描くように混ざり合い、みっしぃへと集束していく。

 そのあまりの“力”にぬいぐるみの身体は瞬く間に崩壊し、その中のクォーツだけになる。

 クォーツを覆う《黒》と《白》は膨張して人の姿を形作る。

 

「“世界”を纏え――テイク・ジ・エレボニウスッ!」

 

「夢を――“悪夢”を払え――ブート・ザ・ルシファリア」

 

 二人の言葉を合図に《黒》と《白》は混じり合い、一つになって光を溢れさせる。

 そして――目が眩む閃光の中で少年は叫ぶ。

 

「来いっ! 《零の騎神》ゾア・ギルスティンッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 






NG

とある手記より
「どうか《オクト=ゲネシス》を120*年までに超帝国人から取り戻して欲しい……
 さもなければ全てが――黎の軌跡の全てが終わってしまう」

アニエス
「……超帝国人? 黎の軌跡?」



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65話 零の奇蹟




超ダイジェスト:魔導士の争い(かなり要約)

ミスティ
「時にはラジオパーソナリティ。時にはオペラ歌手……
 その正体は《魔女の眷属》であり《結社》の使徒“りりかる☆ヴィータ”」

クロワール
「ふっ! 私は中世の魔術を秘密裏に相伝してきたカイエン家、オルトロス帝の末裔――
 魔界皇帝“まじかる☆クロワール”であるぞっ!」
 
イソラ
「ふぁいと!」





 

 

 

 

「くそっ!」

 

 エリオットは苛立ち、《琥珀》は導力の刃を振るう。

 《機神》をしても壁とも思える程の巨大なアビスワームの胴体に刃を立てて振り斬るものの、斬り裂けた傷は見る間に塞がってしまう。

 

「僕がやらないと……僕がやらないといけないのに!」

 

 エリオットにとって姉であるフィオナは不幸中の幸いにも帝都の外にいるので最悪の事態ではない。

 だがヘイムダルで生まれて育ったエリオットにとって、それは気休めでしかない。

 

「倒れろっ! 倒れろっ!」

 

 がむしゃらに大剣を叩きつける。

 

「どうして……」

 

 一匹の魔獣さえ倒せないことにエリオットは絶望する。

 それでも必死に剣を振り続け――何かが頭上を飛び越えた瞬間、アビスワームの大木のような太い胴は一刀両断された。

 

「…………え?」

 

 自分ではない手応えにエリオットは顔を上げる。

 そこには斬り裂いたアビスワームを駆け上がり、跳躍して別のアビスワームへと斬りかかった《ケストレル》がいた。

 

「貴族連合の機甲兵?」

 

 《カレイジャス》を空から引きずり降ろそうとするアビスワームの群れを《ケストレル》は駆け上がって、跳び移り、下から削る様に斬り落としていく。

 

「…………これが《風の剣聖》……」

 

 エリオットはまさに風のように空へと駆け上がって行く《ケストレル》を見送るのだった。

 

 

 

 

 がくんと突然機体が揺れたことに操縦桿を握るミュラーは叫ぶ。

 

「拘束が緩んだっ! 各員、何かに捕まれ! 最大出力で振り切る!」

 

 艦の放送にその言葉を流しながら、ミュラーが気にするのは甲板に出ているオリヴァルトを含めた三人のこと。

 《蒼い瘴気》に対抗するための唄が必要であり、それを最大限に響かせるために許可はした。

 しかし、敵飛行艇部隊ならまだしも巨大化した魔獣に襲われるなどミュラーも想定することはできず、命綱をつけておくことは約束させたがそれも何処まで役に立っているか分からない。

 

「オリビエッ! 無事なら返事をしろっ!」

 

 艦の操縦に集中しながらミュラーは呼び掛け続ける。

 

「ミュラー少佐っ!」

 

 艦長席に《クラウ=ソラス》に支えられながらしがみ付いていたアルフィンは窓の外を見て悲鳴を上げる。

 

「あれは……結社の戦闘艇!?」

 

 赤い見覚えのある飛行艇にミュラーが目を剥くと、その飛行艇は機関銃を《カレイジャス》に撃ち込んで来た。

 

「っ……」

 

 それは取り付いた魔獣を狙ったものではなく、艦橋の装甲に弾丸が掠め、大きく艦を揺らす。

 

「フハハハハッ! 覚悟しろ《紅き翼》! この僕が討ち取って出世街道の礎にしてくれる!」

 

 結社の飛行艇の中で青年がそんな高笑いを上げているとは思わず、ミュラーはただ歯噛みする。

 

「ああ……」

 

 近付くにつれて銃弾が《カレイジャス》に穿たれていく。

 迫り来る“死”の気配を感じながらもミュラーは最後まで諦めず、操縦桿を握り締め――

 アルフィンは艦長席で《クラウ=ソラス》に抱えられて守られ――

 エリゼも同じように《フラガラッハ》に抱えられて――

 

「もらった! 蒼空の藻屑と化せっ!」

 

 赤い飛空艇が迫る。

 次の銃撃は艦橋に当たる。

 そんな予感を察したエリゼは思わず呟いた。

 

「――助けて、兄様――」

 

 思わず呟いた言葉はワイスマンから教えられたまじないの言葉。

 兄も姉もいないエリゼにとっては意味のない言葉であるのだが、口に出た言葉は自然で場違いにもエリゼは首を捻った。

 

「大丈夫です」

 

「え……?」

 

 戸惑うエリゼに答えたのはアルティナだった。

 振り返った彼女の顔を見て、エリゼは再び違和感を覚える。

 

 ――こんな顔をする子だったかしら……

 

 エリゼの視線を他所にアルティナは罅割れた窓の向こうの赤い飛行艇を見つめて、呟いた。

 

「お帰りなさい」

 

 次の瞬間、エリゼ達が目にしたのは《機甲兵》の背中。

 そして二つに斬断されて左右に堕ちていく赤い飛行艇。

 

「あ~れ~! これで出番は終わりかよ~っ!? アイル・ビー・バーック!!」

 

 そんな悲鳴を残して堕ちていく飛行艇を《ケストレル》は一瞥し、《カレイジャス》に振り返り太刀を構える。

 

「まずい――」

 

 《機甲兵》は貴族連合の戦力という先入観からミュラーは油断した己を恥て――

 《ケストレル》が放った剣閃がまだ取り残されていたアビスワームの残骸をまとめて吹き飛ばした。

 

「なっ――!? 味方なのか?」

 

 驚きながらもミュラーは解放された機体の制御を行う。

 しかし、度重なる攻撃によって推力を維持できずに《カレイジャス》は帝都の街中に不時着をした。

 

「いたたた……大丈夫かいエマ君。アリサ君」

 

 不時着した《カレイジャス》の甲板でオリヴァルトは欄干を抱き締めながら二人の安否を気遣った。

 

「は、はい……なんとか……」

 

「こっちも大丈夫です……」

 

 オリヴァルトの呼び掛けにアリサとエマはそれぞれ蒼と緋の杖を抱えながら答える。

 命綱があったとは言え、逃げる間もなく魔獣に捕まり揺さぶられた時は死ぬかと思ったのだが、幸いなことに死に至る怪我はなかった。

 

「でも……」

 

 エマは周囲を見回して表情を曇らせる。

 杖は死守したものの、導力楽器はほぼ全て空から投げ出されたり、甲板に叩きつけられて見るも無残な姿となっている。

 唄がなくなり、墜落した《カレイジャス》にもゆっくりと《蒼の瘴気》は近付いて来る。

 

「まだだ……例え楽器がなかったとしても、ボク達はまだ歌える」

 

 例え魔術的な意味がなくても、歌い続けようとするオリヴァルトの前に――甲板の先に先程の《ケストレル》が着地する。

 

「あれは……先程の見事な斬撃……もしかしてアリオス殿が救援に駆け付けてくれたのかな?」

 

 クロスベルの事件が終結した折に逮捕され収監されたと聞く《風の剣聖》の援軍を期待するオリヴァルトの目の前で、《ケストレル》の身体は開き、操縦者が顔を出した。

 

「みししっ!」

 

「………………」

 

「…………え……?」

 

「…………何でみっしぃ?」

 

 継ぎ接ぎだらけのクロスベルのマスコットが《機甲兵》の中から出て来てオリヴァルト達は自分達の目を疑った。

 

「ふ…………ふふ、知らなかったな。みっしぃは《機甲兵》を操縦できるのか」

 

 いつもなら真っ先に歓声を上げているオリヴァルトは今の状況もあって困惑を露わにする。

 

「オ、オリヴァルト殿下! 気を確かに持ってください!」

 

「というかどうしてぬいぐるみが動いているのよ!」

 

「フフフ、もしかしてと思って仕込んでみたが……やはり君は最高だ」

 

 混乱するオリヴァルト達を他所に新たな声が甲板に響く。

 

「君は……」

 

 目を見開くオリヴァルトを他所に、ゲオルグ・ワイスマンは《ケストレル》の足下に転がり落ちたみっしぃの前に進み出る。

 

「まずは謝罪をさせてもらおう……

 君が望む結果のために尽力すると言っておきながら、この様だ。元蛇の使徒として恥ずかしい限りだ」

 

「みしし……」

 

 ワイスマンの言葉にみっしぃは顔を横に振る。

 

「確かに帝国解放戦線や貴族連合を読み違えたのは君も同じかもしれないが、それを含めて至らなかったのは私の落ち度というものだ」

 

「みしし」

 

「…………どうしようエマ、何かみっしぃと会話を始めちゃったんだけど」

 

 いきなり現れた男がみっしぃと会話を始めてアリサは更に混乱する。

 

「えっと……」

 

 何と答えて良いのか口ごもりながら、エマはみっしぃを霊視して、そこに宿っている何かを感じ取る。

 

 ――何だろう、この感じ……どこか懐かしい……

 

「それでこれから君はどうするのかね? ここにいる者達くらいなら帝都郊外へ転移術で運ぶこともできるが?」

 

「みしし……」

 

 ワイスマンの提案にみっしぃは首を振り、周囲を見回す。

 

「ふむ……この期に及んで君はまだ諦めないのかね?」

 

「みしっ!」

 

 ワイスマンの言葉にみっしぃは力強く頷いた。

 

「ほう……そんな姿の君がいったい何ができると?」

 

「そこからは私が答えよう《教授》」

 

 花が舞う。

 場違いな花吹雪に視線を奪われ気付けば、そこには白い貴族のような服を纏った仮面の怪盗がいた。

 

「おや《怪盗紳士》殿ではないか、あまりに出て来ないのでてっきりいないものかと思っていたよ」

 

「フフ、共和国からイストミア大森林に立ち寄って彼女たちを迎えに行っていたので遅くなってしまったのだよ……

 《グリムキャッツ》などという低俗な盗人に邪魔をされなければ、もっと早く戻ってこれたのだが――おっと」

 

 早くしろと言わんばかりにブルブランが持っていたトランクが勝手に開き、中から二つのローゼンベルグ人形が宙を舞う。

 

「みし……みし……」

 

 二人の無事な姿にみっしぃは安堵するように肩の力を抜く。

 

「■■■……」

 

「そんな姿になって……」

 

 感動の再会が予想外だったのか桃色の人形と黒髪の人形の表情は固い。

 

「あとは……彼女だが――」

 

「待ちたまえ怪盗紳士っ!」

 

 誰かを探すように視線を巡らせるブルブランにオリヴァルトが声を上げた。

 

「ノイ君とリン君をどうして君が連れている!?

 まさか《結社》はここでリベールのような実験を行うつもりか!?」

 

 導力銃を向けるオリヴァルトにブルブランはため息を吐く。

 

「我がライバル、オリヴァルト……君には失望したよ」

 

「な、何だって!?」

 

「“美”とは“愛”だと語っていた君が皇子として成したことは“理想”という高嶺の花を愛でるだけ……

 君がそんな体たらくだからこそ、“彼”はここまで追い込まれたと何故気付かない」

 

「“彼”……追い込む……それはクロウ君のことなのかい?」

 

 思い当たる“彼”が分からず、あり得そうな一人の名前を出すとブルブランはもう一度ため息を吐く。

 

「“愛”が足りないのではないかな?

 まあこの宝石が錬成されるまで思い出せなかった私が君を批難するのも筋違いかもしれないがね」

 

 そう言ってブルブランは懐から小さな小箱を取り出す。

 

「宝石……?」

 

 彼の言葉を信じるならば、その箱に入っているのは宝石。

 だが、箱越しに感じる宝石の神聖な気配にオリヴァルトの胸が何かを思い出せと言わんばかりにざわめき始める。

 

「君はそこで見ていると良い!

 《福音計画》を超える《超・幻焔計画》の創まりをっ!」

 

「超・幻焔計画だって……」

 

 高らかに叫ぶブルブランにオリヴァルトはただ困惑する。

 

「何を企んでいるか知らないが、結社にこの場を引っ掻き回されるわけには――――えっ!?」

 

 戸惑いを振り払い、オリヴァルトはブルブランに向けた導力銃の引き金を引こうとした瞬間、身体から力が抜けてその場に膝を着いた。

 

「やあ……遅くなったかな?」

 

 気配無くオリヴァルトの横をすり抜けて、白銀の髪の女剣士がブルブラン達に歩み寄る。

 

「いや、ちょうど良いタイミングだよ《白銀の剣聖》殿」

 

「だから私はまだ《剣聖》じゃないんだけど……貴方がワイスマン?」

 

 人懐っこい笑みを浮かべて、女剣士はブルブランから視線をワイスマンに移す。

 

「シズナ君、確かに彼がワイスマンで間違いないが彼は目印でしかない。本当の届け先はあっちだ」

 

「おや? そうだったのかい……って、みっしぃ?」

 

 ブルブランの指摘にシズナと呼ばれた少女は視線を落とし、自分を見上げるみっしぃと目を合わせて固まる。

 

「…………………憑きものの類だけど……この気配……」

 

 吟味するように目を凝らし、次の瞬間シズナは吹き出した。

 

「あははははっ! 何てかっこうをしているんだい弟弟子っ!」

 

「みしし……」

 

 指を指されて笑われたみっしぃは落ち込むように肩を竦める。

 

「ははは……でも元気そうで少し安心したかな。あれからまだ二週間しか経ってないけどね」

 

「みしし……」

 

 シズナの言葉にみっしぃは頷き、何かをせがむようにその手を動かす。

 

「はいはい、これがお望みの“品物”だよ」

 

 促されるがまま、シズナは懐から旧い大きな導力器をみっしぃに差し出した。

 それをみっしぃは両手で受け取る。

 

「みししっ!」

 

「御礼なんて良いよ。それよりも早く済ませてよね。時間が余れば一手でも交えようよ」

 

 みっしぃの感謝を受け流しながら、シズナはこれから始まることに子供の様にワクワクという感情を隠し切れていなかった。

 

「みしし……」

 

 その姿に少し呆れた素振りを見せながら、みっしぃはブルブランから宝石が入った小箱を受け取ってノイとリンに振り返った。

 

「■■■……」

 

「本当にするのですか?」

 

「みしし……」

 

 頼むと言わんばかりにみっしぃは二つの品物を二人に差し出した。

 

「…………それが凄い危ないことだって……ううん、普通の人ならそれだけで死んじゃうって分かってるんだよね?」

 

「みしし」

 

 ノイの言葉にみっしぃは強く頷く。

 

「みしし……」

 

 それでも、という強い決意にノイは押し黙る。

 

「私は……」

 

 そんなノイを横にリンは目を伏せて呟く。

 

「初めて……初めて“願い”を叶えたくないと思っています」

 

 人々の“願い”を無尽蔵・無条件に乞われるがままに応えて来た《空の至宝》の意志はその願いに強い抵抗を感じる。

 

「みし……みしし……」

 

「ええ、分かっています。それをしなければ貴方の大切な人達が守れない……失われてしまってから後悔しても取り戻せないことも……

 そして私も貴方だけではなく、トリスタで出会ったみんなを守りたい……そう“願って”います」

 

「リン……」

 

 心の内の躊躇いを吐露するリンにノイは寄り添う。

 彼女の気持ちはノイも同じ。

 一番大切なものはあっても、二人が過ごしてきた日々、関わった人たちを守りたい、失わせたくない。

 その気持ちは“彼”とも同じであると分かっているからこそ、止められないとも察してしまう。

 

「■■■…………信じてるから……」

 

「ずっと待っています……だから必ず戻ってきてください」

 

「みしし……」

 

 二人の言葉にみっしぃは強く頷き、ノイは宝石を、リンは導力器を受け取り、傍らに浮かせてみっしぃの左右に陣取る。

 

「…………いったい何を始めようと言うんだ?」

 

 力の入らない体に歯噛みしながらオリヴァルトは彼らを見つめる。

 《結社》の実験ならば阻止しなければいけないはずなのに、みっしぃと人形の二人が並ぶ姿を尊いものだと感じてしまっている感情にオリヴァルトは困惑する。

 アリサやエマも、状況についていけないものの邪魔をしてはいけない神聖さにただ彼らを見守る。

 

「“空”のサクラメントプログラムを起動――」

 

 何かを振り払うようにリンは叫び、目の前に浮かぶ古い、銀時計のような“導力器”に手をかざす。

 

「“ゲネシス”を掌握――“八耀石”から“八耀”を観測……補足――」

 

 “導力器”の機能を自分の身体に取り込んで、仮想プログラムとして走らせて次元の彼方をノイが持つ宝石の対を目指すように“観測”する。

 捉えたその存在にリンはノイを振り返り、ノイはそれを受けて叫ぶ。

 

「“焔”と“大地”のサクラメントプログラム起動――■■■の魂と魄を分離っ!」

 

 びくりとみっしぃの体が跳ねるが、反応はそれだけ。

 その事にノイは目を伏せ、続ける。

 

「シャード接続――固定――」

 

 ノイの叫びに応じて黒い霊子がみっしぃを中心に渦巻く。

 

「シャード同調――固定――」

 

 リンの叫びに応じて白い霊子がみっしぃを中心に渦巻く。

 

「鬼気浸食――」

 

「神気解放――」

 

 黒と白の霊子は螺旋を描くように混ざり合い、みっしぃへと集束していく。

 そのあまりの“力”にぬいぐるみの身体は瞬く間に崩壊し、その中のクォーツだけになる。

 クォーツを覆う《黒》と《白》は膨張して人の姿を形作る。

 

「“世界”を纏え――テイク・ジ・エレボニウスッ!」

 

「夢を――“悪夢”を払え――ブート・ザ・ルシファリア」

 

 二人の言葉を合図に《黒》と《白》は混じり合い、一つになって光を溢れさせる。

 そして――目が眩む閃光の中で少年は叫ぶ。

 

「来いっ! 《零の騎神》ゾア・ギルスティンッ!」

 

 

 

 

 

 

「ああ……」

 

 みっしぃが一人の少年となった。

 

「あれは……」

 

 その少年は今、不思議な光に包まれて何かを待っている。

 その後姿をオリヴァルトは知っている。

 知っているはずなのに、“彼”の名前は出て来ない。

 

「彼は……」

 

「あの人は……」

 

 エマとアリサもオリヴァルトと同じだった。

 知っているはずの証拠に、その少年が纏っている服はボロボロだがトールズ士官学院《Ⅶ組》の深紅の制服。

 エマとアリサにとってはクラスメイトのはずなのに、その名前は喉元まで出て来ているのに言葉にできない、思い出せない。

 

「……あれは……あの人は……」

 

 割れた艦橋の窓から身を乗り出したエリゼもまたアリサ達と同じもどかしさを感じていた。

 大切な人だった。

 なのに何故忘れていたのか、名前を呼びたいのに肝心の名前が思い出せない。

 

「あ……くっ……あの人の名前……名前は……」

 

 エリゼの横でアルフィンは覚えていたはずの名前が口に出て来ないことに困惑し焦る。

 一押しが足りない。

 せめて振り返り、その顔を見せてくれれば思い出せるのではないかと淡い期待をしてしまうが肝心の彼は振り返ろうとはしない。

 

「まって……まって……」

 

 エリゼは届かない手を伸ばして――

 

「りーーーーーーーーーんっ!」

 

 彼女のすぐ横からアルティナがその名を叫んでいた。

 先程のどこか超然とした雰囲気も、普段の無口で物静かな態度もかなぐり捨てて、衝動に背中を押されるがまま叫んでしまった自分にアルティナは困惑する。

 

「リーン……アルティナ君……? ああ、そうだ……彼は“リィン君”だ」

 

「リィン……あ……」

 

「ああ……」

 

「シュバルツァー」

 

「リィンさん」

 

「……兄様」

 

 その声が呼び水となって、オリヴァルト達の脳裏に彼と過ごした記憶が駆け巡る。

 誰もが解放された“記憶”の奔流を受け止めることに必死になっている中で、少年はアルティナの声に振り返り、微笑む。

 

「――――――――」

 

 アルティナに何かを語り掛けるように口を動かし――彼の背後に《白亜の騎神》が現れた。

 

 

 

 

 

「ダメーーーーっ!」

 

 レンの悲鳴が響く。

 高く投げ上げられた《パテル=マテル》に《黒の神機》は砲撃を集中する。

 見る間に無惨に削られていく《パテル=マテル》の姿にエステルは歯を食いしばり、棒を杖に立ち上がる。

 

「こっのおおおおおおおおっ!」

 

 気力を振り絞り、エステルは傷付いた体を押して駆け出す。

 

「っ――」

 

「エステルちゃん」

 

 それにヨシュアとアネラスが続く。

 

「はっ! 無駄だってのがまだ分からないのかよ」

 

 《黒の神機》は砲撃をしながら装甲の一部を開いて対人導力ミサイルを撃ち上げる。

 

「きゃあっ!」

 

「しまった……」

 

 ミサイルの雨にエステルとヨシュアは吹き飛ばされる。

 そして、一際大きな砲撃で胸を撃ち抜かれた《パテル=マテル》が爆散する。

 

「あ……」

 

「《パテル=マテル》ッ!」

 

「なんてことを……」

 

 空に散った《パテル=マテル》にレンがエステルがヨシュアが息を飲む。

 

「ハハハハハハハッ! その顔が見たかったぜ!」

 

 ヴァルカンは絶望に染まる彼らの顔に高笑いを上げて、キャノンの砲口をへたり込んだレンに向けた。

 

「それじゃあ消えなっ!」

 

 レンに照準を合わせて《黒の神機》はキャノンに光を宿す。

 その肩に導力ミサイルの雨の中を走り抜けたアネラスが着地する。

 

「これ以上はさせないよ」

 

 アネラスは斬撃を繰り出さず、《黒の神機》の身体を駆け上がり、変形して突き出した大砲の上に着地する。

 

「今度こそ守るよ」

 

 戦術オーブメントを握り締めアネラスは術式を駆動する。

 強くなりたいと切っ掛けをくれた少女の顔と湖畔の墓に誓った思いを胸にアネラスは戦術オーブメントの駆動を意図的に暴走させる。

 刺し違えてでも倒す。

 遊撃士としてはあるまじき行動。

 使うつもりがなかったが、改造して使えるようにしていたお守りのような封じ手。

 それをすることにアネラスは一片の迷いもなかった。

 

「消えちまえっ!」

 

「エニグマ臨界突破――」

 

 ヴァルカンの咆哮とアネラスの叫びが重なり……空しく木霊した。

 

「え……?」

 

 不発した砲撃と自爆術式。

 だが、何故と叫ぶ前にアネラスの身体は《黒の神機》の大砲と共に宙を舞っていた。

 

「っ――」

 

 慌てて大砲を蹴って、近くのまだ倒壊していない家屋の上に着地したアネラスは振り返り《白亜の騎神》を見た。

 

「な、何だお前はっ!?」

 

 突然、レンとの間に現れた《白》に《黒の神機》は後退りながら、ディフレクションバリアとリアクティブアーマーの出力を最大にして身構える。

 

「アナライズ……内包している導力の量は……なんだ《ドラッケン》一機分……ゴミか」

 

 《騎神》を思わせる風貌に反して見掛け倒しな性能にヴァルカンは安堵して気を取り直す。

 バスターキャノンを使うために導力を集中させ過ぎて、リアクティブアーマーが作動しなかっただけだとヴァルカンはキャノンが壊された理由だと決めつけ、腕の機関砲を《白》に向ける。

 

「誰だか知らねえが死ねえええええっ!」

 

 次の瞬間、無造作に《白》が手刀を振る。

 たったそれだけで、アネラス達を苦しめた《黒の神機》の首が宙を舞い、崩れ落ちた。

 

「な……なああああああっ!?」

 

「これも《騎神》なのか?」

 

 驚愕の声を上げるエステルと冷静に分析するヨシュアを他所に《白》はへたり込むレンの前に膝を着き、彼女の前に機械の残骸らしきものを置いて飛び立った。

 

「《パテル=マテル》……大丈夫、必ず直してあげるからね」

 

 《白》が置いて行った残骸にレンは涙を浮かべながら労わるように触れて、飛び立った《白》を見上げて呟く。

 

「ありがとう、リィン……」

 

 

 

 

 

 

「くそっ! こうなったらこっちの聖痕砲で――」

 

 《メルカバ》の聖痕砲と《紅の神機》の想念砲が撃ち合い、鬩ぎ合って状態が一転して、二つの機体は一つの霊的な繋がりを形成する。

 そこで通信から聞こえて来たバルクホルンの悲鳴にケビンは己の《メルカバ》を旋回させて《聖痕》の力を解放する。

 

「いけませんグラハム卿」

 

 しかしそれに待ったの声が掛かり、《五号機》に並走する形で《二号機》が光学迷彩を解いて、その進路を塞ぐ。

 

「ライサンダー卿! 何で邪魔をするんや!?」

 

「どうやら敵はバルクホルン卿の“聖痕”を奪おうとしているようです」

 

「“聖痕”を奪うやと!?」

 

 第二位の分析にケビンは目を剥いて正気を疑う。

 “聖痕”はこの世で絶対的な存在。

 ケビンが以前《影の国》で奪われた特殊な状況を除いて、干渉することなど本来できるようなものではない。

 

「スカーレットはどうやら私達を吊り上げるための餌だったのでしょう……ここで“聖痕”の力を解放すれば私達も老師の二の舞になるかもしれません」

 

「そんな……」

 

「“聖痕”に干渉できる……私達がまだ“聖痕”の全てを解明できていないこともありますが、どうやら黒幕は我々では測り切れない力の持ち主のようですね」

 

 可視化されるほどの濃密な霊力のリンクで繋がれた二つの機体。

 《紅の神機》が明確な隙をさらしているのに、バルクホルンが“聖痕”を奪われている悲鳴を聞くことしかできない現状にケビンは苛立つ。

 

「“聖痕”を奪う敵にどう戦えちゅうねん!」

 

「ならば俺がっ!」

 

 ただ彼らの周りを旋回するだけの《メルカバ》を見兼ねて《翠》が飛翔する。

 

「これが戦術リンクの類ならば俺にも斬れるはずだっ!」

 

 以前何処かで経験したはずのことを思い出しながら、ガイウスは《翠》が握る十字槍に力を込める。

 

「ダメですガイウス君っ!」

 

 聞き覚えのある制止の声を無視して《翠》は突撃する。

 

「バルクホルン先生を――放せっ!」

 

 《翠》の全速から繰り出した渾身の一撃は《メルカバ》と《紅の神機》を繋ぐリンクを穿ち――引き込まれるようにリンクの光に呑み込まれた。

 

「があああああっ!」

 

 全身に電流を浴びせられた、もしくは全身を火炙りにされるような。

 まるで魂を肉体から無理矢理引き剝がすような痛みを超えた痛苦にガイウスの悲鳴はバルクホルンの悲鳴と重なる。

 

「くっ……各員、退艦準備を」

 

「ケビン!?」

 

「オレは一人でメルカバを《神機》にぶつける。お前達はパラシュートを使ってライサンダー卿に回収してもらえ」

 

「待ってケビン! いきなりすぎる!」

 

 ケビンの言葉にリースは反論する。

 

「ならどないせいちゅうんや!? このまま“聖痕”を奪われるのを指咥えて眺めてるくらいならオレが玉砕覚悟で――」

 

『その必要はありません』

 

 唐突にその声が《メルカバ》に響く。

 

「へ……?」

 

「この声は……」

 

 ケビンとリースが顔を見合わせた瞬間、一筋の閃光が《メルカバ八号機》と《紅の神機》のリンクを断ち切った。

 

「なっ!?」

 

「白亜の騎神……?」

 

 《白》は解放された《メルカバ八号機》と《翠の機神》に手を翳すと、二つの機体は一つの黒い球体に呑み込まれ、地上に転移される。

 

「良くも邪魔をしてくれたな!」

 

 あと少しで“聖痕”を完全に奪えたと、スカーレットは鬼の形相で《白》を睨む。

 旋回して距離を取り、十分な加速距離を得た《紅の神機》は奪った“聖痕”の力を解放して、その身に黄金の光を宿す。

 

「斬り刻んでやるわっ!」

 

 《紅の神機》は光の矢となって《白》に放たれ――《白》の拳に叩き折られて墜落した。

 

 

 

 

「ええい! 何をしている! これだからテロリスト風情は!」

 

 煌魔城の玉座で外の光景を見ていたクロワールは憤りを露わにする。

 

「あー」

 

 導力銃を構えたミスティはクロワールが釘付けになっている映像に遠い目で眺める。

 

「いや、もはや《神機》も必要ない。私には帝都80万の戦力があるのだ!

 あの《白亜の騎神》が何なのか知らんが我が軍がたった一体の《騎神》に負けるはずなどないのだ!」

 

「……それ以上はやめた方が良いわよ」

 

「ふ……私を惑わそうとしても無駄なのだよ魔女殿」

 

 ミスティの忠告など聞く耳を持たないクロワールは叫ぶ。

 

「所詮、奴にできることなど《神機》を倒すだけ! 我が“不滅の魔煌兵”80万の敵ではない!」

 

「…………そうだと良いわね……」

 

 ミスティはそれだけ答えて映像の中で《白亜の騎神》が動くのを見た。

 《煌魔城》を背に帝都を見下ろした《白》は徐に右手に黒い霊子を、左手に白い霊子を宿す。

 《白》は黒と白の霊力を頭上で合わせて“相克”させ、巨大な光の剣を作り出し、帝都の空に立ち込めた暗雲を払う。

 

「……………は……?」

 

 クロワールは美しい蒼天の空に目を奪われ言葉を失う。

 そして《白》は“灰色の光”の剣を帝都に振り下ろした。

 その一閃は帝都に満ちた《蒼の瘴気》を全て斬り祓ってしまった。

 

「…………………ええ! ええっ! 知っていたわよ」

 

 ミスティは信じられないことをしでかした《白》に驚くこともなく諦観して頷いていた。

 

「…………いや! まだだ! まだ私の《魔煌兵》が消えたわけではない!」

 

 我に返ったクロワールはイソラに指示を出して“降魔の笛”を吹かせて全ての《魔煌兵》に《白亜の騎神》を倒せと命じさせる。

 

「はは! 見ろ! 雲を払ったのは所詮は見掛け倒しに過ぎないのだ!」

 

 外へ向かっていた《魔煌兵》が一斉に方向転換をして《煌魔城》を目指し始め、空に“雲”が戻り始めていることにクロワールは安堵する。

 

「…………いや……まさか……」

 

 そんなクロワールを他所にミスティは更なる悪寒を感じていた。

 

 

 

 

 

 一度は祓われた帝都の暗雲の空が再び“雲”に覆い尽くされる。

 だが、吹く風は先程の瘴気を孕んだものではない。

 むしろ清涼な風が破壊された帝都を吹き抜け、そして雨が降り始める。

 

「……こんな時に雨とは……」

 

「あのケストレルも何処かに行ってしまった……どうやら覚悟を決める時が来たようですね」

 

 動けなくなった《機甲兵》を乗り捨てて生身で戦い尽くしたオーレリアとウォレスは取り囲む《魔煌兵》の群れに不敵な笑みを浮かべる。

 体は傷だらけ、体力は限界を超えて、もう立っているのもやっとの状態だった。

 

「これで最後だ!」

 

 オーレリアは命を燃やし、最後の技を放つ。

 

「王技・剣乱舞踏!」

 

 大地に突き刺した剣を起点に黄金の剣の津波が無数の《魔煌兵》を押し流す。

 

「これで……私は…………何……?」

 

 全てを出し尽くし前のめりに倒れようとしたオーレリアは体に満ちる活力に気付いて踏みとどまった。

 

「これはいったい……」

 

 己の身に何が起きたのか困惑して両手を見下ろしたオーレリアは傷だらけの腕が雨の雫に濡れて瞬く間に癒えていくのを見る。

 

「オーレリア!」

 

「何だウォレス?」

 

 背後から呼ぶ声に振り返れば、オーレリアはそれを見る。

 自分達を取り囲んでいた《魔煌兵》の群れはいつの間にか戦闘を中断し、空を見上げて降り注ぐ雨を浴びていた。

 何をしても“不滅”だったはずの《魔煌兵》は雨に濡れて泥のように溶け出し、崩れていた。

 

 

 

 

「ダーナさん、これはいったい何が起きているんですか?」

 

 陣地に収容した帝都から逃げて来た民間人の中で、身体の一部が魔煌化していた者達を気休めの治療を施していたダーナは降り注ぐ雨を手の平に受けてミルディーヌの質問に答える。

 

「これは“霊薬”の雨……」

 

 かつて《魔女の眷属》も匙を投げた《魔煌化》。

 《魔煌兵》は“大地の眷属”が残した技術であり、だからこそダーナは必死に《魔煌化》を解くために治療していた。

 だが、できることは進行を遅くすることしかできず、原因を究明して対処手段を模索する前に患者は増える一方だった。

 

「不浄を祓う“焔”、癒しの“水”、命育む“大地”、そして清涼なる“風”……

 理論上はできるはずだったけど、造られることはなかった“四大の霊薬”……こんな方法があったなんて……」

 

 手の平の雨の雫を理由の一つに、始祖の《焔と大地の眷属》達は争ったのだろう。

 そんなものを作り出し、ダーナが見た《緋色の予知》にはなかった輝く空を見上げてダーナは涙ぐむ。

 

「やっぱり凄いな……貴方は……」

 

 《セレンの園》の残骸から生まれた《白亜の騎神》を見上げてダーナはそこにいるリィンに感謝をするのだった。

 

 

 

 

 

「………………こんな未来があったのか……?」

 

 オズボーンは降り注ぐ雨の中、呆然と空を見上げていた。

 もう《黒》の囁きは聞こえない。

 周囲の《魔煌兵》は泥のように溶け、“核”になっていた人間を残して消滅していく。

 兵士の一人が倒れた一人に駆け寄って、その安否を確かめる。

 

「生きてる……生きていますっ!」

 

 その声に歓声が上がる。

 

「セドリック皇子がやったのか!?」

 

「うおおおおっ! 俺達は勝ったんだ!」

 

 直前まで悲壮感しかなかった兵士たちは消えた《魔煌兵》に対して勝鬨を上げる。

 彼らには“雲”の向こうの《白亜の騎神》など見えていないのだろう。

 だが、平民も貴族もなく喜び合う姿にオズボーンはその資格がないと分かっていても口を綻ばせずにはいられなかった。

 

「今日ほどお前が誇らしいと思った日はないぞリィンよ」

 

 夏至祭の帝都、ノーザンブリア、クロスベルに続き、《黒の預言》を覆してこの次元に戻って来た息子の偉業にオズボーンは脱帽した。

 もっとも周囲が既に勝利に浮かれているが、まだ戦いは終わっていない事にオズボーンは気を引き締める。

 その証拠に――

 

「…………クロウ兄ちゃん」

 

 オズボーンの隣の機甲兵に乗った少年は未だにその目に剣呑な光を帯びていた。

 

 

 

 

 

「ハ、ハハハ……」

 

 クロワールは元の姿を取り戻していく《魔煌兵》に膝から崩れ落ちた。

 

「これは夢だ……夢に違いない……」

 

「流石に少し同情するわ」

 

 うわ言を繰り返すクロワールをミスティは憐れむ。

 そして《幻焔計画》がアルベリヒに奪われたことにも少しだけ感謝する。

 

「さてと……覚悟は良いかしらイソラ・ミルスティン?」

 

 命令がなくなったせいなのか笛の演奏をやめて立ち尽くすイソラは無反応。彼女の戦術殻も動く気配はない。

 

「…………呆気ないものね……」

 

 肩透かしをくらった気分でミスティはイソラに導力銃を突き付け、引き金を――引いた。

 

 

 

 

 



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66話 《3》と《9》

 

 

 エリオット・クレイグは空を見上げて、《琥珀の機神》を立ち尽くさせていた。

 空に広がる光景。

 暗雲が立ち込めていた帝都の空は輝く雲に覆い直されて、神秘的な光景を作り上げていた。

 そして降り注ぐ雨。

 穢れた帝都を洗い流し、戦いの傷を癒すように人々に優しく降り注ぐ“恵みの雨”。

 それを誰が降らしているのか戦術リンクが繋がったことでエリオットは自分の中で欠けていたものを思い出した。

 

「僕は……僕たちは……何のために戦っていたんだ?」

 

 必死に戦っていたはずだった。

 絶望して誰か助けて欲しいと女神に祈り、その救いは訪れたはずなのにエリオットの心には陰りが落ちていた。

 

「どうして……どうして……リィン……」

 

 筋違いの憤りだと分かっているのに、簡単に全てを救ってみせた級友にエリオットは喜ぶよりも先に妬みが溢れた。

 

 

 

 

 

 

 クリスタルガーデンからマーテル公園に戦場を移した、エンペラーとスウィンとナーディアの戦いは一つの終わりを迎えていた。

 

「あれだ……」

 

 エンペラーは天高く飛び立った《白亜の騎神》を見上げて声を上げていた。

 

「見つけた……あれだ! 奴こそが私にあの屈辱を与えたあの男に違いない!」

 

 自分の中に会った疑問が消え、殺してやりたいと衝動を叫ぶ。

 

「そうだ! リィン・シュバルツァー……それが貴様の名だ!」

 

 二度と忘れないようにと言わんばかりに叫び心にその名を刻むエンペラーの足下には二人の少年と少女が転がっていた。

 

「ナ―ディア……」

 

「すーちゃん……」

 

 二人は体を血塗れにしながら地面を這い、手を伸ばして大切な相棒の手を取り、そこで力尽きた――はずだった。

 

「また助けられちゃったね」

 

「ああ……」

 

 《クリスタルガーデン》から外に出ていたことが功を奏してエンペラーにいたぶられた体の傷は降り注ぐ《恵みの雨》によって癒されていく。

 

「うーん……今度はいったいどんな代償を支払う事になるのかなー?」

 

「言うなナーディア……あんなモニター二度とごめんだ」

 

 《影の箱庭》を利用したとある実験の試験者をやらされた時の事を思い出してスウィンは頭を振る。

 

「ところですーちゃん、瓶持ってない?」

 

「あ? ティアの薬の空き瓶ならあるけど、何に使うんだ?」

 

「ふっふっふ、この《雨》を取っとけばきっと大儲け~」

 

「お前なぁ……」

 

 スウィンは呆れながらも空き瓶を地面に置き、仰向けになって雨を受ける。

 

「やっぱり凄いなリィンさんは……」

 

「うん、本当になーちゃん達は良い人に助けてもらったよね」

 

 冗談めかしたやり取りをやめて、スウィンとナーディアは内戦が始まる前の一ヶ月を思い出す。

 最初は彼の善意を信じられなかったが、そんな警戒心に気付いていても彼は戦うための技術を二人に教えてくれた。

 

「ナ―ディア……分析は終わったか?」

 

「うん……もちろん」

 

「それならここから反撃だ」

 

 折られた魔剣を捨ててスウィンは立ち上がって《刻剣》を抜く。

 

「ほう……まだ立ち上がれたか」

 

 その気配を察してエンペラーは振り返る。

 

「だが、力の差は理解したはず。例えその“殺人剣”を握ったとしても貴様の刃は私には届かない」

 

「…………」

 

「《剣の9》、君にしても同じだ……

 私の力を解析したのだろうが、それは無駄だ……

 君が解析したように私もまた君たちの能力の更新し、その行動を予測できる……

 妙手であった《3》の剣技を糸で操作する技も既に私は見ている。君達が私に勝てる可能性は零だ」

 

「…………それはどうかな?」

 

 その言葉と共にスウィンは斬りかかる。

 踏み込んで斬る。

 単純な太刀筋をエンペラーは容易に見切って剣で受け止める。

 

「どうした《剣の3》? やはりその程度か?」

 

 どんなに優れていてもスウィンは十代前半の子供。

 その剣戟は軽く、エンペラーの剣を弾く重みはない。

 代わりにあるのは体重が軽いが故の身のこなし。

 スウィンはとにかく手数を増やして斬撃を重ねる。

 

「無駄だと言っているだろう!」

 

 斬るのではなく、とにかく当てる斬撃は流石のエンペラーでも剣だけでは防ぎ切れない。

 故に鎧の篭手や胸甲の強度に任せて受け止める。

 

「“点撃爆破”は私には通じない」

 

 今、スウィンがエンペラーに当てられるのは両手の攻撃だから。

 通じる攻撃を狙って《刻剣》を合体させればその有利はなくなり、エンペラーは篭手や鎧を使わずにスウィンを圧倒できる。

 そもそもスウィンが《刻剣》を合体させる余裕はない。

 斬撃を当てられるとは言え、エンペラーも斬撃を繰り出して来る。

 一撃一撃が重く、双剣を交差して受け止めても身体ごと吹き飛ばされてしまう。

 

「やはりその程度かっ!?」

 

 大きく弾き飛ばされ地面を転がったスウィンにエンペラーは追撃する。

 そして――バンッ!!――曇った爆発音が響き、エンペラーの左篭手は小爆発を受けて亀裂が走った。

 

「――何……?」

 

 目の前のスウィンは地面を転がる勢いで立ち上がる。

 到底剣を振れる態勢ではなかった上に、まだ《刻剣》は双剣のまま。

 

「どうしたエンペラー? まさか怖気づいたか?」

 

「我を愚弄するか!?」

 

 エンペラーはスウィンの挑発に激昂して斬りかかる。

 強烈な踏み込みからの接近にスウィンは息を飲み、反射で剣を交差させてエンペラーの斬撃を受け止めて――彼の右具足が爆ぜた。

 

「っ――貴様か《剣の9》!!」

 

 《刻剣》ではない爆破のカラクリに気付いてエンペラーは声を上げて少女を睨む。

 

「ふふん……考えたら単純なことだよね……

 すーちゃんが設置して、なーちゃんが起爆する。それだけでなーちゃんたちの戦術の幅は無限に広がる」

 

 スウィンが《刻印》した“点”を導力仕掛けの針で射抜いたナーディアは勝ち誇る。

 

「馬鹿な!? 《刻剣》の爆破周波数を教えたと言うのか? それは《剣の3》にとっての生命線のはず」

 

「ああ、そうだな。この剣の導力周波数のパターンを知られれば、ナーディアなら《刻剣》のマーキングは無効化できてしまう」

 

 監視し合うパートナーだからこそ、互いの奥の手に通じる技の原理は明かさない。

 それが《組織》のパートナーの関係性だが、リィンやトールズで出会った人たちのおかげでナーディアへの信頼の一線をスウィンは踏み越えた。

 

「“力”は所詮“力”……」

 

「何……?」

 

「人殺しにしか使えない剣……あんたはそう言った……だからそこが、あんたの思考の限界だ!」

 

 スウィンはエンペラーの剣を弾き、双剣を閃かせる。

 

「っ――」

 

 咄嗟にエンペラーは剣を引き戻して盾にするが、“読み”が外れてスウィンの双剣はエンペラーの足下の地面を交差して十字を刻む。

 

「何を――っ!?」

 

 意味不明な行動を訝しむエンペラーの目の前で刻まれたばかりの十字の中央に突き立ち爆発がエンペラーを呑み込む。

 

「――小娘がっ!」

 

 爆発の黒煙から抜け出したエンペラーは初めて怒りを露わにする。

 

「よそ見をしている暇があるのか?」

 

 スウィンの斬撃が乱舞する。

 双剣が振られる度に、エンペラーの身体に、地面に《刻印》を量産される。

 ナーディアの針が乱舞する。

 鋼糸を駆使し投擲された針は設置されたばかりの《刻印》を次々に爆破していく。

 その爆発は《刻剣》本来の爆発には劣る小爆発。

 だがそれでも断続的に続く前後左右から受ける直接と間接の爆発にエンペラーは翻弄され――

 

「調子に――乗るなっ!」

 

 それまで使っていなかった重力場を展開する。

 

「ぐっ――」

 

「きゃあっ!?」

 

 突然増大した重力にスウィンとナーディアは地面に叩きつけられる。

 

「ふ……」

 

 “カラスの宝珠”を持たない今、エンペラーは重力場の効果を区別できない。

 つまり、二人が立ち上がれない程の重力をその身に受けているというのにエンペラーは平然と佇み這いつくばったナーディアに歩いて行く。

 

「待てっ!」

 

 スウィンの声を背後に聞きながら、エンペラーは賞賛を告げる。

 

「素晴らしい発想だ。《刻剣》の可能性、しかと見せてもらった……やはり君達は逸材だ《3》と《9》」

 

「あなたに褒められても、ぜんぜん嬉しくない」

 

 エンペラーの高揚した声で言葉を続け、次に嵐のような殺気を発した。

 

「だが、いくら優秀な道具でも、我に使われないのなら――」

 

 エンペラーはナーディアの上で剣を掲げ――

 

「価値はない!!」

 

 振り下ろされた刃がナーディアの体に突き刺さった。

 

「あ……」

 

 重力に諍っていたナーディアは小さな呻きをもらし――

 

「――はい、ダウト~」

 

 顔を上げて笑ったナーディアの姿がブレてウサギのぬいぐるみに置き換わる。

 

「なっ!?」

 

 それがただのぬいぐるみではないことをエンペラーは知っている。

 ぬいぐるみを“空蝉”にしてナーディアがぬいぐるみを身代わりにしたと気付くがもう遅い。

 剣を突き立てたぬいぐるみが黒い紙片を伴って爆発する。

 咄嗟に身構えたものの黒い紙片はエンペラーを傷付けることはなかった。

 代わりにその紙片は周囲に干渉するエネルギーを吸収して術として編まれた“重力”を導力停止現象の如く霧散消失させる。

 更に二度目の爆発が起きて、鋼の糸束が弾け、エンペラーの体に無秩序に絡まる。

 

「ちっ……だがこの程度で我の動きを止めたつもりかっ!」

 

 自分を地面に縫い留める鋼の糸を引きちぎろうとするエンペラーにナーディアの手から霊子の糸が紡がれて幾重にも重なり拘束を強める。

 

「すーちゃんっ!」

 

「ああっ!」

 

 ナーディアの叫びにスウィンが双剣を一つの剣にして応える。

 

「まさか――」

 

 このタイミングで剣を合体させた意図にエンペラーは気付く。

 設置をスウィンが、起爆をナーディアが行ったのとは逆。

 霊糸を持って幾重にも重ねた十字の束縛という《刻印》が設置され、それを起爆するのは本来の役目である《刻剣》。

 

「これがっ! 俺達の「愛の力っ!!」だっ!」

 

 スウィンの叫びの一部がナーディアの声に上書きされる。

 しかしそれに構わずスウィンは剣を振り抜く。

 その一閃がナーディアの霊糸の束を捉え――幾重にも重なった霊糸は相乗効果を示し炎を立ち昇らせて爆発した。

 

 

 

 

 

 

「くくく……」

 

 地に倒れている“管理人”――エンペラーは雨が止んだ空を見上げながら乾いた笑い声を上げる。

 

「何がおかしい?」

 

「まさか吾が倒されるとは……」

 

 スウィンの質問にエンペラーは賞賛するような声音で応える。

 

「認めよう……君たちは強い、我が育てた中でも最高の“凶器”だ」

 

 頑なにスウィンとナーディアを“道具”として見ている言葉にスウィンは肩を竦める。

 

「そうだな……結局、俺は確かにあんたの言う通りただの“人殺し”だ」

 

 倒れたエンペラーの眼前に剣を突き付けながらスウィンは考える。

 逃げ出したいと思い詰める程に拒んでいたはずなのに、“自由”を得るためにエンペラーを殺そうとしている矛盾。

 自分達の人生を歪めた怨敵であり、慈悲を向ける相手ではないのに剣を握る手が震える。

 

「すーちゃん」

 

 そんなスウィンにナーディアが近付く。

 

「なーちゃんも一緒に……」

 

 その目はいつになく真剣な目をしていた。

 

「ああ……」

 

 これは二人が決着をつけるべき過去。

 ナーディアの手が剣を握るスウィンの手に添えられ、二人で剣を振り上げる。

 そこでエンペラーがまた口を開く。

 

「君たちの道は血にまみれている……これからの人生もずっとそうだろう……

 殺し殺され、支配し支配され……その果てに、我と同じになる……」

 

 まるで呪う様にエンペラーは笑う。

 

「なーちゃんたちはもう“道具”じゃないし、誰かを“道具”にするつもりもない」

 

「だけど……あんたの言う通り、俺達は俺達を守るためと言い訳をして、いつか人を殺すんだろうな」

 

 スウィンはエンペラーの言葉の一部を肯定する。

 

「今まで奪った人の命を返せるわけじゃない……

 俺達が殺してきた人たちやその人の残された家族が俺達を許すことなんてないんだろう」

 

 少し前までなら自分のことしか考えない言葉を返していただろうと考えながらスウィンは続ける。

 

「それでも……俺は“自由”が欲しい」

 

「すーちゃん……」

 

「……ふん……“道具”のくせにまるで“人間”のようなことを……」

 

 そこでエンペラーはこれ以上語ることはないと言わんばかりに口を噤み目を閉じる。

 

「一つだけ……あんたに感謝することがある……」

 

「……そうだね」

 

 スウィンの呟きにナーディアは頷く。

 

「例え血にまみれた道だったとしても、俺達に人殺しとしてでも、生きる術をくれたのはあんただ」

 

「あんまり認めたくないけど、“組織”がなかったらなーちゃん達はとっくに野垂れ死んでいたよね~」

 

 だから――

 

「「ありがとう、そしてさよなら」」

 

 振り下ろした剣、人の胸を貫いたいつまで経っても慣れることのない感触。

 エンペラーは最後の一瞬まで苦悶の声さえもらさず事切れた。

 その絶命を見届けてスウィンとナーディアは剣を引き抜いて――

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

「…………これが……人を殺す感触……」

 

 息を荒くするスウィンに対して、針の投擲や鋼糸を使って人を殺してきたナーディアは初めて剣から感じる手応えに背筋を冷たくする、

 それでも何とか気を平静に保とうとしてスウィンはナーディアに誤魔化すように話を振る。

 

「そう言えばさっき、最後の一撃の時お前が――」

 

 その言葉を遮る様にパンパンッと手を叩く拍手の音がそこに響いた。

 

「おめでとう! まさかエンペラーを本当に殺しちゃうなんて、いやぁ、凄いね君達」

 

 振り返るとそこにはミント髪の少年がにこやかな笑顔で二人を祝福していた。

 

「あんたは……」

 

「いつからそこに……」

 

 見たことのない少年。

 線は細く一見すれば頼りないように見えるのだが、二人の勘はその姿を見た瞬間に最大の警鐘を鳴らしていた。

 しかし二人の警戒を他所に少年は軽い口調の言葉を続ける。

 

「うんうん、若いうちは色々経験して人生の彩りを増やすのは大切だ♥」

 

 気安く話しかけた少年は二人の警戒心におやっと首を捻り、思い出したように付け加える。

 

「ウフフ……そう言えば君達とは顔を合わせたことはなかったね……

 《四の庭園》の一つ《棘の管理人》のメルキオルって言えば理解してくれるかな?」

 

「《四の庭園》!?」

 

「《棘の管理人》!?」

 

 エンペラーと同格の管理人の出現にスウィンとナーディアは目を剥く。

 裏切り者には死を。それが“組織”の方針。

 いずれエンペラーではない別の幹部が追手を差し向けてくるとは思っていたが、あまりにも早過ぎる襲撃にスウィンとナーディアは狼狽える。

 

「帝国に来たのは別件で、本当は見ているだけのつもりだったんだけど……

 エンペラーを殺した君たちに、僕からとっておきの“お祝い”をさせてもらおうと思ってね♥」

 

 二人の動揺を他所にメルキオルは――

 

「是非受け取ってよね」

 

 殺意もなく、まるでプレゼントを投げる様な気安さで異形の短剣をスウィンに投擲した。

 

 

 

 

 

 

 《白亜の騎神》が帝都に現れる直前、カレル離宮の列車の車庫広場では戦いが終わろうとしていた。

 

「ちぇえ……良い所だったのに」

 

「でも、わたしたちじゃ壊し切れなかったから仕方ないよ」

 

 唇を尖らせて不貞腐れるシャーリィをフィーは宥める。

 

「…………あの……」

 

「ん……大人しくする」

 

 シャーリィを宥めながらフィーは自分の膝を枕に横たわるシオン・オライオンの頭を撫でる。

 団でも、士官学院でも妹扱いされて来たフィーにとって年下の妹分という存在に琴線に触れるものがあった。

 

「ですが……」

 

「今は大人しくする。随分消耗していたみたいだし、レーションでも食べる?」

 

「あ、シャーリィにもちょうだい」

 

「ん……」

 

 フィーは取り出したレーションを投げて、シャーリィは受け取って口に放り込む。

 

「もぐもぐ……それでこれからどうするのさ?」

 

 シャーリィはレーションを咀嚼しながら、周囲を見回す。

 そこには“不滅”ではなくなり倒された《魔煌兵》が《西風の旅団》の人数だけ転がっていた。

 幾度となくシャーリィは《魔煌兵》の首を狩り、フィーも隙を突くように爆破を試みたが、どれだけ破壊しても《魔煌兵》は復活し二人の武装が尽きた。

 そのタイミングで介入して来た《紺の魔煌騎神》の“剣”により、“不滅”だった《魔煌兵》は体を再生できずに再起不能となった。

 

「今なら止めをさせるけど、シオンがこれじゃあ」

 

「わ、わたしなら問題ありません」

 

 そう意気込んで起き上がったシオンは体をふらつかせてフィーの膝に逆戻りとなる。

 

「むぅ……」

 

「とりあえず今は休む」

 

 “不滅”という概念を破壊した《剣》となっていたシオンの消耗振りをフィーは気遣う。

 もっとも休みが必要な程に消耗しているのはフィーもシャーリィも同じだった。

 出来る事ならすぐにでも帝都に向かうべきなのだが、武器も体力も使い果たした自分達が行って何ができるのかと二人は考える。

 

「今は休んで……それから……」

 

 フィーは思わず言葉を躊躇った。

 と、そこでフィーは肩に雨が落ちた気配を感じた。

 

「雨だ……」

 

「あ、ほんとだ」

 

 フィーとシャーリィは空を見上げて――

 

「え……?」

 

「あれ……?」

 

 戦術リンクが何処かと繋がり、疲弊した体が瞬く間に回復する。そして、今まであったと気付きもしなかった思考の靄が晴れた。

 

「…………あれ……何で……わたし……」

 

「うわぁ……リィンの生首と死体が一杯……」

 

「シャーリィ、言い方」

 

 車庫広場の至る所に打ち捨てられているクラスメイトをモデルにした自走地雷の残骸を見回して笑うシャーリィをフィーは窘める。

 

「…………ちょっとゼノを殴ってくる」

 

「殴るってどうやって?」

 

 シオンをシャーリィに預けて立ち上がったフィーにシャーリィは尋ねる。

 《紫の魔煌騎神》が倒してくれたが、《魔煌兵》は一向に元の人間に戻る気配はない。

 もしかして一生このままなのではないかという危惧は降り注ぐ雨によって杞憂で済んだ。

 降り注ぐ雨に打たれ、動かなくなった《魔煌兵》がまるで水を掛けられた泥人形のように溶け出していく。

 《魔煌兵》に変じた《西風の旅団》は次々と元に戻っていく。

 

「…………団長、後は任せた」

 

「おう! 行ってこい」

 

 ゼノを殴ると言っていたはずのフィーは踵を返して走り出す。

 その背中を苦笑交じりにゼファーは見送りながら空を見上げる。

 

「まさかあの時のガキがここまでデカくなるとはな」

 

 《西風の旅団》を振り返らずに駆け出したフィーの後ろ姿とこの奇蹟の雨を降らせる少年を思い浮かべてゼファーは感慨に耽る。

 

「それに比べてお前らと来たら……」

 

 《紺の魔煌騎神》から降りたゼファーは《魔煌兵》から戻った《西風の旅団》を見下ろした。

 彼らは一様に消耗し切った様子で蹲り、倒れながらもかろうじて意識を保っていた。

 そんな彼らを見下ろしてゼファーは――ルトガーは語り掛ける。

 

「お前達に遺言を残さなかったのは、お前達が一人前だと思っていたからだ」

 

「だ……だんちょう……」

 

 息も絶え絶えにしながらゼノは顔を上げる。

 

「猟兵なんていつ死ぬか分からねえもんを生業としてるんだ。それこそ、いつ死ぬか分からねえ……

 バルデルとの決闘に限らない。“猟兵”って言うのはそういうもんだった俺はお前達は分かっていると思っていたわけだ」

 

「それでも……それでも団長……俺達は……貴方に……恩返しがしたくて……」

 

「恩返しか……」

 

 レオニダスのその言葉にルトガーは考える。

 “恩返し”などというのは戦いの中で生きて来たルトガーにとって馴染みの薄いものでしかない。

 何よりも満足できる死を覆しての恩返しの強要など、本末転倒ではないのだろうかとさえ思う。

 

「するとあれか? 俺はお前達が満足するまで、生かされ続けてろってことか?」

 

「それは……」

 

 口ごもるゼノをルトガーは睨む。

 そんな態度のルトガーは呆れて肩を竦める。

 

「ボスの言った通りか……」

 

 そう呟き、ルトガーはこの期に及んで崇拝のような眼差しを向けて来る《西風の旅団》に告げた。

 

「ならこうするか、俺を生き返らせた。それでお前達の“恩返し”は終わりだ」

 

「…………え?」

 

「団長……何を……?」

 

「とりあえず感謝はするぜ。“黄昏”というでっけぇ戦の、それも最前線の席をくれたんだ」

 

 事実バルデルとの決闘の結末に水を差された不満は次の大戦への期待が上回り始めている。

 

「で、お前達とはここでお別れだ」

 

「団長っ!?」

 

「どうして……」

 

 困惑の声を無視してルトガーは振り返る。

 

「アイーダ」

 

「はい……」

 

 粛々と頷き、アイーダはまるでここにはいない《西風の旅団》の代表のようにルトガーの前に膝を着く。

 そんな彼女と未だに状況を呑み込めず呆然と自分を見上げる部下たちを見渡して、ルトガーは目を細める。

 

「本当ならフィーだけじゃなく、こう言い残しておくべきだったんだろうな」

 

 そしてかつての日を思い返しルトガーは宣言する。

 

「今日この日を持って《西風の旅団》は解散する!」

 

 

 

 

 

 

 戦いはまだ続いている。

 だが人々はそれに気付かず降り注ぐ奇蹟を喜んでいた。

 そこに貴族と平民の垣根はない。

 共にした絶望の戦場を生き残り、手を取り合って喜びを分かち合う。

 もっとも喜んでばかりではいられない。

 《魔煌化》が解かれて野ざらしになった民間人を救助と保護がオズボーンやオーレリアの声で始まる。

 そんな中を《紅の機神》は疾走する。

 

「どうして……どうしてだっ!?」

 

 その手には既に冷たくなったヘルムート・アルバレアを握り締め、ユーシスは雨の中をひたすらに《機神》を走らせる。

 

「何で……」

 

 これだけの奇蹟が世界に満ちているのに、ヘルムートが息を吹き返す気配はない。

 

「どうしてだリィンッ!?」

 

 思い出した事よりも先にユーシスは慟哭する。

 空の上で奇蹟を振り撒くクラスメイトは何故、ヘルムートを助けてくれないのか。

 ユーシスは気付いていないが、それは何もヘルムートに限った話ではない。

 《白亜の騎神》が現れる前に事切れていた者達の中で蘇生している者達はいない。

 例え微かな虫の息の重傷者であっても癒す《霊薬》の奇蹟であっても、死者を蘇らせる力はない。

 ただあまりにも奇蹟が大き過ぎて、それに気付いている者は少ない。

 

「答えろリィン・シュバルツァーッ! 何故父上を助けてくれないんだっ!?」

 

 繋がっているはずの戦術リンクからユーシスは叫ぶ。

 だが、そこから何の意志も返ってはこない。

 ただユーシスと《紅の機神》を癒す力だけが送られてくる。

 そんな奇蹟は望んでいない。

 自分よりも父を救って欲しいとユーシスは願う。

 

「父上……どうして……何故こんなことに……」

 

 確かにヘルムートはケルディックの虐殺を引き起こした。

 他にも四大名門の当主として、貴族連合を主導して内戦を起こしたかもしれない。

 ここで生き残ったとしても、碌な未来は待っていないかもしれない。

 

「それでも……これはあんまりではないか」

 

 ルーファスに裏切られ、無惨な死がヘルムートに与えられた罰なのか。

 否、それよりもユーシス自身が事切れたヘルムートを前にして、今まで言いたかった言葉がいくつも浮かんでくる。

 

「頼むっ! リィンッ!!」

 

 恥も外聞も捨てユーシスは懇願する。

 だが、ユーシスの願いは届かず、彼の下に奇蹟は起きなかった。

 

「あ……ああああああああああああああっ!」

 

 ユーシスの慟哭が《紅の機神》の中に空しく響き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






黎ⅡのEDの歌を先に動画で聞いたんですが、「現在(いま)という煌めき」の歌詞が今のリィンの心情に近い歌になっていると感じました。



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67話 《緋蒼の相克》

 

 

 

 

「何で……何で貴女がここに……?」

 

 二人掛かりの聖痕砲を弾き返されて光の奔流に呑み込まれるはずだったセドリックは目の前の背中に言葉を失っていた。

 

「…………」

 

 それは《緋》と《灰》に背中を向けたまま無言で佇んでいる。

 

「答えろ! 貴女がどうしてここにいる《鋼の聖女》!」

 

 自分達を守る様に、実際跳ね返された砲撃を両断して守った《銀》は――アリアンロードは振り返らずに口を開いた。

 

「さ……」

 

「さ……?」

 

「散歩を少々……」

 

 躊躇いがちに出て来た言葉をセドリックは一瞬、理解できなかった。

 

「えっと……あまりに天気が良かったので《アルグレオン》に乗って空を散歩、いえ散翔していたら偶然この場に出くわしたのです」

 

 聞いてもいないのに早口でまくし立てるアリアンロードの声にセドリックの眼差しはどんどん冷めていく。

 

「散歩……? ヴァリマールも散歩した方が良いの?」

 

「キーア、我にそれは必要ない」

 

 真に受けたキーアは思わず尋ね、《灰》はすぐに否定する。

 

「いきなり何をふざけたことを言っているんですか貴女は!?」

 

「…………デュバリィのようにするのは難しいですね」

 

 セドリックの叫びに《銀》は肩を竦める。

 

「そんなことを聞いているんじゃない! どうしてここに――何のつもりでそこに立っているんだ!?」

 

 まるでこれから《獣》に挑もうとしている《銀》を問い詰める。

 

「あれは元が《蒼》ではありますが、《エンド・オブ・ヴァーミリオン》と同じ存在……

 ならばこそ私の250年の研鑽を試す相手に相応しいと言えるでしょう」

 

 かつての屈辱を思い出しながらアリアンロードは《獣》を見据える。

 

「貴方達は良く戦いました……

 《黒》の介入がなければ先程の一撃で貴方達は勝利していたでしょう」

 

「あ……」

 

「ここから先はもはや“内戦”ではありません。あれは私が倒します」

 

「何を勝手な――っ!?」

 

 言い返そうとした瞬間、セドリックは自分から漏れ出した光を見下ろす。

 

「何だ……《ARCUS》が光っている?」

 

 《ARCUS》に灯った光は《緋》の端末に移って一つのメッセージを画面に映す。

 

「戦術リンクが繋がった……? 《零の騎神》ゾア・ギルスティン……まさかリィンさん!?」

 

 思わず叫んだ“名”にノイズが重ならなかったことにセドリックは目を見開く。

 

「キーアッ!」

 

「あああああっ!」

 

 思わず《灰》に振り返るが、帰って来たのはキーアの泣き声だった。

 

「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」

 

「キーア!? いきなり何で!?」

 

 泣き叫んで謝罪を繰り返すキーアにセドリックは狼狽える。

 

「キーア! リィンさんは君を怒ってない! だから――」

 

「キーアがちゃんとできなかったから! またリィンに――」

 

 キーアの叫びからセドリックは何故彼女がこれほどの取り乱して泣き叫んでいるのか考えて――

 

「まさか……」

 

 その可能性に思い至りセドリックは蒼褪める。

 リィンは閉じ込められた《零の世界》から脱出して来た訳ではないのだとしたら、彼はいったいどうやってここに来ているのか。

 どれだけのリスクを背負って自分達を助けに来てくれたのか。

 

「馬鹿か僕はっ!」

 

 これまで散々危ないところを助けてもらって、今も戦術リンクから送られてくる“力”が戦いで消耗した《緋》を癒してくれている。

 今まで何度も感じていたわずかな手助けではない。

 より明確に感じる彼の気配や、このタイミングで因果改変によって隠されていた彼の“名”を認識できることの意味。

 

「僕は何をしている!?」

 

『クリス?』

 

「ちょっといきなりどうしたのよ!?」

 

「僕は……僕はっ!」

 

 この期に及んでリィンやアリアンロードの救援に安堵している自分にセドリックは苛立つ。

 

「ガアアアアアアアアアアア!」

 

 そして《獣》にも何かが起きたのか、突然苦しみ始めた。

 

「あれは……纏っていた“想念”が剥がれていく?」

 

 セリーヌはその様子から何が起きているのかを察する。

 帝都市民80万人の想念で強化された《蒼》は彼らが《魔煌兵》から解き放たれたことで、纏っていた想念の鎧が失っていく。

 

「…………どうやら私が手を下す必要もなかったようですね」

 

 意気込んで介入しに来た《銀》は決まりが悪そうに天を仰ぐ。

 その言葉にセドリックの全身から力が抜ける。

 

「これで……終わり?」

 

 あまりにも少子抜けるする幕切れにセドリックは呆然と苦しむ《獣》を見守る。

 外で何が起きているのか分からない。

 だが、帝都市民の想念が解放されたという事は《蒼》と《帝都》の間に繋げられた戦術リンクが解けたということ。

 ミスティとダーナ、二人の眷属が無理だと言っていたことを登場と同時にやってのけることは流石の一言に尽きる。

 

「僕は……まだクロウを殴れていないのに……」

 

 拳を握り締めて悔しさに歯を食いしばる。

 セドリックも、《緋》の中の想念達も不完全燃焼の苛立ちを呑み込もうとして――

 

「まだだっ!」

 

 その声が上がった。

 

「何をしているクロウ・アームブラストッ! 戦えっ! 敵軍にはオズボーンがいるのだぞっ!」

 

 黒い瘴気をその身に纏ったクロワールは苦しむ《獣》を罵り囃し立てる。

 

「グルアアアアアアアアアアッ!」

 

 しかしクロワールの声は届いていないのか、《獣》は変わらず想念の流出が止まることはない。

 

「ええいっ! 祖父と同じで肝心な時に使えない! ならば――」

 

 そう叫んでクロワールが取り出したのは先端に宝石があしらわれた杖だった。

 

「出でよっ!」

 

 その号令によって《獣》の背後に二つの巨大な魔法陣が浮かび上がり、転移して現れたのは《黒》と《紅》の《神機》だった。

 しかしその姿は半壊しており、動く気配はない。

 

「カイエン公、一体何を?」

 

 誰かによって倒された《神機》を呼び出して何をしようというのかセドリックが首を傾げているとクロワールは続けて叫ぶ。

 

「合体せよ、オルディーネッ!」

 

「だから、合体なんて――え……?」

 

 半壊してパーツが足りていないと思っていた《神機》がまるで泥のように溶け出して、その姿を粘土のように蠢き変化させていく。

 

『うそ……あれって……』

 

 ミリアムが目を丸くして驚く。

 粘土の塊が形作るのは巨大な《戦術殻》。

 二つの《戦術殻》は光となって《獣》に融合して、その姿を変える。

 《獣》から《騎士》へ。

 元の《騎神》の姿を取り戻すような変化に伴い、想念の流出が止まる。

 

「はははっ! 《零の騎神》などこの《蒼の帝王》が粉砕してくれる! そしてもう一度――へ……?」

 

 そしていつからそこにいたのか、クロワールの背後にいた《蒼い竜機》が泥となってクロワールを呑み込んだ。

 その泥もまた《戦術殻》にその姿を変えて、《蒼》の武器となる。

 

「ウ――――オオオオオオオオオオッ!」

 

 幾分か理性的になったように聞こえる咆哮を《蒼》が上げる。

 手には黒い焔が揺らめくダブルランサー。

 体は元の《蒼の騎神》のものだが、その胸には《緋》や《灰》に増設された“フェンリル”の増幅器を始め、身体の各所に増設された鎧の装甲。

 そして十字の盾の二つの浮遊ユニット。

 あえて名付けるのなら、《オルディーネ・アルカディス》。

 その霊圧は先程の無秩序に垂れ流していた《獣》には劣るものの、研ぎ澄まされた“力”の凄みは増していた。

 もっとも――

 

「…………つくづく度し難い」

 

 荒れ狂う霊力の風をその身に受けながらも《銀》は動じることはなかった。

 

「リィンの手を煩わせるわけにはいきません。ここは私に任せてください」

 

 《銀》は改めて《緋》と《灰》を庇う様に《蒼》の前に進み出る。

 

「っ――」

 

 聖女の申し出にセドリックは萎えかけていた意気を燃え上がらせる。

 

「――ゃまだ……」

 

「クリス……?」

 

 体を震わせるセドリックをセリーヌが振り返る。

 《銀》は無手で《蒼》の前に立ち、両手を身体の前で祈る様に手を合わせて――

 

「邪魔をするなぁっ!」

 

 その《銀》の肩を背後から《緋》は掴んで押し払う。

 

「っ――アルノールの子?」

 

「下がれ! こいつは僕の獲物だっ!」

 

 《銀》を押し退けて《緋》は《蒼》に突撃する。

 自分の意志と《緋》に宿った“想念”に背中を押されながらも叫ぶ。

 

「リィンさんの手を煩わせるわけにはいかない、それは僕の台詞だっ!」

 

 リィンからの戦術リンクを拒絶して、《緋》は疾走する。

 正面からの突撃に《蒼》の周囲に浮かぶユニットが動く。

 盾に見えた板状のユニットは回転して底を見せると、そこには銃口の穴があった。

 盾と銃を兼用した二つの浮遊ユニットは突撃して来る《緋》に弾幕を浴びせる。

 

「っ――」

 

 小さな弾丸は《緋》に命中すると炸裂してその装甲を削る。

 

「くっ……ああああああああっ!」

 

 一撃でも怯ませる威力がある弾幕の乱れ撃ちに《緋》は咆哮を上げながら前進を選ぶ。

 

「ちょ!? 何考えてるのよ!?」

 

 無謀な突撃にセリーヌが悲鳴を上げ、一際大きな衝撃に必死に操縦席にしがみつく。

 

「クロウ・アームブラストッ!」

 

 炸裂する弾丸が巻き起こする爆炎を掻き分けて《緋》は跳び拳を振り被る。

 対する《蒼》は無言でダブルセイバーを振り十字の剣閃を放つ。

 

「そんなもの――っ!」

 

 迫る剣閃を《銀の拳》で打ち払い、急降下の飛翔の勢いを乗せて《緋》は一直線に《蒼》へと迫る。

 突き出された《銀の拳》に対して《蒼》はダブルセイバーを盾に受け止め、両者の激突が激しい雷光を生み出し床に亀裂が走る。

 外からの干渉によって揺らぎ始めていた《煌魔城》はその衝撃によって崩壊が加速する。

 

「《テスタ=ロッサ》! お前の力はその程度かっ!」

 

  叱咤激励して《緋》は拮抗からさらに拳を押し込む。

 機体の各所が開き、《緋》は全身から霊力を焔の様に揺らめかせてダブルセイバーを更なる力で押し込み――殴り飛ばした。

 ダブルセイバー越しに殴り飛ばされた《蒼》は壁を貫通しながら吹き飛ぶ。

 

「そうだ……もっとだ……もっとよこせ《テスタ=ロッサ》」

 

 もはや終わった後の事など知らない。

 《獣》に堕ちたようにセドリックは激情を解放して、この戦いに全てを出し尽くす勢いで殴り飛ばした《蒼》を追い駆けた。

 

 

 

 

 《煌魔城》がバルフレイム宮に戻る寸前、その壁をぶち抜き《蒼》が雨が降る帝都の空に現れる。

 それを追い、焔を身に纏った《緋》が一直線に《蒼》に追い縋る。

 

「クリス!」

 

 弾幕を張る《蒼》に対して《緋》は愚直な突進を再び行う。

 迸る程の霊力が漲っているせいか、先程はその身を削られた弾丸にも耐えていることにセリーヌはホッと胸を撫で下ろすが、すぐに我に返って文句を叫ぶ。

 

「ちょっと止まりなさいクリスッ!」

 

 セリーヌの制止など意に介さず、弾幕を突き破って肉薄した《緋》は爪を開いた右腕を一閃――空を斬る。

 

「何――っ!?」

 

 目の前から消えた《蒼》を探して《緋》は周囲を見回す。

 

『――上だよっ!』

 

 その頭上から急降下してきた《蒼》のダブルセイバーの一撃を《緋》は右腕で防ぐ。

 そのまま斬り抜けて行った《蒼》は空こそが自分の領域だと言わんばかりに加速する。

 

「どうするのよ? あの速度は追い付けないわよ」

 

「どうするも何も――」

 

 セリーヌの叫びにセドリックは行動で応える。

 《緋》は黒い光に包み込まれると、飛翔する《蒼》の前に転移する。

 

「逃げるなっ!」

 

 驚く《蒼》の顔を鷲掴みにして《緋》は大地に叩きつけると言わんばかりに急降下する。

 

「っ――おおおおおおおおおおおおっ!」

 

 《緋》に負けず劣らずの力で《蒼》は《緋》の手を外そうともがき。ダブルセイバーを胴体に当てて力任せに振り抜く。

 

「ちっ……」

 

 腕を外された《緋》は《蒼》が放つ四つの翼の法剣に対して、瞬時の己の翼を同様の法剣の翼に作り替えて迎撃する。

 四対四の法剣は《緋》と《蒼》の間で火花を散らしてぶつかり合い、その勢いが失われてそれぞれが巻き戻って行く。

 それで仕切り直しの間を稼げたと言わんばかりに《蒼》はダブルセイバーを構えて突撃する。

 それを迎え討たんと《緋》は迫る刃を拳で迎撃する。

 

「このクソ皇子がっ!」

 

 ようやく出て来たクロウの声にセドリックは眦を上げて言い返す。

 

「僕がクソならお前は何様のつもりだっ!?」

 

 ダブルセイバーが薙ぎ払われて《緋》の装甲に傷を刻む。

 

「俺は選ばれたんだっ!」

 

 《緋》に殴り返されながらも《蒼》は怯まずダブルセイバーを突き出す。

 

「選ばれただと!?」

 

「そうだっ! カイエン公に拾われて! ヴィータに選ばれて! 俺はこの《オルディーネ》を手に入れた!

 《女神》が俺にオズボーンに復讐しろと、俺に帝国を救う英雄になれって言っているんだっ!」

 

「世迷言をっ!」

 

 クロウの言い分にセドリックは子供じみた言い訳だと一笑する。

 確かに《起動者》は今後の帝国の未来に大きく関わる選ばれた存在と言っても過言ではない。

 だが、それがテロリストをやる免罪符になって良いはずがない。

 

「オズボーンのやばさを理解できない無能の皇族がっ!」

 

「ゲーム感覚で人殺しをしているお前達よりオズボーン宰相の方がずっと真っ当だっ!」

 

「何だと!?」

 

「この内戦でどれだけの人が死んだと思っている!?

 《煌魔城》なんか出現させてどれだけの人を《魔煌兵》にしたと思っている!?」

 

「そんなもんっ! オズボーンさえ殺すための必要な犠牲だっ!」

 

「それをお前達が言うのかっ!?」

 

 ダブルセイバーと拳。

 手数も間合いも関係なく、両者は互いに一歩も引かずに空中で何度もぶつかり合い――

 

「もらったっ!」

 

「甘えっ!」

 

 一瞬の隙を突いたと思った《緋》は《蒼》の間合いの中に飛び込む。

 だが、《蒼》はダブルセイバーから手を放して左手で《緋》の顔を掴み――

 

「メギデルスッ!」

 

 左手に金色の光を宿して、《緋》を呑み込む程の砲撃を零距離から放つ。

 

「がっ!」

 

 空から砲撃に押される形で大地に――ドライケルス広場に《緋》は叩きつけられ、撥ね飛ばされて半壊した民家の中に突っ込み瓦礫に呑み込まれる。

 

「もらったっ!」

 

 瓦礫に体を半分埋めた《緋》に《蒼》は勝機と見てダブルセイバーを前に突き出すようにして急降下する。

 

「う…………ああああああああっ!」

 

 仰向けに倒れていた《緋》は手に触れた“それ”を掴むと乱暴に振り抜き――ドライケルスが《蒼》を横撃して吹き飛ばす。

 

「はぁ……はあ……はあ……」

 

 瓦礫を押し退けて立ち上がった《緋》はドライケルスの銅像の足を握り締めて跳躍、民家だったものに背中を預けて項垂れる《蒼》に叩きつけた。

 

「ちょっ! ちょっ! あんたはっ! 自分が何をしているか分かっているのっ!」

 

 セリーヌがあまりのことに絶句している間にもドライケルスは二度、三度《蒼》に叩きつけられる。

 

「アハハハッ! 流石獅子心皇帝っ! 良い手応えじゃないかっ!」

 

 ドライケルスは《騎神》の装甲に罅を入れるどころか、《蒼》の角を砕き、滅多打ちにする。

 その《ドライケルスの銅像》の攻撃力にセドリックは気を良くして高笑いを上げる。

 

「そうじゃなくて! それはアンタの御先祖様の銅像なんでしょ!?」

 

「これが“猟兵流”って奴だよセリーヌッ!」

 

「あんたは帝国の皇子でしょうが! だいたいそれは魔女の里でも語り継がれている偉大な――」

 

「――――調子に乗ってんじゃねえっ!」

 

 しかし、無防備に殴られ続けていた《蒼》は振り下ろされたドライケルスの頭を掴み、力任せに振り抜いた。

 

「っ!」

 

 油断した《緋》はドライケルス越しにその膂力に振り回され、握っていた足から手が抜けて水面を水切りのようにバウンドし――

 

「打ち砕け――」

 

 態勢を立て直そうと空中で止まった《緋》に《蒼》はドライケルスを回転させて投げつける。

 

「がはっ!」

 

 回転して飛来するドライケルスの直撃を受けた《緋》はそのままバルフレイム宮の城壁に叩きつけられ――

 《蒼》は《緋》を打撃したドライケルスを空中で掴むとそこに闘気を漲らせて――

 

「ヴォーパル・D・スレイヤーッ!!」

 

 ドライケルスを槍に見立てて投擲する。

 

「クリスッ! 避けなさいっ!」

 

 頭から突っ込んで来るドライケルスにセリーヌが悲鳴を上げ、《緋》は咄嗟に身を捩り――ドライケルスが《緋》の左肩を貫通して城壁に突き刺さった。

 

「あああああああああああっ!」

 

「来るわよっ!」

 

 フィードバックした痛みがセドリックを襲うが、セリーヌが《蒼》の追撃を叫ぶ。

 

「取ったっ!」

 

 左肩をドライケルスで縫い留められた《緋》に《蒼》はダブルセイバーを突き出して最大加速で突撃する。

 

「あああああああアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 対するセドリックは悲鳴を上げ続け――

 

「――やられる」

 

 セリーヌが目を瞑った瞬間、《緋》は縫い留められた左肩を自ら引きちぎって《蒼》の刃を躱し、カウンターの拳をその顔面に叩き込む。

 《蒼》は弾き返されたように水面をバウンドしてドライケルス広場まで吹き飛ばされる。

 

「ふぅ……ふぅ……ふぅ……」

 

 《緋》は残った右腕で壁に垂直に突き立ったドライケルスの足を掴んで引き抜く。

 

「ちょ!? それまだ使うつもり!?」

 

 《緋》の霊力は全身の強化に回して武器を錬成している余裕がないとはいえ、ドライケルスを使い続けることにセリーヌは難色を示す。

 セドリックはその言葉に応えず、《緋》は足を脇に挟み込むように馬上槍を構えるようにドライケルスを抱え持つ。

 

「だから――にゃあああああああっ!」

 

 セリーヌの悲鳴を置き去りにして《緋》は突き殺すどころか轢き殺す勢いで飛翔する。

 

「一つ覚えの突撃が効くかよっ!」

 

 空中で態勢を戻した《蒼》は《緋》の突撃を回避して振り返り反撃を――

 

「うおっ!?」

 

 背後からの衝撃に《蒼》は前のめりに倒れる。

 突撃した《緋》に遅れて尾の剣が《蒼》の背中を強打して撥ね飛ばされる。

 

「終わりだ! クロウ・アームブラストッ!!」

 

「ちいっ!」

 

 態勢を崩した《蒼》に《緋》が旋回して迫る。

 浮遊ユニットが《蒼》を守る様に光弾を連射して、翼の四つの法剣が伸びて《緋》に襲い掛かる。

 光弾が《緋》の罅割れた体を、武器にしたドライケルスを容赦なく撃ち砕いて行く。

 だが《緋》の勢いは止まらない。

 

「うああああああああああああああああっ!」

 

 四つの法剣に顔を削られ、右足が引きちぎられ、ドライケルスの頭が割れた。

 それでも《緋》はひたすらに前へ飛翔する。

 

「この野郎っ!」

 

 《蒼》はダブルセイバーを振り被る。

 

「喧嘩は――」

 

 とある少女から教わった言葉を思い出しながら《緋》は砕けたドライケルスの像の中から現れた“総ゼムリアストーンの剣”を身体ごと突き出す。

 《蒼》の刃と《緋》の刃が激突し――

 

「喧嘩は気合いだぁああああああああああっ!」

 

 ゼムリアストーンの剣はダブルセイバーを打ち砕き、《蒼》の胸を貫いた。

 

 

 

 

 

 







オズボーン
「獅子戦役の時に造った剣………………隠す場所を間違えたか……?」




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68話 復讐の結末




二人の緋皇、完結が目前になったので以前限定公開していた閃の軌跡Ⅲのプロットである―夢であるように―を通常投稿に変更しました。

向こうにも書いてありますが、あれは半年前に書いた導入なので本連載の時には予告なく変更することがありますので御了承ください。





 

 

 

 

「はあ……はぁ……はぁ……」

 

 狭い《騎神》の操縦席でセドリックは荒くなった呼吸を整える。

 法剣で顔を抉られた影響からなのか、視界が狭い。

 掲げられるように剣で串刺しにされた《蒼》から三つの光が飛び出して、ドライケルス広場だった廃墟に三つの巨大な戦術殻が現れる。

 それらは取り込んでいたヴァルカンとスカーレット、そしてクロワールを排出すると空気に溶けるように消えてしまう。

 そして最後に《蒼の騎神》からクロウが排出される。

 

「…………行かなきゃ……」

 

 それを見てセドリックはいつの間にか流れていた血涙と鼻血を乱暴に拭って《緋》から降りようと――

 

「やめておきなさい」

 

 セリーヌがそれを止める。

 

「あんたはそのまま意識を落しなさい。霊力が枯渇している上に《テスタ=ロッサ》と同調し過ぎてこれ以上動いたら死ぬわよ」

 

「でも……」

 

 セリーヌの忠告にセドリックは虚ろな返事を返す。

 

「まだクロウは……」

 

 《蒼》の損傷を四人で合一していたおかげなのか、クロウを含めた四人は誰も死んでいないと《緋》の目は判別している。

 

「後はあんたの兄や鉄血宰相に任せなさい」

 

「…………そうだね……最後くらい……兄上達に譲って上げないと……」

 

 言葉の途中でセドリックはがくりと頭を落した。

 それに伴って《緋》の操縦席の光が暗くなる。

 《緋》は掲げた《蒼》を脇に降ろして膝を着き、体中の至る所から蒸気を吹き出した。

 

「これより休眠状態に移行する」

 

「ええ、お疲れ様《テスタ=ロッサ》」

 

 当然の《緋》の言葉にセリーヌはセドリックの代わりに労う。

 

『僕ももう限界かも……ふあ……』

 

 あくびをする気配を操縦席に響かせて、《緋》の右腕となっていた《アガートラム》は分離して寝入ってしまったミリアムを抱えて地上に降り立つ。

 

「…………やれやれ……とんでもない戦いだったわね」

 

 激闘と呼ぶに相応しい戦いの渦中にいたセリーヌはホッと胸を撫で下ろしながら、肉球で操作パネルに触れる。

 霊力が枯渇している《緋》ではセドリックの生命維持に支障が出るかもしれない。

 

「誰でも良いから戦術リンクを結ばせて少しでも霊力を回復させないと……」

 

 《金》は遠くに、《灰》は近くにいてこちらに向かってきている。

 しかし操作盤のリストの中には《零の騎神》の存在はなかった。

 

 

 

 

 

「くっ……そ……何で……」

 

 《蒼》越しに貫かれた胸の痛みを感じながらクロウは悪態をもらす。

 フィードバックされた体への負担は四等分されたことで致命傷を免れたが、一命を取り留めただけで息をするのも億劫な虚脱感が体を支配していた。

 

「アームブラストも浮かばれぬな」

 

 地に這いつくばりもがくクロウの頭上から忘れもしない声が投げかけられた。

 息を飲んで体中の力を絞り出すように顔を上げれば、そこには祖父をはめた仇の男、自分が狙撃して殺したはずの帝国宰相ギリアス・オズボーンが数多の兵を背後に立っていた。

 

「お前……どうして生きて……」

 

「さて、影武者がいたのか、それとも見間違いだったのか……それは今、問題ではあるまい?」

 

 クロウの問い掛けをはぐらかしてギリアスはクロウを、ヴァルカンを、スカーレットを、そしてクロワール・ド・カイエンをそして最後にもはや原形を留めていないドライケルス広場を見渡した。

 

「良くもこれほどまで帝都を滅茶苦茶にしてくれたものだ」

 

 何もこの破壊された光景はこの場だけではない。

 主戦場が帝都の外だったとしても、人が魔煌兵と変化したことで倒壊した街。

 その魔煌兵も全てが帝都の外で戦っていたわけではない。

 《魔煌兵》や《神機》によって荒れ果てた街とは対照的に、《煌魔城》から置き換わったバルフレイム宮だけが一部の城壁を除いて無傷というのが異様な光景となっていた。

 これを再建するとなると今から頭が痛くなる。

 だが、それを表に出さず、鉄面皮でギリアスは告げる。

 

「カイエン公、そして帝国解放戦線を名乗っていたテロリスト達よ……

 帝都並びに帝都市民を大災厄を持って脅かした罪で貴公らを拘束する」

 

「オズボーンッ!」

 

 粛々と罪状を告げるギリアスに対してクロウはただ憎しみに染まった目で彼を睨む。

 そんなクロウにギリアスは肩を竦めると、クロワールに向かって話しかける。

 

「こんな子供をこのような復讐鬼に仕立て上げるのはあまり感心しないなカイエン公」

 

「ふん……何のことを言っているか理解できないな」

 

 うつ伏せに蹲っていたクロワールはふてぶてしい態度で起き上がるとその場に座り直す。

 下から見上げる様な態勢であり、全身が虚脱感に支配されていてもそれを見せずにクロワールはオズボーンに正面から向き直る。

 

「彼らは彼らの意志を持って鉄血宰相の理不尽な政策に対抗するべく立ち上がった。私の意志はそこに介在してはいないのだよ」

 

「そうだ……俺達はお前に復讐をするために――」

 

「ジュライを扇動して独立をさせたと?」

 

「…………は?」

 

 オズボーンの言葉にクロウは間の抜けた声を返す。

 

「前ジュライ市長の遺志を継ぎ、帝国の悪しき鉄血宰相の暗殺に成功したジュライ市国の忘れ形見……

 彼に続けっ! 旧き善きかつてのジュライを取り戻せ……

 市民はクロウ・アームブラストの姿に中てられて、ジュライでは暴動が起きている。まさか知らないとでも?」

 

 呆れた声にクロウは耳を疑った。

 

「何で……何でそんなことになってるんだよ!?」

 

 これは自分の復讐であり、ジュライは関係ないはずだった。

 なのに現実はクロウの知らない所で旧ジュライの代表のように反乱の象徴に祭り上げられていることに困惑する。

 

「導力ネットの情報の拡散性と情報の収束性を見誤ったようだな」

 

 ゼムリア大陸全土に普及し始めた導力ネットの存在。

 貴族連合の筆頭騎士であり、《蒼の騎神》を駆る“クロウ・アームブラスト”の存在は帝国内外で注目の的となっているのは当然だった。

 経歴は誤魔化していても、名前を変えていなかった“クロウ”にジュライの誰かが気付くのは当然のことだろう。

 

「もっともそれを煽った人物がそこにいるがな」

 

 ギリアスは素知らぬ顔でいるクロワールに視線を向ける。

 

「さて、何の事だから分からないな」

 

 白々しくクロワールは惚ける。

 ジュライの統治は帝国正規軍の管轄であり、軍も少ないが駐在している。

 内戦の決戦にその軍に背後から仕掛けられることを嫌い、クロワールはジュライの市民に暴動を起こさせて帝国軍基地や企業、大使館を襲撃させた。

 

「八年前、そうやってジュライの鉄路を爆破させたのかね?」

 

「…………え?」

 

「人聞きの悪いことを言わないでくれたまえ……

 あれはジュライに潜む反帝国主義者が企てた事件だろう。どうして私が関与するのかね?」

 

「それは貴公が“貴族”だからだ」

 

 混乱を極めるクロウを他所にギリアスはクロワールの言葉に断言を返す。

 

「人を使い、人を騙し、人を謀る……

 そして手を汚すことなく自らの目的を達成して“利”を独り占めにする。それが“貴族”のやり方であろう」

 

「酷い言われようだ」

 

 クロワールはやれやれと肩を竦めて悪びれた様子もなくクロウが知らない真実を口にした。

 

「私は前アームブラスト市長に――」

 

『もしも陸運貿易から海上貿易に戻す意志があるのなら、関税の引き下げを考えてもいい』

 

「――そう提案しただけで私は彼らに何かをしろなどとは女神に誓ってしていないのだよ」

 

「………………なん……だと……?」

 

 当たり前のように祖父のことを話すクロワールの言葉にクロウは絶句する。

 

「ノーザンブリアの塩害からジュライが復興できなかったのは、貴公が敷いた関税があまりにも法外だったからと聞くが?」

 

「法外とは人聞きの悪い、オルディスにとっては適切な税率だと言わせてもらいましょう」

 

 白を切るクロワールにオズボーンは肩を竦める。

 

「ちがう……ちがう……」

 

 クロウは否定の言葉を繰り返しながらゆっくりと体を大きく揺らしながら立ち上がる。

 

「っ――」

 

 周りの兵士たちが一斉に導力ライフルの銃口をクロウに集中させる。

 だが、それをギリアスは手で制して、クロウを自由にさせる。

 

「ちがう……ジュライを……祖父さんをはめたのはあんただ……」

 

 フラフラと覚束ない足取りでオズボーンに辿り着いたクロウはその胸倉を掴み叫ぶ。

 

「そうだって言えよ! 鉄道を爆破したのも! 都合よくジュライを乗っ取る提案をしたのも! 全部全部お前が企んだことなんだろ!」

 

 クロウの絶叫が広場に木霊する。

 まるで泣きじゃくるような子供の慟哭。

 黒い噂が絶えないオズボーンがどう返すのか、クロウに銃口を向けたままの兵士達もまたギリアスの言葉を待つ。

 

「甘ったれるなテロリストが」

 

 返って来た言葉はクロウが求めた答えではなかった。

 

「貴様のような“嘘つき”に語る真実などない」

 

「っ――ふざけるな! だったら俺は誰を憎めばいい! 誰を恨めばいい! 誰を殺せば――」

 

 その言葉は最後まで言う事はできず、クロウは背中に体当たりをされた。

 

「あ……」

 

 次に感じたのは熱さ。

 クロウは刺されたのだと自覚し、オズボーンの胸倉を掴んだまま振り返る。

 

「父さんを……母さんを返せ……」

 

 クロウの背中にぶつかる様に俯いてクロウを刺した少年は小さな果物ナイフを引き抜き、身体を離す。

 

「あんたがあんなことをしなければこんなことにはならなかったんだ……」

 

「お……まえ……は……」

 

 足から力が抜けてクロウはその場に膝を着く。

 傷としてはそこまで深くはない。

 治癒術で十分に治せる程度の傷ではあるが、そんなことを忘れてクロウは見覚えのある少年の顔に見入っていた。

 

「あんたのこと……尊敬していた……憧れていた……なのにどうして……クロウ兄ちゃん……」

 

「………………お前……スタークなのか?」

 

 血にまみれた果物ナイフを震えた手で握り締めた少年がかつてジュライで近所に住んでいた弟分だとクロウは気付き、遅れて彼の言葉を理解する。

 

「おじさんとおばさんが……何……だって?」

 

 傷を抑えることも忘れてクロウは聞き返す。

 呆然と、何も理解していない様子のクロウにスタークは激昂して捲し立てる。

 

「何言ってるんだよ!? 今のジュライはあんたのせいで滅茶苦茶になってるんだぞ!」

 

「俺の……せい……?」

 

「あんたが帝国の宰相を暗殺したから! ジュライから帝国を追い出せって暴動が起こって! みんな……みんな、俺だけが……」

 

 言外にスタークの両親はジュライで起きた暴動に巻き込まれて死んだと言われてクロウは呆然とする。

 

「何で……何でそんなことになっているんだよ……

 俺はみんながオズボーンが全部悪いって言うから……」

 

「もうそんなやつはジュライにはいないんだよクロウ兄ちゃん」

 

「え……?」

 

「八年前、鉄路を爆破して帝国宰相を暗殺しようとした最後にして最悪のジュライ市長……

 その遺志を継いだ孫、ジュライの誇りを体現した“クロウ・アームブラスト”……

 もう……オズボーン宰相があの時の事件を起こした犯人だって言う人はジュライにはいないんだよ」

 

「………………なんだよ……それ……」

 

 スタークの言葉にクロウの中の何かが亀裂を走らせた。

 ただの鉄路爆破のテロが、クロウの知らない所でオズボーン宰相の暗殺計画にすり替わっている。

 元々アームブラスト市長が犯人であると言う噂が払拭されたわけではない。

 そこにクロウがオズボーンを暗殺したという報が加わったことで、噂に尾ひれが付き、アームブラスト市長の犯行だったという噂を補強する材料になってしまった。

 皮肉なことにクロウの行動がオズボーンの潔白を証明したことになっていた。

 

「……俺は……みんなが……カイエン公や……ギデオンがそれが正しいって言うから信じて……」

 

 クロウはゆっくりと周囲を見回した。

 自分を殺意と哀れさを混在して目で見る兵士達。

 破壊しつくされた帝都の街並み。

 そして殺してやると誓った男、オズボーン。

 

「あ……」

 

 思い出す。

 ノルドで共和国と帝国の戦争を誘発させる計画を立てたことを。

 思い出す。

 夏至祭の時に暗黒竜を蘇らせようとしたことを。

 思い出す。

 ガレリア要塞で数多の軍人を殺したことを。

 思い出す。

 オズボーンを殺すためにクロスベルを、親友を巻き込んで殺そうとしたことを。

 思い出す。

 仲間達を死なせてきたことを。

 そして今、思い知らされる。

 ジュライはクロウを理由にして決起して、その暴動に巻き込まれて弟分の家族は死んだ。

 そして、クロウが生み出した復讐鬼が――弟分が目の前にいた。

 

「ああ……」

 

 亀裂どころか何かが砕け散る音をクロウは聞いたような気がした。

 そして、今まで欠片も感じなかった罪悪感が胸を締め付けて――

 

「うわああああああああああああああああああっ……!」

 

 頭を抱えてクロウは絶叫する。

 

「…………“外れた”ようだな」

 

 そんな彼の様子にオズボーンは小さく呟き、同時に動きがあった。

 

「ギリアス・オズボーンッ!」

 

 絶叫するクロウに兵士たちの意識が集中している隙を突くようにヴァルカンが“黒い闘気”を纏って駆け出した。

 

「ウオオオオオオオオオオオオッ!」

 

 ナイフを抜き咆哮を上げて怨敵に迫るヴァルカンは――銃弾にナイフを弾き飛ばされた。

 一瞬遅れてクロウから銃口をヴァルカンに向けた兵士たちは躊躇うことなくその引き金を引く。

 無数の弾丸を浴びたヴァルカンは無念のまま、その生涯を終えるのだった。

 

「御無事ですか閣下?」

 

「ああ、クレア大尉御苦労だった」

 

 いつ抜いたのかオズボーンは軍刀を片手に、ヴァルカンを誰より早く撃ったクレアを労う。

 そして――

 

「しまったっ!」

 

 誰かの叫びが響くと、膝を着いていた《機甲兵》の一機が突然立ち上がった。

 

「はははっ! まだだっ! カイエン公であるこの私がこんなところで終わってなるものか!」

 

 《機甲兵》からクロワールの笑い声が高らかに鳴り響く。

 もっとも《機甲兵》はそこで戦おうとはせず、踵を返してその場から逃げ出した。

 

「ふむ……カイエン公には逃げられたか……」

 

「すぐに追手の手配をします」

 

「良い、全ては予定通り。彼には“悪役”としてまだしてもらう役目があるのでな」

 

 逃げていくクロワールができることはもう決まっている。

 レクターが誘導した逃走経路を使って国外逃亡し、クロワールは《機甲兵》を手土産に暴動がより激化しているジュライに向かうことになっている。

 スタークからの要請だけでもジュライの暴動を鎮圧するために軍を動かすには十分な理由だが、戦犯であるクロワールが逃げ込み、匿ったとなれば制圧する大義名分ができる。

 

「いや、それよりも今は……」

 

 未来を考えることよりもオズボーンは空を見上げた。

 

「おおおっ!」

 

「何と神々しい」

 

 オズボーンの視線に釣られて兵士達も《零の騎神》を見上げて、帝国の破滅を救った救世主の姿に意識が向く。

 

「スターク君、もう良いんです」

 

 そんな彼らの中でクレアは血まみれのナイフをきつく握り締めるスタークを労わる様に宥めて、そのナイフを取り上げる。

 

「誰か! クロウ・アームブラストの手当てを」

 

 そしてクレアはその場を仕切る指示を出す。

 

「……クレア大尉。この場は任せた」

 

 そんな彼女にギリアスはそう言って、《機甲兵》に乗り込む。

 

「はい。ですがどちらに?」

 

 聞き返された質問にギリアスは思わず短い沈黙をしてから口を開く。

 

「あの《白亜の騎神》はどうやら帝都の郊外に降り立つようだ」

 

 降りて来る《白亜の騎神》の方角にギリアスは予感めいたものを感じて《機甲兵》を走らせるのだった。

 

 

 

 

 

 

「…………残念」

 

 膝を着く《零の騎神》の前に立っていた白銀の髪の少女は手の平で自然に粉々になって行く石を眺めながらぼやいた。

 一欠片さえ残さないかのうように砂となって塵となって大気へと消えていく石を少女――シズナは見送る。

 そして、おそらく十数年前に火災があって、それから手付かずにされていた家屋に背を向ける。

 

「リーンッ!」

 

 そこにいち早く駆け付けてきたのは《黒い戦術殻》に乗った女の子だった。

 《零の騎神》に縋りつく女の子を横目にシズナは歩き出した。

 

「おや?」

 

 その足は程なくして止まり、シズナは肩を竦めてまるで自分を待っていた男に話しかける。

 

「貴方も随分と暇人だね。《アルマータ》のボスがこんな所まで来るなんてどういうつもり、ジェラール・ダンテス?」

 

「それはお互い様だろ。《斑鳩》の剣聖」

 

「だから私はまだ《剣聖》じゃないんだけどなぁ」

 

 ジェラールとシズナは互いが一息で斬れる間合いの中で不敵に笑い合う。

 

「俺が帝国まで来た理由だったな……

 なに効率の問題だ。これでも“現場主義”なんでな。盗られた物には興味はないが、突如としてうちのアジトに現れた男が何者なのか確かめようと気が向いただけだ」

 

「ふうん。それで私の弟弟子は貴方の眼鏡に適ったのかな?」

 

「ああ……」

 

 シズナの言葉にジェラールは遠くにある《騎神》に視線を送る。

 

「帝国そのものを打ち壊す程の“絶望と恐怖”。それを真っ向から打ち砕いた“希望の光”……ああ、いい見世物だった」

 

 ジェラールは瞼の裏に焼い付いた圧倒的な“光”を思い出して笑みを浮かべる。

 

「確かに帝国に来ただけの価値はあったかな」

 

 ジェラールの言葉にシズナは同意する。

 あわよくば一手交えるつもりだった弟弟子のお願いを果たすために遠い帝国の地までやって来たが、まさかこれ程の“奇蹟”を見せられるとは思っていなかった。

 

「これ、返しておくよ」

 

 そう言ってシズナは旧い銀時計のオーブメントをジェラールに投げ渡す。

 

「ゲネシスか……倉庫で埃を被っているだけでのアンティークだと思っていたが……メルキオル」

 

「うん、どうかした?」

 

 ミント髪の少年――メルキオルがジェラールに呼ばれて彼に擦り寄る。

 

「これはお前に預ける」

 

「へえ……」

 

 メルキオルは受け取った旧いオーブメントを見下ろして楽し気な笑みを浮かべる。

 

「そのオーブメントをそちらの《組織》の技術で解明しろ。もしかすれば面白いことができるかもしれん」

 

「ふふ、そう言う事……良いよ……

 エンペラーを殺されちゃったし、貴族のお兄さんのせいで殺せなかった《3》と《9》で遊びながら調べてみるよ」

 

 ジェラールの言葉にメルキオルは愉し気に笑う。

 

「では、ここで失礼させてもらおう《斑鳩の剣聖》」

 

「じゃあね~」

 

 ジェラールとメルキオルは特に身構えることなくシズナに背中を晒してその場を去って行った。

 

「だから私はまだ《剣聖》じゃないんだけどなぁ……」

 

 そうぼやきながら、シズナは後ろを振り返る。

 

「ちょっと早いけど、帰ったら“試し”を受けてみようかな」

 

 そして改めて踵を返したところでシズナは通りの向こうから走って来る少女を見つけた。

 

「おや……あの子は……もしかして……」

 

 彼女が佩いた帝国では珍しい“太刀”に興味が湧き、髪に結ばれた大きなリボンから伝え聞いたことのある容姿にシズナは気付く。

 

「っ……」

 

 シズナの存在など気付かないかのように走って来る少女にシズナは少しだけちょっかいをかけることを決める。

 

「弟弟子はもうここにはいないよ」

 

 そう言ってすれ違おうとした少女――アネラスの前をシズナは抜いた太刀で塞いだ。

 

「え……?」

 

 反射的に後ろに跳び退いて太刀を抜いたアネラスはそこで初めてシズナを見る。

 

「貴女は……」

 

「ふふ、食えない兄弟子たちと違って、なかなか可愛げのある妹弟子じゃないか……あれ? 私の方が姉で良いんだよね?」

 

「妹弟子!? 姉!?」

 

 突然姉弟子を名乗る不審者にアネラスは目を白黒させる。

 

「それにしてもここで君と会うとは思わなかった。これも弟弟子の導きかな?」

 

「弟弟子……弟君……」

 

 その言葉にアネラスはシズナの向こうにいる《零の騎神》を見る。

 

「そう! 私はリィン・シュバルツァーの頼れる“姉弟子”なのだっ!」

 

「っ…………ふふふ、私を差し置いて弟君の“姉弟子”を名乗る不審者が突然何を言うかな? この“妹弟子”は?」

 

 自分こそが姉弟子だと言わんばかりに煽って来る少女にアネラスは顔を引きつらせる。

 短い言葉から目の前の少女が何者なのか察したアネラスは自分こそが“彼”の姉弟子だと主張するために《迅羽》を抜いた。

 

「やっぱりその“太刀”……なかなかの業物みたいだね」

 

「え……この“太刀”?」

 

 突然興味の対象を変えて来たシズナにアネラスは戸惑いながらも素直に応える。

 

「これはカシウスさんから譲ってもらったもので……」

 

「ほうほう“兄弟子”の“太刀”か……ふむふむ……」

 

 まるで品定めをするかのようにシズナは頷きながら、不意にアネラスから目を逸らした。

 

「ところでいつまでそこで見ているつもりかな?」

 

「え……?」

 

 アネラスは思わずシズナの視線を追えば、そこに声が響いた。

 

「まさか気付かれるとは思いませんでした……」

 

 現れたのは顔を仮面で隠した東方風の衣装を纏った女だった。

 

「似たような気配の知り合いがいるからね……その出で立ちは“銀”かな?」

 

「“銀”!? この人が?」

 

 かつてリベールの異変の時に遊撃士に協力してくれた時とは全く異なる姿をしている“銀”にアネラスは驚く。

 

「朧月流を基礎に黒神一刀流を……既にその原型はないみたいだけど……言わば貴女は私達の従姉妹弟子と言う事だね」

 

「何故それを――」

 

「従姉妹弟子っ!?」

 

 シズナの言葉にアネラスは大きく目を見開く。

 

「いや……ちょっと待て……」

 

 自分に敵意を向けて来るアネラスに“銀”はひたすらに困惑する。

 

「うん、ちょうどいい。誰がリィン・シュバルツァーの一番の姉弟子なのか戦って決めようじゃないか!」

 

「望むところだよっ!」

 

「だから待ってくださいってば!」

 

 シズナの提案に、アネラスは燃え上がり、“銀”は素を覗かせて狼狽える。

 こうして内戦が終結した帝国とは関係ないところで、姉弟子なる者達の三つ巴の戦いが始まったのだった。

 

 

 

 

 

 

「リィン・シュバルツァー」

 

 その小さな手は恐る恐る《零の騎神》に触れる。

 

「リーン……」

 

 その名前を交互に繰り返してアルティナは呼び掛ける。

 

「返事をしてくださいリーン……」

 

 アルティナの呼び掛けに《零の騎神》はぴくりとも動かない。

 

「わ……わたしは思い出したんですよ……《影の国》のことをお姉ちゃんのことを……」

 

 あの時《カレイジャス》で彼の姿を見た瞬間、アルティナの中に消えたはずの初期化される前の記憶が蘇った。

 それがどういう奇蹟によるものなのかはアルティナには理解できない。

 

「わたしは……ちゃんとハーモニカの練習をしていたんです……だから……だから……返事をしてくださいリーン」

 

 何を言えばいいか分からない。

 伝えたいことは沢山あるはずなのに言葉は出て来ない。

 

「リーン……お願いですから……返事を……してください」

 

 アルティナは何度も何度も呼び掛ける。

 そこに両手にオリヴァルト、アルフィン、そしてエリゼを乗せた《琥珀の機神》が到着した。

 

「兄様……」

 

「リィンさん……」

 

 何度もその名前を呼び続けるアルティナにエリゼとアルフィンは言葉を失う。

 

「そんな、どうして……」

 

 繋がっていたはずの戦術リンクがいつの間にか途切れていたことにエリオットは今更になって気付く。

 

「リィン君……ボクは…………くっ……」

 

 オリヴァルトはアルティナの声に、ただ拳を握り締めて自分の無力さを呪った。

 

 

 

 

 







クロウ・アームブラスト(本名)
「出身は完璧に偽装できたつもりだったんだが、アランドールあたりに嗅ぎつけられちまったか?」

 +

八年前のジュライ鉄路爆破事件の犯人と疑われる旧ジュライ市国市長の孫。


 +

導力ネットによる身元の特定


 =


ジュライ決起軍による北方戦役






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69話 エピローグⅠ



お待たせしました。
エピローグを一話でまとめようとしましたが無理だったので分割します。

黎の軌跡Ⅱは噂に聞いていましたが、あまりよろしくないシナリオだったですね。
自分が最初に感じたのはRPGそのものの否定かなと感じました。





 

 

 

 

 

 

 帝国に併合されて八年。

 豊かになった暮らしのおかげでジュライの市民は穏やかなここまで穏やかな生活を送ることができた。

 しかし、ふとした時に思い出すのは本当にこれで良かったのかと言う疑念。

 帝国に併合される切っ掛けとなった鉄路の爆破事件。

 犯人はアームブラスト市長だったのではないかと言う声も上がったが明確な証拠もなく、それでも疑いがある市長はその座の退任を余儀なくされた。

 そしてそれから程なくして彼の訃報が報じられてジュライの市民は自然とその話題を口にすることはなくなった。

 

 ――もしかしたら――

 

 彼らの中にある疑念。

 市長を糾弾しながらも、本当は別の犯人を彼らは頭の中に思い描いていた。

 にも関わらず、ジュライ市国を支えて来た市長を自分達は裏切り、死なせた――自分達が殺した罪を“欺瞞”としてジュライ市民は後ろめたさを心のしこりにし続けていた。

 だからこそ――

 

「貴族連合の筆頭騎士、クロウ・アームブラストが帝国宰相ギリアス・オズボーンを暗殺した」

 

 その報はジュライ市民にとってまさに免罪符だった。

 《鉄血宰相》ギリアス・オズボーン。

 鉄路を爆破した最も疑わしい人物にして、ジュライ市国を帝国に併合した元凶とも言える人物。

 本当はアームブラスト市長ではなく、彼こそを問い詰めたかったと誰しもが考えていた。

 だが、帝国のおかげで豊かになったジュライを思えば彼に疑惑を向けて問い詰める事などできなかった。

 《蒼の騎士》クロウ・アームブラスト。

 彼が行ったことは次々と導力ネットに書き込まれたが、ジュライ市民にとって長年燻ぶらせていた罪悪感を消してくれた存在だった。

 

 ――市長を糾弾した自分達は間違っていなかった――

 

 市長の孫であるクロウが帝国でテロを起こして、宰相を暗殺したこと。

 それはアームブラスト市長が鉄路を爆破するテロを起こした犯人だと印象付ける決定的な出来事だった。

 クロウ・アームブラストがテロを起こしたことに安堵する者は多かった。

 だが、同時に新たな恐怖が生まれた。

 

 ――クロウは自分達にも復讐するのではないか――

 

 誰かが囁いた言葉を否定できる者はいなかった。

 見方によっては彼の祖父を殺したのはジュライである。

 アームブラスト市長がクロウに復讐しろと怨嗟を残したのは果たしてオズボーンだけだったのか。

 むしろ鉄血宰相を殺して次は自分達の番ではないかと、クロウが内戦で活躍する度にジュライは彼を畏れた。

 そんな日々の中、カイエン公がジュライに接触してきて囁いた。

 

「クロウに口利きをしてやろう。その代わりジュライにいる帝国正規軍の足止めをして欲しい」

 

 その提案にジュライは飛びついた。

 他でもない貴族連合の主宰にして、クロウが忠誠を誓っているとされているカイエン公の言葉。

 彼に従えばクロウから守ってもらえると。

 そこに一縷の希望を見出して、一人が動き、集団が動き出す。

 それを切っ掛けに八年に及ぶ感情が爆発した。

 

「ジュライを帝国から取り戻せっ!」

 

 誰かが叫び出せば、それに同調した誰かに伝染する。

 最初は自分達の身を守るための行動だった。

 だが帝国正規軍を攻撃するだけでは止まらず、それはいつの間にか八年間の怨念を晴らすための行動に変わっていた。

 “箍”が外れた彼らを止める指導者はおらず、止める者がいたとしても帝国に魂を売った売国奴として糾弾し、暴力の矛先を向ける。

 エレボニア帝国が中央の帝都で内戦が激化している隙を突くようにジュライは帝国からの独立を宣言した。

 

 

 

 

 

 七耀暦1205年1月。

 その日、ゼムリア大陸の北西に位置する旧ジュライ市国から十機の《機甲兵》とそれに随伴する戦車が出陣した。

 帝国の内戦に便乗する形で独立をしたもののそれまで帝国からの貿易によって成り立っていたジュライの展望は決して明るいとは言えなかった。

 物資の不足、クロスベルが起こした資産凍結、経済恐慌もあって早々に行き詰まりに直面していた。

 それを解消するために講じられたのは、南に位置している海都オルディスへの侵攻だった。

 それは帝国の内戦で敗走し亡命して来たカイエン公の願いでもあり、ジュライにとっても利が多い提案だった。

 何よりジュライをその気にさせたのは、《機甲兵》と言う最新の人型機械人形の兵器の存在だった。

 カイエン公が亡命の手土産として持って来た《機甲兵》の力があれば、内戦で疲弊している帝国からオルディスを制圧する事くらいはできるのではないかと思える。

 

「何も本格的に帝国と事を構える必要はないのだよ」

 

 それがカイエン公の言い分だった。

 オルディスを占領することで力を示し、相手にするには割に合わないと思わせればジュライの独立を見逃すだけの理由になるとカイエン公は言っていた。

 帝都はまだ救助作業も終わっていなければ、東の大国カルバード共和国の侵攻の兆しもある。

 立ち並ぶ《機甲兵》や帝国正規軍の置き土産の戦車や装甲車、飛行艇を見てジュライは夢を見る。

 現に帝国は勝手に独立を宣言したジュライに対して、まだ侵攻して来ていない。

 ジュライの力を見せつけるチャンスは今しかない。

 オルディスを制圧して勢力を拡大して、更には塩害がなくなったノーザンブリアを味方につけることができれば、ジュライを中心とした北方の連合国を造る事も決して夢ではないだろう。

 明るい未来を夢見て、ジュライ決起軍は侵攻を開始するのだった。

 

 しかし――彼らの夢を妨げるように一機の《機械人形》が彼らの前に立ち塞がった。

 

「ジュライ反乱軍に告げる。市民への不当な弾圧を即座にやめて、武装を放棄して降伏しろ」

 

 ジュライの侵攻に合わせてやって来た帝国の部隊から一機だけ前に出て来た《蒼》が《機甲兵》や戦車、装甲車、飛行艇と少なくない兵器を前に臆することなく告げる。

 

「はっ! どうやらカイエン公が言っていたことは本当みたいだな」

 

 出迎えた戦力にジュライの兵士は笑う。

 蒼い《機甲兵》が一機にそれに随伴している戦車が三台。

 それに対して《機甲兵》だけでも五体の戦力差に彼らは勝てると確信してしまう。

 

「おい……俺はあくまでも先駆けだ。帝国の本隊はすぐ後ろに来ているんだ。これ以上馬鹿な真似は止せ」

 

「馬鹿な真似だと!?」

 

 《蒼》からのどこか軽い調子の声に激昂が返る。

 

「俺達は祖国のために立ち上がったんだ! 今更貴様ら帝国に媚びるつもりはない!」

 

 これまでの不満をぶつけるように《機甲兵》は剣を抜き放ち《蒼》に突きつける。

 

「アームブラストが選んだ道こそがジュライが進むべき道だったのだ!」

 

「そうだ! 俺達は二度とお前達帝国に屈するものかっ!」

 

「討ち死にしたクロウの無念を晴らすためにも!」

 

 一人の言葉に追従して様々な罵詈雑言が帝国の《蒼》に向けられる。

 熱狂した士気にあてられたのか、《蒼》は黙り込んでしまう。

 それを怖気づいたと判断して、一機の《機甲兵》が飛び出した。

 

「うおおおおおおっ! ジュライの怒りを思い知れっ!」

 

 剣を上段に振りかぶり、微動だにしない《蒼》に渾身の一撃が繰り出される。

 

「…………勝手に人を殺してんじゃねえよ」

 

 彼は小さく呟く。

 無防備だった《蒼》は半歩後ろに下がってその斬撃を空振りさせると、ダブルセイバーを一閃して《機甲兵》を吹き飛ばす。

 

「なっ!?」

 

「怯むな! 所詮は一機! 囲んで対処しろっ!」

 

「それによく見れば傷だらけの機体じゃないか! 勝てるぞ! 俺達は帝国に勝てるんだ!」

 

 既にボロボロの機体にジュライ側は帝国が本当に弱っているのだと士気を高める。

 

「撃てっ!」

 

 その号令を持って《機甲兵》や戦車、装甲車が一斉に構えて――《蒼》は彼らの目の前から消えた。

 

「――え……?」

 

 何処に行ったと周囲を見回しても《蒼》の姿は何処にも見えない。

 

「――上だっ!」

 

 誰かが叫ぶが既に遅かった。

 空高く飛翔した《蒼》はまるで流星のように急降下をしてジュライ決起軍の中央の大地に激突する。

 

「うわあああああああっ!」

 

 ダブルセイバーを突き立てた衝撃波が周囲を薙ぎ払い、ジュライ側の《機甲兵》は悲鳴を上げながら横転して吹き飛ばされる。

 《蒼の騎神》はダブルセイバーを大地から抜くと薙ぎ倒したジュライ決起軍に向かって告げる。

 

「これ以上無駄なことをするんじゃねえ」

 

「無駄だと!? お前達に分かるまい故郷を帝国に染められた屈辱を!」

 

「殺すなら殺せっ! だが俺達がここで果てたとしても第二第三のアームブラストが必ずジュライのために立ち上がる!」

 

 そんな言葉を《蒼》の中の青年は辟易としたため息を吐く。

 だが、そんな青年にジュライ決起軍の一人が恐る恐る声をもらした。

 

「《蒼い機甲兵》……お前は……誰だ……?」

 

 自分達が乗る《機甲兵》とはまるで違う性能を見せつけられて、頭が冷やされた男はその可能性に気付いてしまう。

 

「俺は……」

 

 《蒼》はわずかな逡巡を挟み、彼の疑問に答えるように名乗る。

 

「俺はエレボニア帝国政府臨時武官――クロウ・アームブラストだ」

 

 その日、ジュライのオルディス侵攻作戦は《蒼の騎士》の手によって未然に防がれた。

 また帝国軍が計画していたジュライ焦土作戦も、クロウが単身で暴動の扇動者達を捕えることでジュライは滅亡を免れるのだった。

 

 ジュライの市民はクロウに助けられることとなるがそれを喜ぶ者はいなかった。

 反帝国主義者が決起したのはそもそもクロウが元凶であり、彼は八年前に鉄路を爆破して帝国宰相を暗殺しようとした前市長の孫。

 何をどうやって現帝国政府に取り入ったのかは分からないが、彼を称えていた反帝国主義者達はクロウによって鎮圧された。

 そして帝国でも《蒼の騎士》と称えられる一方で彼が行ったテロ行為は導力ネットを通じて配信されていた。

 悪逆な市長の孫。凶悪なテロリスト。貴族連合の筆頭騎士。

 それらを経て今は帝国政府の狗。

 《裏切りの蒼の騎士》。

 それがクロウを示す影で囁かれる渾名となっていた。

 

 

 

 

 

「今頃クロウ君はジュライかな?」

 

 《カレイジャス》のブリーフィングルームでふとトワは作業の手を止めて呟いた。

 

「ああ、もうそんな時間か」

 

 その呟きに応えたのは上座で書類を捌いていたギリアス・オズボーンだった。

 時間を確認すれば、ジュライへの侵攻作戦が開始される時間だった。

 

「しかし宰相。やはりジュライの殲滅作戦はやり過ぎではないのだろうか?」

 

 オリヴァルトは書類を捌く手を止めてギリアスに尋ねる。

 

「そうでしょうか? 私は妥当な対処だと考えておりますが」

 

 オリヴァルトにギリアスは尊大な笑みを浮かべて答える。

 

「稀代のテロリスト、クロウ・アームブラストを生んだジュライ……

 クロスベルはゼムリア大陸の中心であるため、過剰な制裁を行う事はできませんでしたががジュライは大陸の端。例えジュライが地図から消えたところで誰も困ることはないでしょう」

 

「宰相、それは口が過ぎるのではないかな?」

 

「ですが、そう脅さなければ《蒼の騎士》は腑抜けた抜け殻のままだったでしょう……

 クロウ・アームブラストは確かにテロリストではあったが、世界に七人しかいない《起動者》の一人……

 帝国を一刻も早く立て直すためには彼には《英雄》として役に立ってもらわなければならないのですよ」

 

「それはそうかもしれないが……」

 

 クロウ・アームブラストの処遇については誰もが彼の処刑を求めた。

 オズボーン宰相を狙撃した事から始まった内戦の被害。

 《煌魔城》を出現させたことによる帝都の被害。

 それ以前の帝国解放戦線のリーダーだったことも公表されており、クロウを擁護したいと思っている者は口を噤まなければ彼らの怒りの矛先が向けられかねない危ない状況だった。

 そこに待ったを掛けたのは他でもない、銃撃され奇蹟の生還を遂げたギリアス・オズボーンであった。

 

『彼はカイエン公に騙された憐れな被害者なのだ。彼の処遇についてはどうか私に一任して欲しい』

 

 それに加えてギデオンがクロウを洗脳したと庇ったこともあり、彼の処刑は見送られた。

 もっとも擁護した分の働きを求められ、クロウはジュライ殲滅作戦の先駆けとして駆り出されることとなった。

 殲滅作戦はあくまでもクロウを働かせる方便。

 先駆けのクロウがジュライ反乱軍を鎮圧できれば殲滅作戦が決行されることはないのだが、オリヴァルトはギリアスが何処まで本気なのか測り切れない。

 そして何より、憎んでいたはずの怨敵の先兵となって故郷を帝国として制圧させられることになったクロウの心労はどれほどのものかとオリヴァルトは考える。

 

「結局、ジュライの真実とはどんなものだったのかね?」

 

「真実と言ってもそんなものに意味はないでしょう」

 

「意味がないと言う事はないだろう? 少なくてもクロウ君は宰相が知っている“真実”を知りたいがために戦っているのだから」

 

「“真実”など容易く隠蔽され人は信じたいものを信じる……

 私が語る“真実”など私にとっての一方的な見解によるものでしかないのですよ」

 

 頑なに語ろうとしないギリアスにオリヴァルトはため息を吐く。

 

「その言い訳をしない潔さは貴方の美点なのかもしれないが、今回の事は貴方のその露悪的な振る舞いがクロウ君の道を誤らせたとは思わないのかな?」

 

 オリヴァルトの指摘にギリアスは肩を竦める。

 

「例え私が潔白だと言ったところで皇子はそれを信じてくれるのですかね?」

 

「それは……」

 

 思わずオリヴァルトは答えを躊躇う。

 クロウ程ではないが、黒い噂が絶えない鉄血宰相がジュライ併合のために鉄路を爆破して自作自演を行ったと言われればあり得るのではないかと考えてしまう。

 

「皇子もクロウ・アームブラストも私を買い被り過ぎですよ……

 当時私はまだ宰相に就任したばかり、帝国内での地盤固めに集中しなければならない上に、その様な暗躍を任せれる人材もいない……

 他国で暗躍することの難しさはオリヴァルト皇子が良く知っておられると思いますが?」

 

「む……」

 

 それを指摘されてしまえばオリヴァルトは口を噤む。

 二年前のリベールで《放蕩皇子》という比較的自由な立場だったからこそできたと言われればその通りだ。

 それに加えて自分の話を信じて協力してくれたカシウスやエステル達への信頼があったから出来た事でもある。

 

「もっともジュライに鉄路を敷いた事で何かが起こることは分かっておりましたがね」

 

「それはどう言う意味だね?」

 

「ジュライはあの時点で限界でした……

 足元を見たカイエン公が敷いた重い関税、先細りしていくだけの政策……

 それに反してアームブラスト市長は孫にギャンブルを教える程の余裕があった。果たして彼は本当に良い市長だったのでしょうかね?」

 

「それは……」

 

 それは伝聞でしかアームブラスト市長のことを知らないオリヴァルトには答えることができない問いだった。

 

「ジュライ市民の不満は限界に達していた……

 鉄道網を繋げたことで多少のガス抜きはされましたが、遠からずジュライでは暴動が起きていたでしょう……

 それを考えれば鉄路が爆破される程度の被害で済んで良かったのではないでしょうか?」

 

「まるで貴方がジュライの暴動をコントロールしていたような口振りだね」

 

「ふふ、それは御想像にお任せしますよ皇子」

 

 オリヴァルトの指摘にギリアスは不敵な笑みを返す。

 そんな態度にこれ以上聞き出すのは無理かと悟ったオリヴァルトは肩を竦めた。

 

「お兄様、それにオズボーン宰相もお喋りばかりしていないで手を動かしてください」

 

 そんな二人にアルフィンの注意が飛んだ。

 

「おっとこれは失礼しましたアルフィン殿下」

 

「やれやれセドリックもそうだが、アルフィンもこの内戦で随分と逞しくなったものだね」

 

 臆することなく注意して、山のように積まれた書類に黙々と判を押して行くアルフィンにオリヴァルトはおどける。

 内戦から一ヶ月の時が過ぎようとしているが、帝都ヘイムダルの復興はようやく始まったばかり。

 死者は内戦の規模から信じられない程に少ないが、その分の難民が溢れかえっている状況に問題は山積みだった。

 

「セドリックの偽物、オズ君とやらはどうしているんだい?」

 

 作業の手を再開しながらオリヴァルトは口も動かしていた。

 

「大人しいものですよ。まるで“人形”のようにこちらの言う事に従ってくれます。あれならば昏睡している本物のセドリック殿下の影武者に使う事もできるでしょう」

 

「“人形”……それにオズ……」

 

 オリヴァルトは一度顔を合わせた弟に瓜二つの少年を思い出して、ある少女を連想してしまう。

 

「やれやれ内戦も大変だったが後処理はもっと大変だ」

 

 オリヴァルトは目の前の書類に視線を落としてため息を吐く。

 七耀教会からスカーレットの身柄を引き渡して欲しいと言う要請。

 クロスベルにて留置されていたアリオス・マクレインが元クロスベル国防軍の手引きによって脱獄したという報告。

 問題は帝都だけでは済まない状況になっていた。

 

「セドリックもまだ目を覚まさないようだし、それに……」

 

 思わず漏れた愚痴に会議室の空気は重くなり――

 

「失礼します」

 

 タイミング良く、私服姿のクレアが入って来た。

 

「クレア大尉、戻ったか」

 

 まるで彼女の報告を待ち望んでいたような顔でギリアスは振り返る。

 

「宰相?」

 

 鉄道憲兵隊の制服ではなく私服で報告に来たクレアにオリヴァルトは首を傾げる。

 

「彼女にはカルバード共和国に潜入してもらっていたのですよ」

 

 臆面もなく言うギリアスにオリヴァルトは何度目になるか分からないため息を吐いた。

 そんな彼を無視してギリアスはクレアに報告を促す。

 

「それで、状況は?」

 

「はい、ミリアムちゃんとアルティナちゃんの調べですとアルタイル市の基地に戦力が集まっているようです……

 おそらく一ヶ月以内に戦力を整えてクロスベルに侵攻して来るかと思われます」

 

「外交ではなく、まずは武力侵攻か……予想通りではあるが……」

 

 それは重要ではないのかギリアスは次の報告を視線で急かす。

 

「“彼”がカルバード共和国で最初に目撃されたのは12月の中旬、煌都ラングポートの《九龍ホテル》にて《黒月》の会合に現れたようです」

 

 クレアの報告に一同の作業の手が止まる。

 

「最初の目撃者は《黒月》の有力者の娘とその幼馴染の少年だったようです……

 トールズ士官学院の制服でホテルの中に現れた“彼”は警備に当たっていた月華流の拳士30名を撃退した後に現れた時と同じように忽然と姿を消したそうです」

 

「《黒月》の……」

 

 オリヴァルトとしては最初の目撃者である娘と少年に興味が湧くが黙ってクレアの報告に耳を傾ける。

 

「他に“彼”が確認されたのは首都イーディス、《クルガ戦士団》の駐屯地、遊興都市サルバット、そして温泉郷・龍萊……

 ただ不思議なことに移動中の“彼”の目撃情報はありませんでした」

 

「ラングポートにイーディス……帝国に戻って来ようとしていたわけではなかったのかな?」

 

 頭の中で地図を描きながら“彼”がどういう目的を持って動いていたのか分からずオリヴァルトは首を捻る。

 

「それからこちらは調査に協力してもらったルポライターから提供してもらった写真です」

 

 クレアは備え付けの映写機に感光クォーツをセットするとモニターにその写真を映す。

 

「サルバットで撮られた一枚です……

 相手は近年、カルバードで勢力を拡大しているマフィアのボスであるジェラール・ダンテスです」

 

「これは……」

 

 映された写真にオリヴァルトは息を飲む。

 そこに写っていたのは深紅の制服を纏ったリィンとジェラールが腕を交差させて互いの頬に拳を当てている決定的な一瞬を捕えた場面だった。

 

「…………見事なクロスカウンターだ……くぅっ! ボクというものがいながらリィン君!」

 

「お兄様……」

 

「こほん、それでクレア君。龍萊以降のリィン君の足取りは掴めなかったのかね?」

 

「はい、それ以降にカルバード共和国内でのリィン君の目撃情報はありませんでした……

 ただ今回のカルバード共和国の侵攻も国内でリィン君――帝国の人間が特殊部隊を撃退するなどの騒動を各地で起こしていた事が一つの要因であるようです」

 

 その報告にオリヴァルトは写真の中の彼を見る。

 拳を受けながらも必死な顔をしている少年の顔。

 目の前の敵を倒すことだけではない。

 何としても帝国に戻らなければならないという気迫が伝わって来る眼差しにオリヴァルトは居たたまれなくなる。

 そういう“因果”が紡がれ常人には諍えないものだったとしても、彼が必死で戦っているにも関わらず自分達は“彼”のことを忘れていた。

 そして思い出した時にはもう取り返しのつかないことになっていた。

 

「オズボーン宰相、これも全て《預言》と言うものの範疇なのかね?」

 

「さて、どうでしょうね」

 

 オリヴァルトの質問をギリアスははぐらかす。

 

「でしたらこれだけは教えて頂きたい。ボク達はいつまでリィン君のことを覚えていられるんだい?」

 

 その問いにギリアスは沈黙を返す。

 

「エマ君が言っていたよ。《煌魔城》や《騎神》の存在は帝国の歴史に残されないように“因果”が操作されていて人々の記憶から薄れて行く……

 《零の騎神》もそれに当てはまる可能性は高く、民衆には既にその兆候が起き始めていると」

 

 オリヴァルトは再びリィンのことを忘れてしまう可能性を問い質す。

 ギリアス・オズボーンが《起動者》だという証拠はない。

 だが、これまでの言動からそれに近い存在だと考えての質問。

 ギリアスはこれに正直に答える必要はないかもしれないが、リィンに関しては誠実に答えてくれるという信頼があった。

 

「……ええ、その通りです」

 

 オリヴァルトの期待通り、ギリアスは静かに頷いた。

 しかしそれはオリヴァルトにとってあって欲しくない可能性だった。

 

 

 

 

「……気持ち悪いわね」

 

 ルーレから《翠の機神》を使って帝都ヘイムダルに戻ったアリサは街の至る所から聞こえて来る声に眉を顰めた。

 内戦が終わった直後は普通だったのに、一ヶ月の時が過ぎて民衆の中から《零の騎神》の記憶は薄れ始めていた。

 彼がもたらした奇蹟の力は《緋の騎神》がもたらしたものだとすり替わっていた。

 

「クリスの頑張りを否定するつもりはないけど……」

 

 《機神》で戦った者も、《魔煌化》を防ぐために戦った者も、《Ⅶ組》は偉そうな事を言っておきながらも大した成果を挙げられていなかった。

 そんな自分に彼の“霊薬”を使わせてもらう資格があるのかどうか迷ったが、命には代えられないとオリヴァルトに諭されてアリサは彼の霊薬を受け取った。

 そのおかげでイリーナは一命を取り留めたが、やはりアリサの心には後ろめたさが残った。

 

「私達もあんな風になっていたのね」

 

 クリスが何故、セントアークで自分達を拒絶したのかアリサは理解する。

 そして今は《Ⅶ組》の繋がりの残滓のおかげで正常な認識を保っているが、彼らと同じように再びリィンの存在を忘れてしまうことに恐怖を感じる。

 肝心のクリスは《蒼》を倒した時から昏睡状態に陥って目を覚まさない。

 帝都復興に人一倍尽力している《灰の騎神》に乗っているキーアにも接点はほぼない。

 

「私達は何をしていたんだろう……」

 

 振り返ってみれば反省すべき点はいくつも思い浮かぶ。

 《Ⅶ組》は誰も《緋の騎神》とクリスを探して合流しようとしなかった。

 みんな、セドリック皇子であるクリスよりも自分の事情を優先して行動していた。

 そして今もアリサはラインフォルトと《Ⅶ組》を天秤にかけて前者を選んでしまっている。

 それは他の《Ⅶ組》も同じだった。

 それぞれがそれぞれの理由で学業を続ける余裕はない。

 例えクリスが目覚めたとしても、きっと自分達は彼を残してトールズ士官学院を去るだろう。

 

「そんな私達がクリスの味方をするなんて……ってダメね今はそんなことを考えても仕方がないのに」

 

 いつ士官学院が再開するかも分からないのに、もしもの時を考えて勝手に思い詰めても仕方がないとアリサは思考を切り替える。

 

「失礼しますって……あれ?」

 

 《カレイジャス》のブリーフィングルームにはいると思っていた鉄血宰相と放蕩皇子の姿はなかった。

 

「あ、お帰りなさいアリサさん」

 

 エマは《ARCUS》と《貝殻》、そして不思議な光を宿す石のペンダントを広げていたテーブルから顔を上げてアリサを出迎えた。

 

「エマ……宰相たちは?」

 

「少し仮眠を取るそうです」

 

「そう……」

 

 いくら怪物と呼ばれ優秀であっても、連日連夜遅くまで多くの書類を捌いている二人も人間なのだから休憩があって当然だ。

 

「報告書ならそちらに」

 

 エマに促されて、アリサはノルティア州での貴族連合の残党の顛末とユミル跡地の調査のレポートを高く積まれた山に乗せる。

 

「お疲れ様です。ノルティア州の方は落ち着きましたか?」

 

「ええ……ログナー家の人達が協力してくれたから領内の領邦軍の説得はスムーズに済んだわ」

 

 決戦が始まる前にギリアスとログナーの間に和解が成立していたこともあってノルティア州の戦乱はこの一ヶ月で終息を迎えていた。

 

「それは良かったですね。ユーシスさんの方はまだもう少しかかりそうです」

 

「そう……」

 

 当主が健在のノルティア州。

 そして内戦の早い段階から正規軍側に鞍替えしたハイアームズ侯爵が治めているサザーランド州は比較的早く復興活動が始まっている。

 だが、この内戦で当主を失ったアルバレア家が治めるクロイツェン州はまだ貴族連合の抵抗は大きかった。

 ユーシスを次のアルバレア当主と認めない者も多く、ルーファスが優秀な人材を引き抜いてクロスベルへと行ってしまったこともあり、クロイツェン州は混迷を極めていた。

 

「私達の方は良いけど、貴女の方は何か成果はあった?」

 

 うんざりする後始末の話からアリサは話題を振る。

 エマは帝都に残り、《零の騎神》を調べていた。

 ノイやリンはいつの間にか消えており、あの時何が起きたのか正確に状況を把握できていないのが自分達の実情だった。

 

「ひとまずオリヴァルト皇子からの要請で《ARCUS》と《響きの貝殻》。それからエリゼさんのペンダントを使って……

 相互観測による私たちの記憶保護の術――《Ⅶの輪》を構築しています」

 

「…………そう」

 

 エマの説明にアリサは素直に喜ぶことはできなかった。

 

「ねえエマ……アルベリヒって何者なのか知っている?」

 

「それは……」

 

 これまで尋ねる余裕がなかった話題をアリサはエマに振る。

 アルベリヒ・ルーグマン。

 カレル離宮でマテウス卿を操り、今回の内戦の《煌魔城》の出現を裏で操っていた人物なのだが彼の足取りは掴めていない。

 アリサが開発した《ダインスレイブ》を機甲兵兵器に転用したことを始め、父と同じ顔を持つ彼の存在をアリサは無視することはできなかった。

 何よりあの一瞬で垣間見たアルベリヒの顔は間違いなく己の父だったという確信がアリサにはあった。

 

「あの時、あの人は“魔女”とか私の家族の事とか口にしていた。もしかしてあの人は貴女の関係者なんじゃないの?」

 

「……いえ、それはないと思います」

 

「本当に?」

 

 念を押して来るアリサにエマは頷く。

 

「私も詳しくはないんですが、アルベリヒという名前は確か“魔女”と対立していた“大地の眷属”の長だった人の名前です」

 

「“大地の眷属”の長だった名前……そんな名前がどうして……?」

 

「アルベリヒについては私の方でも調べてみます。まだ確かな事は言えませんが、お婆ちゃんなら何か知っているかもしれません」

 

「……ええ、お願いするわ」

 

 ラインフォルトは大変だが、アルベリヒという存在に関しては無視できない。

 《機甲兵》の開発に関わっていた事も考えれば、彼が言っていたカイエン公の相談役という立場も怪しい。

 何よりアリサにとっては姉同然の存在であるシャロンを洗脳して従えていた彼を放置するという選択肢はない。

 

「前途多難ね……リィンがいれば――っ」

 

 思わず口に出てしまった言葉にアリサは口を噤んだ。

 

「そうですね……リィンさんがいれば今の不明瞭な状況も明確にできたのかもしれません」

 

 アリサの愚痴にエマは自嘲めいた言葉を漏らす。

 

「アリサさん、これはまだ確定した情報ではないんですが」

 

 エマは何かを決意したように佇まいを直す。

 

「エマ……?」

 

「エリゼさんやオリヴァルト皇子にも余計な希望を抱かせると思って伏せていましたが……

 リィンさんはまだ完全に消滅したわけではないかもしれません」

 

「それは本当なの!?」

 

 アリサはエマの答えに思わず声を上げていた。

 

「確証はありません。ただ《ティルフィング》の“核”は内戦の終結から内包していた霊力が微増しているような気がするんです。誤差かもしれないですけど」

 

「…………確かにその程度の情報じゃぬか喜びさせるだけよね」

 

 そこまで考えてアリサは首を横に振った。

 

「それでもエリゼさんやオリヴァルト殿下には話した方が良いと思うわ」

 

「え……? でも……」

 

「エマの言い分も分かるけど、一番リィンを心配しているのは私達じゃなくてエリゼさんやアルティナちゃんよ……それに……」

 

「それに?」

 

「私が言える事じゃないかもしれないけど、そういう秘密主義的なところが取り返しのつかないことになった原因じゃないのかしら?」

 

「そ……そんなことないと思いますよ?」

 

 アリサの指摘にエマは視線を泳がせて否定するのだった。

 

 

 

 

 



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70話 エピローグⅡ

 

 

『そうかバルクホルン卿は一命を取り留めたか』

 

 その報告にアイン・セルナートは画面の中で複雑な顔をして安堵する。

 

「まだ予断を許さない状態なんで助かったとは言えないんですけど……」

 

『そうだろうな。“聖痕”を奪う……そんなことができる存在がいるとはな』

 

 “聖痕”は資質がある者になら譲渡することも可能だ。

 だがそれはあくまでも持ち主の意志があってのこと、本来なら他人の干渉でどうこうできるものではないため、アインにとっても聖痕強奪の報は寝耳に水だった。

 

『典礼省に知られれば五月蠅くなりそうだが……それはそうとトマスはどうした?』

 

「あーここにちゃんといますよ」

 

 ケビンは場所を開けてメルカバの艦橋を映すカメラを動かす。

 

「ぐぬぬぬ……あの真面目で誠実で勤勉なガイウス君が……」

 

 守護騎士第二位にして星杯騎士団副長トマス・ライサンダーは頭を抱えて唸っていた。

 

『どうした? 何があった?』

 

「いやあ……」

 

 こうなった原因を思い返してケビンは曖昧に笑う。

 

「“聖痕”を奪われて衰弱したバルクホルン卿を助けてくれたのがあのゲオルグ・ワイスマンだったと報告したじゃないですか」

 

『ああ、業腹だが。それが?』

 

「その事で《Ⅶ組》のガイウス君がワイスマンに感謝と尊敬の念を向けて士官学院教官として感じ入る事があったみたいです」

 

『…………何だそれは……』

 

 呆れ果てながらもアインはトマスの状況を理解する。

 自分達には手の施しようがなかったバルクホルンを目の前で助けた恩人にガイウスが感謝するというのは当然の事だろう。

 それがクラスメイトの自称部下と言うのならガイウスは素直に警戒心を緩めてしまうのも無理はない。

 逆に七耀教会の心証は決して良くはない。

 伏兵としてトマスが戦場に光学迷彩を使って隠れていたこともそうだが、彼が身分を隠して士官学院に潜入していたというのは帝国解放戦線の事がまだ記憶に新しい彼の警戒心を強めさせるものだった。

 結果、ガイウスの中ではワイスマンの株は高騰して、トマスの株は暴落している。

 いくら聖職者であっても、その立場に無条件の信頼が得られるわけではないとケビンはノーザンブリアの一件で学習している。

 

「まあ、一番効いたんわ。御兄弟ですかって聞かれたからやと思いますが」

 

『…………そうか』

 

 それは嫌だなとアインは共感する。

 

「これが今世俗で流行り始めているという寝取られたというものなのでしょうか……女神よ、私はどうすれば良いのですかっ!?」

 

「お、落ち着いてくださいライサンダー卿……ガイウスさんも決して悪気があったわけではないですから……

 ただトマス教官という人物に対しての好感度が元々低かっただけですから」

 

「ぐふっ……」

 

 己の従騎士に慰められてトマスは止めを刺された。

 

『……それで話を戻すがバルクホルン卿の事だが』

 

「ええ、今はワイスマンの疑似聖痕のおかげで生命力の流出を抑えていますが、それも一ヶ月程度が限界だそうです……

 延命のためにはスカーレットの中にある“聖痕”を取り戻さなければいけないんですが、それだけでもあかんみたいです」

 

 バルクホルンがもう高齢だということもあり、今の衰弱した体に“聖痕”を取り戻したとしても今度はその力の大きさに壊されると言うのがワイスマンの診断だった。

 

「とりあえず前提としてスカーレットの身柄が欲しいってオリヴァルト皇子に交渉をしたんですが、オズボーン宰相が……」

 

 ――スカーレットは此度の内戦を引き起こした罪人として裁くためアルテリア法国に引き渡すことはできない――

 

「それを抜きにしてもオルディスの事件で一度司法取引をして奉仕活動に従事させて罪を償う機会を与えていたわけなんですけど……

 蓋を開けてみればカイエン公とテロリストが結託していたわけやから、鉄血宰相はアルテリア法国による侵略だって主張しとるわけですよ」

 

 メルカバで帝国の空に不法侵入していたことも仄めかされた上で、スカーレットを引き渡すための条件を提示された。

 

「スカーレットがもたらした被害の賠償金……

 帝国国内での七耀教会の活動の撤退……

 それからクロスベルが帝国の領だと言うアルテリア法国の承認……

 細かいものはまだまだありますけど、だいぶ吹っ掛けられてますよ」

 

 うんざりしながらケビンは報告するとアインもそれを聞いてため息を吐く。

 

『スカーレットのせいで帝国の民から七耀教会への信仰心は地に堕ちているか……

 ただ僧兵庁がスカーレットを確保しようとしている動きがある』

 

「それは何で? もうスカーレットはただの疫病神にしかならんのに?」

 

『“聖痕”を奪うことができた貴重な人材だという事だろう……それを解析して私達、守護騎士へ対抗手段にでもするつもりだろう……典礼省からの突き上げもあると言うのに……』

 

「……お疲れ様です」

 

 スカーレットが起こした事件により七耀教会の様々な部署でそれぞれが動き始めている。

 判断を間違えれば七耀教会そのものが分裂するか、帝国がアルテリア法国に宣戦布告する可能性さえある。

 

「グラハム卿」

 

「ん? 何やリース?」

 

 考え込むケビンをリースが呼んだ。

 

「……その……ヘミスフィア卿からの緊急連絡です」

 

「…………そうか」

 

 通信士の報告にケビンはアインに視線を向ける。

 

『このタイミングの緊急連絡……つまりもう限界という事だろう』

 

「ですな……繋げてくれリース」

 

 ケビンの指示にモニターの画面が分割され――

 

『どういうことか説明しやがれっ! この根暗ネギ野郎っ!!』

 

 メルカバの艦橋を震わせるのではないかと思う程の怒号が響き渡った。

 分割された画面いっぱいに顔を寄せて咆哮を挙げたのは赤い髪の少女だった。

 

「あー……久しぶりやなオルテシア卿」

 

 怒号を耳を塞いでやり過ごしたケビンは画面越しに殺気を飛ばして来る同僚に挨拶を返す。

 

『そんなことはどうでも良いっ! 先生が死んだってどういうことだっ!?』

 

「いや、まだ死んでおらんって」

 

『セリスさん落ち着いてください』

 

 新たな声が聞こえてくると、少女は肩を掴まれて導力カメラから引き剥がされる。

 

『お久しぶりですグラハム卿にライサンダー卿。活躍は聞いていますよ』

 

 赤い少女を宥めたのは線の細い蒼白の髪の青年。

 

『ですが、僕達からの通信を拒否するのはいかがなものでしょうか?

 こうしてヘミスフィア卿を経由して連絡をつけてもらいましたが、どういった心つもりですか?』

 

 口調は穏やかなものの、その眼差しと語気には剣吞な空気が含まれていた。

 

『――というわけで時間稼ぎも限界と判断したから後は任せるよ』

 

 そう画面の外から投げやりな言葉を掛けて来たのは通信機の主だろう。

 

「ああ、悪いとは思っていたんやでバルタザール卿。でも――」

 

「私の指示です」

 

 ケビンの言葉を遮ってトマスは立ち上がる。

 

「バルクホルン卿が重態と聞けば貴方達は暴走すると判断しました」

 

 先程までの情けない姿とは打って変わり、星杯騎士団副長として毅然とした態度でトマスは二人の守護騎士に向かって告げる。

 

『暴走なんて……まあセリスさんですからね』

 

『おい、こらリオン!』

 

 納得する蒼白の青年に赤髪の少女は突っかかる。

 

『ともかく先生の容態は?』

 

 その青年の質問に少女は睨むのをやめてトマスに顔を向ける。

 

「あまり良い状況ではないですね……

 “聖痕”を奪われるなどというのは前代未聞の出来事ですから」

 

 トマスの言葉に赤い少女は眦を挙げる。

 

『スカーレットとかいう馬鹿はどこだっ! アタシが直々に外法としてぶっ殺してやるっ!』

 

 体から炎を立ち昇らせて赤い少女は咆える。

 

「短絡的な行動は慎んでください」

 

 そんな赤い少女をトマスは諫める。

 

「今、スカーレットは帝国政府に拘束されています……

 貴女が暴走して帝国と事を構えれば、帝国と法国の関係は修復不可能な亀裂が生まれるでしょう」

 

『くっ……』

 

 厳しい言葉に少女は炎を治める。

 

『元従騎士スカーレットに手を出せないのは理解できましたが、皆さんは何を相談していたんですか?』

 

『…………バルクホルン卿を救う手段についてだ』

 

 青年の質問に答えたのはアインだった。

 

『先生は助かるのか!?』

 

「その可能性はまだあります……ただそのためにはスカーレットの身柄を帝国から譲ってもらう必要があり、それに――」

 

 トマスはそれを口にすることを思わず躊躇った。

 

「おやおや、守護騎士殿達がこれだけ揃うのは壮観なものだ」

 

 その躊躇いにタイミングを計ったように艦橋に入って来たのは、かつて七耀教会にいた時から文字通り姿を変えたゲオルグ・ワイスマンだった。

 守護騎士たちは揃って顔をしかめるがワイスマンは気にせず報告する。

 

「さて、結果だけ報告しよう……

 条件次第ではあるが、バルクホルン先生の治療方法は確立できた」

 

『……そうか。それでその見返りに《蛇》である貴様は私達に何を望む?』

 

「特に何も」

 

 剣吞なアインの言葉にワイスマンは動揺一つ見せずに言い返し、胡乱な眼差しを向けて来る守護騎士たちに愉悦の笑みを浮かべる。

 

「勘違いしないでもらおう。私がバルクホルン先生を助けるのは、私自身の彼への恩返しの想いが少しと……

 彼がリィン・シュバルツァーの友人であるガイウス君の恩師であることが理由だ」

 

 ワイスマンは振り返り、自分と一緒に艦橋に入ったガイウスに振り返る。

 

「君たちはもちろん、七耀教会にバルクホルン先生を助ける見返り求めないことはリィン・シュバルツァーの名に誓ってしないと約束しよう」

 

『はっ! 《蛇》のくせに……《盟主》でもない自分の後継への誓いが何だって言うんだ?』

 

 赤い少女はワイスマンの宣言を鼻で笑う。

 《結社》において神聖視されている《盟主》に誓う事は教会の人間が女神に誓うようなもの。

 ましてやリィン・シュバルツァーはワイスマンの“疑似聖痕”を受けた《蛇の後継》。

 赤い少女も、蒼白の青年もワイスマンの誓いを信用するつもりは一切なかった。

 

「ふむ……何やら大きな誤解があるようだが、そもそも君達には選択肢などないのだよ」

 

『てめえ……』

 

『オルテシア卿、少し黙れ』 

 

 赤い少女が眦を上げて炎が再燃する。だが、そこにアインが冷ややかな言葉を掛けて彼女の憤りを止めた。

 

『ワイスマン……一つ聞いておきたい……

 このままバルクホルン卿を見捨て、スカーレットから“聖痕”を回収しなければどうなると思う?』

 

「これはあくまで推測でしかないが」

 

 そう前置きをしてワイスマンは己の知見を語る。

 

「スカーレットに“聖痕”を奪わせた存在にとってはそれこそ望むところだろう……

 今のスカーレットが持っている“聖痕”は言わば半分、残りの半分は彼の存在の下に既に渡っていると考えて間違いはないだろう……

 彼女が処刑されたとしても、バルクホルン先生の“聖痕”は失われ新たな“聖痕”としてゼムリア大陸の何処かで再誕することはなく、彼の存在の手中で分かたれた“聖痕”は完成するだろう」

 

『つまりここで“聖痕”を取り戻さなければ、その存在をより強大なものにしてしまうと言う事か……』

 

 決していい加減ではないだろう推論にアインは歯噛みする。

 

「例え半分に分割されていたとしても、今のバルクホルン先生には“聖痕”を支えるだけの生命力はない……

 先生の延命をするならば、“聖痕”の継承者にバルクホルン先生の生命維持をするようにパスを繋ぎ、彼の負担を肩代わりしてくれる“器”が必要となる……

 一番手っ取り早いのはスカーレットをそこに置くことだろう」

 

『ちょっと待てっ! それはスカーレットに先生の“聖痕”を預けたままにしろって事かっ!?』

 

 彼を生かすためとは言え、尊敬する恩師の“聖痕”をスカーレットが継ぐことに赤い少女は難色を示す。

 しかしワイスマンは首を横に振った。

 

「いいや、幸いここには“聖痕”を継承できる資質を持つ少年がいる。私は彼にバルクホルン先生の“聖痕”を継承させることを勧めよう」

 

 ワイスマンはガイウスに視線を送る。

 トマスは七耀教会とは何の関係もないはずのガイウスが既にそれを受け入れている様子に気付いてワイスマンに詰め寄る。

 

「ワイスマン、貴方は……ガイウス君に何を吹き込んだ!?」

 

「トマス教官、これは俺の意志です」

 

 ガイウスは前に出てトマスや画面に映った守護騎士たちを順に見回す。

 

「バルクホルン先生は俺にノルドの外を教えてくれた恩師です。その命を救うために俺にできることがあるのなら何でもすると答えただけです」

 

「しかしですね。ガイウス君、“聖痕”を継ぐと言う事は本来ならば“守護騎士”に任命すると同義……

 教会の人間ならば強制ではあるんですが、それを君に適応しても良いものか……」

 

「全てワイスマン殿から聞いています……

 七耀教会の守護騎士になる覚悟もできています」

 

「なっ!?」

 

「もちろん俺にも打算はあります……

 この内戦で俺は《機神》という力を貸してもらっておきながら、何もできなかった」

 

 ガイウスは帝都の空でスカーレットが乗った《神機》と戦っていた時の事を思い出す。

 それだけではない。

 クロスベルに一人で戦いに行った彼をただ見送ってしまったこと。

 そんな彼を忘れてしまっていたこと。

 内戦が終わり、彼にバルクホルン共々助けられてガイウスが感じたのは己の不甲斐なさだった。

 もしも《機神》がなかったなら、自分は戦う事さえできずにクリスの後ろに突っ立っているだけだったのではないかと思うとさらに惨めな気持ちになる。

 

「クリス達の戦いは終わっていない……

 リィンが命を賭して繋いでくれた未来。それを《黒》に奪わせるわけにはいかない……

 そのために貴方達には俺を強くして欲しい」

 

「ガイウス君……」

 

「それに貴方達にとっても先生を救う以外にもメリットがあるのでしょう?

 スカーレットの件がどうなるにしても、貴方達は帝国での活動しづらくなる。ですが俺ならば守護騎士ではなく《Ⅶ組》として帝国で活動できる」

 

「……これは貴方の入れ知恵ですかゲオルグ・ワイスマン」

 

「フフ、入れ知恵とは人聞きが悪い。私は双方にとってメリットのある提案を彼に教えて上げただけだよ」

 

『正直、君がそう言ってくれるのは私達にとって渡りに船と言うものだ』

 

 憤るトマスに反してアインはガイウスの提案に前向きに検討する。

 むしろガイウスを守護騎士にすることに関してはメリットしかない。

 従騎士になりながら教会の剣術を使ってテロを行い、慕う者が多いバルクホルンを殺害する所か、その“聖痕”を奪った存在を許せる者は少ないだろう。

 その点ガイウスならばバルクホルンと親交があり、彼の人格も極めて良好ならば後継者として申し分はない。

 強いてダメな部分を上げるならば、《蛇》への信頼だがこれは七耀教会への不信が原因でもある。

 

『君の決意は理解した……

 私達としてもスカーレットを帝国から引き渡ししてもらえたとしても、奴にバルクホルンの“聖痕”を預けておきたくはない』

 

 アインは偽らざる本音を口にする。

 次の後継者が見つかるまでの“器”にしておく点でもスカーレットに“聖痕”を預けておく事はあり得ない。

 今は消耗もあって大人しくしているらしいが、オズボーンへの復讐が失敗していたと気付いたスカーレットが“聖痕”を悪用して脱走しないとも限らないのだから。

 

『ケビン、今回の事についてルフィナは何と言ってる?』

 

「ルフィナ姉さんは基本的に帝国と法国の問題に口を出さない方針らしいです……

 あくまでも中立としてナユタちゃん達の世話に専念するって言ってました」

 

『そうか……』

 

 交渉事にルフィナが使えない事にアインは宛が外れたと嘆くが、それを一瞬で切り替える。

 

『とりあえず帝国との交渉はケビン、お前に一任する』

 

「は……?」

 

『全ての条件を飲むとは言えないがとにかく譲歩を引き出せ。ルフィナの後を継ぐならばやれ』

 

「…………はい」

 

 姉の名前を出された命令にケビンは項垂れて承諾する。

 それを横目にアインは改めてガイウスに向き直った。

 

『まだスカーレットの身柄を確保したわけではないので確約できないが、君を守護騎士第八位として内定しよう』

 

「っ……ありがとうございます」

 

 アイン・セルナートの言葉にガイウスは気を引き締めて頭を下げる。

 そんな、守護騎士たちにはない謙虚で真面目な態度にアインは苦笑を浮かべ、固くなった空気を和ませる口調で続ける。

 

『守護騎士は自ら渾名を名乗る習いでね……

 君も今のうちに適当に考えておくと良いだろう……参考までに言えば私は《紅耀石》、そこのトマスは《匣使い》と名乗っている』

 

「《紅耀石》に《匣使い》……」

 

『なんだったらバルクホルン卿の名を継いで《吼天獅子》を名乗っても良いぞ』

 

「そんな先生の渾名を名乗るなんて畏れ多い」

 

 アインの言葉に赤い少女が何かを言いかけるが、ガイウスの言葉を聞いて口を噤む。

 

「渾名か……」

 

 あまり考えたことがなかったが、ガイウスが知っている渾名と言えば《超帝国人》なのだが、それとは別に思い付いた名を口にする。

 

「貴方達にとってスカーレットやこの内戦の裏に蠢く存在の事を“外法”と言うのですよね?」

 

「ええ、厳密には違うがその認識で間違っていません」

 

 ガイウスの質問にトマスは頷く。

 

「ガイウス君……?」

 

 ケビンは嫌な予感を感じてガイウスに声を掛けようとするが、遅かった。

 

「“外法狩り”……と言うのはどうでしょうか?」

 

 ガイウスの口から出て来た渾名に守護騎士たちとゲオルグ・ワイスマンは意味深に口を噤んだ。

 

「えっと……何か?」

 

『…………何故、その渾名を? それもワイスマンからか?』

 

 アインが確認にガイウスは首を傾げて答える。

 

「何故ワイスマン殿が?

 スカーレットや先生の“聖痕”を奪った者達が“外法”と呼ばれ、俺の故郷を穢したように多くの人を苦しめている……

 俺はそんな人たちを守るためにも“害獣”である“外法”を狩る……そんな意味を考えていますが?」

 

『そうか……』

 

 ガイウスの答えにアインは意味深な沈黙で頷く。

 遊牧民であるガイウスと自分達では“狩る”と言う事の意味合いが違うのだなと、文化の違いを感じながらとりあえず今は答えを濁すことにする。

 

『まあ今すぐ決めなければいけないことではないから、いくつか候補を考えておくといい……

 ところで済まないが現教会の関係者で話し合わなければならない案件ができた……何か質問がなければ席を外してもらっても良いだろうか?』

 

「はい……」

 

 ガイウスは頷き、一度思考を整理してふと目に着いた赤い少女を見た。

 

「貴女は……」

 

「あん? アタシに用があんのか?」

 

 およそ教会の人間とは思えない乱暴な口調にガイウスは首を傾げなら質問をする。

 

「貴女はシャーリィ・オルランドの姉君だろうか?」

 

 

 

 

 

 

「くしゅんっ!」

 

 元帝都の歓楽街の一角でシャーリィはくしゃみをした。

 

「珍しい……シャーリィが風邪?」

 

「うーん……誰かがシャーリィの噂をしているのかも?」

 

 フィーの問いにシャーリィは適当に答える。

 

「それにしても派手に壊れたなぁ」

 

 シャーリィはかつてあった《ノイエ・ブラン》の店の残骸を前に物思いに耽る。

 ユミルが崩壊した時にも感じたが、慣れ親しんだ光景が、縁があった日常が壊れた様にシャーリィはらしくないと思いながらも物哀しさを感じてしまう。

 

「ランディ兄もこんな気持ちだったのかな?」

 

 従兄が《赤い星座》を抜け出す切っ掛けとなった戦闘のことをシャーリィは思い出す。

 あの時は何にランディが動揺していたのか理解できなかった。しかし、今なら少しだけ分かった気がする。

 

「フィーはこれからどうするつもり?」

 

 何気なしにシャーリィは尋ねる。

 

「どうするって何が?」

 

「ほら、猟兵王にお前を殺すって啖呵を切ったじゃん……どうやって猟兵王を殺すつもりなのさ?」

 

「ああ……そのこと……」

 

 シャーリィの指摘にフィーは一つ頷き、答える。

 

「実はラウラにアルゼイド流を教えてって頼んだ」

 

「アルゼイド流を? 何であたしら猟兵の戦い方と正反対なのに?」

 

 フィーの答えにシャーリィは目を丸くして首を傾げる。

 

「正反対だからかな……今の猟兵の技を鍛えても団長はその道のずっと先にいる……

 普通にやってたらいつまで経っても団長にもリィンにも追い付けないから……猟兵の“邪道”とは違う“正道”を鍛えてみようと思う」

 

 フィーは自分の手を見下ろして強くなるための方法を語る。

 

「もちろんアルゼイド流だけじゃなくてヴァンダール流とかリベールに行ってアネラスさんに八葉一刀流とかも教えてもらおうかなって考えている……

 いろんな戦い方に触れて、わたしだけの戦い方を見つけて団長を倒す……

 サラには各地を回って修行するなら遊撃士になっておく方が良いとか言われてるけど、とりあえずそれは保留かな」

 

「なるほどね……」

 

 それが正しい方法かは分からないが、少なくても未来を据えた展望ができていることにシャーリィは感心する。

 

「そういうシャーリィの方はどうするつもり? 帝国政府との契約は終わったんだよね?」

 

「そうだな……」

 

 フィーの質問にシャーリィは青い空を見上げて物思いに耽る。

 

「帝国政府には特例で士官学院に通って卒業しても良いって言われてるし、パパには一度《ノイエ・ブラン》を経営してみないかって提案はされてるんだけどなぁ」

 

 どれもこれだと思えないシャーリィはため息を吐く。

 

「リィンを倒すのが一応の目標だったんだけど……結局勝ち逃げされちゃったし」

 

 深々とため息を繰り返してくさるシャーリィにフィーは告げる。

 

「ねえシャーリィ。もしかしてリィンが死んだって本当に信じてるの?」

 

「は? 信じるも何もキーアがそう言っていたじゃない? 委員長だって頷いていたし」

 

 死体とは違うがリィンの魂が砕け散った事象を観測したキーアによってリィンの死亡は確定した。

 

「うん、キーアの診断もエマの判断も間違ってないと思うけど……リィンが死んだことになったのは何も今回に限ったことじゃないんだよ」

 

「…………あ、《リベル=アーク》」

 

 フィーの指摘にシャーリィは数年前のリベールでの《異変》の結末を思い出す。

 

「これはわたしの経験則だけど、死んだと思って油断して鍛錬を怠っていると夢の中に現れて、こき下ろして来るから」

 

「あ……それシャーリィもあったかも。手も足も出なかったから肩だけでも嚙み千切ってやったんだよね」

 

「…………そう」

 

 楽し気に語るシャーリィにフィーは不貞腐れた様にそっぽを向く。

 

「でもそっか……リィンがまだいるって言うのは希望的観測じゃないんだ」

 

 シャーリィは奇蹟なんてものは基本的に信じない。

 だが、彼に関してだけは例外しても良いのかもしれないと考えを改める。

 

「そうだね……リィンが戻って来た時、差をつけられるのはやだし、それに……」

 

「ん? 何?」

 

 シャーリィは首を傾げる《妖精》に意味深な笑みを浮かべる。

 

 ――この子は分かってるのかな? 猟兵王を殺すってことは“最強の猟兵”を超えるってことを――

 

 “正道”も“邪道”も吞み込むフィー・クラウゼルの“道”にはシャーリィも興味が湧いて来る。

 ただ本能のまま戦うシャーリィには“正道”を取り入れることは向いていないと自覚もしている。

 

「シャーリィは……そうだな。フィーがそっちの“道”に行くならスカウトを受けてみるのも良いかもしれないな」

 

「スカウト?」

 

「こっちの話……ねえフィー、この際だから一つだけ言わせてもらおうかな」

 

「ん、何?」

 

「“猟兵王”はシャーリィが殺す。《赤い星座》にとって“猟兵王”の首は“闘神”の首と同じ価値があるから」

 

「…………そう……」

 

 シャーリィの唐突な宣戦布告をフィーは静かに受け止める。

 フィーが“猟兵王”を倒す理由が家族ならば、シャーリィにとっても“猟兵王”を討ち取ることには彼女なりの意味がある。

 

「それに“猟兵王”を倒せば《騎神》に乗れるかもしれないからね。今のクリスとならちょっと戦ってみたいしさ」

 

「ああ、そういう事もできるか……」

 

 《騎神》にまつわる大きな流れの中心にいるだろうリィンとクリス。

 自分達はそんな彼らの周りにいるだけの端役に過ぎない。

 だが、猟兵王を倒し彼の《騎神》を奪えるのならば、彼らの戦いに入り込める事ができる。

 

「ねえシャーリィ」

 

「ん? どうかした?」

 

「ここで手合わせをしない?」

 

 フィーの突然の提案にシャーリィは目を丸くして獰猛な笑みを浮かべる。

 

「どういうつもり? シャーリィに挑もうなんて十年早いよ」

 

「現時点での戦力差をちゃんと把握したいだけ、わたしは団長の首も《騎神》の席も譲るつもりはない」

 

 そう言ってフィーは両手に双銃剣を構える。

 

「あはっ!」

 

 フィーからの気当たりにシャーリィは堪え切れない笑みをもらす。

 

「《西風》とやり合っている時に思ったんだよね。今のフィーなら良い戦いができるんじゃないかって……がっかりさせないでよねっ!」

 

 シャーリィは“テスタ=ロッサ”のエンジンを起動させて咆える。

 

「……ふぅぅぅぅっ……」

 

「ああああああああああああっ!」

 

 二人は呼気を高めて意識を戦闘のそれに切り替える。

 そしてどちらともなく踏み出し双銃剣とチェーンソーが激突する。

 彼女たちの戦いは――瓦礫の帝都の中で始まった戦いはサラが止めに来るまで激しく鎬を削り合うのだった。

 

 

 

 

 







守護騎士緊急会議
ケビン
「うおおおおおおっ!」

アイン
『“聖痕”の継承ができたのなら彼の教育は君に一任しようか、初代』

トマス
「あまり変な事を教えないでくださいよ、初代」

セリス
『良かったじゃねえか、初代』

ワジ
『まあ初代と違って前向きな意味での名前のつもりのようだけどね』

リオン
『ははは、これじゃあまるで第五位の後継ですね。初代』






 黎でセリス関連で気になった事。
 EDの一枚絵でガイウスの頭を撫でようとしていたけど……やはり背伸びをしていたのだろうか?





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71話 エピローグⅢ

 

 

 

 ラウラはゆっくりとドアを開いて、その部屋に入る。

 トリスタの第三学生寮。

 二階は男子の、三階は女子と区分されているのだが、ラウラは懐かしの自室ではなく二階の一室に入った。

 

「あ……」

 

 中にある光景にラウラは見覚えがあった。

 備え付けのベッドと勉強机。それからクローゼットと棚。

 最初からあった学生寮の備品。

 それだけしかない部屋にラウラは立ち尽くす。

 

「これが“因果”から消された者の末路だと言うのか……」

 

 そこはリィン・シュバルツァーの部屋だった場所。

 だがラウラの目の前にあるのは、誰も住んでいた形跡のない真新しい部屋。

 東方の掛け軸も、学院の教科書も、ノイ達のためのドールハウスもない。

 よく見ればかつて自分が壊した壁の修繕後くらいは分かるが、旧校舎の彼の実験室の方が遥かにものは残っている。

 

「これは……」

 

 ラウラは部屋の中に進み入り、勉強机の上に置かれた三つの写真立てを見つける。

 一つ目はリベールの人達の写真。

 二つ目はシュバルツァー家の親娘が並んでいる写真。

 三つ目は夏至祭の帝都の実習の時に先輩達も交えて撮った《Ⅶ組》の写真。

 だが、その三つの写真の何処にも“リィン”の姿は写っていなかった。

 

「こんなことがあって良いのか……」

 

 不自然に空いた空間などない。

 まるで最初からそうだったような構図で、ラウラの記憶していたものとは異なる写真になっていた。

 

「私はまだ何も返せていないのに……」

 

 恩も、俗物的に言えばこの部屋や彼の私物を破壊した借金もあったはずの借用書は消えていた。

 それが良かったと安堵できるほどラウラは軽薄ではない。

 

「私は……何もできなかった……」

 

 士官学院に進学して何度も感じたはずの無力感だが、今回のそれはさらに屈辱だった。

 尊敬できる部分が一つもない元猟兵のヴァルカン。

 機体の性能の差があったとしても剣士が剣を取られたことはラウラにとってこの上ない醜態だった。

 そしてそんなヴァルカンを倒したのは《零の騎神》。

 《機神》を借りて、何処かで同じステージに立ったと思っていたラウラは《零の騎神》が起こした奇蹟よりも彼の“技”に目と心を奪われた。

 

「太刀さえ不要の領域……」

 

 《黒の神機》を両断した素手の一撃には特別な力など宿していなかった。

 純粋な技の鋭さ。

 《黒の神機》の絶対障壁と強固な装甲をフレームとまとめて斬っていながら、その断面は見惚れる程に美しかった。

 大剣で叩き切るアルゼイド流にはない技。

 同じことを父で想像しろと言われてもラウラはどれだけアルゼイド流を高めてもあの領域には辿り着けないと、己の限界を思い知らされた。

 

「父上……」

 

 思考が父、ヴィクターを連想してラウラはベッドに腰を落とす。

 感じるのは己の限界とアルゼイド流の限界。

 内戦は終わった。しかしクリスがこれから身を投じ、リィンが渦中にいた《騎神の戦い》はこの先で訪れる。

 その時にアルゼイド流が本当に役に立つのか、ラウラの自信は揺らいでいた。

 

「フィーは前に進んでいるのに……」

 

 猟兵の戦い方だけで満足していたフィーは正道を学ぶことで新たな道を見つけて一歩を踏み出した。

 それに倣って自分も邪道を学ぶべきかとも考えたが、気質的に無理だとラウラは二の足を踏んでしまう。

 ならばヴァンダール流を学ぶべきかと考えてみても、既にオーレリアという姉弟子がいる。

 自分はどれだけ高めても父と姉弟子の下位互換にしかならないという結論にラウラは絶望するしかなかった。

 

「ふふ、悩んでいるようね」

 

 一人、リィンの部屋で落ち込んでいたラウラに笑みを含んだ声が掛けられた。

 

「誰だっ!?」

 

 叫んで顔を上げた先にいたのはエマの義姉の――

 

「貴女はエマの姉君の――」

 

「ミスティよ」

 

「いや……エマの姉君のヴィ――」

 

「ミスティよ」

 

「……はい」

 

 訂正を言い張るミスティにラウラは折れた。

 

「それでミスティ――さんは私に何のようですか? エマなら帝都のカレイジャスにいるはずですが」

 

「ええ、知っているわ。でも今日は貴女に用があって声を掛けさせてもらったの……

 ラウラ・S・アルゼイド。結社に来るつもりはある?」

 

「…………何を言い出すかと思えば、結社《身喰らう蛇》に私が? そんなことあり得ない!」

 

「私もそう思うわ……

 貴女は結社の一員になるには“闇”がない……

 《Ⅶ組》の中で結社に合いそうな子は別にいてその子には声を掛けているのだけど、貴女については同僚のお願いだから声を掛けたに過ぎないわ」

 

「《Ⅶ組》の中……同僚……?」

 

 結社の勧誘に乗りそうなクラスメイトは誰かと考えながらも、ラウラの意識はミスティが語る同僚に傾いていた。

 

「《鋼の聖女》アリアンロード」

 

「っ!?」

 

 その名にラウラは思わず息を飲む。

 もはや公然の秘密になっているとも言える結社の《鋼の聖女》はかつての《槍の聖女》リアンヌ・サンドロット。

 

「何故……あの方が私に声を?」

 

「彼女の言葉をそのまま伝えるわね……

 『ラウラ・S・アルゼイド。強くなりたければ私が貴女を鍛えて上げましょう。ただしアルゼイド流は捨ててもらいます』」

 

「アルゼイド流を捨てる……?」

 

「彼女は貴女にサンドロットの“槍”を教えるつもりよ」

 

「…………え……?」

 

 次の瞬間、ラウラの昂った感情に合わせて獣の耳と尻尾が彼女の体に現れる。

 

「私に《槍の聖女》の技を教えてくれる……?」

 

 耳が上下に動き、尻尾は左右に揺れて彼女の感情の動揺を示す。

 

「いや、私には父上から譲られた《ガランシャール》がある……でもしかし――」

 

 耳と尻尾だけではなくラウラは右往左往してとにかく動揺する。

 そんなラウラの微笑ましい姿にミスティは笑いながら話を続ける。

 

「もっともそれは善意じゃないわ」

 

「え……?」

 

「彼女が手を掛けている新しい境地をものにするために貴女を利用しようとしているのよ」

 

「利用……?」

 

「要するに貴女を《槍の聖女》の複製として鍛えた上で、それを自分の糧にして更なる高みを目指すつもりなのよ」

 

「…………何故私が? 結社には鉄機隊の三人もいるはずなのに……?」

 

「彼女たち三人は“槍”を扱える資質がないみたいね……

 その点、貴女はアルゼイド流としての基礎があり、《剣匠》や《羅刹》のように完成していない……

 今から“槍”に転向させるなら《黄昏》に間に合うかもしれないという事で声を掛けて欲しいと頼まれたのよ」

 

「サンドロットの槍を……私が……」

 

「私の意見としてはやめておいた方が良いわよ……

 貴女が彼女の“槍”を覚えられるかも分からない。覚えられたとしてもその才能が利用される。この話を受ければ貴女の人生は間違いなく滅茶苦茶になる」

 

「し、しかし……」

 

「結社に関われば貴女の“将来”に影が差す……

 《鋼の聖女》の話を受ければ貴女が積み重ねた“過去”は彼女の“礎”にされる……

 こんな伝言をしている私が言っても説得力はないでしょうけど」

 

 肩を竦めたミスティは続ける。

 

「アルゼイドのまま、強くなりたいならこれを持ってオルディスに行きなさい」

 

 そう言ってミスティが差し出したのは蒼い鳥の羽飾りだった。

 

「私の知り合い達に貴女を鍛えられる人達がいるわ……

 《獣の力》の制御に剣の鍛錬、私も時々顔を出すから“外気術”に関しては少し教えられるわよ」

 

「…………何故、エマの姉上である貴女が私にここまでしてくれるのですか?」

 

 至れり尽くせりの施しに流石のラウラも警戒心を高める。

 

「大したことじゃないわ……

 来たる《黄昏》に向けてエマじゃない《Ⅶ組》の誰かと縁故を繋いでおきたいだけよ」

 

 本来ならば取るに足らない子供たちの集まりでしかない《Ⅶ組》だが、予定外が起こるのならば《Ⅶ組》が関わるのではないかという期待がある。

 リィン・シュバルツァーに関わる糸口。

 魂を砕いた彼にもはや期待を寄せるなど意味はないはずなのだが、保険を得ようとしてしまうのはあの“奇蹟”を目の当りにしたからだろう。

 

「とは言っても貴女にはもちろん《黄昏》に関わらない“道”もあるわ」

 

「あ……」

 

「アルゼイドの御当主様があんなことになってしまったのだもの、貴女に《裏》に関わっている余裕はあるのかしら?」

 

「それは……」

 

 その指摘にラウラは俯く。

 

「正義感やオズボーン宰相への反発心なんて軽い気持ちで関わるべきではないのよ……

 それは貴女だけじゃなくて、他の《Ⅶ組》にも言えることなんでしょうけどね」

 

 黙り込んだラウラにミスティは微笑みを浮かべて背を向けた。

 

「これはメンドクサイ妹と友達になってくれた御礼よ。悔いのない道を選びなさい。答えは……そうね三月の終わりくらいに聞きに行くわ」

 

 去って行くミスティを見送り、ラウラは一人天井を仰ぐ。

 

「私の道……」

 

 改めて突き付けられた未来の展望にラウラは悩む。

 《裏》との関わりを断ち、アリサやユーシスの様に、レグラムやアルゼイド流の安然を守る道。

 《裏》と関わり、戦う道。

 後者の道にはサンドロットの“槍”として強くなる道と今のままアルゼイド流として強くなる道の二つがある。

 どの道を選ぶことが正解なのか、今のラウラに答えを出すことはできなかった。

 

 

 

 

 

 

「ユーシスッ! これはどういうことだっ!」

 

 翡翠の公都バリアハート。

 そのアルバレア公爵家の邸宅の中、執務室に案内されたマキアスは抗議の声を上げた。

 

「何だ貴様か……」

 

 ユーシスは一瞬だけ執務机から顔を上げると興味がないと言わんばかりにマキアスから書類に目を落す。

 

「おい! 無視するなっ!」

 

 バンッと机を叩き、乱れた筆跡にユーシスはため息を吐くと手を止めて顔を上げる。

 

「何の話だマキアス・レーグニッツ」

 

 棘のある言葉とクマのある顔に睨まれてマキアスは思わず怯む。

 

「もしかして寝ていないのか?」

 

「仮眠は取っている……そんなことはどうでも良い。それで要件は?」

 

 手を止めたユーシスに合わせて執事やメイドが部屋に入って来ると、軽食とお茶の準備を始める。

 マキアスをダシにして休憩を取らせようとする家臣たちの動きを横目にさっさと話せとユーシスはマキアスを睨む。

 

「っ……《ティルフィング》を公爵家で買い取りたいと打診をしているそうじゃないか。いったいどういうつもりだ?」

 

「何だそんなことか……」

 

 差し出された紅茶を受け取りながらユーシスは肩を竦める。

 

「そんなことって……」

 

「今のクロイツェン州は当主であるヘルムート・アルバレアの突然の死去によって混乱している」

 

 いきり立ちそうになったマキアスの機先を制するようにユーシスは理由を淡々と告げる。

 

「オリヴァルト殿下の呼び掛けによってクロイツェン州の貴族連合もようやく大人しくなってくれたが、奴等は俺を認めたわけではない」

 

 彼らの媚びを売るようになった目を思い出してユーシスは不快そうに顔を歪める。

 

「奴等が今、大人しくているのは復活したオズボーンを警戒してるからだ……

 この内戦の後始末が済めば、温情でアルバレア家が存続されていることも分からない馬鹿な貴族達は次期アルバレアの座を狙って俺を引き摺り下ろそうとするだろう」

 

「それが《機神》の買取とどう繋がるって言うんだ?」

 

「《機神》は《騎神》に並んで《機甲兵》を圧倒するだけの“力”の象徴になる……

 クロイツェン州の生き残った貴族達を牽制するのに《機神》は利用できるという話だ」

 

「そんなリィンの《機神》をそんなことに利用するなんて間違ってる!」

 

「ならばこのまま五機の《機神》が全て帝国正規軍のあの男に接収されるのを指を咥えて見ていろと?

 貴様はそれで良いのかもしれないな。《機神》を中心にした新たな師団を新設されれば貴様はそこの隊長になれるのだから」

 

「ど、どこでその話を……?」

 

「ふん……」

 

 怯むマキアスに答えずユーシスは鼻を鳴らす。

 

「貴様たちと俺のしていることは同じだ。責められる謂れはない」

 

「いや、待て! 僕達だって機神部隊の設立の話を受け入れたわけじゃない!」

 

 慌ててマキアスは否定する。

 《機神》は《騎神》に劣るものの、《機甲兵》を凌駕する性能を持っている。

 個人で所有していて良い“兵器”ではないことことから内戦の後始末が終わり次第、接収して正規軍に取り込もうとしているのが鉄血宰相の考えである。

 それに対してオリヴァルトは《機神》はあえて《Ⅶ組》に預けようと考え、意見をぶつけ合っている。

 

「正規軍には《蒼》だけではない、クロスベルに配備されているとは言え《金》も《灰》も大局的に見ればオズボーンの傘下にある……

 内戦が正規軍の勝利で終わったとは言え、《騎神》の恐怖を過剰に振り撒けば貴族が再び暴走しないとも限らない……

 さらに言えば《機神》がアルバレア家にある限り、クロイツェン州の貴族達は表立って俺に逆らう事はなくなるだろう」

 

「それは……そうかもしれないが……」

 

「――と言うのはあくまでも建前だ」

 

「え……?」

 

「《機神》は俺達只人が唯一《騎神》の……いや超帝国人達の戦いに踏み込める手段だ……

 オズボーン宰相の言う通りにして《機神》を接収されれば、俺達はクリスの戦いの蚊帳の外に追いやられる……

 お前はリィンを見送ったことを繰り返すつもりか、マキアス・レーグニッツ?」

 

「それは……」

 

 ユーシスの指摘にマキアスは言葉を詰まらせる。

 

「お前は元々オズボーン側の人間だからそれで構わないのかもしれないがな」

 

「僕がいつオズボーン宰相の手先になったと言うんだ!?」

 

「自分の立場を忘れたのか?

 お前は鉄血宰相の盟友と呼ばれているレーグニッツ知事の息子――であり、貴族と平民の架け橋となった《超アイドル》だろ?」

 

「っ! それは――」

 

「そんなお前とは違って俺はアルバレア家存続のためにもクロイツェン州の貴族を平定させろとオズボーン宰相から要請を受けている……

 《機甲兵》を隠し持っているかもしれない貴族を相手にするなら《機神》は必ず必要になるだろう」

 

「そうかもしれないが……本当にそれだけか?」

 

 ユーシスの理論武装に怯みながらもマキアスはそれだけではないだろうと踏み込む。

 

「…………何のことだ? 今言った二つの理由以上に《機神》を手元に確保しておく理由など――」

 

「今の君はエリオットと同じ空気を纏っている気がする」

 

 マキアスの指摘にユーシスは黙り込む。

 

「図星か? 復讐の相手は……ルーファス教官か?」

 

「うるさい、お前には関係ない」

 

「ユーシス、君のお父さんの事は残念だったかもしれない。だが彼は貴族連合の重鎮でケルディックの焼討を主導したりレグラムに侵攻しようとしていた……

 カイエン公が起こした異変にも何処まで関わっていたか……

 ルーファス教官がその手で討ち取ったからアルバレア家の取り潰しだけは免れたのだから教官を恨むのは筋違いだろ?」

 

「知ったような口を利くなレーグニッツ」

 

「ユーシス……」

 

 何故ユーシスがこれ程憤るのかマキアスは理解に苦しむ。

 平民に産ませた子供として引き取っていながらも冷遇して蔑ろにした父親。

 他人の家の事情に口を出すべきではないが、ユーシスの出生にマキアスは嫌な事を思い出さずにはいられない。

 そして共に学院生活を送っていた時もユーシスは父親に良い感情を抱いていた様子はなかった。

 

「ああ、そうだ。今更父上の擁護をするなど俺もおかしいと思っている……だが……」

 

 マキアスの疑念の眼差しにユーシスは頷く。

 今日まで領主代行として忙殺されて振り返る事をしなかった己の心の内に目を向けたユーシスはヘルムートへの感情を吐露する。

 

「それでも……あの人は俺の“父上”だったんだ……」

 

 失ってから気付いた父に向けていた期待。

 冷遇する父から目を背けていたユーシスはそれでも彼に求めていたものに気付いた。

 

「ああ、分かっている……

 ルーファス・アルバレアが父上を殺さなければ、一族郎党処刑されていたかもしれない……

 リィンが父上を救わなかったのも、救えなかったのだと言う事も分かっている……だが……」

 

 胸の奥から込み上げて来る“熱”を解消する方法をユーシスは知らない。

 

「俺は結局、あの人に認めて欲しかったんだと今になって気付いたんだ」

 

 溜めた想いを吐き出して、ユーシスは恥じるように顔を手で覆い隠す。

 

「今のは忘れろ」

 

「え……?」

 

「よりにもよって貴様などに話すことになるとは……」

 

 珍しく赤面して屈辱を噛み締めるユーシスにマキアスは不謹慎だと考えながらも笑いたくなる。

 エリオットの様に復讐に盲目になっているのではないかと心配したが、思っていた以上に理性的でマキアスは安堵する。

 

「安心しろ……安易な復讐をしようなどとは思っていない……

 あの男の有様を見れば、復讐の焔に身を任せる気にはなれん」

 

「……そうだな」

 

 復讐を免罪符に好き勝手に破壊と暴力を振り撒いたクロウの事を考えると、その身を復讐に委ねる事にはどうしても躊躇ってしまう。

 

「だが、このままで済ませるつもりはない……

 ルーファス・アルバレアとはいずれ決着は着けなければならない。そのためにも俺には《機神》が必要なのだ」

 

 固い決意を感じるユーシスの言葉にマキアスは肩を竦めてそれ以上の文句は呑み込む。

 理性的に物事を考えている以上、マキアスがこれ以上とやかく言える事ではない。

 そして元よりマキアスには《機神》の処遇を決める権限はない。

 五つの機体をどうするかは結局のところ、オズボーン宰相とオリヴァルト皇子の判断に委ねるしかない。

 

「人の心配をするよりも自分の心配をした方が良いのではないか?」

 

「僕の?」

 

「リィンほどではなくても、お前は歌で貴族と平民の戦いを止めた英雄だ……

 オズボーン宰相の盟友のカール・レーグニッツの息子という事も含めて、お前には利用価値がある……

 機神の部隊を作る理由はお前をそこに縛り付けておきたいと言う思惑があるのだろう」

 

「いや……でも僕なんて……」

 

「そう思いたければそう思っていればいい。忠告はした。そして俺を巻き込むなよ」

 

 ユーシスは学院祭での事を思い出しながらマキアスに釘を刺す。

 

「僕のこれからか……」

 

 ユーシスの指摘にマキアスは考え込む。

 これまで父やオズボーンとオリヴァルトの秘書の一人の様に彼らの小間使いとして各地に派遣されていたのがマキアスの戦後処理の仕事となっていた。

 《機神》の取り扱いに関しての抗議もその一環だったのだが、それも落ち着き始めている。

 マキアスは他の《Ⅶ組》の仲間達と違って内戦で失ったものは少ない。

 家族は健在で、元々の地位も革新派の重鎮であるため戦後処理で処分される心配はない。

 そしてアリサやユーシスの様に家族の不幸があっても支えなければならない会社や領地があるわけでもない。

 せいぜい《魔煌兵》に実家を踏み潰された程度の不幸しかなかったマキアスは《Ⅶ組》の中で圧倒的に恵まれている方だろう。

 

「このまま何もしなければ、改めてアイドルデビューか……もう一度言うが俺を巻き込むなよ」

 

「そっ……それだけは何としても回避しないと」

 

 ユーシスの呟きにマキアスは戦慄する。

 

「トールズ士官学院が再開したら君は戻って来るのか?」

 

「まだ何とも言えないな」

 

 マキアスの問いにユーシスは肩を竦めて答える。

 

「戻る余裕があるかは分からないが、できれば卒業はしたいと考えている……そこら辺はサラ教官が何か考えてくれるそうだ」

 

「アリサ君もラインフォルトを立て直すために学院に戻るのは厳しいと言っていたよ」

 

「そうか……」

 

 クロイツェン州に籠っていて知らなかった《Ⅶ組》の動向にユーシスは耳を傾ける。

 家族が傷付けられたガイウスもノルドに戻り、フィーは修行の旅を計画している。

 エマは“魔女の里”に戻り《Ⅶの輪》の維持と《騎神》についての調査。

 シャーリィとミリアムはそれぞれ帝国政府の依頼と任務を終えて《Ⅶ組》に戻る理由はない。

 

「学院に残るとしたらエリオットとラウラか? いやエリオットは確か正規軍にスカウトされているんだったな?」

 

「ああ、だけどエリオットは悩んでいたよ。後はクリスだけど……いや彼の場合はいつ目覚めるかが問題だけど、それ以上に体が無事なのかどうか」

 

 マキアスは《蒼》との戦いでボロボロになった《緋》の姿を思い出す。

 一目見れば勝った方が逆なんじゃないかと思える程に《緋》は損傷して、起動者であるクリスも未だに目を覚ましていない。

 エマの診断では回復のため深い眠りについているらしいが、リィンのことがあっただけに不安が消えない。

 

「それで? もう一度聞くがお前はどうするつもりだマキアス・レーグニッツ」

 

「僕は……」

 

 このまま士官学院に入学した時と同じ目標のままで良いのかとマキアスは悩む。

 黒い噂があっても、今回の内戦でオズボーン宰相に落ち度らしい落ち度はほとんどない。

 それに加え、オズボーン宰相とオリヴァルト皇子が友好を結んだことからマキアスには反鉄血宰相主義に傾く理由はない。

 

「僕は……」

 

 傾く理由はないのだが、父やオズボーンに倣って同じ道を進むことにしこりを感じてしまう。

 

「…………まだ士官学院が再開するわけではない。すぐに決める必要はあるまい」

 

 マキアスの葛藤にユーシスは特に何かを追究せず、話を切り上げる。

 しかし、マキアスの頭には今後の展望の葛藤がいつまでも残り続けるのだった。

 

 

 

 

 






その頃の鉄機隊筆頭

「ぐぬぬぬぬっ! ぐぬぬぬぬぬぬっ! おのれラウラ・S・アルゼイドッ!」





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72話 エピローグⅣ





黎で帝国のあのクラスとⅦ組の事を持ち上げようとして思う事。
帝国内でⅦ組の功績ってどれほど認知されていて、個人を把握されているのだろうか?
自分的にはⅦ組はリィンとその仲間達くらいの認識しかされてないんじゃないかと考えてしまいます。




 

 

 

「本当に良いのか?」

 

 ナイトハルトはエリオットに向き合い確認する。

 

「はい……もう決めたんです」

 

 どこか憑き物が落ちたように力のない顔でエリオットは笑う。

 その顔にナイトハルトもようやく重い荷物を肩から降ろしたように息を吐く。

 

「父さんには申し訳ないけど……僕の復讐はもうこれで終わりにします」

 

 内戦の中、正規軍を鼓舞し《機神》を駆り、戦の先頭に立って駆け抜けたエリオットはそこにはいなかった。

 

「いや、クレイグ中将も納得してくれるだろう」

 

「…………そうだと良いですね」

 

 空を見上げて改めてエリオットは自分が口にした宣言の事を考える。

 ガレリア要塞襲撃の際、《猟兵王》に父オーラフ・クレイグを殺されて復讐のために力を求めてがむしゃらに戦って来た。

 一番の目標はそれこそ《猟兵王》を殺すことだったが、そもそもオーラフを殺すように“猟兵”に依頼したのは貴族連合と帝国解放戦線だった。

 貴族連合はまだ各地の残党の後始末は残っているが瓦解するのも時間の問題。

 帝国解放戦線も生き残りはいるが《C》だったクロウの末路を見せられて、がむしゃらに復讐に突き進む事への愚かしさにエリオットの中の復讐心は彼らへの溜飲を下げていた。

 

「猟兵王への復讐は、フィーやシャーリィに任せることにします……

 元々僕が“猟兵王”に挑むなんて分不相応だったんですから」

 

「そうか……それを聞いて安心した」

 

 内戦中、ずっと前のめりの殺意に囚われていたエリオットだったが、今は士官学院に入学した頃の顔にわずかでも戻っていることにナイトハルトは安堵する。

 

「フィオナも――フィオナ殿もそれを聞けば安心するだろう」

 

「ナイトハルト教官……今、姉さんのことを呼び捨てにしていませんでしたか?」

 

「気のせいだ」

 

 別の凄みを感じるエリオットの顔にナイトハルトは目を逸らして誤魔化す。

 

「それより君はこれからどうするつもりなんだ?

 君が望むなら第四機甲師団でクレイグ中将の後を継がせても良いとオズボーン宰相が言っていたが……」

 

 いくら内戦で活躍したと言ってもあり得ない人事。

 だが《機甲兵》を超えた《機神》に乗れるエリオットにはそれだけの価値があり、第四機甲師団ならば亡きクレイグ中将の忘れ形見としてエリオットの補佐に下士官たちは全力を尽くせる態勢は整っていた。

 

「……父さんの後を継ぐか……それも良いかもしれないですね……」

 

 復讐は道半ばで折り合いをつけてしまった。

 ならばせめて生前の父の願いであった軍人になることは叶えて上げるべきかとエリオットは考える。

 

「でも…………」

 

 しかしその言葉を漏らしてエリオットは黙り込んでしまう。

 

「何か迷いがあるのか?」

 

「迷いと言うか……やりたいことがあるんです」

 

「それはやはり“音楽”の道に進みたいと言う事か? 君がそうしたいのなら軍に遠慮などしなくても良いんだが」

 

「音楽……とは少し違うんです……ナイトハルト教官はリィンの事を覚えていますか?」

 

「リィン……? 誰だそれは……いや士官学院にそんな名前の生徒がいたような……」

 

「……覚えていないならそれで良いです」

 

 一ヶ月前までは覚えていた“リィン”の事をナイトハルトは忘れ始めている。

 これは何も彼に限った話ではない。

 《煌魔城》の存在が人々の記憶から薄れ始めているように、一度戻った“リィン”の記憶は再び忘却され始めている。

 エマの術が間に合わなければ、自分達もナイトハルトのように因果の傀儡となってしまう事にエリオットは恐怖さえ感じる。

 

「僕は……ちょっと特殊な場所で特別な導力魔法の修行をしてみようと思っているんです」

 

「特別な導力魔法?」

 

「まだ先方の許可を貰えてないから詳しいことは言えないんですけど……

 《煌魔城》の魔煌化をカレイジャスの“唄”で対抗していた術を覚えられれば良いんですけど」

 

「それは……」

 

「魔術に関してはエマが専門だから任せておけば良いのかもしれないけど……」

 

 リィンがその命を使って“世の礎”となり、クロスベルの脅威を、煌魔城の呪いを祓ってくれた。

 一時はどうして今更と感じたが、リィンは故郷のユミルを救えなかった事を知って一瞬でも彼をなじってしまった自分をエリオットは恥じた。

 

「この平和は一時的なもので、近い将来これ以上の《異変》が起きる……

 だからそのためにできることを増やして……今は音楽の事を考えても意味はないんです」

 

 まだ《騎神》にまつわる戦いは始まったばかり。

 復讐に折り合いをつけることができても、もう一人の《起動者》であるクリスの戦いが続いているのなら、悠長に音楽の道を究めてもいられない。

 音楽の道に進むことは戦う事を拒否する事。

 “夢”を叶えても今回の様な理不尽に全てが壊されてしまうなら意味はない。

 ただ守られるだけの一般人でいられる道がエリオットにはあるかもしれない。だが友達が命を懸けて戦っている事に目を逸らすことはできなかった。

 

「僕にできることがあるかはまだ分からないけど……それでも僕は僕なりに誰かを守る――父さんの遺志を継ぐつもりです」

 

「…………そうか」

 

「それに音楽は何も音楽院に通わなくても続けることはできますから」

 

 セントアークで演奏した時の事をエリオットは思い出す。

 多くの感情を昇華させて望んだ人生の中で最高だと自負できる演奏ができた。

 それもあって音楽への執着はかなり薄くなっていた。

 

「でも父さんが生きていたら、中途半端って怒鳴られるかもしれないですけど」

 

「いや……クレイグ中将も君の成長を喜んでいるだろう」

 

 本心からナイトハルトは今のエリオットに答える。

 士官学院で最初にクレイグ中将の息子として見た時は随分と頼りない気弱な子供だと思っていた。

 だが《Ⅶ組》に選ばれて、仲間達と特別実習を乗り越えて軟弱者だったエリオットは一歩ずつ確かな成長をしていった。

 内戦では感情のままに暴走してしまったが、今はそれさえも糧にして逞しくなった。

 

「ところでナイトハルト教官……」

 

「ん? どうしたエリオット?」

 

「結局姉さんとはどうなったんですか?」

 

「それは……」

 

 凄みのあるエリオットの笑顔にナイトハルトは怯む。

 

「確かに僕は正規軍のスカウトを断りますし、魔術の特訓を予定していますが、剣の鍛錬は続けるつもりです」

 

「そ、そうか。それは良い事だ……健全な肉体には健全な精神が宿るとも言うしな」

 

「ええ……ただもしナイトハルト教官が姉さんと交際したいと言うなら……父さんに代わって見極めさせてもらうので覚悟していてくださいね?」

 

 そう言って笑うエリオットにナイトハルトは決まりが悪そうに項垂れるのだった。

 

 

 

 

 

 

 ハーモニカの音色がそこに響く。

 カレイジャスの倉庫の一角。膝を着いた《零の騎神》の肩に座ったアルティナは静かにハーモニカを奏でる。

 曲の名は《星の在り処》。

 帝国で昔に流行った曲で、田舎ではいまも親しまれている定番の曲。

 彼女が長期の出張で帝都から離れた時を除き、決まった時間に流れるハーモニカの音色にオズボーンもオリヴァルトも執務の手を止めてその演奏に耳を傾ける。

 

「君の影……星のように朝に溶けて消えて行く」

 

 アルティナの演奏を聞きながら、エリゼは《零の騎神》の足に背中を預けてハーモニカの曲の歌詞を思い出す。

 まるで今の自分の心情だと思わず自嘲してしまう。

 

「アルティナちゃん……」

 

 物静かで人形みたいな少女。

 以前のアルティナから受け継いだ約束を果たすことを求めてハーモニカを吹く姿を横目にしながらエリゼは《零の騎神》を見上げる。

 

「兄様の嘘つき……」

 

 約束ならエリゼとリィンの間にもあった。

 ルフィナに促されたものではあるが、必ず無事に帰って来て欲しいと通商会議の時から事件に赴く度に言い続けて来た。

 だがリィンは帰らぬ人となってしまった。

 

「…………ちがう……兄様は約束を守ってくれた……」

 

 クロスベルの戦いから帰って来てくれた。

 帰って来て、その命と引き換えに帝都にいる全てを救ってみせた。

 帝都80万人を救った紛れもない“英雄”。

 しかし人々は、そして自分も再び“リィン”の存在を忘却しようとしている。

 だがその事にエリゼは自分でも信じられない程に動揺していなかった。

 

「………………」

 

 しかし《零の騎神》は今日も動く気配はなかった。

 そしてアルティナの演奏が終わり、格納庫に余韻の静寂が満ちて――

 

「アーちゃんっ!」

 

 それを待っていたと言わんばかりにミリアムが声を掛ける。

 以前は空気を読まずに演奏中に声を掛けて“大嫌い”と言われたミリアムは学習したのである。

 

「…………何ですかミリアムさん? 人を変な呼び方をするはやめてくださいと言ったはずです」

 

 ハーモニカから口を離したアルティナはジト目でミリアムを睨む。

 最大限の警戒心を示すアルティナにミリアムは今日は秘策があると言わんばかりににんまりと笑う。

 

「ふふん! 今日のボクには秘密兵器があるんだよ」

 

 上機嫌なミリアムにアルティナの視線の温度はさらに冷めたものになるが、ミリアムは気にせずにそれをアルティナに突きつける。

 

「オジサンにお願いしてボクもハーモニカを買ってもらったんだ! これならアーちゃんと一緒に演奏できるよね?」

 

 アルティナの銀のハーモニカに対してミリアムが取り出したのは金色のハーモニカ。

 オズボーンにおねだりして、クレアの実家の伝手を頼って手に入れた楽器。

 これさえあれば交流ができると信じて疑わないミリアムはアルティナの言葉を待つ。

 

「…………」

 

 期待に胸を膨らませるミリアムに対してアルティナは目は変わらず、すすすと音もなく後退る。

 

「アーちゃん?」

 

 その呼び掛けにアルティナは背中を向けて脱兎の如くその場から逃げ出した。

 

「…………今日も逃げてしまいましたね」

 

 二人だけが残された格納庫でエリゼが小さく呟くとミリアムががくりとその場に膝を着く。

 そんな哀れさを感じるミリアムの姿なのだが、すっかり見慣れてしまった光景にエリゼは肩を竦める。

 

「ミリアムちゃん大丈夫ですか?」

 

「うう……アーちゃんが冷たい……ボクはお姉ちゃんなのに……」

 

 抱き着いて来たミリアムを突き離せずエリゼはため息交じりにその頭を撫でて慰める。

 アルティナの気持ちはエリゼも分かる。

 分かるのだが――

 

「ねえ、エリゼは何かしないの?」

 

 切り替えたミリアムはエリゼの顔を下から覗き込んで尋ねる。

 

「何か……ですか?」

 

 ミリアムの質問の意図が分からずエリゼは聞き返す。

 

「うん、みんなこれからの事を考えてるけどエリゼは何をするのかなって?」

 

 無邪気な問いにエリゼは目を細めながら聞き返す。

 

「そういうミリアムちゃんはどうするつもりですか?」

 

「ボク? リィンが戻ってこれなかったのはオジサンが関わってるみたいだから、それを探ってみようかなって考えてるけど?」

 

 ミリアムが選んだの彼女の立場からしたら現状維持だった。

 決戦の直前にタイミング良く現れたかもしれないが、ミリアムにはオズボーン宰相を悪し様に語る理由はない。

 率先して彼を裏切るつもりはないが、仕事を抜きにして《Ⅶ組》に肩入れしても良いと言うのがミリアムの心情であり、言葉にされなかったがオズボーンもそれを望んでいるように感じていた。

 

「それでエリゼはこれからどうするの?」

 

「私は……」

 

 ミリアムの問いにエリゼは目を伏せて口ごもる。

 

「やっぱりユミルを復興するの?」

 

「一応……そのつもりです」

 

 アリサの調査では崩壊したユミルの更に上の、《零の騎神》が現れたとされる場所から温泉が湧き出ているらしい。

 少し標高は上がるものの、周辺の地盤は何故か安定していることもあり、そこがユミルを再建する候補地となっている。

 ログナー家とも和解が――シュバルツァー家に掛けられた誤解が解かれて復興費用は侯爵が全額負担してくれることとなった。

 エリゼもその復興の手伝いに、いつ再開するか分からないアストレイア女学院に残らず父達の手伝いをするために戻るべきなのだろう。

 それは頭では分かっているのに、エリゼは乗り気になれなかった。

 

「やっぱりリィンのお父さん達が忘れているから戻りたくないの?」

 

 単刀直入にエリゼが抱える悩みをミリアムは指摘する。

 帝都の戦いが終わり、書置き一つ残してアルフィンについて来てしまったエリゼはテオに導力通信で連絡を取り、叱られた。

 それは良いのだが、そこで尋ねた“リィン”の存在をテオもルシアも思い出してはいなかった。

 あくまでも帝都で《零の騎神》の姿を見たか、その恩恵を受けた者だけが一時的に記憶を取り戻しているだけだったことにエリゼはショックを受けた。

 

「クリスさんやキーアちゃんが、ずっと私に何かを言いたげにしていた気持ちが分かりましたけど……」

 

 クリスがずっと何かを言い出そうとしていた事。

 キーアが申し訳なさそうに俯いていた事。

 

「どうしてでしょうね……怒る気も……哀しいとも感じなくなっているんです」

 

 リィンがいないことにエリゼは自分が思った以上に悲嘆していないことに戸惑う。

 以前もリベールの浮遊都市から帰らぬ人となった事があったからなのか。

 それともこの内戦で多くの悲劇を目の当りにして、故郷さえも失ったからなのか。

 心が麻痺してしまってリィンの訃報を素直に悲しむことはできなかった。

 

「それだけじゃなくて……私はこの内戦の間……いえ、今も、姫様に付き従っていただけで何もできていませんでしたから」

 

 残党の処理や復興のために各地に飛び回りながらこれからの事を前向きに考えようとしている《Ⅶ組》に対してエリゼは自分が立ち止まっていることを自覚している。

 

「姫様もミルディーヌも……この内戦で自分達の役割を全うしたのに……」

 

「うーん、それは仕方ないんじゃないの? エリゼは男爵家程度の娘なんだからあの二人と違って責任も権力だって持ってないんだから」

 

「それだけじゃありません……姫様もミルディーヌもリィン兄様の事を覚えていたのに私は……私は……」

 

 アルフィンは起動者のクリスの双子だったから。

 ミルディーヌは彼女の義理の姉であるダーナによって因果の改変からリィンの記憶を保持していた。

 しかしその理屈はまだ明らかにされておらず、自分の想いさえも二人に劣っているとエリゼは思い知らされた。

 何もできず、想いの強さでも負け、心が疲れ切ったエリゼはただ立ち尽くす事しかできなかった。

 《Ⅶ組》は“重心”を失ったかもしれないが、“中心”が残っている。だから前に進める。

 しかしエリゼには“重心”であり“中心”でもあったリィンがいなくなった事に胸に穴が開いたような気がした。

 

「所詮私はしがない男爵家の娘に過ぎないんです」

 

 皇族でもなければ公爵のように人を動かす力もない。

 帝国全土に名を轟かせる大企業の令嬢でもなければ、裏に通じている“魔女”でもない。

 名のある武門の出でもなければ、戦闘のプロである猟兵でもない。

 名将と呼ばれた軍人の子供でもなければ、厳しい自然の中で生きて来た遊牧民でもない。

 何もかもが中途半端、彼への想いすら自分は一番下なのではないかとさえエリゼは考えてしまう。

 

「ふふふ、困っているようだね」

 

 これから何をして良いのか分からないと弱音を漏らすエリゼの背後に胡散臭い声を掛けられた。

 

「あ、ワイスマン」

 

 ミリアムは現れた男の名を呟く。

 

「迷っているのなら私が――」

 

 ワイスマンは眼鏡を怪しく光らせて人の良い笑みを浮かべてエリゼに――

 

「《クラウ=ソラス》」

 

 その背後に黒い戦術殻が突然現れる。

 

「あ……」

 

 ミリアムは見た。

 逃げたはずのアルティナが格納庫の扉の向こうから体を半分覗き込んで《クラウ=ソラス》に向かって小さく呟く。

 

「はこうけん」

 

「ごふっ!?」

 

 背後から《クラウ=ソラス》に殴られてワイスマンは派手に吹き飛ばされる。

 

「ん……」

 

 壁に叩きつけられたワイスマンをアルティナは満足そうに頷き、《クラウ=ソラス》にその首根っこを掴ませると引き摺らせて格納庫から出て行った。

 

「うーん……ワイスマンってあれでも《達人》に準じる術者のはずなんだけど?」

 

 首を傾げるミリアムは黙り込んでしまったエリゼに振り返る。

 

「フフフ、困っているようだなエリゼ嬢」

 

「あ、オジサン」

 

 突然のギリアスの登場にミリアムが驚く。しかし――

 

「《フラガラッハ》」

 

 再びアルティナの声が響くと《灰色の戦術殻》が現れる。

 

「はこうけん」

 

「がはっ!?」

 

 振り抜かれた鋼の拳が目にクマを作ったギリアスを捉える。

 

「オ、オズボーン宰相っ!?」

 

 ワイスマンはともかく帝国宰相を殴り倒したアルティナにエリゼは動揺する。

 

「ん……問題ありません」

 

「問題ないって……」

 

 目の前で気絶しているオズボーン宰相とそれを見下ろすアルティナを交互に見比べてエリゼは困り果てて――

 

「フッ……どうやらボクの出番のようだね」

 

 混迷極める格納庫にまた新たな声が響くと現れたのはオズボーンと同じように目元にクマを作ったオリヴァルトだった。

 

「エリゼ君。不安があるならボクが――」

 

「ん……」

 

 エリゼの手を取ろうとするオリヴァルトの前にアルティナが立ち塞がる。

 それを予期していたのか、オリヴァルトはさあ来いと言わんばかりに手を広げる。

 

「《ARCUS》駆動」

 

「え……?」

 

 ワイスマンとギリアスをそれぞれ抱えた戦術殻を背後に従えてアルティナは戦術オーブメントを翳して光弾を作り出し――撃った。

 

「おおおっ!?」

 

 流石にそれは予想外だったのかオリヴァルトは仰け反って顔面に飛んで来た光弾を避ける。

 その動揺の一瞬でアルティナはオリヴァルトに接近すると、右足を振り上げた。

 それはかつてとある家出少女が未来の超帝国人を一発で沈めた一撃。

 それはかつて凄腕の猟兵を一撃で戦闘不能にした蹴り技。

 

「あふっ!?」

 

 その一撃を受けオリヴァルトは目を見開いて崩れ落ちた。

 

「ア、アルティナさんっ!」

 

 宰相に留まらず皇子まで蹴り倒したアルティナにエリゼは今度こそ悲鳴を上げる。

 

「ん……問題ありません」

 

「問題しかありません。貴女はどうして……こうもっと穏便にできないんですか!?」

 

 内戦中、クロスベルから護衛としてずっと自分達について来てくれていたのだがアルティナの時々妙に過激になる行動にエリゼは未だに慣れない。

 

「どうして貴女は……」

 

 咎める言葉は尻すぼみになってエリゼは俯く。

 アルティナもそうだが、今しばかれた三人も過保護にエリゼに過干渉しようとしてくる。

 地位も力もない男爵家の娘を皇族以上に気遣う周りの態度に、エリゼは己の無力さと想いの弱さを突き付けられているようで、情けなくて泣きたくなった。

 

 

 

 

 









エリオットの進路

アリサ
「エリオット本気なの? エマの里に修行に行くなんて!?」

ラウラ
「エマの里と言えば“魔女の眷属”と呼ばれる者達の隠れ里なのだろ?
 そもそも部外者であるエリオットが行っても受け入れてくれるのだろうか?」

エマ
「あ、そこは大丈夫ですよ。隠れ里と言ってもそこまで閉鎖的ではないですから……
 それにエリオットさんが魔術を覚えてくれると言うのも私としても選択肢の幅が広がってありがたいですね」

フィー
「でもエリオットは良いの? 音楽の道に進みたいって言っていたのに」

エリオット
「うん、その音楽の道に将来進むためにも僕達はリィンとオズボーン宰相が言っていた二年後に備えないといけないと思うから……
 それに《Ⅶ組》の中でエマの補佐をするなら資質的に僕が適任だと思うんだ」

ユーシス
「適任か……魔導杖を使っている点ではその通りなのだが……」

マキアス
「エリオットが魔女に弟子入り……つまり……それは……」

ミリアム
「あははっ! それじゃあエリオットちゃんって呼んだ方が良いのだね」

エリオット
「…………………え?」

ガイウス
「言うなミリアム。大義のために夢を諦め、男を捨てる……リィンが命を礎としてくれたようにエリオットも……
 くっ……俺にはとても真似できないな」

マキアス
「そこまでの覚悟とは」

ユーシス
「エリオット、お前を友として、男として尊敬する」

エリオット
「…………え? ちょっと……何を言ってるの?」

エマ
「えっと……皆さん?
 確かに私たちは“魔女の眷属”と名乗っていますが、別に女系一族というわけじゃありませんよ?
 ちゃんと里には男の人はいますし、エリオットさんを去勢したりしませんよ?」

アリサ
「でもエリオットなら魔女になっても違和感がないような気がしない?」

エマ
「………………」

エリオット
「ちょっとみんな何を言ってるの!?」



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73話 エピローグⅤ

 

 

 

 

「ふむ……ではこれを飲め」

 

 そう言ってローゼリアが差し出したのは白磁の器にキーアは思わず顔をしかめた。

 

「これを……飲むの?」

 

 受け取った器の中を覗き込めば、そこには濃いまだらな緑のドロドロした液体がある。

 

「……にがそう……」

 

「うむ、良薬は口に苦しと言うじゃろ?」

 

「あはは……見た目は悪いけど害はないから安心して」

 

 胸を張るローゼリアと苦笑いを浮かべてフォローするダーナ。

 嫌そうな顔をしながらもキーアは言われるがままそれに口をつけて顔をしかめた。

 

「にがい……」

 

 見た目通りの味にキーアは涙目になる。

 以前飲んだにがトマトのシェイクは美味しいとさえ感じたのに、この薬はただ苦くて不味かった。

 

「さて、何から話そうかの……」

 

 キーアが少しずつ薬を飲んでいくのを見守りながらローゼリアが思案に耽る。

 

「良い報告と悪い報告、どちらから聞きたい?」

 

「……じゃあ良い報告からお願いします」

 

 キーアの選択にローゼリアはうむっと頷き口を開く。

 

「エステル達に届けてもらったお主の血を調べた結果、正確とは言えんが余命半年と妾は診断した」

 

「半年……」

 

 500年前に造られた人造人間。

 それも《至宝》として錬成されることを前提として造られたキーアは“揺り籠”から出てしまえば壊れていく不完全な人形。

 その事に関してキーアは悲観はしていなかったが、改めて明確にされた時間に気が重くなる。

 

「とは言え、今はヴァリマールと繋がっていることでお主の状態は健康な状態に維持されておったわけなんじゃが……」

 

 言い淀むローゼリアはため息を吐いて告げる。

 

「しかし改めて調べてみた結果、今のお主の体は完璧な健康体なのじゃ」

 

「…………え?」

 

 ローゼリアの言った言葉の意味が分からずキーアは聞き返す。

 

「えっとね。今のキーアちゃんの体は普通の人とほぼ同じ構成に回復しているの。これは《魄》を司っていた“大地の眷族”として保証するよ」

 

「そして《魂》の部分でもお主の集合意識体であった想念は一つの個として確立していることを“焔の眷族”として保証しよう」

 

 呆けるキーアにダーナとローゼリアはもう余命の心配はないと断言する。

 

「……本当に?」

 

 あまりに都合の良い話にキーアは思わず疑ってしまう。

 

「うむ……お主の霊質はナユタのそれに酷似しておるからの……

 元々お主の治療もナユタを参考にして、大まかな準備はできておったから大した問題ではあるまい」

 

「ナユタ……その子がここにいるんだよね?」

 

 クリスから話には聞いていたノーザンブリアで生まれた《幻》の子供。

 同じ《幻の至宝》を基礎としている事を考えるとその子とは姉妹の関係になるかもしれないが、それを喜ぶことは出来ない。

 

「そうじゃが……会うか?」

 

「ううん……キーアにはその資格はないから」

 

 ナユタからリィンを奪った負い目を感じてキーアは首を横に振って話を戻す。

 

「でも、どうしてキーアの体は治ったの?」

 

 突然、短命の寿命が解消された事が理解できずキーアは戸惑う。

 

「それはやっぱりあれじゃないかな?」

 

「うむ、間違いなくこれのせいじゃな」

 

 ダーナの言葉にローゼリアは頷き、テーブルの上に置いた小瓶を取る。

 

「“四大至宝”の力を対立させることなく調和させた霊薬……いや“超薬”とでも言うべきか……

 こんなものを受けたら不治の病であろうと癒されるじゃろうに」

 

「あ…………」

 

 帝都の呪いを一気に洗い流した“恵みの雨”。

 彼に自分がした事を思えば、その恩恵を受ける事などないと思い込んでいたキーアは複雑な顔をして俯く。

 

「とまあお主はこれ以上ヴァリマールに乗る理由はなくなったわけなのじゃが、悪い知らせの方じゃがお主は“零の至宝”として完成したようじゃ」

 

「“零の至宝”……完成?」

 

 ローゼリアの言葉の意味が分からずキーアは再び首を傾げる。

 

「うむ……ルフィナから提供された資料によればお主はどうやら《幻》に代わる“神”を造るための試作品に過ぎなかったようなのじゃ……

 “グノーシス”を受け入れ、七耀の力を無理矢理注ぎ込む。その程度で《至宝》に到達できるのか、できたとして安定するのか……

 今後の指標となる使い捨ての検体、後世に残すための生きた資料……クロイス家にとってお主はその程度の認識に過ぎなかったのじゃ」

 

「…………うん、それは分かってた……」

 

 そもそも“零の至宝”の錬成には失敗するリスクもあった。

 むしろ成功する確率の方が低かった。

 それを可能としたのは成功した未来のキーアが“因果”に干渉して失敗した未来を改変、もしくは集束させたからに他ならない。

 

「寿命の問題も至宝化の実験には大した問題ではなかったのじゃろう……

 成功すれば人の《理》から外れた存在となること、膨大な七耀の奔流にどのような後遺症が現れるかも観測し切れておらんようだったからのう」

 

「クロイス家にとってもそこから先は未知の領域みたいだったから仕方ないよ」

 

 他の者達はともかく、マリアベルは全てを把握した上でキーアが消滅する様を含めて観察していたのではないかと今では考えられる。

 

「でもそれが悪い事?」

 

「お主にとってはそうであろう?

 お主は既存の至宝とは異なり、外部から注ぎ込まれた“力”を消費する形で成り立つ……外で言うならじゅーでん式の“至宝”なのじゃ」

 

「あ……」

 

 キーアはローゼリアが言わんとしていることを理解する。

 

「そっか……キーアはクロスベルであればもう一度……ううん、何度でも“零の至宝”になれるんだね」

 

 以前ルーファスが危惧した問題。

 キーアが“零の至宝”としての力を取り戻せると言う事は、クロスベルに帰れないという事に他ならない。

 する、しないの問題ではない。

 それができる可能性がある限り、帝国も他の国々もキーアが再びクロスベルの地に踏み入ることは許さないだろう。

 

「……でも悪い事だけじゃないよね?」

 

「ふむ……」

 

「だってキーアがもう一度“零の至宝”になればあの“狭間の世界”への扉を開くことができるかもしれない……そうすればリィンも」

 

 クロスベルにはいられない理由ができた一方で、リィンを救うための手立てがあることにキーアは喜ぶ。

 だが、その言葉にローゼリアもダーナも同調することはなかった。

 

「キーアちゃん」

 

「だってリィンだもん……きっと……」

 

「その気持ちは良く分かる」

 

 希望的観測に縋ろうとするキーアにローゼリアは頷く。しかし現実を突き付ける。

 

「だが、回収できたとしても《魂》がなくなった空っぽの体だけだろう」

 

「っ……でも!」

 

「あやつが使ったのはそういう術なのだ……

 太刀と宝石を交信させて何度か分け身をこちら側に送り込んでおったようじゃが、現出していられる時間も力も著しく制限されていたそうじゃ……

 故に体から《魂》を切り離して分け身に移し替えて、“力”を振るった……

 その代償は妾達にも想像することはできんのじゃ」

 

「そんな事を……」

 

 改めてリィンが背負ったリスクを知らされてキーアは項垂れる。

 もっと力があれば。

 もっとうまく立ち回れていれば。

 そもそもクロイス家の甘言に惑わされていなければ。

 リィンが背負った代償は本来なら自分が背負うべきものだったはずだとキーアは自分を責める。

 

「でもリィン君の体を回収しておくのは悪いことじゃないかな?」

 

「それは……まあ放置しておくわけにはいかんが」

 

 ダーナの提案にローゼリアは眉を顰めながらも同意する。

 

「しかし今のクロスベルの状況で“至宝”の充填を行えば、お主は一生平穏とは程遠い生き方をすることになるのじゃぞ」

 

「それは……」

 

 ローゼリアの指摘にキーアは言葉を詰まらせる。

 今はまだヴァリマールに乗っているのも、太刀をリィンから模倣していることも言い訳ができる。

 だがもう一度“零の至宝”になれば、アリオスを攫ったディーター大統領派の元国防軍がもう一度クロスベルを独立させるためにキーアを利用しようとすることになるだろう。

 

「それにお主はこのままヴァリマールから降りることもできるのだぞ?」

 

「え……あ……そっか、キーアの体が治ったならヴァリマールとの契約は切っても大丈夫なんだ……」

 

 短命が解消され、帝国の内戦が終わった今キーアがヴァリマールに乗り続ける理由はもはやない。

 

「“零の至宝”に関しても、妾とダーナでギアスを作り妾達の承認がなければ再錬成することはできないようにすることもできる」

 

「うん、キーアちゃんが望むならもう戦わなくても良いんだよ」

 

 幼子のキーアをこれ以上戦わなくて良いのだとローゼリアとダーナは諭す。

 

「キーアは……」

 

「償うと言う点でもお主は内戦で十分に働き償った……

 後の償いはクロスベルの民が背負うべきもの。全てをお主が背負う必要などないのじゃ」

 

 クロスベルが犯した罪は確かにキーアがいたからこそ起きた蛮行かもしれない。

 だがそうすることを決めたのはディーター・クロイスであり、民衆はそれを支持した。

 そう言われてしまえば、そうかもしれないとキーアは頷く。

 

「…………でも……」

 

 窓の外のヴァリマールにキーアは振り返る。

 本来なら自分を乗せる事などしないだろう気高い《騎神》はこの内戦中、どれだけキーアが下手を打っても見捨てず守り続けて共に戦ってくれた。

 本来の起動者を差し置いて言うのも烏滸がましいかもしれないが愛着ができてしまった。

 

「もし……キーアが降りるって言ったら、ヴァリマールには誰が乗るの?」

 

「まだ決まってはおらん……だが《Ⅶ組》の誰かになるかもしれぬな」

 

 キーアの質問にローゼリアは考える。

 今回の内戦は自分が知る限りで最も激しい騎神の戦いだった。

 果たして《Ⅶ組》の中にクリス達の戦いに至れるだけの実力の持ち主がいるか疑問である。

 

「とりあえず今すぐ決めろとは言わん……

 お主の体も先程はもう大丈夫だと診断したが、後数日は経過を観察させてもらいたいからの」

 

「うん……よろしくお願いします」

 

 キーアはローゼリアの申し出に御礼を言って頭を下げる。

 

「キーアのこれから……どうすれば良いんだろう?」

 

 その呟きに教えてくれる“未来”の声はなかった。

 

 

 

 

 

 

 七耀暦1205年3月――

 帝国領クロスベル州東端アルモニカ村近郊――

 

「ケン……ナナ……どこ……?」

 

 一人の少女が荒れ果てた荒野で血を滴らせながら彷徨い歩いていた。

 

「ケン……ナナ……」

 

 足を引き吊りながら少女は横転したバスから離れるように周囲を探す。

 自分と一緒に窓の外に吹き飛ばされた双子の弟妹の姿を探し求める。

 

「たすけ――」

 

 バスの中から誰かの声が聞こえてくるが、それは少女が求めるものではないと無意識の内に無視する。

 

「二人とも……返事をして……」

 

 少女は何故、アルモニカ村に避難しようなどという提案に従ってしまったのか後悔する。

 今現在、クロスベルを占領した帝国軍と経済恐慌を脱して攻めて来た共和国との戦争が始まっている。

 帝国はクロスベルを戦場にしたくないこともあり、前線をタングラム丘陵に敷いていた。

 だがアルモニカ村はそのタングラム丘陵の北側にあり、戦域が広がれば真っ先に巻き込まれるだろう場所に位置している。

 弟妹達の安全のため、逃がすのならば帝国側にするべきだった。

 その選択の過ちが、共和国の空挺部隊による長距離爆撃機による流れ弾が街道に降り注ぎ、少女たちが乗っていた導力バスは直撃こそしなかったもののその衝撃に横転した。

 それは共和国が攻撃範囲を広げることで強力な《神機》の行動を制限するための戦術であったことを少女は知らない。

 

「どうして……こんなことに……」

 

 昔、家族でピクニックに来たことがあった光景は爆撃の炎によって見る影もなくなっていた。

 

「誰か……」

 

 少女の声に応えてくれる者はいない。

 

「どうして?」

 

 何故、帝国と共和国の戦争にクロスベルが巻き込まれなければいけないのか。

 一度は西ゼムリア大陸の覇権を得る寸前まで行ったはずなのに、誰もが夢と希望を抱ける未来がそこにあったはずなのに。

 気付けばクロスベルは帝国に敗戦していた。

 クロスベルの独立を認めない帝国と共和国が悪いのか。

 クロスベルを裏切った《零の御子》という存在が悪いのか。

 

「どうして……?」

 

 ディーター大統領が逮捕されなければこんなことにはならなかったのではないか。

 そんな考えが脳裏に浮かぶ。

 ディーター大統領が逮捕されなければ、クロスベルは圧倒的な力を持って今も帝国と共和国を難なく撃退することができたのではなかったのか。

 それに……

 

「どうして……助けてくれないの……?」

 

 こんなに苦しいのにクロスベルの“英雄”は現れてくれない。

 “遊撃士”も“特務支援課”も駆けつけてくれる気配はない。

 

「どうして……どうして……」

 

 黒い瘴気を纏った少女は目の前に倒れている弟妹を素通りして、誰かを探すように彷徨い歩き――風が吹く。

 

「あ……」

 

 見上げた空から降りて来るのは《金》。

 少女を救ったのはクロスベルの英雄ではなく、帝国の英雄だった。

 

 

 

 

 

 








 ユウナには「怒れる瞳」が似合うのではないかと考えていたりします。
 そもそもアルモニカ村に避難したとありましたが、共和国との戦線に近いアルモニカ村への避難はどうなんでしょうね?
 そしておそらくユウナは知らなかったのだと思いますが、その避難の裏でロイド達が行っていたのは黒月と手を結んでのジオフロント攻略していたんですよね。
 まあ閃Ⅱの時のロイドとユウナが助けられた時期はズレがあったみたいですが。



 閃のアニメのPVで、リィンが共和国を一人で撃退したことになっているんですね。
 原作だとヴァリマールの使い勝手の悪さから、帝国軍を率いて先頭に立っていたくらいの印象でしたが誇張されているのかな?
 それは良いけど、帝国正規軍に目立った戦果を挙げたわけでもなく、カレイジャスに追い払われた《蒼の騎士》のクロウはいったい……






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74話 エピローグⅥ

 

 

 

「そうか……出発してしまうのか」

 

 もしかすれば帝都ヘイムダルの皇宮よりも高いオルキスタワーの執務室で政務の手を止めたルーファスは惜しむようにスウィンとナーディアの提案を聞いていた。

 

「ああ、俺達がここであんたを手伝える事も少なくなって来たからな」

 

「なーちゃんはもっとだらだらしてたかったんだけどねー」

 

 真面目なスウィンに対してのんびりしたいと主張するナーディア。

 相変わらずの二人の様子にルーファスは苦笑する。

 

「君達二人は君達が思っている程に有用なのだがね」

 

 ルーファスがクロイツェン州から引っ張って来た自分の親派でも彼らは彼らなりの貴族としての野心を持っている。

 それを含めてうまく使うのが上に立つ者だが、その点では個人の野心の範疇から出ない二人はルーファスにとって扱いやすい手駒とも言えた。

 特にナーディアの情報処理能力は高い。

 その反面必要以上の作業はしたがらないが、それでも三人分の文官の仕事は楽にこなしてくれる。

 

「そりゃあナーディアは使えるだろうけど……」

 

「謙遜することはないよ……

 スウィン君も、先日民間人を戦線に近いアルモニカ村へと誘導した元国防軍のアジトを突き止めてくれたじゃないか」

 

「別にあの程度のこと、俺じゃなくたってできただろ。それに突き止めただけで奴等を捕まえたわけじゃない」

 

「だが、彼らに援助していた共和国側の議員やクロイス家のシンパとの繋がりの証拠を見つけてくれた……

 それは実行犯を捕らえるよりも遥かに有意義な功績だ」

 

 クロスベルを帝国が占領したからと言っても、その内側には共和国側の派閥の者達は数多くいる。

 それに加えて逮捕されたディーター大統領やアリオス・マクレインを支持しているシンパ。

 特に後者は民間人がいくら犠牲になろうが、クロスベルの独立ためには尊い犠牲だと言うくらいに歪んでおり流石《D∴G教団》を生み出したクロイス家のシンパと言える存在だった。

 

「それにしたって最終的な功績はロイド達のもんだろ?」

 

「ふむ……スウィン君はこう言っているがナーディア君はどう思う?」

 

「うん、是非すーちゃんの功績を号外で中央通りにばらまいて、それから中央広場の《鐘》の代わりにすーちゃんの銅像を建てるのが良いと思うよ~」

 

「では、そのように――」

 

「おいおい待て待てっ!」

 

 ナーディアの思い付きに真顔で動き出すルーファスをスウィンは慌てて止める。

 彼らが本気ではないと分かっているが、下手に止めなければ悪ノリで本当にやりかねない。

 

「ともかく! 重宝してくれるのはありがたいが、そろそろエースの墓参りに行っておきたいんだ」

 

「エース……ナーディア君のお兄さんだったかな?」

 

「ああ……エンペラーを倒したから……《組織》の追手を掛けられても今の俺とナーディアなら撃退もできるはず……

 内戦から今日までの給料で資金もたっぷりある……

 それに《零の騎神》の起動実験……ここを出発するのには良い区切りだから」

 

「ふふふ、お仕事を優先して今まで泣く泣く見過ごしてきたスウィーツの数々がなーちゃんを待っているのだ~! というかもう働きたくな~い」

 

 改めて《組織》から解放され自由を得たと実感が湧いて来たのかおかしなことになっているナーディアのテンションをルーファスとスウィンは生温かく見守る。

 

「まあそういう感じで今まで仕事で出向いた場所を巡りながらエースの墓参りに行くつもりだ」

 

「なるほどそれでは引き留めるのは無粋かな」

 

 ルーファスはスウィンとナーディアの離脱を認める。

 二人の能力は確かに有力だが、決して他で代用できないわけではない。

 

「しかし帝国から出ると言うのならちょうどいい」

 

「それはどういう意味だ?」

 

 聞き返したスウィンにルーファスは執務机の上にある資料を準備していたように置いた。

 

「カルバード共和国に赴くことがあれば、この二つの組織について少し調べて欲しい」

 

「…………《アルマータ》と《斑鳩》?」

 

 資料を手に取り、そこに書かれた名前をスウィンは読み上げる。

 

「そこのボスであるジェラール・ダンテスが君達を襲ったメルキオルと共に帝国から共和国へと戻っていることを確認している……

 君達がいた《庭園》と共和国マフィアの《アルマータ》……

 彼らがどれ程の関係にあるのか、君たちにとっても無関係ではないことだろ?」

 

「ああ……」

 

 《庭園》の一つを束ねていた《皇帝》を殺すことに成功したものの、それは《組織》にとっての一部でしかない。

 残った《組織》が共和国のマフィアと関係を持ち、戦力強化されると言うのならルーファスの言う通り無視できることではない。

 

「こっちの《斑鳩》って言うのはたしか共和国の猟兵団だったよね~」

 

「ああ、そちらは私が戦ったドラッケンに乗っていた女剣士の所属だ……

 どうやらリィン君が関わっているようでもあるので、接触できたらその辺りの事情を聞き出して欲しい」

 

「ああ、分か――」

 

「ふふん、すーちゃんとなーちゃんをタダで使おうとするのは良くないんじゃないかな~」

 

「もちろん、情報にはそれなりの値段をつけさせてもらうさ」

 

 快く承諾しようとするスウィンの言葉を喘ぎったナーディアの催促にルーファスは顔色一つ変えずに応える。

 やれやれとスウィンは肩を竦める。

 

「ついでに忠告させてもらえば、これから二年は帝国に寄り付かない方が良いだろう」

 

「それはどういう意味だ?」

 

「およそ二年後、内戦を超える《騎神》同士の戦いが本格的に始まることになるだろう……

 戦闘の規模はもちろん、どんな戦いになるかも不明だが、あの《零の騎神》に匹敵する存在と戦うことは決まっているだろう」

 

「《零の騎神》に匹敵するって……」

 

「とんでもねえな」

 

 帝国の内戦だけでも《機甲兵》という新技術が入り乱れナーディア達にとって既存の戦争の概念が壊されたというのにそれを超える戦争。

 二人は《零の騎神》が起こした奇蹟を基準に考えて唸る。

 あんな規模の戦いに生身で巻き込まれでもしたら、それこそ肉片も残らないのではないだろうか。

 

「今回はまだ人の争いの範疇だったため君達を雇ったが、私もセドリック皇子も、そしてリィン君も己の身を守れない者に協力をして欲しいとは思っていない……

 その上で聞くが、いくらなら君達は私に雇われてくれるかな?」

 

「おい」

 

 散々危険を煽って来たルーファスにスウィンは白い目を向ける。

 

「準起動者は《騎神》に対しての外付けの電池のようなものでね……

 私はこの二年を使ってクロスベル市民を掌握して、準起動者に仕立てようと考えている。君達もそれに加わらないかね?」

 

「うわぁ~外道過ぎ~」

 

 臆面もなくクロスベル市民を電池に利用すると言うルーファスにナーディアはドン引きする。

 

「彼らが取り壊しを拒否するこのオルキスタワーのシステムを有効利用して上げるだけだよ……

 市民の想念を徴収する限度については《零の至宝》が錬成された際に安全だと証明されている。ならば総督である私が使って何が問題だと?」

 

「うん? それってきーちゃんに代わって《零の至宝》になるってこと?」

 

「今の私の体はそこに至れる“器”ではないよ。ただ《騎神》を動かす力に利用するだけさ」

 

 その身を“不死者”にすればキーアやリィンの様にその身を《至宝》に至らせることは出来るかもしれないが、それこそまだ確証を得られていない机上の空論に過ぎないのでルーファスは黙っておく。

 

「ま……アンタもいたずらに誰かを生贄にするような奴じゃないって分かってるからとやかく言わないけどさ」

 

 何処まで本気なのか分からないルーファスの胡散臭い笑みにスウィンはため息を吐く。

 彼の言葉を信じるのなら、二年の間帝国には近づかない方が良いと思う。

 だが、その一方でその《騎神》の戦いの規模が帝国で収まり切らないものになるのだとしたら、嵐の中にいるよりも中心にいた方が生き残る可能性は逆に高くなるかもしれない。

 

「二年後についてはその時になったら考えさせてくれ」

 

「そうだね~今から二年後って言われてもなーちゃんもあまり良く分からないかな~」

 

 暗殺者として刹那的に生きて来たからなのか、二年後の備えというのに今一つスウィンとナーディアは気のない言葉を返す。

 

「アンタやクリス、それにリィンさんに申し訳ないけど、今は自由に世界を歩き回りたいんだ」

 

 働きたくないと言っていたナーディアとは別に意味でスウィンも限界に達していた。

 組織から逃げたいと思う程に切望していた自由。

 まだ全てのしがらみを清算できたわけではないが、それでも世界を二人で歩くだけの力がある今、思うがままに過ごしてみたいのがスウィンの願いだった。

 

「ああ、それは君たちにとって得難い経験になるだろう」

 

 自由に思いを馳せるスウィンにルーファスは少しだけ羨ましそうな顔をして微笑む。

 

「君たちはトールズ士官学院の生徒ではなかったが、私は君達も教え子だったと思っているよ」

 

「ルーファス……」

 

「何かあれば連絡をすると良い。立場上駆け付けて上げることはできないが、導力ネットを利用すれば資金援助くらいはして上げられるからね」

 

「おおおっ! それは最高の支援だよっ!」

 

 ルーファスの申し出にナーディアは歓声を上げる。

 そんな無邪気な反応にスウィンは肩を竦めて、ルーファスに向き直る。

 

「あのさ……こういうことするのは初めてなんだけど……」

 

 決まりが悪そうにスウィンはルーファスの前まで来ると、利き腕の右手を差し出した。

 

「アンタやリィンさん達のおかげで俺達は“人間”になれた……他にもいろいろ言いたいことがあるけど、とにかく感謝している。ありがとう」

 

 差し出された手にルーファスは苦笑する。

 

「それは私の台詞だ」

 

 多くを語るつもりはないが、自分達が内戦で好きに動くことができたのは彼らが大人顔負けの働きで裏方として支えてくれたからに他ならない。

 彼らの“暗殺者”のしがらみや呪いに縛られながらも、前に進もうとしている姿にはルーファスにとっても多くの事を考えさせられた。

 差し出された手にルーファスは思う。

 初めてだと言うスウィンに対して、それはルーファスにとって当たり前の外交手段の一つだった。

 そう言う意味ではルーファスにとって、差し出されたそれは新鮮な心地がした。

 

「君達の旅路に幸多からんことを女神に願ってるよ」

 

「そっちも次ぎ会う時までちゃんと生きてろよ」

 

 ルーファスとスウィンはそう言って握手を交わした。

 

 

 

 

「父上、僕たちはどうすれば良いんですか?」

 

 その少年は不安げに父である皇帝に今後の未来を尋ねていた。

 

「オズボーン宰相が撃たれて……カイエン公が見たこともない機械人形を引き連れて……もう何がなんだか……」

 

 皇帝はどこか諦観したように状況を受け止め切れていない息子を諭す。

 

「セドリック……今はカイエン公に従っていればいい」

 

「父上がそう言うなら」

 

 

 ………………

 …………

 ……

 

 

「アルフィンや兄上は大丈夫かな……?」

 

 カレル離宮に幽閉されながら少年は窓の外を眺めて、ここにはいない兄姉の無事を祈る。

 

「大丈夫ですよ。オリヴァルト皇子には兄がついています……

 アルフィン皇女もきっとヴァンダールの者が保護してくれるはずです」

 

「クルト……」

 

「父上もこの状況で黙っているはずはないでしょう。ですからもう少しの辛抱です」

 

 

 

 ………………

 …………

 ……

 

 

「あ……あああ……」

 

 目隠しをされ、《緋の玉座》に縛り付けられた少年はただ悲鳴を上げるしかできなかった。

 

「悪いな皇子様」

 

 傍らには同情はしていると良い人の姿を誰かにアピールしているような《蒼の騎士》がいる。

 

 ――どうして僕がこんな目に……誰か助けて――

 

 苦しみもがく皇子をそこにいる者達は誰も助けようとしない。

 

 ――父上……兄上……アルフィン……クルト――

 

 皇子の求めに応える者は終ぞ現れることはなかった。

 

 

 

 ………………

 …………

 ……

 

 

「クルト、実は相談があるんだ……あの日から僕は夢を見るんだ……緋色の――」

 

「セドリック殿下、本日はお別れを言いに参りました」

 

「クルト!? それに殿下って!?」

 

「本日を持って僕は皇族の守護役を解任させられました。申し訳ありませんが、以後僕は貴方の隣に立つことはできません」

 

「何を……何を言ってるんだいクルト? そんな他人行儀に……僕達は――」

 

「それでは失礼します」

 

 親友だと思っていた少年は言うだけ言って去って行った。

 

 

 

 ………………

 …………

 ……

 

 

「些か躊躇われるが……一つ、殿下に提案がございます」

 

 ………………

 …………

 ……

 

 

「…………これは夢だ……」

 

 一連の光景をセドリックは冷めた眼差しでそう判断した。

 しかし、それはただの夢ではない。

 あの日、クリス・レンハイムになる事を選ばなかった自分の末路なのだとセドリックは理解していた。

 

「キーアが見ていた未来? …………いや、これが本来の僕か……」

 

 皇族としての責務を果たさないどころか、カイエン公にノコノコついて行って利用される自分の愚かさにため息を吐く。

 

「クルトが愛想を尽かせるのも当然か……」

 

 上に立つ者の役割を果たさない皇族に価値はない。

 ユーシスが言う“貴族の義務”と同じ“皇族の義務”。

 それを果たさず、意志を持たずに流された者の末路としてはそうなっていた自分が容易に想像できてしまう。

 

「でも……」

 

 同時に考えてしまう。

 自分がクリス・レンハイムになった事で起きた変化。

 愚かな次期皇帝を確保していたからこそ、貴族連合は余裕があり内戦の被害は大きくなり過ぎることはなかった。

 

「僕にとってはマシだったかもしれないけど……こんなことになるなら僕は……」

 

 ユミルがなくなることはなかった。ケルディックの被害も小さく済んだ。イストミア大森林が燃えることはなかった。

 そして何よりリィンが消えることはなかった。

 自分が動かなければ、もっとマシな未来があったのではないかと考えてしまう。

 

「そんなことないだろ……クリスは良くやっていた」

 

 気付けばセドリックは深紅の制服を着て、夕暮れに染まったⅦ組の教室にいた。

 

「それでも……僕じゃなければ……リィンさんだったらもっとうまくできたはずです」

 

 一つの机を挟んで座っているリィンにセドリックは言葉を返す。

 

「買い被り過ぎだ。俺はクリスが思っている程、大層な人間じゃない」

 

「そんなことはない! リィンさんは“英雄”で! “超帝国人”じゃないですか!」

 

「……うまくできなかったから、俺は内戦に関われなかったんだ」

 

「っ……それは……」

 

「キーアを……クロスベルを見捨てていれば俺は――」

 

「違うっ! それは貴方だけの責任じゃない!」

 

「クリス……」

 

「リィンさんの気持ちは良く分かります……

 ああしていれば良かった。こうしていれば良かった。戦いに勝っても残るのは後悔ばかり……

 何より貴方がしている後悔は本来、僕や兄上達がすべき事なんです」

 

「…………」

 

「みんなどこかでリィンさんに任せておけば全て解決してくれるって身勝手な期待をしていたんです……

 僕達に降り掛かった不幸はリィンさんに頼り切っていたツケが巡って来ただけなんです」

 

「それでも……俺はユミルが滅びるのを見ている事しかできなかった」

 

「見ているだけじゃなかったじゃないですか!?

 リィンさんはあんな状況になっても僕達を助けるために力を貸してくれていた。それなのに守れなかったのは僕達で……謝るべきなのは僕達なのに……」

 

「クリス……強くなったな」

 

 もしかすれば家族たち以上に言ってもらいたかった言葉なのだが、それを無邪気に喜ぶことはできなかった。

 

「クリス……後は頼む」

 

 そう言ってリィンは“太刀”をセドリックに差し出した。

 

「それは……」

 

 差し出された“八耀の太刀”にセドリックは目を剥いた。

 

「…………何を……何を言っているんですかリィンさん!?」

 

 差し出した“八耀”の意味を拒絶するようセドリックは喚く。

 

「クリス……君が《黒》を倒すんだ」

 

「そんな……何で、そんな事を言うんですか――っ!?」

 

 顔を上げて激昂したセドリックはそれを見て絶句した。

 “太刀”を差し出したリィンの半身はゼムリアストーンの結晶に覆い尽くされていた。

 しかもただ覆われているだけではない。

 生身の肉体を浸食するように結晶はリィンを覆い尽くし、そしてその結晶は端から砂になるように砕けて消えて行く。

 

「リィンさん……」

 

 まるで命が砕けて行く様にセドリックは言葉を失う。

 

「――すまない――」

 

 申し訳なさそうにリィンが目を伏せると、結晶は彼を瞬く間に覆い隠し――砕け散った。

 受け取られることがなかった“太刀”は床に落ちて――

 

「リィンさんっ!」

 

 セドリックは手を伸ばして――目覚めた。

 

「あ……」

 

 虚空に伸ばした手を呆然と見据え、セドリックは周囲を見回した。

 

「ここは……《カレイジャス》?」

 

 見覚えのある部屋にセドリックは何故、自分はこんなところで寝ているのかと首を傾げる。

 

「そうだ……内戦は……僕はクロウを倒せたのか? ――っ!?」

 

 ベッドから抜け出そうとして体に激痛が走り、セドリックは悶絶して床に倒れる。

 その音を聞きつけたのか、廊下の向こうで慌ただしい動きを感じる。

 

「くっ……体が……いたい……」

 

 全身に感じる痛みに四苦八苦しながらセドリックは己の体の状態を確かめる。

 幸いな事に何処かの部分が動かなかったり、機能がなくなっている様子はない。

 しかし、この倦怠感は内戦の始まりでノルドで目覚めた時よりも酷かった。

 

「お目覚めになられたようですね。セドリック皇子」

 

「………………オズボーン宰相……」

 

 ベッドに座り直したところで、部屋の扉が開き現れた宰相にセドリックは顔をしかめる。

 

「内戦はどうなりましたか? クロウは!? それにリィンさんも!?」

 

 目覚めたばかりだと言うのに、内戦の結末をセドリックは尋ねる。

 

「落ち着いてください殿下」

 

 消耗から最低限回復しただけの体で詰め寄るセドリックをギリアスは宥め、一つ一つセドリックの疑問に答えてくれる。

 今は内戦の決戦から三ヶ月。

 クロウは騎神との戦いで一命を取り留め、カイエン公に騙されていたことに気付き、己の罪を償うために正規軍の先兵として戦っているらしい。

 《Ⅶ組》は、トールズ士官学院がまだ再開の目途が立たない事からそれぞれが実家に帰省して復興作業に従事している。

 ルーファスなどのセドリックと共に戦った第三陣営もそれぞれのすべき事を成すために帝都にはいない。

 

「――こんなところでしょうかね? 殿下の方から聞きたいことはありますかね?」

 

「…………リィンさんは……どうなったんですか?」

 

 大人しくギリアスの報告を聞いていたセドリックは彼が触れていなかった名前を口に出す。

 

「リィン・シュバルツァーですか……」

 

 ギリアスは一度目を伏せ、口を重くして告げる。

 

「先日、クロスベルにて秘密裏に《零の騎神》の起動実験が行われました」

 

「起動実験……?」

 

「ええ……《零の御子》を搭乗させ“至宝”の再錬成作業についての調査実験になります」

 

「結果は?」

 

 一縷の望みを抱いてセドリックは尋ねる。

 

「結論から言えば実験は失敗しました……

 《御子》は機体に吞み込まれかけて暴走……

 《金》と実験に立ち会った守護騎士と聖女、そして聖獣の二人によって《御子》は救助されましたので御安心を」

 

「そうですか……」

 

 キーアが無事な事にセドリックは安堵する。しかし――

 

「ですが実験の結果、“七耀教会”“結社”そして“魔女の眷族”は彼は既に死亡したものだと判断しました」

 

「え……?」

 

「以後《零の騎神》はガレリア要塞に封印されることになるでしょう」

 

「…………え……?」

 

 ギリアスの報告にセドリックは耳を疑う。

 

「リィンさんが……死んだ……? そんな……何で……?」

 

「リィン・シュバルツァーが使った術は《魂魄》を二つに分けるものだったそうです……

 人間が《魂》と《肉体》を切り離してしまえばそれは死んだものと同じ……

 つまりリィン・シュバルツァーは命を賭して帝都を守ったと言う事になりますね」

 

「っ……」

 

 淡々とした口調で報告書を読み上げる様なギリアスをセドリックは睨む。

 

「何で……何でそんな風にしていられるっ!?」

 

「………………」

 

 セドリックの激昂にギリアスは黙り込む。

 

「リィンさんは貴方の息子だったんじゃないんですか!? それなのにどうして!?

 《黒の起動者》の貴方なら、こんな未来は変えられたんじゃないのか!?」

 

「全ては《黒の史書》の導き、とでも言っておきましょう」

 

「《黒の史書》……?」

 

「それが何であるかは貴方もいずれ知ることになるでしょう。あれは皇帝家が所有し、帝位を継いだ者に“中身”を読む資格があるのですから」

 

「…………それを何で貴方が知っているんですか?」

 

 皇帝家に伝わる何か。

 帝位を継いだ者しか読めないと言ったのに、まるでその内容を知っているかのような口振りにセドリックは違和感を覚える。

 

「ギリアス・オズボーン……貴方は何者なんですか?」

 

「今の私は平民出身のギリアス・オズボーン以外の何者でもありませんよ」

 

「でも――」

 

「しかし前世では別の名を名乗っていました」

 

「前世?」

 

「ドライケルス・アルノール……それが私の“裏”の名前ですよ。我が末よ」

 

 その言葉には口からの出まかせではない凄みがあった。

 慄き黙り込むセドリックにギリアスは不敵な笑みを浮かべて踵を返す。

 

「精進する事ですね皇子……

 二年後の《黄昏》は此度の内戦を超える地獄となるでしょう……そしてリィン・シュバルツァーの助けはもうない……

 つまりもう《黒》の邪魔をする者はいないと言う事に他ならないのですから」

 

「っ……貴方はっ!」

 

「貴方には期待しておりますよ。セドリック」

 

 そう言い残して去って行くギリアス・オズボーンにセドリックは拳を握り締めることしかできなかった。

 

 

 

 

 



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75話 エピローグⅦ

 

 

 

 

「サラ君、意志は変わらないのかね?」

 

 トールズ士官学院、の学園長室でサラはヴァンダイク校長の前に立って確認の言葉に頷いた。

 

「はい……」

 

 手を後ろ手に組んで立つサラはまるで一介の軍人の様な厳かな態度で頷いた。

 

「アームブラスト君の事で君が責任を負う必要はないと思うのだが?」

 

「いえ……前年の彼の担当教官でありながら、抱える“闇”に気付かない……

 それどころか帝国解放戦線のリーダーとして暗躍していた事にも気付かなかった私にこれ以上、ここで教官として生徒を教え導く資格はありません」

 

 決意の固いサラにヴァンダイクは肩を竦めて視線を机の上に落とす。

 そこには“辞表”と書かれた封筒が一つ。それを提出したのは当然、今目の前にいるサラ・バレスタインに他ならない。

 

「アームブラスト君については君だけのせいではない……

 偽造された入学願書、不自然な欠席……学院の教官の中には貴族連合の協力者もいた。責任を取るとすれば君ではなく私の方だ」

 

「それでもです」

 

 全ての責任は学院長である自分であると主張するヴァンダイクにサラは首を横に振る。

 

「前年と今年度、私はクロウ・アームブラストを二度に渡り特別実習にジュライに赴かせています……

 にも関わらず、彼の本当の出身に気付くことはできませんでした」

 

 振り返れば不審な点はいくつもあった。

 だが放任主義を理由にしてサラはクロウだけではなく、他の生徒達にも深く踏み込むのを理由を付けて避けて来た。

 そのツケが回って来たのだとサラは思う。

 養父を失った時と同じかそれ以上の罪悪感と虚無感。

 クロウとちゃんと向き合っていれば、リィンとちゃんと向き合っていれば。

 彼は道を踏み外さなかったかもしれない。

 彼が命を懸けて帝都を守らなくて済んだかもしれない。

 実際は《騎神》を持つ彼らの戦いにサラが介入などできるわけではないのだが、彼らの教官だった者として後悔ばかりがサラを苛む。

 

「…………そうか」

 

 サラの言い分にヴァンダイクは頷く。

 担当教官ではなくても、生徒の一人の心の闇に気付けなかった事はヴァンダイクも自分を責める気持ちはあり、サラの思いは良く分かる。

 

「分かった……これは受理しよう」

 

 引き留めることは無理だとヴァンダイクは説得を諦める。

 

「申し訳ありません。ベアトリクスや学院長への恩を返せなくて」

 

「私達の事は良い。それよりも君はこれからどうするつもりかね?」

 

 思い詰めた顔をしているサラの今後をヴァンダイクは尋ねる。

 その質問にサラはバツが悪い顔をしながら答える。

 

「まだ……何も決めていません」

 

「フィー君は遊撃士になる事を視野に外国で修行するようだが、君は同行しないのかね?」

 

 名目上、サラはフィーの後見人となっている。

 ならば同行しても良いのではないかとヴァンダイクは提案するが、サラは首を横に振った。

 

「私が同行してしまえば、あの子の成長の幅を狭めてしまうと思います。それにあの子はとっくに一人で立てる子ですから大丈夫ですよ」

 

 ――大丈夫じゃないのは君の方だろう――

 

 その言葉をヴァンダイクは呑み込む。

 

「とりあえずノーザンブリアに一度帰る……今はそれだけしか考えていません」

 

「そうか……」

 

 自暴自棄にも見えるサラにヴァンダイクは頷くことしかできなかった。

 まるでベアトリクスから伝え聞いた“少女猟兵”の姿。

 サラはあの日の悲劇から立ち直ったわけではない。

 ただ遊撃士となり、前を見続けることであの日の後悔から目を逸らし続けていただけ。

 そして目を逸らし続けたあの日の後悔にまた立ち塞がれた。

 

「あまり思い詰めないことだ……重ねて言うが、アームブラスト君の事は君だけのせいではない」

 

「…………失礼します」

 

 慰めの言葉を掛けて来るヴァンダイクにサラは頭を下げて学院長室から退出した。

 

「………………《Ⅶ組》は担当教官も含めて誰も残らなかったか」

 

 その背中を見送ったヴァンダイクはサラの“辞表”に視線を落としてため息を吐いた。

 

「しかし、サラ教官が退職するとなるとどうしたものか……」

 

 ヴァンダイクは傍らに控えておいた、サラに見せるはずだった来期の新入生の入学願書の一枚を取り出して唸る。

 既に四月は過ぎてしまったが、今期の新入生はそもそも募集をして入学試験をしている余裕もなかった。

 在校生は半年期間を延長して卒業させ、もう半年は休校にする事で内戦によるカリキュラムの調節をするつもりだった。

 しかし、帝国政府から提出された新入生の願書の扱いにヴァンダイクは唸る。

 そこには『セドリック・ライゼ・アルノール』と言う名が書かれていた。

 

 

 

 

 

 

「マテウス……お前もいい加減立ち直ったらどうだ?」

 

「…………」

 

 ヴィクターの指摘にマテウスはいつものように口を噤む。

 元々口数が多い男ではないが、今では輪を掛けて無口になっている。

 

「皇族の守護役を解任された事については残念だがいい加減切り替えろ」

 

「……そんな事出来るわけないだろ」

 

 絞り出すようにマテウスはヴィクターの言葉に答える。

 続く言葉はこれまで何度も繰り返した問答。

 

「何度も言うがお前を支配していた《呪い》と言うものは只人が諍えるものではない」

 

「そんな事が言い訳になるものか……私は陛下を救い出すこともできず貴族連合に良いように利用された……

 その上でお前は二度と剣を握れない体になってしまったのだぞ!」

 

 悔恨を叫ぶマテウスにヴィクターはため息を吐く。

 

「お互いに剣士なのだ。戦えば不幸な事故が起きてしまうのは覚悟の上だろ?」

 

「それはそうかもしれぬが……」

 

「それにあの決戦では確かに“大いなる騎士”が舞い降りて奇蹟が起きたかもしれないが、それでも亡くなった者は多い……

 それを思えば私は恵まれている方だ」

 

 カレル離宮の中で戦っていたが故に奇蹟の恩恵をヴィクターは受けることは出来なかった。

 《機甲兵》に乗って受けた傷が癒えぬ内に、酷使した体は五体満足に見えて内側はボロボロ、医者には二度と剣を振れないとまで言われてしまった。

 無論ヴィクターはそれに後悔はない。

 戦い傷付くのは当然の成り行き、それが皇帝陛下を守り皇子殿下が進む道の“礎”となれたのならば、武の双璧として本懐とも言える。

 もっともそれで納得できるのは役目を果たせたヴィクターの話である。

 

「お前はそれで良いかもしれないが……」

 

 洗脳されて戦わされていた時の事を思い出すたびにマテウスは後悔と悔恨に苛まれる。

 皇族の守護役でありながら、洗脳され体よく使われ、その末に共に研鑽して鎬を削って来たライバルと戦わされた。

 剣士としての誇りを穢され、ヴァンダールの御役目さえ果たせず、挙句の果てには無傷で内戦が終わってしまった事にマテウスはただ恥じる。

 

「こんな役立たず、お前に斬られていれば良かったのだ」

 

「そう悲観することはない」

 

「しかし――!」

 

「医者には確かに二度と剣は振れぬと診断されたが、領地を運営するには支障はない……

 それにここの温泉に通うようになって体の調子が良くなっている気がするのだ」

 

「…………そんな気休めなど……」

 

 俯き猛省するマテウスにヴィクターはため息を吐く。

 彼の妻から聞いた近況報告では、パルムの立て直しのために尽力しているがそれ以外では塞ぎ込んでいたらしい。

 レグラムの領民に送り出されて、新しく開拓された《温泉郷ユミル》にマテウスを強引に誘った。

 今は不貞腐れているが、精神の調子は回復しているのか。パルムで顔を合わせた時よりも顔色が良いように感じる。

 

「気休めではないのだがな……」

 

 足を湯に浸らせながらヴィクターは周囲を見回す。

 以前のユミルから更に高い土地に造られた郷はまだ開発は途中。

 二本のロープウェイを乗り継ぐ必要がある高所にあると言うのに高山の特有の息苦しさはない。

 それどころか空気が澄んでいるのか、一呼吸する度に傷んだ体が内側から癒されるように感じる。

 大気だけでもそう感じ、温泉に入ればそれはより顕著にヴィクターは癒されていると感じ、もしかしたらと期待を胸に秘めている。

 

「これも“大いなる騎士”の御加護だろうか」

 

 ヴィクターは振り返り、目立つ若木に目を向ける。

 それは普通ではない樹だった。

 ノーザンブリアの“七耀石の柱”やオルディスの“七耀石の壁”とも違う、まるで本物の植物の様に枝葉を広げた若木は神秘的で幻想的。

 武芸一辺倒で美術に疎いヴィクターであってもその色とりどりの結晶からなる若木には目を奪われて感嘆してしまう。

 

「むっ……」

 

「ん……どうしたマテウス」

 

 未だに晴れない曇った表情でマテウスは徐にあらぬ方向を振り返る。

 釣られてヴィクターもそちらを向けば、ロープウェイの乗り場から真っ直ぐこちらに歩いて来る人物が三人。

 一人はこの温泉郷ユミルの領主、テオ・シュバルツァー。

 その隣に並んで歩く老人と、二人の邪魔をしないように一歩引いて歩いている白銀の髪の少女。

 

「――強いな」

 

 その二人を油断なく見据えてマテウスは呟く。

 

「ああ、その通りだ」

 

 ヴィクターは頷きながら足湯から上がり、軽く身支度を整える。

 

「お久しぶりですユン老師」

 

「うむ、そちらも息災――とは言えんようだが元気そうで安心したぞアルゼイド子爵殿」

 

 気安い挨拶を交わし、ヴィクターはまずマテウスに老人を紹介する。

 

「マテウス、こちらは“八葉一刀流”の開祖と名高いユン・カーファイ殿だ……

 ユン老師、こちらはヴァンダール流の当主、マテウス・ヴァンダールです」

 

「《八葉》の……御噂は聞いております。お会いできて光栄です」

 

「それはこちらの台詞じゃ。帝国の双璧、《雷神》と《剣匠》と揃って顔を合わすことになるとはのう……これも女神の導きと言うものか」

 

 マテウスは礼を尽くし、ユンは感慨に耽る。

 

「ところで老師、そちらのお嬢様は?」

 

 ヴィクターはユンが従えている少女に目を向ける。

 

「初めまして、私はシズナ・レム・ミスルギと申します」

 

 貴族顔負けの礼儀正しい挨拶と振る舞いでシズナは二人に頭を下げる。

 だが、そんな雅な仕草であっても彼女の眼光は隠し切ることはできず、ヴィクターとマテウスは値踏みされていることに気付く。

 

「こやつはわしの裏弟子での、ユミルに行くと言ったら一緒に行くと言って仕方なく連れてきたのじゃ」

 

「そうでしたか、しかしテオ殿。ユン老師がいらっしゃるなら一言教えてくれれば良かったのに」

 

 数日前からユミルに滞在しているヴィクターはテオに向かって意地が悪いと苦笑する。

 

「いや私もユン老師が来ていると聞かされたのは下のロープウェイからの報告でだったんですよ」

 

 ユン老師はいつもふらりとやって来るのだとテオは苦笑する。

 

「しかしここが新たなユミルか……」

 

 ユンはかつてのユミルの事を思い出しながら周囲を見回す。

 

「凄い場所だね……暖かな想念が満ちていて……それにあの樹……」

 

 まだ開発は途中であるものの清涼な空気が満ちる郷に感心しながら、存在感がある神秘の若木にシズナは目を細める。

 

「斬るでないぞ」

 

「やだなぁ老師ってば、そんなことしないよ?」

 

「これはこれはなかなかのじゃじゃ馬のようですね」

 

 短い相対ながらもヴィクターはシズナの気質を読み取り苦笑する。

 

「もう少しお淑やかに育ってもらいたかったのだがのう……」

 

 ユンはため息を吐き――

 

「え……?」

 

 脈絡なくテオが声を漏らして周囲を見回した。

 

「どうかしましたかテオ殿?」

 

 不自然な彼の動きにヴィクターが尋ねる。

 

「いえ……今、誰かの声が……」

 

 困惑するテオに対して、ヴィクター達は顔を見合わせる。

 ここにいるのは猛者達ばかり、テオが聞いた不審な声を誰かが聞き逃すことなど万に一つもないのだが、それを聞いた者はテオしかいない。

 

「テオ殿……その声とはどんな――」

 

 聞き返した瞬間、結晶の若木が光りを放つ。

 

「っ!?」

 

「テオ殿!?」

 

「こ、こんな事今まで一度も……」

 

 結晶の樹の突然の発光にテオを何が起きているのか分からず困惑する。

 だが胸騒ぎを感じてテオは駆け出していた。

 それにヴィクターやユン達も続く。

 かつて帝都の異変を救った《零の騎神》が現れた結晶の樹の根元。

 そこで彼らが見つけたのは、一人の黒髪の少年の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 



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あとがき

 

 

 

 

 

 これにて『二人の緋皇――閃の軌跡Ⅱ――』は完結となります。

 ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

 この連載を始めて約一年と半年。自分としてはできるだけ急ぎ足で進ませていましたが、やはりⅦ組全員にスポットを当てて話を作るのは難しいと実感しました。

 

 この話で賛否がありましたが、クリス――セドリックを主人公にした話になりました。

 これはリィンが強過ぎるよりも、帝国の今の在り方に対して男爵家のリィンでは口論に発展しないと考え、クロウ達に相応しい敵はセドリックだと考えたからになります。

 

 この話ではクロウがリィンをオズボーンの息子だと知っているので、リィンをつけ狙うルートも考えはしましたが、この話以上にクロウは三下になって惨めな扱いになると思って自重しました。

 

 

 この話でやりたかったことは原作で不満だった帝国解放戦線の燃え尽き症候群の解消ですね。

 好き放題やって満足したから介錯を求めるように戦って勝手に満足していく、しかもそれが的外れだと分かっているだけに茶番感が凄かったと当時の自分は感じていました。

 それはクロウも含めての話なので、最後まで敵としての貫禄を維持させるようにしていました。

 

 全体的な反省点とすれば、閃Ⅱは戦争がテーマの話なのでどうしても凄惨な話になってしまうことですね。

 読んでいて鬱になるという感想なども頂きましたが、自分的には難易度を10段階評価して8くらいを狙って自重はしていたつもりです。

 ただ正直に言えばメインキャラの一人か二人は死なせたいとは思っていました。

 

 後は閃Ⅰのあとがきで書いたⅦ組の成長させるという事を実行できなかったことですね。

 Ⅶ組は戦争に翻弄される子供、《鋼の呪い》に諍えない一般人という描写を多く入れていたので内戦で目に見えた成長をさせることができたとは言い切れないと思います。

 

 他にも使いたかったけど使うタイミングを逃してしまった設定などもありますし、振り返ればやはり反省点は多くあります。

 ただ大筋のセドリックの成長、クロウの罪、ルーファスの親子対決、についてはちゃんと描き切れていたと思います。

 

 

 続く「閃の軌跡Ⅲ」がどんな話になるかは自分もまだ何とも言えません。

 Ⅲは準備期間という事もあり、そこまで超人戦闘はないと思いますが、自分の予測はあまりあてにならないと閃0から思い知らされています。

 できる限り皆様を楽しませる文章を書こうと心掛けていますが、どうか広い心で読んでいただけるとありがたいです。

 

 

 重ねてになりますが、ここまでお付き合い頂きありがとうございます。

 

 

 

 

 

 



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