芦毛の誇り高き妹 (室星奏)
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01 スカウト

 

 ――色んな意味で、バケモンやぞ。

 

 

 

 地方の古びた一軒家で、一人の男性が電話する。相手はかの有名な【トレセン学園】なる場所である。何でも、俺の()()をスカウトしたいという事らしい。余程肝が据わってやがる。

 厨房のコンロ二つにフライパンを置き、そして目の前には巨大な鍋で作られた煮物。傍から見れば、大人数の宴会と思うだろう程の量をした料理を作りながら、その話を悠々と聞いていた。

 先日の地方レースを見て、その力量がとても素晴らしかった事、是非とも表舞台に立って走ってほしいという事。色々言わされたが、結局俺が出した回答は一つだった。

 

「でもそれって、本人が良いって言わなきゃ意味ないじゃないっすか」

 

 学園側もそれを納得し、そちらで話し合ってくれないか? と尋ねてきた。成程、仲介役になれ、という事か。確かに義兄からすりゃあ、妹が表舞台に立つ事は素晴らしい事で、誇りに思う事なのだろうが、果たしてそれが正しい選択なのか、つい迷ってしまう。

 もし俺が勝手に進めて、嫌な気持ちにさせでもしたら、それこそ兄失格だろうから。

 

「ま、また今度話しましょう。今日は夜遅いし、そろそろ妹の方も――」

 

 刹那。ガラガラッと玄関が開く音が響く。バケモノが帰ってきた、と俺は正直汗を垂らした。いや、殴られるとかそういう訳ではないのだが。

 そこまで言い切り、電話を切る。すぐさま調理の方に視線を移し、妹が居間の扉を開けるのをじっくり待つ。

 

 ――いや、待つ時間なんてコンマ数秒くらいか。

 

「帰ったよ。()

「はえーよ。手ぇ、洗ってこい」

 

 妹――オグリキャップは、口を少し尖らせ、渋々と洗面所へと足を運ぶ。こんな明るい口調と表情、あいつは俺以外に見せた事なんてないだろう。レースに出ているあいつは、正に凛々しい騎士みたいな感じだからな。

 にしても、どれだけお腹がすいてんだよ。玄関開けてからすぐ居間に直行か、しかもそれまでのタイムだと恐らく歴代新記録なんじゃないだろうか、勿論体感測定だが。

 そう、俺が今作ってるこのとんでもない量の料理、全て妹の為に用意しているものだ。俺と同時に作ってしまうと、絶対に量が足りなくなるため、厨房のコンロまるまる全て使っているという訳だ。

 最初の頃は、おかわりを何度も言われ呆然としていたが、さすがに10年も長く一緒にいるのだから、匙加減も分かってくる。それでも、未だおかわりと言われる事はあるのだが。

 

「夕飯はまだ?」

「はいはい。もー直だ、机座ってな」

「……今日の夕飯は、それが全部?」

「ああ、食材とかいろいろ買ってきたんだからな? もしかして、食べきれない量だったか?」

「いや、足りるかな――と」

 

 めっちゃ大きなため息を漏らす。ああ、このセリフは追加注文だ。スーパー、まだ営業しているだろうか、と少し不安になってしまう。

 その様子を見かねたのか、妹がふふっと笑みをこぼし、俺に吐きかける。

 

「大丈夫。兄の困る量は提示しないよ。それが全てなら、納得する」

「もうすでに困る量なんだが?」

 

 互いに『ははは』と笑い、完成した料理を机へと運ぶ。その机も、明らかに大家族用の机なのだが、妹の夕飯を置くには、これくらいの大きさじゃないと収まりきらないのだ。

 少し値は張ったが、妹の為だと奮発して買ったものだ。今となっては、我が家の象徴みたいな品となっているが。

 

 

 

 

『残り200m! オグリキャップが先頭だ、先頭に躍り出た! どんどん2番との差を広げていきます!』

『リード、2バ身、3バ身、その差を広げ――今1着でゴールッ!!』

 

 

「……さすがだな。相変わらず」

「当然、兄に情けない所は見せられないから」

 

 芦毛の怪物――俺の妹、オグリキャップの事を、皆はそう言う。

 そう、妹はウマ娘と呼ばれる存在の一人であり、こうやって様々なレースに出バしては、観客を大いに沸かせている。その光景は俺も何度か拝見してきたが、いつ見ても興奮せずにはいられない。

 このビデオ映像だけでもその気分を味わう事が出来るのだ、そういえば、いかに妹が凄い存在なのかが理解できる事だろう。

 

 だが、そんな妹も、最初は挫折の繰り返しだった。

 俺と妹の出会いは、凄い突然の物であった。といっても、顔を合わせたのは、この家に妹がやってきた時が初めてだったのだが、俺は前からその顔を見続けていた。

 

 あれは俺が高校1年の頃だ。両親を早くに亡くして一人暮らしをしていた頃、小学生だった妹は一人、毎日運動場を走っていた。服が泥だらけになろうとも、気にする事なく。

 当時、芦毛のウマ娘は走らないとかなんとか言われ、嫌われていたらしい。芦毛として生まれた妹も、当然その標的となっていた。

 他のウマ娘からはもちろん、挙句の果てには人間にまで馬鹿にされる始末だったらしい。さらには、追い詰めるかのように、他のウマ娘が妹に勝負を挑んでは、勝って、罵倒していたとかなんとか。

 当時妹の口からそれを聞かされた時、俺は心底腹が立った。それが同族に対してする事なのか、と。

 

 

『両親が亡くなったみたいで……引き取り手を探しているらしいぜ?』

 

 そんな時、俺は友人からそういう話を聞かされた。前述した事実もあってか、中々引き取ってくれる相手がいないというそうだ。

 成程、両親がいない俺ならば、その役にうってつけというわけだ。と俺は当時思った。

 確かに孤独というのはつまらない物だし、こんな自分が何かの役に立てるのなら……と、そんな軽い気持ちで、俺は彼女を引き取り、晴れて義妹となった。

 

 出会った当時は、色々ギスギスした関係だった。口もあまり聞かず、俺が目覚めた時には、もう家にはいなかった。行ってきます、ぐらいは言ってもいいじゃないか、とは何度も思った。

 そして学校の帰路、俺は再び運動場を覗く。予想通り、妹は息咳切らせながら、ひたすら前に駆け走っていた。ふと傍らを見ると、空のペットボトルが夕日の陽光に照らされ佇んでいる。まさか、水分も飲まずに、ずっと走ってたのか?

 さすがに不味い、と俺は近くの自販機で水のペットボトルを買い、妹の元へと走った。この間、俺は完全に無意識で行動していた。

 

 しかし、さすがに遅かったのか、戻ってきたころには、既に妹は地面に倒れ伏していた。完全に熱中症である。

 急いで家へと運び、夜までずっと傍にいてやった。無茶しやがって……と愚痴をこぼすと、妹はその不満に感づいたのか、ゆっくりと眼を開いた。

 

『……兄』

『おう』

 

 その時、妹は初めて、俺を兄と言った。ただの寝ぼけ言葉な筈だが、俺はどうしてか、少し嬉しい気持ちになった。

 すまない、と妹は言って、身体をゆっくりと起き上がらせるが、すぐにそれを制止した。休む事も大事だと説き伏せ、簡単に食べれるものを作ってやった。

 

 その時に、俺は初めて妹の食いしん坊さを知った。熱中症だったというのに、妹はおかわりを何度も要求した。さすがにその時は5杯目で止めたが、当時俺は至極ドン引きした。

 

『……無茶はすんなよ。俺も出来る限り手伝ってやっからさ』

『あ、ありが、とう?』

『おう、疑問形はやめろ』

 

 その後はすぐに眠りについてしまった。妹の寝顔は、他のどんな女の子よりも綺麗で、そして可愛らしかった。決して下心なんてものはないが。

 余談だが、妹と同棲する事になってから、やたらと友人が『羨ましい』『俺と一緒になればよかった』とほざいているが、あいつに兄は務まらないだろう。

 なにせ、こいつの兄になるには、相当な面倒見の良さ、そして何よりも料理の腕が必要なんだから。俺も何度か料理を作っていくうちに、上手になっていったのだから。飽き性のあいつなんか、絶対に無理だ。

 

 その翌日以来、妹は俺に対して明るく接するようになり、今こうして仲良く暮らしているという訳だ。

 何度も練習や調整に付き合ったりしている内に、妹も向こうから気さくに話しかけるようになっていった。

 

 おっと、キリもいい所だし、今の内に例の話でもしておくか。

 

「なあ、オグリ」

「? 何かあった?」

「トレセン学園、知ってるだろ? そこからさっき電話があってさ。こっちに入学して、生活して、表舞台に出ないか?――って話なんだ、けど……?」

 

 突然、妹の箸の動きがピタッと止まる。

 

「どうした? 腹でも壊したか?」

「……それは、私一人で……ってこと?」

「んー、そりゃあ、そうなんじゃないかな。まあ同僚はたくさんいるだろうし、孤独ではないと思うぞ。俺だって、顔出し位は平気です――」

「……嫌だ」

 

 ガシャン、と彼女は机を叩き、急いで自分の部屋へと戻っていく。

 は? おいおい、何があった? 俺、何か悪い事いったか? あんな暗い声、本当に久しく聞いた気がする。まるで出会った当初の時のように……。

 寂しいなら、素直に言ってくれりゃあいいのに。顔は出すって言ったの、聞いてなかったのか? 

 

「……なんなんだよ、一体」

 

 その夜、俺は彼女の心意が分からず、寝れない夜を過ごした。




オグリ妹概念^~~~~~
最高ッ!


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02 心境と転機

 

 

「嫌だ……どうして?」

 

 まだ話と夕飯は終わっていないというのに、兄から聞かされた言葉の重みに負け、自分の部屋へと戻ってきてしまった。確かにトレセン学園なる場所には十分興味あるし、そこで勝利を続ける事で、兄に褒めてもらえるのならば、どれほど良いだろうか。

 実際に数年前、トレセン学園に行ってみたいと、兄に漏らしたことはある。当然『まだまだだな』と言って、あしらわれてしまったが。

 けれども、突然その時が訪れると、一気に不安が押し寄せてくる。その間に兄と毎日会えなくなるというのは、きっと私には耐えられない。心の拠り所を失った結果、足が動かなくなってしまうかもしれない。

 それでは、兄を悲しませてしまう。嫌われてしまう。それだけは絶対に避けなければならない。

 

「ずっと、一緒にいたい……」

 

 ベッドの上のドーナツぬいぐるみをぎゅっと強く抱擁し、頭を埋める。こんな自分は、兄にさえも見せた事がない。

 兄と出会う前、私はとにかく凱旋を見る為にだけ走ってきた。バ鹿にしてきた皆を見返す為に、世界に私の名を知らしめる為に。その様は、正に自己中心的そのものだった。そのような性格も嫌われていた要因の一つなのかもしれない。

 けれども、何時しか私の走る理由が、兄の喜ぶ顔が見たいからという物に置き換わっていた。いつからだろうか? 今となってはもう思い出せない。

 

『やったな! オグリ!』

 

 初めて地方レースで優勝した時、兄さんは他の誰よりも喜んでくれた。奮発してその日の料理は、かなり豪勢な物になった記憶がある。結局足りずにおかわりを要求してしまったが。

 その喜ぶ顔は、どんな歓声よりも嬉しく、有難く、そして暖かかった。心が爆発したかのように熱くなる。その感覚を感じれるだけで、レースを優勝する価値がある。誰にも邪魔されたくない。

 同僚とかいらない。兄さえ、兄さえいれば……私は……。

 

「兄さえいれば……私は生きていられる」

 

 その為に、私はこの地を離れるわけにはいかない。もしそれでも、向こうが進めてこようとするのなら、するのなら……。

 

 

 ――一体、どうしようか。

 

 

 ***

 

 

 翌日。

 

「どうだ? 決まったか?」

「無いっすよ。話を切り出したら、オグリが珍しく飯を残して部屋に戻ったくらい。嫌だったんじゃないか?」

「おいおい、明日は雨を通り越して槍だな!」

 

 (オグリ)のトレーニングに付き合うようになってから知り合った、トレセン学園のスタッフからの電話だ。まあ察しての通り、内容は昨日のスカウトの続きだ。

 他愛もない会話をしつつ、昨日の(オグリ)の様子を思い出す。話を切り出した途端、突然『嫌だ』という言葉を残して、直ぐに去っていった。そこまでトレセン学園が嫌だったのか?

 そんな筈はない。一応(オグリ)だって、トレセン学園の事は耳に入れていたし、行ってみたいとは口に出していた事もあった。だというのに、なぜ今になって嫌うのか。

 俺には、どうもわからない。

 

「どういう事なんすかね」

「ん~~~? お前非公式とはいえ、オグリキャップのトレーナーだろ? 自分がよくわかってんじゃねぇか?」

「トレーナーじゃないっすよ。手伝っているだけで、そんな大層なもんじゃない」

 

 トレーナーとは、ウマ娘のトレーニングや栄養を管理・記録し、目標としている凱旋を見させるためにサポートする人達の事である。ウマ娘にとっては、必須とも呼ぶべき貴重な存在だ。

 この人は俺をそう呼ぶが、あくまで俺は兄として、妹のオグリをサポートするだけの存在だ。(オグリ)だって、きっとそんな認識しかしていないだろう。

 そんな会話を毎日と言っていいほどするのだが、その度にこの人はニヤニヤと笑いながら、羨ましそうな言葉を並べる。一体何だと言うのか、ごはんを用意する毎日は、楽しいが大変だという事を、少しは理解してほしいものだ。

 

「そうかぁ? ……もしかしたらあいつ、孤独が嫌なのかもしれねぇな」

「そんな筈はない。何時も(オグリ)は、基本一人で練習してますから」

「嫌々、わからねぇぜ? そこで、だ。お前、公式にウマ娘のトレーナーをやる気はないか? 勿論、担当はオグリキャップで」

「は?」

 

 思ってもなかった言葉に、つい言葉を失ってしまう。いやいや、何度も言っているが俺にそんな大層な役目が務まる筈がない。

 色んな資料を見て、様々なトレーナーを見てきたが、どの人もかなりの敏腕であり、ウマ娘もトレーナーに対して多大なる信頼をしていた。……そういう点では、確かに適任なのかもしれないが、あくまで俺は兄というだけだ、ウマ娘の信頼とは、少し語弊が生じる。

 確かにトレーナーという職には、(オグリ)のサポートをし始めた頃から、少しだけ興味はあったのだが、上記のような人達がたくさんいるという事を知ってから、今の兄というポジションに留まるくらいがちょうどいいと思ってしまうようになった。

 

「さすがに無理っすよ。まあ(オグリ)の栄養管理とか、そういう面は俺がやるのが一番いいんだろうが……」

「トレーナーなんてそんなものだぜ? 知り合いのチーム・スピカのトレーナーなんざ、お前より腑抜けた顔してるぞ? ま、腕は確かだがな」

「その腕が問題なんじゃないっすか」

「腕なんざ、最初は皆クソくらえだ。それならば、トレーナー補佐から初めてくれてもいいぞ?」

「補佐?」

 

 曰くそれは、見習いのような物らしい。先輩トレーナーから色々学びながら、少しづつトレーナー業になじんでいく。それがトレーナー補佐としての仕事らしい。まあ付添のいるトレーナーという説明が一番わかりやすいだろうか?

 

「……まあ、それくらいなら別に良いかもしれないですが、俺一応バイトやってるし……」

「給料。1.5か2倍くらいまで跳ね上がるかもしれないぜ?」

「うっ」

 

 痛い所をついてくる。こいつ、俺の逃げ場を完全になくすために色々言葉を準備してきたな? クソ、トレセン学園のスタッフはみんな策士なのか? 化け物なのか?

 最終的に、俺は屈して(オグリ)が許可出したら良い、とだけ返答した。向こうがそういうのなら、こちらも万能語録を使用するまでだ。大体こういえば、向こうも潔く引いてくれる。

 いくら地位のある学園とはいえ、無理やり連れて行く何てことはできないからだ。したのなら大問題だ。

 

「了解。んじゃ、良い報告を待ってるぜ」

 

 そう言い残し、向こうは電話を切る。

 

「……ふう」

「学園?」

「うわっ!? ……気配遮断すんな。びっくりしただろ」

「ご、ごめん……」

 

 気づくと背後には、(オグリ)がひっそりとたたずんでいた。先ほどの会話、ずっと聞いていたのか? 何でちょっと怖い顔してるんだ? 今にも刺してきそうな鋭く暗い表情だ。

 何か気に障る事でも言っただろうか? 思い返すが、それらしい単語は見当たらなかった。

 

「なんか俺、不味い事言ったか?」

「……。それで、なんだったの? 電話」

「怖い顔のまま言うな。……俺もトレーナー。いや、トレーナー補佐として、(オグリ)と一緒にトレセン学園へ行かないかという話だ。変な話だろ――」

「それ、本当!?」

 

 ガバッと俺の方へと駆け寄る。先ほどまでの暗い表情はどこへやら、その言葉を聞いてすぐに何時もの(オグリ)の表情へと戻る。可愛らしい女の子の顔だ。

 ……にしても、ここまで近くまで顔を寄せるのは、何時ぶりか? 恥ずかしいから、もう少し離れてほしい物だが、まあ我慢する。

 

「ああ。本当だ――何、寂しかったのか?」

「……ぅ、ぅん」

「ん? なんて?」

「何でもない」

 

 赤面しながら何言ったんだお前は、顔を近づけたのは一応お前だからな? と突っ込もうとしたが、止める。

 嫌なら向こうから離れていくだろうし、余計な事はしない方が良いだろう。

 

「そ、それよりも。兄も行くのか? 行くのか?」

「お前が良いのなら、な」

「良い、うん、良いよ。拒否何てする筈がない。私、凄く嬉しい」

「……片言外国人みたいになってんぞ」

 

 急に語彙力が壊滅的になっているが、俺と一緒なら良いという事らしい。なんだ? 昨日は俺が行かないみたいな雰囲気だったから嫌がったのか? 顔は出すって言っただろうに、聞いてなかったのだろうか?

 まあでも、行く意思を見せてくれただけでも上々だろうか? 俺としても、学園で経験を積んで、世界に名を残してくれたならば、どんなに嬉しい事か。いや、それ以上の嬉しさは恐らくこの世に存在しないだろう。

 

「何というか、良かったよ。行く意思を見せてくれて」

「私も。兄が一緒に来てくれて、嬉しい」

 

 こんなに顔を近づける程にか!? 

 

「そ、そうか」

「ああ。……ずっと見ていてくれ、兄さん

 

 急な兄さん呼びに驚いたが、まあただの偶然だろう。

 

 こうして、俺と(オグリ)のトレセン学園行きが、決定したのであった。



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03 移動中での出会い

今日はずっとオグリ視点です。


 その日の翌。私と兄は長年過ごしてきた家を発った。勿論、年に何回かは戻ろうと決めた為、数か月の別れというだけの事なのだが。兄と私が二人きりでいられる唯一の場所とも言っていい、それだけでもこの家には感謝しなければいけない。

 

 バスに乗り込んで、最寄り駅へと目指す。何分地方の田舎住まいの私達は、バスに乗り込まないと近くの駅には行けないという辛い宿命を背負っている。だがそれでも、兄が隣にいるだけで苦しい思いもせずに済む。有難い存在である。

 言い忘れていたが私達が発ったのは朝の6:30程。昨日もいつも通りに沢山食べた為か、常時睡魔に襲われる事となった。仕方なく、バスに揺られながら仮眠につくのだが、その際兄の方に身体を寄せるのが最高に居心地がいい。ずっとこうしていたい気分だ。

 煙たがられて、起きろと一蹴されるのだが、バスの中ってこともあるし、当然の反応だろう。別に今、私達しか乗ってないんだから良いじゃないかと言って、何とか諦めさせる。そういう素直な所も信頼できる理由の一つだ。

 

「だから早めに寝ろって言ったのに。部屋で壁蹴るのやめてくれ。弱かったとはいえ、少し凹んでいたぞ?」

「ごめん。興奮して、つい」

「お前が興奮って、なんか珍しいな」

 

 私は昔から感情の起伏が薄いと言われ続けたからか、私の感情は兄にあまり伝わっていないようだった。いや、寧ろそれが丁度いいのかもしれない。

 度を超すと、返ってよからぬ未来へと舵切られてしまう可能性もある。親密な関係というのは、なんとも難しい物だ。ずっとこのまま、ずっとこのままで、一緒に居てくれるだけでも私は嬉しい。

 二人で一緒に過ごして、二人で一緒にご飯食べて、二人で一緒に寝て……いや、これ以上はやりすぎか、うん。昔はそうだったのだがなぁ、と心の中でボヤくが、まあ兄が大人になってしまっては、さすがに無理があるだろう。私はそれでも全然問題はないのだけれど。

 だから、その私達の関係を邪魔するような人達は、正直嫌いだ。関わりたくもない。最初トレセン学園の話を聞いたときもそう思ったが、こうして兄と一緒に行く事を許可してくれた今では、感謝でしかない。これで毎日、二人で一緒に過ごせる。……といいのだが。

 

 

 バスを降りて、電車一本で大きな駅へと向かい、そのまま新幹線に乗り換える。このまま都会へと一気に向かう。新幹線という物は当然初めてで、その速さに少し興奮してしまった。

 

「兄は、これには乗った事ってあるのか?」

「どうした急に。……初だが、それがどうした」

「いや、別に。同じだなって思っただけ」

 

 新たな共通点が出来た事にほんわかしながら、無慈悲にも過ぎ去っていく二人の時間を、窓からの景色を眺めながら過ごす。勿論ただ景色を見ているだけではない、窓に反射して映る兄の横顔が、また景色と良い感じにマッチして美しさを更に跳ね上がらせる。

 それを眺めながら、駅のホームで購入したウマ娘駅弁を食べる至福のひと時。まさに私の楽園と言ってもいい。そして思っていた以上にこの弁当、とても美味しい。これなら何箱でも食べられそうだ。

 

「……すまない。弁当もう一ついただけるだろうか?」

「え!? ぁ、はい、少々お待ちを……」

「お金、おろしといてよかったというか何というか」

「不安? そろそろ不味くなったのなら止めるけど……」

「1箱目の時点で嫌な予感がしたからもう問題ない。だがこれで最後な」

 

 兄は不機嫌そうな言い方で私を説教するが、その表情は変わらず優しい眼をしてくれる。

 到着まであと1時間、バスの中で余り寝る事が出来なかったし、あと1箱食べたら、少し横になるとしよう。

 

 

「おい、時間だぞ。起きろ」

「ん……そうか」

 

 新幹線から降りて、乗り換えの電車へと駆け込む。終始寝ぼけていた私を見て、呆れたような表情をした後、兄は私の手を引っ張って走らせる。本来なら私が引っ張るべきなのだろうが、今回はお言葉に甘える事にする。何より、手をつないでくれるという事実に、幸せを感じずにはいられない。

 電車に腰掛けて、改めて周囲を確認すると人気の数が次第に多くなっていたのを確認する。顔を軽く叩き、浮かれた気持ちを正して内心をバレないようにする。精々仲の良い二人だと思っていただければそれでいい。

 

「お前の事知ってる人もいるかもしれないから、あまり引っ付くなよ」

「……うん」

「急にテンション下げるな」

 

 少し距離を取られ、意気消沈する。電車の中だし、確かに引っ付いたら不味いのはわかっているのだが、どうしても落ち着かない。早く目的地に着かないのだろうか? 長い事離れられると、体中がそわそわして落ち着かない。

 兄が『どうかしたか?』と聞くが、一先ず『何でもない』といって、バレないように少しだけ近づく。この距離なら、なんとか許してくれるようだった。気づかれていないだけかもしれないが。

 

「……ん? 芦毛かいな?」

 

 身体が落ち着き、ようやくひと段落した所で、眼前の席に座っていた一人のウマ娘が立ち上がり、私達の前にやってくる。トレセン学園の生徒だろうか? いや、例の制服を着ているという事は、おそらくそうなのだろう。

 私と同じ芦毛を拵えたウマ娘――何故だろう? どこか親近感が湧くが、今は私と兄の二人の時間を邪魔された事に、少なからず腹が立ってくる。早くどっか行ってほしい――。

 

「ああ。お前も同じか?」

 

 兄がその子に対して反応を示す。

 

「せやで。タマモクロスっちゅーもんや。トレセン学園じゃ見かけん顔さかい、少し驚いたで。……そういや、新入生が来る言われてはったけど、もしかしてこの子か?」

「独特な喋り方だな、関西弁か? ……そう、オグリキャップだ。ほら、挨拶しとけ」

「……オグリキャップだ。宜しく頼む」

「ふーん、かなりの堅物やね」

「……ま、そうだな」

 

 身長で見れば、私より一個下辺りの生徒か? 見た目は余り走らなさそうな子だな、もし一緒にレースする事になっても、特にライバル視する必要もないだろう。ホッと一安心だ。兄の為に磨き上げたこの足は、絶対に誰にも差させない、追い抜かせない。それが私、オグリキャップの走りだ。

 それなのに、彼女の口は止まらない。何故だ? 何故離れようとしない?

 

「さっきから見てはったけどな。なんやその子、えらいお前さんに懐いとる気ぃするな~。どういう関係や? トレーナー……っていう感じはせーへんけど」

 

 私の身体が一瞬ビクッと震える。

 

「それは――……」

「ん? ああ、血は繋がってないけど、兄妹関係ではある。かれこれ10年近い付き合いだからな。一応これからトレーナー補佐として働く身だ、色々聞く事もあるかもしれんが、よろしく頼むよ」

「成程なぁ、珍しい事もあるんやね。ええで、ウチに任しとき。何時も学園内のどこかにうろついとるからな」

「ああ、ありがとう」

 

 今にも腕を掴んで、隣の車両に移動したい所ではあるが、ここはグッと堪え耐える。ああそうだ、兄だって人間なんだ、他の誰かと会話だってするだろう。私だって成長している、それくらいは大目に見よう。

 ただしそれ以上の関係に行こうというのなら、私はそれを絶対に許しはしない。

 

「あーせやせや。これも何かの縁や。一応連絡先交換だけしておいた方がええかもね。携帯持っとるやろ?」

「え? あ、ああ、一応は」

「……は?」

 

 思わず内に秘めた声が漏れてしまう。聞かれてしまったのか、タマモクロスが少しひきつったような表情を見せる。ハッと我に返った私は、そのまま兄の腕をつかみ、隣の車両へと急いで駆け込む。

 タマモクロスも、驚いた表情はしつつも、言葉を発さず、そのまま私達を見送った。

 

「……ふぅん、成程な。これは、少し面白い事になりそうや」




オグリと言えば、やっぱりタマモは外せませんよね。
喋り方が難しい~~~~~~~~~~!!!!!!!!!


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04 私だけを

「……」

「……」

 

 先ほどの一件が重なり、(オグリ)との関係がちょっと複雑な物へとなっていた。トレセン学園の校門をくぐり、一先ず指定された場所へと足を運ぶ。

 周囲には俺と(オグリ)をジッと見つめるウマ娘たちが多数確認される。ジロジロみられると恥ずかしくなってくるから、さすがに止めてもらいたいのだが……。疑問に思ったのが、周囲のウマ娘が何やらヒソヒソ会話すると同時に、(オグリ)がキッと鋭い視線を浴びせて威嚇していた事だ。これでは幸先が思いやられる。

 何故こうなってしまったのか、十数分前の車内の出来事に遡る。

 

 ***

 

 腕を掴まれ、隣の車両まで移動してきた俺は、再び近くの席に腰掛ける。幸いだったのか、この車両には人が2人しかおらず、そのどちらも携帯しか見ていなかったので、こちらに視線をやる人は誰一人としていなかった。

 (オグリ)は、同じく横に腰掛けて、俺の手を強く握る。さすがの腕力というべきか、潰れるんじゃないかって程痛かった。

 

「な、なあ、いきなりどうした?」

「……兄は、私だけを見てくれれば良いのに」

「ん、よく聞こえないが」

「何でもない、ただ、あの子と関わるのは、止めたほうがいいかもしれない」

「……」

 

 俺には(オグリ)の言っている事がよく分からなかった。トレセン学園行きが決まってからずっと、(オグリ)はずっとこんな調子だった。具合悪いのか? と聞いても、問題ないとしか返答しない。兄だからというのもあるのだろうが、さすがに少し心配になってくる。

 もし(オグリ)に倒れられでもしたら、俺はもちろん今後出来るだろう周囲の仲間たちにも迷惑をかけるかもしれない。今後のウマ娘としての人生を歩み続けるのなら、それだけはできるだけ避けたい所である。

 

 俺は、(オグリ)の頭に握られてない片方の手を置いて、少し撫でる。

 

「ぁ」

「なあ、もし悩みとかあったら相談してくれよ? 俺はお前の兄貴なんだからな」

「……ありがと」

 

 (オグリ)の手を握る力がだんだんと弱まっていき、やがて完全に離れた。ようやく落ち着いてくれたので、少しホッと安堵する。まあ暫くは、会話が無言のまま続いてしまったのだが……。こればっかりは仕方がない、どうせ数時間もたてば、いつも通りの(オグリ)に戻るだろう。

 

 

 そして今に至る。

 あの後、先ほど出会ったタマモクロスも同じ駅で降りたが、これと言った反応はしてこなかった(チラチラと見てくる事はあったものの)。

 

「おっ、来たか……いやあ、オグリキャップを生で相対する日が来るとはね」

「どうもっす。ほら、オグリも挨拶しとけ」

「……よろしく頼む」

 

 俺以外の人と相対するときは、必ずと言っていいほどクールな(オグリ)へと変わる。この状態こそが、何時も皆が生で見ている(オグリ)そのものだろう。

 その挨拶を聞いた彼は「うんうん」と頷き、俺と(オグリ)を控室へと案内する。既に理事長へは話を通しているらしく、後は一通り案内すれば正式にトレーナー補佐として任命されるという仕組みらしい。

 案内と言っても、具体的な業務内容と契約締結、そしてここトレセン学園の案内が大半を占めている為、そこまで堅苦しくはない。それも俺が、ここトレセン学園に対する嬉しい事の一つであろう。

 

「一応地方レースでそれ相応の活躍をしているからな。デビュー戦はすっ飛ばしてもいいというお達しだ。一応知名度向上って意味でも、都心のオープン戦かGⅢぐらいは最初に出たほうがいいかもしれねぇが」

「成程。思ってた以上に色々あるんすね、さすが都会。……オグリはどうだ? 何かやりたい所とかは」

「私は、兄に言われた物なら、何でも出る。それで勝利を収めるだけの話だ」

「……はっはっは。べったりだな」

 

 (オグリ)の言葉を聞いた彼が、大きく高笑いしたのち、小声で俺にそうつぶやく。べったりという言い方はさすがに語弊があるのでやめていただきたい。妹という身分なら、そういう考えを持っても不思議じゃないだろう。

 しかし、(オグリ)がそういうのなら、レースとかの配分も俺がやった方が良さそうだ。なんだか事務作業ばかりだなとため息がつく。就活をやらされている気分だ。尤も俺は(オグリ)のサポートの為に大学を中退したため、そんな物一切合切やったことないのだが。

 

 渡された資料をまとめて、俺は続ける。

 

「揶揄わないでください。……話は以上っすか」

「ん、あぁ、ここでの話はな。後はトレセン学園の案内だけだが……」

「それは二人で見て覚えるので大丈夫っすよ。地図とか頂ければ、勝手にやらせてもらうんで」

「お、そうか。了解だ」

 

 そう告げて、彼はトレセン学園の地図を渡してくる。外観だけで分かり切ってはいた事だが、やはり相当広い。教室だけでも色んな校舎に配置されており、覚えていても迷いそうな感覚である。

 彼曰く1年程在籍している生徒でも、主に使う部屋ぐらいしか覚えていないとかなんとか。それでいいのか、と思ったが、ウマ娘の目的という都合上、それで妥当なのかもしれない。

 (オグリ)にも同じものをもう一つ渡し、自分のクラスと食堂、グラウンドの位置だけは覚えておけと指示する。俺が言うと(オグリ)はちゃんと覚えるんだよな。真面目なのか真面目じゃないのか。

 

 

 話が終わり、二人そろって廊下へと出る。

 

「さて、一先ずどこから見ていくか?」

「お、話終わったんか?」

「お前は……」

「もう名前忘れてもうたんか? タマモクロスや、忘れんでほしいわ」

 

 駅で出会ったウマ娘が、再び声をかけてくる。その時、俺はふと(オグリ)が電車内で放った言葉を思い出すが、さすがに交流無しってのは不味いだろうと、スルーする事にする。

 刹那、背後にいた(オグリ)からの視線が鋭くなる。また睨んでいるのか?

 

「なあオグリ、なんでそんな怖い顔するんだ?」

「……別に。何でやってくるんだろう……

「ん? 今何か言うたか?」

「気のせいだろう」

 

 スッと表情をいつもの感じに戻し、不愛想に接する。これから学園生活を共にする仲間になるんだし、もう少し仲良く接してもらいたい所なんだが……。

 あ、そうだ。怒るかもしれないが、ここは一つ手を打つ事にしよう。

 

「……あっ、やべっ」

「? どうかしたか? 兄」

「いやぁ、理事長から二人で話があるから、あとできてってメールで来てたの忘れてたわ……」

「……成程。では、私も」

「や、二人だけって言われたし、それは不味いだろう。急いで戻るから、少しの間だけその子と居てやってくれ、せっかくの機会だろ?」

「――な?」「ほう?」

 

 それだけ告げて、俺はそそくさと走り去っていく。後で叱られたら、取りあえず夕飯の量を増量させて、機嫌を直す事にしよう。(オグリ)は結局、食欲には弱いのだ。長年の付き合いだからこそ、それはよくわかっている。

 と、軽く下手な芝居はうったが、俺も理事長には話したい事も沢山あるし、このまま理事長室に向かってみる事にしよう。

 

 

 ***

 

 

「……行ってしもうたな。どうするん? オグ――」

「……なんで?」

 

 背後から聞こえる彼女の声が聞こえない程、私の身体の中では様々な感情がひしめき合って、騒めきあっていた。

 何で私を置いていったの? いや、兄の言う事だ、さっきの言葉に偽りなんてないだろう。それは長年の付き合いだからこそ、よくわかっている。

 わかっているのに――。何時どんな時も、私達は一緒に過ごしていたじゃないか。という苦い感情が沸き上がり、どうにかなってしまいそうだ。

 

「聞いとるん?」

「ぁ」

 

 肩をボンッと叩かれ、遂に正気へと戻る。不味い、さっきの私、何か不味い事でも言っただろうか? と、タマモクロスに聞くが、「何も?」と返してくれて、一先ず安堵する。

 それでも、心の胸騒ぎは収まらない。今すぐにでも、兄を追いかけて傍に居続けたいが、それは許してくれないだろう。もどかしい。

 

「兄貴がいないと不安か?」

「……」

「何、そんな怖い顔するん? ウチ悪い事せえへんで。まあ兄貴さんもああ言うとったし、うちが案内したるさかい、ついてきいや」

「すまない」

 

 これは私が悪いのか? 兄が悪いのか?

 ――正直、今の私には答えなんか出せないだろう。




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気づいたら日間にも載ってた! すごい!!


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05 心を開くということ

「何や? あの兄貴さんの事好きなんか?」

「ブッ――ッ!?」

 

 その後私は彼女に案内され、トレセン学園の食堂へとやってきた。ちょうど正午少し過ぎ辺りの時間だったため、空間には甘い匂いが充満していた。

 その後誘われ、スイーツを幾つかごちそうになる事になったのだが、その時に突然予想できぬ言葉を吐きかけられる。思わず吹き出してしまった。

 それを知って、一体何になるというのか?

 

ごほっ……。べ、別にそういう訳では……」

「顔赤いし、声震えてんで」

「……」

 

 彼女は私の反応を見て面白おかしそうに笑う。『図星か』と言いながら目の前のケーキにフォークを刺す。私は何も言い返せない。

 兄に対して大きく心を開いていたのも、好意というものに少しだけ意識を持っていたのも事実だ。しかし、それを本当の意味で『好き』なんだと捉えて良いのか私にはわからなかった。

 兄に褒めてもらいたい、喜んでもらいたい、という浅はかな欲求はあれど、それ以上の関係を望んだ事は、一度もなかった。これは自分でも予想外だと思う。

 

「ええやないか。表ではクールビューティな女子が、裏は純粋な恋心を持つ乙女ときたもんや。ギャップっていうのはこういうもんか。あ、オグリキャップのキャップってそういう?」

「それはない。……ところで、それを聞いて、どうするつもりだ?」

「そっか。別にどうもせんよ。そんな怖い顔せんでも」

 

 ただ揶揄っているだけなのだろうか? それでも鬱陶しい事この上ないが。彼女の目的は一体何なのだろうか?

 

「誘ってくれたのには感謝するが、一体何の目的で?」

 

 心が幾多の疑問で埋め尽くされ、ついに聞いてはならないだろうことを聞いてしまう。

 やっぱり兄がいった通り、私は人付き合いというものが苦手なのだろうか? 何度も直せ直せ言われているのだが、こればっかりは苦手コンテンツの一つでしかない。

 ここトレセン学園に入ったら、少しは解消できるのだろうか? ――新たな疑問が沸き上がると同時に、彼女はフッと笑い、その質問に返答してくれた。

 

「新入生が出来たら、気になるもんやろ? しかも同じ芦毛ときたもんや。仲良くなりたいと思うのは不思議な事か?」

「……仲良く?」

「なんや、田舎にずっといて、他人と付き合うって事を知らんのか? 同じ芦毛どうし、良い関係築こうやっちゅー話や」

 

 思いもよらぬ回答だった。

 他人と仲良くなるという言葉、当然知らない訳がない。ただ私は、その関係を築こうともせず、かつ築く事すら世間は許してくれなかった。ただそれだけの事だ。

 幼い頃から周囲に罵倒され、誰かとなれ合う事も出来ず、ずっと強くなるために走るだけの日々。そんな人生を過ごしていたら、誰かと仲良くなる事なんて、やれという方が無理な話だ。

 そういう人生を辿ってきたからこそ、私に対して優しく接してくれた兄には、心を開けたのかもしれない。

 

「知らない訳がないし、不思議な事でもない。ただ――」

「ただ、なんや?」

「――……私に、それが許されるのか、どうか……」

「仲良くなるのに許されるも否かもある筈ないやろ。気にせんでええ。恋の悩みだって聞いてあげるさかい

「ごほっ――ッ!!」

「危なッ!? いきなり吹かんでほしいわ」

 

 自業自得じゃん、と突っ込もうとしたが私は何とか踏みとどまって静止する。

 一言揶揄わないと気が済まないのだろうか、この子は。でもなぜか、心の中では笑ってしまうような自分が存在していた。不思議な感覚。

 それは今までたった一度しか感じた事のないものであった。兄に心を開いた、あの時の夜だけ。

 

 ――彼女と共に過ごしたら、何か変わるのだろうか?

 

「……ケーキ、まだあるか?」

「いくら食べるつもりや!!」

 

 ようやく突っ込んでくれた。

 

 

 ***

 

 

「歓迎ッ! ようこそトレセン学園へ」

「直接会うのも話すのも初めてですか」

 

 (オグリ)と離れ、俺は一直線に理事長室へと向かう。特にアポとか取っていなかったが、この人はそんなのお構いなしのようであった。とても助かる。

 理事長というから、結構厳格な人物だと思ったのだが、予想に反して結構フレンドリーな人物で少し驚愕する。同時にこのような性格だからこそ、このような明るい学園が出来たんだろうな、と納得する。

 自己紹介は恐らくあの男から聞いている事だと推測し、俺は早速本題に入る。

 

「今日来たのは、ここトレセン学園内における(オグリ)の生活についてでして」

「承知。既にあの男から聞いている。なんでもかなり君にご執心のようだが!」

「ご執心……なんですかね。自分には自覚ないですが」

 

 妙に好かれているという実感は薄々だが感じてはいた。しかし、それは妹という子供特有の冗談言葉に過ぎないとしか思っていない。

 一種の一時性ブラコンというべきだろうか? あの(オグリ)の事だ、時期が過ぎれば普通に接するようになるだろう。大体の妹というのは、そういうものだ。

 

「夜も一緒はさすがに不味いので、何かあってもすぐ対応できるようにトレーナー寮と近い寮に住まわせるのがよろしいかと」

「受理。ふむ、なら栗東寮が一番良いだろう。そこは上手い事調整する。――話は以上かな!?」

「いえ、もう二点だけ……」

 

 これは私的なお願いだったので、願い出るか悩んだのだが、今の自分の技倆を鑑みても受理してもらった方が妥当の様に思えた。

 

(オグリ)の食事に関しては俺がやりますので、その時は厨房の一角をお貸りしてもいいですか?」

「受理。良く食べる子と聞くが、大丈夫か?」

「まあ慣れてますのでそこは、はい。後一つ――」

 

 

 

 

「トレーナーとしての技倆を積みたいので、他のトレーナーが管理しているウマ娘たちの所でも勉強させてもらえないでしょうか?」




お久しぶりです。


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06 一夜の不安

「俺の寮はあっちで、(オグリ)の寮はあっちだ。近いから、なんかあったらすぐ対応できるだろ」

「寝る前は、何時も一緒にお話ししていたが……?」

「ガキじゃないんだし、しばらくの間は我慢しろ。出来なかった話は翌日聞いてやる」

「……わかった

 

 夕食を終えた後の夜刻。(オグリ)に必要事項をすべて伝える。寝る部屋が違うのはまだいいが、ずっと一緒にいれないという点についてはかなり不満を垂れ流された。

 友人から『(オグリ)から懐かれるなんて羨ましい』とは言われたが、懐かれる兄なんてのも大変で、こういう簡単な事ですらも一々説得しなければならなくなる。

 だがそのまま兄離れされるのも、それはそれで悲しいものである。故にその加減が難しい。今の様子を見るに、しばらくは問題無さそうではあるのだが。

 

「じゃ、俺はいくな。えーっと、タマモクロスさん、後はお願いな」

「ああ、ウチに任しときーや。ほな、行こか!」

「……ああ」

 

 二人はそのまま寮へ去っていった為、俺もそそくさと自室に戻る。今日中に渡された資料を整理とトレーナー試験の勉強をしなければならないからだ。

 

『トレーナーとしての技倆を積みたいので、他のトレーナーが管理しているウマ娘たちの所でも勉強させてもらえないでしょうか?』

 

 このセリフを吐いた時、理事長は凄い驚いていた。不安になる新人トレーナーは数多くいれど、そのような申請をする人は今まで存在していなかったからだ。

 

『受理ッ! 勉強熱心で良い事! 良きトレーナーになるかもな!』

 

 良きトレーナーになれるかも、というのはさすがにハードルが上がるのでやめていただきたい。そもそも試験に合格しなければ正式にトレーナーとなれないのだから、そこで終わってしまっては元も子もない。

 トレーナーに必要とされる技能は数多く、ウマ娘に関する基礎知識はもちろんのこと、栄養バランスや傷の負いやすい部位等の、マニア以上の知識まで問われるのがトレーナー試験の内容だ。聞いただけでも分かる通り、かなり狭き門なのだ、トレーナーというものは。

 今まで(オグリ)の面倒を見てきたこともあり、知らないと不味いような知識はほぼ全て理解していた。故にあとはマニア以上の知識をつけるだけの事だが、これがなかなか難しい。覚える事が山ほどあるのだから。

 

「これは、一夜で終われないかな?」

 

 さすがに一夜漬けはマズいので程ほどに留めるが、それでも寝る時間は3時間しか作れないだろう。明日までに整理するべき資料も山ほどある。

 明日俺が見学するウマ娘たちの詳細情報を耳に入れておかなければならない。一日で色々なウマ娘を巡る為、一つでも多く覚えておかないと何一つ勉強になどならないのだ。

 

「チーム・スピカは勿論のこと……あとカレンチャンって子の見学もか、多いなぁ。ま、やるしかないんだけどさ」

 

 (オグリ)の事も心配になるが、今だけは少しだけ忘れて、そっちの事に集中するとしよう。

 タマモクロスと一緒なんだ、多分大丈夫だろう。

 

 

 ***

 

 

「ここがウチらの部屋や!」

「お、お邪魔、します?」

「何緊張しとんねん。これから過ごす部屋やろ? ただいまでええんやで」

 

 兄と離れ、彼女に連れられた部屋は特に語る事のない簡素な作りの一室だった。

 玄関入って右側には二段ベッド。左側には二人分の勉強机が両脇に設置されていた。引き出しとクローゼットも置かれており、収納スペースもしっかり完備されていた。

 何より安心したのは冷蔵庫だ。いつでも食料が保存できる、これ以上の嬉しみはない。

 

「二段ベッド、どっちがええ? 上か下か」

「どっちでもいい。残った方に入るよ」

「そうか。ほな、上はもらうで~」

 

 彼女が上のベッドに昇る間に、クローゼットと引き出しの方へと歩み、持ってきた荷物を収納する。

 これからこの部屋で生活すると分かっていても、なぜか実感がわかない。今まで兄と一緒に過ごしてきたからなのか、兄がいないという事実に不安感を覚える、今にも押しつぶされそうだ。

 

「……兄さんの所に行くか」

「速ッ!? 今日はもう遅いで!?」

 

 チッと思わず舌打ちしそうになったが、ギリギリで止める。少しだけ他者ともコミュニケーションをとると決めた以上は、初日で関係を嫌悪にしたくはない。

 兄と他の子が接触しない限りは、別にどうってことはない。普通に過ごせばいいんだ。

 

「ふぅ」

「落ち着くやろ? 二人っきりっていうのも、ええ事なんやで。ま、アンタの場合は慣れるのに時間かかりそうやけど」

「ば、バ鹿にしないでくれ。すぐに慣れる」

「ほんとかぁ~? ま、楽しみにしとくわ」

 

 ボスンと床のクッションに座り込み、へへっという笑い顔を見せる。不思議とつられ、こちらも小さく微笑んでしまった。

 ――コミュニケーションって、こういう感じでいいのだろうか? 兄曰く『正解なんてない』とは言われたが、やはり模範解答というものがないと納得がいかない。

 昔からこういう性格だけは直らない。誰かの背中を追い続け、その姿をなるべき模範解として定め続けた人生を送ってきた私にとって、目標というものは必要不可欠だった。

 故に定まった目標のないコミュニケーションというものには、かなり苦労される。また今度兄さんに相談しよう。

 

「あ、せやせや。アンタ、あの兄貴さんのどこが好きなんや?」

「ゴホッ!? だ、だからそういう訳では」

「恥ずかしがる顔もええな。ここはウチらだけの部屋、世界やで? 気にする必要なんてないんやで?」

「お前がいるじゃないか」

「え~? ウチでもダメか。ガード硬いなぁ」

 

 彼女は愉快に笑い、仕方なくそれ以上聞くのをあきらめた様だった。ふぅと一息つき、窓の外から覗ける兄の部屋を見る。

 まだ灯りがついている。この部屋と同じく、誰かと一緒にいるのだろうか? ……ロクな事になってないといいが。

 正体ぐらいは、探っておきたいけれど……そう上手くはいかないだろう。

 

「ほな、恋バナはまた今度にして、ウチはもう寝るで。アンタ……って、もうアンタって呼ぶのもアレやな。オグリって呼んでもええか?」

「……兄さん以外に呼ばれるのは」

「呼び名まで制限されるん!? 厳しいんとちゃうか? ま、こればっかりは譲らへんで。ほな、オグリおやすみーな?」

「はあ」

 

 これ以上何言っても無駄だろう。彼女の押しには、どうやっても対抗できる気がしない。仕方ない、それも許してやるとしよう。あまり負の選択をしてしまってはダメな事ぐらいは、さすがの私でも分かる。

 明日も早い。私もそろそろ寝なければ……。

 

「……ふう。兄さんの部屋の電気が切れるまで、待とう」

 

 やはりどうしても、気になってしまうのであった。



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07 静かな少女

「……まずは、スピカのトレーナーと合流か」

「何かの話し合い?」

「ま、そんなとこ」

 

 翌朝。俺とオグリは同じ時間に寮を出る。外に出ると一本杉の下で(オグリ)が一人俺が来るのを待っていた。

 事情を知っている隣の部屋で暮らすトレーナーは笑いながら『仲の良い事で』と揶揄ってきたが、ここまでくるとさすがに否定する事はできない。

 それゆえ、今は仕方なく一緒に学舎まで歩いている。学園に来たとはいえ、ここまでの流れはいつも通りと何も変わらない。

 

「そういえば、兄さんの部屋ずっと灯りがついていたが……何かあったのか?」

「んぁ? ただの資料整理と勉強だが? それがどうかしたのか?」

「や……他の誰かと語ってたりしてたのかなー……と

「小さい声で喋るな。トレーナー寮は一人部屋だし、そういうことは余りないぞ」

「そうか」

 

 (オグリ)は俺の袖を小さく掴みながら、ホッと安堵するかのような息を吐く。誰かと一緒にいちゃいけないのだろうか? 妹センサーは相当厳しいようだ。

 そうこうしている内に(オグリ)の学ぶ学舎へと到着する。一先ず今はここでお別れだ。(オグリ)はムスッと口を膨らませながら、数秒の間行くのを渋っていたが……。

 さすがに行かせない訳にはいかないので、ここは丁重に我慢してもらう。

 

「座学、寝るんじゃないぞ?」

「……分かってる」

 

 (オグリ)の頭をそっと撫でて、何とか説得させる。こうすると一応言う事は聞いてくれるんだよな。兄好きな妹らしいというかなんというか。

 他の誰かに見られていたらどうするんだ? と周囲を見渡したが、幸いな事に俺達の姿を見ている人はいなかった。セーフ。

 

「じゃあ、行ってくる」

「おう。行ってら~」

 

 (オグリ)をそのまま見送り、昨日理事長に渡された紙を確認する。

 今から2時間後、チームスピカの専用部屋前にて集合。出るのが速いと思うだろうが、学園が広すぎてまだまだ理解しきれない所もあるので、探索する時間が欲しかったのだ。

 1日で構造は理解できると思ったのに、まさか明日にまたぐとは……。正直俺はトレセン学園をなめていたようだ。

 

「さてと、まずはスピカの部屋から確認するか」

 

 スピカの部屋は今いる場所から北方向に少し行った場所にある(とは書かれている)。地図通りに進めば見つかる筈なんだが、広すぎて本当に合ってるのか信じられなくなってしまう。

 まあ迷ってても仕方がないので、今はその通りに進む。

 

 別の学舎に移動する連絡通路に差し掛かったその時――。

 

「部屋に忘れ物しちゃっ――ひゃっ!?」

「うわっ!?」

 

 横の扉から結構なスピードで駆け走ってきたウマ娘と衝突する。肩と肩のぶつかりあいとはいえ、ウマ娘の速度で肩がぶつかったのだから、かなり痛みが走った。

 高校の時運動部じゃなかったら、今頃骨が折れてた所だろうか? まあでも、ぶつかってきた子に罪はないから良いんだけど……。幸い尻餅だけで済んだし。

 

「痛ッ……ふう。君、大丈夫か?」

「あ、ありがとうございま――ッ」

 

 ぶつかってきたのは明るく長い茶髪をおろし、美しい緑色の瞳をしたウマ娘だった。どこかで見たような気もするが、どうも名前は思い出せない。

 手を取ろうとすると、何やら膝を痛む仕草をする。確認してみると、軽く擦り傷が出来、血も微かに飛び出していた。走ってぶつかり、転がる形で倒れてしまった為、地面に膝が接触してしまったのだろう。

 ウマ娘にとって足は命より大事なもの、小さなかすり傷とて見過ごせるものじゃない。

 

「待ってろ」

「え?」

 

 懐から少しだけ大きいハンカチを取り出し、違和感を感じさせない程度に調整しながら、それを膝部分に結び付ける。

 (オグリ)も良く怪我をする子だった為、こういう応急処置の知識も少しだけ心得ていた。そういえばこのハンカチも、(オグリ)がくれたものだったっけ。

 まあいいや、後で返してもらえればそれで。

 

「ほい、後でちゃんと保健室行きなよ?」

あ……ありがとうございます。その、手慣れてるんですね?」

「まあ、何回もやってきた事だからな。急がないと遅刻するぞ?」

「あ、そうだった。あの、本当にありがとうございました」

「おう、廊下は走るなよ~」

 

 足早に彼女は立ち去っていく。走る様子を見てハンカチも違和感なく結べてる事に気づきそっと安堵する。

 (オグリ)の技倆が上達するにつれて怪我の回数も減ってきた為、ここ最近応急処置なんてすることはなかったのだが、まだ腕は訛っていないようだった。

 

「あ、名前聞くの忘れたな……」

 

 一応大切なハンカチだったから、後で返してもらおうとしたんだけどな。まあでも、向かった学舎的に恐らく(オグリ)と同じ高等部だろうか? それならば座学後に立ち寄った方が良さそうだ。

 落ち着きのある良い子だったし、オグリと仲良くなってくれたらいいのだけれど……。

 

 

 ***

 

 

 指定された教室に入り椅子に腰かけ、窓の外をじっくりと眺める。兄さんの姿はもうなくなっていた。

 別のトレーナーに会いに行くとしか言わなかったが、兄さんに限って嘘をつく事は無いだろう。今は信頼するほかない。

 

 昨日、あの後電気が切れるまでずっと眺めていたが、結局電気が切れたのは5時ちょっと過ぎ頃。当然僅かな時間しか寝る事が出来なかった。

 不安と疑問に押しつぶされ、今すぐにでも兄さんの部屋に行きたい気持ちが沸き上がっていた。玄関のドアノブに手をかける所まで行ったが、ギリギリの所で踏みとどまる。さすがにこの時間は不味いだろう、と。

 だが今日、兄さんの返答で不安が杞憂だったことを知り安堵した。一人部屋なら、特に夕刻あたりで部屋に訪れても問題はないだろう。誰にも気づかれないのだから。

 

「良かった、間に合った」

「あれ~? スズカが忘れ物って珍しいじゃん」

「ごめんなさい、昨日は色々疲れちゃって……」

 

 入口をガラっと開けて現れたのは、今後のクラスメイトとなるサイレンススズカというウマ娘だった。その活躍はテレビで何度か拝見した、相当な逃げウマで私もかなり見入っていた記憶がある。

 向こうもこちらの様子に気が付いたようで、ニコリと笑いながらこちらへと歩み寄る。

 

「今日からの新入生、でしたよね。活躍はラジオで拝見させています。サイレンススズカです、よろしくおねがいしますね」

「あ、ああ。私もテレビで見ている。えっと、オグリキャップだ、よろしく?」

「そう硬くなくても大丈夫ですよ? 今後のクラスメイトですから」

「そうか。そうだ――よな?」

 

 ハッと、視線を下に向けた所で、私は衝撃を受ける。

 右足の膝に結ばれた白い布、見た事のあるデザインだ。というか、見た事が無ければおかしな話だった。

 昨年の兄さんの誕生日、その時に私が贈ったハンカチだった。近所のおばあさんに教わりながら丁寧に編んで作ったものだ。故に世界で一つしかない品なのだ。

 尤も『ちょっと大きすぎるだろ』と笑われてしまったが、それでも兄さんは喜んで使ってくれたのだった。それは今でも変わらない筈。

 

「……な、なあ」

「? どうかしましたか?」

「このハンカチ――どこで?」

「え、ああ。さっき連絡通路で男の人とぶつかって……応急処置として結んでくれたんです。後で返さないと……」

 

 兄さんらしい。その言葉を聞いて、私が真っ先に出た感想だった。昔から誰に対しても優しかった彼だから、こういう事をしても不思議ではない。

 私の贈ったハンカチを使うという事には、どうしても納得がいかないけれど。

 

「なあ」

「?」

「用が済んだら、それ私に渡してくれないか? その人は私のあ……あ……

「あ?」

「ち、知人なんだ。うん、だから私から渡しておくよ」

「で、でも、お礼も言っておかないといけないですから」

「いいから!」

 

 少し大きな声を出してしまった。スズカはビクッと身体を震わせたが、そのまま顔を下に振ってくれた。

 ……やはり、ダメだな。どうしても人付き合いが上手く行かない。兄さんの事が絡むと、どうしても。

 

 こんな私、兄さんならどう思うのだろうか。……嫌われなければいいのだけれど。




スズカとオグリって同じクラスだったっけ……。まあいいや、やりたいことはやれたし!


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08 貴方に興味を持ったので

「他の皆は座学ですか?」

「ああ。高等部は午前中で座学は終わるから、チームに所属する高等部のウマ娘は早めに練習を始めるんだ。出るレースも後輩たちより多いからな」

「成程」

 

 チーム・スピカのトレーナーと合流し、学園内での基礎知識をあらかた説明してもらう。時間も限られているため今日は高等部のメンバー(といっても一人だけだが)の練習のみの見学だ。

 といっても、今の所(オグリ)以外のウマ娘のトレーニングを管理する予定はないため、それが正解なのかもしれないとの判断だ。

 トレーニング器具運びをあらかた手伝い終わり、今はそのメンバーを待っている時間だ。

 

「理事長から聞いたが、まさか地方から有名になったオグリキャップの兄貴さんとはねぇ。驚きだよ」

「血はさすがに繋がってないっすけど。かれこれ数年の付き合いですから」

「羨ましいねえ。いつもウマ娘と一緒にいられるっていうのは」

「沢山の人がそう言いますけど、実際はかなり大変っすよ。ははは」

 

 ウマ娘は世界中の憧れ、そんな憧れの子と一緒に過ごせると聞けば、誰もが憧れたり妬んだりする事だろう。

 だが(オグリ)の飯の量みたいに、いざ一緒に過ごすとなるとその大変さが身にしみてわかる。最初は本当に苦労したものだ。今こうして慣れてしまっているのが不思議なくらいに。

 なれた自分が怖い、いつしかそう思うようになってしまっていた。

 

「だが、そんな大変な期間を乗り越えたっつー事は、アンタも相当トレーナーとしての腕を持っているってことだな」

「多くのウマ娘を担当するってなったら、さすがにキツいかもしれないっすけど」

「いやいや、一人を集中的に管理できる技倆さえあれば、後は簡単なもんさ……っと、長話はここまでだな」

 

 話を切り上げ、彼が振り返るとその先から一人のウマ娘がやって来る。

 

「あ……」

 

 それは、俺の知っている顔のウマ娘だった。いや、実際には今日出会った子と言うべきだろうか?

 朝の連絡通路、そこで衝突したウマ娘。まさか彼女がチーム・スピカのメンバーだったとは、思いもよらなかった。だがこれは都合が良かったというべきだろうか?

 

「すみません、トレーナーさん。色々あって遅くなりました」

「いいってことよ。秋の天皇賞まで少し期間はあるからな。今は気楽にやっていこうぜ。おっと、今日限りだが見学者を紹介しておこう」

「……ぁ、貴方は朝の」

「挨拶するのは今が初めてだな」

 

 互いに名前を名乗り、挨拶を交わす。サイレンススズカ――成程、どおりで初めて見た時、どこかで見たことがあったわけだ。

 宝塚記念に前回の毎日王冠。数多くのウマ娘がいる中、その逃げ脚で差を大きく広げ優勝を掻っ攫うウマ娘(ばけもの)。テレビで見た彼女その人だった。

 (オグリ)も確かテレビで拝見していた筈だ。走り方の参考になるとかなんとか……。

 

「なんだ、知り合いか?」

「今日の朝で少し。膝はもう大丈夫か?」

「はい、ただのかすり傷でしたので。……あの、本当にありがとうございました」

「大丈夫だから気にすんな。……って、あれ? ハンカチはどうした?」

 

 気づくと彼女の膝から、結んだ筈のハンカチは消え去り、絆創膏だけが張り付いていた。

 絆創膏に切り替える時に外して置いてきたか? いや一見落ち着きの見える彼女に限って、それはないだろう。

 

「ああ。同じクラスのオグリキャップさんに返しておきました。知人、なんですよね?」

「え? あ~……ああ、そうだな。了解した」

「知人じゃなくて兄貴だろ?」

「ちょっ」

「え、お兄さんなのですか!?」

 

 恐らく(オグリ)は彼女に対して嘘をついたのだろう。そんなに恥ずかしい事か? と思ったが、まあ彼女がそう言ったのであれば、それに合わせないといけない。

 だというのに、この人と来たらサラッと……。過ぎてしまった事はしょうがないが、バレたら(オグリ)に何て弁明しようか。

 怒って拗ねる(オグリ)の姿が目に見える見える。

 

「血は繋がってないけどな」

「成程、だからあの時――」

「? 何かあったのか?」

「あ、いえ、何でもありません」

「……良し、それじゃあ早速練習と行くか!」

 

 トレーナーの声を聞いた彼女は『はい』と頷き、所定の位置へと行く。

 準備は事前にあらかた済ませたので、あとはトレーニング中におけるトレーナーの姿を見学して、その流れを覚えるだけの勉強会だ。

 こうやって生で見学しながら勉強する機会など、普通じゃ考えられないだろう。良い機会として捉え、ちゃんと覚えておく事にしよう。

 

 

 

 

「良し、少し休憩だ」

 

 かなりの時間走り込んだのか、スズカの額から垂れる汗の量は尋常ではなかった。昔、(オグリ)が熱中症で倒れた時の様子とよく似ている。

 俺は傍らにあった水のペットボトルをひょいっと投げ渡す。

 

「あ、ありがとうございます」

「これくらい気にすんな」

 

 俺の横に座り、渡された水を凄い勢いで喉につめる。俺は何故か、その時のウマ娘の姿を見るのが好きだった。

 頑張りの結晶、というのだろうか。そういうものは、こういう場面でしか確認する事が出来ない。頑張っていなければ、水なんて必要ないのだから。

 

 自然な流れでスルーしてしまったが、平然と俺の横に座ったな彼女、ちょっと近い。……バレないように少し横へズレよう。

 

「……あの」

「? どうした?」

「その、オグリキャップさんとは、どうやって知り合ったのですか?」

「どうやってって言われてもな。あいつの両親が亡くなって身よりが無くなったから、俺の所に来たってだけだ」

「そうですか。ふふ、ウマ娘を引き取るなんて、凄い勇気ある事しますね」

「当時は大変なんて知らなかったからな」

 

 その言葉通り、俺は引き取って数日後、少しその行いを後悔した。日々の健康管理、夕飯作り、その他もろもろが全て引き受け人である俺の仕事だと知った時、かなり驚愕したよ。

 鍋が3つあっても足りないような量のごはんを毎日作らなければならないんだ。それだけでも大変だというのに、健康にまで気を遣わなければならないとなると、やってられないと思ってしまうのは当然の理屈だ。

 だがそれでも、俺が諦めればまた彼女は孤独となってしまう。もしそうなったら、俺が後々後悔する事になる事は確定で目に見えていた。故に俺は、諦める事なくその日々を耐えぬき続けた。その結果今の俺だ、全てが当たり前だと、平気にこなすようになってしまった。人から見たら化け物だと言われるくらいに。

 

「それでも、乗り切った事は凄いと思いますよ」

「そうかい。それはどうも」

「ふふ、もしよかったら、もっとお話聞かせてください」

「やけに興味持つじゃないか」

「ええ。実際貴方に興味を持ったので」

 

 出会ってまだ1日もたっていないというのに? と驚いたが、彼女の笑顔はうそをついている様子ではなかった。

 スピカのトレーナー曰く『アンタはウマ娘に懐かれる体質なのかもな』と冗談交じりに言われたが、さすがにそれは勘弁願いたかった。もしそうなら、俺は今後どれだけのウマ娘を相手しなければならないんだ?

 しかしここで無視してしまえば、それこそ後味が悪い話だ。仕方ない、ここはスズカの興味が尽きるまで付き合ってやるとしよう。話をするくらいなら、別にどうって事は無い。

 

「つまらなくても後悔するなよ?」

「ええ、しませんとも」

 

 その会話は、休憩時間丸々一本使い切るまで長く続いた。その時の時間は平穏そのものでもあり、心地よい時間だけが流れて行った。

 ――尤も、影でその光景を見ていた子にとっては、苛立ちが募るだけの時間でしかなかったのだが。



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09 嫉妬心

 こうなる事は想定するべきだった。いや、別に他のウマ娘と兄が会話する事ぐらい、ここに来たなら当然起こりうることだ。

 こういう時こそ平常心を保っているべきなのだろう。昨日同部屋のタマモクロスからそう教わったじゃないか。

 

『つまらなくても後悔するなよ?』

『ええ、しませんとも』

 

 何を話しているのだろう? もっと近くで聞きたい、聞いてみたい。だけどこれ以上近づいたらさすがに感づかれてしまう。兄は異様に勘が鋭いのだ。

 兄はまんざらでもなさそうな表情で何かを語り、スズカは暖かそうな笑みを浮かべながら顔を下にうって相槌を打っている。彼女にとっては楽しいひと時なのだろうか?

 もう少し早く教室を出ていれば、私も兄の隣に座る事が出来たのだろうか? もしそうだとするのなら、今回ばかりは食事の量を少し減らしておくべきだった。その分の埋め合わせは夜すればいいのだから。

 

「……兄さん」

 

 私はスズカから先ほど返されたハンカチを懐から出す。兄が彼女を手当した際に使ったものだ。もっともこれは、私が誕生日の時兄におくった品ではあるのだが。

 兄は昔から誰に対しても親切だった。練習風景を見ていただけだというのに、私の身元引受人を担ってくれたし、熱中症になって倒れた時も必死に看病だってしてくれた。

 それだけじゃない。他の人間にだって、頼まれごとは嫌々ながらも引き受けていたし、老人の荷物を持ってやったりもしていた。傍から見たら何でも屋な人だった。

 

『嫌なら、引き受けなければいいんじゃないか?』

 

 私はある日、そう兄に問いかけた。返ってきた言葉を聞いたとき、私は少し驚いた。

 

『見捨てて放っておいたら、後味が悪いからな。俺が出来ることなら、少しだけでもやってあげたいだろ?』

 

 口調こそ男性の大学生の如く、荒みがある言い回しにも拘らず、その内容は完全に善者そのものだった。

 他の人なら当然そんな言葉は出ないだろう。出たとしても、全ては偽善だといって片づけられる。だけど彼はその言葉をすべて行動に移していた。

 それゆえなのか、兄は周囲からの人望も厚かった。誰からも親しまれる、そういう素質を兄は持っていた。だからこそ、私は兄に心を開けたのかもしれない。

 そういう意味なら、彼女が兄に心開いているのも納得が行く、会話だって普通にするだろう。分かっているからこそ、ここは暖かい眼で見守ってやるべきなんじゃないのか。

 いや、暖かくじゃない。『許してやる』ぐらいの気持ちだな、せめて。

 

「せめて、自分のを使ってくれればいいのに……」

 

 少しばかり、悲しかった。兄の為に作ったハンカチを、別の誰かの為に使うなんて。

 それ以外に手がなかったら、見捨てるのも一つの手段だと思わないか……いや、それは兄の性格なら考えられない選択肢だな。

 

 優しい兄というのも、妹としては難儀なものだ。

 

「どしたんオグリ、何見てるんや?」

 

 周囲からトレーニング休憩中のタマモクロスが話しかけてくる。少しだけ、平常心を整えられた気がする。

 

「……兄のストーカー」

「本当に何をしてるんや!?」

 

 ここは一つ、冗談を言って和ませてやるとしよう。

 

 ***

 

 

「成程……優しい人なんですね、貴方は」

「優しい、かは知らん。当たり前の事をやってるだけに過ぎないからな」

 

 これまで(オグリ)にしてあげたことは全て、俺の中では当たり前であるものにすぎなかった。熱中症で倒れたら当たり前に看病だってするし、彼女のお腹が鳴ったならば、たんまりとご飯を用意してやる。それが身元引受人である俺の役目だったし、使命であった。決して善意ではない。とはいっても、引き受けた事自体は善意なんだろうし、自分でもちょっとわからなくなっている。

 

「……貴方は不器用ですね」

「不器用?」

「はい。もっと自分に自信を持ってください。一人のウマ娘を、事前の知識なしに引き受けて乗り越える事なんて事例は一切ありません」

「……というと」

 

 彼女は俺に続いて立ち上がり、隣へと立つ。ゆっくりと沈んでいく太陽を眼に、何か昔のことを回想するかのように目を閉じる。

 

「ウマ娘の家系は、代々からその知識があるものが殆どです。有名どころで言えば、メジロ家とかそうですね」

「……お前もそうなのか?」

「小さな家ですが、代々からウマ娘の事を知る家なんです。最も、全てのウマ娘はそういう物だと思います」

「成程な。道理で色々大変だったわけだ。当時は死ぬかと思ったよ」

「ふふ。それでも、貴方はやり遂げました。語り継がれてもおかしくありませんよ」

 

 凄いな、ウマ娘の家系というものは。曰く、産まれてくる事を予見した上でそれを想像し、事前に対策を講じるのが基本だとかなんとか。

 所々めんどくさがりな節のある俺にとっては、事前対策など到底考えられない事だな。途中で『もうどうにでもなれ』って言って投げ出してしまうのがオチだろう。

 というか、これまでの(オグリ)の世話だって、全てぶっつけ本番でやってきたことだった。後々考えれば、もう少し対策とか考えられなかったのか? と思う場面が幾つもあったので、彼女の言葉に俺は反論すらできなかった。

 全て耳にくる話である。悔しいが。

 

「語り継がれるだけは勘弁だな。有名にはなりたくない」

「貴方が将来誰かと結婚して子供が出来たら、ウマ娘になるかもしれませんよ?」

「ブッ!? ……それだけはさすがに」

 

 突然この子は何を言い出すんだ? びっくりしたじゃないか。

 その様子を見ていた彼女はふふふっと言ってさっき以上に笑う。か、揶揄っているのか? くそ、恥ずかしい。

 

「……まあでも、ウマ娘とそういう関係にならない限り、遺伝的に早々ない話だろうし、俺にとってはあまり問題ないことだな」

「人生何が起こるか分からないですからね」

「不吉な事言うのは止めてくれ。ほら、練習再開だってさ」

「分かってますよ?」

 

 彼女は腑抜けた口調で言い返し、レース場へと戻っていく。

 全く、落ち着いた話し方からなのか、油断も隙もない。話しやすいという点では、評価するべき所なのかもしれないが。

 ウマ娘って全員こういう性格なのか? いや、(オグリ)は違うな。こんな冗談言うような子じゃない。

 ……本当、よくわからないな。

 

 

 ***

 

 

「なあ、あれは何だ? 何の話をしている?」

「うちに聞くなや! でもいい感じの関係やであれは」

「良い感じって、どういうことだ?」

「あれは間違いなくうまぴょいルートやで」

「は?」

「その怖い返しやめーや!」

 

 きっと彼女は冗談で言ったんだろうな。彼女はそういう子だ、私を気遣ってくれているのだろう。

 この世界で「うまぴょい」という単語が出たら、それが意味するものは基本的に二つだ。一つは、栄えある舞台のライブで使用される楽曲、うまぴょい伝説を踊る事。

 そしてもう一つは――……ちょっと、良い感じの関係になる事。

 これをタマモクロスに話したら、『結局いい感じって言っとるやんけ』と突っ込まれてしまった。だってそれ以外に形容しようがないじゃないか。

 

「あそこに突撃したらダメか?」

「さすがに無理やろ。素直にあきらめて、夕方の二人きりの時間に思う存分スリスリしとき」

「……そうする」

 

 この嫉妬心を紛らわせるには、兄の養分が足りなすぎる。一日の兄の摂取量が足りなさすぎる。

 夕刻の練習時間、出会ったら思い切り抱きしめてやろう。これは確定事項だ、絶対に譲らない。

 

 兄の隣は、絶対に妹である私でならなければならない。兄妹って、そういう関係じゃないとダメなのだろう?

 私はそう、教わった。




最高ですわ!


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10 譲らない隣 天皇賞・秋に向けて

「……そろそろ離れてくれないか? こっちとしても見られるのは恥ずかしいんだが」

「いや」

 

 チーム・スピカの方の見学が思った以上に長引いた俺は、その他の見学を一先ず明日以降の別日に回し、(オグリ)の方のトレーニングへと向かった。

 (オグリ)は練習コートの前で尻尾を揺らし待ってくれていたのだが、俺が来た途端ものすごい勢いでこちらに駆け寄りそのまま強く俺を抱擁する。一瞬何の罰ゲームだ? と思ってしまった。

 別に抱かれる事自体はいつもの事だ。地元にいた時も、クビ差で2着になった時は少し涙目になりながら抱き着いてきたものだ。こういう時は頭をそっと撫でてやればすぐ落ち着いてくれるのだが……。

 今回は異常に長い。家にいる時なら別に構わないが、学園内では他のウマ娘やトレーナーに見られる可能性が大いにあるので少しは遠慮していただきたい。

 

「本当にどうした? 何があった……?」

「……今日、あの子と何話してたの?」

「あの子? サイレンススズカの事か?」

 

 彼女はこくっと小さくうなずく。ああ、見ていたのか。別に言ってくれればいいものを。

 (オグリ)が来てくれてたら、もう少し話もいい感じにこじれず済んだかもしれないというのに。人見知りっぽい所ももう少し直してくれればいいのだが。

 無理に直せとは言えないのがこちらの痛い所ではあるのだが。こればっかりは(オグリ)の頑張り次第でしかない。

 

「別に。ただお前とどうやって出会ったか~とかの会話をしていただけだ」

「……具体的に」

「細かっ! ……身元引き受けた所から順に」

「……そう。それ以外にはないの?」

「無い。次どういうレース出るんだーとかの会話だけだ。彼女は次天皇賞・秋に出るとかなんとか」

「わかった」

 

 何か知らんが一先ずは落ち着いてくれたみたいだった。全く、慣れたとはいえどもウマ娘の力で抱擁されると背中に来る。数日は痛みそうだな、これは。

 (オグリ)に抱くならもっと優しく、あと短くな。と一先ず注意して、さっそく練習に移行する。やる事は地元にいた頃とほぼ同じだ。

 設備が充実している分、より本番っぽい練習ができるようになったのは有難い所だろう。長・中・マイル・短距離全て揃っていると聞いたときは、さすがに何かの冗談か? と思ったが、本当だったことには相当驚きを抱いた。

 やっぱり地元は田舎だったな。と改めてしみじみ感じる。

 

「さて……今日は長中どっちをやるか……」

「……中距離がいい、かな」

「ん、どうした? お前から言うなんて珍しいな」

 

 普段の(オグリ)は練習スケジュールを何時も俺に一任していた。俺をそこまで信用しているって言えば聞こえはいいのだが、こちらとしてはもう少し自分の希望を言ってほしいと思っていた。

 そんな(オグリ)が当然、自身から希望を出してきた。何だ、明日は槍か?

 

「……私、天皇賞・秋に出たい」

「ブッ……天皇賞!? ま、まあ確かに昨日渡された資料では行けるかもって書いてあったが……急にどうしたよ」

「あの子が出るなら、私も出たい」

「……なんだ、闘争本能って奴か?」

 

 間はあったが、(オグリ)はゆっくりと頷く。

 成程な。トレセン学園に入ると、気持ちも感情も変わって来るのか? 嫌々、幾らなんでもそこまでの効果はないだろう。俺だってわかる。

 つまりこれは、心の底から(オグリ)が思っている願いなんだろう。長年付き添ってるんだ、それくらいの事は分かる。

 

「……突然の事でビックリしたけど、一先ず分かった。9月後半のオールカマーか10月前半の京都大賞典。一先ずどちらかの1着を目指すぞ。期間は短いが、行けるか?」

「良いのか? 本当に」

「お前次第だ」

「……ああ!」

 

 ここで(オグリ)は直近で一番の良い表情を見せた。こういう顔をされると、こちらとしてもやる気が上がってくるというものだった。

 その後すぐに練習を開始したのだが、タイムが何時も以上に伸びが良かった。走る時の表情、姿勢、どれもが完璧だった。

 どれくらい完璧かと言えば、寮に戻る途中のウマ娘数人が、足を止めて(オグリ)の様子をまじまじと観察する程だった。その光景にはさすがの俺も驚いた。

 

「これは、俺も本気で向き合わないといけないな……」

 

 俺のやる気も、なんだか久々に上昇したような気がした。

 

 

 ***

 

 

「昨日よりはいい顔しとるやん。なんかあったか?」

「や、別に……」

 

 トレーニングが終わったその日の夜、今日のトレーニングで得た知識等を整理していると、自習から帰宅したタマモクロスがそう語りかける。

 スリスリできた事はとりあえず告げておくが、天皇賞の件についてはまだ言わない方がいい。言ったらどう反応されるか分かったもんじゃない。

 兄さんの隣に入れるのは、強く走れる私だけ――。それを天皇賞・秋で見せつけられたら、どれほどいいものか。

 距離は中距離、芝2000m。私もよく走る距離だ、普通に考えれば現段階でも問題ないように思えるが。相手も相手、一応油断だけはしないでおく。そのためにも、日ごろのトレーニングだけは欠かさない。

 そのためにも、次来たるGⅡのオールカマー。そこで一着を取って兄さんに褒めてもらうことだけを最優先に考えよう。

 

  絶対に勝つ。クビ差とかじゃない、1バ身とかじゃない。大差で勝ち切って、その差ってものを見せつけてやるんだ。

 

「オグリの走り、練習風景見とったけど、結構ええ感じだったな。次何時のレース出るんや?」

「……今月末のオールカマー」

「ほー。てっきり早速GⅠかと思ったけど……下積みってことか?」

「そんなものだ」

 

 兄さん曰くいきなり出バするよりも、こういった重賞で1回勝って実力を見せつける事で、参加資格を得やすくしようという魂胆らしい。

 そういうことなら私も文句言わないし、何より兄さんが決めた事なんだから、それに間違い何て存在しないだろう。私のことを第一に考えてくれる、そういう人なんだから。

 

「ほなその試合、見にいってもええか? オグリのレース、1回くらいはこの眼で見ておきたいわ」

「邪魔みたいなことはしないでくれよ?」

「せんせん! そんな頑張りを無駄にすることなんかしんって。……菓子、食うか?」

「もらおう」

 

 渡されたお菓子を二袋貰い、再びノートへと視線をずらす。

 サイレンススズカは逃げウマ娘、ならばスタミナが切れた様子を見せたところで一気に抜きんでる。最初は様子を見てその都度作戦を変えて行けばいい。

 好位置につければスタミナも切れにくい。その点で言えば、私の方が有利に働く。なるべく距離は広げさせず、2バ身程の差を保つ。

 

「……目にものを見せてやる、絶対に」

 

 

 ***

 

 

「まさか、アイツから希望を言うなんてな」

 

 今日の見学で学んだことを整理しながら、窓の景色に見える(オグリ)とタマモクロスの部屋の様子を眺める。

 微かにだが(オグリ)の耳がチラッと移り揺れているのが見える。何だかんだいい感じの関係を築けているみたいだ。ここに来たのは正解だったか?

 こうして少しづつ、(オグリ)が成長しているというのは、兄としても嬉しいものだ。

 

「オールカマーの出バ申請はとりあえず終わった。GⅡだし、余程の事がない限り行けるか?」

 

 これまで(オグリ)は地方のレースで幾度となく勝利してきた。大差勝ちも少なくはなかった。その様子から『芦毛の怪物』なんて異名までつけられた。

 まさに昔から言われてきた『芦毛のウマ娘は走らない』の汚名返上ともいえるだろう。それを成し遂げた(オグリ)の兄をやっている俺は、その事に少しばかり誇りを感じていた。

 当初は身元引受人という扱いだったが、今となっては本当の家族のような関係だ。そう思うのも当然だろう。

 

 そんな事に想い更けていると、自室の固定電話がピリリッと鳴り響く。

 

(オグリ)? いや、まだ机の方にいる筈だが)

 

 こんな時間に誰だろうか? 俺は疲れのたまった重い身体をゆっくりと起こし、固定電話の方へと走る。

 発信者は『栗東寮』と書かれていた。(オグリ)のいる寮と同じだ。

 

「……はい、もしもし?」

「もしもし? 今、時間ありますか?」

 

 それは間違いなく、今日出会ったサイレンススズカの声だった。




ジェミニ杯、私長距離サイレンススズカとオグリキャップとデバフネイチャで行ったんですが、なぜかスズカとオグリが1着争いを毎度のことやってたんですよね。

仲良いじゃねぇかお前ら。


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11 先頭の景色

「――こんな夜にどうしたんだ?」

「ぁ、すみません、呼び出してしまって」

 

 その後、俺は彼女――サイレンススズカに呼びだされ、栗東寮の入り口へと足を運ぶ。身分都合及び時間帯の為寮の中へ入ることができないが、入口程度ならまあ許されるだろうとのこと。

 だがそんな事はどうでも良かった。俺が一番気にしているのは、いきなり俺を呼び出した理由である。今日見学としてトレーナー補助をしただけの存在なのに一体何故?

 

「その、オグリキャップさんの事で」

(オグリ)?」

「はい、彼女が次に出るレースって、もう決まっているのかな……と」

 

 理由なんてものは予想する事自体不可能だったが、その真実はとても驚くべき物だった。何故彼女が(オグリ)の出るレースを気にかける?

 確かに彼女と(オグリ)は学年的にも一緒な筈だし、スケジュール管理的にも似通う所はあるかもしれない。が、態々(オグリ)の、しかもそれを俺に聞く理由なんて存在しない筈だ。

 とはいっても、俺には答える理由もなければ答えない理由もない。となれば、ここは一つ……。

 

「……天皇賞・秋に向けて、GⅡのオールカマーにまず出走、そんなとこだ」

「オールカマー、ですか。それに、彼女も天皇賞・秋に?」

「みたいだな」

 

 教えてあげない、なんてことはしなくても良いだろう。伝えるだけで向こうの手助けになるのなら。

 

「それなら丁度良かったです」

「? どういうことだ?」

「はい。実はトレーナーさんにお頼みしたいことがありまして」

「俺に頼み?」

「はい。実はオグリキャップさんにも、天皇賞・秋に出ていただきたくて、こうしてお呼びしたんです」

 

 俺は思わず『え?』と顔を突き出して驚いた。

 オグリキャップが闘争本能で出走したいと言うのは余り驚かなかったが、まさか彼女までそう願い出るとは思わなかった。

 正直言って何かの冗談か? とさえ思ってしまったが、彼女の瞳はいたって真剣だった。まるで他を出し抜かせる気はないと宣戦布告しているかのように。

 

「……一応聞いておくが、理由は?」

「トレーナーさんは、彼女と小さい頃からずっといるんですよね?」

「そうだな。もうずっと、な」

 

 改めてそう言われると、本当に長い年月がたったような気がする。初めて出会った俺が高校生1年の時だからもう6年程か……?

 言葉にすれば短い期間だろうが、俺にとってはもう10年や20年……や、20年は言い過ぎか。何はともあれ、それほど長い時の様に感じられた。

 (オグリ)が真なる妹であるかのように。まるで血縁があるかのように。――や、言い過ぎか。

 

 しかしこんな話聞いて、彼女に何の意味があるのだろう。今朝出会っただけの俺に、一体何を求めている?

 

「そうですか」

「えっと、それが何か?」

「い、いえ、何でもないんです。ずっと前から信頼できる人がいるって、なんだか羨ましいなと思っただけです」

 彼女は胸に手を当てながら続ける。

「その家庭を生きたウマ娘がどれほど強いのか……と、つい気になってしまったんです。嫉妬、みたいな感じです。生半可な子なら、ここ中央には来れませんよ」

 

「生半可な子なら、ここ中央には来れませんよ」

 それはそうだ。だがそれは俺が凄いだからじゃない。ましてや何か特別な能力でも持っている訳でもない。

 ただ(オグリ)が続けてきたひたむきな努力が積み重なってできた大きな美しいものに過ぎない。それがあったからこそ、ここ中央に来れる程の偉業を成してきたわけだ。

 

 だがそれを彼女に言った所で、どうにかなる物でもないだろう。ここは仕方なく頷き肯定しておく。

 

「そうか。……分かった、元々出バするつもりだったしな。一応(オグリ)の方にも伝えて――」

「あ、出来れば彼女には伝えないでおいて頂けると……」

「何故?」

 

 つい面食らってしまった。いきなり制止してくる奴があるか。

 

「何のためにバレないよう電話で呼び出したと思ってるんですか? ここでの会話は、私と貴方だけの秘密にしておきたいのです。その方が、真剣勝負になるでしょう?」

「伝えた方が向こうも躍起にならないか?」

「……伝えなくても、彼女はきっと本気で来ます。いや、絶対に」

 

 それになんの確証が? 段々とこの状況に恐怖心さえ抱いてくる。

 だが彼女の瞳は何も冗談を言っている様には見えなかった。というか寧ろマジな眼だ。獲物を狙う獣の如く鋭き瞳、つい身体がおののいてしまう。

 あと何故少しづつ距離を詰めてくるんだ? この状況どこかで見たぞ。(オグリ)じゃないんだから……。

 

「わ、分かった分かった。だからとりあえず近づくのはやめてくれ」

 

 つい肯定してしまう。しまった、罠か?

 

「……安心しました」

 

 ふぅと息を下ろし暖かな笑みを浮かべる彼女。ちょっとした悪女の才能があるんじゃないだろうか?

 心の中に秘めてる裏の"何か"が狂暴過ぎる気がする。野心と言うべきなのだろうか? だがそれが彼女の強さの真実なのだろう。

 きっと勝利に対する執着心の強さ。その想いは彼女が一際強いのかもしれない。

 

「伝えたい事もつたえたので、私はこれで失礼します。今日は遅くまで、すみませんでした」

「いや、いい。明日もトレーニングとかあるだろう、早めに休めよ」

「はい。……最後の一つ」

「? 何だ?」

 

 彼女はクルッと背中を向け、寮へと戻っていく。

 

……私、絶対に勝ちますから。見ていてください。貴方の妹を出し抜き、先頭の景色を見る姿を

 

 心にグサッと強く突き刺さる、トゲのある宣戦布告を置き捨てながら……。



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