勘違い吸血鬼ばかさねちゃん (茶蕎麦)
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第一部 TS転生していたのに気づいたので前世の親友をからかおうと思ったら、どうしてこうなった。
第一話 吸血鬼ってなんですかい?
オレは双葉
下の名前だけじゃ足りないってんで、長く呼ばれちゃってんだ。この愛されっぷり、オレがどれだけの美少女かなんて、語るまでもなく分かちゃうもんだよな。
さて、そんなクールビューティーなオレだが、実はオレはオレだったんだ。なんてこったい。これには流石のオレも驚いた。
物心ついた頃からのオレっ娘だったが、その理由が前のオレにあったとはなぁ。
「ん? オレはオレって、それじゃ当たり前だよな。待て待て……」
おっと、危ない危ない。
まるで当たり前を深く考えてるみたいで、これじゃ下手したら哲学者みたいになっちまう。めめんと……いやこぎとなんとかだったっけ?
いや、そんなのとは違うんだ。実はオレって前世があったことについさっき気づいてさ。その前世が男子だったんだよ。それにびっくりしてたわけ。
今の人生一番の親友であるところの三咲によく格好いいって言われちまうのも頷けるな。前世のオレって結構男前だったからな、そんな部分が出てんだろ。
とはいえ、何時か結婚しようとか冗談飛ばされるのは困るけどな。いや、ひょっとしたら十六にもなって三咲は男女婚が基本てことも知らないのかもしれない。後で教えてやろ。
「んー……親友、といえば光彦のやつ、どうしてんだろうな……」
そして、今の人生での親友を思い出したところで、前世の親友もつられて思い出した。十六年よりも前の前世の記憶だから、顔もぼやけてしか思い出せないな。
いやホント、ついさっきオレが前世男子だったことに気づいたばかりだからそれも仕方がないが、薄情にも思えちまう。
「今のオレがレトロゲー好きなのも、アイツのおかげだったか」
オレは、頭にぶつかることでオレの前世の記憶を思い出させてくれた、棚から落ちてきた三世代前のゲーム機を片付けながら、しみじみ感じ入る。
いや、オレは前世もアウトドア派で虫に魚にプロテインな感じだったんだが、光彦こと白河光彦はインドア派でゲームに教科書にエロ本みたいな感じだったんだ。
そういえばこのドットがエロい、みたいなこと抜かしてたな、あいつ。そんなクソみたいな記憶ですら、今となったら愛おしいもんだ。良い奴だったよ、こうして思うと。
「……ん? 過去形にして終わらせちまうには、今のオレとアイツ、そんなに年離れてないよな」
前世のオレが死んでから十七年。そして前世のオレは十二で死んでたんだ。確か中学に上がったばっか。そこはよく覚えてる。
つまり、アイツ今二十九くらいか。干支一回り以上違うが、だが今のオレだって四歳児の従兄弟とは仲良しだったりする。なら、ワンチャン友達になり直すのもアリか。
「奇遇なことに、前世のホームは隣町だもんな。行ける行ける」
こういうのを芋づる式っていうのか。どんどんと思い出が出てくる出てくる。確か線路沿いにあったよな、アイツん家。電車通るたびに家が揺れるとか言ってたような。いや、それは違う奴だ。
まあ、隣の町で間違いないんだから、気は楽だ。チャリで行ける。というか、仲良くなったら車乗っけてもらえるかもな。多分、アイツ好きって言ってたから車持ってるだろうし。
「よっしゃ。明日が楽しみだ!」
ついオレは手をグーにして突き上げて叫んだ。
これまで考えたことがなかった人生の意味。もしそれが、やり直して続けるためのものだったら。
オレがお話みたいに漫画とかゲームの世界に転生せずに、同じ世界に再び生まれてきたこと。それにもひょっとしたら意味があったのかもしれない。
そんなことを、思ったんだ。
「こんな夜中で叫ぶんじゃないよ、カサネ! 近所迷惑だよ!」
「うわわっ。ごめん、お母!」
けど、そんな意気は鬼の母親の怒号でしぼんだ。この怒りぶりだと明日の朝もなにか言われるだろうし、しょんぼりだよ。
「今気合い入れても、仕方ないか……」
まあ、明日は明日。そうしようと努めるために片付け中に付いたかもしれないホコリを気にしてクマさんパジャマを叩いてから布団に入り。
「すやぁ……」
気づけばオレは直ぐに、寝てた。
「ここで良かったよな……うわっ、庭の鉄棒失くなってる。それにこんな木あったか? はぁ、時間経ったんだな」
そして、オレは親友の家にチャリで来た。
隣町は勝手知ったる元ホームグラウンド。とはいえ、記憶があやふやなために正直迷った果てに人に聞いての到着だ。スマホで大体の見当は付けた筈だったんだけどなあ。
「ま、それを言うなら時間で変わったのはオレが一番だよな……ふふふ。アイツ、きっとびっくりするぞー!」
オレはでっかくなってるだろう光彦の驚く顔を想像して、含み笑い。結構すました顔ばかりしてたからな、アイツ。どんな変顔してくれるのか楽しみだ。
「んー、でもどうせサプライズなら、もっと仕掛けてみてもいいよな。そうだ、あいつのお得意のゲーム的な展開で……」
で、楽しみならもっと楽しくしようとオレは目論見始める。
思うにアイツはなんか、無関係の女がいきなり居着く、みたいな今のオレからしたらその女頭大丈夫か、的な展開が好きだった。
落ちものっていうんだっけか? まあ男のロマンなんだろ、今となってはわからんが。
三つ子の魂百まで、とかいう名言を聞いた覚えもあるしきっとそんな感じで仕掛けて近寄って、最後にネタバレ。これは驚くだろ。
いや、名案だ。オレの灰色の脳の活躍ぶりに、引っ付いたこのムダに長いツインテールも大喜びだろうな。流石はばかさねちゃんだって、友人が褒めてくれる姿が目に浮かぶようだ。
「それじゃ、おじゃましまーす」
そうして、オレはんな浅慮を抱えたまま、インターホンを押したのだ。それで後戻り出来なくなることを、知らずに。
「えと、キミは……誰かな?」
「白河光彦さん、ですよね。オ……いや、ワタシのこと、覚えていません?」
「いや、正直なところ、さっぱり」
すぐ顔を出したその男が、光彦だっていうのは直ぐに分かった。
何しろ、その残念イケメンぶりは変わっていなかったからな。いや、ちょっと大人になって痩せて精悍になったか? 光彦のくせに生意気だな。
まあ、そんなことはどうでもいい。取り敢えず、どんなほら話をするにも中に入れてもらわなければならない。
本当に玄関ドアから顔しか出さないで随分と警戒しているみたいだが、ひと演技すりゃきっと大丈夫だろ。オレは眦を下げてから、言う。
「そうですか……実はワタシもあの、光彦さんとは一度一方的に顔を見知ったばかりですから、それも仕方ないでしょうか」
「そんな、顔見知り程度の貴女がどうして僕の名前も家も知っていて、訪ねて来たんですか?」
「いえ。実はあの……ワタシ、あなたのお母さんに大変お世話になっていまして、その恩をお返しするために……」
続けて、あなたのお世話をしようと思って来ました。そうオレが嘘を吐こうとしたその時。
ぞわり、と異様な気配を覚えた。
目の前には、なんか酷く真剣な顔をしてオレを見てる光彦。それがどうしてだろう、恐ろしくなって、オレは続きを言えなかった。
少しの沈黙。唐突に口を開いた光彦は、言った。
「それは、おかしいな」
「……どうして、ですか?」
「いや、その制服から見たところキミまだ高校生だろ? なのに僕の母がキミの世話をした、なんてありえないんだ」
「えっと、それは……」
オレの中では、クエッションマークがぐるんぐるん。遊びに来たはずだったのに、こんな怖い目で光彦に見られてしまうなんて。困惑するしかない。
いや、てきとうな嘘を吐いたのは悪いけどさ。なんか勘違いさせちゃったかな。ツインテールと一緒にしんなりしてしまったオレに、やがて光彦は驚くべき事実を口にするのだった。
「だって、僕の父も母も、キミが生まれる前に亡くなっているんだから」
「え?」
驚きに、オレは目を見開く。嘘だ、そんなこと。
だって、オレの前の記憶の中のあの人達は、とても元気だった。笑顔に溢れた、いい人だったのに。それがもう居ない?
親に逃げられた上預けられた親戚の家で鬱陶しがられてたオレにだって優しくしてくれた、そんな稀有な大人。
あの二人が……クソ、どうして名前が出てこない。そうだ、ミチコ母さんに、タケル父さん。あの人達が、もう居なくて。
そんなの、悲しすぎるじゃないか。そして、つまりそういうことは。
「じゃあ、光彦もずっと一人ぼっち……」
「まあ、そうなるけど……わっ」
「うぁあああ、ごめん、ごめんよ……ずっと忘れててゴメン! みち子さんに猛さん、ごめんなさい……」
光彦が今までずっと一人で踏ん張ってたということになる。それが大変だっていうことは、知っていた。
だから、その助けになれなかったというのは悲しい。そして、あの人達がもう居ないっていうことは更に悲しくって。
オレは光彦に抱きついて、わんわん泣いたんだ。
「ずびっ。うぅ……ごめん、なさい……」
「ああ、大丈夫だよ。……落ち着いたかい?」
「はい……うぅ」
まあ、いくら悲しくったって時間が経てば涙も止まる。目論見と全然違う形で家に入れたオレは、勝手知ったる前世の親友の家でぐすぐす。
今も目がしょぼしょぼするけど、まあ落ち着いたと言っていい。認めたくないが、あの人たち、もう居ないんだ。仲良く並んだ遺影の写真だとあんなに元気そうなんだけどなあ。
沈黙に、オレがまた悲しみに暮れそうになってしまったそんな時。光彦はぽつりと言った。
「それにしても、驚いたな」
「驚い、た?」
「いや、流石にそれだけ泣かれてて服を濡らされたら、嫌でも分かるよ。本気だって。双葉さんって言ったね。キミ、本当に家の両親と会ってるんだよね」
「あ、はい……」
こうして改めて見ると意外にもマッチョメンな光彦は、薄く笑みながら語りかけてくる。
いや、いいなその下手なバストより豊満な大胸筋。脱いだら凄いんだろうな。オレが思わずごくりとすると、それをどう勘違いしたのか納得した様子になった光彦は、推理を語り始める。
「でも、それでキミが高校生をしてるってのはおかしい。留年とか考慮したところでどうしたってキミが一桁の年齢の頃に両親は鬼籍に入ってしまっている。それでも、会って恩を覚えていると……」
「まあ、そうですけど……」
「なら、双葉さんは、見た目通りの年齢じゃない、ということになるね」
「おお」
賢い、とは前世も思っていた。しっかし、何も言わずにこうも察してくれるとは思わなかった。
いや、そうなんだ。オレ、前世足すとアラサーなんだよ。
普通は想像もできないだろうに流石。これも光彦とオレの友情の絆が為せるわざか。
名推理に驚くオレは、しかし実は迷推理だったことを知らず、次の意味不明な言葉に驚愕させられるのだった。
「なるほど、イクスと僕が出会う前に、実は縁があったということか……これも運命ってやつかな」
「え? いく……なんです?」
「いや、だってキミ。きっと百年クラスの吸血鬼だろう?」
しかし、彼は中二病に染まっていた。意味不明な勘違いがオレを襲う。吸血鬼、ってなんのことですかい?
まるで確認しているかのような口調だが、実際それは断言。有無を言わせないような、そんな押しがあった。
さらにはオレのどんな表情の変化も見逃すまいとずずいと寄ってきた光彦の、今にも領土戦争が起きそうなくらい広大な胸元に魅せられて。
「えと、ハイ」
それらの迫力につられ、オレはつい頷いてしまったのだった。
「あ」
「やっぱりね……」
確信したのか、何度も頷く光彦。うわぁ、これ並大抵言葉では覆せないやつだ。どうしよう。
「いや、違うんです! オレは、実は前世光彦の友達だった……」
「嘘はつかないでいいよ。僕は、契約者だ」
「えっと……」
「なんだ、双葉さんは逸れだったりするのかい?」
「いや、意味分かんないんですけど……」
「そうか……通りで気配が殆どないと思ったよ。封印でもされてるのか……いや、聞くのは野暮だな」
「あわわわ……」
必死の抵抗も、イタすぎる言葉の連続攻撃であっという間に鎮圧された。
いや、なんだこれ。いい大人だよね、光彦。妄想も程々に。それでいてオレの前世を嘘と断じるなんて、なんてこったい。
オレ、こいつとも一回友達になるの、止めよかな。
「とはいえ、父さん母さんの知り合いと会えたのは、嬉しい。まあ、何かあったら助けになるよ」
「いや、今の状況を助けてほしいというか何というか……」
「そっか……」
しかしこの野球グラブ乗っけてるみたいな三角筋と別れるのは辛い、と思いながら上の空で喋り続けていると、光彦は一度思案してから言った。
「ならまず、友達になろうか」
「えっと?」
「キミも困惑しているみたいだし。まず、知り合うことから始めようか」
光彦の勘違いは続く。いや、知り合いどころかオレあんたの親友だったんですけど。
とはいえ、だいぶおかしくなったけれど最初の目論見の一部はこれで達せる。
友情を取り戻すのが目的だったんだから、まあこれでも百歩譲っていいか。勘違いはゆっくり正せばいい。
「……分かりました」
そう思って。渋々、オレは光彦の手を取るのだった。
後で考えると、ここで正直にゲロっとけば話も変わったのだろうが、全ては後の祭り。
『ふぅん。ワタクシが知らない吸血鬼がこの近辺に存在したなんてね』
『……お嬢様。覗き見とは、はしたないですよ?』
『あら。伴侶の様子を見るのなんてむしろ健全なことよ? 相方に興味ない方がよっぽど厄介だわ』
『やれ。ヤンデレを体の良い言葉で誤魔化して。白河様もイクス様にこれほど興味を持たれてしまうとは、お労しや……』
『全部聞こえてるわよ、サオリ!』
こうして勘違い(されて)吸血鬼(だと思われるようになっちゃった)ばかさねちゃんは、爆誕したのだった。
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第二話 好きってなんですかい?
「じゃあな、ばかさねー」
「ばかさね君、気をつけて帰るんだよ」
「ばかさねさん。今日は体育の時間、どうもありがとうございました。それではまた明日」
「おお。皆、またなー」
部活に向かう準備をしている奴や、よく片隅でくっちゃべってる(どうやら毎日飽きずに猥談をしているらしい)男子たち、そして体育という無双タイムにオレと一緒に組めたラッキーガール。
彼ら全員に愛称で呼ばれていることに満足して、オレは手をぶんぶんと振りジャンプまでして笑みを見せつける。お前らの愛するばかさねちゃんだぞ、っと。
「ぐべ」
おう、やり過ぎてべちりと顔に尾っぽのひとつが当たっちまった。自慢のキューティクルも物理的に目に入れば痛いだけだ。オレは背中に沢山の笑い声を感じながら、逃げるように帰路へと就くのだった。
目をこすりつつ、オレは人の流れに乗って下駄箱へと到着する。なんでか時々ラッピングされて置かれている飴ちゃんは今日はなく、ならオレは靴を履き替えるだけ。
中学からサイズの変わらないあんよを入れて、オレは脱兎。アイツが待っているだろう校門横まで駆けるのだった。
「おう。お待たせ三咲! いくぞ!」
「重ちゃん……わわ、手引っ張らないで」
「おおー」
そしてオレは待ってくれていた彼女、今回の人生で一番だと胸を張って言える友達、高野三咲の華奢な手を取りそのまま周りをぐるぐる廻りだす。
引っ張って連れてこうと思ったんだが、あれだ。ウェイトの差がありすぎて引きずることも出来なかった力がそのままオレの回転の勢いになっちまってるんだな。
ちっこいオレと違って、三咲はでっかいからなあ。そして擬音で表すならオレがストーンで三咲はドカーン。そりゃ持って行こうと手をつないでも月みたいに周囲を廻るばかりになるわけだ。
ぐるぐるぐる。なんだか楽しくなってきたな。もっとやろう。
「もうっ、重ちゃん。おふざけばかりしてると、勉強もう教えてあげないよ?」
すると、柳眉をひそめた三咲がオレをたしなめてきた。その内容を聞いたオレは慌てて止まる。そしてすたっと着地だ。
「それは困るな! 三咲先生にストライキされてこれ以上成績が悪くなったらお母にコロされちまう!」
「なら、楽しくても暴れないの。ほら、重ちゃんたら、スカート捲れちゃってたよ?」
「あ、オレのクマさんパンツ丸見えだったのか。これは恥ずい」
「はぁ……ちっとも照れてないのが不思議。本当に重ちゃんって私と同い年?」
なんだかぼやいてる三咲を他所に、オレはスカートを正す。どうやら動いている間にリュックと背中の隙間に端っこが挟まっていたみたいだ。皆におしり見せてたなコレ。
まあ三咲は気にしているようだが、開けっぴろげを気にするほどオレだって若くない。前世数えたらアラサーだしな。ふざけてちっちゃなぞうさんを披露していた前世の幼少期と比べりゃこんなの恥にも入らない。
そんなことより、今日のご飯の方が気になるところだ。気を取り直して歩みだした三咲に付いていきながら、オレは尋ねた。
「なー、三咲。三咲ん家の今日のご飯はなんだ?」
「んー……そうだね。肉じゃがかな」
「昨日はカレーじゃなかったか? 具材の使い回しだな! レシピに困ってるならお母連れてこうか?」
「うーん。結さんはコックさんだからレシピ色々知ってるだろうけど……流石にそこまでご迷惑をかけるわけには……」
「何水臭いこと言ってんだよ。三咲とオレの仲じゃんか。お母も三咲のこと好きだっていってたぞ? なんかオレと交換したいくらいとか言ってたけど、あれってどういう意味だろうな?」
「あはは……それは私には分かんないな……」
オレは疑問に首を傾げながら三咲のちょっと苦そうな笑みを見る。
変だな。なんか、友達の家の夕飯事情を聞いてみたら、最終的にお母が言ってた言葉の意味に悩むことになった。
お母はオレのこと大好きに決まってるのに、それを三咲と交換したがるなんて、どういう了見なんだろう。あれか、交換留学的な何かをしたいのかな。可愛い子には旅をさせよってやつか。
まあ、そんなことよりお母さんが出てっちゃったからって家事を一手に担ってる三咲の方が心配といえばそうだな。
今は飯屋の娘ってことでサボってるけど、オレも誰も作ってくれないからって前世一人でご飯作ってたりしたからな。その大変さは分かるぞ。
「あのさ、三咲。大変だったら言うんだぞ?」
「ううん。前に重ちゃんが色々と教えてくれたから、大丈夫。……ホント、あのときは重ちゃんが意外なくらいに家事のイロハを知ってたから助かっちゃった」
「そうか?」
うーん。前に家事がわからないって公園で泣いてたところを見かねて色々と手助けしてやったけど、それくらいで大丈夫になるもんかな。
ちょっと教わったくらいじゃ家事って別に楽になんないだろ。暇なときは力になってやったっていいのにな。遠慮してんのか、変なところで頑固なやつだ。
三咲を安心させるためにオレは胸を張って言い張った。
「こんなんで良ければ胸くらい貸すぞ?」
「……ごくり。いや……間違ってるよ重ちゃん! お胸じゃなくて手!」
「手? こうか?」
「うわっ、とっても柔らかい…………ってこれじゃあお手だよ!」
「ワン!」
「お手からの連想かな? そうだね、犬の鳴き真似お上手だね! でも私が抱きしめたくなっちゃうから止めてー!」
くぅん、とオレは頭を抱えて奇声を叫ぶ三咲を悲しく見つめる。せっかくの美人さんが台無しだぞ? 三咲って見ただけならクール系なのにな。
いや、手がどうのこうの言うからふざけたてみたところ、この大混乱だ。そんなにオレの犬のマネ、迫真だったのだろうか。
以前から好きで動物クッキーならよく食べていたからな。オレのそんなところが出ちゃったんだろ。
しかし、三咲は犬がだめなのか。そうか、ならこっちにしよう。
「にゃん?」
「その上目遣いが素敵! わーもう理性とか知らない知らない!」
「わっ」
そしていたずらに猫の鳴き真似をしたオレは、なんだか混乱した三咲にしばらくもふもふされたのだった。
「ひどい目にあった」
「ごめんなさい……ちょっと興奮しちゃって……」
「いいけどな。しかし、三咲が猫嫌いだとは思わなかったな」
「え? どういうこと?」
しなしなになってしまったツインの尾っぽを整えながら、オレは落ち着いたはずの三咲が再び慌て始めるのを横目で見る。
情緒不安定で変わったやつ。だが、三咲のそんなところが面白くてオレは好きだ。
三咲のよくわからない疑問に、オレは腐らず真面目に返答する。
「ん? だって三咲、あんなに混乱するくらいにオレのモノマネが嫌いだったんだろ?」
「相変わらず重ちゃんはズレてる……むしろ好きだから興奮しちゃったんだけど」
「んー……どういうとだ? 好きだと興奮するもんなのか?」
三咲の言っていることが、オレにはよく分からない。
好きだとむしろ落ち着くんだと思うんだけれどな。ニコニコふわふわとなるというか。
むしろ好きを表すときにはクラスメートとの別れ際みたいに興奮することもあるな。それとは違ってただ好きだから興奮、か。
「そりゃそうだよ! 私とか、重ちゃんの前で興奮しっぱなしだからね!」
「ふーん……」
「まさかのスルー!?」
「いや、三咲は病気だなとは思ったが、それ以上に興奮が好き、か……」
病気!?とか驚く三咲だが、いや普通にそれって病気の勘違いだろう。動悸とか風邪でもひいたんだろう。
流石に興奮しっぱなしっていうのは身体に毒だから早く快方に向かって欲しいと思う。
だが、それは時間でなんとかなるだろうから置いておいて、もし好きが興奮と直結しているのだとしたら、それを感じる人間は一人。
「ひょっとして、誰か気になる人でも居るの?」
「ああ、見たらドキドキするような奴が居ることは居る」
「誰! どんな人?」
そう、ドキドキするのだ。あのせり上がった胸元、弾けそうな大腿四頭筋。笑みにすら表情筋の優れを感じられた。
オレは昔から筋肉を愛している。それが好きといえば、その通りなのだろう。
そして、それを一番に感じられる元親友。光彦のことをオレは驚きに目をかっぴらいた様子の三咲に語り始める。
「二十九歳の多分独身の男だ。一人暮らししてるな。オレとは友達からとか言ってたぞ」
「はい、これ聞いただけでアウトポイント二つ! アラサー男子と女子高生とか普通にアレだし、友達からとか明らかにそれ以上を求める下心に溢れてるじゃない!」
「そういやアイツ、契約者とか吸血鬼とか言ってたから、中二病っていうのでもあるのかもな」
「はい、こじらせ過ぎでスリーアウト。チェンジよチェンジ! 重ちゃんはそんな人と関わっちゃダメ!」
両手でおっきなバツを作りながらブーブー言う三咲。いや、関わるも何もオレからアタックして先日変な感じで仲を取り戻したばかりなんだが。
ダメと言われても。三咲の黒い瞳を真っ直ぐ見つめて、素直にオレは言う。
「でも、オレはアイツと仲良くしたいぞ?」
それは本当に。オレがオレである理由が、もしアイツにあるのなら。
そうでなくても大好きだった光彦だ。それがちょっと変わろうがオレは変わらない。
また、仲良くなりたい。そして前みたいにバカをやりたいと思う。
首を傾げるオレ。膝に尾っぽの先がぺちりと当たる。
何だか急におとなしくなった三咲。空気もどこか重くなったような、そんな気がした。
まあ多分それは気のせいだろう。ツツジは風に揺れているし、空は雲を大いに浮かばせている。
当然、潰れなかった三咲はぽつりとつぶやくのだった。
「……重ちゃんは……その人のどんなところが好きなの?」
どんなところが、好き。
そんなの答えるのは簡単だ。だって親友なんだ。思い出でもある。何しろ大切だったんだ。
オレが以前、キラキラ光っていたその証。それのどこが好きっていうなら。
「んー。全部だな!」
そう、答えるしかないだろう。
オレは多分、とってもキレイに笑えたと思う。
「そう……分かった」
でも、どうしてだろうか。更に雰囲気は妙な感じになる。
重いどころかなんかじとっとしてきたというか。目の前の三咲の笑顔だってなんかおかしい気がする。
「うん?」
よく分からずにまた首をかしげるオレ。今度は髪の房が肩に上手に乗っかった。
すると唐突に、オレとは比較にならないくらい大きな胸を張って、三咲はまた妙なことを口走るのだった。
「重ちゃんがその人に騙されてるってこと」
瞳がぐるぐるぐるぐる。焦点はどこ行ったんだろう。オレは目を回しそうになる。
おかしな様子におかしな言葉。
三咲がなんか勘違いしてるな、っていうのはオレにもなんとなく分かったのだ。
「私が助けてあげるからね」
そして、そんな余計なお世話まですると言う三咲にオレは顎に手を当て考えて。
「むぅ……意味分かんないな! まあそれでいいや!」
じとりと見つめる彼女の隣で賢くも、理解を放棄するのだった。
天気の良し悪しなんて、どうでもいい。そんなの気にしなくたって、世界は回ってる。
だから、ちょっとくらい間違っていても。
「どうとでもなるだろ」
そうに違いない。だって、オレは親友たちを信じてるから。
「うふふ」
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第三話 催眠ってなんですかい?
「三番テーブル、天丼2!」
「はい!」
「カサネ、次はカウンター席にBセット持ってきなさい!」
「ほいなっ」
右手に丼ぶり二つ、そして左手におかず日替わり焼肉定食をお盆に持ってオレは指示通りに店内をすたすた。満席の合間を縫って、飯を運ぶ。
まあ、要は家のお手伝いってやつだな。よく駄賃もらうために家の風呂掃除を買って出る友達の話を聞いたりするが、そんなもんだ。大したことじゃない。
しかしそのテキパキ振りはなかなかのものと自負してる。クラス対抗リレーでもうばかさねちゃんだけでいいんじゃね、と言われた速度が火を吹くぜ。
ぱぱっとカウンター席に……えっと、なんだっけ。そうだ天丼二つだ。
「はい、おまち!」
「おお、ありがとう……ん? 僕が頼んだのは天丼じゃないよ? それも二つも……」
うん? ああ、間違っちまったか。
オレこれでも人を中身で判断するタイプだと思うんだが、今回はこのぷよぷよお兄さんなら二杯くらいぺろりとしてくれると期待しちまったんだ。
正直に、オレは口に出す。
「ありゃ、お客さんめっちゃ食いそうだから勘違いしちゃったな。 本当にBセットだけで足りるのかい?」
「うう、僕だって自分がメタボだとは分かってるけどさ……そんなに太って見える?」
「うん? 立派なお腹で健康的だな! オレとしちゃ悪くないぞ!」
「そ、そうかい?」
そりゃそうだ、ちょっと腹出てたって元気なら構わないだろ。お相撲さんのものと比べたらぺちゃんこなそれだって、健啖家の立派な証ってことで嫌いじゃない。
お客さんも顔を赤くしてなんだかちょっと照れてるみたいだが、もっと自信持ってほしいもんだな。オレなんていくら喰っても腹も胸もこれっぽっちも出てきやしないんだからな。
しかしオーダーミスか。これはヤバいな、と思っていたら当然のように影が。上背あるオレのお母が鬼の形相でオレを見下げていた。
「こらっ」
「げ、お母……ぐえ」
「カサネ、なにオーダー間違えてんだい! 謝んな! ……ウチのバカ娘が申し訳ありませんね、お客様」
「ごめんなさい」
そして、お母のその大きな手でオレは頭を無理やり下げられる。いや、自分で出来るんだがな。普通に悪かったとも思うし。
とはいえ、間違ったらごめんなさいは確かに当たり前だった。よくないな、とオレも反省する。
「いや、気にしないで下さい。はは、素直ないい子じゃないですか」
「それで済めば良いんですがねぇ……ほら、カサネ、ボサッとしてないで冷える前にそのお盆の上片付けちゃいな」
「うぇいっ! まずはお客さんにBセット!」
「はは、ありがとう」
そして、許されたならさっさと動くのは当たり前だ。気合の掛け声ひとつ、膳を渡してオレはまた足元をきゅっきゅいわせながら店内を歩く。
「天丼おまち!」
直ぐに三番、のテーブルにオレはやってきたオレは、今度こそ正しく天丼を渡せた。
座っているのはカップルなのだろうか、毎日のようにやってくる常連さんだ。確かサチさんにケイマさんとか言ったっけ。オレがお母に怒られた顛末を目にしたのか、ケイマさんは意地悪に微笑んで言った。
「おお、来た来た。カサネちゃん、遅いぞー?」
「すみません、間違えちゃいました。おふたりとも冷めてたらゴメンなさい!」
「あは。素直でいいなあ、カサネは……どう、あたしの妹にならない?」
「はは、そうしたらカサネちゃんがボクの未来の妹になるのかな? それはいい」
「はぁ。随分幸せな夢見ちゃってるねー、この三番テーブルの二番くんは……」
「三番テーブルの二番くん!?
「ああ、三番テーブルの三番くんだった」
「あっという間に、更なる番付け落ち!? テーブルと数字並んじゃったよ! これじゃゾロ目だ!」
返答する間もなく、何か盛り上がるカップル二人。
ケイマさんは青くなってるが、サチさんはにこにこ楽しそうに笑ってる。これはいちゃいちゃしてるんだな、とオレもなんとなく分かった。
でもしかし、妹か。前も今度も一人っ子だったし考えたことなかったな。お姉ちゃんとかいたらでも、楽しそうだ。
サチさんはちょっといじわるな感じだけど、時々頭なでてくれるいい人だし、悪くないよな。まあ実際は無理だろうけど、試してみよう。ええと、オレが妹ならサチさんは。
「お姉ちゃん?」
「……ぶはっ!」
「ぐはっ! これはヤバい! 可愛すぎる! もう何番でもいいや……結婚してくれ、幸」
「桂馬、あんた完全にカサネ狙いに切り替えたわね……お兄ちゃんって言われたいんでしょ。うう、でもその気持わかる……」
「うん? お兄ちゃん?」
「ごふっ! カサネちゃん、お、お兄ちゃんをそんな純な瞳で見ないでくれー!」
お姉ちゃん、お兄ちゃん、とかそんなはじめて口にする言葉を出してみたところ、二人は胸を押さえて変な様子をし始めた。
なんか言動が支離滅裂だ。萌えとか尊いとか、何のことなんだろうか。
まあよく分からないけど盛り上がってるならいいかな、とオレが思ってると。
「わ」
「……っ」
振り向けばまたそこに鬼の姿が。オレがまた怒られるのかとビクッとすると、お母は静かにオレの名前を呼んだ。
「カサネ」
「お母?」
「……あんたは、私の家の子だからね」
お母は何を言いたいんだろう。そんなの当たり前だろうに。でも、まあそんな当たり前がオレには嬉しいから。
「うん!」
ただ笑って、ぶんと頷くのだ。踊るツインテール。満足そうに、お母も笑い返してくれた。
「最高だな、この親子……」
「……女将さんもカサネちゃんもあったかい、あったかいよ、溶けちゃいそうだ」
「俺はこの店を守護るためならこの世界すべてを敵に回しても構わない……」
するとなんだか他の常連さん達がうるさくなったけど、そんなのどうでもいいや。
さて、次のオーダーは。っと。今行くぞー。
「うーん……」
客の入りが随分と落ち着いた店の中。手伝いを済ませたオレは今度カウンター席で宿題をこなす。
しかし、ちょっと進みが悪い。下手したら、店じまいまでに終わんないかも。お母にまた叱られるな。
「むむむ……」
ずっと、数字と式に悩むオレ。二回目だけど、ホントに勉強って慣れないもんだ。
あれだよな。学ぶのってなんでこんなに面倒なんだろうか。そんなことしなくたってオレは頭いいに決まってるんだがな。
頭をつかうというなら頭突きとか知恵の輪を外すのとかの方が楽でいいと思う。
頭突きはオレの得意技で語るまでもないだろうし、知恵の輪とかあれって思い切り引っ張り続けるとスポンと取れるから、授業それだけでいいのに。
「ふぅむ。お困りのようですね」
「ん? お客さん……わ」
そんなこんなを思っていると、なんか隣から声をかけられた。
そしてそれがホワイトブリムを載せたメイドさんだったからオレもびっくりだ。
こんな飯屋には場違いな白と黒のふりふり姿。更に直に見ても気配が薄い不思議。あまりのミスマッチにめまいすら覚えたオレに、彼女は言った。
「ふむ。なるほど、流石に隠形は通じませんか。ただの勘がいい素人か、はたまた本当に常識外のモノなのか……前者だったら楽だったのですがね」
「おんぎょー?」
「白河様から聞いていますが、なるほど白痴のように無知なのですね。とぼけている、とも見えませんし……よほど強い封印をかけられたのでしょうか」
「白河? ん、あんた光彦の知り合いなのか?」
「ええ。申し遅れました。私、白河様の契約者であるイクス様の従者である、
オレの周りの人間がよく分からないことを言うのはよくあることだ。だが、クウシキサオリさんとやらが言うことは現実離れしていた。
そして、そんなサオリさんが光彦と繋がっているのにびっくりだ。あいつはどこでこんな美人と仲良くなったんだろう。
眼前の客の目も気にせずあくびをするお父を尻目に、長髪黒髪メイドさんな彼女はメガネを正しながら、オレを見つめている。
「じゅうしゃ? 従者か。メイドじゃなくて?」
「ええ。この格好は、ただの趣味です」
「趣味なのか……なるほど」
しかし、実はサオリさんは職業メイドさんではないみたいだった。
イミテーションメイド。コスプレって奴だな。そりゃオタク趣味だった光彦と気が合うわけだ。
オレが納得を覚えていると、メイドではなかったサオリさんはむしろ視線を強くしてオレに尋ねる。
「それで、双葉様。貴女にひとつ質問があります。構いませんか?」
「うん? 光彦の知り合いみたいだし、オレが答えられることなら大丈夫だぞ?」
「では、一つ」
椅子を動かしきゅ、っとサオリさんはこちらへと向く。居住まいを正し、エプロンドレスの上に両手を置いてから、彼女は疑問を口にした。
「どうして貴女はそんなバカのふりをしていらっしゃるのですか?」
「ん?」
しかし、その言葉の意味がオレにはまるで分からない。
こんなクールなオレを捕まえて、バカとはなんだ。そもそもオレはありのまましてるだけで、バカだろうが何かの振りなんてすることはないのに。
何か誤解されている、と分かったオレは毅然と返した。
「オレは賢いぞ?」
「それは予想しています。記憶が封印されたとて、知恵まで悪化するとは考えにくいことですし。しかし、貴女がするそのまるで物知らずの人間の小娘のような立ち振る舞いはいささか……」
そうか。この人の瞳の灰色に似ているものがあったな、と思ったがそれは今分かった。鉄なんだ。
冷えた金属のようにオレを見つめるサオリさんの果実の唇は、ゆっくり動いた。
「気持ちが悪い」
気持ち悪い。なるほど、そう見えたか。ショックだ。とはいえ、初対面の人に言われたのだから、そこまでではないが。
オレは小さくつぶやく。
「そっか……」
「もっと傍若無人に振る舞うことこそ、らしいと思ってしまいます」
ぼうじゃくぶじん。ああ、それは確か勝手気ままにすることだったか。
いや、それはマズイ。そんなことをしたらお母に拳骨食らわされるのは間違いないし、それに。
「いや、飯食わして貰ってるんだから、礼儀ってのは必要だろう?」
そんな、当たり前のことをオレは言った。
「なるほど。貴女はそういう方、なのですね……」
そして、そんな名言を聞いたら、合点がいくのは当然。サオリさんも納得いったようだ。
しかし、ホワイトブリムを傾げさせ、彼女は思案顔を作る。そして、嘘っこメイドさんは言った。
「……記憶が封印されていて契約者なしでどうやって身体を維持していらっしゃるかどうか不思議でしたが、実は彼らに催眠をかけて意識的に吸血していた、と。そしてその駄賃代わりに人として振る舞っている、と」
「うん?」
オレはまたまた首をこてん。太い髪束のひとつがテーブルから落ちるのを感じるのだった。
また何か勘違いされているような。しかし、言ってることが契約とか封印とか、光彦にそっくりだ。案外この人、あいつの彼女さんだったりして。
オレがそんなことを考えていると知ってか知らでか腑に落として微笑んで、妙なことをサオリさんは言うのだった。
「貴女は酷いヒト、ね」
酷い、とはあんまりな言いようだと思う。思うけれど、まあ何だかこの人嬉しそうだから、それでもいいか。
「……せっかく来たんだから、何か頼んでいきなよ」
ただ、なんかこのまま帰っちゃいそうな雰囲気があったので、オレは公式に採用されているオレ手書きの店のメニューを渡すのだった。
すると、微笑んで彼女は言う。
「そうですね。なら……ここに載ってるお料理、全部いただきます」
「は?」
先も考えた気がするがこれまでオレは、自分を人を中身で判断するタイプだと思っていた。
でも、まさか目の前のつついたら折れちゃいそうなくらい細身の女性がそんな頼み方をするとは想像もしていない。流石にこれにはオレも目を丸くする。
「ひえー」
その後オレは、めちゃめちゃお手伝いした。
「ごちそうさまでした」
サオリさんはしっかりと全部キレイに食べてった。
実は彼女はフードファイターか何かだったのだろうか。すごい。
「すやぁ……」
そして、配膳に疲れたオレは、宿題するのを忘れて寝てしまう。
だから先生にまたかと怒られる未来を知らずに寝るオレは、今日はまあ大体大丈夫な一日だったと思い込んでいた。
『それで、カサネと言ったかしら。彼女はどんな子だった?』
『そうですね。あの方は……お嬢様と気が合うかもしれませんね』
『そう……うふふ。邂逅の日が楽しみだわ』
そう、オレは自分が相当にやらかしてしまっていたことなんて、まるで知らなかったのだった。
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第四話 馬鹿ってなんですかい?
正直にびっくりしました! でもとても嬉しいのでがんばりますねー。
ばかさねちゃんにもいっぱい頑張って勘違いしてもらいます!
ただこのお話三人称で描写してもいいかどうか気になっているので、最後にちょっとアンケートをしたいと思います。
よければ投票してくださいね!
「むぅ」
お日様キラキラ輝く青空の下公園の広いグラウンドにて、オレは大っきな背中を追っかけ駆けていた。
一等賞なんて飽きるほど獲ってきたオレだけど、人に先に行かれることなんて滅多に経験がない。
Tシャツ一枚の下にもりもりとした筋肉の隆起が見受けられ、中々に眼福だが悔しくもある。
そして、急に先を走る光彦が止まったことで、オレもゴールラインに着いてしまったのだということを知る。百メートルじゃなくてあとちょっと長い距離だったら、と考えてオレは歯噛みした。
「むむむ……」
「はは。どこまで力を制限されてるのか分かんないけど、本当に足が速いんだなぁ、かさねちゃんは。ちょっと僕も本気になっちゃったよ」
「オレがかけっこで光彦に負けるとは……」
どうしてかさねちゃんそんなに悔しがるかな、と苦笑する光彦にオレは更に、ぐぬぬである。
いや、目の前の精悍マッチョメンが下手な走りをしたらそれこそ詐欺だとは思う。でも、こいつが無駄に筋肉つけているだけのあの光彦であるからには、得意の運動で負けるのは嫌だった。
なにせ、小学生の頃の光彦は、隠し持っていたエロ本数冊より重いものを持ったことなんてないのではないかと思えてしまうくらいに運動音痴だったのだ。
オレが飲んでいたココア味のプロテインをこいつがためしに一口飲んだと思えば、不味いと言っておもむろにコーラで割り出したのを思い出す。当時の光彦にとって飲み物はピザと合わせるためのものだったらしい。
しかし、今や光彦に過去のちょっぴりぽっちゃりさん振りは跡形もない。オレが考えるの面倒であいつが運動いやだからと二人で筋肉と頭脳にパート分けしたあの日の誓いはどこにいってしまったのか。
まあ、オレがやればできる子と言われる天才であるのと同じように、光彦にも運動に才能があったのだろう。親友だし、そういう似てるところがあっても不思議じゃないか。
オレがそう納得し始めると、黙ったオレが拗ねたと勘違いしたのだろう光彦が言い訳するように言った。
「そりゃ、僕はイクス……お姫様の契約者だからね。まあそれだけじゃなくて、僕は一時バカみたいに鍛えてた時もあったんだ。見てなんとなく分かるかな?」
「ああ。両足にそんなグルテンパンパンのフランスパンみたいな筋肉付けてるんだもんな、そりゃ速い」
「……そんなに僕、ゴツいかな?」
「ああ。よくキレてるぞ。仕上がってる!」
「いや。それ、褒め言葉じゃなくてボディービルの時の掛け声だよね……」
ボディービル。それは人類が生み出した素晴らしい文化だ。巨大に作り上げられた筋肉も、研ぎ澄まされた筋も薄皮一枚下で美しく輝いて魅せてくれる。
なんだか微妙な表情をしているが、そこら辺、大きなのは勿論素晴らしいが小さなおっぱいには無限の希望が秘められているとかキモいこと語ってた光彦なら分かるのではないかと思うが。
でも、そういえば今のオレって無乳だからコイツが昔通りの趣味だったらヤバいな。狙われる。
まあ、光彦が欲情したところで怖くはないが。襲いかかられてもぶら下がってる弱点を蹴り上げれば一発で正気に戻るだろ。
オレはそんな下らないことを考えながら、何やら悩んでいる様子の光彦を見る。中身の残念さを知らないとホント格好いいよな、こいつ。
気を取り直して、光彦は話し始めた。
「それにしても、かさねちゃんはただのデイウォーカーじゃないよね。太陽、ひょっとして好きかい?」
「ん? そりゃもちろん大好きだぞ」
「姫級のイクスですら種族的嫌気から日傘を手放さないというのに、一体この子は何年ものなんだろう……」
「?」
首を傾げるオレ。今日は一本にまとめた髪の毛が揺れた。デイがなんだの姫級、何年ものとか、よく分かんないことを光彦はまた言ってるな。まだ何か勘違いしてるんだろうか、コイツは。
いや、もしかしたらこれは大学出たとか言ってた光彦だからこそ知っている専門用語なのかもしれない。或いはゲーム脳が作り上げた妄言の可能性もあるな。
まあ、オレに迷惑がかからなければ何でもいいかと、ズックで描いたゴールラインを靴底で消す作業をしていると光彦はまたまた変なことを言った。
「なら血も相当に好きだよね?」
ええ、とオレは思う。血を見るのがが好きとか、オレはそんな凶暴性の高い生き物に見えてたんだろうか。だとしたらがーんだな。
むしろ、とオレは下を向いてつぶやく。
「オレはそんなの嫌いだな……」
「え? それはどうして?」
どうしてもこうしたも、あるか。だってあのぬくもりが消えていく感覚なんて、好きになれるはずがないんだ。そう。
「もう、見たくない」
オレは一度死んでる。そして生まれ変わった。でも、最期に見た血だらけの光景だけは、どうしても忘れられない。
そりゃ、今世だと慣れるまで自分の血見て卒倒してたくらいのトラウマだもんな。普通に、血なんて嫌だ。ぶっちゃけ赤色もあんまり好きじゃないくらいだ。
三咲はパンツ紅いのよくしてるらしいが、理解できない。それにしても、あいつ最近下着の色をよく報告してくるんだけど、どうしてだろうな。
「そうか……かさねちゃんは、優しいんだな」
「うん?」
今の親友の謎なところについて考えていると、前の親友がまた妙なことを言う。いや、優しいじゃなくてふつうのコトだと思うが。
血とかスプラッタじゃん。そんなのオレには無理。
ホラーが怖くて嫌なのなんて当たり前だと思うぞ。光彦はゾンビゲームに毒され過ぎだっての。そういえば、あれ裸でもいけたよ、とか教室の真ん中ででかい声でゲームの縛りプレイでのクリアの報告してきてオレが頭を抱えたこともあったっけな。
「よく分かんないけど、じゃあ光彦は血が好きなのか?」
「それは……どうなんだろうね。もう、わからないな」
「分からない?」
「まあ僕の場合は、飽きたっていうのが正しいのかもしれないね」
血に飽きるも何もあるのだろうか。ひょっとしたら、聞いていないけれど光彦は仕事で看護師とか生死に関わることにでも携わっていたりするのだろうか。
オレがまた一本尾っぽを疑問に捻っていると、光彦は前から気になってる首に巻いている包帯をぽりぽり掻きながら、そうなりたくはなかったけれどね、とこぼすのだった。
その後、友達らしくオレと光彦は公園で遊んだ。あいつは童心に帰った気分だ、とか言ってたけど何だかんだ楽しんでいたのは分かるぞ。
大車輪を見せてやったら真似した光彦が失敗してすっ飛んでって植木に突き刺さって、前衛的なマッチョのオブジェみたいになったこともあったけど、それでも笑ってたしな。
ただ、オレが作ったおにぎりを二人して食べてる時にポリスメンが来て、オレたちの関係性について聞いてきたときはあいつ焦ってたな。オレがただならぬ関係です、って小粋なジョークをかましたら顔青くしてたし。
まあ、流石に光彦に美味しいおにぎりの後に臭い飯を食わせる訳にはいかなかったから、適当に嘘ついてお巡りさんには帰ってもらったけど。
ただ、オレたちが兄妹っていうのをそのまま信じるのはどうかなと思うけどな。ムキムキとぷにぷにじゃあ、あまり似てないんじゃないだろうか。
「……それに何より、一番の友達は三咲だな! 美人で頭も性格もいいしオレの次ぐらいに運動が出来る凄いやつだ!」
まあ、そんな過去の話はどうでもいい。クマさんピクニックシートの上で久しぶりに旧交を温めて興が乗ったオレは、交友関係について話す。
そしてそれが、大切な親友の自慢であればなおさらに口は軽い。オレは、三咲のひと目で分かる特徴であるところのでっかいおっぱいばかりはスケベな光彦がそこにばかりつられないようにカットして、語った。
「へぇ。かさねちゃんがそこまで褒めるなんてきっと本当に凄い子なんだね。一度会ってみたいくらいだ」
「うーん……止めたほうがいいかもしんないな。マッチョが嫌いなのか、一度光彦のこと話したらオレにそいつと関わるなって言い始めて、今日逃げて来るのも大変だったんだ」
「……僕、本当に体型で嫌われたのかな……何か、かさねちゃんの説明が悪かったのではないかな、って気もするけど……」
なにやら光彦がぶつくさ言っているけれど、いや本当に今日は中々来るのが大変だったんだ。
オレは休みの予定なんて何も言いもしなかったのに、出かける前に現れた三咲は私も一緒に行くね、とついてこようとした。けれども、流石に親友二人の相手とか、お腹いっぱいなところがある。
とりあえず、あの手この手で逃げ回り、最終的に約束の時間ギリギリになったので慌てたオレが、こんなことしてると嫌いになるぞって言ったら停止したのでその隙を突いて逃げてきたんだ。
そこで、ふとオレは思った。これまでオレ自分の話してばかりだな、と。
こりゃ会話としてまずいなと考えたオレは、光彦に水を向ける。
「そういや光彦。お前は友達とかいないのか? 明日暇か、ってメッセージ送ったら直ぐに大丈夫って返ってきたからあんまり居ないんじゃないかって思ってるけど」
「かさねちゃんはずばりと言うね……まあ、たしかに少ないけれど……」
「そっか。でも、一人や二人大好きな奴はいるよな?」
「まあ、それは……うん。いたな」
いたな、とはどういうことかとオレが内心不思議がっていると、とつとつと光彦は続ける。
「そいつは凄く運動が得意でさ、サッカーをやらせたら、誰もあいつが持ったボールを奪えなかったくらいだよ。走ったらもう誰も追いつけないんだ。中学に上がってもそれは一緒っていう、冗談みたいな奴だったよ」
過去形。そして光彦がこれほど熱を入れて語るくらいに運動が得意な人間。なるほどこれは前世のオレのことだな。
そりゃそうか。どうしたってコイツとオレは親友だからな。言いそびれたせいでオレが前のオレを引き継いでいるとは知らないから、こうして真っ直ぐ語ってくれてるんだな。
なんだか面映いな。照れる。
「またあいつは明るくって素直でさ。それこそ太陽みたいに誰からも好かれて、それで……」
うんうん。ここまで褒められると恥ずいが、認められてたってことで嬉しくもあるな。それで、続きは何なんだろう。オレは内心ウキウキしながら大人しく聞く。
「何より。馬鹿だったんだ」
言い、光彦はとてもうれしそうに微笑んだ。
ん? ああなんだ、オレのこと話してたんじゃなかったのか。オレって前っから天才だもんなあ。決して、馬鹿じゃあない。
それくらい、オレの隣でよくゲームしてた光彦なら分かってたはずだ。じゃあ、前のオレのそっくりさんが友達で別に居たってことか。これは騙された。
でも、過去形、か。気になったオレは聞いた。
「ひょっとしてそいつ、どっか行っちゃったのか?」
「ああ。もう会えない」
会えない。それは大変だ。でも会えないだけなら大丈夫だろう。死に別れてさえなければ信じて手を伸ばし続けていれば、いつか繋がるもんだ。
光彦がそんなオレや両親以外にも死別した相手がいるなんて、考えたくもないことだし、きっとただ会えなくなっただけだろうと、オレは願う。
だからこそ、オレは悲しむでもなく光彦の希望を訊いた。
「光彦。もし、その友達とまた会えたらどうする?」
「それは、ありえないな。ありえないけれど、もし会えたなら……」
もし会えたなら。きっと嬉しいだろう。オレだって光彦に会えて嬉しかったんだ。
当然、光彦も微笑んで……いや、これは笑みを超えちゃってるな。なんだろこれ、ちょっと歪だな。
ただ、それは破顔というものに間違いなく、そのまま彼は宣言するのだった。
「――――。一度ハグしてから、もう一生離してやらないよ」
なるほど。それほど想っているのか。瞳がだいぶ昏いのが気になるところだけれど、そこまで言い切る友情は素直に素敵だとオレは思う。
だから、オレはほにゃりと笑って決意を喜ぶのだった。
「そっかー。本当に、そいつに会えるといいな!」
「ああ……そうだね」
そうだよ。本当に、会えると良いな。まあ、コイツは死に別れたはずのオレとも会えたんだ。ならきっと大丈夫。
幸せに、なってくれるはずだ。
この時、そんなことを呑気に考えていたオレは、きっと間違っていたのだろう。
「まさか、ね……」
そしてオレは、光彦のそんな呟きを見事に聞き逃すのだった。
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第五話 スープってなんですかい?
ランキングにも入れてくださったみたいでとても嬉しかったです!
読んでくださるだけで幸せですのに、皆様本当に優しい方々ばかりですねー。
またアンケートも沢山票をいただけて嬉しかったです。
参考にさせていただきますねー。
早速、三人称ではないですが今回はおためし程度のシリアスを足して展開進めてみました。
皆様が少しでも気に入ってくださったら良いのですがー。
オレは基本的にお金をあんまり持っていない。理由のひとつとしてそれは、使わないからだ。
お年玉とかあんまりいらんからそのまま渡す度によくお母には金かからない子だね、と言われるが、いや、使わないのをただ持ち歩いててもなあ。紙幣とか軽すぎてオレの筋肉は喜ばないぞ。
まあ、金貨くらいになったらちょっとは重みがあったりするんだろうか。それを集めりゃ中々ずっしりしそうだ。そう考えると、昔の金持ちは皆ムキムキだったのかもしれない。
筋権政治とかどこかで聞いたことあるし、やっぱり昔から筋肉が世界を動かしていたのだろうな。
「ふぃー、気持ちいいー」
そんなこんなを熱さの中でぼやっと考えながら、オレは目の前の水面をひとすくい。それを顔にばしゃりと浴びてさらなる温を感じるのだった。
そう、オレは湯船の中に居た。それも、一人ではない。
「うう、重ちゃん……色っぽい」
タオルで目隠しをしたままの三咲も一緒だった。こいつ、結構な温度の湯に首元まで入って真っ赤になっているが、色々と大丈夫だろうか。
オレは、不審者のツレとして周囲から奇異の視線を感じながら、まあどうでもいいやと意図してそれを流してこぼすのだった。
「いや、三咲がデートしない、とか言ってスーパー銭湯のタダ券出してきたのにはびっくりしたけどさ。つられて良かったなぁ。疲れが取れる取れる」
そう。家族でもない奴と同じ湯船に浸かる。それが温泉じゃなければ銭湯だ。そして、オレはスーパーな銭湯に来ていた。タダ券につられたんだな。
三咲は見事にオレの引っかかるところを知っている。オレはお金を正直計算面倒くさいしあんまりいらんとは思っているが、タダという文句には弱いんだ。タダより安いものなんてないもんな。計算の必要もないし、流石にそれには食いつかざるを得ない。
デートというのがよく分かんなかったが、同じ釜の飯とか言うから、三咲も親友として同じ釜茹でみたいになりたかったのかもしれないな。こいつは前世盗賊だったりしたんだろ。
「でもオレの裸を見たら鼻血が出ちゃう体質だったとか、三咲も困ったな。そりゃ、そんな変質者スタイルでお湯につからなきゃなんなくなる。すまんなあ」
「大丈夫。匂いだけでもかなり楽しめてるから」
「そうか?」
しかし、一緒の風呂を喜んでいたのにいざオレが目の前で服を脱ぎ捨てすっぽんぽんになったら、三咲は爆発した。
いや、顔面爆発したと思ってしまうくらいに鼻血ブーだったのだ。三咲は倒れるわ血の海でオレのテンション下がるわ、脱衣所は大変だった。
なんとかオレも三咲も落ち着いて、オレの裸が爆発の原因だったと判明したので踵を返そうとしたオレだったが、三咲は止めておもむろにタオルで目隠しをした上ですっぽんぽんになったのである。
そうして、二人して並んで人が少ないので選んだ熱めの風呂に浸かったのだ。本当に、どうしてこうなった。
それにしても、匂いで楽しむ、か。温泉でもないのに湯を香りに良さを見出すとは流石はタダ券持ってくるだけはあるな。きっと、三咲はここに通い慣れているのだろう。
三咲はそれこそオレの周囲まで嗅いでから上気した顔をにへりとさせるのだった。
「くんくん。……はぁ。周りの重ちゃんスープが私を誘惑する……うう、ダメだよ三咲。これに口つけたら私、本当の変態さんになっちゃう」
そして、オレの親友の筈である彼女はそんなことを言う。いやスープってすごい発想だな。オレは感心する。
目をぱちくりさせ、長い髪をくるくるまとめたタオルを少しずらしてから、何だか真っ赤であまり正気でなさそうな三咲に言った。
「そうか、たしかにこんだけ皆が入ってたら、湯の中人の出汁凄いんだろうな……」
「え、重ちゃん?」
スープ。なるほどそれは確かに言い得て妙だ。ちょっと水の量が多いが、こんだけ人が出たり入ってたりすると、ちょっとはこの湯に味がついているかもしれない。
好奇心、というか飯屋の娘として味見は大事かなとちょっとふざけて。
「オレ、この味みてみようかな?」
まあ、こんなのせいぜいしょっぱいくらいだよな、と思いながらオレがにやりと笑んでそんな冗談を口にしたところ。
慌てて、それこそタオルとか飛んでいってしまうくらいに激しく、三咲は湯船からぶるんと立ち上がった。
「そんなえっちなことダメーっ! あ」
「あ」
そして、制止しようとした三咲の彼女の予想外に静止していたオレの、すとんとした裸体を直視して。
「つ……ぶっ」
噴出したのだった。その鼻血は運良く人が居ない方、湯船から外れたところに飛んでいってくれたが、盛大に散らばっていて。
「きゅう」
そして、そのまま三咲はのぼせて倒れ込んだ。彼女は血の海に沈み込んで、まるでその様は刺されて死んだ人のよう。凄惨な現場に、周囲の誰彼がざわざわしているがひとりも寄ってまでは来ずに。
「え、これ全部オレが片付けんの?」
そういうことになったのだった。
「はぁ。疲れた」
そして、しばらく後にオレは今度は一人、湯に浸かっていた。泡風呂の心地よさに、先に説明に片付けに一人立ち回った疲れがどっと溶けていく。
ちなみに、三咲は血を大分出してしまってふらふらになっていたので、マッサージチェアに安堵させている。
背中を揉まれてしきりにおっぱいぶるぶるさせてたけど、まあ大丈夫だって微かに返事していたし大丈夫だろ。
すったもんだがあったが、まあ取り敢えずタダ風呂を楽しまないとな、とオレはゆっくりしはじめる。
「それにしても、男湯に入れさせてもらえはしなかった……中途半端に発育してるオレがにくいな」
自分としてはどっちでも構わなかったし、最近色々思い出したせいで男の子寄りの気持ちなのだが、流石に身体が女子なオレは男子風呂は止められた。
ふと目を動かせば裸ばかり。しかし、周りにあまり筋肉はない。むしろどちらかといえば、おっぱいばかりだ。オレとしては少々残念である。
「ん?」
しかし、その中でどうにも目を惹く白があった。オレはなんとなく、彼女の方へとじゃぶじゃぶと寄る。
ジャグジーの隣の電気風呂。先に、二人の女子が戯れに入って何これ全身攣る、とか言って逃げ出したくらいに強めの設定であるらしいそれにゆっくり浸かる海の向こうから来ただろう少女。
「なあ、あんた」
「あら……なあに、ナンパ? 言っとくけど、ワタクシはアンテイークの非売品よ?」
「そんなんじゃない。ただ、湯加減を聞いてみたかったんだ」
「ふうん……まあ、このエレキテルのお湯はまずまず刺激的ではあるわね。そっちはどう?」
「ぶくぶくしてる」
「ぷっ……それは見た目通りねっ」
女性はなんとも上品に、笑む。日なんて浴びたことがないのではないかと疑えるくらい透き通った肌に、薄いブロンドが滴っている。
まあ、モテそうだなと何となく思いながらオレは言葉を返す。
「でも、本当にそうなんだからしかたないだろ? あったかくて、ぶくぶく。それだけで気持ちよさそうに聞こえないか?」
「まあ、そうかもしれないけれど……ふふ。本当に、面白いわね。聞きしに勝るとはこの通り」
「ん? あんた、オレのこと、聞いたことあるのか?」
「ええ。ちなみにワタクシはあんたじゃなくて、イクス・クルス」
「そっか。オレは……」
「フタバカサネでしょ? 知ってるわ」
「ん」
言われて、オレもそれはそうだろうと思う。何故かは知らないが、このイクスという女は話しかける前からオレのことをどこかで聞いていたのだ。なら、名前くらい知っていても不思議ではない。
とはいえ、この目の前の美人でしかない均整取れすぎた不自然に注目されるほど、オレは目立っていただろうか。
いや確かに天才なんだが、可愛いに決まっているが、そんなに尖って見えていたかな。照れてしまう。
イクスはうふふ、と笑んでから言った。
「最近ずっと、あなたのことを聞いていた。でも、面白かったから見てみたら、予想外」
「ふふん! ばかさねちゃんはクールビューティーだっただろう?」
「ええ、真逆だけれど、そこが素敵ね」
真逆。それはどういうことだろう。クールでビューティーの逆……ホットキュートだろうか、ああそれも悪くないな。今熱々だし丁度いいかも。
そう納得していると、イクスはオレ見つめる紅い目を細めるのだった。
「ああ――――白い皿の上にインクを垂らしたら、きっと映えるのでしょうね」
肩を抱き、ぞくりとした様子でその半端に肉がついた身を震わす。風呂入ってるのに寒いのだろうか。いや、ちょっと違う感じだな。
これは、なんか最近どこかで見た、恍惚に近いもののような気がする。
「黒とかか?」
「ふふ……私は朱がいいと思うわ」
そして黒といえば、朱色と返る。なんだかオレと趣味が違うそして含みがあるこの感じ。
「ふーん」
オレはなんとなくコイツ、光彦っぽいな、と思った。
「……ふぅ」
チャリをころころ転がしながら。オレは帰りの道を行く。
スパ銭にて三咲ともイクスとも別れ、短い帰路にてオレは長湯の余韻を感じてゆるゆる進んだ。
夜は見難いが、足元の花を避けながら、砂利を踏んで。隣町もそうだが、ちょいちょい田舎なこの市がオレは好きだ。星だって良く見えるし。
星座とかよく分かんないけど、きらきらしている魅力的な空をちらちら見ながら、オレは進んだ。
「……っと」
「おや。すまないね」
「いや、こっちこそごめん」
すると、前から来た人にぶつかりかけるというオレらしくない過ちをしてしまった。
すぐ謝ったオレに、おじいさんはカンカン帽のつばに手を当てて表情を見せる。
月夜に照らされたその表情は朗らかな笑顔だった。
「いや、ぼくとしては助かったけれどね。ここは因縁でもつけるところじゃないかな? 慰謝料出せってさ」
「え、そんなのオレいらないぞ?」
「……どうしてだい?」
首をかしげるまた遠くからやって来ただろう彼。
よく分からない。でも、
まあ、もったいぶることなんてない。本当のことを言おう。
オレは、金をあんまり持っていない。その理由のもうひとつ。それは。
「だって――もう死んでるやつに金は要らないだろ?」
そんな当たり前。けれど、目の前の老翁――後で聞いたところジョンと言うらしい――は一笑した。
「はは。それはそうだ」
うんうん頷く彼の気持ちなんて、オレには分からない。けれど、とても楽しそうには見えた。
そしてひとしきり笑んでから、ジョンは。
「イクス嬢に伝えておいてくれ。次はキミだ、とね」
そう言って、彼は月光の元、片足と長い影を引きずりながら去っていったのだった。
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第六話 芸術ってなんですかい?
今回はちょっと調整して、急遽新キャラに登場していただきましたー。
彼女に親しんでいただけると嬉しいです!
オレは、これでも絵が得意だ。
何しろ、目の前にあるものを描くなら、オレの頭の中の景色をそのまま写せば良い。そういえば、前世だとその能力を買われて、光彦に格闘キャラのパンチラドットを描かされたこともあったな。今思い出してもドン引きだ。
まあ、そんなだから、大体美術の成績は良い。ただ独創的な、それこそ芸術ってのは難しいな。
オレには緑と青の絵の具をぐちゃぐちゃにしただけにも見える絵ひとつで、オレん家がダースで買えると知ったときには、ショックだった。
なので、中学だったかの夏休みに展覧会用に黄色と黒の絵の具二、三本使ってマネて似たようなのを描いてみたこともある。だがその時はこんないたずら描き宿題で提出しちゃダメだよ、って美術教師に三咲に諭されるばかりで一向に評価されなかった。
多分、こうぐるぐるぴょんなバランス――ばかさねなりの黄金比の表現――とかそっくりに出来たと思うんだがな。まあ、筆のタイミングとか分かんなかったから、魂までマネできちゃいないからどうせ駄作だろうけどさ。
「ふむ……少し違うか」
まあそんな風に苦言ばかりを呈された一品も、だが決して箸にも棒にもかからなかった、というわけではない。
オレが展覧会行きの切符をはじめて逃してしまったその絵を持ってどうしようと思っていたところ、声がかかったのだ。いや、無駄に高いところからの声だったからびっくりしたけどさ彼女、山崎モモ先輩はオレの駄作を見て言ったんだ。
これは傑作だ、って。
オレはその時、この人目が悪いんだろうな、って思った。
「なー、モモ先輩。オレそろそろ動いていいか? かったるい!」
「……いや、身じろぎぐらいは構わないが、ポーズを変えることばかりはしないでほしいな。もう少しで素描が終わるから」
そんなちょっと美的感覚がおかしいノッポのおねーちゃんなモモ先輩とオレは未だ仲良くしていて、時にこうして頼まれごとを聞いてあげるような仲ではある。
それにしても、どうしたんだろうな。急にオレを絵に残したいとか言って。最近キミの魅力が増してきた、なんて言ってたけどクールなばかさねちゃんは年中無休で皆を魅了してるってのにな。
またオレを絵にしたいのはいいけど、それにしてもこの人スマホのカメラ機能なんて忘れたかのように熱心に椅子に座らせたオレを何分もかけてデッサンしてるのは何故だろう。
オレ、止まれって言ってずっと止まれるようないい子ちゃんじゃないんだが。赤信号とか普通に嫌いだし。色的にヤダ。
「オレに動くなっていうのは酷だぞ……なんだか逆立ちしたくなってきたっ」
「ふふっ、それでも動かないでいてくれるのだから、キミは律儀な子だよ」
「だって、こっちの面をずらすとモモ先輩の観察が台無しになっちゃうってのはオレだって分かるぞ! うう、ほっぺがつりそうだ……」
「ふふ……流石はばかさね君だね……天才というのはキミのような子のことを言うのだろう」
そんな風にオレが微笑み続けながら自分の芸術点を見せつけ続ける大変さを感じながら零していると、モモ先輩は至極当たり前のことを言ってきた。
当たり前すぎるのか最近あまり言われなくなったけど、そうオレは天才だ。かさねちゃんあたまいい、ってよく幼稚園ごろはひっきりなしに言われてたもんな。
ただ、そんなスーパーな賢さを持ったオレでもやはり芸術というのは不明だ。特に、それはモモ先輩の描いたものを覧る度に強く思う。
「そんなこんなを言っている間に出来たよ。ほらばかさね君、もう動いていいよ?」
「やっと動ける! んー、モモ先輩、出来栄えを見せてもらっていいか?」
「……まあそうだね。構わないよ」
了承を得たオレは、彼女と二人きりの室内を横断して、その手の中のスケッチブックを覗き込む。
そう、この美術室はがらんどう。誰も彼もより付けない聖域に近いものになっている。それは何故か。
すべてが、モモ先輩の描く絵に原因があったのだった。オレは、思わず感想すら忘れてその絵を見てツバを飲み込む。
「おぉ……これは、スゴいな……」
「だろう? 美しいものを描くとはいえ今更キュビズムを頼るのもどうかと思ってね、全面ではなく内面も共に一面に描き出してみたんだ」
「流石の前衛っぷりだぞ……」
この絵をなんと言っていいかは分からない。線が豊かさばかりを重ねて華美を凝らしたそれは、正しく意味不明となっている。
ぶっちゃけ、黒い。しかも気持ちの悪い黒さだ。悪意すら覚えるそれが、実は愛を持って描かれているのは最早信じられない。
「まあ、これでは白すぎる気もするね。ばかさね君、キミはもっと黒くて美しい」
「こんなに嬉しくない称賛は初めてだな……」
前に、スケッチってエッチと似てるなとか言ってたな。それは光彦じゃなくてそこらの男子が、だが。あいつはもっと業が深い。
そんな風につい現実逃避してしまいたくなるくらいに、目の前のスケッチブックを汚す黒鉛の輝きは冒涜的だ。
モモ先輩は戦慄するオレを観察しきったのか野暮ったい眼鏡の奥を細めて、ぱたんとスケッチを閉じてから、ぽつりと言う。
「とはいえ、これでもそこそこ値は張るんだろうね」
「……ホント、不思議だ」
確かにこの絵の芸術点は高い。とはいえ、芸術点を集めすぎてほぼ全体見えなくなっているこれが高値をとるのは不思議なことだ。
そう、何とこの暗黒物質、実は今高く評価されていたりする。なんか、よく観ると複数の絵が浮かんでくるとかなんとか。どっかの評論家の受け売りだが。
ボストンだかの美術館で個展を開けるくらいには、モモ先輩の絵は凄いのだ。美術部の生徒たちが裸足で逃げ出して退部してしまうくらいに凄い、はずなのだが。
「オレとしては、ネットで目にする意見の方が馴染み深いな……」
曰く、絵なのこれ。
そんな素人の意見に、オレは同調してしまう。
だがしかし、それも少数派。線と点の集まりに興奮するのは光彦くらいでいいと思うのだが、世の中はモモ先輩の芸術センスに熱狂しているようだった。
「はぁ」
口の悪い奴らがモモ先輩のことをヤバ崎と呼ぶのも何となく分かる。
何となく負けた気がしてツインテールをしおらせるオレ。そんなオレを上から見下ろして、モモ先輩は胸ポケットから一つの物体を取り出して差し出すのだった。
「ああ、そうだった。一つ傑作があってね」
「え? これは……」
オレの目の前でおっきな手のひらの上に鎮座しているのは、紅く細い何かがレジンで纏められたそんな物体。じゃらりと、繋がれた銀のチェーンが蠢く。
やはり色のセンスは悪い。ただあんまりモモ先輩の作品を良いと感じることはないけど、これは綺麗だと、何となく思う。
「是非今のキミに、プレゼントしてあげたかったんだ」
「あ……」
優しい指先がオレの髪を撫で浚っていく。
そして、そのうん百万は下らないだろう山崎モモ画伯の作品、朱の十字はオレの首に下げられたのだった。
「それで、そのカンカン帽のお爺さんは確かに、イクスの名を発していた、と……」
「ああ。確かに、次はキミだとか言ってたな。でも伝えてくれと言ってもイクスの家分かんなかったから、それっぽい光彦に言ったんだ」
「なるほどなぁ……あ、そこ間違ってるよ、かさねちゃん。……というか、年号に先の数学の問題のエックスの答えをそのまま入れちゃうのはどうかな……」
「お、間違ってたか。答えの欄の大きさが似てたからなあ、ちょっと間違っちゃったな!」
「かさねちゃんは……ある意味天才だね」
「ふふー、天才と言われたのは今日二回目だ! やっぱり、光彦もそう思うか?」
「そりゃあ、まあね……」
家帰ってからチャリでごーした友の家。オレは光彦の素直な褒め言葉に、にこにこする。
やっぱりモモ先輩よりも光彦が言ってくれた方が嬉しいな。コイツには思い入れが違うし、つまり引っ付いた発達した筋肉たちも同意しているってことだから。
ふふんと、ない胸を逸らすオレ。それにどうしてだか気を取られずに、光彦は言うのだった。
「うーん……それにしても、そのお爺さんに対する心当たりは僕にはないなぁ。契約者とはいえ、吸血鬼世界との関わりは十年に満たないし……」
「ん? あのお爺さんも吸血鬼だったのか?」
「多分、ね。イクスは結構いい家の子だからよく同族に狙われるんだ」
「それは危ないな! ……でもあのお爺さん、そんな悪いやつには見えなかったぞ?」
イクスが狙われてると聞いて、オレは少し焦った。だけれど、あのお爺さんは何か変な感じがしたけど間違いなく優しそうだったと思う。
客商売の手伝いをやってるオレは人を見る目があるという自負がある。だからこそ、どうなんだろうと首を傾げるオレに、光彦は話す。
「いや、まあ。別に世の中悪いやつばかりが悪いことをやるわけでもないからね……気をつけるに越したことはないさ」
「そっか……でもそれって寂しいな」
「だね」
オレは、少し気持ちを落とす。
光彦が言っているのは、悪いやつにだって良いところがあっていい人にだって悪いところがある、という当たり前だけれどそれは翻って守るならば誰のことも信用できないという言葉でもあった。
それを寂しく感じるオレを光彦はとても悲しそうに見つめる。そして、しばらくしてから頬をかいて、言った。
「でも、まあ。そうだね。……うん」
「どうした? はっきしりしないな、光彦。ウンコか?」
「違うよ! そうじゃなくてさ、僕はでも、かさねちゃんのことは信用したいと思うよ」
「そっか!」
オレは、二つのしっぽをぶんぶんさせながら喜ぶ。他人が信用出来ないのに、信用したいと思うこと。それがどれだけ尊い意思であるかオレには測りきれない。
これだから光彦の友達は辞められない、とオレがこそりと思っていると、光彦はぼそりと続けたのだった。
「だから、イクスのところに連れてくよ。本当は良くないんだけれどね」
「おお、イクスってどんなところに住んでるんだ? お嬢様っぽかったし、凄い豪邸だったり……」
「いや、そういうのとは違ってさ……あいつが居るのは」
少し、言いにくそうにして、しかし甲状舌骨筋を活躍させてから、光彦は。
「――――僕んちの屋根裏」
天に指先を向けてあっけらかんと、そんな暴露をするのだった。
経ったはツーテンポ。そして、ぱかり、と天井が外れて、そこから愉快な二人組みが顔を出す。
「もう……今バラさなくていいじゃない」
「まあ、ここで明かしてしまうのも、よいタイミングではないかと思いますよ」
「ワタクシが格好つけられなかったじゃない!」
その二人とはイクスと、サオリさん。上からの彼女らの突然の登場に、オレはもうびっくりだった。
「わわわ……」
なるほど、イクスがオレのことを知っているはずだ。そりゃずっと板一枚の物理的な近さだったもの、色々丸聞こえだったんだ。
それに、よく考えたら窓一つない屋根裏とか、日光嫌いが籠もるには丁度いいだろうし、自然といえばそのとおりで。
にしても、こんな。そんな。えー。
「光彦にはすでに落ちものヒロインが居たのか……」
オレはどうしてか、そんな見当外れな残念を覚えてがっくりするのだった。
なんとなんと、ですー!
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第七話 日本語ってなんですかい?
今回、ギャグ回か説明回にしようか迷って遅くなってしまいました! 申し訳ありませんー!
一応、今回はその間をとった感じになります。どうなのか、ドキドキですね!
白河邸にはプロテインが存在しない。それは光彦の身体の隆々ぶりを見るに、恐るべきことだった。
オレはてっきり、お高いプロテインを泥棒の魔の手から逃れさせるためにどこかにひそひそ隠しているものだと思っていたが、それは違う。
昔エロ本隠してたベッドの下には何かトゲトゲしてて黒塗りのカタナみたいな変なのしかなかったし、あるとしたら天井裏とか怪しいと思ってたんだが。
オレは、漫画とパステルカラーに溢れた部屋の中にて思わず零す。
「どう見てもここにもプロテインはない……まさか光彦がナチュラル食品オンリーでこの身体を作っていたとは……」
「はは。この積み上がった漫画本の山を見た第一声がそれって、やっぱりかさねちゃんはどこかトんでるね……」
続けて僕はここに上がる度にこの大量の本が未だ重みで床を抜いていないことを不思議に思うよ、とぼやく光彦をオレは見つめる。
まさか、コイツを包んでいるその分厚い肉の鎧にあの癖になる味した粉が関わっていないとは、驚きだ。そして楽しなくてこのキレということは、彼は余程コントロールされた食事を採っているに違いないのだ。
光彦の意外な修羅を発見したオレがおののいていると、かやの外にあったお嬢様がぽつりととんでもないことを言った。
「そうね。筋肉なんてブサイクなものでしかないのに……」
「あ、お嬢様。それ、
「へ? ステラ……何?」
「筋肉が、ブサイク……それ、本気で言ってんのか?」
「ほら」
「わ」
自称吸血鬼な彼女のあまりの暴言に、オレは思わず怒髪天を衝くことになる。ツインなテールも揃ってぷんぷんだ。
「イクス。それは違う!」
そうそれは、あまりに流行りに囚われた間違いだった。
確かに、三咲のEカップの注目度を見るまでもなく、ふっくらした身体にだって魅力はたっぷりあるのだろう。
よく分からないが、スポーティと呼ばれる肉と脂肪を削いだばかりの痩身も、この富み過ぎた時代には美しく映るに違いない。
それを考えれば、時代外れのデカいばかりの筋肉が、野暮ったいと思われてしまうのも仕方がないとは思う。だが、思うだけだ。
なにせ、筋肉とは絶対的に。
「格好いいんだ!」
そう、間違いない。力こそ、パワーなんて名言をオレはどこかで聞いたことがある。それってつまり、力ってものは代えがたいってことだろ、多分。
そんな力の源である筋肉の凄まじさを、当たり前過ぎて皆忘れているのだ。それが、オレには悲しい。だから、その価値を思い出してもらうためにも、とオレはイクスを誘う。
「だから、一緒にトレーニングをしよう!」
「えー? どういうことよ」
「それは一緒にやれば分かると思うぞ! まずはスクワットからどうだ?」
「わ、引っ張らないで……って、この子力強いわねっ!」
「おおっ、イクスは筋肉なしでこのパワーとは、見どころあるぞ!」
「そんなのあってたまるもんですか!」
そうして、オレとイクスは筋トレするしないで、けんけんごうごう。引っ張ってみれば意外な力で耐えられて、追いかけてみればオレより素早いみたいだ。
なるほど、彼女は素晴らしい素材だ。これに筋肉を付けたら最強に違いない。そう思って目の色を変えたオレ。
「お待ち下さい」
「わっ、と」
もっとを求めて足に力を込めようとしたそんな時、しかしその前にうそっこメイドさんが現れて行く手を遮る。オレがどうしたのか首を傾げると、彼女は光彦の手を引き、言うのだった。
「これ以上暴れられては本が崩れてしまいます。それでは白河様……お願いします」
「はぁ。どうして僕がこんなことを……ほうら、かさねちゃん、キミの大好きなサイドチェストだよー!」
そして、オレの前で行われるのは光彦のポージング。その、服の上からでも分かる程の血と汗の結晶であるところのぶっとい筋肉を魅せられてオレは思わず声を上げる。
というか、声をかけざるを得ない。こんな凄いもの、観衆がなかろうが魅力を分かりやすく言語化しないとダメだよな。
「おおっ! 胸板がシャツを突き破らんばかりにぱんぱんだ! それにハムストリングスもキレすぎてて、まるで筋肉幹線道路みたいだな!」
「最早褒め言葉が凝りすぎてて意味分かんないね……」
微妙な表情をしている光彦を他所に、目の前で始まった小ボディービル大会にきゃっきゃ喜ぶオレだった。
なんか忘れてる気がするけど、そんなのどうでもいいな。未来の筋肉より目の前の筋肉だろう。オレのツインテールも、うっきうきだ!
「……お嬢様、大丈夫ですか?」
「ちょっと本気で逃げたわよ……流石に同類ね。あまりのバカぶりに他の吸血鬼の眷属かただの
「……ここに揃っているだけでもヤンデレに筋肉フェチですか。やっぱり吸血鬼は変わったヒトが多いですね」
「ちょっと、ワタクシはヤンデレなんかじゃないわよ! それに、やっぱりってどういうことよ!」
だから、そんな二人の会話はオレには聞こえない。
「ふうん。片足を引きずっている老翁の吸血鬼? それなら、ワタクシに心当たりがあるわ」
「そうなのか」
「ええ」
オレの言葉にちょっと綺麗過ぎてボディにいささか迫力が足りていない自称吸血鬼は碧い目を瞑ってから頷く。
漫画の山で――どうやらイクスの趣味らしい。ジャパニーズカルチャーはクールね、とか言っていた――狭くも塵一つない綺麗な屋根裏部屋にて出された紅茶で喉潤しながら、オレはあの夜出会ったお爺さんのことを話していた。
言付けされた以外にも中々印象的だったな。そもそも外の国の人ってだけであまり見ないのに、イクス並みに日本語ペラペラだったし。
吸血鬼とかよく分かんないし、ただのいい人っぽかったけどなぁ。でもあの人のこと知ってるってことは名前とかも分かんのかなと思っていると、イクスは紅茶の縁を白魚の指先でおもむろになぞってからその名を口にした。
「そいつは、ジョン・ドウ。生ける死人よ」
「なるほど、あの人ジョンっていうのかー。フルネームも短くて覚えやすいな」
「いや、かさねちゃん。気にするところそこじゃないよ。……イクス。生きてるのに死人ってどういうことだい?」
「お?」
ぼやっとしたままだったオレを他所に、真面目に食いつく光彦。
指摘されて、そういえば生きてるのに死人って変なんだな、って感じた。死人が生きてるなんて、自分がそうだからそんなにおかしなことだと思ってなかったんだよな。
それを鑑みるとあの時ジョンに死とか軽く口にしちゃったのはマズかったか。気にしたようじゃなかったから助かったけど。
オレがちょっと反省してると、イクスは話を進めていく。
「
「どういうことだ? しかも王族殺し? それは……」
「ええ。アレの牙ならワタクシだって刺し貫けるでしょうね。次はワタクシだって言ったのは、つまりそういうことでしょう」
王族。お墓から出てうろついてる。聞いたオレは、吸血鬼っていうのにも色々とあるんだなと思う。
そして、遅れてオレは気づいた。王族殺しって、ダメじゃんって。それってつまりジョンが誰か殺してるってことだ。オレは思わず目を大きく見開いた。
「うん? ジョンは誰か殺したのか?」
「そうね」
「それは良くないな。しかも、イクスも狙ってんのか?」
「そうみたいよ?」
「そっか……」
オレは思わず天を仰ぐ。そしてしばし。沈黙の中でぱたりという物音が聞こえたのでそっちの方へ向いた。
すると、そこにあったのは、オレが前に小さかった頃に読んだ覚えがある人気コミック。古ぼけたそれは、さっきオレがちょっとどたばたしてたせいで耐えきれなくなって今落ちてきたのだろう。
ぱかりと開かれたそのページでは、敵の手によって味方が殺されたことに嘆く主人公の姿が見て取れた。主人公は、悲しみ、怒ってる。
オレは、ああだからそういうの良くないんだよな、って思う。
ずっとオレを観察していたようだった、サオリさんは、そこで紅い唇をおもむろに開いた。
「……重様。それを聞いて貴女はどうしたいのですか?」
「そんなの、ダメだって言って、止めないとな」
それは、当たり前のこと。悪いことなんて、しないほうがいい。だって、そんなことするとお母にぶたれるし、そうじゃなくたって誰かが悲しむから。
そんなの、ヤダな。別に、皆幸せになればいいとまでは思わないけど、誰かが辛いとイヤだとはオレも思うんだ。
そう思い、善は急げとこの場から発とうとしたオレに、隣から太い声がかかる。
「いや、やめるんだ、かさねちゃん。これ以上、キミは関わっちゃいけない」
「む、光彦。どうしてだ?」
「だって、キミが危ないから」
危ないからやめろ。そりゃ当然だろう。
光彦は、優しい。だからそんなことを言うんだ。まったく、危ないからいいんだって服のきわどさを語ってた、昔の変態エロエロぶりはどこへ行っちゃったんだろうな。
「あはは」
全く、そんな優しい言葉でオレが止まるわけないって、ちょっと考えれば分かるだろうに。
オレは、笑った。
「はは。バカだなー、光彦は」
大っきくなってもそんなところは変わってないんだな。心配とかありがたいけど、オレには要らないものだ。
だって、ちょっと危ないからってそんなもんでやりたいことをやらないなんて、あり得ない。オレはそんな危ない奴だって、コイツ忘れちゃったんだな。
寂しいが、だったらもう一度思い出して貰えばいい。オレは、言った。
「危ないからやるんだろ? ぶつかるのを怖がってちゃ、なんも変わんないぞ? 誰もやってないなら、オレがやる。それに、どんな力持ち相手にだってダメなことはダメって叱ることは大切だろ?」
「それは、そうだけど……」
なんだかコイツゴネるな。あ、そういえば今のオレって可愛く可憐なばかさねちゃんだったじゃないか。フェミニズムだかジャポニズムだか知らないけど、女性に弱いところのある光彦じゃ、そりゃやめろと言うな。
どう説得しようかな、と悩むオレに、またサオリさんから冷たい声がかかった。
「――――そのために貴女が死んでしまうとしても、ですか?」
死んでしまう。そういえばそんなことは考えてなかったな。まあ、しかしそれを勘定に入れてみたとしても、やることはなんも変わらないだろ。
オレは、黒サテンに白フリルが嫌に似合っているサオリさんの無表情を見ながら、語る。
「ジョンはいいヤツっぽかったし、そんなことはないだろうけど……そうだな、もし信じて裏切られたとしても」
オレは、光彦とは違う。他人が信じられないのに信じるのは大変なのだろうが、オレは他人を信じたいから簡単に信じられる。だからオレの信頼にはそんなに価値はないだろう。
けれども、それが無意味じゃないとは信じたい。だからせめて、貫かないとな。オレは口角を持ち上げ、諭す。
「そん時はオレがバカだったってだけだろ?」
後悔なんて、するはずがない。まあ、オレは天才だからそんなことはあり得ないだろうな、とは思うのだが。
「どう封印されたのか……まるで太陽みたいな吸血鬼ね……忌々しい」
「ふふ。まるでお嬢様と正反対ですね。相性最高です」
「……サイアクの間違いじゃない?」
「とはいえ、向こうから来なきゃそうそう出会えるもんじゃないよなー……どっかに居ないかなー?」
「重ちゃん、ここのところ何かずっと学校帰りにきょろきょろしてるよね。何探してるの?」
「んー? すっげえ悪いこと考えてる爺さん」
「重ちゃん、なんのためにそんなヒト探してるの!?」
何故かびっくりして胸をぼよんとさせてる三咲を横目で見ながら、おれはきょろきょろ。しかし、どこにもあの特徴的なつばの広いカンカン帽は見当たらなかった。
偉そうに光彦たちの前で啖呵を切っときながらオレは、しかし数日の間のんべんだらりと日々を過ごしていた。
それもまあ、仕方がないだろう。ジョンじいさん、名前とこれまで何やってたかぐらいしか情報ないし。ああ、でもそういえば眉唾だけど吸血鬼だったな。
だとしたら夜に探してたほうが効率良かったか。でも、育ち盛りのばかさねちゃんは、どうにも十時過ぎにはすやすやしちゃうから難しいよな。
オレがそんなことを考えながら、三咲とくっちゃべりながら帰路を歩んでると。
「Hi! excuse me?」
「わ」
ハーイと手を挙げて、英語使いらしき赤髪そばかすの少女がこっちへとやって来た。
三咲は驚いた様子で声をあげていたが、これにはオレもびっくり。どうしようと、オレは慌てて得意ではない英語を使って返答しようとするのだった。
「えっと、あいきゃんすぴーくじゃぱにーず!」
「重ちゃん、それって当たり前! 流石に重ちゃんだって日本語は上手に喋れてるよ!」
「でもオレこの間現国赤点とったぞ? 出来るとは言ったけどオレは本当に日本語を話せているんだろうか……」
「ああ、なんでか自信がどっかいっちゃった! 重ちゃん、重ちゃんの信じる私を信じてー!」
何か名言っぽいことを口にする三咲の隣でお母のげんこつを思い出して落ち込むオレ。
前世を含めて学生生活はかれこれ二十年近くだ。その間ずっと、文系としてオレは国語を学んでいる。そんなオレが日本語を喋れていないとは思い難いが、どうなのだろう。
なにせ、赤点なんて人生はじめてのことだったからなあ。今やちょっとしたトラウマだった。天才も挫折するんだな、初めて知ったよ。
そんな風にちっちゃいオレは落ち込み、隣ででっかい三咲が慌てる。そんなコントラストが面白かったのか、声をかけてきた少女は突然笑いだして言った。
「ふふ、キグーですネ。ワタシも日本語喋れマース! さっきのはちょっとしたオフザケデース!」
「騙された! 中々やるねこの子! ……重ちゃん?」
「……三咲、この子の日本語、オレより上手かったりしないか?」
「まだ落ち込んでたー! 大丈夫だよっ!」
「ふふ、やっぱりパパが言ってた通り、オモシロイヒトデース!」
「ん? パパ?」
天才というレゾン……なんとかトルが揺らいでしまって中々立ち直れないオレ。しかし、そんなザマでも耳は働いてその言葉は聞き取れた。
パパが言っていた。どういうことだろう。彼女みたいな外の国の人と最近であった覚えは。
ああ、沢山あったな。その中で男性と言ったら一人きり。とはいえ彼は父といった年齢ではなさそうだったけれど、果たして。
首を傾げて尾っぽを揺らすオレに、オレより一回り幼い彼女はくすくす笑いながらはつらつと言う。
「ハイ! ワタシはジョンの娘、ジェーン・ドウ、デース!」
まあワタシはあのヒトとオナジじゃないですけど、と続けて常識的な尖りの八重歯を日差しの元光らせながら、ジェーンはオレたちに笑いかけるのだった。
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第八話 マトモってなんですかい?
毎回どうもありがとうございますー!
しかし今回はシリアス注意回だったりします。ちょっと試しに色々としていますので、ご注意を!
でもなんとかギャグは入れましたー。
「あ、カレー食べたいデス!」
「ふぅん。唐突に中々面白いヤツだな! 後で一杯おごってやるか」
「えっと、ちょっと面白すぎない? さっきまでジェーンちゃんが覗き見てたコンクリ練ってDIYしてる人、びっくりしてるよ? それに重ちゃん。カレーは飲み物みたいにおごってあげるものじゃないと思うの……」
「間違えた、ホントはワタシ、サッカーしたいんだったデース! おごってください!」
「仕方ないな……」
「間違え過ぎだよ! 重ちゃんも、財布を取り出そうとしないの! サッカーっていうスポーツををどうおごってあげる気なの?」
オレと三咲は、学校帰りに出会ったジェーンと直ぐに仲良くなった。
それは、向こうが積極的だからというのもあったのだが、この娘結構面白い。いや、オレの真横で揺れるふわふわ一刀流な髪型も良かったりはするが、それを被った中身だって中々良かったのだ。
つーと言えば、ぴゃおんと言い、ハローと言えば日本語でOKと言う。どうやらジェーンはオレと違って意外性が持ち味らしい。幼いながら稚気を超えたハジケを既に身につけているようだった。
さっきも、いきなり涙目でテンタクルイエローとか叫びだし、くねくねし出して三咲の目を点にしていたのだ。
どうやら、彼女は裏設定でテンタクル戦隊の紅一点(イエロー)であり、その時が親友たちに隠していたその正体を披露する絶好のタイミングだったらしい。
オレが道の向こうに犬見つけて柴犬だって言った瞬間にそんなドラマチックを置こうとするとか、そもそも出会ったばかりのオレたちを親友とするとか普通におかしいよな。
ロジカルシンキングが持ち味のばかさねちゃんとしては、こういう手合は得意ではない。だが、サトイモデース、と両手をちょきにして言い張るこの子はそんな苦手を越えた愉快さがあった。
持ち前のツッコミぢからで追いきれなくなったのか息も絶え絶えに、しかし三咲は気になったことを尋ねる。
「ね、ねぇ……そういえばジェーンちゃんってどこの国から来たの?」
「ンー、ワタシは、イロイロデース! パパと一緒にイロンナクニ、巡りましター」
「そっか。例えばどんな国が良かったとかあったりするか?」
「ソーですネー……何だかんダ日本ですかねー? 驚きがたくさんデス! 特にハトに豆デッポウとかいうコトワザとか、ステキでース!」
「そのこころは?」
「一網打尽デス! メシウマ!」
「ハトも豆もどっちも食べちゃうんだ!」
「クックルドゥドゥドゥ!」
「わー、ジェーンちゃん、どうしてニワトリの真似して走り出しちゃうのっ!」
そして歩道を逃げ出すジェーン。追いかけながら、ニワトリにしては速すぎるよぉ、と叫ぶ運痴な三咲だったが、オレには分かる。
アレは、ヒクイドリだ。トサカも足の長さも全然違う。ヒクイドリは聞くに最高時速50キロとか出すって言うんだから、モノマネでも速くて当たり前だな。
やがてジェーンは、当然のように飽きて止まり――止まりきれなかった三咲はおっぱいからすっ転んでいる――オレの方にてこてこやって来る。
黙っているとジェーンは、とても悲しそうに、言った。
「おうどんは……アリマスか?」
「はぁ……そんなに家に来たいなら、仕方ないな」
「ヤッタデス!」
考えるな、感じろ。なるほどよく言ったものだ。異国の少女にもそれはどうやら通じるようで、ぶっちゃけ意味不明に対して雑に返したら喜んでくれた。
起き上がったばかりの三咲あたりは、このやり取りに目が点である。三咲もとことこやって来て、問う。
「あれで分かるなんて、重ちゃんは、てれぱしーでも使えるの?」
「なんだ、三咲はジェーン語が分かんないのか? オレ、これなら百点採れる自身があるぞ?」
「がーん! 重ちゃんは、ネイティブジェーンちゃんだった!」
意味不明に対して、立派に対応出来たオレによく分からない驚きを覚える三咲。まあ、しかし種を明かせばそれは簡単なことだ。
子供に対しては、ただ落ち着くまで好きにやらせるのが正解なのだ。正直なところ、ただのテンション上がりすぎた構ってちゃんだろうからな、この子。その言動に意味はなくても、もっと構ってやる、って返答してあげたらそりゃ喜ぶだろ。
しかし、何を勘違いしたのかちょっと照れくさそうに頬を染め出す三咲。両の人差し指をつつき合わせるようにしてから、アホの子は言うのだった。
「ね、ねえ。初対面の子の気持ちが分かるなら、私が重ちゃんに言いたいこととか、分かるかな?」
「ん? 結婚して欲しい、とかか?」
三咲は何を言ってるのか、天才だが人の心を読めるまでオレは人間超えちゃいないというのに。だから、また雑に思いついた下らないことを口にしたオレだったが。
「……本当に、分かっちゃうの? え、それじゃあ私があんなことやこんなことを考えてたってことも筒抜けだった?」
何でかそんな雑な言葉に真剣になり、顔を青く赤くさせる三咲。いや、オレの何を考えていたのか、漏れ聞こえる何もかもがいやらしい感じである。
「オウ! あなた、とっても格好いいデース!」
ちなみにその隣でジェーンは電柱を口説き出してた。それ、さっきの柴犬がションベンかけてたヤツだけどな。あれか、ジェーンなりのマーキング的な何かなのだろうか。和犬なんかには負けてられないのだろう、きっと。
「やれやれ」
オレは、思わず頬を掻く。どうやら、この場でマトモなのはオレ一人のようだった。
「すやぁ……」
「寝ちゃったな」
「やっと眠ってくれた……」
せっかくだからとオレが手づから作った蕎麦を食べさせてやると、元気ハツラツなジェーンもおねむになったようだ。カウンター席にて、ぽてりとその頭を転がせる。
家に来ても、急に客とカードゲームをはじめたり、あざらしの保護動画に真剣になったり、相変わらず意味不明な子だった。
すやすやしている幼子に対してまるで生けるニトログリセリンを見るかのように恐る恐るしながらも、三咲はほっと一息つけたようだ。
そっと柔いほっぺをぷにぷにしてから、三咲は呟く。
「変わった子だったね……でも、寂しそうだった」
「流石に、三咲にも分かるか」
「うん。途中でやっと私を見て、ってずっとやってるんだなって気づいた」
「そうだな」
オレも三咲にならうようにジェーンの髪を撫でる。思ったよりそれは柔くて、縮れていた。
滑稽な方が注目される。泣いて笑っている、そんなメイクのピエロでなければならないという、勘違いをしている少女だった。それが悲しいかどうかまでは、オレには分からない。
最低でも、今寝入っているばかりのジェーンは幸せそうだった。
「ジェーンちゃんのパパって……どんな人なんだろうね。重ちゃんは、知ってるみたいだけど」
「悪いことを考えている、いい人だな!」
「あはは。それって悪い人じゃないかな……」
三咲は、力なくそう言う。しかし、本当にそうなのだろうかとオレは思うのだ。
嫌で悪をするのと、好きで悪をするのは違わないだろうか。どっちも悪であると断じる気には、どうしてもオレにはなれない。
ただ、オレたちに任せるまで小さな子を独り、寂しくさせていた大人は良くないとは思うけれども。
「……いらっしゃい」
何時ものように愛想のないお母の挨拶。聞いた、オレたちはふと新しい客の方へと向く。
「おお、やっぱりここに居たか」
すると、カツン、ずると、杖をつき片足を引きずりながら歩む老翁がそこにはいた。
ジョン・ドウ。どう見たところでいい人でしかない彼は、ジェーンを認めそのままゆっくりと歩いてきて、オレたちの近くに立ってから頭を下げた。
「すまないね。ジェーンが迷惑をかけたみたいで」
「そんなことはないぞ。面白かった」
「面白かった、か……ぼくはコメディはどうにも苦手なんだけれどね」
「だからやるんじゃないか? 反抗期だな!」
「はは……それは、なんとかしないとね……」
思いだしたかのように帽子を外してから、ジョンは目を伏せる。
それを見るに、本当にこうまでジェーンが変わってしまったことを、彼は心から残念に思っているようだった。しかし、少女の近くまで寄って、彼は愛おしく見つめながら撫で擦らない。
そんな象徴的な様を薄く見て、三咲は言った。
「貴方はどうして、そんなに酷いことが出来るんですか?」
「ん? どういうことだい?」
「とぼけないで下さい。だって、そんなに愛しているのに……愛さないなんて、酷い……」
少女は涙の代わりに、声を落とす。
好きが、好きなのは結構はたから見ているとわかりやすい。そして、ジョンが、ジェーンを愛しているのは明白だ。
それなのに、手を伸ばさない。ただその安息を願う。好きなのに、決してそれを示さない。
そんなこと、愛している貴方にだって可哀想だと三咲は言うのだった。
老翁は、はじめて口の端を持ち上げる。
「ふふ。優しい子だね、キミは。でもね、それをしたら良くないんだ。だって、この子はぼくの子供だから」
ぼくなんかよりよっぽど幸せになってもらわないと、困るんだよ。
そう言い微笑んで、ジョンは三咲が思わず息を呑むほど恐ろしく尖った牙を見せ付けるのだった。
「なあ」
「なんだい?」
そして、足を引きずりながらもしっかりと子供を背負った、お父さんの背中に向けてオレは声を投げかけた。
ジョンは振り返りもせず、応じる。
「どうして、イクスを狙うんだ?」
「楽しいから」
「それは……止められないのか?」
「ああ、そうだね」
ずる。ジョンは影を引きずって歩む。真っ直ぐ、闇の奥へと。
その背中は広くなくとも、小さな我が子と重い覚悟が鎮座しているようだった。むやみに暗い、これは確かにシリアスがお似合いでコメディチックなジェーンとは違うなとは思う。
でも、そうだったって幸せになってもいいのにと、オレはそう考えなくもない。どうしてコイツは悪くなろうとするのだ、と思うオレにジョンは語る。
「情とか愛とかそんなものは、長生きの間の暇つぶし。闘争こそが楽しみだ」
オレに、その言葉の深意はよく分からない。ただ、寂しさと実感は怖いくらいに込められていたので、軽く返答は出来なかった。
吸血鬼。意味不明なそれなのだというこの爺さんに、オレはどんな言葉をかけられるだろう。
一瞬迷い、それを横目に見たジョンはまた笑顔になった。
「……まあ、そう思ってはいてもね、楽しみのために全部を捨てられるほど、ぼくは器用じゃない」
大切なのは、戦い生きることか、どうか。暇つぶしのために生きる人間だっている。だから、そんなことは意外なほどに当たり前。
なるほど目の前のお爺さんは、自分の子供を愛していた。だからこそ、抱けない。
けれど、それって一番つまらないよな、とオレは思う。
「最悪の場合、キミにこの子を頼みたい」
決意を込めて、悲しげに。月光のもとに白くジョンは言った。
けれども。
「ヤダよ」
オレは軽く、そう返して。
「だって、オレがジョン。お前を最高に満足させてやれば全部丸く収まるんだろうからな!」
強く、拳を握る。
目を丸くするジョンに対してまったく、オレ以外にマトモなやつはいないのかと笑んでから、オレは叫ぶ。
「覚悟とかそんなもん全部捨てて、かかってこい!」
「死して尚、死なず……一体キミは……なんなんだい?」
「ジェーンの友達だ!」
そして、オレは短く月下の吸血鬼に向かって、そんな当たり前の啖呵を切るのだった。
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第九話 本気ってなんですかい?
悩みに悩んだあげく色々とあって遅くなって申し訳ありません!
そんな中、こうして読んでいただけてとてもしあわせですー。
正直に、戦闘シーンというかシリアスとか要るか悩んだのですが、避けられなかったので短めですがこうして書いてみました!
一応ギャグもねじ込みましたが、次回以降はもうちょっと頑張りたいですねー。
右手左手を交互に突き出し、わんつー、わんつー。
さて。オレは実は意外な程に、人をぶったりけったりしたことなんてなかったりする。
いや、だって相手が痛いとか嫌だし、手なんて出さなくたってどうとでもなること沢山あるしさ。
もっとも、ばかさねちゃんだって聖人君子――せいじんきみことばかさねは読んでいる――じゃない。必要な時に拳をためらいはしない。
ただそれが、困った爺さんを正すために、っていうのが面倒だ。傍から見たら、老人いじめだよな。痛めつけるのはたるんだ筋肉だけでいいってのに。
まあでも、吸血鬼とか自称してるつよつよわるわる爺さん相手になら、弱パンチ連打くらいは許されるだろ。ということで、オレは近寄ってわんつーを繰り返すのだった。
「くらえ!」
「疾いな……」
丸く避けながらもジョンは、目をみはって驚いているようだ。いや、オレだって自分の拳の結構なキレ具合にびっくりしてるけれども。
パンパン音が後から聞こえるって、どういう理屈なんだろうな。音ってこんなに遅かったっけ。
そもそも、オレがここまでスムーズに突きを繰り出せるのがよく分からない。いや、もしかしすると。オレには心当たりがあった。
「オレ、これほどまでに漫才力が高かったのか……」
呟くオレの声は、はたしておののきに揺れていないだろうか。そう、オレはツッコミに関しては鋭いものがあると自負している。
なにせ、今も周りにボケボケな人間があまりに多い。それに、シモネタの帝王たる光彦の相方を前世は務めさせられてもいたのだ。何度、オレはヤツの言葉の訂正のために手の甲でツッコんだことか、数え切れない。
なるほど、知らずに上達するわけだ。間違えを正す。そのための拳をオレはこっそりと鍛えていたのだ。
そして、オレはジョンの優先順位の間違えを正そうと、声を上げるのだった。
「なんでやねん!」
「どうして急に関西弁なのか、とか拳が手の甲に変わったか、とかは聞かないよ……っと!」
「うわあ!」
しかし、ジョンも中々のツワモノであり、つれない。
引きずる片足をどっぷりと影につけたまま、僅かの動作だけで回り込んできたと思えば、今度は杖を持ってそれで突いてきた。
これは普通に危ない。全身のバネを使って大げさにオレは避ける。そして。
「うおっ、なんかすっごい滑る!」
自分の
と、そんなこんなによって出来たのは、あからさまな隙。
当然、そんなものを見逃してくれるほど、ジョンだって真っ当にいいヤツじゃなくて。
「すまないね」
眼前に、杖の底。もう少しで擦り切れそうなゴムの先端が映った。
そういえば、オレは少し前にサオリさんから聞いている。ジョンは影を負う者という二つ名で呼ばれている、と。
なにそれ中二病っぽいな、とか言ってたら隣に居たイクスがオレの頭をぱちりと叩いてこう言った。
――あなたは全然、本気じゃないのねと。
その時、オレは、彼女の冷たい青い眼に向けてむむむと返したと思う。
思う。いや、思うだけだ。実際あの時オレは何を言っただろう。くらくらしてしまって、よく分からない。
でも、分かんないままでは嫌だ。だから、オレは。
「――――今度こそ本気に、なるぞ!」
くらくらする頭を左手で支えて持ち上げながら、影絵の中のような夜へと再び飛び込むのだった。
闇をざわめかせながら遠く、足を、いいや
「呆れた身体能力だな……もう少し昏倒してくれると思ったのだけれどね」
「寝たら起きる! 当たり前だろ?」
「そのスパンが短すぎてね……娘のための最適なゆりかごに傷をつけるのは嫌なのだが……」
「ふん! ちょっと傷ついたくらいでオレが止まるもんか!」
胸を張り、オレは言い張る。そう、ちょっと痛くたって止まるもんか。ジェーンの寂しさのほうがもっと痛い。
だって、オレは昔――前世――から親の愛を満足に得られない痛みなんて、よく知っているものだから。
でも、オレは新しい命にて、それを得られた。なら、同じようにジェーンも幸せになっていいはずだ。
だから、このわからず屋を止める。それに、迷うことなんてないんだ。
影を負う、ということはつまり影を操っているのだろうか。なら、あまり影に入ってはダメだな。
そう考えたオレは、ジョンの支配下になっているのだろう足を取ろうとしてくる自らの影を思い切り踏みしめる。
そして地を砕きながらジョンの元へとひとっ飛びに向かい。
「その通りのようだ。やれやれ、頑丈な創りの存在はこれだから困るね」
「なっ――」
その全身を、黒でぐるぐる巻きされて停止させられたのだった。
手が動かない。闇で錠されている。足が踏めない。闇に引き上げられていた。四方八方からそれは続いている。
そして、その闇は方方の影から生えるように伸び出てきていた。黒と黒で、闇と影は似ている。しかしかもすれば闇の方は影よりも昏いかもしれない。
これは、影を操っていたのではなく、ひょっとして。
「――影に、何かを潜ませてたのか?」
「ふうむ……それをひと目で理解できるとは、キミは賢いんだな」
「褒めるなってー」
当たり前のことだが、褒められた照れて頭をかこうとするが、闇がぎしりと音を立てるばかり。邪魔だなこれ。
こっそりとジョンが影に隠して飼っていたのだろう、アメーバみたいな闇の触手は揺るぎもしない。
これは、困ったな。
「余裕、というわけでもないのかな? しかし笑っている。……いや、キミは本当に不明だ」
「そうか?」
「どう見たところで同族で、しかし死んで、生きている。そして、バカみたいに単純に見えて、実は違う。それが人間に紛れているのが不思議で仕方がない」
「むむむ……」
本心から困った様子のジョン爺さんの前で、宙に張り付けにされているオレは、その言に悩む。
死んで生きている、ということを知っているということは、ジョンはオレのことをある程度知っているのだろうか。
でも、オレを人間じゃないと思っているし、バカみたいに見えちゃってるなんて目も節穴だしで、よくわからない。
「ま、いっか」
ちょっと、悩んで。そして吹っ切れる。傾いでいた首を真っ直ぐにして、両肩にツインテールを流したオレは。
「一回殴ってから聞こう」
本気を出した。
靭性、なんてよくわからない。硬くたって、それがどうしたのだろう。不自由なんて、もともとあんまり知らなかった。
「な――」
筋肉は足りない。しかし、鍛え方が違う。それにオレは天才だ。
そんなオレの本気の足掻きを食らって、よくわかんない闇は
一度力を込めて引っ張って、ブチン。二度目でずどん。ジョンという存在が負ってきた業を踏み抜いたオレは拳を振り上げて。
「えい」
「くっ」
避けられた。なら次は。
「わん、つー」
「ぐっ!」
当たった。あ、でも鈍いな。これはあの闇っぽいのをクッションにしたな。あんまり効いてない。
弱パンチじゃダメか。じゃあ。
「よっと……」
強キックだ。そうオレがくまさんパンツの暴露を気にせず足を上げようとした時。
「止めテ!」
オレらの耳は少女の必死を聞いた。
振り返って確認するまでもなく、それは正しい言葉。
「く……」
「おっと」
ジェーンの願いのとおりに止まる二つの影。
しかし。
「――あら、チャンス」
飛来してきた三つ目は止まらない。ひゅん、とそれは音すらほとんど殺してやって来た。
闖入するは、空飛ぶ吸血鬼こと、イクス・クルス。
初めて見る、彼女の風切る翼は何よりも鋭利だった。どう見たところで、それはすべての命に障りかねない鋭さ。
ぎらり、と刃は光を映す。
「さようなら」
それが大きく一振り。
オレの目の前で、ひどく赤い花が咲いた。
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第十話 本当ってなんですかい?
結局こんなお話に。果たしてどれだけの方に付いてきていただけるのでしょうか?
でも、とりあえず第一部は終わりな感じですー。
眼前に赤が、飛び散る。
オレは赤がキライだ。それは当然だろう、自分の死の際に嫌というほど目に入れてしまったものなのだから。
赤は停止、終わりの色。オレは思い出す、赤い血の海に沈んだ前世の
『ふふふ』
そしてどうしてだか唐突に場面は変わり、記憶にしかないあの人の笑顔も映し出された。またこの人えらく綺麗に笑っているなあ。
まあ、そのままにしていたって綺麗なものがにこやかにしていたら、それはもう印象に強く残ったって仕方ないことか。
だから嫌な赤を見て、それを慰めるために好みの人を想起してしまった、これはきっとそれだけだろう。
けれどああ、あの女の人って、どうしてあんなに――――血のような赤が似合っていたのだろうか。
「っ」
そうしてオレが走馬灯だか妄想だかに浸かっていたのは、僅かな間。
その間に、
オレは、吸血鬼の羽により切り裂かれた胸元から出てきた、その正体を知っている。
「これ、モモ先輩の……クロスか?」
そう、血に見紛うように散って滴った、その花は絵の具だった。十字は裂かれて、中身を披露してしまったのだ。
つまり赤を辺りに散らしたのは、モモ先輩から貰った紅の十字。周囲に広げて無残に赤を失ったレジンはいまオレのクッション性の足りない胸元でぶらぶらしている。
なるほどオレの胸元に下げていたのだから、目測過ったのだろうおっちょこちょいなイクスが偶々斬っちゃったとしても仕方がないのかもしれない。
けれども、偶然にしてはちょっとおかしいところがある。なんかこれ、オレを護るみたいに勝手に動いたような。
気のせいだろうか。オレは首をかしげた。つられて、赤斑になって台無しになった白いブラウスに、髪束がそろりと流れる。
「はぁ」
すると、ため息一つ。背中に羽を広げたままのイクスがオレに向けて、苦々しげに言った。
「外した……いや外させたのかしら。全く、忌々しい道具を持っていたものね。……呪いそのもののワタクシの羽根から逃しちゃうなんて、よほど上等な巫でもコイツの身近に居たっていうこと?」
「うん?」
「ふふ……なに、やっぱりジャパニーズカルチャーはクールって再確認しただけよ」
「おおっ、途中まで分かんなかったけれど、それは分かるぞ! 日本文化って相撲とかそろばんとか、色々と格好いいからなー」
「はぁ、ホント、計算外」
ため息とともに紡がれた計算外という言葉。なるほど、それはそうだろうな。
日本人はよく想像の斜め上を行くと外の国の人に褒められているのをテレビで見たことがある。きっと文化だって、然りなのだろう。
どうしてか急に日本文化を語り始めたイクスはオレに羽の切っ先を向けたまま嫌そうにしているが、あれだ。
恐らくは、これを読むために私は生まれてきたのよ、と胸を張っていたマンガの上を、ゴキブリが這っていたあの日のことでも思い出しただけだろう。
大概の女性はアレを嫌うからな。悲鳴を上げたイクスとサオリさんを他所に、光彦は冷静にスリッパの一撃を食らわしていたな。
別に殺すこともないのになあ。オレ的には、あの油虫の機敏さには見習うところがあると思うのだが。
そんな、空想。オレはちょっと現実逃避をしていたのだろう。
唐突に咲いた赤を血と勘違いしてしまったのか、気絶したジェーンを抱えながら苦虫を噛み潰したような顔をしたジョンが口を開いた。
「なるほどその子の方を狙っていたか……
「ふふ。あら。ワタクシとしては
「……お前ほど一人の人間のために狂った存在を、ぼくは知らないよ」
「そうでしょうね。正義の吸血鬼さん。ヴァンパイアハンターは楽しい?」
「闘争こそが楽しみさ」
「そんなにつまんなそうな顔してるのに?」
「むぅ?」
そして、オレそっちのけで二人はよく分からない言葉で盛り上がってしまう。
カーニバルとか、ドッグがどうのこうとか、そこら辺はなんだか楽しそうだったがそんなことを口にしておきながら、確かにジョンがつまらなそうな顔をしていることは気にかかる。
あれだ。そういえばついさっき闘争こそ楽しみ、とか言っていた時もこんなだったな。
ううん、よく分かんないが、これは。
「ジョン。本当は戦うの嫌なのか?」
オレはそうでもないけど、まあそういうの嫌いな人だって大勢だ。そして、その中にこのぱっと見大人しそうな老翁が入っていても不思議じゃなかった。
首を傾げてツインの髪束を遊ばせるオレに、ジョンは言う。
「……そう、思いたくはないな」
「でも、好きじゃないのは多分ホントだろ?」
「まあそうだが……しかしね」
胸にすっぽり収まったジェーンを、その小ささを覚えながらジョンは眉根を寄せている。
戦うのは傷つくことだ。それを嫌がるのだって、好きじゃなくたって普通だろう。ばかさねちゃんは天才だから、そうでもないけどさ。格ゲーとか結構好きだ。
けれど、このどうやら本気で吸血鬼っぽいお爺さんは、あくまで戦うことを辞めようとしない。
なんだかさっき
「やはり、悪を挫く喜びばかりは、捨てられないんだ」
「うん?」
悪を挫く。その言葉を理解するのにオレはちょっとかかった。
え、だってジョンはイクスを狙う良いやつだけど悪いことをしたがるやつで、それが悪を嫌うなんて、何だか意味不明だ。
そもそも、挫くような悪って、どこにいる? ここに居るのは基本いいヤツばかりで。
どうやらなにかがおかしいな。可笑しい。
「ふふ」
ああ、ほら。イクスだって
暗闇の中、案外明かりの違いは分からない。どっちも綺麗で、色がちょっと変わってるくらいだ。ならば、両方大事にしたっていいだろうと思わなくもない。
よく分かんな過ぎたオレが首を傾げすぎてすっ転びそうになったとき。闇を用いて遠くにジェーンを安堵させたジョンはオレに寄って、言う。
「カサネ。混乱しているようだが、その暇はない」
「ん?」
「単刀直入に言おう。君はイクス嬢らに騙されている」
「えー?」
闇をわちゃわちゃさせながら臨戦態勢のジョンは、同じく羽を尖らせたままのイクスから目を離さない。
いや、騙されているなんて、この天才ばかさねちゃんに向かって、なんてことを言うんだこの爺さん。
そりゃ、お母の誕生日サプライズには毎度騙されるオレだが、それは前世と今の人生の誕生日が違うせいだぞ。
カレーの隠し味を当てるのすら得意なオレだ。そう簡単に騙されやしない。
それに、イクスはあの真面目くんになっちまった光彦の大切な人だ。そうそう人に嘘つくような真似はしないだろう。
オレはそう、思いたい。
「騙すなんて、心外ね」
「そうだよなー」
「ただ、こんな老いぼれた悪なんかより、よっぽどワタクシ達の方が悪どいんだって、肝心なことを言わなかっただけなのに」
「え」
けれど、現実は嘘みたいだった。
オレが転生した事実みたいに、嘘っぱちっぽかった。
だって、私達って、それはつまり。
光彦だって悪いっていうことだ。
「なんだか忘れちゃったみたいだけど……牙折られたりそこの老いぼれるくらいに少食のモノだったりしなければ基本、吸血鬼は」
美しいはずの顔は、どこまでも鋭く上がった口角に、損ねられる。細められた目は、喜色ではなく悪意によるもの。
そして、覗いた牙はあくまで鋭く。イクスの笑みは、どこまでも禍々しかった。
「人を殺して、血を奪うのよ?」
嘲笑って、彼女は悪魔のようにそんな残酷を、転がす。
「はぁ」
じゃり。わざとらしく響いた足音にオレは目を向ける。
すると、暗闇に当たり前のように居たのは、光彦だった。
いや、これは本当にそうなのだろうか。何かおかしい、変だ。だって。
クラリとするオレを他所に、オレを虫けらかなにかのように見下ろしているあいつは、言った。
「……そこまでにしようか、イクス」
「あら、光彦、どうして?」
「どうしてもこうしても、こうなったらもう、その子の隙はつけない」
「あら。同族の血は甘露なのに、残念ね」
つまらなそうにしてイクスは、羽は刃物ではなく、はばたくためのものに戻す。
そんな彼女の隣に立って、次いで光彦は彼女に告げた。
「それにイクス。その翼、
「ん……ホントね」
「全く、本当にどうしようもない子だ――――死ねばいいのにね」
そして、
鋭い視線。侮蔑の表情。それらは全てオレに向いている。
ああ、あの光彦が。優しい、あいつが。
なんで。オレは、
「……君が噂の
「そうだね。墓を作ることさえないけど、ここらのイモータルは大体死なせてあげたかな」
「どうして、カサネを狙った?」
「いや、最初はこの子よく分からなかったんだ。だから近づいた。でも何がなんだか、正体を考えれば考えるほどバカになる。でも、よく分からないならどうでもいいやって結論になったんだよね。殺しちゃったって良いや、って」
「……そうか」
「まあ、バカなふりして隙なんて殆どないから、面倒でさ。勝手に勘違いしてくれたし、君と戦っている時が狙い目かな、って思ったんだけど……」
「そうはいかなかった?」
「うん。何か、まだあるみたいだね、この子。もっと、殺し方をよく考えていた方が良かった」
目が、合わない。心、通わず、届かず消える。
分からない。彼の言葉が分からない。
何を言っている。
光彦が変だ、おかしい、可笑しいな。
「ふふふ」
だからオレは笑いながら。
「
怒った。
「え――」
「っ」
「な」
知らない知らない。そんなの、全部知っている。
バカとは馬鹿にならない、全知のようなもの。
すなわちそれは。
怒気に凍る、小さな全て。
もうどうでもよくなったそれらを置いて。
「はぁ……帰る」
つま先くるり。
ばかさねちゃんは、ため息を吐きながら帰路につくのだった。
もう、こんな面倒なの関係ないんだ。美咲拾って、ゆっくりしよ。
「ふむ」
「……さて、面倒なことになったな」
だから、そんな全てを覗いていたふたつの人影の存在なんて、オレは知らないったら、知らない。
何が本当なのか……ちなみに、嘘ついているのが一人いたりします!
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番外話① 愛することは、簡単なようで難しい
なんか、ばかさねちゃんがランキングにも入ったようで、とても嬉しかったですねー。
続きを書く励みになりました!
さて、この話を抜いて二部を書いてしまうか迷ったのですが、じわじわ色々分かるよりある程度はっきりとさせた方がいいかなと、光彦くん視点のお話を書いてみました!
……あんまり、ギャグギャグに出来なかったです。
ごめんなさい!
シリアス苦手な方のために、後書きに内容をだいたいまとめておきますね!
途中でダメだと思いましたら、後書き読んでみて下さいー。
愛することは、簡単なようで難しい。心のままに素直にぶつかるというのは、どうしたって恥ずかしくなってしまうもの。
薄皮一枚すらない真心は、傷つきやすくって仕方ないから。
『光彦! オレ、お前のこと好きだぞー!』
『また唐突だね……そもそも、好きとか同性相手に言うもんじゃないよ?』
『なんでだ? 別に性別とかどうでもいいだろー、オレのお母もお父もオレがちっちゃい頃ベッドの中でちゅっちゅしながらよく言い合ってたぞ?』
『いやいや、なんで幼子を忘れてピロトークだか何だかカマしてたんだよ君んちの父さん母さん……亡き後でも子供に悪影響でちゃってるじゃないか』
『ピロ? よく分かんないけどさ、思ったことって直ぐに言わないと、忘れちゃうからもったいないだろ? だから言っただけだぞー』
『いやさ、気持ちは嬉しいよ? でも、こうタイミングを見計らって欲しかったな……』
『うん?』
『周りが黄色い声で騒いでんのわかんない? 今クリオと沙羅が付き合い出した、っていう話題の最中だったから、周りが勘違いしちゃってるんだよ……』
『え? あいつら前から付き合ってるだろ? 前も休み時間に隠れて沙羅ちゃん、クリオにおっぱい触らせてたぞ? ……あ、これ言っちゃダメだったんだっけ』
『そこんとこ、くわしく』
しかし、僕の親友は痛みに怯えるなんて小賢しさを知らなかったようだった。
口を開けば、本音本心の羅列。マトモでは隣り合うのが難しくなってしまうくらいに、彼は
自分以外のことにも真剣で、どうしてだか筋肉に拘るそんな青年。彼に好きと言ってもらう以前から、ちょっとイカれてるところのある僕は、そんな純真がとんでもなく好きだった。
『筋肉には、プロテイン。これは真実だな!』
『はぁ、はぁ……かもしれない。だからって、インドア派な僕に、プロテインの味を好ませるためにと、過度な運動を強いるのは……はぁ、どうかな』
『ぷはー……過度? そんなに大したことしてないだろ。腕立て背筋腹筋、スクワットに鉄棒、あとはランニング程度だ』
『あのね、キミには大したものではないのかもしんないけど、部活すら入っていない僕にはそれでも重労働なの』
『んー……えっちなゲーム借りるためなら、隣町のおじさんのとこまで平気でノンストップで駆けてく奴のセリフには思えないな!』
『疲労もスパイス。追い込んでこそ、エロ。それこそこの世の真実だよ……』
『あはは! 相変わらず光彦は意味分かんないな! ……って、プロテインイチゴ味に、はちみつ振りかけるなよー! カロリーとんでもないことになるぞ!』
『ふぅ。カロリーってエッチな響きだよね……』
『思春期こじらせすぎて、最早イミフだ! 光彦、お前きっと糖分過多で脳やられてるぞー!』
『失礼な』
突っ込んで、突っ込まれる。そうして下らないを続けて笑顔になっていく。ああ、仮面が要らないというのは、どれだけ素晴らしいことか。
本心。特に己の中のエロなんて隠すものだと、思っていた。しかし、コイツのバカの前では、僕の性癖すら霞む……霞んでくれてたよね、きっと。
まあ、とりあえずは僕の面構えの良さに期待される下心の無さを、そんなものくそったれと本音を受け止めてくれる彼を僕は大切に思っていたに違いない。
『あー……あのさ』
『んー? なんだ?』
『僕もさ、キミのことが……す』
『す? なんだー?』
『す、す……スケベだな、キミは』
『わわ、変態にスケベと言われたぞ! オレ、いつの間にか光彦が感染っちゃったのか?』
『キミの中で僕は変態性病原菌なのか……』
でも、大切なものを大切にするって、やっぱり意外と難しかった。それこそ、本心すら伝え難い。
好きだからこそ、安心できる。でも、好きと伝えられないじれったさ。それが、友愛でも存在するとは僕は知らなかった。
しかし、それでも僕には明日があると思えたのだ。彼との絆が強くつながっているのは間違いなくて、ならば何時だって想いは伝えられる。
そう。僕は彼を信じているから。
『それじゃ、またな!』
『うん、また明日』
宵の前、赤く赤く染まった地平に影は長く。
そんな全てを呑み込む黒を前にして、僕らは手を振って明日の再会を約束する。
またバカをやろう。それだけの約定は、果たしてどれだけの強さで結ばれていたのだろうか。
それは、通りすがっただけ。ただお腹が空いたからと、近くで一口つまんだばかり。
でも、その食事の対象が僕の身近であったとしたら。
『えっ――――』
ああ、惨たらしいとは、このことか。
生きていただろう赤は、最早黒く黒く壁に散らばって死んでいる。
そして、その中心の開かれた二人は。よく見覚えのある、大切は。白く、青くて、中に何もなかった。
『お母さん? お父さん?』
『ん? ああ、なるほどお前がここの……』
闇の中、紅く死が、見つめてくる。
――
――――
――――――――――
『それで?』
『光彦……』
『お前が、大切だ』
『――を、返せ!』
――――――――――
――――
――
そして僕はその夜、全てを失った。
ふわりふわり、白が青い空に飲み込まれて消えていく。まるで、全てが無意味であったかのように。
果たして、この煙に魂は確かに乗っかっているのだろうか。彼らの命が、どうか天で安らいで欲しいと思うくらいは、許して欲しい。
僕は遠く、火葬の煙を望みながら、そう思った。しかし、そう思っただけ。
あとに繋がる想いも沸かず、黒衣の大小誰もかもが僕に触れるのを戸惑う中で、孤独の中に思わずこぼしてしまう。
『……死ねばいいのに』
それは、自分に向けたもの。もう、僕に生きている意味なんてないのに、どうして生きてしまっているのか。
大切は全て死んだ。あとは、よく分からない、わかってくれない有象無象。そんな中で、どうやって活きられるだろう。
『でも』
だが、本当に死ねばいいのは誰だったか。僕の両親と、親友を殺した存在は、人知れずに消えた。
裁かれず、化け物だからと。そんなこと、許されるのか。
『許すわけ、無いだろっ』
確かにアレは、どうしようもない。格が違うのは分かった。赤いだけで、全てを敷いている。
でも、たとえどうしようもないからって、諦めてなるものか。そんなに、僕の想いは易くはない。
そう、きっとたとえ一人でも、僕は否定し続けるだろう。
『ああ』
だから、僕は。
最後にただ一度だけ、肯定をしたくて。
『本当に―――好きだった』
本心を、彼らの煙が溶けた空に告げるのだった。
そして復讐心だけを基にして、僕は約束した、彼のいない明日を生きていた。
最中、吸血鬼を知る。そして、それを求めて自分を殺して殺して、やがて彼らを殺し始める。それからずっと殺して、殺した。
それを続けて、僕はとうとう彼女と知り合う。
『あらあら。凄腕の葬儀屋と聞いたから見に来たら、全くどうして愛らしいものね』
『お前は……』
『ワタクシは、イクス・クルスよ? 迷い子さん?』
そして、極東にバカンスに来たのだという吸血姫と僕は殺し合った。
斬って、斬られて、血に塗れて。たとえ微塵にしたところですら斃せずに。
でも、僕が諦めずに刀を振るい続けたところ。
『あは』
そんな僕の姿は偶に彼女の胸元に刺さったようで。実際に、串刺しになったまま。
『良いわね……良いわ! 愛してあげましょう!』
音すら殺す緊張の中、あっけらかんとイクスは、笑顔でこう言った。
『その復讐心をいただきましょう――――ワタクシは貴方に恋をあげるわ』
それが、魅力的に思えたのはどうしてだろう。
きっと、一人が辛過ぎたせいかもしれなかった。あいつも、あの人たちも居ない、痛いだけの今は嫌だった。
知らず、復讐に疲れに疲れていた僕は、云とだけ返して。
『……ありがとう、光彦』
そっと、きっと僕より孤独だった彼女に抱かれる。
『ワタクシも、貴方の復讐を手伝うわ。この身、朽ち果てるまで、ずっと、ワタクシは不死者の死であり続ける』
『ああ、僕もイクス、君の恋に応え続けよう。この生命尽き果てるまで、ね』
そして僕らは互いの命で契ったのだった。
また、殺して、殺して、しかしその間に生きることを挟むことが次第に出来るようになっていった。
一人が二人になれば、まがい物でも情が通うようになれば、それだけで世界は変わるものだから。
『だから私は、貴方達に傅きます』
そして、沙織が家に居着くようになってからは、もう復讐に明け暮れてばかりではいられなくなった。
定職に就いた僕は、吸血鬼なんてバケモノのことばかりを考えられないくらいに仕事に明け暮れだす。
やがて、僕らから十分な金銭を得たイクスは漫画の山を作り、そして沙織はメイド服を着込んで給仕などを始めだす。
吸血鬼の姫と、元いいところのオジョウサマがやることが、それだ。どう考えても、おかしい。
「はは」
そう。おかしかったのだ。だから、僕は笑えた。笑えるようになったのだ。
そして。
「白河光彦さん、ですよね。オ……いや、ワタシのこと、覚えていません?」
彼そっくりな、彼女と
大ぶりのツインテールが愛らしい、美少女ではある。だが、違和感だらけの少女、かさねちゃん。
僕は彼女の話を聞き続けるに、どうにも見た目の年齢が想定される年と合っていないことに気づく。
ああ、これは。どうして向こうからやってきたのかはしれないけれど、彼女も吸血鬼なのだろうと僕は思った。
「いや、だってキミ。きっと百年クラスの吸血鬼だろう?」
だから、そう言う。でも、本当は違うと返して欲しかった。
これだけ似た感じなのだ、この子は憎い吸血鬼なんかじゃなくて、むしろ約束を守ってアイツが帰ってくれたのだと、そう思い込みたい。
好きが、続けて返ってきた。そんな理想を求めて。
けれども、かさねちゃんは、曖昧に頷くのだった。
「えと、ハイ」
ああ、ならこの彼と似た吸血鬼も殺さなければいけないんだ。
善良にも見える。だがどんな吸血鬼なのか、どう殺せばいいのか様子を見るためにも仮面を被って会話を続けながら、僕は久しぶりに、悲しく思うのだった。
「カサネ、どうしましょうか?」
「ああ……かさねちゃんは、凄いね。光に凄まじい耐性がある上に、精神性が殆ど人間のそれだ。更には、封印されているのか完全に牙が折れていて人と見分けもつかないくらいだし……」
「とはいえ、あのムサシミヤモトばりの完成された脱力、四方に対する準備振りを見るに、只者でないのは間違いないわね」
「最初はただの無警戒にも見えたけれど、自称通り、吸血鬼、なのかな……」
かさねちゃんが帰った後に、僕らは密かな会話をする。
いつの間にか置かれたティーカップの中の紅茶をいただきながら、そういえば自分は何時から砂糖いらずに渋みをいただけるようになったのだろうと思った。
だが、そんなのは、ただの現実逃避。温かいものを差し出してくれた、無感情にメイド服を着ているばかりの冷たい彼女は呟くように、言うのだった。
「だとしたら、殺さなければなりませんね」
「そう、だね……」
そう。だったら、殺さなければならないはずだ。それは、契約からも、そうでなくたって燻り続ける復讐心からも。
だが、どうしたところで、彼女を前にそんな気持ちは起きない。なぜなら。
「ねえ、光彦。貴方あの子のこと、好きでしょ?」
「ああ」
「ふうん」
そう、好きだからだ。
あの、純真さが好ましい。その、笑顔に心温められてしまう。
だって、彼女は見れば見るほど、触れれば触れるほどに、彼そっくりだったから。
でも、そんな浮ついた気持ちを見た彼女は、不安げに言うのだ。
「……ワタクシよりも?」
僕は、はっとする。イクスの長い金のまつげは揃って下を向いていた。
そう、契約して、恋して、愛し合った彼女を不安にしてしまうのは良くない。
「そんなことは、ないさ」
だから、それだけは言えた。でも、言えただけだったのだ。
本当に、僕はあの子に害意を持てるのか、恋する定期的に人を殺しているバケモノの方を優先していいのか。
分からない。
でも、心配げに、冷たいばかりのはずの彼女がホワイトブリムを揺らして見つめている。
そして、恋を受け止めて混じり合ったイクスは変わらず不安げなままだ。
過去の約束。また明日。でも、それを忘れて今を生きてしまっても、そろそろ良いんじゃないだろうか。
そう。もう、未だに取り戻したくてたまらないあいつのことなんて。
「もう、どうでもいいんだ」
それにもしかしたら、があることだしと苦笑し、僕は嘘を吐いたのだった。
『ふふふ』
そう、僕は本気じゃなかった。きっと、だから大切を守れないのだろう。
愛することは、簡単なようで難しい。
だいたいこんな感じのお話でした!
①光彦くん、幼馴染(男)に激重感情を持つ。
②吸血鬼に幼馴染と両親を殺される。
③復讐鬼と化した彼は吸血鬼退治を生きがいにするようになる。
④けれどもイクス(ヤンデレ)と沙織(コスプレ好き)と出会い、ちょっとまともに。
⑤そしてばかさねちゃん(バカ)と出会う。
⑥迷うけれど、過去を中途半端に断ち切ってばかさねちゃんをやっつけようと考える。
⑦10話に続く。
以上ですー。
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第二部 男友達はもうコリゴリなので今度はボクっ娘と仲良くしようと思ったら、どうしてこうなった。
第十一話 希少価値ってなんですかい?
これからしばらくは、ばかさねちゃんの学生らしいところがメインになるかもしれません。
ギャグ回帰。そして、新キャラ登場です!
ボクボクな彼女へのばかさねちゃんの接近によって、果たしてこれからどうなってしまうのでしょうかー?
暑いにはまだ足りていないけれども、日差しが眩しい今日このごろ。
最近雨天が続いていたので、これはお出かけ日和だと三咲も女友達と買い物に出かけている。オレもそれにならいたいところだったが、ちょっと用事があると学内に留まった。
なんか、クラスの男子は拾ったのだろう雨に湿ったへにゃへにゃエロ本を中心に湧いていたが、それすら無視して図書室へ。
そうしてオレは読書に挑まんとするのだった。
「むむむ……」
だが、机に鎮座した、慣れない文字だらけの本を前に、オレは悩む。別に、これでも学生やってるんだし、教科書的な文章に目を通すのが嫌なわけじゃない。
いやでも、この小説を覚悟なしに読み解くのはちょっと難しいなあとは思うのだ。
だって、アレだろ。この、モモ先輩が貸してくれた本って。
「『貴族に転生したと思ったらヴァンパイアだったので引きこもります』……ライトノベルだよなあ、コレ」
多分、そうだと思う。名前が嫌に説明的なのは、ソーセージマルメターノみたいに名は体を表す的にしたかったんだろうと考えれば、まあありだ。
だがこれ、あの人が専門書だよって言って渡してくれたんだけどなあ。
もしや中身が違うのではと思って捲ったカバーの下には同じ題名の水着バージョンの表紙しかなかったし、どういうことなのだろうか。
「……本当にこれを読めば吸血鬼について、分かるのか?」
オレは、再び首を傾げる他になかった。
ことの発端は、オレの悩みからだった。親友と手ひどい喧嘩別れになったことは、だいぶ荒れたがまあ人生そういうこともあるだろうと落ち着いた。
だが、それなのだと勘違いされていたのだが、そもそも吸血鬼についてよく知らないことに気づいたオレ。
その無知が光彦との絶交に無関係とは、オレにはとても思えなかった。ならば、遅かろうとも、彼らが言っていたことの意味を知りたいと考えたのは、まあおかしくないだろう。
でも、ちょっとネットサーフィンしたところで、今ひとつ分かんなかった。
なにせ、吸血鬼って日に弱いだの水にも弱いだの、十字架にも弱いだの、生っ白いざこざこだ。
きっとイクスもジョンも、それとは違う。そもそもそんな弱々と、この最強で健康優良児のばかさねちゃんが重ねられたのはどうにも不思議だった。
『どうかしたかい、ばかさね君?』
首を傾げて、ツインな髪の毛ぶらんぶらん。学校でもそれを繰り返していたら、モモ先輩に見つかった。
そういえば、このデカい人、なんか英語ペラペラで頭いいんだったと思い出したオレ。
慮ってくれる彼女に吸血鬼について知りたいと返したところ、ふうむと悩んで鞄の中をごそごそ。やがて、彼女は一冊を取り出して、オレに渡した。
『ふふ。それでは、この本をキミに授けようじゃないか』
分厚い専門書でないというのは、まあありがたい。
それになるほど、モモ先輩は知らないだろうが主人公のようにオレも転生しているので物語には入りやすいかもしれない。
しかし、女になってからこの方長いオレには、嫌に肌の露出の多い女が絡み合った表紙が眩し過ぎた。
アレだよな、ここまでスカスカな制服だと動きゃ脱げるだろうになあ。角度変えれば普通に見えそうだし、それに何よりこれ、どう考えたって下着はいてないだろ。普通に不衛生だ。
それでも制服としてエロエロ服を一枚しか羽織れないなんて、この異世界ってセックスアピール競争がどれだけ激しいんだろうか。
そりゃ、転生した主人公も怖くて引きこもるわ。これじゃあ男もブーメランパンツ程度の露出じゃ足りないだろうし。
また、このヒロインらしき巨乳の女とオレが同じ制服を着たら、スカスカで全部ちまんと丸出しになってしまうだろう。流石にオレでもそんなの普通に嫌だ。
「異世界って怖いな……オレは元の世界に転生したから、良かったぞ……ん?」
総評し、そうスケベ表紙一枚におののいていると、何やら影が。
後ろから覗き込まれたのだろうことに、悲しいかなちっちゃいから慣れているオレはとくに無作法を気にせず慌てず振り向く。
「ふうん……」
すると、そこにあったのは端正な整いに丸い眼鏡を付けた、どっかで見たような顔だった。彼女は目を丸くし、ぽかんと口を開けている。
何やらオレの前に置かれたライトノベルに気を取られている様子のシングルテールな彼女に、オレは声をかける。
「ん? 一ケ谷さん、どうしたー?」
「えっと、あ。……双葉さん、コレ君の本?」
「んーん、こりゃ、借り物だな。これから読んでみるとこ」
「そっか……あはは。どっかで見た本だなって思って、勝手に見ちゃってごめんね」
「謝ることないぞ。そもそもミニサイズのオレじゃあ、なにか机に置いても隠せないもんな。それに、別にコレを隠す気もなかったし」
「そっか……」
話し相手が出来てちょっと嬉しくて足をぶらぶらさせてるオレを尻目に、顎に手を当ててちょっと考え込んでる様子の一ケ谷蘭さん。
あんまり人の居ない図書室の中、吹奏楽部の途切れ途切れのBGMを遠くに、オレはそっと彼女のことを思い出す。
実はこの、オレほどじゃないけど結構な美人さんである一ケ谷さんとは、そこそこ前に知り合っている。
最初は、リトルリーグで敵サッカーチームのディフェンスしてる少女としてすれ違って――彼女にばかさねのドリブルを止めることは出来なかった――顔を覚えたんだ。
そして中学時代には一ケ谷さんはよくオレの実家、店に部活帰りにチャーハンを食べに来るようになったな。オレはよく彼女に差し出すためにコップに水を注いだもんだった。
レンゲを夢中に動かしもしゃもしゃ間食していたあの日の彼女を思い出し、オレは含み笑いしながらおどける。
「お客さん、お水は大丈夫ですかい?」
「あはは、今は平気だよ。……そういえば、双葉さんのお店最近行ってないな……」
「チャーハンならオレ、作れるぞ? おごろうか?」
「あはっ、遠慮するよ。双葉さん、おっちょこちょいな感じがするから、砂糖と塩間違ったものでも出されたら、大変」
「なにおーっ」
ふざけたオレに、尚ふざけた言葉で返してくる、一ケ谷さん。料理の腕を疑われたオレは、ぷんぷんだ。
前世にカレー粉と胡椒を間違えてくしゃみが出るカレーを作ったことはあったが、それくらいだってのに、まったく。
まあ、彼女の言葉が冗談であることは分かる。何だかんだ、客としてもてなす際に一ケ谷さんと会話をしたことはそれなりにある。
結構茶目っ気のある、スポーティなボクっ娘。最近メガネが要素として追加されたみたいだが、オレにとって彼女はそんな感じだった。
口を尖らせるオレに、笑いながら一ケ谷さんは言った。
「あはは。ウソウソ。三咲が自慢してたし、双葉さんが料理上手って分かってるよ」
「分かってるなら、いいぞ。うーん……でも、三咲は何時の間にオレのことを喧伝してたんだ? 学内だとだいたい何時もオレに引っ付いてるのに」
「中学時代、テニス部の練習試合で知り合った時に三咲が双葉さんに料理を教わってるって言ってたんだよ。それを覚えてたんだ」
「ふうん」
少し考え込んだが、なるほどそういえば、学区は違ったけど二人共同じテニス部だったなあと思い出す。
しかも、双方かなり強かったんじゃなかったっけか。三咲はダブルスで全国出たとは知ってるけど、確か一ケ谷さんも店にトロフィーみたいなのを持ってきて自慢してたことがあった。
オレは身体能力的に運動部で無双するのは簡単だったけど、簡単すぎて他人の夢を挫く作業になっちまうのが嫌だったから部活動やんなかったんだよな。
でも、だからこそ頑張ってる人間は好きだったりする。なんとなく、頑張りきって道を変えたのだろう一ケ谷さんを好ましく見上げていると、彼女は微笑みながら、言った。
「でも、何だかんだボクたち知り合ってから長いよね。折角だし、もっと仲良くしようよ。ボクのことは蘭って、下の名前で呼んでもいいよ?」
「おー。いち……蘭、オレのことも苗字呼びしなくていいぞ? ばかさねちゃんと、愛を持って呼んでくれたら嬉しいな」
「あはは……流石にそれは失礼だから、ボクはかさねちゃん、って呼ぶね」
「ん? まあ、いいか」
個人的に蘭とは結構友情ポイント稼いでたんじゃないかと思ったが、愛称まではまだ早かったか。
ちょっと残念だが、仕方ない。これからめろめろにしてしまえばいい、切り替えよう。
切り替えついでに、光彦の代わりとするのは失礼だろうが、でも同じくらいにこれから仲良くなれたら嬉しいな。
二人共自称が僕とボクでちょっと似てる気がするし。光彦と比べたら体型はだいぶ蘭のほうがすらっとぷにぷにしてるけど、まあそれは仕方がない。まだ若いし筋肉的にもこれからだろ。
「……なんか、かさねちゃん変なこと考えてない?」
「ん? 蘭の筋肉を豊かにする方法を考えてただけだぞ? なんも変じゃない」
「やだこの子、勝手にボクの筋肉を育成しようとしてる……」
オレの視線を受けて自らを抱きしめるように身体を隠す、蘭。その細腕を纏った紺色ブレザーは、胸筋どころか脂肪の欠片もないスレンダーな彼女のボディを酷く真っ平らに隠していた。
いや、オレが言えることじゃないけど、蘭ってホント胸ないな。なんか太ももとかはぷにぷにしてそうでしっかりと性別は分かるんだけどさ。
「て……何その視線。ひどく残念なものを見つけたって顔だけど……」
「蘭って、おっぱいないな……かわいそうに」
「同レベルに憐れまれた!? いや、確かに夢も希望もちょっとだけかさねちゃんの方がありそうだけどさ……クソッ! 断崖絶壁結構じゃないか! ボクにはキロ単位の脂肪を胸元に毎日ぶら下げ続ける生活なんて、考えられないね!」
「そういや、三咲はよく肩が凝るって言うなぁ」
「自虐風自慢か! そんなに辛いなら、いっそもいじゃえばいいんだ!」
どうしてか、怒り狂う蘭。どうやら、オレは彼女の逆鱗に触れて指紋を付けてしまったようだ。
そうして蘭は、そうだ、もいで付ければボクが一番じゃないか、とか謎の独り言。
「足りないなら、他所から持ってくれば良い……なるほどこれは至言だね! ひゃっほう!」
「……光彦曰く、小さなおっぱいには無限の希望が秘められている、か……」
普段静かな蘭を混乱させるその嫉妬の熱量に、思わずそう呟かざるをえない。
眼前でポニーテールが荒ぶる中、それでも揺れない彼女にオレは逆に希少価値をすら覚えるのだった。
上がれば下がる。そんなのが当たり前だとしたら、怒りも次第に落ち着くものだ。それが見当外れならばなおのこと。
狩りに出るぞと暴れていた蘭も、次第に何時もの調子に戻ってオレの隣で今は安堵している。
ふと眺めれば、柔らかなラインに鋭さをすら感じる整いが表立つ。こうしてみると、蘭はかなり危うい美人をやってるなと思う。
でもまあ、それでもオレの友達の一人。むしろもっと仲良くなりたいと、オレは切り込むのだった。
「……それで、結局どうして蘭はこの本を気にしてたんだ?」
「ん。まあ、一度読んだことがあってさ。だから」
蘭は、柔らかくそう返す。
なるほど、一度目を通したのならば、それと同じ本を持っている相手に仲間意識を持ってしまうのも自然だ。
そして、ネタバレさえなければ先に触れた人間に感想を聞きたくなるのも、よくあること。オレは、迷わず聞いてみた。
「ふうん。この本面白いのか?」
「いや、正直なところあんまり。ただ、設定だけやたら凝ってるな、って印象があったかな」
「……ふうん」
設定に凝っている。それはつまり、この題名にもなっているヴァンパイアのことがよく載っているということだろうか。
それを知ると、オレにこの本を渡してきたモモ先輩の考えも少し理解できる気がした。
事実に近く、それでいて軽い読み物ならばオレも飲み込みやすいのでは、きっとあの人はそう考えて選んでくれたのだろう。
さすがだとオレは、頷き感心する。
「あと、これギリギリ過ぎだろってくらい無駄にエロかった」
「そっか……」
だがしかし、次の蘭の感想の付け足しによってなんだか感動も台無しになった。これ選んだの、ただのモモ先輩の趣味とかじゃないよな。
表紙から想像できたがやっぱり、そういう感じの本なのかコレ。ぶっちゃけ、オレ的にはテンポが悪くなる気がしてエロ描写って邪魔に思えちゃうんだよな。
思わず再びうむむとなるオレ。そこに、ぼそりと蘭は言った。
「まあ、ボクは転生ものが好きだからね。だから目を通した感じだよ」
「転生かー……」
転生好き。いや、蘭が物語のジャンルとして好きと言っているのは分かってる。
でも、実際転生したのだろうオレには、その世知辛さも理解できて、一概に良いとは言えないのだ。
だって、転生している間に友達は変わってしまい、自分もなんか違うものになってしまっている。
そんなのって、一体全体つまんなくないだろうか。
オレも、思わずと言ったように零す。
「してもあんまり良いもんじゃなかったけどな」
「そうだよねー……って」
そこに予想もしない云が返ったと思うと、あれと呟く間もなくぎらりと彼女のメガネが光を反射する。
それが、蘭がオレを認めるためにさっと動いたからだと理解した途端、オレの両肩には力強く手が置かれていたのだった。
レンズの後ろで目を剥き、蘭――からかわれようと一生涯ボクだと言い続ける彼女――は努めて笑顔で語りかける。
「ねえ、かさねちゃん……ボクにそこのところ、詳しく話してくれない?」
決して逃すまい。
瞳から彼女のその真剣ぶりを受けたオレは、やっぱり蘭はレア物だったんだな、と確信するのだった。
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第十二話 異世界転生ってなんですかい?
皆様感想評価、どうもありがとうございますー!
そもそもここまで読んでいただけて、嬉しいです!
今回も、真面目に書かなくてはいけない部分があったために、ギャグギャグになり切れず申し訳ないことに。
シリアスさん「こんにちは」
ダメですー!
……一矢は報いたかもしれませんが、シリアスさんには勝てませんでしたー。
人生が万華鏡だとしても、思い返せば最近色々ありすぎた気がする。
キラキラがごちゃごちゃパリン。そんなこんなを続けていたら、オレも大変だ。まあ、これからはそんなことにならないだろう、と思いながらオレは語りを終える。
「――――と、そんな感じだったぞ?」
ぺらりぺらりと動きに動いたオレの口。蘭が相槌上手だったから楽に進んだお話に、しかし彼女は次第に表情を変えていた。
なんというか、疑惑から驚愕っていう感じに。そして、柳眉を歪めながら、ボクっ娘は言うのだった。
「何、その体験……吸血鬼とかヤバいじゃん。すっごくイケてて羨ましい……」
「そっか?」
「いや、格好いいというかロマンじゃない? 弱点あるけど何より強い生き物とか。…………それに勝っちゃったとか言うかさねちゃんの意味が分かんないけど」
「あんなの、本気出せば一発だぞ!」
「この、ちんちくりんがねぇ……」
「むぅ……本当だからな!」
「はいはい……」
いいからいいから。なんだかオレのことを子供のように手のひらであしらう蘭のその様子は、ちょっとムカつく。
でもまあ、オレのちょっとファンタジックな話を本当として受け取ってくれているのはありがたいかもしれない。
吸血鬼とか、オレ簡単には信じられなかったんだけどな。この本読めば分かるのかな、と思いながらオレはかの表紙をおっきくなってくれない指の先でつついた。
オレがちょっと歪んでずれたそれに面白さを覚えていたところ、感慨深げにしながらメガネをくいと上げて蘭は言う。
「でも、そっか転生してTSしてたんだ、かさねちゃんって。だからオレっ娘だったんだねぇ」
「そうだぞー。でも、それに気づいたのが近頃だったから、別に女見てどきどきとかないなー」
「男見てどきどきも?」
「そういえば、ないな。でかい筋肉見てどきどきはするけどなー」
「それはただの趣味だね……この子まだ第二次性徴迎えていなかったりするのかな……」
蘭は残念そうな目でオレを見る。
その言もまことに失敬だ。これでもオレは思春期を相当にこじらせた方である。
どんどん丸みを帯びてくる身体に怯えて、オレがどれだけの筋トレを重ねたかなんて、余人にはわかるまい。
流石に女子だから身体が角ばらなかったのは残念だったけれど、まあ努力のおかげかたわわに実ることさえなかったのは良かったな。
オレが密かにそう考え頷いていると、今度は少し蘭が悲しそうにする。表情がよく変わるヤツだなと思っていると、優しく彼女は続けた。
「というか、ハードな体験してるね。前世の親友に裏切られてたとか、その、人間不信とかならないもんなの?」
「そりゃスゴくムカついたな! でも、あいつだけが今の人生の全てじゃないから、まあどうでもいいんだ」
「切り替え早いね……」
「それにジョンも当分は様子見するだろうから大丈夫だって言ってたしな」
「あ、話に出てた吸血鬼のお爺さん。その人と、娘さんの……ジェーンちゃんはどうなったんだっけ?」
「この街にしばらく居るみたいだな。ジェーンとは昨日もかくれんぼして遊んだぞ! 砂場にカメレオンの尻尾を作るとか、なかなか面白いこと考えるよなー」
「カメレオン? え、かくれんぼしてたんじゃないの……?」
「最終的には、二人して猫の前でおにぎり握ってたな! あ、勿論手は洗ったぞ? なんでかジェーンはすし酢を手に吹きかけてたけどなー」
「意味が分かんない……そのおにぎりはどうしたの?」
「プレゼントデース、って猫と一緒に勝手にクリーニング屋の店先に並べてたな。それは、流石に叱って持って帰らせたけど」
「そこは叱るんだ……猫は?」
「隣のソフトボールに先輩面してるジェーンを他所に何故かオレを引っ掻いて逃げてった! 監督不行き届きって言いたかったのかなー」
「多分、かさねちゃん達の行動が怖すぎたんだと思うよ……どうしてそんなに君ってジェーンちゃんに対して理解がありすぎるの……」
「そっかー?」
オレは首を傾げて、二尾を机にとさり。
ジェーンはそんなに変なことはしていないと思うのだが。あいつ、オレというズッ友が出来てテンション上がってるだけなんだけれどな。
まあ、変わっているのはそうかもしれないが。でも、父親も吸血鬼とか変わってるし、それもありじゃないかと思う。おにぎりは歪だけど美味かったし。
しかし、包んだラップに将来の夢、パイロットとか書く必要はなかったかもな。自己紹介は、もっと知らない相手にするべきだろう。
と、オレはここでふと思った。そういやこれまで自分のことを普通に話したばかりじゃんと。
特に話を盛って面白おかしくもしていない。これは、蘭もさぞつまらなかったろうと、申し訳なく思ってオレは問った。
「うーん……オレのフツーな体験なんて聞いても面白くないだろ?」
「いや、十分すぎるほどワンダフルだったけど。流石はヤバ崎先輩のお気に入りだね……」
「そこで、どうしてモモ先輩が出てくるんだ?」
「いや、あの人凄く変わってるって有名じゃない。そもそも絵が色んな意味ですごすぎる上に、時々巫女服で通学してくるし……」
「ん? あの絵は、あの人なりに美観を集中させる手法を確立させてるだけだし、巫女服は実家が神職やってるからって時々面倒で着たまま登校してるって聞いてるぞ?」
「いや、面倒だからっていう理由に、天冠をつけて幣を持っている本式のままで来ている現実が合わないよ。小袖に緋袴だけで十分じゃない?」
「ついでに、なんか悪いやつやっつけてるからじゃないか? 時々あの人変なゆらゆらしたのとか痴漢とか幣でしばいてるぞ?」
「やっぱり先輩はヤバ崎だった! この世界おばけとかいるの!? というか、痴漢ここら辺に出るんだ! 普通に嫌な情報!」
「ツッコミいっぱいだなー」
急に転がり出る、ツッコミの数々。オレは、まあおばけは意味分かんないけど居るし、痴漢は警察に突き出したから大丈夫だとは伝える。
すると、何故か疲れた顔をして、この子口開くとどんどん未知な情報出てくるよ、嘘じゃなさそうだしどうなってんのと呟く蘭。
まあ、仲がいい相手だろうと、知らない面があるし、オレらは今まで別にそこまでの仲じゃなかったのだからそれもそうだろうと思う。
だが、しかしそんなことを考えながら、更にオレは問いたくなった。
まあオレのことを聞いて悪くなかったのはいいけど、そういやそもそもが蘭が転生という言葉にえらく食いついたがためだったのだ。
愛らしいが怖いくらいの真剣に傾く、そんな本気。それを思い出しながら、オレは理由を聞いてみる。
「にしても、どうしてそんなにオレの話を聞きたがったんだ? そりゃ、転生って珍しいかもしれないけどさ、小説漫画でよく出てるから結構ありだろ?」
「いや、普通はナシかな……それに、かさねちゃんの話に比べたら、大したことじゃないけどさ……ボクもTS転生してるから、他の人はどんな感じなのか気になったんだよ」
「なんだってー!」
それが大したことじゃないって、そんなわけがない。まさかオレと同じパターンを体験していたとは。
やっぱり蘭はレアな少女である。いや、彼女はレアな青年かお爺さんかもしんないか。
なんか予感があったけれど、オレは普通に驚くのだった。
異世界転生に、輪廻転生なんて作法も何もない。ただそれは、唐突だったそうだ。
家族の食卓にてカレーを口に含んだ前世の思い出を最後に、気づけば今の人生の親の手をちっちゃな手のひらで握っていた。
或いは、カレーの辛さでショック死して転生したのかなボクって、新しいよねソレ。そんなことを、寂しげな笑顔で蘭は言ったのだった。
彼女が絡めた指先が、何かもの言いたげにもぞりとうごめく。オレはその笑顔の裏に何か隠しているのを察しながらも、でもまあいいかと苦笑して、こう返した。
「なるほどだから、オレん家のカレーもオススメだって言っても頼まなかったんだなぁ。トラウマになってたんだ。家のは甘々で旨いって言ったのに」
「あはは……うん。甘いのは分かってる。だって、かさねちゃんが好きな味に結さん――ばかさねの母親――がしないわけないんだから。あの人、そんな人だし」
「ん? お母は甘々じゃなくて結構厳しいぞ? でも……分かってても、カレー、食べられないのか」
「というか、最初は食事全般難しかったな。……転生を自覚してから同時に食べることをトラウマにして急に食べなくなった娘に困り果てた親がはじめに相談したのは、実は結さんだったんだ」
「お母に?」
意外な人物の名前が出てきて、オレはびっくり。
確かに、お母が蘭が入店した際に毎回優しく声をかけにいっていたことは知っている。
でも、結構色んな客にそんな感じだったから、お母が蘭に特別なことをしていたとはわからなかった。
というか、オレにも何か言ってもいいだろうに。結構お母も秘密主義なところあるんだよな。
オレは、一つ呼吸して落ち着いてから、話をうながす。
「結さんは、何口に含んでも吐くボクに、根気強く語りかけてくれた。それだけじゃなく、撫でてくれたりハグだってしてくれた……知らない世界に震えるボクに世界は優しいところもあるんだって教えたかったんだろうね」
「お母……」
話を聞いて、お母らしいな、と思う。
オレが変なことをしたらぶつけど、結構撫でてくれたり、おかしくれたりするもんな。
時々居なくなると思ったら、こんな慈善を行ってたのか。なんとなく、オレは嬉しくなる。
だが、目の前の少女は悲しげなまま続ける。
「かさねちゃんは同じ世界に転生したみたいだから、分からないかもしれないけど……世界が違うと匂いもそうだけど味もちょっと違うんだ。何食べても違和感だらけ」
それは、異世界転生の弊害。
世界が根幹から異なれば、幾ら相似していようも差異があって自然。
そんなくそったれなくたって良かったんじゃないかと思うけど、あってしまって、実際にこの子は苦しんだ。
オレは、思わず胸がきゅっとなる。
「食べたらまた死ぬんじゃないかという妄想に、いざ口に含んだ時に感じるこれは違うという実感。……苦しかったなあ」
「……それは、嫌だな」
本当に、嫌だ。だって、目の前の蘭は本当に辛そうで、苦しかったことを思い出すだけでコレなのだからどれほどのものだったかは想像もつかない。
そんな大変がオレの知らないところであったのは、とても嫌だった。どうにかしてやりたかったと心から思う。黙ってたお母も、意地悪だ。
でも、とオレは思う。この子は楽しそうに、店でチャーハンを食んでいた。なら、と期待してオレは蘭を見上げる。
やっと笑顔になって、彼女は言った。
「でも、だからこそ苦しむボクを見捨てなかった両親に妹には感謝しているし、ボクの味覚にピッタリ合うレシピを開発してくれた結さんには頭が上がらないよ」
「お母なら、何も気にせず食べに来なさい、って言うと思うな」
「そうだね……そういう人だから、中学時代は入り浸っちゃったな……正直、前までボクはかさねちゃんに嫉妬してたんだよ?」
「オレに?」
オレは嫉妬という蘭に似合わない言葉に驚く。
それに、オレは嫉妬されるほどには出来ちゃいないと思う。いや、最強だしクールビューティーだけどさ。蘭だってかなりいい線行ってると思うしなあ。
そんな勘違いをしていると、彼女は笑顔のまま語るのだった。
「うん。だって、ずるいじゃん。あんな優しい人の子供をのほほんと何も考えずに
「うう……そう言われると弱いなぁ……お母、オレには厳しいけど確かに時々優しいし……良い親だよな。でも、流石に娘を代わる気はないぞ?」
「分かってる。それに、ボクはそもそも誰かの子供をやるってのに向いてないんだ」
「ん?」
オレは思わず疑問に思う。
だって、そうだろう。子供になるなんて、簡単。自分勝手に振る舞って、愛されればそれでいい。
そんなことも出来ないなんて、なんて。
「だって、ボクはしょせん、一ケ谷蘭、っていう子の人生を奪った寄生虫なんだから」
哀しいんだ、とオレは思った。
幸せになんて、自分から向かえばいい。間近にあるのにそれに背を向けるなんて、あまりにもったいないことだ。
けれども、温かいものの手を取れない人だっていることを、オレは知っている。前世のオレだって、それは意外なほどに苦手だった。
そして、眼前の男の子だった少女もそうだったみたいで、過去に思い引きずられたまま、
「時々、思うんだ。転生ってさ、要は二人分の人生を独り占めしちゃってることじゃないかな、って。本当は幸せになるべき女の子がどこかに居たんじゃないかと思うんだ」
「それは……」
「うん。これは見方を変えただけ。実際はよく分かんない。でも、一度そう考えちゃったら、もうダメだ。足が、すくんじゃう」
震える足元、全てが崩れるのじゃないかといいう錯覚。それが恐怖。
生きることが悪いことだと思いこんだら、それを知ってしまえば、歩むことすらできなくなる。
哀しいほどに、蘭は自分に優しくなれなかったのだろう。努めてあっけらかんと、彼女は続けた。
「まあ、フィクションだったら、そんなこと考えずに楽しめる。最初は元に戻す方法を探してただけだけど、だから、ボクは異世界転生ってジャンルは好きだよ」
「戻す、か……」
嘘みたいな本当。それだからこそ、彼女はなかったことにしたいのだろう。
でも、それこそが自分を失くすということでもある。
オレは、少し頭が痛くなった。
「うん。ボクはボクの人生の続きを幸せに送れているけど、だからこそ、本来の自分にこれを返してあげたいとも思うよ。それはもう、何時だって」
「よくないな」
「うん。よくないね。でも、どうしようもない」
どうしようもない。蘭は泣きそうな顔で、そう言った。
なるほど彼女は心より結論付けてしまっている。でも。
「んなことないぞ」
強く、オレはそう言い張るのだ。
驚きに、蘭の瞳は丸くなった。
「確かにさ、弱肉強食だー、とか言って振り返らないのも駄目だけどさ」
そう。もう食べてしまった、奪ってしまった。それを忘れるのはいいことではないとオレも知っている。
でも、だからって、それで終わりにしちゃ、駄目なんだ。
――――そこで、貴女は終わらないで。
「大事なのは、いただきます、ごちそうさまって、前を向くことだろ?」
それを責められ、時に報いを受けるのも仕方がないとは思う。でも、思うだけだ。
だって、足元ばかり見てうじうじしてばかりいたら、せっかく食べたものに対して失礼にも程がある。食べたら、その分動かないと。
オレはそれこそが、生きることだと思うのだ。
強がり、どこか怯えを孕んだ赤。そう、あの日そうして欲しそうだったけど、オレは決してイクスを叱らない。
だって、自分が生きることを赦せるのは、きっと自分だけだからな。
オレはそう、思いたい。
「ああ――――なるほど。これは、三咲が惚れるわけだ」
万感の思い、それがどんな色なのかは分からない。
けれども、少女の口の端が少し緩んでいることに、オレは心の底から安堵するのだった。
蘭はオレに、言う。
「かさねちゃんって、可愛いだけじゃなくて、格好いいんだね」
それは自明。でも、だからこそ言われて嬉しいことである。
「だろ?」
故に、オレは彼女の前でナイムネを張るのだった。
「やっぱりボクよりある……ぐぬぬ……」
「またそれか……」
まあ、そんなオレを見て蘭はぐぬぬとしたけど、多分きっとそればかりは仕方がないことなのだろう。
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第十三話 分からないってなんですかい?
久しぶりの更新になってしまいました……申し訳ございません。
ここのところ他の作品書いたりイラスト描き描きばかりしていましたが、頑張らないとですね。
新キャラに、新情報。でも結構ぎゃぐぎゃぐは出来たと思います。
きっと、シリアスさんは倒せたのですね! あいるびーばっくとか言っていたのが気にかかりますがー。
「ふぁ。結局、よく分かんなかったな……」
あくびとともに、ひと言。天才のばかさねちゃんらしからぬ言葉を、誰にも聞かれなかったのは幸いだっただろうか。
まあでも仕方ない。ラブコメにシリアスにファンタジーはオレの専門外だからな。そんな感想を鈍い頭で考えながら、オレは一人何時もより遅めの登校を続ける。
朝日の眩しさにごしごし目をこするオレの周りに人はそんなにない。これは、何時もの教室一番乗り確定の早々な登校と比べたら半端な時間に歩いているからだろう。
「何時も、オレに生徒会の人が一番だよって教えてくれるけど、今日は無理そうだな」
そう、オレは寝坊した。まあ、遅刻とは程遠くはあるのが救いだが、それでも誰もいない教室で足ブラブラさせながら鼻歌歌って皆を待つ楽しい時間を味わえないってのは残念だ。
それもこれも、モモ先輩が貸してくれたエロ挿絵しかない、あの面白い部分が偏りすぎててちょっと退屈な本が悪い。
オレは昨日、あのまま蘭と仲良くしてから家に帰って、ライトノベルを読むこと数時間。ぺらぺら本を捲ることになれた頃にようやく読了したオレは、なんとも理解不足に悩んでしまった。
それも仕方ないだろう。あの本だと吸血鬼の定義がよくウェブサイトとかにある資料に基づくものとだいぶ違う。
まあ人の血は情報で命であり、それを接種している吸血鬼が不老不死。そこらへんはまあ、すんなり理解できた。
ただ、作中で女のケツに何度顔を敷かれたか分かんなくなったくらいのエロハプニングを体験したヴァンパイア主人公曰く、吸血鬼とはそもそもテキストなのだとか。
まあ、確かに本の中のお前はテキストだよなとも思ったが、読むにそれだけではないようだ。
吸血鬼。彼らは最初は文字だった本当は存在しない、けれども人に混じるもの。だからこそ、人の血で存在補完をし続ける必要があり、そしてそれを続けた極みの能力として。
「世界に独自ルールを敷ける、か……」
そこらが、まあよく分からない。世界は繋がっていて、それは皆のためだ。それを個人で変えられるなんて、考えにくいと思う。
だが作中では能力で炎を操ったり(脱がすのに使ってた)、肉体強化をしたり(これも脱がすのに使ってた)、摩擦を増減させたり(これはエッチなことに使ってた)してたな。
オレは何度手を変え品を変えて具体的になることを避けた、とはいえ女の裸の描写を読まなければいけないのだ、これ普通にエロ本だろと思いながら、うんうん悩んだ。
どうも続きが出る予定だったのか内容も尻切れトンボに終わっていて、設定の全容はよく分かんないが、血という世界への蓋然性を情報として収集することで個として重要度を高めた結果のルール改変だとか書いてはあった。
ガイゼンとかよく分かんなかったが、多分文字的に割れ鍋に綴じ蓋的な意味だろ。
つまり、多分血を吸いまくってあり得ないはずの吸血鬼は世界に染みるんだな。その結果、どうしてだかルールすら曲げちまう。
「んなこと、あんのかな……」
まあ、確かにジョンとかイクスとかは結構おかしなことをやってた。ジョンの飼ってる闇とかイクスの翼の斬れ味とか普通じゃないのは、まあその通りだろう。
ただ、それはあの本に書かれてたズルってほどじゃない気がするんだよな。なんかこう、そんな意思で世界を変えるって
あれはもっと、業が深いような、そんな。
「あ、ばかさねちゃんじゃないか、おはよう。うーん……今日は少しだけ遅いし、どうも何時もの元気もないね。アタシとしては、心配だな」
「お、かいちょー。おはよう」
オレは首かしげさせながらも、けれどなんとか真っ直ぐに進めていたようだ。
見慣れてきた校門。その隣に仲良しの生徒会長さんが立っていた。
かいちょーはアホみたいに長く、しかしすらりと纏まった黒い長髪が目立つ、明らかに出来る子な感じの上級生。
でもちょっと素朴な感じの容貌の彼女の顔が、オレへの気遣いのために少し歪んでしまっているのが申し訳ない。
この人はオレと仲良しさんのモモ先輩とは犬猿の仲だそうだけれど、ちゃんとそれとこれとは分けてオレに確り優しくしてくれるいい人だ。オレは、素直に彼女に口を開いた。
「かいちょー、オレ実は昨日遅くまで本を読んでたんだよ。それでちょっと遅れた」
「むむ。ばかさねちゃんが実はそこそこ賢いことは知ってるけど寝坊したなんて、らしくないね。それはどういった本だったのかな?」
「つまんない本。意味分かんなかった」
「なるほど、それはそれは面白くなかったのだね。……察するに、ヤバ崎のバカがばかさねちゃんに貸したものかな? あの女は、迂遠な正しさを好む人間だからねえ……ったく、困りもんだよ」
「かいちょー、確かにモモ先輩の本だったけど、あんまりあの人のこと悪く言うのはダメだぞ?」
「ああ。分かっている。あいつもアタシと同じでそう悪くはないんだ。ただ、意見が大きく違うだけでね。まあ、しかし」
「ん?」
悪口が飛び出たかと思えば、かいちょーなりに、モモ先輩のことを理解しているとの言葉で安心したオレ。この人も、先輩のこと嫌いではないんだとニコリと出来た。
すると、かいちょーはちらほら登校をはじめた他の生徒に笑みと右手だけで挨拶をしながら、空いた左手でオレを撫でる。
別に、撫でられるのは慣れてるけど、かいちょーがやるのは初めてで唐突なのもあってびっくりだ。
そのぎこちなく撫でる手がツインのはしりのシュシュ近くまで行った時、少しかいちょーは悲しげに表情を変えてから言う。
「アタシとしてはね、ばかさねちゃんにはもう少し微睡んでいて欲しいと思うよ。なんせ、起きたってこの世は楽しいばかりじゃないんだから」
「そっか?」
それはきっとオレより早起きさんなかいちょーの言葉にしてはどうも後ろ向きなもの。
寝て、起きる。明日が幸せなんて当たり前だとオレは信じたい。でも、かいちょーにとって、明日はつまらないものでもあるのだろうか。
それは、あの本よりもずっと面白くないことだなと思ったオレは。
「オレは、かいちょーに会えるこの時間が好きだ! 寝て起きて、良かったと思うぞ!」
「ああ……だから」
「わわっ!」
本心を口にし、その途端にかいちょーにぎゅっとされてしまう。
流石に、オレは慌てる。昨日に哀れんだ蘭のものとは違い、かいちょーはたわわだ。そして、オレはちっこい。
つまり。
「むぐぐ……」
おっぱいに包まれ窒息の危機だ。なんてこったい、朝から寝ぼけ眼にあの本の主人公と体験を同じくするとは。
慌てるオレに、かいちょーは。
「アタシは、ばかなキミが好きだよ」
天才なオレに対して、そんな間違いを口にし、ぎゅっと抱きしめる力を上げるのだった。
「しぬかとおもった」
「危なかったね……ボクがたまたま早起きしなければ、会長の胸でかさねちゃんが召されるところだったよ……それはちょっと羨ましい死に方だろうとは思うけど」
「オレは、せめてムキムキボディに挟まれて死にたいぞ……」
「かさねちゃん、ホント筋肉好きだねぇ……」
お昼の時間。オレと向かいに机をくっつけながら弁当箱を開き、あははと軽く笑う蘭。彼女の言に、筋肉を愛するのは人の常であると主張したく成ったが、朝の一幕での疲れがあって止めた。
そう、オレはなんとかかいちょーのおっぱいアタックから辛くも生還できている。
物理的に女体に溺れる、という悲しい死に方をしなくて良かったと、未だ男な自分を引きずっている蘭と違って本心からオレは思う。
だから、本当にあの時予想外のパワーでオレを包んできたかいちょーからその細腕で引き離してくれた蘭には感謝している。
改めてあの時はありがとう、とオレは頭を下げ、どうしましてと笑顔で返されるのだった。
「……ふーん。重ちゃん、会長さんとそんなことがあったんだ……気をつけるべき人が一人増えたよ。そしてまた、目の前に一人リスト入りが増えたみたいだけど……なに、一ケ谷さん、他のクラスからわざわざどうしたの?」
「おっと、三咲ったら辛辣だね。ただ、お昼を彼女と一緒したく成っただけだよ。それに名字呼びに友達ランク落ちか……まあ、仕方ないよね、今や友達というよりライバルなんだから」
「へぇ……一ケ谷さんったら、私に挑むつもりなんだ……」
「キミを敵にするというより、かさねちゃんと仲良くしたいだけさ」
「ん? 途中までよく分かんないこと話してたけど、オレ蘭と仲良くするのは良いぞー」
「むむむ……重ちゃんったら、浮気性なんだから……変な男と別れたと思ったら、今度はボクっ娘なんて……」
「うん?」
オレの隣でむむむとしている三咲に、どこか誇らしそうにしている蘭。よく分からないことを喋ってるが、どかーんとすとーんがオレの側で表情をころころしているのは面白いかもしれない。
いや、こうして二人を見てみると、だいぶ胸部装甲の差が著しいな。人間の可能性って凄いと思う。まあ、オレなんて高校生だって言うとびっくりされるくらいに全体ちまんとしてるし、どっこいどっこいか。
なんか、ちょっと赤めのゴハンをがっついている蘭に、オレは思ったことを口にした。
「それにしても、蘭は結構食うなー。それも、油ものがやんちゃな量だ」
「ふふ。お母さんが何時も入れすぎちゃってね。今まで食べられなかった分、いっぱい食べて欲しいみたいなんだ。参っちゃうよね、このままじゃボクは丸々とした体型にされちゃうよ」
「そっか」
昨日、オレはお母のレシピによって蘭の食事は改善されたのだと聞いた。けれども、やっぱりちょっと辛い過去を聞いたからには心配が残っていたのは確かだ。
けれど、この笑顔で弁当をむしゃむしゃしている姿を見れば、そんなの杞憂だと理解できる。とても良いことだ。やっぱり蘭には笑い顔のほうが似合う。
でも。
ふと、オレは右の三咲を見る。やはり彼女は遠く、辛いものを見てしまったかのように視線を落としている。
オレは、努めて何時ものようにして、三咲に声をかけた。
「三咲のランチはまた、美味そうだな! ちっちゃな中に色とりどりだ! 凝ってるなー」
「……そう? ふふ、重ちゃん先生に褒めてもらって、嬉しいなあ」
「満点だ!」
「やったぁ」
オレの本心からの褒め言葉に、落ち込んでいた三咲もすぐに笑ってくれた。泣いたカラスがもう笑う、って奴だな。
そう、蘭がランチ友達になってくれた喜びに忘れてたけど、三咲には母親が居ないんだ。その辛さ、オレは分かっていたはずなのにな。
まったく、気が利かなった。万能天才ばかさねちゃんにも間違いはあるもんだ。
うんうんと頷くオレ。それに何を思ったのか、三咲がそろりとそろりと声をかけてきた。
「あの……ね。せっかくだから、重ちゃん味見してくれる?」
「ん、大丈夫だ!」
「はい、あーん」
「ん。はむはむ」
味見の要請だったそれに頷いたオレは、スプーンの上に乗っかった卵焼きの欠片をうまうまいただいた。
なるほど、ちょっと甘めだけれど、これは中々だ。ずっと前と違って、殻の欠片もなければ、焦げてもいない。
しっかり美味い。飲み込んで空になった口で素直にオレは感想を伝えた。すると、三咲ははにかんで。
「ありがとう……って、これだと間接……きゃ」
ありがとうと、そう言った。
ただ、三咲は、そのままオレが口に含んだスプーンで自分のを食べて顔を紅くしたりしてやっぱり面白い。
まあ、だが次はとオレは蘭の方を向く。
「あ」
すると、複雑な表情をした彼女がこちらを見ていた。羨ましそうな、届かない何かを見るような、そんな面にオレはこう言う。
「蘭のも、食べていいか?」
「えっと……正直、普通の人にはボクのゴハンは美味しくないと思うけど?」
「なあに、同じ釜の飯を食うってだけで嬉しいもんだろ? それに、意外といけるかもしんない。一口くれると助かる」
「あは、かさねちゃんは本当にもう、格好いいんだから……はい、どうぞ」
「ん。はむはむ」
そして、オレは異世界の普通という未知の味付けになっているだろうなんか色取り取りの唐揚げを蘭から一ついただいた。
ふむ。確かにこれは複雑な味だ。だが、肉はよく揚がっているし、サクサクの衣はお母と比べられるレベルだ。蘭の母はきっと料理上手なのだろう。
オレは、素直に言った。
「うん。ちゃんとしいたけより美味いぞ! 食える食える!」
「しいたけ?」
「……重ちゃん、椎茸が食べられないのよ……あれは食品ではないって言ってる」
「なるほど……」
あのくさくさなキノコと比べるのは失礼かもしれないが、実際食用とも感じられにくいような化学っぽい匂いがするんだよなこの肉。
まあ、食えなくもないが、身体が危ないと信号を鳴らしてもいる。総じて、面白い味付けだなとオレは思うのだった。
「ありがとう、かさねちゃん」
「こっちこそ、面白いの食わしてくれてありがとう、だな!」
「あはは。敵わないなあ、もう」
「わ」
すると、またオレは撫でられた。朝ぶりの他人の手のひらの感触。しかしかいちょーと比べると上手なその手付きにオレは気持ちよさを覚える。
しかし、このまま前の流れを辿ると次は。そう思い、オレは蘭の胸元をついつい見つめ。
「ああ、これなら大丈夫だ」
そのナイムネぶりに安堵をおぼえるのだった。
「……かさねちゃん、どうしてキミはボクの胸みて安心してるのかな?」
「これなら死なない」
「このっ、キミをこの洗濯板ですりおろしてあげようかあっ!」
「おぉ」
ぽろりとしてしまったオレの本音に蘭が怒ってしまったのは、それはまあ正直申し訳なかったとは思う。
「ああ……一ケ谷さんのこの包容力なら、大丈夫そうね」
「三咲はよっぽどボクの肋骨の硬さを味わいたいみたいだね」
「ごめんなさい」
あまりの怒気に三咲もひと睨みで、縮こまる。怒れる蘭を鎮めるのは、中々に大変だった。
「モモ先輩、この本つまんなかった!」
「そうか……ふむ、兄には言っておかなくてはね。貴方の本はやっぱり駄作です、って」
「え、このマウンテンクリオネアとかいうエロ作者、モモ先輩のお兄さんだったのか?」
「ああ、このエロの塊に設定が引っ付いているだけの本は、遺憾ながら我が兄の作だよ、ばかさね君」
「そうだったのか……後、お兄さんに聞いておいてくれないか? お兄さんはエロを描きたいのか文章を書きたいのかどっちなんですか、って」
「ふむ……深い疑問だね。私も気になるところだから、確かに聞いておくよ」
放課後。黒に黒を重ねて、キャンバスにイミフを作成しているモモ先輩の元へと訪れたオレ。
そこでオレは意外な事実を聞かされた。なんと、このでっかい先輩のお兄さんが、件のつまらない小説の作者であるというのだ。
なんとも、意外なことだ。妹は世界中からひっきりなしの売れっ子で、しかし兄はどう見たところでコアな作品しか書けていない。なんだかかわいそうにも思える。
まあ、会ったこともない人を慮りすぎるのも毒かな、と思いそれくらいにしておいて、オレは改めて筆を下ろすモモ先輩に問った。
「それでさ、モモ先輩。吸血鬼が世界を自由にしちゃうってあったけど、アレ本当なのか?」
「まあ、そうだね。ごく少数になるだろうが、それほどに重要度が高まった吸血鬼も存在はするよ」
「少数、かー。いや、なんか知り合いがヴァンパイアハンターだったとか言ってたけど、当たってないんだろうな。人じゃそんなの倒せないよなー」
「ん? 倒せるよ?」
「え?」
オレが、ルールを変えられちゃったら、ずるくてどうしようもないよなと思っていると、しかしモモ先輩は首を振る。
目を瞠るオレに、チェシャ猫のように笑んだ彼女は当たり前のように続けるのだった。
「やり方次第だけれど、それこそ私にも、キミにも出来ることだよ?」
そんな言葉に、オレは。
「無理、だと思うけどな……」
なんでか弱音を口にしてしまうのだった。
ああ、よく分からない。オレはどうして、出来るはずのことを出来ないと思いたいのだろう。
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第十四話 信じたいってなんですかい?
またお久しぶりの更新で申し訳ございませんー!
イラストがんばって描きましたので、ご勘弁をー。
【挿絵表示】
くまさんです!
むむむ、シリアスさんに負けないようにしないとですねー。
授業、というのは中々に面白い時間だとオレは思う。
イミフが先生の説明によってなるほどに変わっていくのはかなり面白いし、そもそもカツカツ黒板に叩き込まれるチョークの音が結構好きだったりもする。
それに、先生方って結構年取っているのもあって個性的というか書き込みが確りしていて見ていて楽しげでもあるしなあ。
現代社会の髭面見た目熊さんな先生なんて、オレが調子乗ってくまさんだー、って言ってみたらぎゃおーって返してくれるノリの良さがあったりするし、人格的にもやっぱり年上って豊かだよな。
「でも、終わった後の宿題は面白くないな……」
そして、オレは配られた数枚のプリントにげっそり。記憶力良すぎなばかさねちゃんは、あまりに先に先に記憶しすぎてちょっと前のことを忘れがちなのが玉に瑕なんだ。
だから、ぶっちゃけ過去の記憶をほじくり返すなんて面倒なことをしなけりゃなんない宿題は苦手分野だった。
オレの意気消沈ぶりに、繋がっているツインまでげっそりしていないか、心配になる。
「ん……大丈夫そうだな」
そうしてオレは試しにふわっふわに仕上げた両ツインテールをむにむに。ああ、悪くない。むしろこれは中々心地良い感触だ。
こりゃ、女の頭をいたずらに撫でてぽっとさせがちな恋愛系主人公の気持ちも分かるというもんだな。ただ了承もなしに人のものを弄るのは礼節に欠けるので、オレは自前で我慢だが。
野球部の奴らの坊主頭のごそごそもいいけど、指に回せるするするも悪くないな。けどまあ、この程度でオレの心のもやもやは紛れてくれやしないんだけど。
あれだな、こうなったら。
「後で三咲先生に宿題写させてもらうか」
「あー……それ、先生が居る前で言っちゃダメな奴だからな、双葉。そして、それって結構バレてこっそり減点されるもんだから、止めといた方がいい」
「そうなのかー……って、あれ、熊先生。どうして休み時間の教室に?」
「いや、なんか双葉は髪の毛ずっと弄ってたみたいだけど普通にもう少しで授業始まるからな。英語のプリントは仕舞って、早く現社の準備してくれよ?」
「なんと」
すると、何故か目の前にずんぐりむっくりな熊さん先生こと大野先生が。薄めな短め髪の毛より濃い顎髭がキュートなおじさんな彼は、そこそこ話がわかるいい人である。
指示通りにオレは宿題を仕舞って、資料がやたら分厚い教科書セットを取り出す。そうしてから、後は授業のはじまりまで暇だ。
なんと一番前の席であるオレは、暇を潰すのに隣のクラスメートを使うわけにもいかない。見つかりやすいし、そして先生に怒られちゃったら可愛そうだからな。
だから、オレは熊さん先生が何やら手作りっぽい資料を教卓に広げているのを見つめるようになる。
そうしてその黒く日焼けした太い腕が、パツパツの丸い大きな背中がオレのパジャマにパンツにプリントされたアレを思い出させて、次第にたまらなくなったオレは叫ぶように言った。
「……くまさんだ!」
「ぎゃおー! ……って、教壇の上でやらすなよ」
「おー。やる先生もすごいノリの良さだなー」
授業直前に先生の熊さんぶりにきゃっきゃするオレ。ちょっと不真面目でばかさねちゃんっぽくないかもしれないが、こういう緩みもまあいいもんだろう。
後ろで癒やし、だのここに動物園を建てようだの言っている男子達の言葉はよく分かんないが、まあそれほど先生の熊さんぶりが迫真だったってことだろ。
でも。ふとオレは顎に指を当てて考える。そういえば熊さんって。
「先生、熊さんってぐわーじゃないのか?」
「ん? 先生はぎゃおーだと思っていたが……」
「はい! 私はがおーだと思います!」
「いやいや、ぐおーだろ!」
「……がーが鉄板」
「先生の顎ヒゲで大根おろしたい」
「ぎゃーじゃない?」
「ここはあえて、わんとかどうだ?」
「いや、お前らどうしてこんなに熊の鳴き声に対する熱意が……っ何か変なこと言った奴が居なかったか?」
「おー」
オレが思ったことを口にすると、今度は意見が出るわ出るわ、その中に熊先生のヒゲに対して並々ならぬ執着を持っているさとしの言葉も混じって実にカオスだ。
しかし、なるほどこれほどくまさんというものに対する印象は違うのか。そう思うと、人を一面で見てしまうというのは危険なことかもしれないな、とも考えちゃうな。
例えば、サッカーが好きだという男が実は野球センス抜群な可能性だってあるだろう。ならば、例えばがーぎゃー言い合うこのクラスの馬鹿騒ぎぶりを見ながら取り敢えず。
「でも……うさぎさんはぴょんだよな?」
それだけは信じたいのだった。
「ふぁ……今日もありきたりな一日だったなぁ」
「いや、熊さん先生とか結構授業どころじゃなかったんだけど……重ちゃんのありきたりないち日ってワンダー過ぎると思うの……」
「そうか?」
オレは、帰り道をいつも通り三咲と一緒しながら、そんな会話をする。
あの後の授業は結局、熊から発展して話題になった今川焼き対大判焼きの争いと現代社会の対比を上手く絡めてノルマをこなした熊さん先生の辣腕が確かに目立ったが、それくらいだ。
別に窓からケツアルコアトルスが飛び込んできたりなんてしなかったし、地下からチョコレートが噴火したりしなかったのだから、大概大丈夫だろう。
「うーん……命の危機とかあったら普通じゃないと思うが、オレ別に元気だしなあ」
「命に迫る刺激とか、それは確かに普通じゃないけど……それって、最近別れたっていうあの男関連のこと?」
「まあ、そうだなー」
「重ちゃんをそれほどもて遊んだのね……会ったこともないけど、もし見えたら覚えてなさい、白河ナントカ……!」
「うん?」
オレの隣で三咲がなにか燃えているが、それこそ、オレにとっての特別なんて、前世を思い出してから光彦たちと過ごしたあのような日々くらいだ。
それだって、大体終わってしまっている。まあ、最強だけれど平々凡々一般人なばかさねちゃんでは、特筆すべきことなんてそう起こらないということだろう。
そう、右も左も普通に流れていく人ばかりで、オレに気をつけて留まる人間なんてそうはない。
だから、ばかさねちゃんの最強パワーは、もったいないしてばっかりなんだな。でも、世の中それで良いのだろうが。
「ん?」
「どうしたの?」
そんな、当たり前の中で、しかし止まれの赤信号。オレは、嫌いな赤色を、地面に見つける。
アスファルトに乗っかった、少し空気に錆びついたその紅は正しく。オレは、思わず眉根を寄せるのだった。
「これ、血だな……」
「え? ホント? ……うわ、そうかも……って重ちゃん?」
「こっちに続いてるな」
「ま、待って!」
オレは、三咲の言葉を聞かずに血が点々と続く細道を急いだ。
血は、命。それは先に読んだ本を思い起こさなくてもよく分かる。
赤は、止まれ。いいや止まらない。だからこそ、オレは急いでこの血――だんだん血痕が明らかにな程大きいものになってきた――を追いかける。
そして。
「くっ……ここまでか」
「そうですね。ここが貴女の終着点。正義の終焉といったところでしょうか」
「おー?」
よくこんなところに通りがあったなというくらいに狭い路地裏にて、血溜まりに倒れていたのはどうも女子のようだった。血であんまりよくわかんないな。ただ、胸はない。
そして、その前には謎の黒い悪漢が。そう黒い。アレはきっとゴキブリよりも黒いな。思わずオレは声を上げてしまった。
「ん? 闖入者でしょうか。まあ、先に貴女を仕留めた次に……」
「や、止め……」
「ばかさねちゃんキック!」
「ぬぁっ!」
何やらよく分からないが、傷だらけの相手に仕留めるだの大人げない言葉を垂れ流す大人ってのはあんまり許せない。
だから、今回は最初から強めにばかさねちゃんキック(飛び蹴り)をオレは放ったのだった。
「ぐっ、なんて威力だ……な!」
「そして、ばかさねちゃん回し蹴りっ!」
「がっ」
飛び込み現場に入って女の子の様子を見たオレは、その全身の斬られっぷりに下手人に対する怒りを覚え、やっただろう黒い影みたいなのに思いっきり回し蹴りを入れてしまう。
あれ、これ大丈夫だろうか。手応え的にスカスカで肋骨とかなさそうだけど、あったら完全にバラバラだったろう威力だったな。
そうして、壁にべしゃんとなった真っ黒の。まあ、コイツはもう戦闘不能だろうと判断し、オレは倒れ伏していた女の子へと向かう。
「大丈夫かー?」
「あ、き、キミは……」
「あれ?」
まず、覚えたのは全身の赤の嫌な感じ。これだけ血が抜けていると、大変だろうと俺も思う。
そして、次に覚えたのはこの顔かたちに関する見覚え。どうにも整ったそれが、赤に染まっているのはなんとも色っぽくもある。
また、ずたずたになった衣類のフリフリぶりも、気にはなった。一帯のパステルカラーが、どうにも子供っぽい。全体的に、ちぐはぐだ。
つい、オレは唖然としてしまう。取り敢えず助け起こそうと頬に触れるオレ。すると。
「あ、重ちゃん、そ、その人……」
「三咲」
そこにやっと追いついた三咲が、赤い人影を見つける。あまりの血の匂いのリアルに顔色を青から白に変えた彼女は。
「その子って……一ケ谷さん?」
「なんだって?」
血溜まりの上でそんなことを言うのだった。
オレは、振り返り彼女を見る。この少女的フリフリを纏った胸のない人物が、まさか。
ふと見てみると、いつの間にか壁のヒビに埋もれていたはずの黒いなにかは消え去っていた。
「正解」
それこそオレよりも普通一般であったはずの、ただのTS少女だったはずの彼女は端正なメガネなしの愛らしい顔を上げて、そんな風に応え。そして。
「あはは……後、よろしく」
ぱたり、と笑顔でそれだけ言って今度は気を失ったのだった。長いまつげが閉じるまでを認めて、そうしてオレはぽつりと呟く。
「え、これ全部オレたちが片付けんの?」
そうして警察救急車と叫びながら電話をかけんとしている三咲と共に、夜遅くまで多くの大人からの聴取などを受ける羽目になるのだった。
そして、その中で語った一言。
「んー。蘭とオレは友達だぞ?」
それだけは信じたいのだった。
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第十五話 魔法少女フラグってなんですかい?
何かまたこれでいいか沢山悩んじゃいましたが、とりあえず投稿してみますー。
今回は何とかシリアスさんに勝てた気がします!
オレは動物の中ではくまさんが一番に好きだが、別にうさぎさんが嫌いという訳でもない。
いや、むしろよく考えたら結構好きな方かもしれなかったな。何せ、干支に選ばれた程のその俊敏さは中々だし、そもそもちっこくて柔い。可愛いと言えばその通りだろう。
小学の頃は飼育当番として、なんか奴らが地面に放置した丸々ウンチをよく片付けてたな。
だがまあ、あんまりくさくさじゃなかったとはいえ、これ食事中に考えることじゃなかったな、反省だ。
「うまうま」
そう、今オレはうさぎさんの形をしたリンゴをシャクシャクいただいている。酸っぱいより甘い品種が、噛めば噛むほど果汁滴らせるのは面白いな。
うさぎおいしいかのやま、だったか? まあ、可愛くて美味いなんて、うさぎさんは凄いもんだ。
そんなオレの隣でバスケットから取り出され次々に加工されていく、リンゴ。
もう食べられないからお願い、と見舞いに来たオレ等に見舞い品をご馳走してくれる太っ腹は蘭だ。相変わらず、胸はぺったんこだが。
苦笑しながら、彼女は皿の上に最後の一個を置いて、もぐもぐしてるオレに声をかけた。
「はは、かさねちゃん、美味しいかい? いや、知り合いが果物……何故かリンゴばかり差し入れてくれたんだけど、余っちゃってさ……こうして旺盛に食べてくれるのはありがたいな」
「重ちゃん、遠慮ってものをあまりしないから……重ちゃんってそんなに甘いの好きだったっけ?」
「ま……美味いものは好きだぞ」
そう、オレは基本的にしいたけでもなければいただけるが、それに加えて味が良ければぐんぐん食べられる。
とはいえ、ちっちゃめなこの身体に見あった量だがな。
クラスの男子に弁当見られたら、そんなに少なくて足りるのかと言われ、何故かアスパラのベーコン巻きをプレゼントされたことすらあるくらいだ。
薄味な感じがしたからココア味のプロテインパウダーを振りかけて食べたそれは、まずまず美味かったな。
くれた奴はなんだかばっさり振りかけた時変な顔してたが、あれか、いちご味のプロテインかけて欲しかったのかな。
「美味かった」
「はい、お口汚れてる」
「ん」
「うふふ……重ちゃんの唇、ぷりぷり……」
「うん?」
オレがそんなどうでもいいことを考えながら咀嚼を終えると、何故かティシュで口の周りを拭き出す三咲。
甲斐甲斐しくしてくれるのはありがたいが、やたら汚れていたのか三咲はしばらく拭き拭きしてから次につんつんし始めた。
相変わらず、よく分かんないなとオレが首を傾げていると、何故か暗い雰囲気になった蘭が口を開いた。
「……かさねちゃんは、ボクのこと、まだ好きかな?」
「蘭もまだ好きだが、今回のやらかしはいただけなかったな」
「うぐぐ……あの時は、迷惑かけちゃってごめん」
「だな」
「……重ちゃん、八重歯可愛い。後でかぷかぷしてくれないかな?」
「三咲はそろそろオレの口から離れてくれ……」
「あ、ごめんね」
「はは。君らは本当に相変わらずだね……ありがたいや」
オレが何時もみたいに三咲にツッコミをしていると、噴き出す蘭。途端に彼女の放つ空気が柔らかくなった気がする。
少し沈黙が降りるが、まあその間も決して辛いものではなく皆何だか微笑んでた。
「ふふ……本当に、いいな」
白いベッドから身体を持ち上げながら遠く蘭は小さく言う。
ああ、なんだか最近仲良くなった筈なのに、なんかちょっとこの関係オレも好きだ。
光彦と仲良くしてた前世のものとは違う、ちょっと穏やかな感じ。
まあ、でもそうあっても、白黒つけるべきことはある。オレは、率直に彼女に尋ねた。
「それで、どうしてあの日蘭は変なのにやられてたんだ?」
「ああ、あれは一応……戦って負けた形ではあるんだけどね。一矢も報えず。いや、かさねちゃんはまさかあいつを蹴りでやっつけちゃうなんてね……」
「んー? あんなの、ざこざこだぞ? 多分ジョンや光彦でも余裕でいける」
「はぁ……キミと吸血鬼関連はやけに戦闘力高いね……」
「そうか?」
オレは首を横に傾げざるを得ない。それは、ばかさねちゃんは最強極まりないし、ジョンとかの能力は中々反則的だが、光彦は筋肉で勝っちゃうだけだからな。
しかし、筋肉に秘められた戦闘力というのはたしかに凄いのかもしれない。タンパク質の塊みたいなとこもあるが、造形美と効率に優れて究めれば考えられないパワーを発揮するからな。
途中でオレが納得をしてうんうんしてるのを、どこか冷たい目で見つめ、蘭は言った。
「かさねちゃんが何を納得したかわかんないけど、まあいいか。確かに、あの時気を失っちゃって後片付け任せちゃってゴメン……取り調べとかボク、はじめて受けたよ」
「そうだなー。どう何を話せばいいか分かんなくてオレもびっくりだった! まあ、警察のおじちゃんから、最後に美味い飴もらったからまあ、いいけどなー」
「はぁ……重ちゃんったら、いやしんぼなんだから……まあ、でも一ケ谷さんが怪我なくて良かったけど……逆に、どうしてあれだけの怪我があっという間に治っちゃったの?」
「あ、それはオレも疑問だな。蘭も吸血鬼みたいな感じだったりするのか?」
あの後、血を見た誰かの通報で警察やら救急車やらが来たのだが、しかしそれらの登場の前になんでかするする蘭の怪我、治っちゃったんだよな。
まあ、良いことではあるが、蘭の怪我が治っちゃってたから、よく分かんないことになった。
謎の大量血痕に塗れた少女とか、普通に事件的だと周りは大騒ぎ。
お父が言ってたが、テレビにもちょっと流れたらしい。どこかのチャネルにばかさねちゃんの金髪キューティクルが映ってたとかどうとか。
まあ、誰も彼もよく分からない事態に、また蘭も知らぬ存ぜぬしたらしいから、オレも根掘り葉掘り聞かれて、でもよく分かんなかったから、消化不良な今がある。
やっぱり何か特別な力持ちだったりすんのかな、蘭はと思っていると、彼女は重い口を開いた。
「……キミ達には話さないとあまりに不誠実だよね……うん。仕方ない……ゴードリク、聞いてたよね?」
『……いいのか?』
「わ、ネックレスから何か声が出たぞ」
突然響いた男の声に、オレは驚く。いや、まさか血だらけひらひら服の時からずっと付けていたネックレスが通信機になってたとは。どう見てもおもちゃの宝石にしか見えないんだが。
口をぽかんなオレに、そのなんだ、ゴードリクとやらが続けた。
『まず……こちらの不足によって迷惑をかけてしまい、申し訳ない。我はゴードリク・バルトラム・ラグナルス。不躾にも聞いてはいたのだが、お嬢さんたちの名前は……』
「私は、高野三咲と言います。そして……」
「オレはばかさねちゃんだな!」
『なるほど、高野三咲さんとバカサネチャンだな? 確り記録した』
「わわ、重ちゃんのあだ名が記録されちゃった……」
なんだか、オレの尊称が記録されたことを気にする三咲。
だが、三咲が挙動不審でなんかエッチにぷるぷるしてるのはいつもの事だ。
気にせず、オレは名前の長いゴードリクに問いかける。
「で、記録したのはいいが、ゴードリク、お前はどこにいる何者なんだ? なんか、ちょっとこの世のものではなさそうな感じがするんだが」
「か、重ちゃん怖いこと言わないで! もしこれがあの世からのチャンネルだったらとんだホラーになっちゃうよ!」
『ふふ……声色だけで察するか。中々やるな、バカサネチャン』
「そりゃそうだ。ばかさねちゃんは最強だからな」
『なるほど、君がこの世界の最強か……記録した』
「わ、重ちゃんの自称まで登録されちゃったよ……」
今度は、純然たる事実まで気にしだした三咲。おかしなやつだ。
だが、三咲が気にしいで、オレの胸とかスカートの奥とかよく見ようとしているのは周知の事実。
気にせず、オレは天然ボケ持ちのような気がするゴードリクとの会話を続けた。
「それで、結局ゴードリク。お前はどこから話してる?」
『ふむ……その前にまず問おう。君らは蘭が異世界から転生を果たした人間だとは知ってるか?』
「オレは知ってる」
「え? 私は初耳だけど……え? 異世界転生って普通アニメの話だよね? 一ケ谷さん、どういうこと?」
「あー……実はボク、普通に前世男子で、この世界と似たような世界で一度死んでるんだ」
「ふえー……衝撃の事実だよー」
「あ、ちなみにオレも転生してるぞ!」
「重ちゃんも!? こんなにお馬鹿さんなのに、過去の記憶持ってたの?」
「失礼な」
驚き、何かとんでもないことを三咲は口にする。
バカなんて、天才極まりないばかさねちゃんがそんなことあるはず無いだろうに。
オレったら、過去の記憶なんておまけ的なくらいの天禀持ちだぞ。やれば出来る子って、お母が何度言ってくれたことか。
三咲のとんでも発言にぷんぷんするオレを他所に、ゴードリクは続ける。
『まあ、我はそれより遠い異世界……それこそ君らにとって魔法のような技術が発展している世界から声をかけている』
「なるほど。じゃあ、姿は見せられないのか?」
『いや……出来なくはない。こちらとそちらの世界には指先ほどの繋がりしか可能にしていないが、我の姿を映写するのは可能だ』
「そうだね、このように」
「わっ」
「おー」
蘭のこのように、という発言をきっかけに彼女が手にしていた通信機的な宝石が煌めき、空中にホログラム的な何かが投影された。
そして、病室にぴかぴか出来上がったのは、やたら偉そうな男の姿。長い青髪に、黒の瞳が特徴的な異人。なんでか王冠的なものを被ったそいつは、光彦に負けないくらいのイケメンだった。
だが。
「こいつ筋肉ないな……残念だ」
『ふふ。我の美貌に負けず、むしろこき下ろしたのはバカサネチャン。君がはじめてだ。これも記録しておこう』
「わあっ、重ちゃんの歪んだ筋肉好きが異世界にまで記録されちゃった!」
「筋肉愛はメジャーだぞ? 異世界だろうが、それはきっと関係ない」
『いや、筋肉質はこちらの世界だと時代遅れでね。でも、君らにとってはそうでもないのか……面白い。これも記録だな』
「なんと」
「あー……話が逸れちゃってるけど、これで大体わかったかな? ボクはこの異世界の王様、ゴードリクに頼まれて、異世界から逃げて悪さを働く相手をやっつけてたんだ」
「へぇ……なんだか凄い」
「ふぅむ」
異世界、そして王様。色々ととんでもワードが出てきたな。
さしものばかさねちゃんとはいえ、ついていくのにやっとだ。なんでか三咲は早合点して目をキラキラさせているが、どうにもオレは素直に頷きにくい。
だってなあ。なんでこういうのに王様が直ぐ出てくるんだ。普通は、何か他のやつに任せるだろ。それに、どうして頼むに選ばれたのが蘭なのかもよく分からない
オレは自前のツインテールを両の手で掴みながら、つい言ってしまう。
「なんか、怪しくないか?」
「そう? 魔法少女的な創作ではよくあるパターンな気がするけど」
「いや、現実的に考えたら、悪人の圏外脱走とかこっちで例えるなら国家間の問題に近いだろこれ。なんで、蘭一人に頼んでんだ」
「えっと、それもそう……どうしてだろ?」
「なんだか知らんがどうやら既に繋がりが出来てるんだ。そんな両者にとってすれ違えば大問題になりかねないこと、小さく済ましたいにしても、一人に任せるのは悪手だって。……王様は、それくらい分からないくらい、馬鹿じゃないだろ?」
『ふふ……君は切れ者だね。覚えておこう』
「わ、重ちゃんがはじめて賢さ褒められてる! 異世界って広い!」
「三咲は何を言ってるんだ……」
オレは、重ちゃんがシリアスやってる、だののたまってる空気読めてない三咲を白い目で見ながら、ため息を飲み込む。
そして、オレはホログラムのように宙に描かれている怪しい王様を見定めるように見つめた。
やがてゴードリクは、重い口を開いた。
『まあ、勿論最初は小さな盗賊団とはいえどうやってか異世界に逃げ出してしまったこんな大事、小事で済ますつもりはなかった。それこそ、我が政をその他に任せて出ずっぱりなのが証だ』
「あんたがこうして顔を出しているのはせめてもの誠意ってことか」
『その通り。だが、中々そちらへ直に連絡繋げるのは難しくてね。様々な魔法を用いたところでほんの少しだけ出力が足らず、中継点的なものが要った』
「ふむふむ。それが、異世界的な魂を持った蘭だったのか?」
『その通り。こちらの目算として距離的に魂だけ少しこちら側にズレているんだ、彼女は。だからまず、蘭に連絡をしてみた。こういう事情なんだが、どうしようか、と』
「ああ、最初はそんな感じだったね……」
シングルテールを解いた、黒く長き髪を指先で遊ばせながら、蘭は感慨深げに呟く。
なるほど、偶々見つかった蘭が選ばれ、そして話は始まったと。だが、以降がやっぱりちょっと妙なんだよな。どうして蘭一人で戦っている?
せめて誰か助けがあればあんなボロボロにならなかっただろうに、と思う。
そんなオレの疑問に応えるように、ゴードリクは続けた。
『それで……こちらの事情に詳しくない我は方針を蘭と立てた。我としては、事情を広く暴露して賊共を早々捕まえ事態を収集したかったのだが……』
「ん? 蘭がそれを許さなかったのか? どうしてだ?」
「それは……魔法とか世に知れ渡ったら絶対悪いことにだって使われかねないと思ったし、何より……」
「何より?」
「ぐっ」
「?」
何より。その続きをオレは聞きたくて首を傾げたが、しかしなんだか蘭からはくぐもった声が出るばかり。
ぐ、愚かということだろうか。いや、流石にそれは決めつけるのが早すぎるな。
どんな考えがあって、蘭は力と情報を自分だけに留めたのか。それが気になりなんだかわくわくすらしていたところ。
「これ、ボクの魔法少女フラグじゃん、って思っちゃたからさ!」
「えー……」
そんな残念言葉に、オレのやる気はがくりと下がったのだった。
いや、なんでか三咲が分かるー、とか言ってるけど実際じゃああのズタボロは自業自得で、蘭がオレやゴードリクに迷惑かけたばかりで。
更にあのひらひらパステル衣装はただの趣味ということになり、やれやれだ。
「てい」
「痛っ!」
「ばかさねちゃんチョップだ。反省するんだぞ?」
「うう、めっちゃ痛い……ごめんなさい」
蘭は友達だ。だから、ホント、もう危ないこと独りでするなよな、と思うのである。
涙目の少女の謝罪を、オレは満足して受け取った。
『ふむ……中々面白い子だな。我の心に留めておこう』
だからその時、宙にまだ浮かんでたゴードリクの視線の熱が増したことに、オレはこれっぽっちも気づかなかったのだ。
ちょっと後で知恵熱出しちゃいそうなくらい頑張ったばかさねちゃんでした!
魔法少女タグ追加ですー。
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第十六話 敵の敵ってなんですかい?
そもそもこの作品、書き始めてから二年経っているという事実……もっと続き頑張らないとですね。
ばかさねちゃんの知略が炸裂する回ですね!
あの人達が再登場しますー。
蘭が魔法少女というものにハマったのは、第二の生をお母の作った献立と共に再出発をしたその直後のことだったらしい。
普通の人と同じものも食べられず、家族での食卓にてよく吐いてすらいた彼女は、それでもお姉ちゃんお姉ちゃんと付いてきてくれていた妹に心から感謝していたからこそ、いっそウザいくらいに妹に構い倒すことにしたのだった。
ナイムネに毎度抱きつかれて悲しみを覚え続けていた一ケ谷
この人好きな異性が出来た時にこれじゃヤバいのでは、と。だから、教材として女の子女の子してる魔法少女たちが活躍するアニメを蘭に見せたのだった。
そして、彼女はひらひらやマジカルが百合百合したりしながらも大団円繰り返すシリーズに見事に。
「それで、蘭というなんかちょっと前世オタク気質だったのかもしれない元男の子は、魔法少女アニメにハマって同化欲求を拗らせた結果魔法の世界の人に迷惑をかけながら魔法少女をしてるってわけなんだな?」
「うん。そうだよ、ばかさねちゃん! お姉ちゃんはちょっとアレなの……」
「まあ、確かにオレから見ても中々アレだが……まあ、それでも蘭も悪くはない。むしろ愉快でいいじゃないか」
「あのね、ばかさねちゃん……身内が面白いって実は悲しいことなの……」
「何! よくばかさねちゃんは面白いって言われるが、ひょっとしてそれはお母にとっては……」
「うん。結さんも残念に感じてるかも……」
「がーん、だな!」
オレは新事実を年下少女より――とはいえ既にばかさねよりは一回り成長している――学んで、顔から火がボーって感じだ。
なるほど面白いというのは、他人だから良いものなんだな。オレとしては、蘭とか三咲とかが身内でも恥ずかしくないが、でもいざなったら成ったでツッコミの毎日には流石に疲れてしまうかもしれない。
そう考えると、お母のツッコミ力はきっと昔から凄かったのだろう。実際どつく時のパンチ力はばかさねちゃんの超耐久力を貫通して余りある威力なのだから、それも当然か。
オレはお母がお母で良かったとうんうん。両脇で頷きに応じてうねうねするツインテールを見る杏の目はしかしどこか白い。
「ばかさねちゃんは、ばかさねちゃんだね……」
「うん? そりゃ、オレはオレだぞ?」
「そっか……」
首を傾げるオレに、しかししばらくして納得した杏。だからばかさねちゃんはばかさねちゃん。そういうことになった。
ちなみに今は一ケ谷家蘭の部屋で蘭とゴードリクから魔法的なお話を聞けるだけ聞いて、蘭も疲れてる様子だからひとまずお暇をしたそのちょっと後のことだ。扉の向こうにて全てを聞いていて、待ち構えていた杏が話があると告げたのは。
どうしてか三咲はおっぱい大きいからダメと追い出され、ちんまいものを付けた私と杏ばかりが近くの喫茶店にてゆっくりお話の最中。
奥の席でなんかミルクセーキというめちゃウマドリンクをあっという間に飲んでしまったオレは、お代わりしたいなあと思いながらもブラックなコーヒーをそのままゆっくり飲んだりしてる変わった味覚の杏を眺めながら、お冷で我慢。
氷硬いなあ、といった感想とともにガリガリしだしたところで、杏はこう話し出した。
「ごめんね。お姉ちゃんがこんなアホな事態に巻き込んじゃって……」
「いや、謝ることはない。だが、やはりご家族は全てを知っていていたんだな……」
「そりゃ、髪色と衣装を換えて玄関からこっそり出ていく姿を時々見るようになっちゃったらね……調べもするよ……そしてドン引きもしたよ……」
「……お疲れ様、だなぁ」
なんかサイドテールっていうのか、てっぺんからそんなものをぶっとく掲げている杏は、どうやら姉が何やら変なことに巻き込まれているとはまるっと知っていた模様。
というか、一ケ谷家のメンバー全てが、娘の魔法少女ごっこを生暖かい目で見つめていたそうである。
今までの楽勝ムードに安堵していた彼女らだが、これまでになく娘がボコボコにされた今回、大事になってしまったことを含め、関係者になったオレにこうして全てをゲロったという訳だ。
現在は一ケ谷のお父さんお母さんが蘭とゴードリクに詰問を行っている最中だろうとのこと。なるほど、そりゃ血まみれで家族が死にかけりゃ、皆本気になるのは当然だ。
家族仲が良くって素晴らしいといったところだな。まあばかさねちゃんだって負けていないだろうがなと思いながら、そういやお母達に遅くなる電話忘れてたなと思い出す。
素直に、オレは言った。
「そういや、家に電話するの忘れてたな……」
「あ、それなら大丈夫だよ、ばかさねちゃん。結さんにはお母さんからきっと大丈夫って連絡行ってると思うから」
「んー……それは、お母には既に全て話しているってことか?」
「うん」
「つまり、お母はオレの友達が魔法少女ごっこをして多方面に迷惑をかけたことを知って信じているってことか?」
「うん。ばかさねちゃんのお母さんだけあって、結さんも結構わんだふぉーな人だよね」
「なんと」
苦味を笑顔で飲み込む眼の前の子供と同じく、なんとも驚きだ。
お母は、確かにちょっと何かオレにも色々隠してそうな感じがあるが、それにしたって人から聞いただけの面白事態をまるっと信じられる器があるとは。
確かにワンダーフォーゲル? な感じだな。多分、クマさんとかお母は素手でやっつけてしまうのだろう。恐ろしい。
オレがついぶるっとしていると、杏は続けてこう言うのだった。
「あのさ……ばかさねちゃんは、どうしたい?」
「うん? どうしたいも何も……オレは、蘭の魔法少女ごっこと関係なく、悪いやつが現れたらやっつけるつもりだぞ?」
「噂に聞くに、ばかさねちゃんて基本的に9時にはすやぁって寝ちゃってるのに? 深夜に結構悪いことするみたいなんだよ、あいつら」
「そうか……それは困るな」
何故か噂になっているらしいオレの就寝時間はまあ、どうでもいい。
問題は、蘭のロールプレイに当てられたのか悪役を楽しんでるらしい異世界のチンピラ共の活動時間がオレのものと重ならないという事実だ。
これには、ばかさねちゃんといえども困ってしまう。寝ながらふらふら探して倒すのは出来ないこともないかもしれないが、疲れそうだ。
それに、意外にも奴らの中のトップに至ってはそれこそ王たるゴードリクにすら理解できない異常なレベルで空間操作の魔法が得意らしく、実力はもとより逃げ足すらも半端ではないそうだ。
実際、ばかさねちゃんきっく二連発では倒しきれなかった、そのタフさにもきっと魔法に所以したものがあるだろう。
正直なところ、中々
「まあ、オレがダメなら、それ以外で何とかするべきだな」
「え? それはどういう……」
そして、実は姉で敵わなかった相手を一蹴したらしきオレのことを少し頼りにしていた様子である杏は、オレの諦めに意外と表情を変える。
だが、オレにとって、グーがダメならパーを出してみるのはじゃんけんでの当たり前だ。
そして最後はダイナマイトで全勝を狙うのだってありなのだから、そんなばかさねちゃんがこう言うのも最早当然至極の流れだろう。
「なあに。今の友のためなら、切れた友情だって使ってみるもんだ」
そう、オレは格好悪かろうがなんだろうが、そんなこと知らない。
オレはオレ達の一番の筈だった、裏切り者をこそ信じて、首を傾げる杏に殆どないが確かにある胸を張るのだった。
そして、オレは土産もプロテインも特に何も用意せずに、休みだった翌日にふらりとそいつの家に向かい、ぴんぽん。
そのままダッシュしたくなる子供心を抑えながら、オレは白河邸の前にてふんぞり返る。
しばらくそれを続けて、反応がないままどうにも反り返る背中がバランスを崩しそうになったその時、そいつは反り立つ壁のような胸筋を顕に登場してきた。
いや、これはしばらく見ない間に少ししぼんでしまったか、筋肉が泣いているぞと慌ててオレが口にする前に、嫌悪より戸惑いが強い様子でそいつ、光彦はオレに挨拶をする。
「……こんにちは」
「おう、こんにちは、だな!」
「……で、どうしてキミはノコノコ敵である僕らのところまでまたやって来たんだい?」
のこのこ。どっちかといえばすたすたここまで来たような気もするが、確かに前の親友、今は敵同士という中々拗れた関係にオレも少々やるせなさを覚えなくもない。
だが、無視すら出来た筈なのに、光彦はこうしてオレの前に現れた。それはつまり対話の意志があるということであり、そして。
「それは、悪いやつを悪いやつにやっつけて貰うために、だ!」
「はぁ?」
「ふっふー」
それはこうして、オレのペースに巻き込むことだってできるということ。
少し前にしていたような、困惑顔を、少々使わなくなっていたところで見せ筋ではない隆起たちの上でさせる光彦にオレは笑い。
「あら、ばかさね。貴女にとっては素敵なことを乞うものじゃない」
「イクス……」
そして、当然のように光彦の影から顔を出したイクスは、オレを興味深そうに見つめて。
「悪の相克こそ、ワタクシの求めるところ。さて、詳しいことをここで、話しなさいな」
悪はそうだからこそ小悪党なんて望まない。笑顔を孤にして、イクス・クルスはきっと敵の敵と敵対することにするのだろう。
「それは、だなぁ……魔法少女やってる友達じゃそろそろ敵わなくなってきたから……」
「待って。何よ魔法少女って……ちょっと興味深いじゃない。もっと詳しく」
「イクス……」
そうしてオレがすやぁとしている時間に、異世界の魔法使いと吸血鬼と従者の戦いが繰り広げられることが、ここに確定したのだった。
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