ヴィレッジ 1919 (ペニーボイス)
しおりを挟む

帰郷

バイオハザード ヴィレッジ発売されましたね。
もう正直に言いますね。
オルチーナ様にダァダァしたくて書いた反省はしていない←鉤爪

ほぼほぼ妄想と勢いで書いてますし、本編と食い違いあったらすいません


 

 

 

 

 1919年の暮れ

 

 ルーマニア

 トランシルヴァニア地方

 

 

 

 

 

 馬車の揺れが酷くなったので、故郷に近づいた事が分かった。

 私は揺れる馬車の中で目を覚まし、おおよそ4年ぶりの故郷を窓の外に認める。

 故郷はあいも変わらず、この季節特有の寒波と吹雪によって白化粧を施していた。

 ウンザリするような景色だが、同時に安堵も感じる。

 

 

 1916年の春、私は他の9人の若者たちと共にこの村から出征した。

 その前夜、故郷の人々は前代未聞の世界大戦に向かう我々のために、精一杯の酒や肉料理でもてなしてくれたものだ。

 白い豚のロース肉なんて、今まで後にも先にもあの夜しかない。

 でもそれが人生最後のロース肉になっちまった奴もいる。

 

 出征した10人の若者のうち、生きて故郷に向かっているのは私を含めて2名だけだった。

 1人は私の向かいに座っているが、久々の帰郷にも関わらずその顔色はよくない。

 私は心配のあまり、猫背で座り込み顔を上げようともしない"戦友"に語りかける。

 

 

「そう心配するな、モロー。我々は生き残ったんだ。」

 

「………あわせる顔がない…」

 

「アレはお偉方が悪いんだ。皆分かってくれるさ。」

 

 

 そうは言いつつも、私は内心毒づいた。

 "よく言うぜ"

 サルヴァトーレ・モロー

 弱々しい声音に、弱々しい面をしているが、この漁夫は案外ちゃっかりしている。

 4年間共に戦ったが、こいつはいつもオーストリアの砲弾の滑空音を聞くや否や、()()()()に塹壕に飛び込んで身をかがめていた。

 こいつがマスクを装着した時は大抵毒ガス弾が降ってきた。

 こいつが歩哨に立った時は敵の狙撃兵は何もしなかったが、他の場合は大抵そうではなかった。

 将校殿も言っていたが、こいつは実は見た目に反して相当にしぶとい男なのだ。

 

 

「……だって…アッペルフェルド……おれたちは負けたんだ…」

 

「いいや、勝ったんだ…少なくとも、最後には。」

 

 

 この戦争に於ける我が祖国ルーマニアの"善戦っぷり"と言えば、語るに尽くせない。

 60万の兵力を擁しておきながら、たった数万の中央同盟国軍に叩きのめされ、我らが故郷トランシルヴァニアからでさえ追い出された。

 何故そんな事が起きたかと考えると、思い当たる節はいくらでもある。

 我々は出征してすぐにライフル銃を渡され、そのまま前線に配置された。

 これでは高度な訓練を受けたドイツ帝国軍に太刀打ちなどできはしないのも当然であろう。

 確かに初期の攻勢こそ順調ではあったが、中央同盟国側が準備を整えて反撃をしてくると、我らはあっという間に総崩れとなった。

 

 政府が降伏宣言をした時など生きた心地がしなかった。

 こんな雪の積もる寒村でも、大切な我が故郷である。

 2度と戻れないかと思うと胸が痛んだ。

 

 結局中央同盟国側は徐々に追い込まれていき、ルーマニアは土壇場で降伏宣言を覆して"戦勝国"となったわけだが、今度はハンガリーで共産主義者共が台頭して"延長戦"が始まった。

 この時は我らがトランシルヴァニアを取り返すための戦いとあって、軍隊の士気は極めて旺盛であった。

 モローでさえやる気に満ち溢れ、活気すら感じられたのを覚えている…そして相変わらずしぶとかった。

 

 

 

 "延長戦"を生き延びた我々は今、故郷への帰路についていた。

 我々の不甲斐なさ故に一度は失った故郷だが、最後には我々の手に戻ったのである。

 モローは心配していたが、私は少なくとも非難されるような事はないと見ていた。

 村の住人達は口数の少ない田舎者ばかりだが、分別のない人間は殆どいない。

 外部の人間は我々のことを無愛想だと言うが、実際のところは不器用なだけなのだ。

 ここの住人が本当は暖かい連中ばかりだというのは、昔からよく知っている。

 

 

 窓の外の景色を見るに、私の予想はあながち間違いでもなさそうだった。

 厳しく振りつける雪にも関わらず、我々の馬車を出迎えるために待っている人々がいたからだ。

 その内の1人は否が応でも目につく。

 2m90cmの人物となれば、この吹雪の中でさえ一目瞭然であろう。

 私はその身長2m90cmの人物をよく知っていたので、その身長に驚く事はない。

 ただ、その人物が我々を出迎えに来ていることに関しては非常に驚いた。

 

 

「ほらな、モロー、見てみろ。我々は歓迎されている。」

 

「………わぁ!ほんとだぁ!」

 

 

 モローは醜男だが、その純粋さにはどこか癒される時もある。

 猫背の漁夫は先ほどまでと打って変わって、馬車の窓に張り付いて村の方をみていた。

 私も私で、身長2m90cmの人物から目を離せない。

 馬車は速度を落として、やがては停止した。

 巨大な人物がこちらに向かってくるのが見えたので、私は急いで馬車を降り、その人物への挨拶を行うことにする。

 

 

「オルチーナ様!セバスティアン・アッペルフェルベフゥ!?」

 

 

 報告が途中で歪な叫び声に変わったのは、吹雪のせいではない。

 身長2m90cmの貴婦人が、あろうことか体重70kgの成人男性をまるで子供でも扱うかのように軽々と持ち上げて、その上この吹雪の寒さを忘れさせるほどの抱擁を行ってきたのだ。

 あまりに強く抱き抱えられたせいで、貴婦人の豊満な"母性"が顔面に押し当てられて息もできやしない。

 辛うじて確保されている視界には、他の出迎えの人々が唖然とした表情でこちらを見て、次いでモローに労いの言葉をかけているのが見えていた。

 おそらくはこの熱々の抱擁にドン引きしての行動だと思われる。

 

 

「………お、お母様…」

 

「後にしてちょうだい、ベイラ」

 

「………えと、あの…セバスティアンが…死んじゃう…」

 

「あっ…私とした事が……」

 

 

 2m90cmの貴婦人の長女、ベイラ・ドミトレスクの諫言のおかげで、私はようやく地上へと下ろされた。

 きっと私の顔はあらゆる理由で真っ赤になっているはずだ…吹雪と、抱擁と、それに伴う"接触"によって。

 鼻先に残る、マダムの優美な香水の匂いにクラクラとしながらも、私はなすべきことを成すために、もう一度姿勢を正して報告を行う。

 

 

「セバスティアン・アッペルフェルド、只今戻りました!」

 

「よく戻りました、セバスティアン。本当に…よく戻ってくれました。」

 

「おかえりセバスティアン!」

「お疲れ様!」

 

 

 熱い抱擁を持って私を迎えてくれた貴婦人、オルチーナ・ドミトレスクと、その娘であるカサンドラダニエラが、そう言いながら笑顔を向けてくれた。

 

 

 

 私はセバスティアン・アッペルフェルド

 栄えあるドミトレスク家に仕える運転手である。

 詳しい事は後に書くだろうが、私はドミトレスク家の方々には多大な御恩があった。

 

 そんなドミトレスク家の現当主から熱烈な出迎えをしていただくという栄誉を受けた時、私はまだこの村が、出征した時とそのままのように思えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 しばらくして、それが間違いであると言うことに………私は気づくはずもなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憂い

 

 

 

 

 

 

 ドミトレスク家の家系図を遡ると、かの名門ハプスブルク家に辿り着くという。

 トランシルヴァニアがハプスブルク家統治下のハンガリーに組み込まれた時から、ドミトレスク家はこの村一帯を統治していた。

 そんなドミトレスク家の当主が馬車に乗るのをやめてドイツ製の高級車に乗るようになったのは、1913年のバルカン戦争に出征したゲオルゲ・ドミトレスクが、当地で蔓延していたコレラで亡くなった後からである。

 陸軍の将官でもあったゲオルゲには、妻と3人の娘がいた。

 夫婦の間に男児はなく、オルチーナ・ドミトレスクは夫の跡を継いで、歴史あるドミトレスク城の城主となったのだ。

 

 

 ゲオルゲは近代文明というやつを嫌っていた。

 この時代、先進科学に対する上流階級の偏見は特別な事ではなく、オーストリア皇帝やイギリス国王も自動車に乗るのを嫌がったとされる。

 この時代の自動車その他機械類といえば信頼性に難があったので、万一の事態が致命的になりかねない上流階級の人々がそれを嫌うのは当然かもしれない。

 

 ただし、オルチーナ・ドミトレスクは例外であった。

 村で唯一の技術者であったカール・ハイゼンベルクの勧めもあって、彼女は馬車から自動車に乗り換えた。

 しかしながら、村一帯を治めるマダムが自ら自動車を運転していては眉唾ものである。

 そこで運転手が必要となったわけだが、幸運な事に私にその白羽の矢が立ったのだ。

 

 

 

 私の父、クリスティアン・アッペルフェルドはゲオルゲ・ドミトレスク将軍と共に第二次バルカン戦争に出征し、将軍と同じようにコレラで亡くなってしまった。

 その時私は15才。

 母は父を愛していたあまり、私が家督を継ぐ事になるといったことを伝えて数日後に亡くなってしまう。

 15才の青二才が1人で生きるには、この寒村はあまりにも厳しい環境であるわけだが。

 そこに救いの手を差し伸べてくれたのが、父が仕えていたドミトレスク家だった。

 

 

 

 オルチーナ様はまだ何も知らない子供だった私に、父と同じく執事として仕える事をお求めになった。

 とはいえ、私が成長するまで、どちらが仕えているのか分からない状態であった。

 というのも、この身長2m90cmのマダムは、まだ私より幼かった3人の娘の面倒を見ながらも、何の血縁もない私の面倒まで見てくださったからだ。

 

 文字の読み書き、計算の仕方、テーブルマナーや言葉遣い。

 食事は3人の娘さん達と一緒に取り、テーブルマナーがキチンと身についた。

 オルチーナ様はたかだか使用人の息子に、そこまでの教育を施してくださった。

 

 この御恩は何があっても忘れる事はできないだろう。

 

 

 当時の自動車…特にドイツの高級車ともなると製作に時間を要するわけで、さらにそれをトランシルヴァニアまで運んでくるとなると余計時間がかかる。

 オルチーナ様の元にドイツ製高級車が届くまで、発注から1年の月日を要したわけだが、この車が届いた時、彼女は私に新しい任務を与えた。

 カール・ハイゼンベルクの指導の下、この新時代の乗り物を操縦する事になったのだ。

 

 世界大戦が勃発する中、私はこの新時代の乗り物の操縦を楽しんでいた。

 ハイゼンベルクは気難しいところもあったが中々に面白い男で、私にとっては兄のような存在だった。

 彼のおかげで車の操縦を早々に習得できたし、ひと月後にはオルチーナ様を乗せてベネヴィエント家の邸宅まで運転していた。

 

 運転手は楽しい仕事だったが、世界大戦の足音はもうすぐそこまで来ていた。

 ルーマニアは英仏からの要請に応えるべく、戦争の準備を進めていたのだ。

 私はまさに徴兵適齢期で、猫背の漁夫モローと共に出征する事になった。

 ハイゼンベルクは戦争に行きたがっていたが、村で唯一のエンジニアを戦地に送るわけにもいかなかった。

 

 そういうわけで、現在に至る。

 私は軍隊で運転の腕を更に磨けた。

 故に帰郷したらすぐに勤めを果たす気満々であったのだが、オルチーナ様から最初に賜った任務は、彼女の晩餐に参加する事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ねえ、セバスティアン。何か面白い土産話はない?」

 

「カサンドラ!話す時は食べ物を飲み込んでからとあれほどっ………はぁぁ」

 

 

 オルチーナ様が呆れて天を仰ぐ姿を見るのも懐かしく感じる。

 私はサラミの断片を飲み込んでから、カサンドラの質問に質問を返す。

 

 

「面白い土産話?」

 

「ええ!戦地での武勇伝!…そうね、機関銃で迫り来る敵をぶっ殺したとか」

 

「言葉遣いッ!」

 

 

 再び呆れ果てるオルチーナ様を傍目に、私は一人考え込む。

 カサンドラが何故そんな事を聞きたがっているのかは分からないし、とてもお年頃の淑女の趣味とは思えない。

 当たり障りのない回答を考えていると、ベイラが助け舟を出してくれた。

 

 

「カサンドラ、セバスティアンも困っているでしょう?そんな質問はやめなさい。戦争は華やかなものではないわ。」

 

「………ふーん」

 

「あなたにはもう少し"華やかさ"が必要よ、カサンドラ。ドミトレスク家の娘としての自覚を持ってちょうだい、お願いだから!」

 

 

 肝心のカサンドラはオルチーナ様の忠告もどこ吹く風のご様子である。

 私としてはせっかく晩餐にご招待いただいたのに、何も話さずに終わるのは心苦しく思えていた。

 そこで、戦地で流行っていた冗談を口にする。

 

 

「じゃあ……私は軍隊でも運転手をしてたんだが、その時に聞いた話をしよう。」

 

 

 カサンドラが目を輝かせ、ダニエラがこちらを向き、ベイラは微笑みをこちらに向ける。

 オルチーナ様もワイングラスを机に置いて、こちらの話に耳を傾けている様子だった。

 

 

「ソンムの戦いで、あるイギリスのパイロットが捕虜になった。パイロットはドイツ兵に、自分の脚を切断して、ロンドンを飛行船で爆撃するときに一緒に投下するように頼んだ。次の爆撃では腕を、その次には胴体を。そしてとうとう、残りは頭だけになったとき、ドイツ兵はこう言った。『気持ちは分かるがね、お前さん。次の頼みは聞けないな。だって、お前さんはそうやってロンドンに帰る気なんだろう?』」

 

 

 カサンドラが吹き出して、ベイラは上品に笑う。

 ダニエラは口にワインを含んでいたから大変だ。

 オルチーナ様もダニエラを嗜めつつも、この鉄板ネタにご満悦の様子だった。

 

 

「面白い話ね、セバスティアン。誰か分からないけど、その話を思いついた人間は中々の人間だわ。………さて娘達、もう寝なさい。明日は教会に行かないと。セバスティアン、帰ったばかりで悪いけれど、明日の朝娘達を教会まで送ってくれるかしら?」

 

「マザー・ミランダの所に?」

 

「ええ。明日は先祖の墓地の手入れをしないと。」

 

「喜んで。私も両親の墓地を手入れしませんと。」

 

「心配しなくても、あなたのご両親のお墓は娘達に手入れさせてあるわ。出征する兵士の憂いを断つのは領主の務めだもの。」

 

「大変ありがたい限りです、オルチーナ様。」

 

「…本当によく戻ってくれたわ。戻れなかった者も多かった。」

 

 

 オルチーナ様がそう言って、俯いた。

 私も戦地で死んでしまった仲間たちの事が脳裏に浮かぶ。

 イシュトヴァンは毒ガスにやられてしまった。

 例によってマスクを装着したモローを笑っている内に、本当に毒ガス弾が着弾して吸い込んでしまったのだ。

 シルヴェストリはブカレストの戦いで、敵の機銃弾を浴びて死んだ。

 スタンはテッサロニキで重砲の砲弾にやられた。

 ツェラーンも、ロシュも。

 その他3人の男達も、何らかの理由で、ついに生きて故郷へは戻れなかったのである。

 私とモローが生き残ったのは正に幸運でしかない。

 

 

「……教会堂で祈ってきます。死んだ仲間達のために。」

 

「セバスティアン、残念だけど…今は教会堂に立ち入る事はできないの。」

 

「?…何だって?」

 

 

 ベイラの言葉に、私は耳を疑った。

 この地にとってカトリック教会は、最も神聖な場所である。

 かつてトランシルヴァニアはオスマン帝国の支配下に置かれた。

 異教徒どもの圧政から逃れたとき、その心の支えとなっていたのはカトリック教会である。

 この村の住人達は、代々敬虔なカトリック教徒であった。

 

 

「………マザー・ミランダの娘さんが病気だそうよ。流行り病だっていうの。」

 

「それはいつの話なんだ、ベイラ?」

 

「1年前。あまり容態は良くないみたいで…」

 

「プロテスタントの男を教会に入れたりするから!バチが当たったのよ!」

 

「カサンドラ!やめなさい!…アレはマザー・ミランダの御慈悲だったの!私達は敬意をもって、彼女の選択を理解しなければならないわ。」

 

 

 カサンドラが毒づいて、オルチーナ様がそれを咎める。

 私には何がなんだか分からない。

 1年前、俺がまだモルダヴィアにいた頃、何かあったのだろうか?

 

 

「何でもないわ、セバスティアン。どうか忘れてちょうだい。」

 

「………はぁ」

 

「…色々とごめんなさいね。さて、あなたも早く休んで。軍の自動車と私の高級車では扱いも違うでしょうから、元の感覚を取り戻して。」

 

「そういえば…侍女のフランチェスカは私の頼みを聞いてくれてましたか?」

 

 

 私の質問に、オルチーナ様があっけらかんとした様子を見せた事に、私は何か悪い予兆を見出した。

 

 

「……フランチェスカが?…いいえ、特には聞いてないけれど、何か頼んでいたの?」

 

「ええ、はい。フランチェスカには定期的に車のエンジンを掛けるように頼んでいました。」

 

「あの子!………ごめんなさい、セバスティアン。きっとあの子は何もしてないわ。」

 

「もしかして…車は4年間手付かずに…」

 

「戦時体制でガソリンも入手に制限がかかっていたから乗ることもなくて…」

 

「わわわ分かりました、大丈夫です、オルチーナ様。ただ、お嬢様方をお送りさせていただいた後に、ハイゼンベルクの工廠へ行く事をご許可いただければ…」

 

「ええ、許可しましょう。本当に色々とごめんなさい。苦労をかけるわね。」

 

「とんでもありません、オルチーナ様。それでは、私はこの辺で失礼致します。」

 

 

 

 侍女達が食器の片付けに入ってきたので、私は"おいとま"する事にした。

 フランチェスカなんかに頼み事をする私も私で落ち度がある。

 あの娘は昔からどこか抜けているのだ。

 

 

 何はともあれ…気がかりな事もあるが…私はオルチーナ様に与えられている自室に入って早めに休む事にする。

 車はもう4年もエンジンをかけていない。

 明日は少し早起きをする必要がある。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

友人達

 

 

 

 

17世紀の初めに短期間トランシルヴァニアを統治下に置いた神聖ローマ帝国は、当時のプロテスタント勢力に対抗するため、トランシルヴァニアにカトリック教徒のドイツ人を大量に入植させた。

 カール・ハイゼンベルクの祖先もその内の1人である。

 彼自身はプラハの工科大学で近代工業を習得し、ハイゼンベルク家を村の鍛冶屋から技術屋へと昇華させた。

 プラハにいれば今よりもよほど良い収入が見込めたはずだが、カールは個人的な利益よりも村全体の利益を優先した。

 彼はいずれこの寒村にも近代文明の恩恵が与えられると考えていたからだ。

 

 

 

 

 4年間放置された自動車は見事なまでの不調っぷりを発揮していた。

 排気口から軍の伝令兵が使う大型バイクのような音がするのは、恐らく点火プラグが何本かイカれているからだろう。

 それでも流石はドイツ製というべきか、1人の男と3名の淑女をちゃんと教会まで運び届けるという偉業を成し遂げた。

 おかげで淑女達はこの雪道の中を歩かずに済んだのだ。

 

 

 教会でオルチーナ様のお嬢様方と別れた後、私はドイツ製高級車に精一杯の励ましを掛けながらハイゼンベルクの工廠に向かう。

 オルチーナ様がもう一つの近代文明の力である電話の使用を許可して下さったおかげで、カール・ハイゼンベルクは準備万端の状態で待っていてくれた。

 

 明らかに排気音のおかしい自動車が工廠に到着すると、ハイゼンベルクはさっそくこちらに笑みを投げかけてきた。

 

 

「おやおや、ドミトレスクお抱えの運転手様のご到着か!………点火プラグがイカれてる。保守点検はしなかったのか?」

 

「やあ、カールさん。お久しぶりです。…実は保守を頼んでいたフランチェスカが"大ポカ"をやらかしたもんで。」

 

「んなこったろうと思ったよ!ドミトレスクの侍女達が、そんな気の回る事をするはずもないからな!…いいか、セバスティアン。人間ってのは本能的に未知のものを恐れるんだ。つまり………」

 

「侍女達は普段触りもしていない自動車に近づくはずもない……まして保守なんて。」

 

「まっ、出征してたお前さんを責めるのは酷な話だがな。それじゃ、この可愛い子ちゃんを見てやるとしよう。……ところで、戦争はどうだった?」

 

「皆が期待してた物とは違いました。ずっと陰惨で…残酷だった。」

 

「………ロシュまでやられちまうとはな。俺としちゃあ、モローが生きて帰ったのは奇跡だが。」

 

「あいつはカールさんが思うよりずっとしぶとい男ですよ。」

 

「そうなのか?」

 

「ええ。なんというか…一種の才能ですね。事前に危険を察知して身を守れるんです。砲撃に、毒ガスに、狙撃兵。敵があいつに危害を加えようとする一歩先に、モローは対策を取ってるんですよ。」

 

「ガハハハハッ!あのトロい奴にそんな才能があったとはな!……うん、やっぱり点火プラグだ。セバスティアン、替えのプラグを取ってくれ。」

 

 

 エンジンルームを覗き込んでいるハイゼンベルクに替えの点火プラグを渡すと、彼は慣れた手つきでそれを交換する。

 次いでボンネットを閉じてエンジンを掛けると、ドイツ製の高級車は4年前と同じ力強いエンジン音を取り戻していた。

 

 

「さすがカールさん。」

 

「この程度、序の口よォ。ついでにオイル周りも見ておこう。4年間も運転してないんじゃ、オイルも腐ってるだろうしな。」

 

 

 彼がオイルを交換してくれている間、私は彼の工廠にあまり好ましからぬ書物が並んでいるのを見て取った。

 あるイタリア人が書いた本で、あろうことか社会主義にまつわる書物である。

 私がそちらの方を見ている事に、ハイゼンベルクは気づいたようだった。

 

 

「安心していい、その男の思想はそれまでの社会主義とは違う…ファシズムってんだ。」

 

「ファシズム?…社会主義とどう違うんです?」

 

「社会主義は旧体制のエリート…まぁ、言っちゃ悪いがドミトレスク家の連中みたいなのを…ただ単に殺しちまうわけだが、ファシズムは連中をも抱合した全体主義を掲げている。」

 

「…………申し訳ないんですが、カールさん。難しくて私には」

 

「まあ、アレだ。つまりはだな。次の世代では俺やお前のような人間が主役になるってことよ。教養のある中産階級が、な。そこにはドミトレスクの女城主やベネヴィエントの嬢ちゃんもいる。皆が力を合わせて国家を盛り立てていくってわけだ。…そうだ、後で面白いモンを見せてやろう。」

 

 

 車のオイル交換が終わると、彼は私を地下の作業場に連れて行く。

 何事かと構えていると、そこには無限軌道を備えた車両があって、その脇にはアメリカ製の重機関銃が控えていた。

 機関銃が控えているのと反対側には、電動鋸まで備えている。

 

 

「今回の戦争では機械が重要な役割を担ったんだろう?」

 

「ええ、はい、まあ。…これは?」

 

「『戦車』ってヤツさ。西の方じゃあ、こんなのが大層活躍したらしい。」

 

「こんな物どこで手に入れたんです?」

 

「機関銃か?………これはだな…ええっと…ドミトレスクのデカ女には話さないでくれよ、秘密裏に仕入れたんだ。」

 

 

 心配しなくても私はこんな物の存在を報告するつもりはない。

 車体のサイズから見ても精々局地戦用というのが関の山だし、そもそも機関銃を取り付けたら発砲の度に何かしらの部品が欠落していきそうだ。

 そして何より、私はこの新しい物好きの技術屋から趣味を取り上げるような真似をしたくはなかった。

 

 

「……あとは歩兵砲か何か取付けられれば良いんだが…まあ今後の課題だな。」

 

「敵も無抵抗じゃありません、装甲板も必要でしょう。」

 

「ふふん、分かってないな、セバスティアン!」

 

「………?」

 

「当たらなければ、どうという事はない!」

 

 

 決して聞いた事はないはずだが、何故か何処かで聞いた事があるような気がした。

 きっと気のせいだろう。

 満面の笑みを浮かべる技術屋は随分と楽しそうだったし、そのまま楽しい趣味に没頭してもらっていた方が良さそうだ。

 

 

 

 

 オルチーナ様から預かった金で料金を支払って、私は元来た道を戻って行く。

 ハイゼンベルクは新しく工廠を設ける際に新しい土地を開拓せざるを得なかったから、村の中心部からは一等遠い場所にある。

 道中にはモローの住む小屋もあり、戦前と変わらず、猫背の漁夫は今日もそこで釣りを楽しんでいた。

 私は車を小屋の脇に止めて、モローの後ろ姿に声をかける。

 

 

「モロー!何か釣れたか?」

 

「………帰ってきた。セバスティアン、おれたちは、帰ってきたんだ。」

 

「ああ、そうだ、帰ってきた。」

 

「やっぱり…ここは良い。戦争の前と変わらない…ここは本当に落ち着く。」

 

「そうだな。…バスか?」

 

「うん。今日はもう3匹釣れた。」

 

「そうか、邪魔して悪かったな。」

 

 

 モローに手を振って車を発進させると、モローも手を振りかえしているのが見えた。

 あの男はやはり"しぶとい"。

 帰ってきて次の日には出征前と同じ生活に適応したのである。

 我々のいた部隊では、敵の砲撃で精神に異常をきたした奴もいた。

 そうならずに済んだのは、我々の幸運か、それとも主のご加護か。

 

 

 ふと、昨日の晩餐での会話が脳裏をよぎる。

 マザー・ミランダは教会堂への立ち入りを禁止したらしい。

 流行り病の話は前線でも聞かれたが、まさか知らぬ間に故郷にまで浸透していたとは。

 マザー・ミランダの娘さんはまだ幼いし、かの病の致死率は高いと聞く。

 羅患して1年持ち堪えるとは凄いものだが、マザー・ミランダも娘さんも無事なら良いが…

 

 彼女は素晴らしい聖職者だ。

 村の中心である教会堂のマザーとして、この村の信仰心を支えてきた。

 とても慈悲深い、柔らかく温かみのある人物で、私も両親を相次いで亡くしたときには彼女に慰められた。

「ご両親は主の元に旅立たれたのです。いずれはあなたもそこへ行くことでしょう。…ですが早まってはなりません。主の望みは、現世で精一杯生き抜いて善行を重ねる事なのですから。」

 あの言葉は今でも何かに挫けそうになったとき、私を支えてくれる。

 私と同様に、村人達は彼女を敬愛してやまなかった。

 そんな彼女が今は苦境に立たされているのである。

 教会堂を封鎖したのは、周囲の人間が心配のあまり彼女たちに近づいて、流行り病が村全体に及ばぬようにするためであろう。

 何という自己犠牲の精神であろうか。

 

 

 マザー・ミランダの精神に感動していた時、私の視界に黒いローブを纏った人物が現れた。

 この辺でそんな格好をしている人間はあまりにも少ない。

 私はその人物を知っていたし、だからこそ車をその人物の方へ寄せて声をかけた。

 

 

「ドナ!…ドナ!」

 

「………セバスティアン!?…帰っていたのね!」

 

 

 ドナ・ベネヴィエントは人形を抱え、この雪道の中を自邸に向かって歩いていた。

 彼女は気品あるベネヴィエント家の当主で、ベネヴィエント家は代々周辺の職人たちを束ねて、この寒村に数少ない娯楽を提供している。

 楽器や人形、それに紙芝居は、過酷な環境で第一次産業に従事する村人達にかけがえのない癒しを与えていた。

 

 

「…………その……帰ってきてくれたのは嬉しいけど……………その………」

 

「それは分かるんだが、ドナ。君のような婦人がこんな雪道を歩くもんじゃない。家まで送らせてくれ。」

 

 

 ドナ・ベネヴィエントを彼女の邸宅まで送るためにこの自動車を使ったところで、オルチーナ様は怒ったりしない。

 それどころかオルチーナ様は、この内向的なベネヴィエント家当主のことをいつも気にかけていた。

 彼女は昔から対人恐怖症の気があり、人と話すことがないどころか家から出ることも少なかった。

 だからこの雪道を歩いていた事には驚いたし、同時に心配にもなる。

 私は彼女を車の助手席に乗せ、再び車を走らせた。

 

 

「ゲオルゲ様が出征する前、両親に君の家まで連れて行かれたのが遥か昔に思えるよ。あの時、君のお父上は腹話術で私達を楽しませてくれた。」

 

「…………うん………懐かしい…」

 

「ちょっと!可愛いお人形ちゃんを無視するってどういうつもり!?」

 

 

 明らかにドナとは異なる声色が聞こえたので、私は驚いて助手席を見やる。

 そこには彼女の父上が拵えた『アンジー』という人形がいて、ぱちくりとした可愛らしい目をこちらには向けていた。

 ああ、すっかり忘れていたな。

 彼女もまた、父上譲りの腹話術の名人だった。

 

 

「やあ、アンジー。元気そうでなによりだ。」

 

「コッチはアンタが心配で心配でたまらなかったけどね!ロシュやイシュトヴァンは死んじゃったっていうし…」

 

「彼らは…残念だった。でも私は戻ってきたじゃないか…約束した通り。」

 

「………ええ。」

 

 

 今度はドナが応える。

 私と彼女はそれぞれの父親が友人であったために、幼い頃から知遇を得ていた。

 そのおかげで、私は彼女と"まともに"顔を合わせて会話できる数少ない人間の1人となれたのである。

 

 私は知っている。

 今はベールに覆われている彼女の素顔を。

 その整った顔立ちと、透き通るような肌…それに優しい瞳を。

 彼女は本来は極めて感受性豊かな…詩的な雰囲気さえ纏う女性であった。

 

 出征前、私は彼女の自邸へ向かい、戦争に行く事になったと伝えた。

 その時彼女は普段下ろしているベールをたくし上げ、その悲しげな表情でこう言ったのだ。

 「………行かないで」、と。

 だが出征手続きは既に済んでいた。

 私は必ず戻ると約束をし、そして幸運にもその約束を果たす事ができたのである。

 

 

「…それで、何でまたこんな雪道の中を?」

 

「雪は綺麗だから…………変かな?」

 

「いや、変じゃないとも。素敵な考えだ。」

 

 

 確かに少し変わってはいるが、決して奇妙という意味ではない。

 彼女は感受性豊かな人間故に、私が"ウンザリ"と感じるような村の雪化粧でさえ魅力的に捉えたのであろう。

その感受性が、彼女を酷く内気な性格にしてしまったのかもしれないが。

 ただ、普段外を出歩かず、さらには雪に覆われた道のために、少し迷っていたに違いない。

 彼女のローブにはうっすらと雪が積もっている。

 悪い事は言わないから、早く家に帰って身体を温めた方がいい。

 

 

 

 ドナを家に送り届け、再び教会へと向かう。

 やがて教会に近づくと、教会周りの墓地に人だかりができているのに気づいた。

 その外側にベイラの姿を認めた私は、車を降りて、彼女に何事かと尋ねる事にする。

 

 

「ベイラ、これは一体何の…」

 

「セバスティアン!墓地が荒らされてたの!…なんて心ない事を!」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む



 

 

 

 

 1919年8月

 ハンガリー

 ソルノク

 

 

 

 

 

 

 

 私はようやく分隊の最後列に追いついた。

 分隊は既に建物の影まで前進しており、通りの反対側に向かうべく機会を窺っている。

 通り全体が尖塔にいるであろう狙撃兵の射界に入っていて、このまま通りを横断するのは無謀に思えたが、あの尖塔を制圧するにはここを渡るしかない。

 列の先頭にいる軍曹は、拳銃片手に物陰から通りの様子を盗み見ている。

 

 

「こちらからじゃ、あの塔まで射角が取れない。誰か渡らないと…」

 

「おれが行きます!」

 

 

 今日は何があったというのか、いつもは危険を冒そうともしないモローがいの一番に手を挙げた。

 それも何の遮蔽物もない通りを渡ろうというのだから尚更怖い。

 軍曹はモローの志願を受け入れて、モローはあまり迷うことなく通りを一気に横断した。

 明らかに狙撃兵の配置に優位な通りにも関わらず、敵はモローに何らの攻撃もしない。

 

 その様子を見て安心したのか、トアデールという新兵がモローの次に手を挙げる。

 彼は我々と同じ村の出身で、出征した中では一番若い青年だった。

 既に通りを渡り終わったモローは尖塔に向けて小銃を向けていて、あとはトアデールが通りを渡るだけだ。

 軍曹はこちらからの発砲によってモローの位置を暴露させたくなかったのか、援護射撃はさせずにトアデールを横断させる。

 

 これが大変な間違いであった。

 

 狙撃兵は今度は通りを横断する兵士の存在に気がついて、精密極まりない射撃を喰らわせる。

 トアデールは頭を撃たれて、そのまま通りに倒れ込んだ。

 隠密な横断が困難になった事は明らかであり、軍曹はモローに全力射撃を命じ、分隊全員は各個射撃を行いながら通りを横断する事になる。

 幸い制圧射撃の効果があり、トアデールの他には誰も狙撃を受けずに横断に成功した。

 

 

「…クソッ!クソッ!トアデールがやられた!クソッ!」

 

 

 私は道路を横断し終わった後、激しく毒づきながら自身の小銃に弾を込める。

 トアデールが死んだのは誰の目にも明らかであり、彼の頭は半分吹き飛ばされていた。

 

 

「アッペルフェルド!モロー!こちらで援護するから、尖塔の狙撃兵を制圧しろ!」

 

 

 軍曹に命じられ、私とモローは尖塔の死角から狙撃兵に接近して行った。

 途中にトラップや伏兵がいない事を確認しつつ、通りのこちら側にある遮蔽物を利用して接近して行く。

 狙撃兵は軍曹達との銃撃戦に夢中のようで、我々2人の接近には気づいていないようだった。

 

 2人ともかなり接近すると、尖塔が思ったよりも高くはない事に気がついた。

 そこで塔の中に入っていくよりも、確実で安全な方法で狙撃兵を制圧する事にしたのだ。

 我々は腰のベルトから柄付き手榴弾を取り出すと、お互いに確認をし合った。

 

 

「着火から爆発までは?」

 

「えと…たしか4〜5秒」

 

「そうだな。よく狙って投げろ。外したらこちらに落ちてきて爆発するぞ。…準備はいいか?………よし、今だ!!」

 

 

 2人とも手榴弾をうまく狙撃兵のいる空間に投げ込むことができた。

 尖塔の先端付近は崩れ落ち、狙撃兵の肉片まで落ちてくる。

 どうにか物陰に隠れてその悲惨な降下物を避けていると、崩れた塔の土台となる建物の中に、何かしらの木箱が山積されている事に気がついた。

 

 私はモローに目配せして、その木箱の方に向かって行く。

 木箱が山積されている部屋にはだれもいなかった。

 安全確認を行った後、2人は数ある木箱の中身を確かめる。

 中に入っていたのはアメリカ製のボルトアクションライフル銃だった。

 

 

「どうした?何かあったのか?」

 

 

 後からやってきた軍曹が、我々にそう問いかける。

 

 

「見てください、武器の山です。連中、戦闘に備えて武器を貯め込んでいた。」

 

「……もっとも、大部分は有効に使われなかったようですね。」

 

 

 モロー…このちゃっかり者…は早速木箱の内の一つから、派手な装飾の施されたリヴォルバーを見つけ出していた。

 軍曹はその銃の優美さに目が眩んだのか、我々にとんでもない提案をする。

 

 

「共産主義者がアメリカ製の武器に頼るとはな………上層部には私から報告する…だが、ここにどれだけの武器があるのかは当事者以外誰も知らない。…分かるな?」

 

「大丈夫ですか、軍曹?」

 

「心配するな、アッペルフェルド。今のうちに貰えるモンは貰っちまえ。国はボーナスをくれないぞ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1919年末

 ルーマニア

 トランシルヴァニア

 ドミトレスク城

 

 

 

 

 

 

 オルチーナ様は勿論お怒りだったし、私や他の村の住民も怒り心頭であった。

 墓荒らしなんて恥知らずな行いを、いったいどこの馬鹿がやったのかは知らないが。

 決して許されるものではないし、許す気もない。

 

 教会堂を封鎖したマザー・ミランダとは連絡が取れないので、オルチーナ様は墓地に見張りを立てる事にした。

 村の若い男が持ち回りで、夜間墓地を見張ろうというのである。

 この場合問題となるのは誰が、いつ見張りに立つのかという人事上の事柄で、オルチーナ様はご自身の執務室で頭を悩ませているご様子だった。

 

 

 

「オルチーナ様?お時間よろしいでしょうか?」

 

「…ん?ああ、セバスティアン。どうしたの?」

 

「墓地の見張りの件ですが、私めが志願いたします。」

 

「セバスティアン、気持ちは嬉しいけれど…あなたは戦地から戻ったばかり。もう少し休みなさい。」

 

「いいえ、大丈夫です。オルチーナ様が見張りを立てると仰るなら、お仕えしている私が最初に見張りをした方が良き範となるでしょう…それに私には歩哨任務の経験もありますから。」

 

「……本当にありがとう、セバスティアン。必要な人数は2人で、1人はもう志願者がいるから、あなたは夕食の後その人と見張りに立ってちょうだい。」

 

「かしこまりました。」

 

「今日はもう自動車を使う予定はないから、夕食まで仮眠を取って。明日は休養をあげましょう。」

 

「有難き幸せにあります…ところで、一つお伺いしてもよろしいですか?」

 

「何かしら?」

 

「その、もう1人の志願者っていうのは………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……………お前かい。

 

 

 嬉々としてド派手なリヴォルバーを片手にはしゃいでいる猫背の男を見て、私は少しばかり残念な気持ちになった。

 まあ、薄々は感じていた。

 オルチーナ様曰く、もう1人の志願者も歩哨任務の経験があるとのこと。

 そうなるともう、このサルヴァトーレ・モロー以外に思い当たる人間がいない。

 もしかしたら第二次バルカン戦争に従軍した人間が村にいるのかもと期待したが、儚い夢だったようだ。

 

 私はソルノクで着服したM1897散弾銃を持ち、軍支給のクラッシュキャップを被って教会堂周囲の墓地に来ていた。

 冬ということもあって、あたりはもうすでに暗くなっている。

 モローは旧式リヴォルバーの"お披露目"にはしゃぎ過ぎて疲れたらしく、もうすでにうつらうつらとしていた…頼むぜまったく。

 

 

 

 

 夜はどんどん更けて行き、村の明かりは一つ、また一つと消えて行く。

 いくら仮眠を取ったとはいえ、時間が経てば眠くなるのは人の性らしい。

 私とモローは眠気を催さなくても良いように、2人で墓地の周りを巡回していた。

 

 

「………トアデールの墓なんだ」

 

「うん?…何だって?」

 

 

 モローがいきなり切り出したので、私は最初に彼が何の話をしているのか分からなかった。

 

 

「今回墓荒らしの被害に遭ったのは、トアデールの墓だ。」

 

「トアデール…ソルノクで殺された、あの若者か。」

 

「おれ達だってまだ若者だけど、あいつはおれ達より若かった。かわいそうに。」

 

「頭を撃たれて埋葬されて、今度は墓まで暴かれた…やりきれないな。やった奴には代償を払わせてやる。」

 

 

 ふとモローが立ち止まる。

 何事かと彼の方を見てみれば、ゆっくりとこちらの顔を覗き込んでいた。

 

 

「なあ、もしもなんだが…」

 

「……ああ」

 

「もしも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 モローの瞳は、その疑念がある一つの感情に由来している事を示していた。

 "寂しさ"

 この猫背の漁夫は、心の底に孤独感を抱えているに違いない。

 

 サルヴァトーレ・モローの父親は、彼が3歳の時にボートで漁に出かけたきり家に戻ってこなかった。

 心配になった彼の母親は同じようにボートで夫を探しに行ったのだが、彼女もまた戻ってこなかった。

 

 モロー家の最後の生き残りである3歳児は祖父の家で育てられる事になったのだが、この祖父というのがとんでもない酒飲みの暴力漢であった。

 

 祖父は1878年の露土戦争で学んだ暴力を家庭に持ち込んだ。

 毎日のようにモローはいたぶられ、お陰で今に至るまで猫背が直らなくなるほどだった。

 モローの祖父の暴力癖は村全体で有名だったが、周囲の人間はその暴力が自らに牙を剥くのを恐れて何も言わなかった。

 彼がようやく祖父の暴力から解放されたのは祖父が死んだ13歳の時で、彼は暴力から解放されたと同時に孤独な人生を始めなければならなかったのだ。

 

 私の場合はオルチーナ様に救われたわけだが、モローはそうではなかった。

 そのかわり、モローは祖父の"スパルタ教育"のおかげで、13歳にして漁のやり方を身につけていた。

 だから本格的に自活していけるようにはなっていたわけだが、家族のいない孤独感が彼を蝕んでしまったに違いない。

 

 必然的に閉鎖的な人間にならざるを得なかったモローは、心の底ではきっと仲間を求めていた。

 自身の孤独感を埋めてくれる仲間を。

 だから世界大戦が始まった時、彼は村で真っ先に徴兵に応じた若者となったのだ。

 

 

 

「なあ、モロー。それなら逆にお前に聞こう。ハンガリーで死んだのが私だったら、お前は夜の見張りに志願してくれたか?」

 

「ああ、もちろん!」

 

「なら私も同じ返事をしよう。()()()()()()()()()()()()()()()、じゃない。我々がここにいるのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、だ。」

 

「………そうか。…ありがとう。少し…気が楽になった。最近、時々寂しくなる時がある。」

 

「………」

 

「正直に言うと…ママが恋しい。」

 

 

 3歳で母親を亡くしたという事実は受け入れ難いものだろう。

 私も15の時に両親を亡くしたが、その悲しみを癒すのには幾分もの時間がかかった。

 周りにオルチーナ様やお嬢様方がいても、である。

 

 

 

「…悪いんだけど、アッペルフェルド。少し休憩しないか?」

 

「歩くのを?」

 

「ああ…ええっと…その…」

 

「そういうことか。ま、冬場だしな。…教会の敷地内にはするなよ?」

 

「おれはそんな罰当たりなことはしない!」

 

 

 モローは急ぎ足で教会の敷地外へと歩いて行く。

 あいつは水筒を持ってきていて、おそらくはコーヒーか何かを入れていた。

 それでもってこの寒さとなれば無理もない。

 

 

 

 

 

 

 用を足しに行ったモローを待っていると、背後で何かが動いたような気配を感じた。

 私はランタンを置いて、肩に掛けていた散弾銃を両手に持ち、初弾を装填してから呼びかけてみる。

 

 

「…モロー?」

 

 

 返事はない。

 私の声は暗闇に寂しく反響するのみだ。

 その反響に混じって、何かが雪の上を歩くような音が聞こえる。

 音は雪の上を引き続き歩き続けていた。

 片手に散弾銃を持ってランタンを拾う。

 先ほどから音のする方向へ掲げてみると、何かしらの足跡がモローが行った方向とは反対の方向に向かっていた。

 

 

「モロー!」

 

 

 モローはいったいどこまで行ったのだろうか。

 あいつのことだから律儀に"専用の施設"を探してそうな気もする。

 祖父の"教育"のせいか、あいつはどこかそういうところにこだわりがあった。

 仕方がないので1人で足跡を追って行く。

 足音の方は段々と近くなり、そして遂には立ち止まったようだった。

 

 

「おい、モロー!モロー!」

 

 

 モロー、あの野郎。

 そう思いながら散弾銃の引き金に指をかける。

 足跡は教会の裏に続き、私も教会の裏に回った。

 

 

 

 

 そこに、()()はいた。

 

 

 

 

 月のない夜で、ランタンの性能では暗闇の中に何かがいるとしか分からない。

 ()()は低い唸り声をあげ、地に這いつくばって、ある墓のそばにいた。

 少なくとも副葬品狙いの墓荒らしには見えないが、()()は恐らく前足を使って、墓の下まで掘ろうとしている。

 

 

「おい!何してる!」

 

 

 暗闇の中で何かが光る。

 それは明かりの類ではなく、何かの目のようだった。

 琥珀のような、黄色く濁った2つの目が、まっすぐ私のことを捉えている。

 問いかけに返事はなく、ただただ低く唸り続けていた。

 

 私は直接狼を見たことはなかったが、しかし直感的に狼だと感じた。

 ランタンはそれの全体像をはっきりと照らすことはなかったが、ぼんやりとした輪郭の中に、狼特有の銀色の毛並みが見えたような気がした。

 

 片手に散弾銃を持って、狼に遭遇した時すべきことは何か。

 それは黙って照準をつけ、引き金を引くことだろう。

 

 私は腰だめに構えた散弾銃の大まかな狙いを定めて引き金を引く。

 凄まじい銃声と共に狼が吹き飛び、その体を墓地の外柵まで運んでいった。

 だが狼は死んでいなかった。

 どれだけのペレットが狼に当たったかは分からないが、狼は再び起き上がり、幸運な事に外柵の外へと逃げていく。

 

 

 

 散弾銃の残響がようやく終焉を迎える頃、やっとモローが戻ってきた。

 そして雪が舞い始め、それはやがて吹雪に変わった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

秘密

 

 

 

 

「狼…?」

 

「はい、オルチーナ様。昨日私が撃ったのは狼です。」

 

「散弾銃の直撃を受けて逃げて行く狼だなんて…よほど運が良いのね。」

 

 

 オルチーナ様の後に続いて、私は教会墓地の"現場"に向かって行く。

 そこにはすでに人集りができていて、オルチーナ様の身長を持ってしても、その視察のためには何人かの村人を動かさねばならなかった。

 

 昨夜の吹雪はそれなりのものだったが、狼がその場に残した多量の血痕まで覆い尽くすことはできなかった。

 腰だめで撃った割には、散弾の多くは狼の体を捉えていたようで、外柵には狼のものと思わしき銀色の毛がこびりついている。

 ただ、残念なことに足跡の方はぼんやりとしか残っていない。

 それでも、オルチーナ様が結論を下すには充分な材料だった。

 

 

「この時期に狼がここまで降りてくるなんて話は聞いたことないけれど、可能性がないわけではない。村人達には施錠をしっかりと行うように伝えておきましょう。」

 

「かしこまりました。」

 

「よくやってくれたわ、セバスティアン。…それにしても、狼が墓地を掘るだなんて…」

 

「私も驚きましたよ。…でもあれはたしかに狼でした。」

 

「あなたを信じるわ。散弾を撃たれて平気な人間なんて、私くらいじゃないかしら。」

 

 

 人集りを形成していた村人達は声をあげて笑った。

 確かにオルチーナ様の体格なら散弾ごとき弾き返しそうな雰囲気さえある。

 オルチーナ様と私はその後、ここまで来るのに使用した自動車に乗ってドミトレスク城へ帰還した。

 

 

「あなたには感謝してもしきれない。今日はゆっくりと休みなさい。」

 

「ありがとうございます。」

 

 

 オルチーナ様は昨日おっしゃってくださった通り、本日休養を与えてくださった。

 昨夜は結局朝まで見張りをしていたから、私としては少しばかり眠ろうかと思っている。

 だから自室に戻ると、その考えを実行に移すことにした。

 私はベッドの上に寝転んで、目を閉じる。

 心地よい疲れと、問題を解決できた達成感が睡眠欲を助長した。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 

 

 

 おっと、いかん、眠りすぎた。

 目を覚ました時、窓の外はもうすっかりと暗くなっていた。

 恐らくは出征以来溜まっていた疲れを一気に放出してしまったのだろう。

 こんな寝坊なんて子供の時以来だろうか。

 

 ふとベッドの脇を見ると、サイドテーブルにサンドウィッチが置かれているのに気がついた。

 その横にはメモがある。

『随分と疲れてるようね。お腹が空いたら食べなさい。………それと、ちゃんとお風呂にも入ること。』

 筆跡には見覚えがあった。

 それは間違いなく、オルチーナ様の直筆だ。

 

 なんてこった、仕えている女主人に情けない呆けたような寝顔を晒してしまったに違いない。

 しかしながらオルチーナ様もオルチーナ様で叩き起こしてくださっても良かったのに…いや、あの素晴らしい女性はきっとそんな真似はしない。

 

 例のフランチェスカは事ある度に粗相をしでかすので、オルチーナ様に忠告されているところをよく目にする。

 だが、それでもフランチェスカがオルチーナ様を慕っているのは、彼女の人格に惹かれてのことだろう。

 いつかフランチェスカがかなり適当な掃除をやった。

 オルチーナ様はフランチェスカを呼びつけて、激しく叱るのかと思ったが、そうではなかった。

 あろう事か、この女主人は手袋を嵌めて、フランチェスカに掃除のやり方を教え始めたのである。

 フランチェスカには、それがかなり"こたえた"ようだった。

 自身の仕事を、その給料を支払っている人間にやらせてしまった恥ずかしさから、フランチェスカは掃除の手を抜く事がなくなった。

 ………ちなみに、オルチーナ様が掃除した部屋は、他のどの侍女がやっても同じようにはならないほど完璧だったらしい。

 

 

 オルチーナ様は間違いなく、"やり手"の領主であった。

 年に一度ブカレストからやってくる中央の役人達は、まずオルチーナ様の身長に気圧されて、次にその美貌の虜になり、最後にはその巧妙な話術に惑わされ、自分達が持ってきた要求を断られたことを気にもかけていないかのように笑顔で帰って行くのである。

 

 正直、村人達はゲオルゲ・ドミトレスクよりも彼女の方を評価している。

 そして、その美貌には誰もが思わず見惚れてしまう。

 この村で最近流行っている冗談は、オルチーナ様を見かけるといつも脱帽をして挨拶している男の話だ。

 それによるとその男はオルチーナ様に見惚れるあまり、家内の機嫌を損ねないよう、脱帽して挨拶するフリをしているというものだった。

 きめ細かな白い肌と、透き通った青空のような碧眼。

 そしてプックリと膨れた唇を赤の口紅で染め、短めの艶やかな黒髪に、上品な物腰とスタイルを見れば、世の男なら誰でも振り返る。

 私もこの前の抱擁の事を未だに忘れられないし、恐らくこの先棺桶に入るまで忘れることはないだろう。

 

 

 サンドウィッチで空腹を満たし、使用人の浴場で身体を清めた後、私はオルチーナ様の感極まるお心遣いに感謝を述べるため、服装を正して彼女の執務部屋へと向かう。

 時刻はもう午後10時。

 明日の朝でも良いかと思うような時間だが、オルチーナ様は大抵の場合日付が変わるまで領主としての御執務に当たられている。

 それに明日は自動車を使用するかどうかもお聞きしていない。

 サンドウィッチの脇のメモにその事柄が書かれていない時点で、おそらくは明日も自動車は使われないのだろうが。

 感謝の気持ちを伝えにいったところで、追い返されることもないだろう。

 

 

 

 執務室の前で、私はもう一度自身の身だしなみを整える。

 そうして、執務室のドアを3回ノックした。

 

 

「オルチーナ様、セバスティアンです。お部屋に失礼させていただいてもよろしいでしょうか?」

 

 

 ドアは微かに空いていて、中からは明かりが漏れている。

 だがお返事はなく、私はもう一度ノックした。

 またしてもお返事がないために、恐らくオルチーナ様もお疲れのあまり明かりを灯したままお休みになられたのだと、私は思った。

 

 仕方がない、お礼を言うのは明日の朝にしよう。

 このまま部屋に入って、机に突っ伏して寝ているオルチーナ様にそっと毛布を掛ける妄想が頭をよぎったが、私はそんな真似が似合う美男子ではない。

 第一、理由はなんであれレディのお部屋に勝手に立ち入るような人間は、それがどんな美男子であろうと不躾というものだ。

 

 私はその場で回れ右をする。

 そしてその場で凍りついてしまった。

 

 

 

 振り返った先にはオルチーナ様がいた。

 まず、彼女のあられのない姿に目を疑う。

 大きく胸元をはだけさせたバスローブ一枚という、一地域の領主としてはあまりにも無警戒な姿は、この時間に誰かに出くわす事を考えていなかったことの証左だろう。

 ただ、オルチーナ様の執務部屋の近くには彼女専用の浴場があり、またこの時間に彼女を尋ねるような人間は決まった時間にやって来る侍女だけだったろうから、この場合責句を受けなければならないのは私の方である。

 

 しかし、彼女が抱えていたの。

 それは侍女であれ、お嬢様方であれ、誰にも見せたくなかったに違いない。

 赤い液体の入った大きな瓶で、私はそれに見覚えがある。

 

 …あまり思い出したくはない記憶の中に、それがあった。

 前線、砲弾、機関銃、死、傷、そして病院。

 それは間違いなく輸血用の血液であり、オルチーナ様の口元には、赤黒い液体の跡がある。

 

 

「……………オ、オルチーナ様…」

 

 

 この村には印象の良くない噂話があった。

 ドミトレスク家は実は吸血鬼の血を受け継いでおり、今も人の血を飲んでいると。

 私はこの光景を見るまで、それは大昔にドミトレスク家とこの地を奪い合った他家が流布した宣伝だと思っていた。

 

 しかし、決して見られたくはなかったであろう光景を見られたオルチーナ様は、私の方へと迫ってくる。

 

 

「…………見てしまったのね。」

 

「い、いえ、私はッ…断じて、オルチーナ様!」

 

「いいえ、見てしまった。本当はこんな事したくはなかったけど、見られた以上は仕方ない…残念だけど………」

 

 

 私は後退るが、オルチーナ様は歩みを止めない。

 その大きなお身体は確実に私を追い詰め続けている。

 やがて、私まであと数歩もない所まで迫ると、その腰を屈めて、今まで見たこともないような冷徹な表情を私に近づけた。

 それはまるで、吸血鬼が獲物の生首に牙を立てんとしているようだ。

 

 

「………お、お許し」

 

「話しましょう、ドミトレスク家の秘密を。」

 

 

 ……………あ、そう来ます?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

血液疾患?

 

「ええ、セバスティアン。あなたは知っていると思うけど、ドミトレスク家はこんな体裁でもハプスブルクの末席よ。彼らがどうやって勢力を拡大してきたかは教えたと思うけれど?」

 

 

 私は暖炉の前のソファに座り、対面の貴婦人と会話をしている。

 彼女は今度はちゃんと寝巻きに身を包んで、輸血瓶を片手に、少しばかり遠い目をしてこちらに語っていた。

 

 オルチーナ様に引き取られた後、彼女から受けた教育を思い出す。

 まだまだ子供だった頃、この聡明な貴婦人が教えてくれた欧州の歴史を。

 ハプスブルク家は政略結婚によって、その領域を広げてきたのだ。

 

 

「政略結婚で領地を拡大してきたからには、その維持のためには血縁を保たねばならなかった。だから自然と近親婚が多くなったの。」

 

 

 昔々に見た、カール5世やマリー・アントワネットの肖像画を思い出した。

 確か彼らの下顎は、他の王族にはない特徴を帯びている。

 確か…ああ、そうだ…それも近親婚を繰り返した結果だったか…そういえば、ゲオルゲ・ドミトレスクとオルチーナ様も、遠くはない親類同士だったはずだ。

 

 

「ウィーンの連中はドミトレスク家に大した領地を与えなかった癖に、遺伝的な欠陥だけは残していったわ。その一つは私の身長。もう一つは血液疾患。後者は私達より遥か以前の先祖にも見られた。そこで、様々な手段を試した結果…"コレ"にたどり着いたわけ。」

 

 

 オルチーナ様は輸血瓶を軽く掲げて見せる。

 そしてそのままグビッと飲むと、「クィ〜ッ!」という声を漏らした。

 風呂上がりの麦酒感覚で血液を飲むのもどうかと思うが…

 まあ、今彼女が"素の顔"を曝け出しているのは私を信頼してのことだろうと思うことにする。

 

 

「ゲオルゲがコレラで死んだのも、きっとそれが原因でしょう。将軍が兵士達の前で血液の経口摂取なんてできない。だから持病にコレラが重なった…頑丈なあの人も、2つの病には勝てなかった。」

 

「その…隠れて摂取したりできなかったのでしょうか?」

 

「あの人はドミトレスクの名を再び挙げようと頑張っていた…逆に言うとそれしか頭になかったの。領地も領民も、私たちのことさえ傍に追いやって。全ては家名のためにって必死だった。そんな彼が万一のリスクで家名を穢しかねないような事をすると思う?」

 

「ご自身の命よりも家名を?」

 

「そういう人なのよ、ゲオルゲは。結婚式はウィーンで挙げたけど、参加者達は陰で私たちのことを"没落貴族"だと呼んでいた。私でも気づいたのだから、ゲオルゲも気づいたんでしょう。あの人はその事が、何にも増して我慢ならなかった。」

 

「………」

 

「だからあの人は陸軍の将官になれたのよ。自分の命よりも家名を守って死ぬ事を選んだ。………でも、私は…そんなことよりも無事に帰ってきて欲しかった。」

 

「………」

 

「だってそうじゃない?…この村が嫌いなわけではないけれど、私たちは所詮"田舎貴族"よ。領地だってこの村一帯くらいのもの。ウィーンの連中なんて放っておけば良かったのに………」

 

「ウィーンの人間は傲慢ですから。」

 

「………ふふっ。ありがとう、セバスティアン。」

 

 

 私の思うに、オルチーナ様もまた、モローと同じく孤独を抱えていた。

 彼女は夫の亡き後、自身の娘達だけではなく、この領地と村人達をも守らねばならなかった。

 ルーマニアは既にハプスブルクの手を離れていたが、今度はブカレストの役人達と戦わなければならなかったのだ。

 その事実は彼女に孤独な戦いを強いてきた。

 ウィーンの連中に鼻先で笑われ、"没落貴族"と呼ばれても。

 それでも彼女は、この村を守ってきたのである。

 

 

「………分かってはいると思うけど、この事はどうか口外しないでちょうだいね?領主が人間の血液を飲んでいると知れば、村人達が私をどう思うか。」

 

「ええ、勿論です。オルチーナ様が私にこの事をお話になられたのは、きっとご信頼の証でしょうから。このアッペルフェルドは決して裏切りません。」

 

「あなたで良かった、セバスティアン。他の者なら村から追い出さなければならないところだったわ。」

 

「それでその…余計かもしれませんが…その血液は………」

 

「ああ、これ?何人かの侍女に特別の報酬を支払って調達しているわ。怪しい物ではないから安心して。」

 

「あの………言いにくいのですが、その侍女達にはご注意ください。出征前にフランチェスカがこう言ってましたので。…曰く、『オルチーナ様は些細な粗相をしでかした侍女を地下牢に幽閉して生き血を啜ってる』と」

 

「もう!あの子ったらッ!!女優になれるわね!…確かに地下牢で採取してるのは事実だけど…」

 

「地下牢で?」

 

「ッ…あのね、セバスティアン!私はこう見えてここ一帯の領主よ!こんな真似表立ってできるわけないでしょう!?」

 

「それは………まあ、確かに」

 

「………でもまあ、それもフランチェスカで良かったわ。あの子の言う事なら、他の侍女達も信じはしないでしょうし。…今日はありがとう、セバスティアン。」

 

「お礼を言うのは私の方です。お心遣い本当にありがとうございます。」

 

「気にする必要はないわ。…あなたも大切な"家族"なんだから。」

 

 

 オルチーナ様に引き取られた日の記憶が蘇る。

『安心なさい、セバスティアン。今日からは私達があなたの家族よ。』

 突然目頭が熱くなり、私は涙を堪えた。

 この城は私の"家"でもあったのだ。

 そして、"家"は私を待っていてくれた。

 その事が、なによりも嬉しく感じる。

 

 

「あらあら……レディの前で涙を見せるのは、お葬式の時だけにしておきなさい。」

 

「は、はい、オルチーナ様…」

 

「今日はもう休んで…ああそうだ、明日の朝伝えようと思ったのだけれど、午後から自動車を使うわ。」

 

「…どちらまで?」

 

「ベネヴィエント家の邸宅まで。驚くかもしれないけれど、ドナの方から招待してきたのよ?」

 

 

 

 

 

 

 




オルチーナ・ドミトレスクの外見がゲーム本編と異なるのは、まだ"感染"していないからということにしておいてください私はそうしました(ニホンゴフジユウナノカナ?)

あと身長の件は設定をねじ曲げました(おい)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

不意打ち

 

 

 

 

 

 

「正直言うとね、セバスティアン。ここに来るたびに不安になるの。」

 

 

 ベネヴィエント家の邸宅に向かう道中、助手席に座るオルチーナ様がそう切り出した。

 彼女は後部座席よりも助手席に座る事を好む。

 おかげで少しばかり窮屈そうではあるが、車からの眺めはそこが一番良いらしい。

 

 

「…………ドナの事ですか?」

 

「いいえ……今度こそ彼女の家の天井に大穴を開けちゃうんじゃないかって。」

 

 

 吹き出しそうになったのを必死で堪えた。

 だが鼻から息が漏れ出たようで、オルチーナ様は微笑みを浮かべる。

 

 

「今のは笑っていいのよ、セバスティアン」

 

「オルチーナ様、不意打ちは卑怯です。」

 

「ふふふふっ…まぁ、ドナの事を心配していないわけじゃないわ。特にご両親が死んでからは、私やヨーゼフと話す時以外は、あの人形(アンジー)を通じてしか話さなくなってしまった…」

 

「え?そんなに酷いのですか?」

 

「残念だけれど。…この前ドナを送ったそうね?」

 

「…申し訳ありません、つい放っておけず」

 

「セバスティアン。あなたなら、私がその事で怒ることはないと知っているでしょう。…別に構わないの。今回の招待も、その時のお礼だと言っていたわ。」

 

「なるほど、それで…」

 

「あなたと話せばきっと彼女も喜ぶ。もしかすると"症状"も良くなるかもしれない。」

 

「彼女の邸宅に行くのは久しぶりです。……正直に言うと、私も不安なんですよ。」

 

「どうして?」

 

「徴兵に応じたばかりに、アンジーに殺されるんじゃないかって。」

 

「あはは!セバスティアン、あなた!不意打ちは卑怯よ!」

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 ベネヴィエント家の邸宅に到着したのは、ちょうど午後3時前くらいだった。

 門の前では庭師のヨーゼフ・シモンが我々の到着を待っていて、ドイツ製の高級車が門前で止まると、この礼儀正しい老人は深々と頭を下げる。

 

 

「お待ちしておりました、オルチーナ様、セバスティアン様。ご足労をおかけしたご無礼をどうかお許しください。」

 

「気にしなくていいのよ、シモン。ドナの事は私たちが一番良く知っている…そうでしょう?」

 

「ええ、ええ、大変有難い限りです。セバスティアン様、お車は…」

 

「セバスティアン、で構いません。私にお気を使う必要はありませんよ。」

 

「……戦争で逞しくなられましたな。モローの坊やも活き活きとしているように見える。私も若い頃はオスマンとの戦争に」

 

「はいはい、シモン。露土戦争での武勇伝なら何度も聞いたわ。セバスティアンを案内してちょうだい。」

 

 

 シモンの案内で車を指定の場所に駐車し、私は再びオルチーナ様と合流して、3人でベネヴィエント家の門をくぐった。

 この門を潜るのもいつぶりだろう。

 出征を伝えに言った時、普段は決して外に出ないドナが私をここまで送ってくれた。

 シモンからは助言を受けたのを覚えている。

「あなたはまだお若い。戦争では恥や外聞など気にしてはなりません。何かあったら、必ず伏せなさい。そして、生きて帰るのです。」

 私が生きて帰ってこられたのはシモンのおかげでもある。

 この老人の助言の通りにして、何度助かったことか。

 モローの動向に注意していたこともあってか、私は危ない場面に遭遇しても生き延びる事ができた。

 

 

 3人で邸宅の中に入り、ドナの部屋へと向かう。

 やがてその部屋のドアが見えてくると、シモンが一歩先に出て、彼女の部屋のドアをノックした。

 

 

「ドナ様、オルチーナ様とセバスティアン様がお見えになりました。」

 

「……来てくれたのね!」

 

 

 部屋の奥から喜色を含んだ声と、バタバタという足音が聞こえる。

 次いでドアが勢い良く開き、ドアの近くに立っていたシモンを吹き飛ばしてしまった。

 老人は「ぶへらッ!?」とかいう絵に描いたような断末魔と共に転倒する。

 そちらに注意を取られていたからか、目の前から両腕を広げて迫ってくる人物の存在に気がつかない。

 

 

「セバスティアンッ…!」

 

 

 まあ、驚いた。

 オルチーナ様や私にもこんな不意打ちはできはしない。

 勿論突然抱きつかれたことに驚きもしたが、抱きついて来た人物を見て余計に驚く。

 それはドナで、彼女の対人恐怖症を考えれば私には思いもよらない行動だったのだ。

 彼女はいつも通り、喪服を思わせる黒い服に身を包んではいたものの、既にベールを外してその素顔をさらけ出していた。

 

 

「………ド、ドナッ」

 

「無事に帰って来てくれて…本当に良かった!」

 

 

 この衝撃的な行動には無論嬉しく思ったものの、現時点で気にかかるのは吹き飛ばされた老人である。

 シモンはもう、決して若くはない年齢だった。

 ところが彼の方を見ると、どうだろう。

 手を差し伸べるオルチーナ様と、差し伸べられるシモンは

「大丈夫、シモン?さぁ私の手をお取りになって?」

「あぁオルチーナ様!私めがもう少し若ければ」

 などと、熟年ラブロマンスを繰り広げている真っ最中である。

 すると私の視線に気がついたのか、ドナが大慌てでシモンの方へ駆け寄った。

 

 

「ああ!ごめんなさい…シモン!……つい興奮してしまって…」

 

「いえいえ、大丈夫です、この程度!オスマンに砲撃された時に比べれば大したことはありません。」

 

 

 そうは言いつつもシモンは鼻血をダラダラと流している。

 オルチーナ様がハンカチを取り出してその鼻血の処置をしようとする中、老人は健気にも勤めを果たさんとしていた。

 

 

「そ、それではお嬢様、私めはこの辺で」

 

「待って、シモン!……実はあなたの席も用意したの。…その………こんな機会もそうそうないから……」

 

 

 シモンはオルチーナ様からハンカチを受け取って鼻血を拭き取った。

 そして今鼻先を襲っているであろう激しい痛みにも関わらず、ここ数年でいつぶりかというような笑みを浮かべる。

 

 

「…………ええ、ドナ様。それでは、喜んでお言葉に甘えましょう。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あああああああもおおおおおおお心配したのよセバスティアン戦争に行くなんて言い出した時は気でも触れてしまったのかと思ったけれどあなたはあなたでちゃんと勤めを果たしたのねそれってとても素晴らしい事だと思うロシュやツェラーンは残念だったけれどあなたやモローが無事で良かったところで話は変わるのだけれどこのお茶はシモンに頼んでロンドンの有名なティーブティックから取り寄せたの少し変わった風味だけれど美味しいでしょうねぇアンジーもそう思わない『ヴェェェイ!(裏声)』ほらアンジーも美味しいってそういえばこの前面白い話を聞いたのだけれどポーランド人は家の電球を変えるのに1人が電球をもって99人が家を回すらしいのうふふふふふ面白い人たちねああそうだこの前教会で狼にでくわしたって本当私その話を聞いた時は生きた心地がしなかったわ大丈夫怪我はないそうだ怪我で思い出したのだけれど」

 

 

 

 お茶会のテーブル席に座るオルチーナ様とシモン、それに私は口をあんぐりと開けて微動だにできない。

 普段他の村人とアンジーを通じてしか話す事がなかったはずのドナは、ドイツ軍が使っていたマクシム機関銃を思わせるほどの饒舌っぷりを発揮している。

 私もあの機関銃には心底怯えていたが、あの手の兵器は連射しすぎると何らかの不具合を起こすことも知っていた。

 それはドナの場合も同じようで、彼女はやがて突如として話すのをやめ、次いで口をポカンと開けている我々を見回すと、焼きついた機関銃の銃身のように真っ赤な顔になり、顔を両手で覆い隠してこう言った。

 

 

「…………嫌……私、つい……」

 

(かわいい)

 

(かわいい)

 

(かわいい)

 

 

 これが何らかの評価会であれば、3者とも同じ回答の札を挙げていたに違いない。

 しかしながらオーバーヒートを起こしたドナをそのままにするわけにもいかないので、まずオルチーナ様が咳払いをして口を開いた。

 

 

「んっんんっ…あなたが元気そうで何よりよ、ドナ。そして、お茶会に招待してくれてありがとう。」

 

「…………こちらこそ…ありがとうございます。」

 

「…それじゃあ、あなたはセバスティアンと積もる話もあるでしょうから、私達"高齢者"は席を外させてもらいましょう。」

 

「………ええ、そうですな。ドナ様、美味しいお茶をありがとうございました。」

 

 

 オルチーナ様はそう言って、シモンと共に部屋から出て行ってしまった。

 気のせいかオルチーナ様はシモンに目配せをしたように見える。

 なんだろう、熟年ラブロマンスの続きでもやるのだろうか?

 そう思っていると、ドナの方から私に話しかけて来た。

 

 

「………ねえ、セバスティアン…私……あなたにまた会えて……とても嬉しいの。」

 

「私も嬉しいよ、ドナ。」

 

「こんな風に…ベールを挟まないで話せるのも………いつぶりかな?」

 

「出征以来…そうか、もう4年になる。…君は随分美しくなったね。」

 

 

 改めてドナの方を見ると、出征前も綺麗だった彼女の顔立ちは、4年の月日を経てより美しさを増しているように見えた。

 何と言えばいいだろうか?

 この4年間は彼女に、淑女たる女性としての気品を与えていた。

 ベールと月日を隔てたその先で、彼女は"可愛いお年頃の女の子"から、"品位ある大人の女性"へと変貌を遂げていたのだ。

 なんて素敵な女性だろう、私は心からそう思える。

 

 

「………っ…やめて、セバスティアン。……この4年間、ずっと…あなたの無事を祈ってた……勿論他の人の無事も祈っていたけれど………あなたは格別に…」

 

「そうか、ありがとう。とても…嬉しいよ。」

 

 

 それからしばらくの間、部屋には沈黙の時が流れる。

 お互いに何か語りかけることもなく、ただただ時計がチクタクチクタクと時を刻む。

 何か面白い話はないか…そうだこの前カサンドラにお披露目したパイロットの話でも。

 そう思った時、ドナの方から先に問いかけて来た。

 

 

「…………ねえ……もしも…だけど…」

 

「ああ」

 

「もしも………お互いに…その……一緒になれたら………」

 

 

 ドナの顔が可愛らしくはにかんでいる分、その問いかけは苦々しく感じられる。

 それは私にとってあまりにも甘い毒であったからだ。

 確かに彼女は魅力的だ。

 それは整った顔立ちに限った話ではない。

 私は幼い頃から、彼女の清らかな心と優しい性格に触れ合ってきた。

 毎日彼女の優しさに触れ、癒されることができれば…また、彼女を喜ばせ、笑顔にすることができればどれだけ幸せだろうか。

 でもそれは叶うことのない幻想でしかない。

 

 

「…ダメだ、ドナ。その気持ちは嬉しいけど、私は一介の使用人に過ぎない。君にはもっと相応しい相手がいるはずだ。」

 

 

 いつもの…いや、4年前の彼女なら、シュンとした顔になって、静かに「…そう」とだけ答えた事だろう。

 ところが今日の場合は異なり、ドナは意外な行動に出た。

 私の答えに食い下がって来たのだ。

 

 

「…………それなら!………もし…もしも、私たちの間に、立場の差がなかったら?」

 

 

 ドナにそう問われ、私はそのあまりに魅力的な妄想の虜となる。

 もし、彼女と私の間に何の障壁もなければ?

 その答えは勿論…………

 

 私は急に気恥ずかしくなり、テーブル越しに身を乗り出した。

 どうにか彼女の瞳に目を合わせ、そしてまっすぐ瞳を見据えて、絞り出すように、彼女の問に応える。

 

 

「………それなら………もちろんYESだよ」

 

 

 途端にドナの顔がポッと赤くなり、彼女はどこからかベールを取り出して、素早く顔を覆い隠してしまった。

 それと同じくらいのタイミングで、部屋の外から「オウッショア!」という雄叫びが聞こえたような気がしたが………

 

 

「……ドナ、何か飼ってるのか?」

 

「………」

 

「ドナ?」

 

「ワタシハカワイイアンジーチャンダヨ?」

 

 

 ドナは返事をせず、アンジーが代わりに返事をする。

 国宝級の腹話術がものの見事に崩壊しているあたり、彼女も相当照れくさかったのだろう。

 そういうところも、本当に可愛らしい。

 

 しばらくするとオルチーナ様とシモンが戻ってきて、お茶会はお開きとなる。

 ドナは最後まで、アンジーに全てを任せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの娘もそろそろ結婚を考えてもいい頃ね。」

 

 

 帰りの道中、オルチーナ様がそんな事を言い出した。

 もし彼女と一緒になれたなら。

 それは叶わぬ夢と知りながら、つい物思いに耽ってしまう。

 そのままでは事故を起こしてしまいかねないから、私はあくまでドナの問題として返答することにした。

 

 

「彼女の事です。きっといい相手と結ばれますよ。」

 

「………きっとそうね。…でも心配だわ。あの娘がまともに顔を合わせて話せるのは、私やシモン、それにあなただけ。」

 

「ええ。」

 

「会話のない結婚生活なんて地獄そのものよ。言っておくけど、私にユーモアのセンスがなかったら、ゲオルゲ・ドミトレスクの結婚生活は3週間がいいところだったでしょうね。」

 

「………はぁ」

 

「あなたなら…もし、あなたが彼女と結ばれてたら、とても良い結果になると思うけど?」

 

「ははっ。私は彼女とつり合いませんよ。ただの運転手ですから。」

 

「そう?…()()()()()()()()()()()()。」

 

 

 私は思わず急ブレーキをかけて車を停止させた。

 勿論こんな事をするなんて、運転手としては決して褒められたものではない。

 それでも私は予想外の不意打ちのために、真相を問わなくては気が済まなかった。

 

 

「どうして知ってるんです!?」

 

「…な、何のことかしら?」

 

「惚けないでください、オルチーナ様!何故あの事を知っているんです!?」

 

「その………あなたの言葉の節々…かしらね」

 

 

 オルチーナ様の目線は明らかに宙を泳いでいた。

 "やり手"の領主でも、この類いの話となると綻びを生じさせてしまうようだ。

 私はそのまま食い入るようにオルチーナ様に問いかける。

 

 

「さっきの会話で察したと!?…オルチーナ様、差し出がましいようですが、アッペルフェルド家の男はそれを信じるほど愚かではありません!」

 

「ああ!もう!分かったわよ!…白状します。私とシモンで、隣の部屋からそっと聞き耳を立ててたわ。」

 

「うぇっ!?いつからですか!?」

 

「最初から最後まで。私とシモンが席を外した時、不思議に思わなかったの?…熟年ラブロマンスでも楽しんでいると思った?」

 

 

 オルチーナ様とシモンが隣の部屋から聞き耳を立てている様子が容易に浮かんだ。

 2人とも愛のキューピッドのつもりだったに違いない。

 これを熟年ラブロマンスと呼ばずに何と呼ぶ!?

 

 

「シモンったら興奮しちゃって大変だったわ。『行け!今だ、若造!お前の想いの丈を伝えるんだ!……ああ!何でそうなる、この腰抜け!』って。」

 

 

 私は恥ずかしさのあまり、昼間のドナのように顔を両手で覆った。

 まさか全部"仕組まれていた"とは。

 

 

「………ねえ、セバスティアン。これは、その…あなたへの嫌がらせなんかじゃない。あなたにその気があるなら、どうかドナとは一緒になって欲しいの。」

 

「それは…私だってできることならそうしたいです。ですが、私は」

 

()()()使()()()?…セバスティアン、私はあなたを引き取って以来、そんな目であなたを見た事はないわ。」

 

「しかし…」

 

「ええ、そうね。()()()()は違う。でも、こういう話ならどうかしら。"オルチーナ・ドミトレスクはある日、当時15歳の少年を養子に取った"。」

 

「!?」

 

「実を言うとね、セバスティアン。必要ならいつでも養子縁組をできるように根回しをしてあるの。…もしあなたにその気がないのなら…或いは他に望む相手がいるのなら、私はあなたの想いを尊重したい。」

 

「………」

 

「私は自分の人生を自分で選べなかった。きっと娘たちもそうでしょう。…だから、あなたには好きな人生を選んで欲しいの。でも、もしあなたさえ良いのであれば、ドナと一緒になってあげて。彼女には家族が必要よ…それも、ちゃんと顔を合わせて話せる家族が。」

 

「…ドナは…彼女はよろしいんですか?…その…私を受け入れてくれますか?」

 

 

 今度はオルチーナ様が両手で顔を覆う番だった。

 彼女は呆れたように天を仰ぎ、ため息混じりに言葉をひり出す。

 

 

「信じられない!ほんっとうに!そういうところまでクリスティアンにソックリね!私が彼の背中を押さなかったら、あなたきっと産まれてないわよ!?」

 

「父が…?」

 

「ええ!そう!あなた達親子揃って鈍すぎるのよ!ドナはとっくの昔にあなたを受け入れてるわ!」

 

 

 

 

 

 今日は何度も不意打ちを食らったが、どれも不愉快なものではなかった。

 時にそれは福音であり、今日の私にとっては"夢が叶った瞬間"だった。

 




ドナ嬢のキャラをバベルの塔レベルで崩壊させましたすいません汗


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

喪失

 

 

 

 

 オルチーナ様曰く、カール・ハイゼンベルクはプラハで自由主義思想に"感染"した。

 村から出て行く前"忠実な"村人の1人であった彼は、帰って来た時には民主主義者になっていたのである。

 若者というのは自身が得た知識をとにかく使ってみたいという衝動に駆られやすいのかもしれない。

 私にも思い当たる節があるから、あまり人の事は言えないが。

 ただ、カール・ハイゼンベルクに他の若者と違う点があるとすれば、それはきっと、彼の場合は得た知識を的確に使用するだけの技量があるということだろう。

 

 

 

 私はドミトレスク城の応接室の前で、オルチーナ様とハイゼンベルクが討論を終えるのを待っている。

 そう、討論だ。

 感情だけに頼った口論や、机上の空論を並べ続ける議論ではない。

 理性と知識によって、そう遠くない未来のために今すべき事を話し合う、建設的な会話が応接室ではなされている。

 

 

 

「アンタの統治を否定するつもりはないんだ、オルチーナさん。アンタが良い領主である事に疑いの余地はない。だが村人達をいつまでも政治に無関心な状態にさせておくことは危険ですらある。」

 

「ええ、あなたの危惧はよく分かる。そのために組合を設立して、その……トラ…?」

 

「トラクターだ。」

 

「ええ、そう。トラクターを導入して、彼らの手で運用を行わせたいという志は立派よ。……分かりました、あなたの案を受け入れましょう。」

 

「そりゃあ、ありがてえ!」

 

「ただし。定期的に組合から私に運用に関する報告書を出させる事、そして、私がいつでも組合の方針に介入できる権限を備えてちょうだい。」

 

「………まあ、仕方ねえ。そこは妥協するさ。アンタほど理解ある領主はそうそういない、これは間違いないからな。」

 

 

 応接室のドアの奥から聞こえていた討論の結論が出たようで、やがてドアが開いてハイゼンベルクが現れる。

 次いでオルチーナ様がお顔を出し、私にお命じになった。

 

 

「セバスティアン、ハイゼンベルクを工廠まで送ってあげて。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱりドイツ製の高級車はちげえな!聞いてみろよ、このエンジン音!プラハにもこんな馬力のエンジンはねえよ!」

 

 

 ハイゼンベルクはドミトレスク家の高級車にご満悦の様子だった。

 もっとも、それは乗り心地の問題ではなく技術的な関心にあったようだ。

 彼は助手席に座り、まるで初めて闘牛を見た若者のように興奮している。

 そんな彼に、私は今日の討論の成果を聞いてみることにした。

 

 

「カールさん、今日はどうでした?」

 

「言うことねえよ。あのデカ女は俺の要求をちゃんと理解してくれた。そして、彼女の要求もまた理解できる…理にかなった要求だからな。」

 

「介入の権限の話ですか?」

 

「ああ。この村は決して裕福じゃねえ。余裕なんてほとんどないし、10年に1度は餓死者も出てる。そんな経済状態じゃあ、この村の7割を占める第一次産業従事者は子供を増やすわけにはいかない。…つまり、人口の増加は望めないわけだ。」

 

「では、どうすれば?」

 

「そこで機械の出番ってわけよ!農業用トラクターが一台でもあれば生産効率は間違いなく上がる。生産効率が上がれば、村は豊かになる。村が豊かになれば…」

 

「人口も増える」

 

「そう、そしてまた生産効率が上がり、良好な経済循環が続く。だが問題は運用だ。あのデカ女はあくまで統治者、直接農業に従事するわけじゃねえ。だから」

 

「ドミトレスク家が運用しては、適切な運用が阻害される。」

 

「その通り。あのデカ女から教育を受けただけあるな。」

 

 

 ハイゼンベルクがオルチーナ様を"デカ女"と呼ぶのは、決して蔑称ではない。

 一度勘違いして咎めた事はあるが、結局のところ彼の言う"デカ女"は、"デカくて頼りになる女"の略称であったのだ。

 確かに誤解を招きやすい呼び名ではあるが、ハイゼンベルクは信用のできる相手にしかその呼び名を三人称として使うことがなかった。

 実のところ、ハイゼンベルクは村の誰よりもオルチーナ様を信頼している。

 だから臆する事なく直言できるし、その際感情的になったりはしない。

 オルチーナ様もハイゼンベルクを評価している。

「彼の"薬"はあまりに苦いけれど、劇的な効果がある…この村には必要よ」と。

 

 

「…だから、村人達に組合を作らせて運用させるんだ。これには勿論、村人達を政治教育する側面もあるがな。」

 

「率直に言うとカールさん、それが心配なんです。村人達が政治に関心を持ち出したら、オルチーナ様に反逆を企てる輩も出るかもしれない。」

 

「気持ちは分かるが、杞憂だと思うぞ。少なくともあのデカ女が領主をやってる内は、そんな奴は現れない。何たって完璧に近い統治なんだからな。お前が心配すべきはデカ女の統治が終わった後、だ。」

 

「終わった後?」

 

「デカ女だって不死身じゃない。人間として生まれたからにはいつか死ぬ。デカ女の後はだれが引き継ぐ?彼女が天寿を全うしても、ベイラはまだまだ若い。ブカレストの役人共に煙を撒かれて、いいようにされるとは思わないか?」

 

「………それは…」

 

「だからベイラを支える人間がいる。或いはカサンドラかダニエラかもしれねえが。とにかく、村人達が政治に関心を持てば、ブカレストの役人が口八丁で物を喋っても、少なくとも警告はできる。」

 

「おおっ、なるほど!」

 

 

 ハンドルを切りながらも、彼の思慮の深さに感動する。

 こんな感嘆詞が口から滑り出るのもいつぶりであろうか。

 彼は口先だけで"革命"を唱える夢想家の類ではなく、寧ろ堅実な保守派であった。

 

 

「では、オルチーナ様の要求した権限にはどう言う意味が?…もし、カールさんの要求の真意を彼女が理解していたとすれば、矛盾するように思えるのですが」

 

「そう思うのも無理はねえな。ただ、デカ女は自分の権力に固執したわけじゃねえ。あの権限を求めたのは…立場の弱い人間のためだ。」

 

「………?」

 

「村人達が効率よく農業用トラクターを使うようになったら、組合の力も増す。その組合の中で実力を持つ者が、やがては運用方針を決めるようになるだろう。ここまでは良いんだが、全ての人間がマザー・ミランダのような聖人というわけじゃねえ。組合はややもすると、効率を優先しすぎるあまり、非効率な農地への貸出を拒否するかもしれない。」

 

「………」

 

「組合を通じて政治を学んだ村人は、その理念の範を組合の中に求めるだろう。つまり雛形ってわけだ。もし弱者の切り捨てが組合の基本理念になれば、それが村全体に波及してもおかしくはない。そうなると…言い方は悪いんだが……村人達はドナやモローみたいな奴まで切り捨てるようになる。」

 

「ああ!それでオルチーナ様は…」

 

「そうだ。皮肉なしに素晴らしい領主だぞ、あのデカ女。彼女は組合の理念がねじ曲がらないように監視したいんだ。ただそれは本来なら組合の中でカタをつけなきゃいけない話なんだがな。…まあ、安全装置ってことよ。運用費は組合が捻出するが、トラクター自体はデカ女が買う。デカ女の権限はこれで担保される。…まぁ、組合の運用費も結局はドミトレスク家の資産が元金だ。」

 

 

 ハイゼンベルクは単にトラクターを導入したいわけではない。

 それは、彼独自の思い描くヴィジョンがあっての事だった。

 流石はハイゼンベルク。

 プラハの魅力的な生活より、村の事を選んだ男は一味違う。

 

 

 助手席に座る無精髭の技術者に感心している間に、自動車は村の中心である教会に差し掛かりつつあった。

 この村の住人達は最近"人集りを作る"という競技に熱中しているのか、今日もそこには人集りができていた。

 ハイゼンベルクはその人集りを指差して、私に話しかける。

 

 

「おい、ありゃあ一体何の騒ぎだ?」

 

「さあ……何でしょう?」

 

 

 人集りの方に近づくと、怒声が耳をつんざいた。

 どうやら1人の男が声を荒げて教会に迫っていて、周囲の人々は彼を止めようとしているようだ。

 

 

「出てこい!ミランダ!俺達に説明しろ!」

 

「アンタ、やめて!」

 

「ありゃあイシュトヴァンの親父さんじゃねえか。それにカミさんもいる。…クソ、またか。…セバスティアン、ここで車を止めてくれ。あの親父さんを宥めてくる…お前はこっちに来るんじゃねえぞ!」

 

「…はい?…人足がいるなら加勢しますよ?」

 

「いいから、言った通りにしてくれ。イシュトヴァンの親父さんは錯乱しちまってんだ。」

 

 

 とりあえずハイゼンベルクの言う通りに、車を止めて運転席で何が起きているのかを遠巻きに観察する。

 イシュトヴァン…モローを笑っている内に毒ガスを吸い込んでしまったあの可哀想な男…の父親とは、何度か面識があった。

 腕っ節の強さは有名だったが、彼は決してそれを他者に危害を加えるために使おうとはしなかった。

 私の記憶にある彼の印象は、いつも穏やかで大らかな人物像である。

 しかし、今、親父さんはハイゼンベルクの言うように錯乱してしまったようだ。

 片手に酒瓶を握り、何人もの男達やカミさんが止めるのも聞かずに暴れている。

 きっと息子を失った事に耐えられなかったのだろう。

 

 

 暴れ続けるイシュトヴァンの親父さんを止めるには、その腕力もあってハイゼンベルクが加わっただけでは焼石に水に思える。

 私は段々と心配になってきた。

 この事態をただ遠巻きに見ているだけで本当にいいのだろうかと、少し罪深い気持ちにもなる。

 

 イシュトヴァンの親父さんは、より一層声を荒げ始めた。

 周囲の雑踏などかき消してしまうほど声を張り上げて、教会に向けて怒鳴り散らしている。

 

 

「ミランダ!いつまで隠れてるつもりだ!どうせ()()()()()()()も死んじまったんだろう!この罰当たりなクソ尼がッ!!」

 

 

 とても教会のマザーに向けて言っていい台詞ではない。

 返事のない教会は、親父さんの怒りを増長させてしまう。

 彼は遂にあらん限りの力でもって周囲の男たちを振り解いた。

 男達の多くは倒れ込み、ハイゼンベルクも地面に投げ出される。

 

 その時、それまで離れた場所から親父さんを止めようとしていたカミさんが彼に抱きつき、その愚行を止めようと懇願する。

 

 

「やめておくれ、お前さん!もう何をしてもあの子は戻ってこないんだよ!」

 

 

 すると親父さんはカミさんに向かって平手打ちをする。

 ただの平手打ちとは思えない音が辺りにこだまして、カミさんはその場に転んでしまった。

 親父さんがそのままカミさんに近づいてるのを見て、私はもう耐えきれなくなる。

 

 運転席のドアを開け、高級車から躍り出た。

 親父さんは酒瓶を投げ捨てて、今度はポケットに手を突っ込んでいる。

 何をする気は知らないが、このままでは彼自身も後悔するような結果になるのは日を見るより明らかだ。

 

 

「だいたい、おめぇのせいだ!おめぇが出征に賛成なんかするから…!」

 

「アンタだってしたじゃない!」

 

「うるせえ!その口閉じねえと…」

 

「親父さん!!」

 

 

 カミさんににじり寄っている親父さんの背中に呼びかける。

 彼らの奥では地面に投げ出されたハイゼンベルクがようやく腰をあげていたが、そちらへ向かっている私を見て喚いた。

 

 

「馬鹿野郎!戻ってろ!」

 

 

 だが、その時にはイシュトヴァンの親父さんは既に振り返って私の姿を認めていた。

 彼はその両目から涙を流しながらも、私のことを睨みつける。

 どうやら、4年の時を経ても私のことは覚えているらしい。

 

 

「おめぇ、この!倅は国のために死んだんだ!おめぇはどんなツラ晒して戻ってきやがった!」

 

 

 親父さんは怒りを足取りに変えてこちらへまっすぐやってくる。

 これは何発か殴られるかもしれない。

 だが、親父さんの背後では投げ出された男達がようやく立ち上がりつつあった。

 彼らがすぐに割って入ってくれるはず。

 そんな考えが甘かったのかもしれない。

 

 

 

 ドスッ!!

 

 

 

 イシュトヴァンの親父さんが私に向かって腕を伸ばすと、低いくぐもったような音が聞こえた。

 直後に私は腹部に激しい痛みを覚え、思わずそちらに目線を向ける。

 そこには一本のナイフがあり、その刃を私に突き立てていた。

 

 再び親父さんに目を向ける。

 先ほどまでアルコールと怒りによって真っ赤になっていた彼の顔は、段々と青ざめていく。

 あんなに怒鳴り散らしていたにも関わらず、彼の声はじきに震え始めた。

 

 

「………そんな…お前…いや……違うんだ…俺は………こんなつもりじゃ………」

 

 

 親父さんの怒りが一気に収束したおかげで、ナイフはそれ以上深く刺さらずに済む。

 だが私は全身から力が出て行くのを感じて、その場に倒れ込んでしまった。

 すぐに親父さんと同じくらい顔を真っ青にしたハイゼンベルクが飛んできて、私の腹部を覗き込む。

 

 

「あの車にいろって言っただろうが!おい!おい!しっかりしろ!大丈夫だ、傷は浅い!…誰かすぐに医者を呼んで来い!」

 

 

 ハイゼンベルクの向こう側には他の男たちがいた。

 彼らの顔も既に青白い。

 その場でオロオロとする彼らに、今度はハイゼンベルクが怒鳴り散らす。

 

 

「誰か医者を呼んで来いってんだ!突っ立ってんじゃねえ!」

 

 

 男達の何人かが、村で唯一の医者を呼びに行く。

 ハイゼンベルクは私の負傷部位を抑え、その向こうでは両手についた私の血を見て屁垂れ込んでいるイシュトヴァンの親父さんを、カミさんが引っ叩いていた。

 

 

「アンタ!なんてことしたんだい!あの人は何も悪くないし、あの子の友達じゃないか!」

 

「ううっ…すまねえ……すまねえ……なんで…こんな事に………」

 

「………わ、私は大丈夫ですからっ…」

 

「喋るんじゃねえ、馬鹿!医者はまだか!?…おい、死ぬなよ、俺を見ろ!せっかく戦争から帰ったのに、こんなところで死んじまったらドナもやりきれねえ!」

 

「なんで……そのことを……」

 

「ッ……悪かった、悪かったからもう喋るな!お前が死んだら俺もイシュトヴァンの親父さんもドミトレスクのデカ女に殺されちまう!」

 

 

 ようやく医者がやってくると、ハイゼンベルクは傷の手当てを医者に任せて、ドイツ製の高級車に向かって行く。

 医者が応急処置を終え、私が他の村人達によって自動車に乗せられると、車はすぐに出発する。

 車はドミトレスク城に引き返す事になり、その城門の前ではすでにオルチーナ様が待っていた。

 彼女を見て安心したのか、私の意識は遠のいていき、そして深い眠りへと誘った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

慈悲

 

 

 

 目が覚めると、優美な装飾の天井が私を迎えてくれていた。

 そこは間違いなくドミトレスク城の中に与えられた私の自室だ。

 どうやら私はベッドの上に寝かせられているようで、モヤッとした視界が澄んでくると、近くに人がいる事に気がつく。

 私は目を凝らし、その人物が何者であるか確認する。

 

 

「………ドナ?」

 

「!……よかった…お医者様の言った通り……」

 

 

 そこにいたのは、ベールを被っていないドナだった。

 彼女はあのお茶会と同じように、私に素顔を見せてくれている。

 その表情はただ一つの感情を浮かべていた。

 "安堵"…きっと長かったであろう心配の呪縛から解き放たれたという、安堵の気持ちだ。

 

 ドナははにかむような笑顔を浮かべ、私の上体を起こすのを手伝ってくれる。

 そしてそのままその愛らしい笑顔を私に向けてくれたのだが、しかし彼女は突如表情を豹変させて私の頬にビンタを放つ。

 パッチン。

 きっと人を殴ったことなんてない…あるはずのない彼女のビンタはむず痒いくらいの威力しか持っていない。

 だが、その行動の意味は実際の威力よりもはるかに強力だった。

 

 ドナはしかめっ面をしてこちらを見ている。

 彼女の傍にいるアンジーも、今日は心なしか怒っているように感じた。

 

 

「…復員して忘れてしまったの?」

 

「何を…?」

 

「あなたも1人の人間だということ…あんな無茶をして……もし当たりどころが悪ければ、私はまた"家族"を失っていた…!」

 

「ええ、その通り。無謀と勇敢は似て非なるもの。もっとも歴史に名を残す英雄でさえ、その事を取り違えることもあるけれど。」

 

 

 オルチーナ様が部屋に入ってきたのはその時だった。

 彼女の優美な物腰は相変わらずだが、言葉の端からは我が子を咎める母親の口調が聞き取れる。

 

 

「ゲオルゲが私たちにすら教えてくれた言葉を教えましょう。"任務の遂行に必要なのは個人の意思よりも集団の忍耐である"…ドナの言う通り復員して忘れた?それとも軍は兵卒にこんな教えはしないものなの?」

 

「………いえ、教わりました。」

 

「ふはぁぁぁ…セバスティアン、もう少し身の振り方を考えて。あなたには将来があるのよ?」

 

「お言葉ながら」

 

「ええ、分かっているわ。イシュトヴァンのお母様を助けようとしたのは分かってる。だけど酒を大量に飲んで暴れている男に丸腰で立ち向かうのなら、もう少しだけでいいから冷静さを持たなくてはダメ。人は拳で他人を殺せるわ。あなたの行為は自殺行為そのものだった。」

 

「………申し訳ありません」

 

「謝るならドナに謝りなさい。あなたにはもう婚約者がいるのだから。彼女を1人にしたいほど、あなたは冷酷な人間じゃないでしょ?」

 

「ええ…ごめんよ、ドナ。」

 

「分かってくれたのなら…いいの。でも次からこんな事しないって、約束して。」

 

「ああ、約束する。……ところで、オルチーナ様。お聞きしたいことがあります。」

 

「イシュトヴァンのお父上ならもう平静を取り戻したわ。あなたにはとてもすまない事をしたって。でも正直、あなたに感謝してるところもある。イシュトヴァン夫妻はあのままでは破滅へ一直線だったでしょうから。」

 

「そうですか。それなら刺された甲斐があったというもの…いたいいたいいたいいたいドナつねるのやめて耳つねるのやめて結構痛いからそれ悪かったから私が悪かったから!

 

「うふふっ、あなた達いい夫婦になるわ。…ところで、あなたが質問したいのはそのことだけじゃなさそうね。ドナ、席を外してもらえるかしら?」

 

「………()()()を話すのですか?」

 

「ええ、もう隠しようがないわ。」

 

 

 

 ドナが部屋から去り、オルチーナ様は私のベッドの脇に椅子を持ってくる。

 それにお掛けになると、彼女は深いため息を吐いてその豊満な"母性"の間からキセルを取り出した。

 なんてところに隠し持ってるんだと思っていると、彼女は同じ場所から紙巻きタバコの箱も取り出す。

 

 

「吸うでしょう?」

 

「…臭ってました?」

 

「いいえ。でも、戦場で煙草を吸わない兵士は希少人種でしょうから。」

 

 

 ありがたく煙草を受け取って咥えると、オルチーナ様はまず私の煙草に火をつけて、次いでご自身のキセルにも火を灯す。

 彼女は普段あまり煙草を吸わないし、何より娘達に吸っているところを見られるのを嫌がる。

 この貴婦人はよほど頭を悩ませる問題にぶち当たった時にしか煙草を吸ったりはしない。

 そんな彼女が煙草を吸おうとしている理由は1つだけ。

 今が"その時"だからだ。

 2人で一口目を吸入すると、オルチーナ様は煙を吐き出すと同時にため息も漏らした。

 

 

「イシュトヴァンのお父上は余計な事まで口外してしまったそうね…あ、そうだ。後でハイゼンベルクにはお礼を言っておきなさい。」

 

「ええ勿論……それで、イシュトヴァンの親父さんが言ってた"ドイツ野郎"って、一体誰の事なんです?カサンドラもマザー・ミランダがプロテスタントの男を教会に入れたと言っていた。……私がいない間、一体何が…」

 

「………あなたには関係のない話だし、知る必要もないと思ってた。」

 

「もう、そうはいきません。私はその事に怒って教会に押し入ろうとした男に刺されたのですから。」

 

「ええ、そうね。それでは話しましょう。あなたがいない間、この村であった事を…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 確かにトランシルヴァニアは一度ルーマニア軍の手を離れた。

 しかし、この寒村には戦略的な重要性など全くと言っていいほどなく、あくまで東部前線の安定を求めていたドイツ軍にとってはどうだって良い存在であった。

 故に村の住人は我が軍敗北の報に意気消沈していても、いつも通りの生活を送ることができたのだ。

 

 

 しかし、中には意気消沈どころではなかった人々もいた。

 その時期は、イシュトヴァン夫妻が既に我が子を失っていたし、ロシュやツェラーンの葬式も済んだ後である。

 オルチーナ・ドミトレスクも村全体がどんよりとした空気に覆われているのを肌で感じていたし、このような時ほど領主としての手腕が試されると感じていた。

 

 当然、村の政治感情は反独的であった。

 何せ大切な家族を殺された住人もいたし、そう大きくないこの村では、住人達の家族は誰もが互いにその顔を合わせたことがある。

 いつも通りの日常に不可欠な存在を破壊した相手に、普通はいい感情を抱かない。

 

 だから、部隊から落伍してこの村に辿り着いたオットーという若いドイツ兵は、いつ殺されてもおかしくない状況にいた。

 

 

 

「彼は弱っていた。手持ちの食料はなく、防寒着も貧弱。長いライフル銃を持ってはいたけれど、それを杖のようについて歩くのがやっとだった。」

 

「………」

 

「村の真ん中に行き倒れていたオットーを最初に発見したのはマザー・ミランダ。彼女がどれだけ慈悲深いかは、あなたもよく知っていると思う。」

 

「ええ、彼女は…まるで聖人です。」

 

「彼女はオットーを保護したけれど、村人達は猛反対した。だって…当然よね?彼らにとってオットーは大切な家族を殺した敵であり、マザー・ミランダはそんな仇敵を保護するというのだもの。」

 

「それに、大方そのドイツ兵は北ドイツの出身だったんでしょう。」

 

「そう、彼はプロテスタントだった。村人達は腑が煮え繰り返るような思いだったでしょうね。マザー・ミランダは異端の仇敵を、あろう事か神聖なる神の家で休ませると言うのだから。」

 

 

 この村は伝統的なカトリック信者の住人しかいない。

 プロテスタントに改宗しようものなら間違いなく村八分にされるだろう。

 そしてカトリック教会はまさに村人の精神的支柱である。

 人間誰しも、自分の精神的な聖域を土足で踏み躙られることがあれば、必ずや憤るはずなのだ。

 

 だが、それでもマザー・ミランダはドイツ兵を保護した。

 彼女はカトリック教会に忠実なわけではなく、主そのものに忠実であろうとしたのだろうか?

 だとすればその精神は、他の村人達が理解できるはずのないほどに、あまり崇高であり過ぎた。

 

 

「村の住人達に彼女の精神を理解できるはずはなかった。彼らはカトリックの教えこそ本来の信仰だと、生まれた時から教えられている。私だって、あなただって、そう。…でも、私は………」

 

「………オルチーナ様?」

 

「私は迷ってしまった。人としては彼を救うべきだと思っていても、統治者としての自分がそれを許さなかったの。」

 

「無理もありません!奴らはツェラーンやロシュを殺したんです!イシュトヴァンだって奴らに殺された!毒ガスなんていう卑劣な兵器で!」

 

「………」

 

「今でもアイツが死んだ時の光景を思い出します!黄色いガスに包まれて、肌を黒く焼かれ、次第に呼吸もできなくなり、最後は窒息したんです!私はッ…私は彼に何もしてやれなかった!ただただ、アイツが悶えていく様を見ているだけ!皮膚の焼け爛れたイシュトヴァンの遺体を、彼の母親に送り返すのが辛くて仕方なかった…ッ!」

 

 

 私がオルチーナ様に抱擁されるのは、それで2度目だった。

 高貴なる温もりと芳香が、ついつい興奮してしまった私の精神を収めてくれる。

 それは戦いがどんなものかを知っている人間の抱擁だ。

 決して、華やかなモノではないと知っている人間の。

 

 

「とても辛い思いをしたのね、セバスティアン。…でも、あなたは自分に問いかけなければならないわ。あなただって、戦場で敵を殺したはずよ。」

 

 

 そう言われてハッとした。

 彼女の言う通り、私だって殺している。

 オーストリア人を1人、テッサロニキでブルガリア人を2人、それにハンガリーで少なくとも1人。

 彼らにも彼らの家族があり、故郷があり、そして社会があったはずである。

 

 

「…戦争の責任は1兵士に負わせることのできるものではない。あなたが手にかけた兵士達もまた、あなたと同じように徴兵義務に応じただけよ。」

 

「………ええ」

 

「あなたも本当はそれを分かっている。晩餐の席でカサンドラにその話をしなかったのは、あなたが内心で自分の行為を恥じているから。…おかしな事なんかじゃない。人殺しなんて恥ずべき行為なのだから。でも自分を責めるべきでもない。その行為には大きな意義があったのだから。…それでも、あなたはあまりに辛い思いをした。」

 

「…………」

 

「私はね、セバスティアン。オットーを救いたかったの。彼もまた1人の若者でしかなかった。でも、統治者はブレてはならない。だからマザー・ミランダに全てを委ねてしまった。」

 

「………」

 

「オットーが保護されてからかなり経ったある日、マザー・ミランダが教会の封鎖の許可を求めに来た。…信じられないほど弱っていたわ。きっと周辺の村人達が彼女に嫌がらせをしたのね。彼女に全てを背負わせてしまった自責の念もあって、私は彼女の訴えを受け入れた。…………彼女とはそれきり会ってないわ。」

 

「………そんな事が…マザー・ミランダの娘さんは病気だとか。」

 

「ええ。オットーの介護と育児が重なって、彼女には相当な負担だったはずよ。だからそのどちらかが疎かになってもおかしくない。……そうね。年が明ける前までには、こちらから教会の扉を開けなければならないわ。彼女は扉を固く閉じてしまったけれど、もう1年近く経っている。教会の地下には飢饉に備えて貯蔵していた膨大な食料と、簡易な地下栽培場もあるけれど、もうそろそろそれも限界のはず。」

 

「では私が…いたたたたた」

 

「ふふふっ…無理しないの、セバスティアン。"お母様(おかあさま)"を怒らせたいのかしら?」

 

「"お義母様(おかあさま)"、私はそろそろ…限界です。」

 

 

 

 突然ドナの声が聞こえたので驚いてその方向を見ると、オルチーナ様の背後に膨れっ面をしたドナが立っていた。

 彼女はアンジーを抱える左手の人差し指と、反対側の右手の人差し指と薬指とを突き立ててむくれている。

 どうやら彼女は2-1を2-2にしたくて仕方ないらしい。

 それが何を意味するのかと首を傾げていたところ、ドナがオルチーナ様とは反対の方向から私に抱きついた。

 とても嬉しい行為なのだが…

 

 

「ドナ、もう少しでいいから力を緩めてくれないかな?私はお人形さんじゃないし、その力加減じゃ傷口が開きかねないよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

失踪

 

 

 

 

 

 

 2週間後

 

 

 

 

 

 傷の治りは早かった。

 私はもう自分の足で歩けるようになり、今はモローの小屋のそばで釣り糸を垂らしている。

 まあ、何ともない冬の午後の、この時期には珍しい晴天。

 絵に描いたように平和な日で、あまりに平和なせいか我々の釣果は芳しくない。

 モローは2、3匹魚を釣り上げているが、その彼にとっても今日は"シケてる"そうだ。

 ピクリとも動かない竿先をぼんやりと見つめていると、隣のモローが私に切り出す。

 

 

「腹の具合はどうなんだい?」

 

「かなり良くなったよ、モロー。痛みはまだ残ってるが…こうやってお前と釣りを楽しめるくらいには良くなった。」

 

 

 医者の診断によると、私の傷はそれが原因で寝込んだ割にはあまりにも軽い傷ということだった。

 そもそもイシュトヴァンの親父さんは本当に私を殺そうとしてナイフを準備したわけじゃない。

 凶器に使用されたのは小刀というにはあまりに小さなナイフで、親父さんにはたまにこれで木材を削って彫刻を嗜む趣味があった。

 そんなちっぽけなナイフでもあの大男が振るえば充分私を殺せたかもしれないが、先も言ったように親父さんは偶発的に私を刺し、その後すぐ正気に戻ったのだ。

 だから実際の傷は私が思っていたよりずっと浅かったし、出血の割には治りは早い。

 そう考えるとあの場でヘタレ込んだのが情けなくすら思える。

 オルチーナ様やドナにも余計な心配をかけてしまった…私も若者とはいえ、そろそろ家庭を考えてもいい歳だ。

 あんな冒険はもっと後進の人間に譲るべきだったかもしれない…もちろん冗談だが。

 

 

「……聞いたよ、婚約したんだって?」

 

「うわ…どこまで広まってるんだ、その話。」

 

「水臭いじゃないか、アッペルフェルド!」

 

「怒らないでくれ。お前にも伝えるつもりだったんだが…その…何というか……分かるだろ、私だってまだ信じられないんだ。相手はあのドナだぞ?私のような男が、ベネヴィエント家の一員になるっていうんだから。」

 

「何となく気持ちは分かるが…そのためにオルチーナ様と養子縁組したんだろう?」

 

「ああ、そっちは既に済んでる。…正直参ったよ。養子縁組を終えた瞬間からオルチーナ様が全力で"母親をしてくる"んだから。」

 

「そうなのか?…おれには想像もつかないぞ。」

 

「ここに来る時もだ。ただ釣りに行きたいって言っただけなのに、『釣り…?大丈夫?1人でやりきれるの?』だとか仰って……別に真新しい事をしようってんじゃないんだぞ。実のお袋だって、あそこまで過保護じゃなかった。」

 

「あはははははっ!苦労が多いなぁ、アッペルフェルド!…ところで、そのオルチーナ様なんだが…」

 

「何だ?」

 

「さっきからお前の後ろにいるぞ」

 

「ゔぇえええいッ!?」

 

 

 モローの言った通り、振り返ると私の背後の茂みから、悲しげな顔をしたオルチーナ様がこちらを覗き込んでいた。

 私は驚きのあまり前につんのめり、そのまま釣り糸を垂らしている湖に落ちそうになる。

 幸いオルチーナ様が私の襟元を掴んで支えてくださったので、この冬場に全身ずぶ濡れになるなんて事にはならなかった。

 その代わりに凄まじいまでの気まずさを味わう事になる。

 

 

「オ、オルチーナ様…いつの間に…」

 

「はあ…心配になって着いてきてみれば…そんなに私のことが不満?」

 

 

 ああ良かった、今日のオルチーナ様はまだ理性を保っていらっしゃる。

 最近の彼女は事あるごとに母性を醸し出すようになってしまったし、私に対する対応は使用人に対してのそれでも養子に対するそれでもなくなっていた。

 何というか…私がこんなこと言うのもおかしいのだが…ドナと私を婚約させるためではなく、オルチーナ様が私を息子として扱いたいがために養子縁組したのではないかと疑いたくなるような変貌具合である。

 

 

「いえ、不満など滅相もありません。」

 

「では何故私の心配を理解してくれないの?」

 

「心配なされ過ぎです、いくらなんでも。」

 

「そんな事ないわ!あなたはもう、私の大切な息子になったのよ?」

 

「ええ、本当に感謝していますが…その…こんな事をしなくても…」

 

「ああ、もう、セバスティアン!お願いだから"ママ"を困らせないで!」

 

「ママ……?………ママッ!」

 

 

 オルチーナ様が変な事をおっしゃるものだから、私の隣にいるモローが釣竿を手放して彼女の方へ向き直る。

 

 モロー、本当に気持ちは分かるんだが、変なスイッチを入れるんじゃない。

 そしてオルチーナ様もいい加減正気に戻ってください。

 オルチーナ様もオルチーナ様で"なにがしかのスイッチ"とか入ってたりされますか?

 ならば私が責任を持ってそのスイッチを切らせていただきますので。

 

 

「…はぁ、これがハンコーキというものなのかもしれないわね」

 

違います

 

「さて。私はただセバスティアンの後を追ってきたわけではないわ。モロー、私はあなたに聞かなければならない事があるの。」

 

「………ママ………ママ…」

 

 

 呆けたように固まっているモローの様子を見て取ると、オルチーナ様は彼の首に手を伸ばし、その後ろ側を押す。

 するとモローは一度直立不動の姿勢になり、目を上下させてから正気に戻った。

 本当に何かしらのスイッチがあったらしい。

 

 

「あっ!ああっ、これはオルチーナ様!」

 

「ええ、モロー。あなたも元気そうで何よりね。…ところで、フランチェスカを見てないかしら?」

 

「ゔぇッ!?………フ、フランチェスカなんて見てません!」

 

 

 何故モローが明らかに動揺したのか分からないし、オルチーナ様がフランチェスカの動向を尋ねたのかもわからない。

 

 フランチェスカはイカれてるんじゃないかというほどの"おてんば"で、大ポカをやらかしたと思ったら、勝手に城を出てほっつき歩くというような真似もする。

 私から言わせると、アレこそ情緒不安定だ。

 主人の動向を周囲に尋ねて回る侍女なら多くいるかもしれないが、侍女の動向を周囲に尋ねて回る主人なんてドミトレスク城くらいにしかいないのではなかろうか。

 

 

「フランチェスカならまた戻ってきますよ。今までもそうでしたから。」

 

「ええセバスティアン…私もそうは思うのだけれど、あの娘がこんな冬場に"お散歩"に出かけることはなかったから、少し心配なの。」

 

「彼女に何かあったのですか!?」

 

「…モロー、白状なさい。実を言うと、他の侍女達はあなたとフランチェスカの関係を知っているのよ?」

 

「待ってください、オルチーナ様。モローとフランチェスカの関係についてお聞きしても?」

 

「察しなさい、セバスティアン!モローだって若者よ?それも勝利に終わった戦争から戻ってきた若者。婚約を済ませているのがあなただけだと思った?」

 

「…………ッ!」

 

 

 驚いてモローの方を見ると、彼は明らかに私から目線を逸らして口笛を吹いている。

 何が"水臭い"だ、このちゃっかり者!

 

 

「ひょっとして今までフランチェスカが勝手に城を出てたのは…」

 

「きっとモローに会うためよ。あなた達が出征してる間、あの娘は勝手に城から出て行く事がなかったわ。でもどこかうわの空な感じだった。」

 

 

 私が出征したことで、ドナは気が気でなかったらしい。

 恐らくフランチェスカも同様の気持ちだったはずだ。

 だからといって、4年間車の保守を丸々忘れるのはどうかと思うが。

 

 

「あなたがフランチェスカと逢引していたことは知ってるの。でもあなたが会っていないと言うのであれば…本格的に心配ね。モロー、思い当たるところはないかしら?」

 

「………いいえ、オルチーナ様。出征前彼女は教会にはよく行っていましたが…今は封鎖されてますし…」

 

「そうね。教会にもあなたのところにもいないのであれば…彼女一体どこに行ったのかしら?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オルチーナ様とドミトレスク城に戻り、お嬢様方と晩餐を共にする。

 今日はその席にドナもいた。

 彼女はオルチーナ様から"花嫁修行"なるものを教わっているらしく、ここ数日はドミトレスク城で起居している。

 改めて"家族"を得ることができたからか、ドナの対人恐怖症は随分と良好な経過を辿っているようで、今では彼女はオルチーナ様のお嬢様方とさえ、ベールなしの対話ができるようになっていた。

 彼女がオルチーナ様やシモン以外の人間と、そんな事ができるようになった事に驚きを覚えつつも嬉しく思う。

 なら、彼女が頑張っているように私も頑張らなければ。

 

 

「オルチーナ様、明日より職務に復帰してもよろしいでしょうか?」

 

「…正気?あなた身体に穴を開けられたのよ?」

 

「どうかご心配なく。お医者様からも"無理をしなければ"という条件付きではありますが、許可をいただいておりますので。」

 

「………」

 

「大丈夫です、オルチーナ様。今日だってモローと釣りをしていたのですから。…それにドナが頑張っているのに、私だけ寝込んでいては心苦しく思います。」

 

「…そうね、分かりました。あなたには職務に復帰してもらいましょう。」

 

「ありがとうございます。」

 

 

 私がオルチーナ様に謝意を述べると、今度はダニエラが口を開く。

 

 

「ところで、お母様。フランチェスカはまだ戻っていないの?」

 

「ええ。本当に、どこに行ってるのかしら。」

 

「まぁ、今までも朝まで帰ってこない時があったじゃない。」

 

 

 カサンドラが手元のサラダを突きながらそう言った。

 娘を心配する母親のような表情を浮かべるオルチーナ様とは対照的に、お嬢様方は"よくあること"というような態度である。

 無理もない、本当に"よくあること"なのだから。

 しかしそれでもオルチーナ様は安心できないようで、スープを啜るベイラに問いかけた。

 

 

「でも、モローのところへは行ってないそうよ。」

 

「じゃあ教会……あ、教会は封鎖されてるし…ドナはフランチェスカがどこに行ったと思う?」

 

「え?私………?」

 

「ええ。あなたがフランチェスカだとすれば、どこに行くと思う?」

 

「…………う〜ん……こんな綺麗な月の夜だから…きっと、雪の野原に座って………詩を詠むと思う………」

 

(かわいい)

 

(かわいい)

 

(かわいい)

 

(かわいい)

 

(かわいい)

 

 

 ただの晩餐会がドナを愛でる会に変わりつつあったが、夕食の殆どの皿は空になってしまったので、晩餐会はお開きになる。

 侍女達が部屋に入ってきて食器を片付けて始めると、オルチーナ様は恐らくドナに職人級の食器洗浄術を教え込むために侍女達と出て行った。

 私もお嬢様方に挨拶を述べて自室へと戻る。

 

 

 就寝の準備をしながら、フランチェスカが本当にどこへ行ったのか自身も気にかかっていることに気がついた。

 モローには大丈夫だと言ったが、しかし理性的に考えると不自然ではある。

 フランチェスカの事だから彼との婚約で舞い上がってしまい、突拍子もない事をしているのが容易に想像できるが、しかし、フランチェスカは月の下で詩を詠む類いの娘ではない。

 

 

 まあ、明日には帰ってくるだろう。

 私はそう思いつつ、ベッドに身体を預けて眠りにつく。

 ところが、フランチェスカは翌朝になっても帰ってこなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

棄教

 

 

 

 

 

 

 結局、フランチェスカは今に至るまで帰ってきていない。

 少なくとも私が車を走らせる直前まで、ドミトレスク城には彼女の目撃情報すらもたらされていなかった。

 ドナはまだベールを被らなければ外には出られなかったが、それでも自動車を用いた巡回を手伝ってくれている。

 私が村中の道を走らせている間にも、ドナは助手席でベール越し…人気のない場所ではベールをあげて…何かの痕跡がないか見渡してくれていた。

 

 

「どこにもいない…フランチェスカ…いったいどこに………」

 

「朝になっても戻らなかったのはこれが初めてだ。クソ!昨日のうちに探しておけば!」

 

 

 既に村中の人々に、フランチェスカ失踪の報は伝わっている。

 私が車を走らせている間にも、村人達はフランチェスカの名を呼びながらあちこちで彼女を探していた。

 正直、私は今になって後悔している。

 あまりに何度も同じような事があったとはいえ、完全に油断してしまっていた。

 女性が1人いなくなったというのに、どうせ大したことはないだろうとタカを括ってしまっていたのだ。

 

 

「おい!…おい!ドミトレスクの運転手さん!」

 

 

 そんな事を考えながら車を運転していると、誰かが私のことを呼び止めた。

 車のブレーキを踏んで振り返ると、イシュトヴァンの親父さんがこちらに駆け寄ってくる。

 

 

「ああ、ああ、良かった。この前は本当にすまねえ。」

 

「お気になさらないでください、私はこの通りピンピンしていますから。申し訳ありませんが、今は少し忙しく」

 

「フランチェスカの嬢ちゃんだろう?その事で話がある。」

 

「…何ですか?」

 

「ウチのカミさんの言うには、昨日の夜教会に入ってく彼女を見たってらしいんだ。」

 

「教会に?…封鎖されてるはずでは?」

 

「ああ、だから俺もカミさんに変なこと言うなって言ったんだが………あいつは嘘を言ってるようには見えねえ。」

 

 

 フランチェスカが教会に?

 だとすれば、教会の扉には鍵がかかっていたはずだから、その内部にいた人間…マザー・ミランダが招き入れた事になる。

 

 

「マザー・ミランダが彼女を…?」

 

「分からねえ、カミさんが見たのは嬢ちゃんだけだ。」

 

「アッペルフェルド!」

 

 

 親父さんの背後から声をかけてきた人物がいる。

 我が戦友、サルヴァトーレ・モローだ。

 モローは息も絶え絶え車までやってくる。

 

 

「はぁ、はぁ、オルチーナ様がおれとお前を呼んでる。…城まで戻ろう。」

 

 

 

 

 

 

 城まで戻ると、オルチーナ様は一冊の本を片手に執務室で我々を待っていた。

 彼女はその本のある部分を開いており、我々を対面のソファに促すとその内容を読み始める。

 表紙から見るに、恐らくフランチェスカの日記だろう。

 

 

「『…モローは照れながら受諾してくれた。彼ってとってもチャーミング。他の村人達は知らないだけで、彼には彼の魅力があるわ。…マザー・ミランダとは連絡が取れないから、挙式はまだ先になるだろうと思っていたけど、今日のお昼にマザー・ミランダと会った。あんな事があったから、表だって話はできないけれど、夜に教会で挙式について話をしてくれるって。今夜がとても楽しみ。』…これが、フランチェスカの日記の最後のページよ。彼女が帰ってきたら、私は殺されるわね。」

 

 

 日記の内容に、私は衝撃を受ける。

 フランチェスカはどうやらマザー・ミランダと会っていたらしい。

 イシュトヴァンのカミさんから聞いた話とも辻褄があう。

 

 

「セバスティアンもイシュトヴァンのお父上から目撃証言を得たそうね。…少なくとも、フランチェスカが教会に行ったことは確か。」

 

「ああ…!フランチェスカ!」

 

「落ち着きなさい、モロー。心配になるのは分かるけれど、彼女が教会にいるんだとしたら身の安全は心配ないと思うわ。………でも、まだ帰っていないのが気にかかる。…もう潮時ね。セバスティアン、あなたにはモローと一緒に教会を尋ねてきてもらうわ。」

 

「分かりました。マザー・ミランダから応答のない場合は如何致しましょう。」

 

「……ドアを蹴破ってもいい。」

 

 

 あまりに思い切りの良すぎる言葉に、オルチーナ様の方を見る。

 私の表情から正気の沙汰とは思っていない事を感じ取ったオルチーナ様は、領主としてこの判断に至った理由を説明した。

 

 

「彼女には悪い事をしたわ。けれど、1年間何の音沙汰もなかったのに、いきなりフランチェスカに接触するなんて何かおかしい。念のためにあの散弾銃を持って行って。」

 

「かしこまりました。」

 

 

 そこまで言った時、オルチーナ様が立ち上がる。

 そしてそのまま私の側まで寄ってきて耳打ちをした。

 彼女の声は罪悪感に満ち溢れている…恐らく、これから彼女が語る理由から。

 

 

「本当は病み上がりのあなたに行かせたくはない。けれど、モローのあの様子を見て?彼を落ち着かせるには、戦友のあなたの協力が必要よ。」

 

「ええ、分かっています。」

 

「でも…矛盾するようだけれど、無茶はしないで。悩んだ時はドナの事を思い返すのよ?」

 

「はい。胸に刻んでおきます。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 村人達は引き続きフランチェスカを探して回っていたので、閉ざされた教会の扉の前にいたのは私とモローの2人だけだ。

 おかげで教会の扉を蹴破るような真似をしたとして、誰もそれを止めることはいないだろう。

 できればこちらからノックした時にマザー・ミランダが招き入れてくれれば良いのだが。

 しかし3回目のノックを終えた後、それが淡い期待に過ぎない事が分かった。

 

 

「マザー・ミランダ!マザー・ミランダ!セバスティアン・アッペルフェルドです!オルチーナ様の遣いで参りました!マザー・ミランダ!開けてください!……クソ、ダメか。」

 

「罰当たりだけど、扉を蹴破るしかないな。」

 

「ああ。一気に破ろう。…マザー・ミランダ、これから扉を蹴破ります!離れていてください!」

 

 

 モローと共に扉の前に立ち、目配せをする。

 3.2.1の合図を行なって、2人は勢いよく扉を蹴破った。

 ダァンッという凄まじい音と共に扉は内側へと倒れ、その重さが埃を舞い上げる。

 私とモローはその誇りに咳き込みつつも、静まりかえっている教会の中へと歩みを進めて行った。

 

 

「マザー・ミランダ!マザー・ミランダ!どちらにいらっしゃるのですか!マザー・ミランダ!」

 

 

 マザー・ミランダに問いかけつつ教会の中へと進むと、ようやく目が慣れてきて、教会の中がよく見えるようになってきた。

 

 

 

 そして、私は驚きのあまり唖然とする。   

 

 

 

 出生前、私とモローは他の8人の若者達共に、戦争での無事をこの教会で祈ってもらった。

 その時の事は今でも覚えている。

 決して派手ではないが厳かで気品のある祭壇に、ステンドグラスの美しい輝き、それにいつもマザー・ミランダが私たちに聖書の一節を読んでくださっていた説教台。

 

 しかし、今ではそれは、完全に破壊されていた。

 それぞれの壊れ方は、自然に落下したり、あるいは偶発的に接触して壊れたような形跡ではない。

 誰かがあらん限りの力を持って、教会の内部に自らの悪意をぶちまけた結果としか思えなかった。

 私は精神科医ではないが、その破壊の状態からはある感情が感じ取れる。

 

 "憎悪"………尽きることのない、底なしの"憎悪"。

 

 その証左と言えるものが、説教台の背後に掲げられている。

 それは聖画像で、描かれている人物には何度も刃物で斬りつけられた跡があった。

 おまけに赤い塗料か何かでこう書かれている。

 "アンタは私を裏切った"

 一体何のことかも分からないが、この様子ではマザー・ミランダとフランチェスカが心配になるのも無理はない。

 

 

「フランチェスカ!返事をしてくれ!フランチェスカ!」

 

「落ち着け、モロー。野盗か何かがいるのかもしれない。」

 

 

 私は自分でそれが途方もない空想であると感じながらも散弾銃の初弾を装填する。

 野盗などいるものか。

 オルチーナ様の統治は、閉鎖された教会に野党が忍び込むのを許すほど杜撰なものではない。

 彼女がこの村の領主でいる内は、あんな粗野な連中は村に近づいただけで存在を露呈してしまうだろう。

 

 それに、昨日マザー・ミランダがフランチェスカを教会に招待した事実とも矛盾する。

 そもそも第三者がこの事態に関わっている理由を挙げれば、否が応でも突拍子もない原因を挙げなければならない。

 違う。

 この破壊は第三者によって行われたものではないだろう。

 

 では、誰が?

 まさか、マザー・ミランダ?

 私の記憶にあるマザー・ミランダは、常に清らかな心を持った柔和な人物である。

 そんな人物がこんな物の壊し方をするのを想像できない。

 

 もし、これをやったのがマザー・ミランダなら、何故こんな行為をした?

 周囲の村人達からの嫌がらせに嫌気がさした?

 "裏切った"というのは誰も周囲から彼女を守ろうともしなかったから?

 これも違う。

 言い方は悪いが、村人の反対を押し切ってオットーを保護したのは彼女の方だ。

 当然嫌がらせを受けると知っていたし、こんな事をする前にオルチーナ様に相談したことだろう。

 

 

 本当に何故なんだ?

 どうしてこんな事になった?

 そもそも彼女達は無事なのか?

 

 そんな事を考えていた時、説教台の奥に何かの手記らしきものがあるのを見つけた。

 周囲に何の脅威もない事を確認してからそちらの方へ向かい、手記を手に取る。

 1ページ目を開くと、それがドイツ語で記載された日記だと言う事に気がついた。

 

 

 オルチーナ様は無学な青二才であった私に、上流階級式の教育を施して下さった。

 私は国語の他に、ドイツ語と、簡単な英語も覚えている。

 これは前線では捕虜を尋問するのに役立った。

 戦争初期にオーストリア兵が捕らえられると、私はよく将校殿に呼び出されたものだ。

 

 ドイツ語の日記に眼を通す。

 始まりは1914年のハンブルクから。

 オットー・ギーゼブレヒトという若者の下に、軍の徴兵票がやってきたところから始まっている。

 彼は訓練の後、西部前線に配属された。

 ところがフランスの後方地帯での休暇中に、彼は現地の娘と駆け落ちしようとして軍からの脱走を企てた。

 結局憲兵に捕まってしまった彼を、上官は銃殺しようとしたが、ちょうど東部前線が始まったため、そちらへの移動を命ぜられたようだ。

 

 日記を飛ばしながら読んでいくと、最後の方で彼は軍の任務の中でも殊更不快であろう、糧食用の豚の飼育という任務に当たらされており、不品行は治っていなかったと思われる。

 そして、更に日記を進めていくと、今度は彼が悪寒や倦怠感、咳に悩まされ始めた事が分かった。

 

 最後のページは、悲惨な内容で終わっている。

 彼は上官に野戦病院への後送を願い出たが、既に野戦病院は満杯であると言われた事、そして装備一式と僅かな食料を手渡されて、部隊から離れるよう命ぜられていた。

 

 

「何か…あったのか?」

 

 

 教会の内部を一通り調べ終わったモローがこちらへやってきてそう尋ねた時、私の中で全てが繋がってしまった。

 そうか、それなら説明はつく。

 教会内部の破壊、"アンタは私を裏切った"の文字、それにマザー・ミランダの娘さん。

 何てこった………フランチェスカが危ない。

 

 不思議な表情でこちらを見つめるモローに、私は応える。

 

 

「……オットーは部隊から()()したんじゃない。()()()()()んだ。」

 

「え?………なんでそんな事に…」

 

「それは…恐らくは、奴がスペインかぜだったからだ。」

 

 

 そこまで言った時、教会の床の下から何かが割れるような音がする。

 私は釈然としていないモローを置いて、急いで祭壇の奥にある地下室への階段へ向かって行った。

 取り返しのつかない事になる前にどうにかしなければ。

 なんといっても、きっとマザー・ミランダの気は狂ってしまっているに違いない!

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

生贄

 

 

 

 

 

 散弾銃を腰だめに構えて、地下室への階段を急いで下る。

 私のすぐ後ろにはランタンを掲げたモローが続き、おかげで地下室の様子が分かってきた。

 そこは本来、飢饉に備えて村の食糧を貯め込んでいる倉庫だったのだが、しかし恐らくは殆どは消えて無くなっている。

 広くなった倉庫の中には簡単なベッドが3つ並べてあるのが確認できたし、その内の一つのサイドテーブルにはまたしても手記が置いてあった。

 

 

「いったいどういう事なんだ、説明してくれ!」

 

 

 もう意味が分からないと言った感じのモローの方を振り返る。

 その表情は混乱と困惑で疲弊していた。

 

 

「マザー・ミランダは主の教えに従って、オットーを保護した。村人達から理解されない事を承知の上で…自らを犠牲にして彼を守ったんだ。だがオットーはスペインかぜだった。我々が前線にいた頃、あの病の話は聞いたろ?」

 

「ああ。感染が広まりやすいって噂も流れてた。一個大隊全員が感染したとか…」

 

「オットーのスペインかぜのせいで、恐らくマザー・ミランダは娘さんを亡くしたんだ。」

 

「…!そ、それじゃあ…」

 

「教会の様子もこれで説明がつく。主の教えに忠実であろうとしたばかりに、彼女は娘を失った。あんなことをしたくなるのも当然かもしれない。もし、私が彼女の立場なら……今頃気が触れている。」

 

 

 オルチーナ様の言った通り、軍隊に必要なのは"個人の意志よりも集団の忍耐"である。

 つまりは、軍隊は基本的に集団として行動を取るのだ。

 これは決して個人では成し遂げられない物事を遂行するという利点もあるが、欠点ももちろんある。

 一例を挙げるとすれば、集団として行動するからには、何がしかの感染症が広まりやすいという事。

 軍隊と集団感染は切っても切り離せない。

 パレスチナでナポレオンのフランス軍はペストによって壊滅させられ、ルーマニア軍はバルカン戦争においてコレラで6000人を失っている。

 東西を鉄道網によって繋いだドイツ帝国軍が、スペインかぜの患者を輸送していたとしてもおかしくはなく、養豚場などという感染に理想的な環境で働いていたオットーが羅患するのは必然だったのかもしれない。

 

 

「それじゃフランチェスカはっ…!」

 

「まだ分からない。だけどマザー・ミランダは気が触れているだろうから、その彼女と接触したということは………ッ!?」

 

 

 物陰から"何か"が飛びかかって来た時まで、私は自身の従軍経験に感謝したことはなかった。

 狭い塹壕での白兵戦の経験から、散弾銃を盾にして飛びかかってきた"何か"の第一撃を躱す。

 第一撃が躱された事を察した"何か"は、そのまま散弾銃に掴みかかり、私は"何か"と散弾銃を挟んで対峙する事になった。

 "何か"は、まだ若者であるはずの私にとってすら力強く、こちらへの圧迫を強めていく。

 ランタンで照らし出されるそれに、私は見覚えがある。

 狼を連想される銀の毛並みに、低い響くような唸り声、そして………あの、黄色く濁ったような光る両目。

間違いなく、それはあの墓地で出会った怪物だ。

 

 

「モロー!モロー!手を貸してくれ!この化け物を…ッ!」

 

 

 怪物は唸り声を咆哮に変えつつ、私を徐々に圧倒していく。

 鋭い牙が私の顔面を噛み潰さんと迫って来て、私は顔を左右に流しながらどうにか怪物の鋭い牙から逃れるのがやっとの状態だ。

 やがては怪物の腕力が私のそれに打ち勝って、私は仰向けに押し倒される。

 

 

「モロー!何やってる!クソ!クソッ!」

 

「ちょっと待ってくれ!」

 

 

 視界の端ではモローが何かにまごついているような様子が見てとれた。

 怪物の圧倒的なパワーの前に、私の腕はもう既に限界に近い。

 奴の牙は段々の私の鼻先へと迫っていた。

 否応なく守勢に回される中、私の脳裏にはドナの微笑みがよぎる。

 こんなところで死んでたまるか!

 

 

「おい!モロー!何してる!何でもいいから、とにかくやってくれ!」

 

 

 私は渾身の力を込めて怪物を自分から押し離す。

 これでもう私の抵抗は限界だ。

 次に怪物が同じように腕力を加えれば、私はあの牙の餌食になってしまうだろう。

 幸運な事に、モローの救援が間に合った。

 

 ズドンッ!!

 

 とてつもなく馬鹿でかい音が地下倉庫にこだまして、怪物は吹っ飛ばされる。

 フルサイズライフル弾の直撃を受ければそれは当然のことで、怪物はボロ切れのように転がっていき、私は起き上がって散弾銃を構える。

 モローはオットーが装備していたであろう長大な歩兵銃を構えていて、銃弾を怪物に命中させた後、素早く廃夾と装填を済ませていた。

 

 怪物は吹っ飛びはしたものの、すぐに立ち上がり、目にも止まらぬ速さで階段の方へ向かう。

 

 

「助かった、モロー!奴を追おう!」

 

「あ、ああ!」

 

 

 モローと共に階段を駆け上がり、逃げる怪物を仕留めようと追いかける。

 だが怪物は非常識な程の速さで階段を登りきると、今度は数あるステンドグラスの窓のうちの一つを突き破って、教会の外へと逃げ出していった。

 すかさず破れた窓から散弾銃を突き出して銃撃するが、ペレットが直撃しなかったのか怪物はそのまま平然と逃げおおせていった。

 

 

「畜生ッ!……はぁ」

 

 

 思いっきり悪態を吐いて、次いで深呼吸をする。

 怪物は誰もいない方角…最終的には山の方へと逃げていき、その方向から考えるに新たな犠牲者は出ないことが確実であったので、私はひとまず安堵した。

 本当に危なかった。

 もしモローが後少しでも遅ければ、私はあの牙の餌食になっていた事だろう。

 

 

「本当に助かった、モロー。もう少しで、あの怪物のマティーニ・ランチになるところだった。」

 

「悪かったよ、ドイツ製の歩兵銃なんて扱った事なくて」

 

「そういう意味じゃない。本当に感謝してる。」

 

 

 実際、モローがいなければどうなっていたことやら。

 私とモローは怪物が戻ってこない事を確認すると、再び地下室へと戻る。

 私は手記を手に取って、ランタンに照らしながら読んでみる事にした。

 

 

『エヴァが死んだ。…私は主の教えを守ろうとしてオットーを助けたけれど、主は私のエヴァを助けることがなかった。オットーも衰弱していく一方。…いったい何のために?私は持ち得る全ての術をつかって彼を救おうとしただけなのに…どうして…………』

 

 

「………やはり、か。マザー・ミランダは娘さんを失った。耐えられるはずもない。」

 

「可哀想に…ところで、アッペルフェルド………何か臭わないか?」

 

 

 モローに言われて初めて、私は地下倉庫全体を覆っている異臭に気がつく。

 何かが腐ったような、そんな臭いがする。

 私はモローと共に、地下倉庫の中を調べてみる事にした。

 あの怪物が何か動物を持ち込んだのかもしれない。

 

 教会にはもう一つランタンがあったので、私はそれに火をつけて、二手に分かれて調べを始める。

 私は地下倉庫の入り口付近を調べ、モローは奥の方へと進んでいった。 

 

 並べられた簡易なベッドは、もうしばらくは使われていないようだった。

 汚れたシーツの上に埃の層ができていて、少なくとも1ヶ月はここで寝ている人間がいなかった事意味している。

 しかし同時に、このベッドの"使われ方"に関しては、通常では考えられない特徴が見受けられた。

 それはベッドの両端から鎖で繋がれた枷のような物がある。

 スペインかぜの熱に魘されたオットーが暴れた…?

 いや、それにしたって不自然だろう。

 そもそもオットーはどこへ行ったのだろうか。

 手記にはもう、マザー・ミランダの娘さんが亡くなった旨の記載がある事を目にしている。

 オットーは衰弱していると書かれていたから、恐らくは死んだのだろうか。

 そうなると余計にこの枷の存在意義がわからない。

 衰弱した病人に枷をかける?

 マザー・ミランダが娘の死の原因をオットーに求めて痛めつけた?

 だがベッドに血液の類が見受けられない以上、それも考え辛い。

 

 

 ランタンの明るさは十分ではなく、私は手記を持ち帰ってからドミトレスク城で読むのが良いと判断した。

 手記にはオットーがどうなったかについても記載されているはずだ。

 そうなればこの枷の事、或いはオットーの運命…更には、あの怪物についての記載もあるかもしれない。

 

 

 

「………フラン…チェスカ!?」

 

 

 そこまで考えたところで、疑問符を含んだモローの叫び声が聞こえた。

 どうやらフランチェスカを見つけたらしい。

 だが、モローの声色の様子から、私はフランチェスカが決して良い状態にはない事を想像せざるを得なかった。

 モローは信じられないものを見たと言わんばかりに彼女の名を繰り返し読んでいる。

 

 

「フランチェスカ!フランチェスカ!おい!フランチェスカ!」

 

 

 途方もなく嫌な予感がして、私は大急ぎで地下室へと戻って行く。

 予感的中。

 モローは倉庫の奥の方にいて、両膝をついて殉教者の死を悼むように嘆いている。

 彼のズボンの膝部分が赤く染まるほどの血溜まりができていて、何かが腐ったような臭いが辺りを覆っていた。

 

 肩で泣いているモローの傍にあるランタンが、全てを照らし出していた。

 それは、変わり果てたフランチェスカだ。

 いや、フランチェスカかもしれないと言った方が良いような気もする。

 身体のほとんどをおそらくはあの化け物に食われ、まさに肉塊と呼ぶに相応しいような状態になってしまっていた。

 

 

「………モロー…まだわからない。彼女がフランチェスカかは」

 

「いいや!!フランチェスカだ!!クソォッ!!このペンダントは彼女の母親の形見だったんだ!彼女が手放すはずはない!クソ!クソ!クソ!フランチェスカ!どうしてなんだ!くそおおおおッ!!」

 

 

 モローの肩に手をかけて落ち着かせようとする。

 知恵を絞って、せめてもの可能性を示唆しようとした。

 だが、彼は私の手を振り払い、この遺体がフランチェスカのものである事を証明する。

 彼は狂ったように泣き叫び、その途方もない悲しみを、これ以上ない方法で表現していた。

 私は、もう戦友にかけてやるべき言葉も見つからない。

 惨殺されたフランチェスカの遺体から動こうともしないモローを尻目に、私はマザー・ミランダの手記を手に取って階段を登る。

 彼はしばらく落ち着くまであのままにしておく方がいいかもしれないとさえ思ってしまった。

 

 ドミトレスク城に戻り、オルチーナ様に報告する。

 その後彼女や村の男達と共に教会に戻ると、モローはまだフランチェスカの遺体のそばにいたが、幾分かは落ち着いたようだった。

 悲しみに暮れる彼を立たせて教会から連れ出すと、村の男達がやってきて変わり果てたフランチェスカを運び出した。

 …猫背の漁夫にして私の戦友であるモローは、こうして再び孤独な人生へと戻ったのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

口論

 

 

 

 

 

 モローは塞ぎ込んでしまった。

 無理もない、彼は婚約者を失ってしまったのだ。

 もっとも悪い事に、彼の婚約者は惨殺され、彼はその惨たらしい遺体を目の当たりにしてしまった。

 

 彼は今ドミトレスク城の一室にいて、ドナが彼に付いていた。

 これまで自身がそういったことをされる側だったからか、彼女はどうにかモローの心の傷を癒そうとしている。

 その奮闘の効果があったとしても、モローの傷は癒えるまでに長い期間がかかることだろう。

 ……もしくは、生涯をかけても癒えないかもしれない。

 

 

 

 方や、私はオルチーナ様と共に執務室でマザー・ミランダの手記を読んでいた。

 その内容から察するに、私の危惧はあながち間違ってはいないようだ。

 彼女は娘を失い、理性を喪失してしまっている事だろう。

 

 

「つまり、マザー・ミランダはオットーを救おうとして、自分の娘を死なせてしまった。…なんてこと!」

 

「スペインかぜは非常に強力な感染力を持っています。ですが、彼女が知らなくても当然でしょう。私も軍隊にいたから知り得ただけです。」

 

「…エヴァはまだ幼かった。オットーの事を彼女任せにしなければ…!」

 

「ご自身を責めないでください、オルチーナ様。こうなったのは誰のせいでもありません。…強いて言えば、オットーを追い出した将校でしょう。この村の住人は、誰一人悪くはない。今考えるべきは、マザー・ミランダをどうするか…または、彼女がどこにいるか、です。」

 

「ええ、あなたの言う通りよ、セバスティアン。」

 

 

 オルチーナ様はそこまで言うと、両肘を机につき、例によって"母性"からキセルを取り出して咥え始めた。

 私は何も見ていないフリをしつつ胸ポケットから紙巻きタバコを取り出す。

 

 

「ご一緒しても?」

 

「…ええ。けれど、程々にね。」

 

 

 紙巻きタバコに火をつけて、その煙を吸い込んだ。

 それはオルチーナ様も同様だったが、表情は彼女の方がより深刻そうだった。

 まだ私が成人する前、いたずらっ子のダニエラに手を焼いたオルチーナ様が嘆いた時がある。

「ダニエラ!あなたのせいで来年にはきっと私、お婆ちゃんよ!」

 今のオルチーナ様は"お婆ちゃん"どころでは済みそうにないほど頭を悩ませている事だろう。

 

 

「……例の怪物は山の方へと逃げていったのね?」

 

「はい。残念ながら仕留めることはできませんでした。他の村人に危害を加えてなければ良いのですが…」

 

「今のところ、その手の情報はないから安心してちょうだい。」

 

「…………我ながら情けなく」

 

「いいえ!あなたも危うく、あの怪物に殺されるところだった。生きて帰っただけでも満点をあげたいくらい。……さて。怪物が山の方に逃げたなら…隠れ場所は"あそこ"かしら。」

 

 

 オルチーナ様が思い描いている場所に、私は覚えがある。

 きっと、あの洞窟の事を言っているに違いない。

 

 まだこの地域がオスマン帝国の支配下にあった頃、トルコ化を推し進める帝国の弾圧を逃れるために、主の教えを保たんとする人々が逃げ込んだと言われる洞窟がある。

 中々入り込んだ場所にあり、たしかにオスマン軍は最後まで彼らを見つけることができなかったという伝承が残っていた。

 怪物だって、どこかに隠れ場所を持っているに違いない。

 恐らくは教会には一時的に滞在していたに過ぎず、拠点はきっとそこだろう。

 

 怪物の目的が何かは、私も分からない。

 ましてやマザー・ミランダの目的など。

 そもそも、マザー・ミランダはあの怪物に何かしらの関係を持っていることは容易に想像できるが、その関係というのがどう言うものかもわからない。

 

 打ちひしがれたマザー・ミランダはそのままあの怪物に食われてしまった。

 怪物はマザー・ミランダに化けて、フランチェスカを誘い込んで食らってしまう。

 …そんな御伽話なら、フランチェスカがあの怪物を倒さなければ筋が通らない。

 マザー・ミランダは怪物と関係している…それも"同じ側"にいるのではないかという考えが、どうにも頭を離れなかった。

 

 そんな事を考えていると、オルチーナ様が立ち上がる。

 身長2m90cmの人物が立ち上がると否応なく目立ってしまうものがあった。

 彼女はその長身を屈めて、私にある事をお命じになる。

 

 

「怪物がどこにいるにせよ、そのままにはしておけない。マザー・ミランダも同様に放置しておくわけにはいかないわ。セバスティアン、ブカレストに電話を繋いでくれるかしら?」

 

「…ブカレストに?一体何をなさるんです?」

 

「ブカレストには夫の友人達がいる。ツテを頼って、軍を派遣してもらいましょう。」

 

「…!?」

 

 

 オルチーナ様の発案は、私にとっては信じられないものだった。

 

 

「正気ですか、オルチーナ様!ブカレストの役人共はここぞとばかりに貴女の権限を奪いに来ますよ!」

 

「ええ、覚悟の上よ。」

 

「覚悟の上って…いや、ダメです。いけません、オルチーナ様。貴女がやろうとしてることは、ドミトレスク家の終わりすら招きかねません!」

 

「勿論!そのくらい分かっています!大戦の結果世界の秩序は変わりつつある。私達旧秩序の封建体制が、歴史の表舞台を降りる頃合いなの。あなたも本当は分かっているでしょう、セバスティアン!この村は時代に取り残されつつある!」

 

「そうだとしても私はオルチーナ様の運転手として、ブカレストに電話をかけるわけにはいきません!」

 

「領主は領民のことを第一に考えなければならない!侍女が雇えなくても結構!娘達もこれで自分で人生を決められるようになる!良い事ばかりじゃない!さあ、セバスティアン!ブカレストへの電話を繋いでちょうだい!」

 

「ブカレストの司令官に何と説明するおつもりですか!?まさか、村に伝説の狼男が現れたから退治してくれとでも!?御伽噺(おとぎばなし)じゃないんです、軍を寄越してくれるとお思いですか!?」

 

「なら一体どうすると言うのよ!?」

 

 

 私に対案がないかといえばそんな事はなく、いつでもそれを言い出せるように纏めてはいた。

 だが、それをオルチーナ様が簡単にお許しになるとは思えない。

 どうにか説き伏せるしかない、腹を括って口を開いたその時だった。

 

 

「私は」

 

 バァアンッ!!

 

「さっきから聞いてりゃこのデカ女ァ!」

「オルチーナ様以外の統治者なんて考えられねえよ!」

「ブカレストなぞくそ喰らえ!」

 

 

 執務室の大きな扉が蹴破られ、ハイゼンベルクを先頭に多くの村人が押し入ってくる。

 こちらに背を向けたまま、どうにか村人達を抑えようとする侍女達に耳もかさずに、彼らはそれぞれの主張を挙げながらこちらに迫ってきた。

 その様はまるで、領主の圧政に耐えかねた農民の反乱そのものだったが、彼らの主張はその比喩表現とは真逆のようだ。

 

 

「…………Wow…Wow……」

 

 

 あまりの衝撃的な光景に、思わず英語を口にするオルチーナ様。

 私も口をあんぐりと開ける事以外には何もできない。

 なんだなんだアンタ達、町内会みたいな雰囲気で入ってくるんじゃない!

 一応ここは領主の執務室なんだぞ!

 そんな事を思っていた時、ハイゼンベルクがオルチーナ様の前まで大股開きでやってきて声を張り上げる。

 

 

「分からねえのか、デカ女!ブカレストの役人共はアンタさえ排除すれば、機械的な統治システムに容赦なくこの村をぶち込むぞ!」

 

「……な…ハイゼンベルク!あ、あなたのような自由主義者にとっては、それが理想ではないの?」

 

「良い加減にしっかりしろ!アンタらしくもねえ!この村に必要なのは急造品の議会じゃなく、思慮深いアンタのような指導者だ!領民の事を思ってる割には肝心なところが抜けてやがる!」

 

「………そ、そんな」

 

「それに、新聞読んでねえのか!?ポーランドとウクライナはボリシェビキ共と全面戦争の真っ最中だぞ!?今頃、ブカレストの司令官はポーランドとウクライナが持ち堪えられるかどうかでヤキモキしてんだよ!ボリシェビキ共がポーランドを平らげたら、矛先はこっちに向くだろうからな!こんな辺鄙な村の与太話になんか付き合う暇はねえ!」

 

「…………」

 

 

 ハイゼンベルクの言う事は、あまりにも現実的だった。

 軍隊を送ってもらうにせよ、洞窟に隠れたであろう謎の怪物を引き摺り出して退治してくれなどという理由では、鼻先で笑われて終わる事だろう。

 ましてや隣国が共産主義者と戦争中なら、その要求はあまりに馬鹿馬鹿しいと言わざるを得ない。

 

 彼が淡々と並べる事実と、あくまで彼女の統治を支持する村人達の行動に、オルチーナ様は胸を打たれたような様子だった。

 彼女は再び席に座り、ハイゼンベルクに問いかける。

 もし彼女の献身が何の意味もなさないなら、どんな手を打つべきかと。

 

 

「……じゃあ、どうしろっていうの?あの怪物を放置するわけにもいかないでしょう?」

 

「第一、こんな事になったのはアンタだけじゃなく、俺たち村人全員のせいだ。誰もミランダを助けようとはしなかったからだ。だからこの件は俺たち全員でカタをつけなきゃならねえ。」

 

「でもよぉ、村の男達全員で行って、全滅したらどうすんだよ!?」

 

「相手はとんでもねえ巨体のバケモンなんだろう?俺たち全員いても無理じゃねえか?」

 

「バカ!誰が巨体だなんて言ったんだ、こんな小さなゴブリンだって聞いたぞ?」

 

「ゴブリン?いや、ワシが聞いたのはオスマン軍が攻めてくると…」

 

「はいはい、お爺さん。露土戦争は終わりましたよ」

 

「はぁ…まったく!この村の連中は()()だな!」

 

 

 ハイゼンベルクの言葉の後に、村人達が勝手に相談を始めて収拾がつかなくなりつつあった。

 誰も彼もが勝手に訳の分からないデマカセまで口走り、世論の大迷走が始まっている。

 ハイゼンベルクは天を仰ぎ、ため息混じりにそう言った。

 あの、だから、アンタら…ここは町内会じゃないとアレほど…

 

 まぁいい。

 私は勝手に町内会を始めている村人達と目頭を押さえて天を仰いでいるハイゼンベルクを無視して、オルチーナ様の側まで歩み寄る。

 机に項垂れている彼女の耳元に顔を近づけると、私は先程言おうとした提案を伝えることにした。

 

 

「オルチーナ様、村人の何人かは気づいていますが、ただただ人足を送り込んでも、犠牲者が増えるだけという可能性もあります。」

 

「ええ、それはそうだけれど…」

 

「ですから、私としましては…是非ともこのセバスティアンに怪物を」

 

「おだまりやぁあああアアアッ!!」

 

 

 

 突然、とんでもない叫び声が耳をつんざいて、私は思わずそちらを見る。

 村人達も一気に"町内会"をやめ、そちらの方を振り返った。

 その叫び声を放った人物は、村人達を超えた奥にいる。

 私は彼女を見て、思わず目を疑った。

 

 

「………ドナ?」

 

 

 そこには顔をベールで隠したドナがいて、彼女の抱えるアンジーが憤然とした態度を取っている。

 そして今、彼女はドナとしてではなく、"アンジーとして"私の方に話しかけてきた。

 

 

「セバスティアン!可愛いお人形ちゃんから話があるの!こっちに来てもらえる?」

 

 

 どういう風の吹き回しかは分からなかったが、ただ一つ言えることがあるとすれば。

 ドナとアンジーは間違いなく上機嫌ではないと言うことだろう。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

妥協

 

 

 

 

 

 

「ヴェェェイ!ヴェェェイ!ざぁこ!ざぁこ!セバスティアンのざぁこ!イクジナシ!ヨワムシ!ヴェェェイ!ざぁこ!ざぁこ!」

 

 

 私はアンジー…つまりはドナに別室に連れて行かれてから、まるで何かの呪文のような罵倒を浴びせられ続けている。

 ドナの腹話術のかわいらしさもあって、ややもすると紳士にあるまじき劣情を抱きそうになる言葉を浴びせてくる理由は未だわからない。

 アンジーはとにかく私を罵倒し続けていたのだが、やがてその理由がわかってきた。

 

 

「ざぁこ!セバスティアンのざぁこ!結局怪物を倒せずに逃げ帰ってきたんでしょ!アンタに怪物の相手なんて無理なんだっての!この、ざぁこ!」

 

 

 アンジーの発言からドナの心配を読み取るに、私は何故自身の考えが彼女に露呈しているのかを疑問に思わなければならなくなる。

 ドナは確実に、私がオルチーナ様に何を提案しようとしているのか既に探り当てている様子だ。

 そう、私があの洞窟に入っていって、あのクソ怪物を倒そうとしていること…そしてそれに伴う危険も察している。

 

 きっと、彼女は本当に怒っている。

 でも彼女は人前で怒ったことも、その感情を表に出したこともない。

 だからこそアンジーにその役を委ねている。

 人に怒りをぶつけたこともない無垢な彼女は、私にどう怒れば良いのか…自身の想いを伝えれば良いのかさえわからないのだろう。

 

 しばらくすると、アンジーの声色が変わり始める。

 ドナはもう限界に違いない。

 表現できない強い想いは、やがて溢れかえって哀しみとなる。

 

 

「ざぁこ!ざぁこ!セバスティアンのざぁこ!ヴェェェイ!ヴェッ………」

 

「………ドナ?」

 

「………………どうして、セバスティアン?…………なんで…わかってくれないの?」

 

 

 突如としてアンジーがガクリと肩を落とし、まさしく糸が途絶えたようになると同時に、アンジーの罵倒はドナの…何かが詰まったようなか細い声に変わった。

 

 

「…………あなたに……何かあったら………私っ…」

 

 

 今度は私が行動を起こすべき番だった。

 私は彼女の方へ歩み始める。

 ドナはアンジーを前に突き出して、私に距離を保つようにジェスチャーを行うが、悪くは思いつつも彼女の頼みは聞いてやれない。

 彼女の目の前まで歩み寄ると、私はアンジーを彼女の手から受け取って側にある椅子に座らせて、身体を硬直させる彼女の両肩に手を乗せた。

 そしてそのまま、彼女のベールに手をかけ、彼女と私を隔てる唯一の障害であるベールを捲る。

 

 

 ドナの白い肌は、彼女がかつて綺麗と呼んだ雪のように透き通っていた。

 その顔に浮かぶ、薄紅色に染まる頬は実際よりずっと紅く染まって見える。

 そして何よりも、彼女の目尻から流れ落ちる涙が、今までの彼女では考えられない表情を形成していた。

 

 

(かわいい)

 

 

 彼女の婚約者として相応しい感性ではないのを承知の上で、それでも私はそう感じざるを得ない。

 そんな私の視線から察したのが、ドナは狡猾な事にその愛らしさを武器に変えてきた。

 

 

「…………行かないで!…セバスティアン、あなたを失いたくないの!」

 

 

 なんたこった、ドナ。

 いつの間にそんなあざとさを身につけた?

 その誘惑は私にとってあまりにも…毒毒しいまでに甘ったるい。

 ドナが私と婚約を結んだ後、その対人恐怖は信じられないほど良好な過程を経ていたから、もしかすると彼女は人の心を察する術を身につけたのかもしれない。

 皮肉にも彼女の新たな特技が、否応なく私を苦しめている。

 

 

「約束したでしょう?…自分を大切にしてって………」

 

「………ああ。だけど、この村で軍隊の訓練を受けた若者はもう私しかいない。あと何人かも必要だが、私は絶対に行かなければ。」

 

「……モローに任せてもいいじゃない!」

 

「いや。彼はダメだ。きっとフランチェスカの事で復讐心が燃え上がる。…シルヴェストリを?」

 

「…ええ」

 

「あいつは親友のロシェを殺され、敵への復讐に駆られて塹壕を飛び出して、そのまま砲弾で死んでしまった。モローを連れて行けば我を忘れて怪物を追いまわす。そしてそれは共に戦う味方さえ危険に晒す事だろう…君は彼の側にいてあげてくれ。」

 

「………いや!……ああ、その……あなたと離れるのが嫌!もう…私は置いて行かれたくないの…」

 

 

 もう、彼女の抱擁を受けるのは何度目だろう。

 それでも、この抱擁はこれまでのそれとは違う意味を持っている事は、想像に難くない。

 彼女は両親に"置いて行かれた"。

 だからもう大切な人を失いたくはない。

 それは分かるが、それでも私は自身の決断を突き通さねばならないのだ。

 

 

「………行ってはダメ。行かせないわ!」

 

「大丈夫、私は絶対に帰ってくる。出征した時だってそう約束したし、ちゃんと守ったろう?」

 

「今度も無事に戻れるとは限らないっ…!」

 

「どうか信じてくれ、ドナ!」

 

 

 しばらくの沈黙。

 秒針はそんなに進まなかったはずだが、この短い時間は実際よりも遥かに永く感じた。

 するとどういうわけか、ドナは袖で涙を拭うと、私の首後ろに手を滑らせ、こちらへの距離をグッと縮めてくる。

 そして………

 

 何か柔らかなものが額に当たった。

 彼女は雪のような肌を真っ赤に染めて、それでも私の目を真っ直ぐに見据えている。

 その瞳は悲しみに暮れながらも、私への期待を込めているように見えた。

 

 

「………この続きは、戻ってから。実を言うとね…あなたの事だから、こんなことを言われるのは分かっていた。できれば思いとどまってほしかったけど………うぅん、あなたにそんな事できるはずがない。だって…」

 

「………」

 

「1番の背信は、友への裏切りでも、家族への裏切りでもない。自分自身…そう、あなた自身に対する裏切り。…あなたは不埒な人間ではないもの。自分を裏切って、私の言う通りにならないことは分かってた……認めたくなかっただけで。」

 

 

 彼女の両手が、私の首筋から両腕へと降りてくる。

 最後には、彼女の両手が私の両手を握っていた。

 

 

「………ええ、分かってる。村のためには、もう手立ては残されていない。外部からの助けは見込めない以上、私達でどうにかするしかないもの。あなたが必要なのは火を見るよりも明らか………でも…いえ、だからこそ、どうか約束してほしい…」

 

「………ああ、約束しよう、ドナ」

 

「…無事に生きて帰ったら、一緒に商売をしましょう。私がお人形を作って、あなたが売りに行くの。…かつて、私の両親がそうしたように。」

 

 

 彼女はそう言って微笑んだ。

 なんて素敵な笑顔なんだろう。

 怒った顔も、泣いてる顔も可愛いらしいが、やっぱりはにかむように微笑んでいる笑顔が、何よりも勝って可愛らしい。

 ああ、本当に………

 

 

(かわいい)

 

 

(かわいい)(かわいい)(かわいい)(かわいい)

(かわいい)(かわいい)(かわいい)(かわいい)

(かわいい)(かわいい)(かわいい)(かわいい)

(かわいい)(かわいい)(かわいい)(かわいい)

(かわいい)(かわいい)(かわいい)(かわいい)

 

 

 

 

 私は心霊現象なるものなど信じはしないが、流石にここまで来ると"何か"を感じるなと言う方に無理がある。

 振り返ってドアに向かい、私とドナだけの部屋の扉を開けると、オルチーナ様やハイゼンベルクその他大勢の村人達や侍女までもが、ドアのこちら側へ転がり込んできた。

 本当に盗み聞きがお好きなんですね、オルチーナ様。

 

 

「………んっ、ンンッ、セバスティアン、私は何も聞いてないから安心して。」

 

「……………分かりました。では改めて。オルチーナ様、是非とも私にあの怪物の件をお任せください。」

 

「仕方ありません………あなたは私にとっても我が子同然よ。生きて帰らなかったら許さないから覚悟なさい。」

 

 

 一瞬、その場合はあの世で具体的に何をされるのか真剣に考えてしまった。

 大きな鉤爪で追い回されたりするのだろうか?

 …ふざけてる場合じゃないな。

 

 

「かしこまりました!」

 

「…それで…あなた1人だけでは荷が重いということを、あなた自身よく分かっていると思うのだけれど…モローがダメなら、一体誰を連れて行くの?」

 

 

 これでハッキリ分かったが、オルチーナ様と村人達はかなり最初の方から盗み聞きをしていたのだろう。

 寧ろ私とドナがこの部屋に入った瞬間から聞き耳を立てていたような気もする。

 ドナは再びベールを降ろして恥ずかしがっているが、この際それは無視しよう。

 今こそ、私の案をオルチーナ様にお話ししなければならない。

 

 

「私は少なくとも、6名前後の人足が必要だと見ています。それを2名1組の3個チームに分けて洞窟を探索するんです。こうすれば犠牲は少なくて済みますし、運が良ければこちらが先に怪物を見つけられる。」

 

「それじゃあ、まずは俺が行くってのはどうだ?」

 

 

 ハイゼンベルクが手を挙げて群衆の中から進み出た。

 正直彼なら私も安心だったが、それに伴う懸念もある。

 

 

「カールさん、お気持ちは嬉しいんですが、あなたは村で唯一のエンジニアです。」

 

「んな事言ってる場合じゃねえだろ!…それにだな、俺ぁこう見えても射撃は得意な方だぜ?」

 

「分かりました、ハイゼンベルク。あなたにもお願いしましょう。他に進み出てくれる方はいるかしら?」

 

 

 オルチーナ様が群衆の方へ振り返ると、既に4名の村人が進み出ていた。

 どうやら彼らも覚悟を決めているらしい。

 私は軍隊生活で部下というものを持つ立場にはいなかったが、彼らの事も必ず生きて帰さねばならないと思った。

 その献身が無駄にならぬように。

 そして再び悲劇を生まぬように。

 

 

「それじゃ、総大将。作戦を説明してくれ。」

 

 

 ハイゼンベルクがそう言って、ニヤリと笑う。

 この頼もしい技術屋の笑みに安心感を覚えつつ、私は彼らへの説明を始める。

 この探索は、軍隊でいうところの掃討戦だ。

 人数はずっと少ないが、やり遂げられる見込みは十分にある。

 私は自身の案を彼らに話し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ………………………

 

 

 

 

 

「この役立たず!」

 

 

 女がそう叫んで、怪物は吹き飛ばされた。

 まるで車に轢かれた犬のような悲鳴をあげ、地の上を転がっていく。

 しかし女はそんな怪物の様子に何一つ気にもとめていないようすだった。

 

 

「…………………だが、彼らも来る。彼らが来れば、我が悲願もようやく最初の段を登ることができるだろう…ああ、なんと待ち遠しい。」

 

 

 女の口元が歪に曲がり、邪悪な笑みを含ませた。

 いくつかの計算は外れたが、物事は彼女の思惑通りに進みつつある。

 今のところは、彼女にとってはそれで十分だった。












セバス「おぼろおえおえええええっ!」

作者「え?なになに?モローの件で内臓吐きすぎて苦しいって?」

セバス「おええっ…」

作者「んじゃもう一回砂糖でも吐いとけ!」

セバス「おぼえええええええッ!」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

実験

 

 

 

 険しい山道を登り切ると、洞窟の入り口がある。

 そこにはかつてここに逃げ込んだ聖職者達がオスマンの軍隊から逃げおおせた事を主に感謝して刻んだとされるレリーフがあり、その見事な彫刻が洞窟の目印になっていた。

 私は列の先頭に立って、ソルノクの戦利品である散弾銃の初弾を装填する。

 もう手慣れたものになったその動作をこなしつつも、後ろを振り返って私の指揮下に入った若者達に声を張り上げた。

 

 

「予め説明した通り!必ず2名1組で行動する事!何があってもだ!何度も言ってるが、君たちの誰か1人だけで打ち取れる首じゃない!邪な功名心は捨てる事!」

 

「……奴と2回も"交戦"してるセバスティアンが言うんだ、間違いねえ!俺たち全員であのクソッタレをぶち殺そう!」

 

「「「「はい!!」」」」

 

 

 言葉は汚いが、私のような覇気のない男が1人でやるよりずっと効果のある口添えをハイゼンベルクがしてくれた。

 本当に頼りになる兄貴肌だと、私は思う。

 私としては、そんな頼りになる兄貴肌を他のチームに混ぜておきたかったのだが、ハイゼンベルク自身はあくまで私とチームを組む事を望んだ。

 私の散弾銃では近距離ではとてつもない威力を発揮できても、反面少しでも距離を取られれば効果を著しく失う。

 ハイゼンベルクはオーストリア製のライフル銃を持っていたから、散弾銃を持つ私とは遠近両用の装備が組めるというわけだ。

 勿論、他の2チームもバランスのとれた装備を持参している。

 いずれもどちらか1人がライフルをもって、もう1人は散弾銃または大口径のリボルバーを手にしていた。

 最悪、これで2人1組の場合にもあの怪物に対処できることだろう。

 

 

「それじゃ、始めようぜ。今度はこっちがあのクソッタレを狩る番だ。」

 

「何かあったら必ず大声で知らせろ、それでは前進!」

 

 

 我々武装した6名の若者は、銃とランタンを前に突き出しながら洞窟へと入って行く。

 分岐があれば、そこで初めて分散する予定で、それまではできる限り固まって動く算段だ。

 集団で洞窟に足を踏み入れたものの、やがてオスマンの連中がこんな場所に入りたがらなかったのもわかる気がした。

 外の明るさが届くのはほんの入り口付近程度のもので、後は不気味な暗さに包まれている。

 死角も多く、ここから槍でも突き出されればオスマンの連中はひとたまりもなかった事だろう。

 幸いな事に我々の手元には中世の時代には考えられなかったような近代的な武器があるが、それでも互いの死角をカバーできるよう2人1組を崩さずに慎重に進んでいった。

 

 

「そろそろ30分になる。部隊を休憩させるベキだと思うぜ、司令官殿。」

 

「……ええ、そうしましょう、カールさん。全員停止!私の位置まで集合!」

 

 

 私以外には徴兵経験もないので当然だったが、やはり軍隊生活時代のような動きは彼らに望めなかった。

 4人の若者達はヨロヨロと何かを迷うようにしながらこちらへとやってきたが、私が号令をかけてから集合を完了させるまでに5分近い時間を要したのだ。

 ソルノクでの戦闘の後、私とモローはトアデールの事で酒のやけ飲みをした。

 酔った勢いもあって軍曹への不満をぶち撒けたものだが、いざ彼の立場…"部下"を率いる立場になって初めて軍曹の立場の辛さを思い知る。

 あの会話は軍曹に聞こえてなければ良いが。

 今思うと、恥知らずにも程があった。

 

 

「…よし、点呼を取る。シメオン!」

 

「はい」

 

「ハスキル!」

 

「ここにいますよ」

 

「モスコヴィッチ!」

 

「モスコヴィッ()、です。」

 

「レスコ!」

 

「…………あ、はい、います」

 

「あとはカールさん……とりあえず、全員はいるな。それでは休憩をしよう。」

 

 

 それぞれランタンと銃をすぐ手の届く範囲に置かせてから、私は彼らを休憩させる。

 私も私で胸ポケットから紙タバコを出して火をつけたが、目の前に座るハイゼンベルクが顔を顰めた。

 

 

「お前、なんだそりゃ。デカ女の真似か?」

 

「…オルチーナ様の?……ああ、いえ、軍隊時代の名残りですよ。」

 

「理解できねえな。戦争では死を恐れるのに、その合間では自ら"死の原因"を作ってやがる……そいつは時限爆弾だぞ、やめとけよ。」

 

「プフッ!ゲホゲホゲホッ……ああすいません。仰る内容があまりに的確過ぎて。」

 

「…冗談で言ってんじゃねえよ。ここから帰ったら、そいつはもうやめろ。お前がドナより先に死んだら、俺はお前の事を許せないかもしれない。」

 

「…………」

 

「俺はドナを助けてはやれない。でも、お前だけがドナを助けてやれるんだ。だから俺はお前を助けたくてチームを組んだ……駄々こねて悪かったな。」

 

「いいえ、ありがとうございます。…もし、生きて帰ったら」

 

「そっから先は言うな、新郎さんよ。多分…本当に生きて帰れなくなる。さて、そろそろ行こうぜ。」

 

 

 休憩を終えて、我々は再び歩みを進める。

 より慎重に、より確実に。

 確たる歩みで安全を図りつつ、目標を確実に追い詰めつつあった。

 おかげで我々の進撃は順調に進んでいたのだが、遂に先頭を進んでいた私は立ち止まる。

 そこは出来ることなら避けたかった分岐点で、洞窟はそこから3つの道に分かれているようだった。

 

 

「………やはりか。私とカールさんで右を攻めましょう。」

 

「おう」

 

「左をシメオンのチーム、真ん中はモスコヴィッチ…」

 

「モスコヴィッ()です!」

 

「ああ、すまん、モスコヴィッシに頼む。…繰り返すが、何かあったらすぐに大声で知らせろ。」

 

 

 6名の若者達は、ここで初めて分散する事になった。

 私はハイゼンベルクと共に一番右の洞窟を進んでいく。

 ここまで来た時と同じように、慎重に、慎重に。

 分岐点を通過してからしばらく経ったあと、突然ハイゼンベルクが私の肩を叩く。

 何事かと振り返ると、ハイゼンベルクは人差し指を自身の唇に当てていた。

 

 

「シーッ………」

 

「………」

 

「何か聞こえないか?」

 

 

 再び正面を向いて、ゆっくりと目を瞑って聴力に全神経を傾ける。

 ああ、たしかに彼のいう通りだ。

 地を這うような、特有の唸り声。

 洞窟の内部を形成する禍々しいまでの岩に反響するせいで正確な距離は分からないが、少なくとも私には、墓場を荒らしてフランチェスカを食い殺したあの怪物の唸り声に聞こえた。

 

 

「…"奴"です、間違いない。」

 

「肩の力を抜け、セバスティアン。お前は戦争から生きて帰った。あのクソッタレに散弾を浴びせて、首を切り取って帰るだけさ。簡単だろ?」

 

「だと、良いんですがね。」

 

「とにかく慎重に行こう。奴は近え。」

 

 

 ランタンと散弾銃に暗闇を先行させていくと、唸り声がだんだんと近くなってきた。

 心拍数がぐんぐんと上がっていき、自身の吐息にすら恐怖を煽られる。

 いつ襲われても良いように散弾銃を腰だめに構えてはいるが、誤射だけはしないように引き金から指を外していた。

 だが、そのおかげで私はグリップをいつもよりずっと強く握ることになる。

 

 

 唸り声に導かれて暗闇の中を進み続けると、何故か前方の方から明かりが見えたような気がした。

 そんなはずはないと何度か瞬きをしてみるが、進むたびに前方に煌めく灯りはよりはっきりと見えてくる。

 やがてはロウが溶け落ちる特有の臭いが鼻腔をつき、私はそれが幻覚の類ではない事を認めざるを得ない。

 尚も明かりの方へ進むと、そこは我々のいる穴蔵よりもよほど大きな空間で、その中に机や椅子が並べてある事に気がついた。

 

 

 

「こ、こいつはいったい…」

 

「なんなんだ?」

 

 

 私とハイゼンベルクは顔を見合わせて呆然とする。

 こんな荒れた洞窟の奥に誰かが住んでいることなど想像もしていなかった。

 それはどこからどう見ても、決してあの獣が隠れ住んでいるような場所ではない。

 大きな長方形の机は4つ綺麗に並べてあり、その上にはフラスコやビーカー、それに幾つかの書類さえ見受けられる。

 それらを照らす蝋燭に火が灯っていることが、そこに誰かしらの人間がいることを指し示していた。

 

 

 私は机の上にある文章の内の一つを手に取ってみる。

 それはどうやら一枚のメモ書きで、いくつか項目がカルテのように並んでいた。

 メモ書きを照らす明かりの明度は十分だったが、だからこそ私はその内容を見て息を呑む。

 文章の筆跡は、明らかにマザー・ミランダのそれだった。

 

 気づけば、あの低い唸り声は鳴りを潜めている。

 私はハイゼンベルクに見張りを頼みつつ、文章をよりよく見えるように蝋燭に近づけた。

 

 

 

『経過記録:被験者 オットー・ギーゼブレヒト(以下、被験体ö)。試作品"カドゥ"を被験体öに投与、以下に記録を示す。

 

 ・1日目 被験体öに対し、試作品培養液を静脈注射にて投与。悶え苦しみ初め、拒絶反応を起こす。スペインかぜとの関連性は?

 

 ・2日目 被験体öは理性を失う。全身から灰色の体毛、歯は牙に変化。スペインかぜの症状は見受けられないが、極めて危険な凶暴性を示す。

 

 ・3日目 相変わらず被験体öとの対話は不能だが、こちら側からコントロールは可能。事後は研究手段としての活用を行う予定。…完全な失敗作。

 

 ・4日目 被験体öは適合さえ不完全。試作培養液というけいたいに問題があると判断する。副要因は絞り込めないが、別の方法を模索………寄生体との合成、外科的投与が理想的か?』

 

 

 

 いったい、なんなんだこの文章は。

 マザー・ミランダの筆跡で書かれた文章に、私はあまりに深い衝撃を受けた。

 この文章に書いてある事が事実だとすれば…

 

 あのクソッタレの怪物は、マザー・ミランダがオットーを素体に生み出したものだという事になるだろう。

 

 

 背筋が凍るような思いだった。

 たしかに。

 たしかに、私は彼女はきっと狂ってしまったと思っている。

 だが、まさか彼女があんな恐ろしい怪物を作り上げる事までは予想だにできない。

 そもそも、"カドゥ"とはなんだ?

 オットーに投与して、何を確かめたかった?

 そんな疑問符ばかりが頭を駆け巡る。

 

 

「おい、セバスティアン。これを読んでみろ。」

 

 

 そう言って、ハイゼンベルクが私にもう一枚文章を渡した。

 そこにはこう書いてある。

 

 

 

『本日、被験体öに死体を掘り起こさせた。新型"カドゥ"を投与するも効果なし。死体への直接投与・蘇生は挫折。

 

(中略)…本日、被験体öが負傷して戻る。散弾銃による銃撃痕あり。修復能力は期待値を大幅に下回る。

 

(中略)………本日、試験体F確保の為、被験体öを使用した捕縛を試みたが、被験体öが暴走したために頓挫した。試験体Fの喪失は痛手だが、被験体öの傷に修復が見られる。………生身の人間?

 

 

 

 最後の文字に下線が引いてある事実が、私をよりゾッとさせる。

 いったい、マザー・ミランダは何を考えている?

 この文章を読む限り、もうマザー・ミランダを被害者とは考えられなくなった。

 彼女は怪物の犠牲になったどころか、怪物を生み出して利用したのである。

 死体を掘り起こさせ、私に銃撃させ、そしてフランチェスカを襲わせた。

 彼女は完全に"黒"だ。

 

 

 そう確信した時、遠くの方で悲鳴が聞こえた。

 続いて、獣の咆哮が耳をつんざく。

 若者達の内の誰かが、邪な功名心とやらに駆られたに違いなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 













明日と明後日更新が途絶えるかもしれません…月曜日には上げたいと思いますのでよろしくお願いします


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

決闘

 

 

 

 

 

 1913年

 トランシルヴァニア

 

 

 

 

 

 ルーマニアは結局、この戦争で"漁夫の利"を得た。

 セルビアとギリシャを相手にしていたブルガリアにはすでにルーマニアに対して充られる兵力は残っておらず、ルーマニア軍はブルガリアの首都ソフィアまで殆ど何らの抵抗も受けずに到達したのだ。

 にも関わらず、私の父は亡くなり、そのショックを受けた母親が後を追うように亡くなった事で、私は15歳の孤児となってしまった。

 

 村人達は"戦争で"両親を亡くした私に最大限の慈悲を持って接してくれたが、誰もが私を引き取れないことは分かっている。

 それは決して慈悲が見せかけのものに過ぎなかったからではない。

 ここの村人達が孤児の私を見て心を痛めているのは、この村の殆どを占める第一次産業従事者の中で、育ち盛りの男児を引き取れるほどの余裕があるものがいないからだ。

 だから…彼らはきっと私の事を助けてやりたいと思っていたのだろうが、自分達でそれをする事は叶わないことに心を痛めていたのかもしれない。

 

 この村では当時の中小国における…或いは大国に於いても、だが…辺鄙な農村に良く見られるように、大半の農民にとって自身の田畑こそが生活の糧であった。

 両親は農民でも漁民でもなく、私には土地の類や生き抜くためのスキルは残されていない。

 だから、私は覚悟していた。

 もうまもなく冬がやってきたら、私は両親の残した家で、その飢えと寒さに耐えきれずに両親の下へ向かうことになるだろう。

 …こうも考えた。

 それなら、例のあの洞窟に行って1人命を絶った方が楽かもしれない、と。

 そうはならなかったのは、マザー・ミランダとオルチーナ様のおかげだと思っている。

 

 

 

「………セバスティアン?」

 

 

 マザー・ミランダは……大変失礼ながら、まだほんの若僧であった私から見ると、"マザー"というよりは"シスター"と呼びたくなるほど若々しく美しい女性であった。

 村の"ご婦人"達が繰り広げる井戸端会議では…罰当たりな事に…彼女がブカレストに行けばもっと良い職に就けたのにとさえ囁かれていたのを覚えている。

 またある噂では、どうやらマザー・ミランダはもっと若かった頃に悪い男に捕まってしまい、男が逃げ出した後、お腹の娘と共に残された彼女は主の教えに目覚めたのだという。

 

 ただ、彼女が行う日曜日のミサの説教では彼女は"マザー"の敬称に相応しい、信念に満ちた芯のある声音で私達に主の教えを語ってくれていた。

 その芯のある声音で呼びかけられたのは、建てられたばかりの両親の墓前であった。

 

 

 その時、確か私は涙していなかったはずだ。

 決して悲しくなかったわけではないが、もうその段階を通り過ぎていた。

 あの時感じていたのは、私の代でアッペルフェルド家が潰えること…それも近い内に…という絶望感だ。

 ただ呆然と墓を見下ろす私に、マザー・ミランダは駆け寄ってくれた。

 

 

 

「セバスティアン…セバスティアン・アッペルフェルド!」

 

「!?……ああ、マザー・ミランダ。こんにちは。私の事を覚えていてくださったとは…」

 

「ええ、あなたのお父上は敬虔な方だったから…ところでセバスティアン。何か後ろ暗い事を考えてはいませんか?」

 

「………な、なんのお話でしょう」

 

 

 軽く惚けて見せたが、マザー・ミランダにはお見通しのようだ。

 彼女は腰を曲げ、私の瞳を覗き込む。

 私の目線も否応なしに彼女の瞳に吸い込まれる。

 

 

「…セバスティアン、あなたが悲しむのは当然の事。…でも、どうかこう考えてください。………ご両親は主の元に旅立たれたのです。いずれはあなたもそこへ行くことでしょう。…ですが早まってはなりません。主の望みは、現世で精一杯生き抜いて善行を重ねる事なのですから。」

 

 

 頑張って平静を保っていたのに、彼女の言葉が胸に響いて、冬の到来と共に待つ絶望を受け入れんとしていた私の感情を刺激する。

 まだまだ子供だった私は、彼女の慈悲をやり場のない怒りで返してしまった。

 

 

「どうすれば良いのです、マザー・ミランダ!この村の人々は皆いい人々ですが、15のガキを養えるだけの余裕がある人はいません!私には土地もなく、家には道具もない!親類はモルダヴィアです!父親の故郷まで、いったいどうやって行けばいいんですか!」

 

 

 癇癪を起こしたクソガキを背後から誰かが振り向かせ、そしてそのまま軽々と持ち上げた。

 それは父が仕えていた主人の若かりし未亡人で、それだけに私は彼女の行動が信じられない。

 今思うと母以外の女性にあんなスキンシップをされたのは……つまりは抱擁されたのは、オルチーナ様が初めてだった。

 

 

「安心なさい、セバスティアン。今日からは私達があなたの家族よ。」

 

()ほふふぃー(オルチー)なふぁま(ナ様)!?」

 

 

 ………悪いが、何故発音が不明瞭になったかは聞かないでもらいたい。

 あの時何となく、主の下にいるであろう父から羨望の眼差しを受けた気がしないでもないが、そのことは忘れておこう。

 ともかく、父親の背中越しにしか見たことのない高貴なマダムによる突然の抱擁に、私は驚きを隠せなかった。

 

 

「……セバスティアン、あなたの事はオルチーナ様が引き取ってくださいます。」

 

「モルダヴィアでクリスティアンと初めて会った時、私達の馬車は野盗に襲われていたの。彼がいなければどうなっていたか……彼はこの村に来てからも良く仕えてくれたわ。だから、今度は私がクリスティアンに良くしてあげないと。」

 

「…………」

 

「マザー・ミランダ、あなたにも感謝しているわ。相談に乗ってくれてありがとう。」

 

「いいえ、これもまた主のご意志です。私の方こそお礼を言わせてください。」

 

「あなたにはまだまだ幼い娘さんがいるでしょう?私にも娘達はいるけれど、あなたよりかは………ダニエラ!お供え物を食べようとしないのッ!!!」

 

 

 オルチーナ様がダニエラの暴走を止める為に、私を地上へと下す。

 鼻先にマダムの芳香を感じながらも、私はマザー・ミランダの方を向いて礼を言った。

 

 

「マザー・ミランダ…本当に…何と言っていいか…」

 

「お礼ならオルチーナ様に。…何かあったら、教会堂へ来てください。主の御加護は等しく万人に与えられるものです。あなたも決して例外ではない、どうかそのことを忘れずに。」

 

「ふぅ、まったくあの子ったら………さぁて、セバスティアン。あなたには覚えもらう事がたくさんあるわよ?何たってクリスティアンの代わりを務めてもらうんだから。…そうね、まずは手始めに………読み書きとテーブルマナーから始めようかしら!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1919年

 

 

 

 

 

 

 

「ぐわあああッ!!クソッ!!クソッ!!クソォォォオオオッ!!」

 

「シメオンの悲鳴だ、間違いねえ!」

 

 

 洞窟にこだまする悲鳴を聞いて、ハイゼンベルクがそう言った。

 私は彼と共に悲鳴の方向に向かって走り続ける。

 悲鳴の方からは後を追うように、大口径銃の馬鹿でかい発射音が立て続けに聞こえてきた。

 彼の武器は旧式のリヴォルバーだったはず。

 シメオンは今間違いなく最悪の状況にいる。

 

 

 我々の到着は一足遅かった。

 我々がシメオンの元に辿り着くと、そこには"奴"……オットーを素体にして生まれたあの怪物が彼を食い殺しているところで、その傍らには無残な姿に変わり果てたモスコヴィッシの遺体がある。

 

 

「畜生!食いやがれ!!」

 

 

 怒りに駆られた私は怪物相手に散弾銃を向けて引き金を引く。

 1発目の散弾が怪物の横っ腹を捉えて、その身体を宙に吹き飛ばすと、私はポンプを素早く前後に操作してスラムファイア射撃をくらわせた。

 5発の散弾を立て続けにくらった怪物は空中で錐揉み回転を起こしながら転がっていく。

 やっとこちらの装弾数が尽きると、怪物は洞窟の岩壁に激突して、そのままぐったりと動かなくなった。

 

 

「………畜生ッ!!」

 

 

 オルチーナ様という教養のある女性に育てられたからか、私はあまり悪態を人前で吐くような人間ではない。

 それでもシメオンとモスコヴィッシを失った事には激昂せずにいられなかった。

 

 

「くそ…シメオンとモスコヴィッシ…可哀想にな。お前は無事か?」

 

「ええ、カールさん。…ハスキル達は無事でしょうか?」

 

「あのクソッタレは片付いた。ミランダに何があったにせよ、俺たちの任務は完了さ。あいつらを探して帰ろう。」

 

「…………」

 

「…セバスティアン、気持ちは分かるがミランダはもう助からねえ。あの文章を読むに、怪物に食われちまったんじゃねえのか?」

 

「しかし…!…マザー・ミランダはオットーをコントロールしていたようですし…」

 

「何事にもイレギュラーってモンはある。考えすぎだ。さぁ、あいつらを探しに…セバスティアンッ!!」

 

 

 深い思慮に嵌っていたからか、ハイゼンベルクの警告に気付くのが一拍遅れてしまう。

 慌てて振り返ると、散弾を5発もマトモに食らったはずの怪物が、私に向けて飛びかかってきたところだった。

 大慌てで散弾銃に散弾を1発込めながら構えるが、発射は間に合わず、怪物の鋭い牙が私の左肩に食い込んだ。

 鋭い痛みに顔を顰めていると、次に怪物の自重が私に畳み掛けてきて、私はたまらず地面に転がった。

 

 

 

「ぐああああッ!!!」

 

「セバスティアン!….くそ!この犬っコロめ!」

 

 

 ハイゼンベルクは自身が言ったように、射撃の名手のようだった。

 彼の構えたマンリッヒャー・1893年型ライフルの銃口から飛び出た弾丸が怪物の鼻っ柱を捉える。

 そのエネルギーが怪物の牙を私から切り離し、怪物は上体を跳ね上げた。

 しかし怪物の方も諦めず、上顎をライフル弾に千切られたが為によりグロテスクになった口を大きく開いて、今度は私の顔面に迫る。

 私はまだ使える右手で散弾銃を手繰り寄せ、渾身の力でそれを怪物の頭部に突き刺した。

 

 怪物はそれにも構う事なく、尚も牙を私に突き立てんとしていた。

 何故かはわからないが、私はその怪物……オットーは、自身の生まれ故郷に帰りたいが為に、新たな獲物を獲得せんともがいているように見えてしまう。

 奴にも故郷があり、もし戦争がなければ、こんな異形の怪物になることもなく平穏に過ごしていたかもしれない。

 

 オットー・ギーゼブレヒト…可哀想な奴。

 同情はするが、奴は余りに多くの犠牲を村に齎した。

 私はきっとオットーも知っていたであろう、前線で聞いたある冗談話の一説を借用しながら引き金を引く。

 

 

「"気持ちは分かるがね、お前さん、その頼みは聞けないな"ッ!!」

 

 

 凄まじい発射音と共に怪物の頭はスイカのように弾け飛ぶ。

 血と脳漿が弾け飛んだかと思うと、その身体は今度こそ動かなくなった。

 私はあまり有り難くない断片を浴びながらも、どうにかただの肉塊と化した怪物の遺体から這い出る。

 奴に噛まれた肩の傷はなかなか深いのだろうと思った。

 痛みがジワジワと広がり、私は再び苦痛に顔を歪める。

 

 

「クソ!大丈夫か、セバスティアン!」

 

「大丈夫大丈夫、何ともありませんよ。ドナの新郎には傷の一つもあった方が」

 

「言ってる場合か!こっちに来い!手当てしてやる!」

 

 

 肩の負傷部位にハイゼンベルクが応急処置を施してくれる。

 早くも血が止まっているのを見るに、イシュトヴァンの親父さんの時のように痛みが強いだけで傷自体は深くないのだろう。

 まったくセバスティアン、お前って奴は"ひ弱"がすぎるぞ。

 そんな事を考えているうちにも、ハイゼンベルクは手当を済ませてくれていた。

 

 

「これでよしっと。…だから言ったろセバスティアン。ミランダを追っかけてたら命が幾つあっても足りやしねえ。さっさとハスキル達を見つけて、ここを出るぞ。」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

落日

 

 

 

 

 

 

「ハスキル!レスコ!怪物は倒した!もう帰るぞ!」

 

 

 私とハイゼンベルクは洞窟の暗闇に向かって叫びながら、帰り道を探している。

 もうこれで村人が襲われる事はないだろうが、かと言ってハスキルとレスコを置いて出るのは私の信条が許さなかった。

 シメオンとモスコヴィッシは可哀想な最期を迎えたが、ハスキルとレスコが生きているなら、私は彼らを見つけ出して連れ帰らなければ。

 

 

「………返事がねえ。もしかすると、ハスキル達はシメオン達の前に…あの怪物に」

 

「死体を見たわけじゃありません!彼らが死んだかどうかは分からない、何としても見つけましょ……ッ…!」

 

「興奮すんな、傷口が開いちまう。…まあそうだな、お前にはあいつらを………」

 

 

 ハイゼンベルクが突然話すのをやめて、彼のライフル銃が地面を叩き向ける音が聞こえた。

 何事かと振り返ると、信じられない光景が広がっている。

 ハイゼンベルクは何者かに背後から拘束され、その首筋には彼が装備していたであろう銃剣が当てたれていた。

 

 

「なっ…おい、ハスキルか?冗談にしても悪質過ぎるぞ。」

 

「………ふふっ……ふはははははっ!」

 

 

 ハイゼンベルクを拘束した人物が高笑いをした時、私はそれが誰であるのか悟ってしまう。

 私は信じられず、暗闇の中で目を凝らした。

 

 

「………マザー・ミランダ?」

 

「ふん…戦争から戻ったか、セバスティアン。オットーを倒すとは…逞しくなったものだ。」

 

「おい、セバスティアン。この女はイカれてやがる…俺ごと撃っちまえ。」

 

 

 ハイゼンベルクがそう言うと、マザー・ミランダは銃剣を首筋に近づける。

 私はシメオンの持っていたリヴォルバーを片手に持っていたが、オーストリアの大柄な1870年型リヴォルバーでは、片手で正確な照準をつけるのは無理難題だ。

 ハイゼンベルクは私に目配せを続けるが、私は躊躇せずにはいられない。

 

 

「………マザー・ミランダ、何故こんな事を…」

 

「オットーは死にかけていた。私は彼を救ってやった。」

 

「違います、マザー・ミランダ。オットーの事だけじゃない。何故こんな…」

 

 

 そこまで言って、マザー・ミランダが人質越しに私のある一点を見つめていることに気がついた。

 それは私の左肩で、そこには血の染みた包帯に包まれた噛み傷がある。

 マザー・ミランダはその負傷部位を見て、とても興味深そうな表情を浮かべていた。

 

 

 

「………おや?()()()()()()()()()()()?」

 

「ええ……一体なんの話」

 

 

 ドスッ!!

 

 

 マザー・ミランダの言葉に自分の傷の方を向くと、何か重い金属が胸元にぶち当たって、いつか感じたあの痛みに襲われる。

 慌てて胸元を見てみると、マザー・ミランダがハイゼンベルクの首筋に当てていた銃剣が、私の胸に深々と突き刺っていた。

 

 

「…………うそ…だろ……またかよ」

 

「ミランダてめぇッ!!クソッ!!大丈夫かセバスティアンッ!!」

 

 

 あの時と同じように全身の力が抜けて、私はまず両膝立ちになり、次いでその場に倒れ込んだ。

 ハイゼンベルクが喚き散らしながらミランダと格闘を始めたようだったが、私の意識は次第に遠のいていく。

 目の前が暗闇に染まる中、最後に口にした言葉。

 それは私の最愛の人の名前だった。

 

 

「……………ドナ…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いい加減に目を覚ませ」

 

 

 マザー・ミランダの声が私を深い眠りのようなモノから引き上げた。

 気づくと私はオットーと交戦する前に発見した、あの研究室にいる。

 私は仰向けに寝かせられ、手足は枷で拘束されていた。

 頭も固定されているが、目は自由に動かせたので、私は視界の端にマザー・ミランダを捉えることができる。

 

 

「マザー・ミランダ……これは一体…」

 

「不思議には思わぬか?」

 

「………はい?」

 

「痛みは感じるか?……傷はそのままか?」

 

 

 そうだ、私はマザー・ミランダに銃剣を投げられて串刺しになった。

 命中箇所は胸元で、生死に関わる負傷部位だろう。

 しかし何故か痛みはなく、傷口があるはずの場所に何かの穴が空いているような感覚もない。

 それどころかオットーに噛まれたはずの左肩さえ、何の痛みも感じなかった。

 

 

「…………これは、いったい…」

 

「エヴァが死んだ後、私も娘の後を追おうとこの洞窟へ辿り着いた。例え教えに背くとしても、神は私を裏切って娘を取り上げたのだ。そのくらいの背信は許されると思った。」

 

「………………」

 

「……そして、この洞窟で菌根と出会った。」

 

「…菌根?」

 

「ああ…この菌根には不思議な力があった。傷を癒やし、老いを止める。そして私が菌根に触れた時、それが蓄えていた情報が私の中に流れ込んできたのだ。」

 

「………マザー・ミランダ…正気ですか?」

 

「正気だとも!これが正気でなくてはなんだ!」

 

 

 マザー・ミランダはすっかり変わってしまっていた。

 口調も、覇気も、人格さえ。

 少なくとも、今の彼女は1913年に両親の墓前で会った人物とは異なる人物であるとしか思えない。

 

 

「…神はその教えに従った私を裏切ったのだ!ならば死した娘を蘇らせることはその復讐と言える!……分からぬか、セバスティアン。菌根は死した人間さえ蘇らせることができるのだ。」

 

「……イカれてるッ…」

 

「ふん…まあ良い。お前もじきに理解するだろう。お前たちは菌根の恩恵に浴する最初の村人になるのだから。」

 

「………"最初"…?どういう意味だ!?」

 

「何故私がオットーに死体を掘らせていたと思う?…菌根は傷を癒すが、()()()()()()()()()()()()。」

 

「ま、まさか!」

 

「ようやく気づいたか。もうまもなく村ではスペインかぜが流行することだろう。さすれば、菌によって治癒される村人は私を崇拝の対象にする。そうなれば、私の研究はより促進されるのだ。」

 

 

 オットーが掘り起こした死体には、何人かの村人が触れたはずである。

 触れはせずとも、死体に付着したスペインかぜはその衛生環境も相まって容易に増殖することだろう。

 前線で聞いた私の情報が正しければ、スペインかぜは人から人へと容易に伝播する。

 そうなれば村全体への感染は免れない。

 

 

「マザー・ミランダ!何という事を!」

 

「心配するな、セバスティアン。菌は不老不死の恩恵を与える。だが残念なことに、この菌には適合性があるようだ。オットーにはなかったがな…」

 

「………」

 

「新しい投与方法を開発した。ハスキルとレスコにはもう試したが、奴らはダメだった。」

 

 

 マザー・ミランダはそう言いながら、どこからか瓶に入った何か黒い物を取り出して私に見せる。

 そこにはメモが貼ってあり、そしてそのメモには『カドゥ』という文字が記載されていた。

 

 

「…だが、何度も言うがお前は心配しなくとも良い。ハイゼンベルクもそうだが、お前には素養があると見ている。」

 

 

 マザー・ミランダが手袋をして、メスやハサミと言った外科手術用の道具を取り出し始めた。

 私は何をされるのかようやく悟り、精一杯暴れては見たが、固く縛られた枷はびくともしない。

 

 

「ふふっ…暴れるな。受け入れるのだ。さすれば、永遠の命が与えられん。」

 

 

 

 冷たい金属が私の腕の皮膚を裂く。

 もちろん痛みも感じたが、それよりも容易に想像できる悍ましい未来の方が、私の断末魔を加速させた。

 しかしどれほど叫んでみても、マザー・ミランダは実験をやめるつもりはないようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドミトレスク城

 

 

 

 

 

 

「ああ、セバスティアン…どうか無事に帰ってきて…」

 

「心配ないさ、ドナ。アイツならきっと帰ってくる。」

 

 

 

 震えるドナの肩に、モローが手を当てて励ましている。

 オルチーナ・ドミトレスクは居ても立っても居られないような感情を抑え込み、キセルを片手にまだ連絡はないものかと電話機の前を行ったり来たりしていた。

 目の前で震える花嫁の新郎にして、オルチーナ自身にとっても息子のような存在が、今は狼の巣穴にいる。

 この場の全員が彼を心配していたし、だからこそ電話機のベルが鳴った時、オルチーナは迷うことなくすぐに受話器を取ったのだ。

 

 

「ドミトレスク!」

 

『…………』

 

 

 電話から応答はない。

 不気味な沈黙に眉を顰めていると、最後に耳にしたのが遥か昔に思えるような、そんな声が聞こえてきた。

 

 

『久しぶりだ、オルチーナ・ドミトレスク』

 

「………マザー・ミランダ!?」

 

『セバスティアン・アッペルフェルドを探しているとか…彼は洞窟にいるが、迎えが必要だ。車で来てもらいたい。』

 

 

 電話はそこでプツッと切れる。

 マザー・ミランダの口調は明らかに変わっていたが、しかしあれほどの悲劇を体験すれば無理もないかもしれない。

 そう思ったオルチーナは、モローに声をかけた。

 

 

「モロー、車の運転は?」

 

「アッペルフェルドほどじゃありませんが、一応できます」

 

「なら、運転をお願い。ドナも準備して。セバスティアンを迎えに行きましょう。」

 

 

 

 3人の男女はこうして洞窟へ向かった。

 そこに何が待ち受けているのか知りもせずに…………

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

最終話 "解放"

 

 

 

 

 

 あれから、もう100年近くになる。

 1世紀もの間に、村は跡形もなく変わってしまった。

 マザー・ミランダがあの後も実験を続けた結果、村人達の多くが異形の姿になり、そうはならなかったオルチーナ様やハイゼンベルク、モロー、それに…ドナも、かつて私が知っていた人々ではなくなってしまった。

 

 彼らはマザー・ミランダの実験によって人智を超えた能力を手に入れたが、代わりにもとの人格を完全に破壊されてしまった。

 モローの背中には醜悪なコブが生え、ハイゼンベルクは人間を機械と結合するようになり、かつてフランチェスカが言った戯言は現実になって、そしてドナまでシモンを手にかけてしまっている。

 

 マザー・ミランダはオットーを通じて蔓延させたスペインかぜの治療薬と称して、村中に菌をばら撒いた。

 この村はもう治らない。

 治す手立ては、もう何一つ残されていない。

 

 

 

 かつての村の記憶を思い、悲嘆に暮れた日々もあった。

 だが、もう悲しみの涙は枯れ果ててしまっている。

 今、私の心にあるのはある執念だ。

 

 

 

 あの後、マザー・ミランダの実験台になった私は今では四貴族と呼ばれている連中と同じように、人智を超えた力を手に入れた。

 どうやら、私には適合性があったらしい。

 ただ、四貴族の面々と同じように、私にも欠点もある。

 

 私は"カドゥ"によって、信じられないような耐久性を得た。

 銃弾やナイフ、或いは爆発物によっても傷一つ負わない脅威の耐久性を。

 マザー・ミランダの言うには、オルチーナ様と同様に代謝能力が異常に向上した結果とのこと。

 しかしその代償に、私は大量のエネルギーを必要とするようになってしまったのだ。

 短期間に大量の食べ物を食べなければ、身体は崩壊してしまう。

 だから次から次へと食べていき…まぁ、当然の結果ではあるが、目も当てられないような肥満体になってしまった。

 

 そう考えるとオルチーナ様が少々憎らしく思える。

 彼女も代謝が向上したなら、私と同じような副作用があってもいいのではなかろうか?

 いったいなんだって私だけこんな…まぁ、いい。

 肥え太ったオルチーナ様なんて見たくもない。

 今では遠巻きに眺める彼女の姿は、私と100年前の村を繋ぐ数少ないの光景のひとつだ。

 

 

 ともあれ、能力を得た私を、マザー・ミランダは中途半端な失敗作中の失敗作と呼んだ。

 エヴァはもちろん肥え太ってなどいなく、おまけに私には耐久性以外何らの能力もないからだ。

 おかげで人格は元のまま維持できたのが唯一の救いではあるが。

 彼女はあろうことか、用済みになった私を研究室から追い出して、そのまま村に帰させやがった。

 加えて残念なことに、マザー・ミランダの被験体として長々と拘束された私がようやく村に帰った頃には、私の大切な人々はすでに四貴族と成り果てていたのだ。

 だからせめて何か、この村を過去の記憶と結びつけるような働きをしたいと考えた。

 

 

 

 

 私はあの日ドナと約束した。

『無事に生きて帰ったら、一緒に商売をしましょう。私がお人形を作って、あなたが売りに行くの。』

 だから、その約束だけは…例え変わり果てたドナが覚えていなくても守る事にした。

 

 全てが約束通りにはできなかったが、できる限りのことはした。

 私はこの変わってしまった村で唯一の行商人となったのだ。

 そうやって、この村で起き続ける悲劇とは距離を置いて生きてきた。

 でも、どうやらそれも今日で終わりらしい。

 

 

 これからここにやってくるある男を、私は出迎えなければならない。

 菌根から共有される情報によると、マザー・ミランダは遂にエヴァを復活させる方法を見出して、そのためにこの男の大切な娘を誘拐したようだった。

 ローズマリー…いい名前だ。

 つい妄想してしまう。

 もし、私とドナとの間に娘がいたら?

 いったいどんな名前をつけただろうか?

 "エーデルワイス"…そう名付けたに決まっている。

 それは"大切な思い出"を意味する花の名前。

 もう届かぬ思い出にはなってしまったが、きっとあの時の彼女なら喜んでくれたに違いない。

 

 そろそろ、足音が聞こえて来た。

 私はこの男を助けねばならないが、助け過ぎてもならない。

 所詮は私もマザー・ミランダの実験台に過ぎない存在だからだ。

 少々歯痒いが、これで皆が"解放"されるなら、私は許される限りで全力を尽くそう。

 

 

 

 足音がいよいよ近づいだ時、私は随分と重たくなってしまった身体をゆっくりと起こして扉を開く。

 

 

「んんんっしょぅお」

 

 

 男は怪訝な顔をして、私の方を見ている。

 そりゃそうだろう。

 こんな肥満体がこんな狭い空間から転がり出て来たら誰でもそんな顔をする。

 だが私は行商人。

 商売に必須の笑顔は、何があっても忘れない。

 

 

「お待ちしておりましたよ、ウィンターズ様。」

 

「………なぜ名前を…?」

 

「この村では、あなたはもう有名人ですからねぇ…噂じゃ娘さんをお探しだとか。……確かに、こちらの城はあやしい雰囲気ですな」

 

「ああ、お前もな」

 

 つい吹き出しそうになる。

 紛う事なきド正論だ。

 

「私は商いをしているだけ。」

 

「……ここで?」

 

 

 男は不信感を隠そうともしていない。

 まあ、こんな魔女の鍋のようになっている村で、商売しようなんて正気の沙汰でもないから当然か。

 しかしここは男の信用を得なければならない。

 そうでなくては話が進まないではないか。

 話が進まなければ、皆は解放されない。

 解放されなければ…私もこの100年間待った意味もない。

 

 

 ハプスブルク家はこの地域…大した実入りも見込めないオスマンとの最前線…に誰かを配置しなければならなかった時、ドミトレスク家を『公爵』という貴族の最高位を餌に使って釣り上げた。

 無論、それは実態の伴う物ではなかったが、ドミトレスク家は表面上、公爵家であったのだ。

 私はオルチーナ様と養子縁組した…だから、私の新しい名前に使ったところで文句を言われることもないだろう。

 もう私はセバスティアン・アッペルフェルドではない。

 マザー・ミランダに囚われた時にその名の人物はこの世から消え去った。

 今の私の名前は………

 

 

 

「ああ申し遅れを。『デューク』と申します。いかがです?武器に弾薬、傷ぐすり…欲しい物は何でも、提供しましょう。」

 

 

 

 良き商人は自分の欲望を相手に悟らせないようにしておくものだ。

 だから私はこの言葉の続きを言わないでおく。

「代わりに、私にとって大切な人々を"解放"してください」と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







今までこの駄文を読んでくださり誠に有難うございました!
皆様より沢山のご感想やご評価をいただき、本当に嬉しく思います。
最終話を最初に書いたから書き始めたので予想より早く終わりました。
感想欄ではとても鋭い方々がこの結末を予想されてたので「な、なぜ分かるんだ汗」と思ったり笑
感想・評価・お気に入り登録をして下さったのがとても励みになりました。
今まで本当にありがとうございました








尚、蛇足で没にしたコメディネタ的なのを書こうと思ってますので、お楽しみいただければ幸いです



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

蛇足シリーズ
笑ゥせばすてぃあん Aust.Ⅰ


※番外編コメディです
著しいキャラ崩壊(何を今更)がありますご注意ください


オリ主が『デューク』となった後、四貴族やミランダ相手に商取引を行う話。
菌の影響で人格に変化があったはずだが、デュークが接する限りあまり変わってない模様で………


 

 

 

 

 マザー・ミランダはこの村を作り替えてしまったが、人間の根本にあるものまで作り替えることはできなかった。

 それは欲求であり、時に欲求は外部からもたらせられる物でしか解決できない問題でもある。

 ミランダが村を閉鎖して外部との繋がりが途絶えた後、外界と村を唯一繋いだのは行商人の存在だった。

 

 

『火器・薬品・食品・古品商

        デューク

 

 店の営業を許可する。

 村長代理行政執行官

 マザー・ミランダ』

 

 

 

 

 ……………………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 行商人の朝は早い。

 

 午前4時、デュークこと私は自身の荷馬車にちゃんと発注された商品が積載されている事を確認する。

 発注に漏れがあれば、あの村では大変な事になるであろう。

 ……具体的に言うと、泣かれるのである。

 未だに馬曳きの荷馬車しか使えない行商人が、村にとっては外界との唯一の繋がりなのだ。

 発注者達は何週間も前から私が商品を届けに来るのを楽しみに待っている。

 楽しみどころか、それがなければ生活できないものもいるのだ。

 だからちゃんと発注したものが届かないと、発注者…主に四貴族…は、私に危害を加えても無駄な事であるから泣くしかない。

 目の前で異形の怪物に声を挙げて泣かれるのは、どうとも言えない罪悪感を強いられるのだ。

 

 

 額縁にはマザーミランダからいただいた営業許可証が飾られている。

 荷馬車の車軸がちゃんと装着されて、故障の類がない事を確認すると、私はようやく馬車に乗った。

 片手に持つリストに目を通す。

 さて、今日の取引は…まずはドミトレスク城からか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 著しく肥ったせいで服のサイズには困るようになったが、代わりに徴兵された時よりも多くの物を持ち運べる筋力がついた。

 ドミトレスクの城の中まで馬車を入れるわけにもいかないから、これは重要な能力である。

 私はドミトレスクの人々に発注された品々を持って城の中へと入っていく。

 そこに住む人々は変わってしまったが、城自体はあまり変わっていないように見えた。

 

 

 城の中へ入ってしばらくすると、何かの羽虫が無数に飛び回り始める。

 それを見た私は、早速品物の一部を下ろしてリストを取り出した。

 早速、今日の最初の取引というわけだ。

 

 羽虫はやがて集合し、3人の娘の姿へと変わる。

 ドミトレスク家のお嬢様方もミランダの実験台にされてしまった。

 結果として蟲の集合体となったわけだが、しかしながら彼女達にも物欲はある。

 三姉妹の内カサンドラが、とてつもなく明るい顔をして話しかけてくる。

 

 

「ああ!セバスティアン!」

 

「デュークです」

 

「頼んでいた品は持ってきてくれた!?」

 

 

 だから、私はもうセバスティアンじゃないんですよ。

 せっかくイメチェン(劣化)したのに何でこう…と思いながらも間違いを指摘するが、カサンドラは全く気にも止めてない様子。

 仕方がないので、私は持ってきた品々の中からカサンドラに頼まれていた品を渡した。

 

 

「ありがとう、セバスティアン!」

 

「デュークです」

 

「これが欲しかったのよ!…エルヴィ●・プレスリーの最新アルバム!

 

 

 

 正確にはもうエルヴィ●はとうの昔に亡くなってしまっているし、彼女が最新アルバムと呼んでいるレコードはもう何十年も前の品である。

 

 行商人の馬車は、そんなに大きなものではない。

 ところが外界との繋がりがそれしかないとすると、その限られた容積の中に村中の物欲をバランスよく詰め込まなければならないのだ。

 だから娯楽関係は後回しになりやすいし、外界との繋がりがないこの村では、流行が何十年と遅れてやってくる。

 つまるところ、私の村は今何十年越しのエルヴィ●・プレスリーブームというわけだ。

 

 

「ベイラ、後で蓄音器を貸してくれない?」

 

「ええ、勿論!3人で聞きましょう。ありがとう、セバスティアン。」

 

「デュークです」

 

「ダニエラがビート●ズを欲しがってたから、次はそれをお願いね?」

 

「ほほう、それはそれは。難しいですが何とかしてみましょう。」

 

 

 ビート●ズのレコード…それも今も尚蓄音器で再生できる物となれば余計に難しい。

 正直今回のエルヴィ●だってスペインの友人達の協力がなければどうにもならなかった。

 これだから蓄音器は!

 一度CDプレイヤーを持ち込んでみたことはあったが、三姉妹は「音が安っぽい」という理由で受け付けず、それ以来このレコード調達は私の負う任務の中で殊更に難しい難題でもあった。

 

 

 

 エルヴィ●プレスリーのモノマネをしながらはしゃいでいる三姉妹と別れた後、私は品物を持って上の階へと向かう。

 いかにも城主の部屋という感じの部屋の前に立つと、私はかつてセバスティアンであった時と同じようにドアを3回ノックした。

 中から「入りなさい」というご返答をいただき、私は襟首を正してからドアを開く。

 そこにはこの城の城主、オルチーナ・ドミトレスクがいて、私を見るなり目の色を変えてきた。

 

 

「………wow……wow………セバスティアン!」

 

「デュークです」

 

「頼んでた品は持ってきてもらえた?」

 

「勿論ですとも。こちら、『赤●字社特産・季節の血液詰め合わせ』にございます。」

 

「ああ〜↑これよ!コレを待ってたのよ!最近の娘ったら夜更かしする上に脂っこいものばかり食べるから!」

 

 

 オルチーナ様はそのまま私に駆け寄ると、その大きなお体を曲げて私の額、両頬に接吻をして下さる。

 そして『赤●字社特産以下略』セットの中にある輸血パックを手に取って、ストローを突き刺し、待ってましたとばかりにそれを飲み干した。

 

 

「あ〝あ〝ーッ、生き返るゥゥゥウッ!」

 

「飲み過ぎにはご注意を。入手には限りがございますので。」

 

「分かってるわセバスティアン!」

 

「デュークです」

 

「私だって、本当は侍女達をああなるまで吸い尽くすつもりはなかったのだけれど…仕方ないじゃない!吸えって言ったのは()()()()()()なのよ!」

 

 

 オルチーナ様はため息混じりにソファに腰をかけ、かつてのように私を対面に促した。

 

 

「おやおや、それではお言葉に甘えて」

 

「……ふぅ…そもそも、あなたにも問題があります、セバスティアン」

 

「デュークです」

 

「侍女達にこんな本を与えるからこんな事になるのよ!」

 

 

 そう言ってオルチーナ様が振り上げたのは一冊の本。

 タイトルにはこうある。

『トワイラ●ト』

 

 

「そもそも私だって好き好んで血を吸ってたわけじゃないの!先天性の疾患なんだから仕方がないでしょう!?」

 

「存じあげております」

 

「それなのに!…侍女達ったらあなたから買った本にハマって!『オルチーナ様…私に罰を与えて!』だとか何とか言いながら、しなくてもいいような粗相をわざと繰り返すのよ!?」

 

「………はぁ」

 

「もう幽閉するしかないじゃない!でも幽閉したら幽閉したで、何故か悦んでるのよあの子達!最近の娘って、いったいどうなってるの!?」

 

「それは存じかねます」

 

「………はぁ。ともかく、『トワイラ●ト』の続編も含めて、私の許可なしに新しい書物の購入は禁じます。分かってくれるわね?」

 

「ええ、かしこまりました。」

 

「なら結構。………ところでセバスティアン?」

 

「デュークです」

 

「最近どう?風邪とかひいてないかしら?あ、もう既に私たち風邪以上の病気なわけだけど。そうじゃなくて…ああそう、怪我とかしてないかしら?」

 

「………大丈夫です」

 

「何かあったらウチに帰ってきなさい。部屋はいつでも空けておくわ。ああ、心配しなくてもあなたの血は吸わないから安心なさい。コレステロールや脂肪分が…あらごめんなさい、失礼がすぎるわね。ともかく、何かあったら私に相談するのよ?いい?大丈夫?おっ●い揉む?

 

 

 あまりの"代わり映えのしなさ"に、私は軽く目眩を覚えて目頭を抑える。

 昔からオルチーナ様にはそういうところはあったが………

 ママ過ぎるだろ、いくらなんでも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

笑ゥせばすてぃあん Aust.Ⅱ

 

 

 

 

 

 

 ドミトレスク城での取引の後、続いてハイゼンベルクの工廠へと向かう。

 彼の頼んだ品物がかなり大きく、それを取り出さねば他の村人や貴族への配送ができないからだ。

 馬は抗議の声を挙げていたが、私は何もしてやることはできない。

 なんだお前。

 私の体重にケチをつけようってのか?

 ケチをつけたくなるのは分かるが目を瞑ってくれ。

 食わないと勝手に身体が崩れ去るんだよぉ。

 

 改めて考えるとマザー・ミランダが恨めしい。

 いや、まあ、当然なんだが。

 その…なんというか…恨めしいの意味が若干異なる。

 

 なんだって"不死身のデブ"なんていうありがたくない上に無駄にキャラクターが立つ外見を私に与えた?

 適合者に与えるキャラとしては酷すぎないか?

 結構不遇なポジションだと思うぞ?

 少なくとも外見に関してはモローと並んでると思う。

 あいつもあいつで嘔吐癖ついちゃったから大変だけどさ。

 私も私で結構地味にメンタル削られるからね、この見た目。

 先月スペインの友人達と飯に行った時「ハンプティダンプティみたいだな、お前」って言われたのを未だに根に持っている。

 レコード調達を手伝ってくれてありがとう、でも許さん。

 

 

 

 そんなこんなを考えていると、荷馬車はやがてハイゼンベルクの工廠に辿り着いた。

 ゼェゼェと息を荒げる馬を労りながら、工廠の玄関口へと向かう。

 いつもならハイゼンベルクは取引の日、ここで待っているはずだが、今日は何故かいない様子だった。

 代わりにメモが貼ってあり、こう書いてある。

 

『よう、デューク。配達ご苦労さん。俺は今ちょっと実験で手が離せねえ。あの品を下ろすのには人手がいるだろうから、取り敢えず実験室まで来てくれよ。』

 

「実験室…ですか」

 

 

 私はメモにある通り、工廠の中に足を踏み入れていく。

 彼は特異菌に感染した後適合したものの、人格を捻じ曲げられて人間と機械を結合させるという悍ましい実験をするようになってしまった………

 ………けれども先のメモで分かるように、ぶっちゃけそれ以外はあまり変わってないと思う。

 基本的には良い兄貴分そのままだ。

 あの爽快な笑顔や、インテリジェンシーな言動は今もなお健在。

 感染して若干老けた見た目になったが、外見のみでは本当に感染してるのか疑わしいほどである。

 

 

 そんな事を考えながら、私はやっと彼の実験室に辿り着く。

 彼は白衣に着替えて実験室にいて、ガラスの向こうにいる新しい"ソルダート"のテストを行なっているようだった。

 彼は実験室のドアが開くと、ハイゼンベルクは例によってあの人好きのする笑顔で私を出迎える。

 

 

「おお!セバスティアン!」

 

「デュークです」

 

「あ、悪い。今はデュークだったな。すまねえが少し付き合ってくれ。これから実験に移行するんだ。」

 

 

 多少新型"ソルダート"のお披露目に付き合ったところで私のスケジュールは変わらない。

 私がにこやかな笑みで頷くと、ハイゼンベルクは一層楽しげな笑みを浮かべてこう言った。

 

 

「お前もコレを見たら腰を抜かすぞ!」

 

「それは楽しみですな」

 

「任せとけって……それじゃあ、いくぞ!"シュツルム"!!起動せよ!!」

 

 

 実験室のガラス越しにいる異形の怪物に向けて、ハイゼンベルクが手元のマイクでそう宣言する。

 スピーカーによって増幅されたハイゼンベルクの声に、シュツルムは呼応したかのように頭を挙げた。

 とはいえ、それは頭と呼んでいいかどうか怪しいものである。

 あろうことかシュツルムは、人間の身体にレシプロエンジンを乗せると言う、凄まじいまでの既視感を誇る見た目をしていた。

 

 あれこれ大丈夫なんですかね…その…主に版権的なアレは。

 大丈夫ですよね?

 シュタールヘルム被ったドリル男とかいませんよね?

 大丈夫ですよね??

 ナチスとか関係ありませんよね??

 大丈夫ですよね???

 

 

「第三次冷却終了!フライホイール回転停止!接続を解除、補助電源に異常なし!停止信号プラグ、排除完了!」

 

 

 私の心配を他所に発進シーケンスっぽい何かを開始するハイゼンベルク。

 彼のせいで私の不安は余計に加速する。

 本当に大丈夫なんですか!?

 発進シーケンスからすでに"そのまんま"じゃないですか!

 長ったらしい発進シーケンスを終えた後、ハイゼンベルクは一拍置いてから、カッと目を見開いてこう叫んだ。

 

 

「……よし、行け!シュツルム零号機、発・進!

 

 

 シュツルムの頭部にあたるレシプロエンジンが、轟音と共に作動し始める。

 プロペラは最初ゆっくりと回っていたが、徐々に速度を増して安定した動作を見せ始めた。

 ハイゼンベルクは今度は実験室のモニターを睨み、独り言のように呟いている。

 

 

「振動、トルク共に異常なし。出力は安定…いいぞ!」

 

「ほほう、実験は上手く行ったようですな。」

 

「いいや、まだだ。俺のシュツルムはこんなもんじゃない………くそっ!」

 

 

 いきなりモニターを叩きつけるハイゼンベルク。

 突然の暴挙に私はドン引きする。

 ちょ、あの、カールさん、とりあえず落ち着いてください。

 そう思う私を他所に、ハイゼンベルクはガラス越しの怪物に向けて喚き始める。

 

 

 

「どうしたシュツルム!お前の本気はそんなモノか!俺が心血を注いで作り上げたお前の性能は、所詮そんなモノだっていうのか!?いいや認めねえッ!!お前はまだ真価を隠してやがるッ!!さあ見せてみろシュツルムッ!!お前の………本当の力をッ!!」

 

 

 楽しんでらっしゃる。

 全力で楽しんでらっしゃるよ、この人は。

 ナイスミドルなハイゼンベルクの見た目のせいか、私には少年雑誌のホビー漫画とかでよく見る、良い歳こいて趣味に全力を注ぎ込んで主人公と張り合ってくるタイプのオジサンにしか見えない。

 今最高にエキサイティングしているハイゼンベルクは、爆上がりするテンションに任せてあらん限りの怒声を解き放った。

 

 

「行っけえええええ!!俺のシュツルムゥゥゥウウウッ!!!!」

 

「ブォォォオオオンッ!!!」

 

 

 ハイゼンベルクの雄叫びに応えるかのように、シュツルムのプロペラがより一層出力を増す。

 だが…

 

 

 バッツンッ!!

 

「ア〝ア〝ア〝ア〝ッ!!またやりやがったこのポンコツゥッ!!!!」

 

 

 シュツルムもテンションを上げたためか、奴は両腕を使って某ホラー映画よろしくガッツポーズをしてしまう。

 その両腕はあろうことか高速回転中のプロペラに接触、両腕は吹き飛んで、プロペラはバランスを失った駒のようになる。

 シュツルムは「ブォォォン、ブォォォン」と泣き声なのか何なのかよく分からない音を立てながらその場にへたれ込んだ。

 エンジンからプスプスと音を立てながら黒煙を登らせるシュツルムを見て、ハイゼンベルクは頭を抱えて悶えている。

 その様子と発言からするに、この手の失敗はこれが初めてではないらしい。

 

 

「何度言わせんだシュツルム!プロペラの回転中は腕を上げるなとあれほど言っただろうが!!」

 

「ブォォォン、ブォォォン!」

 

「だからってダメなモンはダメだろうが!!お前、何回俺に修理させれば気が済むんだよ!」

 

「ブォォォン…ブォ………ブォォォォォンッ!ブォォォォォンッ!」

 

「…ああ、分かった分かった、直してやるから!もうまったく!」

 

 

 シュツルムとハイゼンベルクがどうやって意思を疎通させているのかはよく分からないが、ハイゼンベルクも面倒見の良さと言う点ではあの時とはまるで変わっていない様子だった。

 ………まぁ、これを面倒見が良いと言えるのであれば、だが。

 

 

 

「はぁ………すまねえな、デューク。情けねえとこ見せちまった。」

 

「いえいえ、お気になさらず。実験は試行錯誤を重ねて初めて実になるモノですからな。」

 

「そう言ってもらえるとありがてえ。お前は相変わらず良いやつだ。………ところで、品物の配達だったな。"ソルダート"達と取りに行こう。」

 

「今度は何をなさるのです?」

 

「発注したのはジェットエンジンだ。これを"ソルダート"にくっつけてみる。」

 

 

 アンタも懲りないなぁ、そうは思いつつも満面の笑みを取り繕った。

 結局彼の終着点はどこなのだろうか?

 そもそもなんでこういう発想になったんだ?

 そう思いながら実験室を見渡すと、答えがそこにあった。

『武器●間』のブルーレイ・ボックス。

 ()()()じゃねえかよ。

 

 

「ブォォォン!ブォォォン!」

 

「くそっ…ああ!分かった、分かった、シュツルム!今行ってやる!………すまねえデューク、あと数分待ってくれ。」

 

「ええ、構いませんよ。ところで、もしよろしければ私から提案があるのですが…」

 

「?………なんだ?」

 

「………その…作動不良の原因になるなら、()()()()()()()()()()()()()()のでは?」

 

「!?………」

 

 

 突如考え込むハイゼンベルク。

 数分の思考の後、彼は例の笑みを浮かべてこう言った。

 

 

「そいつぁあ名案だ!流石だな、セバスティアン!」

 

「デュークです」

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

笑ゥせばすてぃあん Aust.Ⅲ

コメディといいつつ、今回はほんのりとしんみりした話になります(日本語フジユウナノカナ?)


 

 

 

 

『♪Welcome to ようこそ血〝ャパリ(ヂャパリ)VILLEGE(パーク)〜♪

今日もドッタンバッタン大感染(大騒ぎ)〜♪』

 

 

そりゃあな。

 

 

 私は目の前で繰り広げられる人形劇にドン引きしながらもそんな事を思う。

 ハイゼンベルクの次に名前があったのは、あのドナ・ベネヴィエントだった。

 毎回の事だが、正直彼女の家に行くのは気が引ける。

 マザー・ミランダが彼女を実験台にしてからというもの、彼女の対人恐怖はまた悪化の道を辿ってしまった。

 そして彼女の人格は変わり、あの庭師をもその手にかけてしまったのだ。

 

 私は"セバスティアン"としてではなく、"デューク"として彼女に会うことにしている。

 ありがたいことに、オルチーナ様を初めとする四貴族は私の正体を知っているもののドナには教えないようにしていた。

 マザー・ミランダでさえ空気を読んでくれたらしく、ドナからは私に関する菌根の記録にアクセスできないようにしたらしい。

 どうやったかは知らないが、少なくともドナは私の事を死んだと思っている。

 

 ドナは"デューク"となった私とも、直に会ってくれていた。

 ただそれはベールを挟んで、という話にはなってしまったが。

 少々切ないが、それが今の私と彼女のためには最善のように思える。

 それに私にとっても、これがせめてもの"ケジメ"のつもりだった。

 

 

 

 しかしながら。

 それにしてもドナもドナである。

 子供向けにやる人形劇の新作……それもカドゥの力で人形達を遠隔操作しながら行うという新しい試みを盛り込んだ企画…を考えたから見ていって欲しいというのは正直嬉しい。

 だけどもあまりにこう…血の気が多過ぎないか?

 

 

 

『♪ヴ〜〜ッ、ヴェェェイッ!

高らかに吠えれば(わらい笑えば)人狼(フレンズ)〜♪(ライカン(フレンズ)〜♪)

喧嘩して 銃で撃たれても(しっちゃかめっちゃかしても)仲良し〜♪(アヒャヒャヒャヒャッ!!)

 

感染者(ケモノ)はいても 非感染者(ノケモノ)はいない

本当の狂気()はここにある〜♪(ヴェェェイ☆)

ほら、君も手を噛まれて(つないで)感染者(大冒険)〜♪

 

ヴェイ↑ヴェイ↓ヴェイッ↑☆

 

Welcome to ようこそ血〝ャパリVILLEGE(パーク)〜♪

今日もドッタンバッタン大感染(おおさわぎ)

個体と特徴(すがたかたち)も十人十色 だから殺し(惹かれ)合うの♪

 

夕暮れの(そら)に 指を噛みちぎられたら(そっと重ねたのなら)

"はじめまして"〜♪(もっと喰わせろ(はじめまして)〜♪)

君のこともっと食べたいな(知りたいな)〜♪』

 

 

 

 目の前で繰り広げられる血まみれの歌と寸劇に私は寒気が止まらない。

 寸劇を演じているのは、アンジーを主役に、その"お友達"の人形や、デフォルメされた四貴族とマザー・ミランダ、更にはよくわからないゴリラみたいな男と極めて一般的な成人男性の人形という個性豊かな人形達。

 人形達全員でバトルロワイヤを行うという、この世の末みたいな内容では、子供達が逃げ出す事間違いなしである。

 

 

 人形達のセンターを陣取るアンジーが歌いきり、華麗にお辞儀をした。

 周囲を囲むアンジーの"お友達"や他の人形は勝ち残ったアンジーによってポアされており、私は本当の意味で鳥肌が治らない。

 何なんだ、この歌は!?

血〝ャパリVILLEGE(パーク)は流石に無理がありすぎるんじゃないのか!?

 そもそも遠隔操作とはいえ、コレを本当に村の子供達の前でやるつもりなのかお前ら!?

 やめろ、やめてくれドナ!!

 そんな「徹夜で考えた甲斐があったわ」みたいな雰囲気醸し出すな!!

 控えめに言って戦慄モノだし、本当に悲しくなるからやめてくれい!!!

 

 

 

「………ね、ねぇ。どうかしら、デューク。村の子供達もきっと喜んでくれると思うのだけれど…」

 

「………うぅぅぅん、どうでしょうなぁ」

 

「…………(シュン)」

 

「あああああ!!いえ、とても素晴らしい人形劇ですなぁ!!このデューク、大変感銘を受けました!!子供達の喝采も間違いなしでしょう!!」

 

「………本当!?………うれしいっ///」

 

 

 あーもーやだ、本当に可愛いよこの娘。

 可愛いけど可愛いが故にサイコパス加減が際立ってるからヤバい。

 そもそも村の子供達に人形劇をやるのはマザー・ミランダの誘拐の為であり、その人形劇…つまりは一定の集客が要求される…に、こんなマクベス並みの血みどろ劇をやろうっていう神経が本当に分からない。

 

 どうしてこうなってしまったんだ、ドナ。

 たしかに君の感性は昔から変わってるところがあった!

 あったけれども何でこう、その感性がこうなる方向にベクトルが伸びてしまうかなぁ!?

 

 

「……"あの人"が生きていたら、こんな人形劇をもっと一緒に作れたのに………」

 

 

 それはないぞ、ドナ。

 悪いがそんなことは絶対に、ない。

 いや、君と人形劇を作るのが嫌なんじゃない。

こんな悍ましい人形劇はシェイクスピアも作りたがらないんだよおっ!!!(泣)

 

 

「…………あ、そうだ、デューク。頼んでいた品は…持ってきてくれた?」

 

「ええ、はい。こちらがご注文いただいた茶葉にございます。」

 

「ちょっとおおおおッ!可愛いお人形ちゃんの注文は!?」

 

「ああ、これはアンジー様。ご注文の通り新しいウェディングドレスを見繕って参りました。」

 

 

 私はドナとアンジーの両方に、それぞれから頼まれた品を手渡した。

 マザー・ミランダの"施術"で唯一良いことがあったとすれば、ドナの唯一無二の親友であるアンジーに命が吹き込まれた事だろう。

 もうアンジーはドナの腹話術がなくても喋ることができるし、移動することもできる。

 孤独なドナにとっては唯一の会話相手ともいえ、私はアンジーがいるからこそ多少なりとも安心を得ることができた。

 例え彼女が変わってしまっても、そこにアンジーがいてくれれば、何となく嬉しいのである。

 少なくとも、彼女は私の"代わり"を得たのだから。

 

 

 そう思いながらアンジーの方を見ていると、自然に笑みが溢れていたのか、彼女からこう言われた。

 

 

「何見てんのよ、エロ親父!」

 

「こらアンジー!デュークに向かってなんて事言うの!」

 

「だって、こんな可愛いお人形ちゃんが着替えようとしてるのを見てニヤニヤしてんだよ!?」

 

「おお、これは失礼。私はあちらを向いておりますので。」

 

 

 アンジーから目を背けるために180度反対の方向を向く。

 やっぱりドナは可愛らしい。

 例え彼女が異形の怪物になって、人格まで変わってしまったとしても、ベールの奥から感じる彼女の可愛らしさはいつまで経っても変わらなかった。

 

 

「うっし、着替え終わったよおおお!どう?似合ってるでしょう〜!」

 

 

 新しいウェディングドレスに身を包んだアンジーの声が聞こえて、私はようやっと振り返る。

 そこには私がチェコで仕入れた人形用のドレスを着て上機嫌にクルクルと回るアンジーの姿があった。

 ドナは新様式のドレスに身を包んだアンジーに拍手を送っている。

 ああ、良かった。

 彼女も喜んでくれたに違いない。

 

 

「……本当にありがとう、デューク。…そうだ!3人でお茶会するっていうのはどうかしら?」

 

「ほほぉ、それはありがたいお話ですな。お言葉に甘えましょう。」

 

 

 ドナが私をお茶会用のテーブルに誘う。

 私は椅子の耐久性が心配であったが、有難いことに椅子はどうにか持ち堪えてくれた。

 テーブルを囲む他の椅子には、アンジーの"お友達"が何体か座っていて、その事もあってか、私の脳裏に"あの時の"光景がフラッシュバックする。

 そう、オルチーナ様、シモン、ドナ、私、それにアンジーのいた、あのお茶会だ。

 

 ……ああ、ダメだ、ダメだ。

 あの事はもう忘れてしまわないと。

 今の彼女はかつての彼女じゃないし、セバスティアン・アッペルフェルドなんていう戦争帰りの運転手はもう死んだんだ。

 あの暗くて冷たい洞窟で、怪物に食われて死んだ。

 ここにいるのは"デューク"という1人の行商人に過ぎない。

 

 

「……デューク?…大丈夫?」

 

「ええ…ああ!はい、申し訳ありません、少しぼぅっとしてしまいました。」

 

「きっと疲れているのよ。さあ、お茶をどうぞ。お茶請けもあるから、もしよかったら…」

 

 

 そう言ってドナは一杯のティーカップとお茶請けを差し出してくれるおいこらちょっと待て

 何だこの黒々しい饅頭は?

 

 

「それはね、私とアンジーで考えて作ったの。今度のお人形劇を見てくれた子供達に配る予定の、『血〝ャパリ饅頭』!」

 

 

 いや、私の見る限り黒いカビに包まれた腐った饅頭なんだが。

 頼むから本当にそろそろ正気に戻ってくれ、ドナ。

 カビでこんな黒くなってる食べ物初めて見たよ。

 もう過食部ほぼほぼ黒カビじゃん!

 何なの、これ!

 新手の健康保健食品か何か!?

 

 

「ん〝ん〝ん〝ッ!も、申し訳ありませんドナ様。私は先程昼食を摂ったばかりでして…」

 

「あっ…そうよね、ごめんなさい。私ったら、つい…」

 

「お気持ちはありがたくいただきますよ。…お茶の方はありがたくいただきましょう。」

 

「ええ。どうぞ召し上がって。」

 

 

 ドナの淹れたお茶を啜ると、やっぱりどうしても"あの時"の事が脳裏をよぎってしまう。

 それもそうか。

 彼女の人格はかなり変わってしまったが、お茶の趣味は変わっちゃいない。

 あの時彼女がシモンやオルチーナ様や私の前で早口に捲し立ててくれたこのお茶の銘柄を、私はちゃんと覚えている。

 ドナの可愛らしい仕草も、声も、そして約束も。

 理性が何と言おうと、私はその記憶を捨てる事はできないだろう。

 

 

 対面を見ると、ドナがお茶を啜っている。

 彼女はベールの一部を器用にめくって、こちら側からは口元しか見えないようにしていた。

 しかし、その配慮にも関わらず、残酷な事に彼女の顔の左半分下の方が少しだけ私に露呈する。

 そこには何かの腫瘍のような痕が見受けられ、そこで私は彼女が何故ベールを外さなくなったのか…その本当の理由を垣間見てしまったような気分になった。

 

 …そんなもの、構うものか!

 彼女は私のかつて知ったドナではないかもしれない。

 けれど、彼女の顔に何があろうと、私にとってドナはドナなんだ。

 戦争帰りの運転手なんぞを受け入れてくれた、大切な幼馴染。

 叶う事なら、もう一度素顔で語り合いたい。

 私は肥え太り、彼女の顔には腫瘍があろうと、お互いの中身は変わっていないかもしれないと期待してしまう。

 

 

 

 ああ、本当にいけない。

 だから彼女の家に来るのは気が引けるんだ。

 ひょっとするとコレは幻覚か何かを見ているのかもしれない。

 これ以上の長居は危険であると、私の直感が告げている。

 

 

「………さて、しがない行商人はここらでお暇させていただきましょう。ドナ様、美味しいお茶をありがとうございました。」

 

「……あ!待って、()()()()()()()!」

 

 

 お茶を飲み干して席を立ち、ドナにお礼を言いながら出ていこうとした時、彼女に呼び止められた。

 …………ん?あれ?今………

 

 

「ほかに頼みたいものがあるの、デューク。…その迷惑でなければ、だけど…」

 

 

 なんだ、気のせいか。

 ベール越しにでも、まごついている彼女の表情が容易に見て取れるようだった。

 本当の本当に、可愛らしい。

 

 私はいつものように笑みを浮かべたが、それは作り笑いではなかった。

 本心からの笑みを浮かべて、ドナの問いかけに答える。

 

 

「ええ、勿論!何なりとお申し付け下さい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………本当に鈍いのね、あの男!アンタが本当にただの行商人なら、ドナが会うはずないでしょっての!………ドナ、いつまでこんな事続けるつもり?」

 

 

 邸宅の窓辺に去りゆく行商人の後姿を見ながら、アンジーがドナに問いかける。

 ドナは決してベールを外す事なく、しかし、その目は真っ直ぐ行商人に向けながら応えた。

 

 

「……こうするしかないの、アンジー。マザー・ミランダからも言われてるでしょう。…私達が元の関係に戻るのは許されない。」

 

「マザー・ミランダの言いつけが気になるなら、なんであんな人形劇作るのよ。あんなのじゃ子供達はマトモに集まらない。何言われても知らないからね!」

 

「…それでも良いわ。もうシモンの時のような間違いは犯したくないもの。」

 

「シモンは仕方なかったって、何度も言ってるでしょう!気づくのが遅過ぎた!だから、ああするしかなかったじゃない!」

 

「でも、子供達はそうじゃない。守れるなら…守ってあげたい。」

 

 

 アンジーは呆れたように天を仰ぐ。

 そんな彼女を両手で抱えながら、ドナは再びリビングへと向かう。

 円いテーブルの周りに椅子を並べ、そこにアンジーとその"お友達"を座らせて。

 行商人が持ってきてくれたお茶をもう一度淹れながら、ドナはアンジーに語りかける。

 

 

「………いつか、彼とは一緒になれる気がするの。でもそれは、きっとここでの話じゃない。もっと遠く離れた場所で…」

 

「ふぅぅぅん…」

 

 

 アンジーはドナの言葉に"くだらない"と言わんばかりの態度を見せたが、内心は少し違うようだった。

 

 

「……その時には、私の事も忘れずに呼びなさいよね。ブーケはこの可愛いお人形ちゃんの物なんだから。」

 

「ふふふっ…ええ、そうねアンジー。ちゃんと受け取ってね。」

 

 

 

 まだ見ぬ夢を語りながら、ドナは優しく微笑んだ。




ああああ!!ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!ちゃんと後でセバ×ドナさせますから殴らないで殴らないで殴らないで!!

冗談はさておき、ドナ邸の"お友達"も幻覚っぽいんですがドナ嬢を感染した後もやっぱり優しいドナ嬢にしたかったのでついやってしまいました申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

笑ゥせばすてぃあん Aust.Ⅳ

※注意※
このエピは絶対に食事中に読まないでください。
あ、やっぱり食前もおやめください。


なお、作者の都合上(!?)オリ主の口調がセバス時代のそれになっております。
デュークのボイスで脳内再生は不可能ですので諦めてください(どうにかする努力をしよう)


 

 

 

 モロー…可哀想な奴。

 100年前、彼は婚約者を失った。

 その喪失感も冷めないうちに、マザー・ミランダの実験台にされ、今は異形の姿となって人里離れた貯水池にいる。

 

 彼の最も悲運なところは、カドゥへの適合率の低さであろう。

 その背中には大きく醜悪な瘤ができ、彼は人目を憚るようにそれをローブで覆った。

 知能も低下し、会話の節々からもそれを感じ取れることができる。

 

 それでも彼は私の事を共に戦争で戦った戦友と知覚してくれた。

 だからこそ、私も友情に相応しい態度でモローに会うようにしている。

 彼の外見などどうでも良い。

 多少対話は困難になったが、彼は依然としてかけがえのない友人なのだから…

 

 

 

 

 

 

 

 

「Heeey、セバスティアン、ワッサー!」

 

「…へ、Heeey モロ〜!ワッサー、ワッサー…」

 

 

 でもコレは違うくないか!?

 モローの知能が低下したのは知っていた。

 マザー・ミランダもそう言ってたし、彼女はモローを見放している。

 だけれども!

 それでもこんな西海岸のストリート感全開の挨拶かましてくるような奴じゃなかったぞモローは!!

 

 

 私はモローと抱き合って、互いの背中を叩き合う。

 ちょっとヌメヌメするのはアレだが、それでもかつての戦友が元気にやっていてくれる事に嬉しく思った。

 

 

「まってたぞ、セバスティアン。品物は持ってきてくれたか?」

 

「勿論だ、モロー。コレは…包丁か?」

 

「ああ。なあ…今から飯を作ろうと思うんだが、一緒にどうだ?」

 

「…そういうことなら、喜んで。」

 

 

 モローは人格が変わった後も、"デューク"ではなく"セバスティアン"として話せる唯一の会話相手だった。

 "セバスティアン"としての私は死んだと思っているドナや、昔から恩義のあるオルチーナ様やハイゼンベルクとは違い、彼とは気を抜いて話ができる。

 だから、そんな彼の好意を喜んで受け入れる事にした。

 

 "血〝ャパリ饅"なる黒カビの塊を用意してくれたドナには悪いが、例え不死身の身体を手に入れても味覚は感染前のままなのだ。

 その点、意外な事にモローの作る魚料理は逸品である。

 どのくらい美味いかというと、腹が立つほど美味い。

 まぁ、それも悲しいわけがあるのだが。

 

 人生の殆どを1人で過ごしてきたモローは、自分のために毎日食事を用意しなければならなかった。

 それも食材として使用を許されるのは、大抵の場合自身が釣り上げる魚のみだ。

 だからこそモローは毎日同じ食材でも飽きが来ないように料理の腕を磨いていったのだ。

 

 

「……へへっ、おまえ運がいいな。今日は良いネタが入ってんだ。」

 

「ほほぉ。何が釣れたんだ?」

 

かつを。

 

 

 かつお?

 かつおって、あの鰹?

 鰹ってこんな湖とかで釣れんの?

 アレおかしいな。

 鰹って確か海水魚じゃなかったっけ?

 こんな、見るからに淡水魚御用達みたいなみずとかで釣れる魚だったっけ?

 

 

「ま、細かいことは気にすんなよ。とりあえず、おまえが持ってきてくれた包丁でコイツを捌くぞ。」

 

「お、おう。」

 

 

 とはいえ私にできる事といえば見事な包丁さばきで鰹を解体していくモローを眺める程度。

 ああよかった、本当に鰹だ。

 サ●エさん一家の長男坊みたいな奴の解体ショーでも始めたらどうしようかと思った。

 一般的に想像は難しいかもしれないが、今のこの村では十分にあり得る事態である。

 

 

「ふぅ…思ったより手こずったが、ざっとこんなもんだな。」

 

「相変わらずすげえな、モロー。」

 

「おまえが新しい包丁を持ってきてくれたからな。これで料理の幅も広がる。」

 

「なあ、モロー。お前以前にも包丁を発注してたけど、そんなに消耗する物なのか?」

 

 

 モローが私に包丁を頼むのは一度や二度の事ではなかった。

 彼は何本も私に包丁を注文しているが、その度その度に刃渡りや太さ、長さの異なる物を注文している。

 何か拘りでもあるんだろうか。

 単純な疑問のつもりだったが、モローはフッと鼻先で笑う。

 

 

「バカだなぁ、お前。包丁にも色々な種類がある。用途によって使い分けないと…さてはおまえ料理したことないな?」

 

 

 うぅぅぅん、なんだろう。

 腹立つっ!

 いや、モローは悪くないし彼の言ってる事はド正論なんだが。

 なんというか、こう、決して触れられたくないところを満身のキメ顔でジャストミートされたようで腹立つ。

 しかも言ってる事は間違ってないし、キメ顔できるだけの事をやってのけた上でのキメ顔だから余計に腹立つ。

 先々月にスペインの友人達と商談したときに言われた事を、未だに根に持ってる。

「食う専門で料理はしなさそうだもんな、お前」

 レコードの調達手伝ってくれてありがとう、でも許さん。

 

 

 何はともあれモローは見事に鰹を捌き切った。

 そのまま食べても十分に美味しそうな切り身を一つ持つと、彼は片手でそれに大きな串を刺した。

 何をするのかと思えば、それを轟々と燃える囲炉裏の方へと持っていく。

 

 

 

「今日はステーキか何かにするのか?…それなら下味をつけた方が…」

 

「バカだなぁ、おまえ。それじゃあ、ただの焼き魚だろ?」

 

 

 腹立つっ!

 いやたしかにこれも彼の言う通りなんだけどさ。

 だったら渾身のキメ顔でバカとか言う前に鰹の切り身をどうするかぐらい教えてくれてもいいじゃん!

 忘れてるかもしれないけど我々は戦友なんだぜ、ブラザー!?

 もっと親愛の情ってやつを持とうぜ、ブラザー!!

 

 そうは言いつつもタダで飯作ってくれてる時点で、モローはかなり親愛の情を持ってくれているブラザーだろう。

 ああ、いけないいけない。

 どうしてこう、人という生き物は些細な事で腹を立ててしまうのか………あっ、もう人間じゃなかったな、我々は。

 

 それはともかく、ステーキのように焼くのでなければどうするのだろう?

 興味を持ってモローの方を見ると、彼は串をクルクルと回して鰹の表面だけを焼いているようだった。

 

 

「これはジャパンの伝統料理なんだ…TATAKIっていうらしい。」

 

「おおっ!」

 

「香ばしいだろう?…懐かしいな。コイツを教えてくれたのはフランチェスカなんだ。」

 

 

 そこまで言って口を噤んだ彼に、私は情けなくも声をかけてやる事ができない。

 フランチェスカにそんな特技があったとは驚きだが、もしマザー・ミランダの野望がなければ2人とも幸せな日々を過ごしていただろう。

 私はまだドナと会えるだけ幸せ者なのかもしれない。

 

 

「………まぁ、いいさ。今のおれには"ママ"がいる。他の誰にも渡したくはない。」

 

 

 マザー・ミランダは孤独に打ちひしがれていたモローの弱みにつけ込んだ。

 結果としてモローの忠誠心は、四貴族の誰よりも揺るぎないものになった。

 

 ………ここまで言っといて、こんなこと言うのもアレなんだが。

 

 心配はいらないと思うぞモロー。

 オルチーナ様は『トワイ●イト』に熱中している侍女(モロアイカ)達に手を焼いてるし、ハイゼンベルクは実験に夢中だし、ドナは若干血生臭くはなったけどマザー・ミランダなんて眼中にない。

 モロー、マザー・ミランダはお前のものだ。

 安心しろなんて言えないが、少なくともその心配は杞憂だ。

 

 

 

 ともかく、モローは切り身を丹念に焼き上げてまな板の上に置く。

 すると今度は先程とは違う包丁を使って、表面の焼けた切り身を丁寧にスライスし始める。

 茶色く焼けた表面の中に、赤々とした新鮮な魚肉が見えて、私の食欲を刺激した。

 

 

「うまそだな、モロー」

 

「まだまだ、だ。コレを皿に盛り付ける。バルサミコ酢を少々、ショーユとオリーブオイルを加え、アクセントの塩胡椒を振ったら、最後はWASABIを盛り付ける。」

 

 

 流れるようなモローの調理を見て、私の食欲はどんどん増していく。

 その調理にはどこか魅せられるものがあり、このジメジメヌメヌメとした小屋を三ツ星レストランに引けを取らぬビストロへと変えていた。

 最後にモローはTATAKIを2つの皿に分け、その内の一つを両手に持った。

 ………彼が信じられない暴挙に出たのはその時だった。

 

 

 

「おまえには"とっておき"を教えてやるよ。」

 

「"とっておき"…?」

 

おぶろしぇぇぇあッ

 

 べちゃっ。

 

「……ふぅ、さあ食ってみろ」

 

ふざけんなあああッ!!!

 

 

 最後の最後で台無しである。

 見事なTATAKIの上には悍ましい緑の"ソース"が乗っかった。

 なんてことしやがるんだお前っ!!

 TATAKIがGOMIになっちまったろうが!!

 

 

「つれないなぁ…結構イケるんだぞ、これ。」

 

「イケたとしても嫌だわ!てかお前ッ…!マジかお前ッ!」

 

「まぁ、そういうと思って皿を二つに分けたんだ。ほら、こっちにはかかってない。」

 

 

 私はモローからまだ無事な方の皿を受け取ると、本当に何も掛かっていないことを確認して一切れ口に放り込む。

 悔しいが、どうやらコレは認めなければならないだろう。

 

 美味すぎて腹立つっ!

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

笑ゥせばすてぃあん Aust.Ⅴ

 

 

 

 リストの最後は、あの人物によって締められている。

 全ての元凶、マザー・ミランダ。

 

 正直に言えば、私は彼女を許す気にはどうしてもなれずにいる。

 勿論彼女が凶行に走った理由も知っているし、私も彼女の立場なら同じ事をしたかもしれないとは思うが、それでもやはり許すわけにはいかない。

 何かこう、理屈では片付かない"何か"が、私の中で楔と化しているような気分だった。

 

 

 そのマザー・ミランダ相手に物を運ぶのは、ドナ邸に立ち入る事以上に気の向かない仕事である。

 最近の事を考えると尚のこと気は進まない。

 去年の末あたりから、彼女にはおおよそ100年前とはまた違う変化が訪れたのだ。

 それ以来私は彼女と会うことさえ、気が進まない。

 

 

 しかしながら仕事は仕事である。

 この村の住人であるからには、それが例え全ての元凶であっても、デュークという行商人の配達サービスを提供される権利があった。

 故に私は荷馬車を洞窟は向かわせていた。

 

 

 かつてハイゼンベルクと共に4人の若者を引き連れてやってきた場所まで来ると、私は商品を手に取って歩き始める。

 だが足取りはもう慎重なそれではない。

 出来ることなら早く済ませて早く帰りたいのだ。

 あの時不案内だった洞窟の内部は、繰り返される取引のおかげで殆ど網羅できている。

 私は脇目も振らずに進み続け、そしてミランダの実験室のドアをノックした。

 

 

「………開いている」

 

 

 ああ、これだからミランダへの配達は嫌なんだ。

 これがオルチーナ様なら「あ〜あ↑セバスティアン!今日はどうしたの?届けた商品がリコール?…いいえ!あなたは気にしなくて良いのよ、作った奴は八つ裂きだけれど。そんなことより顔が疲れてるわ。ちゃんと休めてる?眠れてる?おっ●い揉む?」くらいの愛想を振りまいてくれるだろう。

 ところがこの黒幕ときたら愛想もクソもない。

 まあ、当たり前だが……もっと言うとオルチーナ様が愛想を振りまきすぎなのだが……とにかく、私は重たい気分で実験室のドアを開く。

 

 

 

 全ての黒幕がそこにいた。

 

 リクライニングチェアに深く腰掛けて、こちらに後ろ姿を晒す彼女は、じっと目の前のテレビに見入っている。

 ………その足元には大量の空き缶、ポテトチップスの食べカスと袋、タバコの吸い殻、外れた馬券、俗っぽくて仕方のない週刊誌が山積されていた。

 テレビの画面にはお団子頭のナイスミドルが写っていて、こちらに向けて語りかけている。

 

 

『感じているだろう…何かに向かって這い進んでいるような……』

 

はい、ファーザー

 

 

 マーザーしっかりしろ。

 別ゲーのラスボスの軍門に下ってる場合じゃないでしょう!

 

 

 去年の年末から、マザー・ミランダはこの調子である。

 何かの軸が折れてしまったのかは知らないが、彼女は突如として研究をやめ、溺れるように安酒を飲み、ポテチをたらふく食べながらタバコを吸って競馬に興じて夜通しゲームするという自堕落な生活を始めてしまったのだ。

 

 

「ああ、デューク。頼んでた商品は全てそこに置いて行くがいい。」

 

 

 プレー●テーション5のコントローラを握ったまま、マザー・ミランダがそう言った。

 私は言われた通りにはしつつもため息を漏らす。

 いったいなんだってこんな事になってしまったんだか。

 被害者の私が言うのもなんだが、研究始めた頃のアンタは輝いてたぞ。

 そりゃあ邪な方面への輝きだったが、それでも今に比べれば全然良い。

 今のアンタはまさにゴミクズだ。

 娘さんを生き返らせるんじゃなかったのか。

 

 

 商品…その商品というのもこれまた大量のスト●ング・ゼロである…を置けとは言われたが、部屋が散らかりすぎて置くスペースもない。

 仕方がないので私はその辺にあった箒で床を掃く。

 ところがミランダはそれに構わず、こちらにスト●ング・ゼロの空き缶を放り投げてきやがった。

 おまけに彼女はまた新しいスト●ング・ゼロを手に取ってプシュッと封を開けている。

 流石の私も、もう限界だった。

 

 

「マザー・ミランダ!いったいどうなさったのです!娘さんを蘇らせるという大志を諦めたのですか!?」

 

 

 彼女はコントローラを持つ手をピタリ止める。

 あちゃあ、こりゃあ琴線に引っかかるようなこと言っちゃったかな。

 マザー・ミランダ激おこプンプン丸で存在を消されてもおかしくはない。

 だが、私ももう十分"余生"を楽しんだ。

 このまま意味のない日々を送り続けるミランダを見るよりかは…

 

 ()()()()()()杞憂のようだ。

 彼女はゆっくりとリクライニングチェアを回転させてこちらに向き合う。

 その両目からは黒い涙が流れ落ちていた。

 

 

「………頑張ったもん!

 

「………は?」

 

「頑張ったんだもん!」

 

 

 黒幕がブリっ子すんなよ。

 今、私の目の前にいるのがこの村の全ての元凶とは到底思えない。

 良い歳したおば様が、安酒で両頬を赤く染めて、その上ブリっ子までしてる絵面なんてできれば見たくないのだが。

 

 

「わだじッ!頑張ったんだもんッ!エヴァのためにッ!…100年間もッ!…えぐっ、ひぐっ!なのに〝ッ、なのに〝ッ、この100年間!なんの成果もあげられませんでじだぁあッ!」

 

「………」

 

「考えでみでよッ!私凄くない〝ッ!?…菌根の記録があったとしてもっ…ひぐっ…ゼロベースからここまで研究進めたんだよ!誰にも褒められもせずッ、感謝もされずッ!」

 

 そりゃあな。

 

「でもマトモに出来上がったのがお色気BBAと厨二ミドルとコミュ障とマザコン、それにデブってどう言うことなのよぉおおおおッ!」

 

 腹立つなぁ、このマーザー。

 私はそう思いながらも戸惑いを隠せない。

 とりあえず"オルチーナ様をBBAと呼べるほど若くねえだろ、アンタは"という感想を抱かずにはいられなかった。

 

「弟子には見放されるしっ!えぐっ!他の村人は訳わかんない怪物になっちゃうし!」

 

 そりゃアンタのせいだよ!

 もっと言うとアンタが一番訳わかんねえよ!

 ド派手な光背にカラスみたいな仮面と羽根って、アンタいったい何からインスピレーション受けたんだよ!

 

「どうしてこうなってしまうのッ!ひぐっ!私はただ、娘を蘇らせたいだけなのに〝ぃ!

 私の娘ッ!私のえゔあぁあああッ〜!」

 

 

 め、めんどくせぇ〜!!

 

 

 マザー・ミランダが顔を両手で覆ってガチ泣きを始めてしまう。

 両手からは涙なのかインクなのか分からない液体がドバドバと流れ落ちていき、そのままタールのようにゆっくりと広がっていく。

 このままでは部屋中がタール塗れになりそうなので、私は彼女を泣き止ませる必要に迫られた。

 いくら長生きし過ぎたとはいえ、タールの海に溺れるという環境汚染の最たる一例みたいな死に方はしたくない。

 

 そもそもがそもそも"娘を生き返らせる"という目標自体が極めて特殊である事を理解してほしい。

 アンタがやってるのは自然の摂理に逆らう大それた実験なのである。

 その実験の為に、この村は今まで取り返しのつかないほどの代償を無理やり支払わされてきた。

 その犠牲の1人として、今の彼女の身勝手さはあまりに目に余るものがある。

 

 ある想いがほとばしり、それがつい口から飛び出て行く。

 私は…自分でも驚いたが…マザー・ミランダにブチキレたのだ。

 

 

「良い加減にしてください!このクッソBBAッ!!」

 

「…!?………バ、BBA!?」

 

「ええ、そうですクソBBA!オルチーナ様は"魅力的なお姉さん"ですが、今のあなたは拗れた哀れなクソBBAだッ!!」

 

「なっ…貴様っ…」

 

「そもそもこの村は100年間もの間、あなたのメチャクチャな実験に無理やり付き合わされた!多くの人が多くを失い、多くが消え去った!あなたの実験のために!!」

 

「………」

 

「だというのに、あなたはクソガキみたいに我儘な駄々を捏ねて、何のためにそんな真似をしてるのかすら忘れてしまっている!これでは我々も何のために実験台にされたのかも分からないというものですっ!簡単に娘が生き返るのなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!?

 

「!…………」

 

 

 ミランダを励ますつもりなんて1ミリもない。

 娘を失った彼女には同情する。

 でも、やり方があまりにも不味かった。

 私がそんな彼女に喚き散らしたのは、その狂った研究を"進めて欲しいから"ではない。

 失った代償が取り戻せないのなら、"せめてその犠牲を無駄にして欲しくない"からだ。

 

 

 一気に怒鳴り散らしたせいで、肥満のために著しく圧迫されている気道が悲鳴を上げている。

 私はゼェゼェと息を整えながら、硬直したマザー・ミランダの姿を見つめた。

 彼女が泣き止んだのは、私の言葉を理解したからであろうと期待するしかない。

 

 

 

 ………ところでオルチーナ様。

 こんな時にテレパシーかますのはやめていただいてもよろしいでしょうか?

 オルチーナ様のことを"魅惑的なお姉さん"と言ったあたりから…どうやってるのかは知らないが…彼女は脳内に直接語りかけてきている。

 

「セバスティアン……おっ●揉む?おっ●揉む?おっ●揉む?揉む?揉む?揉む?揉む?」

 

 脳内に直接語りかける類の言葉じゃないだろおおおおお!?

 せっかくのシリアスな空気が台無しである。

 いや、あの、決して揉みたくないというわけじゃ…あ、なんかドナにつねられてる気がすrいたいいたいたいいたい!

 

 

「すまぬ…」

 

 

 勝手に一人でコメディを繰り広げていたからか、マザー・ミランダがボソッとそう呟いたのを聞き逃すところだった。

 

 

「私とした事が…そうだ、エヴァを蘇らせねばならぬと言うのに…」

 

 

 マザー・ミランダはもう平静さを取り戻している。

 今度こそ彼女はこの村の黒幕としてのアイデンティティを取り戻していた。

 …喜ぶべきか、喜ばざるべきか……

 彼女の声は凛々しさのあふれるそれに戻っていて、黒幕として舞い戻った彼女は早速私に命じた。

 

 

「デューク、その品は持ち帰れ。貴様は行商人として良い働きを示した。褒めてやろう。」

 

「………そ、それは…ゼェゼェ…ありがたい限りですな。では私はこの辺で。」

 

 

 結構息を上げた後だから大量のストロン●・ゼロを持ち帰るのが地味にキツい。

 私は帰り道に自問自答せざるを得なかった。

「…アレ?私は何をしに来たんだっけ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 デュークが去った後、平静を取り戻したミランダは荒れ果てた研究室の片付けを始める。

 特異菌の力を使って空き缶をアルミとスチールに分けて、掃除機を操り、雑誌をまとめて縛っていく…力の無駄遣いとは言ってはいけない。

 彼女はあっという間に部屋を片付けると、長い間放置していた問題に再び向き合うことにした。

 

 

「………ふむ。とはいえ、あとは"器"を探すだけなのだが…」

 

 

 何もマザー・ミランダが身勝手な虚無状態に陥ったのは気まぐれではない。

 彼女の研究は何十年も前からあるステップで躓いているのだ。

 それは娘・エヴァを蘇らせるに当たって必要な器探しであり、あまりにも多くの挫折を味わったがために競馬に走ってしまったのである。

 

 

「………!?」

 

 

 考え込む彼女の顔面に、まとめて縛ろうとしていた一部の新聞が、勢い余って飛んでいき激突する。

 彼女は怒りを込めてそのスポーツ新聞を引き剥がしたが、偶然開いていたページに目を奪われた。

 それはゴシップ記事のコーナーで、一人の極めて一般的な男性と、荒れ果てた農家の写真が掲載されていた。

 マザー・ミランダは目を凝らしてその記事を読む。

 

 

「………『ダルウェイ近郊でバイオテロか?…昨日、ルイジアナ州ダルウェイにある農場、"ベイカー農場"からウィンターズ夫妻が救助された。"信頼できる筋"からの情報によると、一帯では新型のバイオテロが行われた形跡が見られる証拠が…』………これだ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




またちょっと更新開くと思います
すいません汗


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

バイオハザード・ヴィレッジ最速クリアRTA!〜イーサン生還ルート〜

アンケートご回答いただきありがとうございました!


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……他の者では力不足でしょう。私と娘たちなら存分に楽しませる事ができます。」

 

「そこどいてよブサイク!私が見えないでしょ!」

 

 

 目を覚ますと、目の前には古びた人形がいて、近くにいた醜悪な男に怒鳴り散らしているところだった。

 なんだここは?

 目の前ではどうやら何かしらの口論が行われているようだが、頭がぼんやりした状態では

 マトモに聞き取ることもできない。

 

 目を瞑って、自分が何故ここにいるのか思い返す。

 クリスの襲撃、連れ去られた娘、車両での移送、たどり着いた謎の村…………

 ああ、そうだ。

 

 

 俺はイーサン・ウィンターズ

 クリス・レッドフィールドによって自邸を襲撃され、妻のミアを殺された後、俺はクリスの部下に銃床で殴られて気絶した。

 目を覚ました時、俺は護衛付きの車両での移送されていたようで、しかしその車両は何者かの襲撃を受けたようだった。

 気がつけば周囲にクリスの部下達の死体。

 車外に放り出されていた死体が持っていた文書によると、俺とローズはサイトCという場所に連れていかれる予定だったらしい。

 だがローズはそこにはおらず、俺はその場に立ち尽くした。

 

 

 そうだ。

 確か彼らの死体のうちの一つが持っていたスマートフォンが鳴った時、後ろから誰かに声をかけられたのを覚えている。

 

 

「Welcowe to my VILLEGE, son!」

 

 

 聞き覚えのあるセリフに振り向くと、そこには肥満体の巨漢がいて、3年前と同じように俺は渾身の右ストレートを食らってしまった。

 そこから俺はまた意識を失って…

 それにしても、ファミパンの次はデブパンかよ。

 

 

 

「誰がブサイクだと、アンジー!おれはルーマニアのデカ●オ(笑)と呼ばれた男だぞ!」

 

「………あ、なんかごめんね

 

「おい!その態度はなんだ、アンジー!」

 

いや、ホントにごめんって。そんなつもりはなかった…

 

「おい!おい!アンジー!なんなんだよその態度!"冗談のつもりで言ったらガチだった"みたいな反応すんなよ!おい!アンジー!」

 

 

 醜悪男と人形の言い争いが、俺の意識を回想から引き戻す。

 SNSを巡る深刻な社会問題の縮図のような言い争いをしている彼らの奥では、巨大な女とサングラスを掛けたやさグレた男がこれまた口論をしていた。

 

 

「それに、我がドミトレスク家にお任せいただければ…この子に最高の待遇をご用意することを約束致しますわ。」

 

 

 どうやら向かって左奥にいる巨大な女はドミトレスクというらしい。

 その向かいにサングラス男がいて、両者の間にはカラスの仮面をつけた女がいる。

 悠然とした態度の巨大女は大切そうに何かを抱え込んでいるようだが…俺の位置からはそれが何なのか識別することができなかった。

 

 そんな彼らの様子を見ていると、手前側で言い争いしていた2人(?)の内、人形の方が俺を見て声を張り上げる。

 

 

「!…ねえ、起きたよおおおおおッ!」

 

 

 人形はそう言ってトテトテと走り始める。

 その方向には全身を黒いローブとベールで包んだ人物がいて、向かってきた人形を抱え上げた。

(かわいい)

 思わずそう思ってしまったが、サングラスが俺を現実に引き戻す。

 

 

「待て、つまり……テメェらうるせえぞ!………その子を独り占めして何が面白いってんだ!?この俺なら、こんな場所でもその子が楽しめるショーを見せてやれる!」

 

「ハッ!何てくだらない!安っぽいサーカスなんて教育に悪いわ!この子が楽しむ様は私が保証しますわ。」

 

「どうせ誰もいない部屋であやし尽くそうってんだろ?」

 

 

 口論を続ける巨大女とサングラス。

 それを遮るように、カラス女が口を挟む。

 

 

「互いの言い分は分かっ」

 

「ハイゼンベルクは幼稚で子育てには向いていません!寧ろ彼にベビーシッターが必要です!私にお任せくだされば、滞りなくこの子を…」

 

「ガタガタ言ってねえで、"最近娘達が思春期で少し寂しい"だけだと認めちまえよ!養子が欲しけりゃ他を当たれ!」

 

 

 ガン無視されるカラス女

 立ち位置的にはこの村の指導者的なポジションだし、その出立ちも相応しいが、巨大女とサングラスはまったく彼女を気にも留めずに話を進め続ける。

 

 

「その口をお閉じ、坊や。今は大人が話しているのよ。」

 

「坊やだぁ?テメェこそ、その子の意志を無視する気か?」

 

 

 いったい何の話をしてやがるんだ?

 この2人は、少なくとも俺の事を話しているようには見えない。

 だが巨大女が抱えているモノが泣き声を上げた時、俺はようやく状況を理解した。

 

 

「………おぎゃあ…おぎゃあ!おんぎゃあ!」

 

「…ローズ!…ローズなのか!?」

 

「ほらみろデカ女!こんな話ばかりしてるから泣き出しちまったじゃねえか!」

 

「お黙りッ!お前は子育てというものを理解していないようね!………あ〜↑よちよち、怖かったでちゅねぇ〜↑ドミトママがいますからね〜↑もぉお大丈夫でちゅよぉ〜泣き止んでくだちゃい、よちよちよちよちぃ〜

 

「きゃっ☆きゃっ☆」

 

 

 クリスの時のように"俺のローズに触るな!"と言いたかったのだが、言葉が喉で詰まってしまう。

 ローズが泣き出した瞬間、巨大女は慣れた手つきでローズをあやし、泣き止ませてしまったのだ。

 何故か自分の叔母に我が子を預けているかのような安心感を感じていると、先ほどのデカプ●オ(笑)が椅子を持ってきて、俺を座らせる。

 反対側からは人形使いがやってきて、はにかんでいるような声で俺に話しかけた。

 

 

「………その…ごめんなさい、こんなところを見せてしまって………あなたは、誰?」

 

「…お前らこそ誰なんだ?」

 

「えっと…………私はドナ。彼はモロー。背の高いご婦人はオルチーナ・ドミトレスク、サングラスの彼はハイゼンベルク。それから、奥にいるのがミランダ様。」

 

「ほら見てみなさい、ハイゼンベルク!この子もまだ私の城にいたいようね!」

 

「ぐぅ!クソ!…なぁ、頼むよ、安全は俺が保証するから1時間だけ預けてくれ!その子のために、せっかくメリーゴーランドを作ったんだぞ!」

 

 

 ドヤ顔をするドミトレスクに、地団駄を踏むハイゼンベルク。

 奴らが何者なのかは分かったが、何故こんな事になっているのかは謎のままだ。

 とりあえず、目の前で口論を繰り広げている奴らと対話ができることは分かる。

 だから俺はやらなければならない主張を行った。

 

 

「なあ!おい!アンタら!俺のローズに何してる!」

 

「"俺の"…ローズ?………もしかして、あなたがこの子の父親なのかしら?」

 

「ああそうだ!」

 

 

 ドミトレスクはローズを抱えたままこちらを睨んでくる。

 もしかして、コイツらアルバニアの犯罪組織か?

 東欧では人身売買が増加傾向にあるという。

 まさかこいつらもその類の連中じゃ。

 ハイゼンベルクが唐突に立ち上がり、こちらに向かって歩いてくる。

 巨大なハンマーのような物を持ち、俺は若干圧倒された。

 だが、男の態度はそのハンマーとは正反対だった。

 

 

「………はぁ、すまねえな、アンタ。昔はこの村には、人の赤子を攫うような恥知らずなんていなかったんだが」

 

「それについては同感よ。まったく!どうしてこんなことをするのかしら。…本当にごめんなさい。」

 

 

 ハイゼンベルクに続いてドミトレスクがそう謝ってくる。

 だが俺の目は彼らの奥にいるカラス女…ミランダに釘付けだった。

 彼女は何も口にはしていないが、その雰囲気が全てを語っている。

 

 

(…いっ!言えない!私が拐ったとかっ…!言えない!)

 

 

「しかし見つけたのがミランダ様で良かったなぁ…気をつけねえと、この辺じゃ最近アルバニアの犯罪組織が…」

 

「でもおかしいわね。保護者がこんな近くにいるのにこの子がミランダ様に保護されるなんて…ひょっとしてミランダ様は何か目的があってこの子を…」

 

 

 ミランダが急に顔を上げる。

 今こそ自身の主張を述べる時!、そう感じているに違いない。

 だが彼女の希望はあまりに儚い物だった。

 

 

「我が」

 

「馬鹿野郎ッ!ミランダ様が誘拐なんて恥知らずな真似するわけねえだろうがッ!イカれてんのかこのデカ女ァ!」

 

「オルチーナ様、おれも"ママ"はそこまで落ちぶれていないと思う」

 

「…………ミランダ様は………外道じゃないわ…」

 

「い、言ってみただけよ!私だってミランダ様が赤子の誘拐なんて卑劣なことをするなんて思ってないわ!」

 

(いっ、言えないッ…!私が誘拐したなんてッ…言えないッ!)

 

「ああ、でもよかったよ。"ママ"があの子を分解してフラスコに詰めるなんて言ったときはどうしようかと…」

 

 

 再び顔を上げるミランダ。

 どんな外道な事を考えているかは知らないが、少なくとも彼女は周りが思っているほど聖人ではないらしい。

 彼女は意を決したとばかりに口を開く。

 

 

「我が」

 

「いい加減にしやがれッ!モロー、お前ミランダ様を鬼畜か何かとでも思ってんのか!?」

 

「………モロー…あなたきっと疲れてるのよ…」

 

「ドミトレスク家の城主として、今の発言は認められないわ。ミランダ様をクズのように扱って!」

 

「わ、悪かったって!きっと白昼夢でも見たんだ…」

 

(言えないッ!分解してフラスコに詰めて分散管理させようとしてたなんてッ!言えないッ!)

 

 

 再びガクリと肩を落とすミランダ。

 あの子の父親としてはこれで一安心(?)だが、肩をプルプルと震わせながらただただ黙しているミランダが段々と可哀想に見えて来る。

 とはいえローズは渡さん、諦めろ。

 

 ローズをあやし続けるドミトレスクが、俺の方に屈み込んでくる。

 何をするかと思えば、意外な事に彼女は素直にローズを差し出した。

 

 

「……それじゃあ、彼がこの子の父親って事で間違いなさそうね。ちょっと名残惜しいけれど、お別れしないと。」

 

「…返してくれるのか?」

 

「あら?返さない方が良いのかしら?」

 

「あ、いや。こうもすんなり返されるとは…」

 

「ふふふふふっ…まさかとは思うけど、()()()()()()()()()()とは思っていないでしょう?」

 

 

 クソッ!やはりか!

 こんな上手い話があるわけはない。

 さあ、何を要求して来る!デカ女め!

 俺はこの子の為なら何でもする覚悟がある!

 父親として…ミアは守れなかったが、この子の父親として、その義務だけは果たすつもりだった。

 

 

「…ふふっ、良いお顔だこと…それじゃあ…」

 

 

 ドミトレスクが不敵に笑いながら舌舐めずりをする。

 その様は吸血鬼のように見えなくもない。

 彼女は俺の耳元に顔を近づけると、驚くべき"代償"を要求する。

 

 

「………私の城で、スウィングを聴いていってもらえる?」

 

「………は?

 

「昔は娘達も喜んでくれたのだけれど、最近は思春期で寂しいの。1人で練習するだけじゃつまらないわ…」

 

「はぁ……」

 

「おいデカ女ッ!言わせておけば何を勝手に取り決めてやがる!あの子は俺の作ったメリーゴーランドに乗ってもらうぜ!」

 

「お黙りゃあああッ!お前の作ったメリーゴーランドなんてただのデッドコースターでしょうがッ!」

 

「大丈夫ッ!大丈夫だからッ!安全安心に作ったからッ!せめて一回!先っちょだけでもっ!……あ!保護者同伴ならいいだろ!?保護者同伴なら載せても良いだろッ!?」

 

「もうエスカベッシュの仕込みを済ませたんだ、食ってってくれよぉ」

 

「………お人形…持って帰って………」

 

「………マジかよ」

 

 

 一気に要求をたたみかけて来るハイゼンベルク達。

 ミランダは体育座りをして落ち込んでいるものの、それ以外の彼らは見た目の割に良い人間らしい。

 俺が彼らの要求全てに応えるのは、決して難しいことではないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…村で何があったんだ、イーサン?」

 

 

 帰りの車の中で、対面の席に座るクリスにそう問いかけられた。

 あの後、クリスに殺されたはずのミアがいつのまにか合流していて、一緒に村巡りをした後俺にデブパンを食らわせてきた商人の馬車に乗って村の外に出たはずだ。

 俺たち3人で"遊園地"…正確には寒村だが…なんて初めてだったから、つい楽しみすぎて馬車の中で寝込んでしまい、気がつくとクリスに回収されていたのだ。

 

 そのクリスから、ミアに化けていたあのミランダの事を聞いた後、今度はこちらが質問されている。

 ミアはまだローズを抱えて寝込んでいて、俺はその幸せな光景を見ながら、ありのままをクリスに話した。

 

 

「………だから、城でスウィングを聴いて工場でメリーゴーランドに乗って湖の辺りでエスカベッシュご馳走になってお土産に人形もらって帰ってきた。」

 

「……………はぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 

 

 深々とため息をするクリス。

 その様子を見るに俺の話を信じていないらしい。

 

 

「いいか、イーサン。俺は上の連中に報告書を上げなきゃならない。悪い事をしたとは思ってるが、お前の協力が必要だ。…だから、正直に話してくれ。村で何があった?」

 

「………だから、城でスウィングを聴いて工場でメリーゴーランドに乗って湖の辺りでエスカベッシュご馳走になってお土産に人形もらって帰ってきた。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






















エージェント「ローズ、迎えに来たぞ。」

ローズ「…はぁ、最悪………それじゃあ、パパ、ママ、行ってきます」

ミア「行ってらっしゃい、ローズ。今日はあなたの好きなエスカベッシュよ。」

イーサン「無理はするなよ!…そうだ、君、ちょっとこっちに来てくれ。」

エージェント「私ですか?」

イーサン「ああ。………くれぐれもウチの娘を"エヴリン"とは呼ぶなよ?」

エージェント「!?…………」

イーサン「君もクリスを怒らせたくはないはずだ。」

エージェント「……も、勿論です。それでは。」



………




ローズ「………ねえ。着くまで退屈だから、何か曲を掛けてくれない?」

エージェント「ああ、ローズ。どういうのが良い?」

ローズ「そうね……スウィングがいいわ。とびきりご機嫌なやつ。」

エージェント「いいだろう。…ところで、昨日は遊園地で何をしてた?」

ローズ「なっ!?……監視してたの!?」

エージェント「仕事だからな。」

ローズ「信じられないっ!クリスに言いつけてやる!」

エージェント「そのクリスからの命令だ。」

ローズ「………はぁ…メリーゴーランドに乗って考え事してただけ。」

エージェント「メリーゴーランド?」

ローズ「ええ。アレに乗ると、解決策が湧いて来るの。」

エージェント「…そうか。……なあローズ、もう一つ聞いても良いか?」

ローズ「何?」

エージェント「いつもバックに付けてる人形なんだが、どこで買ったんだ?」

ローズ「欲しいの?」

エージェント「いや、そういうわけじゃないんだが…その手の人形は高級品だ。どこで手に入れたのか気になってな。カミさんが好きなんだ。」

ローズ「ふ〜ん…知らない。私が物心ついた時には、もうあったわ。」

エージェント「そうなのか…何でルーマニア歩兵の人形なんだろうな。」

ローズ「さぁね。作った人にとって、大切な"何か"だったんじゃないかな。」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

終わりに
約束


すいませんんんんん(開幕DOGEZA)
感想欄でもう2話とか書いてましたがどうしてもネタが纏まらなかったのでこれで終章になります。
ご期待いただいてた方は誠に申し訳ございません!


ネタの「蛇足シリーズ」から直接ここに来ると著しい温度差の違いによりくも膜下出血に至る可能性が(ねえよ)

とりあえず「蛇足シリーズ」は無視して「解放」の後、ゲーム本編通りに進めた場合として読んでいただければ幸いです。


 

 

 

 

 あの特異菌は私に、耐久性の他は何ももたらさなかった。

 その耐久性というのも条件付きで、私は自身の身体を維持するために食糧を取り続けなければならない。

 何とも不便な身体だが、お陰で得をすることもあったし、それに…()()()()を見出すのは容易だ。

 身体の耐久性が代謝による物であるのならば、その機能にエネルギーを供給しなければ良いのだから。

 

 

「………やり遂げられましたか、ウィンターズ様…」

 

 

 私はテーブルの上で手を組み、そっとそう漏す。

 マザー・ミランダが倒されるところをこの目で見たわけではないが、しかし何となくそんな気がした。

 彼を一目見た時に直感したのだ。

 "彼なら大丈夫、やりきれる"と。

 それは彼の特殊な能力を根拠にしての結論ではない。

 あの男の目を見れば、それはすぐに分かるだろう。

 覚悟を決め、自分の命さえ投げ出して、誰かを守ろうとする男の目だった。

 もしかすると彼も自覚していたのかもしれない。

 あの洞窟の前に彼を送り出した時、私は彼に精一杯の励ましを向けると共に、底なしの罪悪感を感じた。

 私もマザー・ミランダと同じように、自分の目的のために彼を利用してしまった。

 それもハイゼンベルクがやったように堂々とやるのではなく、報酬を受け取って、武器を与え、食事を与え、物資を与え、道標を示すという回りくどいやり方で。

 彼は赦してくれるだろうか?

 或いは…"彼女は?"

 

 

「………どう思いますか、アンジー?」

 

 

 私は机を挟んだ席に座っているアンジーにそう問いかける。

 彼女は頭を少し左に傾けたまま黙し、私の問いかけに応えることはない。

 それもそのはずだ。

 もうこの村にはアンジーを抱え上げて腹話術をする人間も、アンジーにカドゥを株分けした人間もいない。

 

 ああ………ドナ、私のドナ。

 待っていてくれ。

 今から私もそこに行く。

 

 

 テーブルの周りは、"四貴族"と呼ばれるようになっていたかつての親しい知人達の遺品が配置されている。

 オルチーナ様、ドナとアンジー、モロー、そしてハイゼンベルク。

 彼らは汚れ仕事に手を染めた私をどう見るだろうか。

 何となく杞憂のような気もするが、私は未だに確信を持てずにいた。

 

 

 誰もいなくなったドミトレスクの城で、私はただただ時を待つ。

 テーブルを囲む遺品達の前には、あの父親が調達してくれた食材を用いた料理を並べている。

 日本では"お供物"という文化があるらしい。

 だから私もそれを真似てみることにしたのだ。

 変わった習慣だが、私は彼らが生前に好んだ食べ物を並べるのに最善を尽くした。

 もし至らないところがあるのなら、向こうでお伺いするとしよう。

 

 しかし、自分で拵えておいてなんだが、こうして周りに料理を供え、自分の食器を空にしておくという事をしていると、これはこれは辛いものがある。

 私はあの男がこの村に来てから、身体を維持するための最低限の食べ物しか口にしていない。

 つまり今、私の耐久性は最低の状態にある。

 恐らく、あと1、2歩間違えれば、私の身体は勝手に自壊する事だろう。

 それも良いが、私にはまだ残された仕事がある。

 ご婦人がお車からお降りになった後、ドアを閉めるのは運転手の仕事だ。

 

 

 

 遠くの方から大きな音が、振動を伴ってやってくる。

 あの大柄な男はやはりこの村全体を消し去る算段だったようだ。

 彼を責めようとは思わない。

 マザー・ミランダが連絡を取っていた連中が無人の廃墟としたこの村に足を踏み入れれば、否応なく悲劇が繰り返される。

 私が最後にドアを閉めるのだ。

 この"栄誉"だけは誰にも渡さない。

 

 

 私は改めて目の前のアンジーを見つめる。

 返事のない彼女に、私はただこう言った。

 

 

「お迎えだ、アンジー。…()()()()()()()()()()?」

 

 

 すぐに光が城を包み込んで、私の意識は遠のいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朗らかな草原の中を、花束を持って歩いた。

 束ねたのはもちろん"エーデルワイス"。

 彼女もきっと喜んでくれるだろうと、そんな気がしている。

 

 

「…セバスティアン!セバスティアン!こっちに来なさい!」

 

 

 不意に呼びかけられて、私はそちらの方を見た。

 懐かしい男がいる。

 離れてから何年もの歳月が流れているが、この私に人生を与えてくれた人物を、忘れるはずもない。

 

 

「…父さん?

 

「ほら急げ、セバスティアン。レディを待たせる男を、父さんは尊敬しないぞ!…なんてな、冗談だ。」

 

 

 父が私を先導してくれ、私は彼に着いていく。

 あの父親を利用した私を、父はどう思うのであろうか。

 見損なったか、或いは軽蔑したか。

 

 

「……お前はよくやった。父さんはお前が誇らしい。」

 

「いいや…力及ばず、だったよ。結局、村の誰一人として救えなかった。」

 

「何を言う!…あんな状態じゃ誰かを救おうとする方に無理がある。父さんが誇らしいのは、お前が()()()()()()からだ。」

 

「逃げなかった?…父さん、残念だけど、ぼくはあれからずっと…あの村で起きる悲劇から身を遠ざけてしまった。」

 

「それでも、お前は村に残ったんだ。」

 

「………」

 

「お前は村を離れようとは思わなかった。そりゃあ商売の為に少しは離れたかもしれない。でもお前は"あんな事"になった後も、ちゃんと村の為に尽くしたじゃないか。オルチーナ様に、モローやハイゼンベルク。悲しみを噛み殺しながら、ドナにお茶を届けた。…父さんはそんなお前が本当に誇らしい。」

 

 

 父はそのまま歩き続けていたが、突如として傍へと曲がる。

 突然の挙動に顔を上げると、目の前からは大変大きな女性が両腕を広げて迫ってきていた。

 当然のことと言わんばかりの抱擁を受けると、懐かしい香りと暖かさに包まれる。

 

 

「………オ、オルチーナ様っ」

 

「何も言わないで、セバスティアン。お願いだから、少しこのままにさせてもらえないかしら。」

 

 

 長い抱擁の後、彼女はようやく私を離して額に接吻をしてくださった。

 

 

「…ありがとう、セバスティアン……本当に。私達はあなたに"救われた"。」

 

「いいえ、救ったのは"彼"です。私じゃない。」

 

「あなたの助けなしでは、"彼"も成し遂げられなかったでしょう。あなたはドミトレスクが誇れる運転手です。…………さて、セバスティアン。向こうであなたを待っている人がいるわ。」

 

 

 オルチーナ様が傍に避けて、私の前に一本の道を指し示す。

 その先には壇があり、壇の傍には白いウェディングドレスを着た花嫁がいる。

 ハッとして自分の身体を見ると、陸軍の正装に身を包んでいることに驚いた。

 オルチーナ様の影からゲオルゲ・ドミトレスクが現れて、私に制帽を被せながら語りかける。

 

 

「君のご婦人に、我が軍の将兵として相応しい態度を示したまえ…これは将軍の命令だぞ、アッペルフェルド伍長?」

 

「………は、はい!もちろんです!」

 

 

 気づけば、私と花嫁の間にある道の間には多くの見知った人々がいる。

 ハイゼンベルクがこちらに向かって手を振って、イシュトヴァンとその親父さんとカミさんが拍手をしていた。

 ベイラにカサンドラにダニエラやドミトレスクの侍女達、ロシュやツェラーンもいたし、モスコヴィッシやハスキルの姿も見える。

 モローとフランチェスカは肩を寄せ合って、こちらに微笑みながらこう言った。

 

 

「悪いが"お先"してるぞ、アッペルフェルド!」

 

 

 昔懐かしい仲間たちや友人達、それに仲睦まじい新婚夫婦の中を通って壇の方へと歩んでいく。

 "彼女"を待たせているからか、少しずつ足取りは早くなる。

 そして壇に登って初めて、その奥にいる人物が黙して泣いているのに気がついた。

 

 

「………ごめんなさい、私…どうしてあんな事…」

 

 

 マザー・ミランダは、もうかつて私が知っていた彼女だった。

 その側にいる小さな女の子が、自身の罪悪感に涙する彼女の袖をひく。

 

 

「ママ!もう泣くのはやめて。せっかくの結婚式なんだから、ママはママにしかできない仕事があるでしょう。」

 

「マザー・ミランダ、きっとここにいる誰もがあなたの事を理解しています。もう誰も恨んではいませんし、あなたの行いは赦されるはずです。」

 

「…エヴァ……セバスティアン………ありがとう。……そうね。せっかくの結婚式なのに…。」

 

 

 マザー・ミランダが気を取り直している間に、私は華麗なウェディングドレスに身を包んで、純白のベールに顔を包んでいる花嫁に向き合った。

 ベールの向こうの彼女はどんな顔をしているだろう?

 怒っている?泣いている?

 花嫁を待たせて、バージンロードを1人で歩いてくる新郎なんて前代未聞だろう。

 だが恐る恐るベールを挙げてみると、そのどちらでもないことがわかった。

 

 

「…やっと来たのね、セバスティアン。」

 

「ごめんよ。遅くなってしまった。」

 

「いいえ、そんな事ないわ。……どう?似合ってるかしら?」

 

 

 はにかむ彼女に、私は魅せられる。

 なんて綺麗な花嫁なんだろう。

 

 

「………なんて…綺麗なんだ…」

 

「…嬉しいわ、セバスティアン」

 

「でも、本当にいいのかい?」

 

「…何が?」

 

「私はここに来てまで、君を束縛するつもりはない。」

 

 

 会場全体からため息がこだまする。

 視界の端ではオルチーナ様が「ウソでしょ」と言わんばかりに天を仰いでいるし、そのオルチーナ様の横にいるハイゼンベルクが「あのバカッ!」と言っているのも聞こえた。

 それでもドナは微笑んで、私の問いかけに応えてくれる。

 

 

「…きっと…皆んながここにいるのは、自分自身の意志によるものだと思う。だから私はここにいて、あなたもここにいる。迷うことなんて何もないわ。」

 

「そうか。……ありがとう、ドナ。」

 

「ンンッ…それでは、誓いの言葉を。」

 

 

 マザー・ミランダが咳払いをしてそう言った。

 私とドナはお互いに向き合い、彼女の言葉を待つ。

 

 

「新郎セバスティアン、あなたはドナを妻とし、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、妻を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

 

誓います。

 

 

 ドナの目を見て、胸を張ってそう返した。

 私の言葉を聞き入れたマザー・ミランダが、言葉を紡ぐ。

 

「新婦ドナ、あなたはセバスティアンを夫とし、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、夫を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

 

誓います。

 

 

 ドナも私の目を真っ直ぐに見て、そう返してくれる。

 かつては届かなかった約束の日。

 かなりの年月が経ってしまったが、それでもドナは私を受け入れてくれた。

 何と優しく、何と慈しみ深い…

 

 

「それでは、誓いのキスを」

 

 

 私は人にキスなんてした事はない。

 どうしたら良いか分からずまごついていると、ドナがそっと顔を近づけてくれる。

 そしてそのまま、私の唇に柔らかなものが当たった。

 

 

「………あの日約束した通り…そうでしょ?」

 

「ああ、ドナ。愛してるよ。」

 

「おめでとうセバスティアン!」

「おめでとう、ドナ!」

「お幸せに!」

「うっしゃあああブーケの時間だゴラァ!ブーケはこの可愛いお人形ちゃんのモンなんだからね!」

 

 喝采に包まれて、今度は私からドナを抱擁する。

 彼女の温かみを感じながら、私はそっと目を閉じて涙した。

 1919年に交わされた約束が、ようやっと、果たされたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何をご覧になっていらっしゃるのですか?」

 

「ん?………ああ。俺の娘だ。あんなに小さな赤ん坊が、こんなに大きくなるとはな。…俺のせいで苦労も多いだろうに、ちゃんと墓参りに来てくれる。良い娘に育ってくれたよ。」

 

「それはそれは」

 

「………お前、痩せたな?」

 

「はっはっは、分かります?」

 

「ああ、わかるとも。あの時は助かった。」

 

「いえいえ、私の方こそ助かりました。ところで、ご一緒してもよろしいですかな?」

 

「良いとも。そこの奥さんも良ければ一緒に。こうも1人だと、話し相手が欲しくてな。」

 

「そうですか…それでは、お言葉に甘えさせていただきましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Riding on my feathers I can lead you thorough the patterns we now follow.

 

私の翼に乗って あなたを導いてあげるわ

 

Laying on the floor, life between us lights a certain afterglow.

 

床に寝転がると、2人の人生が残光を照らし出す

 

We gon' have a good time waving by and by.

We gon' have a good time waving by and by.

 

手を振りながら楽しめるはず、

手を振りながら楽しめるはず

 

We found fun over there,

We found fun over there.

We gon' have a good time.

 

"あっち"で楽しみを見つけたの

きっと楽しめるわ。

 

I'll take you to the sun all the way ...

The sun all the way...

 

遥かな太陽まで連れていってあげるわ

遥かな太陽まで…

 

I'll take you to the sun all the way ...

The sun all the way…

 

遥かな太陽まで連れて行ってあげる

遥かな太陽まで…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ど素人のにわかがカッコつけて洋楽なんか使おうとするから!
最後の訳文はかなり意訳(?)です、違ったらすいません
ちなみに『Caravan Palace』の『Plume』という曲から引用しました。

大凡3週間に渡り誠にありがとうございました。
正直ネタ枠はドン引かれるかなと思ってましたが、思ったよりドン引かれた上に好印象のご感想をいただけ大変嬉しく思いました。
ご感想・評価共に本当に励みになりました。
繰り返しになりますが、本当の本当にありがとうございました!





目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。