ヒカ碁小話連作 (ろしゅ~)
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第一章 『神代之譜』
1-1 本編


 

「無い、シミ跡なんて見えない!」

 

平八宅の蔵の一角で、ヒカルは一人立ちすくむ。

 

 

 

「いや、佐為はここにいる!単に今のオレには見えないだけだ!」

 

“今のオレ”が“まだ”なのか“もう”なのか、本音を言えば”まだ”であればいつかは再会(?)できるかもしれないからそうであって欲しいところだが、当然“もう”の可能性も否定は出来ない。

そもそも今世では既に成仏してしまっていてこの碁盤に取り憑いていない、などということには思考が傾かなかった。

 

「となるとオレの役割は見えるヤツをこの碁盤に引き合わせるってことも含めて考えなきゃな」

 

いずれにせよ、この場所にあるままならそうした機会も限られてくるだろう。

何とかしてここから持ち出さなければ。

 

「じーちゃん、蔵の碁盤、あれなんかスゴい謂れでもあるの?」

「どうしたヒカル、来るなり蔵の中見たいと言ったかと思えば……」

「あの碁盤、何だか神聖な雰囲気がパねぇんだよ!」

 

雰囲気を“ふいんき”と発音したのはワザとなのか天然なのか。

 

「確かに何やら曰くつきの物だそうじゃが、おそらくは神聖さとは全然違う向きじゃぞ」

 

平八は、兄より譲り受けた古めかしいながらも立派な碁盤ではあったが、そうであるがゆえにやれ幽霊が取り憑いているだの雨が降るとすすり泣く声が聞こえてくるだのといった怪しげな話をおぼろげな記憶から蘇らせた。

 

「そんなこと無い!あの碁盤には囲碁の神様が宿ってる!そんな気配がビンビンしてた!」

 

なおも食い下がってくる様子に若干訝しんだ平八だが、自身の孫がこういうのがきっかけであったとしても囲碁に興味を持ってくれたのであれば同好の先達としてそこはかとない嬉しさを感じるものである。

ともすればニヤけ出したくなるのを抑えようとしながらも年甲斐もなくついつい意地悪っぽいことを言ってみるのもむべなるかな。

 

「そもそもヒカルは囲碁なぞ興味を持っておらんかったじゃろ」

「ゴメンナサイ!それについては謝ります!だけどあの碁盤はオレを呼んでるんだ!」

 

即答である。

まさか以前“年寄りがする辛気臭い趣味”と放言したことまで素直に謝罪してくるなどとは考えず、あまつさえいよいよ食らいついてくる様子に若干たじろいでしまった。

 

「ほぉ、したらこれから碁を打つんじゃな?」

「ウン!あの碁盤に恥じないよう、オレ頑張る!だからあの碁盤オレに使わせてくれ!」

 

我が孫がそこまであの碁盤に惚れ込んでいる様子を見れば、ヒカルにとっての囲碁の神様が宿っているのかもと考えるようになり、蔵に文字通り死蔵させておくぐらいならしばらく使わせてやるくらい良いかと思い始めた。

 

「今すぐは駄目じゃ。まずはちゃんと打てるようになり、盤や石の扱い方や手入れの仕方をしっかり覚えてからじゃな」

「わかった!じーちゃん、約束だよ!」

 

ヒカルは平八宅に日参する勢いで囲碁の基礎を習うフリをしばらく続ける。

時にはあかりも巻き込んでみた。

あかりがヒカルのやることに興味を示したこともあるが、ヒカルとしては当然“碁盤に逢わせる”ことも思考の片隅に入っている。

 

「じーちゃん、思ったより強いんだね」

 

ある日、それまで漠然と感じていたことが、つい口をついた。

聞き咎めた平八がいつものようにクツワ町の井上氏を引き合いに出しながら自慢話を長講釈する傍らで、ヒカルはふと考える。

じーちゃん、前の時より強い。

 

程なく件の碁盤をまんまとせしめることに成功したヒカル、初めにとった行動は図書館で借りれる最大限度の囲碁関連の書籍を貸出しまくり、それらに記されている棋譜・詰碁や参考図、そこへ自らの考察・研究も含めながら石を並べるといった作業を、借りる書籍・雑誌が無くなるまでひたすら繰り返してやろうと考える。

 

「とりあえずここにいる佐為に現代の碁を知ってもらわなきゃな」

「でもひょっとしてオマエも逆行してきてるんだったらあまり意味ないことかもな」

「だけどそれでもオマエにとってちょっとした退屈しのぎになってくれる……といいな」

 

実際にそうした行動を取り始めてみると、すぐに違和感に囚われるようになる。

書籍などを読み解いてみる限り、今の世の囲碁のレベルが全体的に高いような気がする。

そして。

 

「本因坊秀策がいない!」

 

こと此処に至り、逆行してきたこの世が前世とは全く異なった世界である可能性にようやく気づいてしまった。

しかし自身の周りやこれまで目に触れた棋士の名前などには大きな変化はない。

この世界に佐為や秀策が存在していなかったことなど絶対に認められなかった。

 

古典的な囲碁の資料まで捜索の手を広げると、本因坊秀策はいなかったが、幕末から明治初期にかけての囲碁研究(そして公衆衛生の概念についても)の第一人者として桑原某の名前はすぐに目に入った。

 

更にそして……

 

「佐為、すげぇ~~~!!!」

 

なんと、この国における囲碁の聖人として、どうやら生きている時代から現代に至るまでずっと崇め続けられているではないか!

 

「オレが逆行してきたように佐為、そして虎次郎も逆行してたんだ!」

 

そりゃぁ成仏しててもおかしくないよな~、と少々気の抜けた思いにもなった。

 

そして佐為の著したとされる一冊の書籍を手に取る。

(佐為には後世に“竹林黄門”などのような妙な呼び名を奉じられていたようで、そうしたことも気付き難くしていた)

 

「ばかやろう、何でオレなんかが“神の子”なんだよぉ……」

 

そこには夢の中で神様に引き逢わされた錦の御髪(多分“二色(にしき)”に引っ掛けたんだろう)を持つ神の童への指南碁とされるものも少なからず書き綴られていた。

当然、佐為と最後に打った碁も……

ご丁寧に「不聞名畏 只呼光君(畏みて名は聞かず、ただひかるのきみと呼ぶのみ)」とまで書いてあるし……

ちょっとした悪戯心や当てこすりなんかもあるだろう。

しかし、改めて見る棋譜とその考察から溢れ出すとてつもなく深い愛情と期待を汲み取らざるを得なかった。

 

当時の囲碁を千年分いきなり進化させてその後の千年先までしっかりと語り継がれていて……そうすると自身の役割は最低限次の千年を拓くための一石とならなければいけないのか……

 

前世では佐為と別れてから数十年、たかだかその短い期間であってもAIの進化も相俟って囲碁は大きく変貌を遂げていたし、自身がその最先端を走り続けていたという自負もある。

特にAIの進化は凄まじく、それが自分の時代でもオリンピック競技にロボットを参加させる・させないを問うようなもので人間が打つ囲碁の意味を失わせるものではなかったが、その思考の概念を人間が取り入れ学習することは有意義であった。

現世の囲碁のレベルが前世に比べ高くなっているとは言え、そのAIの時代を経験しているヒカルが囲碁研究の概念を少しぐらい先取りしたって良いだろう。

それに、千年前に前世の現代レベルまで引き上げた佐為の碁、その後の千年でさらに洗練されてきた今世の現代の碁、そこへ前世の自分の碁を差し挿むことによってこれからの囲碁もどのように変化・発展するか非常に楽しみでもある。

ひょっとしたらこれからのAIの進化にも影響が及ぶかもしれない。

 

「よぉし、やってやろうじゃん!」

 

決意を固めたヒカルの手によって新たな囲碁の世界が拓かれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とは言えこのまま世に出たら、名前と言い容姿と言い棋風と言い、絶対に竹林神童の再来とか変な方向でもてはやされてしまうじゃん!オレ、佐為のこと怨んじゃうぞ!(苦笑)」

 

いっそのこと開き直って「神代之譜を学んだら物凄く感動しちゃって、中でも竹林神童の打ち回しが妙にしっくり来過ぎて、そのうち本当に自分が生まれ変わりなのかもとか思うようになった」などと供述すれば周囲もそんな不思議クンに対し深くは詮索してこない……かもしれない。

 

 

 

 

 



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1-2 付録

 藤原佐為

 

出典:「Washipedia」

 

 

藤原 佐為(ふじわら の すけため/さい)は、平安時代中期の公卿。藤原北家小野宮流、摂政太政大臣・藤原実頼の孫。左近衛少将・藤原敦敏の二男。三蹟の一人として有名な藤原佐理は同母兄。竹林黄門。筆名を石傍徒と号していた。囲碁の発展に多大に寄与したことから棋聖・棋仙とも呼ばれる。

 

 

時代 平安時代中期

生誕 天慶9年(946年)

死没 寛弘6年11月13日(1009年12月2日)

官位 従二位・権中納言、贈正二位

主君 村上天皇→冷泉天皇→円融天皇→花山天皇→一条天皇

氏族 藤原北家小野宮流

父母 父:藤原敦敏、母:藤原元名娘

     養父:藤原実頼

兄弟 佐理、藤原為光室、章明親王妃、佐為

 

 

経歴

 

天暦元年(947年)佐為が1歳の時に父・敦敏が30歳で亡くなったため、兄の佐理とともに祖父の実頼によって育てられる。

応和2年(962年)元服・右近衛将監任官を経て、応和3年(963年)従五位下に叙爵し、侍従に任ぜられる。

左衛門権佐・右近衛権少将と武官を経て、康保4年(967年)冷泉天皇が即位し、養父・実頼が関白に就任すると従五位上に、翌安和元年(968年)正五位下と兄・佐理とともに続けて昇叙される。

 

安和2年(969年)円融天皇の即位後の除目にて亡き父と同じ左近衛少将に転任。

天禄元年(970年)5月に養父の実頼が薨去するが、同年10月『神代之譜』初稿本を献上し、おそらくはその功労により従四位下に叙せられる。

天延2年(974年)左近衛中将、貞元2年(977年)10月には焼亡から再建した内裏にて行われた射場始において佐為は見事な弓術を披露し、円融天皇からその技前を感嘆されて勅禄を与えられると共に従四位上に叙せられるなど、円融朝の前半は武官を歴任しながら兄の佐理に続いて順調に昇進し、天元2年(979年)蔵人頭に任ぜられた(2年後に任から離れる)。

 

永観2年(984年)に花山天皇が即位しその大嘗会に先駆けた御祓いの儀にて剣舞を奉納し、その功にて正四位下に叙せられる。

 

花山朝から一条朝にかけては、小野宮家の正嫡で義弟の藤原実資や天皇の外戚である藤原義懐(花山天皇外叔父)、藤原道隆・道兼・道長兄弟(一条天皇外伯父・外叔父)らに昇進で次々と先を越される中、正暦2年(991年)には参議を辞して大宰大弐として九州に赴任した佐理と入れ替わりに参議へ進み公卿に列した。

佐為は兄の大宰府赴任に際して日頃の奔放さ・ぞんざいさが都とは勝手の異なる九州の地では通用しないだろうことから、一層の戒めを佐理からの私信『離洛帖』の返書にて促している。

特に宇佐八幡宮や太宰府天満宮に対して無用な対立を招きかねないような行動は厳に慎むべきであると注意している。

(佐為からの助言があったにも関わらず、後日宇佐神人との乱闘疑惑をもたらして、佐理は帰洛後の面目を失っている)

 

正暦6年(995年)従三位。この年(改元して長徳元年)洛中に痘瘡が大流行し、公卿にも多数の欠員が生ずるも佐為の昇進・移動はなかった。

 

長徳2年(996年)にはいわゆる長徳の変が生じ、懇意にしていた道長の政敵である藤原伊周らへの追及を厳しくするも、道長へは行動の自重を促している。

特に伊周が修法したとされている大元帥法(たいげんのほう:帥の字は読まない慣例)への考察は他の公卿たちには慮外だったらしく、おそらくは伊周自身の罪状軽減や皇后定子の平癒祈願(後に懐妊・安産祈願だと理解される)などが目的の密教修法であるも、その規模が甚だ大きすぎて、臣下が決して修法してはならないとされる大元帥法とみなされても仕方がなく、そうしたごく大規模な修法が行われること自体が国家の安寧を脅かすことに繋がりかねず、内大臣の取る行動としては絶対に許されるべきではない、厳しい罪状を以て処すべきである旨を論じている。

これは何も道長に阿るためのものではなく、理知的であっても現実を直視しない伊周の影響力が保持されると廟堂の混乱がいつまで経っても収まらず、これを放置すれば今後の政治運営に致命的な打撃を与えかねず一条親政への信頼感を甚だ損ないかねないとの考察によるものである。

一条帝は心情的には定子のことを慮ってやりたいが心を鬼にして厳正かつ慎重な捜査を命じることになり、その際の葛藤の矛先を敢えて佐為が背負うことに万感の思いを持ったと道長に漏らしている。

尚、後の国母東三条院詮子の平癒祈願の際の恩赦に当たっては伊周・隆家へも該当させることを真っ先に主張したのも佐為であった。

この変の後に臨時の除目が行われるも佐為は昇進・昇任のみならず全ての栄典をも辞退している。

この前後の政治的な動きは佐為にしてはかなり例外的に活発であったが、大局的な見地とバランス感覚の良さ自体は廟堂において常に尊重されていたようである。

 

長徳5年(999年)正月に前年薨去した佐理の後を継ぐように兵部卿へ任ぜられる。

改元して長保元年、この年道長の長女彰子入内があり、その際の調度品として屏風歌を用意すべく、参議・源俊賢を介して公卿たちの和歌を募り、花山法皇(詠み人知らずで記される)や同門の藤原公任すら歌を贈った中、公任より道長に近しいと目されていた佐為は理由が後世に伝わっていないものの献歌を拒んでいる。

同様に義弟で先に中納言へ進んでいた実資も献歌を拒んでおり、世評では二人は権勢におもねず筋を通す態度を貫いたと言われている。

 

長保3年(1001年)、正三位に叙される。

同5年(1003年)、権中納言に進み、兵部卿を離れる。

寛弘元年(1004年)、従二位、大蔵卿兼帯。

同2年(1005年)、還暦を機に全ての職を辞した。最終官位は権中納言従二位大蔵卿。

同6年(1009年)に入り病を得て寝込みがちとなり、身辺を整理すべく本家を継いだ義弟・実資に自身の著した日記や書物などを託す。

同年11月13日薨去。享年64。

 

 

人物

 

自らは特に意見を発せず、他人の意見に賛成も反対もせず当時からすれば些か常識外れの広い視野からの考察を加えその理非を示すことが専らであったようである。

 

奔放な兄に比べ、小野宮家の一員らしい謹厳実直さを持ち合わせながらも、幼少期より囲碁に傾倒していたためか養父実頼からの信頼は今一つであったようである。

実頼三男の藤原斉敏から三男実資を養子に迎え入れられた後は嫡男の座が実資に移ったが、放逐同然に小野宮第を出た後も義弟実資からの信頼は続いていたようで、実資の日記『小右記』からも何かにつけ相談相手になっていたことが伺える。

 

実頼の小野宮第を離れると嵯峨野に居を求め、邸宅内にも竹林を取り込みその縁に亭子(四阿)を設け、そこで碁を打ったり書を綴っていたことが彼の日記に残っている。

「竹林殿」「竹林黄門」はそうした日常が反映され、後世そのように呼ばれるのが一般的となった。

 

容貌が麗しかったようで、同時代の宮廷女官の日記などに高頻度で記されているが、生涯独身を貫き、それでいて出家もせずに世俗に関わり続けている。

 

囲碁の第一人者として評価が高く、『神代之譜』に代表される囲碁の棋譜・解説書・指南書を数多く残しており、「自由布石(佐為以前は双方が星点へ石を置くことにより対局が始められていた)」「先番利七目」「詰碁」などの現在に至るまで一般認識される概念が示され、その先見性・技術性・芸術性ともに当時の遊戯としての囲碁はより洗練・昇華されていくこととなる。

囲碁における大局観を万事に当て嵌めることが可能との見方を示し、その感性を培うための材料として囲碁は最適なものと捉えられるようになるきっかけともなった。

 

棋譜を起こすに当たって、手順を示す印判を用いることなども発案している。

佐為の用いたそれは原始的な活版であったとも言われている。[誰に?]

棋譜を残すということ自体が習慣化していくのも佐為がその嚆矢とみなされている。

 

自邸の母屋の一角は囲碁教室として使用し、貴賤を問わず囲碁を学びたいものならばどのような者でも受け入れていた。

軒の内側を遠慮するような人にも分るように、天然磁石を仕込んだ木製の石と鉄板の表面に盤面を模した紙を貼った立型の大盤も発案している。

この大盤の存在により、それまで単なる遊戯に過ぎなかった囲碁がにわかに競技性を持つようになる。

 

弓術・剣術などにも長けていたようで、弓術については大納言当時の藤原兼家からの依頼で道長にも師事されていたことが『御堂関白記』に残されている。

そうした関係から小野宮流とはあまり反りの合わなかった兼家・道隆・道長らの九条流との関係悪化を最小限なものに止めるべく奔走していたことが自記『竹林記』などの日記から直接的・間接的に察することが可能である。

 

筆号とした石傍徒については、公私にわたり社会への多大な影響をもたらした人物の号としてあまりに謙遜が過ぎるものと理解されていたようで、神代之譜の自筆本と、原本に忠実に書写された彼の著作のごく僅かなものにしか見られることがなくなり、偉人の号としては世間に流布していないものとなっている。

 

 

逸話・説話

 

生前、しばしば夢枕に立つ囲碁の神に連れられて同じく神に愛された人や人ならぬ者たちと碁を打ったり観戦したりして、その折りの様子や棋譜を記録したものが『神代之譜』とされている。

勿論夢の中以外でも碁を打ちその棋譜も残ってはいるが、それは周りの碁を打つ人との隔絶した実力差のみが伺えるものとなっている。

当時から神代之譜の出典を疑い求められ、挙句の果てには兄・佐里が太宰大弐であったことも手伝ったか、非公式に交流の続いていた半島・大陸まで探索の手が及んだことにつられて外交そのものもにわかに活発化した。

当然その何処にも出典となるべき存在などなく、かえってそれぞれに持ち込まれた神代之譜が今日に至る三国共通の囲碁の聖典の如くに祀り上げられる結果となった。

尚、神代之譜における難解棋譜・解説への研究は長い間一向に進まず、織豊時代に至り本因坊家や市井の学者・研究家らによって漸く解明されてくるようになった。

それでも最高の難易度を有するものは、現在の最高位クラスの棋士であっても未だ到達出来得ない遥かな高みにあると言われ続けている。

 

 

真跡

 

書『神代之譜』熊野那智大社蔵、国宝。

神代之譜は自身によって全19巻のものが3部ずつ書写され、そのうちの1部が那智熊野大社へ自ら赴き奉納された。

この書に見られる形式は今日における新聞棋戦解説などの雛型ともなっており、1局に対し5乃至8の手順解説・検討がなされ、1巻につき多いものでは10局程度の棋譜が紹介されたものになっている。

それ以外の自筆の書は失火・戦災等によって残っていないか、書写や書道の模写などのために解綴の後に散逸してしまったものとみられている。

彼の書は後世のみならず当時から多くの人によって書写されており、受領の任国赴任の際にも多く持ち出され各地にて書写・保存されたものが現在も再発見され続けている。

兄・佐理は草書で名を成したが、佐為の筆跡は楷書・行書主体で地味ながらも流麗な書体である。

 

 

 

 

 

 











「屏風歌を拒んだのは兄さまの喪中でしたし、ホンネを言えば単に清書が兄さまじゃないのがイヤだったからですよ~」

※清書は当時頭弁であった三蹟の一人藤原行成の手によるもの






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1-3 キャプション

何番煎じかわからない「オレの活躍はこれからだ!」な逆行ヒカルです。

テンプレ?部分に工夫が出来なかったため、そうしたところは大胆に省いた、少々ダイジェストじみた構成の駄文となっております。

あまりに省きすぎたため、原作や他のヒカ碁二次SSを未読の方にはかなり不親切な内容となっておりますことを何卒ご了承くださいませ。

 

私の妄想しているところの原作中の佐為は、血筋があまりに良すぎて、将来のことを考えるなら祖父で養父の関白(!)をはじめとする周りの人たちから何とか囲碁から引き離して本来の政(まつりごと)の道へ進んでもらえないものかと心配されていた、そこには時の帝をも巻き込んだ茶番な猿芝居も含まれています。

(単なる暇つぶしのいち趣味に過ぎない囲碁に、皇家などへの指南役が正規のものであるでなし、和歌などの指南役にしたって1時期に1人であったわけでもなさそうだからべつに囲碁の指南役が複数居ても全然不思議でないし……)

そして、芝居と見抜けなかった佐為が早まり過ぎた結論を出してしまったことが原作中の悲劇を生み出すことにつながったと考えています。

もしも佐為が実在して囲碁以外にもっと興味を示していれば、義務教育でなくとも高校の日本史の教科書にはその名が見付けられるくらいの人物であったかもしれません(ひょっとしたら小倉百人一首の中にも佐為の詠んだ歌が収められていたりして)。

 

そんな佐為が逆行したとすれば……というのがこの駄文のきっかけとなりました。

はじめはその欲求に従って逆行佐為のお話を綴ろうとしたのですが、中途半端に平安時代の知識を持っていたためにいざお話を妄想しようとすればかえって不自然な描写ばかりなモノとなり、結局断念。

仕方なく“三蹟”で有名な藤原佐理の弟としてでっち上げた逆行佐為のフリー辞典もどきを(やはり佐理のページを参考にして)組み上げただけに止まってしまいました。

でも逆行して出世街道を順調に歩んでいく上では、あの美しい長髪は髻の分を残してバッサリ短くしてしまうんだろーなぁ、とか愚にもつかないことを考えたり(苦笑

 

そんな手慰みをしていたら、私の中のヒカルが「佐為だけズリぃ~!」とか言い出して……いや、アナタ原作の主人公だし、二次では優れた先達諸氏の手による数多のアナタの逆行作品に出会えるし、今更アタシみたいなのが書かなくても……と思いながらいつの間にか出来上がってしまってました(爆死

自分の中ではこれが1つの完結形だと思っていますので、続編等はあり得ませんし考える能力も持ち合わしておりませんです。

 

こんな駄文では御座いますが、お目に触れた皆様にほんの少しでも喜怒哀楽の感情レベルを上げて頂けましたら幸いかと存じます。

重ねて御礼申し上げます。有難う御座いました。

 



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第二章 『導きの存在』
2-1 本編


「無い、シミ跡なんて見えない!」

 

平八宅の蔵の片隅で、ヒカルは一人立ちすくむ。

 

 

 

 

 

「いや、佐為はここにいる!単に今のオレには見えないだけだ!」

 

“今のオレ”が“まだ”なのか“もう”なのか、本音を言えば”まだ”であればいつかは再会(?)できるかもしれないからそうであって欲しいところだが、当然“もう”の可能性も否定は出来ない。

そもそも今世では既に成仏してしまっていてこの碁盤に取り憑いていない、などということには思考が傾かなかった。

 

「となるとオレの役割は見えるヤツをこの碁盤に引き合わせるってことも含めて考えなきゃな」

 

いずれにせよ、この場所にあるままならそうした機会も限られてくるだろう。

何とかしてここから持ち出さなければ。

 

「じーちゃん、蔵の碁盤、あれなんかスゴい謂れでもあるの?」

「どうしたヒカル、来るなり蔵の中見たいと言ったかと思えば……」

「あの碁盤、何だか神聖な雰囲気がパねぇんだよ!」

 

雰囲気を“ふいんき”と発音したのはワザとなのか天然なのか。

 

「確かに何やら曰くつきの物だそうじゃが、おそらくは神聖さとは全然違う向きじゃぞ」

 

平八は、兄より譲り受けた古めかしいながらも立派な碁盤ではあったが、そうであるがゆえにやれ幽霊が取り付いているだの雨が降るとすすり泣く声が聞こえてくるだのといった怪しげな話をおぼろげな記憶から蘇らせた。

 

「そんなこと無い!あの碁盤には囲碁の神様が宿ってる!そんな気配がビンビンしてた!」

 

なおも食い下がってくる様子に若干訝しんだ平八だが、自身の孫がこういうのがきっかけであったとしても囲碁に興味を持ってくれたのであれば同好の先達としてそこはかとない嬉しさを感じるものである。

ともすればニヤけ出したくなるのを抑えようとしながらも年甲斐もなくついつい意地悪っぽいことを言ってみるのもむべなるかな。

 

「そもそもヒカルは囲碁なぞ興味を持っておらんかったじゃろ」

「ゴメンナサイ!それについては謝ります!だけどあの碁盤はオレを呼んでるんだ!」

 

即答である。

まさか以前“年寄りがする辛気臭い趣味”と放言したことまで素直に謝罪してくるなどとは考えず、あまつさえいよいよ食らいついてくる様子に若干たじろいでしまった。

 

「ほぉ、したらこれから碁を打つんじゃな?」

「ウン!あの碁盤に恥じないよう、オレ頑張る!だからあの碁盤オレに使わせてくれ!」

 

我が孫がそこまであの碁盤に惚れ込んでいる様子を見れば、ヒカルにとっての囲碁の神様が宿っているのかもと考えるようになり、蔵に文字通り死蔵させておくぐらいならしばらく使わせてやるくらい良いかと思い始めた。

 

「今すぐは駄目じゃ。まずはちゃんと打てるようになり、盤や石の扱い方や手入れの仕方をしっかり覚えてからじゃな」

「わかった!じーちゃん、約束だよ!」

 

ヒカルは平八宅に日参する勢いで囲碁の基礎を習うフリをしばらく続ける。

時にはあかりも巻き込んでみた。

あかりがヒカルのやることに興味を示したこともあるが、ヒカルとしては当然“碁盤に逢わせる”ことも思考の片隅に引っ掛けている。

 

 

程なく件の碁盤をまんまとせしめることに成功したヒカルだが、この碁盤に佐為がいること自体に疑問を抱きはしないものの、今の自分にいるはずの佐為が見えないのと同様に、佐為にも自分が見えていないのではないか、見えていたとしても自分の声が聞こえていなかったりしていないか、などといった仮定すべき事柄を含み合わせながらこの碁盤と付き合っていかなくちゃなぁ、と漠然ながら思うようになる。

まぁ最低限、この碁盤に並べた石ぐらいは認識してもらえるだろう。

 

とりあえずは「オレは佐為を知ってる人間」であることをアピールしながら秀策の主だった棋譜から並べ、前世にて佐為に見せてもらった虎次郎への指導碁・対局譜を織り交ぜていく。

自分への指導碁を並べる前に自分の知っている近・現代の棋譜を並べ、近世以前には無かったコミ碁の間に合わせとして、黒石を一旦盤上に5つ乃至7つ置いてからアゲハマみたく白石の碁笥の蓋に移し、棋譜並べ後の整地の際にそれも足して埋めることにしてみた。

それらの一つ一つの動作に自身の感想や検討・考察を傍から見るとひとりごとのように声にすることも忘れない。

まず棋譜を並べ、それを未熟な頃の自分と今の自分を絡ませた各場面の検討、そして佐為ならこう打つんじゃないかというのも織り交ぜてみたり……

 

「とりあえずここにいる佐為に現代の碁を知ってもらわなきゃな」

「でもひょっとしてオマエも逆行してきてるんだったらあまり意味ないことかもな」

「だけどそれでもオマエにとってちょっとした退屈しのぎになってくれる……といいな」

 

天野さん囲碁は手談とか神様の作った遊戯とか言ってたっけ、オマエもしきりにうなずいてたよなぁ、と前世のちょっとしたエピソードを思い出しながら碁盤に語りかけるヒカル。

もしここにいる佐為に自分の声が届いていなかったとしても、盤上への着手を通じて自分の思いが届けられている、むしろ人間の作った不完全な言葉より余程しっかりとこの思いは届いているはず。

 

 

秀策とオレとの共通点。

 

「碁を愛する才能かぁ……」

 

わずかでも思い当たりそうな条件を探ってみる。

いつだったか塔矢が先生にそう諭されたって言ってたっけ。

 

「でも今のオレや塔矢、あと棋士を志す人なら誰しもその才能がしっかり開花(ひら)いてると言っても良さそうだから」

 

才能の秘められている内でないと導く存在として出てこれないのだろうな、と結論着けてみる。

こう改めて考えてみると、やはり“今のオレ”は“もう”なんだろうな、と諦観が比重を大きくする。

 

「あッ、あかりもこの碁盤に逢わせる前に教え始めちゃったオレが佐為の役を盗っちゃったことになるのかな?」

 

前の時のようにあかりと一緒に蔵で碁盤を見ていたら、もしかするとオレじゃなくともあかりの方に憑いていた可能性があったのかも。

 

最悪、このまま何事も無しに大人になるまで自分の存在を極小化しておき、プロになるかどうかは別として弟子とは言わないまでも子供向けの囲碁教室を自分で持つぐらいになるまで佐為に待ってもらわなきゃいけない可能性も考えている。

とにかく……

 

「考えもなしに今すぐ世間に打って出るわけにもいかないんだよなぁ……」

 

流れに身を任せ、時にはその流れを読み取っていくこともありとは考えつつ、でも決して自分から進んで流れを生み出さぬように……

 

 

「ヒカルぅ、おめぇなにジジくせぇコトやってんだよ!」

「ジジクサイゆーな!コーショーって言え!」

 

ヒカルは学校での昼休みや放課後には以前どおり(だと思う?)サッカーやバラ当てなどで友達の輪の中に入っていたが、授業間の休憩時には机に携帯のマット碁盤を広げ、プラ碁石「ちゃんと重量石だよ!」で詰碁を解いたり創作したりするようになった。

級友が興味を示してくれれば儲けもの、とりあえずはこんなことやってるクラスメートがいるんだ程度の啓蒙活動でもいいんじゃないか、他に良い考えが見つかったり思いついたりしたらその時にまた別のことをし出せば良いか、みたいな軽いノリで2度目の小学校時代を過ごそうとしていた。

前世では1・2学年と5・6学年はあかりと同じクラスだったが、今過ごしている3・4学年は別クラスになってしまっているので、あかりと休み時間中に打つ機会が滅多になくなっている。

まぁやはり周りの級友たちには古臭いヤツと受け止められてしまい、ヒカじぃなんていうアダ名まで奉じられてしまうようになったが。

 

 

「この詰碁集、全部解いちゃったよ!」

「ほぉ、ワシでも難儀するやつの方が多かったんじゃが……」

「じーちゃん、やっぱあの碁盤すげぇぜ!なんか神様が導いてくれてるように打てる!」

「あの碁盤の前だけ強くなっても意味ないじゃろうに……」

「ちゃんと身に付いてるッてばさ。何だったら今のオレと手合ってみる?」

 

平八は我が孫の才能開花に喜びながらも、その相手として満足させることが出来なくなっていくと判るようにもなり、何とはなしに一抹の寂しさを感じてしまう。

ヒカルの秘めたる優しさを理解している分、手合ってくれと言えば喜んで応じてくれるとは思うが、いつまでも自分だけが孫を独占しようとも思わない。

むしろ、可能ならプロの世界に飛び込んでもらいたいが、そうでなくとも才能の伸びしろと興味を傾注しているうちにしっかりとした学びの機会を御膳立てすることこそが祖父としての役割だと考えるようになる。

 

「とりあえずなじみの碁会所にでも行ってみるか」

 

自分ではもう敵わないほどの実力を有している孫ならば、同程度「いや、ワシより強い奴なぞおらんわい」の集まりに過ぎない碁会所では全く物足りなさそうということを理解はしているが、それでも見知らぬ人たちと打つこと自体は孫にとって力量以外のところであっても何らかのプラスには働くだろうし、この孫の存在をその小さな世間であったとしても知らしめるきっかけぐらいにはなってくれるだろう。

 

「ありがと!いろんな人と打ててすげぇ楽しかった」

 

はじめての碁会所にも物怖じするところを見せず、瞬く間に席亭・常連客達とも打ち解けあった様子に平八は安堵した。

 

「でもさ、じーちゃん。そのいろんな人と言ってもみんなオジサンとかばっかりだろ?やっぱ気兼ねなしに自分の部屋に連れてこれるよーなオトモダチとかとも打ってみたいなぁとか思うワケ」

「そこはヒカル自身がクラスメートにも興味持ってもらえるように頑張らんとな」

「う~ん、みんな以前のオレみたいな感じだし、かろーじて藤崎さん()のあかりだけ?」

「なら一度小学生対象の囲碁大会にでも出てみんか?その大会で出会った子供たちを友達に誘ってみるのも一つの手じゃろ」

「まぁしばらくはじーちゃんといっしょに碁会所巡りにつきあってもらいたいかな。そのうちひとりでも行けるようになってからその大会とかに出ることも考えてみるからさ」

 

平八は自慢の孫のマイペースさを尊重して、とにかく今は囲碁というものをなるべく楽しんでもらおうと腐心するようになる。

 

 

とうとうやってきました、【囲碁サロン】。

ひとりで碁会所巡りを始めたのっけからココに来ることになるとは考えていなかったヒカルだが、主だった近所の碁会所は祖父について巡り切った感もあったので、言語やその他モロモロのハードルがありそうな(超えられないとは言ってない)【柳】以外で知っているところといえばココぐらいしかなくなっていた。

 

「コンチハ!ここオレでも打てる?」

「あら、いらっしゃい。はじめまして。元気な子ね」

 

中をチラ見する限り塔矢はいなさそうなことに内心期待外れとも安堵ともつかない複雑な気分にもなったが、適当な間隔をあけながら通っているうちに何時かは会うことになるんだろうなと思っている。

お、北島サン、塔矢が絡んでなきゃ何だかイィ人っぽいぞ。

 

結局、碁会所巡りの一環としての【囲碁サロン】通いは3巡ほどした2ヶ月目でようやく塔矢に出会うことになった。

その頃には他の常連客にも認められるようになっており、まだ若先生とは呼ばれていない塔矢とヒカルとの対局機会を薄々熱望されるようにもなっていたので自然な成り行きとして塔矢と盤を挟むことが出来た。

 

実はヒカル、逆行してから平八に教えを乞うフリを含めこれまで打ってきた碁は前世の自分の棋風を表に出さず、言うなればコンピュータ囲碁の“次の一手”の評価点の高低がある複数の候補手を自分なりに模したものから相手や状況に合わせて打っている。

戻ってきた現世においては意味不明な着手点であることもしばしばで、このやり方をしているかぎり無理に“弱いフリ”をしなくても相手や自分に納得させることの出来る盤面になってくるのが何となく不思議に思えてくる。

本当にコンピュータが人間に追い付き追い越して来る頃だとプロ高段者には見抜かれてしまうだろうが、今ならそんなことは考えなくても良さそうだった。

しかし、鋭い感覚の持ち主ならあまり人間味を感じさせない打ち回しに違和感を抱かせてしまうかもしれない。

 

今回、塔矢との手合いに於いてもこのやり方を踏襲し、局後にどんな感想を持ったか是非とも訊いてみたいと思っている。

 

結果、5目半コミの互先で塔矢の2目半の勝利となったが、勝ったにしてはかなり戸惑っていそうな雰囲気で、どうやらヒカルの思惑通りに事が運んだようだ。

 

「これ、本当にキミが打ってたの?いや、そうに違いないんだろうけど……まるでこれは……いや、しかし……」

「どう、今の碁。全然ヒトっぽくなかっただろ?」

「!」

「この後時間あるか?何だったら場所を変えてオマエと話をしたいんだ」

 

ヒカルはこの先の公園へでも連れ出して、そこで改めて次回しっかりと時間を取る約束でもしておこうかと考えていたが、塔矢はこの手合いに何か只ならぬものを感じたせいか食いつき気味に掘り下げたことを訊きたくなったようで、【囲碁サロン】を出るときに市河へ「これから新しくできた友人と話をしてみる、ひょっとしたら遅くなってしまうかもしれないから自宅へも一報入れておいて」な主旨の挨拶を伝えた。

そこまで塔矢にされるとこの際自宅へ来てもらってしっかりと話をしてしまおうとヒカルは腹をくくって招待する。

 

「……やけに年季の入っていそうな碁盤だね」

「ん、オレのじーちゃん家の蔵にあったやつを譲ってもらったんだ」

 

やはり塔矢には見えていないらしい。

 

「とりあえずもう一局打ってみよう。今度はちゃんとオレ自身の棋風を押し出して打つ。決してオマエや塔矢先生を侮辱するわけではないけど、多分5子ぐらい置いてもらわないと勝負にならないと思う」

 

おそらく塔矢は表情に出さないまでも、きっと内心ではヒカルのこんなものの言いように反発心を抱いていることだろう。

しかし同時にさっきの手合いで抱いた違和感の正体を探ろうともしているはずだ。

果たして塔矢は無言で黒石の入った碁笥を引き寄せ、天元と4隅の星へ石を置く。

 

 

囲碁は対局している相手の心理の奥底までさらし合う。

 

(初めて会ったはずなのに、どうしてボクのことをここまで解ってるんだろう?)

 

そんな得体のしれない思いに塔矢は囚われているのだろう。

 

「塔矢、オマエには正直に話そうと思う。かなりコートームケーな内容だけど、とりあえず何も訊かずに聞いて欲しい。」

 

静かなままに始まり終わった手合いの後にヒカルが言葉を紡ぎ出した。

実は自分が2度目の人生を歩んでいること、前世のやんちゃな幼少期、佐為との出会い、塔矢や周りの碁打ちとの出会い、院生から入段、佐為との別れ、塔矢達との各棋戦における本戦・リーグ戦・番碁でのしのぎあい、AIの急速な進化とそれに伴う棋士たちの意識や定石・戦法の変化……

 

「だから、きっと今のオレは先生をはじめ世界中のトッププロに勝っちゃうくらいだと思う。でもそれは“強い”や“上手い”なんかじゃなく、勝ち方を単に“知ってる”だけに過ぎないんだ」

 

ヒカルは途中しどろもどろになりながらも、ここまで一気に話してみた。

塔矢にもどうやらこのやたらファンタジーじみた話の内容を戸惑いながらもとりあえずは受け止めてくれている様子に内心ほっとしている。

 

「前の世界のオマエが言ってた通り、こんなオレがこのままプロになってタイトルを取ったりなんかしたら、それこそ囲碁で精進を積み重ねてきた人たち全てに対する冒涜だと思う。だからせめてAI……コンピュータが人間に勝ち始めたのはディープ……何だったけ?インパクトは競馬か」

 

ヒカルは意図的に話を脱線させて、前世知識の信ぴょう性を間接的にでも取り繕おうとしてみる。

しかし普通に考えるとこうしたヒカルの行為は単なる無駄な努力としか言いようがない。

ともすれば重くなりがちな空気を多少軽量化する働きにはなったかもしれないが。

 

「競馬?今やってる映画にそんなタイトルがついているのがあったような気がするけど」(※筆者註:おハナシの都合上、映画を2年ほど前倒ししてます)

「(お、ノッてくれた!)そーいやぁその映画にあやかった名前とかいってたな。その競走馬が今から数年後あたりに大活躍してオレの前世の生きている間中ほとんど競馬知らないヤツらでも語り草になってたくらいスゲェのがいたんだよ……じゃなくてだな、あ、そうだ!ディープラーニングだ!」

 

塔矢のまだ小学生らしさの残る思考に助けられ、何とかつじつまが合ってきたように思う。

 

「そのディープラーニングとか言ったAIが今のニューロファジーなんとかというやつより数段階進化して、それを囲碁にも取り入れて一般に普及するまでにならないとオレが表に出ちゃダメなんだ」

 

ヒカルはニューロコンピュータやファジー理論はこの10年以上前から存在しているもののそれに取って代わるDNNやビッグデータなどがまだまだ構築途上であったため結構長く現役のような状況であったことを詳しく知っているわけでもない。

 

「表に出ない?だったらそれは何時までのことになるんだ?」

「オレ自身のあいまいな計画だったら、さっき言ったディープラーニングが囲碁に関わってくるまでの15年から20年はプロになったりしないつもり。プロの受験資格期限を超えたって、今の全日本早碁オープン戦とかに出場して特例を認めてもらえばいいやッて思ってる」

 

近い将来、棋戦最高峰のタイトルである棋聖戦にてアマチュアにも門戸が開かれるようになるが、ヒカルは今そんなことを言っても意味がないと考えている。

 

「……なら、いま何故ボクに会った?」

「こんな言い方卑怯なんだけどさ、納得してくれなくとも理解はしてくれると思ったオマエに対する甘え、なんだと思う。今のオレが表に出ることが世間に対する不誠実だと考えてるのと同じくらい、このまま燻ってるだけじゃぁ囲碁好きのオレ自身に対して、そして千年間囲碁に恋い焦がれ続けてた佐為に対しても誠実でなくなるって思うんだ」

「それなら、これからのキミはそのコンピュータやAIの開発に間接的であっても取り組んでいくつもりなのか?」

「オレがAI開発に関わっても反って混乱の元になっちゃうかもしれないし、それが良いことなのかそうでないのかサッパリ判らなねぇしな……まぁ揚海(ヤンハイ)さんっていう中国の棋士が今時分あたりからコンピュータ囲碁の開発に取り組んでいるはずだから、ひょっとしてこの先会うことにするかもしれないけど」

「でもコンピュータはこれから先確実に人間を超えていくことになるんだろ?」

「いくらAIが進化して人間が敵わなくなったって言っても、そこは少なくともオレ個人の思ってる目指すべき“神の一手”じゃぁなかったように感じちゃったんだ……」

 

ヒカルは人間が勝てる範囲のソフトならしっかり学べば理解も出来るし、理解できれば模倣することも可能になると考えている。

しかし完全に人間を超越したシステムではもう理解不能。

当然学ぶことも出来ないしマネをする意味もなくなる。そして何より感動がない。

コンピュータの進化のため、システム同士が争うためにプログラムが組まれるだけ。

まだヒカルの生きてた時代に先手または後手必勝のパターンが確立されていなかった分だけ囲碁というゲームのフトコロは深かったんだと思っている。

 

 

「それから、さっきは“表に出ない”とは言ったけど、それは自分から進んでと言うことで、もしオマエや他の人がオレのことを表の世界に引きずり出すんなら、それも一つの流れなんだって思ってる。ただ、そうなると先生をはじめいろんな人にどんな迷惑をかけちゃうことになるか想像も出来ないし……そう、オマエが今混乱の極地にあるようにさ。だけど、オマエがオレと打つことによって何か感じ取れるものがあったとしたらそれは間違いなくオマエ自身の力に繋がることだし、それはズルでもチートでもないマジ物だよな」

 

塔矢は進藤の正体が何者であれこれからもずっと手合っていきたいと思うと同時に、自分だけが彼の言う未来の碁に接していくことに何かしらの後ろめたさも感じはじめている。

今進藤が自分に会ったということは少なくとも自分の師である父にも相談を持ち掛けたいのではなかろうか。

 

「オレの今世における役割なんてそう大したものにはならないと思う。せいぜいこの碁盤に宿っているであろう佐為に接することができる人との橋つなぎぐらいなものだと思ってる」

「(橋つなぎ?)」

 

彼の言う通り前世で大人になっていたろうにもかかわらず語彙の足らなさそうなニホンゴで「佐為は凄ぇンだぜ!」な自慢(?)話を怒涛の如く浴びせかけられながら、その佐為さんや進藤が囲碁をとてつもなく深く愛していることだけは理解したし、それだけでも彼の力になれると思うようになる。

いつしか塔矢にも出会ったばかりのはずの進藤に浅からぬ絆が繋がっていたと感じるようにもなる。

きっと「キミの囲碁や佐為さんに対する情熱のことは良ぉく解った!ボクも囲碁に掛ける情熱はキミには決して負けやしない!」的な同好の士としての感情だと自分に言い聞かせることであろうが。

 

「塔矢、何時になるか判んねぇけど、今度こそ佐為と打たせてやッから。オマエなら絶対ぇアイツの碁に感動するコト間違ぇねーし。……まぁ憑いたヒト次第になるんだけどな」

 

 

「オレはとりあえず今後も碁会所巡りは続けるつもりだし、またその時でも会えればオレと打ってくれ。もしオマエから手合いたくなったら何時でもオレん家来いよ。何だったらオレがオマエん家行くのもアリな」

 

ヒカルは言外に先生へのつなぎを匂わせながら塔矢を送り出す。

部屋に戻って碁盤を見やり「ようやっとこれで2人目かぁ」とつぶやく。

なかなかに前途多難・五里霧中ではあるが、塔矢と話をして改めて認識した懸念事項。

 

「オマエにあの“冷たい囲碁”を経験させなきゃならないかもな」

 

AIの囲碁は学べば力にはなるし、自分の至らぬところも再認識させられる。

しかし、それは厳しさや優しさといったモノとは無縁だった。

そんなものと相対しているととことんまで心が冷える。

だがそこへ踏み込んでいかなくては職業としての棋士は成り立たなくなっていた。

勝つための方程式同士の戦い……

ただ棋士それぞれがAI囲碁を学ぶ上で各々が自分なりに解釈していった“仮説”を元にした方程式モドキだったから、人間同士の囲碁自体が冷たくなりきるわけではなかったのがせめてもの救いだった。

AIの囲碁にも美しさはあるだろう。

しかしそれは芸術的な美しさではなく相対性理論や超弦理論などといった数学・物理学の方程式そのものの美しさで、決して幾何学的なもののように視覚に訴える類のものですらなかった。

棋士はそうした心の冷却化にどれだけ耐えてきたかで優劣が付けられるようにもなっていたのだ。

AIで囲碁を学んでも人との対局によってまた人間的な何かを取り戻す……そんな光景が未来に存在していた。

 

「案外、自分の碁にAI囲碁を取り込んでしまい、進化……というよりホントに神化してしまうかもな」

 

近くはない将来だろうが、必勝手順が構築されたAI囲碁をも覆してしまう、そんな佐為の姿が目に浮かんでくるようだ。

 

「オレの今世の一生にどれだけの人と逢わせられるか分かんねぇけど、必ずオマエに導かれるに相応しい未来の碁バカと廻り逢わせてやっからな!」

 

 

 

 

 



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2-2 キャプションおよび蛇足

前章の「オレの活躍はこれからだ!」に対し「オレの暗躍はこれまでか?」な逆行ヒカルです。

 

『神代之譜』同様、テンプレに工夫が出来ないダイジェスト風なものになっており、しかも前半部はまるっきり重複したシロモノとなっております。

(実は元々コチラの方が先だったんですが……4・5年ぐらい放置でw)

まぁその分以降のハナシのつながりはコチラの方がやっぱり自然かな、って思ってはいます。

(あくまでハナシの“つながり”であって“出来”自体は???)

いずれにせよ、お読みになってくださる方々には本当に不親切な物で、誠に申し訳なく存じます。

 

本文全体的に捏造てんこ盛り(特に囲碁・コンピュータ関連)ですので、信用される方などおられないとは思いますが、決して鵜呑みになさらぬようお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

【!!!:地雷原警告:!!!】

 

以下に盛大?な“ちゃぶ台返し”があります。

こんな駄文からでもちょっとした余韻に浸れる方がおられましたら、コレは読み飛ばされた方が良いでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだコレ?きったねーの!こんなシミシミ碁盤で打つッてーのか?」

『見えるのですか?』

「ん?なんか言ったか?」

(なんでオマエなんだよ、加賀ぁ……いや、ひょっとしたらあるかも?とは思ってたけどさ)

 

 

 

 

 

※この項の状況設定:

 

ヒカル9歳・加賀11歳を想定。

ヒカルは前世の二十歳過ぎに将棋を覚え、三十路でそこそこ本気モードで嗜むようになる。

おそらく奨励会段位相当程度の腕前は持っている(さすがに三段リーグ入りとまではいかない)。

実際に囲碁好きな人は将棋やチェスなどにも興味を示す確率が高くその逆も然りだろう。

自治会レベルの子供囲碁大会に出るつもりが丁度時期の良さげなものはなかなか見つからない。

目についたのは子供将棋大会のみで、仕方なくそれに出場することにしてみた。

そこにはある意味必然的に加賀も参加しており、決勝で当たってヒカルが勝ってしまう。

「オレ、将棋よりも囲碁の方が強いんだぜ!」とか言って加賀に自身への興味を持たす。

「何ならウチに来て打とうか」みたいな流れに強引に持っていく→本項に至る。

 

 

 

 

 

そんなワケでこの続きなんて書けッコなさそうなコトが一目瞭然かと思います。

第一に主人公が変わってしまいますし、そうすると「鉄男の碁」になってしまいますしね。

他人様が書かれるものならゼヒとも拝読させて頂きたいものですが、私自身ではそんなモノ綴ってみたくはないですぅ;;

まぁこの話の流れでは誰に見えたってその時点で主人公交代劇となってしまうのでしょうが……

 

 



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第三章 『神戯霊枢』
3-1 本編


【宙の随に・宙の間に/\】

 

「“宙”って“そら”と読んでくれよな。19路の宇宙の広がりを感じたいからさ」

『ふーぅん、中々に味わい深い字を書きますね、ヒカルは』

「ま、この字体は相田師の猿真似に過ぎないんだけどな。何も考えてなけりゃこんな字になる」

『ほぉぅ……ッ!!!、こ、これは(あに)さまの(書風)!』

 

「え?ひょっとして、つかやっぱり佐為って藤原佐理(ふじわらのさり)卿の兄弟?そんで爺さんは清慎公(摂政実頼)?あ、ぃや佐為ってかなり高貴な血筋だとは思ってたけどさ」

『えぇ、幼き頃に御祖父様の小野宮第(おののみやてい)に引き取られてからというもの、将来的には兄弟のいずれかは摂関、最低でも三司(大臣)に至ることになるから精進せよ、と言われ続けてました。兄さまは書に私は囲碁に心を惹き寄せられてしまい、兄弟そろってすっかり懈怠(なまけ)者になっていましたけど(苦笑)』

 

「ちぇッ、ホントは“手紙”したところを驚いてもらおうと思ったんだけど、考えたらオマエらにとってはごく普通のことだしなぁ……前の人生でタイトル保持者の署名やサインが下手クソな字だったら格好つかないとか言われてさ、書道を習うようになって……そしたらさ、コレはコレで意外と楽しいんだよな!でも自分としては世尊寺流(藤原行成の書風)を習ったつもりがどうしても佐蹟(佐理の字)にしか見えなくってさ、まッ佐理だったら佐為と名前も似てるしそれはそれでイィや!ッてことで」

 

『そういういい加減さも何か兄さまに通じるものがありますねぇ。ひょっとしたらヒカルは兄さまの末裔か生まれ変わりなのでしょうか(戯笑)』

「生まれ変わりかどうかは分かんねぇけど、末裔ってのはないかな。佐理卿の子孫って確か絶えてたはずだし、それにオレの苗字見りゃ判るだろ、“進藤”ってことは確かに“藤”原氏に関わってるかも知んねぇけど、良くて地下(じげ)家か武家っぽい右京少“進”とかの家系、普通ならその家に仕えていた在郷の人ってところが相場だ。オレのじーちゃんが(いみな)じゃない“平八”だから藤右京進家に仕えてた平家の落ち武者が戦国・江戸期を経て帰農した家系かもな。単に家康に過ぎたるものの本多平八郎忠勝(ホンダム)とかにあやかっただけかも知ンねぇけど。ちなみに今いる“藤原”さんも維新後に(いにしえ)の名族にあやかった人が殆どで基本的には藤原氏と無関係だってさ。“佐藤”さんで3割ぐらい?」

『それは何と言うかひどく現実的に考えすぎでは……』

「佐為の方こそイィ風に考えすぎ!(苦笑) まぁ分家の次男であるじーちゃんが土蔵付きの家持つくらいだから、戦前なら庄屋みたいな結構大きな地主か名士の家だったとは思うぞ」

『そうするとそれなりに名のある、例えば近江進藤家とかの末裔なのかも知れないじゃないですか』

 

「オレ・父ちゃん・じーちゃんの名前から見ても少なくとも格式張った家系ではないのは確かだろうな。第一そんなこと言ってたら桑原のじーさんは虎次郎の家系にも関連があり得ることになっちゃうじゃん。実際に前世の本人に聞いてみたけど、あのじーさん因島には縁もゆかりもない華族の分家の出身で本姓は“菅原氏”、桑原の“桑”の字も元々は十・二十(卄)・木の“桒”で分家の際に一般的?な“桑”の字にして読みもクワハラからクワバラに変えたんだってさ。本家は不祥事かなんかで廃絶してしまったらしいけど。ひょっとしたらオマエを陥れた菅原顕忠の家系かもな。今回のオマエも“なんかヤダ”って思ったつーことは、じーさんのシックスセンス?がどーのこーのとゆーより、オマエの何か・どっかで顕忠のタマシイのカケラみたいなモノでも感じ取ってしまっちゃったんじゃねーの?」

『囲碁に対して精進を極めているであろう人物に対して僅かながらでも何故嫌悪感が先立ってしまったのか自分でも解らなかったのですが、そういう理由であるなら何だか納得できてしまいそうですね』

 

「オレが書道を本格的にやろうと思ったのはさっき言ったこともあるんだけど、前世で“秀策の碁盤”のニセモノが売りに出されててさ、そのときのオマエがそれに気づいてオレが指摘したらオレの方が嘘つき呼ばわりされちまって……もしそんなことがまたあったらちゃんと自分でも虎次郎の字を判っておかないといけないし、そのためには書の基礎を固めておかないと、って考えたりもしたんだよな。そしたらいつの間にか棋界一の能書家みたく思われちまって、免状にも署名だけでなく本文の方も(したた)めさせられたり……そうする頃にはちゃんと“秀策の鑑定士”なんて呼ばれ方もしてたっけ」

 

「オレの短歌や揮毫、結構評判良かったんだよ……率直で趣があるって。まぁ短歌の方はともすれば狂歌とかになっちまうけど。でも佐蹟っぽいので認めるにゃ逆にイメージが損なわれるってさ、そんで相田師の字をオレなりに模倣してみたんだ」

 

【呼吸って吸うのが後になっている 先も吐でなく何か呼ぶんだ】

 

『先ほどの揮毫といい、この和歌(やまとうた)といい、おおらかで率直ながらも何某(なにがし)かの説くところの深淵なる摂理をも感じさせる……ヒカルにはこんな才能もあったのですね。でも碁打ちであるヒカル以外の人が詠んだのでは味わいが欠けてしまいそうですし、それに確かに兄さまの字には合わなさそうな(苦笑)』

「でも佐理卿の真蹟(残ってるの)って失敗したコトのイイワケや尻拭いのオネガイばっかじゃん(笑)そんなのをミヤビな字で書き綴られてもな~。しかも御大層なことにそんなのが“国宝”になってるし(憫笑)」

『兄さま;……ところでその“あいだし”と仰るのは?』

「あぁ、オレのオキニな昭和の詩人で書家の人。オレは勝手に相田師って呼んでるけど。オレはそこまで書にタマシイを込められないけど、彼の詩を読んでたらたまに“アナタはオレですか~!”ってなるくらいスゲェ共感する。“人間だもの”」

 

「……なぁ佐為。オレ、思うんだ。佐為が入水したのって実は勘違いの早とちりかもって。佐理卿の兄弟だったらなおさら」

『ヒカル、それってどういう……』

「オマエって囲碁のこと神聖視し過ぎてストイックになり過ぎてもいたんじゃないかな、と。ンでもって知らず知らずのうちに打つ人すべてに自分と同じようにソレを求めてた」

『……』

「でもさ、当時も今も囲碁ッつーのは世間的にはただのお遊び、オマエの時代なら双六や貝合わせなんかと同じレベルの。そんな囲碁の指南役なんてどう考えたって正式なモノじゃなかったろうな。蹴鞠や和歌みたく役所が出来ちまう程の芸能だったらそりゃ正式なモンかも知らねーけど。でもオマエは囲碁の神聖さを感じ取ってしまったが故に指南を授ける側の心得としてなおさら棋道に邁進した」

 

「後の世じゃ囲碁の役所もできたけど、そうするともっとドロドロした足の引っ張り合いなんかもあっただろうしな。囲碁じゃないけど多分虎次郎とも面識のあった天野宗歩なんて抜きん出た実力者なのに生前は準名人にすらなれなかったし」

『まぁ宗歩殿は普段の素行が良くなかったですし……強いだけでは認められないのは古今東西似たようなものでしょうね』

 

「ソコだよ!強いだけじゃダメなはずの世の中に、碁での強さ以外たぶんまだ実績を示しきれてない佐為が宮中で囲碁を指南出来るなんてどう考えても血筋のおかげだろ。けど本来のオマエの役割って、侍従かなんかの天皇の身の回りの御世話をすることや緊急時の警護要員なんかかな。そうして他の殿上人の仕事ぶりを実地で学ぶことまでもがオマエの熟さなければならない仕事の内だったハズ。天皇サンご自身も初冠(元服)前から囲碁の上手とウワサされてたであろう佐為のことに興味を持って囲碁指南として召したんだろうけど、そんな興味本位に振舞えてしまってた天皇サンの存在自体がやっぱ本来有り得ないことだぞ」

 

「さっきオマエも言ってたように家族や周りの人たちもきっとオマエのことを心配してたのは間違いないんじゃないか?現代の評価によると奇行が目立つということにされてた天皇な上に、その天皇と縁戚関係が薄くて十分な後見(うしろみ)が果たせず不安定な政局運営を余儀なくされてた関白の爺さん、その爺さんの跡取りは予期せず早世し、叔父や従兄弟の中には優秀そうな人も十分にいたから何とかなるかも知れないけど、やはり跡取りの後胤(おとしだね)なオマエら兄弟を自身の養子にまで取り放っ(迎え入れ)たぐらい期するところ大なハズなのに二人そろって懈怠者じゃぁ関白の爺さんもたまったもんじゃぁねぇだろ」

 

「オマエのその恰好、入水時とゆーか御前対局の時そのままだろ?平安の昔だったら宮中にその恰好で出仕できるのって宿直(とのい)に限って勅許を得てた時ぐらいしか有り得ないハズ。多分間違いなく公式的には宿直の際の余興なんだろうから、御前対局だからといってその勝劣が何か・誰かの仕事や出世に関わるなんてちょっと考えにくいだろ。ホントかどーかは知ンねぇけど、後に関白まで至った公卿が御前で催された肝試しで怖がって面目を失ってたというハナシなんてのも残ってるし」

 

「きっとオマエのことだろうから仕事ぶり自体は至って真面目に勤めてたんだろうけど、清慎公はいつまで経ってもどこか真剣みを感じられない佐為をどうにかして魑魅魍魎どもが闊歩している廟堂においてしっかりと渡り合えるようにするには泥臭い茶番じみた猿芝居の一つでも打ってみないことにはいけない風に考えたんだろうな」

 

「清慎公が天皇サンに話を持ち掛け、その天皇サンが半ば面白がって仕掛けを大袈裟にしてしまい、不安定な政局だったからこそちょっとした娯楽に飢えていたオマエの親父さんと同世代の叔父たち(頼忠・斉敏)九条三兄弟(伊尹・兼通・兼家)なんかだってきっとノリノリで御膳立てを整えただろうし、むしろちょっと囲碁が出来ると見込まれてた顕忠は単にそれに巻き込まれてただけかも知ンねぇ……、ッてなところがコトのアラマシなんじゃないのかな」

 

「顕忠って菅公(道真)の子孫・血筋だろうから紀伝道の人だろ?宮中に上がれてるところを考えれば役職で言えば極官である文章(もんじょうの)博士から弁官ってところ。そんな顕忠が殿上人になりたてとは言え摂関家の血筋でしかも菅公のことを最後まで擁護してた貞信公(藤原忠平)直系の佐為のことを悪し様にモノ申すことなんて普通できないんじゃね?きっとオマエは囲碁に関することになるとそーゆーコトすら失念してしまうくらい周りが見えてなかったんだろうな」

 

「でもオマエにとっては主上()御前(おんまえ)で対局すること自体が神仏に捧げる重大な儀式だったろうし、きっと周囲にいる立ち合い・見届け人なんかは衣冠の正装だったろうこともオマエの思考に正統性を与えてしまってた。そんな神聖な場で不正が行われたり況してや声を荒げられたりすることでオマエの信ずる神様の存在ひいてはオマエの存在そのものを否定されたと思い込んでしまうのもその当時だったら無理からぬことだったろうしな」

『……言われてみれば、思い当たることばかりですね』

 

「虎次郎に取り憑き始めたころの佐為って、多分まだ怨霊つーか荒魂成分が高かったんだろうな。でも同時に碁を打つことによって清らかなものに浄化されていくことにも何となく気づけた虎次郎がそのまま佐為に打たせ続けることで自分のココロの平穏とタマシイの精進を図った。佐為の為だけではなく自分自身の為にも当時の実力者たちとの手合い自体は望んだことだろうけど、自身に対する栄誉なんてモノにはさして興味を持てなかったに違いないんじゃぁないかな」

『えぇ、虎次郎は本因坊家に入ることどころか因島を出ることにすら抵抗があったようでしたから……周囲の人たちが外堀を埋めに埋めて、果てには本因坊家の娘を嫁がせてまでしてようやく取り込んだのです。それでもなお虎次郎は周囲の人々に感謝の気持ちを持ち続け、虎狼痢(コレラ)の禍が江戸の町を席捲した時もそれまでの恩返しとばかりに門人たちの看病を積極的に行い、自らの命と引き換えに彼らの命を救ったんです』

 

「なぁ、佐為。前世だけでなく今世もオレに取り憑いてくれたこと、本当に感謝してるよ。神様にも、オマエにも」

『虎次郎の臨終の際、彼もあなたと同じく私に取り憑かれたことを感謝してくれていました。最期には自分が死んで貴方が天に帰っても、これまでと同じように囲碁に打ち込む佐為のままであって欲しいと』

 

「そんな世事のあれやこれやに拘わらず、ただ純粋に“碁を打ちたい!”って、オマエ自身がもう神様になってしまってるんだろな。まぁまだまだ童神のウチなんだろうケド。“(よわい)千年の童神”、何だかカッコ良いのやら悪いのやら(笑)」

『ヒカル、それはあんまりです~~~(えぇ、こんな私を取り憑かせてくれて心より感謝してますよ、ヒカル)』

 

 

 

 



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3-2 付録

犬鏡 巻二「太政大臣実頼清慎公」の項より『佐為の大夫』の現代語訳と解説

 

 

敦敏の少将の子、佐理の大弐の同胞。佐為の拾遺大夫(ア)、世の棋の上手。……

 

 

右近衛少将藤原敦敏(1)の子、大宰大弐藤原佐理の同母弟である。従五位下侍従藤原佐為は世間に名の知れた囲碁の達人。宮中の宿直の際には度々帝(2)の御前に召されて囲碁の指南を行う。

お生まれになって間もなく父君をご病気で亡くされ、祖父である小野宮殿(3)の元に御兄弟揃って引き取られておられた。

父少将を早くに亡くされたということもあったのであろうか、加冠(4)を済まされた後も厄除けのために麗しき御髪を切らずにおられていた。

仕事ぶりそのものは一門(5)の例に倣い真面目に勤めておられたが、小野宮殿は佐為の君があまりにも棋道へのめりこまれることに酷く御心配なされ、何とかして本来あるべき姿に立ち戻ってくれまいかと常々お悩みであられた。

しかし大夫の君はそのような周囲の心配を気に掛けなさることなく、棋の盤面に神仏の御姿を認められたかの如く益々棋道に打ち込まれていた。

 

【中間部失伝】

 

事情を知っておられる周囲の方々は、この滑稽な場面に白けておいでになったが、佐為の大夫はこの世の終わりかのように酷く憔悴なされ、周りを見る余裕を失わせてしまわれた。

大夫は憔悴されたまま洛中・洛外を昼夜分かつことなくさまよい歩かれ、そのまま池(6)の水に入られ儚くなられた。

小野宮殿はこのことを大層お嘆きになられ、元々体調をお崩しになられていたところにこの度の件にて一層病を篤くされてしまわれた。

御兄弟である佐理の大弐もこの頃までにはすっかり周囲から懈怠者と蔑まれておられたので、幼き頃から一門の中でも出来者と評判の高かった小丞相殿(7)を新たに御養子になされ、幼名を改められ大学とお名付けになられた。

 

 

(ア)拾遺大夫:拾遺は侍従職の唐名(中国風通称)。大夫は本来京職などの長官を指す役職名であるが、ここでは五位の官人の通称

(1)右近衛少将・藤原敦敏(ふじわら の あつとし):摂政実頼の長男。父が右大将から左大将へ遷る時に左少将から逆に右少将へ遷った。佐為が生まれた翌年に死去

(2)帝:冷泉天皇(れいぜいー)。精神障害を患っていたと言われている

(3)小野宮殿:関白藤原実頼(ふじわら の さねより)。貞信公藤原忠平の長子。後に円融朝における摂政

(4)加冠:初冠の儀。元服式のこと

(5)一門:小野宮(おののみや)は家門であると同時に有職故事の門流で謹厳実直を旨としていた

(6)かつての巨椋(おぐら)池(宇治川・木津川・桂川の合流地点に存在した規模の大きな池)と思われる

(7)小丞相殿:小野宮右大臣・藤原実資(ふじわら の さねすけ)。実頼三男の参議斉敏の四男であったが、幼少期から利発であったことから殊の外実頼に可愛がられていた。彼の残した日記は「小右記」として知られ、摂関家全盛期の宮廷事情などを詳しく知るための第一級の資料ともなっている

 

 



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3-3 キャプション

逆行ヒカルが解き明かす、佐為入水の真相 !?

 

設定捏造300%オーバー?『神代之譜』のキャプションでちょこっと触れた考察を元にした全く意味も面白みもない逆行ヒカルと非逆行佐為とのほんのりビター?な四方山話シーンの妄想です。

いや、四方山話というよりほぼ一方的にヒカルがくっちゃべってるだけですか……

しかも前フリが輪をかけて無駄に長ぇッ!

 

こんな妄想をはたして表に出しても良いものなのかとも思いましたが、書いてしまったモノは仕方ないとばかりにヤッてしまいました。

ツッコミどころ満載ですので、どんなご批判でも甘んじて受けさせて頂きますです。

会話文オンリーかつ中途半端なウンチク垂れ流しですので、非常に目が滑りやすくもなっております。

行間のヒカルの葛藤や佐為の懺悔を察して頂けると嬉しいのですが……

章題には特に意味は御座いませんです(お題?そんなのタダの記号でしょ??)。

 

3作を通じまして、本来は「ヒカ碁を自分なりに考察・解釈・妄想してみた」的な小論文だったのを、登場人物に語ってもらったカタチにさせていただいたモノですね。

特に中途半端な平安時代の知識を持っていたため「原作の舞台設定って、元は結構考えられていそうだけど、発表される過程でそうした小難しいハナシは大胆に端折られてしまって、どうしたって説明不足になっているよな~」と思ってしまった故に、そうしたところを自分なりに埋めてみよう……と連載当時からずっと考えていたりしました。

勿論、このように自分で埋めたと思っている設定の穴なんて、その穴を埋めるための土を同じ場所から持ってきているだけで、結局もっと穴だらけにしてしまっていること自体は自覚しております。

でもそうした矛盾をはらみながらもこうして二次創作するのって結構快感になりますよね。

 

ヒカルくん、原作後は長ずるにしたがってきっと佐為に繋がる手掛かりなんかを必死になって探ったりしてたことだと勝手に思ってます。

独学だけでなく、囲碁を通じて知りあった文化人・知識人なんかの手も借りながら、それこそ形振り構わず周囲にもちょっと怪訝に思われながら……

また、そうした行為が回り回ってヒカルくんの碁に深みを与えることにも繋がっていても良いと考えています。

(「人間」はあえて平仮名にはしませんでした)

 

あと、柏原麻実先生ゴメンナサイ!

(柏原麻実先生はアフタヌーンコミックスで『宙のまにまに』という高校天文部を舞台とした漫画作品を発表されております)

 



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