Abissale solitudine -海の底に消えた鍵- (紅 奈々)
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第1楽章 Prologo
標的1 【悪魔の猫】







 昼の住民が寝静まって月が南の空を少し過ぎ、真っ暗な夜の街を見下ろしている頃にそれは行われた。

 

 ここは、日本某所の港。

 停泊している船から二人の男が姿を現す。 その時を待っていたかの様に倉庫の陰から一つの影が躍り出た。

 月明かりに照らし出された髪は長く夜の背景に溶け込む様な深い蒼、顔には黒猫の面を着けている。

 月明かりが反射しててらてらと鈍色に光るクナイを持つ手は闇に居ると白く際立ち、顔が見えなくともそれだけでその人物が美しい事は想像ができた。

 

 「ディ……っ、悪魔の猫(ディアーヴォロ・ガット)!?」

 

 男の1人が狼狽した声を上げる。 もう1人の男は急いで銃を取り出し、悪魔の猫(ディアーヴォロ・ガット)と呼ばれた人物に向けて弾丸を放つ。

 夜の海に銃声が高く鳴り響いた。

 その瞬間、月が雲に隠れ辺りは闇に覆われた。 悪魔の猫(ディアーヴォロ・ガット)と呼ばれた人物は、殺し屋の攻撃をひらりと身一つで避ける。

 

 (コイツ、雑魚だ。 三流か)

 

 そんな事を思いながら彼はクナイを取り出し、銃弾を撃ってきた男の脳天に目掛けて投げた。

 まるでダーツの矢の様に真っ直ぐな軌道を描いた後、クナイは音も立てず男達の脳天に命中して、彼らは頭から紅い液体を撒き散らせて崩れ落ちた。 即死だ。

 

 悪魔の猫(ディアーヴォロ・ガット)は肩に乗っている普通の鰐よりも明らかにサイズが小さな鰐――アリゲータを放す。

 アリゲータは、胡麻粒の様な小さな目で主人である()を見上げてきた。

 

 「そいつ、食べて良いぞ」

 

 初めて出した声は、声変わり前の少年の様なやや低い声だった。

 彼がしゃがんでアリゲータを撫でると、アリゲータはそそくさと今は動かない肉塊となった男に近付いて、それを食べ始めた。

 生の人肉を食べる様なグチャッという様な音や骨を砕く様なボキッといったグロテスクで嫌な音を立てながら、アリゲータはまるで美味い物を食べているかの様に満足げな顔でそれを食べる。

 

 アリゲータは、彼がとある実験中に召喚してしまった小さな雑食獣。 雑草から樹木や動物は勿論、人間や機械、家、鉄筋コンクリートetc.何でも食べる事が彼の実験で解っている。

 人間や動物に関しては生きてようが死んでようがお構い無しに食べる様だ。

 

 性格は従順で大人しい且つ標的に対しては獰猛で凶暴。 法律に目敏い日本では大層役立つ。

 そして何故か、アリゲータは鰐の癖にキャットフードを好む。

 思い当たる理由は一つしかない。 それは、彼が初めてやった餌がキャットフードだったからだ。

 

 いつのまにやらアリゲータは2人目をを完食して、満足そうな顔で彼を見上げていた。

 あれ、もう2人を食べた? 気付かなかったんだが……つーかお前、毎回思うがそんな小っせぇ体で何処に大人二人分入ってんだ?

 お前は掌サイズだろうが?

 

 アリゲータの体の構造がよく解らない。 と彼は思う。

 初めはあまり好きじゃなかったアリゲータも、飼い慣らしていく内に愛着が出てきたのか、今となってはいい相棒だ。

 

 彼が手を地面に付けると、アリゲータはトタトタと彼の手に乗って腕を伝い、定位置となっている主人の肩にちょこんと乗る。

 

 「さて、クライアントん所に行って報酬貰って、キャットフードでも買いに行こうか」

 「クルックー」

 

 彼の言葉にアリゲータは彼の首筋に顔を擦り寄せ、肯定するかのように嬉しそうに鳴く。

 

 いや、鰐って鳴いたっけ? 俺の記憶じゃ、鰐は鳴かなかった筈だ。

 しかもそれは鳩の鳴き声だ。 お前は鰐じゃなかったか?

 

 アリゲータと過ごして3年。 未だにその生態が解らない。 と、彼は首を傾げた。

 

 ―― ――

 

 彼はクライアントの所に報告に行き、報酬を貰って帰宅した。

 とある事情から彼は家を出て、日本で半一人暮しをしている。

 

 親の遺した遺産と後見人からの援助はあるが、彼らにあまり頼りたくない彼は殺し屋として報酬を稼いだり、賞金首を捕まえて賞金を貰ったりで金策をしていた。

今日の報酬はいつもより良かった。 と、彼は微笑む。

 

 今回のクライアントはいつもの常連で毎回思った以上に報酬をくれるが、今回はいつも以上に報酬を弾んでくれた。

 ヤクザは払いが良いからその点では嫌いではない。 人情深い所もあって自分から見れば変人でしかないが、そこもなかなか気に入ってたりする。

 そんな事を思いながら彼はアリゲータをケースに仕舞うと、風呂に入って寝た。

 

 (明日は学校か、面倒くさいな)

 

 いっその事、世界から“学校”なるものが消えてしまえばいいのに。 と言うか“明日”が来なければいいのに、と彼は眠たい意識の中で思う。

 

だが、どんなに願っても“明日”は必ず来る。 それは、既に午前一時を指す時計の針が“今日”はとっくに“昨日”になり、“明日”が来たのだと言う事を示していた。

 

 



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標的2 【雲雀恭弥】

 いつの間にか寝落ちしていた彼は、首元にくすぐったさを感じて意識を浮上させる。

 閉じた瞼の裏に感じる光に彼は、朝が来たのだと憂鬱を感じた。

 

 眠たい目を擦って薄く目を開けるが、そのぼやけた視界には何も映らない。

 気の所為か、と彼はまた眠りに入る。 まだ起きなくても良い時間だ。

 まだ、お布団と仲良くしていたい。

 

 「ンッ……」

 

 眠りの闇に落ちようかと言う時に彼はまた、首元でモソモソと何かが蠢くのを感じた。 それは首全体を這いずり回るかのように蠢いて、その気持ち悪さに彼は寝返りを打つ。

 しかしそれは、いつまでも纏わり付いてきた。

 

 「っ……擽ったい……ってば!」

 

 あまりの擽ったさに彼が飛び起きてみれば、彼の首が横たわっていたであろう場所にアリゲータが居て、アリゲータは主人である彼を黒豆のような円らな目で見上げている。 その目は「早くエサを寄越せよ」と訴えかけていた。

 

 (毎回思うが、どうやってケースから出てきてんだ?)

 

 昨日は確かにケースに入れて寝た筈だ。

 

 ケースは大きめの金魚の水槽を使っており、天井まではおよそ二十センチ、掌サイズの鰐が脱走しようができない筈である。

 アリゲータの脱走は今一番の彼の悩みだった。

 

 それはさておき、彼はアリゲータの好物、キャットフードを紙皿に盛ってアリゲータを机に乗せた。

 漸くお待ち兼ねの朝食にアリゲータは待ってましたと言わんばかりに紙皿まで這っていき、キャットフードの山を裾から頬張っていく。

 

 この姿のなんと可愛い事か。 凄く癒やされる。

 そう思った所でふと、“あの人”のことを思い出した。

 別の召喚獣を買っていた時にそれを言ったら、彼に可哀相なモノを見る目で返されたっけな、と、いつぞやの記憶を思い返す。

 

 “あの人”が居なくなって相当な時間が過ぎたな。 あれからもう、6年が経った。 自分だけが成長し、ここに居るのだと思うと、とても複雑な心境になる。

 そんな思いを払拭するように彼は、学校へ行く準備を始めた。

 

 ―― ――

 

 学校へ向かって歩いていると、目の前にそこそこ大きな建物が見えてきた。

 ここからはその建物の敷地だという様に門が建っている。 ここは、彼――神谷(こうや)璃王(りお)が通う並盛中。

 今は誰もその門を潜る人間は居ない。 それもそうであろう、今は授業中である。

 璃王が校門を潜った後、「ねぇ」と、低い声が聞こえた。

 

 声の方を向けば、1人の男子生徒が立っていた。

 短めに整えられた髪は漆黒で、髪と同色の瞳は鋭く光る。 肩に学ランを羽織り、その袖には風紀委員会の証である「風紀」と刺繍されている腕章が着けられている。

 両手にはトンファーを持っており、今にも襲いかかってきそうな雰囲気だ。

 

 メンドイ奴に絡まれた。 璃王はその顔に陰鬱な色を見せる。

 

 「君、今日も遅刻だよ」

 

 璃王に声を掛けると、彼は璃王に近付く。 璃王はその場に立ち止まった。

 

 「キョウ……」

 

 雲雀恭弥。

 並盛最強にして最凶の不良の頂点に君臨する、並盛中学風紀委員長。 「並盛の不良風紀委員長」が彼の代名詞だ。

 尤も、璃王に言わせれば唯の戦闘狂だが。

 

 不良で風紀委員ってどんなだよ。 不良の時点で風紀もクソもあるかよ、真面目な不良かよ、と言うのが璃王の雲雀に対する第一印象だった。

 今では互いに気を許している仲だ。 少なくとも、クラスメイトよりは。

 

 「学校は遅刻する為にある。

 そもそも俺には、義務教育なんざ必要ない」

 「遅刻する理由としてはマイナス点だよ。

 まぁ、君だけは遅刻もサボりも許している僕は甘いんだろうね」

 

 璃王の言葉に雲雀は眉を顰め、その後でふっと軽く笑う。

 変な奴だ、と璃王は思った。

 普段はサボっている生徒を見ると、直ぐにそのトンファーで「咬み殺しに」行くクセに。

 「だから……」と、雲雀は言葉を続けた。

 

 「いつでも応接室に来なよ、璃王」

 「気が向けば、な」

 

 やっぱ変な奴だ。 璃王は雲雀とそんなやり取りをすると、校舎へ入っていった。

 

 (初めて会った時から何となく気にしてたけど……やっぱり、まだ警戒されてるみたいだ)

 「ミードリータナービクー ナーミ―モーリーノー♪」

 

 遠ざかっていく璃王の背中を暫く見つめ、思考に耽って肩を落とす雲雀。

 そこに、飛んできた黄色の小鳥が歌いながら、彼の肩に止まった。

 彼はそれを気にする事もなく、校内の見回りの為に歩き出す。

 

―― ――



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標的3 【暇人の巣窟】

 下駄箱を開ければ、水浸しの上履きが入っていた。

 「またかよ」と璃王は呆れる。 犯人は解っているので、水浸しの上履きは中の水を昇降口にぶちまけて、出入り口近くにある花壇の隅に隠しておく。

 

 日当たりが良いから、今日の昼頃には乾いているだろう。

 そして、掃除道具入れの上段に隠していた替えの上履きを取り出してそれを履き、教室へ向かった。

 

 (毎度毎度飽きないよなぁ……暇人)

 

 

―― ――

 

 

 廊下を歩いていると、各教室から教師の声が聞こえる。 今は授業中だから当然だ。

 自分の教室へ着くと、後ろのドアから教室へ入っていった。 タイミング悪く黒板に向かっていた教師が振り向いて、教師と璃王の目が合う。

 

 (やば。 面倒くせぇことになった)

 

 璃王が身構えた時、教師の禿げ上がった額に青筋が浮かんだのが見えた。

 

 「神谷、またお前は! お前もう中二だぞ!? 遅刻なんかして恥ずかしいとは思わないのか!

 しかも連絡無しで! 今まで何をしていたか!!

 そんなことで将来どうするんだ、まったく最近の若いモンは弛んどる! もう少し将来のことを考えて勤勉にだな……」

 

 璃王を視界に入れるなり教師は璃王を怒鳴りつけ、延々と説教を垂れる。 それをウゼーと思いつつ璃王は自分の席へ歩いた。

 教師からの説教も、中一の時からの為全く気にしてない。

 

 璃王の机には、無数の小学生並みの落書きとその上に献花がされてあった。 ふうっ、と溜息が零れる。

 

 「大体、俺がお前の年の頃は暗い中でも懐中電灯で机に齧り付いて必死に勉強してだな……」

 

 教師のつまらない定型文の様な説教を右から左に聞き流す。

 

 璃王は既に英才教育を幼少期から施されていた為、中学生で習う程度の知識は身についていた。 下手したら名門大学まで行ける程の学力を持っている。

 なので、璃王にとって学校は「必ず通わないといけない所」ではない。 それでも通っているのは、日本が義務教育だからだ。

 あと、休み過ぎていると雲雀が五月蠅いのもある。

 

 「今の高校は金を積めば馬鹿でも通えるらしいが、そんな親不孝な……」

 

 教師の説教を尻目に璃王が献花されている菊を見ながら「こいつら、菊の花言葉知ってんのかよ?」と思う。

 

 色によって異なるが菊の花言葉は、高貴・清浄・高潔・僅かな愛・誠実・真実だ。

 嫌がらせのつもりで添えるなら花言葉調べてから添えろよ、中途半端だな、と璃王が思っていたら、説教を垂れていた教師がいきなり怒鳴ってきた。

 

 「……って、聞いているのか神谷!!」

 

 教師の話を聞いていなかった璃王が「何か?」と言いたげなキョトンとした顔で教師を見ると、教師は「もう良い、座れ!」と黒板に向き直った。

 

 璃王の机には、「死ね」や「消えろ」「学校に来るな」等のベタな落書きから、「最低男」「猫背ヤロー」「中二病」などの璃王の人格や外見を否定するような言葉が書いてある。

 数えられない程に書いてあるのに加え、油性のマジックで書いてある為、消そうと思っても消えないし、消したり机を取り替えたとしてもまた書かれるのでキリがない。

 消す労力も勿体ない。

 

 璃王が席に着くと、教師が黒板を向いているタイミングで石入りの紙くずや暴言が書かれた紙くず、硝子なんかが投げつけられる。

 基本的には避けなくても当たらないが、顔に向かってくるモノは教科書ではたき落とす。

 

 この学校で自分の味方は恭だけ。 その恭には現状は話していないが、少なくとも「悪意のある攻撃をしてくる事がない」と言うだけでも璃王にとってはいいことだった。

 

 「――かの有名な作家・夏目漱石は、この「I love you」をある言葉で表現した。

 それを――ちょうどいい。

 今日遅刻してきた神谷! 答えてみろ!」

 「――あ?」

 

 何処からか飛んできた石を教科書で叩き落としたタイミングで、ちょうど振り返ってきた教師と目が合った。

 教科書を閉じて振り回していたようにしか見えない璃王に教師は再び、怒りに口元を引き攣らせるのだった。

 

 「お前……遅刻した挙句、その態度は何だ?

 遊んでる暇があったら早く答えんか!

 夏目漱石が「I love you」をなんと――」

 「「月が綺麗ですね」」

 

 教師の言葉を遮って璃王が答えると、教師は口元を引き攣らせたまま「正解だ……」と言って沈黙した。

 「夏目漱石」で「I love you」となると、「月が綺麗ですね」以外の答えはないだろう。

 璃王は父親が日本人、母親が日本人とイタリア人のハーフの所謂クォーターである為、日本の作家の小説が実家に置いてある。

 幼少期から本に囲まれて育った彼には、「解って当然」の問題だったのだ。

 

 つまらない授業を聞き流して、2時間目は終わった。



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標的4 【保坂理恵奈】

 そうこうしている間に授業が終わって璃王は保健室へ行く為、教室を出ていた。

 

 「おい」

 

 廊下を歩いていると、後ろから声が掛けられる。

 その攻撃的な声に「めんど……」と思いながら璃王が振り返ると、茶髪のサイア人と銀色のタコ頭と黒髪の男子が居た。

 

 3人の男子たちが璃王に対して友好的でない事はその態度からも明らかに分かる。

 「ちっ」と舌打ちすれば、サイヤ人が璃王に寄ってきた。

 

 「お前、また理絵奈ちゃんを泣かせたんだってな!」

 

 ふーっ、またか。 璃王は毎度毎度のお決まり文句に溜息が出る。

 三人の後ろを見れば、ピンクのロングヘアーに髪と同じ色の上目遣いの女子生徒が隠れるようにして付いてきていた。

 

 ――保坂理絵奈。

 

 璃王が虐めを受けるようになったそもそもの根源。 自分の事を可愛いと思っているらしく、璃王から見れば相当イタイ人。

 そして、某サイヤ人の様に重力を無視したような髪の男子とタコ頭の男子、黒髪の男子はそんな保坂を「守る」騎士気取りのイタイ連中、と言うのが璃王の認識だった。

 

 沢田綱吉、獄寺隼人、山本武。 いつも何かと絡んでくる暇人だ。

 

 「お前、女子を泣かせるとかサイテーだよな」

 

 山本が突っ掛かってくるが璃王は意に介さず、その場を後にした。

 そんな璃王の背中に三人から罵詈雑言が投げられるが、璃王は知ったこっちゃないと無視をする。

 

 それよりも、こいつらの下手な芝居を見ている方が反吐が出る。

 そんな事を思いながら璃王は、保健室へ急いだ。

 

 

 ―― ――

 

 

 「入るぞ」

 

 璃王は一声掛けると、ノックも無しに保健室に入る。 保健室の中には、白衣を着た黒髪に無精髭の男が居た。

 養護教諭が男って、この中学以外でそうそうないような気がする。と、璃王は思う。 余程人員不足だったんだろうな。

 

 「よぉ、璃王。 今回は珍しく早く来たんだな。

 いつもはギリギリで来るか、呼び出さねぇと来ねぇのに」

 

 璃王の姿を認めると、養護教諭――Dr.シャマルが棚を漁りながら璃王に声を掛けてきた。

 璃王はソファーに座ると、慣れたような手付きで体温計と入室記録を取って、体温を測る。

 暫くして、体温計が鳴って画面に体温が表示されると璃王はそれを入室記録に書き込む。 思った通り、体温が平熱よりも高い。

 

 通りで今日は特に身が軽く、嗅覚がいつも以上に敏感なわけだ。

 

 

 「あぁ、今回は思ったより早く切れそうだったからな」

 

 袖を捲ってみれば璃王の腕には黒い痣が広がっており、それが手首まで差し掛かっていた。

 

 (長袖のカッターシャツを着ているから見えたりはしないが、一応包帯を貰っておこうか)

 

 そんな事を思っていたら、捲り上げた袖の下の痣を見てシャマルが「うわっ」と、驚いた様な声を上げた。

 

 「酷くなってんじゃねぇか……何だ? 今回もまた、無茶振りしたんだろ。

 どうせ「ザコがあまりにもしつこいから」とかつって。

 お前、自分の体のこと少しは解ってるか?」

 

 シャマルは持ってきた紙コップを璃王に手渡しながら、呆れた様に言った。

 それを受け取って、中の透明な液体薬を一気に飲み干す。 口の中に広がる苦みに璃王は顔を顰めた。

 

 相変わらず不味い。 昔、「不味い、もう一杯」って青汁を飲んだ後で白髪のおじいさんが言う青汁の宣伝があったな、とどうでも良い事を思い出す。

 一時期、「不味い、もう一杯」という言葉が流行ったが、こんな薬、もう一杯もしたくねぇわ、と璃王は思う。

 

 「本来なら、ドクターストップ掛けてるくらいなんだからな?

 殺しの依頼や任務はご法度だつっても聞きゃしねぇんだから」

 

 如何でも良い事を考えながらシャマルの説教を聞き流していると、シャマルが袖を捲り上げている方の二の腕にゴムの管を巻き付けて肘の裏をエタノールに浸らせた脱脂綿で消毒した。

 これから来る痛みに身構えて、璃王の表情が険しくなる。

 

 「解ってるって。 今回は、中々骨のある奴が居たからな。 まぁ、本気を出した俺の相手じゃなかったけど。

 依頼も任務も受けてんのは、たまに力使ってないと暴走するんだよ……っつっ」

 

 璃王が腕から目を逸らした時に肘の裏に突き刺すような痛みが走って、璃王は顔を顰めた。

 その様子を見て、シャマルがからかう様に璃王に言う。

 

 「お前、相変わらず注射はダメなんだな、ガキん時から。 もう注射とは友達みてぇなモンだから、ちったぁ馴れろよ」

 「地味な痛みはいつまで経っても馴れねぇモンなんだよ。

 つか、10年以上も経つんだからいい加減、痛くない注射器か、注射に使えるような塗布型の局所麻酔開発しろよ……天才医なんだろ」

 

 シャマルの言葉を璃王はげんなりして返す。 「無茶言うなよ」と苦笑しながらシャマルが返すと、璃王は舌打ちした。

 

 自身に掛かっている呪いの進行を抑える薬は、幼少の頃から服用・投与している。

 本来、そんな事をしなくても良いのだが、璃王の場合は呪いが特殊な為その処置が必要だったのだ。

 

 「ま、昔よりかぁマシだな。 小っせぇ頃なんか注射の針を見ただけでボロボロ泣いてたもんなぁ?」

 

 ニヤニヤ笑いながら揶揄うように言うシャマルに殺意を覚えたが、本当のことなので璃王は何も言えない。

 

 苛つきながらも、薬の副作用で怠くなってきた璃王は「ベッド使うぞ」と言って、カーテンを開けるとそのまま、ベッドに倒れた。

 白くて清潔なシーツに体を埋めると、シャマルが「あー、早く寝た寝た!」とカーテンを閉める。

 

 「麗しの仔猫ちゃん達~! 授業サボってセンセーと課外授業しな~い?」

 

 恐らく、体育の授業中でグラウンドにいる女子生徒に向かってナンパをしているであろうシャマルの声が聞こえた。

 

 (よくやるよ、相手にもされないクセに。 つーか、こんな奴が教師で大丈夫か、この学校は?)

 

 璃王はそんなどうでも良いようなことを思いながら、誘われるままに眠りに就いた。

 



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標的5 【嫌いな教科:理科】

 目が覚めると、璃王はふと枕元を探る。 手に固いモノが当たる感触を認めるとそれを手に取り、電源を入れた。

 

 「はぁ、めんど」

 

 画面に映った時間に気だるげに呟くと、璃王は起き上がってクシャクシャになった髪を手で軽く梳かす。

 

 時刻は午前11時。 もう3時間目が始まっている時間だ。

 今日の3時間目は理科だったような気がする。 記憶を手繰り寄せると、璃王は舌打ちした。

 

 教科書、教室じゃねぇか面倒くさい。 しかも今は教室は閉まっているだろう。

 

 教室から生徒が出払う時は、学級委員がドアを閉めてきっちり戸締まりしてから出て行く。

 その為、教科書を教室に取りに行くことはできない。

 

 (授業に遅れた上に手ぶら……また彼奴がウザいだろうなぁ……)

 

 仕方ない、と璃王は手ぶらのままで理科室へ向かった。

 

 ―― ――

 

 理科室に着いた璃王は、後ろの扉は棚などが置いてあって通り抜けが出来ない為、教室の前扉を開け、堂々と教師の前を通って席へ向かう。

 璃王の姿を視認した教師は、ニヤニヤと嫌らしい笑みを隠そうともせずに璃王に向け、近付いてくる。

 

 「お前、何回俺の授業に遅れてくる気だ?」

 

 教師の面倒臭い説教タイムが始まる――。

 璃王は、内心で深く溜息を吐いた。

 

 「遅れた上に手ぶらとは。 そんなにやる気がないって事は授業を受けなくても余裕って事か?

 なら、パラジクロロベンゼンの化学式と物性を答えて貰おうか」

 

 憎たらしい笑みを向けてくる教師に「ニヤニヤとキモいんだよ」とか思っていると、何故か授業では習わないような問題を出題された。

 

 (こいつのこういう所、本当に嫌になってくる。

 生徒をいびって楽しむ趣味がある人間が教師のこの学校、本気でヤバくねぇか)

 

 授業に遅れてくる璃王も大概ではあるが、生徒イビリを生きがいにしている教師も相当である。

 

 

 (まぁ、答えられる筈がないか、中学では教えないような問題だし)

 

 その心の声が璃王には駄々漏れで、溜息を吐いた。 こんなセコい教師、よく採用されたな、と。

 あまりに下らないと思った璃王は思わず教師を凝視してしまった。

 

 「パラ……何?」

 「俺らで解んねぇんだから、彼奴が解るわけないじゃん」

 

 ヒソヒソと周りの雑音が璃王の耳にすり抜ける。 学校では目立たないように平均よりも少し悪いくらいの成績を取っている璃王からすれば、これは「解りません」と答えるべき問題だ。

 だが、周りの雑音に苛ついていた璃王は「目立たないように」という事よりも「こいつらと同類ってのは嫌だ」と言う感情を取った。

 自分にも一応、自分の一族としてのプライドはあるつもりだ。

 そうでなければ、ここまで虐められてない。

 

 「早く答えんか」と言う教師に苛ついた璃王は、面倒くさげにサラッと答えた。

 

 「C6H4Cl2。 物性は、融点53℃、沸点174℃。

 常温で、昇華により強い臭気を発する白色の固体で、空気中では固体から気体へゆっくりと昇華する。 臭いが強いが故に空気中に極微量あるだけでも嗅ぎ分けることができる。

 主な用途は防虫剤およびトイレの消臭ブロックである。

 こんなとこで良いですかね」

 「せ……席に着け……」

 

 璃王が答えて最後に皮肉を飛ばすと、教師はまさかこの問題を解かれるなんて、と言いたげに灰になったように固まってしまった。

 

 何なんだよ……と璃王は溜息を吐きながら席に座る。 流石にクラス以外の教室の部品には触れないらしく、璃王の席は何もされていなかった。

 

 「あ、あのー、先生? 続き……」

 「はっ! 次は教科書55ページ――」

 

 あの教師は生徒に声を掛けられて我に返り、授業を再開した。

 

 理科の授業はつまらなくて、璃王は窓の外を眺めていた。

 理科室の窓はグラウンドに面しており、そこではテニスをしている男子の姿が見えた。

 

 退屈な授業しかない中で唯一の楽しみなのか、男子生徒ははしゃぎながら楽しそうに生き生きと一つのボールを打ち返している。

 その中で、黒紫の髪の男子がふと視界に入ってきた。 璃王の顔に影が掛かる。

 イタリアに居た“あの人”の事を思い出したのだ。

 

 脳裏に浮かぶ彼は、何故かいつも微笑みかけてくるかのように笑っている。 何故か彼の笑顔しか思い出せないのだ。

 

 “リオン”と優しく微笑みかけてくる温かい声。

 その声は未だに、璃王の耳の奥に焼き付いていた。

 



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標的6【私刑】

 

 三時間目が終わったと同時に璃王は席を立った。

 理科室を出ようと歩き出した時、突然獄寺に蹴り飛ばされ、壁に背中を打ち付ける。

 それでも容赦なく璃王は、そのまま獄寺に壁に押し付けられた。

 鉄筋コンクリートの固い壁に背中を押し付けられ、璃王は小さく呻く。

 

 「てめぇ、十代目の悪口言うなんざ上等じゃねぇか、あぁ!?

 保坂を殴ったにも飽きたらず、今度は十代目をターゲットにしようってか!?」

 「本当なの、理絵奈ちゃん!」

 

 獄寺の言葉に沢田は驚愕し、後ろにいる保坂を振り返る。

 問われた彼女は涙ながらに「本当なの~」と、いけしゃあしゃあと(のたま)った。

 その甲高い声に璃王はイラッとくるものを感じる。

 

 「理絵奈さっき、璃王君に呼ばれてぇ~っ……屋上行ったら、「消えろ雌豚」って、殴られたのぉ~っ! グズッ」

 

 璃王の目にはそれは「嘘見え見えの芝居」としか映っていない。

 

 それもそうだろう、先程まで保健室で寝ていた璃王には十分なアリバイがあるのだ。 保健室を抜け出すにしろ、シャマルの目に付く。

 仮にシャマルの目を盗んだ所で、短時間で教室若しくは理科室に行って保健室に戻るなんてできる筈がない。

 

 少し考えれば解りそうな事だが、璃王にアリバイがあることを知らない沢田達は保坂の演技にまんまと騙される。

 

 そう、璃王は保坂に陥れられ、クラスで虐めを受けていた。 尤も、それは客観的な見方で、璃王から言わせれば「虐め? 何それ美味しいの?」だそうで、璃王の目には「馬鹿やってんな」くらいにしか映っていなかった。

 

 「俺はさっき、保健室行ってたんだ。 そいつを殴れるワケねぇーだろ」

 「見え透いた嘘だな。 彼奴は女しか保健室に入れねぇーんだよ」

 

 璃王がアリバイを主張するも、それは獄寺に鼻で笑われてしまった。

 

 主治医はシャマルの為、璃王は幼い頃から度々世話になっていた。

 日本に移住した今では主治医がシャマルに変わったので、シャマルはとある医者を除いてこの世で唯一、璃王の体質に合った薬を作れる専門家(スペシャリスト)だ。

 

 シャマルが璃王を受け入れ拒否していたら、今はもうこの世に存在していない。 それは璃王が一番よく知っているが、それを獄寺達は知る由もない。

 

 「うわ、嘘吐くとかサイテーだな」

 

 何も知らない獄寺や山本は、璃王が嘘を吐いていると決め付ける。 実際、二人には璃王が嘘を吐いているとしか思えなかった。

 

 「シャマル先生は女好きの養護教諭で、保健室には女しか入れない」という事は、この学校の生徒たちの間では既に知れた事実となっている。

 この学校の生徒の中でも、彼と面識のある獄寺隼人、沢田綱吉、山本武はDr.シャマルの女好きの事は良く知っていた。

 

 山本は軽蔑した様に吐き捨てると共に、璃王を突き飛ばす。

 途中で踏ん張れなくて璃王はたたらを踏み、窓に体をダイブさせその体を廊下の床に叩き付けた。

 

 パリーンと硝子の割れる甲高い音が響くも、この時間帯は誰も理科室の前は通らない為、誰も来ない。

 そもそも、誰かが来たところで璃王への私刑(リンチ)に加勢が入るか、無視されるだけである。

 

 硝子の破片の中心には硝子が所々に突き刺さり、全身が血塗れの璃王の姿があった。

 

 「っつっ……」

 

 璃王が起き上がると、細かい破片がバラバラと光を反射させて煌めきながら背中や頭から床へ落ちていく。

 

 咄嗟に頭を守ったお陰で顔には傷があれど、頭は無事だった。

 立ち上がって璃王は保健室……ではなく、応接室へ向かう。

 

 「おい、逃げるのか!?」

 

 そんな獄寺の怒号が背中に投げられるが、璃王は知ったことか、と気にせずによたよたと応接室へ向かう。

 

 弱い犬程よく吠える、とはよく言ったモノだ。

 

 ――さて、応接室に恭は居るだろうか?

 

 居たら面倒だろうなぁ……。

 哲くらいなら、脅せ(たのめ)ば口止めはできるだろうが……。

 

 「クソ……(いて)ぇ……」

 

 先ほど、山本に突き飛ばされてたたらを踏んだ時に足を捻ったのか、歩く度に足首に痛みが走る。

 

 璃王が通った廊下には、璃王の血が点々とその痕を残していた。

 

 



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標的7【雲雀の尋問】

―― ――

 

 「君さ……確かに僕は、「いつでも応接室に来て良いよ」とは言ったよ?

 だけど、そんな満身創痍で来いと誰が言ったんだい? しかも何でそんなに制服がバリバリに破けてんの?

 どんな生活を送ったらそんな事になるのさ?」

 

 璃王が応接室に入るなり、璃王の姿を見た雲雀が有り得ない!と言いたげに眉を吊り上げて声を上げた。

 弾丸のように浴びせられる質問の嵐に、璃王は放心しかける。

 

 あれ、お前キャラ何処行った?と璃王は思うが、取り敢えずそれはスルーで。

 

 (まぁ普通、制服はバリバリに破けて血塗れの生徒が来たらそうなるよな)

 

 そう思って、璃王は思い直す。

 そもそも、普通はそんな生徒は来ないだろうが。

 

 「制服破けてんだ、寄越せ。

 あと、ついでに包帯」

 

 璃王は面倒臭そうに雲雀に手を差し出す。

 

 並中で雲雀に堂々とそんな事が言えるのは恐らく、璃王だけだろう。

 もし、璃王以外の生徒がそんな事を言おうモノなら、即咬み殺される事は必至だ。

 

 ふぅ、と溜息を吐いて雲雀は立ち上がると、「その前に訊きたいことがあるんだけど」と、璃王の手を引いて近くのソファーに璃王を放り投げる。

 不意打ちを食らった璃王はそのまま、皮張りのソファーに身体を沈めた。

 

 「なにす――っ!?」

 

 璃王が立ち上がる前に背もたれに璃王の肩を押し付けて、彼の動きを封じた。

 あまり手荒い事をするつもりはなかったが、直接訊いてもいつものようにはぐらかされると思った雲雀は、強硬手段に出る事にしたのだ。

 

 躊躇う事もなく、雲雀は璃王のシャツを剥いだ。 その服の下の肌を見た雲雀は一瞬、目を瞠る。

 璃王は特に動じる事もなく、無言でただまっすぐに雲雀の目を見返す。

 

 「君さ……尋常じゃないよ、これ。

 僕が君を咬み殺したなら解るけど。 誰にやられた?」

 

 服の下は、古傷の上から付けられたような無数のまだ新しい傷痕や、さっき付いた血が滲み出ている傷口がそこかしこ白い肌を覆うように付いていた。

 

 満身創痍――まさにそんな言葉が浮かぶくらい痛々しい傷。

 生傷の方は、今さっきついた様な傷だった。

 

 「さぁな」

 「何で隠そうとするんだい?」

 

 雲雀の問いにしらばくれる璃王。 そんな彼の目を見れば、綺麗な藍色の目が暗く沈んでいた。

 

 元々、入学してきた時からその目には昏い過去を反映しているかのような、感情を押し殺した様な沈んだ目をしていた。

 

 それが最近になって、また一層沈んでいるのだ。 それも、疲弊感を漂わせて。

 璃王本人は無自覚なのか、それとも知らない振りをしているのかは分からないが、彼が過去に傷を負い、その上で更に傷付いているように見えるのは気のせいではないだろう。

 

 じっと見つめてくる黒曜石の目を璃王はじっと見つめ返す。 言葉がつっかえて出てこない。

 今の現状を話すことは出来る。 だがそれは、自分が雲雀を頼るみたいで嫌だった。

 

 それだと、あの日の自分と同じじゃないか。 自分が弱かった所為で守るべき者も守れなかった非力な自分が嫌で、環境を変えたくてここまで来たのに。

 結局は何も変わらないのか。

 

 「君がこの学校に来た時の事、覚えてる?」

 

 いつまで経っても何も言わない璃王に、雲雀は言葉を掛けた。

 

 忘れる筈がない。 あんな出会いなんか、この学校でないとある筈がない、と璃王は去年、雲雀と出会った時のことを思い出した。

 

 「君は僕と同じかそれ以上の強さを持っているクセに戦おうとはしないから、僕が守ってあげると言ったじゃない。

 確かに、君には僕に守られる理由はないだろうさ。 でも、君に関しては何かをしてあげたいと思ってるのは本当だよ」

 

 雲雀は璃王の手当をしながら言った。

 雲雀と璃王は、過去に何回か手合わせをしていた。 その度に「面倒くさい」「嫌だ」と躱されていたが何回か挑んでいる内に断る方が面倒くさくなったのか、手合わせしてくれるようになったのだ。

 

 手合わせして思ったのが、璃王は強いが戦うことを好んではいない様子だという事。

 ただ、戦っている時は時折うっすらと笑っている時があることもあるから、戦い始めたら楽しくなるのだろうか、と言うのが雲雀が璃王と戦って思った事だった。

 

 そして、時折見せる哀しげな顔に雲雀は自分がこの子を守ってあげないと、と思い始めた。

 その時に雲雀は「あれ」と思いながらも「きっと、兄が弟や妹を守りたいとかそういうヤツ」だと思うようにしていた。

 「弟可愛い的なあれじゃないか」と。

 

 手当を終えると雲雀は、璃王を抱き締める。

 

 「え、ちょ……きょ、恭……?」

 

 いきなりの雲雀の行動に璃王は絶句する。

 そんな璃王の動揺などお構いなしに、雲雀は璃王を抱き締める腕に力を入れた。

 

 いやいやそんな、恭。お前は男色だったのか?何だお前、何なんだぁぁぁあああ!?と璃王は混乱する。

 

 小さい子供を抱きすくめるのはまだ解る。 だが、これは見方によっては……いや、どんな見方をしてもこの状態は雲雀が同性愛者のようにしか見えない。

 

 勿論、璃王にはそんな気は無い。

 どうした、何があったんだ、恭ぉぉぉおおお!?

 

 「君……僕にまだ嘘吐いてる事があるでしょ?」

 

 雲雀に問われて、璃王は首を傾げる。

 自分の出自と本業以外は彼に隠していることはない。 そのどちらも、彼には“知る必要はない”ことなので、話していないだけだ。

 

 沈黙している間も、何かを確信したような雲雀の黒曜石の瞳と目が合う。

 徐に口を開いた雲雀の言葉に、璃王は驚愕するのだった。 

 

 「――例えば、君が女だって事」

 

 雲雀の突然の言葉が耳に突き刺さって、璃王は動揺した。

 

 



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標的8【神谷璃王】

 

 「君……僕にまだ嘘吐いてる事があるでしょ?

 例えば……君が女だって事」

 

 雲雀の突然の言葉が耳に突き刺さって、璃王は動揺する。

 

 (いや、まさか。 恭は確かに勘が良い。

 それこそ、ボンゴレの超直感並みだ。 だけど……)

 

 動揺しながら璃王は外見では平静を装う。 落ち着け、俺。

 

 「何のことだよ? 俺は男だ」

 

 力の入らない腕で雲雀の胸を押しながら、璃王は突っぱねるように言った。

 しかし、怪我人が健常者に勝てる筈もなく、頭を肩に押し付けられてよりキツく抱き締められた。

 

 「君は、僕に嘘を吐き通せると思っているの?」

 

 確信めいた雲雀の言葉に、璃王は押し黙る。

 

 「今、君の手当をして確信したよ。

 男にしては手足が細いし肩幅狭いし、肩は薄いし。 これで「男です」って言われても正直、信じられないね。

 そもそも、初めて会った時から君は不自然だったんだ……全部ね」

 

 雲雀の言葉に璃王は目を見開く。

 

 (嗚呼、こいつは初めから全部勘づいていたんだ。 気付いていて、それでも何も言わずに傍に居てくれたのか……)

 

 そう思った時、璃王は雲雀になら話しても良いかな、と降参した。

 ここで否定し通したとして雲雀はその後も食い下がってくるだろう。 そうなると、こっちが恭に会いづらくなるし、哲にも余計な心配を掛けそうだ。

 

 「解った、降参だ。 そうだよ、俺は女だ。

 尤も、日本に来てからは性別どころか名前も捨てたがな」

 

 一言一言言葉を紡いで、璃王は徐に話し始めた。

 

 「俺は――いや、僕は、イタリアのとある一族の末裔として生まれた。

 母はその当主、父は騎士団の団長だ」

 

 静かに璃王の話を聞く雲雀は、内心で驚く。

 

 母親が一族の当主で、父親が騎士団の団長という事は彼は――、否、彼女は実はお嬢様なのでは?

 そんな事を考える雲雀を他所に、璃王は続きを話す。

 

 「一族の中でも特異の存在だった僕は、生まれた時から一族から迫害を受けていた。

 僕を庇ってくれていたのは、一握りの人だけ。 両親と遠縁の親戚、一部の親戚だけだ。

 特に、その遠縁の親戚は僕をとてもよく可愛がってくれたよ。 だから、僕も良く懐いていたと思う」

 

 親戚の話をする璃王の目は、何処か温かみを感じた。 いつもの陰鬱な表情とは違い、優しげな表情。

 璃王がその親戚の事を好いているのは、容易に想像が付いた。

 

 下手したら自分よりも気難しい彼女にそんな表情をさせられるその親戚とやらは、一体どのような人物なのか。

 そして、その人物へ何処か苛立ちを感じる。

 

 璃王がこの状態なのに、その人物は一体何をしているのか、と――。

 

 「その人は、今の璃王の状況を――」

 「知らない……というか、その人はもう、居ないんだ」

 

 雲雀の問いに、璃王は首を振る。

 そして、その瞳は再び、昏い海の様に沈むのだった。

 

 「ある日、両親が突然死した。 その人も昏睡状態。

 本当は、僕が守らないといけない人だったんだ。

 僕に力がなかったから、守れなかった……。

 絶望で何も見えない僕を見かねたその人の兄が、僕を日本に連れてきてくれたんだ。

 それが僕が半独り暮らしをしてる理由。 だけど……」

 

 そこで璃王は、言葉を切った。 そして、深く息を吸って、ふーっ、と息を細く吐くと、自嘲するかのような表情を浮かべて、俯いた。

 

 「ダメだな。 環境を変えれば、心も強くなるだろうと、生まれ変われるような気さえしていたけど……、結局は昔と変わらず弱いままだ。

 そればかりか、たった一人の女の策に嵌ってこのザマだ。 情けない」

 

 話しきった璃王は、自嘲と哀惜が混ざった様な複雑な表情で涙を堪えていた。

 深い海の底のような瞳の奥に悲しみの色が見えた気がした。

 

 「璃王、大丈夫かい?」

 「大丈夫。 もう、泣かないって……決めてるから」

 

 雲雀の言葉の意味を察すると璃王は、瞼をキツく閉じて言った。 涙を堪えていることが易々と解り、雲雀は璃王の髪をそっと撫でる。

 

 



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標的9【やさしい言葉】

 「今ここで泣いたとして、君を責めたり笑うような人間はいない。

 僕は何も見てないから……思う存分泣けばいい」

 

 雲雀の言葉に璃王は、ずっと張り続けていた壁が音を立てて崩壊していくのを感じた。

 いつ振りだろうか。 優しい言葉を掛けられて、感情が揺らぐのを感じたのは。

 それはきっと、真摯に見つめてくる黒曜石のような眼の所為だ。

 

 人と自分とを隔てる巨大な壁。 幾重にも重なっていて、何人たりともその城壁を越えることは不可能だった。

 その城壁の奥の奥に掛かっている鍵。

 何処か深い海の中に消え去った鍵。 それを見つけることはもう、多分不可能だろう――。

 

 暫く雲雀は、静かに涙を流す璃王の頭を優しく、まるで壊れ物でも扱うかのようにそっと撫でていた。

 

 

―― ――

 

 

 暫くして璃王が落ち着くと、雲雀は璃王から離れた。 替えの制服を持ってくると、雲雀はそっぽを向いて璃王に制服を差し出す。

 

 「はいこれ……男子用で良いんだよね?」

 

 制服を差し出す雲雀の顔が紅く見えたが、璃王は気の所為だな、と制服を受け取る。

 雲雀はと言えば、半信半疑だったとは言え璃王の服をいきなり剥いだ事による罪悪感が今になって占領していた。

 

 「ん、どーも」

 

 制服を受け取った璃王は、特に先ほどの出来事を気にした様子もない。

 そんな彼――否、彼女の背景に淡い青の紫陽花が見えてしまった雲雀。 要するに、美ジョンが掛かって見えたのだ。

 

 ヤバイこれ、末期じゃないの?と雲雀が頭を抱えるその前で、璃王はシャツを羽織る。

 制服を着替えた璃王は、ソファーにそのまま寝転がり、「6時間目始まったら起こして」と璃王は言い置いて、眠りに就いた。

 

 え……ちょ、無防備だな、おい。と雲雀が思った頃には璃王は寝息を立てて眠っていた。

 

 ちょっと雲雀のキャラが壊れたが、気にしない方向で。

 

 「……、これぐらいは良いよね」

 

 書類に全く手が着かない雲雀は、ポケットからケータイを取り出すとカメラを設定して、眠っている璃王の顔にカメラを向け、センターキーを押した。

 画面には今撮ったばかりの璃王の寝顔がアップで映し出されている。

 

 (璃王の寝顔マジで天使!マジ女神!僕のマイハニー!)

 

 璃王の写メを初ゲットして気分上々の雲雀のキャラが完全に崩壊したのは言うまでもない。

 そして、璃王の寝顔に悶えていた雲雀は、書類には全く手が付けられなかった。

 

 

 ―― ――

 ―― ――

 

 ――Side・草壁

 

 

 

 こんにちは、皆さん。 毎度お馴染みの雲雀恭弥の右腕の草壁哲矢です。

 はい、あの真っ黒リーゼントに咥え葉っぱがトレードマークの風紀委員副委員長です。

 自分の事は「てっちゃん」とお呼び戴いて結構です、はい。

 

 さて、自分は今、応接室の前に居ます。 委員長宛に沢山の書類を持たされましたよ、教師に。

 こんな書類の山、委員長に咬み殺される……!

 

 覚悟をして応接室に入ろうとした時のことです。

 応接室には璃王が居るらしく、璃王と委員長の声が聞こえた。

 

 普通の話なら何気ない顔で「委員長~、書類持ってきましたー」と普通に入れるのだが……何やらただならぬ事情のようだし、ここは少し盗み聞き……いやいや、様子を窺うことにした。

 

 少し開いているドアの隙間から中の様子が窺える。 応接室の中では、璃王がソファーで寝ていて委員長がその璃王の寝顔を写メりまくっていた

 うわー、委員長、璃王の寝顔写メってるー羨まし……いやいやいや! 何璃王の寝顔見てニヤけてるんですか、委員長!?

 委員長にそんな趣味があったとは驚きです。 草壁哲矢、一生の不覚です。

 でも大丈夫です、委員長! 璃王と委員長の秘密は守りますから!

 委員長と璃王がそう言う関係なのは誰にも言いません!

 

 そう自分は混乱の後に固く決意した。

 まぁ、そんな事を語らう友達は璃王くらいしかいませんけどねぇぇぇぇええ!! それが何だってんだ、人間関係は狭く深くが丁度良いんだ!

 

 ちなみに、璃王と自分は超大親友です! 時々、冷たく突き返されるけど。 それは璃王がツンデレだからだ!

 そうだ、璃王はツンデレの比率が9:1と言う、委員長と負けず劣らずの黄金比率のツンデレなのだ!

 

 大体、そんな超絶人間嫌いの璃王が保坂理絵奈なんぞ底辺のアイドルグループにいそうな脳内快適系キャピキャピ女子に告白なんかある筈がない! ので、自分は2年で流れている璃王の噂は全く信じてない!

 これだけは言える、璃王は俺に対してもかなりドライなのに、保坂理絵奈なんぞ自意識過剰勘違いイタイ子に興味を持つ筈がないんだ! 璃王は風紀委員の文化だ、芸術だー!

 

 ……なんてちょっと熱くなっていると、目の前に人の足が見えました。

 

 「君……覗きなんて上等だね。

 ……、咬み殺す!」

 

 頭上から委員長の声が降って来たかと思うと、顔を上げる暇もなくトンファーが脳天に突き刺さり、そこから先の記憶はありません!




【作者Aの部屋~雲雀さんが何か言いたいらしい】

 (会話文だけ&雲雀さんが何か言いたいだけらしいので、飛ばしてもおkです)

 A「ちょ、ちょちょ、ちょりはー!」

 雲雀「君、何でここに呼ばれたか解るよね?」

 A「ぎくぅ! ……、な、何のことか、俺夢さんわかんなぁ~い」

 雲雀「僕のキャラ、何処に行ったのさ?」

 A「……、ゆ~う焼~けの中に吸いこま~れて消えて~った~」

 雲雀「六兆年と一●物語で誤魔化さないでくれる?
 何で僕がガン●ムSE●Dのユ●ナ・ロマ・セ●ラン化してるの? 僕に死亡フラグでも立てるつもり?
 草壁に関しては、ひぐら●のなく●にの前●圭一の固有結界の一部の台詞を変えた所もあったし、何なの? 馬鹿なの?死ぬの?
 キャラ壊しすぎでしょ、もうちょっと原作に忠実になろうよ。
 そんなんだから、どの作品も鳴かず飛ばずなんだよ、大体作者は更新がのろまなクセに色々とネタが浮かんだとかで別の作品に手出ししたりするから、どの作品も更新停滞するんでしょ。
 ハーメ●ンといい、な●うといい、エブ●スタといい、オリジナル含めて一体どれだけの作品を作って放置してるの、いい加減その浮かんだら取り敢えず書いてみるって性格を直してあーだこーだエンドレスウダウダ」

 A「雲雀さんの説教が長引きそうなので、ここまで!
 いるのかどうか分からないけど、読んでくれている皆さん! こんな奴ですが、作者Aこと紅奈々とその作品をよろしくです!」

 雲雀「ちょっと聞いてんの、作者。 話はまだ終わって無いんだから。
 そもそも作者の書くキャラは何だか……あーだこーだエンドレスウダウダ」


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【閑話】回想Incubo
標的1【微睡みの中の記憶】




ここから、少しだけ過去編に入ります。



 璃王は、微睡(まどろ)みの中で虐めの理由を考えていた。

 別に璃王にとっては下らなくどうでも良いことだが、ふと考えてしまったのだ。

 

 虐めについては何とも思っていない。

 「虐め」よりも過酷な迫害を受けていた彼女からすると、一般の学生が行うような「虐め」とやらは「馬鹿やってんな」くらいにしか感じられないのだ。

 

 

 朝、教室に入れば頭上に降ってくる水。

 ――暇人。 んな事してるから頭悪いんだろうが。

 

 机の落書きに関して。

 ――馬鹿丸出し。

 

 授業中に投げられる石入り紙くずやその他の危険物。

 ――んな事してる暇あるならノート取れよ。

 

 

 今までされてきた事を思い返して、それに関して感想を付けていく。

 

 そこまで思い返して、ふと、ウチのクラスに授業をまともに聞いている奴が居ないことに気が付いた。

 

 (おいおいおい、ちゃんと授業聞いてやれよ、40分間ずっと独り言言ってる教師が可哀相じゃねぇか)

 

 そこまで思うと璃王は「俺も人の事を言えなかった」と思い直す。

 璃王も教師の話は全く聞いていない。 というか、殆ど聞く必要も感じない。

 

 

 ふと、自分がやられている事を思い返していたら、何故だか父親の顔が脳裏に浮かんできた。

 

 (“僕”がこんな目に遭ってると知ったら、お父様はキレ散らかすだろうか……)

 

 過去の事はあまり覚えていないが、両親――特に父親は輪をかけて親馬鹿だったと思う。

 剣術の稽古以外は璃王や妻である璃王の母親に対して滅茶苦茶甘く、過保護だった気がする。

 

 (……なんて、馬鹿らしい。 その両親だって僕が殺したも同然じゃないか。

 僕が生まれてさえいなければ――)

 

 そこまで考えて、璃王は寝返りを打つ。

 

 それはもう、生まれてしまったからには考えても仕方のない事だ。

 今更、自ら死のうとも思わない。 かといって、生きている理由も特になくて……。

 

 (……、止そう。 考えたってどうしようもない事だ)

 

 体を丸めて璃王は再び、現状を思い返して感想を付ける作業を始めた。

 

 

 保坂理絵奈の気色悪い芝居。それに騙され、そこから生まれる下らない“トモダチゴッコ”。

 ――反吐が出そうだ。

 

 別に、人と人との間に生まれる“友情”とやらを否定して侮辱するつもりはない。

 よくつるんで遊ぶ人の事を“友達”というのなら、そう言う人間は璃王にも居るのだから。

 それを“友”だと呼ぶのなら、毎日話しかけてきて、遊びに誘ってくるあのコンビニのアルバイト店員も、雲雀恭弥もその“友達”という物にカテゴライズされるのだろう。

 

 雲雀の場合は良く分からん絡み方をしては来るが、先ほどの事も含めて彼にはこちらを害する気がないことは態度から見ても分かる。

 

 保坂らの場合、保坂が害されたからとこちらを敵視してくるのはまぁ、仕方ないにせよ。

 問題は、自分がされた事を一々大袈裟に騒ぎ立て、彼らを炊き付けてその矛先を自分に向けてくる事である。

 それで“友情”とやらを確認しているのか。

 

 なんにせよ、それは額縁の外から眺めている璃王が「くだらない」と思ってしまうのは致し方がない事だろう。

 璃王の目から見ても、彼女たちの“友情”とやらは一人を標的にすることで芽生えている一種の集団ステリ―。

 薄氷の上を踏んでいる様な脆い関係の上で成り立っているモノなのだから。

 

 もし、璃王の無実が証明されたなら。

 彼女らの“友情”も取り巻きの彼らの“同情”も全てリバーシのように引っ繰り返る事になるだろう。

 

 (まぁ、今はその“無実”を証明するような証拠もないのだが)

 

 それに、そう言う手を打つのも面倒くさい。

 かといって、手加減の手の字もできない璃王が暴力を振るってくる彼らに抵抗する訳には行かない。

 

 そうなれば、現状の原因の発端となっている保坂をどうにかしなければならないが――。

 

 

 (そう言えば……)

 

 璃王は暗闇の中で思う。

 

 何で俺は保坂から嫌がらせを受けてんだっけ?

 そもそもの原因が思い出せない。

 

 (あれは確か、中一の時……だったか?)

 

 璃王は、去年の“あの日”の出来事を思い返そうと記憶を手繰り寄せた。

 

 



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標的2【過去:宿泊学習】

 それは、よく晴れた春から夏に変わるくらいの季節だった。

 

 その時璃王は一年A組に在籍しており、その時に行われた学校行事の宿泊学習では沢田綱吉、獄寺隼人、笹川京子、保坂理絵奈と同じ班だった。

 班を作って初めはその班の中で仲良くなっていこう、とかいうのが目的の行事だった気がする、と璃王は思い出す。

 

 自分の境遇もあり宿泊学習には行かない予定だったのに雲雀に脅されたのだ。

 「学校行事をサボる毎に璃王は風紀委員のパシリね」と。

 それも、一日二日ではなく1ヶ月単位だ。 そんな面倒くさい事を1ヶ月もしたくはない。

 璃王は渋々行くしかなかった。

 

 幸い、危惧していた風呂の問題も「体に傷があるから」と言って他の生徒の不快感への配慮という事で、ユニットバスが利用できたことは不幸中の幸いだった。

 

 問題なく一泊二日の宿泊学習も終わる頃の出来事だった。

 

 その夜にこそっとテントを抜け出して昼間見つけた湖へ行った。 思った通り、夜の湖面は月を映して、昼間とは違った顔を見せている。

 そこで璃王は誰も居ないことを確認して、歌を口ずさんだ。

 

 「君と離れて僕を探して 幾千の世を歩いた

 何を目指して誰を信じて 誓ってはまた揺らいだ」

 

 璃王の家系は、特殊な呪いを受け継ぐ家系。 それと同時に特殊な声質を受け継いでいる家系でもあった。

 その名をO.C.波(オーシーは)

 O.C.波は制御が難しい為、幼少の頃からそれを制御する訓練を受けている。

 璃王が時折、歌を口ずさむのはO.C.波の制御の訓練の為だった。

 

 「夕闇には牙を剥けど強くない そう強くはない」

 

 歌う璃王の声は何処か寂し気で、輝く星を映すその瞳の奥には、深い孤独の色が垣間見える。

 夜の景色と相まってその姿は、今にも消えてしまいそうな程儚げにも見えた。

 

 「君に背を向けて久しく 満天の星空が寂しい――」

 

 不意に人の気配がして、璃王は歌うのを止めた。 闇の中を注視すれば、そこには暗がりでも解りやすいピンクの髪が見えた。

 そのピンクの髪の人物は保坂理絵奈だった。 彼女は璃王に近付いてくる。

 

 「あ……あの、さっき、璃王君が出て行くのが見えて……」

 

 じっと無言で見つめられて、保坂は言葉を探す。 漸く出てきた保坂の言葉に璃王は暫く黙った。

 

 「……誰」

 

 目の前に居る女子の名前を思い出せない。 一応、班のメンバーの名簿には目を通したが、名前と顔が一致しない。

 そもそもこの頃は、雲雀と草壁の名前しか覚えていなかったのだ。

 

 それよりも、面倒くさいことになった。

 何故、璃王がわざわざ人目の付かない所で、それも誰もいないかを確認した上で歌ったのか。

 璃王の操るO.C.波は、人によって重篤な被害が出てしまう事がある。

 万が一のそれを避ける為に人目がない事を確認したというのに。

 

 目の前の女生徒は何もないというようにキョトンとした様な不思議そうな表情で璃王を見上げてきた。

 

 「え……? あ、あたしは理絵奈よ……保坂理絵奈。

 同じクラスで同じ班の……」

 「ふーん」

 

 やや舌足らずな喋り方で言う保坂の言葉に璃王は素っ気なく返す。

 どうも、この女は苦手だ。 初めて話した時はそんな印象を持っていた。

 

 何だかすっかり気分も害された感じがして璃王は立ち上がると、テントへ戻ろうと歩き出した。

 そんな璃王の服の裾を掴んで、保坂は璃王を引き留める。

 

 「あ……あの、璃王君……」

 

 ピンク色の目を伏せ、モジモジと恥ずかし気な仕草を見せる保坂。

 言葉を躊躇うのは言いにくい事なのだろう。

 

 「その……っ、あたし、初めて会った時から璃王君のことが好きです……!

 つっ……付き合って下さい!」

 

 保坂の言葉に璃王が振り返ってみれば、告白してきた張本人は顔を茹で蛸のように真っ赤にして上目遣いでこっちを見上げていた。

 弱気なピンクの目と目が合う。

 

 その顔を見ても特に何とも思えない。

 女に告白されても嬉しくないのは当然だ。 璃王には同性愛の趣味はない。

 

 しかし、長身で肌も白く、ぶっきらぼうだが整っている顔をしている璃王は何処からどう見てもイケメンそのもので、一目惚れをする女子生徒も少なくはない。

 その上で璃王は一度、学校の行事の親睦会でライブをさせられている。

 それも相俟ってこの時の璃王の人気は半端無かった。

 

 「恋愛事に興味はねぇ。 そんなことは他の奴にでも言うんだな」

 

 その日は冷たく突き返して、何事も無かったかのようにテントへ戻った。

 その時の保坂の表情を見る事もなかった璃王は、保坂がどのような表情で遠ざかる璃王の背中を見つめていたのかを知る由もなかった。

 

 

 

 それから程なくして、保坂理絵奈から細かい嫌がらせを受けるようになった。

 嫌がらせと言っても本当に些細なことで、気になる程のような事じゃなかったので、璃王は気にしていなかったのだ。

 






@璃王のスペック
 身長:170cm
 体重:50㎏
 (杜撰な食生活+その割に運動量がエゲツナイ+太りにくい体質も相俟って体重は軽め)

 髪は腰に届きそうな程長い紫みを強く帯びた群青色、目は瑠璃色で目つきが悪い。
 右目を前髪と眼帯で隠している。
 無類の甘党。


@保坂のスペック
 身長:155cm
 体重:50㎏

 薄ピンクの背中辺りまでの髪に、同色の大きな目が特徴。
 外見だけは可愛い。 お前もう喋んな、マジで。息だけしてろ。
 中身がエゲツナイ。



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標的3【過去:虚偽と断罪】

 その時は唐突に訪れた。

 

 ある日の昼休み、璃王は保坂に呼び出されて屋上へと足を運んだ。

 屋上の鉄扉を開ければ、凄い勢いで風が璃王の蒼い腰辺りまでの髪を掠う。

 

 屋上には既に保坂が来ていて、近付いてくる璃王の姿を見るなり、いきなり質問してきた。

 

 「ねぇ、あんた。 嫌がらせされてるの知ってる?」

 

 何だ、その話か。と、璃王は来るんじゃなかったと思いながら踵を返した。

 それについては話すことは何も無い。

 こちらは気にしていなければ、興味もないからだ。

 

 「ちょっと待ってよ!」

 

 呼び止める保坂に璃王は「何だ」と溜息を零した。

 面倒くさい奴だな、おい。

 

 「私の質問に答えなさいよ!」などと睨みながら喚いているが全く怖くねぇ、と璃王は思いながら保坂を指指す。

 

 「どーせ、お前の仕業だろ」

 「あ……アンタが悪いんだからね! あんたが私を振るから!」

 

 まさか、嫌がらせをしていたのが自分だと気付かれていたことに驚きながら、保坂はやけくそに言い募る。

 まるで幼児の言い訳の様な保坂の言葉に呆れながら璃王は言った。

 

 「くっだらねぇー……。 振られたからって俺に当たるのは筋違いも良い所だ」

 

 振られることを想定していないとかどれだけ自意識過剰ですか、と璃王はうんざりする。

 

 (こいつは脳内快適系か? 面倒なヤツに絡まれたもんだな、おい)

 

 そんな事を思っていたら、保坂がまた何かを喚いた。

 

 「ちょっと格好いいからって調子こいてんじゃないわよ! まぁ、いいわ!

 あたしを振るなんて誰だろうが許さないんだから!」

 

 ヒステリックに叫んだ保坂は自分のシャツの襟元に手を掛け、シャツを一思いに破く。

 ブチブチ、とボタンが弾け飛ぶ音がやけに響いた様な気がした。

 

 何をする気だ、と璃王が思う暇もなく、保坂はシャツから肩を出して両腕を抱き締め、何処からそんな声量を出しているのかと疑いたくなるほどの叫び声を上げた。

 

 「きゃぁぁあっ! やだ、璃王く……っ、やめてぇっ!」

 

 いや俺、何もしてないのだが。 こんな演技に誰が引っ掛かるというのだろうか。

 金切り声で叫ぶ保坂に璃王がそんな事を思っているとバァン!と荒々しく扉を開く音が聞こえ、数人の足音が聞こえた。

 

 暫くすると、「理絵奈ちゃん!?」と、一番に屋上に来た沢田が驚いたような声を上げる。

 その後をゾロゾロと野次馬が集まってきた。

 

 「ツナくぅんっ、助けてっ!」

 

 駆け寄ってきた沢田の背中に隠れながら、保坂は泣きじゃくる。

 それとは反対に「状況が理解できん」と璃王は頭が真っ白になった。

 

 「何があったの、理絵奈ちゃん?」

 「グズッ……あたしね、璃王君に呼ばれたから、屋上に来たの……っ!

 そしたら……そしたらね、告白されて……っ!」

 (はぁ!? ちょっと待て!?)

 

 璃王は保坂の言葉を聞くと、驚愕して言葉を失う。

 

 告って来たのはお前で、それはもう何日も前じゃねぇか!?

 そんな事を思っている間にも、保坂の現状説明が続く。

 現状に頭が付いて行けず、口を上手く挟めない。

 

 「まだ……璃王君の事、よく解んないし……っ、友達から始めましょ、って……言ったら……っ、いきなり、襲おうとしてきたのぉ……っ!」

 

 璃王は漸く現状を理解する。

 

 (それで俺を貶めるつもりか)

 

 保坂の言葉を聞いた沢田は徐に璃王へと視線を移した。

 ゆっくりと向けられたそのオレンジの目には、疑惑の色が見え隠れしている。

 

 「ほ……本当なの……? 神谷君?」

 「告白してきたのもフラれたのも保坂。 しかし、それは前の話だ。

 そして今日、保坂に呼び出されてここにきたら突然、「私を振るなんて誰だろうが許さない」とか言って自分のシャツを引き裂いて、その有り様だ。

 俺はそいつに触れてもいない」

 

 璃王に猜疑的な視線を向けて問うてくる沢田を見据え、どうにか璃王は言葉を絞り出した。

 すると今度は、保坂が懐疑心を孕んだ目に晒される。

 

 まさかこうなることを想定していなかったようで、保坂はこの場を切り抜ける為の策を頭をフル回転させて考えた。

 

 「嘘よ、あたしが嘘を吐くワケ……っ、ないじゃない……っヒグッ、……、皆は……、理絵奈を信じて、くれる……?」

 

 保坂が目に涙を浮かべて沢田達に問う。

 

 (いやいや、おもっくそ嘘吐いてンじゃねぇかこの野郎!)

 

 璃王が心の中で毒づいたその瞬間、男子の一人が璃王を殴り飛ばした。

 その瞬間、璃王の脳裏に一つの光景が過る。 思い出したくもない記憶。

 殴られた時に璃王は悟った。

 また、同じことが繰り返されるのか、と。

 

 午後の暑さすら感じる屋上に、バチン!という、肉が打ち付けられるような音がやけに大きく響いた。

 突然の事に受け身を取る事を忘れた璃王は、仄かに熱を孕んだコンクリートに身体を打ち付ける。

 

 「お前最低だな!」

 「恥を知れよ!」

 

 男子達の浴びせる罵詈雑言を璃王はただ、聞いていた。

 何をしようにも何も思いつかないし、考えるのも面倒だ。

 

 璃王に罵詈雑言を浴びせる者たちの目は、明らかな敵意を孕んでいる。

 “こちらが絶対的な正義だ”とでも言うかのように。 璃王に断罪の糾弾をする。

 

 「……、「俺を信じろ」とは言わない。 俺を信じるか信じねぇかはお前らの自由だ」

 

 ただひとつ、璃王が言えることはこれだけだった。

 今の彼らに「俺はやってない」と言った所で信じられないのは目に見えている。

 

 むしろ、余計にヒートアップさせて殴られるのがおちだろう。

 自分の無実を証明する術もない。 その証拠はないのだから。

 

 痛む身体を無視して璃王は屋上を出て行った。

 剥がれかけた傷跡を見ない振りをして――。

 

 

 

 

 それから、璃王の噂は直ぐ様学年中に広がり、保坂を信じる者とそれに関わらないように見て見ぬ振りをする者とで分かれた。

 

 

 今では保坂を信じて璃王を痛めつける者の方が圧倒的に多くなっている――。

 



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標的4【“彼女”の名前】

 

 「ん……」

 

 閉じていた瞼がピクリ、と動いた。

 明るく感じる瞼の裏に意識が浮上した事を自覚する。

 

 目を覚ました璃王はゆっくりと目を開け、むくり、と上半身を起こした。

 ゆっくりと顔を向かいのソファーの方に向けると、 雲雀がソファーに座っていてその隣で草壁が頭に大きなたんこぶを付けて伸びていた。

 

 自分が眠る時には草壁の気配はなかったので、眠った後で来たのだろう。

 それにしても、彼は何故伸びているのだ。

 

 自分が眠っていた間に起こった出来事の予想が付かず、璃王は目を丸くする。

 

 (ちょ……俺が寝ている間に何があった?)

 

 ソファーに座って書類を見ている雲雀と、その隣で伸びている草壁両方を交互に見て、璃王は首を傾げる。

 

 「やぁ、璃王。 もう起きたのかい?」

 

 何事も無かったかのように話し掛けてくる雲雀の機嫌は何処か良いようで、璃王に微笑みながら言った。

 そんな雲雀から床に伸びている草壁に目を向けると、璃王は口を開く。

 

 「何があったんだ……?」

 「璃王は気にしなくて良いよ。 ただ苛ついただけだから」

 

 自分の手によってフルボッコにされた草壁に目も向けず、雲雀は足を組み替えて言った。

 

 「苛ついた」との理由で草壁をボコボコしたにしてはやけに穏やかな雲雀の声色に、璃王は背筋が冷えるのを感じる。

 軽くサイコパスが目の前にいるかのような気分だ。

 

 こんな委員長で大丈夫か、この委員会は?と思いながら「ご愁傷様」と草壁を哀れむような目で一瞥すると、璃王は立ち上がってベストに袖を通す。

 

 ピリング一つないベストはフワフワしていて、肌触りが良かった。

 

 「もう行くのかい?」

 

 璃王が身支度する様子を見て、雲雀が声を掛けてくる。 そんな雲雀に璃王は頷いた。

 

 「次の授業サボったら面倒くさい事になる」

 

 心底嫌そうな顔を浮かべながら璃王は言った。

 その言葉を聞いた雲雀は出て行こうとする璃王に「またいつでも来なよ、璃王」と呟く。

 その呟きを拾った璃王は、ふと思い出したかのように立ち止まった。

 

 「リオン、だ。 僕はリオン・ヴェルベーラ・ヴァルフォア」

 

 肩越しに振り返った璃王は、雲雀に微笑んで言った。

 

 その時の璃王の微笑は、時折ふとした時に見せていた冷たい微笑ではなく、何処か幼さを残したような淡く柔らかくて温かみのある物だった。

 

 「じゃあな」

 

 璃王は応接室を後にした。

 

 突然教えられた璃王の本名と向けられた微笑みに、雲雀は暫く放心したように璃王が出て行った扉を見つめる。

 そして、暫くした後で初めて向けられた微笑みに胸の高鳴りを感じた。

 

 璃王が自分の事を話して、更に名前まで打ち明けてきたのにはそれなりに理由がある筈だ。

 そしてそれは、少しでも彼女との距離が縮んだ――即ち、彼女から信頼されたからだと解釈する。

 

 「リオン・ヴェルベーラ・ヴァルフォア……」

 

 初めて知った“彼女”の名前を、雲雀は大切なモノを噛み締める様にゆっくりと呟いた。



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第2楽章 正午Sterzare
標的1【猫呪抑制薬】




 シャマルは基本的に原作通りの女好きですが、リオンに関しては“小さい時から診ている”と言う事、そしてリオンの両親(特に父親の方)やその周りの“リオンを可愛がっていた人たち”がおっそろしいのでリオンは突撃ラブハートの対象外。

 手を出したこと(たとえナンパであっても)が知られたら、どんな目に遭わされるか分かった物ではないので。
 下手したら、騎士団も敵に回すことになりかねない。

 シャマルも命は惜しいのです。医者だから。


 「トライデント……シャマル……」

 「よぉ、璃王。 どうした? んな死にそうな顔して。

 美人が台無しだぞ?」

 

 真っ青な顔で額に脂汗を浮かべながら、璃王は保健室に訪れた。

 いつも通りの朝を迎えていた筈の今日は「いつも通り」とはいかなかったのだ。

 

 登校中にいきなり、酷い吐き気と何とも言い難い気持ち悪さを感じた途端に頭痛と胸の痛みに襲われた。

 

 呪いを抑え付ける薬の副作用にしては酷すぎる、と思った璃王は教室へは逝かずに保健室へ来た、と言う訳だ。

 それを璃王はシャマルに苦しい呼吸の中で説明した。

 

 「お前はまず、漢字の勉強からだな」

 「俺の学校へ「いく」は「行く」じゃなくて「逝く」だ……っげほっ、ごほっ!……うぅ……」

 

 呆れた様に言うシャマルに反論すると、喉が痛くなるような苦しい咳に襲われ、璃王はソファーに倒れた。

 

 息を吸う間もない激しい咳にソファーでのた打ち回る。

 口を覆っていた手には喀血したと思われる血がベットリと掌全体を紅く染め上げるように付着していた。

 掌の血を見て、璃王は戦慄する。

 

 (これって……!?)

 

 ――何で呪いが末期状態になっているんだ!?

 璃王は混乱すると共にまた襲いかかってきた胸の激痛と頭痛に意識が薄れていく。

 

 頭が割れるように痛い。 押し潰されるみたいに胸が痛い。

 痛みで呼吸がままならない。

 

 「はぁ……っ、ぐっ、うぅ……」

 

 あまりの痛みにさっきよりも脂汗が吹き出て、背中がぐっしょりと濡れて気持ちが悪い。

 さっきよりも長く続く発作の様な激痛に璃王はソファーの上でのたうち回った。

 

 尋常でないほど苦しむ璃王の様子を不思議に思い璃王の傍に寄ると、シャマルは璃王の額に触れる。

 

 「すげぇ熱じゃねぇか! 脈も早ぇ。

 つかお前、痣も広がってんじゃねぇか!」

 

 璃王の手首に指を当てると、璃王の脈の速さにシャマルは眉を顰めた。 黒い痣も手の甲から首筋にまで広がっており、シャマルは緊迫した声を上げる。

 

 8歳の頃から璃王の事は診ていたが、ここまで酷い症状が出る事はなかった。

 璃王が侵されている呪いの末期症状。 シャマルや璃王の前の主治医の見立てではあと10年、早くてもあと6年は大丈夫な筈だった。

 

 それが昨日今日で突然、急激に進行しているという事は……?

 

 「お前、昨日暴れたりしてねぇよな?」

 

 シャマルの問いに璃王は首を振って拒否した。

 

  「昨日は……依頼、受けてねぇよ……」

 

 絞り出すような璃王の言葉を聞いて、シャマルは猜疑的な目を璃王に向けた後、璃王の服を剥いだ。

 黒い痣は右半身に(まだら)に広がっており、呪いが末期まで進行しているのが一目で解った。

 シャマルの目が険しくなる。

 

 「この傷! お前これ、どうした!?」

 「え……? あ、なん……でも、ねぇ……っ」

 

 痣よりも先に目に付いたのは、璃王の体中にあるまだ新しい傷痕だった。 その傷痕を見て、シャマルは眉を顰める。

 傷のことを問われた璃王は昨日のことを思い出し、咄嗟に嘘を吐いた。

 

 別に、山本を庇ったわけじゃない。ボンゴレの一員とは言え、一般人同然の山本に押し飛ばされて窓を突き破ったなんて、死宣告者として格好悪すぎて言えるかよ。

 “ヴェルベーラ・ヴァルフォア”の後継者としての沽券にも係わる。

 

 そんな璃王にシャマルはこれ以上何も追求せずに立ち上がった。

 

 「お前がいつも定期的に服用・投与している薬な。 あれは血管を通して全身に作用する薬ってのは知ってるな?」

 「あぁ……」

 

 シャマルの言葉に璃王は頷く。 小さな時から、シャマルや前の主治医に何度も何度も聞かされていた言葉だ。

 シャマルは説明しながら、薬瓶の並ぶ戸棚を漁る。

 

 「正常に作用している状態ならお前の呪いを抑える役割を果たすが、ちょっとの衝撃でその薬は呪いの進行を抑える「薬」から呪いを急激に進行させる「毒」になる事も、フィアちゃんから説明されていたな?

 俺も重ねて説明したよな?

 だから、投与して二十四時間は安静が必要な事も話したよな?」

 「……あぁ」

 

 シャマルの言葉に頷く璃王。 これも、小さい時から耳に(たこ)ができるくらいにシャマルの口から出てきた名前の女医から聞かされていた。

 

 そこで、シャマルの額に青筋が入る。

 

 (やべっ、地雷踏んじまった)

 

 思った時には既に遅く、シャマルは顔に般若を降臨させていた。

 

 「お前なぁ!! 何故直ぐに来なかったんだ、このドアホ!!」

 「薬を投与……したのが、予定、日……より、早かっ、たから……別に良いか……と、思った……んだよ!」

 

 シャマルの剣幕に怯むこともなく璃王は言った。 まさか璃王も、大した事のない怪我でこんな事になるとは思っても居なかったようだ。

 

 璃王の言葉にシャマルは呆れた様に頭を抱え、白い包み紙と水を持ってきた。



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標的2【劇薬】


 シャマルが璃王を本名で呼ばないのは、本人の意思を尊重しての事。

 シャマル「まぁ、確かに身バレして騒ぎになるのは面倒臭いよなぁ」

 何気にリオンの事もちゃんと考えてる良き医者なのですよ。 女誑しだけど。



 「起き上がれるか?」

 

 シャマルは璃王に声を掛けると、テーブルに包み紙と水を置いて璃王に手を差し出す。 それを無視して璃王は背凭れに手を置いて起き上がった。

 起き上がる時にくらり、と頭と視界が揺れて、込み上げてきた吐き気に噎せ返った。

 

 「これは、お前に投与している薬よりも最も強力な薬だ」

 

 説明しながら、シャマルは璃王に包み紙を手渡す。 包み紙を開いてみると、緑色の如何にも体に悪そうな粉末が盛られていた。

 襲い掛かる身体症状の所為で、目の前の人が飲んではいけなさそうな粉末を見ても、顔を顰める余裕すらない。

 そんな璃王の心境を置き去りに、シャマルの説明は尚も続く。

 

 「お前の愛しの前主治医であるフィアちゃんが開発した、お前の呪いと同じ毒素を持った薬でな……」

 「服毒自害でもしろと」

 

 シャマルの言葉に璃王が小さく呟くと、その呟きが聞こえていたのか、プチッと何かが切れる音が聞こえた気がした。

 説明が途中で中断されたのでシャマルの顔を見てみれば、シャマルは額に青筋を浮かべ、またもや般若を召喚している。

 

 (おいおい、あんまり怒りっぱなしだと中年期になったら血圧上がって血管切れるぞ。

 梨●プシャーッ!じゃなくて、鮮血プシャーッ!になるぞ。 何だ?それでふ●っしーに対抗するのか?シャマッシーか?笑えねぇー……」

 

 璃王は苦しいにも関わらず、そんな事をふと思ってしまった。

 

 「おい、途中から口に出てるぞ。 ったく、誰がシャマッシーだ、俺はあんなキチ梨と対抗する気なんざなぁ……って、んな話はどうでもよくてだなぁ!

 お前、「毒を以て毒を制す」っつー言葉を知らんのか? 悪いモノは悪いモノで牽制するって事なんだがな。

 今し方、それしか方法はねぇんだよ。 若しくは次の定期投与まで苦しむか、だ」

 

 シャマルの言葉の意味は理解できる。 つまり、毒を飲んで毒を殺せ、と。

 とにかく璃王は、次の定期投与まで苦しんでいたら死んでしまうので、この怪しい薬を飲んでみることにした。

 

 (怪しいが、背に腹は代えられないな……。 この劇薬を飲まないと死ぬんだったら、飲んでやるか」

 「劇薬って人聞き悪ぃな、おい!」

 

 シャマッシーは取り敢えずスルーの方向で、とにかく璃王はシャマルが何か言っていても関せずに薬を飲んだ。

 

 (うぇ、まず……。 何だよこの、青汁をもっと苦くしてキシリトールをぶっ込んだようなこの味は……)

 

 まるで、どこぞの女医が出してくるジェノサイド飯のようだ。

 込み上げてくる吐き気をどうにか堪える。

 口の中に酸味が広がるが、これは本当に飲んで大丈夫なモノなのか。

 

 (これ、本当に薬か?シャマッシーは俺を殺す気か?

 つか、何気にシャマッシーにハマった。 よし、次からはシャマッシーと呼ぶ決意をしよう」

 

 璃王はそんなどうでも良いような決意をした。

 

 「変な決意をするな!」

 

 (さっきからシャマッシーは人の心を読んだかのようにツッコミを入れてくる……。

 シャマッシーはふなっ●ーと違ってどうやら、読心術が出来るみたいだ。すげぇな」

 

 何故かシャマッシーと会話が成り立っている事に衝撃を受ける。

 璃王がそんな事を不思議に思っていると、「お前、口に出てんだよ!!」とシャマッシーが呆れた様に言った。

 

 「だぁぁぁぁぁぁああっ!? 地文での俺の名前がシャマッシーになったじゃねぇか!

 つーか、んなことはどうでも良い……いや、良くないんだが、今はそれどころじゃなくてだな!

 とにかく良いか、璃王。

 毒が相殺されるまで……つまり、明後日の昼まで絶対に安静にして腹と腰には衝撃与えるなよ!?」

 

 何か一人ツッコミして騒がしいなぁ……と、璃王が思っている間にシャマルの説明が始まった。

 

 (つーか、世界観壊すなよ)

 

 そんな事を思いながら、璃王はシャマルの言葉を聞く。

 

 「この薬は初めに子宮に作用して仮妊娠みたいな感じで毒素を育てるからな。 明日には軽く腹が出ている状態だ。

 毒が相殺されたら腹は引っ込む。

 この薬は男にとっては毒にしかならないが、女にとっては薬にもなる。

 ただし、衝撃を与えなければの話だ。 良いな?絶対に安静にするんだぞ!」

 

 シャマルは念を押すように説明した。

 とんでもねぇモン飲まされた……と後になって気付いたって遅い。

 

 (後の祭りってこの事だな……)

 

 璃王は説明を聞きながら、そんな事を思った。

 

 「はいはい、要するに腹と腰に衝撃与えなきゃ問題なし、だろ」

 

 気だるげにそう言いながら璃王は窓を開けて、その窓枠に足を引っ掛けた。

 それを見てシャマルが「いやいやいや!?」と声を上げる。

 

 「俺の話聞いてたか、お前――ってあぁ!!

 ったく、彼奴にゃ絶対子供を作らせられねぇな、一日持たずに胎児が死んじまうぜ!

 子供が出来たとしても、ベッドに括り付けて強制入院モンだな!」

 

 シャマルが止めようとした時には既に璃王は窓から飛び降り、地上へ着地していた。

 彼奴の将来の旦那は苦労するだろうなぁ、と、璃王が飛び降りて外へ向かってはためいているカーテンを見ながらため息を零した。





 


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標的3【笹ナントカ】



 とりあえず、ヴァリアーの登場まではリオンの三人称は「彼」で統一します。
 リオンと雲雀以外はリオンを男だと認識しているので。


 

 「璃王君!」

 

 保健室の窓から飛び降りたのは良いが、自分が履いている物が上履きだった事を思い出して璃王が下駄箱へ向かっていると、自分を呼び止める女子の声が聞こえた。

 

 そちらに目をやれば、誰かが下駄箱の向こうから走ってくるのが見えて璃王は反射的に身構える。

 大抵、女子に呼び止められるとロクな事がない。 それは、璃王が並中に入学して学んだことだった。

 

 保坂然り、保坂の友人然り、取り巻き然り。

 本当にロクな目に遭わない。

 かといって、スルーするのも後が面倒くさい事も実証済みだったので、璃王は取り合えず声を掛けてきた女子が自分に近付いて来るのを待った。

 

 璃王が立ち止まると、ブロンドのショートヘアーの女子がふわふわした髪を靡かせて小走りで寄ってくるのが見えた。

 目はオレンジ色でキラキラしていて、零れ落ちんばかりに大きい。 この世の悪意とは一切合切無縁そうな純粋そうで綺麗な目だ。

 

 (あー……と、こいつ……誰だっけ?)

 

 璃王は、彼女の顔を見たままフリーズする。

 顔を穴が開くほど凝視するが、名前が出てこない。

 

 (確か、笹……が付いた筈だけど……えーと?

 笹……ナントカ……えー……と……)

 

 記憶を探ってみるが、どうも思い出せない。

 

 同じクラスだったのは覚えているし、顔も分かる。 いつも困った様な顔でオロオロとこっちをチラ見していたのを何度か見たことがあった。

 攻撃してくるでも冷やかすでもない、かといって無関心に徹しているでもない。

 

 1年の時から同じクラスだったような気がするが、2年で2~3回喋ったことがあったかどうかだ。

 虐めの標的にされた後は教室でも良く分からない態度を取っているので何気に印象だけは残っている。

 

 取り敢えず、当てずっぽうで適当に名前を呼んでみることにした。

 外れたらその時はその時だろ。

 

 「笹……、川、だっけ?」

 「は……はい!」

 

 どうやら笹川で合っていたらしく、女子生徒は璃王に名前を呼ばれて顔を赤らめて頷いた。

 

 (そうだ、“笹川”だ。 たしか、“笹川京子”。

 1年の時に男子の間で話題になったから名前だけは何となく聞いた事がある。

 こいつだったか)

 

 璃王の中で漸く目の前の少女と記憶の中にある名前が繋がり、もやもやした気持ちが晴れる。

 

 笹川京子。 並盛中の男子の間では、“天使のような笑顔が最高に可愛い”と評判の学校のマドンナだ。

 そんな彼女を認識していないのは、並盛中では雲雀と璃王くらいな物だろう。

 

 そして、璃王は殊更身構えた。

 “学校のマドンナ”と持て囃されている女から呼び止められる事。

 それが何を意味するのか。

 途轍もなく面倒な事になりそうな嫌な予感しかしない。

 

 保坂理恵奈も、取り巻きの男子が居るという事はそこそこモテる方なのだろう。

 そういう女は変な自信が付いていて変に自意識過剰な所がある。

 目の前の笹川京子が如何いうタイプなのかは分からないが、男から持て囃されるタイプには関わり合いになりたくない。

 

 「何の用だ」

 

 彼女の顔を見る事もなく璃王は問う。

 

 これまでのクラスメイトの仕打ちの所為か、その声はとても冷たいモノだった。

 まるで彼から拒絶されているようで、ギュッ、と胸が締め付けられるような感覚を覚える。

 それと同時に、背筋が冷えるような感覚も覚えて、手が震えた。

 

 「あ……あの!」

 

 その冷たい声に唇をキュッと結んで意を決したあと、震える心をどうにか抑えつけて璃王に声を掛ける。

 笹川京子は辺りを警戒するかのように見回して誰も居ないことを確認し、紙切れを璃王の手に握らせた。

 

 そして、背伸びして顔を近付けると璃王にしか聞こえないような小声で早口で囁く。

 

 「これ、誰も居ない所で読んで……!」

 

 それだけを言うと、「待ってるから」と言い残してさっと璃王から離れ、走って教室へと戻っていった。

 

 「何なんだ……一体……」

 

 現状を理解する前に遠ざかっていく京子の背中を見届けると、璃王はぽつりと呟いた。

 まるで、スパイから密書を受け取ったかのような気分だ。

 

 璃王は、思考停止したままとりあえず応接室へ向かった。

 







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標的4【手紙】

 

 応接室に着くと、そこには雲雀が居た。

 彼が応接室の主なので、そこに居る事は何ら珍しいことではない。

 噂では、委員会の部屋割りで他の委員会の人間を黙らせた上で勝ち取った部屋だとか。

 

 そもそも、この学校で――否、この街で彼に逆らえる人間はいない。

 その委員会の集会で何があって応接室を手に入れたのかは大体の想像が付く。

 

 その応接室の主である雲雀は、珍しく璃王が授業中に応接室に来たことに驚いていた。

 

 「ワォ、君がこの時間にここに来るなんて、どういう風の吹き回しだい?」

 「本当は帰ろうかと思ったんだがな」

 

 応接室に入って璃王はソファーに座るとそのままゴロン、と横になった。

 ふぅ、と息が漏れる。 なんだか今朝から色々と疲れた気がするのは、飲んだ劇薬の副作用なのか。

 

 何気なくポケットに手を突っ込むと、先程渡された紙切れの存在を思い出した。

 それをポケットから取り出すと、ノートの切れ端の様なそれをじっと眺める。

 

 見たところ、何も仕掛けはないようだ。

 見た目はノートの一部を切り取って丁寧に折り畳んだもののように見える。

 

 「何を見てるの?」

 

 暫くボーっとそれを眺めていたら雲雀の声が聞こえてきたのでそこに目をやると、雲雀がティーカップを持って立っていた。

 

 「さぁな」

 

 璃王は気だるげに起き上がって、雲雀からティーカップを受け取る。

 その中には、優しい飴色の液体が入っている。 ティーカップに口を付けてそれを口に含むと、ほんのり温かい紅茶とミルクの味が口の中に広がった。

 仄かに感じる蜂蜜の味に肩の力が抜けていく。

 知らない内に肩に力が入っていたようだった。

 

 昔から人見知りをするような性格ではあったが、ここまで悪化しているとは思わなかった璃王は、人知れず溜息を吐く。

 何が原因なのか。 それは考えるまでもない。

 

 暫く紙切れと睨めっこしていた璃王は、いつまでもそれを睨んでいても仕方がないと割り切り、紙切れを開いてみた。

 紙切れには、小さいが丁寧な文字が綺麗に列んでいた。

 

 “璃王君へ

 お話があります。 昼休みに屋上へ来て下さい”

 

 読み終わると、璃王は紙をぐしゃっと潰してゴミ箱に投げる。

 

 (如何しようか……)

 

 笹川自体は害はなさそうだが、周りが如何かは知れない。

 この呼び出しも罠とも限らない。

 のこのこと呼び出しに応じて行ってみれば、実はリンチ大会でした~!な展開もありそうなわけで。

 というか、実際、保坂からの呼び出しにのこのこ応じた所為でこの事態に陥っているわけで。

 

 (そうなれば、本当にマヌケじゃねぇか……)

 

 流石に璃王もそこまでマヌケではない……。 保坂の策略には嵌ってしまってはいるが。

 紅茶を飲みながら、暫く考える。

 

 シャマルに安静を言い渡されているが、笹川一人なら何とかなる。

 非力そうな女子に遅れは取らない。 保坂の策略には嵌ったが。

 

 笹川が羊の皮を被った狼なら、この呼び出しは罠という事にもなるし、そうならばまた敵が増えるだけだ。 現状何も変わらない。

 逆に本当に何もないならそっと胸を撫で下ろせばいい。現状に変わりはないが。

 

 どちらも現状的に変わらない。

 それなら、一応行ってみるのもまぁ、ありっちゃありじゃないか?

 

 (あー……、もう、考えるのも面倒だ)

 

 どうせ、現状もどうしようもないのだ。

 それならもう、如何にでもなれ、と。

 

 璃王は考える事を放棄した。

 

 「恭、昼休みになったら起こしてくれ」

 「良いけど……大丈夫?」

 

 雲雀の問いに無言でこくりと頷くと、璃王は眠気に誘われるように瞼を閉じた。

 何にしてもまずは、体力を回復させてからだ。



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