ツイステッド社会授業 (充椎十四)
しおりを挟む

当事者あるいは正義の話

元ネタは身内が犯罪被害者になったことで被害者保護制度の必要性に気づいた弁護士さんの話。


 変身の魔法薬の所持や使用は法律で規制されている。作成や所持が認められているのは厳しい試験を合格したごく一部の学者、教員らのみ、そして――使用はできない。

 生徒たちは不満だった。教師が作るのを横で指をくわえて見ているだけなんて! 魔法薬学の授業なら魔法薬を作ってこそじゃないんですかー?

 

 生徒のそんな言葉に、教師――クルーウェルは顔をしかめた。

 

「弱い犬ほど良く吠えるというが……よかろう、この魔法薬が禁じられるに至った経緯を説明してやろうじゃないか――これはお前達の先輩の話。もう百五十年近く前に卒業した、とある同窓生の喪失と復讐の物語だ」

 

 ――男は幼い頃から恵まれていた。街で一番の金持ちの三男として生まれ、何ら不足を感じることのない幼少期を過ごし、家を継ぐべき重責もなかったためのびのびと育った。むろんさっき言った通り男はNRCの同窓生、魔法の高い適正も優れた頭脳もあった。

 男は好成績でNRCを卒業し、良い企業に勤め、上司に目をかけられて愛らしい妻を得て、可愛い子供たちをもうけた。男はまさしく「絵に描いたような幸せな生活」を送っていたわけだ。

 

 だが。当時近所に住んでいた魔法士のせいで妻と娘が死んでしまう。記録によると近所の魔法士というのは学者で、実験中の事故により家を爆破させてしまったらしい。それに男の妻子は巻き込まれたわけだ。

 家族を奪われた男は訴えた。命には命をもって償わせろ、加害者を死刑にしろと。

 しかし当時の法律には死刑がなかったため、加害者は無期懲役刑になった。無期懲役の意味は分かるな? 良い子にしていれば釈放されるという意味だ。

 

 魔法を使える者の寿命は長い……二十年ほどして、模範囚だった犯人は刑期を終える。

 

 そして、男は動いた。

 

 NRCにおける男の成績は良かった。証拠はあるのか、だと?――知らないのか、お前の成績はもちろん、これまでの卒業生全ての成績が保管されている。男が才能に溢れた魔法士であったという証拠はこの学校に今も残っているというわけだ。むろん誰のものでも自由に見られるというわけではない。親族であるとか研究に必要だとか、客観的に見て正当性の認められる理由を添えて閲覧許可を申請せねばならない。

 ちなみに男の得意科目は魔法薬学で、魔法薬学の試験成績は一位か二位……総合成績では何度か学年で五指に入っている。古代呪文学が足を引っ張らねば一位を狙えただろう。

 

 男は優秀な生徒だった。優秀であったから、自分の持つ知識や技術を存分に奮った。

 

 男は魔法薬で姿を変え、妻子を殺した犯人に近づいた。――この時点ではまだ復讐を躊躇っていたのかもしれん。二ヶ月にわたり学者を……犯人を観察した記録が残っている。

 男にとって腹立たしいことに、犯人は過去を清算したつもりで新しい人生を送っていた。男は妻子を奪われたというのに、だ。

 自らの罪など忘れたように暮らしていたことに怒りが爆発したのだろう、男は復讐を果たした。犯人を惨たらしく殺し、その遺骸を磔にして市中に晒したのだ。当時の手記が残っている。諳じてやろう。

 

 「やはりこの世界は間違っている。人を殺した者がのうのうと幸せに生きていて許される世界など、私は決して認めない」……この一文から、男が世界を、当時のぬるい刑法を憎んでいたことが分かる。「私は、大切な者を奪われた者が泣き寝入りしない世界を作る。あれこそが革命の旗だ」……男はそれから、復讐の手段がない者達の代行を始めた。

 男は優秀な魔法士だったからな、そこらへんの権力者や魔法士くずれなど男にとって敵にならなかった。自分なら復讐してやれるぞと弱い立場の者たちに声をかけたわけだ。

 

 男の魔法薬は完璧で、男の魔法もまた完璧だった。本人が自分の手で復讐するのを望むなら「魔法を使わずとも人を殺せる」方法を考えることすらしたらしい。――男の犯行だとは誰も思わなかった。男には必ずアリバイがあったし、わざわざ人を殺して回るような狂人がいるなど誰も想像しなかった。古い呪いが甦ったのだろうと考えられ、古代史の研究が盛んになされたそうだ。

 そうやって誰にも疑われることなく男は誰かが憎む「誰か」を惨たらしく殺し続けたが……初めて旗を立ててから数十年後、遂に男は逮捕された。男に復讐の代行を頼んだ者が、頼んだのは自分にも関わらず出頭し警察に男の名前を吐いたのだ。男はあっけなく逮捕された。

 

 逮捕された男は自分が殺した者の数を誤魔化すことなく自供した。……聞いて驚け、男によって殺された者の数は二百を越えていたのだ。戦争以外でそんなにも人を殺した者はこの男の後にも先にもいない。

 

 男の自供に世間は揺れた。磔にされた者がちらほら現れるのは古代の呪いではなく、他人を虐げたことの報復により殺され晒された……話題性はバッチリだろう? 男に関する報道は日々白熱していき、そのうち男を英雄視する者たちも現れ始めた。なんせ「自己の信じる正義のために人殺しをした」と自称する男だ、アウトローな連中が男に対してカリスマを感じるのも仕方ない。

 そんなこともあって、男の身柄は国同士で奪い合いになった。何故かって? どの国も自分の国の法律で裁きたかったのさ。国が復讐を認めたら治安の悪化は免れん……「悪いことをした者は法律で裁かれます」と内外にアピールする必要があった。

 

 しかし結局、裁判は薔薇の国で行われた。厳格な裁判といえば薔薇の国だからという理由もあるが、一番の理由は「男が逮捕された場所が薔薇の国の国内だったから」だ。男の信者たちが男を移送する車を襲撃する可能性があった。移送途中で逃げられましたなど笑い話にもならん。

 そうして始まった公判には各国から人々が詰めかけた。傍聴の抽選の列が裁判所を一周したという噂すらある。過去の新聞や雑誌のアーカイブを調べればいくらでもそういった話が出てくるから、興味があるなら調べてみるといい。

 

 世間に公開された法廷で男は高らかに語った。「私を裁くことができるのは、大切な相手を不条理に殺され奪われた者だけだ。その経験がある者でなければ、私の気持ちはわからない」「私はこの薔薇の国に十九本の旗を掲げた。死には死をもって償わせるための、革命の旗を」。この言葉には傍聴席の一部から拍手が上がったという。

 

 だが二百人を殺した男の裁判がそこらの軽犯罪の裁判と同じなわけもない。薔薇の国が用意したのは刑事事件の罪を裁いて数十年になる経験豊富な老年の判事だった。

 ――この判事は男に対するカウンターパンチとして選ばれていた。判事は男や声援を上げる男の信者らに、こう言った。「たとえ人から恨みを買っていたとしても、子供にとっては良い父良い母であった――親を奪われた子の気持ちがお前にわかるか」。

 

 これにより報道はいっそう盛り上がった。当たり前だろう? ダークヒーローを追い詰める正義の味方の構図と思いきや、判事も被告人も復讐者なんだ。これで面白くならないわけがない。

 

 判事の両親がどのような人間であったのか、どれだけ方々で恨みを買っていたのか。マスメディアはまるで生ゴミに集る蠅のように判事の過去を掘り下げた。男の裁判の行方は世間の一代関心事だった。――しかし、裁判は法律に基づいて判決が下されるものだ。当時の刑法に死刑の条文はない。

 判事が下した判決は無期懲役だった。つまらないと思うかもしれんが法の番人とはそういうものだ。法に規定された範囲を逸脱した判決をすることはできん。

 

 男は判決を聞くと裁判官を哀れんだ。「君は私のことを殺したいほど憎んでいるだろうに、死んで償えと思っているだろうに。可哀想なことだ」とな。そして傍聴者や報道陣を振り返り、「わかるかね、これが私が革命を始めた理由だよ」と言ったのだ。

 これに怒ったのは判事だ。現行の法律に基づいて判決を下すことこそが判事にとっての復讐だったからだ。判事がこの裁判について書いた本が図書館にあるから、興味のある者は借りて読むといい。タイトルは「遵法という復讐について」だ。

 

 そして――男は、獄中で自殺した。「私は二百人を殺した殺人者だ」「殺人者には死刑が相応しい」といったことが書かれた遺書が残っている。

 男が自殺してから五年後、男の手記を元にした自伝が出版された。妻と娘を奪われた男の心情、どうして人を殺したのか、そういったことが詳細に書かれている。

 この本も図書室にあるから興味があるなら借りて読め。タイトルは「復讐の革命」だ。

 

「こうして法律には死刑の項目が増え、変身の魔法薬は使用はもとより所持することすら禁じられた。歴史に名を残す大量殺人に使われたのだから規制がかかるのも当然といえば当然。貴様らのようなバカが真似をしないとも限らんからな――さて、脱線はここまで」

 

 授業を再開する、とクルーウェルは鞭で教卓を叩いた。

 ――今日の授業はこの魔法薬学で終わり。デュースは教科書を投げ込むようにして鞄に入れると、監督生らにはきはきとした声をかけた。

 

「図書室に行くぞ! はやくしないと誰かが借りてしまう!」

「うげー、あの話の本読むの? つまんなさそーで俺ヤなんだけど……」

「何をいう、先生が話に出した本なら読んでみないと。さあ行くぞ!」

 

 監督生も「男」や「判事」に興味を覚えていたので、図書館に行くことに否やはない。居残りで補習のグリムを教室に置いて図書室に行く事になった。

 

「ぶなぁ~! 置いてくなんて酷いんだぞ!」

「図書館で待ってるから。補習ちゃんと受けるんだよ」

 

 まだ放課後すぐだからか図書室は閑散としていた。司書のゴーストに本の場所を聞けば快く案内してくれ、デュースは「遵法という復讐について」を手に取った。

 監督生はその隣にあった「復讐の革命」を棚から抜き出した。「男」の名前はデイヴィス・ハンターと言うようだ。クルーウェルと同じ名前――クルーウェルはそんな縁から「男」に興味を持ったのかもしれない。

 

 表紙をめくれば、著者……「男」の写真が印刷されていた。監督生は何度か瞬きをし、本を閉じる。

 

「監督生はそっちの本を借りるのか?」

「うん。犯罪者とは言え法律が改正されるきっかけになった人だし、読んでみたいなって」

 

 デュースは「そうか、いいことだな!」と大声で頷いて司書に注意を受けた。

 

 ――デイヴィス・ハンターの顔は、クルーウェルに似ていた。

 

「先生」

 

 翌週の放課後。ホームルームが終わるや引き潮のように生徒が消えていき静かな教室に、監督生だけが残っていた。

 

「先生は、デイヴィス・ハンターの子孫ですよね」

 

 可愛い子供「たち」に恵まれたデイヴィス・ハンター。喪われたのは妻と娘。OBの成績を見るには親族であるなどの正当な理由がいる。デイヴィス・ハンターの得意科目とクルーウェルの担当科目は同じ。クルーウェルの話にはデイヴィス・ハンターを正当化するような言い回しが多々見られた。瓜二つとは言わないが似た造作、同じ名前。

 

「――教職についてから毎年、必ず『男』の話をしている。毎年何人かがそれに気付いて、確かめに来る」

 

 クルーウェルは微笑んだ。その通りだ、と。

 

「授業ではしなかった話をしてやろう」

 

 男には息子と娘がいた。事故が起きた当時、息子は四歳になったばかりで、娘は一歳。息子は誕生日にプレゼントされた子犬の散歩をしたがったため、男の妻は昼寝中の娘を抱いて近所を歩いた。

 とある家の前で、犬が突然駆け出した。息子は引きずられるようにしてその家の前を離れ――男の妻はそれをゆっくりと歩いて追った。それが運命の分かれ道だった。

 

 男の妻と娘は爆発に巻き込まれて死に、息子は生き残った。それが俺の祖父だ。

 

 「男」は、曾祖父はまだ四歳の息子を長兄夫婦の養子にやらねばならなかった。当時の世間常識では、子の養育には父母が揃っていなければならないとされていた。再婚を拒んだ「男」は愛する妻と娘を喪っただけでなく、息子すら手放させられてしまった。

 今では考えられないだろう? だが、百五十年前は「そういう時代」だった。片親家庭の子供は歪んで育つと信じられていたのさ。

 

 男は兄夫婦の元で養育されている息子……俺の祖父のもとに頻繁に通っていたそうだ。祖父からは「休日は必ず会いに来てくれたし、学校の行事にも必ず参加してくれた」と聞いている。そして祖父が十五歳になった時、ようやっと親子で生活を送ることが叶った……と言っても俺の祖父もナイトレイブンカレッジに入学したからな、同居と言って良いのかは分からん。だが祖父にとっては「夢に見た家族生活」だったそうだ。ホリデーになれば父親の待つ家に帰れる。クリスマスを父親と過ごせる。それが何より嬉しかったと言っていた。

 父親と同じような好成績でカレッジを卒業し、祖父は魔法執行官になった。母と妹を奪った爆発を起こした魔法士のような奴らを全員監獄に突っ込んでやりたい、というのが魔法執行官を目指したきっかけらしい。

 

 魔法執行官という身分になると過去の犯罪者の動向なども自然と聞こえてくる。二十三歳かそこらの頃、祖父は母親と妹を殺した犯人が解放されるという噂を耳にした。二人が死んだ事故は故意のものではなかったし、犯人は真面目な模範囚として評価が高かった。死ぬまで刑に服させることはできないだろうと、曾祖父も祖父も分かっていたが……まさか無期懲役刑が二十年足らずの有期刑に短縮など想像できるか? 遺族の気持ちを無視しているにも程がある。

 祖父は悩んだ。当たり前だろう。母親と妹の命を奪った犯人がこんなにもはやく保釈されると聞いて冷静でいられるわけがない。祖父は父親に相談した。

 

 曾祖父は祖父に「私があいつを見定めてやる」と話したそうだ。そうして曾祖父は殺人者になった。

 祖父は父親が人を殺して回っていると分かっていたらしい。父親が旅行している場所に必ず磔の死体が掲げられる……それが数十年も続けば父親の犯行だと分からないはずもない。

 魔法執行官失格だろう? だが、目の前で母親と妹を奪われた祖父は、曾祖父の気持ちが痛いほど分かってしまった。死刑を認める法がないなら、殺すしかない。

 

「先生の曾祖父さまって凄い方だったんですね」

「ああ。曾祖父は俺たちの誇りだ」

 

 監督生はひとつだけ訊ねた。

 

「先生は自分の名前が好きですか?」

「もちろん。俺はこの名前が好きだし、誇りに思っている」

 

 信念を貫き通す名前だ。嬉しくないわけがないだろう?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

馬よ水を飲め

 この世の誰もが魔力を持っているが、どの程度持っているかはまさに十人十色。ただし種族や遺伝などの要素もあり、妖精なら芳醇な魔力を持って生まれ、人間ならば高いものから低いものまで様々だ。

 

 魔力というものが存在しない世界からやってきた監督生にとって、このツイステッドワンダーランドという世界は不便極まりないものだった。

 寮内における上水道は寮生の魔力なくして動かず、湯沸かしや調理器なども同様。監督生が学園長に『全く動かないんですけど壊れてません!?』と訴えたことで魔導バッテリーもとい魔石を基にした電池式に変わったが、学園長は『魔石を使う家電は高いんですよ! 同じクオリティーでも魔力式のものの倍の値段がするんです。ああやだやだ』とぶちぶち文句を言っていた。

 

 簡単な生活魔法すら使えないほどに魔力が低い者はツイステッドワンダーランドにも一定数いるため、バッテリータイプの家電の需要はないではない。だが数千人に一人しかいない彼らのためだけのものが大量生産されるわけもない。需要も供給も少なく、そういった家電などの価格は高止まりしている。

 そんな事情を監督生が知ったのは、半強制的な入学から数ヶ月が過ぎた頃だった。

 

 担任のクルーウェルから「何か生活で困っていることはないか」と水を向けられた監督生は、「今のところ特には」と答えた。

 

「でも、この世界で魔力なしの生活送るのって大変ですよね……。隣に魔力式の安いヤツがあるのを指くわえて見ながらバッテリー式の高いのを買わないといけないとか、嫌がらせみたいなもんじゃないですか」

 

 入学式からすぐ、学園長はぶちぶちと文句を言いながらもバッテリー式の家電を揃えてくれた。あれは有り難いことだったんだなと思い返しながら自分の考えを話せば、懐が寒い監督生に授業準備手伝いのバイトを提案してくれた担任は、「そういえばお前は異世界出身だったな。魔力のあるなしについて社会の授業をしよう」と口を開いた。

 

「先ず、インフラが整っている国とそうでない国、つまり先進国と開発途上国では前提が違う――それは分かるか?」

「まあ……はい。なんとなくですが」

 

 物と機会に溢れた日本生まれ日本育ちの監督生にとって発展途上国は縁もゆかりもない国だ。ドキュメンタリー番組やらユニ○フのCMやらで聞きかじった程度のことしか知らない。

 ――水を汲むために幼い子供が毎日十数キロも歩いて川に通っているとか、十歳やそこらの女の子が三十とか四十の男に嫁がされるとか、女や子供一人で外出できないくらいに治安が悪いとか。監督生の脳内では色んな国の色んな情報が混ざっている。

 

「開発途上国の話からしよう」

 

 明日の実験で使う薬草を選り分け、枯れている葉を千切り捨てながらクルーウェルは話し出した。

 

「開発途上国では、生活魔法すら使えないような者は自然淘汰される。なにせ貧しい者が多い……飲み水や調理するための火を用意できない者は、汚染された水や菌が繁殖したかもしれない食料を食べる他ない。お前は枯れ枝や枯れ草を使えば火をおこせるのにと思うだろうが――周囲の者はみな燃料がなくとも火を作れるんだ、火のおこし方を教えてくれる者などいないのさ。誰も彼も学がない、知識がない。だから弱い者から死んでいく」

 

 がつんと頭を殴られるような話だった。

 

「一族でまとまって生活し子育てするような種族や民族であれば魔力がない者でも生存率が高い。一族の年長者から年少者へ、生活魔法に頼らずとも生きていける技術や知識の継承が行われるからだ」

 

 魔力持ちも万能ではない。魔法を使えばブロットが溜まり、ブロットが限界まで溜まれば死ぬ。魔法に頼らない手段の継承がいかに重要であるか分かるな?

 

「だが、世の中はそんな民族や種族ばかりではない。魔力を持たない弱者は火のおこし方も清潔な水の作り方も知らず、病などにより死んでいく――これが開発途上国における魔力なしの現実だ」

 

 枯れた葉がクルーウェルの足元にいくつもいくつも落ちていく。同じ茎から伸びた葉なのに、青々とした葉と枯れて茶色い葉がある。監督生の足元にも……両手で足りない数、茶色い葉が落ちている。

 

「次に先進国における魔力なしだが、こちらでは大別して二種類に分かれる。躾のなっていない大型犬と、声を上げる体力も気力もない子犬だ」

 

 ところで監督生、お前は小さな政府と大きな政府という言葉を知っているか? 言葉だけで意味は知らないか……まあそうだろうな。政治学の言葉だ。

 

「小さな政府とはざっくり言えば、国の役割を治安維持や安全保障などの必要最低限に留めることで人々の自由を拡大しようという思想だ。夜警国家とも言われる。さっき話した開発途上国はこれだ。国民の経済活動に政府が介入することは少ない……いや、出来ないと言うべきだな。国家予算の面でも国民感情の面でも弱者を救済できる余裕がない。それに対して大きな政府とは、政府が積極的に経済活動に介入することで国民の生活を安定させ、所得格差を是正……平均値に近づけさせようという思想だ。福祉国家とも言われている」

 

 クルーウェルは小瓶に薬液を入れる作業に移った。電子秤に置いた小瓶に大瓶から無色透明な液体を注ぎ、ぴったり五十グラムで蓋をする。それを小瓶の数だけ作るのだ。

 

「先進国の多くは大きな政府になりがちだ。資本家と労働者、ホワイトカラーとブルーカラー。国民の資産に大きな偏りができれば……つまり国民に格差が広がれば、国民の不満は肥大化し治安は悪化する。肥太った資産家を守る政府を打倒せよなどという危険思想が広がりかねんし、そうなれば国家としての体を保てなくなる」

 

 ぴったり五十グラムの瓶が既に三つ。

 

「格差是正、国民の生活の安定。福祉国家という別名の通り、大きな政府は社会福祉に予算を割いている。監督生、社会福祉と聞いて思い付くものを挙げてみろ」

「えっ……社会福祉、ですか」

 

 そんなことを言われたところで、すぐに思い付くわけもない。監督生は「ええと」と呟きながら記憶をたどる。

 

「駅にエレベーターを設置する、とか? バリアフリーって言いますし」

「グッボーイ、正解だ。むろんそれ以外にも社会福祉には様々なものがあるんだが、今回の話で重要なのは今お前が挙げた『弱者保護』だ」

 

 小瓶は六十本以上あるのに、話しながらも淀みない手付きは次々と小瓶を満たしていく。

 

「弱者とは何だ? 例を挙げてみろ」

「弱者とは……ええーっと……老人とか、障がい者とか?」

「正解。他に挙げるなら交通弱者――公共交通機関がなく外部との行き来が困難な者、情報弱者――情報端末を持っておらず、端末があれば得られたであろう情報にアクセスできない者などがいる」

 

 クルーウェルは作業から顔を上げ、監督生の顔をじっと見た。

 

「では、魔力のない者は社会的弱者か否か?」

 

 交通弱者や情報弱者が社会的弱者なら――。

 

「社会的弱者です」

「その通り」

 

 魔力がない者は、監督生は社会的弱者だ。

 

「大きな政府は社会福祉政策の一つとして弱者を保護する。さっきお前が挙げたバリアフリーは、身体障がい者や体の弱った老人などの障害を取り除くというものだ。バスのノンステップ化、エレベーターやエスカレーターの設置、手すりの増設、点字ブロックなどなど……。では魔力がない者への福祉政策はどのようなものになるか、少し時間をやるから考えてみろ。三つ挙げられれば満点をやろう」

 

 監督生は手元を見下ろした。監督生の前には、枯れた葉がついた薬草の束がまだいくつも残っている。

 枯れ葉を取り除きながら――気が付くと呼吸を忘れるほど思考に没頭していた。

 

「一つ目は、魔石を使う家電の購入時に割引などを受けられる支援、です」

 

 クロウリーは仮にも名門校の学園長だ、彼が右から左へやる金額は監督生の想像も及ばない額に違いない。そんな彼が『高いんですよ!』と愚痴るのだ、一般家庭が買い揃えるのは大変だろう。必要不可欠な生活家電で困窮しました……なんてことが起きているかもしれない。

 

「二つ目は、魔法が使えない子どもの別授業。音楽か美術のどちらかを選択するみたいに、魔力の低い子ども用の授業を用意しておくこと」

 

 監督生の脳内には特別支援学級のイメージがあった。

 

「三つ目はすみません、思い付きませんでした」

 

 監督生は三つ挙げられなかったが、「グッボーイ、よく捻り出したな。満点だ」とクルーウェルは少年を手放しに褒める。

 

「一つ挙げられるだけで十分なところ、よく二つも考え出したな。お前の挙げた経済面での支援と教育面での支援の他には、先に挙げた交通弱者。魔力がない者はマジカルホイールといった交通手段を使えない。そのため交通面での支援も必要になる」

「え、ガソリンのエンジンはないんですか?」

「ガソリン……? それは燃料の名か?」

 

 監督生はあんぐりと口を開いた。だが改めて考えてみれば、大広間のシャンデリアは魔石で光っている。教室の灯りはふよふよと宙に浮いている。家電のエネルギー源は魔力や魔石で、地球でいうバイクは『マジカル』ホイール。

 もしやこの世界には、魔力以外の燃料――石炭や石油が存在していないのでは?

 

「ええと、燃える水が湧く池ってありませんか? あとは燃える石とか」

「燃える水の池なら以前ニュースで聞いた覚えがある。子どもがその池の付近で魔法の練習をして引火させ、あたり一面を火の海にしかけたという話だったはずだ」

「も、もったいねぇ……!」

 

 ここで「危ない」とか「子供の命は無事だったのか」という感想が出ないのは、ひとえに監督生の身近な魔法士見習いがみんなクソだからだ。どいつもこいつも性格がひん曲がっている。クソガキと石油を天秤に乗せたなら監督生は迷わず石油の心配をする。

 

「お前の言うガソリンとやらも気になるが、話を戻そう。魔力式の家電をはじめ、中距離の移動手段などすら使えん魔力なしには支援が必要だ」

 

 クルーウェルは一拍言葉を止めた。

 

「魔力なしへの福祉政策として、大都市近郊に魔力なし専用の住宅街を作る、というものがある」

「魔力がないと移動手段が限られるから、ですか?」

「エクセレント。むろん他にも理由はある――魔力なしは魔石を使わねば家電を動かせない。高価な魔石の購入で生活が圧迫されるという訴えから、家族の人数に応じた量の魔石を安価で購入できる制度も出来た。魔石を購入できる店舗も必要だな。魔法を使える子どもと同じ学校に通わせると差別やいじめの原因になりかねんという主張から魔力なししか通えない学校が作られた」

「すごく支援が行き届いてる感じがしますね。うちの国でもここまで支援してるかどうか……」

 

 クルーウェルは「そうだな」と頷いた。だが、一つ許されれば次も、更に次も、欲深い者は限度を知らない。

 

「始めはそれだけで良かったんだが、人というものは満たされているものより、欠けているものに目が行くものだ。街ができてから数十年もすると、街の外の人間は魔力を持っていて危険だから街を囲むように丈夫な塀を作れ、外の人間が入れないように結界を張れ、といった声が出始めた」

「え、ええー……? ちょっと何言ってるか分かんないです」

 

 クルーウェルの口も手元も淀みない。――魔力なしの中に、『魔力がないため様々な不便を強いられている憐れな我々は保護され、優遇されてしかるべきだ』と主張する一派が生まれた。もちろんそんなことを言い出したのは少数だ。数百人から千人中の一人くらい。だが、そういう者ほど声がでかい。

 手前勝手な主張のせいで、『魔力なしの街』に住む魔力なしは強欲で利権に集る蝿だというイメージが広まった。そんな偏見を厭って多くの人が『街』を離れたが、プライドで飯は食えん。一定以上の魔力があることを前提とした街には魔石式の家電は売っておらず、魔石を扱う商店もない。どうにも生活が成り立たなくなり『街』に戻ることになる。

 

「先進国には二種類の魔力なしがいる――声ばかりでかいクズと、偏見に晒されても『街』から離れられない弱者だ」

「うわぁ」

 

 悲惨な話だ。監督生は顔を覆いたくなったが、手に薬草をもっている。顎をそらしてゆっくり息を吐いた。

 

「声がでかい駄犬の要望通り『街』には塀が築かれたが、それは『街』の住人を守るためのものではない。『街』の中にいる馬鹿を外に出さないための塀なのさ」

 

 魔力無しだからといって『街』に住まねばならないという義務はないし、『街』に住まなくてもある程度は魔力無しのための支援は受けられる。だから監督生は役所で魔力無しの市民として手続きをとれば魔石式の家電を割引価格で購入できるし、大都市部にしかないが指定販売店に行けば魔石を安価で売ってもらえる。だが、闇の鏡が異世界から未成年を誘拐したことを表に出したくない学園長は家電も魔石も定価で買わねばならない。

 監督生が学園長に恩を感じる必要はない。

 

「勉強になりました……」

「知識は力だ。知識がなければ手元に道具があっても火をおこせん」

 

 学べ。現状がどうあろうと、腐らずに。そう言われたような気がして監督生はクルーウェルを窺った。クルーウェルはマジペンを振って枯れ葉を宙に集め、ゴミ箱にそのまま飛ばした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。