ほのぼの鬼殺隊生活(本編完結) (愛しのえりまき)
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立志編
1話 プロローグ~目覚め


「父上、お願いがあります」

十二歳を目前に控えたある日、俺は居住まいを正して父の前に正座する。

 

 俺は多摩地方のとある町に生まれた。

時は明治中期、ちょうどこの辺りが東京府に編入されて間もない頃の事だ。家の周囲は田畑が広がり、近所には山があり、のどかで自然いっぱい。というか田舎だ。父母と俺、家族3人と使用人が少しいて、まあちょっと大きい家ではあった。

 時々変な夢を見たり、自分自身に違和感を覚えたことがあったものの、平和に暮らしていた。大人びているが普通の子だった。

 ある時から、時々遠くの町で急に人がいなくなったり、猟奇殺人事件の噂が聞こえて来たりするようになった。そしてついに町内でも人が消える事件が起きた。住人は行方不明、部屋には大量の血痕。襲われてさらわれたのか、それとも。

 

 何とも言えない不気味さ、違和感。日常生活のほんの少し先に、何か触れてはならない物が潜んでいる。得体の知れない何かが実はすぐ近くにいる。

 ――平和な日常が、少しずつ狂い始める。見知ったはずの世界の、本当の姿が現れる――。

 そんな予感がした。

 

 俺が十歳のある日、薄暗くなるまで遊んでその帰り道。数メートル先の暗がりに何かが佇んでいた。ぼさぼさの長い髪、下を向いて表情は見えないが、低い唸り声がはっきり聞こえた。だらりと下げた両腕の指先には、長く鋭い爪が見えた。

 

 そいつが顔を上げて俺を見た。

 

 白眼の部分が真っ赤だった。獲物を見つけ、目を細めて恐ろしい笑みを浮かべ、半開きの口から長い犬歯、いや牙がのぞく。薄暗がりでもいやにはっきりと見えるその顔。――鬼だ。

 

 変質者、人間ではない。鬼が、目の前に迫っていた。俺は悲鳴を上げて頭を両手で覆い、へたり込んだ。恐怖で目を開けていられなかった。殺される。そう思ったが何も起きない。

 

 数秒後、恐る恐る目を開けると、鬼は頸と胴を寸断されて地面に倒れており、

「鬼……狩り……め……」

そう声を絞り出し、見る間に灰となって消えて行った。

 

 目の前には、青い羽織を着て刀を持った人が俺に背中を向けて立っていた。何かが俺の傍を風のように通り過ぎた気がしたが、一体何が起きたのか?この人は誰だ?助けてくれたのか?

 

「坊、大丈夫か?」

羽織の人は、刀を鞘に納めて俺の方に向き直り、被っていた天狗の面を顔の上にずらした。その優しそうなおじさんが俺に歩み寄り、手を取って助け起こしてくれた。ごつくて、温かい手。その手の温もりに心の底から安心したのを覚えている。

 

 同時に、何かを思い出しかけた。

 

 俺は以前にも、こうして鬼から助けられたことがある。

 だが、それ以上は思い出すことはできなかった。

 

「ありがとうございます」

俺は我に返りお礼を言った。

「気をつけてお帰り。……間に合って良かった。この子を頼む」

おじさんは、やって来た2人の黒服の人たちに俺を預けると去っていった。

 

「承知しました、鱗滝様」

頭巾で顔まで隠した黒服さんたちはおじさんを見送り、俺を家のすぐ前まで送ってくれ、優しく頭を撫でてくれた。呆然と、小さくお礼を言うことしかできなかった。驚きと恐怖で思考が停止していたが、その反動か、俺は唐突に思い出し、理解した。

 

 

 俺は、令和の世に生きる五十歳のおっさんだったはずだ。令和3年春のある晩、仕事で疲れ切って帰宅し、倒れるように眠りに落ちた。

 

 それきり前世の記憶は途絶えた。

 

 時々あった違和感の正体は、転生者だったから。同時に、鬼がいて、それを狩る者がいるこの世界を俺は知っている。

 鬼滅の刃の世界。過去に遡ったのではなく、全く違う世界に紛れ込んでしまったのだ。

 鬼滅の刃は大好きであるが、それは外から見ているからであって、自分がその中に放り込まれたらまたそれは別問題だ。

 なぜ、ここなのか?よりにもよって、この危険極まりない世界に転生。人喰い鬼の脅威がすぐそばにある、鬼滅の世界(厳密に言えばそのパラレルワールド)。

 

 原作ストーリーに関わるか、逃げるか?多くの二次創作の主人公たちも悩んでいたが、俺も悩む。

 

 もっと登場人物を救えないかな、と考えていた。その機会が巡って来たのだろうか。

 すごく悩んだが、やってみよう、みんな生存ルート。ここは漫画の世界、現実世界で成しえない事もできるかもしれない。そしてヘタレなまま、ただ年を重ねてしまった自分がもう一度色んな事に挑戦して、心を燃やす生き方ができるチャンスかもしれない。

 どこまでやれるか分からないが、幸い俺には原作の知識がばっちりある。漫画の原作は最後まで何度も読み返したほど好きで、よく知っている。それに漫画の世界で何ができるのか楽しみでもある。自分の思い描くハッピーエンドを目指し、精一杯頑張ろう。

 

 現在1904年、明治37年。原作スタートから8年前。

 

 こうして俺の“みんな生存ルート”を目指す日々が始まった。

 

 幸い近所には手ごろな山があり、自然の地形を利用して基礎体力を養った。十歳の子供とそれなりに鍛えた五十歳の元の体では、特に筋力が全く違って始めは戸惑ったが、毎日訓練しているうちにすぐに慣れた。子供の身体的成長は自分でも驚くばかりに早く、転んでばかりいた俺もしばらくするとものすごいスピードで山中を駆け回れるようになった。

 町の柔術道場にも通い、古流武術も学んだ。この道場は実戦的な技術体系を多く残しており、こんな子供が習いに来るのが珍しかったのか、打撃、投げ、締め、関節技の他、暗殺武器術も面白半分に教えてくれた。

 俺には人の動きが見えた。原作のように人体が透き通って見える訳ではないが、筋肉の緊張、力の伝達が分かった。どこに力を入れ、どう動けば良いかをすぐ理解しコピーする能力もあったため、元の生活の時に動画やらテレビで見ていた実際のスポーツや格闘技、そんな動きもこの世界ではできてしまった。例えば体操選手の身ごなし、ボクシング選手の打撃コンビネーション、武道家の鍛錬等も再現できるようになった。そして、その試みは漫画やアニメ、特撮、その他ドラマなどフィクションにも及んだ。

 ここは漫画の世界。できないはずはないと強く信じて、憶えている限りのあらゆる技を再現する努力を続けて行くことにした。

 また、原作主人公たちほどではないが、五感は非常に鋭く、強化五感と言ってよいレベルであることも分かった。

 

 俺はいつのまにか、中身のおっさんどころか常人をはるかに凌ぐ身体能力を獲得していた。

 

 原作のキモである呼吸法、剣技のテクニカルな面は入門後に嫌でも教わるし、筋力の伸びはこれからだ。

 

“行儀が良くて利発な子”という俺の近所の評判は、

“よく分からない鍛錬ばかりしているちょっとアレな子”に変わっていた。

 

 自己鍛錬を始めて2年近くが経った。頃合いは良し。

 

 

「父上、お願いがあります」

十二歳を目前に控えたある日、俺は居住まいを正して父の前に正座する。

 

「数年間家を出て、ある方に弟子入りして剣の修業をすることをお許しください!」

思い切ってお願いした。

「話は分かったが、誰に弟子入りするんだ?」

父は聞いた。

「狭霧山に住む、鱗滝左近次という人です」

俺は正直に答えた。

 

「鱗滝――。そうか」

普通十二歳の子供が、「人喰い鬼がいる」とか「鬼狩りになりたい」などと言えば、童話に夢中になる歳でもあるまいに、そんなものは早く卒業なさいと言われるところだ。若しくは、頭は大丈夫か、中二病ここまで拗らせたか、早く病院へ、となるかもしれない。だから本当のことは説明したくはないのだが、全て分かっている様子であった。

 

「厳しい道だが、頑張って修行して必ず生きて戻りなさい」

そう言ってくれた。

「時々は帰って来なさい。いつでも待っているから」

でもそう言われた時、俺はちょっとだけ泣きそうになった。

 

 こうして俺は無事に親の許可を得て、鱗滝さんのいる狭霧山へと旅立った。

 

 



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2話 入門

両親にしばしの別れを告げ、俺は狭霧山にやって来た。麓の家を見つけて訪ねようとしたところ、

「誰だお前」

僅かな気配とともに錆兎が現れ、俺に刀を突き付けて誰何した。本当に斬れる、本物の真剣。

「鱗滝さんに入門を……」

錆兎が生きているという感動も束の間。俺はその迫力にビビりながらも用件を言おうとしたのだが、

「帰れ」

えっ?今なんて?……子供がまだお願いしてる途中でしょうが!

そんなに簡単に引き下がれるか。俺は改めて、鱗滝さんに入門したいので取り次いでくれるよう頼んだ。鱗滝さんを知っているということは、鬼や鬼殺隊を知っているということだ。

(外見は)同年代に見える普通の子供がなぜ、と不審がられたが必死になって頼み、鱗滝さんの元へ連れて行ってもらうことができた。

鱗滝さんに普通に入門を申し出たが、ろくに口も利いてくれずにあっさりと断られた。

鱗滝さん?ほ、ほら、あの時の子供ですよ。こんなに大きくなりました。あの時助けていただいたおかげです。だから、良いじゃありませんか。……駄目ですか?だがそれで引き下がるわけにはいかぬ。

自分は鬼を倒し人々を護りたい。自分には、命を懸けてやり抜く覚悟がある。ここで終わっちゃったら原作に絡めないじゃないか。

半泣きで鼻水を垂らしながら必死にそう訴えた。あまりにしつこく頭を下げるので、

「例のあれをやらせてみてはどうでしょうか?」

錆兎が取り成してくれた。あれ、とは。女だらけの、ではなく、暗闇の中で罠だらけの山を駆け下る夜中の運動会。

その夜、俺は錆兎と義勇に付き添われ山の中腹まで連れて行かれた。

「お前の覚悟とやらを今から試す。お前がやるのは、ここから山の麓の家まで下りて来る、それだけだ。せいぜい頑張れよ」

鱗滝さんに寄せた感じの口調で錆兎に説明を受けた。義勇は何か言おうとするが上手く言えない様子で、その代わり何とも言えない憐れみの視線を向けて来た。罠があるのは教えてくれないのか。知ってるけど。辺りを見回していると、いつの間にか2人は消えていた。

そうかい。ぶっちぎりの最速で帰りついて、びっくりさせてやるぜ!と、いきって駆け出した途端落とし穴に落ちて泥だらけになり、へこみながら地上に上がったところで石つぶてが飛んで来る。若竹のしなりを利用した強烈なパンチもくらった。

ディフェンスをもっと強化しないとこの段階で死ぬかもしれん、そう思いつつ走り続ける。

強化五感を使おうにも、標高が高く気圧が低い環境で全力疾走するため、血中酸素分圧は低下し、スタミナも思考力も無くなってくる。それでも走るのは得意なので、夜明けよりだいぶ早く麓の家の近くまで下りて来た。

アニメ版鬼滅の刃のオープニングみたいになりながら、やっと家が見えて少しほっとしたが、最後の最後で竹パンチを股間にくらってしまった。こんな所にまで罠が……。俺は顔面蒼白になりながら家に辿り着いた。

玄関を入ると、予想よりはるかに早い帰宅に

「お前っ、早いな!」

錆兎は目を見張り驚いていた。

「大した奴だな」

義勇もそう言いながら2人でフラフラの俺を支えてくれた。

「名は、何と言う?」

初めて鱗滝さんがまともに話してくれた。

「みずはら……りんどう……です」

俺はやっとのことで名乗った。

「お前を認める。水原倫道」

鱗滝さんはようやく入門を許してくれた。こうして、俺の修行生活が始まった。

 

翌日から、厳しい修行が始まった。兄弟子と言っても数か月入門が早いだけだが、一つ年上の錆兎や義勇に比べれば体力もまだまだだと思い知らされた。並行して、剣術を初歩の初歩から叩き込まれた。

しかし半年もすると、体力も急激に伸びて兄弟子に迫り、剣の扱いも上達した。

動作を理解し、コピーする能力を存分に使い、兄弟子2人が鱗滝さんから教わったエッセンスを残らず吸収した。徒手格闘は最初から俺の方が強かったが、自己鍛錬で素地を作ったのが役に立ったと思っている。毎日長時間鍛錬して本当にボロボロに疲れるが、はっきりと自分で分かるほどに上達が見えるため、日課の後も自主練習を欠かさず行った。

色々な事を学んだが、錆兎と義勇、この素晴らしい兄弟子2人と一緒に修行できたことが何よりも大きかった。自主練習にも付き合ってくれたし、修行の合間には色々な話もした。義勇が自分で自分を責める理由、義勇を守って殺されたお姉さんとのことも。

原作を知っている俺でも、まさに今目の前で本人が語るのを聞くととても切なかった。歳を取ると共感できることが多くなり、涙もろくなるというのは本当だった。

自分が死ねば良かった、とポツリと漏らす義勇。

「お前は絶対死ぬんじゃない!姉が命をかけて繋いでくれた命を、お前も繋ぐんだ!」

錆兎はそんな義勇を平手打ちし、強くそう言った。俺も泣きながら強くうなずくとともに、

(錆兎、お前もな。お前は俺が絶対に死なせない!)

そう決意を新たにしていた。

2人とも原作以上に良いヤツだ。ともに修行できて良かったよ。でもな、2人とも。

“水と一つになる”訓練で、俺が滝つぼで溺れて死にかけた時、腹を抱えて笑ったのは許さん。

 

 

倫道は不思議なヤツだった。紹介もなく急にやって来て、鱗滝さんに弟子入りしたいと言う。鱗滝さんを知っているということは、鬼や鬼殺隊を知っているということだ。

長いまつ毛で優しげな顔立ちの、お坊ちゃんみたいなこの子供が鬼殺の剣士に?

十二歳になったばかりと言うから、十三歳の俺たちと歳は一つしか違わない。しかし両親は存命で、実家もちゃんとある。天涯孤独で行くところもない俺と義勇とは何から何まで違う。

何か事情でもあるのかと聞いてみたが、ただ一度鱗滝さんに助けられ、自分も人を護りたいと言うだけの理由だ。

アホなのかと思ったが、あまりに真剣に頼むのと、同年代の子供とは思えない異常に鍛えられた脚を見て、こいつの本気が分かったような気がして、鱗滝さんのところに連れて行くことにした。

当然簡単に断られ、引き下がるかと思いきや半泣きで何度も何度も頭を下げて帰る気配がない。そこで俺は山下りをさせてみましょうと鱗滝さんに進言してやった。

夜明けまでに帰らなければ探しに行って助け出し、さっさと追い返せば良い。そう思ったのだが。

こいつは。倫道は。とんでもない短時間で帰って来た。

「あの時の子供が……」

鱗滝さんはため息をついていたが認めざるを得ず、俺と義勇と一緒に修行することになった。

倫道は、体力も剣技も瞬く間に俺たちに追い付いてきた。天賦の才と、日課の鍛錬が終わっても一人復習をひたすら繰り返す努力がそれを可能にしたのだろう。

新たな技を身に付けたり、課題を克服したりすると互いに喜び合い、辛い時は激励し、切磋琢磨し、俺たち3人は良い修行仲間となった。修行の合間に互いの身の上話などをすると、倫道は俺たちの話を涙と鼻水を流しながら真剣に聞いていた。そして、必ず鬼殺の剣士となり、鬼を倒して人々を護ろうと誓い合った。

 

 

 

 

修行を続けている俺の元に、実家から父が倒れたと電報が来た。錆兎と義勇の2人は大岩斬りの課題を与えられており、修行もそろそろ大詰めに入っている。錆兎と義勇が参加する最終選別が近い。

つまりは、そこで錆兎を救わねばならないのだ。父親の件は一大事だが、狭霧山にいないと日程が分からなくなる。

しかしここはやむを得ない。修行を一時中止して鱗滝さんに暇を請い、実家に帰ることにした。錆兎には、くれぐれも1人で突っ込むな、仲間を信じて必ず生きて帰れ、とよくお願いしておいた。

「何のことだ?」

錆兎は事情が分からず訝しがっていたが、俺がいつ戻るか分からないからと適当なことを言ってごまかし、雲取山の近くにある実家に帰った。

 

 



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3話 最終選別 錆兎と義勇

初小説、初投稿なので、使い方などまだ良く分かっておりません。1、2話は緊張のあまり本文以外何も書かずに投稿しました。これから使える技が増えるかもしれませんので、読んでやってください。


実家に着くと、父が歩いて出迎えた。

「あれ?父上、これは一体」

そうか、病気と言って子どもを呼び寄せる、みたいなやつ?

何ともなくて何よりだけども。

「修行は順調か?久しぶりだからゆっくりして行きなさい。見せたい物もあるし、頼みたいこともある」

何かあるのですか?すると新しく作ったという地下室へ案内された。そこには小さいながらウエイトトレーニングの設備、酸素カプセル、アイスバスまであった。年齢的にはそろそろウエイトトレを始めて良い頃かと思っていたところだったので、いやそうじゃなくて。

今は明治時代のはずでは?

ありがたく使わせていただきますが。

前から思ってたけど、この家現代の要素ちょいちょい入ってるよね。そればかりか、現代においてさえオーバーテクノロジーな物も。最後ここに来れば元の時代に戻れるとか?

何か変身ベルトのようなものは無いのですか?もしくは鎧を召喚するみたいな。

黄金の鎧でもいいし、「蒸着!」みたいなのでもいいですが。

無いですか、そうですか。

とにかく俺は実家にいる間、体が鈍らないようウエイトトレーニングと雲取山でのトレイルランで体力の向上に努めていた。1か月もするとトレーニングの成果で体が大きくなり、パワーもついてきた感じ。

するとある日、父から、叔父の家に手紙を届けるように頼まれた。

「簡単だが旅装を整えてある。それと、道中安全のために、護身用の武器もある。家は、藤襲山を目印に行くと良い」

藤襲山!もう作為的なものを感じるが、すぐに行って来ます。

装備は、黒のロングコートに黒の上下、なぜか黒覆面、大腿部には、護身用というにはごつすぎるサバイバルナイフがホルダーに。それと、メディカルキット。これで、錆兎を救出しよう。

叔父さんの家に手紙を届け、夕方まで休ませてもらい、夜の闇に紛れて最終選別のフィールドに潜入した。気配を探ると、最終選別が行われているのは間違いない。

山の入口、咲き狂う藤の花を摘んでエキスを作り、適当な大きさの尖った石を幾つか拾ってエキスを塗り、ナイフの刃にもエキスを塗っておいた。

たくさん作っている時間は無いし、しのぶさんの使う毒のように、濃縮して精製した訳ではないので効果は弱く一時的だろう。

気配を殺し、強化五感を使って探知していると、遠くに幾つか鬼の気配。そして、さらに進んで周囲を探ると、義勇たち数人の受験者が身を潜めている岩穴があった。

義勇はもう気絶しているらしく動きがないが、彼らが生きていることは確認出来た。場所を把握してから、錆兎の探索に向かった。

山奥に進むと、短い悲鳴としっかりしろ、という錆兎の声。

大丈夫、間に合った。鬼に襲われていた他の受験者を助け、錆兎はなおも進んで行く。このまま何も起きなければ、と祈りながらこっそりと錆兎の後を追った。しかし。

(悪臭!これは……)

そこへ、ついにヤツが現れた。

(でかっ!こわっ!それにくっさっ!)

錆兎の厄除の面を見て、手鬼が気味の悪い薄ら笑いを浮かべる。そして、アニメでも見た煽りを入れて来やがった。

怒りに震えながら、錆兎は手鬼に斬りかかった。手鬼の攻撃を全て捌き、地面からの不意打ちも躱し、頸を狙う間合いへと入るチャンスを伺っていた。

手鬼の攻撃は益々激しさを増し、錆兎は大きなダメージこそ負っていないが受け太刀が多くなり、これまでの連戦の疲れが明らかに出ていた。そして、あの瞬間が訪れてしまう。

手鬼の攻撃を掻い潜り、一瞬で間合いを詰め、頸を刎ねる。

「あっ!」

正にその瞬間、ガサッ!と大きな音を立てて、俺は隠れていた木立の陰からはみ出してしまっていた。間抜けな声まで出して。

錆兎の刀は折れたが手鬼が一瞬こちらに気を取られ、原作では錆兎の頭に直撃するはずであった手鬼の腕はわずかに逸れた。が、すぐに次のパンチが放たれ、なおも空中で身動きが取れない錆兎の右脚に命中、錆兎は数メートルも吹き飛ばされて転がり、呻いている。

手鬼は俺の方を見るが、覆面をして刀も持っていない様子に正体を図りかねているようだ。その隙をついて、俺は飛び出して錆兎を担ぎ、手鬼に背を向けて全速力で逃げ出した。

「何だお前!俺の獲物返せ!」

多数の腕を自由自在に伸ばして放ってくるこの全方位攻撃は強力だが、アニメを見た限りでは本体の動きは遅い。それに腕を伸ばせる範囲は限りがあるはずだ。

そう自分を鼓舞し、回避し、駆け続けた。全速力で走っているが、何せ人間を担いでいるため簡単には逃げきれそうにない。

「俺を……降ろせ!」

錆兎は苦しそうに言うが、そうはいかない。右脚は、くっついているのが不思議なくらいだ。最低限骨折はしているし、こんな状態で戦えるはずがない。

お前は死なせない。

単純に逃げることは諦め、手鬼を行動不能にして離脱する作戦に切り替えた。追いかける腕同士が干渉するように細かく方向を変えながら手鬼の周囲を走り、その隙を伺う。

「!」

腕が迫って来たので、ナイフを引き抜いて逆手に構え、走りながら数本の腕をざっくりと切り裂く。

腕をいくら斬っても効かないが、これはただのナイフじゃない。

「ぐわっ!」

手鬼は叫んで怯み、一瞬動きが止まる。

藤の花のエキスを刃に塗ったナイフで何度もヤツの腕を切り裂き、俺を捕まえることに集中させる。

ただ斬られるより痛いのか、いら立ち、攻撃が大味になった。その時前方に雑魚鬼が現れ、こちらに襲いかかろうとした。

俺は一瞬で距離を詰め雑魚鬼の頸動脈を切り、棒立ちになった体を手鬼の方へ蹴り飛ばした。

何本かの腕で雑魚鬼の体を避け、俺を捕まえるために多くの腕を遠くに伸ばしているため、本体のディフェンスが甘くなる。その瞬間を逃さず、藤の花のエキスを塗った石つぶてを連続で投げ、上手く両目に命中させた。

「ぎゃああ!目がああ!」

手鬼は仰向けにひっくり返り、目をおさえて苦しんでいる。この隙に俺はこれ以上ないダッシュで逃げ、何とか振り切ることに成功した。

背負ったメディカルキットを前に抱え、担いでいた錆兎を今度は背負い、俺はあの岩穴を目指した。錆兎の右脚の膝から下は変形し、脚絆からはボタボタと血が滴っていた。

開放骨折もあるだろうし血行障害も心配だ。出血量も多い。早く処置をしたいところだが、手伝う人がいないとおそらく傷の処置が困難であろうし、万が一処置中に鬼の襲撃を受ければ2人とも死ぬかもしれない。

手鬼との戦闘もあって随分と離れてしまい、かなりの距離を戻らなくてはならない。それも鬼に見つからずにだ。

右脚の付け根を縛り、木の枝で副木を作って簡易処置を行ってから、細心の注意を払いつつ先を急ぐ。出血と痛みでもうろうとしているが錆兎は確かに生きている。

右脚を残せるかどうかも難しい判断だが、もたもたしていたら救命さえできなくなる。

だがここまで来たらやるしかない。最優先は錆兎の命を救うこと。そのために出来うる最善の処置を。

俺はあの岩穴へ急いだ。



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4話 錆兎救出

タイトルに「鬼殺隊生活」って入っているのにまだ選別も通っていませんが、どうぞ気長にお読みください。


幸い鬼はあらかた錆兎が倒していたので、途中で戦闘になることは無かった。

岩穴にたどり着くと、気を失っている義勇とそれを見守ってくれている人等、合わせて6人ほどの受験者が身を潜めていた。いきなり入って来た黒覆面の俺を見て、鬼が来たかと恐怖で固まる5人。

「オレハ人間ダ。山ノ中デ、グウゼン怪我人ヲ見ツケタ。コノ人ヲ助ケタイ。ココデ治療スル」

俺は正体がバレないよう作り声でそう宣言し、錆兎を下す。錆兎の様子を見て全員が息をのんだ。

(※作者注 面倒くさいので以下のセリフは普通に表記します。)

 

「入口を塞いでから明かりを点けてくれ。ぎゆ、じゃなくて、お前。起きろ」

俺は気絶している義勇を起こす。松明で明かりを確保し、入口の警護に一人行ってもらう。岩棚で簡易手術台を作って錆兎を乗せ、もう一度右脚の状態を診る。

膝から下、脛の上から1/3で骨折部がむき出しになり、千切れかけていると言っても良い状態だ。

 

出血のコントロールや術後感染を考えると、右脚を温存して救命するのは不可能と判断した。

「錆、いや君、悪いが脚は残せない。今から処置する」

右脚の付け根を今度はベルトでしっかりと縛る。その場の全員がぎょっとしてこちらを見る。

「あの……、何を?」

1人が怯えた声で問いかける。

「脚を切るんだ。君たちにも手伝ってもらう」

努めて冷静に、作り声で告げたおかげで俺自身の動揺は伝わらずに済んだようだ。

「脚を切るだと!ふざけるな!」

ようやくしっかりしてきた義勇が掴みかかって来る。

「このまま放置すれば、傷からの出血で死ぬ。脚を切って止血すれば助かる」

掴んだ手を逆に捻って制圧しながら、そう説明する。義勇はもう歯向かって来なかった。義勇と護衛2人の計3人に沢に水汲みに行かせ、岩穴に残った2人に交代で足を持たせることにする。

体を地べたに置いたまま足を切ればいいじゃないかと思うかもしれないが、切り離した後の傷は、骨をしっかり肉で覆ってぐるりと縫わなければならないのだ。地べたに置いて縫うのは不可能だし感染のリスクも大きい。

という訳で、かなり重いが頑張れ足持ち。

 

オペを開始したが静脈麻酔は無いので局所麻酔でやるしかなかった。すまない錆兎、だが良く堪えてくれた。

汲んで来させた水を簡易濾過器に通して洗浄し、電動ノコギリがないので、ナイフの背側にあるノコギリで骨を切断した。

脚を持たせたサラサラヘアーの少年は、その重さとグロさに真っ青な顔で耐えていたが、骨が切れた瞬間に切り離された脚を抱えたまま泡を吹いて卒倒した。

 

残した断端をしっかりと処置し、抗生剤と破傷風トキソイドを筋注して何とか終了、医療ドラマの様な有り得ないスピードでやり切った。

全集中 蛇杖の呼吸

なんちゃって。医療行為の際はこの呼吸でいこう。なんか集中力が増す。この世界は本当にすごいな、この世界でならブラックジャックになれるかもしれない、などとようやく雑念が湧く余裕が生まれた。

「終わった。後は君の生命力次第だ」

錆兎はふう、と息を吐き、目を閉じたまま

「ああ……」

とだけ返事をした。

 

やれる事はやった。これが精一杯だ。鬼殺隊の医療レベルは分からないし、そう言えば今の鬼殺隊の医療態勢を取り仕切っているのは誰なのだろうか?ふと思ったが、夜明けも近いし後は任せよう。

やり遂げた安心感から思わず覆面を脱ぎそうになって慌てて被りなおし、

「後は頼む」

と言って立ち去った。

 

夜明け前の薄闇を、覆面、黒ずくめの俺が走って行く。辺りを警戒しつつ走る姿は完全に不審者だ。人を助けた事には間違いないが、修行中の身でありながら最終選別に不法介入するなど許されるはずがない。露見したら鬼殺隊員になれないかもしれない。

もうちょっと考えて行動すれば良かった。頭も体も疲労困憊だったが、とりあえず実家へと逃げ帰った。

 

実家で数日休み、俺は狭霧山に帰って来た。2か月近く空けていたが、鱗滝さんは以前の様に普通に厳しく、すぐに修行は再開された。

錆兎と義勇がいない、知っているが鱗滝さんに尋ねてみた。俺が帰省している間に二人とも最終選別に臨み、義勇は突破し錆兎は大怪我を負って療養中、そう教えてくれた。義勇は帰って来てひどく落ち込んでいたそうだ。

「俺は、強くなります。錆兎の思いを繋いで行けるように」

日輪刀を拝領した時、思いつめたような顔でそう言い残し、旅立って行ったのだった。

 

錆兎の見舞いに行きますか?俺は鱗滝さんにそう聞いてみた。

「考えておこう」

鱗滝さんは短くこう言っただけだった。錆兎に声をかけてあげてないんだろうな、きっと。鱗滝さんは優しいから、どう言っていいのか悩んでおられるんだろう。でも、良く生きて帰った、と言ってあげて欲しい。

錆兎には、鬼殺隊員としての未来は無い、他の身の振り方を。そう思っておられるのだろうが、そんなことはない。結果的に生き延びたのだから選別には通っているはずだし、剣士を諦めるのはまだ早い。

 

 

 

鬼殺隊当主・産屋敷輝哉は、屋敷でカラスから報告を受けた後、庭の方を見やりながら考える。

今回の選別では全員が合格した。一人だけ大怪我をしているという話だが、生きていてくれて何よりだ。彼を助けてくれた人物は、偶然通りがかったと言っていたようだが。

(偶然人が通りかかるような場所ではないね。敵ではないのだろうが、一体何処の誰なのか……。いずれ分かる時が来るのかな)

その時まで楽しみに待とうか。自然に笑みが浮かんだ。

 

 

 

少しして、俺は修行の合間に錆兎を見舞いに行った。大量出血の影響で生命の危機であったが、既に回復に向かっており、創部の感染も完全に抑え込んでいた。

(良かった。生きていてくれた)

俺の苦労も無駄ではなかった。胸をなで下ろしていると、

「目が覚めた時は、情けないと思ったよ……。弱いからこうなった。もっと強く、速ければ。でもこうして生き残ったのも、何か果たすべき使命があるのだと思い直した。まだそれが何なのかは分からないが」

 

体調や創部の感染もそうだが、メンタルも心配していたが大丈夫そうだ。そうか、前を向けそうか。でも進むしかないって、原作で錆兎が言ってたような。

怪我の前後のことを憶えているか、それとなく聞いてみると、

「何となくは憶えている。俺を助け出し、潰れた脚を切って命を救ってくれたヤツがいる。義勇もその現場にいたが、見事な手際だったと言っていた。いつか礼を言いたい」

いやそんなに褒められると、おじさん照れちゃうな。

ちょっとニタニタしていると錆兎は怪訝な顔をしていたが、

「お前も残りの修業を頑張れ。俺の仇を討って、鬼殺の剣士になれ」

逆に励まされた。そう、鱗滝さんに最終選別への参加許可をもらうくらいに強くならなければならないのだ。

俺は決意を新たにし、狭霧山に帰って修行に励んだ。

 

 



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5話 最終選別

ようやく最終選別まで来ました。
通常は主人公視点、戦闘場面は第三者視点です。主人公が関与しない場面でも第三者視点となりますが、視点主は時々入れ替わります。


「もうお前に教えることはない」

ある日、鱗滝さんに言われて大岩の前に連れて行かれた。

「この岩を切れたら、最終選別に行くのを許可する」

そう言うと、鱗滝さんはその場から姿を消した。この日がやって来たか。

岩かぁ……。岩って斬れるの?刀で?普通そう思うよね。やってみよう。全集中。ただ一点にすべての力を集中させ、爆発させる。

 

思い切り刃を叩きつけるが、岩の表面が少し欠けただけ。実家でウエイトトレーニングを導入したおかげでパワーアップしたが、やはりそれだけでは足りない。

原作では錆兎が登場して鍛えてくれるんだよな、と思っていると、

「錆兎?」

俺は変な声を出してしまった。杖を突いた錆兎がいたからだ。帰って来たの?

「俺が稽古をつけてやろう」

 

こうして、修行の総仕上げとして錆兎の訓練を受ける事となった。

「お前はほぼ出来ている。あと一歩まで来ているが、まだ足りないものがある」

厳しいな、錆兎。極限の集中を求められる厳しい稽古。教えられた剣技を、戦闘の中で100%活用する術。

杖をついた師匠に主人公が鍛えられる。なんか見た事あると思ったら、ウルトラセブンに鍛えられるウルトラマンレオだ。ルーキーであったレオが、傷ついて戦えなくなったセブンにこれでもかと鍛えられる。幼少の頃テレビで見て怖かったな。

それはさておき。錆兎に鍛えられて約1か月。ついに、あの大岩を斬ることが出来た。俺は次回の最終選別に行けることが決まった。いよいよ最終選別だ。

 

「お前は儂が心血を注いで育てた。本当にすごい子だ」

鱗滝さんは初めて褒めてくれて、厄徐の面を授けてくれた。

「ようやく男の顔になったな」

錆兎もこれ以上無い褒め言葉をくれた。厄介な異形の鬼がいる。気を付けろ、そうアドバイスもくれた。

大丈夫、これ以上の犠牲を生まないためにも手鬼は俺が処理する。

 

岩を斬ってから選別までの間に、錆兎にお願いして作った、数十倍に強化した狭霧山の罠の数々。それらを使ってのディフェンス練習を徹底して行い、最終的には目隠しで行う。自分に向けられた殺意はもちろん、自分を攻撃する意思を持たないものですら避ける神技的ディフェンス。この世界じゃなければ絶対不可能だな。

新たなチートを身に着け、鱗滝さんから日輪刀も借り受けた。そして隠し武器としてあのナイフも大腿部に忍ばせ、いざ出陣。

 

藤襲山の中腹には、20人弱の受験者がいた。みんな年端も行かぬ子供ばかりだ。俺も外見はそうだけど。

その中で、顔に幾つもの傷があり、一人だけギラついた眼をして、周囲を威圧するようにただならぬ雰囲気を放つやばい少年がいた。今はあいつには近づかないでおこう、そう思った俺は目を合わせないようにすぐにその場を離れた。

 

鬼殺隊入隊への最終選別。合格の条件は、この藤襲山で7日間生き残る事。俺の7日間のサバイバルが開始された。

強化五感を使い、手鬼を探しながら他の受験者を助け、4日目。遠くで僅かに叫び声が聞こえた。

その方向に走る。この気配は。

 

俺はある細工をしてから厄徐の面を被り直して更に接近し、遂に手鬼と遭遇した。

 

襲われていた受験者を逃がし、面を被ったまま手鬼と対峙する。

「また来たな、俺の可愛い狐が。おい狐小僧、今は明治何年だ?」

手鬼は俺の厄徐の面を見て、ニタリと気味の悪い薄ら笑いを浮かべて話しかけてきた。

「今は令和時代だ!」

俺はすかさず嘘を教える。

「令、和あああ?年号が!年号が変わってる!また俺がこんな所に閉じ込められている間にいいい!鱗滝め!鱗――」

手鬼が怒り、叫ぶ。もうどこに怒りスイッチがあるのか分かんないな。年を聞かれたから言っただけだろう。嘘だけど。

「そうか!お前は鱗滝さんに捕らえられたんだな!それでこの厄徐の面を目印に、鱗滝さんの弟子を殺すと決めている訳か!」

俺はそれに割って入り、先回りしてあらかた言ってやった。

「お、おう、そうだよ。11、12、13。で、お前で14だ」

調子が狂ったのか手鬼はちょっと言い淀んだが、またアニメで見たまんま煽り始め、指折り数えている。手がたくさんあって数えやすそうだな。

「その面をつけているせいで、みんな俺の腹の中だ」

話し相手がいないのかいろいろ教えてくれるが、それはもう知っているのだよ。俺は反撃を開始する。

 

「お前、つまんない嘘つくね。お前が喰ったのは12人。13人目は喰ってないだろう?それに、獲物を取り逃がした間抜けな鬼がいるらしいな」

俺のセリフに手鬼はぎょろりと目を見張り、やがてまた憤怒の表情となった。

「あの変なヤツが横取りしやがったああ!あいつさえいなければ。あいつめええ!!――おい小僧、何で知ってる?」

ふと冷静になり手鬼が問いかける。

「何でかって?そりゃあお前……」

俺は含み笑いをしつつ、ゆっくりと厄除の面を頭の後ろへ回し、あの黒覆面を被った顔を晒した。

「その変なヤツは、こんな顔だったかい?」

 

変態仮面参上!黒覆面が見えるかどうか心配したが、この世界では夜の暗闇でも肝心なところははっきり見えるのだ。俺の変態機動を見せてやるぜ。

 

「久しぶりだな。また会えて嬉しいよ」

俺が止めの煽りを食らわすと、怒り狂った手鬼のパンチが殺到し、戦闘が始まった。

 

 

倫道は無数に生えてくる手鬼の腕攻撃を躱し、足場にし、様々な方向に跳躍。着地と同時にさらに跳躍し、上下、左右と立体的な軌道で本体に斬撃を浴びせ続けた。近い間合いにもかかわらず、手鬼は全く攻撃が当たらないことにいら立ち、より多くの腕を一気に向けて来る。

倫道は腕と本体とのスペースに入り込み、襲い来るパンチを蹴って一気に距離を詰め、頸を狙う間合いに入った。

(間合いに入られた!)

手鬼は一瞬焦ったが、

(大丈夫だ、俺の頸は硬い。あの宍毛のガキでも斬れなかった。頸を斬り損ねたところで!)

思い直して頸の防御を固め攻撃を待ち構えた。しかし、倫道は突進する勢いそのままに脚のナイフを投擲、ナイフは頸を守っていた手鬼の眉間に突き立った。その柄を蹴り込んで頭蓋骨を貫通させ、倫道は空中に跳んだ。

「ガッ!」

手鬼の短い悲鳴が漏れた。脳の一部が損傷し、手鬼の視界が暗転する。

数秒後、手鬼が再び視界に捉えたのは、月を背に、既に自身の目の前まで落下していた倫道のシルエット。

(この姿は……っ!)

手鬼は、迫りくる倫道にかつて自分を捕らえた鱗滝の姿を重ねていた。その口からは鱗滝と同じ、あの忌々しい呼吸音。

「水の呼吸 壱ノ型・水面斬り!」

倫道の刃は、易々と手鬼の頸を刎ねた。

 

 

「くそおおお!体が崩れて消えて行く!最後に見るのが鬼狩りの顔だなんて!しかもこんな……ああああ!」

転がった頸が恨めしそうに、泣くように叫ぶ。

あっそうだ。覆面脱ぐの忘れてた。

俺は手鬼を煽るための覆面を脱いで、手鬼の頸に近づいて行った。炭治郎君ほどの嗅覚は無いから、匂いで感情は分からない。しかし、人間だった頃の記憶を蘇らせ、鬼になった自らの運命を嘆く手鬼の悲しみは分かる気がした。

回想シーンで、兄ちゃんに手を握ってもらってたな。

俺も手を握っていてやるから安心して逝きな。次に生まれて来る時は、鬼になんかなるなよ。

それと今は明治40年だ。さっきは嘘ついてごめん。

手鬼はぽろぽろと涙をこぼしながら、灰化していった。

 

俺は手鬼に殺された子供たちにも、心の中で報告する。

倒しました。どうか、成仏して下さい。

 

 

 



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6話 運命の出会い

お客さんにサツマイモを頂きました。すごく美味しかったので、思わず「ワッショーイ!」と言ってしまいました。……毒されてるな、と思いました。
人物紹介 
不死川実弥…後の風柱。原作よりだいぶ穏やか 
錆兎…優しい 
鱗滝さん…優しい 
カラス…女の子。ヤンキー。騙されやすい


朝日の照らす広場に、俺を含め15人が生還した。けっこう助けたつもりだったが、数人いなくなっていて残念だ。あのやばそうなヤツは。まあ当然居るな。鬼殺隊に入る前から、日輪刀も持たずに鬼と戦ってるんだから、あの子は。

 

あ、こっち見てる。俺は慌てて目をそらした。

無事に帰り着いてほっとして周囲を見回していると、

「お帰りなさいませ」

お館様の奥様、あまね様から声がかかる。そして、合格者への説明。

ちゃんと採寸してから隊服を支給してくれる事、階級は最下位の癸から始まる事、日輪刀の原料となる玉鋼を自ら選ぶ事。そして、鎹カラスについて。あまね様が手を叩いて呼ぶと、俺の左腕にもやって来た。

「鎹カラスは、主に連絡用の」

 

説明は続くが原作やアニメで知っている。気も緩んで、あくびはさすがに堪えたがちょっと鼻をほじったりしていると、最前列では事件が起こっていた。あのやばいヤツがあまね様に詰め寄る。

「カラスなんぞどうでも良い!刀を早くよこせ!」

 

周囲が戸惑っているが、俺の興味はカラスにあった。これ本当に喋るのか?じーっと眺めてみるが、喋りだす様子は無い。カラスをツンツンしてみた。

「……」

無視。ツンツンツン。

「……ッ」

じろりと睨まれた。面白くなって更にツンツ……。

「カアーッ!ウゼエッ!話シ聞ケヨオマエ!鼻ホジッタ手デアタイニ触ルンジャネエ!」

本当に喋った!しかも何でヤンキーなんだ、俺のカラスは。

 

「アホーッ!」

 

ああ、怒って飛んでっちゃった。フッ、これからよろしく頼むぜ相棒。

 

って、かっこつけてる場合じゃないか。帰って来てくれるか少し心配になりつつ、注目を浴びて恥ずかしくなり、以後は静かにしていた。周囲がクスクスと笑い出し、先ほどのやばそうな少年も、カラスに怒られている俺を見てばかばかしくなったのか大人しくなった。何やってんだあのバカ、という冷たい視線が痛い。あの荒くれを一発で静かにさせた!と驚く声もあったが、それはただの勘違いです。

 

 

 

「てめえか?他のヤツを助けて回ってたってのは。随分と余裕じゃねえか」

全てが終わって帰ろうとすると、あのやばい少年が話しかけてきた。

「いやいや、大変だったよ。それに助けた訳じゃなくて、たまたま通ったから一緒に戦っただけだよ」

顔は幼いけど目ヂカラすげええ。俺はびびりながら答えた。

「俺は不死川実弥だ。名は何と言う?」

「水原倫道です」

俺はびびりながら名乗り返した。

「覚えておくぜ」

このやばい少年、後の風柱・不死川さんは、そう言って去って行った。歳は彼が一つ上だが迫力が違った。中身のおっさんから見れば子供なんだけど。

 

それにしても、カラス帰って来ないな……。

 

 

 

狭霧山に帰り着くと、杖を突いた錆兎が出迎えた。大丈夫、俺は無傷だから。錆兎は左手の杖を放し俺をがっしりと抱きしめた。

「お前のことだ、普通に帰ってくると思っていたが、良かった」

だから大丈夫だって。錆兎は背中に回した手でバシバシ叩いてくる。

「正直言うと、ちょっと心配もしていたが」

普段の錆兎からは考えられない行動に驚く。

「全くお前は大したヤツだ」

そう言って髪をわしゃわしゃされた。俺は犬じゃないぞ、と言いかけたが、ハハハッと笑いながら錆兎は鼻をすすっている。本当に心配してくれていたのだと分かり、胸が熱くなった。そしてそんな俺たちを、鱗滝さんが抱きしめる。

 

「お前たち……。2人とも、良く生きて戻った」

錆兎が生きてた時も、本当はすごく嬉しかったんですよね。やっと言ってやれた感じですか?

……素直じゃないんだから。

 

師弟3人で抱き合っている状況に俺は苦笑した。でも。

鱗滝さんのお面の下に光る涙を見て、俺も思わずほろりときてしまった。

「ただいま戻りました……」

何とか声を絞り出して、やっとのことでそれだけを言った。

これ以上何か言うと、目から鼻水が溢れてしまいそうだったので、俺は照れ笑いしながら、黙って選別合格の余韻に浸っていた。

 

鱗滝さん。

貴方に、戦う力を与えていただきました。生き残る術を教えていただきました。教えていただいた事を忘れず、これからも精進いたします。ありがとうございました。

 

 

俺が狭霧山で待っていると、風鈴の付いた編み笠を被り、ひょっとこのお面をつけた風変わりな男がやって来た。

「俺は鋼鐵塚という者だ。水原倫道の刀を打ち、持参した」

ようこそいらっしゃいました、鋼鐵塚さん。俺は原作で知ってるからそんなに驚かないけど、道中巡査に止められたりしなかったですか?その格好で。俺は愛想笑いをしながら家に迎え入れようとするが、

「これが日輪刀だ。俺が打った刀。日輪刀の原料は」

なかなか口上が止まらず、家に入って来ない。原作で知っているし、口上に付き合うのが面倒になった俺は、陽光山で採れる陽の光を吸収する鉄、猩々緋砂鉄と猩々緋鋼石から作られたのですね。と先回りして全部言い、強引に家の中に引き入れた。

囲炉裏端に落ち着くと、鋼鐵塚さんは

「お前のことは色々と聞いている。鱗滝の自慢の弟子だそうだな。これは良い色変わりが見られそうだ……。さあさあ、抜いてみな」

期待を込めて抜刀を促した。

俺は皆に注目されながら、そろそろと刀を水平に抜き放つ。シャリーン、という擬音が聞こえそうな程、見事な刃文が入った刀身だった。

 

切先を上に向けて柄を握り直し、陽にかざす。すると刀身が根本から変色していった。

「ほおお……。これは……」

鋼鐵塚さんが感嘆の声を漏らす。

「おお……」

俺自身もその見事さに感激して声が出てしまった。

南国の海の色のような、明るく鮮やかな青い刀身。

この瞬間、俺も”護りし者”となったのだと実感した。鋼鐵塚さん、こんな見事な刀をありがとうございました。そう言えば鋼鐵塚さんは、刀匠たちの長である鉄地河原鉄珍様の直弟子なのだ。偏屈だが腕は超一流、かっこいい。

 

礼を言って送り出す時、俺は鋼鐵塚さんを一人追いかけた。

「作って頂けたら、みたらし団子50本でいかがでしょう?」

そして、ある頼み事をする。

「50本!分かった、やっておこう」

鋼鐵塚さんはあっさりと了承してくれた。すみません、よろしくお願いします。

 

程無くして、しばらく見なかった鎹カラスがやって来て指令を伝えた。

「北西ノ町ヘ向カエ!」

それだけ言って飛び去ろうとするので、俺は分かった、と返事をしてから呼び止めた。

「ああ、あのさ、……カラス!」

「カラスッテ呼ブナ!何ダヨ、アタイハ忙シインダヨ!」

怒られたが、相棒なんだから名前つけようぜと提案してみた。もう名前あるのか?

「アタイハ、隆崇院月夜見命(リュウソウインツキヨミノミコト)ッテ名前ガアルンダヨ!」

すんごい大層な名前。でもなー。もっとかわいい名前にしようぜ。

「長い。マスカラスにしよう」

俺はごく当たり前のように、変な名前を付けてみた。

「何ダヨ、ソレ!」

「アメリカ(の近くの国)の言葉で、“天空の覇者”て意味なんだけど(うそだけど)」

「ソ、ソウカヨ。ナラソウ呼ビナ」

マスカラスはまんざらでもない様子で飛び去って行った。

これからよろしくな、マスカラス(笑)。

 



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7話 隠の衛生兵

主人公がやっと鬼殺隊員になれましたが、副業も始めています。

蛇杖…医術の神アスクレピオスの持つ蛇が巻き付いた杖。医療のシンボルとしてしばしば用いられる

人物紹介 
不死川実弥…傷が増える  
胡蝶しのぶ…姉を亡くし、蝶屋敷の主人になって間もない





鬼殺隊において、戦闘の事後処理や、直接の戦闘行為以外の様々な雑務を請け負う部隊、“隠”。倫道が最終選別に通った後、救護活動をする見慣れない隠の隊員が所々で出没するようになった。

隠の先輩隊員に、包帯の巻き方や静脈内への注射の仕方、骨折の処置、心臓マッサージなどの心肺蘇生の基本を指導したり、時には傷の縫合などの処置をしたりしていた。

「お前、名前は?」

先輩のある隊員が聞いた時に、

「みっ、水……たにです」

と言っており、その後も水谷で通していた。

誰もが恐れる、後の風柱不死川実弥が怪我を負った際、普通の隠隊員ならおっかなびっくり、最優先で治療をするが、彼は

「貴方は後だな」

不死川の傷をちらりと診てそう言い、平然と後回しにしてより優先度の高い重傷者を治療したのだ。この怪しい隠は他の隊員の処置をしながらも、

(一番前面にいて、あの程度の傷で済むとは。さすがに柱になる人は違う)

不死川に感心することしきりであった。

不死川の処置の際も、他の隠たちが震え上がるなか全く動じる様子もなかったが、不死川と例の隠の間で、妙なやりとりがなされていた。

「まぁた傷が増えちまうなあ」

「丁寧に縫いましたので、今回の傷はほとんど残りませんよ」

十数か所の傷を超速で縫合し、隠の隊員はそう告げていた。

「おい、傷跡残らねえのか?」

「よく見ないと全く分からないくらいですね」

「本当に残らねえのか?」

「残らないって言ってるじゃないですか」

「本当に……全然残らねえのかよ?」

「残りませんよ、安心してください」

不死川は少し考え込んだ。

「ちょっと残るようにはできねえのか?」

「何言ってんだあんた!」

 

 

 

(こいつどこかで見たような?)

縫合処置後、そう思った不死川は、

「どこかで会ったか?」

聞いてみたが、初対面だとはぐらかされていた。この時の傷はほとんど痕も残らず治癒し、不死川はちょっとがっかりしていた。

正体について本人はバレていないつもりであったが、目立ってしまい不審に思われたこともある。

 

数年後、また違う現場でのこと。

頭部を強打して、救助後に意識レベルが低下した隊員の頭蓋骨に手回しドリルで穴を開け、血腫を吸い出す手術をしているところに、たまたま胡蝶しのぶが来た。

(あんな隠の隊員はいましたっけ?たしか蝶屋敷にはいなかったのでは?)

当の本人は、何やら太い釘の様なもので怪我人の頭蓋骨に穴を開けている。

「あなたは何をしていますか?」

しのぶはそう声をかけた。

「頭蓋骨に穴を開け、血腫を吸引して除去します。これをしませんと、脳が圧迫されて死にます」

その隊員はしのぶを見もせず、処置を続けながら答える。

(やはりこの隊員は見た事がありませんね。新たに配属された者かしら?それにこの技術は……。何にしても手際が良すぎる)

「お名前は?」

しのぶは気になり、さらに聞いてみた。

「ええと、みず……たにです」

隠は口ごもりながら答える。屋敷に帰ったら詳しい出自を聞いてみよう、しのぶはそう思いながら他を見て回り、気になって戻ってみるともうその者はいなかった。

(あの隊員は一体……。まあ、いずれ分かるでしょうけど)

以後しのぶはこの隊員の動向をさり気なく注視するようになった。

 

 

 

俺は階級・癸の正隊員となり、少しづつ任務をこなしていった。またそれと並行して、隠隊員に擬態して秘密裡に救護活動も継続して行っていた。

顔が隠れているのを良いことに、現場ではもう最初からいたような顔で医療班の活動に参加し、慣れて来るとだんだん大胆になり、手つきが怪しい隊員には指導も行い、原作に登場する後藤さんとも顔見知り(互いに目のあたりだけだが)になった。

名前を聞かれたが、ぱっと思いついた水谷という名前を名乗っておいた。

不死川さんが怪我をした時も、彼は1年足らずでもう甲まで階級が上がっており、周りから恐れられ尊敬されていたが、その時はもっと処置を急ぐ者がいたのでやむなく後回しにした。

みんなは驚いていたけど、

「俺は後で良いから他の隊員の治療を頼む」

不死川さんもそう言っていたし仕方ない。縫った後、

「まぁた傷が増えちまうなあ」

と言っていたので、

「丁寧に縫いましたので、今回の傷はほとんど残りませんよ」

そう説明すると、

「残らねえのか?」

しつこく聞いてくるので、心配ありません、残りませんと答えた。すると、

「ちょっと残るようにはできねえのか?」

無茶な要求をする不死川さん。わざと下手に縫えってことか?そんなことできる訳ないだろう。医者をバカにしてんのかアンタ。

「何言ってんだあんた!」

俺は思わず言ってしまったが、聞き耳を立てていた他の隠隊員が飛びあがって驚いていた。

不死川さんは何だか残念そうにしていて、謎だ。

「どこかで会ったか?」

不意にそう言われたので、

「いいえ、初めてお会いします」

とびびらずに答えておいた。処置中はなんか気が大きくなるんだよね。不死川さんにすらびびらないくらい。

でも、急性硬膜外血腫の処置をしている時、

「もしもーし、あなたは何をしていますか?」

としのぶさんに聞かれた時は驚いた。だって全然気配がしなくて、いつの間にか背後を取られていたから。口から心臓がまろび出るところだった。

医療活動をしている時には、全集中“蛇杖の呼吸”を使っていて、他にあまり意識が回らなくなってしまうのだ。

「頭に血の塊ができているので、それを吸い出します。これをしませんと、脳が圧迫されて死にます」

正体が露見しないよう、作り声で何とか答えたがヒヤヒヤした。血腫を吸引して閉創し、見つかる前にどさくさに紛れてさっさと逃げ、事なきを得たが。

大きな戦闘になると何処からともなく現れて、任務後はこのようにいつの間にかいなくなり、懇親会みたいな物にも何かと理由をつけて一切顔を出さないので、隠の同僚の皆さんには徐々に怪しまれつつあるような気もするが、俺の秘密の救護活動はその後もバレずに(多分)続いている。とにかくとても忙しく、情報収集のためマスカラスを連日飛ばしている。

「オマエハアタイガイナイト、何ニモデキネーナ!」

そう言いながらも頑張ってくれているので、俺は頭が上がらない。

 

 

 

俺はこの世界でも夢を見る。前世でも見た悪夢を。

 

 

命が流れ出すように血が流れる。濃厚な死の匂いが漂う。死が迫って来る。処置台に横たえられた体から、1秒ごとに命が零れ落ちて行く。

脈も触れず、呼吸も止まりかけ、強心剤を打ちながら処置をする。仲間は何故かどこにもいない。

独りでこの重症者を治療するのか。冷や汗が流れ、脚が震える。

どこだ。探せ。出血源は、どこだ。

胸を開く、腹を開く。――血の海。

用意した輸血用の血液はとっくに使い果たし、循環を維持するには普通の点滴を入れるしかない。腹の中に圧迫用のタオルを入れながらそれでも血は止まらず、いくら吸引しても、血があふれてまるで追いつかない。出血源が特定できない。

肝臓か、大血管か。立っているのもやっとだった。今にも倒れてしまいそうだ。

自分の力が及ばない恐怖。死なせてしまう恐怖。俺に何ができる?

焦りが冷静さを奪う。初めは鮮紅色だった血液が黒ずんだ色になり、やがて水のように薄くなった。形を成さないが、血液も臓器の一つであり、酸素が生き渡らなければ死んでゆく。

開いた傷口から、手足の傷から、気管チューブから。

至る所から血液が力無く流れ続けて、処置台の下に池のような血だまりを作っていた。死んだ血液の匂い。立ち上る強烈なアンモニアの匂いの中で、人工呼吸器の作動音とモニターのアラームだけが響く。

 

救えなかった。

いつもいつも、纏わりつく記憶。

 

 

俺はこの世界で、救うことができるのか。護ることができるのか。



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原作開始編
8話 残酷


俺は平時、実家で自己鍛錬を続けていた。近くの雲取山でトレーニングをしていると、山に住んでいる炭焼きの一家の子供たちとも顔見知りになった。

立ち木の間を飛び回ったりくないを投げたりしていると、通りかかった子供たちの長男が小さい兄妹達に、見ちゃだめだよ、と言って目を隠したりしていた。

炭治郎君ひどいな、人を護るためにやっているというのに。

それでも実家に度々炭を配達してもらっているうちに、俺がそんなに危ない奴ではないと分かってもらえたようで仲良くなった。

 

 

 

倫道さんは麓の町のお屋敷の息子さんだった。俺より五つ年上のお兄さんで、俺が十三だから、十八歳。小さい時から顔見知りだけど、話すようになったのは2年くらい前からだ。すごく優しい感じで、連れて行った兄妹も懐いていた。

でも竹雄や禰豆子に空手みたいな事を教えるのは止めて欲しい。家に帰ってから真似して困るから。

それに、山の中で鍛錬をしている時は別人だった。突き蹴りで木を倒したり、手裏剣みたいなものを投げて木を粉々にしていた。倫道さんは芝居で武士や忍者の役をやる練習だと言っていたので、それ以上は聞かなかった。

 

 

 

年の瀬も近いある日、朝から続いた雪の中、炭治郎君が一人で炭を売りに来た。俺たちの家の者は、幼くして一家を支える感心な少年と思っていたので、少し早いお年玉を用意していたのだ。しかし翌朝、家の者がそれを渡し忘れたという。それに気付いた俺は届けに行く役を買って出、急いで装備を整えて雲取山に急行した。

今日だったか……あのイベントだ。間違いないだろう。

竈門家の悲劇はもう止められないが、とにかく行ってみるしかない。

 

雪の雲取山の登山道を駆け上って竈門家に着くと、そこは地獄絵図だった。

竹雄君、花子ちゃん。時々炭治郎君と一緒に家にも来てくれた子たちが、血塗れの死体になっていた。お母さん、茂君、まだ本当に幼い六太君まで。

必ず仇を討ちますから。

俺は手を合わせてそう誓い、炭治郎君を探した。もう姿が見えないが、山を下っているはずだ。辺りを見回していると、炭治郎君の物と思われる新しい足跡を発見した。足跡はいつもの緩やかな道でなく、急な最短経路の方だ。

義勇が来る前に事態を把握しなければならないと考え、急いで後を追う。

しばらく走ると炭治郎君の気配がして来た。もう少し走ると、禰豆子ちゃんを背負った炭治郎君を発見、大声で呼んだ。

「倫道さん……」

炭治郎君は立ち止まって振り返り、泣き出しそうな声で言った。

 

その時背負われた禰豆子ちゃんが暴れ出し、2人は木立の中へ転げ落ちてしまったので俺も後を追った。炭治郎君と2人で禰豆子ちゃんを探すと、数メートル先に立っていたが明らかに雰囲気が違う。

顔を上げた禰豆子ちゃんは、鬼になっていた。

 

人間が鬼になるところを、初めて見た。可愛らしかった表情は凄まじく歪んで血管が浮き上がり、歯を剥きだした口からは牙も生え、

「グルルルル……」

低い唸り声が漏れている。

「ああ……禰豆子……」

ふらふら近づく炭治郎君を手で制し、俺はゆっくり禰豆子ちゃんに近づく。

「炭治郎君、禰豆子ちゃんが鬼になったようだ。近づくな」

「倫道さん!でも……」

俺がさらに近づくと、

「ガアア!」

禰豆子ちゃんが襲い掛かって来た。

少女とは思えない物凄い力だが、まだ耐えられる程度だ。地面に押さえつけられながら観察すると、目の虹彩が紅くなり、瞳孔は猫の様に細い縦長になっている。変化したばかりだが、日常よく目にする鬼になっていた。ぐわっと、一段階パワーが増し、体が膨れ上がった。

「禰豆子!止めるんだ!」

炭治郎君が泣きながら禰豆子ちゃんの背後にしがみついて俺から引き剥がそうとする。

「がんばれ禰豆子!鬼になんかなるな!」

炭治郎君の涙の叫び。

「禰豆子ちゃん!目を醒ませ!」

胸を打たれ、俺も心に届くように叫ぶ。

 

急に力が緩んだ。俺から手を放した禰豆子ちゃんは、ふらふらと立ち上がった。鬼の気配が小さくなる。俺は起き上がり、炭治郎君は禰豆子ちゃんの顔を覗き込む。禰豆子ちゃんは目も牙もそのままだが、やや人間らしい表情に戻ってぽろぽろと涙を流していた。

これなら大丈夫かと思ったのだが。俺の聴覚が足音を確かに捉えた。

 

「危ない!」

一瞬早く俺は炭治郎君と禰豆子ちゃんを抱えて地面に伏せ、間一髪で斬撃を避けた。そしてその鋭い一撃の主を見る。義勇が来た。でも親友で弟弟子の俺が説明すれば大丈夫、なはずだったのだが。

「久しぶり――」

俺は平静を装って言いかけたが、

「何故庇う」

義勇は冷徹な声で俺の言葉を遮り、露骨な殺意をぶつけながら問いかける。いきなり刀で斬りかかるこの男は誰なのか、目的は何なのか。少なくとも友好的な存在ではなく、炭を買いに来たのではないことは炭治郎君にも分かっただろう。

斬るために来た。鬼を、妹を。

このまま説明だけで納得させられるほど甘くはないようだ。でも義勇、この子は違うんだよ。

「俺の……妹なんだ」

炭治郎君が前に出る。

「どうして鬼になったか分からないけど……誰も傷つけさせない!必ず治すから!だから!」

炭治郎君が必死で叫ぶ。

義勇は日輪刀を抜いたまま戦闘態勢を崩さない。禰豆子ちゃんは義勇に向かい唸っているが、俺や炭治郎君に危害を及ぼす様子は無い。

「倫道、お前は何をやっている。庇い立てするならお前も斬る。鬼を斬るための攻撃は隊律違反にはならん」

炭治郎君が俺の方をちらりと見る。

「大丈夫、安心して」

俺は炭治郎君を安心させるため笑いかける。

「義勇、この子は鬼になったが人間の理性を保っている。現に彼、炭治郎君や俺に対して攻撃しない」

一応弁明はしてみたが、納得しないか……。致し方ない、どうしてもやるというなら。

 

「隊員同士の戦闘はご法度だ。それに俺は今刀を持ってない。それでもやるなら――」

俺が言いかけた時、斬撃がきた。殺す気か!いや殺す気だね。

俺は本当に紙一重で、義勇の斬撃を必死に避け続けた。そう、彼は柱になっているのだった。柱に対して丸腰の俺と素人の炭治郎君。分が悪すぎる。原作の進行に必要だからという説明は出来ないし、どうしたものか。ここは賭けだが、一芝居打つか。

 

 

 

義勇は、訳が分からずにいら立つ。鬼にされた人間など過去何人も見て来た。人間に戻ることなどないはずだが、こいつらは何故こうも必死に庇うのか。ましてや倫道は鬼殺隊の一員だ。鬼になってしまった家族に殺されるなど、珍しくもないことは知っているはずだ。

炭治郎はどうしてよいか分からない。安心しろと言われても、倫道は刀を持った相手に素手で挑み、殺されそうになっている。ついに追い詰められて仰向けに倒され、刀を突き付けられている。自分たち兄妹のために命を張ってくれている。

炭治郎は義勇に突撃していた。義勇は一瞬にして態勢を入れ換え、炭治郎の攻撃を躱し、禰豆子を奪った。

「義勇、止めろ!」「妹を殺さないで!」

頸に日輪刀を突き付けているのを見て、倫道と炭治郎が同時に叫ぶ。

 

「もうこれ以上……俺から奪うのは止めてください……どうか……妹を殺さないでください……」

炭治郎は、泣きながら土下座し、義勇に懇願した。倫道を制しつつ禰豆子の頸にも日輪刀を突き付けたまま、義勇はさらにいら立つ。

「生殺与奪の権を、他人に握らせるな!奪うか奪われるかの時に主導権を握れない弱者が、妹を治すだと?笑止千万!」

そう言い放った。

「弱者には何の権利も選択肢も存在しない。弱者は強者に只ねじ伏せられるのみだ!俺もお前のことなど尊重しない。――妹は死んでもらう」

口ではそう言いながら、義勇は少し期待していた。

(怒れ。純粋な怒りこそが、お前を動かす原動力となる。脆弱な覚悟では、妹を守ることも、家族の仇を取ることもできはしない。お前の力を見せてみろ!)

義勇は禰豆子の肩口の辺りを日輪刀で斬った。炭治郎は堪らず、斧を拾って義勇に向かって行く。

義勇もたった一人の肉親である姉を鬼に殺されている。炭治郎の気持ちは痛いほどにわかっているが、一方では鬼殺隊の柱として、鬼を斬らねばならない責任感があった。

 

倫道は、何とか義勇に分かって欲しかった。この子たちは、違うのだと。このチャンスは逃せない。原作通り奇襲は失敗、炭治郎は、義勇の峰打ちで失神した。

「炭治郎!しっかりしろ!死ぬな!」

倫道は気絶した炭治郎のもとに駆け寄り、大袈裟に叫んで抱き起した。

(只の軽い峰打ちだが?)

倫道の不審な行動に、一瞬義勇の注意が向けられる。その隙に禰豆子が脱出、炭治郎と倫道の前に立ちはだかり、大きく腕を広げて2人を守ろうとした。

(この娘は鬼に変わったばかりで飢餓状態のはずだ。一刻も早く人の血肉を食らいたいだろうに、2人を守り俺を威嚇するか)

義勇は信じられない思いで3人を見た。

(こいつらは、違うのかもしれない)

義勇は禰豆子に近づき、手刀を頚部に一閃、簡単に気絶させた。

「この子は人間の心を保っている。普通の鬼とは違うと言っただろ?」

倫道が笑いかける。

(こいつ、それを分からせるためにわざと?)

義勇は呆れつつ感心し、禰豆子に竹で口枷を作った。

「この子は、禰豆子ちゃんは、強く人間であろうとしている。必ず人間に戻れる、俺はそう思えるんだ。それに炭治郎君もとても意志の強い子だ。見どころがある」

倫道は気絶している2人を見る。

「義勇、鱗滝さんに面倒を見てもらおう」

義勇はうなずき、鎹カラスに鱗滝へのメッセージを付け、放った。

「お前の言っていることは分かった。後は頼んで良いか?」

倫道がうなずくと、お前も息災にな、そう言って義勇は帰って行った。

 

 

 

俺が目を醒ますと、禰豆子も無事で、口に竹の枷が付けられていた。

「目が醒めた?」

倫道さんの声がした。

一体、何がどうなっているのか。体の痛みと禰豆子の変化。これは現実だ。家族が殺されたことも、禰豆子が鬼になったことも。

「現実を受けとめ切れないかもしれないが、聞いてくれ」

倫道さんは話し始めた。この世界には、人間を喰らう鬼がいる。それを狩り、人々を護るのが鬼殺隊。あの刀の男は、冨岡義勇。兄弟子だ、そう言った。ということは。

「俺たちもその一員なんだ。俺がやっていたのはそのための鍛錬」

だからあんな事を。

「禰豆子ちゃんを人間に戻し、家族の仇を討つ。それには鬼と戦う術を身に着ける必要がある。鬼殺の剣士になり、その方法を探す……。できるな?」

倫道さんは、見た事の無い厳しい表情だった。

家族は殺され、妹は鬼になった。どうして俺の家族がこんな目に合うんだ。どうして……。悲しくて、自分の無力さが情けなくて、涙が溢れてどうしようもなかった。少しの間、俺は思い切り泣いた。そして、決心がついた。

「俺を……鬼殺隊に入れてください!」

倫道さんはいつもの優しい顔になって、頭を撫でてくれた。

「君が踏み出すのは、とてつもなく厳しい道だ。生半可な覚悟では歩めない。でも君ならば必ずできる。俺はそう信じているよ」

そして、自分の握り飯を分けてくれた。

「ゆっくりで良い。動けるようになったら、狭霧山の鱗滝左近次という人を訪ねるんだ。手紙を書いておいたから、必ず君を導いてくれる。まずは鱗滝さんのもとで修行して正隊員を目指すんだ。それと、俺の実家にはいつでも寄ってくれ。家の者はみんな君を応援している。もちろん俺もだ。――強くなれよ、炭治郎君」

倫道さんはそう言って去って行った。

 

 

俺はその後、家族を埋葬した。

さっきまでの風は止んでいた。

こんなにも残酷な出来事があったと言うのに、雪は全てを覆い隠すようにしんしんと降り続いていた。

俺は悲しみを堪え、禰豆子の手を引いて歩きだす。

もう涙は出なかった。

 

 

 

 

 

その後炭治郎君は鱗滝さんに弟子入りし、幽霊ではなく生身の錆兎にも鍛えられて強くなっていった。俺も何度も顔を出して稽古をつけた。

 

あの悲劇から2年、炭治郎君が最終選別に通ったと連絡があった。

俺も狭霧山に駆けつけ、その夜はみんなでささやかなお祝いをした。今までの厳しい修行を思い出したのか、2年間眠っていた禰豆子ちゃんが無事に起き出して来たからなのか、炭治郎君はまた涙ぐんでいた。

今日だけはゆっくりと休んでいいんだよ。

とにかく、おめでとう炭治郎君!これが始まりだ。

ようこそ、鬼殺隊へ。

ようこそ、修羅の道へ。

 




原作スタートまで何とかたどり着きました。


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9話 猪は眠り善逸は恐れる

設定 
音式神 茜鷹、白練大猿、岩紅獅子、消炭鴉…仮面ライダー響鬼より一部設定お借りしました(オリジナル機能あり)



俺は任務をそこそこにこなしているが、隠の偽隊員“水谷”として隠密の救護活動も行っており、通常の任務は同期より少ない。死なずに5年間勤務しているが階級は丙、まあこんなもんだろう。

情報収集がマスカラスだけでは間に合わないと判断し、少し前から実家に保存してあった音式神を使うことにしていた。これ使うと、鬼(無惨とは別系統の鬼だ)になったりしないだろうか、修行しなくても使えるのかという心配もあったが、大丈夫なようだ。変身音叉などは必要なく、俺の音声や脳波認識でも作動する優れモノだ。茜鷹、白練大猿、岩紅獅子、消炭鴉を駆使し、鬼との戦闘が発生した場合、なるべく救護に行くようにした。

剣士と隠の両立は大変だが、指令も出てない、呼ばれてもいないのに毎回直接戦闘を手伝うのもなあ。俺はバトルジャンキーじゃないし、頭おかしいなどと思われるのも嫌だ。俺は、できればほのぼのと暮らしていたいのだ。状況が許さないけど。

応急処置を教える意味もあるが、通常任務、稽古の他に相変わらず隠に擬態して後方支援活動に参加している。

 

ある日実家に帰ると、マスカラスが目を三角にしている。何か怒ってる?

「リンドー、チョットソコニ座レ」

後ろには、式神たちがうなだれている。

「どうした?今帰ったばかりだから休憩を」

俺は言いかけるが、

「イイカラ座レ」

俺はしぶしぶ正座する。はい、なんでしょうか。何を怒っていらっしゃるのですか?

「何ダ、コイツラハ」

マスカラスが式神たちをクチバシで示しながら言う。

あ、あの、それは音式神と言いまして、偵察とか伝令などにも……。

「アタイノ役目ダロ!」

ええ、嫉妬?

「いや情報収集大変じゃない?これから危険なこともあるかもしれないし、マスカラスの負担軽減を考えてのことなんだけど」

事実連日連夜飛び回ってもらってるし。

「かしらとして、この子たちを統率してくれると良いな、かしらとして」

好きそうな言葉で機嫌を取ってみる。かしら、というのが効いたのか、三角目が元に戻り、

「分カッタヨ。アタイニ任セトキナ!オマエハアタイガイナイト、何ニモデキネーナ!」

かしら、とか、あたまと言う単語には弱いらしい。次は総長、と言ってみようかな。機嫌治ったか、良かった。単純……いや素直で助かる。

 

だけどお前の安全を考えてのことというのは本当なんだ。この子たちが出てくる原作の設定と違って直接戦闘はできないけど、その代わりに原作にないオリジナルの機能が付いてるんだからな。

 

ある日マスカラスが飛んで来て、いつものように指令を伝える。

「ココカラ南南東!鬼ガ隠レ住ム屋敷ヘ、癸ノ隊士3名ガ向カッタ。ボーットシテナイデ、オマエモ行ケ!」

口悪いなあ。時期的にそろそろ鼓の屋敷だな。彼らを助けに行きますか。

山間の、ポツンと一軒家みたいな感じでその家はあった。剣戟の音がする。濃厚な血の匂いも。屋敷の外で倒れている男性に駆け寄るが、既に亡くなっていた。

正一君たちも屋敷に入っており、善逸君と伊之助君の無駄な争いを避けるため、ポツンと置かれていた禰豆子ちゃんの箱を背負って屋敷に突入した。善逸君の覚醒を邪魔しないよう慎重に進み、運良く響凱と炭治郎君の戦闘中の部屋にたどり着いた。

 

 

 

鼓の音が響き渡ると、部屋が回転したり、部屋の配置が変わったりする。この屋敷の主、響凱の血鬼術であり、響凱は元は十二鬼月に数えられた強敵だ。響凱と対峙している炭治郎は、だんだんとその法則性に気付いた。しかし、まだ以前の傷が治っておらず、痛みに堪えながら戦うため、思い切った攻撃が繰り出せないでいた。そこに、倫道が現れて炭治郎をアシストする。

「大丈夫か、炭治郎君!」

倫道は部屋の回転に合わせて飛び回り、鬼の遠隔斬撃も難なく躱し、響凱に肉薄している。さらに連撃で後退させ、後ろ回し蹴りを叩き込んで吹き飛ばすと、丁度炭治郎の間合いに入った。

「斬れ!止めだ!」

倫道の声が響く。

「響凱!君の血鬼術は凄かった!」

炭治郎は叫びながら、必殺の技を繰り出す。

「水の呼吸 玖ノ型・水流飛沫、乱!」

 

 

 

勝った。炭治郎君も順調に強くなっているな。また逞しくなってるじゃないか。

頸だけの響凱が俺たちに話しかけて来る。

「小僧ども……小生の血鬼術は凄いか……?」

俺たちは静かに頷く。今炭治郎君は、響凱の過去のエピソードが脳内再生されているところなので終わるまでちょっと待とう。珠世さんの使い猫・茶々丸がやって来てウロウロしているので、しゃがみ込んで呼んでみた。初めましてだね、茶々丸君。

え?お前見えるの?みたいな顔をしたが、人懐こく寄って来たのでなでなでしていると、エピソードの再生が終わった炭治郎君が話しかけてきた。

「お久しぶりです、倫道さん。ありがとうございました。何だかかわいそうな人でしたね」

俺はしゃがみ込んだまま、涙を流しながら消えて行く響凱を炭治郎君と共に見ていた。

成仏して下さい。

そして俺も、彼のために手を合わせ祈った。ん、何か異音がするような?

あれ、何の音?パリ、パリ、て。

――茶々丸。懐いてくれるのは良いのだが、俺の羽織で爪研ぐな。

 

屋敷から出ると、既に善逸君と正一君が出て来ていた。俺と善逸君はお互いに名乗り、挨拶を交わしていると、伊之助君がドカン、と扉を蹴破って飛び出してきた。炭治郎君を見つけると、

「てめえ、俺を投げ飛ばした奴だな!勝負しろ!」

と飛び掛かって来る。

炭治郎君は確か足を骨折していたはずなので、ここは無理させないようにしないとな。

「君、体力余ってるのか。俺が相手しようか?」

俺がそう声をかけると、

「何だ?てめえ。まあいい、勝負しろ!」

戦い足りないと見えて、元気いっぱいに刀を構える伊之助君。

 

猪の被り物をした男が、刃物を持って襲って来る。しかも上半身裸で。しかもムキムキ。原作を知ってるから、中身は美少年ですごくいいヤツなのも分かってるんだけど、この状況では異常者にしか見えない。警察が出動する事案だよね。

では、怪我の無いよう、穏便に片を付けますか。

「言っとくが、俺の刀は痛いぜ。この刃を見ろよ、千切り裂くような切れ味が自慢……」

「リンドー!腹減ッタ!今日ノ晩飯ナニ?」

伊之助君のカッコいいセリフの途中で、腹減ったから早く帰ろうとマスカラスが割り込んでくる。お前な、今いいとこなんだから邪魔するなよ。

「今日は猪鍋でも食うか?」

俺は木の上に向かって大声で言い返す。

「てめえっ!聞き流してんじゃねえよ!」

これを聞いた伊之助君激怒。

ごめんごめん。じゃ始めようか。

 

 

 

 

伊之助の鋭い攻撃が迫るが、倫道にはあっさりと避けられる。攻撃が全て躱され、刀に手をかけてすらいない倫道の様子に伊之助はいら立ち、

「そうかよ、そういうことかよ。そんならこっちも素手で行ってやるぜ!」

刀を投げ捨て、今度は素手で挑みかかった。しかし何度も投げ飛ばされ、逆上して掴みかかると今度は肘、肩、頸と関節を次々に極められ、さすがの伊之助も息を荒くしている。

(何この人、怖い……。戦ってる時も、呼吸や血の巡る音が全然変わらない)

この様子を見た善逸は、倫道を密かに恐れていた。

「君っ、もう止めろ!少し頭を冷やせ!倫道さんも、隊員同士の争いは御法度ですよ!」

炭治郎が両者に声をかけるが、伊之助は肩で息をしながら、止める気配が無い。

(ただのスパーリングだから大丈夫。怪我もさせないから)

倫道も意に介さない。

 

「お前っ……、なかなか、つえーじぇねえか。……俺の名前を教えてやる。俺は山の王、嘴平伊之助だ。憶えておけ!」

伊之助はゼエゼエと息を荒らげながら、それでも闘志を失わず、渾身の蹴りを放った。

だが倫道の下段払いの受け技に蹴り足が一瞬しびれ、いつの間にか背後を取られていた。ぎちりと頸に食い込む倫道の腕に、バタバタ暴れていた伊之助だったが、

「ぐげっ!……てめっ、はな……せぇ……」

動かなくなり、ずるりと猪頭の被り物が落ちた。失神してぐったりした伊之助を見て、

「ひいいっ!死んだ?死んだの?死んでないよね?」

善逸は慌て、

「だ、大丈夫、ですよね?」

炭治郎も心配そうに聞いて来た。

「大丈夫、締め落としただけだよ」

倫道は爽やかに笑った。

(ああ笑ってるよ、嫌だなあ……。鬼殺隊ってこんな人ばっかりなのかなあ……)

善逸は憂鬱になっていた。

 

 

 

「おいっ!てめえ!勝負しろお!」

伊之助君、お早いお目覚めで。わりとすぐに目を醒ました伊之助君が起きるなり挑みかかろうとするが、俺がにやにやしながら頸を締める動作をすると、伊之助君はぐっ、と動きを止めた。ふふふ、ずいぶん大人しくなったね。

「てめえ、次は見てろよ」

悔しそうな顔で俺を睨みつける。実力差を認めつつもまだやる気は十分であった。

だけど俺、これでも鍛えてますから。そんな簡単にはリベンジできないけどな。だけどまあ、それでこそ伊之助君だ。励めよ少年。

炭治郎君のカラス、松衛門がやって来て、怪我の治療と体力の回復のため藤の家紋の家に向かって発つように3人を促した。

「伊之助君、炭治郎君と善逸君は怪我をしてるんだ。君が少し面倒を見てやってくれ」

俺はそう頼んだ。

「何でこの俺様がこいつらの面倒見るんだよ!!」

伊之助君が俺に食ってかかる。

「そうか、強い者は弱い者を労ってあげるのが当然なんだが……。俺の見込み違いだったようだ。君はそこまで強くはないってことか。さっきも俺に絞め落とされてころっとのびてたしな。まあ強くないならしょうがない、強くないなら。……さあ行こうか、2人とも」

俺は大袈裟に、いやー残念だなあ、とわざとでかい声で呟きながら、炭治郎君に肩を貸しながら歩き始める。

ぶちっ。

何かが切れる分かりやすい効果音。

「はああ?!できるっつーの!いくらでもやってやるよ!」

伊之助君は猪頭の鼻から蒸気を噴き出し、俺から炭治郎君をひったくると歩き始めた。

君も単純……いや素直で何よりだ。

 

「ちゃんと労ってあげるんだよ」

俺は伊之助君に声をかけ、帰ろうとした。

「うるせえ!覚えてろよ!」

伊之助君は怒鳴り声で返し、

「えっ?一緒に来てくれないの?いやー死ぬわー!次で死ぬわー俺!」

善逸君は俺が一緒に行かないと分かると、ひっくり返って汚い高音で叫び始める。もうカオスな状況だったが、

「うるせえ!行くぞお前ら!」

善逸君は伊之助君に首根っこを捕まえられ、カラスに導かれるまま去って行った。頑張れよ少年たち。あと同期なんだから仲良くね。3人を見送り、俺はまた次の任務へと向かった。




かまぼこ隊登場です。あんまり活躍させてあげられなくてごめん。


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会津若松編
10話 合同任務


モブキャラの活躍が始まります。
人物紹介 
村田光良…改変キャラ 村田さん
緑川駿人…改変キャラ サイコロステーキ先輩こと累に刻まれた剣士
尾崎東子…改変キャラ 母蜘蛛鬼に操られる女性隊員
佳代ちゃん…オリキャラ 一家惨殺事件の生き残り
成嶋多門…オリキャラ 白虎隊の生き残り 鬼



マスカラスが指令を伝えて来た。

適当な隊員数名を帯同し、会津若松に向かえ。そこではこの1年に30人もの人が消えている、と。

会津?

原作にないが。主人公たちは療養中だし、どうするか?

丁度良い機会なので、那田蜘蛛山編に備えて鍛えておきたい隊員たちを選び、連れて行くことにしよう。村田(村田さん)、緑川(サイコロステーキ先輩)、尾崎(母蜘蛛鬼に操られる隊員)この3人だ。

あの場にいる彼らが強ければ、那田蜘蛛山での人的被害がかなり抑えられるはずだ。それに3人とも水の呼吸を使うのも都合が良い。マスカラスを通じて、早速3人を俺の実家に呼んでもらった。

俺は実家へやって来た3人を茶菓でもてなしながら、世間話などして3人の緊張をほぐしていった。村田さんは一つ年上の二十一歳、緑川君と尾崎さんは十七歳。3人ともかなり緊張してやって来たが、俺は一見穏やかで他人に緊張を強いるタイプではないので、話しやすかったと思う。短時間で打ち解け、鬼殺隊員としての苦労話や愚痴も言い合えるようになっていた。

「水原は冨岡の弟弟子かあ。俺は同期なんだよ。まあずいぶん差がついちゃったけど」

村田さんが自分を卑下して言うが、生き残ることだって大変なことは俺はもちろん良く分かっている。

「内緒なんだけど、あの選別の時は大変でさあ……。1人大怪我して、でもそいつは結局助かったらしいんだけど、その治療したのが覆面被ったヤツでさあ……」

村田さんがこっそりと打ち明ける。村田さん?その事は誰にも話してはいけないと言われませんでしたか?言えばお前の命は無いと……。そうだ言ってなかったっけ。それにしてもあの時切り離した脚を抱えて卒倒した村田さんが逞しくなったものだ。約8年経ってるから当然かもしれないが。俺は曖昧に笑ってごまかしながら、さらりと話題を変えた。

ある程度人となりが分かったところで任務の概要を改めて説明し、遠征任務の前にやってもらうことも説明した。

「3人とも、まずは明日から一週間、俺の師匠のところで強化練習をしてもらいます」

任務の前に、基礎の確認とレベルアップだ。もちろん鱗滝さんにも許可はいただいている。

 

 

 

「村田光良(ムラタミツヨシ)、緑川駿人(ミドリカワハヤト)、尾崎東子(オザキハルコ)以上ノ3名ハ、丙隊士水原倫道ノ元ヘ行ケ」

カラスからの指令だ。

3人はほぼ初対面で、どうして自分たちが、と疑問に思った。さらに見知らぬ上級隊員に帯同しての合同遠征任務だという。カラスに言われるがまま、連れ立って倫道の家にやって来たのだった。

次期柱候補だと聞いていたのでどんな豪傑が出て来るのかと思っていると、爽やかな笑顔の青年が出迎えた。

水原倫道二十歳。階級は丙。そう名乗り、

「まあどうぞ、上がって」

にこやかに迎えてくれた。倫道の柔らかな雰囲気に、お茶や菓子まで出され、短い時間の間に隊員としての苦労話や愚痴も言い合えるようになっていた。

「どうして俺たちを?」

村田は気になっていたことを聞いてみた。

「庚で有望な隊員は誰か聞いたら、3人の名前が出たので。それと、3人とも水の呼吸だよね」

倫道は虚実を交えてそう答える。彼らは原作のある意味重要人物である。彼らは有望、倫道はそう見込んでいるが、実際に周囲から特別に認められているわけではなかった。彼ら3人の才能は磨かれておらず、まだ刀の色変わりも果たしていないのだ。

「私たちで大丈夫ですか?」

尾崎が聞いた。大丈夫、倫道はそう言った後、

「明日から一週間、俺の師匠のところで強化練習をしてもらいます」

さらに告げた。だが村田は気付いてしまった。倫道は義勇の同門、厳しいことで有名な鱗滝の門下だ。3人は、厳しい稽古があるのかと憂鬱になった。

 

 

 

3人を連れて狭霧山にやって来たのは、言うまでもなくもう一段、二段、レベルアップしてもらうためだ。稽古を始めると、基礎練習で弱音を吐く彼らに錆兎も呆れていたが、1日中付き切りで教えると、3人とも見る間に上達してその潜在能力の高さを証明した。また彼ら自身の意欲も上がり、終了する頃には初日とは別人のように強くなっていた。

見込んだ通り、この3人は強くなる。俺は期待通りの展開に嬉しくなっていた。

狭霧山に来たのにはもう一つ理由があった。任務に発つ時に、実家から持って来た荷物を錆兎に渡す。

「お礼と言っては何だが、練習して存分に使いこなせるように頑張ってくれ」

詳しい使い方を錆兎に教え、励ました。俺の贈り物第1弾に錆兎は驚愕していたが、

「感謝する」

と微笑んだ。

「それと錆兎宛にもう一つ、鋼鐵塚さんから荷物が届くはずだから、それも受け取っておいて欲しい」

俺はそう言い残して遠征に出発した。

 

俺たちは合同稽古中や道中、色々な話をした。身の上話や鬼殺隊員となった思いなども腹を割って話した。みんな肉親を殺されており、辛い思いをしたから鬼殺の剣士を志したのだ。

緑川君とは特に話をした。祖父母と留守番中に鬼に襲われて祖父母は殺され、彼の仕業かもしれないと疑われた。疑いはすぐに晴れたが、家出同然で育手に弟子入りしたのだった。

正隊員になってもなかなか人を守れず悔しい思いをしたこと。

死ぬような思いでやっと助けた人々から、なぜもっと早く来ないのかと罵声を浴びせられたこと。

辛いことが重なり、自分が何のためにいるのか分からなくなり、努力もしなくなってしまったという。

鬼によって理不尽に奪われる命を救いたい。鬼殺隊員ならみんなそう思うだろう。でも俺たちは神じゃない。救えない命もあれば、届かない思いもある。それに、助けられた人は、助けた方の事情なんて分からない。

ヒーローなんて、そんなもんだろう。

助ける方の心と体がどんなに弱っていたとしても、それに目を向ける者はいない。

「でも君は“護りし者”だろう?」

俺がそう言うと、緑川君が不機嫌に押し黙る。屁理屈の様な反論もしないし、いい加減に調子を合わせてごまかすこともしない。心に響いてくれたのか?原作ではあんな描かれ方だが、案外素直なのかもしれない。

「君は才能がある。現にこの短期間で見違える程強くなっている」

だから腐るな。君の努力を見ている人は必ずいるから。俺はそう発破をかける。自分の出来る事からやれば良い。ただし全力で。そうすれば出来ることが増え、頼られることも多くなる。

一生懸命仕事をすれば、周りの信用とお金がついてくる。――得意先の社長の受け売りだけども。

「そうして強くなって、その上で金を稼ごうぜ!」

俺はそう言って笑いかけた。

「あんた変な人だな、水原さん。分かったよ、俺に出来る事で良いならやるよ。そこまで言われちゃしょうがねえ」

緑川君は、無理に怒った顔を作ろうとしたが、結局困ったように笑った。

うん、いい表情になって来たな。決して性根が腐ってる訳じゃない。彼は、本来の快活な少年に戻りつつあった。

 

出発前、どのように潜入するか考えたが、諸国漫遊を気取る金持ちのバカ殿とそのお供の者たち、という設定で行くことにした。バカ殿役は村田さんだ。

「俺が若殿役?お金持ちの御曹司に見える?そうか、似合ってるか。ちょっと照れるけど」

村田さんは、サラサラヘアーをかき上げて喜んでいるが、ヴァカ殿、とそのあたりを多少濁して説明したのが良くなかったのだろうか?村田さんが気に入ってくれたのならいいけど。

俺は執事兼護衛、緑川君と尾崎さんはお世話係兼護衛ということにした。財閥の御曹司なので、警護する我々の帯刀はお許し願いたいと地元の警察署に話を通し、賄賂も送っておいた。その結果、

”東京より財閥の御曹司一行が来たる”

小さくだが地元の新聞に載ってしまった。到着すると早速地元の警察署長やら、お偉いさんが数名あいさつに来た。ちょっとやりすぎたかと思ったが、人が来れば情報も集まるだろうし良しとしよう。

あの、村田さん?宿の人たちに手を振らなくてもいいです。

「ああ、良きに計らえ」

何言ってんだこの人。顔を白く塗ってやろうかとも思ったが目立ち過ぎるので止めておいた。

 

俺たちの到着の前の晩に、近くの村で一家惨殺があったと情報があった。奇跡的に佳代ちゃんという五歳の女の子が1人生き残り、身寄りがなく扱いに困っているという。金持ちの物好きが孤児を引き取るというていで、俺たちで彼女を保護することにした。尾崎さんもいるし、お世話も大丈夫だろう。

警察に見られないよう事件現場にこっそり行ってみると、室内の惨状はそのままであり、血痕も残されていた。強化五感で探ると一家は稀血で、それが鬼に知られてしまい襲われたようだった。

しかし稀血の反応は佳代ちゃんが一番強い。鬼がまた襲来する可能性は十分にあった。

 

鬼の匂いは二つ。佳代ちゃんの話だと2つの影が争っていたということで、稀血を巡り鬼同士が争ったのだろうか。それに一方は刀らしき物を持っていたらしい。刀を持った人が助けに入ったのか?しかし近くにいる鬼殺隊の別部隊は無い。だとすると、刀を持った鬼?いずれにしてももう少し調査が必要だった。

 

現地入りしてから1週間、有力情報がない。この1年で30人が行方不明、その中には多数警察官も含まれていた。神隠しや鬼、そんな話を街中などでそれとなく聞いて回ると、旧会津藩士の亡霊という噂があった。

 

旧会津藩士が白虎隊の墓所がある飯盛山に潜み、明治政府に復讐を狙っているのでは?という内容だ。これだけでは都市伝説の域を出ない。

行き詰まり、佳代ちゃんを連れだしてみんなで遊びながら考える。佳代ちゃんはもうすっかり俺たちに懐いてくれている。無になっていた感情が少しずつ戻り、明るさを取り戻しつつあるのが嬉しかった。別れは辛いが、この任務が終わったら東京に連れて帰り里親を探そう。可愛らしい子だし都会ならいくらも引き取り手はあるだろう。

 

(仇を討って、一緒に東京に行こうな)

そう思っていた。

さらに数日たったある日、宿に長く勤めているばあちゃんと話していると、会津藩士の亡霊の話になった。すると詳しい話を知っていた。

旧会津藩士が戊辰戦争後に出身を隠して警察官となった。当時の官憲は薩長土肥の出身者が中心で、10年余り勤めたにもかかわらず、会津藩出身であることがばれて彼は辞めさせられ、その後も元同僚に嫌がらせを受け一家は離散した。

ある日街で元同僚たちが彼を見かけて連行し、道場でリンチを加えたが、彼は元同僚ら十数人を返り討ちにして血の海に沈め、それ以来行方が分からないという。

 

「今はどこで何をしてるのか、生きてるか死んでるかも分からない。白虎隊にいながら生き残ったのにねえ……」

ばあちゃんは遠い目をして言った。その彼が鬼になり、官憲に復讐?

「あの子は、多門はそんな子じゃない」

やけに詳しいですね。もしかして。

「ああ、弟だよ。年は離れてるけど。別れた奥さんの実家のことを気にしていたよ。それなのに殺されてしまって……。この子も、1人残されてかわいそうにね」

と佳代ちゃんを見た。じゃあ、その多門さんの、元妻の実家って佳代ちゃんの家?

そういえば一家と関係ない名前が仏壇にあったような。“成嶋多門”ってその人か。

その人が鬼になり、山中に潜んで今も人を襲っている。警察官や、稀血とはいえ自分の家族までも?釈然としないが矛盾はない。

 

鬼がその人であってもなくても、人を襲うなら滅殺するまでだ。



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11話 色変わり

人物紹介
村田光良…改変キャラ 村田さん
緑川駿人…改変キャラ サイコロステーキ先輩
尾崎東子…改変キャラ 母蜘蛛鬼に操られる女性隊員
成嶋多門…オリキャラ 元警官 鬼にされたが人を喰わない


警察署での十数人の暴行事件。まあ自業自得と言えばそうなのだが。

三十年近く前の事件だが、警察署長にその事を聞いてみた。しゃべりたがらなかったので、少し多めに握らせると渋々教えてくれた。

「そのような暴力沙汰があったことは事実です。ですが当時山狩りも何度もしてますし、どこかへ逃げたか、もう死んでいるでしょう」

当時三十代なら現在は六十代、早い年には10月から雪が降る気候の厳しいこのあたりで、1人山中生活は困難だろう。

「鬼にでもならなきゃ無理だな」

俺の呟きに署長がわずかに反応した。

 

 

 

どういたしましょう?

最初は、警察内部の捜査を行う高等警察の手の者かと思いましたが、どうやら鬼狩りのようです。ガキばかりに見えますが間違いないでしょう。

若殿、というのは大したことはなさそうですが、執事だというあの男は油断がなりません。

……分かりました、離しておびき出して始末いたします。成嶋を使いましょう。

人払いした警察署の署長室で、そのような密談がなされていた。

 

 

 

その日の夕刻。署長からの伝言です、そう言って若い警官が封書を置いていった。中を見てみると、

「執事の男 今夜10時、飯盛山の白虎隊墓所まで1人で来られたし。成嶋多門」

……これ果たし状じゃないか。署長関係ないし。署長は関係してるのか、でも鬼らしき雰囲気は俺の探知には掛からなかったが。

 

成嶋多門、白虎隊の生き残りだという例の男だ。

村田さん、緑川君、尾崎さん。俺は飯盛山に行ってくる。こちらにも何らかの攻撃があるはずだ。佳代ちゃんを頼む。

今夜がおそらく最終決戦となるので、ここは隊長らしいことを言っておかんとな。

「命令は3つだ。死ぬな。死にそうになったら逃げろ。そんで隠れろ。運が良ければ不意を突いてぶっ殺せ」

どうよ、他の世界の尊敬する隊長の言葉だ。かっこいいベテランの隊長が、新兵をリラックスさせる時に言っていた。そのまんま使わせてもらったぜ。

「水原さん、それじゃ4つだぜ?」

「あ、あれ?そうだった?」

緑川君が少し呆れつつ、冷静にいいツッコミをしてくる。村田さんは、またしょうもない事を言い出したかと苦笑いしている。

「えっ?えっ?何?何で?!」

1人だけ分かっていない尾崎さん。

「いいか、数えてみろよ。一つ目が死ぬな、で、二つ目が死にそうになったら逃げろ、で……」

緑川っ!解説すんな!!

「ああ、そうかあ!」

尾崎っ!薄々分かってはいたが、お前天然だったのか……このボケ殺しめ。

こんな具合に、既に俺たちはチームワークもばっちり(?)なのだ。

鬼殺隊の隊服を着て腰に刀を差す。急に雰囲気が変わった俺たちを見て佳代ちゃんが不安がってるから、ちょっとボケてみました。フッと、全員の空気が緩む。

「では行ってきます」

何とも締まらないまま、俺は決闘の場所に向かった。

 

 

 

山の頂上近く、開けたところに白虎隊士の墓所があった。そこに佇む影を、満月が白々と照らしていた。

「成嶋多門か」

倫道が問いかける。

ゆっくり振り向く人影。骨と皮ばかりに痩せこけてはいるが、武人然とした佇まいだった。手には古びた刀。

「あんたを止めに来た」

倫道が刀を構える。鬼も静かに鞘を払う。

「参る」

鬼はそれだけ言って、戦闘が始まった。

数合打ち合うと、

(隙がない)

倫道は思った。痩せこけているがその剣は強く、速い。しかし不思議にも匂いがとても弱いのだ。殺意も感じない。

「あんた、人を喰ってないな?何でだ?」

「この飢えと渇きは、罰だ。1人生き恥をさらす儂の」

鬼は構えたまま答える。

「1人も喰ってない、そういう匂いだ。どうして鬼になった?復讐か?」

倫道はさらに問う。

その鬼、多門は刀を下した。

「あの戦争で、白虎隊の仲間が大勢死んだ。警察でも十数人の同僚を殺した。儂も半死半生で山に逃げこんだ。ここで死ぬのか、そう思った時にあの男がやって来た。死にたくない、そう思ってしまった。多くの人間を殺したお前にさらなる楽しみを与えてやろう、あの男はそう言って儂を鬼にした。しかし人を喰らうことなどできなかった。ならぬことはならぬもの、そう教わってきた。この永遠の生き地獄が、儂の贖罪だ」

(違う)

倫道は、やるせない気持ちになった。ばあちゃんから聞いた話には続きがあった。

「戦争では知らないが、少なくともあんたは警察の同僚たちを誰も殺してない。1人も死んでないんだ。多門さん、あんた鬼舞辻に騙されたんだ」

倫道は多門の言葉を訂正する。多門は天を仰いで、それから安堵の笑みを漏らした。紅い目から涙を流して。

「人を喰わぬ儂は疎んじられ、新しい鬼がやって来た。そいつは警察署を根城に人を操り、人を喰らっておる」

そこにマスカラスが飛来し、宿が襲われていることを告げた。

「多門さん、話は後だ。俺は市街へ向かう!」

倫道はそう言い置いて走り出す。建物をハードルのように飛び越えながら全速力で街へ向かった。

 

 

同時刻、宿周辺では村田、緑川、尾崎の3人が奮闘していた。鬼は稀血の佳代を喰って逃げる積りでおり、用済みになった警察署長を喰らって本人に擬態し宿を急襲したが、3人は違和感に気付いて不意打ちを躱し、佳代を守って逃げたのだった。

鬼は身長3メートル余り、金剛力士像のような本来の姿となり、戦闘が始まった。鬼のパワーとスピードに3人は押されながらも、市街地への被害を最小限に食い止めていた。

「水の呼吸 一ノ型・水面斬り!」

「水の呼吸 参ノ型・流流舞い!」

「水の呼吸 肆ノ型・打ち潮!」

3人は必死に技を出し倫道が帰るのを待つ。

 

「水の呼吸 捌ノ型・滝壺!」

上空から斬擊を叩き付け、倫道が合流した。鬼は縦に一刀両断されるが、すぐに再生して襲ってくる。

(成嶋め、もうやられたか!役立たずめ!)

倫道の姿を見た鬼はそう呟く。倫道に成嶋をぶつけて佳代から引き離し、上手くいけば相討ちにさせる腹であった。

尾崎が佳代を守って鬼の注意を引き、倫道、村田、緑川が連携する。剛力で振るう攻撃は脅威だが、戦闘力で言うなら多門の方がはるかに上。

戦いの中で倫道は気付く。月明りにきらめく刀身の色。

そして、3人が剣を振るう度、その斬撃に伴ってザザアッ!と水のエフェクトが見えた。

(いいぞ、3人とも!)

倫道の頬が思わず緩む。

倫道が前面で攻撃を全て捌き、鎌鼬(カマイタチ)を繰り出す。飛び道具が欲しくて新たに身に着けた新技だ。真空の渦を作り、離れた敵を切り裂く、漫画の世界の技。

数回の遠隔斬撃が鬼の防御を削り、

「水の呼吸 弐ノ型・水車!」

村田が跳躍し、鬼の片腕を切断。

「水の呼吸 漆ノ型・雫波紋突き 牙斬!」

倫道は鬼の射程圏内に飛び込み、パンチを出した鬼の拳を狙って突きを見舞い、その小指側から肩まで抉り抜く。一瞬両腕を失う鬼。倫道と息を合わせて、緑川が加速。

「水の呼吸 壱ノ型・水面斬り!」

激しい水飛沫のエフェクトと供に、緑川が見事鬼の頚を刎ねた。

 

 

ほっと安堵したのも束の間、そこに多門が現れた。

刀の柄に手をかけながら一直線に走り、距離を詰めてくる。佳代を後ろに庇い、3人が日輪刀を構え直す。

「俺が行く!」

倫道は、尾崎に佳代の目を塞ぐように頼み、同じように多門に向かって走りながら迎撃態勢に入った。

多門が抜刀した。

「水の呼吸 肆ノ型・打ち潮!」

技を繰り出そうとして、倫道は多門の僅かな動きを見逃さなかった。

多門は、刃ではなく刀の峰をこちらに向けた。

倫道は、とっさに技を変えた。

「水の呼吸 伍ノ型・干天の慈雨」

 

 

 

隠せただろうか?この人の頸を刎ねるところは佳代ちゃんには見せたくはなかった。多門さんは灰化しながら徐々に壮年の人間の姿に戻っていく。

に戻っていく。

佳代ちゃん、実はね、この人は。

「……じいちゃん?」

佳代ちゃんが答える。分かるのか。

「うん、あの時、助けてくれたから」

そうか、貴方はあの襲撃の時、家族を守ろうとしたのか。いつも心配して見守ってたんだね。だから襲われた時にもすぐ駆けつけた。

「ありがとう、ようやく……死ねる。仲間のところには行けぬが。鬼狩りの少年よ、孫を、頼む」

多門さんは消えて行った。

会津っぽ、て言うんだよな、ああいう人。

彼も時代に翻弄された被害者。鬼にされたにも関わらず人を喰わなかった。ならぬことはならぬ、会津人の誇りを、意地を貫き通した。

この人が今度生まれてくる時は、どうか幸せな人生を。

そう祈らずにはいられなかった。

 

 

 

緑川も、尾崎も、僕も。本当に頑張った。3人で頑張り、一般人に被害を出さずに済んだ。水原はすごく褒めてくれた。最初は嫌な感じかと思った緑川は意外といいヤツで、信じられる仲間と思えるようになった。今度はしっかり守れたな、と水原に言われて、

「みんなの力だろ」

そう言い返していたが、急に優等生になり過ぎていて笑ってしまった。

「へえー」

みんなで感心していると、

「何だよ、俺は良いこと言っちゃいけねえのかよ」

緑川は不貞腐れていたが、そんなに嫌そうではなかった。

水原はほとんど無傷だった。1回鬼と戦った後僕らのところに駆けつけて、あの仁王みたいにでかい鬼を手玉に取っていた。戦いの後も疲れた様子も見せない。僕ら3人は打撲や細かい傷だらけなのに、掠り傷一つない。あまりの違いに僕は落ち込むが、帰路水原に言われて初めて気づいたことがある。

「みんな、お疲れ様。誰も死なず、大怪我もせず、無事に任務終了だ」

僕たちは笑顔でうなずく。

「ところでみんな、刀を見てみよう!」

水原が言ったので、僕たちは良く分からないまま刀を抜いてみた。

僕は、いや、俺は。

改めて青く色変わりした自分の日輪刀を見た。

緑川と尾崎も、刀の色変わりを果たしていた。この戦いの前は変わっていなかったのに。

 

まだまだなのは分かってるけど、水の呼吸の剣士、そう名乗っても恥ずかしくない位にはなれた気がする。少しだけ強くなれたという確かな手ごたえと、色変わりした日輪刀を得て、俺たちはこの印象深い合同任務を終えた。



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那田蜘蛛山編
12話 自分ではない誰かのために


人物紹介
村田…改変キャラ 村田さん 原作よりしっかりしている
緑川…改変キャラ サイコロステーキ先輩 今回見せ場を迎える


気味の悪い話だ。

合同任務の時、水原さんが教えてくれた情報。

蜘蛛の能力を持った異能の鬼どもが巣くう山がある。糸で人間を操ったり、頑丈な繭で人間を閉じ込めたり、鋼鉄のように強い糸を刃物の如く操って人間を切り刻んだり。偵察隊も派遣されたが戻らず、近々討伐隊が派遣されるらしい。任務に臨む時は十分に気を付けろ。

水原さんはそう言っていた。

 

あの合同任務から2か月。それからの俺は、柄にもなく稽古に打ち込んでいた。一緒に行った尾崎には、顔が変わったと言われた。真面目じゃなかった頃の仲間には、気でも触れたか、と心配された。他の同期には、強くなったとか見違えた等と言われ、一緒に稽古しようと誘われた。

何だろう、落ち着かないがちょっといい気分だった。

そんな中、10人編成の隊で那田蜘蛛山の鬼たちを掃討しろと指令が来た。村田さんと尾崎も一緒だ。もしかしたら、これがそうなのか。嫌な予感がした。

 

 

 

村田を先頭に、庚の隊員たち10人で編成された隊が那田蜘蛛山に入山した。緑川と尾崎も一緒で、村田は心強く思った。

(これは水原の言っていたあれでは)

先遣隊が帰らない、そう聞いて村田は直観した。入山前に3人で話し合い、他の隊員にも情報を共有し、用心しながら進んでいった。

突如隊員の1人が体の自由を奪われ何者かに操られかけたが、蜘蛛の糸によるものと見破り、冷静に糸を切って対処した。

(間違いない、ここが蜘蛛の鬼どもの山だ!)

村田たちはさらに警戒を強めた。

「もう見破られた!お人形が足りなくなるじゃない!仕方ないわね」

母蜘蛛鬼は、以前殺した先遣隊の隊員たちの亡骸を操って村田たちに差し向け、操られた仲間の亡骸を相手に村田たちはやむなく戦闘を開始する。

操られていることは理解しているが、操る者の現在地が分からず、操り糸を切ってもすぐに這いまわる蜘蛛が糸を繋いでしまう。それにどうかすると自分まで糸に繋がれてしまう。

生きている仲間を絡めとろうとする糸に気を配りながら、仲間の亡骸を傷つけないように攻撃を捌く。

(まずいな、何とか打開しないと)

村田は焦りを感じ始める。そこに、炭治郎と伊之助が合流。伊之助はこの消極的な戦いを見ていら立った。

「早くぶった斬れ!大した事ねえだろうが!」

「だめだ!これは仲間の亡骸だ!なるべく傷つけたくない!」

斬りかかろうとする伊之助を村田が怒鳴る。

「操られているなら、本体がいるはずだ!伊之助!君が敵の位置を探る何らかの能力を持ってるなら……」

「分かったっつーの、やってやるよ!」

炭治郎が原作通り探知を依頼し、伊之助が獣の呼吸 漆ノ型・空間識覚を発動。超人的な皮膚感覚で操り糸の本体、母蜘蛛鬼の存在を探知した。

村田は隊を分け、緑川と他の7人にこの場を任せ、自分と尾崎は炭治郎たちと共に本体を倒しに行くことにした。

 

「俺は村田だ。そっちは尾崎。階級は庚。君たちは?」

「竈門炭治郎、こっちは嘴平伊之助。階級、癸です」

炭治郎も名乗った。

「行くぞ子分ども!小便漏らすなよ!」

先頭を行く伊之助の様子に村田は苦笑しつつそれについて走る。

「間違いないな?」

「俺の感覚に狂いはねえ!ついて来い弱味噌!」

伊之助は得意気だ。伊之助を先頭に駆け、4人は母蜘蛛鬼に迫った。

伊之助が跳躍し、母蜘蛛鬼に斬りかかろうとした時、

(近づいてくる!あの人形を出すしかない!)

母蜘蛛鬼は切り札である巨体の鬼を操り、4人に差し向けた。

両腕に巨大なブレードを装着した、頸のない体に戸惑う4人だが、炭治郎が袈裟斬りにすることを思いつく。村田と尾崎が攻撃を躱しつつ接近、左右から同時に接近して両腕を切断、炭治郎と伊之助の連携でこの鬼を切り伏せた。母蜘蛛鬼はほとんど抵抗せず、炭治郎が頸を刎ねた。

母蜘蛛鬼は消えて行く間際、

「十二鬼月がいるわ。……気を付けて」

そう言い遺し、4人はこの山に十二鬼月がいる事を知った。

母蜘蛛鬼を倒し、村田と尾崎は他の隊員と合流するため元の場所に戻り、炭治郎たちはさらに山奥へと進んだ。庚の隊員たちは誰も死ななかったが2人の怪我人が出たため、村田は緑川を護衛に付けて2人を下山させ、残り7人で探索を再開した。

 

 

 

(随分と時間を食った。みんな大丈夫かな)

怪我人を入山口まで避難させ、緑川が山中に戻ると、何か言い争う声が聞こえる。隠れて見ていると、血だらけの癸の隊員と、相手は子供に見える鬼。癸の隊員が斬りかかるが、鬼の放つ糸の攻撃で日輪刀が折られ、傍にいた女の子が空中に逆さ吊りにされた。

(さっきの癸。あいつ、大怪我してるじゃねえか。……刀折られた!それにあの女の子は、鬼?妹って何のことだ?)

さらに追いつめられる癸の隊員。

(あいつ、殺されちまう!くそっ!)

緑川は意を決し、戦いに割って入って……気づく。

(これはやばい!こんなやつの相手してたのかよ!)

子供に見える鬼だが、ただ立っているだけでその重圧に足がすくむ。

「丁度いいくらいの鬼がいるじゃねえか。こんなガキの鬼なら俺でもやれるぜ」

緑川は勇気を振り絞り、癸の隊員を背中に庇うように前に出て、やせ我慢のセリフを吐いた。

「君は誰だ?」

「誰でもいい。……そいつは俺の獲物だ、お前は引っ込んでろ。俺は安全に出世したいんだ。死ぬなって命令されてるしな。とりあえずこいつを倒してさっさと下山するぜ」

緑川は傷だらけの癸の隊員をぐいと後ろへ押しやり、前に出て時間稼ぎを狙う。

右手で日輪刀を構え、背中の左手で癸の隊員に逃げろ、と合図を送り、

「だめだ、よせっ!君では」

という叫びを耳にしながら、子供の鬼に斬りかかった。

(分かってんだよそんなこと!このままじゃお前が死ぬだろうが!早く逃げろ!)

 

緑川は、斬りかかると見せていったん横に跳んで距離を取った。

(あの糸の射程がわからねえが、距離を取った方が攻撃密度が下がるはずだ)

そう考えたからだ。

(あいつ逃げねえな。そうか、女の子がいるから逃げられないのか。面倒くせえ)

その鬼、累は子供のように見えるが、その姿からは想像できない程に強い。この山の鬼どもを恐怖で縛り上げ、束ねているのは彼だ。

「僕の大事な話の最中に割り込んで来て、お前は何を言ってるんだ?」

累はそう言って緑川をじろりと一瞥する。目が合った。睨むような力は込めていない視線。

「ぐっ!」

緑川が思わず呻く。目を合わせただけだが、先程よりもさらに強い、まともに動けなくなるほどの重圧。

「さっきの威勢はどうしたの?来ないならこっちから行くよ」

累が無造作に前に出ながら片手で鋼糸を射出するが、緑川はステップを踏んで躱した。累は、今度は両手から鋼糸を出して薙ぎ払ったが、緑川は日輪刀で弾き飛ばし、地面に転がり、全て避けた。

(なかなかやるみたいだね。ひとつも当たらない)

目の前の相手を、邪魔な雑魚としてしか見ていなかった累は、緑川を新たな玩具として認識し始めた。

「お前、なかなかやるじゃない。もっと踊って見せろよ」

鋼糸の数を増やし、スピードを上げていく。緑川は全力で走り、跳び、転がって避けるが、全てを避けきることはできず、隊服を着ていても体にはビシビシと傷が刻まれていく。致命傷は負っていなかったが、どんどん激しくなる攻撃に体力も持ちそうになかった。

「どうしたの?逃げてるだけじゃ僕は倒せないよ」

わざと抑えた口調でそう言いながら、ひたひたと累が近づいて来る。

「うるせえ。……てめえなんぞ、すぐにぶっ倒して」

緑川は、肩で息をしながら精一杯強がって笑ってみせた。しかし、いつの間にか間合いに入った累が、緑川をゴミの様に蹴りつける。左腕で防御し、受け身と呼吸で体を硬くしたが、胸に一撃を食らった緑川は数メートルも吹き飛ばされ、体中が痺れた。

庇った左腕と肋骨が何本か折れ、胸の奥から血液が湧いて来て、血の咳が出る。

緑川は、木にもたれかかってなおも立とうとした。

「こんなやつに血鬼術はもったいないけど」

累は止めを刺すために緑川にゆっくり近づく。緑川は累を睨み付け、

(くそっ、早く来てくれよ水原さん!)

そう待ち人に念ずる。

「ぶっ倒すんじゃなかったの?できるならやってごらん。十二鬼月である僕に、勝てるならね」

累は髪をかき上げ、左目の「下伍」の文字を見せつけながら嘲笑う。

(十二……鬼月……!)

絶望にも等しいその宣告だった。その時、待ち人ではなかったが、この劣勢を打ち破る光が差した。

 

 

 

(十二鬼月!あいつが!)

緑川に逃がされた炭治郎もそれを見ていた。

(あの人が殺される!迷ってる場合じゃない、やるんだ。父さんに教わった、ヒノカミ神楽を!)

あの人が戦ってる間に体力も大分回復した。でも、おそらく一度きりしかできない。これで、倒すんだ!

炭治郎は、ヒノカミ神楽・円舞を繰り出し、累の鋼糸を焼き切りながら迫る。炎を纏う炭治郎の斬撃に、初めて累が退く。そして、禰豆子の血鬼術・爆血により、焦る累を大きな炎が襲う。爆ぜる炎の中から炭治郎が飛び出し、累の頸を刎ねた。

炭治郎は、極度の疲労からがくりと膝から崩れ、累の術が解けて落下した禰豆子に向かって這い寄って行った。

 

しかしその背後には、自らの頸を持ち立ち上がった累の姿。累は炭治郎に斬られるより前に、自分の鋼糸で頸を斬っていたのだ。

「こんなに腹が立ったのは久しぶりだよ。いらいらさせてくれてありがとう」

累は自分の頸を元に戻し、紅く光る眼を大きく見開いた。静かな口調ながら、抑えきれない怒りを滲ませ、構えた両手からギシリと鋼糸を引き絞った。緑川は木にもたれてやっとのことで立ち上がり、この様子を見ていた。

(せっかくあそこまで戦ったのに!本当に殺される!くそっ!)

そして累に向けて、最後の力を振りしぼって倫道に習った鎌鼬(カマイタチ)を放った。

(当たった……?)

累の胴体は腰のあたりで真っ二つになり、上半身がどさりと地面に落ちた。緑川には立つ力も残っておらず、思わずその場に崩れた。

 



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13話 命令

俺はお館様に呼ばれ、鬼殺隊本部・産屋敷邸の会見の間にいる。お館様には初めてお目にかかるが、行燈の明かりではお顔の様子は暗くてあまり良く見えなかった。

「倫道。君は甲になったばかりだったね。早速で悪いが任務を頼みたい。那田蜘蛛山に、先遣隊と討伐隊20人を向かわせたが、相手は異能の鬼らしく苦戦している。十二鬼月もいるかもしれない。柱である義勇としのぶとともに、君も行ってやってくれないか?2人とはこの機会に顔を合わせておくいい。ああ、義勇は兄弟子だったね」

お話が終わった後、俺は会見の間の隣部屋、控えの間で彼らの到着を待っているのだった。

会見の間に義勇としのぶさんが到着し、お館様と話をしているのが聞こえてくる。

(足痺れてきた……。正座してるのつらくなって来たな)

痺れた脚をさすっていると、

「今日はもう1人呼んである。しのぶは初対面だね。――倫道」

丁度お館様に呼ばれた。しのぶさんと素面での初対面だ。

「はッ」

イキって返事をして颯爽と登場するはずが。

「あら?」

立ち上がろうとしたが痺れた脚がもつれ、ふすまがスローモーションのように眼前に迫って来る。お館様たちのいる会見の間に、俺は外れたふすまとともに転げ込んだ。

ばたーん、と大きな音が響く。お館様の命を狙う者と勘違いしたのか、義勇としのぶさんは片膝立ちになり、刀の柄に手をかけていつでも抜ける態勢になった。き、斬らないで。転んだだけだから。外れたふすまの上にどてっと転がった俺。自分で言うのも何だが見事なこけっぷりだ。どんなもんだい。

「えへへ、す、すみません……」

義勇、しのぶさんとばっちり目が合う。お館様に付き添っているお嬢様、ひなき様、にちか様とも。俺はしびれた脚をさすり、恥ずかしさに耐えながら照れ笑いする。数瞬の微妙な沈黙の後、事情が分かったのか、何事もなかったように義勇としのぶさんは前を向いた。

すんごい恥ずかしい。顔から火が出てお屋敷が全焼するくらいだ。よりによってしのぶさんの前で……。ああ、しのぶさんとの恋愛展開が消えて行く。

(※作者注 もともとありません)

「今の音は、どうしたのかな?」

お館様が誰にともなく聞いた。お館様、分かってて聞いてません?

「脚がしびれた水原さんが、転びました」

お嬢様たちが、笑いもせず報告する。

そんなこといちいち報告しないで良いです。義勇は俺をちらりと見ながら、

「派手な登場だな」

と余計な一言までかけやがった。くそう、ちょっとくらいフォローしてくれたって良さそうなもんだろ。兄弟子じゃないか。しのぶさんは、顔を覆って笑いを堪えているが、肩が震えて、「くっくっ」という声が漏れて来る。

「では、頼んだよ」

「「御意」」 「ぎょ、御意……(すみません)」

お館様が去ると、しのぶさんは涙をぬぐいながら、

「人も鬼も、みんな……ぶふっ!」

仲良く、でしょ?セリフの途中で吹き出して、しのぶさんはその続きが言えなくなってしばらく笑っていたが、少し落ち着いた後、

「大分お待たせしたみたいですね。蟲柱……、ぷぷぷっ、胡蝶しのぶです。くくくっ」

なおも笑いを堪えながら自己紹介してくれた。

「初めまして、水原倫道です。よろしくお願いいたします」

俺は、何かありました?的な態度で答える。もう頼むから忘れてください。

「どこかで会いましたか?」

しのぶさんは俺の顔をじっと見ながらにこやかに問う。

「いえ、初めてお目にかかります」

何度も会っているが、俺はすかさずとぼけて答える。

「そうですかあ?隠の隊員たちとも随分仲良しなのでは?」

しのぶさんはさらに追及するが、

「いえ、隠の皆さんなど知りません!」

俺はあくまで白を切る。

「まあいいでしょう、その件はいずれ。それに、水原さんの噂は、色々聞いていますよ」

しのぶさんは一旦矛を収めるが、新たな手段で攻撃して来た。えっ、どんな噂を?

「安心してください、良い噂ですよ」

うーん、怖い。だが可愛いなあ。そんなことを思っていると、

「お前たち、そろそろ行くぞ」

義勇が出立を促した。

義勇を先頭に、俺たちは那田蜘蛛山に走り出す。

 

那田蜘蛛山に到着し、登山口から登って行くと、先遣隊の隊員たちの亡骸が散乱している場所に着いた。村田さんたちが入山しているはずだが、大丈夫かな?

亡くなっている隊員の顔を確認するが、見知った顔は無かった。申し訳ない、後でちゃんと埋葬しますから、安らかに眠ってください。俺は手を合わせ、3方に別れようというしのぶさんの提案に従った。しのぶさんは西から、義勇は東から、俺はこのまま直進だ。

死ぬなよみんな。命令を忘れるな。

 

 

 

地面を這ったままの炭治郎に止めを刺そうとして、怒りに表情を歪ませながら、累が背後からゆっくりと歩み寄る。

「あの炎、妹の力か何か知らないけど……。こんなに腹が立ったのは、初めてかもしれないよ。もういいや、お前も妹も、バラバラに刻んで殺してやるよ……!」

血鬼術・殺目篭を放とうとした時、累はふと、視線を炭治郎や禰豆子よりも離れた前方に向けた。前方から、音もなく猛スピードで走ってくる人影があった。走る人影が、抜刀するなりその刀をビュン、と横薙ぎに一閃する。

同時に、ひゅっと風音が鳴った。己の視界に、急に地面が迫ってくる。転んだのか?累は混乱して、脚を踏ん張ろうとしたが、力が入らないことに気付く。

いつの間にか、腹のあたりで上半身と下半身が分断されていた。

人影は累の前から炭治郎と禰豆子を抱えて飛び退り、緑川の傍に2人を横たえた。緑川はその人物を見て、思わず流れそうになる安堵の涙を危うく堪えた。

 

「遅えよ。来ないかと……思ったぜ」

(この人が来てくれた。もう大丈夫だ。助かる!)

悪態をつきながらも確信した。

「倫道さん……」

炭治郎もやっと声を絞り出す。

「ごめんな、遅くなっちまった」

倫道は微笑んで、累に向き直った。

「次から次へと、僕の邪魔ばかりするクズどもめ!」

累は事態にようやく気付き、すぐに体を再生した。

「血鬼術・刻糸輪転!」

怒りに燃える目は一層赤く光り、歯噛みしながらを血鬼術を繰り出すが、全ての糸は倫道に届く前に霧散してしまった。

(糸が全部切れた!何でだ、もう一度……!)

「えっ?」

累は、一瞬倫道が微笑んだように見えた。

最高強度の刻糸輪転を再度繰り出そうとして、累の視界はぐるりと垂直に回る。視界には、頸のない自分自身の胴体と、刀を鞘に納める先ほどの鬼狩りの姿。

数秒の後、斬られたことに気づく。

 

累の中で、不意に人間だった頃の記憶が蘇る。

 

 

 

病弱だった俺を、無惨様が鬼にした。強い体となったが、日の光に当たれず、人を喰わねばならなくなった。父や母はそれを知り、嘆き悲しんだ。

父は俺を殺そうとした。――涙を流して。

「一緒に死んでやるからな……」

確かにそう言って。

俺は怒りのあまり父を殺し、父を止めなかった母も殺した。

「丈夫に産んであげられなくて、ごめんね……」

母はそう言って事切れた。

あの夜、自分自身の手で一番大切な絆を切ってしまった。父や母は、本当に俺の事を想ってくれていたのに。

ぼくは。

ずっと、謝りたかったのだと今さらながらに気付く。もう遅いと言うのに。

父と母の幻が現れ、いつの間にか僕の傍らで手を取ってくれていた。人間だった頃、いつもそうしてくれていたように。

「鬼になってたくさん人を殺した僕は、地獄へ行くよね……。父さん、母さんと同じところには行けないよね。……ごめんなさい」

僕は父と母に謝った。

「父さんと母さんは、地獄でも……。累と一緒に行くよ」

父と母はそう言って僕を抱きしめた。僕の中で、感情が弾けた。

「ごめんなさい!全部僕が悪かったよ!!ごめんなさい!ごめんなさい!……ごめん……なさい……」

意識が無くなって行く。僕を斬った鬼狩りが傍に来た。止めを刺すのか。僕は十二鬼月だからな、当然だ。だけど、彼は。

 

 

 

倫道は、片膝を突き、倒れた累の背中に手を置いた。

 

「両親もきっと一緒にいてくれる。安心して逝きな」

 

そう声をかけた。累は涙を流しながら灰化していった。

 

伊之助を助け出し、遅れて到着した義勇は、十二鬼月を倒した倫道をさほど驚きもせずに見ていた。(良くやった。だがまあこのくらいの相手なら当然か)

 

 

 

 

 

 

 

俺は累の背中に手を置いて声をかけ、ウロウロしている茶々丸を呼び、炭治郎君の代わりに血を取って渡した。

 

――茶々丸、だから俺の羽織で爪を研ぐなと言ってるだろ!

 

一旦は退けたのに、またやって来て爪を研いでいる茶々丸をそのままにして、並べて寝かせた炭治郎君と緑川君を簡単に診察する。

 

炭治郎君は全身に多数の切創やら打撲、無理をしてヒノカミ神楽を使ったためのスタミナ切れ。緑川君は全身に多数の切創、打撲、複数の肋骨骨折と肺挫傷、左前腕の橈尺骨骨折といったところか。致命的な損傷が無いのは不幸中の幸いだった。

 

 

 

 

その頃山の西側では、村田たちが奮闘していた。7人で探索中に木にぶら下がった巨大な繭を幾つも発見し、やっとのことで切り開くと、中から溶けた人間の死体が出て来た。残りを落とそうとしていると姉蜘蛛鬼が現れ戦闘になった。村田と尾崎以外は繭にされたが、2人は粘って戦い、しのぶが到着して姉蜘蛛鬼を瞬殺、繭にされた隊員も全員が無事救助されたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

そろそろ、しのぶさんが来る。どうしよう、禰豆子ちゃんを隠すか、いや間に合わないし、まず見つかるだろう。

 

などと考えていると、しのぶさんが禰豆子ちゃんを串刺しにする勢いで飛び込んで来た。義勇がしのぶさんの剣をはじく。

「冨岡さん、どういうおつもりですか?」

顔は笑っているが、しのぶさんのその声には冷たい殺意が籠っている。

険悪な雰囲気が漂うが、カラスの伝令が間に合った。

 

「竈門炭治郎、禰豆子ノ両名ヲ拘束シテ本部二連行セヨ!」

 

という指令のもと、隠たちによって2人は運ばれて行った。

 

 

それにしても、良く戦ったと思う。十二鬼月相手に、よくぞ。おじさん感動したよ。

 

「良くやったよ。本当に良くやった」

 

隠の隊員に運ばれる緑川君に、そう声をかけた。

 

「俺はヘマして、あの癸に護られたんだよ。情けねえ」

 

緑川君は血だらけの顔で苦笑する。

 

「でも命令は守ってくれたんだな。ありがとう」

 

俺がまた声をかけると照れたように笑い、手を差し出して来た。俺も涙ぐみながらその手を握り、また生きて再会することを誓い合った。



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柱合裁判・柱合会議編
14話 柱合裁判


柱。鬼殺隊最高戦力にして、隊員数百名の頂点に立つ9名の剣士たち。

吹きすさぶ風がよく似合う、“9人の戦鬼”と人の言う。彼らが行くは、涙で渡る死の大河か、夢みて走る死の荒野か。

ともかくも、色々な意味で常人とはかけ離れた人々が俺の前にいた。竈門炭治郎、禰豆子の柱合裁判なのだが、彼らを庇ったため実質俺と義勇も何らかの責めを負う可能性があった。そして俺は、裁判の後の柱合会議にもなぜか呼ばれているのだった。

柱たちは産屋敷邸のお庭に並んでおり、水柱・義勇は何故か1人離れて立っている。俺はただの一般隊員なので義勇の傍に片膝を突いて控えている。

半ば意識を失った状態で後ろ手に縛られ、地べたに転がされている炭治郎君に隠の後藤さんが声をかけて起こす。そして、

「あなたは今から裁判を受けるのですよ、竈門炭治郎君」

蟲柱・しのぶさんがそう宣告し、裁判が始まった。

しかし、炎柱、音柱、岩柱は最初から殺す気満々だ。最終的には認めてもらえるとしても、原作通りだと禰豆子ちゃんが何度も刺されてしまう。説得できれば良いがと思っていると、

「そんなことより、冨岡とその水原という隊員はどうするのかね」

木の上からネチネチした声が。蛇柱・伊黒さんだ。

彼の説得は難しいだろうな。

「胡蝶めの話によると、鬼と知りながら庇っていた隊律違反は、冨岡、水原も同じだろう。どう処分する?どう責任を取らせる?」

くそっ、ネチネチといやらしい。だが正論だ。

「柱でありながら鬼を庇うなどあり得ん。何とか言ったらどうだ、冨岡」

蛇柱はさらに言う。義勇と傍らに控える俺に注目が集まる。杏寿郎さんと目が合うが、一瞬、おや、という顔をしただけだった。

以前にお宅に伺った時にずいぶんお話ししましたよね?千寿郎君とも一緒に稽古してるし、少し庇ってくれてもよさそうなものだが。

「冨岡、水原両名の処罰は後で考えましょう。それよりも、私は坊やの方から話を聞きたいです」

しのぶさんが弁明の機会を与えてくれた。

しかし炭治郎君の説明では今一つ要領を得ない。

「差し出がましいようですが、多少事情を知っておりますので私からご説明いたします」

俺は見かねて立ち上がり説明を引き継ぐ。

「彼の兄妹たちとは以前から知り合いなのですが、2年前、彼の留守中に家が襲われ、家族は殺され禰豆子が鬼になりました。私はたまたま現場にいましたが、その時禰豆子は炭治郎にも私にも危害を加えませんでした。あの子は、禰豆子ちゃんは強く人間であろうとしています。人間の心が残っています。鬼になってから2年以上誰も傷つけておりませんし、炭治郎が隊員になった後は彼を助けて共に戦い、この度の那田蜘蛛山でも十二鬼月の撃破に重要な役割を果たしています」

一気にしゃべった。興奮して途中からいつも呼んでいるように“禰豆子ちゃん”になっていたけどまあいいや。

「しかし、これからも人を喰わないことを、ド派手に証明できるのか?」

音柱・宇髄さんがもっともな指摘。

うーむ、これも正論だ。

(何だっけ、あの鳥……)

そんな中、お空の鳥をぼーっと眺めている無一郎君。そんなに口を開けてると虫が入るよ。

心の中で突っ込みをいれていると、

「お館様はご存じのはずでは?いらっしゃるまで待ったほうが良いと思いますが……」

恋柱・甘露寺さんグッジョブ。ここで一旦殺す派の勢いが弱まる。

「妹は、俺と一緒に戦えます!鬼殺隊として、人を護るために戦えるんです!」

炭治郎君がたまらず叫ぶが、遂にあの男が現れた。

「おいおい、何だか面白い事になってるじゃねえか。鬼を連れたバカ隊員てのはそいつかい?」

禰豆子ちゃんの箱を片手に、風柱・不死川実弥登場。

「不死川さん、勝手な事をしないでください」

しのぶさんがたしなめるが、全く意に介さない様子。隠のお姉さんも困ってるし、ここは穏便に。

「鬼殺隊として人を護るために戦える?そんなことはなあ――。有り得ねえんだよ、バカが!」

禰豆子ちゃんを刺そうと、刀に手をかける不死川さん。

「止めろ!!」

俺は思わず叫び、不死川さんを睨みつけた。

 

 

 

倫道が叫ぶ。びりびりと周囲の大気が震える。

(ほう、この声の主、なかなかやる。この声の強さ、鋭さは良い)

岩柱・悲鳴嶼は密かに感心していた。

「てめえはあの最終選別の野郎か。何でここに居やがる?」

不死川も思わず声の方を見て、倫道に気付いた。

「ちょっと事情がありまして」

倫道が少し口ごもりながら答える。

「不死川さん、その箱をこっちに返してくれ」

倫道はあくまで冷静に語りかけた。

「ほおぉ。こいつは鬼だぜ……?それを殺さずに、てめえに返せとぬかすかよ」

不死川は好戦的な笑みを浮かべる。倫道との間に冷たい火花が散り、空気が張りつめて行く。

「その箱を放せ!」

倫道は、今度は声に怒気を含ませて不死川に叩きつけた。

「面白れえ。取れるもんなら」

不死川は薄ら笑いを浮かべたまま、抜刀。

「取ってみな!」

不死川が箱を刺そうとする瞬間に倫道がダッシュし、刀を持った不死川の右腕を両手でがっちりと押さえた。お互いに額が付きそうな距離で、無言のまま睨み合いながら力比べのようになった。倫道が不死川の右腕を押さえたままじりじりと押して行く。

「て、てめえ……!」

鬼を許さない、強い思いを抱く不死川は怒りを募らせるが、それは倫道も同じだった。

炭治郎と共に人を護って戦う禰豆子を傷つけさせない。

互いの正義がぶつかり合う。

不死川は右腕を伸ばし、左手には箱を持っているため力が入りにくく、やや不利。

不死川の手から箱が落ち、倫道はそれをキャッチして力比べから離脱、炭治郎の後ろに箱を置いた。

「善良な鬼と悪い鬼の区別も付かないなら、柱など辞めてしまえ!」

禰豆子を刺そうとした不死川に、炭治郎の怒りが爆発する。

「てめえら……!2人まとめてぶっ殺してやる!」

不死川も怒りを露わにし、倫道と炭治郎に刀を向けた。

 

「お館様の御成りです」

その時、お屋敷の中から声がかかった。不死川と倫道の対立で殺伐としていた空気が一変し、落ち着いて厳かな雰囲気になった。

 

 

 

怖かったあ……。不死川さん、最終選別の時の100倍くらい怖かった。おしっこちびりそう、いや少しちびったがひとまず収まった。

「よく来たね。私の可愛い子供たち」

お館様は、お子様たちに伴われ、縁側まで出ていらっしゃる。

「顔ぶれが変わらず、半年に一度の柱合会議を迎えられたこと、嬉しく思うよ」

涼やかなお声が響く。

一瞬の後、俺と炭治郎君は不死川さんに頭を押さえられて平伏していた。

居並ぶ柱たちも片膝を突いて頭を垂れ、恭順の意を示している。俺は押さえられながらお館様を見る。この前は暗くて良く見えなかったが、顔面のほぼ上半分に皮膚の色素沈着とケロイド状の変性。視力が無くなっているそうだから、眼球、あるいは視神経にも影響が及んでいるのか。

ストーリーが進行すると皮膚病変が体全体に及び、立てなくなる様子も描かれている。それは何らかの原因による衰弱なのか、筋委縮なのかも分からない。

お館様もお救い申し上げたいが、俺にはもともとの疾患の特定が不可能。呪いというなら早く無惨を倒すべきなのだが、それにはまだ準備が足りない。

などと考えていると、

「この竈門炭治郎なる鬼を連れた隊士について、ご説明いただきたく存じます」

不死川さんがお館様に挨拶を述べた後、そう付け加える。

「炭治郎と禰豆子の事は私が容認していた。そして、みんなにも認めて欲しいと思っている」

お館様はそう言われたが、柱たちは口々に反対を唱える。

ここで鱗滝さんからの手紙が読み上げられた。

「もしも禰豆子が人に襲い掛かった場合は、竈門炭治郎、及び鱗滝左近次、冨岡義勇、水原倫道が腹を切ってお詫びいたします」

そう結んであった。少しは響くかと思われたのだが。

「切腹するから何だというのか。死にたいなら勝手に死にくされ。何の保証にもなりはしません!」

不死川さんは頑なだ。他の柱もまだ反対する。

「人を襲わないという保証ができないが、禰豆子が2年以上人を喰わずにいるという事実があり、禰豆子のために4人もの命が懸けられている。これを否定するためには、否定する側もそれ以上の物を差し出さなければならない」

お館様は重ねておっしゃり、殺す派の柱たちは言葉に詰まった。もうこのくらいで諦めなさいよ君たち。

 

「それに、この炭治郎は鬼舞辻と遭遇している」

そしてお館様の言葉に一同は驚愕し、蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。

「どんな姿だ!能力は!」「場所はどこだ!」「根城は突き止めたのか?!」

口々に勝手な事を言い出し、ボケーっとしていた無一郎君でさえ、

「戦ったの?」

と食いついている。

「鬼舞辻は何をしていた?!おい!答えろ!」

炭治郎君は不死川さんに頭をガックンガックン揺さぶられて目を回している。

あまりに大騒ぎなので、お館様が口に手を当てて、静まりなさいと合図を送る。

鬼舞辻は炭治郎に追っ手を放っており、鬼舞辻にとっても予想外の変化が禰豆子に起きているからではと推測しているとお館様は結んだ。

だから、炭治郎と禰豆子をこのままにせよということだ。

「分かりません、お館様!」

不死川さんが叫ぶ。

まだ分かんないのかい、この子は!そんな子に産んだ覚えはないよ。産んでないけど。

不死川さんは禰豆子ちゃんの箱を持ってお屋敷に飛び込み、自分の腕を切って血を流しそれを禰豆子ちゃんに突きだしている。

炭治郎君は伊黒さんに妙な体術で押さえ込まれて動けずにいるが、それ普通の呼吸も阻害してないか?俺は伊黒さんの拘束を解こうとするが既に義勇が動いて、炭治郎君を押さえている伊黒さんの腕を掴んで力づくで退けていた。

不死川さんの血は、鬼にとってはものすごいご馳走。稀血の中でも特に希少な超稀血なのだ。禰豆子ちゃんは、不死川さんの超稀血を前にしても脂汗を流しながらも我慢を貫き、ついにぷいっとそっぽを向いて箱の中に入ってしまった。

この状況を聞いたお館様は、

「これで、禰豆子が人を襲わない事の証明ができたね」

そうおっしゃり、図らずも証明する決め手になってしまった不死川さんも悔しそうにしながら従わざるを得なくなった。

柱たちもまあ納得したらしかったが、

「何のつもりだ!」

伊黒さんは義勇の手を振りほどき睨んでいる。

「禰豆子を不快に思う者もいるだろう。炭治郎と禰豆子が鬼殺隊として戦える事を、証明しなければならないね」

お館様がそうおっしゃるが、明らかに不快に思っている不死川さんと伊黒さんの心中を察してのお言葉でもあるのだろう。

まず十二鬼月を倒しておいで、というお館様のお言葉に、

「鬼舞辻無惨を倒します!」

炭治郎君が勢い余って宣言すると、少し笑いも漏れた。炎柱・杏寿郎さんは、良い心がけだ!と褒めてさえいる。何とか収まって良かった。

「それから、実弥、小芭内。あまり下の子をいじめないこと。いいね?」

最後に2人が軽く怒られたので下を向いたままニヤニヤしていると、後で殺す、という視線を伊黒さんが向けて来たので俺は慌ててまじめな顔を作った。炭治郎君は治療のため蝶屋敷へと搬送されて行き、裁判は無事終わった。

「炭治郎の事はこれで終わり。下がっていいよ」

お館様がそうおっしゃったので、

「では、私もこれで」

俺もそう言って帰ろうとしたが、

「倫道もここに残ってくれるかい?」

お館様に引き留められた。

そして、柱合会議が始まった。



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15話 水次柱(みずのつぐばしら)

水次柱(みずのつぐばしら)...オリジナル設定。水柱と同格だが現水柱と差別化するための呼称

人物紹介 
緑川…サイコロステーキ先輩。だんだんいいヤツになる
村田…指揮能力高め



裁判が無事終わったので、

「では、私もこれで」

俺もそう言って帰ろうとしたが、

「倫道もここに残ってくれるかい?」

お館様に引き留められた。

 

「さて、柱合会議を始めよう。最初に私から一つ。今まで柱は9人と決まっていた。現在9人の柱がいるが、将来的にもう1人増やそうと思う」

なるほど、それでこの実力派エリートのワタクシをお呼びになったのですね。いやー、隠していた力を見抜かれてしまいましたか。なんちゃって。

 

「倫道、君はとても柱に近い位置にいると思う。……そこで君の意見も聞きたいと思ってね。この場に残ってもらったんだ」

 

なんだ意見を聞くだけか。将来的にとおっしゃってたし、今すぐどうこうではないようだ。何となく俺が推薦される流れだったので、ちょっとイキッてしまってとても恥ずかしい。

自分の事でないと分かったので、

「お館様の御意のままに。柱に相応しい、そのようにお館様がお認めになるのであれば、私は異存ありません(キリッ)」

俺はまじめな顔をして適当に返事をする。

 

お館様は満足そうにうなずき、

「そうか、では決まりだね。現在水柱は義勇が務めてくれているが、それに次ぐ者として、水次柱(みずのつぐばしら)という役職を用意した。――倫道、受けてくれるね?」

……は?

「倫道は甲だし、下弦ノ伍を倒している。それに君に助けられたという者が大勢いてね。みんなも異存は無いかな?」

「御意」「……御意」

何かすごく間が開いた人いなかった?

まあ多少の不満もありながら、みな賛同してくれた。柱になれたらカッコイイなとは思ってたけど、遠い世界の事だと思っていたよ。

お館様、ありがたきお言葉。光栄至極に存じますが、それはまずいです。

 

「では私が柱を引退し、代わりに彼に水柱を任せてはいかがでしょうか」

義勇が言い出す。ああやっぱりな、そう言うだろうと思ったよ。しかし意外にもそれを遮ったのは不死川さんだった。

「てめえだって務め上げてるじゃねえか柱をよお。引退するなんぞふざけるな!」

不死川さん素晴らしい。何だかんだ言って義勇の事認めてるじゃん。義勇ってば本当に世話の焼ける子なのよお。仲良くしてあげてね。口下手だけど悪い子じゃないのよお。

お母さんの様な事を考えながら、柱同士の絆も確認出来て思わず頬が緩んだが、柱の看板背負ってヘマしたら殺すぞ、という不死川さんの視線を受けたのでまじめな顔を作り、俺が水次柱を拝命することでその場は収まった。

 

次の議題では何故か村田さんが呼ばれ、那田蜘蛛山の仔細報告をした。原作では直接その場面は無かったし、村田さんを直接責める訳ではなかったが色々と言われているようだった。ただ最後に、

「十二鬼月を相手に貴方たちの隊は全員無事生還しました。私たちの救援が間に合ったのもありますが、悪くない采配でしたよ」

しのぶさんにそう褒められて、村田さんは涙ぐんでいた。

その後俺は炭治郎君から聞いたというていで、みんなが気にしていた無惨の情報を提供した。

「彼が浅草で会ったという無惨は、仕立ての良い洋服を着た身なりの良い若い男性の姿。人間の妻と子を連れていたそうです。瞳は紅梅色、瞳孔は縦長。ですが人間の様に細工もできるようです。炭治郎君は匂いで分かったと言ってました」

お館様も、柱たちも息を呑む。

「人間社会に紛れ込んで、色々探ってやがる訳か」

「おそらくこれだけではなく、その他にも様々に擬態してるでしょう。探っているのは我々鬼殺隊の動静もあるでしょうが、目的の一つは日光を克服する方法――。あくまで俺の想像ですが」

鬼殺隊随一の情報収集能力を持つ宇髄さんが、そういう方向からもさらに興味を引かれた模様。原作の知識だが、俺はさも自分の考察のように答えた。そして、無惨や鬼たち、また彼らと人間たちを繋ぐ者も合わせると、鬼の関係者はおそらく相当数が人間社会に紛れて生きているのだろう。鬼のスパイが紛れ込んでいるかもしれない、注意喚起のつもりで言った自身の言葉が、後々まさに自分の首を絞めることになろうとはこの時俺は予想もしていなかった。

 

無事に柱合会議も終わり、その帰り際。

「最終選別での事は黙っておくよ」

お館様?な、何をおっしゃるので……?

「別に責めるつもりはないから安心していいよ。私は、錆兎が助かって良かったと思っているんだよ。他にもたくさんの子供たちを助けてくれているみたいだね。……ただあまり続けて任務をこなしたり、無茶はしないように」

お館様は、俺だけに聞こえるように囁いた。

は、はて、何のことやら。私には身に覚えがございません。

代々産屋敷家の当主たちには、常人ならざる優れた直感力と直観力が備わっている。その力で様々な危機を乗り切り、財を成したらしい。

その力を俺も身をもって知る。隠していた力を見抜かれたどころの話じゃない、俺の正体まで正確に知られることはないだろうが、普通の人ではないくらいは見通されているようだ。最終選別で錆兎を助けたことはもうバレてるし、隠密同心、じゃなかった隠に擬態しての活動もバレている節がある。

俺はちょっと挙動不審になりながら産屋敷邸を後にした。

 

知っている人たちは柱就任を伝えるとみな喜んでくれたが、

「マスカラス、俺柱になったよ」

「カァー、柱!リンドー、良クヤッタナ!アタイハ鼻ガ高イゾ!」

マスカラスが一番喜んでくれた。

……カラスに鼻?まあいいけど。

柱って言っても見習いだ。スーパー戦隊で言うところの追加戦士的な扱いだぞ。違うかな?引き続き頑張るけども。それよりお前、テンション上がってやたらにつつくの止めてくれ。血がっ!血が出てるじゃないか!加減というもんがあるだろう。

 

その後しばらくして、蝶屋敷に炭治郎君たちのお見舞いに行った。炭治郎君、善逸君、伊之助君の主人公グループに原作ブレイクの緑川君も同室に入って、よりドタバタして面白かった。

 

「うるせえぞお前!薬が苦いからって騒ぐんじゃねえ!子供か!」

「だって苦いんだもん!」

……病室に入らなくても聞こえてくるやり取り。緑川君と善逸君、なかなかいいコンビだな、コントのバカ兄弟みたいで。

 

「隊員の質が落ちているって柱合会議で言われてさぁ……」

丁度みんなの見舞いに来ていた村田さんが、ため息をつきながら言った。

そういえばそんなん言われてましたね。すんません、聞いてませんでした。えへへ。

「お前いたんじゃないか!何で庇ってくれなかったんだよ!すげえ怖かったんだぞ!……でもな、俺たちの部隊は誰も死んでなかったんだよ。それだけはちょっと褒められた。水原の命令のおかげかもな。それに、緑川も本当によく生きて帰って来られたな……。後で聞いたけど、喧嘩吹っ掛けた相手が十二鬼月ってシャレにならねえよな」

緑川君の方を見て笑っていた。

いや、それは村田さんの指揮とみんなの力だよ。何より生きて帰って来てくれた、それだけでおじさん嬉しいよ。また泣いてしまいそう。

 

「倫道さんには直接助けてもらいましたけど、緑川さんや、村田さんにもすごく助けてもらいました。みなさんのお蔭で俺は生きて帰れました」

炭治郎君が言う。君は本当に良い子だね。あ、目から鼻水が。

 

「水原さんまた泣いてんのかよ」

緑川君が可笑しそうに言うので、

「泣いてない。これは鼻水だ。泣いてるって言えば、緑川君だって俺が来た時、やっと来てくれたのね、あたし嬉しいわ(泣)、みたいな顔しただろう」

俺がそう返すと、

「あれは……違うよ、そんなんじゃねえ!だいたい遅いんだよ、来るのが!仲間が死にそうだってのに」

緑川君も言い返す。俺はニヤニヤしながら、

「ふーん、仲間……。君も素直になったねえ。そういう風に思えるようになったんだあ……。いやいや、成長したねえ」

と大げさに喜ぶと、

「俺だって仲間ぐらい分かるよ!人でなしみたいに言わないでくれよ!」

ムキになる緑川君。でもその後、

「まあでも……助けられたのは本当だし……ありがとうございました」

ブスッとしながら改めて俺に礼を言い、全くよぉ……。と言いながらも、ふと笑ったのだ。

 

「以前の俺だったら、1人で逃げてた。でもあの時は、炭治郎が死にそうになってたから、思わず余計なおせっかいをしちまった。安全に出世するはずが、これじゃ命が幾つあっても足りねえじゃねえか……まあ仕方ねえか。……仲間ってのも悪くはねえな。――という感じか」

調子に乗った俺は、勝手に緑川君の胸中を代弁してやった。

「何言ってんだよ!もう帰れよ!」

嫌な顔をしつつ笑う緑川君。

でも、君の成長は嬉しい限りなんだよ。

俺はうんうんとわざとらしく頷きながら、本当は泣きそうだった。

 

「ほらやっぱり泣いてるじゃねーか」

緑川君がさらに言い返す。

「泣いてない。これは鼻水だと言ってるだろう。……そういえば、十二鬼月をぶった斬った鎌鼬は君のじゃない。俺のだからな」

俺がそう言うと、

「うっわ!何この人、大人げ無え!みんな、聞いた?今の!」

と返しやがった。

周囲は爆笑、騒がしいので様子を見に来たアオイさんも、一同の明るいパワーに押されて苦笑している。

周囲の成長を実感しながら、俺は嬉しかった。

だが、俺は密かに企んでいる。

治ったらまた狭霧山に送ってやるからな。楽しみにしとけ。



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無限列車編
16話 こんにちは千寿郎君


人物紹介
煉獄千寿郎…杏寿郎の弟。気弱だが実は天才
煉獄槇寿郎…杏寿郎、千寿郎の父。訳あってダメ親父に
錆兎…怪我により右足を膝上で切断したが、ある手段で剣士として復活する


那田蜘蛛山の戦いの2ヶ月余り前。

俺は会津から帰った後、甲に昇格していた。

そして無限列車編に備えてある仕込みを行うため、炎柱・煉獄杏寿郎さんに面会すべくお土産を持ってお屋敷を訪ねていた。

「兄上から聞いております。どうぞ」

玄関では今回のターゲット、千寿郎君がにこやかに出迎えてくれた。座敷に通されると程無く当代の炎柱・煉獄杏寿郎さんが現れる。

「溝口少年か。うむ、他の呼吸についても学びたいとは感心だ!」

俺は今回、炎の呼吸の技についても学びたいという名目で杏寿郎さんを訪ねているのだ。

「俺の継子になると良い。一人前にしてやろう」

ありがたいお言葉も頂いたが俺も任務(と裏任務)があるし、そうでなくとも忙しい杏寿郎さんにそうそう稽古をつけてもらうわけにもいかない。と言うわけで。

「千寿郎君をしばらくお借り出来ないでしょうか?一通りのことはお出来になるのでしょう?それと私は溝口ではありません。水原と申します」

そう切り出した。

「千寿郎を?確かに他人に教えることは千寿郎の学びにもつながるかもしれん。しかし父上が何と言われるか」

問題はそれか。ここでお父様の槇寿郎さんが乱入。酒臭っ!

「何だ貴様は!勝手に人の家に上がりこみおって!千寿郎を連れ出すなど許さんぞ!」

昼間からもうしたたかに酔っている。だらしなく着崩れた着物と帯、顔には無精ひげも生えてなかなかのダメっぷりだ。

「私は甲隊士水原倫道と申します。先代炎柱・煉獄槇寿郎様とお見受けいたします。土産を持参しました。お口汚しとは存じますが」

俺は自己紹介し、対パパ用に持って来た物を渡してみる。

「梅酒を缶に詰めたものにございます。お口直しに一口いかがですか?」

プシュッと1本開け、早速飲ませてみた。

「何だ、梅酒か。そんな甘ったるい物が飲めるか!……仕方ない、まあ飲んでやるか」

何だこんな物、と言う感じで口を付けたが、プシュッという音でも分かる通りこれは炭酸入りなのだ!

「この刺激は!うまい!うまい!!」

と一気に飲んでくれた。でも慣れないのに、炭酸飲料をそんなに急いで飲んだら。

「ヒック!ゲフウ!」

ほら言わんこっちゃない。しゃっくりとゲップまで出ちゃって、煉獄兄弟も唖然としている。ここで俺は某缶入り炭酸梅酒1ダースの風呂敷包みを手渡し、

「千寿郎君の件は」

改めて聞いてみると、パパ寿郎は先ほどの醜態で気まずくなったのか、

「勝手にしろ」

手にはしっかりと風呂敷包みを持ち、引っ込んでしまった。

ありがとうございます。ああそれと、飲み過ぎはお体に障りますので、ノンアルコールにしてございます。気分だけお楽しみください。

その後改めて話し合い、まず1ヶ月千寿郎君を俺の実家と狭霧山に預かって炎の呼吸の技を教わり、その後は煉獄邸と行き来してもらうことにした。

「本来なら俺が手ずから教えるところだが、すまないな溝口少年。他の呼吸を使う剣士と一緒に稽古するのは千寿郎にも良いことだ」

杏寿郎さんも言ってくれた。

「僕でお役に立てるでしょうか?」

千寿郎君は少し不安気だが、大丈夫。目的は君を覚醒させることなのだよ。

その後あまり時を置かずに早速狭霧山に来てもらった。

千寿郎君は太刀筋は悪くない。どころか。

ちょっとこの子、すごくない?実は天才なのかもしれない。幼い頃から鍛えられ、杏寿郎さんの技も常に間近に見ており、神経系の発達は非常に良い。後は筋力の向上を図ることと、心のどこかに掛かっているリミッターを解除することだ。

――それでは仕込みを開始しよう。

 

「俺は実は占いが得意でね。占いによると、近々大きな任務で兄上は強敵とぶつかり、みんなを守ってそこで死ぬ」

俺は千寿郎君にさらりと言った。千寿郎君は当然衝撃を受ける。俺は原作の知識で、内部の人間しか知らないようなことを、さも占いであるかのように次々と言い当てて信用させた。

「俺は何としても杏寿郎さんを死なせたくない。俺もその任務の時はどうあっても行動を共にするつもりだ。そして千寿郎、君の力も借りたい」

俺はさらに続ける。さりげなく「千寿郎」と呼び捨てにして熱血な感じを演出。

「君は、本当はとても強いんだ。太刀筋も良い。だけど優しく穏やかな性格が戦闘そのものを拒んでいるように見える。刀が色変わりしないのはそれが原因だ」

そして大いに焚き付けた。

「君も名門煉獄家の男だ。才能が無いはずはない!兄上を守るため、共に強くなろう!」

止めを刺した。戸惑うばかりだった千寿郎君が、覚悟を決めてくれたように見えた。

 

少し変わった合同稽古がスタートした。錆兎と鱗滝さんにも剣技を見てもらい、合間には俺の実家でみっちりとウエイトトレーニングも指導した。前回の村田さんたちは水の呼吸の剣士だったが、今度は炎柱の弟ぎみまで連れて来てしまっている。

「お前はここを何だと思っているのか」

鱗滝さんには軽く怒られたが、一生懸命な様子の千寿郎君を見て黙認してくれた。

俺に発破をかけられ、右足を失いそれでも猛稽古をする錆兎にも刺激を受け、千寿郎君の目の色も変わる。筋力トレーニングの成果も出て、1ヶ月後には雰囲気が変わる程だった。自身でも手応えがあったのか、

「また直ぐに参ります!」

そう言って一時帰宅して行った。

千寿郎君と合同稽古するようになって4、5ヶ月。柔らかな物腰は変わらないが、肉体的にも精神的にもすっかり逞しくなり、トレーニングの効果もあって斬撃の威力はまさにけた違い。兄上を守りたい、力になりたい、その思いが戦いに臨む決意を揺るぎないものとし、天才の本分がいよいよ現れ始めた。

 

 

準備の時間はいくらあっても足りないが、時は来てしまった。

那田蜘蛛山の戦いを経て、療養と機能回復訓練を終えた炭治郎君たちに無限列車の任務が言い渡されたようだ。

俺たち3人の別動隊も、あらかじめ用意した偽造切符でこっそりと乗車した。発車してしばらく経った後、俺は1人で杏寿郎さんや炭治郎君たち4人に挨拶に行く。千寿郎君は乗客に紛れて魘夢が暴れだすまで隠れていてもらい、もう1人は変装して乗り込んでいる。

「水原少年も一緒か。それは心強い!」

杏寿郎さんは喜んでくれて、思わぬ増援に炭治郎君たちも嬉しそうだった。

先ほどから弁当を幾つも平らげている杏寿郎さんは、弁当の包み紙にふと目を止め、弁当売りをちらりと見た。

 

「車掌にご注意ください」

包み紙の隅に小さくそう走り書き。俺は他人に分からないように杏寿郎さんに目配せする。

「うまい!うまい!ありがとう!」

杏寿郎さんは相変わらず弁当を平らげながら、さり気なく了解を伝える。

 

今回の討伐対象である下弦ノ壱・魘夢。この鬼は眠りと夢に関する血鬼術を使う。原作によると人間に楽しい夢を見せ、自身の手先の人間をその夢に送り込んで“精神の核”を破壊させ、廃人となったところを肉体的に殺す。さらにその特性を挙げるならば、幸せな夢の後に悪夢を見せ、苦しみに歪む人間の表情が大好きというゲス野郎なのだ。

魘夢は精神の核を破壊する役の人間を4人用意していたが、列車が走り出して大分経って俺が加わったため、人間を急きょ調達する必要に迫られたはずだ。そこに、隙。

魘夢の手先の車掌が切符を切ると血鬼術が発動して4人は眠りに落ち、俺も笑いを堪えながら寝たふりをした。

 

原作で顔を知っており、魘夢の手先になるリーダー格の女は分かっていたため、あらかじめ彼がその女に近づいていた。口元に傷がある逞しい青年だが足に大怪我を負って人生に絶望し、仕方なく弁当売りをして生計を立てているという設定だ。

夢を見せてほしいと訴える彼を仲間に加え魘夢の手先は5人となり、眠り込んだ俺たちの元へ近づいた。リーダー格の女が自分の腕と杏寿郎さんの腕を結び、手本を示す。他の4人もそれに倣い、自分の腕と俺たちの腕を血鬼術で作った縄で結び、夢に侵入しようとしたその瞬間。後から加わった弁当売りの青年が俺に着けた縄をぐいっと引っ張った。飛び起きる俺。

「あんた何やってんの!」

女が叫ぶが、飛び起きた俺と弁当売りが手先の4人を当身で気絶させ、杏寿郎さんもすぐに飛び起きた。深い眠りに入る前の炭治郎君たちも叩き起こし、鬼の気配を察知した禰豆子ちゃんも起きて来た。善逸君だけは良い感じで半覚醒状態にしてあるのがミソだ。

「眠りの血鬼術か。人間を手先に使っているから察知できなかったという訳か。なるほど!助かったぞ水原少年!」

杏寿郎さんは早くも気合全開。

見れば、既に客車の壁や天井から触手が生え、乗客たちを喰らおうとしていた。杏寿郎さんは瞬時に状況を理解し、

「俺は後方5両を守る。黄色い少年と竈門妹で残り3両を、水原少年は残りの者を統率して鬼の頸を探して斬れ!」

と即座に命令を出した。

その中には、弁当売りの恰好から隊服になり、両足で立っている錆兎もいた。それと、忘れちゃいけないもう1人。

「兄上!」

客室の戸を蹴破って、千寿郎君が登場した。驚く杏寿郎さん。

「話は後で!兄弟で戦ってください!」

俺は千寿郎君を委ね、炭治郎君、伊之助君、錆兎とともに先頭車両へ走り出した。

 

 

 

原作を知っている倫道は、前方へと走る。

「前の方から、強い気配をビンビン感じるぜ!」

倫道は伊之助が言うのを軽く聞き流しながら、原作よりも早い汽車との融合に少し焦る。すると客車内に人型をした魘夢が現れた。倫道は、面倒な血鬼術を使われる前にすぐに頸を刎ねた。

(頸を斬ったのに死なない!)

炭治郎は狼狽したが、

「いいね、その顔。混乱しているねえ……」

客車の中に新たに魘夢の頸が生え、嬉しそうに厭らしい笑顔で語るが倫道は答えを知っているため全く取り合わない。

「知りたいだろう?どうして頸を斬ったのに死なないのか……。おおい!君たち?!」

「もうそれは本体じゃないんだ!列車と融合した頸を探すぞ!」

倫道は魘夢が何か言うのを無視して駆け続けた。

「これを投げ込んだら目をつぶれ」

先頭の機関車の前まで来て倫道はみんなを止め、そう命令した。

魘夢の血鬼術、強制昏倒睡眠・眼の対策として持ち込んだ今回の仕掛け。善逸の耳の事も考え、爆音を出さず強烈な閃光だけを発するように改良した、スタングレネードであった。

「いくぞみんな!」

倫道はスタングレネードを運転室に投げ込む。数百の目を見開き侵入者を待ち構えていた魘夢は、高輝度LEDの1000倍以上の光を浴びて完全に視力を失って血鬼術が発動できず、石炭庫の下の頸を発見され、全員の力で頸を切断されて絶命した。列車と同化していた魘夢は断末魔の悲鳴を上げてのたうち回る。列車は激しく脱線し、何度か横転した後にようやく止まった。

倫道たちも無事で、個々に乗客たちの救護に当たっていた。倫道、炭治郎、錆兎、伊之助は集まって無事を確認し合ったところで煉獄兄弟もやって来た。

「水原少年、驚いたぞ。千寿郎が良くやってくれた。礼を言う」

杏寿郎は開口一番、笑顔で倫道に言った。

「俺は炎柱・煉獄杏寿郎だ。君は?弁当売り……ではあるまいな?」

「先程は失礼しました。俺は鱗滝の下で育手をしている錆兎。今回は倫道の頼みで加勢しに来ました」

杏寿郎と錆兎も互いに自己紹介していた。怪我人は多いが死者はおらず、1つ目の任務は完了した。しかし、このままでは終わらない。倫道は警戒を強める。

予め錆兎と千寿郎には伝えてあった、2つ目の任務が開始されようとしていた。



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17話 鬼の力・人間の力

人物紹介
煉獄千寿郎…杏寿郎の弟。覚醒し、刀の色変わりを果たす
錆兎…義足を装着し剣士として復活をとげる


「来るぞ!」

巨大な気配を察知し、倫道が叫ぶ。

 

 ドオン!

 

 轟音と地響き。何かが空から降って来て地面に激突、もうもうと上がる土煙。その中で、ターミネーターの様にしゃがんでいた人影がゆっくりと立ち上がる。晴れていく土煙の中、そいつが倫道たちを見てニヤリと笑った。

 

 現れたのは上弦ノ参・猗窩座であった。

 

「上弦……ノ参?!」

いきなり現れたとんでもない強敵に、炭治郎と伊之助は呆気にとられており、杏寿郎は臨戦態勢となるが、

「杏寿郎さん、ここはまず俺たちが。錆兎!行くぞ!」

事前に知っていた倫道は、準備万端の錆兎とともに猗窩座に攻撃を開始した。

 

 錆兎は猛特訓の末、パラアスリート用の高反発義足を使いこなしていた。約5か月前、緑川たちを狭霧山に連れて行った時に、倫道はこの積層カーボンと強化プラスチックでできた義足を渡しておいたのだ。驚愕する錆兎だったが、文字通り血のにじむ訓練を重ね、千寿郎を連れて行った時には既にその性能を引き出していた。倫道が錆兎の脚の手術をした際、細心の注意を払って断端を処理したのは、義足を装着して動く事を想定していたためだ。

 倫道が鐵鋼塚を拝み倒して錆兎のために打って貰った日輪刀も、既に鮮やかな水色へと色変わりしており、錆兎は剣士として復活していた。

 

 倫道と錆兎の連携攻撃に猗窩座も僅かに後退した。

 

「素晴らしい!素晴らしいぞお前たち!柱かそれに近い者だな?水の剣士、お前たちの名は何と言う?」

猗窩座は強者と戦える喜びを全身で表して聞いてきた。

 

「人に名を尋ねるか。変わった鬼もいたものだ。俺は錆兎」

「おにに、なのる、ななどない(鬼に名乗る名など無い)!」

錆兎は名乗ってやり、倫道は決めセリフをかまずに言えて少しホッとしていた。

(な行が多くて言いにくいな)と思って練習していたが、役に立った。

 

「俺は猗窩座。そうか、だが何度でも聞くぞ、お前の名を!破壊殺・羅針!」

猗窩座は血鬼術を術式展開し、本格的に戦闘を開始した。

 

 倫道は、錆兎と千寿郎にはこの戦闘の目的を説明してあった。相手の手の内を出させて杏寿郎につなげること、朝まで戦闘を長引かせ撤退に追い込むこと、絶対に杏寿郎を死なせないこと。その過程でもしチャンスがあれば討ち取る。だがもちろんその過程で命を失ったり、重傷を負ったのでは意味がない。だから無理をし過ぎないことも良く説明した。

しかし、やはり上弦ノ参・猗窩座は強く、2人は押し込まれる。

 

「千寿郎!」

倫道は更に攻め手を追加した。

 

「炎の呼吸 壱ノ型・不知火!」

千寿郎が即座に反応、攻撃を開始し戦列に加わる。

錆兎、千寿郎が主に攻撃し倫道が防御。一緒に訓練した者だからできるコンビネーション。

(まさか千寿郎がこれほど強くなっているとは!それに日輪刀が色変わりを!だが純粋な炎の呼吸の太刀筋とは違う要素が……?)

杏寿郎も驚嘆した。千寿郎は確かに強くなっている。本人は気付いていないようだが、千寿郎の日輪刀はいつの間にか色変わりを果たし、炎のエフェクトを纏う斬撃を生み出す“煉獄家の炎刀”に変貌を遂げていた。そして炎の呼吸をしっかりと修業した素地の上に、水の呼吸の技をも取り込んだハイブリッド剣士としてその戦闘センスを開花させていた。

 

 激しい攻防が続くが、猗窩座に決定的なダメージを与えられない。そして倫道と言えども猗窩座の攻撃に対して被弾ゼロにはできなかった。錆兎と千寿郎は極度の集中状態にあり、疲労や痛みを感じにくい危険な領域に入っていた。

 

「千寿郎!行くぞ!」

時間を稼ぐため、ここで少しでもダメージを入れなければ。倫道は連携攻撃の合図を送る。

 

「はい!炎の呼吸 伍ノ型・炎虎!」

千寿郎が技を繰り出す。倫道も同時に技を出す。

 

「水の呼吸亜型 壱式・緋屠螺(ヒドラ)!」

流麗な水の呼吸の技から逸脱するため“亜型”と名付けた倫道のオリジナル技、9つの頭を持つ水の怪物がモチーフだ。形勢逆転を狙い力を合わせる。

 

「同時発動・龍虎狂炎!」

9つの斬撃が螺旋状に迫り、千寿郎の炎虎がその中から襲いかかる。体中に斬撃を受け、大きく後退する猗窩座。

 

「何と素晴らしい斬撃だ!」

血だらけになりながらも、その顔は喜色満面。

だがその斬撃による傷も即座に再生されてしまう。

 

 

 

 

 

 俺たちは全力で動き続けたのでちょっと退いて距離をとる。

猗窩座は、と見ると、後退したが攻撃を食らって感動してる……。この生粋のバトルジャンキーぶりに俺はちょっと引く。錆兎と千寿郎君は一気にダメージと疲労が来て立っているのがやっとなので、この機に一時下がらせる。

 

「斬りかかるまで闘気を隠していたな?それにこの俺を相手に仲間を護りながら戦うなど、人間にしておくのは惜しい。お前も鬼に」

猗窩座が俺を指さし、そう言いかけたところで

「断る!」

俺は先に言い放つ。

「何故だ?鬼になれば、永遠の命を得て鍛錬を続け、至高の領域に辿り着けるのだぞ!お前たちは今、息は上がり、脈も乱れ、満足に動くこともできまい。しかし鬼になればそんな疲れなど微塵も感じない。怪我の治りなど瞬きする間だ。お前たちのその素晴らしい技も全ては無駄だ」

得意気に話す猗窩座。悔しいが、肉体的には圧倒的に鬼に分がある。それは認めよう。

 いや待てよ、俺の好きな鬼滅の二次創作の小説でも、煽るのが上手い主人公が「再生能力頼みの猗窩座」ってヤジってたけど、その通りなんじゃあ……?

 斬られた傷はすぐ元通りになるし、スタミナも無尽蔵だ。そして、半永久的に生きられる。だがそれは、鬼という種族の生物学的な特性によるもの。鍛錬の結果ではない。こいつが至高の領域に辿り着けないのは、”鬼”だからなのでは……?何となくそんな気がする。

 

「お前はその強さを得て何を為す?何を護る?」

「護るだと?強くなることこそ目的ではないのか?」

猗窩座は俺の質問が理解できないといった様子で逆に聞いてきた。やはり人間だった頃の事は思い出せないのか。人間の頃のお前は、大事なものを護ろうとしたんじゃないのか?護るために強くなろうとしたんじゃなかったのか?この大敵は倒したいが、原作で鬼になった悲しいいきさつを知っているので俺は複雑だ。できれば救いたいが、話に応じる様子はない。

 

「鬼にならないなら、殺す」

猗窩座は再び構えを取った。俺も刀を構えようとしたが、予想以上に消耗しており、まだ手足に力が入らない。もう少し、もう少しで回復する。

「俺が行こう。俺は、炎柱・煉獄杏寿郎だ」

ギラリと刀を抜き、杏寿郎さんが前に出た。

 

 

 

 

 猗窩座はまた良い相手に巡り合えたことを喜んだ。一晩にこれほど素晴らしい剣士たちと戦えるなど、何と言う僥倖。

先程の剣士たちも素晴らしかった。鏡のような水面を思わせるその静けさ。一転して荒れ狂う、激しい怒涛の攻撃、流麗な捌き技。まだ子供に見える炎の剣士も、若々しい情熱の中に変幻自在の柔らかさを感じる。成長すれば一体どれほどの剣士になるのか見てみたかった。

そして今度の相手は堂々と“炎柱”と名乗った。

 

 感じる。その練り上げられ、燃え盛る炎のような闘気。感動すら覚える炎の剣士の佇まいだった。

「行くぞ杏寿郎!」

猗窩座と杏寿郎の戦闘が始まった。炭治郎と伊之助は、繰り広げられるハイスピードバトルを目の当たりにし、自分たちの力ではまだこの戦いに介入できないと理解し、歯痒い思いで見守る。原作と違い、杏寿郎は倫道たちとの戦闘を見て猗窩座の力を把握していたため、ほとんどダメージを負っていなかった。おそらく夜明けも近い。倫道はこの状況を見て、(勝てる!)そう思い始めていた。もしかしたらここで仕留められるかもしれない。

倫道はマスカラスを呼び、音式神・消炭鴉を起動、森の西の方角に罠を張るよう極細ワイヤーの束を渡した。マスカラスは、

「アタイニ任セナ!」

とすっ飛んで行った。

完全回復した倫道が戦闘に割って入り、防御的な立ち回りで杏寿郎を護る。

「水原少年、助かる!」

距離を取りながら杏寿郎が声をかける。

「勝ちましょう!こいつを倒して、みんなで勝ちましょう!」

倫道も答える。

 

(さっきまで転がっていたヤツがもう回復したか。ますます攻撃が届かなくなる)

猗窩座がそう判断し、倫道に攻撃を集中した。倫道は勝てると思ったが、ほんの少しの油断が僅かな隙になり、攻撃を受け流しきれずに吹き飛ばされた。このチャンスに、猗窩座は最大の必殺技、破壊殺・滅式を放とうとしていた。

 

(まずい!)

倫道は刀を捨て、猗窩座と杏寿郎の間に走り込み、

「極限集中!赤心少林拳・梅花の型!」

水の呼吸亜型、そしてこの戦いに備えもう一つ身に付けた技、極限集中を発動。

 

 倫道は、加速装置があったらいいなとしょうもないことを考えていたが、漫画とか特撮だとよく体感時間操作って出て来るよなと思い至ったのである。似たような技が鬼滅にもあった。花の呼吸 終ノ型・彼岸朱眼。だがあれは代償として失明の危険が伴うので、修行も危険じゃないか?と考え止めておいた。

 

 集中を高め、速い物を見続ける。反応する。繰り返しているうちに、全集中のさらに上、極限集中を身に付けた。効果は10秒程度しかないが、体感時間が10倍以上に引き伸ばされる。だがこの状態で戦闘を行うと、疲労困憊となり少しの間動けなくなる。今後は持続時間を長く、この状態であっても万全に動けるようにしなければならない。

 杏寿郎の死を何としても防ぐため極限集中状態となり、鉄壁の護りの型を展開。同時に陸奥圓明流の技、“浮身”を使い、衝撃を逃がす方向に自ら跳び、威力を和らげる。

 

 猗窩座の右パンチの軌道を自身の左側に逸らしつつ、さらに杏寿郎を巻き込んで自ら右後方へ跳び、杏寿郎への致命傷を防いだ。その瞬間だけ、倫道には周囲の動きがゆっくりに見え、パンチを逸らして後ろへ跳ぶタイミングは完璧だった。しかし滅式を逸らした倫道の両腕は痺れ、威力をだいぶ殺してはいるがそれでも数メートル飛ばされ、倫道と杏寿郎は一瞬戦闘不能になった。倫道は、猗窩座の右パンチによって杏寿郎が腹を貫かれるあの原作の死亡シーンを回避できて安堵しながらも、

(危なかった。“浮身”を併せて使わなければ、腕が無くなっていた)

と滅式の威力に戦慄した。

 

(仕損じたか。滅式の威力が9割以上殺がれた。小賢しい真似を!)

猗窩座は自身の必殺技の不発を残念がったが、気付けば夜明けも近いようだった。

「杏寿郎、素晴らしい戦いだった。また会おう。そして水の剣士、貴様の顔は覚えたぞ。次は殺す」

猗窩座は鬼殺隊の一行に言い捨て、日の光がさす反対方向へ逃げる。炭治郎たちが追うが、猗窩座のスピードには追いつけなかった。しかし森のその方向には、2つ目の仕掛け。断面積で言えば髪の毛の10分の1もない鋼線を束ね、強度をさらに上げたものをマスカラスと消炭鴉が飛び回って張り巡らせてあるのだ。森の中へと、猛スピードで逃げる猗窩座だが、突然足に衝撃を受け、転倒した。刃物で出来たような傷があり、膝から下がちぎれかけている。

(何だこれは?鬼狩りたちの攻撃か?)

鬼狩りたちは周囲におらず攻撃の気配も無い。

また走り出すと今度は顔面や胸に次々と傷が入り、何かが絡まる。よく見れば周囲には細い鋼線が張り巡らされており、これを避けるためには大きく迂回しなければならない。あとほんの少しで日の光が届いてしまう。猗窩座は直感的にその仕掛け人を悟った。気に障る問いをしてきたあの剣士。

 

(あの小僧だ。あの水の呼吸の小僧め!生かしてはおかぬ!次会った時はその頭蓋を粉々に砕いてやる!)

「うおおおっ!」

猗窩座は叫び、鋼線の罠に突っ込んで引きちぎり始めたが、次々と絡んで思うように動けない。

その時、べんっ!と琵琶の音が鳴り、猗窩座は無限城へ召喚されて行った。

 

 猗窩座は陽光が射す戦場から何とか脱出することに成功した。しかしこの時、猗窩座は気づいていなかった。倫道が密かに放った音式神・茜鷹がステルス状態で近づき、紙片となってその背中に張り付いていたことを。



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18話 煉獄の炎刀

人物紹介
煉獄槇寿郎…杏寿郎、千寿郎の父。ダメ親父だったが、自らの責務に目覚める


朝日が差し始め、周囲がすっかり明るくなる。上弦の脅威が去り、隠のみなさんも来て本格的に救護活動が始まっていた。列車の200人以上の乗客は誰も死ななかった。

錆兎と千寿郎君は全身の打撲と激しい疲労で立つのがやっと、杏寿郎さんも多数の打撲があるが骨折や臓器損傷など重篤な外傷は無かった。俺は極度の緊張状態から解放され、大きくため息をついた。

「千寿郎君の事、すみませんでした。大事な弟ぎみをこんな所に連れ出してしまって」

千寿郎君本人の意思は確認しての帯同だったが、やはり杏寿郎さんに詫びなければならない。

「上弦が現れるのは予想外だったが、それにしてもよもやだ。稽古でも刀の色変わりすらしていなかったというのに、千寿郎が上弦と渡り合うとは。水原少年、何をしたのだ?」

杏寿郎さんは聞いてきた。今まで突っ込んでなかったけど、俺、杏寿郎さんと同い年ですよ。と言うか中身はもう初老ですから。

「俺は、きっかけを作っただけですよ。ただ……」

謙遜でもなんでもなく、ちょっと焚きつけただけだ。千寿郎君が俺の予想を超えた天才であったのは事実だが、その優しさが、兄を、人を護る方に作用した結果だ。しかし。

よく考えてみれば、本来ならば戦いに関わることなく過ごすはずであった千寿郎君を命の危険に晒すことになった。戦力の充実を図りたいばかりに、命懸けの戦いに巻き込むことになってしまった。今更ながらに俺のしたことは正しかったのだろうかと自問自答する。

「僕は兄上のお役に立てましたか?」

疲労困憊で座り込んだまま汗と血にまみれ、それでも充実した顔で微笑む千寿郎君を見ていると、戦いの道に引き込んだことに罪悪感が湧く。

「選んだのは千寿郎だ。君は、ほんのわずかにしか見えていなかった千寿郎の才能を見抜き、新たな可能性まで引き出して丁寧に磨いてくれた。自分を責めることは無い」

杏寿郎さんは心中を見透かしたように、俺の肩をポンと叩いた。

 

「あっ!」

千寿郎君が驚いた。どうした、何かあったのか。

「兄上、水原さん、僕の刀が……」

くっきりと赤い刃紋が現れ、色変わりした刀を見ながら、千寿郎君が涙ぐむ。今までの訓練では変わらなかったが、命を懸けた戦いの中でついに“煉獄の赫き炎刀”へと変わった。杏寿郎さんと俺は戦闘中に気が付いていたけど。

 

そして錆兎も。錆兎はとても分かりやすい天才だが完全復活だ。ただ義足は通常1年は持つのだが、現在のところ戦闘1回分しか持たないので改良を続けよう。

「錆兎、やっぱりすごいな」

と声をかけたら、

「いや、まだまだだ」

素敵な声で言い切った。中身は梶さんだからな、本当に良い声だなあ。

「上弦ノ参にこの程度では、先が思いやられる。死ぬ程鍛えるぞ。しかし」

と言葉を区切り、

「俺は剣士としてもやって行けそうだ。お前にまた救われたな。ありがとう!」

笑顔を見せた。

「錆兎……」

眩しい笑顔がちょっとにじんで見える。そんな嬉しいこと言わないでくれよ。

あの戦闘中の動き。

それ使いこなす為にお前がどれだけ頑張ったか、想像するだけで目から鼻水が出るんだよ。もうそれ以上言うな。歳とると涙もろくなっていけねえよ。

――ところで、また救われた、とは。もしかして最終選別のあれ、気付いてた?

「お前、あれで正体を隠したつもりか?……気付いてはいたがわざわざ言う程の事でもない、いや何なら言うのも悪いかと思ってな」

錆兎は呆れていた。え、そうなの?……なんだか気を遣ってもらってすみませんね。

「錆兎さん、すごかったですよ!」

炭治郎君も目をキラキラさせている。

(すげえ!すげえぜこいつら!帰ってすぐに稽古だ!)

伊之助君は既にギラギラしている。君たちも強くなってくれ。協力は惜しまないぜ。心を燃やせ。俺のセリフじゃないけど。

「良くやったぞ千寿郎!」

杏寿郎さんがデカい声で千寿郎君を褒めそやし、千寿郎君が照れていて微笑ましい。

「みんなも良くやった!錆兎も素晴らしかったぞ!……それに水原少年、今回の君の働きは大きいな!」

えへへ、どうもありがとうございます。まあ知ってたので。言えないですけど。

杏寿郎さんも死なせなかった。千寿郎君も覚醒、錆兎復活。そして、式神を無限城に送り込むことができたし、勝利と言って良いと思う。

 

 

 

杏寿郎、千寿郎が帰宅し、父の槇寿郎にも今回の報告がなされた。千寿郎も立派に戦い、“煉獄の赫き炎刀”へと色変わりを果たしたこと。討ち漏らしたが上弦の鬼を撤退に追い込んだこと。槇寿郎は、ふすま越しに杏寿郎からの報告を聞き、

「下らん、それがどうしたというのだ!」

そう怒鳴っては見たが、上弦と戦って2人ともに生きて戻り、撃退するという快挙に少なからず驚いていた。あの千寿郎までも目覚めたというのか。最近ぐんと逞しくなり、以前よりもずっとはきはきとした様子になったのは感じていたが。

「瑠火……。俺はどうすれば良い?杏寿郎は、人のために喜んで死地に向かう子だ。千寿郎もそうなるのだろう。それに比べて、俺は一体何をやっているのだろうな……」

槇寿郎は亡き妻にそっと語り掛ける。

 

槇寿郎は自嘲して天を仰いだ。自分のふがいなさに涙が零れる。もちろん彼は、その剣の腕で多くの人を助け、柱にまでなり、ベテランとなってからは若い柱たちのまとめ役としても鬼殺隊に多大な貢献をしている。彼自身にも柱として長年責務を果たして来た自負はあったが、自分の力などたかが知れていると思い知らされた。

日の呼吸、神の御業と言われたそれに比べれば、自分の剣技など一体何程の意味があるというのか。

後に派生した呼吸など、日の呼吸が劣化したまがい物の技。炎も、水も、風も、日の呼吸の後追い、ただの猿真似に過ぎない。

打ちのめされた思いでいた時、最愛の妻、瑠火まで逝ってしまった。結局、何一つ成せないまま、半ば投げ出すように職を辞した。

(このままで良いのか?俺自身は、本当にこれで良いのか?)

槇寿郎は目を瞑りしばし黙考する。答えは決まっている。自分自身がそれをやり抜く覚悟を決めるかどうかだ。

「弱き人を助けることは、強く生まれた者の責務。そうであったな」

揺るがぬ決意を持って、再び目を開ける。そして、自室の隅に立てかけたまま、埃を被った愛刀に歩み寄り、抜き放つ。

表面に多少錆が浮いているが、その刀身は未だメラメラと燃えるように赫い。

(我が主、ようやく目覚めたか。待っていたぞ)

愛刀はそう語りかけるようにしっくりと手に馴染んだ。幾多の戦いをくぐり抜けた、“煉獄の炎刀”。彼自身も燃えるような情熱を持っていた事を思い出させてくれる。

「済まなかったな」

愛刀にも語りかける。研ぎ直してもらおう、そう思った。自然に笑みが零れた。

「なに、遅すぎると言うことなどあろうか。俺は元炎柱・煉獄槇寿郎だ!」

そうはっきりと声に出す。もう迷いは無かった。自分に出来る事を。

煉獄家の男として誰にも恥じない生き方をしなければならない。

ここにまた1人、目覚めた者がいた。

 



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吉原・遊廓編
19話 2人で一つ


設定
猩々緋鉄合金…猩々緋鉄をベースに作られた夢素材の金属。日光を吸収してその力を宿す猩々緋鉄の特性を持ちながら、硬度、耐摩耗性、靭性、耐蝕性の各要素が高次元でバランスを保つ優れた武器用刃物となるが、研磨などメンテナンスはし難い


無限列車の任務が終わり、少し時間ができたので実家の父に挨拶に行った。家にも良く来ていた千寿郎君の大活躍も報告すると、あの少年が、ととても喜んでいた。報告が遅れていたが柱に就任したこともきちんと報告した。柱と言っても見習いなんですが。

「そうか、お前も柱になったか」

父はそう言って何やら持って来させた。

――羽織と刀だ。

「この羽織は、表面はアラミド繊維、裏面は超高分子量ポリエチレン繊維とセラミックプレートの複合材料で作ってある。耐熱、耐蝕性に優れ、防刃性能も高い。この刀は猩々緋鉄に高濃度窒素、モリブデン、バナジウム等を添加して製鋼した“猩々緋鉄合金”から鍛造された特製日輪刀だ」

 

“猩々緋鉄合金”って初めて聞いたな。

抜いてみると、凄い刀だ。刀身の表面はざらざらとしており、刃の部分にも金属的な光沢は無い。柄を握り、切先を上に向けて陽にかざす。眺めていると、刀身は漆黒に変わり始めた。

――漆黒。日の呼吸の剣士の色。

日の呼吸は、原作やアニメで見ているけどどうも上手く再現できない。リミッターがかかっている感じだ。

それなのに、漆黒に染まる新刀。何か他の意味があるのか。でもこの刀は手にしただけで分かる、素晴らしい大業物であることは間違いない。

ありがとうございます。これで存分に戦って参ります。

 

無限列車での戦いから約2ヶ月、原作では大怪我を負う炭治郎君だが、この世界では大した怪我もなくひたすら訓練に時間を使い強くなっていた。また千寿郎君の覚醒、その後の目覚ましい働きで槇寿郎さんも煉獄家当主として目が覚めたらしい。歴代炎柱の口伝を杏寿郎さんだけでなく炭治郎君にも伝えてくれたようだ。

原作で大乱闘の原因になったあの耳飾りの件は大丈夫だっただろうか?ただ目覚めた槇寿郎さんならいきなり暴力をふるうことはないだろう。炭治郎君が日の呼吸、ヒノカミ神楽の技に自ら開眼するヒントとなるはずだ。

 

 

原作ではもう少し先だと思っていたが、……吉原編始まってたよ。

 

宇髄さん!吉原に乗り込むなら言ってくださいよ!一緒に行こうと思ってたのに。蝶屋敷で聞いたら、何日か前にもう出たって。俺は宇髄さんたちを支援するため、仕掛けを用意して吉原に急行した。

……実際にこの目で見たかったな、炭治郎君たちの女装姿。

 

 

吉原に着くと既に戦闘が始まっており、建物の屋根の上で炭治郎君が堕姫と戦っていた。原作より怪我の程度はまだ軽いようだ。炭治郎君は見事な技で堕姫の頚を斬りかけるが、ヒノカミ神楽の使い過ぎでスタミナ切れ、というか低酸素状態に陥って動けなくなってしまった。まだ技の練度が十分でなく、無駄な力が入っているのかもしれない。俺は鎌鼬を放ち、炭治郎君が避けきれない帯の攻撃を弾き飛ばした。

 

 

月に照らされた屋根の上で自らの美しさを誇るようにモデル立ちし、舌打ちしながらゆっくりと周囲を見渡す上弦ノ陸(の片割れ)・堕姫。炭治郎君との戦いに横やりを入れて来た攻撃の主を探っているようだ。

 

「バカがわざわざ殺されに来たの?1人増えたぐらいで変わりゃしないわよ」

 

炭治郎君のことは元より、新たに現れた敵も大した脅威と思っていないのだろう。警戒というより邪魔されてただいらついている。地上にいる俺を見つけ、まさに見下しながら高飛車に言い放った。

 

それにしても、なんちゅうエロイ恰好をしてるんだこの鬼は。うーむ、ちょっと見入ってしまう、決していやらしい意味でなく、戦闘力の分析とか……。そう、あくまで分析だ。ぶ、分析のため……。

我ながら情けない。男の悲しい性(さが)。

 

そんな俺の不埒な考えを知ってか知らずか、堕姫はニイッと顔を歪めて笑い、

「あら、お前良く見たらいい男じゃない。喰ってあげてもいいわ。それとも、鬼にならない?そうすれば命だけは助けてあげる。そばに置いてやってもいいわ。そうしたら――」

 

「ごめんなさい!」

堕姫が言い終わるのを待たず、俺は頭を下げる。

喰われるのも、鬼になるのもゴメンだし、その後のはもっとゴメンだ。堕姫はキョトンとした顔をした。

 

一瞬の後、言葉の意味を理解した堕姫は怒り狂った。

「誰に口を利いてるんだい、お前は!人間の分際でこのあたしの誘いを断るのかい?いいわ、ブチ殺して食べてあげる。骨も残さずにね!」

鉄の帯の嵐が俺を目がけて殺到した。

 

 

 

その時、炭治郎のピンチを察知した禰豆子が鬼の姿に変貌し、堕姫の背後に迫っていた。異様な気配を察知し振り返る堕姫だが、禰豆子は堕姫がディフェンスの態勢を取る間もなく蹴り一発で堕姫の頭の上半分を吹き飛ばし、反撃によって体を切り刻まれても上弦の鬼以上の再生速度で瞬時に再生し、なおも堕姫に襲い掛かる。

(禰豆子ちゃん、その姿になっちゃだめだ!)

倫道は焦り、

「炭治郎君!禰豆子ちゃんを抑えろ!」

炭治郎に叫んだ。

「うげぇっ!」

堕姫の肺から絞り出された声と、その肋骨がミシッと砕ける音が、蹴られた後から響いた。禰豆子は堕姫をサッカーボールか何かのように、路地を挟んだ向かいの建物まで軽々と蹴り飛ばし、堕姫の体は外壁をぶち破ってその室内の床に叩き付けられて転がった。

蹴りをまともに食らった堕姫は内臓を破壊され、口から血を吐いて立ち上がろうともがいていた。

禰豆子は跳躍して一瞬で距離を詰め、倒れたままの堕姫に襲いかかった。頭を蹴り砕き、胴体を踏み抜き、顔には恍惚の笑みさえ浮かべながらさらに踏みつけ攻撃でぐしゃぐしゃにした上に、血鬼術・爆血で黒焦げの状態にして圧倒していた。しかし強力に鬼化した副作用か、巻き添えで怪我をした一般人の女性に襲い掛かろうとして炭治郎が必死に止めていた。

(やばいっ!)

倫道は、切腹という言葉が何度も頭をよぎり心の中で悲鳴を上げるが、原作での子守唄のことを思い出し、

「炭治郎君、子守唄だ!」

と叫び、ぐしゃぐしゃに潰されて黒焦げにされた堕姫を一時放置、炭治郎と一緒に子守唄を歌って何とか禰豆子を鎮めた。

 

(水原?お前が何でここに居やがる?それに竈門禰豆子が派手に鬼化してやがる。ああ、それで子守唄か)

宇随が到着し、瞬時に状況を把握した。

 

子守唄でようやく鎮まった禰豆子に、

「禰豆子ちゃん、少し血を貰うよ」

倫道はそう声をかけ、抗凝固処理をした2.5mlの注射器に2本だけ採血して解毒剤を作っておいた。

炭治郎は禰豆子をしまう箱を取りに一時戦線を離脱し、宇髄が再生した堕姫と対峙していた。

(おかしい。弱すぎる……頚を斬ったのに体も崩れねえ)

宇随は簡単に堕姫の頸を刎ねるが、この状況を怪しんでいた。

 

「お兄ちゃああん!!頸切られちゃった!悔しいよう!!」

童女のようにわあわあと大泣きする堕姫。そして、ただならぬ気配。

 

堕姫の呼び声に応えて妓夫太郎が目覚め、堕姫の背中から現れると宇髄は一気に緊張の度合いを高めた。

こいつは危険だ。そう判断して即座に斬りかかったが、妓夫太郎は宇髄の斬撃をあっさり躱し、いつの間にか堕姫に寄り添って斬られた頸をつなげてやっていた。

 

(こいつ、反応速度が段違いだ。こっちが本物の上弦ノ陸か!)

宇髄がさらに斬りかかると、妓夫太郎は斬撃にカウンターを合わせ、宇髄の左前額部を斬った。

 

「殺す気で斬ったけどなあ。いいなあお前」

妓夫太郎は口の端を少しばかり歪めて笑い、

「妬ましいなあ。お前いい男じゃねえか。さぞちやほやされてきたんだろうなあ。……死んでくれねえかなあ」

整った容姿の宇髄に粘着質に絡む。

「けど許せねえなあ。妹をいじめる奴らは皆殺しだ!」

顔を歪めて口調を一転させ、宇髄を睨んで武器を構える。ごつごつといびつな、鎌に似た形の得物。猛毒のある自らの血で作った“血鎌”だ。

 

 

地獄から響いてくるようなしゃがれた声。痩せて落ちくぼんだ眼窩の奥には、その荒み切った心を映すドロリと濁った眼があった。この不条理な世の中そのものに対する深い恨み、強い憎悪を感じさせる。

一体どれ程つらい思いをしたら、こんな目ができるようになるのだろうか。

合流してこの光景を直に見た倫道も、原作を知っているにもかかわらず背筋が寒くなる思いだった。

 

「やられた分は必ず取り立てるぜ。俺の名は……妓夫太郎だからなああ!」

妓夫太郎は血鎌を投げ、それを自在に操り宇髄を攻撃する。宇髄は両手の刀で防ぎつつ、火薬玉を投げて相手に斬らせ、鬼にだけ爆破属性のダメージを与えてこれを迎撃する。この斬り合いと強烈な爆発の威力に倫道は刀を抜くことも忘れ、

「うわあっ!」

と頭を両手で抱え部屋の隅に逃げていた。宇髄はさらに火薬玉を投げて追加ダメージを狙うが、妓夫太郎の肩に上っていた堕姫が帯を鉄のカーテンのように展開し、爆風を防いだ。

 

「俺たちは、2人で一つだからなあ」

妓夫太郎はそう言って残忍な笑みを浮かべた。

 

「おい水原!来るぞ、構えろ!」

宇髄が倫道に怒鳴る。倫道は抜刀しようとするが手が震えて抜けず、その表情は恐怖に引きつり、開いた口からは、

「うわ、ああ、ああ……」

と今にも悲鳴を上げそうな情けない声が漏れていた。

 

(こいつ派手に役立たずかよ?何しに来やがった!)

宇髄はいら立ちを見せながら妓夫太郎の飛び血鎌を弾き、火薬玉を投げて撹乱しつつ堕姫の頸を再び刎ねた。

 

やはりこの鬼たちの体は灰化しない。2体の頸を同時に斬らなければならないのだ、宇髄はそう理解した。

 

「水原あ!手ぇ貸せ!いつまでも腰抜かしてんじゃねえ!」

宇髄は後ろで腰を抜かしている倫道に再び怒鳴った。血鎌の攻撃はたまたま外れている、そうとしか見えない。

(よし……!)

倫道は、原作でも知っている宇髄の戦い方を実際によく見て、把握した。

 

宇髄は連結した巨大な2刀を高速で旋回させながら後方の倫道に向かい、

「水原ああ!お前何やって――」

言いかけた、その時。

 

今までへたり込んで震えていた倫道がばね仕掛けのように飛び起き、残像を残すほどのスピードで宇髄の斬撃の隙間を縫い、血鎌をも避けながら間合いを詰め、

「水の呼吸 壱ノ型・水面斬り!」

妓夫太郎の頸に迫った。

「なにっ?!」

ほとんど警戒していなかった者の鋭い斬撃に妓夫太郎は目を疑ったが、頸に浅い傷を付けられただけで何とか躱した。

(何だこいつ、いきなり速くなりやがった。頸斬られかけたなあ!)

 

妓夫太郎は倫道を新たな脅威と認識した。しかし一撃を浴びせた倫道は爆炎に紛れて見えなくなり、宇髄の連結刀の旋回斬撃が間断なく繰り出される。妓夫太郎は宇髄と斬り合いながら、

(あのガキッ!どこに行きやがった?)

油断なく周囲の気配を探っていた。倫道は爆炎に隠れて妓夫太郎の死角をとり、地を這うような低い体勢から妓夫太郎と堕姫を串刺しにせんと

(水の呼吸 漆ノ型・雫波紋突き)

音も無く技を繰り出す。

「お前もやるじぇねえか。すぐに喉笛かき切ってやるけどなあ」

妓夫太郎はこれも寸前で躱し、倫道を睨みながら言った。

「宇髄さん!俺は合わせるから、好きにやってくれ!」

倫道が叫んだ。

 

(この野郎、上弦相手に正体隠して三味線弾いてやがったのか!)

宇髄は呆れると同時に、

(イケるぜ。この分なら譜面も完成しそうだ)

この上弦を倒す、その希望を見出していた。

 

「お前も大変だな。……柱2人を相手にするんだからよ」

2刀を構え直した宇髄は、妓夫太郎に向かって言った。

倫道は、先ほどまでとは一転して一分の隙も無く戦闘態勢を取っている。

(このでかい方は間違いなく強い。細い方のガキも柱かよ。しかも連携して来やがるなあ!)

倫道の尋常でない身ごなしを見て、妓夫太郎も警戒度を最大限に引き上げた。

 

 

宇髄はニヤリと凄みのある笑みを浮かべ、

「おい水原、こっちも2人で一つといこうじゃねえか。――ここからはド派手にいくぞ!」

ようやく実力を発揮した倫道に呼びかけた。

 

そこに、伊之助、善逸と炭治郎が合流した。

「こいつらは同時に頸を斬らねえとダメらしい。俺と水原でこいつをやる。お前ら3人は女を斬れ!」

宇髄は炭治郎たち3人にそう指示した。

 



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20話 上弦撃破

炭治郎たち3人は、妓夫太郎の援護を受けてフルパワーになった堕姫に苦戦していた。帯攻撃のスピードや精度が格段に上昇し、妓夫太郎の飛び血鎌の援護も加わっている。

しかし原作と違い妓夫太郎は柱2人を同時に相手取っており、左目を堕姫に移す余裕が無かった。次第に3人はそのスピードに順応、堕姫の頸に迫っていた。

 

「頸が柔らかいんだ!相当な速度か、複数の方向から斬らないとダメだ!」

炭治郎は指示を飛ばす。

 

「それなら2刀流の俺が行くぜ!」

伊之助が突撃を敢行する。

「雷の呼吸 壱ノ型・霹靂一閃、八連!」

「水の呼吸 参ノ型・流流舞い!」

善逸と炭治郎は伊之助を狙う帯を切り裂き、弾き飛ばして道を作る。

伊之助は一切の防御を捨て、

「獣の呼吸 捌ノ型・爆裂猛進!」

猛ダッシュで一気に間合いを詰め、飛び込みざまに

「獣の呼吸 陸ノ牙・乱杭咬み!」

2刀で挟み切るように堕姫の頸を刎ねた。

「おっさん!こっちは派手に頸斬ってやったぜ!そっちも早く斬れよ!ド派手にな!」

伊之助が叫ぶ。

頸を斬られた堕姫はなおも動いて3人を追いかけるが、明らかに動きは遅く攻撃精度も下がり、防御に専念していれば3人は何とか攻撃をしのぎ逃げ続けることができた。

 

 

「バカの一つ覚えだなあ、お前らは」

一方の妓夫太郎は、宇髄と倫道の連携を見切っていた。

(でかい方のやかましい攻撃の間に、細いのが音無しの攻撃を挟んでくる。厄介だが何度も見りゃあ嫌でも分かるぜ)

妓夫太郎は倫道の斬擊を捌きながら笑う。

(いや、そうでもない)

倫道も笑う。倫道には秘策があった。

 

「音の呼吸 伍ノ型・鳴弦奏々!」

宇髄が繰り出す技で、連続して爆発が起こる。

(来るぞ、音無しの斬撃が。気配を探りゃあお前ごとき)

妓夫太郎は宇髄の斬撃を避けながら次に集中するが、攻撃の気配が読めない。

(くそっ、また雲隠れかっ!どこへ行きやがったあのガキ!)

倫道は納刀したまま妓夫太郎に近づき、血鎌を避けながら禰豆子の血を霧吹きのように妓夫太郎に浴びせて離脱。

(何だあ、これは?毒でもねえようだしなあ)

妓夫太郎は顔面にべったりと着いた血を拭うが、そこに火薬玉が投げられた。

 

倫道は鎌鼬で火薬玉を爆ぜさせるとそれが擬似爆血となり、鬼を焼く炎が妓夫太郎を包んだ。その瞬間を狙って宇髄と倫道が同時に仕掛け、頸を斬りかけた。

(このおかしな攻撃に気を取られてっ!まずい、斬られる!)

 

しかし宇髄のタイミングがわずかに遅れ、すんでのところで避けられてしまった。爆血を絡めての連携攻撃が躱され、宇髄と倫道は妓夫太郎と広めに間合いを取って睨み合う。

(まずい、宇髄さんに毒が回っている。解毒を急いだほうがいいな……。禰豆子ちゃんの血、さっき1本使っちゃったからあと1本しかない。ヤツの動きを一瞬止められればイケるか?)

倫道は宇髄の動きが急激に落ちているのを察知して焦っていた。今までは何とかごまかせたが、もはや毒の影響が隠せなくなっている。

宇髄は息が上がり、ヒューヒューと喉が鳴って苦しそうに呼吸している。顔面にはチアノーゼが出ており、その巨大な2刀を取り落として地面に膝を突いてしまった。

倫道は宇髄を庇って前に出る。

「やっと効いてきたなぁ。さぁどうする?お前一人で俺を斬れるわけねえよなぁ?それとも……」

妓夫太郎は下卑た笑いを浮かべる。

「いっそ逃げちまえよ。そのでかい方はどうせもう死ぬ。あのガキどもも俺と妹がすぐに殺す。お前は仲間を見捨てて一人で逃げれば助かるんじゃねぇか、なあ?」

(……このゲス野郎っ!!)

倫道は怒りで頭に血が上りかけるが何とか冷静さを保った。――逆転の目は必ずある。

倫道は妓夫太郎をじっと見た。妓夫太郎が仕掛けて来るタイミングを計る。妓夫太郎は円斬旋回で一気に方を付けにくるはずだ。それを迎撃してチャンスを作るしかない。

「お前逃げねえのかぁ?……くくく、人間は下らねえ。本当は自分の事しか考えてねぇ癖に、仲間仲間とぬかしやがって、全く反吐が出るぜ。自分だけでも生き残ることを考えりゃ良いのになぁ……。まあ逃がす気もねぇけどなあ。ああ?お前、降参かあ?」

妓夫太郎は人間の弱さ、暗部を突いた心理攻撃で倫道を揺さぶる。誰しも死ぬような危険な目に遭いたいとは思わないだろうし、他人を犠牲にして助かりたいと思うのも自然なことだ。だが妓夫太郎が人間だった頃はそう思っただろうか?少なくとも妹の梅のことは、自分の身を犠牲にしてでも護りたいと思ったのではないか?

ため息をついて刀を収めた倫道を見て、妓夫太郎はゆっくりと歩いて間合いを詰めながら嘲笑う。毒に侵された宇髄に苦痛を与え、倫道には死の恐怖を与えるため時間をかける。

(くそっ、こいつわざと時間かけてやがる!)

「仕方ねえなあ。お前一人じゃ何もできねえからなあ、この状況じゃあ」

円斬旋回で倫道を殺し、その後で堕姫と共に炭治郎たちを殺す。この上弦ノ陸にとっては造作も無いことだ。勝ち誇り、余裕を見せる。

「おい虫けら。ボンクラ、間抜け、役立たず。お前は絶望しながら死ぬんだよなあ」

だが倫道は諦めてなどいない。

妓夫太郎が円斬旋回を放とうとしたその時、倫道は、羽織の内側の脇腹あたりに手を入れて金属の輪を取り出し、胸の高さに構えた。

(何だこいつ、何かする気か?まあ今さら無駄だなあ)

妓夫太郎は円斬旋回・飛び血鎌を放った。

倫道は外側に刃の付いた金属の輪、チャクラムを片手に4枚ずつ、両手を広げるように8枚を同時に投擲し、飛び血鎌を迎撃した。チャクラムはさらに大きく弧を描いて戻り、唸りをあげて妓夫太郎に襲い掛かる。

技を出した直後のため全部は避けきれず、1枚が妓夫太郎の腕に刺さり刃に塗られた藤の毒が妓夫太郎の体内に入った。

(このガキっ!この期に及んでまだおかしな真似を!しかも藤の毒を塗ってやがった)

しかしそれは倫道も同様であった。宇髄を庇ったため、飛び血鎌の避けきれない1本が倫道の大腿部を掠めていた。

(毒を食らっちまった!ヤツが分解しないうちに早く頸を!いや宇髄さんの解毒が先か?)

円斬旋回とチャクラムのぶつかり合いで建物が崩壊し、瓦礫があたりを埋め尽くした。妓夫太郎は瓦礫から抜け出たものの、毒で動けなくなっていた。

倫道は瓦礫の中から宇髄を助け出すが、宇髄の呼吸はどんどん弱くなる。

倫道は注射器に取った禰豆子の血液を霧状に宇髄に吹きかけ、火打ち石で擬似爆血を施した。

禰豆子の血液が反応して燃え、宇髄の毒が消えて行くが、今度は先程食らった毒で倫道がふらつき膝を突く。

「水原!」

頭を振り、目を凝らしながら、体が動くようになってきた宇髄が叫ぶ。

「早く……頸を!」

倫道も叫んだが、妓夫太郎は毒の分解を終えてしまっていた。

「ちぃと効いたぜ、この毒はよお。面倒だ、お前らまとめて殺してやるよ」

血鬼術 円斬旋回・飛び血鎌!

妓夫太郎は今度こそ2人を殺そうと血鬼術を放とうとしたが、宇髄の嫁の1人・雛鶴が、大量の毒のくないの射出装置を構えて姿を現した。

善逸と伊之助を手助けした後、周囲の人々の避難誘導に当たっていた宇髄の嫁たち、まきをと須磨。そして同じく宇髄の嫁、雛鶴は、戦場を見渡し秘密兵器を使うタイミングを探っていたのだ。

「俺たちごと撃て!」

手に痺れが出て刀が十分振れない倫道が叫ぶ。

妓夫太郎の血鬼術より一瞬早く、大量のくないが妓夫太郎に向け放たれた。当然その射線上には宇髄と倫道もいる。

 

宇髄は自分自身に刺さるのも構わずに大量のくないの中を突っ込んで妓夫太郎の頸を狙うが、まだ十分に回復しておらず頸が切れない。妓夫太郎も藤の毒を塗ったくないが再び刺さり、反撃できない状態になった。

(くそっ、早く毒を分解して円斬旋回を!そうすりゃあこいつらを皆殺しにできる!)

妓夫太郎は満足に動けないが、今食らった毒の量ならすぐに分解してしまうはずだ。高威力、広範囲でかつ猛毒を付加した円斬旋回を放てば、目の前の宇髄と倫道は確実に殺される。

 

宇髄は蘇生したがまだ完全な状態ではなく、倫道は毒が回ってほとんど動けない。

その距離数十歩。妓夫太郎と倫道たちは近い距離にいながら互いに毒を受けて動けない。数舜の膠着状態だが、おそらく妓夫太郎が毒を分解し先に攻撃を放つ。

この時、ふらつきながら倫道が立ち上がった。よろめきながら走り、立ち上がりかけた妓夫太郎に体ごとぶつかる様に何かを突き刺した。

それは、言わば麻酔銃の弾。薬液とガスが分かれて充填されており、針が対象に刺さると薬液がガスの圧力で自動注入される仕組みだ。体の痺れで狙って投げることは不可能であったが、力を振り絞り直接妓夫太郎に刺すことができた。

これにより注入されたのは、”刃に塗った”などという生易しいものではない、大量の毒。しのぶ特製の毒液が大量に注入された。

「がああ!このガキい!何を……しやがったああ!」

妓夫太郎は異常な感覚に襲われていた。鼓動が速くなり、心臓が暴走して悲鳴を上げ始める。頸から顔にかけてがどんどん熱く、膨らんでいく。燃えるような顔面の熱感と共に、血走った眼が飛び出すように見開かれる。

「おぁがっ……ぐええぇぇ……!!」

喉が、気管が体の内側から締め上げられるように塞がるのが分かった。両側の眼球は半ば飛び出し、妓夫太郎は地面に膝を突いた姿勢で自ら喉を掻きむしる。そして、体から力が抜けた。

 

「くたばれええ!」

宇髄が巨大な刃を振り下ろすが、その頸はまだ切れない。

「畜……生……こんなヤツらに……この俺がああ!」

妓夫太郎が断末魔の悲鳴をあげ、そこに炭治郎が屋根の上から全体重を乗せて斬りかかった。

宇髄と炭治郎が渾身の力を込めて日輪刀を振り抜き、遂に妓夫太郎の頸を刎ねた。

「ぎゃあああ!」

伊之助は堕姫の頸を持って逃げ回っていたが、妓夫太郎が頸を斬られると同時に堕姫の頸も断末魔の悲鳴を上げた。

(やったか!?)

宇髄が安堵したのも束の間、

(こいつ、何かやる気だ!)

宇髄は何かを察知する。

妓夫太郎は頸を斬られたが、死なば諸共と最後の攻撃を放とうとしていた。

 

「逃げろ!!」

宇髄はそう叫んで倫道を抱えて逃げ、妓夫太郎最後の攻撃は不発に終わった。

 

 

 

ああ、死ぬかもしれない。体が痺れて力が入らない。でもしのぶさんに分けてもらった毒液を思いっきり注入できたおかげで、妓夫太郎の頸は斬れたみたいだし。

目がかすんで来た。これ何の毒なんだ、ボツリヌス毒素か?いや局所に投与してすぐに全身に効くなんてあり得ない。

あ!妓夫太郎め、最後っ屁みたいな攻撃するんだった。みんな逃げろ!

「逃げろ!」と言いたかったが、声が出ない。血鎌にやられるかもしれないのに、宇髄さんが俺を抱えて逃がしてくれて……。

 

その後少し意識が飛んだ。

 

熱っちい!気付くと体が燃えていた。びっくりして飛び起きる。

「おい水原!」「倫道さん!」

宇髄さんと炭治郎君が呼びかけてくれていた。

禰豆子ちゃんの癒しの爆血で、ヴェノム状態の俺を解毒してくれたのだ。禰豆子ちゃんは、戦闘体からいつもの姿に戻り、竹の代わりに手拭いで口枷をして、むふーっと得意気なポーズ。ありがとう禰豆子ちゃん、助かったよ。

マスカラスが燃えてる俺を見て、

「ギャアア!リンドーガ火葬サレテル!」

バサバサと慌てていたが、元に戻ったのを見て安心したのか、

「心配カケンジャネーゾ!」

俺をつついた。痛いな、加減をしろって言ってんだよ!そんな、ちょっと頸をかしげて見つめてもダメだぞ。……くそっ、可愛いじゃないか。ホントに心配してくれたのか。

「勝手ニ死ンダラブッ殺ス!」

どちらにしても死ぬじゃないか。

宇髄さんも、宇髄さんの嫁ちゃんたちもホッとしている。

「それにしてもお前、芝居が過ぎるだろ!派手に役立たずかと思ったぞ」

宇髄さんからは怒られた。

鬼の頸を探しに行った炭治郎君は血を採って茶々丸に渡し、灰化したのを確認して戻って来た。全員もう動くこともできない程ぐったりと疲れ切っているが、原作と違い深刻な身体的損傷はなく、俺たちは無事任務を完遂した。

 

「そうか、上弦を倒したか。褒めてやってもいい。大したものだ、陸だがな。まあ一番下だ、上弦の」

救援のつもりなのか、伊黒さんが遅れてやって来てそう言った。

宇髄さんの嫁ちゃんたちがこの嫌味に何とも言えない顔をしているのが可笑しくて、俺は思わず笑ってしまい、まきをさんに睨まれてしまった。

そんなことをしていると、おお、伊黒さんのお友達の蛇、鏑丸君が俺の側に。

なぜに笑顔?そして血を回収した茶々丸も、遊んでくれとばかりに寄って来てた。

ハーレムじゃないか、動物だけど。

蛇対猫の睨み合いが勃発し、さらに上空から不穏な気配が。

ここに、蛇対猫対カラスと言う異色の三つ巴の戦いが始まりそうだったが、伊黒さんが

「こいつがそんなに気に入ったのか?食料として。だがあまり旨そうではないな」

と鏑丸君を回収し、炭治郎君のカラス、松衛門が仲裁してくれたおかげで助かった。ともかく無事に上弦討伐を果たし、隠のみなさんの手を借りながらではあるが俺たちは無事帰路に就いた。

 

 およそ百年ぶりの上弦の鬼討伐に、鬼殺隊は湧きかえった。

「百年変わらなかった状況が今変わった。これは兆しだ。運命が動き出す」

鬼殺隊当主・産屋敷耀哉は既に立つことすら難しく寝た切りとなっていたが、興奮のあまり布団から起き上がり、妻のあまねに嬉しそうに語った。

「あまり興奮なさっては、お体に障ります」

あまねが諫めるが、耀哉は光を失ったはずの眼を輝かせる。

「鬼舞辻無惨。お前は、私たちの代で必ず倒す」



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幕間・日常業務にて
21話 盲目の剣士と沙代


人物紹介 
沙代…原作に登場した悲鳴嶼に育てられた子。10年前の事件を未だに悔いている


俺はその日、単独任務に当たっていた。

鬼の被害が出てたまたま近くにいた俺が呼ばれ、東京府は神田付近に急行していた。

「追いついてみろ、間抜けな鬼狩りめ!」

 

鬼は俺を見るなり逃げ出しやがった。あまりにも清々しい逃げっぷりに、不覚にも鬼を取り逃がして走って追いかけることになってしまった。

鬼が逃げる先には2人連れ。杖を突いた年配の男性が、提灯を持った少女に腕をひかれて歩いている。まずいな、鬼が背後からこの人たちを襲う形になる。

「丁度良い、美味そうな女のガキがいるじゃねえか!」

鬼は2人連れに襲いかかろうとする気配を見せた。

「危ない、伏せて!」

俺は鎌鼬で動きを止めようとした。

 

男性は危険な気配を察知した様子で、少女を後ろに庇い杖を剣のように構えた。盲目らしく顔はあらぬ方を向いていたが、鬼が近くまで迫る頃にはぴたりと目標に向き直り、正眼の構えを取ったその体から巨大なオーラが吹きあがった。鬼もその異様な迫力にたじろぎ、わずかに襲いかかるのを躊躇した。しかし俺に追われているため深く考えている余裕は無かったのだろう。

「邪魔だ!どけ、じじい!」

と襲い掛かった。

「危ない!ご老人、逃げて!」

俺は必死に叫ぶが、次の瞬間。

目にも止まらぬ踏み込みからの電光石火の一撃。ガァン!と頭蓋を叩き割るほどの威力で杖が鬼の脳天に振り下ろされ、さらに喉に突きが決まり、その後も襲い掛かる暇も与えず鬼が滅多打ちにされている。老人は軽々とした杖さばきで鬼を打ち据え、その切先はセキレイの尾の様にちょんちょんと揺れている。

「……あれ?」

予想外の事態に俺は呆然としたが、相当な威力で打ち込んでも日輪刀でなければ止めは刺せない。

「グヘェ!」

老人が鉄砲突きを極め、鬼が無様な悲鳴をあげて俺の方に吹っ飛ばされて来た。

「ご老人、失礼!……おい、観念しろ」

前には老人、後ろには俺がいた。俺は抜刀し、一歩踏み出す。

「げええ!柱っ……!」

俺の正体に気付いた鬼は逃げようとしたが、あっさり頸を刎ねられた。手こずったが任務は完了だ。それにしてもこの人は一体……?

俺は改めて老人を見た。

老人はあれほど激しく打ち込んだにもかかわらず息も乱していない。ましてや怪我など全く無い。明らかに剣士として鍛錬の跡があった。

「お怪我はありませんか?」

怪我などあるはずもないのは分かってはいたが聞いてみた。

「盲いていても、物の怪などに遅れは取らぬ。と、言いたいところですが」

老人は笑って、

「助かりました。ありがとうございます。沙代もお礼を」

連れていた少女とともに、丁寧にお辞儀をした。やはり人外の物であることも分かっていたか。

「これは“鬼”と言いまして、人の血肉を喰らう化け物です。日の光か我々の持つ武器でなければ倒せません。私は鬼殺隊・水次柱 水原倫道と申します。お名前をお聞かせ願えますか?」

盲目、そしてあの太刀筋。俺の勘が正しければ、この人は、あの千葉家の。

「私はただの按摩ですよ。命を助けていただいてありがとうございました」

老人は去って行こうとするが、

「鬼狩り様でいらっしゃいますか?」

少女が意を決したようにこちらを見て聞いてきた。俺がそうだと答えると、

「鬼狩り様のなかに、悲鳴嶼……悲鳴嶼行冥さんと言う方はいらっしゃいませんか?」

さらに聞いてきた。個人情報、しかも鬼殺隊最高位の人のことでもある。すっとぼけても良かったのだが、あまりにも少女が必死の形相で聞いて来るので、

「悲鳴嶼という者はおりますが、どういったご関係で?」

と聞いてみた。

「悲鳴嶼先生が……」

少女が涙をこぼして呟く。先生?それから、少女は語ってくれた。

 

 

「私は、沙代と申します。小さい頃、同じように身寄りのない子供たちと一緒に、悲鳴嶼先生とお寺で暮らしていました。でも10年前のある晩鬼に襲われ、他の子たちはみな殺され、生き残ったのは私だけでした。その時は恐ろしくて分かりませんでしたが、悲鳴嶼先生は夜通し私を護って戦って下さったのだと思います。明るくなり、騒ぎを聞きつけてきた人たちに、上手く説明できなくて。私、悲鳴嶼先生が鬼を倒したのを見ていたんです。でも人が来た時には鬼は消えていたから……。それで先生が子供たちを殺したと疑われて……。悲鳴嶼先生は殺人罪で投獄されたと聞きました……。みんな私のせいなんです……!」

俺は黙って聞き入るしかなかった。

「それから後の事は、今の旦那様のところに奉公に出て分かりませんでしたが、何年か前、鬼狩り様に助けられたと言う人の話を聞いた時、盲目ですごく背の高いかた、とお聞きしたんです。もしやと思いました。ずっとお礼を言いたかった。ずっと謝りたかった。命懸けで護って下さった方に濡れ衣を着せて……10年、そのことばかりを――」

所々つかえながら絞り出すように語り、沙代さんは感情を抑えきれず嗚咽した。

そうか、君はあの沙代さんなんだね。とても後悔して、10年間ずっと気に病んでいたのか。

あの切ないエピソードの主が俺の目の前で泣いている。痛々しくてかける言葉もなく、俺も必死で涙を堪えた。

沙代さんは少しの間泣いていたが、やがて落ち着きを取り戻し、

「鬼狩り様の御噂を耳にして、もしお会いしたら必ずお聞きしようと思っておりました。お会いできてよかった」

涙を流しながら微笑んだ。

「悲鳴嶼さんは正しく物を見通した人が救いだして、今ではみんなから慕われ、信頼されるお兄さんです」

彼女が笑ったので少し安心して、俺はそう声をかけた。

 

10年間罪の意識を持ち続けていた彼女にも、この懺悔は良い転機となるだろう。死んでいった子供たちの分まで、これからの幸せを願わずにはいられなかった。

「悲鳴嶼さんには必ず伝えます。貴方の思いはきっと届きますよ」

俺は最後にそう告げ、

「それでは、失礼いたします」

と挨拶し、この場を後にした。

沙代さんが盲目の人に今も仕えているのも何かの縁なのか。そんなことを考えていたが、それにしても市井には未だ化け物のような人がいるものだ、としみじみ思う。

おそらくあの人は、北辰一刀流始祖である千葉周作のお孫さん、千葉勝太郎勝胤さんだ。あの人が日輪刀を手にしていたなら、とも思うが。

 

 

俺は帰宅後早急に悲鳴嶼さんに面会し、あえて簡潔に報告した。悲鳴嶼さんは例によって涙を流し、感慨深そうではあったがその胸中は分からなかった。やはり、子供は純粋で残酷な生き物、そう思っておられるのか。

 

「事情をお聞かせ願えませんか?」

俺はどうしたものか迷ったが、何も知らないていで聞いてみた。

悲鳴嶼さんは原作で炭治郎君に語った通りに話してくれた。

身寄りのない10人程の子供たちとともに寺で暮らしていたが、ある晩鬼に襲われて沙代以外の子供たちは殺されてしまった。自分の傍を離れないよう言ったが、ほとんどの子は寺から逃げようとして殺され、言いつけを守ってくれたのは沙代だけだった。

「私はあの夜、命をかけて沙代を護った。しかし、駆けつけた者たちにあの子は言った。――あの人は化け物。みんなあの人が、みんな殺した――」

悲鳴嶼さん、違うんだ。沙代さんは悲鳴嶼さんの事を言ったわけじゃなくて。

「まだ四つの子供だ。恐ろしい目にあって混乱していたのだろう。それでも私は、沙代にだけは労って欲しかった。私のために戦ってくれてありがとうと言って欲しかった」

悲鳴嶼さんも当時は十七、八歳。しっかりしているとは言っても、まだ少年だ。

命をかけて守った人に殺人の罪を着せられる。

どれだけ深い絶望を味わったのだろうか。

悲鳴嶼さんの淡々とした語り口が一層切なくさせる。あ、いかん。鼻の奥がジンと熱くなって来て、目から鼻水が。

「お館様が救って下さらなければ私は処刑されていた。それからの私は、本当に疑り深くなった。だが今、君の話を聞いて少し心が晴れた気がする。沙代は元気で生きていることが分かったし、あの事件のことを覚えていて、謝りたいと言ってくれたのだろう?それだけで私には十分だ」

悲鳴嶼さんが語り終え、俺はやはりちょっと泣いてしまった。そして、原作では最後の戦いで悲鳴嶼さんが死ぬ間際、あの時の子供たちが迎えに来て話すのだが、俺から言ってしまおうと決めた。

俺は、悲鳴嶼さんやみんなが死なないように頑張る。

悲鳴嶼さんがこの先ずっと生きていくならば、子供たちは悲鳴嶼さんの言うことを聞かなかったのではなく、理由があったと分かってもらった方が良い。

 

(悲鳴嶼先生にお話しするよ。あの時のこと)

鼻水をすすりながら、心の中であの時死んだ子供たちに呼びかける。

「どうかしたか?」

考え事をしているのに気づいたのか、悲鳴嶼さんが問いかけた。悲鳴嶼さんは盲目だが本当に鋭い。

「いえ、お話を聞いていたら、目から鼻水が出てしまって。すみません」

俺は涙と鼻水を拭いて、気持ちに一区切りをつけた。

 

「沙代さんの気持ちは本当だと思います。胸に刺さって、本当にこちらが辛くなる位でしたから。それと、もしかしたら子供たちは、助けを呼びに行ったり戦える武器を取りに行ったり、悲鳴嶼さんを助けようとしていたのかもしれませんね」

俺はさも自分でそう思ったかのように言った。

悲鳴嶼さんは、何か思い当たることでもあったのか、はっとした顔をしてから、

「そうだったのかもしれんな。――今日は、良い話をありがとう」

そう言って穏やかに微笑んだ。

この戦いが終わったら、いつか2人を会わせてあげたい。俺は強くそう思った。




他の二次創作でも登場することが多いですが、私もやはり沙代さんを救ってあげたかったのでオリジナルエピソードを考えてみました。


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刀鍛冶の里編
22話 刀鍛冶の里へ


無限城に潜入している式神から、上弦ノ肆・半天狗と、上弦ノ伍・玉壺に刀鍛冶の里襲撃の命令が下ったと連絡が入った。

炭治郎君は前回の上弦ノ陸との戦いで刀をボロボロにしてしまい、鋼鐵塚さんから

「俺の刀をまた傷めやがったな」「お前に打ってやる刀は無い」「呪う」

という恐怖の手紙が連日のように送りつけられていたので、原作の通りお詫びがてら刀の打ち直しを直接依頼しに里に行くことになるであろう。

炭治郎君と一緒に向かっても良かったのだが、俺はそれらしい理由をつけて一足先に急ぎ向かうことにした。奴らが場所を特定するまでもう少し時間がかかるはずなので、襲撃までは好きな温泉に入れるという目論見だ。

また鋼鐵塚さんを通じて以前からお願いしていた、玄弥君のための、銃身を短く切り詰めたショットガンも受け取りに行くつもりであった。

今回は無一郎君と甘露寺さんの覚醒のお手伝いをし、みんなと共闘して上弦ノ肆、上弦ノ伍を倒し、玄弥君ともぜひゆっくり話をして仲良くなっておきたいところだ。

 

 

里に着くと俺は一番に里長の鉄地河原鉄珍様を訪ねた。

「どうもコンニチハ。ワシ、この里の長の鉄地河原鉄珍。よろぴく。まあ畳におでこつくくらいに頭下げて……うんうん、もう頭つけて、そないに丁寧に。感心感心」

刀鍛冶の皆さんの技術力のすごさは良く知っているので、俺は言われるまでもなく尊敬の念を込めて畳に頭を着けて平伏する。余談だが、鉄珍様はあの鋼鐵塚さんの育ての親でもある。幼い時から偏屈であった鋼鐵塚さんに実の親が重度の育児ノイローゼになってしまい、鉄珍様が“蛍”とかわいらしい名前を付けて引き取って育てたのだ。おかげで鋼鐵塚さんは里長直伝の技を持つ優れた鍛冶職人となったが、偏屈ぶりには磨きがかかってしまったという。

鉄珍様は、里長とは思えぬ軽い口調で挨拶を返す。俺は最初に頂いた刀の研ぎ直しと、父にもらった新たな刀についての相談もお願いする。この新刀は、耐久性や鋭い切れ味を維持する能力は高いのだがその分研ぎにくい性質を持つのだ。

「大事に使ってくれとるようだね」

最初の刀を抜いて一言。

そして例の特製日輪刀は、里長が何とおっしゃるか気がかりだった。隊員たちの武器は全てこの刀鍛冶集団が作るが、この刀は違うのだ。

「これは?」

新刀を鞘ごと渡すと、怪訝そうな鉄珍様。

「これは……その、私の実家に代々伝わるものでして(汗)。研ぎ直しなどが難しいと聞きましたので、刃こぼれなどがあった時に調整をお願いしたく、本日は相談に参りました」

苦しい言い訳をする俺だが、金属加工に関する超一流の技術者である鉄珍様には通用するまい。特製日輪刀を抜いてじっと見ている鉄珍様。お面の奥の目が鋭くなるのが分かる。

他の柱たちの日輪刀のように、刀身の根元に「悪鬼滅殺」の文字はない。目釘を外し、柄を取ってみてもこの刀の銘には何も彫られていない。

「この刀。この時代の物やない……な?材質も鍛え方も見たことが無い。蛍に頼んだっちゅう例の大砲みたいな銃のこともあるが、あんた一体何者や」

刀を眺めながら、何気ない調子で呟く鉄珍様。

「これは並大抵の代物やない。この力を生かすも殺すもあんた次第やな。これにはワシも興味があるし手入れなら任せてや。まあ困った事があったら言うてや」

刀を鞘に納めて返し、周りの鍛冶職人に、

「今のは黙っといてな」

そう口止めをしてくれた。

俺は余計な詮索をせぬ気づかいに感謝した。

「それと例の銃はもう完成しとる。ただあの子がまた癇癪おこしての、今行方不明なんよ。すまんの」

そう言って、猩々緋鉄製の、銃身を短くしたソードオフ・ショットガンと弾薬、狙撃用の長い替え銃身を持って来てくれた。

大口径だが本体の銃身は短く切り詰められており、取り回しはおそらく今使っているものとそう変わりないはずだ。散弾と一発弾を両方撃てるし、特殊な弾も撃てる優れモノだ。銃身を取り換えればある程度の距離の狙撃も可能だ。玄弥君喜ぶかな?楽しみだ。

里に妙な壷のようなものが現れても決して近づかないようお願いをして鉄珍様のお屋敷を辞し、宿に案内してもらった。

 

その途中俺は小鉄君を訪ね、偶然お父様が亡くなったのを知ったというていで慰めた。小鉄君は原作においてこの刀鍛冶の里編の最重要人物の一人なのだ。

俺(中身のおっさん)も親を亡くした時は五十代でもすごく辛かった。まして小鉄君は親一人子一人だったのに、わずか十歳にしてたった一人の親も亡くしてしまった。その辛さ、寂しさは察するに余りある。最初はいきなり訪ねてきた俺を気味悪がって、

「何なんだよあんた」

と言っていた小鉄君。しかし、お父様は高い技術で人望があったことを伝えると喜んでくれて、自分には刀鍛冶の才能が無いと思っている、と話してくれた。

子供相手にも真剣に話を聞き、それからお土産の高級和菓子店のどら焼きを2人で食べているうちに結構親しくなれた。

「才能が無いなんて言わないでくれ。俺だって才能なんかないけど、死ぬ程頑張って柱になった。見習いだけど」

無駄に熱く語り、おじさんがついてるぞ!と励ました。小鉄君が受け継いだ戦闘訓練用カラクリ人形も大事だが小鉄君本人のこともとても心配していたので、少しだが元気を取り戻してくれて良かった。

 

楽しみにしていた温泉に入ろうと露天風呂に来てみると、そこには先客が。あの髪型は、今回のターゲットの一人不死川玄弥君だ。

俺は早速声をかけた。

 

 

 

俺が風呂に入っていると、人が入って来る気配がした。あちらは俺を知っているようで、玄弥君だろ?と背後から声をかけて来たが知らない声だ。振り向くと、一つか二つくらい年上に見える優し気な顔立ちの人がいた。悪いが全く知らない人だ。

「ああ、そうだけど」

興味も無いので俺はちらりと見ただけでそう答えると、ふっと笑顔になった。

「俺は水原倫道。倫道でいいよ。よろしく」

と名乗った。

いけねえ、つい塩対応したが水原って、水柱じゃなくて何と言ったか、柱みたいな……。なんか偉い人だよな?蝶屋敷で聞いたような気がするが、そんな上の人が俺に何の用だ?

「水次柱(みずのつぐばしら)、ね」

その倫道さんが苦笑して教える。

「君たちの同期はみんな活躍してるし、君も丁だろう?俺なんかよりみんな階級が上がるの全然早い」

そう言ってはくれたが少し気まずい。それに、俺の秘密を知って近づいて来てるんじゃないだろうな、ついそう勘ぐってしまうが。

 

「同期って言えば、俺はお兄さんの同期なんだよ。だからお兄さんのことも良く知ってる」

そうかと思うと、俺が気にしていること、一番聞きたいことをさらりと言う。

「知ってるんすか、兄貴のこと?」

俺は思わず身を乗り出して聞いてしまった。

「知ってるよ。玄弥君、お兄さんは柱だから早く追いつきたいって思ってるだろ?」

ずばりと核心を突かれ、俺はたじろぐ。

確かに、兄ちゃんは柱なのに俺は呼吸も使えない。あれしかないんだ。

「当り前じゃないすか。俺がこんなんじゃ兄貴に顔向けできねえ」

俺はクソみたいな自分が嫌でそう言った。倫道さんは以前兄ちゃんに聞いたらしい。弟も鬼殺隊に入ったんだなって。そうしたらすごく怒って、

「俺には弟なんかいねえよ。今度それ言ったらブチ殺す」

そう吐き捨てたらしい。聞くんじゃなかった……。俺は心底へこむ。

「今から話すのは独り言だ。聞いても聞かなくても良い」

前置きして俺から視線を逸らし倫道さんは続けた。

「不死川さんは、弟の事をすごく気にかけてる。殺し合いなんかしないで普通に所帯を持って、ジジイになるまで平和に暮らして欲しいって、本当にそう思ってる。それなのに弟のやつは俺の気も知らねえで、ってな。弟につらく当たって、鬼殺隊辞めろと言うのはそういう意味らしい、良く分からんけど。絶対本気で怒ってはいないな、良くは知らんけど。彼は熱くて、優しい人だから。まあこれだけは本当に言える」

本当か?本当に兄ちゃんはそんな風に言ってたのか?

「殺すぞって言われたけどそれでも弟のことしつこく聞いたら、少し教えてくれたよ。五つも年下だとか、不器用で誤解されやすいとか。自分はどうなんだって思うけど。いつの間にか優しい顔になってたよ。炭治郎君みたいに分かりやすくはないけど、不死川さんも弟が可愛いんだろうな。独り言終わり」

情けないけど嬉しくて、俺は慌ててお湯で顔を洗った。涙が零れるのを見られたくなかったから。

 

「あっ、おい!」

倫道さんが止めたが、硫黄のお湯が――。

「うわっ、目にしみる!」

「当り前だろ」

俺たちは笑い合った。

「口に出さないだけで、羨ましい兄弟愛だ。お互い不器用だから傍から見てるとハラハラするけどな。でも」

倫道さんは一呼吸置いて、

「焦るな」

諭すように言った。

「君のことも知ってるよ。鬼を喰ってるのか?」

倫道さんは声を潜めて聞いてきた。俺は鳥肌が立ち、ゾクリと背筋が寒くなった。

何でそれを知ってるんだ?悲鳴嶼さんと胡蝶さんくらいしか知らないはずなのに。この人は一体何なんだ?

「俺も秘密を打ち明けるけど、多少医術の心得があってね。任務の合間に正体を隠して隠隊員に紛れ込んで救護活動をしてるんだけど、その時蝶屋敷で君が診てもらってるの聞こえちゃったんだ。俺は耳も鼻も良いから」

俺は驚いて倫道さんを見つめる。当て推量じゃなく本当にばれているんだ。だけどこうでもしないと強くなれねえんだよ。止める気はねえ。

それはそうと、今なんつった?任務の合間?鬼狩りの合間に隠やってんのかこの人は。

「鬼喰いが君の体に将来どんな影響を及ぼすか、正直全く分からない。予想がつかない。自分の体も大事にしろよ。お兄さんが悲しむからさ」

頭ごなしに鬼喰いを止めろと言われなくて良かった。でもあんたも大概にしないと。

後で俺の部屋に来いよ。渡したい物があるから。そう言って倫道さんは先に上がって行った。一つ二つくらい年上かと思ってたら、話聞いたら倫道さんは四つも上だった。幼く見えるよな、と思っていたが、すげえ体に目を見張った。

悲鳴嶼さんほどでかい訳ではないが、ムキムキなんてもんじゃねえ、みっしりと高密度に鍛えられた筋肉が全身を覆っている。その質感に驚く。

まるで戦いの神だな。

思わずじろじろ見てしまった。

 

その後倫道さんの部屋に行ってみると、ごっつい銃をくれた。今持っている物より一回りもでかいが取り回しは悪くない。

「熊でも跡形もなく吹き飛ばせる」てどんな威力だよ。弾は里で開発してもらっていて、散らばる弾と単体の弾を切り替えられるそうだ。単体の弾でも普通にぶち抜く弾と弾頭が潰れて広範囲を抉る弾の両方が使える。

素人が撃ったら反動で銃が跳ね上がり、頭を怪我したりするかもしれんが君なら片手でも制御できるだろう、そう言われたが、ちょっと練習しないとな。いろいろありがとう倫道さん。

でも俺はやっぱり竈門炭治郎は嫌いなんだよな。あいつのまっすぐ過ぎる瞳は苦手だ。それにあいつ、最終選別の時に俺の腕折ったんだぜ。

 

 

 

翌日、炭治郎君がやって来た。里長の鉄珍様に挨拶をして来たところだと言うので、一緒に風呂に入りに行くと、途中でやはり刀をメンテナンスしに来ていた甘露寺さんに会った。

「水原さーん!炭治郎くーん!」

盛大に揺れ……じゃなくて手を振っている。顔をそむける俺たち。

「何で向こうむいてるの?」

甘露寺さんは無邪気に聞くが、

(おっぱいが半分出てるからだよ!)とは言えないので、炭治郎君が

「甘露寺さんっ!浴衣の前を合わせてください」

と言ってくれて良かった。

炭治郎君ありが……余計な事を……いややっぱりありがとう(泣)。甘露寺さんは慌てて浴衣の前を合わせ、

「今ね、すっごい背の高い男の子がいてね、挨拶したんだけど」

ああ玄弥君だな。彼は照れてるだけで無視したわけじゃないんだけど、説明するのも面倒なので適当に聞き流した。炭治郎君が夕飯は松茸ご飯ですよと教えると、テンション爆上げで食堂にダッシュして行った。

風呂では玄弥君と鉢合わせし、屈託なく話しかける炭治郎君に一方的にキレる玄弥君。俺は何とか2人を取り持ってスムーズに共闘できるくらいに話せるようにした。

食堂では俺と炭治郎君は甘露寺さんの食いっぷりに圧倒されていた。実際目にするとすごい。あっという間にタワーのように積み上がる空の丼。

(と、土佐イヌ……)

大変申し訳ないがそう思ってしまったのは絶対に内緒だ。ばれたら伊黒さんに半殺し、いや全殺しにされる。

 

刀が研ぎ上がって甘露寺さんは出立したが、その直前、

「私は、竈門兄妹を全力で応援するよ!」

と原作で見た胸熱シーンがあった。

触れ合った人の心を温かくする炭治郎君に、甘露寺さんもキュンとした模様。うん、分かる分かる。でも甘露寺さんも良い子だよね。鬼殺隊に入った理由は

「添い遂げる殿方を見つけたい」

正直どうかと思うけど、常人の8倍の筋肉密度があってものすごい力持ち、基礎代謝も高いから力士3人よりも大食いで、と色々大変だったのだ。そんな彼女をお館様や鬼殺隊の面々は受け入れ、彼女も鬼殺隊をとても大事に思っている。

自分の居場所を見つける事は、本当に大事だなと改めて思う。彼女はその為に命も懸けるのだから。



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23話 縁壱零式

翌日炭治郎君と一緒に鋼鐵塚さんを探して歩いていると、霞柱・時透無一郎君が戦闘訓練用カラクリ人形“縁壱零式”を巡ってもめている場面に遭遇。揉めている相手はその持ち主、あの小鉄少年だ。

この時の無一郎君は記憶を取り戻す前でかなり態度が悪く、しかもそれを悪意なくやっているところがすごい。

先祖代々受け継いだ貴重な物だし、壊れたら自分ではもう直せない。子供の小鉄君がそこまで言っているのに、柱である自分に訓練用の人形を使わせないのはもう頭おかしいとまで言う。

「刀鍛冶は武器作るしか能がないでしょ?壊れたらまた作れば?柱の時間と君たちの時間では価値が全く違うんだよ。早く鍵渡しなよ」

無一郎君は無表情のまま小鉄君に迫り、このままじゃ半殺しにしかねない。炭治郎君も怒っているが、俺は思わずもめている2人の間に割って入る。

「無一郎君、俺が相手しようか?」

自分でも意外だったが、俺は柄にも無くちょっと熱くなってしまっていた。

「歯ごたえのある稽古したいんだろう?木刀くらい近くにあるだろうから、やろうよ」

無一郎君にそう言ってみた。

「……君、誰だっけ?」

何というショッキングなセリフ。

無一郎君は、いきなり入って来た俺を見て表情一つ変えずに聞いてきた。アニメで見た、何だっけあの鳥……って言ってた時と同じ、どうでもいい時の口調じゃないか。マジで覚えてないの?柱合会議では、俺と風柱がひと悶着あったでしょうに。

俺ってば存在感薄っ!

「柱合会議で会ったでしょ、ミ・ズ・ハ・ラ・リ・ン・ド・ウ!」

仕方なく自分で名乗る。カッコつけて登場した割に無一郎君に相手にもされず、ショックを受けている俺の様子を見て小鉄君が気を利かせて、

「分かりました。鍵渡すよ……」

と言ってくれたので揉め事はスッキリ解決。って全然嬉しくないぞ。

「大丈夫だよ倫道さん。俺も覚悟決めるよ」

寂しそうに鍵を渡す小鉄君。

何だか俺だけバカにされた気分なのだが、無一郎君に全く悪意は無いので責める訳にもいかない。

でもこのままでは無一郎君の時間が無駄になる。原作によると、人形はレベルや動きが調節できるのだ。より高いレベルで訓練しなければ、無一郎君ほどの剣士には意味がない。

鍵を渡す時に、折角だからと俺は小鉄君にお願いする。

機能を万全にして訓練させてあげて欲しいと。考えてみれば、無一郎君だって我欲で訓練したいと言ってる訳じゃなくて、人を護りたいから剣の腕を上げたい訳で。どうせなら身になる稽古をさせてあげて欲しい。

「そんな……!」

小鉄君は難色を示すが。

お願いします!俺は懸命に頼んだ。無一郎君のために、これから彼に救われる人たちのために。

「もう分かったよ。あんたお人好し過ぎだよ」

結局小鉄君は根負けして、

「人形は、手首と指を回して調節し、剣士の弱点を突いた動きにできます」

と教えてくれた。

無一郎君は一連のやり取りを見て俺たちに少し興味が湧いたのか、

「なんでそんなにおせっかいするの?他人に構うの?」

そう聞いて来た。

俺と無一郎君がバチバチにやり合うんじゃないかとハラハラしていた炭治郎君は、どうやらそうならないことにほっとしながら、

「人のためにすることは結局、巡り巡って自分のためにもなるんじゃないかな」

小鉄君を慰めながらそう答えた。

「えっ?今――何て言ったの?」

思いがけず炭治郎君の口から飛び出した言葉に、無一郎君の表情が変わる。無一郎君の記憶が揺さぶられているのだ。これは覚醒のきっかけとなるキーワードの一つ。

 

無一郎君が縁壱零式と戦っているのを見学していると、小鉄君が概要を説明してくれる。

戦国時代、小鉄君の先祖が実在の剣士をモデルに作った自律型カラクリ人形で、腕が6本あるのは、そうしないとその剣士の動きを再現できなかったからだそうだ。その顔に、炭治郎君だけでなく俺も何故か懐かしさを感じていた。モデルは縁壱さんと分かっている。原作で良く知っていたはずの展開なのに何か引っかかるものがあった。

「すごい。俺と歳も変わらないのに、柱で、才能があって」

炭治郎君が嘆息する。考え事をしていた俺も、我に返って訓練を眺める。

「アノ子ハ天才ダカラ当然ヨ!アノ子ハ“日ノ呼吸”ノ使イ手ノ子孫ダカラネ。アンタ達トハ次元ガ違ウノヨ!」

無一郎君のカラス、銀子が得意気にまくしたてる。

「“日の呼吸”って、始まりの呼吸の……。でも彼が使うのは“日の呼吸”じゃないんだね」

失礼なカラスに向かって、炭治郎君が生真面目に答える。炭治郎君、それ言っちゃダメなんだ。

「黙ンナサイヨ!目ン玉ホジクルワヨ!」

痛いところを突かれた銀子が激怒して炭治郎君をつつく。俺は巻き添えを食わないようにそっと離れつつ、

「見ろ、また設定上げるぞ」

みんなに声をかける。無一郎君は自分で設定をいじってどんどん難易度を上げて訓練は過酷になり、ついに最高難度まで上げて訓練を続ける。無一郎君はだんだんと傷を負い、吹っ飛ばされるがそれでも稽古を止めなかった。いい気味だ、と意地悪な笑みを漏らしていた小鉄君も、やがてその真剣な姿に打たれた様子で、(頑張れ)と呟いていた。時間とともに次第に無一郎君が躱して責めることが多くなり、打ち込めるタイミングが来た。

だが無一郎君は打ち込む代わりに、頸の後ろの鍵で自ら人形の動作を止め、稽古を終了した。

縁壱零式に無用な衝撃を与えることを避けたのだと分かった。

 

「無一郎君」

人形を壊さないでくれてありがとう。俺はそう声をかけようとして、彼の顔が少し変わったのに気付いた。

「良い修行になったよ。刀はボロボロになっちゃったけど、ありがとう」

無一郎君はそう言って、少しふらつきながら宿に帰って行った。

 

「さあお2人も、あの人に負けてられませんよ!」

ふと、小鉄君が燃えているのが目に入った。原作では無一郎君の無礼に対する怒り、今は目の前ですごいものを見せられて、その感激?といったところか。

「お2人は俺の事庇ってくれたから、これ使って十分に訓練させてあげます!」

めっちゃ張り切っている。ええっ俺も?今から?

「そうです!倫道さんと、それと」

「竈門炭治郎です。でも、良いの?貴重なものじゃあ……」

炭治郎君も名乗り、真面目な彼らしく壊れたりする心配をしている。

「俺は小鉄って言います。壊れたら俺が直してみせます!だから炭治郎さんも」

こんな会話があって、俺たちにもスパルタ訓練が施された。

実際に縁壱零式と対峙するとすごい。だけど何か物足りないような。――腕は6本あるけども本物はもっとすごい、そう思う。なぜかは分からないのだが。

極限集中を使うまでもなく、俺は数時間で訓練を終了した。

炭治郎君にはとても良い訓練になると思ったのだが、宿にしばらく帰って来ないので見に行くと、

「倫道さん……俺……もう3日間何も食べてないです……」

幽霊のようになっていた。お労しや、炭治郎君。

炭治郎君は、生物学的な限界を無視した小鉄君のしごきによって絶命しかねない状況であったので、俺は医学的な見地から、集中力が落ちている状況では学習効率が落ちるため、適切な栄養と水分を取るよう(かなりきつく)助言し、原作主人公が死ぬという事態は避けられた。

その後すぐに炭治郎君は、“匂い”による相手の動作予知能力を獲得、数段の飛躍を遂げた。さらに訓練を続けると、俺の目の前で遂に縁壱零式に一撃を入れた。

人形はまるでそれを待っていたかのように壊れ、中から謎の刀が姿を現した。

秘密のアイテム出現にテンション爆上げの子供たち2人。大はしゃぎしているが、抜いてみると当然錆が酷くて使える状態ではない。

「大丈夫です!がっかりしてません!」

涙を流しながら気丈に笑う炭治郎君だが、分かりやすく落胆している。

そこに、ムッキムキになった鋼鐵塚さんが突如現れ、挨拶をする俺を無視して刀を渡せと迫った。

訳も言わず子供たちから謎の刀を取り上げようとする大人気ない大人、鋼鐵塚さん。刀は人形の持ち主の小鉄君の物だと主張する子供2人。大騒ぎになり、同じく刀鍛冶の鉄穴森さんがやって来て仲裁しようとしてくれたが、

「鋼鐵塚家に伝わる研磨術で研ぎ上げて下さるんですね!」

俺は先回りして説明し、刀を鋼鐵塚さんに預ける流れを作ってあげた。子供たち2人も納得したところで鋼鐵塚さんは炭治郎君に予備の刀を渡し、謎の刀を持っていそいそと去って行った。本当に手のかかる三十七歳児だ。

 

 

鋼鐵塚さんの研磨が始まり、とりあえずやることが無くなった俺と炭治郎君は、部屋ですっかり寛いでいた。

「というわけでさ、刀の研磨に3日3晩かかるらしいんだよ。覗きに来るなって言われてるけど、見に行っても良いかな?倫道さんはどう思います?」

炭治郎君が畳に胡坐をかいてせんべいをボリボリ食べながら、顔だけ向けて俺にも聞いてくる。

「そうだな、ちらっと見るくらい良いんじゃないの?でも包丁持って追いかけられたりしてな(笑)。」

俺も胡坐をかき、ちゃぶ台の上のみかんをそのままムシャムシャ食べながら言う。

「あれはもう勘弁してほしいですね。倫道さん追いかけられたことあるんですか?」

ボリボリ。炭治郎君、口の周りにせんべいのカス付いてるぞ。

「いや、ないよ」

ムシャムシャ。ん?どうした炭治郎君。何か言いたい事でも?

「あ、あの……、倫道さん、皮」

炭治郎君が、皮も剥かずみかんを1個丸ごと口に入れている俺に微妙な視線を向けて来る。

「みかんの皮には栄養があるんだ。漢方薬の材料にもなるんだよ」

これは本当だ(陳皮、というが、本来は乾燥させた皮)。それに、ベータクリプトキサンチンやヘスペリジンも豊富に含まれており、これを摂取しない手は無いだろう。決して皮を剥くのすら面倒くさいという理由ではない。決して。そんな風にダラダラしていると

 

ぶううっ

あっ……。ん、ゴ、ゴホン。そのー、なんだ。

ごめん、肛門まで緩んで思わず屁こいちゃったよ。

 

……炭治郎君、ダメ人間を見るようなそんな目で俺を見るな。

 

しばしの間、俺たちは欠伸をしながら空気の抜けたような会話をして、あはは、と笑っていた。それにしてもこんなに寛いでて良いんだろうか、いや良いのだ。

 

 

「玄弥、倫道さんにお茶もらっていい?」

炭治郎君が気を利かせて聞いてくれたのだが、先ほどから何やら殺気が漂っていて、それがどんどん強くなっている。

見ればこの部屋の主が怒りの形相で俺たちを睨んでいる。どうした、何を怒っているのだ玄弥君?さっき屁こいたから?

「竈門!出てけお前!友だちみたいな顔して毎日来るんじゃねえ!倫道さんも!なんで俺の部屋でのんびりしてんだ!ここはたまり場じゃねえ!!」

と2人とも追い出されてしまった。

寂しいだろうと思ってせっかく来たのに、解せぬ。

 

 

 

俺は夜間のパトロールを続けていたが、まだ何も起きていない。そろそろ来る、はずなのだが。

とその時住宅密集地の方から悲鳴が上がり、

「敵襲!!」

見張りの叫びと半鐘の音が里に鳴り響いた。

見れば、上弦ノ伍・玉壺の血鬼術で生み出された化け物どもが、住居を押しつぶして進んでいる。体長は4、5メートル、金魚の体に力士の手足を生やしたような化け魚だ。気持ち悪っ!

俺たちが泊っている宿でも上弦ノ肆・半天狗との戦闘が始まっているはずだ。

どうする?

俺は一瞬自問自答し、まずこの化け物群を始末して里長の鉄珍様や周囲の人を助け、その後鋼鐵塚さんを護りながら玉壺本体を叩くと決めた。

 

 

 

倫道は化け魚を斬って人々を助けながら里長の鉄珍の屋敷へ急ぎ、鉄珍を襲っていた化け魚を両断して無事助け出した。原作では甘露寺に助けられるはずなのだが、

(鉄珍様、甘露寺さんじゃなくてごめんなさい!)

倫道は心の中で謝りながら、鉄珍を抱えたまま次々と周囲の化け魚を始末して行く。そこに甘露寺が到着し、新体操のリボンのような刀を一閃、背後から倫道を狙っていた化け魚を一瞬でバラバラに刻んだ。

原作では鋼鐵塚の工房付近に玉壺が現れ、鉄穴森、小鉄に大怪我を負わせ、鋼鐵塚に至っては片目を潰されてしまうので何としても防がなければならない。そこでは今も鋼鐵塚が不眠不休で刀の研磨に当たっているのだ。

倫道は里の中心部付近の守りを甘露寺に任せ、助けた鍛冶職人に場所を聞いて鋼鐵塚の工房へ急いだ。



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24話 無一郎の無

時透は、新たに自分の刀を打ってくれる刀鍛冶、鉄穴森を探していた。炭治郎の部屋を訪ねて居所を聞こうとしたところに、突如上弦ノ肆・半天狗が襲来した。

姿を現すまで気配すらなく、いきなり部屋に現れたそれを見て、時透と炭治郎は上弦の鬼と判断しすぐさま攻撃態勢に入った。動きが早く斬撃を躱す半天狗であったが、時透はそれを上回るスピードで頸を刎ねる事に成功した。

炭治郎が感心したのも束の間、体と頭は分かれてそれぞれ再生し、「積怒」と「可楽」の2体となり、可楽の団扇によって時透ははるか遠くの森の中へ飛ばされてしまう。

 

(早く戻らないと。あの上弦は炭治郎だけでは無理だ)

時透はそう考えて急ぎ戻ろうと走っていたが、偶然小鉄が襲われているところに遭遇した。

(あの子供か……。だが助ける優先順位は低い。見殺しになるが止むを得ない)

里に戻るのを優先しようとするが、ふと思い直して足を止めた。

(人にすることは、巡り巡って自分のためになる、か)

 

炭治郎の言った言葉が何故かずっと引っかかっていた時透は小鉄を助けた。

さらに、近くの工房で研磨作業中の鋼鐵塚と鉄穴森も化け魚に襲われており、彼らも助けて欲しいと頼まれた時透は逡巡した。このまますぐに里に戻るか、彼ら3人を助けてから里へ向かうか?

里には大勢の優秀な刀鍛冶がいる。彼らを助けるためには一刻も早く戻りたいが、別の場所での鋼鐵塚と鉄穴森の救助も頼まれてしまい、そこに向かえば大幅な時間の浪費になるかもしれない。

 

時透は、以前なら迷い無くすぐに里へ戻ることを選択しただろう。しかしこの時は、小鉄の依頼通り鋼鐵塚と鉄穴森を助けてから里へ戻って人を助けると決めた。

(これは正しいのだろうか?間に合うのか?)

小鉄を抱えて鋼鐵塚の工房へと走りながら自問自答する。

(いやできる。両方助ける!僕はお館様に認められた剣士。霞柱・時透無一郎だから!)

時透は強く自分を鼓舞し駆け抜けた。

 

 

鋼鐵塚の工房に到着し、時透は付近で化け魚に襲われていた鉄穴森を助けた。鉄穴森によると、工房の中では鋼鐵塚が不眠不休で研磨を続けており、さらに打ち上がった時透の新刀もしまってあるという。新しく自分の担当になった鉄穴森に刀を依頼しに来たところなのに、何故それが伝わっているのか時透は不思議に思った。

「炭治郎君と倫道君が君の刀を頼んでいったのですよ。先日の訓練の時にボロボロだったから、打ってあげてと言われていたんです。倫道君は、以前鉄井戸さんが君の刀を担当していたと教えてくれましたし、だから私はその書き付け通りに急いで打っておいたのです」

 

時透は、以前担当してくれた高齢の刀鍛冶、鉄井戸の事を思い出した。鉄井戸は、まだ年若い時透を心配し気遣ってくれた。さらに入隊以前の記憶を無くしており、記憶をうまく留めておけない時透の不安や苦悩をよく理解し、時透が柱になった時には我が事のように喜んでくれた。その後すぐに亡くなってしまったが、その鉄井戸が、彼の刀の特徴を詳細に書き付けに残してくれていた。

「早く中へ!」

工房に入ろうとする鉄穴森と小鉄だが、

「待って!」

時透は異常な気配を察知し2人を止めた。そこには既に上弦ノ伍・玉壺が待ち伏せており、ひょっひょっ、と耳障りな笑い声を発しながら壺から現れた。

 

蛇の如くうねうねとした長い体に、短い腕がムカデの様にゾロゾロと何本も生えている。その顔は、両目の位置に口が開いており、額と本来の口の位置に目があり、耳があるはずの位置にはまた短い腕が何本も生えている。

「よく私の気配に気付いたな。お前さては柱だな?私の眼力はごまかせぬぞ……。そんなにこのあばら家が大切かえ?こんな所でこそこそと何をしているのだろうな」

鉄穴森と小鉄は玉壺の気持ち悪さに腰を抜かした。

 

「私は上弦ノ伍・玉壺と申す者。殺す前に少々よろしいか?今宵3方のお客様には、ぜひとも私の作品を見て頂きたい!」

気持ちの悪いやつがなんか喋り出した、と時透は辟易していた。

玉壺は体から生えた短い手を叩き、鍛冶(かぬち)の断末魔、と題した“作品”を時透たちの目の前に現した。

それは、殺した5人の鍛冶職人に何本も刀を突き刺し、繋ぎ合わせたおぞましい物。彼らの体からは未だに血がだらだらと流れ続けており、さらに玉壺は殺す時に彼らが上げた悲鳴を再現して見せた。知り合いや親類縁者の凄惨な有様に、鉄穴森と小鉄は犠牲者の名前を呼ぶことしかできず泣き崩れた。

 

「そんなに感動していただけるとは!」

玉壺は嬉しさを隠しきれず得々と口上を述べようとするが、この外道ぶりに怒りが沸点に達していた時透は、

「いい加減にしろよ、クソ野郎が!」

吐き捨てるなり玉壺に斬りかかった。

壺から壺へ瞬間転移して行く玉壺に対し、次々と壺を割って転移を防ごうとする時透。

「血鬼術・千本針魚殺!」 

玉壺は血鬼術で壺から巨大な金魚を出現させ、多数の毒針を噴出して3人を襲った。

時透は鉄穴森と小鉄の前に立ちはだかり刀で弾き飛ばして2人を護るが、彼自身は多くの毒針を受けてしまう。

 

「毒で手足が麻痺してきたのでは?弱者を身を挺して庇う……全くつまらない矜持だ。そうやってつまらない所でつまらない命を落とす。いてもいなくても変わらぬ、しょせんはその程度の命。本当に滑稽だ。これでも柱だというのだから、分からぬものだが……それもまたいい」

他人を庇い、多数の毒針を受けた時透に向かい玉壺が嘲り嗤った。

(つまらない命って、昔誰かに言われた気がする。誰に言われたんだ?……思い出せない)

時透は一瞬考えていた。記憶が、また揺さぶられる。

しかしまずはこいつを倒してからだ。毒は効いて来てはいるがまだまだ動ける。そう自分に言い聞かせ、さらに斬りかかった。しかし、

「血鬼術・水獄鉢!」

時透は玉壺の血鬼術・水獄鉢を受け、スライムのようなねばねばした液体の塊に閉じ込められてしまった。内部から斬っても突いても液体が力を吸収してしまい、破ることができないのだ。

 

内部の時透からは外界が良く見えた。追いかけて来た小鉄が包丁で水塊を破ろうと頑張っているところも見えたし、玉壺が血鬼術で生み出した化け魚が小鉄を襲うのも見えた。

小鉄は襲われて殺されそうになりながらも水塊を破ろうと奮闘し、呼吸できない時透に向かって水塊の中に思い切り自分の息を吹き込んだ。

 

時透は呼吸ができずに酸欠状態に陥って意識レベルが低下し、誰かががすぐ目の前にいて話しかけてくるような幻視を起こしていた。それは何故か炭治郎の姿を取っていたが、ふと時透が良く知っている、違う人物の姿と重なった。

「人のためにすることは、巡り巡って自分のためになる。そして人は、自分ではない誰かのために信じられないような力を出せる生き物なんだよ、無一郎」

その人物が言った。炭治郎ではない、炭治郎と同じ赤い瞳を持った人。――朦朧とした意識の中、1秒にも満たない時間で記憶の断片が浮かび上がっては消えるが、人物はやがて明確な一つの像となった。

(うん。知ってるよ、父さん)

 

小鉄が吹き込んでくれた空気の中のわずかな酸素が時透の体に染み渡り、その時血鬼術が緩んだ気がした。失神しかけていた時透の目が、かっと見開かれた。

(命懸けで僕を助けようとした小鉄君に。刀を打ってくれた鉄井戸さん、鉄穴森さんに。死ぬ直前、兄が残してくれたあの言葉に。信じられないような力が僕にも出せるんだ。僕は応えなきゃいけない!)

 

今しかない。時透の体に再び力が戻り、全身全霊の技で応える。

「霞の呼吸 弐ノ型・八重霞!」

血鬼術が破られ、水塊がはじけ飛んだ。

脱出と同時に小鉄を襲っていた化け魚を斬り、体内のほぼ全ての酸素を使い切った時透は一時動けなくなったが、頭の中はスッキリと冴えていた。

時透は全てを思い出していた。深呼吸して体中に酸素を行き渡らせ、体も急速に回復した。

 

 

 

 

父は杣人で、僕も木を切る仕事を手伝っていた。僕が十歳の時、家族のために無理をしていた母が病気になった。父は病気の母のために薬草を取りに出かけて崖から落ちて死に、母もすぐに亡くなった。十歳の子供の僕らだけが残された。

 

僕は双子だった。

双子の兄の有一郎は、そんな両親の死を無駄な死と言い切り、弟の僕には、無一郎の無は“無意味”の“無”、“無能”の“無”といつもきつい言葉を浴びせていた。

 

ある夏の夜、2人で家に居る時に鬼に襲われた。兄は致命傷を負わされ、もうほとんど動かなくなっていた。

「助けなんか来ねえよ、大人しく喰われろ。いてもいなくても変わらないようなつまらねえ命なんだからよ」

鬼は僕らに止めを刺す前にそう言った。

 

僕の中で何かが弾けた。煮えたぎるような激しい怒りが沸き起こった。僕には、あの恐ろしい叫びが自分の喉から迸り出たことが信じられなかった。気がつけば僕は家にあった鉈で鬼を滅多打ちにし、重石を叩き付けて頭を潰した。鬼は何度も頭を潰されても死ぬことができずに苦しんでいたが、朝日に焼かれて消えて行った。

 

死ぬ間際、虫の息で兄が神仏に祈っていた言葉で初めて自分への真意を知った。

天罰なら自分一人が受けます。俺は死んでも良いから、弟だけは助けて下さい、と。

無一郎の無は、無意味の“無”なんかじゃない。無一郎は誰かのために無限の力を出せる限られた人間。無一郎の“無”は“無限”の“無”なんだ、と――。

そう言って兄は死に、その体は徐々に腐って蛆が湧いた。瀕死の状態で動けない自分にも蛆が湧き、意識も遠のいてこのまま死ぬのだと思っていた時に鬼殺隊に助けられ、産屋敷家に保護された。

 

その後体は回復したが、兄を亡くし、そのつらい死に様を見たことで精神的に大きな衝撃を受けた僕は、以前の事が思い出せなくなり、新たな記憶も留めておくことが難しくなったが、兄を殺した鬼への激しい怒りだけは消えることはなかった。鬼への感情は、僕の心の中で暗い炎のように燃え続けた。

鬼を滅する。根絶やしにする。

自分はどうしてこんなにも激しい感情を抱いているのか、その理由を思い出すことすらできなかったが、剣を教わり、内なる怒りに突き動かされるままに血反吐を吐くような過酷な稽古を自らに課した。

 

才能がある、周囲のみなはそう言ってくれたが僕の心が安まることはなかった。

最終選別というものに通り、ひたすら鬼を狩った。

剣を握って2ヶ月。気づくと鬼殺隊最高位の“柱”になっていた。

僕の力が誰かの役に立つのか、初めてそう思ったことだけは鮮明に覚えている。

 

以前にお館様がおっしゃっていた。

失った記憶は必ず戻る。些細な事柄が始まりとなり、君の頭の中の霞を鮮やかに晴らしてくれる。心配は要らない。ただつらい経験をしたのが原因で記憶を失っているので、戻った記憶を受け入れるには心構えが要るとも。

こうして記憶が戻ったのは、受け入れる心構えができたからなのかもしれない、そう思った。

 

お館様。僕は今、自分が何者なのかを思い出し、“確固たる自分”を取り戻しました。僕にはもう迷いも戸惑いも焦燥もない。両の足を力一杯踏ん張って、心置き無く戦うことができます。

俺は鬼殺隊 霞柱・時透無一郎。

無一郎の無は、無限の無。自分ではない誰かの為に、無限の力を出せる選ばれた人間。

 



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25話 悪口と褒め殺し

体が熱い。気迫が満ち、全身に力がみなぎる。

気分が良い。ちょっとだけ体が痺れているけど関係無かった。

弱気な考えは捨てた。時透は倒れた小鉄を抱えて鋼鐵塚のところへ戻ると、そこでは倫道が玉壺と戦っていた。

少し前、やっとのことで鋼鐵塚の工房へたどり着いた倫道は、一心不乱に刀を研ぐ鋼鐵塚とそれを見守る鉄穴森を護って玉壺と戦闘を開始し、玉壺の注意が逸れたことで時透への血鬼術が緩んだのだった。

 

(このガキ、私の術を抜けて来た!一体どうやって……?!まあ死にかけのガキが一匹戻ったくらいでは戦況は変わらぬ。それよりもこの新手のガキを早く始末せねば)

玉壺は時透を見て驚いたが、すぐに思考を切り替えた。

鉄穴森は、倫道が戦っている間に新たな刀を時透に投げ渡す。

「ありがとう、鉄穴森さん」

新たに打った刀を抜くなり、時透は鋭い斬撃を繰り出す。すんでのところで逃げられるが、玉壺の頸を斬りかけた。

「無一郎君!大丈夫か!」

倫道が聞いて来るが、

「倫道、ありがとう。大丈夫だよ、俺は今すごく調子が良いんだ」

時透は答え、さらに鋭い斬撃を浴びせて行く。

(この死に損ないが!毒で体が痺れているはずだろうが!いや待て、あの痣は何だ)

玉壺は毒が効いているはずの時透のスピードに驚愕し、先ほどまでは無かった“痣”が出ていることにも警戒した。

(無一郎君が俺の名前を!……そうか、記憶を取り戻したんだね!あ、それよりも痣が出ちゃったな)

倫道も驚き、そして少し心配する。

 

鋼鐵塚と鉄穴森を護るためやや引き気味に戦っていた倫道も、時透が戻ったことで攻めに転じる。激しい戦闘で工房が半壊し、鉄穴森は研ぎ続ける鋼鐵塚を連れて安全と思われる所まで離れた。

 

「便所虫の様な存在のくせに、生意気なガキども。一息に捻り潰してやろう」

玉壺は言い放つが、

「便所に住んでいそうなのは君の方でしょ。それにさっき僕に頸斬られかけて慌てて逃げたよね?」

時透が言い返す。

(癪に障るガキどもめ。しかしここで軽率に怒りを見せてはこのガキどもに小物と舐められる。強者たる者、鷹揚に構えておらねば!)

変なプライドから玉壺はそう考え、

「貴様らの方こそ便所虫だろうがっ!いや……いかん、私ほどの芸術家が、便所虫などと下賤な言葉を吐いてしまうとは!全くこれだから教養の無い貧乏人とは話したくないのだ。私の気品ある優雅な姿も理解できまい」

一瞬怒りを見せるが自制し、憐れむような口調になって言い返した。

「君の顔は目の位置に口がついていて、口に目玉?耳には腕?がついてるのかい?じゃあ耳はどこかな、肛門にでもついてるの?ひょっとして耳から便が出るのかな?」

そこへ倫道が割り込んで煽る。

「貴様!いや、君たちの品性下劣な会話にはついて行けぬ。そもそも上弦ノ伍たるこの私が」

玉壺が言いかけたが、

「無一郎君、こいつこんな気持ち悪いかっこしてるくせに自分で“上弦”て言っちゃってるよ。誇大妄想入ってるのかな?」

倫道は無視して時透に話しかける。

「でもヘンテコな壺作って芸術家気取りもイタイよね」

時透も顔をしかめて言う。玉壺から完全に目を離し、おばちゃんの井戸端会議のように

「いやぁねえあの気持ち悪い顔」「聞いてよ、さっきもこんなこと言っててさぁ……」

ゴモゴモとおしゃべりする時透と倫道の様子に、

「コラっ貴様ら!よそ見をするんじゃない、このバカガキどもがっ!私の方を向け!良いか貴様らぁ!!……い、いや、君たち。君たち脳筋には理解できないだろううが一応言っておくと、私の壺は高く売れるのだよ。まあ君たちのような審美眼の無い猿には分からないだろうが」

玉壺は表情筋をピクピクさせながらも怒りを押さえ、辛うじて冷静な口調に戻って言い返す。

 

「さっきから気になってしょうがないんだけど、君のその壺、どう見ても歪んでるよね。本当はそれ失敗したんでしょ?えっ、それで完成?ヘッタクソだなあ」

また時透が遮って煽ると、

「まあまあ無一郎君、その位で精一杯なんだろう。所詮は便所に住む脳筋便所虫が自己満足で作る、便を溜める便壺だからね」

倫道が止めの煽りを食らわした。

「私の壺を、べ、便壺だとおお!貴様らあああ!!とうとう上弦ノ伍であるこの玉壺様を怒らせたようだな!!殺してやる!!」

玉壺は案外簡単にブチ切れ、怒りで顔中に青筋を立てながら2人に怒鳴る。

 

「血鬼術・一万滑空粘魚!」

壺から生み出した一万匹の肉食魚が2人に襲い掛かるが、

「霞の呼吸 陸ノ型・月の霞消!」

時透が全て切り裂き、

「水の呼吸 陸ノ型・ねじれ渦!」

倫道が毒粘液を残らず弾き飛ばす。

大技を放った直後の玉壺を斬ろうと時透が再び迫った。

「お前たちには私の真の姿を見せてやる。この姿を見て生きて帰った人間はおらぬぞ。……私を怒らせた報いだ、この完全なる美しき姿にひれ伏してから死ね」

玉壺は躱して樹上に逃げて、もったいぶった口調で告げた。

「へー」「ふーん」

セリフ棒読みで相槌を打つ倫道と時透。

玉壺は完全体となり時透に殴りかかる。先ほどより格段にスピードが上昇し、玉壺の拳が触れた時透の隊服の一部が鮮魚に変わる。

 

「この白く透き通る鱗は金剛石より強く、体には強靭なバネ。そしてこの神の手の威力はどうだ。拳が触れたものは全て鮮魚となるのだ」

玉壺は握りこぶしを作り、自らに陶酔しながら言った。

「どんなすごい攻撃でも、当たらなかったら意味ないでしょ」

時透は不敵な笑みを浮かべて言い放ち、反撃しようとした。

 

(そうだ、拳が触れた物は全て鮮魚となるんだった。じゃあちょっとやってみるか)

一方原作を思い出した倫道は、玉壺の口上を聞いて急に態度を変え、おおっ!!とわざとらしく目を見開いて感心して見せた。

「素晴らしい!それが真の姿なのかっ!素晴らしい美しさだ玉壺殿!さすがは上弦に列される強き鬼!見ろ、月も貴方の美しさを讃えて照らしているぞ!」

歯の浮くようなクサい誉め言葉まで吐いた。

「君にはようやく私の高貴な美しさが理解できたようだね。少々遅すぎるが……それでも褒めてやろう」

玉壺は急にベタに褒められ、まんざらでもない様子になった。

「玉壺殿。先ほどの非礼はお詫びしましょう。どうか月に向かって両の手を広げて見せてください!」

倫道は刀を収めて玉壺に懇願する。

「まあ見せてやらぬでもないが。こうか?」

玉壺は言われたポーズをとってやった。

「おお、何と美しい……!では、次は」

「まだあるのかえ?まあ殺す前に見せてやろう。冥途の土産にするが良い」

まんざらでもない様子の玉壺は、だんだん機嫌が良くなる。

「寝そべって、こう、片手を軽く握って頬杖をついて、もの憂げな表情をなさってください」

倫道は、アイドルが水着でやるようなポーズを要求した。

(何やってんのこの人?)

時透は倫道の真意が理解できずに呆然と見ている。

「体を横にすれば良いか?こうか?」

玉壺はさらに上機嫌になり、体を横たえ、軽く握った手で頬杖をついた。

「おお、美しい!何と表現すれば良いのか分からない!言い表すことができない!この……」

倫道は手を胸の前で組み、浮ついた美辞麗句を述べながら感激の表情を浮かべる。だがその手は解かれ、右手は徐々に左腰の刀に近づく。

 

そう、玉壺の神の手は、拳で触れたものが鮮魚となるのだ。

拳を握って頬杖をついたら?

 

「この、アホさ加減」

倫道が小声で呟く。次の瞬間、玉壺の体は数百匹の鮮魚となった。

「今だ!斬れ!」

倫道は叫び、玉壺だった魚を斬りにかかった。

「えっ?あっ!」

時透も一瞬遅れて意味が分かり、すぐに魚を斬ったが、逃げた魚は寄り集まって元の玉壺に戻ってしまった。

倫道は、何だ戻れるのかよ、と舌打ちしながらつまらなそうに吐き捨てた。

 

「このガキめ!舐めた真似をしおってええ!!」

虚仮にされた玉壺は怒り狂うが、ここで倫道に異変が現れた。

「くっ、今頃になって!」

口元を手で押さえ、うぷっと吐きそうになり表情を歪めた。

「さっきの毒が効いているではないか。やはり私の攻撃は完璧だ。すぐに手足が痺れて動かなくなる。私を虚仮にした代償は高くつくぞ。しかし心配するな、お前の様なバカガキでも私が美しい作品にしてやろう。さてさてどんな作品にしてやろうか、胸が躍る」

玉壺はニヤリと笑い、あくまで自分の毒の威力と信じて疑わず、誇って見せた。

「倫道!大丈夫?」

「だ、大丈夫」

心配する時透に倫道は少しつらそうに答える。しかし倫道は意外な言葉を口にし、時透は呆れ、玉壺はさらに怒り狂った。

 

「来る前にみかん食べ過ぎちゃった。うっぷ……やっぱり皮ごとは良くなかったかも」

 

戦場に微妙な空気が流れる。上空ではマスカラスが「アホー、アホー」と鳴いていた。

 

玉壺は、煮えたぎる怒りにわなわなと全身を震わせ、顔中の血管が破裂してぴゅーぴゅーと小さな噴水のように血が噴き出していた。

「こ、この、ド腐れガキャぁあ!!今っ!今すぐに殺してやる!!!血鬼術・陣殺魚鱗!」

複雑な軌道で跳ね回り、玉壺は全力で2人を殺しにかかった。

「霞の呼吸 漆ノ型・朧」

しかし、時透と倫道は同時にかき消え、次の瞬間どちらかが現れ、現れてはまた消え、玉壺は2人の姿を捉えることができない。

(こいつらは一体何だ?なぜ消える?これは……霞?)

「そこかっ!私の本気を見るが良い!」

玉壺は一瞬現れた時透に襲い掛かるが、あっさりと躱されて呆然とする。

「俺もこれからは本気だよ」

どこからかささやくような時透の声を聞いた瞬間、あっさりと頸を刎ねられていた。

あまりの速さに、玉壺は斬られたことに気づくのに数秒を要した。

(斬られた!?私がこんな子供に……!)

 

玉壺は斬られて頸だけになっても、

「人間のくせに!悍ましい下等生物の分際で!よくもこの玉壺様の頸を!私は貴様ら百人の命より価値があるのだぞ!許せない!あってはならない!」

そう喚き散らし、モゾモゾと蠢いていた。

「貴様らのつまらぬ命を、この私が高尚な作品にしてやったというのに!この下等な蛆虫共……」

時透はなおも喚きた立てる玉壺の頸を、目にもとまらぬ連撃でバラバラに刻んで止めを刺した。

「この肉片の飛び散り具合、僕の最初の作品としてはなかなかのモンだろう?お前も素材にしてやったんだ、感謝してさっさと地獄へ行きなよ」

(怖い怖い、あれは正義の味方の笑顔じゃないですよ!)

灰になる玉壺に言い捨てる時透の冷たい笑顔に、鉄穴森は震え上がった。



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26話 各々の目覚め

「俺は炭治郎君たちを手伝いに行く。無一郎君はここで待機した方が良いね」

「だ、大丈夫だよ。僕は全然……だいじょう……ぶ……おえっ!」

玉壺が灰になったのを見届けて倒したのを確認、その安堵感もあったのだろう、一気に毒が回って時透は真っ青になって嘔吐。

確か原作では特に解毒などは必要なかったと倫道は思い出し、経過観察をお願いすることにした。

「無一郎君、ちょっと休もうね」

倫道は、時透の呼吸状態の観察だけは怠らないように鉄穴森に言い含め、時透と小鉄を任せると里の方へ全速力で救援に向かった。

 

炭治郎、禰豆子と玄弥は激戦を展開していた。

上弦ノ肆・半天狗が、本体である“怯え”の鬼と、別々の個性を持った4体の鬼、

“積怒”、“可楽”、“空喜”、“哀絶”、

この計5体に分裂して3人を苦しめる。本体の“怯え”の鬼はネズミほどの大きさしかなく発見が困難で、その頸は非常に硬く斬りにくい上、さらに他の分裂体は当然本体を全力で守る。そして本体以外の4体も強く、炭治郎たちは苦戦を強いられていた。

しかし炭治郎は戦いの中さらに成長、禰豆子の血で赤く燃える爆血刀を使い、積怒、可楽、空喜に大きなダメージを与えていた。

彼らの目には、燃える刀を振るう炭治郎がかつて無惨を追い込んだ最強の剣士と重なって見えていた。

 

玄弥は哀絶の一部を喰らって鬼化し、身体強度を劇的に向上させていた。叩きのめした哀絶を片手で軽々と持ち上げて頸を締め上げていたが、倒す決め手がなく攻めあぐねていた。

 

窮地に陥った本体の“怯え”の鬼は、本体以外の分裂体の4体を合流させ、さらに強力な鬼、

“憎珀天“を作り出した。憎珀天は少年のような見た目ながら、もとの4体全ての能力を使うことができ、さらに攻撃力も上昇していた。

禰豆子と玄弥は憎珀天と戦い、炭治郎は逃げる本体の鬼、“怯え”の頸を刎ねるべく、追撃を開始した。

 

憎珀天はこれまでの鬼よりさらに強く、樹木で巨大なトカゲの化け物を幾つも作り出す固有の血鬼術を持ち、それらを自在に操って禰豆子と玄弥を捕らえ、本体の頸を斬りかけた炭治郎も捕まえようと迫った。

 

巨大トカゲの一つが遂に炭治郎をその口に捕らえ、噛み潰そうとしたその時。

「恋の呼吸 弐ノ型・懊悩巡る恋!」

巨大トカゲが一瞬でバラバラに刻まれ、恋柱・甘露寺が現れた。

一見して柱と分かるその速さに憎珀天は一応警戒する。矢継ぎ早に攻撃を仕掛けるが全て甘露寺に斬られ、

(この小娘、なかなかやりおる)

スピード勝負では不利と見た憎珀天は、

「血鬼術・無間業樹!」

多数の巨大トカゲを同時に出現させて、甘露寺を圧殺しようとした。

「恋の呼吸 伍ノ型・揺らめく恋情 乱れ爪!」

甘露寺はしなやかな動きとスピードでその攻撃すらも全て捌き、憎珀天の頸を刎ねようと瞬息で間合いを詰めた。

「それは本体じゃない!頸を斬ってもだめだ!」

炭治郎は判断ミスを知らせるが甘露寺は迷いを生じ、一瞬にも満たない間だが動きが鈍った。

「血鬼術・狂圧鳴波!」

そこに憎珀天の超音波攻撃をまともに食らい、失神する甘露寺。

(この攻撃を食らって、肉体が形を保っていられるとは!……普通の人間ならば粉々の肉片になっていてもおかしくはない。何故この小娘は肉の形を保っていられるのだ?)

憎珀天は大いに驚き、この優秀な肉体を持つ人間を殺して食らおうと考えた。質の良い肉を喰らえばそれだけ強くなる。また憎珀天の状態にまでなるのは思い出せないくらい久しぶりで、単純にエネルギーが足りなくなり補給が必要と考えたからだ。

「甘露寺さんを護れ!この人が俺たちの希望の光なんだ!」

目の前で失神した甘露寺に、憎珀天が止めのパンチを打ち込んで頭を潰そうとした瞬間、炭治郎と玄弥は身を挺して甘露寺を庇い、攻撃を避けた。憎珀天は今度は雷による攻撃で全員をまとめて殺そうとしたが、意識を取り戻した甘露寺はこの攻撃を斬撃で相殺した。

 

雷攻撃と甘露寺の斬撃の威力がぶつかり、爆発のような閃光が幾つも発生した。

(やったか?)

憎珀天は目を凝らす。しかしその中心には、全ての攻撃をはね飛ばした甘露寺がすっくと立っていた。

「任せといて。みんな私が護る!悪いヤツには絶対に負けないから!覚悟しなさい!」

ぐっと敵を睨む。

 

先ほどとは明らかに纏う雰囲気が変わる。若い娘の甘さなど既に微塵も無く、歴戦の強者が作り出す威圧感を漂わせていた。見る間に周囲の空気がピンと張りつめていき、甘露寺の頸元に鬼の紋様に似た痣が発現した。

(……この小娘!)

うかつに仕掛けられない。

どちらかが仕掛けて均衡を破れば、今とは比べ物にならない激しい打ち合いとなるだろう、憎珀天の警戒度もさらに跳ね上がる。

「鬼殺隊は私の居場所。仲間は絶対に死なせない!上弦だろうと――」

先の先、甘露寺が仕掛けた。鋭い踏み込みから、鞭の様にしなる斬撃が噴き出すように憎珀天に浴びせられる。

「関係ないわよ!」

さらに2撃目、3撃目を打ち込んでいくが、僅かに躱されたかに見えたその時、憎珀天に幾つもの傷がビシビシと刻まれた。

「ぐわあっ!」

苦痛の呻きを上げて憎珀天が後退する。

(飛ぶ斬撃!誰?)

甘露寺が素早く周囲を確認する。

「甘露寺さんっ!その意気だ!」

いつのまにか倫道が現れ鎌鼬を放つと、跳躍して甘露寺の頭上を飛び越えて、

「水の呼吸 漆ノ型・雫波紋突き 五月雨! 壱ノ型 水面斬り!」

さらに大きく踏み込んで突きの連撃で崩し、横一文字の鋭い斬撃を繰り出した。

(また新手の童か!こ奴らがいては本体にトカゲをやれぬ!極悪人どもめ!)

後退を余儀なくされた憎珀天が忌々し気に睨む。

 

増援に勇気づけられた甘露寺はその力を十分に発揮する。次から次に発生する巨大トカゲであったが、頭や頸を叩きつけようとしても噛みつこうとしても、甘露寺は猫のような柔らかい動きでするりと攻撃を避け、時にいなし、避けられない時は全身の筋肉を緊張させる硬気功のような技で体当たりを食らわして巨大トカゲを粉砕し、激突の衝撃から体を守って有効打を許さない。倫道もまた甘露寺を護りながら複数のトカゲをまとめて斬り、迫るトカゲの頭を蹴って飛び回り、雷攻撃や衝撃波攻撃を見切って攻撃が出る前に潰していく。

2匹のネコ科の猛獣が暴れまわるかの如く、次々に生えてくる巨大トカゲも2人の跳躍の足場にしかならない。果てはトカゲの頭同士がぶつかって砕け、憎珀天のいら立ちはさらに募る。徐々に巨大トカゲの出現ペースが低下し、甘露寺と倫道の攻撃が迫り始め、憎珀天自ら応戦していた。

(よし、もっとイラつけ。もっとトカゲを出してこい!そうすればエネルギー切れで本体の守りがお留守になるぜ)

本体を追う炭治郎たちが楽になるよう、倫道は益々攻勢を強めた。

 

(倫道さんが来た!この増援は大きいぞ!)

一方の炭治郎たちも甘露寺と倫道の戦いに勇気づけられ本体を追う。大量の巨大トカゲを出していた敵が、トカゲを出す間もなく鬼本体への攻撃を許し、後退しているのだ。気を取られている隙に、こちらは本体の頸を狙う。

炭治郎が追いつき、頸を刎ねたかに見えたが体は崩れず、頸なしのまま逃げる鬼。炭治郎はこれすらも本体ではないと気づき、崖下に飛び降りて逃げた鬼を禰豆子とともにさらに追い詰める。

 

(そうだ!倫道さんの銃!)

足が遅く、追撃から遅れた玄弥はまだ崖の上にいた。そして新しい銃を取り出し、散弾から一発弾に切り替え、炭治郎を射線に巻き込まないよう狙撃した。ドゴォン!と大きな発射音と強烈な反動ともに放たれた弾丸は鬼の片脚に命中、大腿部から下を吹き飛ばした。柱2人を相手に分裂体である憎珀天が全力で戦っているため、倫道の狙い通り本体には残された力が無くなり、吹き飛ばされた足を再生できずにいた。

転倒した鬼に全神経を集中し、透き通る世界を発動した炭治郎は、その心臓の中に隠れた本体の鬼を発見した。

「貴様の罪を、命をもって償え!」

炭治郎はその心臓に隠れた本体ごと、頸なし鬼の体を両断した。

崩れて行く本体と分裂体。しかし本体の“怯え”の鬼は、崩れて行くその一瞬、朝日が照らす中を炭治郎に向かって歩いてくる禰豆子を視界に捉えていた。

無惨は半天狗の視界を通じ、この光景を見ていた。

(でかしたぞ、半天狗!)

無惨はその時人間の少年に擬態していたが、自身が太陽の光を克服する手掛かりを得て、偽りの家族となっていた人間の母親を勢い余って殺してしまうほど興奮に震えていた。

 

 

 

 

樹木のトカゲが消え、へたりこむ甘露寺さん。

「終わったみたいだね」

俺が手を取って助け起こすと、

「ありがとお!私、死んじゃうかと思ったあ!」

と抱き着いてきた。おお、役得。そんなんされたら、おじさんドキドキしちゃうよ。それに憎珀天を足止めしたのは甘露寺さんの力です。俺今回はそんなに活躍してないな。

崖下では、炭治郎君と太陽を克服した禰豆子ちゃんを中心に、歓喜の輪が広がっていた。俺も崖を飛び降りてその輪に加わる。いやあ、何度見ても良い光景だな。炭治郎君の安堵の涙が、俺の涙腺も刺激するよ。玄弥君も良く頑張って食らいついてた。胸張って兄貴に報告していいぜ。

「良かったな、炭治郎、禰豆子」

玄弥君のそんな呟きも俺はばっちり聞いていた。玄弥君めっちゃいいヤツじゃん。

……だから分かってくれるといいな。

柱になって不死川さんに認められることばかりに囚われず、仲間とともに戦うこと、仲間の命も、自分の命も大事にすること。

俺の視線に気づいた玄弥君がニッと笑って軽く頭を下げる。俺も思わず笑顔になってうなずいた。

 

そして、感極まった甘露寺さんがドカーンと飛び込んで来て、ガバーっとみんなに抱き着いた。

「勝ったああ!みんなで勝ったよおお!」

玄弥君の顔が真っ赤になってて、可愛いったらないね。

朝日に照らされたみんなの顔は最高に輝いて見える。

BGMに川井憲次さんの曙光(実写版GANTZ)なんてどうだろう、ちょうど朝日がきれいに差している。画面にはスタッフロールが流れたりして。もうここでエンディングでもいいんじゃないか、そんな気さえする。

でもやっぱりそうは行かない。

 

無一郎君が記憶を取り戻し、炭治郎君と玄弥君も大怪我しているが自信をつけただろう。そして、無一郎君と甘露寺さんは痣の力を呼び覚ましてしまった。戦力の充実という意味では良かったが、二十五歳で死んでしまうのだ。何とかしなければならないが、さてどうしたものか、良いアイディアがまだない。

また今回俺たち剣士は死んでないし重大な身体的欠損もないが、鍛冶職人さんたちが数名殺されてしまい、それは残念でならない。

 

それに、場所が鬼に知られてしまったからこの里は捨てなければならないとのこと。もったいないことだ。でも、武器の生産や研究などを止める訳にはいかない。一刻も早く刀鍛冶の里を移して再稼働しなければならないのだ。

 

これからやって来る、本当の戦いに備えて。



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嵐の予兆編
27話 束の間の平穏


ギャグの一部に、漫才コンビ「磁石」様のネタをお借りしています


蝶屋敷に炭治郎君のお見舞いに行くと、帰って来た善逸君が大興奮している。禰豆子ちゃんが日の光の下で活動できるようになったのを見たからだ。

頭から湯気が出て、声が汚い高音になっている。怪我の療養のため炭治郎君が療養している間、蝶屋敷の女の子たちが色々と話しかけてくれたおかげで、禰豆子ちゃんはだいぶ言葉も流暢になっている。大興奮の善逸君に禰豆子ちゃんが微笑んだ。

「おかえり。……いのすけ」

 

一瞬静まり返る現場。言葉を教えたのはアオイさんたちだけではなかった。

俺は失意のどん底にある善逸君に声をかけた。

「うぇぇん、水原さぁん!」

善逸君はべそをかき、鼻水を垂らしながら抱き着いて来た。

ぎゃあ!鼻水が!

まあ仕方ない。俺はさすがにかわいそうになり、善逸君を縁側に連れ出し大丈夫か?と話しを聞いてあげた。

「禰豆子ちゃんがああ!喋ったと思ったら……伊之助の名前を……」

善逸君、それは伊之助君が教え込んだからだよ。気にするな、若い頃の失恋の一つや二つ、二十や三十、五十や百。

「そんなに失恋してねーわ!!けどあいつどこにいる?ちょっと殺してくるわ……」

物騒だなあ、その闘志を訓練に向けてくれよ。はぁ、しょうがないな。君には一番効果的と思われる励まし方をしようか。

「まあまあ、戦いが終わったら俺が可愛い女の子召喚してあげるから。機嫌治して頑張れよ」

俺はそうなだめる。

 

「俺は禰豆子ちゃんが好きなの!……えっ、本当に?」

切り替えが速すぎるぞ善逸君。

 

「本当に、しょうか……?え?しょうかん?今、召喚って言わなかった?紹介じゃなくて?なんか異世界から来そうで怖いんですけど!」

そうそう、異世界っていえば、ものすごい美貌で、いつも半裸の女はどう?まあ頭から鳥の翼が生えてて、手足は鋭い鉤爪のデーモン族の女だけど。

妖鳥シレーヌって言ったかな?

でも善逸君が、ふざんけんなこの野郎という目で見ているからもう止めておこう。冗談だよ善逸君。

全くモテないのに俺が紹介できるわけないだろう。召喚も……ちょっと無理だよな。

 

「やっぱり禰豆子ちゃんがいいよぉぉ!」

分かったから、鼻水が垂れてビローンってなってるまま叫ぶな。善逸君、頑張ったら禰豆子ちゃんもきっと君を認めてくれるよ。禰豆子ちゃんは、鬼の状態でも実は朧げながらに記憶があるんだよ。

それに最後には君の思いは通じることになってるんだから。でもこれ言っちゃうと努力しなくなるかな?今は黙っておこう。

 

「頑張ってって言われてもさあ……。俺は鬼狩りなんて、こんな危険な事嫌なんだよ。愛する人と平和な暮らしがしたいよぉ……」

急に落ち込み、妄想を語り出す善逸君。

「朝起きたらさ、みそ汁のいい匂いがして、包丁の音がしてさあ。そんな平穏な日々が……」

明後日の方角を見ながら、完全に妄想に入っている。

包丁の音っていうと、こんな感じ?俺は、ヒュン!ヒュン!シュッ!シュッ!と擬音を付けて振り回す真似をする。朝から家の中で包丁振り回したら危なくない?あんまり平穏な暮らしじゃないな。

 

「ヒュンって……?違うよ!振り回す音じゃねーよ!バカなのあんた!?」

ちょっとした鬼殺隊ジョーク(?)じゃないか。善逸君をからかうと面白いなあ。

「もうふざけんなよ!いい加減にしないと俺の怒りの導火線が爆発するぞぉ!」

「ごめん善逸君、“導火線”は火を点ける所だから爆発は……」

「分かってるよ!ちょっと間違えただけだろ!」

「ごめんごめん、ところで善逸君はもうちょっとで柱になれる実力だから、お詫びに良い事を教えとくよ。柱っていったらさあ、やっぱり女の子にもてるし」

俺自身はもてたことはないが、適当なことを言う。

 

「ホントにっ!本当にもてるの?!」

おお、今日一番の食いつき。

 

「(鬼に)出会った時に名乗ると、柱なの?!って喜ばれるよ(倒したらあの方に認めてもらえる!って、特に上弦の鬼に)。怖いって逃げられることもあるけどね。(頸を刎ねる時)痛くしないからって言うんだけど。まあ(鬼は)絶対逃がさないけどね」

善逸君、聞いてるか?何の妄想してるか知らんけど。

 

「でも柱になったら、大変だよ」

俺はそういう不純な動機で強くなろうとする善逸君を諫める。

「大変って、何が大変なの?!」

善逸君は食い気味で聞いてくるので、説明してあげた。

 

「色んな人が(稽古の)相手をしてくれって言って来るんだよ。入れ替わり立ち替わりで休む暇が無いくらいにだよ?もう、1日に何人も(手合わせ)すると、体が幾つあっても足りないよ。でもお互いに理解するにはこうする(殺し合う)のが一番て(風柱が)言うから。それに可愛い(弟子の)子の相談に乗ったり、夜は夜で(戦いの)本番でしょ?(鬼が出るから)あまり眠ってる時間もないし」

何故か義勇並みに言葉足らずになる俺だが、善逸君がハアハアしているは気のせいか。

 

「俺!強くなって柱になります!なって見せます!」

間違った方向に行かないか非常に心配だ。

「君が頑張ることで救える命がある。それに、俺たちが稽古や任務で流す汗が増えると、一般の人が鬼のせいで流す涙が減るんだよ。だから頑張ろうぜ!」

俺は少しまじめな事も言って善逸君を励まし(ちなみにこれはカズレーザーさんが災害救助に従事する自衛隊のみなさんに語った言葉だ)、炭治郎君の病室へ向かった。

 

 

炭治郎君は珠世さんからの手紙をこっそり見せてくれた。俺は実はまだ面識がなく、炭治郎君や猫の茶々丸を通じてのやり取りしかない。

だが手紙の文面には、竈門炭治郎様、水原倫道様と名前を入れて下さっている。上弦ノ伍・玉壺を倒した時にも茶々丸が来ていたので、お会いしたい旨を記した手紙を茶々丸の首輪に付けていたのだ。我ながらなんてロマンチックな。愈史郎君に知れたら殺されるかもしれないが。

 

手紙によると、浅草で無惨に鬼にされた男の人が自我を取り戻したそうだ。それに、俺たちが送った鬼の血の分析などから、鬼を人間に戻す薬の研究はさらに進んでほぼ完成したとのこと。

そしてもう一つ、鬼どもが使う毒はかなり共通点が多く、解毒剤も完成に近づいているという。素晴らしい。

 

あとはしのぶさんと協力してもらって、最終決戦で使用する4つの効果がある薬、いや毒を完成していただく必要がある。それとできれば俺も参加して、もう1つ原作にない効果を加えたいと考えている。

 

俺は手紙だけ見せてもらい、それについての話はせず炭治郎君の体調や怪我の具合について話していると、鋼鐵塚さんが研ぎ上がった刀を渡しに来た。俺と無一郎君が護ったから大した怪我もしておらず、片目を潰されることもなく本当に良かった。

超絶的に偏屈で他人と打ち解けず、担当した剣士から嫌われて交代することも多かったという鋼鐵塚さん。しかし炭治郎君が頼りにしてくれているのを知って、あの古い刀を精魂込めて研ぎ上げてくれた。刀鍛冶の里での戦闘の時は研磨術の途中で玉壺の邪魔が入り、結局3日3晩不眠不休の研磨術をもう一度やり直したのだ。この時は大変お疲れな上、研ぎ上がった刀の出来が素晴らしく、むちゃくちゃハイテンションになっている。徹夜で仕事して、翌朝も続けて仕事だったりすると変なテンションになる、あんな感じ。徹夜勤務が明けて、続けて夕方まで通常勤務、そんな職場は日本にもまだたくさんあるのです。

 

鋼鐵塚さんは、病室でいきなり炭治郎君の前に立って刀を突き出し、

「は……刃……!」

「鋼鐵塚さん?お、落ち着いて」

早くこの素晴らしい刀を見てもらいたいという想いは分かるのだが、興奮して言葉が音節レベルになり、十五歳に気を遣われる三十七歳児。パッと見かなりアブナイ人だ。

「ありがとうございます!は……?刃かな?抜いて刃も見ますね!」

炭治郎君の方が精神的には大人なので、鋼鐵塚さんの意を酌んで鞘を払った。

「凄い……漆黒の深さが違う……」

「本当に凄い。お見事です、鋼鐵塚さん」

炭治郎君も俺も、その見事さに見入る。

 

鋼鐵塚さんはどうだと言わんばかり、ひょっとこのお面までが得意気だ。深い漆黒の刀身に、鍔元には「滅」のただ一文字が刻まれている。日輪刀は、一度色が変わるとそれからは変化しない。この色は、元の持ち主の色なのだ。

「何の呼吸だったかは分からないが、元の持ち主は相当強い剣士だったんだろう。鉄も特上だ。これほど凄い刀は、滅多に拝めるもんじゃない。大事にしろよ!さもないと――」

鋼鐵塚さんがすごむ。

「はい!」

「はい!」

炭治郎君と、鋼鐵塚さんの迫力に押されて何故か俺まで揃って良い返事をする。

 

この刀こそが、勝負を決める一刀。そこまでの重みを知ってか知らずか、帰って行く鋼鐵塚さんに深々とお辞儀をする炭治郎君。俺も最大限の感謝を込め、最敬礼をして見送った。

その後、隠の先輩である後藤さんがやって来たので、正体が露見するのを避けるため俺は早々に見舞いを切り上げて蝶屋敷を後にした。

 



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28話 ネタバラシ

本日俺は、珠世さんと愈史郎君の鬼殺隊本部への移動に際して護衛を仰せつかっていた。護衛とは言っても、珠世さんと愈史郎君に鬼殺隊本部に来てもらうようお館様のカラスが珠世さんを説得している間、口添えして一緒に説得するという役割が大きい。

珠世さんと愈史郎君に鬼殺隊本部に来ていただくこと。共同研究をお願いする件もあるし、2人の安全のためでもある。

 

「貴方が水原さんですか。手紙を下さった……」

珠世さん?それは言わないでいただきたかったのですが。

強い殺意を感じて恐る恐る視線を動かすと、愈史郎君がそりゃあもうものすごい目で俺を睨んでいる。

「茶々丸も随分懐いているようですし、お話はお聞きしましょう」

確かに茶々丸君とは仲良しです。茶々丸君可愛いんですが、俺の羽織で爪研ぐの止めさせてください。

 

無惨への復讐に燃える珠世さんにとって、鬼殺隊という数百名に及ぶ軍事勢力が味方に付くことはやはり大きい。鬼殺隊にとっても、珠世さんの頭脳は貴重だ。それに、愈史郎君の血鬼術も最終決戦の切り札と言って良いほどに大きな力となる。

 

お館様の代理のカラスと俺は誠心誠意、両者が協力することのメリットを説いた。その結果2人を鬼殺隊本部へお招きする事になったのだ。

俺たちの説得もあったが、やはり炭治郎君と触れ合ったことが大きいと考えられる。炭治郎君の優しさに珠世さんが心を動かされる描写もあった。

この件では、炭治郎君が隠れたMVPと言える。珠世さんと愈史郎君を鬼殺隊に迎えられたことは対無惨戦に向けての大きな一歩だが、研究を進めてもらうにあたり、もう一つの大仕事が残っている。

 

お館様は珠世さんに、しのぶさんとの協同研究を提案なさっている。確かにこの両者が力を合わせればきっと上手く行くだろうと思える。最初はとっても大変だろうけど。

 

 

俺のもう一つの大仕事、それがしのぶさんの説得だが、これも頑張らねばならない。

 

 

 

 

刀鍛冶の里が上弦の鬼2体によって襲撃され、それを討伐した後、臨時の柱合会議が開かれた。

「当主輝哉の病状が悪化し、皆さまの前へ出ることがかなわなくなりましたこと、心よりお詫び申し上げます」

奥様であるあまね様が、代理として会議を取り仕切るようだ。それほどまでにお館様の状態は悪い。点滴なども進言してみたがそれはしなくてよいと言われてしまい、立つ瀬がない。

 

本日の議題は、炭治郎君から始まり、無一郎君と甘露寺さんにも発現した“痣”のことだ。

無惨をあと一歩まで追い込んだ始まりの呼吸の剣士たちには、鬼の紋様に似た痣があったという。しかし痣の者たちは次々に死に、それ以降痣の者は現れることが無く情報はほとんど失われてしまった。

しかしごく少ないながらもがはっきり伝わっている情報がある。

 

痣の者が1人現れると共鳴するように周りの者たちにも痣が現れるということ。そして、痣を発現した者は二十五歳を前に死ぬということ。

 

炭治郎君や甘露寺さんは痣の発現条件について具体的に説明できなかったので、無一郎君が経験的に説明する。

体温は39℃以上、脈拍は200/分以上。

 

俺はこれを複雑な思いで聞いていた。柱たちは二十五歳前に死ぬことなど誰も恐れないだろう。無惨を倒せるなら喜んで痣を発現させるに違いない。

これらの情報が伝えられてあまね様が退出された。

(戦いに勝つだけではなく、痣も何とかしないとな)

俺は思案する。ただ現在のところ良いアイディアがあるわけでは無いが。

(何かすごい癒しの術でもあれば……)

 

俺がそんな風に思っていると、あまね様に続いて

「では俺も失礼する」

義勇も退出しようとして、一悶着あった。

他の柱たちは当然止める。今後のことなど話し合わねばならないことはたくさんあった。

「その話し合いは残った9人でやると良い。俺には関係ない。……俺はお前たちとは違う」

義勇は出て行ってしまう。

全くいつもいつも手のかかる子だ。仕方ない、フォローしておくか。

「すみません、みなさん。実は、口止めされているのですが」

俺はただただ頭を下げて必死に詫び、最終選別での件をみんなに話した。

自分はただ気絶して隠れていただけで、選別に通ったとは言えないと思っていること、したがって、柱のみなと並んで立つことなど許されないと思っている。

それにおそらくだが、お姉さんが彼を庇って亡くなっている事も一因であろう。やっぱりまだ吹っ切れてないんだな。

 

「ちっ、全く仕方のねえヤツだ。水原ァ、てめえがしっかり言っとけよ!アイツはどこをどう見たって柱だぁ。てめえが血ヘド吐くほど叩きあげてここまで来たことを忘れんじゃぁねえとな」

多少言葉はきついが不死川さんも、それに伊黒さんも意外なほどあっさりと矛を収めてくれた。

「まあ、上手く言えないのは冨岡さんらしいですが、どうしましょう?」

しのぶさんが言ったので、俺は、兄弟子がすみませんと改めて謝罪した上で、

「俺が良く話しておきます」

と取り成しておいた。

 

ここで悲鳴嶼さんから提案があった。鬼の出現が無くなった今こそ、隊員たちのレベルを底上げすべく“柱稽古”を行ってはどうかというものであった。反対する者はなく、隊員たちが柱の元を回り直接稽古をつけてもらうという強化訓練を行うこととなった。

 

また俺からも、無限城に潜入させた式神から上弦を始めとした鬼たちの詳細な情報が得られたので、有力隊員たちを一同に集めて説明会をしたいと申し出て、これも了承された。

 

 

 

数日後、義勇も含めた柱たちと、丁以上の隊員たちに集まってもらった。

村田さんや緑川君、尾崎さんも含まれ、選別に通ったばかりだが既に柱に次ぐレベルの千寿郎君、復隊した槇寿郎さん、育手と剣士両立の錆兎にも来てもらっている。

 

式神からの情報と偽り、原作、コソコソ噂話、公式ファンブック、ネットで得た知識を総動員し、詳細なレクチャーを行った。

「無惨をはじめとする鬼どもの居城、無限城。その位置は大体特定されています。鬼殺隊がそこに乗り込んで戦うことになるでしょう」

また無惨、上弦の鬼たちの容姿や血鬼術、武器、戦法などもそれぞれ余さずレクチャーした。この時代にネットがあれば間違いなく「画伯」と言われるだろう俺のイラスト付きだ。失笑が漏れたのはきっと気のせいだと思う。

無惨については体中が口になったり、腕や体中から生やしたチューブで毒を伴う超高速の斬撃を行うことなども説明した。

 

 

「上弦ノ壱・黒死牟。残念ながらこいつは、四百年ほど前の、始まりの呼吸の剣士たちの一人。その名を継国巌勝、そのなれの果てです」

 

「こいつは“月の呼吸”を使います。鬼殺隊士の全集中の呼吸に血鬼術を併せることで、1回の斬撃を繰り出す度に、その周囲に不規則な軌道を描く三日月状の刃がいくつも発生して相手を攻撃します」

 

「上弦ノ弐・童磨。万世極楽教の教祖を隠れ蓑にし、信者らを喰っています。にこにこと屈託なく笑い穏やかに喋る、爽やかな風貌の青年の鬼。帽子を取ると、頭に血を被ったような紋様があります」

原作でカナエさんが語った表現を入れる。しのぶさんの表情が一瞬険しいものになった。

 

「こいつの武器は刃の付いた2本の鉄扇。この武器による攻防も優れていて、隙はなかなかありません。こいつは氷の血鬼術を使いますが、広範囲で高威力。また厄介なのは、凍らせた血を自身の周囲に撒き散らす技で、知らずに吸い込むと肺が凍って壊死します。斬撃を仕掛けながらこの攻撃を織り交ぜてきますので注意してください」

 

「上弦ノ参・猗窩座。以前杏寿郎さんたちは相対していますね。もともと拳法家で、徒手空拳で戦う鬼ですが、その突き蹴りの威力は恐るべきものです。攻撃しようとする意思を察知して対処してくるので、対処できないくらいの攻撃密度で攻め切るくらいしか方法が浮かびません……」

 

「新上弦ノ肆・鳴女。琵琶の音で無限城自体を自由自在に操り、人間や鬼を無限城内の任意の空間に転移させたりします。最終決戦では無惨にバレないようにこの鬼を我々の管理下に置くことで、戦況をある程度支配できると思います。また自分の分身である卑妖を使って捕捉した者を、無限城内に召喚することができます。おそらく無惨は、こいつの能力で捕捉した隊員たちを無限城内に落とし、殲滅を狙うものと思われます。柱を含め上級戦闘員は意図的に位置を把握させ、まだ力不足の隊員たちは頻繁に居所を変えるなどして匿うのがよろしいかと存じます」

鳴女が放つ目玉の卑妖は、意図的に見逃したり撃墜したりしてコントロールしてやろう。

 

「新たな上弦ノ陸が補充されたようですが、これは残念ながら情報がありません」

獪岳という雷の呼吸の剣士が鬼にされたようです。呼吸を基にした血鬼術を使います。

とはとても言えかなった。

この直前、獪岳が鬼になったことにより、元鳴柱での雷の呼吸の育手・桑島さんが切腹したとの報がもたらされている。幸い発見が早く、しのぶさんと隠の水谷としての俺、その他優秀な助手役の隠隊員たちと共同で長時間に及ぶ手術を行い、何とか一命は取り留めたがまだ絶対安静だ。その情報は既に知っている者も多くおり、誰もそれ以上は触れなかった。

善逸君はうつむき、膝の上で硬く拳を握っている。ごめんな善逸君。桑島さんのこと、事前に察知できなくて命の危険に晒してしまったよ。

「俺は、俺のやるべきことをやる。俺がやらなきゃ駄目なんだ。じいちゃんをこんな目に遭わせやがって」

善逸君は周りに聞こえないくらい小さな声で、そう呟いていた。

 

 

「鬼ども、特に無惨は単体の戦闘力、生命力においては、人間の我々とは比較になりません。ですがそれはあくまで血鬼術や再生能力など、鬼としての生物の特性によるものです。集団戦において、明確な戦略や戦術は持ちません。従って、優れた指揮官によって統制された軍隊の強さを知らない。我々はある程度お館様の指示で動くことになるかと思いますが、各々が役割を果たし、良く連携して戦えば勝機はあります。そして戦闘員は単独で敵に当たらず、必ず複数で掛かるようにしてください」

俺はそう結んだ。

そして、これから始まる柱稽古では鬼一体に対して複数の隊員で対処するため、連携が取れるよう十分に訓練をしなければならない。

 



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29話 告白

本日、俺はしのぶさんにお呼ばれしていた。

(大事なお話がありますので、蝶屋敷にいらしてくださいね。すみませんが目立たないようにお願いします)

実は先日の講義の後耳元でこうささやかれ、日程の調整をしていたのだ。

 

自宅に呼ばれる……これってもしかして。

 

「マスカラス、俺の恰好って変じゃないか?ちゃんとしてるか?」

家を出る前に何度も姿見で確認したが、ニヤニヤするのを懸命に抑えながら念のため相棒に聞いてみる。

「……」

返事はない。

 

そういえばこいつ、しのぶさんと手紙で日程の打合せしてたら、しのぶさんからの返書を空からポイと投げて寄越しやがった。いつもは手元まで持ってきてくれるのに。何か怒ってんのか?まあいいや、蝶屋敷までは行き慣れてるからマスカラスのナビが無くても行けるし。

お前はそこらへんで虫やらカエルでも食べて待っててくれ。

それとも家に居るか?一緒に行かないなら休んでていいぞ。何か急用があったら教えてくれればいいや。

 

と思っていると、危ねえ、何すんだよ!避けたから良いけど、錐もみ状態で突っ込んで来て背後の木にドンと突き刺さっている。名付けて必殺ドリルつつき。なんちゅう高威力の攻撃を繰り出してんだ。お前今絶対殺そうとしただろ。

「手のかかるヤツだな」

漫画のようにクチバシが木に突き刺さったマスカラスを抜いてやるとバサバサと暴れてすごく荒ぶっており、

「勝手ニ行ッテ来イ!帰ッテ来ルナ!」

とこんな感じで送り出され(?)俺はなんだか良く分からないまま蝶屋敷に向かった。

 

 

蝶屋敷に着き、言われた通り勝手口にまわるとしのぶさん自身が出迎えてくれた。普段と変わらない様子であったがちょっと顔が赤いような気がした。だが、どこか思いつめた感じにも見える。

「あまり人がいては話しにくいので」

しのぶさんは俺を自室へと案内してくれるようだ。

「はい、何でしょう?」

昼間から自室に男性隊員を引き入れている、そんな噂を流される事を警戒しているのか、しのぶさんは周囲を見回しながら用心深く自室に向かっている。

 

自室に招かれる……これってもしかして。

 

最後の戦いの前に思いを告げる、そんな展開では。所謂告白というやつだ。

いやそうでしょ、それしかありえないでしょこんなの。絶対そうだよ。

 

しのぶさんの後について廊下を歩きながら俺は平静を装う。しのぶさんから、甘い良い匂いがする。

全然期待なんかしていない。いや少しだけ期待している。正直に言うとかなり期待している。普通に歩いているだけなのに、緊張でぎこちなくなってしまう。胸がドキドキして心臓が口からまろび出そうだ。しのぶさんに聞こえないように注意しつつ唾を飲み込むが、思いのほかゴクリと大きな音がしてしまい自分でびっくりする。

そんな訳で俺はしのぶさんにホイホイとついて行ったわけだが、後で考えれば肝心のしのぶさんの様子に十分注意を払っていなかったことは否めない。部屋に入り、しのぶさんは襖をピシッと閉めた。

しのぶさんは立ったままだ。俺も必然的に座らない。

 

「あのう……」

しのぶさんは振り向き、言いにくそうに伏し目がちにしている。まつ毛長いなあ。変なところに感心してる場合じゃないか。

 

大丈夫ですよ、さあ、思い切って打ち明けてください。俺は受け止めて見せますよ。しのぶさんを護って童磨を倒し、お姉さんの仇を討って見せます。ついでに勢いで無惨もサクッと倒しちゃいますからっ!

お、お姉さん?カナエさんをお姉さんって、それはさすがに気が早いだろー。俺ってばせっかちだな。

 

俺の脳内では今、しのぶさんとの両想いは確定事項となった。

ちなみに中のおっさんもだが、異性が自分によせる好意には非常に鋭敏だ。他の二次小説の主人公のように、「女性がここまで態度で表してるのに何で気づかないの?鈍いの?バカなの?空気読めないの?」ということは俺に関しては起こりえない。

あの子俺のこと好きだ、そんなことはすぐに見抜くのだ。でももてない。

見抜いたと思ったら全て自分の勝手な勘違いであっただけだ。

 

だが向き合ったしのぶさんは左手で俺の隊服の胸の辺りをそっとつまみ、俺を見上げる。俺は少しだけ背を屈めると、しのぶさんはすぐ目の前まで顔を寄せた。甘い香りが一層濃く漂う。

かっ、かわええ。こんな間近で見ても。吐息が顔にかかる、気がする。

えっ?ちょっと、そんな。しのぶさんの左手が、さり気なく俺の胸から襟のあたりに来る。

「……?」

ほんの少し違和感。まあいいや、そんなこと言ってる場合じゃない、緊急事態だ。普通二次小説だったら、主人公に夢中になる女子が一人ぐらいいても良さそうなものだが、この作品ではそんな気配すらない。だが今まで一切無かった恋愛展開が遂に俺にも?!

欲を言えばもうちょっと早くからあればなあ。

 

それにしても展開が急すぎて、俺にも心の準備というものが。

すると即座に(準備完了しました!)と心の声がする。俺ってば心の準備速っ!

ここでナレーションが入る。――そのタイムは僅か0.05秒に過ぎない。

 

メタルヒーローの変身時間か。

ではそのプロセスをもう一度見てみよう。……いや要らんだろ。

 

動揺している場合じゃない、仮にも鬼殺隊風紀委員長としての俺の立場はどうなる?そんな役職は無いけれども。もう思考がまとまらず、頭の中で猛烈なスピードで一人漫才をしていると、次の瞬間。

 

「んげっ!?」

思わず間抜けな声を漏らしてしまった。

 

俺は、ぐいっ!とものすごい力でしのぶさんの方へ引き寄せられた。そう言えば、先ほど俺の胸の辺りにあったしのぶさんの左手は、いつの間にか襟の方に移動していたのだ。遠慮がちにそっと俺の隊服をつまんでいた左手は、今やがっちりと襟首を掴んで半ば頸を絞める形になっており、右手にはこれまたいつの間にか短刀が握られていて、ぴたりと俺の頸動脈付近に突き付けられている。

傍からは俺の襟のあたりをしのぶさんが掴み、2人で顔を寄せ合ってふざけて内緒話でもしている様に見えなくもない。だが実際は、尋常でない迫力で身動きもできない状態にさせられ、頸には刃物。

ああ、さっきまでの、上気したような、ほんのり顔を赤らめた可憐なしのぶさんはどこへ。

 

怖い、怖すぎる。この氷のような視線。

「以前から怪しいと思っていましたが貴方は何者ですか?正体を現しなさい。どこから来て何が目的ですか?言わなければ今すぐ殺します。言えば喋っている間だけは生かしてさしあげます」

しのぶさんはくぐもった低い声で聞いてきた。

 

誤解ですっ!

 

俺は怪しい者ではありません、いや怪しいけど、鬼側のスパイではありません。

お、落ち着いてください。刃物が、隊服の上からだけど気のせいかちょっと刺さってますから。

気持ちいい温泉に浸かっていたと思ったら、一気に氷水にぶち込まれた気分。冷汗が背中を伝う。

 

むごい、むごすぎる。この酷い仕打ち。

「何でも喋りますから、い、命だけは」

俺は両手を挙げて懇願すると、頸に当てられた短刀に込められた力が少し緩んだ。

 

「しのぶさん、生まれ変わりと言うのを信じますか?」

俺は震える声でそう話し始めたが、ぐっと再び頸の短刀に力が込められた。ひいいっ!

「待って待って!本当なんです許してください!!」

俺は悲鳴を上げてしまった。

 

「大声を出さないでくださいね」

しのぶさんはにっこりと笑いながら冷静に脅す。

おしっこちびるかと思った……。いや少しちびったが、俺は全てを告白する決意をする。

それが伝わったのか、しのぶさんは俺の襟首を掴んだ手を離し、短刀を下した。俺は極度の緊張から開放され、両手をゆっくりと降ろしながら大きく息を吐き、冷汗をかきつつしのぶさんに向き直る。

 

「本当の事をお話しします」

俺は深呼吸し、

「聞きましょう」

しのぶさんは油断なく身構えながら返事をした。

 

しのぶさんのこんな表情は初めて見た。原作で童磨と対峙した時の凄まじい怒りの表情とも違う、冷たく射すくめるような鋭い眼差し。本当に血の気が引いた。だが覚悟を決め、俺は今度こそ話し始める。

 

前世の記憶を持ったまま“転生”したこと。この世界は、前世の俺が良く知っている物語の世界であると考えていること。結末を知っており、それでも人を護るために精一杯頑張ろうとしていること。いつまでこの世界に留まれるか分からないことも。

 

「人が信じてくれると思います?こんな話……」

目を大きく見開いて聞き入るしのぶさんに、俺は聞いた。

「結末は分かってると言いましたが、しかし確定ではない。それは、俺と言う不確定要素があるからです。俺が介入して本来なら死んでいた人々を救えたこともありました。人間の勝利は決まっている。無惨は滅びます。でもたくさんの人が死ぬ。俺はそれを救いたいんです。――未来はちょっとしたことで変わる。誰かが水面に投げた小石の波紋が互いに干渉して共鳴して、やがて大きなうねりとなって未来を変えることもある。誰かがほんのちょっと頑張ることで、死んでしまう人が救われるかもしれない。結末が分かっていたとしても俺は努力を止めません。すごく頑張って柱にもなりました。隠のふりをして救護活動も続けています。直接助けるだけじゃなく、重要な役割を担う隊員には俺も一緒に頑張ることで、変わるきっかけを掴んでもらったりしました。でもまだ足りないんです。全てを救うにはまだ足りないから、できる事は全てやるつもりです」

 

俺はしのぶさんを見つめる。

そして思い出した。何で気づかなかった?何度も嗅いだこの甘い香りは、藤の花の香りじゃないか。

 

アホだな。しのぶさんの覚悟に比べて、俺は何をやってんだろう。心の中で自嘲する。

 

「しのぶさんが、己の全てを毒にして仇の鬼に喰わせようとしているのは知っています。止めてくださいとは言えませんが、どうか死なないでください」

しのぶさんは、カナヲちゃんにすら打ち明けていない絶対の秘密が知られていることに驚いた様子だった。

 

「そこまで知っているのですか」

苦々しい顔で呟くが、敵意はもう感じなかった。

原作を知っているというのに、俺はしのぶさんの覚悟の大きさに胸が痛くなる。

「今までの話は信じてもらわなくても構いませんが、これを知っているということは、本当の事を言っている証拠になりますよね?」

 

重い空気を何とかしたくて、冗談めかして言ったつもりだったのに。

微笑みかけようとしても上手く笑顔が作れなかった。

 

俺は真顔になって、最後に精一杯のお願いをした。

「どうか、死なないでください。鬼のいない未来を見たくないですか?しのぶさんがその世界で生きて行くことは、お姉様の望みでもあったはずです」

 

俺がそう言うと、しのぶさんはキッと眉を吊り上げて俺を睨んだ。俺も視線を逸らさず見返す。一瞬の後、しのぶさんはいつもの柔らかい表情を顔に張り付け、

「姉のことまで知っているんですね。……考えておきます。今日はお時間を取らせてすみませんでした。無礼をお許しくださいね」

えへへ、もちろん許しますよ。もう、すぐ許しちゃう!

すごく悲しいですけど。めっちゃ凹んでますけど。

しのぶさん、自分自身を毒の塊にして童磨に喰わせること、止めるつもり全然ないでしょ。

 

それに自分のアホさ加減にも嫌気がさす。

 

 

俺は褒めて欲しい訳ではない。いや本音を言えばめちゃくちゃ褒めて欲しい。でも、褒められなくても良いから、俺も自分なりの方法で懸命に戦っていることだけは分かって欲しかった。

理解はしてくれた、そう思うことにした。

 

ところで俺は、以前からずっと考えていたことがあった。さらに怒らせるかもしれないがこの世界なら、もしかしたら。

 

俺は部屋から退出しかけて、もう一度しのぶさんに声をかけた。

「しのぶさん。貴方にも鬼の頸が斬れるとしたら、どうしますか?」

「冗談で言っているのなら、やはり殺しますよ?」

しのぶさんは俺を見上げ、凄みのある笑顔で言った。

「俺のいた時代のある体術を使えば、非力な人でも爆発的な力が出せます。しのぶさんならすぐに会得できますよ。やってみます?」

しのぶさんは呆気にとられたが、

「まあ、研究の合間になら」

と承諾した。

それは、“ウエイブ”。アクション映画で見たやつだが、肩甲骨と骨盤を柔らかく使い、手先や足先に驚異的なスピードとパワーを与える。某動画サイトなどで何度も見ていたのが役に立つ時が来た。この世界ならば必ずできる。しのぶさんに俺の最初の刀を貸し、早速本日よりレッスンに入った。

体の使い方を意識するだけ。体幹や下肢の筋力、関節の柔軟性は十分だ。肩甲骨を開放する、それだけだ。踏み込みのスピードや体を捻っての溜めを、全て刀を振り切る力に変換する。やっぱり運動センスは常人の比ではないな。この分なら短期間でマスターできるに違いない。

 

 

でも、やっぱり。ちょっと酷くない?命を懸けて共に戦う仲間にさっきの仕打ち。まあ誤解だから仕方ないけど。

最終的に死なないでくれたらいいか。

 

 

帰り途、途中でマスカラスが現れて付かず離れずでついて来る。

ついて来てるの分かってるぞ、どうした、遠慮してんのか?

「……」

木々の間から何やらチラチラ見てきたりしている。当初の予想とは随分違ったが、別に俺は落ち込んでなどいないぞ。そう見えるなら、それは改めてしのぶさんの覚悟を嫌というほど思い知らされたからだ。

まあそれと、現実の厳しさというやつだ。

と思っていると飛んで来て頭に止まった。

 

「マア色々アルヨナ!」

こいつ何で知ってる?!しかも何か勝手に慰めようとしてないか?あのな、俺としのぶさんが恋仲になるなんて、最初から全く考えて無かったのだよ。何を失恋したみたいにしてくれてんだよお前は!

「ショウガネーナ、アタイガ居テヤルヨ!」

お前カラスじゃねーか!せめて人間のカラスが良いわ。……人間のカラスって何だよ。

俺は別にふられた訳じゃない。しのぶさんはあくまで救済の対象であって恋愛の対象ではなく、これは失恋ではない。だから、俺は少しも落ち込んでいない。



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柱稽古編
30話 音・霞・炎


柱稽古が開始された。

俺は一番最初に訓練生を引き受ける係を仰せつかった。担当は全ての基本。

原作での柱稽古の内容が分かっていたのでその導入と基礎。このトレーニングは何が目的か、どんな効果があるか、パフォーマンスがどう改善するか。それらを詳細に解説しながら行った。

剣技については基礎の練り直しと、トレーニングで得られたパワー、スピード、スタミナ、柔軟性等体力要素の向上を剣技に生かすよう、動作の連携を中心に稽古を課した。

「水原さんのところで訓練しておいて良かった」

実際、後で口々にそう言われた。それに加えて動機付けの意味もあるが、他の柱を招いたり他の柱の元へ訓練生を一緒に連れて行ったりして、柱同士の手合わせの様子を積極的に見せた。間近で繰り広げられるハイレベルな攻防に、訓練生たちは大いに刺激を受けていた。

 

1人2人の底上げではたかが知れているが、50人や100人がレベルアップするとなると、戦力的には大きな差となるはずだ。

 

 

 

俺は今日、柱稽古の一環として宇髄さんを訪ねていた。手合わせと連携訓練、爆薬の増産を依頼するためだ。

宇髄さんは柱稽古の2番目だからもう訓練生がたくさん来ており、基礎体力訓練と称して徹底的に走り込みをさせられていた。

 

まきをさんが、あらー久しぶり!と元気に出迎えてくれた。雛鶴さんは訓練生のためにせっせとおにぎりを作っていて、俺を見てにっこり笑ってくれる。須磨さんは俺に気づいて手を振ってくれているけど、焚火にかけた大鍋を盛大に吹きこぼれさせてわちゃわちゃしているが大丈夫かな?

ああっ、もう見てらんない。俺が鍋を心配して駆け寄ろうとしたら、

何故か須磨さんもこちらに駆け寄ろうとして、鍋を吊り下げるために火の周りに組んであるやぐらを蹴っ飛ばした。

 

猪肉やら熊肉やら、精のつきそうな具材が沢山入った、出来上がる寸前だった3つのくノ一特製大鍋は、ばしゃーん、と全部落ちて地面にぶちまけられてしまった。

 

須磨さんと俺の顔がすうっと青ざめて行く。

 

「須磨ああっ!!」

それを見たまきをさんが鬼の形相に。

須磨さんはまきをさんに目ん玉飛び出すくらい怒られて、泣きべそをかいているが俺は知らん。

 

……本日のお昼はお握りだけになった。

 

この悲劇は見なかったことにして、俺はランニングしている訓練生たちを怒鳴っている宇髄さんのところへ行った。

 

「おう、よく来たな。それじゃ早速立ち合いといくか」

宇髄さんと広い庭に移動して手合わせし、連携を確認した。

 

訓練後、少し込み入った話をするため俺と宇髄さんは訓練生とは距離を離して座り、木の枝に刺したおにぎりに味噌を塗り、焼いて食べながら密談する。

 

「この前の講義は良かったぜ。しかしお前」

と宇髄さんは声を潜め、

「忍びの俺より情報収集すげえじゃねえか。式神だっけ?どうなってんだお前は」

あれは実家に伝わっている秘法でして。俺の実家には訳の分からない物がたくさん置いてあるんですよ。

 

でも宇髄さんだって忍獣ムキムキねずみがいるじゃないですか。遺伝子操作してません?あの子たち。いずれにしても、漫画の世界ならでは。細かいことは突っ込まない(笑)。

「お前の注文通り、物に当たったら爆発するように信管付きの火薬玉も作ってるぜ。火薬玉だけだと起爆に刺激が要るからな。無惨の本拠地で使うんだろ?それに爆薬も増産はしてる。……にしても量が多すぎねえか?それに一方向に衝撃を集中する、か……。出来ない事じゃないが、細かい調整が要るな。どういう訳だ?」

「……」

俺は黙って下を向く。

 

お館様が自爆することはこの世界ではまだ誰も知らない。あまね様やお嬢様たちも知らないかもしれない。もちろん説得するつもりだが、どうしても聞き入れてくださらない場合には、俺なりに考えた策があった。だがそれとて無事に済むとは限らない。訳を話せば全てを打ち明けなければならない。この段階ではまだ言えない。

 

「何か事情があるんだな。まあいい、協力してやるよ。この俺様に任せておけ。その代わり失敗は許さねえ。派手に成功させろよ」

助かります兄貴。

「この手を使うと確定したらまた相談させてください。今はこれ以上は言えなくて……。すみません」

俺はそう詫びながら頭を下げた。

 

後は、あの吉原での共闘、楽しかったですねという話で盛り上がった。この戦いが終わったら温泉にでも行きましょうと約束し、俺は屋敷を後にした。

 

 

 

今日は無一郎君と稽古だ。

「無一郎君、今日はよろしく」

「ああ、倫道。こちらこそよろしく」

にこやかに挨拶を交わすが、不死川さんや悲鳴嶼さんは“さん”づけで俺は呼び捨て……。悲しいほどの格差に俺は少しへこむが、親しみの現れと自分を無理に納得させ、早速稽古に入った。

今回は訓練生たちも見学させているので、カッコ悪いところは見せられないな。記憶を取り戻してから、剣技に更なる冴えを見せる無一郎君。手合わせしたが、強いね!

 

上弦ノ壱・黒死牟は、鬼殺隊剣士の全集中の呼吸と血鬼術を融合させた、“月の呼吸”を使う。斬撃そのものがとてつもなく速く正確であるうえ、1回の斬撃に幾つもの三日月状の刃がついてくるやっかいな技だ。三日月状の刃は、大きさもタイミングも数も一定ではない。少しでもこの規格外の技に慣れるため、俺は秘密兵器を用意した。

 

長短様々な長さのひもに小太刀を何本もくくり付けた木刀で、仮想“月の呼吸”とする。

 

この仮想剣は、剣を振るとくくり付けられた幾つもの小太刀が一緒に振られ、三日月型の刃による不規則な斬撃をいくらかは再現できる。しょぼいと言うなかれ、こんなのしか思い付かなかったんだから仕方ない。原作の漫画で見ただけだが、やってやるぜ。

 

行くぞ無一郎君。

「月の呼吸 壱ノ型 闇月・宵ノ宮」

「月の呼吸 弐ノ型 珠華ノ弄月」

特製の木刀での超高速の横薙ぎ一閃から斬り上げ3連擊。

本物には遠く及ばないが、スピードに慣れるだけならいくらかの役には立つだろう。

「本当にこんな面倒な攻撃なの?」

そうだ。それに原作を読んだだけの俺の猿真似など問題にならない、スピードも威力もとんでもない代物だ。

 

それに、これではまだヤツの得物である“虚哭神去(きょこくかむさり)”の真の威力を見せられていない。

俺は別に用意したバカ長い木刀を出して再度訓練を開始した。もちろん小太刀をくくり付けて三日月の刃も再現した特製である。この状態になってからが本当の戦いなのだ。

この状態でも立ち合いを行い、柱稽古を終了した。

 

2人で休みながら俺は無一郎君に語りかける。

 

この上弦ノ壱は君のご先祖だ。もしかしたらヤツもそう言って、心理的な動揺を誘うかもしれないから先に話しておくよ。

「そうなんだ。まあ関係ないけどね」

無一郎君は極めて冷静に言い切った。確固たる自分を取り戻した彼には、大きな影響はないらしい。

無一郎君、君は強い。だけどくれぐれも1人で突っ込まないようにね。

「倫道、俺を誰だと思ってるの?無一郎の無は“無限”の“無”なんだよ!」

無一郎君は俺を軽く睨んでみせる。それから真顔になり、

「でも、分かってるから大丈夫。……倫道、もし俺が負けそうな時は、力貸してよ」

もちろんだよ。人のためにする事は、巡り巡って自分のためにもなるんだ。俺はあの時の言葉を返す。

 

「ああ、そうだったよね」

無一郎君は思い詰めた顔から、少年らしい笑顔になってくれた。

でも無限の無ってお兄さんが言ってくれた言葉だろ?俺がふざけてそう言うと

「そうそう、自分で考えたんじゃないんだけど……。でもさ、どうして俺に兄がいたこと知ってるの?」

何気ない調子で無一郎君が聞いてきた。しまった、また余計なこと言った。俺が答えに詰まっていると、

「さっきも、俺が上弦ノ壱と当たるような言い方だったし……。倫道は何だかみんな知ってるような感じだね。まあ相手が誰でも、みんな斬るけど」

無一郎君は遠くを見るように微笑んだ。

「い、いやあ何となく、そんな気がしただけで……」

俺はどもりながら誤魔化す。あまり突っ込んでほしくないんだその辺は。

 

「俺たちは1人じゃない。1人じゃできないことも、みんなで力を合わせればできる。無一郎君、一緒に頑張ろう」

俺はそう言って訓練を終了した。

 

 

 

今日は煉獄邸に出稽古に来た。

杏寿郎さんと実際に対峙すると、すごい威圧感だ。

その気迫が周囲の空気を震わせる。

杏寿郎さんは痣も出さずに猗窩座とやり合ってたわけだし、強いのは当然か。それから千寿郎君も加えてフォーメーション練習等もみっちりと行った。千寿郎君もまた腕上げたね。

 

激しく稽古していると、槇寿郎さんが帰宅した。隊員たちに稽古を付けて来たと言う。なんか雰囲気が全然違いますね。千寿郎君のことでお屋敷にお邪魔して、初めて会った時のあの飲んだくれのだらしないダメ親父は一体どこに行ってしまったのか。

 

「ああ、最近は父上とも稽古をしているんだ。君との任務の後、もう一度刀を握る決心がついたと言われてな。やはり父上はこうでなくては」

杏寿郎さんがはつらつとした笑顔を見せながら、嬉しそうに語った。

「済まなかったな水原君。君には本当に恥ずかしいところを見せたが、お館様も復隊を認めて下さった。研ぎ上がった日輪刀もこの通りだ。もう迷うことはない。私なりの責務を果たすよ。ともに頑張ろう」

槇寿郎さんは少し照れながらも大人の威厳を漂わせて渋く微笑み、自室へ戻って行った。杏寿郎さんよりやや切れ長な目、低く落ち着いた声。顔に少し疲れも見えるあたりも堪りませんな。惚れてしまいそうです。

 

煉獄家の人たちは本当に気持ちが良い。絶対に死なせたくない。みんなで勝つ。俺はそう決意を新たにする。

 

 

いやあ、今日も良い稽古ができました!別れ際、俺は心から礼を述べて去ろうとした。

杏寿郎さんは、一緒に見送りをしようとついて来た千寿郎君を何故か下がらせて、玄関で1人見送ってくれた。

 

「水原。君には見えているのだろう?何らかの手段で未来を知っている――。明確な根拠はないが、君を見ているとそんな気がする。あの無限列車の任務の時も、上弦が現れる事を知っていて来てくれたのではないか?しかも、あの人選。他の柱を動かせば何事かと疑われ、その他の重大な任務に影響が出るかもしれない。君自身と兄弟子と千寿郎ならば、他の任務に大きな影響は無いと判断した上でのことなのではないか?」

いつになく静かな口調で、穏やかな笑みを浮かべながらそう言った。

そう言えば、杏寿郎さんはいつの間にか俺のことを水原少年とは呼ばなくなっている。

 

「未来が見えるなんて、俺はそんな化け物じゃないですよ」

俺は苦笑しながら答えた。杏寿郎さんの勘の鋭さにドキドキするが、ここはあくまで白を切る。

「そうか。それならば特に詮索はしないが……。君が色々と頑張ってくれているのは分かる。だが、くれぐれも1人で無理はするな。仲間を頼れ」

よく通る、朗らかで力強いいつもの声音とは違う、優しく説いて聞かせるような調子だった。

こんな気遣いが二十歳の若者にできるものなのかと感動すら覚える。いつも説教してるのに、こんなに優しく、心に響く説教をされてしまった。

たしかに稽古して蝶屋敷で研究して、ろくに休んでないのは本当だ。だが勝つためには必要な事なのだ。

 

「訪れる運命がどうであろうと、俺は自分の責務を全うして見せる!水原、ともに頑張ろう!」

最後に、杏寿郎さんは力強く言い切った。声は朗らかで、目にいつもの力が戻る。

「杏寿郎さん、今日はありがとう!頑張りましょう!」

俺もうなずいて笑い返し、爽やかな気分で煉獄邸を後にした。



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31話 恋・蛇・風

今日はお土産持って、甘露寺さんのお家へお茶にお呼ばれ、ではなく出稽古にやって来た。

「水原さーん!おいでませ我が家へ!」

お家の前まで来ると、甘露寺さんが手を振って出迎えてくれた。

「お土産持って来たから後で食べて。今日はしっかり稽古しましょう!」

フレンドリーな雰囲気なので、何となく甘露寺さんには対等な友達の感じの口調になってしまう。しのぶさんには敬語なんだが。

刀鍛冶の里で共闘したのに、本当にこの可愛らしい人があんなに強いのか、見た目からは信じられない。

 

俺がお土産(舟〇の芋ようかん48本セット約3キロ)を渡しながら言いかけたその時、玄関からこちらを睨む氷の様な視線が。

伊黒さん、どうしてここに?いやすみません、もちろん居てくださって良いんです。はい。決して邪魔だなあとかそんなことは思ってません。全然思ってませんから。一緒に稽古できて嬉しいな、ははは。

……甘露寺さん可愛いなー。などと鼻の下を伸ばしていたが、ちょっとだけ気分が盛り下がった。

「甘露寺をお前と2人にするのは心配だからな、さっさと入って来い」

言い捨てて伊黒さんは邸内に先に入って行った。

 

心配って。俺が甘露寺さんに手を出すってこと?失敬な、俺は鬼殺隊の風紀委員長と呼ばれているのを知らないのか。そんな役職はないけれども。と言ってる間に伊黒さんはもう身支度を整えて道場で待っている。まあ個別に訪問する手間が省けたし、一緒に訓練しますか。

 

手合わせと言っても伊黒さんも甘露寺さんも特殊な刀だから、木刀に変えることが難しい。軽めのスパーリング程度に留めて互いの太刀筋を確認し、連携訓練を行う。

伊黒さんは、この合同訓練の前に抱いていた印象と違い、よく話を聞いてくれた。もっと好き嫌いだけで判断したり行動するのかと思っていたが全然違った。共闘した場合、こうした方が良さそうだと言う意見をよく聞いて、色々と試す事ができて有意義だった。ネチネチはしてるけど。

 

稽古後、パンケーキを焼くと言う甘露寺さんに代わり俺がちょっと焼いてみた。バターと卵多め、牛乳少なめのしっとりもっちり食感が自慢だ。リアルでもやっていたお菓子作りがこんなところで役に立つとは思わなかったよ。

「水原さんすごーい!美味しそう!」

焦がさず、鍋にくっつかずに上手く焼け、甘露寺さんが褒めてくれた。

さあ召し上がれと2人に出すと、甘露寺さんははちみつをたっぷりかけて、美味しい!とバクバク食べてくれた。

 

「伊黒さんも食べて!美味しいから!」

甘露寺さんは無邪気に言う。伊黒さんはそれを見て氷の視線を俺に向けてきたが、あまり甘露寺さんが勧めるので、口元を覆った包帯をずらすと一口だけ食べてくれた。傷を見ないよう俺はそっと目を逸らしてあらぬ方向を見る。

「お前、こんな事いつもやってるのか?」

伊黒さんは意外そうに聞いて来た。

なかなかのもんでしょう?生地にクルミや干しぶどうを混ぜても美味いですよ。

他にはチーズケーキなんかも作ります。小豆を煮て、寒天入れて羊羹も作りますよ。今度持って来ましょうか?

「変な剣士だなお前は」

と言われたが、未来では料理男子は女の子にもてるのですよ。俺はもてたことはないけど。

よし、だいぶ打ち解けてきたな。

 

紅茶をご馳走になりながら、ふと思ったことを口にする。甘露寺さんの恋の呼吸と伊黒さんの蛇の呼吸って、太刀筋として相性良いよね。うねってきたり、鞭みたいにしなったり、複雑で予想外の軌道だし。2人で互いを護りながら接近して、一瞬の隙を突いて蛇の牙と猫の爪、どちらかの技を叩き込めばいい。組んで戦うべきだよね。

「ちっ、うるさいやつだ」

そんなことを2人に話していると、まんざらでもなさそうに伊黒さんが言った。

「照れるな伊黒さん。顔が赤いぞ」

そう言って俺は伊黒さんの顔を軽くつつこうとした。

バシッ!と予想外に強い力で俺の手を払う伊黒さん。一瞬にして場の空気が凍る。ちょっとふざけ過ぎたか。

 

「伊黒さんごめんなさい。調子に乗っちゃって」

俺はすぐに頭を下げて詫びた。

「いや、俺もムキになった。悪かったな」

それから、包帯を外しながら静かに言った。

「醜い傷がある。だから、触って欲しくない」

「……伊黒さん、どうしてそれを?」

もちろん傷の事を知ってはいたが、俺は狼狽えてしまった。伊黒さんが自分から傷を見せてくれるなんて。

「お前たちには見せてもいいか、そんな気分になった」

包帯を外すと傷が露わになった。驚きで固まる甘露寺さん。伊黒さんの顔の傷については話だけは聞いていたらしいが見るのは初めてだろう。

伊黒さんの一族を支配していた蛇鬼が、子供だった伊黒さんに刻んだ深い傷。口の両端から頬にかけて、切り裂かれた傷の痕だった。

 

しかし、残った傷跡の酷さより伊黒さんの心を苛んだものがある。

「俺は醜い一族の出なんだ」

伊黒さんは語り始めた。

 

伊黒さんの一族は、女の蛇の鬼に支配されていたが逆にその力を利用し、近くに来る人間を襲わせて殺し、奪った金品で贅沢な生活していた。その代わり生け贄として一族の子供を差し出すことで安寧を保障されていた。伊黒さんは三百七十年ぶりに生まれた男の子で、生け贄となるはずであったが逃げることに成功し、たまたまやって来た当時の炎柱、槇寿郎さんに助けられたのだ。

生け贄が逃げれば一族はただでは済まない。蛇鬼の怒りを買い、槇寿郎さんに助け出される前にほとんど殺され、伊黒さんの他に生き残ったのは従姉妹(いとこ)1人だけだった。

蛇鬼が討ち取られた後、生き残ったその従姉妹は伊黒さんを激しく罵倒した。

 

生け贄のあんたが逃げたせいで50人が死んだ。あんたが殺したも同じだ。あんたが死ねば良かった。あんたが大人しく喰われれば良かったのに――。

子供時代の伊黒さんの心は、これでもかというほどに深く抉られた。

 

俺はもちろん原作で知っている。彼は漫画の登場人物。これも架空のお話しなのだ。でも俺の目の前にいるのは、心にも体にも深く大きな傷を負いながらも、懸命に生きている一人の人間だ。

 

呪縛。そんな言葉が思い浮かんだ。

殺された50人の恨みがましい目が、腐った手が、未だに伊黒さんを捕らえ続けて離さない。そんな幻影を見るほど、伊黒さんは今もその心の痛手に苛まれ続けている。

甘露寺さんの顔がみるみる曇る。両の手で口元を覆い、目には涙をいっぱいに溜めている。甘露寺さん、泣くな。俺だってやっとのことで涙を堪えているんだから。

 

 

「俺はお前たちと一緒に生きていて良い人間じゃない。俺は今度の戦いで死ぬだろう。だがそれは、俺にとっては必要なことかもしない。まず一度死んでから、汚い血が流れる肉体ごと取り替えなければ――」

「嫌だあ!伊黒さん!死ぬなんて言わないで!」

そう叫んで、甘露寺さんがとうとう泣き出す。

そうだ。伊黒さんが何を恥じることがある?何にも悪くないじゃないか。俺もちょっとだけ……目から鼻水。

 

「伊黒さん!この戦いが終わったら、その傷俺が治す」

あくまで傷を気にしていると思いこんでる感じで、俺は言う。

「こう見えて、前世は医者……」

俺は言いかけた。

「前世だと?」「ええっ!?」

2人は驚く。あ、しまった。

「かと思うくらい、手先は器用なんだ」

俺は慌ててごまかしながら言った。

「その傷は、手術して丁寧に縫い直せばずっときれいになる。約束するよ。だから、お互いに生きて戻ろう!」

俺は鼻をすすり上げながら能天気に泣き笑いで語りかける。

「お前が……?フン、まあ期待しないでおこう」

甘露寺さんも俺もメソメソしているのでさすがにバツが悪くなったのか、伊黒さんは顔を洗うと言って一時席を立った。

甘露寺さんはまだ泣いている。

 

「伊黒さんのこと好きなの?」

ズバリと聞いた。もじもじしているが、甘露寺さんは痣を発現させてしまっているのだ。先ほどの生きる死ぬの話も現実味を帯びている今、いつまでも迷っている時間はないと思うが。まあ原作を知っている俺から言わせて頂こう。

 

両想いなんだから、どっちでもいいから早く告白しろ!!

 

ああもう焦れったい。“ムズキュン”などと言われたドラマあったよね。俺は甘露寺さんの思いを代弁するべく椅子から立ち上がった。

「好きなら想いを口に出さないと。さあ言って!伊黒さん大好き!」

せーのっ!俺は甘露寺さんを促す。

「い、伊黒……さん、だ、だい……すき……」

甘露寺さんは消え入りそうな声で言う。顔が真っ赤になっているのが初々しくて良いけど、ダメだ!声が小さい!

「伊黒さん、大好き!」

こうだ!腹から声を出せ!

「嫌だ、聞こえちゃう……恥ずかしい……」

「恥ずかしくない!言うんだ!」

こんな風に!と俺は大声で言う。

 

ほらお嬢ちゃん、恥ずかしがらなくて良いんだよ?げへへ。

ううむ、何だか違うプレイになっているような気も……はっ!?

 

俺は背中に冷たいものを感じ恐る恐る振り向く。そこには憤怒の表情の伊黒さんが。

「お前、甘露寺に何をしている?恥ずかしがるような事をしたのか?」

ちっ違う、誤解です!

「恥ずかしい」「恥ずかしくない」から聞いてたのね……。肝心なところ聞かないで。

恋のキューピッドだと言うのに何で俺がこんな目に。伊黒さんにぶん殴られ(もちろん軽くだ)、後は若い人同士で勝手にやってね、と俺は帰路に就く。

帰り際、伊黒さんの視線に耐えながら

「想いは届くから。この戦いが終わったら、必ず口に出して言うんだよ!」

甘露寺さんをそそのかしておいた。

 

 

 

 

本日は不死川さんを訪ね、手合わせと連携の確認などを行う。

「面倒だ、互いに全力で殺し合うのが一番だぜェ。てめえとは手合わせ願いてぇと思ってたところだぁ」

凶暴に笑う不死川さん。

あくまでも稽古だからね?まあ俺もそうそうは負けないっすよ。柔能く剛を制す、と言いますからね。

「剛能く柔を断つ、とも言うなぁ」

なっ!?学があるところ見せようと思ったのに、負けた……。

 

あっさり言い負かされて始まった模擬戦も終了、真剣であればお互い半死半生だ。

「てめえもなかなかやるじゃねえかよ」

とお褒めの言葉。それと、今日はお土産を持って来ました。

「おう、気が利くじゃねえか」

好きだと聞いたもんで、原作知識ですけどね。食べましょう、と俺はおはぎの包みを取り出すが、

「「あっ……!」」

俺たち2人の声が重なる。潰れてた……。スマン不死川さん。

「ちっ、しょうがねえなぁ、食ってやるよ」

仕方なく食べる顔じゃないが、俺はすかさず、

「いやいや、こんな物を不死川さんに食べさせる訳にはいきません。これは俺が処分しますんで、後日新しい物を持って来ます」

さっさと包みをしまう仕草をする。

「いや構わねえ、食ってやるよ」

「そんな、申し訳ないですよ!」

と言い合った後、

「食ってやると言ってるだろうが!風の呼吸 伍ノ型・木枯らし颪!」

「新しいの持って来ると言ってるだろ!水の呼吸 漆ノ型・雫波紋突き!」

おはぎを巡って再び必殺技の応酬になりそうであったが、俺が吹き出し、

「調子の狂うやつだぜ」

不死川さんも苦笑した。

 

改めておはぎを見て、不死川さんが聞いて来る。

「おい、何だあ、こりゃあ?緑色してるじゃねえか!」

不死川さん知らないの?これは、枝豆をすり潰して作った“ずんだ餡”のおはぎですよ。枝豆を細かく擦り潰した中にわざと粗く刻んだものを混ぜてあるので、そのザクザクとした食感と風味がたまんないっすよ。

 

「いや、おはぎは粒あんに限るだろ」

妙な拘りを見せる不死川さん。うるせえな、じゃあ本当に片づけるぞ。

 

「おぃ待てェ片づけんじゃねぇ。せっかくだしなぁ、しょうがねえから食ってやるよ」

不死川さんは潰れたおはぎに手を伸ばし、どさくさにまぎれて食った。言ってから食うの早っ!口の周りにずんだ餡を付けてる不死川さんはなかなかにかわいい。そして、

「……うめぇな」

俺は不死川さんの呟きを聞き逃さなかった。当然だ、山形は庄内の名物で特上の枝豆、“だだちゃ豆”を使っているのだからな。よしよし美味いか、そうだろう、俺が独りうなずいて目を離した隙に。

 

オイ、ちょっと待てえ!4つのうちもう3つ食ってるじゃないか!半分こだろ普通!しかも4つ目にも手を伸ばそうとしてたな?俺が気づかなかったら全部食うつもりだったじゃねえか!

 

ところで不死川さん、玄弥君の事なんだけど。

「あいつのあの銃は、役に立つのかぁ?あんなもんが」

顔をしかめながら不死川さんは言う。いやいや、役に立つどころか大活躍するかもしれませんよ。今や玄弥君の銃の腕は相当なもんです。ある計画の大事な役目もお願いするし。

 

「それはそうと、てめえあいつに何か吹き込みやがったな?この前顔合わせたら、俺はもっと強くなってみんなを護る、そんで絶対死なねえとぬかしやがった。おどおどしてたあいつが、あの愚図が、束ンなって上弦一匹倒したぐれぇで調子に乗りやがって。……逞しくなったもんだぜェ」

少し目を細めて、少しだけ笑ったように見えた。なんだ、知ってるんだそのこと。玄弥君のことなんかどうでも良いんじゃなかったっけ?

「俺はよぉ、あいつだけには生きて欲しいんだ。あいつはお袋や兄妹たちの分まで生きて、自分の家族を作って幸せにしてやりゃあいい。俺は生きて戻れねえかもしれねえからなぁ」

 

やっぱりすごく気にしてるじゃないか。そして、玄弥君に何と答えたかも俺は知ってるよ。彼が本当に嬉しそうに、少し涙ぐんで報告してくれたから。

「目は合わせてくれなかったけど……兄貴が、“死ぬんじゃねえぞ”って……」

俺はもう……。くそっ!全くこの兄弟は!また胸がジンとするじゃないか。



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32話 水・岩

現場の倫道です。私は柱稽古の一環として、柱のみなさんの元を訪れておりますが、今日は水柱・冨岡義勇さんのお宅に伺っています!では早速突撃してみましょう!ごめんくださーい!

あ、家の中から出てきましたね、水柱・冨岡義勇さんです!髪の毛がぼさぼさで、ちょっとボーっとした感じですね。今起きたばっかりなんでしょうかこの男は。……何だか滝沢カレンみたいになって来たからやめようこの口調。

炭治郎君も出て来て挨拶をする。お館様の依頼で義勇を元気づけに来ているところだったようだ。炭治郎君がいるなら心強い、一緒に義勇を元気にしよう。義勇本人は何だかすごく迷惑そうな雰囲気だが、気にしない気にしない。

 

「義勇、合同稽古しよう。手合わせしてくれ」

不機嫌な顔してるなあ。弟弟子の俺が上目遣いでこんなに可愛くお願いしていると言うのに。それが良くないのでは、と言う炭治郎君の視線を受けながら、俺は義勇の道場にずかずかと勝手に上がりこんだ。先日の柱合会議の時も1人で出て行ってしまったし、まだ拗らせてんのか。

「じゃ手合わせしようか。柱稽古の一環だ、柱同士で手合わせしてしっかり連携訓練するようにって、悲鳴嶼さんからも言われてね。義勇が退席した後に決まったんだが」

俺は義勇の沈んだ雰囲気を無視して声をかけ、支度を始める。

義勇はうつむいて視線を合わせない。

 

またか、このネガティブさんめ。いい加減にしろよ。うん、だんだん腹立って来たぞ。先日の柱合会議の後も、他の柱のみなさんへのフォロー大変だったんだぞ!

 

「俺には柱は務まらない。俺は他の柱のみなと並んでいて良い人間じゃない。倫道、お前が代わりに水柱を務めると良い」

「そうか奇遇だな、俺もそう思ってたよ。俺の方が強いし柱にふさわしいってね。お前はいつもそうやって、“俺はお前たちとは違う”とか、“俺は柱じゃない”とかひねくれやがって。それなら俺が、今日ここでお前に引導渡してやるよ。そんな弱気なヤツがいたんじゃ鬼殺隊全体の士気にも関わるからな。兄弟子だろうが関係ない」

義勇の弱気な発言に対し、俺はわざと怒らせるように挑発的に言い放つ。

 

もどかしい。悲しい。どうして届かない?そんな思いの俺の挑発に義勇は乗った。

 

 

 

 

倫道と義勇は、木刀を構えて静かに対峙する。

「行くぞ!」

緊張を破り、苛烈な打ち込みを見舞う倫道。生木を根ごと抉り取り、大岩すら砕きながら流し去る鉄砲水さながらの激しさ。義勇は常ならば大海の如く、激しい川の流れも飲み込み受け流し、ここぞという時に鋭い反撃を見せるが、ここでは防戦一方で何度も倫道の攻撃をまともに食らいそうになる。

水の呼吸同士の激しい打ち合いだが、勢いでは怒りの感情をストレートに表に出す倫道が完全に上回っていた。

(すごい打ち込みだ!それに倫道さん珍しいな、ものすごく怒ってる匂いがする)

炭治郎は気が気でない。

(きっと倫道さんももどかしいんだ。2人は一緒に修行した仲だって聞いた)

炭治郎は倫道の心中も思いやるが、倫道の攻勢は激しさを増した。

「水の呼吸 参ノ型・流流舞い!漆ノ型・雫波紋突き・五月雨!」

倫道は義勇に技を出させず攻め続け、速い連続技に蹴りや足払いを織り交ぜてさらにスピードを上げる。

ここで倫道の呼吸が変わり、

「炎の呼吸 壱ノ型・不知火!」

一気に距離を詰め、打ち下す斬撃。義勇は何とか受け流すが、気の迷いがあり剣技に平素の切れが無い。

「破壊殺・脚式 流閃群光!」

倫道はさらに軸足を思い切り踏み込んで、連続蹴りを見舞った。

「ぐっ!」

受けきれずに吹き飛ばされて仰向けに倒れ、かろうじて上体を起こし倫道を睨む義勇。倫道は攻撃を中断してニヤリと笑った。

「大したことはないな。以前は兄弟子が柱になって鼻が高かったもんだが。なるほどこれでは柱は務まらん。鱗滝先生もお嘆きだぞ。それにお前がこのザマでは」

倫道は歩み寄り、皮肉な笑みを浮かべ、見下した態度でフンとため息をついた。

「お前を庇って亡くなったお姉様も浮かばれないな。全くの無駄死にだったという訳か」

そして倫道は笑みさえ消し、呆れ果てた、そんな調子で言い放った。

 

 

 

「倫道さん!何て事を言うんだ!!」

事情を聞いていた炭治郎が叫ぶ。いくら何でもそれは酷すぎる言い方だ。

炭治郎は数日間義勇に付きまとい、昨日今日で義勇からやっと事情を聴くことができた。

 

子供の時姉と二人で暮らしていたが鬼に襲われ、翌日に祝言を控えていた姉は彼を庇って殺された。

その後鱗滝に弟子入りしたが、最終選別では錆兎に守られ自身は鬼を1体も倒さずに“合格”してしまった。錆兎は大怪我をし、本来なら剣士の道を諦めざるを得ないところであった。

そんな自分がのうのうと生きていて良いのか。最終選別に通ったと言えるのか。柱などと名乗れるのか。

 

だが炭治郎との会話の中で、生き残った義勇自身が姉に託された命を繋いでいく使命に思い至り、雰囲気が少し変わったと炭治郎は感じていた。

 

義勇は怒りに表情を歪めた。

 

「お前のお姉様だけじゃない。錆兎だって呆れるだろうよ」

言い捨てて、倫道は木刀を突き付け、堪え切れずに感情をぶつけた。

 

「腑抜けかおのれは!!立て、義勇!!――こんなものか。俺の自慢の親友は!自慢の兄弟子は!お前がここで挫けたら、一体誰が死んだお姉様の命に意味を成すんだ!」

倫道は、涙を流しながら再び木刀を構える。

 

「鬼を倒して人々を護る!そう誓っただろう!撃ち返してみろ!――水の呼吸亜型 壱式・緋屠螺(ヒドラ)!」

倫道は渾身の一撃を放つ。

(あの技は!ダメだ、もう止めないと!)

炭治郎は焦る。

「水の呼吸 拾壱ノ型・凪」

義勇は素早く立ち上がり、技を繰り出し――互いの木刀が砕けた。

 

「お前、泣いてるのか?」

義勇は突っ立って、倫道を不思議そうに見つめて呟いた。

(そうじゃなくて……。他に言うことがあるだろ?)

倫道は思わず脱力するが、倫道と炭治郎は、その様子から迷いを脱したと判断した。

 

(俺はここまで1人で来たんじゃない。姉さんに命を救われた。先生に剣技のいろはを教わった。錆兎も倫道も、俺を叱咤激励してくれた。お館様は俺を認めて下さった。隠のみなや胡蝶にも世話になったな。そして共に任務に当たり、死んでいった多くの仲間たち。想いを、命を繋いで行かなければ。ここで立ち止まっては顔向けできない)

義勇が表情を引き締める。

 

(本来の義勇に戻った……よな?)

倫道は義勇の様子を見て安心しかけた。

 

(自慢の親友、か。こういうことを照れもなく言うところが倫道らしい)

そして義勇は先ほどの倫道の言葉を思い出し、珍しくムフフ、と笑った。

 

(うわっ笑った!悪いけどちょっと気持ち悪いな、炭治郎君何とかしろ)

(倫道さんがさっきあんなこと言ったからですよっ!倫道さん何とかしてくださいよ!)

(炭治郎君はお館様に直に頼まれたんだろ?俺はたまたま来ただけだから)

(ずるいですよ倫道さん!さっき親友って言いましたよね?)

明後日の方を向いて急に笑顔になった義勇を巡り、倫道と炭治郎の間で義勇を押し付け合う短い暗闘があったが、向き直った義勇はすっきりと凛々しく、しかしどこか抜けたいつもの義勇だった。

 

「倫道、炭治郎。遅れてしまったが、俺も柱稽古に参加する。……2人で何か話していたのか?」

「い、いや、何でもない。義勇が目を覚ましてくれたから、嬉しかっただけだ。なあ炭治郎君」

「ええっ?!は、はい……」

炭治郎は慌てて答え愛想笑いをして誤魔化した。

 

(いつもの義勇、いやちょっと成長した義勇かな?思い切り打ち合って吹っ切れてくれたかな。分かってくれればそれで良し!それでこそ最強の水柱、冨岡義勇だ)

倫道はようやく安心する。

最終選別の時は、たまたま合格したのかもしれない。だがそれも天命。ここまで強くなったことを考えれば、最終選別には通るべくして通ったのだ。そして今の柱の地位は、紛れもない義勇の努力と実力の証。

 

(良かった。義勇さんが完全に吹っ切れた感じだ)

炭治郎も安心し、思い出していた。

禰豆子が鬼になった時もこうやって倫道と義勇は争っていた。

あの時義勇は不器用ながらも自分を励ましてくれていたのだ。今度は倫道が、同じようなやり方で義勇の迷いを断ち切った。

 

 

「柱稽古は俺と一緒にやろう。水の呼吸、鱗滝一門の結束は絶対だからな!他の柱のしごきで死なないように、基礎練習させてるんだ」

倫道ももちろん義勇の参加を歓迎する。自分の負担が減るからだ。

 

倫道による基礎講座が、“何時でも誰でも参加できる”水柱合同稽古として新たに開始された。

 

 

 

 

今日は岩柱・悲鳴嶼さんの修行場を訪ねている。

「せっかく来たのだ、水原もやって行くと良い。私が訓練生に課すのは次の3つの簡単なものだ。まず滝に打たれる修練」

悲鳴嶼さんは穏やかな笑みを浮かべながら出迎え、説明してくれた。原作で知っておりますのでご遠慮申し上げます。

「いや私は結構です」

「次に、丸太3本を担ぐ修練」

「結構です」

「最後はこの岩を一町押して運ぶ修練」

「結構です」

俺は即答する。というか嫌です。というか断固拒否。

 

「そうか?私は毎日やっているが……」

「はぁ」

「もちろん強制ではない。嫌ならばやらなくとも良いが」

どう考えてもやれと言っておられるように聞こえますが、私の気のせいでしょうか?

 

無言の圧力……結局やってしまった。氷風呂には慣れているのだが、自然の中で滝に打たれるのはまた違うつらさがある。丸太担ぎと岩を押すのも集中してやれば何とかできた。

 

「さすがだ。良く錬成しているようだな。まあやらずとも良かったのだが、志願するとは感心だ」

お褒めの言葉をいただいたのだが、志願……?はしていないのだが。それに俺一応柱なんですけど……?悲鳴嶼さんの心の目には一体何が見えているのだろうか。

だが悲鳴嶼さんが見たかったのは、俺の体の錬成具合では無かったと後で分かったわけだが。

 

それから連携の確認を行い、お館様の事を相談することにした。俺は原作で知っているが、まだお館様から悲鳴嶼さんには相談されていないようだ。

 

「お館様が、どうかなさったのか?」

悲鳴嶼さんが何かを察知して聞いて来る。そうでなくとも日に日に弱ってこられており、みな心配している。俺は、占いを元にした予想だと前置きして、お館様が何か危険なことをなさろうとしていると告げた。

「無惨に本部の位置を気取られたようです。……しかしやはり解せません。鬼殺隊と無惨の戦いは千年に及ぶとのことですが、その間一度として本部、つまり産屋敷邸の位置を悟られたことは無いはずです。内部の者が鬼になったという例外を除いては。それがなぜ今になって」

原作でもはっきりとは明かされていないが、おそらくその理由はこうだ。

「お館様はわざとお屋敷の位置を無惨に悟られるようにした、と?」

悲鳴嶼さんが、信じられぬという様子で呟く。

「お館様は、それを逆手に取ってご自身を囮にして無惨をおびき寄せ、無惨諸共自決なさるおつもりでは……」

俺は核心に踏み込む。悲鳴嶼さんには言わずにいられなかった。何とか悲鳴嶼さんに止めて欲しい、すがる思いだった。

「何だと……!」

悲鳴嶼さんは顔を曇らせて腕を組んで考え込み、そしてふと顔を上げた。

「それはお前の先読み……いや、予知と言った方がよいか、その力が示す未来なのか?」

そう聞いて来た。

悲鳴嶼さん、何故それを?俺は次の言葉が出なくなった。まさか違う世界から来たとは分からないだろうが、普通じゃないのはバレると思ってはいたけど。

 

「私は目が見えぬ代わりに、大勢の人間を心の目で見てきたつもりだ。本質を見ることに関しては普通の人間より優れていると自負している……。お前が普通の人間でないことぐらい気づかぬはずは無かろう?」

お館様の事が心配で渋面だった悲鳴嶼さんは、今は穏やかに微笑んでいる。

「お前は先読みの力を持ちながら、その力を邪心を持って使わない。鬼を滅し、人々を救い、仲間を助ける。……知り過ぎているお前に疑いを抱かなかった訳ではないが、疑いは晴れた。水原倫道。私は、お前を仲間だと認める。背中を預けて戦うに足る、本当の仲間だと」

悲鳴嶼さん。貴方にそう言ってもらえて、俺はすごく嬉しいです。

先ほどの“修練”は、俺が無心になるようにわざとさせた、と?

 

「それに、お前と任務を共にした隊員たちや、胡蝶も言っていた。あの人は信用しても大丈夫だ、とな」

しのぶさんもそんな風に。それにみんな、ありがとう。自分なりにだけど、ずっと頑張ってきたら……こんなに信頼された。俺は、例によって目から鼻水が。

 

「お館様の事だが……もし相談があれば、やめて頂くよう説得はしてみよう。しかしお決めになるのはお館様御自身だ。お館様の頼みとあらば、聞かぬわけにはいくまい……」

悲鳴嶼さんはまた難しい顔になって、嘆息しながら言葉を絞り出す。

確かに。この世界はどうしてこうみんな揃って覚悟が重いのか?

 

「それについては少し考えがあります。俺はこれからお館様にお目通りを願い、まずは何とか思い止まって頂くよう説得してみます」

そう告げて、悲鳴嶼さんの元を辞した。思い止まって頂けなければ、あの事を宇髄さんに改めて相談しよう。お館様、産屋敷家の人々を傷つけずに済むかもしれないあの手を。



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決戦前夜編
33話 化学反応


しのぶさんは柱稽古には参加していない。珠世さんと共同で対無惨の薬の研究開発に当たっているからだ。鬼を人間に戻す薬は大筋では完成しているが、その他複数の作用を持つ成分をかけ合わせるため、まだ仕上げの段階ではない。珠世さん、愈史郎君、しのぶさんに俺というメンバーが中心となり、信頼の置ける隠隊員数名を助手に加え、まさに昼夜を分かたず研究を行っている。

 

最初に珠世さん、愈史郎君としのぶさんを引き合わせた時、原作を知っているため予想はしていたが、そのムードは険悪そのもの。会えば何とかなるだろうという予想は甘かったと思い知った。

 

珠世さんは人を喰わない鬼とはいえ、一緒に研究を行うという提案は、それがお館様からのものであったとしてもしのぶさんにとっては面白いはずが無かった。しのぶさんは表面上は鬼と仲良くしたいなどと言ってはいるが、鬼に対する拭っても拭い切れない憎悪が心の奥深くでドス黒く渦巻いている。一方愈史郎君は鬼殺隊のことを良く思ってはいなかったが、初対面の時、珠世さんに対するしのぶさんの憎悪を察知してしまった。これにより、愈史郎君の鬼殺隊に対する悪感情は決定的になり、しのぶさんに対し殺意を向けた。しのぶさんと愈史郎君、互いへの憎悪と抜き難い不信感の中で対面が始まった。

 

「初めまして。私は鬼殺隊蟲柱・胡蝶しのぶと申します。あなた方が、“鬼”の珠世さんと愈史郎さんですか?」

し、しのぶさん?“鬼”は余計では?

あくまでにこやかに、そして口調は柔らかく丁寧だがしのぶさんが棘のある言い方で挨拶する。愈史郎君の眉がピクッと動いて一瞬険しい顔になる。

 

「これはこれは御丁寧に。まさか鬼狩り様の中に、剣術だけでなく学問に興味を持たれる人がいようとは夢にも思いませんでした。私は珠世の助手の愈史郎と申します」

この脳筋野郎どもめ、お前らに学問などできるはずがないだろう。そんな揶揄を込めて皮肉な薄笑いを浮かべ、愈史郎君が嫌味に返す。

珠世さん本人は、笑顔の裏のむき出しの憎悪のぶつかり合いに1人オロオロととても気まずそうにしており、あまりのヒリついた空気に俺も冷や汗をかいて引きつった愛想笑いをするしかなかった。

 

最悪の雰囲気に俺は目の前が暗くなったが、その時珠世さんたちの荷物の陰から珠世さんの使い猫の茶々丸がとことこ歩いて来た。飼い主の珠世さんと愈史郎君に、顔見知りの俺が集まって何やら話しているのを見つけ、何が始まるのかと興味津々でやって来たのだ。茶々丸は珠世さんたちに一声鳴いて挨拶し、今度は俺の足元にやって来て、(さあモフるが良い)と言わんばかりにコロンと横になった。

「茶々丸~……」

俺は思わずしゃがみ込み、愈史郎君の冷たい視線を浴びながらそのお腹を撫でた。みんなが喧嘩するんだよ、なんとかしてよドラえも〇、そんな気持ちもあった。その間10秒ほど、茶々丸はすぐに起き上がって俺の傍から離れてしまった。あああ、俺の癒しが……。

だが茶々丸は次に意外な行動を取った。喉を鳴らしながらしのぶさんの足元に座り込み、小首を傾げてじっと見上げ、にゃーと可愛らしい声で鳴いて見せた。しのぶさんは毛の生えた生き物が苦手らしいが、この時は、自分に親愛の情を示すこの毛玉に対して

「まあ……!」

と顔を綻ばせていた。

「当面の間はこの蝶屋敷でゆっくりしてください。あなた方の安全は保障します」

しのぶさんは茶々丸を見て思わず笑みを浮かべ、その後表面上は落ち着きを取り戻して珠世さんと愈史郎君にそう言うとどこかへ去ってしまった。

 

茶々丸、ただ初対面の人に愛嬌振りまいただけに見えるけど、お前もしかしてこの空気を何とかしようとしてくれたのか?もう俺にはそうとしか思えなかった。

「あ、あの……みなさん、とにかくよろしくお願いします」

俺は慌てて声をかけ、こうして対面を終わらせた。

 

 

 

 

「俺たちは帰るぞ!こんなところに珠世様をお連れするとは!ふざけるな!」

愈史郎君は初顔合わせの後、激怒して俺に怒鳴り散らした。

「帰るの?でもあの家はそろそろやばいんじゃないのかな。無惨が嗅ぎつけてやって来る頃だろうし。それに珠世さんのお気持ちは?」

俺は努めて冷静に返す。

「珠世様は何もおっしゃらないが、帰りたいに決まっている!お前らがどうしてもと言うから来てやったが、何だあの蟲柱とかいうくそ女の態度は!初めからこんな有様で、共同研究などできるはずがないだろう!」

「愈史郎君、珠世さんと君に来てもらったのは共同研究だけじゃない、君たちの保護という目的もある。ここにいてくれる限りは、柱のしのぶさんと俺、あと数名の手練れの剣士が必ず護ってみせる。それに、共同で物事に当たるのに互いの信頼など要らないだろう」

「何だと?どういう意味だ!」

愈史郎君の怒りは収まらず、互いの信頼は必要ないという俺の言葉にも反発がある様子だ。

 

「俺たちには無惨を倒すという共通の目的がある。利害は完全に一致している。無惨打倒は極めて高い壁だが不可能ではないと考えている。君たちが作り上げた、“鬼を人間に戻す薬”に、しのぶさんや俺の持つ知見を併せれば、無惨討伐にさらに有効な手段となると思うんだ。それにくそ女と言うけど、しのぶさんの薬学の知識はすごいよ。まあそれはそのうち分かると思うけど。とにかく君たちは、頭の悪い人間に知恵を貸してやる、そんな態度でいい。ただ、お互い顔を合わせたら必ず目を見てしっかり挨拶をしてくれ。他に必要なことはそれだけだ」

 

「挨拶……?」

愈史郎君は落ち着きを取り戻しつつも訝しんだ。

 

「ではお願いしますよ。君たちの力無くしては勝利は無い。それに、成果が出始めれば雰囲気も自然と変わる」

俺は丁寧に頭を下げ、何とか愈史郎君に離脱を思い止まって貰った。

 

一方俺は原作知識を生かし、しのぶさんには珠世さんが鬼になったいきさつやこれまでの事を話した。四百年前、縁壱さんが無惨をあと一歩まで追い込みながら逃げられた時、珠世さんに協力を要請したこと、それ以来どんなに苦しくても人を襲わず、獣の亡骸や貧しい人たちからの売血による少量の血で飢えをしのいでいたこと。医者として、多くの人を助けて来たこと。

「そうでしたか」

しのぶさんは顕微鏡を覗いたままで短くそう答えただけだったが、鬼が人間の血肉に抱く強い渇望を俺たちはよく知っている。それがどんなに大変だったか分かってくれた様子だった。

 

 

お互いに信頼して始まったわけではない。無惨を倒すという共通の目的、この一点だけで始まった関係は逆に健全と言える。俺はそう思っていた。

そして、珠世さんと愈史郎君が“鬼を人間に戻す薬”をほぼ完成させているという事実が、しのぶさんを大きく動かした。

 

 

しばらくして、徐々に研究が上手く回り始めた。やはり毎日顔を合わせ、きちんと挨拶をしていればそれだけでも感情は和らいでいく。

 

「おい蟲柱、死なない程度には睡眠をとれ。ここでお前に死なれては、薬の完成の工程に支障が出るからな。……全く人間というのは脆いな」

それからすぐのことだ。連日の徹夜で疲れの見えるしのぶさんに愈史郎君が声をかける。

言葉は少しきついが、そこに気遣う様子を見て取り、俺と珠世さんは顔を見合わせる。

「分かりました。それでは少し横になってきます。……愈史郎さん、お気遣いありがとうございます」

しのぶさんも素直に従った。確実に2人の関係性に変化が生まれている。

望ましい変化が。

 

それとこう言ってはなんだが俺の気遣いもある……はずだ。

 

珠世さんとのちょっとした会話の中で、

「愈史郎には手間を取らせている」

と聞いたら、

「愈史郎君は本当に頼りになると珠世さんが褒めていた」

愈史郎君に多少大げさに伝えるだけ。そこに、

「珠世さんと愈史郎君はいつも一緒ですね」

というしのぶさんの発言を

「しのぶさんが、珠世さんと愈史郎君はお似合いですねと言っていた」

と少し(かなり?)意訳して伝えるだけ。

愈史郎君は真っ赤になってもうニヤニヤが止まらない。

ヌハハハ、愈史郎君チョロすぎ(笑)。

 

「愈史郎君が、しのぶさんの知識はすごいと褒めてましたよ」

俺はしのぶさんにも揺さぶりをかけるが、

「人間にしては……ですか?」

しのぶさんはそうチョロくはいかないが、毎日毎日間接的に褒めていれば効果は徐々に見えて来る。

人間は、直接褒められるより“他人が褒めていた”と伝えられる方が嬉しいというウインザー効果(本当)を活用し、関係性を改善していったが、人を褒めてると俺自身も嬉しくなるというのが一番の効果かもしれなかった。

 

鬼を人間に戻す薬は完成したが、無惨を倒すにはさらに念には念を。

無惨に薬を投与した場合、薬が完全に効力を発揮できる保証は無く、むしろ分解されることを前提に進めるべきとしのぶさんは言った。

「やはり薬は複数を掛け合わせ、段階的に効果を発揮させることが望ましいですね」

しのぶさんの提案に俺たちも同意した。

 

人間化に加え、老化の促進、分裂阻害、細胞破壊。単体の成分は完成に近づいているが、単純に混ぜたから全ての効果が発揮される訳ではない。配合して互いに効果を減衰させないように、また一気に分解されないように一つ一つ安定して存在しなくてはならない。

配合量や濃度などを試し、試作は数百回、数千回にも及んだ。効力の一部しか発揮されないパターンが多く、期待した効果が得られず俺たちは焦った。

焦りが募り鬼の細胞のサンプルが無くなりかける頃、全ての効果が十分に発揮される調合を発見した。偶然混入した不純物により、4つの成分が上手く働くような化学反応が起き、原作通りの試作品が完成した。

俺たちは喜んだが、

「再現性がなければただの偶然、同じ物が2度と作れなくなる」

という愈史郎君のもっともな意見で、追試(全く同じメンバーなので厳密には違うが)も行い、

同様に成功した。俺たち4人と助手の隠隊員で抱き合って喜んだが、愈史郎君としのぶさんもしっかり手を取り合って喜び合っており、俺と珠世さんはまた顔を見合わせて笑った。

 

この研究チームにも化学反応は間違いなく起きていた。

あの時不純物が混入しなければ。初対面の時茶々丸が場を繋いでくれなければ。もしかしたらこの研究は行き詰っていたかもしれない。

4人のチームと4つの成分は良い形で化学反応を起こしてくれた。俺はこの偶然に感謝した。

 

 

俺たちが行う研究のテーマは大きく分けて2つあった。

1つは言うまでもなく無惨に投与する薬の開発。原作では4つの成分が段階的に効果を発現するが、もっと簡単なものがある。ファンタジーではなく、自然界にも実際に起こりうる、生物にとって致命的な現象を引き起こせる毒。弱らせてから投与すれば、無惨とてノーダメージでは済まないだろう。せっかくだから可能なら加えたいところだ。

野口英世によって、この毒に対する血清が開発されたのはこの頃だったような気がする。原作にないこの成分を付加できるよう、さらに研究を進める事となった。

副産物として、無惨の血の毒性に対する抗毒素血清の開発も。これもすでにかなり研究が進んでいるとのことで、珠世さんの力には驚かされる。

 

もう1つは、童磨に対して使用する毒の開発。無惨に使う物と被らないようにしないと、情報を共有されて解毒のヒントを与えてしまう。これに関しては俺にアイディアがあった。原作を読んだ限りでは、ヤツは毒をすぐに分解した。

代謝能力が非常に高い。ならばその高い代謝能力を逆に利用してやれば良いのでは。

 

「無惨に対する毒も、童磨に対する毒も、そんな成分や考え方があるのですね。……ですが貴方は、どこでそれを学んだのですか?」

珠世さんは感心してくれるが、ちょっと不審に思った様子。

 

「えっ?あ、あの、パスツール研究所……の近くにいた親戚の知り合いの友だちが……」

俺はしどろもどろになって訳の分からない言い訳をしてごまかすが、珠世さんは首をかしげる。俺の出自を知るしのぶさんは、さりげなく“このチート野郎め”という視線を向けて来たが。ともかく。

俺以外はほぼ不眠不休で研究は行われ、着実に成果を挙げていた。

 

「不思議なものだ。確かに成果が出て空気が変わった。やり易くなった。しかしお前は一体幾つなんだ?二十歳とは聞いたが……。俺は三十五だが、もっとずっと年上の、老成した人間と話しているようだ」

ある時愈史郎君にこんな風に言われたが……鋭いね、還暦ですよもう(笑)。

 

しのぶさんが柱稽古に参加しないもう1つの理由、俺との個人レッスン。肩甲骨を柔らかく自在に動かし、大きな力を発揮する“ウエイブ”。こちらのほうも順調だった。現実世界で俺が体得するのは不可能だが、ここは漫画の世界。ユーチュー〇や映画で何度も見ていたおかげで、見事役に立った。しのぶさんは2週間程で体得し、童磨と会敵した場合、突き技しかできないと見せ、ここぞというタイミングで発動しようと相談した。それに伴い、頸が斬れるように新たな刀も鉄珍様にお願いし、先日打ち上って来たばかりだ。

通常の日輪刀よりやや短く刃は分厚く、遠心力で叩き斬れるように作ってある。しのぶさんは研究の合間に鍛錬を続けて頸を刎ねる技をも磨き、着々と童磨打倒の態勢になりつつあった。



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34話 決意

人物紹介 
緑川駿人(ミドリカワハヤト)…サイコロステーキ先輩。性格はだいぶ治ったがまだ少しひねくれている。覚醒し強くなっている
村田光良(ムラタミツヨシ)…村田さん。覚醒し指揮官としての能力を発揮している。冷静沈着
尾崎東子(オザキハルコ)…母蜘蛛鬼に操られる女性隊員。実は熱血少女。覚醒し殿を努めたり、仲間を護りながら戦う


「ただいま戻りました」

カナヲは訓練から帰り、研究の合間に自室に戻って書物の整理をしているしのぶに帰宅の挨拶をした。しのぶも微笑んで挨拶を返す。

 

「師範の稽古はいつお願いできますか?」

カナヲはまたしのぶに稽古をつけてもらうのを楽しみにしていた。

「カナヲ。今回、私は稽古には参加しません」

しのぶは申し訳無さそうに、しかしきっぱりと言った。

「わ、私は、師範にも稽古をつけて欲しいです」

カナヲがしのぶの機嫌をうかがうように、もじもじとしながらも希望を伝えた。

 

「カナヲもだいぶ自分の気持ちが素直に言えるようになりましたね。良い兆しです。もう良い頃合いでしょう」

しのぶは感慨深げにカナヲに笑いかけ、言葉を継いだ。

 

「カナヲには話しておきましょう。姉の仇、その鬼の殺し方を。そして私の決意を。もし姉の仇、上弦ノ弐・童磨と会敵し、私とカナヲで戦うことができたら、勝利の条件として私は鬼に喰われて死ななければなりません」

しのぶは平然と語る。

 

「何故ですか?童磨の戦い方や血鬼術も先日の講義で聞きました。一緒に戦えば、勝てる……」

激しく動揺しながらも必死に訴えるカナヲ。

「そのような考えは今すぐ捨てなさい。上弦の強さは少なくとも柱3人分。相手の戦術が分かったところで勝てる保証はありません。そのような甘い考えでは、ヤツには傷一つ負わせられない」

しのぶの表情や口調は変わらない。しかしその強い言葉が決意の固さを物語る。静かな迫力にビクリと体を硬直させるカナヲ。

 

「複数の柱たちと共闘できれば正攻法でも倒せるかもしれませんが、そう上手く行くとは限りません。しかし童磨というあの鬼は、女を喰うことに異常に執着するそうです。女で、柱となれば必ず喰らおうとするでしょう。だからこの体を毒の塊とし、望み通りヤツに喰わせるのです。現在私の体は、頭から足の爪先まで、髪の1本から手足の爪に至るまで藤の花の毒が回っています。1年以上藤の花の毒を摂取し続けて、やっとこの状態になりました。水原さんによれば私と童磨が交戦するのは確定事項らしいので、他人を当てにするより自分で何とかしなければいけないのですよ」

 

「わ、私も今から……」

何とかしのぶの役に立ちたい。そんな思いでカナヲも慌てて言いかける。

しのぶは首を横に振る。

「決戦には間に合わない。それにこんな事をするのは私1人で十分です。今後体にどんな影響が出るかも分からないし、童磨に通用するのかどうかさえ分からないけど……。私の刀で打ち込める毒の量は1回50グラム。でも上手く行けば、私の体重37キロ分、およそ700倍の毒を投与できる」

 

(嫌だ。師範の死を前提に勝つなんて、嫌だ)

カナヲの体が震え始め、引き攣ったように上手く呼吸ができなくなる。カナヲは涙を流して泣きたかったが、冷や汗が流れるばかりで泣けなかった。カナエが死んだあの時と同じだった。

 

「童磨が私を喰って毒が効き始めても、それで死ぬとは限らない。だから、カナヲが必ず頸を刎ねて止めを刺してね。それに、これは最後の手段。水原さんが全力で手伝ってくれるそうですから。これを使わずに勝てれば良いけれど」

しのぶは体を震わせているカナヲを優しく抱きしめた。数分間そうしていたが、カナヲが落ち着きを取り戻したのを確認し、頭を撫でてから体を離した。

 

「私が稽古をつけないのは時間が無いというだけではないのですよ。カナヲは改めて水原さんに稽古をつけてもらうと良いでしょう。あの人は、身内や親しい人は誰も殺されていないそうです。ただ理不尽に人の命を奪うものが許せないんだとか」

しのぶは座りなおして、いつものように穏やかな微笑みをカナヲに向けた。

 

「あの人は、鬼殺隊員の在りようを“護りし者”と言っていました。人々を護る、それが本分なのだと。……私にはその発想はできません。私はカナエ姉さんの真似をしてはいますが、復讐のために刀を振るっていると言われても否定はできません。残念だけど、カナヲを導くのはそんな私じゃない。カナヲには誰かを、自分自身を護るために刀を振るって欲しい。鬼の居なくなった世界でお婆ちゃんになるまで生き抜いて、笑顔で天寿を全うして欲しい。姉さんの最後の言葉でもあるの」

しのぶはカナヲをもう一度抱きしめ、研究室に戻って行った。

 

(なんだか水原さんの正論過ぎるお説教が移っちゃいましたね。“生きろ”なんて、今度は私がカナヲに向かって同じことを言ってる)

しのぶは自分でも可笑しくなり、クスリと小さく笑いを漏らした。

 

 

「おい、てめえ!稽古つけろ!今度は負けねえからな!」

ここのところ倫道は、柱稽古を義勇に任せて蝶屋敷に入り浸ってる。研究の総仕上げと、しのぶからカナヲにも稽古をつけてくれと頼まれているからだ。悲鳴嶼の岩柱稽古が終わったばかりだが、たまたま蝶屋敷に怪我の治療にやって来た伊之助が倫道を見かけ、稽古をつけろとさっきから追いかけ回しているのだった。

倫道は伊之助も一緒に童磨と戦うことを思い出し、

「伊之助君、それじゃカナヲちゃんも一緒に稽古しようか」

倫道はそう言って伊之助をカナヲとの稽古に巻き込み、手合わせだけでなく、伊之助、カナヲとの連携訓練もみっちりと行って童磨戦に向けての対策を十分に練った。

 

 

 

 

 

俺はお館様にお目通りを願い出ていたが何度も断られ、どうしてもとお願いして短時間だけの面会がやっと本日許された。

 

お館様は、もう起き上がることすらできない状態で、ただれたお顔だけでなく、体中に包帯を巻いておられる。申し訳ない気持ちでいっぱいであったが、あの事を何とか思い止まって頂きたかった。

「倫道……。やはり、来たね。まだ誰にも言ってはいないはずなのだが……。君は私が何をするのかも……知っているのだろう?でも、止めても……無駄だよ」

俺が会いに来た理由もお見通しなのか。二十三歳の若さでこの覚悟は。でもやはり止めなければ。自分を囮にして無惨を呼び寄せ、屋敷や家族諸共自爆するなど。

「私は……、駒の一つに過ぎない。……それに、私はこんな風にしか……戦えない……。本当に済まない……。みんなを残して……先に逝くこと、許して欲しい」

お館様はそう言って、それでも薄っすらと微笑みを浮かべておられる。話をするのも大変な状態だというのに。

 

ずるいです、お館様。ご自身は病気で辛くて苦しくていらっしゃるのに、そしてご自分の命を投げうって無惨討滅に繋げようとなさっているのに。それなのに、何故微笑んでおられるのですか?

許して欲しい。貴方にそんな風に言われたら、黙ってうなずくしかないじゃないですか。

俺はお館様の決意が固いことを改めて知る。だめだ、もう目から鼻水が。

 

「お館様……」

堪え切れず、俺はずずっと鼻をすすった。

 

「お館様の決意の程、分かりました。ではせめて、より大きな傷害を無惨に与えられるようにお手伝いをいたしたく存じます」

俺にできる精一杯、小細工にしかならないけど。爆発物に関しての専門知識のある宇髄さんにも協力を取り付けてある件だ。

 

「ああ、分かった。ありがとう……頼むよ。行冥には明日相談する」

お館様は、俺が何をするのかはやはり見通しておられるのだろう。

爆発の衝撃波の方向を緻密に計算した上で無惨を誘導し、無惨のみに大ダメージを与えるようコントロールする。無論100パーセント上手くいくとは限らない。宇髄さんを信用して無い訳ではないが、原作通り爆死する可能性だってあるのだ。

自爆を隠し通すため、原作通りお屋敷には奥様のあまね様、お嬢様のひなき様、にちか様もいらっしゃるのだろう。せめて3人を巻き込まないようにし、そしてお館様も助ける。

 

地下に避難路を作り、爆発の直後に俺が案内して避難させる。それと、珠世さんが無惨に直接薬を打ち込むのではなく、遠くから撃ち込んではどうかと考えていた。そして、俺の頭の中にはそれを可能にする人物が浮かんでいる。

それなら珠世さんも救える。珠世さん、悲鳴嶼さんと綿密な打ち合わせをして、何としても成功させよう。

 

 

 

 

俺は柱稽古の合間を縫って、近くの甘味処に村田、緑川、尾崎の“チーム倫道”の3人を誘い、息抜きも兼ねて決起集会を開こうとしていた。3人とも柱稽古最終の岩柱・悲鳴嶼さんまで辿り着いているのだ。えらいぞ!

 

「村田さん、ハヤト、ハルちゃん久しぶり」

俺が声をかけると、

「これから景気づけなのに甘味?好きだねえ」

緑川君にからかわれたが、いいじゃないか、甘いものが好きなんだから。それに酒飲むような雰囲気じゃないだろ?まじめな話もするしな。

合同任務からかなり経って、みんな成長し活躍している。村田さんは剣技もさることながら、強い者も弱い者もそれぞれの配置で生かす優れた指揮官となっており、50人程度の大きな部隊編成でも十分にその統率力を発揮していた。

緑川君は最前線で斬り込み隊長として、尾崎さんは防衛任務や撤退戦における味方の被害を抑える役割で、それぞれ活躍していた。

 

「近々最終決戦が起きる。みんなで頑張って、鬼のいない夜明けを迎えるぞ!」

俺は3人に宣言する。

「でも俺たち役に立つのか?情けないけど、お前ほど強くないし」

村田さんが言う。

「いざとなったら、俺が倫道さんの盾になるよ」

緑川君が冗談めかして言うが、これは原作で実際に起こっていたので、彼も本気なのだろう。

「あっあたしも!」

尾崎さんも言う。

「上弦とか、そんな強い敵を倒せるとは思わないですけど、盾になる位なら」

尾崎さん、にっこり笑って言うセリフじゃないぞ。軽いな、命が。でも彼らは本当に真剣なのだ。俺は自然と苦い表情になる。

 

「他人の為に死ぬのは尊いことかもしれないけど、それに酔っちゃダメだ。それに柱が一般隊員に護ってもらうわけにはいかんでしょ。俺だけじゃない、柱はみんなそう思ってるよ」

真顔になって、偽りない気持ちを告げる。

 

「だから柱じゃなくて、倫道さんを護るんだよ!当たり前だろ」

照れ隠しなのか、緑川君がぶっきらぼうに言う。

 

そんな。あたしの為にそんな。そんなにあたしのことを想ってくれてたなんて。

「そ、それはひょっとして告白!?」

俺は目をキラッキラさせて両手を胸の前で組み、乙女のポーズをすると、

「キモっ!そういう意味じゃねえよ!でも、俺たちは本気で護ろうと思ってんだぜ」

緑川君が照れながら言う。

すごく嬉しいが、本気ならなお良くないよ。俺は今度こそまじめに語る。

 

「ありがとな。でも、もしも俺の為にみんなが死んだら、俺はとてもとても悲しいよ。もし本当にそうなってしまったら、俺はみんなのお父様やお母様に何と言って詫びればいいんだ?ご存命でも、亡くなっていても関係ないよ」

親のことまで持ち出して諫めると、さすがに押し黙る緑川君と尾崎さん。村田さんもうなずく。

 

そう言いながら、俺は密かに思い出す。遠征任務にこの3人を連れて行こうと思った時のこと。

 

俺は、君たちに好かれて良いような人間じゃない。罪悪感がこみ上げる。

 

君たちを目覚めさせたのも、那田蜘蛛山で人的被害を抑えることが目的だった。悪い言い方をすれば、駒として使おうとした。君たち自身の生存を、最初からそこまで強く思ってた訳じゃない。それなのに君たちは、俺の打算も知らずにどんどん力を付けて、今では一般隊員の中では名前を知らない者はいないくらい強くなって。

ついには俺を護るなんて言ってくれて。

 

俺を護るだぁ?うう……。2万年早えわバカたれが。鼻の奥のほうがツンとしてくるけど泣いてないぞ。全然泣いてない。泣きたくなるほど嬉しいけど、だけどその気持ちだけは確かに受け取った。

 

気持ちは受け取ったから、せっかく身に着けたその力は俺のためじゃなく、自分自身を護るために使って欲しい。自分の命を犠牲になんて思わないで欲しい。

もう俺の中で君たちは、原作における単なるモブキャラではなくて、大事な仲間なんだよ。

 

すっかりしんみりした雰囲気になってしまったが、

「さあみんな、せっかくだから評判のあんみつ食べようぜ!緑川のやつ、岩柱様のところでずっと甘いモン食いてえ、って言ってたんだ」

村田さんが明るく言う。

「村田さん、そればらすなよ!倫道さんのこと言えなくなるじゃねえか」

緑川君も気を遣ってか、わざと大げさに怒ったふりをしてくれた。

そうだな、俺がしけた顔していても始まらない。俺の思惑がどうあれ、力を付けたことで3人はここまで無事に生き残っている。

 

「みんなで生きて帰ろう。命令は3つ!」

「倫道さん、だから4つだって」

俺のしょうもないボケに緑川君のツッコミ。いつもの俺たちだ。

では最後に俺から締めの挨拶を。

「俺たちは人々の命を、その幸せを護る。そしてあくまで品行方正、清廉潔白、純粋無垢、みんなの模範となるようなまじめで明るく優しくて穏やか、責任感が強く……」

「ウザッ」「うざいっす」「ちょっとうざい……です」

村田、緑川、尾崎。あのね、君たち。

 

うざいとは何事だ、うざいとは!リーダーがありがたい訓示を垂れているというのに。

こうしていつもの掛け合いをして笑い、雑談をした後決起集会はお開きになった。

 

店を出ると、そばにある2階ほどの高さの立ち木から怪しい気配がする。新しい上弦ノ肆・鳴女が放った目玉の卑妖だ。俺はそいつに向かってぴたりと指をさした。

「?」

店を出ていきなり動きを止め、あらぬ方向を指さす俺を不審がる3人。

「どうかしたんですか?」

尾崎さんが聞く。

「いるんだよ、あそこに。無惨の手下が俺たちを見張ってやがる。みんなもガン飛ばしてやれ」

俺たちはおぼろげに見える卑妖を睨みつける。それを通して見ているかもしれない無惨をも睨みつける。

 

見ているか無惨。もうすぐだ。何としてもお前を滅ぼす。

もうすぐ俺たちの決意を見せてやろう。



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無限城編
35話 襲来


一昨日から、産屋敷邸付近の森の中に設置した警戒用やぐらに夜間だけ玄弥君が待機している。

森の木々に隠れて立つそれは、お屋敷からの距離にして1町(およそ109メートル)程もあり、お庭や座敷の一部も見渡せる。無惨がやって来たとしてもおそらくお屋敷の中に直接現れると考え、この距離なら大して警戒されないと判断し設置したものだ。

玄弥君の手には、スコープを付け、長距離狙撃用の長い砲身に付け替えたあの銃。これで無惨の体に薬を撃ちこむ算段だ。原作では珠世さんが自らの手で直接無惨に薬を打ち込むが、そのまま吸収されて殺されてしまう可能性が高いので、銃撃という手段を取ることにしたのだ。現代の長距離スナイプはキロ単位かもしれないが、一発必中を狙うため、警戒心を抱かれないギリギリの距離まで近づく必要があった。大事な役割だが、今の玄弥君の腕なら外すことは無いだろう。

 

 

 

無惨襲来の2日前。

「玄弥君、君に重大任務がある」

玄弥君の長距離狙撃の腕前を実際に見た俺は切り出した。

「ここ2、3日の間に、無惨が鬼殺隊本部に襲来する」

「えっ?」

玄弥君は驚きで息を呑んだ。

 

「お館様が本部の位置をわざと知られるようにした。お館様は無惨をおびき寄せ、ヤツを巻き込んで自爆なさるおつもりだ」

俺は努めて冷静に玄弥君に告げる。

「何で!?何でそんなことするんすか!?そこまでしなくても俺たちで勝てるよな、倫道さん?」

玄弥君が俺の肩を掴む。俺は静かに首を横に振る。

「残念だがまともに戦っては分が悪い。戦力が分散されるから、無惨と上弦の鬼たちを同時に相手取る事態は避けたいところだ。お館様は、殺せはしないまでも初手で無惨に損傷を与え、夜明けまでの時間を稼ごうとなさっている。無論、お館様や皆様に怪我が無いように細工はしてあるが……」

玄弥君は眉根を寄せて口を引き結び、この戦いの厳しさを再認識しているようだ。みんなが命懸けで臨んで初めて勝機が見えてくるギリギリの戦い。お館様までが、自分の命を犠牲にしてまで何としても勝利を掴もうとしているのだ。

「そこで、君の射撃の腕を見込んで頼みたい。爆破の衝撃は無惨に集中するように調節してあるが、ヤツはすぐに再生を始めるだろう。だが少しの間、その場から動けなくなるような仕掛けもしてある」

「倫道さん。俺は何をすりゃいい?」

「蝶屋敷で研究に研究を重ねた、無惨を弱らせる種々の毒が配合された特製の”お薬”。この薬の入った弾を遠距離からヤツに撃ち込んでもらう。名付けて”ヤシマ作戦”だ」

「?」

怪訝な顔をする玄弥君。いきなりそんなことを言われてもピンと来ないだろう。

平安時代末期、源氏と平家による一連の戦の1つである屋島の戦いにおいて、弓矢の達人である那須与一が、海上に漂い揺れる船の上に掲げられた、小さな扇の的を見事射抜いたという故事にちなんだものだと説明した。

……ではなぜカタカナ表記なのか?

本当は言わずと知れたあのアニメからヒントを得たからだが、玄弥君にエヴァの話をしても通用するはずはないのでここは黙っておく。

重大な役目だが、大丈夫、君ならできる。

 

「俺が那須与一……そういうことっすか。そんな大事な場面で俺を……。ありがてえ、やってやりますよ。必ず当ててみせる」

玄弥君はしばしの沈黙の後、覚悟を決めた様子で頼もしい返事をくれた。そう、君は碇シンジ……じゃなかった那須与一だ。

「上手く命中させても気を抜くなよ。それと念のためこれを渡しておく。……絶対に死ぬなよ。そんで絶対に勝って、兄ちゃんと2人で平和な世界を生きてくれ」

俺は緊急事態に備えて珠世さんからもらったお守りを渡した。

「倫道さんも……。もし危ない時は俺が絶対助けるから!」

「ああ。その時は頼むよ」

こうして俺たちは何気ない約束をしてそれぞれの持ち場へ向かった。

後にその約束が果たされることになろうとは、この時は予想もしなかったが。

 

この作戦を思い付いた瞬間からエヴァのあの有名なBGM、「battaille decisive(”決戦”の意)」が俺の脳内でループ再生されており、我ながら厨二っぽくて一人気恥ずかしさを覚えるが、総力戦というムードがより高まる。まさに決戦の火蓋が切られようとしている今、テンションが上がる効果もあり、悪くない思い付きだと自画自賛している。

 

だが珠世さんの思い詰めた様子はとても気になり、愈史郎君からも危険な事をしないように言ってもらっていた。

 

 

 

 

 

そして、その時が来た。

 

 

 

 

 

鬼殺隊本部、産屋敷邸の座敷。産屋敷耀哉が横たわり、妻のあまねが付き添っていた。

 

漆黒の闇ではない。

月の光がわずかに照らす、座敷の縁側にほど近い庭の一角。

 

何の前触れも無かった。座敷の燭台の炎は揺らめきもしなかった。

 

淡い月の光を背後から浴びて黒い人影が突如現れ、座敷へと近づいて来た。座敷の燭台の灯りが徐々に人影の周囲の闇を消していく。その者の眼底が光を反射して猫の目のように煌めき、仄白い顔が浮かび上がった。

 

「やあ……来たのかい……?初めましてだね、鬼舞辻無惨……」

産屋敷輝哉は横たわったまま、人影にそう声をかけ、まるで旧知の仲であるかのように迎えた。耀哉に寄り添っていたあまねも大きな動揺は見せなかった。

鬼の始祖、鬼舞辻無惨が庭から座敷へと土足で踏み入って来た。

 

「何とも醜悪な姿だな、産屋敷」

眉目秀麗な洋装の若い男性が、酷薄な笑みを浮かべ産屋敷耀哉を見下ろしていた。仰々しく何とも芝居がかった服装だった。上等な仕立ての背広の上下にネクタイを締め、立派な外套を羽織っている。ジャケットの下にはベストまで着込む念の入れようだ。しかしその顔色は不自然なほどに蒼白い。

 

顔だけでなく体中に包帯を巻き、自力で寝返りを打つことさえできない耀哉はしかし、驚きもしない。

 

「拍子抜けだな。下らぬいたずらばかりして私の邪魔をして来た鬼殺隊の長……。私自ら殺してやろうとわざわざ出向いて見ればこのザマだ。既にお前は屍同然ではないか」

嘲り言い放つ無惨。

 

耀哉はただ呼吸するのさえ苦しそうであったが、やっと口を開いた。

「君と私は元は同じ血筋……。それは知っているね?……君のような怪物を……出してしまったせいで、私の一族は天罰を受け……呪われている。みな三十年と生きられない……。私も半年も前には、明日にも死ぬと医者に言われていた……。今日まで生き長らえたのは、君を倒したい一心ゆえだ……」

耀哉は弱々しい声で呟いた。

あまねに支えられながら何とか上半身を起こしたが、目や鼻から出血し、包帯がまた赤く染まっていく。

 

「天罰だと?私が鬼になったことと、お前たちが早死にすることには何の関係も無い。この私には何の天罰も下っていない。いちいち数えたことはないが、私は何千という人間を殺している。配下の鬼を合わせれば殺した数は幾万にも届くだろうが、私は許されている。神も仏もこの千年ついぞ見たことが無い」

無惨はそう言い切って不敵に笑う。その傲岸不遜そのものの態度は、何者にも脅かされないという自信の現れであった。

 

瀕死の人間を前にしても無惨は感情の揺らぎをほとんど見せなかったが、あれ程目障りだったはずの鬼殺隊の長と会話をしているというのに、逆に憎しみが湧いて来ないことには少しばかり当惑していた。

 

この屋敷の様子に奇妙な懐かしさすら感じることに違和感を覚え、無惨は周囲の気配を改めて探った。屋敷には当主の耀哉、妻、娘が2人。護衛の隊員もいない。ずいぶんと遠間に一つ気配があるが、気配から見て柱ですらなく、攻撃など届くはずもない。あるいは銃でも撃つもりなのか。しかし無惨は銃などに少しも恐怖を感じていなかった。銃撃を受けたところで即座に再生すれば良いだけの話だ。

 

(もうすぐ私はこの男を殺す。他の者を呼ぶ時間も無い。そんなに遠くに居て何の意味があるのか)

無惨は半ば呆れながら嘲笑した。

 

「無惨……、君の夢は……何だい?」

唐突に耀哉が聞いた。

当てて見せようか?耀哉は包帯の下でうっすらと笑う。

「君は……永遠を夢見ている……。違うかい?」

ズバリと核心を突いた。その声は所々掠れ、相変わらず消え入りそうに弱々しい。

 

「その通りだ。禰豆子の隠し場所にずいぶんと自信があるようだが、この場所を探り当てたように禰豆子の居所もすぐに分かるだろう。私は禰豆子を手に入れ、日光すら克服して永遠不滅の完全な生命となる。その望みは間もなく叶う」

本心を言い当てられるが、無惨は怯んだ様子も見せずに答えた。

耀哉は目を瞑ってじっと聞いていたが、フッと軽く息を吐き、見えぬ目を開いた。

 

「鬼舞辻……無惨」

耀哉はゆっくりと語りかける。

 

「君は…、思い違いを……している。君の永遠とは、自分1人で永遠に……生きて行くことなのかい?……そうではない。私は……永遠とは何か……知っている。永遠とは……人の想いだ。人の繋がりから紡がれた……想いだよ。……無惨、君には慕ってくれる者はいるかい?何でも話せる友はいるかい?……君は許されていると言ったが、そういう者が傍にいないことは、天罰ではないかな?……鬼殺隊の子供たちは、みな強く結びつき互いに思い合っている。……そして、大切な人の命を奪った者を許さない、そんな悲しみを誰にもさせないという強い想いを抱いている。……可愛そうな子供たちは大勢死んだ。だがその想いは受け継がれ、鬼殺隊が滅ぶことは無かった。君には理解できないだろうね」

耀哉は一度言葉を区切った。

 

声量はさほど変わっていないはずなのに、耀哉の声に芯が通り、言葉が熱を帯びていく。聞く者の心を揺さぶるその声が、力を取り戻し始めている。光を失ったはずの目が無惨を見据えた。

 

「命に限りがある人間にとって、君たち鬼に対抗する光があるとすれば、それは絆だ。想いを繋いでいく人間同士の絆だ……。たとえ一人の命が尽きて潰えたように見えても、それは誰かに受け継がれて再び輝く。それこそが永遠、それこそが不滅なんだ」

死にかけた人間とは思えない程に耀哉の気力が充実していく。無惨はそれを薄気味悪く感じていた。

 

「君にはこれが理解できないだろうね。なぜなら君たち鬼は……君が死ねば全ての鬼が滅ぶのだろう?」

耀哉は包帯の下でまた微笑む。

無惨は一瞬言葉を失った。

「どうしたのかな……?空気が揺らいだようだ。当たり、かな?」

耀哉は微笑みながら、無惨の動揺をも言い当てた。無惨は、言葉の刃が自分を追い詰めているように感じ、初めて怒りを覚えた。

 

「もういい、黙れ」

無惨は耀哉を殺そうと、頸に手を伸ばそうとした。

 

「こんなに話を聞いてくれるとは思わなかったが……。もう一つだけ、いいかい?無惨。……月は、見えるかい?」

「月だと?」

「この世の最後の月だ……どんな様子だい?」

無惨は不審に思いながらも、部屋の中心から縁側に近づく。

庭では、耀哉の2人の幼い娘がわらべうたを歌いながら紙風船で遊んでいる。夜であることを除いては、長閑そのもの。

何か仕掛けてくるとしても、こんなに身内が近くにいるのだ。おそらく、今それはあるまい。

無惨は多少の警戒は抱きつつも縁側に立って空を眺め、三日月が出ている、そう言おうとした。

 

「お館様!?」

あまねの声が響く。

 

 

それが合図。

 

耀哉の横たわる布団と無惨との間にある畳が反転して立ち上がり、無惨に向けて大量の爆薬が露わになり、同時に畳は輝哉とあまねを護る防護壁になった。あまねが素早くヘッドフォンを装着すると、耀哉の耳を塞ぎ頭を抱えるように覆い被さって爆発の威力から護る態勢を取った。庭のひなき、にちか姉妹は予め高性能の耳栓を装着している。

潜んでいた倫道が、仕掛けた爆薬を起爆した。

 

腹の底から、体ごと揺さぶられるような大轟音。

爆発は夜空を赤く染め、衝撃波と熱風は座敷から縁側に向かってまっすぐに伸びて、無惨を襲った。



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36話 開戦

たしかに産屋敷の2人の娘は無惨の近くにいた。そして耀哉とあまねもほんの数メートルのところにいたが、爆風の方向が違った。爆発による衝撃波と熱風は、畳1枚ほどの大きさで座敷から庭の方向に発生するよう限定されており、唯一その射線上に居た無惨に集中した。爆薬が取り付けられた畳は防護壁となって耀哉とあまねを護り、無惨は屋敷の外まで吹き飛ばされた上、全身の半分ほどをまだらに抉り取られ、残った部分も黒く焼け焦げていた。爆風の方向にある庭の土は抉れ、石灯籠も粉々になって吹き飛び、屋敷の塀と外の木立も10メートル程消し飛んでいた。

 

(何か仕掛けて来るとは思っていたが、これ程とは!……産屋敷、あの男を誤解していた。ニヤニヤと薄気味の悪い笑顔の仮面の下で、このような大それたことを考えていたとは。自分自身どころか家族を巻き込んでまで私を殺そうとするとは……!狂っている!正気の沙汰ではない!)

体は損傷が激しかったが急速に再生修復を進め、無惨はよろめきながら立ち上がった。だがこの間に、どこからか現れた倫道が庭にいたひなき、にちか姉妹とあまねを促し、耀哉を横抱きにして床下の隠し通路を目指して駆け込む光景を目にしていた。

 

(あの至近距離に居ながら何故やつらは無事なのだ?それにあの男は!)

 

水原倫道。直接手を下すことは少ないが、こちらの動きを見透かしたように手を打ってくる得体の知れない男。

 

(この男の策か!この爆破も最初から計算ずくで……!私がこの屋敷に来るように仕向け、爆発に巻き込んだというのか。気に入らん!)

 

そして爆風が収まると、肉の種子が周囲に漂って来るのが分かった。種子からは大小様々な大きさの棘が飛び出し、無惨を串刺しにした。棘は体内でさらに細かく枝分かれし、無惨は身動きが取れなくなった。

(これは血鬼術!?誰のものだ?しかし問題ない、吸収してしまえば良い)

無惨がそう思った時だった。重い銃声が響き、玄弥の放った薬入りの銃弾が無惨の胸に命中して食い込み、薬が体内に入った。

 

上手く命中したらこの1発のみ。もし外した場合はもう1発空砲を撃つ。そう決めてあった。

(もしも外したら俺が行く!)

そう思っていたが、倫道は銃声を聞いてヤシマ作戦の成功を確信し、耀哉たちの退避を進めた。

 

(こんな時に銃撃か!小賢しい)

普段ならば銃撃など受けたところで何の問題もないが、今この場面で続けて受ければ多少再生が遅れてしまう、無惨は危惧したが銃撃はこれ1発だった。しかし撃ち込まれた弾には何かが入っていた。

(何だこれは)

無惨は不審に思いつつも吸収してしまう。例え何か害のあるものだとしても、すぐに分解できるはず、そう思っていた。

 

その時何者かの腕が、無惨の修復中の体に突き込まれた。

「お前は!」

無惨はそれすらも、その手に握られていた何かとともに容易く吸収するが、その方向に目を向けて驚愕した。そこにいたのは目くらましの術を使って接近した珠世であった。

「珠世!何故お前がここに……!何をした?」

再生が進んでいるとは言え、体の半分を吹き飛ばされ棘で固定されている。それに加え人間が、おそらく柱たちが集まって来る気配がしている。早く完全に体を修復して迎え撃たねばならないが、この緊急時にまで執念深い女狐があくまで邪魔をしてくる。

 

無惨は怒り、珠世を一息に殺そうとする。

「……私の拳を吸収しましたね!?この手に握っていたのは何だと思いますか?私が持っていたのは、“鬼を人間に戻す薬”ですよ!効いて来ましたか?」

珠世は驚くべき事を口にし、憎々しい不敵な笑みを浮かべている。

「鬼を人間に戻す薬だと?そんな物ができるはずがない!」

自分をずっと付け狙う珠世にいらだちを募らせる無惨。

「それが、できたのですよ!私1人ではなく、みなの力で!この時を……どんなに待ったことか!今日こそお前を……地獄へ……!」

「お前もしつこい女だな珠世!お前の夫と子供を喰い殺したのはお前自身ではないか。逆恨みも甚だしい。迷惑千万とはこのことだ!」

無惨はわざと止めを刺さず、いたぶるように珠世の頭を掴んで締め付ける。珠世の頭蓋骨がミシミシと音を立てた。

「夫とわが子を喰い殺しただけでは飽き足らず、大勢の人間を楽しそうに喰らっていたな?そのお前が、よくも私のことが言えたものだな」

「そうだ、私は大勢の人を殺した……。その罪を償うために、お前を殺して道連れにしてやる!お前も私と共に、今日ここで地獄に堕ちろ!!」

無惨の嘲りに、珠世は絶叫した。

 

 

(珠世さん!!何でここに!打ち合わせと違うじゃないですか!)

倫道はこの光景に呆然とする。これでは珠世の命が保証できない。

 

 

 

(宇髄さん!どうですか、爆破大作戦上手く行きましたよ!見ものでしたよ、ズタボロになって悔しがるあの無惨の顔!いい気味だぜ!それに玄弥君もさすがの腕前、ヤシマ作戦も成功だ!)

先制攻撃としてはこれ以上ないほど上手くいった。倫道は心の内でガッツポーズしながら耀哉たちを退避させ、待機していた隠隊員に預けてこの場に戻って来た。そして目にしたのは、原作通りの無惨と、腕を吸収された珠世の姿。

倫道は驚き、軽くパニックになっていた。事前の打ち合わせでは珠世は前線とは離れたところで待機して救護の指揮を執り、場合によっては応急処置などをするはずだった。しかしこのままでは無惨に吸収され、殺されてしまう。

 

(珠世さん、まさか最初から死ぬつもりだったのか!!)

 

 

 

 

「直接の戦闘力を持たない貴方は、危険なので最前線に出てはダメですよ。まして無惨に近づくなど以ての外です」

珠世が危険を冒して無惨に薬を打ち込む必要が無くなったので、原作通りにならないよう倫道はそう説明して何度も念を押した。

曖昧に微笑む珠世に、

「そうですとも。危険なことはこいつらにやらせておけば良いのです!」

珠世を慕うあまりに愈史郎が思わず本音を口にする。倫道は苦笑し、

「……愈史郎」

低い声で珠世が叱責する。愈史郎は慌てて、冗談です!と直立不動になった。

「本当に、危険なことはしないでください」

倫道は再びお願いした。

「分かりました。私も鬼とはいえ、命は惜しいですから」

大丈夫だ、確かに珠世はそう言っていた。愈史郎と別行動を取ると決めたのはこの後だが、致し方ないと倫道は思っていた。愈史郎には最前線に近いところで働いてもらう必要があった。

 

 

自らの手で復讐ということもある。自らの手で無惨に薬を投与すること。しかしそれ以上に強かった感情。

(鬼となって自我を失ったからとは言え、珠世さんは大勢の人を殺してしまった。その罪の意識に、珠世さんはずっと苛まれ続けてきた。死をもって自らの罪を償う……。その強い感情を過小に評価していた)

 

痛恨の判断ミスだった。倫道は自らの読みの甘さを悔いたが、既に珠世はもう肩まで吸収されており、戦いの中で強引に引き剥がして奪還するのは不可能だった。

 

ただ研究に研究を重ねた対無惨用の薬は、本命も予備も一滴残らず全てが投与された。

もしも玄弥が外した場合に備えて倫道が持っていたはずの予備の薬は、いつの間にか偽物にすり替えられていた。

 

 

 

 

「うおっ?!」

玄弥はやぐらからこの大爆発を見ていた。

(この爆発で、本当にお館様は無事なのか?)

爆煙が少し晴れ、倫道が耀哉たちを連れて逃げるのがちらりと見え、ようやく安心して改めて無惨をスコープに捉えた。そして無惨が棘に固定され身動きができないタイミングで狙撃を敢行し、見事に命中させていた。

 

(よしっ、当てたぜ!後は)

後は、待っていれば強制的に鬼の居城、無限城へ落とされるはずだ。

 

(兄ちゃん、俺も絶対役に立って見せる!)

ガシャ!と銃身を短いものに付け替え、高揚感を抱きつつ玄弥は戦闘開始を待つ。懐には倫道からお守りとして渡された鬼用の回復薬があった。

 

産屋敷邸襲撃の報を聞き、柱たちと炭治郎が急行していた。

 

「悲鳴嶼さん!お願いします!」

愈史郎の血鬼術を使い予め近くに潜んでいた悲鳴嶼は、珠世の合図で巨大な棘付き鉄球を無惨の頭部に叩きつけて粉砕するが、無惨の頭部は見る間に再生し忌々し気に悲鳴嶼を睨んだ。

 

悲鳴嶼は音でそれに気付く。お館様の読み通り、この男は頸を斬り離しても死なない。この男を殺すには太陽の光で焼き殺すしかない。太陽が昇るまで、この場に留めなければならない。

 

「無惨だ!こいつが鬼舞辻無惨だっ!」

悲鳴嶼が叫ぶ。他の柱たちも到着し、悲鳴嶼が対峙している者の正体を知る。

 

柱の一斉攻撃が無惨に襲い掛かるが無惨はニタリと笑う。無惨は鳴女に無限城への転移を命じていた。もちろん無惨自身だけではない。

 

突如、この場にいる全ての者たちの足元に巨大な空間がぽっかりと口を開けた。

地獄――無限城へと続くゲート。

 

鳴女に捕捉されていた隊員、いや倫道が意図的に捕捉させていた有力隊員たちも、鳴女に召喚されて次々に無限城に落とされて行く。この場にいない者も同様に無限城へ落とされていた。

「これで私を追い込んだつもりか?貴様らがこれから行くのは地獄だ!!今宵こそ皆殺しにしてやろう!」

無惨は自らの本拠地である無限城に誘い込み、鬼殺隊の殲滅を狙っていた。

(まんまと自分たちの方から地獄へ落とされに来た)

してやったりの笑みを浮かべる無惨だったが、柱たちは全く慌てていなかった。

(お前こそ俺たちを罠にはめたつもりだろうが、こちらは既に知っていることだ)

(水原の言う通りだな)

想定通りの展開に笑っている者さえいた。

 

「地獄に落ちるのはお前の方だ無惨!今日こそは逃がさない!絶対に倒す!!」

炭治郎が無惨に向かい絶叫する。

「人間風情が。できるものならやってみろ、竈門炭治郎!」

無惨は余裕の薄ら笑いを浮かべて言い返し、無限城へと落ちて行った。

 

 

ついに迎えた最終決戦。みなその覚悟はできていた。

 

 

「マスカラス!俺から離れるな!」

「リンドー!」

1人と1羽も遅れまいと空間転移のゲートに飛びこんで行く。他のカラスたちも主の後を追って次々と異空間へとダイブして行った。

 

 

愈史郎の血鬼術“目”。その力を宿した札を身に付けると、札を身に付けた者同士で視覚の共有が可能となり、札を身に付けた者以外からは姿が見えなくなるなど様々な効果を持つ。愈史郎は珠世からの願いで、鬼殺隊を援護すべくこの力を作戦本部に与え、全く不本意ながら珠世と別行動を取ることになった。

 

本部の人員は、総司令官・新しいお館様である八歳の産屋敷輝利哉、サポートのくいな、かなた姉妹と作戦参謀の村田。愈史郎本人は無限城へと潜入し、カラスや隊員たちにこの札を与えて伝達網を敷き、更に実際の怪我も鬼の力による怪我も、両方に対応する従軍医官として働く手筈になっていた。

 

倫道は、壁を斜めに走って落下の衝撃を緩和し、猫のように着地した。

すぐさま潜入させていた音式神・茜鷹を機動、上弦ノ肆・鳴女の位置を捕捉しにかかった。

 

また倫道は岩紅獅子、白練大猿、消炭鴉を全て機動。鳴女にマーカーを付け、大役を終えた茜鷹もこの場に還る。

 

倫道は集結した音式神たちに微笑みかけ、

「みんな、最後の大仕事だ。頼むぞ!マスカラスを護れ。……レイヴン!」

号令とともに、式神たちが全て細かい粒子となってマスカラスの体表面を覆い、その動きを妨げないアーマーとなった。美しく黒いカラスの羽の所々に赤いラインが入り戦闘的なフォルムだ。

「ギャアア!何ジャコリャアア!」

“カラス版ウルトラマンスーツ”に慌てるマスカラス。視界は一瞬暗くなり、すぐに周囲の光景が目で見たようにスクリーンに表示された状態となった。

 

「何かカッコ良くなったな。必殺武器はないけど、これでお前の運動性能と防御力、知覚の機能も格段に上がる。式神がお前を護ると言っただろう?」

倫道は自分が隠れるのに使っていた“目”の札に刀の下緒の紐を解いて通し、邪魔にならぬようたすき掛けにしてマスカラスに掛けた。すると判明している範囲で、無限城の立体的なマップが自身の現在地とともにマスカラスの視界のスクリーンに投影された。

 

「これで本部と視覚の共有ができる。それにこの鎧を着けていれば俺の位置も分かるし脳波で交信できる。お前はカラスたちをまとめて“目”を撒いて情報網を作れ。情報伝達の要になるんだ。“目”をつけて飛び回ってれば本部で城内の見取り図をどんどん詳しくしてくれる。それから、上弦ノ肆・鳴女を捕捉しろ」

 

倫道は麻酔薬が充填された自動注入機能付きの注射器を取り出す。

「発信機が付いてるから特定は容易なはずだ。捕捉したら、近くの隊員と愈史郎君と連携して、ヤツを支配下におく。これを使え。頼むぞ!」

「アタイニ任セトキナ!本当ニオマエハ最後マデ、アタイガイナイト何ニモデキネーナ!」

マスカラスはいつものように、ンガア!と元気いっぱい答える。

「はいはい、いつもすみませんね」

倫道は思わず苦笑した。

「それと……お前も絶対に死ぬなよ!」

腕に留まったマスカラスの頭を撫でる。

マスカラスはじっと倫道を見る。そして、

「オマエモナ、リンドー。オマエガ死ンダラ……アタイハ……」

(どうした、お前が死んだらあたいも生きていけない!か?さすがは相棒。そうかそうか、可愛いやつめ。でも大丈夫だ。長い時離れても、必ず呼び合う絆を運命と呼ぶんだせ)

などとエヴァでまとめた倫道が勝手に絆を感じて胸熱になっていると、

「勝手ニ死ンダラ、地獄マデ行ッテアタイガブッ殺スカラナ!」

マスカラスはまた元気良く言い残し、勢いよく飛び立っていった。

 

(結局殺すんかい……)

倫道は見送りながら微妙な表情を浮かべたが、気を取り直して童磨と戦うしのぶの元へ急いだ。

 



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37話 仇敵(VS童磨)

しのぶは、無限城内を一人歩いていた。

(これが水原さんの言っていた無限城……。だけど現在位置が全く分からない)

しばらく歩くと目の前に扉が現れ、それを開けると、蓮の花が咲く池の上にいくつもの通路を巡らせたような構造の、天井が高く広い空間が現れた。

 

通路の一角に、血まみれで折り重なるように大勢の人が倒れている。その中で、こちらに背中を向けて座り込んでいる者がいる。

ボリッ、ボリッと硬い物が砕ける音が周囲に響き、しのぶがじっと見ていると、気配を察したのかその者がぐるりとこちらを向いた。

「あれえ、来たの?わあ、女の子だね」

手に持った人間の腕を食べながら、口の周りを血だらけにして愛想良く笑顔を浮かべる鬼。

 

「やあやあはじめまして。俺の名前は童磨。いい夜だねえ。君、名前は何て言うの?」

鬼はわざわざ帽子を取って仰々しく挨拶をしてくる。その頭頂部付近の髪に、血を被ったような紋様が見えた。

これだけの数の人を殺してその遺体を食べながら、楽しそうに朗らかに語り掛けてくる。残虐さと爽やかな笑顔のギャップがこの鬼の異常性を際立たせていた。

 

(童磨、そう名乗った。それに頭には血を被ったような紋様。外見の特徴も一致する。やはり水原さんの言う通りですね)

倫道の講義によって、姉の仇は上弦ノ弐・童磨という鬼であると分かった。武器や戦術も詳細に解説を受け、珠世と倫道の協力の元、新たな発想で今までにない特別な毒も新たに作ってある。

何より1年以上かけて藤の毒を摂取し続け、自分の体を毒の塊にしてある。

倫道には思い止まるように言われていた。涙ながらに何度も何度も深く頭を下げられていた。あまりの真剣さにその時は決意が揺らがぬではなかったが、いざとなれば捨て石となって自分を喰わせて弱らせ、他の人に、できればカナヲに頸を斬らせる覚悟であった。

そして新たな技を身につけ、頸が斬れるようになった。

 

ようやく巡り合えた姉の仇。たった一人の肉親を奪った敵が目の前にいる。

湧き上がる憎悪が、殺意が抑えられなかった。激しい感情によって一瞬でアドレナリンが奔騰し、自分の心臓の鼓動が聞こえるような気さえする。

 

「私は鬼殺隊 蟲柱・胡蝶しのぶ。お前が童磨か!」

しのぶは、常に顔面に貼り付けている笑顔を取り去り、近づきながら名乗る。

「おや、どうしたんだい?そんなに険しい顔をして。何か辛いことがあるなら聞いてあげよう。さあ話してごらん」

優しく語りかける童磨。

「辛いも何もあるものか。私の姉を殺したのはお前だな?この羽織に見覚えはないか!」

憤怒のあまりしのぶの表情が歪み、噛みつくように言い放つ。

「あっ!あの花の呼吸の女の子かな?朝日が昇って食べ損ねた子だね。救ってあげられなくて申し訳なかった――」

童磨が言い終わるより早く、

「蟲の呼吸 蜂牙ノ舞・真靡き!」

しのぶの瞬息の突き技が決まる。童磨は反応したが止められず、左の眼球から後頭部へとしのぶの剣が貫通する。

「速いなあ!止められなかったよ。でも」

童磨はにっこり微笑んでその傷を指で撫で、見る間に塞いでしまった。

「突き技じゃ鬼は殺せないよ。やっぱり頸を斬らないと」

トントンと手にした鉄扇で自分の頸を叩いて見せた。しのぶは鞘に納めた日輪刀の柄を回して第一の毒を用意する。

 

「突きでは殺せませんが、毒ならどうです?」

またしても鋭い突きが決まり、しのぶの剣から毒が注入される。

(これで、この毒が上弦に効くかどうかがはっきりする。効いたか?)

童磨の顔色が見る間にドス黒く変色し、ぐはっ、と血を吐いて膝から崩れたが、数秒後には顔を上げしのぶを見てニヤリと笑った。顔色が部分的に戻り始めていた。

「あれえ?毒、分解できちゃったよ。ごめんねえ」

わざとらしく語りかけ、童磨は何事も無かったように立ち上がる。顔色は既に元通りになっていた。

 

「遊ぼうよ、しのぶちゃん!」

童磨は薄ら笑いを浮かべながら鋭い刃の付いた鉄扇を振り、しのぶに斬りかかった。

「血鬼術・粉凍り」

しかしその攻撃の本体は、凍らせた自らの血を斬撃に見せかけてまき散らすことだ。

しのぶは前掛りにならず、すぐにバックステップで距離を取った。

 

(凍った血を霧状に散布する技……。これを吸い込めば肺が凍って呼吸が使えなくなるんでしたね。水原さん、助かりました)

普通の冷気を吸入しただけなら肺胞が壊死することはあり得ない。口や鼻から肺に至る気道の粘膜が空気を加湿、加温するからだ。だが、この血鬼術の恐ろしさは、その粒子がごく小さいことにあった。その直径はPM2.5と同程度。このため極低温のまま気管、気管支を通過して肺胞まで到達し、肺胞壁に付着して壊死を引き起こすのだ。

(冷気を吸わない?本能的に避けているのかな。試してみようかな?)

童磨は血鬼術・粉凍りを連続で繰り出し、鉄扇で斬りかかりながら冷気を吹き付ける。

しのぶはバックステップで距離を取るが、童磨は自身の周囲に極低温微粒子を纏わせているためじりじりと追い詰められてしまう。いかにしのぶの突き技が早くてもうかつには仕掛けられなくなった。

 

ダァン!と扉が蹴破られた。

「空波山!」

続けて放たれた2条の真空の刃がスッパリと童磨の両腕を切り落とす。

「しのぶさん!遅くなりました!」

倫道が現れた。特殊フィルターの付いたマフラーで口と鼻を覆い、しのぶにもマフラーを投げた。

「あら、おしゃれですね!」

しのぶもマフラーを鼻と口に巻き笑顔を見せる。

「しのぶさん、毒は?」

「これから試します。冷気が厄介でなかなか近づけませんね。援護をお願いしてもよろしいですか?」

「むぉちろん!」

原作でもどうしても避けたかったしのぶの死。この世界では絶対に護る。助太刀して仇討ちを完遂する。倫道は、寒さで口が回らなくなるのを感じながら気合を入れ直した。

 

 

 

 

俺は無限城そのもの、壁、床、天井、あらゆる所、刀で触れるものすべてをめちゃくちゃに斬りまくって破壊しながら、城内を飛ぶカラスと輝利哉様たちの道案内でようやく童磨の部屋にたどり着いた。扉を蹴破って飛び込むと、そこではしのぶさんと童磨が既に交戦中であった。

「空破山!」

童磨の吹き散らす冷気のせいで真空波の軌道が良く分かる。新しく身に着けた鎌鼬の上位互換の技で、スピード、威力共に段違いだ。一瞬で童磨の両腕を切り落とす。本当は雲体風身とか色々な闘仙術を身に付けたかったのだが、日本には仙人が見つからなかったので断念したのだ。空破山とその派生技は剣技と言えば剣技なので、何とか独力で身に付けられた。

 

「へえ、また来たの。今度は男の子だね。君の名前も聞いておこうか」

童磨は瞬時に腕を再生、その手には既に鉄扇を持っている。

しかし寒い!気温差に、顔が、口がかじかんで上手く喋れない。

 

決めセリフを言おうとして、

「お、おにに、なぬぉる、ななどぬぁい(訳 鬼に名乗る名などない!)……」

あ、あれ?

「……?」

怪訝そうな顔をする童磨。

 

だめだ。全然口が回らないので仕方ない。

「みずはらりんどうだ」

つっかえながら、諦めて結局名乗る。

「水原……倫道……?ああ、君があのお方がおっしゃっていた得体の知れない人だね。そんな風には見えないけど。せっかくだから少し話をしようよ。鬼殺隊って、鬼と見れば斬りかかってくるような人ばかりだったからね」

それにしてもこの童磨というやつ、鬼だから顔色は悪いんだけど、本当に爽やかというか、悪い奴には見えない。まあいかにも悪者という外見じゃないところが怖いんだが。

 

 

 

 

 

扉が勢いよく開き、カナヲが戦場に飛び込んで来た。

「師範!」

心配そうにしのぶに呼びかけ、無傷でいるのを確認して安堵していた。そして、同じくマフラーで口と鼻を覆い、対峙している鬼を見る。

(童磨だ。師範が童磨と対峙している!)

「どおりゃアアア!天空より出でし伊之助様のお通りじゃアアア!」

そしてまた1人、天井をぶち破って伊之助が落ちて来た。

 

「みんな、分かってるな!」

倫道は確認のため呼びかける。

「分かってるっつーの!冷気を吸い込むなってんだろ?だけど俺様は遠間からでも――」

伊之助はいきなり童磨に突っかかる。

「斬れるんだぜ!」

走りながら肩、肘の関節を外し、通常なら到底届かない遠い間合いから鞭のように腕を振った。

「獣の呼吸 玖ノ牙・伸うねり裂き!」

童磨は顔面にまともに斬撃を食らい、驚いて後退する。伊之助はさらに二撃目、三撃目を加えようと腕をしならせて迫るが頸には届かず、童磨は浅い傷を負っただけであった。

「あはは、面白いねえ君!めちゃくちゃだけど、俺に手傷を負わせるなんて」

「ちっ、浅えか」

残念がる伊之助。

「舐めてかかるなよ!」

倫道は改めて警戒を呼びかける。一太刀浴びせた程度では、上弦は小揺るぎもしないのだ。

「やっぱり被り物かあ。なかなか年季入ってるなあ、これ」

すうっと大気の揺らぎも見せず、童磨がいつの間にか伊之助の被り物を取り上げる。

 

「てめえっ!俺の猪頭返しやがれ!」

被り物を取られた事に気付き、伊之助が斬りかかり、カウンターを防ぐため倫道も動く。

しのぶも隙を伺う。童磨は伊之助の斬撃を躱しながら鉄扇で斬りつけるが、倫道がこれを防ぐ。カナヲがさらに斬りかかり、倫道が隙を見て猪頭を取り返し、伊之助に放った。

 

「あれえ、君の顔、どこかで見た気がするなあ……。どこだったかな?」

童磨は攻撃を捌きながら余裕を崩さない。

 

「しのぶさん!俺たちが撹乱するから毒を!」

倫道はしのぶに叫ぶ。しのぶは第二の毒を装填し、倫道、カナヲ、伊之助が次々に斬りかかる隙を見て毒を打ち込んで行く。

(さっきの毒と種類を変えて来たか。無駄だと思うけど)

童磨は、打ち込まれたのが先ほどとは違う毒だと悟るが、即座に分解してしまった。

「うーんこれも駄目みたいだね」

童磨は即座に分解できたことで、また余裕の笑みを浮かべる。

「水原さん!これは効きませんよ!」

「いいからどんどん打ち込んで!」

しのぶと倫道は言い合い、しのぶはちっと舌打ちしてまた距離を取った。

「それは効かないみたいだから、調合を変えた方が良いんじゃない?」

笑いながら斬りかかる童磨。鉄扇を振るう度に粉凍りがまき散らされ厄介この上ないが、倫道は連撃の機会を狙う。

倫道は目でしのぶに合図して連撃の準備を促し、童磨にショートレンジでの斬り合いを挑む。

童磨の鉄扇の連撃を全て切り返し、カウンターの斬撃を入れてふらつかせ、離脱と同時にしのぶが連撃を入れた。

「5連撃、これならどうだ!」

倫道が童磨に向かって叫ぶが、

「毒を喰らうのって面白いね!癖になりそう!次のは効くかもしれないよ、やってみようよ!」

童磨は満面の笑みを返す。

 

「頑張れ!君たち!」

童磨はダメージを受けるどころか、さも愉快と言わんばかりに爽やかに笑いながら冷気を吹き散らし、倫道たちの頭上に巨大なつららを出現させるなど、多彩で強力な氷の血鬼術を徐々に展開し始めた。

肺がやられるのを警戒し、4人はヒットアンドアウェイの戦法を崩さず距離を保つ。跳ぶように移動し、全力で刀を振りながらも4人は連携を取り、しのぶの突きに繋げていく。見事な連携だがそれども童磨を一気に崩すことはできない。両手の鉄扇は斬撃だけでなく防御にも優れ、殊に頸の防御は完璧であった。その攻防一体の動きと氷の血鬼術の広い間合いに倫道たちは攻めあぐねていた。

 

(殺すのはある程度技を出させてからだ。情報は有益だからね。それにしても俺の能力や血鬼術の情報まで伝わっているようだ。冷気を吸い込むなと言ってたし……どういう事だ?あのお方のおっしゃるように、この男が何らかの手段で情報を得ているのかな?)

童磨も情報を引き出すつもりなのか一気に攻勢をかけては来ない。倫道、カナヲ、伊之助が代わる代わる、または同時に斬り込み、隙を見てしのぶが突き技で毒を注入するフォーメーションだが、しのぶは頸が斬れない事を童磨は見抜いており、さらに毒もすぐに分解にできるため脅威とは感じておらず、突き技に特に注意も払っていなかった。

 

倫道としのぶは毒が全く効かないことに焦りの色を見せながらも、なおも第二の毒を打ちこみ続けていた。

「さっきから100発は打ってるが、毒が効いてねえじゃねえか!これじゃ埒が明かねえ!」

チームプレーに徹していた伊之助も焦れて叫ぶ。

「伊之助君、焦らないで!3人はこのまま隙を作ってください。私はもっと毒を刺しますから!」

しのぶが必死の形相で呼びかける。

 

「ごめんねえ、毒はもう分解できちゃったよ。でも、えらい!君たちは頑張ったよ!無駄だというのに、毒なんか効かないと分かっているのに命懸けで戦い続けるなんて。何というひたむきさ!何という愚かさ!これが人間の素晴らしさなんだよ!」

童磨は目を閉じて語る。

「君たちは、俺に喰われるのにふさわしい。俺の一部となり、共に永遠に生きよう」

自分の言葉に陶酔するようにさらに言った。

 

「ごちゃくそうるせえよ!てめえになんぞに喰われてたまるか!」

伊之助は怒鳴り返した。

童磨の芝居がかった動きがふと止まり伊之助を凝視。

「そうだ、君はやっぱり見た事あるよ。うーん、どこだったかな?」

童磨は指を頭に刺し、血が噴き出すのも構わず脳をぐちゃぐちゃと弄って記憶を探り出した。

その気持ちの悪さに、激しい憎悪をたぎらせるしのぶさえもげんなりする。

「そうだ、琴葉って言ったな。赤ん坊を連れて逃げて来て、教団で匿ったんだ。伊之助っていつも呼びかけていて、指きりげんまんの歌ばっかり歌ってね。喰わないつもりだったけど、俺が信者を喰ってるのがばれちゃった。追いかけたら、崖の上から川に赤ん坊を落として……。死んだと思ったけど、生きてたんだね」

 

蘇る伊之助の記憶。母は自分を捨てたのではなく、人喰い鬼から必死に逃がしたのだ。

そしてこいつが母を殺した。

いつもぼんやりと脳裏にあった女性の顔。しのぶだと思っていたが、そうではなかった。伊之助は口の端を吊り上げ、表情だけで笑った。

 

 

「おいゴミクソ野郎。礼を言うぜ、思い出させてくれたこと、教えてくれたこと。まさか親の仇が目の前にいたとはなあ。てめえは必ず地獄に落とす」

激しい怒りを抑え、一転して静かな口調となり刀で童磨を指し示し挑発する。

こいつはしのぶの姉の仇と聞いていてたが、自分の母の仇でもあった。

「天国とか地獄なんて無いんだよ。それはかわいそうな人間が作り出した空想の産物なんだよ」

童磨は憐れむように、一段と優し気な微笑みを向ける。

 

「生憎だな、地獄ってのは本当にあるんだぜ」

伊之助が怒りをたぎらせながら、なおも冷静な口調で語る。

「そうか、君は言葉も覚えたけど間違ったことも覚えてしまったんだね。もう一度言うけど、そんなものは本当は無いんだよ。悪い人間は地獄に落ちる、そうでも思わないとやってられないでしょ?人間ってつくづく……」

童磨は笑顔を崩さず言いかけるが、

「知らねえのも無理はねえ……。だが喜べ」

伊之助は2刀を構え、猪頭の下で凶暴な笑みを浮かべる。

「てめえのために俺が作ってやるぜ!てめえが今から味わうのが地獄だ!!」

伊之助が再び激しい感情を乗せて叫んだ。

 



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38話 蟷螂(とうろう)の斧(VS童磨)

「そうか、俺は君の親の仇なんだね。しのぶちゃんも姉さんの仇と言ってたし、本当に悲しいことだ……。俺のことがさぞ憎いだろうね。でも、それは救済のためなんだよ。俺は人間たちを喰べてあげることで、救済の高みへと導いているんだ。ただ死ぬんじゃない、俺に喰べられて救われ、共に永遠の時を生きるんだよ」

俯き、悲し気な表情で涙を流して見せる童磨。しのぶ、伊之助はその白々しさに怒りを再びたぎらせる。

 

「君のお母さんは、俺が喰べてあげたことによって不幸な人生から救われたんだよ!あのまま生きていても、きっと何の意味もない人生だったと思うよ。しのぶちゃんのお姉さんのことも、俺が喰べてあげることによって無駄な死から救おうとしたんだよ」

信じておくれよ!

根本的な問題を履き違えつつ、童磨の表情は真剣そのものだったが、語り終えるや否やへらへらと軽薄な笑みを浮かべた。そこには死者を悼む気持ちなど微塵も感じ取れない。

 

 

意味の無い人生。無駄な死。

 

自分が命を奪っておきながら、その肉親に向かって吐く言葉か。

殺された本人たちの無念や、肉親を殺された伊之助、しのぶの悲しみや怒りを思い、倫道もまた怒りで全身の血が逆流する思いであった。

 

 

「まあ、こいつは病気だから」

倫道は激しい怒りを何とか抑えて冷静に語る。

「悲しいと言ってたが、お前の脈拍や呼吸数には変化が一切見られない。感情が欠如しているから他人に共感できない。自分が他人に与えた苦しみも分からないし、関心すらもない。自分が殺しておいてなお貶めた上、喰うことが“救済”だと?お前にあるのは自分の欲求を満たすことだけだ。人間を喰いたいという単なる欲求に、屁みたいな理屈をつけて正当化しているに過ぎない。反社会性人格障害、とでも言うのかな。俺は精神科はよく分からないが」

 

童磨はそれまでの芝居がかった態度から一転、薄ら笑いを消して初めて真顔になってこちらを見据え、バチン!と鉄扇を鳴らした。

「そんな意地悪なこと言われたの、初めてだよ」

一瞬童磨の雰囲気が変わり、倫道に明確な殺意が向けられる。

「ついでに言うと、怒り易くて身体的攻撃性を示す……。それも病気の特徴の一つだな」

倫道はまたも言い放った。

 

「血鬼術・結晶ノ御子」

童磨の血鬼術、結晶ノ御子。人間の半分ほど氷の人形だが、恐るべき力を持つ。

自身の判断で動き、童磨と同程度の威力の血鬼術が使えるのだ。童磨はこれを繰り出して来た。御子が童磨と同じように両手の扇を構えた。

「へっ、いっちょまえに、このチビ人形が!」

「伊之助君、油断するな!コイツの能力は本体と変わらない!」

伊之助は毒づき、倫道は警戒を呼びかけて油断なく身構える。

(こいつを出して来たということは、童磨も本気で殺しにかかって来たな)

 

シャリン!とそのチビ人形が構えた扇から粉凍りを吹き散らし、矢継ぎ早に氷の血鬼術で攻撃を仕掛けて来る。しかしそのスピードに慣れて来たカナヲ、伊之助の頑張りもあり、4人は何とか人形を破壊。

「あれえ、壊されちゃったね。じゃあ今度は2体だよ!」

再び軽薄な笑みを浮かべた童磨は焦ることなく、すぐさま2体の御子を生成し、同時に差し向ける。

2体同時にではなかなか隙も突けず苦戦する4人。

(本体への攻撃ができない!)

倫道がそう思った時、白い人影が走り込んで来た。

 

「炎の呼吸 壱ノ型・不知火!」

背後からとはいえ一撃で御子を破壊し、なおも刀を構えたまま白い影が挨拶する。

「水原さん、みなさん、遅れてすみません。僕も一緒に戦います!」

炎の意匠が入っていない白い羽織をふわりとなびかせ、千寿郎が新たに戦列に加わった。

 

「千寿郎!」

倫道も思わず声が弾んだ。成長著しく、杏寿郎に次ぐ実力となった千寿郎の参戦はありがたかった。

(新手が来た。まあまあ使える子かな?また情報が取れるかな、それともすぐ死んじゃうかな?)

童磨は鉄扇を弄びながら、なおも御子と5人の激しい戦闘をニヤニヤと笑いながら眺めている。

(今度は炎の呼吸の剣士か。やはり攻め一辺倒かな?でもこの子の動きは何か違うな、力押しだけじゃない)

童磨が千寿郎に警戒心を抱き始めたその時。

 

ドオン!!

壁の一角が丸ごと吹き飛び、抜き身の刀を持った男が爆煙の中を歩いて来る。一同は思わず音の方を見た。

 

「炎の呼吸 肆ノ型・盛炎のうねり!」

男が燃えるように紅い刀を一振りすると、炎の奔流がうねるように噴き上がり、ゴォッと周囲一帯の冷気が一掃された。

「すまない、遅くなった」

男は低く落ち着いた声でそう言うと、不敵な笑みを浮かべた。

「槇寿郎さん!」「父上!」

倫道は思わず笑顔になる。千寿郎も、父と共に戦える事が嬉しかった。

 

心強い増援に士気も上がり、御子の2体目が破壊された。

(また増援かい?これだけ手練れが揃うと流石に面倒だ。あんまり遊んでると怒られちゃうからな。一気に片付けた方が良さそうだ)

 

「血鬼術・霧氷 睡蓮菩薩」

童磨は、はるかに見上げるほどの巨大な氷の菩薩像を作り出した。口から強力な冷気を噴射し、人間を一掴みにするほど巨大な手で手刀を振り回し攻撃してくる。

手刀の一撃が、槇寿郎たちが今まで居た回廊を粉々に吹き飛ばした。

 

「私と千寿郎でこのデカブツを止める!君たちは本体を斬れ!」

槇寿郎は倫道たちに指示すると、千寿郎と共に睡蓮菩薩に立ち向かう。

千寿郎が素早いフットワークで幻惑し、攻撃を躱しながら斬撃を入れていく。

(持久力ではやはり若い者には敵わぬが、技の威力なら負けん)

槇寿郎は腰を落とし、両足を踏ん張り力強い技を繰り出して睡蓮菩薩の攻撃を相殺している。その剣技は精緻を極め、確実に一番効果的なポイントを突いて相手を崩していた。

 

槇寿郎は、攻撃を躱しつつ斬撃を入れて行く千寿郎を見た。炎の呼吸の剛の技に加え、鱗滝にも師事したおかげで、受けの剣捌き、柔軟な体捌きも身に付けている。そして技と技の切り替えの速さ、斬撃自体のそのスピードも見事であった。しかし睡蓮菩薩には大きなダメージは与えられず、敵は変わらず激しい攻撃を加えて来る。

 

「炎の呼吸 弐ノ型・昇り炎天!」

槇寿郎は、振り下ろされる睡蓮菩薩の手刀に向かって斬り上げを見舞った。菩薩像の手首から先は粉々に砕けて飛び散ったが、手刀を再生しもう一度攻撃を放とうと腕を振り上げた。

「炎の呼吸 伍ノ型・炎虎!」

槇寿郎は今度は手刀が振り下ろされるのを待たずに斬撃を放つ。

斬撃は猛り狂う炎の虎の如く襲い掛かり、手刀を放とうとした腕の肘から先を吹き飛ばし、その威力に菩薩像が後ろによろめいて一瞬グラリと揺れた。

 

それでもなお睡蓮菩薩の動きは止まらない。瞬く間に氷で腕を再生して襲って来るが、千寿郎も次々に攻撃を加え、巨大な体にはビシビシと新たにひびが入る。

「水の呼吸 捌ノ型・滝壷!」

千寿郎が菩薩像を駆け上がってさらに跳躍、頭上から技を叩き付けた。

睡蓮菩薩の顔面に大きなひびが入り、顔の表面が半分落下する。

こちらの攻勢で睡蓮菩薩の勢いがやや弱まった。

 

槇寿郎が優れているのは、練り上げられたその技の威力、正確さだけではない。長年の戦闘経験からの勝負勘。自分の勢いと相手の勢い、そのバランスで勝負の機微をかぎ分けるその判断の速さ、正確さ。

その勘が、今が好機と教える。ここで押し切れる、槇寿郎はそう判断した。

 

(千寿郎。大人しくひ弱だったお前が、よくぞここまでの腕になったものだが……。だがまだ青い。まあまあにして、まだまだ、だ!)

ぐっと腰を落とし、槇寿郎は大きく溜めを作って最大限まで気を練り、必殺技を放つ態勢を整える。

(食らえ!)

 

「炎の呼吸 玖ノ型・煉獄!!」

ドドオン!

慎寿郎の斬撃とともに、空間が揺れるほどの衝撃が走る。

睡蓮菩薩の体に大きくひびが入り、片腕が付け根から落下し、巨大な水しぶきと津波のような波紋が広がった。

(こんな木偶人形一つ砕けないようでは……俺も焼きが回ったな。もう少しの間こいつを抑えなければ)

睡蓮菩薩に大ダメージを与えながら一撃で破壊できず、槇寿郎は残念がりながらも止めを刺しにかかっていた。

 

 

「どこを見ていますか?油断は禁物ですよ」

思わず睡蓮菩薩の方に視線をやった童磨だが、自身にもしのぶ、倫道、伊之助、カナヲの猛攻が迫る。童磨の防御は固く、あと一歩が崩せないがそんな中、しのぶがさらに毒を刺す。

(睡蓮菩薩がもう持たない?なかなかのものだね、記憶しておこう。まだ遊んでいたいけど俺は他にも行かなきゃいけないし、あと10体くらい御子を出してここは任せよう。それにしても、その毒は効かないとまだ理解できないのかな……)

童磨は、結晶ノ御子を追加しようとした。

 

童磨の頭の中に、突如ガンガンと自分の心臓の鼓動が響いてきた。そのリズムは時に速くなり、また遅くなり、ふらつくように不規則になった。目の前が暗くなり、何とも言えない猛烈な不快感が襲って来る。童磨は顔をしかめようとしたが、表情筋が動かせない。

「あれ?」

童磨が転倒する。足先が溶け出し、腕も、顔面も肉が溶け落ち、眼球すらも周辺組織の支えを失い眼窩から零れ落ち、視神経だけで辛うじて繋がった状態で垂れ下がっていた。童磨は慌てて頸を守り、ディフェンスの体勢を取った。鬼殺隊の4人はすぐそこに迫っている。

 

最初の毒は強力だった。だがすぐに分解できた。次はどんな強烈な毒が来るのかと思えば、特に危険とも思えない弱い毒。鬼殺隊の剣士はそれを必死に突き刺してくる。いや、剣士とも言えない、鬼の頸も切れないようなただの毒使いか。それに、2つ目の毒は簡単に分解できたのでさしたる注意を向けて来なかった。

(頸も斬れない、効かない毒にすがるしか無い。なんと哀れな)

舐めきっていた。最初から簡単に分解できる毒。耐性がついたからではなく、最初から。簡単……に?

 

(まさか……?!)

童磨は自らのうかつさを悔やむ。何らかの仕掛けがあることに思い至るべきだった。

童磨の体が更に溶ける。

「あれえ、力が……入らないや」

何をした?何が起こった?そんな疑問が湧き起こる。

 

「しのぶさん!頸を斬れ!」

童磨の様子を見て倫道が叫んだ。しのぶの左頬に蝶のような形の痣が浮き上がる。

しのぶの双眸がカッと見開かれ、床板を割るほどの鋭い踏み込みで一瞬のうちにトップスピードまで加速、これまでのしのぶの技、蜈蚣(ごこう)ノ舞・百足蛇腹の歩法ではなく、最速最短の軌道で童磨の頸に迫る。いつもの毒を刺す刀ではない、新技のために誂えたやや短く刃のぶ厚い新刀を居合に構え、ウエイブを発動。

 

「蟲の呼吸 蟷螂(とうろう)ノ舞・斧鉞之誅(ふえつのちゅう)!」

 

推進力と体幹の捻り、肩甲骨の解放による力の全てをこの一閃に集中させ、刀の重さも利して横一文字に振り切る。童磨が苦し紛れの反撃をする間も無く、攻撃を防ごうと辛うじて伸ばした腕ごとその頸を叩き斬った。

 

しのぶが新たに編み出した、蟷螂ノ舞・斧鉞之誅。斧鉞(ふえつ)とは、おのやまさかりのこと、蟷螂(とうろう)はかまきりのことだ。つまりは“蟷螂の斧”で罪人を成敗するという意味だ。

 

 

蟷螂の斧、という故事成語がある。

カマキリが斧のような前脚を振り上げ、どんな巨大な相手にも立ち向かうことから、弱小の身の程をわきまえずに無謀な戦いを挑む事の例えとされるが、一方強敵に臆せず立ち向かう勇敢な姿の例えとしても使われる。

しのぶはこの両方の意味を込めて己をカマキリの姿になぞらえ、新しい技をそう名付けた。命に代えても必ず討ち果たす、そんな気迫をもって。

 

人間の身でありながら、肉体的には圧倒的優位を誇る上弦の鬼に挑むことは無謀に他ならない。しかし、知恵と力、決して折れない気迫を持った蟷螂はその斧で強敵を誅することができた。

 

 

 

ザンッ!と刎ねられたその頸は数メートルも転がった。

信じられないという表情を浮かべる童磨。

(ああ、頸切られちゃった。でも、なんで?毒、分解したのに……)

 

 

 

 

 

 

「少々時間はかかりましたが、毒が効いて良かったです」

しのぶさんが呟いた。本当は自分の作った毒で殺したかった、そう思っているんだろうな……。

「自分の力だけで倒したかったですけどね。でも頸も刎ねられましたし満足です!水原さん、ありがとうございました!」

しのぶさんに笑顔でお礼を言われてドキドキする俺。俺も大満足です、しのぶさんが死ななくて。

「役に立てて良かった!」

俺も笑顔で返す。しのぶさんが、転がった童磨の頸の傍らに立った。

「凄かったよ、毒……。でも、何で?」

少しずつ崩れながら、童磨の頸が話しかけて来る。

「あの毒は、分解されることでより安定した強力な毒に変化するのですよ。驚きましたか?」

しのぶさんが微笑みながら説明する。

 

「もしかして、毒を分解したらそれで大丈夫!って思ってた?」

俺も童磨に話しかけながら憐れみの視線を向ける。

「体内で分解されて本来の効果を現わす……そんな薬物もあるんだよ。“プロドラッグ”って言うんだ」

そう教えてやった。崩れ去りながら、俺の種明かしに驚愕する童磨。

「じゃあ今まで打ち込んだのは……」

「お前が分解してくれたおかげで毒が本来の威力になった。有効血中濃度に達したから一気に効いた。それだけだ」

俺は説明しながら、なんだか童磨がかわいそうになった。優れた容姿に人並み以上の頭の良さ。感情が普通にある人間だったなら、鬼にはならなかったのだろうか?

 

「もう死んじゃうから教えても意味ありませんでしたね。……伊之助君」

しのぶさんは伊之助君を呼んだ。

「伊之助君、一緒に止めを刺しましょう。あっ、最後に一つだけ」

にっこりと、しかし氷のように冷たく笑いかけ、

「とっととくたばれ、クソ野郎」

そう言い放ち、ダンッ!と童磨の頸に刀を刺した。

 

カナエさん、仇は討てましたよ。でもごめんなさい、しのぶさんがそちらに行くのはだいぶ先になりそうです。

天国のカナエさんにそう呼びかけた時、俺には確かに見えた気がした。

 

しのぶさんとカナヲちゃんを優しく抱きしめるカナエさんの幻影。2人も何かを感じたのか、ハッとした様子で顔を見合わせ、カナヲちゃんはしのぶさんに抱きついて静かに泣いた。

 

(ありがとう、しのぶとカナヲを護ってくれて。もう少しだけ、2人のことをよろしくね)

カナエさんは俺にそう言って会釈し、消えて行った。俺の命が尽きるまでは護りますから安心してください。でも2人はもう十分強いですけどね。

カナエさんも素敵な人だなあ。俺はホワホワしながらそう答え、一瞬顔がだらしなくなるが、戦場では一瞬の油断が命取りになるのだ。俺は次の瞬間にそう実感することになる。

 

「ワハハハ、口ほどにもねえ野郎だぜ!仇は討ったぜ母ちゃん!かあ……ちゃん……」

伊之助君どうした、珍しく猪頭脱いで、明後日の方を向いて。

「伊之助君、どうし……」

俺は伊之助君の背中に呼びかけて、思わず途中で口をつぐんだ。振り向く伊之助君。

 

ゴメン、肩が震えてたの気付かなかった。

伊之助君は両目からぽろぽろと大粒の涙を流していたが、俺と目が合うと懸命に笑おうとして、せっかくの美しく引き締まった顔が何だか変なことになっている。

無理に笑おうとしなくていい。こんな時くらい、思い切り泣いても誰も笑ったりしないよ。

だから。頼むから、そんなに切ない顔をしないでくれよ。しのぶさんを死なせないことに集中するあまり、このエピソード忘れてた。

俺は胸が締め付けられる思いで涙を堪える。

 

不意討ちだった。俺は伊之助君の泣き笑いを見て涙腺崩壊しそうになるが、事情を聞いた千寿郎君が先にもらい泣きしているのを見ながら何とか泣かずに堪えた。

「隙ありいーっ!」

伊之助君は涙を流しながらニヤリと笑い、飛び蹴りを見舞って来たが、そんな照れ隠しの攻撃を食らう俺ではない。

「てめえ!避けんじゃねえ!」

泣かされそうにはなったけど、あっさり躱しちゃった。ごめん。いつもの伊之助君に戻ったようでまあ良かったよ。

 

槇寿郎さんも一仕事終えてホッとしているが、まだ鬼の始祖が残っているのだ。それに、俺には猗窩座、黒死牟と戦う役目もある。

「みなさんは無惨を探索してください。それと城内の隊員たちの援護もお願いします。俺は他の上弦を探します」

 

そう言ってみなと一旦別れ、俺は走り出した。

まずは対猗窩座戦に参戦、その後は対黒死牟戦だ。気合い入れて行けよ俺。




もしも槇寿郎さんが戦闘に参加していたら?ということでいろいろとセリフを考えましたが、頭の中ではこれを小山力也さんボイスで再生して楽しんでいます。


用語の解説
斧鉞之誅(ふえつのちゅう)…斧鉞(おの、まさかり)を用いて斬首する古代中国の重罰、処刑。(斧鉞のみで)それを用いる処刑人の意味もある。



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39話 真昼の月(VS猗窩座)

(マスカラス、俺の位置分かるな?)

童磨を撃破した後、他のメンバーと分かれた倫道は脳波で呼びかけた。

(状況どうなってる?……そうか、鳴女をコントロール下に置いたか。さすがだな!今炭治郎君と義勇が猗窩座と戦ってるからそこへ転送を依頼してくれ!)

 

 

無限城内に潜入させた音式神・茜鷹に鳴女の位置をマーキングさせ、甘露寺と伊黒が急行して鳴女を発見、戦闘に入った。鳴女をコントロールするため愈史郎も姿を消してすぐ近くに待機し、隙を伺う。無限城を自在に操る鳴女に攻撃すらままならず、膠着状態に陥るかと思われたが、マスカラスが周囲にいた宇髄を発見し、協力を要請した。

 

マスカラスから宇髄、伊黒、甘露寺へ鳴女をコントロール下におく手筈が伝えれられる。

マスカラスに預けたのはケタミ〇という麻酔鎮痛薬を詰めた自動注入機能付き注射器。妓夫太郎戦でも使ったが、今回中身を入れ替えて使うのだ。珠世の血鬼術、白日の魔香とまではいかないが、短時間思考能力や認知機能を鈍らせるなら十分であった。

 

甘露寺、伊黒が陽動し、宇髄が爆煙に紛れてこれを鳴女に打ち込む。無限城を自在に操り全方位を感知できる鳴女であったが、宇髄の火薬玉で間断なく起こる大きな爆発音と閃光、充満する爆煙、その中で尋常でないスピードで動き回る柱3人を相手ではさすがに持ちこたえることは難しく、討ち取られることを覚悟した。だが鬼殺隊の狙いは鳴女を支配下に置き、その能力を無限城崩壊までの一定時間利用することだ。ケタミンを打ち込まれた鳴女は一瞬強いめまいに襲われ、その間に愈史郎に視界を乗っ取られ脳機能も侵食され始めていた。

 

無限城内各所には、鳴女の配下である目玉の卑妖が監視カメラのように配置されているが、そのコントロールシステムの基幹部である鳴女をジャックしてしまえば情報はいくらでも操作できる。

鳴女に見えているのは建物に押し潰された宇髄、甘露寺、伊黒の血まみれの死体と、逃げ遅れて潰される多くの隊員たち。そして童磨と戦った者たちもその後城内の大量の鬼たちと相討ちになり、倫道のみがボロボロになって逃げたかのように見えている。しかし実際は誰1人として重傷を負った者はいなかった。

一方鬼殺隊側は、通常の3倍程度のスピードで飛び回るマスカラスを中心に、愈史郎の“目”を持つカラスたちが伝達網を敷き、位置情報を正確なものにして戦況を素早く伝えていった。

 

倫道は事前にみんなに言い含めている。

1人の戦士として目の前の敵に立ち向かうのではなく、戦局全体を見て死なないように立ち回ること。あくまで軍の一員としての働きに徹すること。倒すのではなくしばしの足止めでも構わない。1人が欠ければ戦線が崩れる事態も起こり得る。目的はあくまで無惨の討滅なのだ。例えそれがどんな形であったとしても。

これにより隊員たちは負けない戦いを意識し、戦闘不能や死亡のリスクは目に見えて低下した。それでも意識の変化を起こさず倒すことにこだわるのは不死川くらいであった。

 

 

 

猗窩座と戦う炭治郎と義勇。戦闘開始時はむしろ押し気味に戦いを進めるが、猗窩座の強力な再生能力の前に決め手を欠き、破壊殺・羅針によって次第に攻撃を読まれ始めていた。しかしそこに杏寿郎が合流、炭治郎に加え義勇、杏寿郎も痣を発現、さらに炭治郎が透き通る世界を発現し、戦いは激しさを増した。

 

べべんっ!

琵琶の音が鳴り響いて空中にふすまが現れ、倫道が飛び出しざまに猗窩座に斬り掛かった。猗窩座はこの奇襲さえも寸前で察知する。

倫道がここに送り込まれたのはあたかも無惨の意思であるかのように情報操作がされ、鳴女に指令が下されていた。猗窩座は現れた倫道の気配を識別し、かつて戦ったあの小僧だと認識、再び巡り会えたこの幸運を喜んでいた。

(琵琶女の血鬼術……。こいつも無惨様に送り込まれたか?つまり俺が倒して良いということだな!丁度良い、この小僧には借りがある。ブチ殺さねば気が済まん!)

 

鬼殺隊側は攻め手に倫道が加わってもなお猗窩座を攻め切れない。しかし倫道もまた猗窩座の攻撃を読む。猗窩座は人体の急所を正確に突いてくるが、逆に分かりきった攻撃と言えなくもない。無論ものすごいスピードと威力、掠めただけでも重症、まともに当たれば即死。一瞬たりとも気が抜けないぎりぎりの戦闘だ。

 

(透き通る世界を発動し、完全に気配を消した炭治郎君に頸を斬らせるしかない。しかしそれでは炭治郎君が相打ち覚悟になってしまう)

倫道は考える。ならば、自分がやろう。自らの技でこの膠着状態を打開し、より確実に頸を刎ねるチャンスを作る。倫道は賭けに出る。

 

「どうした、技も尽きたか?俺は戦い足りんぞ。もっと素晴らしい技を見せてくれ。お前たちもまだまだ戦いたいだろう?……もう一度聞く、何故お前たちは鬼にならない?鬼になればこの素晴らしい戦いが永遠に続けられるというのに……。殺さねばならんとは残念なことだ」

息切れで一時距離を取り、動きを止めた倫道たちに猗窩座が朗らかに笑いかける。素晴らしい剣士たちとの胸躍る戦い。しかも戦況は明らかに自分が優勢、猗窩座はこれ以上ないほどの上機嫌だった。

 

倫道は猗窩座を睨みつけ、唾を吐きながら立ち上がる。

「猗窩座ああ!なんだその屁みたいなぬるい突き蹴りは!そんなもんじゃ猫も死なねえぞ!至高の領域が聞いてあきれるぜ!へそが茶を沸かすぜ!鼻から牛乳だぜ!百年も鍛錬してそのザマかぁ!?だから大事な物の一つも護れねえんだろうがっ!悔しかったら滅式を打って来い、薄らボケぇ!!まあ打って来ても俺が砕いてやるけどな!!」

上機嫌な猗窩座に向かい、倫道はいつにない勢いで罵倒した。

 

猗窩座はこの煽りに先程の上機嫌から一転、顔にビキビキと血管を浮き上がらせて怒りを露わにする。握りしめた拳は震え、強く握りこむあまりにぎちぎちと音を立て、掌の肉に爪が食い込んで流血していた。

(この小僧っ!!やはりこいつはただ殺すだけでは生温い!形を留めぬまでに粉々にしてやろう!しかしこいつの言動は何故こうも腹が立つ?大事な物を護れないとは何だ?)

猗窩座は激怒しながらも僅かに疑念を抱いたが、

「どうした!怖気づいたのかお前!そんなことだから新参の童磨に抜かれるんだよ雑魚が!」

倫道にさらに激しい調子で煽られ、一瞬でその疑念は吹き飛んだ。

 

「貴様あああ!望み通り殺してやろう!!食らえっ!!」

猗窩座は怒りに我を忘れて破壊殺・滅式を放つ体勢を取った。

 

(わざとあの攻撃を呼び込んでる?大丈夫なんですか、倫道さん?)

炭治郎は倫道の様子に驚き、その狙いを図りかねていたが、

「炭治郎君!俺が飛び込むから頸を刎ねろ!」

倫道の声に反応し気力を振り絞る。

(あの攻撃をかい潜る何らかの手があるんだ!必殺の攻撃を放った直後が好機!)

炭治郎は感覚を研ぎ澄まして透き通る世界を発動、斬撃を見舞うチャンスを伺う。

「冨岡!水原に策があるようだ!俺たちは援護するぞ!」

杏寿郎は義勇と素早く左右に展開し、倫道の動きに即応するよう、同時に攻撃態勢に入る。

 

攻撃の意思を正確に察知する猗窩座に対し、打開策はこれしかない。倫道はそう判断していた。

 

 

相手の攻撃を、攻撃でもって打ち破る。そこで隙を作り、頸を刎ねる。

 

 

(こいつ気は確かか?俺の攻撃に飛び込むだと?まあいい、この一撃で粉々に砕けろ!肉片となれ!)

「死ねえええ!!破壊殺・滅式!」

猗窩座は牙をむき出し、必殺の一撃を放った。

 

 

(来た!!)

 

真昼の月。

 

よほどの注意を払わなければ見えることは無いが、確かにそこにある一点。

 

目を凝らし、極限の集中でそれを見極める。そして。

 

――打ちえぬ瞬間に繰り出す。それが、極意――。

 

赤心少林拳黒沼流奥義・桜花(おうか)の型。

相手の攻撃の中に身を晒し、攻撃の中心ただ一点に全ての気と力を集めて貫手(ぬきて 伸ばした指先で弱点などを突く技)で攻撃ごと敵を切り裂き貫く。赤心少林拳玄海流奥義・梅花の型と対をなす、一切の防御を捨てた必殺拳。それを水の呼吸最速の突き技と併せる。相手の力をも利用してより迅く貫くため、倫道は最大威力の攻撃を誘った。

 

猗窩座が滅式を放つ瞬間。

 

「極限集中 水の呼吸 漆ノ型・雫波紋突き“桜花”!」

 

 

 

相手の技とこちらの技、互いの威力が最も高まる瞬間にぶつかり合うようタイミングを計り、それに加えて倫道自身のパワー、スピード、刀の強度もなければ成立しなかった。そして、心に僅かでも迷いを生じればポイントやタイミングが外れ、刀は折られて腕は吹き飛び、原作での杏寿郎の様に体を貫かれて即死。

 

倫道の桜花は、吸い寄せられるように0.1ミリのズレも無く猗窩座の拳の一点に集中。

必殺の突き技が、皮膚を、肉を裂き、骨を割り砕き、刀の反りに合わせて緩やかに曲がりながらさらに胸部に到達、心臓まで破壊した。上弦の鬼といえども日輪刀で心臓を破壊されれば瞬時に再生はできない。ごくわずかだが行動不能になる隙が生まれた。

 

 

「ヒノカミ神楽 斜陽転身!」

炭治郎は透き通る世界で2人を見ながら気配を消し、倫道の真後ろから走り込んでその体を飛び越えるように跳躍、空中で1回転しながら猗窩座の頸を刎ねた。

 

しかし、頸の無い猗窩座の体は崩れず、頸の傷から肉がぼこぼこと盛り上がって急速に傷が塞がり始めた。そして、ダンっと両足を大きく開いて踏みしめ、四股立ちのような構えをとり、頸無しのまま攻撃を再開しようとした。

 

(嘘だ!)

この悪夢に炭治郎は絶望しかけるが、

「猗窩座!いや狛治!!人間に戻る気はないか?」

倫道は一縷の望みをかけて懸命に呼びかける。猗窩座の動きがぴたりと止まった。

(お前を救いたい!輸血と鬼用回復薬でいけるかもしれない!)

倫道は、攻撃を加えようとする杏寿郎と義勇を手で制し成り行きを見守った。

 

猗窩座の意識の内で人間だった頃の記憶が断片的に蘇り、それが徐々に繋がりつつあった。

 

 

 

 

狛治、そうだ。俺の名は狛治。先ほど呼ばれたのは、俺が人間だった時の名。背後からもう一つ、俺の名を呼ぶ女の声がした。

誰だ?俺の究極の武を求める道を邪魔するのか?振り向くと暗闇から仄白く浮かび上がる人影。その人影が俺の名を呼び、後ろから俺の腕を掴む。

 

(狛治さん、もうやめて)

思い出した。

恋雪。俺がどうしても護りたかったもの。

 

恋雪とその父の慶蔵師範は、隣の剣術道場の連中に殺された。連中は、卑怯にも井戸に毒を入れて2人を毒殺した。血の一滴まで怒りに染まった俺は、連中を道場主から門下生に至るまで全て殺してやった。そして俺は無惨様に認められて鬼になり、人間の記憶を失った。

 

きっと治す。助ける。守る。

 

俺は、何一つ約束を守れなかった。

俺は大事な物を護れなかった。鬼になり、記憶を失ってなお強さを求めた。強くなっても護る物などこの手には無いというのに、百年以上も生きて来てそんなことにも気づかず無意味な殺戮を繰り返して。

 

惨めで滑稽で、あまりのバカバカしさに薄ら寒くなるほどの。

何と下らない、何と救いの無い話だろう。

何のために生きて来たのだろう?何のために戦って来たのだろう?大勢の人間の命を奪ってまで。

殺した人間たちにも、愛し、愛されていた者がいただろう。俺はその想いを壊して来た。

あの連中と何が違う?慶蔵師範と恋雪を殺した、あの連中と。

 

俺は、一体、何のために。教えてくれ、誰でもいい。

そこの鬼狩りの小僧、訳知り顔のお前なら知っているだろう?頼む、教えてくれ。

 

言ってくれ。お前がして来たことには何の意味も無い、と。

 

虚ろな自嘲を漏らす俺に

(もういいの。もう、戦わなくていいのよ。もう充分です)

そう言いながら、恋雪の幻影が俺を抱く。

だが俺は、恋雪の、愛おしい人の腕を振りほどいた。

 

驚いて目を見開き、今にも泣き出しそうな悲し気な目で俺を見つめる恋雪。

俺はふらつきながら数歩後退り、恋雪に土下座した。護れなくてごめん。大事な時に傍に居なくてごめん。許してくれ。どうか、俺を許して……。俺は頭を地に擦りつけて謝った。

何度も何度も。

ふと、恋雪の白い足袋の足元が目に入った。

俺がハッと顔を上げると、いつの間にか泣き笑いのような表情で恋雪が俺のすぐ目の前に立っていた。恋雪は膝を折ってしゃがむと、顔を上げた俺を何も言わずに強く抱きしめた。

いくら謝ってももう戻ることはないその人に縋り、みっともなく涙と鼻水を垂らして、俺はひたすら許しを乞うた。

 

 

 

 

その姿は、まるで迷子の子供が迎えに来た母親に縋りついて泣いているようだった。

 

 

 

(どんなになろうとお前は俺の弟子だ。死んでも見捨てやしねえよ。天国には連れて行ってやれねえけどな)

慶蔵の幻影も猗窩座に語りかける。

(私たちのことを思い出してくれてよかった)

恋雪の幻影が、紋様の消えた猗窩座の――狛治の顔を愛おしそうに両手で包む。そして涙を流しながら呼びかけた。

(おかえりなさい、あなた。ずっと待っていました。元の狛治さんに戻って、私たちのところに帰って来てくれる日を、百年ずっと――)

そして、もう一度しっかりと狛治を抱きしめた。

 

 

 

数瞬猗窩座の動きは止まったままであったが、次の瞬間。

猗窩座は自らの体に滅式を打ち込んだ。

涙を流して微笑む恋雪の幻影に抱かれ、猗窩座は灰となって崩れて行った。

4人は、ただ呆然と見守るしかなかった。

 

 

 

(お前が鬼になっても、恋雪さんや慶蔵さんはいつも傍にいた。目には見えなくとも、存在を感じられなくとも、いつもお前を案じて見守ってくれていたんだ。真昼の月のように)

倫道は、できることなら人間に戻ってやり直して欲しいと思っていたが、彼は、狛治は開放されることを望んだのだ。

(人間に戻して生かすことが救うことではなかった。彼にとっては、人間として死ぬことが救いだったのかもしれない)

倫道も、一瞬だけ“感謝の匂い”を感じることができた。

 

「水原、ヤツに人間に戻れと言っていたが、それは」

複雑な表情を浮かべて杏寿郎が聞いてきたが、倫道は静かに手を合わせて祈った。

「猗窩座が鬼になったのは悲しいいきさつがあるみたいなんですよ。でもあいつは、最後は人間としての自分を取り戻して、人間として死ねたんじゃないかな。な、炭治郎君」

 

「はい。何故だろう、猗窩座からはすごく悲しい匂いと……最後に、感謝の匂いがしました」

その意義も分からず、ひたすらに強さを求める修羅の道を歩み続ける猗窩座を救ってやれたかもしれない。

 

鬼は、悲しい生き物。炭治郎は一瞬脳裏をよぎった紋様の消えた猗窩座の顔を思い返す。微笑むその顔は、鬼になる以前の本来の彼の姿なのだろう。

大勢の人を殺したことは許されない。しかし、その行いを悔いる者の心を弔うこともまた、鬼狩りの勤めだ。

 

 

だからこそ、人の運命を弄び、利用する無惨は許せない。

無惨打倒を改めて誓い、炭治郎も狛治に手を合わせた。



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40話 決断(VS黒死牟)

猗窩座を撃破した俺たち4人。勝利の余韻に浸り喜びを分かち合いたいところだったが、まだ難敵が残っている。

「3人は一般隊員を保護しながら無惨を探してくれ。俺は別方向から他の隊員と合流する!」

俺は黒死牟戦に参戦するため、そう言って炭治郎君たち3人と分かれてまた別方向へ走りだす。3人には、一般隊員とともに城内にあふれる有象無象の雑魚鬼(それでも下弦なみの力を与えられていると原作に出ていた)の掃討をお願いしよう。

 

マスカラス、鳴女の転移使えるか?上弦ノ壱のところへ向かうぞ!

すぐに脳波でマスカラスに呼びかける。

しかし、急ぎたいのにこんな時に限って鳴女の空間転移術が安定しない。一時的にこちらの指示が上手く入力できない状態らしい。

やむを得ん。マスカラス、合流だ!直接道案内を頼むぜ。

マスカラスは本部と視界を共有しているはずなので、脳波の誘導でなく直接のナビゲートの方が迷いがないだろう。

(リンドー!ソノママ進メ!)

俺はまずマスカラスとの合流を目指して走る。

 

 

 

 

倫道は、マスカラスと合流するため無限城内を走っていた。Wi-Fiの電波の如く城内を飛ぶカラスたちが情報共有の鍵になっている。

鬼殺隊本部では、新たなお館様・産屋敷輝利哉がマスカラスを含むカラスたちからの膨大な視覚情報を収集、処理整理して城内の構造を把握、妹2人に転写させて無限城マップを作成、随時更新していた。これを見せることにより愈史郎の“目”を持つ隊員やカラスたちの視界の片隅には、常に更新される無限城マップがゲーム画面のように表示されるという視覚支援が行われている。鳴女によるこれ以上の無限城自体の操作はもう行われないため、詳細なマップが急速にでき上りつつあったがまだ足りないものがあった。

無惨の現在地の特定。

障害となる上弦を排除しなければならなかったが、残るは上弦ノ壱・黒死牟のみとなった。

(カラスたちも頑張ったな!もちろんお前が一番だろうけど)

倫道は走りながら呼びかけ、分かりやすいヨイショで機嫌をとる。

フフン、と脳波でも得意気なマスカラス。

(当タリ前ダロ!アタイヲ誰ダト思ッテンダヨ!)

(よし、ご褒美は高級住宅街の生ゴミだ!)

(アホカ!モット良イ物ヨコセ!)

脳波でもいつものアホの掛け合いをしながら互いに合流を目指して急ぎ、倫道、マスカラス合流。

 

 

 

 

猗窩座撃破より少し前、1人で行動していた時透は上弦ノ壱・黒死牟と遭遇していた。

「……来たか、鬼狩り」

(上弦ノ壱!)

時透は重厚な威厳すら漂わせるその存在感に圧倒された。

「何やら懐かしい気配……。お前、名は何という?」

不意に上弦ノ壱が問いかけて来た。

 

「時透無一郎」

しかし、時透の動揺はわずか一瞬の事。明鏡止水のように冷静な心で上弦ノ壱を見定めようとしていた。

「そうか、絶えたのだな、継国の名は」

意味ありげな呟きにも、もはや時透は全く動じなかった。

事前に分かっていた。この鬼が始まりの剣士だったことも、自分の祖先であることも。

全ては予め倫道から聞かされていた事。

(確かに目が6つあるな。でも倫道、君はあの壺の鬼のこと言えないよ)

威圧されるどころか、時透は講義の時に倫道が描いたド下手なイラストを思い出し、プッと噴き出した。

 

「お前は、私が継国の家に残してきた子の末裔だ」

黒死牟は穏やかに時透に語りかける。

 

「霞の呼吸 弐ノ型・八重霞!」

時透はゆったりとした構えから、いきなり仕掛けた。

「霞の呼吸……。良き技だ」

黒死牟は僅かな体捌きで全て躱す。

「十四、五歳か。その若さで良く練られた剣技、私に怯まず笑みさえ零す胆力……。さすがは我が末裔だ」

 

感慨深げな上弦ノ壱・黒死牟に、

「嫌だなあ、自分から鬼に堕ちた者の子孫だなんて、恥ずかしくてお天道様の下を歩けないな。お前だってそんな先祖がいたら、お天道様の下を……もともと歩けないか、鬼だから」

時透はそう言って、今度は挑発するように鼻で笑う。

 

「まあ俺とお前には何の関係も無いけどね」

時透の顔に、雲のような痣が浮き出す。

(この因縁にけりをつけるのは俺の役目だ。刺し違えても倒したいけど、俺1人では難しい……。銀子!)

時透のカラス、銀子が救援を求めて飛び出して行った。

 

「霞の呼吸 漆ノ型・朧!」

時透がまたしても仕掛ける。黒死牟は躱し、心中で己が子孫である時透を褒め、

(こちらも抜かねば、非礼であろう)

呼吸の剣技で迎え撃つ。

「月の呼吸 壱ノ型・闇月 宵の宮」

時透は用心し、踏み込みをやや抑えていたため、刀による斬擊は紙一重で躱せた。しかし、黒死牟の“月の呼吸”により不規則に発生する三日月状の刃は躱しきれず、浅い傷を負った。

 

「初見でこの技を躱すか。さすがは我が末裔だ」

黒死牟は、時透が深手を負わず斬撃を躱したことに驚く。

「関係無いと言っただろ。ご先祖だったら何?俺が手加減するとでも思ってるの?」

時透は虚勢を張るが、

(倫道の言う通り、斬撃の速さ、三日月の刃のおまけもとんでもない!)

警戒を強め、自分からうかつには踏み込めなくなった。

 

 

(まだ誰も来ねえ。俺が援護するしかねえのか?俺で役に立つか?)

物陰に隠れて様子を窺う玄弥は逡巡していた。急にこの近くに飛ばされ、ここに来るまでの間に下弦程度の鬼を何匹か喰って力を溜めていたが、上弦ノ壱相手に通用するとはとても思えず、自分が出て行くことは躊躇っていた。

 

「まともに戦える上弦はもはや私1人……。あの方に、お前を鬼として使っていただこう。……人間は脆い。殺さぬよう多少の手加減はしてやろう」

黒死牟はそう言いながら、無造作に時透に歩み寄って行く。

その圧に、じりじりと後退する時透。

 

(行くしかねえ!)

玄弥は時透に当たらぬように銃を撃つが黒死牟の姿は無く、気付いた時には既に背後を取られていた。

「この気配……。鬼喰いはお前だったか」

黒死牟は抜く手も見せず、玄弥の両腕と両足を切断した。

「ぐああっ!」

玄弥が血を噴き出しながらのたうち回る。

「玄弥!」

時透が助けに走る、その時。

 

「風の呼吸 肆ノ型・昇上砂塵嵐!」

荒々しい暴風のような剣技が黒死牟に向かって放たれた。攻撃を弾き、跳び退る黒死牟。

玄弥の兄、不死川実弥が現れ、倒れたままの玄弥を後ろに庇い、膝を突いて構えた。

「兄貴!済まねえ……」

苦痛に顔を歪ませ、それでもすまなそうに言う玄弥。手足は既に再生が始まっている。

「本当にてめえはしょうもねえ弟だぜ。母親を殺してまで俺はお前を守ったのによぉ。……前に死なねえとぬかしたよなあ?んなら、約束を果たしやがれぇ!!」

不死川は、玄弥に言い捨てて立ち上がり、激しい怒りをにじませる。

「おい、クソ目玉野郎!善くも俺の弟を刻みやがったなぁ!!許さねえ!!」

時透も加わり、激しい戦闘が開始された。

 

玄弥は鬼喰いをしていたため、この間に手足を再生させて繋ぎ、姿を隠す。

(くそっ、何もできなかった……。こんな俺が役に立つのかよ……?また割って入っても、今度はあっさり頸を落とされて終いなんじゃねえか?)

玄弥は必死に心を落ち着ける。

(でも炭治郎に言われた。警戒されてない、弱いヤツが可能性を持ってる。倫道さんにも言われた。乱戦では強い者を倒すのは弱い者だって。兄ちゃん、俺も役に立って見せる!兄ちゃんを助けてみんなで生きて帰るんだ!好機を待て。俺が役に立つ好機を!)

そして自分を必死に鼓舞した。

 

不死川は打ち合いながら、黒死牟を冷静に観察する。

(本当に鬼が呼吸の剣技を使ってきやがる。月の呼吸とか言ったなぁ……。始まりの呼吸の剣士、てのは伊達じゃねえ。こいつは強え!だからこそ)

この鬼の強さをひしひしと感じながら闘志をたぎらせる。

「面白え!てめえは殺し甲斐があるぜえ!」

 

不死川はさらに踏み込んで前に出て矢継ぎ早に攻撃を繰り出すが、黒死牟の超高速斬擊と不規則に発生する三日月状の刃で有効なダメージを与えられない。

 

(この風の剣士は相当な手練れ……。柱であろう、このような剣士に会うのは久しぶりだ)

一方の黒死牟は不死川の激しい攻撃を捌きつつ、戦いを楽しんでいた。

(不死川さん!前掛かり過ぎだ!)

時透は焦る。事前のレクチャーのおかげで致命傷は負わされていないが、相手はまだまだ小手調べと言わんばかりの余裕。攻め込んでいるように見えるが、不死川自身も斬撃を受けてしまっていた。

(不死川さんと俺だけではまだ厳しいな。玄弥の射撃もこの状況じゃ生かせない。誰か柱の増援が必要だ……。頼んだよ銀子!)

時透は銀子が救援の隊員を連れて来てくれるのを待っていた。

 

そこに鎖に繋がれた鉄球が叩き付けられ、岩柱・悲鳴嶼が合流した。

 

 

悲鳴嶼の武器は鎖鎌とでも表現するべきであろうか。ただし“鎌”は巨大な手斧、“分銅”は、棘のついた、人の頭が隠れるほどの巨大な鉄球だ。

2つの武器は普通の人間には動かすことすら困難な重さだが、悲鳴嶼はそれを猛スピードで振り回し、つないだ鎖でコントロールしながら手足のように操る。

その破壊力のもの凄さ、この武器を自在に扱う筋力、俊敏性、技の練度、冷静な判断力。

悲鳴嶼はまさに鬼殺隊最強の戦士であった。

(これは、我々が束になっても倒し切れぬかもしれない)

上弦ノ壱・黒死牟は、その最強戦士悲鳴嶼行冥をもってしても決死の覚悟を決めるほどの強敵であった。

 

「無惨と戦うまで温存するつもりでいたが、ここで負ければ元も子もない」

悲鳴嶼は決断した。

両腕を体の前でクロスさせ、裂帛の気合いを発した。

「ここで使うも止む無し!」

その両腕には、岩のひび割れのような痣が発現していた。

 

時透、不死川、悲鳴嶼の3人の合流をもってしても、黒死牟の余裕を崩すことはできない。その熟練の剣さばき、隙の無い身ごなしに加え、不規則に発生する三日月状の刃。3人とも少なくない傷を負わされており、なかでも不死川は積極的に前に出ているため、浅いとはいえ多数の傷があった。

 

 

 

鬼殺隊本部。

「お館様、形勢不利です。上弦ノ壱の元に他の柱を向かわせますか?上弦ノ参を倒した煉獄杏寿郎、冨岡義勇、竈門炭治郎の3人は行動を共にしていますが、彼らは行けます」

総司令官の産屋敷輝利哉の妹、補佐役のくいなが、対黒死牟戦を見ながら輝利哉に判断を仰いでいた。焦りからか、くいなの顔からは血の気が引き、表情は強張っている。

その時カラスたちの目が、壁をぶち破ってショートカットしながらまっすぐに黒死牟の元へ向かう倫道とマスカラスの姿を捉えた。

 

「お館様!同じく上弦ノ参を倒した水原倫道が今向かっているようです!いかがしますか?」

くいなは先ほどより幾分か血色を戻し、指示を仰ぐ声にも安堵の色が混じる。

「分かった。倫道はそのまま上弦ノ壱へ。行冥、実弥、無一郎、玄弥。それに倫道が加われば上弦ノ壱は必ず倒せる。他の隊員は無惨の元へ」

輝利哉は瞬時に決断する。

 

この決戦で、必ず鬼を滅ぼす。その困難を極める目的のため、秒単位で変化する事態の中、輝利哉はお館様として、総司令官として必死に最良の一手を探り、次々と決断を下していく。鬼との千年に及ぶ決戦の勝敗、そして大勢の隊員たちの命運が、その決断にかかっているのだ。八歳にして重すぎる役目を担う輝利哉はプレッシャーに押し潰されそうになりながらも、隊員たちと共に懸命に戦っていた。

 

(水原、頑張ってくれ。死ぬなよ……!)

輝利哉を補佐する村田も額に汗を滲ませて、その頭脳をフル回転させて懸命に輝利哉を補佐していた。そんな村田の目にも、ひた走る倫道の姿が見えていた。

 

 

倫道はマスカラスと合流し、黒死牟と戦う時透たちの元へ急いでいた。

「早クシロ!コッチダ!」

ナビを受けながら全力で走り、壁や天井をぶち抜き、ようやく戦場にたどり着いた。

戦闘に参加する前に黒死牟の髪などを回収し、隠れている玄弥に渡して状況を確認。

不死川が幾つも傷を負わされており、いてもたってもいられない様子の玄弥をなだめ、引き続き隠れてチャンスを伺うように説得した。

 

「水原が来た。不死川は一時離脱して傷を縫って来い!その間は私が引き受ける」

悲鳴嶼はそう言って前に出た。

「不死川さん!傷診せろ!」

倫道は不死川に駆け寄り、傷を診る。

「……てめえも、来たのかよ」

不死川は少し息が乱れているが、落ち着いてぎろりと倫道を睨む。

(良かった、数は多いが筋層に達してるものは少ない。不死川さんの反射速度も半端ないな)

と感心した。

(不死川さんが自分で縫うより俺の方が早い。悲鳴嶼さん、無一郎君、頼む!)

倫道は、すぐに不死川の傷の縫合にかかり、十数か所の傷はすぐに縫い終わった。

「おう、ありがとよ!」

礼を言いながら不死川は立ち上がり、その体は再び闘気を纏う。

「シイィィィ……」

不死川は、独特の風の呼吸を発し、体の隅々まで気力を充溢させてゆく。闘気が膨れ上がり、右頬に風車のような形の痣が鮮明に現れた。

「水原ぁ!てめえも遅れんじゃねえぞぉ!」

倫道に言い残し、

「風の呼吸 壱ノ型・塵旋風 削ぎ!」

不死川は戦闘の只中に再び突入した。

 

悲鳴嶼、時透に、不死川が復帰し、さらに倫道が加わりディフェンスに厚みが増す。

不死川が斬撃を躱しつつラッシュをかけ、倫道がそれを護りながら追撃し、時透は死角から死角へ高速移動しながら鋭い斬撃を見舞う。悲鳴嶼の鉄球と手斧が攻撃の僅かな隙間を縫うように間断なく飛来する。それに加え、倫道は投擲された悲鳴嶼の武器を繋ぐ鎖を空中で掴んで引き、攻撃の軌道をさらに複雑で避けづらいものにした。

 

(攻め手が追加されただけではない、この複雑で多彩な攻撃……。異なる呼吸の剣士たちがこの人数で、この速度で連携するとは……)

4人の攻撃が次第に頸に届き始めており、黒死牟は警戒を強める。

(互いに隙を補い、死角を作って攻撃を入れてくる。なかでも最後に加わったこの男……。投擲された武器の軌道を変えるなど、人間技とは思えぬ)

 

倫道は、筋肉の緊張や弛緩、力の伝達が見える。さらにこの戦いで透き通る世界も見え始めており、悲鳴嶼にもその予兆が現れていた。

「みな、目を凝らせ。良く相手を見るんだ。透けて見えて来ないか?ヤツの筋肉の緊張、力の動きが。血液の脈動が」

悲鳴嶼が呼びかける。

そして、強く意識することで同じく不死川、時透にもそれが見え始めた。

 

(まさか見え始めているというのか?私と同じ世界が……)

黒死牟の警戒感は僅かながらではあるが危惧に変わる。

 

 

(悲鳴嶼さんも痣を出している。透き通る世界も。俺ももう出し惜しみは無しだ。これを使うしかない!))

 

「高周波ブレード、起動!」

 

倫道も決断する。手の内を晒すことにはなるが、力を温存しながらこの強敵相手に勝とうなどとはやはり考えが甘いと言わざるを得ない。

倫道の黒刀が低い唸りを発し、高周波ブレードとなった。

(必ず勝つ!みんなの力で!)

 



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41話 赤い月夜の悪夢(VS黒死牟)

「畳み掛けろ!頸を斬れ!」

悲鳴嶼が叫ぶ。

 

「その通りだ」

黒死牟の纏う雰囲気が変わる。

 

「警戒!!」

倫道が叫ぶが、言われるまでも無かった。悲鳴嶼、不死川、時透も黒死牟から発せられる重圧がさらに増したことを体感していた。

鋭い一撃が猛烈なスピードで放たれる。

 

黒死牟の持つ、その肉体から作られた刀のような得物、虚哭神去(きょこくかむさり)が数倍の長さになり、本来の威力を発揮する。今の一撃で、床板には長さ10メートルもの深い傷ができていた。幸い重傷を負った者はいなかったが、

(なんてスピードだ!知ってて備えていたから何とか逸らせたが……。いきなりだったら間違いなく死んでた!それにこの間合いの広さ)

原作を知っている倫道ですら背筋が凍る一撃。少しでも対処を間違えれば、四肢など簡単に切断、どころか全身がバラバラの肉片になる。

 

だが頸を落とさなければ勝利はない。そのために原作知識をフルに使い、悲鳴嶼や不死川を拝み倒して連携訓練を行い、戦術を練り上げて来たのだ。

(そっちが広い間合いなら、こっちは飛び道具でいくぜ!)

「空破山!」

倫道は真空波の遠隔斬撃を飛ばし、

「風の呼吸 弐ノ型・爪々 科戸風!」

不死川も間合いの広い斬撃を飛ばす。

攻撃は次々ヒットする……かに見えた。しかし見えない刃である真空波すら黒死牟本体ではなく、着衣を切り裂いただけであった。

 

「遠当てか……。猗窩座が使っていた技だ。だが着物を裂く程度では虫を殺すのがせいぜいだ」

 

(空破山のスピードでも見切られる。チャンスメイクにもならないか……。それなら躱せないようにゼロ距離でお見舞いしてやるぜ!いずれにしても接近戦、日輪刀で頸を刎ねるしかないんだ!)

連携から倫道が仕掛ける。

「水の呼吸 玖ノ型・水流飛沫・乱!」

他の3人は倫道の意図を汲んで動きを合わせる。

倫道は玖ノ型の淀みなく細かいステップで一定距離を保ち、仲間に迫る攻撃を回転して弾きつつ力を溜める。時透と前後に重なり、また前に出る悲鳴嶼に迫る刃を弾き、回転する度に威力と速度を上げて真空波をも飛ばしながら戦場を駆け、回転速度をさらに上げて行く。

10回、15回、20回転。

 

「水の呼吸 拾ノ型・生生流転!」

力を溜め、投擲された悲鳴嶼の鉄球を追うように軌道修正した倫道が歩法を変え、一直線に黒死牟に肉薄、荒ぶる水の龍のエフェクトを纏う拾ノ型の斬撃を放った。

回転する度に威力を上げる水の呼吸奥義の一つ、生生流転。倫道が頸を落とさんと最後の回転とともに放った横一文字の斬撃は、連携の中に織り込まれた攻撃であったにも関わらず、黒死牟の反射速度によりその刀で受け逸らされて上方へ滑り、頸への直撃とはならなかった。だが黒死牟の得物を叩き折って顔面の上半分にザクリと深い傷を刻み、

「衝破山!」

刀を打ち合わせる事によって真空波を発生させる、空破山の派生技で黒死牟の頸を半ばまで斬った。だが傷はすぐに塞がり、刀は再生する。

倫道はすぐさま返す刀で回転するような追撃を見舞うが、今度は炎のようなエフェクトがはっきりと現れる。

 

(今のは……俺、体が勝手に動いた?それに今の技は、日の呼吸の……円舞?)

自分の体に違和感を覚える。何故今まで上手くコピーできなかった日の呼吸の技が咄嗟に出たのか?

追撃の技は意図せざるものであったが――体が覚えていた。

 

「妙な細工の刀だ。再生が遅れ、この痛み……。刀同士を打ち合わせて衝撃波を放つ技も……初見なり。それに異なる呼吸の技を瞬時に切り替えて使うとは……。面白いが、傷も刀もすぐに再生するのだ」

黒死牟は表情を崩さず表面上平静を保ちながらも、

(しかし、併せて使われては少々厄介だ。加えて、鉄球の男、風の剣士と我が末裔も痣を出している)

さらに警戒を強める。

 

「当代の柱はほとんどが痣の者か……。痣の者は二十五歳を前に死ぬのだ。その鍛え上げた肉体も、磨いた技も消える。惜しいとは思わぬか?」

黒死牟が不死川、悲鳴嶼の痣に気づき、4人に問いかける。

「思わない。殺し合いが常である我々に明日を生きられる保証など無い。ましてや柱ならば、今さら二十五歳で死ぬことなど誰が恐れようか」

悲鳴嶼は、少しのいら立ちを滲ませて答える。

 

「人間ひとりの命云々のつまらぬ話をしているのではない。私は喪失を嘆いている……。お前たちが死ぬことで極められた技が途絶えてしまう。だが鬼となることで肉体の保存、技の保存ができるのだ。何故それが分からぬ?」

黒死牟はさらに問いかける。

「分かるはずも無し。我らは人として生き、人として死ぬことを矜持としている」

悲鳴嶼の口調には微塵の迷いも無かった。

 

例え人で無くなったとしても、優れた技と肉体を永遠に保て。黒死牟はそう言っている。

悲鳴嶼は、そのために人間を捨てて人喰い鬼になるなどありえないと考える。

黒死牟と悲鳴嶼の主張は全く相容れないものだった。

 

「お前が鬼になった理由はそれか?」

倫道が問い返す。

「そうだ。……技を継ぐ者がいなかった。血を吐き鍛錬した自らの技が受け継がれることなく消えて行く。それが忍びなかった」

黒死牟は静かに答える。

「何を下らねぇ事を!!」

不死川がいら立って斬りかかろうとする。

 

「それだけか?戦闘で殺すのは致し方ないとしても、日の呼吸を継ぐ剣士たちをわざわざ狙って殺したのは何故だ?自らの技の後継者がいないと言いながら、日の呼吸の技を継ぐ者は殺す……。何故だ?それはつまり」

倫道は不死川を手で制し、さらに問い詰めた。

 

 

「お前は縁壱さんに届きたかった。縁壱さんのようになりたかった。縁壱さんとその技を憎み、恐れていた。だから鬼となってまでも鍛錬を続け、全盛期の力を保つことにこだわった。そして縁壱さんの技を継ぐ者まで殺して根絶やしにした」

原作を知っている倫道がズバリと本音を言い当てた。

 

黒死牟は驚きのあまり動きを止めた。

 

「縁壱……だと……?」

 

黒死牟の低く抑えた声音が響く。

怒りのあまり強く噛みしめた歯が、ギリッと音を立てた。

 

「小僧……!何故お前が……その名を知っている……?」

 

黒死牟は歯をむき、凄まじく表情を歪めた。

その6つの目がグワッと大きく見開かれてギラギラと異様な光を放ち、倫道を睨み殺すほどに鋭い視線が放たれた。

黒い瘴気が黒死牟の体から立ち上り、恐るべき殺気がばらまかれる。2度と聞きたくない名前が、目の前の鬼狩りから突如発せられたのだ。

 

「伯父上。まことにお労しきお姿」

自然に、そんな言葉が倫道の口を衝いて出た。

(えっ?俺、伯父上って言った?何のことだ?何で黒死牟が伯父なんだ?)

そして、またしても。

 

「言ったはずだ。次は貴方を討つと。……貴方の“闇”は私が絶ち斬って差し上げる」

意外な言葉が続いて発せられ、口調まで変わっている。

(このセリフは一体?だが、楽にしてやる。殺すこと、それが俺にできる唯一の救済の方法)

自ら発した言葉に困惑しながらも、黒死牟の抱えている鬱積した想いを知っている倫道は、殺意を込めたその視線を撥ね返して真正面から刀を構えて睨み合う。鬼殺隊の勝利のため、過去に囚われた哀れなこの男の救済のため。

 

 

(この男……。この黒刀、先程の太刀筋。痣こそないが、よく見ればあの男に酷似している……)

黒死牟は倫道を睨み続ける。

 

 

 

 

「貴様あの時の……!どんなカラクリかは知らぬが、私も全身全霊で臨まねばならぬ!」

 

 

6つの目を見開き、必死の形相となった黒死牟に、悲鳴嶼、不死川、時透、そして倫道は跳び退り更に距離を取った。

4人と上弦ノ壱の距離が開いた。

上弦ノ壱・黒死牟は恐ろしいまでの気迫を露わにする。怒り、そして自らの生存を危うくする者を排除しようとする本能。この者たちを殺さねばならない、本能がそう告げていた。

 

(こっちの警戒が薄くなった!完全に意識の外だ)

どういう理由かは分からないが、殺意はこちらに向いてはいない。完全に警戒が消えている。玄弥は黒死牟の髪と折れた刀身を取り込む。

(体が燃えるように熱い!力が湧き上がって来やがる!すげえ、これが上弦ノ壱の力……!)

強力な鬼に変貌した。その銃も更にゴツくなり、目玉が生えた。

 

(今だ!)

黒死牟が全力で攻撃を開始しようとした時、轟音と共に玄弥の弾丸が放たれた。黒死牟は刀で叩き落とそうとしたが、弾はまるで生きているかのように自在に曲がって軌道修正し、全て命中してその体に喰いこんだ。

 

次の瞬間、メキッ、ミシミシッ!と黒死牟の体内から異音が発生し、木が生えた。

木は黒死牟の体内から皮膚を破って枝を、幹を伸ばし地面に根を張って、その血を大量に吸収してさらに成長し、黒死牟の体を絡め捕るように縛りつけて固定した。

 

 

(これは血鬼術……!あの鬼喰いの者か)

地面に固定された黒死牟に一斉攻撃が迫る。この場にいる4人は何れも一騎当千の実力者。抵抗できない状態となれば、即座に頸を刎ねられてもおかしくはない。

 

平穏が足下から瓦解していく感覚。自らの生存が脅かされる緊急事態に、ぞわりと総毛立ち、腹の奥底が冷たくなる。焦燥と恐怖が黒死牟の全身を駆け抜ける。

蘇る記憶。

 

四百年前の、あの赤い月の夜以来の、懐かしく忌まわしい感覚だった。

 

 

 

 

私が鬼となってから六十年以上は経っていた。赤い月の夜。

信じられぬものを見た。

八十歳を過ぎ、老いさらばえた双子の弟、継国縁壱。

 

痣の者。

二十五歳を前に死ぬはずなのに、お前は何故生き長らえている?

傍らには、同じ痣のある二十歳そこそこと思しき若者が付き添っていた。

「お労しや、兄上……」

かつて人間であった頃の自身の片割れ。感情の起伏を見せなかった弟が、涙を流して初めて表した憐憫の情。心の底からの涙が私の感情を揺らした。以前はどうしようもなく目障りだった弟だというのに。

 

不思議な事に憎しみや怒りは感じなかったが、この者が鬼狩りである以上、向かって来るならば斬る。殺さねばならなかった。

 

懐かしさと殺意の交錯した、数瞬の奇妙な静寂があった。

鬼になってからも鍛錬を続けた私と、老いさらばえ、やせ細った弟。全盛期ではこの弟にはるかに及ばなかったが、今この場ではもはや勝敗は明らかであった。私は今度こそ、人間の身であるこの弟を憐れんだ。

 

余裕。いや慢心と言うべき感情。

 

しかし縁壱が刀の柄に手をかけた瞬間、私のぬるい感傷など粉々に吹き飛んでいた。空気がずしりと重くなり、体が強張る程の重圧が縁壱の体から発せられた。

 

「参る」

眼にも止まらぬほどの斬撃。

老骨でありながら振るう剣は全盛期と変わらぬ鋭さ。流麗でありながら力強く、一分の隙も無かった。私は圧倒され、次の一撃で頸を刎ねられると悟った。

 

しかしその一撃は放たれることは無かった。縁壱は、剣を振り切った姿勢で立ったまま絶命していた。天寿を全うした自然死だった。

次の一撃が寿命の内に放たれていれば、私は殺されていた。

 

 

足場のない空中にいきなり放り出されたような感覚。あの時以来久しく覚えなかった焦燥、生存が脅かされる恐怖が、私に再び襲いかかった。



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42話 兄と弟(VS黒死牟)

黒死牟は体の至る所から刀を出現させ、ノーモーションで三日月の刃もまた全方位に多量に射出し、自分を縛り付ける木を瞬く間に消し飛ばした。

「水の呼吸 拾壱ノ型・凪!」

倫道は3人を護るため、それらの大部分を弾いて逸らすが完全に無効化はできず、自身に数発の被弾、また離れた所にいる玄弥は護り切れず、三日月の刃の1つが玄弥の胴を真っ二つにした。玄弥のダメージは大きいが、黒死牟の刀を取り込んで鬼化しているため絶命せず、その再生力で一時的に出血を緩やかにし、何とか持ちこたえていた。

 

一方固定から解き放たれた黒死牟もダメージを受けていた。

(私の体内から根を生やしたあの木に、かなり力を吸われている……!あの鬼喰いめがまだ息がある。両断してまず止めを)

黒死牟は血鬼術を使う玄弥に狙いをつけた。

 

倫道たち4人は、この土壇場でギリギリの命の取り合いをしたことによって一気にその戦闘力を伸ばしていた。

「霞の呼吸 漆ノ型・朧!」

黒死牟が玄弥を狙う気配を察し、倫道は刀鍛冶の里でも使った時透との連携技、霞の呼吸・二人朧を繰り出す。

ファーストコンタクトでは黒死牟に躱されたが、爆発的に成長した時透の鋭い斬撃が黒死牟の頸に迫った。

 

(戦いのさなかでのこの凄まじき成長!あの方の脅威となる前に、やはり私が全力をもって葬らねばならぬ!)

黒死牟はハリネズミのように体中から刀を生やし、三日月の刃の全方位攻撃を再度放とうとした。

「風の呼吸 陸ノ型・黒風烟嵐!」

倫道と時透の連続攻撃と霞に紛れ、地を這うような低い体勢から不死川が同時に斬撃を放つ。黒死牟は躱しきれないと判断し咄嗟に上方へ飛ぶが、

「岩の呼吸 弐ノ型・天面砕き!」

跳躍していた悲鳴嶼がさらに上空から鉄球を叩き付ける。

「今……だ……血鬼術……!」

剣士4人の猛攻を捌ききれずダメージを受け、体勢を崩す黒死牟。その隙を突き、玄弥が黒死牟の体内に残った銃弾から再び血鬼術を発動、木を生やして固定する。黒死牟は玄弥にまで気を回す余裕が既に無くまたも固定され、不死川の刀がついに黒死牟の頸にがっちりと食い込んだ。

黒死牟は固定されながらも必死に技を出そうとするが、倫道は飛び込んで黒死牟の脇腹から背中まで刺し貫いて内臓に損傷を与える。

 

黒死牟の体内から血を吸い上げて成長した木は強固な拘束具となり、また倫道の疑似赫刀による刺突が黒死牟の力を奪っていく。

(やはりこの刀!この焼け付くような激痛、縁壱の刀と同じ……体が強張る……!技が……出せぬ……。血鬼術が使えぬ……)

 

頸は強固でなかなか斬れず、悲鳴嶼が頭に鉄球を叩きつけ、時透がさらに頸に刀を振り下ろした。

 

(まだ腕は動く……。あの鬼喰いの男と黒刀の小僧を殺せば、邪魔な固定も無くなりこの刀の効力も消え、自由に動けるはずだ……。ヤツは、黒刀の小僧はどこだ?)

黒死牟はまず手の届く距離にいる倫道を両断しようとしたが、高周波ブレードは黒死牟の体に深々と刺さったまま、持ち主の姿が消えていた。

 

不死川、時透が頸の刀に力を込め、倫道が最初の青い刀で上空から斬りつけ、悲鳴嶼が手斧を打ち込んだ上から何度も鉄球を叩き付け、ついに頸を落とすことに成功した。

 

(体が崩れる……あの刀に刺された所から……!私は負けるのか、お前以外の者に……縁壱……)

 

黒死牟は、原作のように第二形態になること無く力尽きて灰化し、体が消え去った跡には着物の他に、巌勝が縁壱に贈ったあの笛が残されていた。

 

 

 

 

 

 

私と縁壱は、戦乱の時代、武士の家に双子として生まれた。跡目争いの原因になることから双子は不吉とされ、弟の縁壱は十歳になったら寺へやられ、出家させられることになっていた。家督を継ぐ私とは何から何まで大きく差をつけて育てられており、私はそんな縁壱を常に憐れんでいた。それと同時に、家督を継ぐ責任や期待も背負うことがない弟を、知らぬ間に見下していた。――七歳の時、縁壱が優れた剣の才能を現すあの時までは。

 

私は、それまで憐れみ下に見ていたこの弟が、私などその足元にも及ばぬくらいに優れた才を持っていると知ってしまった。

 

その時から。

その瞬間からずっと、生涯でただの一度もこの弟に勝ったと思ったことが無かった。人間を捨て鬼になってまで。このような異形になり果ててまで全盛期の力を保とうとした。それどころか、鬼になってからも厳しい鍛錬を積み重ねて力を増したはずだというのに。

四百年前のあの立ち合いで、私は事実を突きつけられた。

人外の道に踏み入ってまで手にしたはずの力。それすらも、この自然の理を超えた天才の前では全くの無駄であった。

そして、もはや永遠に勝つことは叶わない。

鬼になって生き続ける限り、この屈辱を私はこれからも抱えていくのだ。私は天を仰ぎ、その無情を呪った。

 

何故お前だけがいつも特別なのだ。痣の者であるはずなのに二十五歳を過ぎても死なずに生き長らえ、この歳になってなお、鬼である私を圧倒する剣技。

神々の寵愛を一身に受けた、太陽の如き者。

 

縁壱は寿命で死亡し、勝ち逃げた。

お前が憎い。憎くてたまらなかった。六十年前の、骨まで焼かれるような嫉妬の感情が鮮やかに思い出され、腹が煮えて全身が震えるほどであった。怒りと絶望、そんな単純な言葉では言い表せない様々な感情がないまぜになり、私は頭を抱えて声を漏らした。

 

そして立ったままの縁壱の亡骸に近づき、憤りに任せて両断しようとした瞬間、刀を持った私の両腕は落とされていた。

 

縁壱の連れていた若者が、いつの間にか黒い刀を構え、じっと見ていた。体を再生し斬りかかったが、心乱れ、調和を全く失ったままの私の斬撃は若者に掠ることすらなく、私は体を真っ二つにされて地に転がっていた。

「父の言っていた通り、誠にお労しきお姿。……私は縁壱の息子、継国倫影(みちかげ)。今は父が亡くなったばかりゆえ、この場で貴方を殺しはしませぬ。そうそうに立ち去られよ」

縁壱の息子と名乗るその男は憐れむように私を見下ろし、穏やかにそう言って刀を収めた。

私が体を再生して立ち上がると、

「だが次に会った時は、必ず貴方を討つ――」

そう言って、刺すような視線を向けた。

私は気圧され、この男の言うことはただの脅しでは無いことを理解し戦慄した。

 

 

崩れ行く私を悲しい目で見つめる黒刀の男。

お前はやはり縁壱の息子と名乗ったあの時の男であったか。私のことも、縁壱から聞かされていたのであろう。だから、知っていたのか。

だが、私の心中までは知るまい。

いくら手を伸ばしても届かなかった。鬼になってまでも、縁壱には届かなかった。兄弟でありながら、何故これほどまでに違うのか。

縁壱。私はただ、お前になりたかった。

 

 

 

 

 

黒死牟の頸を落とし、灰化して行くのを確認した俺たちは思わずへなへなとその場にへたり込んだ。悲鳴嶼さんすらも地面に膝を突いて天井を見上げてほっと息をついている。

俺も緊張を解いて継国兄弟を想う。

 

弟の縁壱さんは、自分は何の価値もない男と言っていた。そんな自分にも優しくしてくれた兄を想い、もらった笛を生涯大切に持っていた。

兄の巌勝は、縁壱さんを超えたくて、いや、元々はただ縁壱さんになりたくて鬼になった。心の底から縁壱さんを嫌悪していたのであれば、あの笛を大事に持っていることなど無かっただろう。双子の弟という近すぎる相手であるが故に、屈折した感情を抱いてしまった兄。鬼になった兄を斬らねばならぬと決めた弟。双子の兄弟のあまりに悲しい巡り合わせだった。俺の黒刀が縁壱さんを思い出させたのか、頸を落とされる直前、黒死牟は最後に涙を流していた。

 

原作で知っているが、俺はやはり手を合わせて祈らずにはいられなかった。2人の魂が救われるように、もし生まれ変わりが叶うなら、次の世では敵として対峙することなく平穏な人生を過ごせますように。

 

黒死牟を倒して、これで上弦は全て倒した。幸い俺は大怪我はしてないが、けっこう斬られている。優れた防刃性能を持つ俺の羽織でさえも、三日月の刃で容易く斬り裂かれた。漫画世界の刃物には現代の装備でも及ばないらしい。

 

 

おっと玄弥君の上半身と下半身が泣き別れのままだ。俺は慌てて駆け寄り、息も絶え絶えの玄弥君に鬼用回復薬を投与して上半身と下半身をくっつけ、俺と不死川さんの血も少しだが輸血する。鬼だから血液型不適合はないだろう。上弦ノ壱の力を取り込んでるからそう簡単には死なないと思うが焦る。

「おい!大丈夫か玄弥ぁ!てめえ、死んだらぶっ殺すぞ!何とかしろ、水原ぁ!」

傍らに付いている実弥兄ちゃんも心配そうに叫ぶ。

「おお、任せとけ!」

俺は自信有り気にそう答えては見たものの、回復できるかどうかわからん…。あ、でもどんどん回復して来たぞ。さすがは不死川さんの超稀血。ではそろそろ人間に戻す薬を…。

 

「倫道さん、それは待ってくれ。もう少しこのまま戦いたいんだ」

鬼のまま回復して意識もはっきりした玄弥君が言う。精神状態も完全に制御されており、時間制限はあるだろうが戦闘体としてはこれ以上ない最良の状態と思われた。

でも人間に戻れなくなるんじゃあ……。兄ちゃん、どうする?俺は実弥兄ちゃんに目で尋ねる。

 

「分かった」

不死川さんが答える。ええっ!?不死川さん?

「こいつがやると言ってんだ、好きにさせてやれぇ。だが戦いが終わったらさっさと治療受けやがれ」

マジか。……でも兄ちゃんがそう言うなら。俺は人間化薬をしまうが、

な、何すんだ不死川さん?

不死川さんが玄弥君の首筋に手刀を一閃。漫画で良くある、気絶させる時のやつ。

現実なら昏倒するほど殴ったらまともに目覚める保証は全くないのだが、漫画の世界だからいいか。

「おい、今のうちに玄弥に薬を打ってくれ」

……ああ、そういうことか。現実なら本人の同意が得られていない治療はしてはいけないのだが、人間に戻れなくなるリスクを考えると仕方ない。では気絶してる間に治療してしまおう。

(玄弥君が死ななくて良かった!ややこしいけど、こっちの兄弟は何とかなるだろ)

不器用ながらもお互いを思う不死川兄弟。俺は暖かい気持ちになりながらやることを整理する。まずは無一郎君、悲鳴嶼さんの治療を行い、実弥兄ちゃんの治療だ。すぐ縫合するから待ってろよ。

それから無惨と遭遇しているであろう炭治郎君たちのところだ。

 

兄ちゃんの傷を超速で縫っていると、

「あの隠、やっぱりてめえかよ」

そう言われたので、

「今回の傷はほとんど残りませんよ」

俺がニヤニヤしながらそう言うと、

「へっ、全くてめえはふざけた野郎だぜぇ」

不死川さんは軽く睨む。もうバレても構わないからね。よし、全部終わった。自分の傷は医療用のホチキスで止め、

「3人は、付近の怪我人の救出を。俺は別行動で怪我人の救出と無惨を探索しながら行きます。じきにこの無限城が崩壊するから、気をつけて」

 

悲鳴嶼さんに挨拶し、隠の隊員に玄弥君を任せて俺は無惨と戦っている現場への転送を待つ。あとの3人は、少し休憩してもらわないとね。



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最終決戦編
43話 激戦(VS無惨)


探索を続けていたカラスたちが、肉の繭を作って自己修復している無惨を発見、すぐに隊員たちが肉眼でそれを確認した。総司令官の産屋敷輝利哉は、珠世が心の中で呼びかけてくる声が弱くなったことから、珠世がもうすぐ力尽きて無惨が復活してしまうことを察知した。

 

「退避!退避ィ!距離ヲ取ッテ柱ヲ待テ!」

カラスの伝令が響く。

憎き敵はすぐ目の前だ。それにヤツは今、繭に閉じこもり反撃できない状態、絶好のチャンスに見える。攻撃を仕掛けようとはやる隊員たち。

しかし輝利哉と村田は突撃を止め、捕捉しつつ大きく距離を取って退避し、柱たちの到着を待つよう厳命した。

 

(村田さん、ナイスジャッジ!)

原作では復活した無惨に多くの隊員たちが喰い殺されてしまっており、倫道は何としてもこの事態を避けたかった。マスカラスを通じて距離を取る判断をしたことを聞き、倫道は喜んだ。

指令通り遠巻きに観察していた隊員たちだったが、ついに無惨が繭を破って復活したことを確認、犠牲者を出すことなくすぐさま退却した。

 

繭から出た無惨は、周囲に人間が1人もおらず、体力の回復を図ることができなかった。

(産屋敷の息子か娘かは知らぬが、餌となる人間を私に近づけないとは、小賢しい。――しかし、まあ良い)

無惨はひとまず体を完全に再生修復できたことに満足していた。髪の色はまだ白いままだが、愚かにも歯向かって来る人間共がいる。これからいくらでも殺して喰らうことができるので、餌に困ることは無いだろう。空腹で取る食事はさぞや美味であろう……久しぶりに味わうであろうその感覚に期待し、無惨は独り笑った。

しかし第1の人間化の薬が効能を失った後、無惨の体内では既に、第2、第3の薬が密やかに作用を開始していた。

 

「鬼を人間に戻す薬とやらは、私には効かなかったようだな」

珠世はほとんどが無惨に取り込まれ、頸だけが残されていた。無惨はその頸に向け嘲笑う。

「どうだ珠世。お前たちが吐き散らす地獄とやら、私もぜひ見てみたいものだ。だが生憎とその望みは今回も叶わぬ」

「私の夫と子供を……かえ……せ……」

眼球を潰され血の涙を流し、頸だけになりながらもなお無惨に呪詛を吐き、執念深く言い続ける珠世。

「ならば己が殺した身内の元に行くがいい」

興味が失せた、無惨はそう言わんばかりに珠世の頸をあっさりと握り潰し、止めを刺した。

 

「誰も役には立たなかった。鬼狩りは私自身の手で、今夜こそ皆殺しにする」

無惨は動き出した。珠世の気配が消えた事でその死を知った愈史郎は絶望に崩れ、そして怒り狂った。

 

琵琶の音が鳴り響き、炭治郎、義勇、杏寿郎が転送され、無惨に遭遇した。鳴女を利用した転送だが、一見無惨の意思を反映したように見えて、鬼殺隊本部は既に鳴女をコントロール下に置き、作戦に組み込んでいる。鳴女の血鬼術が発動すれば、誰をどこに転送したかはすぐに分かり、任意で発動させることもできる状態だ。

 

「無惨!!」

炭治郎が怒声を上げる。

その頭の中を去来する思いがある。家族を殺された。禰豆子は鬼にされた。鬼によってもたらされた多くの不幸を目にして来た。激しい憎悪が渦巻き、怒りに身を震わせる炭治郎。

「落ち着け、炭治郎」

怒りに飲まれるな。心を乱すな。義勇は、激情に取り込まれそうになる自分自身にもそう言い聞かせる。抑えの利かない怒りは、戦場においては自分の命を危険に晒す。怒りは戦う原動力ではあっても、それに支配されてはいけない。怒り、そして恐怖は、心の内で完全に制御しておくものだ。

 

「しつこい」

臨戦態勢の鬼殺隊の3人を前に、無惨は呆れと嫌悪感を露わにする。

 

「お前たちは本当にしつこい。口を開けば親の仇、子の仇だのと馬鹿の一つ覚えのように繰り返す。全くうんざりする。お前たちは生き残ったのだからそれで十分だろう。私に殺されることは大災に遭ったのと同じだと思え。避け得ない運命だったと受け入れるがいい」

さらに無惨は続ける。

「死んだ者にいつまでも拘るな。自分たちだけでも生き残った幸運を喜び、静かに暮らせば良いものを何故お前たちはそうしない?」

 

「何だと?」

杏寿郎の顔がさらに険しくなる。

“大災”の張本人のあまりに手前勝手な言い草に、3人の怒りは一気に沸点に近づく。

 

「理由は一つ。鬼狩りは異常者の集まりだからだ。……今夜こそ終わらせてやろう。異常者どもの相手はいい加減疲れた」

 

「無惨。お前は、この世に存在してはいけない生き物だ」

炭治郎は怒りのあまり却って心が冷え切って行くのを感じ、思わず口にした。

 

「是非もなし。もはや貴様に言葉など要らんな」

杏寿郎が鯉口を切り、構える。

「貴様は、ここで我々が滅殺する!――炎の呼吸 壱ノ型・不知火!!」

杏寿郎が踏み込み、同時に無惨の腕刀が伸びる。

 

 

鬼の始祖・鬼舞辻無惨と鬼殺隊との全面戦争、その最終決戦が開始された。

 

 

無惨の腕は自在に伸縮し、3人を襲う。無惨の攻撃範囲の広さを3人は再認識した。

(たしかにこの間合いの広さ、攻撃の速さ、尋常ではない!戦力を集めてヤツの目標を分散し、連携してかかる他あるまい。戦力が集まるまでは無理に攻めに出ない方が得策だ)

杏寿郎はそう判断した。

数回の攻撃を義勇と杏寿郎は何とか防ぐが、炭治郎は被弾してしまう。

「距離を取れ!間合いを詰めなくていい!」

義勇は、前に出がちな炭治郎を制する。この戦い方に無惨は冷笑する。

「夜明けまでの時間稼ぎか。だがお前たち3人で何ができる?残りの柱たちは私の部下が殺したようだぞ」

既に愈史郎に視界をジャックされ、脳機能も浸食されている鳴女から誤った情報が無惨に送られている。

童磨、黒死牟と戦った者たちは死に、鳴女自身も無限城を操って3人の柱と大勢の隊員を押し潰して殺している、そういう都合の良い幻覚を見せられていた。

 

その時琵琶の音が響き、無惨の背後にふすまが現れ倫道が飛び出した。大上段に振りかぶり、ズバッと袈裟斬りの一刀を浴びせて斜めに無惨を両断した。瞬時に再生しようとするが、倫道の高周波ブレードによる疑似赫刀で再生がわずかに遅れたように見えた。

 

(まだ動ける者が残っていたか!)

背後からの斬撃に無惨は舌打ちした。

(この男、何故生きている?!絶命していなかったのか!それにこの刀、黒死牟との戦いに使っていたな。わずかに再生が遅れるようだ)

生きている倫道を見て驚き、訝しむ無惨。振り向いて即座に攻撃するが、既に倫道は距離を取り、3人の一歩前に出て構え、

「お前の攻撃は一撃たりとも通さない!」

静かに闘志を燃やしている。

 

続けて琵琶の音が響く。

(どうした、鳴女?!)

無惨は、無惨の意思を無視して琵琶をかき鳴らし続ける鳴女の異常に気付いた。

べべんっ!となおも続けて琵琶の音が響き渡り、

宇髄が、伊黒が、甘露寺が、次々とこの場に転送され、攻撃を開始した。

「何だとっ!こいつらは……!どういうことだ!何をしている、鳴女!!」

殺したはずの柱たちが、自分の意に反してこの場に呼び集められて来ていた。

 

「何をしているだと?決まってるじゃないか。この女の脳を操ってお前に一杯食わせてやったんだよ、マヌケめ」

愈史郎は鳴女の視界を通して、無惨が怒るさまを見て毒づいていた。

倫道含め4人の柱が一気に追加され、無惨も一瞬たじろぎ、忌々しげに鬼殺隊の面々を睨んだ。

 

「お前は俺から珠世様を奪った。その罪、死んで償え!今から地上へ叩き出してやる!!」

愈史郎は悲憤の涙を流しながら叫び、無惨を地上へ排出すべく鳴女の操作を開始した。

 

「戦力が揃って来たな!全員でかかろう!間合いに十分注意しろ!」

杏寿郎が指示を飛ばす。

「甘露寺を傷つける者は許さん」

(私も頑張らなくっちゃ!守られてばっかりじゃない、私だって戦える!)

伊黒と甘露寺も巧みに連携しながら斬撃を放つ。

「こりゃあなかなかに派手だな」

宇髄も攻撃を開始する。

義勇は倫道が最前線で攻撃を防ぐ隙に、冷静に斬り込む好機を狙う。

無惨は、鳴女が既に敵の手中にあり、何者かにコントロールされていることに気付いた。

 

(珠世の鬼だな。いい度胸だ、すぐに殺してやる!)

無惨は鳴女のコントロールを愈史郎から奪い返そうとするが、愈史郎も精一杯の力で抵抗、容易に鳴女の支配を手放さない。鳴女の脳内で、愈史郎と無惨の激しい能力戦が展開されていた。

 

無惨は愈史郎ごと吸収しようとするが、柱たちの激しい攻撃で遠隔操作に集中できない。

愈史郎と無惨による争いで鳴女の脳には無秩序に大量の情報が流れ込み、命令を処理できずに混乱した鳴女はめちゃくちゃに琵琶をかき鳴らし、壁が、床が、あらゆる物が激しく動き、無限城全体が不気味な音とともにきしみ始める。

(まずい、城が崩壊する!隊員たちが生き埋めになる!)

愈史郎は焦るが、鳴女による無限城の操作を諦めた無惨は、鳴女を抹殺して無限城諸共隊員たちを地中に葬ろうとしていた。

(こいつの細胞が消える前に、隊員たちと無惨を地上へ出さなければ!)

愈史郎は頭脳をフルパワーで働かせ、頭を潰されて消える鳴女を操作して城内の全ての者を地上へと送り出した。

 

轟音と大地震のような激しい振動とともに、何層にも連なった複雑な構造の無限城が連鎖的に崩壊していく。隣り合う各ユニットが互いに激しい衝突を繰り返し、潰れ、ひしゃげながら地上へと排出された際には、完全な瓦礫と化していた。

場所は東京府下、東京市のある駅前の市街地。時刻は未明、人影は無いが、日本の中枢に近い場所である。脱出したカラスたちの情報を基に輝利哉がすぐさま隠部隊を急行させ、“地盤沈下”が発生したとして、一般人が立ち入らないよう周辺地域一帯の封鎖に当たらせていた。

 

夜明けまで、あと一時間半。

 

崩壊の轟音と地響きが鎮まると、一瞬の静寂が訪れた。隊員たちはみな無事に生還。瓦礫を押しのけて、ここが地上である事を確認した。しかし、見ればまだ夜空に三日月が浮かんでいる。

 

(無惨はどこだ?)

無惨の位置を見失う一同だが、瓦礫の一角が吹き飛び、無惨が姿を現した。

「夜明ケマデ、アト一時間半!」

カラスの一羽が告げる。

 

 

(まだ一時間半あるのか……)

炭治郎は心が折れそうになるが、仲間がいる事に勇気づけられ戦う気力を取り戻す。

無惨は地上へ排出されたことを知り、さらに夜明けまでの時間を告げるカラスの声も聞いていた。

「ほう、私を夜明けまでこの場に留めようというつもりか。小賢しい蝿ども、やれるものならやってみろ!」

 

再び激しい戦闘が開始された。鬼殺隊側は、これだけの戦力が揃っていても一気に攻め切ることができない。無惨の両腕と背中の管からの斬撃、そして見えにくい大腿部の管の斬撃に加え、この攻撃には無惨自身の血による猛毒が付加されている。倫道は積極的に前線に止まり、無惨の攻撃を自身に集めて隙を作り味方の攻撃を通そうとしていた。

極限集中の状態でいるが、童磨、猗窩座、黒死牟と立て続けに戦い傷を負っている上に、無惨の猛攻から被弾ゼロにはできず、毒が蓄積する。無惨には珠世の薬の効果が発現しておらず、目に見えて動きが鈍ることはまだ無かった。

(薬が効いてくれば必ず勝機はある!)

倫道はそう信じて全力で刀を振るい続ける。

 

 

(まずい!足がっ……!)

疲労と毒で炭治郎が瓦礫に足を取られ転倒。起き上がって走ろうとするが、足がもつれる。近くにいた倫道がすぐさまフォローに駆けつけるが、炭治郎はさらに足にザックリと深い傷を負わされ、動けなくなってしまった。

(やられる!)

炭治郎は毒で意識が遠くなり死を覚悟したが、倫道が駆けつけて自分を庇い、無惨の集中攻撃を弾いて防ぐのが見えた。しかし次の瞬間、意識を失う間際に炭治郎が見たのは、背後からの攻撃を躱しきれずに胸を貫かれた倫道の姿だった。

(ああっ!倫道さん……!)

「がはっ!……げふっ……」

それでも倫道は炭治郎に迫る管の1本を切り落とし、口から血を噴いて膝を突き、そのままガクリとその場に崩れた。

 

「伊黒ー!!倫道と炭治郎を頼む!」

義勇は一番近くにいた伊黒に叫ぶが、最前列で無惨の攻撃を潰す役割だった倫道が沈黙し、誰しも簡単には動けない状態だった。

 

(このままじゃ死んじまうだろ!行くしかねえ!俺は柱みたいには戦えねえが、ここが命の懸け時だ!)

倒壊した建物の陰から、決死の覚悟で飛び出す1人の一般隊員。それを見たもう1人も続いた。

(何としても助ける!倫道さんも、炭治郎君も!)

 

「ミドリカワ!オザキ!ヤメロ!」

マスカラスが止めるが、2人は激しい戦闘の間隙を縫ってダッシュし、重なって倒れている倫道と炭治郎をそれぞれ抱えた。しかし、無惨があっさりとそれを見逃すはずはなかった。無惨の管の1本ずつが緑川と尾崎に迫る。

 

 

その直前。

(シイィィィ……)

何もない地面にいくつもの足跡が現れ、意識的に抑えたわずかな“呼吸”の息遣いの音。無惨との戦闘中に気付く者はいなかった。

 

(何だあいつらは!足手まといがっ!)

舌打ちしながらも被弾を覚悟で助けに向かおうと焦る伊黒だったが、無惨の攻撃が急に止んだ。

 

正しくは、腕刀と管を全て斬られ、攻撃手段を失った。

一瞬あ然とする無惨。この場にいる者も何が起きたのか分からない。

しかし、この隙をついて緑川と尾崎が伊黒と甘露寺に護られて安全地帯まで退避した。

 

「炎の呼吸 壱ノ型・不知火!」

「雷の呼吸 壱ノ型・霹靂一閃 六連!」

千寿郎と善逸がステルス状態での先制攻撃を仕掛けた。無惨は一瞬で腕刀と管を斬られ、体に幾つもの傷が刻まれて行く。

「獣の呼吸 肆ノ牙・切細裂き!」

「花の呼吸 伍ノ型・徒の芍薬!」

同じく姿を消した伊之助とカナヲが追撃を加える。

宇髄の聴覚が、確かにその者たちの足音を捉えた。

(6人、か。久しぶりの槇寿郎の旦那まで!)

 

無惨もようやく事態を理解した。

(目くらましか。つまらぬ小細工を!)

童磨と戦ったメンバーと、獪岳を倒して応急処置を受けた善逸が合流し、目くらましを使い戦闘に参加した。

しのぶは倫道と炭治郎の元へ駆けつけ、愈史郎、隠の隊員や直接戦闘に関わっていない一般隊員たちとともに治療を開始した。

 

「お前たち如き、何人居ようと変わりはしない。あれを見ろ」

無惨は、戦っている者たちに倫道と炭治郎を指し示す。

「私に傷をつけられたものは死ぬ。攻撃に混ぜられた私の血はお前たち人間にとっては猛毒。順応できる者などいるはずがない。水原倫道と竈門炭治郎は死んだぞ」

「嘘だ!炭治郎は心音が聞こえている!死んでない!」

善逸は叫ぶが、炭治郎の今にも止まりそうな微弱な心音と苦しそうな呼吸音はいやでも聞こえていた。そして、倫道の心音は既に聞こえない。

 

(心肺停止だ、まずいぞ!)

しのぶと愈史郎は手分けして心肺停止状態の倫道に蘇生処置を施し、無惨の血の毒で急速に衰弱している炭治郎に薬を投与して治療を開始した。

2人を抱えて長い距離を全力でダッシュした緑川と尾崎は息切れで一時動けなくなっていたが、すぐに心配そうに蘇生処置をを受ける倫道の傍にやって来た。

「大丈夫なのか?」

心配そうに聞く緑川に、

「心配するな、こいつがこんなところで死ぬはずはないだろう!」

愈史郎が胸骨圧迫と薬の投与を行いながら返事をする。

「そうですよ、私たちもついてますから!」

しのぶも炭治郎に薬を投与しながら声をかけた。

無惨戦の戦況はやや持ち直しているが緑川はそれどころではなく、

「倫道さん、死ぬな!自分で出した命令だろ!」

尾崎と共に必死で呼びかけていた。

 



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44話 古の記憶(VS無惨)

炭治郎は、無惨の血によって死の淵を彷徨ったが順応し、鬼となって目覚めた。全身に負っていた大小の怪我も鬼化することによって急速に治癒し、タイミングを見計らってすかさずしのぶが“鬼を人間に戻す薬”を数本投与した。

 

炭治郎の意識の中で鬼と人間がせめぎ合う。鬼化した炭治郎は苦しがって暴れたが大勢の隠隊員や直接戦闘に関わっていない隊員たちが必死で抑制し、誰も傷つけず、自分の体も傷つけることはなかった。炭治郎は苦しんだ後、やがてまた気絶してしまった。

 

 

炭治郎は夢を見た。

それは、遺伝子に刻まれた古の記憶が見せる幻だった。

 

 

 

 

俺は、家族みんなで暮らしていた懐かしい自分の家の前に佇んでいた。でも、どうしてか少し違和感があった。

いや、よく似てるけど家じゃない?どこだろう?

どうして俺はこんなところにいるのだろう?

無惨と戦っていたはずなのに……。

「とーたん」

幼い子が、着物の裾を引いてかわいらしく俺を見上げ、ある方を指さしていた。

とーたん、て俺のことか?戸惑いながらその幼子の指さす方を見ると、来訪者がいた。

 

以前夢で見た始まりの剣士。縁壱さん、と言ったか。穏やかで、何故かとても寂しそうだった。

「炭吉、すやこ。お前たちに少し話しを聞いて欲しくなった」

そう言った。

俺は、挨拶をしようとして気づく。これは、先祖の炭吉さんの記憶を辿っているだけなんだ。だから匂いも感じないし、俺の思ったことを喋れない。

俺は縁壱さんと並んで縁側に座り、暖かな日差しを受けながら話を聞いた。

 

「私は双子の弟として侍の家系に生まれた。忌み子だった」

縁壱さんは懐かしそうに語り始めた。

 

「忌み子の私は、常に兄とは分けられていたが、兄はそんな私にも優しかった。いつも剣術の稽古をしていた兄に憧れ、兄に次いで強い侍になりたかった。叶わぬ夢であったのは分かっていた。武家の家督を継ぐことが決まっていた兄とは違い、私は寺へ出され、出家することが決められていたからだ。七歳の時、母が亡くなったのを機に家を出て放浪し、後に妻となる少女、うたと出会った。うたは、糸の切れた凧のようだった私をしっかりと繋ぎ留めてくれる人だった。うたと話しているうちに、生き物の体が透き通って見える人など聞いたこともないと言われ、そう見える自分は人と違っているのだと初めて知った。他の人とは違う、私の漠然とした違和感の正体が分かった気がした」

 

体が透き通って見える……さっき猗窩座と戦っている時に見えた、あれのことだ。縁壱さんもそれができたのだ。しかも子供の頃から自然に。

 

「10年後2人は夫婦になり子供を授かった。出産も間近となり、産婆を呼びに行って戻ると、うたと腹の子供は殺されていた。自分が命より大切に思っているものでも、他人は容易く踏み付けにできる、そう悟った。うたと子供の亡骸を抱きながらぼんやりしていると、鬼を追って来た鬼殺隊の剣士たちがやって来て、鬼の仕業と教えてくれ、人を殺して喰らう鬼の存在を知った。これをきっかけに私は鬼狩りの剣士となった。数年後、たまたま鬼に襲われていた兄とその家来を助けた。家来を大勢殺された兄も、それが縁で鬼狩りに加わった。私は嬉しかった。また兄と一緒に居られるようになった」

 

「そしてある日、鬼の始祖、鬼舞辻無惨に出会った。暴力的なまでに生命力に満ち溢れ、火山から吹き上げる岩漿のように、全てを飲み込もうとしているようだった。出会った瞬間、私はこの男を倒すために生まれたのだと理解した。無惨の攻撃は強く速く、掠るだけでも致命傷になるものだった。私は生まれて初めて背筋がひやりとした。透き通る感覚によって、男には脳が5つ、心臓が7つあることが分かり、そしてこの瞬間私の剣技の型が完成した」

 

完成した型……。十三個目の型のことか?教えて欲しい!

 

「私は無惨の頸を斬って落としたが死ななかった。そして千八百もの破片に分裂して逃げられ、結局討ち果たすことができなかった。無惨と一緒にいた珠世という鬼の娘は、無惨に復讐を誓っていた。無惨が弱ったためにその支配から逃れ、戸惑いながらも無惨を倒すために協力してくれることになった。しかし無惨と会敵しながら討ち果たせず、珠世と言う鬼を見逃し、さらに兄が鬼になってお館様を殺して逃げた。私はその責めを負って鬼狩りを追放された」

縁壱さんは感情の揺らぎも見せず淡々と語り、そして一旦言葉を区切った。

 

 

「私は、大切なものを何一つ護れず、人生において為すべきことを為せなかった者。何の価値も無い男だ。私が無惨を討ち漏らしたせいで、これからも多くの人の命が奪われてしまう。それが心苦しい」

縁壱さんは静かに語り終え、悲し気にうつむいてしまった。

 

言葉が無かった。俺には、この人にかけてあげる言葉なんて何も思いつかない。

縁壱さんは何も悪くない。何も悪くないのに、何でこんなに辛い目に遭うんだろう?

 

炭吉さんが何か言ってくれるかと思ったが、沈黙が続いた。炭吉さんになった俺の傍らで、おとなしくしていた娘のすみれちゃんが、縁壱さんに抱っこをせがんだ。

「抱っこしてやってください。すみれは高く持ち上げてやると喜ぶんで」

俺の口から、炭吉さんの言葉が漏れる。縁壱さんはすみれちゃんを抱っこして高く差し上げた。きゃっきゃと無邪気に喜ぶすみれちゃん。

無垢なその笑顔が、その声が、掴めなかった小さな幸せを思い出させたのか、縁壱さんの目から不意に涙が零れた。

 

抱っこされて喜ぶ幼子、幼子を抱っこしてあやす大人。

日常の中の、平和で尊い光景だ。縁壱さんの求めた幸せは、きっとこんなありふれたことなんだ。妻のうたさんと子供、愛する家族の顔を見ながら一緒に暮らす。そんな、ありふれた暖かい夢。

でも、それすらも縁壱さんには許されなかった。

こんなに強い人でも耐えられない悲しみはある。それをずっと一人きりで抱えて来た切なさを思い、炭吉さんも涙を流した。

 

そこに炭吉さんの妻、すやこさんが帰って来て、すみれちゃんを抱きしめて静かに涙を流す縁壱さんと、それを見て泣いている炭吉さんを交互に見た。

 

「そんなに泣いて、どうしたの?お腹いっぱいご飯食べさせてあげますから!」

この強いお侍さんが涙を流すほどの、何か辛い事があったに違いない。すやこさんはすぐに察した様子だったが、精一杯明るい態度と声でそう励ました。

それからすやこさんは、剣の型が見たい!と縁壱さんにせがんだ。縁壱さんは照れながらも日の呼吸の剣技を見せてくれた。

 

炭吉さんはそれをつぶさに見て、一つの動作すらも疎かにせず目に焼き付けた。炭吉さんになった俺も、その美しい型を、本人が直に剣を振るうその型を見つめた。日の呼吸の型は、瞬きをするのも、息をするのすら忘れるほど美しかった。剣を振るう縁壱さんは、人ではなくまるで精霊のように見えた。

 

「縁壱さんの刀は戦う時だけ赤くなるのね。普段は黒曜石みたいな漆黒なのに。……とっても奇麗」

縁壱さんが日の呼吸の型を見せてくれた後、すやこさんが、人間だった頃の禰豆子そっくりの顔で語りかけていた。

 

日の呼吸は、神楽の舞として驚くほど正確に竈門家に受け継がれていたが、実際に“正解の形”を見ることで格段に理解度が上がり、自分の無駄な動きに気付くことができた。足の運び、体の捻りや手首の角度。ほんのちょっとした違いでも、刀に乗せられる力が全く変わって来る。刀を振った後の安定感が大きく増してくる。

これはただの夢なのかもしれない。だが、俺にとっては数年間の学びにも等しい経験だった。

 

「また来てください」

炭吉さんはそう言ったが縁壱さんはそれには答えず、耳飾りをくれた。

それは、まるで形見のようだった。この人は、もうここには来ないのだと分かった。

 

「貴方は価値の無い人なんかじゃない!貴方に護られた命で、俺たちが後に繋ぎます。この耳飾りも、日の呼吸も、必ず後世に伝えます。約束します!」

去ってゆく縁壱さんに、炭吉さんの言葉があふれた。

「ありがとう!」

縁壱さんは一度だけ振り返って、心に沁み通るような笑顔を見せて手を振った。

 

俺の方こそ、ご先祖様を助けてくれてありがとうございました。貴方がいなければ、俺は、禰豆子は、この世に生まれてすらいません。

遠ざかって行く物悲しい後ろ姿に、俺は願った。もう何百年も前に亡くなっているこの人の心が、ほんの少しでも救われることを。

 

俺は思い出して、理解した。

約束。

「この神楽と耳飾りだけは、必ず途切れさせず継承していってくれ。約束なんだ」

父さんがいつも言っていた、“約束”という言葉の重さ。縁壱さんとの大事な約束。俺のご先祖様たちが大切に守り、代々受け継いで来たこの思いを、俺も受け継がなければならない。

 

 

 

 

薬の助けを借り、鬼化を自らの意思で押しとどめ、炭治郎は目覚めた。一時的な鬼化で、傷も完全に治癒した。

そして、日の呼吸の十三個目の型を推測した。円舞から、炎舞へ。同じ音には何かきっと意味があるはずだ。

(正しい呼吸ができれば、炭治郎もずっと舞える)

それから、父さんのあの言葉。

舞い続ける。

十二の技を繋いでいくこと。一連の技の流れが、十三個目の型になるのではないだろうか?

 

 

 

「大丈夫ですか?」

しのぶが炭治郎に声をかける。

「俺はもう大丈夫です。倫道さんは?」

炭治郎が心配そうに愈史郎に聞いた。

「水原さんは貴方よりも重傷でした。一度は完全に心臓が止まっていましたから。幸い……と言うか、鬼化で肉体的には修復が完了しましたがまだ意識が……。鬼の力と人間の心がせめぎ合っているのでしょう。でも強く人間であろうとすれば必ず戻って来るでしょう。今愈史郎さんも懸命に治療しています。もう少し時間はかかるでしょうけど、大丈夫ですよ」

 

(みんな、必死になって戦っている。前線のみんなも、倫道さんも。一緒に無惨を倒すんだ!俺も戻らないと!)

「ありがとうございます!俺は戦いに戻ります。倫道さんの事、よろしくお願いします!」

炭治郎はそう言って、前線へと飛び出して行った。



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45話 輪廻(VS無惨)

捏造設定激し目です。


倫道は心臓も大動脈も損傷し、大量出血により心肺停止となった。攻撃に混ぜられた無惨の血液量も通常の人間なら即死のはずであった。しかし、循環血液量の極端な低下で死に瀕した状態が、皮肉にも無惨の血への順応を手助けした形になった。

要するに、血液なら――何なら水でもいい、血管を満たして体を巡ってくれるなら、という生存のための人体の本能。出血性ショックに対しては、輸血が間に合わなければ代用血液(種々あり)、それでも足りなければ普通の点滴が使われるのだ。

愈史郎の蘇生処置で無惨の血液が全身を巡り、倫道はそれに順応して鬼となり、脳、神経が死ぬ寸前に全身の再生が始まった。そして鬼の力で極く短時間のうちに損傷した部分も含め臓器が再生、蘇生を果たした。

 

童磨戦、猗窩座戦、黒死牟戦で受けた全身の傷も見る間に治癒し、胸を貫かれた傷さえも全く元通りになった。

「鬼化するぞ!抑えろ!」

愈史郎が人間に戻す薬を投与しながら周囲の隊員たちに叫ぶ。

カッと倫道の目が見開かれ、

獣のような低い唸り声が口から漏れて来た。

 

始まった。目は吊り上がり、虹彩は紅く瞳孔は縦長になり、顔に血管が浮き上がり牙が生えた。しかし獣のように吠えながらも拳を握りしめ、周囲の者たちを殺そうとする衝動に必死に抗っている様子であった。

隠の隊員が10人がかりで体を押さえ、愈史郎が人間に戻す薬をさらに投与する。

体の中で鬼と人間が激しくせめぎ合う。暴れる力は弱まったが、体を反らし、痙攣しながら激しく苦しんでいた。牙をむき、正気を失った表情で苦しむ倫道だったがやがて気絶し、完全に脱力して静かに呼吸するだけになった。

 

「おい、大丈夫なのか?倫道さんは……どうなるんだよ?」

「分からん、後は本人の意思の強さ次第だ。強く人間であろうとすれば必ず戻れる。……俺はこいつを信じる」

泣き出しそうな顔で緑川が聞くが、愈史郎は倫道を見つめたまま答える。

周囲の隊員たちに混じり、緑川と尾崎も何もできないことを歯痒く思ったが、傍らで声をかけ続けることしかできずにいた。

 

 

 

 

俺は夢を見ていた。

 

おぼろげな、この人生でのものではない記憶が蘇って来る。

 

俺は十歳の子供だった。

俺の家は、戦があると招集される、半農の下級武士たちの住む集落にあり、俺の父もそんな身分の人だった。

思い出してくる。

ある夜、闇に紛れて鬼が集落を襲った。他の家では声も出せずに殺されたらしく、ほとんど気配が分からなかった。いきなり入って来た鬼に、俺を逃がそうとした両親は為す術もなく殺され、俺も殺される寸前だった。死を覚悟した。

 

鬼は、肩から胴体にかけて、俺に振り下ろそうとした腕ごと袈裟切りにされていて、次の一撃で振り向く間もなく頸を刎ねられていた。

背後には年老いた侍が一人静かに立っていた。この集落に住む人ではなく、明らかに外からやって来た人だと分かった。その侍は、据物でも斬るように易々と鬼を斬ってしまった。

 

命を助けられた。俺は安堵したが、傍にはたった今殺された両親の遺体があり、嫌でも現実に引き戻された。

周囲には物音もしない。集落の人々はほとんど殺されていたようだった。

 

侍は、両親の亡骸にすがって泣いている俺と一緒に涙を流してくれた。

聞いたことがあった。人を喰う鬼と、それを狩る鬼狩り。侍は各地を旅しながら鬼を狩っていると言っていたが、私はもう鬼狩りではない、そうも言っていた。

 

他に頼る人も無く、独りぼっちになった俺は優しい目をしたその人について行った。

侍は、鬼に遭遇する度に鮮やかに斬って捨てた。その強さ、美しい剣の技の冴えは子供ながらにも理解できた。真剣勝負、命懸けの殺し合いの最中なのだが、俺は危険なのを忘れるほどに夢中でその剣技に見入った。

 

「僕もじいちゃんと一緒に鬼を狩りたい。僕に剣を教えてください」

一緒に旅していたある日、思い切って頼んでみた。

 

「鬼狩りは厳しい修羅の道だ。この戦乱の世だが、刀を取らずとも生きていく術は他にもある」

侍は最初、俺が鬼狩りの剣士となることを良しとしなかった。

だが俺はどうしても鬼に復讐をしたかった。そしてそれ以上に、侍のその技に憧れを抱くようになっていた。この人のように、悪い鬼を斬って人々を護り、助けたい。

 

俺は何度も頼んだ。

じいちゃんはやはり止めたが俺の決心は変わらず、自己流で体を鍛え始めた。最初は体の動きも刀の動きも速すぎて分からなかったが、毎日見続けた。そのうちに何となく力の流れが分かり、じいちゃんと同じように力を伝えることを意識してみた。やがて、呼吸を保ち、全身の筋肉から発する力が滑らかに、見事に連動し刀に伝達するのを少しずつ真似できるようになった。筋肉の緊張、力の伝達が分かるようになり、どこに力を入れ、どう動けば良いかを理解し、コピーする能力がだんだんと育ってきた。そうして、じいちゃん――縁壱さんは俺の弟子入りを認めてくれた。

 

厳しい稽古が始まった。以前少しだけ父に教わった剣技など、ままごとのようなものだと痛感した。しかし楽しかった。上達が分かった。強くなるのが楽しくて仕方なかった。

鬼殺隊という組織があることも知ったが、それよりも俺はじいちゃんと一緒にいることを選んだ。

刀鍛冶の里では、ひょっとこのお面を被った奇妙な人たちに会った。みな良い人たちで、俺に優しくしてくれ、じいちゃんと昔からの付き合いだからと刀を打ってくれた。刀身はじいちゃんと同じように黒く染まり、お前もかい、里の長はそう言って愉快そうに笑った。

 

俺はどんどん強くなり、鬼を斬れるようになった。そして数年後。

 

「日の呼吸の剣技は全てお前に伝授した。お前に私の姓を与えよう」

身寄りも無く天涯孤独だった俺は継国姓を与えられ、継国倫影(みちかげ)と改名して縁壱さんの息子になった。いつの間にか、俺にも縁壱さんと同じような痣が浮き出していた。

 

 

父縁壱は、討ち漏らした鬼の始祖、鬼舞辻無惨と、鬼になった兄を探していた。俺と父は共に鬼を狩りながら旅し、父が八十歳になり、俺が二十歳を過ぎてしばらくしたある赤い月の夜、鬼になった伯父・継国巌勝に会った。

 

「みな死ぬはずだ、二十五歳を前に……。何故お前だけ生き長らえている?」

伯父は父を目にして明らかに動揺していた。

「お労しや、兄上」

父は、人であることを捨て異形となり果てた伯父の姿に涙を流した。

双子の兄弟の間で、何か通じるものがあったのだろう。お互いに動かず、しばし静寂の間があった。2人の間に流れる空気は、その時は穏やかであったが、父が刀の柄に手をかけた瞬間、雰囲気が突然変わった。父が発する重圧のようなものに、それだけで鬼はたじろいでいた。

「参る」

父が刀を抜き、斬りかかった。年老いても父の剣技は衰えを知らず流麗で、鬼を圧倒した。

あと一太刀で倒せるところだったが、父は動きを止めた。

 

父は立ったまま、剣を振り切った姿勢で亡くなっていた。寿命が尽きた自然死だった。

 

伯父である鬼は、父が亡くなったことを知ると天を仰ぎ、刀を取り落として頭を抱えていた。父が亡くなったことはもちろん悲しかったが、あまりにも悲し気な鬼のその姿に俺は成り行きを見ていた。鬼は震えながら刀を拾って再び構え、剣の達人とはとても思えないようなぎくしゃくした動作で父の遺体を斬ろうとする様子を見せたので、俺は伯父を斬り、それを許さなかった。

俺はここで伯父を殺す気持ちにはなれず、致命傷は与えなかった。

父の体を横たえると、懐から小さな笛が出て来た。体を再生した鬼がそれをじっと見つめていたので、思い出の品なのかと思い渡してやった。

「父が亡くなったばかりゆえ、この場で貴方を殺しはしませぬ。そうそうに立ち去られよ。だが次に会った時は、必ず貴方を討つ――」

俺がそう告げると、鬼は静かに去って行った。

 

俺は伯父を見逃し、父を埋葬した。

 

その後、父と同じように鬼の始祖を探し、伯父と再び会うことを願い放浪した。

程なく、父が亡くなったことを知って姿を現した無惨と対決した。無惨はこれまでの鬼とは比べものにならない強さであった。俺は日の呼吸の剣技と赫刀、持てる力の全てを駆使して戦った。頸を刎ね、切り刻んだが、俺自身もまた無惨の攻撃で瀕死の重傷となって動けなくなった。朝日が射して来るのを恐れ、無惨は分裂して逃げてしまったが、俺にはもう動く力も残っていなかった。

 

(父上、申し訳ありません。無惨は討ち果たせず、私はここで……)

俺は遠のく意識の中、悔しさに涙しながら父縁壱と本当の父、母に詫びた。そして、それきり俺の記憶は途切れてしまった。

 

 

 

「目を覚ませよ!倫道さん!おい!!目を……開けてくれよ!」

緑川は、気絶したままの倫道を揺さぶった。

尾崎も、刀を握りしめたままの倫道の手に自分の手を重ねて祈った。隠の隊員たちも、いつまた暴れだしてもいいように倫道の体を抑えながら、人間として戻ってくるように祈った。

 

 

(俺が、縁壱さんの息子だった……。俺はこの世界に戻って来た、そういうことか)

倫道は、現代人となるよりも前に、継国縁壱の養子、日の呼吸の継承者となった継国倫影(みちかげ)であったことを思い出していた。

これこそが漆黒に色変わりした日輪刀の本当の意味。最終決戦が近づき、無意識に日の呼吸を修練した体の記憶が呼び覚まされた結果だ。

 

今度こそ倒す。一人だったあの時と違い、今は心強い仲間たちがいる。原作知識もある。

 

倫道は目を開いた。瞳は元通りになり、牙も無くなり普段の穏やかな表情だったが、一つだけ違う点があった。

「これは……?」

目覚めた倫道の顔を見ながら緑川が戸惑う。

「聞いたことある……。たしか始まりの剣士たちにも……」

尾崎が呟いた。

 

「みんな。迷惑かけてごめん」

倫道は、心配そうに見つめる周囲を見回して、声を詰まらせる。隠の隊員たちや一般隊員たち、愈史郎としのぶ、そして緑川と尾崎の顔もあった。倫道は自分の力で上体を起こして胸や腹の傷を探ったが、

(傷が消えてる!……)

と驚いた。体の傷は元通りに完全に治っていた。

 

「心肺停止だったが救出が早かった。無惨の血液に順応して、脳が死ぬ寸前に鬼化した。鬼になったおかげで傷も全て治って、薬が効いて人間に戻った。しぶといヤツだ、あっさり鬼を克服しやがって。俺が治療したんだから当然だが……運だけは良いと褒めてやる」

「傷も完全に塞がったし精神も戻ったようですね。これでひとまず安心です。私も前線に戻ります」

愈史郎は憎まれ口をたたいて睨みつけた。しのぶは笑顔を見せ、一足先に出撃の準備を整えた。

「愈史郎君、しのぶさん、みなさん、ありがとう。俺はもう大丈夫!」

倫道は微笑んだ。

「心配させんじゃねえよ!胸に大穴が開いて、血を噴いてぶっ倒れて……俺たちが引っ張って来なきゃあのまま死んでたんだぞ!もうだめかと思ったじゃねえかよ!」

緑川が倫道に詰め寄る。

「そうか、偉そうなこと言って俺、結局2人に助けられたんだな。……ありがとう」

倫道は緑川と尾崎に頭を下げた。

「俺と尾崎だけじゃねえ、蛇柱も恋柱も手伝って、一緒に助けてくれたよ。あんたはホントに……。死ぬなって自分が出した命令だろ!忘れてどうすんだよ!」

「すみません……」

緑川は半泣きで倫道に説教をしていた。いつのまにか通常とは立場が逆転して、倫道は正座をして神妙な顔で謝っていた。

「けど、どうせまた行くんだろ?……命令は3つ!だよな?」

緑川と、尾崎も微笑む。

倫道もニヤリと笑って立ち上がり、深呼吸すると、地面をドンと思い切り踏みしめて咆哮した。倫道の刀がそれに呼応するように赤く光り始めた。

最終形態、赫刀がついに発動した。

 

「ああ、分かってる。ヤツを倒すまで俺は絶対死なない!……みんな、行って来ます!」

倫道は笑顔でそう言って、戦場に飛び出して行った。

 

その時前線では、建物が崩れる大きな衝撃音がした。間断なく響いていた剣戟の音が止み、静寂が訪れた。

 

隊員たちを一気に殲滅しようと、無惨が全ての管と腕刀を使い、フルパワーで全方位への同時攻撃を行ったのだ。隊員たちは防御したものの多くが吹き飛ばされ、一時戦闘不能になるほどであった。炭治郎も地面に叩きつけられ、一瞬呼吸できなくなった。

無惨が炭治郎に歩み寄り、止めを刺そうとしたその時。

 

「日の呼吸 輝輝恩光!」

腕刀と何本もの管が一瞬で切り裂かれ、無惨の顔面にも斬撃が入った。

気配が感知できないところからの斬撃、その焼けるような痛みに無惨は思わず飛び退り、攻撃を放った者を睨みつけた。

 

庇うように、炭治郎の前に人影が立った。

(倫道さん!)

倫道は半身に構え、後ろの炭治郎には左半身を、無惨には刀を持った右半身を向けている。炭治郎に振り向きながら、

「日の呼吸は、十二の型を繋げ、繰り返すことで円環を成す。これこそが十三番目の型、奥義。君の読み通りだ。――さあ炭治郎君、技を繋ぐぞ。一緒に頑張ろう!」

そう言って微笑んだ。

(倫道さん!その顔の痣は……!)

振り向いた倫道の顔には、左の額から目の周囲にかけて縁壱と同じような痣がくっきりと浮き出していた。

 

無惨に正面から向き直り、倫道が構える。

「その姿……!お前は!」

驚愕する無惨。あの痣。赤熱したように光る刀。

化け物。継国縁壱を彷彿させる炭治郎、その息子と瓜二つの倫道。

縁壱に切り刻まれ、体を分裂させて逃げた記憶に加え、その息子と名乗る男にも追い込まれた。2度目の対決の記憶は何故か薄れていたが、今や鮮明に呼び起こされ、無惨は思わずさらに2、3歩後退った。

 

 

 

「久しいな、無惨。憶えていてくれたか」

倫道は不敵な笑みを浮かべながらそう声をかけ、1歩踏み出した。

「決着を付けよう。今度は負けない!」



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46話 集結(VS無惨)

妄想全開!クライマックス突入です


夜明けまで、あと一時間三分。

(十二の技を繋ぎ続ける……。できるだろうか、俺に?夜明けまで命が持つかどうかも分からない。でも、倫道さんがいる。みんながいる。1人じゃない、共に戦ってるんだ!今俺にできることを全力でやるんだ!)

「炭治郎君!」「はい!」

「日の呼吸 円舞 碧羅の天 烈日紅鏡」 

「日の呼吸 灼骨炎陽 陽華突 日暈の龍・頭舞い」

 

(倫道さんが日の呼吸を……!何故?今まで使ったのは見たことがないけど……)

炭治郎は不思議に思った。だが倫道のその技は速く美しく、夢で見た縁壱の剣技そのものであった。

(でも凄い!俺の意図が瞬時に伝わって、本当に光と陰みたいに自然に技を出せる!)

誰もが他の誰かの攻撃を生かすため、己の体と技を犠牲にすることも厭わず、この場にいる者全てが力を合わせる。無惨のわずかな隙を作り出す、そのために。

倫道と炭治郎も互いに助け、技を補い合い、2人一対で神楽を舞うように日の呼吸の技を繋げた。

 

先程の無惨の全方位攻撃のダメージを振り払い、柱たちや善逸、伊之助たちも次々に戦闘に復帰し、再び激しい攻撃を開始した。

 

倫道が、背後を振り向くこともなく体をわずかに捻って避けた。そこに悲鳴嶼の鉄球が唸りを上げて飛んで来て、無惨は辛うじて頭部は躱すものの左肩付近をごっそりと抉り取られた。

 

「遅れてすまない」

悲鳴嶼が鉄球を引き寄せ、再び高速で振り回しながら他の隊員に声をかける。

「何度でも刻んでやるぜぇ。もう生きていたくねえと思うまでなぁ!」

さらに背後から不死川が現れて、無惨の体を縦一文字に両断した。

「こっちだよ、俺の相手もしてくれないと」

いつの間にか足元に滑るように潜り込んだ時透が無惨の脚を斬る。

(黒死牟を倒した鬼狩り……、こいつらも生きていたか、目障りな)

すぐに体を再生し、忌々し気に新手の柱たちを睨む無惨。

だがその再生速度はごく僅かずつ低下し始めていた。

 

黒死牟を倒した悲鳴嶼、不死川、時透が合流。

 

自らを柱たちの肉の盾にせんと、決死の覚悟で戦場に飛び込もうとする大勢の一般隊員たちの集団があった。

その隊員たちを押しのけて集団の先頭へと歩く狐面の男。

「臆するな、前へ出ろ!!柱を護るんだ!俺たちも、共に行……」

共に行こう、先頭に立って鼓舞していた隊員がそう言い終わらないうちに、男は隊員の襟首をつかんでぐいと後方へ投げ飛ばし、隊員たちに向き直った。

「お前たちがかなう相手ではない、下がっていろ。お前たちは生きてこの戦いを見届けて、そして……命を繋げ!」

狐の面に、夜目にも鮮やかな、目の覚めるような青い刀を提げた錆兎が一般隊員たちの突撃を思い止まらせ、前線に合流した。

 

 

10人の柱とそれに次ぐ実力者たちが今、ついにこの戦場に集結した。 

 

 

 

俺は、ちらりと周りを見渡す。壮観だった。 

歴代最強の9人の柱たちが無惨を睨み据えていた。全員が様々な形の痣を浮き上がらせ、互いの武器を打ち合わせて赫刀を発動させている。

原作では叶わなかった。しかしこの世界で、9人の柱たちは誰一人欠けることなく、ずらりと勢揃いして俺の目の前にいた。

 

見てみたかったこの光景。そしてこんな俺も、この素晴らしい仲間たちと共に戦える。

激戦のさなかでありながら、俺は鳥肌が立つほどの感動と興奮を禁じ得なかった。

 

それに加え、今や柱に次ぐ実力となった炎と水のハイブリッド剣士、心優しき天才・千寿郎君、現役当時に迫る強さを取り戻した元炎柱・槇寿郎さん、復活した天才・錆兎。柱と同格と言っていい実力をつけた炭治郎君、善逸君、伊之助君、カナヲちゃん。

総勢17人もの猛者たちが、みなそれぞれ必殺の気概を抱き、一丸となって無惨に挑もうとしている。

何と素晴らしい眺めだろう。

俺の脳内では“鬼殺隊”の勇壮なテーマがBGMとしてループ再生されている。

 

この世界で目覚めて、死んでしまうはずの登場人物を少しでも救い、みんながほのぼのと平和に生きていけるようにと願い、頑張って来た。

この戦いに勝つことを常に思い描いていた10年。

この戦いに勝つために。この日のために準備を整え、牙を研いで来た。

 

鬼舞辻無惨。

お前がまき散らす災厄のために、どれほどの命が奪われ、どれほどの悲しみが生まれたか。

何故奪う?

何が楽しい?

命を何だと思っている?

愛する人を理不尽に奪われた者たちの、怒りと悲しみの声を聞け。

俺たちはこの悲しみの連鎖を断ち切るため、持てる力の全てを結集し、今こそ鬼滅の刃を振るう!

 

 

 

 

 

(落ち着け、冷静になれ。水面のように、静かに穏やかに心を保て!)

水柱・冨岡義勇は燃える闘志をあくまで表に出さず、鱗滝の教えを心の内で繰り返していた。

「ついにここまで来ましたね……。見ていますか、姉さん。私に力を貸してください」

蟲柱・胡蝶しのぶが呟く。

「最後の最後に派手派手のド派手じゃねえか!一世一代の大舞台、誰よりもド派手にいくぜ!」

音柱・宇髄天元も嬉しそうに言った。

「父さん、母さん、兄さん。僕はもう少し頑張るよ。みんなと一緒に!無一郎の無は、無限の無。その力、証明してみせる!」

霞柱・時透無一郎も刀を握りしめる。

「すぐにぶち殺してやるぜェ。この薄ぎたねえゴミクズ野郎が……!」

風柱・不死川実弥はギラギラと目を光らせ、鬼の始祖滅殺に執念を燃やす。

「許さない!今まで死んでいった仲間の分まで……。覚悟しなさいっ!」

恋柱・甘露寺蜜璃も拳を握り叫ぶ。

「さあ、どう刻んでやろうか。なあ鏑丸」

蛇柱・伊黒小芭内もその鋭き眼光で鬼の始祖を睨む。

「鬼殺隊は百世不磨。鬼舞辻無惨、お前を屠り去るその日まで!この命に代えてもお前を地獄に落とす!」

岩柱・悲鳴嶼行冥は決意していた。痣を出せば二十五歳を前に死ぬと言われていた。二十七歳の自分は今夜のうちにも命が尽きるかもしれないが、それでも必ず無惨を倒すと。

「この煉獄の赫き炎刀が、貴様を骨まで焼き尽くす!」

炎柱・煉獄杏寿郎の天を衝く気迫がオーラとなり、周囲の大気が炎の如く揺らめいた。

 

 

 

 

 

 

 

「すげえ……見ろ、柱が……!」

「ああ、柱たちが全員揃って……」

「柱だけじゃねえ、炭治郎、善逸、伊之助……。みんな頑張れ、死ぬんじゃねえぞ!」

勝てる。この雄姿に他の隊員たちも勇気を奮い立たせる。感動のあまり涙する者もいた。隠の後藤もこの光景をしっかりと目に焼き付けた。

 

「かかれ!!」

悲鳴嶼の号令で、本当の最後の戦いが始まった。

 

悲鳴嶼が、時透が、伊黒が無惨の攻撃を弾き飛ばして倫道と炭治郎を援護し、また次々に連携して攻撃を入れて行く。

「炎の呼吸 玖ノ型・煉獄!」

煉獄家の親子3人による、 奥義の同時発動が大気を揺るがす。

「水の呼吸 拾ノ型・生生流転!」

無惨の攻撃を切り崩しながら義勇と錆兎が戦場を駆け、華麗に舞い、連続で奥義を繰り出す。

倫道と炭治郎は最前線で日の呼吸の技を繋ぐ。

「日の呼吸 斜陽転身 飛輪陽炎 輝輝恩光」

「日の呼吸 火車 幻日虹 炎舞」

「日の呼吸 円舞……ぐあっ!」

炭治郎が攻撃を受けてよろめき、しかし倫道が繋ぐ。

「日の呼吸 円舞!……繋ぐぞ、炭治郎君!」

倫道は炭治郎を素早く助け起こし、日の呼吸の技を繋ぎ続ける。

「はい!」

炭治郎も懸命に技を繋ぐ。

もちろん、ただ連続して技を出せるほど甘くはない。

無惨の腕刀、管の攻撃を弾き、受け逸らし、一つ一つこちらの攻撃を入れる。時には受け止められる前提で斬撃を繰り出し、仲間の攻撃を通し、20手、30手の攻防を丁寧に積み重ねて必殺の攻撃へと繋げる。それも、十分に呼吸することもままならないほど全力で動きながら、仲間の動きを瞬時に判断しながらだ。それでも、各人が巧みに連携して強力な斬撃を繰り出す。

原作では9人だが、この戦いでは17人ものアタッカーがおり、無惨が一人に向ける攻撃密度が下がるという数的優位は大きい。そして充実した連携訓練を行ってきた効果も出ていた。だが無惨を一気に崩せる訳ではなく、それには”薬”が効いてくることが大前提だ。

 

(化け物どもめ!)

無惨は、繰り出される日の呼吸の剣技と、その斬撃による焼けるような痛みで恐怖の記憶を蘇らせる。

(私を追い込んだあの男とその息子!化け物が2匹……!亡霊どもが!)

倫道と炭治郎に、かつて自分を追いつめた2人の男の影を見ていた。

 

無惨は自らの体の異変を察知する。先程までは確実に当たっていた自分の攻撃が、躱され始めている。特にこの水原と言う男には、全く当たらない。他の者にも時折躱される。僅かな異変。少しずつではあるが、武器で防がれるのではなく、躱されるようになっているのだ。

 

(あの化け物どもに比べれば遅い!だが、なぜ私の攻撃が通らない?)

そして、一つの結論に至る。

(私が遅くなっている?!柱とはいえ、人間風情にこの私がここまで手こずるとは……!あの女だ……!女狐め、一体何をした?)

焦る無惨は、取り込んだ珠世の細胞の記憶を探る。記憶の断片から読み取った成分。薬は人間返りだけでなく、複数の効果を持っていた。

(老化だとっ?!)

2つ目の効果、それは1分間に50年の老化をもたらすというもの。

珠世が薬を投与してから4時間以上は経っている。効き始めてから3時間としても。

(私は九千年老いている!)

 

 

失った手足は言うに及ばず、脳や神経すらも瞬時に再生する。どんなに動いても疲労も無い。攻撃は広範囲で非常に速く、しかも猛毒を伴っている。弱体化させてもなお、無惨はとんでもない化け物に他ならない。対して鬼殺隊員は人間だ。常人にはありえない程の身体能力があり、みな懸命に戦うが、ここに至るまでの戦いのダメージもある。そして全力で動き続けることによる疲労と、無惨の攻撃による直接的ダメージ、付加される毒のダメージが蓄積され動きが悪くなり、技の精度も低下していた。鬼化によって体力を全回復した倫道と炭治郎でさえ、全力で動き続けることでスタミナは残り少ない。

(この体の激痛、痺れも無惨の毒によるものか!掠っただけでもこの効果、連戦の疲労の上にこれでは、あの2人が頑張っても夜明けまで持たない!)

悲鳴嶼は焦っていた。毒に強い宇髄も血を吐き、小柄な伊黒は地に膝を突いてしまった。千寿郎を庇って戦い続ける槇寿郎も苦し気に顔を歪める。

 

戦場に、どこからか迷い込んだ猫が現れた。猫は現実離れしたスピードで戦闘の真っただ中に走り込み、10メートル以上も空中高くジャンプした。背中のポーチには多数の注射器が取り付けられており、それが隊員たちめがけて発射された。注射器は次々に隊員に命中。

予想外の攻撃を受けた隊員たちは焦るが、それは珠世が予め用意した無惨の血に対する抗毒素血清であった。体の激痛や痺れ、感覚の麻痺が消え去り、僅かだが体力の回復効果まであった。無惨は猫を斬り捨てるが、愈史郎が素早く猫を回収して下がった。

 

「良くやった茶々丸」

愈史郎は役目を果たした猫を褒め、斬られた胴体を繋げてやった。

「その猫も鬼なのか?」

愈史郎と行動を共にし、医療活動を行う隊員が聞いた。

「そうだ、決戦前にやっと鬼にできた」

愈史郎が答える。

(やれることはやった。後は頼むぞ)

愈史郎も祈るような気持ちで戦いの行方を見守る。

 

一方の無惨も、自らの生存のために今や死に物狂いで戦っていた。倫道と炭治郎の攻撃は益々鋭さを増し、幾たびも無惨に斬撃を浴びせていた。瞬時に再生されはするが、複数の心臓と脳、その急所にも確実に攻撃が届いていた。

 

夜の闇が薄れていく。東の空に薄明かりが差し、わずかずつ赤く色づいていく。

夜明けまで、あと四十五分。

 

(戦いは終わりだ!これ以上の危険を冒す必要は無い。この異常者どもをまとめて殺す好機であったが致し方ない)

形勢不利と見た無惨は完全に敵に背を向け、一目散に、清々しいまでの逃げ足で逃亡を試みた。

 

 

思えばいくつも計算外の事態が起きていた。戦いの初手で大ダメージを受け、体の再生に長時間を要した。上弦の鬼たちが続けざまに敗北した。鳴女が敵の手に落ち、鬼殺隊に有利な布陣を敷かれた。その上に、珠世が全面的に鬼殺隊に協力した。

珠世は鬼を人間に戻す薬、老化をもたらす薬を作り、本来なら全く問題にならないような攻撃が有効打となり無惨の命を削っていた。さらにまだ何かがあることは十分想像できた。そして、日の呼吸を使う剣士。

 

 

(最初に戦った日の呼吸の剣士は初め、弱く見えた。覇気も闘気も無く、殺意も見えなかった。しかし頸を刎ねられ、敗北寸前にまで追い込まれた。二度目の剣士はとにかくしつこかった。刻んでも刻んでも、全身に傷を負いながらも致命傷を避け、私の頸を刎ねた。だがヤツも死にかけていたので日の出の直前に逃げることができた)

無惨は逃げながら思い返す。

(日の呼吸を使う者は黒死牟と共に根絶やしにした筈だった。あの男と同じ花札のような耳飾りを付けた、竈門炭治郎という小僧が現れた。いつでも殺せると高を括っていたが、不完全ながら日の呼吸を使い、しぶとく生き残り抗って来る。それだけではない、この土壇場で日の呼吸を使う者がもう一人出現するとは)

 

これは本を正せば一つに繋がっていた。

 

水原倫道。

(あの得体の知れない男。何者なのだ?よりにもよってヤツが日の呼吸の剣士であったとは……。あの化け物の生まれ変りとでもいうのか?バカな!)

 

 

無惨は考えつつも、ここは逃げることに専念した。

当然ながら鬼殺隊が黙ってこの逃亡を見逃すはずがなかったが、追いかける程の体力が残っている者など一人もいない。無惨の逃亡は成功するかに見えた。しかし無惨にも、薬の効果がより顕著に現れ始めていた。

(息切れするだと……!私の肉体に、体力の限界が近づいている……!)

無惨はまるで人間のように肩で息をする。一度は数十メートルの距離を離すが、倫道は逃がさない。全速力で一人追いつき、再び激しい攻撃を加える。

 

(何としてもここで足止めを!)

 

日の呼吸 烈日紅鏡・無限(インフィニティ)!

 

倫道は足を踏ん張って無惨に密着し、烈日紅鏡を連続で繰り出す。∞の軌道を描く烈日紅鏡を、ボクシングのデンプシーロールのようにスタミナが続く限り無限に繰り出す。管の迎撃と本体への高威力の攻撃、両方を行えるが大きく体力を消費する大技だ。

 

倫道が吹き飛ばされて後退し、20連撃で止まったが足止めは叶った。

倫道は大技を放った疲労で地面に膝を突く。一旦距離を離した無惨も体中を切り刻まれて体力を奪われ、すぐに攻撃を再開できない。双方激しく息を切らしながら睨み合う。

無惨が倫道を見てニヤリと笑う。腕や背中がボコボコと膨張を始めるが、しかしそれはすぐに治まってしまった。

(分裂して逃げるつもりだな。だがそれはできないぞ)

今度は倫道がニヤリと笑う。

 

(分裂できない!そうか、薬は3つ……!人間返り、老化、分裂阻害。これほどの物を作るとは!)

無惨は今さらながらに珠世の執念を思い知った。



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47話 終結(VS無惨)

(人間返り、老化、分裂阻害。毒は3つか!これらの解析と分解に時間と体力を奪われる。……まだ分解ができない!)

舌打ちする無惨。

 

(残念、外れです)

その意識の中に珠世が現れる。

(薬の効果は4つ。3つはお前の予想通り。無駄に増やした脳が役に立ちましたね。そこまでは良くできました。……でも)

薄っすらと笑みを浮かべ、珠世が冷静に告げた。

(私の全ての力を注いだ研究の成果はそんなものではありません。3つの薬で弱らせ、最後に細胞を破壊する薬が効いてくる)

そして無惨の頭に片腕をまわしてしなだれかかり、もう一方の手で無惨の髪を撫でながら顔を寄せ、ニタリと表情を一変させた。

大きく見開いた目はらんらんと輝き、その瞳孔は鬼本来の細い縦長。笑う口元は大きく裂けて吊り上がり、牙が覗く。凄まじい執念を感じさせるその顔は、人間に擬態していた時の穏やかさなど一片も残らない、まさに復讐の鬼。

 

珠世は無惨の頭を撫で続けた。

(お前の大嫌いな死がすぐそこまで来たぞ。いくら逃げようと、死は今度こそお前を捉えて絶対に離さない――)

最後にギリリと鋭く爪を立てて思い切り無惨の顔を抉り、珠世はそう言い放つと狂ったように笑い声をあげ、消えていった。

 

 

空全体が濃紺から薄明へと、少しずつ色を変える。東の地平線の赤色が夜空を押し上げる。

夜明けまで、あと三十分。

 

俊足の宇髄も追いついて爆薬による攻撃をしかけ、同じく追いついたしのぶが死角から連擊で新たな毒を刺す。

「貴方に投与した薬は4つ。ですが」

しのぶは笑顔をその顔に貼り付け、無惨の怒りなど意にも介さず語りかける。

「貴方にはもっともっと苦しんでいただくよう、薬をもう一つ追加しました。全身から出血してくると思いますので、もう少しお待ちくださいね!……まあ怖い、そんなに睨まないでください。これは水原さんの発案なんですよ」

原作には無い、蛇毒から作ったオリジナルの薬。血液の凝固異常を引き起こす毒だ。

血管内で不必要な血栓が異常発生して血流が滞り、それだけでも各臓器は機能不全となるが、本来出血を止めるはずの凝固成分が無駄に消費されるため、一方では止血困難となる。体は血栓を溶かそうと出血しやすい方に傾き、さらに出血傾向が加速する。血管の目詰まりと止血困難、相反する2つの異常事態が同時に起こる、非常に危険な状態である“播種(はしゅ)性血管内凝固症候群”を引き起こす毒。放っておけば多臓器不全にまっしぐらだ。いくら無惨といえども、先に投与された4つの薬を分解し、柱たちとの戦闘を行いつつさらにこの病態を自己修復するのは不可能。心臓や脳が幾つあろうと同時に全てが障害され、機能が低下すれば何の意味も無かった。

 

無惨は目を見開き、牙を剥きだして怒りの表情でしのぶを睨みつけるが、しのぶはにこにこと笑みを絶やさない。珠世、愈史郎と共同開発ではあるが、自ら開発した薬が憎き無惨を追い詰めていることが嬉しくてたまらないのだ。そこに、原作通り細胞を破壊する薬が効いてくる。

見る間に無惨の目から、鼻から出血し、縁壱、倫影につけられた古傷からもボタボタと血が滴り落ちた。

「おのれ……」

言い終わらないうちに、ゴボリと口からも大量の血を噴いた。それでも無惨はしのぶに向け攻撃を放つが、倫道がこれを全て迎撃した。

 

 

無惨の動きが突如ぴたりと止まり、視点が定まらない異様な表情になったかと思うと、右肩から左側腹部にかけて斜めにあった口が大きく開き、強力な衝撃波の攻撃を放つ態勢になった。

(バカが、させるか!そうはもう知ってるんだよ!)

「ほれ、ご褒美だ」

倫道はチャンスとばかりに無惨との距離を詰め、大きく開いたその口にすかさず宇髄特製の火薬玉を2つ、3つと投げ込んだ。

「ぐわあっ!」

無惨の体内から籠った爆発音が連続して響き、体内からの強烈な爆破ダメージに無惨が悲鳴を上げる。本来の位置にある心臓が一つ潰れ、一瞬脊椎や肋骨などが丸見えになるほどの損傷を与えた。すぐに再生されてしまったもののその速度は誰が見ても明らかなほどに低下していた。

「みんな、少し下がれ!」

 

倫道は疲れの見えてきた他のメンバーを下がらせ、無惨に1対1の斬り合いを挑んだ。

 

倫道と無惨が猛スピードで斬り合う。

倫道の赫刀化高周波ブレードが、無惨の腕刀と管の攻撃が、お互いに傷を刻んで行く。

「水の呼吸 拾壱ノ型・凪!」

そこに義勇が飛び込んで無惨の攻撃を弾き、

「雷の呼吸 漆ノ型・炎雷神(ほのいかずちのかみ)!」

(炭治郎も倫道さんも死ぬ気で頑張ってる!俺も命懸けで行かなきゃ!)

善逸が超速の必殺技を放つ。

「獣の呼吸 伍ノ牙・狂い裂き!」

伊之助も立体軌道を描きつつ、四方から倫道に迫る管攻撃を斬り捨てる。

 

追いついて来たメンバーが次々と倫道に加勢し、戦いは激しさを増す。

「恋の呼吸 参ノ型・恋猫しぐれ!」

「蛇の呼吸 伍ノ型・蜿蜿長蛇(えんえんちょうだ)!」

甘露寺が同じく超高速の管攻撃を迎撃、伊黒が蛇行する軌道で接近し、鋭い一撃で無惨本体に迫る。

 

 

無惨には戦闘開始時の余裕など既に全く無かった。ゼエゼエと肩で息をし、体中の傷から血を流し、口からも血を吐きながら必死の形相で戦っている。しかしそれは倫道たち人間も同じだった。抗毒素血清を打ったからと言って、蓄積した疲労が完全に消え去る訳ではない。最前線にいる者はみな同じだった。これ以上このレベルで動き続けたら命が危ない、肉体を制御する脳の警告を無視して戦っていた。

 

その間にも再び無惨を包囲し、鬼殺隊は残る力のすべてを振り絞って猛攻を仕掛ける。炭治郎も己を鼓舞しながら倫道とともに日の呼吸の技を繋いだ。

 

朝焼けが地平線から広がって一段と色を鮮やかにし、空に明るさが増す。

日の出が迫っていた。

夜明けまで、あと十五分。

 

倫道と炭治郎は死力を振り絞り、既に限界を通り越した体で日の呼吸の技を繋ぎ、無惨を切り刻む。

 

「日の呼吸 陽華突!」

一瞬棒立ちになり、隙を見せた無惨に倫道が強烈な突き技を見舞った。無惨の鳩尾を貫通した刀は鍔元まで突き刺さった。体ごと突っ込んだ倫道の勢いは止まらず、その加速の鋭さに突き刺された無惨の体がくの字に折れ曲がる。倫道はそのままレスリングのタックルのように突進し、無惨の体がめり込んでひび割れるほどの勢いで建物の壁に叩き付け、そのまま串刺しにした。

そこに、炭治郎が飛び込んで無惨の体をさらに串刺しにし、無惨を建物に完全に縫い止める。

「ぐがあっ!」

2本の赫刀で串刺しにされた無惨は焼け付くような激痛に苦し気に悲鳴を上げ、口から血を噴き出して咳き込み、顔を歪める。

2本の刀は深々と腹部を貫き、傷からは刀を伝って川のように大量の血が流れ続けていた。

 

空は明るい。真冬の冴えわたった青空が広がっていく。東の地平線は目映いオレンジ色に輝く。日の出が刻々と迫る。

 

恐怖にいっぱいまで見開かれ、血走った目で無惨はそれを見た。

建物の間からわずかに見える地平線。そこから朝日が昇る、その光景を。

 

ぐりん、と無惨の眼球が上転して固定され、白目を剥いたようになった。苦し気に呻いていた無惨の顔から表情が消える。

ボコリ。

無惨の胸が、腹が、不気味に波打った。続けて、ボコボコと脈打つように波動が広がり、見る間に無惨の体が膨れ上がった。

(肉の鎧!いかん、巨大化する!炭治郎君まで取り込まれてしまう!)

「どけっ!!」

倫道は炭治郎を後ろへ思い切り突き飛ばし、自分の刀と炭治郎の刀を両脇にかかえるように握りしめた。柱たちが攻撃を重ねようとするが、

「来るなああ!離れろ!!!」

倫道は絶叫した。

必死の叫びのその迫力に、他の戦闘員が一瞬駆けつけるのを躊躇した。

倫道が巨大化した無惨に取り込まれた。

 

「倫道さん!」

炭治郎はよろよろと駆け寄ろうとしたが、ガクンと膝を突いてしまった。

「炭治郎!倫道さんに任せろ!」

後ろから緑川が炭治郎を抱き止め、猛スピードで退避した。

 

 

 

 

無惨は瞬く間に体長10メートルもある巨大な赤ん坊の姿になり、倫道をその体内に取り込んだ状態で暴れ始めた。

 

「ギャアアアー!!」

巨大な赤ん坊の姿になった無惨が、怪獣のような大咆哮を放つ。予想外の変身と強烈な音圧に一瞬みなが怯む。

「日の光の下へ押し出せ!日陰に入れるな!」

輝利哉の指示で攻撃を再開する隊員たち。柱たちも最後に残された僅かな力で懸命に攻撃を続ける。

 

「兄貴!」

不死川のもとに、回復した玄弥が駆け寄って来た。

「兄貴、俺が砲撃する。でも、あのバケモンの中に倫道さんが取り込まれてるんだろ?だから兄貴の視界を貸してくれよ。透けて見えりゃ、避けて当てられる!今度は俺が倫道さんを助ける!約束なんだ」

不死川は驚いて玄弥を、逞しくなった弟を見た。

「よォし、やってみやがれェ!」

不死川は“目”を玄弥にも分け、自分もそれを額に当て、じっと目を凝らして赤ん坊の姿となった無惨を見た。すると徐々に無惨の体が透き通り、倫道は赤ん坊の心臓の位置にいることが分かった。玄弥は再び長い銃身に付け替え、目を凝らす。

「おい、見えてるか玄弥」

「ああ、見えてるよ兄貴。しっかり見えてる」

玄弥は銃を構え、狙撃の態勢を取った。刀鍛冶の里のみなさんが新たに作ってくれた弾。着弾すると弾頭が潰れ、貫通することなく周辺の組織を広範囲に破壊する。炸薬量が多く、銃の耐久性の問題もあり3発しか撃てない。

(俺は今、鬼じゃなく、正真正銘人間の力で、自分自身の力で挑むんだ!倫道さん、絶対助けるからな!)

玄弥の気迫が満ちる。

 

 

「俺たちで無惨をこの場に留めるんだ!柱たちはもう満足に動けない!」

隊員たちは無惨を日陰に逃すまいと、自動車で体当たりし、力を合わせて路面電車の車両をぶつけたりしていたが、巨大化した無惨は自動車を軽々と蹴り飛ばし、腕を振るその一撃で路面電車をグシャリと叩き潰した。

暴れまわる無惨は地中に潜って逃げようとするが、悲鳴嶼が無惨の頸に鎖をかけ、強引に地面から引きはがそうとしている。残る隊員たちも協力し、これを阻止しようと全力で引っ張る。

四つん這いになった無惨の顎が上がり、頭部が無防備に晒される。絶好の的――!

「射線を開けろぉ!」

不死川が叫ぶと同時に、

ドオオン!

轟音とともに放たれた玄弥の弾丸は無惨の下顎から頸の一部を抉り取った。再生はされない。

玄弥はさらに一発を発射。今度は肩の肉を大きく抉り、骨を砕き、右腕を吹き飛ばした。

「ギャアアア!」

無惨はよろめきながら立ち上がり、苦し気に咆哮を放った。

 

「止めだっ!」

玄弥は最後の一発を発射した。弾は頸に命中、ビシャッ!と周囲の肉を大きく抉り取った。

無惨の頭がグラリと大きく前に揺れてゆっくりと胴体を離れ、地響きを立てて地面に落ちた。

 

頸を落とされた無惨の体は灰化が始まらなかったが、方向感覚を失ったのか、ズシン、ズシンと地響きを立てながら、なぜか太陽の昇る方へと歩き始めた。

 

 

 

頸の無い片腕の赤ん坊が、焼け落ちながら歩む死の行進。滅びへと向かう狂気の歩みだった。一歩進む度に、頸や肩の傷からバケツで液体をぶちまけるようにバシャバシャと血液が流れ落ち、じゅわじゅわと皮膚は焼けただれて行くが、しかし無惨はその光を求めるように太陽に向けて手を伸ばしていた。

 

太陽の光。

無惨はそれを強く欲しながら最後まで克服できなかった。太陽に向かって歩むその姿は、己の最期を悟り、その光で自らを焼き尽くそうとするかのように見えた。

 

あまりにも不気味で異様で、凄絶な光景に一同は攻撃を忘れ見入る。

「一体……何だこれは……?」

現場と視覚を共有している総司令官の輝利哉すら指示を出すことも思いつかず、ただ呆然と眺めていた。

 

頸や肩の傷、その他の傷、無惨の体の至る所が赤く光る。体内で何かが光り、その光が漏れ出ているのだ。

光は次第に強くなっていき、そして。

 

太陽へと伸ばした無惨の左手は焼けただれ、指の末端から徐々に蒸発して消え始めていた。ゆっくりだった歩みはついに止まり、残った左腕はだらりと垂れ下がった。

巨大な体がひび割れ始め、体内から溢れ出る赤い光が一層強くなった。

そして光に消し飛ばされるように体が崩れて粒子となり、風に吹かれて消滅していった。



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勝利の代償編
48話 鬼の王


無惨の巨体は、大量の塵のような粒子となって地面に崩れ落ち、砂煙のようにもうもうと周囲に立ち込めた。粒子は昇り始めた陽の光を反射して、まるで金粉を撒いたようにキラキラと輝きながら風に吹かれて消えていく。光の中、太陽を背に、両手に赤く輝く刀を持って突っ立っているシルエットが徐々に浮かんで来た。下を向いているためにその表情は見えなかった。

「水原……か……?」

「倫道さん……?」

生きているのか?大丈夫なのか?次々と起こる予想外の事態に固唾を飲んでただ見守る一同。刀の赤い輝きは徐々に収まり、通常の黒刀に戻っていた。

 

光の中に立つその人影は、うつむいたままゆっくりと目を開けた。虹彩が赤く輝き、瞳孔は細く縦長であったが、すぐに黒く丸い人間のそれに戻った。そして一瞬ニタリと笑った後、口元の牙は消え、顔をあげてみなの方を見た。

 

生還。

 

倫道はみなを見渡し、咳き込みながら帰還の第一声を放った。

 

「ゲェホッ!ゲッホ!ゴェェッ!口に入っちゃった!……あーびっくりしたー!俺、死んだかと思ったわー。いやマジで!」

光の中から生還したのは、普段と何も変わらぬいつもの倫道であった。

 

「……はぁ?」

緊張感の無さに一同は固まる。

(どうしたのみんな?無惨の体は?自分が取り込まれると思ってなかったからな……。こんなの原作と全然違うから分かんねえよ)

倫道はキョトンとしている。

 

(おい、生きてるぞ)

(なんかもう普通にしゃべってるじゃねえか……。ホントに人間かあの人?)

(何か心配して損したな)

一同はざわついた。

(えっ、何っ?俺、何かやらかしちゃった?)

倫道は狼狽えて不安げにキョロキョロする。

 

「でも無惨……消えたよな」

「そうだ、崩れて消えてった」

「じゃあ……俺たち、勝っ……」

 

 

 

一瞬の後。

 

「うおおおおおー!!!」

朝日が静かに照らす街に、大歓声が自然に沸き起こり響き渡る。拳を握り涙する者、殺された人の名を空に叫ぶ者、抱き合って喜ぶ者。

「倫道さん!!」

「水原!!」

「水の……なんとかの人!」

そして、倫道に雪崩を打って駆け寄る大勢の隊員たち。

 

「お、押さないで!押さないでください!ハイハイ分かったから落ち着いて!イダダダ、ちょっとどこ触ってんのアンタ!」

プロレスの入場のような大騒ぎになり、倫道が頭を叩かれたり、ハグされたりともみくちゃにされていた。本部でも輝利哉初め、くいな、かなた姉妹、村田もこの光景を見て抱き合って泣いた。途中から本部にいたにちか、ひなきも、大急ぎで耀哉とあまねのいる部屋に報告に行った。そして極度の緊張状態から開放された八歳の輝利哉は、怪我人の手当てを、そう言って気を失った。

 

(珠世様……。あいつらの事、護ってくださったのですね……。終わりましたよ。勝ちました)

日差しを避けて、建物の影からこれを見守っていた愈史郎も1人、珠世の形見のかんざしをそっと胸に抱きながら静かに涙を流していた。その傍らには、同じように主を失った飼い猫の茶々丸が、労わるように愈史郎を見上げて寄り添っていた。

 

鬼の始祖、鬼舞辻無惨は滅びた……かに見えた。

 

(良かった、気づかれてない。まあ疑う者もいないだろうが……)

倫道は心の内で密かに笑う。

 

 

 

消滅の少し前、無惨は迫る死を目前に、様々な想いを巡らせていた。

 

 

 

 

死の影。それは生まれる前から常に私のそばにあり、片時も離れてはくれなかった。

私の心臓は母の胎内で何度も止まり、生まれた時には死産であった。荼毘に付されようとした時、もがいてもがいて、長く深い闇を抜け、ようやくこの世に生を受けた。

成長してからも病弱で、何度も病気で死にかけた。二十歳までは生きられないと言われた私を憐れんで、ある医者が薬を調合した。薬を飲み続けたが状態は良くならず、私は腹を立ててその医者を殺した。

薬が効いていると分かったのは殺して間もなくのことだった。それまでの病弱な体が嘘のように、病気どころかどれ程動いても疲れなくなり、怪我も立ちどころに治った。

だが、太陽の光を浴びると死ぬと本能的に分かった。

そして、人間の血肉への渇望。

 

私は鬼となった。飢えは人を喰えば良かったが、昼の間は行動が大幅に制限されることは屈辱であった。陽の光でも死なない体になりたい。その思いが強くなり、いつしか陽の光を克服することは私の悲願となった。

 

水原倫道。私の血に順応し、あの男と同じ呼吸を使う者。お前ならば、容易く陽の光をも克服できるだろう。この者が、今私の手の中にある。

 

私は感動していた。産屋敷の言っていた事は本当だった。人の想いこそ永遠。

私を倒したいと願う者たちの想いが連綿と繋がり、千年の戦いに終止符を打とうとしている。感動で私の目には涙が浮かぶ。

私の肉体は、克服したいと強く願い続けた陽の光によってもうじき滅びる。しかし私の意志を継いでくれる者に託すことができる。人間の想いが永遠ならば、私の想いもまた永遠であるはずだ。私の想いを。血を。能力の全てを、この水原倫道と言う若者に託す。

 

目覚めろ、水原倫道。鬼の王として。

全ての生命の頂点。陽の光すら克服した、完全無欠、究極の生命体として。

私はこの世界の王となったお前の中で永遠に生き続けよう。

目覚めろ。そして私の意志を継いでくれ。

鬼となり、この世界の王となる、お前が強くそう願えば、この忌々しい人間化の薬の効力を打ち破り、私の能力の全てを得られるはずだ。

目覚めろ、その魂――。

 

 

 

 

 

俺は巨大化した無惨に取り込まれたのだった。

俺の中に無惨の血が流れ込み、思念が読めるようになる。現実とは隔絶された意識の世界。一面の暗闇。

 

意識の中の暗闇の世界から屋外へ、一瞬で景色が変わった。

雪が降るなか、山の中に一人佇む俺。ここは雲取山、だろうか?鬼滅の刃の世界はここから始まるのだが……。降りしきる雪の中に人影が見える。

「水原倫道。私の意志を受け継ぐ者よ」

人間態の無惨が、俺を見つけて両手を広げ、微笑んでいる。俺も無惨に笑顔で駆け寄り……思い切り殴りつけた。無惨はひっくり返り、俺も勢い余って前につんのめって転んだ。雪の中を走り、相手を殴りつけただけで息が切れたが、それでも立ち上がって倒れている無惨に叫ぶ。

「ふざけた事を言うなっ!誰が受け継ぐなどと言った?お前は一体どれほどの人を殺した?!どれほどの人生を踏みにじった?!お前は死の恐怖に慄きながら滅びろ、無惨!」

鍛え抜いた漫画世界の肉体ではないのか、威力が全く出ない上に殴りつけた拳が痛い。

無惨は口を切り、血を流しながらヨタヨタと起き上がり、それでも微笑んだ。

「私は生存本能に従ったまでだ。太陽の光を克服するため、増やしたくもない同胞を増やし、その方法を探させた。……その過程で確かに少しばかりの人間どもが死んだこともあったが、それが何だというのだ?お前はそんな些末なことを気にせずとも良い。……お前は私の力と意志を受け継いでこの世界を統べるのだ!」

そう言って無惨も笑いながら殴り返す。

「お前は私に代わり、鬼の王となれ」

腕は普通の人間のもので、背中や大腿部の管も無かった。鬼の力ではなく、殴られて吹き飛ぶようなこともないが、殴られた音が自分の耳でも聞こえる。頭の芯にガンと衝撃が来て、頬も地味に痛い。リアルそのものの感触だった。口の中を切って血の味がした。

 

俺も負けずにさらに殴り返す。身に着けた格闘技の動きができない。雪が降っていて足を取られるせいもあるが、体ごとつんのめるような態勢で殴り、せっかく修練してきた空手技の突き刺すような前蹴りも、巻き付くような回し蹴りもできず、子供の喧嘩のような無様な蹴りを放つ。人間態の無惨も今までの様子が嘘のように鈍重な動きで、腕で俺の攻撃を防ぐのがやっとのようだった。

大声を上げながら、腕を振り回すようにして殴りかかってくる無惨。

俺と無惨は互いに殴り殴られを繰り返し、もつれて一緒に倒れ、腕や足が届くと素人の喧嘩のようにぐだぐだのパンチやキックを打ち合った。2人とも激しく息を切らし、再び立ち上がって睨み合った。

「お前には鬼の王となる資格がある!鬼狩りを、歯向かう者を滅ぼし、全てを統べる者となれ!」

 

無惨はまた俺に殴りかかりながら叫ぶ。

「何をトチ狂った事を言ってやがる!世界の王だと?!お前自分で言ってて恥ずかしくないのか?!鬼殺隊からこそこそと逃げ隠れしてたくせに、ゴキブリ野郎!」

 

俺は鬼なんかにならないよ。俺はただ、鬼のいない世界でみんなにほのぼのと暮らして欲しいだけだ。

俺も無惨に組み付き、胸倉を掴み合ったまま数回殴り殴られをまた繰り返した。

 

色々な作品の小ネタや要素が入ったこの世界。

降りしきる雪の中で男二人が殴り合う、またもやどこかで見たようなシーンが展開されていた。

 

「日光さえ克服すれば弱点は無くなるのだ!そうすれば不老不死、究極の生物になると言っている!」

「不老不死なんて俺はそんな化け物になりたくねえ!お前ら鬼がいなくなればいいんだよ!大体、日光を克服してたらお前はこの世界の王になれたのかよ?!」

 

お互いに息切れで動けなくなり、俺と無惨は再び睨み合った。

 

「私1人では不可能だったかもしれん。しかし私の力を全て受け継いだお前ならばできる!鬼のいない世界、それがどうしたというのか。鬼がいなくなったとしても、人間は互いに殺し合うではないか!しょせん人間とはそういう生き物だ。お前が全ての生き物を力でねじ伏せて従えれば、争いも無くなる。どんな世界も思いのままだ。……自分のことだけを考えろ。自分以外の者を信じるな。仲間など必要無い。痣の代償に死んでもいいのか?永遠の命、不老不死の究極の肉体は目の前にあるのだぞ!」

 

俺の脳裏に、この世界での様々な思い出が鮮やかに巡る。

 

 

蝶屋敷で、伊之助君とどちらが多くバレずにつまみ食いできるか対決したこと。アオイさんにめっちゃ怒られた。そんなに怒らなくてもいいのに……。マジで凹んだ。おまけに、こんな落ち着きのない柱の人は見た事ないって呆れられた。伊之助君は尻を叩かれていた。

村田さんのヘアケア用の椿油にごま油をこっそり混ぜたこと。3日間口利いてくれなかった。

会津の任務の時、佳代ちゃんに小川の向こう岸のキレイな花を摘んであげようとみんなで手を繋いで取ろうとして、みんなで川に落ちてずぶ濡れになったりもした。

訓練中の善逸君に禰豆子ちゃんの声マネして声援を送ってたら、本人じゃないとバレて雷のように怒られたこと。それは勝手に勘違いした君が悪いんじゃないか?

 

……ああ、なんだか下らないことばっかりだな。もうちょっとましな思い出もあるはずだが?俺は何をやってんだろう。

下らないけどかけがえのない、本当に宝物のような思い出ばかりだ。俺は、この世界で共に過ごした人たちを、その人たちの平和な暮らしを護りたい。そのためにずっと頑張って来たのだ。

たとえ自分が生きてその傍らに居られないとしても。

 

みんなのところに帰ろう。人間として。

……でも痣はどうすんだ?

 

「まだ分からないのか、お前にしかできない!お前は神に選ばれし者だ!私の意志を継いでくれ、頼む!私を置いて行かないでくれ!!私を1人にするな!!鬼となれば、お前の望む治癒の力も血鬼術として手に入る!だから!」

無惨が俺に縋りついて懇願する。放せ、見苦しいぞ!俺は人間としてみんなのところに帰るんだ。俺は鬼になんかならない。

 

無惨のその肉体が崩壊し、塵となって消えゆく時が来た。精神もおそらくは滅んでいくはずだ。

だが……何か気になるな、さっきの一言。なんつった?治癒の力?ふーん……。

 

「……俺が、鬼の王か。無惨の力を使い、世界を統べる……。よく考えたらそれも面白いかもしれないな。じゃあまず手始めに、面倒な鬼殺隊の連中から抵抗する力を奪うとするか」

俺は無惨の思念体に笑いかける。

お前を受け入れる。共に行くか。

無惨は喜びの涙を流しながら消えて行き、俺の心の中に宿った。

 

 

 

 

鬼の始祖、鬼撫辻無惨に代わる、鬼の王が新たに誕生した。



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49話 救済

俺の体の中で無惨の血と残留した人間化の薬がせめぎ合う。だがさすがは無惨がその意志をもって注ぎ込んだ血と力。

俺は、漫画世界で鍛え抜いた肉体と技、それに人間を遥かに超越した鬼の筋力や再生能力が融合した“凄まじき鬼の戦士”となった。人類にとっては、悪夢のような存在へと進化してしまった。

……とまあそんなことはどうでも良いが、血鬼術が使えるようになった。

血鬼術、治癒の力。何でも治せる、そんな力が欲しいとずっと思い続けていた。

何百回、何千回、どれほど願ったか分からない位に。目の前で人が死ぬ度に、己の無力さを呪い、欲した力。その力が宿ったようだ。

だが珠世さんが開発した人間化の薬は強力なのだ。それに俺は1回鬼を克服している。鬼化状態はそう長くは続かないだろう。鬼でいられるのはごく短時間。血鬼術が使えるのは鬼の力が残っている僅かの時間だけだ。しかも不完全で、血鬼術を使うには代償が必要なのだと本能的に分かる。その代償は――。

 

急げ。今、俺の為すべきことは、何か。

 

 

 

 

千年にわたる鬼との戦い、その勝利の歓喜と興奮、嵐のような熱狂の渦が徐々に収まって、破壊された街の惨状が明らかになる。そして、柱や炭治郎たち以外にも、無限城内の戦闘、巨大化した無惨との戦闘などで多数の傷病者がおり、動ける者が救護活動を始めていた。

(良かった、気づかれてない。まあ疑う者もいないだろうが……)

勝利の喜びの余韻の中、倫道は心の内で密かに笑う。

(痣の者たちの力を奪うぞ。無惨、手を貸せ)

倫道は己の内の無惨に密かに呼びかける。

柱たち全員と炭治郎にはくっきりと痣が浮き出し、戦闘終了後も消えてはいなかった。

(さあ、お前たちのその力を俺に渡せ)

倫道は痣の力を奪うため、柱たちと炭治郎、“痣の者”の元へと向かって歩き出した。

 

 

「悲鳴嶼さん」

倫道はまず、建物の壁にもたれかかって座っている悲鳴嶼の傍に両膝を突き、声をかけた。

「水原か。見事な働きだった。本当に良くやってくれた」

悲鳴嶼は、傷の手当を受けながら穏やかに答えた。

「悲鳴嶼さん。長きにわたり、鬼殺隊のまとめ役としての御働き、本当にお疲れさまでした。貴方こそ柱の中の柱です」

倫道は声を詰まらせながらそう言って、深く頭を下げた。

 

(ごめんね、みんな。俺も悲鳴嶼先生が大好きなんだ。幸せになって欲しい。だから、俺は悲鳴嶼先生を全力で助ける。みんなと会えるのはちょっと先になっちゃうけど、先生が天寿を全うするまで天国で見守ってあげてね)

倫道は、10年前に殺された子供たちへ心の中で呼びかけた。

 

「握手です。健闘を称え合う西洋の習慣ですが」

そして、心からの敬意を込め悲鳴嶼の右手を握った。

「嗚呼……、ありがとう。しかし私が今日あるのはみなのおかげだ。こちらこそ礼を言わせてくれ。それに私の役割も終わったようだ。痣の発現により、私の命ももうすぐ尽きるだろう」

悲鳴嶼も弱々しく倫道の手を握り返す。

悲鳴島は自らの死の運命を悟っていた。その呼吸は浅くなり、脈も弱くなっていたが、顔には満足そうな穏やかな微笑みをたたえていた。

 

(致死的な外傷は無い。とすれば、この衰弱は痣の副作用によるものだ。……全集中 蛇杖の呼吸!痣の病原を探れ)

倫道は悲鳴嶼の手を取りながら必死に“痣の力”の源を探る。

 

生体内を超高速でスキャンする。脳、中枢神経系。心臓、肝、腎。血液を含むその他主要臓器群から臓器単体、組織、細胞にまでスキャニングが及ぶ。違う、病変はもっと他にある。

(これは……!)

細胞のその核の中、遺伝子。

(なるほど、これは遺伝子レベルの変容か。急速にテロメアが短縮している。おそらくは一時的に細胞増殖が爆発的に加速するかわりに、二十五歳を前に細胞分裂ができなくなって死に向かう……まさに寿命の前借りだ。血気術、発動!)

生物は細胞の増殖を繰り返し、傷ついた部分を修復したり成長したりしているが、それに必要なのが細胞分裂。細胞分裂のため遺伝子の複製を繰り返すと染色体末端のテロメアと呼ばれる部分が徐々に短縮し、やがて細胞分裂ができなくなり死に至る。だが、このテロメアの短縮が起きない、正確には普通の細胞と比べると極めて緩徐にしか起きない場合がある。それが鬼の細胞であり、癌細胞と同じだ。倫道の血鬼術により悲鳴嶼の遺伝子は修復された。

爆発的な身体能力向上は封印され、痣の力は消えた。

 

「何言ってるんです、痣はもう消えましたよ。さあ、気をしっかり持ってください。みんなが待ってますよ。……どうかしましたか?」

悲鳴嶼は、手を握った時に一瞬倫道に違和感を覚えた。薄れゆく意識の中で、人ならざる気配を感知していた。しかしそれはすぐに消え、それ以上に薄れつつあった意識ははっきりし、全身の力が少しずつ戻って、いつの間にか生気を取り戻している自分自身に驚愕した。

だが先程の異様な気配は……?気のせいか。それとも。

「また、後ほど」

悲鳴嶼の体から痣が消え、倫道はもう一度頭を下げて悲鳴嶼のもとから離れた。

 

 

「お前は死なないと思っていた。俺は別に心配などしていない。落ちついたら、顔の傷を治す約束を果たしてもらうぞ」

倫道は近くにいた伊黒と甘露寺のところへ行くと、伊黒はそう言って離れようとした。

「伊黒さんも結構やられましたね。傷だらけじゃないですか」

倫道は笑顔で、少し心配そうに声をかける。

「それがどうした?みな同じだろう」

「今までにもたくさんの血を流して、この戦いでもたくさん傷ついた。だから伊黒さんの体にもう汚い血なんか一滴も残ってませんよ。何も恥じることはない」

「利いた風なことを言うな」

伊黒は一瞬だけ薄っすらと笑い、倫道は微笑みながら呼び止めて右手を差し出した。

「何だ?」

怪訝そうな伊黒に、倫道は屈託なく笑いかける。

「握手です。お互いに、良く頑張りましたってことで。……甘露寺さんも」

伊黒はブスッとしたいつもの顔で、甘露寺はにっこりと握手に応じた。

「2人は命の恩人です。ありがとうございました。だから、生きていてくれて本当に良かった!」

倫道が言うと、甘露寺は花のような笑顔を見せ、伊黒も微笑んだ。2人からも痣は消えていた。

(甘露寺さん!今日こそ伊黒さんに言うんだよ!お嫁さんにしてって!)

(水原さん、嫌だもう!で、でも、あたし頑張ってみる!)

倫道は握手しながら小声で甘露寺をそそのかす。甘露寺も小声で応じた。

「伊黒さん、何だか甘露寺さんからお話があるって。しっかり聞いてあげて!」

倫道はニヤリと笑い甘露寺をちらりと見る。顔を真っ赤にして、フン!と決意を固め、自分に気合いを入れた甘露寺が倫道に向かってうなずき返していた。

「……そ、そうか。お前は早く胡蝶に診てもらえ」

伊黒は倫道にそう言うと、少し顔を赤らめて今度は甘露寺に向き直った。

「甘露寺、俺からも話がある」

 

それを聞いて倫道は慌ててその場を離れた。

(伊黒さん、甘露寺さん、助けてくれたお礼はしましたよ。お幸せにね)

倫道は、これからの展開を想像して幸せな気分になった。

 

 

近くにいた時透と宇髄も、倫道と握手を交わした。

「あれが日の呼吸の技なんだね。すごかったよ」

時透はにっこり笑いながら手を握り返す。

「お前と竈門が一番派手だったな!今回ばかりは俺も負けを認めるぜ。全くお前には驚かされる」

宇髄も豪快に笑いながら握手に応じた。一瞬真剣な雰囲気になる倫道に違和感を覚える宇髄だったが、

「おい、痣が消えてるぞ」

「宇髄さんも」

倫道が去った直後、宇髄と時透はお互いの顔を見ながら訝しんだ。

 

 

杏寿郎も倫道と握手を交わし、千寿郎は倫道に抱きついて泣いた。杏寿郎の顔からも痣が消えた。

「僕が変われたのは水原さんのおかげです」

千寿郎は涙を流しながら深く頭を下げた。

倫道は首を横にふり、千寿郎の肩を掴んだ。

「君は優しい子だ。その君を殺し合いに巻き込んでしまった。本当にすまなかった」

ずっと心に引っかかっていた想いを吐露し、倫道は千寿郎に謝った。

「そんなことありません!」

「それは違うぞ、水原!」

千寿郎と杏寿郎が否定する。

「水原君、それは違う。戦いに参加したのは千寿郎自身の意志だ。それに、君と稽古するようになって、千寿郎が生き生きした姿を見せるようになった。以前の千寿郎には、自信が持てずにいつもどこか迷っている風情があったが、しっかりとした意志を示すようになった。だから君のしたことは間違いではない。君は本当に良き仲間となってくれたのだな。私からも礼を言う!本来ならば父親の私が導かねばならなかったのだが、恥ずかしい限りだ。それに、息子たちのおかげで私自身も目を覚ますことができた。そのきっかけは君だ。ありがとう」

槇寿郎は手当てを受けながらそう言うと、微笑んで倫道に頭を下げた。それを聞いた杏寿郎が、倫道の分厚い肩を叩く。

(やばい、目から鼻水が……!)

倫道が感極まっていると、

「日の呼吸の剣技、見事だった!いつの間に身に付けた?それとも知っていたのか?」

杏寿郎が問いかけた。

「思い出したんですよ。ずっと、ずっと昔に父から教わったんです」

倫道は力無く微笑んだ。

「水原さん、顔色が悪いですよ。はやく胡蝶さんに診てもらった方が良いですよ」

千寿郎が心配して言った。

「大丈夫、ちょっと疲れただけだから。後でまた」

倫道は手を振って杏寿郎たちから離れた。

 

 

2度の大役を果たし、不死川玄弥は安堵と疲労、押し寄せる感情にようやく整理をつけ、無事な倫道の姿を見て笑顔で手を振った。

「助けてくれてありがとう!」

倫道も大声で呼びかけ、笑顔で手を振り返す。

玄弥は一見元気そうであったが鬼化を繰り返していたため、経過観察が必要としのぶが判断し、隠たちが蝶屋敷に運んで行った。

 

成長した弟の見事な働きを見届け、付き添っていた不死川実弥はホッとした表情でそれを見送っていた。

「不死川さん」

倫道が、ゆっくりと歩いて来る。

「てめえ、やるじゃねえかよ。まあまあだったぜぇ」

実弥は普段と変わらぬ様子で倫道を迎えた。

「玄弥君は?」

倫道が聞くと、

「ああ、念のためって蝶屋敷に運ばれた。大した怪我もねえ」

「でも、これから何か影響が出るかもしれない。そうだ、兄ちゃんが一緒に住んだらいいよ!気兼ねなく兄弟げんかできるから。まあ本当は仲がいいの知ってるけどね!」」

倫道はわざと兄ちゃんという言葉を使い、笑いかけた。

「うるせえ……しっかし、玄弥があの上弦の壱にぶった斬られた時ゃあ、もうだめかと思ったが……てめえのおかげだ」

不死川は初めて見せる柔らかい表情で言葉を継いだ。

「てめえとは色々あったよなぁ。最終選別で会った時は正直驚いたぜ。他のヤツを何人も助けてた、確かにそう聞いたが、てめえは傷もねえ、服の汚れすらほとんどねえ。化け物かこいつ、そう思ったが。そうかと思えば、隠の真似事なんぞしてやがって。ふざけた野郎だぁ」

「柱合会議でも揉めましたね。不死川さん、あの時は怖かったな……」

倫道が返すと、

「嘘を吐くな。あんな殺気を出しやがって、怖いが聞いて呆れるぜ」

不死川は懐かしそうに言う。柱合会議でやりあったのがもうずいぶん昔のことのようだが、まだ1年も経っていない。

 

倫道は手を差し出した。

不死川も薄く笑い、差し出された倫道の手を握り返した。不死川の顔の痣も消えた。

「落ち着いたら一度俺ん家に来い。あのおはぎ忘れんなよなぁ」

「“ずんだ”のおはぎね」

「そう、それだぁ」

お互いに笑い合う不死川と倫道。

「てめえには……まあ感謝するぜ。ありがとなァ、倫道」

「……!」

不死川が不意に照れくさそうに語った思わぬ感謝の言葉に、倫道は驚きと嬉しさで胸がいっぱいになり、

「俺も……。じゃあ、また」

やっとのことでそう返した。

(ああ、またそんなに嬉しいことを……目から鼻水が堪え切れないよ……俺も2人に会えて良かった)

上を向いて涙を堪えながら、倫道は背中を向けゆっくりと去って行った。

 

(俺はみんなを救済してるつもりになってた。だけど違った。みんなは俺を仲間として迎えてくれて、信頼してくれて、褒めてくれて。本当はみんなに救われてた。俺が救済されてたんだな)

倫道は気付いて、感謝した。

不死川も痣の消えた右頬をさすりながら温かい気持ちになったが、去っていく倫道の姿に違和感を覚える。

(あいつ……顔色が悪いなぁ)

 

倫道は、今度は義勇としのぶの元へと歩み寄っていく。

(痣の力を……奪うんだ。一人残らず)



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50話 代償

「しのぶさん、義勇」

倫道は、義勇と彼を診ているしのぶに歩み寄った。呼びかけて、ふぅ、と一息つくと、尻もちをつくように傍らに座った。

「2人とも、俺の手を取ってくれ。ともに戦った記念だ」

倫道は2人に手を差し出す。

「ハンドシェイク、ですか?ハイカラですね」

「?」

しのぶと義勇は、それぞれ倫道の手を取り、しっかりと握る。しのぶ、義勇の痣が消えた。

「2人は戦って生き残った。多くの人を護った。これからは、自分の幸せのために生きる権利がある。命を大事にね。自分が死ねば良いなんて、もう絶対に考えちゃだめだ」

倫道は語りかけた。

「倫道、俺は」

言いかけた義勇に、

「立派な戦いぶりだったよ。お前に命を繋いでくれた人は、みんな誇りに思っているに違いない。さすがは最強の水柱・冨岡義勇だね!」

倫道は精一杯の敬愛の念を込めて笑いかけ、そう言葉をかけた。

「そうか。……ありがとう!」

義勇は顔を上げ、胸のつかえが取れたように、傷だらけの顔で爽やかに笑った。

(眩しい……。こんなにいい顔するんだな)

解き放たれたような笑顔だった。倫道は、初めて見せる友の晴れやかな笑顔を眺め、改めて彼が背負っていた物の大きさを認識する。

「義勇、柱稽古の時に……、お姉様が、その……無駄死にだなんて言って……ごめん」

背負う重圧や色々な感情があるのは重々承知の上で、倫道は柱稽古の時に激しく叱咤した。その時、弱気になる義勇がもどかしいあまりに、お前の姉さんは無駄死にではないか、と言ってしまったことを、ずっと気にしていた。この機会を逃せばもう会えないかもしれない。倫道はこの機会に謝った。

「……許さん」

(え……?こういう時は、普通“気にするな”て言うもんじゃないの?そんなに怒ってたの?)

義勇の返事に倫道は少し狼狽える。

「あの時お前の言いたかったことは理解した。弱気な俺を元気づけようとしたことも分かったが、納得できない部分もあった。そのことは許すから、今後俺とずっと友達付き合いをしろ。勝手に離れることは許さん」

(分かりにくい!まあ今に始まったことじゃないし、元々友達だし。でも、タイムリミットが迫ってるんだ。ずっとは……約束できない。ごめん)

「何だ、そんなことか。もちろんだ。俺はいつもみんなの傍にいる」

倫道はホッとしながら、動揺を隠して微笑みかけた。

「水原さん、貴方がいなければ童磨は討てませんでした。本当にありがとうございました」

その様子を微笑ましく眺めていたしのぶも、立ち上がって礼を言う。

「しのぶさん、役に立てて良かった。でも、みんなに助けられたのは俺の方だって分かったから。だから俺の方こそお礼しなくちゃいけないのに」

倫道は頭を下げ、立ち上がる。お礼をしなければならないが、もう時が迫っている。

「どこへ行くんですか?もう休んでいてください。貴方に言うのもなんですが、すぐに診ますから」

歩き出す倫道をしのぶが止めようとする。

「平気平気!それに、俺はどこへも行きませんよ。いつも。……みんなの傍にいます」

ひらひら手を振り、倫道は少しふらつきながら炭治郎の方へ歩いて行った。

 

 

倫道の精神の内の無惨は、何故か急激に重くなる体に異変を感じていた。

(おい、どうしたのだ。体が重く――)

倫道は、ニヤリと笑う。

(ここからだ。最後に炭治郎の力を奪えば、俺以外にもう痣の者は居なくなる!)

内なる無惨に言い聞かせ、炭治郎の元へ向かった。一方で、

(頑張れ!頑張れ自分!もう少しだ!もう一回だけ……!)

自分自身を懸命に鼓舞していた。

 

残り僅かな命の火を精一杯に燃やして。

 

 

 

炭治郎は、隠の隊員とカナヲに付き添われ、横になってはいるが話をしている。

カラスからの連絡で、禰豆子は先程無事に人間に戻り、完全に記憶を取り戻してこちらに向かっていると連絡があった。

「炭治郎君、本当に……良くやったな。君と一緒に戦えて、楽しかったよ。最後に、握手だ」

倫道は手を差し出す。炭治郎は上体を起こし、がっしり握り返した。

炭治郎の痣は、妓夫太郎戦ではっきりと発現した物から、以前の火傷の跡の状態に戻った。

炭治郎は、一瞬だけ僅かに鬼の匂いを感じ、周囲を見回したがそれらしい物は見当たらなかった。無惨が崩壊して塵となり、消えてゆくのを確かにこの目で見た。

(まさかな。もう無惨は滅びたんだ)

そう思い直した。

「倫道さん。禰豆子のことも、那田蜘蛛山のことも。色々ありがとうございました。本当に、俺……」

倫道の手を取りながら、正座して肩を震わせる炭治郎。

「炭治郎君。君はいつも、決して逃げることなく困難に真正面からぶつかって行った。俺の方こそ君の姿を見て頑張れた。励まされた。ありがとう」

倫道もこれまでのことを思い出し、思わず涙ぐむ。

「体が良くなったら、ゆっくり会いましょう。禰豆子もお礼がしたいだろうし」

炭治郎が微笑みかける。

「そうだな、またみんなで会おう。体調が回復したら、そのうちに」

倫道は最後に嘘をつき、手を振って炭治郎のもとから離れていった。

 

隠の隊員、後藤も感動していた。

(良い場面だな。炭治郎も水原様も頑張った。死にかけたはずなのに2人ともよく無事で……。でもあの横顔、どっかで?)

 

「隠のみなさんも、ありがとうございました!」

倫道はそう言って後藤たちに手を振ってから、目だけを出し、両手で口と鼻、額を覆う仕草をして見せた。

(あっ!あいつ!)

隠として、何度も一緒に救護活動していた水谷だった。

(どこからともなく現れて、とんでもない速さで治療をしていく……。剣士もやってたのか、しかも柱……何て人だ)

 

 

倫道と言葉を交わし、握手した柱たちと炭治郎。

(まるで別れの挨拶でもしに来たみたいだな)

みな一様に違和感を覚え、何とは無い不安を感じる。飄々としたいつもの様子ではなく、どこか寂しそうな倫道の姿。

 

 

 

 

(よし、これで痣は残らず吸収したぞ。彼らに痣の力は、いや、呪いはもう無い。血鬼術の効力が消える前に治療が間に合って良かった……。俺のミッションは完了だ)

倫道はホッとしてみなから離れて人の居ない方へ歩いて行く。全集中で踏ん張っていないと今にも倒れそうだった。何とか体を支えながら、ハアハアと息を切らし、ふらつく足取りで歩みを進めた。建物の壁に寄りかかると、荒い息を吐きながらズルズルとそのまま崩れるように座り込んだ。

 

(倫道、今こそ滅ぼせ、鬼狩りたちを。まずはその第一歩だ)

心の内の無惨は、全ての痣の者の力を取り込んだ倫道の体を使い、今こそ鬼殺隊を滅ぼせと告げる。だが、倫道の体には既にほとんど生命力が残されていなかった。

倫道の血鬼術は、痣の呪いによる遺伝子の暴走をも止める治癒の効果。痣の者たちは治癒を果たし、痣の力は失われた。

 

一方不完全な鬼化がもたらすこの血鬼術は、重大な代償を必要とする。

代償は、鬼の力を失っても消えることはない。その代償とは。

 

それは術者自らの生命。

 

(倫道、今こそ鬼狩りを滅ぼせ!油断している奴らなど、殺すのに雑作もない……どうした、力を吸収したのではなかったのか?!これでは)

慌てた無惨が呼びかける。

(痣は“寿命の前借り”と黒死牟が言っていなかったか?10人の人間の“痣の代償”を肩代わりしたらどうなると思う?それに、鬼を人間に戻す薬は効いている。鬼の力が無くなって行くだろう?それに、血鬼術の代償を俺自身が払わなければならない)

してやったり、倫道の精神は笑う。

(何だと!最初からこの者たちの代わりに死ぬつもりで私を取り込んだのか!騙したのか!貴様っ!貴様ああっ!!)

無惨の精神は半狂乱となるが、倫道の精神は冷淡に言い放つ。

(お前な、今までさんざん人を殺しておいて、ちょっと騙されたくらいでキレるな)

(おのれ倫道、許さぬ!貴様の肉体を乗っ取って……)

無惨は怒り狂う。

(乗っ取って、どうする?すぐに死ぬんだぞ?)

倫道は呆れる。無惨の精神はなおも激昂するが、倫道の肉体は限界を迎えていた。

 

記憶が蘇る。行ったことの無い場所、体験したことがない様々な事象、前世でも会っていない人々。思い出した。前世の最後も、こんな夢を見た。そして気付く。

(俺は多重転生者なんだな。前の時――この世界に来る時も、こんな夢を見てた)

そして記憶が途切れて、この世界にいた。

この世界で暮らすうちに、ある日突然目覚めた。

 

(無惨、お前本当に可哀そうなヤツだな。まあ仕方ない、俺と一緒に来い。俺は何度も転生を繰り返す運命のようだ。完全な生命とは違うが、永遠の命に近いぞ)

倫道の精神は子供をあやすように内なる無惨に語りかける。

(本当か!それならば、転生した世界で鬼の王となれば良い。私の力を存分に使え!)

無惨は新たな希望を見出し、さっきまでの半狂乱が嘘のように歓喜に震えている。

 

 

 

(この力が使えたなら、お救い申し上げられたかもしれないのに……)

倫道の心残りは耀哉のこと。

(倫道。私のことは、もういいんだよ)

(耀哉様!?)

倫道の頭の中に、耀哉の声が響く。

(みんな、良くやってくれた。私の可愛い子供たち……。君も本当に頑張ってくれたね。君のおかげで大勢の子供たちの命が救われた。痣を出してでも戦うことを選んだ子供たちも、君が救ってくれた。だから私はもういい。安心して逝くことができる。ありがとう、倫道)

(耀哉様……)

倫道は、耀哉が息を引き取ったことを悟り、涙を流した。

 

 

「タイムリミット……か」

倫道の肉体は、ポツリと呟く。

 

倫道は、目を開けてゆっくりと周囲を見渡した。真冬の早朝の凍てつく空気の中、動ける者は瓦礫の後片付けや負傷者の救護に忙しい。だが、みんな誇らしげに、生き生きと笑顔で働いていた。

 

(この愛おしい人たちが、もう二度と武器を取って戦うことがありませんように。どうかほのぼのと穏やかな暮らしを。そして、どうか笑顔で天寿を全うできますように)

 

心からそう願う。

 

その傍らで、共に生きて行くことはできなくとも。

原作を捻じ曲げた代償として、その存在が完全に排除され、痕跡すら残らなかったとしても。

 

 

陽が昇り、朝の光が世界を満たす。陽光が、戦場となった街と血の気を失った倫道の顔を穏やかに照らした。

(みんな、生きている……それこそが、俺が生きた証……)

「リンドー、リンドー……」

アーマーを解除したマスカラスが倫道のすぐそばにやって来て、落ち着き無く歩き回る。

「マスカラス……。また、な」

倫道は、眩しそうに目を閉じた。

 

 

 

 

「倫道さん!どうしたんですか?倫道さん!」

炭治郎が心配そうに駆け寄り、呼びかける。

緑川と尾崎も駆け寄って来た。

異変に気付いた他の者たちも駆けつける。座っていた倫道の肉体が力無く横に倒れた。炭治郎がしゃがんで抱き起こそうとするが、その手は空を掴んだ。

倫道の体は幻のように揺らめいて消えていき、後には何も残らなかった。そして、一羽のカラスが悲しそうに一声鳴き、どこかへ飛び去って行った。

 

炭治郎は信じられない思いでそれを見ていた。声をかけようとしたが、何故か名前が出てこない。

「……あれ、名前が……思い出せない。なんで?ああ……あれ、俺、今……何を?何か大事な物を……」

炭治郎は不安そうに立ち上がって辺りを見渡す。

「炭治郎、お前なんで泣いてんだ?」

「緑川さんだって泣いてるじゃないですか」

炭治郎と緑川は顔を見合わせて首を捻る。

周囲の人々も、何で集まったんだっけ?と思い出せない様子だった。そしてみな、何か違和感を覚えながらも、それぞれの作業に戻って行った。

(無くしちゃいけない物を無くした気がする。忘れちゃいけない物なのに。こんなに悲しいのに!何で!)

炭治郎は頭を抱えて立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

俺の存在は排除され、痕跡すら残らない。ありがたい配慮だ、それでいい。

仲良くなって、大事な存在になるほど別れるつらさ、失う悲しさは大きくなる。忘れてしまうのが一番手っ取り早い解決法だ。

そんなつらさをもし誰かにさせるとしたら。

 

俺は耐えられない。

 

 

 

こうして、俺の熱く濃密な素晴らしい鬼殺隊生活は終わった。




まだ少し続きます。もうしばしのお付き合いを。


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幾星霜を巡る命編
51話 鬼のいない世界


無惨との最終決戦から3ヶ月。鬼殺隊本部・産屋敷家の大座敷、柱合会議がいつも開かれていた場所。まだ誰もいないその部屋に、今日は座布団が並べられていた。

刻限には、まだ間がある。

 

今日は最後の柱合会議。産屋敷輝利哉は、柱たちの顔を一人ひとり思い浮かべる。

今日で彼らに会うのは最後かもしれない。鬼殺隊は解散し、彼ら柱だけでなく、子供たち――隊員のみんなを、血なまぐさい戦いの呪縛から解き放ってあげられる。命懸けの殺し合いに駆り立てる必要も、もう無くなるのだ。

その反面、大きな寂しさもあった。鬼殺隊の当主の家に生まれ、生活は常に鬼殺隊と共にあった。まだ八歳ではあるが、その脳裏には様々な思い出が蘇っていた。全ての感覚を極限まで研ぎ澄ませ、頭脳の力の全てを解放し、まさに全身全霊で挑んだあの壮絶な最終決戦でさえ、忘れえぬ思い出だ。

そんな中、輝利哉は小さな違和感も覚えていた。何かが足りないような、そんな気がしていた。しかし今日は、大事な日だ。鬼殺隊がその歴史を閉じる日。輝利哉は気持ちを切り替えた。

(今日は、泣かないように頑張ろう)

そう思って座敷を見渡した時だった。

座布団は10枚並べられていた。

(柱は9人だったはずなのに、なぜ僕は10枚用意したのだろう?)

自身のうっかりに苦笑しながら、輝利哉は身支度を整えていった。

 

 

9人の柱たちが入ってくる。

輝利哉は鬼殺隊当主として柱たちに語り掛けた。

「今日が最後の柱合会議だ。これまでに大勢の子供たちが亡くなった。大きな大きな犠牲を払った。だが無惨は滅び、鬼はいなくなった。柱のみなは、その中心となって鬼殺隊を支えてくれた。その柱のみなが、この最後の柱合会議に誰一人欠けることなく――」

ふと、輝利哉は言い淀んだ。

誰一人欠けること無く?

勘違いか。父が存命の時、会議を見学していると、一番端に座って穏やかな笑顔を向けて来る人物が居た。その姿が一瞬頭をよぎる。

あれは、誰であったのだろう?

気のせいか。輝利哉は思い直し、

「9人全員が揃って今日の日を迎えられたこと、本当に嬉しく思います」

そして改めて宣言する。

 

「鬼殺隊は、本日をもって解散する」

 

「――御意」

 

9人は、万感の思いを込めて答えた。

 

産屋敷家の人々、輝利哉の妹のくいな、かなた。母であるあまね、姉のひなき、にちかもこの場に同席していた。父の耀哉は無惨討伐を見届けて静かに息を引き取ったが、無惨を滅ぼしたその歓喜の瞬間を共にすることができた。それ以外の人々は、みな生きてこの戦いを終えることができたのだ。

 

輝利哉は意を決し、背筋を伸ばしてきちんと正座し直し、努めて明るい声で、にこやかにお礼の言葉を述べ始めた。

「みなさまには、長きに亘り身命を賭して御尽力いただいて参りました。……産屋敷家一同は……こ、心……心より……」

輝利哉の顔が歪み、その目から大粒の涙がハラハラと零れ落ちる。

「心より……感謝を……申し上げます」

輝利哉は涙声でしゃくりあげながらそう告げ、産屋敷家の人々も共に深々と頭を下げた。涙のしずくがポタポタと畳に落ち、しんと静まった座敷に頭を下げたままの輝利哉の嗚咽が響いた。居並ぶ柱たちもみな輝利哉の気持ちが痛いほどに胸に迫り、声もなくこの様子を見つめていた。

 

 

「どうか、お顔を上げてください」

しのぶは、思わず輝利哉の傍に駆け寄ろうとしたが、それよりも早く、うっすらと涙を浮かべた義勇が輝利哉たちに声をかけていた。

「今日まで我々が鬼殺隊であれたのは、産屋敷家の御力あればこそ。輝利哉様も立派にお勤めを果たしておられました。……亡き耀哉様も、歴代のお館様も、誇りに思っておられることでしょう」

あまり感情の見えないいつもの調子であったが、しかし続く言葉は優しく、義勇も込み上げる自身の想いを必死に抑え、努めて平静に語ったのだった。

 

「ありがとう……ございます……!」

輝利哉は、総司令官として無我夢中で挑んだ戦いをまた思い出し、涙が止まらなかった。

悲鳴嶼は遠慮なく涙を流し、甘露寺も寂しいと盛大に泣いていた。他の柱たちもみな、感極まって泣いており、不死川は天井を見上げて涙を堪えていた。

(終わったんだな……。でもみんなに会えなくなるわけじゃないよね?)

時透は、みなの顔を盗み見ながらこれから先の楽しいことを考えようとした。

 

(あの冨岡さんが、こんなに気の利いたことを言えるようになったんですね)

涙を流しながらも、しのぶは内心可笑しくなった。

 

「それにしても」

悲鳴嶼が言う。

「痣は、あの戦いの後みな消えていました。二十五を過ぎて痣を出した私も、このように何事も無く生きております。他の者も、二十五歳を前に寿命を迎えることはありますまい」

 

その後会議では、最後に小さな話し合いが持たれ、全員の同意の後に散会となった。

産屋敷家は生き残った隊員それぞれに十分な支援を約束し、こうして最後の柱合会議は終わった。

 

戦いは幕を閉じ、これからは鬼のいない世界でそれぞれが新しい道に踏み出してゆく。

 

 

たくさんの桜の木に囲まれた蝶屋敷。季節はまさに春、その桜は満開に咲き誇っている。その中に、ひと際鮮やかに花を咲かせる大きな古木があった。昔、花の呼吸の初代剣士が植えたものだという。

「必勝」と名付けられた桜の木は、見事勝利を収めて戦いを終えた隊員たちを静かに見守っている。

 

蝶屋敷では、最終決戦で怪我を負ったたくさんの隊員たちが未だに治療や機能回復訓練を受けており、炭治郎もその一人であった。彼の元には連日多くの見舞いが訪れており、互いにその労を労っていた。今後は回復した者からここを出て、鬼との命がけの戦いの無い、新たな生活を始めることになる。

 

炭治郎はしかし、何かが足りない、いるべき人がいない、そんな思いを抱いていた。ずっと考えていたが思い出せず、すっきりしない毎日を過ごしていた。

 

 

 

そんな炭治郎の下に、ある日珍しい客が訪ねてきた。那田蜘蛛山で一緒に戦って知り合った緑川と尾崎だった。柱稽古でも何度も一緒になり、最終決戦でも共に戦い互いに良く知った仲になっていた。久しぶりの挨拶を交わし、お互いに近況報告をした。2人は夫婦になるらしくその報告もしに来てくれたようだった。

 

「お2人はどうやって知り合ったんですか?」

炭治郎が聞いた。

「きっかけは村田さんと一緒に行った遠征任務だったような気がするんだが……。よく思い出せねえんだ。そもそも庚3人に遠征任務なんて行かせるか?それに、内容もなんだか良く覚えてねえし」

「あの任務の時、何かのきっかけで刀の色変わりしたんだよね、私たち」

「その時だっけ?那田蜘蛛山じゃなかったか?」

「違うよ、会津の時だよ」

言い合いになる緑川と尾崎。

「……こんな調子なんだ。那田蜘蛛山の前に遠征任務に行ったんだが、村田さんも俺たちもそのあたりから所々記憶が曖昧なんだ」

炭治郎は不思議に思った。自分でも同じように曖昧な部分があるからだ。

禰豆子が鬼になった時。那田蜘蛛山で十二鬼月と戦った時。柱合裁判の時。無限列車。吉原。刀鍛冶の里。そして最後の無惨との戦闘。記憶の一部に蓋がされている、そんな気がしていた。

 

 

「炭治郎、お前那田蜘蛛山で誰に助けられた?」

緑川が何気なく聞いた。

「誰って、緑川さんに。その後義勇さんが来て」

「そうか、俺はお前に助けられて、その後水柱が来たと思ってたけどな……」

2人は顔を見合わせて考え込んだ。

「俺も、思い出せない事があるんです」

炭治郎は思い切って、自分が抱いている違和感について打ち明けてみた。

 

 

「お前もそうか、炭治郎」

何か思うところがあるらしく、緑川が炭治郎から視線を外して空を見上げた。

「何だろう、何か忘れてる気がするんだ。大事なものを……でもどうしても思い出せないんだ」

寂しそうに、悔しそうに呟く。

 

「どうしても忘れさせたいらしいが……。一体何の呪いだよ」

緑川は寂しそうにまた笑った。

 

 

 

またある日、愈史郎が猫の茶々丸と一緒に訪ねて来て話が弾んだ。茶々丸はしきりに辺りを見回していたが、何かを探すように部屋の外へ出て行った。

「1回死にかけたのに、本当に良く頑張ったな。前線で戦ってるのをずっと見てたが、お前は偉いよ」

愈史郎がこんなに優しい笑顔を向けて来るのは初めてだった。あの戦いをくぐり抜けて、今こうして穏やかに話をしている。改めて、本当に戦いは終わったのだという感慨が湧いて来る。

しかし愈史郎は最愛の珠世を失ってしまったのだ。

珠世の話をする時、愈史郎の表情や仕草には変化は見られないが、炭治郎には匂いで分かる。深い悲しみと後悔の匂い。

珠世を庇うことができたら、珠世の身代わりになって死ねたらどれほど良かっただろう。愈史郎は、ずっと後悔の中にあった。自分一人生きてどうなる?珠世のいない生活など何の意味がある?そう自問自答していた。

(俺だって、禰豆子が死んでしまっていたら……。どうなっていただろう?)

愈史郎にとっては、唯一の家族とも言える存在。そして命の恩人であり、恋慕の対象でもあった。大切な、世界でただ一人の人。愈史郎の心中を思い、炭治郎は胸が痛んだ。

 

いつの間にか茶々丸が戻って来て、炭治郎の布団の上で寝そべっていた。

不意に、脳内に蘇る記憶があった。

(危ない!)

庇ってくれた後ろ姿。黒い刀。フラッシュバックのように、最終決戦で無惨に殺されかけたあの場面が浮かんだ。

(これは?この記憶は……?)

 

「俺はただ周りの人たちに助けてもらって、やっと生きて帰れただけです……」

炭治郎は我に返りそう答えると、

「フン、当たり前だろう。冗談で褒めただけなのに真に受けやがって。もう俺は帰るぞ」

愈史郎は優しい微笑みを消して普段のキリっとした表情に戻り、毒を吐いて帰ろうとした。

「俺と一緒に戦った人、他に誰かいなかったですか?何か忘れてる気がして」

炭治郎は自分が抱いている違和感について慌てて尋ねた。

「柱やお前の同期たちがいただろ?じゃあな」

愈史郎は怪訝そうな顔でそう言って、茶々丸を抱いて今度こそ帰ろうとした。

 

「愈史郎さん……。死なないでくださいね」

愈史郎から隠し切れない悲しみの匂いを感じ、炭治郎は思わずその背中に声をかけた。

「珠世さんのこと、ずっと覚えていられるのは……愈史郎さんだけなんですから」

愈史郎は一瞬歩みを止めたが、何も言わずに帰って行った。

 

愈史郎が帰った後も、炭治郎は考え込んでいた。

(誰かが覚えていなければ、居なかったのと同じになってしまう……。あの人のこと、俺は忘れちゃいけないんだ。絶対に!)

 

唐突に、また思い出した。茶々丸と遊んでいる誰かの、笑顔の口元。茶々丸が懐いて、よく誰かの羽織で爪を研いでいた。

(名前も顔も分からない。このままじゃ……)

 

「禰豆子!手紙だ!手紙を書くぞ!」

炭治郎はすぐに文机に向かい、誰宛ともない不思議な手紙を書き始めた。

「お兄ちゃん、何、急に?」

人間に戻り、すっかり体調も回復した禰豆子は、やれやれと言った調子で返事をする。炭治郎は、つかえていた思いを込めて一気に手紙を書き終えた。

宛名は無い。

(貴方は、俺たちに託して行ったんですよね?俺たちは、貴方に託された命を繋いでいきます)

 

 

蝶屋敷に様々な見舞客が訪れる中、小腹が減った伊之助は厨房に向かった。見ると、アオイがこちらに背を向け、まな板の上で何かを切る小気味良い音を響かせていた。伊之助が気配を消し、足音を忍ばせて並んだお膳からおかずを一つ、つまみ食いした時だった。

「あっ!また盗み食いして!!」

急にアオイがこちらを振り向いた。

「しっ、してねえ!」

もごもごと咀嚼しながら伊之助が言い訳すると、

「口いっぱいにして何言ってるの。……口ごたえするとお尻を叩きます」

アオイが冷静に怒って見せると、

「わ、分かった。もうしねえ」

(何で悟られた?もしかしてコイツつええのか?何にしてもこれはやべぇ!)

包丁を持って冷静に怒るアオイの迫力に恐れをなし、伊之助は素直に従った。

(前に誰かと一緒につまみ食いしたよなぁ。誰とだっけ?)

唐突にそんなことを思い出しながら伊之助は帰ろうとした。

 

コホン、とアオイが咳払いをした。

「こっちのお盆のは伊之助さん専用ね。いつでも作ってあげるから、盗み食いは止めてね」

おにぎりとおかずの乗ったお盆を差し出しながらわざと怒ったようにそれだけ言うと、アオイはまた伊之助に背を向け、調理に戻った。

「お、おう……。ありがとう」

人間の感情の機微が分かるようになっていた伊之助は、何となくアオイの気持ちが分かり、”ホワホワ”以上の感情を覚えながら、出されたおにぎりを平らげていた。

 

 

治療を終えた炭治郎は、以前住んでいた雲取山の家に戻ることにした。禰豆子ももちろん一緒、善逸と伊之助も一緒について来た。当面は一緒に4人で暮らそう、そう話し合った。

 

山の麓近くで三郎じいさんに再会し、無事鬼の首魁を倒して生還したことを報告、禰豆子の無事な姿も見せると涙を流して喜んでくれた。

 

家は、あの事件以前のようにきれいになっていた。近所の人々が総出で、血だらけだった床や壁、畳を換え、時々手入れもしてくれていた。そして、きちんとした墓石に亡くなった家族一人ひとりの名前が刻んであるお墓まで作ってくれてあり、炭治郎は深く感謝した。

 

ただいま。

 

炭治郎と禰豆子はそう挨拶してから、鬼の始祖を倒してみんなの仇を討ち、無事帰還したことを家族の墓に報告した。

 

(父さん、母さん。竹雄、花子、茂、六太。たくさんの人に支えられて、俺も禰豆子も、人間として、生きて戻ってこられたんだ。帰って来られたんだ……。ただいま)

 

ただいま。

 

 

家族みんなの幻影が現れ、炭治郎と禰豆子を優しく抱く。

 

おかえり。

 

炭治郎と禰豆子は思わず顔を見合わせた。そこに家族の気配を感じ、その声を聞いたような気がしたのだ。

亡き家族たちを想い、禰豆子と炭治郎は初めて思い切り泣いた。

 

ただいま。ただいま!

そう、何度も叫びながら。

 

(今日だけは泣いてもいいぜ。この俺が許す!この伊之助様がな)

善逸も2人の肩を抱きながら一緒に号泣し、伊之助も猪頭の下で涙を流した。

 

4人の平穏な暮らしが始まった。

 

善逸は当初の想いが通じて禰豆子と夫婦になり、炭治郎はカナヲと、伊之助はアオイとそれぞれ幸せな家庭を築いた。

 

色々な事が起こった。暗い事件が世界中を支配したこともあったが、それでも彼らが再び戦うことはなかった。

 

それから、長い、長い月日が流れた。



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52話 新たな戦い

俺の意識は虚空を彷徨っていた。

今まで一生懸命やってきた。でも、ずっと全力疾走だったからな。

パトラッシュ……疲れたろう?俺も疲れたんだ……。何だかとても眠い……。パトラッシュ……はいないけども。

見上げると、一条の光が天から射して俺を包み、光の中を天使たちがやって来るのが見えた。天使たちの頭の輪がキラキラと輝いている。迎えに来てくれたんだね、ありがとう。俺の旅もようやく終わる時が来たのかな。

 

「カアァァー!!」

 

……あれ?なんだか聞いたことある鳴き声がするような……?

「ゴルァア!来ルナ!リンドーニ近寄ンナ!向コウ行ケ!シッシッ!」

ぶち切れた1羽のカラスが天使たちを追っ払っている。マスカラス……お前か……。それにしてもおっそろしい顔してるなあ。ほら見ろ、天使ちゃんたちドン引きしてるじゃないか。

見ていると、何か相談して光の中へ帰っちゃう天使たち。あああ、帰らないで。

「イエーイ、ヤッタ!追ッ払ッタゼ!」

いえーいじゃない、平成初期のノリか。

「ジャアナ!」

そして飛び去るマスカラス。何をしてくれてんだお前は。

光は消え、俺はぽつんと薄闇に取り残される。天国に行くはずが……。

どうすんだよ、俺……。

 

 

 

気づくと、俺はJR有楽町駅の駅前交差点にいた。

これは、現代?

行き交う人々は、もと居た現代の装いだ。俺も現代風の恰好をしているようだ。長い長い夢を見ていた気がするが、時計を確認すると、令和3年4月。

鬼滅の世界に転生する前、細かい日付はもう忘れてしまったが、令和3年の春だった気がする。

戻って来たのか?

 

入学祝いとか、新生活に向けて、と家電の広告が流れた後、ビックカメラの大型ビジョンに「宇髄天満選手 体操世界選手権で金メダル獲得」

と速報が流れ、インタビュー映像も一緒に流れている。

「宇髄選手は、あの鬼殺隊の柱も務めた宇髄天元さんの子孫にあたるんですよね」

アナウンサーが話しているのを聞いて驚いた。原作では鬼殺隊が公になることは無いはずだが、どうなってんだ。

周りを見ると鬼殺隊のコスプレをした人がたくさんいる。コスプレの人は、みんな東京国際フォーラムを目指しているようだ。

 

「真実の鬼殺隊展」

そんなタイトルがついたイベントが催されており、俺は吸い込まれるように入っていった。展示の最初には、鬼舞辻事件について、という解説ポスターがあり、俺は本当に驚愕した。それによると――。

 

明治後期から大正時代初期、鬼舞辻無惨を首魁とする“鬼”を名乗るミュータントの集団が現れた。彼らは超常的な能力を持ち、東京駅周辺の地下に“無限城”なる拠点を設けて政府の転覆を企て、力によるこの国の支配を目論んだ。だが、この“鬼”集団の脅威をずっと以前から密かに監視し続けていた者たちがいた。それは、大富豪・産屋敷家の私設武力集団、政府非公認の組織“鬼殺隊”。“鬼”と“鬼殺隊”、この両者は歴史の闇の中で暗闘を繰り広げており、1915年(大正4年)1月、東京駅の駅前市街地にてついに全面衝突に至った。

これは日本近代史上初の大規模市街戦を伴うテロ事件であったが、戦闘自体が厳重に秘匿されていたこともあり、この騒乱への警察や陸軍の直接の関与は無かった。

概要は事件の後徐々に明らかになったが、一般人への人的被害が無く、篤志家としても知られた当主の産屋敷家が、私財を投げうって町の復興に尽力したことなどから重罰が課せられることは無かった。

これが鬼舞辻事件であり、この史実をもとに作られたのが、漫画、アニメで大人気の“大正剣戟譚 鬼滅大戦”である――。

 

鬼滅の話が史実になっている……。あの騒乱はそういう感じで処理された訳か。

 

 

展示は、柱や一般隊士の隊服や刀など武器や手紙、写真。

 

原作でも見た、生き残った隊員たちの集合写真が展示されている。

俺の世界で見た原作とは違って、柱は9人とも笑顔で写っており、不死川さんさえ玄弥君と肩を組んでうっすらと笑っている。錆兎や村田さん、緑川君や尾崎さんも確認できた。俺が知っている原作とは違う世界。と言うことは、ここは俺が捻じ曲げた世界の、その未来?

それにしてもすごい人数だ。

でも良かった。みんなは最終決戦の後も生きていた。

俺がいないのはちょっと寂しいが、良かった。

 

竈門家から借り受けたという炭治郎君の刀、耳飾り、手紙なども展示されていた。炭治郎君は筆まめな設定だったからな。原作でも何人も文通していたようだし。俺の中で、炭治郎君と一緒に戦った時のことが鮮明に思い出される。痣は消えたけど、その後大丈夫だったかな?原作通り、カナヲちゃんと幸せな家庭を築いたのだろうか。

 

さらに進むと、“柱”の展示だ。

「柱とは、鬼殺隊員の中で最高位の隊士の称号。抜きん出た実力を持ち、鬼殺隊を支えるまさに柱である。柱の漢字の画数にちなみ、定員は9名」

そうか、俺はホントに例外だもんな。誰も覚えてないだろうけど。

「しかし、最終決戦時にはもう一人、10人目の柱がいたと伝えられている。名前や性別さえも定かでなく、決戦後消息不明となったとされ、詳しいことは分かっていない」

あ、それ俺だ。ごめんなさい、実はこんな所でこっそり生きてます(笑)。

 

完全に忘れられたと思ってたのに。誰か覚えていてくれた人がいるんだろうか。

何だか面映ゆくて、ケツが痒くなる。本当はもう嬉しくて、感動で泣きたくなるのを誤魔化してるんだけれども。

 

ガラスにへばり付くように展示を見て、一人で笑ったり、涙ぐんだりしている俺を人々が避けて歩いて行く。

 

どこからかふと視線を感じたが、何だったのだろうか。気味悪がっているのではなく、どこか慈しむような、温もりを感じるような。

 

(まったく忌々しいな)

俺が感動に浸っていると急にそんな声が聞こえる。俺は周りを見るが声の主がはっきりしない。

(異常者どもではないか)

頭の中で声が響く。気持ち悪いな、耳塞いでも声が聞こえる!何だお前、どこだ、どこにいる?

(当たり前だろう。私を取り込んでおいて、何も覚えていないのか?お前が新たな鬼の王となるのだ。永遠の命を得たのだからな)

幻聴か……相当疲れてるみたいだ。まあ少し休もう。感動したらお腹減った。

(おい!無視するな!お前は私とともに、鬼の王に――)

俺は心の声を遮断した。

 

 

ふとガラスに映る自分の姿を見る。服装は現代風だが、年恰好は鬼滅の世界のままだ。あれは夢ではなかったのか。俺は何なのだ。

荷物を漁ると、IDは水原倫道、二十一歳。この水原倫道は、令和の世に最初からそうだったかのように当たり前に存在している。あの明治から大正にかけての俺は何だったのだろうか。名前や姿がそのままだが、良いのかこれで。もう役割を果たしたから元の時代に戻る、そんな簡単な話ではないようだ。

 

(聞いているのか?お前は私の意志を継いで、最強の鬼の王となるのだ)

おまけに。……思い出してしまった。無惨、お前を取り込んだのだったな。忘れてたよ。

 

最終決戦の直後、痣の者たちを治すために不完全な血鬼術を使い、その代償として俺の命は尽きた。そして、原作を捻じ曲げた代償として俺の存在は排除された――はずが、なぜかその未来の令和の世に現れた。

 

無惨。俺はただの人間だから、不老不死とか、異常な再生能力とか、そんな肉体的アドバンテージはもう一切ないからな。老いるし、死ぬし。ただここが鬼滅世界の未来であるならば、鍛えた体術などは使えるのかもしれないが、究極の生命体なんて大げさな物じゃない。そのかわりなんでも食えるし、お天道様の下を大手を振って歩けるわけだ。

 

(なんだと!それでは下らぬ人間と変わりないではないか!)

下らなくて悪かったな。

 

(倫道っ!貴様、騙したのかっ!)

よく騙されるなあ。だから何度も言うが、たくさん人を殺しておいて騙されたくらいで怒るなっつーの。でも何度も転生して無限に生きて行くなんて普通ではありえないぞ。

でも意外に何人もいたりしてな。

 

鬼の王はもう諦めろ。俺なんて、人の王にもなれないよ。運良く最高最善の魔王に転生できれば話は別だが。それにお前はもう何の力も無い、俺に付随するだけの存在だからな。ど根性ガエルのピョン吉みたいなもんだ。いずれすり潰して意識の表層に2度と出て来られないようにしてやる。憎まれ口を叩くのも今のうちだぞ。

俺がそう企んでいると、

(聞こえているぞ!簡単に潰されてたまるものか!私は諦めない!お前が鬼の王としてこの世界に君臨するまで――)

 

あーうるさい、こいつと一緒かぁ……。無惨を体の中に飼ってるなんて、もうただのヤバい人じゃないか。勢いで助けちゃったけど気が滅入るな。まさに気滅……気滅のヤバい、なんちゃって。

「真実の鬼殺隊展」を見終わって俺はため息をつきながら建物を出る。

大人気の展示だけに、外も人でごった返していた。

 

(そう簡単に私を消せると思っているのか?)

俺の中の無惨が呟く。

だからすり潰してやると言ってるだろうが。無駄な抵抗は止めろ。

それ以降沈黙する無惨、だったが。

……お前、何を言ってるんだ?さっきのはどういう意味だ、無惨。

 

 

 

 

1人の若い男が、すれ違う人々を避けもせず、ぶつかった人々を突き飛ばしながら歩いてくるのが目に入った。大学生風の、ごく普通の風体の若い男だった。倫道の目は何故か男に釘付けになった。

(何だあの人?)(おかしいんじゃないの?)

周りの人々がざわつき、眉をひそめた次の瞬間だった。

 

「くそお、てめえら!!ふざけやがって!……誰でもいいんだ、誰でもよぉ!」

男は大きなサバイバルナイフをリュックから取り出し、頭上に振りかざした。

 

誰でもいい、殺したかった。道連れにして死にたかった。――男はそんな戯言を吐き散らすつもりだろう。こういう輩の言いそうなことだが、嘘だ。

“自分より弱そうで、抵抗しない人”なら誰でもいい、の間違いだ。

人々は悲鳴を上げ逃げ惑う。周囲はパニック状態になった。

男は周囲を見回し、幼い子供に目を付けた。転んで逃げ遅れた子供に向かい、大股で歩み寄った男がナイフを振り下ろした。若い母親が子供を庇って覆い被さり、背中を切られた。白いセーターの背中に、血液の赤い染みがバッと見る間に広がった。

「ああっ!」

近くにいた人々からまた悲鳴が上がる。

子供を庇った母親が犠牲になり、子供も殺される。これから繰り広げられるであろう惨劇に、誰もが絶望し、目を覆った。男が母親に向かってナイフを振り上げた。

 

倫道は恐ろしさに顔から血の気が引き、足がすくんで動けなかった。だが。

――殺せ。

赤黒い殺戮衝動が不意に沸き起こり、それは一瞬のうちに心を支配した。

殺す。こいつを殺す。

理性の抑えが利かなくなっていた。

殺せ。憎いか、このクズが。ならば、殺せばいい。

倫道は大声を上げながら怒りのまま男に突進、男のすぐ目の前まで一息で距離を詰めた。こちらに背中を向け、母親にもう一度ナイフを振り下ろそうとしていた男が振り向く。倫道は走りながら急に体を屈め、男の視界から消える。男は倫道の姿を見失って、わずかな隙ができた。倫道はナイフを持った男の右腕を完全に押さえ込んで捕らえ、飛びついて両脚を男の体に絡めた。自分自身の体重を利用して地面に倒れこみながらその勢いで男を引き倒し、右肘を腕十字に極めた。

ミチミチと肘の靭帯が嫌な音を立て、男は堪らずナイフを落として暴れている。

ゴギンッ!

倫道は暴れる男の肘関節を容赦なく破壊し、ナイフを遠くに蹴り飛ばした。

「うぎゃあああああ!」

男は腕を押さえながらのたうち回る。自分は女性に切りつけて大けがを負わせておきながら、そんなことには全く関心も無いのだろう。

倫道は立ち上がり、頸椎を折って完全に息の根を止めようと背後から男の頸に腕を巻き付けた。

(だめだ)

どこからか聞こえたその声に、倫道は我に返り自身の姿に気づいた。純粋な殺意に支配され、凄まじく歪んだ表情の自分に。

(だめだ、それをしてはだめだ。目を覚まして)

さらに聞こえる、無惨ではない声。どこか聞き覚えのある、心を浄化するような涼やかな声だった。

(余計な事を……)

心の中の無惨が忌々し気に吐き捨てる。

 

(そうだ、止血!)

倫道は正気を取り戻して男から腕を離し、急いで切られた母親のところに向かう。意識はしっかりしており、背中の傷は大きいが幸い肋骨で止まっており、肺の損傷による気胸などは起こしておらず、その他臓器損傷も無い様子だった。ハンカチで出血点を圧迫しながら救急隊と警察の到着を待った。

(俺は何をしたんだ?完全に殺戮の衝動に支配されてた。ナイフを奪って身動きできなくするだけで良かったのに。肘関節を破壊しただけじゃない、完全に殺そうとしていた。これじゃあまるで鬼じゃないか。お前なのか、無惨?)

戸惑い、動揺する倫道。

(身勝手な理由で人を襲う。鬼ではない、これが人間だ。それでもお前はまだ“人を護る”などと幻想を語るつもりか?護るか、こんな屑を。そして先程の殺戮衝動も、もともとはお前自身のもの。私はその背中を押したに過ぎん。……私を消し去るだと?笑止千万だな)

無惨の言葉に倫道は答える術も無く、ただ愕然とした。

(これでは何も変わらない。こんな場面を何度も見たじゃないか。こんな光景を無くすために俺は頑張ったんじゃないのか)

救急隊が現着し、母親は搬送されて行ったが、搬送される母親の横では泣きじゃくる子供がいた。倫道はそれを苦り切った表情で見つめ、思い返していた。

 

この様子を少し離れた場所からじっと見つめる男女がいた。

(良かった、届いた)

男性は、倫道が正気に戻ったのを見てホッと胸をなで下ろしていた。

 

 

 

 

その後、当然ながら俺は近くの警察署に連れて行かれ、事情を聞かれた。

「水原倫道さん、二十一歳。城南大学の学生ね。何であんなことしたの?」

そんなことを言われながら話を聞かれていると、何か署内が急に騒がしくなった。警察の偉い人が入って来て、取り調べの警官と何やら話をしたと思ったら、

「もう帰っていい。だけど無茶しちゃだめだよ。相手は刃物持ってるんだから」

そう言われ、危険な事はしないよう改めて説諭を受けた後釈放(?)された。

取り調べ室を出ると、警察署の幹部らしき人に付き添われ若い男女が待っていた。二十代前半だろうか、大きな目が印象的な美しい女性と、同年齢くらいと思しき和装の男性。

「輝利哉様……!?」

思わずそう言って凝視してしまった。

耀哉様の奥様、あまね様の面影がある女性。男性は、あの時八歳だった輝利哉様が成長したらまさにこんな感じ、という落ち着いた美青年。だがお2人がこんな姿でいるはずはない。百歳をとうに超えているはずなのだから。

明らかに産屋敷家の子孫の方々だ、そう思っていると

「私は産屋敷晴輝(はるき)と申します。これは双子の妹のはるかです。輝利哉は私の高祖父に当たります。水原倫道さんとおっしゃるのですね。ご案内したい所がございます。この後少しお付き合いいただけますか?」

まさか、この展開は。もと居た世界で読んでいた二次創作の小説みたいに、現代に蘇った鬼を狩ってくれ、なんて頼まれたりするんだろうか?

 

俺は晴輝さんたちに連れられて車に乗った。

産屋敷家の方々に言われるまま付いて来てしまったが、肝心の要件を聞いていなかった。

「展示会のご様子をたまたま拝見していました。すごく真剣に、涙ぐんで見ていらして……。気になったものですから」

それだけ?……あらやだ、見られてましたか。そんなに不審者っぽくないと思うんだけど。展示見てる時に感じた視線は晴輝さんでしたか。でも見ただけで俺を関係者と見抜くなんて、やはり産屋敷家の人ハンパない。

それから、さっきの“声”はやはり晴輝さんの?

「そうです。思い止まってくれて良かった。なかなか厄介なものを抱えていらっしゃいますね」

にっこりとする晴輝さん。テレパシーまで使えるとは。それに、そこまで見えてるのか……。俺は苦笑いを返すしかなかった。

 

「実は、“気になった人がいたら、鬼殺隊士の墓所にお連れしなさい”と先祖から言い伝えられてるんですよ。これから鬼殺隊士の墓所にご案内したいんです。それと……」

さらに車の中で手紙を渡された。

「竈門炭治郎隊士から大正時代に先祖が預かった手紙の複製です。どなたに宛てたものかは分からないのですが……。心当たりがありませんか?」

炭治郎君は俺のこと忘れてるはずだ。心当たりと言われても。

俺は手紙を開いて読んでみた。

 

 

 

○○様 

どうしてもお名前が思い出せず、このような手紙となったこと、どうかお許しください。

最終決戦の後、俺は怪我の療養のため長期間蝶屋敷にお世話になっております。その間、何かが足りないのではないか、何か忘れてはいないか、そんなすっきりしない思いをずっと抱えておりました。

無惨との戦いで、俺が最前線にいられたのは何故か。一緒に戦ってくれた人がいたのではないか。ですが誰に聞いても、そんな人は居なかった、ここに居るみんなで戦ったのだと言われ、俺もそう思うようになりました。夢でも見ていたのだろうと、自分を納得させておりました。

しかしある日緑川さんが訪ねて来た時、同じように何かが足りないと思っていることを知り、驚きました。

そして、ある時ほんの少しだけ記憶が蘇ったのです。

自分の他にもう1人、黒い刀を使う人がいたこと。何度も一緒に死線をくぐり、何度も危ないところを助けていただいたこと。修羅のように戦いながら、倒した鬼に手を合わせ、涙ぐんでおられた姿。

ですがこのままでは、俺はいつか全てを忘れてしまう。まるで貴方がいなかったかのようになってしまう。だから、もうお顔も、お名前も思い出せませんが、これだけは忘れることの無いよう、せめてここに書き留めておくことにいたしました。

俺は貴方に憧れを抱いておりました。そして、いくらしてもしきれない程に感謝しております。

またいつかお会いできる日が来ることを、貴方がいつまでもお元気でいることを、心から願っております。

竈門炭治郎

 

 

そんなに思ってもらえるなんて照れちゃうよ。俺のことは誰も覚えていないと思っていたのに。拭っても拭っても目から鼻水が出てきて視界がぼやけるので、せっかくの手紙が途中から読みにくくて仕方なかった。

ありがとう、炭治郎君、緑川君……。

胸の中が暖かいもので満たされ、涙が自然に流れる。あの時代の俺の存在は跡形もなく消えた。だが、思い出のほんのひとかけらを大事にしてくれる人がいた。

「後で本物をお渡ししますね。随分時間がかかりましたが、やっと宛先に手紙が届いたみたいで良かったです」

晴輝さんもはるかさんもにっこりと笑いかけてくれた。

 

 

 

 

 

「着きました」

 

促されて車から降りると、倫道は立派な寺院の広大な墓所に案内された。ここは鬼殺隊士の墓だという。

「あの戦いの後、鬼はいなくなりましたから新たに入る人は少数でした。最後の柱である9人の皆さんだけは、お願いして分骨していただき、ここに分祀させていただいているんです」

晴輝がそう説明した。苑内は都心に近いとは思えない程静かで、鳥の鳴き声と時折吹く風に木立が揺れる音しか聞こえない。

 

他と仕切られた一角に、隊士たちの墓を見守るように並んで立つ9つの墓標。最後の柱たちの名前が刻まれた9つの墓石が、春の陽射しのなかに佇んでいる。倫道は、そこに記された一人ひとりの名前をゆっくりと確認した。

倫道の感覚では、数時間前まで一緒にいた人たち。一緒になって頑張り、大きな目標を達成し、握手して別れたばかり。

その人たちが既に故人となり、目の前にお墓があるという事実は、倫道にとっては受け入れ難かった。

分かっていた。ここは、あの時代から100年以上後の未来。当然のことだ。

もう会えない。

一緒に稽古して汗を流すことも、笑い合うことも。一緒に涙を流すことも、もうできない。その実感が胸に迫り、倫道の目から涙が零れた。

 

(何だあれ?)

倫道が、柱たちの墓の傍らに立つ碑に目をやった。

 

 

「十番目の柱ノ碑」。

石碑にはそう記されており、さらに記された一文に倫道は動けなくなった。

 

 

「うっ……ふっ……うぐっ……ううっ……」

静かに泣いていた倫道が目を見張り、グッと力を入れて口を結んだ。だが固く結んだ口からは、しゃくりあげ、震えるように短く連続した不規則な呼吸音が漏れ始め――やがて嗚咽に変わった。

倫道は押し寄せる感情の波に抗うように歯を食いしばって我慢するが、その顔はみるみる歪み、溢れて止まらない涙がそんな我慢などあっさりと押し流して行った。

 

 

 

鬼滅の世界での、熱く濃密な約10年。その間の様々な思いが込み上げた。柱だけではない、緑川や尾崎、村田たち。千寿郎や槇寿郎、そして原作の主人公たち。みんなとの、何物にも代え難い大切な思い出が蘇る。

そして、異物として排除されたにもかかわらず、倫道と強く絆を結んだ人々はその存在を忘れ去ることは無かった。

 

修正力に抗い、絆は解けること無くそこにあった。

 

“貴殿との絆の証としてこの碑を建立する”

 

石碑に記された文字を見て、倫道の涙腺は完全崩壊し、地面に膝を突いて号泣した。

 

 

 

ずっと堪えていた感情が、涙と共に堰を切ったように一気に溢れた。今は、もう我慢する必要も無かった。

(忘れられてなかった……!全てが……報われた……)

10年分の思いの丈を涙と鼻水として一緒に流しながら、倫道の号泣はしばらく止まらなかった。

ただその涙は、あの時代の胸を抉られるようなつらく切ないものではなく、優しく温かい感動の涙。同時に、みんなにもう会えないことへの哀しみの涙だった。

「貴方が……そうだったんですね。……お会いできて良かった」

そんな倫道に、晴輝も涙を滲ませながら優しく声をかけた。

 

 

 

 

最後の柱合会議。

「お館様、お尋ねしたいことがございます。あの戦いのことを話しておりますと、辻褄の合わぬことがたくさんあるのです。共に戦い、大きな働きをした者が――10番目の柱がいたのではないでしょうか。我々はみな、何故か一様にそのことを忘れているのでは、と……。何かお心当たりは無いでしょうか」

産屋敷輝利哉の解散宣言の後、悲鳴嶼が柱を代表して輝利哉に尋ねた。

 

「みなさんもそうでしたか。僕も、不思議に思っていたんです。10人目の柱のかたがいらっしゃったような気がしていました」

輝利哉も違和感を覚えていることを告げた。

「一つ提案がございます。隊士たちの墓所、いずれ我々も眠るであろうその傍らに、その者のいしぶみを建ててはいただけませんでしょうか?」

「分かりました。僕ももちろん賛成です。みなさんと一緒に、そのかたもお祀りすることにいたしましょう」

輝利哉も賛同した。

「無惨との戦いの後、手を握ったことをみな朧げながら憶えております。他の者も、あれは誰であったろうかと思っていたそうです。あるいは痣が消えたことと関係があるのかもしれません。しかし顔も名も分からないとは何とも奇妙……。我々の誰か一人ぐらいは憶えていても良さそうなものですが」

悲鳴嶼が不思議そうに言うと、他の柱たちもうなずく。

「彼は……彼女かもしれないが……私たちを助けるために、別の世界からやってきたのかもしれませんね。だから、役割を終えて帰ってしまったのかもしれない」

輝利哉は柱たちにそう言った後、その姿を探すように空を見上げた。

 

原作には無いそんな話し合いが最後にされていたことは、倫道は知る由もない。しかし、原作世界の修正力に抗い、炭治郎と柱たちも結んだ絆を忘れ去ってはいなかった。

 

(誰もが理不尽にその命を脅かされない世界を作る。敵の正体も、戦い方も分からないけど……いつか必ずそんな世界を作る。それが俺の新しい戦いだ。まずは心の内にある無惨、お前を完全に御すること、それが第一歩だ。それまで俺の鬼殺隊生活は終わらない。たった一人の鬼殺隊だ)

倫道は涙と鼻水を拭って立ち上がると、心の中で仲間たちにそう誓った。

 



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53話 運命の再会

カッコいいラストが思いつきませんでした……。


俺は柱たちの墓に詣でた後、駅近くまで車で送って頂いた。

「何か困ったことがあったら連絡してください。今度は輝利哉とも会ってやってくださいね。きっと喜びます。それと」

車を降りる時に晴輝さんはそう言ってくれた。俺もぜひ輝利哉様とお会いしたいです。また泣いてしまうかもしれませんが。それと……何でしょうか?

「いいえ、何でもありません。きっと良いことが起こりますよ」

晴輝さんは何か企むように含み笑いをした。ええ、何?すごく気になるんですけど。

あ、行っちゃった。

 

色々あり過ぎて小腹が減った俺は、駅にほど近いビルの1階にある和風の喫茶店に入った。ランチも終わった中途半端な時間なのでお店は混んではおらず、春の陽の光がいっぱいに差し込む、店の奥の方の明るい窓際席に案内された。

またみんなに会いたいな。幽霊でも良いから出てきてくれないかな……。

そんなことを考えながらメニューを見ていると、後ろから声をかけられた。

 

「飛びつき腕十字とは、あんたなかなかやるなぁ」

振り返ると、歳の頃は二十代後半か三十代だろうか?顔に幾つも傷のある銀髪の男が立っていた。驚きで固まっている俺に構わず、男は俺のテーブルの向かい席に座った。さっきの通り魔の男を撃退したところを見ていたらしい。

 

「見てたぜェ、さっきの。俺は非番の警察官で」

「不死川さん?!」

幽霊でも良いから会いたい、と思ってたらホントに出て来た!俺は驚きのあまりに、名乗ろうとする男に構わず口走ってしまった。

「……何で俺の名前を?」

名前を言い当てられた不死川さんも驚いて、ちょっと怪しんでいた。

転生?子孫?……原作の未来ではないから分からないが、もうそのまんまの風貌に、不覚にも、またじんわりと目から鼻水が出て来た。不死川さんが、急に涙ぐむ俺に戸惑っていた。

「お、おい、どうしたぁ?」

「すみません、ちょっと懐かしい友達を思い出してしまって。貴方にそっくりなんです。その人も不死川って名前で、警官……、みたいなことしてました。人を護るために、命懸けで戦って」

初対面の人にいきなり半泣きになり、俺は自分でも可笑しくなりながら言い訳をした。

 

「そうかぁ、そりゃあ奇特なヤツもいたもんだ。ところであんた、どっかで会ったっけ?俺も何だか以前に会ったような気がしてきたが」

「いえ、初対面ですね」

出会えたことが嬉しかった。原作通りの警察官、この時代でもみんなのことを護ってるんだ。涙を誤魔化しながら俺は答えた。

不死川さんの席に抹茶とおはぎが運ばれてくる。これ、ずんだ餡のおはぎだ!柱稽古の時に俺が作って持って行ったヤツ。

「あの、それお好きなんですか?」

俺は思わずおはぎを指しながら聞いてしまった。

「ああ、どう言う訳だか昔からずんだが好きでね。……ところであんた、何モンだァ?一般人とは思えねえなぁ」

「俺は普通の学生です。さっきのは、ちょっとネットの動画で見て」

俺が曖昧に笑ってまた誤魔化すと、

「そうじゃねェ。極まってから腕を折るのは普通躊躇するもんだが、あんたは一切の迷いが無かった。それを言ってる」

俺はまたも言葉に詰まる。

「結果的にあの女性を助けた。あんたも怪我してねぇから良いが、無茶はするな。相手がもう1本ナイフ持ってたらどうするつもりだぁ?……いやすまねえ、何となく初めて会った感じがしなくて余計な事を言っちまったが。やっぱりどっかで」

「初対面だと思いますが……はい、気を付けます。ありがとうございました」

俺がそう言うと、不死川さんのスマホが鳴った。何か緊急の呼び出しのようで、穏やかな雰囲気が変わる。

「緊急だ、もっと話したかったが。それと、あの殺気はまずいなぁ、本当に殺す気だったように見えたぜ。もうちょっと近くにいたら俺が止めに入るところだったが、思い止まってくれて何よりだぁ。んじゃあ気ィつけてな」

不死川さんはそう言って慌てておはぎを平らげて出て行った。俺はその背中を見送りながら心の中で呼びかける。また会えて本当に嬉しかった、と。

ずっと昔、俺たちは背中を預け合い、共に命懸けで戦った仲間だった。柱合会議の時は揉めたけど。……でもどんなに時が流れても、何度生まれ変わっても、俺は決して忘れない。

今日は本当に色々あったな。まさか不死川さんにまた会えるとは思わなかった。運命の再会、か。

 

ありがとう晴輝さん、ホントに良いこと有りました!

 

 

 

注文を取りに女の子がやって来る。俺が注文しようとすると、

「平伏せよ、人間」

お前、こんな時に出て来るな!

「へっ?」

店員の女の子は変な声を出して驚いている。

「すみません!ホットコーヒーと厚焼き玉子のサンド!」

俺は慌てて注文した。

焦った。いきなり出て来るなよ無惨、しかもこんなどうでも良いところで。油断してたわ完全に。お姉さん目が点になってただろうが。

もうお前は俺の一部でしかないんだから、俺の生存を危うくするな、社会的な意味で。

 

 

やっと落ち着いて、俺は椅子に深く腰掛け、窓越しに青空を見上げて大きく息をついた。

日比谷公園の方からだろうか、桜の花びらが吹き寄せられて風に舞う。鬼滅の原作でも、桜の花を見ながら主人公たちが語らう場面があったな、そんなことを思い出しながらしばし感傷に浸る。

 

 

 

俺が玉子サンドを食べ終わり外を眺めていると、店の前をちょっとキツそうなキレイなお姉さん、と言っても歳は同じくらいに見えるが、お姉さんが慌ただしく走って行った。革ジャンにジーンズ、足元はブーツ。美しく長い黒髪だった。きれいな髪だなあ、カラスの濡れ羽色と言うのだろうな。

と思っていると、一旦走り去ったがバタバタとまた戻って来た。せわしないな、ちょっと落ち着きなよ。

 

そのお姉さんは電柱を見上げて、じっと何かを見つめている。カラスでも見てんのか?ここは駅前の繁華街、カラスなんぞいくらでもいる。数羽のカラスがお姉さんを見下ろし鳴いていた。ウンウンとうなずくお姉さん。ふーん、カラスの言葉が分かるのか。

 

もしかして、この女性は。もしかすると、もしかするぞ。ひょっとして。

 

残念な子?

 

春はそういう人増えるからね。動物が私に向かってしゃべってる!みたいな。

あたしも勇気を出して話しかけてみようかしら。

カラスさんたち、こんにちは!今日は素敵な日ね!ご機嫌いかが?お花見の残飯でお昼ご飯かしら?

……アホくさ。

 

だけど見ていて飽きないな、何だか笑いがこみ上げる。

ふと、目が合った。

お姉さんは俺をじぃぃぃっと見た。

 

……?

 

お姉さんは俺のことをしばし凝視して確認すると、にぱっと笑いかけてバタバタと店の入口まで走って来た。

何?言い知れぬ不安が俺を襲う。

店に入って来るなりズンズンと真っすぐに俺の席の方へ歩いて来るお姉さん。

何、何なの?怖い怖い!

危ないヤツ来た!俺は視線を逸らし、逃げることもできない店の奥の席で恐怖に固まっていると、

「リンドー!……じゃなくて、リ、リンドーさん!こんな所で何してんだ……いえ、何をしていらっしゃるのでございますか!」

怖いお姉さんが怒鳴る。

 

えっ?

 

以前にもこんなことあった気がする。この無茶苦茶な日本語。

でもこんなガラの悪い知り合いはいないぞ。いや、1人だけいるけど、そもそも人間じゃないし。

でもお前か、マスカラスなのか。残念な子じゃなかったのか。

「お前、マスカラスか?」

「違う!あたい……ワタクシは月夜見(つきよみ)ダ!」

「それマスカラスの本名だろ?」

隆崇院月夜見命(リュウソウインツキヨミノミコト)って言わなかったっけ?お前もしかして元は人間だったの?それにしては言葉遣い変だけど。

 

やっぱりお前マスカラスじゃないか。何でお前だけ来られたんだ?人間の知り合いにはほとんど会ってないのに、カラスのお前が?それにしても、何という変わりよう。

ホントにビックリした。まさに青天の霹靂一閃。

「始めからそんなに可愛かったら、雑に扱わなかったのになぁ。鼻ほじった手で突っついたりしたもんな。大正の頃からその姿だったら良かったのに」

(でも来てくれて良かった。姿形なんか関係ない、お前にまた会えただけで嬉しいよ!)

ああ、いかん。驚きすぎて実際の声と心の声が逆になってしまった。やばい、人格疑われてしまう。

 

「リンドー!お前、ふざけんな!何であたいを置いて行くんだよ!それに適当に変な名前つけやがって!……食らえ、フライングクロスちょっぷ!!」

ヤンキー口調に戻り、本家のミル・マスカラス(メキシコの往年の名レスラー)ばりの空中殺法を繰り出すマスカラス。ってただ飛びついて乗っかるだけじゃないか。

今頃怒るなよ。カラスだからマスカラスって適当に名付けたのは確かに悪かったと反省してます。

人間のマスカラスが、スローモーションのように俺に向かって飛んで来る。長い黒髪がふわりとなびき、ソファー席に座っている俺の体の上にドスンと乗っかって来た。く、苦しい。

「寂しいだろうと思って来てやったぞ!また一緒に居てやるから、しけた面すんな!」

ぐええ、重いよマスカラス。しけた面してる訳じゃなくて。お前もうカラスじゃないんだから。

「お前はあたいがいないと何にもできねーだろ!」

ハイハイ、お世話になってました、確かに。だからっていつまで人の上に乗ってんだ、もういい加減降りろよマスカラス。重いし、もう恥ずかしくて死にそうだよ。

 

午後のお茶を愉しむマダムやリモートワークしてる風の人たちの、痴話げんかでもしてその仲直りかしら、という好奇の視線を浴びながら戸惑い半分、嬉しさ半分の俺。

 

「ソノ名前やめ……ま、まあ許してやル」

「ありがと、分かったから早くどいてくれ」

「後でつつくからな」

マスカラスはそう言いながらやっと俺から降りてくれた。

 

お店を後にすると、付いて来い、と歩き出すマスカラス。

近くの駐車場まで来ると、停めてあったバイクからヘルメットを取り、俺にも一個渡してくる。

SUZUKIのGSX‐1300隼(ハヤブサ)じゃないか。排気量1300ccオーバーのモンスターだぞ。こんなものすごいバイクお前に扱えるのか?それ以前にどうしたんだこれ。

「お館サマ!」

なるほど、そう言う訳か。全て合点がいった。晴輝さん、こいつの面倒を見てくださったのはお礼申し上げますが、俺の情報を売りましたね?それにしてもカラスが隼に乗るとは何の冗談だ。

 

「再会を祝シテ少し流ソーゼ!」

俺はマスカラスに促されるまま、タンデムシートに座り流しに付き合うことにした。

(おい、この私に挨拶がないな。頭を垂れて蹲え)

無惨、お前はこんな時に出てくんな!

 

自分の居た世界とは違う未来に帰って来て寂しかったが、みんなのお墓に誓った。

誰もが理不尽に命を脅かされない世界を作る。

それはきっと孤独な戦いなのだろうと思っていた。でも一人ぼっちではないんだな。

それにこの2人に会えたんだ、また他のみんなにも会えるだろう。そう思うと、何か楽しくなってきた。騒がしく、面白くなりそうな予感がしてきた。マスカラスと一緒に風を切りながら、退屈なんてしそうもない新しい人生が、また始まった。




読んでいただいた皆様、感謝申し上げます。お気に入りを付けてくださった皆様、とても感謝申し上げます。良い評価を付けてくださったかたには、さらに感謝申し上げます。そして感想をいただいた数名のみなさんには、感謝してもしきれません。本当に嬉しく、勇気づけられました。ありがとうございました!


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番外編 運命の再会その2

勢い余っての番外編。最終決戦前~令和の世で再会するまでのお話です。


俺は蝶屋敷の道場で、鍛錬の後の瞑想を終えた。

現在、最終決戦の少し前だ。

 

視線を感じて振り返ると、なぜかマスカラスがチョンチョンと近づいてきて、じっと見つめてくる。ちょっと首をかしげてつぶらな瞳で見つめられると、

(お、かわいいじゃないか)

と思ってしまうのだが、ここで騙されてはいけない。いつもなら、

「何見テンジャボケー!仕事シロー!」

と怒られるのだ。だが今日は怒鳴り声がしない。どこか悪いのだろうか?

「リンドー、少シ休メ」

珍しいことを言って、じっと見つめてくるのだ。た、大変だ、具合が悪いに違いない。何か悪い物でも食ったのか。俺は心配になり、

「熱でもあるのか、それとも何かおいしい餌でも欲しいのか?」

そう聞いた。すると、

「オマエ、大丈夫ナノカ?」

逆に聞き返された。

最終決戦まで時間が迫っている。研究、連携訓練、自己鍛錬と休む暇が無いが、もうひと頑張りなんだ。無惨は倒せると思うけどより確実にしておきたい。

 

「心配してくれてるのか、ありがとな。思えばお前にも随分と世話になったよな」

「オマエハアタイガイナイト、何ニモデキネーカラナ!」

はいはい、やっぱりそれは言うのね。苦笑して俺もマスカラスを見返す。

それに、マスカラスだけには言っておこうか。

俺にはおそらくタイムリミットがあること。

「マスカラス、聞いてくれ。最終決戦はおそらく俺たち鬼殺隊が勝つ。そうしたら俺の役割も終わるんだ。最終決戦の夜が明けて、東の空に輝く明けの明星が消える頃。俺も、多分……」

俺はあまり深刻にならないよう、冗談めかしてわざと悲劇のヒーローっぽい感じで言いかけた。元ネタはもちろんウルトラセブ〇、きっと若い子は知らないに違いない。

昔なのか未来なのか良く分からなくなってくるが、冷静に考えるとこの戦いのあと50年ちょっとでウルトラセブンがテレビで放送されるんだからすごいよね。

 

「カッコツケンジャネエ!」

マスカラスに怒鳴られた。そうだな、今から終わった後の事を言っても仕方ないか。その時はその時だな。

「とにかくもう少しだ。最後の戦いまで突っ走るぜ!」

俺はマスカラスの頭を突っついて、水浴びのため庭へ向かった。

 

 

 

 

あたいはリンドーの鎹ガラス、マスカラス。

リンドーがつけてくれた名前だ。良く分からないが、外国の言葉で”天空の覇者“という意味らしい。隆崇院月夜見命(リュウソウインツキヨミノミコト)という本名があるのだが、リンドーがそう呼ぶならそれでいい。

 

鬼と鬼殺隊の戦い、いよいよその最終局面が近づいているのが分かる。隊士のみんなの動きも慌ただしく、仲間のカラスも飛び回っている。あたいはリンドーに言われた通り、仲間のカラスと子分の式神と協力して、監視区域に現れる目玉みたいな形の鬼の手下を見つけ次第潰している。それにしても。

 

リンドーのヤツ、少しは休んでいるのだろうか。いつにもまして慌ただしく働いていて心配になる。親分のあたいが言ってやらないと分かんないようだ、全くしょうがないヤツだ。でもあんなに頑張っているし、言いづらいけど。

 

 

 

遂に決戦が始まった。お館様のお屋敷で大爆発が起きて、無惨もボロボロになった。そこに柱たちの一斉攻撃で決着!と思いきや、足下に黒い大穴が開いて無惨諸共みんな落ちていく。リンドーが言っていた異空間の扉、そしてそれは敵の本拠地である無限城へと繋がっている。

いよいよ敵の本拠地に乗り込んでの最終決戦。あたいもリンドーと共に突っ込んで行った。

「俺から離れるな!」

あたいが面倒見てやってるのに生意気な。でも珍しくリンドーが力強く叫んだので、ちょっとドキドキした。

無限城の一角に辿り着くとリンドーは式神を呼び集め、何やら唱えると子分どもがあたいの鎧になった。

この子分どもがあたいを護るって、こういうことだったのか。リンドーが前に言っていた意味が分かった。ものすごく頭が冴える。防御力も飛行性能も数倍になるそうだ。

あたいは上弦ノ肆の居所を掴み、仲間を呼び集めてそいつを支配するのを手伝うって役目だ。責任重大だがやってやる、なにせかわいい子分の頼みだからな。

絶対死ぬなよと言ってリンド―が頭を撫でるから、またちょっとだけドキドキした。だから、お前が死んだらあたいも死ぬって言いかけたけど、急に照れくさくなってお前が死んだら地獄にぶっ殺しに行くって言っちゃった……。とにかくお前も死ぬなよ、リンドー。

 

 

 

無惨との対決は地上へと場所を移して続いた。途中、無惨に胸を刺されたリンドーが死にかけ、復活したと思ったら巨大化した無惨に取り込まれ、あたいは何回も失神しかけた。でもその度にリンドーは何事も無かったようにへらっと笑って帰って来た。戦いが終わったら、どうせボロボロになってるだろうリンドーに、もう心配かけんじゃねーぞ、って説教して、いつも通り2人で帰るはずだった。

 

 

「最終決戦の夜が明け、東の空に輝く明けの明星が消えていく頃、俺も」

リンドーは決戦が始まる前に言っていた。

「カッコつけんじゃねえ!」

縁起でもない、あたいは思わず遮って怒鳴ったけど、いつもとぼけているリンドーが妙に真剣だったから、本当にお別れになるんじゃないかと何だか不安になった。

 

今、もう陽は昇って真冬の晴れ間が広がっている。明けの明星も消えて少し経った。

上弦3体に無惨、立て続けに戦ったリンドーは疲れ切って座り込んでるけど、無事に生きている。リンドー、良くやった。お前が一番頑張った!お前は本当に偉いぞ。

朝日に照らされて、満足そうな笑みを浮かべたその横顔に、あたいもちょっとだけキュンとした。後でたくさん褒めてやろう、そう思っていた。

 

そうだ、もう何も起こらない。何もないじゃないか。やっぱりあいつが死ぬわけないな!心配させるようなこと言いやがって、しょうがないヤツ。鬼は居なくなったんだから、もう命懸けの戦いはしなくてもいい。これからもあいつと一緒に生きていくんだ、そう思ったのに。

 

良く見ると、リンドーの顔は既に血の気を失っていた。あたいは心配になりすぐ傍に降りて見守ったけど何もできなくて、ただ歩き回るだけだった。リンドー、死ぬな。死んじゃやだよ!

「マスカラス……。また、な」

最後にそう言って、リンドーは死んだ。

あたいには絶対死ぬなって言ったくせに、何で。何で1人で死んでんだよ。何で置いて行くんだよ。死んだら地獄まで行ってぶっ殺すって言ったのに。

 

あたいは悲しくて思い切り羽ばたいて高く飛び上がると、リンドーとの事を思い出して泣きながらめちゃくちゃに飛んだ。

 

 

 

 

最終選別の後、たくさんの合格者の中からリンドーを選んでやった。あたいも子供だったけど、あいつを初めて見た時、何だか頼りなくて可愛いらしい子だと感じたから、子分にしてやろうと思ったんだ。

あたいはいつでも冷静だけど、リンドーは鼻ほじった手であたいをツンツンしやがったから、さすがに切れた。リンドーがボソッとやんきい?と言っていたが、きっと上品とかそう言う意味なのだろう。あいつは時々訳の分かんない舶来の言葉を使うんだ。

 

その後名前をつけてくれた。”天空の覇者”という意味だって言ってたから、悪くない、そう思って少し嬉しかった。

 

リンドーが隠に擬態してみんなの手当もやるって言うから情報も集めてやった。

あたいはいつでも冷静でどんな時も感情を出さないが、リンドーが式神というヘンなヤツらを連れてきて偵察させていたからちょっとだけ切れてしまった。それはあたいの仕事だからだ。

 

あいつは、リンドーはいつも頑張っていて、親分のあたいが言うのも何だが良くできた子だった。だから柱になった時はいつも冷静なあたいも興奮して、流血するまでつついてしまったが、笑って許してくれた。

いつも頑張っていて、自慢の子分だったけどどこか生き急いでるように見えた。

 

 

こんな形で居なくなる、こうなることを初めから知っていたみたいに。

 

 

 

悲しくてめちゃくちゃに飛び回っているうちに、空の色が変わって薄暗くなっていた。ここはこの世とあの世の境目らしい。

遠くに光が射しているのが見えた。近づいてみると神々しい光に照らされ、頭の上に光る輪がついて羽根の生えた子供たちがやって来て、リンドーを連れ去ろうとしていた。

あの子供たちはリンドーをあの世へ連れて行こうとしている、と瞬間的に悟った。あいつら許さん!あたいは再び力を振り絞り、羽根の生えた子供たちを攻撃して追い払い、リンドーを守った。

リンドーはどこか悲しそうだったが気のせいだろう。大丈夫、お前のことはこのあたいが最後まで守ってやるからな。

 

これでリンド―はあの世に行かないで済むかもしれない。上手くいけばこのまま何事も無かったように生き返れるかもしれない。本当に頑張ったんだから、報われて欲しい。きっと、仲間たちと楽しく生きられるはずだ。頑張って救ってきた、大好きな仲間たちと。

 

代わりにあたいが死ぬから、お前はあたいの分まで生きてくれ。

 

あたいは死に場所を探すためにふらふらと飛び続け、やがて力尽きた。

 

 

 

 

それからどのくらい時間が経ったのか、ふと目覚めると人間の姿になって、私は立派なお屋敷の前にたたずんでいた。それに、自分が昔人間だったことを思い出していた。

今は令和という年号で、大正時代のあの最終決戦から100年以上後の未来。私が何故この時代に来たのか分からなかったし、ただの偶然なのかと思っていた。自分が立っていたお屋敷は産屋敷家、この時代のお館様のお住まいだった。今の当主、晴輝様はお若いが優しく立派な人だった。産屋敷家はあの時代ではみな短命で若くして当主になられていたが、この時代でも何故かそれは受け継がれており、晴輝様は二十歳前に当主となられたらしい。鬼や鬼殺隊の無い今はこういう呼び方は変かもしれないが、昔の癖でついお館様と呼んでしまう。

お館様はあたい……私の事を分かってくれて、あの時代から転生したことも信じてくださった。じつは転生して人間になった鎹カラスも結構いるらしく、しばらくお館様のところで住み込みで働かせてもらいながらこの時代で生きていけるように色々と学んでいくことにした。

 

お館様のお父様にも、

「私マスカラスって言います!」

そう挨拶をしたら、ちょっと微妙な顔をなさっていた。お館様は特に反応してなかったので、意味はご存じなかったようだ。

 

ある日テレビを見ていたら、その意味が分かった。”ミル・マスカラス”というのが出て来たからだ。

”プロレス”という、格闘技の昔の模様だった。四角い闘技場のような所で男2人が戦っていて、覆面をした方はミル・マスカラスと呼ばれていた。メキシコという国の戦士で、跳躍して色々な技を出すのが得意らしい。

 

天空の……。

「フライングクロスチョップ!」

活動写真の弁士のようなヤツがいて大声で解説し、叫んでいる。

 

覇者……?

「ダイビングボディアタック!」

……。

……。

……。

リンドー、マジぶっ殺す。次会ったら憶えてろ。

 

 

 

その時は憶えてろ。絶対憶えてろよ。

頼むから憶えててくれよ。次に会った時にあたいのこと忘れてたら、本当にぶっ殺すからな。

 

……でも、憶えててくれたら。もし、もう一度会えるんなら。

嬉しくて、あたいはぶっ殺せないかもしれない。

 

お館様は、きっとまた会えるよ、私にそう言ってくださったのだが、リンドーの名前は鬼殺隊の記録にも残ってないし、10人目の柱のことも記録には残っていなかった。あんなに頑張ったのに、存在自体が否定されてるようで私は悲しかった。

本当はそんな人はいなかった?全部私の妄想?勘違い?

私は一体誰のカラスだったの?

ただ、鬼殺隊の墓所、最後の9人の柱のお墓の傍らに、10人目の柱の石碑があるってお館様がおっしゃってた。柱たちは、消えた10人目の柱を忘れないためにそれを建てたんだって。御先祖から言い伝えで、元鬼殺隊士、関係者やカラスで、転生しても記憶が無い人もいるから、もし気になる人に会ったら鬼殺隊の墓所にお連れしなさいと言われているのだそうだ。思い出すかもしれないから、興味がある人にはきっかけを差し上げているんだよ、とお館様はそうもおっしゃっていた。

 

いつかきっとまた会える、私はそれを信じて生きていくしかなかった。

 

 

 

私が転生してから大分経ち、桜も開花してすっかり春になったある日。東京では鬼殺隊の事を紹介する催しが開かれている。結構な大きさの展示場だけど盛況で、現代では大正時代のあの戦いが漫画やアニメになって大人気なのだ。この作者さんも、実はあの戦いを生き抜いた転生者なのでは、とカラス界隈では密かに話題になっていたりしたのだが。

 

「なんだか良いことがありそうだね」

お館様がそう言われてその会場へ外出され、その後連絡を下さった。詳しいことは何もおっしゃらずに、有楽町駅の近くに行ってみると良いよ、とのことだったので、早速バイクで出かけた。

駐車場に止めて駅前をうろうろしていると、目つきが鋭くて顔にたくさん傷のある白い髪のでかい人が通った。あれは、風柱さんでは?リンドーとは仲が良かったはずだ。あの人も転生してるか、それとも子孫なのか分からなかったが、もう期待が膨れ上がってドキドキしてきた。

そういえば、リンドーは甘いものが好きだった。風柱と稽古するときもおはぎを持って行ってたっけ。私はその辺の喫茶店を見てあいつを探したがなかなか見つからない。電柱に止まっているカラスたちに聞いてみると、それらしい人が近くの喫茶店に入って行ったと教えてくれた。ほら、そこだよ、と後ろの店をクチバシで指した。さっき通り過ぎたところだけど、もう一度良く見てみよう。

振り返って良く見ると……いたっ!リンドーだ!

 

目が合った。私はリンドーを穴が開くほど見つめたが、あいつは怪訝な顔で私を見て、すぐに目を逸らした。そうか、私が誰だか分かってないな。

驚かせてやろう、私は……あたいは店の入り口にダッシュした。

まず何て言ってやろう、このあたいを置き去りにしやがって。変な名前付けやがって。思わずニヤけてしまうが、ハッと気づく。

もし憶えていなかったら。大正時代、一緒に居たのを全く憶えていなかったら。でも、もしそうだったら、強引にでも連れ出して鬼殺隊の墓所に連れて行って思い出させてやればいい。

入り口を突破し、奥の席に近づく。照れくさいのか、リンドーはあたいから目を逸らして緊張した様子でコーヒーカップを持ったまま固まっている。

ふふふ、お前もこれから起こることをドキドキしながら待っているようだな。照れなくていいぞ、あたいも会えて嬉しいよ。

「リンドー!……じゃなくて、リ、リンドーさん!こんな所で何してんだ……いえ、何をしていらっしゃるのでございますか!」

思わず怒鳴ってしまった。憶えているのか不安だけど、また会えて嬉しくて、言葉遣いがおかしくなっちゃう。リンドーが、はっと顔を上げてこっちを見た。

 

「お前、マスカラスか?」

 

憶えてた!あたいは泣きそうになるが、同時に怒りも込み上げてくる。

「リンドー!お前、ふざんけんな!何であたいを置いて行くんだよ!それに適当に変な名前つけやがって!……食らえ、フライングクロスちょっぷ!!」

あたいは本家のマスカラスの空中殺法を真似て、座っているリンドーに飛び込んで抱き付いた。こんなに密着したのは、雪山の任務の後、寒がっていたら手拭いにくるんで隊服の懐へ入れてくれた時以来だ。

また会えた。憶えていてくれた。あたいはやっぱり嬉しいのが勝って、

「お前はあたいがいないと何にもできねーだろ!」

とあの時代からのいつものセリフを言ってやった。

「マスカラス、分かったから早くどいてくれ」

その名前は……まあ仕方ないから許してやる。

 

リンドーに後で聞いたら、もと居た世界のテレビでカラスのキャラクターがいて、そのキャラクターが「目標はマスカラス!」と言ってたのを思い出して、”キョエちゃん”か”マスカラス”か迷ったけどマスカラスにした、とのことだった。

適当過ぎる……。やっぱりぶっ殺しとけばよかった。

 

リンドーを引っ張って喫茶店から連れ出し、自慢のバイクを見せる。

黒に赤い線が入った車体は、無限城で式神たちが鎧になった時の感じに似てるだろ?

「この私に挨拶がないな。頭を垂れて蹲え」

何だよリンドー、今やってる”鬼滅大戦”の無惨みたいなこと言って。

「いや、本物なんだ……」

はっ?これ、もしかして……?

「ああ、あの時代から無惨持って来ちゃったんだ……。俺の中にいるんだよね。無惨の過去見せられて、なんだか可哀そうになってさ」

何をやってんだよお前はあああ!お人好しにもほどがあるだろ!まったくしょうがねえヤツだな。

まあこれからはお前と一緒にいてやるって決めたからな。もし無惨が暴れそうになったらあたいも止めてやるよ。本当にお前はあたいがいないと何にもできねーな。

 

 

これから2人でどこへ行こうか考えながらエンジンをかける。

でも焦ることはない、おまけもいるけどきっとこれからもずっと一緒だ。何か目標があるって言ってたし、それを支えてやるのも良いか。

 

「しけた面すんな!あたいがいてやるよ!しっかり掴まってろよ!」

後ろにそう声をかけて、走り出した。

もう勝手に1人で離れるなよ、あたいは心の中でリンドーにそう呼びかけた。




カラス視点の番外編です。裏切りのアグレッサーさんよりリクエスト頂き、着想を得まして(そのままの形にはなりませんでしたが)書いてみました。


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コラボ番外編 野良着の世界にほのぼのを
第一話 野良着の隊士の世界へ


 この番外編は、いとめさん作【野良着の隊士・改編】と【ほのぼの鬼殺隊生活】のコラボ作品です。
【ほのぼの鬼殺隊生活】の主人公水原倫道が、鬼滅の原作世界ではなく【野良着の隊士】の世界に転生していたら、というIFの物語。水原倫道、(許可を得て)野良着の世界に乱入。

【野良着の隊士】×【ほのぼの鬼殺隊生活】=コラボ作品・『野良着の世界にほのぼのを』


【野良着の隊士・改編】について
主人公は蓬萊斗和(ほうらいとわ)。

 1904年、明治三十七年。

 東北地方のある村で、八人の家族が住む家が何者かに襲われた。大量の血痕が残されていたが、住人の姿は無かった。
 十二歳の少女、蓬萊斗和(ほうらいとわ)は近所に住む農家の娘だった。夜明けと共に起き出して働いていた彼女は、偶然この凄惨な光景を目にし、家中に充満するむせ返るような血の臭いにめまいを覚えたが、同時にある疑念を抱いた。それを確かめるべく以前訪ねた隣町まで走り、ある家の前まで来ると思い切って中に声をかけた。表向きはごく普通の商家だが、藤の花の家紋が入ったその暖簾には見覚えがあった。

「あら?お嬢さんは鬼殺隊のかたではないようね。どうしました?」
中から女が出て来て、隊服を着ていない斗和を見て訝しんだ。

 きさつたい。女は確かにそう言った。そしてここは、ふじのはなのかもんのいえ、だ。
記憶はさらに蘇り、疑念は確信に変わる。

 あの血だらけの家。あれは熊の仕業じゃない、鬼だ。
鬼殺隊、藤の花の家紋の家。間違いない。
――頭の中に蘇るのは、自分が令和の世で生きており、鬼滅の刃を読んでいた記憶だ。そして、自分は鬼滅の刃の世界に転生したのだと気付く。
 隣家を襲った鬼はおそらく退治されていない。そもそも人喰い鬼がいるこの世界では、安全な場所などどこにもないのだ。これから起こることを知りながら、何もせずにのうのうと暮らすなんてできない。
登場人物たちを、特に煉獄杏寿郎を死なせたくない。原作漫画を読んでいて特に強く印象に残ったのが、煉獄杏寿郎の勇姿だった。

 ならば、為すべきことは一つ。

 鬼殺の剣士となって戦うため、斗和は生まれ育った家を後にして、遥か東京へと歩き始めた。

 斗和は当代最強の剣士である岩柱・悲鳴嶼の使う”岩の呼吸”を習得すべく励むが、女性であるが故に絶対的な筋力が足りず、どうしても習得できず悩んでいた。しかし畑仕事での土を耕す動きからヒントを得、”土の呼吸”を派生させ、最終選別を通過する。
 斗和は土の呼吸を拾ノ型まで作り上げ、鍬(クワ)に似せた重く大きな特殊日輪刀を使うことでその威力と精度を高め、剣士として鬼と戦う。

 人を救いたいが、自分が介入して物語を変えるのは良いことなのだろうか?

 誰かを救った反動で、思いもよらない悪影響が出るのではないか?

 そんな恐れを抱きながらも強くなり、鬼との戦いを繰り広げていく。そして、煉獄杏寿郎に憧れを抱きながらも不死川実弥と恋に落ちていく。互いに思いを寄せる不死川と斗和だったが、斗和は心臓に病を抱えていた。激しさを増す戦いの中、次第に病は進行し、症状は増悪(ぞうあく)する。根本的治療のないこの時代、体に負担をかけずに過ごすことが一番の治療法であったが、彼女は最後まで戦い続けることを選択し、そして……。


”ほのぼの鬼殺隊生活”の主人公・水原倫道は、前世で”野良着の隊士”を読んで、その切なすぎる展開に胸を痛め、主人公の蓬萊斗和を救いたい、そう思っていた。
 そんな甘く切ない二次創作の物語の世界に、全てを知っている水原倫道が転生していたら、というもしものお話。
 主人公の斗和と登場人物たちがほのぼのと平和に生きていけるように。悲しい結末を回避するために。
 水原倫道はこの世界で頑張る。


 時は1906年、明治三十九年。

 

「雲取山周辺に鬼の出現情報あり。速やかに討伐せよ」

指令を受けたのは一風変わった鬼狩りの少女。

 少女が使う技は、岩の呼吸から派生させた”土の呼吸”。詰め襟の一般隊服ではなく、野良着のような隊服に、頭には手拭いでほっかむりという出で立ちだった。少女は鍬(クワ)に似た重く大きな特殊日輪刀を背負い、雲取山を目指して飛ぶように走っていた。

 

 

 

 

 

 森の木立が途切れ、空が見える開けた場所。一面に咲く花の中に、ひと際目立つ色合いが不意に出現した。十四歳の少年・水原倫道は、その神秘的な美しさに息を呑み、ただ見つめていた。

 

 目覚めの日。倫道にとって、それは忘れられない日になった。

 

 

 

 強い陽射しは夏の名残を留めるが、時折吹く風は涼しく、秋の訪れを示していた。

十四歳の少年・水原倫道は、その日朝早くから家の近所にある雲取山に入っていた。山の中のひんやりした空気を心地良く感じながら、小川や木の根を飛び越え、夢中になって草花や生き物などを見ているうちに、いつになく山の奥の方まで入ってしまった。今までに何度も来ている山だったので迷うはずがなかったのだが、その日に限ってなぜか道に迷った。そして随分と歩いて疲れを覚えた頃、周囲に花が咲いていることに気付いた。進むにつれて花は密になり、木漏れ日に照らされて咲き乱れる花は美しかった。倫道はこんなにたくさんの彼岸花を今まで見たことが無かった。

 

(花を象徴する言葉があるって聞いたことあるな。花言葉って言ったっけ?彼岸花の花言葉って何だろう?)

 

 明治初期に日本に入って来たとされる花言葉だが、彼岸花の花言葉の一つが“転生“であることを、もちろん倫道は知らない。

 

 鮮やかに咲き誇る赤い花を見て、倫道がそんなことを思い出しながら歩いていると、やがて来たことがない場所に辿り着いた。

 

 まばらになっていた木立が途切れ、開けた空から眩しい陽射しが降り注ぐ。その光景を見ていると、さらに驚くべきことが起こった。あふれる光の中、一面の赤い絨毯の中に青い炎がポツポツと現れ、ゆっくりと燃え広がっていった。

 赤い彼岸花の中に青い花が咲き出したのだ。それは青い彼岸花の群生だった。

 

 倫道は、その神秘的な美しさに息を呑み、ただ見つめていた。

 

 ここは青い彼岸花の存在する世界。

 

(青い彼岸花……?こんな花は今まで見たこと無いぞ)

その美しさに見入っていたが、花はわずかな時間ですぐに閉じてしまった。空の端っこに一条の煙が見え、顔見知りの炭焼きの家族の家がここからそう遠くないことを示していた。

 倫道は他の場所にも青い彼岸花がないか探したが見つけることはできず、夢中で探し歩いて気付くと、森はまた深くなっていた。

 

 最近周囲でも物騒な噂を聞くようになり、暗くなる前に家に帰りなさいときつく言いつけられていた。町はまだ夕焼けで十分明るい時刻だが、山の中の日暮れは早い。うっそうと茂る木々の間から差し込む陽の光は心細くなり、辺りは急に薄暗く、闇が迫っていた。

 

 

 

 

 

 雲取山に現着した鬼狩りの少女は脚を緩め、鬼の気配を探りながら周辺を歩く。やがてわずかな気配を察知すると、背中の武器に巻いてあった鞘代わりの麻袋を外した。刃が薄闇に鈍く光り、少女はその変わった形の武器を構えながら再び脚を速めた。

 

 ここは青い彼岸花の存在する世界。そして、人を喰らう鬼がいて、それを狩る者たちがいる。そんな世界に生きていることを、倫道はまだ知らなかった。

 

 倫道が慌てて森を出ようとしていた時、”鬼”と遭遇した。

「うまそうなガキだなぁ……」

明らかに人間でないモノが、倫道を見てそう言った。不気味に笑った口元から覗く牙と、長く鋭い爪がはっきりと見えた。倫道は逃げようとして転び、悲鳴を上げて地面に這いつくばったまま頭を抱えた。

 

 土の呼吸 壱ノ型・土龍爪(どりゅうそう)!

 

 凛とした、少女の声が響いた。

 

 何者かが倫道の傍を風のように走り抜け、ギャッという断末魔の悲鳴と、バキリと骨を砕くような音が同時に響いた。

 

 数秒の後、ドサッと何かが地面に倒れる音がした。倫道は恐る恐る顔を上げて周囲を見渡すと、頸から上を吹き飛ばされ消えていく化け物と、こちらに背中を向けて立つ、野良着姿の華奢な人影があった。頭に手拭いでほっかむりをして、手には鍬(クワ)のような物が握られていた。

 

(女の人……近所の農家さん?さっきの声は、この人?)

近所の農家さんが、悲鳴を聞きつけて助けてくれたのか?そう思ったが、その人が持っているのは、普通の鍬より刃の部分が一回りも大きく、刃先は鋭利で茶色く染まっている。そして、相手は人間ではない、化け物。聞こえた音は一回。ただの一撃で化け物の頭を飛ばして絶命させる一般人など、そうそういるはずがなかった。

 

(この人が助けてくれた?)

命を救われた倫道は、この場にそぐわない人物の背中を見つめた。

 

「大丈夫ですか?」

視線を感じたのか、野良着の人は頭のほっかむりを取り、振り返って倫道に声をかけた。

 

(えっ?)

倫道は、思わずその人を凝視してしまった。その人は、自分と同じ位の年齢の可憐な少女だった。ただ、あどけないその顔には、顔の真ん中、鼻から左の眼の下を通り、左耳の近くにまで走る大きな横一文字の傷があった。

 倫道は数秒間少女の顔を見つめてしまったが、とても失礼な事をしていると気付いて慌てて視線を逸らし、丁寧に礼を言った。

 

「怪我は無いですよね?間に合って良かったです。……この辺はまだ危ないから、山を出るまで私の後を付いて来てください」

少女はそう言ってもう一度ほっかむりをすると、倫道にくるりと背を向けて走り出した。

 

「えっ?は、はい!」

倫道も慌ててその背中を追いかけて走り出した。よく通る登山道の方向は何となく分かったが、まだあんな化け物がいるのでは、という恐怖もあり、少女のお団子に結った髪を見ながら必死にその背中を追った。少女は山の中をまるで平地のように大変なスピードで走り、時々振り返りながら倫道を先導してくれた。途中、ほっかむりをしていた少女の手拭いがはらりと解け、倫道は走りながらそれをキャッチした。少女は気付かずに走り続け、倫道はまた必死に後を追った。

 

 山の入り口付近はまだ少し明るく、たくさんの赤い彼岸花が夕日に照らされて咲いていた。もうすぐ登山道の入り口というところで少女は振り返り、

「ここまで来れば安心ですね。気を付けて帰ってください。それじゃ」

そう言ってお辞儀をし、立ち去ろうとした。

 

「あ、あの!……これ」

倫道は少女が落とした手拭いをおずおずと差し出した。

 

「ありがとうございます……」

少女は手拭いを受け取ってまたぺこりと頭を下げた。

 

「こちらこそ、助けてくれて本当にありがとうございます」

倫道はもう一度お礼を言って、夕日に照らされた少女の姿をはっきりと見た。あどけないが目鼻立ちの整った顔、痛々しい大きな傷。倫道が真っすぐ見つめると、数秒間視線を合わせた後、少女は恥ずかしそうに目を伏せた。長い睫毛によって瞳が憂いの色を帯び、気まずくなって倫道も視線を足元に落とした。

 

「鬼狩り様……ですか?」

何でもいいからもう少しだけ話していたくて、倫道は勇気を出して顔を上げ、そう聞いた。

 

 少女も顔を上げ、恥ずかしそうに頷いてまたお辞儀をし、手拭いで顔を隠しながら今度こそ走り去ってしまった。

 

「あの子が鬼狩り……」

助けてくれた少女は去った。倫道は、今しがたの鮮烈すぎる出来事が現実なのか幻なのか分からなくなった。痕跡は何一つ残ってはいない。だが、自分の口から出た言葉が不思議だった。

 

 鬼狩り、とは?

 

 鬼を狩る者。言葉の意味は分かる。鬼という架空の化け物、それを狩る者のことだろう。だが今まで生きてきて、そんな言葉を耳にしたことがあっただろうか?自分の口から出たその言葉が不思議に思えたが、どこかで確かに聞いた気がしていた。

 

 

 唐突に、前世の記憶の奔流が巻き起こり、全てを思い出した。

 

 

 令和の世に生きる五十歳の中年男だった倫道。令和三年春のある晩、仕事で疲れ切って帰宅し、倒れるように眠りに落ち――それきり記憶は途絶え、明治時代で少年として生きていた。

 

 青い彼岸花の存在する世界。人を喰らう鬼がいて、それを狩る者たちがいるこの世界。自分はこの世界を知っている。今まで生きていたはずの世界で読んでいた”鬼滅の刃”という大好きな漫画の世界。

 

(転生、というやつだろうか)

倫道は悩んだ。

 

 物語とは無関係に平穏に過ごすか。それとも原作に関わり、命を危険に晒しながら鬼を倒し、人を護るか。

 原作漫画を読んでいる時も思っていた。少しでも登場人物を救いたい。人々が理不尽にその命を脅かされることなく、ほのぼのと平和に生きて行けるようにしたい。自分がその世界にいるのなら、頑張ることで救える命があるのではないか。しかし、それは同時に自分の命を懸けることでもある。

 

 数日後。

 

 意志を固めた倫道は、父の前に正座して願い出た。

 

「父上、お願いがあります。鬼殺の剣士になるため、家を出てある方に弟子入りして、剣の修行をすることをお許しください!」

思い切ってそう言って、頭を下げた。前世を思い出したことは告げず、鬼に襲われたところを助けられたので、自分も人のために鬼を狩りたいからと説明した。

 

 

「鬼殺の剣士になるということは、常に死と隣り合わせになる。その覚悟はあるのか?」

 倫道の父は考え込み、そして言った。

 

「……はい」

「倫道、私からも話しておくことがある。お前の父と母は、お前が物心つく前に鬼に殺された。縁あってお前を引き取り育ててきたが、鬼の事からは意識的に遠ざけてきた。お前まで殺されないようにと願ってのことだ」

 

この子もいつか、鬼と戦うことになるのではないか。戦いに赴くこの子を送り出す日が来るのではないか。心配はしていたが、余りにも早くその日は来てしまった。

だがこれも運命なのかもしれない。倫道の父はそう考え、ため息をついた。

 

「話は分かったが、誰に弟子入りするんだ?」

「狭霧山に住む、鱗滝左近次という人です」

「鱗滝、そうか。……しっかり修行して、そして……。必ず生きて戻って来なさい」

自分の為すべきことを為す。決意を宿した倫道の目を見て、父はそう言う他なかった。

 

 倫道は両親にしばしの別れを告げ、鱗滝左近次に弟子入りするため、狭霧山に旅立った。

 

 登場人物が死なないように。人々が理不尽にその命を脅かされることなく、ほのぼのと平和に生きて行けるように。この世界で精一杯頑張ろうと、その一歩を踏み出した。

 

 

 

 だが倫道は、ここが”鬼滅の刃”の世界ではないことにまだ気付いていなかった。それに気付くのは、もう少し後のお話。

 




続きます。この後、原作キャラや野良着の隊士に登場するキャラ等と絡み、だんだんと原作の時間軸へ入ります。
pixivにも投稿しています。


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第二話 鬼狩りの道へ

 鱗滝左近次。

 鬼殺隊元水柱にして、現在は水の呼吸の育手として剣士の育成に当たっている。その鱗滝のもとを一人の少年が訪ねてきた。これは異例のことであった。ここへ来るのは、通常鱗滝自らが助けるか、隊士の誰かの紹介だ。だがこの少年はどちらでもなかった。

 誰の紹介も無く突然やって来た十四歳の少年に、鱗滝は最初入門を許さなかった。前の年も、錆兎と義勇という二人の少年を最終選別に送り出した。だが合格した、つまり生きて帰って来たのは義勇一人だった。育てた子供たちが帰って来ない事が辛く、弟子を取るのを止めようと考えていた時でもあった。しかし倫道は諦めなかった。試しに課された山下りも時間ギリギリで何とか突破し、鱗滝は仕方なく水原倫道を弟子にすることにした。

 

 倫道は意欲的に学び、日課の修練の後も復習をこなした。その上、アクション映画や特撮、その他漫画、もちろん鬼滅原作などフィクションから、パルクールや体操競技、格闘技などの現実の動画も、覚えている限りの動きや技を参考に自己鍛錬を行った。

 

(ここは漫画の世界。現実世界でなし得ないことも必ずできる!訳の分からん訓練でも何故か強くなれる!常識では考えられない訓練法でも、リターンは大きいはずだ!)

 そうして身長も伸びて体も見る間に逞しくなり、鱗滝の罠の数々を髪の毛や衣服にわざと掠らせて紙一重で避ける、神業的ディフェンス力も身に付けていった。

 

 修行は順調に進み、あの課題がやって来た。

 

「もうお前に教える事は無い。この岩を斬れたら、最終選別に行くのを許可する」

倫道は鱗滝に大岩の前に連れて行かれ、こう言われた。

 

(ついに来たか。しかし、斬れる気がしない……)

何度か岩に斬りつけてみたが、岩は刀を弾くだけだった。

 

(発勁で内部に力を伝えて岩を割って、それで誤魔化したらだめかな?でもこんなに大きな岩じゃ無理か)

倫道が考え込んでいると、周囲にはいつの間にか霧が立ち込めていた。

 

「何を難しい顔をしている?男なら考え込んでいないで挑め。斬って見せろ」

倫道の頭の上から突然声が響く。気配も無く、狐の面を被った少年が大岩の上に立ち、木刀を担いで倫道を見下ろしていた。

 

(錆兎!ああ、救えなかったんだ。俺は、遅かったんだな)

倫道はその姿を見て唇を噛む。

 

「立ち止まるな、進め!男に生まれたのならば、前に進む以外の道など無い!」

錆兎は軽やかに大岩から飛び降りざま、飛鳥のような速さで打ち掛かって来た。

 

 今ここに居る錆兎は、この世の者ではない。死んでいった子供たちの無念の思いが結集して実体化し、倫道を選別合格へ導こうと手解きをしているのだ。倫道は原作を読んで分かってはいた。しかし木刀の一撃一撃は重く、打ち合って伝わるその衝撃は現実としか思えなかった。

 錆兎との立ち合いで、倫道は全力を出しているつもりだった。しかし、もう一歩も動けないと思ってからでも実はまだまだやれることが良く分かった。人間の脳は、自分の体を守るために勝手に限界を設定してしまうのだ。だが意識してそのリミッターを解除しなければ本当の意味で訓練にはならない。倫道は、自分自身が無意識に設定した限界を破れずにいることを再確認させられた。

 

 不利な状況からさらに強い力を発揮して逆転する。そんなことは現実世界ではほとんど不可能だ。勝てる相手ならばそもそもピンチにはならない。またはピンチにならないうちに持てる力を出した方が助かる確率が高いだろう。

 全く力が残っていないはずの状態からでも逆転できると信じること。必ず勝つ、生き残る。信じる心の強さが、不可能を可能にする。――それがヒーローなのだ。

 

 錆兎に挑み続けること一週間。

 

 倫道は、自分自身の心が作り出した偽の限界点を突破し、現実世界の常識に囚われた心の殻を破り、この世界で初めて全力で戦った。

 

 そして、錆兎を倒し――大岩を斬っていた。

 

「お前を行かせるつもりは無かった。だがお前は本当に頑張った。良くやった。……お前はすごい子だ。最終選別に行くのを許可する」

鱗滝は、倫道を厳しく鍛え、優しく見守った。その師匠に頭を撫でられ、認められた嬉しさに涙しながら倫道は修行を終えた。

 約一年間の修練の総仕上げが終わり、十五歳になった倫道は最終選別へ行くことを許可された。

 

 最終選別でやるべきこと。合格は当然として、手鬼の処理があった。

 

(手鬼は俺がここで必ず倒す。これ以上無駄な犠牲は出さない!)

倫道は決意し、藤襲山に向かった。

 

 一年中藤の花が乱れ咲く藤襲山のその中腹に、鬼殺隊士を志す少年少女およそ二十名がいた。この山で七日間生き残ること、それが合格の条件。こうして鬼殺の剣士になるための第一歩、最終選別がスタートした。

 他の受験者を助けながら手鬼を探し、最終日の夜。倫道はついに手鬼と遭遇した。手鬼はいやらしく煽って来るが、倫道は手鬼をすんなり倒し、殺された者たちの無念を晴らした。

 

 七日間を生き抜いて藤の広場に戻るとそのほとんどが生存しており、倫道はホッとした。そして、選別を生き抜いた者たちに説明がなされていく。鬼殺隊剣士の階級、隊服の支給、そして鎹ガラス。上空が鳴き声でやかましくなり、たくさんのカラスが現れた。カラスたちは隊士一人ひとりの元へやって来た。倫道のところにも一羽のカラスがやって来て、倫道が左腕を出してやるとカラスはそこに止まった。

 

(おお、これが鎹カラス……これ本当に喋るのかな?)

興味津々の倫道は、カラスをツンツンしてみたが特に反応は無く、喋り出す様子もない。

 

「……」

そっぽを向いているカラスを倫道はさらにツンツンする。

(無視か。ならば)

明治のおでんツンツン男、ならぬカラスツンツン男。

 

「……ッ」

うるさそうにじろりと睨むカラス。面白くなって更にツンツンしていると、とうとうカラスがぶち切れた。

 

「カアーッ!ウゼエッ!話シ聞ケ、クソガキ!面倒見テヤラネェゾ!」

(本当に喋った!だけどガラ悪いなー。まるでチンチラ、じゃなくてチンピラみたい。カラスってチェンジできないのかな?)

などと考えていた倫道であったが、

 

「アホーッ!」

鎹カラスは怒って飛び去ってしまったが、そのうち帰って来るだろうと倫道は呑気に構えていた。

 

 その後玉鋼を選び、隊服の採寸を恙なく終えた倫道は師の鱗滝に合格を報告すべく、狭霧山へと帰って行った。

 

 最終選別から三週間以上が経過した。

 

(おかしいな、原作では十五日くらいじゃなかったか?刀鍛冶さんいつ来るのかな?)

倫道は、ここ狭霧山で依然待機中だったが、日輪刀がなかなか届かない。倫道は不思議に思ったがさらに待ち、選別から一ヶ月近く経ってようやく待ち人が来た。深編笠にたくさんの風鈴をぶら下げた何とも奇妙な風体の男が狭霧山の倫道を訪ねて来た。

 

「俺は刀鍛冶の鋼鐵塚だ。水原倫道の刀を打ち、持参した」

原作に登場する鋼鐵塚が、低く落ち着いた声で名乗った。道中何かあったのか、疲れた様子が見えた。

 

「鋼鐵塚さん、お待ちしておりました。さあ、中へどうぞ」

原作キャラの登場に嬉しくなった倫道だったが、長い口上に付き合うのが面倒になり、そう言ってさっさと小屋の中へと案内しようとした。

 

「お待ち……していた?そりゃあ、待たせやがって、ということか?」

鋼鐵塚の雰囲気が変わる。

 

「えっ?いや、あの、決してそのような意味ではなく」

慌てて謝る倫道だったが、遅かった。

 

「てめえ!刀一本打つのにどのくらいかかると思ってんだ!……いや、いいんだ、死んだヤツが居なくてそりゃあ結構だが、二十人も合格しやがって!おかげでこっちは刀二十本手分けして打つんだぞ!!もう朝から晩まで!時には徹夜で!!打って打って打ちまくって!!ふざけんな!!」

ちらりと見えた鋼鐵塚のお面の下の素顔は、目の下に濃い隈ができてゲッソリとしていた。

 

(うわあ!色変わりの前から地雷踏んだ!殺される!!)

鱗滝が出てきて取り成し、倫道も必死に謝って何とかその場は収まり、鋼鐵塚はやっと小屋に入った。

 

(この段階で追いかけられるって、俺ぐらいじゃないか?)

倫道はこの先がさらに不安になった。

 

「お前、鱗滝の自慢の弟子だって言うじゃねえか?鮮やかな色変わりを見せてくれよ。透き通るような青か、海のような深い群青か……。さあさあ、抜いてみな」

 やっと落ち着いた鋼鐵塚は、さっきとは打って変わって倫道に期待を込めて話しかけている。

 

(やだなー、怖いなー怖いなー……。どーも嫌な感じがする……。もし黒刀になんてなったら……。うわー出そうだなーやだなー)

倫道は稲川淳〇の怪談を思い出しつつ、嫌な予感がしていた。 

 

「日輪刀は別名”色変わりの刀”と言って、持ち主によって色が変わるんだ。強い水の剣士ってのは、刀も美しいんだぜ。どうした、早く抜いてみろよ」

水の呼吸一門の見事な色変わりを期待する鋼鐵塚は、上機嫌で倫道を促した。

 

 倫道は体を捻って鋼鐵塚から刀が見えないようにし、まずは根元の部分だけを少し抜く。

 

(げえっ!!)

予感が的中した。二、三秒間見ていただけで、刀の根元が黒く色変わりし始めたのだ。

倫道は素早く刀を鞘に納めて背中に隠し、鋼鐵塚に向き直って愛想笑いを浮かべた。

 

「おい、見えねえぞ。もったいぶってないで早く抜けよ」

怪訝そうな表情の鋼鐵塚がさらに倫道を促す。

 

「きょ、今日は、くっ、曇っているんで、日を改めた方が良いかも」

顔を引きつらせながら倫道は妙な言い訳をした。冷たい汗が倫道の背中を伝う。

 

「雲一つない晴天じゃねえかよ。それに色変わりに天気は関係ないだろう。早く抜け」

既に結果を見抜いている鱗滝は特に何も言わずに見ている。鋼鐵塚は早く刀身を見せろと迫り、倫道は訳の分からない言い訳をして何とか刀身を見せないように誤魔化そうとしていた。押し問答が続いたが、鋼鐵塚は急速に機嫌が悪くなっていく。

 

「おい!早く抜けって言ってるだろう!俺は忙しいんだ!」

ついに鋼鐵塚に怒鳴られ、倫道は情けない顔で刀を鞘から抜いた。

 

「黒……!」

鋼鐵塚は呟く。現れたのは漆黒の刀身だった。

 

「黒い、な」

鱗滝も呟く。倫道は恐る恐る鋼鐵塚を盗み見た。

 

「黒とは珍しいじゃねえか。滅多に拝めない色だぜこれは」

鋼鐵塚の意外過ぎる言葉に、倫道がえっ?と顔を上げた。

 

「……とでも言うと思ったか?」

怒られなくて済むかも、という倫道の淡い期待を裏切り、鋼鐵塚のお面の下の目が一瞬ギラリと光る。倫道は観念した。

 

「きえええー!」

鋼鐵塚が頭を掻きむしり、ひょっとこのお面の口から蒸気を吹き出しながら奇声を発して立ち上がる。

「俺は!鮮やかな!青く透き通るような刀身が拝めると思ったのにいぃぃぃ!」

鋼鐵塚は倫道の首を絞め、ガクガクと揺さぶった。

 

「あ!全長十間(約十八メートル)の巨大なみたらし団子がやって来る!」

倫道が玄関の方を指さして叫ぶと、

「何?!どこだ!」

鋼鐵塚の注意が一瞬逸れて首を絞める力が緩み、倫道はこの隙に逃げた。

 

「おい、もういい加減にせんか。……色変わりがどうであれ、この子は必ず強くなるだろう。だが強いだけで生きて帰れるとは限らんのは、お前も良く知っているはずだ。この子の無事を祈ってやってくれ」

鱗滝がそう言ってなだめて土産を渡すと、鋼鐵塚はぶつぶつ言いながらもそれ以上暴れることなく帰って行った。

 

(いよいよ俺の鬼殺隊生活が始まる!人々を護り、仲間を護る。誰も死なせない!)

倫道は自分の使命の重大さに本当の意味で不安になるが、頑張ろうと改めて決意した。

 

 騒ぎが収まると、鎹カラスが飛んできて指令を伝えてきた。

倫道はしばらく見なかったカラスに能天気に話しかけてみた。

 

「元気だったか?よろしく頼むよ相棒!」

先日はウザがっていたが、今日は仕方なくといった調子で応じている。

 

「ショウガネーナ、アタイノ言ウコトヲ良ク聞ケヨ!」

(女の子だったのか……ヤンキーだけど)

倫道は初めて気付き、慌ててご機嫌を取りに行った。

 

「カラスってじっくりと見たことないけど、可愛いもんだな!いやーホントかわいい、まじかわいい」

と多少棒読みだがストレートに褒めた。

 

「マ、マアナ!アタイハリュウソウインツキヨミノミコト……」

カラスはすっかり上機嫌になって名乗るが、

「長い。マスカラスにしよう」

倫道はごく当たり前のように、変な名前を付けた。

 

「何ダヨ、ソレ!」

「アメリカ(の近くの国)の言葉で、“天空の覇者”て意味なんだけど(ウソだけど)、どうかな?」

「ソ、ソウカヨ。ナラソウ呼ビナ!」

 

 まんざらでもない様子のマスカラスを見ながら、

(案外良い子そうだな、マスカラス。苦労かけるかもしれんが頼むぜ相棒!)

倫道はそう呟き、自己紹介した。

「俺は水原倫道だ。よろしくな!」

 

「行クゾ、リンドー!アタイ二付イテ来イ!」

そう言うと、マスカラスは早速飛び立って行った。

 

「本当にありがとうございました!行って参ります!」

倫道は鱗滝に深々と頭を下げて精一杯の感謝と出立の挨拶をし、マスカラスの後を追って駆け出して行く。

 

 倫道は、ここが”鬼滅の刃”の原作世界ではないことにまだ気付いていなかった。

その大いなる勘違いをしたまま、倫道は踏み込む。

いつか自分を助けてくれた少女と同じ、鬼狩りの道へ。



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第三話 悪夢

 早朝、まだ陽も昇りきってはいなかった。浅草にほど近い住宅街を目指し、少年がひた走っていた。呼吸は荒く乱れ、時折ガクリと膝が折れて今にも倒れそうになるが、歯を食いしばって気力で堪える。転ぶことは絶対に許されなかった。そうして全身の傷から出血するのも構わず走り続ける。状況は差し迫っていた。

 

(早く!早く見つけないと……!頼む、見つかってくれ!)

住宅街に入ると、少年は周囲を警戒しながら震える手で家々の塀を丹念に探っていく。手で探った後には血の手形がベッタリと付着してまるでホラーであるが、そんなことを気にしてはいられなかった。少年はひたすらにある場所を探していたが、その姿は人命救助をする者と言うより完全に不審者であった。

 少年の背中には重傷を負った女性がいた。苦痛の呻きも弱々しく、意識は朦朧とし、顔には既に血の気が無い。命の灯はまさに消えようとしていた。

 

 

 

 ここから、時間は前日の昼間へとさかのぼる。

 

 

 

 鬼殺隊に入って三年目。

十七歳になった倫道は、剣士としての他、隠の医療班に紛れ込んでの活動もこっそりと行っていた。その関係で度々蝶屋敷に出入りしていたのだが、その日偶然にも聞いてしまったのだ。女性ばかり消える事件が発生し、鬼の仕業と考えた鬼殺隊は数名の手練れの隊士を差し向けたが、全員が消息不明となっていた。強力な鬼の関与が疑われ、警備担当区域に近い花柱の胡蝶カナエに出撃の指令が下ったのだ。出立は今夜。

 

(間違いない、童磨だ!童磨に遭遇してカナエさんが殺される。やるしかない、何としてもカナエさんを死なせない!今の実力では童磨は倒せないだろうが、何とか救出するだけでも!)

 

 倫道は隠の姿のまま、隠の同僚に向かって話し始めた。

「なあ、知ってるか?最近目撃された上弦の話。女ばかり喰う変態らしいぞ。見てたヤツの話だと色々な氷の血鬼術を使うらしい。中でも恐ろしいのは、自分の血を凍らせて微粒子にして、見えないように周囲にまき散らす技だ。知らずにこれを吸い込むと肺が凍って壊死し、呼吸が使えなくなるらしいぜ」

倫道はカナエが聞いていてくれることを願いながら、診察室の前の廊下でわざと大声で喋った。

 

「どうしたのですか?」

騒がしくしていたためか、診察室からカナエが顔を出した。

 

「失礼しました、花柱様。最近目撃されたという上弦の噂を聞いたものですから」

倫道は噂で聞いたというていで、知っている限りの童磨の危険な技を説明した。生きていて欲しい、そう願いながら。

 その夜、カナエは単独で任務に赴いた。

 

 日付が変わり、午前三時を過ぎた頃。

 

「こんばんは、良い月夜ですね」

月明りが仄白く周囲を照らす。屋根から飛び降りてふわりと着地し、花柱・胡蝶カナエは佇む鬼に微笑みかけた。鬼はカナエの姿を見て目を細める。その虹色の瞳には「上弦」「弐」と刻まれていた。

 これが標的の鬼に違いない。カナエは確信した。

 

「こんなに可愛い獲物が向こうから来てくれるなんて、今日は何て良い夜なんだろう!俺の名前は童磨。君、名前は?」

上弦ノ弐・童磨は口の周りを血糊でヌラヌラと光らせながらニヤリと笑い、喰べていた女性の体を放り出すと、嬉しそうにカナエに話しかけてきた。

 

「花柱・胡蝶カナエ。この辺りで女性ばかり襲ったのは貴方ですか?」

カナエはにこやかな表情を崩さない。柱と聞いて童磨はさらに嬉しそうな表情になった。

 

「俺はみんなを救済しているんだよ。俺に喰われた人たちは、俺の一部としてともに永遠の時を生きていくんだ。だから」

童磨が得意気に語ろうとするが、言い終わらぬうちにカナエが動いた。

 

花の呼吸 伍ノ型・徒の芍薬

 

 瞬きをする間。花弁のような軌道を描く幾つもの斬撃が、上下左右から童磨に迫った。童磨は両手の鉄扇で何とか頸を守ったが、その体には幾つもの傷が刻まれていた。

 

「おっと危ない!君 、速いねえ。でも話は最後まで聞いておくれよ。君も救済してあげるよって言おうとしたのに」

そう言っている間に体の傷は見る間に治癒し、童磨は変わらず薄ら笑いを浮かべたまま、鋭い刃のついた鉄扇を広げて構えた。

 

(上弦ノ弐、確かに私の手に余る相手かもしれない。いいえ、関係ないわ。私は花柱・胡蝶カナエ。この鬼は絶対にこのままにしてはおけない)

弱気な考えを振り払い、カナエは気迫をみなぎらせて構えた。

 

 ――激しい戦闘が始まった。

 

 倫道はカナエの任務がどこであるか事前に特定できなかったため、任務を一つこなしてから隠に擬態し、カナエの警備区域と隣接した地区全体を夜通し探して走り回り、何とか戦闘中のカナエを発見した。戦闘開始からかなり時間が経過している様子で、カナエは左腋窩から胸を切られていた。肋骨も斬られ、傷は肺に達しているのだろう、傷口からは血の混じった空気が呼吸の度に漏れ出している。

 

(傷が深い、肺をやられてる!行かなきゃ、カナエさんが殺される!)

倫道は隠の装束のまま、刀を持って飛び出した。

 

 水の呼吸 参ノ型・流流舞い!

 

 倫道は黒い刃を煌めかせ、流れる水のエフェクトとともに両腕、頸と三連撃を見舞った。

 

「危ない!下がりなさい!」

カナエは咳き込み、口から血を噴き出しながらこの無謀な隠に叫ぶが、奇妙なことに気付く。隠が刀を持ち、全集中の呼吸を使い、見事な技でこの上弦の鬼と渡り合っている。

 

(水の呼吸!冨岡君?違う、あの隠は誰?本当に隠なのかしら?)

水の呼吸の使い手で、ここまで強い剣士は冨岡以外に心当たりがなかったが、あれは違う。だがこの戦闘の行方を見定めることなく、カナエの意識はここで途切れた。

 

(増援?へえ、なかなかやる)

油断していて最初の一撃は躱せず、手に持った鉄扇ごと左腕を切断された童磨であったが、ニ撃目の右腕は切断できず、頸を狙った三撃目は、瞬時に再生された左手の鉄扇にがっちりと防がれた。

 

「君、この子を助けに来たのかい?でも自分が死んじゃ意味がないだろうに。引っ込んでた方が良いんじゃない?」

鍔迫り合いをしながら童磨はへらへらと笑い、倫道を愉快そうに眺めた。

 

「空破山!」

童磨が冷気を撒き始めたことに気付き、倫道は飛び退って一旦間合いを広く取った。そして真空波を飛ばし、童磨をカナエから引き離そうと牽制する。刀を振る度に真空の刃が童磨に傷を刻むが、その傷は瞬時に治癒してしまう。

 

「君は面白い技を使うね。さっきの斬撃と言い、柱なのかな?でも黒子みたいな変わった恰好をしているし……。遊び甲斐がありそうだけど、今は邪魔しないでおくれよ。せっかくの御馳走なんだ」

 童磨はあくまで穏やかに、にこやかに語りかけるが、徐々にその殺気が重圧となって倫道に迫る。用心してはいたが、カナエは血鬼術・粉凍りを吸い込んで肺の一部が壊死し、加えて左肺は斬られて直接損傷を受けている。左胸の傷からは呼吸の度にシュッと血の混じった空気が漏れ出しており、呼吸も十分でない状態だ。その他全身に傷があり、出血量も多い。幸いなことに夜明けが近づいている。だがカナエを捕食することを邪魔された童磨の静かな怒りを受け、倫道は背筋が凍る思いだった。

 

(こいつの戦い方も技も知ってる。だが今の俺に捌けるかどうかは別問題だ。これ以上戦闘を続けると、カナエさんを連れて逃げる体力も無くなってしまうし、下手すると俺も殺される。何とか逃げるしかない)

客観的には柱とほぼ同等の実力を身につけている倫道だが、やはりこの時点で単独では童磨は倒せない。最初の奇襲以外は防御的に立ち回っているため、粉凍りは吸っておらず致命傷も負っていないが、いつの間にか大小十ヶ所以上も斬られ、体力は削られて行く。

 

(アレを使うしかない……本当は魘夢をペテンにかけるためだったんだが)

ここで使えば情報を共有されて、おそらくもう上位の鬼相手には使えなくなるだろう。

 

 倫道は、前世で見たバジリスクの”瞳術”みたいなチート技を使えないかな、とそれらしい物を幾つか試していた。しかし体術ではないので鍛錬ではどうにもならず、そこまでのチートはいくら漫画といえど再現できなかった。だが、一つだけ何とか使える術があった。

 

”邪眼”。

 

 視線を合わせた相手に一分間だけ都合の良い幻を見せる技だ。だが、魔女の家系でも何でもない倫道の場合は制約が多く、外から大きな刺激が伝わってしまうと解除されてしまう。

(※作者注 邪眼⦅邪視⦆については幾つか解釈があり、その多くは”悪意を持って相手を睨みつけ、その相手に呪いをもたらす”というものですが、物語の都合上ここでは”GetBackers~奪還屋”で使われた設定を使用します)

 

 

 水の呼吸 捌ノ型・滝壺!

 

 倫道は立ち木を蹴って高く跳躍し、落下の勢いも利して全力で斬りかかった。童磨は倫道の斬撃を鉄扇で受け止め、激しい鍔迫り合いとなる。頭巾とマスクに隠されたその下で、倫道は必死の形相で力を籠める。

 

「お前、地獄って知ってるか?」

頭巾から僅かに覗く血走った目で童磨を睨み、倫道は童磨に話しかける。

 

「そんな物は無いんだよ。それは可哀想な人間が作り出した幻想だ」

童磨は涼しい顔で倫道の刀を受け止め、ヘラヘラと笑いながら答える。

 

倫道はマスク越しに薄らと笑いかける。

「じゃあ、俺が地獄ってのを見せてやるよ」

 

 ギャリンッ!と一層激しい火花を散らし、倫道と童磨は再び激しい鍔迫り合いを繰り広げた。倫道は肩で息をしながら童磨を睨んでいる。

 

 両者の視線がしっかりと交錯した。

 

ーー

ーーー

ーーーー

 

(技は出し尽くさせたようだし、もう殺そうか)

そう判断し、童磨は倫道を殺しにかかった。

 

(何を言い出すかと思えば、全く哀れなものだ。遊んであげたいけど夜明けまでもう時間がない。この黒子はさっさと殺して、柱の女の子をいただかないと)

 

 血鬼術・蔓蓮華

 

 鍔迫り合いで動けない倫道の足元から氷の蔓が伸び、倫道の全身をあっという間に絡め取って凍らせて行く。倫道は声を発する間もなく、数秒で全身が凍りついた。

 

「可哀そうに。せっかく仲間を助けに来たというのに」

童磨は何の感情もこもっていない涙を流しながら、凍りついた倫道を鉄扇で斬った。鉄扇の連撃で頸が飛び、四肢も斬り落とされ、倫道の体はバラバラになって地面に転がった。頭巾もマスクも切り裂かれ、倫道の素顔が露わになった。倫道の目は光を失って虚ろに見開かれたまま、ぼんやりと宙を見つめていた。

 

 童磨は気を失っているカナエに近づき、生きたままその体を吸収した。それは今まで味わったことが無いくらいに甘美で、いつにもなく喜びに近い感覚を覚えた。カナエは悲鳴一つ上げず童磨に取り込まれ、髪飾りが一つだけ現場に残った。

 童磨は名残り惜しそうに蝶の形をしたカナエの髪飾りを舐めていたが、ふと舌に痛みを覚えてそれを良く見ると、髪飾りの蝶の体から太い針が生えて舌を貫いていた。童磨は髪飾りを投げ捨てようとするが、舌に刺さったまま針が抜けず、髪飾りは本物の蝶のように動き出し、羽が畳ほどにも大きくなってバサリと童磨の頭部を覆い、頭を潰す勢いで締め付けた。

 

(えっ?何だこれ)

童磨が蝶の髪飾りを斬ると元の形と大きさに戻り、破片となってぱらぱらと地面に散らばった。

 

 辺りを見回すと東の空が明るくなっていた。奇妙な現象に当惑はしたが、美しく強いカナエの肉体を取り込み、童磨は満足感を覚えながら退散しようとしたが、何かが絡みついて脚が動かない。足許を見ると、斬り落とされた倫道の両手が童磨の両脚をしっかりと掴んでいた。しかも腕は地面に根を生やしており、指先から蔓がどんどん伸びて童磨の全身を覆って行く。童磨は慌てて蔓を切って脱出しようとするが、後から後から蔓が伸びてなかなか自由が利かない。童磨があたふたと蔓を切っていると、斬られた倫道の頭がゴロリと童磨の方を向き、青白い顔でニヤリと笑った。

 

「ジゴク……ミセテ……ヤル」

その口からしわがれた声が漏れたかと思うと、頭は空中を飛び、大きく口を開いて童磨に襲いかかった。童磨は何とか自由になる腕を使い、飛び回って襲ってくる倫道の頭を斬ろうとしたが、両腕を食い千切られ、足許からはさらに蔓が伸びて童磨をがんじがらめにする。

 

「!」

童磨は自分の腹の中で何かが蠢くのを感じた。それは次第に強くなり、ついに童磨の腹が内側から破られて大量の血液が吹き出し、そしてヒトのような何かが這い出してきた。そいつは童磨の足許に落ちて血溜まりの中でのたうち回り、やがて一糸纏わぬカナエの形になった。ただ全身の皮膚は真っ赤にただれ、所々皮膚が溶け落ちて肉が剥き出しになっている。

 

 その怪物は血溜まりの中からズルズルと這い出し、爪を立てながら童磨の体を這い昇った。真っ赤な皮膚に全身血塗れ、長い髪も血に濡れてべったりと体に張り付き、瞳孔の無い白く濁った目が童磨を見た。怪物は童磨の顔の付近まで這い上るとゆっくりと口を開けたが、限界まで開くとさらに口の両端が裂けていき、カナエの口は見る間に顔の半分以上にも大きく広がった。

 

「ジゴク……ミセテ……ヤル」

びっしりと生えたノコギリ状の牙の奥からうなり声に混じってヒトの言葉が聞こえ、怪物は童磨の顔に噛みついて喰らい始めた。鋭い牙がガッシリと童磨の顔面に食い込む。ミシ、ミシという頭蓋骨を潰される音は、耳からだけでなく骨から直接童磨の脳に届いていた。

 

「ゲゲ……ゲゲゲ……」

顔面の肉を骨ごと喰いちぎり、噛み砕くバキバキ、グチャグチャという咀嚼音が周囲に響いた。獲物にありついた怪物は口からダラダラと血を溢れさせ、瞳孔の無い目を細めて不気味な歓喜の声を漏らしていた。

 

(何だこれ……どうなってるんだ?!)

童磨の感情が僅かに揺らいだ。今まで抱いたことのない感情。取り込んだ人間が腹を破って現れ、自分を襲い喰らう。失った体がうまく再生できず、既に頭部は三分の一ほど血塗れの怪物に喰われており、童磨は身動きできないまま残った左目で状況を見ていた。目蓋は喰いちぎられて目を閉じることもできず、血鬼術は放とうとする度に砕け散ってしまい実体化できない。

 

「ジゴク……ミセテ……ヤル」

ふと周囲を見ると、地面の裂け目から血のような赤い液体がブクブクと吹き出し、そこからもう一体別の女が這い出てきた。手足は爬虫類のように曲がり、人間にはあり得ない奇妙な動きで、腹部からはみ出した臓器を引き摺りながらゆっくりとこちらに近づいて来る。

 

(あれは……さっきの女)

それは童磨がカナエと戦う前に殺し、食べていた女だった。

美しかったその顔は半分ほど皮膚が溶け落ち、白く濁った瞳孔の無い目が童磨を睨んでいる。

 

「喰べることでその人は俺の一部となる。現世の苦しみから解放され、共に永遠に生きる」

これは救済なのだ、童磨は日頃そう言いながら人間を喰らっているが、一方では死ねば肉体や魂など消えて無くなり、天国や地獄などありえない、そう思っていた。天国や地獄を信じる人間を、哀れで愚かだと思っていた。自分が喰い殺されるなど考えたことも無かった。

 

(俺は死ぬのかな……)

生きながら体を喰いちぎられるその激痛のなかで童磨はぼんやりと考えていた。

 

ーーーー

ーーー

ーー

 

「ジャスト一分。悪夢(ユメ)は見られたか?」

倫道はカナエを背負って全速力で逃げながら呟いた。

 

(大分引き離したし、もう日の出だ。だけど考えてみたら童磨は恐怖なんて感じないんだよな。使いどころを間違えた!まあ弱体化してないから頸を刎ねるのは難しいし、逃げられたから良しとするか)

倫道はマスカラスと合流し、予め目星をつけておいたある場所へと向かって、傷の痛みをおして疾走する。

 

 

 

 

「これは……どういうことだ?」

童磨はぽつんと戦場に取り残されていた。自分を縛っていた蔓も無ければ、助けに来た黒子の死体もあの血塗れの怪物もいない。思わず自分の顔を触ってみるが、特に異常は無い。

 

(参ったね、完全にしてやられた。あの柱の女の子も取り逃がした訳か。妙な幻術を使う鬼狩りがいる……これは報告だ。ああ、日の出になっちゃうな、戻らないと)

苦笑いをしながら童磨がそう考えた時、不意に琵琶の音が響き、童磨は無限城へと転送されて行った。

 

 それから倫道は走り続け、浅草の近くまでようやく辿り着いた。

(くそっ!早く!早く見つけないと……!頼む、見つかってくれ!ここまで来て間に合わないなんて……こっちが悪夢だ)

倫道はマスカラスのナビも使い、浅草に近いこの住宅街を懸命に走り回り、その中のある場所を探していた。この辺りだろうとあらかじめ目星をつけてはいたが、その場所は巧妙に目眩ましが施され、発見は困難を極めた。

 

 ある一軒の屋敷の塀にほんの少しの違和感があった。倫道がその部分を押すと、すっと向こう側に腕が突き抜けた。

 

(あった!助かるよカナエさん!)

血だらけの倫道は、安堵の涙を流した。倫道は塀を突き抜けて転げるように中へ飛び込み、その姿は通りから消えた。倫道の目的地は珠世の診療所。この瀕死の重傷者を診られるのはここしかなかった。カナエを背負った倫道は、愈史郎の血鬼術で隠された診療所をついに探し出し、飛び込んだ。



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第四話 鬼手仏心(きしゅぶっしん)

 診療所の玄関では、愈史郎が腕組みをして侵入者を待ち構えていた。先程から周囲を徘徊する倫道を察知していたのか、切れ上がった眉をさらに吊り上げ、警戒心を露わにして倫道を睨みつけている。

 

「何だお前は!鬼舞辻の手先か?偶然来た訳ではないだろう、何しに来た?何故ここが分かった?返答次第では殺……おい、何してる!?」

愈史郎の言葉の途中であったが、倫道は背負ったカナエをそっと下ろし、隠のマスクと頭巾を脱ぎ捨てて玄関の土間に頭を擦り付け、見事な土下座をきめた。

 

「お願いです!この人を助けてください!!私は鬼狩りです。図々しいお願いであるのは重々承知しておりますが、極めて重傷の怪我人なんです。こちら以外ではおそらく助かりません。どうかお願いです!この人を助けてください!!力をお貸しください!貴方たち二人が人に害を為さないことも知っております!」

 

「鬼狩りだと?!ふざけるな、今すぐ出て行け!!出て行かないなら致し方ない!」

鬼狩りと聞いて激怒した愈史郎は戦闘態勢に入るが、やりとりを聞いていた珠世が姿を現した。

 

「愈史郎、待ちなさい。まずは怪我人の治療が先です。その方はどうなさったのです?」

 

 倫道は顔を上げ、必死で説明した。

上弦ノ弐と交戦し、血鬼術・粉凍りを吸い込んで肺を内部から損傷し、さらに左胸を深く切られて肺を直接損傷した上に、全身の切創で大量出血もある。外から分かっているだけでも危険な状態であった。

 倫道は、ひたすら土下座して治療への協力を懇願した。カナエとしのぶが鬼殺隊の医療体制を支えている状況で、一方のカナエがこの状態では蝶屋敷で万全の医療は望めない。それに、多発外傷が疑われる状況のため、他の損傷も調べなければならない。ここ以外では救命できない、倫道はそう判断していた。

 

「珠世さん、お願いです!どうか助けてください」

倫道は思わず珠世の名前を口走ってしまうミスを犯すが、珠世の視線はカナエに向けられ、その注意は既にカナエの状態のみに注がれていた。

 

「分かりました。すぐに治療を始めましょう。愈史郎、手術の準備を」

(珠世様?!こんな怪しい、しかも鬼狩りと名乗っている者どもをここに入れてしまわれるのですか!)

愈史郎は憮然とし、倫道を横目で睨むが珠世の言うことには逆らえず、カナエを迎える準備を始めた。

 

 珠世は診療所の奥へと入り、テキパキと治療の準備を始めた。倫道はある程度のメディカルキットを持っていたが、基本的なメスや小型の持針器、剪刃、局所麻酔や少量の糸だけで、表層の縫合程度はできるが手術道具などというものではなかった。この装備で、しかも単独で処置を行うのは到底不可能で、大勢の人手がある大きな医療機関でなければ対応は難しい症例だった。だが珠世の診療所は、小さな外見からは想像できない程の高度な医療設備を備えていた。

 珠世の血鬼術も使い全身を調べたところ、粉凍りを吸い込んで両側の肺の一部がやはり壊死していた。左肺は横方向に大きく斬られ、よく見ると縦方向にも斬られて空気が漏れ出し、出血も激しかった。複数の肋骨骨折もあり、深いもの、浅いものなど程度は様々だが全身に切創もあった。戦闘の後半で粉凍りを吸ってしまい、呼吸が乱れて動きが鈍くなり、さらに深手を負ったのだろう。だが幸いと言うべきか、その他には緊急手術が必要な大きな損傷は無かった。肺を縫合した経験のある倫道がオペレーターとして執刀し、珠世が助手を務め、愈史郎には器械出しと麻酔を担当してもらった。

 

「全集中 蛇杖の呼吸 左側試験開胸術、いきます」

蛇杖とは、ギリシャ神話に登場する医神アスクレピオスの持つ蛇の巻きついた杖のことで、医学のシンボルとしてよく用いられる。倫道は医療行為を行う際にこの名を付けた呼吸法を用いることで、ドラマのような名医の力を発揮するのだ。

 

(左肺はズタズタだ。ほとんど切除しないとならないか)

腋窩から胸にかけて横方向に斬られ、鎖骨とともに縦方向にも斬られており、左肺の損傷はひどかった。

 倫道は胸部外科の研修を思い出しながら素早く肺の切除作業を進めて行く。呼吸の度に膨らんでは縮む肺を縫合するのは容易でなく、さらに自動吻合機などはなく全て手縫いであるがイメージの通りに体が動いた。時間がゆっくりと流れ、術野が大きく見える。邪魔な組織は透けて見え、さらに針を入れる箇所までが自然と分かる。

 こうして修復不能な左肺損傷部の切除、斬られた鎖骨と肋骨の整復、全身の切創の縫合を終えることができたが、その結果左肺の大部分を切除することになってしまった。

 珠世の診療所には既に酸素の設備があり、手術後は酸素を吸わせながら呼吸管理をしたが、大量出血はどうしようもなかった。倫道は術前に血液型の検査キットでABO型の血液型を検査して、カナエがA型、倫道がO型と判定していたので、手術を行いながら異型適合血となる自身の血液を、限界を大きく超えてカナエに輸血した。

 

 手術を含む全ての処置が終わったのは、夕方近くになってからのことだった。

 

 倫道はカナエの探索、童磨との戦闘、その後カナエを背負っての逃走に加え、傷からの出血とカナエへの大量の供血を行い、そしてこの長時間の手術。

 手術後の安堵感と一気に押し寄せた疲労で倫道は倒れ、診療所のベッドに寝かされる始末であったが、何とかカナエは一命を取り留めた。

 

(この技術、この知識。確かにすごいが得体が知れん。鬼狩りと名乗ったが、ただの鬼狩りではないだろう。一体何者だ?それに相当な量の血を与えて、下手をすれば自分が死ぬぞ。そこまでして助けたいのか、この女を)

見たことも無い技に感心しつつ、愈史郎はその未知の技術を使うこの男をますます怪しんだ。

 

「愈史郎さん」

診療所のベッドに横たえられ、薄れていく意識のなかで倫道は懸命に愈史郎に話しかけた。どうしても言っておきたい事があった。

 

「俺……、言っておきたいことが」

「仕方ない、聞いてやる」

「鬼のお二人が……技と優しさで助けてくださった……。これぞまさに鬼手仏心(きしゅぶっしん)、なんちゃって……ざ、ザブトンいちまい……」

外科医の手技は残酷にも見えるが、それは人を救いたいという真心によるもの。無慈悲で乱暴に見える行為を、真に相手を思いやる優しい心を持ってやり抜く。鬼手仏心とはそういうことの例えだ。

 倫道はドヤ顔でそう言って、気を失うように眠り込んでしまった。

 

「バカかお前は」

そんな下らないことを言うために意識を保っていたのかと、愈史郎は呆れた。

 

(何で俺がこいつの面倒を……。珠世様の言いつけでなければそのまま放り出してやるところなんだが)

愈史郎は珠世から倫道の経過を診るように言われたため、仕方なくベッドサイドに座り、倫道の様子を見守っていた。

 

(凄いのかバカなのか分からんヤツだ。それに、座布団?何の事だ、益々訳が分からん。まあしかし珠世様のお言いつけだ、少しの間だけここに置いてやるか)

愈史郎は仕方なく倫道の傷の処置をしてやり、珠世に報告しに行った。

 

 数時間後、倫道が目を覚ました。

 

「お見事でした。あのお嬢さんはもう大丈夫でしょう。寝たままで構いません、貴方は一体誰で、どう言った素性の方か、話してくださいますか?……それに、訪ねて来た時、私たちが鬼であることを知っているような口ぶりでしたね」

倫道が目覚めたのを確認し、愈史郎は珠世を呼んだ。珠世は倫道のベッドの傍にやって来て、穏やかに話しかけた。

 

「珠世さん、愈史郎さん、勝手を申し上げて本当にすみません。助けてくださってありがとうございます。あの方は鬼殺隊花柱・胡蝶カナエ。鬼殺隊にとってはどうしても失ってはいけない人なんです。私は鬼殺隊の水原倫道と申します。ですが、少し事情がありまして。珠世さんと愈史郎さんは命の恩人ですから正直に申し上げますと、私はこの時代より百年以上先の未来から来ました」

 

「何をおっしゃっているのか意味が分かりませんが」

あまりに現実離れした告白に珠世は戸惑った。

 

「お前、気は確かか?それとも俺たちをバカにしているのか?」

からかわれていると感じた愈史郎はキッと眉を吊り上げた。

 

 倫道は、二人には自分が転生者であることを打ち明けた。ただ、現実世界から物語の世界へとやって来たとは言わず、前世の記憶を持って、未来からこの時代に転生したと告げた。史実になっているのでだいたい未来を知っているとして、原作知識を使い珠世たちの事を言い当てて信用させ、無惨を倒すだけでなく、より良い未来のための協力を要請した。

 見返りとして倫道の持つ現代医療の知識と技術、加えて上位の鬼の血液を提供することも約束し、さらにこう付け加えた。

 

「約四年後、鬼にされた妹を連れた鬼狩りの少年がやって来ます。妹は鬼でありながら理性を保ち、睡眠で体力を回復し、人を喰らわずにいるのです。鬼の血液だけでなく、妹の血液も調べることで”鬼を人間に戻す薬”は完成し、鬼殺隊と協力してさらに幾つかの薬を作ります。そのあと程なくして無惨との最終決戦に突入しますが、無限に近い再生能力を備えた無惨を討滅するために、それらの薬が重要な役割を果たすことになります」

珠世は目を見張り、息を呑んで聞いていた。

 

自らの素性と今後について話した後、倫道はカナエを文字通り完全復活させるための驚愕の計画を語り、改めて協力を要請した。それは失った体の一部を蘇らせる治療。

 

「本当にそんな事ができるのですか?鬼の細胞でなく、人間の細胞でそんなことが?」

その計画の詳細を聞いた珠世は懐疑的だ。

 

「できます。私のいた世界でも研究は始まったばかりですが、目覚ましい進歩を遂げています。ここは漫画の……いえ、とにかくやってみましょう」

倫道はこの世界の偶然に賭ける。環境が整った現代においてもその研究はなかなか進んではくれない。だがこの世界なら、そんな都合の良い偶然が起きるかもしれない。

 

 倫道はマスカラスを飛ばして鬼殺隊本部に連絡を取り、カナエの生存と、緊急の治療のため数日間珠世の診療所に留まることを鬼殺隊当主・産屋敷耀哉に知らせた。既に珠世のことを知っていたため、耀哉は驚いたが安堵していた。そして耀哉は、カナエの容体が安定した段階で蝶屋敷への移送を提案した。

 

(そうか、カナエは珠世さんのところで治療を受けているんだね。それなら安心だ。やはり倫道は特別な子らしい。よく珠世さんが治療に協力してくれたものだ。これをきっかけに珠世さんと親交を結んでくれると良いのだが)

 

 耀哉は蝶屋敷に連絡し、カナエが生存し、詳しくは明かせないが安全な場所で匿われていることを連絡した。そして、容体が安定するまで一週間程度滞在することになるが、安心するようにと伝えた。

 

(しのぶさんやみんな、ものすごく心配しているだろうけど致し方ない。状態が落ち着いた後の療養は蝶屋敷でもできるけど、急性期の治療はここでしかできなかった。かと言ってここに鬼殺隊が来てしまったら、鬼の二人に迷惑がかかってしまう。ああ、でもしのぶさん……怖いなあ)

 倫道は、カナエの命を救えたことにはホッとしていたが、後でしのぶに責められることを思うと気が重くなった。

 

「私は……生きてる……ここは……どこですか?」

運び込まれてから二日後、カナエが目を覚ました。

 

(ああ……カナエさんが……生きてる!)

倫道は、感動で目から鼻水が出るのを禁じ得なかった。

 

「あの、どうしました?」

自分が目覚めた早々にやって来て、いきなり涙と鼻水を流す不審者にカナエは少し引きながらも、優しく声をかけた。

 

「よがっだあああ!」

 倫道は、力無く微笑むカナエを泣き笑いで見つめ、しばし感動に浸った。

 

「助けてくれてありがとうございます。やはりあの方たちは鬼なのですね。最初は驚きましたが……。しかし、私はどうやって助かったのですか?」

 

「花柱様、本当に申し訳ありません。貴女をお助けするにはここにお連れする他ありませんでした。私は隠の水谷と申します。花柱様を助けて逃げる際に怪我を負い、あのお二人に治療していただいて、私も目が覚めたばかりなんです」

落ち着きを取り戻した倫道は素顔を晒し、嘘を交えながら状況の説明を行った。

 

「あの上弦と戦っている時、刀を持った隠が割って入ったように見えたのですが、それは貴方ですか?」

「いえ、私ではありません。隠は戦いませんし刀を持ちません。出血多量で意識が遠くなられて、幻をご覧になったのでは?」

 倫道はあっさりと笑顔で否定しながら説明を続けた。

 

 たまたまカナエが戦っているところに遭遇し、喰われそうになっていたカナエを抱きかかえて無我夢中で脱出を試みた。殺されそうになったが日の出が迫っていたため鬼は諦めて去って行き、何とか逃げられた。以前から懇意だった、口が堅くて腕の良い診療所に連れてきたが、医者や助手が鬼だとは知らなかった。

 そう虚偽の説明をし、結果的に同意も無いまま鬼の手で治療を加え、治療のためとは言え肌も露出させたことも深く謝罪した。しかし鬼が治療を行っただけであり、鬼の血を投与するなど超常的な治療は行っていないことも説明した。

 

 花柱・胡蝶カナエは、鬼とも仲良くできるという考えの持ち主だった。人を喰わない鬼・珠世と愈史郎はその理想を具現化するにはうってつけだったが、カナエと倫道は一般人ではなく、珠世と愈史郎にとっては自分たち鬼を狩る鬼殺隊の人間なのだ。今回のような特別な事件が起きなければわざわざ自分たちから鬼殺隊に関わる理由はない。だが、カナエは珠世と愈史郎に深く感謝し、その真摯な姿勢に珠世だけでなく愈史郎さえも心を動かされた。鬼殺隊にもこういう人間がいるのだと、愈史郎は考えを改めざるを得なかった。

 

 カナエの状態は一週間で安定し、蝶屋敷から迎えが来ることになった。

来た時と同じように、倫道が辺りを厳重に警戒しつつカナエを背負って診療所を出て、途中で蝶屋敷からの迎えと合流する手段を取った。診療所の位置が無惨に知れないようにという倫道の判断だった。

 倫道はマスクと頭巾を付け、再び完全に隠に擬態して迎えの隊士たち一団と合流、蝶屋敷まで帯同した。

 

「姉さん……!」

しのぶはしばし絶句し、倫道に背負われたままのカナエの手を取って涙を流し、隠に擬態した倫道を一瞬ギロッと睨んだ。

 

(怖い!そんなに怒らないで。……倫道はしのぶさんの笑った顔が好きだな、なんちゃって)

倫道が原作中のカナエのセリフを脳内でパクッていると、

「姉さんを助けてくれてありがとうございます。後でお話があります」

しのぶが笑顔になって声をかけてきた。ビクッと倫道の肩が震えた。

 

(確かに笑った顔が好きだなって思ったけど、余計怖いよ……)

倫道はしのぶの笑顔に恐怖した。にっこりと微笑むしのぶのこめかみには血管が怒張し、怒りマークが出ていたからだ。

 

「しのぶ様、連絡が遅くなり申し訳……」

案の定、カナエを病室に入れた後、倫道は謝罪の途中でしのぶに強烈なビンタを食らった。目の前に星が散ったが、しのぶがどれ程心配したかを十分理解している倫道は黙って耐え、ひたすら謝罪を繰り返した。

 

「心配カケテンジャネーゾバカヤロー!!今度ヤッタラブッ殺ス!」

帰り道、マスカラスに八つ当たりするも物凄い勢いで反撃を食らい、さらに凹んだ倫道であった。



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第五話 交錯~クロスオーバー

今回から本格的にコラボとなります。

蓬萊斗和(ほうらいとわ)…【野良着の隊士】の女性主人公。
下弦ノ二、下弦ノ伍…【野良着の隊士】オリジナルキャラ。




(原作キャラも時々見かけるし間違いないと思うんだけど、この世界は何か違う。本当に鬼滅の世界か?)

倫道は十八歳となり、入隊四年目を迎えた。何となく違和感を覚えながらも、剣士として、時に隠として、慌ただしい日々を送っていた。

 

 

 東京のはずれの山村で、三十人以上の村人が消える事件が起きた。家々には大量の血痕だけが残されており、住人は行方不明。鬼殺隊は鬼の仕業であると判断、総勢九名の討伐隊を派遣することになった。相手は十二鬼月の可能性もあり、隊長に選ばれたのは、女性だが階級は甲、柱への打診もあるほどの強者だ。そして彼女は転生者であり、本人はそのことを誰にも打ち明けていなかった。

 

(ちょっと行ってみるか。目的地もわりとハッキリ分かっているし)

倫道は隠の同僚から作戦を聞き、興味を持った。倫道は隠に擬態して救護に当たろうと考えていたが、相手が手強ければ戦闘に介入するつもりだった。刀は背中に隠して携行し、本隊からかなり遅れてこっそりと目的地に向かった。

 

 討伐隊が現地に着いたのは、既に日も暮れかけた頃だった。作戦行動を開始する隊士たちだったが、最後に被害に遭った集落に近づくにつれ、隊長の女性隊士は生ぬるい嫌な気配を嗅ぎ取っていた。それは、かつて住んでいた集落が襲われた時に感じた気配。実家の川向かいの家が襲われ、鬼滅の刃の世界に転生したのだと気付くきっかけとなった、あの気配だった。隊長は胸騒ぎを覚えながらも周囲に気を配り、集落へと踏み入った。

 

 不気味な静寂が支配する、人の気配のない集落。隊士たちは辛うじて互いに声が届くくらいの距離を開けて見回っていた。だがそこには特に目新しい発見は無く、索敵は集落から周囲の森へと及んだ。

 森の中に入ってしばらくして、一番端にいた隊員がブウンという唸りを聞き、咄嗟に身を躱して避けた。飛来した物体は二発。うち一発は大腿部を、もう一発は肩を掠めた。掠めただけであったが、隊服を切り裂き肉を大きく抉っていた。隊士は周囲を警戒するが、何かを飛ばしてきた敵の位置や正体は分からず、脚をやられて万全な働きは難しい状態となった。助けを呼ぼうにも飛び道具で狙われており、声を出せば敵に正確な位置を教えてしまうことになる。激痛に顔を歪め、声を漏らさぬようにしながら刀を片手で構え、更なる攻撃に備えていると、唸りを上げてまた数発何かが飛んで来た。

 

(躱しきれない!)

隊士は死を覚悟し、危険を知らせるため声を出そうとした時だった。すぐ近くの茂みから黒ずくめの人影が飛び出した。

 

(あの人を助けないと!)

隠に擬態した倫道は討伐隊に追いつき、隠れて様子を伺っていたが、負傷した隊士のピンチを見て飛び出した。迫る第二波攻撃を全てを叩き落とすと、それは小さな赤い独楽(こま)だった。

 

(これは独楽の血鬼術か!ライフルの弾みたいだ。こんなのまともに食らったら簡単に蜂の巣だな)

見ていると、独楽は叩き落とした後十秒ほども土を抉るほどの勢いでスピンを続け、消えた。

 攻撃してきた相手が見えない。しかし追撃も無い。こちらを狙ってきたというよりも、敵の気配を感じ取って適当に独楽を飛ばし、大きな反応のあった所に攻撃を仕掛けるつもりのようだった。

 

(えっ?隠?!何で刀持ってんの?)

大腿部を抉られた隊士は、目の前にいる刀を持った隠に驚いた。刀を持った隠は怪我をした隊士を後ろに庇い、油断無く周囲を警戒している。

 

「ありがとう、だけど君は誰だ?」

負傷した隊士は倫道の正体を図りかね、訝しみつつも声をかけた。

 

「俺は隠ですがあなたが危なかったもので。命の危険がある時以外はここを動かないで」

倫道は怪我人を退避させ、現場近くに駆け戻り、再び隠れた。

 

「鬼ィ!」

少し離れたところでも誰かのカラスが鬼の襲来を告げ、同時に他の隊士の大声も響き、戦闘が始まっていた。

 散開していた隊士たちはカラスに呼び寄せられて集結したが、独楽を投げて攻撃してくる相手がなかなか見つからなかった。

 

「いたぞ!あそこだ!」

一人の隊士が指さした。

 

 木立の間から、悪戯っぽく笑いながらこちらをのぞき込む一体の鬼。

 

「えへへ、見つかっちゃった」

隠れん坊をして遊んでいる、そんな風にひょっこりと現れて鬼殺隊と対峙したのは、無邪気に笑う十歳程度の子供に見える鬼だった。

 

「みなさん、下がってください」

隊長の女性隊士が一歩前に出る。

 

「お姉ちゃんたちが鬼狩り?初めて見た!」

子供の鬼は女性隊長と隊士たちを見て、遊び相手にでも会ったようにケラケラと笑う。しかしその鬼気は強く、女性隊長は悪寒に身震いし、総毛立つのを感じていた。

 

「村の人たちを喰ったのはお前だな?お前は俺たちが倒す!」

別の隊士が叫んだ。

 

「ふうん、やっぱり鬼狩りかあ。じゃあ……死ねぇ!」

目が吊り上がって口は大きく裂け、無邪気な子供の顔は見る間に恐ろしい悪鬼になり、声まで野太く変化した。鬼は両手の指の間に赤い独楽を挟み、腕を広げるようにして投擲。その手から放たれた多数の独楽が、唸りを上げて隊士たちに襲い掛かった。

 

「か、下弦だ!下弦ノ弐だ!」

子供の姿に気をとられていて先程は分からなかったが、隊士たちはその目に「下・弐」の文字が刻まれているのを見た。この鬼の正体は下弦ノ弐、名は鉢駒(はつこま)と言った。

 

 鉢駒は身軽に飛び回ってこちらの攻撃を避けつつ、両手の指の間に挟んだ小さな独楽(こま)を投げて攻撃してきた。独楽は椎の実のような形をしており、指の力で強く捻りを加えられ、放たれるそれはさながらライフル弾だった。追尾性能はなく物自体は小さいが、かなりの重量があった。危うく躱した独楽は二抱えもある木の幹を数本易々と貫通しており、いくら鍛えていても人体など簡単に破壊される威力だ。さらに鬼の頸には繋いだ独楽が数珠のように何重にもぎっちりと巻き付けられており、頸の守りと同時に予備弾倉の役割を果たしていた。

 

 下弦ノ弐・鉢駒は序盤こそ鬼殺隊を圧倒していたが、隊長はこの鬼の戦いぶりは力押しが主体であると看破し、おそらくは鬼殺隊との実戦経験が乏しく、力の配分が分かっていないのだろうと予想した。事実この鉢駒は、人里離れた集落ばかりを狙い、目立たぬように人を喰い続けて力を増して来た鬼であった。

 相手の鬼が十二鬼月、下弦ノ弐であることも隊士たちの会話から分かり、倫道はなお隠れて戦況を見守っていた。この世界では、真っ暗でも人の顔が判別できるくらいには見えるのだ。隊士の中に顔見知りはおらず、隊長の女性隊士は何故か野良着のような隊服を着ており、顔の左側に横一文字の大きな傷があった。倫道は思わず隊長の顔を凝視した。

 

(あの隊長さん、もしかして?いや、そんなことは後だ)

倫道の頭に、かつて自分を助けてくれた少女の顔が浮かんだが、今は戦況を見極める方が重要だと思い直して雑念を払い、戦場全体に注意を向けた。隊士たちは大小の傷を負いながら必死に戦い、誰も殺されず、退避させた一人を除いて動けなくなった者もいなかった。

 隊長は距離を取りつつ四方から鬼を取り囲むように隊士たちに攻撃を続けさせ、鬼が体力を消耗するのを待つ戦法を徹底させた。長時間を要したうえ隊士たちも傷だらけになったが、このヒット&アウェイの持久戦法が奏功し、鬼は動きのスピードも、斬られた傷の再生も明らかに遅くなり、討伐寸前と思われるほどに弱っていた。

 

(上手い。常に三人以上で鬼に当たって、しかも深追いせず足止めして消耗させる作戦を徹底している。このまま犠牲を出さずに十二鬼月が討伐できそうだ!)

倫道は隊長の采配と戦闘力に感心しつつ、鬼が消耗してきた様子からこのまま押し切れると思った。

 

 だがその時、血の匂いを嗅ぎつけたもう一体の鬼がやって来た。袈裟を着て頭をそり上げた僧侶のような鬼が闇に紛れ、技を放つ寸前の隊士に背後から襲い掛かろうとしていた。

 

(危ない!)

直前まで気配を察知できなかったが、何とか間に合いそうであった。鬼が音もなく跳躍したタイミング。

 

(空破山!)

倫道は瞬時に抜刀、真空波を放って空中の鬼を迎撃した。鬼の体は上半身と下半身が綺麗に真っ二つになって戦場に転がった。

 いきなり真っ二つになった別の鬼の体が降って来て、下弦ノ弐・鉢駒と戦闘中の隊士たちは驚いた。

 

「くそっ!どこだ!どこから攻撃を?!……ふん、まあ良い、直ぐに全員殺してやろうぞ」

即座に体を再生し、辺りを見回して攻撃の主を探る新手の鬼。その目には「下・伍」の文字があった。

 

「何でだよ!何でまた下弦が?!十二鬼月が二体も現れるなんて!」

場が凍りつき、激しく動揺する隊士たち。このままでは総崩れになりかねない、倫道は危惧した。

 

「おお、やはりおなごがいるではないか。儂の鼻に狂いはない!よしよし、後で喰ってやるからな。それにしても鉢駒のガキもいるとは。さっさと殺されてしまえ、いやいっそ儂が討ち取ってやろうか?」

 やけに大きな鼻の生臭坊主のような下弦ノ伍は、女性の隊長と弱った鉢駒を見てニタニタと下卑た笑いを浮かべ、勝手なことを言いながら懐から念珠を取り出して構えた。

 

「図に乗るなクソ坊主が!こいつらを殺したら次は相手してやるぞ!」

下弦ノ弐・鉢駒は瀕死ながらも下弦ノ伍に怒鳴り返す。この隙に倫道が動いた。

 

水の呼吸 参ノ型・流流舞い!

 

「こいつは俺が抑える!君たちはそっちを!」

倫道は隠の服装のまま飛び出し、下弦ノ伍に斬撃を見舞いながら隊士たちに怒鳴った。

 

「おい生臭坊主!お前の相手は俺だ!もう一回ぶった斬ってやるからこっちへ来い!!」

倫道はさらに斬撃を浴びせて下弦ノ伍を挑発し、わざと背を向けて駆け出した。

 

「さっきのはお前か!黒子が生意気にほざきおって!」

下弦ノ伍は念珠を振り回しながら倫道を追ってきた。

 

(何だあいつは?)(水の呼吸の技を?)

日輪刀を持って全集中の呼吸を使い、下弦の鬼を後退させる”隠”に隊士たちは戸惑いを隠せないが、隊長は倫道の様子から”手練れの隊士の誰か”であると判断した。

 

「まずこっちに集中して!」

隊長の声で全員が瞬時に下弦ノ弐へ意識を集中させ、攻撃を再開した。

他の隊士たちがありったけの力で一斉攻撃を仕掛け、隊長は密かに跳躍。

 

土の呼吸 伍ノ型・土砂崩れ!

 

 隊長は止めを刺すべく、渾身の一撃を放った。隊長の鍬のような日輪刀は、幾重にも固く巻き付けられた独楽をも砕き、下弦ノ弐の頭を半ば粉砕するようにその頸を叩き斬った。

 

「おら……上弦さもなれだんじゃ……なして……邪魔すんだべ……」(俺、上弦にもなれたかもしれないのに。何で邪魔するんだよ) 

 

下弦ノ弐・鉢駒はぽろぽろと涙を流し、灰となって消えていった。

 

(やはりこの鬼はあの時の)

死ぬ間際の言葉は、隊長の聞き覚えのある方言だった。下弦ノ弐・鉢駒は、朧気ながら人間だった頃の記憶が蘇り、懐かしい故郷の方言で最後の言葉を残したのだった。この鬼は隊長が目覚めるきっかけとなったあの時の鬼。その後も討伐されておらず、今日まで人を喰い続けていたのだった。

 

(そうだ、もう一体!)

隊長の女性隊士は安堵する間もなく、隠が鬼と戦っている方へ急いで駆け出した。

 

 下弦ノ伍は、大ぶりな珠が連なった念珠を生き物のように自在に操り攻撃を繰り出す。倫道がその一撃を躱し、念珠が地面をビシリと打った。地面は爆ぜて大きく抉れ、もし当たれば人間の骨など簡単に砕かれる威力だと分かる。だが倫道は柔軟な動きと素早いフットワークで避け、度々間合いに入る素振りを見せながら、下弦ノ弐と戦っている隊士たちから引き離して十分な距離を取っていた。下弦ノ伍は自分の攻撃が当たらないと見るや、自分の鼻に指を突っ込んで鼻血を出し、その血をぺろりと舐めた。

 

「ちょろちょろとすばしこいヤツめ!よくも儂がおなごを喰らう邪魔をしてくれたな!」

下弦ノ伍は倫道に怒鳴ると、手を合わせて目を閉じ、何やら唱えようとした。

 

(こういうのは大体聞いちゃダメなヤツなんだよな。こいつは女性に執着してる。それなら)

 倫道は咄嗟に判断した。

 

「危ない!女性は来ちゃだめだ!」

大声で叫んだ。もちろん女性はおろか、声が届くような近くに他の人間はいない。

 

「な、何?!まだおなごがいたのか?」

下弦ノ伍は唱えるのを止めて血走った眼で辺りを見回す。その隙を倫道が見逃すはずはなかった。

 

水の呼吸 壱ノ型・水面斬り!

 

「バカな!この儂が、こんな所で……。おなごの血が……肉が」

狙いすました斬撃の前には頸の固さも通用せず、あっさりと刎ねられたその頸は血飛沫を上げて宙を舞った。

 

(あっ!あいつ頸斬ったぞ!)

 下弦ノ弐を倒した隊士たちは倫道が下弦ノ伍の頸を刎ねたのを遠目に見ており、この人誰だ?とますます疑問に思っていた。

 倫道は他の隊士たちが下弦ノ弐を倒したのも確認して安堵していたが、どこかでこの場面を見たような気がしてならなかった。原作にはこんな場面は描かれていないが、あってもおかしくはない。そんな無数にあると思われる場面の一つかもしれない。だが、倫道の知っているある場面とあまりに似通っていた。

 

 

 

 

 

 女性隊士を隊長とする鬼殺隊と独楽を操る子供のような鬼が戦う。その正体は下弦ノ弐。その最中にもう一体、下弦ノ伍の鬼が現れる。

 

 知っていた。その後どうなったかも。

 

 本来であれば、後から現れた下弦ノ伍の血鬼術で隊長以外の隊士は全員殺され、深い悲しみと怒りで女性隊長は力を解放、土の呼吸 拾ノ型 奥義・大地ノ怒(だいちのいかり)を繰り出して二体を粉砕、全力を使い果たした彼女は失神する。そしてその後、救援に駆け付けた不死川実弥に助けられ、藤の花の家紋の家に運ばれて治療を受け、無事に帰還するのだ。

 

 

 倫道は思い当たった。前世で読んでいた鬼滅の刃の二次創作小説、”野良着の隊士”の一場面にそっくりなのだ。

 

 ――ここに至って、倫道は自分の大きな勘違いをようやく理解した。

 

 自分が転生したのは鬼滅の刃の世界ではなく、二次小説”野良着の隊士”の世界だったのだ。そして、野良着の隊服を着て顔に大きな傷のある、あの隊長の女性隊士こそ物語の主人公・蓬萊斗和(ほうらいとわ)。倫道は鬼に襲われた十四歳のあの日を思い返した。

 

(そうか、そうだったのか……)

四年経った今でも鮮明に覚えている。助けてくれたのは、可憐な少女だった。最初から重大なヒントが、いや答えは出ていたというのに、倫道自身は気付けなかった。

 

 周囲を見渡すと、下弦ノ弐を倒した斗和と隊士たちがこちらに駆け寄ってくるところだった。倫道は手を振ろうとしたが、慌てて逃げ出した。隠に擬態したままであったし、それに下弦二体が出現したと連絡を受け、風柱・不死川が救援に向かっているはずだった。この段階で目を付けられるのは何となくまずい気がしたのだ。

 

(「てめえ、何で隠のふりなんかしてやがんだァ?殺すぞォ」て不死川さんに言われかねないし、色々面倒だ)

 

「そこの隠の人、待って!」

斗和は隊長として礼を言いたくて懸命に呼び止めたが、隠に擬態した倫道は一目散に逃げてしまった。

 

「何だったんでしょう、今の隠は」

隊士の一人が呟く。

 

 斗和は、あの隠が並外れた強さであることは見抜いたが、正体には全く心当たりがなかった。

 

「でもあれ、本当に隠だと思う?あっちの下弦ノ伍、一人で倒したんでしょう?」

狐につままれたような気分の斗和たちであったが、倫道によって退避させられていた一人の隊士も無事に回収し、ひとまず被害は最小限に抑えられて安堵していた。

 

「お前が十二鬼月二体倒したのかァ」

救援に来た風柱・不死川は、隊長の斗和を問い詰めたが要領を得ず、他の隊士からも事情を聞いていた。周囲では隠たちが救護活動に当たっており、倫道も何食わぬ顔でその中に紛れ込んでいた。斗和はキョロキョロと周囲を見渡してあの”隠”を探したが、同じ格好の十人程の隠たちに紛れて見分けがつかず、その中にいるかどうかも分からず途方に暮れた。斗和は不死川の圧に耐えながらどう説明したものかと考えを巡らせていたが、起こったことを話すしかないと考えてその通りに不死川に話した。

 

「何だとォ、隠が一体倒したァ?!そらどういう事だァ!」

案の定、不死川は斗和の説明に納得しない。不死川の血走った目がじろりと斗和を一瞥する。

 

「で、ですから、あの……本当に、隠の人がですね……」

斗和はしどろもどろになりながらも説明した。

 

 斗和が不死川に身振り手振りで報告しているのを横目で見ながら、倫道は黙々と怪我人の治療をこなしている。戦闘時とは頭巾を変え、微妙に動作も声色も変えるという細かい演出をしているため、正体はバレていなかった。

 

「十二鬼月倒す隠が何処に居んだァ?!」

だがそこに、不死川の不機嫌そうな声が聞こえてきて倫道は肝を冷やした。

 

(ああ、ごめんなさい……)

倫道は心の中で斗和に謝っていた。隠の格好で戦闘に介入して鬼を倒したため、“その隠はどこに行きやがったァ?“とまた問い詰められており、倫道はいたたまれなくなった。だが死者も出さず、四肢欠損などの再起不能になるほどの重傷者が出なかったこと、斗和や不死川に自分の正体が露見していない様子であることにホッとしていた。

 

 

 ”刀を持った隠”というところに不死川はスッキリしないものを感じるが、要約すると、

「怪我人の一人を除く八人の隊士が下弦ノ弐と戦闘中、突如下弦ノ伍が乱入したが、隠の隊服を着た何者かが下弦ノ伍をひきつけて単独で撃破し、下弦ノ弐もこの蓬萊という女性隊士らが撃破した」ということだった。

 

「まあいい、後で報告書上げとけェ」

不死川はそう言って去って行った。

 

(その隠のことはさておいても、あの女、少なくとも十二鬼月の一体を倒してるわけだ。土の呼吸なんぞ聞いたこともねえが、女の身であんな大ぶりな刀を扱いやがる……。覚えておくか、すぐに柱になるはずだからなァ)

 

 斗和のことが妙に心に引っかかる不死川であったが、この斗和と愛し合うようになるとは、この時はまだ想像もしていなかった。

 

 ”野良着の隊士”の主人公蓬萊斗和と、その世界に紛れ込んだことに気付いた水原倫道。

そして蓬萊斗和と不死川実弥、物語において本来出会うはずの二人。この夜、互いの運命が交錯した。

 

 

 

(ここは”野良着の隊士”の世界……。そうと分かれば主人公の斗和さんにコンタクトを取ろう。転生者同士だし、ハッピーエンドを目指す志は同じはずだ)

そう考える倫道だったが、懸念事項もあった。

 

 斗和は、自分が過度に介入することで原作の流れを変えてしまうのではないか、それを気にかけている様子だった。人を助けたいが、その反動で本来死なない人が死んでしまったりするのではないか?と。だから実力がありながら柱への打診も断っているし、目立つ動きは控えている。だが倫道は積極的に介入して世界を変えようとしている。二人の考え方に違いがある。

 そしてもう一つは斗和の体のことだ。

”野良着の隊士”の物語では、斗和は心臓病が悪化し、無惨討伐を見届けることなく死んでしまう。症状が進行し、何度か診察したしのぶには命の期限を告げられていた。それでも精一杯に生きる描写は切なく、印象的だった。

 

 倫道にはこの世界の大きな目標ができた。原作の登場人物たちを助けるのはもちろん、主人公の斗和を必ず助けること。カナエの治療のための研究を進めているが、上手く行けば斗和の治療に関しても応用が利くはずだ。ただ、やはり全てを知っていることは黙っていよう、倫道はそう思った。鬼滅の世界に転生した者同士ということで仲良くなって、信用を得てから治療に入る方が良い、そう考えてのことだ。

 

(斗和さんは鬼滅の刃の世界にいると思っているだろう。まさか自分が物語の主人公で、その読者が救いに来るなんて考えるはずがない。だけど悲しい運命が待ってるんだ。どうしても変えなくちゃ)

 

 好きだった小説の世界にせっかく転生したのだから、悲しく切ない結末を回避してハッピーエンドにしたい。主人公の斗和に、想い人の不死川と幸せな人生を歩む未来を。

 

(俺はそのために心を燃やす!)

 

 斗和も、登場人物のみんなも。

この世界のみんながほのぼのと平和に生きていけるように。

倫道は強くそう願い、動き出す。倫道は帰宅後、早速斗和に手紙を出して面会を申し込んだ。



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第六話 秘密

蓬萊斗和(ほうらいとわ)…【野良着の隊士】の女性主人公。“土の呼吸”を使い、今回土柱となる。十八歳。
館坂佳成(たてさかよしなり)…【野良着の隊士】オリジナルキャラ。斗和の継子で
十七歳。
小野寺夏世(おのでらかよ)…【野良着の隊士】オリジナルキャラ。斗和の家の家事全般、畑の管理をしている。十九歳。
令和…【野良着の隊士】オリジナルキャラ。斗和の鎹ガラス。寡黙。



「頼モー!」

 

ある朝、斗和の自宅。玄関の方から騒がしい声がした。斗和が見に行くと、玄関先に文を持った一羽のカラスが佇んでいた。

 

(頼もう!って道場破りじゃないんだから……。あら可愛い、誰のカラスかしら?)

 

「斗和チャン!手紙!リンドーガ会イタイッテ!」

(と、斗和ちゃん?私、友達だったっけ?それに、りんどーって誰?)

 

 倫道の鎹カラス、マスカラスが翼をバタバタさせながらピョンピョンと跳んで見せて、足に付けた手紙をアピールしてくる。

 

(朝からテンション高い子!)

斗和はマスカラスの可愛らしい仕草に笑みを浮かべ、手紙を受け取って中身を確認した。

 

(面会?誰だろう)

斗和は会ったことも無い人物にいきなり面会を申し込まれ当惑した。

 

(水原倫道十八歳、階級丁。同い歳だけど知らない人よね?何の話しだろう?)

 

 手紙には、少々込み入った話があると書いてある。令和について、という謎の言葉も記されていた。斗和は鎹ガラスに“令和“という名前をつけているが、そのことだろうか、と思った。相手が面会を求めているのに断るのも悪い気がして、何か引っかかるものを感じながらも了承することにした。

 

「斗和チャン!返事チョウダイ!」

「えっ?は、はい、すみません」

 

 斗和は、返事を催促するという倫道のカラスのやや過剰なフレンドリーさに思わず苦笑した。そして、面会は承知したがしばらく多忙なので、日程は追って決めましょうと返事を書き、カラスに渡した。

 

「蓬萊斗和は私です。これを水原さんに。えーと、貴方のお名前は?」

「アタイ、マスカラス!斗和チャン、リンドーヲヨロシク!」

倫道のカラスはでかい声で自己紹介までして帰って行った。

 

(ますからす?変わった名前。同じカラスでも、うちの令和と違って元気良いなあ)

 

 斗和は帰っていくマスカラスを縁側で見送り、いつの間にか戻って来た自分の鎹カラス、令和を横目で見る。途中からこのやり取りを見ていた令和だったが、斗和の視線に気づくとフイッと横を向いてしまった。

 

(つれない……)

任務以外はほとんどしゃべってくれない令和を寂しく思いながら、斗和はふとある疑念を抱く。

 

(まさか、令和って年号のこと言ってるの?)

ふとそんな疑念が湧き上がるが、さすがにそれは無いだろう、と振り払った。

 斗和は、継子である館坂佳成(たてさかよしなり)にも水原倫道について聞いてみたが、面識は無く人となりは知らないが、珍しい黒刀を使うと聞いたことがあるというだけだった。

 面会するつもりの斗和だったが、正式に柱に就任したり、不死川に手合わせを申し込まれたりして忙しく、すぐには面会できなかった。十二鬼月二体を倒したあの任務の後、斗和は柱に就任して”土柱”となったが、実は以前から柱への就任を打診されていた。

 自分はそんな器ではない。剣士として実力が足りないし、無限列車の時の杏寿郎のように、他の隊士を統率して戦うこともできそうにない。

 そう思って固辞していたのだが、当主の耀哉に強く奨められ、また先日の任務の報告で同席していた不死川にも推され、今回ばかりは断り切れず、柱への昇格を引き受けることになったのだった。

 

 倫道の自宅。

「リンドー!斗和チャン二手紙届ケテ来テヤッタゾ!スグ返事クレタ!」

 マスカラスが得意気に、斗和からの返書を見せびらかして報告していた。

 

「おお、ありがとう。ご苦労様」

倫道はマスカラスを労って早速返書を確認し、面会を承諾する旨の斗和の返書を何度も読み返してニヤニヤしていた。そんな倫道を引き気味に見ているマスカラス。

 

「リンドー気持チ悪イ」 

「うるさいな、いいだろ別に!」

マスカラスにそう言われて怒ったふりをするが、倫道のニヤニヤは止まらない。だが倫道はふと心配になり、マスカラスに確認した。

 

「お前、蓬萊さんに失礼な事してないだろうな?」

倫道は、何気ない調子でマスカラスに聞いた。倫道は普段、斗和のことは「蓬萊さん」、「土柱(様)」と呼んでいるが、頭の中では密かに斗和さんと呼んでいる。

 

「シテナイシテナイ!マスカラス、礼儀正シイ!」

マスカラスがすかさず答えるが、倫道は疑わしそうにマスカラスを見つめる。

 

「ホントか?まさかとは思うけど、蓬萊さんに向かって“斗和ちゃん“って呼んだりしてないよな?」

「ヨ、呼ンデネーヨ……」

視線を逸らすマスカラス。

(目が泳いでる。怪しい……)

 倫道はさらに追及する。

 

「それならいいけど。あと返事を催促したりもしてないな?」

「ウッ……シ、シテナイ」

 

「あと目の前でフンしたりとか」

「スルワケネーダロ、ボケ!」

 

「ふーん……」

(あっ、ダジャレになっちゃった。けどこいつ絶対何かやらかしてるな)

倫道はますます疑わしそうにマスカラスを見るが、一計を案じて笑顔に戻る。

 

「そうか、それならいいんだ、それ聞いて安心したよ。蓬萊さんて優しそうに見えて凄く恐ろしいんだぞ。この前の十二鬼月なんて、頭ぐちゃぐちゃだったろ?それとな、礼儀もちゃんとしないと、カラスでも無礼討ちにしてるからな」

 

「!」

マスカラスが、ギョッとしたように目をまん丸にして倫道を見る。

「朝から騒がしいとか、手紙の渡し方が悪いとか、馴れ馴れしいとか。二度目は無いらしい」

 

「……」

マスカラスがキョロキョロと視線を彷徨わせ、挙動不審になる。

 

「飛んでるカラスを空中で真っ二つに斬っちゃうそうだ。その後、羽根を毟って、足爪の所を引き千切って、焼き鳥にして食っちゃうんだって」

「リンドー……」

 

「でもお前は無礼なことしなかったんだろ?大丈夫、大丈夫!また手紙書くから、すぐ届けてくれよ」

「リンドー、アタイ……オ腹ガ痛イ」

「そうか残念だな、せっかく虎屋の羊羹を頂いたんだが、お前は食べられないな」

「食ベル!」

「何だ大丈夫じゃねえか。じゃあ食べたらお使い頼むぞ」

「リンドー!アタイヲ殺ス気カ!」

「大丈夫だって、嘘だから(笑)。羊羹もだけど」

 

「ウ、嘘?!斗和チャンガ怖イッテ嘘ナノカ!!リンドー!テメエ!!」

ギャオウ!とマスカラスが怒る。

 

「やっぱり斗和ちゃんって言ってるじゃねえか!蓬萊さんは柱だからな?岩柱の悲鳴嶼さんに行冥ちゃんって言わないだろ?風柱の不死川さんに実弥ちゃんって言えるか?とにかく偉い人にちゃんづけはダメなの!分かった?」

 

「ハイハイ分カッタヨ、分カリマシタ!……トイウ素直ナ心」

(ううむ、あんまり素直じゃない気もするが、まあいいか)

 

「蓬萊さんは優しいから大丈夫だと思うけど、失礼のないようにまたお使い頼むな」

倫道は脱力しながらマスカラスに声をかけた。斗和が却って親しみを覚え、笑って許してくれることを願うしかなかった。

 

 それから何度か手紙のやり取りをし、日程が決まった。十二鬼月二体を倒したあの任務から一ヶ月以上経ってからのことだった。

 

 いよいよ物語の主人公・蓬萊斗和と倫道の面会が実現することになった。これまで実は二度会っているとは言え、倫道は柄にもなくとても緊張していた。現実世界で物語を読んでいた倫道は、斗和が穏やかで優しい性格なのは良く知っているが、きちんと対面して話をするのは初めてだ。その穏やかな人に初対面で悪い印象を与えては、救うどころか今後近づくこともできなくなる。それに、なぜ転生者だと気付いたのか、上手く説明しないと不自然に思われてしまう。事実を上手く隠して、どう切り出したものか悩んでいたが、結局”令和”で気付いたことにしようと決めた。

 そして倫道は、最後までネタばらしはしないことを決めていた。それを告げるのは、本当の最後。全てを解決したら、この世界は貴方の物語なのだと告げるつもりだった。

 

(本当に家の周りに畑があるんだな。すごい広さ!)

柱への就任を機に、斗和の自宅は土柱邸と呼ばれているが、その土柱邸が近づいてくる。倫道は緊張を紛らわすように周囲を眺めたが、土柱邸は遠くからでも目立っていた。生垣に囲まれた畑の中に一軒家が建っていて、その畑の広さに倫道は驚いた。

 

 玄関で声をかけると、若い女性と大柄な隊士が倫道を出迎えた。斗和の自宅と畑の管理をしている夏世(かよ)と斗和の継子の館坂佳成(たてさかよしなり)だった。

 

(ああ、やっぱりここは野良着の隊士の世界なんだ)

倫道はそんなことにも感動していた。

 

「師範、水原さんがいらっしゃいましたよ」

館坂が奥の方に声をかけた。

 

「い、今行きまーす!上っててもらって!」

明らかに緊張を含んで、わずかに上ずった斗和の声がした。

 

(ここが斗和さんの家か。いよいよちゃんと会えるんだ!)

いちいち感動しながら客間で待っていると、倫道の緊張はさらに高まる。ふううっ、と一つ息をついたその時、野良着隊服でなく、一般隊服に着替えた土柱・蓬萊斗和が現れた。

 

「すみません、お待たせしました!蓬萊斗和で……す?」

 

 (ああ……斗和さんに……会えたああ……!)

 倫道は挨拶も忘れ、感動に涙ぐんで思わず斗和の黒目がちな瞳を見つめた。あの時の思い出が鮮やかに蘇る。初めて会った時も、倫道は呆けたように見つめ、斗和ははにかんだような、戸惑ったような表情をしていた。

 

(やっばりそうだ、運命なんだ。あの時俺を助けてくれたのは……)

 

 十四歳の倫道を助けたあの可憐な少女は、美しく強く成長し、今や柱となって再び倫道の前にいる。

 

「あの……?」

斗和は困惑したが、愛想笑いを浮かべながらこのおかしな人物を観察する。

 

(何……?大丈夫かなこの人?)

斗和は会うなり涙ぐむこの男のことが心配になったが、斗和の運命を知っている倫道は、生きている斗和に、物語の主人公に会えたことだけで既に胸がいっぱいで、すぐに言葉も出ない状態だった。

 

 初めての出会いから四年の時を経て、必然と言える三度目の出会い。この世界の未来を変える対面が実現した。

 

(やばい、き、緊張がっ!)

だが大きな感動も束の間、倫道は今度は大きな緊張感に襲われていた。既に変な人認定されているのは確実で、何とか挽回しなければという焦りもそれに拍車をかけた。

 

「は、はじめまして。蓬萊斗和さん。……あっ、土柱様。私は水原倫道十八歳、階級は丁(ひのと)です。み、みず、水の、こ、呼吸で、ああっ!みみずの呼吸じゃなくて、あの、水の呼吸です。ほ、本日は、面会してくださり、ありがとうございます」

 

(あれ、緊張してただけ?意外とまともな人……かな?でもめっちゃ緊張してる)

斗和は丁寧に頭を下げる倫道の様子からそう思い直したが、そうと分かると倫道の緊張が斗和にも一気に伝染した。

 

「あっ、は、はい、蓬萊斗和です。階級甲……じゃない、柱、柱になったんだった。私も十八歳です。土の呼吸を使うんですけど、あ、土の呼吸と言うのはですね、岩の呼吸から私が派生させたもので、最初は岩の呼吸が良かったんですけど、師匠がお前には岩の呼吸は無理だって言うから、あ、師匠っていうのは、熊みたいなおっさんなんですけど……」

 

 ガチガチに緊張し、ぎこちない挨拶を交わす転生者二人。カミカミになる倫道とどうでも良い事をしゃべり出す斗和。お互いに尋常でない強さを持ちながら、異性への耐性が極めて低い者同士の、ド緊張の面会が始まった。

 

(なんだか良さそうな人じゃない?)

(そうだな、だけど何やってんだあの二人、大丈夫かな?)

ふすまの隙間から、夏世と佳成がそっと覗いている。夏世と佳成は恋人同士であり、共に斗和の心配をしているのだった。斗和と倫道は正座して向かいあったまま、「どうも」「ど、どうも」と、お互いにぺこぺこ頭を下げるばかりで話が一向に始まらない。

 

「えーと、あ、あの、単刀直入に申します。土柱様の……」

意を決した倫道がやっと話を切り出したが、ふすまの向こうの気配に苦笑して続きを言い出しにくそうにしていると、斗和は途中で話を遮り、ゴッホン!と大きな咳払いをした。

 

「ちょっと待っててください」

そう言ってふすまを開け、夏世には買い物を、佳成には畑兼鍛錬場で稽古を申しつけた。

 

「師範、頑張ってくださいね」

「頑張るって何を?」

「良さそうな人じゃないですか!後でどうなったか聞かせてくださいね」

「そんなんじゃないから!稽古して来なさいよ!」

斗和と佳成が小声で言い合う。

 

「本当にすみません、失礼な事をしてしまって。それと、”斗和”でいいですよ、同い年なんだし」

 倫道は斗和の配慮に感謝した。確かに、倫道がこれから話す内容はこの世界を揺るがす重大事項であり、誰に聞かれても良いという訳ではない。斗和の気遣いに、倫道はかなり緊張が解れた。

 

「じゃあお伺いしますが、斗和さんのカラス、令和って名前ですよね。何か由来でも?」

(やっぱりカラスのこと?)

 

「規律や決まりの令、調和の和。それくらいの意味ですよ」

意外なことを聞かれ、斗和は倫道の真意を測りかねたが、穏やかな表情を崩さずにそう説明した。

 

 

「俺は転生者なんです」 

倫道は覚悟を決め、本題に切り込んだ。これを口した以上、もう後戻りはできない。

 

 

「えっ?」

斗和は相手が何を言っているのか分からなかったが、一瞬の後、その意味を理解した上で戸惑った。そうですか、と言えば自分がその言葉を理解している、自分もそうだと認めたことになる。

 

(この人も転生者……?)

目の前の人物が再び怪しく見えてくる。斗和は警戒心から先程と違う、戦闘に近い緊張感をみなぎらせ、どうしたものかと思案を巡らせる。

 

「俺は令和三年、西暦2021年からこの“鬼滅の刃”の世界に来ました。斗和さんもそうなのでは?原作には、”蓬來斗和”なんて人はいなかったはずです。それに、カラスの名前……年号からではないですか?」

 

 倫道は虚実を交えながらズバリと言った。令和という現代の年号、何より決定的な、鬼滅の刃というキーワード。

 もう疑いようもなかった。これは本当だ。この人は本当の転生者だと合点がいき、斗和の警戒心がようやく薄らいだ。

 

 その後は色々と話をした。

“目覚めた”時のこと、この“鬼滅の世界”でのこと。

だが倫道は、以前斗和に助けられたことは敢えて伏せた。

 

「私、東北の生まれなんですよ。十二歳で“目覚め”て、鬼殺隊に入らなきゃって思って。列車に乗るお金もないから、東京目指して何日も歩いて来たんです」

斗和が自分の目覚めを語ると、倫道も応じた。

 

「俺は東京の奥多摩の方です。十四歳で“目覚め”ました。それで鱗滝さんに入門して」

「へえ、原作沿いですね。水原さんは元何歳ですか?」

 

「俺は元は五十歳で、医者やってました。気付いたら子供になっていて……。でも中身は五十歳だからボケ始めちゃってて、知らないうちに同じ話を何回もしてたりするんですけど。ただ肉体年齢に引っ張られますよね。感情が若くなるって言うか。もし良かったら俺も“倫道”って呼んでください」

 

「じゃあ、倫道君で。私は元は二十九歳でした。でもそれ以外は良く覚えてなくて」

「そうなんですか。俺は元の世界でのこと、しっかり覚えてます。だから強くなるのと同時に、原作知識と医学知識を使ってみんなを助けたいなって。と言っても五十歳だからボケ始めちゃってて、知らないうちに同じ話を何回もしてたりするんですけど」

 

(ええ?!……この短い時間でもう同じ話をしちゃってますけど……)

斗和は困惑するが、気を取り直して話を続ける。

 

「ああ……え、偉いですね。私なんて、煉獄さんを助けるために強くなってるようなもんですよ」

「でも斗和さんもう柱じゃないですか!」

「いやあ、私なんかまだまだで……。この前も不死川さんにボコボコにされたばっかりで」

思い出したくないと言わんばかりに斗和は苦い顔をした。

 

 風柱の不死川は、先日の十二鬼月との一戦以来斗和に興味を持った。下弦を撃破し、女性ながらに大きく重い変わった刀を使う女隊士。鬼殺隊当主の産屋敷耀哉からは、二度も柱への昇格を断っていると聞かされており、その強さを確かめようと、斗和が柱に就任した際に手合わせをしていた。斗和は不死川を恐れており、初めての手合わせでは萎縮して全く力が出せず、まともに打ち合えたのは最後の最後、ほんのわずかな時間だけだった。

 

「そんなことないです。斗和さんは強くて優しいって隠もみんな言ってますよ。それに比べて俺なんか、任務ずる休みなんて言われてるんですよ!まあ本当のことですけど。俺、隠に擬態して救護活動もしてるんであんまり任務受けられないんですよ」

 

「任務もこなして隠もしてるんですか?!」

「治療と情報収集の両方のためです。そしたらカナエさんが童磨と遭遇する任務を受けたの、偶然聞いてたんですよ。そのおかげでカナエさんも助けることができました。と言っても怪我したカナエさんを珠世さんの診療所に運んだだけですけど。珠世さんと愈史郎さんのおかげですね」

 

「カナエさん助けたの倫道君ですか!ああ、なるほど」

斗和は何か得心がいったという風に軽く頷いた。

 

「私、この前の任務で刀を持った隠に会ったんですけど、あれ倫道君ですよね?」

「そうです、大きな任務があるって聞いたので行ってみよう、と。却って迷惑かけちゃってすみませんでした」

 

「いえ、迷惑なんてそんなことないです。でもあの後不死川さんに色々聞かれて大変だったんですよ」

斗和は倫道を軽く睨む。

 

「すみません、あまり目立つのもどうかと思って、つい逃げちゃいました、えへへ」

倫道がアホのように笑っていると、斗和が口を尖らせて呟く。

 

「あんな簡単に下弦倒すんだから、倫道君が柱になったらいいんですよ。そうすれば私が柱にならなくて済……あっ」

「いやー、柱になると色々面倒かなって、あっ」

 双方が思わず本音を口に出してしまい、しばし気まずい空気が流れる。

 

「あ、あはは……何でもないですよ?」

「はははは……俺も。何でもないです」

しまったと思いながらお互いに誤魔化し合い、空虚な笑いが漏れた。

 

「あの、今後の活動なんですけど」

わざとらしくゴホン、と咳をして倫道が切り出した。

「活動?」

斗和が聞き返した。転生者の二人が動くことは、物語の未来に大きな影響を与える。斗和は自分が動いたことへの反動を恐れ、自分自身を強化すること以外はあまり積極的には動いていない。だが倫道は力の及ぶ限り色々な人を助けたいと思っている。この違いを擦り合わせ、力を合わせなければならない。

 

「煉獄さんは助けたいんですけど、あまり出しゃばっても、その他のところに影響が出るかもって思って」

斗和は自身のもどかしい思いを語る。

 

「俺の考えはちょっと違うんです」

そう言って倫道は自分の考えを述べた。

 

「自分が迷い込んだ時点で、その世界はすでに正史ではなく、無数にあるパラレルワールドの一つになっている。自分がここに存在することがもう運命だと。変わることは織り込み済みだと思うんです。未来は変わる。自分もここに生きている。だとすれば、幾通りも枝分かれする未来から、努力して最善を掴み取ることは悪い事じゃない。むしろそうすべきじゃないかと考えるんです。もちろん無数にある並行世界の全てで煉獄さんを助けられるわけじゃないけど」

斗和はそう言われて考え込んだ。すぐに結論が出ることではないが、ずっと抱いていた迷いに、何か光明が見えた気がした。自分たちが迷い込んだ世界は、自分たちが変えていかなければならないのだ。

 

「人々が理不尽に命を奪われないために。死んでしまう登場人物を少しでも救って、みんながほのぼのと平和に生きていけるようにする。それが俺の目標です。やってみませんか?”自分の中の可能性を信じて力を尽くせば、路は自ずと開ける”って、アニメの名言なんですけど、逆に言えば、全力でぶつからなければ路は開けないってことです。変えてみましょう。ハッピーエンドを目指して!斗和さんと俺が組めば、鬼に金棒ですよ!」

 

(鬼殺隊なのに”鬼に金棒”って……)

斗和は微妙な例えに苦笑するが、そうかもしれない、と思い始めていた。

 

 二人は大きな秘密を共有することになった。だが、倫道は斗和に対してさらに大きな秘密を抱えることになった。ここは鬼滅の刃の世界ではない。二次小説”野良着の隊士”の世界なのだ。

 

 考え込む斗和、それを見つめる倫道の胸中は複雑だ。

 

 斗和が杏寿郎に想いを寄せながらも不死川に惹かれ、やがて結ばれることも、心臓に持病を抱えた斗和が最後にどうなるかも倫道は知っている。倫道は何としても斗和を救いたかった。今はまだ心臓病の症状は出ていないようだが、物語の進行と共に悪化し戦えなくなる。それでも、斗和はその体で最終決戦に挑み、戦いのさなかに命を落とす。

 

 倫道は努めて明るい声で言った。

「お互いに頑張っていきましょう!心を燃やして!」

 

「今までの考えをすぐにひっくり返すことはできないけど……。力を尽くさなければ何も変えられない、何も変わらない。力を尽くしてこそ何かを為せる……。確かにそうかもしれませんね。私も少しずつ心を燃やします」

斗和は微笑んで、静かに言った。

 

 斗和の家からの帰途、倫道は決意を新たにする。

主人公の斗和を救い、登場人物たちをも助ける。みんながほのぼのと平和に生きていけるように、力を尽くす。

――例えその未来に自分の居場所は無いとしても。



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第七話 暗躍

蓬萊斗和(ほうらいとわ)…【野良着の隊士】の女性主人公。”土の呼吸”を使う。十八歳。
館坂佳成(たてさかよしなり)…【野良着の隊士】オリジナルキャラ。斗和の継子で十七歳。
小野寺夏世(おのでらかよ)…【野良着の隊士】オリジナルキャラ。斗和の家の家事全般、畑の管理をしている。十九歳。
令和…【野良着の隊士】オリジナルキャラ。斗和の鎹ガラス。寡黙。


 館坂佳成(たてさかよしなり)は土柱・蓬萊斗和の継子だ。

斗和、倫道の一つ年下で十七歳、階級戊(つちのえ)。身長188㎝、体重90㎏の巨漢で未だ成長中であった。真面目で好青年、がっちりと引き締まった体をしており、爽やかなイケメン。現代の有名人で言えば大谷翔平といったところであろうか。恵まれた体格と筋力を生かそうと、岩柱・悲鳴嶼行冥の下で岩の呼吸を学んでいたが、なかなか習得できずに悩んでいた。そんな時、合同任務で斗和の戦う姿を見て、突然視界が開けた気がした。

 華麗な身のこなしで大きな武器を振るう女性隊士。体格は自分より華奢だが、見惚れるほどの技の切れだった。佳成は悲鳴嶼と相談の上で、翌日には継子になりたいと斗和を訪ねた。当時斗和は十七歳、佳成は十六歳、斗和にとって初めての継子志願者であった。斗和はまだ柱ではなかったので弟子となったが、斗和が柱になったので現在は晴れて継子となり、住み込み修行中だった。

 

 斗和は基本的には教え過ぎない。核心となる部分はきっちりと何度も行って見せ、実際に自分の技を受けさせてイメージを叩き込む。そしてその後は、学び手の感じるままに技を磨かせ、手合わせする。こうした指導が良かったのか、土の呼吸の方が佳成の性に合ったのか、一年ほどの修行でメキメキと上達し、順調に剣士としての力を伸ばしていた。

 

 蓬莱斗和の自宅にある広大な庭兼畑兼鍛錬場では、夜も明けないうちから稽古が行われていた。重い訓練用の模擬刀が風を切り、激しい息遣いが漏れる。

 佳成は息を荒げながら激しく刀を振り、仮想の敵と戦う。その横では、師匠である土柱・蓬萊斗和(ほうらいとわ)も特別に誂えた訓練用の鍬(クワ)で技を練っている。

 任務の無い朝の、この師弟のいつもの光景だった。しかし数日前から様相が少し違っている。もう一人、一緒に訓練を行う者がその横にいるからだった。

 

 倫道は、触れるもの全てを両断する激しい気迫と集中力をもって一撃一撃を繰り出し、見えない敵と戦う。鱗滝から手ほどきを受けた水の呼吸の剣技、そして鬼滅の刃以外の作品の色々な技をも再現し、身につけようと努力していた。真空の刃を飛ばす“空破山“と、相手と自分の刀を打ち合わせた衝撃で真空刃を飛ばす“衝破山“は既に会得し、実戦でも十分に役立っている。その他陸奥圓明流体術や詠春拳、シラットの一部の技も前世で視聴したことによって密かに身につけている。ただ、自身の刀は黒であるにもかかわらず、肝心の日の呼吸だけはどうしても上手く再現できずにいたが、焦っても仕方ないと腹を括り、地道な鍛錬を続けていた。

 

「二人とも、もう上がって朝餉にしましょう!」

斗和が佳成と倫道に声をかける。食事の量が増えるので、斗和の家の家事全般と畑の管理をしてくれる夏世(かよ)ももうやって来て朝餉の準備も進んでいた。食べるのは四人だが、その量は約十五人前。

 その声に佳成と倫道は鍛錬を止めて汗を拭う。佳成が斗和の後に続いて鍛錬場から家の方へ歩いて行く。佳成のすぐ後に続いていた倫道がふと歩みを止め、鍛錬場に駆け戻った。呆気に取られる斗和と佳成。

 

「俺は仕上げにもう少しやっていきます」

倫道は笑顔でそう言って素振りを再開する。

 

「師範、俺も仕上げを!」

佳成も慌てて戻り、並んで素振りを始めた。

 

 一しきり素振りを終え、鍛錬場に一礼して上ろうとする倫道だったが、佳成はまだ素振りをしており、倫道をちらりと見た。

 

「!」

倫道はまた素振りを始めた。

 

 その後、十分程が経過した。

斗和たちも待っているだろうと佳成が倫道に軽く目礼して上ろうとした。倫道は佳成をチラ見して薄っすらと笑い、ブンッと殊更に風音を立てて素振りを続けた。

 

「!!」

佳成は素振りを再開した。

 

そしてさらに経過すること十分。

 

 

「二人とも、早く上がっ……ちょっと何やってるの?!」

なかなか二人が切り上げないので、様子を見に来た斗和が思わず目を見開く。

 

土の呼吸 玖ノ型・蚯蚓破裂(みみずばれ) 長足! 

佳成の技が地面に大きなひびを入れる。

 

水の呼吸 拾ノ型・生生流転!

倫道が体を回転させる度に、刀が風を切る音が鋭さを増していく。

 

 鍛錬場の土は抉られて土埃が舞い、エフェクトの水の龍が暴れまわっている。二人は直接戦っているわけではないが、無駄に全力を尽くした技の競演が繰り広げられていた。

 

「二人して!はぁええ加減にしろじゃ!止めねば朝飯抜きにすっぞ(二人とも、もういい加減にしなさい!止めないと朝ごはん抜きにするよ)!!」

斗和の怒声が飛んだ。

 

(斗和さんが方言丸出しになってる!ヤバいぞ佳成君、戻ろう!)

(あんたのせいだ!)

 

 斗和は感情が昂ると方言丸出しになることがあり、普段温厚な斗和を怒らせるとまずい状況になることを倫道は知っていた。佳成も同様であり、二人はアイコンタクトで危機感を共有、息を切らしてお互いをチラ見しながらも急いで稽古を切り上げた。非常事態を前に、二人は一致団結したかに見えた。

 

「お先!」

倫道は佳成の隙を突き、先に風呂場の方へと走り出す。

 

(あっ!このやろう!)

出し抜かれた佳成も、悔しそうに慌てて後を追った。

(くそっ!何なんだよこの人!)

真面目な佳成は倫道に振り回されてヘトヘトになっていた。

 

 倫道は土の呼吸の習得という名目で、しばらく斗和の家に通って手ほどきを受けることにした。もちろんこれは隠れ蓑で、みんなを助けて物語をハッピーエンドに導くためにいろいろと相談事もあり、転生者同士の密談には私邸の方が都合が良かった。そして柱となっている斗和から様々な任務の情報も得られ、隠に擬態して蝶屋敷などに潜入している倫道の情報と合わせれば、量、精度ともにかなりのものになる。そしてその情報を元に、裏から物語をコントロールするべく暗躍するのだ。

 そして倫道にはもう一つ、斗和の病状の経過観察という重要な目的もあった。物語によると斗和の心臓病は無限列車の頃には症状が誤魔化せないくらいに明らかになり、脈が乱れているのを善逸に聞かれて心配されていた。倫道が現在カナエのために取り組んでいる再生医療は目に見える成果は上っていない。しかし上手く行けばカナエと、斗和にもこの治療を受けてもらい、不安の無い状態で存分に戦って欲しいと倫道は願っていた。

 もっとも倫道が土柱邸を訪れる一番の目的は、斗和に会いたいということであったのだが。

 

 倫道は、早朝に土柱邸にやって来て共に訓練に励み、夕方に帰る生活を送ることになった。当初微妙な反応をしたのは継子の佳成だ。弟子になって約一年、住み込みで鍛錬していたこともあり斗和と信頼関係も築けていた。技を伝授され、教えてもらうのは自分一人だったのが、日中だけとはいえ良く知らない者が急に入ってくる。倫道の方が年齢は一つ上、階級も一つ上、という微妙なところが佳成を余計にモヤモヤした気分にさせた。佳成もまだ十七歳、顔に出すほど子供ではないが、ひたすら大歓迎という訳ではないのは見て取れた。そんな彼の気分を察してか、最初だけは倫道も少し遠慮していたが、かといってこの男もただ大人しくしている程できた人間ではなかった。倫道の土の呼吸修練が開始されてから、土柱邸では毎日のようにこんなドタバタが繰り広げられていた。

 

 その後の朝餉でも、二人の間には緊張感が漂う。その微妙な空気に、ふうっと溜め息をつく斗和。何となく落ち着かない夏世。

 

「「いただきます!」」

 佳成と倫道はともにすごい勢いで、競うようにご飯をかき込んでいくが、ご飯を平らげながら意識し合い、お互いを横目で盗み見ている。

 

「夏世さん、俺にお代わりを。大盛りで!」

まだ一膳食べきっていない佳成をちらりと見ながら倫道がお茶碗を差し出す。

 

「!」

少しムッとする佳成が残りのご飯をかき込んで、夏世にお茶碗を差し出す。

「夏世、俺にもお代わりを、超大盛で!」

 

「!!」

それを聞いた倫道の箸が一瞬止まる。

 

「マスカラス!」

倫道は鎹カラスのマスカラスを呼び、頭に止まらせた。

 

「?」「?」

一体何をするつもりなのか、この場の全員の目が倫道に注がれる。

 

(今度は何をするつもりだ?また何かしょうもないことを……)

 佳成は警戒する。

 

 倫道は不敵な笑いを浮かべ、凄い勢いで再びご飯を食べ始めた。頭に止まったマスカラスがそれを見下ろしている。倫道はがつがつとかき込みながら、時々ご飯やおかずの粕漬や玉子焼き、焼き鮭をポイっと真上に放り投げる。すると頭の上のマスカラスがひょいとクチバシでそれを受け、美味しそうに食べている。呆気に取られる一同の視線を集め、倫道とマスカラスは一瞬フッとドヤ顔をして見せた。息の合った曲芸のようなその動きに、思わず斗和が味噌汁をブッと噴き出す。

 

(ウケてる……!)

調子に乗った倫道が菜の花の辛子和えを放った。

 

「ウマイ!ウマイ!ウマ……辛イ!」

倫道が半笑いで、一回だけでなく二回、三回と辛子和えばかり放るので、マスカラスがブチ切れる。

 

「辛イィィ!辛イノバッカリ投ゲルナ!」

「全てを信用するんじゃない!おかず与奪の権を他人に握らせるな!」

「アホカ!オマエガ投ゲテルンダローガ!殺ス!」

 

 倫道とマスカラスがぎゃあぎゃあと喧嘩しているのを見て、最初はポカンとしていた夏世は腹を抱えて笑い、そこまでがお約束なのね、と斗和は納得した。

 

(この技、後で令和にも仕込もう)

斗和は密かにそう決意していた。

(全く何をやってんだこの人は)

呆れて眺めていた佳成も、あまりの下らなさに仕方なく笑った。

鬼との殺し合いの中、ほんの束の間の平和な時間だった。

 

 倫道は土の呼吸を修練すべく斗和のところに通っているが、拾ノ型奥義・大地ノ怒(だいちのいかり)を習得したいと思っていた。だが斗和はこの高威力の技を放つと、一気に力を使い過ぎて失神してしまう。相手がもしこれを耐えきってしまえば、完全に無防備な状態を晒すことになる。今の斗和にとっては相打ちも覚悟の上で敵を殲滅する、一か八かの技。斗和にしかできないオリジナルだ。

 

「斗和さん、拾ノ型も教えて欲しいです」

 一ヶ月ほど通って、壱ノ型から玖ノ型までは一通り説明を受け、形だけは真似できるようになったところで倫道は斗和に頼んでみた。

 

「あれは、人に教えるのはちょっと。あれ?でもどうして倫道君が知ってるの?」

「いや、それは……噂っていうか……すごい技があるって聞いたもので」

 

 倫道は内心の動揺を隠し、何とか返答した。現実世界で”野良着の隊士”を読んでおり、倫道は知識としては土の呼吸の技を全部知っていたが、斗和は佳成にも拾ノ型は見せてはいなかった。

 

「そう、でも拾ノ型は止めておいた方がいい」

 あまりお勧めできない、そう斗和には止められていた。

野良着の隊士の物語では、拾ノ型は数える程しか使っていない。下弦ノ弐、下弦ノ伍を同時に相手取った時と無限列車での猗窩座戦だ。いずれも技を放った後に長時間気絶して、戦闘不能の状態になっている。だがその規格外の威力は何故生まれるのか?

 

 倫道はある仮説を立てていた。

 

 斗和は、一時的に脳の出力をとんでもない値まで引き上げている。この技を放つ際に刀を真横に構える動きはそのスイッチ、究極のゾーンに入るためのルーティン。この技を放っているほんのニ~三秒間、極限まで高まった脳の認知能力と演算能力により、周囲の全ては斗和にとっては眠気を催すほどにノロノロと動くしかない。相手のほんのわずかな筋肉の緊張などでその動作の開始や軌道は全て読まれ、フェイントさえも斗和がそれを認知して対処するスピードが速すぎるため意味をなさない。

 

 通常人間は、脳の力を一割程度しか使っていないと言われている(※作者注 諸説あります。最近では、集中している時はほぼ100%使っているとする説もあります)。しかし斗和は、それを瞬間的に九割以上に引き上げ、さらに全身の筋肉の潜在的能力を(関節が壊れない程度に)解放しているのではないか。そんなことが可能かどうかはともかく、斗和はその脳と身体の強烈な負荷の反動に耐えられずブラックアウトしてしまうのではないか。

 

もし心臓を治すことでさらなる鍛練を積み、ブラックアウトを回避することができたら?

 

 技を放つ際の溜めを作る僅かな時間さえ稼げれば、この強力無比な技をもっと有効に使えるかもしれない。物語では、下弦ノ弐と伍を同時に粉砕するほどの威力だった。

 

 自分もこの技を使いたい。単体でも、他の隊士との合わせ技でも。

戦略の幅が広がる、倫道にはそんな思惑があり、継続して伝授をお願いをしていくことにした。

 

 こうして倫道の土の呼吸集中鍛錬は二ヶ月ほどで一応終了となったが、倫道は今後もちょくちょく土柱邸にお邪魔する許可ももらい、お互いに任務と鍛錬に励むことになった。

 

 

 

 

 

 倫道が瀕死のカナエを診療所に運んだのはおよそ一年前の事だ。その際に、珠世と愈史郎に現代医学のあるアイディアを提供し、研究を進めてもらっていた。

 

 それは、再生医療。

他人や他の生物からの臓器移植ではなく、欠損した部分を自らの細胞で作り出し、補う治療法だ。倫道のもと居た現代ではSTAP現象(分化した細胞を刺激して再び多能性を獲得させる現象)、STAP細胞(STAP現象で作られた多能性細胞)が一時騒がれたが、後にその現象は起きていなかったと判明している。

 倫道はこの現象に目を付け、この世界で起らないものかと研究を依頼していた。それ以来、鬼側に知られないよう、さらに鬼殺隊にも知られないように暗躍し、細心の注意を払いつつ度々珠世のもとを訪れているが、思ったように研究が進んでいなかった。

 

「お前の言う通り、柑橘の果汁や色々な物で刺激を与えたが、分化した細胞がそれ以前の状態に戻るなどと言う現象は起きないぞ。未来では本当にそんなことが起きるのか?」

 

 愈史郎が倫道に厳しい視線を向ける。本来は電子顕微鏡やら色々と特別な機材や器材が必要な研究だが、今は大正時代。まともに考えれば全く不可能な研究だが、何せここは物語の世界。それに珠世たち鬼の力を併せれば大抵のことは可能になるだろう、と倫道は期待していた。だが研究を始めて一年近くが過ぎた段階では、まだ目に見える成果は表れていなかった。

 

(STAP現象だって起きるに違いない)

倫道はこの世界の奇跡に僅かな望みを懸けたのだが、そうそう上手くは行かないようだ。

 

(起きるはずなんだ、この世界なら。現実世界ではオレンジジュースって言ってたけど、実際には起きていなかった……。後は何がある?何かないのか?……そうだ、あれはどうだ?)

 

 倫道の頭にある植物が浮かんだ。現実世界にはない、ある植物。

 

「珠世さん、愈史郎さん、半日ほど待っていただけますか?」

倫道はそう言い残して駆け出した。

(全く忙しないやつだ)

じっと考えこんでいたかと思うと来た時と同じようにまた飛び出して行く。愈史郎は呆気に取られて倫道を見送った。

 

(咲いててくれ!)

倫道は雲取山の山中のある場所へ向かっていた。あの目覚めの日に迷い込んだ場所。時期も同じくらい、時刻も丁度同じくらいだ。あの日以来、訪ねても辿り着けなかった場所を目指して懸命に駆けた。

 

「あった……!」

 

 あの開けた場所に出た。

青い彼岸花が咲いていた。

 

 公式ファンブックによると、一年のうちに咲くのは数日、日中のごく僅かな時間だけ。年によっては咲かないこともある、らしい。だから無惨や他の鬼に見つかることなく、ここだけにひっそりと存在していられたのだ。

 

(うたさん、ありがとうございます!)

 

倫道は亡き継国縁壱の妻、うたにも感謝した。ここはうたが眠っている場所でもあり、うたがこの花と引き合わせてくれた、倫道にはそんな風に思えてならなかった。倫道は青い彼岸花の花と茎、球根も幾つかを採取し、厳重に隠して珠世の診療所へ急ぎ戻った。

 

「これは……!これはどこで?どこで手に入れたのですか?!!」

倫道が持ち帰った物を見て、珠世は目を見張った。無惨が血眼になって探している青い彼岸花、まさにそのものだった。

 

 再生医療を行うには、

全能性(生殖細胞を含む全ての細胞に分化できる)あるいは多能性(生殖細胞以外の全ての細胞に分化できる)幹細胞まで、分化した細胞の時間を巻き戻す必要があり、それを培養して直接植え付けるか、または点滴などで移植する。現在の再生医療の最も確実な手段であるiPS細胞(人工多能性幹細胞)を作るのには、山中4因子と言われる特定の遺伝子を細胞に導入することが必要だが、それはここにはない。受精卵から作るES細胞(胚性幹細胞)も無い。しかし青い彼岸花の抽出物で実験を行うと、その刺激によって、見事細胞が多能性を獲得したことが確認された。

 

(STAP細胞できました!ありがとう〇保方さん!)

現実世界ではそれは起きなかった。だがその概念は、この世界で人を救う重要なアイディアの元となった。そしてこの世界では、STAP現象を起こす物質が見つかった。この世界の偶然が重なり合い、奇跡は起きた。

 

 倫道たちは、刺激惹起性多能性獲得細胞(刺激によって多能性を得た幹細胞=STAP細胞)の樹立に成功し、再生医療への一歩を踏み出した。

 

 青い彼岸花は、鬼化のファクターではなかった。細胞分裂の進化の時間を巻き戻し、色々な細胞に分化しうる幹細胞へとリセットする、つまり細胞の初期化を誘導する物質を含んでいるのだ。珠世は鬼の優れた自己修復能力の要因の一つと考え、再生医療の技術と並行し、鬼化の研究、鬼を人間に戻す研究もさらに進めていった。

 

「今度はあの女自身の細胞から幹細胞とやらを作り出し、培養して肺に移植するという訳か。そこで生着すれば再び肺に分化して成長し、失った機能を取り戻す……」

愈史郎がうなった。

 

 研究は、初期化した細胞群を培養してある程度の量にし、生体に生着させるという次の段階へと進んでいった。



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第八話 手合わせ



土の呼吸…【野良着の隊士】オリジナル呼吸。
土の呼吸 肆ノ型・泥濘ノ徘徊(ぬかるみのはいかい)…【野良着の隊士】オリジナル技。
土の呼吸 捌ノ型・土嚢城壁(どのうじょうへき)…【野良着の隊士】オリジナル技。


 

 

「倫道君……!おね……がい……!」

「斗和さん……!そんな……良くないよ……!」

「私……もう我慢できない……!」

「そんなことしちゃ……ダメだよ!」

 

 静寂の中、密着する男女の熱く激しい息遣いと、息を切らしながらの短いやり取りだけが響く。昼間から密な接触をしている斗和と倫道。それは、ほんの少し前に届いた手紙が切っ掛けだった。

 

 

 

 

 

 

 

 転生者同士の密談を経て、斗和と倫道は大きな秘密を共有し、打ち解けていた。倫道は土の呼吸を習うという名目で二ヶ月ほど連日土柱邸に通い、その後も頻繁に土柱邸を訪れていた。

 斗和の継子・館坂佳成(たてさかよしなり)とは何かと張り合いながらもお互いを認める良い関係に、お手伝いの夏世(かよ)とも冗談を言ったりするようになった。

 だが、蓬萊斗和はあくまで救済の対象で、そしてこの物語をハッピーエンドに導くための協力者だ。心を動かされてはならない、倫道はそう自分を戒めていた。

 

 土柱邸にやって来た倫道が、文を持ってやって来たカラスに会った。

「文か?俺は居候だ。土柱に渡しておくよ」

「デハ、頼ンダ!」

不死川の鎹カラス、爽籟(そうらい)は颯爽と帰って行った。

 

 倫道はいけないと思いつつ、つい気になって中身を見てしまった。差出人はもちろん不死川だった。不死川は字が書けないので風柱付きの隠が代筆するはずだ。ラブレターのような私的な事は書かれていないだろうと、倫道は心の中で勝手に言い訳をする。読んでみると、やはり内容は斗和への手合わせの申し込み(命令?)だった。

 

「お手紙?」

倫道が、不死川を羨ましく思いながらぼんやり手紙を眺めていると、斗和が不意に背後から覗き込んできた。顔の近さにドキドキする倫道だったが、斗和はそんな様子など全く気にする素振りも無く、文面をちらりと見て悪戯っぽく笑って言った。

 

「不死川さんと手合わせ?わーすごい、柱に手合わせ申し込まれるなんて!頑張ってね!不死川さん、すごく強くて厳しいけどきっと得るものがあると思うよ!逃げちゃだめ、立ち向かわなきゃ!」

斗和は憐れみの感情を見せつつも、すごいすごいと他人事のように無責任なエールを送る。

 

「ゴメン、これ斗和さん宛てだったわ」

倫道は内心の動揺を完全に抑え込み、表情も変えずに手紙を渡した。

 

「んん?!」

斗和は手紙を受け取り、じっくりと確認した。どうか間違いであれ。斗和はそう願いながら目を大きく見開き何度も読み返したが、それは徒労に終わった。そこには間違いなく”蓬萊斗和殿”と書いてある。斗和の顔から笑顔が消え、虚無の表情になった。

 

 斗和はおもむろに手紙を閉じると、俯いたまま視線を合わせず、まるでラブレターのように黙って倫道に差し出した。倫道も黙ってその手をそっと押し返した。すると斗和はもう一度、さっきよりも力を込めて差し出し、倫道は押し返す。斗和はさらに力を入れて押し付け、倫道も力を込めて押し返す。

 

「倫道君……!おね……がい……!」

「斗和さん……!そんな……良くないよ……!」

「私……もう我慢できない……!」

「そんなことしちゃ……ダメだよ!」

 

 こうして二人はお互いに目を背け、視線を合わせないまま全力でぐいぐいと手紙を押し付け合った。手紙はくしゃくしゃになり、激しい息遣いと短い言葉だけが響く静かな争いが続いたが、しばしの後斗和はがっくりと項垂れた。

 

「何で私ばっかり?!もう我慢できない!」

「でも斗和さんに来た手紙だよ!?他人に押しつけるなんてダメだよ!」

ようやく普通に会話する二人。

 

「倫道君お願い!代わってくれない?」

斗和は作戦を変更した。拝むように手を合わせ、潤んだ目で倫道を見上げた。

 

(うっ……)

斗和の涙の願いに倫道の心は激しく揺れた。

倫道はふっと斗和に微笑んだが、一秒にも満たないほんの僅かな間に悲しい表情が過ぎり、消えた。

 

 不死川との稽古はもの凄く厳しいので、頼まれても困る、そう思って苦笑しているのものだと斗和は思ったがもちろんそうではない。斗和は倫道の真意には気付かない。

 

(倫道君?!もしかして……!代わってあげるよって思ってるの?何て良い人!!)

斗和はその顔を希望にパッと明るくし、胸の前で両手の指を組んだ。少女漫画の一場面のように、瞳に星が輝き、背景にはバラの花が咲き乱れる。

 

「ちょっと何言ってるか分かんない」

次の瞬間、倫道は微笑んだまま冷たく言い放った。

 

 斗和の背後に雷が落ちる。

何で分からねえんだよ!とお約束のツッコミをすることさえできず、大ダメージを受けた斗和は口元に手をやって白目になり、顔には漫符の縦線が入って少女漫画の一場面が続く。倫道は斗和の涙の願いを簡単に退けて、さらに無責任に続けた。

 

「斗和さん、立ち向かわなきゃ!これは乗り越えるべき試練だ。こなすまで付きまとう宿業だ。カルマだ!因縁だ!!」

「仏教ごっこしないで!」

 

「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ……」

倫道が半笑いでエヴァのあの名セリフをぼそぼそと呟く。

 

「エヴァごっこもダメ!ロボットアニメなんてこの時代で分かる訳ないでしょ!」

残酷な天使を歌った有名な主題歌と、ざっくりしたあらすじぐらいしか知らない斗和だったが、この名セリフは知っていた。

 

「ちょっと待った斗和さん!そこは譲れないぜ!エヴァはロボットではなく、正式には汎用人型決戦兵器人造人間エヴァンゲリオン……」

「あーもうどうでもいい!死ぬほどどうでもいい!……ああ、私は明日、また足腰立たないほどボコボコにされるんだ……」

 

斗和は倫道の方をチラチラと振り返りながら自室の方へ行ってしまった。

 

(ごめんね、斗和さん)

倫道は知っている。何度か手合わせしていくうちに斗和と不死川は急接近し、やがて愛し合うようになる。斗和は自分の本当の気持ちに気付く。

 倫道は不死川と手合わせするのが嫌なわけではない。自分が代わって手合わせしてくることは簡単だが、斗和の未来が変わってしまう。倫道は斗和の命を助け、不死川との幸せな未来も護りたかった。

 

「はぁぁ……」

ため息をつきながらフラフラと自室に入って行く斗和の背中を眺め、倫道は噴き出しそうになるのと同時に少し寂しさも覚える。斗和とこれだけ親しくしていても自分には何も起こらない。斗和の感情を揺らすのは自分ではないのだ。

 

(これでいい。大丈夫、上手くいっているんだ。俺の役目は何だ?何のためにこの世界に飛ばされた?……救うためだ。斗和さんを、みんなを)

倫道は自分を納得させる。少しだけ胸が痛んだが、気のせいだと無理やり思い込んだ。

 

 自分はどこまで行っても物語に紛れ込んだ異分子に過ぎない、倫道はそう思っている。やがて排除され、消える時が来る。それまでは、できることを一つずつ、だが全力で積み重ねていくしかなかった。

 

 

 斗和が不死川との手合わせから帰った翌日、倫道が土柱邸に来てみると、佳成もちょうど任務から帰り、斗和と何か話をしているところだった。佳成は頷いて聞いているが顔が引きつり、溜め息をついている。

 

「倫道君、良いところに!佳成も一緒に不死川さんと稽古してきて。頼んでおいてあげたから!」

斗和がとても嬉しそうに報告を続ける。

 

「継子がいて同居してるのと、よく家に来て一緒に稽古してる隊士がいるって言ったら、何故か不死川さんめっちゃ張り切って、そいつらにここに来るように言え、まとめて面倒見てやるぜって。早速だけど、明日にでも行って来て!お土産はやっぱりおはぎが良いよね!」

 斗和はとても、とても嬉しそうだ。

 

「頼んだ?……はっ?俺も行くの?」

倫道は思わず耳を疑い、聞き返した。

(これはあの展開だ。継子とは言え、男と一つ屋根の下で暮らしているのかと不死川さんに怒られるところ。その後ってこと?でも何で俺まで?物語では佳成だけでしょ?……よ、佳成!?佳成が悟りの境地に?!)

隣には仏のような笑みを浮かべた佳成がいた。

 

「倫道君も強くなりたいって言ってたから。何かマズかった?」

斗和が上目遣いで倫道を見てわざとらしく顔を曇らせる。

(せっかく不死川さんが稽古を付けてくれるんだから、やらなきゃ損だよ倫道君?それに、倫道君の実力が分かれば柱にも……うふふ)

そして微妙な笑みを浮かべる倫道を見て、ニヤリと笑った。

 

「……い、いや、そんなことないけど」

倫道は何とか答え、

(やられた……!)

舌打ちを我慢して苦笑する。

 

「良かったね!私もすごく良い修行になったから、倫道君も!」

(だって倫道君、代わってくれなかったよね?)

 

「そ、そうなんだ。ありがとう、ぐうう……う、うれ……しい……ははは……」

(だってあれは斗和さんへの申し込みでしょ!)

 

「あはははは!!頑張ってね!」

 

「はっはっはっはっ!!くそう!頑張るよ!!」

 

「あははは!!そうそう、その意気だよ!!」

少しの間倫道と高笑いをし合って、斗和は自室へと入って行った。

 

(一体この二人は仲が良いのか悪いのか?)

斗和と倫道が、笑顔の下で激しくせめぎ合っているのに気付いて佳成は不思議に思ったが、それよりも明日の稽古が気になり、倫道に声をかけた。

 

「倫道さん、一瞬に行きましょう。申し訳ないですけど、もし俺に何かあったら後は頼みます」

佳成は遠い目をしてそう言った。

「大丈夫、風柱だってさすがに殺しはしないよ。お花畑は見るかもしれないけど」

倫道はシャレにならないフォローをして、自身も遠い目をした。並んで遠い目をする二人を、お手伝いの夏世が家事をしながら不思議そうな顔で眺めていた。

 

 翌日、佳成と倫道は二人して風柱邸を訪ねていた。

「おお、来たなァテメェら。今日は可愛がってやるぜェ。……さァて、どっちから相手するか」

不死川が二人を睨む。

「まず佳成が」

すかさず倫道が佳成を売る。

 

(あっ、またやられた!)

佳成は横目で倫道を睨むが、不死川が佳成の前に木刀を放った。

「始めんぞォ」

不死川の殺気が膨れ上がった。

 

 

 向かい合うと佳成の方が少し大きいが、柱と一般隊士ではスピード、技の威力には圧倒的な差があった。佳成は打ち据えられ、何度も地面に転がり半死半生となる。激しい打ち込みで互いの木刀が砕けて素手での格闘となり、佳成がやっとの思いで不死川に蹴りを当てた。

 

(やった……やっと当たった……)

その瞬間佳成は気を失い、手合わせは小休止となった。

 

「よォし、今度はテメェだァ」

不死川が倫道をジロリと一瞥する。

 

(十分間か、良くもったな佳成)

柱の相手をするという極度の緊張感の中、不死川の猛攻を防ぐため呼吸も満足にできない状態で、何度も打たれながらも全力で動き続けたのだ。そして最後には攻撃を当てた。十分に褒められる大健闘と言えた。

 

(俺も頑張らないとな。上手くできるかな?)

柱が継子でもない一般隊士に稽古をつけるなど、通常はあり得ない。そのありえない事態、倫道にとって初めての、原作キャラの柱との稽古が始まった。

 

「オラオラどうしたァ!少しは骨のあるところ見せやがれェ!」

 不死川は初手から荒れ狂う暴風の剣技で倫道を責め立てる。倫道は必死でしのぐが、受けきれず何発か打たれて派手にぶっ飛ぶ。だが実はそのダメージは軽度に抑えており、不死川に決定的なチャンスを作らせない。

 数合打ち合った後、不死川は違和感を覚えていた。こいつは何かがおかしい。余程の眼力でなけれは倫道の演技には気付かないが、不死川は見破った。

 

(こいつ、力を出し切ってねえ)

不死川の直感がそう告げていた。

 

(この野郎、必死なふりなんぞしてるが妙に落ち着いてやがる。試してみるか、追い込みかけりゃあハッキリすんだろォ!)

 

不死川はまだ風の呼吸の型を出していなかったが、技を試して倫道を追い詰めてみることにした。

 

 倫道は懸命に調節している。丁(ひのと)としてはこのくらいか、密かにスピードと威力を加減しながら戦っていた。

 

 風の呼吸 壱ノ型・塵旋風 削ぎ!

 

 不死川の動きが変わる。不死川は力を解放、呼吸の技を使い始めた。

 

(速い!……下の者に呼吸の技を!だが実際に見る良い機会か)

倫道は思わず受け流して間合いを取る。

 

(やっぱり捌きやがったなァ。テメェの本性引き出してやるぜ!)

 

 風の呼吸 弐ノ型・爪々 科戸風!

 

 今度は間合いの広い攻撃を繰り出す不死川。四つの斬撃が同時に倫道に迫る。

 

 土の呼吸 捌ノ型・土嚢城壁(どのうじょうへき)

 

 守りの技で風の斬撃を何とか防いだ倫道は、攻めに転じた。

 

 水の呼吸 参ノ型・流流舞い

 

(力出しやがれこの野郎!テメェの力はこんなもンかァ!)

不死川は倫道の連擊を捌き、倫道の攻撃を引き出すためわざと下がった。

 

 土の呼吸 肆ノ型・泥濘ノ徘徊(ぬかるみのはいかい)

 

 倫道は不死川を追って間合いを一気に詰め、地を這うように体勢を低くして足元へ斬擊を放つ。不死川の足元が一瞬泥濘んだ地面のようになり、そこから斬擊が繰り出される。

 

(これは蓬萊に食らって知ってんだよ!)

不死川は落下点を狙わせないよう斜め後方に跳躍。

 

 風の呼吸 伍ノ型・木枯らし颪!

 

 水の呼吸 㯃ノ型・雫波紋突き

 

 不死川は地上の倫道に向け打ち下ろしの斬擊を見舞い、倫道はそれを躱さず正面からの突き技で不死川を追撃する。

 

 ビシッと互いの木刀が砕けた。

 

(この野郎……!)

 

 相討ちという形だが、不死川はこれでハッキリ分かった。序盤の打ち合いでは、力を隠していたということだ。

(たまたま生き残っただけってわけじゃあねえなァ。しかし……良い度胸してんなァ!)

 

「テメェ、ふざけた真似をしやがるなァ。素手ならどうすんだァ!」

砕けた木刀を放り投げ、不死川がパンチを連打しながら前に出た。倫道も木刀を捨てて構え、ボクシングのヘッドスリップの要領で流れるようにパンチを躱す。倫道は不死川のラッシュの勢いを逆に利用し、捕まえて投げに繋げようとしていた。不死川は前に踏み込みながら渾身のストレートを放つ。

 

(なにッ?)

 

 倫道の顔面の中心を捉えたはずのパンチは、まるですり抜けたと錯覚するほど見事に避けられた。倫道は僅かに身を屈めて最小限の動きでパンチを避けて懐に潜り込み、パンチを打った不死川の腕を下から両手で捕らえて引き付けた。そして自分の体をぶつけるくらいに密着させ、全身のバネを使って巻き込むように背負い投げを繰り出した。受け身の取れない、全体重を乗せた投げ放し。普通の人間なら受け身も取れない状態で背中から地面に叩きつけられ、背骨にヒビが入るくらいの威力だ。不死川の体が綺麗に弧を描き、地面に叩きつけられたかに思われた。だが、不死川は猫のようにクルリと身を捻って四つん這いの状態で着地し、着地と同時に前方に低く飛び、前屈みになっていた倫道に飛び蹴りを放つ。倫道は弾かれたように飛び退り、間合いを取った。

 

 不死川と倫道は三、四メートルの間合いを取って睨み合う。

 

「止めだ。おいテメェ、名前何つったァ?階級、丁(ひのと)だったよなァ?」

「すみません、水原倫道、丁です。終わり……ですか?」

 

 倫道は激しく肩で息をし、さりげなく必死さをアピールすることを忘れない。

気に喰わないヤツだと不死川はイラつくが、同時に興味も覚えた。

 

「全力で来ねえ奴にこれ以上稽古付けても意味ねえだろォ。テメェ、必ずまた来い」

不死川は、稽古を始める時とは違った意味で倫道を睨む。そして一層厳しい視線を送り、言い放った。

 

「だが、そん時もまたふざけた真似しやがったら、今度は殺す」

 

 最後に見せた攻防から判断すれば、倫道が力をセーブしていたのは明らかだった。舐めた真似を、と不死川は腹を立てたが、同時に倫道の底知れなさに興味も湧いた。最後の背負い投げも大変な速さだったので、体を捻るのが遅れていたら、背中から叩きつけられて大怪我か、下手をすれば死んでいる。だがこれだけの力を持ちながら丁でいる意味が分からない。すぐにでも柱になれる実力だが、何故かその力を隠し、今もへたり込んでいる。

(すぐ柱になるはずだ。そん時はまた手合わせしてやるかァ)

 

 目が覚めた佳成は途中からこの攻防を見ていた。

(違う。この人は自分とは全く異なる次元にいる……)

佳成の心に微妙な陰(かげ)が差した。

 

 帰った後も、佳成の気持ちは晴れなかった。

(何故これほどまでに違う?俺と倫道さんは何がそんなに違うんだ?)

 

 佳成は斗和に聞いてみた。だが師匠である斗和も、

「あの人はちょっと特別だから。何て言うか、普通じゃないって言うか……」

と要領を得ない返答しかできない。

 

(ならば、直接確かめるしかない)

共に稽古を始めて数ヶ月、佳成は思い切って、倫道に直接稽古を付けてくれるよう頼んだ。

 

 

 

「よろしくお願いします」

「お願いします」

 

 館坂佳成、階級 戊(つちのえ)と水原倫道、階級 丁(ひのと)は互いに木刀を構え正対する。

 

「始め!」

斗和の合図で手合わせが始まった。

攻撃の気をみなぎらせ、佳成はダッと間合いを詰めると一気呵成に打ち掛かる。佳成がいつも使っている重く大きな刀とは違い、木刀では軽すぎて扱いにくそうだが、それでも火の出るような豪打を連続で放ってくる。だが倫道は全く動じることなくそれらの激しい攻撃を難なく捌いた。だがいつでも打ち込める状態なのに打ち込んで来ない。

 

「本気で来い!」

自分から一切攻撃を仕掛けて来ない倫道に、佳成が吼える。だが倫道は山のように鎮まり、気配だけで佳成を圧倒する。

(くそっ!)

佳成が何度目かの突進を試みる。

 

 佳成は長い脚で蹴りを打って牽制し、さらに木刀を投げ、その隙に倫道の間合いに入ろうとするが、今度は倫道が急に突っ込んでくる。投げられた木刀は倫道をすり抜け、驚く佳成を倫道の木刀が打ち据えた。両脚、頭、左腕と一瞬で四ヶ所を打たれ、呆然とする佳成。だがその打撃はほとんど力が入っておらず、手加減された佳成は憤怒の表情になる。

 

(そこまで子供扱いするか!それなら!)

 

 佳成はそのまま素手で倫道に向かっていく。倫道も木刀を捨て、素手で応じる。徒手格闘術になって、佳成の動きが一段と冴える。もともと戊の階級の中では飛び抜けて強い佳成だが、倫道はその遥か上をいく。佳成はパンチの連打から左右の蹴り、回転肘打ちとブレることなく矢継ぎ早に技を繰り出して、遂に倫道の顔面にパンチが掠る。

 

「これで本気出してくれますか?」

体力の消耗と倫道からの重圧に息を切らせながら、佳成は倫道を睨んだ。

 

 佳成は速い踏み込みから、前に構えた足でノーモーションの素早い前蹴りを放つが、既に倫道は佳成の背後に回り込んで軸足を蹴る。

(くそ!)

佳成はガクンと膝が折れるがすぐに体勢を立て直し間合いを取る。

 

「まだまだ!」

自分の技は全く届いていない。佳成は挫けそうになる自分自身に大声で発破をかけ、心を保つ。

 対する倫道は呼吸一つ乱さず、一言も発すること無く淡々とステップを踏む。

 

 佳成がまた仕掛けた。更に速い踏み込みで間合いを詰め、細かいパンチで牽制する。小さいモーションで隙無く繰り出されるパンチの連打はそれだけでも充分な威力だった。倫道を後退させ、目で上段蹴りと見せかけての更なる踏込みから、左下段蹴りが決まった。手ごたえは確かにあった。さらにフェイクの右下段蹴りから本命の左上段蹴りへ、流れるような動きで連撃を狙った。

 初撃の左下段蹴りはやや浅いがヒットした。次もいけるはずだ、佳成はそう思った。

 

(この餌に食いつけ!)

佳成はその頭脳をフル回転させる。

二撃目の右下段は躱されるか捌かれる前提。もう一回、三撃目も下段、と見せかけての左上段の回し蹴り。クリーンヒットすれば、相手が倫道といえども一撃で意識を刈り取る自信はあった。倫道は二撃目を紙一重で躱す。佳成はその一瞬で思い切って踏み込み、目で下段蹴りを放つふりをする。倫道が反応した、ように見えた。

 

「殺(と)った!」

倫道の反応が一瞬遅れた。佳成の左上段回し蹴りが倫道の側頭部を捉えたかに見えた。しかし倫道は自分から間合いを潰しにきており、まだ威力が乗っていない、膝を伸ばしきる前の段階で佳成の蹴り足をキャッチしていた。

 

(あっ!)

倫道は軸足の右脚を払い、体重90㎏以上ある佳成の巨体を軽々と持ち上げ、頭を打たないように守りつつ道場の床に背中から叩きつけた。

 

「がっはぁっ!!」

 

 佳成は激しい衝撃で数秒間呼吸ができなくなり、戦闘不能になった。

 

「そこまで!」

斗和が手合わせを止めた。

 

(何でこんなに差があるんだ。階級だって一つしか)

佳成は呆然と道場の天井を眺めた。

 

「師範……、倫道さん、俺、まだまだですね……」

ようやく呼吸ができるようになってきた佳成が悔しそうに呟き、涙を見せた。

 

「気持ちでは負けてなかった。前に出てたし、もう少しだったよ」

斗和は何と言って慰めたら良いのか分からず、明らかにそれと判る気休めを口にするしかなかった。

 この物語の世界で、斗和と倫道は特別な存在だ。二人とその他の、特にメインでない登場人物とでは、ゲームで言えばプレイヤーが操作するキャラとNPC(ノンプレイヤーキャラクター)くらいのスペック差が出てしまう。

 

「いや、申し訳ないが気持ちではこの差はどうにもならない。死ぬ程鍛えて実力を付け、その上で場数を踏むしかその差を埋める術はない」

倫道は口を開いた。

 

「でも、気持ちが人を強くすることもあるでしょう?」

どうしても引っかかる斗和が珍しく倫道に詰め寄る。

 

「厳しい鍛錬を毎日積み重ねるにはそれも必要だと思う。でも気持ちで勝負は決まらないというのは、悪いけど俺の持論なんだ。強くなれ、佳成。生き残るには、誰かを護るには。強くなるしか道はない」

この物語で、佳成が殺されるのは来年だ。未来を知る倫道は穏やかに言い残し、土柱邸を後にした。なるべくなら佳成も助けたい、一緒に稽古をする前はそう思っていた。今は、そうではない。斗和を助けるのと同じく、何としても助けたいと思うようになっていた。佳成の生存の確率を上げるのは自らの強さのみ。

 

(俺はもっと強くならなければ。強くなければ何も護れない。もっと強く……!)

道場の冷たい板の感触が背中に気持ちよかった。強くならなくてはという思いを一層強固にし、佳成は涙でボンヤリと歪む天井を見ていた。

 

 戦う者が強さを求めるのは自然なことだ。だが強さへのこだわりは、時に人間を狂わせる。強さを求めるあまりに闇堕ちした例など、古今挙げればきりがないほどだ。

 佳成の情熱は僅かな陰を伴いながらさらに熱く燃える。

 

 だがそれは、後に悲劇へと繋がることになる。



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第九話 竈門家を救え

土の呼吸 陸ノ型・粒子舞撫煙(りゅうしぶぶえん)…【野良着の隊士】オリジナル技


 

  

 いつもの如く土柱邸にやって来て、斗和に相談を持ち掛ける倫道。  

「斗和さん、また相談なんだけど」

「倫道君、顔……。顔が」

「あっ、ゴメン、悪い顔になってた?」

「ちょっとなってた。で、何?」

倫道の悪巧みの表情を見て斗和はちょっと引いたが、少し興味もあったので聞いてやることにした。

 

「今、明治四十三年だ。炭治郎君たちの入隊を大正元年とすると、おそらくこの年末、原作開始になると思う。アニメでは、お正月に備えて炭を売って来ると炭治郎君が言ってたから、あの事件が起こるのは年末のはず」

「そうだね……。何とかしたいけど、今の私たちだけじゃ無惨を迎撃して撃退はできないよね」

「そう。だから、竈門家を雲取山から離すか、無惨を雲取山から離すか」

「なるほど」

 

「それで、良い事思い付いたんですよ」

「今めっちゃ悪い顔してるよ倫道君!一体何を思い付いたのよ?!」

斗和は呆れながらもさらに興味をかき立てられた。

 

「いやー大したことじゃないけど、雲取山じゃなくその近所の山に、それもなるべく人が入らないような山の奥の方に、青く色塗った彼岸花を置いて来て、”青い彼岸花を見た”って噂流すんだ。滅多には人目に触れないけど、少数の人は目にする。でも山奥だから正確な場所は分からないし、噂の広がりは遅い。無惨や鬼たちが噂を聞いて行こうとしても場所が分からないから右往左往して、さんざん苦労して見つけたものは色が塗ってあるだけの偽物。やっぱりこの辺にも無かったってことで、骨折り損のくたびれ儲けってわけ!”大騒ぎしてニセモノを掴まされるとは、何をやっているのだ猗窩座!お前の名はバカ座であったか?”って」

 

「それ面白いね!」

斗和は悔しがる無惨や、怒られる猗窩座や玉壺を想像して噴き出した。

(面白い!……けどちょっと酷いなそれ)

そんな風に思われているとは知らず、倫道は自慢気に思い付きを語った。

 

「そうでしょ?大した事じゃないけど、年末の数日だけでも雲取山に来なければいい訳だから」

 倫道の実家は雲取山からそう遠くないところにあり、時々炭治郎たちに炭を配達してもらったりしていた。それに雲取山で遊んでいたこともあり、竈門家にも何度か遊びに行ったこともあった。炭治郎の父、炭十郎がまだ存命の時に会った記憶もある。

 

「それから、竈門家のみなさんを温泉旅行に招待する。幸い俺はみなさんと顔見知りだし、炭治郎君や禰豆子ちゃん、竹雄君、花子ちゃんも良く知ってる」

「なるほど、そっちが本命の作戦だね」

「竈門家を雲取山から離せばより安全でしょ。完璧!」

倫道は近場の温泉宿に話をしてくる、と早速出かけて行った。

 

(色々考えるなぁ……)

斗和はその悪知恵に感心することしきりであった。

 

 

 

 

「良いんですか?すみません、炭や山の物もいつも買ってもらっているのに」

竈門家の母、葵枝は倫道にしきりに頭を下げていた。

 

「いつも重い炭俵を届けてもらってるし、持ってきてくれる山菜やらが嬉しいらしいですよ。お母さんも大変だろうから、温泉でたまにはゆっくりしてくださいって、みんなから」

倫道は竈門家に行き、倫道の実家の町内にある家々の有志からだと嘘をつき、近隣の温泉宿への家族旅行をプレゼントした。

 

 

 明治四十三年の年末。竈門家は近場の温泉宿へと旅立った。

 

(これで良し。一家惨殺は起こらないし、禰豆子ちゃんも鬼にならずに済むな)

だが倫道は知らなかった。

 働き者の炭治郎は少しでも家計を楽にするため、温泉宿に行く家族を見送り、この日も一人町へ炭を売りに行った。帰ったら夜は炭を焼き、翌日家族の元へ行くつもりだった。兄妹思いの禰豆子も、夜通し炭を焼く兄に付き合うため家で留守番をし、翌日炭治郎とともに温泉宿に行くことにしていたのだった。

 

 竈門家は年末年始を挟んでの数日間、宿に泊まる予定だった。倫道は念のため、任務の帰りに温泉宿へ行ってみた。

 

「葵枝さん、少し休めてますか?」

「はい、ゆっくり出来て本当に申し訳ないです。炭治郎たちにもいつも良くしてもらって、ありがとうございます」

母親の葵枝が出てきてお礼を言ったが、倫道は炭治郎と禰豆子の姿がないことに気付いて不安を覚えた。

 

「炭治郎君と禰豆子ちゃんがいないようですけど?」

「炭治郎は昨日も町に炭を売りに行って、その後家で一晩炭を焼いてから来るって……。大変だから禰豆子もそれに付き合って、今日一緒にこちらへ来ます。本当にあの子たちには苦労かけてしまって」

「な……!!!分かりました、ゆっくりしてくださいね」

 

 倫道は雲取山に急行した。

(何てことだ……!もしあれが昨夜起こってたら、小細工が水の泡に……!)

 

 雪雲が空一面を覆い、昼間でも薄暗い日だった。倫道が雲取山に入る頃は普通の雪だったが、山道を駆け上っていくうちにどんどん雪は強くなり、時折吹き付ける冷たい風に雪が舞い、視界を奪われるほどだった。

 

 倫道は雪を蹴散らしながら山道を駆け上り、竈門家へ急いだ。そして、竈門家への道の途中、山の中腹あたりに二人の姿を見つけた。

 

 降りしきる雪の中、呆然と立ち尽くし、涙を流す禰豆子。尻もちをついたまま、これも呆然と禰豆子を見つめる炭治郎。

 

――禰豆子は鬼になっていた。

 

 

 

 その前日。

町で炭を売り、夜は炭焼きをする予定だった炭治郎だが、帰宅するのが遅くなり、麓の三郎じいさんの家に泊めてもらった。夜の間、禰豆子は一人で留守番をしていたのだが、そこに無惨が襲来してしまったのだ。

 

 翌朝に帰宅した炭治郎は、血塗れで倒れている禰豆子を発見した。まだ体温が残っていて、かすかに呼吸があった。町の医者に診せるために炭治郎は禰豆子を背負って山道を駆け下っていたが、その途中で禰豆子が鬼に変貌したのだった。

 

「頑張れ禰豆子!鬼になんかなるな!」

禰豆子は獣のような唸り声を上げながら炭治郎にのしかかり、噛み付こうとしていた。炭治郎は斧の柄を牙の生えた禰豆子の口に咬ませ、辛うじて持ち堪えた。炭治郎が禰豆子に懸命に呼びかけ続けると、押さえつける力が急に弱まった。禰豆子はフラフラと立ち上がり、さらに覚束ない足取りで二、三歩後退って炭治郎から離れ、涙を流しながら呆然と炭治郎を見つめていた。

 

「炭治郎君!大丈夫か?!」

そこに、倫道が雪を蹴散らして山道を駆け上がって来た。

 

「倫道さん……」

炭治郎は今にも泣き出しそうな顔で倫道を見たが、今まで見た事の無い服装の倫道に強い違和感を覚えた。羽織の下に黒の詰襟の上着とズボン、軍隊のような服装だ。そして何よりも、その腰に刀と思しき物を帯びている。

 

(倫道さん、まさか)

勘の良い炭治郎は察してしまう。

禰豆子は再び牙を剥き、唸り声を上げて倫道を睨む。

(禰豆子ちゃんが鬼に!ゴメンな、苦しい思いさせることになって!みんな一緒にって、俺がちゃんと言っておけば良かったのに)

倫道は自らの詰めの甘さを嘆き、顔を歪めた。

 

「倫道さん……!まさか禰豆子を殺しに?!」

炭治郎は庇うように禰豆子の前に立ち、斧を構えて倫道を睨んだ。

 

「違う!禰豆子ちゃん、炭治郎君!大丈夫だ、俺は味方だ。俺は君たちを護るために来た。信じてくれ」

倫道は腕を胸の高さに掲げ、ゆっくりと炭治郎と禰豆子に近づいて行く。炭治郎は斧を構えながら後退り、禰豆子の所まで後退した。禰豆子は牙を剥いていたが、倫道の顔を覚えていたからか、倫道に害意が無いのを察知したからか、威嚇を止めてまた涙を流した。

 

(禰豆子が鎮まった……)

振り向いた炭治郎は禰豆子の様子を見て斧を下した。倫道は炭治郎と禰豆子を一緒に抱きしめた。倫道は禰豆子の様子から、鬼になったものの少し自我を取り戻し、人を喰らう欲求を抑え込めるレベルに落ち着いたと判断した。鬼の気配が小さくなり、荒かった呼吸も静かになり、禰豆子は大人しくなった。

 

「大丈夫、大丈夫だ。俺が護る」

倫道は炭治郎と禰豆子の肩を抱いて優しく語り掛けた。だが安心したのも束の間だった。

 

 倫道の聴覚が、雪を踏みしめて猛スピードで接近する足音を捉えた。

同時に斬撃が叩きつけられ、雪煙が舞った。禰豆子は倫道の変化と迫りくる殺気を感じ、間一髪で二人から跳び退いてそれを避けた。

 

 倫道の兄弟子、水柱・冨岡義勇。

 

(あれは隊士か?俺の他にも任務の者がいるようだが、何をしている?)

三人の人影があるが、その内一人は隊服の男、もう一人は普通の人間の少年、そして、残りの一人、少女は鬼だ。

 冨岡は、隊服の男が少年と少女を護るように抱いているのを見て一瞬訝しんだ。だが三人が密着していても、鬼の少女の頸だけを刎ねるくらいは冨岡にとって造作もないことだった。躊躇わず斬りかかったが、見事に初撃を躱され少し驚いていた。

 

 冨岡は改めて隊服の男、倫道に目を遣った。どこかで会ったような気がしたが、思い出せなかった。雰囲気は平凡。一般の中級隊士の一人で、甲のような上級隊士とは見えなかった。

 

 禰豆子は大きく後方へのジャンプをして冨岡の斬撃を躱し、牙を剥いて唸っている。倫道は、禰豆子に駆け寄ろうとする炭治郎を抱き止めていた。

 

「任務ご苦労だった。ここは俺がやろう」

冨岡は、すぐ横にいる倫道に労いの声をかけた。言外に、邪魔にならないようその少年をそのまま押さえて下がっていろ、という命令を含ませながらだ。少女の鬼を、その肉親と思われる少年の目の前で斬らなければならない。精神的にきつい役目をせめて自分が引き受けようという冨岡の配慮だった。

 

 標的は三、四メートル先。冨岡にとっては障害になる間合いではない。倫道は炭治郎を抱き止めたままじっとしている。冨岡は禰豆子を確認、刀を抜いたまま倫道たちの横を通り、禰豆子へと歩を進めた。禰豆子との距離は少し縮まり二、三メートル。

 

一瞬で片が付く、はずだった。

 

「炭治郎君、離れて」

冨岡は驚いた。

倫道は冨岡の予想しない行動に出た。倫道は大人しく引き下がるどころか少年を下がらせ、禰豆子に向かう冨岡を追い越し、行く手に立ち塞がった。

 

鬼殺の妨害行為。明確な隊律違反だ。

 

「何のつもりだ?名前と階級は?」

「水原倫道、丁です」

 

(そうか、こいつは確か)

 倫道の名前を聞いた冨岡は、同じ鱗滝門下の後輩であることを思い出して不審に思った。なぜこの男は鬼を庇うのか?

 鬼と化した肉親に喰われる事例は多い。鬼への変貌は大きな苦痛を伴い、苦しむ本人を心配し、一番近くにいるのは肉親である可能性が高い。そして、鬼への変貌には多くのエネルギーが必要であり、そのエネルギーを補うのには、自分と一部共通の遺伝子を持ち、栄養価が高い肉親を食らうことが最も都合が良かった。

 

「水原と言ったな。その鬼は知り合いか?庇い立てするならお前も一緒に斬らねばならない。そこをどけ」

 

 冨岡は威圧を込め、努めて冷静に倫道に語りかけた。

 得意ではないが、言葉で退いてくれれば良し。そう思った。

 

「絶対に退けない……!冨岡さん、この子は人間を襲わない!人間の心を保っているんだ!」

 倫道は冨岡の発する静かな重圧に耐えながらきっぱりと言い返した。冨岡は禰豆子を”鬼”と呼ぶ。倫道は”この子”と呼ぶ。冨岡は禰豆子の名を知らず、初対面ということもあるが、鬼の禰豆子を見た時点で殺害対象として認識しており、それに対し倫道は、仲良しの兄妹で物語の主人公の一人という認識がある。冨岡と倫道、二人の認識の差は埋め難い。

 だが、禰豆子を庇う倫道のこの行為は隊律違反がより重大であることを示している。つまり、鬼殺隊にとっては鬼は等しく鬼でしかない。肉親や近しい者が鬼になったら斬らずに庇う、そのようなダブルスタンダードは絶対に許されないのだ。

 

 冨岡は人間を斬りたくはなかった。だがこの同門の後輩隊士は、柱である自分を敵に回しても、あくまで鬼となった娘を庇う姿勢を見せている。鬼殺のためであれば、隊士同士が争ったとしても隊律違反にはならない。冨岡は止む無く刀を構えた。ある程度分からせる必要がある、そう判断した。

 

(ここは退けない!何とか分かってもらわないと。……しかし、どう収めたら良い?)

 倫道も、どうしても禰豆子を護らなければ、と刀を抜いた。

 

(黒刀……?水の呼吸ではないのか?)

 冨岡は倫道に興味が湧いた。

 

「それなら止めて見せろ。俺から見事護って見せるがいい」

 冨岡は刀を構えて冷静に言い放つ。しかし倫道は冨岡のセリフに違和感を覚え、微妙な変化を察知した。倫道は淡い期待を抱く。

(何が何でも殺す、じゃないのか?何とか見逃してくれないかな)

 

 しかし冨岡の構えは緩むことは無く、互いに刀を抜いた両者の間の空気が見る間に張り詰めていく。

 

 冨岡が仕掛け、ついに戦闘が始まった。

 倫道は自らは攻撃せず防御に徹し、冨岡が諦めるのを待つ作戦だ。冨岡は、自分からは攻める気配を見せない倫道にイラ立った。数合は冨岡の攻撃を受け流して防いだ倫道であったが、冨岡の攻撃が鋭さを増す。そして浅いとは言え、腕に、胸に幾つも傷が入った。

 

(義勇さんが本気出してきた!……本当に斬る気なのか!無傷では済まないか?このままじゃ大怪我するか死ぬかだ)

 倫道は、鬼滅の原作で良く知っているキャラとの斬り合いという事態に戸惑いが拭えないでいた。そのため力を開放せず、まだぐずぐずと迷っている。

 

水の呼吸 参ノ型・流流舞い

 

 冨岡は倫道に斬り掛かって牽制しながら、その勢いのまま禰豆子に攻撃を加えようとする様子を見せた。

 

「させるかっ!」

 

水の呼吸 漆ノ型・雫波紋突き!

 

 倫道は連擊を何とか捌き、禰豆子の方へ向かおうとする冨岡を追って距離を詰めながら、最速の攻撃を放った。

 

「この子たちを傷つけるな!」

 倫道は、突き技を躱して間合いを取った冨岡を叫びながら追撃する。

 

土の呼吸 陸ノ型・粒子舞撫煙(りゅうしぶぶえん)!

 

 倫道は冨岡に知られていないであろう土の呼吸の技を使い、広範囲攻撃を仕掛ける。土の粒子と雪が舞い上がり、その中から幾筋もの斬撃が冨岡に襲い掛かった。

 

水の呼吸 拾壱ノ型・凪

 

 

(こいつ、さっきと気配が変わったな。本気ではなかったということか)

 冨岡はオリジナル技で倫道の広範囲攻撃を相殺する。倫道に大きな怪我をさせないようにあしらうつもりだったが、倫道の気配の変化を察知し、そう簡単にはいかないようだと考えを改めた。

 

水の呼吸 肆ノ型・打ち潮

 

 冨岡はすぐさま流れるような波状攻撃で反撃に出たが、倫道は全て受け切って見せた。

 

空破山!

 

 倫道は二条の真空波を飛ばし、一つは冨岡の髪を掠める。倫道はこの隙に一気に間合いを詰めた。

 

水の呼吸 壱ノ型・水面斬り!

 

 そして思い切り踏み込んでの鋭い横一文字の斬撃。冨岡はこれも何とか受け流すが、倫道の動きの速さも技の繋ぎの滑らかさも、先程とは全く違っていた。

 

(かまいたちか……!やはりこいつ)

 冨岡は、倫道が未だ力を見せていないと判断した。つまり。

(手加減の必要はないと言うことか)

 冨岡は少しだけ笑った。他人が見ても分からない程の僅かな表情の変化だった。

 

(倫道さん……!)

 炭治郎は息が止まりそうだった。今は大人しくしているが、妹の禰豆子は怪物になってしまった。匂いが、全く違っていた。その妹を巡り、普段は優しい顔馴染みの倫道が、見知らぬ人と本物の刀で斬り合っている。今までに見せたことも無いような激しく荒々しい気迫を露わにして、傷を負い、血を流しながら妹を護るために戦ってくれている。

 

「二人とも止めてくれ!止めてください!!俺が、ちゃんと妹を元に戻すから!誰も傷つけさせないから!止めてください!」

 

 炭治郎が必死に叫ぶが、二人の戦いは止まない。一時防御から攻撃へと転じた倫道であったが、以前の不死川との立ち合いと違い、真剣を使った斬り合いではやはり攻めきれない。

 

(これだけの力を持っていながら、なぜお前はこれ以上攻め込んで来ない?お前の覚悟はその程度か。そんなことで護れると思うか!この理不尽な世界に抗えると思っているのか!)

 倫道の様子に冨岡はイラ立ちをさらに募らせ、攻勢を強めた。倫道は徐々に押され、追い詰められる。

 

 その時、炭治郎の背後にいた禰豆子が二人の間に割って入り、倫道の前に立って両手を広げ、護る動作をして冨岡を威嚇した。

 

(何だと!この娘は、自分が護られていることを理解して、こいつを庇っているというのか。……確かに普通の鬼とは明らかに違う)

 

 冨岡は驚愕し、少しの間逡巡したが刀を下ろした。

 

「冨岡さん、お願いします!何とか見逃してください!……もしこの子が人を襲ったら、俺が切腹します!」

 倫道は深く頭を下げ、冨岡にすがった。

 

「俺が妹を治します!人間に戻します!だから、斬らないでください……!」

 炭治郎も土下座した。

 

「冨岡さん、この子たちを鱗滝さんに預けてはどうでしょう?俺は以前から知っていますが、炭治郎君は意志が強く真面目で体力もある。きっと強い剣士になります」

(ここで炭治郎君が鱗滝さんに弟子入りしないと原作が始まらないしね)

 

 冨岡が刀を収め、どちらも大怪我をせずに戦闘が終わった。倫道は、炭治郎が安堵の涙を流している横で、しれっと話を炭治郎入門の方へと持っていき、原作の流れを作る。

 

「良かろう、この娘がある程度の理性を保っているのは分かった。お前、名前は何という?」

 冨岡は炭治郎に向かい、表情を変えずに聞いた。

 

「竈門……炭治郎」

 炭治郎は戸惑いながら答えた。

 

「狭霧山に住む、鱗滝左近次という人を訪ねろ。冨岡義勇に言われて来たと言え。水原、後は頼んだ。それと、今回の事は不問に付す」

 

 最後に、冨岡はまた僅かに微笑んだ。そして竈門兄妹を倫道に託すと、冨岡は去って行った。

 

 倫道は大きく安堵の溜め息を漏らし、呆然としている炭治郎に鬼と鬼殺隊について説明した。

 

「この世界には、人間を喰らう鬼がいる。俺たちは鬼を狩り、人々を護る鬼殺隊だ。昨夜、何者かが君の家を襲い、禰豆子ちゃんを鬼にした。家に帰った時、何か感じなかったか?」

「そういえば、嗅いだことの無い者の匂いがしていました」

 

「そうか、そいつが禰豆子ちゃんを鬼にした犯人だ。よく覚えておくといい。人間が鬼になるのは二つの場合がある」

 

「……」

 

「一つは、傷口に鬼の血を浴びること。だが普通の鬼がわざわざ自分の血を傷口に入れることは考えられない。そんな事をするよりその人間を喰おうとするからだ。その鬼が手傷を負って血を流していたなら話は別だが」

 

 炭治郎は黙って聞いていた。

 

「もう一つは、鬼舞辻無惨の血が体内に入った場合だ」

「きぶつじ、むざん?」

 

「全ての鬼の始祖、人間を鬼に変える者。今回の件もヤツの仕業だと俺は考えている。鬼舞辻は実験的に人を鬼に変え、ある条件に適合する鬼を作ろうとしている」

 

「ある条件?」

 

「鬼は陽の光に当たると消えてしまう。それはヤツも例外ではないが、陽の光を克服する鬼を作り出し、それを取り込むことで弱点を克服しようとしている」

「そんな事のために人を鬼に……そんな事のために、禰豆子は……!」

 

「禰豆子ちゃんを人間に戻したいなら、君はこれから鬼殺の剣士となって、鬼と戦いながらその方法を探さなければならない。それにはまず、狭霧山の鱗滝さんに弟子入りして正隊員を目指すことになるが……できるか?とても危険な仕事だ。俺たち鬼殺隊に任せるというのも一つだが」

 

「やります!鬼殺隊になって、必ず禰豆子を人間に戻します!!」

 

 竈門家の悲劇は防ぐことができたが、結局禰豆子の鬼化は止められなかった。だが人喰い鬼と戦い、禰豆子を人間に戻すことをモチベーションに、原作主人公の炭治郎は鬼殺の剣士の道へ踏み出すことになった。



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第十話 推しの“推し”は⦅推し⦆

 斗和と倫道は十九歳となる歳を迎え、倫道の階級は丙(ひのえ)となっていた。鬼殺隊では、煉獄杏寿郎が下弦ノ弐を倒し、新たな炎柱に就任。煉獄槇寿郎は正式に引退となった。

 

 

 

 ある日倫道が土柱邸にやって来て、斗和にまた相談をしていた。

 

「そう言えば、斗和さんは何かチート能力無い?」

「チート?」

 

「そう。転生者と言えばやっぱりチート能力でしょ!転生特典みたいなヤツ」

 

この問いに、斗和はこの世界で目覚めてからのことを振り返りながら考え込んだ。

 

(私に特別な力なんてないよね……。筋力は女にしてはある方だけど本当に鍛えた男の人には敵わないし。野菜を育てる事くらい?)

斗和はそう考えながら苦笑して、倫道に問い返した。

「うーん、私は無いかなぁ。倫道君は?」

 

 だが客観的に見れば、斗和の体の操作能力は超人レベルだ。単純な筋力も確かにすごいが男性の柱には劣る。それでも斗和の斬撃が破壊的威力なのは、生み出した力を体の中心部から末端へ、そして武器へと無駄なく伝達し、狙った一点に集中させる制御能力によるものだ。自分の攻撃を、相手のどこにどう当てれば、どのタイミングで当てれば最も効果的か。それを瞬時に判断し、イメージした通りに寸分の狂いも無く正確にアウトプットする。自分の体勢、相手との間合い、タイミング。最大威力が発揮される時間的、空間的な“点“を絶対に外さないことで、規格外の攻撃力を生み出せるのだ。だが斗和は特別それを意識したことは無く、自然と身に付け、自然に使いこなしていた。

 

「俺のは、色々な他作品の技を真似できる能力かな。ハードな練習は必要だし光線技は無理だけど、真空波できるようになったよ。龍狼〇の空破山、衝破山」

 

「ええ、すごい!」

「後は、ヤバい時に気配を消す能力とか、大事なことがなかなか言えない能力とか、肝心な時にいない能力とか」

 

「それ特殊能力なの?」

「あと視線を合わせた相手に一分間だけ都合良い幻を見せる能力。”邪眼”って言うんだ」

「それは反則じゃない?」

「でも、カナエさん助ける時に童磨に使っちゃったんだよね。だから上位の鬼にはもう使えないと思う。それともう一つ、便利なのがあるんだけど、それは今は秘密!」

 

 秘密にしている能力を除けば、倫道の最大の能力は、関わった人の力を引き出し開花させる喚起の力、”エンパワーメント”だ。”共に頑張ろう”、”君ならできる”と、暑苦しく熱血に、時に静かに涙しながら松岡修造ばりに鼓舞し、おだて、いつの間にかその気にさせてしまう。倫道本人は特に意識せずに使っているが、その能力は天性の詐欺師、いや現代風にインフルエンサーとでも言うべきであろうか。

 

 だがその倫道をもってしても、頭を悩ませる難物がいる。

 

 元炎柱・煉獄槇寿郎。

 

 斗和の”中の人”の推しだ。炎柱・煉獄杏寿郎の父にして、現在やさぐれて、一日中酒を飲んではごろごろしているダメ親父。原作では柱になった息子の杏寿郎に悪態をついたり、そればかりか死んだ杏寿郎を侮辱するような発言をしていた。”野良着の隊士”の世界では、立ち直らせようとした斗和を殴り、顔に怪我を負わせている。

 倫道と斗和は二人で頭を捻る。杏寿郎の父、煉獄槇寿郎をどうやったら目覚めさせることができるか。そして倫道は斗和に危害が及ばないよう、槇寿郎が暴れ出したら絶対に止めると決意していた。

 

 倫道は一つ思いついた案があった。幻を見せる能力、”邪眼”を使う方法だ。槇寿郎を邪眼にかけ、亡き妻・瑠火の幻影を見せて奮起を促す。場合によってはさらにショッキングな別の映像を見せることも倫道は考えていた。

 

「うん、それで行ってみようよ。鬼には使えないかもしれないけど人間には大丈夫なんでしょう?」

「大丈夫なはずだよ。同じ人間には二十四時間以内にはかけられないけど。童磨相手に一回使ったから、もう鬼には使えないと思って忘れてたんだ。あいつら生意気に情報共有するでしょ。でも考えてみたら人間には使えるよね」

こうして作戦を練り、斗和が杏寿郎に手合わせを申し込むと、すぐに了解が取れた。

 

 斗和は畑で収穫したサツマイモを毎年こっそり煉獄家に届けており、煉獄家の場所は良く知っていた。斗和は杏寿郎との手合わせのため、倫道は見取り稽古のため付き添うという口実で、二人で煉獄家を訪ねることにした。

 

 だが、斗和が実際に杏寿郎と顔を合わせたのは先日の炎柱就任の際が初めてで、いきなり

「父上を立ち直らせたいから会わせて欲しい」

と言っても会わせてくれるとは思えず、例え煉獄家に招かれたと言っても槇寿郎に会うためにはどうしても強引な手段が必要だと倫道は考えていた。そしてずっと以前、新米だった斗和を助けている槇寿郎も、大勢助けた下級隊士の中の一人など覚えているはずが無かった。つまり今回がほぼ初対面だ。あの状態の槇寿郎が初対面の斗和と倫道に会うことはあり得ず、まして説得に聞く耳を持つとは思えないが、それでも斗和と倫道は僅かな可能性にかけて煉獄家に向かった。

 斗和とお手伝いの夏世が、焼きお握りと粕漬、芋羊羹まで作って幾つもの重箱に詰めてあり、倫道は両手にいっぱいの重箱の入った風呂敷包みを持たされ、さらに背中にもたすき掛けにした風呂敷包みを背負わされ、憮然としながらも斗和に付き従って煉獄家にやって来た。

 

(いくら何でもお土産多すぎだろ……。でも俺も現代風お手製スイーツ持って来てるんだぜ。見て驚け!)

 

 実は倫道も、夏世から何本かサツマイモをもらい、お土産にすべく独自にスイーツを作り、秘密で持参していたのだった。

 

「蓬萊、よく来てくれた。そちらの彼は?」

たくさんの荷物を持った二人に、とりわけ倫道に杏寿郎は少し驚いたようだったが、にこやかに斗和と挨拶を交わし、後ろに控える倫道にも改めて目を遣った。

 

「丙(ひのえ)・水原倫道です。蓬萊さんに土の呼吸を教わっています。本日は他の柱との手合わせと聞き、見学のため同行しました」

 

 倫道は名乗り、頭を下げた。

「そうか、感心だ。千寿郎にも見取り稽古をさせようと思っていたところだ。良く見ておくといい」

 

 新炎柱・煉獄杏寿郎は快活に言い放ち、斗和と倫道を道場へと案内した。

 

 手合わせが開始された。

最初は憧れの杏寿郎との立ち合いに緊張して動きが硬かった斗和だったが、最後は互角に打ち合い、柱としてその強さを示していた。

 

 手合わせの後は、千寿郎が煎れたお茶に斗和が作った焼きお握りと粕漬け、デザートの芋羊羹を食べながら、斗和の特殊日輪刀や土の呼吸を派生させた時の話しを肴に賑やかな食事となった。

 

「うまい!うまい!!」

杏寿郎が芋羊羹を食べて原作通りのセリフが飛び出し、斗和は思わず感動したが、ここで倫道がある物を取り出す。

 

「これ、俺も作ってみたんですが」

倫道は家でせっせと作って来たスイートポテトを皆の前に並べた。バターや卵もしっかり入れてコクを出し、わざと芋の皮も少し残して手作り感を演出、レモン汁を入れて香りと味のアクセントもつける念の入れようだ。

 

(ちょっと倫道君?!何やってるの!)

いきなり現代風スイーツを出して自分より目を惹く倫道に斗和はあ然とした。

 

「この芋団子は水原が作ったのか?柑橘の香りも良いな!」

杏寿郎はパクリと一口食べ、動きを止めた。

 

「口に合いませんでしたか?」

倫道は固唾を飲んで見守ったが、一瞬の後、

 

「うんまい!ワッショーイ!!」

杏寿郎は叫んだ。

 

(やった!”わっしょい”頂きました!斗和さん、これで心証が良くなるね!……斗和さん?いつから般若のお面を)

だがそれは般若の面ではなかった。杏寿郎たちから見えない角度で、斗和が恐ろしい顔で倫道を睨んでいた。

 

「せっかく私が色々作ったのに!美味しいとこ持ってかないでよ!」

「ひええ、ごめんなさい」

小声だが斗和の怒りが倫道に伝わる。斗和が杏寿郎に抱いているのは単なる憧れなのか、異性としての好意なのか判然としなかったが、この時点では杏寿郎がとても気になっており、現代風のスイーツという反則技で最後に高評価をかっさらう倫道に怒り、倫道は斗和の剣幕に恐れをなして小さくなって謝った。

 

(つい前世のお菓子作りの趣味が……。スミマセン)

 

 杏寿郎はスイートポテトを夢中で食べていたが、千寿郎は斗和と倫道の間に一瞬流れる不穏な空気を察知して戸惑った。

 

 煉獄家に来た目的は手合わせだけではなく、むしろ槇寿郎を立ち直らせる方が主とも言えた。斗和と倫道は何とか槇寿郎と話をしようと隙を伺うが、話が弾んでなかなかチャンスが訪れなかった。

 杏寿郎も自分より先に柱になっている斗和の実力は聞いて知っており、今日の手合わせでもその力を肌で感じている。そして屋敷に毎年サツマイモを届けてくれたのが斗和だと知って、好感を持って接していた。その斗和の頼みなら、無下には断れないと読んだ倫道が斗和に目と口パクで合図を送る。

 

(斗和さん、ここで煉獄さんに強引に頼んで会わせてもらおう!言って!言っちゃって!)

 

 杏寿郎に嫌われたくない思いも分かるが、次はいつ会えるか分からない。多少強引にでも面会を、倫道はさらに斗和を促すが、斗和は踏ん切りがつかない。するとここで、突然チャンスがやって来た。杏寿郎が厠へ立った。

 

(ここは強引にでも会わせてもらうしかない。杏寿郎さん、千寿郎君、ごめん!)

倫道はすかさず動いた。

 

「千寿郎君、蓬萊さんは以前お父様に命を救われていて、この機会に御礼がしたいんですよ。お父様のところに案内してください。こちらですか?」

倫道は悪そうな笑みを浮かべて千寿郎に話しかけ、さっさと歩き出した。千寿郎はかなり戸惑っていたが、倫道がどんどん歩き出してしまったため、慌てて小走りで追いかけてついに槇寿郎の部屋まで案内してしまった。

 

「こちらです。でも、話ができるかどうか」

千寿郎は不安そうに下がり眉をさらに下げる。

 

「大丈夫です。ご挨拶をするだけですから」

倫道は緊張を隠して満面の作り笑顔をしてみせ、斗和も心の中で覚悟を決めた。

 

「父上、土柱様とお連れのかたが、父上にご挨拶をなさりたいと……」

 千寿郎がふすま越しに声をかけると、中から槇寿郎の怒声が帰って来た。

 

「うるさい、帰れ!」

「父上、ですが」

 

 おろおろする千寿郎を他所に、倫道はいきなりふすまを開けた。あっ!と千寿郎が腰を抜かすほど驚いたが、倫道はズカズカと勝手に槇寿郎の部屋に入り込み、正座して挨拶を述べ始めた。

 

「失礼いたします。土柱・蓬萊斗和と、私、丙隊士水原倫道と申します。先代炎柱・煉獄槇寿郎様。本日は杏寿郎様に手合わせいただくために参りましたが、槇寿郎様にもご挨拶を申し上げたく、お邪魔いたしました」

 

「誰が入って良いと言った?出て行け」

槇寿郎は頬杖を突いて寝そべり、倫道たちに背中を向けたまま静かに言った。背中越しの抑えた声音が却って怒気の強さを物語っており、父が暴力を振るうのでは、と千寿郎はハラハラしていた。

 

「槇寿郎様。私は五年前、炎柱であったあなた様に命を助けられた者です。生き長らえ、こうして柱になることができました。お会いすることができず、ご無礼をいたしておりましたが、本日こうして御礼を申し上げることが叶いました。その節は本当にありがとうございました」

斗和も部屋に入り、正座して畳に手を突き丁寧に頭を下げた。槇寿郎は特に反応を示さなかったが、少しして言葉を返した。

 

「杏寿郎と言い、お前と言い、さも自慢げに……。柱になったから何だ。下らん、どうせ大した物にはなれない。さっさと出て行け」

槇寿郎は持っていた酒瓶をあおると、ドンと乱暴に置きなおした。

 

「これは、元炎柱様のお言葉とも思えません。柱になるまでにどれほど血反吐を吐く鍛錬を積んだか、良くお判りでしょうに。それにしてもまあ、元柱ともあろうお方が昼間から、何というザマだ。まあいいや、槇寿郎さん。こちらを見てください。日の呼吸についての書物ですよ。見たいですか?」

千寿郎が青ざめているのも構わず、倫道は丁寧な口調から一転してぞんざいな口調になり、挑発するように言い放った。

 

(ああ、父上を怒らせてしまう)

千寿郎の顔が益々青ざめる。

 

「何だと貴様!」

槇寿郎は頬杖を止め、上半身を捻って肩越しに倫道を睨んだ。

正座から立ち上がった倫道が書物を自分の顔の横にひらひらと掲げて見せる。本の表紙には、わざとらしく”日ノ呼吸秘伝書”と書いてあった。中身は白紙だ。槇寿郎は立ち上がり、怒りを滲ませながら倫道たちの方へゆっくり歩み寄った。そしてそれを引っ手繰ろうと手を伸ばす。

 

「へええ、読みたいんですか?何のために?また打ちのめされるだけでしょう?日の呼吸にずいぶんと執着しておられるようだ。いや、ただの劣等感かな?……おっと」

今までの緩慢な動作が嘘のようだが、倫道は薄ら笑いで意地悪くその手を躱す。

 

「歴代の炎柱様の手記は、あなたが無力感を抱くほどの内容だったのですか?そんな時に奥様を亡くされて、誇りも情熱も失ってしまわれた。お辛い気持ちは良く分かります。しかしいつまでそうやって誤魔化すおつもりなんですか!柱の責務は放り出す、息子たちの相手はしない。仕事も家庭も失格です。瑠火さんが見たら何とおっしゃるでしょうね」

今度は斗和が正座したまま語り始め、最後は槇寿郎を睨み上げた。

 

「何故そんなことを知っている?!お前は一体何者だ!……吐かせてやる!」

倫道に摑みかかろうとしていた槇寿郎は、正座したままの斗和の襟首を掴んだ。

 

「それを言ったらあなたは悔い改めるんですか!息子さんたちに歩み寄ってくれるんですか!変わらないでしょう?!私はあなたに冷たく当たられて、それでも頑張っている杏寿郎さんと千寿郎さんを助けたいだけです!あなたの苦しみはあなたにしか分からない。だけど、いつか取り返しがつかなくなった時に泣いて後悔する!あなただけじゃない、みんなが悲しむんです!そうなって欲しくないから今止めてるんです!」

斗和は襟首を掴まれても槇寿郎を睨み続け、言い返した。

 

「父上!」

千寿郎は槇寿郎を止めようとするが逆に突き飛ばされて、倫道がそれを受け止めた。

 

「知った口を!」

槇寿郎は拳を振り上げ斗和を殴ろうとした。

 

「愛した奥様の遺した息子さんたちを誇りに思ってください!……それから」

斗和は涙を浮かべながら怒鳴った。

「いい加減目ぇ覚ましやがれ!このクソじじい!!」

殴られるのを覚悟で斗和は最後に叫んだが、槇寿郎が斗和に拳を振り下ろそうとする瞬間、危ういところで倫道が槇寿郎を羽交い絞めにして斗和から引きはがした。

 

「貴様ら!!」

「槇寿郎さん、俺の目を見ろ!」

振り向いた槇寿郎は怒りに燃える目で倫道を睨む。倫道も強い視線で槇寿郎を見返す。

 

(かかった!)

倫道の邪眼が発動した。

(槇寿郎さん、良く見ろよ!生と死が凝縮された、俺の渾身のショートフィルムだ!)

――

―――

――――

(ここは、どこだ?)

今まで周囲に居た人間たちが見えなくなっていた。槇寿郎はいつの間にか隊服を着て刀を腰に差しており、白地に炎の意匠が入った炎柱の羽織を着ていた。どうやら自宅にいるのは間違いないようだが、何がなんだか分からない。人の声がする方へと歩いて行ってみると、瑠火が――死んだはずの妻が、仏壇の先祖の霊に向かって手を合わせ、一心に何かを祈っていた。

 

「瑠火!」

槇寿郎は歩み寄って声をかけるが、瑠火は気付かず、懸命に祈り続けている。

 

「どうか御無事で……槇寿郎様……!」

瑠火は任務に出た槇寿郎の無事を祈っていた。その真剣な様子に躊躇われたが、槇寿郎はまた声をかけた。しかし、こんなに近くに居てもやはり瑠火は槇寿郎に気付かなかった。

(俺は幻を見ているのか?何にせよ、また瑠火の姿が見られるとは)

 

 場面が急に変わった。瑠火が子供を出産したところだった。大きな泣き声とともに無事に男の子が産まれた。

 

「元気な男の子ですよ」

産婆はそう言って赤ん坊を瑠火に見せた。

瑠火の顔は汗と涙にまみれていたが、元気に泣く赤ん坊を愛おしそうに見るその表情は慈愛と誇りに満ちていた。

 

「男の子……。きょうじゅろう、杏寿郎ですね。杏寿郎、あなたは強くなって、お父様のように人々を護るのですよ」

 

(これは、杏寿郎が生まれた日の……)

槇寿郎は悟っていた。自分は任務で杏寿郎が生まれて直ぐに会うことができなかったが、この光景は、その時のものなのだろう。

 

(瑠火……)

槇寿郎は胸が詰まる思いであった。槇寿郎の耳に、周囲から聞こえる自然の音の他に聞きなれぬ楽器の美しい音が重なって届いていた。倫道は雰囲気を盛り上げるため、幻影にBGMを付加するサービスも行っていた。

 

 また場面が変わった。

瑠火が物心つく前の千寿郎を抱きながら、幼い杏寿郎に語りかけていた。

 

「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です。責任を持って果たさねばならない使命なのですよ。決して忘れることのないように」

幼い杏寿郎は健気にも、「はい!」と元気よく返事をして母を見上げている。

 

「私はもう長くは生きられない……。でも、強く優しい子の母になれて幸せでした。父上と千寿郎を頼みます」

瑠火は涙を流し、杏寿郎を抱きしめていた。

 

 そして、それから一ヶ月も経たないうちに瑠火は逝ってしまった。瑠火の葬儀の時、杏寿郎はじっと涙を堪えており、その姿には既に強くあろうとする男としての姿勢が見えていた。

 

(瑠火……瑠火は最後まで俺たちのことを案じて……。それに杏寿郎も、十分に分かっていたのだな)

 

 場面が変わる。

脱線した列車の横で、杏寿郎が戦っていた。その傍らにはケガをした少年隊士等がいた。相手の鬼の目には“上弦”、“参”と刻まれていた。激しい攻防を繰り広げる杏寿郎と鬼。杏寿郎は見事な技で斬撃を入れていくが、鬼はすぐさま斬られた体を再生し、杏寿郎を追い詰める。

 

(上弦だと!……杏寿郎!)

槇寿郎は我が子の成長を驚きをもって見つめる。杏寿郎は次第に傷つき、さらに追い詰められていく。しかしその気迫は全く衰えない。

 

「俺は俺の責務を全うする!ここにいる者は誰も死なせない!」

そして、炎の呼吸奥義、玖ノ型・煉獄を繰り出した。杏寿郎の技と鬼の技が激突する。激しい戦闘に似つかわしくない美しい旋律が流れる。倫道がBGMに選んだのは、ショパンの“別れの曲”だった。そのクライマックスが響く。

 

(杏寿郎!ああっ!)

 

 夜明けが迫っていた。

杏寿郎は腹を拳で貫かれ、それでもなお鬼の頸に刀を突き立てている。そして絶対に離すまいと鬼を捕らえ、自身の命と引き換えに陽の光で焼き殺そうとしていた。しかし鬼は捕らえられた腕を自ら引きちぎって逃げ、討ち取ることは叶わなかった。

 

 美しい音楽をバックに、壮絶な戦いの末の残酷な光景が繰り広げられていた。

 

「弟の千寿郎には、自分の心のまま、正しいと思う道を進むように伝えて欲しい。父には、体を大切にして欲しい、そう伝えてくれ」

杏寿郎の腹部の血液の染みがどんどん広がっていく。ボロボロになった杏寿郎は少年の隊士にそう言い残して死んだ。

 

(杏寿郎……!)

槇寿郎の目に熱い涙が溢れていた。

 

 

 その時、杏寿郎が勢いよく槇寿郎の部屋の方にやって来た。

 

「みな、ここだったか!父上?父上!どうされました?」

槇寿郎が空中の一点を見つめ、ぼうっと突っ立っており、その目からは涙が流れていた。尋常ではない父の様子に、倫道が制止するより早く杏寿郎が大声で呼びかけ、肩を掴んで揺さぶった。

 

(しまった!術が解ける!)

――――

――― 

――

 

 倫道の邪眼はオリジナル程強くないので、外界からの刺激があると術が解けてしまうのだ。槇寿郎はハッと現実に引き戻された。

 

「父上?」

杏寿郎が心配そうに父の顔を覗き込んだ。

 

(ヤバい)

倫道はばつが悪そうに顔を背けている。槇寿郎はハッと我に返った。

 

「貴様、何か奇術を使って俺に幻を見せたな?」

槇寿郎はとぼけている倫道を睨んだ。涙を流していた槇寿郎の目に、再び燃えるような怒りの炎が灯った。

 

 倫道の目の前に、槇寿郎の拳が迫っていた。

 

 

 

 

 

「ありがとう、私、煉獄さんが“推し”っていうか、その……。だから、槇寿郎さんもどうしても立ち直らせたくて、倫道君も巻き込んじゃった。ごめんなさい」

帰りの道中、斗和が申し訳なさそうに言った。“野良着の隊士”の世界では、槇寿郎を立ち直らせようとした斗和は殴られている。読者である倫道は全て知っているし、杏寿郎を救いたい、槇寿郎を立ち直らせたいのは同じ思いだ。

 

(この時点では斗和さんは煉獄さんが好きなんだよね。でもそのうちもっと好きな人が現れるんだけど。“中の人”が槇寿郎さん推しなことまで良く知ってるよ。でもこの世界での俺の推しは斗和さんだから……)

ここまで考えて、倫道はふと思った。

 

(俺は槇寿郎さん推しの斗和さんが“推し”……。推しの“推し”は⦅推し⦆ってことで)

 

「こっちこそごめん、上手くいかなかったね。また別の手を考えようよ。絶対立ち直らせよう!そうじゃないと、俺は殴られ損だよ」

そんなことを考えつつ、殴られて痛む頬をさすりながら倫道は答えた。

 

(まあ仕方ないか。いくら立ち直らせるためと言っても、心の傷をほじくり返すようなことした訳だし。夢で人を操るなんて、やってることは魘夢と変わらないし、褒められたもンじゃないけども。どうすれば目覚めてくれるのか……)

幻を見せたことが槇寿郎にバレて殴られ、杏寿郎からも、その手はいかがなものか、とやんわりと怒られて、倫道はしばらく煉獄家を出禁になってしまった。倫道は自身の出禁もさることながら、杏寿郎や千寿郎に心配をかけたことも申し訳なく思い、またそれ以上に斗和が煉獄家に来にくくなったことを心配していた。それを言うと、

 

「大丈夫だよ、しばらくは野菜を持って玄関先に置くだけにするよ」

斗和がそう言ってくれたので少し安心し、二人はトボトボと帰路に就いた。

 

 

 

 

(あの小僧どもめ!)

槇寿郎は憤慨していた。憤懣遣る方無いとはこのことだ。自分を立ち直らせようとしたようだが、全く余計なお世話だった。

 

 たかが幻。

しかし、まるでその場面に立ち会っているかのような精度で、あの幻を見せる奇術には驚いた。

 

(癪だが、感謝はしないでもない……瑠火の生きて動いている姿が見られたのだから)

また頼んでみようか、そんなことまで考えてしまった自分を慌てて否定しながら、槇寿郎は悩んでいた。

 

(これではまんまと術中に嵌るようなものではないか)

悔しいが、しかし槇寿郎には僅かな変化が見られていた。

瑠火が、亡き妻が今の自分の姿を見たらどう思うであろうか?あの女性隊士にそう言われて、気になっていた。それに最後に見た杏寿郎の戦う場面は一体……。杏寿郎が腹を貫かれて死ぬ、あの場面が頭から離れず、槇寿郎はしばらくスッキリとしない日々を送ることになった。



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第十一話 再生

 花柱・胡蝶カナエは童磨との戦闘で重傷を負った。

治療により一命を取り留めたが左肺のほとんどを失った。リハビリを行ったおかげで日常生活は何とか送れるようになったが、体調によっては介助が必要となることもあり、剣士は引退していた。現在は蝶屋敷で体力的に無理のない範囲で診療業務に当たり、時々カナヲの指導も行っていた。

 カナエが負傷してから約一年間は、倫道の目指す再生医療の研究は進まず、目立った成果も見えなかった。何とかブレイクスルーを、と苦しんでいた時だった。

 

 倫道の頭にふと浮かんだのは、この世界にしかない、”青い彼岸花”。

 

 この世界での重要アイテム、”青い彼岸花”はどうだろうか?明確な根拠など無かった。倫道の勘が当たり、青い彼岸花から抽出したエキスによってSTAP現象が起き、再生医療への扉が開かれた。

 

 青い彼岸花によるSTAP細胞の樹立に成功してから約一年、カナエの負傷からは約二年が経過していた。倫道と珠世、愈史郎が密かに取り組んでいる再生医療の共同研究は、動物での実験に成功、臨床試験、つまりヒトでの試験的治療を十分行える段階まで進んでいた。

 

 倫道は、カナエにこの治療を受けてもらうよう説明することを決断した。

上手くいくかどうかは分からない。もし治療が上手くいって肺が再生できれば、普通の健康な生活は取り戻せるだろう。

 

――しかし。

 

 健康な体を取り戻したらカナエはどうするか。その結果どうなるか?倫道はそれを深くは考えておらず、突きつけられた現実に自らの至らなさを痛感することになった。

 

 肺が元通りになったら、そこから先はカナエ次第だった。普通の人間として生きるも良し、再び鬼殺の剣士となるも良し。しかし以前のように剣士として一騎当千の強さを取り戻すには、血の滲むどころではない努力が必要となる。

 

(大変な道だが、カナエさんならやれるだろう)

迂闊にも、倫道はそれ以上考えを巡らせるのをやめてしまった。

 

 

 

 

(さて、どう説明したものか。背景をどこまで説明したものか……。だが悩んでも仕方ない、誠心誠意、しっかりと説明するしかないよな)

 倫道は、再生医療に関する説明を行うため、カナエ本人としのぶに面会を申し込んだ。

 

 蝶屋敷を訪ねるとカナエの診察室に通され、程なくカナエ、しのぶが現れた。

 

「花柱様、蟲柱様。本日はお時間をいただきありがとうございます。私は丙隊士・水原倫道と申します。今まで素性を偽って申し訳ありません」

倫道は初めて本当の名を名乗った。

 

「私はもう剣士を引退しています。カナエ、で結構ですよ。”隠の水谷さん”ではなかったのですね」

カナエは笑顔で挨拶し、倫道が隊士と分かった時点で何かを察している様子であった。

 

(こんなことだろうと思った)

偽名を使っていた倫道に、しのぶは冷ややかな視線を向けている。

 

「はい。あの時はもう無我夢中で飛び出しましたが、夜明け間近だったので何とか逃げ切ることができまして、以前から知っていたあの診療所にカナエさんをお連れしました」

 

「何故すぐにここに連絡しなかったの?」

この時すでに蟲柱となっていたしのぶが問い質した。カナエが生きて帰って来たため、何故蝶屋敷ではなく珠世の診療所に運んだのか、という点は有耶無耶になったままで、深く追求されることはなかった。

 しかし良く考えれば不自然な点がある。一般隊士がどうして隠のふりをして診療行為を行っているのか、それはひとまずおいたとしても。

 

 鬼殺隊の医療部門である蝶屋敷に搬送せずに、市中の診療所に運んでいる点はもちろん、その診療所の医者は無惨と敵対する鬼だった。そして、倫道がカナエと上弦の戦闘に遭遇した経緯。

 

「任務終了後、帰宅中に偶然戦闘に遭遇した。以前から知っている腕の良い診療所に運んだが、それはそちらの方が近いと思ったから。医者が鬼であることは知らなかった」

倫道は周囲に説明はしているが、これら全てが偶然、で済まされるのかどうか。

 

「それは……、申し訳ありません、あの時はカナエさんが極めて重篤な状態でしたので。どうしてもあの方たちの力が必要でした。警察の目の届かない病院で、全身麻酔を伴う肺の手術、輸血、その他の外傷の治療が行える所は他に無いと判断しました」

 

「だからって!あの人たちは鬼なのよ?!姉さんに何かあったら!それに、ここではそれができないって言ってるようなものじゃない!」

 

「いえ、決してそのようなことは」

(カナエさんが亡くなってないからしのぶさんが原作よりキツい……)

正論で責め立てられ倫道は冷や汗を流す。だが客観的に見れば、緊急手術が必要な重症多発外傷への対処は、しのぶより倫道の方が適任と言えた。しのぶはカナエの肉親で、当時十四歳と幼かった。倫道は当時十七歳だが、救命救急センター専属の医師として勤務し、外傷外科医として修練した前世の記憶持ちだ。救命救急の現場では、これは専門じゃない、あれは診たことがない、という逃げは通用しない。その分野に強い仲間を呼ぶこともできるが、間に合うとは限らない。自分の力が足りないせいで人が死ぬ、その恐ろしさに小便も漏らすことなく、日夜最前線に立ち続けた自負があった。

 

「しのぶ、もういいじゃない、その判断のおかげで私は助かったんだし。そうしなければ私の命は無かった……そうですよね?それにあの人たちは良い鬼だわ」

カナエはまだ不満げなしのぶをなだめて丁寧に礼を述べ、倫道の訪問の目的を尋ねた。

 

「命を助けてくださってありがとうございました。改めて御礼を申し上げます。それで、お話というのは?」

 

 欧米の最新医療と、鬼の珠世と愈史郎が持つ医療技術をかけ合わせたものだが、と嘘の前置きをした上で、倫道は本題を切り出した。

「カナエさん、失われた肺の機能を取り戻す治療を受けませんか?」

 

「それはどういうことです?」

にこやかだったカナエの表情が引き締まり、目に真剣な光が宿った。

 

 これは遥か未来の治療法だが、その辺りのことは巧みに避けつつ倫道は詳しく説明した。研究を続けてようやく形になった試験的な治療。カナエが被験者の第一号であった。培養した細胞が上手く生着し、機能を取り戻せるかどうかは経過を見なければ分からない。しかしこれが成功すれば、他の患者にも同様の治療が可能になる。自分自身の細胞から培養するため拒絶反応も無く、従って免疫調整薬の必要も無い。ドナー(臓器の提供者)も必要ない。

 

「姉さん!本気なの?」

しのぶはあっさりと同意したカナエに怒り、そして険しい顔で倫道にも詰め寄る。

 

「貴方を信用していない訳ではないけど、これは実験なのでしょう?確かに命を助けてもらったことにはとても感謝しているけど、もし姉さんに何かあったら!それに」

そんなしのぶを制し、カナエが口を開いた。

 

「しのぶ、全く危険の無い医療行為などありえません。これが成功すれば、新しい治療法として後遺症に苦しむ人を救えるかもしれない。お願いします」

 

 元の状態に戻れる可能性があるなら。カナエは治療を受けることを承諾し、最後に呟いた。

「健康な体……もう一度戦えるのですね」

 

(体が戻ったら、やはり剣士として再び戦うつもりなんだな)

この台詞に、倫道はカナエの心中を察し、そして少し後悔する。”カナエさんの体を元に戻してあげたい”、その思いで再生医療の研究を進めてきた。その成果はまた、斗和を救う切り札になる。

 

 カナエはこのままの状態ならば、少なくとも戦死することはない。だが、体を治せばカナエは再び戦う道を選ぶ。それは即ち、鬼との殺し合いに引き戻すことだ。ここで倫道はようやくそれに気付いた。

 

 苦心の末に、再生医療への道が開けた。現代においてさえ先進的なその技術を、物語の世界とは言え大正の世で、人間相手に行おうとしている。その研究者としての興奮、嬉しさで事を進めてしまった。

 確かにこれは素晴らしい医療技術。だが、肉親のしのぶにとってその結果が喜ばしいものになるとは限らないのだ。しのぶが怒る理由の一つもハッキリと気付かされ、倫道は自らの迂闊さを恥じた。

 

 

 

 再生医療を受けるとカナエ本人が決断したため、倫道はカナエとしのぶを多くの患者たちに紛れ込ませ、珠世の診療所に連れて行った。

 

「あの時は本当にお世話になりました。貴方がたは命の恩人です。今回も治療をしてくださるそうで、何と御礼を申し上げて良いか」

診察室に入ると、カナエはそう言って丁寧に頭を下げた。

 

「上手く行くように、私たちも力を尽くします。頑張りましょう」

珠世は笑顔で応じた。

 

「どうなるかは分からないぞ。お前が最初の患者だからな。まあ、上手くいくといいがな」

愈史郎も皮肉な調子ではあったが、冷淡な顔を少しだけ緩めて協力を約束した。

 

 原作では両親を殺された上に、唯一の肉親である姉のカナエを殺され、しのぶには鬼への激しい憎悪があった。激しい憎悪を抱きながらも顔には偽りの笑顔を貼り付け、蝶屋敷の主人、柱として他の隊士を教え導く立場であるため、常に穏やかに装っていた。この世界線ではカナエが生きていることもあり、原作よりやや幼く、感情を表す場面が多かった。

 

「あの、本当に大丈夫なんですか?」

しのぶが不信感を隠さず愈史郎に話しかける。

 

「何だお前は?水原から説明を聞いていないのか?納得していないなら今からでも止めてもかまわないぞ。俺たちは頼まれて治療をするだけだ」

 

「私はカナエの妹の胡蝶しのぶです。失礼ですが貴方たちは鬼ですよね?もし姉さんに何かあったら」

 

「しのぶさん!」

倫道は、モンスターペイシェントのようなことを言い出すしのぶを慌てて止める。

 

「水原さん。私は治療法のことを言っているのではありません。治療する側が鬼であることで何か問題が生じたら、そういうことを言っています」

 

しのぶがもっともな意見を述べるが、

「俺たちが、血肉の匂いによだれを垂らして耐えながら人間の治療をしているとでも?」

愈史郎はしのぶを睨んだ。

 

「しのぶ。この方たちは人を喰わない鬼で」

カナエがそう言いかけたところで珠世がしのぶに向き直り、微笑みかけた。

 

「はじめまして。私は珠世、こちらは愈史郎です。しのぶさんの言われる事はもっともです。私たちは鬼ですが、人を喰わずにいられます。随分自分の体を弄っていますから……それでも僅かな血を頂くことは必要ですが」

 

 そして、鬼滅の原作の後半に明らかにされた縁壱との約束の事まで話して聞かせた。

初耳のカナエはもちろん、しのぶまでもこの話に息を呑んで聞き入った。

 しのぶの心配は治療の成否のことだけでなく、復帰したカナエが戦死したらということもあった。だから全面的に治療に賛同したわけではなかったのだが、そこまでの覚悟で無惨を倒そうとしている珠世に、しのぶも多少考えを改めた。

 

 珠世と愈史郎はカナエが目覚める迄の間、倫道とずっと話をしていた。倫道は珠世たちの事を史実として知っているというていで、細かいことまで言い当てて珠世たちを信じ込ませたため、珠世の過去の話も本人からより詳しく聞くことができた。倫道は、近い将来無惨が倒されることも話すと、珠世は「生きる希望が湧いて来た」と涙を流して喜び、鬼殺隊への全面的な協力を約束した。鬼殺隊に関わりたくない愈史郎であったが、珠世の意志には従わざるを得なかった。

 

 

 

 人間の臓器は、一部が障害されてもその他の部位がある程度機能を代償することができる。肝臓の一部を肉親などに移植する”生体肝移植”手術では、ドナー(提供者)の肝臓の一部を切り取っても、それを埋め合わせるように残りの肝臓が肥大し、機能を代償するのだ。だがあくまで”ある程度”であり、失った機能を完全に補える訳ではない。

 肺に限って言えば、片肺になると呼吸機能は通常時の70%程度になる。呼吸機能が通常時の50%になると寝たきりに近い状態になると言われているので、日常生活すら本人にとっては大変な負荷となる。それに、超一流のアスリートとも言えるカナエが以前のレベルになるには、肺が元通りになった上で筋力や循環器系、神経と筋の反応速度など、以前の鍛錬以上の根気強いリハビリとトレーニングが必要になる。それに、しのぶの言う通り、この治療自体に実験的な側面があることは否めない事実だった。それでも被験者の同意のもと、この壮大な実験はスタートした。

 

 まず脂肪組織から細胞を採取。青い彼岸花の抽出エキスで肺の組織幹細胞へと幼若化させ、これを培養してある程度の大きさに育ったら、カナエの肺へと移植して生着させる。また各段階で珠世の血鬼術で細胞を活性化させ、時間の短縮を図った。

 

 当初はやはり発熱や体調不良などトラブルがあった。体力が低下しているカナエにとっては些細なことでも症状が現れやすく、倫道は僅かな時間でも足繁く診療所に通い、心配そうに付き添うしのぶの厳しい視線に耐えながら懸命に治療に当たった。

 

 高熱が数日続いた時はさすがにしのぶは倫道に激しく詰め寄ったが、愈史郎がそれを止めた。

 

「俺は水原の肩を持つ訳ではないが、お前の物言いが理不尽だと思ってな。お前は何故水原を責めているんだ?お前の姉を救ったのはあいつだぞ。ここへ来るまでに、人間一人を担いで相当な距離を走ってきたようだった。それから自分の治療をするより先にお前の姉を手術して、自分の血を大量に与えていた。自分自身がそれこそ倒れるほどにな。俺たちは力を貸しただけだ。水原に感謝こそすれ、文句を言うなどあり得ないと思うが」

愈史郎は怪訝そうにしのぶに言った。

 

「でもあの人は、珠世さんと愈史郎さんが助けてくれたって……」

「どういうつもりでそう言ったのか俺は知らん。あいつはお前の姉にも自分は連れてきただけだと言っていたからな。だがお前の姉も気付いている。上弦を退けたのはあいつだ。上弦が鬼狩りを、しかも柱をあっさり見逃すはずがない。やはり水原は戦闘の末カナエを救出したんだろう。あいつも傷だらけだったからな」

 

「そうだったんですか……。でも、すぐに私たちに知らせなかった。どれ程心配しているか、分からないはずないでしょう?」

「それはおそらく俺たちが鬼で、鬼舞辻から追われていることを知っていたからだろう。鬼舞辻は常に鬼殺隊の動静を掴もうとしているからな。知らせればお前らはすぐにここに来る。鬼殺隊の連中に大勢で来られれば、それを辿られて珠世様の居所をつかまれる。水原はそれを危惧したんだろう」

 

 しのぶはカナエのベッドサイドで見守る倫道の背中を見た。色々と言いたいことはあるが、取りあえずは任せてみようかと認識をまた少し改めた。

 

 カナエは幸運にも重症化することなく急性期を乗り切り、短期間で病状が安定した。退院した後は蝶屋敷に戻って静養、肺が育っているのを確認しながら少しずつリハビリを開始していた。

 

 夏前に始まったカナエの再生治療だが、初期のトラブルを乗り越えると秋に入ってからは順調な経過を辿り、倫道は鍛錬を再開しようとはやるカナエを連日諫めていた。後は推移を見守るしかなかったが、倫道は安堵していた。

 

 

 倫道は今度は斗和の様子を気にかけている。

現在、まだ斗和の心臓病の症状は顕在化していないようだ。あるいは何らかの異変を感じていても口に出していないだけなのかもしれなかった。物語では、二十歳の時点で既にはっきりとした症状が表れていた。本格的に悪くなってからではなく、早期に治療を始めた方が全治までの期間も短く済み、何より完治する確率が上がると倫道は考えていた。そんな訳で、顔を合わせる度に斗和の様子をチェックしているが、症状も無いのにあまりしつこく体調を聞くのも不審がられる可能性があった。倫道と同じく転生者の斗和には、「夢で見た」という噓は通用しない。何故なら、知り過ぎていることを原作登場人物から疑われた時に、斗和がいつも誤魔化すために使っている言い訳だからだ。同時に、倫道は佳成の事も気にしていた。

 

 ”野良着の隊士”の物語では、斗和、倫道が十九歳の今年、佳成が殺されることになっている。そしてその事件は、無限城の最終決戦での最悪の事態へと連なるのだ。倫道はこの悲劇を防ぐため、警戒を強めていた。



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第十二話 変わりゆく世界

 好天に恵まれた秋の日。

土柱邸の畑では、主人の斗和、お手伝いの夏世、継子の佳成と非番の倫道も来て、さつまいも、じゃがいも、人参、牛蒡、葱、大根の収穫が行われていた。

 

(野菜の収穫なんて、小学生の時の芋掘り以来だけど良いもんだな)

ずっしりとした大根の重量感に倫道が顔を綻ばせる。

 気持ちよく晴れた空の下、久しぶりの土の感触を味わいながら、鍛錬とは違う汗を流して収穫作業を楽しんでいた。

 

(もしかしたら、俺がこの世界で色々やったから物語が変化してしまったのか?佳成はこのまま死なないのかも……?でも代わりに何か良くない事が起きなければいいけど)

”野良着の隊士”の世界では、斗和、倫道が十九歳の今年、佳成が殺される。倫道はさり気なく佳成を監視し、隠に擬態して任務にもついていくという過保護ぶりだが、全く危なげ無い戦いぶりで、今のところそれらしい場面には遭遇していなかった。

 収穫作業の前、倫道は佳成の死、あるいはそれに代わる出来事への不安で気持ちが晴れなかった。だが心地良い風に吹かれて三人と一緒に作業をしているうちに、次第に気分も晴れてきた。

(死んでしまう主人公を救って正反対のハッピーエンドにしようとしてるんだから、変わる所は出るよな。だからと言って、黙って運命を受け入れるなんてできないけど)

倫道はそう考えることにした。

 

 全ての命を救うことはできない。全てを思い通りにすることはできない。それは不遜に過ぎる考えだ。だが倫道は力の限り足掻くと決めていた。

 

「斗和さん、芋煮会しよう!」

収穫が終わる頃、倫道が斗和に提案していた。

 

「芋煮(いもに)って山形の?あれは芋の子(里芋)じゃないの?」

前世で山形の村山地方と縁があった倫道は、秋の風物詩を思い出していた。馬見ヶ崎川(まみがさきがわ)の河川敷に直径六メートル以上もある大鍋を据え、一度に三万食の芋煮を作る、自称”日本一の芋煮会”が有名だった。パワーショベルのような専用の重機を使い、何トンもの具材を調理する様は圧巻だ。

 

「まあ細かいことは気にしない気にしない!みんなで食べれば美味しいよ!今日は牛肉買ってあるんだ」

斗和は倫道の適当さと用意の良さに苦笑し、特に鍋の予定は無かったがそれも良いかと思い直し、準備することにした。

 

 畑では夏世と佳成が仲良く野菜を荷車に積んでいた。佳成は掘り出してまとめてあった葱の束をしゃがんで両腕いっぱいに抱え、荷車に載せようとしていたが、その背後に怪しい影が忍び寄る。

 

「これで最後……!あっ?」

立ち上がろうとした佳成はどてんっ!と仰向けに倒れた。

 

「ぶわっ!」

佳成は両腕いっぱいの泥のついた葱を全て体の上にぶちまけて見事にひっくり返った。

倫道が、立ち上がろうとした佳成の羽織の裾を踏むという単純極まりないイタズラをしていた。

 

「……り・ん・ど・うさん?」

顔の上の大量の葱の隙間から、泥だらけで倒れたままじろりと倫道を睨む佳成。こんなしょうもないイタズラをする者など他にはいないため、佳成は倫道の仕業とすぐに分かった。笑いを堪え、目を逸らす倫道。

 

「こらっ!もう頭来た!」

葱を持った佳成が追いかけ、慌てて倫道が逃げる。斗和と夏世は大笑いしながらそれを見守った。

 

「待てっ!葱の呼吸 壱ノ型 蛇紋岩!」

手に持った葱を何本も投げつける佳成。

 

「葱の呼吸 拾壱ノ型 ネギ(なぎ)!」

倫道はその一本をキャッチすると、冨岡の水の呼吸の技を真似てそれを次々と払いのける。

 

 だがそれを見ていた斗和の表情が険しくなった

 

「こらあ二人して!!野菜玩具さするでね!ままかせねぞ!」(野菜を玩具にするな!ご飯食べさせないよ!)

斗和は腰に手を当て、仁王立ちで叫ぶ。ビクッと動きを止める倫道と佳成。

 

(全くこのガキんちょども!でも働いたのにご飯抜きはいくらなんでも可哀そうだから、代わりに……)

斗和は思案し、二人に申しつけた。

 

 

 

 

「佳成のせいだぞ!葱を投げたりするから!」

「倫道さんのせいだろ!倫道さんが全部悪い!」

土柱邸の居間では、くつくつと鍋が煮える音と美味しそうな匂いがしている。その鍋の前で、三十分間の正座を申しつけられた倫道と佳成が互いに罪をなすり付け合い、醜い争いを繰り広げていた。

 

 鍋の美味しそうな匂いと立ち上る湯気が食欲をそそり二人を苦しめるが、そんな二人の目の前にマスカラスがわざわざやって来て、斗和から貰った熱々のジャガイモを美味しそうに突っついて食べる。

 

「マスカラス、もう煮えてる?」

斗和が聞いてきた。

 

「大丈夫!良ク煮エテル!アタイ達ダケデ食ベヨーゼ!」

((あっ!そんな!))

倫道と佳成は泣きそうな顔になった。

 

 その後、ようやく斗和の許しを得た倫道と佳成も鍋の前に陣取り、マスカラスも倫道の頭の上にスタンバイし、みなでワイワイと騒がしい夕餉となった。

 

 倫道とマスカラスは例によって曲芸を披露したが、そんな中、斗和が

「令和!」

とカラスを呼んだが令和は姿を現さず、反応も無かった。斗和の鎹カラス・令和はほとんど喋らないが、主人の斗和が呼びさえすれば素早く現れ、言われた用事はきっちりこなすデキるヤツだった。

 

「あれっ?令和?!どこ行ったの?」

斗和は庭まで見渡したがどこにも姿が見えない。実は令和は嫌な予感がして、先程から姿を隠していた。

 

「斗和さん、どうしたの?」

肉を催促するマスカラスのクチバシ攻撃を捌きながら倫道が聞いた。

「何でもないの。どんどん食べましょう!」

曖昧な笑顔で答えながら、斗和は令和の勘の良さに驚いていた。

(令和め、隠れたな!でも倫道君たちのあの芸をやらせようとしたこと、どうして分かったんだろう?)

 

 

 

 山形の秋の風物詩、芋煮。地方によって違いがあるが、倫道は醤油仕立てで牛肉を使う内陸風の味付けを斗和に頼んだ。

 村山地方など内陸部では醤油仕立てで牛肉を使うが、海沿いの庄内などでは味噌仕立てで豚肉を使う。両者の反目は根深く、この争いは「山形芋煮戦争」と呼ばれ、毎年激しい暴動に発展して多くの死傷者を出している。さらに一部地域では、細かい具材の違いで多数の宗派に分かれて互いに争っている。県民同士が血で血を洗う騒乱となり、全県下で非常事態が宣言されるのだ。

 

 樹上に群れを成す赤い小型モンスター”サクラン坊”を狩るため、全国から集まった凄腕のハンターたちが町中を闊歩する初夏の風物詩”サクランボ狩り”の時期とともに、芋煮会の時期は山形県の最も危険なシーズンである。

(※作者注 ”芋煮会” ”サクランボ狩り” について一部事実と異なる記述があります)

 

 今日は里芋の代わりにサツマイモとジャガイモを使い、牛蒡も入れて鍋で煮込む。軽く沸騰してきたら醤油、料理酒、砂糖等調味料を加えさらに煮込み、芋が柔らかくなってきたら葱と牛肉を入れ、適当なところでいただく。

 

「あー、んまいにゃー!」

倫道が思わず村山弁で呟くほど、芋煮鍋は美味しくできた。村山地方では、語尾の「なあ」が「にゃー」になるのだ(本当)。

 

(えっ!倫道さんまで!)

斗和と夏世が時々話す、東北地方太平洋側とはまた違った方言に佳成は混乱したが、芋煮鍋の旨さには感動していた。そりゃあ野菜のできが良いからね、と斗和と夏世は得意げだ。

 

「野菜は美味いけど、それにしても味付けも絶品だね。お醤油と料理酒と出汁、お砂糖がすごく良い具合!」

倫道は斗和の味付けを褒め、

「今度はすき焼きも作ってよ。また良いお肉たくさん買って来るから!」

「分かった、じゃあ今度は倫道君の柱就任祝いの時だね!」

 

「うーん、柱はあんまりなりたくないんだよね。斗和さんも辞めたいんでしょ?」

「実はそうだけど、言ったっけ?」

ハッキリとは言っていない気がするが、と斗和は少し訝しむ。

(もしかして、思考を読まれてる?)

僅かな疑念が芽生えたが、倫道がさり気なく話題を変え、佳成と夏世のアツアツぶりをからかいながら楽しく時間が過ぎて行き、それ以上は特に疑いを深めるようなことはなかった。

 

 

 

(このままこのメンバーで現実世界へ戻れたらなあ) 

倫道は思わず夢想した。人喰い鬼と殺し合いをしない、現実世界へ。

だがそれは不可能な願いだ。

 

 それが叶わないなら、この暖かい時間がずっと続けばいい。ずっと続くのが無理なら、せめてもう少しだけ。

 

(無理なのは分かってる、鬼滅のパラレルワールドなんだから。戦いは覚悟していたはずなのに……)

それでも願わずに居られなかった。

誰も傷つかず、みんなで農作業をしながら穏やかに歳を重ねていく、そうなったらどんなに良いだろう。登場人物たちが傷つくのは辛く悲しい。ましてや目の前にいる佳成は死んでしまう運命なのだ。

 

(俺はそのためにこの世界に来たんだ。みんながほのぼのと平和に暮らしていけるように。そのために……!最後まで俺の責務を全うするんだ!)

これから起こるその悲劇を回避できるかどうかは、倫道にかかっている。全てを知っている倫道にしかできないことがある。

 

 

「リンド―!肉ヨコセ!」

倫道の切ない胸中を知ってか知らずか、箸でつまんだままの肉を奪おうとマスカラスがクチバシで鋭い一撃を繰り出す。我に返った倫道がひょい、ひょいと肉を動かしてマスカラスの攻撃を逸らし、肉をあげなかった。

「ほーれ肉だぞー」

「ギャオオオ!腹タツ!」

 

マスカラスが倫道の額を突っつき、その隙に肉を奪った。

「いでえええ!血が出るだろうがこのクソガラス!」

「ウルセー!ブッ殺ス!」

マスカラスのクチバシと倫道の箸が激しく火花を散らす。

「ますからすちゃん頑張れ!」「マスカラスいけー!つつけー!」

夏世と斗和がマスカラスを応援し、

「ますからす!倫道さんをやっつけろ!」

佳成もマスカラスの肩を持つ。

 

「分かったよ!肉をあげれば良いんだろ!」

仕方なく倫道は肉を多めにマスカラスに食べさせてやった。

「生ゴミとか虫とかカエルで十分だよな?カラスなんだから」

倫道がぶつぶつ言っていると、

「面倒見テヤラネーゾ!」

マスカラスがふんぞり返る。それを見た三人がまた笑い、こうして楽しい時間が過ぎていった。

 

 

 

 季節は秋から冬へ移ったが、結局佳成はその後も元気に任務をこなし、戦死することなく無事にその年を越した。

 

(佳成はこのまま死なずに済むのかもしれない)

倫道の中で、そんな期待が芽生え始めていた。

 

 

 

 しかしそれは、淡い期待に過ぎなかった。

 

 

 

 また新しい年がやって来た。斗和、倫道は今年二十歳となる。来年早々には炭治郎たち主人公組が鬼殺隊に入隊し、物語は一気に動き出す。

 

 斗和と倫道には、その前にやっておかなければならないことがあった。

鬼殺隊当主・産屋敷耀哉に、自分たちの素性を説明し、”真実”を打ち明けること。斗和と倫道は話し合い、耀哉には知っておいてもらおうと考えた。

 しかしそれは真実ではない。

 

 この世界は鬼滅の刃の世界ではなく、”野良着の隊士”の世界なのだ。本当のことを知るのは、この世界では倫道ただ一人のみだった。

 

 斗和と倫道は二人揃って鬼殺隊当主・産屋敷耀哉に面会を求めていた。手紙では説明しようもない、妄想としか言えないような、現実離れした内容を説明しなければならない。

 

 斗和は、もともと原作の世界に存在しない自分が動くことで起こる反動を危惧していた。杏寿郎や色々な人を助けたいが、その代わりに他の隊士や柱が死んでしまう、もしくはそれと同等の良くないことが起こるのではないかと考えていた。

 倫道にも迷いはあった。おそらく自分はやがてこの世界から消え、その先はどうなるか分からない。それでも、もしかしたらこうなるのではないか、と悪く考えるよりも精一杯動こうと割り切っている。

 自分が迷い込んだ時点で、この世界は既に作品と同一の世界ではない。無数にあるパラレルワールドの一つとなっている、と倫道は考えている。その考えが正しいのかどうかは分からない。ただ確実に言えることは、今いる世界が、この“野良着の隊士“の世界が自分にとっては全てだ。今できる事を全力でやり抜き、この”野良着の隊士”の世界を良くするよう頑張るしかない。

 

「様々な的で迷いながらその矢を放たず」

 

 高校時代、倫道が恩師に言われた言葉だ。色々考えながら実行に移せない、そんな彼を歯痒く思ったのだろうか。だから、やらずに後悔はしたくない。全力を尽くさずに終われない。心を燃やす、熱い生き方を。倫道はそう考えていた。

 

 

 

 

 産屋敷邸の会見の間で斗和と倫道が正座して待っていると、鬼殺隊当主・産屋敷耀哉が現れた。

「おはよう、斗和、倫道。倫道とはこうして会うのは初めてだね。今日はよく来てくれた。……それで、どうしても話しておきたい重要なこと、というのは?」

耀哉はかしこまる斗和と倫道に穏やかに語り掛けた。

 

「お館様。今から私たちがお話し申し上げるのは余りに突飛な内容ですが、嘘ではございません。ですがお聞きになられて御不快に思われるようでしたら、私たちはいかなる処分も謹んでお受けいたします」

平伏したまま斗和が述べた。

 

「分かった、余程のことのようだね。だけど、まずは聞かせてもらわなくてはね」

耀哉は穏やかな様子を崩さず微笑んだ。

 

 斗和は経緯を語った。

自分たちは前世の記憶を持つ転生者。自分たちがいたのは、”令和”という元号の、大正から百年以上も時代を下った未来。そして。

 

「私たちのいた世界では、鬼と鬼殺隊に関するこの一連の出来事は物語として書物になり、衆人の知るところとなっており、私たちもその物語を読んで結末まで知っております。今私たちがいるのは架空の物語の世界。作られた虚構の世界なのです。皆様は、私たちが読んでいた物語の登場人物なのです」

 

 耀哉は衝撃を受け、混乱した。自分の生きる世界が虚構、物語であるなどと、そんなことを急に信じられるはずがない。しかし耀哉は、斗和と倫道が人を騙す人間ではないことは良く知っており、何よりこの二人を信頼していた。剣士としての強さももちろん、人間性や誠実さを高く評価していた。

 

(この二人は無意味な嘘を吐く子たちではない。かと言って、すぐには信じ難い内容だ……)

耀哉は混乱しながらも、話しを聞こうとした。

 

「どういうことかな?私にはまだ良く理解できないが……。つまりこの世界は物語で、結末まで全て決まっていて、君たち二人は物語が作られた未来の現実世界から来た、と?」

「おっしゃる通りです」

斗和と倫道は耀哉の動揺が収まるのを待った。

 

「斗和、倫道。君たちのことは信頼している。かと言って、すんなりと信じられる内容ではない。何か信じるに足る証拠はあるかな?」

 

 結末まで全てを知っていることが分かったら、鬼殺隊を辞めさせられたり、拘束されたり、果ては斬首されるかもしれないと斗和は恐れていたが、思い切って言った。

 

「今から凡そ九年前になりますか、十三歳のお館様と十七歳のあまね様は、”貴女が嫌なら私からこの話は断ります”というお館様のお言葉で結婚を決められたのではないでしょうか」

斗和がそう言うと、耀哉は驚いた。妻のあまねと自分しか知り得ない、実際に語った言葉が一言一句違わずそのまま再現されたからだ。耀哉の驚きはまだ終わらない。

 

「失礼は重々承知しておりますが、この事実を知っている者はごく少数と思われますので、敢えて申し上げます」

お咎めなど無いことを知っている倫道は落ち着いて、踏み込んだ内容まで言い当てた。

 

「千年前、元々は産屋敷家の身内であった鬼舞辻無惨が鬼となり、血筋の者が鬼になったことで産屋敷家は呪いを受け、一族が絶えそうになった。神主の助言により、鬼を倒すために心血を注ぎ、神職の御一族と婚姻関係を結ぶことで一族は絶えることはなかった。しかし、それでも皆様は三十年と生きられない……」

倫道は話し終え、失礼いたしました、とまた平伏した。

 

 耀哉は驚愕した。鬼の始祖、鬼舞辻無惨は産屋敷家の血筋。当の産屋敷家の人間の他にはそれを知っている者はおそらくいない。

 産屋敷家の呪い、倫道が敢えてそれに触れたのには理由があった。

 

 それから斗和と倫道は、大まかなストーリーを語った。

 

「最終決戦は次の次の冬。おそらく再来年の一月頃と思われますが、そこで無惨との全面対決となります。大きな犠牲を払いながらも鬼殺隊は勝利し、無惨は滅び、無惨の配下の鬼たちは全ていなくなります」

斗和はきっぱりと言い切った。

 

「無惨は倒される……。それが来年、再来年だとは……。悲願が叶う……私たち一族の千年の悲願が……!」

 耀哉は大いに驚き混乱していたが、この間も終始穏やかな雰囲気は全く変わらなかった。しかし無惨の討滅を告げるとその空気は一変し、耀哉の表情は鬼気迫るものへと変化した。

 当代の鬼殺隊当主・産屋敷耀哉は、春風のように常に穏やかに振る舞いながら、鬼舞辻無惨討滅に誰よりも執念を燃やしている。その気迫は、自身と家族の命を懸けてでも殺そうとするほどだ。斗和と倫道は、耀哉の凄絶な笑みにその激情の一端を垣間見て、思わず息を呑んだ。



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第十三話 嘘

 斗和、倫道の話を聞いた耀哉はあまりの内容に驚き、混乱し、無惨が倒されることを知らされて歓喜した。激しい感情の波に揺られ、本当に冷静になるには少し時間を要したが、それでも耀哉は感情をコントロールして平素の状態に戻った。

 

「戦いはこれからさらに激しさを増し、熾烈を極めていくのだろう。それが分かっていてそれでも尚、君たちは鬼殺隊に留まろうと言うんだね。どうしてそこまでして私たちを……?」

冷静になった耀哉は疑問を口にした。何故敢えて危険なところへ飛び込むのか、何故そうまでして鬼殺隊を助けてくれようとするのか、その理由がこれまでの話の中からは読み取れなかった。

 

「物語の世界であったとしても、実際に人は死ぬ。君たちが現実世界から来たと言っても、不死身ではないのだろう?全てを知っているなら尚更恐ろしいとは思わなかったのかい?」

それは、耀哉の純粋な疑問だった。

 

「恐怖はありました。戦いや訓練で私自身が受ける苦痛も、共に戦う仲間たちの死も、怖いと思っていました。今でも恐ろしくてたまらないです。でも私には、どうしても生きていて欲しい人がいました。この世界に転生したと気付いた時、まず浮かんだのはその人を救いたいということでした。そのためなら何でもすると決め、その一心でここまでやって来られました」

斗和は耀哉を見つめ、正直に答えた。

 

 この段階では斗和は前世の事をほとんど思い出していない。自分がどうして杏寿郎を助けたいのか分からなかった。だがその強い思いは消えることなくずっと心に残っていた。

 

「私は今まで、物語を知っていながら何もできませんでした。ですが私はこれから起こる事を変えたいのです。煉獄さんを死なせたくないのです。私が代わりに死んでも構わないと思っております。……私たちの事情は先程申し上げた通りです。今後どうなさるかはお館様のお心次第。私たちはいかなる処分も受ける覚悟です」

斗和は言い終えて平伏した。

 

「お館様。私にも、どうしても死なせたくない大事な人が……、命を懸けて護りたい人がいます」

今度は倫道が語り始めた。その口調は静かだが、強い想いが込められていた。

 

(そう言えば、みんなを助けたいって言ってたけど、倫道君の”命を懸けて護りたい人”って誰なんだろう?こんな真剣に誰かのこと言うの初めて聞いたかも)

斗和は聞いていて興味が湧いた。

 

「何よりもその人を護り、救うのが一番の優先事項ですが、その他の人たちも救いたいのです。私が護りたい人も戦いで命を落とします。そしてその他にもたくさんの人が死にます。この物語を読んでいて、この人たちを救いたいといつも思っていました。……私はきっと、そのためにここに来たのです。その機会を与えられたのだと思っております」

一気に喋り、倫道も平伏した。

 

「どうか無礼をお許しください。耀哉様……。あなた様もお救い申し上げたいのです」

再び顔を上げると、倫道は耀哉を見つめて言った。倫道が産屋敷家の呪いに敢えて触れた理由はそれだった。

 

「もしお許しをいただければお体を拝見し、治療の適否を判断いたします。申し遅れましたが私は前世で医師をやっておりました。私から見ましてもお館様のご病気の本質は見えません。ですが物語を読み、こうして拝見しますと病変は全身に及んでいると考えられます。自己修復を担う細胞を投与し続ければ、進行を止め、あるいは克服できるかもしれません」

落ち着きを取り戻していた耀哉は、またもや大いに驚いて目を見開いた。病気の進行により、その目は既に物の輪郭をぼんやりとしか捉えられなくなっていた。

 

「物語世界の偶然、そして珠世さんの協力も大きいのですが、未来の医療技術である再生医療がこの時代で実現しました。これで耀哉様のお体を」

倫道は前のめりになって説明する。

 

(再生医療!倫道君そんな凄いことしてたんだ!)

斗和は今更ながらに驚きを持って聞いていた。

 

「今日は本当に驚かされてばかりだ。もう何を言われても驚かないと思っていたが……。私を……この呪いから救ってくれるのかい?」

耀哉はしばらく呆気に取られ、それから微笑んだ。

 

「この治療を行ったカナエさんは良好に経過しています。やってみる価値はあるかと」

倫道は頷いて、耀哉を見つめた。

 

(この体は急速に死に向かっている。それはもう止めようも無い。命のあるうちに無惨を倒したかったが、それも叶わぬ夢と半ば諦めていたのだが)

耀哉は自分の命はもう長くはないと悟っていた。正体の分からない病魔は全身を蝕み、それはまさに呪いと表現する以外に無かった。しかし未来からやって来た斗和と倫道が、耀哉の心に大きな希望の光を灯した。無惨討滅が叶うことを明確に示唆し、命を危険に晒しても死んでしまうはずの隊士たちを救いたいのだと言ってくれた。二人の熱い想いが嬉しかったが、さらに倫道は耀哉も救うために驚くべき提案をした。

 

――鬼のいない夜明けを生きて迎えられるかもしれない――。

 

 そんな希望が耀哉の胸の内で芽生え、大きく膨らんだ。

 

「ありがとう、倫道」

耀哉は胸が熱くなり、倫道に向かって微笑みかけた。ぼんやりとしか見えない輪郭がさらにぼやけ、滲んで見えた。

 

「君たちが嘘偽りを述べていないことは良く分かった。それに、君たちがみなを思い、助けようとしてくれていること、本当に嬉しく思うよ。斗和、倫道。今後君たちはどう動いても構わない。私はできる限り協力しよう。斗和は今まで通り柱として励んで欲しい。倫道は隠を続けて構わないよ。……ただし、あまり無茶をしないこと。君たちだけで全てを背負い込もうとしないこと。いいね?」

 

「御意」

斗和と倫道は耀哉の心遣いに感謝し、退散しようとした。

 

「倫道、何かまだ話したいことがあるかな?」

耀哉はふと倫道を呼び止めた。

 

「いえ、私の想いは全てお話しいたしましたので」

「そう、また何か話がある時はいつでも来てくれて構わないよ。珠世さんによろしく」

そう言って耀哉は二人を見送った。

 

 この世界の真実を知るのは倫道ただ一人。

耀哉にも嘘を言っている倫道は心苦しく思った。本当の事を話すかどうか、躊躇した心中を見透かされたようで倫道は複雑だった。

 

 

 

 

 

「倫道君の”護りたい人”って誰?」

帰りの道中で、斗和が何気なく聞いた。

 

「いや、ちょっと恥ずかしいから今は言えないんだ」

「えー誰?」

「十四歳の時初めて会って……、それからずっと憧れてる人だよ」

倫道が恥ずかしそうに言うのを見て、斗和は微笑ましく思うのと同時に、少し複雑でもあった。

 

(いつもアホみたいなこと言ってるのに、なんだか可愛いな。でも十四歳で会ってるというと、私ではないか……。ほんのちょっとだけ期待したんだけどな。自意識過剰だな、私)

斗和は、倫道が自分に好意を抱いていることは何となく感じていた。ただ恋愛感情というより、共に転生者としてこの世界を変える仲間、同士としての仲間意識の延長だと思っていた。そして斗和もこの時点で一番気になるのは煉獄杏寿郎。だがその想いは、異性としての好意なのか、憧れなのかは自分の中でも判然としなかった。ともかく倫道が誰かを想っていることはさほど気にしてはいなかった斗和だが、倫道にとって一番大事なのは、”蓬萊斗和以外の誰か”とハッキリしたのは少し残念で、斗和はそんな自分の気持ちが我ながら可笑しかった。

 

 斗和は、倫道と初めて会ったのはお互い十八歳の時、十二鬼月二体を相手にしたあの任務の時だと思っている。だから、倫道の口にした十四歳の出会いの意味には気付かなかった。

 

 

 

 

 

 元々高いレベルにあったカナエの身体能力を元に戻すことは容易ではなかった。しかし人間の体にはメモリー効果というものがある。以前の状態を体が記憶していて、刺激によって元に戻ろうとするのだ。ゼロからそこまでに達するよりも、一度落ちた状態から戻すほうが遥かに早くそのレベルに到達することができる。カナエは充実した鍛錬を日々こなし、着々と復帰に向けての準備を進めていた。

 

 治療開始から約一年後。

蝶屋敷の鍛錬場で、カナエは成長著しいカナヲと対峙していた。しのぶはカナエの回復具合の見届け役として、二人の稽古を見守っている。

 

(すごい、カナヲだって力を付けて来てるのに。姉さん、本当に良くここまで……!すぐにでも柱に復帰できるじゃない)

しのぶの目の前には、木刀を手に俊敏に動き回り、隙あらば正確で速い斬撃を繰り出して畳み掛け、カナヲを圧倒するカナエの姿があった。

(姉さんはまた戻るのね。でもこれが……これが姉さんの望んだことだもの。私がとやかく言うことじゃない。あら、あれは?)

 

 そこに倫道が訪ねて来た。カナエとカナヲは変わらず手合わせを続けており、しのぶが応対した。

 

「お久しぶりですね。おかげ様で姉さんはあの通り、すっかり元気です」

しのぶは笑顔で倫道に声をかけた。

 

「……しのぶさん、俺のしたことは正しかったんでしょうか」

倫道は、しのぶに声をかけられてもしばらく返事ができずにいたが、カナエの素晴らしい動きを見ながら呟くようにしのぶに聞いた。

 

「そのことならもう大丈夫ですよ。正直、お話を聞いた時は心配の方が大きかったですし、治ったら姉はまた戦ってしまいますから。でも見てください、あんなに生き生きとしてるんです。姉は、戦って人を護ることが幸せなんです。もう何も言いませんし、水原さんにはとても感謝していますよ。それから……色々と無礼なことを言ってすみませんでした」

しのぶはカナエとカナヲの手合わせから目を離さず、照れ隠しなのか倫道の方を見ないでそう言った。

 

「!」

しのぶの素直な感謝の言葉に、倫道は思わず目を見開いてしのぶの横顔を一瞬見つめ、その言葉を噛みしめるように俯いて涙ぐんだ。

 

「ちょっと水原さん、止めてくださいよ!私が泣かせてるみたいじゃありませんか」

「すみません、ちょっと目から鼻水が」

冗談めかして言うしのぶに、倫道もようやく笑顔になった。そして真剣な表情に戻り、本日の用件を告げる。

 

「今日は、お力添えいただきたいことがあって来ました。再生医療を使って、どうしても助けたい隊士がいるんです。今度は心臓、しかも手術も必要なんです」

斗和はおそらく治療を拒否するだろう。倫道は、斗和が治療を受けるよう説得するのと、その後の治療について協力を依頼した。

 お館様、産屋敷耀哉の件はカナエ、しのぶと協議を重ね、慎重に検査を行って再生医療の適否を見極めている段階だった。

 

 

 

 

 今年、斗和、倫道は二十歳となる。来年早々には炭治郎たち主人公組が入隊し、物語は一気に動き出す。

 

 鬼殺隊当主・産屋敷耀哉に全てを打ち明け、協力を取り付ける事に成功した斗和と倫道だったが、倫道には急いでやるべきことがあった。倫道にとって、この世界での最も重要なミッションだ。

 

 

 

 斗和には心臓の持病があった。通常は新生児期までに自然に閉じる心臓内部の穴が、成人になっても閉じない病気だ。それに肥大型心筋症(心臓の壁が厚くなってしまう病気)も発症しているのでは、と倫道は見ていた。若いアスリートの突然死の原因になることもある病気で、子供時代には無症状に経過していたが、鬼殺の剣士となって鍛錬や激しい戦闘を繰り返すうちに症状が進行していた。このまま心臓を酷使し続ければ命を脅かす状態まで悪化してしまう。心臓に負担をかけないように、無理をせずに穏やかに日常生活を送れば生き長らえることはできる。制約の多い日常生活となるが、死ぬよりはマシ、と普通の人間なら考えるところだ。

 

 このまま心臓に負担をかければ命を縮めるどころか、突然死してしまうかもしれない。全集中の呼吸で限界以上の力を引き出し、化け物と殺し合いをするなど、絶対にしてはならない。

 

 それは弱った心臓に止めを刺す、自殺行為以外の何物でもない。

 

 心臓は一つのポンプではない。複数のポンプが神経の制御で緻密に連動し、初めて一体となって血液の流れを作り出しているのだ。心臓の壁が肥大すると血流が乱れ、ポンプの稼働効率が低下する。心臓の壁が肥厚して一部分だけがいびつに引き伸ばされると、ぴったりと閉じるはずの逆流防止弁が閉じなくなって血液が逆流したり、心臓内部の神経の伝導路にも異常をきたし、各部の連動システムが不具合を起こして不整脈になったりする。手術的に肥大部分を取り除き、逆流防止弁を再建し、再生医療で心筋や神経の伝導路を再生する治療が必要だが、それにはおそらくリハビリを含め半年から一年程度はかかるだろう。斗和が無限列車で万全の働きを望むなら、この時期に治療を開始しなければならない。

 

 野良着の隊士の物語で、斗和は心不全が進行した状態で最期まで戦い、力尽きた。倫道は、本当は斗和に引退して欲しかったが、斗和がそれを聞き入れるとは思えなかった。戦うのを止めろと言っても聞き入れてくれないなら、リスクは大きいが手術と再生医療で体を治し、心置きなく最後まで戦えるようにしてあげたいと思っていた。

命を懸けて護る。それが、自分がこの世界で果たすべき使命。それにはまず心臓を治すことが先決だった。倫道は改めてこの使命を果たす決意をした。

 

 

 

 

 最近体調が悪いことは自覚していた。

鍛錬していると、締めつけられるような胸の痛みや動悸に襲われ、冷や汗を流してじっと蹲り、症状が治まるのを待つこともあった。安静にしている時でさえ、時折喉がつかえたように急に苦しくなったり、脈が乱れたりすることもあった。

 こっそり受診した町医者では、何でもない、気のせいだと診断されるはずだった。しかし不整脈と心臓の機能低下を指摘され、運動してはならないと告げられた。デタラメを言うなと憤慨し、そんなことがあるはずがないと聞き流した。だがその診断はデタラメなどではなかった。

 

 斗和の心臓の状態は、もはや隠しようも無いほど悪化していた。

 

 斗和は、自分の心臓に大きな異常があることを認めるのが怖かった。僅かにある前世の記憶で、心臓疾患で死んだのだろうと考えていた。それが、この世界でもまた襲ってくる。

 次第に酷くなる自身の不調に怯えながら、一方では、しばらくすれば治る、疲れているだけだと無理やりに思い込み、ひたすら鍛錬することで少しでも不安を和らげようとしていた。

 継子の佳成であれば、そんな変調に気付けたかもしれない。だが、彼は少し前に斗和から免許皆伝を言い渡されて巣立っており、斗和のもとを訪れるのは月に一度もなかった。斗和はお手伝いの夏世にも体の不調は言っておらず、倫道以外に斗和の不調を知る者はいなかった。

 

 

 

 

 そんなある日、斗和は胡蝶姉妹から呼ばれて蝶屋敷にやって来ていた。自分の不調を悟られて調べられてしまうのでは、そう考えて斗和は不安だった。

迎えたしのぶに、診察室や病室でなく自宅の方に通されて待っていると、そこに意外な人物が現れた。

 

「斗和さん、最近体の調子はどう?」

ふらりと入って来た倫道がいつもと変わらない、何でもない調子で聞いた。

 

(何で倫道君がいるの?それに何で急にそんなこと聞くの?まさか倫道君まで)

斗和の不安はさらに強まり、そして何となく察した。倫道は、胡蝶姉妹まで巻き込んで自分の病気を調べようとしているのだ。だがここで心臓に異常が見つかれば、この先戦うのを止められるかもしれない。そうなれば、杏寿郎を自分の手で救うことができなくなってしまう。

 

「何でもない、絶好調!」

ここは何とか誤魔化して逃げるしかないと決め、どう言い逃れしようかと必死で考えを巡らせながら、斗和は満面の笑みで答える。あるいは、倫道なら自分の気持ちを汲んで見逃してくれるかもしれない、そんな期待もあった。

 

「ふーん……。じゃあこれは何?随分乱れているし、時々脈がとんでるようだけど」

倫道は急に斗和の手関節(手首)の内側、橈骨動脈に三本の指を添えて脈を診た。時折明らかな乱れがあり、結滞(けったい、脈がとぶこと)もあった。倫道の顔からは笑みが消える。

 

「これは……、これは違うの!その、急に手を握られたから、ドキドキするって言うか……」

斗和は照れ隠しのふりをして追及を逃れようとするが、倫道は”ドキドキする”などと言う嘘には騙されない。そんなことはありえないと自分に言い聞かせ、努めて感情を出さないように用心しながら斗和を問い詰めた。あくまで医師として、仲間として。

 

「斗和さん、俺の前職忘れたの?ドキドキして脈がとぶなんてあるわけないでしょう。噓はダメだよ」

「大丈夫、噓じゃないよ。本当に何でもないから」

 いつものふんわりとした雰囲気とは全く違う、先程とは別人のように厳しい表情の倫道がじっと斗和を見つめていた。斗和は、ニコリともしない倫道の様子に戸惑った。

 

「昨日今日の事じゃないよね?それに、最近症状が悪化して来てるんじゃない?めまいや動悸、胸部の違和感、締め付けられるような痛み……。斗和さん、これは自然に治ることはない。まず検査をしよう。その上で手術を含む治療を考えないと」

倫道は斗和に説明し、懸命に説得を試みる。

 

「斗和さんは戦うの止めないよね?だったらせめて治療をさせてくれ。どうか頼みます!治療を受けてください!このまま戦い続けたら本当に死んじゃうかもしれないんだよ!!お願いだからっ!」

倫道は、杏寿郎に嫉妬しているとバレないよう、細心の注意を払いながら懸命に頼んだ。斗和は、倫道がこれ程感情を表に出すのを見たことが無かった。斗和は、痛々しいまでに真剣な倫道の様子に、自分の病状が本当に深刻であり、逃げようがないのを自覚した。しかしここで認めるわけにはいかなかった。治療に入れば長期離脱、下手をすれば剣士を引退させられる。

 

 斗和ははっきり拒絶する代わりに俯いた。

 

「手術を受けたらしばらく休まないと、だよね?その間はどうするの?誰が代わるの?ただでさえ忙しい他の柱の皆さんに迷惑はかけられない。私は大丈夫。何ともないから、本当に……。お願いだから放っておいて」

俯いたまま言い張る斗和に倫道は躊躇するが、やはりこれは譲れなかった。

 

俺はどうしても貴女を死なせたくない。命を懸けて、貴女を護るためにこの世界に来た。

倫道は大声で言いたかった。だがそれは辛うじて思い止まり、説得を続けた。

 

「治療しなければ病気で死んでしまうかもしれない。このままにはしておけないんだ。死なせたくないんだ……どうしても」

倫道は懸命に感情を抑え込んで冷静を装ったが、言葉の端々に想いが溢れるのは止められなかった。

 

(何で分かってくれないんだ)

(どうして分かってくれないの)

 

斗和は口を固く結び、黙ったまま俯いた。空気が張り詰め、お互いにこれ以上言えば怒鳴り合いになりそうだった。

 

「柱の職務のことなら当てがある」

険悪なムードに耐えきれず、別方面から攻めることにした倫道は切り札を投入した。

 

「こんにちは。蓬萊さん、お久しぶりです」

そこに入って来たのは胡蝶しのぶと、肺の治療が完了した胡蝶カナエだった。カナエは現在機能回復訓練と怪我をする前以上の鍛錬を順調にこなしており、柱への復帰も間近になっている。

 

「私たちは、みな貴女を心配しているんですよ。だから、検査と治療を受けてくれませんか?詳しく診ないと何とも言えませんが、貴女の心臓には複数の欠陥があると思います。私たち蝶屋敷の力だけでは完全に治すことはできませんが、珠世さんと愈史郎さんの力もお借りして、治してみせますよ。私だってここまで良くなったんですから、大丈夫ですよ!それに柱の業務のことは、私としのぶ、それに水原さんで代わりますので安心してください。それ以外のことも、私たちができる限りお手伝いします。一緒に頑張りましょう!」

カナエは斗和の手を優しく握りしめた。しのぶも心配そうに見つめている。

 

(カナエさん、しのぶさん、倫道君……)

このまま誤魔化していけば、来年の無限列車までは何とか任務をこなせるのではないか。治療して長期離脱すると間に合わなくなるかもしれないし、倫道が口にした「手術」という言葉が正直に怖かった。だが自分を心配してここまでやってくれる仲間に斗和は感動し、信じてみようという気持ちになった。カナエとしのぶの存在も後押しとなった。

 

「分かりました。よろしくお願いします」

斗和は遂に治療を受けることを承諾し、深く頭を下げた。

 

(良かった良かった……。いやいや、ちょっと待って。さらっと重大なこと決まってない?)

が、ここに不意打ちを食らった者が一人。

 

「あ、あの……カナエさん?斗和さんの業務、俺もやるなんて聞いてないんですけど?俺はまだ乙(きのと)だし……」

斗和の柱業務の一部を肩代わりするメンバーに自分も入っていると急に言われ、戸惑う倫道。

 

「あらあ、良いじゃありませんか。水原さんは上弦と渡り合えるほど強いんですもの」

カナエは倫道の抗議を笑顔であっさりと却下した。

 

「水原さん、往生際が悪いですよ」

しのぶも含み笑いをしながら言い足した。

 

(ええー……もうめっちゃ忙しくなるじゃないですか……。でも何で童磨とやり合ったこと分かったの?)

 

 倫道は呆然としたが、にっこりと嫌味の無い満面の笑顔を向けてくるカナエ、笑いを堪えるしのぶにはそれ以上抗議できずに渋々承諾した。

 

 

 

こうして斗和の本格的治療が珠世の診療所で開始されることとなり、以降斗和は半年以上に渡る療養生活に入ることになった。

 後日行われた臨時の柱合会議で、時透無一郎の柱就任と、入れ違いに蓬萊斗和の柱引退が発表され、特例としてカナエの柱復帰も発表された。

 

 

 

 珠世の診療所では、カナエの時と同様に斗和の細胞を採取、幹細胞へと巻き戻して培養、移植に備えた。だが斗和の場合は心臓そのものに複数の問題があり、それを手術的に修復してから移植を行う必要があった。細胞群の移植と同時に、肥大した心筋切除、弁の再建も行う大手術となる。倫道はそれを、On-Punp Beating(人工心肺による補助循環を行いつつ心臓の動きを止めないで行う術式)で行うと決断した。心停止させて行うより難易度は跳ね上がるが、心停止時の管理も万全には行えない状況を考えれば、もとよりそれ以外の選択肢は無かった。

 また倫道は手術に備え、刀鍛冶の里へ何度も出向き、術中と術後の数時間、心臓に代わる補助循環装置の作成を依頼、隠の隊士たちが十数人、交代でハンドルを回して動力となるシステムも完成させていた。

 

「みんなと同じように、斗和さんは大事な仲間だ。必ず助けるから」

麻酔導入の前、倫道は寝台の上の斗和に声をかけた。

(みんなと同じように?あの時、どうしてもって言ってくれなかったっけ)

徐々に意識がぼんやりする中で、斗和はそんな事を考えながら深い眠りに落ちた。

 

 

 

「全集中 蛇杖の呼吸 中隔心筋切除、心筋細胞移植、僧帽弁再建及び中隔欠損封鎖術 いきます」

 

 

 

 

 倫道の手技と人力補助循環装置にしのぶは目を見張った。

(傷を縫うくらいなら慣れてる隠はいるけど、動いている心臓を速く正確に縫合するなんて!それに修復するということは、心臓内部の構造を熟知しているってことだし、そもそもこの心臓を補助する装置だって、どうやったらこんなものを思いつくの?この人は一体……)

しのぶは疑惑の目を向けながらも、ひとまずは手術の成功を喜んだ。

 

「上手くいって良かったですね。蓬萊さんはどうしても助けたい人、ですよね」

手術を終えた倫道に、しのぶが労いの言葉をかける。

 

「蓬萊さんは大事な仲間ですから」

倫道が笑顔で答えるが、しのぶはすぐに問い返す。

「仲間、ですか?」

「な、仲間ですよ!別に好きとかそういうことではなく」

 

「水原さんは正直ですね」

「あっ……」

しのぶは笑い出し、倫道は頭を抱える。

 

「しのぶさん、どうかこのことは内密に……」

「誰にも言いませんから安心してください」

倫道はひとまずホッとした。

(すごいのかバカなのか分からないけど、黙っていてあげましょう。まあ無駄だと思いますけど)

しのぶは手術の成功をカナエに報告し、斗和の療養準備を整えるため蝶屋敷に帰って行った。

 

 

 大手術だったが術後の循環動態は安定し、補助循環装置も離脱して斗和は無事に周術期を乗り切った。まずは第一関門をクリアし、本格的に斗和の療養生活がスタートした。

 

 斗和の経過は順調で、手術とその後しばらくを珠世の診療所で、落ち着いた段階で蝶屋敷へ移されて療養が続いた。斗和が蝶屋敷に移ってからは、炎柱・煉獄杏寿郎、風柱・不死川実弥、平隊士の倫道は斗和の見舞いで良く顔を合わせ、微妙な空気になったりしていたが、状態は安定していた。半年も経つと日常生活ができるくらいに回復し、リハビリが開始されるのを待つばかりとなった。

 

 

 そして新たな年が明け、倫道は甲に昇格、斗和、倫道はいよいよ二十一歳となる歳を迎えた。



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第十四話 決別と再起

西盛胤篤(にしもりたねあつ)…【野良着の隊士】オリジナルキャラ。岩の呼吸の育手で、斗和を導いた人物。



「では、私はこれで。状態が安定したら、蓬萊さんは蝶屋敷でお引き受けします」

しのぶは手術の成功を確認し、一足先に帰って行った。

 

 手術操作が全て終了し、呼吸、循環が安定しているのを見極め、倫道は斗和の麻酔を覚ましていく。そして人工呼吸器に繋がる管が斗和の喉から抜かれた。

 

 

「斗和さん、上手くいったよ。良く頑張ったね」

麻酔から覚める頃、そう声をかけられて斗和はゆっくりと目を開けた。

 突然、光が視界を埋め尽くす。一瞬、前世である令和なのか大正の世界なのかが分からなくなるが、頭と口許を覆った男が話しかけて来て、大正の現実に戻ることができた。

 

 

(あ、倫道君……あれ、私……?ああそうだ、手術受けたんだ……。終わったのかな)

斗和は、倫道や珠世、愈史郎その他手術に関わってくれた人たちに感謝し、同時に別の事を考えていた。全身麻酔で深く眠ったのと、出血や体外循環装置の使用で体の環境が一気に変わった影響もあったのだろうか。

 

 前世の記憶の一部を取り戻していた。

 

(無限列車編の映画、私は観てない。観ずに帰ったんだ)

手術中、斗和は大正のこの世界のことでなく、何故か前世の一場面を夢に見ていた。

 

 机の上の何かの書類とそれを指し示す男性。男性の顔は思い出せないが、自分に向けた嫌悪の視線は鮮明に思い出した。

 

 もう少しで全ての記憶が戻りそうな気がした。思い出しそうになるといつも酷い頭痛がして、それ以上思い出せなかった。それはおそらく自分の死やそれに繋がる記憶。

(きっと良い思い出じゃないんだろうな)

斗和はそう思って密かに苦笑した。

 

「ありがとう。また……助けられちゃった」

意識がはっきりしない中でそんなことを考えながらも、斗和は倫道に感謝を込めて微笑んだ。

 

「いいんだよそんなの」

倫道は手術台の斗和に声をかけ、軽い足取りで手術室から出ようとしたが、足腰から力が抜け、膝から崩れて床に座り込んでしまった。

 

(あはは……。もう全然動けないや)

極限まで集中力を高め、長時間に渡りそれを維持し続けた反動だった。手術終了後、大きな緊張から解放された倫道は目まいと疲労感に襲われ、動けなくなった。

 

「まったくお前は毎度毎度……。いい加減にしろ」

「スミマセン……」

愈史郎は倫道をベッドまで引きずって行き、寝かせてやった。

 倫道は死力を尽くした。

術中の手技も上手くいき、斗和は麻酔から無事目覚めてくれた。術直後は何の問題もなく、手術は成功だった。

 充足感と安堵。そして斗和を再び戦場へと送り出すことになる罪悪感。

 

 しかし、斗和は感謝の言葉をかけてくれた。それだけで倫道は十分すぎるほど嬉しかった。

(経過を見なきゃいけないけど、おそらくこれで大丈夫、準備ができた。これからが本番だ!)

 

 倫道が斗和に行ったのは、生き延びるためではなく、戦う体を取り戻すための根本的治療だった。この時代どころか、現代でもなかなか見られない大がかりな治療。

 

 心臓は生命そのもの。心の宿る臓器。心臓の停止は即ち生命活動の停止を意味し、その他の臓器とは違う。そう考えられていた時代。

 

 当時心臓の手術は日本ではタブー視すらされていた。欧米でも事故などで心臓に明らかな外傷がある場合、それを修復する程度の、ごく簡単な手術が行われるようになったばかりであった。倫道は斗和を助けるため、現代医療の知識と経験をフル活用し、万全の準備を整えてそれを成功させた。そして、珠世と愈史郎も、胡蝶姉妹も持てる力を出し切った。

 

 斗和は倫道の想いが嬉しかった。一番ではないにしろ、倫道は自分のことを想ってくれているのだろう。だが状態が安定して蝶屋敷に移り、見舞いを受けているうちに、自分の本当の気持ちが誰にあるかに気付き始めてしまい、斗和自身が一番驚き、戸惑っていた。

(そんなはずはない、私は煉獄さんを……。でも)

 

 面会が許可されると大勢の人が見舞いに訪れた。元継子の館坂佳成や土柱邸を守るお手伝いの夏世は頻繁に訪れ、柱たちや同い年で仲の良い村田、任務で一緒になった隊士たち、斗和を慕う隠の隊士たちも来た。中でも煉獄杏寿郎と不死川実弥は良く訪れていた。斗和は最初、苦手にしていた不死川の見舞いに驚き恐縮していた。

 

「不死川さん、また怪我してますね」

不死川実弥は任務明けの早朝などに良く寄っていく。二人きりで何を話して良いか分からない斗和は、不死川の怪我を見つけて話題にすることが多かった。

 

「大したことはねェ。こんなモン唾でもなすっときゃ治る。それよりお前はどうなんだァ」

「前回来ていただいた時とあまり変わりません。だってニ、三日前ですよ」

 

 不死川の何度目かの来訪で、斗和はようやく慣れてきた。

「そうか、早く治せェ。また手合わせしてやる」

「……」(それはご遠慮申し上げます……言えないけど)

 

 あまり会話も弾まず、時にはお互い何を話すでも無く数分間一緒にいるだけだが、斗和は不死川の不器用な優しさを感じて暖かい気持ちになり、不死川が帰った後はまた会いたいと思うようになっていた。

 

 無限列車で杏寿郎を助けるために自分はこれまで頑張ってきた。なのに、何故自分は違う人にこんなにも惹かれるのか。怖くて苦手なはずだったのに、どうして……。

それもまた斗和を悩ませる一因になっていた。

 

 斗和は恋愛には疎く、それについては考えるのを意識的に避けていた。

 そもそも自分はこの世界にいるはずのない人間なのだ。想いが通じることはない、無理やりにそう思い込んでいた。

 

(上せるな、蓬萊斗和)

 

 顔だけでなく、胸にまで傷のある醜い女が何を浮かれているのか。斗和は自分で自分を罵倒した。

 病室で不死川と二人で過ごす時間は短かったが、泣きたいほど優しく、温もりに満ちていた。だが斗和は、そんな一片の温もりを求める心さえ冷水を浴びせるように否定し、蓋をした。

 

(早く体を治して、自分の責務に向き合え)

そして、自分自身に強くそう言い聞かせた。

 

 

 

 手術の傷の痛みもやがて消え、表皮に縫い痕を残さない倫道の縫合術により、傷跡は盛り上がって残ることはなく、良く見ないと分からないくらいきれいになった。脈の乱れも消え、移植した心臓の細胞も生着して力強く鼓動していた。

 手術から約半年後、徐々にリハビリが始まった。問題が無ければ早々に本格的な訓練を再開することになっていたが、体を動かし始めてから不調が出る懸念もあり、もうしばらくは入院したまま経過観察を受けなければならなかった。斗和は蝶屋敷に入院したまま新しい年を迎えたが、経過は極めて順調だった。

 年明けと前後して、斗和のメニューは早くもリハビリから基礎訓練へと移った。療養中は身体活動が制限されていたため久しぶりの運動はきつかったが、元来活発な斗和は体が動かせる解放感を味わっていた。

 斗和は、鬼滅の物語で生きるために実家を出てから、これ程長くボーッとすることがなかった。記憶を戻してから初めての長期療養で、様々な事を思い出していた。

 

 

 そして、思い出してしまった。

 

 

 前世で斗和の夫であった”あの人”は、斗和自身の意思に反して強引に結婚を迫り、夫婦となった。しかし一年後には他の女に乗り換え、斗和を疎んじるようになった。そんな時、斗和はたまたま読んだ”鬼滅の刃”の登場人物、煉獄杏寿郎に惹かれた。明朗快活で仲間思いなところ、自分の命を懸けて人々を護る強きその姿。そんな杏寿郎のことを考えていると、つらい現実から逃れられた。

 ”あの人”は今度は斗和に離婚を迫った。斗和はせめて思い出にと煉獄杏寿郎の出てくる無限列車編の映画に誘ったが拒否され、一人で観に行った。

 映画館で、夫であるはずの”あの人”が、可愛らしい女性と楽しそうに座っていた。

 斗和は自分が酷く滑稽に思え、考える間もなく逃げるようにその場を去った。上映は始まっておらず、映画は全く観ていなかった。寒々とした家に辿り着き、本を胸に抱いているとようやく悲しみがこみ上げ、涙が溢れた。泣いていると、いつもの軽い胸の痛みが訪れた。

 泣いているうちに、斗和は異変に気付いた。いつもの胸の痛みがどんどん強くなっていく。痛みは今までに無いくらい強く、心臓を潰されるような激烈なものとなった。痛みのために嘔吐し、冷や汗が流れ、呼吸さえできなくなった。そして気が遠くなり、それきり斗和の記憶は途絶えた。

(私はあの時死んで、生まれ変わったんだ)

 

 斗和は全てを思い出した。

 

 

 

 その日倫道が斗和の病室を訪れると、斗和の目が赤いことに気付いた。

 

 斗和は泣いていた。

 

(前世のつらい記憶を……?物語では無限列車の後で思い出すはずだけど、やっぱりこれは避けられないのか。忘れたままの方が良かったんだけど)

倫道は察し、胸を痛めた。

 

「斗和さん、大丈夫?お腹空いたの?お饅頭取ってこようか?」

倫道はどうして良いか分からず、冗談めかして聞いた。

 

「ありがとう、大したことじゃないから。お饅頭は要らない」

「つらい時は美味しい物でも食べて忘れよう。お饅頭じゃなくて、もっと良い物もらって来ようか?それともチーズケーキ作ってこようか?」

倫道は何とか重い空気を変えようと、オロオロしながらも必死に笑いを誘った。

 

「大丈夫、それに私そんなに食いしん坊じゃないよ!」

斗和は目に涙を滲ませながらもそれに乗ってやり、泣きながら笑った。

 

「前世のこと、思い出しちゃった。あんまり良い死に方じゃなかったから……。でも大丈夫だよ」

斗和は気丈に答えたが、大丈夫でないのは明らかだった。

「斗和さん……」

斗和のつらさを分かっている倫道は、それ以上何も言えず黙り込んでしまった。

 

 

 

「蓬萊斗和さんはこちらか」

その時、部屋の外から低く落ち着いた男の声がした。

 

「はい、どうぞお入りください」

どこかで聞いた声だ。

 だがすぐには思い出せず、斗和は取り敢えず返事をした。

 

「失礼する」

入って来たのは、日に焼けて浅黒い顔に髭を貯えた巨漢。倫道は入り口へ向き直り来訪者を確認した。ベッドにいる斗和からは、倫道の陰になって男の姿は丁度隠れ、誰なのか分からない。

 

(この人は!)

一目で歴戦の強者と分かる来訪者に、倫道は一瞬警戒したがすぐに正体に気付いた。

 二メートル近い身長に、服の上からでも分かる筋骨隆々の体格、右眼に眼帯をした厳つい顔。既に五十歳を超えているが、鍛え抜かれた肉体は全く衰えを感じさせなかった。

 

「お、すまんなお二人さん。邪魔しちまったか?俺は出直して来よう」

隻眼の大男は斗和と倫道の何となく湿っぽい空気を察して出て行こうとした。

 

「西盛さん、大丈夫です!」

厳つい外見に似合わず繊細な気遣いのできるこの男だが、倫道が慌てて引き止めた。男が振り向く。

 

(えっ?西盛って)

これに反応して、斗和も男をまじまじと見た。

男も斗和の姿を確認しながらゆっくり歩み寄り、声をかけた。

 

「蓬萊斗和か?久しぶりだな」

斗和は懐かしいその声をようやく思い出し、驚きに目を見張った。

 

「えっ?ええっ!えええっっ!!師匠?西盛師匠……!」

斗和の育手、西盛胤篤(にしもりたねあつ)。直接会うのは八年ぶり、斗和が巣立った時以来であった。斗和が暇を持て余し、近況報告を兼ねて書いた手紙を読んで会いに来たのだった。

 

「は、はい、斗和です!師匠……!本当に……師匠だー!」

斗和はベッドから降りて西盛に抱き着いた。

 

「おいっ、子供じゃないんだ!昔みたいに抱き着くな!」

「えへへ、いいじゃないですか師匠!……本当にお久しぶりです!」

斗和はそう言いながら、入門した十二歳の時のようにわざと強く抱き着いた。

 

「お前、いい加減にしろって!」

西盛は、十分大人の女である斗和に抱き着かれて少し赤面し、慌てて斗和を引きはがした。

 

(やっぱりいい人だな、西盛さん。斗和さんも嬉しそう)

厳つい西盛が顔を赤らめ、斗和が子供の様に抱き着いている。倫道はそんな二人のやりとりを微笑ましく見ていた。

 

(感動の再会、いいもんだなあ。でも……ああ、だめだ、俺も目から鼻水が)

だが斗和の目に新たに浮かぶ涙を見てしまい、師弟の絆の強さにもらい泣きしそうになって目を背けた。

 

「あの、俺はこれで」

席を外そうとした倫道だったが、

「お前さん、斗和の友達か?悪いが少し付き合ってくれ。二人だとどうも湿っぽくなっていかんからな。だが俺のことをよく知ってるな」

そう言って西盛は笑った。

 

 倫道は慌てて立ち上がり、自己紹介をした。

「水原倫道、階級・甲です。斗和さんから聞いてた通り、熊みたいなおっさ――」

 

「ゲホッ!ゲホンゲホン!!ゴホン!ゴッホン!!」

倫道が「熊みたいなおっさん」と口を滑らせそうになり、余計なことを言うなと斗和は倫道を横目で睨んだが、察した西盛は豪快に笑った。

 

 倫道がもう一つ椅子を出して西盛に勧め、斗和はベッドに座り、久しぶりの師匠との再会にすっかり笑顔になっていた。

 

「俺は斗和の育手で西盛という。こいつは最初、俺のところへ岩の呼吸を習いに来たんだ。だが色々あって、”土の呼吸”を派生させて、今じゃ柱か。俺のことをクソおやじ!って呼んで、べそかいてた小娘が……立派になったな。俺も鼻が高い」

西盛は倫道に名乗り、斗和に向き直って笑いかけた。斗和は厳しかった師匠に面と向かって褒められ、「師匠はますますおっさんになりましたね」と照れ隠しの憎まれ口を利いている。

 

「そうだ師匠、今、巷ではこんな面が流行ってるのを知ってますか?上野や浅草じゃみんなこんな面をつけて」

斗和はベッドサイドの棚からひょっとこの面を出してきて、いたずらっぽい顔で西盛を騙しにかかる。

 

「あ、嘘ですよ」

「ちょっと倫道君、なんでばらすのよ!」

倫道が表情も変えず、斗和の行き当たりばったりの嘘を潰すと、斗和が怒って言い返す。

 

「お前らなかなか良い相方だな」

仲の良いその様子を見た西盛は面白がってニヤニヤ笑っている。斗和がそんな師匠に聞いた。

「でも師匠、いきなりどうしたんですか?よく蝶屋敷にいるって分かりましたね」

斗和の手紙には心臓の手術を受けたと書いてあり、西盛は心配して埼玉の山奥から見舞いに来たのだった。

 

「斗和、済まなかったな。心臓が悪いこと気付いてやれなくて。手術だって言うからよ、心配して来たんだ。それにしても心臓を手術なんて、とんでもないことをするヤツもいたもんだ。本当に大丈夫なのか?」

術者本人がいるとは知らず心配そうに言う西盛に、斗和は手術後既に半年以上経過して、治るのを待つだけだと答えた。

「様子見ながら鍛錬も始めてるんです。それに……命を預けるくらいには信用してましたから」

斗和はさらりと答えて笑った。

 

(ありがとう斗和さん!)

倫道は心の中でバンザイをしながら聞いていた。

 

「治ってもまた死ぬほど鍛えなくちゃいけないですけど」

おどけて見せる斗和に、西盛は感慨深げに語った。

「本当はお前に引退を勧めに来たんだ。少しでも迷ってるなら無理にでも辞めさせようと思っていたんだが、その必要も無いようだな。命を預けられるほど信頼する仲間や、お前のためを思ってくれる仲間。良い仲間ができたみたいじゃねえか。本当に成長したな、斗和。今度はお前がそいつらの支えになってやれ。元気で頑張れよ!」

 

「斗和をよろしく頼む」

西盛は倫道にも丁寧に頭を下げ、そう言って帰って行った。

 

 師匠が自分を認めて一人前に扱い、暖かく励ましてくれた。

(前世なんかに囚われてる場合じゃない。私はここで、この世界で生きていくしかないんだから。頑張らないと!)

 

 斗和の心に新たな情熱の火が点った。

 

 

 

 その後も訓練は進み、訓練の強度を上げても心臓の不調が現れることはなく、斗和は晴れて退院が許可された。それと前後し、斗和は炭治郎たち主人公組が、と言うより玄弥が気になり、玄弥に接触するために最終選別を見に行くことにした。



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第十五話 道標~不死川玄弥

 斗和は玄弥に接触するため、最終選別の行われる藤襲山に向かった。

 

 原作では玄弥と不死川が心を通わせ、互いに素直な気持ちを伝え合えるのは、最終決戦で玄弥が死ぬ間際のほんのわずかな時間だけ。同じ鬼殺隊の組織に居ながらも、それまで二人はまともに会うことすら叶わない。斗和はあまりに切ないこの運命をどうにか変えたいと願っていた。

 

 不死川は玄弥のことを大事に思っている。恨まれても、わざと玄弥につらく当たり、鬼殺隊から追い出して戦いから遠ざけようとした。

 

 唯一の肉親である弟には生きていて欲しい。

 

 それは不死川の切なる願いだった。斗和はそのために自分が悪者になっても良いと思った。玄弥を死なせないためには鬼殺隊に入れないことが一番確実な方法だ。

 

 斗和は玄弥に会って、不死川の本心をそれとなく伝えながら、どうしても隊士になりたいのかを聞きたかった。玄弥に少しでも迷いや甘さがあれば、場合によっては多少乱暴なやり方になっても鬼殺の剣士を諦めさせる。斗和はそんなつもりで面会に臨もうとしていた。

 倫道は、おそらく玄弥が入隊を諦めることはないだろうと考えていた。ならば、自らの力で生き残れるように玄弥を鍛え上げ、強くなる手助けをするつもりだった。そんな訳で、今回斗和は単独で藤襲山に向かった。

 

 合格者の四人が解散した後に声をかけようと、斗和は広場が見渡せる木立に隠れて成り行きを見守った。見ていると、玄弥はやはりかなたを殴り、止めに入った炭治郎が強くその右腕を掴んだ。言い争いの後、玄弥は右腕を押さえて後退った。

 手関節部の骨にヒビが入ったようだった。玄弥は炭治郎を睨んでいたが、何事も無かったように淡々と続けられる説明に争う気を削がれ、その後は大人しくなった。

 

 原作通り玉鋼を選び、四人はそれぞれ帰路に就いた。

 

「鬼殺隊の最終選別を受けた人ですか?」

斗和は玄弥の帰る方向に先回りし、玄弥が通り過ぎたところで背後から声をかけた。至近距離で背後に立たれたが、声をかけられるまで玄弥は全く気付かなかった。いきなり声をかけられ、玄弥は飛び上がりそうに驚いて振り返った。

 

 

 

 

 気配もなく現れたのはひょっとこの面をつけた人物。野良着のようなものを着ていたが、それはよく見ると隊服だった。

 

「何だてめえは!ふざけた面着けやがって!何か用か!」

炭治郎に右前腕の骨を折られ、かなりイラついていた。その上に急に背後に立たれて驚かされた。それも相手はひょっとこの面、という恰好だ。玄弥の声が尖るのも当然ではあった。

 

「そんなに鬼殺隊に入りたいのですか?復讐のためですか?それともお給金のためですか?鬼と戦う危険な仕事ですよ」

よく見ればひょっとこは自分よりも上背があった。だがその声はやはり柔らかな女性のものだった。

 

「てめえの知ったことか!それに俺はもう選別を通ってんだぜ。少し経てば自分の刀も届くんだ。鬼殺の刀さえありゃあ、鬼なんぞ片っ端から狩ってやるぜ」

玄弥は自信ありげにニヤリと笑った。

 

 それを聞いて斗和はお面の下で笑い、フフっと思わず声がもれた。

 

「笑ってやがるなてめえ!何が可笑しい?!」

その気配が伝わり癪に障ったのだろう、玄弥の声は怒りを含んで大きくなる。

 

「すみません、ちょっと可笑しくて、つい。残念ながら、選別は実際の任務に比べればままごとのようなものですよ。……そうだ、私が試して差し上げましょうか?貴方が鬼狩りとして生き残っていけるかどうか」

 

「何だと!」

「貴方の攻撃が私に当たったら……いや、もし掠ったら貴方の勝ちです。知りたいことを教えてあげますよ。参ったと言ったら貴方の負けです。鬼でも何でもないただの人間の私に負けるようでは、入隊は諦めてください」

斗和は腰に帯びた日本刀タイプの日輪刀を外して後ろへ置き、地面に半径一メートル程の円を描いた。

 

「私は武器は使いません。足技と左手一本でお相手しましょう。この円の中から出ませんから、さあどうぞ掛かって来てください」

得体が知れないが相手は女性で、刀は外して丸腰。一方、男である自分は真剣を持っている。玄弥は相手の態度に腹を立ててはいたが、さすがに攻撃するのは躊躇した。

 

(玄弥君を煽るためだけど、こういう芝居はお面被ってなきゃ恥ずかしくてできないな)

斗和は内心照れながら、小馬鹿にした雰囲気が伝わるようお面の下で挑発的に笑った。

 

「私を心配をしてくださっているのですか?大丈夫、刀を使って構いません、心遣いなど無用です。私は貴方より強いですから。それとも貴方の腰の物は飾りですか?」

斗和はくっくっと軽く笑い声を漏らし、可笑しそうにお面の口許に手をやり、また煽った。

 

「この野郎!死んでも知らねえぞ!」

刀を上段に構えてダッと駆けだしたその瞬間、玄弥は勢いよく転んでいた。斗和は玄弥の一歩目を見逃さず、出足払いで先の先(せんのせん)を取った。無様に仰向けに転がされ、呆然と斗和を見上げる玄弥。斗和の下段蹴りが、びゅっとその鼻先を通り抜ける。

 

「どうしました?まだ何もしていませんよ」

冷徹に見下ろす斗和。怒りに震える玄弥。下段蹴りは故意に外されたのが明らかだった。

 

「てめえっ!もう容赦しねえ!」

玄弥は立ち上がり、我武者羅に刀を振り回して突進して来た。斗和は両手を背中で組んだまま、最小限の体捌きで玄弥の攻撃を躱している。

 

「くそっ!くそっ!」

玄弥はなおも刀を振り回し、十分以上も全力で斗和を追うが、斗和は巧みに体勢を変えながら狭い円の中を移動し、攻撃を躱し続ける。玄弥の攻撃が当たる気配など全く見えなかった。

 

 斗和がわざと体勢を崩したふりをして誘う。チャンスと見た玄弥はここぞとばかり思い切り踏み込んで刀を振るう。

しかし玄弥が刀を振り下ろしたところには斗和の姿はなかった。斗和は背後に回って玄弥の奥襟を掴んでぐいと引き寄せた。女とは思えない剛力に今度は玄弥が体勢を崩した。

 

「大振りはいけませんよ?――ほら、このように」

斗和は、体が泳いで倒れそうになる玄弥の脇腹に膝蹴りを突き刺した。

「崩されて攻撃をもらってしまいます」

 

「ぐえっ!」

玄弥は堪らず転がって逃れ、胃の中の物を吐いた。選別の間はほとんど食べ物を口にしていないので、わずかな胃液しか出てこなかった。

 玄弥は目がかすみ、疲労とダメージで脚が震え、力が入らない。それでも涙を浮かべながら斗和を睨みつけて立ち上がった。

 

(俺はどうしても剣士になって、兄ちゃんを)

玄弥は必死に立ち上がり、刀を構えた。斗和は玄弥の覚悟に胸が痛んだが、平静を装う。

 

(もう体力がもたねえ。これで最後の一発だ!これでだめなら……いや、こんな所で諦めてんじゃねえ!俺は絶対諦めねえぞ!)

玄弥は立ち上がり、最後の力を振り絞って攻撃を仕掛けた。余計な力が抜けた斬撃は今までよりも数段鋭く、斗和は驚いた。

 

(今までより速い!だけど)

斗和にとっては目を閉じていても避けられる程度の攻撃でしかなかった。斗和は僅かな動きで躱し、再び足払いで玄弥を転がした。玄弥は仰向けに倒れ、気絶させるために斗和は攻撃しようとした。

 

「カアアーッ!!」

少し離れた木立の中からカラスが現れ、羽音もけたたましく斗和に向かって一直線に向かって来た。先程玄弥についたばかりの鎹カラス、「榛(はしばみ)」。玄弥には追い払われたが、気になってずっと後をついて来ていた。この手合わせも、消耗しきった玄弥が心配でハラハラしながら見ており、ピンチに思わず飛び出して来たのだった。

 

(カラス?)

一瞬斗和の注意が逸れた。

 

 倒れていた玄弥が跳ね起き、折れた右手で刀を突き出した。

斗和は躱そうとしたが、隊服のズボンの裾に剣先がわずかに触れた。

 

「あ」

「やったぜ……。どう……だ」

確かに攻撃が届いた。極限まで張り詰めていた気が緩み、玄弥は気を失った。

 

(ごめんね玄弥君、痛かったよね。君が本気なのは痛いくらいによく分かったよ。でも少し話をしよう)

斗和は玄弥の健気さを思い、そっと涙を拭ってお面を被り直した。そして玄弥のカラスに心配ないと告げ、目が覚めるのを待った。

 

 

「目が覚めましたか」

「何なんだよアンタ!でも俺の勝ちだからな!教えてくれよ、知りたい事教えるって言ったよな?」

玄弥はすぐに目覚めて斗和に食ってかかったが、先程までの剥き出しの敵意は無かった。

 悔しいが、この女性と自分には大きな実力差があることが嫌でも理解できた。だがこの人なら兄に会う方法を知っているかもしれない。

 そんな思いで、玄弥は疲れも痛みも忘れて熱心に話を聞こうとした。

 

「私は鬼殺隊の元柱で蓬萊斗和と言います。たまたま近くに来たので藤の花を見ていたら、丁度貴方が通ったので声をかけたんです。知っている人によく似ていたので」

「俺は不死川玄弥……です。俺、兄貴がいるんだ。風柱の不死川実弥。似てる人って風柱のことだろ?不死川実弥を知ってるか?」

「やはりそうでしたか。もちろん知っていますよ」

「本当か!会うにはどうしたらいい?俺はどうしても会わなきゃいけないんだ」

「……」

斗和はため息をついてひょっとこの面を外し、じっと玄弥を見た。

 

(玄弥君は本当に必死の覚悟でここまで来た。説得するにしても協力するにしても、私も全力でいかないと)

 

 玄弥は驚いた。

面で顔を隠しているくらいだからどんな不細工かと思っていると、面の下から現れたのは美しく整った女性の顔だった。ただ顔の左側の大きな傷痕が、今までにくぐり抜けてきた戦いの激しさを物語っていた。優しく憂いを含んだ眼差しで見つめられて玄弥はたじろいだが、同時に自分と同じような傷のあるこの女性に、少し親近感を抱いた。

 

「その前に、貴方のその右腕、骨にひびが入っているようですね。副木を当てたほうが痛みが和らぎますよ」

斗和はふと表情を緩めて話しかけた。

 

「い、いや、俺は」

斗和は右腕を取ろうとするが、玄弥は急に恥ずかしくなって少し後退った。

 

「大丈夫、手当ては慣れてますから。もっと重傷な人の手当てもしますよ。ここは日常的に人が死ぬところですから」

 

 これを聞いて玄弥は黙って従い、副木を当てた右腕に大人しく包帯を巻いてもらった。これから自分が飛び込む世界は常に死と隣り合わせだ。怪我など日常茶飯事で、女性に手当てしてもらうことを恥ずかしがっていては話にならない。

 

「だから貴方も鬼殺隊員としてやっていく覚悟があるか、それを見たかったんです。若い、子供のような隊士が死んでいく、それを見るのはとてもつらいことです」

玄弥は現実を思い知らされ、言葉を失う。まさに自分のような者のことを言われていると気付いたからだ。だが玄弥にも絶対に退けない理由がある。

 

 兄と話したい。あの時の事を謝りたい。もちろん兄の役に立ちたい思いもあった。

 

 育手にも付かずに我流で鍛えた。藤の花の家紋の家で年の近い隊士に出会い、鬼殺隊や選別のことを聞き、土下座して日輪刀を借りた。最終選別を何とか生き延び、兄と同じ鬼殺隊に入れるところまで、やっとの思いで辿り着いたのだ。諦めるなどできるはずがなかった。

 

「なあ、兄ちゃ……、風柱に会うにはどうすりゃいいんだよ?教えてくれよ」

玄弥は縋るような目で斗和を見つめる。

 この時斗和よりもまだ身長も低く、ほんの子供と言って良い玄弥の必死さに、斗和はまた切なく胸が締め付けられるような思いだった。

 

「もう一度聞きますが、貴方はどうしても鬼殺隊に入りたいのですか?風柱に会うだけなら一般人でも良いのでは?若しくは、鬼殺隊には”隠”と言って、直接戦闘に関わらず戦闘員を支援する部署もあります」

「鬼殺隊じゃなきゃ、剣士じゃなきゃダメなんだ!俺は兄ちゃんを護るんだ。兄ちゃんに認めてもらいたいんだよ!俺はそれだけのために生きてきたんだ!」

 

 玄弥を見つめる斗和の瞳が憂いの色を濃くする。

 

「余計なお世話なのは重々承知の上ですが……貴方が鬼殺隊に入ることを、不死川さんが喜ぶでしょうか?不死川さんの気持ちを考えたことがありますか?」

 

 斗和の言葉に、玄弥がはっと顔を上げた。兄がどう思うか、そこには全く思いが至らなかった。

 

「不死川さんは、貴方が危ない目に遭うのは喜ばないでしょう。それでも貴方は――」

さらに斗和が言いかけた。

 

「兄ちゃんがそう言ったのか?俺を鬼殺隊に入れるなって」

「……そういう訳ではありませんが」

「兄ちゃんがそう思ってたとしても……俺だって兄ちゃんに危険な目に遭って欲しくないんだ……。同じ気持ちなんだよ、兄弟だから!助けたいんだ!役に立ちたいんだよ!」

 

 斗和は次にかける言葉が見つからなかった。不器用ながらお互いを思い合う兄弟。

その強い気持ちを止めることなどできない。俺たちにできるのは支えることだけ、倫道はそう言っていた。その通りかもしれない、斗和もそう思った。

 

「よく分かりました。私が知っていることで良ければ教えましょう。そこに座りましょうか」

斗和と玄弥は並んで腰を下ろした。

 

「で、これからどうすりゃいい?」

玄弥は期待を込めた目で斗和を見つめた。

 

「柱に会う方法ですが、柱は多忙ですから、運良く共同任務にでも当たらなければ、一般隊士はなかなか会えません。ただ柱同士なら多少は会い易くなるでしょう」

「柱になれば良いのか!」

 

 斗和は思わず苦笑して、更に説明する。

「簡単なことではありませんよ?柱になるには任務をこなして階級を上げ、一番上の甲になることが必要です。その上で鬼を五十体、もしくは十二鬼月を倒した者から選ばれます。そして大事なのが」

斗和はもったいぶって一呼吸置いた。

 

「品行方正であることです」

斗和は玄弥の粗野なところを直してもらおうと、そんな条件を勝手に付けた。現役の柱たちが必ずしもそうでないことは言うまでもないのだが。

 

「……見てたのかよ」

玄弥は気まずそうに下を向く。

「やってしまったことは仕方ありません。以後は気をつけた方が良いですね」

斗和は玄弥を宥め、握り飯を差し出す。

 

「戦い方は色々だし武器もその人に合った物がある。それを早く見つけることです。刀に拘る必要はありません」

 

「蓬萊……さん、俺に教えてくれよ!教えてください!早く強くなって、柱になりてえんだ!」

「申し訳ありませんがそれはできません。ですが心配は要りません。私よりも的確に貴方を導いてくれる人がいます。まず初めに、岩柱の悲鳴嶼さんを訪ねると良いでしょう。悲鳴嶼さんは鬼殺隊最強の戦士です。悲鳴嶼さんのもとでしっかりと体を練り上げるのが強くなる近道だと思います。もう一人は甲・水原倫道君。私と同い年の水の剣士です。彼ならきっと貴方を強くしてくれる」

 

 斗和は玄弥の覚悟を本物と判断し、可能な限り情報提供してやった。いつしか斗和は、玄弥にかつての自分の姿を重ねていた。岩の呼吸の育手に弟子入りを懇願した、十二歳の自分。

(私もこんな必死な顔をしてたのかな)

懐かしく切ない気持ちになり、斗和は最後に言葉をかけた。

 

「焦って命を落としてはいけませんよ。絶対に生きて帰ること。約束ですよ!それを破ったら、貴方がお館様のお嬢さんを殴ったことをお兄さんにチクります」

そう言い残し、斗和は風のようにその場を去った。

 

(いわばしら、ひめじま……。みずはらりんどう)

玄弥は斗和の去った方角を見つめ、お辞儀をした。斗和にもらった握り飯を食べながら教わった名前を頭の中で反芻していたが、やがて立ち上がると、何事かを決心したように歩き始めた。




玄弥の鎹カラス、榛(はしばみ)。榛の花言葉は、仲直り、和解、調和。そして、「賢く諦めなさい」という意味もあるようです。


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第十六話 道標~竈門炭治郎

土の呼吸 壱ノ型・土龍爪(どりゅうそう)…【野良着の隊士】オリジナル技。
土の呼吸 玖ノ型・蚯蚓破裂(みみずばれ)…【野良着の隊士】オリジナル技。



「楽になさっていてください」

珠世は斗和の隊服の前をくつろげた。胸の真ん中、薄っすらと残る手術痕に当てるのは、聴診器ではなく己の掌。目を閉じて集中し、心臓の様子を探っていたが、やがて大きく頷いて手を離した。鬼は人間には分からないような臓器や細胞、遺伝子の異常が分かり、血の種類が判別できる。検査などしなくても体の外からそれらが分かることは、医師としては大きな武器となる。

 

 珠世は無惨によって鬼にされた時、人間としての自我を失って大勢の人を殺した。後に自我を取り戻した時にその事を深く悔やみ、呪いが外れて無惨から逃れてからは、人々を救うために医師として研鑽を積んだ。鬼の特性を活かして診断能力を高め、倫道からは現代医学を学び、珠世は医師として格段の進歩を遂げていた。

 

「はい、もう結構ですよ。心臓の壁の動きも、血液の流れも正常です。弁の逆流もありませんし、拍動の乱れも無い。鍛錬を再開しているそうですが、何の問題もありません」

 斗和は定期的に珠世にフォローアップの診察をしてもらっており、今日はその最後の日だった。二ヶ月ほど前からは徐々に鍛錬を再開しており、最初は息切れしたが、毎日続けると急速に以前の感覚を取り戻しつつあった。

 

「ありがとうございます。みなさんには何とお礼を言って良いか」

斗和は珠世に丁寧に頭を下げた。

 

「命拾いしたな。だが鬼に殺されてしまっては同じことだ。せいぜい稽古に励むんだな」

「愈史郎さんにも本当にお世話になりました。ありがとうございます」

愈史郎の皮肉混じりの祝福にも、斗和は笑顔で礼を返すのを忘れなかった。

 

(カナエに斗和、こいつらは鬼の俺たちと普通に接している。水原は例外だとしても、こんな奴ばかりなら鬼狩りとも協力できるかも……それは甘過ぎるか)

愈史郎はため息をつきながらも、その心には期待が芽生え始めていた。

 

 鬼狩りと協力して、鬼舞辻無惨討滅を果たす。

初めて会った時、倫道にそう言われた。それはほんの数年先の未来のことなのだと。

 無惨討滅は珠世の悲願であるが、とりわけ鬼に対して深い恨みや憎悪をもつ者の集まりである鬼狩りたちとは関わりたくないし、協力などできるはずがないと愈史郎は思っていた。しかし、今はそれが本当にできるような気がした。それに冷静になって考えれば、鬼を人間に戻す薬や鬼の細胞を死滅させる薬は確かに強力だが、無惨に投与するにはやはり鬼殺隊の武力が役に立つ。

   

 無惨との最終決戦は今年の年末から来年にかけてのどこかで行われる、倫道はそう言っていた。運命の時が刻々と迫ってきているのだ。

珠世と愈史郎は懸命の努力で成果を上げており、決戦の準備は静かに着々と進行していた。

 

(珠世さんのお墨付きもらった!帰って倫道君にも報告しなくちゃ)

珠世から完治の説明を受け、斗和は感無量だった。

 

 半年前のあの時。

倫道は斗和に熱心に治療を勧め、その必死さは懇願と言っても良く、放っておいて欲しい斗和とあやうく大喧嘩になるところだった。しかし倫道は周到に準備しており、胡蝶姉妹までもが「本当に貴女を心配している」と治療を勧め、万全のサポートを約束した上で長期離脱をしてでも病気を治すように言ってくれた。斗和は周囲の心遣いに感動して治療に踏み切ることができた。

 

 入院中、カナエとしのぶは倫道に協力した経緯を教えてくれた。

カナエを助ける以前から、倫道が医療班の隠として懸命に治療や救護活動に当たっていたこと。そしてカナエを助けて治療を成功させながら、それを誇るでも無く安堵の涙を流していたこと。

 

「その水原さんに、どうしても助けたい人がいると言われたら、姉も私も協力しないわけにはいきませんでした。変な人ですよね、あの人は」

そう言ってしのぶは笑っていた。

 

 

 夕方からの雨は上ったが、珠世は斗和に今夜は泊っていくように勧めた。遠慮深い斗和も何故か胸騒ぎがして、その勧めに素直に従った。

 浅草の街に近いこの周りも普段と変わらず騒がしい。しかし今夜は何かが違った。華やかな中にどこか淀んだ空気が流れていた。

 

 斗和が休もうとしていた時だった。

窓の外から、男が正気を失って暴れ、子供を襲っていると声が聞こえた。

(まさか、鬼がらみか?)

愈史郎が素早く身支度を整えた。

 

「蓬萊さんはゆっくりなさっていてください。私たちは様子を見てきます」

珠世は斗和にそう言い残し、愈史郎とともに出て行った。

 

 程なく、珠世と愈史郎が男女を連れて診療所に戻って来た。男性は白目を剥いて意識を失っていたが、頑丈な縄で幾重にもがっちりと拘束されており、その容貌は人間ではなかった。顔中に浮き出した血管、牙が覗く口許、明らかに鬼化していた。女性は完全に人間で、肩に傷を負って気を失っていた。

 

(これは、炭治郎君が無惨に遭遇したあのイベントだ!ということは、ここに炭治郎君たちがやって来て、その後無惨の刺客も来るってことね)

斗和は気付いた。

 珠世は鬼化した男性を拘束したまま地下牢へ隔離し、咬まれて怪我をした女性の傷の治療をしていた。

 

「愈史郎、すみませんが先程の少年をここへ。おそらく一緒でしょう、そのかたの妹さんも」

 

 鬼の妹を連れた、鬼狩りの少年。

鬼化した男性を懸命に抑え込み、「この人に誰も殺させたくない!」そう叫ぶ炭治郎を目にして、以前に倫道に言われていたのはこの子であったかと珠世は思い当たった。

 咬まれた女性の治療を終えた珠世は、炭治郎と妹を招くよう愈史郎に頼み、愈史郎は内心不満を抱きながらも二人を探しに出て行った。

 

「珠世様、お連れ……しました」

しばらくすると愈史郎は炭治郎と禰豆子を連れて戻って来たが、その顔には明らかな不満が見て取れた。

 

「先程はお任せしてしまってすみません」

診療所に招き入れられた炭治郎はそう言って詫びた。

 

 炭治郎は浅草の雑踏の中、禰豆子を鬼にした者の匂いを辿り、鬼の首魁・鬼舞辻無惨を発見した。しかし無惨は通りがかりの男性を鬼に変え、騒ぎに紛れて姿を消した。鬼にされ、暴れる男性を抑え込んでいるうちに警官が来て、炭治郎は取り囲まれてしまった。普通の人間である警官たちでは、鬼化した人間は到底抑えきれない。そうなれば間違いなくあの男性は別の人を襲ってしまう。

 炭治郎がそう危惧していると珠世と愈史郎が現れ、血鬼術で警官たちの視界を奪い、鬼化した男性と怪我をした女性を連れ去った。混乱に乗じて炭治郎も騒ぎから逃げることができたのだった。

 

 炭治郎と禰豆子は目眩ましの術で隠された診療所に招かれ、原作通り珠世から話を聞いた。炭治郎は珠世と話すうちに、鬼でありながら人を喰わず、嘘偽りのない清らかさに打たれ、禰豆子の血液を調べること、鬼の血液を採取することへの協力を約束した。

 別室にいた斗和はこの場面に顔を出そうかどうか迷っていたが、炭治郎には後に柱合会議で顔を合わせるだろうことを考え、ここで会っておくことにした。

 

 

「うわあっ!は、鋼鐵塚さん?!」

斗和は気配もなく炭治郎の後ろに立つ。背後に突然現れたひよっとこに気付き、炭治郎は腰を抜かすほど驚いた。斗和は炭治郎を驚かすため、ひょっとこの面を付けて現れたのだ。珠世がクスクスと笑みを漏らして尋ねた。

 

「蓬萊さん、炭治郎さんとお知り合いですか?」

「鬼を連れた隊士のことは聞いていました。一度会いたいと思っていたんです」

斗和は虚実を交えてお面の下で微笑む。

 

「初めまして、竈門炭治郎君。私は元土柱・蓬萊斗和と言います」

「貴方も鬼殺隊員なんですか?柱って……。それに禰豆子のこと、どうして知ってるんですか?」

禰豆子を隠してはいなかったが、倫道や冨岡、鱗滝以外の者に話してはいない。禰豆子の存在を知られていると分かり、炭治郎は不安になった。

 

「柱というのは、まあちょっと強い人たちのことですよ。鬼を連れた隊士がいるというのは、実は上の者はみな知っています。それを良く思わない人もいますが、私は二人を応援したいと思っているんです。……そちらが禰豆子ちゃんですね?はじめまして、蓬萊斗和です」

 

「むー?」

禰豆子が寝転がって脚をぶらぶらさせたまま、小首を傾げて斗和を見上げている。斗和はひよっとこのお面を外し、優しく禰豆子に微笑みかけた。

(禰豆子が反応していない。害意は無いんだ。優しくて強い匂いだ……)

炭治郎は柱合裁判のことなど知る由もなく、禰豆子に微笑みかける斗和の様子に安心していた。

 

 

 

 

 斗和と炭治郎が穏かに対面を果たしている頃。

浅草からすぐの住宅街に二つの人影が現れた。繁華街の喧噪も既に収まり、他に道を行く人もいない。トン、トン、と毬を突く音が夜更けの街に小さく響く。毬が跳ねる度に、仕込んだ鈴がチリリンと鳴った。

 

「見えるかえ?」

毬を突く少女が聞く。その顔色は不自然なまでに青白く、目の虹彩は金色で、瞳孔は細く縦長だ。

 隣には、這いつくばるように何かを探るやや年長に見える少年がいた。少年が地面に手をかざすと、ギュロ、と掌に目が開いた。目は数回瞬きをし、やがて目の中に矢印が浮かび上がって足跡を捉え、それが向かう方向までも正確に示した。

 

「おお、これじゃ。足跡が見える……。あちらをぐるりと大回りして、三人になっておる」

目標を見つけた少年は、目を閉じたままそう答えてニヤリと笑った。

 

「花札のような耳飾りをつけた鬼狩りの首を持って来い」

 

 無惨の命令を受け、二人の鬼が炭治郎を追っていた。珠世の診療所には愈史郎の血鬼術で目眩ましが施されているが、炭治郎に向けて放たれた刺客がその足取りを捕捉し、診療所の近くにまで迫っていた。

 

 

 

「危ない!伏せろ!」

愈史郎が叫び、珠世に覆い被さって護る態勢をとった。

 突然、壁をぶち破って二つの毬が部屋の内に飛び込んで来た。毬は四方に跳ね返りながら室内を滅茶苦茶に破壊していく。

 

(やっぱり来た!えーっと……。名前、何だっけ?)

斗和は毬を避けながら鬼の名前を思い出そうとしていた。

 

「矢琶羽(やはば)の言う通りじゃ。何も無かった場所に建物が現れたぞ。目眩ましの術など使いおって、小賢しいのう」

崩れた壁の向こうから、毬を手に朱紗丸(すさまる)がケラケラと笑った。

 

「それ、もう一度毬で遊ぼう!」

二つの毬がまた投げ込まれた。跳ね回る毬の一つが急に軌道を変え、珠世を護る愈史郎の頭を吹き飛ばした。

 

(愈史郎さんがやられた!俺がみんなを護らなきゃ!)

先程の毬の破壊力を目の当たりにして、炭治郎は抜刀して油断なく構えた。愈史郎が頭を吹き飛ばされてしまったため、珠世も護らねばならない。

 

(うーん、やっぱり思い出せない。……茶々丸と、ヤバトン……だっけ?)

(※作者注 矢場とん…名古屋名物の味噌カツ専門の外食チェーン店の名前)

炭治郎はもう一人の隊士、斗和をチラリと見遣るが、斗和は深刻な表情で何かを考えている。だが実は鬼たちの名前を思い出そうとしているだけだった。

 階級が上とは言っても女性なのだ、自分が絶対に護る。炭治郎は自分自身に気合を入れた。

 

「耳に花札のような飾りの鬼狩りは……お前じゃのう!」

壁に開いた大穴から室内を覗いた朱紗丸は、無惨に命じられたターゲットを見つけて嬉しそうに笑った。炭治郎はそのセリフで自分が標的であるのを知った。

 

「珠世さん、蓬萊さん!身を隠せるところまで下がってください!ヤツらの狙いは俺です!俺と禰豆子がみなさんを」

炭治郎が気負って叫ぶが、珠世は愈史郎の体を支えながら大丈夫だと答えた。

 

「炭治郎さん、私と愈史郎は鬼ですから、すぐに治ります!気にせず戦ってください。それにここには」

毬が風を切って迫るが、珠世は慌てなかった。

 

 ここには斗和がいる。

 

 倫道から斗和の強さは聞いており、珠世にはどこか余裕すら見える。

 

「私が前に出ます」

ポンポンと羽織についた埃を払って立ち上がると、斗和は鞘代わりの麻袋を外し、特に特に気負った様子もなく愛刀を構えた。

 

(炭治郎君、さすが主人公だね)

斗和は炭治郎の気概を頼もしく思いながら、予期せぬ形で始まった久々の実戦に笑みを浮かべた。

 

(あれが刀?!)

炭治郎は斗和の特殊日輪刀を見て驚くが、斗和の戦う姿を見てこの後さらに驚くことになる。

 

 そこに毬が迫ってきた。ビュッと刀が風を切る音、グシャリと毬が潰れる音が響く。

斗和が特殊日輪刀で無造作に薙ぎ払うと、二つの毬は破裂して跡形もなく消滅した。

 

「炭治郎君はみんなを連れて下がって」

 斗和が刀を構えて炭治郎に指示する。

 

(軌道が読めない上にあの速さで飛んで来る毬を、二つ一緒に叩き潰した!)

炭治郎は目を丸くした。

 

「珠世さん、この家は捨てるんですよね?」

この戦いの後、珠世たちは確かここを引き払い拠点を移すはずだ。斗和は念のため確認した。以前よりも破壊力を増した土の呼吸の技が、鬼を建物ごと殲滅し、ここを更地にしないとも限らない。

 

「ええ、鬼舞辻にここを知られた可能性があります。ここは移らなければなりません。ですが、それが何か?」

「いえ、何でもないです。ちょっと聞いてみただけです」

遠慮無くぶち壊せるとはさすがに言えないので、珠世に曖昧に笑いかけ、斗和は建物の外に向かって駆け出した。

 

(一撃で毬を斬りおったのか?遊びがいがあるのう!)

診療所の外では、六本の腕に各々毬を持った朱紗丸が部屋の中を覗き込む。

「今度は六つじゃ、今のようにはいかぬぞ」

朱紗丸が毬を投げ込もうとした時。

 

「茶々丸!!」

斗和は鬼たちの攻撃を自分に集めようと、大声でうろ覚えの名前を叫ぶ。

 

(あれ?違った?)

朱紗丸がキョトンとしているため、やはり名前を間違えていたかと斗和は気付いた。

 

(ま、まあいいよね、どうせすぐ倒すから)

斗和は思い直し、特殊日輪刀を鋭く一振りして構えた。

 

(こいつ……!)

斗和が刀を一閃すると、前方に半円状に衝撃波が広がり、鬼たちは警戒感を露わにする。

 

「ニャッ?!」

姿を隠して物陰からこの戦闘を見ていた珠世の使いネコの茶々丸は、自分の名前を呼ばれて驚いたが、斗和が鬼たちに向かって走って行くのを見て自分の事ではないらしいと分かり、再び隠れて様子を見守った。

 

「……丸!ヤバトン!お前たちの相手は私だ!」

斗和は朱紗丸の名を誤魔化し、矢琶羽の名を間違えながら叫ぶ。

 

(やりよるのう。こいつの頸も持ち帰れば、あの方に喜んでいただけるかもしれぬ)

(儂の名はヤハバだ!この女め、それはもう残酷に殺してやるから待っておれよ!)

矢琶羽は近くの木の上に陣取り、血鬼術・紅潔の矢で毬を操って軌道を変え、朱紗丸をアシストする態勢を整えた。

 

 だが斗和は一瞬で朱紗丸との間合いを詰め、土の呼吸の技を放つ。

 

 土の呼吸 壱ノ型・土龍爪(どりゅうそう)!

 

 毬など投げる間も無かった。

防御した何本かの腕ごと頸を吹き飛ばされ、朱紗丸の体は血を吹きながらゆっくりと倒れた。珠世と愈史郎は半壊した建物から出て、斗和の戦闘を見守っていた。

 

「次!」

斗和は叫ぶが、矢琶羽の位置を正確に把握していなかった。

 

(とは言ったものの、もう一人はどこかな?)

斗和は矢琶羽の位置が分からなかったが、敢えてきょろきょろと辺りを見回す動作をして無防備な姿をさらし、攻撃を誘って釣り出そうとした。

 

(朱紗丸がやられた!こうなれば儂が無惨様のお言いつけを!しかしあの女、柱かもしれぬ。だとしたら……。どうする?儂一人で殺れるか?)

矢琶羽はようやくこの女剣士の強さが尋常でないことを悟ったが、無惨に命じられた標的を目の前にしながら逃げ帰るなど不可能だった。もしそんなことをすれば、呆気なく塵のように消されることは十分に承知していた。

 

(儂一人でもやるしかない!このまま帰ってもどのみち……!)

矢琶羽は覚悟を決め、血鬼術・紅潔の矢を乱れ撃ちして攻勢に出た。

 

「蓬萊さん!上だ!木の上にいる!」

その時、嗅覚で矢琶羽の位置を探知した炭治郎が居場所を教えた。

 

(そこか!)

斗和は息も乱さずに大きな特殊日輪刀を振り回し、斬擊で矢印を弾き飛ばし、矢琶羽のいる木に急接近した。

 

土の呼吸 玖ノ型・蚯蚓破裂(みみずばれ)!

 

 バリバリッ!と落雷のような大音響がして、矢琶羽の陣取った桜の大木は根元から真っ二つに裂け、矢琶羽は逃げ出そうとしたが間に合わず、胴を斜めに切断されて地面に落下した。

 

「寄るな!汚れたぞ、儂の……着物が……」

斗和はゴルフのスイングのように日輪刀を一振りし、落下した矢琶羽の頸を刎ねた。

その瞬間も着物の汚れを気にしながら、矢琶羽は消滅していく。 

 

「炭治郎君、血を」

斗和は呆気に取られている炭治郎に呼びかけ、二体から血を採って珠世に渡した。

 

「蓬萊さん、ありがとうございます。……この二人は、十二鬼月ではないようですね」

珠世は斗和に話しかけた。

 

「十二……鬼月?」

炭治郎が疑問を挟む。

「鬼舞辻直属の配下です。このお二人は違うようですが」

「そうですね。目に数字が入っていないし、弱すぎる」

斗和は事も無げに答える。

 

(この鬼たちは重苦しくなる程の匂いがしていたのに、それをあっさりと倒してしまった。この人、とんでもなく強いぞ)

炭治郎は改めて斗和の強さに驚いた。

 

 刺客は撃退したが、鬼たちの視界を通じて珠世の居処は無惨に知られた可能性が高かった。珠世たちはすぐ浅草を引き払うことを決め、出立の準備に取りかかった。

 

「珠世さん、愈史郎さん、私たちはこれで失礼します。どうかお気をつけて」

「蓬萊さん、炭治郎さん、禰豆子さん。ご無事で」

斗和は珠世と愈史郎に別れの挨拶を述べ、珠世は斗和と炭治郎たちの無事を祈った。

 

「お前らも野垂れ死にしないことだ。寝覚めが悪いからな」

愈史郎も皮肉交じりに声をかけ、準備のために診療所の奥に消えていった。愈史郎の皮肉もすっかり慣れた斗和は、最後にその背中に深々と頭を下げ、炭治郎、禰豆子ともに歩き始めた。

 

「炭治郎君、禰豆子さん。この先、多くの困難があるでしょう。でも多くの人が助けてくれます。貴方たちなら必ず乗り越えられますから、自分の信じた道を挫けずに歩んでください。きっと大丈夫、上手く行きます!……それと近々柱たちによる会議で貴方と禰豆子さんのことが議題に上がると思いますが、私も及ばずながら力になります」

「むー!」

抱きついてきた禰豆子の頭を撫でながら、斗和は炭治郎を励ました。既に斗和は柱復帰を打診され、次の柱合会議には出席するよう言われていた。従って、原作で炭治郎が裁かれる柱合会議には呼ばれることになるため、竈門兄妹を護れるのだ。

(カナエさんもいるし、何か理屈をつけて倫道君も引っ張ってくれば心強いんだけど、大丈夫だよね)

 

「ありがとうございます!俺はどんなことがあっても挫けません!必ず禰豆子を人間に戻して、鬼舞辻無惨を倒します!」

炭治郎は、目の前で見た斗和の強さに驚き、その強い剣士の温かい励ましに決意を新たにした。

 

「その意気です!私ももっと強くなれるよう頑張りますね。今度一緒の任務になったら、その時はよろしくお願いします!では!」

 

 斗和はそう言うと、あっという間に炭治郎の前から消えた。

 

(もっと強くって……まだ強くなるつもりなのか、あの人は)

炭治郎は信じられない思いでいたが、気を取り直して禰豆子を箱にしまい、夜明けの町を歩き始めた。



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第十七話 救出~那田蜘蛛山編~

土の呼吸 玖ノ型・蚯蚓破裂(みみずばれ)…【野良着の隊士】オリジナル技。
土の呼吸 㭭ノ型・土嚢城壁(どのうじょうへき)…【野良着の隊士】オリジナル技。
土の呼吸 陸ノ型・粒子舞撫煙(りゅうしぶぶえん)…【野良着の隊士】オリジナル技。


「今後斗和と倫道はどう動いても構わない。私はできる限り協力しよう」

斗和と倫道は鬼殺隊当主である産屋敷耀哉に転生者であることを告白し、近い将来起こる鬼と鬼殺隊に関する事を説明した。

 斗和と倫道の行動の目的が”より多くの人を救い、より良い未来を作ること”そう理解した耀哉は、二人に対して自由に行動できる許可を与え、協力を約束した。

 だが耀哉は、「二人だけで全てを背負い込もうとしないように」という注意も添えた。言葉の通り、二人に負荷が集中しないようにという配慮が一つ。

 

「鬼殺隊は斗和と倫道だけが頑張っているのではなく、大勢の仲間たちがそれぞれの思いを胸にみんな頑張っている。思いは同じ、もし一時的に他の隊士とぶつかることがあっても上手くやって欲しい」。

もう一つこんな意味もあるのだろうと倫道は推測し、異質な存在である自分たちを受け入れてくれた耀哉の度量に改めて感謝していた。

 

 

(那田蜘蛛山には以前申し上げた下弦ノ伍がいます。私も救援に向かいますが、柱による増援をお願いします)

倫道は、村田たちが那田蜘蛛山に向かったことを知り、マスカラスを本部に飛ばしてそう報告し、現地に急行した。那田蜘蛛山で起こることは以前に耀哉に報告していたが、”下弦ノ伍と対決しこれを打ち破る”という概要のみで、”那田蜘蛛山”という詳しい場所までは語らなかった。

 

 耀哉は倫道からの報告を受け、炭治郎たち三人のすぐ後に冨岡、しのぶの二人の柱の追加派遣を決めた。

「マスカラス、ありがとう。……やはり柱を行かせなくてはならないようだ。義勇、しのぶ」

耀哉は背後に控える二人に背中越しに声をかけた。

 

「御意」

冨岡としのぶは揃って返事をした。

 

「そこには十二鬼月がいるのかい……。倫道たちの言う通りだったね」

耀哉が呟く。

 

「お館様。水原さんがどうかしましたか?また何か」

それを聞いたしのぶが訊ねた。しのぶは倫道がまた何かしたのかと訝しんだ。冨岡としのぶはそれぞれ倫道と関わっており、普段の穏やかさと行動する時の情熱的な激しさ、そしてその裏に得体の知れない何かを感じていた。

 

「討伐隊を向かわせた後、胸騒ぎがしてね。倫道にはもう現地に向かってもらっているんだよ。倫道と合流して他の子供たちを助け、あの山にいる鬼を退治して欲しい……では、頼んだよ」

”那田蜘蛛山に向かう”と倫道から連絡を受けていた耀哉は、自分が送り込んだとさり気なく倫道をフォローし、冨岡としのぶを見送った。

 

「倫道。遠慮することはない、今度こそ君の力を存分に示しておいで」

耀哉はそう期待を込めて呟き、微笑んだ。

 

 

 既に先遣隊はほぼ全滅していた。倫道は、山に入ったばかりの村田の隊やその他の部隊の隊士、そして炭治郎たちは救いたかった。

 倫道が現地に着いてけもの道を駆け上がっていると、村田がいると思われる十人の隊士の列が見えてきた。

 

 

「どうした?」

後続の隊士が先頭の隊士に声をかけた。

 先頭の隊士は急に酔っ払いのような足取りになり、二、三歩歩いて立ち止まった。そして何故か刀に手をかけ、ぎこちない動きで振り向いた。その表情は虚ろで目の焦点も定まっていない。

 

「おい!何だ、どうした?!」

後続の隊士はまた声をかけたが、先頭の隊士はぼんやりとした様子のまま抜刀、後続の隊士に向かって迷いなく刀を振り下ろした。

 

 母蜘蛛鬼に操られ、まさに同士討ちが始まる寸前であった。風のように現れた倫道が、操られた隊士の斬撃を弾いて後続の隊士を護った。

 

「操られているんだ!互いに間合いを取れ!体についた蜘蛛の糸を切れ!」

倫道は叫びながら先頭にいた隊士の周囲で刀を振り、操り糸を切った。

 

「何するんだ!」

「あんたは誰だ!」

操られた隊士を斬るのかと勘違いし、倫道を口々に咎める隊士たち。しかし列の後方で、他にも三名が同じように急に様子がおかしくなり、仲間に斬りかかろうとした。

 

水の呼吸 参ノ型・流流舞い

 

 倫道は操られた三人の隊士の糸を瞬く間に切ってこれを救出した。糸を切られた隊士たちはまさに人形のように崩れ落ちるが無傷であり、すぐに正気を取り戻した。その様子に仲間の隊士たちは安心し、落ち着きを取り戻して倫道の話を聞ける状態になった。

 

「急に手足の自由が利かなくなったと思ったら、頭がボーっとしてきて……気付いたら仲間に斬りかかっていて……」

助けられて正気に戻った隊士が恐ろし気に言った。蜘蛛の糸で自由を奪われると、一時的に軽い催眠状態になって抵抗できなくなる。その後しばらくすると強い刺激で覚醒できるが、その時には操り糸による強固な支配が既に完成しているのだ。

 

「そこら中を這い回ってる蜘蛛に気を付けろ!蜘蛛が鬼の手先として糸を繋いでいるんだ」

倫道が説明しながら一匹の蜘蛛を斬って見せると、蜘蛛は死骸も残さずに煙となって消滅した。

 

「みんな、離れて!今からこいつらをまとめて消す」

倫道は隊士たちを一ヶ所に集め、蜘蛛がつかないように互いに注意させておいた。広範囲攻撃で周囲にいる蜘蛛をまとめて消し去るつもりだ。

 

土の呼吸 陸ノ型・粒子舞撫煙(りゅうしぶぶえん)

土煙を舞い上げて蜘蛛を吹き飛ばして斬り、

 

水の呼吸 陸ノ型・ねじれ渦

 

 さらに残りの蜘蛛も全て消し去った。

 

 蜘蛛は一時的に全滅してもまたすぐに血鬼術で生み出されてくる。しかし炭治郎と伊之助が来るまでの時間稼ぎには十分だった。

 

「俺は甲・水原倫道。もうすぐ救援が来るから協力して本体の鬼を叩くんだ!それに柱も今向かってるはずだ。鬼を倒してみんなで生きて帰ろう!」

倫道はそう言い残し、姉蜘蛛鬼に遭遇する隊を助けるためにそこを離れた。

 

 山の西側では数多くの繭が木にぶら下がっていた。村田たちの隊と前後して入山した隊士たちは命を救えたが、もっと以前に繭にされた者たちはドロドロに溶かされて殺されており、救えなかった。

 

 繭を降ろして救出するのにかなり時間を要してしまい、戦局が動いていた。倫道は炭治郎を助けるため、累と対峙している場所へ急いだ。その途中、キョロキョロと用心深く辺りを伺いながら歩く一人の隊士に出会った。

 

「こんな所にいるとこ見ると、あんたも逃げて来てはぐれたのか?」

倫道の姿を見てその隊士が話しかけてきた。

 

(見たことあると思ったら、サイコロステーキ先輩!)

倫道はこの人物の正体に気付いた。

 

「俺は庚の西条(さいじょう)だ。あんた、どこの隊?俺の隊は全滅しちまったよ」

(サイコロステーキ先輩って、西条て言うんだ!さいじょう、さい……じょう……賽状?!やっぱり賽の目にされるっぽいじゃないか、放っとけない!)

「何だ、君は庚か。俺は甲、水原倫道」

倫道は西条をじろりと睨み、珍しく高圧的な態度に出た。

 

「えつ?あんた甲?同じくらいの人かと思った……。す、すんません」

サイコロステーキ先輩は倫道を上官と見てガラッと態度を変えた。

 

「手強い鬼がいると聞いて救援に来た。……そうだ、君に命令する。さっき俺は山の西側で襲われてた隊士たちを救助してきた。君はその隊士たちを護りながら下山しろ。鬼はもう周囲にはいないはずだし柱も向かってる。生存者を無事に連れて帰ればお館様の覚えもめでたいぞ。階級もぐっと上がるかもしれないな。それとも」

倫道はわざと戦闘狂っぽく顔を歪ませ、西条に聞いた。

 

「俺と一緒に十二鬼月を倒しに行くか?強いヤツと命(タマ)の取り合いをするのはワクワクするだろ?ああ、我慢できねえ!へへへ……早くぶっ殺してえ!」

倫道は涎を垂らしながら目を見開いて狂気の笑みを浮かべ、ぶるぶる震えるほど刀を握りしめた。

 

(こいつやべえ……完全にイカレてるぜ)

西条は顔を引きつらせてドン引きしている。

「い、いや、いいっす。俺は怪我人連れて下山します」

倫道の渾身の演技が奏効し、西条は全力で倫道の誘いを断り、西の方へ慌てて駆けて行った。

 

 

 

 冨岡としのぶが那田蜘蛛山に入ると、嵐が吹き荒れた後のような、大小の木々がなぎ倒されている一角があり、そこには数人の隊士の遺体もあった。戦闘の痕跡はあるが、周囲には生き物の気配が無かった。

 

「二手に分かれて探索しましょう。私は西から参ります」

しのぶが提案し、

「承知した」

冨岡も了承し、それぞれが探索を開始した。

 

 

 

 

(早く立つんだ!呼吸を整えて回復を!)

炭治郎は焦る。しかし水の呼吸からヒノカミ神楽へと呼吸を無理やりに変え、全ての力を使い切っており、這って移動するのさえやっとだった。背後からは怒りに燃える累がゆっくりとした足取りで迫っていた。

 

 下弦ノ伍・累は炭治郎に日輪刀で頸を斬られそうになったが、自分の頸を自分の糸で斬ることで危うくそれを免れた。

 

 十二鬼月の自分が斬られかけた。しかも相手は柱でも何でもなく、小さく弱いただの平隊士だ。その事実は累のプライドを大いに傷つけた。

 

「十二鬼月の僕が、お前みたいな下っ端に倒されると思った?さぞ愉快な妄想だったろうね。……楽しかった?」

内心とは裏腹に、累が気怠そうに呟く。

 

「でもね、僕は少しも楽しくないんだよ。……少しも!」

累の口調が一変した。冷静さを保とうとするが、抑えきれない怒りの激しさを表すように表情は歪み、その目は一層赤く光る。累は切り離された頸を胸に抱え、ゆっくりと炭治郎に迫る。

 

「こんなに腹が立ったのは、鬼になってから初めてだよ。もういいや、お前も妹もバラバラに刻んで殺してやるよ」

 

(焦るな、落ち着け!正しい呼吸をすれば回復できるはずなんだ……!ああ、でも早く!)

炭治郎は懸命に回復を図るが、腕すらまともに動かすことができない。背後からさらに累の足音が近づく。累が自分の頸と胴をくっつけると瞬く間に元通りに繋がり、傷が塞がった。

 

 累が血鬼術・殺目篭を放とうとしたその時、累の背後から音も無く接近する者がいた。頸が繋がっていなければ斬ることができない。倫道は、累が再び頸を繋げるのを待ち、それを確認して、動いた。

 自分で元に戻したばかりの累の頸が、ゴロっと落ちて地面を転がった。

 

水の呼吸 壱ノ型・水面斬り

 

 倫道の落ち着いた声が炭治郎の耳に届いた。

そして灰のような臭いが漂い始め、炭治郎は救援に来た倫道によって鬼が斬られたのだと分かった。

 

「御両親も君と一緒に居てくれるはずだ。今度は親子仲良くな」

累の体が灰となって消えていく。倫道は累の背中に手を置き、声をかけて見送ってやった。

 

「炭治郎君!良く頑張ったな!本当に良くやったぞ!」

「倫道さん……禰豆子を」

倫道が炭治郎に駆け寄って抱き起こすと、炭治郎はそう言って気絶した。

 

「斬ったか」

冨岡が現れ、倫道に声をかけた。

「はい、炭治郎君が弱らせていたので、俺が止めを刺しました。俺たちの弟弟子は成長著しいですね」

「あの時の子供か」 

冨岡が倫道と話しながら状況を確認していると、そこに兄蜘蛛鬼に蜘蛛にされた隊士たちと善逸の診察を終え、しのぶも到着した。しのぶは禰豆子を見るや刀に手をかけ、斬りかかろうとした。

 

「しのぶさん!待ってください!」

「待て、胡蝶!」

倫道が慌てて攻撃態勢のしのぶを止め、冨岡までもが止めに入り、事無きを得た。

 

「その坊やが連れている女の子が、例の鬼ですね。……話しを聞いておいて良かった」

しのぶは刀を収めて頷いた。

 柱たちは鬼を連れた隊士の事は耳にしており、カナエとしのぶは倫道から直接詳しい経緯を聞いていた。

”理性を保ち、人を喰わない鬼”と聞いて、カナエは目を輝かせた。倫道は”大丈夫”と自信を持って言っていたが、しのぶはカナエほどすんなり信じた訳ではなかった。だが実際に禰豆子を見て、しのぶも何となく大丈夫なのではないかと思った。おそらく厳しい意見が出るであろう柱合会議で、何とか穏便に事が運ぶよう力になってやりたい、しのぶはそう思った。

 

「竈門炭治郎及び妹禰豆子、両名を拘束し本部に連行せよ」

鬼殺隊本部からの命令がカラスによって伝えられ、炭治郎と禰豆子は本部へと連行されて行った。こうして原作程の大量の死者を出さず、那田蜘蛛山の戦いは終わった。

 

 

 

 

 

 那田蜘蛛山の戦いとほぼ同時刻。別の場所でも二人の隊士が鬼と対峙していた。

 

 総髪に着物姿、腰には刀らしき物を差している人物の後ろ姿が、月明かりを受けて浮かび上がる。

 こんな時刻、こんな場所に、自分たちの他に人がいるはずがない。

鬼か、二人の隊士は思った。二人は今回の任務の標的と思われる鬼を倒したばかりであった。もう一匹くらい倒せるだろう、隊士たちはそう考えてしまった。事実、かなり強い鬼であってもこの二人ならば十分対抗できたはずだった。

 

(やるか)

二人は油断なく構えながらゆっくりと接近する。すると気配を感じ、人影が振り向いた。振り向いてこちらを見た、ただそれだけだ。しかし六つの目が開き、その視線に捉えられた途端、二人の隊士は体が竦み、動くことすらできなくなった。立っているだけでこの凄まじい重圧。今まで相手にしてきた鬼とは明らかに別格、別次元の存在だった。

 

「こいつ、上弦……壱!」

年下の隊士が鬼の目に刻まれた文字に気付き、震える声で呟いた。

 

「鬼だな?覚悟しろ!上弦だろうと、放っておくわけにはいかない!」

年長の隊士が勇気を振り絞り、大きな刀を構えて叫んだ。

この声で、年下の隊士もようやく体が動くようになった。二人は恐怖からくる全身の震えを必死に抑えながら、絶望的な戦いに臨んだ。

 

 

 

 

「俺が次に仕掛けたら、全力で逃げろ」

「お前はどうすんだよっ!それに、逃げ切れるとは思えねえぜ」

大した時間も経たず、二人の隊士は全身傷だらけになっていた。致命傷こそ負っていないが、年長の隊士は脚をやられてまともに歩けない状態だった。二人はお互いに相手の怪我の程度を把握する余裕も無く、脚の深手は年下の隊士には気付かれていなかった。

 

「大丈夫だ、逃がしてやる。隙をついて俺も何とか逃げる。全力で逃げれば何とかなるだろう。……後で落ち合おう」

年長の隊士が気力を振り絞って声をかけた。

 

「行くぞ!!」

年長の隊士が気合いと共に鬼に斬りかかった。

 

土の呼吸 玖ノ型・蚯蚓破裂(みみずばれ) 大長足

土の呼吸 㭭ノ型・土嚢城壁(どのうじょうへき)

土の呼吸 陸ノ型・粒子舞撫煙(りゅうしぶぶえん)

 

 年長の隊士は持てる力の全てを使い、まず広い間合いの攻撃を放ち、それから壁を出現させ、さらに土煙で鬼の視界を妨げようとした。

 極限の集中力で、数秒間にこれだけの技を一気に放った。年長の隊士はもとより自分が逃げられるとは思っていなかった。鬼の追撃を止めるためだけに、スタミナ、体力など度外視で技を放った。その後で相手の攻撃を躱したり、さらに攻撃したりする力は残っていない。

(無事に逃げろよ!師範……すみません、俺はもう……。夏世……、もう一度会いたかった……)

完全に体力が尽き、鬼の反撃を食らい、隊士は崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

 遠征任務中の斗和は知らない。那田蜘蛛山にいる倫道も知らなかった。

 

 この戦闘に関しての知らせが届き、斗和と倫道が詳細を知るのは柱合会議の翌日のことだった。

 

 

 鬼殺隊本部、産屋敷家の庭では、竈門炭治郎、禰豆子の柱合裁判が始まったところだった。 

炭治郎は気絶しているうちに連行され、状況が分からない上に禰豆子を護ろうとする気持ちが先走り、上手く説明できずにいた。

 

 禰豆子が鬼であると知っていながら庇ったとして、倫道も裁判に出頭を命じられ、他の柱たちから一人離れて突っ立っている冨岡の隣に控えていた。しかし杏寿郎、宇髄、悲鳴嶼らに炭治郎が口々に”斬首”と言われ、上手く説明できないのを見かね、炭治郎の隣にやって来て説明を始めた。

 

 二年前、無惨によって禰豆子は鬼にされた。しかしそれでも人間であろうとする気持ちを強く持ち続け、理性を保ち、その結果一度も人を喰っていない。また今回の戦いにおいても下弦ノ伍討伐に大きな役割を果たした。今回の最高殊勲者は竈門兄妹です、そう言って、倫道は説明を締め括った。

 

「確かお前が頸を斬ったんだったな。ならそういうことなのか」

宇髄が倫道に聞いた。

 

「禰豆子が鬼を燃やす血鬼術を使って助け、竈門隊士が頸を斬りかけましたが果たせず、私はその隙を突いて運良く頸を斬れただけです。最初からまともに当たっていたら私は殺されていたでしょう」

倫道は誠実そのものという顔で嘘を吐く。下弦ノ伍に気取られずに近づき、あっさりと強固な頸を刎ねるなど、相当な技量が無ければできない芸当だ。

 

(嘘をおっしゃい)

しのぶは呆れながらも、竈門兄妹の処分について話を進めるため、柱たちの意見を聞いた。

 

 禰豆子は鬼になってから二年もの間、一度も人を喰っていない。そして今回の戦いでは十二鬼月討伐に重要な役割を果たした。しかしそれが、これからも絶対に人を喰わないという証明にはなり得ない。”隊律違反である”として、悲鳴嶼、宇髄、杏寿郎、伊黒は炭治郎の斬首を主張、当然鬼である禰豆子を生かしておく理由はない。

 

「みなさん、待ってください!鬼だからと言う理由だけで、その子たちを殺そうとなさるのですか?私は竈門隊士及び禰豆子さんの斬首には反対です!」

胡蝶カナエが異議を唱えた。

 

「鬼はもともと人間が変じたものです。禰豆子さんを調べることで、鬼を人間に戻す治療法の開発に役立ちますし、それに至らずとも、鬼の凶暴性を抑制し人間との共生の可能性を探る一助になります。禰豆子さんは断じて殺してはなりません!!」

カナエは炭治郎の斬首には断固反対、禰豆子も炭治郎と一緒に鬼殺隊に置くべきだと強く主張した。しのぶは姉のカナエ程は楽観的ではないが、炭治郎を鬼殺隊から追放する必要はなく、禰豆子を殺す必要も無いのではないかと思った。

 

 斬首とするか、そのまま鬼殺隊に置くか。双方の主張は真っ向から対立する。

 

「お館様もこのことは御存知なのでは?私たちだけで処分してしまって良いのでしょうか?」

甘露寺が遠慮がちに意見を述べ、確かにそうだと一同が考えたその時。

 

「オイオイ、随分と面白い事になってるなァ。鬼を連れたバカ隊士てえのはそいつかい?……鬼殺隊はいつから鬼を保護する組織になったんだァ?」

禰豆子の入った箱を肩に担ぎ、不死川が現れた。



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第十八話 届かぬ思い~柱合裁判編~

 鬼殺隊本部・産屋敷家の庭。

玉砂利を踏みしめ、禰豆子の箱を肩に担いだ不死川が現れた。 

 

 突然現れた、見るからに粗暴な男。その男が、大事な妹が入った箱をこれ見よがしに掲げている。何のために来たのか考えるまでも無い。鬼である禰豆子を殺すためだ。

 

「あ……ああっ!」

 炭治郎の口から悲痛な声が漏れた。

 

「不死川さん。勝手なことをしないでください」

「不死川君!まだ何も決まっていないのよ!禰豆子さんを放して!」

会議を進行しているしのぶ、炭治郎たちを擁護するカナエが非難の声を上げ、冨岡も鋭い視線を向けた。

 しのぶ、カナエ姉妹の咎めるような言い方にも一切頓着せず、不死川は凶暴な笑みを浮かべ、肩に担いだ禰豆子の箱を左手に持ち替えた。

 

「あの、不死川さん。すみませんがその箱をこちらへ返してくれませんか?」

炭治郎の隣にいた倫道が立ち上がり、不死川に遠慮がちに、愛想笑いで話しかける。

 

「鬼殺隊はなァ、鬼を見逃すほど甘くねえンだよ。返して欲しけりゃ力ずくで取り返してみなァ」

不死川は倫道にすぐ気付いた。

 斗和と手合わせした時、一緒に稽古する隊士がいると聞いてどうしても気になり、呼び出して稽古を付けたあの隊士だ。その時は力を隠して臨むという舐めた真似を――しかも手を抜いていることを巧妙に隠して――したヤツだ。

 

「不死川君!止めて!」

不死川が抜刀した。カナエの悲鳴のような声が響く。

 

 不死川が禰豆子を刺そうとする瞬間、倫道がダッシュし、刀を持った不死川の右腕をガッチリと押さえた。不死川と倫道は、腕だけでなく全身で押し合う力比べの体勢になった。

 

「止めるだけだなァ……テメェはよォ!」

「何の……話ですか……!」

「護るなんぞと……ぬかしやがる……!気に食わねェんだよ……!」

全力で押し合いながら、途切れ途切れに言葉を交わす不死川と倫道。不死川は刀を握りなおして右腕にさらに力を込め、倫道もさらなる力で対抗、その腕を押さえる。

 

「テメェには……同じかよ……この鬼も」

「だから……!何の話」

「つまらねえ……野郎だァ!」

不死川は倫道の腹に突き刺すような前蹴りを繰り出して自ら跳び離れ、押し合いの膠着状態から離脱した。新たな動きを警戒し、禰豆子を奪還する隙を伺う倫道。

 

 しかし、不死川は禰豆子の箱を自ら放り投げた。

「禰豆子!」

箱は柱たちの前にいる炭治郎の近くに落ち、炭治郎は慌てて箱を後ろに庇い、不死川を睨む。

 

「不死川さん、ありがとうございます」

意図は分からなかったが、禰豆子を返してくれた不死川に頭を下げる倫道。

 

「鬼を護ってやるとはご立派だなァおい。テメェはそうやって護るだけなんだろ?斗和のこともよォ」

不死川が、倫道にだけ聞こえるようにボソッと呟いた。倫道は一瞬不死川を睨み、すぐに下を向いた。

 

 誰にも同じように接する。密かに想いを寄せる人がいても、決して態度には出さない。惚れた女がいても想いも告げず、我慢してただ見ているだけ。不死川は倫道の想いが何となく分かった。だから余計にそんな煮え切らない倫道の態度を嗤ったのだ。倫道は下を向いたまま動きが止まり、足許の一点を見つめて表情を強張らせた。

 

(俺は登場人物みんなを救いたい。同じでなきゃいけない……いや、同じじゃないけど!)

自分の果たすべき使命のため、口にはしない、できない想いがある。

 

(倫道さん、どうしたんだろう?あの人と何か話して……急に匂いが変わった……!)

炭治郎は、不死川から無傷で禰豆子を取り返すことができて安堵していたが、倫道から何故か悲しみの匂いを感じて不思議に思った。倫道が感情の揺らぐ匂いをさせることはこれまで滅多になかった。

 

 倫道はギリッと歯噛みし、固く拳を握った。

 

「あんたに何が分かるんだ?斗和さんと俺の……何が」

倫道は呟いた。必死に感情を押さえたその声には、不死川がゾクリとするほどの深い悲しみがあった。

 

「不死川さん。買ってやるよ、その喧嘩」

倫道が顔を上げ、不死川に鋭い視線を向けた。

普段の穏やかな雰囲気は無い。凍てつくほどの冷たい殺気が見る間に周囲に広がる。

 

「ようやくその気ンなりやがったなァ」

予想以上の倫道の反応に、不死川は再び凶暴な笑みを浮かべて臨戦態勢になった。

 

 ガツッという鈍い衝撃とともに急に不死川の視界が揺れ、地面が目前に迫る。一瞬不死川の意識が飛び、倒れそうになったが危うく堪えた。

 

 倫道から仕掛けてくるとは思わず、多少油断はしていた。だが倫道の動きが予想をはるかに超えていた。

 日本拳法の技、”縦拳”。正拳突きのように拳を捻り込まず、ファイティングポーズに構えた状態のまま、拳を真っすぐに打ち出す。こうすることで拳は両腕のガードの間をすり抜け、さらにハンドスピードも格段に上がる。これが倫道のフットワークと合わさると、初見では不死川ですら躱すのが難しい”マッハパンチ”となる。不死川は目にも止まらぬ倫道のジャブを顎に食らい、脳を揺らされたために一瞬意識を飛ばしたのだ。

 

「テメェ……!」

不死川は血の混じった唾を吐き捨て、倫道を睨む。

 

 素手による激しい戦闘、いや喧嘩が始まった。

 

(ふむ!不死川に一撃を入れるとは!素手とは言え、気迫のこもった良い立ち会いだ!あれは蓬萊と一緒に来ていた隊士だな!だが少々剣呑だな)

杏寿郎は二人の手合わせを興味深く見ていた。

 

(一撃を入れただけでなく、不死川を防戦に追い込んでいる!)

伊黒は目の前で見るその事実に驚きを隠せない。

 

(不死川が一般隊士ごときに後れを取るなどありえないが、この殺気は少々気になる)

伊黒は木から降りて様子を見守った。倫道から発する闘気が急速に膨れ上がり、柱たちは異常な気配に反応、何事かと二人を見た。ぼんやりしていた時透さえ二人の戦いを食い入るように見ていた。

 

 互いの肉を打つ重い音が響き、地面を蹴る度にお庭の砂利が爆ぜる。不死川が圧倒すると思われた戦闘だが、むしろ倫道が押し込んでいる。息もつかせぬ連続技から、密着しての攻防を嫌って間合いを取る不死川。

 

「空破山!」

倫道が不死川を追いながらロングフックのように腕を振り回すと、真空の刃が幾筋も不死川を襲う。飛び出した真空刃はお庭の木々の一本を切断し、石灯籠を傷つけた。悲鳴嶼は、闘志というよりも怒りの感情を剥き出しにして技を繰り出す倫道を心配しており、

(おいおい、派手で結構だがさすがにしゃれになんねーだろ)

産屋敷家のお庭で強力な真空刃を躊躇無く使う倫道の戦い方に、宇髄は止めに入るタイミングを考え始めていた。

 

(この野郎、素手でカマイタチを撃ってきやがる!離れるのは得策じゃねえな。望み通りちけェ間合いでやり合うか!)

不死川はパンチの連打から圧をかけて前に出る。初めての手合わせの時と同じような展開だが、このショートレンジでの攻防こそ倫道の狙いだった。超接近戦は詠春拳の間合い、そして投げ技の間合いだ。

 不死川が高速パンチの連打で一気に間合いを詰め、倫道が巧みに攻撃を誘いながら躱し、下がる。ついに不死川のパンチが倫道の顔面を捉えたが、それも次の攻撃を呼び込むための倫道の打った布石であった。倫道は強烈なパンチを食らいながらも、その軌道から目を離さなかった。

 

(引き付けて投げかよ?!同じ手が通用する訳ねえだろォ!)

以前の手合わせを思い出す不死川だが、倫道はパンチを打った不死川の右腕を捕らえ、心の内でニヤリと笑う。

 

(甘いよ不死川さん。同じ攻め手だと思うなよ)

以前立ち会った時は捕らえただけだったが、倫道は掌が上を向くように不死川の腕を捻り、自分の体を不死川にぶつけるように密着し、不死川の肘を支点に関節が逆方向に曲がるように投げを打った。並の相手ならこれだけで肘関節を完全に破壊されるが、不死川にはさすがに通用しない。一方、投げられる瞬間に攻撃を狙った不死川も、関節技のポイントを外して関節が破壊されるのを防ぐことしかできなかった。不死川は背中から叩きつけられないよう身を捻って着地、さらに腕が離れた瞬間に反撃を狙っていた。だが今回倫道の仕掛けた複合技は投げで終わりではなく、本命はこの後だった。

 

 腕の関節を極めながら投げを打ち、投げ切って地面に叩きつける前、まだ空中にある相手の頭部に蹴りを叩き込んで止めを刺す技――陸奥圓明流・雷(いかずち)。だが倫道は最後の蹴りは打たなかった。

 

「!」

 強力な攻撃の気配を察知し、不死川は全力で飛び離れた。

不死川は右肘を押さえ、倫道は鼻血を拭い、二人はそのまま大きく間合いを取って睨み合う。次にどちらかが仕掛けたら勝負が決まる。緊張感が一層高まっていく。

 

「お館様の御成りです」

お屋敷の中から声がして、鬼殺隊当主・産屋敷耀哉が現れた。それまでの殺伐とした空気はすぐに厳かなものに変わった。居並ぶ柱たちは一瞬の間に横一列に並び、片膝を突いて頭を垂れ、恭順の意を示した。

 

(少し熱くなり過ぎた……こんなことで怒ってるようじゃ、俺もまだまだ人間ができてないな)

倫道は気持ちをクールダウンし、柱たちに倣って列の後ろで同じ姿勢を取った。

 

「この竈門炭治郎なる鬼を連れた隊士について、ご説明いただきたく存じます」

不死川はキョトンとしている炭治郎の頭を押さえて平伏させ、耀哉に挨拶を述べた後付け加えた。

 

「君たちが何を言いたいか、分かっているよ」

聞く人に不思議な安らぎを与える耀哉の声が応じた。

 

 鬼を殺す組織の一員でありながら、鬼を連れているなど許されることではなかった。ましてやそれが身内の者であるとすれば尚更だ。

 

「禰豆子の存在が受け入れられないのも無理は無い。鬼と化した大事な人を斬る、そうせざるを得なかった子供たちもいた。本当につらかっただろう……。炭治郎、そのことは分かってくれるかな?」

 

――「鬼が見ず知らずの他人なら殺すが、身内なら殺さないのか」――。

もしこのような非難を受けたら、鬼殺隊の存在意義が根本から揺らぐことになる。炭治郎が犯しているのはそれ程重大な隊律違反だ。

 

(俺は鬼殺隊を辞めさせられるのか……、いや、禰豆子共々殺されるのか!俺はどうなってもいい、禰豆子だけでも助けてもらえないだろうか)

決死の覚悟で炭治郎が抗弁しようとした時、だが、と耀哉は続けた。

「炭治郎と禰豆子のことは私が容認していた。そしてみなにも認めてもらいたいと思っている」

 

 炭治郎がはっと顔を上げる。耀哉は鱗滝の手紙を代読させた。そこには、禰豆子がもし人を襲った場合、炭治郎の他に、鱗滝、冨岡、倫道も切腹して詫びると書いてあった。

 

「人を襲わないという保証はできないが、禰豆子が二年以上人を喰わずにいるという事実があり、禰豆子のために四人もの命が懸けられている。これを否定するためには、否定する側もそれ以上の物を差し出さなければならない」

それでも納得しない柱もいるが、耀哉は穏やかに言った。

 

 そして耀哉は、炭治郎が無惨と遭遇し、無惨が炭治郎に追手を放っていることも明らかにした。大騒ぎになる柱たちに、耀哉はさらに付け加えた。

 

「禰豆子には鬼舞辻も予想しなかった変化が起きている可能性があり、鬼舞辻は禰豆子を手に入れようとしている。それにこれは私の直観だが、禰豆子は……、いや竈門兄妹は、鬼殺隊を勝利に導く鍵となる、そんな気がしているんだ」

柱たちは驚愕し、竈門兄妹を擁護するカナエ、しのぶすらもこれには驚いた。柱たちはみな、代々の産屋敷家当主の優れた直感と直観を知っている。その上耀哉は斗和たちに未来の事も聞いており、その思いは確信に近い。

 

「分かりません、お館様!」

不死川が叫ぶ。

「人間ならば生かしておいても良いが鬼はダメです!俺が証明しますよ。鬼というものの醜さを!」

不死川は禰豆子の箱を引っ掴み、耀哉らがいる部屋に飛び込んだ。

 炭治郎が駆け寄ろうとするが、伊黒が炭治郎の背中に肘を落とし、全体重をかけて圧迫し、押さえ込んでいる。屋敷の中では不死川が自分で腕を切って血を流し、超稀血で禰豆子を誘い出そうとしている。倫道はどちらを止めるか迷っていたが、先に炭治郎を押さえている伊黒を引き剥がそうとした。

 

「出て来い鬼!お前の大好きな人間の血だァ!」

不死川は自分の血を箱の上にボタボタと垂らしているが、禰豆子は懸命に堪えてなかなか箱から出て来ない。

 

(血が欲しくなるようにしてやるぜ)

不死川は箱の上から禰豆子を刀で突き刺し、箱の中から禰豆子の悲鳴が響く。

 

(畜生、やりやがった!)

倫道は炭治郎を押さえている伊黒の左腕を掴んで力ずくで引き剥がし、禰豆子をさらに斬りつけようとする不死川を止めに、お屋敷の中に飛び込もうとした。炭治郎は縛られた縄を自分で引き千切り、縁側まで駆け寄って禰豆子の名を呼んだ。

 

「正体を表せェ!」

 不死川が禰豆子の箱をもう一度刺そうとしたその時。

 

「さね……不死川さん!!」

耀哉たちがいる部屋の奥のふすまが勢い良く開き、斗和が現れた。斗和はこの後の柱合会議で柱への復帰が発表される予定であり、隣の間に控えてこの騒動を見ていたが、禰豆子が傷つけられるのを見て、思わず飛び出して来たのだった。

 

「もう刺さなくてもいいじゃありませんかっ!」

不死川は禰豆子を刺そうとしたが、刀を持った右腕を斗和に捕まえられて舌打ちし、立ち上がってきた禰豆子に血塗れの左腕を突き出した。斗和は禰豆子を保護してやりたかったが、物語の展開の都合上、禰豆子が不死川の超稀血を我慢する場面は不可欠であるため、じっと我慢して見守った。

 

 斗和と倫道は、鬼滅の原作では禰豆子が耐え抜くのを知っている。だがここは二人が干渉して変わってしまった世界、斗和はそう思っており、倫道は野良着の隊士の世界ではこの場面が描かれていないため、どうなるか分からなかった。斗和と倫道は別々の不安を抱えながら固唾を飲んで見守った。

 

 禰豆子は涎を垂らしながらも我慢を貫き、そっぽを向いた。腕をずっと絡ませていることに気付いて斗和と不死川は互いに一瞬顔を赤らめたが、斗和は思わず禰豆子に駆け寄って抱きしめた。

 

「ではこれで、禰豆子が人を襲わないことの証明ができたね」

耀哉は変わらず穏やかな声で全員に告げた。炭治郎と禰豆子の存在は、晴れて当主、並びに柱公認となった。カナエは笑顔を見せ、表情は変えなかったものの、しのぶも心中はホッとしていた。不死川は悔しそうな顔でそれを見ていたが、諦めたように他の柱たちの列に戻り、倫道も炭治郎の背中をポンと叩いて柱たちより一段後ろに移動して控えた。炭治郎と禰豆子はカナエ、しのぶの計らいで、蝶屋敷へと搬送されていった。

 

「では、柱合会議を始めよう。……斗和、倫道」

斗和と倫道は、柱たちから一段前に出て、改めて控えた。

 

「みなも知っているかもしれないが、斗和は心臓に病気を抱えていた。だが長期間の治療に耐え、こうして帰って来てくれた。基礎訓練からやり直して以前よりも強くなったと聞いている。本日から柱に復帰してもらいたいが、構わないかな?」

「はい!」

斗和は緊張しながらも笑顔で返事をした。

 

「倫道は今回の戦いで下弦ノ伍を倒している。それに柱に相応しい実力もある。柱への昇格、受けてくれるね?」

「はい。微力ではありますが、謹んでお受けいたします」

倫道も真面目な顔で返事をした。

 

「では、倫道には二人目の水柱を務めてもらうことにする。斗和の土柱再任と倫道の水柱就任の件、みな異存はないかな?」

「御意」

柱たちは一斉に頭を下げた。

 

 耀哉の代になるまで、柱の定員はその漢字の画数と同じ九人であり、九人が埋まることは稀であった。だが当代、鬼殺隊はかつてないほどの戦力が揃っている。花柱の胡蝶カナエが復帰して柱は十人となっていたが、斗和の土柱復帰、倫道の二人目の水柱就任で柱はかつてない数、十二人となった。

 実力のある者を相応しい任に就けるという耀哉の判断であり、鬼殺隊史上、柱の陣容は名実ともに最強となった。

 

 ここで、予想外の事態が斗和を襲った。

 

「斗和、倫道。ここへ上がってみなに挨拶を」

耀哉がそう言って、縁側に上がって一人ずつ挨拶するよう促したのだ。

 

(ええっ、ど、どうしよう、何にも考えて無かった!)

斗和は十八歳で柱に就任した時も、他の柱たち全員の前での就任披露をしていない。就任のお披露目を全力で断り、後日報告のみとなった経緯があった。倫道は斗和の慌てた様子をチラリと見て、時間稼ぎのため自分が先に挨拶した。

 

「この度水柱を拝命しました水原倫道です。まだまだ力不足ですので皆様方の足を引っ張ることも多いかと存じますが、どうかご指導のほど、よろしくお願いいたします」

倫道は丁寧に頭を下げ、縁側からお庭に降りてさらに柱一人ひとりに頭を下げて回った。

 

「不死川とあそこまで渡りあうんだ、実力は認めてやる。だが先程の件、忘れるなよ。俺はお前を柱として完全に認めた訳じゃない」

伊黒は倫道を睨んだ。

 

「いえいえ、不死川さんが手心を加えてくださっただけですよ。俺の実力なんて大したことは。それと先程の件はすみません、改めてお詫びにうかが――」

「断る」

愛想笑いで必死に取り繕う倫道だったが、伊黒は言い終わるのを待たずに冷たく突き放し、そっぽを向いてしまった。倫道は仕方なく不死川の前へ移動した。

 

「不死川さん、先程は大変失礼いたしました。どうかよろしくお願いいたします」

倫道が何度も頭を下げて挨拶すると、

「これからは同じ柱、対等だ。そう畏まることはねェだろォ、気楽にしろよ」

不死川は全力でやり合って倫道の実力を認めたのか、殴りかからず普通に返していた。

 

「おう、そうか。んじゃあよろしく頼むわ、さねみん」

倫道は調子に乗り、急にでかい態度で接した。

 

「テメェは程度ってもンが分かってねえようだなァ、オイ」

顔中に血管を浮き上がらせた不死川にそう凄まれ、

「すみません、本当にすみません」

倫道は再びぺこぺこと頭を下げていた。

 

(何やってんのこの人は)

呆れて見ていたしのぶは、全身に傷を負った瀕死の怪我人が運ばれてきたため、治療のため途中退席して急いで蝶屋敷に戻って行った。

 

「斗和、みなに何か一言、挨拶を」

耀哉は斗和に挨拶を促した。

「ええと……、あの……」

斗和は他人から注目を浴びると極度に緊張してしまう。この時も頭が真っ白のまま、ぎこちない動作で縁側に上がったが、声も無く立ち尽くしてしまった。

 

(緊張して上手く喋れない斗和さんをフォローしなければ!そうだ、あの手だ!俺がカンペ―さんになってあげよう!)

倫道は動く。さり気なく宇髄の隣、柱たちの一番左端に移動し、懐から何やら取り出した。

 

「あ、あの、ほ、蓬萊、と、斗和です。こ、こうして挨拶するのは初めてで……」

やっとの思いでそれだけを絞り出した斗和だったが、もう続きが出てこない。倫道は他の柱に見えないように、大きめの紙の束に何ごとかを書き、それを頭上にかざして斗和に注目を促した。

 

『この度 再度土柱を拝命しました 蓬萊斗和です』

それは、現代で言う”カンペ”であった。

「!」

斗和は倫道の頭上にあるカンペに目を止め、緊張しながらも倫道に軽く頷いて見せた。

 

「こ、こ、この度は……、再度土柱を、は、拝命しました、ほ、蓬萊斗和です」

斗和は少し落ち着きを取り戻し、次の倫道のカンペを待った。

 

『これからもさらに強くなって 柱の名に恥じぬよう』

「これからも、さらに強くなって、柱の名に恥じぬよう」

順調に挨拶が進む。

 

『一層精進いたします そして』

「一層精進いたします!そして」

 

『無惨を倒した暁には』

「む、無惨を倒した暁には?って、ン?」

 

『不死川さんと夫婦になります』

「不死川さんとめお……ってちょっと何言わせるのよ!!」

 

 柱たちはざわめき、倫道はさっさと紙をしまって明後日の方を向いて知らぬふりをしている。

「す、すみません……よろしく……お願いします……」

斗和は消え入るような声で挨拶を終わり、赤くなったり青くなったりしながら放心状態となった。

 

(まあ!告白だわっ!ここで愛の告白なんて!)

甘露寺は勝手に盛り上がり、

(蓬萊さん、意外と積極的なんですね)

カナエは感心し、

(へえ~あの芋娘が、あの不死川と)

宇髄は不死川にも感心していた。(※作者注 宇髄さんは斗和さんを”芋娘”と呼んでいます)

 

 耀哉は心中密かに喜びながらも、斗和が恥ずかしさでブラックアウト寸前であるのを悟ってそれ以上は触れず、カナエに斗和の介抱をさせた。その後本格的に会議となり、幾つかの話し合いが行われ、散会となった。

 

 柱合会議の後、斗和を手合わせに誘いたかった不死川だったがさすがにバツが悪く、宇髄に何か話しかけられても応じることなくさっさと帰ってしまった。他の柱たちも三々五々帰って行く。

 

(斗和さんに悪いことしちゃったな。ま、カナエさんたちが付いてるから大丈夫だろ。会議も終わったし帰ろっと)

倫道が産屋敷邸を出ると、背中に強烈な視線が突き刺さり、ゾッと寒気がした。

 

(何だ、どうしたんだ?ヤバい気配だ!俺の勘が全力で逃げろと言ってる!!)

異様な気配に総毛立ち、倫道は振り向きもせず逃走しようとしたが、背後から呼び止められた。

 

「り・ん・ど・う・くーん?」

倫道が恐る恐る振り返ると、仁王立ちの斗和がいた。

 

「ちょっとお話し良いかなァ?」

一見すると笑顔なのだが、良く見ると顔中に血管が怒張し、片側の頬はピクピクと痙攣し、歯を剥き出しながら、斗和は恐ろしい表情を浮かべていた。

 

「いやあああっ!!」

倫道は思わず悲鳴を上げて逃げ出した。

 

「待てっ!倫道!」

「いやだっ!殺される!」

二人の超高速追いかけっこは小一時間続いた。

 

 その後捕まった倫道が土下座して謝り、運動して怒りのエネルギーをいくらか発散した斗和は仕方なく許し、カンペ事件は手打ちとなった。二人は途中までが同じ方向であったため、話しながら帰ったのだが、倫道には気になっていた事があり、道中でそのことを聞いた。

 

「斗和さん、禰豆子ちゃん助ける時、実弥さんって言いかけてなかった?」

「!……違うの、あれは」

「あーそうなんだー……。良いんだよ、みなまで言わなくても俺には分かる!不死川さんに思いが通じたんだね?」

 

「全部言ってるじゃないの!ま、まあ、その……」

(間違って下の名前で呼んだだけでそこまで分かるの?)

斗和は少し疑念を抱いたが、今回の事で耀哉と柱たちにも知られてしまい、いずれは知られることだと諦めた。時々見せる斗和の幸せそうな表情に、倫道も本心を出すことなく冗談めかして祝福した。

 

 これ以上突っ込まれたくない斗和はあることを思い出し、話題を変えた。

「それより明日鍋しようよ。倫道君の柱就任祝い!みんなですき焼き食べたいって前に言ってたでしょ」

「えっ?本当に?!ありがとう!じゃあ俺、良い肉買っていくよ!」

「土の呼吸の三人と夏世(かよ)ちゃんで良いよね?明日の夕方に家に来て!佳成には来るように言っておくから」

 

 二人は明日のすき焼きを楽しみに別れた。斗和は早速夏世のところに明日の事を知らせた。夏世は普段、近くにある藤の花の家紋の家から斗和の家に通っており、その知らせを見て喜んだ。

 

 夏世も楽しみだった。

斗和と倫道の柱就任を祝うため、明日は朝から忙しくなる、そう思った。佳成も任務を終え、今日は帰って来ているはずだ。いつも張り合っている倫道が柱になったと聞けば、きっと素直に祝って一緒に喜ぶだろう。強くなりたい、いつもそう言っていた佳成は、それを励みに自分も頑張るに違いない。

 よりよい未来に向かって気勢をあげる、そんな大げさなものではないが、ささやかでも暖かい時間を、久しぶりにまた過ごせる。三人は楽しみにしていた。

 

 だが、その時間は訪れることはなかった。

 

 

 

 翌日、夏世は朝から張り切って準備をしていた。昨晩には戻っているはずの佳成がまだ戻っていないのは少々気がかりではあったが、予定より早くなったり遅くなったりすることは珍しいことではない。

 

 昼頃、隠の隊士が二人やって来て、対応に出た夏世に何事かを告げた。夏世は相手が何を言っていてるのか意味が理解できなかった。

 隠が夏世に何かを手渡した。夏世は大きく目を見開いてそれを見つめ、わなわなと震え始めた。ようやく事態が飲み込めたのだ。

 

「……斗和ちゃん!!!」

悲鳴のような、尋常でない夏世の叫び声に、斗和が玄関の方に飛び出してきた。項垂れて立ち尽くす二名の隠と、何かを胸に抱いて泣き崩れる夏世。

 

 知らせを聞いた斗和もしばし立ち尽くした。あまりのことに、すぐには涙すら出なかった。斗和は、激しく泣き続ける夏世の背中を呆然と見つめた。

 

 夏世が抱いていたのは、血に染まり、折れた佳成の日輪刀の柄だった。

 

 ――館坂佳成(たてさかよしなり)、上弦ノ壱と交戦、死亡――。

 

 佳成の戦死が伝えられた。周囲を捜索したが、遺体は見つからなかったとのことだった。

 

 夏世はフラフラと出て行き、それきり斗和の家に戻って来ることは無かった。



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第十九話 再誕

 ある日、鬼殺隊士の共同鍛錬場で、三人の隊士が揉めていた。

 

「おい、お前もう一度言ってみろよ。今、雷の呼吸は大した事ねえって言ったよな」

噂話をしていた先輩の隊士二人に、後輩の隊士がいきなり食ってかかったのだ。

 

「そんな事は言ってないだろ。初太刀は凄いがそれが躱されたら、って言っただけだぜ?」

歳も階級も下、日頃から生意気な態度で悪目立ちする後輩の隊士で、顔を知っている程度の間柄だった。絡まれた先輩隊士の一人が面倒くさそうに言葉を投げつけた。

 

「うるせえ、このカス!雷の呼吸はそれだけじゃねえんだよ!」

生意気な後輩はいきり立ち、さらに激しく先輩たちに詰め寄る。

 

「何だよ、熱くなりやがってよ。だいたいお前は壱ノ型が使えねえんだろ?雷の呼吸って壱ノ型が全ての基本じゃねえのかよ」

「そうなのか?壱ノ型が使えないってことは結局……なあ?」

先輩隊士二人は顔を見合わせ、後輩の隊士を鼻で笑った。

 

「くそ!てめえら!」

痛いところを突かれ、後輩の隊士は激怒した。

誰かに指摘されるまでもなかった。彼にとって壱ノ型が使えないという事実は、他ならぬ自分が一番情けなく思い、雷の剣士として致命的な欠陥だと分かっていた。本人の努力が足りないと言ってしまえばそれまでなのだが、懸命に稽古しているのにどうしてもできないのだ。一方で、脱走したり泣き言を言ったりいつも先生を困らせている弟弟子は、壱ノ型・霹靂一閃を体得しており、それが彼をよりイライラさせる原因になっていた。

 

(何故なんだ?何故お前なんかにできて、俺にはできねえんだ?)

真面目に努力する反面、併せ持つ生来の不遜さが、鬱屈した思いでより酷くなっていた。雷の呼吸をけなされ、自分のプライドも傷つけられ、この雷の呼吸の隊士はとうとう先輩たちに殴りかかった。怒らせて先に手を出させ、二人がかりで痛めつけてやろうと目論んでいた先輩の隊士も応戦した。

 

 初めは二対一であった喧嘩は、止めようとする者まで巻き込んで騒ぎが大きくなったが、この後輩の隊士と顔見知りだった館坂佳成(たてさかよしなり)が通りかかって仲裁した。この時佳成は既に斗和に弟子入りし、強さでも頭角を現していた。大らかで誰にでも優しく、人望もある佳成は先輩の隊士に丁重に詫びてお引き取り願い、騒ぎは何とか治まったのだった。

 

「全くお前は相変わらずだな。後先考えずに突っ込むな」

「うるせえ。止めてくれと頼んだわけじゃねえからな」

久しぶりに会ったこいつは全然変わっていない、佳成はため息をついた。

 

 佳成とこの雷の呼吸の隊士は最終選別で初めて顔を合わせた。一緒に戦っているうちに何となく気が合い、力を合わせて選別を突破した。

 その時佳成は、雷の隊士が持っている翡翠の勾玉の首飾りに目を留めた。

「御守りか?」

「ああ、小さい頃からずっと持ってる。親の形見らしい」

「そうか、大事にしろよ。だが一番の形見はお前自身だ。命を捨てるようなことはするな」

そう言って無茶な行動を諫めた。この雷の隊士にはどこか自暴自棄で虚無的な雰囲気があり、自分の命を平気で投げ出すようなところがあった。かと思うとひどく不遜な、人を見下すようなところもあった。二つしか年齢が離れていないが、精神的には年齢差以上に佳成の方が成熟していた。

 正式に入隊した後二人は一緒の任務に就くことは無く、交流も途絶えていたが、佳成が時々聞く彼の評判は良いものではなかった。

 

 久しぶりに会った獪岳は、人間関係を築くのが下手で、危なっかしいところが以前と何も変わっていなかった。この再会が親しい付き合いのきっかけになり、手のかかる弟をかわいがるように、佳成は何かと獪岳を気にかけてやるようになった。

 

 それから一年以上が経った。客観的に見ても獪岳は以前よりも落ち着き、感情の起伏も抑えられ、態度が幾分か柔らかくなった。相変わらず仲が悪いようだが、弟弟子のことも以前ほど悪く言わなくなっていた。

 

 ある日、共同任務となった佳成と獪岳は標的の鬼を発見し、苦戦することもなく倒した。二人は雑魚鬼など問題にならないくらいに強くなっていた。しかしその後現れた二体目の鬼は、今までの鬼とは何もかもが違っていた。

 

 獪岳は重傷を負ったが懸命に逃げ、まさに力尽きようとするところで救助されて蝶屋敷に搬送された。会議中であったしのぶも呼ばれて治療に当たり、獪岳は一命を取り留めたのだった。

 

 意識を取り戻した獪岳の証言とカラスの情報によって、概要が明らかになった。

 

 二体目の鬼は、目に刻まれた数字から上弦ノ壱と思われた。二人は戦闘に入ったが全く歯が立たず、すぐに全身を切り裂かれて多数の傷を負った。佳成は、獪岳に逃げるように指示し、自分も隙を見て逃げると言って連続で大技を仕掛け、その隙をついて獪岳は逃走することができた。獪岳が一瞬振り返ると、佳成が倒れるところが見えた。その後獪岳は必死に走り、何とか逃げ切った。

 残された佳成はどうなったのかは分からないが、状況から考えて生存の可能性はなく、佳成の死亡が伝えられた。翌朝現場付近の捜索が行われたが、折れた日輪刀の柄だけが発見され、遺体は見つからなかった。それはつまり、喰われた可能性が高いことを示していた。

 

 鬼殺の剣士である以上、いつも死とは隣り合わせだ。日常的に殺し合いをしているのだから、仲間が殺されることだってある。自分でさえそうだ。誰が、いつ死んでも不思議ではないのだ。斗和は倫道にも令和を使いにやって佳成の死を伝えた。

 

(令和?何かあったのかな?)

倫道は斗和の家に向けて出発しようとしていた時だった。庭木に斗和の鎹カラス、令和が来ており、手紙を足に括りつけていた。

 

「令和、どうした?」

倫道が話しかけたが、令和は用件を言わず、倫道が手紙を取るとそのまま飛んで行った。倫道は何気なく手紙を読んでめまいを覚え、倒れそうになった。

 

「佳成が……死んだ……」

手紙は斗和からで、震える筆跡で佳成が戦死したと書いてあった。倫道は呆然と立ち尽くし、やっとのことで呟いた。

 

 分かっていた。

”野良着の隊士”の物語を読んで、こうなることは倫道には分かっていた。だが物語で佳成が死ぬのは二年前のはずだった。このタイムラグのせいで、佳成は死なないのかもしれないと倫道は警戒を緩めてしまっていた。佳成は倫道にとっても大事な友達であり、仲間であった。

(俺は何をやっていた?何で止められなかった?)

変えられなかった。佳成の命は失われ、多くの人が悲しむ。そして、いずれ佳成と再会することになるだろう。

 運命を突きつけられ、倫道は己の迂闊さと無力さを悔やんだ。

 

「佳成ガ死ンダ?本当カ?リンドー、斗和チャンノ所二行ッテヤラナクテイイノカ?」

マスカラスのそんな声に、倫道はようやく我に返った。

 

 マスカラスに言われるまでも無く、倫道はすぐにでも斗和のところに駆けつけたかったが、それは思い止まった。斗和を抱きしめて、一緒に泣いて慰めてあげたかったが、斗和の悲しみを受け止め癒すのは自分ではない、それを分かっていた。

 

「俺は行かないよ」

倫道はそう言ってお悔やみの手紙を書き、マスカラスに託した。

「……分カッタ」

倫道のつらさをマスカラスも察知し、手紙を持って飛び立って行った。

 

「俺じゃない。そこにいるのは」

倫道は一人呟く。

 

 斗和が自宅でふさぎ込んでいると玄関で何か音がした。ノロノロと気怠い体を起こして行ってみると手紙が置いてあった。これまでのお礼と、暇をもらいたいとだけ記した夏世からの手紙であった。

 

 佳成と夏世は将来を約束し合っていた。明るい未来が待っているはずだった。

 

 斗和のことを”師匠”と呼び、励んでいた姿が思い出された。初めての弟子であったが、師弟関係というより共に鍛錬した仲間であった。

 夏世は、家事手伝いであったが斗和と年齢も一つしか違わず、この時代に来て初めてできた同性の友達だった。

 

 同時に二人、大事な人を失った。大きな悲しみに斗和は涙を堪えきれなかった。

 

 倫道からお悔やみの返事が帰って来たが、急遽任務が入ってしまったのですぐには行けないとのことだった。

 

(倫道君も……忙しいよね)

斗和は一人で悲しみに耐え、悲しみを紛らすため一層鍛錬に精を出した。

 

 そんな時、杏寿郎が斗和を手合わせに誘ってくれた。煉獄家で杏寿郎、槇寿郎と手合わせして随分と心が晴れた。それから少し後、不死川の家に手合わせに行った時は、以前佳成に稽古を付けてもらった例を言い、佳成の戦死の報告をした。堪え切れずに泣き出してしまった斗和を、不死川は優しく抱きしめ思うままに泣かせてやった。

 

 佳成の訃報から数日して、倫道は斗和の家を訪ね、改めてお悔やみを述べた。夏世も辞めてしまい家の中が片付かない、と斗和は寂しそうに笑った。夏世は藤の花の家紋の家に戻ったが、程なくして勤めを辞め、実家に帰ってしまったという。

 

(俺が止められていれば。俺は夏世さんの人生まで狂わせた)

申し訳なさに倫道の方が涙を堪え切れず、斗和に慰められる始末であった。

 

 佳成と一緒に任務に当たっていたのは獪岳だった。鬼滅の原作を知っている斗和と倫道は、これを聞いて、もしやと疑わずにはいられなかった。獪岳がどんな人間か良く分かっていたからだ。自分が助かるために佳成を犠牲にしたのでは、どうしてもそんな疑念が浮かんだ。直接話を聞きたいところであったが、獪岳も体中に傷を負い、失血死寸前で蝶屋敷に入院したため、すぐに話を聞くことはできなかった。報告では、佳成は自分を盾に獪岳を逃がしたらしい、ということだった。

 

 佳成と獪岳が親しい、以前そう聞いた斗和は意外に思った。獪岳は佳成の二つ年下で、一緒に最終選別に通った同期だった。

「なんだか放っておけないんですよね」

手のかかる弟。生意気でひねくれていて、見守っていてやらないと危なっかしくて仕方ないが、根はそんなに悪いヤツではない、佳成はそうも言っていた。斗和は佳成からそんな話を聞かされており、ただ人付き合いが下手なだけで、獪岳もそれほど悪い人間ではないのかと思えるようになっていた。

 

 自分の仲間が、原作の登場人物を良い方向に変えている、そう思うと斗和は嬉しかった。

「仲間を庇って死ぬなんて、佳成らしい最後だね」

斗和と倫道はそう話して寂しく笑い合った。

 

 倫道は、以前から獪岳に接触を図ろうとしていた。獪岳は言うまでもなく鬼滅原作の重要キャラであるが、問題は作中での彼の素行。

 子供時代、世話になっている悲鳴嶼や、一緒に生活している子供たちを自分が助かるために鬼に売った。鬼殺隊に入った後、時期は不明確だがおそらく最終決戦の前、上弦ノ壱・黒死牟に遭遇、命乞いをして鬼となった。その結果、無限城でかつての弟弟子の善逸と戦って敗れ、死ぬことになる。人間らしいといえばあまりに人間らしい男だ。

 しかし鬼滅の原作の中では、そんな獪岳のことを善逸は”兄貴”と密かに呼び、いつか共に戦うことを願っていた。倫道も、獪岳には更生の余地があると考えていた。獪岳を更生させれば、鬼滅の原作で切腹して死んだ桑島は死なずに済み、獪岳自身も助かるかもしれないのだ。倫道はこれからの重要イベントに備えて仕込みを行いながら、獪岳の回復を待っていた。

 

 

 

 獪岳が、佳成の死亡の件を報告するため土柱邸にやって来ることになった。倫道は、獪岳自身の口から佳成が死んだ時のことを詳しく聞くと共に、獪岳とじっくり話をするため斗和の許可を得て同席することにした。

 

 彼の人生の分岐点、子供時代に鬼に遭遇したこと、黒死牟に遭遇して鬼になったこと。そうしなければおそらく彼は死んでいた。自分が生き残るためにそうせざるを得なかった。だが鬼殺隊に入ったことは成り行きなどではなく、自分の意志があったはずだ。倫道はその点に可能性を感じていた。

 

(罪滅ぼしをしたいと考えても不思議じゃない。でなければ、命懸けの殺し合いにわざわざ自分から関わる必要などないはずだ。彼はどこかに自罰的な感情がある。それを上手く昇華できれば、より良い導きがあれば、彼が本当になりたかった自分になれるかもしれない。何かのきっかけさえあれば)

倫道はそう考えた。事実、好青年の佳成と関わったことで獪岳は良い方向に変わっているようにも思えた。

 

 佳成が殺されて一ヶ月後、重傷だった獪岳はその傷も癒え、既に鍛錬も再開しているという。そして、報告のため土柱邸を訪れる日が来た。

 

 聞き取り調査という大げさなものではない。ただ継子の最期の様子を知りたいとの斗和の要望で、穏やかな対面の予定だ。そして佳成と仲の良かった倫道も同席することも事前に伝えてあった。そして倫道の頼みで隣室に待っている人物がいた。その耳にはふすまなど有って無いようなもの、全ての話は筒抜けになるが、獪岳の過去のことなども含めて聞いてもらうのが倫道の狙いであった。

 

「獪岳。もう一度言っておくが、俺たちはお前を責めるつもりなど無い。上弦に遭遇しながら良く生きて戻り、情報を伝えてくれた。お前が居なければ、佳成は誰に殺されたかも分からないところだった。まずは生きていてくれて何よりだ。……あの日のことを聞きたい。詳しく話して欲しい」

倫道が穏やかに語りかける。斗和と倫道は圧は強くない。獪岳は柱二人を前に気まずそうに、居心地悪そうにしながらもぼそぼそと語り始めた。

 

 館坂佳成とは最終選別で一緒になり、年も二つ違いで気が合った。他の隊士といざこざが絶えなかった獪岳を、佳成はいつも庇って喧嘩を仲裁してくれたという。

 

「元気の良いヤツだな。だが後先考えないのは良くない」

喧嘩の後、諭すように、また獪岳を案ずるように、佳成はいつもそう言って宥めた。大らかで誰にでも優しい佳成は、獪岳にとって唯一と言っていい友達で、そして兄のように思える存在であった。

 

(あの獪岳まで佳成をこんなに慕ってたなんて。佳成らしい)

斗和はまた涙が込み上げた。

 

 あの日、佳成との共同任務が終了して帰投しようとした時、新たに鬼が現れた。得物を構えもせず、ただ立っているだけで動けなくなるほどの重圧だった。こちらが必死になってどんな技を放とうと難なく躱され、次には全て”起こり“、つまり動作の開始を読まれて押さえられ、技を出すことすらできなくなったという。

 

「ヤツは、”つまらん”と言いやがった。それから……お前たちのような半端者は生かしておいても大した働きもできまい、殺してやろう、と」

獪岳は悔しそうに歯を食いしばり、膝の上で固く拳を握った。

 

 相手の鬼が、腰の得物に触れるか触れないかのその瞬間に幾筋もの斬撃が二人を襲った。危ういところで致命傷や四肢を切断されるには至らなかったが、二人は全身に傷を負った。手を抜いていたのは明らかだったが、どこまでやれるのかを試したのかもしれなかった。

 

「逃げろ獪岳!」

次は本気で殺しにくる、佳成は獪岳を逃がすために、攻撃を繰り出しざま自ら盾となり、獪岳はその声に押されて懸命に駆け、何とか逃げ切ったのだった。鬼は獪岳を追っては来なかった。

 

(佳成!)

獪岳は、斗和と倫道にだけ、今まで話していなかった事実を打ち明けた。

逃げながら一瞬振り返ると、鬼は倒れた佳成に何事か話しかけ、その喉を指で刺していたようにも見えたという。

 

(これは……まさか)

やはり運命は変えられないのか。獪岳の報告を聞きながら、倫道は密かに唇を噛む。その一瞬の表情の変化は、並んで座っている斗和からは見えなかった。

 

「決してあいつを囮にして逃げたわけじゃねえ。同じことかもしれねえが、佳成が逃がしてくれた。信じてくれ、それは本当だ」

獪岳は必死に訴えた。

 

 だが獪岳は、この二人もどうせ信じてはくれないだろうと思っていた。人格者の佳成と厄介者扱いの自分、「佳成を犠牲にしてお前は逃げた、お前が代わりに死ねば良かった」、そう言われるのは分かっていたし、その覚悟もできていた。

 

「俺は信じる」

倫道がそう言って微笑んだ。

「えっ?」

獪岳は顔を上げ、意外そうにまじまじと倫道を見つめた。

 

「私も信じる。……貴方は今日、私たちに罵倒され責められるのを覚悟で、それでも報告に来てくれた。もし本当に佳成を囮にして逃げたのなら、貴方はここには来られないでしょう?」

斗和が目に涙を溜めて弱々しく微笑み、語りかけた。

 

「俺を信じてくれるのか……。俺は自分だけ逃げて来たのに……」

獪岳が顔を歪める。

 

「信じるさ。佳成は本当に良いヤツだった。その佳成が命を懸けてお前を助けた。なら、そのお前を俺たちが信じてやらなくてどうする?」

倫道の言葉に獪岳は押し黙り、涙を流した。後悔と懺悔の涙、そして自分の無力さへの悔し涙。

 

「貴方にとっては、それだけ重いことなんだよね?」

斗和が獪岳にまた声をかけた。

 

 生き延びられて良かった。以前の獪岳ならそうとしか思わなかったかもしれない。だが今は、違う。

 

「生きてさえいれば……。命さえあれば、いつかは勝ってやる、今どんなに惨めでも、地べたを這いずり、泥水をすすってでも、いつかは必ず......!死ぬまでは負けじゃねえんだって信じて生きてきた……。でも、あの鬼には通用しねえ、そう分かっちまった。だが佳成は、こんな俺を逃がそうとして……。俺はまた、他人を犠牲に……!」

 

 知っている。斗和と倫道は獪岳がしてきたこと、するはずのことを知っている。斗和と倫道は獪岳の独白をただ黙って聞いていた。

「俺はガキの頃、自分が助かりたいために、一緒に住んでた人を鬼に喰わせたんだ……。生きるためだった。それから、街で盗みやなんかしながら何とか命を繋いでたら、桑島先生に拾われて……。真面目に稽古したよ。変わろうと思って必死にやった。でもダメだった。先生に教わった雷の呼吸も、俺は壱ノ型ができねぇんだよ! 基本にして全て、その壱ノ型が!鬼殺隊に入って、佳成と知り合って、何だか気が合って。親友だと思ってた。俺がそう思ってるだけかと思ったけど、佳成は俺のために命を……!あいつはいつも励ましてくれて、どうせなら柱目指そうって……。俺は変われるかもしれない、そう思ったのに」

 

「良いよ、全て吐き出して。今日は佳成の代わりに私たちが貴方の思いを聞きます。佳成は貴方の事を本当の弟みたいに思ってた。だから、聞いてあげることが佳成へのせめてもの手向けだから」

斗和も涙を流しながら優しく声をかける。

 

「佳成は、よく一緒に稽古してくれた。任務の話をすると、良くやったなって、こんな俺でも褒めてくれた。鬼を倒した、人を護ったなって。それを、俺は」

獪岳は言葉に詰まったが、涙を拭いてなんとか語り続けた。

 

「土柱、あんたのことも佳成から聞いてた。強くなるために自分から押しかけて弟子にしてもらってるって。佳成はますます強くなってた。佳成が……羨ましかった」

堰を切ったように、獪岳はその思いを語り続けた。

 

「俺も逃げねえで一緒に戦えば良かったんだ。あの場所に踏ん張って、死ぬ気で戦えば!実力差はどうしようもねえが、気持ちの強さがあれば……!」

獪岳は声を絞り出した。

 

「話の途中で悪いが、気持ちの強さで勝負は決まらない」

「!」

倫道の厳しい言葉に獪岳は顔を上げ、倫道を睨んだ。

 

「倫道君、そんな言い方」

斗和が眉をひそめる。

「獪岳、良く覚えておけ。勝負を決めるのは戦術、戦略、単純で明白な実力だ」

倫道は冷ややかに言い放って、そして表情を緩めた。

「それに、気持ちの強さで勝負が決まるんだったら、負けた方の気持ちはショボかったのかって話になるだろう?なら、上弦に挑んだお前たちの気持ちはショボかったのか?――少なくとも俺は、そうは思わない」

 

獪岳はまた項垂れた。

「お前はこれからどうしたい?どうなりたいんだ?」

倫道が獪岳に問いかける。

 

「俺は強くなりたい。今度こそ自分を変える……。佳成の仇を討つ」

少しの沈黙の後、獪岳ははっきりと答えた。

 

「強くなりたいなら、桑島さんのところでまた修行し直せばいい」

倫道が言うと、

「でも……先生はアイツの方を可愛がっていて、俺のことは見てくれない」

獪岳は涙を溜めた目で倫道を見て、歯切れ悪く言い淀む。

 

「それは違うと思うが?お前は自分で言っただろう。雷の呼吸、その基本にして全ては壱ノ型だって。それが使えないヤツにその先を教えるか?いつまでも見限らず手元に置いておくか?お前が真面目に稽古しているのを、桑島さんが見ていないはずがないだろう?桑島さんがどれほどの情熱をもってお前を育てたか分からないのか?」

倫道は思わず獪岳に問いかけた。原作では、桑島は獪岳と善逸、二人で足りないところを補いながら、共に雷の呼吸を継承して欲しいと考えていたらしい、鬼滅オタクの倫道はそんなことも知っている。

 

「お前がしたことは消えない。しかし、助けられた人がお前に感謝する気持ちもまた消えない。もし過去を悔い、命を懸けて助けてくれた佳成の気持ちに応えたいと思うなら。過去に引き戻してやることはできないが、力を貸すことはできる。お前は伸びるはずだ。もう一度死ぬ気で修行し直す気はあるか?ただし、今度の修行は桑島さんのように甘くはない」

 

「俺は……」

顔を上げた獪岳はじっと倫道を見つめ、その言葉を反芻し逡巡していた。

 

「やるのかやらないのかっ?!!返事をしろ!!!」

倫道は怒鳴った。獪岳は圧倒され、思わず体を硬直させた。

 

「俺は今度こそ……!やってやるよ!」

獪岳は覚悟を決めた。いずれにせよ強くならなければ死ぬ確率が上がるだけだ。

 

「その返事、待ってたぜ。よし、分かった!今日はお前を導いてくれる人を呼んである」

倫道も思い通りの展開に満足げに頷く。

 

「えっ?導いてくれる人?」

あんたじゃないのか、予想外の倫道の言葉に獪岳は面食らった。

 

「すみません、お待たせしました」

倫道はふすまを開け、隣室に声をかけた。

 

「ったく、待たせやがって」

倫道に呼ばれてのっそりと窮屈そうに入って来たのは、六尺を優に超える上背、完璧なまでにビルドアップされた肉体、役者のように整った顔を持つ男だった。男の切れ長な目が値踏みをするように獪岳を一瞥した。

 

「水原さん、あんたが鍛えてくれるんじゃないのかよ!!」

獪岳は男の威圧感に思わず後退り、倫道に助けを求めるように慌ててそう叫んだ。

 

「力を貸すとは言ったが、俺が教えるとは一言も言ってない。獪岳、こちらは――」

倫道は男に頭を下げ、獪岳にも挨拶を促した。倫道が獪岳に男を紹介しようとすると、男は遮って自ら話しかけた。

 

「俺に弟子入りしたいってのはお前か?俺は音柱の宇髄天元様だ。まあ、みっちりと鍛えてド派手に強くしてやるぜ」

現れたのは、音柱・宇髄天元。宇髄の音の呼吸は、雷の呼吸から派生したものだ。それに、何となくだが宇髄と獪岳は合うのではないか、倫道はそう思っていた。

 

「お、音柱?!話が違うぞ!」

獪岳はたじろぐが、

「今更びびってんじゃねえ、地味な野郎だな。強くなりたかったら耐えろ。強くなって仲間の仇を取るんじゃねえのか?それがお前の贖罪なんだろ?」

宇髄がじろりと獪岳を見据える。

 

「お前、何で鬼殺隊に入った?来ねえならまあいい、このまま一般隊員としてぐだぐだと適当に任務を続けりゃいい。結局お前は他人に守られて逃げる事しかできねえ地味なヤツだ」

宇髄が嘲るように言い放つ。ぴたりと獪岳の動きが止まった。

 

「勘違いすんなよ。お前を怒らせてこの話を受けるように仕向けるなんざ、俺はそんなに暇じゃねえしお人好しでもねえ。逃げたきゃ勝手に逃げろ。だが強くなりてえなら手を貸してやる。兄弟みたいに慕ってたヤツのためなら尚更だ。逃げ出すためにここまで来たんじゃないだろ?」

 

(予想通り聞こえてましたか。まあそのつもりで隣の部屋にいてもらったんですが。でも宇髄さん、貴方も十分お人好しでしょ)

倫道の計算通り、斗和たちの会話は隣室の宇髄には筒抜けだった。倫道は聞いていて可笑しくもあり、宇髄の思いも理解して胸が熱くなった。獪岳の独白は、軽蔑されてもおかしくない内容だった。だが宇髄はそれを聞いた上で、弟子にしてやろうと言ってくれているのだ。忍であった頃、知らなかったとはいえ兄弟を殺した凄惨な過去とも関係があるのかもしれない。そして何より情に厚い男だった。

 

「俺は……もう逃げねえ!やってやるよ!」

 

「ほう、良く言ったな。んじゃあ今日からお前は俺の弟子だ。ついて来い!……芋娘、水原、こいつは預かっていくぜ」(※作者注 宇髄さんは斗和さんを”芋娘”と呼んでいます)

「い、今からかよ……あっ!」

 

宇髄は斗和の家を飛び出して、あっという間にその姿が遠のいていく。獪岳は既に後悔している様子だったが、そうしている間にも宇髄はその俊足でどんどん離れていく。

 

「くそっ、嵌めやがったな!ヤケクソだ、やってやるよチクショー!」

獪岳は捨てゼリフを残して去って行った。こうして獪岳は宇髄の弟子として修行することになった。

 面白いように倫道の術中に陥る獪岳の姿に、斗和は大笑いしていたが、やがて目頭を押さえ、笑うふりをしながら泣いた。

 

(おめでとう、獪岳。今日はお前の再誕の日だな)

倫道もそんな斗和の様子には気付かないふりで、走り去っていく獪岳に心の中でエールを送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

(見れば上背もあり、良く練られた身体だ……。私に向かってくる胆力もある……。自分を盾にして仲間を逃がす判断も、素早く的確だった。粗削りだが伸び代は大きい。このまま殺すには惜しい……。この男、鬼にしてみたいものだ) 

黒死牟は逃げた男には見向きもせず、仲間を庇って倒れた大柄な男をじっと見た。

 

(上弦となれるやもしれぬ素体を見つけました。……無惨様、何卒あなた様の血をお分けください)

そして息絶える直前の佳成に歩み寄り、そう念じた。

 

(師範……すみません、俺は、もう……。夏世……もう一度……会いたかった……)

佳成は自分が死んで行くのが分かっていた。しかし近づいて来た鬼は、止めを刺すでもなく、喰らうでもなく自分をじっと見つめている。佳成は不思議に思った。

 

「人を捨て……鬼とならぬか……」

黒死牟は佳成に問いかけた。

 

「俺は鬼にはならない」

佳成はそう答えるのが精一杯だった。

 

「お前は……さらなる強さが欲しくはないか……?人間など遥かに凌駕する……強さが」

黒死牟は、佳成の心の奥底にある陰を見透かしたように、さらに問い掛ける。

 

「強さ……だと?」

そう言うのが精一杯だった。佳成の命は尽きようとしていたが、その目は一瞬だけ見開かれた。

 

 黒死牟は指で佳成の喉を刺し、無惨の血を流し込んだ。佳成は意識を失いかけながらも、胃の腑へ何かを流し込まれるのが分かった。既に痛みも恐怖も感じなかった。

 

 佳成の目が光を失ったように見えたその時。その目がこれ以上ないほどに大きく見開かれた。

「ぐぐっ……ううう……うおおおお!!!」

佳成は、腹の中に熱湯でも流し込まれたような熱さを感じた。熱さは急速に頭の中まで這い上り、全身へと及んでいった。

(何だこれは!熱い、体が熱い……死な……ない?体中の血が沸騰したようだ!俺は鬼に……なる……のか。鬼など……絶対になってたまるか……!)

 

 その時、どこからか声がした。

 

 鬼になれば、俺は強くなれるのか?今よりもっと、強く。

 強くなれば、護れる。俺は強くならなければならない。

 それは心の奥底にある、自分自身の思いだったのだろうか。

 

 佳成は苦しみ、一時はっきりした意識は何かに侵食され、再び混濁し始めた。

 

(俺は、どう……なる?……堕ちル……あア、俺ハ……ダレダ……オレハ……ナン……ダ…………)

 

 佳成の意識は黒い波動に飲み込まれ、深い闇へと堕ちて行った。

 

 

 

 

 

 

 それから一ヶ月が経過した。

無限城で、黒死牟とともに無惨の前に平伏する一体の鬼。

 

「お前が黒死牟自らが引き入れた者か。良かろう、お前は今日より虎狼(ころう)と名乗るが良い。人間を喰らい、強くなり、そして私の役に立て」

無惨の射抜くような視線を受けながら顔を上げたのは、鬼となった館坂佳成であった。



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第二十話 復活~無限列車編~

土の呼吸 拾ノ型奥義・大地ノ怒(だいちのいかり)…【野良着の隊士】オリジナル技。


(二人が共に行ってくれるのなら心強い。私も杏寿郎を死なせたくはない。もちろん他の子供たちも、誰一人として死なせたくない。……そして、この思いは君たちに対しても同じなんだよ、斗和、倫道。必ず生きて帰って来て欲しい)

耀哉は斗和への手紙を持ったカラスを見送りながらそう思っていた。

 

 耀哉から斗和に、無限列車の任務開始日時が告げられた。斗和と倫道は、以前からこの任務に同行させて欲しいと耀哉に願い出ていた。

 

(いよいよだ。私がこの世界に来た意義を果たせる)

斗和はこの時を待っていた。

 

 車内で四十人もの人が行方不明となり、”人喰い列車”と呼ばれるようになった無限列車。その調査、及びそれに関与する鬼を討伐することが今回の任務だ。しかし原作では、列車に巣くう鬼を退治するだけでは終わらなかった。上弦の鬼の出現、交戦した炎柱・煉獄杏寿郎の死。斗和と倫道はそのことも耀哉にありのままに説明し、杏寿郎を死なせないために同行を願い出ていた。

 

 杏寿郎に生きていて欲しい、それは前世からの願い。その願いが斗和を強くする原動力だった。今世では同じ世界に生き、同じ組織に属し、血反吐を吐いて厳しい鍛錬を積み重ねて同じ”柱”となった。だから、共に戦って自らの手で杏寿郎を助けたい。その思いを行動で示す時が近づいている。助けたい思いは倫道も同じだった。そのために、杏寿郎の父である槇寿郎を覚醒させるなど多少回りくどい手段も取り、万全を期した。

 

 斗和と倫道は偽造した切符でこっそりと無限列車に乗り込んだ。そしてこの任務の目玉と言える人物も二人に同行し、密かに列車に乗り込んだ。魘夢を倒すまでは見つからないよう影ながら援護し、猗窩座との戦闘の際に現れて全力で戦おうと申し合わせていた。これだけのメンバーならば猗窩座を撤退に追い込むだけでなく、あわよくば討ち取れるかもしれないと、倫道は密かに期待していた。

 車掌に入鋏されると血鬼術が発動するが、当然偽造切符の斗和たちには効かない。三人は正体を悟られないよう寝たふりをしてその時を待った。

 

 魘夢の頸に迫る炭治郎と伊之助。魘夢の手先となった運転士の男が炭治郎を刺すが、倫道が蝶屋敷で炭治郎に渡しておいた防刃腹巻のおかげで、炭治郎はほぼ無傷であった。炭治郎と伊之助の頑張りで、無限列車と一体化した魘夢の頸は斬られた。断末魔の悲鳴と共に高速走行していた列車は激しく脱線、先頭の機関車をはじめ各車両は横転し、広範囲に散乱した。だが乗客を喰らおうと至る所に這い出していた魘夢の肉隗がクッションとなり、また杏寿郎の技が衝撃を相殺し、死者は出なかった。

 

(ひどい有様だが乗客に死者は出ていない。竈門少年たちは無事か?それに、俺が技を放つ時に、同時に幾つか衝撃があったようだが気のせいだろうか?)

隠れていた斗和、倫道たちも密かに技を繰り出して脱線の衝撃を和らげていたが、杏寿郎は後方車両に居たのに対し三人は前方車両にいたため、その存在を杏寿郎に気付かれることはなかった。

 

(彼らも命に別状ないようだな)

杏寿郎は車外に出て、怪我人を救助している炭治郎たちを見つけて安堵していた。

 

「怪我人は多いが命に別状は無い。君たちは良くやった。もう無理せずに体を休めろ」

炭治郎、伊之助、禰豆子の箱を持った善逸が集まって、杏寿郎が彼らに労いの言葉をかけた。

 

 脱線の衝撃で車両の外まで投げ出された乗客も多数おり、前方の車両に乗っていた別動隊の三人もそれぞれ乗客の救出を行った。多数の怪我人を一か所に集めるのも一苦労だったが、幸いにも死者はおらず、救助に一区切りつけた三人は合流を果たした。

 

「倫道君、そろそろ行こう」

「うん、いよいよだね。さて御大、参りますか」

「分かった。だが水原、その呼び方は止してくれ。槇寿郎で構わん」

三人は出撃準備を整え、先頭車両の方へ向かう。 これから上弦ノ参・猗窩座が現れ、戦闘が始まるのだ。斗和と倫道、そして杏寿郎に内緒で同行した煉獄槇寿郎。三人はそれぞれ強い想いを抱いて動き出した。

 

 

 

 炭治郎たちと杏寿郎のいるほんの十数メートル先に、上空から何かが落ちて来て地面に激突、大きな地響きと土煙が上がった。濛々と舞い立つ土煙の中に二つの目が光る。土煙が徐々に晴れると、姿を現したのは全身に入れ墨のような紋様のある青年の鬼。その目には”上弦”、”参”と刻まれていた。

 

(上弦の参?!どうして今、ここに)

驚愕する炭治郎。相手が鬼と見るや、すかさず構えを取る杏寿郎。上弦ノ参・猗窩座が炭治郎たちに攻撃を仕掛け、杏寿郎は危ういところでそれを迎撃した。

 

「炎の剣士か。弱者など戦いの邪魔になるだけだ。先に殺しておこうと思ったが、まあ良い。お前のその強さ、一目見れば分かるぞ。俺と存分に戦おう!」

 

 杏寿郎と猗窩座の戦闘が始まった。息もつかせぬ数十合の打ち合いの後、一旦間合いを広く取り、両者は睨み合った。

 

 杏寿郎の強さを肌で感じた猗窩座は楽し気に語りかけた。

「その強さ、練り上げられた闘気、素晴らしいぞ。柱だな?至高の領域に近い。しかし残念だ、お前は至高の領域には到達できない。何故なら」

そして猗窩座はまた杏寿郎に襲い掛かり、一しきり激しい攻防を繰り広げた。杏寿郎は息を切らし、猗窩座の拳が掠めた額からは血を流している。

 

「人間だからだ。老いるからだ。死ぬからだ。柱とてそれは変わりあるまい。お前も鬼にならないか?」

猗窩座は原作の通り杏寿郎を鬼に勧誘する。

 

「俺は炎柱・煉獄杏寿郎。いかなる理由があろうと、俺は鬼にはならない!」

杏寿郎は呼吸を整えながら敢然と拒否する。

 

「そうか、俺は猗窩座。鬼にならないなら殺す!」

 

 破壊殺・羅針!

 

 猗窩座の足元から雪の結晶のような紋様が展開する。猗窩座は全開戦闘の気配を見せ、杏寿郎に殴りかかろうとした。

 

(他に何かいる?!)

その時、羅針が別の大きな闘気を捉えた。猗窩座は杏寿郎への攻撃を中断して再び間合いを取り、周囲を見回す。別動隊の三人が姿を現し、猗窩座はその中に杏寿郎と同じく大きな闘気を纏う槇寿郎を捉えていた。そしてその隣には女性隊士の斗和。……しかし、闘気は二つ。三人の中で一人、ほとんど闘気が見えず、羅針にかからない倫道が猗窩座に向かって歩き出し、無防備に間合いを詰めて来る。

 

「水原?蓬萊!それに……父上?!」

自分の他に柱が二人、さらに父の槇寿郎までがこの場にいることに杏寿郎は驚いた。

 

(倫道さん!列車に乗ってたのか?それにあの人は土柱の蓬萊さん!)(あいつらも鬼殺隊か!ギョロギョロ目ン玉がもう一人いるじゃねえか!)

炭治郎も意外な人物の出現に驚き、伊之助は杏寿郎とそっくりな槇寿郎に驚いていた。

 

 猗窩座の至近距離にまで接近した倫道が抜刀した。気負う様子も無く、かと言って怯えも無い。闘気も薄く、ぶらりとやって来て何となく刀を構えた、猗窩座にはそのようにしか見えない。

 

(何だこいつは。危険を感じる能力が無いのか)

上弦の自分に対し、何の感情も抱いていないように見える不思議な男。少しでも武道をかじった人間ならば、自分を前にしただけで恐怖に顔を歪める。過去には腰を抜かし、失禁する者もいた。

 

(羅針の反応が薄かったのは、おそらくこいつが脅威とはなりえないからだ。闘気もほとんど見えない。弱者め、目障りな)

猗窩座はまず倫道を軽く捻り潰し、それから先程の戦いの続きを、そう考えた。

 

 水の呼吸 肆ノ型・打ち潮

 

 倫道が呟いた瞬間、その闘気が爆発的に膨れ上がり、空気が一変した。猗窩座は倫道の闘気が全身に突き刺さって来るのを感じ、咄嗟に警戒態勢を取った。そこに、目にも止まらぬ速さで波状攻撃が迫った。

 

「斬りかかるまで闘気を隠すとは、お前も柱か!その磨き抜かれた技も素晴らしい!」

斬り落とされた両腕を即座に再生し、猗窩座はその顔に喜色を浮かべて叫ぶ。

 

 土の呼吸 壱ノ型・土龍爪(どりゅうそう)!

 

 だが猗窩座の叫びが終わらぬうちに、巻き起こった土の粒子が竜を形どり、ドンと地を抉る強烈な斬撃が炸裂した。猗窩座がそれまで立っていた場所から十メートル先の地面にまで亀裂が走るほどの威力。倫道の攻撃はただの陽動に過ぎず、この一撃こそが本命だった。まともに当たっていれば猗窩座の頸から上はきれいに吹き飛ばされていたはずだ。

 猗窩座は飛び退って危うく直撃は回避したが、その顔面には斬撃の風圧だけで傷ができていた。

 

 斬擊を放ったのは、土柱・蓬萊斗和。倫道の背後から瞬時に間合いを詰め、斬撃を打ち込んでいた。

 

(せっかく俺が注意を引いたのに!だがまあ想定内だし、挨拶代わりには十分だろう。それにしても斗和さん気合入ってるな)

斗和の一撃が猗窩座に届かず、少し残念がる倫道。

 

「女、お前もなかなかに素晴らしい技を持っているな。だが女は戦いの邪魔だ。引っ込んでいろ」

猗窩座は斗和のパワーに感心したが、あくまで女は邪魔だと考えていた。

 

(体が軽い、実戦でもいける!)

心臓の治療は成功し、リハビリも十分行って以前よりもさらに激しい鍛錬を積んだ。不安もあったが、猗窩座相手のこの正念場でも、以前よりもさらに動けることを斗和は確信した。そして、杏寿郎を絶対に死なせない。前世からの強いその想いと願いを形にする時が来た。

 

 

 刀を手にした斗和の全身が月に照らされる。

 

 

 髪はひっつめて団子に結わえ、後れ毛が吹きすさぶ風に遊ぶ。鍬(クワ)に似た特殊日輪刀を手に、斗和は冷たく澄んだ表情で猗窩座を見据え、堂々と構えた。

 

「邪魔、だと?私を……舐めるなよ」

溢れる闘志でその瞳はキラキラと輝き、全身からオーラが立ち上る。

 

(これが本気の斗和さん!本物のワルキューレ……、戦乙女《いくさおとめ》だ!)

その佇まいは、いつも軽口を叩く倫道でさえ背筋がゾクリとするほどの美しさ、気高さ。おそらく真剣勝負の場でしか見られないその迫力に、倫道は息を呑む。

 

「倫道君!!」

「応!」

 

 斗和と倫道がそのまま戦闘に突入し、巧みに連携を取りながら猗窩座に迫る。強力だが振りが大きく隙も大きかった斗和の斬撃も、大幅な体力強化を行ったことで連撃が可能となった。倫道も巧みに死角に入り込み、猗窩座の防御を削りながら斗和の必殺技に繋げようとしている。

 

(これが本気の倫道君……!凄い!)

斗和も倫道の動きに目を見張る。猗窩座の強力な打撃を紙一重で躱し、柔軟に受け流しながら即座に攻めに転じたかと思うと、また防ぎ、護る。攻防一体の動きには水の流れの如く一切の淀みがない。

 

 破壊殺・空式!

 猗窩座が大きくジャンプして間合いを開け、空中から遠隔攻撃を繰り出す。

 

 土の呼吸 㭭ノ型・土嚢城壁!

 

 これを見た斗和は強固な壁を築いて防御。

 

 空破山!

 

 倫道も負けじと縦に斬り上げるように刀を振り抜く。刀が空気を叩く音が響き、真空波が飛び出した。ザアァッと地面を疾るその航跡が夜目にもはっきりと分かり、真空の刃は着地した猗窩座の片脚を切断した。

 

(こいつも遠当てを?!この速さ、俺が躱しきれんとは!)

失った脚を素早く再生する猗窩座、その期を逃さず頸狙いで間合いを詰める斗和と倫道。激しい戦闘が続く。

 

 

(虚空を拳で打つと、一瞬の間に離れた所にまで攻撃が届く……。凄まじき技だ。だが残念ながら鬼殺隊にもそれを操る化け物がいる)

杏寿郎は斗和と倫道の戦いを見ながら、柱合会議の時に見た倫道の遠当てを思い出していた。倫道は素手でも撃てるほどにその技を磨いており、刀を手にして本来の威力で放たれるそれは、さらに破壊力を増していた。

 

 斗和と倫道の連携戦術は見事であったが、頸の防御は固く、それ以外の箇所にはいくら斬撃を受けてもすぐに再生する猗窩座には決定的なダメージを与えることはできず、羅針によって攻撃を読まれ、徐々に押され始めていた。

 

 斗和、倫道と猗窩座の激しい戦いを見ながら、槇寿郎も高揚していた。

 

(以前水原に見せられた幻の中で、杏寿郎を殺した相手はこいつだ。この鬼だ。上弦であろうと、絶対に杏寿郎を殺らせはしない!)

倫道に見せられた幻。たかが幻で済ますにはあまりに生々しく、まるで自分がその場に立ち会っているかのようだった。そして、杏寿郎が腹を貫かれて殺される、その場面。あまりに衝撃的で、しばらくは寝ても覚めても槇寿郎の頭から離れなかった。その時は怒りのあまり倫道を殴って追い返したが、槇寿郎はどうしても気になって、後日密かに倫道を呼んで謝罪した上で、仔細を問い質した。

 

(”占い”というのはそんなに何でもわかるものだろうか?)

槇寿郎はにわかに信じられなかった。だがその精度たるや驚くべきものであり、自分の心情までも見事に言い当てられ、信じざるを得なかった。

 

「信じていただけるかどうかは分かりませんが」

倫道は前置きし、杏寿郎が殺される場面のことを語った。倫道は、前世で何度も見た無限列車編のあの場面を脳内で再現し、槇寿郎に見せたのだ。

 

「近い将来、そのようなことが起こると頭の中にはっきりと映像が思い浮かんだのです」

だからそのまま見せた、倫道はそう言った。

 

「僭越ながらあのような出過ぎた真似をいたしました。しかし、槇寿郎様。本当にそうなってからでは……!」

 

「遅い、か……」

槇寿郎は腕組みをして宙を見つめ、それから涙を溜めた倫道の瞳を見返した。

 

 これを機に槇寿郎は変わった。倫道に会いに出る前は剣呑な雰囲気であったが、帰宅した時には憑き物が落ちたようにスッキリとした表情となっていた。

 自分がやるべき事は分かっていた。あとはそれを実行に移すかどうか、やり抜くかどうかだ。

 槇寿郎はその日から酒を断ち、きちんと食事をとり、体を動かし始めた。体力が回復していき、息子たちとともに再び鍛錬するようになった。同時に倫道に乞われるままに、時々稽古をつけたりするようになった。

 槇寿郎の体力や実戦勘が戻るにつれて稽古は激しさを増していき、倫道は斗和にも声をかけて参加させた。やがて来る上弦との戦いに向けて連携訓練もしっかりと行った。斗和と倫道が尊敬の念を抱いていることも槇寿郎には十分に伝わっており、二人が稽古に打ち込む姿勢には槇寿郎も感心していた。その姿勢に刺激を受け、槇寿郎の稽古も益々熱を帯びていった。自身の鍛錬を積み重ねるうちに、槇寿郎はゆっくりとだが確実に、自分の心と体がかつての力を取り戻していくのを実感した。

 幻の中で杏寿郎が殺される場面で抱いた、深い悲しみと後悔の念。妻が死んでからは、全てがどうでも良くなった。息子たちに向き合うこともしなくなっていたが、あの時自分は確かに泣いていた。このまま父親たる自分が何もせず、ただむざむざと息子を死なせるようなことは絶対にしない。もう一度立つ。燃えるような情熱が、槇寿郎の胸に蘇っていた。

 

 

 

 

 

(何と素晴らしい剣士たちだ!)

針の穴ほどの隙を突き、必殺の技が次々と放たれる。この精緻を極める動作、全く隙なく練り上げられた連携。そして天を衝く気迫。猗窩座は喜びに震える。頸以外は何度も切断され、胴を両断寸前まで斬られてもすぐに再生し、楽し気に戦っている。

 

「お前たちのような素晴らしい相手と戦えて嬉しいぞ!お前たちも鬼になれ!俺と永遠に戦い続けよう!」

時間にすれば数分間ではあったが、斗和と倫道も体力的に厳しくなっていた。

 

「身を削る思いで戦ったとしても、全ては無駄だ。お前たちが俺に食らわせた素晴らしい斬撃も、痕も残さずに完治した。どう足掻いても、人間では永遠の命を持つ鬼には勝てない」

斗和と倫道は激しく息を切らしていた。猗窩座は憐れむように二人に話しかけた。

 

「お前は……、その只の人間に……負けるんだ!」

息を切らせた倫道が、負けじと猗窩座に言い返した。

 

「上弦の鬼よ、全く大したものだ。お前の言う至高の領域とやらも、満更嘘ではないようだ。鬼でなければ、是非とも一献傾けながら語らいたいものだが」

頃合いと見て槇寿郎が不敵な笑みで前に出る。

 

「だが人間は辿り着けないとなぜ決めつける?人間であってもいつかは辿り着けるはずだ」

ほんのわずかに生まれた戦闘の合間。槇寿郎が猗窩座に話しかける。

 

「何を言っている、至高の領域に辿り着くには人間の限られた命などでは足りない。その短い命で何を為せる?……俺のように鬼となり、百年、二百年、いや永遠に修練することが必要だ。選ばれた強き者が鬼になり、初めてその高みを目指す資格が与えられるのだ。なぜお前たちにはそれが分からない?!」

猗窩座はイラ立ち、杏寿郎を含めた四人に問いかけた。

 

「確かに人は老いて死ぬ。だが人間には永遠の命がある。お前の目の前にもな。親から子へ、子から孫へと受け継がれる命の河、それが永遠の命だ。命は、技は、その想いは受け継がれる!杏寿郎は俺の息子だ。俺の技も、杏寿郎やこの若い剣士たちに受け継がれ、さらに磨かれていく。お前とて、誰かの技を受け継いだのだろう?!」

槇寿郎は炎のように燃え盛るオーラを放ちながら猗窩座を睨み据え、きっぱりと言い放った。猗窩座の脳裏に一瞬誰かの姿が浮かんだ。温和な笑顔の壮年の男。その隣には、はにかむように微笑む少女。だがそれが誰なのか、思い出すことはできなかった。

 

「鬼にならないならお前たちはここで全員殺す。命の河とやらもここで途切れる。惜しいことだが」

猗窩座は残念そうに言い返し、構えを取った。

 

「杏寿郎、お前の成長した姿を良く見せてくれ。共に行くぞ!」

槇寿郎は二ッと不敵な笑みを浮かべ、杏寿郎に声を掛けた。

「はい!父上!」

 

 槇寿郎は上弦の鬼に対しても、気後れした様子など微塵も見せなかった。炎柱・煉獄杏寿郎は、再起した先代炎柱、父・煉獄槇寿郎の姿に胸を熱くし、これまで以上に闘志を燃やす。

 

炎の呼吸 壱ノ型・不知火

 

杏寿郎の先制攻撃で、最強の親子が戦闘に入った。

 

 親子で共に鍛錬することによって生まれる阿吽の呼吸。煉獄親子は互いにその隙を埋めながら果敢に攻め続ける。三つの影が飛び回り、金属同士を打ち合わせるような鋭い音が激しく響き、火花が散る。上弦ノ参・猗窩座は動きも速い上に再生力が高く、何より単純に戦闘能力が高い。

 一撃で頸を刎ねるのは困難。細かい攻撃を続けて僅かな無防備状態を作り出し、その隙に高威力の攻撃を叩き込むしかないと槇寿郎は判断していた。

 息もつかせぬ猗窩座の拳打の嵐を一方が捌き、もう一方が斬撃を入れようとするが、その戦闘力、再生力は煉獄親子をもってしても押されるほどだ。重傷ではないが、二人とも多くの打撲や傷を負っている。

 

 ここで、斗和と倫道も気力を振り絞って立ち上がり、再び戦闘に参加した。

四人は必死の思いで間断ない攻撃を繰り出し、わずかな隙を作り出し、そして好機が到来した。

(槇寿郎さん、斗和さん、俺たちが隙を作る!あの技だ!)

「杏寿郎さん!全力で攻めるぞ!!」

倫道はアイコンタクトで合図を送り、杏寿郎とともにスタミナ度外視の全開戦闘を開始した。

「よしっ!」「はい!」

槇寿郎と斗和は、残された体力を全てこの一撃に込めて必殺技を放った。

 

土の呼吸 拾ノ型 奥義・大地ノ怒(だいちのいかり)

斗和が極限の集中に入り、先に奥義を発動する。斗和の周囲に地鳴りがし始めた。

 

 

 

 

 共同鍛練で、倫道は斗和と槇寿郎の連携技を考えついて提案した。いかにも厨二らしい演出もつけて。

 

「水原、この予備動作は必要なのか?」

「必要です。恥ずかしさ……いや自らの力を制御する”心の枷”を吹っ切るためです」

困惑気味に槇寿郎が倫道に尋ねるが、倫道はあっさりと答える。

 

「倫道君、どうしてもこのポーズやらないとダメなの?」

「ダメです!必殺技っぽい動きしないと!」

 斗和も気恥ずかしさを覚えるが、倫道は容赦しない。

(ちょっと恥ずかしいな……)

 

 斗和と槇寿郎による土の呼吸奥義・大地ノ怒と炎の呼吸奥義・煉獄の同時発動。その前に、タメをつくってそれらしいポーズを入れよう、と厨二病患者である倫道が言い出したのだ。斗和は抵抗したが押し切られてしまった。

 

 稽古していた時はそう思っていた斗和であったが、槇寿郎、杏寿郎との共闘でテンションが爆上がりしていたため、槇寿郎と斗和は互いの刀をクロスさせるポーズを取り、連携必殺技を放った。

 

 土の呼吸 拾ノ型奥義 大地ノ怒(だいちのいかり)

斗和の奥義発動に重ね、槇寿郎が重ねて技を放つ。

 

 炎の呼吸 玖ノ型 煉獄!

 

「「同時発動!グランドクロス!」」

 

 地面が激しく揺れ、大地の裂け目から現れる炎の龍が猗窩座を飲み込むように襲い掛かった。

 

 

 猗窩座は負けじと破壊殺・滅式を放ったが、グランドクロスの威力に押されて相殺できなかった。

炎の龍は滅式をものともせずに猗窩座を飲み込んだ。

 

 

 

 

「勝った……」

斗和は、刀を杖に立ち上がろうともがいたが、地面に崩れてしまった。その視界の隅には逃げていく猗窩座の姿があった。

猗窩座は斬られかけて、まさに皮一枚で繋がった頸を落ちないように繋げ直し、切断された四肢を何とか再生し逃げて行った。

 

 

 日の出が迫る中で体をバラバラにされるほどのダメージを負ったが、辛うじて頸は守り切った。四人には既に追撃する力は残っていなかった。陽の光を遮る森の中に逃げると、どこからか琵琶の音が響き、猗窩座の体は異空間へと消えていった。

 

 猗窩座が逃げた方を睨みながら、一同は動けずにいた。猗窩座と戦った四人は体力を使い果たして地面に倒れ、息も絶え絶えとなり、少しの間起き上がることもできないほど疲労していた。炭治郎と伊之助は極限の戦いを間近に見て、その緊張感から解放されてどっと疲れ、座り込んでしまった。しかし誰も死なず、重篤な外傷も無く上弦を撃退することができた。

 

しばしの後。 

 

ホッとした空気が広がる中、ふと斗和の顔を見た杏寿郎が歩み寄り、遠慮がちに声を掛けた。

 

「蓬萊……その……」

「煉獄さん……」

 

 尊敬し、憧れる杏寿郎を前に斗和は顔を赤くして見上げる。

「蓬萊……言いにくいのだが、その……」

「いえ、何でも言ってください」

 

「斗和さん、斗和さん!」

倫道が横から小声で懸命に斗和に呼び掛ける。

 

「倫道君!今大事なところだから何も言わないで!」

「そうじゃなくて……!ハナ!」

 

 倫道が、小声で、しかし必死にある事を気付かせようとする。

(もう、黙っててって言ってるのに!)

斗和は多少イラッとして、

「なに?」

倫道に小声で返した。

 

「だって斗和さん、鼻水びろーんって垂れてるから!」

倫道は少し迷っていたが、我慢できずに教えた。

 

(やだっ!何で早く言ってくれないの!)

斗和は顔を赤らめて手拭いで鼻を拭いた。

 

「蓬萊はそういうところも可愛いな!」

杏寿郎はストレートに斗和を誉め、斗和は益々顔を赤らめた。

 

 

 

 

 

「お疲れ様、上手く行ったね」

杏寿郎と話し終わったのを見計らい、倫道が斗和に声を掛けると、

「倫道君もお疲れ様。重大任務完了だね」

斗和と倫道は、大声で話している槇寿郎、杏寿郎親子を横目で見ながらそう言って笑い合う。

 

「煉獄さんを助けて、槇寿郎さんも立ち直らせた。猗窩座も討ち取れればなお良かったけどそれはさすがに欲張りすぎかな」

「でも、本当にありがとう。不安だったけど、私、猗窩座相手でもやれた。もう完治したんだね。治してくれてありがとう」

 

「珠世さんと愈史郎さんのおかげだよ。それに治ってから努力したのは斗和さん自身だし。これで何の心配も無く手合わせできるね、風柱と!」

「それは言わないでよ……手合わせはやっぱり怖いんだよ」

斗和は苦笑した。物語より早く、斗和は不死川と深い仲になっているらしいことを倫道は察していた。

 

「蓬萊、俺ともまた手合わせを願おう!」

それが聞こえたのか、杏寿郎も参戦した。斗和はすぐに表情を明るくして、よろしくお願いします!と元気よく返事をした。

 

「俺もっ!俺もやりてえ!!」

「煉獄さん、蓬萊さん、俺も……。俺にも稽古をつけてください!」

尊敬する杏寿郎にも手合わせを申し込まれホワホワしている斗和の乙女心を無視して、興奮冷めやらぬ伊之助が乱入、炭治郎までもが遠慮がちに稽古を付けて欲しいと頼み、杏寿郎たちは男の会話を続けていた。

 

「うむ、感心だ!やがては君たちが鬼殺隊を支える柱となるのだからな!強くなりたいという想いは柱への第一歩!その想いを持ち続けることが大事だ。今までの努力を一歩とするなら、柱への道のりはあと一万歩あるかもしれないがな!」

杏寿郎が爽やかな笑顔でとんでもないアドバイスを送ると、

「い、一万歩……ですか」

炭治郎は膝から崩れ、

「なぁにー?!」

伊之助はショックで思わず声がひっくり返り、猪頭の鼻から蒸気を噴き出した。

 

今までの鍛錬はただの一歩。柱になるにはそれをあと九千九百九十九回繰り返さなければならない。

 

 あまりに途方もない例えだが、それは大げさではない。柱になることは容易ではなく、あと九千九百九十九歩、というのも冗談で言ったわけではないが、強くなる素養を持ち、強くなるために努力を厭わないこの少年たちなら、柱になれると杏寿郎は確信していた。背中を預けて共に戦い、次世代の鬼殺隊を託せると信じたからこそ厳しい言葉を投げかけたのだった。しかし彼らにとってもこの戦いが大いに刺激になったことは明らかだった。

 

 猗窩座と戦った四人は全身に大小の傷を負い、疲労困憊であった。だが息子の成長を実感した槇寿郎、父との共闘を果たして上弦の鬼を退けた杏寿郎、杏寿郎を護れてホッとしている斗和、そして斗和を護れて安堵の倫道と、みな一様に満足気な表情だ。

 一万歩と聞いてがっくりする炭治郎、取り乱す伊之助、二人の反応を見て斗和と倫道は思わず笑った。杏寿郎と槇寿郎も豪快に笑う。

 

 笑い合う一同を勝利の朝日が照らしていた。

 



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第二十一話 変な鬼狩り~遊郭編~

土の呼吸 漆ノ型・霜柱 氷結烈糸(ひょうけつれっし)…【野良着の隊士】オリジナル技。
土の呼吸 捌ノ型・土嚢城壁(どのうじょうへき)…【野良着の隊士】オリジナル技。


 

 

 その日、蝶屋敷の門の付近は騒がしかった。

 

「じゃあ、一緒に来ていただこうかね」

三人の若手隊士の気負った様子に、音柱・宇髄天元はニヤリと笑う。

 

 

 日本一の花街・吉原。その中に、強力な鬼が潜伏している可能性が浮上した。内偵を続けていた宇髄は、潜入させた三人の嫁からの定期連絡が途絶えたため自身でも乗り込もうとしており、任務に必要な女性隊士を蝶屋敷から強引に連れて行こうとした。だが炭治郎、善逸、伊之助の三人が代わりに行くということになり、ひとまず騒ぎが収まりかけたところだった。

 斗和と倫道は別々の用事で蝶屋敷を訪れていたが、騒ぎを聞きつけてやって来て顔を合わせ、初めてお互いが来ていることに気付いたのだった。原作を知っている斗和と倫道は、吉原に出発するあの場面か!と頷き合った。

 

「おう久しいな、芋柱じゃねえか!」

斗和に気付いた宇髄が怪しげな笑みを浮かべ、声をかけてきた。宇髄は斗和と同期であり、以前から斗和を”芋娘”と呼んでいた。斗和が柱になってからは「芋娘が柱になったら芋柱だな」と出世魚のように呼び名が変化していた。

 

(また芋柱って言ったな!派手柱め!)

斗和はムッとしたが、宇髄の失礼な発言は続く。

 

「ところでお前、暇か?」

「ひ、暇じゃありません!まあ明けで今日は任務の予定はありませんけど」

失礼な物言いに斗和は憤慨するが、それ以上に炭治郎たち主人公組の前で芋柱と呼ばれて恥ずかしかった。倫道は、宇髄が斗和のことを”芋柱”と茶化して呼び、生真面目な斗和がムキになって言い返すユーモラスな場面が好きだったが、実際に目の前で見る”芋柱呼び”が面白くて懸命に笑いを堪えていた。

 

 宇髄は返答を聞いてニヤリと笑う。

「そうか、それならお前もこれから一緒に来い。ちょっと特別な場所の任務でな、こいつらだけじゃどうにも心許ないが、女のお前ならまあ何とかなるだろ」

 

(私を遊郭に潜入させようって魂胆なの?いや待て、それより“まあ何とかなる“ってどういう意味よ?!)

宇髄の任務の内容は誰も知らないし、それが遊郭に潜入することだとは、宇髄はこの段階では一言も言っていない。原作知識が邪魔をして、迂闊に口を開けば疑念を持たれる恐れがあり、斗和は上手く言い返せない。

 

「場所は吉原・遊郭。お前みたいな芋娘には似つかわしくない場所だ。何するところかも知らねえだろうが、来てもらうぜ」

 

(重ね重ね失礼な!何するところかぐらいは、私だって、その)

斗和は少し頬を赤らめながら宇髄を睨む。

 

「宇髄さん、蓬萊さんはダメですよ」

斗和が潜入に連れて行かれそうになり、倫道が斗和に助け船を出した。

 

(斗和さんをそんないかがわしい場所に連れて行くなんてとんでもない!)

倫道は耀哉から密かに与えられている”自由に動いて良い権限”を使い、斗和に潜入をさせないように、代わりに自分が帯同しようと考えていた。

 

「蓬萊さんをそんな場所に連れて行っちゃだめです!炭治郎君たちで頼りなければ俺も行きます」

原作でアオイたちを庇う炭治郎ばりに、倫道が斗和を庇う。

 

(倫道君ありがとう!共闘は良いけど、遊郭潜入はさすがにちょっとね)

斗和は倫道の助け船を心強く思い、倫道と二人なら宇髄に対抗できると考えて元気になった。

 

(水原も来るならそれはそれで好都合だが、やはり本物の女がいたほうが良いんだが……。いや、譜面が完成したぜ)

宇髄は良いアイディアを思いついてまたニヤリと笑う。

 

「水原、まあそう言うな。ちょっと来いよ」

「ダメですよ!」

倫道は、ムン!と口を強く結び、抗議の意思表示をしている。宇髄は倫道の肩に手を回し、斗和に聞こえないようにコソコソと良からぬことを耳打ちする。

 

「蓬萊には確かに郭の内部に潜入してもらうが、客を取れってわけじゃねえ、芸妓だって構わねえ。もしかしたら色っぽい姿が見られるかもしれねえぞ。普段の田舎者丸出しの野暮ったい野良着姿じゃなくてよ」

 

「えっ?」

次の瞬間、倫道は真顔で斗和に向き直った。

 

「斗和さん、これは重要な任務だ。これ以上の犠牲を出さないように宇髄さんに協力して、俺たちみんなで遊郭に巣食う鬼を倒そう!」

曇りなき眼で斗和に潜入への協力を促す倫道。

 

(もう!何やってんのよ倫道君?!簡単に丸め込まれてるじゃないのよ!)

助け船はあえなく撃沈し、先程と真逆のことを言い出すチョロいこの男に斗和は舌打ちする。

 

「まあそう言う訳だ、すぐに出立……」

してやったりと宇髄が笑みを浮かべた。

 

「緊急任務!遠方デ緊急任務ダ!急ゲ!」

危うく遊郭に連れて行かれそうになる斗和だったが、斗和の鎹カラス、令和が飛んで来て緊急の任務の発生を告げ、すぐに出立するように急かしたため斗和の最初からの帯同は無くなってしまった。

 

「あの、水原さん、ちょっと」

そこに、しのぶが顔を出して倫道を呼んだ。

 

「ハ、ハイぃ!!」

しのぶの声だとすぐに分かり、ビシッと直立不動になる倫道。

 

「おい、こいつは今から任務を」

宇髄は言いかけたが、

「水原さん、研究室へ行ってください。すみません宇髄さん、こちらもお館様に関わる重大な任務なんです。それから、姉と私の許可無くあまり勝手なことをしないで下さいね」

しのぶは先程の女性隊士の連れ去りに釘を刺し、さらにさりげなく倫道の案件が超重大任務であることをちらつかせて宇髄を引き下がらせた。倫道はしのぶに指示され、血相を変えてバタバタと屋敷へ入っていった。

 

 

「……」

「……」

お互いに顔を見合わせる宇髄と炭治郎たち三人。騒ぎが収まってみれば、現場に残ったのは宇髄と炭治郎、善逸、伊之助の原作通りの面々だった。

 

 宇髄はため息をつき、気を取り直して宣言する。

「仕方ねえ、このメンツで行くか。いいかお前ら!俺の言うことには絶対服従だ、忘れるなよ。付いて来い」

そう言って炭治郎たちを置き去りにして走り去ってしまった。主人公三人は慌てて後を追って駆け出し、遊郭編が開始された。

 

 カラスの令和は、特に急ぐでも無く斗和の自宅の方角に悠々と飛んで行く。

 

「任務は?今度はどこで?」

斗和は走りながらカラスの令和に尋ねたが、令和は驚くべきことを口にする。

 

「嘘モ方便!ホーベン!」

「令和、私を助けてくれたの?」

斗和は令和の機転に感心することしきりであった。斗和は、ここぞとばかりに令和に頼んでみた。

 

「令和、一度で良いから、私の頭の上に乗ってごはんを、あっ!」

「……」

 

 嫌な予感を覚えた令和はすぐに飛び去ってしまい、斗和はポツンと取り残された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 辛うじて倒壊を免れた郭の建物の一室。炭治郎は、鬼化が進んだ禰豆子を羽交い締めにして懸命に押さえていた。

 室内には逃げ遅れた人が数人いたが、禰豆子との戦闘で大ダメージを負い、顔の表皮が半分溶けたままの堕姫がそこに現れた。

 

(まずい、禰豆子を押さえ切れないのに、鬼がまた……!逃げ遅れた人を護らないと、でも禰豆子を放して人に襲い掛かってしまったら?……どうすれば?!)

 

 堕姫は炭治郎と禰豆子をまとめて殺そうと帯攻撃を仕掛けた。

 

 大気の揺らぎも見せず、風を切る刃の音。

堕姫の帯は残らず斬られてはらはらと床に散り、炭治郎と堕姫の間にいつの間にか宇髄が立っていた。

 

「お館様の前で大見得切っておいて、何だこの体たらくは!」

宇髄は堕姫に背を向け、しゃがみ込んで禰豆子を確認すると炭治郎を怒鳴った。

 

「柱ね。そっちから来たの?探す手間が省け――」

堕姫が宇髄の背中に言いかけるが、

「うるせえな、俺が探してるのはお前みたいな雑魚じゃねえ。お前はもうクソして寝ろ。二度と起きるんじゃねえぞ」

宇髄は声の方に振り返ることもなく、そっけなく言い返した。

 

「……へ?」

ごろっ、と堕姫の頸が落ちた。己が頸を落とされたことが信じられない、呆けたような表情を浮かべたままの自分の頸を持ち、堕姫はガクンと両膝を突いた。

 

(斬った!上弦の頸を!)

炭治郎は急展開に驚愕するが、

「まだ終わっちゃいねえ。本物の上弦がいるはずだからな……。それより妹を何とかしろ!戦場にガキはいらねえ、子守唄でも歌って寝かしつけてやれ」

宇髄の落ち着いた様子に炭治郎も冷静さを取り戻し、禰豆子と一緒に建物から離脱した。

 

 炭治郎は幼い頃に母が歌ってくれた子守唄を歌ってやると、激しく暴れていた禰豆子は大人しくなり、やがて寝付いた。

頸を落とされた堕姫に背を向け、宇髄は真の敵を探すためその場を去ろうとした。

 

「うわああん!頸斬られちゃったよぉ!悔しい!お兄ちゃん!」

あっさりと頸を斬られ、まるで童女のように堕姫が泣き喚く。悪魔の笑みで炭治郎を追い込んでいた先ほどと全く違っていた。

 

 

 宇髄が総毛立つ程の殺気をまき散らし、気だるそうに堕姫の背中から妓夫太郎が現れた。

(こいつの戦闘力は女の鬼の比じゃねえ!こいつが本物の上弦ノ陸か!)

堕姫に対して興味を失いかけていた宇髄は、鎖で連結した二本の大刀を構え直して警戒度を跳ね上げた。

 

 宇髄の初太刀を難なく躱して、妓夫太郎は泣き喚く堕姫の頸を再び繋げ、子供をあやすように頭を撫でてやっていた。妓夫太郎はゆらりと立ち上って振り向くと、濁った眼で宇髄を睨んだ。

「ここは遊郭、俺は妓夫……。妓夫太郎だからなぁ。妹をいじめたヤツらからはきっちり取り立てるぜ、その命でもってなぁ!お前ら皆殺しだ!!」

 

 堕姫を肩に乗せた妓夫太郎と宇髄が、猛スピードの斬り合いを開始した。

 

 炭治郎との戦闘で堕姫が広範囲攻撃を仕掛け、十軒以上の店が一瞬で潰されていた。建物の倒壊とともに電線がショートして同時多発的に火事が発生、次々に延焼し、吉原の街の広範囲に急速に被害が拡大していった。宇髄の嫁たちが避難誘導に当たり、懸命に人々を逃がしていた。

 

 炎が夜の闇を照らし、その明かりに宇髄と妓夫太郎の刃が閃く。双方に傷が増えるが、妓夫太郎は息も乱さずその傷をすぐに塞ぐのに対し、宇髄は血鎌の毒に侵され次第に息を荒くしていた。

 そこに、ようやく善逸と伊之助が合流、禰豆子を退避させた炭治郎も戻って来た。

宇髄は二体の鬼の頸を同時に斬れば倒せることを看破し、炭治郎たちにも伝えるが、それが困難を極めることも理解していた。

 

「こっちの蚯蚓女は俺と寝ぼけ丸に任せろ!」

伊之助は善逸とともに堕姫を相手に屋根の上で戦闘を開始、地上では炭治郎が宇髄に加勢し、妓夫太郎との激しい戦闘を開始した。

 善逸と伊之助のコンビネーションに堕姫がやや押されたと思いきや、堕姫の額に第三の眼が現れた。堕姫をコントロールしつつその視覚情報を共有し、戦況を分析するため妓夫太郎が左眼とその能力の一部を堕姫に移したのだ。これにより堕姫はまた一段階スピードアップし、善逸と伊之助は近づくことすら困難になった。

 

 地上では、まだ動きにそれほど影響は見られないが、全身に毒が回るのを感じて宇髄は焦りを覚えていた。実力差のある炭治郎とのコンビネーションも上手く機能しておらず、妓夫太郎に押され始めていた。

 

 この時、火災は吉原の街のほぼ全域に及び、既に大規模火災の様相を呈していた。

周囲は至る所で大きな炎が赤々と燃え盛っていた。見上げれば大火災の熱で上昇気流が発生し、中天にかかる月までもが禍々しく赤く揺らめき、戦場はまさに地獄のような様相を呈していた。

 

 血鎌を携えた両腕をだらりと下げ、背中を丸めて立つ妓夫太郎はニタリと笑う。宇髄と炭治郎の目に移るその不気味な姿は、地獄の業火に佇む獄卒の如し。

 

 しかし、この戦場に光が射した。まず一人、鬼殺隊に強力な増援が現れた。

 

(この足音は!)

宇髄は駆けつけた仲間の足音を聞いた。

 

(この”匂い”は!)

火事による強烈な臭いのなか、炭治郎もわずかな匂いを捉え、増援が来たことに気付く。妓夫太郎に斬りかかっていた二人は同時に身を躱した。

 

「うおりゃああああ!!」

裂帛の気合いとともに振り下ろされたのは、鍬(クワ)のような特殊日輪刀。妓夫太郎は咄嗟に血鎌で受けたが、高威力の斬撃を受け止めきれずに鎌が砕かれ、鎌を持った腕と肩までごっそりと抉り取られ、後退して広く間合いを取った。

 

「芋娘!助かるぜ!」

宇髄が叫ぶ。

 

「いも……土柱の蓬萊さん!」

炭治郎も心強い増援に顔を綻ばせる。以前浅草で共闘し、柱合裁判の時も助けられており、炭治郎にとっては頼もしい先輩だ。

 

(受けた腕ごと持ってかれんのかよ!……そうか、この女も柱か!それにしても何てえ馬鹿力だ、鬼かこいつは!)

顔には出さないが、妓夫太郎は斗和の斬撃の威力に舌を巻く。

 

「女ぁ、大した力だなあ。だが力だけじゃあ、俺の頸には届かねえんだよなぁ」

余裕だと言わんばかりに言い放つが、妓夫太郎は心中穏やかでなかった。大きく抉られた上半身はすぐに再生したが、切れ味鋭い宇髄とはまた違った強力な斗和の技に、妓夫太郎は警戒を強めていた。

 

「あ、届いてなかったですか?でも斬れてますよ、頸のところ」

それを聞いた斗和が妓夫太郎の頸を指差す。

 

(何だと!)

妓夫太郎は驚いた。躱したはずであったが、触ってみると頸には確かに切れ目が入り、血が噴き出していた。

 

「次は一撃で頭を潰しますね!」

斗和は妓夫太郎に向かってにっこりと笑いかけ、ビョウッ!と鋭い風切り音とともに刀を一閃して見せた。

 

(芋娘、お前いつからそんなに別嬪になった?今のお前なら嫁にしてやっても……。そういや不死川と付き合ってんだっけ?)

歴戦の強者の雰囲気を纏う斗和の横顔は、炎に照らされてほのかな色香も漂わせていた。宇髄は久しぶりに共闘する斗和を見ながら、自分と対等の柱として、そして女としても意識せざるを得なかった。

 

「まきをさん!芋柱様が助けに!」

この様子を陰から見ていた宇髄の嫁の一人、須磨は笑顔で叫ぶ。

「須磨ァ!失礼なこと言うんじゃないよ!あのかたは、芋……、じゃない、土柱様だよ!」

同じく宇髄の嫁、まきをも須磨を怒鳴りながら嬉しさを隠し切れずにいた。

 

 戦場のあちこちで「芋」、「芋」と囁かれ斗和は面白くなかったが、取り敢えず目の前の敵に注意を向けた。

 

「みなさん!一緒に生きて帰りましょう!……でも一つだけ言っときますけど」

斗和は気迫をみなぎらせて再び構える。

 

「私は!芋柱じゃなあああい!!」

斗和が大きく刀を振りかぶって一撃を叩きつけると見せかけ、グンと前に踏み込んだ。

 

土の呼吸 漆ノ型・霜柱 氷結烈糸(ひょうけつれっし)!

 

 斗和が踏み込みざまに二撃目を放つ。霜柱のように縦に切り裂き、突きも交えた連続技だ。妓夫太郎はまともに武器で受けずに大きく回避した。

 

「炭治郎君はあっちに加勢して!こっちは宇髄さんと私が倒すから!」

「はい!蓬萊さん!」

すぐに屋根の上へと跳躍しようとする炭治郎。

 

「炭治郎君!頸斬っても油断しちゃだめだよ!」

斗和は妓夫太郎から視線を外すことなく炭治郎にさり気なく声をかける。

「分かりました!」

炭治郎は元気良く返事をして屋根に上がり、堕姫との戦闘に加わった。

 

 屋根の上では堕姫と炭治郎、善逸、伊之助が戦う。スピードに慣れてきた三人は攻撃をもらうことは無くなったが、なかなか近づけず、頸を狙うチャンスが見出せなかった。

「これじゃ近づけねえ!どうすんだ!」

伊之助が焦りを含んだ声で叫ぶ。

 

 三人とも堕姫の帯攻撃を躱すのが精いっぱいであったが、宇髄と斗和は徐々に妓夫太郎を追い込み、妓夫太郎は血鎌で堕姫の援護をする余裕はなくなった。宇髄の連続攻撃に斗和の重い一撃が織り込まれ、連携攻撃が鋭さを増す。

(こいつら、もう連携が取れてきやがったなあ。ちっとでも気を抜いて受け損なえば腕ごと吹っ飛ばされて、その隙に頸を斬られる。ひりひりするなあ、面白えなあ!いっそ左眼戻すか?いや、上のガキども殺してから二人でこいつらをやるか)

嵐のような連撃を捌きながら妓夫太郎はほんの少し迷ったが、堕姫に左眼を貸したまま戦闘を続けることを選択した。

 

 斗和から遅れること数分。

一人の隊士が現着し、苦々しい思いで物陰から状況を確認していた。

(あの技、霹靂一閃……!聞いてねえぞ、アイツがいるなんて。まさか一緒に戦う破目になるとは……。それに相手はやっぱり上弦じゃねえかよ!こっちは任務の後だってのに。人使い荒過ぎだろ)

 

 宇髄に呼ばれ、自分の任務が終わって早々に駆けつけて来たその隊士は、忌々し気に舌打ちした。

 

(仕方ねえな……。いくか!)

この膠着状態を打開するべく、この隊士は二人目の増援として屋根の上の戦いに割って入った。

 

「さっきの威勢はどうしたのさ!あたしの頸を斬れるもんなら斬ってみなさいよ!」

炭治郎が加わっても堕姫は三人の接近を容易に許さない。炭治郎も焦りを募らせていた。

 

雷の呼吸 肆ノ型・遠雷 重爆!

 

 宇髄の物ではない火薬玉が連続して爆ぜる。ドンドンと腹の底から揺さぶられるような重い爆発音と強烈な閃光に堕姫も一瞬顔を背ける。その隙を見逃さず、遠距離から一気に間合いを詰め、炭治郎たちとは別方向から雷の斬撃が堕姫に迫った。必殺の一撃ではない。数十の、嵐のような連続攻撃。

 

(来やがったか、遅いぜまったく)

戦いの中、宇髄は隊士の到着を確認して密かにほくそ笑む。

 

(この”音”は!)

耳を塞いでいた善逸は、爆発が止んである人物の音を聞き、耳を疑う。

 

「獪岳!」

半覚醒状態であっても忘れるはずがない。いつかは共に戦いたいと思っていた。決して良くは思われていないと分かっていたが、それでも善逸にとっては特別な存在だった。

 

「善逸!……何だお前、その頓珍漢な格好は!」

獪岳は善逸の女装を見て、ついにおかしくなったかと疑ったが、先程の霹靂一閃の技の切れを見る限りその心配は無さそうだった。

「これには事情があんの!それより手伝ってくれ!二体とも頸を斬らなきゃいけないんだ!」

 

「仕方ねえ、宇髄さんの命令だから今回は協力してやる!ありがたく思え!」

宇髄の弟子として修行していた獪岳が参戦した。

 

(昔と音が少し違う?)

あの獪岳が助けに来た。嫌な思い出もあった。戸惑いも覚えたが、獪岳の確かな変化を音で感じ取った善逸は、共に戦えることを嬉しく思った。

 

 獪岳の武器は、以前のオーソドックスな日本刀から、両刃の直刀の双剣になっていた。獪岳はその双剣で、剣風を巻き起こしながら堕姫の帯攻撃を弾く。踏み込みの瞬間のスピードこそ善逸に劣るが、刀を振る、体捌きなど体を動かすスピードは大変優れていると宇髄が見抜き、手数の多い双剣を勧めたのだ。もちろん、レベルアップのために体作りから徹底的にやり直させたのは言うまでもない。だが獪岳は、文句を言いながらもその猛稽古に耐えた。

 

「お前も二刀流かよ!混ぜてやってもいいぜ!」

一目で手練れと分かる新たな味方の出現に、伊之助も軽口を叩く。

 

「さっさと終わらせるぞ!宇髄さんが危ねえ!」

宇髄が毒を食らっているらしいことはちらりと見て分かっており、獪岳は焦っていた。

 

「頸が柔らかいんだ!相当な速度か、複数の方向から斬らないとダメだ!」

炭治郎が他の三人に指示を出す。

 

「そんなら二刀流の俺が……あっ、お前!先に行くんじゃねえよ!」

俺が行く、という伊之助のセリフよりも迅く。

 

「斬ってやるぜ。……その相当な速度でな!」

獪岳がうそぶきながら堕姫に向かって駆け出していた。

 

「炭治郎!俺たちは兄貴と伊之助の援護だ!」

善逸は思わず口走ってハッとなったが、

「分かった!」

兄貴って誰だ?一瞬そう思いつつ、あの新手の剣士は善逸の兄貴なのかと思い直し、炭治郎は真面目に返事をする。善逸の霹靂一閃と炭治郎の流流舞いで帯が弾かれ、獪岳と伊之助は競い合うように猛ダッシュで堕姫に迫る。

 

 獣の呼吸 陸ノ牙 乱杭咬み!

 

 先に到達したのは伊之助。獪岳は先に駆け出したが、伊之助に迫る帯の一撃を弾き返して防御したため一歩出遅れたのだ。

 堕姫の頸に、伊之助の二刀が左右から挟み込むようにガッと食い込んだ。

 

「このガキいいい!」

堕姫は悲鳴のような叫び声を上げ、頸を帯に変えて受け流そうとするが、伊之助は鋸で挽くようにその頸を斬り落としにかかる。

 

 雷の呼吸 弐ノ型・稲魂 十連!

 

 獪岳が体を捻り、独楽のようにスピンしながら連撃を繰り出した。伊之助がチェーンソーなら獪岳は刃が回転する電動ノコギリと例えられるかもしれない。本来五連撃の技だが獪岳の両手の双剣は単純に二倍の手数となる。横一文字の連続した斬撃はブレることなく同一の軌道を描き、堕姫の頸を刎ねた。

 

「先に斬りやがって!覚えとけよてめえ!おい、頸持って逃げるぞ!」

伊之助が堕姫の頸を持って走り出すと、頸の無い堕姫の体が伊之助を追いかけ始めた。伊之助と獪岳は二人で走り、追いつかれそうになると頸をパスし合い、いつの間にか息の合ったフォーメーションで奪還を許さない。

 

「やった!兄……獪岳!」

あれなら逃げ切れるだろう、善逸と炭治郎はホッとしながら、今度は妓夫太郎と戦う宇髄と斗和の様子を見た。

 

「譜面が完成した!勝ちにいくぞ!主旋律は俺が奏でる!芋!お前は合いの手を入れろ!」

 

(い、芋っ?!もう雑!雑すぎ!!せめて芋娘にしなさいよ!)

斗和は宇髄の雑過ぎる扱いに心の中で突っ込み、その怒りを妓夫太郎にぶつけるべく瞬時に攻撃態勢を整える。攻撃のリズムを読み、鎖で繋いだ双刀を旋回させて攻撃と防御を同時に行いつつ、宇髄が妓夫太郎に迫る。斗和は宇髄のリズムに合わせて重い一発を放つ。今や斗和の動きは俊足の宇髄をも凌ぎ、共に妓夫太郎を追い込んでいた。

 二人のリズムがかみ合い、妓夫太郎が攻撃のペースを変えても即座に対応され、猛攻からは逃れることができない。このまま討ち取れるかに思えたが、毒を受けている宇髄の動きが次第に鈍り、斗和を護っていたディフェンスも弱まってしまった。

 

(宇髄さんが毒で弱ってる!……ここで決める!!)

 

 土の呼吸 捌ノ型・土嚢城壁(どのうじょうへき)!

 

 炭治郎と善逸がすぐそこまで来ていた。それを把握した斗和は、強固な壁を出現させた。通常は自分たちと敵の間に壁を作って攻撃を防ぐ技だが、斗和は妓夫太郎を囲むように、その背後に半円形に壁を出現させたのだ。

 

(何だこりゃあ!)

後方へ跳んで間合いを取ろうとした妓夫太郎の退路が一瞬塞がれた。

 

「もらった!」

宇髄が二刀の旋回をスピードアップさせて、残る力の全てを使って斬りかかるが、それは防がれる前提だ。つまり、陽動だった。血鎌でそれを受け止めた妓夫太郎だが、

 

 雷の呼吸 壱ノ型・霹靂一閃 神速!

 

 温存していた瞬息の居合で善逸が迫る。

 

 ヒノカミ神楽 碧羅の天!

 

 呼吸を合わせて上空から炭治郎が渾身の技を繰り出した。二人で一つの、本命の一撃。宇髄の奏でる主旋律に斗和が強力な一撃で拍子を取り、最後に炭治郎と善逸が合奏に加わった。それらは見事なハーモニーとなって、ついに百年ぶりの上弦討伐となった。

 

 

 妓夫太郎の頸が宙に舞い、瓦礫の中へと転がって行った。

 

 

 妓夫太郎の最後の全力無差別攻撃は人的被害はもたらさなかった。だが、この広範囲攻撃で伊之助と獪岳も避けるのが精一杯で堕姫の頸を手放してしまい、一時的に鬼二人の頸の在処が分からなくなってしまった。

 

 

 

「炭治郎おおお!助けてえええ!起きたら体中痛いよおおお!」

瓦礫の中に善逸の情けない声が響く。

 

 善逸は素晴らしい頭と体の切れで戦っていたが、それは半覚醒状態でのことだった。覚醒していつものヘタレに戻り、善逸は全身の痛みと激しい疲労を訴えた。

 

「炭治郎おおお!」

「ったく、いい加減にしろカス」

泣き叫ぶ善逸に手が差し出された。必死に炭治郎を呼んでいて、その”音”に気付かなかった。

 

「あに……獪岳、何でここに」

引っ張り起こしたのは獪岳だった。驚いて思わず泣き止む善逸。獪岳が参戦したのを覚えていない善逸は戸惑った。しかし、以前とは音が少し違っていることに改めて気付いた。

 

「しっかしお前、何だってそんな頓珍漢な恰好してるんだ?!変な鬼狩りだな」

血糊と汗でどろどろだが、女の子の着物を着て頬紅までつけて女装しているのだ。

 

「違うよ、これは宇髄さんに無理やり」

それを聞いた獪岳の表情が変わった。

 

(無理やりってまさか、こいつに女の格好をさせて……。宇髄さん、そんな趣味あったのかよ)

獪岳がドン引きしていると、

「いやっちがっ!違うよ!遊郭に潜入させられたの!この格好で!」

善逸の必死の弁解で獪岳は事情を理解した。

 

「でも何でここに」

「宇髄さんの命令で仕方なくな。お前がいるって分かってりゃ」

獪岳は少し顔を背けた。

 

(俺がいたら来なかった、って言いたいのかよ)

獪岳が宇髄の元で修行している、それは善逸も聞いていた。今回は宇髄に呼ばれて偶々来ただけで、お前を助けるためじゃない、そう言いたいのか?善逸は悲しくなり、俯いた。

 

「……遅くなって悪かったな」

だが獪岳はぶっきらぼうにそう言った。

 

(えっ?)

はっとを上げた善逸の目に、さっきとはちがう涙が滲んだ。

 

「お前も大怪我してんだからさっさと治療受けろカス。隠が来てるぞ」

獪岳は善逸の頭を軽く叩き、肩を貸して医療班のところに連れて行った。

 

 

 

 

 

 炭治郎と禰豆子は確認のために頸を探しに行き、斗和も怪我をしている炭治郎が心配で後を追った。炭治郎は嗅覚を頼りに頸を探し出すと、妓夫太郎の頸の真正面に、向かい合うように堕姫の頸が転がって来ており、原作通り頸だけになった妓夫太郎と堕姫は激しく言い争いをしていた。

 

「お前が弱いからだろう!俺は柱二人を相手してたんだぞ!」

「柱が何よ!あたしだって四人よ、生意気に強かったのよ!何で血鎌で援護してくれなかったのよ!」

「できるわけねぇだろ!あんな雑魚ども、一人で何とかしやがれ!俺の相手は、お前の頸斬ったあのでかいヤツと、とんでもねえ馬鹿力女だぞ!」

「そっちこそ何とかしなさいよ!強いことしか取り得が無いのに!負けたら何の価値も無いわよぉ!何でアンタなんかと兄妹なのよ!」

妓夫太郎のセリフに、堕姫がヒステリックに泣き喚く。

 

 少しずつ消えながら罵り合う妓夫太郎と堕姫に、炭治郎は胸を痛める。確かにこの鬼たちは大勢の人を殺し、この吉原の街に大きな災厄をもたらした許されざる者たち。だが、この世の中でお互い以外頼る者もない兄妹が死に際に罵り合っているのは、家族思いの炭治郎にとって悲しくて堪らなかった。そして、兄妹で鬼になったこの二人は、一歩間違えれば自分たちがこうなっていたかもしれない姿だった。

 

「お前が弱いからこうなったんだろうが!今まで俺がどれだけ庇ってやったと思ってる?!お前さえいなけりゃ……!お前なんか生まれて来なきゃ良かっ」

 

 炭治郎は思わず駆け寄り、尚も堕姫を罵る妓夫太郎の口に手を当てた。

「嘘だよ……。全部嘘だ。そんなこと本当は思ってないよ。二人だけの兄妹だから、お互い罵り合っちゃだめだ」

炭治郎は二人の頸の前に座り、静かに話しかけた。

 

(炭治郎君……)

この光景を見た斗和も胸が痛くなる。妓夫太郎と堕姫の兄妹喧嘩に、故郷に残してきた幼い弟妹達を思い出していた。

 

「うるさいんだよ!あたしたちに説教すんじゃないわよ!死ねクソガキ!死ね!死ね!うわああああん!」

我に返った堕姫がまた泣き喚く。炭治郎と斗和には、それが駄々をこねる幼い弟妹たちの姿と重なって一層やるせなさが募った。

 

「私の実家、農家やってるんです」

斗和も堕姫と妓夫太郎の頸に歩み寄り、炭治郎の背後から語りかけた。

 

「……はあ?」

堕姫が、全く関係のないことを話しを始める斗和を見つめ、泣き止んだ。炭治郎も振り返って斗和を見つめた。

 

「梅さん、妓夫太郎さん。いつか私たちが人間同士としてまた会えたら、その時は私の実家、手伝いに来てください。一緒に農作業で汗流して、そしたら美味しいご飯と野菜、いっぱい食べさせてあげますから!」

この不幸な兄妹の境遇を知る斗和は優しく声をかけた。堕姫の目から、ボロボロと大粒の涙が再び零れた。

 

「アンタたち、変な鬼狩りね……バカみたい……」

堕姫は涙を流しながら、それでも何故か穏やかに微笑み、消えていった。

 

「梅!」

妓夫太郎の頭の中で、不意に記憶の奔流が巻き起こった。人間の時の記憶が一気に蘇り、妹の本当の名が自然に口をついて出た。

 

「妓夫太郎さん、来世でもやっぱり鬼になりますか?」

斗和が尋ねた。

 

「あたりまえだ!鬼になったこと、俺はこれっぽっちも後悔してねえ。俺は何度生まれ変わっても必ず鬼になる。幸せそうな他人を許さない、必ず奪って取り立てる妓夫太郎に……!」

戦いが終わってもなお、悔しそうに表情を歪めながら妓夫太郎が言葉を絞り出す。

 

「つらい思いはもう十分したでしょう?人間に生まれ変わったら、他人から奪う必要がないほど、逆に分けても分けても有り余って困るくらい、貴方たち自身が幸せになればいい」

斗和が優しく語りかけた。

 

(何を言ってるんだこいつは)

妓夫太郎には、斗和の言っている意味が分からなかった。

 

 幸せになれ。

 

 人間から鬼になり、その命も尽きようとしている今の今まで、自分たちにそんな言葉をかけた者は誰一人としていなかった。人間時代は誰もが自分を蔑み、鬼となってからはひたすら無惨に尽くした。だがその無惨も、役に立ったと褒めてはくれたが「幸せになれ」とは言わなかった。妓夫太郎は驚いて目を見開き、それから呟いた。

 

「俺たちは上弦、選りすぐりの鬼だ。生まれ変わっても、俺は必ず鬼になって、また上弦へと這い上がってやる。だが……梅だけは……」

妓夫太郎は苦しげに言葉を絞り出し、やがて涙を流した。

 

「いつか人間になって、会いに来てください。うちはお米も野菜もみんな美味しいんですよ!……人間なんかよりずうっと美味しいですから!必ず……!」

斗和も涙を流して微笑みかける。

 

「鬼に説教垂れるガキに、農作業手伝えって言う馬鹿力女。全く変な鬼狩りだぜ、お前らは。……行ってやってもいいぜ、梅が行くならなあ。ずっと一緒にいるって約束したからな……。農作業かよ、まあそれも――」

妓夫太郎も最後に薄らと笑い、灰となって崩れていった。

 

 堕姫と妓夫太郎、二人だったモノが光の粒子となり、煙が立ち昇るように夜空へと舞い上がった。

 

「月の虹……」

斗和がポツリと呟き、その目からまた一筋、涙が零れた。

 

 火事が治まり、月はいつもの白々とした光を取り戻していた。

 

 見上げる斗和と炭治郎には、月の周りに淡く広がって消えた粒子が一瞬、まるで月の虹、月虹(げっこう)のように見えた。それは人の優しさに初めて触れた妓夫太郎と堕姫の、ささやかな感謝だったのかもしれない。

 

「仲直り、できたんでしょうか」

炭治郎が呟いた。

 

「人間を鬼にするのは無惨だけど、そこまで追い込むのは人間なんだよね……。ほんの少しの救いがあれば、誰かのほんの少しの優しさがあれば、二人は鬼にならなかったかもしれないのに」

斗和が涙を流しながら呟いた。

 

(悲しみの匂いだ。鬼にもきっと事情がある。蓬萊さんならその悲しさを分かってくれる。強いだけじゃない、やっぱり優しい人だ)

斗和から深い悲しみの匂いを感じ取り、炭治郎は斗和に対して信頼を寄せていた。

 

 

 

 

 

 

 

「そうか、上弦を倒したか!良くやった!天元、斗和。獪岳、炭治郎、禰豆子、善逸、伊之助……!」

百余年ぶりの上弦撃破。その知らせは直ちに鬼殺隊本部にもたらされた。報告を受けた産屋敷耀哉は、興奮のあまり布団から上半身を起こした。

 

「お館様、まだ点滴が残っておりますので」

倫道は耀哉に寄り添い、横になるように促す。しかし耀哉は興奮し、なおも言葉を続けた。

 

「分かるか、あまね、倫道。これは兆しだ」

原作では咳込んで血を吐いた耀哉だが、この世界では違っていた。布団から出て、畳を踏みしめて力強く一息に立ち上がった。

 

「この波紋は大きなうねりとなってあの男の元へ届く。あの男の頸を斬る刃となる。鬼舞辻無惨、お前は私たちが、私たちの代で必ず倒す!」

耀哉は静かに拳を握る。腕、顔にあったひどい爛れ(ただれ)は再生した健常な皮膚に押されて少しずつ縮小していた。

 

「この長い夜が、もうすぐ明けるんだね」

夜空にはまだ月が煌々と輝いていた。だが、光を取り戻しつつある耀哉のその目は、鬼のいない夜明けを既に見据えていた。



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第二十二話 高みを目指して~刀鍛冶の里編・前編~

 那田蜘蛛山の戦いの後柱合裁判が開かれ、炭治郎と禰豆子はお咎めなし、一部には反対の声はあるもののその存在は本部公認となり、広く周知されることとなった。

 柱合会議で倫道は斗和とともに柱となり、これから大きく動き出す原作の流れに介入し、頑張っていこうとしていた時であった。

 

 佳成の訃報が伝えられた。

 

 もっと注意していれば防げたのではないか?倫道は無力感に囚われたが、立ち止まっている時間はなかった。一緒に任務に当たっていた獪岳も瀕死の重傷で、事情を聴こうにもしばらく面会はできない状態だったので、倫道は柱就任の挨拶とご機嫌伺いも兼ねて、刀鍛冶の里へ鋼鐵塚を訪ねて行くことにした。

 また、里を訪ねるのはある人物に接触する目的もあった。というよりも、こちらが主な目的であった。ターゲットの人物はこの里で何度も目撃されており、度々訪れるのは銃の制作や調整を鍛冶師に依頼するため、そして高い癒し効果のある温泉を使うためだろうと倫道は予想していた。

 

 倫道は里に着くとまず里長の鉄地河原鉄珍を訪ね、挨拶を終えるとすぐに鋼鐵塚の工房へ行き、みたらし団子を差し入れてご機嫌を取った。

 その後は里自慢の大きな露天風呂に入って寛ぎながら、標的が現れるのをじっと待った。しばらくすると、湯気の向こうに一人の人物が現れた。特徴的なモヒカンっぽい頭、ちらりと見える顔の右側にある大きな傷、目つきの悪さ。

 

(身長も伸びて体も逞しくなっているな。成長期ということもあるだろうが、もう鬼喰いをしているのだろう)

今回の標的、不死川玄弥その人だった。

 

「君は、風柱の弟さんか?」

さり気なく玄弥を観察しながら倫道は愛想良く声をかける。

 

「関係ねえだろ、誰だよあんた」

風柱という言葉に反応はしたが、急に話しかけてきた見知らぬ相手に玄弥は警戒を露わにした。最終選別の後、斗和から岩柱の悲鳴嶼を訪ねろと言われ、程無く悲鳴嶼のもとに弟子入りして多少の忍耐は覚えたが、早く強くなりたいという焦りもあって態度は悪かった。それに目の前の倫道はあまり強そうには見えず、年齢も同じくらいだろうと思った。

 

「ああ、いきなりゴメン。俺は水原倫道という。君が風柱の不死川さんに似てたんで声かけたんだ。風柱には時々手合わせしてもらってるからね」

(まあ手合わせって言うより喧嘩だけど)

倫道はそれは口に出さず、ホワホワした笑顔で続ける。

 

「風柱と手合わせを?!すんません、俺は不死川玄弥……っす」

目の前の人が兄と手合わせすると聞いて、玄弥は目を見張った。兄を、風柱を知っているどころの話ではない。手合わせするのは同程度以上の実力があるか、柱である兄に余程目をかけられているということだ。要するに、目の前の人物は自分よりはるかに格上の剣士なのだと理解し、玄弥は慌てて口調を改めて名乗った。

 

(この人が”みずはらりんどう”?蓬萊さんが言ってた人だ!)

玄弥はここであることに気付き、玄弥からも倫道を観察する。

 

「きっと貴方を強くしてくれる」

最終選別に通った後、蓬萊斗和という女性隊士が予言めいたアドバイスをくれた。その中に出てくる二人の名前を、玄弥は忘れなかった。

 一人は現在弟子入りしている岩柱・悲鳴嶼行冥。そしてもう一人が水原倫道だった。数日前、師匠の悲鳴嶼が「蓬萊が土柱に復帰し、水原が水柱になった」と話していたのを聞いたばかりだったのも思い出した。

 

(こんなところで会えるなんてツイてる!)

やっと会えた……のだが、頼りないくらいに穏やかで、玄弥の目にはあまり強そうには見えなかった。

 会いたいと願っていた人が向こうから声をかけてきた、その幸運に感謝する玄弥であったが、倫道が自分を狙って里に来ていたことは知る由もなかった。

 

「自分と同じくらいの歳に見えたんで。すんませんでした」

玄弥はバツが悪そうにしながら、ひょこっと頭を下げた。

 

「気にしなくていいよ、活躍してるようだね。入隊から半年も経ってないのに庚(かのえ)まで上がっているんだろ?大したもんだよ。俺は六年かかって甲だからね」

もちろんここまで生き残ってきただけでもすごいことだ。まして柱になるのは余程の実力と幸運が無ければできないことだが、倫道は特に語らず玄弥に笑いかけた。

 

「ところで銃を使うと聞いたけど」

倫道が何気ない調子で聞くと、途端に玄弥の顔が苦々しくなった。

 

「そりゃあ、俺が”呼吸”使えねえから。……呼吸さえ使えれば、飛び道具なんて」

玄弥は悔しそうに下を向いた。

 

「別におかしいことじゃない。それぞれに合った武器を使えば良い。呼吸だって、使えなきゃ鍛えてそれと同じだけの力を出せば良いだけの話だろ?」

倫道は事も無げに言うが、師匠である悲鳴嶼の呼吸の技の凄さを見ると、同等の力が出せるとは玄弥にはとても思えなかった。強い鬼の頸を斬るには呼吸を用いて身体能力を向上させ、その上で技を極める必要があった。

 

「呼吸の剣技が使えなくとも、君は鬼狩りとして生き延びている。……だが、君がもっと強くなりたいなら、力になろうか?」

倫道は、これまでと変わらない何気ない調子で聞いた。玄弥の目つきが変わった。

 玄弥は悲鳴嶼の弟子となったが、”全集中の呼吸”を身に付けられずにいる。悲鳴嶼は玄弥を見限ったりはしなかったが、どう攻撃したら良いのか、距離の取り方は、など懇切丁寧に戦闘技術を指導してくれる訳ではない。玄弥は悲鳴嶼や他の隊士を見て学んだのだ。呼吸の剣技が使えない、何か自分に適した武器は無いかと探るうちに、的に当てるのが上手い、ということから南蛮銃に行き着いた。試行錯誤で自分の戦闘スタイルを探っているため、銃の改良などの要望を鍛冶職人に伝えるため頻繁に刀鍛冶の里を訪れているのだった。

 

「俺が君の力を生かす術を、銃を使う戦い方を教えようか?剣士のように近距離で立ち回り、刀を使う代わりに銃で止めを刺す。どうだ、カッコイイだろ?」

倫道の頭の中にはイメージができている。

 

「そんなこと俺にできるかな?」

「敵の攻撃を躱す、狙う、引き金を引く。もちろんそう簡単には行かないが、刀を振るって頸を斬るような技術や力は必要ない。狙いさえ正確なら後は弾がやってくれる」

 

 倫道は説明した。

銃撃戦は通常遠距離での戦いとなるが、玄弥に教えようとしているのは近距離、剣士の間合いでの戦いだ。相手の攻撃が届かない遠距離から一方的に攻撃するという銃の優位性は失われ、相手の攻撃を何らかの方法で防がなければならないが、近距離の方がそれだけ命中の確率は上がり、玄弥ならではの攻撃もしやすくなる。

 

 初めて聞くような戦い方に玄弥は戸惑いを隠せない。倫道が描くのは、伝説の殺し屋ファブルやジョン・ウィックのようなイメージだ。倫道のもと居た未来ではガンフー(ガン・アクションとカンフーを掛け合わせた造語)などと呼ばれている、格闘戦で相手を制しながら銃で止めを刺すファイトスタイル。

 

 理想を言うならば、銃の間合いである長、中距離戦も、純粋な格闘戦も強いに越したことはない。確実に弾を撃ち込み、鬼喰いをする隙を作るために接近戦の技術は必要だが、弾切れや鬼化が解けた際、生存確率を上げるためにも身に付けた方が良い。

 

「やるよ。蓬萊さんに聞いたんだ。水原さんが強くしてくれるって!……強くなれるんなら何でも良い、教えてくれ!お願いします!」

弱気な考えを払拭したのだろう、玄弥はやおら立ち上がると倫道に向かってお辞儀をした。深く勢いよく頭を下げたので、顔や髪が盛大にお湯をはね散らかし、倫道の顔はびしょ濡れになった。

 

「玄弥、だったな。それにしても」

倫道は顔を拭いながら、もう呼び捨てにして親近感を演出しつつ、わざとらしく眉をひそめた。

 

「熱心だな。何か事情があるのか?不死川さんは”弟なんかいねえ”ってブチ切れてたけど」

倫道はさらに何も知らない風を装ってさり気なく玄弥の弱点を突き、この話しに乗るように仕向ける。

 

「兄貴は、俺が鬼殺隊に入ったのが気に入らねえみたいだ……。だけど俺は早く強くなって兄貴の役に立ちたいんだ。それに強くなって柱になりゃ、兄貴に会えるんだろう?」

「お兄さんに会えないのか?やっぱり色々と事情があるんだな。……よし、分かった!強くなって、君の力を不死川さんに認めさせようじゃないか。今度悲鳴嶼さんの修行場に挨拶に行くから、それまで待っていてくれ。だが修行は厳しいぞ。覚悟しておけ」

倫道はそう言って、先に風呂から上がっていった。

 

 

 倫道は刀鍛冶のみなさんに幾つかの難易度の高い依頼を行った。

通常使用する自動装てん式の大型拳銃二丁。この当時既に自動装てん式の拳銃は存在していたが、里の優れた鋳造技術で設計を見直し、より大型で速射性に優れた銃の制作をお願いした。もう一つは高威力の弾を発射するためのショットガン。これは銃身を短く切り詰め、取り回しを向上させたソードオフショットガンと呼ばれるものだ。それぞれの銃のフレームや銃身は猩々緋鉄から鍛造されており、それ自体での打突、防御にも使える。そして命中すると弾頭(弾の先端、標的に当たる部分)が潰れ、貫通せずに周辺組織に大きなダメージを与える特殊な弾丸、そしてある刑事ドラマから倫道がアイディアと“ガーディアン”と名前までパクったアームガード。この装備を使いこなすことで、玄弥の戦闘能力は飛躍的に上昇することになった。

 

 

 倫道が玄弥をしばらく預かりたいと申し出ると、悲鳴嶼はすぐに許可してくれた。これで遠慮無く玄弥を鍛え上げることができるようになり、悲鳴嶼はまた、「不死川には知られぬように」とアドバイスもしてくれた。

 

 

「これから何を?」

玄弥は狭霧山にやって来た。鍛えてもらえる、強くなれる。玄弥は期待と共に、どんな猛稽古が課せられるのかと不安になっていた。にこにこと穏やかな倫道の表情が、玄弥の不安をさらに掻き立てる。

 

「まず基礎錬成の一環だ。これを着て山道を駆け上る」

倫道は玄弥に分厚いウエイトジャケット(砂袋の重りが入った上着)を着せた。

 

「なるほど」

悲鳴嶼のもとで錬成している玄弥は体力には少しばかり、いやかなり、いや大いなる自信があった。師匠のように長い距離は動かせないが、巨大な岩を押して動かすこともできる。重りを着けて走るくらいはなんでもない、そう思っていた。

 

「うおっ!?」

立っているだけでずしりと足にくる重さ。だが隣を見ると倫道はそれを二枚重ねで着ており、体から短い手足が生えたその格好はまるでゆるキャラだ。

 

「行くぞ!」

合図とともに、ゆるキャラが物凄い勢いで山道を走り出す。玄弥は慌てて追いかけた。

 

(は、速えっ!)

玄弥は数分で倫道に置いていかれ、その場駆け足で待つ倫道に追いついては引き離される。それを繰り返しながら、何とか山頂までやって来た。

 

「俺だってこのくらいはできるぜ」

地面に倒れ込み、達成感いっぱいの笑顔を見せる玄弥。

 

「じゃ、次は下ろうか」

倫道は無慈悲に告げる。一気に体の力が抜ける玄弥だが、この程度は想定の範囲内だった。

「望むところだ!」

玄弥は震える脚で立ち上がり、山下りに挑み始めた。

 

 倫道が玄弥に施す超スパルタ稽古はごく普通に始まった。だが教える内容は銃を主武器とした、超近距離から遠距離までの幅広い戦闘技術。戦闘に必要な体力の錬成から銃の扱いまで稽古は多くの内容を含み、短期間で身に付けるのは容易ではない。だが玄弥はこの困難に挑もうとしていた。

 

 基本の走りこみも、倫道のトレーニングは悲鳴嶼の鍛錬とは思想が違う。倫道が玄弥に課したのは、スピードアップとスピード持久力の錬成を主眼としたもの。単純な走り込みから罠を避けながら走る訓練へと難易度が上がり、そしてその中に射撃訓練や銃の扱いに習熟するための訓練が織り込まれていく。今までとは方向性の違う稽古、新たに鍛冶師たちに作ってもらった自動装てん式拳銃を使った立ち回り。馴染みの無かったカリキュラムがどっと押し寄せ、玄弥は目を回した。

 

 しかし、玄弥は頑張った。ゆっくりではあるが着々と技術を身に付け、倫道のコーチングもあって半年で見違えるように成長を遂げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 無限列車での戦い、遊郭での戦いを経て、いよいよ刀鍛冶の里での戦いが間近に迫ってきていた。

 

 斗和と倫道は刀鍛冶の里編に介入するかどうか話し合っていたが、シフトを調整して、よほどの重大案件が起きなければ参加しようという結論になった。ただ里の場所は厳重に秘匿されており、平常時は自分で行くことができない。移動などのことを考え、別行動ということになった。

 

 

 

 

 

 

 上弦ノ肆・半天狗と、時透無一郎、炭治郎、禰豆子による戦闘が始まった。時透は瞬く間に老人のような見た目の鬼の頸を刎ねるが、鬼は離れた頸と胴体からそれぞれ再生し、二体の若者の姿の鬼、”積怒”、”可楽”に分裂した。時透と炭治郎はそれぞれに挑むが、霞柱である時透が分裂体の一体・可楽の団扇によって遥か彼方に飛ばされてしまう。

 

 建物の二階の天井は半分が吹き飛んで、部屋の中から夜空が見えていた。

(誰かいる?!)

炭治郎は、屋根の上からこちらを見下ろす人影を視界に捉えていた。その手には、仄かな月明かりを受けて鈍く銀色に光る何かが握られている。

 

 それが、突如火を噴いた。続けて二回、轟音が響く。

(玄弥!)

 

 不死川玄弥だった。

 

 玄弥は炭治郎、禰豆子と二体の鬼の距離を判断し、誤射の危険が低いことを素早く確認して発砲した。弾は二発とも命中し、半天狗の分裂体である積怒と可楽の頸を吹き飛ばした。部屋に飛び込み、驚く炭治郎を背に状況を確認しようとしたが、しかし頸を狙わせるのは鬼が仕掛けた罠だった。

 

「玄弥!そいつらは頸を斬っても倒せない!頸を斬ったら分裂する!若返って強くなるんだ!」

炭治郎が叫ぶ。

 

(なんだとっ!それを早く言え!)

玄弥は焦ったが、さらに”哀絶”、”空喜”が分裂して生成され、分裂体は四体となってしまった。建物の二階は炭治郎、禰豆子、玄弥と四体の分裂体が入り乱れる混戦模様となった。

 

 

 十文字槍を携えた分裂体の一体、哀絶と対峙した玄弥は両手の拳銃を近接武器として握り変えた。銃の本体と銃身は腕の小指側をカバーするように、銃口の向きは相手ではなく自分の手から肘の方を向くようにグリップを逆に握り、銃を琉球古武術のトンファーのように使い、打突と防御を行うためだ。猩々緋鉄でできたアームガード、”ガーディアン“を装着した両腕を斜めにクロスし、その中に体を隠すように半身の構えをとった。

 

「童(わっぱ クソガキの意)、せめてもの慈悲だ。苦しまぬよう急所を一突きだ」

十文字槍を構えた分裂体・哀絶は憐れむように玄弥に一瞥をくれると、隙の無い槍捌きで玄弥に迫った。

 玄弥は全身を目にして激しい突きの連撃を見極める。動きが大きくなってしまうためステップは最小限に、両腕のアームガードと銃での防御に加え、上半身を揺らすスウェーバック、頭や頸への攻撃を避けるヘッドスリップなどボクシングを織り交ぜた動きを繰り出し、連続で攻撃をもらわず、致命傷を許さない。攻撃を見切り、見事な防御の動きは訓練の賜物。哀絶の十文字槍の攻撃は正確で速く隙が無いが、ただの物理攻撃である点も玄弥には幸いしていた。

 

 

 

 

 

 倫道の右パンチ。玄弥が左腕で捌く。次に左パンチ。玄弥は右腕で裁く。

 

 右、左、右、左と、決まった攻撃に決まった防御を繰り返し行う稽古。最初はゆっくりと、それからスピードとテンポを上げていく。それでも不器用な玄弥は、最初は倫道の動きに全くついて行けなかった。それでも連日行っていると目も慣れ、決まった動作とは言え体の動きもどんどん速くなり、凄まじい速さの打ち合いができるようになっていた。

 

 そして動きが速くなるのと同時に反射速度も急成長し、自由な攻防においても著しい上達を見せていた。

 

 

 

 

 

 哀絶の猛攻を何とか凌いでいる玄弥だが、全く近づくことができなかった。致命傷を防いでいたが攻撃に転じることができず、これでは埒が明かない。

 

(くそっ、これじゃ近づけねえ!銃撃から崩して接近するか?だがこの混戦じゃ銃は使いどころが難しいな)

屋根の上から銃撃した先程とは違い、炭治郎、禰豆子と同じフロアで戦っているため、玄弥は銃の使用を躊躇う。玄弥はこの猛烈な槍の連撃を凌ぎ、僅かな隙を見て接近することを選択した。玄弥にしかできないあの攻撃をするためには、どうしても至近距離、というよりゼロ距離まで接近する必要がある。

 

 鬼喰い。

 

 相手の鬼が強ければ強いほど効果は絶大だ。今回は上弦、その効果を思うと玄弥は楽しみでもあった。

 

(この童め、面妖な動きをしおってなかなか串刺しにできぬ)

近づけずに焦る玄弥と同じく、哀絶もまた手応えの無さにイラ立つ。攻撃は当たりはするが急所を巧みに外され、大きなダメージが与えられないのだ。哀絶は突きだけでなく、切り払いも織り込んでさらに激しい攻撃を繰り出した。しかし突きの動作だけのほうが隙は遥かに少ない。切り払いは槍の穂先を横にも動かすため、どうしても動作が増えてしまう。

 

(攻撃動作が変わった!一か八か!)

玄弥は防御を固め、素早く間合いを詰めようとした。

 

「遅い」

哀絶は今度は突き技に戻し、鋭い一撃を繰り出した。

 

「ぐっ!」

玄弥は十文字槍の直刀で体の中心部を貫かれるのは避けられたが、側方の刃で側腹部を斬られた。だが怯むことなく、アームガードを付けた腕で、側刃が腹に浅く刺さったまま槍の穂先をがっちりと抱えた。

 

(この童、何をしている?槍が刺さっておるのだぞ)

哀絶は槍を引き抜こうとしたが、玄弥は槍の穂先をホールドしたまま放さない。面倒になり、哀絶は力尽くで槍を抜こうと思い切り引き戻した。

 

(来た!)

槍が引かれる力に合わせ、玄弥は自ら前に跳んだ。前進する力に槍を引き戻す力が合わさり、これまでにない勢いで玄弥の体を前に運ぶ。槍の穂先より先に飛んで来る玄弥に、哀絶は片手を目の前に突き出して防御したが、玄弥は飛び込みざまにその指先に噛みついて喰い千切り、その勢いで槍を放して転がった。

 

「苦し紛れに噛みつきとは。何と見苦しい、哀しくなる」

哀絶は呆れて言い放った。思いがけない攻撃に指を三本喰い千切られが、即座に再生される哀絶と腹部を大きく斬られた玄弥。双方の攻撃でどちらがダメージが大きいかは明白だった。

 

 余裕をもって槍を再び構える哀絶。だが玄弥も斬られた腹部を押さえながらすぐに立ち上がり、口を血まみれにして笑いながらボリボリと哀絶の指を咀嚼している。

 

(強がりか?まあ良い、すぐに殺してやる)

噛み付きなど一体何の意味があるのか。

 哀絶は、一見無駄な足掻きとも思える玄弥のその行動の理由を知らない。「噛み付きでも何でもするぞ」というアピール程度にしか考えなかった。

 

「哀しい程弱い。今度は一思いに串刺しにしてやろう」

他の分裂体のように大げさに感情を表すでもなく哀絶は淡々と槍を繰り出し、玄弥は徐々に鋭い槍の連撃を捌ききれなくなっていく。炭治郎は飛行能力のある空喜と、禰豆子も可楽とそれぞれ戦っており、互いに手を貸せる状況ではなかった。

 哀絶は言葉通り、身長では頭一つ以上大きい玄弥の体を幾度も串刺しにして空中に突き上げ、軽々と壁や床に叩きつけた。しかし玄弥は血を吐きながらも薄ら笑いを浮かべて立ち上がってくる。

 

「まだ死なぬか。一体何なのだお前は」

哀絶は気味悪そうに玄弥を見下ろす。

何度叩きつけられたか、壁にもたれて座りこみ、しかしまだ何やらぶつぶつと呟く玄弥。聞こえてくるそれはお経であった。

 

「何とまあ、信心深いことじゃ」

この期に及んで神仏を頼る、哀絶はその滑稽さを嘲笑うが、これは反復動作、玄弥が力を解放する際のルーティンだ。

 

「知りてえか?俺の名は不死川玄弥。よぉく覚えとけよ。テメェら鬼を……滅する者だ!」

玄弥は薄ら笑いを消し、哀絶を睨んで言い放った。

 

「即死できぬというのは哀しいのう。だが次こそは死ねるよう、頸と胴を泣き別れにしてやろう」

哀絶は表情も変えず玄弥の頸を狙って攻撃を繰り出したが、玄弥の姿は掻き消え、槍は畳を深く抉った。

 

「むっ……?」

哀絶は玄弥を見失った。玄弥は取り込んだ鬼の力を任意のタイミングで発動できるようになっており、哀絶の指を喰って取り込んだ力を使って瞬時に背後に回り込んだ。同時に両手の銃を素早くしまい、裸締めの体勢で哀絶の頸を締め上げた。

 

「さっきは美味かったぜェ……。もっと喰わせろよ!」

玄弥は牙の生えた口からよだれを垂らし、哀絶の頸を締め上げながら耳許で囁いた。力はどんどん強くなり、哀絶の喉頭部の軟骨が砕かれ、パキパキと枯れ木を折るような音を立てた。玄弥は哀絶の頸にガブリと噛みつき、肉を喰い千切った。歯の強さ、咬合力、消化吸収能力が無ければ不可能な、玄弥にしかできない行為だ。

 

「ふうう……。ウウウ……ガアアアア!!」

玄弥の顔つきがみるみるうちに変わる。顔中に血管が浮き出し、白眼が赤く染まった。牙の生えた口からは荒い息を吐き、さらにミシミシと音を立てながら全身の筋肉がパンプアップして盛り上がった。

 

「さすがは上弦だ、喰い応えがあるぜェ……」

 

(此奴、鬼喰いか!)

玄弥の噛み付き攻撃の意味にようやく気付いた哀絶だったが、既に遅かった。頸を締め付ける力は更に増し、最早人間のものとは思えない程であった。

 

「テメェはかわいいなァ……。弱っちくてよォ!」

玄弥は笑みを浮かべながら哀絶の頸を潰していく。

「かっ……エ゛エ゛ェ゛……」

喉の奥から、哀絶の声にならない声が絞り出される。口からは”哀“の文字が刻まれた舌がだらりと垂れ下がり、頸があり得ない程に引き伸ばされていた。

 

「何だ何だ、向こうの方が楽しそうだな。哀絶が頸を絞められておる!面白い!……お前はもういいぞ、娘!」

禰豆子と力比べのような体勢で争っていた分裂体の一体・可楽は、哀絶と戦っている玄弥を見て興味を引かれたらしく、組み合っていた禰豆子を突き放し、右手に持ったヤツデの団扇であおいだ。時透が遥か彼方へ飛ばされたのを見ていた禰豆子は、咄嗟に身を低くしたが避け切れず、壁の一部ごと建物の外に吹っ飛ばされていった。

 

(竈門妹が!あの団扇、人間を吹き飛ばすほどの暴風を起こすのか!)

これを見た玄弥は一層力を込めて哀絶の頸を締め上げながら背中を反らし、さらに体を捻って頸を胴体から引っ張る。頸椎を繋ぐ靭帯やその他の血管や神経、皮膚が裂けるブチブチという嫌な音とともに、哀絶の頸が引き千切られた。

 

「カカカッ!哀絶め、頸を捥がれおったわ!楽しいのう!鬼喰いの童、今度の相手は儂じゃ!」

可楽は愉快そうに笑いながら玄弥に殴りかかろうとしたが、玄弥は引き千切った哀絶の頭をピンポン球でも投げるような勢いで投げつけた。頭部の重さは体重の約一割、つまりボウリングの球がもの凄い速さで飛んで来ると考えれば、その威力が想像できる。頭は可楽の顔面に命中し、骨と骨がぶつかって割れる鈍い音が響いた。可楽は後ろに吹っ飛び、頸は背中に着くくらい後ろに折れ曲がったがすぐに頸の位置が戻り、これは楽しい!と笑いながら再び立ち上がって攻撃態勢に入った。

 

「お前もよく飛びそうじゃ!」

可楽が玄弥に向け、団扇を振り下ろした。鉛のように高密度に圧縮された空気の塊が打ち出され、玄弥に激突した。

 

 

 

 

 

 玄弥は修行中に一度だけ逃げ出した。

 

 それは異様な光景だった。

お寺にある釣り鐘を撞くような丸太が、サイズ違いで何本も吊り下げられている。倫道はそれを勢い良く揺らし、返ってきた丸太を腕や体で受け止めている。ドスンッと肉を打つ鈍い音が響く。

 

 当たる所に力を集中し、相手の攻撃を力でもって跳ね返す。力を力で受け切る、剛の技。標的を正確に狙うため、妨害を受けながらでも体を安定させる必要があった。倫道は、強く揺らした大きな丸太を平然と体で受け止め、ついには思い切り勢いをつけて揺らした丸太に自分からぶつかって行き、逆に跳ね飛ばしていた。玄弥もやってみたが、ごく軽く揺らした丸太が体に当たっただけで吹き飛んでしまう。

 

(キツいとかそう言う次元じゃねえ、内臓が潰れるだろ!狂ってる……!狂ってるとしか思えねえ!こんなことしてたらマジで死ぬ!)

さすがにこの常軌を逸した鍛錬を目にして、玄弥は恐怖を覚えて全力で逃げ出した。

 

(あれ?玄弥どこ行った?)

倫道は玄弥がいないのに気付き、辺りを見回すと森の木立の中にチラリと玄弥の背中が見えた。かなり距離が開いたが、倫道は追いかけた。

 

 玄弥が全速力で山を下っていると、不意に何かが凄い勢いで通り過ぎた。

 

「おっと、行き過ぎた!」

玄弥を追って来て、勢い余って追い抜いていった倫道だった。

 

「どうした玄弥、準備運動か?」

全速力で必死に逃げる玄弥の隣を、倫道は後ろ向きに並走し笑顔で声をかける。

 

「ぎゃあああ!化けモン!」

玄弥は恐怖に顔を引きつらせて叫んだ。

「準備運動が済んだら戻ろうか」

倫道はそう言って玄弥の襟首を摑み、その体をひょいと肩に担ぎ、もと来た道を飛ぶように走る。

「止めろ!止めてくれ!!人さらいだ!!助けてくれ!!」

 

 

 人気のない山中に玄弥の悲鳴だけが虚しく響く。

だが玄弥は徐々にコツを掴み、この訓練にも耐え抜いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 玄弥は前方から来る衝撃に対して、ガードする腕に全身の力を集中する。鬼化した状態ではそれはさらに強力で、暴風を完全に跳ね返した。

 

「何っ?!」

団扇を振り下ろしても吹っ飛ばない玄弥を前に可楽は笑うことも忘れ、呆気に取られていた。

 

「効かねえなァ」

玄弥はガードの下でニヤリと笑い、一気に間合いを詰めて可楽に強烈なパンチを打ち込んだ。可楽は壁まで吹っ飛び、玄弥は逃げ場のない可楽に拳の連打を叩き込んだ。玄弥の大砲のようなパンチの連打で可楽の頭が捻じ切れんばかりに振られ、血が飛び散った。玄弥の姿はまるで伝説のボクサー、マイクタイソンが倍速で動いているようだった。最後に玄弥は可楽の膝付近にローキックを見舞った。体ごと持っていかれるような強烈な蹴りを食らい、強い波に足下を掬われるように、半回転した可楽は頭から床に叩きつけられた。

 

 

 

 

 

 真っ直ぐ打ち出すストレートパンチよりも、フックのように腕を曲げ、体を捻って打つパンチの方が玄弥には適していると判断し、倫道は徹底的に教え込んだ。パンチ力のための筋力と連打を繰り出すスタミナも日々の稽古で血反吐を吐くほどに鍛えた。また、ハイキックを自在に操るセンスと柔軟性は玄弥にはないが、悲鳴嶼に鍛え上げられた下半身の筋力がある。倫道はボクシング技術を中心とした手技の他、それを存分に生かすローキックも織り込んだコンビネーションも教え込んだ。

 

 

 

 

 

「何をしているんだバカ者が!!」

頸を捥ぎ取られた哀絶に、滅多打ちにされて動けない可楽。積怒はふがいない二人の戦いぶりに怒り、手にした錫杖の石突きを床に叩きつけた。ドンッと大音響がして、白い閃光が玄弥と可楽を包んだ。

 

(雷?!でも何ともねえぞ、こりゃあ……?)

吹っ飛ばされたり行動不能になることはなく、全身にビリビリとした痺れを感じる以上は何も無かった。哀絶を喰って血肉を取り込んだ玄弥には、積怒の雷撃は効果が薄かった。

 

(そうか、こいつらは元々一体の鬼だ。俺はあいつの肉を喰って同じ細胞を取り込んでるからな。自分と同じ細胞にはこの雷は効かねえんだ!)

玄弥はニタリと笑い、可楽を殴りつけて頭を壁にめり込ませ、積怒に向き直った。

 

「今なら遠慮なく使えるな。……食らいやがれ」

炭治郎は鳥の鬼と一緒に飛んで行き、禰豆子は風の攻撃で外へ飛ばされている。圧倒的な数的不利、だが他の味方がいないこの状況なら銃が使える。玄弥は両手に素早く銃を構え、正面の積怒に狙いをつけた。

 次の瞬間、玄弥は積怒を睨みつけたまま両手の銃をあらぬ方向へ向けて連射した。玄弥は積怒の僅かな視線の動きを見逃さず、敵が迫っているのを察知していた。右手は横から槍を持って迫る哀絶に向かい、左手は斜め後方から迫る可楽に。同時攻撃であったが、玄弥は正確に二体の頭を吹き飛ばした。

 

「死ぬまで食らわせてやるぜ。何度でもなァ!」

目の前の積怒にも弾丸を撃ち込んで頭を粉々に破壊し、玄弥が叫んだ。

 

 

 

 

 

 

「敵襲!敵襲!!」

物見櫓の半鐘がけたたましく打ち鳴らされた。里の中心部、長の家を始め、住宅兼鍛冶工房の密集した辺りに、突如巨大な魚の化け物が複数体現れて暴れ始めた。化け物は巨大な姿からは想像できない素早さで、人々を無差別に襲い、建物を壊していく。次々と火の手が上がり、里の警護のため常駐していた鬼殺隊士たちが魚の化け物に立ち向かうために走り出す。だが戦闘開始より早く、一人の黒ずくめの人物が化け物の行く手に立ち塞がった。

 

(隠……?)

警護の隊士の一人は確かに見た。

 隠と思しき人物が背中に隠した刀を抜き、離れた所から化け物どもに向かって刀を振った。すると、ある者は胴を真っ二つにされたり、ある者は手足を切断されたり、化け物どもは次々に地響きを立てて倒れた。隊士は自分たちが斬りかかる前に次々に倒れる化け物の姿に戸惑った。

 

「壺だ!日輪刀で背中に付いている壺を割れ!」

誰かの叫ぶ声で隊士たちは攻略法を理解し、倒れた化け物に日輪刀で止めを刺していく。十体ほどもいた化け物たちは次々に倒されたが、警護の隊士たちは消火に当たると共に、なおも油断無く警戒を続けた。

 

(流石に警護のみなさんは強いのォ、あっという間に鬼を倒してしまいよった!ホンマに助かったわ!)

里長の鉄珍は襲撃が一旦収まってひと安心だった。

 

 

 

 

 真空刃で警護の隊士たちをアシストした隠は、これ以上化け物が出現しないのを確認し、何食わぬ顔で要救助者の救出を手伝っていた。

 

「鋼鐵塚ノ所ニハ斗和チャンガ向カッテル!」

カラスの報告を聞いた隠の隊士は、炭治郎たちが戦っている宿の方へ急いで駆け出した。

 

 

 

 

 

 禰豆子は可楽の団扇によって吹き飛ばされたが、身を屈めたため下方向に飛ばされていた。地面に激突する直前、凄いスピードで走って来た隠が禰豆子を抱き止め、一緒に転がって衝撃を緩和した。

 

「いたた……。禰豆子ちゃん、大丈夫か?すぐ戻れるか?」

腰をさすりながら立ち上がり、隠が禰豆子に声をかける。

 

「むーっ……?」

禰豆子は首を傾げて隠の目元をじっと覗き込み、その正体に気付いた。

 

「むーっ!!」

禰豆子は笑顔になり、元気良く腕を突き上げる。

 

「よしっ!行こう!」

隠はマスクの下で微笑み、禰豆子と手を繋いで跳躍、跳び蹴りで壁を外からぶち抜き、玄弥が戦っている宿の二階へと飛び込んだ。

 

 

 炭治郎は空中を飛んで襲って来る空喜の飛行能力を利用、空喜が上昇する勢いと自ら地面を蹴って跳躍する力で建物の二階へと一気に移動し、壁を壊して元居た二階部分に戻って来た。

 

「玄弥!禰豆子!」

炭治郎は、そこにいるはずの仲間の名を呼んで確認する。そこではバン、バンと大型拳銃の重い銃声が響き、部屋の中を飛び回りながら懸命に戦う玄弥がいた。

 

 玄弥は数的不利な状況ながら、正確な射撃で鬼の頸を飛ばしていた。他に味方がおらず、多くの遮蔽物があるこの条件を玄弥は上手く利用していた。狭い所を走り回り、隙を見て行う弾倉の入れ換え動作も全く淀みがなかった。また積怒の雷撃は効果が薄く、可楽の暴風は力で跳ね返され、哀絶の槍は鬼に近い肉体の玄弥には致命傷を与えられない。鬼の力を使っているとはいえ、玄弥は一対三の戦闘でも押し負けていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「ちくしょう!できねえっ!やっぱり俺にはできねえ!」

玄弥は上手くできない悔しさと自分への腹立たしさで、度々癇癪を起こして暴れた。単純な体力や力ではない、より複雑で、反射速度や巧緻性など多くの要素が求められる稽古の数々。今までやったこともないことばかりで、玄弥のストレスは大きかった。その日も例によって、倫道から言われたことがなかなかできずに叫んでいた。

 

「気が済んだか?気が済んだら稽古に戻れ」

倫道が冷静に言い放つ。

 

「俺にはどうせできねえんだよ!柱にまでなったアンタとは違うんだ!」

血走った目で倫道を睨む玄弥。

 

「お前は、正確にはお前の脳は、今混乱している。やったことも無い動作をさせらるんだからな」

倫道は意にも介さず言葉を重ねる。

 

「ああそうだよ!ムチャクチャ混乱してるよ!できなくて悪かったな!もうたくさんだ!」

玄弥は腹立ちまぎれに怒鳴る。

 

 やれやれと倫道は諫めにかかるが、最初から分かりやすい誉め言葉を使ったり、ストレートに励ましたりはしない。道半ばではあるが確実に前進している事、大いに期待している事、何のために柱を目指すのかをもう一度思い出してみる事。さり気なくこれらをチラつかせてモチベーションの維持を図り、上達の原理を説いて聞かせた。

 

「お前は本当にもったいないことをする。お前は今、混乱していると言ったな?何故その混乱を喜ばない?」

癇癪を起こしている玄弥だが、幾分かの冷静さは残っていた。大興奮のさなか、何かがひっかかった。

 

「どういう意味だよ?!」

「言葉通りの意味だ。混乱状態の脳を利用しろ。脳は混乱を収めようと通常の何十倍もの速さで動いている。まさに必死になっているんだ。その大きな負荷こそが、お前の脳に急成長をもたらす」

 

「……ああっ?!」

「こうして話している間にも、さっきの動きと頭の中で描いた動作を整理して同期させようと、脳はお前の意識しないところで急激に成長している。今はできなくても良い。上達は突然やってくるんだ。明日と言わず、今日この次にやる時はできるかもしれない」

 

「本当かよ?」

「本当だ。だから大いに混乱しろ。できないことを悔しがれ。それが学びだ!確かにお前は不器用だ。習得には時間がかかる。だが常に復習を欠かさない真面目さがあり、習った事を決して忘れない。……不死川玄弥!!柱になるんじゃなかったのか!思い出せ!お前は誰の弟なんだ?!お前の兄貴は誰だ!!お前は必ずできる!柱の高みを目指して、学び、変われ!!」

最後の最後に、ストレートに倫道が熱く語る。

 

「ああ、分かったよ。やるぜ俺はァ!!」

玄弥は途中から落ち着きを取り戻してじっと聞いていたが、最後にはコロリとのせられ、ブツブツ言いながらも訓練に戻った。

 

(そのまんま使ったけど良くできてるな、ゲキ〇ンジャーのキャッチコピーは!)

倫道は笑って、本気で玄弥の成長に賭けている自分に気付く。それは同時に、不死川実弥に対する思いでもある。家族を、親友を奪われ、生き残った弟まで奪われてしまうのだ。この残酷な運命を必ず覆してやる。兄弟が二人ともに幸せな結末を迎えて欲しい、倫道はそう願っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「おらあっ!かかって来いよ虫けらども!何度でもぶちのめしてやるぜ!」

文字通り、牙を剥く玄弥の怒号と銃声が戦場に響く。

 玄弥は鬼化という最大の武器に加え、銃の扱いも徒手格闘においても、原作とは別次元の強さになっていた。



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第二十三話 参戦~刀鍛冶の里編・中編~

土の呼吸 参ノ型・土竜叩(もぐらたたき)…【野良着の隊士】オリジナル技。
土の呼吸 玖ノ型・蚯蚓破裂(みみずばれ)…【野良着の隊士】オリジナル技。
灼白銀(やしろがね)…【野良着の隊士】オリジナルキャラ。斗和の特殊日輪刀を打った刀鍛冶。


 積怒、可楽、哀絶の三体の鬼と不死川玄弥による激しい戦闘が続いていた。玄弥は部屋から部屋へ細かく移動し、ふすまや壁など遮蔽物に隠れながら、相打ちが無いという単独戦闘の利点を生かして戦っていた。

 

「可楽!この建物を吹き飛ばしてしまえ!」

積怒は錫杖での物理攻撃に切り替え、玄弥に打ちかかりながら怒鳴る。

 

「もとより儂はそのつもりじゃ!」

可楽が団扇を構えた。

 それと同時に壁の一部が吹っ飛び、隠と手を繋いで禰豆子が飛び込んで来て、直後に空喜と炭治郎がもつれ合って飛び込んで来た。可楽は思わず攻撃の手を止め、禰豆子はダッシュで炭治郎の傍に駆けつけて寄り添い、戦闘態勢をとった。

 

「禰豆子!大丈夫か!玄弥はどこだ?!」

炭治郎は無事な禰豆子の姿を確認、一緒にいる隠を見て驚いたが、どうやら禰豆子を助けてくれたと分かり軽く頭を下げた。

 

「隠は邪魔だ、退避してろ!」

隠の姿を見た玄弥が、部屋の中を獣のように走り回り、飛び回りながら怒鳴った。

 

(玄弥!良かった、無事で戦ってる!でもあの姿は、まるで……!)

炭治郎は声のする方を見て玄弥の無事を確認した。

 今の怒鳴り声は玄弥だ。側面を刈り上げた髪型、隊服に上着の服装も確かに玄弥だが、先程とかなり違っていた。真っ赤な目、牙の生えた口元、盛り上がった首回りの筋肉。暗闇の中でチラリと見えた玄弥の様子は、禰豆子よりもそれらしい、鬼そのものだ。

 

 炭治郎は戸惑うが、今は詳細を確かめている余裕はなかった。炭治郎と禰豆子はすぐに構え、隠は慌てて二階の部屋から逃げようとしたが、炭治郎と禰豆子に向かって可楽の団扇がまさに振り下ろされようとしていた。

 

「!」

隠は身を翻し、炭治郎と禰豆子を抱えて跳躍。暴風の直撃を躱し、倒壊より一瞬早く建物から飛び出した。

 

 可楽がヤツデの団扇を振り下ろし、建物の内側の空気の圧力が一気に高まった。建物の内部と外部の圧力差で、ゴウッと突風が起きた。壁が内側から吹き飛び、建物は一瞬で倒壊して瓦礫と化した。隠たちは倒壊より一瞬早く逃れ、建物の傍に着地した。

 

「ありがとうございます!早く逃げ……あれっ?」

炭治郎は隠に礼を言いかけて正体に気付いたが、隠はマスクの口許に人差し指を当て、シーっと言って少し離れた木の陰に退避していった。

 

「カカカッ!随分と見晴らしが良くなったのう!」

「これでもう逃げ隠れはできぬぞ。これ以上儂を苛々させるな。止めじゃ」

可楽、積怒が口々に言いながら炭治郎たちに迫る。哀絶は無表情に槍を構え、空喜は背中の翼で空中に留まり、ニヤニヤとこの様子を眺めている。

 

 玄弥は懸命に瓦礫から這い出て、近くにいた哀絶と戦闘を開始していた。

 

 炭治郎はすぐに瓦礫の中に立つ四体の鬼に向かって行こうとするが、炭治郎の羽織の裾を摑んで禰豆子がそれを止め、刀を掴んだ。

 

「どうした禰豆子?刀をどうするんだ?!」

禰豆子は炭治郎の刀の切っ先を握る。掌から血が流れ、その血が刀身を伝っていく。

 

「禰豆子。止めろ、指が切れる!」

炭治郎は制止したが、禰豆子は十秒程も刀を強く握りしめた。禰豆子の掌から流れた血が刀身全体を染めた、その時。ボッと刀が炎を纏い、赤く燃え上がった。

 

(禰豆子の血で刀の色が変わった!)

炭治郎は驚きをもって燃える刀を眺める。夢で見た、あの耳飾りの剣士の刀と同じ色だ。炭治郎は懸命に考える。この四体にダメージを与えるにはどうすれば良いか。すぐには回復できないくらい、大きなダメージを与える方法。

 妓夫太郎の頸を斬った時のような威力を出せれば。禰豆子の燃える血で赤くなった刀、爆血刀ならばできるのではないか。

 

 闘志をみなぎらせた炭治郎が、燃える刀を構える。その左の額には、炎の痣が一層色濃く浮かび上がった。

 

(これは儂ではない、無惨様の記憶。無惨様を追い詰め、その頸を斬りかけた剣士の刀。姿が、重なる……!)

――燃える刃、赫刀。四体のまとめ役である積怒だけはそれに気が付いて、密かに戦慄した。

 

 ヒノカミ神楽 日暈の龍 頭舞い!

 

 炭治郎の渾身の技が炸裂した。

積怒、可楽、空喜の頸が刎ねられ、哀絶の頸は玄弥が銃撃で吹き飛ばしたが、やはり鬼は消滅しない。

 

(四体同時に頸を斬ってもダメなんだ!この四体への攻撃は殆ど意味が無い。このままこいつらの相手をしていても、時間と体力を削られるだけだ)

炭治郎は、この状況を打開するため懸命に考え続ける。

 

(鬼が団扇を使ったせいで硫黄の匂いも無くなった!鼻が利きやすくなったぞ!集中しろ、探れ!)

 

「小っさい五体目!そいつが本体だ!探せ!」

炭治郎の思考を後押しするように、誰かの声がした。

 

(そうか、やっぱり!一瞬だけ感じた五体目の匂い。おそらくそれが本体。どこかで高みの見物をしているそいつの頸を斬らなければ!)

炭治郎は懸命に匂いを探り、それを捉えた。

 

(いた!)

小さいと言われていた通り、匂いは低い位置にある。積怒、可楽、空喜の三体は、炭治郎に爆血刀で斬られたダメージですぐには動けずにいる。

 今のうちに、と炭治郎は鬼の本体を追おうとするが、ぬっと横から伸びて来た腕が炭治郎の頸を捕え、締め上げた。

 

「図に乗るなよ、竈門炭治郎……。上弦を倒して柱になるのは俺だ!」

「玄弥!そうか、分かった!俺と禰豆子も協力する!三人で一緒に頑張ろう!」

「そうやって俺を油断させるつもりだろう?そうはいかね……」

上弦を倒そうと功を焦る玄弥が炭治郎の頸を締める。だが、力を合わせて鬼を倒そうと呼び掛ける炭治郎の曇りのない真っすぐな瞳に見つめられ、玄弥は毒気を抜かれてそれ以上言葉が出なかった。

 

「玄弥!目を醒ませ!お前の敵は鬼だ!仲間とともに高みを目指せ!!」

どこからかまた声がした。玄弥はハッとして周囲を見回したが、その声の主が見つからない。

 

「五体目がいるんだ!そいつが本体だ!そいつの頸を斬ろう!見つけたら教えるから!あ、それと禰豆子は撃たないでくれ、俺の妹だから!」

炭治郎が玄弥に声をかけて探索に走り出し、ヨッ!と禰豆子が玄弥に手で挨拶をして続いた。

 

(そうだ!鬼を殺すことも大事だが、仲間を出し抜いて手柄を立てたって、兄ちゃんが認めてくれるわけねえんだ!)

玄弥は正気を取り戻し、迷いを吹っ切った。

 

「玄弥!北東だ!北東の方向に行った!相手は小さいぞ、見逃すな!」

復活した積怒の攻撃を躱しながら、炭治郎が玄弥に叫ぶ。玄弥は懸命に走り、遂にそれを見つけた。森の木立の下草の陰、野ネズミほどの大きさの、か細い老人の姿をした鬼がいた。

 

 本体を追い詰めた玄弥だったが、頸を目がけて振り下ろした刀が折れてしまった。小さく固定されていない標的を斬るのは難しく、しかもその硬さが並ではない。正確な太刀筋で斬り込まなければ、標的は刃に弾かれて転がるばかりだ。それならばと銃で撃ってみたが、鬼はダメージを受けた様子が無い。

(くそっダメだ!これは剣士じゃないと斬れねえ!炭治郎に任せるしかねえ)

 

「炭治郎!こいつ頸がクッソ硬い!俺じゃ斬れねえ、お前が斬れ!」

炭治郎に迫る哀絶の攻撃を体で止め、玄弥が叫ぶ。

 禰豆子と玄弥が炭治郎への鬼の攻撃を防ぎ、本体に追いついた炭治郎が刀を頸に振り下ろした。頸は恐ろしく硬いが、じりじりと刃が食い込む。耳鳴りがするほどの大音量で鬼の悲鳴が響き渡る。刃がさらに食い込み、鬼の頸を斬りかけたその時。

 炭治郎は背後に異様な気配を感じて飛び退いた。そこには今までの四体のどれとも違う、新たな鬼がいた。

 

 先ほどの鬼たちは若い男の姿だったが、今度の鬼はさらに若い。歳は十二、三に見える、若いというより子供の雰囲気を残した少年の姿の鬼だった。だが纏う鬼気は凄まじく、炭治郎も玄弥も睨まれただけで息が詰まり、体が硬直するほどだ。

 この少年の姿の鬼、憎珀天(ぞうはくてん)は本体を除いた状態での集合体であった。背負った連鼓を叩き、樹木を操る能力がある。

 憎珀天が鼓を一つ叩くと木の根が生き物のように立ち上がり、本体の鬼を木の瘤の中に囲ってしまった。さらに鼓が打ち鳴らされると、樹木が次々と巨大な竜の頭へと姿を変えた。それぞれが大人二人でも抱えきれないほどの太さがあり、大人の男性の背丈よりも大きく口を開け、鎌首をもたげて炭治郎たちを狙っていた。

 

「極悪人ども。裁きを下してくれようぞ」

ドオン、とまた鼓が打ち鳴らされ、木竜が攻撃を開始した。憎珀天は元の四体の鬼の全ての能力を使うことができ、息もつかせずに攻め立てる。この猛攻に、炭治郎は躱し切れずに左足の脛の部分に強い衝撃を受け、さらに木竜の口に捕らえられてしまう。禰豆子、玄弥も炭治郎を助けようとするが、二人も木竜の口に捕らえられてしまい、身動きが取れない状態だった。

 

(潰される!)

身を固くして、噛み潰そうとする力に精一杯抵抗する炭治郎であったが、苦痛に声が漏れ、体が軋み始めた。

 

 だが次の瞬間、炭治郎は抱えられて宙を舞い、やや離れた地上に降ろされていた。

 

 潜んでいた隠が森の木立の中から飛び出し、背中に負った刀で木竜の頭を両断して炭治郎を救出した。

 

「炭治郎君、本体がまた逃げた!ここは俺が引き受けるから、君たちは本体を探して斬れ!」

隠はそう告げて炭治郎を地面に置くと、再び跳躍して禰豆子と玄弥を捕えている竜を斬り、二人を救出した。

 

「ありがとうございます!……玄弥!禰豆子!」

炭治郎は本体の匂いを追って走リ出す。本体はいつの間にかさっきの瘤から移動し、さらに逃げている匂いがする。

 

「炭治郎!良いのかあいつ?!」

竜の群れの前に立つ隠を玄弥が顎で指す。

 

「大丈夫だ!俺たちは本体を斬ろう!」

炭治郎は左足の痛みに耐えながらまた駆け出した。

 

「貴様も極悪人どもの仲間であろう、ならば容赦はせぬ。先程貴様らは小さく弱き者を斬ろうとした。これ即ち鬼畜の所業なり」

憎珀天は竜の前に突っ立っている隠に言い放つ。

 

「鬼が人間に向かって鬼畜とは実に面白い。座布団をくれてやりたいが、生憎今日は持ってないんだ」

隠はマスクの下で嗤う。

 

 威圧を込めて言い放ったものの、憎珀天は先程の斬撃を警戒してすぐには攻撃してこない。隠は刀をしまって棒立ちになり、木竜の上に立つ憎珀天を眺めている。睨み合いと言えるかどうかは微妙だが、数瞬の奇妙な沈黙の時が過ぎた。

 

(まずはこの黒子を捻り潰して童どもを始末するか)

憎珀天は隠への警戒を打ち消し、攻撃を開始する。

 ドオン、と鼓が打ちならされ、二体の木竜が音波攻撃と重力波のような圧縮空気で同時攻撃をしかけたが、隠は難なくそれを躱し、全てを見極めるかのように攻撃の主をじっと見ている。

 

(フン、なかなかやるようだ。だが何ほどのことがあろう?)

憎珀天は五体の木竜をフルに起動し、激しい連続攻撃を仕掛けてきた。

 

「はっ!ほっ!おっと危ない!」

隠はコミカルな動きで素早く逃げ回り、全く被弾しない。小馬鹿にしたような態度に憎珀天は怒り、攻撃が激しさを増した。隠はそれでも危ういところで避けていたが、遂にズボンのベルトが木竜に引っかけられ、宙吊りにされてしまった。

 

「わー!放せー!恥ずかしい!」

ズボンが半ば脱げた状態でバタバタ暴れる隠。

 

(此奴め!ふざけた真似を!)

このお笑いのような緊張感のなさに憎珀天は激怒し、木竜に噛み殺させようとした。

 

「すごいお化けみたい!何なのあれ?!」

ヒュン、ヒュンと風を切る音、薄桃色の光の乱舞。

 恋柱・甘露寺蜜璃が木竜を一瞬で刻み、隠を抱えて助け出した。

 

「大丈夫ですか?!遅れてごめんなさいね!」

甘露寺は、助け出した人物に声をかけたが、その格好を見て顔を赤らめ、少しばかり不審に思った。相手は隠の恰好をしており、しかもズボンがすり落ちてお尻が見えていた。

(あら、隠の人?取り残されたところを襲われたのかしら?)

 

「甘露寺様!ありがとうございます!」

隠はキャラ設定を守り、口調に注意して甘露寺を様づけで呼び感謝を述べた。

 

(この声、どこかで聞いたかしら?)

甘露寺は隠をじっと見るが、暗い上に目だけしか出ていないので正体が分からない。

 

「甘露寺様、相手は上弦ノ肆です!あいつはその分裂体で、本体は竈門隊士たちが追っています!それから、あっ、ちょっ!」

「危ないから早く逃げてください!」

隠は半ば脱げたズボンを慌てて直し、作り声で説明を試みるが、肝心な事を聞く前に甘露寺は飛び出してしまう。甘露寺は憎珀天の強力な攻撃も斬擊で跳ね返して素早く間合いを詰めると、鞭のようにしなる刃で憎珀天の頸をあっさりと捕らえた。

 

 ――狩った。

 甘露寺はそう思った。刀を引き戻すように操作すれば、巻き付いた薄刃が頸を刎ね、鬼は消滅する、はずだった。

 

「頸は弱点じゃない!そいつは頸を斬っても死なない!」

隠が必死になって呼びかける。甘露寺の躊躇は一瞬にも満たなかったが、既に攻撃態勢に入っていた憎珀天はその隙を見逃さず、強力な大音圧の攻撃を浴びせた。甘露寺は失神し、憎珀天は止めを刺そうと拳を振り上げる。

 

(まずい!)

隠が甘露寺を抱えて大きく飛び退き、木にもたれかけるように座らせた。

 

(失神してるけどすぐに目覚めるはずだ。それまでは俺が)

隠は憎珀天の前に立ち塞がる。

 

「また貴様か、目障りな。先程は運良く助かったが、今度はそうはいかぬぞ。儂は十二鬼月、上弦ノ肆。欠けることなき月の名をあの御方より授かった者。――捻り潰してくれる」

憎珀天はせっかくの上質の肉を逃してイラ立ち、憎々し気に言った。

 

 欠けることなきが聞いて呆れる、ちょっと前に欠けたばかりのはずだが。隠は可笑しさを堪えきれない。

 

「月はお前たち鬼を照らすばかりではない」

隠は笑いを収めて憎珀天に言い返し、一歩前に出た。隠の気配が変わった。

 

 隠は背中の刀を抜き放ち、それを八相に構えた。

 

 そこから攻撃を開始するかと思いきや、自分の前に大きく円を描くように、構えた刀をゆっくりと回し始めた。

 

 憎珀天が鼓を連打し、次々と攻撃を放つ。隠は円を描くような足捌きで素早く避けながら、刀の動きを止めない。

 八相の構えから、手元を中心に刀が円を描いていく。

 

(何だ?)

いつの間にかその動きに憎珀天も惹きつけられ、攻撃が止んだ。その動きは緩やかだったが、不思議なことに月明りの中でその軌跡が残像を残し、月が満ちるように円に近づいていく。

 

「虚仮威しか。たかが人間一人が刀を回しただけで何になる。今度こそ捻り潰す」

埒が明かぬと見た憎珀天が鼓を連打すると、今度は三体の木竜が捻れ合い、周囲に響き渡る咆哮と共に巨大な一つの竜となった。巨大木竜は地響きを立てながら隠に迫り、口を開けて噛み付こうとした。

 

 月が満ちた。

隠の刀は完全に円を描き切り、再び元の八相の構えとなった隠はビタリと動きを止めた。

 

 

(私……意識飛ばしてた?)

甘露寺は薄らと目を開けた。

 気が付くといつの間にか木にもたれて座っていた。さっき鬼の攻撃を食らって失神し、誰かがここまで運んでくれたのだ。少し離れた所では“隠“の文字を背負い、鬼と対峙する誰かの背中があった。その人物は何故か刀を持ち、それを八相に構えている。

 

「逃げてっ!」

巨大な木竜が隠に迫って来る。甘露寺はダッシュしようとしたがまだ足腰が立たず、その場に崩れてしまった。

(殺られる!)

柱の自分が居ながら、仲間が目の前で命を落としてしまう。甘露寺が悔しさに歯噛みする。

 

 

 

 ――剣の極意は円にあり。攻撃も防御も また然り――。

 

 木竜が巨大な口を開け、隠に噛み付く。その瞬間だった。

 

  志那虎陰流 円月剣

 

 木竜を十分に引きつけた隠は、半歩踏み出して打ち下すように刀を一閃。相手自体の重量と突っ込んでくる力を利用した迎撃戦法だ。

 

 口を開けたまま巨大木竜の動きが止まったかと思うと、頭から胴体、その上にいた憎珀天にまでザアッと亀裂が走り、全て真っ二つになった。

 

 木竜が確かにあの隠に突っ込んだはずだった。

真っ二つに斬られた竜はただの木片となって隠の周囲に崩れ落ち、大量の土煙が上がった。それが晴れた時、戦場には刀を振り切って残心をとる隠の姿だけがあった。

 

(ええっ?!)

甘露寺は予想外の光景に驚愕した。

 

(此奴は何をした?儂がこのように斬られるとは!)

すぐに再生したが、縦一文字に両断された憎珀天も唖然となった。

 

「月に代わってお仕置きよ!……あれっ?」

月の力を宿す美少女戦士のセリフをパクった隠はしかし、刀身を確認して驚く。

 放った一撃は憎珀天を巨大木竜ごと両断したが、同時に刀身からビシッという異音がして、隠はギョッとした。確認すると、円月剣の威力に負け、漆黒の刀身に亀裂が入っていた。

 

(ヤバい、これじゃ満足に戦えない!)

隠がアタフタしていると、早くも再生した憎珀天が再び木竜を作り出し、舌打ちをしながら睨んでいた。

 

(すごい、何て技なの!キュンとしちゃうわ!…… やだ、私何やってんの柱なのに!しっかりしなきゃ!!)

甘露寺は自分を叱咤し、ようやく自由が利くようになった体で立ち上がった。

 

「柱なのにヘマしてごめんなさい!今度は私が守ります!」

甘露寺は何故か慌てる様子の隠に駆け寄り、声をかけて後ろに庇った。

 

 

 

 

 

 

 

 一方森の中、鋼鐵塚が作業を続けている工房周辺。

 

(こいつはもう私の術からは逃れられない。鬼狩りどもの最大の武器、呼吸が使えないのだからなぁ。せいぜい苦しんで死ぬがいい)

玉壺は、血鬼術で生み出した水塊の中で、時透がもがく様子を見てほくそ笑んだ。

 

 霞柱・時透無一郎は血鬼術”水獄鉢”によって水塊に囚われていた。呼吸ができない状況で技を繰り出すが、術を打ち破ることができず、命の危機に瀕していた。その間に、玉壺は気になっていた先程の工房へ向かった。

 

 時透の頭の中に、失われていた記憶の断片が少しずつ蘇る。

 

 自分はもう死ぬからそんなことが浮かぶのか?低酸素状態で薄れていく意識の中、時透がぼんやり考えていると、先程助けた小鉄がやって来て、時透を助けようと水塊に刃物を突き立てていた。魚の化け物が気付いて襲いかかったが、殺されそうになるのも構わずに小鉄は水塊の中に息を吹き込んだ。

 そこから溶け出したわずかな酸素が、時透の全身に力を蘇らせた。

 

 霞の呼吸 弐ノ型・八重霞

 

 時透は水獄鉢を打ち破った。

まるでパズルが完成するように、散らばっていた記憶の断片は在るべき所に収まり、頭の中の霞が晴れていく。時透は記憶と共に、本当の自分を取り戻した。

 

 工房では、鋼鐵塚が一心不乱に古の名刀を研磨し続けていた。そしてそれを護るのは、同僚の刀鍛冶の鉄穴森だった。

 

(こんなあばら屋で何をしているのだ?まさか里長でもいるのか)

玉壺がウネウネと工房に迫る。刀を構えた鉄穴森が玉壺に斬りかかるが、血鬼術で生み出された魚の化け物が鉄穴森を吹っ飛ばし、玉壺はさらに工房へ接近する。

 

「待て!ここから先は絶対に通しませんよ!」

全身の痛みを堪え、鉄穴森がなおも抵抗する。

 

(作業中の鋼鐵塚さんは死ぬまで手を止めない。助けが来るまでは私が止めなければ!)

その構えや佇まいで、戦い慣れていないのはすぐに見破られてしまったが、鉄穴森はその優しい声と姿に似合わぬ気迫で魚の化け物に食い下がった。

 

 柱の時透は鬼にやられてしまったのか姿が見えず、このままでは自分も殺されるのは時間の問題だった。そしてその後は鋼鐵塚も殺され、あの名刀をはじめ貴重な刀が奪われてしまう。鉄穴森は、救援が来てくれるまで命懸けで時間稼ぎをする覚悟を決め、化け物に立ち向かった。

 

 めちゃくちゃに振り回した刀がたまたま壺を割り、化け物が消えた。工房の方へ行こうとしていた玉壺がそれに気付いて舌打ちした。

 

「いちいち殺すのも面倒だが仕方ない。里では何やら邪魔をされて素材が集まりませんでしたからねえ。あの柱のガキもそろそろ死んでいる頃だ、ついでにお前も使って作品にしてやろう」

玉壺が手にした壺を地面に置くと、ゴボゴボと音がして液体が流れ、それが見る間に魚の化け物の姿となって鉄穴森に襲いかかった。

 

「お前の相手は私だ!」

現れた剣士が鉄穴森の傍を走り抜け、素早く化け物に迫る。斬撃が魚の化け物を一撃で粉砕し、間髪を入れず玉壺にも斬擊の嵐が押し寄せた。

 

 特徴的な形の日輪刀がビュンビュンと風を切る。鋭い斬撃が連続して襲いかかり、玉壺も思わず後退する。

 

「あなたは……!蓬萊殿か?!」

淡い月明かりに、その特徴的な刀が見えた。鉄穴森は、この人物に心当たりがあった。

 

 農作業で使う、鍬(クワ)のような刀が欲しいという変わった依頼を受けたが、依頼主は女性剣士だったこと。苦労して打ち上げたがとても喜ばれ、大きく重いその刀を軽々と扱っていて驚いたこと。そして、依頼主の女性剣士、蓬萊斗和は今や柱になっているのだ、と。

 鉄穴森は、同僚の刀鍛冶、灼白銀(やしろがね)から以前聞いたのを思い出した。いつも冷静な灼白銀が、その時は珍しく嬉しそうに語っていたのが印象的だった。

 鍛冶師ならば誰しも、自分の担当した剣士が無事に生きて活躍してくれることを願っている。鉄穴森は、灼白銀も同じ様に熱い思いを抱いていることに共感し、いつかはその女性剣士に会ってみたいものだと思っていた。

 

(柱が来てくれた!)

鉄穴森は安堵で思わず涙ぐんだ。

 

「蓬萊です!大丈夫ですか?!早く退避してください!」

警護の隊士たちの頑張りで里の中心部の被害は思いのほか少ないようだと聞き、斗和はこの工房を守るため、森の方へ急行したのだった。

 

(時透さんは捕まってる?助けたいけど重要なイベントだし、鋼鐵塚さんたちも護らないと!でももう少し様子見て、来なかったら助けに行かなくちゃ!)

斗和は時透の心配をしつつ、再び刀を構えた。

 

「おや、その顔の傷!これは醜い!何とも醜い!だがそれもまた良し!」

月明かりが斗和の姿を照らし、その顔の左側にある大きな傷も露わになった。斗和と対峙した玉壺は気味の悪い笑顔で軽口をたたく。自分が負けるなどと微塵も思っていない、余裕の態度だった。

 

「私の手に掛かれば、どんなに醜い素材でも高尚な作品になるのだ!さっきの柱のガキ共々作品として――」

玉壺は勝手なことを言いながら癇に障る笑い声を漏らしていたが、斗和は大ぶりな刀に見合わぬ瞬息の踏み込みで速い一撃を放つ。ビシッと玉壺の顔面が小さく抉られた。

 

「貴様ぁ!まだ私が喋っている最中だろうが!この脳筋がっ!」

玉壺が怒鳴り、斗和は玉壺の怒りをフンと鼻で笑った。

 

(来た!でも何て声かけよう?時透さん?無一郎君?霞柱様?やっぱり苗字の方が良いかな、でもあまり他人行儀なのもどうかな?まあ会うの二回目だし時透さんでいくか)

斗和は近づく気配を察知したが、何と呼びかけようかという変なことで悩み、少しばかり緊張していた。

 

 

 疾風のようにやって来た時透が鋭い一撃を繰り出し、玉壺の頸に迫った。

 

(水獄鉢を抜けて来ているだと?!それにこいつは毒で体が麻痺しているはずだろうが!何故さっきより速くなっているんだ)

頸を刎ねるまではには至らなかったが、玉壺はその速さに驚いた。

 

「時透さん!及ばずながら救援に参りました!土柱の蓬萊斗和です!これ、新しい刀です!」

斗和は時透に新しい刀を投げ渡し、叫んだ。

 

「ありがとう、蓬萊さん。鉄穴森さんも、刀を打ってくれてありがとう!」

時透が斗和と鉄穴森に微笑みかけた。鉄穴森は、人間らしい感情がほとんど見えなかった先程の戦闘の時と、戻って来た今との差に驚き、素直に刀のお礼を言われて感激していた。

 

「今度こそ逃げられんぞ!もう一度」

玉壺は血鬼術・水獄鉢をもう一度放とうと壺を取り出す。

 

 斗和が瞬時に動く。

 

 取り出すや否や、玉壺の壺はそれを持った手ごと吹き飛んだ。

 

「面白い。では、これならどうだ」

玉壺はゾロゾロと生やしたたくさんの手から次々と壺を取り出し血鬼術を放とうとした。

 

 土の呼吸 参ノ型・土竜叩(もぐらたたき)

 

 斗和の高速打ち下ろし連打で、壺が破裂するように叩き斬られ、壺を持った全ての手も吹き飛んだ。玉壺はあ然とし、すぐに怒りの形相になった。

 

「良くも割りましたね、私の壺を!審美眼の無い猿め!」

多くの人間の命を奪い、さらに芸術と称して遺体を玩具のように扱って、亡くなった後もその尊厳を傷つける。その悪逆非道の鬼が、自作の壺を壊されたくらいで怒っている。その身勝手さに、原作を知っている斗和も怒りが込み上げた。

 

 玉壺は立て続けに血鬼術を繰り出そうと、さらに次々に壺を取り出す。斗和はその一瞬を見逃さず、残らず叩き割った。

 

「貴様ぁ!貴重な芸術品である私の壺を!一体幾つ割るつもりなんだ!この美しさが理解できない下賤の輩め!芸術を理解しない脳筋め!……貴様は顔だけではない、性根まで汚い醜女だ!」

取り出した壺はその度に斗和に叩き割られ、玉壺は顔中の血管を破裂させ激怒した。

 

(えーえーどうせ醜女だよ私は!言われなくても分かってんだよそんなこと!今更お前に言われたって何とも思わねーよ!)

斗和は醒めた目で玉壺を見遣りながら「うるせえバーカ」と吐き捨てた。

 

「おい。いい加減にしろよ、脳筋クソ野郎」

この場にいるもう一人が意外な反応を見せた。時透の静かな怒りが空気を震わせる。

 

「それ以上蓬萊さんを侮辱するな。楽には死ねなくなるよ」

ギラリ、と時透の目が冷たく光った。

 

(時透君怒ってる?)

この反応に、一番驚いたのは斗和だった。

 

 霞の呼吸 肆ノ型・移流斬り

 

 すうっと地面を滑るような足運びで、時透が玉壺に斬擊を浴びせる。しかし確かに斬った、と見えたのは玉壺の抜け殻だった。

 

「お前たちには私の真の姿を見せてやる」

樹上から声がした。斗和と時透が見上げると、木の上で脱皮したばかりの玉壺(完全体)がウネウネと蠢いている。これから体表を覆う鱗が固まり、それらしい両腕が生え、蛇の胴体に人間の上半身が合わさったような形態が完成するのだ。

 

「時透さん!今のうちに殺っちゃいましょう!こいつ脱皮したばかりだからまだ鱗が柔いですよきっと!」

斗和がすかさず動く。

 

「うん、そうだね」

時透もすぐに動いた。

 

 土の呼吸 玖ノ型・蚯蚓破裂(みみずばれ)

 霞の呼吸 一ノ型・垂天遠霞

 

 二人の同時攻撃が玉壺に迫った。

 

「この姿はこれまでわずかに二度しか――ま、待て!止めろ、攻撃するな!まだ完成しておらんだろうが!卑怯だぞ!」

玉壺は見苦しいほどの慌てぶりで何とか頸を斬られるのを回避したが、地面に落下して自慢の透き通る鱗も泥だらけになった。

 

「ゴ、ゴホン!こ、この完全なる美しき姿にひれ伏すが良い」

急いで木の上によじ戻り、何事も無かったように玉壺が言い放つ。下半身を木の幹にしっかり巻いていたおかげで落下の衝撃は軽かった。

 

「だっさ……」

斗和と時透は、二人並んでうんこ座りに頬杖でそれを眺めていたが、半笑いの斗和がわざと聞こえるように呟いた。

 

「貴様らには私の華麗なる本気を見せてやろう!」

玉壺は呑気に座っている二人めがけて突進した。確かに脱皮前よりも格段にスピードが上昇、二人がいた地面にめり込むパンチの威力も恐るべきものだった。

 

 血鬼術 陣殺魚鱗!

 

 玉壺は長い体を生かした強靭なバネと鱗の反発の力で縦横無尽に跳ね回る。

この速さで予測不能な動き、生意気な人間どもを砕くなど造作もないことだ。そう考え、玉壺は消えた斗和にさほど関心を払わなかった。

 

(いたぞ、あのガキを先に始末するか。いくら動こうとこの私の本気にかかれば遅過ぎる!)

 ふと見ると時透の背中だけが見え、玉壺は思い切りパンチを繰り出した。

 

 霞の呼吸 漆ノ型・朧

 

 時透は薄らと笑い、その姿も掻き消えた。

 

 玉壺にとっては時透の動きは遅く見える。だが姿を捉えたかと思うとまた消え、玉壺は完全に幻惑され、自慢の攻撃は空を切るばかりだった。

 

(遅いはずなのに何故当たらない?何故消える?!そういえばもう一人、あの醜女はどこだ。どこに隠れた?)

 

「私ならここですよ」

不意に背後から声がして、玉壺はハッと振り返る。

 

「さっきから貴方の後ろにずっといたのに、気付かなかったですか?」

含み笑いをする斗和に玉壺は軽く混乱した。

 

(私は超高速で動いているのに、何故こいつは止まっている?)

 

 一瞬の後、その訳を理解し、驚愕する。こいつは、この女は。

 

(私と同じ速さで動いている!)

さっきからずっと、背後をとっているのだ。つまり、いつでも頸を刎ねられる。ニコリと斗和が微笑みかける。その冷たさに、玉壺は背筋が寒くなった。

 

(私の動きに付いてくるだとっ!どうなってるんだこいつは!この人間め!いや、私がまだ本気になっていないだけだ、本気を出せば!)

玉壺の焦りが怒りに変わる。

 

「生意気な!今度こそ私の本気を見るがいい!」

体を捻って体勢を変え、玉壺は背後の斗和に向かってパンチを放った。渾身の一撃、もし当たれば斗和の体は粉々の肉片になるほどの威力だ。だが斗和の一撃は一瞬早く玉壺の腕を切断、そのパンチが当たることはなかった。

 

「じゃあ……こっちも本気出すからね」

いつの間にか、玉壺の正面には時透がいた。

 

(しまった、今度はこのガキが……!) 

玉壺が再び捉えた時透の姿は、目の前に迫っていた。

 

「君は、何だか遅いね」 

暗殺者のように静かな動作で、時透の刃が玉壺の頸を刎ねた。

 

「この私が!余人を以て代え難い、偉大な芸術家のこの私が!こんなクソガキと醜い傷の女に殺されるなど許されない!」

見苦しく呪詛を吐き散らす玉壺の頸を叩き斬り、斗和と時透は笑顔を交わした。

 

(さんざん言ってくれたよね、傷のこと。でもね、今はこの傷が私のプライド。戦いに臨む決意。それにこんな私でも、美しいって言ってくれる人がいる)

上弦ノ伍・玉壺を倒して斗和はホッとしたが、まだ上弦ノ肆・半天狗が残っている。今頃は里の方で激戦が展開されているはずだ。

 さらに闘志を高め、斗和は刀を背負った。隠れていた鉄穴森に小鉄も出て来て二人に礼を言い、ほんの束の間、勝利を喜び合う横で、鋼鐵塚は脇目も振らずに古の名刀を研ぎ続けていた。

 

「来てくれてありがとう。……蓬萊さんって面白いね。凄く強いし」

時透は斗和に爽やかな笑顔で礼を言った。

 

「いいえ、お礼だなんてそんな!それより時透さん、体は大丈夫ですか?毒を食らってますよね?無理しないで休んでください!」

「大丈夫だよ。は、早く炭治郎の……ところへ……戻らないと……おえっ!」

緊張が緩んだせいか、時透は一気に毒が回り、嘔吐して失神してしまった。

 

(時透さんは最後の場面では自分で歩いてたし、ここにはもう鬼は来ないはずだ)

斗和は時透を鉄穴森に任せ、炭治郎たちの戦いを支援するために里へ向かって駆け出した。

 

(甘露寺さんは?倫道君いるかな?大丈夫だよね)

景色があっという間に後ろに流れて行く。もう一つの戦場へ、斗和は飛ぶように走った。



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第二十四話 再会~刀鍛冶の里編・後編~

土の呼吸 壱ノ型・土龍爪(どりゅうそう)…【野良着の隊士】オリジナル技。
土の呼吸 弐ノ型・土石流(どせきりゅう)…【野良着の隊士】オリジナル技。
土の呼吸 伍ノ型・土砂崩れ(どしゃくずれ)…【野良着の隊士】オリジナル技。
灼白銀(やしろがね)…【野良着の隊士】オリジナルキャラ。斗和の特殊日輪刀を打った刀鍛冶。
土の呼吸 弐ノ型・土石流 兇狂(どせきりゅう きょうきょう)…【野良着の隊士】オリジナル技。鬼となった佳成が土の呼吸を元に独自に改良した技。





(この小娘!不愉快極まる!トカゲを童どもの方へ遣れぬ!)

稲妻が光り、直径二メートルもあるヤツデの葉の形に地面がへこむ。槍状の光や音波の攻撃も間断なく甘露寺を襲う。しかし次々に繰り出される攻撃も、甘露寺はしなやかな動きで躱し、攻撃で攻撃を相殺、憎珀天をその場に貼り付けて一歩も前に出さない。

 

(この小娘、速い!しかし永遠には続かん、もうしばらくで体力の限界が来る。そこで一気に)

憎珀天は甘露寺のスタミナ切れを狙い、攻撃を続けた。

 

 ほんの十秒もあれば体力が回復できるはずだが、息もつかせぬ連続攻撃を受け、甘露寺の動きが一瞬鈍った。

 

(甘露寺さんの動きが落ちてきた!この刀では良く持ってあと一撃出せるかどうか)

 

 空破山!

 

 隠が飛び出し技を放つ。刀が空気を叩き、真空の刃が飛び出した。甘露寺に迫る木竜の一体を切断してギリギリで攻撃は止められたが、今の一撃を放ったことで隠の刀は完全に折れてしまった。

 

(ありがとう、また助けられた!絶対隠じゃないわよねこの人?!)

隠は折れた刀で何とか攻撃を受け逸らし、その間に甘露寺が一時的に体力を回復、再び前に出た。

 

(この黒子め、またしても邪魔を!)

憎珀天は、隠と甘露寺を同時に狙い、木竜を差し向けようとした時だった。

 

 土の呼吸 壱ノ型・土龍爪(どりゅうそう)

 

 ビリビリと大気が震え、押し寄せた土の粒子が竜となり、その爪で木竜どもを蹴散らす。図体が大きく力押しで来る敵に対して、抜群の威力を発揮する土の呼吸、その使い手が参戦した。

 

「甘露寺さん!救援に来ました!大丈夫ですか?」

斗和が甘露寺に駆け寄った。

 

「ありがとう!蓬萊さんが来てくれたら百人力ですっ!!!」

甘露寺は斗和の技の威力に勇気付けられ、文字通り百人力を発揮する。

 

「斗和さん!ここは任せた!」

隠は戦闘のどさくさに紛れ、離脱するその間際に斗和の横を通り過ぎ、小声で告げた。

 

(倫道君?また擬態してるの?)

斗和は一瞬考えを巡らせたが、何か考えがあるのだと理解した。

 

(引き受けた!いってらっしゃい!)

斗和は交錯する隠に目配せし、小さく頷いて承諾を伝え、甘露寺と共に憎珀天の足止めにかかった。

 

 

(またしても邪魔が!しかもこいつも厄介な……!これではますます童どもを追えなくなる!)

憎珀天は木竜を使って甘露寺のスタミナが切れるのを待つ作戦であったが、斗和の参戦で甘露寺が完全に勢いを取り戻し、この二人との戦闘に全力で臨まざるを得なくなった。

 

 土の呼吸 弐ノ型・土石流

 

 斗和は十分な溜めを作り、一気に力を開放する。

憎珀天は、轟々と黒い波が斗和の背後から押し寄せるのを見た。波は岩や大木を巻き込んで壁となり、木竜どもを呑み込んだ。木竜と憎珀天は木の葉のように翻弄され、地上に叩きつけられた。

 

 甘露寺の柔くしなる薄刃の剣は薄桃色の煌めきを纏い、自身の柔軟な体と相まって変幻自在の軌道を描く。時に優美な曲線となり、時に突き出す槍のような直線となり、間断なく斬撃を繰り出す。

 一方斗和の特殊日輪刀から繰り出される技は高威力の重い一発。横面を殴るように薙ぎ払えば木竜の頭はきれいに吹き飛ばされ、真正面から斬撃を叩きつければ鼻先から胴体まで亀裂が入り、木竜はあっという間に崩れ落ちた。

 

 土の呼吸 伍ノ型・土砂崩れ

 

 高く跳躍した斗和に複数の木竜どもが迫るが、次の瞬間空中の斗和から斬撃が放たれ、爆弾が破裂したような勢いで木竜が粉砕され、憎珀天も大きく後退する。

 

(この二体目、信じ難し……!此奴、本当に人間か?!何という破壊力、何という剛力!再生が追いつかぬ!)

強力な広範囲攻撃を得意とする斗和と、戦意を取り戻した甘露寺の連携攻撃が冴え渡る。鼓の乱れ打ちで木竜を次々に再生して応戦する憎珀天だったが、今や完全に形勢は逆転し、木竜ごと斬られ、叩き潰され、捌ききれずに押しまくられていた。

 

(憎珀天が力を使い過ぎだ。力が出ない、再生が遅くなってきた。人間の血肉を補給せねば)

半天狗本体の怯えの鬼は必死に逃げるが、柱二人に責め立てられた憎珀天が明らかに出力過剰の状態となり、本体自身のエネルギーが切れかかっていた。

 

(童どもは結局儂の頸を斬れはせん。近くに人間の気配がする。そいつらを喰ってこのまま逃げ切れる)

半天狗本体の怯えの鬼は逃げおおせる算段を付け、逃走を続ける。炭治郎は本体を崖に追い詰めて頸を斬りかけたがあまりに固く、刀が折れてしまった。本体の鬼はなおも追いすがる禰豆子と一塊になって崖下に落下、禰豆子が失神している隙にまた逃げ始めた。追いかけようとする炭治郎だったが、左足の激痛がこの高さから跳ぶのを躊躇わせた。

 

「炭治郎君!脚を診せて!」

憎珀天との戦闘を斗和と交代し、追いついて来た隠が炭治郎の左下腿を触診する。軽く触るだけで炭治郎の顔が痛みに歪んだ。

 

「大丈夫、すぐに治してやる」

隠は炭治郎の手を握った。隠は一瞬だけ、マスクの下で苦痛に顔を歪める。

 

(痛みが引いていく!)

炭治郎の左足の痛みは嘘のように消えた。

 

「ありがとうございます!」

炭治郎は足を踏みしめて痛みが出ないのを確かめ、全速力で本体を追った。隠は木立に身を隠し、成り行きを見守る。遅れて玄弥がやって来たが、タイムリミットが来て鬼化が解け始めているため、二十メートルはある崖から飛び降りるのは難しかった。

 

(これじゃ届かねえ。逃げられちまう!頼むぞ炭治郎!)

玄弥は逃げる鬼と追いかける炭治郎を見つめ、拳銃をしまう。その時、鉄穴森や小鉄、鍛冶師たちに肩を借りながら時透もこちらへやって来た。

 

「玄弥!ショットガンだ!」

誰かの声が響いた。玄弥はその声にハッとする。

 

(そうだ、こっちのでかい銃なら届く!まだ射程内だ!だけど今の声は……?)

玄弥は懐からショットガンを取り出して腹這いになり、炭治郎が射線に入らぬように逃げる鬼に狙いをつけた。込める弾は一発弾。

 もうすぐ朝日が射す。ここで倒しきらなければ鬼は逃げてしまう。炭治郎は折れた刀を握りしめて走る。

 

「食らえ!」

轟音と共に玄弥が発砲、弾は鬼の頸を飛ばした。しかし鬼は頸なしのまま、大量の刀を持って逃げる鍛冶師たちを追っていく。その時、風を切って何かが飛んで来て、炭治郎の前の地面に刺さった。

 

「炭治郎、それを使え!逃がすな、絶対に斬れ!!」

炭治郎が折れた刀を持っているのを見て、時透は鋼鐵塚が研いでいたあの名刀を取り上げ、投げてよこしたのだった。

 

「使うんじゃねえ、殺すぞ!まだ第一段階しか研いでないんだ!返せ!」

崖の上では鋼鐵塚が時透の胸倉を掴み怒鳴っている。鉄穴森が止めようとしたが、この状態の鋼鐵塚を止められる者などそうはいない。暴れているため脇を攻めようとしても一人ではどうにもならない、鉄穴森はそう思った。

 

「鋼鐵塚さん!非常時だ、ここは堪えてくれ!今は剣士の方々に任せよう!」

そこにもう一人、良く響く低音の美声で鋼鐵塚を止める者が現れた。斗和の刀鍛冶、灼白銀(やしろがね)。斗和の刀は替えが利かない完全な一点物、そう簡単には打てない代物であるため、斗和の予備の刀を取りに来て逃げ遅れ、こちらへやって来たのだった。

 鉄穴森と灼白銀、二人に押さえ込まれて鋼鐵塚も盛大に舌打ちして諦め、成り行きを見守った。

 

 本体の鬼は頭を吹き飛ばされても体が崩れず、頸なしのまま近くにいる鍛冶師たちに襲いかかろうとしている。

 

 炭治郎が吹き飛ばされた鬼の頭を確認すると、その舌には“恨”の文字。

 

(文字が違う、本体の鬼は“怯”だったはずだ!こいつじゃない!だけど本体もまだ遠くには行ってない!匂いがする)

炭治郎は鍛冶師たちに迫る頸なしの鬼を追う。そしてさらに意識を集中して探った。

 

(いた!見えるぞ!心臓の中だ!)

 

「命をもって罪を償え!!」

 

 ヒノカミ神楽 円舞一閃

 

 以前善逸に教わった雷の呼吸の瞬息の足運びをイメージし、ヒノカミ神楽の呼吸と併せた技。炭治郎の袈裟掛けの一刀が、心臓に隠れた本体の鬼の頸を刎ねた。

 

 半天狗は消滅していった。

 

 炭治郎は朝日の射す中を歩いて来る禰豆子を呆然と眺めていたが、事態が飲み込めると禰豆子に抱き着き、大泣きしながら喜んだ。

 

「良かったな、炭治郎、禰豆子」

炭治郎へのわだかまりが消えた玄弥はそっと呟き、微笑んでいた。

 

 見守っていた時透や里の人々も安堵や喜びの表情を浮かべ、集まってきた。里の人々は口々に兄妹に礼を言い、時透もまた炭治郎に礼を言っていた。毒によるダメージがあったが、失われた記憶と本来の自分を取り戻し、時透は以前とは全く違う心からの笑顔を見せていた。

 

「みんなで勝った!凄いよ!上弦に勝ったああああ!!」

甘露寺と斗和も合流し、甘露寺がすごい力でみなを抱き締めて泣いている。一同は、ようやく掴んだ勝利を喜び合い、甘露寺と斗和に挟まれた玄弥は真っ赤になって照れていた。

 

 禰豆子に背負われたまま、満身創痍の炭治郎が斗和に挨拶し、玄弥も照れたような笑顔で斗和に会釈した。

 

「強くなりましたね。この短期間で上弦と渡り合うくらい成長するなんて」

斗和は思わず玄弥に歩み寄って声をかけた。玄弥はいつの間にか斗和の身長を追い越して逞しく成長していた。何よりも最終選別の時のひ弱な雰囲気とは全く違う、鍛え抜かれた強者の落ち着きを身に付けていた。この嬉しい再会に、斗和は本当の姉のような気分になり目を細めた。

 

「蓬萊さんに教わった通り、悲鳴嶼さんと倫道さんに弟子入りしたんだ。めちゃくちゃ厳しくてもう死ぬかと思ったけど、色々教えてくれた。……ありがとう、蓬萊さんのおかげです」

玄弥は姿勢を正し、きちんと礼を言った。

 

「私も嬉しいですよ。でもここから先はもっと厳しい戦いになる。頑張ってください!それと、絶対に死んではだめですよ!お兄さんに思いが届いたって、死んでは何にもならないですからね!」

玄弥の成長した姿を確かめた斗和だったが、気を引き締めることも忘れなかった。玄弥はもう一度頭を下げ、その場を離れた。

 

「蓬萊さん。今度から、僕も“斗和さん”って呼んでもいいかな?……それから、俺のことも名前で呼んで欲しいんだけど」

みなを見守っていた斗和に、時透が遠慮がちに話しかけた。

 

 記憶を失うほどつらく悲しい思いをした時透が、本当の自分を取り戻した。思い出すこと自体がとてもつらかったはずだが、この少年は全てを受けとめてそれを乗り越えた。そんな姿に斗和は胸を痛めたが、同時に十四歳の少年らしい照れと自尊心が入り混じった様子を愛おしく思った。

 

「はい、もちろんですよ!ありがとうございます、時透さ……あっごめんなさい、無一郎君!」

斗和と時透は笑い合った。

 

「蓬萊さん、あのう……さっきの隠の人は」

「さ、さあ?何ですか、隠の人って?」

さっきまで泣いていた甘露寺は、あの刀を持った隠の事を気にしていた。正体を知っている斗和だが、玄弥たちを隠れて見守るつもりだったのだろうと推測し、見ていないふり、知らぬふりをしてやった。

(過保護だよねホント。でもこれもしかして、伊黒さんに私が文句言われるやつじゃないの?怪しいやつがいたそうだが本当に知らんのか?とか何とか言って。あーもう面倒くさい!頭痛くなってきた)

そんな先の事まで心配し、軽くため息を漏らす斗和であった。上弦の鬼二体との戦闘であったにも拘わらず里の人的被害はごく少数であり、またも上弦討伐を果たした鬼殺隊側は勝利に沸き立った。

 

 

 

 だがこの結末を喜んだのは鬼殺隊側だけではなかった。

 

 

(良くやった半天狗!あの娘を喰って取り込めば、私も太陽を克服できる!)

ほんの数秒間だったが、朝日の射す中を歩く禰豆子の姿は、崩れていく半天狗の視界を通じて無惨にも届いていた。

 刀鍛冶の里での戦闘が終結する少し前。結末を見ることなく、いち早く戦場から離脱する者がいた。

 

(あー間違いない、こりゃ折れてるな)

夜明け前のまだ暗い森の中、隠の姿をした人物が歩いていた。痛めた左下腿に副木を当て、刀を杖のように使って怪我人とは思えないスピードでスタスタと歩いていたが、ふと立ち止まり、周囲を見回す。警戒しながら誰も見ていないのを確認すると、ガサガサと木立の中で着替え、出て来た時にはいつもの倫道の姿に戻っていた。倫道は玄弥の活躍を見て、努力が実を結んだことに満足していた。

 

(鬼――?しかもこの気配からしてかなり強いやつだな)

鼻歌でも歌いたい気分が一転した。鬼の気配を察知した倫道は、瞬時に全身を引き締める。倫道は更に気配を探った。

 

(気付かれた。逃げるのは難しいようだな)

倫道は、万全でないこの状態での戦闘は極力避けたかったが、既に倫道と鬼は目視で互いを確認していた。

 

 鬼が大剣を地面に叩きつけた。ズシンという衝撃に続き、地面を伝播する斬撃が凄いスピードで迫る。

 

「!」

地面に長いひび割れが走り、何本もの大きな木が次々と遅れて倒れた。倫道は危うく躱したが、やはり左脚が痛み、フットワークは通常のようにはいかない。

 

(原作にも野良着にも出てない鬼か。こんな時に)

大きく分厚い大剣は地面にめり込んでいたが、鬼はそれを片手で引き抜いてビュンと振り回し、再び片手で構えた。

 

「やっと骨のありそうな相手に会えた。すぐに始めよう、日の出まで時間が無い」

鬼が倫道を見てニヤリと笑った。

 

「なっ……!」

倫道の顔色が変わる。

 

 もうすぐ夜明けを迎える時刻だ。空は白んでいるが森の中はまだ暗く、現実世界なら人物の顔を判別するのは難しいが、この世界では生憎と良く見える。それにこの声も、倫道は良く知っていた。

 だから、分かってしまった。衝撃で倫道の思考が一瞬停止した。

 

「佳成……お前……」

 

 望まぬ再会。

 

(忘れてしまったのか。本当に何もかも)

倫道は構えることも忘れ、変わってしまったその姿を呆然と見つめる。

 

 佳成が鬼となることは“野良着の隊士”の物語を読んで分かっていた。倫道は、それを阻止したかったが叶わなかった。物語では、鬼になった佳成の記憶は死ぬ寸前まで戻らなかった。今も、人間の時の記憶があるようには見えない。倫道を前にしても何の感情の揺らぎも読み取れず、あるのはただ強い相手を求める戦いへの渇望のみだった。

 

(やはり運命は変えられないのか?戦うしかないのか?)

だがそこまで考えて、倫道は自身の現状を振り返る。刀は折れ、左脚を骨折している。

相手は鬼化した佳成。人間であった頃も、その恵まれた体格から繰り出されるパワーは驚異であったが、剣技や戦闘技術そのものは倫道から見ればまだまだ粗削りだった。しかし人間の頃と同じ感覚で相対することは危険だ。

 

(こりゃあちょっとまずい状況だな)

考えたくない事態であった。感傷に浸っている場合ではなく、自分の命が危ういことに気付いた。

 

「どうした?抜け。それとも居合か」

佳成は、いや鬼は無造作に歩み寄りながら穏やかに言った。

 

 土の呼吸 弐ノ型・土石流 兇狂(どせきりゅう きょうきょう)

 

 鬼の大剣が風を切り、強力な一撃が繰り出された。ドドッという地響きと共に、樹木を巻き込んで黒い壁が二重、三重に迫ってくる。

 

 水の呼吸 拾壱ノ型・凪

 

 倫道は防御の技を繰り出してぶつけるが、半ばから折れている刀では十分な威力が出ない。

 

(この威力、以前とはまるで別物だ!)

防ぎ切れないと判断した倫道は、防御の技を放つと共に跳躍した。右脚一本の力と、鬼の攻撃を弾いた力も使うことで上方へ逃れたが、それでも躱し切れず体に幾つもの傷が刻まれる。何とか致命傷を避けた倫道は懸命に空中で姿勢を制御し、反撃に転ずる。

 

 水の呼吸 捌ノ型・滝壺!

 

 上空から全体重を乗せた技を放った倫道だったが、鬼が巨大な質量をもつ大剣を一閃し、その受け太刀すらも強力で、倫道は傷だらけになって吹き飛ばされた。

 

「なんだその刀は。それに足を痛めているな?興醒めだ、失せろ」

鬼は失望の感情を滲ませてあっさりと構えを解き、倫道に背を向けて去ろうとして、ふと振り返った。

 

「お前は俺のことを知っているか」

鬼の白眼は黒く染まり、虹彩は青白く光っている。そして、右眼には“上弦”、左眼には“陸”と文字が刻まれていた。殺気は消え、どこか悲しげな目が倫道を見た。

「知らんな」

倫道は息を切らし、刀を鞘に納め、それを杖代わりに立ち上がった。動揺を隠すため、敢えて鬼の眼をじっと睨む。

 

「そうか。俺の名は虎狼(ころう)。お前の名は何だ」

倫道の心が激しく揺れる。全てを話せば記憶が戻るだろうか、一瞬そう思った。しかし無惨による肉体的、精神的支配が強固な現状では、人間の心を取り戻すのは不可能だろうとすぐに思い直した。

 

「鬼が人の名を聞いてどうする?」

倫道が視線を逸らさず見続ける。

 

「それもそうだな。強い剣士でさえあれば名などどうでも良い。次に会う時まで命は預けておいてやる」

そう言うと、鬼は巨体に似合わぬ速さで森の奥に向かって消えて行った。

 

 倫道は地面に膝から崩れ、大きく息をついた。しばらくじっとしていたが、森の中にも朝の光が届き始め、ようやく立ち上がって歩き始めた。

 

 

「水原様?!どうしました、お怪我を?」

刀鍛冶の里での戦闘の事後処理のため、大勢の隠たちが分散して里に向かっていた。単独で向かっていたその内の一人が倫道に気付いて声をかける。剣士としての倫道と何度か面識のある隠だった。

 

「刀鍛冶の里が襲撃されたと連絡があって向かっていたんですが、途中まで来たらもう終わったって。急いで帰ろうと思ってたら転んで足捻っちゃったんですよ」

倫道は恥ずかしそうに照れ笑いする。隠が倫道の様子を見ると、確かに左脚は副木と包帯で固定されているが、顔にも体にも斬られた傷があり、ただの転倒の様相ではなかった。

 

「そうですか。しかしその傷は?」

「あ、これは、その……転んで、木にぶつかったりして、その」

倫道が言い淀んでいると、

 

「猫ダ!猫ガ引ッ掻イタ!」

マスカラスが懸命にフォローする。

「そ、そう!でかい野良猫が急に」

倫道は落ち着いて対応しているが、そんな意味不明な言い訳をしてしまうほど内心は動揺していた。

 

「分かりました!私が蝶屋敷までお連れしましょう」

隠は親切にそう言ってくれるが、倫道はあまり気乗りがしなかった。

 

「蝶屋敷はちょっと……。すぐ治ると思うし、診てもらったから早く治るわけではないですし」

「いやいや、傷を負えば人間みな一緒です。柱とて違いはございません!花柱様でも蟲柱様でも、ちゃんと診てもらいませんと。では参りましょう」

この隠は負傷した倫道を初めて見た気がした。そして倫道の様子に何か只ならぬものを感じ、強引にでも蝶屋敷に運ぼうと決意していた。

 

「申し訳ない、お願いします」

倫道は逃げるのを諦め、丁寧に礼を言って隠の背に乗った。

 

 左脚は、脛の内側も外側も、両方の骨が折れていた。

蝶屋敷に着くとカナエが倫道を診察し、脚だけでなく他の部位にも斬られた傷を負っており怪しまれたが「転んだ」「猫に引っ掻かれた」で押し通した。

 カナエは倫道の言い訳を不審に思った。本人は誤魔化しているつもりなのだろうが、戦闘で負傷したのは明らかであった。だがそれ以上にいつもと違う倫道の様子に戸惑った。それ程強い相手と戦ったのか、しのぶもやって来て問い詰めたが倫道は頑として口を割らないので、それ以上の追求はされなかった。

 

 それに胡蝶姉妹が疑念を抱いている点はもう一つあった。以前は大きな怪我をして戻ってきたことは無かった倫道が、最近は戦闘の形跡が無いのに不自然に傷を負って来ることが度々あり、カナエは心配し、しのぶは何か企んで暗躍しているのではと思っていたが、これも倫道が有耶無耶にして語らず、そのままになっていた。

 

 

 

 

 刀鍛冶の里が上弦ノ肆、伍によって襲撃されてまだ一ヶ月余りしか経過していなかったが、この新しい刀鍛冶の里では鍛冶師たちが既にフル操業の状態となっていた。

 

 倫道は異常な回復力を見せ、既に問題も無く歩行できるようになっており、今日も新しい里に依頼の物を受け取りに来ていた。

 代わりの里へ移転してからそれ程時間を置かずに作業が再開できたのには理由があった。この新しい里は、以前にも使われていた場所を再利用しているのだ。以前と言ってもおよそ四百年も前、戦国時代のことだ。

 

 里は活気にあふれ、至る所で鉄を打つ音が響き、最終決戦に備えて鍛冶師たちも気合いを入れて作業しているのが分かる。

 

 そして倫道は、この里に足を踏み入れた時から懐かしさを感じていた。

 

 

“猩々緋鉄”は陽光山で採れる猩々緋砂鉄と猩々緋鉄鉱石を原料とし、日光を吸収してその力を宿す鉄。それを鍛えて作られる日輪刀は、鬼を祓う特別な武器となる。

 

 倫道は鉄珍と鋼鐵塚に手紙を出し、新刀の作成に関してある依頼をしていた。猩々緋鉄をベースに、高濃度窒素、モリブデン、バナジウム等を添加した、“猩々緋鉄合金”を作り、これを現代の製法で刀に鍛造する。武器用刃物として極限の性能を持ちながら、対鬼用武器としても最高の日輪刀を作ってもらう、それが今回の倫道の依頼だった。縁壱零式から出て来た古の名刀の研磨が終わったばかりなのに、ゆっくりする間も与えずに面倒な依頼をしてしまい、倫道は申し訳なく思っていた。

 

 

「鉄珍様、今回は面倒な依頼をいたしまして申し訳ありません」

里長の鉄地河原鉄珍の屋敷を訪ね、倫道が挨拶をする。部屋には鋼鐵塚も一緒に大人しく控えている。

 

「なあに、柱の依頼とあらば喜んで。しかしあの細工は驚いたわ」

「はい、私のじだい……じゃなくて実家の辺りに伝わる製法で、その、ええと」

倫道がしどろもどろになっておかしな言い訳をするが、鉄珍は鋼鐵塚が打った刀の出来栄えに満足している様子で、それ以上は詮索してこなかった。

 

「今回、蛍に頼まれたんよ。傍で見とって欲しい、言うてなあ。竈門君の刀の研磨はホンマに良い仕事やった。今度は精魂込めてアンタのために打つ、って張り切ってな。ワシは手ェ出しとらん、見とっただけや。でもこんだけの物ができたら蛍も満足やろ。ワシも安心して蛍と願鉄に後のことを任せられるちゅうもんや」

鉄珍は鋼鐵塚と倫道を交互に見ながら、この刀は自分の手で水原君に渡せ、そう鋼鐵塚に言い残して先に部屋を出て行った。

 

「どうだ、イタズラ小僧」

鋼鐵塚はお面の下の顔を得意気に綻ばせる。

大きな感動と共に新たな刀を受け取った倫道だが、違和感を覚えて刀を受け取ったまま一瞬固まった。

 

(俺は以前にもこうして刀を受け取った。鱗滝さんの小屋で受け取った時じゃない、もっと前に)

鉄珍や鋼鐵塚の姿が他の誰かと重なった。

 

 気のせいか?倫道は我に返り、刀を鞘から抜き放つ。刀身は吸い込まれそうなほどの深い漆黒に染まった。

 

 また、記憶が蘇る。

――お前も黒に染まるのかい。父御(ててご)と同じだな。ひょっとこの面を被った、老人と思われる小柄な人にそう言われた。

 

(誰に言われた?鉄珍様か?)

倫道はざわついた感覚を覚える。刀身の柄に近い部分には「悪鬼滅殺」の文字が刻まれていた。倫道は改めて刀身を見つめた。

 

「これは大変な業物ですね。ありがとうございます」

「苦労したぜ。こんな細工は聞いたこともねえ。だがお前、この技術は一体どこで」

「ま、まあ細かいことは良いじゃないですか。御礼の品、お持ちしましたよ」

倫道は一旦刀を納め大皿一杯にみたらし団子を並べる。これだけの数の団子がずらりと並ぶと、なかなかに壮観であった。

 

「お前、ちょっと庭へ出て構えてみな」

夢中で食べていた鋼鐵塚が、団子の串で庭の方を指しながら言った。倫道は頷いて縁側から庭へ降りる。

 

「目の前に鬼がいる。今から斬る、そう思え」

不思議に思いながら倫道が新刀を構えようとすると鋼鐵塚がそう言い足した。

 

「はい」

倫道は言われた通りいつものように構え、目を閉じた。目の前には黒死牟と、そして無惨の姿が浮かび上がる。

 

――なぜ奪う?なぜ命を踏みつけにする?何が楽しい?命を何だと思っているんだ?

 私はその男にそう問いかけた。だが返事は無かった――。

(これは縁壱さんの台詞……?)

 

――私は倒せなかった。だからお前に託す――。

一瞬の後、鮮やかに蘇る記憶。倫道は目を閉じたまま深呼吸した。

 

(そうか、そうだったのか。やっと思い出したよ)

 

 必ず斬る。倫道の気迫が満ちる。

 

「斬れ」

鋼鐵塚のその声に命じられ、倫道は流麗な動きで目の前の敵に迫る。研ぎ澄まされた鋭い一撃が大気を切り裂く。

 

 日の呼吸 円舞

 

 倫道は残心を取り、刀を鞘に納めた。

 

 ピンと張り詰めた緊張感の中、一連の動作には微塵の隙も無く、一貫した気の流れは乱れることが無かった。鋼鐵塚にも、半円を描く炎の軌跡がはっきりと見えた。様々な技を取得してきた倫道が上手く再現できなかった日の呼吸。それが自然に出た。全てを思い出していた。

 

「お前、良い剣士になったじゃねえかよ」

縁側に座った倫道に鋼鐵塚が呟いた。

 

「鋼鐵塚さん、俺が戦うところ見たんですか?おだててもお団子の追加はありませんよ」

倫道は照れながら言う。

 

「早いもんだな、もう六年になるか。鱗滝のところで刀を渡した時、頼りない小僧だと思ったがそれが今は柱か。……見りゃあ分かる。気負いも力みも、無駄が一切ねえ、このまま寝ちまいそうな程に穏やかでいながら、斬る瞬間の恐ろしいほどの気迫。風格ってやつが出て来たじゃねえか」

鋼鐵塚は珍しく、倫道を手放しで褒めた。

 

「鋼鐵塚さん」

倫道は改まって姿勢を正し、何事かを決意したように口を開いた。

 

「鋼鐵塚さん、思い切って言います。……団子食う時くらいお面外したらどうですか?」

お面をずらして口だけを出し、団子を頬張る鋼鐵塚に倫道は真面目な顔で軽口を返した。このままこの流れで話していたら、間違いなく泣いてしまうと思ったからだ。

 

「てめえ!人が真剣に話してんだろうが!」

鋼鐵塚は正座している倫道の腿を串で突っつく真似をした。

「危ない!危ないからっ!団子の串で突かないでくださいよ!」

わざと慌てた動作で倫道が逃げる。

 

「うるせえ!人の話を聞かねえヤツはこうだ!」

「あぶねっ!鋼鐵塚さんは人のこと言えないでしょ!」

男二人がじゃれ合う何とも見苦しい光景が繰り広げられたが、やがてどちらともなく笑い出した。

 

「行って来い!……それとな、それからな」

鋼鐵塚は少し言い淀んだ後、照れ隠しなのか怒ったように言った。

「刀は折ってもいい!いや、本当はよかぁねえが……とにかく絶対に!絶対に死ぬんじゃねえぞ!」

 

(鋼鐵塚さん!)

倫道は思わず涙ぐんだ。

 

「刀のためなら人殺しでもしそうな鋼鐵塚さんがっ!もう頭おかしいくらい刀を愛してる鋼鐵塚さんがそんなことを……。うう……」

倫道も照れ隠しに憎まれ口をたたき、本当に涙を流したのをわざとらしい大袈裟な泣きまねで誤魔化した。

 

「言い過ぎだぞてめえ!さっさと行け!」

鋼鐵塚はそう言って倫道を送り出した。

 

「ありがとうございます。生きて帰って来ます。その時はまた団子ご馳走します!」

倫道は深々と頭を下げて里長の館を出た。

 

「またどこかで会いましょう。でもその時、貴方は俺を覚えていないでしょう」

倫道は一度だけ振り返って手を振り、鋼鐵塚に聞こえないように呟いた。

 

「黒刀なんて言い伝えでしか聞いたことが無かった。お前と炭治郎が現れるまでは。……鉄珍の親父に聞いたぞ。黒刀てのは、始まりの呼吸と言われる日の呼吸の色なんだろ?十分化け物みてえなお前がそれに開眼したら、一体どうなるんだろうな……」

鋼鐵塚は、楽しみなような、薄ら寒いような気分で肩をすくめ、倫道の後ろ姿を見送った。

 

「お尋ねするが、そなたは水柱の水原倫道殿か?」

倫道が歩いていると、低音の美声で尋ねられた。

 

「はい、私は水原ですが、貴方は?」

「私は灼白銀(やしろがね)と申す。蓬萊殿の刀を打っている者だ」

「ああ、あの刀を貴方が!すごい技ですね、本当に里のみなさんの技術力には感服します」

倫道は敬意を込めて頭を下げる。常に努力を怠らず、高みを目指して自分の技を磨き抜く。この鍛冶職人たちもまた侍であった。

 

「なに、少しでもそなたたち剣士の役に立てればと思っているだけのこと。時に、蓬萊殿は息災か?実は里の襲撃事件の時に来てくれていたらしいのだが、もう少しのところですれ違って、結局会えずじまいだった。聞いたところでは一旦柱を退いて、また復帰されたとか」

「はい、また土柱として励んでいますよ。益々強くなって、最近ではあの重い刀を片手で振り回してます」

「あの刀を片手でか!盛んだな」

灼白銀がひょっとこの面の下で笑った。

 

「刀の調整が必要であればいつでも声を掛けてくれと。それから、ご武運をお祈り申し上げる、と。蓬萊殿にお伝え願えないだろうか?それから、私が言うのも何だが……、蓬萊殿を頼む」

灼白銀が改まって頼んできた。

 

「確かにお伝えします。……最後の戦いが終わったら、直接会って労ってあげてください。斗和さんも感謝していると思います。それに、お願いされているんでしょう?素顔も見たいって」

倫道は物語の場面を思い出して微笑ましい気持ちになった。斗和が灼白銀と初めて会ったのは十三歳。選別に合格し、農具の鍬(クワ)と鋤(スキ)を合わせたような、自分に合った刀を作って欲しいと耀哉に願い出たところ、灼白銀が今の刀を打ってくれたのだ。

 

「そうだな、全てが終わったらまた訪ねるとしよう。水原殿もどうかご無事で」

灼白銀と倫道はお互いに深く頭を下げ、反対方向に歩き出した。

 

 

 

 四百年前、ここに来た時のことを倫道は思い出していた。その時の名は、継国倫影(みちかげ)。

 

 

 

 継国縁壱は鬼殺隊を追われ、各地を放浪しながら一人で鬼を倒していたが、ある集落を襲っていた鬼を討った。だが集落は全滅だった。ただ一人、十歳の子供を除いて。

 

 全滅した集落の唯一の生き残りとなった子供を放っておけず、やむなく縁壱はその子を連れ、育てながら旅を続けた。天涯孤独だった子供は縁壱と共に旅しながら弟子入りし、剣の修行をした。いつしか逞しく成長したその子は縁壱の養子となって日の呼吸の剣技と継国の姓を受け継ぎ、継国倫影と名乗った。倫影は黒死牟に遭遇した際も戦いを見届け、立ち合いの途中で死を迎えた縁壱を看取った。動揺する黒死牟を逃がしてやり、その後縁壱が果たせなかった無惨討伐に挑んだが、無惨をあと一歩まで追い込みながら逃げられ、その戦いで力尽きて死んだ。

 

 倫道は多重転生者として幾つもの世界と時代を生きており、日の呼吸の剣士としてこの世界線で生きていたのだ。

 

 

 封印されていた記憶は甦り、倫道は全てを思い出した。

 



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第二十五話 しなブラ~シシテシカバネ

大乱闘不死川ブラザーズからの人間ポンプ、のち大江戸捜査網。
人間ポンプ、隠密同心。平成世代以降の方はご存じないと思いますが、古くてすみません。


 

 悲鳴嶼の提案で柱稽古が始まった。

ここ風柱邸でも大勢の隊士が連日不死川に挑み、叩きのめされている。

 

(心が折れそう……)

来て早々に不死川にボコボコにされ、炭治郎は廊下の隅で項垂れていた。

 

「待ってくれよ兄貴!俺、頑張ってきたんだよ。悲鳴嶼さんや倫道さんに鍛えてもらって」

どこからか、悲壮感漂う玄弥の声と匂い。炭治郎は匂いを頼りにこっそり近づいた。

 

(すごく緊迫した匂いだ!どうしたんだ玄弥?)

廊下の曲がり角から恐る恐る覗き込むと、玄弥が兄の不死川実弥と対面していた。兄弟の対面とは思えない重苦しい雰囲気だ。

 

「りんどうってのは水原のことかよォ?あんな胡散くせぇヤツに何を教わりやがったァ?小ずるく立ち回って、コソコソ逃げ隠れする方法でも教わったか?ま、呼吸も使えねえ愚図にはそんぐれぇが似合いだぜェ。テメェは今後鬼狩り名乗んじゃねえ。ついでに鬼殺隊も辞めちまえ」

倫道の名前を聞いた不死川はさらにイラ立ちを露わにし、玄弥を罵倒した。

 

「兄貴っ!倫道さんはそんな人じゃない!それに、俺……ずっと兄貴に謝りたくて」

倫道の名前を出したのはまずかったかと後悔しながら、玄弥は食い下がった。

 

「しつけぇな、俺には弟なんかいねえよ。気安く話しかけんじゃねェ、ぶち殺すぞテメェ」

不死川は玄弥を威圧し、容赦なく話を切ろうとした。

 

(不死川さん、何であんなにつらく当たるんだ?何があった?それに憎しみの匂いは少しもしない)

不死川の酷い態度に心を痛める炭治郎。しかし、玄弥を拒絶する不死川からは、怒りの匂いと、その態度とは反対に、何故か悲しみの匂いがした。炭治郎には何となく不死川の真意が分かった気がした。

 

(玄弥、頑張れ。俺は玄弥を応援する!不死川さんはきっと……!)

実の兄である不死川実弥を前にして、大きな体を縮め、おどおどと必死に話しかける玄弥の背中は痛々しく、炭治郎はただ見ていることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

(誰か俺の噂話でもしてるのかな)

鼻をグズグズ言わせながら倫道は風柱邸の廊下を歩いていた。不死川と手合わせし、連携訓練をしてもらうために風柱邸に来たところだった。しかし本当の目的は別にある。

 

(あ、くしゃみ出る、もう我慢できねえ)

倫道が風柱邸の廊下を歩いていると、曲がり角に隠れてその先の様子を窺っている炭治郎の姿。倫道はくしゃみを我慢しながら炭治郎に声をかけた。

 

「おーい、炭治郎く……ぶぁッくしょい!こんちくしょう!!」

背後から声をかけられて炭治郎が振り向くと、倫道が丁度盛大にくしゃみをしたところだった。

 

「酷いですよ倫道さん……風邪、ですか?」

炭治郎はくしゃみの飛沫をモロに浴び、顔をしかめる。

 

「ああ、ゴメンゴメン。誰かが俺の噂でもしてるんじゃないかな」

呑気に現れた倫道が鼻水をすすりながら炭治郎に謝っていると、ピリピリした雰囲気で対面していた不死川兄弟も気付き、こちらに視線を向けた。今しがた倫道をけなしていた不死川は、倫道本人の出現に多少バツが悪そうな顔をして舌打ちした。

 玄弥の動向を探っていた不死川は、倫道が玄弥を継子同様にして鍛え上げたことは聞いていた。しかし、ただでさえ“いけ好かないヤツ”と思っていた倫道が、玄弥を戦わせようとしていることには強い怒りを覚えていた。

 

「テメェ、何しに来やがった?」

不死川が倫道を睨む。玄弥に鬼殺隊を辞めさせたい不死川にとっては、玄弥を鍛えるなどありがた迷惑、というより明確に邪魔者だ。したがって倫道に向ける視線には憎悪とも言える感情が込められている。一方の玄弥は、兄との仲を取り持ってくれるかもしれないと、縋るような視線を倫道に送る。

 

「何って、柱稽古の手合わせに決まってるじゃないですか!――ああ、それと」

笑顔を見せていた倫道は、一瞬真顔になる。

「かわいい弟さんが兄ちゃんと話したいって言ってたから話してやってくれませんか?よろしくお願いします!!」

倫道は再びニコニコと元気良く挨拶する。

 

(倫道さんっ!!)

何のひねりもない、ド直球勝負。倫道は微笑みながらも真正面から不死川の目をじっと見つめ、はっきりと言った。この兄がすんなり聞いてくれるとは思えないが、それでも一縷の望みに懸け、玄弥は息を呑んだ。

 

「テメェと訓練なんぞするか!それに俺に弟はいねェ。失せろォ」

不死川は不機嫌に言い放つ。

 

「えっ?今来たところなのにそんな!じゃあせめて玄弥と話すだけでもお願いしますよ」

倫道が穏やかに訴えかける。

「俺、これでも精一杯頑張ったんだぜ?上弦とも戦って……」

玄弥が震える声で絞り出した。

 

「まぐれで上弦一匹倒したぐれぇで調子乗んじゃねェぞ。おい水原!てめえはそこの愚図連れてさっさと帰りやがれェ。それに言っとくがな、いくら鍛えたところで愚図は愚図。そんな奴にかける時間と手間がもったいねえ、無駄死にするのが関の山だからなァ。ま、そんなに死にたきゃ勝手に死にくされ。心底どうでもいいわ」

重苦しい緊迫感が薄らいだ。もう興味がないとでも言いたげに、不死川は玄弥たちに背中を向け、ひらひらと手で追い払う動作をして歩き出した。

 

「そんな、兄貴!俺はずっと謝りたくて……認めて欲しくて……鬼を喰ってまで……!」

玄弥のこの言葉を聞いた途端、不死川の歩みが止まった。

 

「んだとテメェ、今なんつったァ?鬼を喰った……だとォ?」

周囲が再びヒリついた空気になった。先程よりもさらに鋭く、不死川の発する威圧的な雰囲気に、玄弥は思わず足がすくんだ。不死川の血走った目が大きく見開かれ、今にも玄弥を睨み殺さんとするほどの鋭い視線が向けられた。

 

 ふっと不死川の姿が消えた。

不死川は玄弥に二本貫手(二本の指で突く技)を放ち、両目を潰そうとしたのだ。

 

(やばい!)

不死川の二本貫手を、倫道が咄嗟に掌底でかち上げて受け逸らす。

 

 バチンッ!

 

 素手と素手がぶつかったとは思えないような重く大きな音がした。

 

(本気かよ不死川さん!そこまでして)

不死川の貫手を受けた倫道の掌はビリビリと痺れ、重い衝撃が残った。炭治郎は玄弥にタックルして不死川の攻撃から守り、廊下から庭へと一緒に転がり落ちた。倫道と炭治郎が危うく止めたが、棒立ちになった玄弥がまともに受けていたら間違いなく眼球は破裂して失明は免れなかった。本当に本気の攻撃だった。

 

「何するんだ?!玄弥を殺す気ですか!」

炭治郎が玄弥を後ろに庇って怒りの猛抗議をするが、不死川は歯牙にもかけず、倫道と炭治郎を交互に見やって冷笑し、自らも玄弥を追って庭へ降りた。

 

「殺しゃしねェ、ただ二度とお日様拝めなくするだけだァ。さすがに目ぇ潰せば再起不能だろうなァ……。ただし今すぐ鬼殺隊辞めるなら許してやる」

不死川は、歪んだ笑みを浮かべながら玄弥に迫った。

 

「話も聞かないのに、貴方にそんなことする権利ないだろ!」

炭治郎が怒る。

 

「不死川さん!そんなことしないで、玄弥と話してくれ!たった一人の弟じゃないか!」

倫道も庭へ降り、不死川の行く手に立ち塞がる。

 

 水原倫道に竈門炭治郎。

 

 鬼殺隊士の中で最も嫌っている二人が雁首揃えて目の前におり、玄弥を追い出す邪魔をする。この状況に、不死川はこれ以上無いほどにイラ立った。

 

 炭治郎は不死川の真意を匂いで推測する。どうしても生きていて欲しい、だから戦いから遠ざけたい。玄弥の行動には怒っているが、玄弥に怒っているわけでは決してないのだ。玄弥への思いはとても優しいものなのに、どうしてこうなってしまうのだろう。炭治郎は余計にやるせない思いでいる。不死川と玄弥、双方の思いを痛いほどに分かっている倫道も、もどかしく思っていた。こんなに互いのことを思い合っている兄弟なのだから、わだかまりを解いて欲しかった。

 

「うるせえな、テメェらの知ったことか!兄弟のことに首突っ込むんじゃねえ!テメェらも再起不能になりてェのかよ」

不死川も怒りを募らせ、臨戦態勢になる。

 

「あっ!今兄弟って言った!さっきは弟はいないって言ったのに矛盾してる!なあ炭治郎君!」

「そ、そうですよ!玄弥は必死で頑張ってるんだ!辞めるのを強制するな!」

揚げ足を取る倫道に炭治郎が同調し、ピーピーと騒ぐ。

 

「うるせえ!!」

不死川は遂に倫道を殴りつけ、倫道は派手に吹っ飛んだ。

 

「うわっ暴力だ!自分の思うようにならないとすぐ暴力を振るう野蛮な人間!」

酷く殴られたように見えるが、倫道はパンチが当たる瞬間に顔を振り、受け流して威力を殺していた。ダメージは受けていないのだが、倫道はわざとらしく頬を押さえて喧しく騒ぎ立てる。

 

「暴力だァ?それがどうした、暴力の何が悪いんだァテメェ」

不死川の顔に血管が浮き、拳を握ってボキボキと指を鳴らす。

 

(ヤベえ、逆効果だった!)

少しは自重するかと思われた不死川を余計に怒らせてしまい、倫道は後悔した。不死川は倫道に飛びかかり、戦闘が始まった。

 

(兄貴!倫道さん!)

激しい戦闘、というより喧嘩が遂に始まってしまった。自分のことが原因で凄まじい格闘戦を繰り広げる二人に、玄弥はどうすればいいのか分からずおろおろしていた。

 

 突然始まった柱二人の争い。

 

 善逸をはじめ訓練に来ていた隊士たちは前後のやり取りを知らないが、柱同士のハイレベルな攻防に、最初は手出しもできずただ見ていた。

 

「うるせえんだよ!このお節介野郎が!帰れっつってんだ!」

「アンタが玄弥と話すまで絶対に帰らん!」

 

「帰れっ!ぶち殺すぞテメェ!」

「じゃあ玄弥と対話しろ!」

怒号を上げながら殴り合う不死川と倫道。最初こそ手合わせの様子であったが、そのうちただの殴り合いになった。

 

(手合わせ……じゃないよね?これ何の争い?)

怒鳴り合いながらの手合わせなど見たことが無い。お互いかなり感情的になっているように見え、隊士たちは戸惑う。

 

「おい、やっぱり何か様子おかしくないか?」「止めないとまずいんじゃ……」

不死川の猛稽古が無いのはありがたいが、かと言ってこの異常事態を傍観している訳にもいかない。何かを感じた隊士たちは、二人を分けようと覚悟を決め、必死で割って入った。

 

 不死川と倫道に群がり、押し潰すようにのしかかっていく隊士たち。だがしがみついても振りほどかれ、投げ飛ばされ、人間がこれ程簡単に飛ぶかと思われる程に、次々と隊士たちが宙を舞う。同じく二人を止めようとした玄弥も炭治郎も揉みくちゃになり、もう誰が誰と戦っているのかすらも分からない、グッチャグチャの大乱闘になっていた。

 

 乱闘の開始から数時間、流石に不死川も不死身ではない。早朝の自己鍛錬、朝からの激しい掛かり稽古、その上昼食も休憩も取らずに夕方まで荒れ狂えば動きも鈍くならざるを得ない。もともと憎しみや殺意があっての喧嘩ではない。どうしようもない、どこにもぶつけようのない互いの感情が行き場を失って衝突しただけだ。不死川も倫道も体力が尽きてきたがお互いに譲れない主張があり、相手には認めさせたかった。そんなわけで、グダグダになっても掴み合い、殴り合いを止めない不死川と倫道に隊士たちは手を焼いたが、まだ暴れる二人を何とか引き離した。

 

「良いか水原ァ!今後俺には関わるんじゃねェ!」

不死川は倫道に背中を向け、自室へ入ろうとよろよろと歩き出す。

 

「待ってくださいよ!用件が済んでない!玄弥と話すまで帰らんぞ!」

押さえていた隊士たちの一瞬の隙を突き、倫道が不死川に飛びかかった。

 

(あっこらっ!また騒ぎになっちゃうよ!)

制止を振り切り、押さえられない程の早さで倫道が飛び出し、取り逃がした善逸は焦った。だが倫道は疲労で足がもつれ、さらに隊士が倫道の足にタックルした。不死川の肩ではなく隊服のズボンを両手で掴み、そのまま倫道はバッタリと倒れた。不死川のズボンが足元まで落ち、褌が露わになった。

 

 倫道は死を覚悟した。周りの隊士たちも顔から血の気が引き、その場が凍りついた。不死川の怒りに再び火が付き、もう誰も止められない、その場の誰もが絶望した。ところが、予想された嵐は起きなかった。

 

「――おいテメェ、いつまでしがみついてやがる?」

不死川はそう言って倫道の手を振りほどいてズボンを引き上げ、舌打ちをしながら歩き去ろうとした。

 

「待ってくれ不死川さん!」

倫道は慌てて立ち上がると必死の思いを込めて呼び止めた。

 

「いい加減にしろよテメェ。まだやり合うつもりかァ!」

振り返った不死川の不機嫌な怒鳴り声が響く。倫道を制止するため周りに隊士たちが群がり、「止めてください!」と口々に諫める。

 

「アンタはそれで良いのか?!玄弥と腹割って話さなくて良いのかよ?!思ってることがあるならちゃんと言え!こうして生きて顔を合わせるのは当たり前のことじゃないんだぞっ!」

倫道が息を切らして叫ぶ。

 

「言葉にしなくちゃ伝わらないんだ!昔玄弥に言われたことなんて何とも思ってないんだろ?!“謝らなくていい、いつまでも気にしてんじゃねえ”って、どうして言ってやらないんだ!」

これを聞いた不死川が忌々し気に睨むが倫道は怯まなかった。原作での兄弟の悲しい別れを思い、倫道は盛大に鼻をすすりながらまた叫んだ。

 

「玄弥の気持ちを分かれ!あいつはもう護られるばかりの子供じゃない、立派な剣士だ!共に戦う仲間だ!何でそれを理解してやらねえんだよ!」

倫道のセリフに、不死川が目を剥く。

 

「はっきり言ってやったらいいだろ!!“お前を死なせたくないからだ”って!!玄弥に幸せになって欲しいんだろ?!だけどな、玄弥もそう思ってんだよ!自分はどうなってもいいなんて、幸せじゃないだろうそんなの!アンタにとっても玄弥にとっても!だから!だから……ちゃんと自分の人生も生きろ!」

倫道は涙を流し、ご丁寧に鼻水まで出しながら力一杯叫び続けた。

 

 隊士たちは誰しも、多かれ少なかれ自己犠牲の精神で隊務に当たっている。一般人や同じ隊士のため、自分の命を投げ出す者も多い。

 自分自身も幸せになって欲しい。倫道の必死の叫びはそんな隊士たちの心をも打つ。隊士たちは言葉を失い、その場は静まり返った。

 

(それ、本当なのか?本当に……兄貴がそんなことを)

不死川の思いを聞き、玄弥も別の意味で言葉を失う。そして腫れ上がった瞼を開き、成り行きを見つめた。

 

――「幸せになれ、自分の人生を生きろ」――。

 

 下弦ノ壱は親友と二人で倒したが、親友は不死川の腕の中で息絶えた。その親友が、不死川を心配して最後にかけた言葉だった。倫道が声を枯らして叫ぶその言葉に、不死川は呆然とした。

 弟の変化にも、不死川はもちろん気付いていた。不死川の心の中の玄弥は、不安そうに自分を見上げている子供の姿だ。だが目の前の弟は、わずかではあるが自分の背丈を追い越してすっかり逞しくなり、隙の無い立ち姿には強靭さが見えた。肉体的な強さだけではなく、柔軟でありながら一本筋の通った人間としての強さを身につけていた。入隊してからの短期間で、どれほどの鍛錬を自らに課したのか、その必死さが伝わった。普通の世界で生きるなら、兄として本当に喜ばしいことだった。だが、ここは人外の怪物と殺し合う世界だった。努力が報われる、そんな甘い世界ではない。人間の能力を遥かに凌駕する鬼を相手に、少しぐらい強くなったところで大した意味はない。

 冷たくあしらって、大怪我をしない程度に痛めつける。それでも分からなければ、半殺しくらいはしなければならない。そうなれば玄弥はさすがに諦めるだろう、不死川はそう思っていた。弟の玄弥が生きていてくれること、幸せでいてくれることだけが不死川にとっての幸せだった。鬼殺隊から追い出した真意が理解されなかったとしても、憎まれても恨まれてもそれで良かった。自分自身がどうなろうと、それすらどうでも良かった。

 だがこのバカが、話し合いをしろと泣きながら訴えてくる。このバカ自身には何の得も無い、ただの骨折りでしか無いはずなのに。本当に余計なお世話だし、お節介にも程がある。

 

(こいつ……似てやがる。そういや、こんな風に殴り合いしたよなァ)

誰かに似ている。今までにも、こんなお節介なお人好しバカに会っている。一体どこで会ったのか、誰に似ているのか。

 

(あいつだよな)

唯一無二の親友で兄弟子。今は亡き、粂野匡近。不死川は本当は気付いていたが否定していた。認めたくはなかったが、もう認めざるを得ない。心を揺さぶられてしまっていた。

 優しそうな容貌、にこにこと能天気な笑みを浮かべながら、心の中には熱く激しい情熱の炎が燃えたぎる。鬱陶しいくらいに人の世話を焼き、人のことばかりを心配し、挙句に勝手に死んでしまったあいつに似ているのだ。

 

(匡近ァ、お前がこいつを寄越したのか?全くお節介にも程があるぜ)

見て見ぬ振りをしていれば良いことだろうに、こいつは自分たち兄弟のために怒り、泣き、騒いでいる。そして、悲鳴嶼の教えもあっただろうが、弟をここまで変貌させたのはこいつなのだろう。

 

(テメェはホント、うるせえ同僚だぜ)

不死川は、少しずつ解れていく自分の気持ちに戸惑いながら、敢えて仲間とは表現しなかった。

 数時間の乱闘で疲れ、これ以上考えるのにも疲れた。不死川は大きくため息を付いて、柄にもなく微笑んでしまいそうになるのを堪えたが、少しばかり表情が緩むのは抑えられなかった。

 

「テメェもひでえ顔だな玄弥。こっち来い、薬がある」

不死川は玄弥に声をかけると、背中を向けて自分の部屋の方へ歩き出した。玄弥が戸惑ったように不死川を見つめ、それから助けを求めるように倫道を見た。倫道はその背中をポンと叩く。

 

「……うん」

玄弥はまだ少々戸惑いを残しながら、慌てて不死川を追いかけて行った。

 

「テメェら。今日の夕方の稽古は無しだァ。そん代わり、明日からまた血反吐を吐いてもらうぜェ」

不死川は背中を向けたまま隊士たちにそう宣言し、今日これからは地獄の稽古が無いと分かった隊士たちは歓声を上げた。

 

「水原、気が済んだろォ」

不死川の顔は所々腫れ上がっていたが、表情はスッキリとしていた。

 

「今日はこの位にしといてあげますよ」

涙と鼻水で顔をグチャグチャにしながら、倫道が憎まれ口を利く。

 

「うるせえ。顔洗ってさっさと帰れ」

不死川もぶっきらぼうに返して自室に入り、玄弥は倫道と炭治郎に向かってペコリと頭を下げ、不死川に続いた。

 

(不死川兄弟の仲を取り持った!ものすごく強引だけど)

炭治郎は、倫道を横目で見ながら感嘆した。倫道が言った、自分自身も幸せになること、それは炭治郎にも新鮮な驚きをもって響いた。

 

(だけど、気のせいかな?)

不死川が玄弥に心を開いてくれた。それはとても嬉しいことなのだが、炭治郎は倫道の様子が気になった。この人自身が、一番自分を犠牲にしている気がしてならなかった。焦燥感に駆られているような、どこか生き急いでいるように見えてならなかった。

 

(だとしたら……どうしてかな)

炭治郎は心のどこかに引っかかりを感じていた。

 

 

 

 

 その晩、不死川兄弟は数年ぶりに夕餉を共にした。

 

 

 

 

 倫道は、カナエ、しのぶと共に珠世と協力し、最終決戦に向けての共同研究を行っていた。また冨岡を説得して共に柱稽古に当たり、柱たちとの連携訓練にも参加し、忙しく動き回っていた。そして無限城での戦闘に耐えうると判断した強い隊士だけをわざと鳴女に捕捉させ、下級の隊士たちが見つからないよう、密かに警戒活動を続けていた。

 

 

 

 夜更けの街はずれを歩く一人の鬼殺隊士。時刻は既に午前三時を回っている。鬼の出現が途絶えていると言っても警備の任務が無くなる訳では無く、この隊士を含め、鬼殺隊は今夜も見回りを行っていた。

 

 その背後に光る二つの目玉。

 

 

 

 

 無限城の一角で、長い髪の女が琵琶の音を響かせる。新たな上弦ノ肆・鳴女だ。背後の壁一面に長い黒髪が食い込み、それがドクン、ドクンと不気味に脈打っていた。鳴女は無限城の一部と化し、この巨大な無限城を無惨の意のままに制御する中枢となっていた。それに加えて自身の分身である目玉の卑妖を放ち、産屋敷家や禰豆子、そして鬼殺隊士たちを探し出して居所を把握しようとしていた。最終決戦で全ての鬼殺隊士を無限城に転送し、皆殺しにするためだ。

 

 目玉の卑妖は眼球から直接ヒモ状の足が生えており、その足をウネウネと動かして地面を這い、見つけた隊士を追跡する。隊士は油断なく周囲に気を配るが、二、三十メートルの距離を保ち、巧妙に姿を隠して尾行するこの目玉には気付けなかった。

 

(見つけた……。また一人)

今夜も隊士を発見した鳴女は、目玉の卑妖を操り尾行を開始する。壁面のスクリーンには、目玉の卑妖から送られる視覚情報が映し出されていた。

 

 

 

 

(見ーつけた)

だが、その鳴女も気付かなかった。目玉の卑妖のさらに後ろに現れた、怪しい男の影。

 

(彼はまだ無限城に連れては行けない。居所は掴ませない)

男は音も無く動き出し、目玉を追った。

 

 隊士の後を追う二匹の目玉の卑妖だったが、標的の隊士が角を曲がったところで、一つはプツリと映像が途切れ、もう一つはあらぬ方向を向き、追っていた隊士の姿は画面から消えた。

 

「どーもこんばんは!またお会いしましたね!」

画面の外から能天気な声がした。

 

 画面がぐるりと回り、ニヤけた男の顔がアップになる。男は目玉の卑妖の足を握りしめ、変顔でマッスルポーズをしてそれを自撮りしていた。

 

(またこの男だ)

この声を聞いて、鳴女は頭痛を覚えた。この男によって、もう何十回となくこうしておちょくられた末に目玉の卑妖が潰されている。しかもこの男は、数日前には目玉の卑妖を捕まえてユーチューバーのように自撮りを始め、自己紹介をし、自宅の場所まで教えていた。

 

 男は水柱・水原倫道と名乗った。

 

 ただ単に嫌がらせをしているだけなのかと思ったが、そうではなかった。目玉の卑妖が潰される直前、信じられない事が起こったのだ。男は目玉の卑妖を介して覗き込むようにこちらに視線を向けた。その時確かに視線が合った。それだけではない。男は不敵に笑い、頸を掻き切る動作をこちらに見せつけた。それは明確な挑戦の意志表示だった。あの男は、この目玉の正体も、どんな目的で放たれたかも知っていると考えて間違いない。

 

 

(もういい加減にして欲しい……)

鳴女は舌打ちする。今夜もまたこの男の邪魔が入った。スクリーンには、未だ男の顔や口の中のアップが映し出されている。新たに発見した隊士の姿を見失い、視界いっぱいの変顔を見せられて鳴女は辟易していた。

 

(こいつは一体何者?いや、それよりも)

倫道の正体を詮索するよりも、鳴女はある可能性にゾッとした。

(もしこんなところを……)

それは想像するだけで身震いする程の恐ろしい事態だった。

 

 

 

 

「リンゴをかじると、歯茎から血が出ませんか?」

などと言って、倫道は目玉の卑妖をかじる真似をしてまだふざけている。そこに、警備を終えて帰宅途中の斗和が通りかかった。何かを口に放り込もうとしている倫道に気付き、声をかけようと近づいた。

 

(倫道君?何か食べてんの……?ってキモッ!マジありえねえコイツ!)

近づいてよく見ると、倫道が口に入れようとしているのは鳴女の放った目玉の卑妖。斗和はドン引きしたが、先日の玄弥の件など色々と話したいこともあったので声をかけようと近づいた。

 

「躍り食い」

逃げようと暴れる卑妖を口に放り込む真似をしたり、やりたい放題の倫道は斗和に気付いていなかった。

 

「倫道君!」

あーん、と口を開けている倫道の背中を、わっ!と斗和が叩いたその時。つるりと手が滑って、目玉が倫道の口の中に飛び込んだ。

 

「ンゴッ!」

ゴックン!さらに、倫道は驚いた拍子に口に入った目玉の卑妖を飲み込んでしまった。

 

「!!……くぁwせdrftgyふじこlp!!」

「きゃああ!飲んじゃった!倫道君!!」

予想外の事態に斗和は慌てて倫道の背中を叩いた。倫道は目を白黒させていたが、すぐ落ち着いた。

 

「……大丈夫、心配ない」

倫道は不敵な笑みを浮かべると、ほっ!はっ!と掛け声をかけ、腰をくねらせる奇妙な動きをしてポンと腹を叩くと、おええ、と人間ポンプの要領で目玉の卑妖を吐き出した。

 

「あービックリした。危うく鳴女に内視鏡検査されるところだったよ」

倫道は逃げようとする目玉を潰し、斗和に笑いかけた。

 

「倫道君、だめだよあんな物食べて!」

真顔で怒る斗和。

 

(いや、斗和さんが急に驚かせるから飲み込んじゃっただけなんだけど)

倫道は思ったがそれは言わなかった。

「食べるつもりじゃなかったんだけど……。まあ飲み込むくらいは平気だよ。今の目玉は転送機能の無い廉価版だし。画像を中継するだけで、悪さするような機能は付いてない。カプセル内視鏡みたいな物だから、何ならこのまま吐き出さなくても今日の夜には自然に出」

「あーもういい、ストップ」

 

うん◯と一緒にね、と言いかけた倫道を制し、斗和は汚くなりそうな話を打ち切った。

 

「朝餉、食べて行く?」

不死川兄弟 との経緯を聞きたくて、斗和は倫道を誘った。

 

「ありがとう!是非!」

久しぶりにあの絶品焼きお握りがたべられる、と倫道は喜んで斗和について行った。

 

 

 

 

 

 

 壁面のスクリーンには、倫道の胃内に入り込んだ目玉の卑妖から、その様子が送られて大写しになっていた。

 

 鳴女は身体を突き抜ける恐怖感に怖気が止まらなくなり、スクリーンから部屋の入り口へと、恐る恐る視線を動かした。

 

「もっ……申し訳ございません!!」

恐れていた事が起きてしまった。鳴女は必死に叫び、わずかしか動かせない頭を精一杯下げた。

 正視に耐えない場面が大写しになっており、顔中に血管を浮き上がらせた無惨が、怒りの形相でスクリーンを見つめていた。

 

「無惨様、申し訳ございません!この男が邪魔を!」

画像は倫道の胃から逆流して食道、口腔内を通って体外に排出され、一瞬外の模様を映し出して消えた。

 

「鬼狩りどもの居所は掴めたか」

「はい、腕の立ちそうな者、階級が上の者を中心に三割ほどは。ですがこの男の邪魔が入り、それ以上が」

「腕の立つ者の所在は掴めたのだな?良かろう。……鳴女、お前は私が思っている以上に成長した。引き続き産屋敷と禰豆子を探せ。今度はこの辺りだ。……この男の事はもういい、放置しろ」

無惨は怒りを抑えながら地図を指差した。

 

 

 

 

 土柱邸の庭兼鍛錬場。

 

「朝餉の前にちょっと体動かしてくるから、倫道君は休んでて」

自宅に着いて刀を置くと、斗和はそう言って庭へ出て行った。倫道は仮眠を取ろうかとも思ったが、興味があったので見せてもらうことにした。

 

 斗和は荷車の荷台に向かうように、二本の柄の間に立つ。荷車を引く時とは丁度反対向きだ。

 

「フンッ!!」

荷車の荷台には重り代わりに五人の隠が乗せられている。斗和は荷車の柄を担ぐように、ショルダープレスのような体勢になって斜めに押し上げようとしていた。挙上する方向は真上ではなく斜め上なので全部の重さはかからないが、荷車自体と荷台の人間、合わせれば四百キロ近い重さがあるだろう。

 

(ロッキーの映画でこんなのあった……三人だったけど)

倫道は目を丸くして見つめる。

 

(おおっ!車輪が浮き上がってきた!)

荷車の各部がギシギシと軋む。荷台の前の方が持ち上がり、車輪がわずかに浮き上がる。倫道は、この光景にあ然とした。斗和がぐぐっと腕を伸ばし切ると荷台が大きく傾き、重りにされた隠たちは小さく悲鳴を上げる。隠が落ちそうになったので斗和はゆっくりと荷車を戻し、ふうっと大きく息をついた。

 

(ひええ……もうゴリラじゃん……)

倫道がドン引きしていると、視線に気付いた斗和が声をかけた。

 

「倫道君!今何か言ったでしょ?」

「い、いえ、姐さん!何でもありません!お疲れ様です!」

倫道は精一杯の愛想笑いを浮かべた。

 

 

 台所から良い匂いが漂って来る。斗和が卵焼きと焼きお握りを作ってくれていた。斗和は味噌汁やその他の物も作ろうとしたが何故か止められ、土柱邸付きの隠たちが作ったが、斗和は少し不満そうだ。

 

 倫道は斗和と一緒に朝餉を頂いていた。倫道のリクエストで、斗和はご飯をわざわざ焼きお握りにして出してやった。以前食べさせてもらい、その美味しさに感動した倫道はその後も度々絶品焼きお握りをおねだりしていた程だ。

 

「……美味しい」

焼きお握りを最初に一口食べ、倫道は動きを止めてそう呟き、何故か涙ぐんだ。

「美味しい?良かった!……倫道君どうしたの?そんなにお腹空いてた?」

斗和は、様子がおかしい倫道に思わず声をかけた。

 

「慌てて食べたから気管に入っちゃった」

倫道は久しぶりの斗和の手料理が嬉しかった。だが、斗和の焼きお握りを味わうのはこれが最後になるだろう。そう思うと様々な思いが込み上げ、倫道はゲホゲホとむせる真似をして涙を誤魔化した。その後はすっかりいつも通りになり、一個目、二個目ともお握りをそのまま食べ、三個目はお茶碗に入れて出汁茶漬けにして頂き、十分に堪能した。これもまた絶品の粕漬けと卵焼きもマスカラスと奪い合いながら倫道は夢中で食べた。

 

 倫道は不死川と玄弥の間を取り持ったことを報告した。斗和は風柱邸にほぼ毎日行っており、不死川からも少し聞いていたが、その模様を詳細に聞いて苦笑していた。

 

「本当に良かったね。実弥さんも、倫道君のこと本当にうるせえ奴だって言ってたけど、感謝してるんじゃないかな。でも、玄弥君はやっぱり鬼殺隊を辞める気はないみたい」

「玄弥の想いを不死川さんに伝えてあげたかったんだよね。どうしても謝りたくて、あんなに必死になって頑張ったんだから。玄弥にとって良かったかどうかは分からないけど」

「大丈夫、二人とも感謝してるよ!私たちも頑張って、誰も死なずに無惨討伐しよう!」

斗和が拳を握って倫道を励ました。その前向きな言葉に倫道は少し驚く。出会った当初、斗和は物語への介入に積極的ではなかった。だが倫道と出会い、考え方に触れるうちに少しずつ変化していた。杏寿郎を助けた。不死川実弥と恋に落ちた。心臓の病気が完治した。そんな一つひとつが躊躇いを消していき、世界を変えるために頑張ったり、幸せを願っても良いのだとそう思えるようになった。

 

「倫道君、私たちどうなっちゃうのかな、無惨倒した後」

一息ついた斗和が、遠い目をしながら言った。

 

「どう……って?」

倫道が内心ギョッとしながら聞き返す。

 

「私たちって結局異分子じゃない?この世界からしたら。だから、目的を果たしたら、その反動でどうなるか……。弾き出されちゃうとか」

これを聞いた倫道は一瞬顔を曇らせる。

 

「倫道君?」

「まあ色々と介入して変えてしまったからね。正直この先どうなるかは俺でも分からない。でも大丈夫、斗和さんはこの世界の人だから」

 

「えっ?私たち二人とも転生者でしょ?倫道君と私、同じじゃないの?」

「同じだけど、斗和さんは大丈夫だと思うよ。良く馴染んでるし、この世界に欠けちゃいけないピースだと思う」

倫道はかすかに笑う。

 

(俺でも分からないってどういうこと?私が知らない、倫道君だけが知ってることがあるってこと?)

倫道のちょっとした言動に違和感を覚え、何かが引っかかる斗和。釈然としなかったが、倫道がすぐに話題を変えた。

 

「それに俺は隠密同心だから」

「オンミツドウシン?」

斗和は聞き返した。

 

「“大江戸捜査網”って時代劇に出て来るんだけど、町人に変装して陰ながら江戸の悪を成敗するんだよ。それで、隠密同心には心得があって……」

 

 心得之条 我が命我が物と思わず 武門之儀 飽くまで影にて、己の器量を伏し 御下命如何(いか)にても果たすべし

 

「何かカッコイイと思わない?己の器量を伏し、陰で悪を倒し、人々を守り助ける」

「それって、まさかとは思うけど……倫道君が隠に擬態して活動する理由って、もしかして?」

「そう」

ふふん、と倫道はドヤ顔をした。

 

(マジか。やっぱりアホだこの人)

斗和は呆れた。だがその影の働きは重要度を増し、この戦いの成否をも左右するほどだ。

 

「原作通りなら俺たちは勝てる。でも犠牲は一人でも減らしたいし、より確実に勝ちたい。そのために何でもするけど、それには影で動く方が都合が良い気がするんだ」

自分が居なくなった後、その痕跡も残りにくい。斗和はそこまでは読めなかったが、どこか思い詰めたような様子があるのを察し、敢えてそれ以上は何も言わなかった。

 

「そうだ、この前美味しいお茶頂いたんだ。お茶淹れてくるね」 

やや重くなった雰囲気を変えようと、斗和はしばし中座した。茶を淹れて戻って来ると、倫道は座ったまま目を閉じていた。

 

「もう……食べられない……」

倫道は安らかな寝息を立て、寝言まで言っている。

(何の夢を見てるのよ?それにしても罪の無い寝顔してるなあ。ちょっとイタズラ書きしちゃおうかな?)

もう会えない。この手料理も、もう二度と食べられない。無惨を倒す悲願に近づきながら、それはまた永遠の別れに近づくことでもあった。倫道は自らが消えていく、そんな別れの夢を見ていた。

 

 余りに無防備な寝顔に斗和が笑みを漏らしたその時、倫道の目からすっと涙が一滴零れ、頬を伝った。斗和は胸を衝かれた。

 

(口には出さないけど、倫道君もきっとつらい思いしてるんだよね……。あともう少し、無惨倒すまで頑張ろうね)

斗和は寝ている倫道に掛け物を掛けてやり、しばらくそのままにしておくことにした。

 

 倫道は何事も無かったようにすぐに起き出し、普段と変わらない呑気な様子で朝餉のお礼を言った。そして大いに迷ったが、佳成のことは結局言い出せないまま土柱邸を後にした。

 

 倫道はもう一つ斗和に言えなかったことがあった。

 

 隠密同心の心得之条は最後にもう一つある。番組のナレーションはその最後の心得を繰り返して終わり、それこそがもっとも有名な一節だ。

 

 シシテシカバネ ヒロウモノナシ

 

 子供の頃は全く理解できなかった。ただ言葉の音の響きが面白かった。成長してやがてその意味が分かった時、倫道は戦慄した。

 

「死して屍拾う者なし」。

 

 任務の途中で死んでも、その死体を拾って弔ってくれる人は誰もいないという意味だ。死体は誰にも弔われず、顧みられることなく打ち捨てられ、ただ野辺に転がって朽ちていくのみ。無縁仏ですら無い。

 

 倫道が自らを隠密同心と言ったのはその覚悟があってのことだ。

 

「シシテシカバネ、か」

倫道は独り呟き、研究を続けるため蝶屋敷に戻っていった。



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第二十六話 柱たちのクリスマス~鬼滅の天使~

急遽思いついて書いた柱たちによるクリスマス会。


 

「クリスマスって言うんですよ。西洋では家族でお祝いしたりするんです」

「へええ。まあどちらにしても鬼殺隊には縁のねぇ話だなぁ」

道すがらの斗和の説明にあまり関心を示さず、不死川は生返事だ。

 

 

 今日は柱稽古や最終決戦に向けての報告、上弦や無惨に関する詳細な情報を柱の面々に伝える緊急柱合会議が招集されている。情報の出所は倫道と斗和の原作知識によるが、あくまで耀哉の超常的な能力と産屋敷家の情報網の力、ということにしてある。そして会議の後は、耀哉が柱たちの慰労会を開いてくれることになっていた。飾りつけやプレゼント交換などはもちろん無い慎ましさだが、丁度時期も時期、まさにクリスマスパーティーだ。

 

 斗和と不死川が連れだって本部にやってくると、既にメンバーがほぼ揃っていた。

 

 無惨と上弦に関する詳細な情報が伝えられ、今後の訓練に活かすため、みな一様に驚きと戦慄をもって真剣にそれに聞き入った。最終決戦は年明け間もなくとの予想が発表され、一同は気を引き締めて訓練に臨むことを誓った。

 

 会議後は耀哉の提案もあり、柱たちの日頃の苦労を労い、士気の高揚と柱同士の親睦を深めるためパーティーという名の飲み会が開かれることになっていた。斗和と倫道が加入してからはイベントが立て込んでいたため、柱同士が集まっての食事会などは行われていなかったこともあった。

 

「では、今日は私から感謝のしるしだ。わずかばかりだが酒肴も用意してあるから、日頃の苦労を忘れて、英気を養って欲しい」

耀哉は挨拶の後引っ込み、本部付きの隠たちが数人入って来て料理や酒などを座卓に並べ、パーティーが始まった。

 

「よう、お前ら本当に若夫婦みたいだな」

宇髄が不死川と斗和を茶化す。

「蓬萊も、以前のあのド田舎の芋娘の面影がねえくらいに垢抜けたじゃねえかよ。もう芋柱って呼び名も封印かねぇ。しかし変われば変わるモンだな」

宇髄は感心しきり、という調子でさらに続ける。

 

(この野郎!とうとうみんなの前でその呼び方をしたな!)

斗和はそれ以上言うなと宇髄を睨んだ。

 

「ちょっとその呼び方は止めてくださいよ派手柱様!」

斗和が負けじと反撃する。派手柱、とはもちろん宇髄のことだ。

 

「ほう、言うじゃねえかよ芋柱」

宇髄もにやにやしたまま応じた。斗和と宇髄の同期コンビがそんな鍔迫り合いを続けていると、

「でも本当にお似合いですよぉ。いつからなんですか?あの会議の時もみんなの前で堂々と宣言してましたもんね!」

伊黒とおしゃべりしていた甘露寺が、山盛りの取り皿を持ちながらうっとりとした様子で話に入ってくる。

 

(あれは違うのよ甘露寺さん!そんなつもりじゃくて……倫道ぉぉぉ!)

斗和は以前の柱合会議で、“不死川と夫婦に”と言ってしまったが、柱合会議の席でそんな暴露をする意図は全く無かった。柱たちの前で就任の挨拶をしなければならず、ド緊張の斗和に倫道がカンペを出してくれたが、助けてくれたと思っていたカンペの中に交際宣言をさせる内容があり、その悪戯ににまんまと嵌められただけだったのだ。

 

「なあ煉獄、芋娘が柱になったら芋柱だよな?」

宇髄が調子に乗って、杏寿郎を話に引き入れた。

「芋柱、と言うのは蓬萊のことか?宇髄!蓬萊は決して芋娘ではないぞ!それに芋柱では芋の呼吸になってしまうな!」

杏寿郎は斗和への想いはもう整理がついたのか、豪快に笑っている。

 

「壱ノ型 蒸かし芋!って、止めてくださいよ煉獄さんまで!」

斗和が乗り突っ込みをすると、

「そうなると、弐ノ型は“焼き芋”だな!」

杏寿郎も面白がって続け、

「あ、じゃあ参ノ型は“大学芋”で!本郷の三河屋さんの大学芋食べたいわ!!……またお腹空いてきちゃった!」

甘露寺も取り皿の料理を一気に口に入れながら言った。

「お前らただ調理法を言ってるだけだろ!!技でも何でもねえ!」

宇髄が突っ込むと一同は大笑いになり、下らなさに呆れていた伊黒までが、釣られて少し笑った。

 

 斗和の周りには人が集まり、みな賑やかに騒いでいる。不死川は宇髄の芋娘いじりを笑って聞き流していたが、宇髄が斗和を遊郭での任務に連れ出そうとしたと聞いてひと悶着起こった。だが杏寿郎と伊黒が抑えて事なきを得て、また笑いの渦に包まれる明るい雰囲気に戻った。

 

 一方。

「時透君はお酒ではないものにしましょう」

時透にお茶などを勧めながら、カナエ、しのぶ姉妹で悲鳴嶼とともに何やら話し込んでおり、こちらも和やかな雰囲気だった。

 決戦が迫る中、束の間の楽しい時間を過ごす柱たち。

 

 しかし座敷の隅っこでは、賑やかなざわめきから取り残され、倦怠期の夫婦のような二人。

 

「ちょっと姉さん、あれ大丈夫かしら?あそこだけ空気が淀んでない?」

「大丈夫よ、もともと同門なんですもの。放っておけばいいのよ」

しのぶとカナエがチラチラと視線を送る先には、水柱二人、冨岡と倫道が黙って向かい合っていた。

 

「……」

「……」

「……」

「……」

(なんで俺が)

倫道はカナエに命じられ、ボッチの冨岡の相手をしているのだった。

 

「水原、お前も他のみなと話して来れば良い。俺は一人で食べているから構わないでくれ」

冨岡は表情も変えずに料理をもそもそと食べている。普段よりも表情が柔らかいのは、目の前の料理が大好物の鮭大根だからだ。

 

(そう言われちゃうと却って離れづらいな。何だか俺がひどいヤツみたいじゃないか)

倫道は困ったが、仕方なく共通の話題で何とか場を持たせようとした。

 

「そう言えば炭治郎君ですけど、冨岡さんがあの時見逃してくれたおかげでここまで成長できたんですよね。上弦の鬼と二戦二勝、しかも五体満足ですからね」

「そうか、お前は炭治郎の戦いぶりを見ているのか」

「見ましたよ。冨岡さんは、彼が“ヒノカミ神楽”という独特の呼吸を使うのを知っていますか?」

「噂程度には聞いている」

 

「そうですか」

倫道はもったいぶって、大層なことを言うぞ、という雰囲気を醸し出しながら話を一旦切り、そして、さも自分の推測であるかのように告げた。

 

「あくまで俺の推測ですが、“ヒノカミ神楽”とはおそらく――」

「何だ?」

冨岡は興味半分、嬉しそうに話す倫道に合わせてやる意図も半分で聞いてやった。

 

「始まりの呼吸、日の呼吸ではないかと」

「!」

さすがに冨岡も驚いた。

 

「まあ、そうであったら良いなと。その程度の推測ですけど」

会話の糸口を掴んだ倫道に乗せられて、その後冨岡は何時になく色々と語り、時には笑い合うくらいに盛り上がった。ただそれは他の者から見ればぼそぼそと呟き合い、お互いに時々にやりとするだけ、という不気味な様子であったが、気付けば時間もそれなりに経過していた。

 

 倫道が周囲を見渡すと、宇髄と斗和、不死川を中心に盛り上がっていた一団はばらけ、伊黒と甘露寺、時透も既に帰っており、悲鳴嶼は耀哉と話があると言って中座していた。杏寿郎と宇髄はお互い勝手な事を言い合いながらガハハ、と大声で笑っていた。

 

 飲み比べで潰されたのか、机に突っ伏して寝ている不死川の横で一人、斗和が杯を傾けていた。良く見るとアルコール度数のとても高そうな鹿児島の芋焼酎と日本酒を手元に置き、芋焼酎をぐいっと飲んだ後、口直しとばかりに日本酒を手酌で呷(あお)り、顔色も変えずにそれを繰り返しているのだ。

 

(うわあ!日本酒をチェイサーに芋焼酎飲んどる!!もう人間じゃない!)

酒に超弱い倫道が驚愕の表情を浮かべて恐る恐る眺めていると、斗和がふと顔を上げ、倫道と視線が合った。

 

「倫道君!ちょっとこっちに来なさい」

手招きする斗和、倫道は少し迷ってぐずぐずしていたが、それでも斗和は強く手招きを続けた。

(逃げ遅れた……)

仕方なく倫道は座卓を挟んで斗和の前までやって来た。

「何で立ってんの?座んなさいよ」

「えっ?い、いやあ、あのですね、俺はもう失礼しようかなと。お先にドロンで、なんちゃって……」

倫道がビビりながらごもごも言っていたが、

 

「座れ」

「はい」

斗和が命じると、倫道はすぐに正座した。

 

「ちょっと倫道君に言いたいことがあったのよ」

斗和は持っていた杯を座卓に置いて、倫道にひたと目を据えた。

 

「ひえっ、な、何でしょう?」

「あのさ、えっと、その。えーと……。いつも、あり――」

斗和が言いかけた時。

 

「こらぁ!水原!」

さらに酔った女の声が響き、正座した倫道の襟首を背後から掴んで引っ張る者がいた。どてんと後ろに転がった倫道が起き上がって振り向くと、しのぶが酔っ払い、カナエが「止めなさい!」と懸命に静止していた。

(女性の柱は絡む人多いなあ。もうお家に帰りたい……)

倫道は飲み会に参加したことを後悔していた。

 

「どうせ私は頸を斬れない中途半端な剣士よ!柱の資格なんて無い!あんたもそう思ってるでしょ!」

眼が据わったしのぶが怒鳴る。

「そんなことないですよ、しのぶさんは十分強いですよ」

倫道が慰めるが、しのぶはふと素面に戻ったような様子で、

「それでも体格や筋肉量はどうにもならないでしょう!男で上背もある貴方には分かりっこない!」

悲しそうに、悔しそうに呟くしのぶ。

 

(確かに戦闘においては体格差のハンディは大きいよな、体重別の競技じゃないんだから)

格闘技において、軽量級の選手が体重差のある重量級の選手に挑むのは並大抵のことではない。体重差による技の威力の差、リーチの差。それは勝敗を分ける重要なファクターであるのは紛れもない現実だ。

 絡まれて面倒くさいと思いながらも、鬼滅の原作の中で人一倍小柄なしのぶの苦悩を知っている倫道は切なくなった。

 

(何かおかしいな)

ブツブツと独り呟くしのぶを見つめていると、倫道はある疑念を抱いた。

 

(もしかしたら全然酔ってない?酔っぱらったふり、と言うか……そんな風にして吐き出したい思いがあるのかな?)

そう思った倫道は、あくまで酔っ払いの相手をさせられて困っている人を演じ続けた。

 

「しのぶには毒を作って鬼を倒す頭脳があるじゃないの!それに医術も、私よりずっと」

カナエが慰めるが、

「それもまだ全然だめなの!救えていないのよ!……私は剣士にも、天使にもなれない!」

しのぶは杯を机に乱暴に置くと自分で酒を注ぎ、また呷った。

 

 しのぶの言う天使、とは。

 倫道には思い当たることがあった。クリミア戦争において、従軍看護師として傷病者たちの看護、治療に精力的にあたり、その後様々な改革を行い現代看護学の基礎を築いたフローレンス・ナイチンゲールのことだろう。

 

「しのぶはまたそのことを言っているのね」

困ったものだ、とカナエは嘆息する。自分には力が足りない、居ても意味が無いのではないか、そんなことを口にするようになっていたからだ。

 

「いえ、しのぶさんも、そういう意味で言うなら蝶屋敷の人たちも天使です。――そう言えば、ナイチンゲールは確かにクリミアの天使と呼ばれていますが、彼女自身はそう呼ばれることを良く思っていなかったらしいですよ」

倫道はしのぶに声をかけた。

 

 

――「天使とは、美しい花をまき散らす者のことではない。苦悩する人のために戦う者のことだ」――。

ナイチンゲールの言葉を訳したとされるこのような文章が有名だが、倫道は原文を見て違和感を覚え、これは余りにも意訳が過ぎると考えていた。

 

 

「要するに、優しく美しいだけの存在ではないと言いたいのだと思います。お花を撒いて歩くなんて、そのような事ならやろうと思えば誰しもができるんです。でも本当に天使と呼ばれるべきは、健康を害し回復を妨げる事を取り除くために、“仕事”をやり抜く人だと言っているんですよ。仕事というのは直接患者を介護するだけでなく、例えば血液や排泄物で汚れた患者さんの体をきれいにするような、汚くてきつい仕事って意味です。そんなきつい仕事を誰にも感謝されることなくやり遂げる人が天使なのだと」

倫道は静かに、しかし懸命に語る。カナエは感心して聞き、いつの間にかしのぶもじっと聞き入っていた。

 

「俺も刀鍛冶の里での戦いの後、お世話になったから分かります。直接患者の目に触れないところでも、しのぶさんもカナエさんも、蝶屋敷のみなさんは全員が昼夜を分かたず一生懸命に治療に当たっておられた。本当に頭が下がります。だから、私たち患者から見れば皆さんは天使に他ならない」

倫道は感謝を込め、熱心に語った。それは偽らざる思いであり、心からの賛辞だった。

 

「二人を始めとする蝶屋敷の者たちの働きには、隊士たち全員が感謝と尊敬の念を持っている。私もそうだ。治療するのは、隊士を強くするのと同じくらい、いやそれ以上に尊いことだ」

耀哉との相談を終えた悲鳴嶼がやって来て状況を悟り、優しく声をかけた。自分の力が足りないと嘆くしのぶの姿は、あの時と重なって見えたのだ。悲鳴嶼はカナエ、しのぶの姉妹が自宅を訪ねて来た時のことを思い出していた。

 両親を鬼に殺され、悲鳴嶼に助けられた姉妹はその後「鬼を殺す方法を教えて欲しい」と悲鳴嶼の元を訪れた。姉のカナエは、自分たちのような悲しい思いをする人がないように、と鬼を倒す決意を固めていた。妹のしのぶはより幼く、鬼への強い復讐心に燃えていた。悲鳴嶼はまだ幼子の姉妹に対して鬼殺の道を諦めるように仕向けたが、二人は悲鳴嶼の課した課題を乗り越えて鬼殺隊士となり、今では二人ともに剣士の最高位である柱となった。あの時の子供たちが、殊に体も小さく、それ故に大柄な男性のような力は出せないはずのしのぶが必死に叩き上げ、柱として鬼殺隊を支えている。

 それだけでなく、姉妹が運営する“蝶屋敷”は鬼殺隊の医療体制を担い、多くの怪我や病気の隊士たちを救っている。その中心にいるのはカナエ、しのぶ姉妹だ。それを思うと悲鳴嶼は涙を禁じ得なかった。

 

「そうだぞ、お前ら。俺たちはいつも世話になってありがたいと思ってるんだ。何にも遠慮することはねえ、私たちのおかげで鬼殺隊は戦えるんだって言ってやれ」

「その通り!治療してくれて助かっている!君たちの尽力は尊敬に値する!もちろん医術だけでなく、剣士としてもだ!」

宇髄と杏寿郎も改めて日頃の感謝を述べ、胡蝶姉妹を認めているとはっきり口にした。少し離れて話を聞いていた冨岡も賛意を表すように頷いていた。

 

「でも宇髄さんは、うちの子たちを連れ出そうとしたんですよね、遊郭に!」

思わぬ賛辞の嵐を受け、しのぶは嬉しいやら恥ずかしいやらで酔ったふりも忘れ、宇髄に憎まれ口を利いたがその瞳には涙が光っていた。

 

「ほら、みんな分かっているんですよ。しのぶさんは立派な天使であり剣士です。もちろんしのぶさんだけじゃなく、カナエさんも」

倫道が熱く語る言葉を照れくさそうに聞いていたしのぶは眼を逸らし、そっぽを向いて顔を上げ、鼻をすすっていたが、

「姉さん、もう帰りましょう。まだまだ研究を続けないと――。みなさん、ありがとうございました」

しのぶはそう言って深々とお辞儀をし、カナエを引っ張り帰ろうとした。

「すみません、私たちはこれで失礼します。……ありがとうございます」

カナエも続いて一同に頭を下げ、手早く帰り支度を始めた。

 

「ナイチンゲールはこうも言っています。『自己犠牲なき献身こそ真の奉仕』。あまり自分自身で背負い込み過ぎないでくださいね」

二人に倫道がまた声をかけ、頭を下げた。

 

「水原さん、本当にありがとう」

帰り際、カナエは倫道に個別に礼を言い、しのぶを連れ帰って行った。

(水原さん、それは貴方にも当てはまるでしょう?それにしのぶが思い悩んだのは、貴方の手技を見たからでもあるのよ。でも今日の事でしのぶが少し楽になってくれると良いのだけれど)

カナエは心中密かに思っていた。

 

 

(感謝は言葉にしないと伝わらないよね。ちゃんと御礼を言っておかなくちゃ)

斗和は先ほど中断した感謝をもう一度倫道に伝えようとした。

 

「倫道君、あのさ」

「……えっ?」

斗和は倫道の背中に声をかけた。だが、振り向いた倫道はカナエに礼を言われたのが嬉しかったのか、デレデレした顔をしていたので斗和はちょっと引いた。

 

「ではそろそろお開きにしよう。それぞれ決戦への備えは努(ゆめ)、怠らぬように……」

そこで悲鳴嶼が終了の宣言をして、会話は打ち切りとなった。寝ていた不死川も起き出し、すっかり寝ちまったぁ、と思い切り伸びをした。

 

 

(ああ、また言えなかったな、ありがとうって。でも戦いが終わったら改めてちゃんと言おう)

斗和は心に誓い、倫道含む他の柱たちと挨拶を交わし、まだフラフラしている不死川と一緒に本部を後にした。

 

 また明日からは厳しい鍛錬が待っている。最終決戦が迫る師走の夜空の下、束の間の平和な時を過ごした柱たちはそれぞれの思いを胸に帰って行った。

 



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第二十七話 覚悟~無限城編・前編~

館坂佳成(たてさかよしなり)…【野良着の隊士】オリジナルキャラ。斗和の継子であったが黒死牟により鬼にされ、上弦ノ伍・虎狼(ころう)として斗和の前に現れる

虎狼は猗窩座と同じく無惨に気に入られ、上弦ノ陸から伍に昇格しています。
一部土砂災害に関する表現が出てきます。ご不快な方は閲覧をお控えください。




 

(これが産屋敷の当主か)

ついに見つけた鬼殺隊本部・産屋敷家。鬼舞辻無惨は、布団に横たわった男を冷ややかに見下ろしていた。傍らに美しい女が正座して控え、静かに無惨を見上げている。

 

「存外元気そうだな。余命幾ばくも無いと聞いていたが?」

気配は察していたのだろう、声をかけると男はすぐに眼を開いて、特に驚く様子も無く無惨を見上げた。

 産屋敷家の当主は代々若くして死ぬという話だったはずだが、その男は色は白いが健康そうで、二十代前半という年齢相応に見えた。顔中酷くただれているという噂も本当ではなかったようだ。

 

「私の子供たちが治療法を考えてくれた。体はもう随分と良くなったのだよ」

鬼殺隊当主・産屋敷耀哉は上半身を起こすと布団から出て、自分の足でしっかりと立ち上がった。

 髪型や服装、肉付きは違うが顔は瓜二つ、その両者が向かい合う。しかしよく見れば、表情には決定的な違いがあった。同じように微笑んでいるが、無惨は傲慢で冷酷な印象を抱かせるのに対し、耀哉の微笑みは慈愛に満ちている。その差は、無惨の瞳孔が爬虫類のように縦に長く細いからだけではなく、人物の本質によるものであろう。

 

「半年の治療で私は概ね健康を取り戻したよ。君はきっと、自分の手で私を殺しに来るだろうとと思っていた。その時君としっかり向き合って話すために」

耀哉はただれの消えた顔で無惨に微笑みかけた。

 

「その僥倖も無意味なことだ。健康を取り戻したとて、僅かばかり命が延びたに過ぎない。目障りな鬼狩り共は今宵皆殺しにする。お前も今から殺す。それから禰豆子を喰って取り込み、私は完全な不死身となるのだ」

無惨は、それがどうしたと言わんばかりに、自信たっぷりに言い放つ。

 

「残念ながら君の望みは叶わないことになっている」

耀哉は穏やかに、しかしきっぱりと言葉を返した。

 

「禰豆子の隠し場所に随分と自信があるようだな。だが私には時間がある。お前たち人間とは違う」

余裕の構えを崩さず、自らの勝利を微塵も疑っていない。そんな無惨を見て、耀哉はふっと小さく笑った。

 

「何が可笑しい」

ここにきて、初めて無惨は感情の揺らぎを見せた。目の前にいる、自分とそっくりな男の態度が単純に癪に障った。この男は今すぐにでも殺せる。圧倒的に有利な状況だが、何故か無惨の心がざわついた。

 

「私はね、無惨。禰豆子の隠し場所でなく、私たち鬼殺隊の勝利に自信があるのだよ。そうなっている、と言っただろう?それに、例え私が殺されても鬼殺隊は些かも揺らがない。却って私が殺されれば鬼殺隊の結束は強まり、士気は上がる」

耀哉の口調は変わらず穏やかでありながら、威厳すら漂わせる凜とした佇まいはさすが鬼殺隊当主だ。単に虚勢を張っているだけかもしれないが、無惨は、余りに自信ありげな耀哉の様子を不審に思った。しかし気配を探っても、この広い屋敷には耀哉と妻、庭で遊んでいる二人の幼い娘しかいない。

 

「無惨、君とは決着を付けなければならない。……部屋を変えても構わないかな?あの子たちが」

耀哉はそう言って妻のあまねを伴い、無惨に背中を向けて屋敷の奥の方へ歩き出した。二人の娘が遊ぶのを止め、庭から心配そうに見つめている。

 

(殺されるところを娘に見せたくないという訳か。しかし護衛もいない、妻がいるだけ……一体何を考えている?殺されるためにわざわざ待ち構えていたのか)

無惨は数歩の距離を開けて二人について行く。もう少し気を配っていれば、耀哉の尋常ならざる気迫を察知できたかもしれないが、この時は何の気配も感じ取れなかった。いつでも殺せる、その立場の圧倒的な優位が油断となり、無惨から細かい観察力を奪っていた。

 

 無惨が二人の後について隣の部屋に入ると、背後のふすまが重々しい音を立て、独りでに閉まったが無惨は気にも留めなかった。

 

 無惨が部屋の中央に来た瞬間、これまで何も気配が無かった床や天井、ふすま、部屋の四方八方から何十本もの黒い刺が飛び出した。棘は耀哉とあまねを器用に避け、耀哉とあまねがすぐ近くにいたせいで油断していた無惨は全身を刺し貫かれ、完全に固定された。

 同時に愈史郎の血気術、“紙眼”で気配と姿を消していた倫道が部屋に飛び込み、耀哉とあまねを抱えて床下の避難路へ逃げ去った。

 

(血気術!これは誰のものだ?小細工を!)

多くの棘に貫かれ完全に固定されながら、全て吸収すれば問題ないと考えた無惨はまだ余裕があった。

 

 しかし次の手が無惨を襲う。

 

 今度は部屋に仕掛けられた大量の火薬が爆発、熱風と衝撃波が無惨を飲み込んだ。固定された無惨へとその衝撃が集中するように綿密に計算して爆薬が仕掛けられており、部屋には強固な補強が施され、庭にいた耀哉の娘たちも予め掘られた脱出路に駆けこんで無事だった。それでも爆発の凄まじい威力は殺しきれず、鉄板のように補強されたふすまや天井も吹き飛び、漏れ出した衝撃波で広大な屋敷全体が半壊する程であった。

 

「哀れな鬼の始祖よ、恨まないでおくれ。君は私たちが、私たちの代で倒す。君たち鬼は滅び、鬼殺隊が勝利すると決まっている。そうなるように私も命懸けでこの戦いに臨む」

耀哉はそう呟き、最終決戦の指揮を取るため新たな本部へと向かった。

 

(珠世さん!やっぱり!)

倫道はすぐに無惨のところへ駆け戻ると、無惨の体に薬を突き入れる珠世の姿があった。

 

 無惨は急速に再生しながら、珠世の左上肢を既に肩まで吸収し、頭の一部も吸収し始めていた。

 

「珠世さん!ご無礼!!」

倫道は飛び込みざまに珠世の肩や頭など、吸収されようとしている体の左側の多くの部分を切断、珠世を無理やり無惨から引き剥がした。

 

「何をするんです!放して!私はあの男と共に死にます!」

顔の一部や左腕を失って血だらけになりながら、珠世は必死に抵抗したが倫道は何とか珠世を連れて退避した。

 

「やはり読まれていましたか……」

左半身から血を流しながら珠世が呟く。すぐに傷口は塞がり、失った左半身が切断面から生えてきていた。

 

「この忌まわしい体……」

見る間に再生していく腕を見ながら珠世が呟く。

 

「すみません、知っていて見過ごすわけにはいきませんでした」

倫道は済まなそうに続けた。

 

「珠世さん、おつらいでしょうけど、貴女は生き続けなければならない。生きることから逃げないでください。俺は貴女の運命も知っていたし、貴女のことも救いたかったんです。自己満足かもしれませんけど、みんなを救って、その人たちがほのぼのと平和に生きてくれること、それが消えいく俺の存在意義なんです……。この戦いが終わったら復讐に囚われる必要もありません。医学の発展のために穏やかに生きてください。……それと愈史郎さんのためにも」

倫道が深く頭を下げた。

 

「そうでしたね、貴方は未来を知っているのですものね。厄介な人に目を付けられたものです。しかし……愈史郎がどうかしましたか?」

珠世はため息をついて悲し気な微笑みを浮かべたが、何故急に愈史郎の名が出てくるのかと訝しんだ。

 

「それはご自分で愈史郎さんにお尋ねください」

倫道は意味ありげに微笑み、それ以上語らず戦場へ向かった。珠世は、倫道がうっかりと漏らした「消えていく」というセリフも気になったが、その真意を聞くことはできなかった。

 

 産屋敷邸は幾つもの箇所で火の手が上がり、大ダメージを負った無惨は炎の中で歯噛みする。

 

 しかしそれは、最終決戦の幕開けに過ぎなかった。柱たちが次々に到着、無惨への攻撃を開始するが、本格的な戦闘に突入する前に巨大な異空間への扉が開き、隊士たちが無限城へと落とされていった。不死川と一緒に本部に駆けつけた斗和も異空間へと落ちていく。鳴女に捕捉されていた隊士たちも無限城へと落とされ、倫道もマスカラスとともに異空間へとダイブしていった。

 

 遂に運命の最終決戦が始まった。

 

 

 

 

 

 無限城に落とされる途中で不死川と離れ離れになり、斗和は一人、原作を思い出しながら用心深く無限城内を歩いていた。

 

(確か出来損ないみたいな鬼がたくさん出てくるはず)

時折飛び出してくる雑魚鬼、と言っても下弦に近いくらいには強化されているが、今の斗和には足止めにすらならなかった。それらを瞬殺しながら斗和は自らの強さを再確認して気持ちを落ち着かせた。

 

(体調は万全!上弦や無惨相手にどれほどやれるかは分からない。この戦いの後、私がこの世界にいられるかどうかも分からないけど、絶対みんなの役に立ってやる!)

この世界の人々を護り、この戦いを勝利に導く。そのために、鍛え抜いた力と技を発揮する時が来た。

(私はもともとこの世界の人間じゃない。だから、消えてしまうのかもしれない。でも……。私はどうなっても良いけど、消えてしまった時に実弥さんが悲しんでくれなかったら寂しいな)

斗和は寂しさとともに、そんなことが気になる自分に苦笑した。

 

「斗和さん!」

後ろから声をかけられ、振り向くと倫道が駆け寄って来た。

 

「倫道君!大丈夫?怪我は?」

「俺は大丈夫。斗和さんはどう?体の調子は?」

「絶好調だよ!頑張ろうね!!」

「俺たちが組めば黒死牟にだって負けないよ。……多分」

倫道は不安を隠して笑って見せる。

 

「弱気!」

斗和も余裕の笑みを返した。斗和が万全の状態で決戦に臨んでいる。鬼滅の原作にも、“野良着の隊士”の物語にも無い展開なのでどの相手と当たるかは倫道にも分からなかったが、互いに心強く、どんな強敵も倒せるという自信があった。

 原作で既に死亡しているはずのカナエ、杏寿郎を始め、怪我の無い万全の状態の宇髄、復帰した煉獄槇寿郎もいる。獪岳は鬼にならず、不死川玄弥は魔改造により原作よりはるかに強くなっている。そして何より主人公の斗和と全てを知る転生者の倫道がいる。鬼滅の原作と比較すると、大幅に戦力が増強されているのだ。

 懸念材料としては、新たな上弦の補充。原作では獪岳が上弦ノ陸となったが、この世界で新たに上弦となるのは――。

 

(無限城で斗和さんと一緒になった。この流れは)

倫道の危惧はいよいよ現実味を帯びる。“野良着の隊士”の世界では、斗和と無限城で対峙するのは、因縁のあの鬼だからだ。

 

 二人は大広間のような部屋にたどり着いた。そこは部屋と言うよりもだだっ広い空間。部屋の中には黒い柱が所々に立っていて、柱の間には格子戸が建っており、見通しは良くないが天井が高く、広がりのある場所だった。

 

「ここは、黒死牟の居た広間?」

倫道は小声で話しかける。どういうことなのか、斗和とあの鬼が顔を合わせるのはここではないはずだが、と倫道は都合良く期待するが、倫道が色々と動いてきた結果、物語に重大な改変が起こっていることは間違いなさそうであった。

 

「こんな感じだったかな?……ってことは、私たちは黒死牟だね」

佳成の仇討ちだ、続けて斗和がそう答えようとした時、その眼が鬼の姿を捉えた。

 短い黒髪、大柄な青年の姿。剣と思しき巨大な得物を背負い、腕を組んで柱にもたれ、じっと佇んでいる。

 

(見たことない鬼だ。背負ってるのは……剣?あんなでかい物を扱えるくらい力があるってことね。新しい上弦かな?)

斗和が敵の正体を確かめようと目を凝らす。

 

(あれは!……違う、そんなはずは)

俯いて眼を閉じたその横顔に、斗和は見覚えがあった。

 

「静寂だった城が騒がしくなった……」

鬼は気配を察したのか顔を上げ、聞き覚えのある声でそう呟くと、斗和と倫道の方へ正面から向き直った。

 

(違う。あれは違う、そうじゃない。あの時に死んだはずだ)

斗和は自分の考えを必死に否定しようとするが、変わり果てていても見間違うはずがなかった。忘れるはずがなかった。

 

「鬼狩りか。あの御方に仇なす者ども、俺が殺してやる」

鬼は背負った巨大な得物を軽々と前方に振り出す。それは鉄板を生体組織で包んだような大剣だった。表面はゴツゴツとした瘤で覆われ、血管のような赤黒い筋が縦横に走り、その中に所々金属らしい鈍い光沢が覗いている。それは剣というにはあまりに大きく、分厚く、あまりに武骨だった。そしてその巨大な得物を操るに十分なパワーを感じさせる、筋骨隆々の体躯。

 

 息を呑む斗和、密かに顔を歪める倫道。

 

 上背は以前よりもさらに伸びたように見えた。腕や脚だけでなく、首回りや肩の筋肉が盛り上がり、人間だった頃より各部が二回り以上も大きく発達して最早怪物じみていた。人の好さが丸出しだった優しそうな目許は吊り上がり、印象が大きく変わっていた。強膜(白目)は黒く染まり、黒目の部分、虹彩は青白く輝き、右眼に“上弦”、左眼に“伍”の文字が刻まれていた。両頬から眼の周囲にひび割れのような紋様が走り、爽やかな好青年の面影はわずかにしか残っていない。しかし通った鼻筋と顔の造作は紛れもない、彼だった。

 

「佳成……何で」

残酷な巡り合わせにそれ以上の言葉を失い、呆然と鬼を見つめる斗和。

 

「やはりこうなるのか……!」

危惧が的中し、呻くように言葉を絞り出す倫道。先程までの二人の闘志は完全に挫かれてしまった。

 

「お前はあの時の男か。また会ったな、今度こそ本気で相手をしてもらおうか」

鬼は明らかに動揺を見せる二人を無表情に眺めていたが、女である斗和にはさして興味を示さず、倫道が先日の男だと気付くと初めて薄く笑った。

 

「また会ったって何?どういうことよ倫道君!!やはりって言ってたよね?知ってたの?」

倫道の呟きは斗和の耳にも届いていた。そして鬼の今のセリフ。斗和は取り乱し、血相を変えて倫道を問い詰めた。

 

「し、知らない!こんな奴に会ったのは初めてだ」

倫道は必死に否定する。

 

「だって!あいつ今」

「本当だよ。俺は何も知らない」

「嘘!」

斗和はあまりに残酷なこの運命に感情の整理が追いつかず、自分でも理不尽と分かっていながら倫道に詰め寄った。

 

「「!」」

二人は飛び退き、大剣の強力な一撃が二人のいた場所の床を破壊し、破片が飛び散った。

 

「仲間割れはあの世でやれ」

鬼が床にめり込んだ大剣を引き抜き、片手で構え直した次の瞬間、さらに鋭い二撃目が放たれた。

 

 反応が遅れたわけではない。この鬼の踏み込み、剣の振り下ろしは大変なスピードだが、倫道は斬撃を躱し切ったはずだった。だが斗和を庇ってより前にいた倫道の額にはわずかに切創が出来ており、たらりと血が滴った。鬼の持つ大剣はただ分厚く頑丈なだけでなく、切れ味も鋭い。さらに範囲は限定的だが斬撃の際に空気の流れを作り、生み出された真空の渦が副次的に敵を攻撃する。

 

「少しはやるようだな。俺は上弦ノ伍・虎狼」

――上弦ノ伍・虎狼、かつての館坂佳成(たてさかよしなり)は、先ほどよりも幾分かはっきりと笑みを浮かべた。

 

(斗和さんはショックですぐには無理だ。俺が単独で当たるしかない!)

戦うしかないのは分かっている。だが心のどこかで、全力で戦うこと、佳成を殺すことへの迷いが拭い切れなかった。

 

 倫道は単独で虎狼と戦闘を開始した。

 

 虎狼は相手の攻撃があろうと構わず距離を詰め、巨大な剣で一撃必殺を狙う戦法だ。以前倫道と戦った時も、相手を上回る威力の攻撃を繰り出し、逆に相手にダメージを与えていた。

 

 空破山!

 

 倫道の刀が空を叩き、幾筋もの真空の刃が放たれた。

 

「カマイタチか、面白い」

虎狼は軌道を読んで迎撃するが、そのうちの一つが虎狼の片足首を、もう一つが頭の一部を斬ったが、斬られた部分は即座に再生し、虎狼は余裕の構えを崩さない。その一瞬の間に倫道が飛び込む。

 

 水の呼吸 漆ノ型・雫波紋突き

 

 倫道は遠隔斬撃からの水の呼吸最速の技で一気に距離を詰める。だが虎狼もドラゴンころしのような大剣を軽々と振り回し、接近戦の間合いに入るのは容易ではない。

 倫道が飛び込むタイミングを図っていると、今度は虎狼が連撃を繰り出す。ハンマー投げの要領で剣を持って体ごと回転しながら突っ込み、最後に回転の勢いを横回転から縦方向に変え、勢いを利用して頭上から大剣を叩きつけた。剣は床にめり込み、連撃を何とか躱した倫道がその隙を突いて攻め入ろうとしたが、虎狼は剣を握ったまま側転、その勢いでめり込んだ剣を引き抜き、新たに攻撃態勢に入る。掠っただけでも腕の一本は飛んでいきそうな勢いで大剣が振り回され、倫道は再び間合いを取らざるを得ない。

 

 倫道はフットワークを活かし、虎狼の攻撃範囲ギリギリに細かく出入りを繰り返して隙を伺う。また決定打にはならないが、空破山で何度も斬撃を浴びせ、虎狼をイラつかせる。

 

 虎狼の攻撃範囲の広さ、威力は驚異的だ。この巨大な剣の斬撃をまともに食らっては受け流すのも至難の業。生半可な防御など役には立たず、下手をして受け損なえばまさに粉砕されてしまう。しかし武器の巨大さ故に、間合いを詰めて密着し、その威力を殺せば勝機はあると倫道は考えた。虎狼は踏み込みが速いがその動きは直線的で、倫道のような自由自在なフットワークは持たず、それは人間の頃と変わっていないようだった。いきなり頸狙いではなく、ヒットアンドアウェイでまず四肢のどこかを切断して隙を作り出す。もう一つの戦法としては、こちらが虎狼以上の攻撃を繰り出すこと。斗和との同時発動の高威力攻撃で一気に叩く。使いどころは難しく、今や上弦の鬼となった虎狼に通用するかどうか、確証はない。

 

 一旦退避した倫道もほぼ無傷、十数カ所を斬られた虎狼も既に傷は塞がっている。二人はまだまだ手の内を隠し、静かに睨み合った。

 

「鬼狩りは何人も喰ったが、まるで手応えが無かった。お前は今まで相手にした鬼狩りとは違うようだな」

虎狼が倫道に向かってまた薄っすらと笑みを浮かべる。

 

(人間を、仲間を!やはり喰ったのか!)

斗和はギリギリと血が出るほどに唇を噛み締め、虎狼を睨んでいた。

 

 倫道がまた斬りかかった。虎狼の斬撃をギリギリで躱しながら四肢に斬撃を浴びせる。虎狼は大剣を盾としても使いながら有効打を許さず、逆に体術で攻撃して激しい戦闘を繰り広げた。

 

「この感じ、久しぶりだ。俺も以前は鬼狩りだったらしいが……お前たちは俺のことを知っているか?」

前回戦った時のように、虎狼がまた聞いてくる。

 

「お前など知らんな。だがお前によく似た隊士はいた。良い奴だったが、そいつはもう死んだよ」

額から滲む血が眼に入り、流れて落ちる。それはまるで血の涙だった。

 

「だから、お前を解放してやる。――せめて、俺たちの手で!」

倫道は虎狼を見つめ、迷いを断ち切るように、自らに言い聞かせるように叫んだ。

 

「知っているということか。それなら昔のよしみで選ばせてやろう。全身を砕かれて死ぬか、体を真っ二つにされて死ぬか」

虎狼も大剣を構えた。

 

「ただし希望通りになるとは限らん」

 

 土の呼吸 壱ノ型・土龍爪(どりゅうそう)!

 

 虎狼は本格的に呼吸の技を使い、攻撃を開始した。

 

 

 

 

 あの優しかった佳成が鬼になった。

 

 好青年、そんな表現がぴったりの、優しく真面目な男だった。恵まれた体格があり、岩の呼吸を勧められて悲鳴嶼に弟子入りするも修行に行き詰まり、合同任務で見た斗和の技に感銘を受けて弟子入りを志願して来た。斗和にとって初めての弟子であり、年齢も近かったため、共に切磋琢磨する大事な仲間であった。恋人の夏世(かよ)のことをからかうと、顔を真っ赤にして照れていた、そんな佳成が。

 

(倫道君……佳成……)

斗和はあまりに無情な運命を呪い、どうすることもできない自分の無力さに悔し涙を流した。視界は涙で曇り、益々激しくなる倫道と虎狼の戦いがぼやけて映った。

 

 斗和は、以前に倫道と話したことを思い出していた。

 

 上弦ノ伍・虎狼、人間であった頃の名は館坂佳成。剣や体術の技以外、人間時代のことは思い出せなかった。

 

 鬼は人間時代の記憶を失っている者が多いが、中には保っている者もいる。それには何か意味があるのか?斗和は倫道とそんな話をしたことがあった。倫道は独自の考察を述べていた。

 

 黒死牟は縁壱より強くなるため、妓夫太郎は幸せな人間に復讐するため。人間よりも遥かに生命力の強い“鬼”という種族であることが、自我を保つことに繋がっている。それに、自分はもう人間ではないこと、人間であった自分が人間を喰らうことに精神的に耐えられるかどうかも重要なのではないか。童磨は感情が欠如しているため、それらに耐えられる。

 

「鬼は悲しい生き物。記憶を失ったまま人を殺し、罪を重ねるのも、人間の記憶を保って鬼として生きるのも。いずれにしても地獄だと思う」

そう語る倫道は悲しげな表情だった。

 

(倫道君、優しいからな)

斗和は、累や手鬼など、鬼が今際の際に人間の記憶を取り戻す悲しい場面を思い出しているのだろうとその時は思った。

 

 

 

 

(私たちがしてやれることは、もうこれしかないんだ!)

斗和は二人の戦いから視線を外して俯き、涙を流しながら刀を握りしめた。

 

 

 

「斗和さん!やるしかない!こいつを倒さなければ先へは進めない!」

倫道が斗和に叫ぶ。

 

「お前たちにこの先など無い。ここで俺に殺されるからだ」

 

 土の呼吸 伍ノ型・土砂崩れ(どしゃくずれ)!

 

 虎狼は薄笑いを浮かべ言い放つと、強力な広範囲攻撃を放った。

 

(斗和さんが今これを受けたら……!まずい、防御が間に合わない!)

激しく戦ううちに、倫道と斗和は距離が離れてしまっている。防御の技を展開しても斗和までカバーできない。

 

 水の呼吸 拾壱ノ型・凪!

 

 倫道は防御の技を繰り出しつつ斗和の方へと走る。だが虎狼が跳躍して放った攻撃は出が早く、威力は弐ノ型には劣るがより広範囲に及ぶ。

 

「斗和さん!避けて!」

焦る倫道が叫ぶが斗和は動かない。膝を突き、無防備な斗和に虎狼の攻撃が到達するかに見えたその瞬間だった。

 

 土の呼吸 玖ノ型・蚯蚓破裂(みみずばれ)!

 

 沈黙していた斗和から、突如斬撃が放たれた。

 

 床を割るほどの強力なその一撃は、押し寄せる土砂を猛スピードで切り裂いて突き抜け、虎狼に襲い掛かった。

 

(弱々しい鬭気だと侮っていたが、この女……?!)

突然の鋭い反撃を危うく躱し、真っ二つにされることは免れた虎狼だったが、片脚の膝から下を切断され、その威力に目を見張った。

 

 その技を放った女は、不思議な形をした刀を手に仁王立ちし、虎狼を睨み据えている。

 

「なぜお前が土の呼吸を……。しかも俺の技を突き破るとは」

虎狼は初めて斗和を強敵と認識し、話しかけた。

 

「お前の今のそれは土の呼吸のつもりか?そんな府抜けた技で土の呼吸を名乗るとは!!――無礼千万!!」

斗和は特殊日輪刀を片手で握り、切っ先で虎狼を指した。

 

「言うじゃないか。お前の名は?」

虎狼は強力な技を使う女剣士に興味を引かれたが、自分自身でも気づかぬうちに小さな違和感が心の内に芽生えていた。

 

「私は土柱 蓬萊斗和。この名に覚えは無いか」

斗和は仁王立ちのままじっと目を凝らし、虎狼の瞳の中に本心を探り出そうとした。

 

「知らんな」

そう答えた虎狼の表情には何ら変化が無く、感情の揺らぎも見えなかった。

 

(そうか……。完全に鬼になってしまったんだな)

目の前にいる虎狼と、かつて斗和の下にやって来たばかりの佳成が重なった。希望に満ち、それでいてどこか緊張した様子の佳成の姿が昨日の事の様に懐かしく思い出された。斗和は思わず涙が溢れそうになって一瞬だけ視線を外し、そしてもう一度虎狼を睨んだ。

 

(女……顔の傷……不思議な刀)

しかし、斗和が顔を伏せたその時。それは一瞬にも満たない時間だったが、虎狼の表情はわずかに動いた。

 

「生憎と俺には人間の記憶は無い。鬼狩りであったと聞かされただけだが、鬼狩りには感謝している。刀の握り方くらいは教わったのだろうからな」

虎狼は再び皮肉な薄笑いを浮かべた。

 

「お前は以前名乗らなかったな。名乗る気になったか」

虎狼は今度は倫道に尋ねた。

 

「水柱 水原倫道」

倫道は短く吐き捨てた。

 

「そうか、それは良い!柱を二人殺せばあの御方も喜んでくださる。それに女の方は土柱か。土の呼吸を使う者同士、命のやり取りも面白かろう」

虎狼は強敵と相対する喜びにわずかな笑みを漏らし、言い放つ。斗和も倫道も怒りと悲しみを押し殺し、虎狼を睨んだ。

 

 もうあの頃には戻れない、それがはっきりと分かった。

 

 かつてともに励んだ者同士の戦いがまた始まった。

 

 覚悟を決めた斗和の参戦で形勢が大きく傾き、斗和と倫道はコンビネーションで押し気味に戦いを進めていた。しかし虎狼は全く焦る様子も無く、それどころか戦闘自体を楽しむ余裕すら窺えた。

 

 斗和と倫道は連携して細かく斬撃を入れるが、上弦の再生力の前には崩しにはならず、虎狼は大剣を振り回せなくなっても体術を繰り出し連撃を許さない。猗窩座ほどの精度はないが、人間時代とは比べ物にならない剛力で振るわれる技は脅威で、二人掛かりで挑んでも通常の戦闘では虎狼を崩すことができず、戦闘は膠着状態となった。

 

 状態の打開を懸け、倫道が水の呼吸最大威力の技を発動するため、虎狼の周囲を円を描くように高速移動し、回転を上げていく。

 

(倫道君、生生流転を!でもそれだけじゃないな、絶対何か狙ってるよね?!とにかく最大威力になるまで私がフォローしないと!)

回転を始めた倫道をちらりと見て、斗和は一瞬で思考を巡らす。そして、刀をフルスイングする攻め一辺倒から、倫道への攻撃を逸らす護りを意識した動きへとシフトチェンジした。倫道は斗和のフォローもあって虎狼の攻撃を躱し、受け流しながら回転を重ねる。

 

「斗和さん!“弐ノ型”を撃って!」

倫道が斗和に叫んだ。

 

 倫道は回転をさらに重ね、虎狼の大剣の一撃も弾き返すほどにその刃に力が乗っている。

 

(土石流に生生流転を重ねる……同時発動?!)

斗和は倫道の意図を汲み、タイミングを図る。

 

 攻撃を避け、真空刃を飛ばし、さらに倫道が虎狼に接近する。

 

「弐ノ型か、良いだろう。どちらの技が優れているか、同じ弐ノ型で勝負といこう」

 

 土の呼吸 弐ノ型・土石流 兇狂(どせきりゅう きょうきょう)!

 

 虎狼は大剣を一閃、土の呼吸・弐ノ型を元に編み出した技を放った。大剣の一閃と共に、二重、三重の黒い土砂の壁が倫道と斗和に向かって奔り始めた。

 

 倫道が大技を放ち、斗和が弐ノ型を撃ってくる。――勝負を賭けてくる気だ。虎狼はその気配を察知して笑みを漏らす。虎狼は自らの優位性を全く疑わず、却って敵の切り札を粉砕し、戦意を挫いて一気に勝負を決める好機と考えた。

 

 土の呼吸 弐ノ型・土石流!

 

 斗和が刀を握りしめて力を溜め、弐ノ型を放った。斗和と虎狼、双方の巻き起こす土の壁が轟々と音を立て動き出し、スピードを増していく。

 

(ここだっ!)

 

 水の呼吸 拾ノ型・生生流転!

 

 倫道は幾つもある柱を蹴って高く跳んだ。二つの土石流が真正面から激突せんとした瞬間。倫道も最後の回転とともに技を放った。

 

 それは、水の呼吸と土の呼吸両方を使う倫道ならではの発想だった。土石流とは本来、土砂や岩石などを含んだ大量の水が河川などを流れ下ることを言う。つまり、この土の呼吸の技に水の呼吸の技が加わることで、単独で撃つよりもはるかに大きな威力を引き出すことができるはず、と倫道は考えた。

 

 同時発動 土石流・山津波(やまつなみ)!

 

 二つの技が一つになる。

 斗和の巻き起こした弐ノ型・土石流の黒い壁が大気を震わせ、それに水の呼吸最強の拾ノ型・生生流転が重なり、これまでにない威力を持った技となった。“山津波”は虎狼の放った「土石流 兇狂」と正面から激突、これを押し返して虎狼を技ごと飲み込んだ。戦場となった大広間は大きく揺れ、立っている柱や格子戸が衝撃で幾つも吹き飛んだ。虎狼も大きなダメージを負い、吹き飛ばされた。

 

(何と凄まじき技!柱同士の連携がこれ程のものとは!……このままでは殺られる!あれを)

虎狼はわずか数瞬だが体が動かなくなるほど激しい衝撃を受けた。何とか頸は守り、身体の損傷も再生できたが、このままでは押し切られる可能性がある。

 

(しかし、あれを使えば)

強力な血鬼術そのものに魂を喰われ、人語さえ解さぬ戦うためだけの存在になってしまうかもしれない。

 

(俺は何故戦う?何故強くなろうとする?決まっている、無惨様のためだ。鬼狩り共を殺すためだ。俺が戦う理由……それだけなのか?戦う……理由……)

虎狼は逡巡する。余りに大きい血鬼術への代償、戦いへの根源的な疑問。

 

(分からん、俺は一体何を思い出そうとしている?人間だった頃の記憶なのか?)

戦いの中で芽生えた漠然とした違和感が大きくなる。不思議な刀で自分と同じく土の呼吸を使う、蓬萊斗和と名乗ったあの女。水原という男と斬り合った時の高揚する感覚。虎狼は激しい頭痛を覚え、血鬼術を使うことを躊躇ったが、その時。

 

(虎狼、柱を何人殺した?鬼狩り共はまだ此方へは来させるな)

頭の中に無惨の声が響いた。

 

(俺は無惨様のお役に立たねば) 

虎狼は迷いを振り切り、強力な血鬼術を使うことを決断した。

 

 血鬼術 心滅魔獣・黒狼

 

 虎狼は曲げた両腕を顔の前で交差させて気合を発し、ゆっくりと肘を伸ばして腕を開いていく。すると体の周りにザワザワと黒い瘴気が立ち込め、虎狼の全身を覆っていった。それは実体化して各部を覆う鎧となり、肩の装甲からは黒いマントが生えた。最後に髑髏(どくろ)の形をしたパーツが完全に頭部を覆い、虎狼は全身に甲冑を纏った姿となった。それは光を吸い込むような漆黒でありながら、金属の光沢を帯びた奇妙な質感があった。

 

(委ねろ。全てを……委ねろ!)

闇の中で何かが目を醒ました。そいつは凶暴な獣、破壊衝動そのもの。その“声”が虎狼の精神に直接語りかける。

 

――この衝動に全てを委ねろ。衝動のままに戦い続けろ――。

 

 この甲冑を装着し“声”に同調した者は、鬼以上の力を得て文字通りの鬼神と化す。しかしやがてこの甲冑に魂を喰われてただ戦うだけの存在となり、命尽きるまで戦い続けるのだ。

 この甲冑の以前の使用者は、敵味方構わず襲いかかって切り伏せ、命尽きるまで戦い続け「狂戦士(バーサーカー)」と呼ばれ、戦場を恐怖に陥れた。

 

 

 これは中世かそれ以前、剣と魔法の戦乱の世界に生み出された「呪物」。その噂を聞きつけて海外から取り寄せた無惨だったが、それが発する禍々しい気、あまりの不吉さに初見以来関わることをせず、無限城内に死蔵されていたが、虎狼はそれを己が内に取り込んで血鬼術として利用しようとした。虎狼は破壊衝動に飲み込まれかけ、僅かに残った理性すらも奪い去られようとしていた。しかし、鬼と言えど、見境なく殺し破壊することはやはり違う、虎狼はこの甲冑の支配に頑強に抗った。

 

(あれはまさか?!)

頭を抱えて呻き声を上げ、苦しむ虎狼。倫道は前世の記憶でこの正体を何となく察したが、この恐るべきアイテムの出現にどうすれば良いかの判断をしかねていた。何が起きているのか分からない斗和も、攻撃することも忘れてしばし呆然と見ているしかなかった。

 

「ぐああ……止めろ!」

虎狼が一際大きく苦痛の呻きを漏らした。するとそれに呼応するかのように、キキイ、ギイイイイ、と金属を激しく擦り合わせるような甲高く不快な音がして、頭部パーツの形が変わり始めた。丸く開いていた眼は、笑み崩れたように不気味な孤を描く裂け目となって紅く妖しく光り、頬から鼻、顎の部分が前方に突き出してマズルとなり、獣を模した形に変化した。

 

(どうすりゃいい?動きの止まった今がチャンスだが、ここで攻撃したら一気に“狂戦士”になってしまうかもしれない)

虎狼は禍々しい気の流れに抗い、苦しんでいた。斗和と倫道は変貌していく虎狼を呆然と見ていたが、そこに音も無く人影が走り込んで来た。

 

(何だよ、相手は動き止まってるじゃねえか!後は頸刎ねるだけだな!)

 

 雷の呼吸 肆ノ型・遠雷!

 

 内なる声と激しくせめぎ合い、動けない虎狼。そんな様子を大いなる戸惑いをもって見ている斗和と倫道。だが三者の膠着状態など構わず、獪岳が突っ込んだ。

 頭を抱えるようにしたまま動きの止まっている虎狼を見て、腕ごと頸を刎ねてしまおうと獪岳が背後から斬りかかる。虎狼は間一髪で飛び退り間合いを取ったが、再び片膝を突いてしまった。

 

「逃すかよ!」

 

 雷の呼吸 参ノ型・聚蚊成雷!

 

 チャンスと見た獪岳は虎狼を追って、高速移動しながら目にも止まらぬ連撃を浴びせ、さらに畳みかけた。

 

 だが片膝を突きながらも、虎狼はその姿勢のまま大剣を一閃した。

 

(こんなバカでかい武器をこの体勢で、この速さで振り回しやがる!当たってりゃ危なかった!やはりそう簡単にはいかねえか)

危うく跳躍して躱した獪岳だが、風圧と真空刃だけで隊服が切り裂かれ、所々血が滲む。

 

「もう少しで頸斬れたのによぉ!運の良い奴だぜ!」

倫道の隣へと着地した獪岳が双剣を構え、内心では冷や汗をかきながら軽口を叩いた。

 

「威勢が良いな。だが後先考えないのは良くない」

全身を漆黒の鎧に包んだ虎狼がゆっくりと立ち上がり、幾分か皮肉を込めながら言い放つ。ヒトの言葉を話すことに、倫道は一先ず安堵はした。だが虎狼が今どんな状態なのかは正確には分からない。

 

「何だと?!」

獪岳はこの言葉に強く反応した。

 

(同じことを言いやがった!しかもこの声……こいつ、まさか!)

親友の佳成が、熱くなって突っ込みがちな自分を気遣い、そう言って何度も諫めてくれた言葉だった。

 

 許せなかった。この黒い鬼は、自分を嘲笑うために友がくれた大事な言葉を吐いた。だが獪岳がそれ以上に許せなかったのは、そのセリフが友と全く同じ声で発せられたことだ。

 

「佳成……なのか?違うよな水原さん!あの化けモン、佳成じゃねえよな?!」

獪岳は、半ば叫ぶように倫道に問いかけた。

 

「今は違う。奴は上弦ノ伍だ」

倫道は構えを緩めず、獪岳の方へと視線を遣ることなく極めて冷静に答えた。

 

「やっぱりそうなんだろ?!しかも上弦だと?!」

動揺した獪岳の悲痛な声が響く。

 

「くそ!全部俺のせいじゃねえかよ!俺が強けりゃこんなことにはならなかったのに!」

獪岳にとっても佳成は唯一無二の親友だった。自分を命懸けで庇い、逃がしてくれた親友が鬼になり、今や敵として対峙している。

 

「自惚れるな!お前一人の力でどうにかなるものじゃないんだ!戦えないなら引っ込んでいろ!」

倫道は獪岳を激しく叱咤した。お前一人のせいではないという倫道なりの気遣い。そして、今は悲しみに浸るのではなく死に物狂いで戦う場面だ。打ちひしがれ、戦う気力を無くした者は死ぬ。

 

「だけどっ!畜生!」

獪岳は、鎮まりながらも滲み出る斗和と倫道の激しい気迫を感じ取った。同時に、どうにもならない現実を、自分の非力さを思い知らされた。

 

「獪岳、お前も覚悟を決めろ。鬼は斬る」

獪岳の感傷を断ち切るように斗和の厳しい声が飛ぶ。凍てつくような冷たさに、獪岳は思わず斗和の方を見た。

 

「アンタたち平気なのか?!あいつを!」

平気なはずがなかった。獪岳にも良く分かっていたが、叫ばずにはいられなかった。

 

「私たちの手で送ってやろう」

――それが、せめてもの――。

 斗和はそれ以上は言わなかった。獪岳は、佳成の死の報告をした時の斗和の様子を思い出した。悲しみに耐えながら、穏やかに振る舞っていた斗和。今はあの時とはまるで別人、修羅の表情だ。虎狼をあくまで鬼として、殺害対象として見ようとしている。鬼気迫るその表情が、獪岳には却って痛々しく見えた。

 

 倫道は虎狼の様子を伺いながら構える。斗和も静かに特殊日輪刀を構えた。二人の決意を感じ取り、獪岳も涙を振り払って構えた。どうしてこうなってしまったのか、やりきれない思いを無理やりに抑え込みながら。



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第二十八話 今日の日はさようなら~無限城編・後編~

館坂佳成(たてさかよしなり)…【野良着の隊士】オリジナルキャラ。斗和の継子であったが黒死牟により鬼にされ、上弦ノ伍・虎狼(ころう)として斗和の前に現れる


 

 獪岳の攻撃によって虎狼は戦闘に引き込まれ、甲冑の声がさらに強くなった。

 

 この甲冑は、精神的、肉体的苦痛を取り除き、肉体の損傷を抑えるために脳が設定したリミッターをも簡単に外してしまう。生きるために戦うのではなく、戦うことのみを目的にした呪物。使用者の命など顧みることはない。例えば使用者が骨折しても、まるで整形外科の手術のように、鋼の刃が使用者を外側から固定、強制的に整復する。取り込まれた使用者は疲労や苦痛や恐怖を一切感じない狂戦士(バーサーカー)として命尽きるまで戦い続けることになる。

 

 この甲冑の闇に取り込まれそうになりながら、虎狼も必死に抗っていた。この甲冑の力に精神も肉体も委ね、狂戦士の状態となった虎狼に勝つのはこの三人でも不可能であったかもしれない。だが激しく戦闘を重ねるうちに虎狼の心の内に芽生えた小さな違和感は大きくなり、迷いながら戦う虎狼は甲冑の力を引き出せず、その動きは装着前よりも鈍くなっていく。

 

 水の呼吸 肆ノ型・打ち潮

 雷の呼吸 伍ノ型・熱界雷!

 

 倫道が波状攻撃を仕掛け、前後にピタリと重なるように獪岳が続く。

 

 土の呼吸 陸ノ型・粒子舞撫煙(りゅうしぶぶえん)!

 

 斗和は二人の背後から跳躍し、空中から高威力の連続攻撃を叩きつける。

 

(俺は以前にこの技を受けたことがある……。おかしな感覚だ。そして、何故この女は泣いていた?この涙も見たことがある)

虎狼は巨大な質量をもつ大剣を振り回して相殺しようとするが、受けきれず後退した。

 虎狼の精神の深淵にある、鬼になる前の記憶。それは失われたのではなく、封印されていただけだった。虎狼の精神の核までも闇に飲み込もうとした甲冑の意志が、却って人物の本質に近い記憶を呼び覚まし、解放するきっかけとなった。

 

 倫道と斗和が緻密に連携し、動きの鈍った虎狼を連撃で押し返している時だった。隙を見て飛び込んだ獪岳の胸元に、揺れる翡翠の勾玉があった。

 

(勾玉……御守り……)

 

そして倫道が虎狼の目の前にまで迫る。

 

(間合いに入られた!)

間合いの内に入った倫道に、虎狼は大剣で頸を護りつつすかさず拳打を繰り出すが、それは倫道の体をすり抜けた。倫道は大振りせず、飛び込んだ勢いで撫で斬るように刀を使い、すれ違いざまに虎狼の頸を斬りつけた。虎狼は柔軟な動きで威力を殺し、斬撃は深手とはならなかった。

 

(攻撃がすり抜ける!そしてこの緩急自在な動き……俺はこの技を見ている!思い出せない、何だこの感覚は!)

三人の連携攻撃は虎狼の頸に届きかけていた。斬られても瞬時に再生するが、虎狼の動きは目に見えて鈍っていた。

 

(このまま狂戦士にならないうちに討ち取れれば……!だが抗ってるのか?鬼となってもなお)

倫道は胸が痛むのを悟られないよう攻め続けるが、それは斗和も獪岳も同じだった。

 

 虎狼は違和感と頭痛を覚えながら戦っていたが、違和感は益々膨れ上がっていき、神経が焼け付くような頭痛はさらに激しく強くなる。

 

(こいつらを相手に動きを止めるのはまずい!)

虎狼は焦りを覚えるが、力を引き出せない甲冑は枷にしかならない。虎狼は遂に身動きもできなくなってしまった。

 

「ううっ……!」

虎狼は大剣を取り落とし、背中を丸めて頭を抱えた。

 

「待て!」

異変を悟った倫道が獪岳を手で制した。

 虎狼の頭の中で激しい記憶の奔流が巻き起こり、封印されていた人間時代の記憶が戻り始めた。人間から鬼へと変わり、その間に何があったか、何をしてきたかも、自分自身の記憶としてはっきり認識された。自分の武器を生み出し、黒死牟に稽古をつけてもらい、強くなった実感はあった。強くなりたい、その思いだけがあった。理由は分からない。ただ鍛錬している時間だけが救いであったかもしれない。だが鬼となってからの記憶はそれだけではなかった。

 

 蘇ったその記憶の数々は、耐え難い地獄の苦しみとなって虎狼を襲った。

 

「うわあああ!!!」

感情の昂ぶりそのままに虎狼は叫び声を上げ、荒く不規則な呼吸を繰り返した。

 

(俺はあの時鬼になった。それから……)

闇の力が押さえ込まれ、甲冑が消えた。ガシャッと音がして、頭部を覆っていたパーツの口の部分が上下に開き、収縮して下顎の部分に収納され、首輪のように残った。呆然とした表情を浮かべた虎狼の素面が露わになった。

 

「ああ……あああ……」

大きく眼を見開いてあらぬ方角を見つめ、半開きの口からは言葉にならない声が漏れた。虎狼は頭を掻きむしりながらふらふらと数歩その場から後退りした。

 

(俺は多くの人を……。鬼殺隊の仲間を……喰った)

 

 

「うっ!うう……。おええ!…うげえええ!げえええっ!」

黒い眼から涙を流す虎狼だったが、突然猛烈な吐き気に襲われた。虎狼は立っていられなくなり、蹲って喉に手を当てて嘔吐(えづ)き、臓腑を全て吐き出すかのように激しく嘔吐した。

 喰ったものを今さら吐き出せるはずもなかった。少量の胃液らしき物の他には何も出なかったが、虎狼は嘔吐し続けた。余りにも激しく嘔吐したために食道粘膜が裂け、出血した。嘔気(おうき=吐き気)が止まらず、食道粘膜の傷は塞がってもすぐにまた新たな傷ができて出血を繰り返し、虎狼は血を吐きながら悶え苦しみ、それでも嘔吐は止まらなかった。

 

「うわあああ!!あああ……!」

しばらく苦しんだ後、虎狼は叫び声を上げながら泣いた。

 

「師範……!」

顔を上げた虎狼は斗和を見上げた。大粒の涙を流すその眼には上弦の証が刻まれているが、吊り上がっていた目許は幾分か優しくなり、人間の時の顔に近づいていた。

 

「お前の名は?」

斗和が静かに問う。斗和の眼からも堪えていた涙が流れ落ちる。

 

「師範、倫道さん、獪岳……俺……」

虎狼は、やっとのことでそれだけ言うと子供のように泣きじゃくった。虎狼は――佳成は人間の記憶を完全に取り戻した。

 

 

 

 

 

「虎狼の……気配が……変わった……」

この戦場に向かっていた鬼が、ふと歩みを止めた。佳成が人間の記憶と心を取り戻したことに気付き、六つの眼をギラリと光らせて呟く。

「いつか私をも超え……あの方をお支えする存在にと期待したが……。やむを得ぬ」

鬼は口調に残念な気持ちと強い怒りを滲ませ、戦場へと歩を進めた。

 

 

 

 

 佳成は人間の心を取り戻した。本当の意味で佳成と再会できたというのに、斗和と倫道は重大な事実に気付き、新たな悲しみに胸を抉られる。

 人間化の薬は全て禰豆子と無惨に使ってしまった。製造法は記録してあるが、大変な苦労をしてやっと製造したあの薬を朝までに作るなど不可能だった。従って、佳成をすぐに人間に戻してやることはできない。それはつまり、無惨の討滅と同時に、無惨によって作られた鬼である佳成も消えることを意味する。

 

 しかし、鬼となった佳成を倒す必要が無くなったことは大きな前進だった。光明が見えて来た、そう思った矢先だった。

 

 倫道が飛び退き、佳成も斗和と獪岳を抱えて飛び退った。

突如、広間に残っている柱や格子戸が幾つも切り裂かれて崩れ落ち――その鬼は現れた。

 

「虎狼……貴様、何をしている。上弦にまで取り立てていただいた御恩……忘れたか……」

上弦ノ壱・黒死牟。上弦ノ伍・虎狼のもう一人の師とも言える者。そして佳成を鬼にした者だ。

 

(よりによってこのタイミングでこいつが!やっぱりそう上手くは行かねえか)

このまま三人とも無事で、あわよくば佳成も仲間に加え、他の上弦との闘いに加わろうと目論んだ倫道だったが、新たな難敵の出現に唇を噛む。

 

 月の呼吸 弐ノ型・珠華ノ弄月

 

 黒死牟は抜く手も見せぬ早業で三連撃を放った。斬撃の周囲に多くの三日月の刃が発生し、鋭いきらめきを放ちながら迫る。

 

(黒死牟様!)

佳成は大剣の一閃と自らの体で斬撃を受け止め、三人を護った。佳成が黒死牟に向ける視線には複雑な感情があった。

 佳成の素養に目をつけ、鬼へと変えたのは黒死牟だ。その意味では憎むべき相手とも言えるが、鬼になってから佳成を鍛え上げたのはその黒死牟であった。そこには師弟と言えるほどの関係があった。

 

「黒死牟様。俺の名は“虎狼”ではない。――俺は鬼殺隊士、館坂佳成(たてさかよしなり)!土柱・蓬萊斗和の継子だ!!」

佳成は真っすぐに黒死牟を睨む。

 

「下らぬ人間の感情を捨て切れぬとは……何たる惰弱……!鬼狩りどもと一緒に始末してやろう」

 

 斗和、倫道、獪岳に鬼化した佳成が加わり、上弦ノ壱・黒死牟との激しい戦いが始まった。

 

 

 

(この二人、今まで相手にしたどの剣士より強い。おそらくは当代の他の剣士とは飛び離れた実力者であろう……。油断ならぬ!加えて鬼の虎狼が寝返っている)

黒死牟は斗和と倫道を観察した。そして、継国縁壱がいない今、最強の敵と言って良いと警戒し、自ら鍛えた虎狼の実力も侮り難いと判断した。

 

(ならば、まずは浮いた駒から狩って頭数を減らす)

黒死牟は最も弱い箇所を攻め、それを護ろうとする動きを誘発して崩そうと狙いを定めた。

 

 

 

「獪岳!前掛かりになるな!連携だ!」

倫道は逸る獪岳を諫める。

 

「こいつには借りがあるんだ!佳成のことも!許せねえ!!」

獪岳が怒鳴る。

 

「何時ぞや……私から運良く逃げ果せた者か……。拾った命をわざわざ捨てに来るとは……愚かな」

黒死牟が蔑むように獪岳を見て言い放った。怒らせて攻撃を仕掛けさせ、“浮かせる”狙いだ。

 戦いの盤面において、浮いた駒から狩っていくのは常識だ。しかし斗和と倫道は、鬼の佳成も即座に戦力として組み込み、実力的には劣る獪岳も活かす、チームとして統率の取れた戦い方を完成させつつあった。

 

「こいつはあの時とは違う」

倫道が、一歩進み出て黒死牟を見据える。

 

「人間は、良い師や良い仲間に出会うことで学び、変わる。過去に囚われている貴方とは違うのですよ、伯父上」

倫道は獪岳をちらりと見ながら黒死牟に真っ向から言い返す。

 

 黒死牟は伯父上という言葉に一瞬怪訝そうに目を細める。

 

「継国縁壱の他にもう一人、黒い刀を使う者がいたこと。“日の呼吸”を継承した者がいたこと。お忘れなら思い出させて差し上げよう。――貴方の陰我、俺が断ち切る!」

 

 日の呼吸 円舞!

 

 倫道は日の呼吸を使い、攻撃を開始した。

 

 黒死牟ははっきりと思い出し、驚愕した。四百年前、赤い月の夜。年老いた縁壱と相対し、頸を斬られかけた。だが縁壱は戦いのさなかに自然死を迎えたため、討たれずに済んだ。その時付き添っていたのが、縁壱の息子と名乗る青年だった。憎しみの余り縁壱の亡骸を両断しようとしたが、付き添っていた青年が黒死牟の両腕を切断し、それを許さなかった。その技はまさに“日の呼吸”。討たれることを覚悟したが、縁壱に迫る実力と思われた青年は何故かそれ以上攻撃せず、「立ち去れ」そう言って黒死牟を見逃した。

 

(馬鹿な!あの男があの時と同じ年恰好で現れるなど……!生まれ変わりだとでも言うのか?)

黒死牟は両腕に未だ残るあの時の傷を思い出し、戦慄した。

 

(根絶やしにしたはずの日の呼吸が蘇り、鬼が鬼狩りに組する……。あってはならぬ事だ。いずれにせよ全身全霊を以てこの者たちを葬る!)

全力を解放する合図であるかのように、黒死牟の体から先程とは比べものにならない重圧が発せられ、得物“虚哭神去(きょこくかむさり)”が本来の巨大な姿となった。

 

(黒死牟様を倒すには、この力を使うしかない!)

佳成は密かに決意し、血に飢えた古の甲冑の力を呼び起こそうとした。

 

「いかん佳成!!その力を使うな!今度こそ冥府魔道に堕ちるぞ!」

倫道は気配を察知し、即座に佳成を止めた。

 

「佳成!絶対に動くなよ!」

 

 水の呼吸 伍ノ型・干天の慈雨 浄

 

 倫道は佳成の顔面には傷一つ付けず、佳成の頭を覆いかけた甲冑の頭部を縦一文字に斬った。獣を模した頭部にピシリと切れ目が入り、真っ二つに割れて佳成の体内へと戻って行く。同時に、佳成は自分でも甲冑の声が封印される感覚が分かった。

 

「これで甲冑の力は封印した!一緒に戦おう、人間として!」

倫道は佳成に笑いかけ、

「ありがとう!倫道さん!」

佳成が爽やかに応じた。

 

 

 

「俺が前に出ます!隙を見て攻撃を!」

佳成が飛び出した。佳成は自身の鬼の特性を活かし、自らを盾にして突進を繰り返す。獪岳は爆薬を使ったトリッキーな動きで撹乱、倫道は日の呼吸を使い黒死牟に肉薄した。さらには斗和と佳成、二人の土の呼吸の連携は強力だった。

 

 日の呼吸 飛輪陽炎・影抜き!

 

 倫道は黒死牟の高速打ち下ろしを誘い、その軌道に飛び込む。影抜きとは、相手の斬撃をすり抜けるように躱し、こちらの斬撃を当てる技。相手の斬撃を刀で受けると見せかけて受けずに引き戻し、体捌きだけで軸をずらして斬撃を躱し、引き戻した刀を再び振り下ろし攻撃を通すのだ。要は高度なフェイントなのだが、相手は“斬撃をすり抜けて斬られた”と錯覚を起こす。倫道は飛輪陽炎の幻惑効果でこの技を強化し、黒死牟の頸に刃を届かせた。

 

 

(虎狼。せめて無惨様のお役に立てるようにしてやろう)

戦闘が熾烈を極める中、黒死牟はある機会を狙っていた。

 

 月の呼吸 拾陸ノ型・月虹 片割れ月

 

 獪岳を狙って斬撃の雨が降り注ぎ、佳成が直ぐさま獪岳を護る動きをする。黒死牟はこれを予見していた。むしろ佳成がそうするように仕向けたと言って良い。

 

 月の呼吸 捌ノ型・月龍輪尾

 

 黒死牟は矢継ぎ早に技を放つ。繰り出された斬撃が弧を描き、渦を巻くように大量に発生した三日月の刃が、助けようとした斗和と倫道の行く手を阻み、獪岳と佳成が孤立した。

 

「佳成!」

斗和の悲鳴のような声が響いた。黒死牟は獪岳を庇っていた佳成の四肢を切断し、再生するより早く佳成の頸をヘッドロックのように極めて佳成を吸収した。佳成も抵抗を試みたが、四肢を切断されてから一瞬のうちに、佳成の体の大半が吸収されていた。

 

「てめえ!!」

気付いた獪岳が黒死牟に斬りかかろうとするが、黒死牟がさらに技を放った。

 

 月の呼吸 伍ノ型・月魄災渦

 

 刀の振り無しで多数の三日月の刃が繰り出された。

(しまった、脚を!)

獪岳を抱えて退避した斗和だったが、獪岳を庇ったため左脚に深い傷を負った。

 

「せめてお前の肉体を吸収し、あの御方をお守りする私の糧としてやろう。……案ずるな、人間の魂は完全に消してやる。やがて苦痛は感じなくなる」

「ぐわああ……」

佳成は苦痛の呻き声を上げるが、その身体は見る間に吸収されていく。

 

「佳成!」

獪岳がまた斬りかかろうとして倫道に止められた。

「逃げろ……!逃げ……て……!」

吸収されながら三人に叫び、佳成は見えなくなった。佳成を吸収した黒死牟からは今までよりさらに強力な闘気が発せられた。

 

(黒死牟の剣技に佳成の剛力……本格的にまずいぜ。無惨とやり合わなくちゃいけないのに、その前にこんな化け物が出て来やがる!)

倫道の背中に冷たい汗が流れた。

 黒死牟は一回り体が大きくなり、虚哭神去を右手に、佳成が持っていた大剣を左手に持ち、巨大な二つの剣を軽々と振り回して構える。六つの眼からは見る者を射すくめる鋭い眼光、武人としての圧倒的な威圧感が放たれた。獪岳は初めて遭遇した時の恐怖と絶望感を蘇らせ、斗和と倫道ですら怖気を震うほどだった。

 

 

 

 

 佳成は暗闇の中で意識を取り戻した。

 

(俺はまだ死んでない!消えてない!俺はまだ……役に立てる……!)

佳成は黒死牟の体内、精神の中に閉じ込められていただけで、感覚も共有していた。外界の音も聞こえるし、景色も見えていた。自分にできることを探っていた佳成は一つの結論に達した。

 

 

 佳成は黒死牟の視界を通して感慨深く三人の戦う姿を見た。さらに強化されてしまった黒死牟に一度は気後れしたが、見事な連携で再び激しく戦っている。

 

(大丈夫、あの三人なら必ずやってくれる!頼むぞ。一世一代、俺の最後の大働きだ)

黒死牟の意識は、現在ほぼ全てが斗和、倫道、獪岳との戦闘に向けられている。まさか吸収した者の意識がまだ残っており、しぶとく逆転を狙っているとなどとは思いもよらないであろう。意識だけになった佳成はふっと笑った。作戦を実行する決意を固めた佳成には、もう迷いも恐れも無く、清々しい気持ちだった。ただ機会を見誤らないようにくれぐれも慎重に臨む必要があると、佳成は気を引き締めた。

 機会は一度だけ、許された時間は短い。だが、斗和、倫道、獪岳ならば必ずこの好機を活かしてくれると佳成は信じていた。

 佳成は黒死牟の意識の奥深くにもう一度潜み、その時を待った。

 

 

 

 月の呼吸 拾肆ノ型・凶変 天満繊月 

 

 強化された鋭い斬撃と滝のように降り注ぐ三日月の刃が広範囲に押し寄せる。

 

 土の呼吸 捌ノ型・土嚢城壁(どのうじょうへき)!

 

 斗和と倫道は懸命に防御壁を同時に展開、何とか防ぎきる。

 

「二人とも先に行け!ここは俺が!」

倫道が前に出て斗和たちに宣言したが、

「バカたれ!!」

背後から怒声を浴びせられ、倫道は驚いて振り向いた。

 

「佳成を大事に思ってるのは倫道君だけじゃない!悔しいのも悲しいのもみんな同じだよ!自分だけだって思うな!!」

斗和が、憤怒の表情で倫道を睨んでいた。

 

「俺もやるぜ。あいつがいなけりゃ今頃、俺はどうなってたか」

獪岳も懸命に食らいつきながら言った。この極限状態での命のやり取りで、獪岳は爆発的に戦闘力を成長させていた。          

 

「そうだったな!俺たちみんなで佳成を救ってやろう!」

倫道がそう呼びかけ、一斉攻撃を仕掛けようとした。

 

(やはり同時に向かって来るか。これでこちらも三者同時に仕留められる)

同時に向かって来たとしても、三人まとめて両断して終わりだ、そう思った黒死牟だが、突如異変が起こった。

 

 呼吸の間もないほど次々と攻撃を繰り出し、三人を追い込んでいた黒死牟は右手に持っていた虚哭神去を取り落とし、見えない何かに拘束されているかのように急に動きを止めた。

 

「貴様!……まだ意識を残して……!邪魔を……するな!」

だが異変はそれだけではなかった。虎狼の大剣を握ったまま左腕が徐々に上り、ついに自らの頸に大剣を押し当てた。左腕の動きはそこで止まらず、大剣はじわりじわりと頸に食い込み、頸からは血が噴き出した。

 

(体が……動かぬ!虎狼、貴様!)

佳成の意志が体の自由を奪い、大剣を押し込む左手に力を込め、さらに自分の頸に刃を食い込ませる。

 

「貴様ァアアア!消えろ!!」

黒死牟の意志は必死の叫び声を上げてそれに抗い、大剣を持った左手を右手で押し止めようとしていた。同じ体の中で、黒死牟の意志と佳成の意志が激しくせめぎ合う。

 

(あれは……まさか佳成の残留思念が?!自分で自分の頸を斬ろうとしてるのか)

斗和と倫道は状況を察する。

 

「早く頸を!俺が消える前に!……早く!!」

黒死牟が佳成の声で叫んだ。その声に、獪岳にも事態が飲み込めた。取り込まれた佳成の意志が、精一杯の力で黒死牟の体を一時的に支配しているのだ。体の自由を奪うだけでなく、左手に持った大剣で自らの頸を斬ろうとしている。虎狼の大剣はもともと佳成の日輪刀と鬼の細胞を融合させた物だ。頸を斬れば鬼は死ぬ。

 ――二人ともに。

 

 

「早く……!もう……もたない!斬ってくれ!……頼む!!」

「ぐぅアアア!ぬァアアアア!!」

体の中での激しい争いを表すように、佳成が叫び、すぐ後に黒死牟の怒号が響いた。大剣を持つ左腕は徐々に右手に押し返されており、頸の傷が見る間に塞がってきていた。

 

(……できない……できないよ)

斗和は特殊日輪刀を構えていたが、それを下ろしてしまった。

 

(上手く斬れば、佳成を助けられるんじゃないか?何とか黒死牟だけを斬れないのか?!……無理だ、体は完全に吸収されてる、斬ったら佳成も……。でもこのままじゃ佳成が作った最後のチャンスが!ああ……決断できない……!)

倫道もギリギリと歯噛みする。

 

 三人とも分かっていた。今しかない。これ以上の大きなチャンスはおそらくこれからも訪れない。時間が経過するほど人間は疲弊し、傷が増え、勝ち目が薄くなっていくのだ。

 今、頸を斬れば黒死牟を倒せる。だが同化した佳成も死ぬ。

 他の誰かではなく、自分たちの手で佳成を討ち、この地獄から解放してやりたかった。それは生半可な覚悟ではなかったはずなのだが、その思いの一方、殺したくない思いで全員の動きが止まる。しかしその間にも佳成の精神の吸収も進んでいき、意志の力が弱まっていく。黒死牟の意識は左手を押し返し、食い込んでいた大剣は完全に頸から外れ、左手から滑り落ちた。一気に畳みかけようと、黒死牟の右手が虚哭神去を拾い上げようとした。

 だがその時、押し戻された左手がもう一度動き、右手をガッチリと掴んでそれを許さなかった。

 

「貴様……っ!どこまでも邪魔を!」

黒死牟は凄まじく顔を歪め、左手を振りほどこうと躍起になってている。

 

(佳成!分かった、お前の意志は無駄にはしない)

佳成の凄まじい執念が、倫道の覚悟を促した。倫道は刀を握りしめて何度か荒い息を吐いた。強く握るあまりに、刀の柄がギチギチと音を立てる。

 

 

(落ち着け!心を平静に、穏やかに……あの技を使うには、心を静めなければ)

倫道の覚悟はもう揺るがなかった。倫道は嗚咽を堪え、乱れた呼吸をやっとのことで整えた。口からはヒュゥゥゥ、と呼吸音が漏れ、黒死牟の頸へと狙いを定めた。

 

 

 水の呼吸 伍ノ型・干天の……慈雨…………

 

 

 

 

 

 

(佳成。俺、できるようになったんだぜ)

獪岳は左脚を一歩引いた前傾姿勢を取り、居合スタイルになった。

 

(先生に頭下げて、もう一度教わりに行ったんだ。今までのこと洗いざらい白状して、もう一度修行させてくださいって。そしたら、弟子を導くのは当然、って言ってくれて……。拍子抜けするぐらい普通に接してくれた。相変わらず厳しかったけどよ。善逸の野郎も「まだできないの」ってバカにしやがったけど、コツを教えてくれて、稽古に付き合ってくれたよ。苦しかったけど、頑張ったら俺にもできたんだ。佳成、お前に見て欲しかった。褒めて欲しかった。雷の呼吸、全ての基本であるこの技。お前に……使うことになるなんてな)

 

 シイィィィ……。

 

 獪岳の口からは蒸気のような呼吸音が漏れ、獪岳の身体の周囲にパチパチと青い火花が散る。気迫が満ち、閉じられた眼からは涙の雫が溢れた。

 

(見ててくれよ!これが俺流の壱ノ型だ!)

獪岳はカッと眼を見開き、滲んだ視界に目標を見定めた。

 

 雷の呼吸 壱ノ型・霹靂一閃 雷吼!

 

 

 

 

 二つの斬撃が黒死牟に迫った。

 

 

 

 

(どうすれば良い?……師匠、西盛師匠!私、どうすれば)

斗和は心の中で、師である西盛胤篤(にしもりたねあつ)に問いかける。

 

(蓬萊斗和。お前は何だ?お前は鬼狩り、しかも柱だろう?だったらやることは一つしかねえ。それに弟子の不始末は師匠の責任だ。そこまで面倒見ねえで、弟子なんぞ取るんじゃねえ)

心の中の師、西盛胤篤の隻眼が、心の底までも見透かすように斗和を見据える。念話が使える訳でも無く、師匠の声は斗和自身の声だ。

(分かってます……私は柱も、鬼狩りとしても失格です……。でも失格で良いから佳成を助けたい!)

 

 

 

「待って……ダメだよ……斬らないで!」

斗和がハッと顔を上げると、倫道と獪岳が黒死牟に突進していた。斗和の眼から、止め処なく涙が溢れた。蒼白く、血の気が引き始めた斗和が力を振り絞り、倫道と獪岳に呼びかける。しかし、思いを込めた二人の技は止まらなかった。

 

 

 

「ダメ――――!!!!」

斗和の絶叫が響いた。

 

 

 

 黒死牟の頸は切断され、宙を舞った。

 

 

 

 

 

「何故……何のために、私は……」

黒死牟は頸だけになり、何かをブツブツと呟いていた。

 

「巌勝殿。――伯父上」

倫道は黒死牟の頸に歩み寄り、声をかけた。

 

「お前は……?」

弱々しい声で黒死牟の意識が倫道に語りかけた。

 

「私は縁壱の養子、倫影。――おそらくは貴方と無惨を倒すため、再びこの時代に生を受けました」

倫道が穏やかに答える。

 

「そうか……お前たちのその技……見事……。本懐を……果たすが良かろう」

黒死牟・継国巌勝は静かに言った。

 

「巌勝殿。私の目を見るんだ」

巌勝は、双子の弟である縁壱に対し、骨まで灼けるような強烈な嫉妬心を抱いていた。しかしその縁壱の孤独な人生を、果たしてどれほど分かっていたのだろう?

 倫道は死に際の巌勝に邪眼を使い、様々な光景を見せた。

 

 幼少期、この世に自分は居ないものとして、息を潜めるようにひっそりと生活する縁壱の姿。出奔して束の間の自由な時間を得たが、愛おしい者、護りたかったささやかな幸せは容易く奪われた。

 巌勝が鬼になった後、優しかった兄がどうして鬼になってしまったのか、どうして何もしてやれなかったのか、後悔する縁壱の姿。

 

 場面が変わり、巌勝の“もしも”の世界。

弟の縁壱との違いは“差”ではないのだと気付き、無惨の誘惑に打ち克ち、縁壱とともに鬼殺隊を支えた世界。当時のお館様を殺し、鬼殺隊を裏切って鬼に寝返るという愚行を働かなかった世界。一度は捨てた妻子ともきちんと和解して復縁し、“黒死牟”にならない世界だった。

 

(そうであったか……詳しく語らなかったが縁壱は……私をそのように思い、そのように生きてきたのか……)

黒死牟は多くのわだかまりが解けていくような不思議な感覚に襲われたが、決して不快ではなかった。

「このような贈り物があるとはな……。私からの礼だ……最期の別れを」

黒死牟が穏やかに微笑むと、その顔が変わっていった。斗和と獪岳も頸の傍にやって来た。

 

 

「すみません師範……強くなりたいって思ったら、こんな風になっちゃって……。俺、役に立てましたか?」

少しづつ消えようとしていた頸が佳成の顔になり、涙を流して斗和たちに微笑みかけた。

 

「佳成、ありがとう。佳成がいなかったら倒せなかったよ」

斗和が蒼白になった顔で微笑みかけた。

 

「そうですか、良かっ……た……」

佳成の頸がさらに灰になる。

 

(お前は護りたくて、強くなりたくて、鬼に……。そうだったのか、済まなかった)

倫道は聞きながら、心の中で詫びていた。

 

「佳成、俺の目を見ろ」

倫道は佳成に邪眼を使い、渾身の力で幸せな幻を見せた。

 

 戦いが終わり、斗和と不死川、倫道も獪岳も祝福する中、夏世と幸せな祝言を挙げる。やがて子供が生まれ、共に歳を重ねていく穏やかで幸せな人生。

「ありがとう……倫……」

佳成は声を絞り出し、穏やかな表情で礼を言いながら消えていった。

 

「良い夢……見られたか?」

倫道は消えた佳成の残骸に言葉をかけた。

 

 倫道の後ろで、獪岳がガックリと肩を落とし、声を殺して泣いていた。

「俺たちの手で佳成を解放してやれたんだ。良かったじゃないか」

倫道は背中越しに獪岳に声をかけた。つらい気持ちを隠し、務めて明るい声で話しかける倫道に獪岳が食ってかかった。

 

「良いわけねえだろう!アンタ鬼を殺すしか興味がねえのかよ!おい!」

獪岳は激昂し、倫道の肩を掴んで乱暴に振り向かせた。だが、無理矢理に作った倫道の笑顔に何も言えなくなり、獪岳の憤りは行き場を失ってしまった。倫道の笑顔はあまりに透き通っていて、そのまま空に溶けて消えてしまう、そんな錯覚を起こすほどだった。

 

「獪岳、まだ戦いは終わりじゃない。お前は先に行け。俺は斗和さんの治療をしてから行く。大丈夫、軽傷だから心配するな」

斗和は獪岳を庇って負傷した。倫道は獪岳を気遣って嘘をつき、獪岳を先に行かせた。

 

 佳成が吸収され始めた時、ノーモーションで放たれた三日月の刃。斗和は、激昂して不用意に斬りかかった獪岳を庇って退避したが、脚を深く斬られており、出血が止まっていなかった。戦闘中はアドレナリンが大量に分泌されていたため何とか気持ちを保っていられたが、今は痛みと出血で失神していた。

 

 斗和の方へと駆け出そうとした時、倫道の右手が一瞬実体を失い、支えを失った刀が落ちた。実体を失った右手はゆらゆらと淡く光って揺らぎ、また元に戻った。倫道は大きく目を見開き、自分の右手を見つめた。

 

(そうか、急がないともう時間が……。実体を保っているうちに斗和さんを助けないと)

店じまいを悟った倫道は、怪我をしている斗和のところに駆け寄ろうとした。

 

 その時、立っていられない程の振動が起きた。大広間全体が激しく揺れ、天井も一部が崩落し、残っていた柱が倒れかかってきた。

 

 無限城の崩壊が始まったのだった。

 

「斗和さん!」

天井が崩落し、瓦礫が斗和を覆っていた。倫道は必死に瓦礫を掘り起こそうとするが激しい揺れはまだ続き、斗和の上に瓦礫が落ちないように体でカバーするしかなかった。

 周りが静かになり、倫道は状況を確認する。戦闘で左大腿部を深く斬られ、大血管の損傷とそれに伴う出血があり、多量の瓦礫が直撃したことで斗和は腹部からも出血していた。

倫道は自分の上に落ちた瓦礫を吹き飛ばすように抜け出た。

 

「斗和さん!大丈夫か?!」

斗和の周りの瓦礫を掘り起こしながら呼びかけるが、弱々しい呻き声がするだけだった。倫道は必死に瓦礫を取り除いた。

 無限城は崩壊し、瓦礫ごと地上に排出されていた。

 

 既に血の気を失った斗和の顔を、三日月が照らしていた。

 

「斗和さん……心臓も治ったのに……そんな……」

左大腿だけでなく腹部からも出血しているが、腹部は大きな瓦礫が直撃しており、体表面の外傷だけでなく腹腔内臓器の多くが損傷を受けていると容易に推測された。既に左脚からの出血も多く、最早開腹手術による止血も間に合わない状態だった。

 

「あはは……。仕方ないなぁ、今回が最後だよ?ホントに世話が焼けるんだから。命がいくつあっても足りないよ」

倫道はそう呟くと、先程までの泣き出しそうな表情を一変させ、何故かニッコリと笑った。絶望的な状況には全く不似合いな爽やかな笑顔だった。

 

 斗和は既に意識が無く、浅く速い呼吸を繰り返していたが、見る間に呼吸はさらに浅く心許なくなり、顎を軽くしゃくるような、死に瀕した呼吸――下顎呼吸に変わって来た。

 

「大丈夫、まだ助かる」

倫道は斗和の傍らに片膝を突いてしゃがみ込み、右手を取った。そして自分の両の手で斗和の手を包み込んでしっかりと握り、祈りを捧げるように自分の額に押し当てた。

 

 

 

 

 

 斗和は夢を見ていた。

今までの色々なシーンが頭の中を駆け巡り、鮮明に蘇る。その中には、思い出したくもない、前世での“あの人”のこともあった。転生し、これまでの色々な人々との触れ合いや、鬼との激しい戦いもあった。たくさんの思い出の中、何故か一番心に残ったのは夕日に照らされて斗和を見つめる少年の姿。

 

(これは誰?私、どこかで会ってる。どこだったかな)

水の中をフワフワと漂っているように、自分の体がどこにあるのか分からない。自分と世界との境界が曖昧になり、自分の体が溶けて無くなるような感覚だった。しかしそれはやがて治まり、斗和は目覚めた。一瞬、全身に、特に黒死牟に斬られた左大腿部と、無限城崩壊の際、瓦礫が直撃した腹部に激しい痛みを覚えたが、痛みはすぐに引いていった。

 

(私は生きてる?!無限城の崩壊に巻き込まれて……ここはどこ?戦いは今どうなってる?)

暗い夜空に三日月が浮かんでいるのがぼんやり見え、自分は地上に出て仰向けに寝ているのだと分かった。斗和の意識ははっきりとしてきて、それまでの状況も思い出した。

 気付くと誰かが自分の右手を握っていた。まるで女王陛下にかしずく家来のように片膝を突き、恭しく右手を取っている。斗和が目覚めたのを悟って、その人物が顔を上げた。

 

(あの男の子!?)

斗和のぼんやりとした視界に映ったのは、思い出の中のあの少年と思いきや、もう一度良く見るとそれは倫道だった。

 

「よかっ……た……」

倫道は斗和が無事に目覚めたのを確認して蒼白い顔で微笑み、安心したように呟いた。そして握っていた手を放すと、目を閉じてゆっくりと崩れ落ちた。

 

「倫道君?!しっかりして!!」

斗和は慌ててはね起きた。体はもうどこも痛まなかった。

 

(あの子が倫道君……?でも今はそんなことはどうでも良い!倫道君を助けないと!)

斗和は崩れた倫道を仰向けにし、状態を確認する。全身に怪我があるが、腹部と左大腿辺りが血に染まっており、明らかに重傷であった。斗和は倫道の状態を確認しながら、自分も怪我をしていたことを思い出し、ふと自分の左大腿部と腹部に手をやった。

 

(傷が無くなってる……?)

あるべき傷が無い。明らかに不自然であった。

何故自分は無傷なのか?更に、倫道の傷は自分と同じ箇所であることに気付き、斗和は愕然とした。

 

 倫道の能力、KIZ(キズ)。他人の傷を自分に移す能力だ。倫道は隠に擬態して医療活動を行ううち、最近になってこの異常な力に気付いた。思い起こすとその兆候はあった。カナエを珠世の診療所に運んだ時、あれ程の重傷であったにも関わらず、途中で死ななかったのは幸運だけではなかった。倫道が珠世の診療所までカナエを搬送する時、幾つかの傷は倫道に移り、出血を減らす事に役立っていた。だが自分が逃走や手術を行うのに影響が大きい傷は、無意識に移すことを避けていたのだった。

 

 

 

「倫道君!」

斗和はすぐに状況を悟った。どんな理屈なのかは分からないが、倫道は斗和の傷を自分に移したとしか考えられない。

 

「倫道君!しっかりして!すぐに隠の人呼ぶから!カナエさんとしのぶさんも呼ぶから!誰でもいいから早く来て!!令和!!お願いだから早く来てよ!令和!令和ぁぁぁ!」

斗和は狂ったようにカラスを呼ぶが、地中から抜け出る時に離れ離れになり、令和の姿は見えない。倫道の体は所々ぼんやりと光って揺らめき、次第に実体が少なくなっていた。

 

「倫道君!どうして?!」

「斗和さん……、もう……いい、誰も呼ぶな」

倫道が薄っすらと目を開ける。

 

「斗和さん、手を握ってくれ。消える前に……やることがある」

倫道は手を差し出した。斗和はその手を黙って握り返した。

 斗和の顔の真ん中、鼻から左の眼の下を通り、左耳の近くにまで走る横一文字の大きな傷。治ってもケロイド状になって少し盛り上がり、化粧でも隠せないほどだ。

手を繋いで数秒後、倫道の左頬に同じような傷が薄っすらと見え始めた。斗和は驚きで大きく眼を見開き、自分の左頬を撫でた。指先には、触れるはずの傷の盛り上がりが無い。斗和の傷跡は完全には消えていなかったが、かなり薄くなっていた。

 

「もう……力が出なくて……。全部取れなくてごめん……でも……半分こだ」

倫道の体は光りながら実体を失っていく。

 

「そんなことどうでも良いよ……だから死なないでよ……」

 

「斗和さん、後は……頼む。大丈夫、必ず勝てる……。生きて」

倫道の瞼が閉じられ、支えを失った頸が横を向いた。

 

「倫道君!!」

斗和は倫道を抱き起こそうとしたが、倫道の体は光る粒子となって空中にふわりと散っていき、斗和の腕は空を抱いた。

 

 斗和はしばし呆然と夜空を見上げた。

 



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第二十九話 野良着の隊士~最終決戦編・前編~

 

 

 斗和は地面に跪いたまま、呆然と空を見上げた。遠くで剣戟や爆発の音が響いていたが、斗和には別の世界の出来事のように感じられた。

 

 目の前で人が死ぬのは何度経験しても慣れることは無いが、今回はそれに輪をかけて精神的ダメージが大きかった。

 

 上弦の鬼と化した佳成を倒し、良き理解者である倫道も死んでしまった。

 

 佳成は斗和にとっては初めての弟子であり、大切な仲間であった。倫道は自分と同じく転生者であり、大きな秘密を共有し、この物語をハッピーエンドに導こうと共に頑張ってきた同志であった。しかも倫道は自分に命を与えるように死んでいき、跡形もなく消えてしまった。

 

(私も死んだらこうなるの?もともと存在しない人間だから、死体も残らないんだな。……それとも戦いが終わって役目を終えたらあんな風に消えてしまうのかな?)

知ってしまった自分の末路。だが斗和はどこか冷めた目で自分の運命を見つめていた。

 

「行かなきゃ。みんなが……待ってる」

傷は治ったが、肉体的、精神的疲労で全身が鉛のように重かった。斗和は虚ろな表情でフラフラと立ち上がったが、二、三歩歩いてまた膝を突いてしまった。

(倫道君、佳成……。私にできるかな?原作だと、死んでいった人も生き残った人も、みんな立派に戦ってた。でも、こんなに苦しくてつらいなんて!)

 

「斗和チャン!オ願イ、立ッテ!」

斗和の頭の上から声が降ってきた。柱である斗和のことをちゃん付けで呼ぶのは倫道の鎹カラス、マスカラスだけだ。斗和がはっと顔を上げると、瓦礫の上から二羽のカラスが斗和を見つめていた。瓦礫からやっと抜け出したのだろう、二羽は傷だらけであった。

 

「カアァァ!!蓬萊斗和ッ、土柱ッ!マダ終ワリジャナイ!!リンド―ノ分マデ戦エ!」

久しぶりに聞く令和の声。いつも静かな令和が、こんなに熱く呼び掛けるのは初めてだった。

 

(マスカラス!令和!良かった、二人とも生きてた!でも……ごめん、マスカラス……。倫道君は……)

どうやって知ったのかは分からない。あるいは戦いの前に、マスカラスにはこうなることを知らせていたのかもしれない。マスカラスは倫道の死を既に知っているようだった。

 

(そうだ、倫道君は“後を頼む”って言った。私に命を託したんだ)

斗和はマスカラスの悲しみを思う。そして改めて倫道と話し合ったことを思い出した。

 

(倫道君は言ってた。人々が理不尽に命を奪われないために、みんながほのぼのと平和に生きていけるようにって。今度は私が誰かを護る。命を繋ぐ!倫道君の分までやらなくちゃ!私は柱、そして世界を変える者!ここで止まる訳にはいかない!)

最終決戦はもう始まっているはずだ。仲間が命懸けで無惨と戦っているのにここで立ち止まっている時間は無かった。斗和は歯を食いしばり、悲しみを堪えて立ち上がった。令和とマスカラスが先導するように飛び出し、斗和は戦場へと全速力で走り出した。

 

 

 

(音が近い、もう少しだ!みんな、無事でいて!)

斗和は懸命に駆けた。剣戟の音や、宇髄と獪岳の使う爆薬のものであろう爆発音も近づいてくる。遂に戦闘が目視できる所まで来たその時。

 

 

『いかん!!』

空中から戦いを見下ろしていた何者かが無惨の全方位攻撃を察知し、動いた。

 

 

 

 激しい戦闘が展開されていた。鬼殺隊側が攻勢に出ている、傍目にはそう見えなくもなかった。だが無惨にはまだまだ余裕があった。

 ひと際大きな音がして、無惨に攻撃を行っていた隊士たち全員が突然吹っ飛ばされ、戦場に静寂が訪れた。

 

 今までの攻撃よりもさらに速く、鋭く。無惨は伸縮する二本の腕刀、背中の九本の管、さらに両側の大腿部からの八本の管で全方位同時に薙ぎ払い攻撃を行った。

 

(受け身を取ったか。あの状況の中で)

無音となった戦場で、無惨は周囲を見回した。鬼狩りどもが残らず吹き飛び、周囲の建物の壁に叩きつけられている。多くの者が失神していたが、土埃の中の気配を探ると一人も死んでいないようだった。

 

 鬼の首魁・鬼舞辻無惨。その姿は完全な異形となり、最早ヒトの体を成していない。体中に口が開き、両上肢は至る所に刃物が付いた鞭のように変形し、背中から出た九本の管が標的を見定めるようにゆらゆらと空中を漂っている。

 

(今、一瞬妙な気配がしたが……。それにしても、まだ生きているとは全くしぶとい蠅どもだ。面倒だが一匹ずつ潰していくより他にあるまい)

無惨は攻撃の瞬間に一瞬感じた気配を訝しく思ったが、それよりも攻撃が十分効果を発揮しなかったことにイラ立ちを滲ませ、手近な者から止めを刺そうと動き出した。

 

 

 

「鬼舞辻無惨!!」

ザザッと足音も荒く駆けつけた何者かが、無惨の背中に怒声を叩きつけた。

 

(また湧いてきたか、異常者め。鬱陶しいことこの上なし)

無惨がゆっくりと声の方へと向き直ると、そこには鍬(クワ)のような形の大ぶりな刀を手に、睨みつけてくる女剣士がいた。無惨は不快そうに僅かに顔をしかめ、歯を剥き出して激しい怒りを露わにする女剣士を睨み返した。

 

 

 

 斗和は鬼の始祖・鬼舞辻無惨と初めて直に対面した。

 

 

 

(あの男は!)

鬼滅の原作漫画を読んでいたからではなく、斗和はこの男に見覚えがあった。日常的に、身近に接していた覚えがあった。

 

(これは因縁か)

嫌な記憶が蘇る。その時は瞳孔こそ縦長ではなかったが、その冷たく鋭い眼差しで見られるだけで斗和は体が萎縮し、息が詰まるような思いがしていた。

 

(こいつが全ての元凶、倒すべき敵!私にとっても因縁の相手……)

斗和は思いを馳せる。鬼に殺された人々や、愛する人を奪われた人々に。

 鬼殺隊士として、斗和自身も嫌という程目にした光景が蘇る。目の前で貪り食われた隊士、無念の表情を浮かべたまま絶命した隊士。みんな大切な仲間だ。このような悲劇を生み出し続ける鬼というものに、それらを止められなかった自分自身への不甲斐なさに、改めて激烈な怒りが湧き、炎となって燃え盛る。

 

 斗和はこの戦いの意味を改めて噛みしめる。無惨を倒して鬼殺隊を勝利に導き、前世からの自分自身の因縁にも決着を付けなければならない。

 

(こいつだけは絶対に許せない!)

 

 土の呼吸 壱ノ型・土龍爪(どりゅうそう)!

 

 舞い立つ土の粒子が竜となり、無惨に襲いかかる。斗和はたった一人で無惨に立ち向かった。

 

 

 

 斗和は懸命に攻撃を続ける。一瞬でも間を置けば無惨の集中攻撃が押し寄せ、攻撃密度で簡単に押し切られてしまう。

 

 斗和の高威力の攻撃が何発も無惨に決まる。しかし、無惨は我武者羅に攻撃を続ける斗和を嘲笑うように敢えてそれらを真正面から受け止める。

 

(大した威力だが何の意味もない)

斗和の攻撃で何本もの管が千切れ飛ぶが即座に再生され、再び斗和に襲い掛かる。斗和の攻撃は無惨本体には届かず、逆に無惨が一気に攻勢に転じた。

 無惨の攻撃は多数の管と腕刀による斬撃、刺撃と、それらを鞭のように使っての打撃。それ自体は単純だが、どれもが超高速であり、それ故に威力も高く、人間には猛毒となる無惨の血が付加されている。そして両上肢の多数の口から息を吸い込み、近くにある物を引き寄せる“吸息”も厄介だ。防御したと思っても体ごと引き寄せられ、体勢を崩されて攻撃を食らってしまう。

 現在戦っているのは斗和一人、当然無惨の攻撃が集中する。斗和は全身に傷を負いながらも、致命傷となる怪我は何とか避けていた。しかし十分に呼吸する間も無く全力で動き続けたため、わずか二、三分の間で疲労困憊となり急速に動きが鈍くなった。無惨は両側大腿部の管は温存して敢えて使わず、腕刀のスピードもやや抑え、それでも己の圧倒的優位なこの状況を戦闘の息抜きとして楽しみ、斗和を甚振(いたぶ)っていた。

 

 

(やはりお前たちに私を倒すことなどできまい。後からやって来た此奴も所詮はこの程度、誰も彼もあの男には遠く及ばないのだ。私を追い込んだのはあの化け物だけだ)

そろそろ切り上げて他の者も始末しようと、無惨は斗和に対して一斉攻撃を行った。斗和は特殊日輪刀を高速で振り回すことで防壁とし、無惨の攻撃を何とか凌いでいたが、何度目かの波状攻撃を防いだ時、バキン!と大きな異音が響き、斗和の刀は半ばから折れた。

 

 これまで戦ってきた斗和の特殊日輪刀は、攻撃を全てを受け止めた代わりに、蓄積したダメージにより折れてしまった。斗和自身も衝撃を殺しきれず、数メートルも吹っ飛ばされ、地面に叩きつけられて転がった。斗和は全身が痺れ、体が言うことを聞かない。疲労に加え、強く頭を打ったせいで目が霞み、近づいてくる無惨の姿はボンヤリと滲む。それでも斗和は折れた刀を片手で構え、もう一方の腕で必死に這い、間合いを取って体勢を立て直そうともがいていた。無惨はそんな斗和を冷徹に見下ろし、止めを刺すべく刃物となった腕を振り上げた。

 

(畜生、こんなところで!……でももう体が動かない……実弥さん、みんな、後は頼みます。倫道君、せっかく命を託してくれたのに本当にごめんなさい)

無惨の腕刀が斗和へと迫る。斗和は固く目を瞑った。

 

(今度は直接手を下すのか。まあ前世の死に方よりはましかな)

斗和の頭の中で、走馬灯のように今までの人生が巡る。今世だけでなく、前世の事までも思い起こされ、自分が死んだ場面までもが蘇る。

 

 

 

『……ら…るな……あき…めた…だめ……!』

斗和の頭の中に遠くから声がした。

 

『斗和さん!諦めるな!諦めたらそこで試合終了だよ!』

途切れ途切れだったその声は急速に輪郭を帯びてはっきりと形になり、斗和の頭の中に響いた。それは倫道の叫びだった。

 

 

 

(お前たちはもうじきに滅ぶ。私は太陽を克服して完全な不死身の体を手に入れる。そして新しい神となる)

無惨は斗和を見下ろす。地べたを這い、まともに動くことすらできない瀕死の人間がそこにいた。

 

(お前たちは地を這い回るだけの、まるで虫けらだ)

無惨は殺した人間の命に思いを巡らすことなどなかった。人間など食糧に過ぎず、殺されて当然の弱い存在だ。だが鬼狩り共は別だった。誰の恨み、彼の仇と馬鹿の一つ覚えのように同じセリフを吐き、執念深く自分の命を狙う目障りな異常者の集まり。中でも、目の前のこの女。

 殺される間際というのに命乞いもせず、必死の形相で抗うことを止めないこの女は、何故か無性に腹立たしかった。

 

(私に従っていれば良い。大人しく消えろ)

無惨は腕刀を振り下ろした。目の前の女は血飛沫を上げて絶命する、はずであった。

 

 ガッ!

 

 腕刀が大きく地を抉ったがそこに斗和の姿は無く、無惨の一撃は斗和の命を奪うことはできなかった。

 

 斗和は大きく跳び退き、無惨の一撃を躱した。

 

(何っ?!)

緩慢な動作で地を這っていた女が、この数瞬で体力を回復させたのかと無惨は目を疑った。

 

(珠世の鬼の術で隠れた者がまだいるのか?だがこの女以外の者が動いた気配は無かった。どういうことだ?)

立ち上がるどころか満足に動くこともできないはずの斗和が、十数メートルの距離を跳躍して無惨の攻撃圏外へと逃れた。

 

 

 

(体が勝手に動いた?)

斗和自身にも何が起こったのか分からなかったが、まるで何かに操られたような動きだった。

 

 白く輝くもやのようなものが斗和の背中から抜け出した。同じく、吹っ飛ばされた隊士たちの体からも白いもやが抜け出した。もやは斗和の傍に集まって人の形となり、次の瞬間斗和の視界が完全に閉ざされた。

 

 

 

 

 

(ここはどこ?無惨に殺されそうになって、でも体が勝手に動いて)

疲労は極限に達し、全身傷だらけのはずであったが、斗和はいつの間にか自分の足で立っていた。

 周囲を見回すと一面の暗闇で、戦場の音や匂いも感じられなかった。

 

 背後から淡い光が現れ、親しい人の気配を感じて振り向くと、全身に白い光を纏った倫道が微笑んでいた。

 

「倫道君!じゃあ私も死……?」

斗和は自分の状況を推測した。

 

『大丈夫、斗和さんは死んでない。ここはあの世じゃないから安心して』

「倫道君はもう……?」

『うん、俺はこの世に未練があって、三日間の期限付きで一時的に帰って来ただけ。帰って来たヨッパライならぬ、帰って来たリンドーだね』

自分も死んでしまったのかと勘違いする斗和に、倫道は買い物のついでのような気楽さで語りかける。

 

「何それ」

死んでも冗談を言う倫道に、斗和も思わず笑った。だが倫道の輪郭が淡く、声は耳からでなく頭の中に入って来る。ここにいる倫道は思念だけの存在、つまり幽霊なのだと実感し、斗和は切なくなった。

 

「確か市街地で戦っていたはずだけど、ここはどこなの?」

ニコニコと笑っている倫道に、斗和は改めて疑問をぶつけた。

 

『ここは主人公の回想シーンなんかに出てくる、外界と隔絶された無の空間。主人公に許された特権だ。それとここでの一時間は外界での一秒にも満たない。だから時間も気にしなくても大丈夫だよ』

「全然意味分かんないんだけど……。確かに物語の世界にいるけど私は主人公じゃないし。どういうこと?」

斗和は事態が呑み込めず戸惑いの表情を浮かべている。今まで戦っていた市街地ではなく、二人は一面の闇の中にいた。倫道自身が淡く光り、お互いの姿がはっきりと見えていた。

 

『ここに来てもらったのは、斗和さんに話さなきゃいけないことがあったからなんだ。知らない方が幸せなのかもしれないけど……。話すよ、本当のこと。気をしっかり持って良く聞いてね』

倫道の表情は変わらず穏やかだが、これから打ち明けようとするのはこの世界の根幹に関わる重大事項だった。その重さが伝わり、斗和は真剣な表情になった。

 

『ここは、実は鬼滅の刃の世界じゃないんだ。鬼滅の刃から派生した二次創作の物語の世界。物語の主人公の名は――蓬萊斗和』

倫道は今まで隠していた事実を話し始めた。

 

『現実世界の令和の世で、俺はその読者だった。本来物語の中では、斗和さんの心臓病は治らない。状態が悪くなるのにそれでも戦い続けて、最後は無限城で上弦になった佳成と戦って命を落とす。決戦の前、自分の死期を悟っていた斗和さんは、不死川さんへの想いを手紙にして令和に託す。決戦後、傷が癒えた不死川さんがその手紙を読んで、斗和さんを想うところで物語は終わる』

斗和は驚愕で息を吞んだ。何故なら、本部に預けてある遺書とは別に、斗和はこの世界でも不死川宛てにこっそり手紙を書いており、もし最終決戦で自分が死んだら届けて欲しいと隠の後藤に頼んであったからだ。

 

『俺は救いたかった。悲しい結末を何とか変えられないか、そう思ってた。そうしたら自分自身がある日この世界に居たんだ。最初は鬼滅の世界だと思ったけど、そうじゃなかったんだ。気が付いた時は驚いたよ。まさかの転生、しかもこの世界に!でも、前世で医者だった俺になら何かできる、いや、やらなきゃいけないって思ったんだ』

倫道はあくまで淡々と事実を述べた。しかし大事な仲間を二人失い、そんな時にこの衝撃の事実を告げられ、斗和の混乱と動揺は収まらない。

 

「そんな……。そんな訳ないじゃない、何言ってるのよ!私は今まで全部自分の意志で来たのに。そんなの嘘に決まってる」

自分は他の誰かに作られたキャラクターで、この世界は虚構の産物。思考も、行動も、物事の流れも全ては決められた通りに進んでいるに過ぎない、そう言われてすぐに信じられる者はいないだろう。この世界での喜びも悲しみも苦しみも、登場人物にとっては紛れもない現実だが、全ては物語の中でのこと。初めからそうなるように仕組まれていたことだった。

 

『俺が捻じ曲げて大きく変わったこともあるから、全部が物語の通りじゃないけど、俺はこの世界のことは何でも知ってる。斗和さんの前世の事も、目覚めたきっかけも、鬼殺隊に入ってからの事も全部』

倫道は前世で読んだ小説のままに、斗和本人しか知り得ない内面の事も含めて語っていく。斗和は反発しつつも、その時々の心情まで言い当てられ、信用せざるを得なかった。思い出してみれば、倫道が全てを見通して行動していたことに斗和は何となく合点がいった。同時に自分が物語の登場人物であったという事実は、かつて斗和自身が耀哉に説明したのと同じであり、今となっては何とも皮肉に感じられた。

 

『隠に擬態して付いて行ったら、女性剣士が戦ってた。その人は顔に傷があって野良着姿、相手の鬼は独楽を操る十二鬼月。それから十二鬼月がもう一体が現れて……。その時点で、ここは鬼滅じゃなく前世で読んでた小説の世界だって気付いた。俺たちは転生者だけど、斗和さんは原作を読んでいる転生者という設定の主人公、俺は物語に紛れ込んだ異物。同じじゃない。今まで黙っててごめん』

衝撃を受け混乱する斗和を気遣いながらも、倫道の告白は次第に熱を帯びる。斗和は愕然とした様子であったが、その顔は徐々に険しくなっていた。

 

『斗和さんの心臓病は治せた。でも俺のやるべきことはまだ終わってない。だから戻って来た。俺はきっと、斗和さんを幸せにするためにこの世界に転生したんだよ。この戦いに勝って、不死川さんと幸せな未来を掴んで欲しい。悲しい物語の結末なんか、ハッピーエンドに書き換えてやればいい。斗和さんやみんなを護って、この戦いを勝利に導く。目的を果たせたら、あとは思い残すことなく消えていける!あともう少しなん……だ?斗和さん?あの……』

斗和はそれまで倫道を凝視していたが、途中から視線を逸らし、下を向いていた。斗和の中で、行き場の無い様々な思いは別の感情へと変化しつつあり、それは急速に膨らんだ。倫道は斗和からだんだんと怒りのオーラが出ているのが気になったが、熱心に語り続けた。

 

 しかし、ついに斗和は堪えていた感情を解き放った。

 

「……ふーん、知ってたんだ?」

斗和は怒気を含んだ低い声で倫道の話を遮った。視線を合わそうともせず、足元をじっと見つめたまま斗和は肩を震わせていた。悔しい、悲しい、切ない、一気に沸き起こる様々な感情はまず怒りへと変わる。

 

「知ってたんだよね?私やみんながどうなるか全部知ってて……佳成の事も知ってて黙ってたの?!酷い!最低!最悪!!」

斗和は顔を上げ、倫道を睨んだ。斗和の瞳には涙と同時に強い怒りの色が滲んでいた。

 

『それは……。ごめん、知ってた。佳成のことも色々と精一杯頑張ったんだけど、力が足りなくて……。本当にごめん……ごめんなさい』

倫道は戸惑いを隠せず言葉に詰まりながら答えたが、斗和の怒りが強いことが分かると、言い訳の声も小さく弱くなり、最後は消え入りそうに力なく項垂れる。

 

「今さら謝んないでよ!!何で!何でそうなのよいつもいつも!!一人で知ったような顔して!!ふざけるのもいい加減にしてよっ!!」

斗和の怒りは収まらず、さらに勢いを増した。

 

「自分は先に死んじゃったくせに!人には幸せな未来?はあ?何をお目出度いこと言ってんの!何カッコつけてんのよ!バカじゃないの?!」

斗和は言葉を叩きつけた。

 

「何で言ってくれなかったの!何でいつも黙ってるのよ!全部自分一人でやって、良い気になって!!」

斗和はさらに激しく感情のまま叫ぶ。温和でいつも遠慮がちな斗和が、倫道に対してこんなにストレートに感情をぶつけ、言葉を荒らげるのは初めてだった。

 

『違うよ、そんなつもりじゃ』

「友達でしょ?!同士でしょ?!何で自分一人で背負うのよ!!何で一人で死んでんのよ!!……傷も治してもらってない!チーズケーキも作ってもらってない!絶対に許さないから!!」

『斗和さん……本当にごめんなさい……』

倫道は俯き、小さくなってひたすら頭を下げた。

 

「謝るなって言ってんのよ!!……お願いだから……謝らないで……!分かってるよ、倫道君が本当に頑張って……死ぬほど頑張ってくれてたことなんて……分かってるから!!……分かってたのに……ありがとうって言わないうちに死なないでよバカ!!……倫道君を犠牲にして生き残ったって、そんなの嬉しいわけないじゃない!!!何を考えてんのよ!……“目的を果たしたら消えていける”?勝手に自己完結して消えようとするな!!……私がちゃんとお礼を言うまで、消えるなんて絶っっ対許さないから!!!」

 

『えっ?斗和さん……?』

倫道は思わず顔を上げ、呆けたように斗和を見つめた。ポロポロと大粒の涙を流し、しゃくりあげながら言葉を絞り出す斗和を呆けたように見つめていたが、数秒後に理解できた。

 独りよがりな行いを責められていると思っていたが、本当に斗和が言いたいことはそうではないのだと。

 不器用で、自分の気持ちを素直に伝えるのが苦手な斗和が、精一杯の感謝を伝えてくれているのだとようやく気付いた。

 同時に、斗和に対する無償の想い、そればかりに囚われていた自分を恥じた。独りよがりで、前のめりで、その思いを受け取る側の心の負担に気持ちが及ばなかったと気付かされた。

 信頼していなかった訳ではない。余計な心配をかけまいと全て自分が背負い込み、一人で解決しようとしていた。そんな行き過ぎた気持ちが斗和を傷つけた。

 

 倫道は、斗和を悲しませたことを申し訳なく思いながら、それでも斗和が本当に自分に感謝してくれていることを知った。

 倫道の目からも、感動の涙がどっと溢れた。

 

「倫道君!いつも見ててくれたんだよね……?今まで……本当にありがとう!……ちゃんと言えなくてごめんなさい……ごめんなさい!!」

『斗和さんこそ謝らないで。俺はもう十分報われてるんだから……。この世界に来て良かった。今まで頑張って本当に良かった。斗和さんに感謝の言葉をもらって――。こんなに嬉しいことはない』

 

「倫道君幽霊になったのに泣きすぎ!そんなに鼻水も垂らして」

顔を上げた斗和は、倫道の盛大な泣き顔を見て自分も泣きながら笑った。

 

『斗和さんが泣かせるからだよ!それに斗和さんだってめっちゃ泣いてるじゃん!まあ俺は泣いてないけどね、目から鼻水が出ただけで』

「またしょうもないこと言ってる!」

二人は共に顔をくしゃくしゃにしながら泣き、お互いの泣き顔を見て笑い合った。お互いの気持ちが本当に通じ合えた、初めての瞬間だった。

 

 だが、別れは刻々と迫っていた。

 

『斗和さん、俺の最後の責務は、この戦いを勝利に導くことだ。でも、俺個人としても無惨と決着を付けなきゃいけないんだ。俺は前世で現代人として生きるもっと前の人生で、無惨と戦って死んだ』

倫道は涙と鼻水を拭って真顔になり、斗和に真正面から向き直った。

 

「ちょっと待って、無惨と戦ったって……どういうこと?」

『俺は多重転生者なんだ。四百年前、俺は継国縁壱の養子となり、日の呼吸を継承した。じっちゃんが死んだ後しばらくして、俺も無惨と対決した。だけどその時は敗れた。今度こそ』

「た……多重……転生?縁壱の養子?」

余りの情報の多さと怒涛の展開について行けず、斗和は益々訳が分からなくなった。

 

『ごめん、訳が分かんないよね。俺は何度も転生を繰り返して、色々な世界を巡る運命らしい。それぞれの世界でタイムリミットがあって、俺がこの世界にいられるのはあと三日。もう一度斗和さんと、みんなと一緒に戦って、無惨と決着を付けたい』

倫道は斗和を見つめた。

 

『俺はもう実体がないから物理攻撃はできないけど、一体化すれば斗和さんの神経系にブーストをかけられるはずだ。そしたら反射速度が各段に上がる。ガンダムのマグネットコーティングみたいなもんだよ。さっきの無惨の攻撃も、咄嗟に分散してみんなの体に入って防いだんだ。だから斗和さんもいける。無惨の速さにも十分対応可能になるし、俺が身につけた技も使える。……日の呼吸も』

今の説明で、斗和は何故倫道が日の呼吸を使えるのかその理由が分かった。それは想像を超えるものであったが、倫道にも自分と同じく無惨との因縁があることも理解した。

 

「ガンダムは知らないけど、力を貸してくれるの?でも私、刀が」

斗和は折られた愛刀に視線を遣った。この戦場には、斗和の特殊日輪刀に代わる物は無い。

 

『心配ない、代わりに丁度良いのがある』

「えっ?」

『斗和さんと一緒に戦いたいのは俺だけじゃない』

外界の一部が映し出され、倫道は瓦礫の一角を指差す。すると、まるでそれに応えるように瓦礫の中から仄かな光が漏れ始めた。

 

『おーい、こっちこっち』

倫道は映し出された瓦礫の一角に向かい手を振る。光は急速に強くなり、爆発するように瓦礫を吹き飛ばして何かが飛び出し、突然この空間の斗和と倫道の傍に現れた。

 

(あれは……!)

光を放っていたのは、佳成が遺した折れた刀身だった。周囲を覆っていた鬼の細胞は消え去り、折れた日輪刀がそのままの姿で空中に浮かんでいる。斗和は驚きに目を見開いてそれを見つめた。

 

「佳成……。力を貸して!」

共に戦う。湧き上がる思いと共に斗和が光に語りかけ、折れた刀を構えると、刀身は斗和の刀と融合し、一層眩い光を放った。眩しさに斗和は目を瞑り、思わず刀から右手を放して光を遮った。光が収まって再び目を開けた時、斗和の左手には刃長三尺もある大刀が握られていた。

 

『師範!俺も一緒に戦いたいです!』

佳成の声が頭の中に響いた。

 

「ありがとう佳成!一緒に戦おう!」

嬉しい再会に再び目を潤ませ、斗和は刀に語り掛け、そっと刀身に触れた。

 

『役者も揃ったことだし、仕上げといこう。斗和さん、仰向けで横になってくれる?一体化するときのお約束だから』

「こう?」

倫道が妙な事を言い出し、斗和は疑問に思いながらも刀を脇に置いて横たわる。

 

『いくよ』

横たわる斗和の足元に立った倫道は、残像を残しながら斗和の体に倒れ込む。二人の体がぶつかる瞬間、倫道が斗和の体に吸い込まれていった。

 

『気分はどう?』

一体化し、立ち上がった斗和に倫道が聞いた。

「体力が戻った!それに、毒も消えた!」

斗和が元気を取り戻したのは気のせいではない。倫道はこの世界に留まるためのエネルギーまでも全て注ぎ込み、斗和は全回復以上の体力状態となった。斗和は体の隅々まで力がみなぎるのを感じ、改めて大刀を両手で握ると、刀身は深い漆黒へと色変わりしていった。

 

 握った大刀からは暖かで力強い佳成の波動が流れ込んでくる。そしてこの色変わりは倫道の日の呼吸の適性によるものだ。

 

『死ぬべき主人公が運命に抗い、生きて人生を切り開く新しいページが追加されるんだ。その先はきっと素晴らしい人生が待ってる。――俺たちも一緒に戦う!頑張って!!』

斗和の頭の中に倫道の励ましの声が響き、先程までの絶望感や激しい疲労感は吹き飛んだ。何より共に戦う二人の存在が心強く、斗和は胸が熱くなり、完全に気力を取り戻した。

 

「よし、行こう!」

戦列に復帰しようとする斗和だが、ちらりと懸念が過る。

(倫道君と佳成の息は合うのかな?また喧嘩しないと良いけど)

 

『佳成、刀ちょっとでかいな、もう少し小さくなれよ!斗和さんが使うんだから!』

佳成が作り上げた刀は刃長だけで三尺(90センチ)以上の長さだ。斗和の身長は約170センチ、適正なバランスを大きく超える刀の大きさに倫道がクレームをつける。

 

『えっ、このくらいじゃないですか?』

佳成が異議を唱える。

 

『でかいよ、斗和さんが使うんだぞ?一回り小さく!』

『師範が使うんだからこのくらいで良いんじゃないですか?』

霊体になり、斗和の体内に同居しても相変わらずの倫道と佳成。

 

(再会したばっかりでもう揉めてる)

斗和は苦笑したが、改めてこの大刀を眺め、数回振ってみた。このずしりとした重さが手に良く馴染み、存分に力を発揮できると感じた。

 

「いや、これで良いよ。元の刀とあんまり変わらないし、この大きさでいこう!」

斗和がもう一度刀を軽々と振り回して見せると、風を切る鋭い音がする。何より佳成の魂が込められているおかげなのか、武器というよりまるで体の一部のように、思い通りに軽く扱えるのだ。

 

『えっ?……ほ、ほら、だからこのままで良いって言っただろう?佳成は分かってないな』

『おおいっ!倫道さんがでか過ぎるって言い出したんでしょ!全くこの人は!』

倫道の意味不明の負け惜しみ、文句を言う佳成。相変わらずの展開に斗和は思わず笑った。

 

『さあ反撃だ!やられたらやり返す!今までの分は倍返し、いや千倍返しだ!』

『はい!』

バツが悪くなり、誤魔化すために倫道が気合を入れ、何も知らない佳成は素直に返事をする。どこかで聞いたセリフに斗和は一瞬微妙な表情を浮かべるが、気を取り直して戦闘再開を宣言した。

 

「倫道君、佳成、ありがとう!絶対に勝つよ!!」

 

 斗和の周りの空間が現実に戻る。時間が元通りに動き出し、十数メートルの間合いを保ったまま斗和と無惨は再び睨み合った。

 

 

 

(生存本能のなせる業か)

ボロボロの状態だった斗和が、無惨が止めを刺そうとした瞬間に十数メートルの距離を跳躍して逃れた。無惨は驚いたものの、それも一時的な回復で、虚しい抵抗だと思った。

 

 斗和は抜き身の大刀を右手に真っすぐに立ち、無惨をじっと見つめている。瘦せ型の斗和だが、そのシルエットはどっしりと安定していた。どんな風雪にも耐えて立ち続ける一本の木のように、大きな存在感を放つその姿。現れた時の激しい感情の昂ぶりは見えず、天を衝く闘志は内に秘めて鎮まっていた。

 

(あの女は最初からあのような武器を持っていたか?違う、警戒すべきはそこではない。気配がまるで変わっている)

何か異質な、別の人間にでもなったような佇まい。

 感情のまま、怒りに任せて攻撃してくる者など力の程は知れている。斗和が現れた時の様子から、無惨は特に詳しく観察もせず嬲(なぶ)り殺しにしようとしていた。

 しかし、向かい合う女を改めて観察し、無惨ははっきりとその変容を感じ取った。先程折れたはずの変わった形の武器は長大な刀に変わっており、しかもその刀身はあの忌まわしい黒だ。それ以外、外見上どこが変わっているかは判然としない。しかし第二形態とでも言うべきその変容は明らかで、無惨はこの女剣士への警戒度を跳ね上げ、更に気付いた。

 

(思い出したぞ、此奴が猗窩座の言っていた者……。扉を開き、眠っていた力を目覚めさせというわけか)

その女は他の鬼狩りと違い、農作業に着るような野良着姿をしていた。先程までは鍬(クワ)のような形の得物を手にしており、一見すると農婦のようだった。そして顔には薄っすらと残る大きな傷跡。

 無惨は炭治郎と並び、以前から斗和と倫道を密かに警戒していた。倫道の気配は消え、炭治郎は死にかけているがこの女が残っていた。

 

「そうか、お前が」

特徴が一致する。情報と照らし合わせると、目の前にいるこの者こそ、配下の鬼から何度も報告があった女の鬼狩り。そいつはこう呼ばれていた。

 

 

 

(倫道君、そう言えばさあ、何て言うの?私の物語のタイトル)

斗和は内なる倫道に聞いた。

 

『タイトル?ああ、それはね』

倫道が答える。

 

 

 

 ――【野良着の隊士】――。

 

 

 

「【野良着の隊士】か」

猗窩座を追い込み、妓夫太郎、玉壺を屠り、黒死牟をも倒した者。ついに現れたか、無惨はただ一人戦場に立つ斗和を嫌悪と呆れの眼差しで見つめた。どこかで会っているように感じられてならなかったが思い出せず、何故かその存在が無性に腹立たしい。

 

(【野良着の隊士】って言うんだ)

斗和は頷き、わずかに笑みを漏らした。

(野良着がしっくりくる、それも設定なんだよね。でも私、結構気に入ってるんだ、このキャラ設定)

 

 

 

 

「鬼舞辻無惨!!お前を駆逐してやる!じっちゃんの名にかけて!――さあ、お前の罪を数えろ!」

斗和が突如口を開く。だがこれは斗和の内にいる倫道が発したものだった。無惨は一瞬驚いた顔をしたが、聞こえているのかいないのかこのセリフには無反応だった。

 

(ちょっと勝手に喋らないでよ倫道君!みんなパクリじゃないの!それと……これ、何よ?)

斗和は内なる倫道に話しかける。手にした大刀をふと見ると、その鍔元には「悪鬼滅殺」ではなく別の文字が浮かび上がっており、どういう意味かと斗和は疑問に思った。

 

――「CAST IN THE NAME OF GOD YE NOT GUILTY」――。

 

『「我、神の御名においてこれを鋳造する。汝ら罪なし」って意味だよ!中世ドイツの処刑人の剣に刻まれていた言葉らしい。気にしないで!』(※作者注 元ネタの作品中での設定です)

複数のネタを同時にぶっこみ、複雑化する倫道のパクリに頭痛を覚えた斗和だったが、脳裏に浮かぶ倫道のドヤ顔を慌てて打ち消し、戦闘に意識を集中しようと気持ちを切り替えた。

 

 武器のサイズや重さは以前の特殊日輪刀とほぼ変わらない。体力の限界をとっくに通り越した斗和にはそれを操って戦う事など不可能なはずであった。しかし佳成の魂が宿る刀はしっくりと手に馴染み、重みと手応えがありながらも子供用の竹刀のように軽々と扱える。

刀を握る腕だけでない。疲労でぼやけていた視界もクリアになり、体中に力がみなぎっていた。

 

「貴方の正体はいつも何かに怯えている只の臆病者。そのくせ傲慢で自分のことしか考えられない、本当に可哀そうな人。……決着を付けましょう。鬼舞辻無惨――いえ、月彦さん」

斗和は心を落ち着けて無惨を見据え、言葉を突きつけた。

 

(この女、一体何を知っている?……だが私は何故そのような事が気になる?この女を恐れているというのか?……あり得ない!)

「月彦」は無惨が人間に擬態する時に使う名前の一つだった。それを知っているという事は、何かしら縁のあった人間かと思ったが、無惨には思い当たる事が無く、却ってそれが不気味だった。

 斗和の涼やかな視線と鋭い言葉に、無惨は自分の本質を全てを見透かされたような気分になった。それは狼狽と言うより恐怖に近い感情であったが、すぐに怒りに変わった。

 

『斗和さん、前世の“あの人”って、まさか?』

倫道の驚きが斗和にも伝わった。

「そう、もちろん鬼ではないけど、その素性を宿した人間。前世でも無惨みたいって思ってたけど、そんなことあり得ないでしょ?でも」

『物語の世界ならあり得る……?』

「そう。これは、この宿縁を断ち切るための、私自身の戦いでもある」

 

 無惨は斗和を睨みつけ、警戒しながらゆっくりと斗和の方へ近づく。斗和も抜き身の大刀を右手に、ゆっくりと無惨の方へ歩を進める。両者の間合いが縮まるにつれ、緊張感は急速に高まっていく。凡そ十メートル、無惨の腕刀の間合いまであと僅か。互いにあと数歩ずつ踏み出せば、静寂は一気に破られ、激しい戦闘が再び始まる。

 

(だが、恐れる必要があるのか?さっさと殺してしまえば良いではないか)

無惨は自問自答する。この女は確かに雰囲気が一変した。生への執着により能力の扉を開き、あの男を彷彿とさせる黒い刀を持ってはいるが、自分の命を脅かすまでに急に強くなるなど考えられない。力の差は埋め難く、束になって掛かって来ようと虫けらは所詮虫けら。まずは目の前を飛ぶこの蠅を叩き潰し、他の鬼狩りも残らず殺す。

 

 

 斗和と無惨、両者の間合いはついに、無惨の腕刀が届く距離になった。

 

「死に損ないが……!」

無惨は忌々し気に吐き捨て、刃と化した両腕を鞭のように振るい、攻撃を開始した。



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