紅美鈴が愛した外来人 (陰猫(改))
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1.平穏な日々の崩壊

 はじまりは本当に些細な出来事による日常の崩壊だった。

 本当に驚く程、些細な事であったが為に見逃していた事であり、しかし、深刻になる程の重要な事であったのは事実だ。

 いまにして思えば、普段から彼女を見ている私達ーーいや、せめて、私が早く気付いていればとこんな事にはならなかったのだろうと今でも思う。

 

 その日常が崩壊した日も晴れ晴れとした良い天気だった。

 私は朝日を浴びて背筋を伸ばし、「今日も一日、門番として頑張るかなあ」と呟きながら、紅魔館の門の前に立つ。

 いつもの通りの日常のいつも通りの朝だった。

 いつものパターンならこのあとに白黒の泥棒が昼頃に来て、弾幕勝負となるか、仕事中に日中の暖かさに眠気を誘われ、眠りに落ちるかの二択だろう。

 それ以外にも最近は紅魔館を訪れる人妖も増えたりしているが、そういう時は大抵、昼間か夜なので、こんな朝早くに来る者はほとんどいない。

 

 少し早いが、花壇の手入れもしておかなくては・・・。

 

 そんな事を考えていると不意に殺気と共にナイフが飛んで来た。

 あまりに唐突だったので思わず避けてしまったが、普段ならば、そのナイフは冗談半分のものだ。そのナイフを喰らい、私が痛がるのがお約束だ。

 人間ならいざ知らず、妖怪である私にはナイフの一本刺さったところでなんともない。

 寧ろ、眠気覚まし位には丁度良いがーー嘘。本音を言えば、そもそも、そんな起こされ方をしたくはないーーしかし、それはあくまでも私が業務をサボっていたりした時の事だ。

 こんな朝早くに飛んで来る物ではない。

 しかも、向けられた殺気は本物だ。彼女はーー咲夜さんは本気で私に牙を向けたのだ。

 

「ちょっーー咲夜さん!?」

 

 私は此方に身構える鬼気迫る咲夜さんに叫びながら、飛んで来るナイフを避け続けた。

 よくは分からないが、咲夜さんは大層、ご立腹なようだ。

 

 なんでこんなに怒っているのかなんて解らない?

 私が知らない間に彼女を怒らせるような事をしてしまったのだろうか?

 何はともあれ、事情を聞かなくては・・・。

 

「ストップ!ストップです、咲夜さん!」

 

 私も本気の声で叫ぶとようやく、咲夜さんのナイフが飛んで来るのが止む。

 

「どうしたんですか、咲夜さん?

 何をそんなに怒っているんですか?」

「何を言っているの、美鈴?

 貴女がまた魔理沙を侵入させてしまったからでしょう?

 ここまで騒音が聞こえるのに気付かないなんて注意力が欠けているのではなくて?」

 

 そんなまさかと思い、私は紅魔館で白黒の泥棒こと霧雨魔理沙の気を探る。

 咲夜さんの云う通り、派手に暴れているなら此処からでも彼女の気配が判別出来る。

 だが、弾幕勝負による闘争している気配どころか、魔理沙の気配すら読み取れない。

 

「咲夜さん。白黒の泥棒は来てないですよ」

「そんな訳ないでしょう?

 こんなにはっきり聞こえるのよ?」

 

 咲夜さんなりの冗談なのだろうか?

 いや、なら、さっき、咲夜さんは何故、あんなに殺意を振り撒いていたのか?

 

 何故だろう?・・・酷く嫌な予感がする。

 まるで大切なものが壊れてしまったような思いが拭いきれない。

 

「咲夜さーー」

「あら?お嬢様がお呼びね?」

 

 そんな声は聞こえない。

 無論、当主であり、吸血鬼であるレミリアお嬢様がこんな朝早くに起きてくる事自体が稀である。

 聞き間違いだと咲夜さんに声を掛けようとしたが、次の言葉を言う前に彼女は一瞬の内に姿を消していた。

 これについては今さら驚く事ではない。咲夜さんの能力だ。

 彼女は人間の身でありながら特殊な能力を持ち、その力を使って戦闘から日常まであらゆる事に活用している。

 

 だが、今回はそのせいで彼女に忠告をする事すら出来なかった。

 この時になり、私は咲夜さんに起こっている異変に気付く。

 胸騒ぎも強まり、私は紅魔館の中へと戻っていく。

 咲夜さんの様子は明らかに変だ。

 

 まずはお嬢様に相談しなくては・・・。

 

 そんな事をあれこれと考えているとお嬢様の悲鳴が聞こえた。

 私は気を感じ取り、お嬢様のいる寝室へと向かう。

 

「お嬢様!」

「美鈴!咲夜がーー咲夜が!!」

 

 小柄なレミリアお嬢様の身長まで屈み、いまにも泣きそうな彼女を強く抱き締めると視線を倒れた咲夜さんに向ける。

 恐れていた事が起こってしまった。

 

「咲夜さん!?」

「咲夜がーー咲夜がいきなり、倒れちゃったの!?

 どうしよう!どうしたら良いの!」

「落ち着いて下さい、お嬢様!

 咲夜さんなら大丈夫ですから!」

「朝から騒々しいわね?何かあったの?」

 

 戸惑うレミリアお嬢様を落ち着かせているとパチュリー様がこあちゃんと共にやって来る。

 その普段と変わらない姿を見るからに、やはりと言うか、魔理沙は来てない様子だった。

 つまり、あれは咲夜さんの嘘だったと言う事になる。

 だけれども、あの時、咲夜さんは本気で私を咎めた。

 それに聞こえる筈のないレミリアお嬢様の声の事も気になる。

 

「お嬢様」

「咲夜はどうしちゃったの!?私はどうしたらーー」

「お嬢様!」

 

 未だに混乱するお嬢様に叱咤するとレミリアお嬢様はビクッと腕の中で震え、涙目でこちらを見詰める。

 私だってスゴく不安だ。

 確実に大切な存在が壊れてしまったのだから。

 

 だけれどーーだからこそ、咲夜さんがこんな状態なのだから、誰かがみんなを落ち着けさせなくてはならない。

 そして、それをまとめられるのは紅魔館の当主たるレミリアお嬢様以外にいない。

 

「・・・気持ちは解りますが、お嬢様はこの紅魔館の当主です。

 こんな時だからこそ、当主として心を落ち着けて、冷静にみんなに指示を出して下さい」

 

 私がそう告げるとレミリアお嬢様はしばらく、私と目を合わせていたが、ようやく、普段の調子に戻ったのか、涙を拭いて私たちを見回す。

 

「美鈴は咲夜を自室へ運んで。

 パチェはまだ何が起こったかなんて解らないでしょうけれども、永遠亭の永琳に至急、手紙を書いて頂戴。書き終わったら、小悪魔に手紙を届けさせて咲夜の容態を見て上げて」

「・・・わかったわ」

「わかりました」

 

 私たちは気丈に振る舞われるレミリアお嬢様に指示された通り、行動に移す。

 そんな中で私は自分を責め続けた。

 どうして、咲夜さんがこんなになるまで気の乱れに気付かなかったのだろうかと。

 

 私の気を操る程度の能力なら、そんな些細な変化に気付く事くらい簡単だったろう。

 自分を責めてもはじまらないのは分かっている。

 だが、それでも自分が許せない。

 

 考えるな。いまはおかしくなった咲夜さんの事だ。

 

 気を失っているから判断が難しいけれど、先程の様子からして普通の状態ではないのは誰が見ても明らかだ。

 ならば、拘束も考えなくてはならないだろう。

 私だって本当はそんな事なんてしたくはないが、状況が状況だ。

 暴れられたり、逃げられたりしないようにして八意先生が来るのを待っておこう。

 

 数時間経ってから、八意先生と助手の鈴仙さんが紅魔館へとやって来る。

 

 その頃には咲夜さんも意識を取り戻し、拘束された事に抵抗していた。

 普段の彼女なら、冷静に分析して自分の状態を受け入れられるだろうが、いまの気の乱れた咲夜さんは「裏切るの!?」と怒り任せに叫んだかと思えば、突然、「許して下さい」と泣き出したりと表情がーー精神がコロコロと変わった。

 まさに豹変だ。感情がコントロール出来ないかのように咲夜さんは泣いたり、笑ったり、怒ったりを繰り返す。

 そんな咲夜さんを見ていられなかったのか、レミリアお嬢様は途中で退席し、私が代わりに八意先生の診察結果を聞く事になった。

 

「先生。咲夜さんはどうしてしまったのでしょうか?」

「なんとも言えません。ただ、様子を見た限りでは彼女は統合失調症と云う精神的な病の可能性が高いわね」

「統合失調症?・・・それって一体、どんな病気なんですか?」

「簡単に説明すると精神的緊迫感を常に維持していた為に起こる症状よ。

 常時、脳をフルスロットルで動かしている人間に起こりやすい精神的な病いです。

 精神的病気ですから、長期的な入院やリハビリが必要となります」

 

 聞いている限り、深刻な病なのは解った。

 口調からするに八意先生にも難しい治療となるのだろう。

 

「咲夜さんは治るのですか?」

「ごめんなさい。完治は保証出来ないわ」

「そんな!?」

「それと前みたいな過度な労働は出来ないでしょうね。

 妖精メイドやホブゴブリンがいるとは言えども、実質的な業務のほとんどを彼女ーー十六夜咲夜は一人でこなしていた訳ですから。

 例え、無事に退院したとしても紅魔館の労働基準を改めない限りは同じ事を繰り返すわ。

 見直す事もオススメしておくわ」

 

 八意先生はそう告げると咲夜さんに注射を打って、大人しくさせる。

 

「彼女は症状が緩和するまで永遠亭で隔離します。

 精神的に落ち着くのにどれくらいの時間を有するかは私にもわからないけれども最善を尽くすわ」

 

 八意先生はそれだけ言うと部屋から出ていく。

 そんな八意先生を追う事も出来ず、私はただ、いままでの日常が崩壊する事へのショックの方が大きかった。

 咲夜さんも人間だ。いずれは別れの瞬間はやって来るとは思っていた。

 だが、しかし、それは人間の年齢的な老いによるモノからだと想像していた。

 それはレミリアお嬢様をはじめ、紅魔館の誰もが思っていた事だろう。

 

 それがまさか、こんな形で精神を病んだ事で現実となるとは思ってすらいなかった。

 

「ええい!」

 

 そこまで考えて、気合いを入れ直すと私は自分の頬をパシンと叩く。

 

 弱気な事を考えるな、紅美鈴!

 咲夜さんがもう、このまま、紅魔館で働けないと決まった訳ではない!

 八意先生もこれまでのように働けないと言っただけで働くのは完全に無理だとは断言していない!

 

 それに咲夜さんの事だ。

 

 私たちの心配なんて関係なく、きっとまたいつも通りに病気を克服してくれるだろう。

 

 それまでは私がしっかりしなくては・・・。

 

 こうして、咲夜さんのいない紅魔館の日々がやって来る。

 妖精メイドたちははじめの頃は咲夜さんがいなくとも真面目に働いてくれていた。

 しかし、咲夜さんが長期不在であると解るや否や、サボりや悪戯をはじめる。

 咲夜さんのいない間、紅魔館のメイド長は私がこなしていたが、全盛期の咲夜さんみたいにはいかない。

 私の性格も手伝って妖精メイドたちに厳しく出来ず、どうしても甘くなってしまう。

 そんな訳で咲夜さんの時と違い、完全にメイド長として舐められ、妖精メイドたちは好き放題をさせてしまうばかりであった。

 困ったものであるが、これが私の限界なのだろう。

 咲夜さんが退院した頃には元に戻っていると良いのだけれども、この荒れ果てた紅魔館を見て、また精神的に追い詰めたりしなければ良いが・・・。

 

 そんな悩みをレミリアお嬢様に漏らしてしまった。

 そうして、妖精メイド達の帰省と云う名の長期休暇を出さざる終えなくなってしまう。

 そんな時に妖怪の賢者がとある提案をお嬢様にした。

 

 アドバイザーを雇おう、とーー。

 

 聞くところによると咲夜さんの症状に近い状態を経験した人間に心当たりがあるんだとか。

 その人物は現在は職場復帰の為に訓練している真っ只中で妖怪の賢者が前々から気に掛けていた人物なんだとか・・・あくまでも又聞きの為、何処まで賢者の思惑なのかは解らないが、お嬢様にも考えがあるのだろう。

 そんな訳でその人間ーーあとで知ったが男性だったーーはお嬢様が運命を操作して幻想入りする手筈が整う。

 

 これが私と彼が出会う最初のきっかけとなった。



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2.紅魔館の改革計画

 咲夜さんの出来事から三ヶ月くらい経った頃ーー季節が夏へと移り変わろうとした時期ーー咲夜さんが退院したのはその頃であった。

 

 勿論、退院したとはいえ、まだ本調子ではない。

 そもそも、以前の調子に戻るかさえも分からない。

 八意先生も言っていたけれども、かつての咲夜さんではなく、いまの咲夜さんを見守って上げなくてはならないのだ。

 

 そんな退院して帰ってきた咲夜さんが最初にはじめた事は紅魔館のチェックであった。

 「ただいま」と言うでもなく、抜き打ちでそれを開始する姿は以前の咲夜さんのままである。

 だけれどもーーだからこそ、赦されない。

 咲夜さんが退院する前に私達が出来る範囲で妖精メイド達の悪戯したあとなどは片付けた。

 だが、咲夜さんからしたら、やはり気になったりするのだろう。

 しかし、最初から、あの調子ではまた長くは続かないだろう。

 キッチンの食料の在庫など細かなチェックまでしているくらいだが、そこまでまた細かな作業を彼女に押し付けるつもりもない。

 

 だが、咲夜さんはやはりと言うべきか、帰って早々にそこからはじめてしまった。

 

 いきなり、そんなチェックまでし出した咲夜さんを見て、レミリアお嬢様の表情は曇ったままである。

 やはり、咲夜さんにいままで仕事を押し付け続けた事を後悔なされているのだろうか?

 

 以前は咲夜さんに任せきりだった書類などの管理もお嬢様がやっているらしいし、やはり、当主として責任を感じているのかも知れない。

 そう仕向けたのは他ならぬ私だ。

 だからこそ、私も耐えなくてはならない。

 

 ただ、私にも出来る事は何かないだろうかとは考えてしまう。

 お嬢様の悩みに寄り添い、咲夜さんを支える事が出来ないだろうかと・・・。

 

 夢物語だと言われてしまうかも知れないが、私はどうすれば、自分の理想的な結果を導き出せるか思いを巡らせる。

 

 そんな時であった。

 

「美鈴。みんなを呼んできて」

「あ!はい!わかりました!」

 

 私があれこれと悩んでいる最中にレミリアお嬢様から紅魔館のみんなを集めるように指示を受け、私は一旦、その場から退席した。

 咲夜さんではなく、私に頼む辺り、お嬢様も理解しているのだろう。

 過去の完璧だったメイド長である咲夜さんはもういない、とーー。

 

 現実とは時に非情だ。

 だが、それを受け入れなくてはならない。

 それが人間と妖怪が共に歩むという事だ。

 

 私は紅魔館に残っているみんなに声を掛けるとお嬢様の待つ玉座の間へと戻った。

 

「お待たせしました、お嬢様。

 間もなく、全員揃うと思います」

「そう。ご苦労様、美鈴」

 

 お嬢様は私にそう言うと紅魔館のみんなーー妹様、パチュリー様、こあちゃん、帰ってきた咲夜さんと私ーーを見渡す。

 

「今回の一件についてはもう聞いていると思うけれども、改めて報告して置くわ。

 咲夜が過労で倒れた。そして、統合失調症と呼ばれる精神的な病を患ってしまった。

 彼女はもう前のようにバリバリと仕事をさせられない」

 

 その言葉に咲夜さんが「お待ち下さい」と叫ぶ。

 

「私なら平気です!今一度、この十六夜めにチャンスを!」

「それがダメなのよ、咲夜。貴女はもう、昔の貴女ではない」

「そんな事はありません!何卒、私にチャンスを!」

「やめてって言っているでしょ、咲夜!これ以上、私を困らせないで頂戴!」

 

 食い下がる咲夜さんにレミリアお嬢様が悲鳴に近い叫びで彼女を止める。

 そんなお嬢様を見て、咲夜さんもショックだったのか、何も言えなくなる。

 私はレミリアお嬢様に近付き、彼女の背中を優しく擦る。

 

「お嬢様・・・大丈夫でしょうか?」

「ええ。ありがとう。もう平気よ」

 

 お嬢様はそう告げると私を手で制して下がるように指示されると真剣な表情に戻って、ある事を口にされる。

 

「咲夜の一件も含め、今回の事で紅魔館の業務内容などを含める環境を改める必要があると判断したわ。

 そこでまず、人員の拡大をしようと思うの」

「人員の増員って、どうするの、レミィ?」

「この幻想郷には様々な理由で外来人が来るのは知っているでしょう、パチェ?・・・まずは彼らを雇おうと思うの。

 人間の里の住人はダメだもの。咲夜の一件もあるけれど、うちの業務内容の辛さに耐えられる者がいないし、根本が根付いてしまったから、改革には至らない。

 咲夜の代わりを探せば良いのかも知れないけれど、私はまだ十六夜咲夜を手放すつもりはない」

 

 パチュリー様の言葉にお嬢様がそう答えるとパチュリー様は静かに考え込む。

 

「咲夜と同じ仕事内容が出来る人間がいるとは考えにくいわ。

 知っているでしょうけれども、幻想郷に来るのは世捨て人か仕事の辛さも知らぬ若い人間ばかりだわ」

「ええ。だから、複数人雇うつもりよ、パチェ」

「ただ雇うだけでは無理がなくて?」

「勿論、雇用テストもさせるわ。それで受かった者だけ雇う。それで良いでしょう?」

 

 どうやら、レミリアお嬢様は本気らしい。

 それが解ったからか、パチュリー様も何も言わなくなる。

 

「作法やマナーについては咲夜ーー貴女に任せるわ。

 戦闘などの門番の役目の候補などは美鈴がテストして」

「かしこまりました」

「わかりました」

 

 私と咲夜さんがお嬢様に一礼するとお嬢様は冷めてしまった紅茶を口にする。

 それを見て、レミリアお嬢様が「このままでいいわ」と言って咲夜さんを制する。

 咲夜さんに気を使っての事なのだろうけれども、咲夜さんはそれさえも遠慮されて俯いてしまった。

 レミリアお嬢様はそんな咲夜さんにどう接したら良いのか解らず、強引に話を持っていく。

 

「それと今回は特別な人間が来るわ。

 その人間は何の能力もないただの外来人だけれども、私が運命で導いた特殊な人間よ。

 恐らく、紫が連れてきてくれるでしょうから、みんな、忘れないようにね。

 私の導き出した刻限だと恐らく、夕刻ーー美鈴が気を抜いて眠っている時に咲夜が起こしに行く時の筈よ」

 

 随分と限定されているが、そうなるとこの張り詰めた緊張感のある紅魔館では、まだ少し先の話になりそうだと私は思った。

 それにしても、レミリアお嬢様が運命で導き出した人間か。

 

 恐らくは以前、噂で聞いた咲夜さんの症状に酷似した人間なのだろう。

 果たして、どんな人間が来るのか気にはなる。

 

「お嬢様。その人間とはどのような人間なのですか?」

 

 私が気になった事を咲夜さんが聞く。

 咲夜さんにして見れば、もしかすると自分の後釜になるかも知れないという不安もあるのだろう。

 恐らく、先程の十六夜咲夜をお嬢様が手放す気がないと言っていた事も耳に入ってなかったかも知れない。

 お嬢様も微かに表情を曇らせたが、すぐに平静を装う。

 

「古めかしい迷彩柄のパーカーを羽織った赤いTシャツの冴えない顔の男性よ。

 名前は■■■。またの名を陰猫(改)だったかしら。

 人間である事に誇りを持つ忠義に厚い社畜と呼ばれる部類だった少しーーいえ、かなり特殊な人間よ」



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3.彼との出会い

 あれから数週間が経った。

 その間に何人か紅魔館の面接に来た人を試験したが、完璧主義の咲夜さんが細かいせいなのか、それとも、作業は良いけれども募集した人間の性格に難があるのか・・・いずれにせよ、まだまだ紅魔館で奉仕出来るだけの技量の人は現れない。

 

 まあ、紅魔館で必要とされるメイドはほとんどメイド業務を兼任出来る全てを兼ね備えている人材という段階でハードルが高い気もするが・・・。

 

 こうなると身内から募集をした方が効率が良いかも知れない。

 例えば、霊夢さんや妖夢ちゃんみたいに顔見知りの存在だ。

 かく言う私の方も野心がある人間ばかりで加えて、幻想郷で能力に開花して力でモノを言わせるやりたい放題して来たタイプのゴロツキばかりしか来なくて、うんざりしている。

 本当にわかっていなくて困る。

 

 そもそも、人間が能力に目覚めようが、妖怪よりも勝ると考える事自体が誤りであると言うのに、その辺りを理解している人間がいないーーそもそも、そんな人物が紅魔館にやって来る事自体、恐らくはないのだろう。

 どうにも能力に開花すれば、妖怪と対等だという認識でいるのが人間のーー特に外来人の間で常識になっている認識なのであろうが、そもそも、妖怪が本当に弾幕勝負抜きで戦いを挑んだらのなら、能力があろうが、実際には勝ち目などないといった考えが抜けている。

 本当に加減する身にもなって欲しいものだ。

 

 こうも向こう見ずな人間ばかり相手をしていると疲れも溜まっていく。

 今日だけでも7回は試験に立ち合ったが、皆、暴力的で門番にすら適していない。

 寧ろ、いまの咲夜さんの事も考えるとそう言った輩には実力行使をしてでもご遠慮願いたい。

 

 私も少々やり過ぎなのかも知れないが、いまの紅魔館に相応しくない輩ばかりで参ってしまう。

 予想はしていたが、人間を雇うという行為がこれ程、至難の技だと後々が大変だなとは思う。

 

「・・・眠いなあ」

 

 連戦続きで流石に疲労が溜まってきた。

 私も妖怪だから、そこまでドッと疲れる程ではないけれども、朝から日が落ちるまで連戦続きだと気力的に落ちてしまう。

 

「・・・ちょっとだけなら良いよね?」

 

 私は独り呟くと門に背中を預け、瞼を閉じ、少し休憩をする。

 本日の面接時間は終わったし、ちょっとくらい眠ってもバレないだろう。

 

 そう。ちょっとだけ、なら・・・。

 

 激痛が走ったのはその瞬間だった。

 

「あた~!」

 

 久々に咲夜さんのナイフが頭に刺さって起こされた。

 前みたいに殺気もなく、冗談半分のナイフだ。

 

「も~。痛いですよ、咲夜さん」

 

 私は咲夜さんに文句を言いつつ、以前のような対応の彼女に内心でホッとした。

 そんな咲夜さんの方は呆れたような表情でため息を漏らし、以前と同じ通りに接してくる。

 

「貴女がキチンと仕事をしてないのが悪いのでしょう?・・・今日は特別な来客があるから起きているようにと言ったのに」

 

 特別な来客?・・・そう言えば、そんな話をお嬢様がされていたような気がする。

 ただ、今日とも聞いてない。

 

 咲夜さん、まだ聞こえているのだろうか?

 

「さてと・・・」

 

 私はポツリと呟くと咲夜さんと私のやり取りを見守っていた男性に振り返る。

 殺気はない。寧ろ、呆れられているのが、その表情から読み取れる・・・いや、呆れられているというよりはその様子からするに心配されているというべきか。

 こんな顔をする人間がまだいたとは思わなかった。

 

「・・・あ~っと、こんにちは」

 

 しばし、考え込んだ様子をした後、彼は改めて挨拶からはじめた。

 この時点でなかなか珍しい人間だなと私は思った。

 なんと呼ぶべきか、彼には変わった気の流れを感じた。

 酷く頼りないけれども、芯があるような。

 そして、優しそうな気の流れである。悪い人間でないのはよく解る。

 

「はい。こんにちは。お恥ずかしいところを見せちゃいましたね?」

 

 敵意のない事もあり、私は彼に気さくに話しかける。

 こうまでも敵意がない人間は久しぶりだ。

 

「それで紅魔館には何か御用ですか?」

「あ、はい。紅魔館の短期バイトの件で・・・」

「ああ。バイトをご希望の方ですか。本日のバイトの面接は午後3時までとなります。

 ご足労頂いて申し訳ありませんが、また明日にでも来て下さい」

「そうですか。ありがとうございまーー」

「待ちなさい、美鈴」

 

 お礼を言って、すんなり帰ろうとする彼とそんな彼を遠回しに追い返そうとする私に対して咲夜さんが口を開く。

 

「その男性が恐らく、お嬢様の仰っていた方よ。

 そうでしょ、妖怪の賢者様?」

 

 その言葉で今更に気付くが、確かに彼の隣にはスキマと呼ばれる空間から身体を半分出して頷く妖怪の賢者ーー八雲紫の姿があった。

 

「ええ。その通りよ。紅魔館のメイドさん」

「大変失礼致しました、陰猫(改)様。

 お嬢様がお待ちです。どうぞ、此方へ」

「あ、はい」

 

 成る程。彼がお嬢様の仰っていた人物なのか。

 確かに袖がボロボロのジッパー付きの迷彩柄のパーカーを羽織り、赤いTシャツを着ている。

 だが、聞いていたよりも表情は冴えてなくは見えないとは思うのだが、お嬢様の皮肉だろうか?

 

 そんな事を考えながら彼を観察していると不意に陰猫と呼ばれた彼は足を止め、妖怪の賢者様に振り返る。

 

「紫さん?」

「此処からは陰猫さん一人で行ってね。私は陰猫さんの部屋から替えの衣服を取りに行って来るから。

 ああ。安心して貴方がいない間にガサ入れなんて真似はしないから」

「そうですか。それじゃあ、お願いします」

 

 いやいや、いまのは明らかにガサ入れしますよって妖怪の賢者のフリではないだろうか?

 

 当の本人は妖怪の賢者ーーもとい、八雲紫を信じているのか、そんな事を全く思っていないようである。

 この陰猫という人物もつくづく、お人好しなのだろうか?

 それとも、天然で返しているのだろうか?

 

 いずれにしても、そんなお人好しの彼がこの幻想郷でやっていけるかが心配になる。

 案の定、咲夜さんが彼に忠告をする。

 その顔から察するにあまり理解はしてないようにも思えるが、咲夜さんの言う事に対して、とりあえず、彼は納得をした様子であった。

 しかし、成る程。お嬢様の言う通り、彼はかなり特殊な例の人間のようだ。

 

 咲夜さんの忠告も終わったようだし、彼女の事も含め、私からも彼にアドバイスしておくとしよう。

 

 そう思った矢先、咲夜さんに翳りが見えた気がした。

 

「あ。咲夜さん」

 

 気が付いた時には彼ではなく、咲夜さんに声を掛けていた。

 あまりにも一瞬だったので気のせいだったのかもと思ったが、咲夜さんがおかしくなった時に見落とした自分の事を思い出し、やはり、口に出さなくてはといけないと考えを改め、此方に「なに?美鈴?」と顔を向けて来る咲夜さんに口を開く。

 

「いや、大した事じゃないんですが、無理はしないで下さいね。あんな事があったばかりですから・・・」

 

 そう告げた瞬間、咲夜さんの表情が凍りつく。

 ああ。そんな顔をしないで下さい。

 違うんです。咲夜さんを責めている訳じゃないんです。

 そんな顔をさせたくて言った訳じゃないんです。

 

 そんな言葉が脳裏に浮かんで来たが、言えずに終わってしまった。

 いや、仮に咲夜さんに言ったとしても、彼女の自尊心を傷付けるだけなんじゃないかと不安になり、それ以上は何も喋れなくなってしまった。

 

「・・・解っているわ」

 

 咲夜さんは彼を案内する素振りで私から顔を背け、館へと戻って行く。

 彼女を傷付けてしまったかも知れない。

 

 だが、それ以上はどう声を掛けたら正解なのかも解らない。

 結局、考えあぐねて私と咲夜さんのやり取りを見守っていた彼に声を掛ける事で気持ちを切り替えようとした。

 

「貴方も少し気が乱れていますね?・・・いや、これは回復に向かっているのでしょうか?」

 

 思った事を口に出したが、本当に解らない。

 特段、どこか悪くしている感じではないのに脆い何かを感じるが、それと同時に芯の強さがはっきりしている。

 まだ出会ったばかりで何を考えているのかすら解らないが、包み込まれるような優しいモノすら感じる。

 

 こんな気を放てる人間となると彼は相当、愛されて来たのだろうか?

 

 気を察するだけでは本質までは見抜けないが、彼と云う人間に少し興味が湧いた。

 

「兎も角、貴方も無理はしないで下さい」

「はい。美鈴さんも無理はしないで下さいね?」

「私は大丈夫ですよ。たまに運動したり、寝てますからね・・・あれ?私、貴方に名前言いましたっけ?」

「美鈴さんの事は知ってます。確か、気を操る程度の能力だとか・・・」

「わっ!スゴい!よく知ってますね!」

 

 何故、私の事を知っているのか気になるが、褒められる事の少ない私としては嬉しいものである。

 

「あとは一日中、門番をさせられているとか、うたた寝して簡単に魔理沙を入れてしまうとか」

「うぐっ!そこまで御存知ですか・・・」

 

 これはあれだろうか?

 上げて落としてを楽しむタイプなのだろうか?

 それとも素で言っているだけなのだろうか?

 

「でも、咲夜さんが倒れた事をきっかけに最近は一日ではなく、半日の警備になったんですよ」

 

 そう言ってしまった瞬間、しまったと思った。

 部外者に紅魔館の秘密を公にしてどうするんだと心の中で自分を咎めたが、時既に遅く、彼は「あれ?」と首を捻り、その疑問を口にする。

 

「そうなるとその間は誰が門番を?」

 

 こうなってしまったら最早、あとには引けない。

 

 ええい!もう、この際、彼に日頃、気にしている事をぶちまけてやる!怒られた時はその時だ!

 

 私は門番が夜中は不在な事など色々と彼にぶちまけた。

 そんな私に対して彼は真剣な表情で聞いてくれ、理解も示してくれる。

 それが余計に私の口を達者にさせた。

 

「陰猫(改)様。いつまでも美鈴なんかと話をしてないで早くいらして下さい。お嬢様をお待たせする訳には参りませんので」

 

 ある程度、私が喋ったあと、焦れたように咲夜さんが彼に口を尖らせる。

 

「あ、はい。すぐ行きます」

 

 咲夜さんの言葉に彼は答えると私に笑う。

 

「それじゃあ、美鈴さん。また今度」

「はい。またお話ししましょうね?」

 

 私は笑い返して軽く手を振り、紅魔館の中に入っていく彼を見送る。

 

「あ」

 

 それからしばらくして彼の言葉を思い返して、私はある事に気付く。

 もしかして、『美鈴さんも無理をしないで下さいね?』って咲夜さんとの距離が気まずくなった私の心情を察して言った台詞だったのか・・・。

 

「・・・陰猫さん、か」

 

 さりげない一言だったが、私の事も心配されるなんて思わなかった。

 そんなさりげない気を使える彼に少しだけ心がときめいた気がした。

 

「ーーって、いやいや!いくらなんでもチョロ過ぎるだろ、私!」

 

 頭の中を過った思いを否定するように叫ぶと私はいまの感情を忘れようと自分の顔をバシバシと叩く。

 いま思うとこの時から既に彼に惹かれていたのかも知れない。

 隙だらけで人をすぐ信用し、優しい言葉をさりげなく言える彼に・・・これが故意的なモノであったのなら、余程の女たらしであろう。

 そうじゃないから余計にタチが悪い。

 

「さ、さて、今日も頑張りますか!」

 

 私は誰に言うでもなく、叫ぶと普段通り、門番の役目に励む。

 こんな時に白黒でも来てくれれば、丁度良い気分転換になるのだが、生憎と云うべきか、こんな時に限って来ないものであった。



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4.仕事を終えて

「美鈴。お疲れ様」

 

 夜になって私が紅魔館にある自室に向かう最中、反対側から歩いてくる咲夜さんに声を掛けられた。

 声とは裏腹にその表情は普段のポーカーフェイスでも隠しきれない程にどこか暗いものであった。

 夕方頃に私が言った言葉をまだ気にして引きずっているのだろうか?

 

 ここは私が折れて謝った方が良いだろうか?・・・いや、それでは意味がない。

 だけれども、咲夜さんのあの傷付いた表情を思い出してしまうと心を鬼にする事は私には出来そうにない。

 

 結局、私は彼女に謝っておく事を決める。

 

「あの、先程はすみません。余計な事を言ってしまって・・・」

 

 咲夜さんは謝る私のその言葉に対して何も言わずに俯いてしまう。

 寧ろ、あの時の言葉を思い返して何も言えなくなってしまったのであろうか?

 

 そんな事を考え、どうやって話題を変えるか悩んでいると咲夜さんから話題を振ってくる。

 

「美鈴」

「はい。なんでしょう?」

「貴女の目から見て、あの陰猫(改)と云う男性の事をどう思う?」

「えっ!?」

 

 その言葉に戸惑ってしまう。まさか、咲夜さんも異性の男性として彼の事を意識しているのだろうか?

 

「ーーって、違う!違う!」

 

 何気なく思ってしまった自分の心の声に思わず叫びながら私はいまの思いを否定する。

 そんな私の様子を見て、咲夜さんが目を丸くして尋ねて来た。

 

「急にどうしたのよ、美鈴?」

「え?あ。い、いえ!なんでもありません!

 陰猫さんの事でしたよね!?

 私は特になんとも思ってませんよ!ええ!そうですとも!」

 

 咲夜さんは首を捻って私を改めて見詰める。

 自分でもおかしいくらいに彼を意識し過ぎなのは理解している。

 

 ーー落ち着け、紅美鈴!

 

 いままで色々な人間を見てきてじゃないか?

 人間の醜い部分だって嫌という程に見て来ただろう?

 それに彼以上にイケメンの男性からにだって何度か求婚されて来た事だってあるじゃないか?

 そう云った人妖も含めた男性の求婚などを断り続けて来て、いままでのように紅魔館の門番と徹していたじゃないか?

 

 そうだ。彼だって人間の醜さを持っているんだ。

 特別視する必要もなにもないだろう?

 

 ちょっと優しくされたからって今更、ときめくのは私らしくない。

 

 ・・・よし、冷静になって来たーーそれで・・・えっと、なんだったかな?

 

 あ。そうだ。咲夜さんが彼をどう思うか聞いてきたんだったな。

 

「えっと、その陰猫さんがどうかされましたか?」

「・・・いえ。なんでもないわ。少し思うところがあったのだけど、貴女の様子を見て、どうでもよくなったわ」

「思うところ、ですか?・・・よかったら話して下さいよ?」

「なんでもないと言った筈よ。本当に大した事ではないから忘れて頂戴」

 

 咲夜さんらしからぬ何か含みのある言い方だ。

 やはり、咲夜さんも彼に対して思う事があるのだろうか?

 

 咲夜さんが彼に何を思うかなんて、これっぽっちも気にしてない。

 気にしてはないが、紅魔館の家族として咲夜さんが彼に対して悩んでいるのなら、協力をしないととは思う。

 

「つれない事を言わないで下さいよ?

 私と咲夜さんの仲じゃないですか?

 どんな事でも些細な事でも気になっているのなら、相談に乗りますよ?」

 

 私が咲夜さんにそう言うと彼女はしばらく考えて込んでから口を開く。

 

「陰猫さんーーいえ、あの男は本当に紅魔館に必要なのかしら?」

「はい?」

 

 意外な言葉に思わず、聞き返してしまった。

 彼がいらないのではないかとはどう言う事だろうか?

 

「・・・えっと、なんで、そう思うんですか?」

「いまさっき、館内の縮小を提案されたのよ。

 あの男は私が行ってきたかつての功績を否定するの」

 

 咲夜さんはそう告げると悪寒でも感じるかのように自分を抱き締める。

 

「私はあの男が怖いのよ、美鈴。いままでやって来た事を全て否定されてしまうのではないかと思ってしまって・・・もしも、そうなら、私が私でいられなくなる気がするのよ」

「・・・咲夜さん」

 

 どうやら、私は思い違いをしていたらしい。

 咲夜さんが彼に対して抱いていたのは恋心どころではなく、寧ろ、恐怖心だったのだ。

 過去の自分の功績を全て否定されてしまっているように感じてしまって・・・。

 

 私は子犬のように震える咲夜さんに近付き、優しく抱き締めて囁く。

 

「大丈夫ですよ、咲夜さん。咲夜さんが頑張ってきた事は変わりありません。

 例え、過去の咲夜さんの行ってきた事を彼が否定しても、紅魔館のみんなは覚えていますから」

「そう?そう、よね?」

「そうですよ。それにこの事はきっと、いい方向に進みます。

 だって、お嬢様が選んだ人間ですよ?

 お嬢様は全てを理解した上で彼を紅魔館で雇われたんです。違いますか?」

 

 その言葉を噛み締めるように咲夜さんは私の腕の中で何度も頷き、少しずつ落ち着きを見せる。

 こんな風に咲夜さんと接するのはいつ以来の事だろうか?

 

「彼が信用出来ないのなら、お嬢様を信用して下さい。

 お嬢様も信用出来なくなってしまったら、私を信用して下さい。

 約束しますよ。何があっても私だけは咲夜さんの味方であり続けます」

「・・・ありがとう、美鈴」

 

 私の言葉に咲夜さんは落ち着きを取り戻したのか、笑顔になる。

 元が美人なのだから、やっぱり、咲夜さんには笑顔が似合うものだ。

 

「ところでもう1つ気になった事があるのだけれど、貴女、初対面のあの男とーー陰猫さんと随分と親しそうだったわね?」

 

 調子を取り戻した咲夜さんが私から放れると悪戯っぽく笑いながら意味深な事を呟く。

 その言葉に私は鼻の頭を掻いて惚けたフリをする。

 

「な、なんの事ですか?・・・気のせいですよ」

「貴女、もしかして・・・」

「ち、違いますよ!あれは・・・そう!一種の気の迷いでして!」

「ふうん。貴女、そんなに彼が気になるのね?」

「ちょっーーなんで、そうなるんですか!?

 ちゃんと私の話を聞いて下さいよ、咲夜さん!!」

 

 咲夜さんは私の変化を見て、愉快そうに笑ってくれる。

 少し恥ずかしい事ではあるのだが、久し振りに本当に楽しんでいる咲夜さんの顔を見れた気がして安心する。

 咲夜さんは彼を怖がっているが、キチンと話し合えば、きっと親しくなれるだろう。

 

 そんな気がしながら、私は此方の心情の変化を楽しむ咲夜さんを相手に他愛もないじゃれあいをしつつ、喋り込んだ。



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5.紅魔館のささやかな朝

 翌朝、日の光を浴びて私はあくびを噛み締めながらベッドから起き上がる。

 寝癖を直し、いつもの格好に着替えてから紅魔館のみんなよりも少し早い食事を摂るのが私の普段の朝だ。

 私は厨房へと向かうと自分の食事を作り始める。

 今日は冷たい物でも食べたい気分だったので冷やし中華を作る事にする。

 

 本来、レミリアお嬢様や他の紅魔館のメンバーは咲夜さんが作るのだが、咲夜さんが退院してからは霧の湖に出来たコンビニで食事を買う事が多くなった。

 八意先生から咲夜さんが包丁を持つ事を禁止するようにお嬢様に進言した事がきっかけで、それをどこからか嗅ぎ付けたのか、天狗が新聞のネタにこれを記事に記し、更にその記事を河童がきっかけにするようにコンビニという外の世界のビジネスをはじめた背景がある。

 経緯が経緯の為、あまり、コンビニで食事を買うというのは気が引ける事だが、背に腹は代えられない。

 私が紅魔館の食事を担当すれば良いのかも知れないけれど、お嬢様曰く、代わりの門番が着任するまではコンビニで良いとの事だった。

 

 妖精メイド達に支払う金額が食費に変わったのは良いが、その分の出費が他の組織の資金になるのは痛手だが、事情が事情なので、どうする事も出来ない。

 

 咲夜さんが戻って来てからも、それは変わらず、それどころか彼女がその買い物の担当になってしまっている。

 紅魔館内の人妖で他に買い出しが出来る者がいないからというのが理由の1つだが、それがかなりの代償を払っているのは誰の目にも明らかだった。

 

 そんな中、いまの咲夜さんがどんな心境で河童のコンビニへ向かうのか・・・分かってはいるつもりだが、かなり、屈辱的な気分なのだろう。

 パチュリー様の使い魔である小悪魔のこあちゃんが料理を作ってくれる事もあるけれど、こあちゃんの役目はあくまでもパチュリー様の補助だ。

 なので、パチュリー様の言葉が優先される。

 

 私も主従関係の重みは知っているので、それに関してはなんとも言えない。

 何よりもこあちゃんには咲夜さんが戻ってくる以前から頼っている。

 これ以上は彼女への負担を増やしてしまうのはお嬢様的にも申し訳なく思われるばかりなのだろう。

 

 それが解っているからか、お嬢様もパチュリー様が何か言わない限り、こあちゃんに紅魔館の事を頼ったりはしない。

 咲夜さんが戻って来た頃にはその関係性が更に複雑になり、こあちゃんに頼る事は遠慮されるようになった。

 こあちゃん自身もそれについて鼻持ちにかける事をしないが、咲夜さんにとってはそれが以前と異なる自分と向き合う事となり、更なる心の負担となっているのだろう。

 

 私だってなんとかしたい。

 なんとかしたいけれども、どうしたら良いのかなんて解らない。

 

「ーーあっ!しまった!」

 

 そんな風に悶々と考えて手を止めていたら、鍋の中の麺を茹ですぎてしまった。

 いかんいかん。コシのなくなった冷やし中華なんて食べた日にはやる気が減少してしまう。

 

 ーーとは言え、食材は限られている訳だし、贅沢は言えない。

 仕方なく、私は茹ですぎた麺で冷やし中華を作って食べ、門番として紅魔館の外へと出る。

 

 それから軽く太極拳の型で身体を軽く解し、日課である花壇の手入れからはじめる。

 

 以前の咲夜さんだったのなら、この時間に仕事を始めていただろう。

 

「・・・ダメだな」

 

 そんな事を思考してしまい、私は独り呟くと門に後頭部を預けた。

 いまの咲夜さんを受け入れなくてはならないのにどうしても、以前の咲夜さんといまの咲夜さんを比べてしまう。

 私もいまの彼女を受け入れられないでいるのだろうか?

 

 昨夜、彼女の味方を最後まですると言っておきながら、私が紅魔館の中で一番、咲夜さんへのわだかまりが強いじゃないか・・・。

 

 私は普段から被っている帽子を目深く下に傾けると瞼を閉じた。

 こうしていると自責の念だけが強くなる。

 

 こんな時だからこそ、誰かが咲夜さんの助けとならなければならないのにどうして、私はこうも弱いのだろうか。

 妖怪として人間よりも強かろうと大切な家族の変化を受け入れられない心の弱さが私を追い詰めて行く。

 この苦しさをどうやって、ぶつけたら良いのかさえも解らない。

 

 私はどうすれば良いのだろうか?

 

 そんな事を考えていると誰かが門の扉を開く音が聞こえた。

 私は扉へ振り返ると咲夜さんと彼に手を上げる。

 

「おはようございます、咲夜さんと・・・えっと、昨日の方」

「お早う、美鈴。貴女が起きているなんて珍しいわね?」

 

 挨拶を返された咲夜さんがそう言って冗談めかしに返して来る。その様子から察するに今日の彼女は大丈夫そうだ。

 

「おはようございます、美鈴さん。自己紹介がまだでしたね?

 改めまして、陰猫(改)と申します。以後、お見知りおきを。気軽に陰猫と呼んで下さい」

 

 相変わらず、彼は真面目に返して来る。

 その衣服は紺色のビジネススーツへと変わり、余計に真面目さが顕著に表れている。

 貴方がそんな風に言わなくても、もう勝手にそう呼んでますよーーとは言えなかった。

 流石にそんな事を口にしてしまうのは我ながら意地が悪過ぎるだろう。考えるまでもない。

 

「これは御丁寧に。私は紅美鈴です。

 昨日は言えませんでしたが、紅魔館へようこそ」

 

 そんな風に返すといつも以上に明るい笑顔を意識して彼を見詰める。

 出来るだけ彼に意識して貰いたくて。

 だが、彼の方は然して気にしてない様子であった。

 少し安心したような残念なような・・・なんとも複雑な気持ちになる。

 

「それで咲夜さん。こんな朝早くからどちらへ?」

「コンビニへ行って来るわ」

「え?またコンビニですか?流石にこうもコンビニのお弁当ばかりじゃ身体に悪いですよ?こあーー」

 

 そこまで言ってから私は自分の犯した重大な失態に気付く。

 ああ。またやってしまった。

 そんな顔をしないで下さい、咲夜さん。

 貴女を責めている訳じゃないんですーーいや、違う。本当はこんなになってしまった咲夜さんを心のどこかで責めているんだ。

 

 そう思ってしまったら、私までもが自己嫌悪に陥ってしまう。

 謝罪も口にしたが、咲夜さんの表情はドンドンと暗いモノへと変わり、自分を追い込んで行く。

 そして、同調するように私も沈みかけていく。

 そんな咲夜さんに対して私が次の言葉をどうするか悩んでいると不意に第三者である彼が口を開いた。

 

「そう言えば、美鈴さんも料理出来ましたよね?」

「え?あ、はい。中華料理風になりますが・・・」

「でしたら、私が門番を代わりますのでその間に美鈴さんがちゃちゃっと何か作っちゃって下さい」

 

 あまりにも意外な言葉に私と咲夜さんが顔を見合わせてから改めて彼を見る。

 彼自身は至って真面目だが、その発言の意味を理解しているのだろうか?

 

「え?でもーー」

「こんな朝早くに来客もないでしょうから大丈夫ですよ。それに私もこういう警備はやった事ありますので」

 

 やっぱり、理解していない。

 人間である彼がここに存在する事自体が危険であるという事に。

 

 あんまりにも危険性が分かってないので本当に心配になる。

 けれど、それ以上に紅魔館の食事事情も心配だ。

 結局、どうするべきか悩んだ結果ーー私は彼よりも紅魔館を優先する事を選んだ。

 

「う~ん。そうですね。たまには私が腕を振るいましょうか」

「ちょっーー美鈴まで!?」

「まあまあ、咲夜さん。私の代わりに門番をやっても良いと言ってくれる方がいるんですから。たまには私にも門番以外の仕事をさせて下さいよ」

 

 私の意図が解らないのか、咲夜さんも溜め息を吐いて渋々ながら承諾する。

 やっぱり、いまの咲夜さんはかつての咲夜さんとは違うと思いながら、私は彼に門番を頼むと厨房へと向かう前にお嬢様の元へと向かった。

 まずは咲夜さんの見立てが甘い事と彼の危険意識の低さを報告しておかなくてはならない。

 

 それにしても彼は本当にお人好しが過ぎる。

 まだ会ったばかりの人ーーそれも妖怪ーーにどうして、そこまで心を赦せるのか。

 本当に馬鹿な人だ。だからこそ、真っ直ぐな程、眩しくて手を伸ばしたくなる。

 

「ああ。そうか・・・」

 

 そこで私はポツリと自分の思いに気付く。

 そう。私も誰かに支えられたくて仕方ないのだ。

 壊れてしまいそうなのは咲夜さんやお嬢様だけでなく、私自身も含まれているのだろう。

 こんな時だからこそ、私も誰かに支えて貰いたいのだ。

 

 そんな事を思い返しながら、私はまだ朝であるというのに起こされ、不機嫌そうなお嬢様の機嫌を更に悪くさせてしまうのであった。



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6.妖怪は優しい人間を好む

 鼻歌を歌いながら私はテキパキと料理を作る。

 

「ご機嫌ね、美鈴?」

 

 そんな様子をパチュリー様に見られ、一言言われる。

 

「おはようございます、パチュリー様」

「珍しい事もあるものね。今日は貴女が料理番なの?」

「ええ。ちょっと色々とありまして」

「なら、私の分も用意して頂戴。たまには貴女の淹れたお茶も飲みたいわ」

「かしこまりました!」

 

 ただ料理をしているだけなのにこれだけ頼られるのは久し振り過ぎる。

 門番とは違う仕事に久しく、やりがいを感じた。

 咲夜さんには申し訳ないとは思うが、たまにはいいものである。

 

 レミリアお嬢様と妹様であるフランお嬢様の為に作ったのはお子さまランチだ。

 勿論、ただのお子さまランチではない。

 幼少期の咲夜さんが叱られて俯いた時や咲夜さんが来る前の紅魔館で日頃から大人達との交流で疲れきったお嬢様の為に作って来た私ーー紅美鈴流のお子さまランチである。

 

 きっと、お嬢様も妹様も喜んでくれるだろう。

 パチュリー様には冷やした麺とスープを御馳走しよう。

 魔法使いであるとはいえ、パチュリー様にはいつものようにこの夏を乗り気って貰わなければならない。

 咲夜さんには山椒の効いたピリッと辛い麻婆豆腐でも食べて貰おう。

 

 そんな事を考えながら、厨房から出て、料理を手にお嬢様の部屋へと向かう途中で普段、自分が守っている門へと視線を向ける。

 そう言えば、彼の献立を考えてなかった。

 時間もだいぶ経ってしまったし、すぐ出来るとしたら炒飯くらいか・・・。

 

 私はそれだけ考えるとレミリアお嬢様達の元へと急ぐ。

 

「・・・なによ、これ?」

 

 料理を持っていったところ、レミリアお嬢様の表情がますます不機嫌になる。

 

「私をバカにしているの、美鈴?・・・この歳になって、お子さまランチで喜ぶ訳ないでしょう?」

 

 どうやら、子ども扱いされたのが気に食わないらしい。

 フランお嬢様の方は美味しそうに食べてくれているというのに・・・。

 

 仕方がない。これはメニューを急ぎ、変更しなければならないだろうか?

 

「わかりました。いまから作り直します」

「待ちなさい」

 

 私がお子さまランチを下げようとするとレミリアお嬢様が待ったをかける。

 

「誰も食べないとは言ってないわよ。

 陰猫の事もあるし、あまり、時間をかけられないわ。今日はこれでいいわよ」

 

 そう告げるとレミリアお嬢様は私が下げようとしたお子さまランチを受け取り、パクッと盛り付けたチキンライスを頬張る。

 

「・・・おいしい」

 

 一口食べてレミリアお嬢様はそれだけ呟くと懐かしむようにお子さまランチをパクパクと食べる。

 

「・・・この懐かしい味・・・すっかり忘れていたわ。そうだったわね?」

 

 お嬢様はポツリポツリと呟きながら、お子さまランチを平らげ、余韻に浸るように目を閉じる。

 その閉じた目元からツーッと涙が零れたのを私は見逃さなかった。

 

 解ってはいる。お嬢様も苦しんでおられるのだ。

 咲夜さんの事、これからの紅魔館の事ーーやらねばならぬ事に以前のように甘えたり、苦しみを吐き出す事すら出来ない。

 それがいまのお嬢様の心境なのだろう。

 

 だからこそ、私は紅魔館の家族として力になりたい。

 

「・・・お嬢様」

「なにも言わなくていいわ、美鈴。久々に優しい味だったから、つい・・・」

 

 お嬢様はそれだけ言うと普段の表情に戻る。

 

「みんなの食事が終わったら、咲夜と陰猫を呼んで頂戴」

「わかりました」

 

 私は一礼だけすると器を下げて厨房へと戻っていく。

 後片付けは咲夜さんに任せて私はそろそろ戻らなきゃな。

 

 そんな事を考えながら、私は次の料理を作り始める。

 

 料理を作り終えた頃にはだいぶ時間が経っていた。

 流石にそろそろ危ういかとも思い、まかないの炒飯をおにぎりにした物を持って、彼の元へと向かう。

 

「おまたせしました。遅くなってしまって、すみません」

「いえいえ、お構い無く。それにそんなに時間は経ってませんから」

「そう言って頂ければ、助かります」

 

 本当にいい人過ぎるが、この幻想郷ではそんな善人ほど危機に陥りやすい。

 彼は最も典型的な妖怪に襲われやすいタイプの人間だと考えられる。

 

「これ、まかないですが良かったら、どうぞ」

「あ、ありがとうございます」

 

 彼はそう言って受け取るとガツガツと食べ始める。

 丁寧な態度はどこへやら、なんとも豪快な食べ方というべきだろうか。

 

「ごちそうさまです。美味しかったですよ」

「・・・そう、ですか?」

「? なにか?」

「いえ、なんて言うか、物凄く食べにくそうにしていたので」

 

 なんとなく、取り繕う形で食べにくそうと言ったが、実際にはワイルド過ぎて軽く引いたとは言えない。

 彼自身は奥歯が折れているからだと言ったが、見てはいけない部分に触れた気がする。

 

 その後は彼と軽く話をした。

 彼は門番の大変さが実際にやってみて大変だと言ってくれる。

 それだけで彼が本当に優しい事を言える人間なのだと思う。

 

 食べ方などには少しクセがあるが、それ以外を除けば、彼はなかなか細かく分析してくれる。

 私もそのせいでついつい日頃の愚痴を洩らしてしまう。

 

 異性とこれだけ楽しく話をした事はないと思う。

 それも門番の仕事について語る事なんてないと思っていた。

 

 そんな雑談をしていると咲夜さんが彼を呼びに来る。

 理由は解っているが、あえて二人には話さなかった。

 

 少し意地が悪いかも知れないが、これも二人の為だ。

 彼は咲夜さんに返事をすると私と別れ、紅魔館へと戻っていく。

 私は彼が去ると彼が門番をしてくれていた場所をチラリと見る。

 

 見た限り、足跡が幾つかあるが、全て彼の靴の跡だ。

 相当、暇を持て余したのが解る。

 

 本当に陰猫さんはいい人だ。

 そんなんだから、妖怪に気に入られて狙われるのだ。

 

 いまの私のように・・・。



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7.紅美鈴の苛立ち

 しばらく、私が門番の仕事をしていると咲夜さんが一人で戻って来た。

 

「あ、咲夜さん。陰猫さんはどうしたので?」

「あの人ならパチュリー様とお話しているわ」

 

 昨日はあの男だったのに、今日はあの人になっているな。

 少しは咲夜さんの中でわだかまりが落ち着いたのだろうか?

 

「それよりも美鈴。貴女に聞きたい事があるの」

 

 そんな事を考えていると咲夜さんが私に質問を投げ掛けてきた。

 咲夜さんが私に質問とは珍しい。いったい、なんだろうか?

 

「貴女、お嬢様に告げ口したわね?」

「ああ。その事ですか。確かにしましたがーー」

 

 そう告げた瞬間、咲夜さんの平手打ちが私の頬を叩く。

 普段のようにナイフが刺さるのとは違ったが、それでも咲夜さんなりの本気の平手打ちだった。

 

「美鈴のうそつき!」

「・・・咲夜さん?」

 

 ひっぱたかれた頬を押さえながら私は咲夜さんを困惑しながら見る。

 彼女にこんな顔をされるのはこれで何回目だろうか・・・。

 

「最後まで私の味方をしてくれるって言ったじゃない!

 どうして、告げ口なんてしたのよ!」

「そんなつもりじゃ・・・」

「私はまだ頑張れるって言っているのよ!

 なんで誰も私の言う事を信じてくれないのよ!」

 

 私は恨みがましく睨む咲夜さんの叫びに私の中で黒い何かが渦巻く。

 解っている。これ以上、咲夜さんにそんな顔をして欲しくはない事を・・・。

 

 でも、それ以上、自分の中でいままで抑え続けてきた感情が堰をきったように溢れだす。

 言っては駄目だ。言ってしまえば、取り返しのつかない事になる。

 心の中では解っている。

 でも、もう、偽り続ける事も、この感情を抑える事も出来ない。

 

「・・・じゃ・・・か」

「え?」

「しょうがないじゃないですか!

 咲夜さんはもう私の知っている咲夜さんじゃないんですから!

 咲夜さんが思っている以上にみんな、気を使っているんですよ!

 薄幸の美少女にでもなったつもりですか!

 自分だけが傷付いているみたいな事を言わないで下さい!」

 

 なんで、ここまで爆発したのかなんて解らない。

 ただ、解るのは自分の中のドロドロとしたものを吐き出してしまいたかったのは事実だ。

 咲夜さんが壊れた時から堪えていた苛立ちなどを含む感情を・・・。

 

 我に返った時には咲夜さんがショックで血の気が引いたようにサッと青くなっていた。

 

 ・・・言ってしまった。いままで堪えてきた自分の中の複雑になってしまった感情を。

 当たってはいけないとわかっていつつ、抑える事が出来ずに日頃から溜めていた自分の中の苛立ちをぶつけてしまった。

 

「・・・すみません。言い過ぎました」

 

 私は咲夜さんから視線を逸らすとポツリと呟くように謝る。

 もはや、彼女にどんな顔をすべきかも解らない。

 

 そんな事をしていると紅魔館の時計台が鳴り響く。

 紅魔館の時計台は本来、時刻を知らせる事は出来ても鳴る事はない。

 これも咲夜さんに色々と配慮をして仕組まれたアラームの一種だ。

 

 この鐘の音を意味する事は門番などの試験の合図である。

 

「・・・あの、いま言った事は忘れて下さいね?」

「・・・ごめんなさい。それは出来そうもないわ」

 

 もう一度、謝る私に咲夜さんはそれだけ言って紅魔館内に戻っていく。

 私はただ、黙って見送ってから、ついカッとなって門の壁に拳を叩き込んで当たってしまった。

 

 こんなつもりはなかったのに私は何をやっているのか?

 八意先生にも過去の咲夜さんではなく、いまの咲夜さんを受け入れるように言われていたのに・・・。

 

 咲夜さんを支えるどころか、引き離してしまった。

 

 こんなつもりじゃなかったのにどうして・・・。

 

「・・・ああ。本当に困った」

 

 私は独り呟いて歩き出すと本日の受験者達ーーもとい、チンピラ達を睨む。

 

「すみません。今日はかなり機嫌が悪いので加減が出来ないかも知れません。

 命が惜しい方は早めに辞退をお願いします」

 

 私はそれだけ言うと先手必勝と言わんばかりに攻撃して来たチンピラにカウンターで掌底をその顎に叩き込む。

 私の掌底を叩き込まれたチンピラは空中で三回転半すると後頭部から地面に叩きつけられて気を失う。

 やりすぎた気がしたが、罪悪感はない。

 寧ろ、この苛立ちを少しでも解消したい気持ちで青ざめる他のチンピラ達を一瞥する。

 申し訳なく思うが、今回の受験者達には私のストレス発散に付き合って貰うとしよう。

 

「辞退する気がないのなら結構です。

 本来なら、その意気込みだけでも称賛するんですが、先程も言ったように今日は機嫌がかなり悪いんですよね。

 ですから、加減は期待しないで下さい」

 

 私はそう告げると心の中でゴングを鳴らし、受験者達との戦闘に没頭する事にする。



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8.恋の自覚

 そうして、何グループかを打ち負かせてから最後のグループとなる重武装の戦士達と対峙する。

 まさか、鎧に身を包む輩がいるとは想定外だが、いまの私にとっては関係ない。

 如何なる装甲であろうと妖怪の攻撃を受けきれる訳がないのは事実だ。

 

 私は一番、重装甲の鎧を着た人間から始末する。

 恐らく、この人間を主軸にこのグループは形成されているのだろうという判断もあるが、これだけの重武装なら私の怒りの一撃にも耐えられるだろうと踏んだのが一番の理由だ。

 

 あとは主軸を失ったこのパーティーを打ち負かせば、終了である。

 そして、その考えは何一つ間違いではなかった。

 

「・・・本日も合格者はなし、と」

 

 そんな呟きを漏らしながら、周囲で呻くチンピラ達を一瞥する。

 

 ーーと、死角となる背後から気配を感じた。

 このグループで最初に倒した鎧の人間だろう。

 案の定、奇襲を仕掛けてきた。

 

「美鈴さん!後ろ!」

 

 そんな叫びが聞こえた気がしたが、行動するのは私の方が早い。

 私は鎧を着た人間に気弾を放ち、鎧を粉砕して、その人物を壁に激突させた。

 完全に沈黙したのを確認してから私は声がした方に顔を向ける。

 そこには心配そうにこちらを見る彼の姿があった。

 

「ありがとうございます、陰猫さん。お蔭で助かりましたよ」

「いやいや、私が叫ぶより前に美鈴さん、対応していたじゃないですか?

 私が何も言わなくても美鈴さんなら避けれたんじゃないですか?」

「・・・えっと、あはは」

 

 そんな風に褒められると悪い気はしない。

 普段、弾幕勝負などで評価されないから、こうやって誰かに称賛されるのも気持ちいいものだ。

 私が照れたように頭を掻いていると彼はもんどり打って呻く人間達を視線を移す。

 

「・・・えっと、この人達は?」

 

 ああ。そうか。彼は知らなかったんだったっけな。

 私は仕事には試験や面接も必要だという話をすると彼はひどく驚いていた。

 当然だ。彼はレミリアお嬢様が特別に招いた人間なのだから。

 

 当然、咲夜さんの面接も私の試験の事も知らないのだ。

 

「それはそうと陰猫さんはなんで、こんなところにいるんですか?」

「あ、はい。たったいま、地下の大図書館から戻って来たところです」

「ああ。成る程。パチュリー様にお会いしていたんですね?」

 

 そう言えば、咲夜さんがそんな話をしていたな。

 咲夜さんとあんな出来事のあったあとだったから、あんまり記憶していなかった。

 

 ーーと、新たなグループが入ってくる。

 

「・・・やれやれ。気の早い人達ですね?」

 

 私は彼に背を向けると身構える人間達を見据える。

 

「陰猫さん。この場は危ないですから、私に任せて下さい」

「・・・はい。美鈴さんも気を付けて」

 

 なんだか、ヒロインであるお姫様を助ける騎士みたいなやり取りだなと思いつつ、私はひとり笑う。

 お蔭で少し気が晴れた気がする。

 咲夜さんとのわだかまりはまだあるが、ほんの少し軽くなったようだ。

 

「・・・やれやれ。私もまだまだですね?」

 

 そんな事を呟きながら、私は深呼吸すると身構える人間達へ一気に間合いを詰めた。

 

 ーーー

 

 ーー

 

 ー

 

 試験が一段落したあと、私は再び門番へと戻る。

 紅魔館の方を見れば、咲夜さんと彼がシーツを干しているのが見えた。

 こうやって見る限りでは二人にわだかまりのようなものはないように見える。

 

 寧ろ、仲睦まじい間柄にもーー

 

「?」

 

 そう思った瞬間、チクリと胸に何かが刺さった気がした。

 物理的な何かではなく、心理的な何かだ。

 

 一体、いまの感情はなんなんだろう?

 

「遊びに来たわよ、門番」

 

 不意にそんな言葉に振り返ると博麗の巫女である霊夢さんの姿があった。

 

「あ、霊夢さん。いらっしゃい」

「あんたが起きているのもだけれど、心、此処に在らずって表情だったわよ?なにかあったの?」

「・・・えっと、あはは」

 

 反応に困る。私はいつものように笑って誤魔化そうとするが、霊夢さんには通用しなかった。

 

「ふ~ん。その顔は男絡みかしら?」

「ーーっ!?」

「その顔は図星のようね。あんたも妖怪とはいえ、女なんだし、恋の一つ位、別にいいんじゃない?」

 

 相変わらず、霊夢さんの勘は鋭い。

 ぐうの音もでない台詞を浴びせてくる。

 

「そ、それよりも咲夜さんの事で相談が・・・」

「咲夜?咲夜がどうしたのよ?」

「ええ。実はーー」

 

 私は咲夜さんとのやり取りの事を霊夢さんに話すと霊夢さんは面倒臭そうに溜め息を漏らす。

 

「・・・それで咲夜に暴言吐いちゃった訳ね?」

「ええ。私、どんな顔をして咲夜さんと今後、接したら良いのか・・・」

「別にいつも通りでいいんじゃない?」

「そんな訳にはーー」

「だって本当の事でしょう?・・・それにあんたが言わなくても紅魔館の誰かが、いずれは言ったわよ。

 それがあんただったか、そうじゃなかったかってだけで」

 

 相変わらず、霊夢さんは厳しい事を言う。

 だが、間違いではない。

 私が言わなくても、お嬢様が言う可能性だってある。

 それが私だっただけなのだ。

 

「まあ、悩みすぎない程度になさいな」

 

 霊夢さんはそうアドバイスしてくれると紅魔館の中へと入って行こうとする。

 お嬢様が起こした紅い霧の異変以降、霊夢さんは顔パスで入るようになったので今更、それに関して何か言うつもりはない。

 

「ああ。そういえば、紅魔館に入ったあいつって、どうなった?」

「あいつ?・・・陰猫さんの事ですか?」

「ああ。そんな感じの名前の奴だったわね?」

「陰猫さんなら屋上で咲夜さんとシーツを干していますよ」

「あっそ。なら、いいわ」

 

 そう告げると霊夢さんは再び歩き出そうとするーーが、また何かを思い出したように立ち止まり、私に振り返る。

 

「あんたの想い人って、あいつの事?」

「ーーなっ!?ち、違いますよ!!」

「その様子だと図星みたいね?

 あんな奴の何が良いのか知らないけれど、どこに惚れたの?」

「だ、だから、違いますって!

 ちょっと私の話も聞いて下さいよ!」

 

 そんなやり取りをしばらくした後、私は霊夢さんと別れ、彼に好意を抱いている自分を悶々と考えながら門番の仕事に戻るのであった。

 

 他の人妖から見ても私が彼の事を好きに見えるのだろうか?

 なら、この想いはやっぱり、恋なのか?

 

 咲夜さんの事もあるけれど、彼の事も今後、どんな顔をして見れば良いのか解らなくなってきた。

 とりあえず、いつものように門番にいまは徹しよう。



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9.慌ただしい昼間の出来事

「めーりん」

 

 体を動かして少し疲れ、うたた寝しかけた私に咲夜さんではなく、フランお嬢様が珍しく声を掛けてきた。

 

「これは妹様。どうされました?」

「お昼になるから、めーりんを呼んできてって咲夜に頼まれたの。

 咲夜、いまはめーりんと一緒にいたくないんだって」

「そう、ですか・・・」

 

 やはり、さっきの発言が相当ショックだったのだろう。

 謝っても許されない事だが、いまの私にはどうする事も出来ない。

 どうやったって答えが出ない。

 

「魔理沙も気にしていたよ?

 なにがあったのか知らないけれど、ごめんってしなきゃ駄目だからね?」

「ええ。ご心配掛けて、すみませんでした」

「私じゃなくて咲夜に謝らなきゃ駄目だよ」

「あはは。確かにーーあれ?」

 

 軽く聞き流してしまったが、いま、聞き逃してはならない名前が出たような?

 

 そんな事を考えていると紅魔館の方で爆発音が響く。

 

「なっ!」

 

 慌てて気を探ると魔理沙の気配があった。

 おそらく、私が受験者ことチンピラの相手をしている間に入ったのだろう。

 

 そして、そんな白黒の泥棒の近くには彼の気配があった。

 

 もしや、魔理沙が彼に使ったのか?

 彼女の代名詞ともいうべきマスタースパークを?

 

「ーーっ!?」

 

 嫌な予感がした私は慌てて紅魔館の中へと入ると彼女達の気配を詳しく探る。

 

 気配は厨房近くからする。

 その気配から察するに彼はまだ無事らしいが、非常事態である事には変わらない。

 

「めーりん、どうしたの?」

「妹様!ここに来るまでスーツ姿の男性に会いましたか!?」

「? ううん。見てないよ?ーーって言うか、誰なの、そいつ?」

 

 ・・・迂闊。おそらく、フランお嬢様が興味を持たないようにお嬢様が彼の事をおっしゃらなかったのだろうが、あまりにもパニックになりすぎて、そんな事を考えもしなかった。

 

「あ、いえ。えっと・・・」

 

 話題をすり替えようとしたが、フランお嬢様は完全に彼に興味を持たれてしまったようだった。

 

「魔理沙もそいつと遊んでいるのよね?」

「ち、ちがーー」

「私も遊ぶんだ♪どんな奴か楽しみ♪」

 

 私の言葉など完全に無視してフランお嬢様は館の中を飛んで行く。

 まずい事になった。いままで咲夜さんの力で拡張されていた紅魔館の中が狭くなっていて空間の把握が以前と異なっている分、タイムラグが発生するだろうが、空間が小さくなったという事は遭遇率も上がると言う事だ。

 

 こんな時、どうしたら良いのか解らない。

 

 どうしよう?どうしよう?

 

「あら。もうエントランスなのね?・・・まだ以前の紅魔館の感覚が抜けなくて困ってしまうわ」

 

 その声に顔を向けると何事か考え事をしていたレミリアお嬢様と遭遇する。

 

 これぞ、まさに天の助けだ。

 いや、レミリアお嬢様は吸血鬼だから、ヴァンパイアの助けとでもいうべきなのだろうか?

 

 なんて、そんな呑気な事を考えている場合じゃなかった!

 

「お嬢様!妹様が陰猫さんを!」

「どうしたの、美鈴?フランが陰猫に何かした?」

「あ、いえ、まだ何も・・・で、でも、そうだ!魔理沙が!」

「落ち着きなさい、美鈴。こんな時だからこそ、落ち着かなくてはならないーーそう教えてくれたのは他ならぬ貴女よ?」

 

 レミリアお嬢様はそう告げると瞼を閉じる。

 おそらく、運命を操作する能力で運命を見ていらっしゃるのだろう。

 

「・・・成る程。陰猫は紫が予め渡していたスペルカードを咄嗟に使ったみたいね?・・・自発的ではないようだけれども」

「え?どういう事ですか?

 陰猫さんも何らかの能力があると言う事ですか?

 それとも、他の外来人みたいに幻想郷に来て、覚醒をしたとかですか?」

「質問は一つ一つして頂戴な。はじめに陰猫は何の能力もないただの人間よ」

「で、でも、先程、お嬢様がスペルカードがどうのと・・・」

「前にパチェとアリスが人間でもスペルカードルールが適用出来るように扱える疑似的なカードがあるでしょう?・・・陰猫はそれを使ったのよ。

 名前も何もないただの魔力の籠められたカードだったのだけれど、陰猫はどうやって使ったのかしらね?・・・ふふっ。面白いわ」

 

 お嬢様は愉快げに微笑むとスタスタと歩き出す。

 

「何をボーッとしているの、美鈴?

 フランが陰猫と遭遇する前にあの子を止めに行くわよ?・・・あと、あの子の遊び相手は貴女がなって上げなさい」

「あ、はい!わかりました!」

 

 私はレミリアお嬢様と連れられて陰猫さんの元へと向かう。

 レミリアお嬢様は彼の場所が解るのか、その歩みに迷いがない。

 

「ねえ、美鈴?」

「はい。なんでしょう?」

「貴女、あの男が好きなの?」

 

 唐突なレミリアお嬢様のその言葉に反応が遅れてしまった。

 まさか、お嬢様もご存じなのだろうか?

 

「好きなら好きで別にいいのよ。ちょっと確認したかっただけだから」

「そ、そんな事は・・・」

「私の前で誤魔化す必要はないわ。

 貴女の正直な言葉を言いなさい」

 

 レミリアお嬢様のその言葉に私はしばらく沈黙してから口を開く。

 

「・・・そう、ですね。確かにこの感情は恋なのかも知れません。

 ですが、私は紅魔館の門番・紅美鈴です。

 咲夜さんやお嬢様がご結婚されるまでは私も孤高を貫くつもりです」

 

 私は自分に言い聞かせるようにそう答えるとレミリアお嬢様は「そう」とだけ呟いて私の前を歩いていく。

 そうだ。私はこの紅魔館を守る紅美鈴ーー自分だけが幸せになるなんて考えては駄目だ。

 

 これまで通り、告白されたとしても断り続けなくては・・・それに彼は人間で私は妖怪だ。

 仮に結ばれたとしても、その幸せが未来永劫続く訳ではない。

 だから、例え、彼に好意を持ったとしても、この気持ちは我慢しなくてはならない。

 

 そんな思いを胸に刻みつけ、私はレミリアお嬢様のあとについていく。

 すると丁度、フランお嬢様が彼と遭遇して行動に移そうとしていたところであった。

 

「そんなに弱いおじちゃんなら、壊しても良いよね?」

「駄目よ、フラン」

 

 フランお嬢様が能力を発動して彼を壊すか否かの寸前でレミリアお嬢様がフランお嬢様に待ったをかける。

 本当に間一髪過ぎて心臓に悪い。

 

 私は安堵の息を漏らしてからフランお嬢様のお相手をする為に彼女と共にその場を離れた。

 

「ねえ、めーりん?」

「はい。なんでしょうか?」

「どうして、そんなに嬉しそうなの?」

「え?」

「顔、笑っているよ?もう、咲夜と仲直りしたの?」

 

 フランお嬢様のその言葉に私は慌てて自分の顔に触れてみる。

 

 確かに笑っている・・・自分でも気付かなかった。

 

 どうして、私は笑っているんだろうか?

 彼が無事だったから安心したからか?

 それとも、こんな形であれ、彼とまた会う事が出来たからか?

 

 まだ自分の心に整理がつかないが、私の中で彼の存在が徐々に大きくなっていくのは解る。

 もしーーもし、彼から告白して来たら、私はノーと答えられるだろうか?



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10.二つの思い

 フランお嬢様と遊んでいる最中も彼が上手くやっているのか、気になってしまった。

 

「めーりん」

「え?あ、はい。なんでしょう?」

 

 私はテディー・ベアを抱き締めながら声を掛けてきたフランお嬢様に尋ねる。

 フランお嬢様のお部屋も随分と様変わりした。

 過去にレミリアお嬢様がフランお嬢様の能力の暴走を心配されていたような事もあったが、そのような運命を辿る事はなかった。

 霊夢さんが、魔理沙が、その運命からフランお嬢様を解放したからだ。

 

 魔理沙もそこで終わっていたのなら本来なら美談で済んだろうが、彼女は敢えて今のポジションにおさまった。

 フランお嬢様もそんな魔理沙に感化されたのか、自由気ままな地下の生活に戻った。

 

 かつてのような拘束などで縛る事はもうない。

 フランお嬢様は自らの意思で紅魔館の地下に閉じ籠っておられるのだ。

 

 いったい、魔理沙はフランお嬢様に何と囁いて、このような心変わりをさせたのであろう?

 

 そこだけは魔理沙とフランお嬢様だけの秘密の話らしいので教えて貰えない。

 まあ、それならそれで良いのだが・・・咲夜さんが成長して私の手を放れたような時のような寂しさがある。

 

「どうしたの?疲れちゃった?」

「いえ、そんな事は・・・」

「やっぱり、咲夜が壊れた事と関係あるの?」

 

 フランお嬢様はフランお嬢様なりに色々と考えておられるようだった。

 私はそれに対して、「咲夜さんは壊れてませんよ」と返答する。

 

「大丈夫です。咲夜さんの病気はきっと治りますから」

「そんなんじゃダメだよ、めーりん」

 

 私の紡いだ言葉にフランお嬢様はバッサリと返してくる。

 

「壊れたものは元には戻らない。

 例え、元に戻ったように見えても、それはもう別のものなの」

「違う。そんな事は・・・」

「現実を受け入れなきゃダメ。

 昔の咲夜が好きなら、壊れた咲夜を捨てなきゃ・・・」

「ーーっ!?やめてください、妹様!?」

 

 彼女が何を考えて、そのような発言をしたのか理解して思わず、止めようとする。

 

「ーーなんてね?」

 

 フランお嬢様はそう言って舌を出すと矛を納める。

 

「私だって咲夜が大好きだもの。例え、壊れてしまったとしても、お姉さまが捨てようとも私が大切にしてあげるの。

 精神が壊れながら自我を保つ事の苦しみが解らない訳じゃないからね?」

「も、もう、心臓に悪い冗談はやめてくださいよ~」

 

 彼女の気まぐれの行動に安心し、へたり込むとフランお嬢様は「ごめんごめん」と笑う。

 

「いまのめーりんはとっても、面白いからついつい、遊んじゃうの」

「そんな遊びは勘弁してくださいね、妹様?」

 

 どうやら、いつの間にか私はフランお嬢様の遊び相手からオモチャにチェンジしたらしい。

 

「めーりんで遊ぶのって、こんなに楽しかったんだね?」

「もう、最終的には怒りますよ!」

 

 私がそう告げるとフランお嬢様は「キャー♪」と楽しげに逃げていく。

 そんなタイミングで扉がノックされる。

 

「失礼致します、妹様。美鈴にお風呂が空いたので入るようにお伝えください」

 

 私ではなく、フランお嬢様にそう告げる。

 まだ怒っているのであろうか?

 

「咲夜。いまの話を聞いてたんでしょう?

 なら、もう許してあげたら、どうなの?」

「・・・」

 

 フランお嬢様の問いに咲夜さんは答えない。

 扉の向こうにいるのは気配を読まなくても解る。

 

「美鈴」

「はい」

「心配しなくても私は大丈夫よ。

 ええ。私は紅魔館のメイド長ですもの」

 

 その言葉には何かしらの含みが込められていた気がした。

 

「咲夜さーー」

「近寄らないで!」

 

 私が扉を開けようとすると咲夜さんは叫んで、その場から姿を消していた。

 

「・・・咲夜さん」

「咲夜。また壊れちゃうかもね?」

「呑気にしてないで妹様も・・・」

「う~ん。いま、会うのは逆効果かな。

 とりあえず、咲夜の言うようにめーりんもお風呂に入って来なよ?・・・私の気のせいじゃなきゃ、大丈夫じゃないのはめーりんも一緒だし」

「私も、ですか?」

「引力って奴かな。悪い方に引っ張られると周囲も引力で引っ張られる的なものって感じ?」

 

 彼女の言い分はもっともだ。

 そう考えたら、私も考えるのをやめた方がいいのかも知れない。

 

 私は「それでは」と一礼して、その場をあとにする。

 いま、私の中には二つの思いが渦巻いている。

 一つは咲夜さんへのマイナスの思い。

 

 そして、もう一つは・・・。

 

「あ、陰猫さん。どうも」

 

 愛しい彼に私のこの気持ちから救って貰いたいという身勝手な思いだった。

 

「め、めめ美鈴さん!?」

 

 それは驚くだろうな。異性が突然、自分の入っているお風呂にやって来たら。

 私は軽く聞き流し、彼の肌に触れて、まだ髭の剃り残しや垢を指摘し、一緒に入ろうと誘う。

 自分で言うのもなんだが、女性からこんな誘われ方をしたら普通は喜ぶだろう。

 しかし、彼はそれ以上に困惑して脱衣場から逃げるように出て行った。

 

 少し、からかい過ぎたろうか?

 

 そんな彼に触れた手で軽く臭いを嗅いでみる。

 紅魔館で使われている石鹸の香りに混じって人間の独特の臭いがする。

 

 私はその独特の薬の混じった臭いを堪能しつつ、私は誰もいない広々とした浴室で自分を落ち着ける為に自分を慰めた。



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11.美鈴の気持ち

 翌日、私は二日酔いになっていた。

 あの後、浴びるようにお酒に逃げてしまった。

 入浴前にも飲んでしまったが、咲夜さんの事や彼の事ーーその両方が私をお酒に走らせた。

 

「陰猫さん!昨日はすみません!」

 

 朝起きて、私は彼と遭遇した時にまず、した事は謝る事であった。

 入浴前にお酒も飲んでいた。

 出来れば、忘れてしまいたい事なのに昨日の事を頭はキチンと覚えている。

 

 だからこそ、余計に彼の顔を見るのが気まずい。

 ましてや、誰が入ってくるとも解らぬお風呂場で一人で彼を思って、あんな事をした後だと余計にだ。

 顔に出てないかが、かなり気になる。

 

 ここまで来てしまうと自分でも嫌でも理解してしまう。

 私は彼の事がーーその優しさに惹かれている事に。

 彼以上の人間に告白された事だってある。

 それなのにいまは彼がこれ程までにいとおしい。

 

 もしも、彼から告白して来たのなら私は彼を受け入れてしまうかも知れない。

 

 咲夜さんや紅魔館の変化で一種の気の迷いがそうさせるのかも知れないけれども、いまの気持ちは本物だ。

 

 早く彼の気持ちを知りたい。

 

 そんな話をしていると霊夢さんと妖夢さん、鈴仙さんがやって来る。

 彼と一緒にいた咲夜さんが恭しく一礼して彼女達に挨拶をする。

 

 しかし、霊夢さんはそれを無視して彼を睨んでいた。

 

「陰猫。あんた、紫やここの門番になにもしてないでしょうね?」

 

 霊夢さんの第一声はそれだ。

 更に追い討ちを掛けるように彼女は手に持っていた新聞を見せてくる。

 

 彼しか見てなかったから気付かなかったが、どうも、鴉天狗に昨日のお風呂場でのやり取りを記事にされていたらしい。

 気が緩んでいたとは云え、我ながら迂闊すぎた。

 

 目を通したが、幸い、私が自分を慰めていた事までは記事にされていないのでそこはホッとした。

 

 それにしても、妖怪の賢者様が私のライバルか・・・これは強敵だな。

 

 そんな事を考えながら、私は彼らが紅魔館に戻って行くのを見送る。

 さて、今日も今日とて試験で来る方々を試すとしよう。

 

「美鈴」

 

 そんな事を考えていると珍しくレミリアお嬢様が早朝だと言うのにやって来る。

 

「おはようございます、お嬢様。珍しいですね、こんなに朝早く起きてくるなんて」

「霊夢達が来たんだもの。流石に挨拶の一つでもしておかないと後がこわいでしょ?」

 

 レミリアお嬢様は欠伸一つをすると「それより」と言葉を続ける。

 

「バイトの試験はもうしなくていいわ」

「え?それはどういう・・・」

「言葉通りよ。あの三人がいれば、問題ないわ。それに・・・」

「それに?」

「なんでもないわ。ともかく、他の人間達が来たら追い返して頂戴。これは命令よ」

 

 よくは解らないが、いまの面子だけでお嬢様はローテーションを組むつもりなのだろう。

 思うところはあるが、お嬢様のお考えだ。なにかあるのだろう。

 

 私は「わかりました」と答え、門番の務めに戻る。

 

「ああ。それと・・・」

「え?まだ何か?」

 

 紅魔館へ戻ろうとして足を止めたレミリアお嬢様に訊ねるとお嬢様は新しい玩具でも見付けたような顔で私を見る。

 

「昨夜はお楽しみだったようね?」

「え?」

「私くらいになると臭いで解るわよ。

 美鈴。貴女、昨晩ーー」

「わー!わー!」

 

 愉快げに語ろうとするお嬢様の言葉に私は顔を真っ赤にして叫ぶ。

 

「そんなにあの人間が気に入っているのなら、貴女から告白しないの?」

「も、もう!やめてくださいよ、お嬢様!

 昨日も言いましたが、私は紅魔館の門番・紅美鈴ですよ!

 自分から言う訳ないじゃないですか!」

「陰猫から告白してきたら良いの?」

 

 レミリアお嬢様はクスクス笑いながら、私をからかって楽しむ。

 恥ずかしい事この上ないが、久々にお嬢様の本当に楽しそうな笑顔を見た気がする。

 

 それだけでも彼に惚れて良かったのかも知れないと思うのだった。



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12.仕事か私事か

 本日も紅魔館の外は何事もなかった。

 先日の事もあったので少し警戒していたのだったのだけれども問題視していた魔理沙が来る事もなく、昼間まで緊迫した状態で門番に徹する事が出来た。

 

 このまま、何事もなければ・・・そう思った瞬間、紅魔館内部から殺気を感じた。

 この殺気が誰のものかはすぐに解る。咲夜さんだ。

 

 恐らく、誰かと中で戦っているらしいのだが、加勢すべきであろうか?と少し考えてからやめる。

 いま、紅魔館には幻想郷の実力者が何人も集まっているのだ。

 私程度が加勢したところで足手まといになる可能性は高い。

 

 大丈夫。すぐ終わる。

 

 不安になりつつも心の中で必死にそう念じながら、私は内部の様子を探ろうとする。

 

 ーーが、しばらくして殺気が急に消えた。

 なにがあったのかは解らないが、レミリアお嬢様が仲介にでも入ったのであろう。

 そんな事を考えていると門が内側から開かれる。

 そして、中から出てきたのは三途の川の渡し船をしている死神の小野塚小町さんであった。

 意外な人物が現れたので私は目を白黒させた。

 

「小町さん?どうして、紅魔館に?」

「ああ。あんたか・・・無断侵入したのは悪かったね。

 ちょいと同業者にちょっと用があって来たんだよ」

「同業者って・・・まさか、陰猫さんが!?」

「ああ。そんな感じの名前の奴だったかな?」

 

 その言葉に私はクラっと意識が持っていかれそうになる。

 幻想郷にやって来て、外来人が命を落とすのは珍しくはない。

 

 しかし、それでもあまりに急過ぎる。

 まだ告白もなにもしてないのに陰猫さんが・・・。

 

「あっと、何か勘違いしてないかい?

 その陰猫って奴にお迎えが来たとかんじゃなくて、陰猫って奴が死神の紛い物を呼んだんで来たのさ」

 

 その言葉に安堵するが、それはすぐに疑問になった。

 死神の紛い物とはなんの事であろう?

 

「その紛い物に本来、まだ余命のある十六夜咲夜の魂が持ってかれそうになったんでね。それを止めにわざわざ能力を使って飛んで来たって訳さ」

 

 小町さんはあっけらかんとそう言って笑ったが、私は尚更、困惑した。

 

 陰猫さんが死神を呼んで咲夜さんの命を奪おうとした?

 何故、そんな事を?ーーこんな短時間の間に紅魔館の中で何が起こっていたのであろうか?

 

「何故、そんな事になっていたのかを教えて貰っても構いませんか?」

「そうだね?・・・あんたには知る権利があるし、そりゃあ、気になるよね。

 まあ、私もそれほど詳しくは語れないんだけれども、どうにも十六夜咲夜が薬を捨ててたのが原因らしいよ」

「・・・薬を、捨ててた?」

「ああ。それで症状がまた悪化しそうになったらしくてね?

 それから鈴仙とガチったらしくて、そこに陰猫が仲裁に入る為に呼んだって訳さ」

「えっと、肝心の情報が不足して解らないのですが、何故、鈴仙さんが咲夜さんと戦う事に?

 それに陰猫さんはどうやって、そんな死神を呼んだんですか?」

「私も詳しくは知らないって言ったろう?・・・まあ、話し的には十六夜咲夜が鈴仙を口封じ為に襲ったみたいな話だったかな?

 あと、陰猫って奴の方は私もよく解らないが、どうもスペルカードみたいなものを使ったらしいね。まあ、制御は出来てなかったようだけれども」

 

 なんのかんの教えてくれる小町さんの存在はありがたい。

 それよりも彼がスペルカードのようなもので紛い物とはいえども死神を召喚か・・・恐らく、例のスペルカード擬きを使ったのだろう。

 それだけ切羽詰まっていた状況だったのに私は・・・。

 

 そんな事を考えていると小町さんにでこぴんされた。

 

「あたっ!」

 

 本気で痛い訳ではないが、ついつい口から出てしまった。

 そんな私に対して小町さんは真剣だ。

 

「何を悩んでいるのか知らないけれども、悩んでもはじまらないだろう?・・・まずは行動に移さなきゃね?」

「で、ですが、私には門番の仕事もありますし・・・」

「そんなもの、いつものようにサボっちまいなよ。私の知っている紅魔館の門番って奴は万年昼寝していて来る者も拒まないような優しい奴だった筈だよ」

 

 かなり偏見があるが、確かに仕事に振り回されていた感は否めない。

 

 しかし、それでも・・・。

 

「美鈴さん」

 

 あれこれ悩んでいると不意に門の向こうから声を掛けられた。

 気が付けば、妖夢さんが佇んでいる。

 

「どうかされましたか、妖夢さん?」

「いえ、レミリアさんから美鈴さんの様子を見てきて欲しいと頼まれましたので・・・レミリアさんの食事も一段落されましたので」

「・・・そうでしたか。お手数お掛け致します」

 

 私が妖夢さんに微笑むと小町さんが「丁度良いじゃないか」と笑いながら妖夢さんと肩を組む。

 

「妖夢の嬢ちゃん。実はこいつがえらく中の事を心配しててね?

 少し門番を変わってやってくれないかい?」

「ちょっと、小町さん!?」

「ここにいたって何も解らないだろう?ーーそれよりもまず、自分の目で確かめて来てみ」

 

 私は小町さんにそう言われ、彼女のススメで半ば強引な形で妖夢さんに門番の務めを任せ、紅魔館の中へと連れて行かれる。



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13.好意はあれど、愛はなく

 小町さんに連れていかれて紅魔館の中に入ったが、特に異常は見られない。

 

「あら。門番じゃない」

 

 そんな声と共に最初に私を出迎えてくれたのは霊夢さんだった。

 

「霊夢さん。咲夜さんは・・・」

「安心なさい。咲夜については陰猫がなんとかしたから」

「陰猫さんが?」

 

 意外な人物の名前が口にされ、私がおうむ返しで返すと霊夢さんは「そうよ」と頷く。

 

「あんな状態の咲夜が本当にやっていけるのか疑問だけれど、咲夜がレミリアを裏切る事はない。なら、永遠亭から貰った薬を今後はキチンと飲むよう命令すれば、咲夜が破る事はない。

 だから、咲夜を紅魔館で働かせてあげてくれって言うのが、陰猫の言い分よ。

 レミリアもそれに対して了承したし、本当に陰猫が来てから変わったわね?」

 

 霊夢さんは半ば呆れた様子であったが、嫌味のようなものは感じられない。

 恐らく、今回の一件について不服に感じている事はないのだろう。

 或いはそれ以前にそこまで咲夜さんの症状に興味がないのか・・・。

 

 裏表がない素っ気ない霊夢さんの態度には私程度では理解出来ないが、彼女の言葉が本当なら彼がレミリアお嬢様を説得した事になる。

 そう考えると少し安心すると同時にこのまま、二人がくっつけば、上手くいくのではないかとも思ってしまう。

 

 もし、そうなったら私はキチンと祝福しなくてはな。

 

「・・・門番」

「え?あ、はい。なんでしょう?」

「あんた、陰猫と咲夜がくっつけば良いとか考えていたでしょう?」

「あ、いや、えっと・・・あはは」

「あんた、それで良いの?」

 

 笑って誤魔化したが霊夢さんには通用しなかった。

 それどころか、私の胸に秘めた思いにも気付いているのかも知れない。

 彼女なら十二分にあり得る事である。

 

 そう。私はーー私は咲夜さんにだって彼を渡したくはない。

 優しく接するのは私だけにして欲しい。

 その笑顔を自分だけに向けられたい。

 

 でも、私がそれを押し殺す事で二人の幸せに繋がるのなら私は・・・。

 

「おいおい。こんなところで悩んだって仕方ないだろう?」

 

 そんな私を後押しするように小町さんが呟く。

 

「あら?あんた、まだいたの?」

「つれない事を言わないでおくれよ。私だって今回は功労者なんだよ?」

「ああ。はいはい。そうね」

 

 小町さんと霊夢さんがそんなやり取りをしている間に私は私なりにあれこれと考える。

 確かに咲夜さんと陰猫さんが一緒になって支え合えば、それが一番ベストだろう。

 でも、咲夜さんの気持ちも彼の気持ちも知らない。

 

 ここは二人の気持ちを確かめるべきだろう。

 

 そんな事を考えながら、二人を探していると丁度、何かを話しているところに出会す。

 

「大丈夫ですよ。お嬢様は咲夜さんをただのメイドとしてではなく、紅魔館の家族として見ていますから大丈夫です。

 咲夜さんはもっと自信を持って下さい」

「ふふっ。美鈴みたいな事を言うのですね?」

「ははっ。私と美鈴さんとでは生きてきた時間が違いますから重みが違いますよ」

 

 どうやら、私の話をしているようだ。

 そう思ったら二人に声を掛けにくくなってしまった。

 彼は私の事をどう思っているのかを聞くチャンスだろう。

 

「考え方は美鈴に近いですよ」

「そうでしょうか?私は美鈴さんほど優しくはないですよ?」

「そんな事はありませんよ。付き合ってみれば、案外、お似合いかも知れませんよ?」

「からかわないで下さい。美鈴さんが私みたいな三十を越えた中年の男性を好きになんてなりませんって」

「それは解りませんよ。鴉の新聞にもあったように美鈴にも多少なりとも好意はあるでしょうから」

 

 あんな事があったのに妙に私の肩を持つな、咲夜さん。

 よく見れば、その顔は憑き物が落ちたような顔をしている。

 咲夜さんの中で何かが吹っ切れたのかも知れないが、それはなんなのだろうか?

 

 そろそろ、声を掛けるべきだろうか、そう思っていると彼がポツリと呟く。

 

「でも、私は四十代になってから恋愛や結婚について考えてますが、いまは良いですかね?」

「そんな事を言ったら、美鈴が悲しみますよ?

 本当のところ、美鈴が嫌いなのですか?」

「まさか、紅魔館の人達は小悪魔さんも含めて、みんな好きですよ。

 ただ、愛しているとまではいかないので期待に答えられるかどうか・・・」

 

 その言葉になんとも彼らしくて笑ってしまう。

 どうやら、咲夜さんや私の気持ちに彼は答える気がないらしい。

 

 それはそれで寂しいが、同時に紅魔館のアドバイザーとして選ばれた彼らしい答えだと思う。

 彼はあくまでも自身の役目を全うする為にここにいる。

 そう考えたら、少し気持ちに余裕が出来た気がした。

 

「二人とも不器用ですね?そんな事じゃ、いつまで経っても幸せになれませんよ?」

 

 そんな軽口を叩きながら私は二人に声を掛けた。

 

「・・・美鈴。いまの話聞いていたの?」

「ええ!陰猫さんが誰とも付き合う事がないと言う事までバッチリと!」

 

 私はそんな事を言いながら心配そうにする咲夜さんに元気よく答えた。

 それから少しだけ二人と話をして、その場を去った。

 

 結果的に私の思いは届かなかった。

 でも、それでいいのだ。彼は人間であって私は妖怪。

 そして、私は紅魔館の門番・紅美鈴だ。

 

 結ばれる事なんて決して許されない。

 

 それが理解できただけ良かった。

 

 

 ・・・それなのにこんなに胸が苦しいのは何故だろう?



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14.残酷な優しさ

 二人と別れてから、私は自室で気持ちを整理する。

 彼にとって私は紅魔館の家族の一人でしかない。

 それ自体が嫌な訳ではない。

 

 けれども、心のどこかでそれ以上を望んでしまっている。

 紅魔館の家族としてではなく、一人の女として幸せになりたい。

 そんな欲求が私にも残っていたのだろう。

 それが満たされなくて寂しくて、辛くて、恋しくて・・・。

 

「・・・こんなんじゃあ、ダメだな」

 

 私はひとり呟くと天井を仰ぎ見る。自分の中の女としての願望がここまで強いとは思わなかった。

 

 彼にそこまでの魅力があるからとかと言うよりは、いままで押さえ込んできた負の感情を誰かに聞いて優しく慰めて貰いたいという自分勝手な欲求がそうさせているのだろう。

 そして、願わくば、何もかもを忘れてしまいたくなるくらい情熱的な恋をしたいのかも知れない。

 

 それが壊れかけた紅魔館を私なりに支えた紅美鈴の願望なのだろう。

 彼は優しい。ただ、それだけである。

 優しいだけが取り柄のただの人間であり、それ以上でも、それ以下でもない。

 見かけもいままで私を口説き落とそうとして来た人間達よりも劣る。

 

 だが、だからこそ、いまのその優しさに癒されたいのかも知れない。

 こんな状態の私だからこそ、尚更にそう感じるのだろう。

 

「・・・よし」

 

 色々と整理が出来たら、だいぶ心に余裕が出てきた気がする。

 そろそろ、妖夢さんと門番を交代しなくてはーー

 

 そんな事を考えていると部屋の扉がノックされた。

 気を探れば、彼であった。

 

 そう思ったら、また気持ちか高ぶり始めてしまった。

 部屋もフランお嬢様が遊び来てから散らかったままだし、少しでも綺麗にしようと慌てて片付けに入る。

 

「ちょっと待ってて下さい。いま開けーーうわっ!?」

 

 ある程度、玩具を手に抱えて扉の向こうで待つ彼に返事をした瞬間、車の玩具を踏んづけて、そのまま盛大にひっくり返ってしまった。

 大した事ではないが、彼の存在を感じただけで舞い上がっている自分が少し恥ずかしくなってしまう。

 

「すごい音がしましたが、大丈夫ですか、美鈴さん!?」

「あたた・・・あっと。はい。なんとかですが」

「本当ですか?一応、咲夜さんを呼んできましょうか?」

「いえ!本当に大丈夫ですから!」

 

 私はそう叫ぶと彼にもう少し待って貰いながら、バタバタと部屋を片付ける。

 

「・・・よし。こんなものかな?」

 

 まだあちこち散らかっているが、最初の状態よりは幾分かマシになった。

 これ以上、彼を待たせると本当に咲夜さんを呼ばれそうなので平静を装いつつ、扉を開ける。

 

「お待たせしました。中へどうぞ」

 

 私はそう告げて彼を部屋の中へと誘い込む。

 そういえば、殿方を部屋に入れる事自体、これがはじめてかも知れない。

 

 彼は中に入ると部屋の様子をキョロキョロと見る。

 

「あ~。やっぱり、咲夜さんの部屋と比べて汚いですよね?」

「え?あ、いや・・・」

「気を使わなくて良いですよ。本当の事ですからね」

「えっと、十人十色でいいと思います」

 

 フォローとしては及第点だが、まあ、汚いですとはっきり言われるよりはマシだろう。

 

「それはそれとして、ゲームが結構ありますね?」

「あ。はい。最近は妹様が遊びに来る事が多くなりましたので」

「ああ。成る程。それでですか・・・」

「ところで此処へは何しに?私に何か御用でしょうか?」

 

 私がそう尋ねると彼は「ああ。そうだ」と思い出したように私を見る。

 

「美鈴さんが何か言いたそうにしていたから聞きに来たんですよ」

 

 その言葉に私はドキリとしつつ、「咲夜さんを一人にしたんですか?」と質問する。

 

「これはその咲夜さんの指示ですから。あとは好意を持ってくれている美鈴さんをフォローしろと霊夢に言われましたので」

「そうだったんですね?」

 

 私の事を思っての行動と言うよりは第三者に指摘されて、やって来たというのがなんとも複雑なところではある。

 しかし、それでもやはり、私は彼が好きなのだろう。

 

「う~ん。確かに陰猫さんの事は気になります。

 けれど、さっきフラれたばかりですし・・・」

「別にフッた訳では・・・」

 

 からかったつもりだが、こうやって悩む辺り、彼の堅物感が解る。

 こういう真面目すぎるところも彼の魅力の一つなのだろう。

 

「別に気を使わなくて良いんですよ。私も好意はありますが、ちょっと気になるとか、その程度ってだけですし・・・さっきもその、食事にでも誘おうとしただけですから」

 

 ちょっと気になるだけというのは嘘だ。バリバリに意識している。

 けれど、それを口に出すのが恥ずかしさもあって私は嘘をついた。

 彼も「そうなんですね」程度に受け入れて終わってしまう。

 

 ーーと不意に彼が扉の方を振り返り、おもむろに近付く。

 

「どうかされましたか?」

「・・・咲夜さん達がいました」

「え?」

 

 その言葉に私は硬直する。

 そして、次第に顔が真っ赤になって来た。

 

 私と彼の中をみんなが応援してくれているのだ。

 そんなに私は好きな事をアピールしていただろうか?

 

 自分でも解らないが、みんなに注目されていると考えると尚の事、本音が言い辛くなる。

 そんな風にいまからでも訂正すべきか悩んでいるとフランお嬢様がノックもせずに飛び込んでくる。

 

「めーいーりーん!あーそぼー!」

「い、妹様!?」

 

 妹様が入ってくると陰猫さんはしばし考えてから此方に背を向けて去ろうとする。

 

「あ、あれ?陰猫さん、どうかされましたか?」

「フラン様は美鈴さんと遊びに来たのでしょう?

 なら、厄介者はこの場にいるべきではないかなと・・・」

 

 唐突に彼は何を言っているのだろうか?

 なんで、そんな事を言うのだろう?

 

「厄介者だなんて!・・・あ、そうだ!

 折角ですし、三人で遊びましょう!構いませんよね、妹様!?」

「んー。陰猫のおじちゃんと遊ぶのはつまんなそう」

「妹様!?」

 

 フォローより自分の本音を言ってしまう辺り、フランお嬢様らしいが、いまはそうじゃない。

 彼もフランお嬢様にそう言われて苦笑する。

 これで彼が私の部屋から退室理由が出来た。

 

「そういう訳ですから美鈴さんはフラン様と遊んであげて下さい。陰猫はクールに去りますので」

「ちょっーー待って!」

 

 いかないで欲しいのに彼は出ていってしまった。

 

「めーりん。今日はなにして遊ぶの?・・・めーりん?」

 

 なんで、こうも上手くいかないのか。

 私の心は思いが空回りし過ぎてグシャグシャになってしまった。

 彼の事は踏ん切りがついた筈だと思っていた。

 けれど、それは思い違いだったらしい。

 

「どうしたの、めーりん?そんなに泣きそうな顔をして悲しそうな顔をして何かあったの?」

「・・・なんでもありませんよ」

「いまのめーりん、すごく辛そうだよ?

 なにがあったのか、フランにだけでも教えて?」

「本当に何もありません・・・本当に・・・何も・・・」

 

 私は心配そうにこちらを見ていたフランお嬢様を抱き締めて声を殺して泣いた。

 彼は確かに優しいかも知れない。

 それ以上に残酷なのだ。

 

 優しい中に意思の強さを持ち、自分以上に周囲の意見を優先する。

 だから、残酷な結論に至るのである。

 

 故に恋心などは彼には存在せず、それ故に通用しない。

 残酷で優しく、それで愛しいから届かない思いに苦しささえ覚える。

 

 私はしばし、フランお嬢様の胸で気持ちが落ち着くまで泣き続けた。



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15.紅美鈴の選択

 フランお嬢様に寄り添って貰い、落ち着くまで泣いた私はフランお嬢様に礼を告げ、門番の仕事へと戻る。

 理由はどうあれ、妖夢さんには私の代わりに長時間の間、門番をしていて貰ったのだ。

 本当に申し訳なく思うが、労いの言葉さえも浮かばない。

 それどころか普段のように明るく笑う事すら出来なかった。

 妖夢さんはそんな私に気にしなくてもいいと言ってくれたーーそれどころか、心配までされてしまった。

 私は大丈夫ですとは言ったが、彼女は門から離れる最後まで私の事を心配してくれているようだった。

 

「美鈴」

 

 そんな私に門の扉を開いて咲夜さんが声を掛けて来る。

 咲夜さんと面と向かって顔を見るのは久しぶりな気がするが正直、いまはあまり顔を合わせたくはない気分ではある。

 

「あっと・・・」

「ごめんなさい、美鈴」

「え?」

 

 咲夜さんらしからぬ意外な言葉に私がキョトンとしていると咲夜さんは本当に申し訳なさそうな表情で私を見詰める。

 

「貴女は私やお嬢様の事を気遣ってくれていたのに私はただ、困らせてばかりで・・・陰猫さんの事も私が余計な事を言わなければ、貴女は傷付かなかったでしょう。だから、本当にごめんなさい」

「・・・大丈夫ですよ。私はそんなに気にしてませんから」

 

 咲夜さんを安心させる為にも私はいつものように笑って見せようとしたが、上手く笑えなかった。

 きっと、咲夜さんから見てもいまの私は頼りなく見えていたと思う。

 

「本当に平気な人妖はそんな弱りきった顔をしないわよ。

 貴女、相当キツかったんじゃない?」

「・・・」

「お嬢様からの伝言よ。一時間後に私の元へと向かいなさい。その間はまた妖夢に頑張って貰うからーーだそうよ」

「そんなに休んでいたら妖夢さんに悪いですよ」

「貴女はそれどころではないでしょう? それにこれはお嬢様のご命令よ」

 

 そう言われてしまえば、私には何も言えない。

 私は「わかりました」とだけ咲夜さんに伝え、去っていく彼女を見送る。

 

「・・・よう」

 

 入れ違いに現れたのは魔理沙であった。

 普段と違い、大胆に箒に乗って紅魔館に乗り込むとかはせず、どこか此方を心配するように歩いて、紅魔館の前までやって来た。

 

「・・・白黒の泥棒」

「ああ。警戒すんなーーってか、マジでどうしたよ? 

 普段の紅魔館の門番らしくないのは私でなくても解るぞ?」

「あはは・・・ちょっと色々ありまして」

「・・・そうか」

 

 魔理沙は私の言葉に頷くと紅魔館の中には入らず、私の隣にちょこんと座る。

 

「なんとなく、わかるんだよな、いまのお前の気持ち。

 想いが伝わらなくてヤキモキする感じとか、そんなだろう?」

「貴女でも、そんな想いをするのですか?」

「そりゃあ、私だって女だからな。

 そいつはこっちの気も知らないで悠々自適に過ごしてやがる。そんなんだから焦れるんだよ」

 

 魔理沙にこんな事を言わせるなんて余程、罪作りな男がいるのだろう。

 彼女との仲を考えると香霖堂の亭主の事だとは思うがだろう。

 魔理沙の想い人とは、その亭主の事なのであろうか?

 

「あれだな。普段、一緒にいるくせにこちらの気も知らないあいつに私も涙が出るぜ。

 あいつは私の事をどう思っているのかとか、そんな事ばかり気にしちまうよ」

「貴女でもそんな風に思うのですね?」

「自分でも柄にもないとは思っているんだが、私はこう考える事にした。

 あいつから振り返る気がしないなら、いつか絶対にあいつが後悔したくなるくらいに魅力的な女になってやろうってな?」

 

 魔理沙にこんな事を言わせるなんて香霖堂の亭主も相当な罪作りな男性なのだな?

 

「だから、お前も頑張ろうぜ。お互いに報われる為にな?」

「ええ。私も貴女と香霖堂の亭主が結ばれる事を祈ってますよ」

 

 そう告げた途端、彼女は何を言われたのか解らない様子で首を捻る。

 その表情を見ても完全に理解してない顔であった。

 

「なんで、こーりんが話題に出るんだ?

 あいつはいまの話に関係ないだろう?」

「え? 違うんですか?」

「そりゃあ、私はれーー」

 

 そこまで言い掛け、魔理沙は口をつぐみ赤面する。

 え? まさかとは思うが魔理沙の想い人って、もしかして異性ではないのであろうか?ーーと云うか、彼女と親しい「れ」で始まる人物と言ったら限られてくる。

 まあ、あくまでも憶測だし、そうとは限らないかも知れないが。

 それにそうとつっこむのは気が引けるので黙っていよう。

 

「と、ともかく!そんなに気を落とすなよ!咲夜にフラれたからって気にすんなよ!じゃあな!」

 

 魔理沙は早口で捲し上げると帽子を深々と被って真っ赤な顔を隠して逃げるように箒に乗って、その場から去っていく。

 意外な事実を知った気がしたが、これは私の胸の内にしまっておこう。

 

 そして、それから一時間後、私は妖夢さんに門番を任せ、お嬢様のお膝元まで来る。

 

「お呼びでしょうか、お嬢様?」

 

 私は膝をついて恭しく彼女にそう告げる。

 顔は上げられない。いま、顔を上げたら気弱な思いがレミリアお嬢様にバレてしまう。

 そんな気がして顔を合わせられなかった。

 

「フランや霊夢から事情は聞いているわ。散々だったわね、美鈴?」

「・・・」

「陰猫に関してのシフトは変えさせるわ。貴女と鉢合わせせぬようにさせるから安心なさい」

「・・・はい」

 

 私はその言葉にただ頷くしかなかった。

 この思いが膨れ上がらないようにする為にも彼とはこれ以上、顔を合わせない方がいい。

 それは解っている。解ってはいるが・・・。

 

「それでね、美鈴。陰猫を我が眷族に迎え入れようと思うのだけれど、貴女はどう思う?」

「はーーえ?」

 

 気持ちを押し殺し、感情を表に出さぬようにしようと心掛けていた際にレミリアお嬢様がそんな事を言ってきたので思わず、顔を上げてしまう。

 

「正確には奴隷として一生、紅魔館で働かせようと思うの。

 私の家族を泣かせたのだもの。それ相応の報いを受けさせるのが当然だとは思わなくて?」

「だ、ダメですよ、お嬢様!?」

 

 私が止めるとレミリアお嬢様は「あら?」と呟いて小首を傾げる。

 

「なんでダメなのかしら、美鈴?」

「・・・だって、そんな事をしたら陰猫さんが陰猫さんじゃなくなってしまいます」

「別に構わないじゃない。そんな事」

「よくありませんよ!お願いですから陰猫さんに変な事をしないで下さい!」

 

 私が叫ぶとお嬢様は「ふうん」と何か面白いものでも見付けたかのように私を見据える。

 

「貴女、まだ陰猫の肩を持つのね?」

「・・・そ、そんなんじゃ、ありませんよ。私はただーー」

「紅美鈴」

 

 私が口ごもっているとレミリアお嬢様が私の名前を口にする。

 その口調には優しさがあり、表情には慈愛さえも感じられた。

 

「陰猫が欲しいなら力ずくで奪いなさい」

「な、なんで、そうなるんですか?」

「今更、繕う必要はないわ。もう我慢しなくていいの。

 貴女は紅魔館の為に尽力してきた。

 その心の脆さを私達に見せぬようにひた隠しにしながら」

「・・・」

「だから、貴女がどんな選択をしても私は貴女を赦すーーいえ、赦させて頂戴。

 それくらいしか、私には出来ない事はないし」

 

 レミリアお嬢様はそう告げると私にそっと近付き、私の瞳をじっと見てくる。

 そこからレミリアお嬢様の見ているこれからの映像が幾つか見えた。

 

「解るかしら、美鈴。これは数多ある運命の一つに過ぎない。

 これは陰猫という人物を招き入れたこの世界のーーそして、その世界の貴女にだけ赦された特権なのよ。

 女としての幸せを取るか、このまま紅魔館の門番として永遠の日々を過ごすか、すべては貴女の選択次第」

 

 レミリアお嬢様はそう告げると目を伏せ、私に背を向ける。

 

「もう一度、言うわ。貴女はもう我慢する必要はない。

 貴女は貴女の意思で陰猫の心を掴み取りなさい。

 必要なら咲夜に陰猫を向かわせるわ」

 

 その言葉に私は最早、考える事が出来なかった。

 次の瞬間にはお嬢様に一礼して部屋を出ていき、お嬢様が見たビジョンの通りの行動を取った。

 

 運命が複数あり、世界が幾つあるかなんて私には解らない。

 ただ、その一つの選択に彼があった。

 だから、私は自分の欲望に忠実になった。

 

 陰猫さんと結ばれる選択を。



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16.小さな幸福

 意思が決まれば、あとは簡単だった。

 食堂で彼の食事を用意していたこあちゃんに代理を申し出、彼の部屋に侵入して身体を重ね合わせる。それだけだった。

 

「美鈴さん。どうして・・・」

 

 唐突な行為に彼は狼狽えたが、私はキスで口を塞ぎ、彼に気を送る事で精気を力ずくで増強させ、そのまま男女の営みに励んだ。

 はじめの内は彼も拒んでいたが、キスをした時に流し込んだ気でがむしゃらに私を求めてくれた。

 彼の本意ではないにしろ、私はそれで満足だった。

 

 そして、行為からしばらく経ってから彼はもう一度、「どうして・・・」と私に問う。

 私はシーツで裸を隠して彼を見詰めた。

 

「あなたを好きになってしまったからです」

「・・・美鈴さん」

「あなたのいるこの一時で構いません。その間だけでも私を愛して下さい」

 

 私のその言葉に彼は困ったように笑うと照れくさそうに鼻の頭を掻く。

 

「こんなに女性に迫られたのははじめての事なので、なんと返すべきなのか・・・でも、こんな私なんかで良ければ」

 

 彼のその言葉に私は嬉しくなった。

 それと同時に泣いてしまう。

 

 嬉しい筈なのにどうして、こんなに涙が出てしまうのか解らなかった。

 そんな私を彼は優しく抱き締めてくれた。

 そして、私の求める事を理解してくれたようでーー

 

「お楽しみのところ宜しいですか?」

「ーーっ!?さ、咲夜さん!?」

 

 私は弾かれたように彼から離れると布団に潜り込む。

 

「妖夢が暑さでバテてしまったので、そろそろ美鈴を返して頂きたいのですが」

「あ、はい。解りました」

「美鈴もいつまでも恥ずかしがってないで、さっさと着替えて仕事に戻りなさいな」

「わ、解ってますよ!そんなに急かさないで下さいよ、咲夜さん!」

 

 私と陰猫さんはいそいそと着替え直す。

 先に着替えを済ませた私は気合いを入れ直すと彼と咲夜さんに振り返る。

 

「それじゃあ、行ってきますね、咲夜さん!それと陰猫さん!」

「はい。美鈴も気を付けて」

 

 私はそんな風に優しく笑ってくれる陰猫さんの唇にキスをして敬礼する。

 

「元気の出るおまじないです!それじゃあ、改めて行ってきます!」

 

 私はそれだけ言うと部屋をあとにして暑さでフラフラになった妖夢さんと交代した。

 その際に妖夢さんから「何か良い事があったのか?」と尋ねられる。

 

 そんなにわかってしまうものなのかな?

 

 とりあえず、私は「秘密です♪」とだけ返し、彼女と入れ違いに門番の仕事に戻る。

 しばらくするとまたバイト募集の人間達がやって来た。

 そう言えば、アルバイトの件は一段落していた筈だ。

 

 なので、まずは事情を説明し、お引き取りを願い、それでも押し通ろうとする者は薙ぎ払った。

 彼と交わったからか、体の調子が良い。

 気の流れもスムーズに掴めている。

 いまの状態ならば、霊夢さんとも互角に戦える気がする。

 それだけ今の私は好調なのだ。

 

 そんな私に臆してバイト候補達が逃げていく。

 それにしても懲りずに来たのが何人かいた気がしましたが、私程度なら楽に倒せるとでも思っていたのでしょうか?

 

 最後の一人は咲夜さんみたいな銀髪の美青年だった。

 彼は最後の最後まで自分の価値を語ったが、お嬢様の命令は絶対だ。

 なので、なるべく丁寧にお引き取りを願った。

 

 最終的には罵倒して去っていったが、彼はなんだったのであろうか?



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17.紅美鈴が愛した外来人

 彼との馴れ初めから一気に距離が縮まった。

 そのお蔭で彼の事をもっと知る事ができた。

 彼には彼の世界がある。それは想像もそうだが、取り巻く環境やその他もろもろを含めて、彼の見ている全てを輝かしいものにしていた。

 そんな彼の話はひどく堅苦しいものだったりしたりする。

 話題を続けようと無理に引き出そうとして結局、仕事絡みの話しか出来ない。

 彼はどうしようもなく不器用で興味のある話以外だと、その気はなくとも軽くあしらおうとするところがある。

 別にそれで幻滅する訳ではないが、もう少し興味を持ってもよいと思う。

 彼は無理をするのが得意だった。

 それで何度も自分を追い詰めているのにそれでも無理をする。

 それしか取り柄がないからと彼は言うが、それ以外にも良いところは沢山あるのに彼はそれを理解していない。

 それで泣く人妖もいるのだから、その辺りのラインは今後、気を付けて欲しいところである。

 

 これが私の愛したーー陰猫さんと一緒にいて理解した事である。

 

 頑固で真面目過ぎて融通が利かない性格とそれでも受け入れようとする姿勢と他人に気を配れるところ・・・そんな彼の全てが私にとっては愛しいものであった。

 こんな彼を受け入れられるのは私が彼の世界のものの一部だからであろうとレミリアお嬢様は教えて下さった。

 

 世界とは美しく、時に残酷だ。だからこそ、その世界には様々な色で鮮やかなものとなって思いに込められる。

 現在の幻想郷も同じだ。最初は一人の人間からはじまり、世界の基盤となった。

 彼の描く世界が紡ぐ世界で私が惹かれたのは文字通り、運命なのだろう。

 

 基準となる世界に存在しない彼だからこそ、赦された物語。

 自分に嘘が付けず、真実からも目を背けない彼だからこそ、紡げたこのお物語。

 

ーーー

 

ーー

 

 

 陰猫さん。貴方が貴方の世界を大切にするように私は貴方の世界に咲く花となって貴方を満たしましょう。

 それが私ーー紅美鈴が愛した外来人である貴方への最大限の愛し方です。

 健やかなる時も病める時も私は貴方の傍に寄り添い、貴方の一部となってお慕いし続けます。

 故にゆくゆくは幻想郷を去る事になっても忘れないで下さい。

 貴方の紡いだ物語とその想いを・・・。

 

 貴方が忘れても死しても、この運命は巡り、形となった事を。

 貴方は貴方の世界をこれからも大切にして下さい。

 それが貴方の紅美鈴から言える言葉です。

 貴方の世界はこれからも貴方だけのものです。

 それを忘れないで下さい。

 

 貴方が愛した一人の女として・・・。

 

                紅美鈴



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18.私が愛した妖怪

 彼との日々が続いた数週間・・・その間、私は幸せだった。

 しかし、彼との別れはある日、突然にやってくる。

 

 過去の異変の再現を起こす異変。

 

 その最中、博麗の巫女である霊夢さんはなんらかの事故に巻き込まれて負傷し、私達は私達で過去の自分に立ち向かう事となるのであった。

 そんな大異変の前で、ただの人間である彼に出来る事はない。

 

 元々、紅魔館のアドバイザーとして幻想郷に来た彼には何も期待はしない。

 妖怪の賢者も彼に向かって、はっきりとそう告げた。

 だから、彼は去っていったーーいや、私が迷っていた彼を幻想郷から引き離した。

 

 私が彼を見た最後の姿。

 彼は何か言いたそうにしていたけれども、何かを言うには時間が赦しはしなかった。

 

 そうして、私達は思い思いの心を胸に過去の私達に立ち向かう。

 

 私にははっきりと解っている。いまの自分には守るべき存在があるーー大切なものがあると言う事を。

 それが私の力を強くさせ、実感となって現れる。

 

 そんな中、大異変は忽然と終わりを迎えた。

 それに対しては謎だけが残ったが、レミリアお嬢様には全てがわかっていたらしい。

 

 こうして、私と彼の出会いと別れは終わりを告げる。

 別の世界での私は彼との間に新しい命を宿す事で忘却を回避した。

 その世界の在り方を否定するつもりはない。

 

 だが、この世界の私は違う道を歩む事にした。

 彼との思い出を忘れる事なく、その胸に想いをしまっておき、彼が残した紅魔館の新しいルールを守りながら歩んでいく事を。

 それがこの世界での私の選んだ運命。

 

 紅美鈴は彼との思い出を胸に今日も紅魔館の前で自分の役目を果たす為に普段通りに門番に励む。

 寂しくないと言えば、嘘になるが、私には紅魔館のみんながいる。

 

 ーーそう。ここが私と彼との新たな分岐点。

 

 私は紅魔館の門番としてこれからを生き、彼ーー陰猫さんはただの人間としてこれからを生きて行く。

 もしも、再び彼と再開する事があったのなら、その時はうんと甘えよう。

 それまでは私は私の新たな道を突き進む。

 

 こうして、別の選択をした私は別の運命の道を歩き出し、今日も紅魔館の門の前でいつも通りに過ごす。

 この運命がどのような道に行き着くかはわからない。

 お嬢様もそれについては口にする事はなかった。

 

 しかし、それでも構わない。

 私は紅美鈴として、この運命をただ、己が信じた道をひたすらに歩み続ける。

 再び彼と再開する事をと夢見て・・・。

 

 私の名前は紅美鈴。

 

 紅魔館の門番・紅美鈴だ。

 

 ーーー

 

 ーー

 

 ー

 

 一つの選択が世界を変える。

 

 それは新たな可能性となって世界になんらかの影響を与えるだろう。

 そうして、また数多な世界への分岐を産み出していく。

 

 今回、彼女が選択しなかった世界と彼女が選択した世界は別物であると同時に同じものである。

 彼女の物語はここからまた、あらゆる派生となって様々な運命を紡ぎ、新たな物語を産み出す。

 この先にある物語は未知の世界へと続く運命への道。

 新たな可能性と未来に満ちた世界への扉。

 その先にある運命に私が愛した彼女とそれを取り巻く世界に幸運があらん事を。

 

 

【紅美鈴が愛した外来人・完】



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