吸血鬼な薬屋さん (gotsu)
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プロローグ

「はぁ、はぁ、はぁ……。」

 

 少女は白い布に包まれた物を大事そうに抱え、まっ暗闇の森の中を息も絶え絶えに走る。

 

「あぁっ!」

 

 木の根に足を取られた少女の体が宙に浮き、持っている白い布をかばうため、盛大に地面に転がった。

 

「うぅ……。」

 

 転んでしまった少女は泥だらけになりながら呻く。その背中には一本の矢が深々と刺さっていた。ふいに近くの茂みがガサリと音を立てる。

 

「も…う…こんな所まで…。」

 

 少女の顔が恐怖と絶望で歪む。

 彼女は何かに追われていたのだ。

 持っていた白い布をぎゅっと抱きしめ、覚悟と恐怖の入り混じった顔で音を立てた茂みを睨みつける。

 

 

「おや珍しい、吸血鬼とは。」

 

 彼女の予想に反して茂みの中から出てきたのは追手ではなく年老いた老婆だった。

 

「あなた……は?」

「ああ、アタシはただの人間の老婆だよ。」

 

 少女はもうろうとした意識の中で思考を巡らせる。

(ここは普通の人間が入ってこれるような場所じゃあ……)

 

 少女が走っていたこの森は空気中の魔素が濃く、魔力を持たない人間が入ると数日もせずに魔力に侵されて死んでしまう厳しい場所だ。

 

「あぅ!」

 

 追ってじゃないと分かり気が抜けたのか、思い出したように身体中に痛みが走り声をあげてしまう。

 

「アンタ、ちょっと見せてみな。」

 

 苦しそうな少女の様子を見て老婆は言った。それから、手馴れた手つきで彼女のマントを剥いで矢の刺さっている背中を見る。銀色の矢が深く刺さり、その周囲はどす黒く変色していた。

 

「法儀礼ずみの純銀製の矢、対吸血鬼に特化した武器かい。アンタ、なんで教会なんかに狙われてるんだい?」

 

「わ…たしが……真祖だから……」

 

「ほう、真祖とは、絶滅したと思っていたが、長生きはしてみるもんだ。分かっていると思うがアンタはもう助からないよ。」

 

「は…い……。」 

 

 老婆の言葉に少女は苦しそうに返事をする。彼女の背中に刺さった矢は刻一刻と彼女の命を削っていた。吸血鬼の弱点である銀の鏃は確実に彼女の生命力を奪い、鏃にかけられている魔法は刻一刻と彼女の体の自由を奪っている。矢を抜こうものなら既に消耗の激しい彼女は痛みに耐え切れずに死んでしまうだろう。

 

「それにしても、まだ吸血鬼が残っていたとはね……。」

 

 そう言いながら老婆は懐から小瓶を一つ取り出し、少女を抱き上げた。

 

「これは気休めだが、少しは楽になるハズだよ。」

 

 少女に小瓶に入った液体を無理やり飲ませる。すると、ほんの少し苦しそうな顔が和らぎ、少女の赤い瞳に光が戻った。

 

「あの…この子を…助けて…下さい…」

 

 少女は大事そうに抱えている白い布を老婆に差し出す。老婆がそれを受け取ってみると、その包みには生後間もない真っ黒な髪をした赤ちゃんがいた。その顔立ちは、幼いながらもどこか少女に似ていて、彼女の親族なのが一目みてわかった。

 

「いいのかい、私なんかに託して?アタシはついさっき会ったばかりの人族なんだよ。吸血鬼の子供を欲しがる人間は星の数ほどいる、もしかしたらその子をどこかの人買いに売るかもしれないよ。」

「そんな人なら……私に薬を…ゴホッ…飲ませたり…しません。」

 

 赤い目に黒い髪の少女は苦しそうに、それでも意思を持った深い赤色の目で老婆を見る。そして…。

 

「アンタ、やめな!」

 

 少女が一瞬だけ覚悟を決めた鋭い目をしたのを見て、何かをしようとしているのを察知した老婆は止めに入ろうとするも……。

 止めに入る間もなく、少女は残る力を振り絞り、魔力を宿した左手を振るった。それはまるで、ろうそくが燃え尽きる前にほんの少し強く燃えるような、強い、そして温かい魔力だった。少女はそっと左手を赤ちゃんにかざした。すると赤ちゃんの真っ黒だった髪がみるみるうちに銀色に変わっていった。

 

「どうか……この子が…リリルが幸せに……なれますように……」

 

 魔法をかけ終わり、ほんの少し安心した表情をして、彼女は息絶えた。

 

「驚いた、初めて見る魔法だね。それにしても、えらいものを預かっちまったもんだ……。」

 

 赤ちゃんを抱いたまましばらく思案していると、何者かの気配が近づくのを感じ取った。気配の消し方から見るに人間、それもなかなかの手練れのようだ。

 赤ん坊を託した少女はいつの間にか灰になって崩れ落ちていた。老婆は後に残された黒いマントを拾い上げ、ため息をつく。

 

「はあ、まったく、会って数分もしないうちに面倒ごとを押し付けられたもんだ、名乗りもせずにこんな物を託して……。」

 

 そう言って渡された子供に目を落とすと、布に包まれた赤ん坊は肉親が死んだ事など何も知らないかのようにすやすやと眠り続けていた。

 

 感じた気配はどんどん近くなってくる。その気配には、ほんの少しの光の魔力が感じられる。おそらく教会の手の者だろう。今まで教会に関わった事は何回かあるが、どれも碌なことにならなかった。

 この距離で気配を察知できる相手に遅れを取るとは思わなかったが、教会は面倒事を起こすには少し厄介な相手だ。それに数も多い、そう考えた老婆は懐から魔方陣が書かれた1枚の紙を取り出す。

 

「齢120にして子供を託される、人生何があるかわからないね。」

 

 次の瞬間、取り出した紙がまばゆい光を発し、その光が消えるに合わせて老婆の姿もかき消えていた。




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リリルと町の生活

「ただいま~!」

 

 怪しい色の瓶や大きな釜、得体のしれないものが所せましと置かれた部屋に似合わない鈴のような美しい声が響く。

 

「今日はトマトが安くてよかった!」

 

 声の主の少女は黒い厚手のローブの中からトマトがいくつか入ったバスケットを取り出し、手近な机の上に置く。そしてそのうちの一つを齧る。

 

「うん、おいしい!」

 

 大きなトマトをあっという間に平らげ、幸せそうな顔で言った。

 

「さて、学校も終わったし、お仕事お仕事!」

 

 そう言って黒い大きな三角帽子を脱ぐ、そしてローブの中にしまわれた長い髪を後ろでぎゅっと結んで仕事に備える。

 

「えっと、今日の納品は……。」

 

 黒い板に白い文字で、[ギルドに納品するもの!]書かれたカレンダーをアクアマリンのように澄んだ海色の目が真剣に見つめる。

 

「赤色の回復薬と……毒消しが2個ね。」

「あとは、このお薬の出来は……うん、いい感じ!」

 

 棚から赤色の液体の入った瓶2つを手近な袋に入れたあと、大きな釜の蓋を開け、満足そうに目を細める。そして鍋の中の液体を手際よく空き瓶に入れていく。液体を入れ終わった瓶2つをさっきの袋に手に入れて店舗の入り口兼玄関を開けた。

 

「日が暮れる前に持っていこうっと!」

 

 勢いよく家を飛び出した少女だったが……。

 

「わわっ!帽子忘れちゃった!」

 

 勢いよく戻ってきたのだった。

 

 

 

 彼女の名前はリリル・アナトリス、城壁に囲まれたコストゥーラの町に住む12歳の女の子、祖母と一緒に薬屋さんを営んでいたが、数年前に祖母が失踪してからは一人で薬屋さんを切り盛りしている。 

 つい最近、魔力があることがわかり、半ば強制的に魔法学校に通わされるようになった。学校に通うことになり、本業のお店は学校が終わってからでなければ開けられなくなってしまっていた。そして、その分お店での稼ぎが減っている。リリルはその埋め合わせをするために、最近は町の冒険者ギルドへ薬を納品して生活費の一部を稼いでいる。

 

 

 家と店舗の入り口を兼ねた扉を出たリリルは、冒険者ギルドへ続く少し太い道を歩く。町の中心にある冒険者ギルドに近づくにつれ、人通りが増え、通りの両側では夕方の買い物をする人が溢れていた。

 リリルはその中でも真っ黒な装いで、大きな三角帽子をかぶっていたので、他の通行人よりちょっとばかり目立っていた。

 

「おっ、リリルちゃん、今日も納品かい?」

「はい、おじさん。この間いただいたお肉、すごく美味しかったです!」

 

 肉屋の少し小太りな中年のおじさんに話しかけられたリリルは笑顔で答える。

 

「そうかい、納品帰りに気が向いたら寄ってくれよ、安くしとくぜ!」

「うぅ、すみません、今日はお金が……。」

 

 今日の薬の納品はたったの4個、お肉を買ってしまったら明日の朝とお昼のご飯のお金が厳しくなってしまう。そう思ったリリルは少し申し訳なさそうに肉屋のおじさんに言った。

 

「リリルちゃんしっかりしてるねぇ、ウチの息子にも見習わせてぇ!!ほら、これ持っていきな!」

「あっあの!」

「いいってことよ、だいぶ前にもらった薬のお礼さ!」

 

 強引に渡された包みと肉屋のおじさんの顔を交互に見て、リリルはしぶしぶといったふうに包みを受け取った。

 

「あの!ありがとうございます!」

 

 そうして笑顔で肉屋のおじさんにお礼を言ってペコリと頭を下げる。そして再び道を歩き出した。

 

「おや、リリルちゃんじゃないか、元気にやってるかい?」

「はい、おばさん!」

 

 通りを歩いているリリルはしばしばお店の人に声をかけられる。

 数年前、祖母が失踪してから幼いながらも一人でお店を守ろうと奔走した。それを見た周囲の人は最初は周囲の目は冷ややかだった。だが、彼女が一生懸命に薬を売ろうとする姿や、なんとか薬の材料を集めようと奮闘する姿にしだいに心を動かされていった。

 そして、何より彼女が作る薬の効き目がいい、という事も大きな要因になっていた。町で使う薬は腹痛を治す物やちょっとした切り傷、擦り傷を治す物、熱を下げるものなどが主なのだが、彼女が作る薬はとてもよく効くと評判だった。

 そして、今では黒いローブに大きな帽子という風貌もあいまって、近所ではほんの少し名の知れた薬屋さんになっていた。

 

 

 

 様々な人に声をかけられながら、しばらく道を歩いたリリルは一つの立派な建物の前に到着した。入り口の上にある看板には[コストゥーラ冒険者ギルド]と書いてあり、建物の中では沢山の人が依頼が書かれてある掲示板を見たり、ギルドの職員と話し合っていた。

 

「うぅ…いつ来ても緊張する……」

 

 リリルは緊張した面持ちで開けっ放しの大きなドアをくぐる。入った所でちょっとだけ視線がリリルに集まる。

 

「はぁ……。」

 

 リリルはため息をつく。

 つい最近冒険者ギルドに登録したばかりで、周りから見ると場違いに見えるのは自覚しているが、この空気にはまだ慣れない、視線を気にしないように、気を取り直していついもの窓口に並ぶ。

 前に並ぶ何人かの冒険者が用件を済ませ、次はいよいよリリルの番だ。

 リリルは納品する薬の入った袋を無意識に握り締めた。

 

「リリルちゃん、こんにちわ。」

 

 受付の女性はリリルを見て笑顔を作る。

 

「こんにちは、ミーナさん!あ、あの、納品に来ました!」

 

 リリルはそう言って緊張気味に薬の入った茶色の皮袋を渡した。ミーナと呼ばれた受付のお姉さんはその袋を開けて中を確認する。

 ミーナはリリルが初めて冒険者ギルドに来た時に受付をしてもらった人だ。最初に登録でとまどっている所を呼び止められ、右も左もわからないリリルに色んな事を教えてくれて、それから何かと世話をやいてくれる。 

 それ以来、リリルはミーナがいる日をねらってギルドに行くようにしている。

 

「はい、赤色回復薬と毒消しを二個、確かに頂きました。」

 

 そしてミーナは薬のかわりに茶色い銅貨をいくつかリリルに渡す。

 

「今回の報酬よ、あと何か依頼を受けるんでしょう?」

「はい、お願いします!」

 

 お金をもらってもまだ緊張気味に返事をするリリルを見てミーナは温かく微笑む、そして、リリルが出来そうな依頼をいくつか選んでいく。

 

「次は……そうね、これなんかどうかしら?」

 

 ミーナが選んだ次の依頼は、今回の依頼よりも難しい水色の回復薬の依頼だった。

 

「う~ん、水色の回復薬、家に作り方あったかなぁ……。」

「出来なくても大丈夫よ、この依頼、罰則は決められていないみたいだから。」

 

 しばらく考え込むリリルにミーナは言った。

 

「えぇっ、そんな依頼があるんですか?」

 

 リリルは驚く、通常の依頼は期限が定められていたり、達成できなかった時に罰金を払うなどの罰則が定められているのが普通なのだ。

 

「ええ、どうも訳ありの依頼みたいなんだけど、罰則がないなんて珍しいわよね、でもやってみる価値はあると思わない?」

 

 ミーナにそう言われたリリルは二つ返事で依頼を了解した。そして自分の身分証になるギルドカードを渡して手続きをする。

 

「はい、じゃあお願いね。」

「はい、ミーナさん、またよろしくお願いします。」

 

 手続きが終わって、ギルドカードを返されたリリルは丁寧におじぎをしてお金とカードを忘れないように袋にしまう。そしてギルドを後にした。

 

 

 

「ミーナ、ちょっといい?」

 

 リリルを見送ってしばらくして、受付が少し暇になった所でミーナは同僚に呼びとめられる。

 

「薬の依頼で罰則がない、なんて、誰の依頼なの?それにFランクのあの子が水色回復薬なんて作れる訳ないじゃない。」

 

 同僚が言ったのももっともだった。回復薬は冒険者が出発前に必ず準備しなければいけないもので、冒険者として仕事をするための必需品だ。だからこそギルドは在庫を切らさないように定期的に依頼を出すし、薬の依頼には特に厳しい期限が設定されてる。そして期限を破ってしまった場合の罰則が納品系の依頼にしては少し重いのが普通だ。

 

「ああ、この依頼は私が出したのよ。」

「……呆れた、どうしてそこまであの子に肩入れするの?」

 

 ミーナの同僚は肩をすくめて言った。ギルドの職員は冒険者に対して公正でなければならない、個人に合った仕事を斡旋はするが、よほどの事がない限り誰かを特別扱いはしないのだ。ミーナがリリルに斡旋した仕事はそう言う意味ではグレーゾーンだった。

 

「ふっふっふ、よくぞ聞いてくれました!」

 

 ミーナは待ってましたと言わんばかりに胸を張って、なぜかリリルとの出会いから話始めた。




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ミーナとリリルの出会い

 ミーナがリリルと出会ったのはほんの数ヶ月前の事だった。その日、ミーナはいつものようにギルドの受付の仕事をしていた。

 

 

 

「はぁ……、今日もむさいおっさんの対応ばっかり、やんなっちゃうわ。」

 

 

 

 交代の時間になってミーナは愚痴をこぼす、今日もギルドの中は人で賑わっていたが、これから交代する同僚の前にある長い列を見てげんなりする。

 

 列にはミーナが言ったとおり、筋肉質の中年が並んでいた。

 

 薬や薬草の納品などで女性との対応もあるし、若い冒険者も沢山いるが、中堅のランクになると厳ついオッサンが多くなるのも事実、それに期限のない簡単な依頼を受ける時は受付を介さず結果だけを証拠品と共に持ってくる場合が多いのだ。だから受付に並ぶのは依頼が終わった者の他に、ある程度難しい依頼を受けようとする中堅所の人間が多い。

 

 いつもと変わらないギルドを見回していると、ミーナの目に見かけない物が映った。真っ黒なローブに大きな三角帽子を被った小さな子だ。入り口の方でおっかなびっくり受付の方を伺っているようだ。

 

 いかにも魔法使いといった姿をしていたけど杖を持っていない。ちょっとおかしいな、と思いながらもいつも通り、前の時間帯を担当している同僚と交代する。

 

 交代して、冒険者への依頼の斡旋や結果の確認をいつもどおりやっていたミーナだったが、冒険者の対応をしている最中も視界の隅っこで何かを伺っているように揺れる黒の三角帽子が気になって仕方なかった。

 

 そしてミーナはとうとう席を立ってその三角帽子に話しかける事にした。無論自分の列は同僚に押し付けてから。

 

 

 

「ねえ、冒険者ギルドに何か用事があるの?」

 

「わわっ、あの、すいません!」

 

 

 

 話しかけられた事にびっくりしたのか、その子はかわいい声でそう言った。そして大きな帽子のつばを少し上げて上目使いで私の顔を見る。

 

 私はその顔を見てしばし言葉を失った。

 

 吸い込まれそうなマリンブルーの大きな瞳。しみ一つない真っ白な肌、整った小さな顔、帽子からほんの少し覗く銀色の絹糸のような髪、黒い帽子とローブで隠れていたけど、彼女が物凄く綺麗な女の子なのがわかった。

 

 

 

「……」

 

「あの……ギルドに登録したいんですが……。」

 

 

 

 少し恥ずかしそうにその子は言った。肌が白いからほんの少し頬が赤くなったのがよくわかる。

 

 

 

「……」

 

「あの…」

 

「ああ、登録ね、新規でいいの?」

 

「はい!」

 

 

 

 少し彼女に見とれて返事が遅れてしまった。

 

 私は彼女を手近な椅子に座らせると登録の書類を持ってきた。

 

 

 

「はい、これが登録の書類、ここに必要事項を記入して、文字は書ける?」

 

「はい、大丈夫です!」

 

 

 

 登録の手続きに緊張しているのか、緊張気味に答える。そしてしばらく少女が使う羽ペンの音が響く。名前はリリルと言うらしい。

 

 

 

「リリル・アナトリス……へぇ、薬の納品を希望してるのね。」

 

 

 

 書き終わった紙を見てミーナは珍しい、と思った。薬を作るには知識と経験がどうしても必要だからだ。でも、この子にそんなものがあるとは思えなかった。

 

 

 

「はい、北地区で薬屋さんをやってるんですが……最近上手くいかなくて……」

 

 

 

 ほんの少し目線を下て少し寂しそうにするそんな仕草もミーナはかわいいと思ってしまった。

 

 ダメダメ、私はギルドの職員、私はギルドの職員……。

 

 小さな体をぎゅっと抱きしめて頭をなでなでしたくなる衝動を何とか抑える。

 

 

 

「そうねぇ、薬を納品するにはそれ相応の品質の物を作れないといけないから……。リリルちゃん、今日は何か持って来てるの?」

 

「はい、赤色の回復薬を持って来ています!」

 

 

 

 そう言って彼女は緊張気味に持っていた皮製の袋から一個の瓶を取り出す。ミーナはそれを手に取って見る。色は澄んだ透明な赤、沈殿物もない上等な回復薬だということが一目でわかった。

 

 

 

「なかなかいい回復薬ね、これなら納品しても問題なさそうよ。」

 

「本当ですか、やったぁ!」

 

 

 

 彼女は本当に嬉しそうに笑った、口から覗く小さな八重歯がとてもかわいらしい。花が咲くような笑顔を見せてくれたリリルちゃんを見て、なんだか心が温かくなった。

 

 それから私はリリルちゃんにギルドでの注意事項を教えた。その時間は自分との戦いだった。真剣な顔で私の話を聞き、時折メモを取る彼女を見ていると、えらいえらいと褒めて頭を撫でてあげたくなってしまうのだ。でも、私は町を支える冒険者ギルドの職員、そんな欲望に負ける訳にはいかなかった。

 

 

 

「以上で注意事項の説明を終わります、何か質問はある?」

 

 

 

 リリルちゃんは頭をふるふると横に振る。

 

 

 

「じゃあ今からギルドカードを作るから、こっちに来てもらえる?」

 

 

 

 私はリリルちゃんを顔写真が取れる魔道具が置いてある場所に連れて行く。

 

 

 

「あの、ギルドカードなら薬師ギルドのカードを持ってるんですが……」

 

 

 

 そう言ってリリルちゃんは木の板で出来ている安っぽい薬師ギルドのカードを取り出す。

 

 

 

「そっか、薬屋さんをやってるんだもんね、ちょっと貸してくれる?」

 

「はい!」

 

 

 

 リリルは懐から大事そうに薄い木の板でできたカードを渡した。

 

 

 

「冒険者ギルドのカードと薬師ギルドのカードは別物なんだけど、自分の身分を証明するって面だと冒険者ギルドのカードが一番便利なの。冒険者ギルドのカードで薬師ギルドのカードの役割を持たせる事も出来るのよ。」

 

「そうなんですか、知らなかったです!」

 

「あと、冒険者ギルドのカードは特殊で、顔の写真を登録しないといけないのよ。それで、写真を撮る時はその大きな帽子を取ってもらうわよ。」

 

「はい!」

 

 

 

 ミーナの言葉に元気いっぱいに答える。ミーナがそう言ったのは、ギルドカードの写真は基本的に顔がわかるものでなければいけないからだ。ランクにもよるが、冒険者は町の外に出て魔物を倒したり、危険な場所で貴重な物を集めたりする死と隣合わせの職業だ。彼らがもし町の外で死んでしまった時、持っているギルドカードが死亡認定などの重要な証拠になったりする。

 

 だから写真など、出来る限り本人を証明できる物が要求される。もちろん、薬師ギルドにも、リリルの持っていた安っぽいカードではなくしっかりとした証明書もあるが、リリルのお店程度には今の安っぽいカードで十分だった。

 

 

 

「ねえ、リリルちゃんはいつもそんなに大きな帽子を被ってるの?」

 

「はい、太陽の光に長く当たってしまうと肌がすごく赤くなってしまうので……、でも、お部屋の中なら大丈夫です!」

 

「そっか……はい、この椅子に座ってちょうだい、あと、帽子は取っておいてね。」

 

 

 

 私がそう言うとリリルちゃんは素直に帽子をとった。そして後ろで纏めてあった髪をほどく。すると絹糸のような艶やかな髪が零れ、それと同時に帽子で影になっていてあまり目立たなかった大きなアクアマリンのような青色の瞳と整った顔がはっきりと見えるようになった。今は建物の中で外のように明るくはないけど、それでも透き通るような白い肌と、光かがやくような髪に息をのんだ。

 

 

 

(姿だけ見ると、どこかのお姫様みたいね……)

 

 

 

一瞬そんなことを思ったミーナだったが、気を取り直して仕事に戻る。

 

 

 

「リリルちゃん、写真撮ります。」

 

「は、はい、お願いします!」

 

 

 

 相変わらず緊張気味のリリルちゃんを尻目に、魔道具のボタンを押す。

 

 魔道具は一瞬光を発してすぐに一枚の紙を吐き出した。

 

 

 

「はい、おしまい。」

 

 

 

 リリルちゃんはぽかんとしていたが、すぐに髪をまとめて、置いてあった帽子をかぶる。

 

 

 

(ああっ、もったいない!)

 

 

 

 大きな帽子と真っ黒のローブに隠されるリリルちゃんの髪や瞳に内心そう思ってしまう、もちろん声には出さない…。

 

 

 

「ギルドカードが出来るまでちょっと待ってね。」

 

「はい!」

 

 

 

 少しは気を許してくれたのか、元気な返事が返ってくる。私はほんの少しうれしい気持ちになった。

 

 それから私はギルドカードができるまで、リリルちゃんとお話をした。

 

 どうしてこんなに若い女の子がギルドに来てわざわざお仕事をするのか気になったので聞いてみると、なるほど、なかなか複雑な事情をもっているようだった。

 

 最初は緊張気味に話す彼女も、会話を交わすうちに明るい笑顔を見せてくれるようになった。話してみると、歳相応の無邪気さを持った普通の女の子なのがわかった。今までの事情をなんでもなかったように話してはくれるけど、きっと大変だったに違いない。

 

 他愛のない話をしていると、ちりんちりんとベルが鳴った、ギルドカードが出来たようだ。

 

 

 

「完成したみたいね、行くわよ。」

 

 

 

 私はリリルちゃんを受付の方へ促す。

 

 

 

「こら、ミーナ、仕事ほっぽりだしてどこ行ってたの!」

 

 

 

 受付で冒険者の対応を忙しそうにしている同僚に怒られる。

 

 

 

「ごめんごめん、もうちょっとで帰って来るから。」

 

「ちょっと!」

 

 

 

 呼び止める同僚の声を背中に、私は出来たばかりの白色のギルドカードといくつかの薬の依頼を持って、待っているリリルちゃんのところに行く。

 

 

 

「はい、Fランクのギルドカードよ、これから頑張りなさい。」

 

「はい、ありがとうございます、あの……。」

 

「ミーナよ、ミーナ・バレンシア、ミーナでいいわ。」

 

「はい、ミーナさん、ありがとうございます!」

 

 

 

 勢いよく頭を下げたリリルちゃんの頭から大きな帽子がはらりと落ちる。

 

 

 

「わわっ!」

 

 

 

 帽子が落ちた事に慌てる彼女を尻目に、私は落ちた帽子を拾って彼女に渡してあげる。

 

 

 

「はい、気をつけなさいよ。」

 

「はい、ありがとうございます、ミーナさん。」

 

 

 

 両手で帽子をぎゅっとかぶり直して、たれ目気味の目じりをもっと下げて嬉しそうに言う。そしてリリルちゃんは初めての依頼を選んで帰っていった。

 

 リリルちゃんはその日からよく夕方ごろにギルドに顔を出すようになった。そして私がいる日はいつも私の列に並んでくれる。厳ついオッサンの対応ばかりしていた私にとって彼女に会えるのはいい仕事の息抜きで、三角の大きな帽子が自分の列に並ぶのを見ると仕事をする元気が出る。

 

 最近では仕事以外でもほんの少しお話する機会が増えたように思う。魔法学校での話、お店での仕事や、他愛のないことを話した。時々自分にもこんなかわいい年下の妹がいたらなと思ってしまう。

 

 

 

「そうよ、いないなら妹にしてしまえばいいんじゃない!」

 

 

 

 ほんの少し前に唐突に思いついた逆転の発想、それから私はあの子に「ミーナお姉ちゃん!」と呼ばれることを目標に日々頑張っているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「……そう、あなたも頑張ってるのね、仕事以外で……」

 

 

 

 一通りミーナの話を聞いた同僚が呆れ顔で言った。実際、リリルがギルドに来るようになってミーナは席を空けがちになっていた。その分仕事が彼女にいくのだからミーナにはちゃんと仕事をしてもらいたい。

 

 

 

「それに、まだまだあるのよ!」

 

「ハァ……またリリルちゃんの話?」

 

 

 

 もう自慢話はいいといわんばかりの同僚にミーナは少し真剣な顔をして言う。

 

 

 

「最近、王都の薬剤師もびっくりな高品質の回復薬がこのあたりに出回ってるって噂があるわよね?」

 

「はあ?それもあの子の仕業だって言うの?」

 

「確証はないんだけど……あの子が薬を持ってくるようになってしばらくしてから、冒険者から薬の作り手を聞かれることが増えたのも確かね。」

 

 

 

 薬などの納品は冒険者の必需品で、ギルドの在庫に関わることは、冒険者の士気や生死に関わる重要な事だ。だからギルドでは必要な量の薬を確保するため、常に依頼を出し、多くのギルド員に依頼している。一方で、そうしてまとまった数を大量に確保しているため、普通は誰が作った薬かは受け取った冒険者もギルドもほとんど掌握していない。そして、ランクの低い者が作った薬などはなおさら分らなかった。

 

 通常、Fランクの作った薬は粗悪品扱いが普通なので、ギルドが簡単に効果があるかを確認するだけ、という場合が多い。その一方で、Fランクの薬は格安になっており、冒険者もそれを承知で余裕がない時はFランクの作った薬を使うことがある。粗悪品前提で買った薬がもし異常なほど高品質な物だったら気になるのは当たり前だろう。

 

 

 

「へえ、あの子がねぇ……」

 

 

 

 同僚はほんの少し真剣な目つきになった。最近はあまり仕事をしてくれないが、ミーナは同僚からは一応は信頼されているのだ。

 

 

 

「そう、って訳だから私がしっかり面倒見ないとね!」

 

「はぁ……」

 

 

 

「私」という所を強調して言ったミーナを見て同僚はため息をつく。まだしばらくはミーナの仕事のしわ寄せが回ってきそうだと思うのだった。



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お仕事とマンドラゴラ

「くちゅん!」

 

 ギルドを出てしばらくして、リリルは小さなくしゃみをした。

 

「うう……風邪かなぁ…最近あまり眠れてないし、気をつけないと。」

 

 薬を納品して手に入れたお金を持ってリリルは食べ物を買いに行く。夕暮れ頃になるとほんの少し安くなるのだ。トマトだけは新鮮な物を食べたいので学校の帰りに買って帰るのだが、トマトだけではとても生きていけない。

 

 夕食と明日のお昼ごはんの分の食べ物を買ったリリルは帰路を急ぐ。近所にはおまけしてくれるお店があるのでとても助かっている。

 

 リリルはふと高級そうな食料品店の前に立ち止まる。そして店頭に並んでいるある商品に目線が釘付けになる。20センチくらいの高さの赤い液体の入ったビン、商品の名前は[濃縮トマトジュース]トマトの絞り汁を煮詰めて作った飲み物らしい。

 

「ダメダメ、あれを買っちゃったらお金がなくなっちゃう!」

 

 大好物のトマトがあんなふうに飲み物になっていて、とても美味しそうに見える。

 

 一度は飲んでみたいと思っているが、とても高価なのでいつも素通りだ。

 

 早くランクを上げてがっぽり稼げるようになって、あのジュースをたくさん買うのが今のリリルの夢だ。

 

「はぁ、もっと頑張らないと!」

 

 食べ物を買ってすっかり少なくなってしまったお金を見る。Fランクが稼げるお金はたかがしれている。あれを沢山買うにはまだまだ道のりは長そうだ。

 

 リリルは頭をふって邪念を振り払い家への道を急ぐ。

 

 

 

「ただいま。」

 

 お店のドアを開け、光る魔道具のスイッチを押す。すると薄暗かった部屋がほんの少し明るくなる。ようやく開店することができたものの、もう太陽は沈んでしまい、辺りもだんだん薄暗くなってきていた。

 

「えっと、今日の注文は……」

 

 リリルはお店の入り口近くにかけている巣箱を開けて中の紙を取り出す。学校に行くようになってから、お昼にお店を開けられないので薬が必要な人には紙にその症状と欲しい薬を書いてもらって後で配りに行くようにしている。

 

「えっと、食堂のおばちゃんは手荒れのお薬……酒屋のおじさんには二日酔いの薬……。」

 

 手早く棚から薬を取り出して革袋に入れる。ほとんどは近所の人に注文された物なので配るのにそれほど時間はかからない。

 

 一通り薬を注文先に配り終えるとお店の周りはすっかり暗くなってしまっていた。お店に戻ってリリルは夕食の準備を始める。夕食と言っても帰りに買ったパンとチーズにお肉屋さんにもらったお肉、今日買ってきたトマトと少しの野菜という質素なものだ。料理が作れない訳ではないが、これから明日納品する薬を作ったり、魔法学校の宿題をやらなければいけない。

 

 リリルは味気ない食事をさっさと済ませ、大きな釜のある部屋へ行く。お店は開けてはいるが、暗くなってしまうとお客さんが来ることはほとんどない。

 

 

「水色の回復薬の作り方は……。」

 

 釜の近くに置いてある分厚い大きな本を開く、その中にはびっしりと薬の作り方が書かれていた。

 

「水色水色……あった!」

「えっと、材料は……マンドラゴラ……マンドラゴラ!?」

 

 材料一覧を見たとたん、リリルは目を丸くする。

 

「どうしよう、マンドラゴラなんてないよ!」

 

 材料にはいつも仕入れに行っている薬草屋さんには売っていないマンドラゴラが含まれていた。マンドラゴラは大根の根っこに手と足がついて、お化けのような顔がある植物だ。

 町の外の森に行けばマンドラゴラはめずらしい材料ではないものの、急に大きな声を出して叫ぶので街中のお店には置けないのだ。

 

「やっぱり……外に出ないとダメなのかな……」

 

 本を見ながら不安そうに言った。町の外に行くために必須な冒険者ギルドのカードは持っているが、外に出れば魔物に会うかもしれない。そしてリリルは魔物と戦った事がなかった。

 

「はぁ……やっぱり早まったかな……でもせっかくミーナさんが見つけてくれた依頼だし……」

 

 一人ため息をつく、でも今回の依頼をこなせれば今よりもう少しお金が手に入る。もしかするとランクを上げる事もできるかもしれない。

 

「う~ん、それに、これから外に出なきゃ仕事にならない事もあるよね……」

 

 外に出るにしても、どんな魔物が出るかわからないしマンドラゴラがどこに生えているかもわからない。だが、これからギルドの依頼を受けるならこんな事はよくあるかもしれない。

 いろいろ考え、結局リリルはこの問題を棚上げにして、いつも売っている薬を作り始める。

 

「えっと、腰がいたいって言ってたおばちゃんにぬり薬と……近くの子がよく怪我をするから……」

 

 リリルの家はその日も夜遅くまで明かりがついていた。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

「はぁ…」

 

 次の日、魔法学校に登校したリリルは帽子を被ったまま自分の机に突っ伏して大きなため息をついた。

 

「どうしたの、リリルちゃん、そんなに大きなため息ついて。」

「あっ、ミアちゃん、お仕事でちょっと……」

 

 リリルに話しかけたのは、後ろの席に座っているミアという女の子だ。魔法学校の生徒は魔力を持つ貴族の子供が多いが、彼女はリリルと同じ平民出身の魔力持ちで、入学した日からリリルとは何かと仲良くやっている。

 ほんの少しウェーブがかった薄い茶色の髪をしていて、たれ目で茶色の瞳を持った優しそうな雰囲気の女の子だ。

 

「お仕事で、何かあったの?」

 

 ミアは久しぶりに見る元気のないリリルに心配そうに声をかけた。

 

「うん…あのね、ギルドで薬の依頼を受けたんだけど……作る材料が手に入らなくて……町の外に出ないといけないかなって……」

 

 リリルは昨日あった事を話す。

 

「町の外って!リリルちゃん、危ないよ!」

「うん…だけど…これからギルドのお仕事を受けるならやっぱり必要なことかなって……」

「そうかもしれないけど……一人で行くなんて絶対やめてよ?」

「うっ…わかってるよ、ミアちゃん!」

 

 本当に心配そうに話すミアを見て、リリルは後ろめたさから目を逸らしてしまう。その雰囲気を察したのかミアは真剣な顔をする。

 

「一人で行くなんて、絶対ダメだよ!」

「でも…冒険者なんて雇えないし……」

「リリルちゃん、冒険者じゃなくてもいいんじゃない?」

「……そっか!大人の人についてきてもらえばいいんだ!」

「そうだよ、来てくれそうな人はいる?」

「えっと、近所の酒屋のおじさんに鍛冶屋さんの親方……」

 

 知り合いの大人の人を指折り数えるリリル、喧嘩の仲裁で生傷が絶えない酒屋のおじさん、やけどをよくしている鍛冶屋の親方、思い浮かぶのはどれもよく薬を届ける人ばかりだ。名前を挙げているうちに、途中で間違いに気づいてまた机に突っ伏す。普通に考えて仕事で忙しい酒屋のおじさんや鍛冶屋の親方がついて来てくれるはずがないのだ。

 

「だ~め~だ~!」 

「うるさいぞ、薬屋の娘!」

「ごめんなさい!」

 

 前の席の男の子から怒られ、リリルはびくりと身体を震わせて声のする方へ謝った。

 

「まったく、これだから平民は…。」

 

 男の子は不機嫌そうに言う。きらりと光るプラチナブロンドの髪に、幼さを残しつつも精悍な顔つき、着ているものは見るからに上質で一目で庶民でないことがわかる。

 学校に通い始めて数ヶ月が経ち、学校に通っている人の人となりが分かり始めたリリルはふと思いつく、確か前の席の子は騎士科の科目も取っていたはず。

 

「あっ…あの!」

「何だ、平民」

「うぅ…何でもないです……。」

 

 ひと睨みされてリリルは言おうとした言葉を飲み込んだ。元気なく椅子に座り込んだリリルにミアは優しく声をかける。

 

「リリルちゃん、元気出して、私も何とかしてくれそうな人、探してみるよ。」

「うん…ありがとう、ミアちゃん!」

 

 結局その日の授業は手につかず、先生にボーっとしている所を怒られてしまうのだった。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

「はぁ……」

 

 家に帰ったリリルは一人大きなため息をついた。今日で何回目のため息かわからない。結局いい方法は思いつかなかったし同じクラスで剣術を習っている騎士科の学生は貴族出身の人ばかりで話しかけられなかった。

 

「やっぱり一人で行くしか……」

 

 あのあと、ギルドで色々話を聞いたところ、町を出て近くの森までは木の棒で倒せるような魔物しかいないそうだ。ミアにはああ言われてしまったが、弱い魔物しかいないなら自分だけでも何とかなるかもしれない。それに、忙しそうに働いている大人の人にわざわざ来てもらう訳にはいかない。

 

 

「明日、お店はお休みにして外に行ってみよう。」

 

 そう決心してリリルは仕事を手早く済ませ、早めに床についた。



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外に出るには

 次の日は学校はお休み、少し早めのお昼ご飯を食べてリリルはさっそく行動を始めた。外に出るのに必要そうな物を小さなバックに詰め、最初は武器の調達だ。行先は大工の親方の所だ。

 

「こんにちは!」

「おう、リリルちゃんか、そっちから来るなんて珍しいな、どうしたんだい?」

 

 日焼けした坊主頭の筋骨隆々な大男が店の奥から出てくる。この大工の親方もよく弟子を使ってリリルのお店に打ち身や傷に効く薬を買いに来るのだ。

 

「あの、親方さん、これくらいの長さの固い木の棒ってありますか?」

「あるにはるが、……そんな物どうするんだ?」

「えっと、あの……」

 

 急に厳しい表情になった親方に驚いてリリルは上手く言葉を返せない、目が明後日の方向に泳いでしまう。

 

「まさか、町の外に行こうなんて考えてないか?」

「ち、違います、外に出るために武器の練習をしようと思って!!」

 

 思っていた事を簡単に言い当てられたリリルはあわあわと言い訳をする。

 

「つまり、外に出ようとしていたのは否定しないんだな?」

「はい……。」

 

 消え入りそうな声でリリルは答える、優しいけど怖い顔の親方に凄まれて隠し事ができるほどの度胸は持ってなかった。

 

「まったく、危なっかしいな、ちょっと待ってろ。」

「ジル、ちょっと来い!!」

 

 親方は工房の奥へ向かって大声を出す、すると奥から男の子が出てくる。

 

「親父、なんだってんだよ!」

「馬鹿野郎!店では親方と呼べ!」

「へいへい、親方、なんだよ。」

 

 ジルと呼ばれた少年は不機嫌そうに返事をする。そして店先に来ているリリルの姿を見て目を丸くする。

 

「げっ、リリル!」

「ジル、仕事だ、リリルちゃんが町の外に出たいそうだ、案内してやってくれ。」

「ええ、なんで俺が!」

「馬鹿野郎!近所の女の子が困ってたら助けてやるのが男だろうが!」

 

 親方は大きな声で怒鳴る。

 

「……わかったよ!」

「あの、そこまでご迷惑をかける訳には……」

 

 ジルの乗り気でない様子を見たリリルは目の前で勝手に進んでいく話しを何とか止めようとするが……。

 

「オイ、ちょっと裏に来い。」

 

 親父はジルの首根っこを掴んで奥に連れて行く。

 ジルはリリルが苦手な訳ではない、ただ昔リリルに飲まされた薬である種のトラウマを植えつけられてしまったため、ついこういう態度になってしまうのだ。

 

「おい、いいか、あの歳であんなに働き者の子はなかなか見つからんぞ、ウチで一番歳が近い三男坊に生まれた事に感謝してしっかり面倒を見てやれ!」

「はあ!?」

「ウチの子供は男しかいねえ、お父さんはなあ、お父さんはなあ、あんな娘に薬を渡されて、『今日も頑張ってパパ』って呼ばれたいんだよ、わかるか!」

「………」

 

 目が点になったジルを後目に親方は続ける。

 

「なのにお前らときたら持ってくるのは蛇やカエル、挙句の果てにはスライムだ!いたずらばかり覚えやがって、ちっとはリリルちゃんを見習って仕事を覚えやがれ!お父さんは悲しいぞ!」

(仕事場では親方って呼ぶんじゃねえのかよ!)

 

 ジルは喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

 

「俺に娘が出来るかどうかはお前に掛かってると言ってもいい、頼む!」

 

 ジルの父親はジルの前で両手を合わせる。ジルは父親の様子を見てもう自分が何を言っても無駄だと、しぶしぶ頷いた。

 

「ちぇっ……また変な薬飲まされなきゃいいけど……。」

 

 言う事だけ言って仕事場に戻って行く親方を後目に、ジルは倉庫に置いてある装備を取りに行った。材木屋は木材を調達するため近くの森に行く事もある。門をくぐって町の外に出るのは同世代の年齢の子供に比べれば慣れているのだ。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 それから、遠慮するリリルを主に親方が説得して、ジルとリリルの二人は一番近い門を目指して歩き始めた。

 

「で、どうしたんだ?外に行きたいなんて。」

「ギルドの依頼を受けたんだけど、依頼されたお薬の材料が手に入らなくって…。」

「お前なぁ、ちゃんと考えて依頼を受けろよ、冒険者の常識だぞ。」

「うん…ごめんなさい……。」

「俺に謝ってもしょうがないだろ…。」

 

 しょんぼりして謝るリリルにそんな言葉しか返せない自分にもどかしさを感じるジル、でもどうすればいいのかわからずに二人の間には気まずい空気が流れる。

 

 「見えたぞ、あれだ。」

 

 そうこうしているうちに二人は目的地に到着する。町を囲むように作られた石作りの壁には、東、南、北、西のそれぞれに門が作られている。ジルがよく使うのは家から一番近い北側の門だ。北側の門は森には近いが街道からは遠いため、4つの門の中でいちばんこじんまりとしている。

 

「ほら、通るぞ、カードを出せよ。」

「えっ!?う、うん!!」

 

 リリルは言われるがままにごそごそとローブのポケットからギルドカードを取り出す。一方ジルは首にかけたカード入れをシャツの中から取り出す。

 

「これを門番に見せて通るんだよ。」

 

 そう言って戸惑うリリルを後に門の方へ歩いていく。門には二人の兵士が立っていた。

 

「お、材木屋ん所の倅じゃねえか、どうした、今日も木の調達か?」

「違うよ、今日は…ちょっと外に用事があるんで……。」

 

 口ひげを生やした気のよさそうな門番に声をかけられ、ジルは歯切れ悪く答える。よく仕事でこの門を通るジルは一応は門番に顔を知られているのだ。

 いつもと違うジルの答え方にほんの少し困惑気味の兵士はジルの背中に隠れるようにしているリリルに目線を移してニヤリと笑った。

 

「へぇ、じゃあ後ろの嬢ちゃんとデートかい?」

「ちっ、違うよ!コイツの頼みで外に採集に行くんだよ!」

 

 つい大きな声を出してしまったジルを兵士はニヤニヤと見る、ジルはほんの少し顔が赤くなっていた。

 

「ほら、リリル行くぞ!」

 

 リリルの手を取って足早に門をくぐろうとしたジルの前に門番が立ちはだかる。

 

「おっと、ギルドカードの提示は確実にな。」

「ちぇっ、いつもは仕事しない癖に。」

 

 ジルは不満そうに口を尖らせて門番に緑色のカードを見せる、リリルもジルに習ってFランクの白色のギルドカードを兵士に見せる。

 

「はい、行ってよし。」

「あの、ありがとうございます。」

 

 ふいにお礼を言われた兵士は目を丸くした、そしてしばらくしてリリルの頭を帽子の上からポンポンと叩く。

 

「はっはっ!礼儀正しい冒険者さんだ、気をつけてな。弱いとは言っても魔物は出てくるからな。」

「はい!気をつけます!」

 

 リリルは緊張気味に答える。魔物のことはギルドの本で少し勉強した程度で本物をまだ見た事がない。子供でも倒せるほど弱い魔物しかいないらしい事はわかったけど、やっぱりほんの少し怖いのだ。

 

「いざとなったらこの坊主を魔物の餌にして逃げるんだな。」

「おっさん、冗談になってねえよ!!」

「はっはっはっ、悪かった、坊主も気を付けてな。日が暮れるのは5の鐘あたりだからそれまでに帰ってこいよ。」

 

 これ以上ここにいるともっとからかわれそうだと思ったジルはさっとリリルの服の袖を掴んで門のほうへ早足で歩き出した。そんな二人を門番の二人は温かい眼差しで見送った。

 

「はぁ、いいなぁ、あのボウズあんな子と知り合いだったなんて、オレにもあんな子がいれば人生もっと楽しかったんですけど……」

 

 若い兵士がため息をついて言った。

 

「なんだ、知らないのか、あの子は魔女バアサンの娘だ、北町界隈では結構有名だぞ。」

「魔女バアさんの娘!?本当ですか!!」

「ああ、本当だ、本当の娘かどうかは分からんがな。」

「そりゃそうっすよ、あんな年寄りにあんな若い娘がいるわけありませんよ、どこかの貴族様の子供を攫ったんじゃないんですか?」

 

 冗談半分に若い兵士が言う。

 

「いや、案外ありえる話しかもしれんぞ、何たってあの子は魔力持ちらしいからな。」

「へえ、じゃあやっぱりその線ですかね。」

「でも、そんなの俺たちには関係ないことだよ。触らぬ神に祟りなしだ、下手に嗅ぎまわったりしてみろ、魔女バアサンに実験台にされるか鍋で煮られちまうぞ。」

「魔女バアサンって死んだんじゃないんですか?」

「あのバアサンが死ぬと思うか、死体もギルドカードも見つかってないのに?」

 

 リリルの祖母は数年前に行方不明になり、それからまったく消息が掴めなかったため一応は死んだという事になっている。

 だがその事を信じている人間は近所にはあまりいない。

 

「怖いこと言わないでくださいよ、でも魔女バアサンの関係者に手をだしたりしたら実験台にされてもおかしくありませんね……。」

「だろ?」

「はい。」

「だからこの話はこれで終わりだ。」

「そうっすね…。」

 

 面倒事には手を出さない、それが兵士として長生きする秘訣、そう思い余計な考えを振り払って二人は元の門番の仕事に戻った。



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採取と少年の見栄

「おい、もうすぐ外だぞ。」

「う、うん!」

 

 ジルの後についてリリルは門の外に出る。

 

「わぁ……」

 

 門の外に出たリリルは思わず声を漏らした。コストゥーラの町は周囲より少し小高い盆地の上にあり、なおかつ高い城壁に囲まれている。そのせいで町の中にいる人は町の外がどんな風になっているのかを見るには外に出るか城壁より高いところに登るかの二つの手段しかない、つまり町の中で普通に生活していると、外の景色を見る機会はほぼないのだ。

 リリルにとっては城壁越しでない風景を見るのは始めての事で、外の風景を見て興奮を隠しきれなかった。

 

「すっごい、すっごいよ!ジル!」

「そんなにはしゃぐ事でもないだろ。」

「だって、だって、外がこんなになってるなんて知らなかったんだもん!」

 

 リリルは遠くに見える山々や、はるか彼方まで広がる平原、生い茂る森を見て興奮気味に話す。

 

「はぁ?お前、そんなんで外に出ようとしてたのか……。」

「うぅ、それは言わないで……」

 

 リリルは顔を赤くして恥ずかしそうにうつむいた。

 

「でも、ジルってすごいんだね!」

「何が?」

「Eランクの冒険者って、私よりもいっこランクが上だよ!」

「ふん、Eランクなんて誰でもなれるよ。」

 

 尊敬の眼差しで見られ、ジルは目を逸らして素っ気無く答える。

 

「そっかな、私なんて頑張ってるけどFランクだよ!」

 

 リリルは自分の真っ白なギルドカードを見せる。

 

「リリル、ギルドカードもらってからどれくらい経つ?」

「えっと……3ヶ月くらいかな……」

 

 突然聞かれたリリルは小さな指を一つ二つと折って数える。

 

「俺は2年前だ、俺の方が早いんだから俺が上で当然だろ。」

「ジルって2年の前から冒険者だったんだ、知らなかったよ!」

「冒険者なんて自慢するような仕事でもないからな、言わなかっただけだ。」

 

 リリルにきらきらした目で見られ、何だか恥ずかしくてジルはまたそっぽを向いた。

 

「それに、冒険者はみんな言ってるけど、Cランクまでなら誰でもなれる、そっからが大変なんだよ。」

「そうなんだ、私なんかDランクでも、難しそうだよ。」

「まあ、俺みたいな三男坊は家を継ぐ訳にもいかないし、冒険者か兵士になって名をあげるしか出世の道はないからな。これから頑張ってランクを上げてすっごい冒険者になってやるんだ!」

「すごいなぁ、ねえ、もしすっごい冒険者になってどこか遠くにいくことがあったら一緒に連れてってよ!」

「はぁ?」

「私、学校で習ったんだ!この町よりももっともっと大きい王都っていう町や川をずっとたどって行くと海っていう大きい川があって、それにね、冷たくて白い雪っていう雨が降るところもあるんだって!」

 

 少し興奮気味に話すリリル。

 

「お前なあ、学校で習わなくても、そんなの誰でも知ってるぜ、魔…バアサンは教えてくれなかったのか?」

「おばあちゃんは薬の作り方は教えてくれたんだけど……、外の世界は自分の目で確かめろって言って教えてくれなかったんだ。」

「そっか、バアサンらしい気もするな、でも遠くに出るのはリリルがもっと大人になってからだな。」

「そんな、私そんなに子供じゃないよ!」

 

 リリルは唇を尖らせて抗議する。

 

「じゃあ、Fランクの冒険者の基準とルールは?」

「登録したての……未成年……」

 

 リリルの声は尻すぼみになっていった、冒険者で未成年と明確に記載されているのはFランクだけ、一方で未成年でもある程度の依頼をこなすとEランクになれる。

 

「ほらな。」

 

 しゅんとなったリリルを見てジルは悪戯そうに言った。

 

「でも、自分でご飯だって作れるしお洗濯だって出来るよ。それにジルと違って一国一城の主だよ!」

「お前の大人の基準って何だよ……。」

 

 ジルはあきれたようにつぶやく。それにリリルはまた抗議をするといったふうに、2人で話しているうちに目的地の森の入り口についた。

 

「ここがいつも木材を調達しに来てる森だ、こっからは弱いけど魔物が出るから気をつけろよ。」

「う、うん!」

 

 リリルは手に持っている木の棒をぎゅっとにぎりしめて、ジルの言葉に返事をした。

 

「じゃあ行くぞ、今日は親父もいないから目的の物を見つけたらとっとと帰るんだぞ。」

「うん、わかった!」

 

 リリルがうなずいたのを確認してジルは森に続く道に入っていく、森の入り口は人が木を伐採した跡があるためか、日の光が差し込んでおり、それほど暗くはなっていない。

 

「……」

「……」

「ひゃぁ!」

 

 二人が森の中を歩いていると、突然茂みの方からガサリという音がしてリリルは声をあげる。

 

「ジル、何か動いたよ!」

「ああ、どうせホーンラビットか何かだろ、あいつらはよっぽどの事がない限り襲ってこないから大丈夫だ。」

「さっきも言ったろ、この辺りは子供でも倒せる弱いやつらしかいないぜ、何ならスライムでも倒してみるか?」

「へっ?魔物を倒すの?私が?」

 

 リリルは狐につままれたような顔をした。

 

「当たり前だろ、冒険者なんだから魔物の1匹でも倒せなきゃ話にならないぜ。」

「……わかった、やってみる!」

 

 リリルはほんの少し考えるような素振りをして、真剣な目でジルに返事をした。今まで魔物なんかにはほとんど縁がない生活をしていたリリルにとってはある意味一大決心だった。

『でも、ジルの言ったとおり冒険者なら魔物の一匹や二匹倒せないとだめだよね……』

 リリルはギルドの依頼掲示板の様子を思い出す。

 掲示板には魔物の討伐依頼がたくさんあった。それに高額依頼の多くが強そうな魔物から素材や魔石を回収する、といった内容のものだった。そして、ギルドは依頼のあるなしに関わらず常時魔物から取れた素材の買取を行っている。

 そう考えると、冒険者なら魔物をやっつけられたほうが当然お金は手に入るしランクだって早くあげられるはずなのだ。

 

「まあ機会があったらな、で、探し物は?」

「えっと、マンドラゴラっていう植物の根っこなんだけど、ジルは聞いたことある?」

「ああ、親父には叫ばれたらやっかいだから近づくなって言われてるヤツか、それならあっちの川の近くにたくさん生えてるよ。」

「ほんと、やったぁ!」

 

 森に入って早くも目的の材料が手に入りそうな予感にリリルは喜んだ、そんなリリルの様子を見てジルは眉をひそめる。

 

「あんなの何に使うんだよ、採るのは危ないし不味くて食べ物にもなんないじゃん。」

「えっとね、それを材料にして依頼のお薬を作るんだ、冒険者らしいでしょ!」

 

 リリルは胸を張って答える。

 

「……まあそうかもな。」

 

 ジルは嬉しそうに胸を張るリリルに投げやりに返事をする。過去の経験からジルはリリルがギルドに薬を卸している事が信じられなかった。

 

「でも、どんな薬か知らないけど笑いが止まらなくなるやつとか髪が抜けるやつはやめてくれよ。」

「そんなの作らないもん!」

 

 リリルは唇をとがらせて抗議する。それからしばらく歩くと、森の中で少し開けた川が流れる広場に出た。

 

「時々使ってる休憩所だ、マンドラゴラならこの辺にたくさん生えてるから気をつけろって前に親父が言ってた。」

「うん、わかった、探してみるね!」

 

 リリルはそう言って持って来ていたリュックから図鑑を取り出してめくり始める。

 

「じゃあ俺は見つかるまで昼寝してるから、何かあったら呼んでくれ。」

「ええ!一緒に探してくれないの?」

「何でそこまでやんないといけないんだよ、俺だって帰ったら自分の仕事があるんだから休んだっていいだろ。」

「それは……そうだけど……。」

 

 リリルは小さな声で呟いた。

 

「あんまり遠くに行くんじゃないぞ、あとこの川は渡るなよ。」

 

 ジルは広場の前を流れる川を指差したあと、バックから取り出してきた敷物を敷いて昼寝の準備を始めた。

 

「もー!ジルの手伝いがなくたって大丈夫だもん、たくさん採って驚かせてやるんだから!」

「おう、頑張れ。」

 

 ジルは横になったまま片手をひらひらと振って答えた。

 

「もう!」

 

 そんなジルの態度にリリルは頬を膨らませる。そして意地になったリリルは一人で川辺に採集に行った。

 

 

 

「行ったか……。」

「しょうがねえじゃん、魔力がねぇんだから……。」

 

 薄目でリリルが離れて行くのを見ながらジルは呟いた。

 リリルが言っていたマンドラゴラという植物は確かに珍しい植物ではない。だが珍しくないと採集できるかどうかは別問題なのだ。魔力のない人間が何の対策もなしに引っこ抜いてタイミング悪く叫ばれたりしたら死ぬ事はないにしても気絶してしまうかもしれない。

 森の中で気絶してしまうと命に関わるのだ。だから魔力のない人間は極力マンドラゴラには近づかないようにしている。

 魔力のない人間でも耳栓をするなど対策をしていれば手伝えないこともないのだけれど、下手に手伝ってもしもリリルにかっこ悪い所を見られたら困る、とっても困る。

 手伝いたい気持ちもあるが、年下の女の子にかっこ悪い姿は見せたくない、男心は複雑なのだ。



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はじめの魔物

 一方、一人で森に入ったリリルは家から持ってきた手のひらサイズの図鑑を片手に歩いていた。

 

 

「えっと、マンドラゴラ……川や池の近くのじめじめした所に生える……抜く時は……耳栓をわすれずに……。」

「ふんふん、根っこの色が赤、青、黄色、紫、白、緑の6種類がいる……」

「う~ん、どれが必要なんだろう?」

 

 6種類あると知って首をかしげる。

 

「うん、でも考えてもしかたないよね、とにかく探さないと!」

 

 それから近場のじめじめした所、茂みの奥や岩陰をおっかなびっくり探し始める。

 しばらく茂みを掻き分けていると、ぼたりと何かが落ちてくる音が背後から聞こえてきた。。

 

「ひゃあ、な、なに!?」

 

 おそるおそる後ろを見てみると、緑色のぬめぬめしたものが木の枝に引っかかってうごめいている。

 そして、緑色のぬめぬめした物はリリルの視線に気付いたのか、地面にどさりと落ちてきた。

 

「ま、魔物なの!?た、倒さないと!」

 

 リリルは震える手で木の棒を構える。一方、緑色のぬめぬめしたもの、スライムはゆっくりとリリルのほうに向かってくる。

 

「えい!えい!」

 

 形を変えながら近づいてくるスライムを木の棒で叩く、だがスライムはそんなのお構いなしにリリルに迫る。

 

「もう、こっちに来ないでよ!・・・わぁ!」

「痛たたたた……。」

 

 距離を保とうと、後ろにさがりながらスライムを叩いていたリリルだったが、木の根っこに足を引っ掛けて尻餅をついてしまう、その隙にスライムはリリルの左足を捕らえた。

 

「う…あぅ……」

 

 ねっとりとした気持悪い感触が左足から伝わる、必死に右足で蹴るが全く離れてくれない、なんとか逃げようとするが、今度は蹴ったほうの右足もスライムに絡みつかれてしまった。

 

「もう、離れてよ!」

 

 何とか逃げようともがくけれどスライムはお構いなしにリリルの体をのぼってくる、太ももからいよいよ臀部まで登ってきたスライムの感触に鳥肌がたつ。

 

「助けてー!」

 

 スライムの感触にリリルは半泣きで助けを求める。

 

 

「リリル!」

「ジ、ジル!?助けて!」

「ちょっとジッとしてろよ、すぐに助けるから。」

「リリル、核が見えないからマント取るぞ。」

「えぇ、か、核?」

 

 状況がつかめていないリリルをよそにジルはリリルのローブに手を伸ばし、めくる。

 

「ひゃあ!」

「動くな!」

 

 ジルは真剣な顔でスライムの核を探す、そして片手に持っていた短剣でスライムの中にある黒い核を取り出した、するとさっきまで動き回っていたスライムは嘘のように動きを止めた。

 

「ほら、もう大丈……。」

 

 もう大丈夫と言おうとして固まる、不可抗力とはいえローブを盛大にめくってしまったからだ。分厚いローブの下は体が熱くなりすぎないために薄着をしている。それがスライムの体液でじっとりと濡れていて思春期の少年にはほんの少し刺激的な光景になっていた 。

 

「うぅ……ありがとう……。」

「ご、ごめん!」

「……?」

 

 ジルは一言いうとリリルに背を向ける、ジルの耳はゆでだこのように真っ赤になっていた。そして、なぜジルが謝るのかわからないリリルは首を傾げる。

 

 

「な、なんでもない、それより目的のものは見つかったか?」

「ううん、まだなんだけど……もうちょっと探してみるね。」

「あ、あぁ、それよりスライムにやられて気持悪くないか?」

 

 ジルにそう言われてリリルは改めて自分の姿を確認する、着ているマントだけでなく、その下に着ている服までスライムの体液でぐしゃぐしゃになっていって、とても気持ち悪い。

 

「…やっぱり先に洗ってくる…気持ち悪い……。」

「そ、そうだな、休憩所に戻って洗うか、それが終わったら今度は一緒に探してやるから!」

 

 服やマントについたスライムの体液の感触に半泣きになりながらリリルは立ち上がる。そして川の近くの休憩所に戻った。

 

 

 

 

「ジ、ジル、……あんまり遠くに行かないでね……。」

 

 休憩所についたリリルが不安そうにジルを見て言う。

 

「わ、わかってるよ、俺はその木の後ろで座ってるからさっさと洗ってこいよ。」

「う、うん絶対そこにいてよね!」

 

 リリルは真剣な表情でジルに釘を刺して着ている大きなローブを脱ぐ。一方ジルは急にマントを脱ぎ始めたリリルを見て慌てて見ないように木の陰に隠れた。

 そうしてしばらく水音がぱしゃぱしゃとリリルが体を洗う水音があたりに響く。

 

「ジル…、いる?」

「ああ、いるぞ。」

「あの、さっきは…ありがと……。」

「え、何て?」

 

 ほんの少し勇気を出して言った言葉はジルには聞こえなかったようだ。

 

「あの、助けてくれて…ありがと……。」

「ああ、いいってことよ!」

「……」

 

 それからまたぱしゃぱしゃという水音だけが二人のあいだに響く。

 

 

 

 一方のリリルは川辺でマントをさっと洗って服を着たまま川に入っていった。ジルが覗くとは思わないけど外で服を全部脱ぐのは恥ずかしい。

 川の水は思ったよりも冷たくて思わず身震いをしてしまう。

 胸のあたりまで水につかったところで、今度は自分の体と服についたスライムの体液を落とす。洗うたびに体についたスライムの体液が肌の表面を流れる感じがして少し気持悪い。

 

「はぁ……。」

 

 リリルは手を動かしながらため息をつく、弱い魔物しかいないとは聞いていたけど、子供でも倒せると聞いていたスライムに負けそうになってしまった。もしジルと一緒に来ていなかったらどうなっていたんだろうか。

 助かって安心したからか、さっきスライムに襲われた時の恐怖がよみがえってくる。

 

「甘かったな…私……。」

 

 頬から一滴の雫が水面に落ちる。

 

「向いてないのかな、冒険者なんて……。」

「魔力だって、上手く使えないし。」

 

  その小さな声は水の音に溶けていく。リリルは魔法学校に通ってはいたけど同級生のみんなが出来るような初級魔法すら上手く使えなかった。検査で魔力があるのは確認されていたが、どの属性の魔法もさっぱりで、これには学校の先生も首をかしげるばかりだった。

 

「うぅっ……。」

 

 目にはいつの間にか涙があふれていた。それに気付いたリリルは慌てて顔を川の水につける。

 

 

「ダメダメ、もっとがんばらないと!」

 

 川の水から顔を上げたリリルはばしばしと自分の頬を両手でたたく。

 

「働かざる者食うべからずだもん、それに……」

「おばあちゃんが帰ってくるまでお店を守るんだから!」

 

 リリルは赤くなった両目をがしがしとこすって川から上る。先に洗ったマントをぎゅっとしぼると水がぼたぼたと落ちた。服は濡れてしまったけど、脱ぐ訳にはいかないので出来る範囲で水を切ってあとは冷たいのを我慢する。

 何とかそれらの作業を終えてふとあたりを見回すと茂みの中に緑色の何かがもぞもぞと動いているのが見えた。

 

「ジ、ジル!来て、来て!」

「なんだよ…ってまたスライムか。」

 

 木の陰から顔を出したジルは気だるそうに緑色のスライムを見る。

 

「いい機会だから自分で倒してみな、俺はここで見ててやるからさ。」

 

 そう言ってジルは木の棒をリリルの足元に放り投げた。

 

「で、でも……。」

「いいか、スライムは核さえ潰せれば倒せる、よく見て核だけを狙うんだ。冒険者なんだからスライムぐらい倒せないとやってけないぞ。」

「う、うん、わかった、やってみる!」

 

 決心して足元にある木の棒を拾う。

 さっきの恐怖を思い出して身震いしてしまう。その恐怖を押し殺して、足音を立てないようにゆっくりとスライムに近づく。

 スライムはこっちに気が付いてないようで、さっき襲われた時のようにどろどろになっておらず、透明な球形になっていてまん中に握りこぶしくらいの黒い玉が見えた。きっとあれがジルが言っていた核なんだろう。

 しっかりと狙いを定めて黒い玉に向かって棒を振り下ろす。

 棒の先に黒い塊が当たる確かな手ごたえがあった。

 するとスライムはベシャッという音と一緒にどろどろに溶けていった、棒でつんつんしてみても全く動かない。

 

「た、倒した?」

「やったな、餌を食ってる途中のスライムだったけど。」

 

 ジルが後ろで声をかけてくる。

 

「餌?」

「スライムは餌を食べる時は球形になって獲物の上に乗ってゆっくり溶かしながら食べるのさ、その時が一番倒しやすいんだ。スライムの下に動物の死体みたいな餌になるような物があるはずだぜ、運がよければ魔石が手に入るかもな。」

「うん、探してみるね!」

 

 ジルに教えられてさっきまでいた場所を手に持っている棒で探ってみる。

 

「……ねぇ、ジル?」

「なんだ?」

「人間ってスライムに食べられることって、ある?」

「あるよ、森の中で気絶したりしたらそれこそスライムのいい餌だぞ」

「……じゃあ……この子……死んでるのかな……」

 

 スライムの下にいたのは泥だらけでよくわからないけど、よく見ると自分たちより少し大人な人間のようだった。

 

「はっ、はあ!?」

 

 ジルが慌てて駆け寄って来て倒れている子を抱き起こす。

 

「息はしてる、大丈夫だ、生きてる!」

「おい、大丈夫か、おい!」

 

 ジルが何度か呼びかける。

 

「う…ん……」

「おい、大丈夫か?」

 

 うっすらと目をひらいたその子は唇を動かす。

 

「こ……ここは?」

「コストゥーラの町外れの森だ、何があった?」

「コストゥーラ?」

「そうだ、大丈夫か?」

「……」

 

 その子は糸が切れた人形みたいにぐったりしてしまった。

 

「大変だ!!リリル、帰るぞ!」

「えぇ!この子を置いてくの!?」

「ばか、連れて帰るんだよ!」

 ジルは立ち上がって鉈で素早く手近で丈夫そうな枝を2本切り出した。

 

「リリル、ちょっとローブ貸してくれ!」

「えぇ、何に使うの!?」

「担架を作るんだよ、俺一人じゃ町まで運べないだろ!」

 

 それからジルは自分の上着とリリルのローブ、そしてさっき切り出した木の枝を使って簡単な担架を作り始めた。

 

「これに乗せて町まで運ぶんだ、ほら、そっちを持てよ!」

「わかった!」

 

 そうして二人は倒れていた子を担架に乗せて町へ急いだ。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 倒れていた人を担架に乗せて来た道を走る、しばらくすると森を抜けて町の外壁が見えて来た。

 

「ふう、ここまで来ればあと少しだ、少し休んでいこうぜ。」

 

 森を出たところでジルは担架をおろして水筒を取り出した。

 

「はぁ、はぁ、そ、そうだね…、ここまで来れば……。」

 

 リリルも荒くなった息を整えながら座る。

 

「でも、この子…どうしてあんな所で倒れてたんだろう……?」

「さあな、帰って目を覚ましたら聞いてみようぜ。」

「うん…そうだね……。」

「ほら、水だ、飲めよ。」

「わわっ!」

 

 ジルが渡そうとした水筒をリリルは取り落としてしまう、そして水筒の水が担架に乗っている子の顔に盛大にかかった。

 

「ばっか、何やってんだ!」

「ごめんなさい!」

 

 起こしてしまったのではないかと、恐る恐る水がかかってしまった子を伺う。

 

「よかった、起きなかったみたいだ。」

「……ねぇ、ジル、この、子耳がとがってない?」

「そんな訳ねえよ、耳がとがってるのはエルフ族だけだぞ、そんなのがこんな所に……。」

 リリルに言われたジルも、改めて見てみる。

 

「ほ、ほんとだ、この子ってもしかして……」

「「エルフかも!!」」

 

 二人の声が重なった。



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人助け

「どうする?」

 

 

 

 珍しくジルがリリルに意見を求める。

 

 

 

「どうするって言われても、連れて帰るしかないよ!」

 

「そ、そうだよな、こんな所に置いてはいけないし……。」

 

 

 

 ジルもリリルもめったに見る事のできないエルフを見てとまどい気味だ。

 

 

 

「エルフは亜人っていう種族分けになるから簡単には門を通れないんだよ、何とかして通れる方法を考えるぞ!」

 

「う、うん!」

 

 

 

 門はすぐそこ、ここからなんとか人一人を門番に見つからないように町の中に運ばないといけない。

 

 しばらく二人は考え込む。

 

 

 

「ねぇ、何か思いついた?」

 

「いいや、そっちは何か思いついたのか?」

 

「えっと、ジルがこの子を背負って荷物ですって言って門を通ればいいんだよ!」

 

「………」

 

 

 

 ジルは無言でリリルの頭をぽかりとたたいた。

 

 

 

「いたっ!」

 

「真面目に考えろよ、そんなことしたら一発で見つかるだろ。」

 

「真面目に考えてるよぉ~」

 

 

 

 リリルは叩かれた場所をさすりながら涙目で訴える。

 

 そんな時、町の方から大きな鐘の音が5回鳴り響いた。

 

 

 

「やばい、もうすぐ門が閉められちまう!」

 

 

 

 5の鐘が鳴ったということは間もなく日没になる。そうなると城の門は閉められそれ以降は入門チェックが更に厳しくなってしまう。

 

 

 

「しょうがない、それしかないか一か八かだ!」

 

 

 

 ジルは手持ちのバックから昼寝に使った毛布を取り出しエルフの子が外から見えないようにした。

 

 

 

「いいか、いまからこれを今日採取した薬草と思うんだ!」

 

 

 

 布をかぶった手作りの担架を指差してジルは言った。

 

 

 

「えっ?」

 

「荷物としてこっそり運び込むんだよ、いいか、これはエルフなんかじゃなくて今日採ってきた薬草や材木だ!」

 

 

 

 ジルは頭に?マークを浮かべているリリルに言った。

 

 

 

「いいか、これは荷物だ。」

 

「これは荷物?」

 

「そうだ!」

 

「うん、わかった、これは荷物!」

 

「よし、行くぞ!」

 

 

 

 そう言って二人は再び担架を持って町の門に急いだ。

 

 

 

「止まれ!」

 

 

 

 門に近づいて来たところで鎧を身に付けた門番が声を出す。出た時の門番とは交代したようだ。

 

 

 

「どうも、お疲れさまです!」

 

「おっ、おつかれさまです!」

 

 

 

 少年少女に挨拶をされた門番は一瞬頬を緩めるがすぐに厳しい顔に戻った。

 

 

 

「町に入る前に身分証を見せてもらおうか。」

 

「「はい!」」

 

 二人は担架を降ろして首にかけてあったギルドカードを門番に見せる。

 

「よし、じゃあ次は荷物を見せてもらおうか。」

 

「あ、あの、困ります!」

 

 

 

 荷物を検めようとした門番をリリルが止める。

 

 

 

「何だね君は、何か見られたらマズイものでもあるのかね?」

 

「あ、あの、えっと……。」

 

「すいません、見られちゃマズイって訳じゃないんですが、ちょっと困るんですよ。」

 

 

 

 おどおどしているリリルにジルが割って入った。

 

 

 

「どうしてだね。」

 

「コイツが採ってきた素材が太陽の光に当たると品質が落ちるらしいんですよ。」

 

「そういうことか、でも全く見ないって訳にもいかんからな。」

 

「すいません、この中にも今日採集したものが入ってるんで、この荷物もこれと同じようなものです。」

 

 

 

 ジルはそう言って手元のバックの中身を門番に見せる。その中には草やら木の根っこやらが沢山つまっていた。

 

 

 

「わかった、通ってよし。」

 

 

 

 子供相手にすっかり油断した門番は、バックの中身を見て疑いもせずに通門の許可を出した。

 

 

 

「ありがとう、おじさん。」

 

「あの、ありがとうございます。」

 

 

 

 二人は門番に軽くあいさつすると荷物を持って足早に門の中へ行った。

 

 

 

「はっ、はぁ、緊張したよ~!」

 

「何とかなったな、それより急ぐぞ!」

 

「い、急ぐってどこに?」

 

「お前の家だよ、一応薬屋なんだろ?」

 

「もう、一応じゃないよ、一応じゃ!」

 

 

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

「ただいま!」

 

「おじゃまします!」

 

 お店の門を蹴破るような勢いで二人は店に入り奥の部屋に急ぐ。

 

「こっちに!」

 

 二人は担架からエルフの子を慎重にベッドに移しかえる。

 

「ジル、お湯を沸かしてきて!」

 

「わかった!」

 

 ジルは寝室を出るとやかん型の魔道具に水を入れて近くに転がっている魔石をセットする。

 

「ええっと、まず泥を何とかしないと!」

 

 リリルは泥だらけの服をまず脱がした。そして清潔な布で体を拭いていく。泥だらけでわかりにくかったけど、どうやらこの子は女の子のようだ。

 

 

 

 

 

「お湯沸いたぞ!」

 

 どたどたとお湯をわかせる魔道具を持ってジルが寝室のドアを開ける。

 

「ありがと、あともっと布を持って来て、奥の倉庫にたくさん置いてあるから!」

 

「お、おう!」

 

 ジルはまたどたどたと部屋を出て行った。

 

 持ってきてくれたお湯を使ってリリルは女の子にべったりついた泥を落としはじめる。

 

 泥を落として初めてわかったことだが、肌にはひどい火傷のような跡が体全体に広がっていた。おそらくスライムに食べられた跡だろう。

 

「どうしよう……」

 

 

 

 リリルはおばあさんに教えられたことを思い出す。

 

 大きな傷口をそのまま放っておくと、そこから悪いものが入ってきてどんな元気な若者でも下手をすると死ぬことがある。それを防ぐためには……

 

「おい、リリル、布を持ってきたぞ!」

 

「ありがとう、もっともっとお湯を沸かしてきてよ!」

 

「わかった。」

 

 薬を作る時に使う清潔な布を使って泥を落としていく。特に火傷のようにただれている所は念入りに洗っていく。

 

 泥を落とし終え、リリルはいつもギルドに納品している赤色の回復薬を商品棚から持ってくる。だが、これだけ大きなけが人に自分が作った回復薬を使うのは初めてだった。

 

「お願いします、神様、どうか効いて下さい。」

 

 祈るような気持ちで爛れた部分に回復薬をかけていく、すると爛れていた肌がみるみるうちに治っていった。

 

「やった、治ってくよぉ。」

 

 

 

 

 

 体のただれが消えていき、はじめは苦しそうだった呼吸も時間とともに穏やかになり、今では規則正しい寝息を立てるまでになった。

 

「はぁ、よかったよぉ・・・。」

 

「助かったのか?」

 

 部屋の扉の向こう側からジルの声が聞こえる。泥を落としていく過程で女の子だと分かり、それからジルは部屋の外で聞き耳をたて、手伝いが必要ならすぐに中に入れるよう待っていた。

 

 

 

「うん、スライムにたべられてたところは薬で治すことができたみたい。」

 

「へえ、さすが薬屋の娘だな。」

 

「えへへぇ~」

 

 

 

 褒められてリリルは照れ笑いをする。

 

 

 

「でも、これからどうする?」

 

「とりあえず今日は様子を見てみる。あと、目が覚めたところで毒消しのお薬を飲ませるつもりだよ。」

 

「そっか、。」

 

 

 

 ジルは少し寝ている女の子の様子を確認していそいそと自分の荷物を持ってきたバックに詰め始めた。

 

 

 

「えっ!ジル、どこか行っちゃうの!?」

 

「帰るんだよ、さっき7の鐘が鳴ったろ。」

 

 

 

 言われて外を見てみると、もう日が落ちて町は真っ暗になっていた。

 

 

 

「この様子なら大丈夫だな、明日また来るから何かあったらウチに呼びに来てくれよ。」

 

「・・・うん」

 

 

 

 残念そうに答えるリリル、その空気にほんの少し後ろめたさを感じたのか、ジルは荷物を詰め終わったバックをひっつかんで足早に玄関に急ぐ。

 

 

 

「じゃあな!」

 

 

 

 がちゃん、とお店の扉が閉まる音がして、ふいに部屋が静かになった気がした。

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ、もうくたくただよぉ。」

 

 

 

 一息ついて一気に疲れが出たのか、リリルはベッドのすぐそばにある小さな椅子に腰掛けて今日あった事を思い出す。

 

 いつも休日は作り置きの薬を作るだけだが、今日は今までに経験した事がない珍しい事がたくさん起こった。初めて町の外に出て森に入り、魔物を倒して、スライムに食べられそうになっている女の子を助けた。門番の目を盗んでこっそり女の子を家まで運んだり、怖いこともあったけど、どれも今までにない新鮮なできごとだった。

 

 

 

「冒険者って、大変だね……」

 

 

 

 静かに寝息を立てている女の子の顔を見ながら呟いた。

 

 

 

「うぅん……」

 

「わぁ!!大丈夫!?」

 

 

 

 ほんの少し苦しそうな声を聞いたリリルは慌てて女の子の顔を覗き込んだ。女の子はうっすらと目を開け、焦点の合わない目でリリルを見る、そして小さな口を開いて消え入りそうな声を出す。

 

 

 

「あなたは……?」

 

「あっ、えっと、リリルって言います。」

 

 

 

 初めて声をかけられたためか、緊張してずいぶんかしこまった返事をしてしまう。

 

 

 

「リリル…?」

 

「うん、川の近くで倒れてたから連れてきたの、そうだ、これを飲んで、元気になるためのお薬だよ。」

 

 

 

 リリルは女の子が飲みやすいように、やかんを小さくしたような形の道具を使って薬を飲ませる。

 

 女の子は何の抵抗もせずにこくこくと喉を鳴らして薬を飲む。

 

 

 

「あとはゆっくり眠って元気になろ。」

 

 

 

 そう言うと薬を飲み終えた女の子の頭を優しくなでた。それに安心したのか、女の子は再び目を閉じて小さな寝息を立て始める。それを確認すると、リリルは部屋をそろそろと音を立てないように慎重に出ていった。

 

 

 

 

 

 

 

「どうしよう……。」

 

 

 

 女の子も大丈夫なことがわかって少し冷静になったリリルは途方に暮れる。勢いとはいえ勝手に町の外の人を町に入れてしまったのだ。考えてみると門番の人に正直に話した方がよかったかもしれない。女の子が大きな怪我をしていなかったからリリルの家でも大丈夫だっただけなのだから。

 

 それに、女の子が悪い子とは思えないけど、不審者を町に入れたのが見つかると何か罰を受けるかもしれない。

 

 

 

「困ったなぁ、明日ミーナさんに相談してみよう……」

 

「それよりも、あの子、きっとお腹が減ってるはずだよね!」

 

 

 

 リリルは女の子が目が覚めた時に備えて、少しの街頭と家々から漏れる明かりだけになった暗い町に出かけて行く。

 

 

 

 

 

 彼女は気づいていなかった。エルフの女の子に使った薬が最低限の効果しか持たないはずの赤色回復薬の効果をはるかに上回っていた事を。



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お目覚めエルフ

「ううん……」

 

 おいしそうな匂いで目が覚める、温かい布団から体を起こそうとするけどなかなか体が言う事を聞いてくれない。

 

「いたたたた……」

 

 硬くなった身体を痛みに耐えながらゆっくりと起こして、寝かされていた部屋を見る。どうやら私は誰かに助けられたようだ。

 

 部屋を見回して見る、石造りの壁、ベッドの他にはきれいに整頓された本棚、そして……。

 

 

「きゃあああああぁー!!!」

 

 

 

 

「なに!!どうしたの!?」

 

 寝室から叫び声を聞いたリリルは寝室のドアを勢いよく開けた、すると昨日助けた女の子がベットの横でへたり込んでいた。

 

「あ、あれ!!」

 

 

 女の子は怯えた表情で壁にかかっている物を指差す。

 

 

「ああ、これ?」

 

 女の子はそれを指差したまま壊れた機械のようにこくこくと頷く。

 

「なんとかベアっていう熊の頭のはく製だよ、昔おばあちゃんが作ったんだって。」

 

 リリルは壁にかかっている1メータくらいありそうな熊の頭の剥製をトントンとたたく。

 

「驚かせてごめんね、でもよかった、目が覚めて。」

 

 そう言って床にへたり込んでいる女の子にかけよる。

 

「くっ!」

 

「くっ?」

 

「熊がそんなに大きい訳ないでしょうが!!」

「ひゃあ!」

 

 急に大きな声を出したエルフの女の子に驚いてリリルは尻餅をついた。

 

「魔物よ魔物!毛皮が厚くて弓矢も剣も通らないし、魔法にも耐性があるとんでもない魔物よ!」

 

「うぅ……でも、でも、おばあちゃんは森を歩いてて熊さんに出会ったから、倒してきたって言ってたよ……。」

 

「あんたのおばあちゃんって何者よ、そんなのが出たら総出で山狩りだわ……。」

 

「へぇ~、おばあちゃんってやっぱりすごかったんだね。」

 

「あなた、これを倒せる凄さをぜんぜん分かってないわね……。」

 

 リリルがのんびりした口調で倒した人に感心するのを見て、エルフの女の子は呆れたように言った。

 

「ねえねえ、それよりもお腹すいてない?朝ごはん出来てるんだよ!」

 

「朝ごはん?」

 

「うん!」

 

「あと、これ、合いそうな大きさの服、持ってきたの!私のじゃちょっと小さいから、おばあちゃんのだけど着てみてよ!」

 

 そうして、エルフの女の子は言われるがままに、いかにもご年配の方が着るようなだぶだぶの服を着せられて手を引かれ、寝室を出た。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

「えっとね、今日は角うさぎのシチューと黒パンなんだけど……」

 

 店舗兼キッチンにある小さな二人がけのテーブルには、いい匂いのするシチューの入った大きめのお皿と、ぼちぼちの大きさの黒パンがそれぞれの前に置いてあった。リリルは強引に女の子を小さな椅子に座らせて自分は反対側の椅子に座った。

 

「……」

 

 女の子は食べ物を見て、自分がずいぶん空腹な事に気がつく。そして、無言で机の上に置いてある固そうなパンに手を伸ばそうとした。

 

「あ、待って!」

 

 そう言われて伸ばそうとした手を慌てて引っ込める。

 

「えっと、食べる前には「いただきます!」って!」

 

「イタダキマス?」

 

「そう、いただきます!」

 

 そう言ってリリルは両手を合わせる。

 

「イタダキマス……」

 

 なんだかよくわからないけど、女の子もリリルに習って両手を合わせて言葉を発する。

 

「じゃあ、一緒にたべよう!」

 

 そう言ってリリルは黒パンをちぎってシチューにひたして一口目を食べた。

 

「……」

 

「黒パンは固いから、シチューにつけて食べたほうがおいしいよ。」

 

「……」

 

 言われたとおり女の子は黒パンをシチューにひたして一口食べる。

 

「おいしい……」

 

 自然と言葉が漏れた、空腹のせいもあったかもしれないが、目がさめてから初めて食べた食事は女の子が今まで食べたどの食事よりもおいしい気がした。

 

「ほんと!よかったぁ~」

 

「……」

 

 ぱっと笑顔になったリリルを見て女の子は頬を紅くして俯いた。それでも彼女の食事の手が止まる事はなかった。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

「ごちそうさまでした!」

 

「…ゴチソウサマデシタ」

 

 いつのまにか二人の前のお皿は空になっていた。リリルにならって女の子も手を合わせて小さく声を出す。

 食事の最中にこの言葉がどういう意味か聞いてみたが、昔の偉い王様がそんな風に言っていたからそうしているという、よくわからない返事が返ってきた。

 食事を終えて一息つくと、リリルはぐいと机から身を乗り出し、目を輝かせてメルセデスを質問攻めにする。

 

「ねぇ、私、リリルって言うの!」

 

「そう……」

 

「ねぇ、あなたの名前は?」

 

「……メルセデスよ!」

 

 きらきらと期待に満ちた目で見られていたエルフの女の子は耐えられずに答えた。

 何せ相手は恐らく命の恩人なのだ。エルフといえども流石に無下にはできなかった。

 

「へぇ~、じゃあメルちゃんって呼んでいい?」

 

「誰がメルちゃんよ!」

 

「ひゃあ!」

 

 急に立ち上がったメルセデスに驚いてリリルは椅子の上で小さくなる。

 

「一応聞いておくけど、あなたってハーフエルフとかじゃなくて人間よね?」

 

 メルセデスは最初にリリルを見て、その整った見た目と銀色の髪からエルフの血が混じってるのかと考えた。しかし、よく見ると耳も尖っていないようだし、銀の髪はエルフ族ではハイエルフしか持たない色だ。要するにこの子は人間の可能性が高い、と結論付けていたが、確認のため聞いてみてたのだ。

 

「うん!」

 

(くっ、人間ごときがこの私をあだ名で呼ぶなんて!)

 

 だが、メルセデスも助けてもらって食事まで作ってもらった手前、そんな事を言えるはずもなかった。小さくなっているリリルを見てすとんと椅子に座りなおす。

 

「……もう、いいわよ、メルちゃんで!!」

 

 そして不機嫌そうにそっぽを向く。どうせすぐに出ていくのだ、そう考えた彼女はリリルに好きに呼ばせることにした。

 

「えへへ、やったぁ!」

 

「くっ……」

 

「ねえ、メルちゃん!」

 

「なによ……」

 

「メルちゃんって、エルフだよね!?」

 

「……そうよ!」

 

「やっぱり!」

 

 リリルは飛び上がって喜ぶ。エルフと言えば有名な冒険家の本でしか語られない不思議な種族だ。その本物が目の前にいるのだから。

 

「ねえ、エルフって魔法がすっごく上手いんだよね!?」

 

「ええ」

 

「エルフってすっごく狩りが上手いんだよね!?」

 

「そうよ!」

 

「それから、それから……」

 

 リリルの質問にメルセデスはそっぽを向いて投げやりに答える。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

「エルフってとっても大きい木の中に住んでるんだよね。」

 

「……世界樹の中に住んでるのはほんの一部のエルフだけよ、大抵は家を建てたり世界樹からもらった枝を育ててそこに住んでるわ。」

 

「へぇ~、そうなんだ、エルフの町かぁ行ってみたいなぁ……」

 

「無理ね、世界樹のある森は強力な認識阻害の魔法がかかってるのよ、普通の人間じゃまず見つけられないわ。」

 

 色々と質問され、根負けしたのかメルセデスはぽつぽつと質問に答えるようになった。

 

「認識障害の魔法、授業で聞いたことはあるけど、先生はとっても難しい魔法だって言ってたような……」

 

「当たり前よ、それこそ千年以上も前からエルフが英知を結集して維持してきたんだから簡単なはずないでしょ!」

 

「でも、学校で魔法は勉強してるから、いつか行ってみたいなぁ……」

 

「……行けるといいわね。」

 

 人間の、それも並の魔術師ではその地域にすら行くことができない。その上、こんな間の抜けた少女ではきっと無理だろう。でも、だから無理だと言うのは、何か違う気がしてお茶を濁す。

 

「ねえ、メルちゃんはどうしてあんな所で倒れてたの?」

 

「ぐっ……」

 

 一瞬メルセデスは苦虫を噛み潰したような顔をする。

 

(いっ、言えない、魚を釣ろうとして川に落ちたなんて……)

 

 

「それより今私がどこにいるのか知りたいわ、地図はないの?」

 

 メルセデスは強引に話を逸らそうとする。

 

「うん、持ってくるね!」

 

 ぱたぱたと軽い足音を立てながら、リリルは奥の倉庫から古びた地図を持ってくる。

 

「えっと、町の名前がコストゥーラだから……この町かなぁ?」

 

「……あなた、自分の町の場所もはっきりわからないの?」

 

 自信なさそうに地図を指差すリリルをジト目で見つめる。

 

「だっ、だって、町の中でしか生活しないんだもん……」

 

「そう、でも町の名前が同じだから間違いはないわよね。ねえあなた、この街で吸血鬼の噂があったりしない?」

 

「吸血鬼!!」

 

「なに、そんなに驚く事?」

 

「だって、吸血鬼って魔族だよ!」

 

「あら、人間と知能の高い魔族は共存してるって聞いたわよ。」

 

「すっごく昔の話だよ!二百年くらい前に人間と魔族で大きな戦争があって、それから別々に暮らすようになったって!学校で習ったよ!」

 

「へっ?嘘!?」

 

 メルセデスは間抜けな声を出した。

 

「それに、町では魔族どころか魔物も見かけたこともないよ。いたら大変だよ!」

 

「はぁ、ここも外れかぁ……、でも予言の日はだいたい今日よね、このあたりで間違いないと思ったんだけどなぁ。」

 

「予言?」

 

「エルフの里から100日間、西南西に歩いた町に吸血鬼が暮らしてて、そいつを頼れって予言よ。私が里を出て今日がだいたい100日目のはずだから、この町で間違いないと思ったんだけど。」

 

 メルセデスはどこからか彫り物をした木片を取り出す。この木片に傷をつけて日数を数えていたようだ。

 

「ずいぶん具体的な予言だね……。」

 

「う、うるさいわね、エルフの巫女の予言だから間違いないはずなの、それに1日2日は誤差の範囲内よ。この町の近くに他の町はないの?」

 

「他の町?聞いた事ないけど……」

 

 二人は地図を眺める。

 

「うわ、一番近くの町まで歩いて5日はかかりそうね……」

 

 メルセデスはコストゥーラの町から一番近い町を指差して言った。

 

「ねえ、じゃあメルちゃんはこの町で人を探すの?」

 

 何となく話の流れからそうなるかな、と思ったリリルはメルセデスに尋ねた。

 

「……そうね、予言の町はここの可能性が高いし、調べる限り吸血鬼の見た目は人間とほぼ同じらしいから、ちょっと探してみようかしら。」

 

「じゃあ、私も手伝うよ!」

 

「はあ?」

 

「私、冒険者なんだ!メルちゃんが依頼人で、私が依頼を引き受けるの!」

 

「あんたが冒険者ねぇ、大丈夫?」

 

「人探しくらい出来るよ!」

 

 抜けてそうな顔と弱そうな身体を見て、疑わしそうに見るメルセデスにリリルは失礼な、と口を尖らせる。

 

「ねぇ、吸血鬼の特徴って何かあるの?」

 

「そうねえ、私が調べた限りだとにんにくが苦手だとか、太陽の光に当たったら灰になるとか、銀に触れないとか、八重歯が長いとか、かしら?そうそう、こんな感じに。」

 

 メルセデスはそう言ってリリルの口から覗いている小さな八重歯に手を伸ばす。

 

「ひゃあ、やめてよぉ!」

 

 伸びてくる手を何とか避けようと椅子の上で身体をよじる。

 

「あんた、吸血鬼じゃないでしょうね……。」

 

「ち、違うよぉ、にんにくは苦手だけど人間だよぉ!」

 

「冗談よ、あんたからは魔族の魔力を感じないし……。」

 

「ひどいよ、吸血鬼だなんて!」

 

 リリルは口を尖らせてメルセデスに抗議する。学校の授業で吸血鬼の悪事はよく聞いている。

 

「でも、この町の事を知らないから案内くらいはお願いするわ。」

 

「ほんと、やったぁ!」

 

 リリルは冒険者として初めての直接依頼に大喜びした、まったくの非公式ではあるが。

 

「じゃあさっさと出発するわよ、案内して!」

 

 メルセデスは話は決まったと椅子から立ちあがった。

 

「待って!!」

 

「なによ、何かあるの!?」

 

 一刻も早く人を探したいメルセデスは、ついほんの少し強い口調で言ってしまう。その声にびくりと身体を震わせたリリルは、申し訳なさそうに目を泳がせて話し始める。

 

「じ、じつは……。」

 

 要するに昨日の門をこっそり通ってしまったことだ。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

「つまり、私がこのまま町に出ると下手をすれば捕まっちゃう訳ね…。」

 

「うん、ごめんなさい!」

 

「はぁ、しょうがない、いったんエルフの里に戻ってまた来ることにするわ。」

 

「帰るって、どうやって!?」

 

「持ってきた道具に転移魔法の道具があるのよ。道具の片割れは里に置いてきたからすぐに帰ることができるわ。」

 

「へぇ~、よくわからないけど凄いなぁ。」

 

「私が持ってた物はどこに置いてあるの?」

 

「えっと、メルちゃんが寝てた部屋のかごに洗ってまとめて入れてあるよ。」

 

「そう、ありがと。」

 

 メルセデスはそう言って寝室に歩いていった。

 

 

 

「ない!ないないない!」

 

 しばらくしてメルセデスは血相を変えて戻ってきた。

 

「あなた、これぐらいの大きさの水晶玉知らない?」

 

「メルちゃんが持ってた荷物はあれで全部だけど……。」

 

「ないのよ!エルフの里にいつでも帰れる転移の道具が!」

 

「ええっ!」

 

「どうしよう、これじゃあ帰れないわ……」

 

「わぁ、あわあわ……。」



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ミーナさんを呼んで

 メルセデスが目覚めた日の午後、冒険者ギルドで、リリルは始めてギルドに来た時みたいに落ち着きなく窓口に並んでいた。

 

「あの、ミーナさん…いますか?」

「あぁ?」

 

 いつもと違う時間帯にギルドに行ったリリルは、窓口でミーナさん以外の、それも怖そうな男の人に声をかけた。

 

「ひっ……あ、あの……。」

 

「お、おう……。」

 

 リリルは髭面のおじさんに睨まれ、涙目になる。一方で、ただ単に目つきが悪いだけの窓口のおじさんはそれを見て、顔に似合わずおどおどする。

 

「みっ、ミーナさん……。」

「おっ、おじょうちゃん、ミーナだね、すぐ呼んでくるから!」

 

 顔に似合わない猫なで声を出し、筋肉質な身体に似合わない素早い動きで髭面のおじさんはギルド受付の奥に慌てて消えていった。

 

「リリルちゃん!」

「ミーナさん!」

 

 奥から出てきたミーナに安堵の表情を浮かべるリリル。

 

「大丈夫?あの髭面に何かされなかった?」

「だっ、大丈夫です、ちょっと怖かったけど……。」

「あのオヤジ、リリルちゃんを怖がらせるなんて!」

「あの、大丈夫です、大丈夫ですから!」

 

 男を追って奥に走って行きそうだったミーナをリリルは慌てて止めた。

 

「冗談よ、あのおじさんも顔は怖いかもしれないけど案外優しいんだから。でも、珍しいわね、いつもは……」

「あの!ミーナさん!私のおうちに来て下さい!」

 

 リリルは珍しくミーナの言葉を遮って声を出した。

 

「おうち?えっ?」

「あの、これが私のおうちの場所です、いつ来てくれますか!?」

 

 リリルはミーナに1枚の紙を渡す。

 

「もちろん、今日行かせてもらうわ!!」

 

 即答であった。話の流れはまったく掴めなかったけど、ミーナにとって妹にしたい女の子に家に誘われたのだ。たとえ仕事を休んででも行くしか選択肢はなかった。

 

「きょ、今日ですか!?」

 

 一方、いつも忙しそうに働いているミーナさんがいきなり家に来てくれるとは思っていなかったリリルは驚きを隠せない。

 

「あら、ダメだった?」

「いいえ、待ってます!!」

 

 そう言うとリリルはぱっと表情を明るくして、ぺこりとミーナにおじぎをして小走りでギルドから出て行った。

 

 一方、残されたミーナは……。

 

(ああ、ついにリリルちゃんのお家にお呼ばれされちゃった!!まずはご挨拶からよね、でもご両親はいないって言ってたし、ここはお菓子でも持って行くべきかしら、ああ、楽しみだわ!!)

 

 あまりにも突然やってきた幸福に天にも昇る気分だった。

 

「ミーナ!」

 

 奥からさっきまで奥で一緒に仕事をしていた同僚から声がかかってミーナは我にかえる。

 

「もう、何やってるのよ、このままじゃ今日は徹夜になっちゃうわよ!早く仕事に戻ってよ!」

「……」

「ねえ、今月の収支報告書、今日で全部やらないといけないのよ!」

「わかってる……。」

「わかってるなら……。」

 

 話しかけた同僚の女性は、ミーナの鬼気迫る顔を見て後の言葉を飲み込んだ。

 

「今日の3の鐘までに終わらせるわ……」

 

 ミーナは静かにそう言って、凄まじい殺気を発しながら奥の事務室に消えていった。その殺気はギルド内にいる一部の熟練の冒険者が武器に手をかけるほどであった。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

「このお店で間違いないわよね……」

 

 その日の仕事を人間業とは思えないスピードで終わらせたミーナは3の鐘が鳴るか鳴らないかの時間にリリルのお店の前に来ていた。

 ミーナは何度も紙に書かれていた場所と目の前のおんぼろなお店を見比べる。お店にはこの町で決められている薬屋さんのマークである、瓶と包帯の絵の看板がかかっている。

 

「よし、行くわよ!」

 

 ミーナは気合を入れてお店の入り口の扉を開く。

 

「リリルちゃん、お邪魔しま~す。」

「……」

「……」

 

 お店に入っって最初にミーナの目に最初に入ってきたのは、ご年配の方が着るようなだぶだぶな服を着て、団扇を使いながら椅子に踏ん反り返っている金色の髪の女の子だった。

 

「……すみません、間違えました。」

 

 二人の間に数秒間、気まずい空気が流れたあと、ミーナはぺこりと女の子に頭を下げてお店の扉をそっと閉じた。

 

「はぁ、はぁ、お店間違えたのかしら……?」

 

 ミーナは何度も地図を見返すが、ここで間違いないようだった。お店の名前も間違いない、意を決してもう一度扉に手をかける。

 

「すみません、お邪魔します!」

「……なに!」

 

 さっきの金色の髪のおばさんくさい服を着た女の子が、変わらず小さな椅子に座っていた。口をへの字にして見るからに不機嫌そうだ。

 

「このお店はアナトリスさんのお店ですか?」

 

 ギルド職員と依頼人という関係より少しは親しい子の家に行っているはずなのに、なぜこんな訪問販売をするセールスマンのような口調になっているのか、それはミーナにも分からなかった。

 

「そうよ!」

 

 なぜか塩対応をされるミーナ。

 

「では、リリル・アナトリスさんはいらっしゃいますか?」

「あの子ならお店の奥で何か探してるわ!」

 

 その言葉を聞いたミーナはほっと胸を撫で下ろした。建物を間違えている訳ではなかったようだ。

 

「すみません、私、ギルドから来ました、ミーナ・バレンシアと言います。今日はリリルさんに呼ばれてお店にお邪魔させてもらったんですが……。」

「……アンタ、怪しいわね、ギルドの方から来ましたなんて詐欺師の典型的なやり方よ、本で読んだわ!」

 

 確かにミーナも胡散臭い喋り方になっていたのは認めるが、年下そうな子供に面と向かって言われると傷つく。

 

「まあ、いいわ、あの子に会えばわかるでしょ!」

 

 女の子はおもむろに椅子を立って足早にお店の奥に行く。

 

 

「わぁぁぁぁ!!」

「きゃぁぁぁぁぁ!!」

 

 しばらくして、聞きなれた声の悲鳴とさっきまで塩対応をしていた子の悲鳴が店の奥から聞こえた。ミーナは慌ててお店の奥へ入っていく。

 

「もう、なんでそんな見るからに怪しい箱を開けるのよ!」

「だって、このあたりにメルちゃんが言うような水晶玉が置いてあった気がしたんだもん……。」

 

 奥の物置のような部屋ですすだらけになっている二人、物置の床には紫色の毒々しいデザインの箱が落ちていた。

 

「もう、まっ黒じゃない!」

「ごめんなさい……。」

「まったく……。」

 

 塩対応の女の子はささっと指をふるって短い詠唱をする。

 

「風と水の精霊よ、我と彼の者を清めよ!」

 

 すると青と緑色の淡い光が2人を包み、みるみるうちに真っ黒なすすが綺麗になった。ミーナはその光景を呆然と見ていた。

 

「ほら、綺麗になったわよ。それよりあんたにお客さん、怪しいやつだったけど、あんたの名前を知ってたから表に待たせてあるわ!」

「お客さん?ああっ!」

 

 リリルは何かを思い出したように立ち上がって表に走り出そうとするが……。

 

「わぁっ!」

「きゃっ!」

 

 リリルは倉庫の入り口で一部始終を見ていたミーナに気付かず、胸に飛び込んでしまった。

 

「あらあら、リリルちゃん、慌てんぼうさんね。」

「み、ミーナさん?」

 

 ミーナは胸に飛び込んできたリリルをやさしく抱きしめて頭をなでる。

 

「で、全部説明してくれるのよね?」

「……うう、ごめんなさい!」

 

 それからリリルは昨日あった事を洗いざらいミーナに話した。



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メルセデスと不法侵入

「なるほど、こっそり町に部外者を連れ込んでしまって、その子が亜人、その上魔道具をなくして帰れなくなったと……。」

 

「はい……。」

 

「ふん!」

 

 しおらしくうつむいているリリルとは対照的に、不機嫌そうにそっぽを向いているエルフの女の子、メルセデス。

 

「あの、どうにかなりませんか?」

 

「そうねぇ……」

 

「うぅ……」

 

 今まで見たこともないような困った顔をするミーナを見てリリルは涙目だ。

 

「まあ、普通に処理するしかないんだけど……。」

 

 そう言ってそっぽを向いているエルフの女の子を横目で見ながら大きなため息をついて話し始めた。

 

「一番基本的な方法は、不法侵入をギルドに届けて判断を仰ぐことね。私たちの町の亜人に関する法律は、まだまだ完全とは言えないけど、亜人なら人間より罰はほんの少し重くなるくらいで済むと思うわ。」

 

「あの、不法侵入の罪ってどれくらいなんですか……?」

 

「罰金として小金貨5枚から10枚、お金が払えない場合は一定の期間をどこかで働いてもらう事になるわ。」

 

「ふぅん、それくらいならやってやろうじゃないの!」

 

 それほど重くなさそうな罰を聞いてメルセデスは不機嫌そうに言う。

 

「人間の場合はこんな風に定められてるんだけど……この子が亜人でエルフってところが少し複雑なのよ。」

 

「なによ、働いてお金を払えばいいんでしょ、そんなの簡単よ!」

 

 メルセデスがあくまで亜人であることに言葉を濁すミーナ、そんなの楽勝だと息をまく対照的な二人。

 

「あの……何が複雑なんですか?」

 

「この国では不法侵入みたいな軽い犯罪でも簡単な裁判を受けてもらう事になってるの。その時にどんな罰を受けるのか言われるんだけど、今回の件は故意ではない不法侵入だからせいぜいさっき言った通り小金貨5枚から10枚ね。」

 

「じゃあ、小金貨10枚あれば何とかなるんですね!」

 

「リリルちゃん、最後まで聞きなさい。この子がエルフって所が問題になるの、人間ならお金を払えば何とかなるんだけど、エルフの子を手に入れようと動く商人や権力者がいないとも限らないわ。そうなると亜人ということを利用して、何かとちょっかいをかけてくるかもしれないわ。」

 

「どうしてですか?」

 

「それはあなたが一番分かってる事じゃない?」

 

 ミーナは不機嫌そうにしているメルセデスに視線を向ける。

 

「そうね、私も聞いた話でしかないけど、昔のある帝国はエルフをさらってそこから得た魔法技術で世界を征服したとか、本当かどうかは知らないけどね。」

 

「当たらずとも遠からずという所かしら、つまり、あなたを何とか利用できないかと考える奴らがいるかもしれないのよ。」

 

 その話を聞いてメルセデスはさらに不機嫌になる。

 

 

「残念だけど、私は人間にいいように使われるくらいなら舌を噛んで死んでやるわ!」

 

「例えばの話よ、この話はまだ私達しか知らないから、今ならいくらでもうつ手はあるわ。」

 

「なによ、あんたを信用しろって言うの!?」

 

「今は信用してとしか言えないわね。」

 

「ふん、人間なんて信用できるもんですか、私は逃げる事にするわ!」

 

「それもいいでしょう、でも、もし捕まっちゃったらどうするつもり?そうなると罰は何倍も重くなって下手すると犯罪奴隷になっちゃうわよ。」

 

 席を立とうとするメルセデスにミーナは釘を刺す。

 

「ぐっ……」

 

「あわあわ……。」

 

「この話を聞いた以上、噂が広がる前に手を打つ必要があるわ。だから今日の6の鐘までは待ってあげるから、それまでに逃げるか裁判を受けるか決めなさい。」

 

「あの、ちなみに犯罪奴隷になるとどうなるんですか?」

 

「……あまりいい話はないわよ、競売にかけられて強制的に労働させられるのよ。男ならきつい肉体労働、女なら運がよければ貴族の小間使といったところかしら。」

 

「ええっ!!」

 

「ふん、だから人間は嫌いよ!」

 

 メルセデスは机をバンと叩き、肩を怒らせて店の奥へ消えていった。

 

「みっミーナさん……。」

 

「ごめんねリリルちゃん。こういう事は最初にはっきり言っておかないと、特にあの子がエルフってところがね。」

 

「すみません、私が……」

 

 リリルはすまなさそうにミーナに言った。困った顔のリリルにミーナは優しそうに微笑む。

 

「大丈夫よ、正直に言ってくれたんだから悪いようにはしないわ。」

 

「私、メルちゃんの所に行きます!」

 

「そうね、私もそろそろお暇するわ。6の鐘までは待ってあげるから、よく考えて決めてね。」

 

 二人は同時に席を立ち、リリルはぱたぱたと奥の方へ走っていった。

 

「さて、私も準備しますか……。」

 

 一方、ミーナは一つ背伸びをして、お店の出入り口の小さなドアを開けてギルドに急いだ。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

「め、メルちゃん……」

 

「なによ!!」

 

 メルセデスは寝室で少ない自分の荷物をまとめていた。

 

「どこに行くの?」

 

「逃げるのよ、この家からも、この町からも!」

 

「で、でも、入り口には門番さんがいるよ!」

 

「そんなの魔法で吹っ飛ばしてやるわ!」

 

「ダメだよぉ、ミーナさんが言ってたでしょ、もし捕まっちゃったら犯罪奴隷だよ!それに人探しはどうするの!?」

 

 リリルはメルセデスの腰にしがみついて何とか止めようとする。

 

「じゃあどうしろって言うのよ、このままこの家にいて人間のされるがままになれって言うの?」

 

「それは……わかんないけど……、でもミーナさんは何とかするって……。」

 

 メルセデスの剣幕にリリルは消え入りそうな声で答える。

 

「あんなの信用できるもんですか!!」

 

 

「うぅ、グスッ……」

 

「なっ、なに泣いてんのよ……」

 

「グスッ……泣いて…ないもん!」

 

 リリルは目こぼれる涙を必死に拭う。

 

「泣いてるじゃない。」

 

「だって、だって、メルちゃんが、メルちゃんが……。」

 

「なによ、悪いって言うの?」

 

「うわ~ん!!」

 

 リリルはわぁーっと泣き始めた。

 

「ちょっ!」

 

「メルちゃんが、メルちゃんが~!」

 

「わっ、わかった、わかったから!」

 

 メルセデスはわんわん泣くリリルにかけよって何とかなぐさめようとする。だが、里では自分より年下のエルフはいなかったから、勝手が分からずおろおろするばかりだった。



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メルセデスとジル

「どう、少しは落ち着いた?」

 

 それからしばらくして、メルセデスはリリルをベッドに座らせ、何とか泣き止ますことに成功した。

 

「うぅ、ぐすっ……ごめんなさい……」

「悪かったわね、私も少し頭に血が昇ってたわ。」

 

 メルセデスは一つ大きなため息をつく。

 

「アタシが吸血鬼を探してるって話はしたわよね?」

「…うん」

「アタシはどうしてもそいつを探し出して里に連れて行かなきゃいけないのよ。」

「……」

「今日話した予言には続きがあってね、その者が世界樹を救うだろうって。」

「……世界樹を救う?」

「そう、エルフの里には世界樹っていう大きな木があって、それが病気にかかって枯れ始めてるの。それを助けられるのが予言にあった吸血鬼、だから私はどんな事をしてでもそいつを連れて帰らないといけないのよ。」

「……うん」

「でも里の年寄り達は魔族をエルフの里に入れる訳にはいかん!って探そうともしない!だから私は里を抜け出して予言に従ってここにたどり着いた。」

「ふぁ~、メルちゃんてかっこいいね。」

「かっこいい?」

 

 ようやく泣き止んだリリルに、今度はきらきらした尊敬の眼差しで見られるメルセデス。

 

「なんだかあうとろーって感じがする!」

「あうとろーね、よくわからないけど褒め言葉として受け取っておくわ。」

 

 メルセデスは隣に座っているリリルの頭をぽんぽんと叩いた。

 

「ありがとね、なんの成果も得ないであのまま帰ってたら、里に居座ってる年寄り共と同じになるところだったわ。」

「えっと、えっと……」

 

 メルセデスがほんの少し微笑んだ、それを見てリリルは顔を赤くする。

 

「なんだか……上手く言えないけど……メルちゃんが……捕まっちゃわなくて……よかったです。」

 

 泣いてしまったり、慰められたりして、今更ながら恥ずかしくなって俯いた。

 

「よく考えるとここに来たのもきっとエルフの巫女のお導き、どうなるか分からないけど助けられたんだもの、もう少しこの町で頑張ってみることにするわ。」

 

 恥ずかしそうに俯くリリルを安心させるようにメルセデスは優しい声で言った。

 

「あの、私もいっぱい手伝うよ!」

「そう、ありがと。」

「うん、まだまだランクは低いけど、私も冒険者だから、メルちゃんの力になりたい!」

「ふふっ、期待してるわ。」

 

 身体の前でぐっと握りこぶしを作るリリルを見て、メルセデスはくすくすと笑った。

 

「ああっ、メルちゃん笑った!私、真面目に言ってるんだよ!」

「あはは、そうね。」

 

 メルセデスはころころと表情が変わるリリルを見て何だか可笑しくなって笑った。

 

「もぉー!メルちゃん!」

 

 笑いをこらえきれないメルセデスにぷんぷんと怒るリリル、いつの間にか二人揃って笑い声をあげていた。

 

 

 それから、リリルはミーナに何とかしてもらうようお願いに行った。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

「おーい、リリル、いるか~?」

 

 6の鐘が鳴る頃、リリルのお店のドアを叩く者がいた。

 

「あっ、ジル、今開けるよ!」

 

 店のドアを開けると、ジルが何やら袋を持って家の中に入って来た。

 

「これ、食いものだ、野菜とか芋ばっかりだけどないよりマシだろ。」

 

 そう言ってジルは持ってきた袋を差し出す。

 

「わぁ!ありがとう!ちょうどお芋がなくなったところだったんだ!」

「そっか、で、昨日の子はどうなったんだ?」

「えっと、メルちゃんなら……」

 

 リリルはお店の奥の方に目線をやる。

 

「もう、何なのよ、この干からびた葉っぱ!」

 

 奥の倉庫を掃除していたメルセデスは、乾燥中の薬草に悪態をついていた。

 

「メルちゃん、それは回復薬の材料なんだから大切にしてね。」

「わかったわよ、この木の実の入った箱はどこに置けばいいのよ。」

「あっ、それは今日使っちゃうからこっちに持ってきて。」

「なんだ、ここで働くようになったのか。」

「えっとね、ちょっとややこしい事になっちゃってね……」

 

 リリルは困ったように笑って今日の顛末を話した。

 

 

 

「ごめん、こんな事なら門番にしっかり話をすればよかった!」

「そんな、私もこっそり通ろうなんて考えたんだから同じだよ。」

 

 頭を下げて謝るジルをなだめる。

 

「まったく、ほんと、いい迷惑よね!」

 

 二人のやり取りを聞いていたメルセデスが言う。

 

「なにを、お前なんて俺たちが助けなきゃ今頃スライムの胃袋の中なんだからな!」

「その前に起きてやっつけてるわよ、スライムの食事が遅いのは知ってるの!?」

「そんなの、関係ないだろ、ぶっ倒れてたのは間違いないんだから!」

「メルちゃん、ジル、やめようよ。きっとミーナさんが何とかしてくれるよ。」

 

 口げんかを始めた二人をなだめるリリル、悪いようにはしないと言ったミーナの言葉を信じて待つ事にしたのだ。

 

「はぁ、そうね、今バタバタしてもしょうがないものね……」

「言い出したのはお前だろ。」

「何よ、うるさいわね!」

「もう、メルちゃん!ジルも!」

 

 ほんの少し話しただけだが、二人の相性は最悪なようだ。

 

「でも、そのミーナってギルド員は信用できるの?」

「だいじょうぶだよ、すっごくいい人なんだ!」

 

 両手の拳をぐっと握って真剣な顔でメルセデスに答える。

 

「そういう事にしておきましょう、もし変な事になったら今度こそ私は逃げるからね。」

「もう、メルちゃん、信じてないね!」

「当たり前よ、人間なんて信じられるものですか!」

 

 メルセデスが人間を信頼していないのはエルフの里で読んだ本が原因なのだが、それはまた別の話だ。

 

「何にせよ、今は待つだけだな。」

「そうだね、私も明日学校に行かないと。」

「俺も関係者だから、できる限り協力するよ。」

「うん、お願い、ジル!」

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

「ギルド長、お話があります。」

「ほう、珍しいな、ミーナ君から直接の話とは、よほど急ぎで重要な話と見た。」

 

 大柄で筋肉質なギルド長は険しい顔をして珍しく顔を出したミーナを出迎える。

 

「私の知り合いの冒険者が亜人を不可抗力で町に連れ込んでしまったようです。今日はそのご相談に……」

 

 ミーナはギルド長の感情を読み取りながら言葉を続ける。

 

「その亜人が問題なのですが……」

「ほう、亜人など場所によってはそれほど珍しくもない、我が国の北方には獣人やドワーフなどをよく町で見かけるが……」

「今回連れ込んでしまった亜人がエルフなのです。」

「すまぬ……私の耳がおかしくなければエルフと聞こえたが……」

「私も実物を見るのは初めてなのですが、エルフなのです。」

「何だと!!!」

 

 ギルド長は驚いて椅子から立ち上がった。

 

「エルフと言えば、あの精霊の子と言われている伝説の種族のエルフか!?」

「はい、それに精霊魔法も確認しました。」

「なら、速やかに保護せねばならん!」

「待って下さい!」

 

 珍しく血相を変えたギルド長を強い口調で引き留める。

 

「なぜだ、エルフ族と関係を築ければそれは大変な事だ、ぜひ保護せねば!」

「そこです!情報を流さずに保護を進めれば他のギルドと揉める事になります。そうすれば、特に商業ギルドは多少強引な手を使ってでも直接接触しにくるでしょう。」

 

 ギルド長は動きを止めてゆっくりと椅子に座りなおした。

 

「確かに、単独で対処すると独占したと思われかねん、しかし放っておく訳にはいくまい……何かいい手があるのか?」

「通常通りの裁判にかけます。」

「……エルフは亜人だぞ、普通の処分より重くなる可能性があるが……。」

「裁判なら各ギルドからの陪席が得られます。」

「なるほど、我がギルドが利益を独占しようという印象は薄れる。それに正式な手続きを踏んで町に入れる事が出来る。その上、すべてのギルドが存在を知れば、うかつに手を出す事もできなくなる。」

 

 ギルド長は目を瞑ってほんの少し考える。

 

「よかろう、今なら厄介な商業ギルド長も他の町へ出張中だ、可能な限り速やかに開廷の根回しを!」

「承知しました、直ちに裁判所と各ギルドへ招致の通達を出します。それと、招致書には「亜人」と記載して送ります。」

「わかった、頼む。」

 それから二人は急いで席を立った。各部への根回しのためだ。

 

 

 そして、その日のうちにミーナは各ギルドへの招致書を配り終えた。裁判は2日後となった。



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店番と子供

「リリルちゃん、今度は何があったの!?」

 

 学校の教室に入るなり、珍しく大きな声でミアに呼び止められるリリル。

 

「えっ、何って…?」

「商業ギルドに行ってたお母さんに聞いたんだけど、明日裁判に出るって!」

 

「えっ、裁判!?明日!?」

 

 ミアに言われ目を白黒させるリリル、昨日のミーナとの話を思い出す。

 

「不法侵入の裁判だって聞いたよ!」

「ミアちゃん、あのね、昨日の話しなんだけど……」

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

「私、外に一人で行こうとしたらダメだよって言ったよね。」

「でも、結局2人だったし……」

「そういう問題じゃないの、最初は一人で出ようとしたんでしょ?」

 

 事の顛末を聞いたミアの目は珍しく怒っていた。

 

「ミアちゃん、ごめんなさい……」

「はぁ……リリルちゃん……」

 

 ミアは大きなため息をついた。

 

「それにしても、一度町の外に出ただけでやっかいな事をそんなに引っ張ってこられるなんて才能だね……。」

「うぅ……。」

「でも、ミーナさんっていう人に任せて、大丈夫なの?」

 

「今までよくしてくれたから、今度も大丈夫だと思うんだけど……」

 

「ねえ、落ち着いたら、私もメルちゃんに会っていいかな?」

 

「いいと思うんだけど、聞いてみる!」

 

 リリルは仏頂面で手伝いをしていたメルセデスを思い出し、とりあえず聞いてみる事にした。

 

 

「ありがとう、でも、エルフと会えるなんて凄いね、エルフって魔法が上手なんでしょ?」

「うん、精霊さんにお願いしてお掃除をしてくれたり、お水を出してくれたりするのホントに上手なんだ~。」

「ほんとに精霊魔法を使うんだね、本で読んだ通りだね。」

 

 ミアは目を輝かせてリリルの話を聞く。

 

「うんうん、「水の精霊よ」って唱えてささっとお水を出しちゃうんだよ、凄いなぁ、私も魔法上手になりたいなぁ……。」

 

 昨日と今日の朝にメルセデスが披露した魔法を思い出して笑顔になるリリル、ささっと呪文を唱えて魔法を発動してしまうメルセデスの魔法には憧れてしまう。

 

「エルフに精霊魔法など、嘘も休み休み言うんだな、薬屋の娘。」

「ふぇ!?」

「伝説の種族であるエルフがこんな場所にいる訳ないだろう、それに精霊魔法など、見間違えだろう。」

 

「そんな事ないよ!」

「リリルちゃん!」

「あっ……そんな事ない……です……。」

 

 メルセデスの事を悪く言われたようで、ついいつもの口調で返してしまったリリルは相手が貴族だという事を思い出した。

 

「まあいい、明日あるという裁判で本当か確かめてやろう。」

 

 そう言うと、これ以上会話はしないという雰囲気を出し、少年は自分の机に座った。

 

「ねぇ、ミアちゃん、裁判って自由に参加できるの?」

 

 その様子を見てこそこそ話しをするミアとリリル。

 

「参加というより見学かな、小さい裁判だと部屋も小さいですし、あまり聞きに来る人もいないって話だよ。」

 

 両親が商人なミアは、裁判の話を聞かされる事もあったため、ほんの少しは事情を知っている。

 

「へぇ~、ミアちゃんてやっぱり物知りなんだね。」

「でも、凶悪な人は町の広場で裁判することもあるんだって。」

「ええっ!大丈夫かな……。」

 

 不安そうに上目遣いにミアを見る。

 

「……」

「……ミアちゃん?」

(はっ!上目づかいが可愛すぎて昇天しちゃった!)

「だっ、大丈夫よリリルちゃん、人殺しとかじゃないとそんな事にはならないから!」

 

 意識を取り戻したミアは不安そうなリリルをフォローする。

 

「はぁ、何だか不安になってきたよ、大丈夫かなぁ……」

「あっ、リリルちゃん、先生が来たよ。」

「わぁっ!」

 慌てて前を向くリリル、当然この日も授業に集中できなかった。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

「はぁ、今日も全然集中できなかった……」

 とぼとぼと家に帰る。今日も先生に怒られてしまったリリル。

「ただいま~。」

「やっと帰って来たわね、どこに行ってたのよ!」

「どこって……学校だけど……」

「がっこうって何よ!」

「ふぇっ!?」

 

 思わぬ事を聞かれ、リリルはうろたえる。

 

「それより、昨日のギルド?の人が来てこれを置いてったわ!」

 

 メルセデスは一枚の紙をリリルに突き付けた。

 

「えっと……。」

 

 そこには学校で聞いたとおりの内容が書かれていた。

 

「明日、私と一緒に裁判所に来るようにって……」

「はぁ……、あのギルド員にはめられたりしないでしょうね、言っとくけど、奴隷なんかにしようとしたら、私はさっさと逃げるわよ。」

「大丈夫だよ、私が困ってる時には助けてくれるいい人だよ。」

「ふん、それが本当かどうかも明日わかるわけね!」

 

 メルセデスは不満そうに言った。

 

「そうだね、きっと何とかなるよ!」

 

 リリルがぐっと小さな拳を握る。裁判は初めてだが、今までも何とかなってきたのだからきっと何とかなると信じている。

 

「じゃあ、私はギルドに行ってくるね、今日のぶんの薬を届けないと!」

 

 時計を見て慌てて調合室に入っていく。昨日のうちに瓶詰めは済ませているから今日は持っていくだけだ。

 

「ねえ、私にもできることないの?」

「えっ!?」

「だって……一宿一飯の恩はある訳で……じっとしてるのも後味が悪いというか……いいから私に出来ることを教えなさいよ!」

「メルちゃん、ありがとう!」

 

 視線を泳がせながら恥ずかしそうに言うメルセデス、それを見てうれしくなってメルセデスに抱き着く。

 

「ちょっと、放しなさいよ!」

「ごめんなさい、なんだか嬉しくって!」

 

 恥ずかしそうにはにかむリリルを見て、メルセデスも顔が赤くなる。こんな風にスキンシップをされるのは初めての体験だった。

 

「とにかく、エルフのことわざで働かざるものはパンを食べてはならないと言うから、お世話になるうちは働かせてもらうわ。」

「じゃあ、私が帰るまでお店の番をお願いしていいかな?」

「そんなのお安い御用よ!」

 

 任せろとドンと胸に拳をあてるメルセデス。

 

「よかったぁ、最近はお日様が沈んでからじゃないとお店を開けられないから売上が下がってたの、よろしくお願いします!」

 

 それから一通りの説明を終えたリリルはギルドへ出発していった。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

「勢いで引き受けたけど、お客さんなんて来るのかしら……」

 

 お店を任されたメルセデスはとりあえず店番を始めた。

 

「あーっ、最近閉まってたのに、今日は空いてるんだ!」

「ほんとだ、でもリリル姉ちゃんじゃない人が店番してる!」

 

 リリルがギルドに出かけてからすぐに、小さな子供たちが店によって来た。

 

「お姉さん、最近お店があいてないのはなんでなの?」

「あの子にも都合があるのよ。」

 

 子供は相手にしていられないと素っ気なく返事をするメルセデス、そんなのにくじける子供たちではない。

 

「あっ、俺たちはお客さんだぞ、もっと丁寧に対応しろよ~!」

 

 一番体の大きな男の子が口を尖らせて文句を言う、それでもメルセデスの身長よりもだいぶ小さいので、まったく怖くない。

 

「はいはい、お客さんっていうのはお金を払って商品を買ってくれる人の事をいうの、どうせあなたたちは冷やかしでしょ?」

「ふふん、お金なら持ってるぜ、いつも通りお菓子を出してもらおうか!」

「「「もらおうか~!」」」

 

 一番おおきな男の子と、ほかの子供たちは示し合わせたかのようにポケットから茶色い銅貨を取り出した。

 

「あんたらねぇ、ここはお菓子屋さんじゃないの、お薬屋さんなの。」

「なんだ、お姉ちゃん店番なのに知らないのか、このお店は銅貨1枚で甘いお菓子が買えるんだぞ!」

「「「だぞ~!」」」

 

 男の子の言葉に皆がうんうんと頷く。

 

「久しぶりに空いてたんだから、出してくれるまで粘るぞ!」

「「「ねばるぞ~!」」」

 

 そう言って子供たちは店の前で遊び始めた。

 

「はぁ、厄介なお客さんね、そんな簡単に甘いものが手に入る訳ないでしょう……」

 

 エルフの里でいう甘いものは、季節によって咲く花の蜜や、甘い樹液を煮詰めて作るシロップなど、どれも取れる季節が限られていたり手間暇がかかる物ばかりだ。一番価値の低い硬貨で買えるような物だとは思えなかった。

 だが、子供たちがお金を持っている以上、商品を探さない訳にはいかなくなったメルセデスは、お店の商品棚をごそごそと探し始める。

 

 

「もう、早く帰って来てよ~」

 小さな棚を一つ一つ開けながらメルセデスは愚痴をこぼす、それでも頼まれた以上はやり通す。それが居候エルフの矜持だった。

 そして探し始めて10分後、「子供用」と書かれた少し大きめの箱を見つけた。銅貨1枚とも書いてある、これでまちがいなさそうだ。

 

「あんたたち、これの事?」

 

 メルセデスは琥珀色の玉の入った小さな包み紙を4つ取り出して子供たちに見せる。

 

「あっ、それそれ!」

 

 子供たちは嬉しそうに銅貨をメルセデスに渡し、代わりに包みを取っていく。

 

「久しぶりに食べられる、嬉しい!」

 

 小さな女の子が嬉しそうに琥珀色の玉を口に含む、他の子供たちも嬉しそうに口の中にコロコロさせている。

(そんなに美味しいのかしら……)

 子供たちがあまりにも美味しそうに食べるので、メルセデスも興味が沸いてきた。

(一つくらいなら……)

 それから、たくさんあったうちの一つを取り出して包みを開けてみる。包み紙の中には澄んだ琥珀色の物が入っていて、それを取り出して口に含んでみる。

 

「!!!!」

 

(すっごく甘くて美味しい!!)

 

 メルセデスは衝撃を受けた、今まで食べた花の蜜や樹液よりも圧倒的に甘くて美味しかったのだ。

 

「なんでこんな物がボロいお店に銅貨1枚で売ってるのよ……」

 

 エルフの里では甘い物は高価で、とても一番安い硬貨で買えるような物ではない。

(人間の世界、恐るべしね……)

 メルセデスは人間社会の生活レベルにほんの少し畏怖を抱いた。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

「あの、今日はミーナさんは休みですか?」

 

 薬の納品に来たリリルは受付にミーナの姿が見えなかったので、係員の女性の人に聞いてみる。

 

「ああ、ミーナなら今日は仕事で取り込み中よ、あなたがリリルちゃん?」

「はい。」

「そう、ミーナにはいろいろ聞いてるわ。これからもあの子をよろしくね。」

「そんな、ミーナさんにはお世話になりっぱなしで、私の方こそよろしくお願いします。」

 

 優しそうに話しかける受付の女性にどぎまぎしながら答えるリリル。

 

「ふふふ、ミーナから聞いていたとおりいい子ね、今日は納品に来たの?」

「はい、定期の回復薬の納品に来ました。」

「じゃあ、受付に並んでね。」

 

 そう言っていつもの受付の列を指さす。

(今日はミーナさんいないんだ……)

 明日の事を聞こうと思っていたリリルは少し残念に思ったが、ミーナは明日のために何かしてくれていると信じていた。

 

「私も頑張ろう。」

 

 ぐっと小さな拳を握って気合を入れる。それから、いつも通り薬の納品をして、そのお金で今日はいつもより多い2人分の食べ物を買って帰った。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

「ただいま!」

「お帰りなさい……。」

 

 いつもなら誰も答えてくれない、ただいまの声に答えが帰ってきてほんの少し嬉しくなる。だが、疲れ切った様子で机に突っ伏しているメルセデスを見て不思議に思う。

 

「メルちゃん、何かあったの?」

「ここは孤児院じゃなくて薬屋よね……。」

「うん、そうだけど……」

 

 当たり前のことを聞いてくるメルセデスに困惑しながら答えるリリル。

 

「じゃあ、なんで子供たちが沢山来て遊んで帰ってくのよ!」

「わわっ、しばらくお休みにするから来ないように言ってたのに……」

 

 いきなり迫られ驚くリリル。学校に行くようになってお日様の出ているうちは店を閉める事を決めた。そう決めた時、よく来る子供たちにしばらく休む事を伝えていた。今回子供たちが集まったのは単なる偶然だったが、ある意味では平常運転だったと言える。

 

「まったく、子供って苦手よ、エルフの耳を何だと思ってるの!」

 

 よく見るとメルセデスの耳がほんの少し赤くなっているのが見える。

 

「メルちゃん、耳がどうしたの?」

「アイツら、隙があれば耳を触ろうとしてくるのよ!」

 

 無邪気な子供にエルフの長い耳は格好の標的となってしまったようだ。

 

「メルちゃん、ごめんね。今度しっかり言っておくから…。」

 

 そうはいったものの、確かに感情に合わせてぴこぴこ動く長い耳を触りたくなる気持ちもわかった。

 

「メルちゃん、私、ご飯作るね!」

 

 そんな邪な気持ちを振り払うために、リリルは食事の準備を始めた。昨日の夜から食事は2人分、おばあさんが失踪してからいつも1人分だった食事を2人分作るようになり、ほんの少し心が温かくなった。

 

 

「いただきます。」

「いただきます。」

 

 リリルに習ってメルセデスも同じように夕食を食べ始める。夕食は黒パンと野菜くずのスープといった質素なものだ。

 

「ごめんなさい、今日はこれで我慢してね。」

 

 昨日、倒れていたメルセデスに元気を出してもらおうと、少し奮発して食事を用意したが、その反動で今日の夕食はいつもより少し質素なものになっていた。

 

「なんであなたが謝るのよ、お世話になってるのは私よ。」

 

 スープをスプーンで掬いながら、すまなさそうに言うリリルにそっけなく答える。

 

「………」

「でも、お世話になりっぱなしっていうのも癪にさわるから、今日みたいにお手伝いくらいやらせてもらうわ。」

「えへへぇ~、ありがとう、メルちゃんって優しいね。」

「ふん、今日も言ったでしょ、それにエルフの格言に受けた恩は倍にして返せってあるのよ。今のところお世話になりっぱなしだから、少しずつでも返すのよ。」

 

 メルセデスは屈託のない笑みを浮かべるリリルを見て、ついつい素っ気なくしてしまう。

 

「じゃあ、メルちゃんは私のお店の初めての従業員だね。」

「はいはい、そうね!」

「ごちそうさま!」

 

 嬉しそうにこっちを見るリリルに耐えられなくなってさっさと食事を口に放り込んでメルセデスは席を立つ。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 メルセデスが食事を終えてからも、リリルはにこにこが抑えられなかった。

 おばあさんがいなくなってから、一人で食べていた食事が、二人になり、食卓がほんの少し色づいたようだった。

 

「明日は何を作ろうかなぁ、そう言えばメルちゃんはどんな食べ物が好きなんだろう?」

 

 しばらく一人だった食事が、ほんの少し楽しみになったリリルは残りをさっさと食べ、いつも通り学校の宿題と明日納品する薬の準備を始める。

 

「ご飯でメルちゃんに喜んでもらうためには、もっと稼がないとね!」

 

 そして、宿題を終えると、いつもより多目の材料で薬の調合を始めた。同居人が増えたからしっかり稼いで少しでも美味しい物を食べさせるのだ。



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裁判と罰金

「ふわぁぁあぁぁ~~。」

 

 

 

 大きなあくびをして目をあける。部屋の窓から明かりが差し込んでいる。

 

 

 

「わぁ、時間時間!」

 

 

 

 慌てて学校の準備をしようとするが……。

 

 

 

「あっ、そっか、今日は学校じゃなくて裁判の日かぁ……。」

 

 

 

 今日は学校を休む事を先生には伝えてあった。そして、裁判は昼過ぎから始まる。昨日見た書類を見ると、一緒にかかわったジルもいっしょに呼ばれているようだった。

 

 

 

「うぅ…考えるとドキドキしてきた……。」

 

 

 

 昨日はいつもより多い量の薬を調合したのでいつもより時間がかかり、調合が終わると疲れてすぐにぐっすりと寝入ってしまった。

 

 寝ぼけ眼をこすりながら、お店の方へ行ってみる。

 

 

 

「あら、お目覚めね。」

 

「ふわぁ、メルちゃん、おはよう……」

 

 

 

 大きなあくびをしてメルセデスを見ると、もう服を着替えて出発の用意をしていた。

 

 

 

「ところで、今日はいつ出発するのよ。」

 

「えっと、呼び出された時間が3の鐘だから、2の鐘が鳴る頃には出発したいな。」

 

 

 

 ミアから聞いた話では裁判所が定めた時間よりも遅れてしまうと裁判官の心象が悪くなり、罪が通常より重くなることがあるらしいのだ。

 

 

 

「私はこの町のこと知らないから、あなたに任せるわ。」

 

「うん、じゃあ朝ごはんを食べたら出発しよう!」

 

 

 

 そうしてリリルは朝食の準備を始めた、準備といってもパンと水を2人分用意するだけだ。

 

 すぐに準備を終えて二人で席について、一休みしたところでちょうど2の鐘の音が聞こえてきた。

 

 

 

「メルちゃん、出発だよ。」

 

「はいはい。」

 

「ねえ、メルちゃん、メルちゃんの好きな食べ物ってなあに?。」

 

「そんなの聞いてどうするのよ……」

 

「ううん、何となく。」

 

「そうね、ワイルドボアの肉なんてなかなかおいしいわよ。」

 

「じゃあ、お金が稼げたら食べに行こうよ。」

 

「はいはい、楽しみにしてるわ。」

 

 

 

 あえて明るくふるまうようにするリリル、そうしないと不安に押しつぶされそうになる。

 

 そして、空はそんな事関係ないとばかりに晴れ渡っていた。

 

 

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

「被告人は入室せよ。」

 

 

 

 裁判所に到着後は、それぞれ別の部屋に入れられ、事実確認と裁判の注意事項を受けた。

 

 

 

「魔道具で嘘はわかっちゃうんだ……」

 

 

 

 裁判では事実確認で発言を求められるが、その時に嘘をつくと魔道具でわかるため気をつけるように、という事だった。

 

 裁判前の3人の事情聴取が終わり、法廷に一人ずつ呼び出された。

 

 

 

「被告人、メルセデス・ユグドラシア、リリル・アナトリス、ジル・アーベン、の3名の裁判を始める。」

 

 

 

 学校の教室より少し狭い部屋に入ると、正面には黒い法服を着た判事が座っていた。

 

 3人別々に部屋に入れられたので、ジルとは今日初めて顔をあわせる。見ると両頬が腫れあがっていた。

 

 

 

「まず今回の事実確認を行うが、その前に二人は帽子とフードを取りなさい。」

 

 

 

 裁判官は顔を隠すのが不適切とみてリリルとメルセデスの帽子とフードを取るように命令した。

 

 

 

「メルちゃん…」

 

「しょうがないわね……」

 

 

 

 不安そうに見るリリルを安心させるため、メルセデスはゆっくりとフードを取った。リリルもそれにならって大きな帽子を取った。

 

 見学者はメルセデスの長く尖った耳を見て驚き、そして帽子の下から現れたリリルの絹糸のような髪にため息を漏らした。

 

 

 

「なんと、あの耳、あれはエルフではないのか!?」

 

「それにもう一人の少女、本当に町娘なのかね?」

 

「静粛に。」

 

 

 

 ざわざわと、法廷内は喧噪に包まれた、裁判官は木槌を使い場内を整える。

 

 

 

「判事、我々商業ギルドは今回、不法侵入した亜人がエルフとは聞いていません、裁判の延期を希望します!」

 

 

 

 ふいに立ち上がった商業ギルドの代表、今回の被告がエルフであると初めてわかり血相を変える。

 

 

 

「ふむ、他のギルドはどうだ?」

 

「鍛冶ギルドは特に興味はない、棄権する。」

 

「薬師ギルドは延期に反対します。」

 

「冒険者ギルドも延期に反対よ。」

 

「では、多数決で予定通り裁判を継続する。」

 

 

 

 判事の決定を聞いて商業ギルド代表は焦る。

 

 

 

(まずい、亜人がエルフだったとは、直ちにギルド長に知らせねば……)

 

 

 

 エルフの持つ魔道具の技術やエルフの森で採れる素材はこの町では出回らないほど高値で取引されている。特に転移魔法、結界魔法や収納魔法を付与された魔道具は1つだけでも一財産だ。

 

 

 

「では、事実確認をおこなう……」

 

 

 

 判事は先ほど聴取で得た情報をまとめ、一人ずつ真実の水晶を用いて事実確認を行った。

 

 

 

「被告人に虚偽の証言がないことは分かった。何か申し開きはあるか?」

 

「ありません」」

 

「ないわ!」

 

「では、今回の不法侵入は負傷者を助けるためとはいえ、門番を欺き町に侵入した件については、計画的な犯行であったと言わざるを得ない。」

 

「そうです、裁判官、商業ギルドは計画的な本犯罪に対して厳罰を望みます。」

 

 

 

 商業ギルドの厳罰という声にぎゅっと目をつぶるリリル、不安が大きくなっていく。

 

 

 

「静粛に、だが、侵入後速やかに自らが所属するギルドへ自首したこと、および当人らに反省の色が見られる事から侵入を助けた2名には小金貨5枚の罰金を命じる。」

 

 

 

 判決を聞いて顔を青くするリリルとジル、日々の食事を銅貨数枚で賄っている庶民にとっては結構な金額の罰金であった。裁判官の言葉は続く。

 

 

 

「そして、最後に不法侵入者の目的を聞かねばならん。被告人、メルセデスは真実の水晶に手をかざすように。」

 

「今回の旅の目的と今後について正直に答えよ。」

 

 

 

 裁判官は真剣な目でメルセデスを見る。

 

 

 

(メルちゃん……)

 

「私の旅の目的は……」

 

 

 

 裁判所内がメルセデスのセリフを一言も聞き逃さまいと静まり返る。

 

 

 

「私の旅の目的は魔族を捕まえる事よ!」

 

「魔族、とは、どんな魔族かね?」

 

「吸血鬼よ!」

 

「判事、この亜人は嘘をついています、吸血鬼など十年以上前に滅んだではありませんか!」

 

 

 

 世界に害をなす吸血鬼が10年以上前に滅んだ事は常識である。商業ギルドの代表者が声をあげ、判事も疑いの眼差しで真実の水晶を見るが……

 

 

 

「どうやら本当のようだな……」

 

 

 

 真実の水晶に変化はなかった。嘘をついていると白く輝くハズなのだ。

 

 

 

「見つけてどうする気だ、そして見つかる当てはあるか?」

 

「わからないわ、でも見つかるまでこの旅を辞めるつもりはないわ。」

 

 

 

 意志の籠った目で判事を見つめる。

 

 

 

「見つけてどうするのかね?」

 

「どうするかはわからないわ。」

 

 

 

 真実の水晶は何の反応もない、嘘をついてはいないようだった。

 

 

 

「裁判長、この亜人はよからぬ事を企んでいる可能性があります、裁判を延長し事実を確認すべきです!」

 

「この意見に対し、各ギルド」

 

「鍛冶ギルドは棄権だ。」

 

「薬師ギルドは延長に反対します。」

 

「冒険者ギルドも延長に反対します。」

 

「では、延長は否決し、裁判を継続する。」

 

(馬鹿なやつね……)

 

 

 

 商業ギルドの代表は裁判の引き延ばしに重点を置くあまりメルセデスへの心象を悪くしすぎた。利益を得ようとするなら最初に引きのばしが失敗した時点で諦め、戦略を立て直すべきだったのだ。

 

 だが、それも無理のない事だ、不法入国などの小さな事件の裁判に上位の役職の者が陪席するほうが稀なのだ。

 

 

 

「虚偽の言動をしている訳ではないようだな。では、これ以上追及はしまい、判決を述べる。」

 

 

 

 メルセデスはごくりと唾をのむ。

 

 

 

「被告、メルセデス・ユグドラシアは不可抗力とはいえ、バーミリア王国への不法入国および町への不法侵入を行った。これに対し、亜人基準の罰金を適用し小金貨15枚の罰金とする。」

 

「はぁ、わかったわよ。」

 

「そして、今後の目的が不明であることから、罰金の返済終了まで町から外へ出る事を禁止する、何か反論はあるかね。」

 

「いいえ、ないわ。」

 

 

 

 当たり前の事だった。罰金を払う前に逃げる可能性のある者を放っておく訳がない。

 

 

 

「最後に、1か月以内に職業につき罰金の返済を開始すること。これが満たされない場合は商業ギルド斡旋の職場で強制労働となる、判決は以上、閉廷!」

 

 

 

 判決を言うと、判事はさっさと閉廷を命じた。コストゥーラの町はそれなりに大きいので、一日に複数の件数を処理しなければいけない。判事が裁判の延長を嫌うのはこういった理由もあった。

 

 

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

「はぁ、終わったよぉ、メルちゃん……二人で小金貨20枚だね。」

 

 

 

 帰りは3人一緒だ。今回の裁判でメルセデス以外は10代でけっこうな額の罰金を払わなければならなくなった。

 

 裁判が終わった帰り道、リリルが安堵したように言う。

 

 

 

「また親父に殴られる……」

 

 

 

 親父に殴られて頬を倍くらいに赤く腫らせたジルは、喋りにくそうに呟く。今回の一件を親に隠していたので、昨日突然届いた裁判の招集通知に驚いた両親にこっぴどく叱られていた。そのうえ罰金まで作ってしまい、家に帰る足取りが重い。

 

 

 

「小金貨1枚ってあなたのお店でどれくらいで稼げるのよ。」

 

「えっと、最近はお店を開けてないから、売り上げが減ってて、食費を引いて一日……銅貨3枚かな……」

 

 

 

 リリルはお店の売り上げを考え込んだ。銀貨10枚で小金貨1枚の価値、銅貨10枚で銀貨1枚の価値だ。

 

 

 

「はぁ、あなたのお店だと一年以上かかるわね……」

 

「でも、メルちゃんがお店の番をしてくれるともっと増えるよ!」

 

「それでも私の分まで返すのに半年はかかりそうね……。」

 

「リリル、もし今日で俺が勘当されたら働かせてくれよ……」

 

 

 

 しょんぼり俯いてリリルにお願いするジル。

 

 

 

「ちょっと、私が先よ!」

 

「なんだよ、こういうのは店主が決めるものだろ!」

 

「もう、やめようよ、それに私のお店の売り上げじゃあ3人分の食費なんて無理だよぉ……」

 

「「………」」

 

 

 

 リリルの泣きそうな声を聞いて二人は口げんかをやめた。

 

 

 

「はぁ、こういうのをお先まっくらって言うのかしら…。」

 

「「………」」

 

 

 

一言多いとはこの事を言うのだろう、暗澹たる気持ちで三人は帰路についた。

 

 

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

「ギルド長はどこに行った!」

 

 

 

 裁判が終わってすぐ、ギルドに戻った商業ギルドの陪席者は血相を変えてギルド長の所在を確認する。

 

 

 

「ギルド長は、今隣町に行っています、お帰りは4日後になります。」

 

「魔法通信を使って連絡をとる!」

 

「魔道通信ですか!?あれは緊急でなければ使用許可がされていません。」

 

「これが緊急でなくて何だ、使えるぶんの魔石は用意した!」

 

「わかりました。」

 

(くそう、亜人がエルフと分かっていれば、何としても我々に有利な条件に持ち込めるよう工作を行ったのに……)

 

 

 

悔しそうに唇をかむ、この一件でエルフと交渉できる機会が失われるような事があれば、無能者という烙印を押されてしまう。すぐさまギルド長を交えて対策を練る必要があった。

 

 

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

「何とかうまくいったわね。」

 

 

 

 最も横やりを入れてくるであろう商業ギルドには情報を絞り、商業ギルドと関係の深い薬師ギルドには裏工作を、メルセデスの事をギルド長に報告した後、ミーナは各部へ走り回る事となった。運よくリリルは魔女バアサンの娘ということで薬師ギルドに名前が売れており説得はスムーズに進んで行った。

 

 

 

「商業ギルドには資金面では敵わないからね……」

 

 

 

 本来、裏工作は商業ギルドの十八番である。資金力で負けている冒険者ギルドは今回は情報統制とスピードで商業ギルドに勝ったにすぎない。

 

 

 

「さて、あとはあのギルド長がどう出てくるかね……」

 

 

 

 小娘一人にギルド長が出る、一見大げさに見えるがエルフという存在はそれほど商人にとっては魅力的なものだった。数日後には何かコンタクトがあるはず、その対応に気合を入れなおすミーナ、これからギルド長への報告や今後の対策について考えていく必要があった。



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お茶会とお作法

「ふわぁ~~」

 

 ベッドから体を起こして大きなあくびをする。リリルが寝ている屋根裏部屋には、いつものように朝日が差し込んでいる。

 

「今日は学校かぁ、昨日休んじゃったからきっと宿題がいっぱいたまってるよぉ……それに借金もたまっちゃった……」

 

 昨日の裁判で疲れたリリルは今日納品する薬を調合してすぐに寝てしまった。

 いつものローブに着替え、天井裏の部屋から梯子を使って降りる。

 

「小金貨20枚かぁ……」

 

 その金額はしっかりと節約して1年で返せるか返せないかの金額だ。

 

「なにぼーっとしてるのよ。」

「ひゃあ、メルちゃん、驚かさないでよぉ!」

「あなたがそんなところで突っ立ってるから声をかけただけじゃない、さっさと顔を洗ってきなさいよ。」

「うん、そうする……」

 

 リリルは目をこすりながら洗面所の桶に貯めた水で顔を洗う。

 

「朝ごはんはこれでいいの?」

 

 いつも自分で準備している朝ごはんを今日はメルセデスが準備していた。昨日、家に帰って話し合った結果、メルセデスは家事全般とリリルがいない間の店番をする事になったのだ。

 

「ありがとう、メルちゃん。」

「「いただきます。」」

 

 テーブルに座って食事を始める。食事の始め方に最初はとまどったメルセデスも今では慣れたものだった。

 

「何だか、昨日より食事が美味しい気がするね。」

「昨日と食べてる物は同じでしょ、バカな事いってるんじゃないわよ。」

 

 お皿の上のパンをちぎって水に濡らして食べる、食事は質素でいつもの固い黒パンだ。

 

「裁判が終わって肩の荷が降りたからかなぁ……。」

「私は気が重くなったわ、あなたの罰金の3倍よ……。」

 

 結局、働くあてもなく身分を証明する物もないメルセデスは、リリルのお店で働かせてもらう事にしたのだ。

 

「お金を払い終わったらどうするの?」

「そうね、目的の人が見つからなかったらエルフの里に帰ってもう一度予言を確認する事にするわ。」

「そっか……」

「何しょんぼりしてるのよ、どうせお金を払うのに1年以上かかるんだから、その時にならないとわからないわよ。」

「そうだよね、見つかるといいね、目的の人が。」

「あなたも協力してくれるんでしょ?」

「うん!」

「今日はその第1歩ね、今日はギルドへ薬を納品して、あとはお店にいればいいのね?」

「お願い、メルちゃん、しっかり稼いで早くお金を返そう!」

「そうね、ごちそうさま。」

 

 食事を終えたメルセデスは薬の入ったバックを片手に店を出る。

 

「私もそろそろ行かなくちゃ……」

 

 残りのパンを口に入れて勉強道具の入った鞄を持ち、壁にかかった大きな帽子をつかんで玄関を出る。

 

「あっ、ギルド証!」

 

 ギルド証を渡すのを忘れたリリルは慌ててメルセデスを追いかける。

 

「メルちゃん、これ!」

「なに、あなたのギルド証?」

「受付の人にこれを見せて、納品してね。あと……」

「なによ、まだあるの?」

「どうせだから、途中まで一緒に……行きませんか……?」

 

 恥ずかしそうに上目遣いでメルセデスを見る、その言葉はなぜか敬語だ。

 

「はいはい、あなたってずいぶん甘えん坊さんなのね。」

「ふぁ、違うよぉ、メルちゃんが迷ったらいけないからだよぉ!」

「そういう事にしておくわ。」

 

 顔を真っ赤にして文句をいうリリルを後目に、くるりと身を翻し、町の中心へ続く大通りを歩き始めるメルセデス、これが二人の返済生活初日の朝のできごとだ。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 学校に来ると、今日はいつもより教室が騒がしかった。

(どうしたんだろう、でも私には関係ないよね……)

 教室が騒がしい日は、だいたいは誰かが誰かと婚約したとか貴族に関わる噂話が飛び交っている時だ。

 だが、教室に入るとなぜかみんなこっちに目線を送ってくる。その目線に驚いたリリルは体を小さくして教室に入る。そして、こそこそとミアに話しかける。

 

「ねぇ、ミアちゃん、今日は何があったの?」

「リリルちゃん、やっと来たね、みんな昨日のリリルちゃんの裁判の話で持ち切りだよ。」

「ええっ!なんでぇ!?」

 

 確かに、裁判で休んでしまったのはマズかったかもしれないが、小金貨5枚程度なら学校に来ているほとんどの人は難なく払えるはずだ。

 

「リリルちゃんとエルフがいっしょに住んでるって噂になってて……」

「そうだけど……」

「私も興味があってお父さんに聞いてみたんだけど、エルフと会うのって本当に大変らしくて…。」

「ふわぁ、メルちゃんってやっぱりすごいんだ……。」

「おい、薬屋の娘!」

「ご、ごめんなさい!」

 

 いつもうるさいと怒られているから、反射的に謝ってしまう。

 

「いや、怒るつもりはなかったんだが……」

 

 いつも不機嫌そうにしている前の席の貴族の子が珍しく話しかけてくる。

 

「わわっ、ごめんなさい、何ですか!?」

「昨日の件だが……」

 

 視線を彷徨わせ、意を決したように言う。いつも怒られてばかりの子に話しかけられて慌てる。

 

「あの、大丈夫です、気にしてませんから!」

「いや、昨日の裁判は見ていたんだが、まさか本当にエルフを見られるとは思わなかった、少しは……感謝している……。」

(ふわぁ、貴族の男の子にあんな風に言われるなんて、メルちゃん凄すぎるよぉ。)

「お詫びという訳ではないが、我が家の茶会に招待しよう。」

「茶会?いいですけど……」

「承知した、明日の3の鐘に合わせて迎えの馬車をそちらに向かわせる。」

「ばっ、馬車なんて、歩いて行きます!」

「客人を歩かせるなど論外だ、黙って従いたまえ。」

「はっ、はい!」

 

 勢いに押され、頷く。

 

「では、楽しみにしている。」

 

 そう言うと、もう話すことは終わったといった風に椅子に座り前を向いた。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

「ミアちゃん、お茶会ってお茶を飲めばいいの?」

「リリルちゃん、ちょっといい?」

「えっ!?何?」

 

 さきほどのやり取りを見て呑気にお茶会について聞いてきたリリルを教室の外に連れ出す。

 

「リリルちゃん、落ち着いて聞いてね。」

「う、うん。」

 

 何が起こったかわからないという風に首を傾げる。

 

「あなたは領主様の家に呼ばれちゃったのよ。」

「えっ、領主様?」

 

 ミアはリリルの困惑した顔を見ながら話しを続ける。

 

「あなたの前の方はこの町の領主様の息子なの、だからそこにお茶会に行くことは領主様のお屋敷に招かれたということなのよ。」

「ええっ、私は平民で領主様は貴族だよ!」

 

ようやく事態を理解したリリルは目を白黒させる。

 

「どうしよう、断らないと……。」

「リリルちゃん!断ったらダメだよ、領主様の顔を潰す事になっちゃうよ!」

「じゃあ、どうすればいいの……」

 

 いつも優しいミアがこんな風に詰め寄ってくるのはこの間の町を出るくだり以来出会ってから2回目の事で、事態の深刻さをようやく察してリリルは涙目だ。

 

「行くしかないよ、お作法はわかる?」

「お作法って?」

「お茶会のお作法よ!」

「うう、分かりません……、ミアちゃんどうしよう……。」

「リリルちゃん、学校が終わったら家に来て、一通りのお作法を教えてあげるわ。」

「ほんと、ミアちゃんありがとう!」

 

リリルは感極まってミアに抱きつく。

そうして、リリルはミアの家にお茶会のマナーを学びに行く事になった。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

「ここが私のお家よ。」

「ふわぁ、ミアちゃんのお家って大きいんだね。」

 

リリルの家の4倍はあるミアの家を見上げる。建物は三階建で一番下が商業スペースのようだ。

 

「お母さん、ただいま!」

 

 すると奥からミアによく似た優しそうな女性が出てくる。

 

「あら、おかえりなさい、そちらの方は?」

「私の友達のリリル、お母さん、この子にお茶会の作法を教えてあげてよ。」

「あの、よろしくお願いします!」

「あらあら、あなたがリリルちゃんね、ミアからよく話を聞いてるわ。」

 

 それから、奥の部屋に案内された。案内された部屋は商談をするための応接室のようで落ち着いた色合いの家具で上品に纏められている。

 

 

「そっちに座って、今お茶を用意するから。」

 それからミアのお母さんは従業員にいつも客人にやっているように準備をと指示する。

 すぐにいい香りのする紅茶とお茶菓子が運ばれてくる。その様子を黙って見ていたリリルは緊張でカチカチに固まっている。それから、ミアのお母さんによるお茶会の作法のレクチャーが始まった。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

「完璧にやろうとしなくていいのよ、先方も完璧な作法はきっと期待していないわ。」

 

 緊張のためか、なかなか上手くいかないリリルを見てミアのお母さんはやさしく言う。

 

「じゃあ、何を期待してるんですか?」

「そうねえ、貴族のお茶会なら社交界や領地の情報収集が目的だけど、貴族じゃない人を呼ぶ場合は、商売のお話や、もしかすると本当にただお話をしたいだけかもしれないわね。」

「へえ~、商売のお話だったらいいなぁ……」

「ふふっ、そうね、そうだったらいいわね。」

「はい!」

 

 元気に返事をするリリルを好ましく思い、ミアのお母さんは微笑む。

 

「ミアちゃんのお母さんって物知りなんだね。」

「そうよ、私のお母さんは元貴族だったのよ。」

「昔の話よ、それに貴族といっても下級貴族の3女だったからほとんど平民と同じだったわよ。」

 

 胸を張って言うミアを見て、ミアのお母さんは昔を懐かしむように言う。

 

「でも、貴族ってすごく大変って聞きます。」

「そうね、特に女の子は少しでもいい嫁ぎ先を探すために大変なのよ。」

「お母さん!」

「ふふっ、こんな話は野暮だったわね、でも貴族のお茶会なんて結局はそんなものよ。誰と誰が婚約したとか、女の子は噂話には目がないものだから。」

「やっぱり貴族って、大人だなぁ……。」

「リリルちゃんには好きな人はいないの?」

「ふぇ!?」

「ああっ、私も聞きたい!」

 

 急に聞かれたリリルは驚いて目を白黒させる。そして、それに便乗してミアも目を輝かせて聞いてくる。

 

「……あの、すみません、お店が大変で考えたことも……。」

「なんだぁ~」

 

 残念そうにミアが言う。

 

「リリルちゃん、ちょっとした作法はあるけどお茶会なんてこんなものよ。相手のもてなしとお話を楽しめればそれで大丈夫、ましてリリルちゃんは貴族じゃないんだから。」

「はい!」

「じゃあ、もう少し練習して終わりにしましょうか。」

 

 何となくお茶会というものが分かってきたリリルはほんの少し肩の力を抜くことができて、何とか一通りの作法を覚えることができた。



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お茶会の参加者

 お茶会の日、リリルはそわそわして来るであろう馬車を待っていた。

 

 すると、大通りに続く路地から馬車らしき音が近づいてくるのが聞こえてきた。こんな道に馬車が通る事なんてほとんどないからすぐにわかった。

 

 リリルにとって、今まで馬車は通りを通っているのを見るものであって間違っても乗るものではなかった。

 また、遠くの町に行くために定期的に町の駅から馬車が出ていることは知っていたが、それに乗るような用事はなかったし、他の町に行くなんて考えたこともなかった。

 だから、これから乗る馬車が見えた時にはワクワクして踊り出したい気分だった。もっとも、みっともなので借りてきた猫のように大人しくしていたが。

 道の曲がり角から、徐々に馬車が現れ、近づいてくる。そして、それは店の前で止まり、前に乗っていた御者が降りてきた。

 

「お待たせしました、どうぞお乗り下さい。」

 

 御者は紳士的に挨拶をし、馬車のドアを開ける。リリルはそれに従って馬車に乗った。

 

「失礼ですが、もうお一方はどちらに?」

 

「えっ?」

 

「私は主人に、お連れするのはお二人と聞いておるのですが……」

 

「お二人って……」

 

「はい、メルセデスという方です。」

 

「ええ!メルちゃん!?」

 

 御者に言われてリリルは慌てて馬車を降りて店に入っていく。

 

「メルちゃん、大変だよ!」

 

「何よ、さっさと行ってきなさいよ。」

 

 お茶会に行ってくると言ったリリルを見送ったメルセデスはまた忘れ物かと邪険にあつかう。

 

「メルちゃんも呼ばれてるんだって!」

 

「はあ!?」

 

「だから、メルちゃんもお茶会に呼ばれてるんだよ!」

 

「はぁ!?私は行かないわよ!」

 

「そんな、困るよぉ、相手は領主様の息子様だよぉ!」

 

「……なんでそんな大物とお茶会する事になってるのよ。」

 

「私にもわかんないよぉ……」

 

 泣きそうなリリルを見て、しょうがないと重い腰を上げる。

 

「わかったわよ、お茶会に行けばいいのね。」

 

 メルセデスは何事もないように立ち上がる。

 

「大丈夫なの?」

 

「何が?」

 

「えっと、私も昨日知ったんだけど、お茶会にはお作法が……」

 

「そんの、なるようになるわ。それに私はエルフ、人族の細かい作法を間違ったところで知った事ですか。」

 

 胸を張って宣言するメルセデスにリリルは不安をつのらせる。そして、ごそごそと準備を始める。

 

 

「待たせたわね、行くわよ!」

 

 準備を終えて、メルセデスは特に気にした様子もなく、馬車に乗り込んだ。リリルもメルセデスに続いて馬車に乗り込む。

 

 馬車は二人が乗り込んだのを確認し、出発していった。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

「ふわぁ、おっきなお家だね。」

 

 町の中央にある領主の家の門をくぐったリリルは感嘆の声をあげる。領主の家は町の最後の防衛施設として堅牢につくられており、避難民や兵士を収められるように、広い庭を持っていた。

 

「そうね、なかなかのものね。」

 

 馬車の窓から見える庭を見て、リリルとメルセデスはそれぞれの感想を言い合う。リリルはやれ花がうわっているとか、石畳が白いとか、完全にお上りさんである。

 

 そうこうしているうちに玄関先に到着し、馬車が止まり御者が扉を開けた。

 

 2人は促されるままに馬車を降りる。促されるままに玄関先に連れていかれると、入り口に侍っていた侍女2人が礼をして、玄関を開ける。その先には、いつも不機嫌そうに前の席で座っている男の子と、もう一人、リリルよりほんの少し身長の小さい赤いドレスを着た可愛らしい女の子が待っていた。

 

「ようこそウォートン侯爵家へ。」

 

 赤いドレス姿の女の子が言った。

 

「この度はお招きいただきありがとうございます!」

 

 帽子を取ってミアの家でならった通りに膝をついて挨拶をする。一方でメルセデスは堂に入ったカーテシーをする。メルセデスにとって、相手は一応は、自分が暮らす街の権力者だから敬意を表す必要があった。

 

「顔をあげてくれ、突然の誘いに応じてくれて感謝する。」

 

「そうですわ、お兄様ったら女の子のお茶会を明日来いだなんて、誘い方も知らないんですもの。」

 

 赤いドレスの女の子に言われ、今まで見たこともないような困った顔をする貴族の男の子

 

「いいえ、大丈夫です!」

 

 初めて貴族の家、それも領主様の家に招かれ、かちんこちんに緊張して答える。自然と返事に力がはいってしまう。そんな様子を見て赤いドレスの女の子は笑顔を見せる。

 

「はじめまして、私はウォートン伯爵家の次女、シャルロッテです。お兄さまからお話は聞いています。」

 

 コストゥラの町を含めたこの地域一帯は、辺境伯を中心として配下の4人の伯爵が管理をしている比較的大きな町だ。さらに、それをいくつか束ねる侯爵がいるのだが、それはまた別の話だ。

 

「ウォートン伯爵家長男、アラン・ウォートンだ。」

 

 初めて名前を聞いたなと思うリリルを置いて、アランは上品な仕草で挨拶をする。

 

「そちらの方はエルフとお伺いしています、よろしければお名前を教えていただけませんか?」

 

「お招きありがとうございます、メルセデス・ユグドラシアと申します。訳あって今はこの町に住まわせていただいています。」

 

相手にも引けをとらないほど、流れるような仕草でメルセデスは挨拶を返す。

 

(メルちゃん、こんなふうにあいさつもできるんだ。)

 

 意外な一面に内心驚くリリル、いったいどこで習ったのだろうか。

 

 シャルロッテは緊張しているリリルの手をとる。

 

「初めまして、あなたが時々お兄様の話に出てくるお薬屋さんですね、よろしくお願いします。」

 

 学校でも、なかなか話す機会がない貴族の女の子に手をとられどぎまぎする。

 

「それに、エルフの珍しいお話も聞かせていただきたいです、どうぞこちらへ。」

 

 勧められるがままに応接室らしい部屋に通される。そこでは既に侍女たちがお茶の用意を始めていた。リリルたちは勧められるがままに椅子に座る。

 

「用意した紅茶はこの領地で作られた葉を使っています。高級品ではありませんが、淹れ方に気をつければ高級品と言われる茶葉ともひけを取りませんわ。」

 

 シャルロッテが合図をすると、侍女が人数分の紅茶を用意して持ってくる。部屋には清々しい紅茶の香りが広がった。

 

「ふわぁ、いい香り。」

 

「そうでしょう、この紅茶は王都にも出荷されてるんですよ。」

 

「我が領地は紅茶だけでなく、色々な食糧を王都に送り出している。そのおかげで今の領地の安定があるんだ。」

 

「お兄様、そんな事より言う事があるんじゃないですか?」

 

「あっ、ああ……」

 

「侍女の方々は少し外していただけませんか。」

 

 シャルロッテが一言言うと侍女たちは一礼し部屋を出て行った。

 

「さあ、お兄様、場は整えましたよ。」

 

 シャルロッテは後は知らんといったふうに紅茶に手をかける。

 

 すると、アランはすっと目線をリリルに向けた。

 

「この間は疑ってすまなかった、エルフなどいるはずがないと思っていたんだ。」

 

「えっ、えっ!?」

 

 いつもの様子とはうって変わって申し訳なさそうに頭を下げるアランを見てリリルは慌てて立ち上がる。この町では、貴族と庶民では大きな差がある。領主の息子から謝られるとはよほどの事態だった。

 

「領主を継いでしまえばそう簡単に謝れなくなる。俺は非を認められるうちはしっかりと謝ると決めているんだ。」

 

「お兄様もこうなってしまうと頑固ですから、許してあげて下さいまし。」

 

「わかりました、お許しします、お許ししますから、顔を上げて下さい!」

 

 リリルは目の前の光景に頭がついていかないものの、何とかしようと思い、半ば叫ぶように言った。

 

「ありがとう、今日は急に呼び出してしまってすまなかった。」

 

「お兄様、女の子には準備の時間が必要なのですよ、次から気を付けて下さいね。」

 

「ああ、次から気を付ける……。」

 

 妹に指摘されて、恥ずかしそうな素振りを見せるアラン。いつもの不機嫌そうな顔しか知らないリリルにとっては新鮮な光景だった。

 

「さあ、湿っぽいお話はこれでおしまいにして、ようやくお茶会が進められますわね。」

 

 それから、アランはいつもの調子に戻り、そんなアランを置いて、リリルとメルセデスはシャルロッテに勧められるがままに、今まで見たこともないようなお菓子と紅茶を楽しんだ。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

「失礼する。」

 

 お茶会を始めてから1つの鐘が鳴った頃、急に扉が開き、上品に仕立てられた貴族らしい服を着た背の高い男性が入ってくる。髪の色や顔立ちは何となくアランに似ているようだった。

 

「父上、今日は帰りが遅いと聞いていましたが……」

 

「ウチの息子が珍しく茶会を開くと聞いてな。何を招いているかと思ったら、こんなに可愛らしいお嬢さん方を招待していたとはな。」

 

 領主は招かれた二人を見て心底驚いていた。

 

「初めて学校の友達を招待したんだから、少し早いが、今日は夕食も食べて行ってもらいなさい。」

 

「父上、食事は5の鐘が目安です、そこまで引き留める訳にはいきません。」

 

「あら、お兄様、さっき4の鐘は鳴りましたわ。料理人に言って少し早めに用意していただきましょう。」

 

「そう言っても、あまり引き留めても悪いだろう。」

 

「あら、そうでしょうか。じゃあ、本人に聞いてみましょうか。」

 

 シャルロッテは領主の登場で小さくなっているリリルに視線を飛ばす。

 

「あの……、だ、大丈夫です!!」

 

 領主とその娘に逆らえるはずもなかった。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

「さあ、冷めないうちにいただきましょう。」

 

 あれよあれよという間に夕食の席に案内され、領主様の合図で銀色の丸い蓋が取り払われる。目の前には見たこともないような豪華な料理が並んでいた。

 

 リリルもおっかなびっくり高級そうな純銀製のカトラリーを使ってミアのお母さんに習った範囲で気を付けて食事を始める。

 

(あれ?おかしいなぁ、おいしそうな食事なのに味がしないよ……)

 

 いい香りのする料理を一口食べて異変を感じる。何の味もしないのだ。変に思ったリリルは、味のしない料理を何とか飲み下して、隣で上品に食べているメルセデスを見る。

 

(メルちゃんは美味しそうに食べてるし、私がおかしいのかなぁ……)

 

「どうですか、お口に合いますか?」

 

 領主様から話を振られたリリルは焦る、味がしないとはとても言えない。

 

「とても美味しいです。この肉も下処理が完璧で生臭くありません。領主様はよい料理人を抱えていらっしゃるようですね。」

 

 リリルがどう答えようかと考えていたところにメルセデスが流れるように答える。

 

「ほう、そのように褒められるとは光栄だ。エルフ族は肉が苦手だと思っていたが……」

 

「それは迷信です。私達は日々の糧を得るために森で狩りをするのです。狩った動物などは余す事なく利用します。」

 

「そうですか、やはり、どんな本や噂話も本物の説得力には敵いませんな。」

 

 領主様は楽しそうにメルセデスと話す。

 

「ところで、あなたは食事の作法も見る限り完璧だ、どこで習われたのかな?」

 

「エルフはただ漫然と長い生を過ごす訳ではありません。日々様々なことを学んでいるのです。」

 

「それは素晴らしい、今すぐ我が屋敷の侍女として働けそうだ。あなたがよければ侍女として働いていただきたい。」

 

「残念ですが領主様、私はこの町ですでに一人に大きな借りを作っています、これ以上その借りを増やしたくないので、その話はお断りさせていただきます。」

 

「ええっ!」

 

 話を断ったメルセデスに驚いてつい声を出す。

 

「……なによ、行ってほしかったの?」

 

「ううん、でもお金は早く返せたほうが……」

 

「あなた、わかってないわね、エルフにとって1年も一か月も大してかわらないのよ。」

 

「ははは、食事の席でこのような話は無粋だったな。」

 

「そうですわ、お父様、食事中は仕事の話から離れて下さいまし。」

 

 不機嫌そうに言うシャルロッテ。

 

「ウチの息子が、まさか女性を二人も茶会に呼ぶとは思わなかったからつい、な。」

 

「父上!」

 

「貴族というのは、偉くなってしまうと貴族か町の権力者としか話さなくなってしまうものだ。ウチの息子はこの領地を継ぐことになるが、それまでに少しでも市井の生活を知ってもらえればと思っていた。」

 

 領主様は話しを続ける。その話す表情はどこか嬉しそうだった。

 

「最近は夕食の席で時々魔法学校での事を話してくれるが、学校に行くようになって初めて町の人の生活について興味を持ってくれたようでな。今まで剣術ばかりだったこの愚息も、少しは領主の自覚が芽生えたと見える。」

 

「今期には2人も魔法を使える平民の方がいると伺っていますわ。本当に珍しいですわね。」

 

「そうだな、一人は母親が貴族だったと聞いているが……」

 

「父上、そんな事はどうでもいいではありませんか。魔法学校には建前かもしれませんが、身分の差などありはしないのです。」

 

「そうだな、そうでなければお前がお茶会を開くのは、あと数年は先になっていたな。」

 

「まあ、その通りですわね。」

 

 シャルロッテが楽しそうに領主の言葉に同意する。

 

(……貴族ってそんなに怖い人じゃない?)

 

 そんなことを思ったリリルは、領主やシャルロッテから振られる話を緊張気味に答えながら、なぜだか味のしない食事を咀嚼する。

 

(メルちゃんも領主様も、アラン様も美味しそうに食べてるし、味がしないのは緊張しているせいかなぁ……)

 

 だが、領主様から出された食事を残す訳にもいかず、何とか食事を終えた。

 

 それから、夕食を終えた二人は、いつくかのお土産を持たせてもらって領主の家を後にした。



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吸血鬼と銀食器

「リリル、起きなさい、今日はあなたの当番でしょ!」

 

  お茶会の翌日、リリルが寝ている屋根裏部屋の下でメルセデスは声をあげる。いつまでたっても起きてこないリリルを不信に思ってメルセデスはリリルが寝ている屋根裏部屋に入っていく。

 

 そして、ベットで寝ているリリルの体をゆすってみる。

 

「メルちゃん……ごめんなさい、お腹と手が痛くって……」

 

 リリルは寝返りをうって焦点があわない目でメルセデスを見る。額からは大量の汗が流れていた。

 

 ただ事ではないと感じたメルセデスはリリルの体を抱きおこす。

 

「この症状、魔力の欠乏症ね、でもどうして……」

 

 大量の発汗と意識の混濁、そして何より体を触った時に感じる魔力の波動がとても小さくなっていた。

 

 これは魔法の修行中に魔法を使いすぎたエルフでよく見てきた症状だ。普通なら安静にしていれば治るが、魔法の修行をしているような様子はない。それなのに、なぜか明らかに魔力の欠乏症になっている。

 

 メルセデスは痛いと訴える手を見る。

 

「手のひらと指先が赤くなってるわね、あとお腹も見せてみなさい。」

 

 メルセデスは有無を言わさずリリルの上着を取って痛いと訴えるお腹を見る。

 

「どこが痛いの?」

 

「ここが…痛い……」

 

 リリルはちょうど下腹部を押さえて訴える。

 

(原因はわからないけど、お腹から魔力が漏れてるわね……)

 

「メルちゃん……ごめんね、今日は私の当番なのに……。」

 

 赤くなっている手を触ってみると、同じように魔力が漏れている事がわかった。

 

(手とお腹……食べ物?でもそれなら私も同じようになってるはずよね……)

 

「あなた、昨日私と違う物を食べた?」

 

「ううん……」

 

 力なくふるふると首を横に振る。

 

「でも何だかわかんないけど、味がしなかったんだよぉ……」

 

「味がしなかった?」

 

(あんなに美味しい料理の味がしなかった?食べた私はなんともないし、食事に毒?でもそんな事をしても何の得もないわ。)

 

 領主の家に招かれた客が体調を崩すなど醜態以外の何物でもない。それに、そんな事をするならもっといい手はいくらでもあるはずだ。

 

「メルちゃん…お店に赤色の薬と毒消しが置いてあるから持ってきて……」

 

 力なく喋るリリル、メルセデスは言われた通りの薬を持ってきてリリルに飲ませる。それでも一向によくなる気配はなかった。

 

(魔力の漏れが止まらない、まずいわね……)

 

 魔力欠乏症は魔力を持つ者の防御本能のようなものだ。使いすぎると体調を崩しそれ以上の魔力の使用を本能的に防ぐものだ。つまり、魔力を持つ者が限界を超えて魔力を放出してしまうと待っているのは……。

 

(迷ってる暇はないわ、やってみるしか……)

 

 

 メルセデスは唯一、魔力を逃がさないための方法を試してみる事にした。

 そして、寝ているリリルを後ろから抱いて体を密着させる。

 

「ふぇ、メルちゃん……」

 

「黙ってて!」

 

 メルセデスは魔力を2人を包む膜状に広げた。

 

(寒さを防いだりする方法だけど、こうすれば、少しは魔力の漏れを防げるわ。)

 

 膜の中はすぐに漏れ出るリリルの魔力でみたされていった。

 

 

「どう? 少しは楽になった?」

 

 メルセデスの作った魔力の膜内を魔力で満たすことで一時的にリリルの魔力漏を収めることができた。

 

「……うん、でもお腹が痛いよぅ……」

 

「我慢なさい、きっとすぐによくなるわ。」

 

(それにしても、この子本当に人間?こんなに魔力を放出してまだ喋れるなんて……)

 

 人間はエルフより魔法も魔力も劣った存在だと聞いていた。その人間の町娘がこれほどの魔力を持つなら認識を改めなければいけない。

 

「メルちゃん、私……死んじゃったりしないよね……」

 

「何いってんの、ちょっとお腹が痛いだけでしょうが。」

 

「うん、でもおかしいの、なんだか体から力が抜けてるみたいで不安なの……」

 

「じゃあ、体力温存、痛くて眠れないかもしれないけど、少しは眠りなさい。」

 

 後ろから抱きしめたまま優しくしゃべりかける。

 

「メルちゃん……そっち向いていい?」

 

 答える前にリリルは寝返りを打って向かい合わせになった。

 

「こうすれば少しは痛いのを我慢して寝られる気がするの……」

 

 そう言ってリリルはメルセデスの胸に顔をうずめる。

 

「あなたって本当に甘えんぼさんね。」

 

「……」

 

 

 メルセデスが茶化すとリリルは胸に押し付けている頭を恥ずかしそうに横にふる。

 

「あなたが眠れるようになるまでこうやってあげるから、寝られなくてもいいから目を閉じていなさい。」

 

 メルセデスはリリルを安心させるため、胸のあたりにある小さな頭を撫でてやる。

 

 すると、しばらくしてすーすーと小さな寝息が聞こえてきた。

 

(さて、眠ってくれたけど、問題が解決した訳じゃないわ。どうして魔力が漏れるのよ、それも手とお腹、意味がわからないわ。)

 

 これは食あたりだとかそういった類の問題でないことは魔力の流れを人族よりはるかに感じやすいエルフ族のメルセデスにとっては明白な事だった。

 

(原因がわからない以上、このまま魔力を漏れないように助けてあげるしかないわね、でもずっとはできないし……)

 

 思い当たる節といえば昨日招かれた領主の家での食事くらいだ。

 

(まさかね……)

 

 一つの可能性を見出したものの、メルセデスは頭を振ってその可能性を振り払い二人をつつむ魔力の膜に集中する。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 時折苦しそうな声を出すリリルを抱いたまま、4の鐘を聞いたメルセデス、お昼はとっくに過ぎ、もう次の鐘は夕方頃に鳴る5の鐘だ。

 

(全然よくならないわね。まだ大丈夫だけど、こうも長いと疲れるわ。)

 

 メルセデスが使っている魔力操作はエルフが寒冷地や酷暑地帯を旅するときに使う魔法だ。長時間使うこともできるが、旅の途中は当然野営をして、眠る訳で、四六時中使い続けられるような魔法ではない。

 

 我慢強く魔法を維持するメルセデス、するとリリルがひときわ大きな身じろぎをした。

 

「あら、起きちゃったの?」

 

 声に反応したのか、リリルは顔をあげメルセデスの方を見る。

 

「えっ!?どうしたのよ?」

 

 とろんと蕩けたような目で見上げるその目はいつもの美しい青ではなく、鮮血のような赤色だった。

 様子のおかしいリリルに戸惑っているうちにリリルは引き寄せられるようにメルセデスの首筋に顔を近づける。

 

かぷり

 

「えっ!?」

 

 首筋に刺すような痛みが走った。メルセデスは何が起こったかわからず、ただ戸惑うばかりだ。そのうちにこく、こく、と小さく喉を鳴らす音が聞こえ、ようやく自分が血を吸われている事に気が付いた。

 

(こっ、この子、血を吸ってる!?)

 

 本能的に理解したメルセデスは急いでリリルを引きはがそうとするが、体に力が入らない。

 

 噛まれた場所から力が抜けていき、かわりにゾクゾクと全身が痺れていく。その頭を直接触られているような感覚に抵抗する意志すら抜かれていくようだった。

 

 

 

 

「はっ、はあっ、はあっ、はあっ……」

 

 メルセデスの血をいくらか吸って満足したのか、リリルは首筋から牙を抜き、再びすーすーと寝息を立て始めた。

 

 ほんの数十秒の時間だったが、メルセデスは血のかわりに流し込まれる感覚にぐっしょりと汗をかき、腰も抜けてしまってい、立つことも出来なくなっていた。

 与えられた不思議な感覚のため、放心状態でしばらく天井を見上げていた。

 放心状態からしばらくして、我に帰ったメルセデスは、リリルの体の異変にすぐに気がついた。

 

「……魔力の漏れが収まってる!?」

 

 

 信じられないものを見た気分だった。今まで人族だと思っていた同居人が実は魔族だったのだ。それも探していた吸血鬼である。

 

 もし、吸血鬼なら今回の腹痛も説明がつく。領主様の家のフォークやナイフなどの食器は、ことごとく銀で作られていたからである。それを使っていたのだから、吸血鬼にとっては毒を食べているのと同じだ。

 

「そんな、でも魔族なら闇の魔力を持っているはずよ、でもこの子からは感じられなかったわ。」

 

 メルセデスは苦しそうにしていたさっきとはうって変わって、気持ちよさそうに寝息を立てるリリルのおでこに指をあてた。

 

「魔力よ、共鳴せよ。」

 

 

 メルセデスは確かめるように魔法を使う。この魔法は体を接触させた相手の魔力属性を探る魔法である。魔族ならほんの少しでも闇属性の魔力を持っているはずだと思ったからだ。

 

 

「そんな、ありえないわ!」

 

 帰ってくる魔力反射にメルセデスはあり得ない物を見た気分になる。

 

 

「光属性の吸血鬼なんて、どうして存在できるわけ!?」

 

 エルフの巫女が言っていた予言はおそらくこの子の事なのだろうと自然に納得する。絶滅したはずの吸血鬼が生き残っていて、その上、吸血鬼としてはありえない形で存在していたのだから。



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ミアのやきもち

「ふわぁああぁぁ~」

 

 

 町の鐘が鳴ったのを聞いて目を覚ますリリル、寝ているうちに1日が過ぎてしまったようだ。

 

「ふわぁ~~、あれ?メルちゃん?」

 

 あくびをした後に昨日の出来事を思い出してメルセデスを探す。

 

「いない、でも……お腹も痛くないし、治ってる?」

 

 起きてすぐに、あれだけ痛かった腹痛は治っていることに気づく。それどころかいつもより体の調子がいい気がする。

 

 リリルは屋根裏部屋を降りてメルセデスを探す。

 

 

 

「メルちゃん?」

 

 

 

 探してみると、メルセデスが机に突っ伏して寝ているのを見つけた。

 

 

 

「メルちゃん、こんなところでどうしたの?」

 

「んん?ああ、考え事してたらちょっとね……」

 

 

 

 目に隈を作っているメルセデスを見て、きっとメルセデスが寝ずに看病してくれたんだと思って嬉しくなる。

 

 

 

「メルちゃん、昨日はありがとう、お腹が痛いのも治っちゃった。」

 

「そう、よかったわね……」

 

 

 あまり嬉しそうじゃないメルセデスを見てリリルは不思議に思う。

 

 

「メルちゃん、どうしたの?もしかして私の病気が移っちゃった?」

 

「そんな事ないわよ、ちょっと考え事してただけよ、朝ごはん作ってくるわ。」

 

「メルちゃん、どうしたんだろう……」

 

 すっと立ち上がって台所に消えていくメルセデスを見て不安になる。

 

「あと、一昨日の領主様の屋敷で働く話、受けようと思ってるから。」

 

「ええっ、受けないって……」

 

「気が変わったのよ、アラン様に言っておいてくれる?」

 

「うん……わかった……」

 

 メルセデスの急な申し出にさみしそうに答える、確かに領主様に雇われれば安泰だし、借金も早く返せる。リリルが止められるような理由はなかった。

 

 メルセデスに用意された朝食を無言で食べる、おいしく感じた朝食も、またいつもの味に戻ってしまったようだった。

 

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 朝のできごとがあって暗い気持ちで学校に着くと、教室のみんながひそひそ話をしているようだった。

 

 リリルはそれにも気づかず、無言で自分の席に座った。

 

「おい。」

 

「おい!」

 

「はい!?」

 

 前の席から声がかかって2回目でようやく気が付く、心は今朝の出来事で上の空だった。

 

「昨日はどうして休んだんだ?」

 

「えっ!?あの、あの、お腹が痛くって……」

 

 おどおどして話すその姿を見て、周囲のひそひそ話がさらに大きくなる。

 

「そうか……」

 

「あの、メルちゃんが領主様のところで働くお話し、やっぱりお受けしますって……」

 

 

 その言葉を聞いたアランは意外そうな顔をした。

 

 

「わかった、何があったか知らんが、父上に話しておく。」

 

 

 アランはそう言うと、いつものように話は終わったとばかりに前を向いた。

 

 

(リリルちゃん、昨日休んでから元気ないよ……お茶会で何かあったのかな……?)

 

 

 お茶会に行った次の日に学校を休んでしまっては、よからぬ噂がたつのもしかたのない事だった。

 

 いつも元気にふるまっているリリルがこんなふうに思い詰めている姿を見るのはミアには耐えられなかった。

 

 

 

 

「リリルちゃん!」

 

 

 

 後ろで様子を見ていたミアは立ち上がってリリルを教室の外へ引っ張って行く。

 

 

「ふぇ、ミアちゃん!?」

 

 

 ミアはこの間のように驚くリリルの手を引いて部屋の外に出る。

 

 

「ミアちゃん、どこ行くの、もう授業始まっちゃうよぉ!」

 

「今日は学校は休みなの!」

 

「ええっ?」

 

「私がそう決めたの!」

 

 

 状況が呑み込めないままのリリルを引っ張って、ミアは学校の外へ飛び出した。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 ミアはリリルの手をひいて町を歩く、到着したのは北の町の中心にある広場だ。

 

 

「ミアちゃん、どこまで行くの?」

 

「そうね、今日は学校は休み、ここで遊びましょう!」

 

 

 

 不思議そうに聞くリリルに答える。

 

 

 

「遊ぶって……。」

 

「そうそう、ここのお店のりんごタルト、安くて美味しいんだよ!」

 

「ええっ!でもお金ないよ…。」

 

「いいのいいの!」

 

 

 

 ミアはリリルの手をひいてお店に入る。

 

 

 

「いらっしゃいませ。」

 

 

 

 店員らしい女性がお店に入って来た2人に声をかける。

 

 

 

「りんごのタルトと紅茶を2人分おねがいします。」

 

「承りました、奥の席へどうぞ。」

 

 

 

 あれよあれよという間に2人分の注文をしてしまったミア。

 

 

 

「あの、ミアちゃん……」

 

「いいの、学校を連れ出しちゃったお詫びよ。」

 

 

 

 ミアは悪戯そうに舌を出して言う。

 

 

 

「お待たせしました。」

 

 

 

 すぐにミアとリリルの前に先ほど注文したタルトが運ばれてくる。

 

 

 

「さあ、リリルちゃん、今度は何があったのか話してくれる?」

 

 

 

 タルトを一口食べたミアは本題に入った。

 

 

 

「うん、ミアちゃん今日の朝ね……」

 

 

 リリルは今日の朝の出来事を話す。

 

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

「そう、そのエルフの子がやっぱり領主様のところで働きたいって言いだしたの……」

 

「そうなの、メルちゃんって領主様の前では働きませんって言っておいて、ひどいよね。」

 

 

 

 今朝の事をまた思い出してしょんぼりする。

 

 

 

「リリルちゃん、どうして気が変わったのか聞いてみた?」

 

「ううん、でもお金を早く払いたくなったんじゃないかなあ?」

 

 

 

 リリルの予想は当たっていた。探し人が見つかったメルセデスは一日でも早く森に帰る事を考え始めていたのだ。

 

 

 

「そう、でもそうにしたってやっぱり理由を聞いて話し合わないとダメだよ。」

 

「でも、私に止める権利なんてないよ……」

 

「権利なんて話じゃないよ、リリルちゃんはそのメルちゃんにどうして欲しいの?」

 

「えっと、えっと、一緒に暮らして欲しい……です………。」

 

 

 

 消え入りそうな声で言う、こんな風に友人を悩ませるメルセデスって子は一度分からせてあげないといけないと決心するミア

 

 

 

「そう、だったら伝えるしかないんじゃない?」

 

 

 

 ミアは真剣な目でリリルを見据える。

 

 

 

「伝える?」

 

「そう、メルちゃんと一緒に暮らしたいから領主様の仕事は断って欲しいって。」

 

「ええっ、そんな事、できないよぉ……」

 

「じゃあメルちゃんが領主の家に働きに出て二度と帰ってこなくてもいいの?エルフの女の子ならさっさと囲われちゃうかもしれないよ?」

 

 

「それは……嫌だよぅ……」

 

 

 泣きそうな声で答えるリリル。

 

 

 

「じゃあ答えは決まっているんじゃない、リリルちゃん、勇気を出して!」

 

「うん、わかった……」

 

「さあ、湿っぽいお話はおしまい、話は決まったんだし、行きましょうか。」

 

 

 

 紅茶を飲み干してミアは席を立った。リリルもつられて席を立つ。

 

 

 

 

 

「ミアちゃん、少しだけ手を握ってもらっていい?」

 

「うん、いいけど?」

 

 

 

 ミアは差し出された細い手を取った。

 

 

 

(リリルちゃんの手、小さくてすべすべだぁ…)

 

「ちょっとだけ勇気を分けてほしいなって……」

 

 

 

 ミアの手をきゅっと握るリリルの手は、ほんの少し震えていた。だが、それは本当に勇気をもらったかのように止まっていく。

 

 

 

 

「ありがとう、ミアちゃん!私、メルちゃんのところに行ってくる!」

 

 

 リリルはそう言って自分の家の方向に走り出した。。

 

 

 

 

「勇気をもらってるのは私のほうだよ……」

 

 残されたミアは呟く。

 

 ミアは魔法学校が終わって数年もすれば、別の町の商人のもとに嫁がなければいけない。決まったのは魔法学校に入学するほんの数か月前で、決して自分が望んだものではなかった。だから、勝手に結婚相手を決めた親を恨んだりもした。

 

 ちょうどその頃、魔力があることがわかり、ミアは気持ちを少しでも紛らわすために勉強に打ち込もうと、自らの意志で学校に通う事にした。

 

 そこで偶然リリルと出会うことになった。最初は同じ平民同士で仲良くできればいいなと思っただけだったし、リリルもきっとどこかの商人か何かの娘だと思っていた。なぜなら、外見だけならミアよりよほど良家の出に見えたからだ。

 

 だが、ほんの少し話しただけで、ミアの予想は裏切られた。両親はおらず、世話をしていた祖母も数年前に失踪し、一人で生活しているのだという。そんな大変な思いをしているのに、彼女はおもしろいほどたくさんの表情を見せてくれる。そこからミア自身、何度勇気をもらったかわからない。不幸を比べる訳ではないが、彼女に比べれば親が結婚相手を決めた事など、ほんの些細な事に思えてきたのだ。

 

 だから彼女が寂しそうに俯く姿は見たくないし、いつだって笑っていてほしい。そんな思いから柄にもなく学校の授業をほっぽり出して一緒に遊びに行こうとしたのだ。

 

 学校では一緒に勉強をして、笑いあう仲になったが、あの子はメルというエルフと同じように自分と離れ離れになる時に、一緒にいてほしいと言ってくれるのだろうか。

 

 

 

「なんだか、ちょっと妬けちゃうな、メルちゃんって子に……」

 

 

 その呟きは誰にも聞かれることなく、町の中に溶けていった。。

 

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 家の前まで戻ってきたリリルは、ミアの手の感触を思い出し、勇気を振り絞って扉を開けた。

 

 

「あの!あの!メルちゃん!!!」

 

 

 息も絶え絶えにお店に帰ってきたリリルを不思議そうに見るメルセデス。

 

 

「どうしたのよ、それにあなた、学校は?」

 

「一緒にいてください!!」

 

 

 

 

「……はぁ?」

 

「あっ、あっ、こ、これは、あの、ちがくて………」

 

 

 領主様の家に働きに行かないで、一緒に暮らして欲しいと言おうとしたところ、緊張してとんでもない事を口走ってしまったと気づき、あわあわと訂正しようとする。それを見てあきれ顔のメルセデスが言う。

 

 

「はいはい、わかったわよ、あんたみたいな甘えんぼさんを今更一人にさせられる訳ないものね。」

 

 

「えっ、じゃあ!」

 

「領主の家に働きに行くのはやめにするわ、これでいいんでしょ?」

 

「やったぁ!メルちゃん、私メルちゃんが出て行かないように頑張る!」

 

 

(昨日のことはあるけど、この子が世界樹をどうにかするなんて考えすぎかもしれないし、もう少し様子を見てからでいっか。)

 

 

 走ってきたのか、辛そうに息をはくリリルを見て、恩人が吸血鬼であることに気づき悩んでいた自分がばかばかしくなってきたメルセデス。

 

 

「そんなふうに引き留めるなら領主の家ほどではないにしろ、稼がせてくれるんでしょうね?」

 

 

 メルセデスに言われてリリルは思い出したように手を叩く。

 

 

 

「そうだ、マンドラゴラがあればもっとお金を稼げるようになるんだ!」 

 

「へえ、そうなの、特に珍しくもない物ね。」

 

「でも、手に入れるためには町の外に出かけないといけないんだ、川のそばに生えてるんだよ。」

 

 

 メルセデスを見つけたのもマンドラゴラを見つけて新しい薬を作り、がっぽり稼げるようになるためだった。

 

 

 

「マンドラゴラならあるわよ。」

 

「ふぇ?」

 

 

 メルセデスはそう言うと、ポケットから布袋を出して中身を見せる。中には様々な色の植物の種が入っていた。

 

 

「マンドラゴラの種よ、土に埋めて水と魔力をしっかり与えれば1日でできるわ。」

 

「ええっ、ほんとに!?」

 

 

 

 マンドラゴラは種からできる、図鑑にも書いていない初めて聞く話だった。

 

 

「でも、抜くと叫んじゃうんでしょ?ウチじゃ育てられないよ……」

 

「あなた、何にも知らないのね。マンドラゴラは抜く前にちゃんと処理をすれば叫ばないのよ、それに叫ばれると美味しくなくなっちゃうじゃない。」

 

「ええっ、マンドラゴラって食べられるの!?」

 

「だから持ってるんじゃない、そんなに美味しくないけど旅の非常食よ非常食。」

 

 

 さらりととんでもない事を言うメルセデス、彼女が持っている種を素材にするだけでなく、食べることができれば少しは食糧事情がよくなりそうだ。

 

 

「メルちゃん、さっそくやってみようよ!」

 

 

 

 すぐにやる気になったリリルは栽培用の土を掘りに行く準備を始めるのだった。




初めて感想いただきました、ありがとうございます。


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青色回復薬とレシピ集

沢山の感想を頂きました。
返事にはしばらく時間がかかりそうですが、とても力になりました。ありがとうございます。


「メルちゃん、メルちゃん、できてるよぉ!」

 

 マンドラゴラが気になって早起きをしたリリルは昨日植えた種を見て小躍りしそうになる。

 

「ふわぁぁぁあぁ~、朝っぱらから騒がしいわね……」

 

 リリルの呼び声に眠そうな眼をこすりながら答える。

 

「あら、思ったより生育がいいみたいね、これなら問題なさそうだわ。」

 

 つんつんと葉先を触って感触を確かめるメルセデス、それに合わせて生きているかのように葉をゆらすマンドラゴラは見ていて面白い。

 

「メルちゃん、抜いちゃダメなんだよね、どうすればいいの?」

 

「こうするのよ、よく見ておきなさい。」

 

 メルセデスは1本の針を持ち出し、自分の魔力を付与する。その針をマンドラゴラの露出している頭頂部に突き刺した。

 

「これで大丈夫よ、抜いてみて。」

 

「うん……」

 

 いわれるがままにマンドラゴラに手をかけて抜いてみる、ほとんど抵抗もなく抜けていくマンドラゴラ、図鑑に書いてあるように叫びだすこともなかった。

 

「へえ~、これがマンドラゴラかぁ~。」

 

 図鑑どおり大根に手と足が生えたような形状で、よく見ると顔のように見える部分がある。

 

「この赤いマンドラゴラはすっごく辛いから工夫して食べないとダメよ、一応全部の種類を植えてみたけど、どれが必要なの?」

 

「たぶん、この青いのだと思う……」

 

「そう、じゃあ、おんなじようにやってみなさい。」

 

「わかった……」

 

 緊張した面持ちで、メルセデスと同じように魔力を針にまとわせ、マンドラゴラの頭頂部に刺す。

 針は特に抵抗もなくマンドラゴラに突き刺さった。

 

「メルちゃん、これで大丈夫なの?」

 

「へえ、一応魔法の基礎は出来るみたいね。関心関心、大丈夫よ、引っこ抜いてみて。」

 

 言われておそるおそる引っこ抜いてみると、メルセデスがやったのと同じように、何の抵抗もなくするりと抜けていった。

 

「メルちゃん、出来たよ、これで青色回復薬が作れるよ!」

 

「ちょ、針、危ない!」

 

 嬉しさのあまり針を持ったままメルセデスに抱き着いて怒られる。

 

「それより、今日は学校じゃないの?」

 

「たいへん、そうだった!」

 

 最近学校を休みがちになり不良学生になりかけているリリル、なんとかその汚名を返上しなければいけない。慌てて準備をして家を出た。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 教室に入ると、いつものように仏頂面で座っているアランが見える。今日は昨日の話を断らなければならない。勇気を出してアランの前に立った。

 アランの前に仁王立ちするという、普段では考えられない行動と、覚悟を決めたような顔をしているリリルを見て、何か納得したようにアランは口を開いた。

 

「なんだ、どうせ働くのをやめると言いたいんだろう。安心しろ、父上にはまだ何も言っていない。」

 

「わわっ、どうしてわかったんですか?」

 

「わかりやすいお前の行動を見ていればわかるさ。」

 

 そんなことお見通しだと言わんばかりにアランは言う。

 

「あの、申し訳ありませんでした……」

 

「ほう、少しは言葉を覚えたようだな。まあいい、使用人が一人増えなかっただけで大した事ではない。」

 

「アラン様、ありがとうございます!」

 

 勢いよく頭を下げるリリルを見て何が起こったのかとひそひそ話をする教室の貴族たち。そして、何が起こっているのか知っているミアは真剣に事の成り行きを見守っていた。

 

 

「ミアちゃん、ありがとう。」

 

 席に着くまえに、小声でミアに話しかける。昨日とはうって変わって笑顔を見せるリリル、それを見ていると自分まで嬉しくなってくる。

 

「リリルちゃん、貸しひとつね。」

 

「ええっ!?」

 

 ほんの悪戯心で言ってみると、豆鉄砲をくらったように目を白黒させる。

 

「冗談よ。」

 

「もう、ミアちゃん、でもお礼はさせて。もうすぐ青色回復薬が出来そうなんだ。完成したらミアちゃんにあげるね!」

 

「ありがと、楽しみにしてるね。やっとマンドラゴラが採れたんだね。」

 

「うん、メルちゃんがなんとかしてくれたんだ、やっぱりエルフってすごいよ。」

 

「……そうだね、なんて言っても物語にしか出てこないような種族だもんね。」

 

 心底感激したように言うリリルを見て、何となく心がもやもやする。そんな感情を押し殺し、笑顔を作って話すミアだった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「ふうん、この釜で作るのね。」

 

「そうだよ、今日はマンドラゴラも手に入ったし、メルちゃんにも見てもらおうと思って。」

 

 学校が終わってから一直線に家に帰ってきたリリルは、薬の調合室で回復薬を作る準備を進める。部屋にはリリルの体がすっぽり入りそうなほど大きな釜が置いてあり、その前で得意げに説明する。すでにマンドラゴラは青色回復薬のレシピどおりにすり潰されている。

 

「じゃあ、始めるよ。」

 

 リリルは倉庫で干してあった薬草を水を張った釜の中に投げ入れた。

 

「これで火にかけて、薬草が沈んだらマンドラゴラを入れる……」

 

「へえ、なかなかのものじゃない、薬を調合できるってのはほんとうだったのね。」

 

 メルセデスはリリルの手際に関心する。

 

(……なるほど、混ぜ棒が魔力を素材に伝えることで反応を速めて効果を底上げしてるのね。)

 

 真剣に混ぜ棒で鍋をかき混ぜるリリルの魔力の流れを興味深く観察する。混ぜ棒で釜の中に流れた魔力が釜の中で反射して、素材の中に取り込まれていく。この調子で調合していくとかなりの高品質の回復薬になるのは素人目にもわかった。

 

「赤色の回復薬なら、このあたりでこの木の実を入れるんだけど、今日の回復薬はこの青い草を入れるみたい。」

 

 マンドラゴラを鍋に入れて火力を高めてしばらくすると、鍋の表面に気泡が浮いてくる。その様子を慎重に見極めて刻んだ青い薬草を放り込む。

 

「あとは火力を調整して煮立つか煮立たないかの温度に保って一晩たって上澄みを回収すれば完成だよ。」

 

「へえ、簡単に出来るのね。」

 

「レシピは赤色の回復薬とほとんど同じだけど、この回復薬には魔力が必要みたい。でも、おばあちゃんの道具は魔力のための魔石は必要ないんだって。」

 

 リリルはかきまぜ棒を置いて、メルセデスに薬の調合法が書いてある分厚い本を見せる。

 

「へえ、その中に作り方が書いてあるのね。」

 

「うん、でも今の私の力じゃ半分も作れないや。これと同じような本がまだ9冊もあるんだよ。」

 

 メルセデスはリリルから本を受け取ってぱらぱらとめくってみる。

 

「なるほど、この本は初級編なのね。」

 

「ふぇ、どうしてわかるの?」

 

「表紙に書いてあるわ、なぜか古代エルフ文字だけど。」

 

 メルセデスは表紙の象形文字のような字を指さす。

 

「古代エルフ文字でうさぎは初級を意味するのよ。それにこの文字の組み合わせだから初級の薬って意味なのよ。」

 

「メルちゃんって物知りなんだね、じゃあ残りの本はどうなんだろう?」

 

「そうね、私も気になるわ、見てみましょう。」

 

 二人はレシピ本が置いてある物置に行く。

 

 

 

「これで全部だよ。」

 

 リリルは物置の本棚に並んでいる本をメルセデスに見せる。

 

「ふんふん、薬の中級、上級はこれね、あとは魔法薬の初級から上級、魔道具の作り方まで初級から上級まであるわ、それに……」

 

 メルセデスは一つだけ赤い色をした本を手に取る。表紙の文字から読み取るに、これは武器の本のようだ。興味が沸いたメルセデスは最後の武器の本をパラパラとめくってみる。

 

(……これは!!)

 

 

「メルちゃん、魔法薬ってどんなものなの?」

 

「わわっ!急に声をかけないでよ!!」

 

 武器の本の内容に衝撃を受けていたところに声をかけられ、持っていた本を取り落としそうになる。

 

「魔法薬っていうのは瓶を割ることで魔法が発動する薬のことよ。あなた、本があるのに見ていないの?」

 

「うん、おばあちゃんがこの本の薬を全部作れるようになったら、もう一つのうさぎさんを練習しなさいって言われてて、あと赤い本はどうしても困った時に開くものだって言ってたよ。」

 

 のんきに言うリリルを見て気が重くなる。

 しれっと世界を滅ぼしかねない本が無造作に埃をかぶっている現実に眩暈を覚えそうになる。

 

(あんなヤバい本がなんでこんなぼろっちい店に置いてあるのよ、エルフなら世界樹の根に厳重保管のレベルよ、これはますますこの家を離れられなくなったわ!)

 

「リリル、この本はあなたのおばあさんが残してくれた財産よ、もっと大事にしなさい。」

 

 メルセデスにがしっと両肩を掴まれたリリルは目を白黒させる。

 

「うん、わかってるけど……」

 

「世界を滅ぼそうとする悪い魔族の手に渡ったりしないように大切に保管しなくちゃダメよ!」

 

(あぁぁあぁぁあぁぁ、もう魔族の手に渡ってるじゃない!)

 

 言ってからその事実に気づいたメルセデス、もはや何が何だかわからなくなってきた。

 

「メルちゃん、さっきから変だよ。何か悪い物でも食べた?」

 

 一人頭を抱えているメルセデスを見て物珍しそうに言う。

 メルセデスが普通に戻るにはもう少しの時間を要するのであった。

 



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青色回復薬の使いみち

「やったぁ、出来てる出来てる!」

 

 翌朝、早起きをして調合釜の蓋を開けると、見事に澄んだ青色の上澄みが出来ていた。青色回復薬の完成である。

 

 リリルは手際よく上澄みを掬いギルド規格の小瓶に詰めていく。

 

「ふわぁ…赤色も綺麗だけど、青色も綺麗……。」

 

 小瓶に詰まった薬は、夏空のように澄んだ青色をしていた。

 

「よっし、これはミアちゃんの分で、これは納品用で……あと、受け取ってくれるかわからないけど、もう一つお詫びに持って行こうっと。」

 

 完成した回復薬を瓶に詰めおわり、勉強道具の入った鞄にそのうち二つを入れ、残った瓶を籠に入れて調合室を出る。

 それからメルセデスが準備した朝食を口に放り込んで家を出る。

 

「メルちゃん、今日の納品よろしくね!」

 

 ぱたぱたと軽い足音をさせ、リリルは学校へ続く道を走って行った。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「さてと、手がかりを探しましょうか……」

 

 リリルが学校へ出かけたあと、メルセデスは朝食の後片付けをして昨日教えられた十冊の本のある物置に入った。

 

(あれほどの本なら世界樹を何とかする手がかりがあるかもしれないわ。)

 

 最初に薬の上級の本を手にとって開いてみる。世界樹の図書館にある分厚い百科事典なみの厚さの本は、驚くべきことに、挿絵も含め、すべて手書きであった。

 

「すごいわ、不老の薬に巨大化、小人化、思い描いた姿になれる変身の薬、何でもありそうね……」

 

 メルセデスは興味の赴くままにページをめくっていく。

 

「これは、不死の薬……」

 

 本の後半のほとんどは不死の薬について書かれていた。研究を見る限り、理論は完成していたが、材料が足りずに作るまでには至らなかったようだ。

 

 

「なるほど、人族は寿命からは逃れられないから、一度身体を魔力体に分解して再構成すれば理論上は永遠の命が得られると、そのために必要な物を書いているのね。でもそうなるともはや人族じゃなくなるわね……」

 

 上級編の最後のレシピということで興味をひかれたメルセデスは不死の項目を読み進める。

 

「最後に必要な材料は……吸血鬼の灰と……吸血鬼の灰!?」

 

 最後に書かれていた驚くべき内容に本を取り落としそうになる。足の上に落ちたら悪夢である。落としそうになった本を持ち直して続きを読んでいく。

 

「もしかして、あの子はこのために生かされてるとか?これを書いたおばあちゃん?は材料集めのために旅に出てる可能性もありそうね……」

 

 不死の薬の最後に書かれていた材料を見て物騒な考えが頭をよぎる。

 

「まあいいわ、リリルの言うおばあちゃんがどんな人かわからないし、いない人の事を考えてもしょうがないわよね。それに、いざとなれば連れて逃げれば良い訳だし……。」

 

 いったん物騒な考えを棚上げし、ふたたびページをめくる。

 

「なんにしろ、手がかりを探しておかないと。」

 

 それから上級を探してみるが、目的の世界樹に関することは見つからなかった。

 

 

 

「すごい内容だったけど、探してるものじゃないわね。中級を探してみましょう。」

 

 メルセデスは次に犬(恐らくオオカミ)の象形文字の書いてある本に手を伸ばす。

 

 

 

「このあたりは身体強化系ね、それに媚薬、惚れ薬に自白剤、いったい何を目指しているのやら、こんなのあの子に作らせるつもりかしら……」

 

 中級には雑多な薬の作り方が書いてあり、ところどころに記されている変な薬に眉をひそめる。使い道のなさそうな薬屋からしょうもない薬まで、本の中には思いつくだけのレシピがあった。

 それから、しばらく本をめくっていると世界樹に関する考察と書かれているページを見つけた。

 メルセデスは逸る気持ちを押さえて内容に目を通す。

 

 

「なになに、一般に世界樹は瘴気を浄化する存在と考えられているが、逆に瘴気が枯渇することで世界樹が不安定になる可能性がある……」

 

「つまり、あの子が言っていた数百年前にあった人族と魔族の戦争で人が勝利したから世界樹は衰えている、そんな仮説ね……」

 

 メルセデスは本を読み進める。

 

「世界樹の衰えによる影響は……」

 

・瘴気の浄化が遅くなり瘴気溜まりができ、魔物が大量発生する。

・それにあわせて魔物を統べる知能を持った魔族が生まれやすくなる。

・これらの現象は約300年周期で生起し、過去にはその反動で世界樹が魔族に滅ぼされた記録がある。

・この現象を防ぐには世界樹の近くで瘴気を発生させ干渉することが有効と考えられる。

 

「なるほど、理にかなってるわね。それで干渉するための方法は……」

 

 ようやく解決の糸口がみえてきたメルセデスは次のページをめくる。

 

 この事態に対処するには、世界樹を材料に使った活性剤(中級の薬参照)と瘴気発生装置(中級の魔道具参照)を用いることで影響を和らげることができると考えられる……まあ、そんな事に関わる事はないと思うけどね。

 

 

「すっごく関わってるわよ!!」

 

 真剣な内容から急に話し言葉で締めくくられている文章を見て、危うく本を投げつけそうになる。下手すると人族も滅ぶような内容なのに扱いが適当すぎて眩暈がした。

 

「つまり、この活性剤と瘴気発生装置を作れば世界樹が滅ぼされるような事はなくなるのね。」

 

 そこから、メルセデスは必要と書かれていた2つの作り方を本で探し始めるのだった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「ミアちゃん、おはよっ!」

 

「おはようリリルちゃん、上手くいったみたいね。」

 

「うん、青色回復薬なんだけど、ちゃんと出来たんだよ。」

 

「よかったね!よくギルドに納品してるって言ってた赤色とはどう違うの?」

 

「えっと、赤色は血を止めたりするのに使うらしいんだけど、青色はもっとひどい怪我でも治るんだって。あと、えっと……」

 

 リリルは話しながら自分の鞄をごそごそと探る。

 

「ミアちゃん、いつもありがとう、受け取って下さい!」

 

 渡そうと思っていた瓶を両手で持ってミアに突き出す。

 

「わぁ……綺麗な水色ね。私のお店でも置いてあるんだけど、こんなに綺麗な色の物は見たことないなぁ……」

 

 ミアは差し出された瓶を手に取って明るい方に翳すと、水色の薬は光を受けてきらきらと輝いて見えた。

 

「リリルちゃん、ありがとう、大切にするね。」

 

 受け取った瓶をミアは大切に鞄の中にしまった。

 

「大切にしてほしいけど、でも、周りの人やミアちゃんが怪我したら使ってよね!」

 

「わかった、友達に優秀な薬屋さんがいればまたすぐに手に入れられるものね。」

 

「優秀だなんて、そんなことないよぉ……」

 

 ミアに言われ、恥ずかしさ半分、嬉しさ半分といった様子でもじもじする。

 

「そう、じゃあなんて呼べばいいの?」

 

「もう、ミアちゃん、からかわないでよぉ……」

 

 

 

「お前たちはいつも騒がしいな。」

 

 少し遅目に教室に入ってきたアランが不機嫌そうに言った。

 

「わぁ、ごめんなさい!」

 

「ふん、わかればいいのだ。」

 

「あの、アラン様」

 

 いつものように座ろうとしたアランに声をかける。

 

「なんだ、何か用か?」

 

「この前のお茶会のお礼です、受け取って下さい!」

 

「ちょっと、リリルちゃん!」

 

 

 

 リリルの意外な行動にあわてて声をあげてしまうミア、領主の息子にいきなり贈り物をするなど非常識極まりなかった。周囲もその行動を見て急に騒がしくなる。

 

 差し出された小さな薬瓶を見て、変な生き物を見たかのように目を白黒させるアラン

 

 

「はぁ……」

 

 アランは一つ大きなため息をつき、差し出された小瓶を受け取った。相手は平民で、要するにそんなルールなど知らないのだと悟ったのだ。

 

「それで……腹痛は治ったのか?」

 

「はい!もう大丈夫です!」

 

 声をかけられ、緊張気味に答える。

 

「そうか……これはもらっておこう。剣術の修行では怪我をすることが多くてな。」

 

 そう言うと、話は終わったと言わんばかりに席に着き、前を向いた。いつもの声をかけられないアランの完全である。

 

 

「リリルちゃんって案外大胆なんだね……。」

 

 ひそひそとリリルに話しかける。

 

「えっと、ミアちゃんから勇気をもらったからかな、えへへ……」

 

(ううん……ちょっと勇気をあげすぎちゃったかな……)

 

 困ったように笑うリリルを見て、そう思ってしまわずにはいられなかったミアだった。




ブクマ、評価等ありがとうございます、やる気がアップしました!


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メルセデスと借金取り

「はぁ……最近リリルちゃんが来てくれない……。」

 

 冒険者ギルドの受付窓口で暇をもてあましていたミーナが呟く。メルセデスがリリルのお店で働き始めたことで、ギルドへの納品もメルセデスがやるようになってしまったのだ。

 

 そして、今日もフードをかぶったメルセデスが冒険者ギルドに来た。フードはかぶっているが、いまだに服を買えていないのか、あいかわらずお婆さんが着るようなゆったりとした服をむりやり着ているようだった。

 

「今日のぶん、納品しに来たわ。」

 

 不機嫌そうに言って薬の入った袋を差し出すメルセデス

 

「はいはい、赤色回復薬ね、ご苦労さま。」

 

「違うわよ、今日は青色よ。」

 

「へぇ……何ですって!?」

 

 メルセデスの言った事を確かめるため、ミーナは慌てて袋を開けて中の小瓶を取り出す。

 

 

「本当に青色ね……」

 

 取り出した瓶を光にかざして眺めるミーナ

 

「だから言ったじゃない、さあ、今日はいくらくれるの?」

 

 受付の机の上に手を出してお金を催促するメルセデス

(まったく、こんなのが伝説の種族だなんて……)

 

「はいはい、ちょっと待ってなさい。」

 

 ミーナは引き出しから銀貨を取り出しメルセデスに渡す。

 

「あら、ずいぶん多いのね。」

 

 メルセデスは受け取った銀貨3枚を手のひらで確かめる。

 

「当たり前よ、赤色に比べて青色はそんなに作れる人がいないのよ、それにしてもこんなに早く作ってくるなんて……。」

 

 ミーナは瓶を手で転がしてまだ信じられなさそうに言う。

 

「あら、あの子は簡単そうに作ってたわよ。」

 

「そう……。」

 

「じゃあ、次の依頼、もらっていくわ。」

 

 考え込んでいるミーナをよそに、メルセデスはギルド証を取って依頼の張ってある掲示板の方へ消えていった。

(調合士の友人は最低1週間は寝かせるって言ってたけど、ちょっと調べてみる必要があるわね……)

 

 そんな事を考えながらミーナは納品された薬の瓶を懐にしまった。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

「さて、こんなものね。」

 

 掲示板から、リリルが出来そうな依頼をいくつか取っていく。

 

「でも、あの子、意外といろいろ出来るのね。」

 

 掲示板に書かれた依頼を見ると、薬関係の依頼内容のほとんどは初級の本で何とかなりそうな内容だった。

 関心しながら手に取った依頼の紙を懐にしまう。お昼時だからか、ギルドに冒険者の姿はほとんどなかった。

 

「これなら少しはお金を早く返せるかもね。」

 

 罰金が払えたら、今度はリリルを連れてエルフの森に帰る方法を考えなければならない。

 

(早く町を出られるようになったら、落とした転移の魔法具を探さなきゃ。)

 

 メルセデスはそんな事を考えながら帰路についた。帰りは今日の食事の材料を買わなければいけない。

 

「そう言えば、あの子トマトが好きって言ってたわよね……」

 

 メルセデスは手に入れた銀貨の重みを感じながら、リリルが言っていた事を思い出す。

 

 

「吸血鬼だけに、赤い食べ物が好き、なんて安直すぎよね……」

 

 

 リリルに噛まれた首筋をさする。噛まれた傷はなく、ほんの少し赤くなっていただけだった。寝ているうちに噛まれていたら気づかなかったかもしれない。

 

「でも、エルフの予言も捨てたもんじゃないわね。」

 

 変な予言を信じて半信半疑で旅に出たメルセデス、しばらく様子見を決め込んではいるが、一方で吸血鬼がこの町に2人もいる気もしなかった。

 

 変な予言でも当たるのだから、エルフのエルフたる所以なのだ。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「兄貴、この店ですぜ。」

 

「なんだ、ボロい店だな。まあいい、用事を済ませるぞ!」

 

 昼下がりの4の鐘が鳴る頃、リリルの店の前にガラの悪い二人組が立っていた。

 

「おう、邪魔するぜ。」

 

 突然店内に若く目つきの悪い、いかにも裏の仕事をしていそうな男が入ってきた。続いて、きちんとした服装をした、ちょっと人相の悪い男が入ってくる。

 

「はいはい、いらっしゃい。」

 

 メルセデスはその二人が冒険者か何かだと思い、特に興味を持つことなく返事をする。

 

 二人組の男は、無言で店番をしているメルセデスの前に立つ。ようやく異変を感じたメルセデスは椅子から立ち上がった。

 

「なによ、探してる薬でもあるの?」

 

「残念だったな、俺たちは客じゃない、借金取りだ。」

 

「ここのバアサンが借りた金、耳を揃えて返してもらおうか!」

 

 アニキと呼ばれる男に続いて若い男が大声で怒鳴ると、1枚の紙を取り出し、机の上に叩きつけた。

 

「きゃっ!」

 

 急に怒鳴られ、しりもちをつきそうになるメルセデス

 

「聞こえなかったか、この店の借金、金貨10枚を返してもらおう。」

 

「いきなり怒鳴らないでよ!残念だけど、このボロい店に金貨10枚なんてある訳ないでしょうが!それに店主は今学校に行ってるわ!」

 

 メルセデスはリリルが聞いていたら顔を真っ赤にして怒りそうなセリフを言う。

 

「うるせぇ、ないなら金目の物を出しやがれ!」

 

「うるさいのはあんたよ!さっきも言ったじゃない、私は店主じゃないの、出直して来なさい!」

 

 メルセデスは男たちが何かよからぬ事を始めたら、すぐに魔法で対処できるという余裕から、男達のドスの効いた声に動じる事なく話す。

 

「ほう、店主は不在か、じゃあ伝えておいてくれ。ガキに押し付けるのは心苦しいが、バアサンの作った借金の金貨10枚、今月中に返せってな。」

 

「ふうん、これが借金の証文ね……」

 

 メルセデスは机に叩きつけられた紙を拾い上げる。ずいぶん昔に書かれたようなその紙には、確かに金貨10枚の貸付について書かれているようだった。

 

「そうだ、借りた金はきちんと返してもらわねえとな!」

 

 若い男が大声で唾をとばしながら言った。

 

「うるさいわね、読んでるところなんだから黙ってて。」

 

「ンだとこらぁ!」

 

 いつもの調子で話すメルセデスの態度が気に入らなかったのか、若い男が身を乗り出してくる。

 

「へぇ、やる気なの……?」

 

 メルセデスの目がすっと細くなり、右手に魔力をまとわせる。

 

 

「そこまでにしておけ、どうせ返せないと思うが、それなら店を差し押さえるまでだ。」

 

 アニキと呼ばれる男は、落ち着いた声でその場を収めると、若い男を置いて、出口のほうに向かっていった。

 

「アニキ、もう帰るんですかい!」

 

「ああ、用事は済んだ。今月中の返済だ、猶予が欲しいなら直接頼みに来るんだな。」

 

 男は出口近くに1枚の紙を置き、店を出る。若い男もそれに習い、慌てて後を追いかける。

 

「今月中に耳を揃えて返せるようにしとけよ!」

 

 アニキと呼ばれる男が店を出ると、それにくっついている若い男も一言吐き捨てるように言って店を出て行った。

 

 

「もう、なんなのよ、薬屋さんって言うよりトラブル屋さんじゃない!」

 

 残されたメルセデスは借金の証文と男達が出て行った扉を交互に眺めて言った。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

「アニキ、いいんですかい?」

 

「何がだ?」

 

「この店にゃ女が2人もいやがるらしいじゃないですか、出す所に出せば金貨10枚なんてスグですぜ。」

 

 店を出たあと、若い男が意地悪な顔をして言う。

 

「いいさ、今回は金を返してもらうのが目的じゃない。」

 

「へぇ、アニキは何か考えがあるようで……」

 

「俺たちみたいなゴロツキが、はいはいと堅気の奴の頼まれ事を聞くと思うか?」

 

「へい、そのとおりで、アニキに考えがあるんですね?」

 

「コレだよ。」

 

 アニキと呼ばれる男が手の平に収まるほど小さな紙包みを取り出す。

 

「薬屋ってんならコレも作れるだろう、金で脅してコレを作らせるのさ。」

 

「さっすがアニキ、これでウチの組も潤いますね。」

 

 若い方の男が納得がいったという様子で手をたたく。

 

「あの店の店主にゃ悪いが、運が悪かったな。」

 

 二人は、この町でも比較的治安の悪い西の町の方へ消えていった。



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ゲドー商会へご案内

「ただいま、メルちゃん、どうだった!?」

 

 初めて作った青色回復薬が依頼を達成できたか気になり、速足で帰ってきたためか、少し息があがったままリリルはお店に入り、机に突っ伏しているメルセデスに声をかけるが…。

 

「はぁ……」

 

 嬉しそうに聞いてくるリリルを見て、ついため息をついてしまうメルセデス。

 

「えっ、もしかしてダメだったの……」

 

「いいえ、ちゃんと依頼は達成できたわ。」

 

 メルセデスは今日手に入れた銀貨を机の上に置く。

 

「もう、メルちゃん、おどかさないでよ!」

 

 銀貨を見て、メルセデスが脅かそうとしていると思って頬を膨らませる。

 

「それと……これ……。」

 

 おそるおそる、今日来た男から渡された紙を銀貨の横に置く。

 

「えっ、何?」

 

「あっ、えっと、落ち着いて聞いてね、今日借金取りが来てね……」

 

「うん……。」

 

 言いづらそうに切り出すメルセデス、一方で借金取りという不穏な言葉を聞いたリリルは、何が起こったかわからない様子で、机の上に広げた紙を見ながら言葉を待った。

 

「金貨10枚、今月中に払えって……」

 

「………」

 

 机の上に置かれた紙とメルセデスの顔を交互に見る。そして、目に大粒の涙が溜まっていく。

 

「うぅ…、グス……、メルちゃん……どうすれば……」

 

「ちょっと、私も困ってるんだから!この家が差し押さえられたら住む家がなくなっちゃうじゃない!」

 

 泣き出してしまったリリルを見て、つい口を滑らせて不安を煽るような事を言ってしまうメルセデス

 

「差し押さえって…グス……おうちなくなっちゃうの?」

 

「だっ、大丈夫よ、払えればなくならないから!」

 

「グス…今月中に金貨10枚なんて無理だよぉ……」

 

「たっ、頼みに行けば猶予してくれるって言ってたわよ!」

 

「グスッ…ほんとう?」

 

「本当よ、新しい薬も作れるようになったから、今月頑張って払えなければ頼みに行けばいいじゃない。」

 

 メルセデスはなんとか安心させようと、アニキと呼ばれていた男が置いていった紙を見せる。そこには地図が書かれてあった。

 

「……ここに頼みに行ったら待ってくれるの?」

 

 リリルはぐしぐしと目をこすって出された地図を見て、消え入りそうな声で言う。

 

「でも、一人で行っちゃダメよ、行く時は私も呼ぶように!」

 

(ついつい口走っちゃったけど、あんな男達がいるような場所に一人で行かせる訳にはいかないわよね。)

 

 そんな事をしたら相手にとっては鴨がネギをしょって鍋にしてくださいと言っているようなものだ。

 

「どうにもならない事を考えてもしょうがないでしょ、そんな事より明日の納品分を作って、少しでも払えるようにしないと!」

 

「うん……、そうだよね、働かないと金貨も稼げないよね……。」

 

 リリルはもう一度涙をぐしぐしと拭いて、薬の注文が入っている巣箱を見に行く。

 

「今日の注文は……、えっ、何これ……」

 

 巣箱の中には、いつも使っている注文書とは別に1枚の見慣れない紙が入っていた。

 

「手紙かな……。」

 

 2つ折りにされた見慣れない紙を開き中を読んでみる。

 

『猶予して欲しければ一人で来ること』

 

「わっ!?」

 

 

 書きなぐられた文字を見て小さな声を上げる。

 

「どうしたの、変な声出して?」

 

「ううん、なんでもない!」

 

 リリルは紙をくしゃりと握りつぶす。

 

(うう、どうすればいいの……。)

 

「夕食を作っておくから、それまでお仕事でもしてなさい。あと、今日はトマトを買ってきたわ。」

 

「うん…。」

 

「なによ、最近トマトが食べれてないって嘆いてた割には反応が薄いのね、少しは喜ぶと思ってたわ。」

 

「そんなことないよ、メルちゃん、ありがと!」

 

 リリルは不審に思われないように返事をする。

 

「まあいいわ、できたら呼んであげるから、気晴らしに学校の宿題でも薬の調合でもやってきなさい。」

 

 リリルの反応を少し不審に思ったメルセデスだが、きっと借金が増えたショックから立ち直れていないのだろうと思って特に気にする事なく夕食の準備のために動き始める。

 

「はぁ……」

 

 キッチンに消えていったメルセデスを見て、大きなため息をついた。

 

(青色回復薬が作れるようになっても金貨10枚なんて無理だよ……お願いに行くしかないよね……)

 

「明日、学校が終わったらお願いしに行かなきゃ……。」

 

 密かに決意を口にするリリル、最近どこかで見た光景であった。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 翌日、学校が終わり、リリルは例の地図の場所に向かっていた。そして、その後ろをこそこそと追いかけるもう一つの影があった。

 

「今日のリリルちゃん、ぜったい何か隠してる!」

 

(今まで困った事は話してくれてたから、今日は話せない理由があるんだ……)

 

 学校で話しかけても反応が薄いリリルを見て、不安に駆られたミアは、いつもと違う方向に向かって帰るリリルの後ろをつける。ミアは今までの付き合いから、分かりやすい彼女の行動を察し、心配になったのだ。

 

(リリルちゃん、そっちは西の町だよ……。)

 

 リリルはコストゥーラの町でも治安の悪いと言われている西の町に続く道を歩いていく。

 

 

 街並みはしだいに陰気なものとなり、道も石畳の綺麗な通りから、凸凹の目立つあまり整備されていない通りに変わっていった。

 

 ミアは止めるべきか悩むが、悩んでいるうちにリリルは西の町のとある建物の前に立ち止まった。

 

(リリルちゃん、この建物、ゲドー商会の建物だよ!)

 

 ゲドー商会とは、西町で娼館やぼったくりの店の後ろ盾をしてお金を稼ぐ、いわゆる裏稼業の商会だ。商業ギルドと結びつきがあり、領主もなかなか処置をすることができておらず、治安のよいこの町でもしぶとく生き残っている商会である。

 

「もしかして、大金が稼げるって乗せられて娼館で働かされるんじゃ……。」

 

 ミアは思考を廻らせる。先日の裁判で二人あわせて金貨20枚の罰金を課せられたらしいのだが、それを早く返せると口車に乗せられると、悪い大人に騙されているのかもしれない。

 

 そんなふうに悩んでいるうちにリリルはゲドー商会の建物に消えていった。

 

「大変、入っていっちゃった!」

 

 リリルが建物に入っていくのを見て慌てる、ミアは建物の外から中の様子が見られないか探ってみる事にした。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

「あの、おじゃまします……。」

 

 街並みに似合わず立派な作りをした建物の入り口をくぐる、

 

「おい、ガキがなんの用だ。」

 

「ひっ…、す、すみません!」

 

「まあまあ、せっかく来てくれたんだから用件を聞いてあげましょう。」

 

 入口を入ってすぐの受付らしき所にいる男達二人がリリルを見てそれぞれの反応をする。

 

「お嬢ちゃん、ここがどこかわかってるのかい?」

 

「えっと、あの、あの……」

 

 怪しげな黒いスーツの壊そうな男に話しかけられ、上手く言葉が返せないリリルは、鞄の中から昨日、借金取りが置いていった地図を取り出す。

 

「こっ、これ!」

 

(メルちゃん、こんな怖い人がいっぱいの所だなんて聞いてないよぉ……)

 

「ほう、こりゃカルロのアニキからの招待状じゃねえか、案内しろ。」

 

「へい!」

 

「おっと、子供とはいえ、何か隠し持たれても困る。その帽子とローブは取ってもらおうか。」

 

 リリルはそういうものかと帽子とローブを取った。

 

 

「ほう、ほうほう、なるほど……」

 

「さすがカルロのアニキ、今は青いが、これから仕込めばありゃ金になりますぜ。」

 

 帽子の下から現れたリリルの整った顔を見た二人は、野卑な言葉をかわしながらリリルを奥の部屋へ通す。

 

 

「アニキ、客ですぜ。」

 

 案内の男は、リリルが持ってきた紙をカルロに渡す。

 

「お前があの店の店主か……」

 

 ぎらりと、鋭い目で見られ、たじろいでしまう。しかし、ここは踏ん張りどころだ。

 

「あの、あの、借金が返せないので、もう少し待ってくれませんか!」

 

 リリルは勇気を出してカルロに言ったが、まるで反応を示さず、借金の証文を手のひらで弄ぶ。

 

「あの、お金は必ず払います、だから……」

 

 反応を示さないカルロにもう一度お願いをしようとするが、その声は見知った声にかき消されてしまう。

 

「イヤ、放して!」

 

 突然、聞きなれたミアの声が聞こえてリリルは慌てる、どうしてミアがこんなところにいるのだろうか。

 

「アニキ、ウチの店をちょろちょろ探っているガキを捕まえました、こいつの仲間だろうと思って連れてきやした。」

 

 ミアは首根っこを掴まれてリリルのいる部屋に連れて来られた。

 

「ミアちゃん!」

 

「リリルちゃん!」

 

「ほう、俺は一人で来いと指示をしたと思ったが、そいつは仲間か。」

 

「違います、友達です、ミアちゃんはお店とは関係ありません!」

 

 リリルは男に乱暴に連れて来られたミアを見て、勇気を出してカルロを睨む。

 

「まあいい、お前の店の借金の話だったな。待ってやらんでもない、だが条件がある。」

 

 カルロは小さな紙包みを取り出し、黒塗りの机の上に置いた。

 

 

「これを作るなら、金貨10枚の借金だけじゃない、お前ともう一人の女が抱えている罰金も全部肩代わりしてやるよ。」

 

 カルロはにやりと笑い、紙包みを広げ、中の白い粉を見せつけた。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「遅いわね……」

 すでに5の鐘が鳴り、日も暮れかかっている。いつもなら帰ってきて薬の調合を始めている時間なのに、いつまでたっても帰ってくる様子がないリリルに不安を募らせる。

 昨日の夕食のよそよそしいリリルの態度が気になったメルセデスは、何か手がかりがないか、昨日薬の調合をしていた調合室を探す。

 しばらく探していると、ほとんど空のくず入れの中に1枚の紙がくしゃくしゃに丸められて捨てられているのを見つけた。

 

「あら、注文書かしら。でも注文書ならきれいに綴ってるはずね……。」

 

 怪しく思ったメルセデスは、丸められた紙を開いて目を通す。

 

(猶予して欲しければ一人で来ること)

 

「あのバカ!」

 

 

 メルセデスは事態を察して慌てて店を出た。



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ケイマの実

 カルロが出した白い粉を見て、リリルはおそるおそる聞いてみる。

 

「あの、何の粉ですか?」

 

 

「見てもわからんか、体感してもらったほうが早いな。」

 

 カルロはパチンと指を鳴らして黒服の男を呼びつける。

 

「地下室でコイツらにこの粉をたっぷり味合わせてやれ。」

「わかりやした。」

 

 呼びつけられた黒服はミアとリリルの肩をつかんで強引に連れていく。

 

「いや、放して!」

 

「ミアちゃんに乱暴しないで!」

「うるせえ、ここに来たことがお前らの運の尽きなんだよ!」

 

 二人は抵抗しようとするも、大人の男との力の差は歴然で、引きずられるように地下室に連れていかれた。

 

「おとなしくしろ!」

 

「きゃあ!」

「ミアちゃん!」

 

 地下室の牢屋のような場所に叩きこまれた二人、がちゃんという音とともに鉄格子の入り口が閉じられる。

 

「へへっ、ガキ二人なのは残念だが、どうなってるか楽しみだな。」

 

「まったくだ!」

 

 

「おい、巻き込まれちゃ敵わねえ、さっさと出るぞ!」

 

 男達は野卑た笑い声をあげながら地下室を出て行った。

 

 

 

「ミアちゃん、大丈夫?」

 

「いたた…、リリルちゃんこそ……大丈夫?」

 

 地下室に入れられた際に腰を打ってしまったのか、ミアは腰をさすりながら答える。その目には涙が浮かんでいる。

 

「ミアちゃん、ごめんなさい!!」

 

「いいの、私が好きでついてきちゃったんだから。」

 

 ミアは泣きそうな顔で謝るリリルを何とか元気付けようと、無理をして笑顔を作る。

 

「ミアちゃん……」

 

「そんな事より、どうやって逃げるか考えようよ!」

「うん!」

 

 リリルは部屋を見まわしてみる。地下室は狭く、出入り口は鍵で固く閉ざされていた。ガチャガチャと動かしてみるが、びくともしない。

 

「ミアちゃん、ダメだよ、鍵がかかってて開かないよ……」

 

「そうだね、閉じ込められちゃったね……」

 

 二人は部屋の隅で肩を寄せ合って座る。

 

「あの白い粉、なんだか分かる?」

 

「えっと、あんな悪い人が使うものだから、いくつか心当たりはあるんだけど……」

 

 

 

「おい、始めろ!」

 

 話し合っているところで男達が出て行った方から声が聞こえ、部屋の中に甘ったるい香りが漂ってくる。

 

「ミアちゃん……」

 

「リリルちゃん……」

 

 少女二人はぎゅっとお互いを抱きしめあう。

 

(えっと、白くて……燃やすと甘い香りがする薬……)

 

「わかった、ケイマの実だ!」

「ケイマの実?」

 

 リリルはにおいを嗅いで、該当しそうな薬を思いつく。

 

「うん、赤い実を削って樹液を集めて煮詰めると、白い結晶ができて、燃やすと甘い香りがするらしいの。火加減が難しいから、作るのがとっても難しいんだよ。」

「どんな効果があるの?」

 

「えっと、怪我をした時に痛み止めで水に溶かしたものを塗ったりするって……」

「へえ~、さすが薬屋さんだね。」

 

「えへへ……」

 

(他にも効果があったと思うんだけど、忘れちゃった。ミアちゃんには内緒にしておこうっと。)

 

 ミアに褒められて気をよくしたリリルは、他の効果を忘れているのを秘密にした。

 

 

 

「ねえ、リリルちゃん、何だか暑くない?」

 

「えっ、大丈夫だけど……」

 

 甘い香りが部屋を満たしてから、しばらくするとミアが異変を訴える。

 

 そういわれて、改めてミアの顔を見て見ると、顔が赤く、熱があるように惚けた目をしていた。

 

「ミアちゃん、お顔が赤いけど大丈夫?」

 

「うん…、でも、体があつくって……、この甘い匂いのせいかな……」

 

 ミアはもぞもぞと身じろぎをする。

 

「リリルちゃんはなんともないの?」

 

「えっと、大丈夫、いつも薬を作ってるせいかも……」

 

 

 

「そっか……、リリルちゃんが大丈夫でよかった……。」

 

 甘い香りに満たされてから、だんだんと苦しそうに息をし始めたミアを見ていられなくなったリリルは、立ち上がり、男たちが出ていった扉に向かって大声で叫んだ。

 

「あの!ミアちゃんが苦しそうです!助けてください!」

 

 扉の奥からは何の返事もない。再び出せる限りの大声で叫ぶ。

 

「お願いです、助けて下さい!!」

 

 何度か叫ぶが、外からの返事はなかった。

 

 

 

「リリルちゃん……、少し休もうよ。」

 

「ミアちゃん……」

 

 ぽろぽろと涙を流すリリルに声をかける。リリルは助けを呼ぶのをやめてミアのとなりに座り込んだ。

 

「リリルちゃん、もしここからずっとでられなかったら……。」

「なに言ってるのミアちゃん、きっと出られるよ!」

 

 

「ううん、それもいいかなって思ってるの……」

 

「えっ!?」

 

 予想外の言葉にミアの方を振り向く。

 

 ミアは焦点の合わない目でリリルを見つめている。

 

「ふぇ!?」

 

 ミアはリリルの細い肩を抱いて石畳の冷たい床へ押し倒した。

 

 リリルの銀色の長い美しい髪が床に広がる。

 

「えっ、えっ、ミアちゃん!?」

 

 

 とまどっているうちにミアの瞳が近づき、リリルの唇に柔らかいものが触れる。

 

「えへへ、リリルちゃんにキスしちゃった…」

 

 とろんと熱に浮かされたような目をして、恥ずかしそうにはにかむミア

 

(うう、ミアちゃんがおかしいよぉ、これもあの薬のせいなの?)

 

 ミアの目は焦点があっておらず、夢を見ているようだった。そんな様子がおかしくなったミアをどかそうとするが、力が足りなくて逃げられない。

 

 

「ねえ、リリルちゃんは私の事好き?」

 

 目線を合わせてリリルに問いかける。

 

「ええっ、ミアちゃん、こんな時になに言ってるの!?」

 

「そう……嫌いなんだ……」

 

「そんなことないよ、私もミアちゃんの事好きだよ!」

 

 急に悲しそうに顔を伏せたミアを見て、慌てて答える。

 

「じゃあ、両想いだね!」

 

「えっ、それは……うぷ…」

 

 再び、リリルの唇がミアに塞がれる。

 

 

 

「ぷはぁ、ミアちゃん、いつものミアちゃんに戻ってよぉ……」

 

 懇願するように言うリリルだが、ミアの耳には入っていないようだった。

 

(でも、こうなっちゃったのも私のせいだよね、ミアちゃんが楽になるなら……)

 

 リリルは正気を失ったミアの目を見て覚悟を決めた。そして、逃げようと力を込めるのをやめてミアの背中に手を回す。

 

 

「ミアちゃん、ミアちゃんがもとにもどってくれるなら……。」

 

 リリルはそうミアに言うと、きゅっと目をつぶった。

 

 めをつぶると、すぐにミアの体重が体にかかってくるのを感じた。

 

(これが終わったら、きっと元にもどってくれるよね…)

 

 そう信じてミアに身を任す。だが、リリルに覆いかぶさったっきり、ミアは動かなくなった。

 

 

「大丈夫!?助けにきたわよ!」

 

 ミアに覆いかぶさられたまま、おそるおそる目を開け、聞き慣れた声のする方を見てみると、見知った金髪の女の子がいた。片手には角材を持っている。

 

 

「えっ、メルちゃん!?」

 

「間一髪だったわね!」

 

 

 いつの間にか鍵を開けて、リリル達がとじこめられていた地下室に侵入していたメルセデスは、リリルの上で気絶しているミアをどける。

 

「ったく、何やってんのよ!」

 

 メルセデスはリリルの頭に拳骨を落とす。

 

「痛いよぉ、メルちゃん…」

 

「なに一人で行ってるの、あなたバカなの!?」

 

「うう、だって、あんなに怖い人がいるとは思わなかったんだもん……」

 

 拳骨を落とされた場所をさすりながら、涙目で訴える。

 

「あのねえ、借金取りって大半はあんな奴らなの!本で読まなかった?」

 

「ごめんなさい……。」

 

 しょんぼりと目線を床に落として謝る。

 

「はあ……もう、さっさと逃げるわよ!」

 

「待って!」

 

 

「ミアちゃん、メルちゃんが助けに来てくれたよ、起きて!」

 

 リリルは気絶したミアを揺すって起こそうとする。

 

 

「何よ、知り合い!?」

 

「友達だよぉ、一緒に捕まっちゃって……」

 

「なら早く言いなさいよ、襲われてると思って殴っちゃったじゃない!」

 

 

「無茶言わないでよぉ!」

 

「ったく、しょうがないわね……」

 

 メルセデスはミアを背中に背負うと、地下室の出口へ向かった。

 

「メルちゃん、どうしてここがわかったの?」

 

「地図の場所の近くを探してたら、あんたの叫ぶ声が聞こえたのよ。」

 

 エルフの耳は地獄耳なのである。

 

 

 

 暗い地下室を出ると、廊下で黒服の男達が伸びていた。

 

「ええっ、メルちゃん、やっつけちゃったの!?」

 

「そうよ、邪魔するから魔法でぶっ飛ばしてやったわ!」

 

 どうだと言わんばかりに胸を張るメルセデスに、リリルは驚きを隠せない。

 

 

「クソ、お前ら……覚えとけよ……」

 

 2人が脅されていた部屋を通りかかると、頭から血を流しながら倒れていたカルロが苦々しげに言う。

 

「あら、おとなしく寝てればいいのに。」

 

 メルセデスはそう言うと、片手をふるった。するとそれを合図にするように、部屋の中にあった椅子が浮き上がり、カルロ目掛けて飛んでいく。

 

「ぐあっ!」

 

「さあ、さっさと行くわよ!」

 

「うん!」

 

 

 

 飛んでいった椅子が見事に顔面に命中し、気絶したカルロを一瞥してから、二人はゲドー商会を後にした。



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お礼参りとエルフの諺

「はっ!」

 

 ミアは目を覚まし、がばりと勢いよくベットから起き上がる。

 幸せな夢を見ていたような気がするが、なぜか後頭部がずきずきと痛む。見覚えのない部屋を見回してみると、石造りの壁、ベッドの他にはきれいに整頓された本棚、そして……。

 

「きゃあああああぁー!!!」

 

 

 どこかで見た光景である。

 

 

 

「ミアちゃん、どうしたの!?」

 

 叫び声を聞いてリリルが慌てて部屋に入ってくる。

 

「リリルちゃん、逃げて、おっきい熊がいるよ!」

 

 ミアは恐怖のあまり毛布を被って震えている。

 

「大丈夫だよ、ミアちゃん。この熊ははく製だよ。」

 

 

「えっ?」

 

 おそるおそる毛布から顔を出してみると、リリルが得意そうに熊の頭をとんとんと叩いている。

 

「なんだ、よかったぁ……」

 

 次にミアはリリルの顔を見て、恥ずかしさのあまり再び毛布を頭から被る。

 

(うう、あの甘い香りを嗅いだら頭がぼうっとして……、まさかあんなことをやっちゃうなんて……、絶対嫌われちゃったよ……。)

 

 ミアの記憶はメルセデスに殴られて気を失うまではっきりと残っていた。それこそ、リリルが目をつぶって楽になるならと、不安そうに涙を溜めた目をきゅっと閉じたその瞬間まで。

 

「ミアちゃん、どうしたの?熊さんが怖いならシーツをかけておこうか?」

 

 リリルは何事もなかったかのようにミアに話しかけるが、その声を聞くと地下室での事を思い出して、恥ずかしさで死んでしまいそうになる。

 

「リリルちゃん……、ごめんなさい!」

 

 毛布を被ったまま消え入りそうな声で謝るミア。

 

「ミアちゃんが謝る事なんてないよ!私がおバカだからあんな所に行っちゃったんだし……」

 

 リリルはあの後、メルセデスにこっぴどくお説教を受け、おバカの烙印を押されてしまっていた。

 

「それにね、ケイマの実の結晶はもう一つ効果があったんだよ。」

 

「もう一つ効果?」

 

「結晶を燃やすと、甘い香りがして、それを吸うと幸せな夢が見られるんだって。」

 

 本に書いてあった通りの言葉で話す。幸せな夢とはオブラートに包んだ表現だが、要するにケイマの実は人を狂わす麻薬の類だった。

 

「それに、ミアちゃんが来てくれなくて……、ひとりぼっちで閉じ込められてたら、叫ぶ元気もなくて、メルちゃんにも見つけてもらえなかったかも……。」

 

 だんだん涙声になっていくリリルの声を聞いて、ミアはようやく毛布から顔を出した。

 

「ミアちゃん、色々あったけど……無事でよかったよぉ……」

 

 毛布ごとミアに抱き着いて鼻をすするリリル。それにつられてミアも本当に怖い目にあったのだと実感し、泣きそうになる。

 

 

「あら、昨晩の続き?ご飯は後にしましょうか?」

 

 いつのまにか部屋に入って来ていたメルセデスが茶化すように言う。

 

「ちっ、違うよぉ、ミアちゃんがああなっちゃったのはケイマの実のせいなの!」

 

「うう……」

 

 地下室での出来事を茶化されて、ミアは顔が真っ赤になる。

 

「ミアちゃんも、あれは薬のせいなんだから気にしないで!」

 

 リリルは再び毛布を被ってうずくまるミアをなぐさめる。

 

「まあ、終わった事はどうでもいいわ、これからの事を考えましょ。」

 

 メルセデスがもっともな事を言う。

 

「そうだよね、怖いけど、借金は返さないと……」

 

「ったく、アンタ、あんな目にあって、まだお金を払う気でいるの?とんだお人よしね。まあいいわ、それも含めて話があるから来なさい!」

 

「ええっ!?」

 

「そうそう、巻き込まれついでにあなたにも聞いてもらうからね!」

 

 メルセデスは部屋を出る前にミアに声をかける。

 

「はっ、はい!」

 

 突然声をかけられたミアは毛布を頭からかぶったままの間抜けな姿で慌てて返事をする。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 それから、集められた2人はメルセデスが話を始めるのを今か今かと待つ。

 そんな二人を見て、メルセデスは十分にもったいぶってから話を始めた。

 

「はい、注目、最初に、例の借金の話だけど、これな~んだ?」

 

 メルセデスは1枚の紙を取り出した。

 

「えっ!?借金の証文だけど……」

 

「違うわよ、よく見なさいよ!」

 

「借金の原本、なんでこんなところに!?」

 

 ミアはメルセデスがちらつかせる紙の内容に気づいたのか、目を丸くする。

 

「そう、原本よ、あのアニキって奴が不用心にも机の上に置いてたから、失敬してきたわ。」

 

 黒服の男の一人を締め上げて出させたのは秘密だ。

 

「ええっ、メルちゃん。それ、どうするの?」

 

「こうするのよ!」

 

 一言言うと、メルセデスの指先にマッチ程度の火が現れ、紙が燃えていく。リリルとミアは啞然としてその様子を見守る。

 

「さあ、これで例の金貨10枚の借金はチャラよ!」

 

「ねえ、ミアちゃん、なんであの紙を燃やすと借金がなくなるの?」

 

 メルセデスの行動を、いまいち納得がいかない様子で分かっていそうなミアに声をかける。

 

「借金の証明には、写しと原本があって、原本が借金の証明書になってるの。それがなくなったら借金をした証明ができなくなるの。」

 

「そっ、つまりあの紙がなくなれば借金はなくなるのよ。」

 

 メルセデスが得意そうに胸を張る。

 

「やったぁ、メルちゃんって凄い!!」

 

「いい、借金がなくなっても、奴らはあの手この手で手を出してくるわ。」

 

「はい、メルちゃん大先生!」

 

 金貨10枚の借金がなくなったためか、リリルは嬉々としてメルセデスに質問をする。呼び方も尊敬を込めて大先生である。

 

「なに、おバカ」

 

「もう、おバカって呼ばないでよ!」

 

 メルセデスにバカにされて頬を膨らませる。

 

「はいはい、なんでしょうか。」

 

「どうして手を出してくるんですか?」

 

「そりゃあ、顔を潰されたからよ。」

 

「顔をつぶされる?確かにあの男の人は顔に椅子が当たってたけど……」

 

 リリルはよくわからないといった様子でメルセデスに聞くが……。

 

「おバカさん1点減点!」

 

 厳しいメルセデス大先生である。

 

「リリルちゃん、顔をつぶされるって恥をかかされたって意味だよ。」

 

「そう、ミアさん正解、さあ、たった1人の美少女エルフにぼこぼこにされて恥をかかされた悪い人たちはどう思うでしょう?」

 

「うう~ん……、悲しくなる?」

 

 リリルは首をかしげてうんうんうなって考えるが……

 

「はい、おバカさん、1点減点!」

 

「うう…難しいよう……。」

 

「リリルちゃん、悪い人にはお礼参りって考えがあって、やられたらやり返しに来るんだよ。」

 

「ええっ、怖い人がお店に来るの!?」

 

 リリルはミアの言葉に衝撃を受ける。あんなに怖い人が来たら、どうしていいかわからないからだ。

 

「はい、ミアさん正解、じゃあ、そのお礼参りを防ぐにはどうすればいいでしょう?」

 

「うう~ん、怖い人が来ないようにするには……」

 

 リリルは自分のお店の事だからとても真剣に考えているが……

 

「……わかりません。」

 

 観念したのか、お手上げのポーズをとる。

 

「はい、おバカさん、1点減点!」

 

 メルセデスは容赦なく減点していく。

 

「ねぇ、メルちゃん先生、減点されると罰とか……ないよね?」

 

「さあ、どうかしらね?」

 

 メルセデスは減点が続いたためか、小さくなって伺うように聞いてくるリリルを見て悪戯っぽく言う。それから、本題だと言わんばかりに胸を張る。

 

「いい!?大事なのは、奴らが二度と手を出したくないと思うほどの痛手を負わせてやることよ!」

 

 メルセデスは机をバンと叩いて強調する。そして、あの赤い本を取り出す。

 

「ああっ、メルちゃん、10巻目はダメだよぉ!」

 

 例の赤い本を取り出してきたメルセデスを見て血相を変えるが……。

 

「っと思ったけど、奴らにはこれくらいで十分ね。」

 

 メルセデスは10巻目の赤い本を後ろに隠し、代わりに青色の兎さん、魔法薬初級の本を取り出した。そして、あらかじめ目星をつけておいたページを開く

 

「さあ、エルフの諺どおり、報いは10倍にして返しましょうか!」

 

 嬉々として言うメルセデスを見て、エルフ族は思っていたよりも過激な集まりなのだと失礼な事を思う二人であった。




ブクマ、評価等頂ければ嬉しいです。


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レシピ本の秘密

「これなんかどうかしら?」

 

 メルセデスは開いたページを指差す。

 

「うーん、こんなので本当に怖い人たちが来なくなるの?」

 

 メルセデスが開いたのは、催涙効果と風魔法をまぜた魔法薬だ。リリルはその効果に半信半疑である。

 

「あら、もっと過激なのがお好き?なら……」

 

 メルセデスは赤い本をちらつかせる。

 

「もう、メルちゃん、その本はしまってよ!」

 

 リリルは何かと物騒な方向に持っていこうとするメルセデスに抗議する。

 

「ねえ、リリルちゃん、この本、うっすらと文字が見えるんだけど、はっきり読めるの?」

 

「ええっ?読めるけど……」

 

 リリルは思いもよらない事を聞かれ、不思議そうに答える。

 

「ちょっと来なさい!」

 

 ミアが目を凝らして本を読む様子を見て、突然、メルセデスはミアを物置へ引っ張って行く。

 

 何が起こったのかさっぱりわからないミアは急に連れていかれ、おろおろするばかりだ。

 

「あなた、あの子に何かされなかった?」

 

「えっ、ええっ!?」

 

 突然の質問に驚く、心当たりがあるにはあるが、やられたと言うよりやってしまったのだ。

 

 

「……」

 

 

 ミアはもじもじと、恥ずかしそうに下を向く。それを見たメルセデスは、ミアが血を吸われないまでも、噛まれるくらいはあったのだと推理した。

 

「えっと、あの子に何か吸われてない?」

 

 

「………」

 

 

「はあ…」

 

 あいかわらず下を向いて頬を赤らめるミアを見て、その沈黙を肯定と受け取ったメルセデスは大きなため息をつく。

 

 強いて言うとリリルは吸ったのではなく吸われたのだが、それを言えるようなミアではなかった。

 

 

「おかしいと思ったのよ、あんな本が無造作に置いてる訳がないって。」

 

(あの子に血を吸われれば本が読めるようになって、噛まれるとうっすら見えるようになるって所かしらね。)

 

 無二の財産と言えるあの本が誰にでも読める事が腑に落ちなかったメルセデスの疑問は解決した。

 

「いい、あなたははっきりと本が読めてる事にしなさい。この事は秘密よ。」

 

 メルセデスは物置を出る前にミアに釘を刺す。うっすらとしか読めない本をはっきりと読めるように偽れと言うメルセデスに当惑する。

 

 この様子だと、メルセデスははっきりと読めているようだったので、むしろ、どうすれば読めるようになるのか気になってしまう。

 

(リリルちゃんにキスより凄い事をすれば本がはっきり読めるようになるの?じゃあ、このメルちゃんって子は……そう言えばさっきリリルちゃんも罰を気にしてたし……)

 

 ミアの妄想が膨らみ、知らないうちに変な風に誤解されるメルセデスであった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「うーん、催涙効果は少し効果が短いわね。他にいい物はない?」

 

「これなんか、どうかな……」

 

 リリルはとあるページを指さす。

 

「効果はひと月もあるし、誰も怪我をしないよ。」

 

「へえ、どれどれ……。」

 

「えっと……、この魔法薬なんだけど……。」

 

 ミアとメルセデスが本を覗き込む。

 

 

「あら、なかなかいいじゃない、効果が長続きして、解除のための魔法薬があるのがいいわね。」

 

「リリルちゃん、材料の調達は私も協力するね。」

 

 そんな風に話がまとまった所で朝を告げる1の鐘が鳴る。

 

「わっ、ミアちゃん、もう朝だよ、お家に帰った方がいいよ。」

 

「そうね、お父さんやお母さんが心配してるかもしれないわね。」

 

 ミアは二人に言われてからようやく朝になっている事に気づいた。色々ありすぎて、時間の感覚を失っていたのだ。

 

「うん、あんな事の後だし、私も送っていくよ。」

 

「しょうがないわね、道中の安全のために私も行く事にするわ。」

 

「ありがとう、メルちゃん、心強いよぉ。」

 

「違うわよ、おバカに任せられないだけよ。」

 

 リリルに期待を込めた目で見られたメルセデスは照れ隠しに素っ気なくふるまう。

 

「ああっ、メルちゃん、もうおバカって呼ぶのはなしだよぉ!」

 

 リリルは抗議するが、メルセデスに効果はなさそうだ。今回の件でしばらくはおバカと呼ばれそうだった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「ボス、申し訳ありませんでした!」

 

 でっぷりとした黒服の男が葉巻を加えながらカルロの報告を聞く。

 

「ガキを逃がしたのはいい、薬屋のガキを取り込めなかったのもまあ許す、些細な問題だ、だが……」

 

 ボスと呼ばれる男、ゲドーは手に持った葉巻を灰皿に押し付ける。

 

「ガキにいいようにされて、その上、金貸しの命よりも大事な証文を取られるとは何事だ!!」

 

 大声でカルロを怒鳴る。

 

 

「申し訳ありません!」

 

 

「で、どうするつもりだ?」

 

「はい、必ず金を回収します!」

 

 

「違うわバカ者!」

 

 カルロに向かって灰皿が投げられる。

 

「今日のうちにもう4件、この紙が何かわかるか?」

 

「それは、我々に上納金を収めるという契約書です。」

 

「ガキどもにやられて頭でも打ったか!これはもう上納金を収めないという知らせだ!お前のせいでウチの商会の面目は丸つぶれだ!」

 

 ゲドーは癇癪を起した子供のようにばんばんと机を叩く。

 

 組員が子供にいいようにされたという噂は、徐々に西町に広がり始めていた。その結果、傘下を抜けると言い出す店が現れてきたのだ。

 

「はあ、はあ、残念だが、この噂はもう止める事はできん。それにガキ共を今から煮ても焼いてもいいようにされた事実は変わらん、だが……」

 

 ゲドーは怒りのあまり顔をまっ赤にして息を切らせながらカルロを睨みつける。

 

「俺の腹の虫を収めるためにここにガキを連れてこい!我が商会を舐めたらどうなるか俺様が直接わからせてやる!」

 

「承知しました!」

 

 

 叩きだされるようにして、カルロは部屋を出る。

 

「くそ、なんて事だ!」

 

 今までこのゲドー商会で順調に地位を築いてきたカルロはゲドーの癇癪を受けて毒気づく。ここで下手な手を打てばゲドー商会の商会長の夢など消えてなくなってしまう。

 

「おい、お前ら集まれ!」

 

 カルロは別室で集まっていた部下に声をかけた。



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新しい居候

 ミアの家の前では、目に隈を作った貴婦人が心配そうに立っていた。ミアの母親である。

 

 

「ミア!」

 

「お母さん!」

 

 

 ミアとミアのお母さんは、互いの姿をみつけると、駆け寄っていく。そして、ミアはお母さんの胸に飛び込んだ。

 

 

「ああ、ミア、心配したのよ、どこに行ってたの。」

 

 ミアのお母さんは、胸に飛び込んできた娘の頭を優しく撫でる。

 

「うん、うん、お母さん、ちょっと怖い目に会っちゃった、でも大丈夫だよ!」

 

「怖い目!?」

 

 ミアの意外な言葉に驚く。

 

「今はまだ言えないけど、どうにもならなかったら話すね。」

 

 娘が珍しく見せる強い意志を持った目を見て、ミアのお母さんはため息をつく。

 

 

「あのお友達に関係があるの?」

 

 ミアの意志のこもった目と、一緒に来た二人を見て、何となく事態を察する。今、町で噂のエルフと、その保護者の見知った少女である。

 

「うん、友達を助けるために頑張ろうと思うの。」

 

 

「あら、あなたがそう言うなんて珍しいわね。いいわよ、でも2つ約束してね。」

 

「なあに、お母さん?」

 

「無茶はしないこと。それと、どうにもならないことがあったら必ず大人を頼る。」

 

 ミアのお母さんはミアの目を見て、気弱な娘が珍しく自分の意志で動こうとしているのに気づいて、心配だが理由を聞かずにミアのやりたいようにさせる事にした。

 

「うん、お母さんありがとう!」

 

 ミアのお母さんは娘をもう一度抱きしめる。

 

 そんなミアとお母さんとのやりとりを遠くから見ていたリリルは、メルセデスの袖をきゅっと掴む。

 

「あらあら、ああして欲しいの?」

 

「えっ!?ち、違うよぉ……」

 

 口ではそう言っているが、メルセデスの袖口を掴んだままである。

 

「はいはい、あなたが甘えんぼなのはわかってるわ。」

 

 メルセデスはぽんぽんと帽子の上からリリルの頭を叩く。

 

「もう、メルちゃん!」

 

 メルセデスにからかわれ、リリルは頬を膨らませる。だが、袖口は掴んだままである。

 ちょっとミアが羨ましいと思ったのは内緒であるが、バレバレだった。

 

「でも、ここでミアが降りたらどうするの?」

 

 

「それは、しょうがないよ。私のお店の問題だもん、無理に協力してとは言えないよ。それに危ない目に合うかもしれないし……。」

 

「まあ、そうよね。」

 

 メルセデスはもっともといったように頷く。

 

 

「あら、こっちに来たわよ。」

 

 ミアはうれしそうに二人のもとに走ってきた。

 

「リリルちゃん、お母さんが許してくれたよ!」

 

「ええっ、ほんと!?」

 

「うん、今日から魔法薬の材料集めを始めるね!」

 

 ミアは家が商家なのを利用して、少しでも安く必要な材料を調達できるよう手筈どおり行動を始めるのだった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「これで材料は何とかなりそうね。」

 

「うん、初級だから材料は難しい物はなかったし、マンドラゴラもお家にあるから。」

 

 ミアの協力を取り付け、魔法薬の生産は何とかなりそうだと一安心した2人は、軽い足取りでお店に帰る。

 

 

「ちょっと、お店の前に誰かいるわよ!」

 

 メルセデスに言われ、慌てて物陰に隠れて、お店の様子を伺う。

 

 すると、店の前で誰かが座り込んでいるのが遠目に見えた。

 

「ふあ、誰だろう?」

 

「さあ、でも昨日の連中じゃないみたいね、それに大人でもないみたい。」

 

 とりあえず、一安心してお店に戻る。すると、お店に戻ってくるリリル達に気づいたのか、座り込んでいた子が顔をあげる。

 

「ああっ、ジル!?」

 

 座りこんでいる子供が材木屋の息子、ジルだと気づいて駆け寄るリリル。それを見てジルは複雑そうな顔をする。

 

「ねえ、どうしたの、こんなところで?」

 

 リリルは目線を泳がせるジルに問いかける。

 

「ああ、えっと、あのな……」

 

「うん……。」

 

 口をもごもごし、言いにくそうにするジルの言葉を待つ。

 

 すると、ジルは覚悟を決めた顔をして、突然、膝をつき両手を地面に当て、頭を下げた。いわゆる土下座のポーズである。

 

 

「ごめん、リリル、しばらくお前の家に泊めてくれ!」

 

 

「えっ、ええっ!?」

 

 思っても見なかった言葉に驚く。ジルは材木屋でしっかり働いていたハズなのだ。

 

 それから、詳しい話を聞いてみると、両親から金貨5枚の罰金を払ってもらったものの、ジルはその失敗を取り戻そうとするあまり空回りして失敗をたくさんしてしまったそうだ。そして、今朝、高価な仕事道具の一つを不注意で壊してしまい、とうとう家を追い出されてしまったそうだ。

 

 

「うう~ん、困ったなぁ……」

 

 ジルの申し出を聞いて首をひねって考え込む。

 

 部屋は狭く、3人分のベットもなければ3人分の食費も大変だ。だが、家を追い出されて困っているジルを放っておく訳にはいかない。

 

「あら、いいんじゃない? コイツ冒険者なんでしょ、自分で稼がせればいいのよ。」

 

「ええっ、メルちゃん、いいの?」

 

 意外にも、メルセデスが賛成の意志を示す。前回、前々回と会った時は口げんかばかりをしていたから、当然反対するものだと思っていたのだ。

 

 

「それに、奴らに顔が知られていない奴が一人でも使えたほうがいいわ。」

 

 そうリリルに小声で耳打ちする。

 

(うう、そうかもしれないけど、ジルを巻き込む事になっちゃうよぉ……)

 

 

「頼む、リリル、今日寝る場所もないんだ、俺に出来る事ならなんでもするから……。」

 

「なんでもするって言ってるわよ。」

 

 メルセデスにとってはいい話の流れだった。人間の男と同じ家で暮らすのは耐えがたいが、あの悪い連中をわからせるための手段を確保する方が優先であった。

 

「うう……わかったけど、私のお家は狭いからね!」

 

「ホントかよ、ありがとう!」

 

 観念して、住まわす事を了承したリリルの返事を聞いてジルは嬉しさのあまり、リリルの手を取ってぶんぶん振る。

 

(困ったジルを放ってはおけないし、しょうがないよね……)

 

 当然、ジルはゲドー商会とのトラブルなど知る由もなかった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「えっと、言いにくいんだけど、ジルの寝る場所はこの物置ね。」

 

「ああ、無理を言ってるのはこっちだし、大丈夫だ。」

 

 ジルは埃のたまった物置を寝る場所として宛がわれたが、無理を言っている手前、特に文句はないようだ。

 

「確か、ここに……。あった!」

 

 リリルは物置の隅からハンモックを取り出し、ジルに渡す。

 

 

「ベッドもないからこれで我慢してね。」

 

「ああ、野宿だって経験があるんだから大丈夫さ。」

 

 ジルも一通りの生活用品は持ってきているようで、住むだけなら何とかなりそうだった。

 

「明日はギルドで仕事を取ってくるよ、あのエルフも言ってたみたいに食費くらいは自分で稼ぐさ。」

 

「うん、あと、お店の手伝いもしてくれると…嬉しいな……。」

 

「あっ、当たり前だろ、何でも言ってくれよ!」

 

 上目遣いで聞いてくるリリルに嫌だと言える訳もなく、ジルは快諾する。それを聞いてリリルはぱっと顔を明るくする。

 

「ふわぁ、ありがとうジル!」

 

「ああ、これからよろしくな!」

 

 二人は固い握手を交わす。ジルは知らなかった、店の手伝いの一つにメルセデスの計画するゲドー商会をわからせる作戦が入っている事など……。



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アランの悩み

「おはよう、ミアちゃん!」

 

「おはよう、リリルちゃん!」

 

 結局、貴重な休みであった昨日は魔法薬の下準備であるマンドラゴラの処理や魔石の粉砕で終わった。あとはミアにお願いした材料が届けば魔法薬は何とかなりそうだった。二人は教室で挨拶を交わすと、こそこそと話を始める。

 

「ミアちゃん、お家で集めてきたんだけど、これでどうにか……。」

 

 リリルは懐から小さな袋を取りだす、中身は銅貨だ。

 

「リリルちゃん、大丈夫、足りない分は私のお小遣いで何とかするよ。」

 

「ミアちゃん、ありがとう!」

 

「私にだって関係ある話なんだから、当然よ。」

 

 ミアはふんと胸を張る。

 

 

「おい!」

 

「ふわぁ!?」

 

「アラン様!?」

 

 重要な話をしていたため、アランが来ているのに気づかなかった二人は、思わぬ人物に声をかけられ飛び上がる。

 

「お前ら、ちょっと来い!」

 

 二人そろって呼び出され、慌てて教室の外へ出た。

 

「お前ら、ゲドー商会で何をしていた?」

 

「ふえっ!?」

「わぁ!?」

 

 いきなり核心をつかれた二人は短い悲鳴を上げた。

 

「ふん、その様子だと本当だったようだな。」

 

「なっ、なんで知ってるんですか?」

 

「あの商会は父上が目を付けているんだ。誰が出入りしているかなど把握して当然だ。」

 

 驚く2人にアランは当然と言わんばかりの態度である。

 

「あわあわ……」

「あの、アラン様、リリルちゃんのお家に借金取りが来て……」

 

「なに、罰金だけじゃなく借金まであるのか?」

 

「うう……」

 

 言われたくない事をばっさりと言われ俯くリリル。

 

「あの、それだけじゃないんです、借金を肩代わりしてやるから薬を作れって言われて……。」

 

「それで、奴らとは取引をしたのか?」

 

 俯くリリルの代わりにミアが事の顛末を話す。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「ケイマの実から出来る薬か……。」

 

 アランは少し考えるそぶりを見せる。

 

「リリルちゃんがその薬を作れって脅されて、地下室に閉じ込められて……」

 

 閉じ込められたと聞いてアランはほんの少し眉を動かすが、相変わらず、ほとんど無表情である。

 

「事情はわかった、お前たちがゲドー商会と取引をしていないのであればいい、話はそれだけだ。」

 

「あの、ゲドー商会は悪いことをしてるのに、どうして罰を受けないんですか?」

 

 リリルはゲドー商会の噂話をミアから聞いて、素直に思った事を聞いてみる。領主の息子であればわかると思ったからだ。

 

「ゲドー商会は多少あくどい事をやっているという噂はあるが、この町の西地区を纏める立派な商会だ。」

 

 一言、そう言うと、アランは二人を解放する。

 

 二人は決して助け船を期待していた訳ではなかったが、領主様の息子であるアランに突き放された態度を取られ、暗い気持ちになる。

 

「ミアちゃん……」

 

「大丈夫だよ、きっと上手くいくよ!」

 

 ミアはリリルの手をとって慰める。こんな平民と商会のもめ事に領主の息子が口を出す方がおかしいのだ。二人に出来る事は、ゲドー商会の手下が何かしてくる前にメルセデスの作戦ができるように準備を進める事だけだった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「ミーナさん、これ、よろしく、あとこれも!」

 

 リリルが学校に行っている頃、冒険者ギルドでジルはたまたまミーナに依頼の達成報告をしていた。

 

「ああ、農地を荒らすスライムの討伐ね、それと……」

 

 ジルはリリルに頼まれた薬の納品をついでに済ませるように頼まれていた。昨日までそれをやっていたメルセデスは店番である。

 用心棒とも言えるが……。

 

 ミーナは差し出された見覚えのある薬入れと、リリルのギルド証を見て眉を顰める。

 

「あなた、どうしてリリルちゃんのギルド証を持って納品に?」

 

「ああ、昨日からアイツん家にお世話になることになって、ついでに納品してくれって頼まれたんだ。」

 

「へえ……、お世話になってるってどういう事?」

 

 ミーナの目がすっと細まった。

 このジルという男の子は、今回のエルフ騒動に関わっているのをミーナも当然知っていたが、家にお世話になるという言葉は聞き捨てならなかった。

 

「いやあ、恥ずかしいんですが、先日の裁判の罰金で家を追い出されちゃって、家に入れてもらえるまでリリルの家に住まわせてもらうことにしたんです。」

 

 頭を掻きながら話すジル、ミーナの目の色が変わっていることにまったく気付いていなかった。、

 

「へえ……一緒に住んでるのね……。」

 

 ミーナの目がぎらりと光り、ジルを見据える。

 

(リリルちゃんと同い年くらいの男の子が一つ屋根の下、うらやま……けしからん事だわ!)

 

「そうそう、でも自分の食費は自分で稼がないといけないから、また依頼持ってくよ。何か割のいいのない?」

 

 ジルは依頼の報酬を受け取りながら、ミーナに尋ねる。

 

「依頼、ああ、それならこのサラマンダー狩りなんてどうかしら、金貨5枚で罰金が払えるわよ。」

 

「いやいや、冗談やめてよ、俺はEランクだぜ、そんなの倒せないよ!」

 

「あらあら、倒せなくてもサラマンダーの餌にはなれるわよ。」

 

 さらりとひどい事を言うミーナ、もっともリリルと一緒に暮らしている男という時点で扱いはもはや敵であった。

 

「いや、死んでるじゃん、もっと簡単な死なない依頼を頼むよ!」

 

「このギルドに簡単な依頼は存在しないわ。この熊狩りなんてぴったりだと思うけど……」

 

 慣れた手つきで依頼を取り出す、とある熊の魔物の肝を取ってきてほしいという依頼だった。

 

「いやいや、パーティーも組んでないんだから、さっきと一緒で餌になっちまうよ!」

 

 ジルは依頼を見てぶんぶんと首を振る。

 

「物分かりが悪いわね、餌になれって事よ!」

 

「うえ、ミーナさん、今日はおかしくないですか!?」

 

 急にきつく当たられるようになったジルは目を白黒させる。ジルがリリルと一緒に暮らしているという事で、ミーナに火をつけてしまったのをジルは知る由もなかった。

 

(くっ、こんな男がリリルちゃんと暮らしてるなんて、これは早急に家に行ってリリルちゃんの考えを改めさせる必要があるわね。)

 

 一人決心するミーナであった。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

「父上、なぜゲドー商会を取り締まらないのですか!」

 

 5の鐘が鳴る頃、領主の屋敷、それも領主の執務室では珍しくアランが父に感情的になって領主である父に話しかけていた。

 

「なんだ、お前には前にも説明したと思ったが……」

 

「あの商会に苦しめられている者がいるのです!」

 

「そんな事は分かっているし知っている。だが西町の荒くれものを纏められるのは今のところあの商会しかないのだ。それに、あのような商会でも、役に立つ事はあるんでな。」

 

「しかし!」

 

「商会などに興味のなかったお前が、急にそんな事を言ってどうしたんだ?」

 

 領主は町の運営に興味のなさそうだった息子が急にそんな事を言い出したのを見て訝しむ。

 

「それに苦しめられているのはほんの一部の平民、その中のほんのひと握りの者たちだろう。あの商会は人殺しや人さらいをしている訳でもない、昔に比べれば可愛いものさ。」

 

 アランの父は昔を懐かしむように言った。前の領主が不祥事を起こし、更迭された後任として、この町に来た時の様子の事を言っているのだ。西町のとある商会が暴力を背景に町全体を自分の勢力下に置こうとしていた時代だ。

 

「ですが、実際に苦しめられている者がいるのです!」

 

「ほう、それは誰だ、まさか自分の知り合いとは言わないよな?」

 

「それは……。」

 

 知り合いのために便宜を図る事は、為政者として避けるべき事であると、常日頃から教えられてきたアランは口をつぐむ。

 

「困っている者に手を差し伸べようとする姿勢は結構、だが、領主になる者として、という部分では落第だな。」

 

 アランの父は諭すように言う。

 

「いいか、お前は将来この町の運営を任される立場にある。そんな立場にあるお前が、軽々しく力を使うとどうなる?」

 

「……大勢の者に苦労をかける事になります。」

 

「そうだ、例えば目の前の困っている者を何も考えず助ける、そうすると、それを見た者達が不公平に思い、大げさかもしれんが暴動が起こる事もある。それに権力者が軽々しく発した一言で、何人もの部下を死に追いやる事などよくある事だ。次期領主であるお前はそれを肝に銘じて軽々しい行動はするな。」

 

「……父上の言いたい事はわかりますが。」

 

「何だ、言いたい事があるならはっきりと言うんだな。」

 

 

 

「…いいえ、ありません。」

 

 落ち込んだ様子のアランを見て、父はため息をつく。

 

「だが、思い悩むのは大いに結構、上に立つ者の不安は容易に伝染する。顔に出して悩めるのは責任ある立場にない今のうちだ。」

 

「では、父上は私に困った者を見ても悩むだけで手を出すなと言うのですね…。」

 

「何もそんな事は言っていない、責任を取れないなら行動するなと言っている。動くなら、何が起こっても最後まで責任を取る覚悟で行動しなさい。」

 

 一言言うと、アランの父は息子に背を向けた。

 

「責任ですか?」

 

「ああ、行動には結果が伴うが、どんな事になっても逃げずにそれを受け入れる覚悟の事だ、例え多くの者が死ぬような事になってもな。」

 

「結果……。」

 

「何にせよ、今のおまえがどうしても何かをやりたいと思うなら、領主の息子という立場は横に置いて、まず覚悟を決める事だ。何せ俺はお前がやろうとしている事については何一つ指示を出していない。だから、その行動の責任はお前にある、お前が決めるんだな。」

 

「わかりました、もう少し考えてみます……。」

 

「念を押すが、自分の意思で動くなら、最後まで責任を取りなさい。責任ある立場になる者として、重要な事だ。」

 

「はい!」

 

 アランは短い返事をすると、話しは終わったといった風に執務に励み始めた父を見て、書斎を後にする。



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薬の準備と男たち

「必要な材料は揃ったの?」

 

 メルセデスはミアが持ってきた山盛りの材料が入った籠を見て言った。

 

「うん、これだけあれば何とかなると思う、最初は失敗するといけないから少しの量から始めるね。」

 

 リリルは籠の材料の一つ、真っ黒な小指の先ほどの黒い木の実を一つまみする。

 

「まず、この木の実をすり潰して乾燥させる、と……。」

 

 一つまみした小さな黒い木の実を石臼に入れて粉々にしていく。この黒い木の実は今回の薬の主成分となるものだ。

 

「ねえ、リリルちゃん、何か手伝える事ない?」

 

「ミアちゃん、じゃあ、この瓶に切れ目を入れて。」

 

「わかった。」

 

 ミアはリリルに言われ、本に書いてあるとおりに魔法薬を入れる瓶にやすりで切れ込みを入れていく。魔法薬の瓶は割れやすくするために、他の薬瓶よりも薄くできている。それに切れ込みを入れる事で、さらに割れやすくできるようになっていた。

 

「で、あのジルって奴はどこに行ったのよ。」

 

「ジルなら今日の依頼をもらって町の外に行ったよ。」

 

「ふうん、そりゃ好都合ね。」

 

 メルセデスは不敵に笑う、よからぬ事を考えているようだった。

 

「ねえ、リリルちゃん、ジルってだあれ?」

 

「えっとね、昨日から一緒に住む事になった材木屋さんの男の子だよ。」

 

 いつもよりほんの少し低いトーンで話しかけるミアを気にする事なく、リリルは答える。

 

「へえ、そうなんだ……」

 

 ミアは手を休めず、同じように低いトーンで返事をする。その様子を横目で見てメルセデスはさらに、何かを企んでいる悪い顔をする。

 

「メルちゃんも、この魔石の粉に魔力を込めてよ。」

 

「はいはい、任せてちょうだい。」

 

 メルセデスは粉砕された魔石に手をかざして魔力を込めていく。

 

「3人もいればすぐに完成しそうだね!」

 

 リリルは木の実をすり潰しながら嬉しそうに言った。

 

「そりゃあそうよ、なんたってエルフな私がいるんだもの!」

 

 メルセデスがどうだと言わんばかりに手際よく魔力が込められて緑色に輝き始めた魔石の粉を見せつける。

 

「リリルちゃん、どれくらい作ればいいの?」

 

 ミアは真剣な目つきで、魔法薬を入れる瓶に切れ目を入れていく。

 

「えっと……」

 

「たくさんよ、たくさん、あの商会の建物いっぱいに食らわせられるくらいよ!」

 

「うん、ミアちゃん、たくさん作って!」

 

「わかった!」

 

 それから3人は魔法薬を作る作業に勤しんだ。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「今日は、まあこんなもんだろ…」

 

 ミーナに邪険に扱われるようになったのは納得いかないが、依頼を終えて手に入れた銅貨を懐に入れて居候先へ急ぐ。

 

「おーい、リリル、帰ったぞ。」

 

 建付けの悪い入口の扉を開けて店に入るとリリルが心配そうな顔をして立っていた。

 

「ジル、おかえりなさい!」

 

「ああ、依頼は終わったから、コレ、頼むよ。」

 

 ジルは懐から今日稼いだ銅貨を取り出しリリルに渡す。

 

「ありがとう、えっと、それから……お願いが……あるんだけど……」

 

「なんだよ、居候なんだから何でもするって言ったろ。」

 

 困った顔で上目遣いにお願い事をするリリルに乗せられ、うかつな事を口走るジル

 

「あら、なんでもしてくれるって!」

 

 そのやりとりを聞いたメルセデスが、続いてミアが後ろから出てくる。

 

「ええ、メルちゃん、本当にやるの!?」

 

「当然でしょ、もし使って失敗したら今度はどうなるかわからないわよ!」

 

「リリルちゃん、ここはやるべきだよ!」

 

 ミアが両手をぐっと握ってリリルに訴えかける。

 

「なんだよ、何をすればいいんだよ!?」

 

「えっと、と、とりあえず物置に入ってよ!」

 

 リリルの後ろにいる2人から発せられる不穏な空気を察知してジルは一歩後ろへ下がろうとしたが、ミアに手を掴まれる。

 

「なんだよ、何をする気だよ!」

 

「えっと、この魔法薬の実験台になって欲しいの!」

 

「はあっ!?」

 

 リリルは懐から黒色の禍々しい液体の入った瓶を取り出す。

 

「ちょっとまて、何の薬だよ!」

 

「それはくらってのお楽しみよ、ミア!」

 

「うん!」

 

「うわぁ、何するんだ!」

 

 メルセデスとミアは素早くジルを拘束し、物置に押し込む。

 

「メルちゃん、ミアちゃん、やっぱりやめようよ……」

 

「何言ってんの、本番でもし奴らに効かなかったら今度こそひどい目にあうわよ。それにそいつ、何でもするって言ってたじゃない。」

 

「ううん、けど……」

 

「ああ、もう、まどろっこしいわね!」

 

 メルセデスは、ジルを実験台にする事をためらっているリリルから、魔法薬をひったくって素早く物置に放り込んだ。

 

「ミア、扉!」

 

「うん!」

 

 ぱりんという音にあわせてメルセデスはミアに声をかけると、ミアは物置の扉を閉めて閂をかけた。

 

「うわ、おい!何するんだ、開けろ!」

 

「ジル、ごめんなさい!」

 

「さて、ちょうど4の鐘が鳴ったし、ご飯の用意でもしようかしら。ご飯ができたら扉を開けて効果を確認しましょう。」

 

 メルセデスは悪戯そうに言うと、さっさと台所に消えていった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「はぁ、はぁ……」

 

 夕食の準備が終わったころ、ようやく物置の扉が解放され、満身創痍で額から大粒の汗を流すジルに解除のための魔法薬を使う。

 

「しっ、死ぬかと思った……」

 

 息をきらしながらジルが言う。

 

「よかったわ、魔法薬は成功みたいね。」

 

「リリルちゃん、もっと効果を確認しなくても大丈夫?」

 

 にしし、とわらいながらジルの様子を見に来たメルセデスに、もう一瓶毒々しい色の魔法薬を持ってくるミア。

 

「畜生、お前ら、覚えとけよ!」

 

「ジル、本当に、ごめんなさい。」

 

「あ、あぁ……」

 

 すまなさそうな顔で上目遣いに見つめるリリルを見て怒りを引っ込める。思春期の男は単純なのだ。

 

「でも、どうやってゲドー商会の建物の中に魔法薬を撒くの?」

 

「大丈夫よ、そのうちあっちから動きがあると思うわ。あんたはご飯食べたらできるかぎり魔法薬を作っていなさい。」

 

 メルセデスは今後の展開がわかっているといわんばかりに皆を夕食が置かれたテーブルに促す。

 そこには、いつもの固い黒パンと、どこからか引っ張り出してきたのか、古びたテーブルに不釣り合いな銀色の丸い蓋をもったいぶってかぶせてあった。

 

「さて、あとは戦いに備えて、しっかり食べる!」

 

 そう言うと銀色の蓋を取った。すると部屋には香ばしい匂いが広がった。

 

「うわあ、美味しそう!」

 

「兎肉を赤マンドラゴラと野菜で煮たシチューよ、ちょっと辛いけど元気が出るわ。」

 

「へえ、料理も出来るんだな。」

 

「あら、私をなんだと思ってるのかしら?」

 

 ジルの不用意な言葉にぴくりと眉を動かすメルセデス

 

「わ、悪かったよ、いただきます。」

 

 じろりと睨まれたジルはおとなしくなる。

 

「リリルちゃん、この男といっしょに暮らして大丈夫なの?」

 

「ふぇ、何が?」

 

 ミアは大皿から人数分の小皿にシチューをよそおいながら不安そうに聞く。一方でリリルは何を心配されているのかわからない様子だった。

 

「このバカにそんなこと聞いても無駄よ。」

 

「ああっ、メルちゃん、またバカって言った!」

 

「はいはい、みんなさっさと食べる。」

 

 ぷんぷん怒るリリルを置いて、メルセデスはミアによそってもらったものに手をつける。もはやどっちが家の主人かわからなかった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「美味しかった。メルちゃんってやっぱり料理上手だね!」

 

 さっきの出来事を忘れたように、にこにこしながら言う。

 

「それに、マンドラゴラって食べられるんだね。」

 

 ミアが本当に関心した顔で言う。

 

「叫ばれると美味しくなくなるけど、処理の仕方を覚えれば簡単よ。」

 

「メルちゃんのおかげで、マンドラゴラが家で採れるようになったんだよ。」

 

「「ええっ!?」」

 

 二人が驚くのは当然であった。マンドラゴラは叫ばれると厄介な魔法植物で、そのせいで街中で売っている店はなかった。それに食べられるという話も二人には初耳だった。

 

「人族ではあまり知られてないみたいだけど、エルフでは常識よ。魔力がないと処理できないけどね。」

「なんだぁ……」

 

「あの、今度処理の仕方を教えて下さい!」

 

 魔力がないと処理できないという話を聞いて肩を落とすジル、一方でミアは商人の娘らしく、目を輝かせる。

 

「いいわよ、今日は必要なマンドラゴラを処理し終わってるから、また今度教えてあげるわ。」

「本当ですか、メルセデスさん、ありがとうございます!」

 

 ぺこりと頭を下げるミア

 

「見なさいリリル、これが普通の人族の対応よ。」

 

 メルセデスは頭を下げるミアを見て、得意そうに胸を張って言う。

 

「ええっ、でもメルちゃんはメルちゃんでいいっていったじゃない。」

「行き倒れてた奴にそんな威厳があるもんか。」

 

「ぐっ……。」

 

 ジルの辛辣な言葉に口を噤む。

 

「あんたたちはもう少し私の偉大さを知りなさいよ!」

 

「メルちゃんが凄いのは知ってるよぉ。」

 

「はぁ……」

 

 ほわほわした顔で答えるリリルに毒気を抜かれたメルセデスはため息をついて元いた椅子に座った。

 

 

 

 

 それから、食事を終えてしばらく取り止めのない話しをしていると、5の鐘が鳴った。

 

「あら、もうすぐ日が暮れるわね、ミアは帰ったほうがいいわね。」

「はい、また来ます。リリルちゃん、また明日ね!」

 

 ミアは席を立って、持ってきた籠を手に帰ろうと扉を開けた。それから、すぐに顔を青くして扉を閉めた。

 

 

「リリルちゃん、大変、黒い服の人が通りを歩いてこっちに来てたよ!」

 

「ええっ、メルちゃん、どうしよう!?」

 

「あら、思ったより早かったわね、ミアとアンタは物置に隠れてなさい!」

 

「うぇ!?何の話だよ!」

 

 ミアはこくりと頷き、一方で事情を知らされていないジルは戸惑っていたところ、ミアに引っ張られて物置に入っていった。

 

 残った2人は男達が近づいてきているであろう入口のドアを、息を潜めてじっと見つめた。




お待たせしました!


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悪人の手口と子供達の決心

 店内で息を殺して待っていると、入口のドアが乱暴に叩かれた。

 

「おい、ガキ共、出てこい!」

 

 続いて乱暴な男のだみ声が響く。

 

「メルちゃん…」

 

「大丈夫よ。」

 

メルセデスは臆する事なく扉を開け放つ。

 

「おいっ……ちっ!」

 

 中からメルセデスが出てきた事から、男は舌打ちをする。つい先日魔法でぼこぼこにされたからだ。

 

「あら、またぶっ飛ばされに来たのかしら?」

 

 男のしかめ面を見て、メルセデスは小馬鹿にしたようにいう。

 

「コイツ!」

 

「おい、やめろ。」

 

 メルセデスの舐め切った態度に腹をたてるも、もう一人の男が低い声で静止する。

 

「アニキ!?」

 

「今日は話し合いに来たんだ、店長を、出してもらおうか。」

 

「へえ、話し合いね、あんまり余地はなさそうだけど、まあいいわ。リリル、悪人共がご指名よ。」

 

「ええっ!?」

 

 頼りのメルセデスが何とかしてくれると安心していたリリルは、豆鉄砲を食らったような顔をする。

 

 リリルは恐る恐る悪人が待ち受ける店の入り口に近づいていく。

 

「あの、あの、……いらっしゃいませ?」

 

 そして、黒服の男たちを前にして、消え入りそうな声でいった。

 

「……いたっ!」

 

 頭にメルセデスの拳骨が落ちる。

 

「おバカ、こいつらは客じゃないのよ、お前らに用はねえ、さっさと帰りな、くらい言いなさい!」

 

「えっと…お前らに……用はねえ?…さっさと……」

 

 涙目になり、拳骨を落とされた頭をさすりながら、言われた言葉を言おうとするが……。

 

「このガキ共、いつまで茶番をやってやがるんだ!」

 

 二人のやりとりに痺れを切らせた男の一人が怒鳴る。

 

「あら、押しかけておいてひどい言われようね。またぶっ飛ばされたいのかしら?」

 

 メルセデスは両手をワキワキさせて男たちを脅す。

 

「くっ…」

 

 魔法でぶっ飛ばされたのが、よほど効いたのか、男は言葉を飲み込む。

 

「待て、今日は話し合いに来たと言っただろう。」

 

「へえ、借金はなくなったし、何について話し合うつもりかしら?

 

「借金の話じゃあない、メンツの話しだ。メンツを潰された俺たちは、とりあえず見せしめに、この店を潰す事にした。だが、魔法使いの従業員にまともにやりあっては敵わない。だから、じっくり締め上げる事にしたのさ。」

 

「穏やかじゃないわね、そんな事を許すと思ってるの?」

 

 メルセデスは油断せずに男たちに向き合う。

 

「なに、やり方は沢山あるさ、俺たちが店の前でたむろしてりゃ客は来ない、お前らが出かけてる時に店をぶっ壊してもいい、材料を調達する店を脅して売らないようにさせてもいい。」

 

 カルロは低い声で言葉を続ける。

 

「だが、そんな事をするのは人手もいるし時間もかかって面倒だ。だからウチの商会長と今回の事の手打ちについて話し合ってもらおうと思ってな。」

 

「へえ、地下室に放り込んで薬を使うような輩の親分なんて、きっとろくな事を考えてないんでしょうね。」

 

「何だと!」

 

「やめろ。」

 

 自分たちのボスに触れられ襲い掛かろうとする下っ端をなだめるカルロ

 

「こんなバラックみたいな店、柱を2、3本へし折ればぶっ壊れる、俺たちには簡単な仕事さ。3日間猶予をやる、おとなしく商会長と会うか、店を潰されるのか選ぶんだな。」

 

 カルロは先日借金を取り立てに来た時のようにそう吐き捨てて踵を返した。

 

「次来る時が楽しみだな、こんな店、すぐにぶっ潰してやるぜ!」

 

「お前ら、覚悟しておくんだな!」

 

 取り巻きの男達二人も捨て台詞を吐いて遠ざかって行った。

 

「ふん、覚悟するのはあなたたちの方よ!」

 

 メルセデスはふんと鼻を鳴らして男達を見送る。

 

 

 

「はぁ……」

 

 

 

 リリルは男たちが去って見えなくなると、ぺたんと床に座り込んだ。

 

 

 

「め、メルちゃん、腰が抜けちゃった……」

 

「ったく、だらしないわね、魔法薬が十分な量完成したら奴らのところに殴り込みに行くのよ、そんなので大丈夫なの?」

 

「ええっ!?」

 

「まあ、向こうのボスがわざわざ招待してくれてるんだから、殴り込みじゃないわね。」

 

「む、無理だよう、そんな事、メルちゃん、怖いよぉ……」

 

 リリルはメルセデスに涙目で訴える。この間は行ってひどい目にあったのだから当然だろう。

 

「大丈夫よ、私も一緒に行ってあげるから。」

 

「でも……」

 

 

 

「リリルちゃん、大丈夫だった!?」

 

 

 

 いつの間にか物置から出てきたミアが腰が抜けて座り込んでしまったリリルに心配そうに言う。

 

「何だよ、何があったんだよ。」

 

 突然物置に入れられたジルは状況が分からず困惑気味である。

 

「ふっふっふ、めでたくゲドー商会の商会長にお呼ばれされちゃったわ!」

 

 メルセデスは腕を組んで得意そうに言った。

 

「「ええぇ~!!」」

 

 メルセデスが魔法で追い払ったとばかり思っていたミアも含めて、2人は目をむいて驚く。

 

「ゲドー商会ってあのゲドー商会の事か、あの西町を牛耳っている?」

 

「まあ、そうでしょうね。」

 

「何やったんだよ……」

 

 事情を知らないジルはあんぐりと口を開けている。

 

「そんなことはいいの、どうせアンタにも協力してもらうんだから!」

 

「うぇ!?」

 

 メルセデスに言われてジルは目をむく。

 

「当然でしょ、失敗したら私達3人の住む家がなくなっちゃうのよ。」

 

「はあ!?」

 

「行かないと怖い人たちが……お家を壊しに来るんだって……ぐすっ……」

 

 リリルは鼻をすすりながら言う。実家を追い出されてしまったジルは、またしても家なき子になるのかと頭を抱える。

 

 

 

「ったく、しょうがねえな、もう乗りかかった船だ、訳わかんないけど協力するよ!」

 

 

 ジルはしばらく頭を抱え、逃げられない事を悟って、やれやれといった様子で協力することにした。もうやけくそである。

 

「じゃあ、今から急いで例の魔法薬を完成させるわよ、ほら、しっかりしなさい!」

 

 メルセデスはリリルの手をとって立ち上がらせる。

 

 

 

「メルちゃん、ほんとにいっしょに来てくれるの?」

 

「当たり前でしょ、あんた一人に行かせたんじゃ、私が煽っただけみたいで無責任じゃない、こんな事になった責任が少しはあるんだから、最後まで付き合うわよ!」

 

 不安そうに目に涙をためているリリルの頭をぐりぐりと撫でる。

 

 

「うん……。」

 

「あれだけ効果のある魔法薬があれば大丈夫だよ、リリルちゃん、やろうよ!」

 

 ミアもぐっと両手を握って不安そうなリリルに言う。

 

 そんな2人を見て、リリルはぐしぐしと袖で零れそうな涙を拭く。

 

 

「わかった、頑張る!」

 

 

 そうして、リリルはついに悪い大人に立ち向かう決心をしたのだった。



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薬の調合と悪人の企み

「よいしょ、よいしょ」

 

 リリルは声を出して気合を入れながら鍋をかき混ぜる。ゲドー商会の男達が去ったあと、大急ぎで魔法薬の調合を始めたのだ。

 

「メルちゃん、もう少ししたらその黒い木の実の粉を入れるから、準備お願いね!」

「わかったわ!」

 

 メルセデスは大量の木の実をすり潰して得た黒い粉を、ぐつぐつと煮立ち始めた大鍋の方に持っていく。

 

「いち、に、さん、えい!」

 

 リリルはいったん混ぜ棒を置いてメルセデスと協力して大皿から黒い粉を鍋にだぼだぼと入れていく。

 

「よっし、あとはマンドラゴラだね!」

 

 調合鍋の混ぜ加減と培った勘で、何となく上手くいっている感触を感じたリリルは一安心する。

 

「マンドラゴラはすりおろしてここに置いてあるから、あとは一人で出来るわね?」

 

「うん、大丈夫だよ!」

 

 リリルは元気に返事をする。調合室で何かを作っている時が一番いきいきしているかもしれない。

 

「メルセデスさん、この大っきな魔法薬の瓶も使っちゃうんですか?」

 

 ミアは両手に顔ほどの大きさの瓶を持ってくる。

 

「それは煙突から投げ落とすから、しっかり切れ目を入れておいて、確かあの商会には煙突が二本はあったから二個ね。」

「わかりました!」

 

 ミアは瓶を机の上に置き、やすりで切れ目を入れていく。ミアのメルセデスの呼び名はメルセデスさんで落ち着いたようだ。年齢はわからないが、何となく大人っぽいからそう呼ぶ事にしたのだ。

 

「よっし、マンドラゴラを入れて……」

 

 リリルはタイミングを見計らって傍に置いてあった赤マンドラゴラのすりおろしを入れた。すると、鍋は突然、ゴトゴトと泡を吹き始める。

 

「わわっ、危ない!」

 

 慌てて火力を弱めて何とか泡が吹きこぼれるのを防ぎ、注意深く調合釜の様子を見守る。

 

「ふわぁ、危なかったぁ……」

 

 泡がおさまり、まっ黒に染まった調合釜を見て胸を撫でおろす。

 

「あとは明日になれば完成かなぁ……」

 

 リリルは祈るような気持ちで釜の蓋を閉めた。この魔法薬が完成しなければ、すべてがとん挫してしまうのである、責任重大であった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「おい、カルロ、本当にガキ共を連れてこられるんだろうな!」

 

 ゲドー商会の商会長であるゲドーは癇癪を起したようにカルロを怒鳴りつける。

 

「はい、奴らは必ず数日中には顔を出します。来なかったとしても脅しつづければいずれは顔を見せるでしょう。」

 

「分かっていると思うが、失敗は許されんぞ!」

 

 ゲドーは顔を真赤にし、怒りの形相で机の上の紙を見る。そこには傘下をやめる西町の店のサインがまたいくつか書かれていた。

 

「はい、わかっています。」

 

「あのエルフのガキは魔法が使えるそうじゃないか、これで吠えずらをかかせてやる。」

 

 ゲドーは手元に置いた銀色の魔道具を撫でる。。

 

「ええ、この部屋に入れ込んでしまえば、たとえ相手が魔法が使えようが、どうとでもなります。」

 

「ところで、奴らを消す手筈は出来ているのか!」

 

「はい、例の男と連絡を取りました。エルフと魔力を持った女児なら高額で買い取ってくれるそうです。」

 

「ふふん、そうか、奴らにはゲドー商会を舐めた罰として奴隷生活を味わってもらおう。」

 

 ゲドーは一転上機嫌になり、葉巻を吹かし始める。

 

「なあに、失踪が分かったとしても罰金が嫌で夜逃げしたと思われるだけさ。平民が2人消えたくらい何の問題にもならんさ。」

 

「おっしゃるとおりで。」

 

 カルロはゲドーの言葉に相槌を打つ。

 

「昔はよかった、西町の我々が町を好き勝手できたんだからな。」

 

(ちっ、また昔話を始めやがった。)

 

 カルロは内心毒気づく、当然顔には出さないが…。

 

「それがどうだ、今の領主に変わってから、すっかり商売あがったりだ。」

 

 葉巻をぐしゃりと灰皿に押し付ける。

 

「ふたたび我々の住みやすい町を作るために、お前にはあの薬の量産を頼んだのだ。」

 

 ゲドーは豪奢な椅子から立ち上がり、窓の外を眺める。

 

「なあに、心配いらん。お高く留まっている、お貴族様に掴ませてしまえば何でも合法になる。あの薬にはそれだけの力がある。」

 

「おっしゃるとおりで。」

 カルロは同じように相槌を打つ。

 

 ケイマの実から精製された薬は、数回程度なら大丈夫だが、使う回数が増えるごとに薬がなければ我慢ができなくなってくる。その性質を利用して、客から金をむしり取るのだ。 

 一方で、ケイマの実は精製が難しく、現在は西町のほんの一部で高価な娯楽程度の量しか取引されておらず、大した収益になっていなかった。量産できそうな薬師を買収しようとしたものの、薬師は数が少なく、その上薬師ギルドの監視が厳しかったため買収できなかった。

 年端もいかないリリルに脅しつけて作らせようとしたのも、そういった事情があったからだ。

 

「いいか、あのガキ共を片付けたら、エルフの話を持ち込んだ商業ギルドを脅しつけて毟れるだけ毟れ、なあに、奴らも後ろ暗いところがあるんだ、エルフが消えてもそれほど騒ぐまい。」

 

 ゲドーはでっぷりと出た腹をさすりながら、未来の町の姿を想像する。昔のように悪意がはびこる町の姿だ。

 

「おい、ガキどもはいくらで売れる予定なんだ!」

「ははっ、この金額です!」

 

 カルロは素早く懐から紙を取り出しゲドーに手渡す。

 

「くくく、これだけあれば今回の損失のお釣りどころではないな。」

 

 紙に書かれた金額を見たゲドーは、にやりと気持ち悪い笑みを浮かべ、再びどっかりと重そうな尻を豪奢な椅子に収めた。



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ゲドー商会との対決

「じゃあ、行くわよ!」

 

「うん!」

 

 二人は、ゲドー商会の前に立つ、リリルはぎゅっとメルセデスの袖口を掴む。 

 

「ったく、あんた本当にそんなので大丈夫?」

 

 服の袖を掴まれたメルセデスは、不安と緊張と恐怖が入り混じったリリルの顔を見て言う。

 

「だっ、大丈夫!」

 

 とは言うものの、がちがちに緊張して、顔色もあまりよくない。

 

「はぁ……」

 

 メルセデスは大きなため息をつく。

 

(まあ、いざとなれば建物をぶっ壊して逃げればいいしね。)

 

 そんな物騒な事を考えながら、リリルを片手に引っ付けたままメルセデスはゲドー商会の建物の入り口をくぐる。

 

「邪魔するわ!」

 

「なんだてめぇ!?」

 

「あら、客に対しててめえとは、ずいぶんな言い方ね。」

 

 入り口にいた男の乱暴な言葉遣いに怖気づくことなくメルセデスは言い放つ。

 

「ああ、お前らが例のガキ共か、少し待ってろ!」

 

 男はメルセデスの耳とフードをかぶった銀髪の少女を見て、用件がわかったと言わんばかりに店の奥に消えていった。

 

 それからしばらくして、大柄の太った男が額の汗をふきながら奥の部屋から出て来る。そして、その男は二人の姿を見ると、大きな蛙のような不気味な笑みを浮かべた。

 

「いやいや、ようこそいらっしゃいました。」

 

「へっ?」

 

「はぁ?」

 

「いやいや、すみませんね、ちょっと手違いがあったようで怖がらせてしまったようです。ささ、どうぞお上がりください。」

 

 太った男は揉み手をする勢いで寄ってきて、不気味な笑みを絶やさず、2人を歓迎する素振りを見せる。

 

「メルちゃん……」

 

「まあ、行くしかないでしょうね、どうやらアイツが商会の一番偉い人みたいだし。」

 

 思っていたのと様子の違う男たちに戸惑いを隠せないリリルはメルセデスを不安そうに見上げる。

 

「おい、お前ら客人だぞ、さっさと準備せんか!」

 

「へ、へい!」

 

 黒服の男たちはゲドーに言われたとおり、慌てて上の階に上がっていった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「くっそう、なんで俺がこんな事やってるんだよ……」

 

 西町の建物を屋根づたいにゲドー商会へと向かうジル、昨日の作戦会議を思い出す。

 

「じゃあ、作戦会議を始めるわよ!」

 

 魔法薬が完成しているのを確認してから、メルセデスは全員を集めて作戦会議を始めた。

 

「私とリリルは奴らに従って堂々と正面から行くわ!」

 

 えへんと胸を張るメルセデス、一方でリリルは不安そうだ。

 

(大丈夫か、と言いたい所だけど、最後まで話を聞くか。)

 

 ジルはだんだんメルセデスの性格がわかってきたようで、ここで話を止めたら喧嘩になる事を学んでいた。

 

「で、あんたは見つからないように屋根に登って煙突からこの大きな魔法薬を投げ込む!」

 

「いやいや、待ってくれ、見つかったらぶっ殺されるじゃないか!」

 

 メルセデスの突拍子もない提案に飛び上がる。

 

 ジルの言うことももっともだ、ならず者の建物に悪戯しようとするのはよほどの命知らずか鎬をけずる対抗勢力くらいなものだ。当然見つかればタダでは済まない。

 

「メルちゃん、やっぱりジルを巻き込むのはやめようよ、ゲドー商会には関わってないんだし……」

 

 リリルはすまなさそうに言う。

 

「あら、こんな風に言ってるけど、あんたは知らんぷりをするつもりかしら?」

 

 ジルはメルセデスの何かを企んでいる得意そうな顔と、対照的に目に涙を貯めているリリルを交互に見て、しばらく考え込む。

 

「……わかった、わかったよ!やりゃいいんだろ!」

 

 ジルはもう抵抗するのをやめた。もうやけくそである。

 

 困ってるリリルを放ってはおけないし、自分の勘当が解けるのがいつになるか分からない以上、悪いやつらに怯えながら生活するのも耐えられない。そう思い直したのだ。

 

 

 

 その結果が今の状況である。

 

 材木屋の息子らしく、枝を払うためによく木に登るから、こういった高い場所での仕事は少しは得意なつもりだが、見つからないような訓練を受けた訳ではない。

 

 それに、煙突から落とすための大きな魔法薬の瓶まで持っているのだ。

 

「よっと!」

 

 手製の縄梯子のようなものを使い、屋根を渡ること数回、ジルはついにゲドー商会の隣にある建物にたどり着いた。ゲドー商会はこの付近でいちばん高い建物だから、隣の建物を利用して屋根に登るしかなかったのだ。

 

 屋根の上からゲドー商会の前にいる2人に手を振る。2人はその合図を確認して、少し間を置いてからゲドー商会の中に入っていった。

 

 それを見届け、腰に下げた道具入れからロープのついた四爪錨を取り出した。それをゲドー商会の屋根に向かって放り投げる。

 

 錨が引っかかったのを確認し、繋がったロープを何度か力一杯引いて、外れないのを確認する。

 

 

「よっし、行くぞ!」

 

 

 ジルは隣の建物からロープを伝ってゲドー商会の屋根の上まで、するすると登っていく。

 

 

「ふう、見つからなかったみたいだな。」

 

 見つからなかった事に安堵して、袖口で額の汗を拭う。あとは見つからないように合図を待って魔法薬を煙突から放り込むだけだった。

 

 ジルは地上を歩く人から見つからないように煙突の影に身を潜めた。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「どうぞどうぞ、こちらです。」

 

 

 商会長と名乗る男は、気味の悪い笑みを浮かべながら、2人を2階へ案内する。途中地下室へ続く道が見えたリリルは先日の記憶が蘇り身震いをしてしまう。

 

「メルちゃん……」

 

 相変わらずメルセデスの袖にくっついたままのリリルは、ゲドー商会の不気味な対応に不安そうな声を漏らす。

 

「大丈夫よ、きっとうまくいくわ。」

 

 小さな声で連中に聞こえないようにリリルに耳打ちする。

 

「……」

 

 それでも不安そうなリリルの表情を見て、メルセデスは袖口にくっついているリリルの手を握ってやる。

 

「ふわぁ……」

 

「ん?どうした?」

 

 驚いたような声を出したリリルに、取り巻きの男の一人が反応する。

 

「なんでもないわよ、さっさと案内しなさい。」

 

「……ちっ!」

 

 相変わらずふてぶてしい態度をとるメルセデスに舌打ちをする男

 

 

「こちらです、どうぞお入り下さい。」

 

 太った商会長は、2人を部屋へ入るよう促す。2人は顔を見合わせ、うなずき合ってから男に促されるまま部屋に入った。

 

 部屋の中は赤い絨毯や革張りのソファーなど、高価そうな家具で彩られていた。

 

「あら、どういう風の吹き回しかしら?」

 

「だから、言っているではありませんか、ほんの手違いがあって誤解を招いていると、今回お呼びしたのはその誤解を解くためです。我々にエルフや一般の方々をどうこうしようという気はありません。」

 

 

 気味が悪いが、とりあえず今は危害を加える気がないようなので、2人は促されるままに応接セットのソファーに座った。続いて商会長が一人用の大きな作りのソファーにぴったりの大きさの尻を収めた。

 

「おい、気がきかんな、菓子くらい用意せんか!」

 

「へい!」

 

 

 手下の一人が慌てて子供が好みそうなお菓子をテーブルの上に準備する。

 

「わぁ……、痛っ!」

 

 メルセデスは準備された菓子を見て思わず緊張感のない声を漏らすリリルの手を抓る。

 

「安心して下さい、毒なぞ入っておりませんぞ。」

 

「怪しいわね、あんたが食べてみなさいよ。」

 

「何だと!」

 

「やめんか!」

 

 商会長は声を荒げた男を静止し、お菓子の一つを摘みあげ口に放り込む。

 

「ほら、毒など入っていないでしょう。」

 

 ゲドーは得意げに言う。

 

「まあ、手が進まないのもわかります。それより、話の種にエルフの魔法を見せていただけませんか?」

 

「……なんであたしがやんなきゃいけないのよ。」

 

「いやはや、これだけ生きてきてエルフと会ったのは初めてでしてな、冥土の土産と思って頂ければ。」

 

 

 ゲドーは禿げた頭をぽんと叩いて可笑しそうに言う。

 

「しょうがないわね……」

 

 それほど難しい魔法をする必要はないと思ったメルセデスは簡単な水の魔法を使おうと手に魔力を込めようとするが……。

 

「……あんた、何かした?」

 

 魔力の溜まらない手のひらとゲドーの気味が悪い笑みを交互に見て、狐に摘まれたような顔をするメルセデス、その様子を見てゲドーは不敵な笑い声を上げ始めた。

 

 

「そうですか、使えませんか、くっくっく………」

 

「何が可笑しいのよ。」

 

「いやいや、可笑しいですよ……おい!客人は魔法が使えんぞ!」

 

 ゲドーは勢いよく立ち上がり声を上げる。その声を合図に黒服の男たちが部屋に押しかけてきた。

 

「ふっふっふ、舐めたマネをしおって、この部屋に入ってきた時点でお前らの運命は決まっているんだ!」

 

 ゲドーは懐から銀色の柱のような物を取り出す、先には握りこぶしくらいの魔石がついている。

 

 なんとなくその道具が魔法を使えないようにしているのだと2人は直感で感じる。

 

「お前ら、覚悟しろよ!」

 

 部屋に入ってきた男たちが大声を出して威嚇する。

 

 2人は慌ててソファーから飛び上がり、男たちから逃れるように壁を背にする。

 そして、リリルは懐から小さな笛を取り出して息を吹き込んだ。

 

「メルちゃん、これ!」

 

 続いて服の下に隠し持っていた小瓶をひとつメルセデスに手渡し、二人で一気に呷る。

 

「ふん、何をするかと思ったら、鳴らない笛と妙な薬を使ってどうしようというのだ!」

 

 ゲドーは興が乗ってきたのか、ソファーから立ち上がり得意そうに喋り始める。

 

「おとなしくするなら、これからの処遇を少しは考えてやらんでもないぞ、奴隷だがエルフのお前にはご主人くらいは選ばせてやる。」

 

「奴隷って悪い事をしないとならないんじゃぁ……」

 

 奴隷という言葉を聞いてリリルは聞き返す。

 

「ふん、この世には抜け道がいくらでもあるんだ、そうだな、お前は平民だから娼舘の人買いに売りつけてやろう、どうだ嬉しいだろう。」

 

「ひっ……」

 

 嘗め回すような気味の悪い視線を感じたリリルは小さな悲鳴を上げる。

 

「そういう事は捕まえてから言う事ね!」

 

 メルセデスはゲドーの視線からリリルを庇うように前に立った。

 

(ったく、遅いわね、アイツ、早く魔法薬を落としなさいよ!)

 

 メルセデスはほんの少し視線を部屋の暖炉へ向ける。手はずではリリルが笛を吹いたら煙突から魔法薬を落とす手はずだった。

 リリルが吹いた笛は魔道具の初級に作り方が載っていた「共鳴の笛」という魔道具で、一方が笛を吹く事でもう一方の笛が鳴るという便利な代物である。当然しっかり動くか確認もしている。

 

 ゲドーの魔道具が悪さをしていなければ、屋根上にいるはずのジルには笛の音が聞こえているはずだった。

 

「メルちゃん、これ!」

 

 ジルの行動を信じて、リリルは行動を起こす。ごそごそと背中ごしにメルセデスに魔法薬の瓶を渡す。

 

「おい、おとなしく、がはっ!」

 

 一人の男が、メルセデスとリリルを引き剥がそうと近づいてくるが、側頭部にメルセデスの長い足から繰り出された蹴りがおみまいされ、男は不意の一撃を受けて倒れこんだ。

 

「ふん、エルフを魔法だけと思ったら大間違いよ!」

 

「てめえ!」

 

 仲間の一人が倒れこんだ光景を見て、黒服の手下たちは色めき立つ。

 

「はっはっは、商品に傷をつけないように気をつけなさい、器量のよい商品は傷、あざ一つに金貨1枚減ってしまいますからね。」

 

 ゲドーは愉快そうにそんな事を言いながら、2人に手下たちがにじり寄るのを見守る。

 

(手持ちの魔法薬じゃ足りないかもしれないけど、やるしかないわね!)

 

 メルセデスが決心して行動に移そうとした時、大きなガラス瓶の割れる音が部屋の暖炉から響きわたった。その音は二人が待ちわびていたものだった。




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薬の効果と人質

 二人がゲドー商会に乗り込んだ頃、ミアはいつもどおり魔法学校に行っていた。

 

 

「あんたは留守番ね、私でも二人は守りきれないし。」

 

 メルセデスから作戦会議のときに言われた言葉を思い出す。

 

(それはそうかもしれないけど……)

 

 ミアは煮え切らない気持ちで誰も座っていないリリルの机をぼーっと見つめる。

 当然、授業の内容も頭に入ってこないし、少し前の席のアランが訝しそうな目で見ていることにも気付けない。

 

「はぁ……」

 

 ミアは大きなため息をついた。自分もついて行きたいとメルセデスに反論したが、結局色々言いくるめられ、この場所にいる。

 

(私がもっと強かったら連れてってくれたのかな……?)

 

 結局、メルセデスがミアに言いつけた仕事は2人が帰ってこなかった時に衛兵の詰め所に駆け込む事だった。平民の子供が行くより、それなりの大きさの商会の娘が行った方が説得力があるだろうという理由だったが、ミアの心はもやもやしたままである。

 

「おい。」

 

「………」

 

「おい!」

「はい!!」

 

 ぼーっとしてアランが近くで呼びかけている事にすら気付いていなかった。

 

「なんだ、お前もアイツと同じか。」

 

 ぼーっとしていて二度目の呼びかけでようやく答えたミアをからかうように言う。

 

「申し訳ありません、少し考え事を……」

 

 最近は麻痺しつつあるが、平民が領主の息子から話しかけられるのは恐れ多い事である。

 

「で、コイツはどうして休んでるんだ?」

 

 こんこんとリリルの机を叩く。

 

「それは……」

 

「まさかゲドー商会に乗り込みに行ったか? まあそんな事は……」

「えっ、どうして知ってるんですか!?」

 

「なに!?」

 

 アランに言い当てられ、反射的に声をあげてしまう。それから、しまったと思って口を手で押さえた。

 

「冗談で言ったつもりだったが……そこまでバカな奴とは思わなかったぞ……。」

 

 一方で、アランはミアの意外な言葉を聞いて目を見開き、そして頭を抱えた。

 

「あの、あの、どうすれば……」

「知らん!!」

 

「ひっ!」

 

 急に大きな声を出したアランに思わず声を上げてしまう。

 

「すまん……」

 

「あの、あの、私は待ってろって言われて……」

 

 思わず大きな声を出してしまったアランは罰が悪そうな顔をする。そんなアランに、ミアはぽつりぽつりとリリル達がやろうとしている事を話し始めた。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「くそ、なんだ!」

 

「暖炉に何か落ちたぞ!」

 

 ガラス瓶の割れる大きな音とともに部屋の暖炉からうっすらと黒い霧が立ち上る。

 

「おい、カルロ、屋根を見てこい!」

 

「へい!」

 

 ゲドーに言われ、カルロは慌てて部屋を飛び出ていっった。

 黒い霧は、男達が騒いでいるうちにいつのまにか霧散していた。

 

「ふん、何をしたか知らんが……ふあっくしょん!!はぁ……失敗したよう……ひっく!」

 

「あら、それはどうかしら?」

 

 メルセデスが言うより早く、部屋にいた男達が一斉にくしゃみとしゃっくりを始めた。

 

「くっ、ひっく!ふあっくしょん!!!何を……ひっく!何を……ひっく!」

 

「あら、何を言ってるかわからないわね。」

 

 ゲドーたちは突然、ひどいくしゃみとしゃっくりで息もたえだえとなる。

 

「ふあっくしょ!…ひっく!!くっ苦し……ひっく!!」

 

「メルちゃん、成功だね!」

 

 苦しむ男達を横目に、リリルはほっとした様子でメルセデスに話しかける。男達はしゃっくりとくしゃみを凄い勢いで始めた。

 

「おま、ひっく、やって…ひっく、しま……ふあっくしょん!」

 

 ゲドーは指示を出そうとするも、くしゃみとしゃっくりの連続で上手く声を出せない、それどころか息をするのも苦しそうだ。

 

「ははん、いいザマね、せっかくだから今あんたたちが食らってる魔法薬の効果を教えてあげるわ!」

 

 そう得意そうに言うと背中に隠れていたリリルをぐいと引っ張り出す。

 

「ええっ、私!?」

 

「あんたが作ったんだから当然でしょ!」

 

「うぅ……」

 

 男達がぜいぜいとうずくまり、しゃっくりとくしゃみを我慢して、必死に息をしようとしているところを引っ張り出されたリリルは魔法薬について話す。

 

「この薬はしゃっくりとくしゃみを止まらなくする薬です!」

 

 男達は自分の体に起きた異変を知ろうと、くしゃみとしゃっくりをしながら、何とか聞き取ろうとする。

 

「治してほしかったら、私のお店に手を出さないと誓って下さい!!」

 

 精一杯の大きな声を出して男達に訴える。

 

「グ……、ひっく、そんな事が……できるかぁ……ふあっくしょん!」

 

「あらあら、いいのよ、これからはゲドー商会じゃなくて、汚い唾を飛ばすくしゃみしゃっくり商会ね。汚くて町も歩けないわね。」

 

 メルセデスはうずくまる男たちを汚いものでも見るような目で見下す。

 

「リリル、帰るわよ!」

 

「えっ、メルちゃん、いいの!?」

 

「いいのよ、こんな状態ならコイツらは悪い事なんかできないでしょ、それにお店に近づいてくればすぐにわかるわ!」

 

 メルセデスはリリルの手を引いて、くしゃみとしゃっくりで息も絶え絶えにうずくまる男達を蹴飛ばしながら部屋の出口へ向かう。

 

「でも、可哀そうだよ、ずっとこのままなんだよ!」

 

「いいのよ、悪党に情けは無用よ!」

 

「でも……」

 

「ああもう、わかってるの? あんたはこいつらに脅されて奴隷にされそうになったのよ!?」

 

「それは、そうだけど……」

 

 リリルは息ができなくて苦しんでいる男達を見て泣きそうな顔をする。そんな様子を見て頭をがしがしと掻いた。

 

「もう、調子狂うわね、せっかく上手くいってるのに!」

 

 メルセデスは小さな瓶を取り出して、太っているせいか、一番苦しそうにしているゲドーの口に無理やり突っ込む。

 

「ぐっ、ごほっ、ごほっ!!」

 

 薬を口に入れると、ひどいしゃっくりとくしゃみはすぐに収まった。

 

「はあ、はあ、くっ貴様ら、はあ、はあ……。」

 

「どうすんの、続けるの?」

 

 メルセデスはゲドーを見下ろしながら、低い声で言った。

 

「わっ、わかった!」

 

「何がわかったのよ?」

 

「もうお前たちには手を出さん!」

 

 ゲドーは真っ赤な顔をして悔しそうに言う。

 

「本当ね?」

 

「本当だ!」

 

 ゲドーは周囲で苦しむ部下を見て訴える。

 

「ちょっと待て、お前ら、コイツがどうなってもいいのか!!」

 

 話しが纏まりかけた時、カルロが勢いよく部屋に飛び込んできた。片方の手ではジルの首根っこを掴んでいる。どうやらカルロはいち早く建物を出た事で魔法薬から難を逃れたようだった。

 

「ごめん、捕まっちまった!」

 

「うるせえ、大人しくしろ!」

 

「おお、カルロ、でかしたぞ!」

 

 ゲドーは人質をとって帰ってきたゲドーを見て喜色を浮かべる。

 

「さあ、コイツの命が惜しけりゃ、大人しくするんだな!」

 

 カルロは懐からナイフを取り出し、首元に突きつける。

 

「メルちゃん……どうしよう……」

 

「私に任せときなさい、こういうのは怯んだら負けよ、あんたはこれで寝転がってるコイツを脅しつけときなさい!」

 

 メルセデスは懐から小刀を取り出してリリルに渡す。渡された小刀を見て、リリルは顔を曇らせる。

 

「大丈夫よ、食事の時に使うナイフと思っておきなさい。ちょうどここに豚肉が!!」

 

「ぐえっ!」

 

 メルセデスはゲドーの背中を踏みつける。ゲドーはカエルが潰れたような声を上げて力なく床に伏した。

 

「上に乗って、いつでも刺せるようにしておきなさい。」

 

 リリルは小さく頷くと、おっかなびっくりゲドーの背中に乗っかって小刀を背中に当てる。

 

「さあ、こっちにも人質がいるわよ。」

 

「ふん、そいつが人質になると思っているのか?」

 

 カルロは不敵に笑う。

 

「あら、どういう事かしら、あんたのボスよね?」

 

「ガキにいいようにされるコイツはもう俺のボスなんかじゃあない。ウチの商会のメンツを取り戻すには新しいボスが必要だ。」

 

「カルロ、貴様ぁ!」

 

「わわっ、暴れないで!」

 

 目の前で下克上宣言を聞いたゲドーはメルセデスに踏みつけられた痛みも忘れ、ジタバタと暴れる。リリルは振り落とされないように力一杯踏ん張る。それを尻目に、メルセデスは油断なくカルロを見据えた。

 

 

「で、あんたの要求は何?」




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助太刀と狂気

「さっさと全員を治せ!」

 

 カルロは眉間に皺をよせ、大きな声で叫ぶ。

 

「あら、それはできないわ、この子のお店に詫びを入れにくれば全員分の薬を渡す予定だったもの。今は治せても残り1人って所かしら?」

 

「ほう、じゃあさっさと店まで取りに帰ってもらおうか。」

 

「いやよ、どうせ治したらまた襲わせる気でしょう?」

 

「……わかった、じゃあ取引をしよう、こいつらを治せばお前らには手を出さんと誓おう!」

 

「ふん、あんたみたいなクズの言うことなんて信じないわよ!」

 

「ほう、言ってくれるねえ……」

 

「ひぃ!」

 

 カルロは持っているナイフをジルの首につきつける。ジルの顔は恐怖で真っ青だ。

 

「メルちゃん、ジルが死んじゃうよぉ……」

 

「大丈夫よ、そんなに簡単に死ぬもんですか。」

 

 今にも泣きそうなリリルをなだめながら、メルセデスは打開策を考える。

 

(でも、困ったわね、このデブが人質にならないならジルをやってすぐに襲い掛かってくるかもしれないし、リリルにあのデブを刺せるとも思えないし、アイツが冷静になったら厄介だわ。)

 

 メルセデスは現状を分析して、思った以上に不利な立場にいることに気づく。

 

(いっそあのジルってのを見捨てて……)

 

 

 

「そこまでだ!!」

 

 メルセデスが物騒な事を考え始めたところで、幼さを残した、それでいて精悍な声が部屋に響いた。

 

「ちっ、まだ仲間がいやがったか!」

 

「動くな!振り向くと命はないと思え!」

 

 声のする方へ振り向こうとしたカルロを鋭い声で制止し、後ろからすっと首筋に細身の剣の刃が当てられる。

 

「くっ……」

 

「命が惜しければ武器を捨てろ!」

 

 

 

「くそっ!」

 

 カルロは悔しげに持っていたナイフを床に捨てる。

 

「いい判断だ、…ふん!!」

 

 

 そう言うと、声の主は、突き付けていた剣を振りかぶり、首筋に打ち込んだ。

 

「ぎゃっ!」

 

 カルロは短い悲鳴をあげその場に倒れこんだ。その様子を皆は何が起こったか分からないといった様子で唖然として見つめる。

 

「あっ、アラン様!?」

 

 倒れたカルロの後ろから、見知った顔が現れ、驚きのあまり声を上げる。

 

「お前らがバカな事を考えてると聞いて来てみたが……。」

 

 アランは部屋を見回し、くしゃみとしゃっくりで呼吸困難になり動けなくなった男達を一瞥する。

 

「あっ、アラン様!お助け下さい!このガキ共が私たちの商会に押し入って下らん悪戯をしやがったんです!」

 

 乱入者の顔を見て、すぐに領主の息子だとわかったゲドーは助けを求めるが……。

 

「ふん、いいざまだな、この商会は前から気に入らなかったんだ。」

 

「そんな、私の商会は何も悪いことはしておりません。」

 

「それはこれからわかる事だ……。」

 

 アランは弁明するゲドーから視線を外し、床に転がっている銀色のものを見つけた。

 

「ほう、お前、面白い物を持っているな。」

 

 

 

 アランは床に転がっていたそれ、ゲドーが最初に取り出した銀色の道具を拾い上げる。

 

 

「これをどこで手に入れた?」

 

「そっ、それは……。」

 

「これは魔法封じの道具の一つだが、どうしてお前が持っているんだ? それと、これを無許可で持つ事の意味を分かっているんだろうな?」

 

「……。」

 

「ふん、この様子だと叩けばまだまだ埃が出てきそうだな。」

 

 答えに窮したゲドーは顔を真っ青にして額から脂汗を流し始める。その様子を見て商会の問題は一気に解決したと悟ったメルセデスはとっとと退散しようとする。

 

「はいはい、じゃあ後はアラン様に任せて私たちは帰るわよ。」

 

「ちょっと待て、このゲドーの件のほかにも、お前らに聞きたい事がある。」

 

 アランはしゃっくりで苦しんでいる男達を一瞥すると、説明しろと目で訴えかける。

 

「そうね、ここにいるとうるさいから、下の部屋で話しましょう。」

 

「……わかった。」

 

 アランは室内の雑音、主に男たちの出す不快な音に眉をひそめ、メルセデスに従うことにした。むろん、ゲドーを動けないように拘束した後での話しだが。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「こいつ邪魔ね!!」

 

 

 三人がかりで手と足を縛りつけ、ゲドーを動けなくした後、メルセデスは入り口近くで伸びているカルロをついでといわんばかりに蹴飛ばす。

 

「メルちゃん、そこまでしなくても……」

 

「いいのよ、人質をとるような悪人なんだから、それよりとっとと話しをつけて、家に帰るわよ!」

 

 

(くっ……、ふざけやがって……)

 

 

 メルセデスに蹴飛ばされて目を覚ましたカルロは朦朧とした意識の中、懐の中に忍ばせてあったもう一本のナイフに手を伸ばした。

 

 

「悪人どもはくしゃみとしゃっくりに苦しんでおけばいいのよ。」

 

 ふんと鼻を鳴らしてさっさと部屋を出ていこうとする憎い後ろ姿を視界の隅に捉えたカルロは覚束ない足を気合で何とかしてメルセデスに一矢報いようと襲い掛かった。

 

 

 

「メルちゃん、あぶない!!」

 

「えっ!?」

 

 

 

 カルロの行動にいち早く気がついたリリルは、ぼうぜんと立ち尽くすメルセデスの前に体を滑り込ませる。

 

 

「うっ…」

 

 

 

「こいつ!!」

 

 気配を感じて走り出していたアランがカルロの後頭部を剣で打つと、カルロは再び短い悲鳴を上げて、その場に倒れこんだ。

 

 

 

「リリル、大丈夫!?」

 

「えへへ……メルちゃん……刺されちゃった……」

 

 リリルはメルセデスの顔と、自分の胸から生えたナイフを交互に見て、どさりと倒れこんだ。

 

「えっ、えっ!?」

 

「おい!」

 

「ちょっと……何やってんのよ……」

 

 

 

 メルセデスは倒れこんだリリルを抱き起こす、胸には深々とナイフが刺さっている。

 

 

 

「ごほっ、ごほっ……」

 

 

 

 リリルが咳き込むと、口から赤い飛沫が飛び散る。

 

 

「リリル!」

 

「おい、大丈夫か!?」

 

「はっ、よくやった、ウチの商会を舐めるからこういう目に合うのだ!」

 

 一部始終を見ていたゲドーは一矢報いてやったといわんばかりに高笑いをした。



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吸血鬼と血

「メルちゃん……ごほっ……」

 

「しゃべらないで、何とかしてあげるから!」

 

「メル…ちゃん……」

 

「待っててね、見てあげるから!」

 

 焦点の合わない目でメルセデスの顔を見上げる。

 メルセデスは安心させるよう声をかけ、胸に突き立ったナイフを動かさないよう慎重に上着を脱がした。

 

「……」

「……」

 

 刺さったナイフを見た二人は、お互い顔を見合わせ、表情を曇らせる。ナイフが規則的な鼓動で動いていた。つまりナイフは……。

 

(ダメだ、どうにもならん。)

 

 アランはリリルに聞こえないよう小声でメルセデスに言った。

 父親とその私兵とともに魔物の討伐について行ったことがあり、幾度か人の死を見てきたアランは、この部分に深手を負う意味をよく分かっていた。それは故郷の森で何度か狩りに出ていたメルセデスも同じである。どんなに軽量の防具でも、この部分を必ず守るように出来ている意味を知らない訳ではない。

 

「おい、大丈夫なのか?」

 

「え、ええ、大丈夫よ!」

 

 後ろから心配そうに声をかけるジルに震える声で答える。

 

「ふん、ざまを見ろ、その小娘は死ぬのだ、我が商会を舐めた罰だ!」

 

 蓑虫のように床に転がった状態であるが、ゲドーは目に物をみせてやったといわんばかりの声色で得意げに言う。

 

「うるさいわね、あんたはあとでもっとひどい目にあわせてやるわ!」

 

「ふん、できるものならやってみろ!」

 

「……貴様は黙っていろ。」

「ひぃ……。」

 

 調子に乗り始めていたゲドーは、アランの怒気を含んだ一声に口を噤む。

 

「ごほっ、メル…ちゃん、私って……ごほっ…死んじゃうの?」

「何バカな事言ってるのよ、あんなクズのいう事なんて信じちゃダメよ!」

 

 目から涙をこぼし、声を振り絞ってメルセデスに問いかける。咳をするたびに血が飛び散り、だんだんと顔が青白くなっていく。まるで命がどんどん抜けているようだった。

 

(あんた吸血鬼でしょ!? どうしてナイフ一本で死にかけてるのよ!?)

 

 メルセデスは叫びたい衝動に駆られる。彼女が知識として知っている吸血鬼とは、銀の武器や聖水などを使わない限り、まったく手に負えない化物のような存在である。一方で、腕に抱きかかえている少女は今にも息絶えそうになっていた。

 

(どうすればいいの!? 考えるのよ!)

 

 メルセデスは、なんとか助ける方法はないかと、一度頭を落ち着かせるため深呼吸する。

 予言の相手が吸血鬼と知った時から、世界樹にある図書館で吸血鬼の情報を集めてきた。

 その中には吸血鬼を殺す方法も含まれていた。

(吸血鬼を武器で殺すには……、心臓を銀の杭で打ち抜くか、魔法具を打ち込んで魔力を完全に失わせる。じゃあ、このナイフを抜いてみる?でも間違ってたら……。)

 

 どんどん顔色を悪くするリリルを見て、何か助ける方法がないかと、今まで詰め込んできた知識や出会ってからのできごとに頭を巡らせる。そして、体調を崩していたあの日の事に思い至る。

 

(上手くいくか分からないけど、急がないと!取り返しがつかなくなる前に!)

 

 メルセデスは決心すると、リリルの胸に深々と刺さったナイフに手をかける。

 

「おい、抜くと血が吹き出るぞ!?」

 

 胸に刺さったナイフに手を伸ばしたメルセデスを慌てて止めに入る。

 

「このままだとどうせ助からないわ!」

 

「……なにか考えがあるのか?」

 

「ええ、いちかばちかだけど、あなたは傷口を押さえてちょうだい。」

 

「わかった……。」

 

 メルセデスの覚悟を決めた顔を見て、アランは頷いた。このままにしておいても助からないのは明らかで、それならメルセデスの考えに乗ろうと思ったのだ。

 

「きっと助けるから、ちょっとだけ耐えるのよ!」

「ごほっ、ごほっ…メルちゃん……」

 

「行くわよ…」

 

 メルセデスは胸に痛々しく刺さっているナイフを両手で握った。

 

「ごほっ……待って……」

 

 いざ、抜こうという時に、リリルの小さな手がメルセデスの手に乗せられる。

 

「メルちゃ……、死んじゃったら、おうちをあげるから、好きに……使ってね。」

 

「あんた、何言ってるのよ、そんなふざけた事言わないの!」

 

「えへへ、でも、おばあちゃんが帰ってきたら……返してあげてね。」

 

 苦しさを我慢して、力を振り絞ってメルセデスに言う。

 

「分かったわよ、分かったから黙ってなさい!」

 

「メルちゃん、ありがと…」

 

 そう言うと、リリルは糸の切れた人形のようにぐったりとした。

 

「…おい、やるなら早くしろ!」

 

 アランが声を荒げる。

 何とか血を止めようと傷口を押さえていたアランの手は血で真っ赤に染まっている。すでにリリルの小さな体には危険なほど血を流しているのだ。

 

「わかってるわよ!」

 

 慌てた様子でメルセデスはもう一度、胸に突き立ったナイフの柄に手をかけた。

 

「いくわよ、せーの!」

 

 気合いを入れてナイフを引き抜いた。

 

 ナイフを引き抜くと同時に、傷口から血があふれ出す。

 

「くそっ!」

 

 アランは馬乗りになり、少しでも血を失わないように力を込めて必死に傷口を押さえつける。

 

「おい、何やってんだよ!?」

 

 背中越しにジルの大声が聞こえ、アランはメルセデスの方に反射的に視線を飛ばす。すると、目を疑う光景があった。

 

「いたたた……、自分で切るのって結構きついわね……。」

 

 メルセデスが自分の手をナイフで切り裂いていたのである。

 

「おい!何をするつもりだ!」

 

「私の考えが間違ってなければ……。」

 

 アランの声を無視してメルセデスは傷口から滴る血をリリルの小さな口に垂らしていく。

 

「きっとこれで……。」

 

 祈るようなメルセデスの表情に、二人は黙って事の成り行きを見守る。

 

「血が……止まってる?」

 

 はじめに異変を察知したのはアラン、両手で押さえていた傷口から溢れていた血がいつの間にか止まっていたのだ。

 死んだのかとも思ったが、傷口を押さえている手の平からは確かな鼓動が感じられた。

 顔色もいつの間にか青白い色から血色を取り戻しつつあった。

 

「これではまるで……。」

 

 血を飲むことで命をつなぐ、アランは思い当たる物の名前を口にしそうになる。

 

「そんなバカな…こんな事が……」

 

 

「……場所を変えるぞ。」

 

 ゲドーの呟きに我に返ったアランは、低い声で2人に聞こえるように言った。あまり見られていい物でないのは直感的に理解できたからだ。

 

「ええ…」

 

 メルセデスは顔色を取り戻しつつあるリリルを確認すると、自分で切った傷口に布を巻き付け縛り付ける。少し深く傷つけすぎたようで、痛みを我慢してるためか、額からは大粒の汗が流れていた。




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領主の息子と吸血鬼

 ゲドーに決定的な場面を見られたと察したメルセデスは、例の薬をもう一度ゲドーと、気絶しているカルロに喰らわせた。

 そして、ゲドーに薬の効果が出たことを確認し、一階に降り、騒動で誰もいなくなった部屋をひっくり返す勢いで書類を集めていたミアに声をかける。

 

「えっ……、リリルちゃん!!」

 

 血まみれの三人を見たミアは、メルセデスに背負われてぐったりしているリリルに慌てて駆け寄った。

 

「大丈夫よ、生きてるわ!」

 

 我を忘れたミアを止めようと、メルセデスは出来るだけ大きな声でミアに言い聞かせる。

 

「でも、でも、血が……」

 

 アランとメルセデスの服が血まみれで、さらにぐったりとした様子で背負われたリリル、それを見たミアは気が気ではない。

 

「大丈夫だ、よく分からんが無事だ。それより何か見つけられたのか?」

 

 相手を落ち着かせるような低い声でアランがミアに話しかける。

 

「はっはい!」

 

 ミアは慌てて床に落としてしまった紙束を拾い集める。

 

「そうか、中身は後で確認すればいい、それだけあれば何か出てくるだろう。おい、お前!」

 

「うぇ!?」

 

 いきなり呼ばれたジルは、豆鉄砲を食らったような声を出す。

 

「さっさとこの建物を出るぞ、人目のつかない場所に案内しろ!」

 

「わ、わか、わかりました!」

 

 貴族様相手に話した事がないジルは、咄嗟に敬語を絞り出して答える。

 それから、土地勘のあるジルを先頭に、4人は人目につかないようにコソコソと裏路地を使いながらリリルの店まで辿り着いた。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「で、どういう事か説明してもらおうか。」

 

 気を失っているリリルを寝かせて、4人は小さなテーブルを囲って顔を突き合わせていた。

 重苦しい空気の中、最初に言葉を発したのはアランであった。

 アランは言葉を発したあと、事情を知っているらしいメルセデスを真剣な眼差しで見つめる。

 

「ええ、隠してもいい事なさそうだから、私が知っている事を全部話してあげるわ。」

 

 それから、メルセデスはこの町に来た理由、つまり世界樹の危機や予言の話し、それと、なぜリリルが吸血鬼だと分かったのかを包み隠さず説明する。知られた相手が相手だから、下手に隠して疑念を持たれるより、協力者として引き込んでしまおうと考えたのだ。

 人間と敵対関係にある魔族の、それも吸血鬼を匿っていたことが公になると、町への不法侵入などとは比べものにならない罰則があるのは目に見えていた。

 それを避けるためには、まずは何としてもアランを協力者か、または傍観者としての立ち位置に引き込んでおかなければならなかった。

 メルセデスが話している間、アランは真剣な表情で聞いていた。

 

「で、私は世界樹に活力を取り戻させるために、あの子を里に連れて帰る必要があるのよ。それは世界のためにも必要なことだわ。」

 

「「……」」

 

 ジルとミアは、あまりに大きいスケールの話しにポカンとしている。

 

 

「いくつか質問がある。」

 

 しばらく考えこんでいたアランが鋭い目つきでメルセデスを見据える。

 

「ええ、何かしら?」

 

「まず、あいつは自分が魔族だと知っているのか?」

 

「知らないでしょうね、どういう因果か人間に育てられたみたいだし。魔族って知ってたならあんな弱っちいのが人間の町で暮そうとは思わないでしょうね。」

 

「……そうだろうな、ナイフで刺されて死ぬ程度の魔族がわざわざ敵対している人間と暮らす訳がない。」

 

 魔族とは、魔物の上位に位置するもので、数百年前の人魔戦争においては、数多くの英雄を屠ってきた強力な存在として語られている。そして、吸血鬼とはその能力で眷属をふやし、一国をも滅ぼしうる存在として語り継がれているのだ。

 

「もう一つ、お前は血を吸われたそうだが、吸血鬼になっていないという保障はあるのか?」

 

「……それは、分からないわ。でも、私はあの子に操られたり命令されたりして動いてる訳じゃないわ。今日の有様が証拠かもしれないけど、まあ、信じてとしか言えないわね。」

 

「そうか、確かに眷属になっていたなら、わざわざ本体が身代わりになるような事もなかっただろう。そこは信じるしかないな。」

 

 アランは1人納得したように頷いた。

 

「おい、ちょっと待て、結局あいつをどうするつもりなんだよ、もしかして……。」

 

 リリルをどうするか、明確に答えないアランに不気味な空気を感じたジルは食ってかかる。

 

「なに、すぐにどうこうという事はない、ナイフ一本で殺せるような魔族だ。今の段階だと、どうとでも処置できるのだ。どうするかはゆっくり考えるさ。」

 

 アランはそう言うと、側に置いてあったコートと剣を取って席を立った。

 

「言っとくけど…」

 

 メルセデスは帰ろうとしているアランの背中に声をかける。

 

「あの子に何かしようとするなら、めいっぱい邪魔させてもらうからね。何しろ私たちの世界樹の存続がかかってるんだからね。」

 

「ふん、そうならないようにしたいものだ。」

 

 アランはそう言うと、振り返りもせず店を後にした。

 

 

 

 

 アランが店の扉を閉める音とともに、部屋は再び重苦しい沈黙に満たされた。

 

 

 

 

「で、あんたはどうすんのよ?」

 

 メルセデスはポカンと口を開け、ついさっきアランが出て行った扉をぼーっと眺めるジルに声をかけた。

 

「いやいや、俺なんて何も出来ねえよ、世界樹とか世界がどうなるとか、わけわかんねーよ!」

 

「違うわよ、知らないふりして手を引くなら今のうちって話しよ、バレたら私たちは魔族をかくまってるって事になるのよ。それも滅んだはずの恐ろしい吸血鬼を!」

 

「えっ!?」

 

「人間の作ったルールには詳しくないけど、その……、不味いんでしよ?」

 

「言われてみれば……、不味いような、魔族に協力した者は死刑になっちゃうんだっけ?」

 

 ジルは困ったように頬をかきながら目線を彷徨わせる。

 

「何で私に聞くのよ、私が知ってる訳ないじゃない!」

 

「いや、会いもしない魔族を匿った時にどうなるかなんて知ってる訳ないだろ!」

 

 ジルの言う事ももっともだった。大昔の戦争で魔族の生息域が狭まってしまった世の中で、魔族に会う確率など、ほとんどないのだから。

 

「言っとくけど、もう領主の息子っていう、この町の大物に知られちゃってるのよ。アイツがどう出るかで私たちがどういう目に遭うか決まっちゃうのよ!」

 

「わかってるよ、でも、助けに来てくれたんだろ。そんなに悪い奴じゃないと思うけど……」

 

「だからって完全には信用できないでしょ、万が一、あいつが領主に告げ口すれば、明日にはこの家は兵隊に取り囲まれてるわ。」

 

「そうかもしんないけどよぉ……」

 

「わっ、わたしっ!」

 

 そんな風に押し問答をする2人の間でミアが声を上げた。

 

「私は、リリルちゃんが吸血鬼だって関係ない、だって、普通にお話しして、友達になって、今日だってリリルちゃんのために自分で選んでアラン様についてきたの!」

 

「それに、リリルちゃんは物語の吸血鬼みたいに悪い事なんてしない、優しい女の子だって知ってる!」

 

 一息で言い切ったミアは、目に涙を溜めながら、ぐっとメルセデスの目を見据える。

 

「へえ、そんな事言っても、この子のために命まで賭けられるの?」

 

「えっ!?」

 

 命という言葉が出てきて、ミアは怯んでしまう。

 

「だって、魔族を庇ってるなんて知られたら、きっと酷い目に遭うわよ。」

「でも……」

 

「まあ、いいじゃねえか、あのアラン様?も、すぐにどうという事はないって言ってたし、別に今日明日って訳じゃないと思うぜ。相手の出方を見て考えようぜ。それにゲドーだって、あの薬が効いてるうちは何もできないだろ。」

 

 ジルが物騒な話しが始まったと思い、慌てて間に入る。それとほぼ同時に、日没近くを知らせる5の鐘が聞こえた。

 5回の鐘が鳴り終わるまで、3人は言葉を発する事なく、ただ重苦しい空気だけが場を支配していた。

 

 

「わっ、私、もう帰るね!」

 

 そうして、鐘がなり終わると同時に、ミアは逃げるように店を出て行った。




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吸血鬼と天使様

「まったく、何やってんのよ……。」

 

 アランとミアが帰った後、メルセデスは一人、リリルを看病していた。

 つい最近知り合ったばかりの自分を庇って死にかけるなんて、馬鹿げた事をやってくれたとおもう半面、調子に乗った自分が招いた事態である事も自覚していた。そんな相反する感情に対して向けられた呟きは、誰にも答えられる事なく宙に溶けていった。

 受けた傷は完全に塞がっているようで、命に関わる事は無さそうだが、時折うなされているようだった。

 

 

「あんたが死んじゃったら、私の旅の苦労はパァなのよ、分かってるの?」

 

 メルセデスは眠っているリリルの頬をペチペチと叩く。

 

「それに、世界樹はどうするのよ、あんたが死んだら大変な事になるのよ、分かってるの?」

 

 そう、エルフの巫女の予言にあった吸血鬼を見つけ、力づくでも里に連れてきて世界樹をなんとかする。それを目的に今まで旅をしてきたのである。

 

 メルセデスはぺちぺちと叩くのを止め、頬を引っ張ってむにっと伸ばしてみるが、さっぱり目覚める気配はない。

 

「それに、また借りが増えちゃったじゃない、どうしてくれるのよ。」

 

 今度は人差し指で頬をぷにぷにと突っつきはじめる。柔らかいリリルの頬は、メルセデスの指に合わせてふにふにと凹む。

 

「まったく、あんたが吸血鬼なんて、似合わないのよ。」

 

 メルセデスの旅の目的は明らかである。しかし、旅の目的を果たそうとすると、この子が吸血鬼であると突きつけるようで酷く残酷に思えてきたのだ。

 適当に誤魔化せば、この子はついて来てくれるだろう。

 でも、自分が本当は魔族だと知った時、どんな顔をするのだろうか。そんな事を考えてしまうようになった。

 世界樹と、そんなつまらない感情、天秤にかけるまでもない事を真剣に考えるようになってしまった。

 

「ほんっとバカね。」

 

 自分に向けたのか、眠っているひ弱な吸血鬼に向けた言葉か、それだけを呟き、ふと手を止める。部屋にはしばらくの間、リリルの規則正しい寝息だけが響いていた。

 

 

 

「そっか、吸血鬼!」

 

 もっと血を分け与えると目覚めるのだろうか。ふと、そんな事を思いつき、勢いよく立ち上がる。

 幸いにも、血を止めるための回復薬はお店にたくさんあった。聞いたところによると、回復薬は手や足などの末端の切創や挫滅にはそれなりに効くらしいが、内蔵まで達する深手には血止め程度しか効果はないそうだ。それでも目的には十分である。

 

「待ってなさいよ、すぐに起こしてたんまりと説教してやるんだから!」

 

 メルセデスは寝室を出て、刃物を取りに台所に急いだ。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 いつの間にか、リリルは真っ白な空間にいた。まっ白な空と白い地面とで、その境界が分からないような不思議な空間だ。

 

「天国、かなぁ……。」

 

 何となく神聖な雰囲気を感じたリリルは、ぽつりとつぶやく。

 

 アラン様がやっつけたはずの悪い男が起き上がって、メルセデスに襲いかかってきたのを必死で庇ったことを思い出す。

 

「みんな、大丈夫だったかな……。」

 

 なんとなく刺さったナイフの感触が残っている気がして、胸元をさすってみるが、当然そこには何もなかった。

 まっ白な無機質の空を見上げていると、じわじわと死んでしまった実感が湧いてきて、涙が溢れてくる。

 

「メルちゃん、ミアちゃん、ジル……」

 

 足から力が抜け、その場にへたり込む。涙は後から後から溢れ出して、白い床に水溜りを作る。

 

 

 

「あらあら、そんな所で泣いて、どうしたの?」

 

 座り込んでグスグスと泣いていると、優しい、どこか懐かしい声が聞こえて顔を上げる。

 すると、いつの間にか目の前に、部屋とは真反対の真っ黒な髪の少女がいた。

 宝石のように澄んだ赤い目で見つめられ、ほんの少しどきりとしたが、不思議なことに、嫌な感じはしなかった。

 

 

「あの、私、死んじゃって……」

 

 リリルは涙を拭いて困ったように笑う。黒髪の少女はその呟きを聞いて、ほんの少し驚いた顔をした。そして、また俯いてしまったリリルの頭に手を伸ばす。

 

 

「そっか……、大変だったわね。」

 

 自分より、ほんの少し年上で、ほんの少し大人っぽい優しそうな人、そんな初めて会った人に頭を撫でられ、最初は恥ずかしかったけど、撫でられるたびに穏やかな気持ちになった。

 

「お姉さんは、悪魔か天使様なの?」

 

「さあ、どうでしょうね。」

 

「私を迎えに来てくれたんでしょ?」

 

「ふふっ、それもいいかもしれないわね、でも、もういいの?」

 

 少女は楽しそうに、でも、どこか残念そうに言った。

 

「ううん、おばあちゃんが居なくなって寂しくなっちゃったけど、最近はすごく楽しくて……、ぐすっ…。」

 

 話すと、色々なことを思い出し、声を詰まらせてしまう。

 

「そっか、どんな事があったか聞かせてくれる?」

 

 優しい声で話しかけると、少女はリリルの隣り、肩がくっつくくらい近くに腰掛けた。

 リリルは何となく頭を少女の肩に預ける。理由はわからないけど、それが正しいように感じたからだ。

 隣に座った女の子の体温を感じると、なぜか撫でられた時のように、胸の奥が暖かくなって安心できた。

 

「あの、森でメルちゃんってエルフの子に会って……」

 

 リリルは最近の面白かった事を拙い言葉で話し始める。黒髪の少女は時折相槌を打ったり、質問したり、驚いたり、ころころと表情を変えながらリリルの話しを聞いていた。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

「それでね、メルちゃんって、世界樹って大きな木を助けようと頑張ってるんだって。それで、私も力になりたかったんだけど……。」

 

 どれくらい時間がたっただろうか、学校の話しやおばあちゃんの話し、友達の話しをしていた。黒髪の女の子は、リリルの話しを自分の事のように聞いてくれて、お話しをすればするほど嬉しくなった。

 

 

「そう、一人で頑張って偉い子ね。」

 

「うん、でも……、死んじゃったら助けられないよね……。」

 

 また俯いてしまったリリルの背中を、女の子は励ますようにポンポンと叩く。

 

「そんな事ないわよ、メルちゃんは吸血鬼を探してるんでしょ?」

 

「うん、でも、吸血鬼なんてほんとにいるのかなぁ……」

 

「そう?吸血鬼は思ったより近くにいるかもしれないわよ。」

 

 女の子は楽しそうに言葉を繋ぐ。

 

「ええっ、そんなの怖いよぉ……」

 

「あら、そう?」

 

「だって、吸血鬼は人の血を吸って悪い事をするんでしょ?」

 

「そんな事ないわよ、悪い事をする吸血鬼もいれば、森でのんびり暮らしたり、人間と仲良く暮らす吸血鬼だっていたわ。人間だって同じでしょ?」

 

「それは、そうかも……。」

 

 リリルはゲドー商会の男たちを思い起こす。人間にだって悪者はいるのだ。

 

「いい吸血鬼を見つければいいのよ。」

 

「うう、難しそうだよぉ……。」

 

「大丈夫よ、私は少なくとも、一人はいい吸血鬼を知ってるわよ。」

 

「ええっ、本当ですか!?」

 

 メルセデスを助けられそうな話しに目を輝かせる。

 

「ええ、本当よ。」

 

 黒髪の少女は意味深に微笑む。

 

「だから戻ったら力になってあげなさい。」

 

「もどる?戻れるの?」

 

「ええ、ほら、あっちの方から何か聞こえない?」

 

 ふと、少女が指差す先には、いつの間にかぽっかり穴が空いていて、青色の空がのぞいていた。そして、その穴からよく知った人の声が微かに聞こえてきた。

 

 

「ありがとう、お母さん!」

 

 リリルは無意識に口をついて出てしまった言葉にハッとして恥ずかしそうにはにかんだ。

 

「えへへ…、間違えちゃった…、あの、ありがとう、天使様?」

 

 言い終わると同時に、リリルはぎゅっと女の子に抱きしめられた。

 突然の事にほんの少し驚いたリリルだったが、すぐに、暖かくて懐かしい気持ちになって、おずおずと、少女の背中に同じように手を伸ばした。

 

「また、辛い事があるかもしれないけど、頑張ってね、リリル。」

 

「はい、ありがとう、天使様」

 

 それから、2人は体温を交換するように、互いをぎゅっと抱きしめ、しばらく目を閉じた後、笑い合いながら体を離した。

 

「あの、天使様……、また…会えますか?」

 

 リリルは自分よりほんの少し背が高い女の子に恥ずかしそうに、上目遣いでもじもじと聞いてみる。

 

「そうね、あなたが扉を開けられるようになったら、また会えるかも知れないわね。」

 

「とびら?」

 

「そう、扉よ、きっといつか分かる日がくると思うわ。それまでは、ここに来ちゃダメよ。」

 

 言い終わると、黒髪の少女はリリルのおでこにキスを落とした。

 

「ほんの少し、天使の力を分けてあげる。きっと助けになると思うわ。」

 

「天使の力?」

 

「そう、ちょっとしたサービスよ。さあ、行って、あんまり長居すると悪魔が来ちゃうかも。」

 

 黒髪の女の子は悪戯っ子のように唇に指を当てると、リリルの後ろにするりと回って、青空の見える方へ背中を押す。

 

「ありがとう、天使様!」

 

 リリルは押された背中の温もりを感じながら、振り返る事なく青空の覗く方にかけていった。




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ジルとミアの悩み

 日が沈み始め、だんだんと暗くなってきた大通りをミアは重い足取りで歩いていた。

 

(「命まで賭けられるの?」)

 

 メルセデスに言われた言葉が頭の中で何度もくり返される。

 周囲は仕事帰りの大人がちらほらいたが、そんな喧騒は彼女の耳にはまったく入ってきていなかった。

 

「そんなの、わかんないよ……」

 

(メルセデスさんの迫力に押されちゃったけど、リリルちゃんは大切な友達で、それが吸血鬼でも、あの時に言ったみたいに気持ちはぜんぜん変わっていない。でも……。)

 

「魔族……。」

 

 

 実感のない言葉を呟く。

 

 魔法学校の授業で人魔戦争の後に魔族を匿っていた村が、教会の聖騎士団に村ごと滅ぼされたという話があった。

 その話しを聞いた時は、魔族に手を貸したんだから、滅ぼされるのも仕方ないと簡単に割り切れたし、それが普通だと考えていた。

 

「でも、その魔族が……。」

 

「その魔族が…、リリルちゃんみたいな子だったら……。」

 

 世界樹の話を聞く限り、メルセデスはきっと命も賭けられるんだろう。現実感はなかったが、世界樹という物語の中にしか聞いたことのない存在を助けようと旅をして、ようやく見つけた手がかりが吸血鬼のリリルなのだ。

 

 だが、ミアは考えてしまう。自分に授業で聞いた町のように滅ぼされる覚悟があるんだろうか。そして、この事が明るみになることで起こることに、自分は耐えられるのだろうかと。

 

 

 頭の中で悪い考えが広がっていき、それと同時に、今まで常識と思っていた事がガラガラと崩れていく気がした。

 

 そんなとりとめのない事をぐるぐる考えながらも、足だけは知った道を歩いて、いつの間にか家に着いていた。ミアは重い足取りでお店の入り口をくぐる。

 

 店先では閉店準備をしている人と、それに混じってミアのお母さんもいた。

 

 ミアのお母さんは、ミアが帰ってきたのを見て、手を止める。

 

 

「あら、お帰り……、どうしたの、酷い顔よ!?」

 

「ううん、何でもない!」

 

 呼び止められたミアは、足早に自分の部屋に入り、服も着替えずにベッドに突っ伏した。

 

 お母さんに言われたように、自分は見れば分かるほど酷い顔をしているのだろうか。

 

 

「こんな事、私どうすれば……。」

 

 友達が魔族だったなんて誰にも相談できない。それにメルセデスの言うとおり、これ以上関わると、自分の家族にまで迷惑がかかってしまうかもしれない。そして、そんな友達を捨てるような事を考える自分が嫌になった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「リリルが吸血鬼……。」

 

 

 同じ頃、ジルも物置の柱に引っ掛けたハンモックに寝そべって考えていた。

 ジルはミアと違って血を飲んで怪我が治る様を直で見ていたので、その事実は、なぜか当たり前のように理解することが出来た。

 

「でも、こうやってアイツが吸血鬼だってバレちゃったのも俺のせいなんだよな……。」

 

 寝返りを打って昨日の光景を思い起こす。知っている女の子が苦しそうにしている現実感のない光景だ。そして、その現実感のない光景を思い起こすたびに、次第に、それが実際に起こった事だと実感が湧いてきたのだった。

 

「俺が捕まらなきゃ、アイツだって刺される事はなかったんだろうな……。」

 

 そう思うと胸の中が悔しさでいっぱいになる。

 現に、ジルは屋根に恐ろしい形相で登ってきた男に怯えてしまい、難なく捕まってしまったのだ。

 体がいつも通り動けば上手く逃げられたかもしれないが、十代前半の子供が、悪事に慣れている大人に怒鳴られれば、臆せずに動くのは難しいのは当然で、それはある意味仕方のない事なのだが……。

 

「俺がもっと強かったら、あの男をやっつけて作戦通りにいって、リリルが吸血鬼だって知られる事もなかったんだ。」

 

 ジルは薄暗い天井に向けて手を伸ばし、拳を握る。

 

「そうだ、別にすごく強くなくてもいいんだ、アイツを守れるくらいの力と勇気が……。」

 

「いいや、目標は高く、すごく強くなってやる!」

 

 そうすれば、冒険者としてお金だって稼げるし、次にこんな事があった時は助ける事ができるかもしれない。

 

「それに、もっと稼げれば同じ居候のアイツにバカにされる事もないし……」

 

 家主の女の子の顔と、居候エルフの何かを企んでそうな嫌な含み笑いを思い出し、居ても立っても居られなくなりハンモックから勢いよく飛び降りた。

 

「そうと決まったら特訓だ!」

 

 そして、気合を入れて傍にあるいい塩梅の木の棒を拾い上げ、物置から飛び出した。

 

「えっ?」

 

 物置を出たところで、ジルは間抜けな声を出す。タイミングよく、料理に使うナイフを持ってリリルが眠っている部屋に入っていく居候エルフの姿を目撃したのだった。



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目覚めとお仕置き

「アイツ、何やろうとしてんだよ……。」

 

 ナイフを持って部屋に入ったメルセデスを不審に思ったジルは、部屋の中を覗いてみることにした。

 友達の女の子が寝ている部屋を覗くのに抵抗はあったが、あの高慢ちきなエルフがナイフを持って入っていったのだから、何をしようとしているのか、気になるのは当然だ。

 そんな風に心の中で言い訳をしながら、立て付けの悪いドアをほんの少し開けて光の漏れる隙間から中を覗いて見る。

 魔石ランプの調子が悪いのか、薄暗くなっている室内を見て見ると、鈍い光を放つナイフを振り上げているメルセデスが見えた。

 

「おい!!」

 

 慌てて部屋に飛び込んだジルはメルセデスに飛び掛った。

 

「きゃっ!」

 

 不意打ちを食らったメルセデスは驚いて手に持っていたナイフを取り落としてしまった。

 

「ちょっと!あんた何すんのよ!!」

 

「お前こそ、何やってんだよ!!」

 

「うるさいわね、邪魔しないで!!」

 

 後ろから襲い掛かる形となったジルは後ろからメルセデスを羽交い絞めにして、何とかリリルのベッドから引き離そうとするが……。

 

「放しなさい!!」

 

 そんな言葉とともにジルの鼻面に頭突きが飛んでくる。せいぜい兄弟喧嘩くらいしかしたことがないジルは、その頭突きをしこたま食らってその場に蹲った。

 

「うう……。」

 

「ったく、とんだ邪魔が入ったわね……。」

 

 鼻面を押さえて蹲ったジルをみおろして、メルセデスは取り落としたナイフを拾い上げようとするが……。

 

「ちょっと、邪魔しないでよ!!」

 

 ジルは鼻血を出しながらも、手を伸ばし、メルセデスがナイフを拾い上げるのを邪魔する。

 

「もう!!」

 

 先にナイフを手にしたジルの腕を掴んで何とか奪い返そうとするが……。

 

「なんで邪魔するのよ!」

 

 血を飲ませようとしているメルセデスと、リリルを刺そうとしているメルセデスを止めようとしたジルとは認識に大きな差があった。だからこんな事になっているのだが、その誤解は、メルセデスがナイフを取り戻し、自らの腕を傷つけようとするところまで続いた。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆ 

 

 

「いいから……」

 

「俺の……!」

 

「うるさい……」

 

「まて……」

 

 聞き覚えのある声が聞こえる。

 

(大変、ケンカしてるみたい、止めないと!)

 

 よく知っている人が言い争っている様子を夢見心地で聞きながら、目を開けようとする。

 

「あたしに、……」

 

「お前はさっき……」

 

「いいから、血を……」

 

「だったら俺の血を……!」

 

(血?血が出てるの?)

 

「野郎の血なんて……!」

 

「なんだよ、やってみないと……」

 

「うるさい、……!」

 

 言い争いの声に釣られて、重い瞼をなんとか開けようとする。

 

(けがしてるなら、治してあげないと……。)

 

 誰かが怪我してるなら、起きて薬を、と思ったものの体は動かないし、瞼は重くて動かない。

 

(なら、声を出せば……)

 

 リリルはぐっとお腹に力を込めて何とか声を出せないかやってみる事にした。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

「メルちゃん……ジル……けんかはだめ……。」

 

 消え入りそうなかすかな声を聞いたメルセデスは、慌ててジルを振り払い、振り返った。

 声のした方を見ると、目をつむったまま、リリルが何かを喋ろうとしているのに気がつく。

 

「ちょっと、気がついたの!?」

 

 リリルの両肩をゆすってみると、ほんの少し目が開いたのが分かった。

 

「メルちゃん……、けんか……だめだよ……」

 

「何言ってるのよ、喧嘩なんかしてないわよ!」

 

 弱々しい声で訴えるリリルを安心させるように言う。本当はどちらが血を与えるかで揉めに揉めていたのだが……。

 

「……そっか、よかった。」

 

 安心して笑みを浮かべたリリルにほっと胸を撫で下ろす。

 

「メルちゃん…、それ、なあに?」

 

 リリルはメルセデスが片手に持っていたナイフを見て、不思議そうに言った。

 

「ああっ、これは……」

 

「そうそう、血を、ぐふっ!!」

 

 慌ててよからぬ事を口走りそうになったジルの鳩尾にメルセデスの肘鉄が決まる。

 

「ち?」

 

「ちっ、治療よ治療、あんたの治療方針でコイツとちょっと!」

 

 苦しい言い回しである。

 

「でも……、そんなの持って、危ないよ……」

 

 リリルはメルセデスが持っているナイフを見て、心配そうに言う。

 

「そうそう、起きた時にお腹が減ってると困るから何か作ろうと思ってね!」

 

 メルセデスは何とか思いついた言い訳を並べる。

 

「そっか……ありがと……でも、お腹空いてないよ……。」

 

「これから空くのよ!!」

 

「ふぁっ!?」

 

 もはやごり押しである。

 大きな声でそんなことを言われたリリルは驚いて声を上げてしまう。

 

(ちょっとあんた、何か食べられそうな物残ってたわよね?)

 

(ねえよ、お前が景気づけだって出発前までに全部使っちまったろ。)

 

(ないなら、何か買って来なさいよ。)

 

(なんで俺が……)

 

 一瞬、逡巡したが、思い直してメルセデスの言うとおりにすることにした。今日食べ物がなければ、結局明日買いに出なければいけないからだ。

 

(ちぇっ、分かったよ。)

 

 ただ、おとなしく言う事を聞いたようになるのもつまらないから、一応は悪態をついておく。そして、しぶしぶといった様子で部屋を出て行った。

 すごすごと部屋を出て行ったジルを見送って、しっかり扉が閉まっているのを確認する。それから、メルセデスは真剣な顔でリリルの顔を覗き込んだ。

 

「よっし、邪魔者は消えたわね、体の調子はどう?」

 

「調子?」

 

 きょとんとした顔でメルセデスの問いに答える。

 

「はぁ、刺された所よ、大丈夫なの?」

 

 メルセデスに言われ、はっと思い出したのか、のそのそと胸に手を当ててさすったり押したりしてみる。

 

「そういえば、刺されちゃったんだった……でも、大丈夫みたい。」

 

「はぁ、よかったわね。」

 

「でも……、私、死んじゃうんだと思った。ねえ、どうして助かったの?」

 

「私の力のおかげで何とかなったのよ!」

 

 変に疑われないため、胸を張って自信満々に言っておく。

 

「わぁ、メルちゃんって、やっぱり凄いんだね。」

 

「そうよ、もっと私を崇めなさい!」

 

 嘘をついて少し心がちくちくするが、本当の事を言う訳にはいかない。ここはエルフの力で何とかなった事にしておく。

 何でもエルフの魔法のおかげにしておけば、何とかなりそうな気がしてきたメルセデスである。

 

「メルちゃん、助けてくれて……、ありがと。」

 

 リリルは尊敬の眼差しでメルセデスを見つめる。

 

「いいのよ、大した事ないわ、それより!」

 

 メルセデスは横になっているリリルに一歩詰め寄って珍しく真剣な顔を作る。

 

「どうしてあんな事したの!」

 

「わっ!?」

 

 今まで見たことがないくらい真剣な声で迫られたリリルは驚いて声を上げる。

 

「あんな事って……」

 

「あんたが私を庇ったことよ!!」

 

 メルセデスの言っている事を理解したリリルは、被っている毛布を引き寄せ、目だけを覗かせて困ったように眉を下げる。

 

「どうして私をかばったりしたの!」

 

「えっと、あの、あの、気がついたら……。」

 

「このおバカ!」

 

「いたっ!」

 

 リリルの頭にぽかんとげんこつが落ちる。

 

「いい、あれは油断してた私が悪いんだから、庇ったりしなくてよかったのよ!それに、あんたみたいなちんちくりんに助けてもらったなんて、エルフの恥よ!」

 

「………」

 

「何とか言いなさいよ!」

 

「ごめんなさい……。」

 

「まったく!」

 

 涙をためて謝るリリルを見て、罪悪感が沸かないでもないが、ここはきつく言っておかなければいけない。エルフの代わりは里にいくらでもいるし、いよいよ危ないとなってきたら、頭の固い老人たちもさすがに動くかもしれない。でも、この吸血鬼に代わりはいないのだ。

 

(まあ、世界樹と一緒に滅びようとする奴らが大半でしょうけどね。)

 

 メルセデスは里にいる凝り固まった仲間を思い浮かべてため息をついた。

 

「でも、メルちゃんが怪我しちゃったら、世界樹が枯れちゃって、それなら私が……。」

 

「口答えしない!」

 

 また頭に拳骨を落とされたリリルは頭を押さえる。

 

「いたた……、メルちゃん、けが人には優しくしないとダメなんだよ……。」

 

「もう治ってるんでしょ!」

 

 今度は両方の頬をむにむにと伸ばされる。

 

「へふひゃん、ひはいひょ!」(メルちゃん、痛いよ!)

 

「まったく……」

 

 メルセデスが手を離すと、伸びていた頬ももとに戻った。引っ張られ、赤くなった頬をさすりながら涙目で非難の目を向けるリリルに少し罪悪感が沸く。

 

「でも、まあ助けられたのは事実だし……、悔しいけど、感謝してるわ。」

 

 言ったはいいが、何となく恥ずかしくなって、目を逸らし、そっぽを向く。それから、なぜか恥ずかしさが増してきて、部屋にいられなくなり、用事を思い出した事にしてメルセデスは部屋を出た。

 メルセデスは部屋を出て、赤くなった顔を元に戻そうと深呼吸をする。それから、いつも使っている椅子に座り込んだ。

 

 リリルには少しきつく言い過ぎた気がしないでもないけどしょうがない。

 

「エルフに代わりはいる……。」

 

 話をしている途中にふと思い立った言葉を思い起こす。

 

「そうよね、だから今度は私が、それと、もっと慎重に……。」

 

 あんな事は言ったが、今考えれば今回の作戦は迂闊だったし、油断もあった。だから反省しなければいけない。

 

「精霊魔法がちゃんと使える場所ならよかったんだけどなぁ……。」

 

 ここに来て何度か試したが、残念ながら森も川も近くにないこの町では、精霊魔法の強力な物は使えない有様だった。

 でも、あの魔法薬のせいで、しばらくは奴らは何も出来ないハズだ。頭と交渉して手を出させないようにする作戦は、居候のせいで失敗したから、次は逃れられない不正の手がかりを見つけてやっつけなければいけない。

 

「あんなおバカには任せられないから、私がやらなきゃ、それに……。」

 

 何年も前の、あったかも分からない借金を言いがかりに突然現れた奴らと、今回のゲドーの話から、目的は恐らく自分だろうと既に当たりを付けていたメルセデスは、両手で頬を叩いて気合を入れなおす。

 

「いざとなったら、どかーんとやって、ほとぼりが冷めた頃にまたこの町に来ればいいんだし。」

 

 慎重にと言いながら、相変わらず物騒な考えは抜けていないようであった。



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子供と大人

「ったく、何で俺が……」

 

 悪態をつきながら暗くなった大通りを歩く。大道りには魔石ランプが街灯として使われてるものの、それほど明るい訳ではない。せいぜい通りすぎる人の顔の輪郭がわかる程度である。

 

「やべっ、お金わすれちまった!」

 

 夜に食料品を売っているところなど、ギルドか酒屋くらいである。それを知っていたジルの足は比較的安く買えるギルドへ向かっていた。その途中でお金を持ってきていないことに気がついたのだった。

 

「まあ、ギルドでお金をおろせればいいか。」

 

 胸にかけたギルド証をたしかめて、それほど深く考えることなく石畳で舗装された道を歩いていった。

 

 しばらく歩くと、見慣れた大きな建物が見えてきた。その大きな建物の正面の、これまた大きな両開きの扉を開けて中に入る。

 中では何人かの大人の冒険者が酒を飲んだりゲームをしたりと、今まであまり見たことがない昼間とは違った雰囲気が漂っていた。

 ジルはその様子を横目で見ながらいつもの窓口に向かう。

 日が沈むと、窓口は当番の職員しかいなくなるため、呼び鈴を鳴らして職員を呼ぶ。

 

「あら、こんな時間に珍しいわね。」

 

「げっ、ミーナさん!?」

 

「げっ、って何よ、私が夜の窓口担当で何かおかしいの?」

 

 丁寧だが、少し怒ったような声でジルに言う。

 

(ミーナさんが出てくるなんて、参ったな…。)

 

 最近はギルドに行って顔を合わせるたび、冗談なのだろうけど、危険な依頼を押し付けようとしてくるため、少し苦手意識があった。

 

(でも、お金を引き出すくらい、何も言われないよな。)

 

 依頼の斡旋よりすぐに終わるし話す事も少ないだろうと判断したジルは意を決してミーナに話しかける。

 

「あの、ギルドで食べ物を買いたいので、銀貨一枚引き出して下さい。」

 

 ジルはそう言って首にかけていたギルド証をミーナに差し出す。

 

「あら、依頼を受けに来たんじゃないの、残念ね。せっかくアーミーアントの依頼をお願いできると思ったんだけど……。」

 

 ジルのギルド証を受け取りながら、心底残念そうに言うミーナ

 

 ちなみにアーミーアントとは、強固な外殻を持つ、人間の赤ちゃんほどの大きさの蟻だ。一体一体は強くないが、群れになると猛烈な強さを発揮し、獲物を骨まで食べ尽くす魔物である。

 

「遠慮しときます!早くお金を下さい!」

 

「はいはい、慌てないの。それにしてもあなたが買い物なんて珍しいわね。リリルちゃんはどうしたの?」

 

「ああ、アイツ、ちょっと怪我して寝込んでるんだ。だから俺が代わりに買い出し……。」

 

 話の途中から、正面の女性、ミーナの放つオーラに押されて言葉を切った。

 

「あら、もう一度言ってくれる?」

 

 ミーナの放つ不穏な雰囲気に押されて、改めて顔を見ると、笑顔ではあるが、目はまったく笑っていなかった。

 

「あっ、しまった!」

 

 不注意で口に出してしまった言葉に思い至って両手で口を塞ぐが、時既に遅しである。一瞬のうちにミーナの手が胸倉に伸びてきて、身動きできなくなってしまった。

 

「詳しく教えてもらってもいいかしら?」

 

 笑顔のミーナの迫力に何もできず、ジルはただただ震えながらうなづく事しか出来なかった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

「はぁ、よくわかんないわね。」

 

 ミアがゲドー商会からくすねてきた沢山の書類を、額に皺を作り、険しい表情で見る。

 交渉の材料となりそうな文書を探すが、商会の使っている書類の事など、すぐに読み解けるものではなかった。

 

 

「こんな事ならミアに協力させてから帰せばよかったわ。」

 

 そんな事を言っても後の祭りであった。ほとんどメルセデスのせいなのだが……。

 

「ふぁあぁぁぁ~!」

 

 大きなあくびをして、持っていた羽ペンを置く。

 

 そう言えば、今日は朝から準備をしてから、ほとんど休まずに今まで来てしまっていたので、さすがのメルセデスにも疲労の色が見えていた。

 奴らが自ら違法と言っていた奴隷商とのやり取りを探すためだ。

 何枚も書類をめくるが、いま一つ手がかりとなりそうな物は見つからない。

 そうこうしているうちに、疲れと睡魔で頭がぼーっとして、メルセデスはうつらうつらと舟を漕ぎ始めた。

 

 

「きゃあぁぁ!?」

 

 意識が朦朧としているところに突然、ドカンという音でたたき起こされ、睡魔に負けそうになっていたメルセデスは椅子から転げ落ちそうになる。

 

「な、何よ!?」

 

 大きな音をたてて開いた方を見ると、見知ったギルドの受付のお姉さんが立っていた。

 

(な、何でギルドの人が来るのよ!)

 

 そして、首根っこを引っつかまれているジルを見て、だいたいの事態を察する。

 

(このバカ、買い物もまともに出来ないなんて!)

 

 メルセデスは心の中で悪態をつく。

 

「ちょっと、なんで入ってくるのよ!」

 

 メルセデスの静止を無視し、そのまま家の中にずかずかと入ってくるミーナを止めようとするが、ミーナは意に介さずに、家の奥へ進んでいく。

 

「ちょっと、待ちなさいよ!」

 

 そして、ミーナはリリルが寝ているであろう部屋にたどり着くと、ためらう事なくドアを開けた。

 

「えっ、ミーナさん?」

 

 音に気づいてベッドで体を起こしていたリリルは意外な人の登場に困惑気味だ。

 

「リリルちゃん!」

 

 リリルを見るなり、ミーナはぎゅっとリリルを抱きしめた。

 

「ふぁ、ミーナさん!?」

 

「怪我したって聞いて、心配で来ちゃった。」

 

 ミーナはリリルの無事を確認するように優しく背中や頭をなでる。

 

「怖かったわね。」

 

「うぅ……。」

 

 ミーナに抱きしめられ、今まで我慢していた物が溢れてきたように目から涙があふれてくる。

 

「うわ~ん、ミーナさ~ん!!」

 

 リリルは堰を切ったように泣き始めた。

 それから、ミーナはリリルが泣き止むまで抱きしめ続けた。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「どうして私に相談してくれなかったの?」

 

 しばらく泣いて、ようやく落ち着いたリリルにミーナは問いかける。

 

「ぐすっ、あの、借金はお店の問題だし……。」

 

 ミーナは黙ってリリルの話を聞く。

 

「それに、関係ない人が悪い人に目をつけられると迷惑がかかっちゃうから……。」

 

 俯いてぽつぽつと話すリリルの頭を優しくなでる。それから不安を取り除くよう、優しい声色で話しかける。

 

「そっか、色々心配してたのね。でも、リリルちゃんはお店の店主かもしれないけど、まだ子供なんだから、大人を頼って迷惑をかけてもいいのよ。」

 

「でも、おばあちゃんもいないし、どうすれば……。」

 

「そこは、お姉さんに任せなさい!」

 

 ミーナは任せろと言わんばかりに胸に手をドンと当てる。

 

「ふえっ!?」

 

「子供がこんな怖い目にあってるのに、黙って見過ごすなんて間違ってるわ。後は私に任せて、ゆっくり休んでなさい。」

 

「でも、ミーナさんはギルドのお仕事もあるし、それに……。」

 

「子供はそんな心配しないの!」

 

 安心させるために、リリルの頭をぽんぽんと叩く。

 

「でも……。」

 

「じゃあ、協力する代わりに報酬をもらおうかしら、それでいい?」

 

「報酬……。」

 

「リリルちゃんが作った物を定期的に持ってきてくれたら協力してあげるわ。」

 

 納得いかない様子のリリルにミーナは一つの提案をする。

 

「えっ、それって……。」

 

 今までと変わらないんじゃあと頭に?マークを浮かべるリリル

 

「報酬は払えそう?」

 

「はっ、はい!」

 

「じゃあ決まりね、大人のやらかした事は大人が片付ける。リリルちゃんは安心して寝ていなさい。」

 

 不思議そうな顔のリリルを押し切って、大丈夫だと安心させる。そして、笑顔を向ける、だが、その表情の裏には怒りの感情が赤く燃え上がっていた。




受験という戦争に巻き込まれております。


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