碇・アスカ・ラングレーの逆襲 (しゅとるむ)
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いきなり第八話 ASUKA STRIKES BACK(Aパート)

 太平洋の波濤を乗り越え、進むその艦の名は、イエロー・ブリック・ロード。国連海軍の誇る正規空母オーヴァー・ザ・レインボー級の二番艦に当たる。

 

 僚艦として右舷に見えるのは、同じく三番艦のウィザード・オブ・オズだ。

 

 そのイエロー・ブリック・ロードの甲板上に、エヴァンゲリオン弐号機の引き渡しに訪れた特務機関ネルフの葛城ミサト一尉と、彼女に引率されたシンジ、トウジ、ケンスケの三人の少年たちは立っていた。

 

「おぉぉぉ!国連海軍の誇るオーヴァー・ザ・レインボー級新鋭空母が二艦も揃い踏みだ!これが男なら涙を流さずにいられようか!!」

 

 と眼鏡の少年、相田ケンスケが歓声を上げながら、ビデオカメラを回す。トウジやシンジもケンスケほどの熱狂ぶりではないが、広大な甲板の規模に圧倒されている。

 

 三人の少年は艦上特有の強風に吹かれながら周囲を見回す。すると、黄色いワンピースに身を包んだ白人風の少女がシンジたちを見つけ、猛然と走って近寄ってきた。彼女の進路に立っていたトウジとケンスケは、

 

「邪魔!」

 

との一言の下、少女に肘を突かれ、弾き飛ばされる。

 

「な、なんやこの女!いてまうぞ!」

「あー、俺のメガネが……!ビデオカメラが……!」

 

 尻餅を付いた少年たちの怒声や阿鼻叫喚もどこ吹く風とばかりに、少女は残る一人の少年、シンジににじり寄った。年の頃は、十四、五、シンジたちと丁度同年代なのだろう。背丈も同じくらいだった。くっきりした目鼻立ちや色素の薄い長い髪、肌の色から純血でないにせよ外国人の血が混じっている事が伺われた。

 

 鋭い眼光をたたえ、しかし、少女は急に、その猪突猛進な態度を沈静化させ、不思議そうな表情で、どこかぼんやりとシンジの顔に手を伸ばし、ほっぺたをつまみ、身体のあちこちをペタペタと触ったりしている。

 

「あ、あの……」

 

 シンジは突然の、見知らぬ少女からの身体的接触、とりわけひんやりと冷たい掌の感触にどぎまぎする。

 

 顔を至近まで近付け、矯めつ眇めつシンジの顔を眺めていた金髪の少女は、やがて俯くと。

 

「ちゃんと………てる……」

「え?」

 

 シンジにはよく聞き取れなかった。少女はそのままずっと俯いていた。

 

「あの……」

 

(まさか泣いてるの?)

 

 シンジが声を掛けようとすると、途端に少女は顔を上げて、明るい声を出した。

 

「やっぱ冴えないわね、アンタ!」

「はあ?」

 

 とんでもなく失礼なことをいきなり告げられて、シンジも憮然とするより前に、唖然とする。

 

(さ、冴えないって確かにそりゃそうだろうけど……)

 

「でもま、素材は最悪って訳でもないし、我慢の範疇かしらね」

 

 人生は忍耐って言うものね、と少女は一人で納得したようにうんうんと頷く。改めて少女の顔を眺めると、その実、驚くほどの美少女だった。確かにこのアイドル顔負けの容姿を持つ少女にとってみれば、凡百の男子など冴えないの一言で切って捨てられる事だろう。

 

「あの……冴えないは分かるとしてやっぱりって……それに、我慢って……?」

「ああ、安心しなさいよ、アタシが来たからには冴えないアンタの惨めな人生も、これから、ちょっとはマシになるわよ」

とまるで、答えになってないような返答を返された。

「ミサトさん、あの、この子は……エヴァの関係者なんですか?」

 

 保護者を振り返り、説明を求めるシンジだが、ミサトの顔にも当惑の色が浮かんでいるのを見て、さらに不安になる。

 

「え、ええ……紹介するわ。エヴァンゲリオン弐号機専属パイロット、セカンド・チルドレンの惣流……」

「違うわ、ミサト」

「え?」

 

 顔見知りの少女に早々に紹介した内容を否定され、ミサトも怪訝な顔をする。

 

「アタシの名前は、碇・アスカ・ラングレーよ」

 

と少女は胸を反り返らす。

 

「碇?……あ、もしかして、僕の親戚だったり……」

 

 父は、親戚付き合いがほとんどなく、しかも六分儀ではなく碇というなら母方の親戚の筈で、それで知らないのかとシンジは合点した。

 

「い、いや……そんな話は聞いてない……シンジ君……」

 

とミサトがアスカの方へ踏み出そうとするが、アスカはミサトから遠ざかり、シンジの陰に隠れるように位置を取る。

 

「親戚?……ま、当たらずとも遠からずね」

 

 そして、アスカはふんすと鼻息荒く、バッグから出した書類をシンジの前に差し出した。

 

 その書類には、「夫になる人」という欄があり、碇シンジ、とシンジの名前が書いてあった。「妻になる人」の欄には、「惣流 アスカ・ラングレー」と書かれている。

 

 その書類の意味がシンジには全く理解できない。

夫?妻?一体、何のことなのか。言葉の意味が上滑りして頭の中に全く入ってこない。

 

「……あの、キミって一体……誰なの」

「アタシ?……アタシはアンタのお嫁さんよ。だから配偶者を親戚の一種として捉えるなら、当たらずとも遠からずと言ったのよ。ま、もちろん妻は親戚じゃないけどね」

 

 お嫁さん?次々に濫発される目新しい単語に、シンジの頭が目まぐるしく回転するが、とても理解には追い付かない。

 

「……な、何言ってるんだよ、突然……」

「あれれ、赤くなってる。可愛い所あるのね」

「か、からわないでよ。何かの冗談なんだろ。えっと……惣流さん」

「だからもう名字はアンタと同じ碇になるんだって。アンタにはアタシを名字呼びは出来ないの。夫婦なんだから」

「ば、バカなこと言わないでよ」

「いいから観念して、アスカって呼びなさい。あ、アンタ限定でね。そこらに転がってる山猿みたいなスケベな男子たちは当然、呼び捨てお断り。これはアタシの夫の特権だから」

 

 このびっくりするぐらい綺麗で、信じられないくらい言葉遣いと性格の悪そうな(多分)女の子の……夫が僕?

 やっぱり、まだ意味が分からない。

 

「あ、あの、アスカだっけ……僕、君が何を言ってるのか全く分からないんだけど……」

「あら、頭だけでなく耳まで悪いのかしら。アンタ、サードチルドレンの碇シンジでしょ?」

 

 事ある毎にこちらをバカにしてくるアスカという少女に、いくら美少女とはいえ、シンジもさすがにムッとする。

 

「む……そ、そうだけど」

 

 それを聞いて、少女は頷き、やっぱり合ってるじゃん、と呟いて、

 

「アンタ、自分の幸運さをちゃんと理解してるのかしら?」

「な、何が」

「アタシがアンタのこと、もらってやるって言ってるのよ。要するに」

 

 と耳元に口を近付けて、小声で囁く。

 

「冴えないアンタをアタシのお婿さんにしてあげるってこと。ありったけ、一生ぶん、感謝なさいね」

「だからお嫁さんとか、お婿さんとか……何で僕が、初めて会った君なんかと……」

「…………」

 

 すると、少女は少しだけ寂しげに俯き、それから物分かりの悪い少年を哀れむようにやれやれと溜め息をついた。

 

「よくアタシの事を見なさいよ。アンタ、今までの人生でアタシより可愛い女に会ったことあるの?」

「え……い、いや、それは……確かに……ないけど……」

「可愛いでしょ?アタシ」

「そ、それは、確かに可愛い……けど。でも!まだキミの事、何も知らないしっ!」

「見た目が可愛ければ、男はそれでいい筈でしょ?人は見た目が九割、っていう日本のことわざもあった筈よ」

「そんなの……あったかな……」

「とにかく、情けないアンタの人生で最初で最後のラッキーチャンスよ。ね、これから、艦を降りたら帰りの足で、一緒に市役所に行こう?そしてアタシと夫婦になろう?」

「ちょ、ちょっと待ってよ!ミサトさん!!」

 

 呆然と二人のやりとりを眺めていたミサトが我に帰った。

 

「あの、アスカ……何があったのか知らないけど、あなたシンジ君を知ってるの?」

「サードチルドレンの資料ならドイツの第3支部でちゃんと貰ってるわよ」

「つまり、その資料で知ってるだけ?」

「ん……まーね」

「それでシンジ君を気に入ったのだとしても、そこから幾らなんでも、結婚ってのは飛躍し過ぎじゃない?」

「別にアタシが誰と結婚しようと、誰にも文句は無いでしょ」

「僕はあるよ!いきなりそんな事を言われても困るよ……」

 

 シンジが赤面しつつ大きな声を張り上げると、アスカはあら居たのアンタ?と言わんばかりの表情でちらりと見て、

 

「ハァ?……アンタの反対に一体何の意味があるのよ」

 

 虫けらに対して宣言するように言い放った。

 

「いや僕自身が反対してるんだよ!……当事者じゃないか!……結婚は両性が同意しないといけないとか、そういうのが法律……か何か……に有るんじゃないの……?」

「両性?アタシが同意すれば問題はないでしょ。アンタは損なんて何もないんだから。アンタの同意はアタシが代わりにしてあげるわよ」

 

 そして、ポンポンと肩を叩いて耳元で囁く。

 

「素直に結婚すれば、今ならエッチもやりたい放題させてあげるから、ちょっとだけいい子にしてなさいよ」

 

と、この類い希な美少女は甘やかな囁きで少年の顔を赤らめさせた後、あらかじめ用意してあったのか碇という三文判をショルダーバッグから取り出し、空母の耐熱処理された甲板に書類を置いて、

 

「ほら、判子も用意してあるから、とっととこれを捺して。ぽんぽんってね」

「捺せるわけないだろっ!」

 

 そこにミサトが遅まきながら割って入る。

 

「というより、その前にあなたたちは中学生でしょ、十八にならないと、そもそも結婚は無理よ。諦めなさい、アスカ」

 

 アスカはその言葉に不満を隠さないが、ミサトに婚姻届を取り上げられて、しょげ返って見せる。

 

「アスカ、これは一体どういう冗談なの?シンジ君をからかうにしても、少したちが悪いんじゃ……」

 

 しかし、その後すぐにアスカは舌を出して、笑って見せる。

 

「なーんてね。日本ではアタシたちの歳では結婚出来ない、そんなのはとっくに知ってるわよ。日本って何でも保守的でダメな国ね」

 

(……中学生で結婚できないのは保守的というより、当たり前じゃないの……)

 

 シンジは突っ込もうとしたが、金髪の安達が原の鬼が怒り出しそうなのですんでのところで止めた。とにかくこれはアスカという少女の仕掛けた冗談だったらしい。少しだけ残念なような……もったいなかったような。そんな事を僅かに考えていると、少女はまた話しかけてきた。

 

「ところでウルグアイって国を知ってるかしら」

「……ウルグアイって南米の?」

「素晴らしい国があるものよね」

「まさか」

 

 シンジは嫌な予感をして、一歩下がるが、すぐアスカに腕を掴まれる。彼女は再びショルダーバッグから、今度は横文字の書類を取り出した。

 

「スペイン語だから、あんたにはどうせ読めないだろうけど、結婚証明書と言えば、お分かり頂けるかしらね?」

 

 書類には、アスカの写真ばかりではなく、その横には、勝手にシンジの写真が貼られていて、2つの写真の上に割り印が捺されていた。

 

「このウルグアイという国では、男は十四歳、女は十二歳で結婚できるのよ。それがどういう意味なのか、分かるかしら、碇シンジクン?」

 

 シンジはへたり込み、アスカは心底愉快で堪らないという顔で、そのシンジを見下ろして、気の毒そうに言った。

 

「アンタ、もう法律的にはアタシの夫なのよ」

「NOOOOOOOOOOOOOOO!!」

 

 シンジの絶叫が新鋭空母の上に響き渡った。

 

「なるほど、スペイン語では否定はNO()か。生きたスペイン語会話を学んでるな、碇……」

「見てくれは兎も角、中身は残念極まりない女やな。ワシら、お前には何もしてやれん。堪忍や、シンジ……」

 



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いきなり第八話 ASUKA STRIKES BACK(Bパート)

「ちょっとシンジ。手ぐらい繋ぎなさいよ」

 

 艦橋に上がろうとするタラップの手前で、"碇・アスカ・ラングレー"と一方的にシンジの妻を名乗っている少女は言った。

 

「な、なんでだよ」

 

 シンジは先ほどから、少女の激しく熱烈な攻勢に耳まで熱くなっているのを感じている。

 

「夫婦なんだから手を繋ぐのは当たり前でしょ!エスコートは夫の義務なんだから」

「だからその夫婦だなんだって、僕は一切知らないよっ!」

「ウルグアイの日本大使館にも婚姻届は提出、受理済みなんで、諦めなさい。アンタの人生は十四の夏でもう終わったの。余生はアタシに甘えたり、アタシとイチャイチャしたり、アタシに夫として心の底から尽くす義務があるだけよ。……楽しそうでしょ?」

 

 アスカはシンジに近づき、頬と頬を触れんばかりに近付けて、耳元で囁く。

 

「新手の結婚詐欺みたいで、全く信用できないよっ!」

「詐欺とは何よ、人聞き悪いわね!ウルグアイで提出した書類に、アンタのサイン以外の偽造箇所は無いわよっ!」

「やっぱりインチキなんじゃないかっ!!」

「いーだっ!受理されてしまえばこっちのものよ!」

 

 

「ミサトさん、あいつらホンマにどうしたらええんですか。出会って直ぐにバカップル化とかムカつきますわ」

「うーん、その事なんだけどね、鈴原君。私もさっきの衝撃から立ち直ってみて色々今後のプランを考えてるんだけど、……毒を以て毒を制すか……いや、しかしそれは劇薬過ぎるか……なんて、二人については、ちょっと、いえ、かなり悩んでるの。取りあえずは当面我慢してくれるかしら」

「僕なんか、あの子に、眼鏡もビデオカメラも壊されたんですけど……」

と、ケンスケの不満はこれももっともだ。

 

「それは取りあえず……シンちゃんのお小遣いから月々弁償するということで」

「なんでシンジが弁償なんです」

「アスカは性格的に絶対払わないわよ。それに今はシンちゃんがダンナさんらしいし。代位弁済という奴かしらね」

「弁償してもらう俺が言うのもなんだけど、碇のやつ、羨ましいやら気の毒やら、だな……」

 

 

 艦橋に上がって、ひとしきり、弐号機引き渡しについてミサトと艦長、副長の駆け引き、綱引きがあり、ミサトはネルフの力を背景に、旧来型軍隊代表としての対抗意識を露骨に見せる国連太平洋艦隊幹部の威圧的態度に対しても一歩も引かない。最後にはこう言って、話を結んだ。

 

「但し、有事の際は我々ネルフの指揮権が最優先であることをお忘れなく」

「かっこええ~!!」

 

 ミサトの慇懃無礼な啖呵に、トウジは喝采する。

 

「まるでリツコさんみたいだ」

 

 シンジも賛嘆するが、そこに艦橋に上がってくる無精髭の男が一人あった。

 

「相変わらず、凛々しいな、葛城は」

「加持さん!」

「う、加持……!?」

 

 その後の加持という男自身や、ミサト、アスカの説明を総合して想像すると、彼はミサトの旧友あるいは元恋人で、ネルフのドイツ支部駐在員らしい。

 一行は艦内食堂に歓談の場所を変え、アスカはシンジを横目で見て、説明を加える。

 

「加持さんがアタシたちの結婚手続き諸々を手伝ってくれたのよ。さっ、ちゃんと夫としてお礼を言って、シンジ」

「え、つまりそれってこの子の結婚詐欺の共犯じゃないですか!?」

 

 シンジの中でこの男の評価が一気に低下する。

 

「ハハッ、碇シンジ君、辛辣だな。オレはアスカが提出してくれという書類の送付やら翻訳やらを手伝っただけ。いつでも君たち夫婦の味方だよ」

「加持ッ、あんた一体全体何をやってくれちゃってるのよッ!こんなの碇司令にどう説明すればッ」

 

 ミサトが加持に食ってかかる。

 

「アスカに頼まれて、碇司令には俺から事情を説明する連絡を入れてある。葛城が心配することはないさ」

「え、……それで司令はなんて?」

「好きにしろ、初号機パイロットと弐号機パイロットの私的生活の成り行きに興味はない……だそうだ」

と加持は肩を竦めた。

 

「ほら見なさい。もう外堀は着々と埋まってんのよ、とっとと諦めなさいよ、ボケナス」

 

 アスカが耳元でそっと囁き、キシシと笑う。シンジは眉を顰めて、少女の茶々を無視する。

 

「あの、加持さんは……そんな余計な……コホン……手伝いをして……僕の事をどこまで知ってるんですか。この子が僕のこと、どう勘違いしてるか分からないけど、あなたも僕を知らないで手伝ってるなら、この子に対しても無責任じゃないんですか……」

 

 シンジは大人への不信感も露わに、そう尋ねる。

 

「もちろん、最初のエヴァ搭乗でシンクロ率40を軽く超えた天才パイロットだということは知っているよ。アスカもこの業界では天才と言われているからね。お似合いなんじゃないか?」

「加持さん、こいつをそんなどうでもいい事で持ち上げないで。……シンジ、アンタもそんな事で勘違いして天狗になるんじゃないわよ。エヴァより重要なのはこのアタシなんだからね!」

 

 とアスカの鼻息は荒い。

 

「それに、ドイツの第3支部ではもちろん有名だよ。この度めでたく華燭の典を迎えるアスカのダンナさんだってね」

「あの、根本的にみんなおかしくないですか……華燭の典云々って、完全にあなたたちの仕業じゃないですか、それで有名なんだって言われても……自作自演みたいなものですよ」

 

 シンジは深く大きく嘆息する。

 

「ハハッ、まあ皆に祝福されているうちが華さ。兎に角、二人とも頑張れ。……与えられた状況で、どれだけ幸せを掴み取れるかが、人間の価値を決めるんだからな」

「そうよ、シンジ。いい加減、食わず嫌いはやめて、アタシとの結婚生活にのめり込みなさい。それはとても気持ちのいい事なのよ。特に夜にする夫婦の共同作業とか……」

「皆の前でそういう、あからさまなセクハラ発言はやめて欲しいんだけど……惣流」

 

 テーブルの下で、そっと手を握ろうとしてくるアスカの手をシンジは邪険に払いのける。

 

「どうせ夫婦なんだから、いずれ、することはするのよ。いくら逃げても無駄ふぁんだふぁら」

 

 とアスカは頬杖をついて、不平を鳴らすが、途中からシンジにもう片方のほっぺたを引っ張られる。

 

「ふぁにをふるのよ、ふぁかひんじ」

 

 シンジがふにふにとほっぺたを引っ張ってやると、美少女の顔が愛らしい変顔になっていく。アスカはそのシンジの指の感触が気持ちいいらしく、しばらく彼のなすがままに任せていたが、やがて周囲の視線が彼女一人に集まっているのに気付き、赤面してシンジの手をはねのけた。

 

「ぶ、ブスになったらどうするのよッ!」

 

 シンジにこねくり回された顔が変形したまま元に戻らない悪夢でも想像したのか、アスカの怒りは真剣だ。

 

「へー、でも……惣流は僕のお嫁さんなんでしょ」

「そうよっ、もう惣流じゃなくて碇だけど、そうよっ。それが何よっ!」

「だったら、もう責任は取ってる事になるじゃないか。ブスになっても、僕はキミを貰ってあげなくちゃいけないんでしょ」

 

 とシンジは挑戦的にアスカの白く整った顔を見やる。

 

「そ、そうよ!だから、ぶ、ブスになったら困るの、夫のアンタでしょうが!!」

「困らないよ」

「な、なぜよ……」

「さっきのは、栗鼠かハムスターみたいで可愛かったから」

「…………可愛いって、そんな……」

 

 元々肌の色素が薄いからか、照れると、赤面の兆候が素直に顔に出るのが、このアスカという少女の特徴の一つであるらしい。

 

「まあ面白い顔だとも言うけど。でも僕は面食いじゃないから別に気にしないからね、安心して」

「むむむむむむ」

 

 どうやら、シンジもこの厄介な少女の取り扱いの要領が段々飲み込めてきたらしい。

 

「それから、加持さん、今後、彼女の暴走に荷担したら、僕はアナタのこと、この子と同じテロリスト……いや、エロリストと見做しますよ」

 

 シンジが宣言すると、加持はニヤリと笑って言った。

 

「まぁ男は最初はガツンと行かないとな。どうせ無駄な抵抗だと分かりきっていても、最初だけは。頑張れ、少年」

 

 悟りきったような加持の発言に、シンジは憮然とした。

 

 

「シンジ、ちょっと付き合って」

 

 その後、シンジは二人きりでアスカに連れ出された。先程、彼に主導権を握られたアスカは業腹なのか、殊更にツンと澄まして、一見とりつく島もない。

 

「取りあえず弐号機の所に一緒に来て、この後、予定もあるから」

「予定?まあ、それはいいけど、少し真面目に話さない?」

「ん……いいけど何よ」

 

 道々、シンジはアスカに真剣に語りかける。

 

「正直、キミの一方的な行動には困惑してる……けど……キミが自分で自慢するぐらい、綺麗なのは確かだと思うんだ」

 

 多分、クラスに居れば、男子の半数以上が彼女の容姿に参ってしまうだろう。残りは彼女の性格に辟易するかも知れないが……。

 

「だから、どうしてキミみたいな綺麗な子が……僕なんかに拘るのかが分からないんだけど……」

「はぁん?僕なんかって何よ」

 

 アスカが怪訝な顔をして立ち止まった。

 

「いや……だから、僕はいたって普通の平凡な男子中学生だし。キミも最初に冴えないって言ってたくらいじゃないか」

「確かにアタシの亭主である碇シンジ君は冴えないクンよねぇ……でも世の中、冴えない男だって大抵は結婚してるわよ」

「そ、そりゃそうかもしれない。だけど。釣り合いとか色々あるじゃないか」

「釣り合い?……アタシの容姿が、アタシの男の好みにどうして関係あるのよ?」

「え?」

 

 そうね、アンタでも分かるように例え話をしてあげましょうかと─とアスカは立ち止まったまま、静かに語り出す。

 

「生まれてから一度も鏡で自分の顔を見たことがない女がいるとするじゃない?そうしたら、その女は男を好きにならないの?当然、男を見れば好きになる事もあるわよね……女が男を好きになった後で、鏡を見てしまったら、自分の容姿で身の程をわきまえて気持ちを捨てたり、あるいは、もっと高望みに切り替えたりしなきゃいけないの?……アタシは美人だから、冴えないアンタを好きになったらいけないの?」

「そ、それは……」

「アタシはもうアンタのモノだから、アンタが自分の妻の容姿をどれだけ自慢しても誇りに思ってもいいよ。でも、それは裏を返せばアタシだって同じよ。アタシの自慢の亭主について、頭だろうと顔だろうと悪口を言うことは許さない。たとえアンタ自身であってもね。アンタをバカにしていいのはアタシ自身だけ」

「……惣流」

「何?ていうか、呼び方はアスカでって言ってあるでしょ」

 

 じろりとシンジをねめつけるので、シンジは仕方なく呼び方を訂正する。

 

「いや……じゃあアスカ……その理屈だと、君が僕をバカにするのは……なんでアリなの?」

「それは当たり前でしょ、アンタに何か取り柄でもあるの?冴えない顔して、ボケボケっとしてて、鈍感で……(アタシ)にバカにされて当然じゃない!三国一の花嫁であるアタシを貰っておいて、その上、まだ不平や文句でもあるの?」

 

 要するに、シンジには自虐を許さないが、マウンティングはアスカの勝手にするということらしい。

 

「うう、理不尽過ぎる……」

 

 

 二人は、空母イエロー・ブリック・ロードから、弐号機を積載している駆逐艦デスデモーナに移動する。デスデモーナは、オゼロー級の二番艦だ。ちなみに三番艦は僚艦として隣を遊弋するオネスト・イアーゴーだ。

 

 アスカがデスデモーナ艦上にしつらえられた天幕をはぐり、その中に二人で入ると、巨大な人型兵器が水中に浮かべられて横たわっている。

 

「これが、弐号機……?」

「そ、世界初の制式タイプのエヴァンゲリオン。ま、無敵のシンジ様の初号機様には劣るんでしょうけどね」

 

 そう言って不意に表情に陰が差したアスカの態度や力強さを喪った口調にシンジも不審を感じた。

 

「……無敵のシンジ様?」

 

 アスカを見ると、しまったという顔をして、うなだれた。

 

「ごめん……今の忘れて。アタシ、シンジのこと、もうそんな風に思わない………思っちゃダメだって決心したのに……酷い言い方をして、ごめん」

 

 先程までの強気が急に影を潜め、アスカはシンジに対して申し訳なさそうにしている。

 

「無敵って言われるのが、酷い言い方かな。一応褒めてるんでしょ、よく分からないけど……。そもそも、もう思わないって、どういう意味?前はそう思ってたの?僕がエヴァに初めて乗ったのはついこの間なのに」

「な、何でもないわよ。アンタのサポートぐらいは妻としてアタシでも務まるって言ってるの。戦いは基本的に夫のアンタがメインでやんなさいよ……」

 

 初めて見る、気弱で自信を失いかけているようなアスカを前に、シンジはしばらく考えていたが、

 

「要するに、初号機がガンダムなら、弐号機がジムってこと?」

「……ハァ?」

「あ、それともガンダムとザク?」

 

 誰もが知っている国民的ロボットアニメを使った卑近な喩えに、アスカの顔がどんどん真っ赤になる。遂には癇癪が爆発した。

 

「な、何ですってえ!!いくら何でも初号機と弐号機でそんなに性能差はないわよっ!!」

「まあ、その辺ガンダムとジムについても色々異論が出そうだけど……でも良かった。アスカがそこまで反論できるなら、まだまだ元気そうだね」

「へ?」

「キミが自信なさげだと調子狂うから、もっと元気でいてほしいと思ったんだ。だからちょっと挑発した」

「ふ、ふーん……」

 

 アスカはそっとシンジから視線を逸らして、照れくさそうに頬を掻く。

 

「それにアスカが自分で加持さんに言ったんじゃないか。僕にはエヴァの操縦よりアタシが大事って。僕がアスカと本当に結婚するのか、まだ分からないし、そんなつもりにも未だなれないけど、でももしアスカと結婚するなら、当然僕だってそう思うよ。エヴァよりアスカだ。夫婦なら、どちらが無敵だとか、どちらがガンダムだとか関係ないんじゃないかな」

「……それよ」

「何がそれよ、なの?」

「そういう所が、大ッキライ!」

 

 アスカの甲高い声が、弐号機を格納する仮設テント内に響き渡った。

 

「……と言いながら、突然、抱きつくのは何なの」

 

と、シンジは自分の胸元にしがみついて来たアスカを見下ろした。

 

「嫌いでも、アタシの夫だからいつでも抱きついていいの。夫婦の特権……」

 

 アスカはしばらくじっと、シンジに抱かれていた。

 

「……髪、撫でなさいよ」

「うん……」

「どう?」

 

 シンジは指で梳くように、アスカの金髪を撫でてやる。流れるような長い髪が、シンジが梳く傍から、零れ落ちていく。

 

「なんかサラサラしてる。いい匂いもする」

「それがアタシの匂いだからよく覚えておいて」

「うん分かったよ、アスカ……」

 

 アスカはそっと目を閉じる。

 

「たぶん、そういう僅かな愛着がアンタをこの世界に繋ぎ止めてくれる……」

「アスカ……?」

「なんでもない!」

 

 アスカは名残惜しそうにシンジから身体を離し、

 

「ずっとくっついて居られたらいいのにね」

 

 と微笑んだ。

 

「……そうだね。結婚とかはまだよく分からないけど、少しだけ、暖かかった。他人の温もり……って悪くないね」

「でもね、本当にずっと一緒だったら、それはアンタとアタシが同じ人間になるって事なの。アタシはそれはイヤ。自分を保ったままで、アンタと一緒に居たいの。そのためにアンタの所に嫁に来た」

「アスカ……?」

「ごめん、訳わからないわよね。頭の片隅で覚えておいて」

 

 

「にしても、弐号機のこの色って……」

「そっ、紫と緑と橙、アンタの初号機と同じ色よ」

「へー……綾波の零号機は違う色なのに、弐号機は同じなんだ」

 

 何となく嫌な予感が頭によぎりつつも、シンジは確認する。

 

「元々はアタシの好きな赤色だったのよ。でもアタシがシンジカラーにして!って頼んで、この色にしてもらったの。夫婦なんだからエヴァもペアルックみたいにしないとね」

「シンジカラー……エヴァをペアルック……」

 

 シンジはこめかみに指を当てて、頭を抑える。なんだかこの先、頭痛が持病になりそうだ。

 

「そっ。嬉しいでしょ?……いつでも夫婦で繋がってる感じになれるしね!」

「アスカ、こんな我が儘言って……技術者の人に無茶苦茶怒られなかったの?」

 

 リツコを筆頭に、シンジには技術担当の気難しいイメージが頭に浮かんだ。

 

「生き別れの恋人、碇シンジ君と遂に結ばれるのと言って、この写真を見せたら、ドイツ支部の技術部のみんな、大張り切りでサムズアップとかして、休日返上、徹夜で仕上げてくれたわよ。ま、アタシはドイツ支部の大人気アイドルだし、塗り直しは結婚の御祝儀だって」

 

 アスカが取り出したのは、雑コラのように切り貼り跡があからさまなシンジとアスカが見つめ合っているように見えなくもないツーショット写真だ。むろん、捏造された写真だろう。

 

「ろくに書類の偽造も見破れないウルグアイの役所や大使館、アスカにコロッと騙されるドイツ支部の人たち……みんな○んでしまえばいいのに」

「国際問題になるような物騒な事、言わないでよ」

「それなら、偽造書類や写真の方が、国際問題になるって……」

 

 シンジの懸念をアスカは、ハンッと鼻で笑う。

 

「それを言うなら、アンタとアタシの恋の行方は、世界の滅亡危機の問題よ。全人類がアタシたち夫婦に協力するべきなのっ」

「……何言ってるんだか、もう無茶苦茶だなぁ」

 

 シンジは呆れかえり、その自称妻は自信満々にふんぞり返るのだった。



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