セーラームーン×モンスターハンター 月の兎は狩人となりて (Misma)
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ココット編
オープニング:咆哮


 モンスターハンターとセーラームーンのクロスオーバーです。小説の挿絵やイラストなどもTwitterやPixivで投稿してます!


 森が、どこまでも鬱蒼と広がっていた。

 思う存分伸びた梢は日光を遮り、その先にある葉が風に擦れ合って音を奏でていた。

 

 その中をある一つの人影が駆け、パキリと枝を踏みつけたところで一旦止まった。

 息を堰切らせているその影の正体は、セーラー服の少女だった。

 彼女は、お団子でまとめて腰まで届くほど長いツインテールを垂らしている。シルクのように滑らかな金髪は、この薄暗い森の奥では一層輝いて見える。

 

「まだ、来てる……?」

 

 少女は、しゃがんで息を整えながら背後にひしめく木々へと振り返る。

 微かに聞こえる、大地を何かが踏みしめる音。

 直後、そこに牙の並んだ大きな口が現れ、木々を小枝のように薙ぎ倒した。

 

「ひーーっ!」

 

 少女は自らに向かう大口に対して横に飛び込み、一難を逃れる。

 顔に泥を付けた少女が急いで振り返った先に、赤い飛竜がこちらを青い瞳で睨んで立っていた。

 飛竜の全身は黒と赤の刺々しい鱗で覆われ、口の中に豪壮な牙を見せている。その2本の脚は大木のごとく大地に屹立し、その先には刃物のように鋭い爪が鈍く光る。

 少女が再び逃げ出すのを見た飛竜は、脚の上で畳んでいた翼を広げた。

 

 走っている少女の身体が影に包まれた。

 彼女が背後にある太陽を見上げると──

 

 陽を遮り、翼をはためかす巨大な影。

 間もなく、そこから燃え盛る球体が落ちてくる。

 

 着弾、炸裂。

 

 それは少女のすぐ後ろだったため直撃こそしなかったものの、爆風で少女はあっけなく吹き飛ばされ、森林の中で開けた所に転がり出る。

 

 少女は、腰を庇いながらよろよろと立ち上がる。所々かすり傷こそあれ、奇跡的に重傷は負っていない。

 少女に落ち着かせる暇もなく飛竜が目前に舞い降り、地を鳴らした。

 両者の視線がぶつかり合う。

 飛竜の喉が大きく膨らんだ。

 

 咆哮。

 

 草が揺れ、木々がきしむ。

 少女のツインテールとスカートが激しくたなびき、彼女はうずくまって目と耳を塞いだ。

 それが収まってから、やっと彼女は前に視線を戻す。

 

「こうなったら…!」

 

 飛竜は口元に炎を燻らせる。

 彼女は、胸のリボンに付いているコンパクトを掴んで叫んだ。

 

「ムーンコズミックパワー、メイク・アップ!!」

 

 コンパクトの蓋が開く。その中央にはピンクのハート型の水晶がはめ込まれている。

 指を水晶に走らせると、それはオルゴールの音を響かせながら突如マゼンタの輝きを放ち、炎を吐こうとした飛竜の視界を遮った。

 

 バレリーナのように片脚を上げて回る彼女の肢体を無数のリボンが取り巻き、光が弾けると同時に衣装を形作っていく。

セーラー服とレオタードを融合したような、身体にフィットした白い服。赤いブーツ。青いスカート。最後に月のマークが付いたティアラとアクセサリーが現れ、彼女の顔を鮮やかに彩る。

 光の中から1人の女性が現れた。さっきまで逃げ惑っていた無力な少女の姿はもう、そこにはない。彼女は怖れることのない凛々しい顔で相手を見つめ、優雅にブーツの音を響かせながら前に進み出た。

 

「乙女を追っかけ回す悪い子には、痛い目にあってもらうわ!!」

 

 口上を叫びながら彼女は両手を交差させ、人差し指を突きつけた。

 

「愛と正義の、セーラー服美少女戦士『セーラームーン』!月に代わって、お仕置きよ!」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 飛竜が、咆えながら突進してくる。

 セーラームーンは華麗な身のこなしで跳躍し、軽々とその攻撃を避け飛竜の背後に着地する。

 飛竜は振り返り、火球を吐こうと口内を光らせた。

 

「セーラームーン・キック!」

 

 かけ声と共に彼女は飛び上がり、飛竜の頭に横回転蹴りを入れる。その威力は華奢な少女が繰り出したものとは思えないほど強く、飛竜の頭は大きく仰け反った。

 飛竜が蹴られた方向に視線を戻した時、既に少女は高い木の枝の上から飛竜を見下ろしていた。

 

 彼女は懐から変わった形状の杖を取り出す。ピンク色の柄の先には王冠のついたハート型の宝石が付いており、それを金の枠組みとリボンが彩っている。

 

 飛竜は既に炎を口に溜め、火球を放とうとした。

 彼女はそれをバトンのように回してから、飛竜に対して真っ直ぐ構える。

 

「ムーン・スパイラル・ハート・アタック!」

 

 宝石から、マゼンタ色の光線が放たれた。

 鮮やかなピンク色のフラッシュが飛竜を包み、甲高い悲鳴が響く。爆音と爆煙が一帯を覆い、生命の気配を示す音は消え失せた。

 少女は、沈黙の中飛び降り、煙の中に竜の居所を探す。

 

「……倒した……?」

 

 突如、鉤爪が煙をかき分ける。

 

 が迫り、少女を捕える。

 飛竜は少女を摑まえたまま空中へと飛び上がった。

 赤と黒の鱗に覆われた身体は全くの無傷であり、弱るどころかその目に激しい怒りを滾らせている。

 飛竜は、少女を掴んだまま地面にたたきつける。

 

「きゃっ!」

 

 飛竜は鷹のように爪で獲物を縛り付け、全体重を乗せて圧迫し続ける。

 少女の身体が、少しずつ地面に埋まっていく。

 次第に少女の息が苦しげになり、目から光が消えて虚ろになっていく。

 飛竜は怒りに任せたまま胸をそらせ、口に炎を走らせた。

 

「ファイアー・ソウル!!」

 

 飛竜の頭を巨大な渦を巻いた火柱が包み込む。飛竜は業火に包まれて怯んだ。

 

「その技は……」

 

 セーラームーンが、少し離れた先に2つの人影を認める。1人は火柱の出所であり、手を組んで印を結んでいた。もう1人は両手をクロスさせて構えている。

 

「シャボン・スプレー!!」

 

 その手から泡が放たれたかと思うと、辺り一面が霧に包まれる。飛竜は突然視界が遮られたせいで、戸惑って周りを見渡す。

 2人は同時に跳躍し、セーラームーンの近くに着地する。

 彼女たちもセーラームーンと同じような恰好をしているが、泡を出した少女はリボン、襟などが青を基調した色をしており、容姿も青色のセミショートヘアー、水色の瞳とおしとやかなイメージだった。

 もう一方の炎を出した少女は、赤を基調とした色のスーツであり、黒髪ロングにきつめな印象を与えるつり目と黒い瞳で、大和撫子らしい雰囲気をまとっている。

 

「さあ、今のうちに逃げるのよ、セーラームーン!」

 

「まったく、あんたはいっつも手間かけさせるんだから!」

 

 彼女たちを見つめ、セーラームーンは目に涙を浮かべる。

 

「セーラーマーキュリー……セーラーマーズ……」

 

 霧の中で咆哮する飛竜を背にして、3人はその場を去っていった。

 

────

 

「うさぎ、何勝手にあんなデカブツと1人で戦ってんのよ! ちょっとでも私たちが遅かったら大変なことになってたわよ!?」

「そ、そんなこと言われても怖かったんだからしょうがないじゃん!」

 

 丘に生える1本の木の下に、三人の少女が制服姿になって座って身を寄せ合っている。

 先ほど『セーラーマーズ』と呼ばれた黒髪の少女がうさぎと呼んだ金髪の少女を怒り、その横で『セーラーマーキュリー』であった青い髪の少女が、電子辞書のような機械のキーボードを叩いている。

 

「ほんっとあんたの動物並みの単純さには呆れるわ!」

 

 言葉の端々に棘がある黒髪の少女の名は、レイと言う。彼女に指を額にぐりぐりと押し付けられたうさぎは、一気に顔を険しくした。

 

「な、なによ! レイちゃんだってお高くとまって、威張りん坊で、意地悪でー!」

 

 子どもじみた反論に対し、レイはつんとした表情でそっぽを向いている。それに対し、青い髪の少女、亜美が、見かねたように横から口を出した。

 

「2人とも、そんなことで喧嘩してる場合じゃないわ。この間にも、あんな怪物がここに飛んでやってくるかも知れないのよ」

 

 彼女の諭す口調は穏やかだったが、飛竜の脅威を間近で経験したうさぎはぶるっと身体を震わせた。

 レイもため息を吐きつつも立ち上がり、空を見上げた。

 

「そうね。とにかく、今日中に安全そうな場所を見つけないと」

 

 空では既に陽が傾き、少しずつ赤みが混じり始めていた。

 3人はなだらかに続く丘陵地帯を練り歩き、見晴らしの良いところを探す。

 幸運なことに、彼女たちは脅威に出くわすことなくここ一帯で最も高い丘を見つけた。

 丘の頂点に登ると、彼女たちの視界は一気に広がる。

 

「なんて広いのかしら」

 

 レイが、思わず声を上げて感嘆した。

 丘を彩る緑が、風に合わせて橙色を混じらせながら波打っている。はるか遠方まで大小の山を覆う森林が深緑色の絨毯となって広がり、その間を縫うように大河が流れていた。

 何より彼女たちの目を引いたのは、その川の近くにある点の集まりだった。よく目を凝らすと、それら一つ一つが動いており、生き物の群れであることが分かる。

 うさぎは壮大なパノラマを見下ろしたまま、呆然とした様子で呟いた。

 

「……本当に一体、ここはどこなの?」

 



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そこは、乙女の知らない世界①

 時は、あの恐るべき飛竜からうさぎが逃げていたときから数刻前に遡る。

 部屋に柔らかな日差しが差し込み、壁紙の淡いピンク色が光を鮮やかに反射している。その光から逃げるように、月と星の模様が入った布団の中で眠そうに唸っている少女がいた。

 その上に額に三日月のマークがある黒猫と、ピンクのツインテールが特徴の幼女が乗っかってうさぎの顔を覗き込み、何度も呼びかけている。

 

「うさぎちゃん、起きてー! 遅刻しちゃうわよー!」

「うさぎ! いい加減に起きなさーい!」

 

 目覚まし時計は既に限界の時間に達して、やかましく鳴っている。

 

「うーん、ルナ、ちびうさ……もうちょっと寝かして……」

 

 寝ぼけ気味の彼女に、ルナは片方の前脚でその肩を揺さぶりにかかる。ちびうさと呼ばれた幼女は、むすっとした顔で腕を組んでいた。

 

「ほら、今日は朝テストの日でしょ! また赤点取ってもいいの!?」

「そうよ! またみんなに笑われるわよ!」

 

 それを聞いて、うさぎの動きはしばらく固まっていた。

 

「そうだったー!!!!」

 

 2人まとめて一気に布団をひっくり返しベッドから飛び起きると、うさぎは2階から滑り落ちるように階段を駆け下り、リビングの食卓に飛び込んだ。

 母の呆れ返った顔を横に、冷え切った食パンを口いっぱいに加え込む。

 

「やばいやばいやばいやばい!」

 

 彼女は制服に着替えて家を飛び出し、見慣れた路地を駆け抜けていく。

 住宅街を抜けて店が並ぶ大きな通りに出た時、彼女の目にバイクに乗った大きな男が横切るのが見えた。

 

「あっ!」

 

 彼女はぱっと目を輝かせる。うさぎは後ろからその男を追いかけながら、大声を張り上げ呼びかける。

 

「おっはよー、まもちゃん!」

 

 そう呼ばれて気づいた彼はバイクのスピードを落とし、路肩に一旦停める。ヘルメットを外してうさぎの方を振り向くと、男は気づいて「うさこ!」と声を返した。

 紺のライダースーツに身を包んだその男の顔つきは、細めで優男に見えながら、その肌は浅黒く活発な印象。

 彼の名前は地場衛。うさぎの彼氏の大学生だ。

 

「……その様子から見ると、また遅刻か?」

 

 うさぎはパンッと両手を合わせて頭を下げた。

 

「ごめん。バイク乗っけて!」

 

「はぁ、しょうがないな」

 

 衛は呆れ半分で、「ほら、ここに座って」とバイクの後部座席を指差した。彼女がそこに乗ると、さっきとは比べ物にならないスピードで風景が通り過ぎていく。

 うさぎは衛の身体にしっかりと手を回して抱きつき、彼と駄弁っていた。

 

「でさでさ、レイちゃんったらあたしに『そんな平和ボケじゃこれからやっていけない』なんて言ったのよ! もう、ほんといやんなっちゃう!」

「そりゃあ、うさこのことを心配してたからだろ。ちょっとぐらい許してあげたらどうだ」

「いーや、絶対あれはいっしょーぜっこーだもん!」

 

 そうしている間に、バイクは学校の正門に到着する。学校の大時計の時刻を見るに、何とか遅刻は免れそうだった。

 バイクから降りると、うさぎは周りに誰もいないことを確認してから、衛にそっと口づけした。彼も、目を閉じてそれを受け入れる。

 唇を離した時、彼女の頬は紅く、瞳は感情に溺れるようにとろんとしていた。衛も、うさぎを愛おしそうに見つめて唇を丸く緩ませている。

 

「ありがと、まもちゃん。これはお礼ね」

「全く、今度から遅刻なんかするなよ」

「まもちゃんと一緒に登校できるなら、何回でも遅刻しちゃうかも」

「再来年は受験だろうが。さ、早く行ってこい」

 

 衛はうさぎの両肩を持つとその身体をくるりと回して、学校の方角へ向けた。

 後押しするように背中を押された彼女は、不満そうに口を尖らせる。

 

「ああんもうっ、まもちゃんの意地悪っ」

 

 うさぎは悪態をつきながら、彼女が通う区立十番中学校の校門へと走っていった。

 

────

 

「霧から現れる恐竜?」

 

「ええ。ここ最近、巷の噂になってるらしいの」

 

 昼休み、学校の敷地内のベンチでうさぎが弁当を口いっぱいに頬張りながら顔を上げると、隣に座っている亜美は真剣な顔で頷いた。

 彼女は弁当の蓋も開かず、その上で新聞を広げてうさぎに見せている。

 

「犠牲者はいないみたいだけど、次の敵の刺客じゃないかと気になってて。それに、こっちの新聞には……」

 

 うさぎは、新しい新聞を出そうとする亜美の手を押さえた。

 

「もう!亜美ちゃんったら悩み過ぎるのはお肌によくないわよ。この前敵を倒したばかりなんだから、もっと気楽にすればいいのに」

「そうかしら……」

 

 亜美は、いまいち納得していない表情で呟いた。

 これまで彼女たちは世界の平和を守る愛と正義のセーラー服美少女戦士として、あらゆる敵と戦ってきた。日常に潜みあの手この手で侵略を狙う敵に、彼女たちは常に打ち勝ってきたのである。

 

「よっ、うさぎちゃん、亜美ちゃん。あたしも混じらせてもらっていいかな?」

「あ、まこちゃん」

「もちろん。隣に座って」

 

 並みの男より背が高く、茶髪をポニーテールで束ねたボーイッシュな少女、木野まことが弁当を持ってベンチの後ろに立っていた。彼女の制服は、白のシャツに亜麻色のロングスカートだった。

 彼女が礼を言って亜美の隣に座り弁当を開くと、その中身を見たうさぎが黄色い声を上げた。

 まことの弁当はオムレツ、ミートスパゲッティ、ほうれん草と人参のバター炒めなど彩りとバラエティに富んでいて、うさぎは見ているだけなのに既に涎を垂らしつつある。

 

「うわー!やっぱりまこちゃんの手作り弁当、美味しそう!さすが女子力のかたまり!」

「そいつもの通りに作っただけさ」

 

 思わず照れて顔を赤くするまことに、亜美が助けを乞うように話しかけた。

 

「まこちゃん、聞いて。うさぎちゃんが最近の異変の話を聞いてくれないのよ」

「ああ、世紀の大発見とか騒いでるやつだろ?大丈夫さ、何が襲ってきたところで、あたしたちがいつも通りバシッとやってやれば……」

 

 その時、勢い込んで箸を握ったまことの拳の中で、バキッと嫌な音が鳴った。

 折れた箸の片方が落ち、それを見る彼女は気まずい表情をして舌打ちした。

 

「あっちゃー。やっちゃった」

「でも、やっぱり調査だけはしておいた方が……」

「そうよ、我ら美少女戦士に向かう敵なし! まさに『外周もう一周』てところね!」

 

 3人が振り向くと、金髪ロングヘアーとその後ろに結んだ赤いリボンが特徴的な少女が胸を張って仁王立ちしていた。

 その手に持ったバスケットから、ルナと同じく額に月模様が入った白猫、アルテミスが白い布を押しのけ顔を出す。

 

「美奈、それを言うなら『鎧袖一触』だろう? 漢字も意味も全然合ってないぞ」

「うふふ、そうとも言うかもねー」

 

 少女、愛野美奈子は適当にニコニコしながら彼からの指摘から逃げると、うさぎの隣のスペースにスカートを畳まずどさっと腰を下ろし、冷凍食品が並んだ弁当を開けた。

 

「でも、あたしは亜美ちゃんの提案に賛成よ。なんでも昨日レイちゃん、変な夢でうなされてたらしいわ。変な生きものがうじゃうじゃいる夢だったんですって」

 

 美奈子はたこさんウィンナーを口に入れてもごもごしながら、箸で空をかきまわす。

 

「えっ、それ大丈夫?」

「電話したら、誰かさんのせいでストレス溜まってるのかも、なんてぼやいてたわ」

 

 美奈子が何とはなしに言うと、心配していたうさぎは一転してむっと頬を膨らませた。

 

「……心配して損した! あっかんべーだ!」

 

 彼女は、今頃私立T.A女学院にいるであろうレイに対し舌を突き出した。

 うさぎは怒りに任せるように爆速で弁当を口の中へ片付けると、ベンチからすっくと立ちあがる。

 

「気、変わった! 調査に行ったついでに直接交渉してやるんだから!」

 

 いかり肩で教室に戻っていったうさぎの背中を見ながら、アルテミスが美奈子に呆れた様子で話しかけた。

 

「美奈……。昨日2人が喧嘩してたの見てただろ?」

「あっ、しまったー……」

 

 美奈子は、残された友人たちの視線を浴びながら、しおらしく自らの頭を小突いた。

 かくして、調査は美奈子の『説得』によって決行された。

 

────

 

「おまたせ。ごめんなさい、ちょっと遅れちゃったわ」

 

 夕暮れの公園に、レイを最後にして少女5人と猫2匹が集まった。

 うさぎだけが、彼女に対しつんとした表情ですましている。

 

「……なにようさぎ、そんなに口尖らして」

「別に!」

 

 気まずい雰囲気の中睨み合った後、そっぽを向いたうさぎをよそにルナは皆に呼びかけた。

 

「よし、みんな集まったわね? じゃあ、早速調査を始めるわよ!」

 

 戦士たちはそれぞれ手分けして問題の恐竜を探すことになったが、うさぎだけは開始直後にレイの近くに直行した。

 

「レイちゃんっ! 昨日、でたらめなこと言ったでしょ! あたしのためとか言ってひぼーちゅーしょーの口実にしちゃって! ほんと、最近のレイちゃんの暴言には、寛大な私でも目に余っちゃうわ!」

 

 うさぎの言葉に対して、レイは木の近くでしゃがみ込んだまま振り向かない。

 

「じゃあ、うさぎ……あなた、悪意がなくてやったことは全て許すべきだと思う?」

「そ、そりゃあ、あたしたちは悪意を持ってる奴らから世界を護ってるんだから、そうじゃない人たちは助けてあげるべきよ」

 

 やけに落ち着いた口調に戸惑いつつも言葉を返したうさぎを、レイは少し振り返って横眼で見た。

 

「人の形をしてなかったら? 人のように考えなかったら?」

 

 レイはうつむいて立ち上がり、更に問いを浴びせかける。

 

「いくらあなたが優しさを見せたって、必ず相手がその優しさを理解してくれるとは限らないのよ」

「もしかして、その変な夢って本当に」

 

 レイは顔をしかめて視線を横にずらし、組んだ腕を恐怖に耐えるように振るわせていた。

 

「見たこともない、訳の分からない生き物ばかりよ。まるで別世界を見てるみたいだった」

 

 意を決したように、レイはうさぎと視線を合わせた。

 

「特にあなたが心配なのよ、うさぎ。もし本当のケダモノを前にしたら、あなたはちゃんと戦える?」

「え……」

 

 うさぎが言葉を迷っていると、少し遠くにいた美奈子が振り返って叫んだ。

 

「みんな、霧が出てきたわ!変身して物陰に隠れるのよ!」

「早速お出ましのようね」

 

 亜美が懐からペンのような物体を取り出して構えると、時をほぼ同じくしてレイ、まこと、美奈子も同じようなペンを取り出す。

 

「マーキュリースターパワー、メイクアップ!」

「マーズスターパワー、メイクアップ!」

「ジュピタースターパワー、メイクアップ!」

「ヴィーナススターパワー、メイクアップ!」

 

 それぞれの指に鮮やかなマニキュアが彩られ、亜美を青色の水、レイを赤色の炎、まことを緑色の雷、美奈子をオレンジ色の光が裸体を取り巻いて包んでいく。

 

 亜美は、水星を守護に持つ、水と知性の戦士「セーラーマーキュリー」に。

 レイは、火星を守護に持つ、炎と戦いの戦士「セーラーマーズ」に。

 まことは、木星を守護に持つ、雷と保護の戦士「セーラージュピター」に。

 美奈子は、金星を守護に持つ、愛と美貌の戦士「セーラーヴィーナス」に。

 

 光とともに、レオタード、リボン、ミニスカート、ブーツやハイヒールに煌びやかに飾られた戦士の姿が現れた。セーラー服とレオタードが組み合わさったような、華やかな衣装だ。

 

「ムーン・クリスタルパワー、メイクアップ!!」

 

 続いて、うさぎもコンパクトを握りしめセーラームーンへと変身した。

 全員が変身を終え、5人の戦士は茂みに隠れて敵の出現を待つ。

 しばらくすると、霧の中で何かが地面を踏みしめる音が聞こえた。

 3つの影が現れる。その体は彼女たちより一回り大きい。

 

「クルルル……」

 

 それらの姿は、正にラプトルのような群れを作る肉食竜そのものだった。細身の身体に派手な青と黒のストライプ模様、赤みがかったトサカと黄色の嘴が特徴的だった。肉食動物の例に漏れず、嘴の中には立派な鋭い牙を備えている。しかも、足には大きな鉤爪と手に計7本の爪と、過剰と思えるほど多くの武器を備えている。

 

『あれね……』

 

 亜美が静かに独り言ち、その他の戦士も息を呑んだ。

 爬虫類らしい感情の見えない冷徹な視線が、空を彷徨っている。

 

『こんなヤツらが街に出たら、とんでもないことになる』

 

 まことが額に冷や汗を浮かべる。

 何せ大木をバターのように切り裂くような肉食生物だ。人に出会えばどうなるか、大方の予想はつく。

 

「う、うわあああ!!」

 

 その時、叫び声が彼女たちの背後から飛んだ。振り返ると、そこにはスーツ姿の眼鏡をかけた男がカバンをひっくり返して腰を抜かしている。

 

「……パパ!!」

 

 ムーンが思わず目を丸くして叫んだ。彼はセーラームーン、月野うさぎの父親だった。どうやら仕事からの帰りの途中だったらしい。

 恐竜のうち1頭が彼に気づく。首をもたげて低く一声吼えると、他の2体もそちらに振り返った。

 彼らの口元が笑うように開き、ナイフのように細く鋭い牙が光る。

 

「く、食わないでくれぇー!!」

 

 命乞いをする彼に構わず、3体の恐竜は助走をつけて飛び上がり、爪と牙を振りかざした。

 

「ファイアー・ソウル!」

 

 恐竜たちの爪が彼を捕える直前、マーズの放った火柱が彼らを吹き飛ばした。

 

「大丈夫ですか!?」

「だめだわ、泡吹いて気絶してる。一旦ここから避難させるわ」

 

 ジュピターとヴィーナスが2人がかりで失神状態のうさぎの父を両脇から抱え上げ、ムーン、マーズ、マーキュリーに呼びかける。ヴィーナスの相棒であるアルテミスも傍に付いて戦士たちに叫んだ。

 

「この人は安全な所に連れていく! 3人はここで奴らを仕留めきってくれ!」

「わかったわ。くれぐれも気をつけて」

 

 マーキュリーが了承して注意喚起すると、2人と1匹は頷いて飛び上がり、茂みの中へ去っていった。

 

「さて……続きをやるとしましょうか?」

 

 マーズがそれに一瞥した後向き直ると、既に恐竜たちはよろめきながらも立ち上がって威嚇するように鳴いていた。

 ムーンがスパイラルハートムーンロッドを構えてマゼンタ色に光らせ、マーキュリーが手中に水流を滾らせる。

 数秒の睨み合いの後、恐竜たちは一挙に踵を返し、彼女たちに背を向けた。

 

「待ちなさい!」

 

 ルナが叫んだ時には、既に彼らは姿をくらませていた。

 まだ彼らに走るほどの余力があったとは予想がつかず、3人と1匹は急いで後を追いかける。

 ふとムーンが辺りを見回すと、また視界が白くぼやけつつあった。

 

「また霧が!」

「気にしちゃだめよ。足音と鳴き声を頼りに進みましょう!」

 

 マーキュリーは声を張り上げ、走る速度を上げた。マーズとルナ、そしてムーンもそれに続く。

 だが、ますます濃くなっていく霧と複雑に入り組んでいく森林を走るうち、ムーンは2人の姿を捉えられなくなってしまった。

 

「ちょっと、2人とも早いわよ!」

 

 そう叫んでいた彼女だったが、走っているうちにやがて、2人の足音も消えた。

 

「あれ……?」

 

 彼女は立ち止まって地面に視線を移す。

 手入れされていない雑草が、地面を覆っている。周りにある木も、枝が自由勝手に伸びきって風にわさわさと音を立ててそよいでいる。

 

「ここ、どこ?」

 

 いつの間にか霧は晴れていた。青空にある大きくて黒い影が、彼女の身体に落ちた。



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そこは、乙女の知らない世界②

 セーラームーンたちが十番街から姿を消したその夜、衛は自宅であるマンションで夕飯を終え、読書をしている最中だった。

 

「……?」

 

 衛はページをめくる手を止め、本をパタリと閉じた。

 

「おかしい。この不安な感情は一体何なんだ?」

 

 その時、ベランダの方で何者かが床に降り立つ音がした。

 はっとして窓の方を見ると、窓ガラスを隔てて向こうにセーラージュピターとセーラーヴィーナスが控え、真剣な表情で衛を見つめていた。

 ヴィーナスの肩にはアルテミス、ジュピターの背中には今朝うさぎを寝坊から起こしていた少女、ちびうさがパジャマ姿でおぶられていた。

 衛が窓を開けると、ヴィーナスが先に口を開く。

 

「ごめんなさい。どうしても今すぐ伝えなくてはいけないことが」

 

 それを聞き、衛の表情はたちまち強張った。

 

「どうやら、ただごとではないようだな」

 

「どうか、落ち着いて聞いてください。今日の夕方の調査で、セーラームーン、セーラーマーズ、セーラーマーキュリー、そしてルナが、敵を追った後行方不明になったんです」

 

 衛はそれを聞いて、近くの壁にふらふらと近づき、頭を抱えながら寄りかかった。

 

「嘘だろ……!」

 

「すみません、私たちがもっとしっかりしていれば!」

 

「みんな違うわ。元はと言えばうさぎのせいよ!!」

 

 ちびうさが、耐えきれなくなったように叫んだ。

 

「あいつ、あたしやまもちゃんに何も言わず、自分たちだけで解決しようとしたのよ。あのバカうさぎったら、何の考えもなしに!」

 

 ちびうさはうつむき、瞳を潤ませながら独白していた。

 だが、ちびうさはそれまでの感情を振り払うように一旦ぎゅっと目をつぶると、ジュピターに冷静に問いかけた。

 

「……ねえ。その恐竜やうさぎたちは、霧と一緒に消えたんだよね?」

 

「ああ。恐竜の足跡も途中からぷっつり切れていた」

 

 なんとか平静さを取り戻した衛は、ジュピターの言葉を真剣に聞いていた。

 

「となると、やはり霧が気になる。霧はどこかの場所に続く門になっていて、うさこたちも霧と一緒にその場所に入った可能性がある」

 

 衛とジュピターの視線がぶつかり合う。

 

「明日の夕方に、みんなですぐ向かおう。早くしないと、うさこがどんな目に遭うか」

 

「あたしも行く。このままほっとけるわけがないわ」

 

「すいません。これは、私たちジュピターとヴィーナス、そしてアルテミスの3人にやらせてください」

 

 一瞬だけ、無言の時間が流れた。

 

「衛さんも、ちびうさちゃんも、私たちが今も、これからも絶対に護らなければならない人。そんな人たちを、未知の敵と会わせるわけにはいかない」

 

「だけど!」

 

 ヴィーナスに口を開きかけたちびうさに、アルテミスが諭すように言葉をかけた。

 

「それだけじゃない。この街を護る人が1人もいなくなったら、怪物がまた現れた時に倒せる人がいなくなる。だから……」

 

「その役を、俺とちびうさに頼みたいっていうことか?」

 

 ジュピターは真剣な表情で衛を見つめ返す。

 

「どうか、お願いできませんか」

 

「まもちゃん……」

 

 ちびうさが、願うような視線を衛へと注ぐ。

 

「分かった。引き受けよう」

 

「まもちゃん!」

 

 引き留めようとするちびうさに衛は屈んで目の高さを合わせ、穏やかに笑いかけた。

 

「いいんだ、ちびうさ。2人の言うことはよくわかる。この街の人々も、仲間たちと同じくらいとっても大事だ。ちびうさだって、友達が恐竜に食われるのを見たくはないだろう?」

 

 ちびうさは、横に視線をずらして少しの間考えていた。

 

「……そこまで言うなら分かったわ。でも」

 

 彼女は、ジュピターたちに小指を立てて差し出し指切りを求めた。

 

「それなら約束して。必ずみんなで帰って来るって。あなたたちも一緒じゃないと、絶対に許さないわよ」

 

 ヴィーナスは笑顔を浮かべて屈み、指切りに応じた。

 

「合点承知よ。ここはお姉さんたちに、ドンと任せて!」

 

「帰ってきたらみんなでいつもみたいにお茶会しような」

 

 ジュピターも同じことをすると、立ち上がって衛に一礼した。

 

「では、私たちはこれで失礼します。衛さんも、どうかご無事で」

 

 再び彼女たちは来た時と同じ格好でベランダの上に飛び乗った。

 

「君たちも達者でな」

 

 2人の戦士と1匹の猫は静かに頷くと、後方へ飛び上がって下へと消えた。

 再び1人きりになった衛は、静かに薔薇を胸の前に掲げる。

 すると彼をたちまち眩い光が包み込み、黒いタキシード姿の美男が現れた。

 白いアイマスクとその手に持ったステッキが特徴のその男は、物憂いに沈んだ表情で空の満月を見上げた。

 タキシード仮面。

 セーラームーンを助け、また自らも彼女に助けられる存在である。

 

「セーラームーン」

 

 彼は月と見比べるように、手中に取った懐中時計を握りしめる。

 タキシード仮面は目を細め、静かに懐中時計へ口づけをした。

 

「分からない。取り残された俺は、どうしたらいいんだ。どうやって、君のいない日々を過ごせばいいんだ」

 

────

 

 3人の美少女戦士たちは、丘の上で満月の下、焚火を囲んでいた。

 火に炙られるキノコや木の実を見つめていた亜美は、視線を上げてレイに微笑みかける。

 

「レイちゃんの、セーラーマーズの能力があって助かったわね」

 

「あらー、案外あたしってサバイバル向きかも?」

 

 レイが得意げになっている横で、うさぎは三角座りで物思いに耽り、足元から立ち昇る火の粉を見つめている。その瞳は、涙でうっすらと潤んでいた。

 亜美がふとそれを見て黙り、レイもすぐに彼女を取り巻く暗い雰囲気に気づいた。彼女はため息をついてうさぎの近くに寄り、その顔を覗き込んだ。

 

「もう、うさぎ。あんたのバカがつくやかましさはどうしちゃったのよ?」

「だって、みんなに会えないんだもん。レイちゃんや亜美ちゃんがいるから、まだマシだけどさ?こんな怖い世界であたし生き残れるのかなって」

「大丈夫に決まってんじゃない。あたしたちがそんな簡単にやられてたまるもんですか」

「でもあたし、あのドラゴン怒らせちゃったし……」

 

 その時、ぎゅうう、と明らかにそれと分かる音が鳴る。

 亜美とレイは思わず一緒になって吹き出し、うさぎは顔を真っ赤にして自身の腹を隠すように両腕で庇った。

 

「こんな時でもあんたの食欲は嘘つかないみたいね」

「もうそろそろ焼ける頃だし、まずはそのことは置いといて食べるとしましょう。スパコンで毒性はないと分析できたけど、お味の方は如何かしら?」

 

 3人は早速、大きな褐色のカサが特徴のキノコを手に取った。匂いは非常によく、森を疲れ果てるまで歩き回った彼女たちの食欲をそそってくる。

 一番美味しそうなカサから頬張ると、キノコ独特のうま味とステーキのようなジューシーさが同時に舌を刺激した。これ1本だけでも十分にボリューミーな一品だ。

 

「ん、おいしい!」

 

予想斜め上の美味しさに、うさぎは目を宝石のように青くキラキラと輝かせる。あとの2人も同じ感想のようで、口一杯にキノコを頬張って揃って目をまんまるにしている。

 

「すごいわ!キノコを焼いただけでこんなに美味しいだなんて!」

「レイちゃん、亜美ちゃん!こっちの木の実も美味しいよ!」

 

 いつの間にかうさぎは木の実を刺した串を持って、ハムスターのように頬を膨らませてもごもごさせていた。

 

「ちょっと!なに勝手に先に食べてんのよ!」

 

 その夜、闇に支配された丘陵の上に、一点だけ生命の火が灯っていた。

 

────

 

 うさぎたちが野宿していた時、ルナはただ1匹大木のうろの中にいた。

 

「大丈夫かしら、うさぎちゃん……」

 

彼女がうろの外の景色を眺めていると、黒い塊がにゅっと上から顔を出してきた。青色の瞳をした、黒猫の顔である。

 

「ああ、疲れてるのかしら。鏡もないのに自分の顔が見えるなんて、そんな……」

 

 その直後ルナは絶叫して盛大にずっこけ、後頭部を打って気絶した。

 相手はルナを興味津々に見つめ、地面に飛び降りるとうろの中にそっと足を踏み入れた。

 黒猫は人間のように2本足で立ち、昔ながらの泥棒よろしく口元を緑のマスクで覆い、肉球の意匠が入った熊手のような武器を手にしている。

 黒猫が後ろに振り向いて腕を振って合図すると、猫たちが5匹ほど姿を現わして駆け寄ってきた。その中には、黒色でない黄色っぽい毛並みでマスクをしていない個体もいる。

 彼らは何かを話し合うと気絶しているルナを担ぎ上げ、木製の台車に載せて森林の奥へと静かに消えていった。



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そこは、乙女の知らない世界③

 ココット村は、豊かに生い茂る森林の間に点を穿つように存在している。

 柵の中には質素な茅葺屋根の家屋が立ち並び、煙を立ち昇らせている。

 人々は麻で縫われた衣服に身を包み、今朝も薪に使うための木を割り、米の田植えを行っていた。

 

 その中を、鉄の鎧と毛皮の腰当てで武装した大男が、見の丈を裕に超す剣とは名ばかりの骨の塊を背負って歩いていく。傷と皺がいくつも折り重なった顔の上からはほつれた白髪が覗き、風に揺れた。

 一見強面に見える彼に、住民たちは彼に気づくと「おはよう、ハンターさん」と顔を上げて平然と声をかける。それに彼も、「おはよう」と答えて手を振り返した。

 男は、粗末な家の前に立つ小さな老人の前で足を止める。

 その老人は明らかに他の住民と外見が違う。耳は兎のように垂れ下がり、口元には立派な髭を蓄えて、まるで山奥に住む仙人のような印象である。

 

「おはよう、ハンターさん。依頼の件は聞いたかね」

「ああ、村長。手負いのランポスの討伐と聞いた」

「そうじゃ。オヌシにはそれと同時に、周辺地域の異常について調査を頼みたい」

 

 村長は親しげに話しながら、『ハンター』と呼んだ男に数枚の紙を手渡した。それらは、最近の異常をまとめた報告が事細かに記されている。

 ハンターは報告書を読みながら眉を上げ、村長の顔を覗いた。

 

「焚火の跡に大規模な爆発音……。中々厄介そうな内容だな」

 

「だからこそ、オヌシに頼みたいのじゃよ。最近では噂にある『魔女』のせいではないかという憶測も出てきておる。どうか真相を伝え、皆を安心させてほしい」

 

「分かった。早速『森丘』に向かってみる」

 

 頷いたハンターは、背中越しに手を振りながら荷車へと歩いていった。

 

 そして、その翌日。

 小さな洞穴を抜けると、ハンターの眼下に見慣れた森と丘が広がった。この地を支配するのは、緑と青。それのみである。

 真っ先に、彼は手前の大河に集まる草食竜の巨大な群れを眺めた。灰色の背中が絨毯のように岸を彩る光景は、かなりの圧巻だ。

 

「繁殖期でもないのに、こんな群れを見るのは珍しいな。森の周辺から逃げてきたのか」

 

 彼は懐からオレンジ色の薬液を取り出し、一気に飲みほした。これは『千里眼の薬』と言って、使用者の五感をしばらく獣並みに高めてくれる。こうした調査では必須のアイテムである。

 ハンターは目を閉じ、感覚を研ぎ澄ませた。不意に、鼻が何かを感じ取ってひくついた。

 

「やはり、肉食竜ランポスの臭いと……香水のような匂いか。なんだこれは?」

 

 疑問を抱きつつもハンターは坂を下り、左手にある森に続く道へと歩を進めた。

 森に足を踏み入れると様々なものが発する臭いがより一層きつくなり、嗅覚が敏感になっているハンターは思わず鼻を押さえた。

 ここまできつい香りは獣たちを引き寄せる。これほどきつい匂いをつけてこの森を歩くのは、自殺行為そのものだ。

 引き続き匂いを辿って歩を進めると、今度は森の中でも開けている広場に出た。

 

「これは……ひどいな」

 

 ハンターは、最も目につく破壊の激しい大木の近くに腰を下ろした。

 根っこは地面ごとえぐれ、枝や表皮は焼け焦げ朽ち果てている。どうやら相当な乱戦が行われたようである。

 

「ここでリオレウスと何者かが戦ったのか」

 

 一旦立ち上がったところで、彼は地面のある点を見つめた。

 そこには、明らかに人の足跡と分かる凹みがあった。そのような足跡が、モンスターの足跡に混じっていくつもある。

 

「この足跡の持ち主が、モンスターと戦ったのか?」

 

 その時、甲高い鳴き声が木霊した。何者かがこちらに向けて駆け寄ってくる音が聞こえる。

 ハンターは怯まず、迷わず背負っていた巨大な剣の柄に手を伸ばした。

 

「探す手間が省けたな」

 

 同時にすぐそこの茂みから青く、赤みがかったトサカと黄色の嘴を持つ怪物『ランポス』が飛び出した。

 ランポスは、目の前の獲物を喰らわんと大口を開けた。

 

────

 

「ギシャアッ」

 

 突如響いてきた獣の悲鳴に、制服を脱いで水浴びをしようとしていたうさぎたちはびくりと身体を震わせた。

 談笑していた亜美とレイは、互いに顔を見合わせた。

 

「ねえ、今の音って」

 

「聞き覚えがあるわ」

 

 間違いなく、彼女たちが戦った恐竜たちだった。

 

「やっぱり、あの恐竜たちもこの世界の生き物だったのね」

 

「となると、彼らを追って霧に入れば、また元の世界に帰れるかも知れないわ」

 

 見えてきた希望に、レイと亜美は顔を明るくして見合わせる。

 

「よし、じゃあ早速着替えて変身したら、恐竜たちを捜しに行きましょ!」

 

 うさぎが顔を引き締めて服を戻して羽織ると、あとの2人も続いて頷いた。

 セーラームーンたちが用心しながら鳴き声が聞こえた方角へ進んでいると、突如、悪臭が彼女たちの鼻を刺激した。

 

「く、くさい……」

 

 ムーンが思わず鼻を塞ぐ。後の2人も、同じくしかめっ面をして続いていた。

 

「一体なにがどうなればこんな臭いが……」

 

 マーキュリーが何かに気づき、後の2人もその視線の先を追う。

 

 大きな血の池が、木漏れ日に照らされ豊かな緑に覆われた大地を、そこだけ赤黒く染めていた。

 陽に照らされながら草から滴り落ちる血の色はワインのように鮮やかだった。

 

 その中心に浸かっていたのは、かつてセーラームーンたちが対峙した恐竜「だったもの」だった。蠅がそこら中を飛び交っている。しかも、3頭のうち1頭は本来の縞模様の皮が丸ごとなくなり、その中身がそのまま曝け出されていた。

 

「あ…………」

 

「見ちゃダメ!」

 

 マーズはすぐにムーンの目を手で覆った。そこからは涙が指の間から溢れ出していて、今の彼女の心情を偽りなく表していた。

 マーズはムーンを抱えながら向こうを向かせ、心配げに見つめるマーキュリーに言った。

 

「大丈夫。この子は少しあっちで休ませるから」

 

「……分かったわ。私はこれを何とか分析してみる」

 

 マーキュリーは、まず皮だけが集中的に剥ぎ取られていることに注目した。

 

「単に捕食が目的なら、栄養豊富な内臓も消失しているはず。なのに、皮だけが綺麗さっぱり無くなってる」

 

 よく見てみると一部だけ皮が残っている。切断線は異様に綺麗な直線だった。

 

「この皮を引き裂いたのが歯や牙だったなら、もっと乱雑なはず……。こんなに綺麗なものはあり得ないわ」

 

 そのあまりにも「理性的」な死体の扱いと傷のつけ方に、マーキュリーの脳内である答えが急速に浮かびつつあった。

 続いて傷の状況を見ると、ある個体は心臓らしき器官が破壊され、他の個体は首を切り落とされて絶命している。的確に相手の急所を狙った攻撃である。しかも、あれだけ生命力が高い生物の首を一刀両断するのだから、その武器はかなりの重量と鋭さを兼ね備えていなければならない。

 高度な理性と大胆さを兼ね備えた動物を彼女はいろいろと思い浮かべたが、こんな芸当が出来る生き物は限られてくる。

 

「彼らを狩ったのは、人間……?」

 

 だが推測通りなら、その人間は生身でその巨大な武器をぶん回して、あの恐竜たちを真っ二つにしたことになる。

 

「こんな怪物を剣一つで仕留める人間が、この世界にいるというの?」

 

 とにかく彼女たちにとって不幸だったのは、元の世界へ帰る手掛かりを失ったことだった。これから彼女たちは、この魑魅魍魎が住まう森で行く宛もなく放浪しなければならない。



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そこは、乙女の知らない世界④

 ルナが大きなたんこぶを押さえながら目を覚ました時、ぼやけた暗い視界に真っ先に入ったのは、大きな焚火の暖かな明かりだった。

 その明かりの周りを黒い影たちが取り巻き、楽しそうに飛び跳ねている。それを捉えた瞬間、記憶が鮮明に蘇ってきた。

 

(そ、そうよ!確かこの子たちの1匹がいきなり出てきて……!)

 

 猫によく似た彼らの背後には、石が積まれた原始的な建造物が見える。そこには赤い染料で謎の壁画が描かれていた。

 こんな危険な森に一つの文明があったことに思わず感心してしまうルナだったが、魚や野兎が串に刺されて炙られているのに気付いた途端に毛並みが震え、逆立った。

 

(……ま、まさかあたし、この子たちに生贄にされるんじゃあ)

 

 第一印象だけで文化を推測するのは失礼な話ではあるが、どうしても拭い去ることのできない不安が彼女の心臓をバクバクと鳴らす。

 その時、彼女の尻尾を誰かが掴んだ。

 

「ぎにゃあっっ!」

 

 思わず叫んで飛び上がるルナに、火を取り囲む面々も気づいて振り返った。彼らの青い瞳が、焚火に背を向けたことで暗闇に紛れ、鋭く光っていた。

 震えあがった彼女はその場に土下座して頭を下げた。

 

「お、お願い!どうか今日の晩御飯にするのだけはやめて!」

 

 だが、彼らは互いに顔を見合わせ小首を傾げるだけだった。

 それを見た彼女は、今度はやけくそになって立ち上がって爪を出し、怖い表情をして唸ってみせた。

 

「あ、あたしを舐めてたらひどい目にあうわよ!ほーら、この研ぎ澄まされた爪が見えない!?」

 

「ニャ」

 

 彼女の前に進み出た黒猫の一体が、背中から何かを取り出す。

 

「な、なによっ!?」

 

 彼女の前に出されたのは、焼き魚を刺した串だった。

 

「え、これ……くれるの?」

 

「ニャ!」

 

 屈託のない笑顔でその串を目の前に出してきたその黒猫は、これを食え、と言っているようだった。

 

「あ、ありがとう」

 

 お礼を言うと同時に、見知らぬ地での思わぬ親切と申し訳なさに、ルナはついつい涙ぐんでしまった。

 

 揺らめく焚火の周りで、猫たちは歓迎の舞を舞っている。ルナの前には他の仲間と同じくマタタビの匂いのする飲み物と食べ物が置かれて、彼女はその場の雰囲気に同調してすっかりいい気分になっていた。

 だが、途中で彼女の頭に、ふとあの少女たちの姿が浮かび上がった。

 

(そうだわ。あの子たちを早く探さなきゃ)

 

 ルナは隣で舞いに合わせて手拍子している褐色の猫の肩を叩き、足元の地面を指さした。舞っていた猫たちも舞いを中止し、彼女の手元を見やった。

 彼女は地面を手でなぞり、人の形を描いていく。描き終わった後には、3つのスカートを履いた人の絵にそれぞれツインテール、ショートカット、ロングヘアーを追加したものが出来上がっていた。セーラームーンたちの絵だ。

 ルナが周囲を見やると、彼らはその意味を理解したようで、口々に謎の言語で話し合い始めた。

 それが数分続くと、やがて猫たちの間から3匹が顔を出した。自信ありげに胸を張っている様子からして、どうやら彼らが彼女たちを目撃したらしい。

 

「あなたたちが!じゃあ、そこまで案内してくれるかしら!?」

 

 思わずルナは前のめりになったが、それを1匹の猫が手を突き出して制止する。するとその猫は真っ暗な空を指さした後、ルナに向かって牙を剥いて飛び掛かる獣のようなポーズを取ってふしゃあああ、と鳴き、次にその獣に怯えて耳を塞いで丸くなるポーズを取った。

 

(ああ、なるほど。夜はあの恐竜みたいな輩が怖いから……)

 

 続いて、彼は枝で太陽の絵を付け足してから、その下のセーラームーンたちを指さし、そこに向けて全速力で走るような動作を取った。

 

(明日になったら案内してくれるってことね)

 

 寸劇が終わって息を荒くしながら寝転がっているその猫に、ルナは感謝代わりに彼らの鳴き方を真似して「みゃあお」と鳴いた。

 再び舞宴が始まりにぎやかになると、彼女は星が満天に広がる夜空を見上げた。

 

「うさぎちゃん、必ず見つけるからね。それまで我慢してるのよ」

 

────

 

 うさぎたちが、誰かに狩られた怪物たちの無残な姿を発見したその日の夜。

 うさぎは洞穴の入り口から、ルナと同じ空を焚火の色が混じった蒼い瞳で見つめていた。

 今のうさぎは、放心状態に近い状態だった。

 

「ほら、うさぎちゃん落ち着いて」

 

「ごめんね、亜美ちゃん、レイちゃん。こういう時こそあたしがしっかりしなきゃいけないのに」

 

「そんなことないわ。むしろ、うさぎちゃんのが普通の反応よ」

 

 見かねたレイが、ぽんとうさぎの背中を軽くたたく。

 

「もー、ほら、しゃんとする!あんたが落ち込んでたらこっちにも感染してくるわ。今日はもう早く寝なさい!」

 

「……そうね、今日はもう寝た方がいいかも。じゃあ、おやすみ」

 

2人もおやすみ、と答えるとうさぎはツインテールを解き、落ち葉と枝で作った寝床の上で横になると、すぐにすぅすぅと安らかな顔で寝息を立て始めた。

 それを見届けると、レイは亜美を焚き火を挟んで見つめ、亜美の耳に手をかざした。

 

「……それで、亜美ちゃん。夕方に言ってたけど、奴らを狩ったのが生身の人間って本当?」

 

「可能性は高いわ。どうやら犯人は、あの焦げた皮だけを持ち帰ったようなの」

 

「じゃあ、その『狩人』が本当に奴らを狩ったとするなら、その剥いだ皮をどうするつもりかしら。バッグにしたりとか?」

 

 亜美は「もう、こんな時に冗談言わないの」と苦笑した。

 

「それならまだ良いけど、厄介なのはその人に仲間がいた場合よ。もしかしたら他の誰かに見せたかも知れない」

 

「もしそうなったら、かなり面倒なことになるわね」

 

 レイは、憂鬱そうな顔で洞穴の中から僅かに見える夜空を見た。

 

────

 

 その日の夜のココット村の灯りは、いつもより明るくなっていた。

 大量の蝋燭ランプが置かれた大机の周りに、大勢の人間が集まっている。その中心近くに、村長とハンターがいた。

 皆の視線の先には、大きく一面が焦がされたランポスの皮が開かれて置かれていた。

 そのすぐ隣に、『森丘』の地形や環境を簡易に示した地図が広げられている、。そこには、まばらに赤いバツ印が付けられていた。

 白髪のハンターが「みんな、聞いてくれ」と言うと、住民たちは一斉に彼に注目した。

 

「まず、結論を言わせてもらう。恐らく、ハンターズギルドも把握していない未知の存在が、これらの異常現象の中心にいる」

 

 たちまちその場が騒然となった。村長が「静粛に」と呼び掛けても、完全に大人しくなるまで数分ほどかかった。

 

「だけどよ、ハンターさん。そいつは丸焦げになって火傷してたんだろ?じゃあ、犯人はモンスターしかいないじゃないか」

 

 興奮気味にまくしたてる中年の女性に、ハンターは静かに頷いた。

 

「俺も最初そう思った。だが、リオレウスが吐く火炎は対象に接触すると爆発する。ランポスは一撃で骨も皮も砕け散り、焦げるどころではない。この皮は、どちらかというと『炙られた』ように、俺には思える」

 

それを聞いて、彼女はごくりと生唾を呑み込んだ。

 

「じゃあ、一体誰がランポスを?」

 

「それに迫る手掛かりとなったのが、リオレウスと何者かの戦いの痕跡だ。爆発の痕跡があっただけじゃなく、草木が広範囲にわたって結露していた。恐らく、その『何者か』の仕業だ」

 

 ハンターの指が、森林が密集するエリアにある大きな×印を指す。そこから、彼は隣の印へと指を滑らせていく。

 

「その痕跡は、丘の上の焚火跡へと続いていた。明らかに人工的なものだったが、近くに着火石はなかったから、恐らく別の手段で火をつけたんだろう。

 更に足跡と香水の匂いを辿ると再び森の奥に入り、明らかに食糧を採取した跡があった。主にキノコ類や薬草が摘まれていて、薪を取った跡もあった」

 

 ハンターは、一旦息を吐くと、覚悟を決めるように口を開いた。

 

「この謎の存在の正体は、恐らくは人間だ」

 

 結論を聞いて、いくつもの視線が交差した。

 

「とは言っても、本当に相手が噂にあるような『魔女』かは分からない。これは単なる俺の憶測だからな。明日、エリア12の獣人族の巣に赴いて情報を集める。俺からはこれで以上だ。みんな、今日はゆっくり寝て身体を休めてくれ」

 

 住民たちは頷くと、家族や親しい者の間で話をしながら自分たちの家へと散らばっていく。

 後には、村長とハンターだけが取り残された。

 

「『魔女』か。長いこと生きてきたが、今日の今日まで御伽噺だけの存在かと思うておったわい。とにかく、気をつけてくれ。相手は何をしでかしてくるか分からん」

 

「そもそも御伽噺にあるような魔女かどうか分からないし、魔女だからと言って、悪を及ぼすかどうかも分からん。もしかしたら、善良な存在かも知れない」

 

「善良な『魔女』か……。オヌシのそういうどこかで夢を見がちなところは、その歳になってもまだ変わらんみたいじゃの」

 

 村長の言葉は、まるで祖父が子どもか孫に諭すかのような口調だった。

 ハンターは、星が無数に散らばる夜空を見上げていた。

 彼女たちも、今頃森のどこかで同じ空を眺めているのだろう。

 

「森のどこかに潜んでいる、見知らぬ人よ。この老いぼれの俺が戦うのは、怪物どもだけで十分だ」



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そこは、乙女の知らない世界⑤

 セーラームーンたちはこの世界からの脱出の手がかりを求め、洞穴から出て森の中を探索していた。だが、数時間森を歩いてもそれらしきものは見つからない。

 やがて彼女たちはちょうどそこにあった倒木に腰を下ろした。マーキュリーが、空を見上げてため息をつく。

 

「今のところ収穫ゼロね。霧さえ見つければ解決する話なんだけれど、こうも広いと大変だわ」

「そうね。『霧がない』だけに……」

 

 途端に3人の間に白けた空気が漂い、ムーンは顔を赤くする。彼女は咄嗟に四つん這いになって倒木の下を探り出した。

 

「ほ、ほらー!案外こういうところに秘密基地への入り口があったりするのよねー!」

「ほんっと真面目にやりなさいよあんた……」

 

 マーズは呆れるあまり、思わず額に手を当てた。

 その時ピコン、ピコンとマーキュリーのスパコンの通知音が鳴った。

 マーキュリーがそれを開いて確認すると、画面から顔を上げて叫んだ。

 

「気をつけて、囲まれてるわ!」

 

 マーズはすぐさま立ち上がって空拳の構えを取り、ムーンもロッドを手に取って構え、臨戦態勢を取る。

 間もなくいくつもの影が木陰や茂みから飛び出し、彼女たちを取り囲んだ。

 マーズはそのならず者たちを見て目を見開いた。

 

「あんたたちは……!」

 

 影の正体は、かつて彼女たちが戦ったのと同じ姿をした恐竜だった。

 しかも、今回は前よりも遥かに数が多い。

 恐竜たちは天に向かって何かを知らせるように吠えたて始める。

 

「クァオ、クァオ!クァオ、クァオ!」

 

 すると、茂みの向こうで影が動き飛び出した。

 それは恐竜たちとほぼ同じ外見をしているが、その図体は今までのより一回り大きい。

 中でも目につくのは、取り巻きより大きく鮮やかなオレンジ色のトサカと巨大な爪だった。

 

「……群れのボス!?」

 

 マーキュリーが言うと、その大きい恐竜は「グオゥッ、グオゥッ」と激しく吠えたてた。

 すると取り巻きは嘶きながら彼女たちの周りを駆け回り始める。マーキュリーの予想は当たっているようだ。

 

「あたしたちを舐めるんじゃないわよっ!!」

 

 1匹が飛び掛かると、マーズはその横っ面を殴りつけ吹き飛ばした。ムーンはまるでそこの空気から取り残されたかのように、呆然とその光景を目で追っていた。

 

「まだまだ来る!」

 

 マーキュリーの声を聞いて我に返ったムーンは、横眼でこちらに飛んでくる恐竜にロッドを構えた。ロッドをびっしりと並んだ牙が捕え、ガリッと鈍い音が鳴る。

 

「お願い……あっちに行って!」

 

 ロッドをマゼンタ色に光らせると恐竜は驚き、口から離して飛びのく。それを見た他の恐竜たちも動きを止め、戦いは中断された。

 ムーンはロッドを真っ直ぐに構え、前に突き出して点滅させた。

 

「あたしたちだって、できればあなたたちを攻撃したくないのよ!」

「セーラームーン……」

 

 マーキュリーは彼女を見つめ、マーズは攻撃に備えて構えながらそれを見守っている。

 部下たちは、指示を乞うように長に視線を集中させる。長は、感情の見えない顔でじっと彼女たちを見つめている。

 やがて、長が天を仰いだ。それに、ムーンは期待と不安が入り混じった表情を浮かべる。

 群れの長は、「グオーーーッ」と攻撃的な鳴き声を周囲に響かせた。

 部下たちは即座に彼女たちに視線を戻し、細く鋭い牙を剥く。

 

「お願い、思い直して!」

 

 彼女の叫びも虚しく、一斉に5匹の部下が地を駆ける。

 敵意をむき出しにした歯牙が、彼女らに集中していく。

 セーラームーンは覚悟を決めて、ぎりっと歯を食いしばった。

 

「ムーン・スパイラル・ハート・アタック!!」

 

 マゼンタ色の光の洪水が、恐竜たちを襲う。

 それが止んだ、その先にあるものは──

 全く無傷な、生物たちの姿だった。

 

「……効いて……ない……?」

 

 彼女の放った光線は、彼らを『浄化』することはなかった。

 長は「グアアッ、グアアッ」と短く2回吼えた。

 戦闘再開の合図だった。

 

────

 

「ふんふんなるほど、ここでうさぎちゃんたちが水浴びしていたってわけね」

 

 約束通り、池の近くに猫たちから情報を教えてもらいに来ていたルナは、1匹の黒猫がそこに入って頭を水で濡らし、手で髪を梳くような動作を見ていた。

 その時、後ろの茂みがガサガサと揺れた。

 

「えっ、何……」

 

 そう言ったきり、ルナは言葉を失った。その茂みから出てきたのが、あの恐竜の黄色い嘴だったからだ。

 

「ぎゃーっ!!」

 

 ルナは飛び上がって尻もちをつき、猫たちもある個体は逃げ出し、ある個体は熊手を持ち出して応戦の構えを取る。

 みなが注目する中、ゆっくりとその恐竜は前に進み出て姿を現わしていく。

 だが、何かがおかしかった。

 彼の動きはあまりに鈍く、よたりよたりと自身を庇うように歩いている。

 

「い、一体何なのよ……?」

 

 ルナの前でその恐竜は遂に力尽き、倒れた。

 その恐竜は、背中から尻尾にかけての部分が黒焦げていた。下半身からは煙がもうもうと噴き出ている。

 

「誰がこんなことを……」

 

 ルナだけでなく、猫たちも恐竜の周りに群がってこの現象をまじまじと観察している。

 その時、何処からか爆発音が聞こえた。

 

「……まさか!」

 

 ルナはその場から飛び出し、茂みの向こうへと駆けていく。それに気づいた猫たちも、急いでルナを追った。

 

────

 

「ファイアー、ソウル!!」

 

 マーズが放った火炎放射が恐竜を包み込み、瞬く間に骨の髄まで焼き尽くす。

 

「シャイン・アクア・イリュージョン!!」

 

 マーキュリーの両手から冷気を纏った水滴が放たれ、飛び掛からんとしていた恐竜はそのまま氷像となる。

 

「……」

「セーラームーン! あたしたちから離れないで!」

「う、うん……」

 

 セーラームーンは2人の戦士に護られていたが、多方面からの攻撃の対処に追われどうしても死角ができてしまう。

 不意に群れの長が大きく横っ飛びして、ムーンの横に入り込んだ。

 

「あっ……」

 

 長は反応が遅れた彼女に飛びつき、足で組み付き、押し倒す。

 

「きゃあっ!」

 

 体を振り払おうとしても、周りを爪で地面にしっかりと固定された彼女は動くことができない。

 

「セーラームーン!」

 

 マーズもマーキュリーも助けに向かおうとするが、手下が行く手を阻む。

 長が嘴を開けて牙を光らせた、その時。

 

「やめなさああああいっ!」

 

 オレンジ色のトサカに、一つの影が飛びつき噛みついた。

 突然の横槍に長は驚き、首を振って振り払う。

 

「いたっ!」

 

 地面に転がり落ちた1匹の黒猫を見て、ムーンはすぐに彼女を救った存在の正体に気づいた。

 

「ル……ルナ!!」

 

 急いでムーンはルナの近くに歩み寄った。

 

「ルナ、無事だったのね!」

「どうしてこんなところに!?」

「まぁ……いろいろとお世話になっちゃってね」

 

 マーキュリーとマーズの問いに少しだけ苦笑いを浮かべて答えたルナだったが、すぐに立ち上がり戦士たちに呼びかけた。

 

「それよりもみんな、今は目の前の敵の討伐が最優先よ!」

 

 恐竜たちは体制を立て直し、長の元に集って雄たけびを上げ始める。

 

「どうやら、まだまだやる気のようね……」

 

 マーズが手元に炎を燻らせたとき、後ろから大きく茂みを搔き分ける音がした。

 はっとして彼女たちが振り返ると、多くの猫たちが呆然とした様子で立ち竦んでいた。

 

「あ、あなたたち!」

「あなたたちって……ルナ、あの猫ちゃんたちと知り合いなの?」

「えっと、知り合いっていうか何ていうか……あっ!」

 

 ルナはムーンにこれまでの経緯を説明しかけたが、すぐにそんな暇がないことに気づいた。

 彼女たちを無視して目の前を横切った恐竜たちが、素早く猫たちを取り囲む。

 

「ニャ―!」

「ニャニャ、ニャニャ!」

「ミャオーン!!」

 

 猫たちの中でも勇気のある者は前に出て熊手を構え、そうでない者は後ろに引き籠って頭を抱えぶるぶる震えている。恐竜たちは、非力な猫たちを次の獲物に選んだようだった。

 

「セーラームーン、あの猫ちゃんたちを助けて!私の命の恩人なのよ!」

 

 ルナの話を聞き、ムーンは猫たちと恐竜たちを互いに見やる。

 選択に残された時間はほんの僅かだった。

 

「分かったわ」

 

 ムーンは頷くと、猫たちを取り囲む恐竜の輪に向けてロッドを向ける。

 

「ムーン・スパイラル・ハート・アタック!!」

 

 光線が、恐竜の輪に着弾する。

 攻撃が全く効かないとはいえ、強烈な光に恐竜たちは一瞬目が眩む。

 

「ファイアーソウル!」

「シャイン・アクア・イリュージョン!」

 

 その意図を知ったマーズとマーキュリーも技を放ち、恐竜たちを一網打尽にする。

 一部始終を見ていた猫たちはしばらく呆然としていたが、やがて我に返るとパニック同然の状態になって散り散りになってしまった。

 再び、恐竜の群れと戦士たちが向き合い、睨み合う。

 

「さあ、仕切り直しといきましょうか」

 

 マーズが言った直後、頭上の木から影が落ちてきた。

 それに気づいた群れの長がその場から飛びのくと、突如その地点の地面が跳ね上がった。

 戦士たちは反射的に土煙を腕で防ぎ、目を細める。

 

 晴れていく土煙。その中にある影は、人の形をしていた。

 それは彼女たちより遥かに背が高く、肩幅も大きい男性だった。

 今地面に接している彼の背をも超える巨大な物体の正体は、巨大な骨を切り出して作られた、無骨というにも程がある大剣だった。

 泥にまみれ野生的な雰囲気を漂わすその男は、ふと彼女たちの方に視線を寄越す。

 傷だらけになった鉄製ヘルメットの奥に覗く瞳が、一際大きく光る。

 皺の刻まれた顔が、驚きに歪んだ。



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そこは、乙女の知らない世界⑥

「な……何、あの人!?」

 

 ムーンは、目の前の人物に呆気にとられていた。

 狩人も、しばらくは彼女たちの存在に気を取られていたようだった。

 だが、マーキュリーは何かに気づき、それを指さして叫んだ。

 

「あ、危ない!!」

 

 男が大剣と共に横に倒れ込んで転がり込むと、男のいた地点を群れの長が踏みつけた。

 彼はちらりと視線を巡らせると大剣を柄にしまい、手下の攻撃の間を縫うように走る。

 懐から棒状の手榴弾のような物体を取り出すと、男は戦士たちに向けて手で顔を庇う動作をしてみせた。

 

「な、何!?何なの!?」

 

 戸惑いつつも戦士たちがその通りにすると、男は物体についたピンを外し恐竜たちの目の前に投げた。

 強烈な閃光が、森を照らす。

 

「きゃあっ!」

 

 目を塞いでいても感じる眩さに、戦士たちは悲鳴を上げた。

 彼女たちが恐る恐る視界を開くとそれは恐竜たちも同じだったようで、手下も群れの長も目をちかちかと瞬かせて、頭をふらつかせていた。

 男は悠々と群れの長に向かっていく。

 彼は大剣を群れの長の前で大きく振りかざし、抜刀したまま力を溜めた。

 無抵抗な群れの長の肩から脚にかけての部分を、全体重をかけた大剣の刃が抉る。

 

「ギゥアッ」

 

 大きく傷ついた長は身を捩り、仕返しにと大きく口を開けて反撃に出た。

 だが、それも既にお見通しとでも言うように、お次は恐ろしい重量であるはずの大剣を思いっきり斜め上へと斬り上げた。その刃は見事に相手の口内を真横に捉えて割き、柔らかい肉を深く傷つけた。

 

「グエッ…………」

 

 吹っ飛ばされ激痛にもんどりうつ群れの長を注視しながら、男は表情を変えず大剣を柄へと仕舞う。セーラー戦士たちは、あまりに壮絶な戦いに目を見張るしかなかった。

 男は真っ直ぐに相手を見つめながらゆっくり歩み寄っていく。

 

「やっぱり、あの人が恐竜たちを倒していたのね」

 

 マーズが口を開き、呟いた。

 長を見下す男の黄土色の瞳が、爛々と獣のように光っている。

 不意に、セーラームーンが肩をぶるりと震わせる。マーズとマーキュリーがそれに気づく前に、彼女はその場を駆けだしていた。

 

「やめて!!」

 

 柄に再び手をかけた男の腕をセーラームーンが掴み、呼びかけた。

 男はまさか止めてくるとは思っていなかったのか、掴まれた腕を見てから訝しげな視線を彼女の顔に寄越した。

 ムーンは涙を蒼い瞳に溜めながら、真っ直ぐに男の目を見つめていた。

 

「あの子はもう十分に分かったはずよ、私たちを襲ったらひどい目に遭うって!だから、お願い……やめてあげて」

 

 ムーンは男の胸を覆う装甲に頭を埋め、拳を必死に胸元にたたきつけた。

 当然日本語が彼に通じるはずもなく、男はただただ困惑し、目の前で何かを必死に訴えているふんわりとした金髪頭の娘と、向こうに控えている少女たちや猫に視線を投げかけるだけだった。

 

「ダメよ……彼に言葉が通じるわけないわ」

 

 マーキュリーが、悲しそうに首を横に振る。

 

「まずいわ!相手が立ったわよ!!」

 

 ルナの言葉通り、長は脚をがたつかせながらも立ち上がっていた。傷口は既に塞がりかけており、その目はますます殺意を増してギラギラと光っていた。長は牙を、前脚の爪をいよいよ露わにし、今にも飛び掛からんとしていた。

 狩人はその生物を睨みながら大剣に手を伸ばし、ムーンの肩に手をかけるが、この背を向けた状態では間に合いそうにもなかった。

 

 ムーンは、男を押しのけロッドを構えた。

 目の前に迫りつつあった長の頭部を、マゼンタの光が包み込む。

 男は、はっとした表情でムーンの後ろ姿を見つめる。

 

「ギシャッ…………」

 

 群れの長の頭は、悲鳴を上げ切る前に白い灰へと分解された。

 後に残ったのは首から上がなくなった虚ろな肉の器だけだった。

 それは糸が切れた操り人形のようにその場に倒れ込み、動くことはなかった。

 

 ずっと男の傍で見守っていたセーラームーンは、亡骸の近くまで寄っていった。そこで彼女は膝をついて屈み込み、両手で灰を両手に取った。

 手の中の物体がはらはらと風に吹かれていくのを見た瞬間、彼女の目から静かに涙が零れ落ちた。

 男はじっと眉間に皺を寄せて、彼女の周りに戦士たちが心配そうに駆け寄っていくのを見つめていた。

 

「…………」

「あの……」

 

 彼女たちに背を向け歩み始めた狩人にすかさずマーキュリーが呼びかけると、彼はしばらく思案して立ち止まった後、視線を肩越しに寄越して自分を指し示してくいっと指を曲げる動作をした。

 

「ついてこい、てこと……?」

 

 マーズが自分たちを指さしてから次に男を指さすと、彼は静かに首を縦に振った。

 狩人は高齢ながら逞しく、顔も強面で表情に乏しくて感情が読み取りにくかった。

 

「あたしたちを見て全く動揺しないなんて、何か考えてるんじゃない?」

「もしかしたら、あの群れも、自分を信用させるためわざとけしかけたものなんじゃ……」

 

 マーズとマーキュリーの表情が疑念に満ちてきた時、一声が上がった。

 

「あの人についてこう、みんな」

 

 そう言ったのは、他でもない、一番狩人の近くにいたセーラームーンだった。涙は引きつつあったものの、代わりに胸の前で灰を掴む拳をぎゅっと強く握りしめた。

 

「あの恐竜が襲ってきた時、あの人はあたしを押しのけて庇おうとしたわ」

 

 仲間たちは、大木のような男を改めてもう一度見やった。

 彼は彼女たちの答えを待つように、腕を組んでこちらを見つめるのみ。彼女たちは覚悟を決め、男に向かって頷いた。

 男はそれを見ると、何も言わず森の奥へと歩みを進める。

 仲間たちがそれに続く中、セーラームーンは去り際にもう一度群れの長の遺体を一瞥し、振り切るように目を瞑って走っていった。

 

──

 

 男は一度も振り返ることも話しかけることもなく、野を越え山を越え歩き続けた。

 幾千の戦いを経た戦士たちといえども、疲れて足取りもふらふらしてきた頃だった。 

 不意に男は足を止め、戦士たちに振り向いた。彼女たちはそこに広がる光景を見て、思わずため息を漏らした。

 巨大な骨で枠組みが作られた、黄色のテント。2つのそれぞれが赤と青に塗られた、木製のボックス。効率よく燃えるよう井桁式に組まれた薪。水を豊かに湛えた池と、釣りが出来るように渡された橋桁。

 今まで見てきた大自然の中で、唯一そこが人がこの世界に存在していることを証明していた。

 男はテントの中を覗いてまさぐると、その中から大きな布を取り出した。彼はそれを彼女たちに手渡し、それを頭の上から身体に被せるようなポーズを行った。そして、灰色の草食恐竜らしき生物が引く荷車を指さした。

 

「あれに乗れってこと?」

 

 マーズが怪訝な表情を見せるが、男は黙って行動を促すように腕を組み、荷台の方向へ顎をしゃくった。

 覗いてみると荷車の荷台は革製の屋根で覆われていて、奥は暗くてよく見えない。

 

「一体どこに連れていかれるのかしら……」

 

 マーキュリーは不安そうにつぶやいたが、セーラームーンは信用しているようですぐ男の指示に従った。

 仕方なく全員が指示通りに布を被って荷台の奥の空いたところに座ると、男は一旦荷台に登り口の前に人差し指を当てる動作をしてみせた。

 

「静かにしろってこと?注文が多いおじ様ねえ」

 

 ルナが少し嫌味を言ったが、男はそれを無視して荷台から降りると、大樽やら液体が入った瓶やらを荷台に放り込み、最後に荷台後方の幕を下ろした。

 その後、何やらぱしゅっと花火が打ちあがるような音が外でしたかと思うと、前方で草食竜の牛のようなのんびりとした鳴き声が響き、車輪が動く振動が彼女たちの足に伝わってきた。

 戦士たちは、これからの自分たちの行く末を案じながらも、取り敢えずは3人と1匹揃って毛布の上で並び横になったのだった。



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そこは、乙女の知らない世界⑦

「ふわあー、もうだいぶ夜も更けてきたわねぇ」

 

 ルナは、そう言って大きな欠伸をした。

 月が天高く上った夜、変身を解いたうさぎたちを乗せた荷車は森の中休憩のために停泊していた。うさぎ以外の2人も、変身を解いて元の姿に戻っていた。

 亜美は、ちろちろと小さな光が走るランプを見てため息をついた。

 

「本当に今日はいろんなことがあったわね」

 

「ええ。恐竜どもの親玉に、謎の狩人に……ほんと、一生分驚いた気分よ」

 

 レイが藁の上にどさっと身体を下ろして呟く。

 その横で、うさぎは心ここにあらずといった様子で膝を抱えて座っていた。彼女の見つめるロッドの球の部分に、彼女の顔が歪んで映っていた。

 

「やっぱりうさぎちゃん、あの戦いを思い出してるのね」

 

 痛ましそうな表情で聞いた亜美に、聞こえているのか聞こえていないのか、うさぎは首を僅かに動かしただけで、はっきりと答えることはなかった。

 

「……もっといい方法があったんじゃないかな、あの子たちを傷つけなくて済む方法があったんじゃないかなって、どうしてもそう思っちゃうの」

 

「あれは何も間違ってなんかないわ。紛れもない正当防衛ってやつじゃない。ただ、とんでもなく運が悪かっただけよ」

 

 毅然と答えるレイだが、それとは反して、うさぎの顔は段々と悲しみの感情に支配されていく。

 

「でも、あの子たちは何も悪いことなんかしてないのに……あたし、あんなこと……」

 

 言っているうちに顔を涙と鼻水で濡らし始めたうさぎに、ずっと隣で見ていたルナが声をかける。

 

「うさぎちゃんって、ほんとこういう時繊細すぎるほど繊細よね」

 

 彼女の口調はぞんざいなものだったが、それを言っている目つきは子をあやす親のように優しかった。

 

「うさぎちゃんは優しすぎるのよ。悪意がない相手なら、誰とでも分かり合おうとしちゃうのよね。そういうところが私たちはむしろ大好きなんだけど」

 

 亜美がうさぎに柔らかく笑いかけ、彼女は迷うような表情を見せた。

 それでも中々踏ん切りをつけられないうさぎの顔を、レイが両手で押さえて無理やり彼女の方に向かせ、真っ直ぐ見つめた。

 

「あいつらはうさぎの優しさが通じる相手じゃなかった。ただそれだけのお話。一々気に病む必要なんかないわ」

 

「ほら、今日はみんなで身体を休めましょう。私もどこかの誰かさんみたいに、夜更かししちゃうと必ず翌朝寝坊しちゃうタイプなのよねー」

 

 そう言ったのは、既にランプのすぐ横で丸くなって眠そうな顔をしたルナだった。うさぎはそこで、やっと安心した笑みを僅かながら浮かべた。

 

「……もう、ルナったら」

 

 ルナと落ち着いた様子で話すうさぎを見て、亜美とレイはほっと胸を撫でおろした。

 

────

 

 翌朝。

 陽が次第に昇り、彼女たちの横顔を隙間から漏れた陽光が照らした。

 

「うーん……よくねた……」

 

 うさぎは目をこすりながら起き上がり、差し込んだ光に照らされた自分の髪を束にして手に取った。

 寝返りを打たないよう気をつけてはいたはずだが、自慢の金髪はかなりばらけてパサついていた。

 昨日から、相も変わらず木々の葉っぱが風に吹かれる音が聞こえる。

 だが、いま、その音の中に人の賑わいの声が混じっていた。

 

「もう何よ、やけに騒がしいわねえ……」

 

 今しがた目を覚ましたルナが気に掛けるが、ここからむやみに動くことは出来ない。

 前方で子どもたちの歓声が上がり、それに続いて大人の声も多く聞こえてきた。

 やがて、そんな明るい声が彼女たちの四方八方から、荷車の壁越しに飛んできた。人だかりの中に入ったようだ。

 

「いろんな人の声が聞こえるわ。男や女、子どもから老人まで」

 

「ということは、あの狩人が所属する集落ね」

 

 いつの間にか、レイと亜美が目を覚ましていた。

 その荷車を包み込んでいた喧騒も後方に行って静まり、荷車はそのまましばらく進んでから停止した。

 後ろの幕が上がり、男が顔を覗かせると彼は戸惑うように3人の顔を凝視する。

 

「あっ……私たち、変身を解いたから別人に見えてるんだわ!」

 

 亜美が言うと、うさぎは布を被ったまま荷車を降りて狩人の前に立ち、布の間からロッドを見えるように差し出した。

 それを見た狩人は、ロッドと布にくるまれたうさぎの顔を見合わせた。亜美とレイが視線を合わせて黙って頷くと、まだ驚きを隠せないながらも彼は背を向けて先導を続けた。

 うさぎたちは狩人を追う途中でさっと頭の布を持ち上げて周りの様子を確かめたが、正に森にある中世ヨーロッパ風の素朴な村、という印象が強く残った。人々の集まりも見えるが、ここからは遠すぎてその表情までは見えない。

 

 狩人が案内したのは、茅葺屋根で小さな木製の、素朴な小屋だった。

 玄関に入ると、25平方メートルほどの石造りの床と白い漆喰で塗られた壁の景色が広がった。壁には木製の雨戸付の窓、部屋の中心にはかまどとテーブル、部屋の端っこには3つのベッドがあった。そして、そのいずれもが綺麗に掃除されている。

 

「なんだ、案外普通の家じゃない」

 

 荷車を出てから気を張り詰めていたレイが、やっと警戒の表情を解いた。

 亜美は玄関の外に立っている狩人をちらりと見た。

 

「あの人があらかじめ話を付けてくれたのかしら?」

 

「何にせよ、うさぎの言葉に間違いはなかったってことね。あの人、一応信用は出来るみたいだわ」

 

「でも……彼は一体、何のためにここに連れてきたのかしら。今でもそれがいまいち分からないわよね」

 

「ま、危害を加えてくる意図はないみたいだし、しばらくここでゆっくりさせてもらいましょ」

 

 ルナはベッドの上に飛び乗ると、思いっきり伸びをしてからくつろいで丸くなった。

 

「ああっ、ルナったら先にずるいー!!」

 

 うさぎは口をとがらせると、ルナの隣に勢いよくダイブする。

 

「……しあわせ……ふかふか……」

 

 久々の感覚に、毛布を頬にすりすりしてにんまりとしているうさぎを他所に、亜美とレイは並んでベッドに腰を落ち着けた。

 

「……で、これからどうするわけ?まさかここにいつまでも観光気分でいるわけないわよね?」

 

「そうね。いつかはあの森と丘が広がる地域を調査し、この世界からの脱出方法を探さなくてはならないわ。そのためには、まずこの世界がどういう仕組みで成り立ち、人々はどのような価値体系で生きているかを知り、次にコミュニケーションの方法を探らなくては……」

 

「あーもう始まった。亜美ちゃんの特別講義」

 

やっと落ち着いたと思ったところなのにと、うさぎはぶすっと不満げな顔をしながら毛布に顔を埋めていた。

 



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戦士よ、前へ①

 

 ……ちゃん。

 ……もちゃん。

 ……まもちゃん。まもちゃん。ここよ。あなたの愛しいうさぎは、ここにいるよ。

 だから……

 

「うさこっ!」

 

 衛が飛び起きると、そこは変哲もない、いつも通りの自分の部屋だった。

 手元には、手汗でぐっしょり濡れた星型のオルゴール。身体も汗だらけで湿っていて気持ちが悪い。

 

「……夢か」

 

 どうやらソファーの上でそのまま眠ってしまったらしい。ぼんやりとした頭のまま、彼はのっそりと立ち上がる。

 寝ぼけまなこで洗顔し、髭を剃ったあと朝食を作るが、今日は簡単に牛乳とピーナッツバタートーストで適当に朝食を済ませる。

 

「今日のニュースは……と」

 

 最近出現し始めた生物たちはまさに『動物』で、目につくものに興味を示して被害を出す。そのため、今回はメディアを駆使して情報を仕入れ、奴らが出た時はすぐ直行せねばならない。

 

 テレビでは緊急ニュースが報道されていた。

 

『複数の猿型の未確認生物が十番商店街に出現か』

 

「これはまずいな……」

 

 今日は休日だ。

 時間帯はそろそろ人通りが多くなりはじめる頃。

 衛は胸ポケットから薔薇を取り出すと、タキシード仮面へと変身した。

 タキシード仮面は窓を開けてベランダに出ると、そのまま跳躍して姿を消した。

 

────

 

 日頃、ショッピングに訪れた多くの人で賑わい活気を見せる十番商店街。だが、この日はいつもと様子が全く異なった。

 商店街は、霧の中どこもかしこも悲鳴と喧騒に包まれている。

 何かから逃げ惑う人が大勢いるなかで、その何かを囲んで恐怖と好奇心の狭間で見物をしている人もいた。

 

 人々の輪の中に、桃色の毛に覆われた生物が4体、呑気な様子でふんぞり返っている。

 彼らは一見腹の出た桃色の毛並みを持ち、太ったゴリラのような見た目をしているが、その顔はまるでカバのようだった。その頭からは緑がかった毛が無造作に生え、前脚の爪は鋭く細い。姿こそどこか間抜けてチャーミングだが、その大きさは四つん這いの状態でも人の背ほどはある。

 

 奴らは人間たちの動向など気にすることなく、通行人から奪った食料品を漁っている。

 そんな中、猿の一体が1人の若い女性に目を付けた。彼女は焼き立てのパンの入った袋と一緒に大きなフランスパンを抱えていて、一番匂いと見た目が目立っていたのだろう。

 猿は好奇心ありげに後ろ脚で立ち上がり低く嘶くと、彼女の方へと走り始めた。

 

「だ、誰か助けて!」

 

 女性は助けを求めて叫び声を上げた。周りの人々は思わず女性から離れ、彼女は絶体絶命の危機に晒された。

 その時、女性と猿の間の地面に、両者を隔てるように紅い薔薇が一本突き刺さる。

 猿はその直前で立ち止まり、仲間たちも何かの気配に気づいてビルの屋上を見た。

 2つの人影があった。1人は男性、もう1人は幼い少女だ。

 

「恋人が、家族が、共に時を過ごして憩う商店街……そこに無粋な獣どもの姿は似合わない。そんなに食べものが欲しいのならば、動物園の飼育員さんに頭でも下げてくるがいい!傍若無人な猿どもめ、このタキシード仮面が成敗してくれる!」

 

 そう口上を上げるタキシード仮面の横で、ピンク色の戦闘服を着た小さなセーラー戦士が、桃色のツインテールを揺らせて背中を向け合っていた。彼女の顔はタキシード仮面よりもぶすっとしていて、非常に機嫌が悪いように見える。

 

「いっつもママたちと来る商店街!そこで今日もたくさんお洋服やお菓子を買ってもらうつもりだったのに!そこを汚す下品なお猿さん!絶対に今日という日は許せないっ!そもそも何よ!この前でもでっかい虫を相手するだけでも嫌だったのに……」

 

 しばらく少女は俯いて文句を垂れていたが、タキシード仮面に時節見られているのに気づくと、顔を赤くし慌てて前を向き直す。

 

「あー、こほん!と、に、か、く!!この、愛と正義のセーラー服美少女戦士見習い、セーラーちびムーンが!未来の月に代わって、おしおきよ!!」

 

 セーラームーンと同じ決めポーズをしたちびムーンだったが、当の怪物たちは既にこちらから興味をなくし、先ほどの女性が落としたパン袋を物色していた。

 

「あっ、無視された!」

「こうもいつもと違うと、調子が狂うな……」

 

 仕方なく、タキシード仮面とちびムーンはビルの屋上から飛び降り獣たちのすぐ近くに降り立つ。

 ちびムーンは、一番人々に近い距離にいる1体に声をかけた。

 

「ちょっとぐらいはこっちを見なさいよ、あんた!」

 

 だが、そいつはわざとなのか聞こえてないのか、2人にピンク色の背中を見せながらフランスパンを美味しそうにつまんでいる。

 しびれを切らしたちびムーンは、薄いピンクのハート型の水晶が飾られたスティックを取り出し、真っ直ぐ天上に掲げた。

 

「喰らいなさいっ!ピンク・ハートシュガー・アタックゥー!」

 

 ピンク色のハートの輪っかのビームが水晶から走る。

 

「アガガガガガガガ!!」

 

 それは猿の後頭部に直撃してフランスパンを落とさせたが、そのビームの威力自体は弱く身体が傷つくことはなかった。

 その猿は苛ついたように唸ると、振り向いてタキシード仮面とちびムーンに初めてまともに視線を向けた。

 

「よーし、やっとこっちと付き合う気になったわね!」

 

 だが、そう言ったちびムーンの背後から、同じような唸り声が聞こえてきた。

 獣たちは後ろ脚で立ち上がり、尻を震わせ低い声で威嚇するように鳴いた。

 

「……何だかみんな怒らせちゃったみたい」

 

 予想以上にいきり立つ猿たちを見回し汗を垂らすちびムーンだったが、そこにタキシード仮面の声が飛ぶ。

 

「いや、これは好機だちびムーン!少しでも奴らを人々から遠ざけるんだ!」

「は、はい、タキシード仮面さま!」

 

 気を取り直して表情を引き締めてスティックを構えたちびムーンだったが、振り向いた先には猿の黒く固そうな皮膚に覆われた尻が向けられていた。

 

「な、なによあんた」

「ブフゥッ」

 

 謎の行動に戸惑ったちびムーンの顔面に、猿は尻から黄土色の気体を見舞った。

 彼女はしばらくその霧の中に呆然と座っていたが、やがて身体がわなわなと震えはじめる。

 

「く……くっちゃあああああああっっっっい!!」

 

 ちびムーンは悶絶しその場を転げまわった。地獄に落とされたかのような表情で苦しみもがくちびムーンに、タキシード仮面は急いで駆け寄った。

 

「放屁かっ!汚いやつめ……」

 

 あまりの臭さにタキシード仮面は顔をしかめて腕で鼻を覆い、彼女を抱きかかえて猿の傍から引き離した。

 ちびムーンは早くもダウンして、死にかけの虫のように足をピクピク動かしている。その一方、先ほど屁を出した猿はスッキリした様子で伸びをしていた。

 

「しっかりするんだ、セーラーちびムーン!」

「タキ……シード……仮面……様……あたし、もう……」

 

 呼びかけも虚しく、ちびムーンは「ダメ」と言ったきりがくりと項垂れた。

 

「くそっ、なんて下品な猿どもだ……」

「ブフォオォーーーーッ!」

 

 猿たちは、一斉にタキシード仮面らに跳躍して飛び掛かる。

 タキシード仮面はそれを真上に大きく跳ぶことで回避する。

 

「そいやっ!」

 

 タキシード仮面が構えたステッキが如意棒のように伸び、空中から猿たちの後頭部を次々に叩く。

 思わず悲鳴を上げて仰け反った猿たちの輪の中に降り立つと、彼はマントを翻すと共に全方位に紅い薔薇を乱れ投げした。薔薇は瞬く間に猿たちの身体中に突き刺さり、彼らは痛みに転げまわった。

 

「しぶとい……まだ生きているとは!前回の虫とはえらい違いだ!」

 

 彼は薔薇を投げて追撃し、そのうちの2つは的確に猿の脳天を貫いたことで止めを刺せたが、あとの2匹は間一髪で飛び跳ねて避けた。

 それらは恐れおののいた様子でその場を駆けだし、逃走を図る。その先にあるのは、見物をしていた人々だった。

 

「危ない!」

 

 先ほどの呑気な彼らからは想像できないほどの圧倒的なスピードに、タキシード仮面が思わず大声を上げた時だった。

 

「デッド・スクリーム」

 

 後ろから飛んできた大きな紫色の光球が、猿たちを纏めて包み込み爆発した。煙の中から出てきたのは、丸焦げになった哀れな獣たちの姿だった。

 

「まさか……!」

 

 タキシード仮面が振り向くと、その人物はゆっくりとした足取りでこちらに向かってきていた。

 

「前回は助太刀できず、申し訳ございません」

 

 褐色の肌、マゼンタの瞳、後ろをお団子で留めた新緑の長髪。大人びて神秘的な雰囲気を醸し出すセーラー戦士は、タキシード仮面の前まで来ると恭しく目を伏せ、その場に膝まづいた。

 

「キング、どうかお許しを」

「セーラープルート……顔を上げてくれ。一体、何故君がここに?」

 

 プルートは静かに目線を上げて、キングと称したタキシード仮面を見上げる。

 

「それは、今この世界に起こっている異変についてキングにお伝えするためです」

 

 タキシード仮面はごくりと唾を吞み込んだ。

 

「……君も、既にこの事態は把握しているということか」

「はい。そして、今この時クイーンと内部太陽系戦士が、この世界の何処にもいないということも」

 

 緊張が走る。

 

「今、この世界の未来は大きく本来の道からそれ、予想外の方向へ動こうとしています。それについて数日前より調べておりました」

 

 タキシード仮面の胸元で、既に目を覚ましていたちびムーンが、マントの間から這い出して顔を出す。

 

「ねえ、プー。まさかそれって、未来にも関係することなの?」

 

 彼女の顔を見たプルートは、それまでのミステリアスな表情を一転させ、包み込むような温かみのある表情で優しく微笑んだ。

 

「スモール・レディ、詳しいことは後でお話します。この場では目立ちますから」

 

「ああ、そうだな。まずは私の家に向かおう」

 

 3人は、そう話すと高く跳躍してその場を去っていった。

 残った4体の猿の遺骸は、黒ずんだ灰となって空間に溶けるように消えていった。



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戦士よ、前へ②

「……さて。落ち着いたところで話を聞かせてくれるか、せつなさん」

 

 変身を解いた衛、ちびうさ、そしてセーラープルートの普段の姿である冥王せつなは、衛の家にて、机を挟んで向かい合っていた。

 彼女は、上司に対するかのように品よく座った姿勢を崩さず「それでは」と口を開いた。

 

「私は時空を監視する門番として、引き続き観測を続けてきました。以前の戦い以降、特にこれといった異常は見られませんでした。ですがこの1週間ほどで、この十番街の空間に揺らぎが生じ始めたのです」

「そして奴らが現れた、と」

 

 衛の言葉に、黙ってせつなは頷いた。

 

「彼らは時空の割れ目よりこちらに侵入したものでした。全く未知の生物です。個人的には、単なる自然現象にしてはやや出来過ぎだと考えています」

「つまり、誰かが糸を引いている?」

「可能性としては否定できません」

 

 話は一気にきな臭くなってきた。時空を知り未来をも見通すセーラー戦士でさえも把握できない「あちらの世界」。

 

「ねえ、プー」

 

 それまで黙って話を聞いていたちびうさが口火を切った。

 

「このままだったら未来はどうなっちゃうの?前にプーも言ってたよね。未来は変わることがあるって」

「私もこのような事態は初めてなので確信は出来ませんが……セーラームーンがこの世界に存在しない状況が続いた場合、変化は避けられないでしょう」

 

 普段あまり感情を表沙汰にしない彼女の厳しく歪んだ表情からして、今回はかなりイレギュラーな事態のようだった。

 

「せめて、あちらの世界について何か一つでもわかっていることはないのか?」

 

 それを聞いたせつなは、俯いてしばらく黙った後ぽつりと呟いた。

 

「一つだけなら」

 

 せつなは衛の答えを聞くと、覚悟を決めたように目線を上げ、衛とちびうさを真っ直ぐに見つめた。

 

「双方の世界の間で、時間のズレが生じています」

「時間のズレ?」

「はい。こちらの世界の1日が、あちらでは1ヶ月ほどに相当します」

「……今頃、うさこたちは3日前に異世界に行ってから、3ヶ月以上はあっちにいるということか?」

「そういうことになります」

「一昨日の夜、助けに向かったジュピターやヴィーナスたちは……」

 

 恐る恐る聞いたちびうさに、せつなは表情を変えず答えた。 

 

「あちらの世界から見れば、うさぎさんたちが行ってから約1ヶ月後に、あちらの世界に入ったことになるでしょう」

 

 ちびうさは、壁にかかっている時計を見やった。今はちょうど昼の11時頃。ジュピターたちが出発したであろう一昨日の夜からは、ほぼ半日ほど経っている。

 

「じゃあ、もうそれから更に半月経ってるのに、みんな帰ってきてないってことじゃない!」

「そんな恐ろしい事態になっていたとは……一刻も早く彼女たちを!」

「行ってはなりません」

 

 衛の言葉をせつなは冷たく遮った。

 

「衛様なら猶更のこと、未知の場所に安易に足を踏み入れるようなことは避けるべきです」

 

 衛は唇をかみしめた。確かに、彼女の言うことは一つの正論だ。それこそ彼女たちとの約束を破る行為だ。

 

「衛様も、今までのことで分かっておられるはずです。向こうの世界は現在のところ、全くのブラックボックス。少なくともあちらの世界との出入り口を確保してから調査を進めるべきです」

 

 衛はしばらくせつなを睨んで立っていたが、やがて打ちひしがれるようにソファに腰を下ろし、項垂れる。

 

「つまり……俺たちはここにいろ、ということか」

「どうか、衛様にはご自分の立場をもう一度理解して頂きたいのです。貴方は将来、国王となられるお方。その守護戦士たる私としては、ここでお引止めする他ありません」

 

 彼女の言うことは紛れもなく正しいだろう。だが、このまま帰りを待ち続けることは果たして正解なのだろうか?

 こうやって話している間にも、時間は過ぎ去っていく。こうしている間にも、彼女たちに危険が迫っているかもしれない。

 そんな思いが心中に渦巻く衛を、ちびうさは心配そうな目をして見ていた。

 

「まもちゃん……」

 

 気づくと、ルビーのように明暗の輝きを秘めた赤い瞳が衛を覗いていた。可愛らしいピンクのお団子と、ふわりとしたボリュームのあるツインテール。そして、ぴょこんと円を描いて跳ねた後れ毛と、自分の袖を掴む小さな手が目に入る。

 そう遠くない未来、うさぎとの間に授かる宝物。

 無言ながら慰めようとしているのか、肩に抱きつくちびうさを見つめ、衛はしばらくの間熟考を重ねた。

 そして最後に「分かった」と一言だけ返事をした。

 

「……ありがとう、せつなさん」

 

 突如感謝の言葉を向けられたせつなは、僅かに目を丸くした。

 

「君の助言がなかったら、俺は危険も顧みずうさこを探しに行っていただろう。そうしたら、更にみんなを不安にさせる。これが正しいんだ」

 

 彼の顔は穏やかに笑っていたが、隣で見ていたちびうさは、その笑顔の裏で必死に抑えつけたであろう感情を、憂いを帯びた瞳から感じずにはいられなかった。

 

「俺は、引き続きこの街を君たちと一緒に護る。はるか君やみちる君とも協力して、何とか方法を探してみれないかな」

 

 それを聞いたせつなは深々と頭を下げ、口角を僅かに上げた。

 

「衛様、賢明な判断に感謝致します。どうか、ほんの少しだけお待ちください。その2人にも既にこの件は報告してありますから、近いうちにこの街に到着するはずです。その時になりましたら、またここに参ります」

「わかった」

 

 せつなは立ち上がって玄関へと足を運び、衛とちびうさはそれをドアの前で見送る。

 

「それでは、私はこれで」

 

 にこりと笑った彼女に、衛とちびうさは手を振った。

 

「ああ、それでは」

「プー……元気でね」

 

 会釈してマンションを後にしたせつなだったが、離れていくに従ってその表情は暗くなり、深刻そうに「危ういわね」と呟いた。

 

────

 

夕日が今にも海岸線に消えようとしている。

ここは、うさぎたちが住む東京の十番街から少し離れた、どこかにある沿岸道路。

そこを、一台の黄色いオープンカーが風のように駆け抜けている。それに乗っているのは2人。

 

 1人は車を運転している、男性的なスーツ姿の麗人。

 長身、淡い金髪のショートボブ、きつめの目つきが特徴的だ。誰からも言われなければ、この人物が女子高校生とは誰も思うまい。僅かにその証拠を漂わすように、ハンドルを握るその身体からはコロンの華やかな香りが漂う。

 

「また忙しくなりそうだな、みちる」

 

 口調は男性的でありながらどこか色気を含んだ声で、彼女はみちると呼んだ女性に話しかけた。

 それはカシュクールを身にまとい、緑のウェーブロングヘアーが風にそよぎ、気品の高さを醸しだしている美女。こちらも、隣と合わせて高校生らしからぬ神秘的なオーラを纏っている。彼女からも、その隣の人物と同じコロンの香りが後ろへと流れていた。

 彼女も、微笑してそれに答える。

 

「そのようね、はるか。ダイモーンもいなくなって平和な時が来てくれると思ったのは、どうやら甘い幻想だったようだわ」

 

 みちるは、ふと上方を見上げた。

 空は、燃えるようなオレンジから星が浮かぶ深い瞑色へと、今この時に移ろいつつある。

 それを見ている彼女の唇が、意図しない間に自然と開かれた。

 

「人が支配する昼の刻は終わり、獣が支配する夜の刻へ……」

「やっぱり、君が見ていた夢は本当になってしまったようだな」

 

 そう返すはるかの顔には、深刻な表情が浮かんでいた。

 

「異世界からの未知の生物……。聞いている限り、僕たちが今まで相手にした奴らとはかなり勝手が違うだろう。根拠はないが、とても嫌な予感がする」

「貴女にしては弱気ね」

 

 からかいを込めた口調で言ったみちるに、はるかは茶化してくれるなよ、と笑った。

 

「僕だって人並みには怖がるさ。人間は常に分からないものを恐れると言うだろう?」

 

 確かにそうね、でも、とみちるは言葉を紡いだ。

 

「何が来ようと同じよ。私たちは生き、戦い、死ぬ。ただそれだけ」

 

 その容姿と穏やかな表情には似合わぬ言葉を言い放った彼女の横顔を、夕陽が真っ赤に照らしていた。

 

「私たちセーラー戦士は戦いを宿命づけられた存在。そうでしょう?」

「ああ、そうだったな。しょうがない、二人旅は怪物退治が終わってからにするか。まずは僕らの王子様のご様子を窺いにいかないと、な」

 

 はるかがアクセルを踏み込むと、2人を乗せたオープンカーは風のような速度で海岸を駆け抜けていった。 

 いつの間にか日は沈み切り、地平線の一点に、僅かに残照の朱色が残るばかりとなっていた。



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戦士よ、前へ③

 ココット村に来てうさぎたちがまずやらなければならなかったことは、少しでも早くこの村の生活リズムに慣れることだった。この世界に来てから、彼女たちの生活はすっかり激変した。

 

 まず、毎朝7時から8時に起床。時計もないので、先に起きた者が後の者を起こす習慣になっていった。これについては、うさぎは「ラッキー!遅刻ではるなに怒られる心配なしなしじゃーん!」などと喜ばしげだったが、やがてクラスメイトたちにも会えない、ママのお弁当も食べられないことに気づくと、途端にホームシックになっていじけた。

 

 その後、準備運動をしたら朝の散歩をする。途中村の住民と目が合うこともあったが、やはり言葉の通じないからか何処か彼らの態度はよそよそしく、会話をする機会は得られない。

 

 それをやったら、基本的に家の中で過ごす。たまには家の外で自然観察や人間観察をしたり、3人と1匹で昔ながらの遊びをしたりする。昼食と夕食、そして川べりで湯浴みをしたら後はベッドにまっしぐらの生活だ。

 

 衣服についても、この村の誰かの着古しではあるが十分にもらうことが出来た。どれも麻で織られた素朴なもので、おしゃれ好きな彼女たちにとっては小さくない不満点ではあったが、わがままを言うことはできない。

 

 そして、彼女たちにとって何より群を抜いて不愉快だったのは夜中に家の中に入って来る虫だった。

 夜寝る前に明かりを灯していれば、いつの間にか傍にカサカサと何かが忍び寄る音が聞こえてふと見て見れば、途端に家がひっくり返るほどの大騒ぎ、ということも少なくなかった。

 

────

 

 彼女たちがこの村に来てから1週間ほど経とうとした日、この日も彼女たちは持て余した時間を部屋の中で過ごしていた。

 レイが手鏡を見て自分の顔を覗き、不愉快そうに眉をひそめていた。

 

「ここに来てから肌はがっさがさだし唇はひび割れるし、これじゃあ美少女戦士の名が廃っちゃうわ!」

 

 うさぎがベッドに座ってぱたぱたと脚を振りながら、つまらなそうに天井を見上げて呟く。

 

「はあー、デパートもゲームセンターも懐かしいな~」

「それだけじゃないわ」

 

 2人が横を向くと、そこには眼鏡をかけてくいっと指で押し上げる、亜美の姿があった。

 

「ねえ、2人とも。今、私たちに欠けていて、しかもお化粧やお菓子よりずーっと大切なもの……それはなにか分かるかしら?」

「さ、さあ……」

「何なのかしら、ねぇ?」

 

 うさぎとレイは厳格な雰囲気の亜美に対してはにかみ気味で答えをはぐらかした。

 そこに、亜美はびしっと指を真っ直ぐに差してきた。

 

「それは、お勉強よ!」

 

 レイはそれを聞いて大きなため息をついた。

 

「……まあ、そう言うことと思ったわ」

「てか亜美ちゃん、眼鏡持ってきてたんだ」

「私たちはこの世界について知識を身につける必要があるわ。フランシス・ベーコンもこう言っているのよ。『知は力なり』って!文字も読めない、言葉も話せない、文化も分からない状態のままでいいと思う?」

「うーん……」

「何も言えない……」

 

 うさぎとレイは何の言葉も返せなかった。

 そこに、横のベッドで丸くなっていたルナが口を出す。

 

「何にも分からなくても、今のところ衣食住は保たれてるからねー。みんな、ここの村の人たちの厚意に甘え始めてるのかも」

 

 村人たちからは、よそよそしいとは言ってもあからさまに化け物に向けるような冷たい視線を向けられているわけではなかった。単に互いに言葉が通じないから、彼らも接し方が分からないのだろうと、彼女たちはこの1週間を経て結論づけつつあった。

 

「まあ、そうね。そろそろここの生活にも慣れてきたことですし。中学生にもなってずっとおんぶにだっこなままじゃ申し訳ないわ」

 

 レイもルナに同意するが、それにうさぎが反駁する。

 

「でもさ、コミュニケーションなんて言ってもどうすんのよ?」

「そこでこれよ」

 

 亜美はスパコンを取り出した。

 

「実は、3日くらい前から電子辞書機能をプログラムしてたところなの」

 

 それを聞いたうさぎは、青い瞳をキラキラさせて亜美に詰め寄った。

 

「どっひぇー!亜美ちゃん、てんさーい!」

「IQ300、模試荒らしの天才少女の名は伊達じゃないわね」

 

 レイも感心して褒めると、亜美は少しだけ頬を紅く染めて謙遜気味に目を伏せた。

 

「こんなの、ちょっといじっただけよ」

「え、それでそれで?スマホみたいにスパコンに話しかければ、勝手に読み取ってくれんのよね!?」

 

 満面の笑みでスパコンを指さしたうさぎに、レイが呆れた視線を送る。

 

「話聞いてたのうさぎ?さっき亜美ちゃん、電子辞書って言ってたでしょーが。単語一つも分かんないのに自動翻訳できるわけないでしょ?」

「えっ、それってつまり……」

 

 言い淀んだうさぎに対して亜美は、屈託のない笑顔を見せて言い放った。

 

「一から単語の意味と発音を入力していくのよ。みんなで」

 

────

 

 よく晴れた昼下がり、ココット村の住民たちは、貸家から出てきた少女たちの存在に気づいた。

 狩人からはただの遭難者と言われているが、それでもやはりその立ち振る舞いから自分たちとは違うものを感じてしまう。自分から好んで近寄っていく者はいなかった。

 そんな中、3人のうち青い髪の娘が、木の下で母親と一緒に近くで石ころを積み上げて遊んでいた3歳くらいの女の子に、巻いた羊皮紙を手に持ちながら近づいていく。

 

 亜美は、目線を低くしながら女の子に接近した。隣にいる母親とも顔を合わせ、にっこり微笑んで悪意がないことを証明する。

 母親は警戒の表情を見せ、同様に怯えた表情をした女の子をすぐに胸元に抱き寄せた。

 

「大丈夫、大丈夫だから」

 

 そう優しく語りかけ一定の距離を保ちながら丸めた羊皮紙を広げようとすると、母親は顔を強張らせて女の子を抱き上げ、背を向け坂の下へと走り去ろうとした。

 

「あっ、待って!」

 

 亜美が必死に呼び止めようとしたが、すぐにそれは必要ないことが分かった。

 坂を下った先には人だかりができており、そこからあの高齢の狩人がこちらに歩いてきているのを見て、母親は足を止めた。

 母親は狩人の傍に駆け寄ると、彼に差し迫った表情で必死に何かを訴える。

 狩人はその話を聞き終わると毅然とした表情で言い返し、なだめるように肩を叩いたり抱かれた子どもの頭を撫でたりした。

 そのあとに母親がこちらに向けてきた表情には、先ほどのような激しい色はいくらか鳴りを潜めていた。

 狩人は母親を村に帰すと、そのまま彼女たちの方に歩いてきた。

 

「お……怒られちゃうのかな」

 

 瞳をうるうるさせるうさぎの横で、レイもやや身構えるように彼女にひそひそと囁く。

 

「ああいう寡黙なタイプの人って、怒らせたら本気で怖いっていうわよね」

 

 だが、彼の表情からは怒りらしきものは読み取れない。

 狩人は亜美の前に来ると、黙って手の平を差し出した。

 

「これをくれってこと?」

 

 狩人が手渡された紙を開くと、そこには何の意味もなさないような乱雑な模様や記号がでたらめに描かれていた。

 それを見た狩人が戸惑ったように視線を相手に向けると、すぐに亜美が手元に別の紙とペンを用意し構えていることが分かった。

 狩人は何かに気づいたように目を少しだけ見開くと、仕切り直すように一度ごほんと横を向いて咳をした。

 彼はもう一度真っ直ぐに亜美に視線を合わせ、模様を指さしながらゆっくり、はっきりと言った。

 

『これは、何だ?』

 

 亜美はぱっと顔を輝かせ、紙に聞こえた単語をカタカナで羅列した。

 

「おー。上手くいってる!」

 

 うさぎが興奮していると狩人は後ろを向き、何やら大きな声でがなり立てた。

 それを聞いた住民たちが、恐る恐るでありながら彼女たちの方に向かってくる。

 亜美は住民たち一人一人に同じ紙を手に取って見せてもらい、手当たり次第に聞こえた単語を書きとった。

 そして彼女は、幾多もの単語の中から共通した単語の発音を先ほどと同じように書き出し、それを何回か繰り返すと確信の表情を浮かべた。

 

「やった!これで第一段階は突破ね!」

 

 彼女たちは、「これ」と「何」という二つの単語を覚えた。

 

「最初の手がかりは掴めたわ!これでものの名前を聞いて、単語を登録していけば……」

 

 レイが亜美と顔を見合わせて目元を緩ませる。

 

「私たちだけの辞書が完成ってことね!」

 

「じゃああたし、早速亜美先生の役に立っちゃおうっと!おにーさん!『これなーに!?』」

 

 うさぎは早速張り切ってそこらに落ちていた石を屈んで指さし、青年を見上げて言った。

 青年はしばらく硬直していたが、間を置いて静かに『……石』と答えた。

 

「『石』、『石』ね!!ありがとー!じゃあ次はそこのお姉さん!ねえねえ『これってなーにっ!』」

 

 そのお姉さんは、はにかんだ表情で『草よ』と答えた。

 うさぎは小鳥のようにちょこちょこと飛び回ってさえずり、遠慮もなく言葉を覚えたばかりの子どものように村人に単語を聞いていく。

 しばらくすると、住民の誰かが思わず吹き出した。

 笑いは人だかり全体に広まり、彼女たちを家の中から観察していた住民も何事かと外に出てきた。

 

「あ……あれ、あたし、そんな変なことした?」

 

 きょとんとした様子のうさぎを見て、レイと一緒に笑いこけていた亜美が笑い涙を拭いながら答えた。

 

「ふふ。やっぱりうさぎちゃんって、お友達を作る天才ね」

 

 それを聞いてもうさぎは未だに状況が理解出来ず、首を傾げた。

 狩人はその様子を口元に僅かな笑みを浮かべながら眺め、村長はその隣で静かに考え深げに立って見守っていた。



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戦士よ、前へ④

「おねーちゃん、できたー!」

 

 ココット村の一角の木の下で、幼い少女が可愛らしい白い小さな花を編んだ花輪を取り上げて見せびらかした。

 

「まあ、すごいわ!とてもよく出来てるじゃない!」

 

 それに顔を綻ばせ手を叩いたのは、亜美だった。褒められると少女は「えへへ」と照れて顔をくしゃっとさせた。

 

「すごいじゃないの!うさぎなんかよりよっぽど手先器用ねぇ」

 

「レイちゃん?その言葉は余計じゃない?」

 

 花と茎で出来た謎の塊を手にしたうさぎが笑顔を引きつらせているところ以外は、至って平穏な雰囲気が漂っていた。その少女の隣では、母親がその様子を暖かい視線で見守っている。

 この少女は、以前うさぎたちがコミュニケーションを試みたが怖がって逃げた娘だった。あれから少しずつ誤解も解けて、一緒に遊ぶ仲にまでなった。

 まだ完全に言葉が通じるわけではないが、あのうさぎの無邪気さがいい方向に作用している証拠だった。

 

「お嬢ちゃんたちもどうだい、そろそろこの村にも慣れてきたかい?」

 

「ええ。村の皆さんが親切にして下さるおかげです」

 

 母親の問いに、亜美が答えた。言語に関しての物覚えは彼女が一番ダントツで早く、話しかけてきた村人に一番答えているのも彼女だった。

 

「……初めて会った時は、悪いことをしてすまなかったね。あんたたちのことをよく知らなかったから、噂の魔女かと疑ってかかっちまった」

 

「今更の話よ、おば様!もう私たち村の仲間なんだから、そんなこと気にする必要なんてないわよ!」

 

 うさぎは、未だに目の前の課題と格闘しながらも笑顔で答えた。

 一方でレイは、彼女の言葉尻に気になるところがあるようだった。

 

「前からよく聞きますけど、その『魔女』ってどんな奴なんですか?」

 

「うちの旦那が持ち込んできた噂話だから本当か分からないけど、ここから遠く離れた森の中に家を築いてそこに居座り、変な器械で森を切り開いたりモンスターを捕まえたりしてるらしい。まあ、馬鹿らしい話だけど」

 

「……そいつらは、性別は女なんですか?どんな力を使ったりとかは」

 

 レイが突っ込んだ質問をするとうさぎと亜美はぎょっとした表情をし、母親は訝しげな顔を見せた。

 

「さあねぇ。私が言った以上のことは分からないよ。えらく興味があるんだねえ」

 

「あっ、いえ。あたしたちが間違われるくらいだから、その魔女たちも似たような人たちなのかなー、て思ったのでー……あはははは」

 

 レイがそっぽを向いて頬を掻いていると、少女は近くに落ちていた細い枝を拾い上げ、立ち上がってそれを剣のように見立てると、そのままうさぎの頭上に振り下ろした。

 

「まじょなんか出てきても、ハンターさんがまっぷたつにするんだから、えーい!」

 

「あ、あたしは魔女じゃなーい!」

 

「あんた、やめなさい!失礼でしょうが!」

 

 止めに入った母親に、亜美は苦笑した後に村の風景を何かを探すようにざっと見回した。

 

「そういえば、さっき仰ってたお父様の姿が見えませんけど、今はどこにいらっしゃるんですか?ずっと前からお二人だけですけど……」

 

 何気なく出た質問に、子を止める母の肩の動きがぴたりと止まった。

 

「あぁ、それは……」

 

 母親が少しためらって黙っていたところに、少女が口を開いた。

 

「おとうちゃんはね、このまえ、きりから出てきたきずだらけのランポスにくわれたの」

 

────

 

 その日の夕食は、この村の特産、ココット米と『ベルナ村』なる村から仕入れたチーズを使ったチーズリゾットだった。

 談笑していた途中で、亜美がふとスプーンを持つ手を止めた。

 

「そろそろ、外に出てみない?」

 

「どうしたのよ、急に?」

 

 うさぎが、口に入れようとしていたチーズの零れるスプーンから顔を上げて言った。

 

「あたしたち、ここに来てからもう1ヶ月にもなるわ。そろそろもとの世界に戻る方法を探したほうがいいと思うの」

 

「あっ、そんなに経ってたっけ?」

 

 軽く驚いてうさぎがレイの顔を見ると、彼女は黙って頷いて答えた。

 

「そっかぁ。でも、確かにそろそろ行かなくちゃかもね。で、どうやって探すの?」

 

「あたしたちがハンターになるの」

 

 その一言を聞いて、いまリゾットを呑み込もうとしていたうさぎは驚きのあまり喉を詰まらせかけて、胸をどんどんと叩いて激しく咳き込んだ。

 レイも、思わず目を見開いて亜美に振り向いた。

 

「な、なんでよ!?」

 

「狩猟のついでにこの世界について調査して、もとの世界への脱出方法を探すの。危険な仕事だけど、ハンターになれば取り敢えずこの世界で暮らせるだけのお金はもらえるし、村の外に出るにはうってつけの仕事だわ」

 

 未だに動揺しているうさぎに対して、レイはひとしきり考えたあとは冷静な表情を見せていた。

 

「……確かに、合理的ね。あたしたちの戦士の力を使えば、あの重そうな武器でもなんとか担げそうだわ」

 

「ダメ。そんなのできないよ」

 

 唯一険しい顔をして反論したのは、うさぎだった。

 

「あたしたち、愛と正義のセーラー戦士だよ?邪悪な敵と戦うための力を、何の悪意もない生き物に向けることなんて、あたしはしたくないしみんなにもしてほしくない」

 

「うさぎちゃん、あくまであたしたちは手段としてハンターという仕事をするだけで、戦士の心を捨てるわけじゃないわ。むしろ脅威から人々を護るという点では、セーラー戦士にも共通したところがあると思わない?例えば、今日のあの子のお父さんみたいな人を守れるかも知れない」

 

 うさぎは、はっとした顔をして、なにかを迷うように固まった。

 彼女は椅子から突然立ち上がると、顔を見せずに玄関に向かった。

 

「ごめん……ちょっと頭冷やしてくる」

 

 2人は立ち上がって呼び止めようとするが、ルナが彼女らの前に飛び出し、腕を上げて制止した。

 

「今は、そっとしておきましょう」

 

────

 

 うさぎは満月に見下ろされながら歩き、物思いに耽っていた。

 ふと見ると、仄暗い村の景色に一つの光が揺れながら動いている。その正体を、うさぎは知っていた。 

 

「おじいちゃん」

 

 それは、彼女たちと最初に出会った老ハンターだ。慣れ親しんだ今は、こんな砕けた名前で呼んでいる。

 

「うさぎか。どうしたんだ、こんな遅くに」

 

 手に持ったランタンで薄く顔を照らし出されたうさぎは、ハンターの顔を見て少し何かを考えた後に口を開いた。

 

「今、ちょっと話してもいい?」

 

 2人は村の中でも高い丘の近くに赴き、腰を下ろした。

 

「どうだ、最近の調子は?」

 

「うん、大丈夫」

 

「ふむ……どうやらその言葉は本当みたいだな」

 

 ハンターは胡坐をかきながら感心したように、髭が生え揃った四角い顎に手をやった。うさぎは最初その意味が分からず首を傾げていたが、

 

「改めて思ったが、言葉が様になってきたじゃないか。『石』やら『草』やら元気にさえずってた時が懐かしいな」

 

 思いがけなく恥ずかしい過去を掘り返され、うさぎは頬を小さくぷくーっと膨らませた。あの時以後、彼女は住民たちから『インコ娘』『金色オウム』などという不名誉なあだ名でしばらく呼ばれていた。その意味を理解して顔を真っ赤にしたのはつい最近のことである。

 

「もう、茶化さないでよ!」

 

 分厚い胸の鎧を勢いよく押すと、老ハンターは威厳のある顔を崩して笑った。

 この人が外見と普段の堅苦しい口調に似合わず、意外にからかいや冗談が好きなことも、つい最近分かってきたことだ。

 

「で、なんだ、話ってのは」

 

「一つ、聞きたいことがあるの」

 

 うさぎは決心するように、ぎゅっと膝の上に乗せた拳を握った。

 

「おじいちゃんは、なんで狩りをしてるの?なんでモンスターを倒すの?」

 

「俺が必要とするし、周りからも必要とされるからさ」

 

 ハンターは即答した。まるで、何回もこの問いを聞いてきたかのような速さだった。

 

「それはもう分かってる。ハンターさんが無いとみんなが生活できないからでしょ」

 

 だが、彼女の無垢な蒼色の瞳は、そんな答えを望んではいない。

 ハンターは、そんな彼女の表情を見ると肩をすくめた。

 

「もっと高尚な理由を聞きたかったなら、すまんが答えられんな。俺は確かにこの村を護る役割を背負ってるが、実際そんな大層なことなんかしてない。ただのしがない狩人さ」

 

 少しがっかりしたように肩を落とすうさぎを見て、ハンターの目が興味ありげに光った。

 

「そういえば、俺もずっと聞きたかったことがある。確か『セーラー戦士』と言ったか──君らは何のために戦っている?」

 

 突如吹っ掛けられた質問だったが、彼女はそれに戸惑いを見せることは一切なかった。

 

「みんなが住む星の平和と未来を護るためよ。そのために、世界の征服を企む悪の組織と戦ってたわ」

 

 彼女も、ハンターがそうしたのと同じく即答した。

 

「じゃあ、なんで君は戦いをあんなに避けたがってたんだ?立派に戦えるほどの勇気と、ランポスどもを一撃で葬ってやれるほど巨大な力があるのに」

 

「……ちょっと長くなるけど、いい?」

 

 うさぎが間をしばらく置いてから聞くと、ハンターは無言で続きの言葉を促した。

 それに応え、うさぎは「私にも理由はこれってはっきり分かるわけじゃないんだけど」と前置きした上で話し始めた。

 

「私には、女の子の友達がいるの。その女の子は私たちが戦ってた悪の幹部の1人と恋に落ちてしまって……最後は、その子を同じ組織の仲間の攻撃から庇って、私たちの目の前で亡くなってしまった」

 

「……」

 

「私たち、ずっとその人を倒すべき敵だと思って、それを信じ切って戦ってた。でも、もしあの時私たちが彼を助けられていたら……そして早いうちに話し合っていたら、もっと違う結末になってたかもしれないって、今でも私はそう思ってるの」

 

「……その子はなんて言う名だ?」

 

「『大阪なる』ちゃんよ」

 

 その名を口にしたうさぎは、今もいつも通り学校に通い、自分たちのことを気にかけているであろう大親友の姿を想った。




次回はネフなる要素ありの回です。


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心に秘める宝石①

 大阪なるは、宝飾店「ジュエリーOsa-P」のオーナーの娘だ。緑色のリボンで止めた、ウェーブのかかった波打つ茶髪が特徴の少女である。

 ここ最近、彼女は大きな不安を抱えていた。

 

 彼女の親友である月野うさぎと、その友達である4人の少女……水野亜美、火野レイ、木野まこと、愛野美奈子の失踪である。

 

 うさぎ、レイ、亜美の3人は、3日ほど前から忽然と姿を消しており、その後を追うようにまことと美奈子もその翌日に姿を消した。

 学校側も警察に連絡して捜索をしてもらっているが、一向に彼女たちの情報は出てこない。イジメなどもなく、家庭でも極々平和に生活を送っていたというから、全くその具体的な原因も判明しなかった。

 なる自身も、失踪直前のうさぎにこれといった違和感を抱くことはなかった。そもそもあの快活、元気というワードをそのまま少女の形にしたようなあの子が、わざと家を抜け出すような真似をするだろうか。

 理由は何であれ、彼女とその仲間たちに早く戻ってきてほしいという願いは切実なものだった。クラスの雰囲気も、特にうさぎがいなくなってからかなりどんよりとしている。

 こういう雰囲気は、何よりもなる自身に体調不良という目に見える形で重くのしかかっていた。今日も朝起きると体のだるさ、重さ、頭痛と吐き気が彼女を苦しめたが、今日教室にいたらしれっと彼女が席に座っていて手を振って「なるちゃん、おはよう!」とあの元気な声で言ってくれるかもしれない。

 

 そんな僅かな希望を頼りに、なるは今日も廊下を歩いていたのだった。

 ガラガラと引き戸を開ける。そこに、あの金髪ツインテールの幼馴染の姿はなかった。

 

「……まだ、なのね」

 

 がっくりと肩を落とす。

 席に座ると、ぐりぐり眼鏡をかけた学ラン姿の少年が気づかわしげな様子で「おはようございます、なるちゃん」と声をかけてきた。

 

「……おはよう、海野」

 

「大丈夫ですか?あまり無理はしない方が……」

 

「大丈夫よ。大丈夫ったら」

 

「で、でも顔も青ざめてるし、目にクマまで……」

 

「もう。私が大丈夫と言ったら大丈夫なのよ」

 

 笑いながら応対しつつ、心の中で彼女は大丈夫なわけないじゃない、と独り言ちた。

 確実に、日に日に自分がやせ細っていくのを感じる。それだけ彼女は自分にとって大切な存在だったのだろうと、改めてその存在の大きさを実感した。

 海野は彼女の大切な友達の1人で、優しいしいざという時は頼れる男だが、こういう時の人の扱いは下手な方だ。彼なりに気遣ってくれているのは嬉しいが、正直今は無理して構わないでほしいところだった。

 

「そうだ!気晴らしにここ最近話題の怪物の話題でもしましょう!」

 

 ピンと指を立て彼がカバンから取り出してきたのは、新聞の束だった。まるでマジックで使う帽子のようにいくらでも綺麗に折り畳まれた様々な種類の新聞が飛び出してくる。

 

「うっ……。どんだけ入ってんのよそこに」

 

 思わず眉を顰めるなるだったが、「情報集めは男の常ですから」と、海野は得意気に言った。

 

「ほら、見て下さい。今日の日付のこの新聞……。中々面白いことが書いてありますよ!」

 

 そこの見出しには「古代の生物、発見か!?トラックを襲った謎の怪物」と書かれ、写真には横転したトラックと散乱した魚介類が映されていた。

 

「なんと!今この文明が地上を支配する時代に古代からの来訪者が現れつつあるようなんです!それも決してガセでも何でもなく、この現実において!」

 

 海野は熱っぽく語るが、一方のなるは全くと言っていいほど興味を惹かれなかった。そんなことより、うさぎたちが戻ってきてほしいという思いの方がずっと強かった。たとえ恐竜たちがこの地上を支配しようが、うさぎが戻ってこないことに比べれば何倍もましな方に思えた。

 

「ほらほら~、見て下さい。姿こそ目撃出来なかったが、関係者はこの存在のサンプルを採集出来れば、科学と文明の発展に大きな一歩に……」

 

 海野が紙上に指をなぞり読み上げるのを、なるは適当に目で追っていた。

 だが、途中で彼の手は突如としてピタリと止まった。自然に、近くにあった小見出しが視界に入る。

 

 

『中学女子生徒ら5名の失踪とも関連か』

 

 

 なるの表情が固まったのを見て、海野は慌てて新聞をしまい、そして沈黙した。

 

「……すいません」

 

「……いいのよ。あんたは悪くないわ」

 

 頭を下げて謝った海野を前に、なるは笑って答えたが、やがて机に向かって目を伏せると、その笑みは消えた。

 

「ごめん、お願い。今日はほっといて」

 

 

 その日は結局、勉強もクラスメイトとのお駄弁りも、すべてが自分の頭をすり抜けて後には何も残らない。心にあるのはただ、自分の心を根っこで支えているものが消え、足元の地面がまるごとなくなったかのような浮遊感。

 こんな感覚を、前にも感じたことがある。忘れもしない、あの憎々しいほどに夜空が美しかった、あの日。

 そんな思いが、夕陽を背負って帰途についていた時からおもむろに大きくなっていった。

 家に帰ったなるを母が心配して玄関で出迎えてくれたが、返事も虚ろなまま上の階に上がってしまった。

 部屋に入ったなるは、急いで机の中を探り、ある立方体の落ち着いた群青色のケースを取り出す。

 

 かちりと音を立てられ開けられたそれには、緑色の宝石がはめ込まれたネックレスが入っていた。

 彼女の家は宝石店だからそれ自体はこの家では珍しくないはずだが、彼女にとっては違うようだった。

 なるはネックレスをそっと首にかけると、手のひらに宝石を乗せてじっと見る。

 

「まるで、あの人が見守ってくれてるみたい」

 

 ネックレス自体は、彼女が毎月母からもらうなけなしのお小遣いをはたいて買ったもので、決して大人の女性が付けるような手間がかけられたものではない。黒い不純物があるし、艶のある深緑色も見られない。だが、彼女にとってはそれが今、絶望の底辺にいる自分にとって唯一救いなのだ。

 彼女はその煌めきに縋るように宝石を両手で包み込むと、それと額をぴったりと合わせた。

 この宝石はかつて、彼女が愛し、そして自分を愛してくれた男から貰ったものだった。

 その名は、この石のそれと同じ。濃く長い茶髪と浅黒い肌、そしてきりりとした眉と青い瞳が、鮮明に頭に浮かんだ。

 

「ネフライト様……こんな時に貴方がいてくれたら、私、もっと強い女の子になれたのかしら」

 

 その時、不意にガラスが一斉に割れるような破裂音が聞こえた。少し遅れて母親が慌て、怒鳴るような声が下から聞こえてきた。

 

「ママ……!」

 

 いろんな人が騒ぎ立てる音が聞こえる。まだ今は客がいる時間帯だ。

 居ても立っても居られなくなり、彼女は思わず立ち上がった。

 急いで階段を駆け下りるにつれ、騒ぎはひどくなっていく。途中で従業員に気づかれ、何か言われて行く手を阻まれたが、無理やりに押しのけていった。

 騒ぎは1階の広間に広がるショップエリアからだった。

 ドアを開け放ったなるの前に、ガラスの破片が飛び散る。

 なるの視界には、怯え固まってうずくまる人々の姿がいた。その中に、この店のオーナーである母の姿があった。彼女だけが立って、何かを睨んで客を護るように先頭に立っている。

 

「皆さん、落ち着いて!後ろにいる方から順に裏口から……なるちゃん?」

 

 消火器を持った彼女は後方に振り返って指示を出していたが、視線がなるのそれとぶつかった。

 

「ママ……無事だったのね!」

 

「なるちゃん、今すぐ戻って!」

 

 なんで、と問う前に、答えは分かった。

 またしてもガラスが割れる音がしたその先に、灰色のとんがった大きな塊が砕け散ったディスプレイの陰でもぞもぞと蠢いていたからだ。

 

「なんなの……あれ……」

 

 なるはずっと前、この宝石店が妖魔に襲われた時を思い出した。

 だが、この怪物はそれらと種類が異なることが一目見て分かった。

 やっと後ろの気配に気づいたのか、怪物は長い首をもたげて立ち上がり、ゆっくりと振り向いた。その全貌に、なるの母と利用客たちは身構えてたじろぎ、なるは驚愕した!

 

 灰色の塊のように見えていたのは、奴の背中を覆うゴムで出来た皮膚のようなものだった。そいつには暗い橙色の膜が付いた翼が生えており、その後ろには翼膜と同じ色をした鞭のごとき尻尾がぶらぶらと遊ぶように揺れていた。

 何よりも目を引いたのはその頭である。上に伸びた槌のように厚く固そうな嘴に、葉巻のように奇妙な形状をしたトサカ。その双眸は黄色く濁り、高い知性は感じさせない。

 間抜けな印象を与える不揃いの平たい歯の間からは数多の輝く宝石が見え隠れし、口内からは毒々しい紫の液体が垂れていた。

 

 あまりに不細工で、汚らわしく、醜い。

 『豚に真珠』ということわざがあるが、まさにそれを体現した生き物だ。

 

「ギャアアアアアアアアアッッッ!!」

 

 その『鳥』は驚いたように大袈裟に想えるほど飛び上がって叫び、ジタバタと激しく翼をはためかせた。

 口に咥えられた宝石がゴロゴロと落ちる音と共に、客の間に悲鳴が広がる。

 自分が宝石を落としたことにはっと気づくと、もう一度『鳥』は散らばった宝石をわざわざ丁寧に飛び跳ねながら一つずつ啄み、今度は確実に呑み込んでいく。

 

「ま、まさか宝石だけが目当てなの……?」

 

 どこか間の抜けた動作を見つめながら、なるはぽつりと呟いた。

 そのうち、『鳥』の嘴が宝石の一つを取り誤った。カラン、と音を立て、宝石がなるの足もとに転がって来る。

 

「なるちゃんっ!!」

 

 母の詰まるような声が聞こえて、彼女が宝石から目線を上げると、そこにはにやけたような『鳥』の顔がこちらを向いていた。

 奴の視線は、なるの胸元に注がれている。

 

「……あ」

 

 奴の狙いはすぐに分かった。彼女がかけてきたネックレスだ。

 宝石はかなり小さいが、変わった色をしていてよほど欲しくなったのだろう。嬉しそうにぎゃあぎゃあと騒ぎ立てて飛び跳ねている。

 

「い、嫌!」

 

 思わずなるは宝石を手の中に取って隠した。だが、『鳥』はそれに構わず、涎をまき散らしながら真っ直ぐに突進してきた。

 

(ネフライト様っ……!!)

 

 『鳥』が、目前に迫る。ぶつかれば、彼女の小さく細い身体はひとたまりもない。

 目をつぶり、祈った矢先──

 

「なるちゃんから離れなさい!!」

 

 勇ましい少女の声が上がった。『鳥』は立ち止まり、ぐりんと首を回して振り向く。

 宝石店の玄関口に、月と都会の光を背に受けた人影がひとつ。

 この光景にも、なるは見覚えがあった。そう、妖魔に自分が殺されかけた時もこうやって『彼女』が駆け付けたのだった。

 

「セーラー……ムーン……?」

 

 だが、その背はあの時のそれより遥かに小さい。印象的だったあのお団子ツインテールも、あの腰まで届くほどすらりとした長いものではなく、短く丸っこくまとめたものだった。

 

「ギヤオオオオオオッッッ!?」

 

 せっかくの機会を邪魔されたのが気に食わなかったのか、『鳥』は腹立たしげに低く唸った。

 

「な、何言ってんだかわかんないけど……取り敢えず!愛と正義の、セーラー服美少女戦士見習い、『セーラーちびムーン』!未来の月に代わって、お仕置きよ!!」

 

 果たして、その正体はセーラームーンではなく、彼女よりは幼い、ピンク色の髪とコスチュームが特徴の美少女戦士、セーラーちびムーンだった。

 続いて、部屋の上方でぎぃ、と窓が開いた音がした。

 音がした先、大きく開かれた大窓に立つは、セーラームーンと行動を共にする謎の男、タキシード仮面。

 

「鳥の化け物よ!女の子たちの憧れと夢がたくさん詰まった宝石店を、好き放題荒らすその鬼畜の所業。このタキシード仮面が成敗してくれる!」

 

 『鳥』はますます不機嫌になったように、しわがれた雄たけびを上げた。



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心に秘める宝石②

 『鳥』はちびムーン、タキシード仮面と互いに円を描くように歩き、牽制し合う。

 ちらりとタキシード仮面が後方を見ると、利用客たちは飛び火を恐れて静かに室内から脱出していた。

 一瞬ぴたりと動きが止まったかと思ったその時、『鳥』はその槌の如き嘴をもって啄もうと2人に飛び掛かる!

 それを見たタキシード仮面はステッキを構えて伸ばし、真正面から嘴を打ち付けた!

 ガリッと木の幹のような嘴の表面を激しく削る音が鳴り、それは本来行くはずだった方向から大きくそれる。

 忌々しげに鳴くと『鳥』は羽ばたいて飛びのき、体制を立て直す。接近戦は無理だと判断したのだろう。

 『鳥』は喉を膨らませると、その口から先ほど歯の間から垂らしていた紫色の粘液を、塊にして吐き出した。

 

「危ないっ!」

 

 粘液はちびムーンに向かって吐き出されていた。タキシード仮面がさっと彼女を拾い上げると、液体はその後ろにあった観葉植物に直撃する。

 すると先ほどまで生き生きとした青色の光沢を放っていた植物は一瞬のうちに萎れ、黄と茶色にひなびきった姿に変貌してしまった。

 

「ど、毒!?」

「なんて威力だ!当たったら恐ろしいことになるぞ!」

 

 あの毒のほんの一滴でも肌に当たれば、いくら一般人よりある程度頑丈な彼らでも無事ではすまないだろう。『鳥』はこれに味をしめたのか、次々と2人に向かって毒を吐き出し続ける。

 まだ利用客たちは逃げきれていない。否が応でも動きが制限され、戦士たちは逃げに徹する他なかった。

 

「なるちゃんのお母さん!早く逃げるように言って!」

 

 抱きかかえられながら、ちびムーンがなるの母に叫ぶ。

 それを聞いた彼女は迷いなく利用客たちに振り向いた。

 

「皆さん!今のうちに!」

 

 目の前の戦いを呆然と見ているだけだった彼らも、危険な状況にあることを理解したようだった。

 彼らはすぐに避難を始め、1分も経たない間にこの大広間にはなるとなるの母以外に一般人は1人もいなくなった。

 なるは、ちびムーンを抱えて1人佇み、相手を見据えるタキシード仮面の横顔を見ていた。

 

「ほらなるちゃん、いつまでぼーっと突っ立ってるの!早く逃げるのよ!」

「う、うん……」

 

 なるは母に背中を押され、やむを得ず部屋から出ていく。タキシード仮面はそれを横目で見届けた。

 

「これで、周りを気にせず戦えるな」

「タキシード仮面!前を見て!」

 

 何、と言おうとしたその時に、既に紫色の液体は目前にあった。

 マントを翻し、ちびムーンを護ると、液体はばちゃりと音を立ててマントにかかった。

 幸い顔にはぎりぎり当たらなかったものの、彼は液体から出る煙を僅かに吸ってしまった。

 たちまち肺を不快感が支配し、タキシード仮面はその場に崩れ落ちる。

 

「タキシード仮面!」

 

 そのチャンスを『鳥』は決して見逃さず、駆け寄って来るとくるりと身体を翻す。

 するとその尻尾はその勢いのまま数倍の長さに伸び、まさしくゴムの鞭のごとく大きくしなって、タキシード仮面をちびムーンごと吹っ飛ばした。

 壁に打ち付けられ、落ちたタキシード仮面を狙って鳥がもう一度歩み寄ってきたところに、ちびムーンがその胸の中から這い出し必死の形相でロッドを構えた。

 

「ピンク・シュガー・ハート・アタック!!」

 

 ピンク色の光線が『鳥』の鼻先に当たり、思わず奴は嫌がって顔を背けた。

 それと同時に尻尾がしなってこちら側に曲がってきたのを、タキシード仮面は口から血を垂らしながらも確かに確認した。

 

「喰らえっ……!」

 

 言葉を口にするのもやっとな彼の手から放たれた複数本の薔薇が、伸縮性のある、つまり柔らかい尻尾に真っ直ぐに刺さった。

 

「ギョアアアアアアアアアアッ!!」

 

 そこはまさしく泣き所だったらしく、『鳥』は奇声を上げて大きく飛び上がった。

 

「お願いだから早くどこかに行って!」

 

 ちびムーンは、涙目になりながらロッドを構えたまま、後ろで横たわるタキシード仮面を護るように立っていた。

 散々暴れまわり尻尾を振り回してやっと薔薇を取った『鳥』は、目の周りを真っ赤に充血させた状態で立ち止まり、頭を縦に振り始めた。その上に伸びた形状の嘴が頭頂にある葉巻型の茶色の器官とぶつかり、それは打ち付けられるたび「バシン」とスイッチを入れるような音と共に白い光を点滅させた。

 

「な、何をする気!?」

 

 奇妙な行動に、ちびムーンもタキシード仮面も怪訝な表情を浮かべる。ちびムーンは、ロッドを持って戦闘態勢を崩さないままタキシード仮面へと身を寄せた。

 4回が終わり、次に5回目が来ようとした時、突如『鳥』はすっくと胸を張って羽根を大きく広げ、叫びながら頭を天高く掲げた。

 同時に白い閃光が辺り一面に広がり、2人の視界を奪う!

 

「きゃあっ!」

「うわっ!」

 

 強烈な光で目がくらんだ彼らが頭を振って意識を取り戻すのには、かなりの時間がかかった。

 やっと歪んだ視界が元通りになって来た時、そこに『鳥』はいなかった。

 急いでちびムーンが宝石店の敷地外に出ると、上空で大きく黒い影が翼をはためかせているのが見えた。

 

「逃げ……られちゃった」

 

 ちびムーンが肩を落としていると、後ろから胸の痛みを庇うようにしてタキシード仮面がやってきた。

 

「タ、タキシード仮面!大丈夫なの!?」

 

「大丈夫だ」  

 

 そう言いながらも彼の表情はまだ苦し気で、ちびムーンは不安の表情を崩すことは出来なかった。

 

「あの程度では、恐らく明日も来るだろうな……。今日のところは帰って、また作戦を考えよう」

「……はい」

 

 無理に作った優しい笑顔を前に、ちびムーンは素直に頷くことしか出来なかった。

 

──

 

 大阪なるが衛をゲームセンター2階の喫茶店に呼び出したのは、その翌日、昼下がりのことだった。

 衛がうさぎの口から大親友である彼女の話を聞いたことは多々あれど、実際に面と向かって話したことはほぼなかった。

 テーブルに2人分のジュースが置かれているのを境にして、両者は向かい合って座っていた。

 

「うさこの話にはしょっちゅう聞いてたよ。よく仲良くしてくれてるんだってね」

「こっちも。うさぎがいっつもあなたのことばかりくっちゃべてはっきりイメージ付いちゃってるから、こうやって見てもあまり驚きませんね」

「まったく、あの子にはプライバシーの概念がないな」

 

 そうやってひとしきり笑った後、衛はあの昨日の事件から気になっていたことを口に出した。

 

「昨日のことは、大変だったね。怪我人はいなかったかい?」

 

 本来なら平日である今日はなるも学校に行くはずなのだが、昨日の騒ぎでそれどころではなかったのだろう。心なしか、彼女の目元にクマが出来ているようだった。

 

「ええ。これも、タキシード仮面さんたちがあの『鳥』と戦ってくれたおかげです」

「それで、何だい?俺に聞きたい話ってのは?」

 

 本題に入ろうとすると、なるは遠慮するように声を顰めた。

 

「はい。……あまりこういう話って首を突っ込まない方が良いとは思ってるんですけど」

「構わないよ。気を遣ってくれてありがとう」

 

 それを聞いたなるはきっと顔を引き締め、姿勢を正した。

 

「私、知りたいんです。どうやったら地場さんみたいに、1人だけでも強くなれるんだろうって。」

「俺が?」

「うさぎがいなくなってとても辛い気持ちのはずなのに、とても堂々としているもの。私なんか、うさぎや亜美ちゃんたちが消えてからずっと落ち込んで……」

 

 真剣な相手に対していささか失礼とは思いつつ、衛は思わず苦笑を浮かべてしまった。

 

「そうか。君から見ると、そう見えるのか」

「え……」

 

 意外そうに目を丸くしたなるを相手に、衛は自嘲気味な調子で話し始めた。

 

「正直、俺も今どうすればいいのか分からないんだ。本当は、すぐにでもうさこを助けに行きたいさ。だが、俺にはそれが出来るような大した力もないし、出来る状況でもない」

「そうなんですか……」

 

 なるは、何かを考えるように衛の表情を見つめていた。

 

「衛さんも、そういう気持ちになることあるんですね。意外だったな、うさぎはいつもクールで何でも出来ちゃう人みたいに言ってたから」

 

 なるは物思いに耽るように視線を窓の外の景色にそらした。

 彼女が、胸に付けてある緑色の宝石のアクセサリーの鎖を大事そうに握りしめているのが見えた。

 

「衛さん、こういう時って一体どうしたらいいんでしょう?やっぱり、耐えるしかないってことですか?私に出来ることって、本当にないんですか?」

 

 衛は、一考してから口を開いた。

 

「取り敢えず、家からは離れておいた方がいい。あとのことは、タキシード仮面やセーラー戦士たちが何とかしてくれるはずさ。うさぎたちのことも、ね」

 

 不安そうに顔を歪めたなるに、衛は口調を強める。

 

「気に病む必要なんてない。誰だって1人じゃ生きていけないのは同じだ」

 

 だが、それを聞く彼女の表情はどこか不満げだった。

 なるはまだ何か言おうとしたが、その時手元のスマホが唸ったのに気づき、その画面を見てはっとした表情をした。

 

「ごめんなさい!ママがそろそろ戻ってきなさいって言ってる。急がないと」

「分かった。くれぐれも気をつけてな。『鳥』がまたやって来るかもしれないから、気を付けておきなさい」

 

 あんな大惨事の後だ。家族や警察とのやり取りなどもあるのだろう。

 彼女の身を案じて言うと、なるは深く頭を下げて喫茶店を後にした。

 1人残された衛は、なるが座っていた空席を見つめていた。

 衛は残りのジュースを片付けに行った。



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心に秘める宝石③

 なるが帰路を急いでいたところ、スマホに新たな着信が入った。

 彼女が送信者の名を目にした時、なるは怪訝な表情を浮かべた。

 

「え?なんであいつから……」

 

 送信者は海野だった。メールの内容は、なるの家の前で話したいことがあるとのことだった。

 どうやら、今日中でなければならない緊急の話らしい。

 

──

 

「なるちゃん、この度は誠に申し訳ありませんでした!!」

 

 夕暮れ自宅の前で会うや否や、海野は土下座して頭を深々と下げた。

 

「ちょっと、止めてよこんな人前で!目立っちゃうじゃない」

「あの時、僕の配慮が足らなかったばかりに、なるちゃんの心を傷つけて……何とお詫びを申し上げたらいいものか!!」

 

 頭をじりじりと地面に押し付け謝る海野を前にし、なるは腕組みをしてそっぽを向いた。

 

「別にあたしは怒ってないわよ。あの時は身体の調子が悪かっただけ。ほら、そんなことしてないで早く立ってよ」

「いえ、これは全て僕の責任です……これ以上、なるちゃんの笑顔が曇るのをもう見たくはありません。そこで、僕からなるちゃんにある提案をしたいんです」

 

 海野はすっくと立ちあがって、胸の前で拳を握る。

 

「なるちゃん!ここはせめて、なるちゃんの家を荒らしたあのおっかない『鳥』を懲らしめて……!」

 

 なるは、反射的に顔を歪めて海野の頬を平手で引っ叩いた。

 彼女の表情は、激情に駆られていた。

 

「あんた、馬鹿なの!?あの『鳥』は、タキシード仮面とちびムーンでも敵わなかった奴よ、私たちの出る幕なんかないわ」

「し、しかし、なるちゃんはそれでいいんですか?」

 

 それを聞いた彼女の口元が歪み口調が淀む。

 

「……そりゃあ、出来るなら私だって戦いたいわよ。でも、実際は私たちはこうやって嵐が過ぎ去るのを待つしかないの」

「やってみなくちゃ分かりませんよ!もう僕は、このまま何もせずなるちゃんが悲しむ表情を見ていたくないんです!」

 

 彼のぐるぐる眼鏡の淵から涙が漏れ出た。

 

「何でもお申し付けください。この海野ぐりお、なるちゃんの手足にでも何でもなります」

「……海野」

 

 胸に付けた宝石が、今にも沈みそうな夕日を反射して光っている。

 

「それなら、一つ条件を付けるわ。あたしも一緒に戦わせて」

 

 一瞬、海野の表情が揺らいだ。

 

「そ、それは……」

 

「何なの?女は後ろに下がってろって?」

「そそそ、そんなことは言ってませんが、当のなるちゃんを危険に晒すなど……」

「あんた、『鳥』について何も知らないでしょう?実際に奴を見たことのある私の方が詳しいわ」

 

 結局、その後もなるはしつこく食い下がり、海野は渋々ながら彼女との共闘を認めた。その後は、落ち込んでいるから友達の家に寄ると言ってどうにか母の目を誤魔化し、作戦を立てることとなった。

 

──

 

 月明かりに照らされながら、タキシード仮面とセーラーちびムーンは宝石店で『鳥』の飛来を待っていた。

 ガラスが割れて荒れ放題となった宝石店に玄関口から隙間風がびゅうびゅうと入って来るのを、彼ら2人は真正面から全身に受けていた。

 

「タキシード仮面は、セーラームーンがいなくて寂しくないの?」

「何を言っているのだ。私は君がいるだけでも十分心強いよ」

 

 その大人びた笑みを前にしても、彼女の微妙に曇った表情は変わらなかった。

 

「……嘘よ」

 

 唇から発せられたその言葉は、口元ですぐに消えてしまうほど小さかった。

 

「セーラーちびムーン?」

「何でもない」

 

 諦めて横を向いたちびムーンの耳に、何かが風を切る音が入る。

 

「来るぞ!」

 

 第二ラウンドが始まろうとしていた。

 鳴き声から、すぐに察しはついた。夜空に、月を背景にこちらに羽ばたいてくる影が見える。

 『鳥』は店内に滑空してガラスの破片を踏みながら侵入してくる。奴はすぐに戦士たちの姿を認め、忌々しげに鳴く。

 

「これ以上宝石は盗ませんぞ!」

 

 タキシード仮面が弱点の尻尾目掛けて投げた薔薇を、『鳥』は横に走りだして避ける。

 奴は首を激しく横に振り手足と翼をばたつかせ、狂ったように疾走を始めた。

 不格好な走り方だがそのスピードは尋常ではない。奇声と共に毒液が吐き散らされ、それは止まることを知らない。

 しかもこんな激しい動きをしておきながら、動きに疲れは全く見えなかった。

 

「なんて多芸な奴だ!」

 

 タキシード仮面は突進してくる『鳥』とそれが吐く毒液をかわしながら密かに毒づいた。

 奴に向かって薔薇や光線が浴びせられるが、足元に広がる毒液と動き回る標的が災いして狙いが定まらない。

 その隙を狙って2人の目の前で急停止した『鳥』は、背中を向けたかと思うと8の字を描くように尻尾を振り回した。伸びた尻尾が2人を打ち付け、突き飛ばす。

 そのまま2人は壁に当たって床に落ち、壁際に追い詰められた。両者とも立ち上がるが、それだけで精一杯だった。

 

「な、なんて強さなの……」

「しっかりするんだ、セーラーちびムーン!」

 

『鳥』は勝利を確信したようにのっしのっしと歩いてくる。その口に紫の涎が充満し、もはや死を待つのみかと思われたその時だった。

 

「待ちなさい!」

 

 少女の声が室内に轟く。

 彼らの視線の先にあったのは、大阪なるその人だった。

 彼女は、昨日逃げ込んでいった出入り口に、今度は自分からその姿を現わしていた。

 

「なぜここに君が!?」

 

 彼女はタキシード仮面の呼びかけをよそに凛とした表情で腕を上に突き出す。

 

「ほら!欲しいのはこれでしょう!?」

 

 声を張り上げて真上に掲げた手からは、緑色の輝きが月の光を受けて放たれた。

 

「それは昨日の……!!」

「やめて!そんなの自殺行為よ!」

 

 ちびムーンは制止しようと叫ぶが、既に『鳥』はなるに向かって走り出していた。彼女はその場から動こうとしない。

 その身体が触れようとした瞬間、『鳥』の身体がドサッと鈍い音を立てて沈み込んだ。

 

「ギャアアアアアア!!」

「な……なんだ!?」

 

 落とし穴だ。よく見れば、落とし穴の周囲に毒液によって木材が溶かされた跡があった。恐らく毒液で腐った床を崩して作ったのだろう。

 

「えいやああぁぁぁっ!!」

 

 続いて入口から飛び出てきたのは、なるのクラスメイトである海野だった。その手には火を灯した松明が握られており、彼はそれを『鳥』の前に差し向けた。

 

「ウギョオッ」

 

 『鳥』は、それを見て明らかに怯んだ。どうやら火を激しく嫌がっているようだ。

 

「そうか、ゴムは火に弱い!」

「ほれ、ほれ、ほれーっ!」

 

 海野は奇声を上げながら、松明を鬼の形相で何度も『鳥』の眼前を突きまわす。

 

「タキシード仮面、セーラーちびムーン!今のうちに『鳥』のトサカを攻撃して!!」

 

 なるの叫びを、タキシード仮面はしかと聞き届けた。

 

「セーラーちびムーン!!」

「わかった!」

 

 ちびムーンは頷き、ロッドをピンクに光らせる。

 

「ピンク・シュガー・ハートアタック!!」

「さあ、受け取れ!」

 

 タキシード仮面の手から薔薇が螺旋を描いて放たれた。

 それにピンクの光線は互いに絡み合って威力を増し、空気を切り裂く閃光となって『鳥』のトサカに直撃する。

 

「ギャアアアアアアッ!!」

 

 トサカは砕け、『鳥』は頭ごと光線に焼かれた。

 たまらずそれは落とし穴から首を振ってのたうちながら這い上がった。そこから無理やり閃光を放とうとするが、肝心のトサカはもうそこにはない。それにも気づかず必殺技を放とうとする『鳥』に、タキシード仮面が薔薇を放つ。

 それらは一瞬下げた頭に突き刺さり、ビクッと痙攣して動きを止めたかと思うと、『鳥』はゆっくりとその場に崩れ落ちた。

 

「『鳥』を倒したわ、タキシード仮面!」

 

 セーラーちびムーンがタキシード仮面に飛びつき、彼は安堵と疲労、両方によるため息をついた。

 なるも海野を伴って寄ってきて、ぺこりと丁寧に頭を下げた。

 

「ごめんなさい、タキシード仮面様。危険なことをしてしまって」

「なんて無茶なことを、と言いたいところだが……ありがとう。君たちが来ていなかったらやられていたところだった」

 

 緊迫が解け、宝石店に和やかな雰囲気が流れる。

 

「……グルル……」

 

 だが、事態はまだ終わっていなかった。

 『鳥』の目がかっと見開かれる。

 

「ギャアアアアアアッッッ」

 

 『鳥』は、死んだフリをしていたにすぎなかった。

 奴はじたばたと暴れまわり、嘴ですぐ近くにいたタキシード仮面を突き飛ばした。あまりのパワーに燕尾服から星型のオルゴールが外れ、カラカラと音を立てて『鳥』の前に転がった。

 

「オルゴールが!」

 

 タキシード仮面が腕を伸ばすが、『鳥』の方が少しばかり早かった。

 『鳥』はオルゴールを咥えて奪うと、そのまま羽ばたいて飛び去っていった。

 彼が宝石店の外に出た時には、もうその影は遠くにまで行ってしまっていた。

 

「タキシード仮面!」

 

 『鳥』の後ろ姿を見つめていたタキシード仮面が振り返ると、なるたちが彼の後を追ってきていた。

 

「あの『鳥』を逃したのは残念ですけど、本当に今回はありがとうございました」

 

 感謝の言葉を述べるなるの表情からは、以前のカフェの時に感じ取れた曇った感情が消えているように見えた。 

 彼女の手には、あの宝石が大事そうに握られている。

 なるは何か言うのを躊躇して一旦視線をそらしたが、意を決したように真正面に向き直った。

 

「あの……セーラームーン、いないんですよね?」

 

 タキシード仮面は何も答えなかったが、静かに彼女の言葉に耳を傾けていた。

 

「あなたがもし、セーラームーンがいないことで何か葛藤を抱えてたら……。貴方が本当にしたいことをして欲しい。貴方には、大切な人を護れる大きな力があるから」

 

「……」

「なるちゃんの言う通りよ、タキシード仮面」

「セーラーちびムーン」

「あたしは一人で大丈夫。プルートもいるし、ウラヌスやネプチューンだってきっと一緒に戦ってくれる。もう、寂しくて泣いたりなんかしないから」

「だが、私は」

 

 なおも反駁するタキシード仮面に、ちびムーンは月の夜空に浮かぶ、小さくなってゆく影を指さした。

 

「ほら、貴方のオルゴールを奪い返さなくていいの?早く行かないと、何処かに消えてしまうわ」

「……すぐ戻って来る。約束だ」

 

 ハットの鍔を押さえて、タキシード仮面は呟く。

 

「うん、約束ね」

 

 彼は高く跳躍すると、月明かりに照らされるビルの屋上を跳ねながら、『鳥』の影を追いかけていった。

 

「いってらっしゃい、タキシード仮面」

 

 ちびムーンの瞳には涙が浮かんでいたが、背中を見ていたなるたちはそれを知ることはなかった。

 鼻をそっとすすって涙を引っ込めると、ちびムーンはさっきと同じ明るい表情で振り向いた。

 

「さあ、なるちゃん、海野くん。早く帰らないとお母さんにバレて怒られるわよ」

「分かった。貴女も気を付けてね、セーラーちびムーン」

 

 そう言って別れを告げた後、なると海野は並んで帰途につく。

 

「海野、ありがとう。あたしの我儘に付き合ってくれて」

「いえいえ。なるちゃんが作戦を考えてくれたおかげで、何事もなく終わりました。なるちゃんの笑顔に貢献できただけで、私は幸せでございます」

「これからあたし、胸を張って生きられる気がする。こんな自分でも、自分なりに出来ることがあるんだって」

「それは良かった。……で、今思ったんですけど、その前から付けてた宝石は何て言うんですか?とても綺麗ですが……」

 

 海野はそれとなく宝石を指さして言った。

 

「え、これ?これはねー……」

 

 少し頬を指で押さえて考えた後、なるはいたずらっぽく人差し指を唇に当てて笑う。

 

「ヒミツ!」

「な、なるちゃん!そりゃあ無いですよー!」

 

 彼女の頭上の夜空に、月光を遮る雲は一つたりともなかった。

 怪物が出る街にしては煌びやかな光の点の集合が、オレンジに光る東京タワーの元を壮大に彩っていた。



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狩猟生活への扉①

 所は、うさぎとハンターが話している丘に戻る。

 

「なるほど、お前たちの敵はいずれも訳ありだったっていうことか」

 

 ハンターは彼女のこれまでの経緯──時には相手を赦し、分かり合った戦いの記憶を聞き、納得した様子で頷いた。

 

「……で、お前はお互いに怪物と戦う理由を聞き合ってどうしたいんだ。ハンターにでもなるつもりか?」

「!」

 

 何で分かっちゃったの、と言わんばかりにうさぎは目を見張った。

 

「会ったなり思いつめた顔でいきなりあんな話を振って来たら、普通はそう思うだろ」

 

 呆れた表情のハンターが、眼下に広がる丘陵を俯瞰してしばらく経ってから、

 

「この際そろそろ言っておくべきかな」

「何を?」

「俺がお前たちを村に連れてきた理由さ」

 

 きょとんとしていたうさぎの表情の色が変わった。彼女たちはここに来てから1ヶ月近くは経っていたが、言語が不自由だったこともありこれまでしっかりと聞いたことはなかった。

 

「霧で災いを寄越してくるという魔女の話。お前たちもよく村の奴らから聞いただろう?」

「それ、あたしたちのことじゃないの?」

「いいや。全く違う。不自然な自然破壊やモンスターの凶暴化がお前たちがここに来てからも頻発しているんだ」

「えっ……」

「俺たちの知らないどこかで、何かが起ころうとしている。だが、その原因がどうにも掴めない。そんな中、お前たちと出会った」

 

 鋭さと穏やかさが共存した目線が、少女の目線とかち合った。

 

「瞳が合った瞬間、俺はこの少女たちは俺たちと何か根本的に違うところがあると、そう思った。……有体に言えば、希望の光に見えたのさ」

「つまり、私たちは見込まれたってこと?」

「少なくとも悪い奴には見えなかった。ランポス1匹殺すのだけでも泣き喚いてる奴が、村を滅ぼせるわけないだろう」

 

 そう言って笑う彼に対してどういう顔をすればいいか分からず、うさぎは座ったまま立てた膝の間に顔を埋めた。

 

「まあ、そういう事情があったってことだ。お前たちがハンターになって異変の解決に協力してくれるのなら、俺はいつでも歓迎する」

 

 巡回に戻るためにランタンを持ち、ハンターは立ち上がった。

 

「まあ無理強いはしないが、自分の意志に素直になれば良い。お前が護りたいと思ったもののために戦えばいいのさ」

 

 うさぎの脳裏に、衛とちびうさの顔が浮かんだ。続いて仲間たち、家族、友達、クラスメイト。

 そして、この村の人々の顔もそこに加わる。気難しい顔をした村長、いつも遊んでくれる女の子と母親、気さくに挨拶をしてくれる若い男……。彼らの身に、この熟練したハンターでさえも危機感を抱くような脅威が迫りつつある──

 

「うん、分かった。考えてみる」

 

 顔を上げたうさぎの顔は、既に『戦士』の表情になっていた。

 

────

 

 うさぎはその夜仲間たちの元に戻り、迷いつつもハンターとしての第一歩を踏み出すことを決意した。

 

 それをハンターに伝えた翌日から早速、ハンターになるための訓練が始まることになった。

 訓練初日、村はずれに作られた練習場に向かおうと、彼女たちは事前に支給された練習用の防具を着こんで、木に囲まれた道を歩いていた。

 防具は3人とも『レザーシリーズ』と呼ばれる安価なもので、黄色っぽい革製でぴっちりとした肌触りだった。何といってもその特徴は身軽さと扱いやすさであり、彼女たちはいつもの普段着とさほど変わりない感覚で歩くことができた。

 

「大丈夫なのうさぎ?あんた、また戦う時になってピーピー喚かないでしょうね?」

「もう、レイちゃんったら私を甘く見過ぎよ。流石に同じことは繰り返さないって!」

「あら、本当かしら?」

「むっ、そんなら今日堂々と見せつけてあげる!私の堂々とした立ち回り見といてよね!」

「ふーん、それは楽しみだこと」

「もう……昨日の言い争いがなかったことのようね」

 

 強がるうさぎをレイが煽るといういつもの光景が繰り広げられていることに、亜美は安堵と呆れ両方を含んだ苦笑を浮かべた。レイもいつもの調子で喋れるほど、うさぎのハンターになることに対する忌避感がましになってきているということだ。

 

 駄弁りながら到着した村はずれの広い直径20mほどの天然の広間で、ハンターは仁王立ちして待ち構えていた。周りには、見物に来た村人たちも集っている。

 うさぎたちが視界に入った村人の1人が他の人々に知らせると、一斉に歓迎を表す拍手や口笛が飛んできた。

 ハンターは手ぶりで彼女たちの入場を促し、うさぎたちはそれに従う。

 少女たちが村人に囲まれながら練習場の中心へ踏み込んでいく様子は、訓練というよりは一種の儀式のような光景だった。

 

「よし、時間通り来たな」

 

 ハンターが掌を出して歩いてきたうさぎたちにそこに留まるように指示すると、彼は後方に向かって顎をしゃくった。

 すると後ろから屈強な男たちが束になって、広場をまるごと横切るほど横に長い台車を引いてきた。台車の上には木製の箱のようなものが据え付けられており、手前が柵のようなもので覆われている。

 

「さあ、どれでも好きな武器を取れ。実際に振り回して、自分の身体に合うものを選ぶんだ」

 

 箱の両側に回った男たちが野太い声を上げて太い手綱を引っ張ると、滑車によって柵が上がり、その中から14つの巨大な鉄と骨の塊が姿を現わす。

 

「い、意外に大きいわね……?」

 

 レイが上げた第一声の通り、武器はいずれも巨大だった。中でも強烈なインパクトを残すのはハンター自身も背負っている『大剣』で、柄の先から刃の先まで彼女たちの身長の2倍以上はある。

 姿形も実に様々だった。

 長い槍と分厚い盾。槍に火砲のような機構が付いた銃剣。バグパイプのような形をした奇妙な武器。カブトムシのような生物が先にくっついた棍棒。巨大な大砲……。

 どれも、成人してすらいない少女が背負って扱うにはあまりにも大きく、猛々しく見えた。

 

「うわー、どれも強そう……」

 

 迫力に気圧されそうになるが、うさぎは仲間たちと一緒に武器を一つ一つ吟味していく。

 

「じゃあ一番軽そうなこれでっ!」

 

 真っ先にうさぎが手を伸ばしたのは、盾と小さな剣が一式になった『片手剣』と呼ばれる武器だ。『小さな』とは言ったが、柄も合わせるとその全長は1m近くはある。

 この包丁の刃の真ん中を窪ませたようなシンプルな片手剣は、この武器種の中でも『ハンターナイフ』と呼ばれる、基礎中の基礎の種類に当たる武器だった。

 

「それか。片手剣は初心者向けの武器と言われているから、賢明な選択だ。試しに左手で剣を持ってみろ」

 

 ハンターからの指示通り剣を左手に取った瞬間、彼女の腰ががくんっと下がった。

 

「お、重っ……」

 

(噓でしょ!?あたし、セーラースーツ忍ばせてるのにっ……!)

 

 実は、彼女たちはセーラー戦士に変身した状態で防具を着込んでいる。それは無論、ハンターとして活動するにおいて、普段の彼女たちでは到底戦うことは出来ないからだ。そもそもハンターになるという選択が出来たのも、彼女たちにセーラー戦士という手段があってのことだった。

 流石に村人の前に戦士の姿を見せるわけにはいかないので、防具の形状に合うよう完全な変身状態にはなっていないが、この状態でも戦士としてのパワーは十分に発揮できるはずだ。

 なのにそれでもかなりの重量を誇る片手剣に、うさぎは驚愕した。

 

「あらまあ。強がってた割には上手くいってないみたいね……なにこれ重っっ!!」

 

 レイは『太刀』を手に取ち、うさぎと同じ運命を辿った。太刀は大剣よりも細い日本刀風の両手剣で、黒髪ロングの大和撫子である彼女にはよく似合っていた。なおその凛とした風貌は、重さのあまりガニ股になって台無しになっているのだが。

 うさぎはレイのからかいを聞く暇もなく、ぐらつく左手で一生懸命片手剣を操ろうとしていた。

 

「な、何のこれしきっ……とりゃあっ!!」

 

 無理やり持ち上げ思い切りぶん回すと片手剣がするりと手から抜け、くるくるとブーメランのように飛んでレイの方向に直行する。

 

「ちょっとおおおおっっっ!!!!」

 

 片手剣はちょうど姿勢が下がっていたレイの頭上をすり抜け、後ろの木に真っ直ぐ刺さった。

 彼女は後方に光る刃を見ながら口をパクパクとしている。

 

「あんた何やってんのよ!危うく死にかけたじゃないっ!!」

 

「ご、ごめんレイちゃん!」

 

 うさぎは勢いよくパンっと両手を合わせ頭を下げたがレイの激昂は収まらなかった。

 

「ごめんじゃなーーい!冗談じゃないわよこんなの!」

「大丈夫なのかしらこれ……」

 

 ルナがため息をつく横で、亜美は猟銃に弓の機構がついたような武器『ライトボウガン』を手に取った。

 ライトボウガンは『軽弩』とも呼ばれ、遠距離から弾を撃って援護するサポート役の武器だ。様々な種類の弾丸を扱うことができ、使いようによってはモンスターを翻弄し、戦況を完全に支配することも可能。頭脳を駆使して戦略的に戦う彼女にはよく合いそうな武器だった。

 

「なるほど、これが通常弾、これが貫通弾、これが水冷弾……弾種も後で見ておかなくちゃ」

 

 亜美は元々置いてあった弾のポーチを探り、弾の種類を覚えていく。彼女が手にしているのはライトボウガンの中でも『ハンターライフル』と呼ばれるもので、これも初心者向けの武器だ。まだ使える弾の種類は少ないが、他にも麻痺弾、睡眠弾など便利な弾がある。

 

「流石は頭脳派。脳筋な人たちとはやることが違うわね~」

「「ルナ?」」

 

 うさぎとレイがルナを睨んだが、一方でハンターは概ね満足そうな顔をしていた。

 

「今の時点でそれだけ出来てりゃ、十分上出来だ。後は専門家である教官殿に任せることにしよう」

 

 初めて聞く言葉に、うさぎは首を傾げた。

 

「専門家?教官?」

 

 ハンターがおーい、と大声で呼び、それを受けて練習場にずかずかと入り込んできたのは、オレンジの額当てに肩と腹、太ももを露出した黒インナー、鉄と鱗で出来た鎧という奇妙な身なりをした女性であった。彼女の肉体はやや筋肉質で、顔にはハンターほどではないが多少の皺が刻まれている。およそ30から40代と言ったところだろう。

 

「ふむ、ハンター、こいつらが新入りか?えらくひょろひょろした外見だが、こんなのでハンター稼業が務まるのか?」

 

 彼女の声は野太くて低く、どことなくぞんざいさを感じさせる口調だった。

 

「大丈夫、あの森の中で数日生き抜いた強者だ。俺が保証する」

 

 まあ、お前がそう言うならいいが、と教官は鼻を鳴らす。

 彼女は一瞬の間を置いた後、かっと目を見開いた。

 

「良いか、お前ら!ここでは私がルールブックだ!ハンターになると言った以上、私の前では男も女も、大人も子どもも都会も田舎も関係ないっ!これからみぃーーっちり狩猟の技術を叩き込んでやるからな、覚悟しておけ!!」

 

 教官の喋り方は威圧的な口調でありながら、どこかしら得意げな感情が抜け切れていない。

 彼女のやけに芝居かかった立ち振る舞いからは、厳つい恰好の割にはおよそ、教官という肩書に見合うだけの威厳はあまり窺えなかった。

 

「いいか、お前らには3日後に森丘に出向いてアプトノスを狩ってもらう!それまでこの指南書を読み込み、己の武器を練習しておくように!!」

 

 教官は懐から取り出した本を唐突に3人にそれぞれ放り投げる。

 本の表紙には、『月刊 狩りに生きる~特集!全武器総合指南編~』とあった。

 

「えっ!教官が教えてくれるんじゃないんですか!?」

 

 思わず亜美が聞き返した。うさぎとレイも、今回だけは仲良く首を縦に振る。

 

「私は生ぬるいやり方は好まない主義でな!まずは習うより慣れよ、というわけだ!ぬはははは!」

 

 やけにやかましい高笑いを聞きながら、レイは露骨に嫌な顔をしてハンターの耳元に手を当てる。

 

「……大丈夫なんですかこの人?」

「歴代のハンターたちもこいつの元で育ってきた。実力は本物だ。……まぁ、やや教え方に少しばかり癖があるがな」

「少しばかりじゃない気がしますけど」

 

 教官はそんな嫌味を言われているとも知らず、少女たちの手元にある武器を指さす。

 

「まずはその武器の重さに慣れろっ!振り回せるようになれっ!細かい話はそれから!では、3日後にここで待ってるぞ!ぬはっはっはっはっは!!」

 

 それだけ言うと、教官は颯爽と練習場を後にしていった。

 

「やっぱあたしハンターなるのやめとこかな」

「うさぎちゃん!」

 

 後ろ姿を見送りながら真顔で呟いたうさぎに、亜美が突っ込んだ。

 

「ま、こうなった以上本当に自力で慣れるしかなさそうね」

 

 取り敢えず、うさぎたちはハンターの言葉を信じ、『狩りに生きる』を参考に武器の練習をすることとなった。

 3日後の目標は『アプトノス』。

 彼女たちが最初野宿した丘で見た、群れを成す草食竜だ。



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狩猟生活への扉②

「さあ、ひよっこども!これまでの鍛錬を生かし、その手にこんがり肉を手にするのだ。その材料となる生肉を1人最低3つは入手するように!!制限時間は日が暮れるまでだ!!」

 

 ココット村に最も近い狩場、森丘のベースキャンプに、胸を張って後ろで腕組みした教官の声が大きく響いた。

 

「良いか!相手が草食竜だからと気を抜くな。相手を可哀想などと思った次の瞬間、ぺちゃんこにされるぞ!」

 

 うさぎだけでなく、並んで話を聞いているレイと亜美の顔も緊張で固くなっていた。

 

「では、私は影から見守っている!獲物を狩った時にまた会おう!ぬははははは!!」

 

 高笑いした後、教官は草むらに飛び込んで消えていった。レイはまだ彼女の第一印象を引きずっているのか、未だ教官に対する視線は冷たかった。

 

「もう、ほんとに何でも『習うより慣れよ』ね、あの人」

 

「……ていうか」

 

 うさぎは足元へ視線をずらした。

 

「ルナ!なんであんたがここにいんのよ!」

 

 この狩りへの参加者は、3人だけではなかった。木でできた緑のヘルメットと茶色の鎧を着こんだルナが、当然のように腕組みをしてそこにいた。その手には骨で出来た粗末なピッケルが握られている。

 この装備は『オトモアイルー』と呼ばれる、かつて彼女自身も出会った言葉を喋る猫『アイルー』の中でもハンターをサポートする者が本来付けるものだ。

 

「なんでって、当然私がうさぎちゃんの御付きだからに決まってんでしょうが!初の狩猟でヘマしないか心配だから、武具屋さんに無理言ってこしらえてもらったのよ」

 

「まあ、よく似合ってるわよルナ」

 

 亜美が褒めると、ルナは得意げに胸を張った。

 

「ふふん、そうでしょ。これで私もお揃いってわけ。さあ、早く行くわよ!」

 

「はぁ~~、もう。そっちこそ変な真似しないでよ?」

 

 うさぎがルナの後を追いかけるように天然のトンネルをくぐり、亜美とレイもそれに続いた。

 出口に出ると、眼下に悠久の時を感じさせる大河、そして緑豊かな渓谷と大地が再び彼女たちの前に姿を見せた。しばし、彼女たちは景色に見とれて前に進むのを忘れていた。

 

「1ヶ月かそれ以上ぶりね、ここも」

 

 かつて来た道を振り返って懐かしんでいると、レイは眼下に何かを見つけた。

 

「……早速いたわ」

 

 大河よりも手前、つまりこちら側の岸に、あの平和的な草食竜『アプトノス』たちが、群れて地面に座り、憩っていた。

 

「牧歌的な風景ね」

 

 それを見る亜美の表情は柔らかい。

 だが、彼女たちはそれに、今から亀裂を入れなければならない。

 それも、綺麗に相手を灰にして消し去ってくれる魔法ではなく、その手にした刃物と銃によって。

 

「行くわよ」

 

 もう、ここから先、後には戻れない。そのことを確かめるようにレイが言い、うさぎと亜美は頷いて答えた。

 うさぎたちは、少しずつアプトノスたちに歩み寄っていく。

 アプトノスたちは、その様子を遠巻きにじっと見つめていた。

 

 うさぎがゆっくりと片手剣を柄から抜き、中腰になって剣を立てるようにして握りしめる。

 レイは太刀を右前方に突き出すようにして前を見て構える。

 亜美は銃床を腰に当てスコープを覗かない、いわゆる『腰だめ撃ち』の姿勢を取る。

 いずれも、それぞれの武器を構える際の基本姿勢だ。

 

「ブモォッ」

 

「ブオオッ……」

 

 アプトノスたちは異変に気付き、低い声で威嚇するように唸り始めた。彼らの危険察知能力は異常に鋭い。相手が自らを襲おうとするほんの兆候も見逃さず、たちまち仲間に知らせて逃げ出してしまう。仕留めてしまうなら今しかない。

 駆けだそうとした。だが、止まってしまう。

 ここまで来て、彼女たちは及び腰になっていた。自分たちがしようとすることを前にして、武器を持つ手が震え、脚が竦む。

 三人の間に、纏わりつくような重い空気が流れ始めた時だった。

 

「私があの一番手前の個体を狙う」

 

 亜美がその空気を断ち切った。

 

「逃げられないように足を撃つわ。2人は首を斬って仕留めて」

 

 既に彼女は弾を込め始めていた。冷静できっぱりとした口調に反して、わずかに手は震えていた。そんな自分自身に鞭うつような鋭い手つきで『通常弾』を装填する。

 

「今の私たちは戦士じゃない、狩人よ。それを肝に命じなくては駄目」

 

 彼女の姿勢は既に発射の準備に入ろうとしていた。

 

「……三人とも。戦士になりたての頃とは違って戦う力は十分にあるわ。後は、勇気を出すだけよ」

 

 ルナが静かに背中を押すように言った。

 何の変哲もない少女たちが魔法戦士となり成長していく過程を見届けてきた彼女の言葉は、誰よりも重かった。

 レイとうさぎは息を吐き出し、足並みを揃えた。

 

「はああああっっっっ!!」

 

 息を合わせ、同時に獲物へと駆けだす。

 後ろでパァン、と乾いた銃声が青空に鳴った。空気を裂く音が耳を通り過ぎ、次の瞬間には脚を撃ち抜かれたアプトノスが悲鳴を上げて倒れていた。

 平和な空気は一変し、混乱に陥った草食竜たちの叫びがこだまする。だが、気にしてはいられない。

 

「ごめんなさいっ!!」

 

 うさぎは、ハンターとして初めて、アプトノスに刃を振りかざした。

 鉄の刃が、首筋を捉える。掌に管や肉を切り裂く手触りが伝わる。思いのほか刃は深く食い込み、骨にコツンと当たった。

 傷口から鮮血が迸り、うさぎの頬に飛び散る。

 

「あっ……」

 

 うさぎの背中に寒気がぞわりと走る。そのせいで、刃を持つ手が途中で止まってしまった。

 アプトノスが抵抗して身を捩り、うさぎはそれにつられて倒れた。このままでは、この巨体に踏み潰される!

 

「きゃあっ!」

 

「危ない!!」

 

 レイの判断は早かった。すぐさまうさぎの反対側に回り、うさぎに当たらないよう傷口へ刀を真っ直ぐ振り下ろした。

 赤い噴水がもう一度。

 アプトノスは即死した。

 

「うさぎちゃん!」

 

 急いでルナと亜美が駆け寄り、レイと協力して呆然とした状態のうさぎを何とか立たせた。幸い怪我はなかった。

 

「うさぎちゃん、大丈夫?」

 

「……平気、よ」

 

 ルナから聞かれると、うさぎは絶命したアプトノスからぎゅっと目を瞑って背け、息を荒くしながら呟いた。 

 亜美はライトボウガンを抱えたまま、脱力してその場にへたり込んだ。

 

「うぬ、よくやった!都会から来たにしては手際が良い!血を見て吐きもせず、よく頑張った!!まぁ、スーパーベテランハンターの私に比べりゃまだまだだがな!」

 

 気づいた時には既に、四人のすぐ傍で教官が腕組みをして立っていた。

 

「さあ、獲物を狩ったらすぐに剥ぎ取りを行うのだ。そうしないと、すぐに微生物が分解してしまうか、臭いを嗅ぎつけて肉食モンスターがやってくるぞ!」

 

 残念ながら、今の彼女たちの心情を慮ってくれるほど教官は甘くはなかった。

 言葉に間違いはないようで、早くも頭の突起の先が腐りかけ、薄く黒ずみかけていた。

 

「……剝ぎ取りナイフってやつ、持っていないんですけどそっちが支給してくれるんじゃないんですか?」

 

「ぬうっ!?」

 

 レイが聞くと教官は素でびっくりした声を上げ、焦った表情で懐のポーチを探る。やがてぱっと表情を輝かせた彼女は3つの革に入った小型の(といっても掌以上のサイズを誇る)ナイフを取り出し、渡した。

 

「ぬ……ぬはは、そそ、そうだ、これが剥ぎ取りナイフだ!どうだ、都会の肉屋でもこんな代物は使わんだろう!?今日からこれらはお前らが自身をハンターとして証明する、一生を共にするものだ!大切にするといいっ!!」

 

 沈黙の中、レイの厳しい視線が教官に刺さった。急いで教官は必死の表情でぶんぶんと音がするくらいに首を横に振る。

 

「忘れてないから!忘れてはないからな!?」

 

「……はぁ、もういいです。で?剥ぎ取りどうすればいいんですか?」

 

 レイがあきれ顔で聞くと、教官はにかっと笑って、膝をぱんっと景気のよい音を出して叩いた。

 

「よぉく聞いてくれたっ!良いか、まずは喉の頸動脈を切って血を抜く。お前ら、よく見ていろよ!」

 

 張り切った様子で教官は自分が言った通りのことをした。どくどくと赤い濁流が地面に広がる。

 再びショッキングな光景に三人は青ざめて顔をしかめるが、戦士の意地なのか、そこから決して目を離すことはなかった。

 うさぎがふらつきそうになり亜美とレイが支えようとするが、彼女は首を振ってそれを拒否した。

 

「おい、金髪!!お前、こんぐらいの肉を丸ごと焼いたことあるか?」

 

 口を押えていたうさぎは突如話を振られた。教官は自分の肩幅よりも広く両手で空間を仕切り、架空の肉の大きさを見せた。

 

「そ、そんな大きいのはないですけど……」 

 

 それを聞くと教官は不敵な笑みを浮かべた。

 

「いいぞお、自分で狩った獲物の肉をかっ喰らうのは。この肉の旨さを知ったら都会になんぞ戻れなくなる」

 

 教官は、アプトノスの腿にナイフを突き立て、引く。皮を丁寧に剥すと、牛の霜降りに近いような綺麗な肉が姿を現わした。

 

「質のいい生肉を取るにはモモがオススメだ。何と言っても私の好物はミディアムで焼いたモモステーキでな、噛み締める度に溢れ出る肉汁が絶品なのだこれが……!」

 

 教官は口元からじゅるりと音を立てると、尻尾を持ってそちらを持ち上げ、脚の方の血も余すことなく流しきる。

 彼女の口調はあくまで明るい。まるでこれがいつもの日常的な行為であると言わんばかりだった。

 

「お前らにも後で実際に肉を焼いてもらう!ま、どうせ最初は初心者ハンターにお決まりのパターンで、生焼けにするか黒っこげにするだろうがな!ぬははははは!」

 

 ちょくちょく関係のない雑談を交えてご機嫌に笑う教官の顔を見て、さっきまで青かったうさぎの顔に少しだけ血色が戻ってきていた。

 

「さあ、次からはお前らがやってみろ!これはお前らの獲物なのだからな!」

 

 意を決して、三人は剥ぎ取りナイフを手に取った。

 その後、彼女たちは教官から肉の剥ぎ取り方について目の前で伝授してもらい、実践した。手つきは恐々としてぎこちなかったが、赤い景色と血の臭い、そしてさっきまで生きていた肉を切る手触りに何とか耐えてやり切った。

 数十分後、肉を剥ぎ終えた時には彼女たちの顔は汗で真っ赤になっていた。その時点で死体はかなり腐ってしまったが、教官によればきちんと慣れればものの数分で剥ぎ終えることが出来ると言う。

 

ーーーー

 

 その後も何頭かアプトノスを狩り最低量の生肉を確保した後、彼女たちはキャンプに帰った。

 初めての狩りで野原を駆けまわったせいで、彼女たちの体力は身体的・精神的に共に限界に近い。

 もう日は暮れかけていて、オレンジ色の夕陽が眩しかった。

 キャンプの前には既に教官が控えていて、その前に三人分、バーナーが付けられた台座に支柱が二本、そしてハンドルが据え付けられた奇妙な機械が置いてあった。

 

「さあ、座れ!肉焼きを始めるぞ!」

 

 ここにいる中で誰よりもウキウキした表情をしているのは教官だった。この行為は何回も経験しているはずなのにも関わらず。

 子どものような無邪気っぷりを見て四人は思わず苦笑しあい、席についた。

 

「取ってきた生肉をこの支柱に置け!そしてハンドルを回す。超簡単だ!」

 

 言われた通りに肩幅より大きい、1本の骨に肉の塊を突き刺したような、いわゆる『マンガ肉』の形にした生肉を置き、ハンドルを回す。火力はかなり強いらしく、なんと数分もしないうちにいい匂いが辺りに立ち込めてきた。

 

「それそれ、焼き目が付いてきたぞ。ここで『肉焼き歌』を……」

 

 聞きなれない単語に、うさぎが首を傾げる。

 

「肉焼き歌?」

 

「いい焼き加減を計るため、ハンターならだれでも知ってる歌だ。それいくぞ。チャンチャチャン、チャチャチャチャンチャチャン、チャカチャ……」

 

 急いで三人も一緒に小声で合わせて口ずさみ、ルナも唾を呑み込んで首を振った。

 

「チャカチャン、チャカチャン、チャカチャン、チャカチャン、チャカ・チャカ・チャン!」

 

 教官は歌い終わってから2拍ほど置いて勢いよく生肉を振り上げ、彼女たちもそれに続く。

 

「上手に、焼けました~~!!」

 

 油を弾けさせ、火を受けて金色に輝く、肉!ジューシーな味わいが魅力の『こんがり肉』の完成だ。

 

「きゃああああああ!美味しそう~~!!」

 

 街中でイケメンを見かけたくらいの勢いで、彼女たちは黄色い声を上げる。食欲が、その他一切すべての感情を上回った瞬間である。

 

「さあ、がぶりつけ!!」

 

 真っ先にうさぎが恥じらいもなくかじりつく。途端に、肉汁がてらてらと光って溢れ出した。

 

「お、おいひ~~~~!!!!」

 

 うさぎは肉を頬張ってキラキラさせた。カロリーなど気にする暇もない。今日の彼女たちは動き回って死にそうなほど腹ペコだったのだから。

 流石に亜美辺りは何とか口元を手で隠すくらいのことはしていたが、それでも湧き出る食欲を我慢することは出来なかった。

 

「自分で狩った獲物の肉は美味い!!これがハンターの醍醐味だ!!」

 

「あ……」

 

 うさぎが思い出したように、骨を持つ自分の泥と血で汚れた手を見る。近くの川で散々手は洗ったのだが、今日だけでは中々取れなかった。

 そう、今口にしているのは、他でもなく他の命を奪って得た肉だ。この事実は、何をやっても拭うことはできない。

 

「その感覚を忘れるな」

 

「……」

 

 火が、キャンプの中をくまなく照らしていた。テントの中も、雑草も、それに止まる虫も、異世界から来た戦士も、教官も、肉も、余すことなく、等しく。

 

「己の血肉が他の血肉によって成り立っていることを理解しろ。己が、他者の助けを借りねば一日とて生きられぬ儚き命と知れ。それが、ハンターにとって大切なことだ。これを忘れたハンターは、ただの殺戮者になる」

 

 いつもの彼女からは信じられないくらい、今の教官の顔は『教官』然としていた。

 

「人もモンスターも、同じ大自然の環を形作り紡ぐ者たちだ。それを決して忘れるなよ!」

 

「……はい!」

 

 この時だけは、三人の返事が同時に揃っていた。

 それを確認すると、不意に教官はにやりと笑って手を後ろに回した。

 

「さあ、今日はお前らの大きな船出を祝って乾杯だぁ~~!」

 

 教官が出してきたのは、溢れんばかりの泡が載った木製のジョッキ。亜美はそれを見て仰天して目をぱちくりさせた。

 

「きょ、教官、私たちまだ未成年……」

 

「未成年だとぉ~~!?そんな概念、ここにはなーーい!!」

 

「ア、アルハラーー!!」

 

 結局その後はしばらく食事どころでなくなってしまったが、何もかもが新しかったこの日は、彼女たちにとって忘れられない夜になったのは間違いなかった。



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狩猟生活への扉③

 アプトノスを狩ってから、彼女たちは村民からの様々な依頼をこなしていった。

 

 ハンターの生活は、基本的には同じことの繰り返しだ。

 まず、張り紙を見て実力に見合うクエストを契約金を払って受け、準備をしてから狩場に荷車で向かう。そこでモンスターを狩って素材を剥ぎ取ったら村に帰り、元締め役の組織であるハンターズギルドから報酬金と素材を貰う。こうやってハンターは生計を立てていくのである。

 当然、ハンターは金を貯めるだけで終わらない。更に強者に挑もうとする者は、入手した素材を加工屋に持っていき、新たな装備の作成やより強力な装備への強化などにつぎ込むのだ。

 

 そして、今日も彼女たちは狩猟依頼を受け、森丘に来ている。ただその一方、狩猟に参加していない者が1人──いや、1匹いた。

 

「うんしょ、うんしょ……」

 

 ルナは見晴らしのいい渓谷の断崖絶壁の上でただ1人、目の前の岩の割れ目にピッケルを何度も振りかざしていた。トンビの鳴き声と風の唸りだけが聞こえる高所で、カツン、カツンと金属と岩石がぶつかる音だけがこだまする。

 何度か頑張るうち、鈍い音を立てて白く濁った石が零れ落ちた。

 

「えーと、これは『大地の結晶』……」

 

 石を袋に投げ入れ、もう一度ピッケルを振るうと、今度は小気味のいい音を立てて蒼く光る鉱石『マカライト鉱石』が姿を現わした。

 

「やった!これで武器の強化が出来そうね!」

 

 マカライト鉱石は、武具の作成や強化に広く使う、固く良質な石だ。

 そう言ってふんふんと鼻歌を歌いながら袋にそれを入れようと振り向いた瞬間、彼女の肩や腰に強烈な電撃が走る。

 

「あだーーーっ!!」

 

 ひどい筋肉痛に、ルナはあちこちをのたうち回った。数時間も屈んでキノコや薬草を摘み取り、固い岩にピッケルを振り下ろしていた彼女の身体にそのツケが回ったのである。

 しばらくその場を転げまわっていたルナだが、何とか回復し一息ついた。

 

「はぁ~、もうやだ。いくら私が戦闘向きでないからって、採取ばかり押し付けないでよね!こっちだって一応ハンターなのに!」

 

 ハンターの仕事はモンスターを狩るだけではない。現地の鉱石や植物を一定数納品する『採取』も、重要な仕事内容の一つだ。入手した品は依頼人との取引に使うだけでなく、防具や武器に使われる場合も多い。ルナはいわば、三人が本来やるべき仕事の一端をその身一つに担わされているのだ。

 

 その時、森に甲高い獣の鳴き声が響く。ルナははっとして後方の何処までも続く森の奥へ振り向いた。

 

「うさぎちゃん、あたしたちが村のみんなを護るんだーなんて張り切ってたけど大丈夫かしら……」

 

 今日、ルナと別行動を取っている彼女たちが森の中で狩っているのは『ドスランポス』。そう、以前に戦士の力によって倒した、群れを率いる青きモンスターの別個体だ。今回は、彼が新たにやって来たお陰で商人の通行の邪魔になっているから退治してほしいとの依頼内容だった。

 そのモンスターには、うさぎたちはセーラー戦士としてある種の因縁がある。戦いとしては2回目だが、狩人として戦うのは初めてだった。

 

────

 

「せやあっ!」

「ギヤアアアアッッッ」

 

 うさぎたちのドスランポスとの接敵から、数時間が経っていた。

 レイの『鉄刀』から繰り出される突きが、ドスランポスの胸に直撃する。そこから更に斬り上げへと繋げ、胸から肩にかけての表皮を一直線に斬る。

 

「良い調子よ!今から相手を麻痺させるわ!」

 

「お願い、亜美ちゃん!」

 

 亜美が『ハンターライフル』を構え、『マヒダケ』というキノコの毒が塗られた『麻痺弾』を銃口から放つ。それが三回ドスランポスを穿つと、突如彼の身体がビクンッと痙攣し、痺れて震えはじめる。これが相手の行動を一時的に封じる麻痺状態、ここからは完全にこちらのターンだ。

 

「ナイス、亜美ちゃん!うさぎ、一緒に畳みかけるわよ!」

 

「う、うん!」

 

 うさぎはやや尻込みしながらも、思い切ってドスランポスに斬り込んでいく。

 その後の数秒間の攻勢は、正に血の舞であった。うさぎの片手剣が浅い傷を作り、そこをレイが大きく広げていく。

 都合の良いことに、相手は取り巻きとなるランポスを引き連れていなかった。以前、彼らを根こそぎ排除したからだろう。余計な邪魔が入らない分、遥かに難易度は低い。

 やっと麻痺が解けた時、彼は切り傷だらけでかなり弱った状態だった。ドスランポスはふらつきながら逃走を図る。

 

「逃さないわっ!」

 

 レイが駆け寄りながら太刀を振りかざし、脚の裏側を薙ぐ。腱が切れ、ドスランポスはその場に屈み込むように崩れ落ちた。

 うさぎが即座に獲物の前側に回り込み、『ハンターナイフ』を構える。激しい戦闘で血が錆びついて切れ味は消耗していたが、その威力は相手の皮を切裂くには十分だ。

 

「っ……」

 

 弱り切って閉じかけられた獲物の眼を前にうさぎの剣の動きが鈍りかけたが、その思いを断ち切るように思いっきり踏み込み、斬る。

 

「ギャッ」

 

 喉笛を掻っ切られたドスランポスは、泡を吹いてその場に倒れ伏した。

 うさぎが盾を構え、レイと亜美は隣合って武器を構えたまま様子を見る。

 しばらく経っても、彼は起き上がることはなかった。

 

「……狩猟、成功!」

 

 レイは亜美、うさぎとハイタッチすると拳銃のようなものを空に向け、引き金を引いた。すると赤い煙が花火のように打ちあがる。クエスト完了を報告する狼煙だ。

 すると、木陰から老ハンターがどこからともなく姿を現わした。

 

「おめでとう。よく頑張ったな」

 

 彼は、今回の狩りのお目付け役だった。初心者である彼女たちが危なくなった時のためである。

 

「すごいでしょー、もっと褒めてくれていいのよ?」

 

 うさぎは表情を明るくして得意げに胸を張った。自身の肩よりも身長の低い彼女を、ハンターは笑いながら見下ろした。その様子はまるで孫を見守る祖父のようだ。 

 

「正直、初心者ハンターとしては快進撃だ。流石は元戦士、と言ったところかな」

 

「だって、私たちには元の街のみんなとここの村のみんなを護る『使命』があるんだもの!あの子たちには申し訳ないけれど……ハンターになったならしょうがないわ」

 

 うさぎの表情は、言葉の最後だけ悲しそうな色を帯びていた。

 その後ろで、事切れたドスランポスの遺骸が、苦しげに口を開けたまま横たわっていた。

 

「そうでしょう、亜美ちゃん、レイちゃん?」

 

 ドスランポスに目が行っていた二人が目線を戻し、頷いた。

 老ハンターは、そのやり取りを見て複雑な表情を浮かべたが、彼女たちはそれに気づくことは無かった。

 

「『使命』か……お前たちらしいな。さあ、剥ぎ取りを終えたらすぐにキャンプに戻るぞ」

 

「はい!」

 

────

 

 剥ぎ取りを終えて南にあるベースキャンプへと帰還途中、彼女たちは右手に高台がある見晴らしのよい高所に差し掛かった。ハンターの間では『エリア2』と呼ばれる場所だ。

 普通なら肉食竜ランポスか、その獲物となるアプトノスが居座っている。だが、今日は違った。

 海老を思わせる鎧のような甲殻を付け、巨大な鋏を持ったダンゴムシのような小型モンスターが5匹ほどうろついている。

 

「あ、クンチュウだ」

 

 うさぎが物珍しそうに言うと、後ろに付いていたレイが眉を顰める。

 

「やぁねえ、いつ見ても気持ち悪い……」

 

 クンチュウは(特にひっくり返って裏返しになった時の)見た目と、刃も銃弾も寄せ付けない甲殻の硬さから、多くのハンターに厄介がられるモンスターである。

 肉食のモンスターに比べればさほど脅威ではないが、相手にすると中々厄介な相手だ。彼女たちがそのまま群れからそれて素通りしようとした瞬間、先行する老ハンターの制止する手が伸びた。

 

「待て」

 

「どしたのじっちゃん?」

 

「飛竜か……それとも鳥竜か……」

 

 うさぎたちがきょとんとしている前で、老ハンターは静かに呟いていた。

 何者かが風を切る音が遠くから近づく。彼はそれを察知したのだ。

 

「キョアアッッッ」

 

 上空から、甲高い鳴き声が響いてくる。

 

「この鳴き声……イャンクックだ!」

 

 慌てふためき始めるクンチュウたちの前に、全長9mほどの巨体が舞い降りた。

 

 大怪鳥『イャンクック』。

 彼女たちも、絵と名前だけは聞いたことがあった。

 彼らは、竜のような翼と桃色の鱗を持ちながら巨大な扇状の耳と鳥のような嘴を有する。性格は臆病で大人しいが、一度怒らせれば火球を吐かれ固い嘴で突っつかれることになる。決してモンスターたちの中で強い部類ではないが、駆け出しハンターにとっては十分すぎるほど危険な相手だ。

 

「あれが……やっぱり、直で見るとスゴイ迫力だわ」

 

 亜美は感嘆するが、これでも以前彼女たちが対峙した赤き竜『リオレウス』よりは小さい。この世界の生物のスケールの違いがよく分かった瞬間だった。

 着地したイャンクックは、グワガガ、と喉を鳴らし、逃げようとするクンチュウたちの前を、逃さないぞ、とでも言うように通せんぼして小さく飛び跳ねる。

 その大きさに見合わない小鳥が戯れるが如き光景を、うさぎたちは木に隠れて観察していた。

 

「あれ、なんか意外に可愛いかも?」

 

「どこがあ?あの感情のない目なんか、怖すぎて見れたもんじゃないわ!」

 

「怒ったレイちゃんよりはましー」

 

「はぁ!?もう一度言ってみなさいこのあほうさ……」

 

「静かにしろ!」

 

 老ハンターがうさぎとレイに一喝する一方、逃げ場を失ったクンチュウは身体を丸め、防御を固める。この状態ではいかなる攻撃も寄せ付けない……はずだった。

 イャンクックはすかさずクンチュウを丸ごと咥え込み、目を薄めて味わうように嚥下する。こうなってはクンチュウの自慢の甲殻も意味をなさない。

 その様子は顔に表情筋がないのに何とも満足で幸せそうな動きであり、いつの間にかそれを見るレイの表情も緩んでいた。

 

「……なんか見た目とそぐわないわね」

 

「ほら、あたしの言う通りでしょ!」

 

 一方、亜美はハンターがイャンクックを観察しながら手元の手帳にペンを走らせていることに気づいた。

 

「ハンターさん、何してるんですか?」

 

「あのモンスターの状態を記録してるのさ。あれが村に危害を加えるような状態にないか、見かける度こうしてチェックしてギルドに報告しているんだ」

 

 彼はチェックリストを埋めていき、最後に『異常なし』と付け加える。

 

「村に危害を及ぼさなければ、必要以上に狩ることはないってことさ」

 

「……良かった。あの子を狩らなくてよくって」

 

 話を聞いていたうさぎは、安堵したように微笑む。

 

「今は狩らないが、もっと修練を積んだ上で奴らの数が狩るべき数まで多くなったら、お前たちにもいずれ相手をしてもらうぞ。イャンクックは、多くのハンターにとって登竜門のような存在だからな」

 

「……うん、わかった。仕方ないものね」

 

 念を押されたうさぎは、少し落ち込んだように、俯いて頷いた。

 

「さあ、奴さんが食事に夢中の間に通るぞ。ルナも今頃キャンプでミャーミャー言って帰りを待ってるだろうからな」

 

 老ハンターが立ち上がり、うさぎたちはそれに続いてイャンクックから離れた所を通って南下していった。

 彼らが去った後も、イャンクックは脇目も振らず最後のクンチュウを呑み込み終わり、まだ他に食い物はないかとしゃくれた嘴で土をショベルのように掘り返していた。

 

 そこに、複数の視線が彼の後ろを走り──迫っていった。

 



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霧の先に出会うもの①

「さて、この辺りのはずだ……」

 

 公園にて、衛は自身の懐中時計を奪った毒怪鳥を追っていた。

 連続する怪物出現のせいで立ち入り禁止区域のテープが張られていたが、当然のように無視する。

 進むうちに、早速足元から霧が這い出てきた。向こうの世界に繋がる合図に違いない。

 

「待ってろよ、うさこ」

「衛さん、いえ、キング・エンディミオン。どこに行かれるおつもりですか?」

 

 更に奥へと足を踏み入れようとした彼の顔に、不意に影が落ちる。

 この気品ある声に衛は聞き覚えがあった。

 彼は薔薇を取り出し、タキシード仮面へと姿を変える。

 見上げると、樹の上に2人の影が居座っていた。

 

「やはり、君たちか。はるか君、みちる君……いや、この場合、セーラーウラヌスとセーラーネプチューン、か?」

 

 雲が晴れ、月が彼女たちの顔を横からはっきりと照らし出す。

 ざわざわと唸る葉が、三人の間の緊張に満ちた静寂を埋める。

 

「覚えて下さって、光栄ですわ」

「キング。今回、我々は貴方を諫めに馳せ参じました」

 

 ネプチューンが、深海色のウェーブヘアーを風に波立たせながらにこりと笑った。

 ウラヌスもショートボブの金髪を揺らし、枝の上に立っていた。

 ウラヌスの表情は厳しく歪んでいる。口調は丁寧だったが、どこかこちらに有無を言わせぬ威圧感を感じさせた。男性寄りの精悍な顔立ちからか、余計にその印象が強い。

 

「ほう、君たちはプルートと共にあちらの世界について調査していたのではなかったのか?」

「それには相違ありませんわ。ただ、貴方様の行動もそれとなく見させていただいておりましたの」

「流石は外部太陽系戦士、このくらいのことはお見通しというわけか」

 

 王国を護る戦士として高い能力を与えられ、強い使命感を持つウラヌスとネプチューン。将来この地を治める王となる人物の動向を、彼女たちが知らないはずがなかった。

 彼女たちの間で、互いに視線が交わされる。

 

「キング、未来のプリンセス、セーラームーンとその仲間たちを取り戻したい心情は我々も同じです。ですが……」

「危険な行為であることは分かっている。だが、もうこれ以上私がここに留まっているわけにはいかない。誰が何を言おうとも、この足を止めるつもりはない」

 

 タキシード仮面の覚悟のこもった言葉に、もう話し合いは無駄だとあきらめるようにウラヌスは首を振った。

 

「ならば仕方ない。この手で直接、貴方をお止めするのみだ」

 

 ウラヌスとネプチューンの足が樹から離れる。

 タキシード仮面に、ウラヌスの手刀が迷いなく一直線に振りかざされた。

 

「キング、どうかご容赦願います!」

 

 彼は身体を反らしウラヌスの鋭い一撃を間一髪で交わしたが、もし当たっていれば一発で気絶は免れなかっただろう。

 だが、その隙を付くようにネプチューンの膝蹴りが、みぞおちを目掛けて迫って来る。

 

「ぐっ……」

 

 辛うじてステッキで防御するが、連撃は止まない。

 相手は身体格闘、魔法攻撃共に高い練度を誇り、抜群のコンビネーションで敵を殲滅してきた歴戦の戦士たち。それを抜いても2対1という戦況は、お世辞にもこちら側に有利とは言い難い。

 どうしても防御一辺倒を強いられるタキシード仮面。

 何とか反撃しようと彼が伸ばしたステッキを、ネプチューンが軽やかに身を翻して避け、その回転の勢いで裏拳を叩きつけた。

 それは顔面に直撃するかと思われたが、実際はタキシード仮面の眼前の空気をなびかせるのみで終わる──

 だが、それは目くらましだ。

 続いてのウラヌスによる本命の蹴り上げによって、ステッキが空高く打ち上げられた。

 

「しまった!」

 

 ステッキは円を描き、ウラヌスたちの背後に落ちる。

 もう戦いの決着は着いたとばかりに、2人はタキシード仮面に真っ直ぐ向かい直した。

 タキシード仮面の荒くなった息づかいだけが、木々の間に響いていた。

 進み出たネプチューンは不意にぴた、と動きを止めた。

 足元の霧の色が、次第に黒紫の怪しげな色に置き換わりつつあったのである。

 気づいた時には、腰ほどにまで紫の霧が達しようとしていた。

 

「ネプチューン!」

「ええ!」

 

 呼び合ったウラヌスとネプチューンは、一転して彼を護るように戦闘態勢を取る。

 

「なんだ、これは!?」

「キング!早く退いてください!何かが来ます!」

 

 ウラヌスの忠告は、早くも現実のものとなった。

 紫の霧の奥から紅い目がいくつも覗く。

 赤い顔と肌、花のような冠、緑色の羽毛。南米の熱帯林を思わせる色鮮やかな恐竜たちがわらわらと走り寄って来る。

 彼らはたちまち戦士たちを綺麗な円陣で取り囲むと、天を仰ぎ見てホーゥ、ホゥホゥホゥホゥ、と互いを呼び合うように甲高く鳴いた。

 

「来たわね、異世界の怪物たちが!」

 

 ネプチューンが叫ぶと、彼らはなんとカンガルーのようにその扁平に膨らんだ尻尾で全身を支え、自身を空中に持ち上げて嘶いた。少しでも自分を大きく見せて威嚇しているのだろうか。

 陣形に隙間はほぼ無い。恐竜たちは、タキシード仮面も含め、ここにいる全員を逃がしたくないようだ。

 

「キュエアアアッ」

 

 最前線にいる恐竜たちは、尻尾をばねのようにして飛び跳ねながら中段蹴りを浴びせてくる。休みなく蹴りを繰り出してくるその様は、ムエタイ(タイ式キックボクシング)にも似ている。

 

「お前たちがそのつもりなら、これでどうだ!」

 

 ウラヌスが彼らからの攻撃を難なくかわすと、今度はそのうちの一頭に強烈な中段蹴りをお見舞いする。恐竜は樹に強烈に叩きつけられ、一発でダウンする。

 

「とうっ!」

 

 ネプチューンが腕に嚙みつこうとした恐竜に肘鉄を叩きつけると、相手は遥か彼方にすっ飛んでいった。

 打つ、蹴る、回る、投げる……。

 彼女たちの肢体が生み出す曲線全てが、無駄なく恐竜たちを捉えていく。

 場は瞬く間に阿鼻叫喚の図に置き換わり、20頭以上はいた群れはたちまち壊滅の一途を辿っていく。

 

「さあ、次に来るのはどいつだ!」

 

 たった数分間の戦いの末、最後に立っていたのはウラヌスとネプチューンのみだった。

 ウラヌスの呼びかけに答える者はいない。

 汗一つかかぬ凛とした2人の佇まいと、足元に散らばる恐竜たちの姿が対照的だった。

 もはや勝負はついたと誰もが思えただろう。

 だが、現実はそうはならなかった。

 まるでこの状況に呼応するように、紫の霧が一斉に吹きだす。

 

「……これは……!」 

「邪悪なエナジー!やはり、そうだったのね!」

 

 ウラヌスたちは、周りを見渡しながら何かを悟っていたが、タキシード仮面はそれについて何も知る由もない。ただひたすらにこの状況に疑問と苛立ちを募らせるばかりだった。

 

「さっきから君たちは何を言って」

 

 言葉は最後まで続かなかった。突如タキシード仮面が胸を押さえ、咳き込み始める。ウラヌスたちも例外ではない。彼女たちも口元を押さえ、その場に崩れ落ちた。紫の霧が原因であることは明白だ。

 変化はそれだけでなかった。さっきまで倒れていた恐竜たちがゆっくりと身体をもたげ始めた。

 ただでさえ紅かった瞳は、今は爛々と光って嘲笑するようにこちらを向きつつある。ゾンビ映画さながらに不気味な光景だ。

 

「くそっ……」

 

 タキシード仮面が目を閉じかけた瞬間、何かが風を切る音が聞こえた。

 

「ピンク・シュガー・ハートアタック!!」

 

 上空からピンク色の光線が円陣の中に降り注ぎ、一挙に霧を晴らし恐竜たちを遠ざけた。

 見上げた先に、光線に遅れてこちらに落ちてくるピンク色のツインテールの少女の姿があった。

 

「セーラーちびムーン!」

 

 この少女の登場に、先ほど別れの挨拶をしたはずのタキシード仮面は勿論、流石のウラヌスたちも驚きの表情を隠せなかった。

 

「やっぱり2人とも、タキシード仮面を邪魔しにきてたのね!心配して来て良かったわ」

 

 着地した後、すっくと立ちあがったちびムーンは、恐れて遠巻きに威嚇する恐竜たちに目も暮れずタキシード仮面に振り向いた。

 

「さあ早く行って、タキシード仮面!セーラームーンを救いに行くんでしょう!?」

 

 ちびムーンが、恐竜たちの真ん前に壁のように立ちはだかって叫んだ。

 既に、霧が再び円陣の中に立ち込め始めている。早くしなければ再び身動きが取れなくなるだろう。

 その言葉に背中を押されるように、タキシード仮面は覚悟を決めた顔で頷き、霧の濃い方へと走り去っていった。

 

「キング、お待ちを!」

 

 追いかけるため駆けだそうとしたウラヌスとネプチューンの前に、ちびムーンが手を広げて立つ。

 2人と睨み合った彼女の頭上から長い溜息が聞こえた。

 

「全く、正義の戦士ごっこをいつまでも見てるのは退屈なもんねぇ、今日はもう定時で帰るって決めてるんだけど?」

 

 正に残業疲れのOLの如く、気だるさと苛立ちが入り混じった大人の女性の声だ。

 

「やっぱ小さい奴らは役に立たないわね。『ドスマッカォ』ちゃん、さっさとその小娘をあっちにぶっこんであげちゃって!後の2人は厄介だから後回しでいいわよ」

 

 闇が濁流の如く広がった。今度こそ、戦士たちは完全に行動を封じられる。

 

「そ、その声は、まさか……!ありえない……!」

 

 ちびムーンの動揺をかき消すように、「ギャオオオオオッッッ!!」と野太い鳴き声が響いてきた。

 姿を現わしたのは、恐竜たちより更に大きく、子分たちより鮮やかなオレンジ色の頭に立派な羽根飾りのような羽根を生やした怪物だった。これが先ほどの女性が言っていた『ドスマッカォ』であろう。 

 彼は子分と同じく尻尾だけで立って飛び跳ね、ちびムーンの前に躍り出る。

 ばねのようにそれをぐっと縮ませて一鳴きすると、その尻尾に溜めた力を解放。その反動でこちらに向かって一直線に飛び込んできた。

 ちびムーンが震える手に持ったロッドで必殺技を放とうとするが、その圧倒的瞬発力の前には無駄なあがきだった。

 彼女は蹴っ飛ばされ、一瞬にして霧の向こうに消える。

 

「ちびムーンっ!!」

 

 悲鳴にも近い叫びをあげるウラヌスたちの前で、勝鬨を上げるようにドスマッカォが首をもたげて咆哮すると、彼らも次々に霧の中に飛び込んでいった。ウラヌスたちは、それをただ屈辱に満ちた表情で見送るしかない。

 霧が次第に晴れていく。

 いつもの、平和な公園の光景が広がっていた。

 あの謎の女性も、ドスマッカォたちも、跡形もなく消え去っていた。



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霧の先に出会うもの②

ジュピターたち再登場。


 うさぎたちがイャンクックを発見したその夜、霧が立ち込める森奥に、少女2人と1頭の白猫が現れる。

 

「どうやら来たようだな」

 

 そう呟いた白猫、アルテミスの鼻先がひくりと震える。

 辺りは暗闇に沈み、聞いたことのない鳥のさえずりだけがここに生命があることを知らせている。

 セーラージュピターは途方が暮れたように方角も分からない森の中を見回す。

 

「……て言ってもこれじゃあ、恐竜の足跡を見つけるのにも難儀するよ?」

「ふふーん、こういう時こそぴったりな諺があるじゃない!『家宝は猫と松ぼっくり』って!」

 

 セーラーヴィーナス、その正体である愛野美奈子お得意の頓珍漢な諺に、アルテミスはがくりと頭を下げた。

 

「それは『果報は寝て待て』だろ。大体そんな都合よく恐竜が姿を見せに来てくれるわけ……」

「ギャアッ」

 

 鳴き声とともに、アルテミスの横で紅い目が狡猾そうに光った。

 

「きたーーーーー!!」

 

 三者は悲鳴を上げ、後ずさる。

 嘶きと共に、緑の鱗に赤い頭の生物が5頭ほど躍り出た。彼らは『マッカォ』とこの世界で呼ばれている。

 ジュピターもヴィーナスも空拳の構えを取り、即座に戦闘態勢に入る。

 

「早速来やがったな、恐竜ども!」

「あたしたちを倒そうたって、そう簡単に行くもんですか!」

 

 彼らの目は不気味なほど真っ赤に染まり、口元から紫の吐息を滲ませ、獲物を今にも引き裂かん勢いで唸っている。

 ジュピターがふと違和感に気づき、じっとマッカォたちを覗き込んだ。

 

「……あれ、なんか追ってた奴と違わなくないか?」

「ホントだー、イメチェンでもしたのかしら?」

「2人とも!そんなこと気にしてる場合じゃないよ!」

 

 ヴィーナスが呑気に呟いたが、お構いなくマッカォたちは一斉に飛び掛かってきた。アルテミスが間一髪で1頭の尻尾の一閃をしゃがんでかわした。

 それに、ヴィーナスはグッドサインで答えた。

 

「オーケィ!!それじゃあフルスロットルで行くわよ!」

 

 かけ声と同時に彼女の周りを光の鎖が取り囲み、彼女が恐竜を指さすと同時に鎖がその方向に真っ直ぐ伸びていく。

 

「ヴィーナス・ラブミー・チェーン!!」

 

 飛び掛かろうとしたマッカォを、光の鎖がひっ捕らえる。

 

「レディーへのマナーがなってない悪いコちゃんには──愛の女神ことセーラーヴィーナスが、この手でお仕置きさせて頂きますっ!」

 

 マッカォはその仲間たちをなぎ倒しながら終いには投げ飛ばされ、森の中遥か彼方へと消え去る。

 

「こっちも負けちゃいないよ!シュープリーム・サンダー!」

 

 ジュピターの額にあるティアラから避雷針が長く伸び、そこに蓄積された電撃が落雷のごとく一挙に放出される。

 電撃の柱がマッカォたちを貫き、木々も容赦なく焼いて焦がしていく。

 実力差は圧倒的だった。

 

「さあ、何処からでもかかってきな!」

 

 ジュピターの睨みに射竦められたかのように、マッカォたちは踵を返し走り去った。

 

「追いましょう!」

 

 ヴィーナスの言葉に、ジュピターとアルテミスが頷いた。まるでこの世界に来た彼女たちを迎えるようにすぐさま襲ってきたのは、流石に偶然とは言い難い。

 急いで遠ざかっていく足音の後を追う。 

 山を下るうちに、霧は薄くなり生い茂る樹の数は少しずつ少なくなっていく。次々と樹が視界の横を通過していくうち、向かう先にちらり、ちらりと灯りが視界に入るようになる。

 

「何だ?こんな森の中に光があるわけ……」

「ギャ―――――ッ!!」

 

 アルテミスがぼやいた直後、その灯りが見える方向から特大の悲鳴が聞こえた。

 ヴィーナスの顔が、驚きに満ちる。

 

「ちょっと!この世界にも人がいるの!?」

 

 恐竜たちが逃げた先での悲鳴。

 戦士たちに嫌な予感がよぎる。ならば猶更のんびりなどしていられない。

 幸い、森の出口は近い。戦士たちは草木をすり抜け倒木を乗り越え、河を飛び越えていく。

 

 遂に森を抜け、彼女たちの視界は一挙に広がった。

 眼下にある森の中の一本道の上で、横倒しになった馬車らしき乗物と、その前で鞍や荷物、手綱を付けられたアプトノスが興奮して暴れていた。恐らくは周りをマッカォたちが通りかかったことでパニックになったのだろう。

 そして荷車の横に1人、頭を抱えてうずくまり震えている男がいる。

 予想外の現地人との出会いに、3人は目を丸くした。 

 

 彼はとんがった帽子にゆったりとした服を着た商人風の男で、背中には大きな荷物を背負っていた。

 周りに誰もいないことを確認しようとしたのか、彼の目線が次第に上がり、不安げに左右する。

 やがて、彼は何かの存在に気づき、上を見上げる。そこに映ったものを確認した途端、呆然としていた彼の表情はすぐに恐怖に支配された。

 色鮮やかなリボン、セーラー服風のレオタードとミニスカートに身を包んだ少女たちの姿は、彼の目にはこの上なく奇異に映っただろう。

 

「……あ……ああ……」

 

 言葉を失っている男に、アルテミスは必死に呼びかける。

 

「大丈夫だ!僕らは貴方を襲おうとしてる訳じゃない!」

 

 当然言葉は通じず、男は意味不明の言語にますます竦みあがるばかりだった。

 その時、3人の後ろから何かが地面を踏みしめ駆けてくる音が急速に近づいてきた。

 

 大きな影が、3人の背後の木々の茂みを破る。

 巨大な嘴が振りかざされたが、あからさまな予告音のおかげで回避が間に合った。

 怪物はそのまま荷車を突き飛ばし横倒しにした。

 男はそれですっかり怯え、尻尾を巻いて逃げていく。

 

「グルルル……」

 

 扇子のような耳を開き、怪物は振り向く。

 その正体は怪鳥イャンクックだった。

 だがその目は紅く染まり、紫の息を荒く吐いていた。

 

──

 

「おっちゃん!もっとカワイイ装備とかないのー!?」

 

「今のお嬢ちゃんには無理だよ!文句言うのは、ドスランポスなんか一撃で葬れるようになってからにしな!」

 

 そんな騒ぎが森であったとは露知らず、その頃うさぎはココット村のとある家の手前のカウンターにもたれかかり、文句を垂れていた。ルナは、その肩に仕方なさげにぶら下がって主人のきいきい声を聞いている。

 

「うさぎちゃん、ここは家じゃないんだからぁ……」

 

 ルナはいい加減言うのも疲れた、とでも言うように項垂れながら声を漏らした。

 それに対し、対面している青い服とオレンジのとんがり帽子を身につけた男性は頑なに首を横に振っている。

 軒先にぶら下がる丸い看板には金床を叩くハンマーの絵が描かれており、簾の奥からは熱された鉄の臭いがしている。

 ハンターは一般的に、モンスターの素材を集めたらそれを武器や防具の更なる強化に使う。より強いモンスターに挑むときは、当然強い武具を身につけて挑むもの。その上で欠かせないのが『加工屋』の存在。彼らは素材を加工して新しい武具を作り、今ある武具を強化してくれているのだ。

 当然ながらうさぎたちも例外でない。彼女たちもドスランポスをいなせるようになって、これからは大物に備えて次第に装備を更新していく頃合いだった。

 

「このままずっと茶色三人組なんて、私は断固としてお断りだわ!加工屋さん、防具じゃなくても良いから、せめてインナー(普段着)くらいちょっとはカラフルなの作れないの!?」

「インナー作れなんて言われたの、この道始めて以来だよ!なあ、お前のとこにそういう在庫あるか?」

 

 うさぎの隣にいたレイが不服そうに食い下がり、加工屋は代わりに彼が隣に立って話を聞いていた緑の服を着た男に聞いた。

 が、彼も渋い顔をしていた。

 

「そんな洒落たものあるわけないだろ!お門違いだよお門違い!」

 

 緑の服の男の担当は『武具屋』で、ハンター向けに仕入れた新品の武器や防具を売っている。だが、それらの多くは駆け出しハンター用の、実用的で地味なものばかりだ。

 カウンターの上には、華やかで煌びやかな意匠が施された武具がずらりと並べられている。だが、そのいずれも、彼女らが未だかつて見たこともない素材を使わなければならなかった。狩猟生活においては、おしゃれするのにも一苦労というわけだ。

 

「あたしは着る服を考える手間が省けると考えたら、楽だと思うんだけれど……」

「いいわね~、亜美ちゃんは考え方が合理的で」

 

 レイが薄目で睨んで皮肉を亜美にぶつけていると、さっきまで腕を組んでうんうん唸っていた武具屋の顔がぱっと明るくなった。

 

「あっ、そういえばあったぞ、いい感じの防具……というか服が」

「え、うそうそ、見せて見せて!!」

「んも~!あるなら早く見せてよ、いじわる~」

 

 うさぎとレイはその一言を聞いた瞬間に声を上擦らせ、亜美を差し置きカウンターに膝をつくように飛び乗った。武具屋は家の中をまさぐった後、カラフルな何かが描かれた5つの紙切れを持ってきた。

 

「ほれ、これだ!これなら絹の生地を組み合わせればいけるぞ」

「きゃーっ!なにこれ、きれーい!」

 

 差し出された紙に、頬同士を所せましとつき合わせた3人の少女と1匹の猫の顔と視線が集中する。

 だがその紙を覗き込んでいるうち、亜美を除いた2人の声とテンションの高さは急速に下がっていった。

 設計図には、確かに言葉に違わず、今までの装備とは一線を課す華やかさを放つ衣装が描かれていた。

 だが、彼女たちにとって問題はそこではない。

 

「……なんだその顔。これで不満なのかい?都会の連中のセンスは分からんなあ」

「こ、これ、わたした……」

 

 うさぎが続きを言う前にその口を頭の上に載っていたルナが塞ぎ、ツインテールの片側をレイが引っ張る。

 

「ななな何でもありませーん!おじ様ー、こんなヘンテコな設計図、どこで入手したんですかー?」

「ああ。最近噂の『魔女』の姿を模した防具さ。前に会った赤い衣を纏った女の話でね。それを聞いたうちの娘が図面を描け描けとうるさくてなぁ」

 

 図面に描かれていたのは、短いスカート、鮮やかなリボン、襟付きの白レオタードを身にまとった女性の姿だ。しかも5体のカラーリングはそれぞれ青色、水色、赤色、緑色、黄色だった。

 多少の差異こそあったが、明らかにセーラー戦士の姿そのものである。

 うさぎもレイも亜美も、動揺を隠せない。

 

「赤い衣の女?武具屋さん、それって一体……」

 

 亜美が聞こうとした時、村に設置された鐘が激しく打ち鳴らされた。あまりに突然のことだったので、思わずその場にいる全員が耳を塞ぎ、顔を顰める。何度も激しく鳴らされるのは、緊急事態を知らせる合図だ。

 家から出てきた村民たちの松明で照らす中、村の正門をくぐって走ってきた1人の男が目の前に転がり込んできた。彼は、この村出身のうさぎたちとも面識のある商人だった。

 その男の周りにはすぐ村人たちによる取り巻きが出来、村長が杖をつきながらよたよたとした足取りで前に進み出る。その横に老ハンターがしゃがみ、混乱した商人と目線を合わせる。

 

「何があった。まずは落ち着いて話せ」

「ま、魔女だ、魔女が出たんだよ!」

「魔女?」 

「緑と黄色の服を纏った2人の魔女……それに白い毛並みのアイルーが、マッカォとイャンクックをこちらに差し向けて来たんだ!やはり最近の噂は本当だった!」

 

 うさぎも慌てて商人の前に歩み出た。

 

「おじちゃん!その人たち、どこにいるの!?」

「外の一本道の先、一つ丘を越えた先の森林の中だ!だがペーペーの嬢ちゃんたちだけじゃ、あんな奴らに叶うかどうか……」

 

 今のインナー姿のまま今すぐにも飛び出しそうな勢いのうさぎたちだったが、彼の言うことも確かだった。

 

「ならば俺が行こう。3人にはサポートと、万一の場合の村への伝令役を頼む」

「ハンターさん……そうだな、あんたが言うなら」

 

 老ハンターが一言言うと、それだけで村民たちの動揺もある程度の収まりを見せた。

 

「相手が魔女であれ何であれ、この村の脅威となるのであれば対処しよう。だが、『討伐』は出来ん。ハンターが狩れるのは、ギルドが公式に脅威と認めたモンスターだけだ」

 

 ハンターは冷静に答え、強調するように戦士たちに目配せをした。そこでやっと、うさぎたちも安堵して肩を落とす。

 

「それでは生け捕りが最適じゃな。出来たら、の話じゃが」

 

 安堵は束の間だった。村長の何気なく発した言葉が、再び戦士たちの表情を固くした。

 村長の目がこちらを見ているように感じて戦士たちはそちらを見たが、彼の目は垂れ下がった眼窩の奥にあってその視線の先はよくわからなかった。

 

「本当にそんな御伽噺の末裔がここに現れたのなら、いっぺんこの目でそれが誠の存在か確かめてみたい。その方がみなの長きにわたる心配も晴れるしの。何か、疑問がある者は?」

 

 結局その場で手を挙げる者はおらず、戦士と狩人たちは装備を確認してから現地へ赴いた。



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霧の先に出会うもの③

 うさぎたちは、商人が言う『魔女』の出現地点に到着した。

 老ハンターが操るアプトノスに引かせた荷車を全速力で走らせ、いよいよココット村も振り返れば丘の向こうに消えようかという頃だった。

 

 今から生け捕りにせねばならない『魔女』たちとの再会を目の前にして、揺れる荷車の中は緊張感に包まれていた。

 ふと周りの様子を見回したうさぎは、目を閉じて深呼吸した後に口の端を吊り上げ、明るい表情に切り替えた。彼女は四つん這いになると、床に置いていたランタンを手に取って突き出し、レイと亜美の顔を光で照らした。

 

「もう、2人とも顔が暗いわよ!もうすぐみんなと会えるんだから、楽しそうにしとかないと!」

「全くよ。村長さんがあんなことを言わなかったら、完璧な感動の再会だったのに」

 

 うさぎの努力も虚しく、レイは険しい顔を貫いて頭上すぐ近くの天井を見つめている。

 

「もう、レイちゃん!ちょっとは空気読んでよ!」

 

 ランタンを置き、いきり立ちながら立ち上がったうさぎに対抗するように、レイも立ち上がって反抗的な視線をぶつけ合った。

 両者の足元で、鎧姿のルナは『またやってる』と言わんばかりに肩を落とす。

 

「分かってるわよ!でもこの後のこと考えたら、明るくなんかしていられるわけないでしょ!?」

 

 レイはむすっとした顔のまま、再びどかっと腰を下ろして腕を組む。

 うさぎの発言に刺激されてか、彼女の表情は紅潮していた。

 レイは水筒を咥え、一気に上を仰いで喉を潤す。うさぎの発言に刺激されてか、いよいよ怒りを顔に剥きだしにし、空になった水筒を手に持ち床に打ち付けた。

 

「そもそもセーラー戦士が魔女なんて言った奴は、どこのどいつよ!そいつこそ本当の魔女なんじゃないの!?」

 

 一方、亜美はライトボウガンを抱いて座り込んだまま、じっと虚空を見つめ思考を巡らせていた。

 

「……不自然だわ」

 

 ぽつりと呟いたその言葉に耳を立てたルナが、傍に歩み寄った。

 

「不自然って、どういうこと?」

「よく考えてみて。『霧の魔女』の噂は私たちが来る前からあったのよ。そしてここ最近になって突然、そこにあたしたちが結び付けられようとしてる」

 

 亜美は荷車後方の垂れ幕の隙間から、丘の向こうより漏れ出る村の灯りをちらりと垣間見る。

 

「あの武具屋さんにセーラー戦士の姿を伝えた『赤い衣の女』……。彼女は私たちをよく知る者だと私は睨んでる。でも、私たちを知っているのは村の人たちだけのはずだし、彼らもジュピターとヴィーナスの姿は知らないはずなのよ。なのに、その女は私たち5人全員の姿を知っていた」

 

 レイが眉を顰め、ずいっと亜美に顔を近づける。

 

「それってまさか……」

「んもう、亜美ちゃんまで暗いこと言わないでよー!」

 

 うさぎはレイと亜美の間に割り込み、半ば懇願する形で叫んだ。

 その直後、荷車が急停止の衝撃で大きく揺れ、3人と1匹は大きく姿勢を崩し絡み合った。

 

「いたぞ!モンスターも一緒だ!」

 

 老ハンターの言葉が耳に入るや否や、うさぎたちは武器を取って荷車後方から飛び降り、前方へと駆ける。

 その先10mほどの地点で、2人の少女と1匹の白猫がイャンクックと向かい合って道の上を占領していた。

 

「みんないる……」

 

 いざ実際に、1ヶ月ぶりに仲間の背中を見たうさぎの反応はあまりに呆けたものだった。

 一方の少女は背の高い茶髪のポニーテール、もう一方は赤いリボンをつけた金髪のロングヘアー。

 

「ジュピター!ヴィーナス!アルテミス!」

 

 うさぎは必死に、呼び止めるように叫んだ。

 その姿は見間違いようもなく、うさぎたちが日常を過ごす友であり、共に敵に立ち向かう仲間そのものだ。

 臨戦態勢の彼女たちは、目の前に敵がいるのも忘れてこちらに振り向いた。

 姿を確認させる暇もなく、うさぎはジュピターとヴィーナスの手を両手で握りしめる。その力は少女のものとは思えないほどに強かった。

 当の本人たちの表情は最初、驚きの方が強かった。黄色と緑の服装に身を包んだうさぎの姿は、傍から見れば別人ではないかと思えるほどに以前と様子が異なり過ぎたからだ。

 

「本当に……いる……」

「うさぎちゃん!?うさぎちゃんなのね!」

「みんな、怪我はない!?病気とかしてない!?」

 

 3者の顔を見回して呼びかけるうさぎの顔を見て、ヴィーナスはようやく嬉しさと安堵の混じった表情を滲ませた。

 

「うさぎちゃん、無事だったのね!でも、なんでそんな恰好してるの?」

「一体何がどうなってんだ。ガタイのいい爺さんまで一緒にいるぞ?」

 

 困惑を隠せないジュピターの隣に並び立った亜美が、目を合わせてふっと表情を緩めた。

 

「説明は後にしましょう」

 

 亜美はすぐに表情を引き締め、背後からライトボウガンを取り出した。

 自身の真横に突如現れた銃口がきらりと光るのを見て、ジュピターは思わず悲鳴を上げて腰を抜かす。

 残念ながら、今の状況は和気藹々という言葉からは程遠い。

 

「嘘……あの子、一体どうしちゃったの?」

 

 うさぎは、怪鳥に目を向けてそのあまりの変わりように口を手で覆った。

 その身体からは黒い蒸気が昇り、口からは紫の息を荒く吐き、目からは赤い光をぎらぎらと迸らせている。

 先ほどから前方で相手と睨み合っていたレイは、何かに気づいて冷や汗を垂らしていた。いつでも抜刀出来るように刀に手を添えながら、彼女は慎重に口を開く。

 

「みんな、気をつけて。あの生物から、ほんの僅かだけれど妖気を感じるわ」

「妖気……妖気ですって!?あれが妖魔だって言うの!?」

 

 ヴィーナスが、思わずイャンクックからレイへ視線を戻して叫ぶ。

 レイの一言は、戦士たちの表情を一変させるには十分過ぎた。

 

「クォワアアアアッッッ」

 

 中々動かない敵に痺れを切らしたのかイャンクックが威嚇の鳴き声を上げると、そこに老ハンターが真っ先に前に進み出る。

 そこには何の躊躇もなかったが、かと言ってつけ入る隙は全く見せない剣呑とした雰囲気を醸し出す。

 彼は即座に柄に手を伸ばし、大剣を抜刀し正面に構えた。

 瞬間、その場の騒ぎは凍り付き、静まった。誰もの視線が、天に塔のごとく聳える無骨な骨塊に向けられたからだ。

 本来ならば骨本来の黄色か乳白色であるはずのそれは、長年泥や埃を吸ったからか全体的に黒ずんでいて──刃の付近にはいくつもの黒いシミがこびりついていた。

 

「正気がまだあるなら、今すぐここから去れ。さもなくば、数分も経たずこの『天竜ノ顎(テンリュウノアギト)』の錆になるぞ」

「クエッ……」

 

 剣先から棘が獰猛さを露わにして並び立ち、月光を反射する。

 イャンクックは怯えるように首をすっこませた。一瞬、目の爛々とした赤い輝きが弱まったように見えた。

 ほんの僅かに残された反抗心も完全に打ち砕かれ、イャンクックは襟巻を窄めて早々と翼を広げた。飛び立ったそれは、あっという間に森の中へと退散していった。

 

「こ、こえ~~~っ」

 

 恐怖のあまり、アルテミスの毛並みが身体が膨らんで見えるほどに逆立った。老ハンターは安全を確認すると柄に大剣をしまい、振り向いた。

 

「彼らが君たちが前から言っていた仲間たちか」

「あ……」

 

 その顔に刻まれた皺と傷、眼光が目に入った瞬間、2人と1匹は一斉にその場にひれ伏した。

 

「な、何でもします、何でもしますから命だけはご勘弁を……」

「そんなんじゃダメよジュピター!まだ頭を下げ切れてないじゃない!もっとこう、誠意を込めて!」

「そう言うヴィーナスだって頭上げてるじゃないか!僕みたいに、頭が地面に埋まるくらいやらないと!」

「……全く、俺を何だと思ってる」

「ああっ、何とかいってよ!絶対『次はお前らの番だ』とか言ってるに決まってるわよこれ!!」

 

 ただの呆れ顔も、ヴィーナスには殺意を込められているように見えるようだ。うさぎは急いでハンターの傍に寄り、背中を叩いて顔を見合わせてみせた。

 

「大丈夫!見かけに寄らずとてもいい人なのよ!」

「えっ、そうなの?」

 

 ヴィーナスは未だ信じられないようで、顔を上げると四つん這いのまま、美術館の展示でも見るかのように老ハンターを角度を変えては何回も眺め回している。

 

「すごいな、うさぎたちは……ものの1日で現地人と仲良くなったのか?」

「何言ってんのよアルテミス。私たち4人、ここに来てから1ヶ月以上は経ってるわよ?」

「……あれ?」

 

 ルナの一言で、話はパタリと止んでしまった。

 しばらくしてから、アルテミスが仕切り直すようにコホン、と小さく咳払いをした。

 

「まずは、お互い何があったのかを話そうか」

 

──

 

 一行は、お互いにこれまでの経緯を話しながらココット村への帰途についていた。

 ゆったりと動く荷車の中は総員が5人と2匹になったため一気に狭くなった。

 再会した2人はうさぎたちと同じく制服姿で、やたらと床に敷いた藁から汚れが付くのを気にしていた。

 

「なるほど、私たちがこっちに来るまでの1日の間にここの世界では1ヶ月経っていて、ああいうデカい怪物を狩る仕事に就いてたわけね」

 

 ヴィーナスの変身前の姿である愛野美奈子は、一通りの説明に納得しながらすっとうさぎの下半身に手を持っていく。

 

「通りで、前よりもどことなーく筋肉が付いてるわけか。あたしもハンターになったら、ちっとはナイスバディになれるかしら」

 

 突然防具の中でも露出して目立っている太ももをつつかれたうさぎは、顔を赤くして思わず飛び上がった。

 

「ひゃああっ!美奈子ちゃん、そこはやめてって!」

 

 帰りの道は穏やかな月明かりに照らされ、後方の幕の隙間からはそよそよと涼やかな風が吹いてきていた。

 

「で、これからはあたしたちもその村の一員に加わるんだな。これでそのココット村とやらも安泰ってことだ」

 

 ジュピターの元の姿である木野まことは自信たっぷりに力こぶを出してみせたが、それにうさぎたちは一瞬答えるのを躊躇った。

 うさぎは俯いて、少しの間を置いて口を開いた。

 

「あのー……ごめんなさい。村長からはみんなを魔女として『生け捕り』にしろ、て言われてるの」

「……は?」

 

 まことたちは一挙に怪訝な表情を浮かべるが、その中でも不服さが特段目立っているのは美奈子だった。

 

「まさかあたしたち、化け物か何かと思われてる訳!?なんでこんな可憐で美しい史上最強美少女を化け物呼ばわりすんのよ!どういうセンスしてんの、その偏屈爺さんは!」

 

 前方でアプトノスの老ハンターに向かって袖をまくってまくしたてる美奈子の姿は、まるで高い声でキャンキャンと吠えたてる子犬のようだった。

 

「私たちも村に所属するハンターである以上、村長の命令には従わなければいけないの。絶対にどうにかしてみせるから、ちょっとだけ我慢してくれないかしら?」

 

 亜美の懇願でも彼女たちの不満そうな表情は中々揺るがなかったが、やがてまことが折れてもたれていた壁から背を離した。

 

「分かったよ。またお互い離れ離れになるよりかは、遥かにマシだからね」

「ったく、せっかく余韻に浸りたかったのにしょうがないわねぇ。『泳ぐ鯵には針当たる』って本当なのね、アルテミス」

 

「……『歩く足には棒当たる』」

 

 美奈子とアルテミスのこのやり取りを久しぶりに聞き、うさぎたちはお互い顔を見合わせて笑った。

 今この時、荷車の中だけが元の世界そのままのスピードで時が流れていた。

 



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霧の先に出会うもの④

 ココット村はこの目で魔女を見ようとする老若男女でひしめき合い、村長へと続く道を作っていた。うさぎたちを先頭にして、『魔女』たちが縄で縛られ連れられて行く。彼女たちの服の色が松明の光を反射し、夜の闇にくっきりとその存在を示す。

 だが、何よりも不思議なのはその静けさである。人の道を作れるほどの人数にもかかわらず、聞こえてくるのはひそひそ話だけで、それが余計に気味悪くすら感じられた。

 

「けっ!各々好き勝手に言ってるってことだけは分かるわね」

 

 衆目の好奇の目に晒された『魔女』たちは、当然いい気分ではない。そのうちの1人である美奈子はそっぽを向いて舌打ちしながら、縄に縛られ歩いていく。

 商人の男も村長に並び、またあの奇妙な魔女と出会うとあってかその顔を緊張で強張らせていた。 

 だが、彼女らが近づくにつれ、彼はあれ、と戸惑うように首を傾げ始めた。

 それを無視し、うさぎたちは村長の前に並び立った。『魔女』たちも、彼の目によく見えるように横並びになる。

 

「連れてきたわ、村長。この子たちが、恐らくその人が『魔女』と呼んでいた子たちよ」

「おお、見事じゃ4人とも。よくやってくれたな」

 

 村長は制服姿の『魔女』たちを一瞥すると、満足げにそう言って衣のポケットをまさぐった。

 

「ほれ、報酬じゃ。緊急依頼じゃから、今回ははずむぞ」

 

 ジャラ、と金属の擦れ合う音を鳴らしながら麻袋が取り出される。それの膨らみの大きさは、以前ドスランポスを狩った時の3倍以上はある。この金があれば、装備の強化だけでなく生活に余裕を持たせることもできるだろう。

 だが、それを目の前にうさぎは眉を顰め、唇をぎゅっと歪ませた。

 

「いらない」

 

 うさぎは首を横に振り、拒否の意を示す。あとの2人と1匹も同様にして報酬を突き返した。

 

「なんじゃ、えらく謙虚じゃのぉ」

「おい、嬢ちゃんたち」

 

 『魔女』たちの姿を眺めまわしていた商人が会話に横槍を入れてきた。

 

「すまんが、本当にこいつらが魔女なのか?確かに変わった装いだが、俺が見たのはもっと眩しく、けばけばしい色をしていたはずだぞ」

 

 当然、『魔女』の正体が何の変哲もない少女であるなどという発想がこの男にあるはずもない。

 何時までも不審がってまじまじと観察してくる商人に、アルテミスがシャーッと威嚇しておののかせた。

 レイは、腰に手を当てて強気に出る。

 

「当然よ。だってその子たち、魔女じゃなかったもの」

「なんじゃと?」

「村長さん。念のためこうやって縛ってはいるけれど、彼女たちはただの人間よ。イャンクックに襲われ窮地に陥っていたところを、私たちが何とか救い出したの」

「ほお……」

 

 亜美は、捕われの少女たちを見ながら説明を続ける。

 

「恐らく、この人はモンスターに襲われたパニックで、この子たちを噂と結びつけてしまったのよ。だから、ひとまず彼女たちを保護できないかしら?あたしたちを助けてくれた時のように」

 

 『魔女』たちはいかにもしおらしく頭を下げていた。

 老ハンターは表情を何一つ変えず大山の如く屹立し、この話の行く末を見守っている。

 村長の表情は揺るがなかった。そもそも彼の表情は、何を言っていても基本的に変わることがない。ちょっとは村に慣れてきたうさぎたちでも、彼の心情を察するのには苦労してばかりだった。

 

「この娘たちは受け入れられない。森に帰しなさい」

 

 いつもと変わらない、淡々とした口調で、村長はそう言い放った。

 少女たちからすうっと血の気が引く。うさぎが、戸惑いの声を上げた。

 

「な、なんで?食べ物が少ないから?住む場所がないから?」

 

「そういう問題ではない。もうこれ以上、この村に外から危険を持ち込みたくないのじゃよ」

 

 レイは亜美より前に出て、顎を上げて胸を張り、村長を見下ろして睨んだ。

 

「危険ってどういうこと?根拠を言って!」

「1人は長身にして怪力、茶髪で後ろに一束を纏め、電撃を操る」

 

 村長の一言でまことに視線が集中し、彼女は思わず下を向いて視線の矢から逃がれた。

 

「もう1人は金髪で赤のリボンを付け、光の槍と鎖を操り白毛のアイルーを連れる」

「なによ、それ」

「今先ほどこの村に来た、赤い衣の女から聞いたのじゃよ。『森の中より来たる5人の娘たちには気をつけよ。さもなくば、娘たちの率いる闇の獣どもがこの村を呑み込まん』と」

 

 かすれかけたレイの言葉に、村長は平然と答えた。

 

「村長……?」

「1人はメラルーを伴い、金髪で腰ほどまで届く二束を垂らし、生命を灰と化す光を放つ」

 

 うさぎを見る村長の視線はどこかよそよそしく、冷たいものを感じた。

 村長は次に、亜美、レイを順に指さす。

 

「1人は青く短い髪で、専ら本と策略を好み水を操る。1人は身体を隠すほどの黒く長い髪で、戦いを好み火を操る」

 

 口を挟むのを許さず言い切った後、村長は老ハンターに振り向いた。

 

「とまあ、ここまでくると色々と疑いたくもなるもんじゃよ。なあ、『マハイ』よ」

 

 うさぎたちは、そこで老ハンターの名を初めて知った。

 彼の表情はほぼ変わらなかった。

 

「オヌシら、仲間同士で庇い合っているんじゃあるまいか?魔女と疑われず、この村に入り込むために」

 

 すぐに反論出来る者はいなかった。

 この住民たちの奇妙な静けさも、その女の話を聞いたとすれば自然なことであった。

 いつの間にか、松明で照らされた人の顔が、揃って少女たちを柵のように取り囲んでいる。

 彼女たちは赤の他人同士という体も崩れかけ、僅かに身を寄せ合った。

 

「……庇ってると思うなら、それでもいい」

 

 沈黙の後、うさぎが俯きながら呟き、村長の視線を奪った。直後、彼女は顔を上げる。

 

「でも、そうだったとしても、あたしたちもこの子たちもこの村を襲ったりなんかしない!」

「ならばそれをどう証明する?」

「あたしが身代わりになる。身体中を縄で縛って森に放り込んでくれたっていい。その代わりこの子たちを受け入れてあげて」

「うさぎちゃん!」

 

 ルナが声を荒げるが、うさぎの決意の表情に迷いはない。

 

「そこまでしてこの者たちを庇うとは。魔女だったとしても大した心がけじゃ」

 

 村長は感心したように頷く一方で、空を見上げ頬杖をついた。

 

「ふむ……だが、赤い衣の女はこう付け加えていた。その娘たちの中では、黒猫を連れたのが頭領なのだ、と」

 

 その情報に、少女たちは表情を厳しくする。

 やはり、赤い衣の女とやらはセーラー戦士たちのことをよく知っているらしい。

 

「オヌシが先頭に立って証明するのが最も手っ取り早い。オヌシらで闇に侵食されたモンスターたちを残らず狩猟し、村を脅かさないと証明するのじゃ。それまでこの者たちは離れの納屋で監視する。だが、わしが脅威が過ぎ去ったと判断すればそやつらは解放し、村の一員として認めよう」

 

──

 

 数日後、うさぎ、亜美、レイ、ルナは森丘の森林地帯の奥深くに足を踏み入れていた。

 梢の隙間から漏れた陽が、彼女たちの表情とは裏腹に薄く、柔らかく光を落とす。

 うさぎはバツ印が所々付けられた狩り場の地図と睨めっこしていたが、いよいよ不安そうにレイの横顔を横から覗いた。

 

「レイちゃん、本当にこの道であってるの?なんか、どんどん暗くなってきてるみたいだけど」

 

 レイは、お経のような文言が書かれた紙を左手の人差し指と中指で挟みながら、目を閉じ集中している。

 

「ええ。妖気が僅かに残ってるわ。この方角に向かえば必ず本体に突き当たるはず」

「今回のモンスターは初見のうえ、妖気を宿してる……。気を引き締めてかかった方がいいわね」

 

 亜美は警告するとライトボウガンを構え、いつでも撃てるようにした。

 今回のクエスト目標は『マッカォ』及び『ドスマッカォ』。本来ならば南方の熱帯地方に棲息すると言われる『鳥竜種』、ちょうどこの前戦ったランポスたちと同じ種族の生物である。

 何故そんな生物が妖気を宿してここにいるのかは、今のところ彼女らにも分からないが、いい予感がしないことは全員の表情から明らかだった。

 

「あの人がいなくて怖い、うさぎちゃん?」

 

 ふと、うさぎが誰もいない空間を見つめて考え込んでいるのに気付いたルナが、声をかけた。

 うさぎはかぶりを振り、安心させるように笑顔を見せた。

 

「大丈夫よ!元はと言えばあたしが言い出したことだし」

 

 今回から、老ハンター『マハイ』の支援を受けることは出来ない。本来なら単独で狩猟が行えるのはもう少し腕が上がってからだったのだが、魔女の疑いがかけられた彼女たちはこれから自力でこの異変を解決しなければならない。

 うさぎたちは、草を踏み木をかき分け、森の奥へと進んでいく。

 やがて彼女たちは、大木が聳える広場のような場所に出た。

 

「みんな、構えて!」 

 

 何かに気づいたレイが叫び、太刀の柄に手を添え中腰になる。

 既に、足元には紫の靄がうっすらとかかり始めていた。

 草むらの奥から、タタタタ、と素早く駆ける足音が近づく。

 

「ギャアアアッ」

 

 草むらから叫んで飛び出してきたマッカォを、レイは抜刀と共に斬りつける。

 白刃が首筋から肩にかけての肉を捕え、痛みに身を捩ったマッカォはそのまま地面に倒れ伏した。

 

「やっぱ小さいやつぁ使えないわね」

 

 聞き覚えのある声に、全員の視線が大木の枝の上に立つ人影へと導かれる。

 やけに若々しくハリのある声を持つ女性は、村の者たちが言っていたのと同じく赤い外套で全身を覆っていた。その隙間からは、眼鏡が僅かな光を反射して怪しげに光っている。

 

「不便で汚い狩猟生活お疲れ様、『セーラー戦士』の皆さん」

「……!」

 

 その声に、少女たちは聞き覚えがあった。

 しばらく経ってから、うさぎが確かめるように言葉を紡いだ。

 

「本当に……貴女なの、『ユージアル』!?」

「あら、今でも覚えていてくれて感謝するわ、()()()()()()()

 

 外套と眼鏡が宙を舞うと、その中から若い女性のシルエットが飛び出した。

 彼女は3つに束ねた赤い長髪を揺らし、上半身は真紅のスポブラに、下半身は黒い細帯の下に長くルーズな赤ズボン、そして赤ヒールに身を包んでいる。

 うさぎたちの目の前に着地した彼女は耳元で星型の大きな赤いピアスを揺らし、不敵な笑みを浮かべていた。

 

 ユージアル。

 

 今は亡き悪の組織『デス・バスターズ』に属する魔女軍団『ウィッチーズ5』の一員。

 かつてセーラームーンたちと戦い、苦しめた敵である。

 大自然と巨大生物が支配する世界で、彼女はセーラー戦士の前に再び姿を現わした。




実写版セラムン、観たい……


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霧の先に出会うもの⑤

「そんなこと、あるわけが……」

 

 かつての敵がこの世界にいて、目の前にいる現実を、うさぎは未だに受け止められず呆然としていた。

 それは当然のことで、このユージアルはもちろん、その属する組織『デス・バスターズ』も、前の戦いで完全に封印されたはずだったのだ。

 レイが、大木の枝の上に立つ女を見上げながら前に進み出る。

 

「ユージアル!配下であるお前がここにいるなら、デス・バスターズそのものも復活してるはずよね!次は何を企んでるの?答えなさい!」

 

 ユージアルは、余裕を含んだゆったりとした動作で木枝に腰を下ろした。

 

「ここで言っても意味ないわ。だってあんたたち、ここでおしまいだもの」

 

 彼女の顔が笑みに歪んだ。

 マッカォたちがぞろぞろと列をなし、這い出てくる。

 うさぎたちは覚悟を決め、武器を構える。

 高みの見物を決め込みながら、ユージアルは含み笑いを唇の隙間から漏らした。

 

「思う存分堪能なさい!前に戦ったダイモーンどもとは比較にならないわよ」

 

 その発言を聞き漏らさず、うさぎはさっと顔を険しくしてユージアルを睨んだ。

 

「やはり貴女なのね、この子たちをこの姿にしたのは!」

「しょうがないじゃない、手近にこんな便利な材料があるんだから使わない手なんかないわ」

 

 さもこんなことは当たり前だと言わんばかりに、ユージアルの表情は平然としていた。

 それを聞く亜美の表情はうさぎと同じく憤慨に満ちていたが、獣たちの唸り声を聞いてすぐに切り替える。

 

「落ち着いて!以前のランポスよりは小さいから、それだけ耐久力は低いはず!下手に恐れる必要はないわ!」

「どうかしらね。出てきていらっしゃい、ドスマッカォちゃん!」

 

 彼女が両手を2回叩くと、森の奥から黄色の花のような冠羽を頭になびかせた、一際大きいマッカォが闇の向こうから姿を現わした。

 マッカォの群れを統率する長、ドスマッカォ。

 やはりというべきか、彼も紫の息を吐いて赤く輝いた目をしている。

 その貫禄を見て、うさぎたちはより表情をきつくする。

 ユージアルは、唇を舐めて口を開いた。

 

「さあ、やっておしまい」

 

 血に飢えた獣たちは、少女たちへと飛び掛かった。

 ドスマッカォは一直線にうさぎに向かい、手下たちはレイや亜美を包囲する。

 手下たちは扁平な尻尾だけでその身体を支え、中距離を保って蹴りを繰り出し牽制する。

 

「戦力を分断するつもりね!」

 

 そうはさせまいと、亜美は散弾を撃ち、レイは自ら太刀で斬り込んでいき、対抗する。

 マッカォたちの頭部にあられのような弾丸が無数に降り注いだかと思うと、別のところでは一閃を受けた群れが派手に吹っ飛んでいく。

 

 一方のルナとうさぎは、ドスマッカォの攻撃を必死にいなしていた。

 ドスマッカォの動きは、ドスランポスよりも変則的で、軽快だ。

 マッカォと同様に棘のついた尻尾を第三の脚のようにして立ち、軽業師のごとくうさぎの周りを跳ねまわる。

 尻尾で跳ねて距離を取ったのを見て追おうとすると素早い蹴りで迎撃され、一旦引こうとすれば脚を地面につけて前腕によるパンチで距離を詰めてくる。

 仲間たちを囲む部下を気にするように背中を向けたのを、チャンスかと思えばそれはフェイントで、後ろ目で確認すると空中に跳ねてから尻尾を地面に打ち付けてくる。うさぎとルナは何回か斬撃を加えたが、その傷はあまりにも浅い。

 

「隙がなさすぎる!」

 

 ルナが言った通り、落ち着きがないと言えるほどの暴れっぷりにうさぎは息を荒くして、盾を構えたまま立ち尽くしていた。

 その時、ピコン、ピコンとうさぎの耳に何かを通知する音が入った。

 彼女は音の発信源である防具の懐が赤く光っているのに気づき、そこからハート型の宝石の付いたロッドを取り出した。

 

「妖気に染まったモンスターなら……」

 

 『スパイラル・ハート・ムーン・ロッド』。

 邪悪の気を祓い浄化する力を持つ、セーラームーンの必殺の武器。

 狩人となってから長らく使っていなかったが、いま、妖気に反応してハート型の赤い宝石が点滅している。

 ドスマッカォのキックを盾で受け止めながら、うさぎは自然と導かれるかのようにロッドに手を伸ばす。

 

「ダメよ、うさぎ!」

 

 鋭い声が飛んできてうさぎがはっとして見ると、レイが、いま絶命して肩に項垂れたマッカォから太刀を引き抜き、払いのけたところだった。

 

「村長との約束を破るつもり!?そいつを狩らなければ、あたしたちへの疑いは晴れないわ!」

「……っ」

 

 うさぎは、顔をひきつらせた。

 ロッドを持つ右手から、左手に持つ血にまみれた刃に視線が移る。

 その様子を見ていたユージアルは、心底汚いものを見るような目をして、鼻を鳴らした。

 

「ああ、愛と正義のセーラー戦士も堕ちたものね」

「え……」

「ついこないだまで罪なき命を奪うなんて許せないなどとほざいていたお前たちが、何のためらいもなくその手を血で汚しているもの」

 

 はっとした表情になったのは、うさぎだけでなくレイや亜美、ルナも同じだった。

 うさぎは明らかに動揺して、うつむいて固まった。

 それが大きな隙になった。

 うさぎがロッドから視線を上げた時、ドスマッカォは後方に飛びのいて尻尾で自身の身体を持ち上げていた。

 

「うさぎちゃん、危ない!」

 

 ルナが飛び込み、武器である骨のピッケルを振りかざす。

 渾身の一撃がちょうどうさぎに向かって飛んできたドスマッカォの横っ面に食い込み、自分を支えるものがない空中でバランスを崩したその長は、ひっくり返って地面に激突する。

 

「逃さない!」

 

 レイがマッカォの包囲陣を無理やり突っ切り、襲いかかる手下を切裂きながらドスマッカォに向かっていく。

 

 太刀による狩猟術の特性に『気を練り、斬れば斬るほどに威力を増す』というものがある。

 使用者は太刀に意識を集中させながら戦闘を行い、自身の戦闘本能を引き出すことでその攻撃力を底上げしていく。これを積み重ねることで、この細身の刀は、やがては鉄のような甲殻をも粉砕するのだ。

 レイは元々の戦闘的な性格と戦士という立場もあってか、その習熟は早い方だった。彼女は目を見開き、戦神のごとくドスマッカォの身体を斬りつけていく。

 

 一方の亜美は、なおもレイやうさぎに追いすがろうとするマッカォの掃討に携わっていた。

 ライトボウガンは、全体の状況を把握する冷静な判断力と、刻一刻と変化する戦況に合わせて即座に戦略を組み立て、実践する能力が必要である。この点彼女は役割に忠実で、レイが安心して攻撃できるよう周囲に散弾を撒き、マッカォたちを寄せ付けない。

 だがドスマッカォへの注意は漏らさず、隙を見ながら彼に出血性の毒を含んだ『毒弾』を撃ちこんでいく。

 毒が回ることでドスマッカォは消耗し、動きが鈍くなっていく。

 

「レイちゃん……亜美ちゃん……」

 

 うさぎはその様子を、その場の空気から取り残されたように呆然と見守っていた。

 

「はあああっ!」

 

 レイが練った気を開放して放つ連続斬りを放ち、頭めがけて最後の一太刀を振り下ろすと、ドスマッカォは僅かに身じろぎしたあと動かなくなった。

 ユージアルは、その光景を見て驚きの表情を隠せていなかった。

 

「……ちっ、思ったよりやるじゃないの。次の『材料』も考えなくてはね」

 

 彼女は舌打ちすると別の木へと飛び移り、残りのマッカォたちを連れながら消えた。

 

「あんたたち、今の村にはそうそう長くいれるとは思わないことね!この世界に、あんたたちの居場所なんてないのよ!」

 

 そう言い捨てられたうさぎたちは、ユージアルの消えていった森の奥を茫洋とした目で見つめていた。

 

──

 

 うさぎたちがドスマッカォ討伐に赴いた、その翌日。

 まこと、美奈子、アルテミスは約束通り納屋に監禁されていた。

 だが、部屋の中には太陽の柔らかい光が小窓から差し込んできて解放的な雰囲気を醸し出している。

 いま、彼女たちはやや粗末な昼食を摂ったばかりでどれもふて寝を決め込んでいる。

 見張りに挨拶してうさぎたちが木製の扉を開けると、三者とも音に気づいて重い目をこすりながら起き上がった。

 

「おかえり!もう帰って来たのか!」

 

 まことが出迎えの言葉を送ると、うさぎたちもただいま、とにこやかに答えた。それがどこかぎこちないことに、彼らは気づかない。

 

「どうだったんだ?妖気の正体は」

 

 アルテミスが真剣な表情で聞くと、2人と1匹が息を呑み見守るなか、うさぎたちはドスマッカォの討伐で起きたことを話した。

 

「信じられない話ね!」

 

 美奈子は眉根を寄せ、座り込んで膝に頬杖をついた。

 

「まさかデス・バスターズが復活するとはね。次は一体なにを企んでんのかしら」

「まずは、すぐイャンクックを狩りに行くわ。みんなを早くここから解放しないとね」

「前も思ったけど、なんでそんな素直に村長に従うんだい?あたしとしては、うさぎちゃんたちに嫌な思いをさせる奴らなんか、今すぐみんなぶん投げてやりたい気分だけどね」

 

 レイの言葉に納得できないようにまことが腕を組んで胡坐をかき、不服そうな態度を見せた。

 そんな彼女に、うさぎはしゃがんで真っすぐ視線を向ける。

 

「まこちゃんたちには辛かったと思うけど、みんな本当に良い人たちなのよ!誤解を解けばすぐ仲良くなれると思う!」

 

 そこで、うさぎは美奈子が笑顔を浮かべてこちらを見ていることに気づいた。

 

「あぁほんと、うさぎちゃんが変わってなくて安心したわ」

「変わってない?」

「ええ!そういう誰とも仲良しなところとかね」

 

 屈託なくそう言われたうさぎは、一瞬うつむいて視線を落とした。

 

「……ありがと!とにかく、行ってくる!」

 

 うさぎは元気のよい笑顔を見せて飛び出し、その後に亜美とレイも続いていったが、残された者たちは奇妙そうにその背中を見つめていた。

 



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霧の先に出会うもの⑥

 森の傍の道のように細い高台の上で、うさぎたちはイャンクックを待ち伏せしていた。

 レイの霊感能力が、操られたイャンクックは自分たちを迎え撃つべくここにやってくるだろうと告げているのだ。

 

「うさぎちゃん、いい?決して、ユージアルの言葉は真に受けちゃだめよ」

 

 ルナはうさぎの肩に乗っかって彼女に呼びかけていた。

 しゃがんで太刀の白刃を砥石で研ぎ終わったレイは、うさぎにその砥石を渡しながら、無言でルナの言葉に首肯した。

 それにうさぎは頷きつつも、その顔から憂鬱な表情は拭えていない。

 

「来たわ!」

 

 周りを見渡してライトボウガンをつがえていた亜美が、叫んだ。

 いつのまにか、空に動く点が見えていた。

 

「真っ直ぐ飛んでくる!」

 

 それを聞き、レイとうさぎは砥石を捨て、立ち上がって武器を構える。

 点がこちらに近づくにつれ、それは見慣れた形へと姿を変えてくる。

 イャンクックの身体は以前に増して妖気を夥しく帯びており、寒気がするほどの殺気を含んだ視線が、こちら目掛けて向かってくる。

 イャンクックは、滑空したままうさぎたちに勢いそのままに突っ込んできた。

 全員が横へダイブしてかわすと、その先の地面へ着地したその怪物は、首だけを振り向けて少女たちを睨み、唸った。

 

「ものすごい妖気の量だわ。恐らくユージアルが、あれからさらに妖気を植え付けたのね」

 

 レイが言っている横でうさぎは眉を顰め、目の前の哀れな操り人形を見つめていた。

 狂ったようにイャンクックが鳴き叫び、戦いは始まった。

 戦い初めてすぐ、うさぎたちはこの生物がハンターにとっては一つの関門であるという言葉の意味を知ることとなった。

 

 先陣を切って斬りかかろうとしたうさぎとレイの目前を、尖った桃色の尻尾が風を切りながら横切った。

 

「きゃっ……」

 

 うさぎが前に会った飛竜と同じように、前肢が変化した一対の翼を持つイャンクックは、回転しながら尻尾を振り回してくる。

 イャンクックはリオレウスよりも小さいが、それでも彼女たちの背を一回り上回る大きさはある。これでは、いくら攻撃専門のレイも無暗に近づくわけにはいかない。

 だがそこを補うように亜美が弾を撃ち、確実に攻撃を当てていく。

 

「みんな、今までのやり方は通用しないわ!ある程度の距離を空けて、つけいる隙を窺いましょう!」

 

 数発の弾がイャンクックの頭を掠め、嘴を削いで傷を作ると、それは亜美の方に振り向いた。

 イャンクックが何かを喉に溜めるように身体を仰け反らせると、その口から火炎が亜美に向かって吐き出される。

 慌ててそれを後ろに転がって回避すると、弓なりに目の前に落ちた火球は爆ぜ、大きく爆炎を上げて地面に焦げ跡を残した。

 

「これが……火炎液!」

 

 亜美はその実際の威力を目の当たりにし、恐ろしげに呟いた。

 いま彼女たちの身につける粗末な鎧、防具では、いとも簡単に燃え広がってしまうだろう。

 イャンクックは亜美ひとりに狙いをつけ、飛び込んでくる。

 次は横に走って避けた彼女の後ろの空間を、鋭い嘴が何度もつついた。

 

「やっぱり一筋縄ではいかないようね」

 

 亜美は、冷や汗を垂らしながら呟いた。

 その後は、防戦一方の状況が続いた。なにせ彼女たちの武器の性能や防具の状況も、この相手には十分とは言えない。あの『魔女』騒ぎのごたごたがあったせいである。

 従って、いかに攻撃を喰らわないかということばかりが注目され、肝心の攻撃は疎かになってしまった。

 

 狩猟開始から30分ほど過ぎたあとも、イャンクックは未だに健在だった。ここに来て、まったく疲れを見せることもなく暴れまわっている。

 しかも彼は妖気の影響か異常に執念深く、いくら撤退しようとしても追いかけてきて決して逃がそうとしない。

 その好戦的な性格、異常なタフネスと持久力は、以前の呑気な姿からは想像もできないほどであった。

 次第に、うさぎたちの動きにも疲れが出てくる。それだけ、実力にも差が顕著に出始める。

 

「このままじゃ……共倒れになるわ」

 

 ルナの分析は、まさしく今の危機的な状況をついていた。このままではいつ、誰が『狩られても』おかしくない。

 ここに来てうさぎの攻撃には、迷いがあった。確かに機敏には動けるが、それは敵の攻撃から身を護るときに限られ、いざ斬りつけるときとなるとその勢いが衰え、傷を自ら浅くしてしまうところがあった。

 

「どうしたのうさぎ、攻撃のキレが弱くなってるわ!」

 

 レイが叫び、うさぎは汗をたらりと垂らした。

 手が震え、足ががたつく。

 だが、それはレイの方も同様であった。

 肩が激しく上下させ、腕はだらんと下がり、太刀の切っ先を地面に摺っている。

 

 ふいに、イャンクックが身を屈めてから、翼を広げて突っ込んできた。レイはその対応が遅れ、硬い鱗が並んだ脚に跳ね飛ばされる。

 その場に倒れ込んだ彼女の手から太刀が飛んでいき、完全に無防備な姿を晒す。

 イャンクックはそれを見逃さず、レイをその視界に捉えゆっくりとにじり寄る。亜美が急いでその脚に弾を撃ち込むが、脚は弾を弾くほど固くて効き目がない。

 太刀に手を伸ばそうとするが、わずかに届かない。レイは後ずさろうとするがイャンクックの歩幅は大きく、あっという間に距離を詰められていく。

 

「レイちゃんっ!」

 

 そのとき、うさぎがツインテールを振り乱しながらレイの前に割って入った。

 咄嗟にうさぎが薙いだ刃が、偶然イャンクックの青い翼を深くえぐり取り、大量の血飛沫を高く舞わせた。

 イャンクックは絶叫を上げ、大きく身体をよろめかせる。

 うさぎは目を見開いて、自分でも信じられないように血まみれの片手剣を顔の前にかざし、わなわなと震わせていた。

 

「わかったわっ!」

 

 うさぎがびくっとして振り向くと、亜美が弾をリロードしながら叫んでいた。

 

「翼よ、翼が柔らかいわ!きっと、これまでの傷が一気に広がったのよ!」

 

 イャンクックが立て直そうとしたところに、亜美が傷ついた翼へ弾を集中させて撃つと、またしても痛みに飛び上がる。もはや、攻撃どころではないようだ。

 肩に手を置かれてそちらに振り向くと、レイが息を荒くしながら口元に笑みを浮かべていた。

 

「ありがと、ほんとに助かったわ。さあ、行くわよ!」

 

 レイは太刀を手に取って立ち上がり、イャンクックに斬ってかかる。

 うさぎはそれに同じく笑顔で返すもその口元は笑っておらず、たまらず逃げ出したイャンクックを追う2人の後に続こうとするときには目線を落として迷わせていた。

 

 弱点が分かってから、戦況は逆転した。

 

 それまで三人でばらばらに攻撃していたのを一つの部位に集中させることで、ダメージを与える効率は一気に飛躍した。

 追う側と追われる側は入れ替わり、あれほどの強さを誇っていたイャンクックは、巨城の一つの風穴が広げられ、崩れていくように追い詰められていく。あの恐ろしい攻撃も、直前の動作や癖を落ち着いて見抜き、攻撃が来る場所を避けて走れば回避は難しくはない。

 今までの地道な積み重ねが、弱点の露出と癖の把握というふたつの功を奏したのだ。

 

 森の中に狩りの舞台が移っても、彼女らの優勢は変わらなかった。

 じわりじわりと、イャンクックの傷が深くなり動きが鈍っていく。

 

 そんな中、イャンクックは決死の攻撃を仕掛けた。

 一気に口元を炎で燻らせ、何発もの火炎液を手当たり次第に吐き出したのである。

 だが、彼女たちにはもう通用しない。

 ろくに狙いも付けず、ただ恐怖から逃れるためだけに吐き出されたそれらを、少女たちはこともなく走って回避していく。

 レイの一太刀が胸から首にかけての部分を斬り上げて掻っ切ると、イャンクックはびくんと身体を震わせ、泡を吹いて脚を崩した。

 

「やったわ!もう、相手は虫の息よ……」

 

 ルナが興奮気味に叫んだが、次第に語尾を小さくしていく。

 その場の空気は、勝利の喜びを分かち合う雰囲気ではまるでなかった。

 

 地面に倒れ伏したイャンクックは、いままさに死の瀬戸際を迎えている。

 身体中に斬り傷と弾傷ができ、苦しげに唸っている。襟巻を窄めているのは、もはや戦えないほどに弱っている証拠であった。

 しばらく、少女たちは傷ついて呻いている怪物を沈黙の下で見守っていた。

 

 レイが、イャンクックの閉じかけの目を見つめるうさぎの横顔を、ちらりと見た。

 彼女は亜美、ルナと顔を見合わせて互いに頷きあい、口を開いた。

 

「……あたしが終わらせるわ」

 

 レイは太刀を振るって血を落とし、白刃を光に煌めかせながら獲物の前に歩み寄っていく。

 

 その直後、盾と片手剣が、一滴の涙とともに地面に落ちた。

 レイが反応する前にその腕が引っ張られ、彼女は後ろに倒れ込む。

 

「ごめん。やっぱりあたし、ハンターに向いてないや」

 

 前に飛び出していくうさぎのその手には、変身用コンパクトが握られていた。

 

「ムーン・コズミックパワー、メイク・アップ!」

 

 何束ものピンクのリボンが飛び出し、彼女の身体を覆う。

 つけていた防具が解き放たれて消え、眩い光とともに悪を撃ち祓う戦士、セーラームーンの姿が現れた。 

 うさぎ、セーラームーンはイャンクックの前に立ち、仲間たちと向かい合った。

 亜美が、彼女を引き留めようと前に進み出て叫んだ。

 

「うさぎちゃん、やめて!その力をここで使ってはだめよ!」

「……いつかはやると思った」

 

 レイは、立ち上がると厳しい視線でセーラームーンを見つめた。

 

「あんた、まこちゃんや美奈子ちゃんを助けられなくてもいいの!?こんなことじゃ、衛さんのところまで戻れないわよ!?」

「亜美ちゃんもレイちゃんも、本当は怖いくせに!」

 

 セーラームーンの叫びに、レイと亜美は言葉を詰まらせた。

 

「ドスマッカォと戦ったとき、2人とも完全にハンターの顔になってたわ。最初はもとの世界への戻り方を見つけるためにハンターになるだけだって言ってたのに、結局この世界にずぶずぶ浸かってきてる」

 

 彼女は、息が浅くなりつつあるイャンクックを見やった。

 その目尻から、涙が流れ始めていた。

 

「ここでこの子の命を奪ったら、あたしたち、正義の戦士を騙った偽物よ。もとの世界に帰ったとき、みんなに顔向けできない!」

 

 セーラームーンがそれ以上なにも言えなくなり、鼻をすすりながら涙を拭っているのを見て、レイと亜美は口を噤んでいた。

 ルナも、「セーラームーン……」と呟きながら、辛そうな表情で見つめていた。

 

 セーラームーンはイャンクックに向かうと胸元のコンパクトを空け、鏡面にその姿を映し出す。

 マゼンタの光が、オルゴールの音色とともに彼をまるごと包み込む。

 

「ムーン・クリスタル・パワー!」

 

 急速に、イャンクックの身体から妖気が抜けていく。

 同時に彼女たちがつけた傷も急速に癒えていき、光が収まったときには以前よりも生命力溢れる無傷の状態へと変貌していた。

 表情筋こそないが、まさに憑き物が取れたがごとくすっきりとした面持ちだった。

 彼は熟睡から覚めたように目を開けると、ゆっくりと立ち上がる。

 その目がうさぎたちを捉えた瞬間、驚いたようにびくっと身体を震わせる。

 

「ギャッ」

 

 イャンクックは怯えたような鳴き声をあげると、襟巻を窄めて背を向けてから、翼を広げ、飛び上がった。

 うさぎたちは、その青空に向かってゆく後ろ姿を、点になって見えなくなるまで見つめていた。

 クエスト失敗。

 理由は、狩猟対象が狩場から逃走したためとされた。



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月の光、それは導①

 シダが一面に生い茂る、蒸し暑い密林の一角。

 その地面を踏みしめていた、黒い靴の歩みが止まった。

 黒ハットと白いアイマスクを付けた男の顔が、弾かれるように青空に向いた。

 

「くっ……どこまで行ってもキリがないな」

「もうダメー!くたくたー!」

 

 その隣を歩いていた、ピンク色のセーラー戦士の幼い少女も立ち止まり、汗を額から落としながら手と膝を地面についた。

 

「オルゴールすら見つからないなんて……」

 

 タキシード仮面とセーラーちびムーン。

 彼らはドスマッカォにこの世界に放り込まれたあと、行く当てもなくジャングルの道なき道を彷徨っていた。

 この世界に入ってから既に数時間が経っていた。

 セーラー戦士たちの力を感じ取ることさえできれば彼らの向かう方向は定まるのだが、ここに来て未だにそのような兆候はない。だから、彼女たちは生きているに違いない、という根拠のない希望を元に旅をするしかなかった。

 

 ただひたすら、道なき道を進む。大地を蹴り、崖っぷちや小山をひとっ飛びで登っては降りていく。

 やがて彼らは、周りを崖と大河に囲まれた広場に出た。

 濁流が、真っすぐに大地を割るように貫いて横を流れている。

 辺りはスコールにより、異常なほど視界が悪い。

 

 このときだけは慎重に歩いて進んでいた彼らの前に、突然黒い影が現れる。

 

「あっ、『鳥』!」

 

 ちびムーンが、驚いて小さく声を漏らした。

 彼女たちの世界でオルゴールを奪い逃走した『鳥』──正しくは毒怪鳥『ゲリョス』──は、いま、岸辺に立って頭を河に突っ込み、水を浴びながら飲んでいる。

 

「ずっとご無沙汰だったが、まさかここで出くわすとはな……」

 

 奪われた星型オルゴールは幸いにもまだ口の端からぶら下がったままで、彼が頭を上下させるたびにキラキラと光を反射する。

 

「オルゴールも無事か」

 

 タキシード仮面は、ほっと溜息をついた。

 その時、空に咆哮が轟き雨音を破る。

 はっと上を見上げると、翼を持った影が視界を横切った。

 ゲリョスははっと顔を上げ、周りを見回しながら不安げに低い声で鳴いている。

 

「ド、ドラゴン!?」

「しっ」

 

 タキシード仮面はちびムーンの口を押え、すぐ傍の木の陰に隠れた。

 巨影は羽ばたきながら高度を下げ、白い靄の向こうで着地し、地響きを立てた。

 

 その巨躯は、人間である彼らではその翼の下にすっぽりと収まってしまうほど。

 全身は薄緑の甲殻に覆われ、人で言う肩に当たる翼の付け根には、鋭く黒い棘が何十本も生えている。

 鋭い兜のような頭の遥か遠く、ちらりと覗く尻尾の先にも棘がびっしりと聳え立つ。

 そんな全身に武器を生やしたような竜が、こちらに向かってのし歩いてくる。

 

 振り向いてその存在に気づいたゲリョスは驚いて口を開け、足元にオルゴールを落としてしまった。

 怯えたように後ずさりするが、後方の濁流がその逃走を拒んでいる。

 飛竜は、低く唸りながら口元に炎を燻らせた。

 

 口が開いた直後、巨大な炎の弾が撃ちだされる。

 火球が、真っ直ぐゲリョス目掛けて飛んでいく。

 着弾したそれは轟音とともに周囲を強烈に赤く照らし、爆発を起こす。

 

 爆煙がしばらく立ち上っていたが、突如それが中から散され晴れ上がる。

 ゲリョスの身体には傷ひとつなく、その前でタキシード仮面が、黒いマントを翻して盾のようにし、オルゴールをその手にもぎ取っていた。

 彼自身に外傷はないがマントや服は焼け焦げてボロボロの状態で、彼はよろめいてその場に膝をついた。

 

「タ、タキシード仮面!」

 

 慌ててちびムーンが彼の隣に駆け付けたところで、ゲリョスは翼を広げてばたつかせながら走り去っていく。

 あとに残ったのは、緑の飛竜と人間2人だけだった。

 飛竜は忌々しげに鳴いたあと、目標を切り替え真っ直ぐこちらに向かって走って来る。

 巨体と重量に任せて、自身を阻む木をまるで小枝を折るかのように簡単に薙ぎ倒していく。

 その脚が地面を踏みしめるたび、地震のような振動が足を通して伝わって来た。

 

「アルテミスが言っていた通り、私たちはとんでもない世界に来てしまったようだな!」

 

 タキシード仮面がちびムーンを抱えて後方に飛びのくと、直後にそこを飛竜が通り過ぎ、大量の土や枝を高く跳ね上げた。

 そのまま駆け抜けると思いきや、飛竜は踏ん張って切り返し、反転して再び突進を仕掛けてくる。

 予想外の機敏さにすんでのところで避けると、耳のすぐ横で、牙が並んだ顎がばちん、と嚙み合わされる音がした。

 すぐさまタキシード仮面はステッキを伸ばし、飛竜の首を突いた。ちびムーンも一緒に、ロッドからピンク・ハート・シュガーアタックを放つ。

 だがそれらの攻撃は鎧のごとき隙のない甲殻に阻まれ、小さな火花を散らしただけだった。

 飛竜はあざ笑うかのように鼻を鳴らすと、棘だらけの丸太のような尻尾を持ち上げ、意味ありげに揺らした。

 

「危ないっ!」

 

 タキシード仮面は反射的にちびムーンを庇い、その背中に鞭のように飛んできた尻尾の一撃を受けた。

 ほぼ真横に2人は吹っ飛ばされ、木に背中をぶつけ、地へと落ちる。

 タキシード仮面の胸から這いだしてきたちびムーンが、ロッドを飛竜に向かって構えるが、その手は恐怖に震えていた。

 飛竜は走って追ってこなかった。その代わり、口内を先ほどよりも一層燃え滾る炎で照らしている。

 

「逃げろ、ちびムーン……」

 

 苦痛に歪んだ顔で、目を閉じかけながら呟いたときだった。

 彼の脳裏に、一筋の電撃のような感覚が迸った。

 あまねく者を等しく包み込み邪悪から解き放つ、慈愛に満ちた光だった。

 タキシード仮面の目が、一気に開かれる。

 

「……セーラームーン!」

 

 彼は、ちびムーンを抱えて跳んだ。

 直後、地面に青白さを伴った火球が着弾し、拡散するように連鎖して大爆発を起こした。木々や地面が焦げた破片となって弾け飛ぶ。

 2人は爆風に煽られながら遠くへ着地し、ちびムーンが下ろされると彼らは互いに顔を見合わせる。

 

「ちびムーン!」

「うん、感じた!あっちからよね!」

 

 タキシード仮面の呼びかけに、ちびムーンは激しく首肯してひとつの方角を指さした。

 今の感覚の意味は、この世界のどこかでうさぎがセーラームーンの力を使ったということだ。

 

「うさこが……生きている!」

 

 拳を握りしめたタキシード仮面の声は、感激に満ちていた。

 先ほどまでより、彼らの立ち姿に力が漲っている。

 そのとき、ちびムーンが何かに気づいて飛竜に注意を向けた。

 

「見て、あのドラゴン、元から怪我してるわ!」

 

 こちらに向き直った飛竜の顔には、大小の白い亀裂が入っている。いかにも固そうな鱗も、何枚か剥されたような跡があった。

 一番傷がひどかったのは翼だった。左の翼の先端にある爪が、根元から直線を引いたように寸断されている。

 タキシード仮面は静かに頷き、その手の指の間に薔薇を出現させて構えた。

 

「ならば、倒せなくとも目くらましはできよう」

 

 飛竜が、再び真っ直ぐこちらに向かってくる。だが、今度は避けようとはしない。

 タキシード仮面の投げた薔薇が、ダーツのように額の傷に深く突き刺さった。

 飛竜は驚いて顔を背け、悲鳴を上げながら頭をあちこちにぶつけ、擦り付ける。

 先ほどと同じく火球を吐くが、そのいずれも検討違いの方向である。

 それを見届けたタキシード仮面たちは、その隙に川と崖に挟まれた細道を急いで駆け抜けていった。

 

 走り続けて数分ほどが経ったが、何の気配も追ってこない。

 どうやら、飛竜は2人の追跡を諦めたようだ。

 大瀑布が望める崖の上で立ち止まると、ちびムーンはタキシード仮面の胸に飛びついた。

 

「やったわ、タキシード仮面!」

「いいや。これも君がしてくれたアドバイスのおかげだ」

 

 タキシード仮面は微笑して彼女を抱き下ろすと、胸元からオルゴールを取り出した。

 泥にまみれてはいるが、しっかりと原型は留めている。

 彼は、ちびムーンとともにその宝物を柔らかい表情で見つめたあと、それを合わせた両手の中に握りしめ、額にぴたりとつけて目を閉じた。

 

「セーラームーン……本当に君を信じて、よかった」

 

 ちびムーンもその大きな手に自分の手を被せ、笑顔で彼の言葉にゆっくりと頷いた。

 そのとき、上空を大きな影が通り過ぎていく。

 薔薇の花びらが、その影からはらりと離れ、風に煽られながら彼らの足もとに落ちてきた。

 

「あの方向……」

 

 緑の飛竜が遠くに飛んでいくのを見つめていたちびムーンが、不安げに呟いた。

 

「我々と同じ方角に向かうか」

 

 その向かう方向は、彼らが目指している方角と一致していた。

 タキシード仮面は、ぐっと表情を引き締めた。

 

「出くわさないよう、気を付けなくてはな」

 

 タキシード仮面のみならず、セーラー戦士の移動する速度はあの飛竜の飛ぶそれにも迫る。

 だが、この状況で下手に相手に姿を見せれば、また厄介な事態を招きかねない。

 そのため彼らの移動は、常に物陰に隠れながら飛竜を追うような形になった。

 更に不思議なことには、飛竜の飛ぶ方角はずっと一定だった。まるで、飛竜も何かを追っているような動きだった。

 

 その後も、2人はセーラームーンの力を辿って大地を駆け抜けていく。

 2時間ほど後、陽は傾き、ほぼ山脈の向こうに沈みかけていた。

 終わりがないように思われた鬱蒼とした密林も、少しずつ植物の密度が減って草原や低木が増えて来る。北方に向かっている証拠だ。

 

 事件は、再び森の中を跳び、駆けているときに起こった。

 2人が蔦をかき分けているとき、すぐ近くから聞きなれたやかましい鳴き声が聞こえてきた。

 げっ、とちびムーンが露骨に嫌な顔をした。

 

「ちょっと待ってよ、こんなところまで?」

 

 木陰と茂みに隠れて外の開けた空間を見ると、あの『鳥』、ゲリョスがこちらに向かって翼を広げて走ってきていた。

 トサカが取れた焦げた頭から、さっき出会ったのと同じ個体ということはすぐに分かる。

 

「さっきの『鳥』だ。あいつ、まだ逃げてるのか?」

 

 タキシード仮面は、数時間前とほぼ変わらない逃げ足の速さに呆れつつもそのまま様子を見守った。

 やがて、ジャラ、ジャラ、と金属同士が擦れ合う一定のリズムを刻みながら、3つの影が向こうから駆けてくる。

 

「なに、あれ……人?」

 

 ちびムーンが、そう言ったきり言葉を失った。

 叫び声からして、男女混成の3人組のようだった。見たこともない鎧や身の丈を超すほどの巨大な武器を身につけ、しきりに何かを怒鳴っている。

 大砲を背負った鎧姿の年配の男が叫ぶと、隣の長身の若い男が薙刀を振り回し、人の頭ほどのサイズがある甲虫を放った。

 虫はゲリョスの頭の周りを軽快に飛び回り、意識を撹乱させる。

 その隙を見て、一人の軽装の女が、細い身体からは意外に思えるほど筋肉質な腕で弓をつがえた。引き絞って放たれた数本の矢はその身体に深々と突き刺さり、ゲリョスは絶叫を上げる。

 

「何が、起こってるの」

 

 ちびムーンはただただ目を見開いて、目の前の光景を見つめることしかできない。

 ゲリョスは3人から振り返り、逃げだそうと森の方へ振り向いた。

 そのとき、タキシード仮面たちから少し離れた茂みが動いた。

 

 驚いて声を上げる暇もなく、もう一つの人影が戦場へと飛び出す。

 ほぼ裸同然の姿で全身に骨を纏った若く逞しい男が、鉄でできただけの無骨な鈍器を構えてゲリョスへ真っ直ぐ突っ込んでいく。

 頭の近くまでいくと、彼はぎらついた目で相手を睨んで雄たけびを上げながら、その得物を思い切り振りかぶった。

 

「え……」

「見るな!」

 

 ちびムーンの両目を、タキシード仮面が塞いだ。

 直後、固いものを叩き割る音が響いた。

 




実写版セラムン最高でした。バランス保つことは大前提で、もっとセラムン側の人物の心情描写をこだわりたいな。
あと、何故か旧アニ設定なのにまもちゃんのオルゴールが懐中時計になってました。修正しておきます。


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月の光、それは導②

 今日も変わらず、空は青く、雲は白い。

 その下の緑の丘の上、うさぎはひとりで座り、空を見て黄昏ていた。

 周りに、仲間たちはいない。ここに最初に来たときと同じ、独りぼっちだった。

 

「そろそろ行かなくっちゃ」

 

 うさぎは呟くと立ち上がり、坂を下って川に沿って歩き始めた。

 

 手ぶらで村に帰ってきたうさぎたちに対する村長の反応は、冷たかった。

 彼女たちは最初、イャンクックから邪悪の気がなくなったことで村への脅威は去ったと主張したが、そんな言い訳が通じるわけもなかった。あくまで村長が要求していたのは『討伐』なのだ。

 ココット村に村民の姿はなく、あの老ハンター、マハイの姿もなかった。

 まもなく亜美、レイ、ルナまでが納屋へ拘束され、彼女の仲間たちとは一切の面会を禁じられた。

 納屋に連れていかれるときの彼女たちの表情は、悲しそうだった。

 

 本来ならば容赦なく村から追放であるところを、村長は村の者たちからの情状酌量と言って『特例中の特例』、つまりは最後のチャンスをくれた。

 

 その狩猟対象の詳細を聞かされたとき、うさぎは背筋を強張らせた。

 なんでも、そのモンスターは黒い霧に侵されてはいないものの、この数ヶ月で凶暴化したらしく、村長はこれも『魔女』のしわざと考えているらしい。

 

「奴を単独で完全に討伐するまで、この村への帰還は一切禁じる。失敗すれば、強制的にギルドへお前たちを引き渡すこととなろう」

 

 感情の見えない顔で、村長はそう言った。

 当然、防具は革と毛皮で出来ていて『鎧』というにはあまりに燃えやすく柔すぎるし、武器は、鉄の塊を剣の形にしただけである。

 まるで、ここでくたばれと言われているかのような装いだ。あるいは、魔女だからそう簡単に死なないだろうと村長は思っているのか。彼女にはその真相は分かりかねた。

 

 うさぎは前にイャンクックと戦った道を経由し、天高く聳える岩山へと向かった。

 やがて、高度がかなりある崖の上にできた、大きな広場に出る。狩人の間ではエリア4と呼ばれる場所で、前には高台の上に岩山へと続く洞窟、周囲には岩肌を覗かせた丘陵が見えている。

 彼女はあらかじめ、砥石で武器を研いでおく。だが、その手は途中で止まった。

 

 太陽を、大きな影が覆いつくす。

 うさぎは立ち上がってその影の正体を見上げた。

 

 空の王者、リオレウス。

 

 彼女が最初に対峙した赤き飛竜が、目の前に姿を現わした。

 改めて周囲を見渡したが、やはり誰もいない。

 

「……こんなことになることくらい分かってたのに」

 

 うさぎは虚しい笑みを浮かべ、零れるように涙を流しながら呟いた。

 

 彼の吐いた火球が、隕石のように落ちてくる。

 それはうさぎのすぐ目前に着弾し、少女の小さく、陶器のように白くて華奢な身体が真後ろにぶっ飛ばされる。

 

 後方にあった岩に後頭部を強打し、反動で弾かれるようにして仰向けに地面へ倒れ込んだ。

 しばらくして、頭を押さえながら立ち上がる。

 リオレウスは容赦なく空中から飛びかかってうさぎを右脚で捕えると、何度も地面に叩きつける。

 だが、彼女の身体は潰れない。

 防具の下にある魔法の力が彼女を護っている。擦り傷と切り傷だけがただただ増えていく。

 ふと彼は脚に込める力を緩めた。

 その飛竜は、うさぎの精気を失った顔をじっと睨み、見つめる。

 

「まさか……覚えてるの?」

 

 リオレウスは、より一層憎悪と憤怒の感情を剝き出しにして、歯を食いしばって唸った。

 

 彼は、彼女を掴んだまま飛び立った。遥か高く、身体が寒さを感じる高さまで。

 急速に、風が身体を吹き抜ける。

 うさぎは後ろに振り向かなかった、いや、振り向けなかった。

 

 突如、吹きつける風が止んだ。

 息が詰まるような時間を翼がはためく音がしばらく満たすと、直後、ふわっと身体を締め付ける感覚がなくなった。

 

「あっ……」

 

 リオレウスは、樹海の遥か上空でうさぎを手放した。

 この飛竜の王は、この小さな生き物は炙って締め付ける程度では死なないと、理解していた。

 ぐんぐんと、小さな身体が森の中へと落ちていく。

 重力に従うにつれ強くなる風が、体温を奪っていく。

 自分を見つめる影が、急激に小さくなっていく。

 

「まも……ちゃ……」

 

 その名を口にした直後、激しい衝撃とともに何もかも分からなくなった。



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月の光、それは導③

 意識を取り戻したとき、うさぎはベースキャンプのベッドの上に寝転がっていた。

 クエスト開始から、3時間ほどが経っている。時は既に昼を過ぎ、傾きかけた太陽の木漏れ日が、キャンプの空間を柔らかく照らしている。

 

「……あたし、あの時落とされて……」

 

 クエストの失敗条件として代表的なものに、『3回戦闘不能になる』というものがある。

 あまりに大きな傷を受けて失神したハンターは、ギルドと契約したアイルー……猫の獣人のような種族が引く荷車『ネコタクシー』によってキャンプに戻される。

 無論生命を保っていればの話だが、命懸けの仕事であるハンターの生存率を少しでも上げるためのシステムだ。

 

 うさぎはまだ覚束ない足取りで立ち上がってテントから出ると、まず青いボックスを覗く。ここには狩りに使う薬や食料など、村やギルドからの支給品が入っている。彼女のような初心者は決まってお世話になるものだが、意外なほどその品揃えは潤沢だった。

 

 ビンに入った緑色の液体は応急薬。飲めば身体の回復力が急速に上がり、大抵の外傷はこれで治る。

 乾いた干し肉のような小さい固形食は携帯食料と呼ばれており、これを食べることでスタミナが上がる。

 

「うっへぇ……」

 

 うさぎはそれらを見て渋い顔をしたが、仕方なさそうにそれらを腰に付いてあるアイテムポーチに放り込んでいく。

 これらのアイテムが重要視されているのはあくまで保存性と効力であり、その味はお世辞にも良いとは言えない。だが、そんなことで文句を垂れている暇など、今の彼女にはなかった。

 アイテムを取り出すときにふと見ると、うさぎの白い腕にはいくつもの細かい切り傷が出来ている。上空から落下したときに、枝と擦れたのだろう。

 彼女はテント内の床に腰を下ろし、応急薬のビンを開けるとその中身を自身の傷に振りかけた。途端に白い蒸気が上がり、うさぎは目を細め痛みに耐える。傷は数秒もしないうちに塞がったが、肌にはどうしても跡が残る。

 

「傷、いつまで残るのかな……」

 

 うさぎはその傷跡を涙を浮かべて眺めたあと、直後に涙を振り払うように立ち上がった。

 

「しゃんとしなさい、あたし!絶対に村にいるみんなを救えるのはあんただけなのよ!」

 

 自らを鼓舞し、両頬を叩いて気合付けをした彼女は勢い込んで丘を下っていく。

 

 だが実際にリオレウスを目の前にすると、その言葉も意味を成さなかった。

 次に彼と出会ったのは、先ほどの戦場より山から離れた、崖っぷちの小道と木が生える広場で構成されたエリアだった。

 リオレウスは再び出会った因縁の相手に、容赦なく突っ込んでくる。

 

「動いて、あたしの腕……!」

 

 急いでその迫りくる巨体を避け、横から刃を首の鱗へ叩きつける。

 カァンッ。

 驚くほど軽い音とともに、刃は火花を立てて弾き返された。

 うさぎは、唖然として先っぽが欠けた片手剣を見やる。

 リオレウスはじれったがるように首を振るだけだった。

 

 突然、リオレウスがその場で飛び上がる。その風圧にうさぎは腕で自身の身体を守るが、そこで隙が生まれた。

 リオレウスは彼女の頭上を掠め、すれ違いざまに彼女の身体を弾くように爪で小突く。

 

「あうっ……」

 

 彼女が崩れ落ち、まずいと思ったときには既に遅し、リオレウスはうさぎの背後に回り込んでいた。

 すかさず彼が火球を吐くと、それはうさぎの背中に真っ直ぐ向かっていく。

 

 爆発。

 

 うさぎの防具の背中が蒸発してはじけ飛び、白いレオタード状の戦士服が露わになる。

 リオレウスは攻撃の手を緩めず、今度は口に溜めた炎を空中から火炎放射のように薙ぎ払い、追撃を加える。

 草原に大量の火の粉が舞い、たちまちのうちに辺り一面を黒く焦がす。

 

 うさぎの防具はほぼ破け、彼女はほぼセーラー戦士、セーラームーンとしての姿になっていた。

 いくら頑丈なセーラースーツといえども、何かの拍子で変身が解ければ彼女になすすべはない。

 彼をやらねば、こっちがやられる。

 それでも、彼女の剣の柄を掴む手には力が入らない。

 

 リオレウスは、翼をはためかせて遥か上空へと舞い上がる。

 それは、どう見ても逃げるためではない。彼の視線は、明らかに地上のセーラームーンに向いている。

 まさに鷹が獲物を狙うがごとく構えられた脚の爪が、太陽の光を受けて光った。

 

「もう、こんな世界、いや……」

 

 歪む視界の中、大きな影が真っ直ぐ脚を向けて落ちてくるのが見えた。

 意識が途切れる直前、彼女の身体を何かがさらった。

 

──

 

 月明りの下、衛とちびうさは見晴らしのよい丘の上で変身状態を解いて焚火を囲んでいる。

 彼ら2人も飛竜も、かなりの長距離を移動した。かなり植生も変わり、気温もかなり涼しくなっている。

 ちびうさは胡坐をかいた衛の脚の上に横向きに寝っ転がり、火を眺めながら頭を優しく撫でられていた。

 

「ねえ、まもちゃん」

 

「なんだ、ちびうさ?」

 

 呼びかけたちびうさは、寝返りを打って衛の瞳を覗いた。

 

「結構前の話だけど、あたしが『セーラームーンって強い?』て聞いたら、まもちゃんは無敵だよって答えてくれたよね?」

「ああ、そうだったな。もしかして、あのドラゴンを見て不安になったのか?」

「ううん。そんなことは全然ないんだけど……」

 

 首を振りながらも、ちびうさの表情は不安げだ。

 

「うさぎ、ここにいる間に変わっちゃってたりしないかな?」

「どういうことだ?」

「あの、今日の」

「……ああ」

 

 衛は、僅かに震えたちびうさの背中を優しくさすった。

 結局あの『鳥』が人間たちになぶられるのを垣間見たあと、すぐに2人は気づかれないようにその場を去った。だが、ちびうさの脳裏にはあの光景がまだ鮮烈に刻み込まれているようだった。

 

「多分、あのドラゴンの傷もああいう人たちが付けたんだよね?もしも、うさぎたちがあんなに躊躇なく生きものを傷つけて、殺すようになってたら……」

 

 ちびうさは一旦言葉を切ってうずくまり、赤い瞳で衛を見た。 

 

「まもちゃんは、うさぎを受け入れられる?」

 

 衛はしばらく黙って考えていたが、やがて口を開いた。

 

「受け入れるもなにも」

 

 視線をちびうさでなく焚火へと送る衛の顔は、いつの間にか厳しいしかめっ面になっていた。

 

「うさこは俺の一部だ。こんなに会いたいって気持ちが強まっているんだから」

 

 彼がちびうさに顔を向けたときは穏やかな表情に変わっていた。

 

「とにかく、俺はうさこがどうなっていたとしても受け入れる」

 

 それを聞いてからしばらくして、ちびうさは首を横に振って微笑んだ。

 

「……その言葉を聞けて、あたし、本当によかった」

 

 衛はゆっくりと頷くと目線を上げ、満天の星空を望んだ。その中に一つ、綺麗な満月が浮かんでいる。

 それを見つめながら、衛は呟いた。

 

「早く君に会いたい、いや、会わなきゃいけない」

 

 そのとき、ガオォォン、と金属を打ち鳴らすような音が遠くから聞こえた気がして、衛は眼下の森に目を向けた。

 夜の黒に覆われた森から鳥たちが一斉に逃げ出し、群れが海面のように乱雑に波立っている。

 遅れて大きな影が森から飛び立ち、鳥たちを更にかき乱しながら向こうに飛んでいく。

 大きな影は、目指す方向からしてあの緑の飛竜で間違いないだろう。だが、最初の金属音の正体は分からない。

 

「……何か、胸騒ぎがする」

 

 衛が声をかけようとしたときには、膝元の少女は既に安心したように、すぅすぅと寝息を立てていた。

 衛はタキシード仮面に変身し、ちびうさを起こさないようにそっと抱きかかえると、早速丘から飛び立った。



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月の光、それは導④

 これで、2回目。

 ベースキャンプ前、うさぎの身体が荷車から放り出された。

 彼女は為すがされるまま転がり、仰向けになった。

 そのまま起き上がらず、彼女は呆然と空を見続けている。

 もう、夕方だ。

 既に陽は沈みつつある。

 

「……」

 

 そのままの状態で、5分、10分と時間が経った。

 空の色が、はっきり明るい部分と暗い部分へと分かれていく。

 

「やっぱり、あたしには無理なんだ」

 

 うさぎが目を閉じ、暗闇に意識を埋めようとした、その時だった。

 テントの陰から、ルナによく似た青い瞳の黒猫がひょっこりと顔を出した。

 思わず、うさぎは起き上がった。

 

「うさぎさん……でしたかニャ?」

「え?」

 

 黒猫は地を駆けてくると後ろ脚で立ち上がり、うさぎの顔をまじまじと見ながら聞いた。

 

「もしや貴女、あの時助けてくれた『魔女』様じゃないですかニャ?」

 

 それを聞いて、うさぎのツインテールが一瞬飛び上がった。

 彼は、彼女たちがココット村に着く前に出会った、ルナを助け、ランポスに襲われかけていた猫だった。

 

「え、ええ!?な、なんでよ!?」

 

 明らかに狼狽するうさぎを見て、その黒猫はポリポリと頭を掻く。

 

「いえ、ボクがリオレウスの前で貴女をタクシーに乗せたとき、救っていただいたときと同じ姿だったものですから……」

 

 その時うさぎははっとして、やっと自分の姿に目を向けた。

 防具が腰と脚の部分を残してほぼ焼け落ち、戦士服が丸見えになっている。

 

「え、えーっと、これは……」

 

 人差し指を突き合わせて次の言葉を迷っているうさぎを見て、黒猫は手を地面について何度も頭を下げる。

 

「やっぱり!本当に、あの時はありがとうございましたですニャー!この恩をどう返すべきか分かりませんですニャ!来週あたり、ボクらの住処で宴をやるから是非とも来て欲しいですニャ!」

 

 うさぎの瞳に明るい色が浮かんだが、すぐにその顔は哀しみに沈んだ。

 

「……ごめんなさい。あたしたち、もうすぐ村から出ていくの」

「え?どういうことですかニャ」

 

 首を捻った黒猫に、うさぎはこれまでの経緯をすべて話した。戦士の姿を見られた以上、もう正体を隠す意味もないので自分の正体についても喋った。

 事の真相を知るにつれて、黒猫の顔は驚愕に満ちていった。

 

「なんだか夢のような話だけど……あんな光景を目にしたら、認めざるを得ないニャ。それにしても、ありえないことですニャ!あのココットの英雄がそんなひどい意地悪をするなんて!」

「ココットの英雄……?」

「ご存じないですかニャ?村長はココットの英雄とも言われる、とっても、とーっても偉い御仁なのですニャ!」

 

 そこから黒猫は、村長の名誉のためにと言って、この世界に伝わる伝説を簡単に語ってくれた。

 

 ハンターという職業が生まれる以前、この世界の人々は今よりもっと過酷なモンスターたちの脅威に晒されていた。

 モンスターが来た時、人々は嵐が過ぎ去るのをただ耐え忍び、目の前で家が壊され、家族が食われるのを見届けるしかなかったのである。

 そんな中、とある小さい村を、一本の真紅の角を持つモンスター『モノブロス』が襲った。

 人々が絶望に暮れたとき、とある青年が立ち上がった。諦めて逃げ出す者もいるなか、彼は自然の脅威と単身で戦うことを決意し、奴の棲息する砂漠へと向かった。

 青年は二振りの片手剣と、ほぼ裸同然の簡素な防具しか持っていなかった。

 

 狩りは、1週間続いた。

 それは、狩りというよりは正に生き残りをかけた『死闘』であった。

 

 7日目。

 食料も水も尽きた末、彼は無心の境地から放った一撃で真紅の角を根元からへし折り、討ち倒した。

 この出来事は人々に『人はモンスターに立ち向かえる』という勇気を与え、今のハンター稼業の基礎となったのである。

 以来、モノブロスを単身で狩ることは、ハンターたちの間で『英雄』の条件となっている。

 一通りその話を聞いたうさぎは顔をしかめて、疑惑に満ちた視線を黒猫に向ける。

 

「あのよぼよぼのおじいちゃんが?」

「とは言っても、百年以上前の話だからあやふやなところもあるし、御本人もよく覚えていないととぼけてるニャ。でも、あの人がハンターという仕事の起源であることは紛れもない事実ですニャ」

「へー……って、百年以上前!?」

 

 納得しかけたうさぎから、思わず驚きのあまり素っ頓狂な声が出る。

 

「長命な竜人族の存在も知らないとは……さぞかしうさぎ様の故郷とは変わった場所なのでしょうニャ」

 

 そんなことより、と黒猫は話を戻す。

 

「とにかく、相手が何者だろうと、あの英雄様がそんな単純で短絡的なことをするわけがないニャ!ましてや、貴女のような御方に!絶対に何か、特別な訳があるはずニャ!」

「そうかなぁ……」

「それにしてもこんな事態、マハイ殿も黙って見ているとは思えないのですがニャ……」

「マハイさん?貴方、あのおじいちゃんも知ってるの?」

 

 そう聞かれた黒猫は、勢いよく頷いた。

 

「あの方はかつて、別の地域からボクらの集落を襲ってきた飛竜を、あっという間に退治してくださったのですニャ。普通なら誰も相手にしない依頼書を、あの人だけが受け取ってくれたのニャ。それが最初の出会いですニャ」

「えっ、貴方たちが困ってるのに、他のハンターさんたちは助けてくれなかったの?」

 

 黒猫は、ちょっときまり悪そうにうつむいて焚火を見つめた。

 

「ボクのような黒い毛並みの『メラルー』には手癖が悪い奴が多いから、ものを盗まれる側のハンターさんたちからはとっても嫌われるのニャ。だから、助けてくれた理由が分からなくて聞いてみたら、ボクらがなくなれば住処の一帯の植生への手入れがされなくなり、そこにある貴重な生物や生態系が失われるから、と」

「あの人、そんなところまで……」

 

 うさぎは、途方に暮れたように空を見上げた。もう、一番星が見えている。

 

「すごいなぁ、村長もマハイさんも。あたしには出来ないことばっかり」

「生命のありのままの姿と真っ直ぐぶつかり合い、その中で共に生きる境界線を考え、求め続ける。それが自分の思うハンターの在り方だからと、マハイ殿は仰られていましたニャ。ならば、これまでたくさん悩んで、頑張ってきたうさぎ様も……」

 

 必死に訴えるメラルーの瞳に、涙が浮かんでいた。

 

「うさぎ様も既に、立派なハンターですニャ」

「あたしが……立派なハンター?」

「そうですニャ!本当の姿がどうであったとしても、貴女は歴としたハンターですニャ!」

「でも、あたしは……」

 

 言葉が続かなくなったうさぎはしばし迷うように視線を巡らせたあと、目を閉じて膝の間に頭を埋めた。

 彼女がじっとうずくまっているのを、メラルーは静かに見守った。

 しばらくして彼女が再び立ち上がったとき、空には無数の星、そして満月が浮かんでいた。

 うさぎは残った支給品を持ったあと、キャンプの出口に向かった。

 

「行かれるのですかニャ」

 

 うさぎは足を止めて振り向き、頷いた。

 

「うん。ここでくよくよしてても、何も始まらないから」

「うさぎ様。こういう時にハンターさんたちの間でよく言われる言葉がありますので、それを貴女に贈りますニャ」

 

 彼女が首を傾げると、メラルーは言った。

 

「狩りは2回力尽きてからが本番、ですニャ」

 

 うさぎは微笑み、再び戦場に向かって歩いていく。 

 メラルーはうさぎが出ていく姿を見送ると、しばらく考えたあと身を翻し、全速力で駆けていった。



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月の光、それは導⑤

 夜の森丘は、月明かりに包まれている。

 見慣れた曲がり角を曲がり切り、視界が開けた。

 リオレウスは仕留めたアプトノスを乗るように掴み、喰らっていた。

 まるで彼女の到来を待ちかねていたかのように、飛竜はゆっくりと鎌首もたげて振り向いた。

 

「……勝てる、かな」

 

 うさぎは、立ち竦んでいた。

 見つけたはいいものの、今の状況は絶望的である。

 目の前には、空を飛び火を吐く強大な竜。

 対して彼女を護っているのは、もはや脚の部分しか残っていない毛皮の防具、最悪な切れ味の武器。

 あの伝説と違うと言ったら、回復のための支給品はきちんとあることくらいか。

 

「あっ……」

 

 小さく声を上げ、目を見開いた彼女の髪を、リオレウスの咆哮が揺らす。

 

「村長、そういうことだったのね」

 

 咆哮が止み、束の間の沈黙が訪れた。

 場違いなほど穏やかな風が頬を凪ぐ。

 うさぎは、自らの胸のコンパクトに手を伸ばし、掴んだ。

 彼女は戦士の力を解放し、完全にセーラー服美少女戦士、セーラームーンの姿となった。

 彼女は、剣をリオレウスに真っ直ぐに向ける。

 

「あたし、やっと分かった!」

 

 セーラームーンは、剣を勢いよく引き抜いた。

 リオレウスは、もはや回りくどく空中戦を仕掛けることなどしない。

 ただ、真っ直ぐ突っ込んでくる。それだけで大概の獲物は蹴散らせるのだ。

 それを、セーラームーンはそれを真っ直ぐに見つめている。

 

 彼女は息を吐き出しながら、剣を力任せに振り下ろした。

 彼女の振り方は、あまりに拙く大雑把だ。

 その一撃は、リオレウスの目元に少しの傷を残しただけだった。

 

 だが通り過ぎたリオレウスの動きが止まり、振り向いてじろりと彼女の瞳を見つめてきた。

 さっきまでとは何かが違う、と感じたようだった。

 

「確か、あの人は……」

 

 見つめ合いながら、セーラームーンは思い出すように呟いた。

 その後も、彼女は攻撃をすることはない。

 ただ相手の攻撃を避けることに専念し、様子を見る。

 すると、次第に相手の動きの癖というものが分かって来る。

 それがマハイの教えの基本だった。

 

 口元に焔を溜めたら、遅からず何らかの形で炎を吐いてくる。その威力こそ圧倒的に高いが、動作は大振りだ。潜り込めば相手は空撃ちせざるを得なくなり、むしろ攻撃のチャンスに変わる。

 だが、欲張ってむやみに近づけば、尻尾を振り回したり噛みついてきたりする。これも十分に痛い。

 つまりは、攻撃できるところで攻撃する。無理はせず確実にチャンスを逃さないのが、狩りの基本なのだ。

 

 攻撃と攻撃の間の僅かな隙をついて、かすり傷を付けていく。

 数十分も経てば、戦場は穴ぼこだらけの焼け野原と化していた。

 セーラームーンも流石に疲労し、思わず足が地面の凸凹に引っかかってこけた。

 リオレウスが火を吐くため喉を仰け反らせたのを見て、彼女は剣と同じ、やや頼りない大きさの鉄製の盾を無理矢理に持ち上げ、構えた。

 

 だが、いつまで経っても衝撃は来ない。

 見てみれば、あれほどまでに猛り狂っていたリオレウスが弱々しく涎を垂らしている。

 彼はもう一度炎を吐こうとするも、一瞬口から燃えカスのようなものが漂っただけだった。

 続いて走って突っ込んでくるも、その動作は緩慢で避けやすく、途中で足がもつれるように倒れ込む。明らかに踏ん張りが足りていない。

 

「疲れてる……?」

 

 何度も敗北し、逃げ回っていた今までの時間は決して無駄ではなかった。

 セーラームーンは息をひとしきり吸うと、柄を握りしめ突進した。

 懐に飛び込み、既に治りかけた傷の上を新たな傷で上書きする。

 リオレウスの頭や脚の甲殻の隙間から、血が滲み出し始めているのがちらりと見えた。息遣いも、荒くなってきている。

 不意にリオレウスが翼を広げた。

 

 セーラームーンはポーチからピンク色に練られた玉を取り出し、投げた。

 彼女が放った『ペイントボール』は飛び上がりかけたリオレウスの表皮で弾け、ピンク色の靄を吐き出した。

 直後に巨体が地から離れ、たちまちのうちに遠ざかっていく。

 

「に、逃げた……」

 

 セーラームーンは力が抜けたようにその場にへたれ込み、自分の言葉そのものに信じられないように呟いた。

 あの空の王者リオレウスが、初めて彼女の前から逃げた。

 だが、見失うことはない。あの匂いが、獲物の位置を知らせてくれるからだ。

 少女は落ち着いて片手剣を砥石で研ぎ、匂いを辿って走っていった。

 

 やることは同じ。

 だが、たったの一時間が彼女には何日にも感じられた。

 次に赴いたのは、森の中の池の近く。その次は更に奥にある狭い小道。そのまた次は、峡谷に囲まれた谷底。

 双方が戦い、逃げ、補給し、また戦うということを何回も、何回も、繰り返す。

 

 ひたすらに、食い下がる。

 どれだけ跳ね飛ばされ、炙られ、痛めつけられようと、何度でも立ち向かっていく。

 傷を負うたびに応急薬をがぶ飲みし、乾いた携帯食料をかじり、泥にまみれ、獲物を追う。

 

 もう狩猟開始から5時間は経ち、何百回、何千回と斬った頃だろう。竜の体にも、戦士服にも、無数の傷と汚れが付いていた。

 両者の動きはもはや、見事なまでに一致していた。この狩りの光景そのものが一つの生命体のように躍動し、うねっている。戦場を飛び回り、走り回って、少女と飛竜は月下の舞いを踊っている。

 既に満月は空高く上がり、いま、夜は折り返しを迎えようとしていた。

 

 リオレウスが炎を吐き出そうと首を持ち上げたのを見て、セーラームーンは真っ直ぐ正面から向かっていった。

 火球が吐き出されるが、持ち前の身軽さで火球の下に転がり込んで避ける。

 その勢いで、頭に渾身の一撃を叩きつける。

 

「てやぁっ!」

 

 確かに、手ごたえがあった。

 思わずリオレウスは叫びながら仰け反った。

 王冠のような頭の鱗のあちこちが、ボロボロに砕け散った。

 

 再び彼女に視線を戻した時、彼の瞳の色は弱く、薄くなっていた。 

 不意に、リオレウスが背を向けた。片方の脚が、がくんと下がったような気がした。

 彼は飛び上がって逃げていくが、その羽ばたき方はやはりどこか弱々しく見える。

 それに。

 

「あっちの方角は……」

 

 セーラームーンは、ごくりと唾を呑み込んだ。

 傷だらけになったリオレウスは、巣に逃げ込んだのだ。

 

──

 

 初めて覗いた飛竜の巣は静けさで満たされていた。

 天井の大穴から月明かりが差し込んでいるので、リオレウスがいないことはすぐに分かった。

 だが、匂いは確かにここからしたはずだった。

 

「なに……この変な感じ」

 

 彼女は巣の中を見渡すが、その違和感の正体に気づくことができない。だが、ちょうど影になっているところに変な模様が見えた気がした。

 月明かりの下に出るが、やはり巣のどこにも彼の姿はない。

 

 彼女が首を傾げたところで、一瞬視界の上が明るくなる。

 正体は、穴の上から落ちてきた火球だった。

 リオレウスは、弱っていると見せかけ上空で待ち伏せしていたのである。

 彼女が飛び込んでこれを避けると、火球は地面で爆ぜて残り火となり、ちょうど後ろにあった壁を照らした。

 

 振り向いた先、巣の壁に、巨大な刃物で抉ったような深い溝が至るところに出来ていた。

 違和感の正体を知って愕然とする彼女の前に、リオレウスが月に照らされながら着地する。

 リオレウスはそのまま攻撃に移ると思いきや、奇妙な挙動を取った。

 彼は少しずつ後ずさり、ある一定の場所で立ち止まったのである。

 その後ろには、藁が円状のクッションのように敷かれていた。その中に埋もれるように、艶のある球体が複数置かれている。

 

「……卵?」

 

 その時、空から咆哮が聞こえた。

 はっとして目線をリオレウスに戻すが、彼は目の前にいる。これの鳴き声ではない。

 

 と、いうことは。

 

 見上げると、羽ばたく一つの影が巣の天井の穴を覆った。その形は、リオレウスと瓜二つだった。

 リオレウスは舞い降りてきたその影に向かい、咆えた。

 それは怒りや憎しみを込めたものではなく、まるで相手を迎え入れ、歓喜に震えるような優しげな鳴き方だった。

 

 降臨した飛竜は緑色で、翼と背中に棘が生えている。 

 同じ地に降りた飛竜たちは顔を寄せ合い、甘え合うように擦り付け合う。

 さっきまで戦っていたのが嘘のように、その光景は安らぎに満ちていた。

 

 真実に気づき、セーラームーンは思わず後ずさり、息を詰まらせる。

 卵と、それを護る2頭の飛竜。これが指し示す事実は、明らかだった。

 彼らは、卵を背にして共通の『敵』を睨んだ。

 

「まさか……そんな……あたし……」

 

 剣を持つ手が、微かに震える。

 彼女はいま、このなまくらで無理やり断ち切ろうとしているのだ。

 飛竜たちの純粋な愛と、その結晶を。

 

 セーラームーンはうつむいて心苦しげに眉を歪めるが、それでも決して目を背けることはしなかった。

 その目は戦う者のそれとなり、それにほんの抵抗を示すように、涙が一粒だけ流れた。

 彼女は、溢れそうな感情ごと鼻をすすり、息を呑みこんだ。

 

「本当に、ごめんなさい。でも、あたしはこうして生きていくって、決めたから」

 

 リオレウスが翼を広げて飛び上がり、その番が地面を踏みしめ、セーラームーンに真っ直ぐ向かっていく。

 少女は、唇を噛んでなまくらの剣を握りしめた。

 

 その時、飛竜とセーラームーンを分けるように、何か細いものが月光の円卓の中心に突き刺さった。

 2頭の飛竜は動きを止め、その物体を見つめた。

 彼女はそれが何かわかった途端、口を手で覆った。

 

 真紅の薔薇。

 

 瑞々しい輝きを放つ可憐な花が、ひとつだけ花弁を落とした。

 

「セーラームーン!」

「……えっ?」

 

 声がした方に振り向くと、一人の男と少女がいた。

 男はタキシード姿。少女はピンクのツインテールとセーラースーツ。

 

「セーラームーン、無事だったのね!」

 

 飛んできたのは、聞きなれた声。

 セーラームーンの手から、血と錆にまみれた片手剣が落ちた。

 

「タキシード仮面……それに、セーラーちびムーン?」

 

 いま、このとき、彼らは月の光に導かれ遂に巡り合った。

 

「夢……?こんなの、夢よね……?」

 

 目を擦ったが、確かに彼らは生きてここにいる。

 タキシード仮面とちびムーンが、こちらに向かって駆けだした。

 思わず、セーラームーンも手を伸ばし、駆け寄る。

 駆け寄った3人は、目の前に飛竜がいるのも忘れて抱き合った。

 呆然とするセーラームーンの脚にちびムーンが飛びつき、目線を合わせて涙の浮かんだ顔で笑いかける。

 

「夢じゃない。現実だ」

 

 タキシード仮面がセーラームーンを見つめ、優しい視線を送った。

 彼女は未だに熱に浮かされたような顔で、恋人の体を震える腕で強く抱きしめた。

 すぐに、確かめるように胸に顔を埋める。

 確かに、暖かい。

 一旦嗚咽が漏れると固かった表情が崩れていき、やがて堰を切ったように涙が溢れ出た。

 

 そのとき、目の前の敵に苛立たしげに唸っていた緑の飛竜が、何かを視界に捉えた。

 すると目つきは先ほどより一気に険しくなり、そちらに向き直って翼を広げ、威嚇する。

 それを見たタキシード仮面が導かれるように視線を向け、目を見開いた。

 

「……まずい!」

「えっ……」

 

 突然セーラームーンは身体を押されて突き放され、地面に尻もちをついた。

 ほぼ同時に、巨大ななにかが2人の間の地面を『叩き斬る』。

 地盤が割れ、砂の粒が飛び散る。

 セーラームーンは、突如再会の喜びを断ち切った元凶を呆然と眺める。

 

「なんなの、これ……」

 

 しゅうしゅうと煙が昇る中に見えるは、まさに巨大な「剣」。

 青い光沢を帯びたそれは動き出し、戻ってゆく。

 闇の中、双眸がぎらぎらと水色に光った。

 地面を踏みしめる重低音が、この剣の主がここに実在することを裏付ける。

 

 猛々しい性格を曝け出した、刺々しい藍に包まれた頭。

 細い前脚に比べ、恐ろしく強靭な筋肉に恵まれた後ろ脚。

 それを覆う、暗い金属質な赤と青の鎧。

 背中に、炎のように突き出した背ビレ。

 体長の半分はあろう、巨大な剣のような尻尾。

 それは全身を灼熱に燃やす、鬼武者であった。

 乱入者は尾を地に擦りつけて火花を散らすと、金属を打ち鳴らしたような咆哮を木霊させた。



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夜に燃える刃、朝に燃える陽①

 うさぎがリオレウスを討伐しに行った日の夕方、ココット村の村長は自宅の中、ランプの横で『緊急報告』と赤字で書かれた紙を広げていた。その隣にハンター、マハイが厳しい表情をして腕組みをして立っている。

 

「村長。大自然は人の思うようには動かないのが当たり前と、あんたも口酸っぱく言っていたな」

 

 村長は無言のまま、紙を片手でぎゅっと握りつぶした。

 マハイは背中を向け、扉を前にしている。

 

「まさしく、その通りになった」

「……」

「おい、村長ぉー!!」

 

 2人の間の静寂を、場をわきまえぬ大音声が乱した。

 はっと振り向くと、教官が勢いよく扉を開け放っていた。

 

「何をしておる!外出禁止の令をもう忘れたのか」

「それどころじゃない!先ほど森丘の集落の獣人族たちが一斉に村に入ってきたのだ!と、とにかく緊急事態だ!」

「なに?」

 

 村が騒然とするなか、納屋に幽閉された戦士たちはそんな事情も露知らず話し合っていた。

 

「……そうか。うさぎは結局、イャンクックを浄化して逃がしたんだな」

「ごめんなさい、うさぎを止められなかった」

 

 アルテミスが頷くと、レイは真っ先に頭を下げた。

 ルナがレイの足元に寄り、宥めるように首を横に振る。

 

「レイちゃんが謝ることじゃないわ。どちらにしろ、うさぎちゃんには無理だったのよ」

「多分、うさぎちゃんは次の獲物も狩れずに帰って来るわ。もうその時は、この村を出ていくしかない」

 

 亜美は机に肘をついて腕を組み、うつむいて言った。

 だが、暗い雰囲気の彼女たちに対し、まことや美奈子の表情は明るかった。

 

「何、どよよ~んてしてんのよ!むしろあたしたちはうさぎちゃんがあの化け物を見逃して、安心したぐらいなんだから!」

「いだっっ!?」

 

 美奈子がレイの肩を景気づけに引っ叩き、まことが腕を組んだ。

 

「大変なのは、いま、うさぎちゃんがやばい化け物と一人ぽっちで戦ってることだよ」

「そうよ。どっちにしろこんな村、とっととおさらばして助けに行きましょう!」

 

 まことと美奈子が立ち上がって変身ペンを取り出そうとしたその時、勢いよく納屋の扉が開かれた。その正体を見た瞬間、2人の顔は険しくなる。

 

「マハイさん!?」

「なんだい、爺さん。今更なにしにきた?」

「まずい事態になった。このままではうさぎが危ない」

「どういうこと!?」

 

 レイが立ち上がると、マハイは皺が付いた紙を広げてみせた。そこには、短く簡潔に状況を伝える文が書かれている。

 文字が読めるレイと亜美、そしてルナは、それを読むうちに冷や汗を滲ませ始めた。

 亜美はまことや美奈子たちに振り向き、叫んだ。

 

「モンスターが2体、うさぎちゃんが戦っている地域へ向かってるわ!1体はリオレウスの番、雌火竜『リオレイア』、もう1体は……『斬竜ディノバルド』!まずいわ、どれも強大なモンスターよ!」

「に、2体も!?」

「じゃあ、なおさらよ!早く助けに向かいましょう!」

「待て」

 

 マハイを押しのけようとしたまことと美奈子を、後ろから来ていた村長が呼び止めた。

 

「その前にわしから、お前たちに話すことがある。亜美よ、その者たちに通訳を頼む」

 

 言われてから何かに気づいた亜美は、驚いた顔で村長の後ろを指さした。

 

「村長!あの、その子たちは……」

 

 村長の後ろに並ぶように、アイルーとメラルーたちがおずおずとした様子でやってきている。

 彼は、言いたいことは分かっていると言うように、ゆっくりと頷いた。

 そのうちの青い瞳のメラルーを見て、ルナは思わず目を丸くした。

 

「あなたたち、あの時の!」

「お久しぶりですニャ、ルナ様」

 

 前に出てきたメラルーは、ぺこりと頭を下げた。

 見てみると、村人たちも彼らの後ろに真剣な面持ちで続いてきている。

 マハイはメラルーの隣に腰を下ろし、優しくその頭を撫でた。

 

「もう、こういう状況になってはな」

 

 そう言ったマハイに村長は深いため息を吐き、では、と咳払いしてから話を始めた。

 

──

 

「あの音の正体はこいつだったのか!」

 

 タキシード仮面が、ステッキを構えながら叫んだ。

 

「どういうこと?」

 

「私はあの緑の竜を追っていたが、その途中であの咆哮を聞いたのだ。あの剣の化け物も、恐らくあの竜を追っていたのだと思う」

 

 リオレウスはリオレイアと並んで、ともにディノバルドと睨み合っている。

 不意にディノバルドが尻尾を持ち上げ、噛みついた。

 火花を散らして刃に力を加えていくうちに、青かった尻尾が次第に赤みを帯びていく。それはまるで、自ら剣を研いでいるようにも見えた。

 次に尻尾を持ち上げた時、その研がれた天然の剣からは煤が除かれ、蒸気と熱を放って輝いていた。

 その灼熱の刃を、ディノバルドは目の前に持ち上げまざまざと見せつけた。

 お前たちはこれからこの刃の錆になるのだ、とでも言いたげに。

 

「色が……変わった?」

 

 ディノバルドが、今度は刃の向きを地面と水平にして、再び噛みついた。

 何をしだすのかとセーラームーンたちが戸惑っている一方、飛竜たちはそれを見て急いで飛び上がる。まるで、これから来る何かを恐れるかのような動きだった。

 戻ろうとする尻尾を無理矢理押さえこむので、噛まれている刃からはギャリギャリと音が鳴り、先ほどより激しく火花が散る。

 それはまるで、刃にわざと力を溜めているかのような──

 

「しゃがめっ!」

 

 タキシード仮面が、2人を抱き寄せて膝をついた。

 

 大回転する炎の一閃が、空間を斬る。

 タキシード仮面のハットの端が、セーラームーンのほつれた髪の先が、寸断された。

 

 それはまるで、居合抜き。

 顎の圧力から解放された剣が、すべてを水平に薙ぎ払ったのだ。

 彼女たちの頭上を掠めた剣先が後ろの壁に元々あった傷跡の上と交差して、「X」の印を刻み込んだ。 

 セーラームーンはそれを見ると、タキシード仮面に叫んだ。

 

「タキシード仮面!あのモンスターを優先して攻撃して!」

 

 ディノバルドは、次は飛び上がってから身を捩じらせ、剣を縦一文字に叩きつけてくる。

 彼女たちが何とかそれを避けるとその生物は剣の向きを反転させて2回目を振り下ろそうとしたが、横から飛竜たちに掴みかかられて攻撃は中断された。

 飛竜たちはセーラームーンたちを気にも留めず、夫婦そろってディノバルドに噛みつき、引きずり回す。その憎悪と執拗さは、先ほどセーラームーンと対峙した時とは比較にならない。

 

 一旦状況を確認したタキシード仮面が、再びセーラームーンの近くに寄る。

 

「何故だ!?」

「あの竜たちを引き離したのは、彼よ!あの壁の傷を見て!」

 

 彼女は叫んで、先ほどのX印を指さした。

 

「彼を追い払えば、余計な犠牲は出さなくて済むはず!」

 

 その声のあまりに強い調子に、タキシード仮面は面食らった顔を見せていた。

 

「あたしは今でもセーラー戦士だけど、ああいう生き物を狩るハンターとしてもここにいるの」

 

 タキシード仮面は争い合う3頭のモンスターを迷ったように見ていたが、やがて決心したように頷いた。

 

「分かった。どうやら君も、ここでいろんなことを学んだようだな」

 

 セーラームーンはちびムーンの方に振り向くと両肩を掴み、外へと繋がる洞窟の方へと押しやった。

 

「さあ、ちびムーン、あなたはここの外に出てなさい」

「な、なんで!あたしもセーラー戦士じゃない!ちっさいあたしは足手まといになるって言うの!?」

 

 セーラームーンは、ちびムーンの肩を強く持って視線を同じ高さにした。

 

「違うの……違うのよ、ちびムーン。これは『狩り』なの。あたしたちが世界を護るためにしてきた戦いと、ここでやる戦いとは、やり方も意味もまったく違うの。あたしは貴女に、これからやることを見せたくない」

 

 ふとちびうさが少し離れた地面に目をやると、落ちている片手剣から血がぽとり、ぽとりと滴っていた。

 

「……わかった」

 

 セーラームーンは、うつむいてしゅんとしているちびムーンに微笑んだ。それは、母が子に向けるそれとなんら遜色なかった。

 

「分かったら、行きなさい。終わったら呼びにきてあげるから」

 

 ちびムーンが駆け足で巣の外に向かっていくのを、セーラームーンは最後まで見守る。

 そして、再び剣を手に取る。

 

「……セーラームーン」

「タキシード仮面様、こんな姿見せてごめんなさい」

「いや、私はどんな君でも力の限り護る。君は、君の思うようにやるんだ」

 

 飛竜たちにもみくちゃにされているディノバルドが、喉元に赤々と光を宿らせる。

 それを見た飛竜たちが離れると、その口から焔が戦車砲のごとく2人に向かって偶然放たれ、目の前に着弾した。

 焔の正体はマグマのような半固体であり、それは燃え滾って火柱を上げながら急速に膨れ上がっていく。

 すぐさまタキシード仮面がセーラームーンの前に割って入り、翻したマントで爆風から彼女を護った。

 煙の中から2人は飛び出し、今も争うモンスターたちへ駆けていく。

 

「奴も生物である以上、つけ入る隙は必ずあるはずだ!まずは弱点を探そう!」

「はい!」

 

 されるがままにされていたディノバルドは、無理やり剣を振り払って飛竜夫婦を追い払った。

 既に剣からは熱が逃げて青色に冷え固まっていたが、その端が両者の胸や脚に掠っただけでそこに鋭く白い亀裂を作った。セーラームーンが使っていた剣とは、比べ物にならない切れ味だった。

 セーラームーンが足もとに近寄り刃物を振り下ろしたが、脚を覆う重厚な鎧が攻撃を防ぎ、蹄のような足の爪が俊敏に動いて彼女を寄せ付けない。

 タキシード仮面が伸ばしたステッキもカァン、と金属音を鳴らしただけでまるで効果がなく、投げた薔薇も咄嗟に薙ぎ払われた尻尾によって難なく弾かれる。

 

「こいつ……無敵か!?」

 

 タキシード仮面が、思わず毒づいた。

 更に言うなら、飛竜たちの攻撃もこの生物に大したダメージを与えられずにいた。

 まだ彼らには火炎という必殺の武器があるというのに、中々それを使おうとしない。

 すぐ背後に、彼らが決して侵してはならない『ハンデ』の領域を背負っているからだ。

 そのため彼らは強靭な脚や尻尾を使って卵からディノバルドを引き離そうとするが、その度に刃をぶん回すので迂闊に近づけない。

 

 そんな中、リオレウスが剣の届かない真上に舞い上がり、そこから急降下、ディノバルドの背中に掴みかかる。

 驚くことに彼はそこから翼を羽ばたかせ、相手の巨体を空中へと持ち上げた!

 ディノバルドは抵抗して脚をじたばたさせるが、この空中では全くの無力であった。

 

「す、すごい……!」

 

 戦いであれほどまで傷ついたリオレウスにまだこれほどの力が残っていたことに、セーラームーンは感嘆の声を漏らした。

 流石にそのまま飛び去るという芸当は出来なかったが、勢いをつけるとそのまま、卵から離れた巣の中央へと放り投げた。

 ドォン、と鈍い地響きが鳴り、横倒しになったディノバルドはその鎧の重量ゆえに立ち上がれない。

 攻撃のチャンスに飛び出そうとするセーラームーンを、タキシード仮面が制した。

 

「我々の出番は、ないのかもしれない」

 

 リオレウスはゆっくりと、もがいているディノバルドに歩み寄っていく。

 彼が睨んでいるのは、奴の喉だった。

 リオレイアがディノバルドにマウントを取り、動かないように自身の全体重で抑えつける。

 

「喉に噛みつくつもりだろう」

 

 いかなる生物でも、喉は共通の弱点だ。

 さっきまでもがいていたディノバルドは、自らの運命を悟ったのかやけに大人しくなった。

 タキシード仮面は結果を確信した顔で、戦いを最後まで見守ろうとしている。

 だが、セーラームーンはぞくりとして顔を青ざめさせた。

 その蒼い瞳の奥に、冷静に時機を待つ計算高さを孕んだ光があったのだ。

 リオレウスが、口を大きく開け、ディノバルドの喉に一気に牙を迫らせた。

 

 噛みついたのは、ディノバルドだった。

 

 諦めず、奴は待っていたのだ。相手の弱点がすぐ近くまでやって来るのを。

 首を鋭い牙でがっちりと捉えられたリオレウスが、短い悲鳴を上げた。

 リオレイアがすぐさま止めようとするが、ディノバルドは首に噛みついたまま逆にリオレウスをバットのように振り回し、自身の上にいたリオレイアに殴るように叩きつけて後ずらせた。

 拘束を振り払ったディノバルドは勢いをつけて立ち上がり、リオレウスを散々地面に叩きつけてから、おろおろしているリオレイアに投げつけた。

 巣の隅に両者が叩きつけられ、煙が立ち上る。

 幸い2頭は卵とは違う方向に吹っ飛んだが、2頭はぐったりしている。

 ディノバルドは、ゆっくりと勝ち誇ったように飛竜夫婦へと歩みを進めていく。

 

「だめっ!」

「お前の相手は、この我々だ!」

 

 セーラームーンとタキシード仮面が飛竜たちの前に飛び出し、それぞれ盾とステッキを構えた。

 ディノバルドは忌々しく唸ると、そのまま剣を背後の地面に振り下ろし、脚を震わせ力を溜めた。

 渾身の力を込めた縦斬りが放たれる。

 そこには何の迷いも躊躇もない。

 そのまま、4つの命がまとめて縦に断ち切られようかという時──

 

 もう一つの剣が、剣と十字を作って受け止めた。

 

 セーラームーンの片手剣ではない。

 正体は、骨と牙でできた大剣と、それを横にして盾として構える大男だった。

 男の脚が地面に埋もれ、両者の剣に込められた力がぎりぎり拮抗しているのが分かった。

 火花散る鍔迫り合いの末、男は大剣に加わる力をそらして受け流し、後ろにずり下がる。

 皺だらけの顔が白髪をちらつかせ、セーラームーンに振り向いた。

 

「よく持ちこたえたっ!」

「……マハイさん……?」

 

 老ハンター、マハイは、真っ直ぐにディノバルドを見つめ直し、剣を縦に構えた。



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夜に燃える刃、朝に燃える陽②

「セーラームーン!タキシード仮面!」

 

 聞き覚えのある声が、巣の中に響いてきた。

 うさぎは、声がした巣の外へと続く洞窟の方に振り向いた。

 

「みんな!」

 

 仲間たちが、みなセーラー戦士の姿でこちらに走って来る。

 ディノバルドは続々と増えてきた敵に剣を振り上げ、威嚇した。

 彼女たちは一番前に並んで、セーラームーンとタキシード仮面を護る壁となる。

 セーラーマーズが、ちらりとセーラームーンを見て笑った。

 

「ちびうさちゃんから話は聞いたわよ。あんたったらこんなになって、さっさと逃げればよかったのに」

「大丈夫。もう、あたし、モンスターを狩る決心はついてるから」

 

 それを聞き、仲間たちは驚いたように目を見開いた。

 セーラームーンは、刃こぼれした剣を皆に見えるように持ち上げた。

 

「きっと、みんなはあのモンスターを倒しにきたのよね。あたしも、タキシード仮面様と一緒に参加するわ」

 

 マハイは大剣を構えてディノバルドと睨みあったまま、ふっと笑いを浮かべた。

 

「そこまでもう分かっているとは、『読み通り』一皮剥けたな」

 

 セーラームーンとマハイの視線が、一瞬だけ交差した。

 

「あの『ディノバルド』を至急討伐せよとのお達しがギルドから来た。やれるか?」

「……追い払う、じゃダメなのね」

 

 セーラームーンは、そう確かめるように言いながら少しだけ視線を落としつつも、剣を手放すことはしない。

 

「……分かったわ。みんな、一緒に戦いましょう!」

 

 彼女は、すぐに視線を上げてセーラーチームに呼びかけた。

 それを聞いたヴィーナスが、ぐっと拳を握りしめる。

 

「よしきたっ!セーラーチームが揃えば、なんだろうがコテンパンのフライパンよ!」

「まずはマハイさんが言ってた通り、あの剣を狙いましょう!あれを斬り落とせば、数段狩りが楽になる!」

 

 セーラーマーキュリーの言葉を受け、戦士たちは巣の中で散開した。

 なるべくディノバルドを巣の中心に置き、その周りを囲むようにして、巣の隅に横たわっている飛竜たちや卵に攻撃が及ばないようにする作戦だ。

 散らばった相手にディノバルドは長大な剣をぶん回して牽制し、近寄らせようとしない。

 

「これを喰らいな!『シュープリーム・サンダー』!!」

 

 セーラージュピターのティアラから大放電が起こった。

 ディノバルドはそれを咄嗟に剣でガードするが、彼の体を電気が伝導することで痺れが回り動きが鈍る。

 

「大型モンスター相手に麻痺を伴うほどの高圧電流……『フルフル』並みの威力か……!」

 

 マハイが感心するが、当のジュピターは悔しげな表情をしていた。

 

「くそっ、これぐらいしか効かないか!妖魔相手ならこれだけでも止めを刺せたのに!」

 

 その肩を美奈子──セーラーヴィーナスがぽんと叩き、そのまま飛び出していく。

 

「あたしに任せて!『ヴィーナス・ラブミー・チェーン』!!」

 

 光の鎖が、ディノバルドが振り上げようとした尻尾の根元に巻き付いて攻撃を止めた。

 ディノバルドは驚いて抗うが、ヴィーナスは決して離そうとしない。両者の力は拮抗している。

 

「ありがとう、ヴィーナスちゃん!」

「さあ、攻撃だ!」

 

 セーラームーンとタキシード仮面はディノバルドの懐に潜り込み、腹を中心に攻撃する。

 やはりと言うべきか、奴の鎧の硬さは白い腹でも例外なく健在だった。

 だが、それでも先ほどよりは幾分か刃は通る。時節飛んでくる牙を避け、確実に傷をつけていく。

 

「さあ、おじいさんも今のうちにちゃっちゃと攻撃しちゃってー!」

 

 少しでも拘束時間を増やそうと踏ん張るヴィーナスが、顔を赤くしながら叫ぶ。

 

「まったく、うさぎの仲間らしい無茶苦茶ぶりだ」

 

 彼女の力技に笑っているマハイは、既にディノバルドの尻尾の真下に駆け込んでいた。

 彼は、大剣を振り上げて力を溜めている。

 それは戦士たちも目を見張るほどの覇気を放っていて、攻撃していたうさぎも思わず動きを止めて見入ってしまう。

 ディノバルドも恐怖を感じているのか、マハイを凝視しながら必死に拘束を解こうとしていた。

 

「はぁっ!!」

 

 得物が振り落とされる。

 ガアン、と固いものを固いもので穿った音がした。

 青い剣が深く抉られて真っ直ぐな縦の亀裂ができ、そのまま落ちきった大剣が地盤を盛大に割る。

 

「う、うっそぉ……」

 

 マーズが、口を開けたまま呆気に取られている。

 

「いいや、これじゃ足りない!あれを完全に断ち切るには、さっきのように熱が宿った柔らかい状態でなければならん!」

 

 マーズはマハイの言葉を受けてふとディノバルドの尻尾を見つめた。

 彼女は何かを思いついたように、瞳に光を宿らせた。

 

「ならば、これでどうかしら!?『ファイアー・ソウル』!!」

 

 マーズが叫びながらさっと印を結ぶと、火柱が螺旋の渦となって結んだ手の前の空間から放たれる。

 超高熱の火柱がディノバルドの剣を包み込むと、あっという間にその剣はあの眩い、危険な灼熱の輝きを取り戻した。

 

「さあ、今のうちに!」

 

 だがディノバルドはその瞬間、無理やり尻尾を振り回してヴィーナスによる拘束を解いた。

 

「しまったっ!」

 

 これ幸いと、すぐにディノバルドはあの居合抜きの態勢を取った。

 あの攻撃ひとつで、攻勢が一気にひっくり返る可能性がある。

 

「みんな、逃げて!」

 

 セーラームーンが叫んだが、数秒後にはあの万物を水平に断ち切る刃が飛んでくる。

 しかも、全員が伏せようとしていることを知ったディノバルドは、脚を折り曲げ姿勢を低くした。これでは、全員が確実に刃の餌食になる。

 更に運の悪いことに、ディノバルドの傍にはまだセーラームーンとタキシード仮面がいた。この距離では逃げきれない。

 その時、マハイが大剣を地面にガァン、と音を立てて振り下ろした。

 皆が振り向くなか彼は走りだし、力を溜めるディノバルドへと大剣を大地に擦って突っ込んでいく。

 

「マハイさん、やめて!!」

 

 マーズが叫んだが、彼の走りは揺るがなかった。

 マハイは、セーラームーンたちの前に走り出る。

 灼熱の刃が、顎という鞘から引き抜かれた。

 斬撃がマハイの頭に迫る。

 思わずそこにいる誰もが目をつむった。

 

「『地衝斬』ッ!!」

 

 突如振り上げられた大剣に弾かれたように、ディノバルドがよろめいた。

 切断された灼熱の刃の先端が空に舞い上がり、鋭い音を立ててマハイの背後に突き刺さる。

 ディノバルドは衝撃に負け、派手に転がった。

 

「す……すご……」

 

 ジュピターとヴィーナスは、初めて見るハンターの技に呆気に取られていた。

 マハイは振り向き、叫んだ。

 

「さあ、次は主に弱点の喉を狙うつもりだが、君たちはどう打って出る?」

 

 そのとき、ずっと何かを考えていたマーキュリーがマハイの横に駆け寄って囁いた。

 

「私に考えがあります。少し、任せてもらえませんか?」

 

 マハイは、無言で頷き彼女に前を譲った。

 立ち上がったディノバルドが、ますます怒りを滾らせセーラー戦士たちに咆えようとした。

 マーキュリーは足元から冷気とともに無数の水滴を生み出し、それを寄り集めて洪水の如き激流へと変化させる。

 

「貴方が炎の使い手なら、これはどうかしら!?『シャイン・アクア・イリュージョン』!」

 

 激流がディノバルドにぶち当たると、怯んだ鳴き声とともに一気に蒸気が広がる。

 ビキビキッ、と何かが割れる音がした。

 蒸気が止んだ後、ディノバルドの鎧からは金属質の艶が失われ、細かいひびが至るところに入っていた。

 

「やはりね。熱で膨張した金属は、急激に冷やせば脆くなる!これで喉以外にも攻撃が通るようになったわ!」

「マーキュリーちゃん、ありがとう!」

「よし、セーラームーン、畳みかけるぞ!」

「はい!」

 

 セーラームーンとタキシード仮面は、再び前線に出て攻勢に打って出る。

 今度は、セーラームーンの持つ剣でも、タキシード仮面の薔薇でも甲殻に深く傷がつく。明らかに、鎧の強度が低下していた。

 更に攻め立てようとしたとき、不意に、ディノバルドの背中で爆発が起こった。

 見上げると、リオレウスが空中から怒りの炎を滲ませて羽ばたいていた。

 

「リオレウス!貴方まで!」

「あいつめ、相方までやられてよっぽど頭に来ているようだな!」

 

 首の傷のせいでややふらつきながらも、リオレウスの攻撃は凄まじかった。それを、地に倒れ込むリオレイアはじっと見つめている。

 リオレウスが空中から放つ蹴りや掴みで、ディノバルドの背ビレや鎧がひび割れた岩を割るように壊れていく。

 

「いいぞ!鎧が脆くなったおかげで、リオレウスの攻撃も通りやすくなっている!」

 

 大切な卵と妻が戦場から離れているからか、その攻撃には容赦というものが全くない。

 もちろんそれは戦士たちにとっても危険だが、この状況では非常に強力な支援であった。

 

 だが、それでもディノバルドは倒れない。

 ある時は尻尾を地面に擦り付け、その摩擦熱を熱風として飛ばした。

 ある時は、口から吐き出した焔の爆発で視界を塞ぎ、その向こうから剣を振り下ろした。

 もう逃げ場がないと分かってか、その瞳の闘志が揺らぐことはなかった。まさに、手負いの獣そのものだった。

 

「これ以上動き回られたら、たまったもんじゃないわ!」

 

 ヴィーナスが再び拘束しようと、光の鎖を放つ。

 ディノバルドは咄嗟に振り向いて光の鎖に噛みつくと、そのまま馬鹿力で彼女ごと縦方向にぶん回し、空を飛んでいたリオレウスに直撃させた。

 

「きゃあっ!!」

「ヴィーナス!!」

 

 腹に直撃を受けたリオレウスが、姿勢を崩し仰向けになって墜落する。

 気を失って落ちたヴィーナスを、セーラー戦士たちが駆け寄って受け止めた。

 ディノバルドが狙ったのは、セーラーヴィーナスではなくリオレウスだった。

 奴はリオレウスの胸を脚で踏みつける。

 

「やめてっ!!」

 

 セーラームーンが悲痛な叫びをあげる。

 ディノバルドは、今度こそ確実に相手の喉笛に食らいつこうと口を開けた。

 その右目に──もう一つ、空に舞う影が映った。

 横で飛んでいた、大地の女王リオレイアの体が宙がえった。

 振り上げられた尻尾の棘が、ディノバルドの喉に突き刺さる。

 棘に含まれていた紫色の液体が傷口から急速に染み込んでいく。

 彼女は翼を羽ばたかせて正面に回り込み、ディノバルドの頭をがしりと掴む。

 そして、もう一発。

 

 ディノバルドはもんどりうって転がり倒れた。

 リオレイアは着地すると、リオレウスを気遣うように脚を引きずっていった。

 だが口から泡を吹きながらも、ディノバルドはリオレイアに向けて再び口元に火を宿らせていた。

 それを知らせるように喉元が赤く膨らむ。

 

「今がチャンスだっ!」

 

 マハイが叫ぶと、セーラームーンは駆け出した。

 それに気づいたディノバルドは、迎え撃とうとオレンジ色に輝く口内を開く。

 咄嗟にタキシード仮面がステッキを伸ばし、無防備な相手の眼を突いて攻撃を遅らせた。

 

「セーラームーン、今だッ!」

「はああっっ!!」

 

 顎の下で、剣を振り上げる。

 彼女のなまくらが先ほどの喉の傷に直撃し、遂にディノバルドの喉を突き通った。

 深く、深く、突き刺す。

 マグマがどくどくと噴き出してくる。

 ちらりと見ると、リオレイアはリオレウスの無事を確かめた後、力なくその場に倒れ伏すところだった。

 

「どうか……早く終わって!」

 

 半ば祈りに近い言葉を叫びながら、セーラームーンは精一杯剣を押し込んだ。

 ディノバルドは息を荒くするとセーラームーンを弾き飛ばし、剣が刺さったまま再び口を開けた。

 今度こそ焔を吐き出そうと喉を持ち上げて、より一層高温に輝く口内を見せ──

 

 爆発した。

 ディノバルドは何が起こったのかわからぬまま、目を見開いたままよろよろと後ずさる。

 喉にできた空洞から、マグマと火の粉が垂れ落ちた。

 声にならない声を吐き出しながら、彼は剣を地面に擦り付け身体を捩り上げた。

 

 それはまるで、最期にせめて闘志を表そうとするかのように。

 ディノバルドはそのまま横に倒れ込み、ぴくりとも動かなくなった。



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夜に燃える刃、朝に燃える陽③

あけまして、おめでとうございます。
今年も執筆を頑張っていきます。


 ディノバルドが倒れてからしばらくして、伴侶に近づこうとしたリオレイアが倒れた。

 女王の息は既に浅い。胸や腹の辺りにひどい痣が出来ていた。

 セーラームーンは、急いでリオレイアの元へと駆け寄っていく。

 

「セーラームーン、離れて!」

 

 ヴィーナスが叫んだが、セーラームーンは言うことを聞かずリオレイアの頭へと駆け寄った。

 リオレウスはよろめいて立ち上がるとリオレイアを気遣うように鼻同士を近づけ、擦りつけながら小さく長く鳴いた。

 セーラームーンたちのことなど眼中になく、ただ目の前の相手だけを見ている。

 

「リオレウスと一緒に叩きつけられたとき、内臓をやられたんでしょうね」

 

 亜美が言うと、戦士たちは痛ましい視線をリオレイアに向けた。

 彼女はしばらくリオレウスを見つめて首を持ち上げていたが、次第に目の光が消えていく。

 やがて首が力を失い、地に落ちた。

 あまりに呆気ないほどの幕切れ。

 

「嘘……でしょ……さっきまであんなに……」

 

 セーラームーンは言葉もそぞろにして立ち尽くす。

 やがてリオレウスは目を細めるとリオレイアから顔を上げた。

 セーラームーンには目も暮れず、彼は卵の方に視線を向けた。

 息を荒くして脚を引きずりながら、リオレウスは卵へと近づいていく。

 

 彼は楕円形の命の元にたどり着くと、それらを護るように覆い被さった。

 その下から紅い液体が流れ落ち、地面に溜まっていく。

 セーラームーンはそれを見た途端、耐えきれなくなりリオレウスの元に走っていった。

 

 彼女はわなわなと震える手でリオレウスの首を触る。

 生気を失った体組織は冷たくなり、今まさにただの物体になろうとしている。

 マーキュリーが、唇をきつく結んで首を振った。

 

「セーラームーン……残念だけど、彼は」

 

「だめよ!!死んだりなんかしたらだめ!!あなたたちにはまだ大切なものが残ってるじゃない!!」

 

 耳の近くで大声で呼びかけるが、リオレウスは何の反応も示さない。ただ、今にも消えそうなか細い息を吸い、吐くだけだった。

 本来であれば、死んでもおかしくない暴挙であろう。だが彼には、頭を持ち上げる力すら残されてはいなかった。

 

「あたしを倒そうとしてた元気はどこ行ったのよ!お願い、何でもいいから目を開けて!」

 

 セーラームーンは、彼の僅かに開かれた青い深海のような瞳を見つめながら訴える。

 彼女の拳が、虚しくリオレウスの鱗を叩く。

 しばらく頭を押し付けたあと、音がしたのでふと見ると、その目は完全に閉じられていた。

 まるで、眠りについたように安らかな表情だった。

 彼女の瞳から一滴の涙が零れ落ち、コンパクトを濡らした。

 胸元から、眩い光が放たれる。

 目に見えないエネルギーが押し寄せ、セーラームーンの金髪が後ろになびいた。

 

「あ……ああっ……」

 

 セーラームーンは胸を強く押さえつけるが、輝きはより一層増していく。

 マハイは目を片腕で塞ぎ、初めて見るその不可思議な光に目を奪われる。

 

「なんだ、あれは!」

「幻の銀水晶……うさぎちゃんに宿る、無限の力を秘めた宝石です!あれは、うさぎちゃんの感情や強い願いに反応してるんです」

 

 マーキュリーが答えると、マハイは怪訝な顔をした。

 

「無限の力?」

「文字通りの意味よ!あの宝石のパワーがあれば、リオレイアもディノバルドも生き返らせることが出来る!」

 

 マーズの言葉に、彼は信じられないように目を瞬かせた。だが、彼女たちの瞳はその言葉が現実であると物語っていた。

 ジュピターが、前に進みながらセーラームーンへと手を伸ばそうとする。

 

「ダメだ!あの暴走した状態で命を蘇らせるなんてことしたら、うさぎちゃんは……!」

 

 セーラー戦士たちは何とか近寄ろうとするが、凄まじいエネルギーにより後ろにずり下がるをえない。

 セーラームーン自身もどうにか止めようと目を閉じて祈るが、もがけばもがくほど光は強くなっていく。

 そんな中、彼女の肩に手を置いた人物がいた。

 タキシード仮面だ。

 だが、今はアイマスクもハットも吹き飛び、地場衛としての素顔を晒している。

 

「うさこは、本当はあの生き物たちを救いたいんだな」

「まもちゃん……」

 

 本来の愛称で呼び合ったあと、彼らは真っ直ぐ見つめ合う。

 

「なら、なんでその願いを止めようとする?」

 

 彼の問いかけ方はあくまで穏やかで、ただ真摯に彼女の想いを聞こうとしているようだった。

 

「ハンターって仕事、あたしは最初はただただ本当に怖かった」

 

 セーラームーンはうつむき、独白した。

 

「戦士の力を使って何の罪もない生き物を傷つけることなんて、絶対に出来ないしやりたくないって思ってた」

 

 彼女の瞳には透明な膜が張っている一方で、その奥には強い光が宿っていた。

 

「でもこれが、この子たちと一緒の世界で生きることなんだって、そうしなきゃ生きていけないんだって、あのお爺さんやココット村の人たち、そして──他でもないあの子たちから教えてもらったから」

 

 セーラームーンは、目を細めて目の前にいるリオレウスを見つめた。

 

「だから、この世界の在り方を──生命たちの生き方を、この銀水晶の力で歪めるようなことはしたくないの」

「そうか」

 

 恋人は優しい声で答え、コンパクトに添えられている彼女の手に自身のそれを重ね合わせた。

 

「わかった。なら、うさこは安心して力を止めることに集中してくれ」

 

 それを聞き、青い宝石のような瞳が歪み、潤んだ。

 少女は目をそっと閉じ、震える呼吸を統一した。

 

「そう、ゆっくりと鎮めて」

 

 銀水晶の輝きが、次第に弱まっていく。

 やがてエネルギーの流れも止み、傾いた穏やかな月光が巣の中を再び照らした。

 セーラー戦士たちの緊張は一気にほどけ、彼女たちは一斉に胸を撫でおろす。

 そんな中、こちらに駆け寄って来る小さな少女の姿があった。

 

「セーラームーン!終わったのね!」

 

 ちびムーンがルナとアルテミスを連れ、うさぎの胸に飛び込んできた。

 

「ええ。ルナ、アルテミス、ちびムーンを見てくれててありがとう」

 

 安堵した顔の猫たちに礼を言いながら、セーラームーンは抱きしめたちびムーンのピンクの髪を撫でる。

 

「正直に言っちゃうとね、あたし、再会したときは間違いなく嬉しかったけど、貴女がこれを持ってるのを見たときはちょっと怖かった」

 

 彼女はセーラームーンに、握りしめていた焼け爛れた鉄のかけらを渡した。

 

「でもね、怪物たちに立ち向かうときの瞳を見て分かった。やっぱり剣を持ってても、うさぎはうさぎなんだって。完全にまもちゃんの言う通りだった」

 

 セーラームーンが当の本人を見やると、彼は少し顔を赤らめて横を向き「そりゃあ……そうに決まってるだろ?」と呟いた。

 思わずセーラームーンの表情が緩み、それに伴って一滴の雫が目端に浮かんだ。

 

「ありがとう、2人とも。あっちにいた時から、ずっとあたしを信じてくれてたのね」

「お疲れ様、セーラームーン……うさぎ」

 

 ちびムーンの朗らかな笑顔に、セーラームーンは涙を滲ませて彼女と抱き合い、その暖かさに自らの身体を沈ませた。

 

「おい。リオレウスにまだ息があるぞ」

 

 リオレウスの口元に傍耳を立てていたマハイが言った。

 セーラームーンが、弾かれるように顔を上げた。

 

「今回の件で飛竜たちの狩猟依頼は取り消されているが、どうする」

 

 そう言ったあと、彼は「もちろん、最終的に決めるのは君たちだが」と付け加えた。

 仲間たちは、じっとセーラームーンがどう出るか見守っている。

 じっと考えたあと、彼女は愛しき人、そして仲間たちの顔を決意した表情で見回した。

 

「あたし、リオレウスを治すことにする。彼は本来、ここに生きてるはずの命だったと思うから。みんなはどう?」

「どうって、あたしたちもやるに決まってんじゃない!」

 

 ヴィーナスが真っ先に言うと、ちびムーンを含んだ他の戦士たちも口元を緩ませて互いに顔を見合わせ、頷いた。

 

「リオレウス、か……」

 

 タキシード仮面はアイマスクとハットを付け直しながら、その竜の名を小さく呟いた。

 

「ここまで私を導いてくれてありがとう」

 

 彼がしゃがみこんで直接リオレウスの首元に触れると、穏やかな光がぽわん、と手から浮かぶ。

 

「さあ、セーラームーン、ちびムーン。君たちも」

 

 セーラームーンとちびムーンが、その手にロッドを構える。

 目を閉じて彼女たちが祈ると、マゼンタの光が優しくリオレウスに届く。

 

「あたしたちも、力を貸すわ」

 

 セーラー戦士たちが、リオレウスと卵を囲むようにセーラームーンたちの外に並び、手を繋いだ。

 彼女たちの身体からオーラが上がり、より光の暖かさが増す。

 マハイはその輪から離れ、じっと成り行きを見守った。

 

 卵を護るリオレウスは虹色の光に包まれ、あっという間に傷が癒されていく。

 血溜まりが幻のように消え去っていく。

 光が止んだ時、彼はすっかり無傷の状態で安らかに寝息を立てていた。

 マハイは表情に驚きを隠せなかった。

 

「……こいつぁすごいな。君たちは、ハンターに出来ないことを軽々と成し遂げてみせる」

「それはこっちの台詞よ。貴方たちはあたしたちには考えられないくらい、たくさんのいろんな命と向き合ってる」

「だが、お前はそれを成し遂げたんだ。この一夜で」

 

 その一言を聞いて、セーラームーンは何かを答えようとしたが、次第にこみ上げてきたものを呑み込み、赤くした顔で深く頷くので精一杯だった。

 

「もう、褒められてんだから素直に喜びなさいよ」

 

 マーズが隣に立ち、涙を拭ってやる。

 

「だって……だってぇ……」

 

 周囲が彼女を見守る視線は、どこまでも優しい。

 仲間たちはやがて、緊張が解けて泣き崩れるセーラームーンを支えてやるはめになった。

 

「で、落ち着いたところでちょっと質問なんだが──」

「……えっ?」

 

 マハイは、タキシード仮面とちびムーンを交互に見やった。

 

「その男前と女の子は、君にとっての一体何だ?大切な人なのは何となくで分かるが」

「えっ……あ、うーん……」

 

 セーラームーンは言い淀み、マーズとマーキュリーの方に振り向く。

 二人はどう言ったものかと迷い、ジュピターとヴィーナスもマーキュリーから質問の内容を囁かれると、露骨に苦々しい表情をする。

 セーラームーンは紅くなって頭を掻きながら、タキシード仮面をちらりと見た。

 

「えぇーっと、このとーってもかっこいい人は確かにあたしの彼氏だけど、厳密に言うと許嫁と言いますか何といいますかぁ……あ、でもそうなるとちびうさは……」

「未来の夫と娘です、と伝えてくれ。彼に嘘はつきたくない」

 

 そうきっぱりと笑顔で言い放ったタキシード仮面に、セーラームーンとちびムーンはぎょっとした表情をする。

 その様子を見て、マハイは何かを感じ取ったらしく苦笑して手を振った。

 

「……また後で聞く。さあ、剥ぎ取りの時間にしよう」

 

 きょとんとしているタキシード仮面をよそに、セーラームーンたちはディノバルドへと歩を進めた。

 ふとセーラームーンは足を止め、深い眠りにつくリオレウスの横顔に額をつけるとじっと目を閉じた。

 

「リオレウス、一人にしてごめんね。どうか、これからはお父さんの貴方がこの子たちを守ってあげて」

 

 その後、狩人たちはディノバルドとリオレイアから敬意を込めて剥ぎ取りを行った。

 狩猟されたモンスターはハンターズギルドが一旦回収し、ハンターにクエスト報酬として分解した素材を追加で渡したのち、残った部分を地に帰して自然に還元する。

 ギルドに目的達成を報告する際、うさぎたちはある要求をした。

 

 リオレイアもディノバルドも、あの巣の場所で元通りに地に帰してほしい、と。

 




第一話からここまでシリアスな展開が続きましたが、ここの辺りから話の軸、テーマはブレさせないこと大前提で、楽しい明るめのお話にしていきたいです。(これからの作者のやる気と実力と努力によりますが)
うさぎちゃんが大切な仲間や恋人と出会えたので、本編で見せていたいつもの調子が少しずつ戻ってくると思います。

去年は評価などいただけてとても嬉しかったです。最初はこんな変わったクロスオーバーは見てもらえないかなと不安でしたが、ここハーメルンでもピクシブでも見て下さる方、褒めて下さる方がいて安心しています。
本当に執筆の励みになりますので、これからもお気軽に評価、感想など頂けると幸いです。
今年も、何卒宜しくお願い致します。


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夜に燃える刃、朝に燃える陽④

 朝日に包まれてココット村に入ると、彼女たちは村人たちから拍手と賞賛の声の渦に包まれた。

 布を羽織ったうさぎは、村長に出迎えられた。

 

「本当にご苦労じゃった」

 

 村長の眼窩から瞳が見えた。

 

「そしてまずは君たちへの無礼を、心の底から謝りたい」

 

 村長は頭を下げたが、うさぎは微笑みを浮かべて首を振った。

 

「あたしを成長させるため再現しようとしてたのよね。あの伝説を」

「うむ。オヌシの大切なものを護りたいという想い。それはハンターとして忘れてはならぬ大切な心じゃ。だが、優しく純粋な心は、狩りの場においては時に諸刃の剣となる。だから、試した」

「だからってあたしたちを縛る必要なかったんじゃない?」

 

 美奈子が口を尖らしまことが頷くが、村長はホホホ、と飄々と笑う。

 

「その折はすまん。だが、そうでもせんとこの子のやる気が出んじゃろ?」

 

 うさぎが苦笑すると、「しょうがないわね」という顔で2人は受け入れた。

 村長は懐から手帳のようなものを5枚取り出した。

 

「さあ、『ギルドカード』を進呈しよう。これでオヌシらは正式なハンターじゃ」

 

 そう言うと村長はうさぎ、亜美、レイ、まこと、美奈子にそれを一人ずつ手渡していった。

 ギルドカードは、ハンターの世界での名刺のようなもの。これには狩ったモンスターの種類や数、何の武器を扱っているかなどの情報が記録される。初めて会う相手でも、これを見ればその経歴が分かるのだ。

 

「すごーい!」

 

 うさぎはいよいよ上がってきた朝陽にカードを透かしながら飛び跳ね、瞳をキラキラさせた。

 そこには既にこれまでの記録が記されている。

 ドスランポス1頭、ドスマッカォ1頭、リオレイア1頭、ディノバルド1頭の計4頭。

 この数字は、これから旅をするにつれてもっと増えていくのだろう。

 

「ほんと子どもね……」

「別に良いじゃない。あたしだってとっても嬉しいわ」

 

 レイは呆れていたが、亜美は素直ににっこりとカードを見つめている。

 

「これから新しい生活が始まるんだね」

「よーし、じゃあ心機一転の印に合図かけるわよ!」

 

 5人は輪になり、掌をひとつに重ね合わせた。

 

「セーラーチーム、ここに再結集よ!!」

 

 直後、この小さな村はこの一年で最も華やかで、忙しい日を送ることになる。

 

──

 

 宴は一日中続いた。

 戦士たちも村人も忙しなく駆け回り、御馳走や酒がテーブルを埋め尽くす。

 男女は火を囲んで踊り狂い、あちこちで歓声が交わされ、駆け巡る。

 

 夕方になってもその勢い冷めず、うさぎ、レイ、亜美、そしてちびうさと衛はテーブルで集って積もる話をしていた。

 まことと美奈子、ルナとアルテミスは宴のディナー作りや皿の後始末を手伝っている。

 その中で、うさぎはふと気になったことを口に出した。

 

「そういえば、まもちゃんもハンターにならないの?」

「もちろん考えているんだが、ハンターになるための登録とギルドカードの発行に少し時間がかかるらしくてな」

「よかったー!じゃあ、また一緒に戦えるのね!」

 

 顔を輝かせて彼の首に抱きついたうさぎは、衛の膝に座ったちびうさがむすっとした顔でこちらを見ているのに気付いた。

 

「ちびうさはダメよ。あそこはお子様の行くようなところじゃないからね!」

「言われなくても分かってますよーだ」

 

 ちびうさはつんとした顔で口を尖らせる。今までずっと一緒に戦ってきたのにこの扱いは、どうしても気に食わないようだった。

 その時、テーブルの端をこんこん、と叩く音がした。

 

「ちょっと隣、いいか?」

「マハイさん、教官!」

 

 席を開けると、恩師2人が腰を下ろす。ただ、顔を赤くしている教官の方は足取りが何やらおかしい。

 

「あなたたちが教えてくれたから、あたしたち……」

「水臭いっ!」

 

 うさぎの感謝の言葉を、教官はジョッキの底をテーブルにぶつけて一言でぶった切った。

 

「全く、もって、水臭いっ!まだワガハイに感謝するにはお前たちはぺーぺーすぎるな!ヌハハハハハーッ!」

「教官……相当酔ってますね」

 

 亜美が引きつった笑いを浮かべると、マハイは苦い顔で首を振った。

 

「ああ、こいつは勝手についてきてるだけだ。気にしないでくれ」

 

 とても女性とは思えないほど野太い声で豪快に笑う教官に、マハイは溢れんばかりの泡を湛えたジョッキを粗雑に差し出した。

 

「お前は取り敢えず黙ってビール飲んどけ」

「うぬっ!」

 

 素直に返事すると、彼女はぐいっと一気にビールを呷る。

 レイはそれを見届け、マハイの方をちらりと見やった。

 

「で、何か話があるんでしょ?」

「先ほど、今回の件の原因が分かった」

 

 戦士たちの意識が、一気にマハイに向いた。

 

「ディノバルドは主に、尻尾の刃を研ぐ鉱石が豊富な密林、砂漠、火山などの高温地帯に生息する。あの個体はここより南方の密林で暮らしていた」

 

 一瞬でジョッキを空にした教官が、顔を赤くして無理やり割り込んできた。

 マハイは鬱陶しげに眉根を寄せたが、教官はそれを気にする様子は一向にない。

 

「だが紫の『霧』が現れた瞬間、たった3日のうちに直径40キロの木が綺麗さっぱり枯れ果て、生態系が丸ごと崩壊したのだ。僅か3日だぞ!?3日!!」

 

 教官は何度も指で3の数字を示し、強調する。

 その言葉に息を呑み、戦士たちは顔を見合わせた。

 生気──エナジーを奪う『霧』。

 デス・バスターズの仕業であることは明らかだった。

 

「こうなると、それを喰う草食動物も、それを捕食するディノバルドも密林を出ていかざるを得ない。飢えて凶暴化したあいつはこの森丘に赴き……」

 

「あの夫婦を襲って、引き離したのね」

 

 マハイの言葉をレイが継ぐと、彼は静かに頷いて返した。

 

「だが、奴は逃げたリオレイアを追って密林に戻ってしまってな。それ以降はしばらく大人しくしていたんだが、彼女がこちらに帰ろうとしたことで状況が変わった」

 

 うさぎたちはそれを聞いて哀しそうに眉を顰め、衛とちびうさに同じことを説明した。

 

「デス・バスターズ……こちらでも相変わらずのようだな」

 

 衛の言葉に、うさぎは悲しそうに頷いた。

 

「うん……」

 

 うさぎは、決意のこもった瞳でここにいる戦士たちの顔一つ一つを見つめた。

 

「まだ何を企んでるか分からないけど、デス・バスターズの計画を止めるためにも頑張らなきゃね」

 

 その言葉に、そこにいたメンツの誰もが同意した。

 

──

 

 夜通しで行われる宴の様子を、赤い衣を纏った女が見下ろしていた。

 

「な……な……」

 

 彼女が覗く双眼鏡の視界には、村人に混じって楽しげに踊るセーラー戦士たちの姿があった。

 

「なによあれはぁー!」

 

 布を放り出し、中から白衣を纏ったユージアルが姿を現わした。

 

「なんであいつらがあの村にまだいんのよ!村の奴らは確かにセーラー戦士どもを恐れ、追放しようとしていたはず……!!」

 

 そこに、額に黒い星のマークが入った鷹が飛んできてユージアルの肩に乗った。

 

「ああ、もう何よこんなときに!!」

 

 それには、ピンクの紙が紐で括られ脚に結ってあった。

 ユージアルは渋々とそれを取り、さっと広げた。

 

『ユージアル先輩へ ご調子はいかがですかぁ~?お久しぶりです、ミメットで~す♡』

 

 やたら丸っこく判読が難しいマゼンタ色の文字で文章が始まっていた。

 

「ミ、ミメット……!」

『前世ではたくさんお世話になりました♡前回はお互いちょっとドジって失敗しちゃったけど、今回こそは協力してセーラー戦士どもを倒しちゃいましょうね~♡また、この世界でのお仕事についてもいろいろ教えてくださいっ。虫とか獣の扱いはちょっと苦手ですケド~』

 

「どうせ今回も利用してくる気の癖に、よくもぬけぬけとっ……!!」

 

 強く紙を握りしめたせいで、そこにぎゅっとしわが寄る。

 

「私の人生最大の敵を復活させるだなんて、教授とカオリナイトは一体何を考えて……」

『あ、それはそうと教授からの伝言です!以下をご覧ください♡↓↓↓』

 

 その文章の下には、不細工な長方形に切り取られた紙が妙に斜めに張り付けられていた。

 面倒くさかったから『教授』から送られた文を切り取って、そのまま張り付けたのだろう。終いには何かのスナックの食べかすが付いている。

 

『此度の計画では、セーラー戦士たちをとにかく原住民たちから孤立させることが重要である。ユージアル君の能力については高く評価しているが、最もセーラー戦士に近いところにいる彼女には、情報作戦の方を優先して頂きたい』

 

 タイプで打たれた文字が並ぶ下には、またあのミメットの字が続いていた。

 

『頼りにされて良かったですね、ユージアル先輩♡前世のことは前世のこと、今回は遠く離れてますけど、なかよぉ~~くやっていきましょ!ではサヨナラ~☆(ミメットより愛を込めて♡)』

 

 ぶるりと身体を震わせると、ユージアルはそのラメの入った紙を破り捨て風に乗せて捨ててしまった。

 

「はぁ……現世はリモートワーク方式で助かったわ。ウィッチーズ5とか言ってあいつら4人と同じ研究室なんて、もうまっぴらごめんよっ」

 

 ユージアルは白衣のポケットから紙を、襟から覗く胸の谷間からペンを取り出すと、手早く文章を書き進めた。

 

「『ユージアルです。今回の報告、確認しました。なお、次からは書面の基本的なマナーを守り、上司への言葉遣いには重々気を付け組織の目的のため全力を以て尽力して下さい。何でも「人に聞けばいいや」では、この仕事は務まりません。その点をご理解のほど、よろしくお願い致します。』……っと」

 

 達筆で書かれたその文章を彼女は来たのと同じように鷹に括りつけた。

 

「ほら、これ持ってって!」

 

 手慣れた様子で腕を振りかぶし押し出すと、鷹はピュイーと鳴いて飛んでいく。

 

「そんなことより!今は!取り返すしか……取り返すしかないっ!この、絶望的状況を!」

 

 ユージアルは歯を食いしばって歩み始めたが、すぐに森の中で咽び泣く声が響いた。

 

「ああ~、帰ってきてよ私の休日~!!」




ユージアルさんは見ての通りの人です。
旧アニ版ミメットさんはぶりっ子腹黒なキャラ。ユージアルさんとはいろいろと因縁があります。


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襲雷①

 今日も、いつも通り朝日が部屋の中に差し込んだ。

 光が、毛布にくるまれた衛の整った顔を白く照らして浮かび上がらせる。

 

 扉がぎぃ、と音を立て、ゆっくり開けられた。

 入ってきたのは、うさぎだった。

 ゆったりとした白いネグリジェを着た彼女はベッドの横で靴を脱ぐと、音を立てないようにしてそっと彼に這い寄っていく。

 恋人は、まだ眠りから醒めない。

 うさぎは、その耳元にそっと唇を近づけて囁いた。

 

「まもちゃん、おはよ」

 

 彼の目が僅かに開き、うさぎに向かって柔らかく微笑む。

 

「おはよう、うさこ。ちょっと寝坊しちゃったかな」

 

「時計ないからわかんないけど、村の人はみんな起きてるみたい」

 

「そうか……」

 

 窓の方を見て、外から聞こえる子どもたちの笑い声に耳を傾けた衛は、うさぎへと視線を戻す。

 彼女は髪をまだ結っていなかった。

 絹のようにしなやかな金髪が、波打つように光を反射している。

 

「ん……」

 

 うさぎは、目を閉じて唇を恋人の前に差し出していた。

 

「それは……何してほしいんだ?」

 

 わざとらしく聞いてくる衛に、うさぎは眉根を寄せて反抗的な視線を向ける。

 

「んもう、分かってるくせにじらさないで」

 

「はいはい、ごめんな。じゃあ……」

 

 再び両者は目を閉じ、顔を近づけあっていく。

 うさぎの衛の腕を掴む手に、力が入った。

 

「おっはよーございまあーーーす!!」

 

 互いの唇が触れようかとした瞬間、ドアがバァンと勢いよく開け放たれた。

 

「……」

 

 衛もうさぎも強烈な光の中に曝け出され、驚いて一緒に飛び起きている。

 

「み、美奈子ちゃん……」

「……アーッ!シツレイシマシター!」

 

 笑顔を張り付かせたまま、美奈子は二人の方を向いたまま扉の外へと一瞬で脱出した。

 

──

 

 丁寧に扉を閉めて振り向いた美奈子の前には、ネギやトマト、カボチャなどの野菜が大量に入った籠を持ったエプロン姿のまことがいた。

 まことは状況を察し、扉の前で黙りこくっている美奈子の顔を覗き込む。

 

「……やっちゃった?」

「やっちゃったも何もっ!!」

 

 美奈子は怒りをこらえるようにぐっと拳を握りしめて震わせる。

 

「あのバカップル、再会した途端あんなにいちゃついて!っきぃー!貞淑も何もあったもんじゃないわ!」

「まぁまぁ、ずっと会えてなかったんだからしょうがないじゃないか。衛さんも特に何もしてないみたいだし」

「あのねぇ!相思相愛のピチピチフレッシュな男女がひとつの村で一緒に暮らすリスクってのを、みんな分かってなさすぎなのよ!衛さんだっていつ狼になるか……!」

 

 そう言う美奈子は、実際に牙を剥く狼の顔真似をしてまことを襲うそぶりをしてみせた。

 

「うさぎちゃんのお母さんかよ、美奈子ちゃんは……衛さんに限ってそんなことあり得ないよ」

 

 そのとき、二人の耳にカン、カンと鍋をおたまで鳴らす音が聞こえた。

 まことははっとして、音のした方に振り向いた。

 

「ほら、尻尾のムスメ、早く食材持ってくるニャル。早くせんと焦げちまうニャル~」

 

「あ、はーい!」

 

 まことは元気よく返事をし、その声の主に向かって走っていく。

 この緑に囲まれた村の中で、一角だけが異彩を放っていた。

 湯気を昇らせる巨大な中華鍋とその横にある蒸し器。

 所狭しと並べられた色とりどりの野菜、果物や香辛料に、衝立に張ってある縄にぶら下げられた無数の魚や肉。

 即席キッチンとも言えるそこで、白いチャイナ服を着たアイルーが忙しなく行き交っていた。

 

 まことはそのアイルーの横に並ぶと、3本のネギを籠から取り出してまな板に載せ、中華包丁でみじん切りにしていく。

 それは1分も経たないうちに完了し、アイルーはその刻んだネギをすぐさま豚や野菜を炒めている鍋へと投入する。

 まことの食材を取り扱うスピードも中々のものだったが、アイルーのそれはもはや達人級で、一方で肉を焼いていたかと思えば次の瞬間には人参を刻み、そのまた次の瞬間には中華鍋を豪快に振っている。

 

「尻尾のムスメ、中々上手くなったニャルね。私直伝の『おふくろの味』習得も現実味を帯びてきたニャル」

「いえ、料理長に比べたらまだまだ」

 

 数週間前に来たこのアイルーは、村の住人からは『屋台の料理長』と呼ばれている。

 その料理は言葉にできぬほどの絶品で、彼が来て以来うさぎたちもそのお世話になっている。

 なんでも彼はいま、各地で『おふくろの味』の研究をしているらしく、これでもまだ発展途上と言う。

 

 料理好きなまことはこの世界の料理に興味があるらしく、最初に一口を口に入れた瞬間から彼に料理を教わると決心したのだった。

 彼女が『尻尾のムスメ』と呼ばれているのは、その栗色の髪のポニーテールが、まさしくそのまま馬の尻尾に見えるからとのことらしい。最初はなんだか屈辱的なあだ名に反発していたが、悪意もないらしいので今では割り切っている。

 

「二人だけで大変そうねぇ……あたしも手伝ってあげていいのよん?」

 

 にこやかに笑う美奈子の両手に握られているのは、包丁と鎌。なぜ調理の場で鎌を構えているのかは謎である。

 それをまことは肩を持ってくるりと回し、近くの森の方に向かわせる。

 

「……美奈子ちゃんは窯にくべる薪を集めて駆け回っといで」

「ちょっと、まこちゃん!なんでいっつもそうやってあたしを雑用に回すのよ!」

「適材適所ってやつだよ」

「はあー!?適性検査だかなんだか知らないけどね!あたしだってこれでも……」

「はいはい」

 

 反発する美奈子の背中を、まことは無理やり叩いて押し出した。

 「ああ、もう!」とプンスカと怒って出ていく美奈子を見て、衛を連れて家の外に身だしなみを整えて出てきたうさぎは気まずそうな顔をしていた。

 キッチンに歩いてくると、彼女はまことの横にあるテーブルに腰かける。

 

「まこちゃん、おはよ。美奈子ちゃん、もしかして怒ってた?」

 

 おずおずとした様子で聞くと、まことは一旦魚を捌く手を止め、その顔をずい、とうさぎに近づけた。

 

「……一応言っとくけど今日の森丘の見回り、衛さんと一緒だからってデート気分でやらないようにね」

「ま、まこちゃん、あたしがそんなことするわけ……!」

 

 うさぎが顔を赤くしていると、どこからともなくルナが彼女の肩に飛び乗って、にこりとした顔で割り込んできた。

 

「そこは大丈夫。あたしが隣で見張ってるから」

「ルナ!」

「まもちゃんと二人っきりだなんて、ちょっと気が置けませんものね~」

 

 後ろから声が聞こえたので振り返ると、当たり前のようにちびうさが寝間着姿で胸を張っている。

 

「ち、ちびうさまで!!」

 

 うさぎは慌てて周りを見回す。

 

「ちょっと待って!あたしってそんな信用ない!?」

 

 むきになりながら聞くと、そこにいる誰もが、その問いに無言で頷いた。

 頼みの綱の衛もただ苦笑しているだけで、まるでフォローしてくれない。

 

「あーん、みんなの裏切り者ー!」

 

 わんわんと泣き出したうさぎの前に、肉球の焼印が押された巨大な中華まんが差し出される。

 差し出したのは料理長だった。元々糸目な彼だが、口を開けて笑うとそのひょうきんな表情が更に強調される。

 

「ニャハハ、賑やかで大変よろしいニャル。取り敢えず、たんこぶのムスメはこれでも食って機嫌治すヨロシ」

 

 うさぎはその料理長特製の中華まんを渋々手に取ると、はむっと咥えて口に入れた。

 そしてハムスターのように頬をもぐもぐとさせてそれを呑み込んだ直後。

 

「おいひ~!」

 

 目を輝かせて猛スピードで食べ始めたうさぎを見て周囲はほっと胸を撫でおろし、数分後、うさぎは艶々とした顔で衛、ルナと調査に出かけていった。

 

 まことと料理長の2人で皿の後片付けをしている途中、料理長がふと空を見上げる。

 

「それにしても竜人の商人、今日の昼にはここに付くって言ってたけど遅すぎニャルね」

「あ、それってこの前言ってた日頃からの賭け仲間……でしたっけ?」

 

 まことが聞くと、彼は頷いた。

 何でも、彼の所属するキャラバンでかつて旅を共にした仲間らしい。ココット村の村長と同じ『竜人族』で、その長命による豊富な経験と知識で、独自の素材の販路を築く商人の爺さんと聞いている。

 

「ほら、最近この辺りも『霧』やら『魔女』やらの噂で物騒ではないニャルか。それのせいで立ち往生でもしてたら、事は重大ニャルよ」

 

 まことは「ああ、それは」とまで思わず言いかけたが、最後までは言わなかった。

 ココット村の住民には、森に棲むアイルーたちの以前の『襲来』のおかげで既に正体を知られてしまっているものの、外からの来訪者である料理長には正体は隠している。

 

「こんなとき、まつ毛のハンターがいればモーレツに一安心ニャルが……」

 

 その言葉の端に現れた単語に、まことは反応した。

 

「あっ、確かその人も貴方が入ってるキャラバンにいた人でしたっけ?」

「ニャハ、興味あるニャルか。ちょっと話すと長くニャルけど……」

「ちょっと、みんな!」

 

 そこに、亜美とレイが防具を着た状態で走り込んできた。

 

「どうしたんだい、亜美ちゃん、レイちゃん?」

 

「緊急事態よ!料理長さん、これを!まこちゃんは、急いで美奈子ちゃんを呼んできて!」

 

 亜美の手には、手紙が握られていた。

 

「んー、なになに?」

 

 亜美が手紙を開き、よろめきながらその中にある字を目で追っていく。

 あるところまで行くと、彼は急に手に積んでいた皿を盛大にひっくり返し、その中に埋もれた。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

 レイが皿の山を払いのけようとあわあわしていると、中から料理長が顔を出してぶるぶると頭を振った。

 

「そんなことより、大パンチ……じゃない、大ピンチニャル!」

 

 彼は、まだ真相を知らず戸惑っているまことに向かって叫んだ。

 

「竜人商人が辿るこの村へのルート上に、モンスターが侵入したニャル!」

 

──

 

 うさぎと衛は、飛竜の巣──ディノバルドとのかつての決戦の地──の入り口近くからしゃがんで中の様子を隠れ見ていた。

 

 あの卵があった藁の中で小さな生き物が1匹、ぎゃあぎゃあと高い声で空に向かってしきりに泣き喚いている。

 その姿はリオレイアのそれと瓜二つで、しかしながらその鱗は鈍い茶色。

 

「ねえ、ちょっと遅くない?」

「うさぎちゃん、心配しすぎよ……あっ」

 

 ルナが耳をぴんと立てて見上げると、上空から雄々しい叫びが聞こえてきた。

 空の王者リオレウスが、巣の上空の穴からゆっくりと地上に舞い降りてゆく。

 その脚には、何かの生物からもぎ取ったであろう肉片が握られていた。

 

「まもちゃん、来たわ」

「ああ。今日もどうやら大丈夫みたいだな」

 

 衛は、安堵した顔で頷いて手元のリストに『異常なし』と記入した。

 リオレウスはいま、1匹の雛の子育てを行っている。

 通常、飛行能力に長けた雄のリオレウスは主に上空からの縄張りの監視と外敵の排除を、脚力に優れた雌のリオレイアは子どもの世話と餌の確保を概ね担っている。

 

 いま、彼には番がいない。だから彼は、必然的にリオレイアの役目も同時にせざるを得ない。

 当初は卵は4個あった。だが彼1頭ではどうしても手薄になる頃合いが生まれ、その間にランポスに卵を喰われるなどして最終的に孵ったのは1頭だけであった。

 この雛は特別やんちゃで、少しでも放っておくと巣の外に飛び出してしまうほど好奇心旺盛だった。

 その度にリオレウスは雛の首を咥えて巣に戻してやらねばならず、かなり手を焼いている様子である。

 

 今このときも、雛はリオレウスの口から直接餌を啄んでいる。

 親よりもずっと弱い力ながら、人間ほどの大きさしかない身体で一所懸命飛び跳ね肉を引きちぎろうとしている。

 中々上手く行っていないのに気付いたリオレウスは一旦餌を咀嚼し、柔らかくしてからもう一度差し出してすべて食わせてやる。

 あっという間にすべて食べきった雛は、次の餌をおねだりするように飛び跳ね喧しく吼えまくった。

 

「もうあんなにギャーギャー言って飛び跳ねて、まるでちびうさみたい」

「確かあの雛、女の子だっけ?かなりお転婆に育つかもなぁ。シングルファーザーは大変だ」

 

 衛とうさぎは小声でくすくすと笑い合う。

 リオレウスは雛に追い立てられるように飛び上がり、次の獲物を探しに行った。

 そのとき2人の目に、雛の首元辺りからきらりと一片の光が入り込んだ。

 それを見て、うさぎはふっと顔を曇らせる。

 

「前は気のせいかと思ったけど、やっぱり生えてるわね金色の鱗」

「……うん」

 

 ルナの言葉に、うさぎは頷いて答えた。

 金の鱗は、リオレイアの中でも非常に珍しい『希少種』の証。

 無事に育てば彼女の全身は荘厳な金色に包まれ、このリオレウスよりも遥かに強靭なリオレイアへと姿を変えると聞いている。

 最初は雛が宝石のような美しい姿になることを我が子のように嬉しがっていたうさぎだったが、間もなくして、そう呑気に喜んでばかりもいられないことに思い至った。

 

「これからあの子、生きていけるのかな」

 

 あの自然界では明らかに目立つ体色は、捕食者からは恰好の標的だ。力が弱いうちは大変な思いをすることになるだろう。

 

「多分、あたしがリオレウスに使った銀水晶のパワーが卵にも流れたんだわ。だとしたら……」

 

「うさぎちゃんが気負う必要なんてないわ。今のところあの雛には、身体が金色で成長がちょっと早いこと以外、何も変わったところなんてないじゃない」

 

 ルナが、うさぎが自分を責めるのを予見したように割り込んだ。

 

「ルナの言う通りだ。さっきの光景を見ても分かるだろう。彼女は彼女自身の意思で生きているし、リオレウスもあの子をきちんと親として、愛情を込めて育ててくれてる。うさこがやったことは、デス・バスターズなんかと一緒じゃない」

 

 衛は、うさぎに強く言い聞かせるように真っ直ぐ瞳を見て話した。

 

「いま、うさこ自身に宿っている『女王』も、決して君を恨んだりなんかしてないと思う」

「……そうかな」

 

 うさぎは、下を向き自身の姿を改めて見つめた。

 

 レイアシリーズ。

 

 金属の甲冑をベースとしながら、強靭なリオレイアの甲殻がヘルメットや胸当て、ロングスカートのように大きく広がった腰装備を要所要所で覆っている。

 その姿はパーティードレスのように華やかで、それでいて騎士のように凛としている。

 女王としての美しさと力強さを兼ね備えた装備が、彼女の身体を護っている。

 

 そして、爆発で無くなったハンターナイフに代わる彼女の片手剣は『プリンセスレイピア』。

 茨の意匠が織り込まれた、刺突に向く緑色の細い剣にはリオレイアが尻尾に有する猛毒が含まれている。

 どちらも、この巣で死んだリオレイアの身体から造られた強力な武具であった。

 

 うさぎは、自身の胸当ての右側を覆う緑色の鱗をそっと触り目を細めた。

 

「そうに決まってる。その姿も心も綺麗な君だから、きっと」

 

 彼女はうつむいたまま少し顔を赤らめ、瞳だけ動かして衛の姿を見た。

 衛が身につけているのは、『チェーンシリーズ』と片手剣『ハンターカリンガ』。

 全身を甲冑と鎖帷子で固めたまさしく騎士のような恰好に、大きく湾曲した鉱石製の片手剣を身に着けている。

 うさぎの武具より防御力も攻撃力も劣るが、細くて長身の彼が付けると元々持っていた繊細な雰囲気に勇ましさが加わったようで、より男っぽく仕上がっている。

 

「まもちゃんも、とってもかっこいいよ」

 

 ルナはそんな二人の頭上からのやり取りを聞いてため息をついた。

 

「はあ~、やっぱりいつでもどこでもいちゃついちゃうのねこの二人は……まあ喧嘩するよりかよっぽどマシだけど」

 

 その時、穴から差し込む光に影が差し込んだのをルナは見逃さなかった。

 

「あっ、もう帰って来た!えらく早いわねぇ!」

「次は何を持ってきたんだろうな?」

 

 うさぎと衛は、舞い降りてくるであろう父親の姿を今か今かと待ち構える。

 だが、衛は早くも異変に気づき始めていた。

 

「なんだか……影のシルエットが違うぞ」

 

 確かに、地面の巨大な影は羽ばたいている。リオレウスと同じ、翼を持つ『飛竜種』と呼ばれる生物の特徴だ。

 だが、その肝心の翼がリオレウスのそれとはまったく違う。

 透けているのだ。

 まるでトンボの翅脈のように、光をいくつもの四角形に区切って通している。

 そして上空から現れたその姿を見て、うさぎもルナも目を丸くした。衛が叫んだ。

 

「……リオレウスじゃない!」

 

 黒と黄の縞模様の刺々しい甲殻に、昆虫を思わせる、光を複雑な緑色に反射する半透明な翼。尻尾は鋏のように鋭く二又に分かれ、頭に戴く冠のようなトサカから僅かに電流が迸る。

 そしてその目は──どこまでも透き通る、冷徹な赤色だった。

 

 電竜『ライゼクス』。

 狡猾、残忍にして凶暴。

 



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襲雷②

 捕食者が赤い目をギラつかせ、翼を広げ鋭く滑空してゆく。

 何も知らない雛は、それを無垢な目で見つめている

 

「だめっ!」

 

 うさぎは雛に向かって飛び出していく。

 

「うさこっ!」

「うさぎちゃん、やめて!」

 

 制止の声を振り切って、彼女は雛を抱きすくめた。

 突然の乱入者にライゼクスは驚き、空中で制動をかけ真下へと降りる。

 雛は小首を傾げてうさぎをじっと見つめている。

 雛とは口で言っても、その頭はうさぎより少し小さいくらいだ。尻尾まで含めた全長は、彼女の背丈より少し小さいくらいである。

 

「ほら、早く逃げて!あの竜は貴女の命を狙おうとしてるわ!」

 

 彼女は座った雛の身体を動かそうとするが、その体重は人とは比べ物にならず、岩のように動かない。

 それどころか、雛はうさぎの胸元に顔を近づけて匂いを嗅ぐように鼻をひくつかせる。

 

「ちょっと、そんなことしてる場合じゃ……!」

 

 横から入った衛がうさぎの腕を掴みその身を抱き寄せてしゃがんだ直後、鋭い鋏のような尻尾がうさぎのいた空間を凪いだ。

 幸い尻尾は雛の頭上を通り過ぎ、攻撃は無駄に終わる。

 

「それはこっちの台詞だ!」

 

 うさぎは、衛に抱えられたまま巣の出口へと運ばれていく。

 普段穏やかな衛の表情は怒りに染まっていた。

 

「あそこの出口へ!」

 

 ルナが、巣の外へと続く洞窟を指さした。

 うさぎの意識は、未だに背後の雛へと向いている。

 ライゼクスがひび割れるような音で咆哮した。

 

「早く逃げて!」

 

 ライゼクスがもう一度雛に襲いかかろうとしたその時、背中にいくつもの爆風が起こった。

 

「きゃっ!?」

 

 見上げると、あの飛竜の王が陽の光の中で燦然と羽ばたいていた。

 馴染みのある雄たけびが聞こえ、火球がライゼクス目掛けて降り注ぐ。

 

「リオレウス!」

 

 うさぎは衛に抱かれたまま、巣の外へと連れ出されていった。

 

──

 

「ごめんなさい……つい突っ走っちゃった」

 

 巣の外に出た後、地面に降ろされたうさぎは息を切らしている衛に頭を下げた。

 洞窟の中からは、地鳴りと爆発音が鳴り響いてくる。巣の中は既に、飛竜たちの激戦区となっていた。

 

「まあ薄々予想は付いてたさ、うさこがあの子を見捨てられないってことくらい」

 

 腰を落ち着けた衛の表情は、いくらかいつもの冷静さを取り戻していた。

 

「だけど、もう次からこんな無茶はするなよ。俺だって、いつでも庇いきれるわけじゃないんだからな!」

 

 うさぎは、うつむきながら「うん、わかった」としょげた顔で頷いた。

 

「もう、うさぎちゃんの戦い方っていつも行き当たりばったりというかなんというか」

「キャッキャッ」

 

 ルナの言葉に応えるように甲高い鳴き声が響く。

 彼女は隣から真っ直ぐ見つめてくるつぶらな瞳に振り向き、にんまりと笑った。

 

「あら~、貴女も同意してくれる?」

「……ん?」

 

 相手は尻尾を犬のようにぶらぶらと揺らし、興味津々といった様子でうさぎたちを見つめている。

 

「えええええええええ!?」

 

──

 

 うさぎたちはライゼクスの追撃をかわすため、森の中へと入っていった。

 彼女は衛、ルナと一緒に立ち止まって振り向く。

 

 一歩、一歩。

 おぼつかない足取りで、雛が何とかうさぎに追い付こうとしている。

 周りを見渡しながら石を踏み、枝を脚で折り、その様子はまるで初めて見るものに目を輝かす子どものよう。

 それを見て、彼らは狐につままれたような顔をしていた。

 

「一体全体、何がどうなってんだ?」

 

 雛は、翼をばたつかせながらうさぎの後ろにずっと付いていく。

 

 あの後まさか巣にそのまま戻るわけにもいかず、かと言って村にそのまま連れて帰るわけにもいかず。

 彼女たちは雛を連れたままここまで来てしまったのである。

 

 ルナは雛と並列して歩きながら彼女をじっと観察していた。

 

「完全にこれ、うさぎちゃんに懐いてるわよね?」

「うさこ、何かしたか?」

「ううん」

「……もしかして、その装備が関係したりしてないかしら」

「えっ?」

 

 うさぎは立ち止まり、振り返って雛の顔を見た。雛は追いつくと、顔を上げて彼女をじっと見つめ上げている。

 衛は、そんな両者を交互に見ながら一考する。

 

「もしかしたら、臭いを嗅いで母親だと勘違いしているのかもしれない」

「あ、あたしが母親!?」

 

 飛び上がったうさぎはとんでもない、と言うように首をプルプルと振る。

 

「ちびうさに加えてこの子まで加わったら、大変どころじゃすまないって!」

「なんでうさぎちゃんが母親になる前提なの!」

 

 ルナに頭に乗っかられ、うさぎは「うげっ」と蛙が潰されたような声を漏らす。

 

「とにかく父親に返さないといけないが、あの竜がいるとな」

 

 行き詰まった3人はその場に座り込んで考え込むが、一向に答えは出ない。

 

「おーい」

「なあに?うさぎちゃんたら、真面目に考えてるときにふざけないでよ」

「え!?……まもちゃん!?」

「んなわけあるかよ」

「じゃあどこから……」

 

 そう言ったうさぎの頭を、上から巨大な鍵のような物体がちょん、ちょんとつつく。

 

「ここじゃ、ここ」

「……?」

 

 振り向くと、錠のついた巨大な箪笥のような物体が鎮座している。

 その上に小さな老人がぽつんと座って三人を見下ろしていた。

 

──

 

「でりゃあああっっっ!!」

 

 巨大な骨の塊がランポスの横面を殴り、青空に舞わせた。

 それを振るったのは、羽根飾りのついた赤いハットにポニーテールを舞わせる長身少女。

 緑色の羽毛が目立つ、弓の名手のような意匠が特徴の『マッカォシリーズ』が、まことが身にまとう装備だ。

 武器はハンマー『大骨塊』。臼のような形をしたその頭部の大きさは、彼女の頭の4つ分は裕に超える。

 とてつもない重量を誇るそれを彼女は軽々とぶん回し、迫りくる獣らを迎え撃っていく。

 

「どうだい、このハンマーの味は!」

 

 得物を構えながら不敵に笑ったまことの背後に迫る1頭のランポスを、一筋の太刀が切り裂いた。

 はっとして振り向いたまことの視界に、乱れうねる黒髪が映った。

 

「まこちゃん、油断は禁物よ!」

 

 その言葉とともに光ったのは、レイの太刀『鉄刀【神楽】』。

 まことはバツが悪そうに「わかったよ」と仕方無しに答えると、再び戦場に舞い戻っていく。

 

 いま、彼女たちは両脇を天然の壁に挟まれた道でランポスの群れと対峙している。

 山沿いの小道である『エリア3』から、巣に続く広場である『エリア4』に入る直前の地点で、ランポスたちに挟み撃ちにされる形となっている。

 

「いい加減に道開けなさいっ!しつこい奴は嫌われるのよ!」

 

 レイは一斉に飛び掛かるランポスを撫で斬りにしていくが、軍勢は衰える気配を見せない。

 

「亜美ちゃん、敵の数は!?」

 

 まことが叫ぶと、少し離れた後方でライトボウガン『ハンターライフル』を構える亜美が答えた。

 

「まだ15体ほど控えてるわ!牽制しておくけど、くれぐれも油断しちゃだめよ!」

 

 三人はなおも奮戦するが、あまりに大軍勢であったため彼女たちでも捌ききれない。

 その時、ランポスの1体が亜美に飛び掛かろうと跳躍した。

 亜美は、とっさにボウガンを盾にしようと構えた。

 

「クレッセント・ビームッッ!」

 

 2つの三日月の光が収束した指先からレーザーが一直線に放たれ、ランポスの身体を貫いた。

 貫かれた個体は派手に吹っ飛んで群れの前に放り出される。

 レーザーの発射地点は、壁の上にあるひとつの人影。

 さらにレーザーは弧を描いて控えているランポスたちの目前の地面を焼き、焦がしていく。

 取り巻きたちは勝ち目はないと見なしたのか、たまらず蜘蛛の子を散らすように退散していった。

 

「どーんなもんでぃ!」

 

 太陽を背に佇みながら、銃口に見立てた人差し指に息を吹きかけたのは美奈子であった。

 彼女が身につけている防具は『ボーンシリーズ』と呼ばれる。その露出度と引き換えに骨製であるがゆえの軽さがウリである。

 その隣にいるのは相棒である白猫のアルテミス。

 とは言っても、全身を合金の鎧『アロイネコシリーズ』で固めているせいで肝心の毛並みはほぼ隠れてしまっている。

 

 美奈子は相棒とともに、金髪ロングを靡かせ戦士たち飛び降りた。

 

「ちょっと美奈、それセーラーヴィーナスの技……」

 

「細かいことは気にしない気にしなーい」

 

 小声で指摘したアルテミスを、美奈子が手で物理的に口封じする。

 美奈子が背負うは、細長い柄の先に巨大な笛のような機構がついた『狩猟笛』。

 音楽を奏でることで仲間の士気を上げ様々な効果をもたらす武器である。

 攻撃の際は笛の部分を叩きつけるのだが、黒い留気袋から4つの管が伸びた『メタルバグパイプ』に傷らしい傷はほとんどなかった。

 

「で、邪魔者を跳ねのけたはいいけどライゼクスはまだいないの?かれこれ2時間くらい探し回ってるけど」

 

 一息ついて太刀を鞘に納めるレイの表情には、疲れが見え始めていた。

 

「もう平野にはいなさそうね。残すはここと奥の森だけど、正直今のパーティーで挑んで勝てる相手かしら?」

 

 亜美が不安げに地図を開いているところに、美奈子が顔を近づけ立てた人差し指をチッチッチッと左右に振った。

 

「まさか、あたしとまこちゃんがハンターの経験少ないからって不安に思ってる?」

 

 美奈子は亜美の驚いた顔をよそに、狩猟笛を勢いよく大地に突き立てた。

 

「まさか忘れた?あたしはこの四戦士のリーダーよっ!モンスターなんぞこの狩猟笛で華麗にバッタバッタと……」

 

 まことは、どや顔で胸を張る美奈子に疑いの視線を向けた。

 

「1週間前は双剣で戦場を舞ってみせるとか言ってなかった?」

「いや、やっぱモノ言うのは経験の数じゃない。ほら『亀の脳より牛のモー』なんて言葉も──」

 

「それ言うなら『亀の甲より年の功』だろ!?」

 

 美奈子は、手の拘束を解いて叫んだアルテミスの頭を笑顔のまま無言で押さえつけて黙らせた。

 

「ま、いかにもミーハーな美奈子ちゃんらしいけどね」

「……ふ~ん」

 

 まことの一言に、美奈子の視線が鋭くなる。

 

「ずーっと昔の先輩とハンマーしか見てないまこちゃんもどうかと思うけどね〜!」

「あたしの憧れの人と選んだ武器に、何の関係性があるってんだい?」

「大いにあるわよ~1つのことに拘って視野が狭いところが」

「美奈子ちゃんは逆に求めすぎなんだよ!これじゃオトコ作っても上手くいかないね」

「はぁ~ん!?なんですとぉっ!!」

 

 額を押し付け合ってバチバチと火花を散らす2人の顔を、アルテミスはそっと覗き込む。

 

「……2人とも意固地にならなくても」

「アルテミスは黙ってて!!」

 

 白猫が2人の少女に気圧されるのを見て、レイは呆れ返ったように額を押さえた。

 

「はぁー、てんでバラバラ……」

 

 亜美も、数ページほどしかないメモらしき紙を所在なさげにパラパラとめくっている。

 

「ただでさえ急いでたせいでモンスターの情報をほとんど調べられてないのに……こんなので大丈夫かしら」

 

 そのとき岩石が砕け散る音とともに、怒りに染まった獣の咆哮が周囲を駆け巡った。

 

「なんだ、この叫び声は!」

 

 まことが、背負っているハンマーに手をかける。

 

「見て!」

 

 亜美が指さした先の、巣穴へと続く岩山。

 その上空の雲から2つの影が飛び出し、もつれ合って飛んでいるのが見える。

 少女たちは急いで『エリア4』へと走り、足を踏み入れた。

 

「あいつがライゼクス!」

 

 美奈子が叫び、彼女たちは遂に狩猟対象と邂逅した。

 炎を燻らす竜と、電気を纏う竜が青空で激しく揉み合う。

 大きく羽ばたいて飛びのいたリオレウスが、毒爪を真っ直ぐ突き出す。

 ライゼクスは蝶のように身を翻して避け、真横に来た相手に雷を纏わせた斧状のトサカを一発叩きつけた。

 翼を焼かれたリオレウスは、尻尾を振りまわし相手を追い払って一旦距離を取る。

 

 戦闘は空中でのドッグファイトに移った。

 空中で圧倒的な制動力を誇る両者は空を自在に駆け、雲を散らし、太陽を何度も遮る。

 

「なんて速さなの!」

 

 亜美がその姿を目で捉えようとするも、その凄まじいスピードに動体視力が追いつかない。

 

 リオレウスが途中、疲れたように動きを緩めた。

 ライゼクスは、相手の喉元向かって一直線に滑空してゆく。

 だが、それはフェイントに過ぎなかった。

 リオレウスは宙返りして相手の背後を取り、何度も火球を撃ち出す。

 火球が何発かがライゼクスの背中に直撃するが、最後の2発ほどはかわされた。

 打ち漏らしは戦士たちの目前に着弾して爆発を起こし、彼女たちの髪を巻き上げる。

 

「きゃあっ!」

 

 低空飛行するライゼクスが彼女たちの頭上を掠め、追って通過したリオレウスが硝煙を吹き飛ばした。

 突風に目を閉じる戦士たちの髪が、風に煽られ凄まじい乱れ髪と化す。

 目を開けた直後には、既に彼らは遥か空の遠く。

 

「……あればかりは、間に入りようがないわね」

 

 陽光を手で遮るレイが睨む先は飛竜たちの聖域。彼女たちは戦いの行く末を見守ることしか敵わない。

 

 リオレウスに追いつかれそうになったライゼクスは、突如振り返って尻尾を前へ持ち上げる。

 鋭い鋏に電流が迸って飛んでくるリオレウスを迎え撃ち、その腹を槍のように突いた。

 傷ついたリオレウスがたまらず逃げるように旋回すると、今度はライゼクスが追う側に代わる。

 

「なんだかリオレウスの方、旗色悪くないか!?」

 

 遠くの風切り音を聞きながら、まことが叫んだ。

 亜美が急いでモンスターの情報が書かれたリストを取り出し、ぱらぱらとめくってリオレウスの項目を確認する。彼女はそれを見て合点が行ったように頷いた。

 

「彼の弱点属性は雷!押されてるのも当然だわ!」

 

 もう一度リオレウスが振り返りざまに火球を放つが、ライゼクスはそれを身体を傾け難なくかわす。

 雷を宿した鋭い牙が、リオレウスの喉元に迫り。

 

 遂にライゼクスの牙がリオレウスを捕え、背後にあった岩柱に身体ごと叩きつけた。

 彼は相手の身体を脚で抑えつけながら、翼を腕のように使って何度も滅多打ちにする。

 リオレウスがされるがままに殴られるうち、柱にひびが入っていく。

 

「あの空の王が……!」

 

 レイが信じられないように口で手を覆って呟いた。

 ライゼクスは脚と翼でリオレウスを柱に据えつけながら、空いている方の翼に電撃を這わせた。

 渾身の一発で胸を殴られた瞬間に岩柱が崩れ去り、リオレウスは真っ逆さまに墜ちてゆく。

 

 

 戦士たちは、ただただ立ち竦んで絶句していた。

 

 

 ライゼクスは森の方へ飛び去っていく。

 取り残された戦士たちは、森が見える崖の近くで後ろ姿を見送っていた。

 

「……どうする?」

 

 先頭でアルテミスが狼狽した様子で振り返った。

 

「……どうするって、すぐ行くに決まってんでしょうが!」

 

 真っ先に叫び、前に出てきたのは美奈子だった。

 彼女はアルテミスに代わって崖っぷちに立ち、森を鋭く指さした。

 

「あたしたちの護るべき人たちが、あそこにいるかも知れないのよ!?あんな強い奴なら尚更危険だわ!」

 

 もう片方で握りしめられた拳が汗ばんで震えているのは、恐怖か武者震いか。

 

「さあみんな、『エリア3』に戻ってそこから森へ行くわよ!」

 

 彼女は足を踏み出し、『エリア3』に続く小道へと駆けていく。

 

「美奈子ちゃん!」

 

 亜美が呼びかけるが、既に彼女は戦士たちを置き去りにしてしまっていた。

 その横で、まことが険しい顔をしながらしゃがんで前髪を直していた。

 

「……こっちも負けちゃいられないな」

 

 そう呟いた彼女は、立ち上がって風で乱れたポニーテールを結び直した。

 

「ちょっと、まこちゃんまで!」

 

「どんな奴が相手だろうと、あたしたちはあの子を護る!そうだろ!!」

 

 後ろに向けられた彼女の眼光は、誰にも何も言わせない凄みを含んでいた。

 

「あたしも先に行かせてもらうよ、美奈子ちゃんだけじゃ何かと不安だからね!」

 

 美奈子を追いかけていくまことの後ろ姿を、残された3人は心配そうに見ていた。

 

「うーん、心意気は十分なんだが……」

「2人とも、セーラー戦士の中でもハンターの経験が少ないからって焦ってんのよ」

 

 アルテミスが言った傍で、レイは太刀を研ぎながら分析した。

 

「……でも、言ってることはどれも事実だわ」

 

 亜美はそう呟くと、弾を込めてからメモを手早くしまい、ライトボウガンを背負った。

 

「リオレウスには悪いけど、一刻も早く向かいましょう、あの森へ」

 




武器&防具まとめ

うさぎ:片手剣『プリンセスレイピア』&レイアシリーズ

衛:片手剣『ハンターカリンガ』&チェーンシリーズ

亜美:ライトボウガン『ハンターライフル』&ランポスシリーズ

レイ:太刀『鉄刀【神楽】』&バトルシリーズ

まこと:ハンマー『大骨塊』&マッカォシリーズ

美奈子:狩猟笛『メタルバグパイプ』&ボーンシリーズ

ルナ:ボーンネコピック&どんぐりネコシリーズ

アルテミス:アイアンネコソード&アロイネコシリーズ 


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襲雷③

ライゼクスのBGMほんとすき。


 

「お、おばけーー!!」

 

 うさぎは叫んだそのままの勢いで衛に抱きつき、ルナは前に出て低い声で唸る。

 

「おばけとはちと失礼な物言いやな」

 

 頭を掻く彼の話し方は、彼女らが学んだ言葉とは違い気さくな親しみの湧く訛り方をしていた。

 

「来てくれて『ありがと300万ゼニ―』!最近はえらく若いカップルもハンターをしておるんじゃのう」

 

 座布団に座った紫の羽織と帽子の好々爺が、傘の下で満面の笑みを浮かべていた。

 

「……あ、貴方は?」

 

 うさぎは恐る恐る尋ねると、老人は意外に思ったのか少し首を傾げた。

 

「ん、あの手紙を見てないんか」

 

 彼はすぐに笑顔を取り戻し鍵の形をした巨大な杖をコン、コンと箪笥に打ち付けた。

 

「まあ、この際何でもええ。ワシはちょいと昔から行商を営んどるものでな。みんなからは『竜人商人』と呼ばれとる」

 

 彼はそう言うと、視線を三人から外してここからでも見える高い丘陵へと移した。

 

「前からの馴染みに会おうとココット村に行こうとしていたんじゃが、奴のせいでてんてこ舞い。護衛も逃げてしまい、この有様よ」

 

 よく見ると巨大箪笥には移動用の車輪が付いていて、惨状を表すがごとく所々に傷や汚れが目立っている。

 彼が言うにはこの箪笥は彼の商売を営むための屋台であり、珍しい品物やら生活用品やらが全て入っているらしい。

 やがて竜人商人はうさぎに視線を戻した。

 

「お嬢ちゃんの装備を見ればそれほど心配はいるまい。どうか、わしを村まで護衛してくれんかな?」

「えと、それがちょっと訳あって……」

 

 視線を下にそらしたうさぎの脚の陰から、雛の頭が片方だけ顔を覗かせた。

 

「リオレイアの雛か!!」

 

 竜人商人は前のめり気味に丸眼鏡をくいっと上げ、まじまじとその姿を見つめた。

 

「村にいる仲間がその手紙を見て助けに来ると思います。すみませんが、今の俺たちはむしろ……」

 

 衛がうさぎの前に出ようとしたとき、強く乾燥した風が彼らの身体に吹き付けた。

 

「ま、まさか、もう!?」

 

 うさぎが太陽を覆い隠した影を見上げて叫んだ。

 甲高い咆哮が、場に木霊した。

 周囲の空気が泡立ち、彼らの肌を激しめの静電気のような感覚が襲う。

 

「おお、ライゼクスじゃ、こりゃいかん!」

 

 慌てふためく商人と、屋台の近くに身を寄せた雛の前にうさぎと衛が立ち塞がる。

 

「くそっ、中々鼻が利くな!」

 

 2人は片手剣を引き抜いた。

 上空で半透明の翼が太陽を虹色に透かし、葉脈のような模様をステンドグラスのように美しく輝かせていた。

 

 竜は翼を畳んで急降下する。

 身体を重力のままに任せ、そのまま全員を吹き飛ばすつもりのようだ。

 2人は盾を構え、攻撃に備えた。

 

「目を塞いで!!」

 

 突如、手榴弾状の物体が彼らの前に放り込まれた。

 うさぎが目を見開いた直後、閃光が辺りを包み込む。

 

 ライゼクスは視界を奪われ、悲鳴を上げて地面へと墜落する。

 轟音。

 目の前で、一軒家ほどの大きさはある竜が呻く。

 うさぎたちがまだ状況を把握しかねていると、後ろから誰かが駆けてくる音がした。

 

「みんな!」

 

 果たしてそれは、亜美、レイ、まこと、美奈子、そしてアルテミスの5人だった。

 先頭の美奈子が息を切らしながらうさぎの肩を掴み、一旦息をついた。

 

「どうやらみんな、無事みたいね!」

「みんな、来てくれたの!?」

「ええ、大急ぎでね。間に合ったみたいで良かったわ」

 

 亜美は、ふと先ほどの閃光のせいで屋台に寄りかかって目を回している雛の存在に気づいた。

 

「うさぎちゃん、その子は……」

「えぇーっと、これはね……」

 

 うさぎが説明かねているところで低い唸り声が響いたので見てみると、早くもライゼクスが起き上がろうとしていた。

 レイは、うさぎと衛の背中を自分たちが来た方へと手で押しやる。

 

「事情を聞いてる暇はないようね!とにかく、ここはあたしたちに任せて!」

 

「みんな、大丈夫なの!?」

 

「とにかく、早く逃げて!」

 

 少女4人が、武器を構えてライゼクスへ駆けていく。

 迷ううさぎに衛とルナが目を合わせ、従おうと無言で促した。

 意を決するとうさぎは雛の背中を片手で押し、衛と一緒に商人の乗った屋台をもう一方の手で押す。

 あとは鬱蒼とした景色が晴れるまで、ただひたすら全速力で走るのみだった。

 

──

 

 所は変わり、森から抜けた丘の上。

 うさぎたちは屋台を後ろから押し、なんとか頂上にたどり着こうとしていた。

 

「うんしょ、うん……しょっ!」

 

 なんとか車輪が平面に安定し、うさぎたちはへとへとに息を切らして屋台に背中をもたれた。

 

 森から物音がしないことを確認してから、やっと休憩の時間に入る。

 うさぎが雛を解放すると、彼女は草や木の匂いを物珍しそうにくんくんと嗅いで周りを歩き回っていた。

 

 生き生きとしている雛をうさぎは見惚れたようにしゃがんで見つめていたが、そこに頭上から盆に乗った湯呑が差し出された。

 

「お疲れさん。ほれ、疲れに効く、あまーいお茶じゃよ」

 

「あ、ありがとうございまーすっ!」

 

 頭を下げて礼を言ったうさぎは、即座にそれを口に付ける。

 

「あれ、これって……」

 

 匂いを嗅いで首を傾げた衛の横で、うさぎがお茶を噴水のごとく噴き出した。

 

「しっぶーーー!!!!」

「こりゃ失敬。こっちじゃこっち」

 

 竜人商人は慌ててうさぎに手ぬぐいを差し出しながら、急須でお茶を入れ直す。

 

「もしかしてお嬢ちゃんは、お人よしな方か?」

 

 突然の質問に「へ?」とうさぎが口を拭きながら首を傾げている横で、ルナが悔やむような顔で頭を下げた。

 

「はい、恥ずかしながらホンットーにその通りです……」

「やっぱりそうか」

 

 竜人商人は嬉しそうに顎を撫でながら言った。

 

「お嬢ちゃんを見てると、まつ毛のハンターさんを思い出してな。偶然とはいえ同じことがまた起こるとは思わんかった」

「まつ毛のハンターさん?」

「キャラバンで一緒に旅したハンターさんじゃよ。一緒に旅をしとった時は、あの人の狩りが成功するか失敗するか料理長と賭けとったわい」

 

 うさぎはお茶を啜るのを止め、ジト目で竜人商人を睨んだ。

 

「……ケッコー不謹慎なことするんですね」

 

 竜人商人は高笑いを上げた。

 

「その通りじゃな。じゃが、あの人はそんな時に限っていつも依頼を成功させてきた。賭けが成立したことは1回もない」

 

 嬉々として語る商人の声は、まるでそのことを誇りに思っているようだった。

 やがて周囲の探索に飽きた雛が寄って来て、座っているうさぎの腰に頭を擦り付けた。

 うさぎは話を聴きながらそれをそっと撫でてやると、雛は気持ちよさそうに喉を鳴らした。

 

「お嬢ちゃんは、何となくあの人と雰囲気が似ておる。いつもの間の抜けた感じといい、いざという時の目つきといい」

「前の部分はいらない気がするんですけど?」

 

 うさぎが不服そうに口を尖らせている間に、雛は彼女が持っている湯呑に興味津々な様子で嘴を近づけていた。

 彼女は慌てて湯呑みを天上に持ち上げ、「だーめ!」と雛の顔を覗き込んで叱った。

 

「もう、代わりにこれね」

 

 うさぎが取り出したのは、焼き上げて昼ごはんにと持参していた生肉であった。

 雛はそれを見た瞬間喜んだように飛び跳ね、それを啄もうとする。

 

「ちょっとみんな、待っててね」

 

 うさぎは衛たちから少し離れたところで、雛を押しのけながら肉を切り分けて地面に置いていく。

 肉は少し固くなっていたが、小さくすれば問題ないようで雛はもりもりと肉を平らげていく。

 

「うさぎちゃん、ちびうさちゃんの時よりずっとお母さんしてるわね」

「……だな」

 

 いつの間にか、うさぎ以外の全員がその様子を見守っていた。

 ルナが皮肉っぽく言うと衛は苦笑して頷いた。

 

「既に親がいるモンスターがこれほど人に懐いたの見たのは、初めてやわ」

 

 一方で竜人商人は心の底から驚嘆しているようで、光景の隅々を眼鏡の位置を何度も直しながら観察している。

 

「その雛も、お嬢ちゃんの不思議な空気に絆されてしまったのかもしれんな」

 

 いつの間にか、衛とルナの視線は雛へ集中していた。

 うさぎが雛の顔を覗き込むと、彼女は小さく「ぴぃ」と鳴いた。

 それに対し、うさぎは愛おしそうにふふっと笑った。

 衛が、その光景を見てつられたように微笑む。

 

「……そうかも知れませんね」

「さ、そろそろ行くとするかな?」

「あっ、はい!」

 

 現実に引き戻されたうさぎは、やや名残惜しそうにしながらもすぐ立ち上がり、雛の背中を押してながら屋台の後ろへ歩み寄っていった。

 

──

 

「おりゃあああああっ!」

 

 森の中でのライゼクスの狩猟は、かなりの困難を極めていた。

 雄叫びを上げながらまことがハンマーを構えながら走ってゆくが、ライゼクスは後ろに跳び下がって攻撃を避ける。

 

「ちょこまかとすばしっこい野郎め!」

 

 舌打ちしたまことを迎撃するように、ライゼクスの口から雷球が放たれる。

 リオレウスの火球と違い、それは地面に接触すると竜巻のように稲妻の柱を形成し、屈折しながら走っていく。

 稲妻は草を焼き木を焼き、ライゼクスの動く盾となる。

 まことと同じく獲物の近くで攻撃せねばならないレイ、美奈子もこの影響を受け、なかなかライゼクスに近づくことができないのだ。

 

「さっきの閃光玉のせいでこちらの動きを警戒してるのね。だから隙を見せまいと……」

 

 転がって稲妻から身を躱したばかりのレイが、ライゼクスの赤い目を睨んだ。

 ふと彼女の視線が、狩猟笛の柄を握る美奈子の手に注がれる。

 

「ならば……猪突猛進あるのみよっ!!」

「美奈!」

 

 アルテミスが止めるのも聞かず、美奈子はライゼクスに向かって真っすぐ駆けていく。

 まことも呼びかけようとするが、彼女はそちらに振り返ると叫んだ。

 

「あたしがただのミーハーなんかじゃないってとこ、見せたげる!」

「おい、ちょっと待っ……」

 

 ライゼクスは美奈子を警戒し、電流を迸らせたトサカをシャカシャカと音を鳴らす。

 

「それで威嚇したつもり?ビリビリ虫ドラゴン!!」

 

 美奈子はライゼクスの懐に飛び込んで狩猟笛を高く持ち上げると、頭めがけて思い切り振り下ろした。

 ゴンッと甲殻を叩き潰すような鈍い音。

 頭に白いかすり傷が付いたライゼクスは、鋭く大きい爪の付いた翼を地面に擦り付けながら薙ぎ払うことで反撃を試みる。

 

「よっと!」

 

 美奈子は咄嗟にしゃがんで攻撃を避け、狩猟笛を再び頭に叩きつける。

 

「バレー部所属、体育実技学年トップクラスのあたしを見くびるんじゃないわっ!」

 

 身の丈を超すほどの武器を持って迫りくる牙を軽やかに飛びのき躱すその姿は、ただの女子中学生のそれではない。

 ちなみに彼女がハンターになったのは1ヶ月ほど前、狩猟笛を使い始めたのは1週間ほど前からである。

 亜美は、ボウガンから弾をライゼクスの背中に命中させて注意を引き、美奈子を支援する。

 

「すごい攻勢ね……あたしたちの中で一番戦士の経験が長いだけのことはあるわ」

 

 次弾をリロードしながら彼女が小さく呟いた。

 狩場は、実質美奈子の独壇場と言ってもいい。ライゼクスの頭は既に傷だらけになっている。

 だが、1人厳しい表情をしている者がいた。

 

「あいつ、やたら翼を使ってる」

 

 まことが、軽やかに舞う美奈子の背中を見ながら呟く。

 レイが「え?」と横を向いたとき、彼女はハンマーの柄を握りしめ再び構えていた。

 

「何か、嫌な予感がするよ」

「おい、美奈!そろそろ離脱した方が……!」

 

 アルテミスの声は美奈子に届いていなかった。戦いに熱中しすぎて、周りのことが見えていないのだ。

 

 ライゼクスの攻撃は異常なほど単調であった。見ようによっては、わざと美奈子に攻撃を許しているようにも見える。

 まるで、何かを待っているかのように。

 

 攻撃を行うたび、翼爪が電気を帯びてくる。人間で例えれば、走り続けて息が上がってくるイメージだろうか。

 美奈子の方は類稀なる身体能力でテンポについていけているが、永久には続かない。次第に攻撃の手が緩んでくる。

 ピリつくような乾燥した空気の感覚が、ますます大きくなってゆく。

 

「美奈ーっ!」

 

 アルテミスが走り出した。

 

 翼が森を飲み込むほどの緑の蛍光色に染まり、先ほどとは比べ物にならない電流を放出する。

 

 美奈子は思わず目を見開いて驚き、硬直を見せてしまった。

 ライゼクスが翼を大きく振りかぶる。

 

「あっ……」

 

 翼が降ってきた瞬間、アルテミスが美奈子に全力でタックルした。

 

「アルテミス!!」

 

 背後の大地に殴りつけた翼爪が突き刺さり、轟音とともに巨大な稲妻が走った。

 突き飛ばされた美奈子は地面を転がる。

 代わりにアルテミスが小さな身体に稲妻の余波をもらった。

 

 急いで美奈子はアルテミスの身体を抱き上げた。

 彼女は涙ながらに何度も名前を呼ぶが、応答はない。

 運悪いことに彼の装備は金属で出来ていたため、息はあるものの一発で気絶していた。

 

「野郎っ!」

 

 まことが怒って叫び、ハンマーを携え走ってゆく。

 それを見たライゼクスはトサカを地面に振り下ろして突進し、向かってきた彼女を迎え撃った。

 僅かに残された理性で彼女が避けたすぐ横、稲妻状の3列の模様が走るトサカが一際明るく輝く。

 美奈子、レイと一緒にアルテミスを介抱していた亜美が何かに気づき、戦慄の表情を見せた。

 

「まこちゃん、トサカを使った攻撃に気を付けて!恐らく、翼と同じように……」

 

 言い切る前に、トサカが翼と同じ蛍光色に輝いた。

 赤かった瞳が、電流に満ち溢れ黄緑に光っていた。

 まことは得物を頭めがけて振り下ろしたが、身体を後方にずらされ回避される。

 

 ライゼクスが頭を振り上げる。

 瞬時にトサカから電撃の刃がサーベルのごとく形成され。

 頭上の斧は形なき光り輝く剣と化し、振り抜きざまにまことの腹を横凪ぎに切裂いた。

 

「がっ……!」

 

 彼女は大きく地面とほぼ平行に吹っ飛ばされ、戦士たちの前に転がり込む。

 

「まこちゃん!!」

 

 うつ伏せになった彼女の息は荒く、胸当ては黒く焦げ、口からは血が滲みかけていた。

 まことがなんとか腕を支えにして上体を持ち上げ、辛うじて敵を睨みつける。

 

「くそっ、もっとあいつのことよく知ってりゃ……!」

 

 ライゼクスが大地を蹴って飛び立つ。

 精確に狙いを定め、右の翼を後ろに構えながら戦士たちにめがけて滑空。

 

 地面に接した瞬間に迸る、最大出力の電流。

 前に突き進みながら何度も殴りつけられる翼が、大地をえぐって粉砕していく。

 

 巻きこまれ打ち上げられる少女たちの身体。

 

「ぁっ……」

 

 防具が弾け、壊れ、破れた。

 戦士たちは砂埃とともに地面にモノのように転がされる。

 ライゼクスは振り返ると再び上空に飛び上がり、叫ぶ。

 電流がその竜の全身を巡り、明確な殺意を持って落ちてくるのが分かった。

 




エピソードごとに書いたおかげで、オチをどんな風に付けていくとか分かってきた気がする。


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襲雷④

 

『エリア4』。

 リオレウスの巣に続く広場は、再びランポスの群れで埋め尽くされていた。

 それを、うさぎたちは大きな岩の影に隠れて見守っていた。

 

「なんであんなに……」

「あいつら、飛竜の卵や雛を狙うんだったな?いま、巣ががら空きってことだろう」

 

 群れの先頭が周りを見回してから巣の中へ入っていき、仲間たちもそれに続いていった。

 

「リオレウス、一体どうしちゃったのよ!?」

 

「恐らくはあのままライゼクスと巣の外で戦ったんだろうが、今帰ってないとなると」

 

 衛はその続きを言うのを躊躇った。

 だが、うさぎはその先を促すまでもなくすぐさま立ち上がった。

 

「すぐ探しに行かなきゃ!このままこの子をあの巣に返したら……」

 

 縞模様の捕食者たちの瞳の輝きが、結果を容易に想像させる。

 うさぎの雛の首元に添えた手が震えた。

 そこにルナが正面に割って入る。

 

「お爺さんの護衛はどうするのよ!?」

「ルナとまもちゃんがついてくれればきっと……」

「また、1人だけで行くつもりか?」

 

 衛の視線に気づき、うさぎははっとして彼の顔を見た。

 ただただ悲しそうな表情だった。

 うさぎの視線は下をさまよい、やがて雛を抱きしめながらその場にうずくまってしまった。

 雛はうさぎの顔を不安げに見つめ、額を鼻先で軽くつつきながらピピピ、と鳴く。

 

「うさぎちゃん……」

 

 ルナもどう声をかければいいか分からず見つめるほかなかった。

 

「ふむ」

 

 ずっと黙って様子を見ていた竜人商人が、口を開いた。

 

「この場合、あの人ならなんと言うじゃろなぁ」

 

 自然と、3人の視線が商人に集まる。

 彼の視線は、地上のどこにも向けられてはいない。まるで、空の向こうにある何かを見ているようでもあった。

 

「まつ毛のハンターさん……のお話ですか」

 

 商人は無言で頷いた。

 

「その人は、かつて無垢な命を手にかけたことがある。幾千の命を奪った、悪意なき大災厄の化身をな」

 

 彼の語る口調は穏やかながらも、ゆっくりとした語り方が3人の意識をくぎ付けにしていた。

 

「言っておった。果たして自分はあの時あれを討つべきだったのかわからない。事実はただ、両者譲れぬものがあって戦い自分が勝った、それだけにすぎないのではないか、とな」

 

 商人は、優しくうさぎを見て言った。

 

「お嬢ちゃんがどう考えようと、結局は人の勝手なわがままに過ぎんのではないかの?」

 

 うさぎは、黙って話に聞き入りながら雛と見つめ合っていた。

 成体とは違って丸っこいアーモンド形の瞳。

 とても肉を引き裂くことも砕くこともできない、丸く未発達な牙。

 彼女は大人しく、うさぎの青い瞳をじっと覗き返していた。

 

「お嬢ちゃんが考えるなりに、気が向くままに決めればええんちゃうんか?」

 

 うさぎはしばらく雛の顔を見ていたが、ぐっと涙をこらえ顔を上げた。

 

──

 

 ライゼクスの背中を、大きな影が掴んだ。

 それを前に膝をつく彼女たちは、影の形に見覚えがあった。

 

「リオレウス!」

 

 空の王が反逆者をそのまま真下の地面に叩きつけ、めりこむほどに踏みつける。

 毒を含んだ爪が甲殻の間に食い込み、ライゼクスは悲鳴を上げた。

 

「生きていたのね……」

 

 戦士たちの表情が明るくなるが、亜美だけは何かを考えるように押し黙る。

 目の前の激しい戦いと相反する静けさに、仲間たちは怪訝そうにその顔を覗き込んだ。

 

「……どうしたんだい?」

「変だと思わない?」

 

 まことが聞いたのに対し、亜美は逆に問い返した。

 

「本来、自分の子が他人に攫われてたらどうする?」

「そりゃあ、取り返すに決まって……」

 

 アルテミスを抱きかかえている美奈子が自分がしていることを見て口を噤み、弾かれるように顔を上げた。

 

「そういや、うさぎちゃんが雛と一緒にいたわ!」

「恐らくライゼクスは雛を狙おうとしてうさぎちゃんに邪魔されたから、それを追いかけてたのよ」

 

 ライゼクスはもはや戦士のことなど視界にもなく、ひたすらリオレウスの拘束から逃れようと翼を羽ばたかせる。

 一方のリオレウスは同じ轍は踏むまいと、全体重で相手を押さえつけて決して離さない。

 ライゼクスの昆虫のように細い脚は、その岩をも砕く脚力に対抗するには貧弱すぎた。

 

「確かにうさぎならやりかねないわね、そうゆうこと」

 

 レイは苦笑しながら防具についた土を払い、頬の擦り傷を手の甲で拭った。

 

「でも、だったらリオレウスはなんでうさぎちゃんに構わないでこっちに?」

「突拍子もないけど……もしかしたらリオレウスは、うさぎちゃんが雛を護ってくれると信じてるんじゃないかしら」

 

 美奈子が聞くと、亜美は真面目な顔で答えた。

 まことは、驚きのあまり目を見張った。

 

「えっ!?いくらなんでもそんなこと……」

「あたしは信じるわよ」

「……レイちゃん」

 

 レイは片脚で踏ん張り太刀を杖にしてよたよたと立ち上がる。

 

「うさぎはおバカでお調子者だけど、いろんな人と仲良くなってきたもの。竜の1頭や2頭、味方につけるわよ」

 

 傷は決して浅くないのに、1人立った彼女はそう言って笑ってみせた。 

 美奈子は、鎧を脱がせて傷に回復薬を塗り終えたアルテミスを抱え上げた。

 彼女は木のうろの近くへ走り、彼をその中にそっと隠した。

 

「……バカだったわ、あたしたち。突っ走ってばかりで、お互いを信じるってことを忘れかけてた」

 

 相棒の傷ついた姿を見ながらそう独り言ちた彼女はまことに振り返った。

 

「飛竜ですらうさぎちゃんを信じてるってのに、最も近くにいるあたしたちがこんなんじゃだめだね」

 

 戻ってきた美奈子が差し出した手にまことが答え、両者は固く手を取り合った。

 戦士たちは、ポーチから回復薬が入った瓶を取り出した。

 

 一方、ずっと組伏せられていたライゼクスは尻尾に電流を流してリオレウスの尻尾をはたく。

 リオレウスが怯んだことで、彼はやっと拘束を払いのける。

 だが先ほどの毒爪が効いたのか、その足取りは不安定である。

 リオレウスが腹の傷でふらつきながらも眼下の敵に咆えようとしたときだった。

 その横っ面に、黄土色の物体が投げつけられる。

 砕け散ったそれは凄まじい臭気を発し、彼は嫌がるように首を振った。

 一方のライゼクスも、突然の臭いに驚き思わず後退する。

 リオレウスはたまらず顔を木に擦り付けたあと飛んでいった。

 

「あんたがヘマを犯したら悲しむ子がいるからね。後はあたしたちに任せな」

 

 リオレウスを追い払ったアイテム『こやし玉』を投げたのはまことだった。

 後ろ姿を見送った彼女は、木々の隙間から覗く傾きかけた太陽に思いを馳せるように目を細めた。

 

「あの子が繋いでくれたこの4人の絆……そう簡単に手放してたまるもんか!」

 

 4人は、再びライゼクスの元に向かっていく。

 

「さあ、行くわよ!!」

 

 美奈子が『メタルバグパイプ』の柄を握りしめて叫んだ。

 それに答えるようにレイ、亜美、まことは得物を取り出し構える。

 ライゼクスは少女たちを睨み、トサカと尻尾の鋏を震わせながら叫んだ。

 直後、尻尾の鋏まで蛍光色に変わり、彼の全身が電流の塊となった。

 

────

 

 2戦目、戦士たちはまとまって慎重に動くことを意識した。

 情報がない相手に対しては、この大原則に従って動く。

 何よりも、どんな能力や特徴を持っているか分からないモンスターに無暗に武器を振り回したことに失敗の原因があった。

 

「あたしなりに考えてたんだけど」

 

 飛んできた雷球をかわした亜美が、3人に向かって叫んだ。

 

「さっき美奈子ちゃんがつけた頭の傷、電流が通って広がってる気がしない?」

 

 空を飛ぶ彼のトサカの甲殻の間、稲妻模様に光る部分の白い傷跡が、確かに膨張して大きくなっていた。

 

「恐らくあの重なり合う甲殻が『圧電素子』の役割を果たしてるのよ」

「……『はつでんしょ』?」

「そ、そういう理解でもいいけれど……とにかくあの精巧な部分に衝撃を与えれば、かなりのダメージを狙えるかも!」

 

 美奈子へ向けた亜美の説明を聞き、まことがにやりと笑った。

 

「ピンチこそ、最大のチャンスってわけか!」

 

 ライゼクスは高度を下げ、尻尾の鋏を開いたままで蜂の針のように突き刺してくる。

 4人は後方に転がって回避し、雷を纏った鋏が頭上で空気を鋭く刈り取った。

 すぐさま美奈子は起き上がり、狩猟笛を肩の上に担ぎ直してからまことに視線を送った。

 

「なら、あたしとまこちゃんは頭を狙いましょう!相手の目標をこちらに向けさせ、ついでに『アレ』も狙う!」

「ああ、わかった!」

 

 まことはハンマーを構えライゼクスの横に回り込む。

 ライゼクスは2人を嘲るように叫んだ。

 

「……っと、そ・の・ま・え・に!」

 

 美奈子は空中から縦に振り回されたトサカを横に避け、狩猟笛をぶん回す。

 それは見事に空振りしたが、彼女の顔に動揺はない。

 楽器から伝わる振動を感じ取り、その表情は確信に変わる。

 

「よし、『旋律』は揃えた!」

 

 美奈子は叫ぶと、ぐるんと笛を回して中腰になった。

 

「みんなお待ちかね、攻撃力強化の演奏よ!!」

 

 彼女がマウスピースに息を思いっきり吹き込むと、郷愁を誘うような、短くも重厚な演奏が森林に響き渡る。

 それが大地にこだまとして共鳴して繰り返す度、その場にいる全員の身体に力が漲っていく。

 

 これが、狩猟笛の効果。

 

 ただでさえ高かった闘志が、更に湧いてくる。

 そして闘志は、身体へも影響をもたらす。

 

「美奈子ちゃん、単語の暗記テストは散々だったくせに武器の扱い方はすぐ覚えるんだね!」

 

 まことがハンマーをライゼクスの左頬に振るいながら叫んだ。

 

「仮にも内部太陽系四戦士のリーダーよ!こんぐらいできなくっちゃあ、セーラーヴィーナスの名が泣くわ!」

 

 美奈子は狩猟笛を更に振り回し、次はまた異なる旋律を演奏する。

 『自己強化』の旋律が発する音波は、彼女自身のただでさえ高い身体能力を更に底上げする。

 彼女の息ははずみ、矢継ぎ早に繰り出される攻撃を走るだけで難なくすり抜けてゆく。

 そこから繰り出される『メタルバグパイプ』がトサカを打ち付け、逃げようと頭を背けた先にはまことの『大骨塊』による連撃の嵐。

 

 まさにライゼクスにとってはどこを見ても重量物で頭を叩かれる、悪夢のようなコンボ。

 

 身軽さと破壊力を兼ね備えた2人のセーラー戦士による攻撃は、ライゼクスの頭に確実に傷をつけていく。

 この連携を目の当たりにしたレイは、亜美とアイコンタクトを取って獲物の周囲を走って回っていく。

 

「あたしと亜美ちゃんは面積の広い翼の左方を狙うわ!」

「りょーかいっ!任せる!」

 

 亜美は、レイに当たらないように的確にライゼクスの光る翼爪を撃ち抜いていく。

 レイはライゼクスの翼に一太刀入れる。翼爪に入った傷から僅かに電流が漏れ出た。

 

「やはり、『柔らかい』……!」

 

 レイは、亜美の言葉が真実であるとの確信を覚えた。

 ライゼクスは翼に走る衝撃を感じ、レイに噛みつこうとするが──

 

「なーによそ見してんのよっっ!!」

 

 その横顔を美奈子の狩猟笛にどつかれる。

 トサカに初めて、ひびが入る。

 

「もらったああああああっっっっ!!」

 

 まことが美奈子がつけたトサカの傷目掛け、力を溜めに溜めたハンマーを振り上げて叩きつける。

 打ち付けた部分が陥没し、『バチンッ』と何かが弾ける音がした。

 

「────────!!!!」

 

 ライゼクスは大絶叫を上げ、頭を大きく仰け反らせる。

 電流が放出するとともにトサカの輝きが消え、瞳の色も赤色に戻る。

 

「狙い通りだわ!」

 

 やっと上がった反撃の狼煙に、亜美は表情を明るくする。

 相手が怯んだ短い隙の間に、まことはハンマーを地面に叩きつけていた。

 ただ空ぶらせているのではない。『必殺技』の準備である。

 正気を保とうと首を振る相手の動きに、リズムと息を合わせ。

 

「せりゃああああああっっっっ!!」

 

 顎に打ち付け、振り抜く。

 

 見事なホームラン。

 

 超重量の骨の塊が脳を揺さぶり、巨大な飛竜の意識を顎ごとぶっ飛ばす。

 

 ライゼクスの口から涎が飛び散り、瞳がぐりんと回った。

 巨体が地面に倒れ込み、もがく。

 

 いま、ライゼクスは一時的な意識混濁状態に突入した。

 まことと美奈子が揃って狙っていた状態が、遂に訪れた。

 

「よし、じゃあこっちも畳みかけるわよ!」

 

 レイが相手が倒れたことで地面に落ちてきた翼に駆け寄った。

 

 ただひたすらに、斬る、斬る、斬る、斬る、斬る。

 

 集中して攻撃を重ねるほど、彼女から立ち昇る『気』は練られ、強くなっていく。

 亜美も斬り傷に弾を撃ちこむことで支援を行うが、ふと何かを考え付いたように動きを止める。

 彼女は懐から、セーラー戦士の変身アイテムである『スター・パワー・スティック』を取り出した。

 

「もしかしたら……『マーキュリースターパワー、メイクアップ』!」

 

 亜美はセーラー戦士の力を完全に開放し、セーラーマーキュリーへと姿を変える。

 

「レイちゃん、これでもっと傷を深くできるかも!『シャイン・アクア・イリュージョン』!!」

 

 彼女が放った冷水の激流は、レイを見事に避けながらライゼクスの翼に直撃した。

 翼の内部を電流が狂ったように迸り、茶色い甲殻の部分がひび割れる。

 

「亜美ちゃん、ナイス!」

 

 レイは亜美──セーラーマーキュリーに感謝を伝えた。

 

 ライゼクスは起き上がると同時に怒りの形相でレイに噛みつこうとしたが、彼女は怯まず太刀を振り回す。

 彼女の瞳は次に繰り出す攻撃について、確信めいたようなものを秘めていた。

 

 太刀に宿った『気』は最高潮。舞台は整った。

 狙うは、最も大きい翼爪に入った深い傷。

 左右に半円を描く連撃によって宿らせた気を解放していき、そして────

 

「『気刃大解放斬り』っ!!」

 

 『鉄刀【神楽】』から、凄まじい気が放出され大きな円を描いた。

 

 翼爪に一文字状に大傷が入った瞬間、翼からトサカと同じように電流が大放出される。

 ライゼクスはその衝撃に耐えきれず、またしてもその場に倒れ伏した。

 レイは獲物を背に太刀を鞘に納める。

 柄が鞘に触れるカキンという音が、彼女の意識を正常に戻した。

 そこで初めて驚きに光る瞳は、自分でもいまやったことが信じられないようでもあった。

 

「……成功したっ……!」

 

 レイが背負う太刀から、先ほどよりも強い『気』が溢れている。

 この感覚が太刀という武器の真髄の一端であることを、彼女は本能で理解した。

 

「レイちゃん、最高!」

「さあ、まだまだ行くわよーっ!」

 

 まことと美奈子が呼びかけ、レイは唇に笑みを浮かべて振り返る。

 

「言われずとも!」

 

 少女たちは豊かな髪を揺らし、意気揚々と狩りに臨む。

 傾いた太陽が木漏れ日となって照らす、昼下がりの森。

 間もなく、時刻は夕方の時分に差し掛かろうとしていた。

 



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襲雷⑤

 

「みんな、大丈夫かな……」

 

 昼が終わり、夕方に差し掛かったちびうさは村の入り口でマハイに肩車をしてもらって夕陽を眺めていた。

 

「きっと大丈夫さ。俺は見に行けんが、あの子たちならきっと……」

 

 その時、ここから見える丘の上に人影が複数現れた。

 影のひとつがツインテールを揺らしていることに気づいた瞬間、ちびうさの表情は明るくなる。

 

「うさぎ……!」

 

 ちびうさはマハイの肩から飛び降りるとすぐにその影の元へ走っていき、彼も彼女の後に続いた。

 うさぎも途中からそれに気づいて一人先に走っていき、ちびうさはそのままの勢いでうさぎの胸元に飛び込んだ。 

 

「ごめんちびうさ、遅くなっちゃって」

「遅くなったどころじゃないわよ!怪我とかはないの!?」

「大丈夫、大丈夫。あたしたちがそう簡単にヘマするわけないじゃん」

 

 ちびうさは、その言葉を聞いてやっと安堵するようにため息をついた。

 そこに、雛がゆっくりとうさぎの周りをうろつきながら歩いてくる。

 気持ちが落ち着いたところで、ちびうさは初めて変わった来客の姿に気づいた。

 

「あっ、何この子、綺麗でかわいー!もしかしてこの前言ってたリオレイアの女の子!?」

「ああ、ちょっと……」

 

 目をまん丸にしながら、ちびうさがうさぎが止めようとするにも関わらず雛の頭を愛おしげに撫でる。

 

「……おい、まさか……」

 

 ちびうさの後ろで、マハイは苦い表情でうさぎの顔へと顔を上げると、うさぎは苦笑いして答えた。

 

「……うん、そのまさか」

 

 うさぎたちは、ライゼクスが雛を狙いうさぎがそれを助けたこと、雛がうさぎに懐いてしまったこと、そしてライゼクスは戦士たちが相手をしていることを語った。

 話を聞き終わると、ちびうさは同情するように雛と視線の高さをそろえ、鼻の辺りを優しく手で包み込んで撫でながら話しかける。

 

「貴女、そんなに怖い思いしたのね……でも、おねえちゃんがいるからもう安心ですからね」

「もし仮にリオレウスが雛を追ってきたらどうする?」

 

 マハイの問いに、うさぎは拳を胸の前で握りしめながらうつむいた。

 

「ごめんなさい。この子を見捨てるなんてあたしにはできなかった。リオレウスが追ってきたら、その時はすぐ返してあげるつもり」

「すぐ返す?あの種族は家族のことに関しては非常に厳しい。怒って村を襲わない保証などあるのか」

「勿論村からずっと離れたところで、夜が明けるまで面倒を見るわ。あたしが決めたことだから、あたし自身が責任を持つ」

 

 マハイが何か言いかけたが、衛が彼女の肩を抱いて引き寄せる。

 

「俺も事態が収束するまで彼女と一緒に雛を見守る予定です。自分も彼女の決断を尊重します」

 

 マハイは、気難しい表情をしたまま2人の強い眼差しを見つめる。

 ちびうさとルナは、不安げな顔で両者の顔を見比べていた。

 

「……それでは駄目だ」

 

 うさぎは気落ちしたように視線を落とす。

 

「君たちだけでは心許ない、俺も今夜は見張る」

 

 その言葉を聞き、うさぎは顔を上げて衛と見合わせほっと胸を撫でおろした。

 マハイは表情を緩め、屋台の上の竜人商人と挨拶代わりの握手を交わす。

 

「何はともあれ竜人商人さん、貴方が本当に無事でよかった」

「なかなかあのお嬢ちゃん見込みがいがあるわな。うちの団長やまつ毛のハンターさんに紹介してやりたいぐらいや!」

 

 彼はうさぎたちを見ると、ゆっくりと頭を下げた。

 

「ようここまで、お疲れさんやった」

 

 屋台に村人2人が近寄り、村の中へと押していく。

 うさぎは商人が横を通りすぎようとした頃、振り向いて呼びかけた。

 

「商人さん、さっきはありがとう!」

「わしはただちょっと思い出話をしただけや。後はお嬢ちゃん、『あんたなら、できる、できる!』」

 

 「ではおおきにな」と言葉を最後にして、竜人商人は村の中へと村人の助けを借りて入っていった。

 向こうで料理長が商人を見て飛び上がり、駆け寄って再会を喜んでいるのが見えた。

 うさぎと衛がそれを見てから振り向くと、いつの間にかちびうさが雛の背中に乗って首の辺りに手を回し、目をキラキラさせていた。

 

「ねえねえ、あたしもこの子と一緒に……いだだだだだだ!!」

 

 そう言いかけたちびうさの耳をうさぎが摘まみ上げ、無理やり雛の背中から引きずり下ろした。

 

「お子ちゃまは大人しく村にいときなさいよ!どさくさに紛れてまもちゃんを横取りしようったってダメなんですからねー!」

「またそうやって仲間外れにするー!」

「しょうがないだろ、マハイさんが言ってた通りとても危ないことなんだから」

 

 膨れっ面のちびうさを衛がなだめたが、彼女の機嫌は燻ってばかりだ。

 

「こんなちっちゃい子を虐める悪い奴なんて、あたしがこの手でお仕置きしてやるのにー」

 

 ぶすっとした顔でそう漏らして仕方なく帰っていくちびうさを、マハイは複雑な表情で見送った。

 

「……マハイさん?」

 

 彼女の姿が見えなくなったところで、彼は一瞬視線を巡らせてから再び口を開いた。

 

「……一応君たちには話しておこうか、あのモンスターについて」

 

──

 

「はあっ、はあっ……」

 

 日が沈みかけた頃、戦士たちの身体はほぼ限界だった。

 いくらセーラー戦士といっても、体力は無限ではない。

 狩場は平野へ移り、周囲の生き物はみな逃げ出していた。

 ライゼクスも、身体のどこを見ても傷のない場所がない。

 

「まだまだ……やれるわよっ!」

 

 美奈子が、狩猟笛を杖代わりにして立ち上がる。

 仲間たちも傷と痣だらけの身体を起こすのを、片目に傷がついたライゼクスはじっと見ていた。

 翼がはためく。

 風圧で戦士たちが動けないでいるうちに、ライゼクスは既に山に向けて飛び上がっていた。

 この傷だらけの巨体が未だに空へと舞い上がる力を残していたことに、戦士たちは驚きを隠せない。

 

「ま、待ちなさい!」

 

 夜になれば、視界が悪くなるうえ夜行性の生物も動き出す。

 出来るならば早めに仕留めておきたいところだ。

 美奈子が駆けだそうとしたのを、亜美が腕で制止して「あれを見て」と指を差した。

 

 彼女たちは確かに見た。ライゼクスが飛ぶとき、ぶらりと脚を下げ身体をふらつかせていたのを。

 

「あれって……」

「ええ、弱ってるわ!」

 

 レイの言葉に亜美が答え、思わず全員の表情が緩む。

 

「遂に、ここまで来たんだね……!」

「ねーねーまこちゃん、帰ったら何する!?」

「そりゃみんなで祝賀会でしょ!またディノバルドの時みたいにさ!」

「そうそう、ジュースとかお菓子とかたくさん用意して!」

「レイちゃん、それこっちの世界にないわよ!」

「だったら作るしかないじゃなーい!ほら、まこちゃんも、料理長の下で積み重ねた腕の見せ所!」

「ちょっと、流石に狩りが終わった直後に料理はきちぃってー!」

 

 場は完全に女子会のノリと化す。

 取り残された亜美は場を収めようとするも、どう言ったものかわからずあわあわと視線と口を動かしてばかりだ。

 

「おい、油断したらダメだぞ!まだ狩りは終わったわけじゃないんだから!」

 

 木の側の茂みから出てきたのは、包帯を巻いたアルテミス。武器と防具は解き、身軽な状態にしている。

 ライゼクスの攻撃により気絶していた彼だが、冷静な手当の甲斐あって今は通常通りに動けていた。

 亜美は助け舟にほっとする一方で、残り3人の視線は少し冷たい。

 

「アルテミスったら、治った途端にこれよね。そんなんだからルナにつーんってされんのよ」

「しょうがないよ。乙女4人の中オス1匹、いろいろ必死なのさ」

 

 レイとまことの発言が深く刺さったのか、アルテミスは背を向けうつむく。

 

「へいへい、どうせボクなんかお邪魔ですよーだ……」

 

 それを見ていた美奈子はどんよりとしたオーラを纏うアルテミスを脇から抱え上げ、真正面から視線を合わせた。

 

「こんなの冗談に決まってんでしょ?貴方のお陰でみんなが再び団結できたようなもんなんだし、むしろあたしは感謝してるわよ」

「美奈……」

「まったく、アルテミスったら昔っからこういうところが『フケツ』よねえー」

 

 満面の笑みで言い放った美奈子に、一同が押し黙る。

 亜美がこほんと咳払いをして前に出る。

 

「……美奈子ちゃん、それを言うなら『ヒクツ』よ」

 

────

 

 飛竜の巣にて、ライゼクスは段差の上でうずくまって寝息を立てている。

 それを、洞窟の中から覗く者たちがいた。

 

「あいつ、空の王の寝床で寝るなんて中々いい度胸してるわねぇ」

「きっとそれほど余裕がないってことなのよ」

 

 アルテミスは背を向け巣の外へと歩を進めた。

 戦士たちが不思議そうに見つめていると、彼は振り返って彼女たちを目を細めながら見つめ上げた。

 

「じゃあ、僕は巣の入り口でじっとしてるよ。華は美少女戦士の君たちに持たせなくちゃあねぇ」

 

 歩いていく白猫の姿を、戦士たちは気まずそうな顔で見送った。

 

「……アルテミスのやつ、まださっきのこと根に持ってるわね」

「後で謝っておいた方がいいわね」

 

 大戦犯である美奈子が呟くと、亜美がさりげなくフォローを入れた。

 まことは獲物に視線を戻すと、掌でテープを巻いたボールをバウンドさせた。

 

「あとは罠にかけて、これを頭にぶつけてやるだけでおやすみなさいってわけか」

 

 『捕獲用麻酔玉』。

 衝撃を与えると強力な麻酔物質を含んだ煙幕を発する。

 モンスターを捕獲する際に用いられる道具で、これを弱ったモンスターに数発当てるだけで昏睡状態に陥らせることができる。

 

「ねえねえ、眠れないときにこれ使ったらぐっすりできそうって思ってんだけど、どうかしら?」

 

 美奈子が聞くと、まことはうへぇ、と舌を出して手を横に振った。

 

「ぐっすりどころか永遠に寝ちまいそうだからあたしは辞めとくよ」

 

 やり取りを聞いていた亜美はくすっと笑ってから、荷車の中を漁っているレイに話しかける。

 

「ねえ、荷車に積んでた『落とし穴』もあるかしら?」

「ええ、確かここに……あれ?」

 

 最初歯切れが良かったレイの言葉は、次第に焦りに満ちていく。

 

「あれ……ちょっと待って、ないわ……!おかしい、忘れたはずはないんだけど」

 

 手あたり次第にモノをどけ始めるレイを見て、まことは信じられないように目を丸くした。

 

「えっ、嘘だろ!?レイちゃんに限ってそんなこと……」

「探し物はこれかしら?」

 

 前から声が聞こえたと同時に、何かが前方、巣の中央から地面の上を転がってきた。

 正体は、中にネットが折り畳まれた筒状の物体。

 まさにレイが探していた『落とし穴』そのものである。

 だが、目の前にあるそれはズタズタに歪み、引き裂かれ、使い物にならなくなっていた。

 

「……え?」

 

 顔を上げた瞬間、亜美の表情が引きつった。

 

「……ユージアル!!」

 

 ライゼクスの前に佇む1人の女性。

 あの赤と黒の奇妙な衣装を身にまとった彼女たちの敵が不敵に微笑み、腕を組んで立っていた。

 

「セーラー戦士の皆さん、ご苦労様。数も増えて賑やかになったものねぇ」

「次はどんな悪巧みをするつもりだ!」

 

 まことが前に出て、ハンマーに手を添える。

 それを見て、ユージアルは驚いて思わず腕で身を庇う。

 

「ちょっ、ちょっと、それで私を殴る気!?そこまで野蛮になったのあんたたち!?」

「うるさい!今は関係ないだろ!」

「そーよそーよ!」

 

 まことを先頭に武器を掲げて騒ぐ戦士たちを前に、ユージアルはその迫力に押されてしまう。

 

「……たった数ヶ月でよくもま~女らしさの欠片もなくなっちゃって……」

 

 彼女は口に手をやり心底から引いた様子で毒づく。

 こほんと軽く咳払いした後、ユージアルは「と・に・か・く!」と大声で仕切り直した。

 

「悪巧みなんて人聞き悪いわね、私はこの子を助けてあげんの!動物愛護ってやつ!」

「はぁ?悪の組織が?でまかせ言うのもいい加減にしたらどう?」

 

 レイが睨むと、ユージアルはライゼクスの頭の近くまで歩み寄っていく。

 彼女は、眠るライゼクスの顎を優しく撫でながら戦士たちを流し目で見た。

 

「このライゼクスってのはね、可哀想なモンスターなのよ。生まれた時から独りぼっちで、ずっとずっと生きてゆくしかないの」

「独りぼっち……?」

 

 4人の表情が、僅かに揺れ動いた。

 



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襲雷⑥

「ライゼクスという生物に、親の記憶はない」

「お母さんが……いないの?お父さんも?」

 

 村から十分に離れ、振り返ればぼんやり点々としか明かりが見えない丘の上。

 3人で焚火を囲み、雛を隣にして訝しげに聞いたうさぎに、マハイは頷いた。

 

「あの種は子育てをしない。たくさんの幼体が天敵に食われるし、共食いだって平気でする」

「赤ちゃん……同士で……?」

 

 うさぎは目を開いて息を呑み、雛を撫でる手を止める。

 眠りこけている雛は、座っているうさぎの腰に顔を擦り付ける。

 

「自分の身を自分で護る。自分の餌は自分で獲る。そうやって必死に生きようとするうち、より残忍で凶暴な個体が生き残っていく」

 

 マハイの語り口は淡々としていた。

 

「その中で力の弱いものを狙うのは、理に敵った生存戦略だと言える。むしろ、ライゼクスという種はそうでもしなければ生きていけない」

 

 うさぎは、そっと顔を上げて苦しげな表情で問いかけた。

 

「……あたしがやってることは間違いってこと?」

「いいや。ハンターは、英雄にはなれても正義の味方にはなれないということを言いたいんだ」

 

 彼はちょうど落ちていた長い枝で焚火を掻きまわし、空気を入れてから再び椅子に座った。

 うさぎの胸元に隠したハート型の変身コンパクトが、焚火の光を反射している。

 

「この世界で何のために何と戦うのか、仲間たちと少しずつ考えていって欲しい。あの桃色の娘っ子も一緒にな」

「……ちびうさも?」

「ああ、あの子は君と似て、正義感があるのは良いが周りが見えなくなるところがある」

「……そういうことだったんですね」

 

 衛は先ほどのちびうさの言葉を思い出し、マハイの言葉を真剣な表情で受け取った。

 しばらく経ったあとにマハイは立ち上がり、焚火から5mほど離れたところにあった木を指さした。

 もう太陽は沈みかけ、地平線が真っ赤に染まっている。

 

「俺は、ちょっとあっちで見張っておくよ」

 

 取り残されたうさぎと衛は、しばらく火を眺めて時を過ごす。

 

「生まれたときから独りぼっちか。リオレウスとはまるで真反対だな」

 

 衛は焚火の火がチラつくのを見続けている。

 

「……なのに、なぜあそこまで強いんだ」

「……まもちゃん?」

 

 うさぎが見る彼の顔は、取りつかれたように前しか見ていなかった。まるで、火の中に何かを見ているようだった。

 

「俺は、君と会う前から何も変わってない。うさこがいて、始めて俺はこの世に存在出来てる気がする」

 

 彼の顔が、申し訳なさそうに歪んだ。

 

「だから思わず怖くなって、昼の時もわがままばかり言って……ごめんな」

 

 うさぎは、雛を起こさないようにそっと衛の防具の隙間から覗く袖を引っ張った。

 

「謝らないで。あたしだって、まもちゃんやみんながいないと何もできないわ」

「……ありがとな。俺も、精一杯君を支えられるように頑張る」

 

 うさぎの顔に一抹の不安を読み取り、衛は微笑んだ。

 

──

 

「この子には、一生を通じて何の助けも来ないの。あんたたちだって、独りぼっちは嫌でしょう?」

 

 4人の戦士は、さっきとは打って変わって黙ったままユージアルを睨んでいる。

 レイがふと目元を緩め、皮肉っぽく虚しく笑った。

 

「ええ、本当に嫌ね。──で、あんたはそいつをどうやって救ってやるつもり?」

 

 彼女が続けて聞くと、ユージアルはその質問を待っていたとばかりに笑みを浮かべた。

 

「崇高な使命に奉仕できる喜びを教えてあげるのよ。あんたたちがセーラームーンに服従し、正義やら平和やらのために邪魔してきたようにね」

「服従?違うね」

 

 まことがきっぱりと言い、それにユージアルは眉を上げた。

 彼女は胸の前で拳をぎゅっと握りしめる。

 

「うさぎちゃんは、独りぼっちだったあたしたちを友達として受け入れてくれた。確かにあたしたちは守護戦士としてあの子を護る役目があるけど、決してそれだけのために戦ってるんじゃない」

 

 亜美はそれに頷き、まことの拳に己の手をそっと重ね合わせた。

 

「あの子は、目の前で苦しむ命を決して見捨てない。戦うときはいつだって、それを護るためだったわ」

 

 レイと美奈子も2人の近くに集い、四人の戦士たちは一斉に武器を構えた。

 

「あたしたちはそんなうさぎちゃんが大好きだから、こうやって命をかけて戦えるの。そこんとこ、勘違いしないでちょうだい!!」

 

 そう叫んだ美奈子を見て、ユージアルは不快そうに眉を顰めた。

 

「ああ、そう。ちょっとは分かり合えるかと思ったけど、やっぱりただの夢見がちなお嬢さんたちだったわね」

 

 ユージアルは、掌からつまめるほど小さく白い楕円球体を取り出した。それには受精卵のように十字模様が入っていて、掌の上で光りながら宙に浮いている。

 

「それは!」

 

 ユージアルはせせら笑いながらその手をライゼクスの方に差し向ける。

 

「さあお行きなさい、『ダイモーンの種』よ。何の意味もなく生きる獣に主に仕える喜びを教えてあげて」

 

 物体がライゼクスの目の横に接触すると、それは甲殻の間に分け入るようにして無理やり入り込んでいく。

 間もなく、ライゼクスの目が開く。

 だがそこには生気はなく、いつもにも増して爛々と輝く不気味な瞳があった。

 

 操り人形のような浮遊感のある足取りで起き上がると、その竜はトサカをカタカタカタ、と打ち鳴らす。

 黒い星模様が、両翼にはっきりと刺青のように浮かび上がった。

 無機質な音が更に裏返った不快感を催す叫びが、戦士たちの耳を直撃する。

 

「この霧はっ……!」

 

 レイはただならぬ妖気を感じ取って腕で口を覆うが、一気に力が抜けて膝を地面につく。

 

「我がダイモーンよ、この者たちのエナジーを吸収せよ!」

 

 ユージアルが手を振りかぶって叫ぶと、ライゼクスは天上に向かってけたたましく吼えた。

 周囲にわずかに生えていた雑草が片っ端から枯れていく。

 彼女たちの身体からも光が抜け出し、力を奪っていく。

 

「あんたたちが弱らせてくれたお陰で、今回は中々の成果を得られたわ。心の底から感謝するわよ、セーラー戦士の皆さん」

 

 背を向けて歩いていくユージアルに、まことが歯をくいしばって叫ぶ。

 

「待て、ユージアルッ!!」

「せいぜいそこで女の友情とやらの儚さを悟りながら眠りなさい、小娘たち」

 

 戦士たちは立ち上がろうとするも、その意思とは逆に身体は重くなっていく。

 

「……さて、最後の作業に取り掛かりましょうか」

 

 ユージアルは地面に這いつくばる戦士たちに振り向き不敵に笑うと、赤い衣を纏って姿を消した。

 

──

 

 マハイは、森丘へと続く道の風景が瞑色に沈んでいくのを見下ろしていた。

 ふとその中に、木の影から赤い布を纏った人間がどこからともなく姿を現わした。

 

「……あれは」

 

 その人物は、マハイに気づくと足早に慌てた様子で近づいてくる。

 

「これはこれは、マハイ殿!」

 

 声からして女性であることは確かだが、何かと大仰な口調だった。

 

「……また何か用か」

「村の中心に近い貴方なら話が早い」

 

 その人物は、周りを見渡すと厳かな声で耳元に囁いた。

 

「以前もあなた方に警告申し上げたのに、遂にあの娘たちを追い出しませんでしたね。いよいよ災いの時がやって参りました」

 

 マハイの目の色が変わり、「何?」と続きを促した。

 女性は手を振りかざし、マハイの鼻を真っ直ぐに指した。

 

「電竜ライゼクスが呪いを受け、闇を纏い村に迫っております!このままでは、偉大なるココット村は全て焼かれ灰と化してしまうでしょう!」

 

 彼女のやたら恐怖に震え上がった声は、うさぎと衛へも届いた。

 マハイが、そっと2人に目配せをする。

 彼らはそっと立ち上がって雛を連れて静かにその場を立ち去ろうとした。

 だが、そのとき雛が小枝を踏んで音を立ててしまったのが仇になった。

 

「はーい赤信号ーーっ!!」

 

 女性は懐から掃除機のような機械を取り出し、火炎放射を行く先に放った。

 やむなくうさぎたちは立ち止まり、マハイと女性の方に振り向いて歩いていく。

 うさぎと衛は雛を護るようにしながら睨んだが、布の下から見える女性の口元は勝ち誇ったようににやりと歪んだ。

 

「マハイ殿、この者たちからハンターの資格を剥奪し、私へ差し出しなさい!私の昇し……いえ、この村の運命がかかっているのですよ!?」

 

 マハイはしばし考え、目を細めて確かめるように聞いた。

 

「……本当に、この娘を追い出すだけでいいのか?それだけで、村は救われるのか?」

「ええ!今すぐ災いの元凶を村から排除しさえすれば!」

「マハイさん!?」

 

 腕を振り上げ嬉々として言う女性の前で、衛は驚いてマハイに呼びかける。

 うさぎは、こちらを向くマハイの顔を見て悲しそうな顔をしてうつむいた。

 

「……そうよ、あたしが災いを呼ぶ娘の1人」

「うさこ……?」

 

 うさぎが前に出ると衛は彼女を止めようとしたが、彼女は首を振って雛の背を押して衛に預けようとした。

 雛は嫌がり、けたたましく鳴いてうさぎの方に懸命に首を伸ばそうとしている。

 

「……お願いだから、村には手を出さないで」

「小娘は黙って付いてきなさい!!勿論隣の男もね!!」

 

 無情にも女性は言い放ち、鼻息を荒くしてマハイに至近距離で顔を近づけた。

 

「さあ、全ては貴方にかかっています!!どうぞご決断を……!!」

「なるほどな……」

 

 マハイは、顎に手をやり納得したように頷いた。

 

「はっきりと断わらせていただく」

「……は?」

 

 言い放たれた一言に、拍子抜けしたように女性の声が裏返る。

 マハイは表情ひとつ変えず、腕を組んで言葉を続ける。

 

「彼女たちは歴とした我々の仲間だ」

 

 うさぎは、立場を一転させたマハイを驚いたまま見つめている。

 

「村の者たちはみな彼女たちの正体を知っているぞ。村長だって、彼女たちの正体を分かった上で引き留めている」

「なん……ですってぇ……!?」

「村へのお世辞はありがたいが、どうも人の動向についてはよく分かっていないようだな?」

 

 マハイの視線が狼のように鋭くなり、大剣に手をかけた。

 

「ライゼクスなら、今まで10体ほど狩ったことがある。いつでも相手にならせていただこう」

「……それならば仕方がない」

 

 女性は呟いたあと、赤い衣を脱ぎ捨てた。

 

「ならば、この世界を超える力によって誓わせるのみ!!」

 

 その女性は遂にデス・バスターズの女幹部ユージアルの姿を現わし、天空に手を突き出した。

 

「来なさい、ライゼクスちゃん!!」

 

 ユージアルの背後に、大きな影が地響きを立てて降り立った。

 

「このオーラっ……!!」

 

 ライゼクスの翼に光る刺青と撒き散らされる紫の霧に、マハイは咳き込みながら目を見開いた。

 

「さあ、ライゼクスちゃん!この娘どもからエナジーを吸いつくしておしまい!」

 

 ライゼクスは翼を地面に付け、狂ったように裏返った声で叫んだ。

 妖気が全身から一気に放出され、近くの草木をあっという間に枯らしていく。

 そしてうさぎたちからもオーラが立ち昇り、それがライゼクスへと吸収されていく。

 

「があっ……!」

 

 マハイは大剣を抜こうとしたが、その前に地面に倒れ伏してしまう。

 彼は地面を見ながら、鍛え抜かれた身体からいとも簡単に力が抜けていくことに驚きを隠せなかった。

 

「ハンターとやらも、こうなってはただの人ね」

 

 高笑いしながら、ユージアルはマハイの歪んだ顔を見下ろした。

 一方のうさぎは、雛を庇うようにしてうずくまっていた。

 胸のコンパクトが光り、雛のエナジーが吸収されることはなんとか抑えている。

 ユージアルは次の獲物を見定めるように、つかつかとうさぎの周りを歩く。

 

「さあセーラームーン、死にたくなくば、私たちデス・バスターズに忠誠を誓いなさい!!」

 

 うさぎは一切耳を貸さず、胸に抱く雛のつぶらな瞳だけを見つめている。

 

「せめてこの子だけは……!!」

 

 雛は苦痛に悶えるうさぎの顔をじっと不安そうに見つめ、こちらを呼ぶように何度も鳴いた。

 うさぎは苦痛の表情を解き、ゆっくりと胸の中にいる雛に微笑んでみせた。

 

「大丈夫よ……絶対に貴女は、護ってみせるから……」

 

 そのとき、衛が地面を這いながらうさぎを庇うように覆い被さった。

 彼のうめき声が更に大きくなる。

 うさぎは驚き、衛を押しやろうとした。

 

「まもちゃん!そんなことしたら貴方が!」

「絶対にこの子を護るんだろう!?今は耐えろ!きっとみんながすぐ、助けに来てくれる!」

「残念だけど、もうそれはありえないわ」

「え……?」

 

 ユージアルは、勝利を確信した様子で叫んだ。

 

「セーラー戦士どものエナジーはこいつが吸収してやった!今頃、お前たちの仲間は我々の配下に下ってるでしょうね」

「うそ、みんなが……!?」

「さあ、もっとフルパワーで行きなさい!!助けが来る前に干からびせちゃうわよ!!」

 

 うさぎたちが絶望する間もなくライゼクスが叫び、更にエナジーの吸収が早くなる。

 

「ああっ……!」

 

 力を失っていくうさぎたちを前に、ユージアルは愉悦に浸るように舌なめずりをした。

 

「ふふ、ミメット……昇進はお先に戴くわね」

 

 そう言った直後、ライゼクスとユージアルの背後で大爆発が起こった。



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襲雷⑦

「な、なにっ!?」

 

 メラメラと燃え上がる夜の丘の上。

 その上空を大きな影が凄まじい速度で通り過ぎ、ユージアルの赤い髪を乱れさせた。

 ライゼクスが怯んだことで、エナジー吸収は中断された。

 

「待って見えなっ……」

 

 髪が目に入ってあたふたしているユージアルをよそに、ライゼクスは何度も逃げようとするように翼をはためかせる。

 だがその度翼の黒星が光り、錘付きの枷に縛られたように身体は地面から離れない。

 うさぎは急激に回復していく視界の中で、下から赤く照らされる炎の主の顔を見た。

 

「リオレウス……!」

 

 空の王は飛び回りながら火球を撃ち、周りを空爆していく。

 そこだけ業火に包まれ昼のような明るさになってゆく丘。

 だが攻撃はいずれもうさぎたちに掠めもせず、ユージアルとライゼクスの付近のみに集中していた。

 

「こ、攻撃しなさい、攻撃っ!!」

 

 ユージアルが慌てて上空を指さして叫ぶが、ライゼクスは狂ったように頭を振り、苦しそうに鳴き喚いている。

 彼の混乱を示すかのごとく翼の黒星が点滅しているのを見て、ユージアルは顔に憔悴の色を滲ませ始める。

 

「ちょっと、なんで言うことが聞けないの!!攻撃よ、こ・う・げ・きーーーーっ!!!!」

 

 顔の真横で怒鳴った瞬間に黒星の点滅が止み、ライゼクスの目が光った。

 さっきまでの暴れようが嘘のように、冷静な所作でユージアルの方に視線を向ける。

 

「そうよ、やればでき……」

 

 ライゼクスは、その斧のような頭でユージアルを思い切り突き飛ばした。

 地面を転がり、擦り傷だらけになった彼女は呆気にとられた表情で目の前の竜を見つめる。

 

「……え?」

 

 恨めしそうに彼女を見つめて唸りながら、彼は歩み寄って来た。

 ユージアルの背後では、リオレウスが引き起こした火災が灼熱の壁を作っている。

 慌てながら彼女は空を何度も指差してみせる。

 

「ちょ、ちょっと……なんで私を見るの!あんたが攻撃するのはあいつよ!」

 

 ユージアルは一軒家ほどの大きさのある生物に対して、始めて恐怖をはっきりと顔に滲ませた。

 彼女は跳躍して枯れ木の上に跳び移ろうとしたが、ライゼクスはその前に枯れ木に尻尾を振るい一発で薙ぎ倒す。

 

「ひいいいいいいいいっ!!」

 

 ユージアルは度々転び、倒れながら地獄の鬼ごっこを味わう。

 ちょうど、彼女はライゼクスとお椀型の炎の壁に挟まれるような形になっている。

 ライゼクスは雨のように火球が降り注ごうが全く構わず、その歩幅の大きさを生かして彼女の行く手を阻む。

 

「ちょっと通してーーーーっ!!」

 

 うさぎたちは、その光景を呆然として見ていた。

 そんな中、ユージアルは土壇場でライゼクスの隙をつき、脚の下をすり抜ける。

 

「どいてどいてどいてー!!」

 

 そのままの勢いでユージアルはうさぎたちの方目掛けて全速力で向かってくる。

 

「こっちに来るぞ!」

 

 ライゼクスもユージアルを追ってうさぎたちの方に走って来る。

 力の抜けたうさぎたちは思うように動けない。

 うさぎは、雛を抱きしめながら目を瞑った。

 

 そのとき、うさぎたちの背後から何かがユージアルに目掛けて走って来る。

 そちらの方は暗くてよく見えないが、ガラガラガラと車輪が地面を激しくのたうち回る音が聞こえてきた。

 

「な、なに!?」

 

 目を開けてうさぎが戸惑っていると、暗闇の奥で閃光が走った。

 

「『クレッセント・ビーム』!!」

 

 レーザービームが闇を真っ直ぐ走ってライゼクスの頭に直撃し、彼は仰け反って歩みを止める。

 

「……と、『捕獲用麻酔玉』ーーっっ!!」

 

 次に飛んできたのは、テープにくるまれた白いボール。

 それが向かった先は、走りながらぽかんとしているユージアルの顔面の真正面。

 

「いだっ!」

 

 ボールがユージアルの鼻面で弾け、彼女はそのまま後ろにすっ転ぶ。

 

「なによお、これ……」

 

 彼女は赤くなった鼻をさすりながら起き上がり、不用意にもそのボールを覗き込んだ。

 瞬間、ボールの表面が弾け飛ぶ。

 それはたちまち桃色がかった煙を放出し、ユージアルの全身を覆いつくす。

 

「あれぇ、だんだん眠……く……」

 

 数秒もしないうちに瞼が閉じていき、彼女はそのまま力が抜けたようにうつ伏せに倒れ込んだ。

 

「……間に合ったぁぁ~……」

 

 うさぎたちの前に、信じられない光景が広がっていた。

 リヤカーの上に、四戦士たちが詰め込まれたようなめちゃくちゃな姿勢で乗り込んでいる。

 その前には、恐らくこのリヤカーを引いてきたであろうアルテミスと2匹のアイルーたちが、大汗をかきながら地面にへたり込んでいた。

 

「みんな、なんでここに……!」

 

 疲労困憊状態の戦士たちは斜めになったリヤカーから一気に崩れ落ち、山のように積み重なる。

 一番前で投擲の態勢を取ったままだったまことが、山の下から上半身だけ抜け出してライゼクスを指さす。

 

「セーラームーン……ライゼクスを浄化の力で解放してーー……」

 

 エナジー吸収の影響からか、もはや彼女たちに余力は残されていない様子だった。

 うさぎは頷き、胸元から変身コンパクトを取り出す。

 

「ムーンコズミックパワー、メイク・アップ!!」

 

 ハンターとなってから、2回目の戦士の力の完全解放。

 彼女は愛と正義の戦士服を身にまとい、浄化の力を司る杖『スパイラルハートムーンロッド』を振りかざす。

 

「ムーン・スパイラル・ハート・アタック!!」

 

 マゼンタの光がライゼクスを包み込み、悪のエナジーも身体の深い傷も、余すことなく消し去っていった。

 

──

 

 浄化が終わると、ライゼクスは記憶がないのか戸惑ったように周りを見渡す。

 彼は四戦士の姿を見つけて目を見張り、まだやれるぞと威張らんばかりにトサカを打ち鳴らした。

 

 だがそこにリオレウスが掴みかかり、ライゼクスは面食らったように飛び上がる。

 先ほどのセーラームーンの浄化により多少傷は回復したものの、流石に体力を消耗しているのかもはやそこに昼の頃ほどの覇気はない。

 ライゼクスは空中でリオレウスと威嚇しあいながらそのまま向こうへと飛んでいく。

 周囲の消火を終えた後、それらが小さい影になるまでセーラー戦士たちは空を見守り続けていた。

 

「みんな、どうしてここまで来れたの?」

 

 うさぎたちの前に、アルテミスが胸を張った様子で前に歩いてくる。

 

「僕が不憫な目に遭ったお陰で、上手く行った」

 

 彼の口調はその内容とは逆に少し得意げだった。

 

「僕は……ちょっと事情があって巣の外にいたんだけど、ライゼクスの叫び声を聞いてこっそり見たらユージアルがいたんだ!そりゃもうびっくりさ!」

 

 アルテミスがユージアルを指さすが、彼女はまだ眠りの真っ最中で「きょうじゅ~おでんわです~」などと夢の中で呟いている。

 

「ユージアルが消えたあと、どうしようかとオロオロしてたらリオレウスがやってきて、ライゼクスを追っ払ってくれたんだ!」

 

 彼が見上げた先の月明かりの下、ライゼクスであろう小さくなった影を追うもう一つの影を、衛はじっと見つめた。

 

「偶然だろうが、二度も俺たちを救ってくれたのか……」

「そうそう、だから僕が急いで森の奥の集落に駆けこんで、アイルーたちに協力してもらったってわけさ!」

 

 アルテミスが振り返った先でアイルーたちが手を振り、お礼のマタタビをリヤカーに載せて森の方へと消えていった。

 

「本当に、みんなが無事で良かったぁ……!」

 

 説明を一通り聞いたうさぎは、肩に入っていた力が緩みその場に崩れ落ちた。

 雛が喜ぶように翼をはためかせ、うさぎは彼女に向かって柔らかく笑いかけた。

 それを見ていた戦士たちも、それにつられるように互いを労わるように微笑み合う。

 

「でも妖魔になったにしてはいろいろとおかしかったわね、今回のライゼクス」

 

 美奈子が口火を切ると、衛は連なるようにして先ほどの炎の中で見た光景を思い出した。

 

「そういえば最後、ユージアルの指示に従っていなかったな……」

 

 レイは、それを聞いてどこか満足げに微笑んだ。

 

「きっとあいつは元から、束縛されるなんてまっぴらごめんだったのよ」

「そうだな……」

 

 地面に腰を下ろしてずっと黙っていたマハイが、遠い目で月に重なる2つの影を見ながら呟いた。

 

「束縛は空を飛ぶ竜には似つかわしくない。特に、天涯孤独なあいつにとってはな」

 

 未だにリオレウスと小競り合いをしていたライゼクスは負け惜しみのような咆哮を上げると、遂に空の向こうへ点となって消えた。

 

「みんな!」

 

 馴染みのある声が聞こえて振り向くと、丘の下桃色のツインテールをした少女と黒猫が並んで姿を現わした。

 うさぎはちびムーン──ちびうさを安堵した表情で出迎えたが、すぐに厳しい表情に変わった。

 

「あんた、村にいるように言われてたでしょ!ルナもお目付け役だったのになんで……」

 

「ごめんね、ちびムーンが嫌な予感がするって言ってたものだから……。でも、もう終わったようで安心したわ」

 

 ルナの横でちびムーンは、申し訳なさそうにしながら目を伏せた。

 

「実はそれだけじゃないの。何となくその子がどこかに行っちゃう気がして……せめて、あたしも目の前で見届けたいって思ったから」

「ちびムーン……」

 

 月明かりを、ゆっくりと翼が覆い隠す。

 帰ってきたリオレウスが、うさぎたちの前にそっと降り立った。

 それが意味するところは、ひとつ。

 マハイがすっと立ち上がって言った。

 

「お別れの時間だ」

「……うん」

 

 うさぎは雛を置いて立ち上がり、もう一度セーラームーンの姿に変わった。

 母の匂いが突然無くなったからか、雛は戸惑ったようにうさぎの顔を見て首を傾げる。

 

「さあ……お父さんのところへお帰り」

 

 セーラームーンはしゃがみ込み、そっと雛の身体の正面をリオレウスの方へ向けてやる。

 

 リオレウスは雛を見た後、セーラームーンの姿をじっと見つめていた。

 言葉こそ交わせないが、静かな眼差しは少なくとも憎悪を含んでいるようには見えなかった。

 

「勝手にこの子を持ちだしたりなんかしてごめんなさい。恨むならどうか、あたしだけを恨んで」

 

 だが、既にリオレウスの眼中にセーラームーンたちの姿はなかった。

 リオレウスは、雛に向かって呼ぶように低く、ゆっくりと優しげな声で唸る。

 雛はそれを聞くとリオレウスの方へ、うさぎに何回も見せたあのおぼつかない足取りで少しずつ歩いていく。

 時節迷うようにセーラームーンの方を振り返ると、首元の金色の鱗が月光を反射して光る。

 空の王は黙って子の身体を傷つけないように優しく咥え、飛び上がる。

 竜の姿が向こうへ緩く弧を描いて、小さな点へと変わっていく。

 

「あの子、きちんと育ってくれるかな」

 

 セーラームーンが呟くと、衛は彼女の肩を抱いて答えた。

 

「育つさ……金の翼を抱いて、綺麗な姿になってずっと向こうの空へ飛んでいくだろう」

 

 ちびムーンはその言葉を聞きながら、セーラームーンの哀愁に満ちた横顔を静かに見つめていた。



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行かん、新天地へ①

 

「放してくれる!?早く今日の分の報告書作成して提出しなきゃいけないのよ!」

 

 うさぎたちがかつて四戦士が囚われていた小屋に入ると、ユージアルがミノムシのように縄でぐるぐる巻きにされて地面に転がっていた。

 うさぎが前に出る。

 

「ユージアル、貴女たちデス・バスターズは一体なにを企んでるの!?」

「だから、んなこと言えるわけないでしょうが!企業秘密って何度言ったら分かるの!」

 

 ひとしきり叫んだあと、彼女は一息ついて冷静な表情になった。

 

「早くこの縄を解きなさい。そうしないなら、すぐこの村を焼き払うわ」

 

 うさぎたちは思わず身構える。

 だが、その中で唯一マハイだけがやたら落ち着いた物腰で、ユージアルの顔の前でしゃがみ込んだ。

 

「『焼き払う』……か。果たしてあんたにそんなことが出来るのか?」

 

 ユージアルは目を細めて顎を引き、マハイに向かってにやりと笑った。

 

「ふん、野蛮人のくせにこけおどしか。ちょっと私が本気を出せばこの程度の束縛など……」

 

 彼女は縄の下で手足を動かし、脱出を図る。

 だがいつまで経っても縄は解けず、額に冷や汗が浮かび始める。

 

「力が……入らない……」

「麻酔玉の強力な効果もろくに知らないとは恐れ入ったよ」

 

 半ば呆れたようにマハイはため息をついた。

 彼は立ち上がり、話しながらユージアルの前の床を往復する。

 コツ、コツ、という音が小屋の中でやたら大きく響いた

 

「焼き尽くすだけなら簡単だ。イャンクック1匹に火を吐かせるだけでいい。なのに、あんたはそれを()()()()()

 

 彼の視線が、研ぎ澄まされたナイフのように鋭くなっていく。

 

「俺があの子たちを追い出す()()でいいのかって聞いた時、それでいいってあんたは鼻息荒くして答えたよな?」

「まさかあの質問は……!」

 

 ユージアルは明らかに動揺していた。亜美が気づいて人差し指を立てる。

 

「そういえばそうよ。あの状況、いつでもあたしたちの命を狙うこともできたはずなのに、結局はそうしなかった」

 

 彼女の言葉にマハイは満足げに頷き、再びユージアルを見下ろした。

 

「あんたたちは紫の霧で何か企んでる。それは確実だ。何故かは知らんが、ここの世界の連中にはそのことに気づかれたくない」

 

 彼女は唇が震えたのを誤魔化すように、それをきつく噛み締めた。

 部屋の僅かな光源であるランプの火が、じじ、と揺れる。

 

「村や人を消すことなんか、愚の骨頂。ハンター発祥の地たるココット村でそれをやったら世紀の一大事になる。……じゃあ、どうやって隠すか?」

 

 マハイの髭に囲まれた口が、淀みなく次の言葉を告げた。

 

「もうひとつ、別に怪しいヤツを作り上げて泳がせる」

 

 セーラー戦士たちは、確信したように互いに視線を交わした。

 

「貴女に課せられた目的は、セーラー戦士に濡れ衣を着せて自分たちの隠れ蓑にすることだったのね」 

 

 亜美がまとめると、レイが蔑んだ目でユージアルを睨んだ。

 

「ほんと、やること陰湿になったわね」

 

 彼女は思わず、突き刺さる視線から自らの目線を外した。

 

「こけおどししてたのはあんただ、ユージアルさん。むしろあんたは、この村を()()()()()()()()()()んだ」

 

 マハイは、顔をユージアルの耳のすぐ横に持っていき、冷徹な声で告げた。

 

「もしこれが表沙汰になれば、あんたらの上はなんと言うかな?」 

 

 ユージアルは、その質問に答えることができない。目を見開き、わなわなと震えて沈黙を保っている。

 

「さあ、後はどう料理してやろうか」

 

 まことが、組み合わせた手の骨をボキボキと鳴らす。

 それを見て、ユージアルはそれまでの沈黙を破った。

 

「なぜそこまでセーラー戦士どもを信用できるの!?こいつらは、本当にお前たちを利用しているのかも知れないのよ!?」

「さあ、なんでかな……」

 

 取り出したのは、剥ぎ取り用ナイフ。

 それが振り上げられるのを見て、彼女は思わず目を瞑った。

 ダンッと、ナイフが音を立てて何かを穿つ。

 

「と、ここで朗報だ」

 

 ユージアルの鼻の前で、床に深く突き刺さったナイフがきらりと光った。

 

「特別に今回のことは黙っといてやる。結果的に、村に直接危害を及ぼしたわけではないからな」

「その代わり、この村や近くの地域に未来永劫手を出すんではないぞ。もし変な動きを見せれば、即座に全地域ハンターズギルドに事実を伝える」

「そ、村長!?」

 

 セーラー戦士たちは、いつの間にか自分たちの真ん中に佇んでいた村長に気づいて仰け反る。

 村長は、いつもと変わらずにこやかに微笑んで玄関に立っていた。

 

「『偉大なる』ココット村なんて言ってくれるほどじゃ。そこの英雄がどれくらい顔が聞くかぐらいは知っておろう?」

 

 村長の眼窩の奥が光ったような気がして、ユージアルの顔から一気に血の気が引いた。

 

「早く上に伝えてこい、セーラー戦士は無事私が村人どもを洗脳して追い出しました、とな」

 

 マハイは、にこりともせず彼女に言い放った。

 

──

 

 月が高く昇り、村は寝静まった。

 茅葺屋根の家の前、マハイは椅子に座りながら小瓶に入った緑色の回復薬を包帯で巻いた上半身に振りかけていた。

 シャワーを浴びるように豪快にぶっかけた後、一息ついて椅子の背に背中を預け目を瞑っていると、隣から声がかかった。

 

「マハイさん、ユージアルの奴は……」

「ああ、衛か。あいつならあのまま荷車に積んで山の中に放してやった。あのナリでも魔女なら生き残るだろ」

 

 ずっと向こうからランポスの群れの鳴き声と「ぎゃーっ!」と人の甲高い悲鳴が聞こえた気がしたが、2人は気にしないことにした。

 

「そういえば、明日にはここを出るというのは本当か?」

「はい。いつまでもここに留まっていては今回のようにご迷惑をおかけしますから」

「そうか。寂しくなるが、故郷に戻るためには仕方ないことか」

「マハイさん……俺たちがここを出る前に、貴方がどんな風にハンターとして歩んできたか、伺ってもよろしいですか」

「どうしたんだ急に。まあ、ここに座れ」

 

 マハイはもう一つ少し離れて隣にあった椅子を勧めた。

 衛は礼を言ってそこに座り、マハイの顔を真っ直ぐに見つめた。

 

「俺はうさこを護るために何ができるのか……それを考えたいのです」

「既に十分護れてるじゃないか」

「いいえ、今回のライゼクスの件で思い知らされました。俺は、ハンターとしても戦士としても未熟者です」

 

 衛の表情は至極真面目だ。

 

「貴方が今まで何をしてきたかを聞けば、その手がかりが見つかるような気がするのです」

「聞いてもつまらんと思うが……」

「ええ、構いません」

 

 しばらくマハイは沈黙を保っていた。

 すう、と一呼吸置くと、マハイはとつとつとだが語り始めた。

 

「俺は……孤児だった」

 

 衛は、思わず顔を上げた。

 

「生まれの村はモンスターの襲撃で灰になってな。お袋が赤ん坊の俺を抱いてここに駆け込み、その直後に」

「……お悔み申し上げます」

 

 衛が沈痛な面持ちで頭を下げて言うと、マハイは苦笑いしてやめてくれ、と言う風に手を振った。

 

「気にするな。村のみんなが既に親代わりのようなところもあったから、悲観はしてない」

「そうですか……それは本当に良かった。隣に支えてくれる人がいて」

 

 心の底から安堵したように顔を緩ませた衛を見て、マハイは何かに気づいたようだった。

 

「……まさか、君も?」

「実は俺も、親の顔を覚えていません」

 

 衛が空を見上げると、ちょうど雲が月を隠していた。

 

「6歳の頃に両親をなくし、それ以前の記憶を失って……自分がどんな人間だったのかも思い出せない」

「そうだったのか」

「ずっと空っぽのままでした。どれだけ勉強ができても、運動ができても、誰も俺の隣にいてくれなかった」

「……」

「そんな中、あの子が現れた」

 

 雲に隠れていた満月が、再び顔を出して2人の顔を照らした。

 

「最初はそりが合わなくて口喧嘩ばかりだった。でも戦いのなかで互いの正体を知っていくうち、いつの間にか惹かれていって」

「今は首ったけってわけか」

「それもあって余計に恐ろしいんです。この世界ではずっと隣にいられないかもしれないと思うと」

 

 それを聞き、マハイの顔に陰が出来た。

 

「今から、君にとっては残念に思われることを言うかも知れない」

「え?」

「俺は……君と違って護れなかった側の人間だ」

 

 マハイは、自身の腰の鎧に手を添えた。

 鎧の金属の部分が既に錆に覆われ、何回も傷つき拭った形跡がある。

 

「俺がハンターになりたての頃は、武具も設備も遥かに貧弱だった。ここも何回も更地にされかけたものだ」

 

 彼は虚空を見て、嘆きとも哀しみともいえない表情で呟いた。

 

「駆け出しの頃、40人いた村人が一晩で村長と俺の2人に減ったこともあった」

 

 マハイは、自身の目元に刻まれた深めの傷跡をそっと撫でる。

 

「ひたすら己の腕を磨き、狩るしか俺には能がなかった。それでも護れなかったものの方がずっと多い」

 

 マハイは語りながらボトルから木のジョッキに温めた回復薬を注ぎ、衛に渡した。

 

「俺の人生は、風に吹かれて漂っているようなものだ。最初からそういう運命だったのかもしれない」

「……運命……」

 

 マハイの顔を見ると、細められた目の間から穏やかな光が差していた。

 

「だから、愛する者を護り通す君たちには俺にないものを感じるんだ」

 

 衛は静かにジョッキを口につける。

 回復薬の成分が、エナジーを吸い取られ弱った身体を癒していくのが分かる。

 衛は、ジョッキの液面に映った月を見てじっと何かを考えた。

 彼の唇が、悔しげに歪んだ。

 

「まもちゃーん!なに話してたの?」

 

 そこに、防具を開放し私服に戻ったうさぎたちセーラー戦士たちが集まってきた。

 しばらく衛はその顔を見たあと、ふいに立ち上がった。

 

「マハイさん。貴方にあることを打ち明けた上で、その上で誓いたいことがあります」

 

 彼はきょとんとしているうさぎの耳元に手を当てた。

 

「うさこ……しようと思うんだが」

「えー?そんなことして大丈夫!?」

 

 うさぎは余程驚いたようで、顎に手をやり衛からの提案の内容に悩んでいる様子だった。

 ちびうさは話の内容が気になって彼女の近くに駆け寄った。

 

「何なのようさぎ!あたしたちにも聞かせてよ!」

「あのねあのね……」

 

 うさぎが彼女たちにまた耳打ちすると、「えー、どうしよう?」などと言いながら輪っかを作って囁き合う。

 

「なんか今更な気もするよなあ」

「でも、あまりこの世界に影響を与えるようなことは……」

「流石にマハイさんなら大丈夫でしょ」

「マハイさん、全然良い人じゃん!あたしは全然オッケーよ」

 

 まこと、亜美、レイ、ちびうさの順に口々に言い合うのを、マハイは訝しげに見ている。

 

「そうね!口固そうだし、歳も歳だからすぐ忘れてくれるかも知れないし!」

「ちょっと美奈子ちゃんっ……」

 

 美奈子が割と大きい声でデリカシーがないことを言うとレイが咎め、マハイはかくんと肩を落とした。

 こほんと咳払いをし、うさぎたちはマハイから少しだけ遠ざかる。

 

「じゃあ……あまり驚かないでね」

 

 うさぎは、胸のコンパクトを握りしめ目を閉じた。

 セーラー戦士たちもロッドを取り出し、彼女たちを幻想的な光が包み込む。

 

 さっきまで地味な私服に身を包んでいた少女が、汚れひとつない純白のドレスに身を包んでいた。

 彼女自身が大きくなったと見紛うほど長い裾。胸には神々しい金の装飾、背中には大きなリボン。

 金髪のツインテールはより長くなり、1本1本がしなやかに輝く。

 額には眩い三日月の印。

 女神と見紛うほどの柔和な笑み。

 

「あたしは月の王国シルバー・ミレニアムの王女『プリンセス・セレニティ』」

 

 その隣にいるのは、マハイとさっきまで話していた背の高い男。

 濃い紺の鎧に、銀の肩当てと腰当。

 表が黒、裏が赤の鮮やかなマント。

 その果敢な出で立ちは騎士そのもの。

 彼は、マントをばさりと翻す。

 

「俺は地球国の王子『プリンス・エンディミオン』」

 

 まるで、2人の並び立つそこだけが別世界のようだった。

 マハイは思わず立ち上がって何回も目を擦り、目の前の光景が夢ではないと確認する。

 

「あたしたちは、かつて数千年前にあった2つの王国の人間の生まれ変わり。前世で敵に分かたれたあたしたちは、遥かな時を経てまた巡り合ったの」

「……じゃあ、あの娘たちも」

「ええ。この子たちはあたしたちを守ってくれる守護戦士。とは言っても、現世では友達って感じだけどね」

 

 セレニティが後ろに笑いかけると、戦士の姿となった彼女たちは先ほどと変わらない少女らしい微笑で答える。

 

「俺たちは数千年の時を超え、デス・バスターズのような輩と戦う使命があります。そして遠い未来には我々が再び王国を治め、この子を……」

 

 エンディミオンの前に立ちながら肩に手を置かれたセーラーちびムーンが、照れくさそうに笑う。

 

「そ、あたしはうさぎの後の女王様!びっくりしたでしょ!」

「なんだか……毎回君たちは俺の想像の斜め上をカッとんでくるな」

 

 マハイは気後れしたように笑い、自身の心を落ち着けるようにため息をついて椅子に座り直した。

 

「約束された運命の愛……か。人間、みんなこうだったらいいんだが」

 

 2人の姿を見ながら感慨深げに呟いたマハイの言葉を聞くと、セレニティは怒り肩でずかずかと歩み寄った。

 彼女は困惑するマハイの顔を両手で挟みこみ、無理やり自分の方へ向かせる。

 

「あのね!あたしたちは現世でもちゃーーんと過程を経て、少しずつ好きになってったのよ!そこんとこ間違ったらだめっ!」

 

 そのむんっと膨れた顔は『月野うさぎ』そのままだった。

 繊細な姿と裏腹の年相応の少女らしさに、マハイの口端から笑いが噴き出た。

 

「あぁはいはい、分かってるよ」

「そう、彼女の言う通りだからこそ、この姿を明かしました」

 

 エンディミオンは目を閉じると、すぐに衛の姿へと戻った。

 

「マハイさん。俺は前世の運命に胡坐をかかず、彼女に見合うぐらい強くなります。貴方がかつて、村を護るためそうしたように」

 

 彼は、マハイに手を差しだした。

 

「……そういうことか」

 

 マハイは微笑んで応じ、固く握手を交わす。

 

「『護る者』の強さ……どうか俺に存分見せつけてくれよ」

 

 一番納得行かないように顔を割り込ませたのは、セレニティだった。

 

「なによー、男の人2人でにやにやしちゃって。なんか上手いこと使われたような気分だわ!」

 

 少し離れたところでは、ルナとアルテミスが彼らの様子を見守っていた。

 

「だから男同士の秘密ってやつだろ、そっとしてやれって」

「ほんと便利よね~、その言葉」

 

 アルテミスが小声で宥めると、ルナが皮肉っぽい視線を向けた。

 

「ねえねえマハイさん、一体何話したんですか!?教えてくださーい!」

「いや、それはここで言うことじゃあ……」

「そんなこと言われたら余計に気になるじゃないですかー!」

「ちょっとだけで!ちょっとだけでいいですからぁー!」

 

 戦士陣は、秘密という言葉に過剰反応した美奈子、まこと、レイがマハイを質問攻めにしていた。

 セレニティはうさぎの姿に戻ると、衛の腕にぴったりとひっついて顔を見上げた。

 

「でも、あたしもまもちゃんに負けないように頑張る!」

「ああ、みんなで帰れるようにたくさん勉強しような」

「……勉強はヤダ」

 

 衛の微笑も虚しくぶすっと不貞腐れたうさぎは、不意に背後から二つの視線を感じる。

 

「へー、うさぎったらこの世界でもサボる気なんだー」

「うさぎちゃん、知識は力なりって前に教えたわよね?」

「うげっ、ちびうさに亜美ちゃん……」

 

 横槍が入ることで結局騒がしくなる夜のココット村。

 アルテミスはそれを見て、呆れたように笑った。

 

「……なんかしんみりした感じでは終わらないみたいだな」

「ま、いいでしょ。今まで散々苦労してきたんだからこのくらい」

 

 ルナは、月を──その先にある大地を見て、想った。

 

「まだまだ、あたしたちの旅はこれからよ」

 




マハイのおっさんはキャラづくりほんと難しかった。基本セラムンの美少女キャラが中心なので目立ち過ぎてもいけないし、かといって存在感薄すぎてもキャラの存在意義とか分からなくなるし。大体私がぼんやりと思ってる『モンハン世界のリアルプロハン』のイメージを具現化したようなキャラでした。


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行かん、新天地へ②

 

「今まで、たくさん、たくさんお世話になりました」

 

 セーラー戦士たちは、ユージアルの追跡を撒くため彼女が疲れ果てたであろう早朝に出発することとなった。

 月の色が少し淡くなり、太陽がまだ地平線から顔を出していない頃合いである。

 

 うさぎはぺこりと頭を下げ、衛も後ろのセーラー戦士たちも同様にした。

 後ろには2頭のアプトノスが引く荷車が止まっている。その後方の2つ目の荷車には、食料も予備の武具もすべて詰め込みつなぎ合わせている。

 村人たちは全員が集まり、マハイと村長を先頭として彼女らを名残惜しそうに見つめている。

 

「うさぎ、ほんとにこのまま出ていっていいの?」

 

 隣のちびうさが、不安そうに聞いた。

 

「確かに、このままだとあいつに悪い噂を振りまかれたままだよ。本当のことをこの世界全体に広めた方が……」

 

 まことも提案を口にしたが、うさぎは首を横に振った。

 

「うん、いいの。なるべくここの人たちを巻き込みたくないから」

「実際、今の時点で正体は明かさない方がいいかもしれない」

 

 マハイが気難しい顔をして言った。

 

「この世界の人たちも一枚岩じゃない。君たちを恐れる人だって必ずいる」

 

 うさぎが、瞳に悲しげな色を滲ませた。

 亜美も、残念そうにだが頷いて答える。

 

「そうね。下手に正体を晒せばこの世界に大混乱を招く恐れがあるわ。そうなったらデス・バスターズどころじゃなくなる」

「あたしたちの問題はあたしたちで解決するってことかぁ、中々キビシーわね」

 

 美奈子の口調は軽かったが、その目には苦々しさがはっきりと映っていた。

 

「きっとこの先、君たちには想像もつかない生き物や、人や、文化が待ち受けているだろう。時に、目を背けたくなる時もあるかもしれない」

 

 衛が、そっと握りしめる拳に力を入れる。

 

「だが、あんたたちなら何とかできる……俺にはそんな気がしている」

 

 うさぎは、マハイに柔らかく微笑んでみせた。

 

「うん、何とかして見せるわ。あたしたちはみんな、星の力を授かったセーラー戦士だもの」

 

 彼女は、手元のハート型のコンパクトを握った。

 太陽を背にしていても、それは美しく輝いていて存在感を放っている。

 

「ね、みんな」

 

 うさぎが振り向くと、仲間たちも笑って頷いて答えた。

 

────

 

 

 別れの時が来た。

 

 

 日頃世話になっていた村人たちも列を作って荷車の周りに集まり、涙ぐんで村を護ってくれたことへの感謝と出発を悔やむ言葉を次々と口にする。

 

 1人、前に一緒に遊んでいた女の子がうさぎに綺麗な白い花輪をくれた。

 思わず彼女は涙を見せかけたが、上を見てなんとか涙が流れないようにして堪えきった。

 

 マハイ、村長と戦士1人1人がしっかり別れの握手をしていく。彼の手はよぼよぼの皺だらけだったが、確かな力強い温かみを感じた。

 最後にうさぎと村長が握手を交わし、遂に彼女たちは荷車に乗る。

 それでもまだセーラー戦士たちは荷車の横の幌から顔を出し、なんとか村人たちの姿を捉えようとする。

 

「いつでも帰りたくなったら帰ってきなさい。わしらはいつでもオヌシたちを受け入れる」

 

「ええ、その時は必ず」

 

 衛が、村長の言葉に真っ直ぐな声で返した。

 容赦なく鳴る、御者が鞭を叩く音。

 遂に車輪が動き出した。

 小さくなっていく、手を振る人々。

 彼女たちも、全力で振り返す。

 

「ではいつかまた会おう、我らが同胞よ!!」

 

 マハイが叫び、うさぎも叫んで返した。

 

「さようなら!さようなら!!」

 

 地平線から光が差し込み、新たな一日の始まりを告げた。

 

────

 

「ああ、遂に……村が遠くなっていく……」

 

 アルテミスが、じんわりと赤くなった目で小さくなったココット村を眺めている。

 

「さあ、そろそろ旅の計画を──」

 

 後ろを振り向いた瞬間、彼は言葉を失った。

 

「3ヶ月いただけなのにぃ……睡眠環境サイアクだったのにぃ……」

「ちょっとレイちゃん、まだ泣いてんのぉ……?」

「そう言う美奈子ちゃんだってぇ……」

 

 どこを見ても涙が渦巻く地獄絵図であった。

 うさぎなどは衛の右腕に抱きついて子どものように大泣きし、反対側にいるちびうさとルナに軽く引かれている。

 亜美はまだマシなようだったが、それでも言葉に嗚咽が混じっている。

 

「……いつまでも……平和でいて欲しいわ……」

「んにしても奴ら、計画の中身は何なんだ!?罪のない人たちを騙そうとするなんざ許せないよっ……!!」

 

 辛うじてまことが悲しみを怒りに変え、話を前に進める。

 アルテミスはそれを見て内心ちょっとほっとする。

 

「妖魔化したライゼクスが放った、エナジーを吸収する『霧』……あれがヒントになる気がするわ」

 

 亜美が鼻を赤くしながらも何とかまことの言葉に返す。

 

「あの先にあるのがあたしたちの世界へのリベンジなのは確かね」

 

 美奈子は鼻声になりながらもそう言い、チリ紙でちーんと鼻を吹いた。

 

「でも、謎も残されてるわ」

 

 レイが鼻を真っ赤にしながらも何とか正気を保ち、いつもの声の調子を取り戻す。

 

「奴らがこの世界の人々に取り入ろうとしてる理由よ!絶対なにか事情があるはず」

「ならこの行く先で『霧』の情報をもっと集め、帰る方法も含め探っていかないとねっ!」

 

 美奈子は拳を前で握りしめるが、その時どん、どんと荷車の右方を叩く音が聞こえた。

 

「な、なに!?いきなり盗賊!?」

 

 ちびうさは飛びあがり、衛の左腕に登るようにしてすがりつく。

 

「ちょっとうさぎ、びーびー泣いてないで外見てきなさいよ!」

 

 うさぎは、荷車の中でも一番右方にいた。

 レイが指示するが、彼女の大泣きはまだ止まない。

 

「だって~~、無理なもんは無理だも~~ん」

 

 そんな中でもまだしつこく続く叩く音に、衛が痺れを切らした。

 

「ああもう、仕方ないなぁ……」

 

 右腕にうさぎが引っ付いているので、右の幌に指先だけしか届かない。

 

「くそっ、見えない」

 

 それでも何とか指を幌の下に引っ掛け、腕を上げようとした。

 

 突然、彼の懸命な努力を待たず幕の下から長いものが突き入れられる。

 真っ直ぐ向かうは、レイの顔ど真ん中。

 

「あ゛あ゛ーーーーーーーーむぎゅっ」

「……むぎゅ?」

 

 悲鳴を止めた正体は、巨大なおたまだった。

 流石にうさぎの涙もぱたんと止んだ。

 

「あっ、誰かに当たったニャル」

「ああほれ引きぃ、引きぃ」

 

 誰か慌てる2人の声がしたあと少しずつおたまが引かれ、今度こそ大きく上に幕が引き上げられる。

 

「やーすまんすまん、誰かケガは……ああ……」

 

 レイの顔の真ん中が綺麗なまん丸に赤くなり、彼女は意識を失っていた。

 最初に正体に気づいたのは、うさぎに代わって右縁に飛び移り、外を覗き込んだルナだった。

 

「あれ、竜人商人さんに料理長さんじゃない!3日前に先に行ってたんじゃなかったの!?」

 

 犯人の2人は、同じくアプトノスと御者に自身の屋台を隣で引かせている。

 今彼女たちと隣り合って商人が座っているのは、後方の自身の移動屋台。

 対して前方にあるキノコ型の乗り物は、料理長の屋台の移動形態である。

 

 おたまを持っているのは前方の屋台の屋根から身体を出していた料理長で、よろめきながらも何とか今の幌を持ち上げた状態を保っている。

 商人は、座布団に座ってお茶を飲みながら紫の日傘を差し、鍵型の杖でこん、と足元の屋台を突いた。

 

「ちょっとぶらぶらしとったらえらく長い隊列が来たもんやから、もしやと思うてな。あんたら、今からどうするつもりや?」

 

 顔を見合わせるセーラー戦士たちだったが、衛が懐を探った。

 

「えーっと……取り敢えず最近話題の『闇の霧』の情報集めに近くのこの村に……」

 

 彼が地図で指したのはココット村よりある程度大きい村だったが、即座に料理長は黙り込む。

 

「……そこニャルか……」

 

 あまりの真剣さに、戦士たちは息を呑んで彼の顔を覗き込む。

 

「その村に行ったけど……実は……」

「実は……?」

「その村に行くと……」

「行くと……?」

 

「別に何もないニャ……「何もないんかーいっっ!」」

 

 起き上がったレイがおたまの先を掴んで突き返した。

 長いにも程がある柄が料理長の頬に直撃する。

 商人はレイと料理長の激しい攻防をよそに、変わらぬ笑顔を戦士たちに向ける。

 

「ちょうどまだあの時の礼が足らんと思っとった頃や。良かったらわしらが伝手を使って、もっとええとこ案内しようか?」

 

 彼は、鍵を持っていない方の手を大きく広げてみせた。

 

「そこならその村の10倍以上の人が、モノが、情報が集まる」

 

 うさぎが泣いていたのも忘れ、荷車から勢いよく身を乗り出す。

 

「えっ、いいの!?」

 

 商人は頷き、手元から白い鳩を取り出してみせた。

 

「この鳩を飛ばせばすぐにキャラバンの仲間へ連絡が行く。お節介好きな人らやから、すぐ返事来ると思うわ」

「そこ、何て言うところなんですか?」

 

 亜美も幌の下から身を乗り出して聞くと、商人はよくぞ聞いてくれた、と言って咳払いをした。

 

「地図に載らぬ砂漠の超巨大市場、『バルバレ』や」

 








第1章『ココット村編』、完結!!!!




次回から第2章『バルバレ編』開始!!!!


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バルバレ編
太陽のもと、集う①


第2章開幕!


 

 雲一つない大()海。

 

 そこを砂塵巻き上げ一隻の帆船が征く。

 竜が描かれた白い旗が風を捉え、流砂を海のように航行している。

 骨と木を組み合わせて建造されたその船は、原始的ながら力強く砂を掻き分けて進む。

 

「うむ、快晴、快晴!」

 

 船首には、螺旋を描く巨大な槍と正面を護る巨大な骨の盾。

 そのすぐ後ろで1人の壮年の男が満足げに腕を組み、仁王立ちしていた。

 ウェスタン風のオレンジのジャケットとハット。

 マハイと違い、遠方を望む顔には少年のような冒険心溢れる笑みが浮かべられていた。

 

「団長さーん!」

 

 彼は後方に木板を踏む音と元気な挨拶の声を聞いて「おっ」と振り向く。

 ちょうど5人の少女が、船内部から甲板に出てきたところだった。

 

 彼女らセーラー戦士一行は竜人商人と料理長の協力で、昨日からこの船で寝泊まりしている。

 目指すは砂漠の市場『バルバレ』。

 あと30分足らずで到着する予定である。

 衛、ちびうさと猫2匹は、まだ船の中で横になっている。

 

 団長は、気さくな表情で片手を高く振り上げ挨拶を返した。

 

「どうだ嬢ちゃんたち、撃龍船で行く砂漠の旅は!」

「はい、お陰様で快適です」

 

 答えた亜美は船の縁に肘を置くと、後ろへ流れていく砂の波模様を見て感嘆するような笑みを浮かべた。

 

「凄い技術ですね。砂の上をこんなに素早く動けるなんて」

「ここらの地域の流砂と季節風を上手く使ってるんだ。嬢ちゃんたちもこんなの見たことないだろう?」

 

 団長が振り向くと、うさぎが飛び跳ね床をギシギシと言わせていた。

 

「うんうん、ほんっとーに別世界って感じ!砂漠なのに、まるで海賊になったみたーい!」

「うさぎ、危ないわよ!」

 

 レイがうさぎに注意する横で、まことは手を腰に当てて笑った。

 

「ここまで手配してくれて、『我らの団』の人たちには頭が上がらないね」

「いやぁ、うちのキャラバンはちと、世話を焼きたがる連中が多いだけさ。こうしてると思い出すなあ。パンツ一丁のハンターと出会ったあの日を」

「パンツ一丁!?」

「ああ、そうさ。武器もない下着一枚で街を救った英雄だ!」

 

 戦士たちは驚き、一気に顔を赤くする。

 中でも亜美の赤面具合は飛びぬけていて、手すりに肘を置いて背を向けたまま湯気を出している始末だった。

 

「は、破廉恥……」

「あたしたちの恰好もなんやかんや言われたけど、流石に真っ裸はねー……」

 

 美奈子が眉をひそめるレイに耳打ちする。

 ハンターはみな重武装であるという共通のイメージがあっただけに、衝撃はかなり大きかった。

 

「ひぇ~、こっちの世界ってやっぱりすごいわ~……あっ」

「『世界』?」

 

 5人の心臓が跳ね上がり、うさぎの口が4戦士の手によって一斉に抑えられた。

 彼女たちは団長に背を向け、うさぎを押しくら饅頭のようになって押し倒す。

 美奈子が、形相を変えてうさぎに顔を近づけた。

 

「ちょっとうさぎちゃん、今の発言絶対まずかったわよ!」

「ごめんっ、口滑らしちった……!」

「おーい、どうしたんだ?」

「いえいえ何でもございませーん。あたしたちはそんくらい田舎者ってことですわ、おほほほほ~……」

 

 美奈子は高笑いで何とか誤魔化すと、ふと空に見つけた鳥のような形の影を慌てて指さす。

 

「そういえば今日も良い天気ですよねぇ~。ほら、あの子たちも空飛んで気持ちよさそ~。ほら、ほら!」

 

 彼女の言葉通り、2匹の小さい飛竜が並んで船の上空を飛行していた。

 その頭は蛇のようであり、時折キシャアと鳴きながら翼をはためかせていた。

 

「……なんだって?」

 

 団長もそのモンスターを視界に捉えると、ゆっくりと前方に進んだ。

 いきなり彼は焦った顔で振り向いた。

 

「みんな、早く船の中に入れ!」

 

 直後、船の右方の砂面が突如へこみ、それから大きく盛り上がった。

 破裂する大地。

 何か大きなものが砂を噴き上げ飛び出した。

 彼女たちの視界を、赤褐色の岩肌が覆いつくす。

 船の全長を遥かに超える巨大な『山』が、大地の底から雄たけびを上げ地面から生えていく。

 

 それは()()()()を──螺旋を描いて()()()

 空中できしみ、うねる刺々しい岩の塊。

 その表面から砂塵が落ち、彼女たちの顔に、防具に、脚に落ちてパラパラと音を立てる。

 

「えっ……?」

 

 太陽を覆いつくすその影の下で、少女たちはあっけに取られる。

 そのまま落ちてくるのではないかと思えるほどの時間の後、『山』はさもそれが当然であるかのように船の左方へと『着水』した。

 大きく砂飛沫が上がったあと、『山』は再び砂の下へ潜っていった。

 その衝撃で、船が左右に激しく揺れた。

 

「み……みた……今の?」

 

 戦士たちは、残らずみんな腰を抜かしていた。

 うさぎがレイに這いより、その肩を叩いて自身の頬を指し示す。

 

「ねえレイちゃん、あたしの頬つねって」

「え、ええ」

 

 レイは頷き、うさぎの頬をつまんで引っ張る。

 

「あーわかった夢じゃない、夢じゃない!!」

 

 レイが手を離すとぺちん、と大きな音がした。

 

「まさか……噂には聞いていたけど」

 

 亜美は、再び左方に姿を現わした錆びついた山のような何かを、剣呑とした表情で眺めた。

 

「大地からの厄災とも祝福とも比喩される超巨大生物──」

「『ダレン・モーラン』だ!」

 

 砂塵を払いながら立ち上がった団長が言葉の後を継いだ。

 

「こいつぁヤバい!この方角のまま進めば……確実にバルバレは壊滅する!」

 

 団長が見る前方の遥か遠く、蜃気楼に覆われたテントらしき大群が見えた。

 彼は懐から拳銃らしき道具を取り出し、うさぎたちに叫んだ。

 

「俺は救難信号を周りの船に出す、お嬢ちゃんたちは安全な船の中に逃げてろ!」

「なに言ってんのよ、あたしたちだって戦うわ!」

 

 真っ先に反駁した美奈子に、団長は目を丸くした。

 

「こんな時に大人しくやられるのを待つなんて絶対に嫌!あたしたちも戦う者として、プライドの一つや二つあるのよ!」

 

 レイがそう続けると、団長は帽子のつばを持ってふっと笑った。

 

「……なるほどねぇ、ただのか弱き『お嬢様』をあの爺さんが見込んだわけはないってことか」

 

 残りの少女たちも、顔つきからして既に戦う心構えは出来ている。

 団長は、その姿勢をしかと受け取った。

 

「よし、なら一緒に迎え撃つぞ!」

「了解っ!」

 

 少女たちは武器を手に取り立ち上がる。

 だが、そこでうさぎが何かに気づいた。

 

「……あれ、ダレン・モーランは?」

 

 つい先ほど左舷後方に盛り上がっていた山は、跡形もなく消えていた。

 いきなり船が右へと傾き、跳ね上がった。

 ダレン・モーランは、地中から奇襲をかけたのだ。

 少女たちの身体がなすすべもなく吹っ飛び、大きく弧を描く。

 

「嬢ちゃーーんっ!」

 

 団長は床にしっかりと掴まっていたお陰で吹き飛ばずに済んだ。

 船が再び元の位置に着地した反動で、彼の視界を砂が覆った。

 そして船の後方、少女たちの眼前に地面が迫ってくる。 

 うさぎは反射的にコンパクトを握り、戦士たちは懐から変身スティックを取り出した。

 

──

 

「くそっ!」

 

 砂の雨の中で団長は手すりから身を乗り出し、少女たちの消えた砂煙を覗き込む。

 そこに、船の中から誰かが這い出して来た。

 

「一体何事ですか!?」

「衛さん!」

 

 衛が、何とか床や船内の壁で身体を支えて団長の元にやってきた。

 

「あんたの相方もその友達も、みんなさっきの衝撃で吹っ飛ばされちまったんだ!」

 

 彼はそれを聞いて動揺し、急いで団長と並んで船後方を見る。

 その先には何も見えず、彼女たちがどうなったのかは分からない。

 

「大丈夫よ!」

 

 2人が振り向くと、船内部からちびうさとルナ、アルテミスが甲板に出てきていた。

 

「あの5人組はやたらしぶといのよ!中でもうさぎのヤツはゴキブリ並みに!」

 

 中々に失礼な例え方に衛は思わず失笑し、団長は半信半疑の表情を見せた。

 不意に砂煙の中から、螺旋を描く角が左斜め後ろから船を穿たんと突っ込んでくる。

 団長が咄嗟に手を顔の前で構えたが、衛とちびうさはそのまま成り行きを見守っていた。

 

「ムーン・スパイラル・ハート・アタック!!」

「ファイアー・ソウル!!」

「シャイン・アクア・イリュージョン!!」

「シュープリーム・サンダー!!」

「クレッセント・ビーム!!」

 

 ダレン・モーランの頭部で、炎が、水が、雷が、光が立て続けに炸裂する。

 それは突如起こった衝撃に驚き、身体を引っ込ませた。

 

 先ほどの爆発のおかげで砂煙が晴れ、青空が再び顔を見せた。

 団長はその視界に、ダレン・モーランの背中を跳ぶ人影を認める。

 

「まさか……『魔女』か?」

 

 彼の目は、少年のような純粋さを持って輝いていた。

 緊急事態の最中でも、明らかにそれは喜びのような感情を宿していた。

 横でそれを見ていた衛はそっと視線を外した。

 

「っと、感傷に浸ってる場合じゃなかったな!」

 

 団長は腰のポケットから拳銃を取り出した。

 

「ここは一つ、ピンクのお嬢ちゃんの言葉を信じてみるか!」

 

 彼はそれを空に向けて引き金を引いた。

 パァン、と音が鳴ると共に赤色の煙があがり、周囲に緊急事態を知らせる。

 衛は、ダレン・モーランの背を駆けるセーラー戦士たちを祈るように見つめていた。

 

──

 

 セーラー戦士たちは、その目で信号弾が上がったことを知った。

 

「救難信号、上がったわね」

 

 マーキュリーが赤い煙を指さして言った。

 それを受け、ヴィーナスが手元から光の鎖を出現させた。

 

「さあ、大暴れといきますか!」

 

 真っ先に彼女は跳び、その鎖を甲殻の突起に巻き付ける。

 

「ヴィーナス・ラブミー・チェーン!!」

 

 ヴィーナスは光の鎖で相手の眼窩にぶら下がり、空いた片手の人差し指を巨大な瞳に向かって突きだす。

 

「クレッセント・ビーム!!」

 

 彼女の指の先に閃光を見たダレン・モーランは、反射的に目を閉じる。

 なんと、瞼の皮は彼女の光線をいとも容易く防いでしまった。

 他の戦士たちも手当り次第に技を試すが、その岩石のごとき表皮は少し削れるか焦げるだけである。

 

「ヴィーナスちゃんのクレッセント・ビームが効かない!?」

 

 セーラームーンは、その思わぬ結果に驚いた。

 マーズが悔し紛れに自らが立つ足下の表皮を殴った。 

 

「恐らくさっきの攻撃で怯んだのも、突然のことで驚いただけよ!」

 

 その堅牢さ、まさしく戦艦のごとく。

 今まで相手取ったモンスターたちも中々の耐久力を有していたが、この生物は遥かその上を行っていた。

 

「いくらなんでもおかしくないか?もうちょっとは強かった気がするよ、あたしたちの技!」

 

「落ち着いて、何もこのモンスターを倒す必要はないわ。ただ彼の針路を街からずらせばいいだけよ」

 

 ジュピターも、懸命に電撃を当てながらその非力さにいらつきを募らせている。

 それに答えたマーキュリーの目にも、バルバレ到達まで時間がないことは明らかだった。

 そのため、少しでもここで救援が到着するまで時間稼ぎをする他に道はない。

 

「あれ……こいつ、あそこまで届くほど身体長かったっけ?」

 

 いつの間にかジュピターは、撃龍船をまたいで更に向こうの右後方を見ていた。

 戦士たちも続けてそこを見ると、低い唸り声のような音と共に大きな砂煙が上がった。

 ダレン・モーランの全長は、110メートルほどである。

 彼女たちや船と比べて遥かに巨大であることは事実だが、いくら何でも船をまたいで尻尾を出せるほどの大きさではない。

 それはつまり──もう1体の巨大な何かが船を挟んで反対側にいることを示している。

 

 高く舞い上がった砂の中から、二対の槍が地面から柱のように突き出た。

 槍の正体は20メートルほどはあろう長大な牙であり、こちらは砂色の鱗に山の峰のような背ビレを備えていた。

 まさしくもう一つの動く『山』である。

 

「『ジエン・モーラン』……だと……!?」

 

 船上では流石の団長も、言ったきり言葉を失っていた。

 要するに、彼女たちは2体の超弩級モンスターに囲まれてしまったのである。

 



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太陽のもと、集う②

 望遠鏡の中に映る少女たちは、ダレン・モーランの背中で跳び回り、手中の虚空から炎やら水やら雷やらを生成して浴びせかけている。

 その光景は、この羽織袴の髭面の男に冷や汗をかかせるに十分の強烈さを伴っていた。

 

「豪山龍ダレン・モーランと峯山龍ジエン・モーランの揃い踏み……前代未聞の事態ゼヨ」

 

 妙な語尾を付けて顎に手をやった彼の表情は、非常に厳しかった。

 彼の出で立ちは見ての通り軍人とはかなりかけ離れており、年若く気力に満ちた商人風の顔である。

 

「しかも『魔女』も一緒と来ている」

 

 男は望遠鏡から目を離し、後ろにいるもう1人の若者へと振り向いた。

 彼は銀髪のオールバックの長髪に端麗な顔立ち、青い装備に双剣を身につけていた。

 

「……筆頭リーダーさん、オヌシもその見立てゼヨか」

「私もあの噂には半信半疑でしたが、こうして目の前にした以上は実在を認めねばならないでしょう」

 

 筆頭リーダーと呼ばれた男は、生真面目な表情を崩さないままダレン・モーランの背で起こる異常現象を見つめていた。

 

「船長、こういった事態は既に経験があります。『魔女』という不確定要素がある分、今回はその何倍も危険な状態です」

 

「オヌシが言うなら間違いはないゼヨ。とにかく、少しでも多く人を呼ばねば!」

 

 船長は袴とは不釣り合いな拳銃を取り出すと、団長が放ったのと同じ赤い煙を空へ撃ちだした。

 

 その時、誰かがドタドタと甲板を駆けてくる音がした。

 片手剣を背負いオレンジの髪を揺らすハンターの若者が、慌てた様子で近寄った。

 

「先輩、ほんとッスか!?噂の『魔女』がモーランたちを操ってるって!」

「真偽はわからない。とにかく、お前も船員と協力して臨戦態勢を──」

「ちんたら用意してる暇なんてないッス!今すぐにでもこの撃龍船も攻撃に加わらないと、バルバレは綺麗に真っ平らッスよ!」

 

 そう慌てる彼の額にデコピンをしたのは、すぐ隣にいた褐色肌の女性ハンターであった。彼女はライトボウガンを背負い、至極落ち着いた様子でいた。

 

「姐さん!」

「落ち着きなさいよ、ルーキー君。仮にもギルド直属のハンターでしょ?」

 

 「もうルーキーじゃないッスよ」と口を尖らせた彼の額に、女性は人差し指を突きつけた。

 

「この状況だからこそ全体を見て最善の策を探し、その策がどんなものでも実行できるよう入念に準備するの。そこまで出来てやっとルーキー卒業って思わないと、ね」

 

 女性が筆頭リーダーに視線を送ると、彼は頷いた。

 

「信号は既に送った。増援が来るまでに今のうちに装備を整えろ」

 

 ルーキーは煮え切らない表情ながらも承諾し、忙しく行き交う船員の中に飛び込んでいった。

 リーダーは船長に向き直る。

 

「船長、『魔女』への対処は如何ほどに?ダレン・モーランに攻撃しているようにも見えますが」

「しかしこの状況、恐ろしいほどにあの噂と符合するゼヨ……」

 

 闇の力でモンスターを従えた『魔女』たちが、村や街ごと人々を踏み荒らす。

 既に船長たちだけでなく世界中にその噂は広まっていた。

 確かに『魔女』はダレン・モーランに攻撃を加えているように見えるが、倒せるほどの力を出していないようだし──

 あれでわざと刺激しているか、闇の力とやらを注いでいるのかもしれない。

 

 歴史上滅多にない超巨大モンスター2体の同時出現により、船長たちの疑心は頂点に達していた。

 船長は腕を組んで数秒ほど考えていたが、目を開くと手を振りかざして叫んだ。

 

「まずは小舟の威嚇射撃により『魔女』たちによる刺激行動を止める!本艦はジエン・モーランに攻撃し、少しでもあの船から遠ざけるゼヨ!」

 

「オーーッ!!」

 

 船員たちは覚悟を決めた顔で次々と小舟に乗り、発進していった。

 

──

 

「どっひぇーっ!聞いてないわよこんなの!!」

 

 ヴィーナスは慌てて瞼への攻撃を止め、光の鎖を縮めて瞼の真上の甲殻に戻ってきた。

 

「まずいわ!100メートル級のモンスターが2体もバルバレに突っ込めば、確実に被害は拡大する!」

 

「くそっ、一体どうすりゃいいってんだ!」

 

 ジュピターが頭を抱えて嘆いた。

 いくら彼女たちと言えど、この生ける山が2つもやって来てはお手上げ状態である。

 

 その時、ダレン・モーランの左側の地面で爆発が起こり、いくつもの砂飛沫が上がった。

 最初はまた別のモンスターかと身構えた彼女たちだったが、地平線に目を凝らしたマーキュリーはそれは違うと看破した。

 

「みんな!増援が来たわ!」

「やったぁ!タイミングナイス!」

 

 思わずセーラームーンが身を乗り上げる。

 見えるだけでも、3隻ほどの撃龍船がスピードを上げてこちらに追いついてきていた。

 そのどれもが側面に立派な砲門を揃え、周りには小舟の船団を引き連れている。

 

 小舟は1、2人が乗れるほどの大きさで、後方には舵を取る船員が、前方には大型の弩『バリスタ』を操る船員がいる。

 彼らはその機動力を生かし、彼女たちがいるダレン・モーランのすぐ近くまで迫ってきた。

 その勇敢な行動に、ヴィーナスは救われたような思いで胸を撫でおろした。

 

「助かったー!これで多少はマシに……」

 

 最も先行していた小舟のバリスタから、人の背ほどはある巨大な矢が放たれた。

 第一撃が、安堵しきっていたセーラー戦士たち目掛けて飛ぶ。

 

「えっ!?」

 

 跳びあがった直後、矢はセーラームーンがいた場所の甲殻に突き刺さった。

 

「ひえーっ!!」

 

 光る矢じりを見たムーンはその場で腰を抜かし、足をばたつかせながら後ずさった。

 小舟の船団が一斉に矢を飛ばす。その攻撃に、彼女たちへの配慮などひとかけらもない。

 弾幕のように張り巡らされた矢が、甲殻に次々に突き刺さっていく。

 

「なんであたしたちにまで攻撃してきてんのよ、下手くそー!」

 

 矢の速度は彼女たちならかわすには十分なほど遅いが、これでは技を撃つ暇もない。

 マーズが眉を吊り上げ睨もうとしたが、すぐにその表情は冷めた。

 1人の──いや、あらゆる船団の男たちが、恐怖に顔を引きつらせていたのだ。

 

「みんな見事にあの噂を信じちまってんだよ」

 

 ジュピターが、悔しげに変身スティックを取り出した。

 

「こうなったらいっそ正体を明かして敵意がないって……いや、ダメだね」 

 

 たとえ正体を明かしても、結局彼らに自分は変身できる人間だとアピールするだけだろう。

 むしろ状況が悪化する未来しか見えない。

 

「もう一匹の方が近づいてきたわよ!」

 

 ヴィーナスが叫んだ。

 船を挟んで右側後方にいたジエン・モーランが速度を上げてこちらに追いついてくる。

 すると、その向こう側で並走していた船から緑の煙が高く上がった。

 その途端、バリスタの雨が止む。

 

「どしたの?ビビっちゃった?」

「多分、あたしたちに対してではないわ」

 

 甲殻の隙間に潜り込み、顔だけ出して訝しく思ったムーンにマーキュリーが答える。 

 

「挟み撃ちにされた彼らが互いに近づいたら、団長さんたちが乗ってる船がどうなるか分からないでしょう?」

 

 今や団長の船は、ダレン・モーランとジエン・モーランに至近距離で挟まれている。

 兵器を構える船員たちもその危険性をよく知っているのか、撃ちたい気持ちを堪えているような面持ちだった。

 

「でもどんどんバルバレに近づいてる、早くしないと!」

 

 マーズが指さした先、地平線上にちらほらと飛行船やら見張りのやぐらやらが見える。

 どうしようもない状況に、ムーンは半泣きで涙ぐむ。

 

「じゃーどうすりゃいいってんのよ!」

「それを今から考えるのよ!あんたもちっとはろくに使ってない脳味噌働かせなさい!」

「えっ、ちょっと今馬鹿にした!?今のは流石に聞き捨てならないわよマーズちゃーん!?」

 

 ムーンがむっとしてマーズに額をぶつけ擦り付ける。

 

「んなこと今はどーでもいいでしょうが馬鹿うさぎっ!!」

 

 それに答えるようにマーズも額を押し付け火花を散らす。

 

「ああもうっ、こんなところで喧嘩なんてしてる場合じゃないのに!!」

「どーりで人類が平和にならないわけね……」

 

 ジュピターが頭を抱えヴィーナスがため息をつく一方、マーキュリーは2人が頭をぶつけ合う様子を見つめていた。

 

「喧嘩……そうだわ!ありがとう2人とも!」

 

 唐突に彼女の口から出た言葉に、ムーンとマーズは共に頬を押し付け合いながら振り向いた。

 

「……んえ?」

 

──

 

「うわーっ!来るな来るなーっ!!」

 

 アルテミスが半べそをかきながら、大砲にルナと2匹がかりで弾を込める。

 大砲は火を噴き、右舷側のジエン・モーランに着弾する。

 だが、相手が怯む様子はない。むしろ船に目掛けて時節体当たりをかましてくる始末である。

 衛は団長に指示され、ちびうさを船内部への入り口近くで護っていた。

 応戦しているのは、団長と猫2匹のみである。

 

「とにかくこいつらをこの船にもバルバレにも近づけるな!少しでも時間稼ぎをしろ!」

 

 団長は大砲の弾を軽々と持ち上げ大砲の筒の中へと放り込む。

 そして、左舷側のダレン・モーランへと砲撃を叩き込む。

 ひたすらその繰り返しであった。

 

「くそっ、流石に両舷を分散して担当は無理があったか!」

 

 彼は、すぐ後ろにある巨大な円状の銅鑼を振り返って見上げた。

 銅鑼を叩く槌が備え付けてあり、その下にはスイッチとそれを押すためのツルハシが用意されている。

 

「右の船団が行動できない以上、あれを使いたいところだが……この状況だとタイミングをよく考えなけりゃな!」

 

 ふと、砲撃の煙のなかから1人の人影が高く飛び上がった。

 彼が『魔女』と目する人物は、逆光のなか両方の掌を合わせた。

 唖然と見上げていると、彼女は手の中に眩い光を発した。

 

「『シャボン・スプレー』!!」

 

 泡のようなものが船上を瞬く間に包み込み、霧が視界を支配した。

 一寸先は何も見えず、聞くこともできない。

 

「な、なんだこりゃ!?」

 

 パニックになりかけた団長が、必死に叫ぶ。

 

「旦那、お嬢ちゃん、猫太郎たちよ聞こえるか、おい、おーい!」

 

 団長が旅人を呼ぶが、返事はない。

 そうした状況が1分ほど続いただろうか。

 叫び続けていたところ、やっと霧が晴れてくる。

 団長は衛たちが変わらずすぐそこにいたことにやっと気づいた。

 

「無事だったか!?何かされなかったか!?」

「ええ、どうにか!」

 

 それを聞き、団長はやっと安心した。

 だが、衛の表情はまだ何か言いたげだった。

 衛はちびうさと視線を合わせ、それから団長へ視線を戻した。

 

「実はあの霧の中である作戦を思いついたんですが、聞いてくれますか!?」

 

──

 

 船の右舷のジエン・モーランを包囲する10隻ほどの小舟船団は、背びれの上に5人の少女の姿を見た。

 

「おい、『魔女』たちがいるぞ!」

 

 1人の男が指さして叫んだ。

 

「あいつら、左舷側でダレン・モーランを操ってたんじゃないのか!?」

「今度は一体何をしやがるつもりだ!」

「あの小娘ども、ジエン・モーランの頭の上を走ってるぞ!」

 

 わざと見せびらかすように彼女たちは跳びまわり、一斉に攻撃をジエン・モーランの頭部に浴びせかける。

 

「うおおおおっ!!」

 

 目の前で色とりどりの爆発が一斉に起こり、男たちの間で悲鳴に近い叫び声が上がった。

 傷らしい傷はつかなかったが、嫌がるようにジエン・モーランが唸りながら身じろぎする。

 それを見た船員たちは、ぞっとして表情を引きつらせた。

 

「畜生、こちとら犠牲出さねえように気ぃ使ってんのに舐めくさりやがってーっ!」

 

 1人の船員が堰を切ったようにバリスタを放ち始めると感情が波紋のように伝播し、次々に攻撃が始まる。

 それを本艦の甲板から見ていたルーキーは、拳をぎゅっと握りしめた。

 

「あちらが動きを見せた以上、俺たちも加勢するッスよ!もう魔女たちの好きにはさせないッス!!」

 

 拳を振り上げたルーキーに、船員たちも追随した。

 

「そうだそうだ!」

 

「筆頭ハンターさんが言うなら間違いねえ!」

 

 ルーキーが先頭を切り、既に弾を込めた大砲を容赦なくジエン・モーランに撃ち込んでいく。

 それを見て慌てたのは、先ほど攻撃中止の合図を出したばかりの船長であった。

 

「みんな、見え見えの挑発に乗るなゼヨ!今砲撃したら、向こうの船が危険だゼヨーー!!」

 

 船長は力の限り叫ぶが、魔女を止めようと熱狂した船員たちは聞く耳を持たない。

 だが、その中で女性ガンナーとリーダーだけが冷静にこの状況を俯瞰して見ていた。

 

「……一体彼女たちは何を考えている?」

 

──

 

「旦那、それでその計画は上手くいく確証はあるのかい!?」

 

 団長はしゃがんでツルハシを取り出し、ちびうさと猫2匹に渡す。

 幼い少女にはまだそれは持つには重く、ルナとアルテミスが協力してやっと振り下ろせるかというところだった。

 

「もう俺たちに残された道はこれくらいしかありません」

 

 船首近くに設置された意味ありげなスイッチへ上がっていった衛は、団長に振り返った。

 

「やはり貴方から見れば、俺たちがやろうとしてることは無謀に見えますか?」

「いや、実は俺も賭けは嫌いではないタチでね。正直うずうずしてる」

 

 にやりとした団長に対し、衛もふっと笑い返す。

 団長は立ち上がると、左右に並び立った山の間にある太陽を帽子の下から見やった。

 

「いっちょ賭けてみようじゃないか、その『モーラン大喧嘩作戦』とやらに!!」

 

 ジエン・モーランは右側から来る矢と砲撃の嵐にまみれていた。

 だが、このモンスターにとっては人の必死の抵抗もかすり傷にしかならない。

 生物は、小五月蝿い音と鬱陶しい衝撃から逃れるために左に寄ろうとした。

 

 だが、その先には自分より少し小さいが邪魔なものがある。

 しかも、それもこちらに向かってチクチクと嫌な衝撃を与えてくる。

 

 あちらがどかないならば、こちらからどかす他ない。

 ジエン・モーランは一対の牙を、その障害物へと差し向けた。

 

「予想通りだな!」

 

 衛が言うには、右側の船団はもうすぐモーランたちをバルバレから進路をずらそうと総攻撃を加える。

 ジエン・モーランはそこから逃れるため、この船を破壊してでも左側に寄ろうとするだろう。

 その一瞬が、作戦の肝である。

 ジエン・モーランは、突如後退した。

 槍のような牙が正面から外れ、左にあるこちらの船へと傾く。

 

「ひーっ来たーっ!」

 

「ビビってんじゃないわよアルテミス!」

 

「行くわよ、とおりゃーっ!!」

 

 それを見たちびうさはルナ、アルテミスと一緒にツルハシを持って振りかざす。

 足もとにある装置のスイッチが入った。

 連動して槌が大銅鑼を叩き、響く大轟音。

 すぐ左側のダレン・モーランは驚いて仰け反り、動きを止めた。

 それを見た団長は、宙釣りの錨を船上に留めるロープを断ち切り。

 

「減速ーー!!」

 

 錨が左側の地面に落ち、船は左側に回頭しながら一気にスピードを落とす。

 ジエン・モーランはそのままの勢いで真っ直ぐ突っ込んでくる。

 天然の槍が、船の右側を削り取りながら通り過ぎる。

 船はジエン・モーランの軌道から左にそれ、代わりにそこに──

 先ほど怯んだばかりのダレン・モーランがいた。

 

 ジエン・モーランの牙が、ダレン・モーランの腹に直撃する。

 ドオッと岩が砕けたような轟音が鳴った。

 初めて、生ける山が苦痛の声を上げた。

 

 ジエン・モーランがぶつかった衝撃で、2体が描く軌道は左に偏った。

 すぐ後ろに取り残された団長の船は、モーランたちによる包囲網からやっと開放された。

 今や右側にはさっきまでジエン・モーランに隠れていた船団が見え、左には揉み合うモンスターたちの姿がある。

 モーランたちはパニックになったのか、一時的に動きが遅くなっていた。

 

「ようしっ!」

 

 団長は錨を切り離して帆を整え、船を前進させる。

 

「旦那、今だっ!」

 

 団長はちびうさからツルハシを受け取り、それをぶん投げた。

 船首近くにいた衛は、パシッと柄を掴み取る。

 船の穂先は、ジエン・モーランの右腹へ迫っている。

 衛はツルハシを振り上げた。

 

「発射っ!!」

 

 ツルハシの先がスイッチを押し込み、火花が出た。

 船首から飛び出す、螺旋状の槍。

 その名も最終兵器『撃龍槍』。

 

 それがジエン・モーランの脇腹に命中し、渦を描いてめり込む。

 苦しんだジエン・モーランがダレン・モーランを更に左へと押しのける。

 先ほどの船団が、全速力で右側のジエン・モーランを追いかけ砲撃を加えていく。

 信号を見た他の船団も駆け付け、次々と加勢する。

 

 その後の展開は早かった。

 集中的に攻撃を受けたジエン・モーランは、ダレン・モーランをどかそうと身体をぶつけた。

 ダレン・モーランもそれに押されるように、左へと大きく身体を傾ける。

 2体の進路変更は決定的になり、彼らは見事にバルバレの左方の砂漠へと駆け抜けていった。

 その状況を目の前にした団長は、力が抜けてその場に仰向けで突っ伏した。

 

「……大成功だ……」

 

 一方の衛とちびうさも、その場に崩れ落ちていた。

 

「みんな、大丈夫!?」

 

 その声とこちらを上から覗き込んだ顔に、団長ははっと目を見開いた。

 あの5人の少女たちが、姿を現したのだ。

 

「お嬢ちゃんたち、無事だったか!」

 

 それを聞き、あとのメンバーも5人の元に嬉々として集まった。

 美奈子が、団長に苦い顔をして答えてみせる。

 

「何とか後ろのロープを伝って登ってきたのよ!砂が口ん中入ってそりゃー大変!」

 

 勿論、嘘である。

 セーラー戦士たちは砲撃の雨をかいくぐり、こっそりと団長の船のすぐ後ろにたどり着いたのである。

 一方、うさぎは団長から少し離れて衛とちびうさに耳打ちした。

 

「ありがと、まもちゃん、ちびうさ」

 

 衛は微笑し、ちびうさは得意げに鼻を指で擦った。

 バルバレは最初から騒ぎなどなかったかのように、青空の下一隻の船を出迎えた。

 




おなじみのゼヨさんがいますがしばらく再登場はなしです。


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太陽のもと、集う③

「いやぁしかし、今回の災難を聞いたらうちのハンターもさぞかし驚くだろうなぁ!」

 

 そう笑いながら歩く団長の後に少女たちがついていく。

 

 黄金色に輝く地面。

 原色色とりどりの三角旗に区切られた、青い空。

 太陽の集落バルバレに、大仰な城や要塞はない。

 一番目立つ、頭に竜を戴いた巨大船──ハンターたちが集う『集会所』──が移動するのと同時に周りのキャラバンも動くため、何かと手間がかかる建築物は必要ないのだ。

 代わりに、砂に咲いた花畑のようにテントが地面を埋め尽くしている。

 

 よりにもよって商人が集まるところに先ほどの騒ぎで、路端には骨董品やら食品やらが散らかっている。

 それを拾い直す人々の動きは、この状況に手慣れたようにてきぱきとしていた。

 

「これで旦那があの時のように下着一枚だったら完璧だったんだがなあ、はっはっは!」

 

 団長の後ろについていく衛は、答えに困ったように苦笑いを浮かべている。

 周りの少女たちは、勝手にその姿を思い浮かべ顔を赤くしていた。

 

「きゃーやだもう団長さん、そんな姿想像させないでよまったくぅー!」

 

 赤くなった頬に両手を添え恥ずかし気に首を振るうさぎだったが、そこであることに気づいた。

 

「ねえ、もしかしてだけどさっき言ってた、パンツ一丁のハンターって……」

 

「お、気づいたか!」

 

 彼女が指さすと、団長がふふんと得意げに振り返って指を差し返した。

 

「そう、その名も我らが優秀な『まつ毛のハンター』のことだっ!!」

 

 その頭に被った帽子に、背後から分厚い辞書が直撃する。

 

「団長さん、そのことはなるべく口外するなってあの人に言われてたんじゃないですか?」

 

「あっ、こりゃしまった」

 

 団長が潰れた帽子を直しながら、背後から飛んできた声へと振り返った。

 その正体である女性は緑の羽根飾りつきの帽子を被り、白のショートパンツに橙のブラウス、その上に緑のコートを羽織っている。

 彼女は眼鏡を片手で持ち上げながら、やれやれという風にため息をつく。

 

「いやぁ、でもあいつを語るには欠かせないところだと思うんだがなあ……」

 

「今度バレたらまたぶん投げられますよ。そろそろ団長さんの頭蓋骨が心配です」

 

 うさぎたちは、緊張した面持ちで1か所に固まっていた。

 

「ず……頭蓋骨って言った?」

 

「言った言った」

 

「あのでっかい図体で頭から投げられてんの?」

 

「あたしたちホントにここ来てよかった?」

 

 少女たちがひそひそと話し合っているところに、女性がにょきっと顔を出した。

 

「みなさん、ここは安定した信頼と実績がウリの『我らの団』!安心なさって大丈夫ですよ!」

 

「……今の情報からすると全然大丈夫じゃなさそうなんだけど」

 

 そう言ったレイの脳内には、パンイチのムキムキゴリラが事切れた団長の首根っこをつかみ、雄々しくドラミングする姿があった。

 

「さ、道の真ん中じゃいろいろお邪魔ですから話の続きはどうぞこちらへ」

 

 女性は背を向け、道の右側にある緑色のテントに向かって歩いていく。

 正面には羽根をつけた太陽をあしらった木製ボードが置いてあり、黄緑の日傘が差してある。

 陰にある机上には、先ほどの辞書のように分厚い本ばかりが積まれていた。

 近くにある椅子に、彼女は腰を下ろした。

 

「えへん、じゃあ仕切り直して紹介といこうか!」

 

 団長が咳払いすると、誇らしげに女性に向かって手をさっと広げる。

 

「うちの看板娘『ソフィア』!ここのギルドから依頼を斡旋して、ハンターに紹介してくれる我らが優秀なる受付嬢だ!」

 

 女性は改めて笑顔で深くお辞儀をし、うさぎたちもそれに答えた。

 その知的で落ち着いた雰囲気に、少女たちの表情も少し緩む。

 彼女は握手を求めて手を差し出した。少女たちは、自己紹介しながらそれに応じていく。

 

「伝書鳩で一通りの事情は知っています。『霧』と『魔女』について情報を集めているんでしたよね?」

 

「ええ、ここでうちらと同じことを調べてる『すんごい人たち』に取り次いでくれるって話ですけど……」

 

 まことが辺りを見渡すが、まだ件の人物は来ていないようだった。

 

「はい、もうすぐその方たちが来るので、それまでここで──」

 

 その時、一際強い風が横から吹いた。

 

「あっ……」

 

 ソフィアの手元にあった、びっしりと文字や挿絵らしきものが書かれた紙が乱れ飛ぶ。

 彼女も、少女たちも、その様子をぽかんとしたまま見つめていた。

 

「あら、大変だわ!取りに行かないと……」

 

 亜美が気を取り直して言ったが、ソフィアはうつむいたままだ。

 

「わ……私の……」

 

 彼女の様子がおかしいことに、うさぎたちも気が付き始める。

 

 

「私の『超☆メモ帳(第5版)』がああああああっっ!!」

 

 

 ソフィアの顔が、鼻水と涙で渋滞を作っていた。

 そのまま膝から崩れ落ち、絶叫。

 

「あ゛あ゛ーーーー!!!!私の人生おしまいですうーーーー!!!!」

 

 彼女は絶望感溢れる顔を抱え、地面に何度も激しく叩きつける。

 

「えっ、そこまでいっちゃうの!?」

 

 その取り乱しようを見て困惑するうさぎ。

 団長は苦々しい顔で空を舞っていく紙を眺めていた。

 

「あっちゃー、やっちまったか!」

 

 レイが、夥しい負のオーラを放つソフィアを介抱しながら団長に叫んだ。

 

「彼女、一体どうしたのよ!」

 

「お嬢はモンスターが好きでなあ。その生態をメモ帳に纏めるのにここ何か月も情熱をかけてたんだが、あんなに吹き飛ぶと果たして全部帰って来るか……」

 

 ソフィアは、ぐちゃぐちゃに濡らした顔でレイの肩を掴む。

 

「あの……あのなかにはぁ……私の愛と血と涙と汗のぶえええええ!!結晶がびえああああああ!!」

 

「ひっ!」

 

「とにかく、人込みだろうと砂だろうとかき分けて探してください!!私も探しますからああああ!!」

 

 レイはソフィアの先ほどとは真反対の懇願のしように、目端を引く付かせた。

 

「す、すぐ行く、すぐ行くから肩から手を離しなさいよ!!」

 

 かくして、セーラー戦士の少女たちはドン引きしつつ、バルバレ中で『超☆メモ帳』の回収に漕ぎ出すこととなった。

 

──

 

 全員で手分けしてのメモ帳の回収は、思っていたよりは楽な作業だった。

 実際はどのメモもそれほど遠く飛んでは行かず、拾った人々はソフィアの人となりを知っているのか笑いながら返してくれた。

 そうしてことは順調に進み、百枚を超えるメモもすべて集まろうとしていた時だった。

 

 亜美は人込みのなか、宙をひらひらと舞うものを見つけた。

 最後の一枚の紙切れが、あわただしく行き交う人々の波の中に吸い込まれていく。

 せっかくの彼女の力作が踏み荒らされるかもしれない。

 そうなる前に、亜美はちょうど紙の近くにいたオレンジの髪の若者に声をかけた。

 

「すみません、そこのお兄さん!その紙取ってくれませんか!?」

 

「おっ、いいッスよー」

 

 気のよさそうな声が聞こえ、彼はひょいとその地面に落ちかけた紙を掴み取った。

 亜美はそこに駆け付け頭を下げる。

 

「ありがとうございます!あたし、その紙を探してて……」

 

 紙の内容を見た男の口から、「あれっ」と声が聞こえた。

 

「ねえキミ、もしかしてこのメモってソフィアちゃんの?」

 

「受付嬢さんのこと、御存じなんですか?」

 

 そう聞かれた男は、にっと屈託のない笑顔を見せた。

 

「ええ、古くからの付き合いッスよ!ちょうど俺も用事あってそっちに向かってたとこなんで、一緒に行きましょうッス!」

 

「あら、そうだったんですね。それなら向かいましょうか」

 

 亜美は男に向かって流し目でくすりと笑い、先を歩いた。

 それを見た彼の脚が、一瞬止まる。

 

「……どうしました?」

 

 彼女が振り向いたところで、男はやっと自分が置かれた状態に気づいたようだった。

 

「い、いや、なんでもないッス!ささ、早く行ってくださいッス!」

 

 わたわたとする彼に、亜美は首を傾げた。

 何はともあれ、彼女は彼をソフィアの元へ導くことにした。

 

──

 

「あーーもう、ここまで来てやることが紙拾いだなんて、人生って上手く行かないもんだね!」

 

 まことは小言を言いながら、メモの束を抱え走っていた。

 そこに、不意に露店の陰から2つの人影が現れた。

 

「す、ストップストップーー!!」

 

 哀しくも制動は効かず、彼女の顔面は先頭にいた男の胸に直撃した。

 派手に尻をついてすっころび、周りの注意を引いてしまった。

 

「いったたた……」

 

 顔と尻、両方をさすっていたところに、声がかかる。

 

「君、大丈夫か!?しっかりと立てるか?」

 

 まことは腰についた砂を払いながら、差し伸べられた手をつかむ。

 

「すっ、すみません……!」

 

 まことはちらつく視界を瞬かせ、はっきりとさせた。

 そしてその手の先にある顔が分かった時、彼女ははっとして呼吸も忘れてしまった。

 

 きりっとした眉に鋭い目尻、そして高い鼻。後ろには銀髪がたなびいている。

 陽光を反射し輝く紺碧の鎧の後ろには、2本の細剣が担がれている。

 いかにも堅物の印象を与えるその男から、まことは目が離せなかった。

 

「その姿……君もハンターか」

 

「あ……はい……」

 

 息を吐くのとほぼ一体化したような、か細い声だった。

 まことの時間は、口以外ほぼ止まっていた。

 表情もふわふわと酔っているようで、完全に自分の世界に入り浸りになっていた。

 

 いつまでも立とうとしない彼女に、男は厳しく眉を顰める。

 

「お嬢さん、もしここが狩場なら今頃君は武器を構えていなくてはならない。勿論ここでそれをしてはならんがな」

 

 男は、まことの背負う槌『大骨塊』を指さした。

 

「ハンターに必要なのは、如何なる事態が起ころうと切り替えられる柔軟性だ。しかと胸に焼き付けてくれたまえ」

 

 彼はまことを立たせ、真剣な表情で指摘する。

 

「……はい、わかりました……」

 

 まことは分かっているのかいないのか、相変わらずのぼせたような表情で頷いた。

 

「リーダー。この子、いきなり説教されて戸惑ってるわよ」

 

 突然の女性の声に、一瞬でまことは現実に引き戻された。

 声の正体は、ライトボウガンを背負った褐色肌の若い女性だった。

 白を基調とした装備に身を包み、黒髪の後ろはまことと同じポニーテールに結んでいる。

 

「ごめんね。うちのリーダー、ひどく心配性でね。別に貴女に嫌がらせしたいとかじゃないから、あまり気にしないで」

 

 ミステリアスな雰囲気のあるその女性は、微笑んで優しくまことの肩を叩いた。

 

「……突然の無礼、すまなかった。だが、次からこうした人通りの多い場所では周りをよく見ることを推奨する」

 

 女性の言葉を受けてか、男の表情は少し和らいだ。

 

「では、我々も向かうところがあるのでここで失礼する」

 

 男は一礼して詫び、女性とともに雑踏の中へ消えていった。

 まことは、立ち竦んだままその背中を見つめ続ける。

 

「……まさか、こんな出会いに巡り合うなんて」

 

 彼女は何束にもなったメモ帳を胸の中で抱きしめた。

 それがきつすぎたがあまり、少しだけ紙に皺が寄った。

 




今回からこの章の方向性みたいなのは伝わるかと思います(笑)あまりに1章と違い過ぎて今まで読んできた人にとってはあれかもしれないけどずっとしみったれたのは自分が鬱々になってくるので……。
ていうかモンハン側のキャラこういう書き方であってるかな?これからも解釈違いでしたらごめんなさい。


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太陽のもと、集う④

 

「亜美ちゃんとまこちゃん、まだみたいね」

 

 レイが、額を伝って落ちてきた汗を拭った。

 

 『我らの団』の緑のテント前。

 クエストの依頼書を張り出す太陽型のボードにもたれ、少女たちは待ちぼうけを喰らっている。

 雲がない分日差しはきつく、砂漠に近い地域ともなればその暑さは尋常ではない。

 受付嬢ソフィアの日傘の下は安全地帯だったが、数分前彼女たちの間で熾烈な縄張り争いが繰り広げられたため、現在は交代制でその下に入る権利を得る。

 今、うさぎとちびうさがソフィアの足元で涼んでいる真っ最中である。

 

「ったくどこで油売ってんのかしら~?もうかれこれ30分くらい経ってるわよ?」

 

 美奈子は、いらいらした様子で水筒の最後の一滴を飲み干した。

 

「もしかして、バッタリ運命の出会いとかしちゃってたりして!?ひゅーひゅー!」

 

 うさぎが妄想を膨らませ、脚をばたつかせる。

 その横で、ちびうさがルナを肩に乗せ水筒入りのジュースを啜っていた。

 彼女はじとっとした目つきで、うさぎを捉える。

 

「……うさぎ、あんた中3よね?」

 

「ん、そだけど?」

 

「じゃあ、少しは分かるわよね?あたしたちがここでそんなことにかまけてる場合じゃないってことくらい。ねー、ルナ」

 

「ね、うさぎちゃんの色ボケなとこ、いつになったら成長するのかしらねえ~」

 

 顔を見合わせた二人は次は一緒にうさぎを哀れみの目で見、呟く。

 

「「……()()()()()()()()……」」

 

 たちまち、うさぎは怒りと羞恥で顔を赤くした。

 

「今は学校通ってないからいいのよっ!!モラトリアムッ!!」

 

 彼女の無茶苦茶な理屈を苦笑いしながら見守っていた衛は、眼前の雑踏の中、見覚えのある人影を見つけた。

 

「お、ほら見ろ、亜美ちゃんが戻って来たぞ。まこちゃんも一緒だ……」

 

「ええ!?ちょっと今そんなところじゃ……」

 

 ちびうさと掴み合っていたうさぎは、衛と一緒に言葉を失った。

 

「あー、いつ帰ってくんだか……」

 

 一方、美奈子とレイはそれに気づかず炎天下の中、手をうちわにして顔を扇いでいた。

 

「あれ、なんかうさぎちゃんたち馬鹿でっかーく口開けてるけど何してんの?」

 

 美奈子は、彼女らが喧嘩の態勢のまま動きが完全停止しているのを怪訝そうに見つめた。

 うさぎたちは、口を開けたまま激しく美奈子たちの後方を人差し指で示している。

 レイも、その行為の意図を量りかねた。

 

「なによ、そんな面白いものでも……」

 

 亜美とまことの後ろに、若いオレンジ髪の男がいた。

 骨か甲殻でできた軽そうな防具を身につけ、当然のように2人のすぐ近くで歩いていた。

 男は楽しげに身振り手振りを交えて話し、2人はそれに同調したり驚いたりして会話を楽しんでいる。

 

 

 そのまま、三人はうさぎたちの前を目も暮れず通り過ぎていく。

 

 

「…………ナンパーーーーー!?!?」

 

 

 美奈子の大きな金切り声で、周囲の視線が彼女に集まった。

 

「まこちゃんはともかく奥手な亜美ちゃんまで……!親友として見過ごせないわっ!!奴は女の敵よ!!」

 

「それ、結構まこちゃんにしつれ……って美奈子ちゃん!?」

 

 レイの制止も無視し、美奈子は怒り肩で拳を握ったまま突撃する。

 

「ちと待ちなさいそこのぉっ!!」

 

「えっ……俺?」

 

 鼻息荒くしてずかずか歩いてくる金髪の少女に、男はきょとんとしていた。

 亜美も、その存在に気づいた。

 

「あら、美奈子ちゃ……」

 

 スパァンッ、と音が鳴った。

 目にもとまらぬ平手打ち。

 男の小柄な身体の姿勢が、難なく崩れる。

 

 続いて強烈なローキック。

 男の身体が打ちあがり、地面と平行に急速回転。

 そして落下。

 

「どぅわはっっ!!」

 

 断末魔の後、気絶。

 

 

「え、どういうこと?」

 

 

 気を失い白くなった男の横で、まことと亜美は一部始終の傍観者として立ち尽くすほかなかった。

 

 

──

 

 

「すんません!ほんっとーにすんませんっすんませんっ!!」

 

 

 レイに背中をどつかれた美奈子は、涙目で何度も頭を下げていた。

 それに負けじと言わんばかりに、男も土下座して頭を地面に擦り付ける。

 

「いやいやいや、こちらこそ誤解させて申し訳ないッス!!ほんと、やましい気分なんて1ミリも無かったっス!!」

 

「あたしたちも、話に熱中しすぎて通り過ぎたのに気付かなかったわ……」

 

 両者の様子を同情の目で見ていた亜美が言った。

 一方ソフィアはそんな様子はなく、少しこの状況を楽しんでいるような雰囲気さえあった。

 

「あらあら、ナンパと間違われてのご登場なんてインパクト最強ですね」

 

「よっ、ルーキーさん。新大陸に行って以来か?ほら顔上げな」

 

 団長がしゃがんで肩に手を置くと、彼はばっと顔を上げ表情を明るくした。

 

「あ、ソフィアちゃん、団長さん、お久しぶりッス!」

 

「『お久しぶりッス』……?この人、知り合いなの?」

 

「ああ。この人、筆頭ハンターっていう集団の1人なんだって。他の人ももうすぐここに来るって話だよ」

 

 うさぎが首を傾げたのに、まことが答えた。

 

「ひっとー?何それ?」

 

 だが、ちびうさも併せて2人は一緒に疑問符を大きくするばかりだった。

 

「筆頭ハンター、それははしょって言えばどっひゃ~なハンターさんですよ」

 

 横からソフィアが補足を入れると、うさぎとちびうさは「なるほど」と深く頷き納得した。

 

「はしょりすぎよ。もうちょっと説明お願いできない?」

 

 レイは流石に納得できず、更に詳細を求めた。

 

「厳密には、一般に公開されないギルドの特殊任務を請け負ってる感じッスね。この人たちとは、5年くらい前にいろいろと縁があるんス」

 

 ルーキーが左頬をさすりながら立ち上がり、もう片手で亜美を示した。

 

「ちょうどそこの子がソフィアちゃんのメモ帳を拾ってるのに出くわして、一緒に帰ってたら途中でもう1人の子に会ったんスよ」

 

「亜美ちゃんにしては時間にルーズと思ってたら、こういうことだったのね」

 

 そう言った美奈子も一方で、赤くなった背中を苦い顔でさすっていた。

 

「あれ、そういえばまこちゃんは何してたの?」

 

 話が振られた瞬間、まことは首が折れそうな勢いで後ろに顔を向けた。

 

「えっ、あっ、えっと~……別に何にもこれといって……」

 

「……怪しい……」

 

 周りから視線を感じた彼女は、赤くなりながら誤魔化そうと懸命に口走る。

 

「ほ、ほら、みんな集まったことだしさ、そろそろ本題に入らないか!?」

 

「言われてみればそうね」

 

 レイがそう言って、まことはやっと胸を撫でおろした。

 

「そうですね、まずお伝えしておくと……みなさんが情報を集めてる『霧』。ギルドでは、ある一頭のモンスターが原因ではないかと推測がされています」

 

 虚を突かれたのは、他でもないうさぎたちだった。

 

「え、『魔女』が自分で生み出してるんじゃないの?」

 

 うさぎが首を傾げる。

 

 本当の『魔女』たるウィッチーズ5幹部ユージアルは、ライゼクスを『ダイモーンの卵』を植え付けることで操作していた。

 それはかつてうさぎたちの世界で、彼女たちが敵を生み出す際の常套手段であった。

 マッカォたちを操った『霧』もまた、彼女たちの道具であるはずだったのだ。

 

「でもそうじゃないってことはつまり……前も似たようなことがあったってことかしら?」

 

「亜美さん、話が早くて助かります」

 

 ソフィアは、眼鏡をくいっと上げた。

 

「かつてこの地域一帯で『狂竜症』という病が流行したことがありました」

 

「狂竜症?」

 

 聞きなれない言葉に、少女たちは反応する。

 

「実際に見た方がわかりやすいですね」

 

 ソフィアは、本の中から何枚か写真を取り出した。

 それを見た直後、驚きの声が上がった。

 

「なによ、これ……」

 

 そこに映っていたのは、目が赤く染まり、紫の息を吐く生物たちの姿だった。

 ある一枚は、イャンクックとゲリョスがピントがブレてしまうほど激しく揉み合っている。

 またある一枚はランポスの群れが互いに首に噛みつき傷つけあっている。

 離れた物陰から撮ったためかやや映りが小さいものの、そのいずれもが必ず何かしらの形で争っていた。

 

 

 そしてそのモンスターたちの姿は、彼女たちが見た『霧』に侵された生物と瓜二つだった。

 

 

「彼が生み出す黒い霧状の鱗粉を吸った生物はこの通り凶暴化、周りの生物を無差別攻撃して感染を広げます。その連鎖の末、そこの生態系や付近の集落を崩壊させてしまうんです」

 

 思わず、亜美が手で口を抑える。

 

「現地の被害状況は……凄まじいものでした」

 

 ソフィアは、写真を本にしまいながらじっと目を閉じた。

 

「ですが……そこに砂風とともに颯爽と現る一つの影が!」

 

 かっと見開かれるソフィアの目。

 待っていたとばかりに団長が帽子をくいっと上げる。

 

「そう、それこそが……優秀なる『我らの団』ハンター!!下着一枚で現れた奴は、強大なモンスターたちをばったばったと薙ぎ倒し!!」

 

「あっ、ちなみに俺も頑張ったッスよ!ドジっちゃったけど!」

 

 筆頭ルーキーが自身を指さし茶々を入れる。

 

 

「そして彼は見つけ出したのです!厄災の元凶を!!」

 

 

 ソフィアは一枚のメモをリングメモから取り外し、誇らしげに見せてきた。

 

「おー、これが!」

 

「すっごく怖いわね!こんなの相手にしたくないわ!」

 

 うさぎとちびうさはともに純粋に感心するが、後ろの衛は半信半疑な表情で見ている。

 

「……中々変わってるなこいつ……」

 

 小さな四本脚が生えた箱のような胴体の横から、その10倍は誇張された巨大な腕がにょきっと生えている。

 その間に丸っこいタッチで描かれた目のない頭が、ギザギザの口を半開きにしている。

 

「さっき集めてたときもちょっと思ったけどさあ……」

 

「すごく、独創的なデザイン、よね……ええ、すごく個性的」

 

 まことのもの言いたげな雰囲気を見て、亜美が慌ててポジティブに言葉を継ぐ。

 

「ありがとうございます!この子、今だから言えますけど独特の魅力があるんです!なんたってミステリアスな顔とこの逞しいおててのギャップが……♡」

 

 掌を顔に当てポッと頬を赤らめるソフィアに、美奈子は喉元まで出かかった言葉を抑えつけるようにはにかんでいた。

 

「うん、いろいろツッコミたいけどあまりに瞳がキラキラしてるから言えない!」

 

「ほ、ほら、こいつの名前なんて言うのよ!?」

 

 レイが話を無理やり本題に戻し、文字を指で辿る。

 すると、左上に大きな文字が目立つように書いてあった。

 美奈子の肩からアルテミスが顔を出し、その名を口にする。

 

「『ゴア・マガラ』……か」

 

「ふーん、調味料みたいな名前ね」

 

「……こんなとこにまでボケ挟まなくていいから」

 

 隣の主の神妙な顔での呟きに、アルテミスはげんなりした表情で肩を落とした。

 

「『霧』の性質は前回とは違うみたいだが、かなりの共通点もある……というわけで今、真実を突き止めようとこいつの人気が急上昇ってわけだ」

 

 団長が、ゴア・マガラの絵をトン、トンと指の背で叩いて示した。

 

「あたしたちも、是非ともマークしておくべきね!」

 

 ルナの言葉に、少女たちが頷く。

 そこに筆頭ルーキーが、ぴんと指を立てた。

 

「けど、これからギルドはゴア・マガラと同時にもう一つのものも追うと思うッス」

 

「それって、多分『魔女』のことよね?」

 

 答えを述べたレイに、ルーキーは立てていた指をそのまま差し向けた。

 

「そ!俺も今日まで噂だけの存在って思ってたくらいだけど、あんなの見ちまったら流石に信じるしかないよな。まあ中には集団幻覚って言うやつもいるけど」

 

 頭をぽりぽりと掻きながら、ルーキーは苦笑いを浮かべた。

 

「あ……貴方も見てたんですね、さっきの事件」

 

 亜美が言うと、不意にルーキーは真剣な表情になった。

 

「あの天災級のモーラン種を操るうえに、人の身で飛竜に匹敵する規模のブレスを放つなんて……にわかに信じられないのも無理ないッス」

 

 その声色も、さっきまでの軽々しさはすっかり抜けていた。

 

「あんなヤバい奴らがこれ以上暴れるのは、絶対に野放しにしちゃいけねえ」

 

 少女たちは、一瞬ドキッとして息を詰まらせる。

 

「ありゃあ凄かったなあ。実際、『魔女』のうちの1人が泡を放ってきたら何も見聞きできなくなって、噂は本当だったのかって思ったよ」

 

「ええっ、団長さん本当ッスか!?」

 

 頷く団長は先ほどのルーキーと真逆に、『魔女』に会ったことが輝かしいことのように笑っていた。

 驚いたルーキーを押しのけ、ソフィアが目をキラキラさせながらメモを取る準備をする。

 

「団長さん、是非とも後ほど詳しく!!遂に我が超☆メモ帳にも『魔女』の項目追加の日が……!」

 

「まあまあお嬢、落ち着け。お客さんの前だぞ?」

 

 ソフィアは心だけでなく身体までも熱くなってきたのか、汗をかき息を荒くしている。

 少女たちには、彼女とは違う種類の汗が垂れ始めていた。

 

「あいつら、今も案外近くにいるのかも知れないッスねえ……ん、君たち調子悪い?」

 

 ずっと黙りこくっていた少女たちは、ルーキーから話を振られ顔を引きつらせる。

 

「あっ、いえ!もーやっぱり『魔女』って怖いなーオソロシーって!!」

 

 大袈裟に恐ろしがって手を振るうさぎに対し、後のメンバーも追従して必死に頷く。

 ルーキーは特に不審に感じなかったようで「そっか」と呟いた。

 

「君たちも、『魔女』の暴挙が許せなくてここにはるばる来たんスね」

 

 彼は微笑み、手の甲を差し出した。

 

「同じものを追うハンターとして、ともに頑張っていこうッス!」

 

 悪意のまったくない笑顔に、少女たちは一瞬戸惑った。

 だが、応えないわけにはいかない。

 

「……そ、そうよね!絶対『魔女』を見つけ出して、とっちめてやらないと!」

 

 言い出しっぺのうさぎが、真っ先に応じた。

 急いで他の者たちも続いて手を重ねる。

 そしてその上に最後、団長とソフィアの手も来た。

 

「俺たちは今表立った活動はしてないが、出来る限りのことは協力させてもらおう。な、お嬢」

 

「はい!『魔女』の生態も知りたいですからね!新たに情報が入ったら是非こちらへ!」

 

 その時、ルーキーがこちらに来る2人の影を見つけた。

 

「ん?……あの2人は!」

 

 彼は、勢いよく腕を上げて振った。

 

「リーダー!姐さん!早くこっちに来てくださいッスー!」

 

 彼らはこちらに気づき、歩いてくる。

 5人の戦士たちの視線は、雑踏の中から姿を現わした1人の男へと真っ直ぐに注がれた。

 

 青い鎧に細い双剣。 

 高い鼻に、きりっとした眉。後ろに銀髪が風に吹かれてたなびいていた。

 




実際モンハン世界の住人がセーラー戦士を前情報なしで目の前で見たら、魔法の世界との接触がある新大陸調査団の面々はともかく、結構ビビるかなと思う。

あと、最近感想増えてきてすごく嬉しい!これからもお気軽に送っていただけるとモチベ爆上がりします。


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太陽のもと、集う⑤

「おや、君はさっきの……」

 

 男と隣の女性は、まことを見て少し驚いていた。

 まことの方はというと、顔をほんのりと紅潮させ、表情は完全に乙女のそれになっていた。

 

「貴方はあの時の……王子様」

 

「……あー、さっき慌ててたのはそういう……」

 

 ちびうさが事情を察して呟き、周りの少女たちも納得した。

 

「ふむ、君たちが『霧』と『魔女』を追うハンターか。よろしく、私が筆頭ハンターのリーダーを務める者だ」

 

 まことの様子にも気づかず、リーダーと名乗った男は軽く頭を下げた。

 少女たちは唖然としながら彼を見つめ続けている。

 数秒経っても答えない彼女たちに、リーダーは怪訝な顔をした。

 

「……イ……」

 

「イ……?」

 

 

「「イッケメーーン!!」」

 

 

 うさぎ、美奈子とレイの高い声が響いた。

 しかも目をハートにして。

 周りの人々の関心がこちらに向く。

 亜美が必死に何でもないと、身振り手振りで弁解する。

 その努力も虚しく、美奈子が内股でもじもじしながら前に出てきた。

 

「あ、あのぉー……もし良かったらお名前を……」

 

「ああ……ジュリアスだが……」

 

 亜美以外の少女4人は、キュンッと竦みあがったような声を上げる。

 

「名前までかっこいい!」

 

「は……はぁ?」

 

「困った声すらかっこいーー!!」

 

 黄色い声で盛り上がる少女たちに筆頭リーダー、ジュリアスは絶句する他ない。

 

「はっはっは!まさか一斉に惚れられちまうとはなあ!」

 

 彼の気も知らず大笑いする団長。

 リーダーは青ざめ、たじたじしながら救いを求めるように団長へ振り向いた。

 

「しょ、書記官殿!何ですか彼女たちは!?」

 

「フフ……初対面で女の子に気に入られちゃうなんて中々じゃない、リーダー」

 

「ひゅーっ!流石我が師匠ッス!」

 

 彼を庇おうとする者はどこにもいなかった。

 隣にいる女性も、どこか楽しげに微笑んでいるだけだった。

 ずっと後方ではにかみながら縮こまっていた亜美が、慌てて割り込む。

 

「ほら、みんな隣の方にもご挨拶しないと」

 

「隣?」

 

 四人は振り返るとやっと女性の存在に気づき「あっ」と声を漏らす。

 

「まさかこの人ってもう……」

 

 うさぎが隣の美奈子の腕を引っ張る。

 

「あっちゃー!お姉さん、すみません!まさかそんなこととは露知らず!」

 

 手を合わせて慈悲を乞う美奈子に女性はきょとんとしていた。

 が、まもなくその意図を理解し口元に手を当てくすくすと笑う。

 

「そんなの、謝らなくていいのよお嬢さんたち。リーダーのこんな顔見れたの、何年ぶりかしら?」

 

 彼女は笑いながら、リーダーの胸をノックする。

 彼は生真面目そうな顔を真っ赤にしてひたすら羞恥に耐えている。

 

「私は筆頭ガンナーのナディア。よろしくね、期待の新人さん」

 

 彼女は自己紹介の後、いたずらっぽく口角を上げた。

 

「あと、別に私と彼とはそういう関係じゃないから安心していいわ」

 

「安心してもらっては困る!」

 

 ガンナー、ナディアの一言を聞いて突っかかるリーダー。

 

「あ、なーんだそうだったのね!」

 

「てっきり彼女さんかと思っちゃった!よかったじゃん、まこちゃん!」

 

 美奈子とうさぎはともに胸を撫でおろし、うさぎはまことの肩をポンと叩く。

 当の本人は、いじらしくうつむいて肩を狭めている。

 

「えー、それはともかく!」

 

 リーダーは咳払いし、無理やり話を断ち切る。

 

「……本来はもう1人メンバーがいるんだが、これからしばらくこの三人で君たちと協力していくことになる。()()()()()()()()()ともに『霧』と『魔女』について調査を進めよう」

 

 後半の言葉を聞いて、うさぎの後ろにいる衛が眉を上げた。

 

「一緒に調査までして下さるのですか?気持ちはありがたいですが、我々にも我々でやるべきことが……」

 

「はいはいはーーーい!!あたしたち期待の新人ですーー!!」

 

「ですーー!」

 

 ともに手を挙げた美奈子とうさぎのコンビネーションにより、衛の言葉は帳消しにされた。

 

「……うさこ……まあ、前から割とあったけどな……」

 

「ちょっとうさぎ!衛さんに思いっきり失望されてるわよ!」

 

 うつむいて顔に手をやる衛を見て、レイがうさぎの肩をつかみ彼へと無理矢理振り向かせる。

 

「そ、そういうんじゃないわよ、まもちゃん!この人たちと行動すればそれだけ情報が集まりやすいしここの人たちだって助かるし、WinWinってやつよ!」

 

 運命の彼氏へ必死に弁解したうさぎは、レイへこっそり耳打ちする。

 

「ほら、レイちゃんだって妖気感じる力で活躍すれば、抜け駆けできるかもしれないじゃん?」

 

 レイは顔をほんのり赤く染め、驚くそぶりを見せた。

 

「う……うさぎにしてはいいこと言うじゃない」

 

「こーいう時だけやたら口が達者なのねうさぎちゃんは」

 

「本音はみんなイケメン間近で見たいだけの癖に」

 

 ちびうさとルナの冷めた視線は、今やここにいる少女全員に向けられていた。

 

「ですが、筆頭ハンターさんたちの手を煩わせるわけには……」

 

「その件については心配ご無用」

 

 渋る衛に、リーダーが即答した。 

 

「『霧』の被害はメタペ密林での一件以来ほとんど確認されてなくて、今はまだ手がかりを探すって段階なのよ」

 

 ガンナーの言葉を受け、ルーキーは満面の笑みで手を広げた。

 

「こうやって時間取れたのも……ぶっちゃけやることないからッス!」

 

「ルーキーさん、ぶっちゃけすぎですね。私たちも人数不足で同じ状況ですが」

 

 にこやかながらも困り眉でソフィアが答える。

 

「まぁせっかくの旅路だ!目的へ一直線もいいが、見知らぬ人との出会いってのもいいもんだぞ、旦那!」

 

 団長に肩を叩かれた衛は、観念したように深いため息をついた。

 

「どうやら俺の意見は少数派みたいだな」

 

「やったー!」

 

 少女たちは(亜美以外)跳びあがりハイタッチしあった。

 

「ありがとう竜人商人さん……この御恩、一生忘れません……」

 

 まことはここにはいない紫羽織の老人に、両手を合わせて感謝を捧げた。

 

「で、これから調査に向かうんですか!?かばん持ちでもお掃除でも何でも致します~!」

 

 前のめりになる美奈子に負けじと、少女たちはリーダーへ詰め寄った。

 ガンナーは先頭の美奈子の額を人差し指で押さえる。

 

「フフ、元気は有り余ってそうねお嬢さんたち。でも、疲労ってのは知らない間に蓄積してるものよ」

 

 彼女はそのまま頭を軽く指で突き返した。

 そのまま、少女たちはぽかんとして彼らを見つめている。

 

「今日はひとまず休みなさい。調査は、しばらく休養してこの土地に慣れてからね」

 

「……ああ、そうだな。……うん、そうした方が良い。急がずとも、君たちならすぐに体力が回復するだろう」

 

 リーダーはそう言ったが、むしろこの中で最も疲れているように見えたのは彼自身だった。

 ガンナーはリーダーに目配せし、ともに人混みへと身体を向ける。

 

「じゃ、これで失礼するわ。団長さん、ソフィアさん、後の手配はよろしくね」

 

「おう、任せろ!」

 

「合点承知です~」

 

 『我らの団』の2人は、一緒に親指を立てて応じた。

 だが、少女たちは未練がましい表情を隠しきれない。

 

「そんな~もうちょっとお話したかったのにぃ~!」

 

「レイちゃん、いつでも準備オッケーでーす!」

 

「あたし……ずっと待ってますから!!」

 

 黄色い声を背に受けながら、リーダーは足早にその場を去っていった。

 

──

 

「……すまない、助かった」

 

 少女たちから逃れたリーダーはガンナーに礼を言いながら、やっと一息をついた。

 

「さっき凄かったわ。今にも卒倒しそうな顔してた」

 

「本当にこういう感じは……非常に頭が痛い……」

 

 そう言いながら頭髪をわしわしとする彼は、心なしかげっそりした顔をしている。

 

「世の男性なら羨む状況じゃない。元気出しなさいよ」

 

 ガンナーはリーダーの背中を発破をかけるように叩いた。

 

「……フフ、なかなか面白い娘たちじゃない。楽しみだわ」

 

 彼女は、人々の間で振られる手を垣間見ながら微笑んだ。

 

──

 

 太陽の集落たるバルバレにも、陽が沈む時間はやってくる。

 まばらに火を灯した松明が並び、いよいよ人々が寝静まろうとしていた頃だった。

 

 これから、バルバレでは『我らの団』が厚意で手配してくれた大テントで寝泊まりすることになる。

 広めの室内を囲うように2段ベッドが3つ配置され、中央にはテーブルと椅子が置かれている。

 テーブルにはランプが置かれているが、既に消されていた。

 既に少女たちは就寝しているはずだったが。

 

「え~んまもちゃんがいない~」

 

 うさぎはぐずりながら枕を抱きしめていた。

 衛やアルテミスなどの男性陣は、別のテントで寝泊まりすることになっている。

 それが彼女にとっては我慢ならないようだった。

 

「いやそりゃ当たり前でしょーが!まずここを貸してもらえてることに感謝しなさいよ」

 

「そうだけどさ、そうだけどさ~……」

 

 下段にいるレイに突っ込まれ、敷布団をいじるうさぎ。

 その背後から、ルナがひょっこりと顔を出した。

 

「あたしとしては、何やかんやできちんと衛さんのこと考えてて安心したわ」

 

「こっちもこっちでウットーシイけど」

 

 一緒にいたちびうさも並んで口を出し、直後にうさぎによって頭を押さえつけられた。

 

「言ったわね~!」

 

「何がよー!」

 

「あぁあぁ、また始まった……」

 

 乱闘に巻き込まれないようその場から離れたルナは、傍観者となり呟いた。

 一方、それら一切のことを耳に入れず自分の世界に浸っている者がいた。

 

「はぁ……ジュリアスさん……」

 

「まこちゃん、いつまで感傷に浸ってんのよ」

 

 うさぎたちの隣のベッド、その上段にいる美奈子から指摘されても、キラキラとした瞳は消え失せない。

 

「あの切れ長の目尻が別れた先輩に似てるんだ……」

 

「出たわね、まこちゃんの恒例行事」

 

「てゆーかそれ似てるって言う?」

 

 レイ、美奈子がさらっと皮肉っぽく言った。

 亜美はもう一つのベッドで本を読んでいたが、狼狽した表情を露わにしている。

 

「盛り上がってるところ申し訳ないのだけれど……」

 

 彼女はおずおずと、手を挙げた。

 

「みんな、ここで恋なんかしてる場合じゃないと思「亜美ちゃん!?」」

 

 

 起き上がった友人たちの視線が、すべて亜美へと注がれる。

 彼女は「ひっ」と肩からすくみあがった。

 

 

「いい!?あたしたちだって華の女子中学生なのよ!ほら、うさぎちゃんだって衛さんと一日中べぇーったりしてるじゃないっ!」

 

 美奈子はうさぎを指さして叫んだ。

 未だちびうさと頬をつねり合っていた彼女は驚き、つねっていた方の手を離した。

 

「な、なんであたしに飛んでくんのよー!」

 

「勿論、本当の目的を忘れなんかしないわ。でもよりによって『恋なんか』だなんてっ……青春の1ページを疎かにする気!?」

 

 レイは亜美の傍にまで寄ると両肩を掴み、涙を流しながら熱弁する。

 

「で、でも……」

 

「狩人だからって恋を諦めろなんて法律、どこの六法全書にだってないわ!」

 

「そうだ!これはあたしたちのもう一つの戦い……つまり狩りと同じなんだよ!!」

 

 美奈子が熱く拳を握りしめ、まことまで無茶苦茶なことを言って参戦する。

 

「よし、明日からみんなライバルだ!!狩猟も恋も全力で競い合うぞー!」

 

 彼女が拳を振り上げる。

 

「おーーーー!!!!」

 

 レイと美奈子がそれに続き、うさぎとちびうさは拍手し、ルナは呆れ、亜美はただひたすら萎縮していた。

 

「こんなことしてて大丈夫なのかしら……」

 

 亜美は頭を抱えながら、ベッドの中に包まるのだった。




セラムンのメンツ(旧アニ)は全体的にミーハーで面食い。それできゃぴきゃぴしてるのが可愛いと個人的に思ってる。
筆頭ハンターは、団長と同じくMH4出典のキャラです。


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赤き大地に鳴らす甲冑①

 バルバレの市中。

 女性が赤いスカーフを巻き、黄色のスーツに身を包んで歩いていた。

 ウェーブがかった金髪のショートヘアーの間から覗くのは、くりりと大きい丸い目に小さな鼻の、スタイルの割には幼い顔立ち。

 

「ねえ、きみきみー。珍しい恰好してるね。俺たちと一緒にお茶しない?」

 

 鼻の下を伸ばしきった男二人に、女性が振り向く。

 

「あら、それは嬉しいお言葉」

 

 手で口元を隠す彼女の声は、子どものように甲高くあどけない。

 

「ですけどその姿、仮面舞踏会にでも出席なさるおつもり?」

 

「……え?」

 

 女性の澄ました顔に、あざ笑う表情が浮かんだ。

 

「そのだっさーーーーーい豚さんみたいな服装改めて下されば、考えないこともありませんわ♡」

 

 2人組はしばらく突然の暴言に困惑していたが、やがてもの言いたげに女性へ一気に詰め寄った。

 

「な……何言ってんだ!?これは俺が必死こいて草食竜しばき倒した証だぞ!?」

 

 向かって右側の男が、円柱型のスリットの入った兜を指さしながら訴えた。

 脂肪でもついたかのように膨らんだ形の腹当てが、女性のすぐ前に迫る。

 

 男の装備は『リノプロシリーズ』と呼ばれる。

 全体が紫色の潜水服のごとき様相を呈しており、檻のような兜のせいで怒りの表情は見えない。

 

「俺だってこれのために何百回と鉱石叩いて血豆作りまくったんだぜ!?」

 

 左側の男の白い装備は『ハイメタシリーズ』と呼ばれる。

 こちらも太ましい図体の鎧にバケツを頭に被ったような、右に劣らず珍妙な鎧である。

 当然、顔は見えないので怒号だけが彼の感情を伝えている。

 

 身体をすべて鎧で覆った彼らの姿は、圧迫感なら他の誰にも負けていない。

 それに対し、女性は眼鏡越しでも分かるほど顔を歪めた。

 

「ださいもんはださいですわ」

 

「あぁんっ!?!?」

 

 男たちは姿を貶されたことを許さなかった。

 女性はぺろっと舌を突き出し、すたこらとその場から走り去る。

 

「てめえええ!!」

 

「ハンター舐めてっと死ぬぞ!!」

 

 金属の擦れ合う音を立て、男らは人の間を駆け抜ける。

 鎧を着こんでいるには恐ろしいほどの速度だった。

 が、人を追うにはやや重すぎる。

 彼らは息を切らしながら、テントの間の通路を縫うように走る。

 

 揺れる赤いスカーフは、やがて左手の人少ない通りに向かって逃げ込んだ。

 一瞬、彼女が男たちの視界から外れた。

 男たちは急いで通行人を押しのけ、逃げ込んだ道へと飛び込む。

 

「あ、あれ、確かそこに……」

 

 一本しかない道に、女性の姿はなかった。

 後に残されたのは、気の抜けた情けない男たちの姿のみであった。

 

──

 

 バルバレを象徴する竜頭船の穂先に、女性が腰かけ人々を見下ろしていた。

 折れ曲がった杖をつき、露出度の高い黒いドレスに黄色い裾とストッキングが映えている。

 顔は、先の女性とまったく同じだった。

 

「はー、どこ見渡しても脳筋ゴリマッチョばっかり!こんな世界で働かされるミメットったら、ホント恵まれない子!」

 

 退屈そうに身をかがめてため息をつき、脚に肘をつく。

 市場に並ぶどの人も、彼女の姿を捉えることはない。

 こんなところに人がいるなど、思いもしていないのだ。

 

「今時チラシなんて、如何にもユージアル先輩らしいやり方よねぇ」

 

 魔女ミメットは、胸元からチラシを取り出した。

 いかにも悪役顔をしたセーラー戦士らしき少女たちが描かれた紙である。

 そこには大きな見出しで「闇をもたらす魔女、懸賞金『1000000ゼニ―』」と書かれている。

 

「悪の組織ならそんなケチケチしないで、もっとパアーッていかなくっちゃ」

 

 それをミメットは後ろ手に風に乗せて捨て、膝を回して逆に組み替えた。

 

「エナジーを回収できて、しかもセーラー戦士どもを追い出せて、しかもイケメンをゲットできる方法……」

 

 彼女はしばらく悩んでいたが、やがてニコッとして不意に横手を打つ。

 

「あ、面白いこと思いついちゃった!ミメットったらてーんさーい!」

 

 惜しげもなく自画自賛する少女は、先ほどとは一転してうきうきして腰を上げた。

 

「ささ、さっそくおっしごっとおっしごっとぉ~」

 

 口ずさみながら魔女ミメットは飛び降り、何処かへ消えた。

 

──

 

 数日後。

 

「もうあの時から1週間か~。何もすることないときって時間早く感じない?」

 

「同意~」

 

 うさぎは手持ち無沙汰そうに頬を机につけ、隣の美奈子が伸びをしながら答えた。

 

「何もないのも、それはそれで困るのよねー」

 

 レイが自身の財布を逆さにし、数枚にまで減った貨幣をテーブルに落とした。

 住居は『我らの団』が提供してくれているが、衣食は自分たちで賄わなければならない。

 資金は以前のディノバルド、ライゼクスの依頼で十分に稼いだはずだった。武具を揃える分を考慮してもこの先少なくとも1ヶ月は持っただろう。

 

 だがそこはやはり、うさぎたちは女子中学生であった。

 色鮮やかなバレッタ。異国の空気に染まれる香水。涼やかながらデザイン性に富んだスカーフ。

 そして、賑わう市場のなか露店で出される魅力的な食べ物。

 この市場のあらゆるものが、彼女たちの興味を、そして──購買欲求を駆り立てたのである。

 

「もうそろそろ狩りをしないと、あたしたち路頭に迷っちゃうよなあ」

 

 まことが肘をつきながら言うと、美奈子が顔を引き締めぎゅっと拳を握りしめた。

 

「そうよ!ちゃんとリーダーさんのハートをGETして、ちゃんと調査もしなくっちゃ!」

 

「……順序が逆よ」

 

 本を読んでいた亜美が呟き、呆れたように天を仰いだ。

 その時、テントの外で翼がはためく音がした。

 

「あっ、手紙だー!」

 

 亜美の隣にいたちびうさが、入口の幕を開ける。

 伝書鳩がテントすぐ前の止まり木に止まっている。

 彼女は背伸びして鳩から手紙を手に取り、テーブルの上で開いた。

 

 

 『霧』と『魔女』を追う猟団殿

 

 遺跡平原にて『霧』に侵されたモンスターが報告された。

 調査のため、明日にはここから最も近い遺跡平原に向かう。

 詳細は調査に向かう際説明する。

 日没の鐘が鳴る時、すぐ目の前にある飛行船の発着場にて待つ。

 

 筆頭リーダー ジュリアス

 

 

 流麗な字体だった。

 内容を確認したあと、少女たちは黙りこくる。

 亜美が急いで本を盾にする。

 彼女たちはすう、と深呼吸した。

 

「キターーーーー!!!!」

 

 レイとまことと美奈子が一斉に飛び上がり、ハイタッチした。

 

「つ、遂に遂に遂に遂に!」

 

「この時が、この時がやってきたのよ!」

 

「待っててくださいジュリアスさん、あたしが迎えに行きますから……!」

 

 三人は感激のあまり涙ぐんでいる。

 

「いぇいいぇい盛り上がってるぅ~」

 

 うさぎは快哉を叫ぶが、亜美は眉を顰めていた。

 

「……果たしてこれは良い盛り上がり方なのかしら」

 

 ちびうさは、うさぎと似たような笑みを浮かべて机の下の脚をバタバタさせている。

 

「へへ、どんなところなんだろ~」

 

 遠足にでも行く雰囲気で様々に思い浮かべたちびうさだが、そこにうさぎが横から顔を突き出す。

 

「忘れてないと思うけど、ちびうさは留守番だからね。ルナとアルテミス、あと団長さんたちの言うこと、ちゃんと聞きなさいよ?」

 

「……何よ人がワクワクしてる時に!」

 

 ちびうさは勢いを削がれ、一転して不機嫌になる。

 彼女は歯を剥き出しにしてうさぎを睨むと、へそを曲げてベッドに入ってしまった。

 

「うさぎちゃん、言うタイミング……」

 

 ルナがうさぎを咎めるが、当の彼女自身ちびうさの反応に困っているようだった。

 

「だって、いつかは言わなきゃいけないことでしょ?」

 

 それを見たまことが、ちびうさが潜む布団に手を添えて宥める。

 

「しょうがないよ、ちびうさちゃん。前の世界と違って、外は本当に危ないんだから」

 

「お土産話、たくさん持ってきてあげるからね」

 

 亜美も隣に座って優しく語りかけたが、ちびうさの表情はぶすっとしたままだった。

 

──

 

 そして翌日。

 うさぎたちがココット村から旅立って以降、初めての狩りとなる。

 

 青空の下になだらかに続く金色の草原が見える。

 所々に精巧な赤い柱の瓦礫が見えているが、これが地名の由来である『遺跡』である。

 遺跡は既に風化し、自然と一体になっていた。

 遠くには壮大な山脈が鎮座し、その険しさを物語る。

 

「……さて、この地域を調査するメンバーについてだが」

 

 飛行船は、船に直接気球を取りつけたような豪快な作りになっている。

 その船上に筆頭ハンターと少女たちが集っていた。

 喋っているのは、調査の総指揮を取る筆頭リーダーである。

 テーブルの真ん中にはこの地の狩場のマップが広げられている。

 

「ここは私と衛君、うさぎさん、そして亜美さんで進めさせて頂きたい」

 

「え、あたし?」

 

 うさぎは驚いて自らを指さした。

 少女たちの残りは唖然としている。

 

「あ……あの……リーダーさん?」

 

 まことが呼び止めるように手を伸ばすが、無視される。

 

「私は、物事は何事も初陣が重要と考えている」

 

 リーダーは決意した表情で、机に手を置いた。

 

「我々の目的は『霧』と『魔女』の真相を突き止めることだ。そうだろう?」

 

 やっと例の3人に視線が向く。

 彼女たちは必死に激しく頷いた。

 

「君たちが役に立たないと言っているのではない。ただ今回で、調査の方向性を決めておくべきと……思うのだ」

 

 こちらの出方を探るような目つきである。

 奇妙な沈黙が走る。

 レイが唐突に笑顔を作った。

 

「で、でもあたしたち、5人で1つって言いますかぁー」

 

 彼女は腕をうさぎの腕に絡めるついでに、リーダーへ甘ったるい声と上目遣いで急接近を図る。

 急いでまこともそれに続いた。

 うさぎが両肩から2人に挟まれ「ぎゃっ!」と叫ぶ。

 

「そうですそうです!仲間と一緒にいれないなんて、寂しいじゃないですか!」

 

 リーダーはじり、と後ろに下がる。

 

「一度に狩りに行けるのは最大4人までだ……そう決まっているのだ!」

 

 そう訴えても、彼女たちは接近を辞めない。

 ついでに美奈子も一直線に迫ってくる。

 

「で、でもあたしたちも絶対お役に立てますからっ!」

 

 リーダーの背中に壁が付いた。

 逃げ場を失った彼に、息巻いた3人の顔が迫ってくる。

 

「やめろー-っ!!!!」

 

 初めて彼は顔を真っ赤にして怒鳴り、彼女らを押し返した。

 

「君たちは調査を妨害する気かっ!!いったい何のつもりで我々と組んだ!!私はデートしにここに来たのではないぞっ!!」

 

 耳の奥まで突き刺さる、刃物のように鋭い声だった。

 思わず少女たちが仰け反る。

 うさぎまで巻き添えを喰らい目を回す。

 彼は一通り叫び終わってから、はっと我に返った。

 

 誰もがしんと静まり返っている。

 突き離された少女たちは完全に固まっている。

 

 リーダーは辺りを見回すと、やってしまったという顔で眼を背けた。

 

「他に……何か」

 

 レイ、まこと、美奈子の3人とも、灰にでもなって風の中に消えそうな顔になった。

 こんな時でもルーキーは「ドンマイ!」と明るく呼びかけ、ガンナーは必死に下を向いて噴き出すのを何とか堪えている。

 少女たちは、揃って膝から崩れ落ちた。

 

「なんで……なんでこんなことに……」

 

「いやー、誰がどう見ても分かりきってんのよねこれ……」

 

 3人の中心にいるうさぎが、泣きついてくるまことの言葉に対し小さく返した。

 

「あたしたち、そんなつもりじゃ……そんなつもりじゃなかったんです……」

 

「め゛ーわ゛ぐがげでずみ゛ま゛ぜん゛でじだぁ゛!!」

 

 目を潤ませるレイと並び、美奈子が大泣きしている。

 

「ほら、これで顔拭きなさい」

 

 そこに、ガンナーが苦笑しながら手ぬぐいを差し出す。

 彼女は美奈子の肩に手を置き、リーダーを見上げた。

 

「リーダーったら、正論は正論でもちょっと手加減してあげないと。この子たち、いくら優秀でもまだ十八もいかない女の子よ?」

 

「……うっ……」

 

 リーダーは失恋したように悲しみに暮れている少女たちを見て、ますます顔の気まずさを募らせた。

 ため息をつくと、ぎこちなく彼は背を向ける。

 

「……泣かなくていい、分かればいいんだ。さあ、今回のメンバーは準備ができ次第向かおう」

 

 彼はそううさぎたちに呼びかけ、足早に準備室へと向かっていった。

 

「じゃ、じゃあいってきま~す……」

 

 うさぎたちは、悲嘆にくれる仲間を後に残して出発した。

 




リーダーは恋愛に疎いので絶対拒否反応がすごい。
あと、今後の参考までにアンケート置いときます。


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赤き大地に鳴らす甲冑②

 

 苔生した遺跡の合間から太陽が覗いている。

 かつて室内であったであろうそこは既に朽ち、僅かに壁と天井の残骸を遺すのみ。

 テントの側から小川のせせらぎが湧き出、斜面を伝っている。

 その先、古びたアーチ状の遺跡が金色の絨毯へと来訪者を導いていく。

 

 そこが遺跡平原のキャンプ地であった。

 うさぎたちは、ここから新たな地の第一歩を踏み出そうとしている。

 

 アーチを抜けると、黄金が視界を覆い尽くした。

 向こうの山脈が、飛行船から見た時より大きく見える。

 

「わあぁ……!」

 

 うさぎは斜面を一気に駆け下りる。

 煉瓦の段差から下の草原に飛んだ。

 大地の女王から成る脚が、ガシャリと鳴って黄金の地を踏みしめる。

 風が吹いた。草が飛び、頬の横を舞っていく。

 

「すっごーい!!」

 

 振り返って手を広げ飛び跳ねながら、無邪気な顔で喜ぶうさぎ。

 衛と亜美もつられたように似た表情を浮かべていると、リーダーが後ろから二人の肩を叩いた。

 

「……ほら、いくぞ」

 

 亜美は慌てて表情を引き締めた。

 

「あ、すみません!それで、今回の調査対象は?」

 

「現在最も『霧』への感染が疑われるのは、『徹甲虫アルセルタス』だ」

 

 リーダーは、前を向いたまま答えた。

 

「げっ、む、虫ー!?」

 

 うさぎは露骨に顔を歪ませる。

 リーダーが段差を下り、うさぎの横までやってくる。

 

「空を飛んで突撃してくる中型の甲虫種だ。それほど強靭な種ではないが、動きが素早いから用心しろ」

 

 彼はうさぎを追いこして先に進むが、あとの三人は戸惑っている。

 

「……大きさは?」

 

 亜美が背中越しに恐る恐る聞く。

 リーダーは振り向いた。

 

「個体差にもよるが、およそ6mほどだ」

 

「ろろろ6m!?」

 

 うさぎは卒倒しかけた。

 下手をすれば、単純な強さ()()()()()()で飛竜より手強いかもしれない。

 異邦人3人はこれからそれを相手にする事実に、揃って呆然としている。

 

「さあ、早く行かねば狩場から逃げられるかもしれないぞ」

 

 リーダーは表情を変えず、再び前を向いて足早に歩き出す。

 

「あっ、待ってー!」

 

 うさぎは追って駆け出した。

 あとの2人もため息をついて覚悟を決め、彼女に続いた。

 彼が生息している山脈に着くまで、うさぎたちは歩くその足で講義を受けた。

 

 アルセルタスの主な武器は、頭の角と鎌状に進化した前脚の爪である。

 空中では機敏だが地上に落とせば動きは読みやすい。

 弱点は腹であり、正面を避ければ容易に接近可能である。

 尾部より発射される腐食液には気をつけよ。

 

「余談だが」

 

 調査開始から約30分。

 リーダーがそう言って立ち止まったとき、彼らは山脈の麓にある平原地帯『エリア3』に来ていた。

 右方に山脈を登る坂道が伸びている。

 

「かの種には番がいる。出現報告はされていないが、万一の場合に備え常に周囲に気を配るように」

 

「えっ、番?それって夫婦って意味よね!」

 

 気分の切り替えは早いようで、うさぎは笑顔で隣で歩く衛の腕をひったくる。

 

「きっと仲がいいのよ、あたしとまもちゃんみたいに!」

 

 うさぎは衛に臆面もなくひっつき、頬をその肩に押し付けた。

 

「おい、ちょっと人前で……」

 

 衛は慌ててうさぎの肩を揺さぶるが、彼女の身体はぴくりともしない。

 亜美は「もう、うさぎちゃんったら」と気忙しく横に視線をずらす。

 それを見た筆頭リーダーは視線を外し、空を眺めた。

 

「……まあ、そうと言えば……ある意味そうかもしれない」

 

「?」

 

 歯切れの悪い言葉に、うさぎが首を傾げたところだった。

 

「誰か、誰か助けてー!」

 

 甲高い泣き声が木霊して飛んできた。

 方角は、山脈の渓谷にある『エリア4』である。

 うさぎたちは頷きあい、急行した。

 

 赤色の岩肌が顔を見せ、真上には鮮やかな紅葉が空を覆っていた。

 浅い小川を底とした巨大な谷がエリアの大半を占め、上流には山脈の壁が、下流には断崖絶壁があり小川はそこに流れ落ちている。

 一番目立ったのは、小川の上に伸びるアーチ状の岩だった。もはや遺跡なのか天然の石なのか、風化のせいで見分けがつかない。

 

「もう、一体どこなのよここ~!」

 

 幼くわんわんと喚く声が谷の方から聞こえた。

 

「あの橋の下から聞こえるわ」

 

 耳を澄ましていた亜美が指さした先、天然の橋の下に服の裾らしきものがちらりと見える。

 

「大丈夫か!?」

 

 リーダーが真っ先に谷底へ駆け付ける。

 その声の主はそれに気づき、用心深く半身を橋の影から覗かせる。

 

「あっ、ハンターさん!助かったわ!」

 

 丸眼鏡をかけた女性らしき人物が、ぱっと顔を輝かせる。

 彼女は赤いスカーフに、黄色いコートを着ていた。

 声は子どものように甲高く、あどけない。

 

「それに……」

 

 女性がぽっと顔を赤らめたのに、リーダーは気づいていない。

 

「まず、君の名前を伺おうか」

 

 そう言われた彼女ははっとして、首を傾けにこりと笑った。

 

「あっ、あたし、ミミって言います」

 

「一般人がハンターも付けず、何をしている?」

 

「あたし、ちょっと仕事帰りで迷子になっちゃって……」

 

 ミミと名乗った女性は、人差し指で目端の涙を拭ってみせた。

 小川近くでしゃがんでいたせいで、彼女のコートの裾から水滴が滴っている。

 

「こんなとこに1人で来るなんて、どういうお仕事なんですか?」

 

「えーっと……フィールドワークですわ。ちょっとそれ以降はプライベートですので……」

 

 うさぎには想像がつかず聞いてみたが、ミミは少し視線を右上に向けたすえ答えた。

 

「とにかく遭難者がいるとなると、一刻も早くこのエリアから彼女を連れ出すべきでは?」

 

 衛がそう言ってリーダーと視線を合わせると、彼も頷いた。

 ミミはそれを見て衛にまでも見惚れているのだが、彼らは一向に気づかない。

 

「そうだな。調査は一時中断だ。まずは彼女の保護を最優先としよう」

 

 一行は橋の下から出ることとした。

 うさぎは亜美と並んで歩きながら大きく一息吐き出す。

 

「正直安心したわー。いきなりでっかい虫なんて相手にできる自信ないわよぉ」

 

「うさぎちゃん、いつかは通らなきゃいけない道よ?」

 

 亜美はうさぎをたしなめつつリーダーたちに続いた。

 調査隊は段差のある広い台地へと上がる。

 そのまま右手の元来た『エリア2』へ続く道を戻ろうとしたところで、ミミは密かに舌なめずりをした。

 

「あのぉ~」

 

 遠慮がちながら甘ったるさを隠さない声に、面々が振り向く。

 ミミは屈託のない笑顔で掌を重ね合わせていた。

 

「出来ればミミぃ、殿方たちにバルバレまで送ってもらいたいなぁ、なーんて」

 

 筆頭リーダーと衛の眉間に皺が一気に寄った。

 

「……なぜ?」

 

「ほら、貴方たちって調査?……してるんでしょ?だったら頼もしい御仲間に任せて手分けすれば、中断なんかしなくていいじゃないですかぁ」

 

 彼女は上目遣いで2人の腕をぱっと取って握る。

 うさぎはそれを見て口をあんぐりと開け、亜美は眉を顰めた。

 ミミは無理やり、男たちと指同士を絡めようとした。

 

「だから、バルバレに戻るまであたしと一緒に……」

 

 男2人は、惚れるどころか困惑の表情しか見せない。

 うさぎがミミの手を衛の腕から引きはがし、胸を押して引き離す。

 

「ちょっと!あたしのまもちゃんに触らないでくれる!?」

 

 うさぎが衛の彼女と分かると、ミミの表情は目に見えて不機嫌になった。

 

「何よあんた。小娘は引っ込んでなさいよ!」

 

「なによ、小娘じゃ悪いっての?」

 

「ひょろっちい女に護衛なんて務まるわけないじゃない!」

 

「な、なんですって!」

 

 火花を散らす2人を見て、リーダーは頭を抱えた。

 

「ああ、次々に予定が狂っていく……」

 

「まったく、よりによって気難しい人に出会ったもんだ」

 

 呆れていた衛は偶然、山脈へ続く登り坂の上空に小さな影を見た。

 

「ん?」

 

 影は、ぐんぐんとこちらに向かって迫って来る。

 近づいてくる羽音。

 予想以上に速い。

 

「伏せろ!!」

 

 ミミやうさぎたちを庇ってしゃがんだ男たちのすぐ真上を、巨大な緑色の角が通過した。

 一緒にしゃがんでいたうさぎは、恐る恐る前を確認する。

 

 上空からゆっくりと降りてきたのは、巨大な甲虫だった。

 カマキリの頭と鎌、カブトムシの角と身体を掛け合わせたような姿である。

 6mの巨体を持つそれは、薄羽を目に見えぬ速度で震わせホバリングしている。

 

「う、うえ~っ、まさかあれ……」

 

 案の定うさぎは怪物の姿に慄くが、同じものを見据えるリーダーの表情は変わらない。

 

「ああ、徹甲虫アルセルタスだ!」

 

 リーダーはミミを後ろに突き飛ばし、無理やり遠ざけた。

 彼は背負う双剣の柄に手を添える。

 

「もうっ、妖魔になったんなら空気ぐらい読みなさいよっ……!」

 

 ミミは唇を噛んで小さく毒づいたが、それは誰にも聞こえていない。

 

 怪物は紫の息を漏らしながら鎌を擦り合わせ、ちきちきちき、と威嚇するように唸る。

 衛も片手剣『アサシンカリンガ』を抜刀して叫んだ。

 

「やはり『霧』に感染してる!報告通りだ!」

 

 アルセルタスはぶぅんと翅をはためかせ、狩人たちに急接近すると空中から鎌を振りかざした。

 大袈裟に振りかぶったため、動きは読みやすい。

 最も前方にいたうさぎは咄嗟に盾を構える。

 衝撃と振動が盾から彼女の身体へと伝わり、危うく吹っ飛ばされそうになるがこらえた。

 そこでうさぎは気持ちを入れ替え、亜美に叫んだ。

 

「亜美ちゃんっ!」

 

「ええ!」

 

 亜美は既にライトボウガンに通常弾を装填し、後方にスタンバイしていた。

 『ハンターライフル』から放たれた弾はアルセルタスの角に当たり、破片とともに白い筋を残す。

 気を取られた隙を狙い、うさぎと衛が斬り込む。

 

「……ほう」

 

 その息の合いように、リーダーは背の双剣の柄に手を伸ばしながら注目していた。

 

 数ヶ月前、旅で滞在したココット村にてハンター稼業を発心。

 以降才能を開花させ、ドスランポス2頭、『霧』に侵されたドスマッカォ、リオレイアとディノバルドを討伐、そしてイャンクックとライゼクスを撃退。

 そして表立ってギルドカードに書かれてはいないが、あの金髪の娘はリオレウスを単身で相手取り、瀕死まで追い込んだと言う。

 

 筆頭ハンターたちが彼女たちについて得ていた情報はそれだけだった。

 常人とは思えない出世と実績である。

 

 そしていまそれを実証するように、彼らは歴戦の戦士のごとき身の裁きを見せている。

 初期は互いの武器が当たって怪我をする初心者も多い。

 彼らのような動きは、よほど信頼が構築されていないと不可能である。

 

 リーダーは柄を引きながら小さく独り言ちた。

 

「どうやら商人殿の情報は事実のようだ」

 

 1対の鞘からまず青色が現れ、引き抜かれるにつれて鮮やかな赤紫へと色が変わっていく。

 双剣を天にかざして重ね合わせ、目を瞑る。

 刃同士が擦れ合い熱を帯びる。

 

「っ──」

 

 彼が目を見開くと同時に、剣から凄まじい気が立ち昇った。

 

 『鬼人化』。

 

 双剣使いが必ず習得する狩猟術である。

 集中と昂奮による一時的な強化状態であり、目にもとまらぬ斬撃が他の武器にない強みとなる。

 

 リーダーは獲物を見据え、柄をくるりと回して剣を逆手に持った。

 今一度、位置関係を見定める。

 獲物は、段差の向こうで仲間たちと攻防を繰り広げている。

 ならば、やることは一つ。

 男は獲物を睨み据えて駆け出した。

 

「ヤツを地面に落とす!そこから退いてくれ!」

 

 覇気のある声に、うさぎたちはただならぬ気配を感じて飛びのく。

 アルセルタスは気づかず、狩人たちを近づけまいと鎌を横ざまに回転させ振り抜いた。

 その勢いで目の前に腹部が来た。

 恰好のタイミングである。

 

「……落ちろ!」

 

 段差を蹴って跳ぶ。

 空中で身体は螺旋を描き、アルセルタスの腹にそのまま突っ込んだ。

 数秒のうちに数え切れぬほどの斬撃が獲物を抉る。

 

 人間業とは思えないその光景に、うさぎたちは目を白黒させた。

 アルセルタスはたまらず仰向けになって地に落ちた。

 脚をばたつかせる怪物をうさぎたちが見つめていると、華麗に着地したリーダーは剣を構え直し叫んだ。

 

「ここは私に任せろ!君たちはその女性を安全な場所に保護してくれ!」

 

「……あの人なら1人でも大丈夫そうだな」

 

 衛の言葉に疑いの余地はなく、うさぎと亜美は頷いて素直にリーダーの指示に従った。

 

「よし、じゃあ一緒に逃げるわよミミさん!」

 

 彼らは同じく呆然としていたミミを無理やり押し出し、『エリア2』へ続く坂へ向かう。

 

「ちょっと、小娘2人は余計って言ってるでしょ!?」

 

 ミミは睨みながら抗議するが、聞き入れる者はいない。

 その時、足元が突然激しく揺れた。

 

「地鳴り!?」

 

 うさぎたちの前方の地面がひび割れた。

 割れ目の間から、轟音とともに土煙が噴きあがった。

 

「何よもう、次から次へと!」

 

 ミミが不愉快そうに叫んだ。

 

 巨大な甲羅のようなものが、地中から這いだした。

 厚く平たい身体に4つの脚がついているのだけは辛うじて分かった。

 地中に残っていた細長い尻尾らしきものが最後に出てくる。

 少なくとも、竜や獣の類ではない。身体の構造は蠍のそれに近かった。

 重々しいブオォン、という鳴き声は、まるで機械の駆動音のようだった。

 

「ゲネル・セルタス!!」

 

 リーダーが振り返って叫んだ。

 




サンブレイク楽しみすぎ……!ガンランス強くなっててくれお願いだから。


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赤き大地に鳴らす甲冑③

 

 煙の中からゆっくりと姿を現わしたその姿は、アルセルタスとは似ても似つかなかった。

 アルセルタスより二回りは大きい体躯を誇り、その体格差はまるで大人と子どもである。

 平たい身体を白いラインの入った玉虫色の装甲が覆い、正面下部には黄色の目が光り、その頭部を護るように鋭い大顎がぐわりと開いている。

 甲冑のごとく甲殻が重なった4本の脚は力強く大地を踏みしめ、地鳴りさえ発生させている。

 末広がりの尻尾の先は二又に分かれ、丸い鋏のようになって動いていた。

 

 ゲネル・セルタスは、汽笛のような雄たけびを上げるとうさぎたちに向かって突進した。

 道幅いっぱいに広がる巨体からは、後退するほかない。

 

「わああ、ちょっと!」

 

 巨体に見合わない速度に押され、うさぎたちはリーダーの近くへ戻されてしまった。

 ちょうど、アルセルタスとゲネル・セルタスによって挟まれる格好である。

 

「まさか、これがアルセルタスの番ですか?」

 

 亜美がライトボウガンを構えて聞くと、リーダーは首を縦に振った。

 

「ああ、あいつは雌だ」

 

「え、あんなにごついのに!?」

 

 うさぎは純粋に驚いていた。

 アルセルタスは紫の息を漏らしながら、ゲネル・セルタスの来訪を喜ぶかのように周りを飛びまわる。

 

「夫のピンチに駆け付けたのね!やっぱり愛のパワーってすごいわ」

 

「俺たちも負けちゃいられないな」

 

 うさぎと衛は2頭の様子を見て気を取り直し、剣を構えた。

 

「気を付けろ。先入観に囚われるのは狩りの場では危険だ」

 

 リーダーはちらりと目線を後ろにやって呟いたが、その意味を彼女たちはまだ知らない。

 

 ゲネル・セルタスが突然、全身の隙間から黄土色のガスを噴出した。

 むっとするような匂いが立ち込める。

 

「にゃ、にゃにこれくっちゃー!」

 

 うさぎは屈んで鼻をつまんだ。

 

「フェロモンガスだ。あれでアルセルタスを操る」

 

「操る?」

 

 衛が思わず聞き返した。

 アルセルタスは振り向き、ゲネル・セルタスの頭上に飛んでいく。

 彼は背の甲殻に脚を置く。

 張り切るように折り畳まれていた鎌を広げ、万歳をするように威嚇する。

 その姿はまさしく『合体形態』であった。

 

 機動力のアルセルタス、破壊力のゲネル・セルタス。

 これらが組み合わさることで、この甲虫種は飛竜に匹敵するほどの脅威をもたらす。

 上の雄は腐食液や長くなった鎌で亜美の射撃を牽制し、下の雌は周囲を鋏で薙ぎ払いうさぎたちを近づけない。

 まさに遠近両対応の無敵要塞だ。

 

 不意にゲネル・セルタスがミミめがけ、口元に水泡を噴き出し始めた。

 

「ひっ……」

 

 咄嗟に近くにいたリーダーが庇って倒れ込むと、頭上を圧縮された水の砲弾が3連発通り過ぎた。

 直後、大爆発とともに背後にあった岩石の壁が深く窪んだ。

 

「あ、あ、あんな奴がいるなんて、きょ、教授から聞いてないわよ!」

 

 ロマンチズムに浸る暇すらなく、ミミはただ震えている。

 だが、ゲネル・セルタスは砲撃の余波で後ずさりして隙ができた。

 

「今のうちにあっちから平野の方へ逃げろ!適当な物陰に隠れ、あとの救助を待ってくれ!」

 

 先ほど通ろうとしていた『エリア2』への道を指さし、リーダーは叫んだ。

 

「は……はいいっ!!」

 

 ミミはつまずきながらも坂の下へ逃げていった。

 彼らは、遠方から着実にダメージを負わせてくる亜美に目標を切り替えた。

 

「次は何をしてくるかしら」

 

 亜美は身構えたが、これまで至って動きは読みやすかったためそこまで警戒はしていなかった。

 アルセルタスが背の甲殻のへりに脚をひっかける。

 彼は翅を震わせると、なんとゲネル・セルタスを自身の力だけで持ち上げ宙に浮かせた。

 

「えっ……」

 

 そのまま地面すれすれで飛んで突っ込んでくる。

 雌雄の体格差からはとても予想のつかない攻撃に、亜美は度肝を抜かれた。

 幸い遠くからの攻撃だったため回避が間に合った。

 

 しかし攻撃は止まない。

 着地してから振り向くと、アルセルタスが自身の角を地面に突き刺し、そのままゲネル・セルタスが発進した。

 生きる重戦車が地を削りながら迫る。

 『重量級』が出してよい速度ではない。

 

「なんてコンビネーションだ!」

 

「もう、なんだか悔しいくらい!」

 

 衛とうさぎも轢かれそうになり、急いで退避する。

 とても夫が『霧』に感染しているとは思えない連携だった。

 攻撃を加える暇などどこにもない。

 そんな中、アルセルタスを覆う『霧』はより一層濃くなりつつあった。

 

「みんな、一刻も早くアルセルタスだけでも倒した方がいいかも!」

 

 なんとか攻撃を避け切った亜美が叫んだ。うさぎが傍に寄る。

 

「どうして?」

 

「『霧』の性質が狂竜ウイルスと共通するなら、ずっとあれだけ近くにいると感染する可能性があるわ」

 

「……どうしよう……」

 

 うさぎは迷った。ここで浄化しようにも、リーダーの前では変身できない。

 しかし、振り向いた巨大虫夫婦を見て彼女はひとつ発見をした。

 

「あっ、疲れてる!」

 

 いかに強大であっても、やはりそこは生物であった。

 大技を連発したせいなのか、両者とも目の光が弱くなり涎を垂らしている。

 彼女はリーダーに急き立てるように手を挙げる。

 

「リーダーさん、ちょっと提案があるんですけど!」

 

「なんだ?」

 

「ここであたしたちがあの子たちを疲れてる間引きつけるから、リーダーさんはミミさんを連れて戻るってのはどう!?」

 

 これならミミを救出できるし、変身して浄化、相手を調べる時間も出来る。

 亜美と衛は、はっとしてうさぎの横顔を見つめた。

 だが、リーダーはしばらく考えたあと渋い顔をした。

 

「……それはむしろ逆の役割だろう」

 

 彼はためらいながらも、提案をはっきりとはねつけた。

 

「こういう場合、普通は経験者が危険を背負うものだ。一年もハンターをしていない者に任せきることはできない」

 

 リーダーはそう言ってから怪物たちの方を指さした。

 

「それに、恐らくそんな悠長なことをしてる時間はない」

 

「?」

 

 その時、ガッと何かを掴む音とともに絞り出すような呻きが聞こえた。

 うさぎたちは、彼らから外していた視線を元に戻した。

 

 ゲネル・セルタスが、鋏で頭上のアルセルタスを掴んでいる。

 彼はもがくも、背中から引きはがされる。

 ゲネル・セルタスはそのまま、彼女の番を後方の地面に叩きつけた。

 

「えっ」

 

 その身が何度も打ち付けられ、破壊される。

 

「な、なにしてるの!?」

 

 うさぎだけでなく、衛と亜美も困惑していた。

 彼女の眼前にぽとんと落とされると、アルセルタスは転がって仰向けにひっくり返った。

 動く気配はない。

 既に事切れていた。

 

「今のうちに準備をしろ!」

 

 リーダーの指示が飛ぶ。

 うさぎたちはついさっきまで生きていた骸を前に呆然としていた。

 

「ぼうっと見てる暇はない!」

 

 それを受けて、慌てて砥石を取り出し武器を研ぎにかかった。

 だが、どうしても気になって上目で見てしまう。

 その光景が視界に飛び込んできた時、うさぎは目を見開いた。

 

 

 食べている。

 

 

 ゲネル・セルタスは番の身体を引きちぎり、大顎を手のように使って口へ運んでいる。

 涙を流すこともなく、黄色い目は無機質な眼差しで()()を貪っている。

 うさぎは砥石を手から取り落とした。

 

「……あれは恐らく感染するな」

 

 そう呟いたリーダーは、既に双剣を研ぎ終わっていた。

 やがてゲネル・セルタスの身体に変化が生じた。甲羅が次第にほのかな紫色を帯び始め、口から黒い靄を吐き出し始める。

 雄の身体がある程度無くなると、ゲネル・セルタスは満足したように身体を持ち上げて咆哮し、蒸気を甲殻の間から噴き出した。

 

 予想通り、彼女も『霧』に感染した。

 

──

 

 調査隊の飛行船は、低空に停泊している。

 緊急時にいつでもより早く現場に駆け付けるためである。

 

 船上では、残ったメンバーがうさぎたちが調査から戻って来るのを待つ。

 ルーキーとガンナーは落ち着いた表情で武器の点検と整備をしている。

 しかし、少し離れた場所で顔を突き合わせている少女たちは様子が違った。

 

「……やっぱり強い妖気を感じるわ。さっきより一層濃くなってる」

 

 レイが目を閉じて正座し、妖魔の力を感じ取りながら言った。彼女が生まれ持つ特殊能力である。

 

「行く、べきかしら」

 

 レイは、迷うように美奈子の顔を見つめた。

 普段は元気のよい彼女でさえも、先のことを引きずっているのかややしょんぼりとしている。

 

「あたしたちが行ったら余計に事態が悪化しない?」

 

 自分たちが『魔女』と呼ばれる姿であの男の前に現れれば、当然混乱をもたらすだろう。

 当然、ガンナーとルーキーの目もある。

 彼らの立場と後のことを考えれば、行くのは明らかに得策ではない。

 

「……なあ、こういう場合どうする」

 

 まことが、うつむいて腕を組みながら言った。

 

「どうするって……」

 

「もしかしたら、またあの人の足引っ張っちゃうかもしれないわよ?」

 

 彼女が視線を上げ、閉じていた目を開けた。

 

「好きになった人1人護りにいけないんじゃ、セーラー戦士の名が泣くんじゃないのかい?」

 

 その瞳には、既にめらめらと闘志が燃え上がっていた。

 レイはそれを見て静かに口角を上げた。

 

「さすが一目惚れ第一号ね」

 

「よし、そうとなれば!」

 

 美奈子は膝を叩いて立ち上がった。

 筆頭ハンターたちはそれに気づき、何事かと見つめ上げる。

 

「ルーキーさん、ガンナーさん!あたしたち、ちょっと中で静粛に反省会してきます」

 

 そう言った美奈子に、ガンナーは微笑で答える。

 

「良いわよ。別の部屋使う?」

 

 彼女が個室へ続く階段を親指で示したのに対し、少女たちは頷きつつ礼を言った。

 

「少しの間ですけど、鍵かけるんでお願いします!」

 

 彼女たちはそう言ったきり早足で階段を下りていった。

 ルーキーは特に咎めることなくりょーかーい、と返事したが、少し経ってから隣に座るガンナーに顔を近づけた。

 

「なに話すつもりなんスかね?」

 

「乙女同士の話題には顔を突っ込まないものよ、ルーキー君」

 

 ガンナーは顔を上げないまま答え、ボウガンの動作確認を進めた。

 

 ドアを閉じると、少女たちは1つだけある丸い窓を見据えた。

 通常気圧の関係で閉じられる窓は、現在解放され風が入ってきている。

 ぎりぎり少女1人がくぐれるほどの大きさだった。

 

「さあ、行くわよ!」

 

 少女たちは室内の窓から跳び降り、ロッドを取り出した。

 




 _人人人人人人人人人人人人人_
> カ ル チ ャ ー シ ョ ッ ク ! <
  ̄YYYYYYYYYYYYY ̄
(ぽかぽか村風)
(主はぽかぽか未プレイです)

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赤き大地に鳴らす甲冑④

 

 ゲネル・セルタスが第一の番を食したのち、すぐに第二のアルセルタスがどこからともなく飛んできた。

 彼らの関係は妻と夫というより、女帝とそれに仕える兵士に見えた。

 狩人たちは体力が戻ったゲネル・セルタスに攻撃を加えるが、未だ弱るには至らない。

 

「さっきのは……きっと、『霧』のせいですよね?」

 

 たまたまリーダーが近くに来たとき、うさぎが呟いた。

 彼は首を横に振った。

 

「いいや。奴らは元からそういう生物だ」

 

 うさぎは『プリンセスレイピア』の柄を強く握りしめた。

 ゲネル・セルタスがフェロモンガスを放出する。

 アルセルタスは同じ雄の死骸を横目に、ゲネル・セルタスの頭上へ向かう。

 直後、女帝は頭上の兵士を鋏でひっ捕らえ、背後のうさぎを潰そうと何度も叩きつける。

 衛が後ろから彼女を抱き寄せ攻撃から逃す。

 

「っ!」

 

 逆さまになったアルセルタスの目は既に生気を失い、脚はだらんと垂れ下がっていた。

 怯んだうさぎの瞳に涙が浮かんだ。

 

 ゲネル・セルタスは振り返り、アルセルタスを捕えて口の前に据え置いた。

 狙いは、うさぎとそれを庇っている衛である。

 女帝は、兵士のすぐ背後で蒸気と口泡を噴き出す。

 

「……避けろ!」

 

 リーダーの指示とほぼ同時、衛はうさぎを抱いたまま横に跳んだ。

 

 

 アルセルタスが、巨大な砲弾となって撃ちだされた。

 

 

 2人の背後で、大爆発とともに命が弾け飛ぶ。

 緑色の破片がうさぎの頬の横を掠めた。

 

 着弾点から、うさぎは目を離せないでいる。

 片手剣を持つ手も震えている。

 

「あの行動、亜種しか行わないはずだが……!」

 

 リーダーは呟きながらゲネル・セルタスの脚へ突っ込んだ。

 彼女は鋏を何度も振りかざすが、リーダーはそれを悉く躱して斬り連ねていく。

 急いで衛はうさぎの手の甲をひっぱたき正気に戻した。

 2人は青ざめながらも、ゲネル・セルタスから距離を離した。

 

 亜美は電撃弾を撃ち込むが、あまり効いているようには見えない。

 

「このままじゃ余計に犠牲が増えるわ!少しでも彼女を弱らせなくては!」

 

 ゲネル・セルタスは突然片脚を大きく持ち上げ、大地を踏み砕いた。

 全体重を乗せた震動が、彼女を中心に伝わった。

 

「なんだ、この行動は……!」

 

 近くにいたリーダーは足を崩した。

 彼でさえも見たことのない技のようだった。

 ゲネル・セルタスが、彼にめがけてもう一度脚を振り上げる。

 

「リーダーさんっ!!」

 

 うさぎが叫ぶと──

 その頭上に巨大な雷が走った。

 彼女は大きく仰け反り、轟音を立てて倒れ伏した。

 

「何だ!?」

 

 どこにも雷雲はない。

 リーダーは、落雷が起こった地点へ目を凝らした。

 ふと、橋の上に3つの人影が現れる。

 

「あれは……!」

 

 正体はセーラーマーズ、セーラージュピター、セーラーヴィーナスだった。

 

「『魔女』!」

 

 リーダーは驚いて叫んだ。

 セーラー戦士たちは、腕を組んだままうさぎたちを意味ありげに見つめた。

 それだけで、うさぎたちには何となくの意味は分かる。

 

「リーダーさん……さっきの彼女の提案、通していただけませんか?」

 

 衛が進言する。

 その様子を、セーラー戦士たちはじっと見守っている。

 

「ミミさんは今この時安全とは限りません。俺たちのような素人より、土地勘のある貴方の方が彼女を探しやすいと思います」

 

「しかし……」

 

 彼は一旦外した視線をゆっくりと衛に戻した。

 

「君たちは『魔女』とゲネル・セルタス……両方相手取って生きて帰れるのか?」

 

 男同士、半ば睨み合うようにして見つめ合う。

 互いに険しい顔を崩さなかった。

 

「リーダーさん、早くミミさんを連れて逃げて!」

 

「あたしたち、絶対無事で帰ってきますから!」

 

 リーダーは、呼びかけたうさぎと亜美の顔を見て驚いた。

 そこに浮かんでいるのは絶対的な覚悟とでもいうべきものだった。未熟さゆえの盲信には見えない。

 彼から見れば、彼女たちは出自、実力不明の初心者ハンターであるにも関わらずである。

 

「……本来なら引きずってでも連れて行くところだが」

 

 リーダーは途中で言葉を切った。

 

「決して戦おうとするな。『魔女』との戦闘は避け、隙が出来ればすぐに帰投するように」

 

「ありがとうございます!」

 

 感謝の言葉を背にリーダーは『エリア2』へ向かい、やがて見えなくなった。

 見送ったうさぎは3人の『魔女』に振り返った。

 彼女らは橋から跳躍し、うさぎたちの傍に着地した。

 

「よし、みんな、お仕置きの時間よ!」

 

 うさぎは胸元からコンパクトを取り出して叫んだ。

 仲間たちも一緒に頷いた。

 

「ムーン・コズミック・パワー・メイクアップ!!」

 

「マーキュリー・プラネット・パワー・メイクアップ!!」

 

 2人が戦士の衣を纏い、この世界で『魔女』と呼ばれる姿を露わにしてセーラーチームは揃い踏みを果たした。

 衛もタキシード仮面に変身し、セーラームーンの隣に降り立つ。

 ゲネル・セルタスは甲虫種ゆえか、気にすることなく突っ込んでくる。

 

「虫には火よ!ファイアー・ソウル!!」

 

 セーラーマーズの放った火炎放射をまともに喰らい、ゲネル・セルタスは怯んだ。

 だが致命傷ではない。全身を覆う装甲が彼女の身体を護っている。

 彼女は周囲を取り囲む戦士たちを一掃しようと、力を溜めたあとタックルを仕掛ける。

 

「ヴィーナス・ラブミー・チェーン!!」

 

 華麗に攻撃を跳んで躱したヴィーナスが、光の鎖を解き放ち尻尾に巻き付けた。

 一瞬後方に引っ張られるが、ゲネル・セルタスは鋏を振り回して対抗する。

 ヴィーナスは地から離れ、敢えなく空中でぶん回される。

 

「きゃぁぁぁ!!」

 

 そのまま投げ飛ばされ地面に落下、彼女は気を失った。

 

「ヴィーナス!」

 

 ムーンがヴィーナスを介抱しにかかった。

 女帝は単体でも十分に強かった。肉弾戦では勝ち目がないようである。

 マーキュリーがバイザーで計測したところ、妖魔の力によるものか異常に甲殻の強度が増していた。

 

「まともに甲殻に攻撃しても効果はほぼないわ。硬さに関係のない攻撃を当てて!」

 

「じゃあもう一発だ!シュープリーム・サンダー!!」

 

 ジュピターのティアラから避雷針が飛び出し、威力を増した雷がゲネル・セルタスに直撃した。

 彼女は感電したが、すぐに立ち上がった。

 確実に耐性を得てきているようだ。

 

「くそっ!しぶとい奴だ!」

 

 やはり常識が通用する相手ではないことをセーラー戦士たちは思い知った。

 タキシード仮面が甲殻の下に隠れている腹をじっと見つめた。

 

「甲殻が強化されているとしたら、その下はどうなんだ……?」

 

 突如、ムーンに向かって鋏が伸びる。

 彼女は急いで近くにいたヴィーナスの前に飛び出た。

 ゲネル・セルタスはセーラームーンを器用に挟み上げ、自身の口の前に据えた。

 口から泡が急速に膨れ上がる。

 

「まさか!!」

 

 マーキュリーだけでなく、戦士たちが目に見えて焦る。

 この女帝は、アルセルタスと同じことをやろうとしている。

 彼女は、勝ち誇ったように蒸気を噴出しながら大顎を横に広げた。

 ムーンが目をつむったとき、ヴィーナスがよろよろと立ち上がった。

 

「させる……もんですか!」

 

 彼女は光の鎖を再び伸ばし、尻尾を引っ張ることでうさぎを口の正面から僅かに引き外した。

 

「そこだ!」

 

 タキシード仮面が伸ばしたステッキが、大顎の間に覗く頭部を突いた。

 その強烈な一撃は、ムーンを見事に避けていた。

 ガァン、と金属を叩いたような音が鳴る。

 その一発でゲネル・セルタスは大きく仰け反り、地響きを立てて倒れ込んだ。

 

「タキシード仮面様!」

 

「セーラームーン!彼女が昏倒しているうちに早く!」

 

 呼びかけに答え、飛び降りたムーンはロッドを取り出した。

 

「ムーン・スパイラル・ハート・アタック!!」

 

 マゼンタの光に包まれ、ゲネル・セルタスは浄化されていった。

 光が止むと、傷が完治した彼女はしばらく戦士たちと睨み合った。

 だが、女帝は興味を失ったようにそっぽを向き、その場をゆっくりと去っていく。

 

「……はぁ〜よかった〜!」

 

 地面に潜ったのを確認し、戦士たちはその場に崩れ落ちる。

 

「あっ、あんたたち!やっぱりバルバレに来てたのね!」

 

 ぜえはあ言わせながら叫ぶ声が聞こえた。

 振り返ると、黒いドレスに身を包んだ少女が道の側に生える樹の上に立っていた。

 

「ミメット!」

 

 さっきまで崩していた姿勢を、一気に臨戦状態へと戻す。

 

「あんたも、この世界に転生してたのね!」

 

 ヴィーナスが指さすと、ミメットはふてぶてしく笑った。

 

「えぇそうよ。教授のお役に立つためならいくらでも地獄の淵から蘇ってみせるわ」

 

 ミメットは息を整えながら腕で額の汗を拭った。

 

「あのハンターどもが逃したままでいてくれたらもうちょっと仕事してくれたはずなんだけど、わざわざここまで駆けつけてくるなんてご苦労様なことね」

 

 セーラー戦士たちは互いの顔を見合わせた。

 どうやら、うさぎたちがハンターをしていることは気づいていないらしい。

 

「本来ならここで借りを返させてもらうところだけど、あいにく手持ちのダイモーンの卵もすっからかんなのよね」

 

「ならここで対決なさい!」

 

 マーズが切り返すが、ミメットは首を振って取り合わない。

 

「いや、いいわ。いろいろあって疲れてるし。それにここで戦う必要もないわ」

 

 彼女は幹に腰を落ち着け、傲岸不遜に見下して笑った。

 

「だっていつか時が来るもの。あんたたちが降参しなきゃいけなくなる、その時が」

 

「その時……?」

 

 ムーンが訝しげに繰り返したところで、ミメットは再び立ち上がる。

 

「降参したくなったらいつでも待ってるわ♡じゃあね、バイビー!」

 

 軽々しく手を振ると、ミメットは後ろに跳んでどこかへと消えた。

 

「デス・バスターズ……やはり幹部の多くがここに転生している可能性が高いな」

 

 そう言ったタキシード仮面にムーンが顔を見合わせる。

 

「あいつが言ってた『その時』っていったい何かしら?」

 

「ユージアルのときみたいに、あいつも何か策を練ってる可能性大だな」

 

 ジュピターがミメットの消えた方角を見つめ、推察した。

 ムーンがマーズ、ジュピター、ヴィーナス3人の顔を覗き込む。

 

「てゆーか……みんな、時間大丈夫?」

 

 3人は同時に「あ」と声を上げた。

 いま、彼女たちは飛行船の密室で相談事をしている設定である。

 あまりに長いと怪訝に思われることは想像に難くない。

 

「おおっとそろそろ怪しまれる頃合いね!じゃあまた後で!」

 

 彼女たちは跳ぶと、あっという間に姿が見えなくなった。

 

「じゃあ、俺たちも信号弾を撃つか」

 

 タキシード仮面は変身を解いて衛へと戻り、信号を撃ち出す銃を手に取っていた。

 セーラームーンもうさぎへと戻り頷く。

 

「うん!」

 

 その後、 うさぎたちは信号弾を上げて1時間後、無事に回収されることとなる。

 レイとまことと美奈子の3人も、数分後に飛行船の室内に戻った。そろそろ声をかけようかという頃合いだったらしく、かなりのギリギリセーフだった。

 一般人ミミも、物陰から現れたところを筆頭リーダーによって無事保護された。

 調査隊は『霧』に感染したアルセルタスのサンプル提出、そして一般人の送還のため一旦バルバレに戻ることとなった。

 

──

 

「やはり『魔女』は集団幻覚などではなく、実在する敵だ」

 

 リーダーはそう言い切った。

 時は既に夕方である。

 既に遥か下に見える金色の平原は遺跡と同じ赤色に染まり、黒い闇に溶け込みつつある。

 船上にはランプが付き、飛行船はバルバレに戻ろうとしている。

 真ん中に机を置き、全員がそれを囲むように立ってリーダーの話を聞いていた。

 

「『魔女』が『霧』を消したというのは確かなんだな?」

 

 うさぎたちは頷いた。

 それを確認すると、リーダーは小さく包まった紙を取り出した。伝書鳩から届いたものだ。

 

「先ほど、君たちの報告と同じくゲネル・セルタスが正常化したという報告が入った。確かに、あの後速やかに自然回復したと考えるには無理がある」

 

 厳しい顔を崩さず、彼は話を続けた。

 ルーキーとガンナーも、じっと真面目な顔で聞いている。

 

「私は、彼らは存在が明るみになるのを恐れて証拠隠滅を図ったと見ている」

 

 少女たちは彼の発言を聞いて目線を落とした。

 どうやら、セーラー戦士への風評被害が止まるわけではないらしい。

 

「危険なことも多々あったが……今日は君たちの実力をしかとこの目で見届けた。確かに、商人殿が推薦された通りのことはある」

 

 心なしか、リーダーの口調が柔らかくなった。

 うさぎの顔がぱっと輝いた。

 

「とはいえ、あれは初見の相手には無謀すぎる行為だ。次からはくれぐれも謹むように願う」

 

「ええ、本当にその件では……」

 

 未知の敵である魔女に立ち向かおうとしたことである。

 僅かにできた隙を埋めるように、彼はすぐ厳格な表情を浮かべた。

 緊急時とはいえ、初心者であるうさぎたちを置いてきた彼の心境は並々ならぬものだったろう。

 衛が、うさぎと一緒に反省したようにうつむいた。

 

「……あの!」

 

 まことが口火を切った。

 

「今朝はすみませんでした!勝手に自分たちだけではしゃいじゃって……」

 

 彼女はぺこりと頭を下げ、レイと美奈子も続く。

 リーダーはそれを見ると、少ししてから軽くため息をついた。

 

「……私も、大人げなく怒鳴ってしまってすまなかった。その……君たちのような歳の女性を相手にするのに慣れていないものでな」

 

 リーダーは、気恥ずかしさからか中々視線を彼女たちに合わせられていなかった。

 

「君たちの実績を形作ってきたのは、その余りある勢いもあるのだろう。彼女たちの様子を見ても、そんな気がした」

 

 彼は視線を上げ、強いまなざしで3人を見つめた。

 

「だから……ヒノ君、キノ君、アイノ君。これからは、君たちがその実力を証明してくれないか?」

 

「は、はい!ありがとうございます!」

 

 姿勢を正し、3人は敬礼した。

 

「では、活躍を期待する」

 

 リーダーはそう言って頷くと、無言でそのまま私室に入っていった。

 ルーキーとガンナーが、微笑みながら彼女たちの横に並んだ。

 

「よかったな、許してもらえて!反省会しただけのことはあったっスね!」

 

「フフ……私たちも期待してるわよ」

 

 ガンナーが肩を叩くと、美奈子は勢いごんで頷いた。

 

「はい!ご期待に沿えるよう頑張りますっ!」

 

 レイとまことはぎゅっと両拳を握りながら向かい合った。

 

「よし、明日から狩人として猛勉強するわよ!」

 

「目指すはリーダーさんの笑顔と信頼、だな!」

 

 ここに、再び少女たちの闘志が燃え上がろうとしていた。

 

「……だから順序が逆だって言ってるのにみんなったら……」

 

「まあまあ、モチベ上がってるからいいじゃん!」

 

 呆れ果てている亜美の肩を、うさぎがぽんと叩いた。

 この有無を言わさない女子たちの勢いを前に、衛は「たははは……」と苦笑いで済ませるほかなかった。

 

 一方、ミメット扮するミミは、彼らの声も聞こえないほど遠い部屋で一人、紙にペンを走らせていた。

 ペンの頭でつつく彼女の唇が、何かを企むように笑って歪んでいた。

 

──

 

 その夜、飛行船の薄暗い個室の中。

 亜美が分厚い本を手元で開き、机上の隣にはランプが置いてある。

 うさぎがノックして入ってきた。

 彼女は椅子の背にもたれかかって手元を覗いた。

 

「あーみちゃんっ、何読んでるの?」

 

「アルセルタスとゲネル・セルタスについての研究報告書よ」

 

 ページのどこを見てもほぼ文字しかない。

 未だに一部の漢字が怪しいうさぎにとっては余計に意味が分からない。

 

「うっへぇ、難しそー……」

 

「ふふ、でも内容を知っていくと中々興味深いのよ」

 

 亜美は微笑みながらぱらぱらと本の中身をめくって見せた。

 幸いなことにスケッチが描かれているので、何について書こうとしているかはぎりぎり分かる。

 

「ゲネル・セルタスとアルセルタスの個体群密度の比率について、フェロモンに含まれる特殊な快楽物質について、その次は──」

 

 流暢に解説していく亜美の表情には活力が満ちている。

 その本に目を移すと、うさぎは「亜美ちゃん」と話しかけた。

 

「──ちょっと、聞きたいことがあるの」

 

 亜美のページをめくる手が止まり、目がうさぎの方に戻った。

 

「あの子たちってどんな気持ちで生きてるのかな?そういうことって載ってる?」

 

 どうにかそこに納得と希望を見出そうとするかのような光が、青い瞳の底にあった。

 しばらく亜美は本に目を通していたが、やがてお手上げと言う風に本を閉じた。

 

「ごめんなさい、実際のところは彼ら自身になってみないとどうとも」

 

「……そっかぁ」

 

 ぼんやりとしたうさぎの顔を、亜美は覗き込んだ。

 しかしすぐに彼女は椅子の背から手を放して明るく笑った。

 

「そりゃそうだわ!亜美ちゃんにすら分かんないこと、あたしにわかるわけないわよね、あははは!」

 

 うさぎはひらりと身を翻してドアの前に立った。

 振り返るとひらひらと手を振った。

 

「ごめん、お邪魔しちゃった!あたしまもちゃんのとこ戻るねー!」

 

「うさぎちゃん?」

 

 取り残された亜美は、閉じ切らず半開きになっていくドアをじっと見つめていた。

 




サンブレイク体験版くっそ楽しかった(ガンランスきもちいい)んだけど、その前から発症していた腱鞘炎で1回しかできませんでした…絵も小説も停止しているので今後、もしかしたら遅れるかも知れないです


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赤き大地に鳴らす甲冑⑤

 

 バルバレに帰ってきてからというもの、レイ、まこと、美奈子は人が変わったように勉学に打ち込み始めた。

 今では、本がテントの天井に届くかと思えるほど棚積みされている。

 

「ひゃー、まるで塾ねこりゃ!」

 

 うさぎは机に肘をつき、本の山を見上げて感心していた。

 

「すごいわね、目標がある人の勢いって……」

 

 亜美もこの熱気には驚いているようだった。

 その膝に乗っているちびうさが、頭を亜美の胸に預けて彼女の顔を逆さに見つめた。

 

「ねーねー亜美ちゃん!昨日の続き、あたしにも読んでー!」

 

「ええ、いいわよ」

 

 亜美はしおりを取り出すと本の続きを読み聞かせる。

 ちびうさにもわかるように、平易な単語に置き換えつつ話した。

 

「この前からちびうさまで3人にかぶれちゃって、どうしたもんかしら」

 

 うさぎは深くため息を吐き出した。

 こうしてみると、うさぎだけがサボっているようにも見えてしまう。

 

「だって、読んだぶんうさぎより賢くなれるもーん!」

 

 彼女はその状況を見透かしたように、得意げににやつく。

 それを見せつけられたうさぎは、小さく歯ぎしりした。

 

「何度でも言うけど、お子さまが行っていいとこじゃないってことだけははっきりと言っとくわよ!」

 

「動機はともかく、情報に触れてみるのはいいことよ。うさぎちゃんも読んでみたら?」

 

 亜美が見せてきた本のタイトルは、『諸地域の地理とバイオームとの関連性についての共同研究報告18』。報告書なのに、図鑑ほどの厚さである。

 

「……今は遠慮しとくー」

 

 うさぎは断ると、退屈そうにジュースをすすり始めた。

 一方、まことと美奈子は調合書をめくりまくっている。

 

「あれ?秘薬の調合って栄養剤グレートと何だっけ?」

 

「それは古いやり方よ!確か増強剤とニトロダケ……」

 

「ちょっと、それじゃ爆発しちまうよ!えーっとえーっと……」

 

 まことと美奈子の脳内で回路が暴走し始め、ぐちゃぐちゃに絡み合って──

 遂に爆発した。

 

「……だー---!!」

 

 2人は、床に仰向けに伸びた。

 

「あーもう頭がこんがらがるー!」

 

「筆頭ハンターさんってこれ全部覚えてんのー!?」

 

「いや……最近のハンターさんはみんなやってるらしいよ……」

 

「ますます意味わかんなーい!!」

 

 寝転がりながら唸っている2人をよそに、レイは涼しい顔をしている。

 

「ほら2人とも、もたもたしてるとレイちゃんが抜け駆けしちゃうわよ?」

 

「ちくしょーそういうわけにいくかー!」

 

「よーしやるぞー!」

 

 まことと美奈子が奮起すると、再び3人は熟読し始めた。

 

「……3人もこの前みたいに褒められたいのね」

 

 アルテミスと並んで丸まっていたルナが小さく呟いた。

 突然、美奈子が立ち上がった。

 

「褒められるだけじゃないわ!」

 

「鍛錬して、あの人にたくさん貢献して、認められて!」

 

「敵を蹴散らしたら、あの人と素敵な思い出たくさん作るのよー!」

 

 まこととレイは拳を振り上げ夢を意気揚々と語る。

 

「ほんっと、この先の不安とかそういうものが一切なくて羨ましいよ……敵が何をしてくるか全く読めないってのにさ」

 

 アルテミスが呆れたように言った。

 うさぎは、先日のミメットの言葉を思い出しながら物思いに耽った。

 

「ミメット……一体なに企んでるのかな」

 

 

 数日後、少女たちに団長からある一報が届いた。

 もう1人の筆頭ハンターが是非とも話し合いたいのだという。

 彼はかつてリーダーや団長とともに行動したことがあるベテランで、ギルドからの信頼も厚いらしい。

 あちら側からの要望で、実際に先日調査に赴いたうさぎ、衛、亜美が団長の立ち合いの元で彼と会うことになった。

 

「あいつと会うのも久しぶりだなあ!どんな土産話を持ってくるんだか」

 

 街道を歩く団長はそう言って期待を顔で分かるほど膨らませていた。

 待ち合わせは、狩人たちの集会所となっている竜頭船の入り口だった。

 

「やあ、君たちかね。最近ジュリアスを悩ませている姫君たちは」

 

 狩人が行きかうなか、にこにこと笑いながら彼は出迎えた。

 黄色の塔のような巨大槍を背負う、筋肉質で顔が四角い中年男性だった。

 頑健な見た目に反し、口調と表情は至って紳士的である。

 

「この度はご迷惑をおかけしてすみません」

 

「リーダーさんがお忙しいなか、うちの者たちが……」

 

 亜美と衛がぺこりと頭を下げた。うさぎも慌てて続く。

 だが、彼は取り立てて気にしていないようだった。

 

「はっはっは!むしろ仕事一筋な彼にはいい薬になるさ。さあ、入ろう」

 

 集会所は、真昼間から酒、食い物、喧騒に溢れかえっている。

 クエスト出発口となる奥の出口からは、太陽光が真っ白に差し込んでいた。

 広い円形のテーブルが置かれている酒場では、数人の飲んだくれのハンターが豪快にがなっている。

 彼らを避け、彼らは隅っこにあるテーブルに行った。

 

「貴方のことは、なんとお呼びすれば?」

 

 席に着いた衛が聞くと、男は微笑んだ。

 

「名乗るほどの者ではない。気軽にランサーとでも言いたまえ」

 

 大ベテランの肩書からは意外に思えるほど腰が低い人だった。彼は続けた。

 

「今回来たのは他でもない。霧と魔女について更なる情報を得たので、先鋭隊たる君たちに挨拶も兼ねて伝えにきたってわけさ」

 

 団長は大声でメイドにビールを頼んだあと、にやりとして腕を組んでみせた。

 

「こいつには今からでも媚びを売っておけよ。なんたってギルドお抱えの生物学者だからな!」

 

「買いかぶるのはよせよ、団長」

 

 ランサーは片手を振って謙遜するとテーブルに手を置き、ずいと前のめりになった。

 

「では、君たちも聞きたいだろうから本題に入ろう。まず、アルセルタスの細胞のサンプルから、狂竜ウイルスに酷似した構成要素が検出された」

 

「……ま、これは予想通りだな」

 

 団長は納得げにうなずき、うさぎたちもそれに同意した。

 

「まず説明しておくと、狂竜ウイルスは一般に言われるウイルスじゃない。症状の出方から便宜上そう言われているだけだ」

 

「確か、ゴア・マガラが発する鱗粉のことをそう呼ぶんですよね?」

 

 亜美が答えると、ランサーは嬉しそうな顔をした。

 

「お、流石よく知ってるね。そう、ゴア・マガラの鱗粉は盲目の彼が周囲を把握するためのものだ。その副産物として、それを取り込んだ生物の凶暴化がある」

 

 彼の糸目がちな瞼が開かれ、うさぎたちを真っすぐ見つめた。

 

「その意味で、今回の霧に狂竜ウイルスという呼称はふさわしくないと考えている」

 

「どういうことですか?」

 

 衛が単刀直入に聞いた。

 

「感染力が恐ろしいほどに弱く、目立った凶暴化もない。全くの別物だ」

 

 重々しい口調のまま、ランサーは答えた。

 意外な事実に、3人は戸惑いの表情を浮かべる。

 団長の目つきが剣呑としたものに変わった。

 

「本来は数日で急速に感染が広がるはずだが、今回、遺跡平原での感染拡大はない。目立った凶暴化もしないから積極的な感染がないんだ。『狂竜ウイルス』としては大きすぎる欠陥といえる」

 

「じゃあ、前と比べたら被害は少ないんですね!」

 

 うさぎはひとまず頬を緩ませたが、ランサーは難しい顔のままだった。

 

「代わりに厄介なのが、捕食を介さない生命力の吸収だ」

 

 かつてライゼクスが見せた、エナジー吸収のことだ。

 彼は、学者らしい冷静な口調を保っている。

 

「原理は解明できていないが、霧に感染したモンスターはほぼすべてこの能力を手に入れる。おそらく、遺伝子レベルから体の仕組みを書き換えているのだろう」

 

「で、その集めた生命力をどうするんだ。そのまま消化しちまうってわけじゃないよな」

 

 少女たちは、口を挟んだ団長に振り向いた。

 ビールをあおる男の瞳は、底に冷静な色を帯びている。

 ランサーは似たような目つきで見つめ返し、籠手に覆われた手の甲で顎を擦った。

 

「噂通りバルバレの破壊のみが目的なら、わざわざ威力を弱くする必要はあるまい。吸収以外にもっと別の性質をあのウイルスは隠し持っているはずだ」

 

「別の性質……ですか」

 

 亜美が目を細め、テーブルを見つめた。

 

 あれだけ派手なご入場である。ミメットは既に気づいて動き出していると考えてよい。

 だが、バルバレは人口が多いうえに人の出入りが激しい地域である。ココット村のような閉鎖空間を前提とするユージアル案の実行は難しい。

 先日の自信たっぷりな態度の意味を知る鍵があるとすれば、ランサーが話題としたウイルスの性質であった。

 

「そこでひとつ気になるのは、肝心のゴア・マガラがまったく見つからないことだ」

 

 亜美は顔を上げた。

 

「これだけ世界中のハンターが躍起になっているのに、感染源はどこにも見えない。狂竜症の件で、かの種の特定方法は確立されているのにも関わらず、だ」

 

 ランサーは、ちらりと団長を一瞥した。

 

「そろそろ、そちらの英雄殿から連絡はないのか?単独で世界を回ってると聞いているが」

 

 少女たちの頬が引きつった。

 英雄と聞いて思い出すのは……。

 あの、パンイチでダレン・モーランから街を救い、素手で団長の頭蓋骨を割れると噂の狩人である。

 

「ま、まつ毛のハンターさんのことですか?」

 

 うさぎが聞くと、団長は微笑んで片目をつぶってみせてからランサーへと向き直った。

 

「いいやぁ。お嬢は元気に火山駆け回ってるかとか、娘ッコはそろそろ反抗期かとか、歳なんだからそろそろ酒やめろとか、そんないつものやり取りさ」

 

 団長は、空になったジョッキを顔の横におどけたように掲げて見せた。

 緊張していたはずのうさぎたちの顔がほっとして緩んだ。

 どんな人なのか想像もつかなかったが、気のいい人らしい。

 ランサーはそうか、と真面目な顔で頷くと、そのまま顔をうさぎたちの方へ向けた。

 

「君たちの立場から、何か伝えておきたいことはあるかね?」

 

 迷いを秘めた視線が3人の間で交差した。

 目の前にいる男は、狩人たちを束ねる組織、ハンターズギルドの中枢に近い人物である。あまり下手なことは言えない。

 しばらくじっと考えたのち、衛が一番に答えた。

 

「魔女は……今囁かれてるやつらとは違うかもしれません」

 

「というと?」

 

 本当の敵を教える最大のチャンスだ。

 半ば一縷の願望を込めるように、衛は慎重深く続けた。

 

「魔女たちは、もっと狡猾な可能性があります」

 

 テーブルの下、膝に置いた手に力がこもった。

 

「例えば、身代わりを立てるとか、助言者を装うとか……意外な手を使って潜伏しているかもしれません」

 

 衛が述べたのは、いずれもユージアルがかつて使った手法だった。

 ランサーは、その短い内容を興味深そうに聞いていた。

 

「なるほど。確かに、我々も最近の研究は霧のことばかりで、魔女の方がやや手薄になっている。今度の学者会議でその可能性を具申してみよう」

 

「本当ですか!」

 

 深く頷いたランサーを見て、うさぎたちは心中胸を撫でおろした。

 そこに、筋肉隆々の腕がすっと上がった。

 

「なるほど、魔女そのものにも焦点を当てる、か。俺もちょっと考えたこと、喋らせてもらっていいかな?」

 

 団長は、ジョッキを置いてからその右肘をテーブルに置いた。

 

「これは直感なんだがな、どうも問題となってる魔女……どこか奥深くに潜んでるようにみんな思ってるが、俺には案外近くにいるかもって感じるんだ」

 

 その一言に、一転して少女たちは冷や水をかけられた面持ちになった。

 蒸し暑い空気が肌にまとわりつく心地がした。

 

「彼女たちはなぜあの事件のとき、わざわざ危険を冒して他の船を挑発した?俺にはそれが、ずっと引っかかっていてね」

 

 旧き友人の言葉に耳を傾けながら、ランサーは険しく目を光らせた。

 

「この前の豪山龍と峯山龍の件か」

 

 団長は髭をいじりながら、天井のシャンデリアを考え深げに見上げた。

 円状に幾本も並べられた蝋燭は、下の喧騒に反して静かに天井を照らしている。

 

「俺たちが思ってるより、この異変……裏でいろんな考えが巡っている気がしてならないんだ。俺たちには想像もつかん次元の上での考えがな」

 

 しばらく沈黙の時間が流れた。

 うさぎが冷や汗をかきながら視線を彷徨わせると、亜美がそれをじっと見つめ制した。

 ランサーはそれを断ち切るように手をぱちん、と叩いた。

 

「なるほど、どちらの意見もしかと記憶しておこう。協力に心より感謝する」

 

 今度こそ、うさぎたちは心の底から安堵した。

 

 対談はつつがなく終わった。

 帰り際に、少女たちはランサーから次回の調査予定地を直接伝えられた。

 次は、より本格的かつ広範囲に調査の範囲を広げるらしい。

 また、ランサー自身も数年ぶりに、筆頭ハンターとして調査に協力することも合わせて伝えられることとなった。

 




今回から書き方をちょっと変えて心情の表現を入れ始めてます。完全三人称で書くのに限界を感じ始めているので。(脚本か他人事みたいな文章になってしまう)
あと、休息と、マッサージやストレッチやりまくったおかげで腱鞘炎もだいぶ治ってきました。ゲームはあまり長くやれませんが執筆はなんとかなりそう。


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猿蟹合戦①

 

「亜美ちゃん、前の続きのお話聞かせて―!」

 

 テントに帰ってきた途端、ちびうさはうきうきした表情で亜美の膝にぽすん、と飛び乗った。

 

「ええ、確か原生林のところからだったかしら?」

 

 そう言って彼女が分厚い本からしおりを取り出すのを、うさぎは見ていた。

 数日後に向かう次の調査予定地は、『原生林』と『沼地』だった。

 折しも、亜美がちびうさにいま語って聞かせている土地だった。

 

「そうそう、謎の巨大骨についてだったわね」

 

「わーい、楽しみー!」

 

 ちびうさは脚を揺らして講義を楽しみ始めた。

 

「まーよく飽きないこと」

 

 またしても、本を読んでいないのはうさぎだけになった。

 相変わらず、残りの戦士たちは本を前にうんうん唸っている。

 

 ここにしか生息しない美しい瑠璃蝶に、毒沼に生える超巨大キノコ、空に広がる屋根のような蜘蛛の巣。

 次々に亜美の口から飛び出す未知の世界に、幼い少女は目を輝かせていた。

 

「……でね、ここにはダイミョウザザミっていう巨大なヤドカリのような生物がいるの。雑食性だけど、主に砂の中にいる小動物や虫、植物を食べるわ」

 

「へー。ってことは、大人しい子なの?」

 

「ええ……自分から争いをしかけるようなことは稀ね。でも、いざ相手にしたら意外に大変らしいわよ」

 

「え、どんな風に?」

 

 彼女からとめどなく質問が飛び出すので、亜美もなかなか手を焼いているようだった。

 

「うさぎちゃんも読んであげりゃあいいのよ、これじゃあ亜美ちゃんがママみたいだわ」

 

 早くも山積みの本を横にくたばっている美奈子から発言が飛んできた。

 

「ダメダメ、うさぎの頭じゃあ絵本の読み聞かせでやっとよ」

 

「むーっ!」

 

 レイからのやじを聞いて膨れ上がったうさぎだったが、開き直ったように胸を張って落ち着いた。

 

「あーもうあたしはいいのよ!亜美ちゃんの方がずっと知識あって説明上手いんだし!ちびうさも、今そうやってるの楽しいんでしょ?」

 

「うん!」

 

 ちびうさの顔に浮かんだのは、屈託のない表情だった。

 

「じゃあそれでいいじゃない。せーぜー、あたしに追いつけるように頑張んなさい」

 

 亜美は、ちびうさに答えるように浮かんだうさぎの笑みを見てあれ、と思った。

 彼女の目は未来の母親らしく見守るような暖かみを帯びていたが、一方で遠くのものを見つめるような孤独さも感じられた。

 

「あたしは、今のうちにまもちゃんと一緒に訓練してくるから!じゃね!」

 

 本の山に背を向けて、彼女は近くにある訓練場へとすっ飛んで行った。

 彼女の背中に向かって、ちびうさは挑発するように片目を剥いてベロを突き出してみせた。

 

「けっ、あたしを舐めてたらひどい目に遭うわよーだ」

 

「ねえ亜美ちゃん、続き早くー!」

 

「あ、はいはい……」

 

 ちびうさに続きをせがまれたので、一瞬感じた疑問は搔き消えていった。

 

──

 

 数日後、調査を翌日に控えた日にちびうさが言ったことはみなを驚かせた。

 

 

「ねーお願い、お願いったらー!!」

 

 

 袖を引っ張るちびうさを、うさぎは何とか引き離した。

 

「だからダメつってんでしょ!それ装備なんて言い張っても無駄ですからね!」

 

 目の前の少女は紐でフライパンを胸の前に縫い付け、手にはおたまを持っている。

 指摘されて彼女は、ぐっと視線をきつくした。

 

「今まで我慢してたけど、やっぱり1人だけでお留守番なんて嫌よ!今までみたいに、あたしも一緒に戦う!」

 

 ちびうさがうさぎ相手に退かないのはいつものことだったが、今回はそれに増して頑なだった。

 

「あたしが、外の世界についてあんなに喋っちゃったからかしら……」

 

 亜美が反省したように目を伏せると、そこにまことが肩に手を置いて励ました。

 

「しかたないよ。どちらにしろ、いずれこうなってたさ」

 

 ちびうさも他の戦士より力が弱いとはいえ、これまでの戦いでは常に行動を共にしてきた。

 彼女からすれば、いきなり戦線から外されたことに、当然納得はできないだろう。

 うさぎは一旦ため息を吐き、屈んでちびうさと同じ高さに目線を合わせた。

 

「ちびうさ、あの時も言ったでしょ?元の世界とここでは戦いのやり方も意味も違うって」

 

「そのくらい分かってるわ!でっかい武器で怪物たちを倒して、ここの人たちとあたしたちの世界を護るんでしょ!」

 

 ちびうさは即答すると、おたまを剣に見立ててきりっとした顔で構えてみせた。

 レイがうさぎの隣に屈み、優しく語りかけた。

 

「……ちびうさちゃんが思ってるのとは全然違うわ」

 

「どういう風によ!」

 

 ちびうさが強気な口調で噛みつくと、少女たちは困ったように互いの顔を見合わせた。

 うさぎは肩をひっつかんでこちら側に向かせた。

 

「まずあんた、どうやってあんな重い武器持つのよ。あたしたちはセーラースーツで何とかなってるけど、あんたはどう見たって無理でしょうが!」

 

「そ、それはうさぎが使ってるような片手剣なら……」

 

「それにね、今戦ってるのはそんな善悪で区切れるような相手じゃないわ。妖魔とは全然違う、あたしたちと同じ生き物よ」

 

「でも、ビリビリしたやつがあの竜の子を襲おうとしたとき、うさぎたちはあいつと戦ったじゃない!その子が生まれた卵だって、うさぎたちが助けたんでしょ?」

 

 はっとしてうさぎは目を見開いた。

 ココット村にいたとき、うさぎたちは飛竜の夫婦を実質的に助け、その幼子を捕食者の手から保護した。あのことを言っているのである。

 うさぎの瞳に一瞬浮かんだ迷いの色を察してか、ちびうさは調子づいたように続けた。

 

「確かに、あたしは弱いかもしれないわ。だけど、平和を護るためならどんなことだって……」

 

「妖魔相手なら、それでよかったわ」

 

 うさぎはちびうさの両肩を掴みよせて言葉を遮った。

 さっきよりいくらか優しく、必死に言い聞かせるような口調になっていた。

 

「でもね、今は分からないかも知れないけど、みんなあんたのことを思って……」

 

「うさぎのばかっ!」

 

 ちびうさはうさぎの手を振り払い、自分のベッドに飛び込んだ。

 

「あら、拗ねちゃった……」

 

 美奈子がつぶやくと、ルナがちびうさの隣に寄った。

 

「ちびうさちゃん、言っちゃ悪いけど流石に今回はうさぎちゃんの言う通りにしましょ」

 

「そうだよちびうさ、君だって一度見たんだろう?狩りはちびうさには早すぎる」

 

 アルテミスの言葉を背に聞きながらちびうさは布団に潜り込み、いよいよ誰とも口を利かなくなってしまった。

 

──

 

 その夜、うさぎは衛の寝泊りするテントに行き今日起こったことを話した。

 彼は少し宙を見つめた後、うさぎに振り向いた。

 

「うさこ……やっぱり、マハイさんの言う通りかもしれない」

 

 うさぎはうつむいて黙っている。

 一人用のテーブルに置かれたランプが、その横顔を照らしていた。

 

「俺たちは、ちびうさをとにかく外の世界から遠ざけようとしてる。でも、それが本当にあの子のためになるのかな」

 

「でも、それをどうやって伝えればいいの?」

 

 彼女は視線を上げて衛の青い瞳を見つめた。

 

「あたしに会いに行く前、狩りの光景を見てひどく怯えてたんでしょう?あの子、あたしたちが思ってる以上に繊細なのよ」

 

 衛は眉をひそめ、むつかしい顔をした。

 リオレイアを追う途中で見た、ゲリョスの狩猟の話だ。

 1頭の生物を、4人が寄ってたかって叩きのめす。

 ちびうさはこれを「悪の怪物を成敗する行為」として理解し、心の傷を慰めようとしている──。

 恐らく、ちびうさにとってうさぎ──セーラームーンは、この世界における強力な心の拠り所なのだろう。

 

「多分、そこからずっと信じてくれてるのよ。正義の戦士セーラームーンは悪い怪物を倒してくれてるんだって」

 

 そこまで言って、うさぎは伏目がちで自嘲気味に笑った。

 

「でも、実際のあたしはずっと迷ってばかり」

 

 先日の遺跡平原での光景がうさぎの脳裏によぎった。

 

「あれを見てからなぜか落ち着かないの。こんな情けない姿、あの子に見せられない」

 

 理由は分からない。漠然とした不安の塊が、うさぎの心を覆っているようだった。

 彼女は、両手の指を絡ませてゆすった。

 

「あの子をいま連れて行ったら……あの子やあたしたちにとって大切な何かが壊れちゃう気がするの」

 

 そんな彼女をしばらく見て、衛は慰めるようにその頭を撫でた。

 

「俺がちびうさを見といてやるよ。そこで、丁寧に説明していこうと思う。うさこたちは気兼ねなく調査に行ってくれ」

 

「……ありがと、まもちゃん」

 

 うさぎは、衛の肩から首に手をかけ、抱き寄せた。

 

──

 

 いよいよ、調査に出る。

 

 原生林には、亜美、まこと、ランサー、ルーキー。

 沼地には、うさぎ、レイ、リーダー。

 そして旧沼地に美奈子、ガンナー。

 パーティ編成はこのようになった。

 衛、ルナ、アルテミスはちびうさのお目付け役となる。

 

 出発当日、ちびうさは手を振りながらテントから出ていくうさぎたちを見送った。

 その後、彼女はルナ、アルテミスと共に衛のテントに赴いた。

 いくらかこぢんまりとしたそのテントの中は、シンプルに整頓されている。

 木板の床をぎしぎしと踏み、彼女はベッドに腰を下ろした。

 

「うさぎちゃんたちは1週間くらいは帰ってこないらしいから、衛さん独り占めし放題ね」

 

 隣に座ったルナは、そう笑った。

 

 かつてうさぎと取り合った憧れの人。

 確かにちびうさにとって、彼と一緒にいるこの時間は喜びの一時となるはずだった。

 だが、彼女の表情はいまいちうかない。

 ベッドの上に座り何かを考えている。

 

「今、帰ったぞー」

 

 衛がテントの玄関となる布をめくって現れた。

 

「ねえ、まもちゃん」

 

 その姿を認めるなり、彼女はすぐに呼びかけた。

 

「何かをたくさん知りたいって思うことって、駄目なことなのかな?」

 

「……駄目なわけないさ」

 

 衛は、最初からその質問がされるのを知っていたかのように答えた。

 

「じゃあ、なんでみんなあたしを行かせないの?」

 

「ちびうさの体と心を護りたいからだよ」

 

 彼は答えながらちびうさの隣に腰を下ろした。

 

「この世界は、俺たちの世界とは何もかも違う。俺だって連日驚かされることだらけだ」

 

 笑いかけた後、衛は真剣な目つきになった。

 

「外は、こちらの常識が通じるところじゃない。今日信じてたものが、明日裏切られるかもしれない……だからうさこも俺も、せめてちびうさの信じてるものを護りたいんだ」

 

「……そうなんだ」

 

「でも、ちびうさのそういう思いは素晴らしいと思う。だから、一緒にここでこの世界について学んでみないか?」

 

 丁寧に申し出を受けたちびうさは、しばし迷うように床を見つめた。

 

「……じゃあ、亜美ちゃんがあたしに読んでくれてた本読んで!」

 

 はにかみながら叫ぶように言うと、衛は立ち上がってちびうさの頭をぐりぐりと撫でた。

 

「そうかわかった。2匹とも、少しだけの間頼んだぞ」

 

 衛がいなくなると、アルテミスは笑いかけた。

 

「よし、じゃあ衛さんが帰ってくるまでの間、僕らと腕相撲でも……」

 

 だが、そこで猫たちは違和感を感じた。

 ちびうさの目つきが、どこか覚悟を決めたように光っていたからだ。

 彼女は手元に球状の物体を取り出した。

 そこには、にやけた猫の意匠が描かれている。

 

「……ちびうさ?」

 

「ごめん!」

 

 彼女はそのボールをゴムまりのように弾ませた。

 

「ルナPー、変化ー!!」

 

 ぼふん、と煙が立ち込めた。

 

「ちびうさちゃん、なにを……!」

 

 ちびうさはそこからマタタビを取り出し、2匹の鼻にひっ付けてくすぐった。

 

「あ、あらアルテミス、あんた顔が2つになってるわよぉ?」

 

「そういうルナは3つになってるぞぉ~」

 

 2匹は目を回しながらその場に転がり、酔っぱらったように体をうねらせる。

 ちびうさはその光景を後ろ目に走り去っていった。

 

「なんだこの煙は!?」

 

 衛が帰ってきた時、テントがピンク色の煙に覆われていた。

 急いで中に入ると、伸びている猫2匹の姿が飛び込んできた。

 

「ルナ、アルテミス!まさか!」

 

 衛は急いで辺りを見回すが、彼女は既に人混みの中に紛れ、見えなくなっていた。

 

「ごめんなさい、まもちゃん……!」

 

 そう呟くちびうさが向かうは、飛行船の発着場だった。

 

──

 

 出発から3日後、亜美たちのチームは原生林に到着した。

 

「……すごい眺めね」

 

 亜美は、飛行船から見える景色に目を輝かせていた。

 本の記述通り、巨大な骨の化石が屋根のように、鬱蒼と茂る森に覆いかぶさっている。

 飛行船の上空を鳥の群れが飛んでいくが、それでも化石より上には届かない。

 

「よっ」

 

 いきなり背中を叩かれ、その勢いに亜美はその場に突っ伏しそうになる。

 痛そうな顔で赤くなった背中をさすり、彼女は振り向いた。

 

「まこちゃん、少しは手加減してくれないかしら?貴女、ただでさえ力が強いんだから」

 

 まことは「わるいわるい」と苦笑いで軽く詫びを入れ、そのまま亜美と同じ景色を眺めた。

 

「ほんとすごいよね。あんな馬鹿でっかいのが大昔に歩いてたのかなぁ」

 

「本来なら自重で歩けすらしないはずだけど……彼らにそんな常識は通用しないでしょうね」

 

 まことは木の柵に肘を下ろしてため息をついた。

 

「……あの人に夢中なせいで気づかなかったけど、あたしたちって何にも知らないんだな。ちょっと本読んだだけでも思い知らされたよ」

 

「まこちゃん……」

 

「なんだか今更、この世界が怖くなってきちまったよ。まるで、赤ん坊のままおっぽり出されたみたいでさ」

 

 彼女は真剣な目つきで遠くに飛んでいく竜か鳥の影を見ていた。

 亜美の反応がないので横を見ると、彼女は信じられないかのように目を丸くしていた。

 

「……まさかまこちゃんの口からそんな言葉が飛び出すなんて……」

 

「ちょっと、あたしどんな風に思われてんだよ!」

 

 まことは慌て、大声で弁解を始めた。

 亜美がそれを見てぷっと吹きだすと、笑いこけながら手すりから手を離し、まことの正面に向かいなおった。

 

「じゃあ、復習しましょうか。活力剤の調合に必要なものは?」

 

「……えーっと、確かにが虫とニトロダケ……ちょっとなんだよ、その呆れ切った顔!」

 

「……今度から本格的に勉強会開かなきゃね」

 

「ちょっと待ってくれよ、今でも十分限界なのにー!!」

 

 そんなやりとりが行われている一方、船の後方に積まれた樽の蓋がひとりでに開くと、そこから小さな手が伸びた。

 それはちょうど近くにあった干し肉を取り去ると、樽の中へと消えた。

 

 




これから前の短編のように、エピソードごとにタイトルを区切って①、②、③……てしていこうかなと思います。
毎回考えるの割と手間なんだよね…。既存の話も(しおり挟んでくれてる方もいるので手を加えにくいところはあるけど)将来的には一貫性を鑑みてタイトル変える可能性もあります。

あとそういうわけもあって、いつか書いてた「序盤の内容の改訂」については現在保留中です。読む側からしたらはよ続き書けって話だと思うので……。

あとサンブレイクたのしぃぃぃぃ!!今作で、いろいろとこれから出すキャラやモンスターの設定にも変化が生じてきそうなのが怖いけど(笑)


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猿蟹合戦②

ちょっと今回は長いです。


 

 今回の調査方法はこうだった。

 亜美とルーキーがエリア1、2、3、4の調査を担当し、まこととランサーがエリア6、7、8、9を担当する。

 腕っぷしと経験のバランスを考慮したうえでの配分だった。

 現在確認されているモンスターはいずれも危険度は低いが、油断はあってはならないというランサーの判断によるものだ。

 霧と魔女に関わる何か重要な手がかりが見つかれば、信号弾を撃って合流する。

 霧に侵されたモンスターを発見、または危険を感じた場合も、同様に信号弾を撃つ。

 何もなかった場合は、落日直前には合流するという手筈だ。

 

 エリア1で、彼らは予定通り二手に分かれた。

 まこととランサーがエリア2経由で奥地に向かう一方、亜美とルーキーは比較的温和なエリアを探索する。

 この狩場の地理に明るいルーキーは先頭を行き、エリア4へ続く水辺を揚々と歩いていた。

 

「最近、どう?慣れてきた?」

 

 じゃぶ、じゃぶと足元に浸かる水をかき分けながら、ルーキーが振り向いた。

 亜美ははにかんで答えた。

 

「ええ、少しは」

 

「リーダーが言ってたっスよ、仲間との連携や武器の扱いが初心者とは思えないって。武術とかやってたの?」

 

「……えっと、まあ身体を動かすくらいは」

 

 亜美は答えを濁した。

 まさか戦士をやっているとは言えない。

 

「でも、やっぱり武器の扱いは遠く及ばないです」

 

「はは、俺も先輩ハンターとして、少しはいいとこ見せなきゃな~!」

 

 そう言った途端、彼の足元でべちょっと嫌な音がした。

 

「ルーキーさん、あの、足元……」

 

「あっ」

 

 いつのまにか彼は道をそれ、ぬかるみに片足を突っ込んでいた。

 

「……あっはは!失敗失敗!」

 

 頭を掻いて高らかに笑うルーキーを見て、亜美は少しこの先が不安になった。

 

 

 エリア3と5から流れる川の合流地点であり、森林への入り口とも言えるエリア4に来ると、せせらぎの中に黄色い生物が何匹かたむろしていた。

 緑と橙の縞模様に一対のトサカ、そして口外に飛び出た鋭い牙。

 ランポスに似た肉食竜特有の身体つきだが、眼光はよりきつく、狡猾な印象が増している。

 

 ゲネポスと呼ばれる鳥竜種だ。

 彼らは、2人を見つけるとけたたましく喚き始めた。

 

「どうやら、迎え撃った方がよさそうだな!」

 

 ルーキーが、背中に背負った片手剣を引き抜いた。

 重厚な刀身に、鋼独特の鈍い質感が光る。

 亜美はハンターライフルを構え、引き金を引く。

 

 まず通常弾が1頭の脚に命中した。続いて、腹に。

 だが倒れない。どうやら、ランポスよりは耐久性があるらしい。

 彼女は続けて撃つが、素早い動きの相手にはなかなか思うようには弾が当たらなかった。

 そのうちの1匹が弾幕をかいくぐり、亜美へと光る牙を差し向けた。

 

「っ……!」

 

「無理は禁物!ここは先輩の俺に任せるっス!」

 

 亜美の肩が叩かれた直後、彼女を襲おうとしたゲネポスが吹っ飛ぶのが見えた。

 

 ルーキーは手早くゲネポスたちに斬り込む。

 何の苦もなく、1頭1頭をほぼ一撃で切り裂いていく。

 一発で喉や頭を深く穿っているからだ。これを素早く動く相手にやっている。

 気のせいだろうか、斬った傍から体を凍て刺すような冷気が伝わってきた。

 むろん、武器性能もあるだろう。だが、彼の動きにはうさぎや衛とは全く違う、無駄のない軽やかさの両立が見て取れた。

 

 徒党のうちの1頭が高く吠えて増援が来たが、彼はまったく動じない。

 ゲネポスたちが飛び掛かった端から吹き飛ばされる様子はまるで、意思を持った嵐が過ぎ去るよう。

 森丘でのランポスたちの相手では、4人でやっとだったというのに。

 先ほど不安を感じていた自分を、彼女は内心軽蔑した。

 

「どうやら、ドスゲネポスはいないみたいっスね!」

 

 やがて一仕事終えた、という顔でルーキーは当たり前のことのように額の汗を拭った。

 その前には、幾多のゲネポスの骸が転がっている。

 残党は、反撃を諦めて去っていった。

 

「す……すごい……」

 

「へへ、どういたしまして!」

 

 自慢も謙遜もせず、ルーキーは子どものように素直に笑った。

 狩ったゲネポスは、ありがたく剥ぎ取らせてもらう。

 彼らの麻痺毒を含んだ牙は、麻痺弾の調合原料になるのだ。

 亜美が牙を剥ぐ一方、ルーキーは爪を剥ぎ取っている。

 

「すみません、さっきは足手まといになってしまいました」

 

 ルーキーは手慣れた様子でポーチに爪を入れると、笑って手を振った。

 

「気にすることなんかない、ない!初見のモンスターなんていつでもそんなもんっスよ!」

 

「……いえ、うさぎちゃんたちの助けがないとあたしは……」

 

 亜美は自分の無力さを痛感していた。

 ゲネル・セルタスとの戦いでもそうだった。

 武器の性能もあろうが、思いがけぬ敵の猛攻に彼女もその仲間も逃げ惑うばかりだった。

 

「でも、それだけ大切に思えるって良いことっスよ。あの子たちとは、幼馴染?」

 

「いえ、2年前くらいに。それまではずっと勉強ばかりで独りぼっちでした」

 

 亜美は、戦士として覚醒した時を思い出した。

 塾で勉強ばかりの日々の中、突然現れた妖魔、そしてセーラー戦士という使命。

 彼女に戦いと友が同時にもたらされた日だった。

 

「そこにうさぎちゃんは手を差し伸べてくれて、みんなもこんなあたしを受け入れてくれてとても嬉しかったんです。だから、今でもどこかで甘えてしまってるのかも……」

 

「ミズノさんったら真面目だなあ~。俺なんか、先輩に迷惑かけ通しっスよ?」

 

 亜美は、彼という人間を不思議に思った。

 なぜ、ここまでの実力を持ちながら朗らかな性格でいられるのか。

 

「……ルーキーさんは、リーダーさんといつ会われたんですか?」

 

 亜美は同じような質問を返した。

 必要分の素材を取った2人は、立ち上がってエリア3へと歩を進める。

 

「ガキの頃、ハンターの真似事して食われそうになったところを助けられたんだ。運命の出会いって奴?」

 

 ルーキーは、前を向きながら懐かしそうに頭の後ろを掻いた。

 

「それからあの人はいろんなことを教えてくれて、外の世界に連れてってくれたんだ。こーいう性格のせいで散々足引っ張ったけど、今となってはお互い笑い話って感じかな」

 

 彼は、頭上の太陽をさっと見上げた。

 

「でも、俺も全然まだまだっス。あの人の背中にいつか、追いつけるかなぁ」

 

 当時感じたであろう希望の光が、まだ彼の瞳に残って輝いているように見えた。

 その明るさに、亜美は自然に笑みを浮かんだ。

 

「……本当に素敵です、そういう純粋な心をずっと持てるだなんて」

 

 それを見たルーキーはわずかに顔を赤らめ、さっと背を向けた。

 

「ミ、ミズノさんも、迷惑かけたと思う分だけ後で恩返しすればいい話っス!」

 

 彼はそのまま早足で歩きだした。

 あまりの急ぎように亜美は不思議に思ったが、彼女は微笑んで頷いた。

 

「ええ!」

 

 2人は、樹木が作る天然のアーチを潜って突き進んでいく。

 滝が流れ落ちるエリア3は、目前に迫っていた。

 

──

 

 既にもぬけの殻となったベースキャンプ。

 青い水辺の中に置かれた樽のうち、ひとつがごそごそと動いた。

 

「ぷっはー!」

 

 そこから小さな体が飛び出し、息を大きく吐き出した。

 

「っ……すごーい……!」

 

 少女ちびうさは、視界が開けた瞬間目を輝かせた。

 彼女はずっと、飛行船の端に積まれた樽のなかに潜んでいた。そのままこのキャンプに運ばれてきたのである。

 ふと、青いボックスに止まる数匹の瑠璃蝶を見た。全長が彼女の顔ほどはある。

 

「わあ!」

 

 近寄ってみると、蝶たちはばっと舞って翅を羽ばたかせた。

 幾多の翅脈に光と透けた影が混ざり合い、それが星のように煌めいた。

 想像の数倍は美しい景色だった。

 彼女は視線を上げた。恐らくこの外にはもっと驚くべきものが待っているのだろう。

 

「やっぱり本物ってすごーーい!」

 

 ちびうさは勢いこんで鼻を鳴らした。

 フライパンとおたまを装備しているちびうさは、他の戦士と同じくちびムーンの状態になっていた。これなら、多少の事故や危険は回避できる。

 何より、彼女の傍には衛たちから逃げる際に使った『ルナPボール』がある。その存在が、彼女の安心を支えていた。

 ふと後ろを見ると、口を開ける穴があった。

 

「一体何かしら?」

 

 彼女は胸を躍らせつつ穴を覗き込んだ。

 青い靄に包まれて、奥まで見えない。

 もっと中はどうなっているのかが気になって、彼女は大きく覆いかぶさるようにして覗き込んだ。

 やがてルナPボールが圧力に耐え切れなくなり、ぼよんと弾んだ。

 

「きゃあああっ!」

 

 ちびうさはボールを抱えたまま、穴に吸い込まれるように消えた。

 

──

 

 まことは、ランサーと共にエリア7の巨大蜘蛛の巣を探索していた。

 ランサーはしばし糸の張った天井に注意を巡らせていたが、やがてまことに視線を戻した。

 

「ふむ、今のところゴア・マガラと妖魔化生物の痕跡はない」

 

「妖魔化?」

 

 思わず、彼女はその言葉に反応した。

 

「ああ。この前、霧に侵されたモンスターの正式名称がギルドで決定してね。妖しき力を使う魔女の使い魔という意味で『妖魔』。一部地域で呼ばれていたそうだが、中々面白い名称だろう?」

 

 偶然の一致か、彼女らの世界でも最初の敵は『妖魔』と呼んでいた。

 妖魔たちはなかなか愉快な姿をしていたが、それでも彼女たちの日常を破壊する敵に変わりはなかった。

 妖魔化したモンスターも、同じことをここの人々にするに違いない。

 それも、元の世界よりもっとひどい方法で。

 

「……早く、あたしたちが何とかしないと」

 

 まことが戦士としての使命感に燃えていたときだった。

 

「で、どうだね、リーダーの今の調子は?」

 

「へ!?」

 

 ぼふん、と湯気が上がったように彼女の顔が紅くなった。

 

「な、なんでそのこと知ってるんですか!?」

 

 思わず声が裏返った。

 

「いや、深入りする気はなかったんだがミズノ君がぼやいていたのを聞いてね」

 

「あ、亜美ちゃんったらもぉ……」

 

「はっはっは、聞いたときはいかにも彼らしいと思ったよ」

 

 大らかに笑うランサーを見て、まことに一つの疑問が湧いた。

 

「あの……怒らないんですか?仮にも、貴方たちの足を引っ張っちゃったわけですし」

 

「その気持ちが相互理解と団結に繋がるのであれば、私はおおいに歓迎するよ。少しばかり行き過ぎたのはしっかり反省したようだしね」

 

 彼の言い方や表情に咎める気配はない。

 だが、まことの顔は浮かなかった。

 ランサーがその様子を訝し気に見ていたところ、くぐもるような唸り声が遠く聞こえた。

 

 背後だ。

 

 振り向くと、エリア6から連なる道に巨大な桃色の獣が鎮座していた。

 

「あれは!」

 

「ババコンガか……見たところ異常はないようだが、気が立っているな」

 

 カバのような頭に緑のトサカ、でっぷりと太った腹を抱えるいかにも猿といった風貌の獣は、後ろ脚で立ち上がって威嚇するように吠えた。

 

「調査のためにも、サンプルが一つ欲しいところだな」

 

 ランサーは尖塔のごとき金色のランス『バベル』を背から引き抜いた。

 

「狩るぞ、キノ君!」

 

「は、はいっ!」

 

 まことは急いでハンマー『大骨塊』を取り出した。

 

 戦い始めてすぐ、まことは相手が聞くよりも厄介であると気づいた。

 ババコンガはパワーに優れたモンスターで、剛腕から放たれる爪は岩石を割くほどに鋭い。

 さらに特徴的なのは……その尻から放たれる放屁である。

 しかも、それと同じくらい臭い息を口からも放ってくる。

 臭いだけで食欲さえ減退させるその攻撃を恐れ、まことはなかなか頭に近寄れない。

 

「うええっ、ライゼクスの方が100倍ましだよ……」

 

 舌打ちをしつつ、まことは小さな打撃を脇腹や腕に積み重ねることを繰り返していた。着実ではあるが、大したダメージにはなっていない。

 一方、ランサーは要塞のように不動だった。

 ランサーはしっかりと城壁のごとき盾で攻撃をガードし、じりじりと近づいては的確に突いている。

 

(流石、筆頭の名を冠する人だ)

 

 まことは感心しつつも焦っていた。

 セーラーチームではいつも特攻隊長のような役割なのに、その自分が攻めあぐねているのに納得がいかない。

 だが、勝機はまだある。

 攻撃自体は大振りで、隙も大きい。特に、放屁や息を吐いた後は無防備そのものだった。

 彼女はこれをチャンスと捉えた。

 

「よし、そこだ!」

 

 担いで力を溜めながら、まことは地面を踏み込んで頭へ突っ込んだ。

 それを見たババコンガは突如背中を仰け反らせ、腹を大きく膨らませた。

 頭に当たるはずだったハンマーが、固い腹にぼんっと音を立てて弾かれる。

 

「えっ……」

 

 直後、腹が萎んだ勢いで振り下ろされた爪が彼女の右胸から左腰までを引き裂いた。

 

「ああっ!」

 

 反射的に、まことは後ろに倒れ込んだ。

 幸い、傷は鎧を覆う緑の羽を裂くのみに終わった。

 だが、追撃が来る。

 ババコンガは、今度こそ体を真っ二つにしようと右腕を大きく後ろ手に振りかぶった。

 まことはハンマーを盾にしようと反射的に前に持って行った。

 

 その時、獣の脇腹を槍が突いてずん、と押しやった。

 ランサーが、がら空きの胴めがけて突進を仕掛けたのだ。

 

「大丈夫か、キノ君!」

 

 肉厚の巨体を吹っ飛ばしたランサーは大声で呼びかけ、まことはそれに頷いて答えた。

 ババコンガは鼻を赤くし、尻を震わせて吠えながら放屁した。興奮状態に入った合図である。

 怒れる獣は、注意をランサーへと向けた。

 彼は、目の前の小さな存在を引っ搔こうと試みた。

 

「ふんっ!」

 

 今度も受け止める……と思いきや、彼は後ろに跳び下がって避ける。

 重い鎧を身に着けているのに、手品のように思えるほど軽い動きだ。

 

「さあ、来い!」

 

 わざと大声を上げ、ババコンガをまことから離れた方に引き付ける。

 苛立った獣は、不用意にもその巨体を真っ直ぐぶつけにいった。

 

 右手の盾を前に、左手の槍を後ろに構え力を溜める。

 ぶち当たり、ランサーの身体が土を巻き込みながらずり下がった。

 盾を傾けて衝撃を逃しつつ、その隙間を縫うように槍の穂先が風を切る。

 その先にあった左腕の爪が、バキッと一発で砕けた。

 バランスを崩した獣は、悲鳴を上げて転がった。

 

 「あれがカウンター……」

 

 相手の攻撃をチャンスに変える、攻防一体の技。

 

「さあ、動きは封じた!今のうちに!」

 

 まことはランサーの言葉を聞きつつ、唇を噛んだ。

 力と技巧と知識が、見事な融合を遂げていた。

 そして痛々しいまでに分かる。ランサーは、ずっとまことにペースを合わせてくれていたのだ。

 

「くっ……!」

 

 未だ、自分は狩人として助けられる側だった。

 ココット村と仲間たちに護られていた時には気づかなかった事実だった。

 苛立ちを武器に乗せて、まことは渾身の一撃を最大まで溜め、振り放った。

 

「どりゃあっ!」

 

 樹液で固められたトサカが弾け飛んだ。これにはランサーも眉を上げて驚愕した。

 桃毛獣は、腕を振り払いながら立ち上がる。

 それは崖際に跳び下がり、吠えて威嚇してから崖の下へと飛び降りていった。

 

「エリア5か。すぐに追うとしよう」

 

 2人は、ババコンガを追って横並びでツタを降りていく。

 エリア7はかなりの高所なので、降り切るにはそれなりの時間がかかる。

 周囲には靄が重く立ち込めていて視界が悪い。

 どっしりと根付いた植物に足をかけながら、まことはぽつりと呟いた。

 

「やっぱり……あの人のこと、諦めた方がいいのかな」

 

「どうしたんだ、急に」

 

「……知れば知るほど、あたしって未熟だなって思って」

 

 彼女は慎重に次に手足をかける場所を探しながら、目の前で絡み合う巨大なツタを見つめていた。

 

「あたし、女の癖にでかいし喧嘩ばっかりだったし……正直、最初っから狩猟でも恋でもスタートラインにすら立ててないんじゃないかって」

 

 まことは何度も学校を転々とし、怪力のせいで周りから恐れられた孤独な日々を回想していた。

 しばらくランサーは考えていたが、やがて低く落ち着いた声で切り出した。

 

「君は、自分の性質を『悪』と考えているのか」

 

「え?」

 

「たとえば、君は今回の妖魔化現象について善いか悪いか、どう思う?」

 

 彼女には唐突な質問の意図がよくわからなかったが、答えは決まっていた。

 

「ダメじゃないですか。魔女にいいように使われるし、いろいろ吸収して自然を破壊するし」

 

 ランサーほどの人が当たり前のことを聞いてきたのに、まことは疑問を隠せなかった。

 

「そうだな。君の意見が大半だろうし、その考えが間違いだとも思わない。……だが生命全体から見れば、これは新たな進化段階に入ったといえるかもしれない」

 

 まことは黙って聞きながら次に足を下ろすところを探る。

 既に少し下に降りているランサーは、それを待ちつつ話を続けた。

 

「例えば火竜の話だ。一昔前は華奢な体型が多かったが、一方でガタイのよいものがいた。元は地域差によるものだったが、次第に元の種は世界からほぼ淘汰されていった」

 

 後者はものを掴むのに適した足の構造をしており、そのため餌の確保などで優位に立ち、生存競争に打ち勝ったのだという。

 

「また、亜種、特異個体や二つ名……元の姿を留めながら大きな変化を遂げた生物がいる」

 

「……そういえば、この前に本で読んだような」

 

 突然変異、環境や食性によって、モンスターたちはまるっきりその姿や生態を変えてしまうというのだ。

 まことは、ココット村でうさぎが連れ帰った金のリオレイアしか見たことがなかったが、あれも将来、通常種とは全く別の姿に変わるのだろうか。

 

「……みんな、競争のなかで打ち勝とうって頑張ってるんですね」

 

「いいや、これはただの結果論でしかない。たまたまその環境に合った性質を持った者が生き残っただけの話だ」

 

 お前も血が滲むほど努力しろ、という話ではないのか。

 まことは首を傾げつつちらりとランサーの顔を見ようとしたが、下にいる彼はずっと下を見ていて表情が分からない。

 

「環境が変われば、生き残れる条件が変わる。その結果がこれだけの変化を生むんだ。ならば、この妖魔化もその一連の流れに過ぎないのかもしれない」

 

 まことにとって、その考えはセーラー戦士としての立場からはにわかに信じ難いものだった。

 だが、完全に否定できるような知識も持たないし、それができる状況でもない。

 もうすぐ、次の段に降りる。心なしか、周りの靄も晴れてきた。

 

「元々、生命の形は自由だ。どんな性質も、元から善悪が決まっているわけではない。君とてその例外ではない」

 

 まことは、足に伴って降ろそうとする腕の動きを止めた。

 先にランサーが中継地点の小さな平地に着き、ツタを降りた。

 彼女も続いてツタを降り切り、ランサーの彫刻のような顔を見つめた。

 

「──とまあ、モンスターを狩る時にいろいろ悩まれていては困るのでね。こじつけと思われるかもしれないが、多少は力になれたかな?」

 

 彼は微笑しながら、エリア5を越して見える巨大骨を眺めた。

 靄はほとんど晴れ、壮大な景色がよく見えた。

 

「さて、行こうか」

 

 一通り息をつくと、彼はさらに下に続くツタに手をかけて先に降りて行った。

 まことはしばらく、同じ景色を見つめていた。

 

 




サンブレイク、ラスボスまで行ったけどほんと面白い……。幸い小説の大筋に関係しそうな設定などはなくてよかったぁ……。


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猿蟹合戦③

 

 ちびうさは、真っ逆さまに落ちていた。

 時々、背中に土や木の根っこのようなものがぶつかったが、どこに向かっているかも定かではなかった。

 やがてだだっ広い空間に放り出され、身体が風を切る音がした。

 このままでは、恐らくろくでもないことになることは予想がついた。

 

「……ルナP変化!!」

 

 ちびうさは嫌な予感がして、叫んだ。

 ボールはぐるぐる模様の巨大傘へと変貌、彼女はその柄を手に取る。

 どういう原理か傘は空気を受け止めた。

 そのまま彼女はふわりと空を舞い、紅蓮花が落下傘のごとく落ちる水辺に、ばしゃりと音を立てて着地した。

 

「はー、よかったー……」

 

 安心した瞬間に力が抜け、その場にへろへろと崩れ落ちる。服が濡れるのも構わないほどだった。

 

 奥に轟轟と落ちる滝の近くに、立派な一本角を生やした巨大な竜の頭蓋が埋まっていた。

 角の根本と額の間が、座るのにちょうどいい形と高さだったのでそこに腰を下ろす。

 改めて景色を見回した。

 景色、音、匂い、触感。

 どれも、本とは比較にならない情報量だった。どれも青々と輝き、生き生きとしている。

 だが、彼女の開放的な気分は次第に引っ込み、だんだんと不安の影が押し寄せてきた。

 

「帰った時のこと、あまり考えてなかったな……」

 

 あの時は、彼女も冷静ではなかった。ずっと溜まり続けていた鬱憤が、爆発したような心地だった。

 帰った時にはもう、彼女に味方は誰一人いないかもしれない。

 

「でもずっと、ずっと一緒に戦ってたじゃん……なのに、おかしいよ」

 

 そう言ってちびうさは膝の間に顔をうずめた。

 その時、体が揺れた。

 彼女はほぼ反射的に角に掴まった。

 

「じ、地震!?」

 

 違う。

 いま、彼女が乗っている頭蓋が揺れている。

 まさか、骸が生き返ったのかと目を疑った。

 頭蓋が、泥を落としながら空中へと持ち上がった。

 

 下を見ると、さっきまではなかった脚のようなものが生えていた。

 

──

 

 エリア5は森林のあらゆる地帯に続く、いわゆる中継地点に当たる崖際の平地で、地図上でもおよそ真ん中辺りに位置する。

 雲か、それとも空気中の塵の影響か、ここだけ陽が鈍く黄色に光っている。

 そこを、2人の狩人が歩んでいく。

 

「さて、ここはどうかなっと……」

 

 ルーキーが軽い足取りであるのに対し、亜美は確かめるように慎重に歩いている。

 なだらかな坂道を上がりきると、正面に毒沼と、更なる奥地に続く道が見えた。

 そこを塞ぐように、ババコンガより一回り小さい桃色の猿たちが、数頭たむろしていた。

 

「……あれは『コンガ』ですね」

 

「ゲネポスよりはとろっちいけど、あんなにいると厄介だなぁ」

 

 ルーキーがそうぼやいていると、そのうちの1匹が鼻をひくつかせ、地に付けていた前脚を上げて立ち、吠えた。

 それは周囲に波及し、盛んに大合唱を始めた。

 

「気づかれた!?」

 

 亜美とルーキーは、さっと身を近くの岩に隠した。

 

「いや、そういうわけじゃなさそうだな」

 

 彼らのいずれも、ある1点に向かって威嚇をしていた。

 その向かう先を見ると、2人から見て右側、下方のエリア3へと繋がる崖から何かの気配がした。

 

 まず、人を軽くつまめるほど巨大な鋏がにゅっと現れ、崖を掴んだ。

 その後、長い触覚が現れ、次に黒く尖がった目が見えた。

 彼はよっこらせ、と鋏で踏ん張るように身体を持ち上げ、その背には巨大な頭蓋骨らしき物体が鎮座していた。

 一言でいうなら赤白縞模様の巨大ヤドカリ、というべきだろう。

 

「ダイミョウザザミ!」

 

 コンガたちのがなり声はさらにやかましくなった。どうやら、これが威嚇の原因だったようだ。

 その中を、彼は平然と4本の脚で歩いていく。

 獣らはこの侵入者を追い出そうとなおも吠えかかるが、まるで相手にされない。

 ココット村の伝説にも記される、モノブロスと呼ばれる竜──その頭蓋骨の横面が目に入ったとき、亜美とルーキーは我が目を疑った。

 

「ち、ちびうさちゃん!?」

 

 亜美が先に叫んだ。

 そこにあったのは、ピンク色のツインテールを揺らし、フライパンを鎧にした少女の姿。見紛うことなく、ちびうさその人である。

 彼女はモノブロスの象徴たる一本角に謎のボールごと抱くようにして掴まり、困惑した様子で周囲を見まわしている。

 なぜこの狩場にいるのか、そしてなぜこの生物に掴まっているのか理解が追い付かない。

 

「あの子……君らの猟団の子っスか!」

 

「はい!バルバレにいたはずなんですが、どうして……!」

 

 そうしている間にも、ダイミョウザザミはお構いなしに毒沼にずぶずぶと入り込んでいく。

 いかにも人にとって有毒である、と主張するかのような紫色を呈する沼の奥には、その元凶なのか、これまた紫色のキノコが群生している。

 そこに、ダイミョウザザミは真っすぐ向かっていた。

 

「でもまずったなぁ。あれじゃ助けられねえっス!」

 

 毒沼の上空にいる以上、変に彼らを刺激すればちびうさがあの角から振り落とされかねない。

 だが、状況はこの間にも悪い方へ進んでいる。

 コンガたちはいよいよ耐え切れなくなったのか、毒沼に突っ込みダイミョウザザミを襲い始めた。

 

──

 

「あ、あんたたちあの時も……!」

 

 ちびうさは、ダイミョウザザミの殻を爪で削ろうとするコンガたちを憎々しげに睨んでいた。

 彼女にとって、この猿どもは宿敵そのものだった。

 かつてタキシード仮面と共闘したとき、彼らは街の人々を襲おうとした。

 そして、屁をふっかけられた記憶も決して忘れていない。

 今掴まっている蟹のような生物は、気にした風もなくせっせとキノコを口に運んでいる。

 亜美から聞いた通り、性格が大人しいのは確かなようだ。

 コンガたちは、そんなただ黙々と食事にありついているだけの平和主義者を傷つけようとしているのだ。

 

(こいつら、本当にひどい奴らね!)

 

 できればここで成敗してやりたい気持ちもあったが、ここはいかにも危険そうな沼の上。

 しかも、遠くを見れば亜美とハンターがいるではないか。

 

(確か、ルーキーさん……て言ったっけ)

 

 人目がある以上ロッドで攻撃することはできないし、出来たとしても彼らを倒すことは敵わないだろう。

 あの2人も、こちらに駆け寄ってきたはいいが助けあぐねているようだ。

 毒沼に浸かってこちらを見上げているコンガのぼさぼさ頭をちびうさは見つめた。

 

「……ここで勇気出さなきゃ、セーラー戦士じゃないわ!」

 

 戦士としての誇りが、彼女に勇気を与えた。

 

「ってーい!」

 

 ちびうさは両手を広げて飛び出した。

 コンガの頭を踏みつけ、軽やかに飛び、数頭を踏み石にして、何とか彼女は沼から脱出した。

 ちびうさは懸命に走り、亜美の出迎える腕の中に飛び込んだ。

 ルーキーは、この光景に半ば唖然としていた。

 脳天に衝撃を食らったコンガたちは、怒りの形相をこちらへ向けた。

 

「……よ、よし、今のうちに脱出っス!」

 

 急いで、3人はエリア5からエリア4方面に引き返すようにして退却した。

 

 コンガたちは鼻をふん、と鳴らして追跡をやめ、縄張りへの侵入者の排除に再び勤しみ始めた。

 ダイミョウザザミはさっきと同じペースでキノコを啄んでいた。

 

──

 

 振り返って安全を確認すると、亜美は今までに見せたことのないような厳しい表情でちびうさを見つめ、その肩を掴んだ。

 

「ちびうさちゃん、いったい何をしてるの!?うさぎちゃんにあれだけ言われてたでしょう?」

 

 性格の大人しい彼女といえど、今回のことは流石に見逃せなかった。

 ちびうさは気圧されるかのように目を伏せた。

 

「ごめんなさい……でも、知ってみたかったの。亜美ちゃんが教えてくれた景色ってどうなってるんだろうって」

 

「……ちびうさちゃん」

 

「ねえ、あたしたち今まで一緒に戦ってきたじゃない!ずっとあそこに閉じ込められるなんて、もうまっぴらごめんなのよ!」

 

 突然、彼女は顔を上げて反駁した。

 ルビー色の瞳に、涙が滲んでいる。そこには、戦士としてのプライドと戦場に立てないことの悔しさが込められているようだった。

 それを見た亜美は思わず、顔を歪めた。

 

「……とにかく、一旦ここから離れましょう」

 

 ルーキーは気遣ったのかその時は何も言わず、ちびうさの背中を押した亜美に続いた。

 

 エリア4のなだらかな地形が見えてきたとき、ふいにちびうさがルーキーを見上げた。

 

「2人とも、あたしを返したあとは、お猿さんたちをとっちめるのよね?」

 

 どういう意味で聞いたのか図りかねて、ルーキーは首を傾げた。

 ちびうさははっきりと真っすぐ彼を見て答えた。

 

「あいつら、あの蟹さんを虐めようとしてた。あのまま放っておけないわ」

 

「ちびうさちゃんは、それが許せないからお仕置きしたいって思ってるんスか?」

 

 ルーキーが丁寧に聞き返すと、ちびうさはすぐに頷いた。

 

「あたし、うさぎたちと一緒に悪いヤツと戦いたいの」

 

「悪い奴?」

 

「うん!ハンターさんたちは、ああいう悪い奴らをやっつけて平和を護る仕事をしてるのよね!」

 

 その目の色を成していたのは、純粋な正義感だった。

 一人を寄ってたかって暴力を振るう行為は悪であり、それをする輩は倒されなければならない。明快な論理だった。

 亜美は、かぶりを振ってちびうさの前にしゃがみこんだ。

 

「彼らに悪意なんてないわ。あれはただ、餌場が偶然被ってしまっただけの話よ」

 

「でも、悪いことをするからハンターさんに依頼が来るんでしょ?」

 

 亜美は苦々しいものを嚙み潰したような心地になった。

 確かに、ハンターに紹介されるモンスターの狩猟依頼は、縄張りを侵されたことによる村への襲撃や農作物への被害など、人にとって『悪いこと』をした経緯から出されるものも少なくない。

 とはいえ、それはモンスターが本質的に悪であるかとは別の問題だ。

 

 先日の読み聞かせのとき、善悪の概念はできる限り排除していたが、結局はこうなってしまった。

 やはり、まだ幼い少女としてはどうしてもこういう理解になってしまう。

 彼女の脳裏には、悪しき敵を打ち倒す強く気高きセーラームーンという絶対的な図式がある。それがここに来ても崩されていない。

 亜美が、どう説明したものか迷ったその時だった。

 

「ちびうさちゃん、こっち見てみ」

 

 肩を叩かれて彼女が振り向くと、瓶がルーキーの手にぶら下がっていた。

 数本の湾曲した鋭い物体が黄色っぽい液体を滴らせている。

 

「これ、さっき狩って剥ぎ取ってきたゲネポスの牙。あいつらから剥ぎ取ったんだ」

 

 続いて彼が指さした先にゲネポスの骸が横たわっていた。

 川に洗われて身体は既に分解されかけ、ブナハブラと呼ばれる羽虫たちが群がろうとしている。

 ちびうさは青ざめて亜美に飛びついた。

 

「そ、そいつらも悪さをしたの!?」

 

「まあ、増えたまま放っておくとその可能性がある、てのもあるけどもっと違う理由もあるな」

 

 それを聞いて、ちびうさの顔は更に青くなった。

 

「こいつは俺とミズノさんが麻痺弾の調合に使ったんだ。これがどういうことか、分かる?」

 

 あまりに直截的な言い方に、亜美は不安な顔になった。

 ちびうさにはルーキーが恐ろしい化け物に思えたのか、頑なに目を合わさず激しく首を振る。

 

()()()()()()()()()()()()、俺たちはより安全に狩りをすることができるんっス」

 

 亜美の胸のなかにあるちびうさの瞳を、ルーキーは真っすぐ覗き込みながら言った。

 それを聞いて、幼い瞳が見開かれた。

 ルーキーは牙の入った瓶をポーチにしまい直すと、自分たちを取り囲む森林の海を眺めた。

 

「それだけじゃない。服も、食べ物も、家も、安全も、この自然から頂戴して生きてるんだ。逆に言えば、あいつらがいないと俺たちも生きられない」

 

 ルーキーは、ゆっくりとちびうさに振り向いた。

 

「モンスターってのは確かに怖くて厄介だけど、それでも大切な隣人っス。滅ぼしていい存在なんかじゃない」

 

「隣人……」

 

 亜美も、その言葉を繰り返した。

 

「だから俺たちは、その厄介な隣人と共にずっと生きて行けるように狩りをするんスよ。それをいつも心に留めるのが、命狩る者としての義務だと思ってる」 

 

 少年のように真っすぐな瞳を、ちびうさはじっと見つめあげていた。

 そのとき、ひゅるるる、と何か打ちあがるような音が遠くに鳴った。

 振り返ると、エリア5方面から上空に紫色の煙弾が上がっている。

 

「もしかして、あれは……!」

 

「妖魔化生物の印……!」

 

 至急、エリア5へ戻らねばならない。

 亜美とルーキーは顔を見合わせた。

 

「どうしましょう、ちびうさちゃんをキャンプに送り返さなきゃいけないのに……!」

 

 ぐっとちびうさの拳が握られた。

 

「あたし、もっと知りたい」

 

 その叫びに、亜美とルーキーの視線が引っ張られた。

 

「戦いの邪魔なら遠くから見てるだけでもいい。でもこれ以上、何も知らないまま知ったかぶりするなんて絶対に嫌!」

 

 果たして、これが本当に年端のいかない少女の言葉だろうか。

 瞳に、決意の炎が燃えているかのようだった。

 亜美が見とれていると、ルーキーが、口角を上げてぱんっと横手を叩いた。

 

「よし、じゃあやってみるか!」

 

「えっ」

 

 思わず、亜美は素っ頓狂な声をあげた。

 ルーキーは、腰のベルトに巻き付けるように収納していた、草木を模した衣のようなものをばっと広げた。

 『隠れ身の装衣』という装具らしく、『新大陸』と呼ばれる地で開発された技術とのことだった。

 

「これがあれば、余程のことがない限り気づかれることはないはずっス」

 

 だが、流れ弾などが当たったらまずいのではないか。

 亜美の心情を先読みしたように、ルーキーは目くばせした。

 

「大丈夫。隠れるのにちょうどいい場所があるっス。安全は俺の経験が保証するっス」

 

 




まじでルナP変化使い勝手よすぎ……。


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猿蟹合戦④

 

「もう、始まってるわ!」

 

 既にそこは、戦場になっていた。

 毒沼のなか、ババコンガが、薄く紫の息を吐きながらダイミョウザザミの殻に掴みかかっている。

 流石にダイミョウザザミは無視できなかったのか、ヤドの角を振り回して跳ね除けようとしていた。

 コンガたちは争いに恐れを成したのか、既にどこかへ消え去っていた。

 

「まこちゃん、ランサーさん!」

 

 エリア7から降りてきた2人は、手前にある柱のような岩に、武器を構えて隠れていた。

 呼びかけられた彼らは振り向くと、すぐもう一人いる幼女に気づいた。

 

「亜美ちゃん、ルーキーさん!……え、ちびうさちゃん!?」

 

「これは、どういうことかね?」

 

 亜美とルーキーは、こうなった経緯を手短に話した。

 事情を知るにつれ、まことは同情的な視線をちびうさに送るようになった。

 

「そうか……確かにちびうさちゃん、閉じこもってるような質じゃなかったもんな」

 

 やがて、彼女は頷いた。

 

「いいよ。でも、少しでも怖い、危ないって思ったらすぐ逃げな」

 

 ランサーは黙ってルーキーを険しい表情で見つめた。

 

「……万一のことがあれば、俺は筆頭を降りるっス」

 

「君どころじゃない、筆頭ハンターそのものの権威も失墜するだろう。これは、明らかな危険行為だ」

 

 あくまで冷静で、ぴしゃりと鞭打つような言葉遣いだった。

 一方、ランサーは真剣な表情のちびうさとルーキーをちらりと見比べた。

 両者とも、譲る気配は微塵もなかった。

 それを確かめるように見つめたあと、ランサーは別の方向を見てため息をついた。

 

「だが、人の好奇心というのはどうも理屈では抑えがたい……いくら抑えつけても、指の合間合間から抜け出そうとする」

 

 しばし考えるように目をつむったあと、再び開けた。

 

「君は、偶然乗る船を間違えてここに迷い込み、彷徨ううちにモンスターたちの縄張り争いに巻き込まれた。命からがら、何とかそこの穴ぼこに逃げ込み、そこを我々が保護した。そうだったね?」

 

 ぱっと、ちびうさの顔が輝いた。

 彼女はすぐに、ルーキーが指し示した位置に向かった。

 苦笑を浮かべたあと、彼は話を仕切りなおした。

 

「いま、我々は縄張り争いの行方を見守っているところだ」

 

 ここで両者を消耗させ、時を見て1頭ずつ分けて相手取るという寸法だった。

 また、興味深い事実も教えられた。

 ランサーたちがババコンガを最初に発見したとき、異常がなかったという。

 

「狂竜症と性質が似ているのなら、時間差での発症も考えられる。ダイミョウザザミについても感染の可能性が捨てきれない以上、狩猟か捕獲をした方がよいだろう」

 

 そしてそのチャンスは意外に早く訪れた。

 

 ババコンガはヤドに片手をかけ前方にぶら下がると、素早くダイミョウザザミの頭に飛び移り、鋭い爪で滅多殴りにした。

 ダイミョウザザミは口元に泡を含ませると、水を大量に噴射した。

 激流とでもいうべきそれにババコンガは吹き飛ばされ、地面に堕ちた。

 ダイミョウザザミは背を向けると、びしょ濡れになった相手に突進をしかけた。

 迫り来た一本角をすんでのところで避けると、ババコンガは背を向けエリア2へと駆けていった。

 

「我々は先ほど相手取ったババコンガを引き受ける。ルーキー、ミズノ君、ダイミョウザザミを頼めるか?」

 

 それを見送ったランサーは、2人に呼び掛けた。

 

「は……はいっ!」

 

 亜美は緊張気味に答えた。

 書籍を読んである程度知識はあり、相手に有効な『音爆弾』も手元にある。

 しかしただひとつ、実戦の経験がないという一つの事実が彼女の心に重くのしかかっていた。

 

「ミズノさん!サポート頼めるっスか!?」

 

「……!」

 

 ルーキーが、ばっと振り向いて亜美に聞いた。

 

「サポートだって、立派な狩りの役割っス!君なら絶対やれるっス!」

 

「亜美ちゃん!」

 

 弾かれるように、亜美は次に声がした方を見た。

 まことが、片方の拳を握りながら口角を上げていた。

 彼女は、亜美の胸当てに拳をこん、と当てて笑った。

 

「頼むよ!」

 

 そう言われて、亜美は覚悟を決めた。

 

「……ええ!」

 

 ハンターライフルを構え、弾を滑らせ装填する。

 

「よし、一狩り行くか!」

 

 ダイミョウザザミが狩人たちに気づいた。鋏を振り上げ、威嚇の態勢を取る。

 まこととランサーの背を見送り、亜美とルーキーは獲物と相対した。

 

──

 

 およそ、30分後。

 

 地を抉る鋏をルーキーがかわし、脚に片手剣を突き立てる。

 筋繊維の方向を理解したうえでの一太刀が、そこに真っすぐ白い亀裂を作った。

 亜美は、通常弾を頭に撃っていく。

 ルーキーは、一切彼女の射線上に立つことがなかった。後ろを振り返る素振りも見せず、彼は大きく叫んだ。

 

「ミズノさん、遠慮しないでどんどん撃っていいっス!」

 

 亜美は「はい!」と頷いて、現地調達した麻痺弾を装填した。

 頭に数発の麻痺弾を受けると、盾蟹は身体を硬直させ苦し気にうめく。

 

「ナイスっ!」

 

 できた隙をつき、ルーキーは刺突と斬撃を連ねる。

 確実に狩猟に貢献できているという事実が、亜美の顔に喜色を浮かべさせた。

 

 しかし、麻痺が解けた盾蟹は突如、自身の頭を鋏をぴったりと閉じて覆ってしまった。

 

 ダイミョウザザミは、本来の温厚な性格もあるのか防御に徹した身体の作りをしている。

 こうなってしまえば、どんな鋭い刃もなかなか通らない。

 

 それを解決するのが、亜美が取り出した球状の物体──『音爆弾』である。

 

 亜美の投げた音爆弾は、盾の目前で爆音を発した。

 鋏と頭の間にある密閉空間に音が反響し、恐ろしい衝撃となった。

 ダイミョウザザミはたまらず構えを解き放ち、そのまま地面に倒れ伏して昏倒する。

 

「よっしゃあ!どんどん行くっスよー!」

 

 基本的には、狩猟は狩人側に優勢で進んだ。

 亜美の抜かりないサポートに護られたルーキーの強烈極まりない斬撃が、獲物を確実に追い詰めていった。

 

 だが、獲物も次第に、防御の姿勢を捨て始めた。

 地面に潜り地中からの数度に渡る角の突き上げ、天高く跳びあがってからの踏みつぶし。

 いずれも、こちらに攻撃を許さない行動ばかりである。

 

「学習し始めてる…!」

 

 亜美は、攻撃を避けるためにせわしなく走り回っていた。こうなると、攻撃する隙もなかなかできない。

 突如、ダイミョウザザミがルーキーを無視して亜美に向かって背を向けた。がらんどうの竜の眼窩がこちらを見つめた。

 ルーキーははっとして叫んだ。

 

「横に回避!突っ込んでくるっス!」

 

 盾蟹はヤドの角を差し向けながら素早く後退りし、締めに一本角を跳ね上げるようにぶっ飛んできた。

 

「くっ……!」

 

 あれに当たれば、下に着ているセーラースーツも貫通したかもしれない。

 彼女が事前に読んだ本に、こんなことをしてくるとは書かれていなかった。

 

(あたしも知ったかぶりをしてたってことね)

 

 亜美は気を抜かず、ダイミョウザザミから距離を離した。

 毒弾や電撃弾を撃つが、焦りで手がぶれたのか鋏やヤドに当たってしまい、弱点である頭にはなかなか当たらなかった。

 変化はそれだけではない。少しずつ身体が紫がかり、息も黒くなりかけていた。

 

「さっきのババコンガの攻撃で感染したのか」

 

 ルーキーは悔しげに臍をかんだ。

 そのうち、またしても防御態勢を取ったので音爆弾を投げた。──が、効かない。

 よく見れば、僅かに鋏の間を開けてちらりとこちらの様子を見ている。

 

「こいつ……本当に下位の個体っスか!?」

 

 ルーキーでさえ、その行動に舌を巻いた。

 構えを解くとほぼ同時に、盾蟹はため込んだ水を先より太く解き放った。

 激流の余波を受けて亜美は転がった。ルーキーは盾を構えたが、片手だけで構えるそれでは衝撃を吸収しきれず、彼は胸から大きく体を仰け反らせた。

 

──

 

 ちびうさは、戦場の隅にある柱の陰──しかも、巨大なシダの群生地の奥に隠れていた。

 その効果たるや抜群で、流れ弾すら飛んでこない。

 たとえ飛んできたとしても、周囲の柱や厚い葉が護ってくれる。

 ルーキーの言葉は本当だった。

 

 景色は、ゲリョスを見知らぬ4人が取り囲んでいた時とは違って見えた。

 今の彼女に分かるのは──ダイミョウザザミも、亜美もルーキーも互いに真剣に向き合っている──その事実だけだった。

 ちびうさは、両手を組んで必死に祈っていた。

 

「亜美ちゃん、ルーキーさん、頑張って……!」

 

 だが、妖魔化するにつれ旗色が悪くなっていった。

 深手こそ負っていないが、身体の動きが鈍くなっている。音爆弾もいくらか無駄撃ちして切らしてしまったようだ。

 ちびうさの心に、2人はいつか強烈な一撃を受けてしまうのでは、という不安が広がりつつあった。

 

 そのとき、隣に誰かの気配を感じた。

 見ると、黄色い毛並みの猫が3匹、見物でもするかのような面構えで寝っ転がっている。

 

「……あなた、誰?」

 

「ああ。おいらたちは、この近くに住んでるアイルー族だニャ」

 

 そのうちの1匹が何でもないような声で答えると、もう1匹がふん、と鼻を鳴らした。

 

「あいつら、僕らの住処に乗り込んでオナラしてくるわ水をふっかけてくるわ、ホントーやりたい放題だったのニャ。だから、ここで成り行きを見守ってるのニャ」

 

 あいつら、というのはババコンガやダイミョウザザミのことを指しているのだろう。

 

「ババコンガの方はどうやら終わりが見えてきたようだけど、こっちはなんか心配なのニャー」

 

「そういうなら、協力とかしてあげないの?」

 

 なんだかバカにされたみたいに感じ、むっとして聞いてみると、先ほどぼやいたアイルーは「そうしたいのは山々だけどニャー」と答えた。

 

「おいらたちは非力だし、ギルドと何の契約もしてない限り何も出来ないニャ。ま、お嬢ちゃんがなにかイイもの持ってきてくれてたら、別だったけどニャ」

 

 それを聞いたちびうさの目が光り、手元に抱いたルナPボールを見つめた。

 彼女は決心して、アイルーたちに再び振り向いた。

 

 

「ねえ!お願いがあるんだけど──」

 

 




あと1話で原生林のお話も一区切りです!


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猿蟹合戦⑤

 

 上方にツタでできた地形が、2層構造となって天井と床を同時に成すエリア2。

 

 ババコンガは座り込むと、尻尾に巻き付けていた毒キノコをかじった。

 口からの臭気は自家製の毒ガスへと変貌し、前方を紫の霧で覆う。

 

「くそっ……なんて多芸なやつだっ!」

 

 頭を攻撃しようとしていたまことは、急いで後退した。

 それに伴い、槌に込めていた力も分散してしまう。

 ババコンガは後脚をばねのようにして跳躍し、彼女を押しつぶさんとした。彼女は横に走りこんで攻撃を避けた。

 

 妖魔化したババコンガは特にまことを集中的に狙っている。そのせいで、攻撃になかなか転じられない。 

 

(やっぱりあたしって、ただリーダーさんの背中を追いかけてるだけなのかな)

 

 そう思って、唇を噛んだときだった。

 

「迷うな、キノ君!」

 

 ランサーが駆け寄り、突進しようとしたババコンガの頭を横から盾でぶん殴った。

 視界を遮られて混乱した相手の顔を、続いての槍の一撃が薙ぐ。

 さっとまことの隣に跳び退くと、ランサーはきっぱりと言い放った。

 

「まず、助けられることを恥じてはいけない。狩人とは互いに助け、助けられるものだ」

 

 ババコンガは、負けじと突っ込んでくる。

 ランサーはすべての攻撃をある時は受け止め、ある時は受け流し、そして確実に突いた。

 まるで、ババコンガがランサーに合わせて舞を踊っているかのようだった。

 

(──そうだ。あたしは今回、こんなすごい人と出会えたんじゃないか)

 

 リーダーに対するものとはまた違う種類の憧れを、まことは感じ取った。

 彼女は、槌を構え直した。

 

「はいっ、了解です!」

 

 2人の狩人が、再び並び立った。

 そこに、1匹のアイルーがエリア5方面から駆けてきた。

 

「お二方ともー!あちらからの伝言ですニャー!」

 

「あ、あんたは!?」

 

 まことが聞いたが、アイルーは取り合わなかった。

 

「細かいことはとにかく、あとのお二人が苦戦との伝言ですニャ!狩猟が終わり次第すぐ来てほしいってちっちゃなレディーが言ってましたニャー!」

 

 そう言ったきり、アイルーは何かを急ぐようにさっさとエリア5へ戻っていってしまった。

 まことは衝撃を受けて目を見開いた。

 

「ち、ちびうさちゃん……!?」

 

「あれは、彼女の差し金か。だがどうやって……?」

 

 そこにババコンガが爪を振りかざし、ランサーはそれをガードした。

 

「いや、あれこれ言っている場合ではないか。早く倒すに越したことはない」

 

 まことは少し考えると、ババコンガを挟んで向こう側にいるランサーに呼び掛けた。

 

「……あたしが、ランサーさんが作った隙に攻撃するって作戦はどうでしょうか!?それなら効率的に動けるかも!」

 

 それを聞くと、ランサーは彫りの深い顔に微笑みを浮かべた。

 

「ふむ。それでは、やってみようか!」

 

 ランサーは、盾を構えながらババコンガにさっと近づいた。

 以後、2人にははっきりと分けられた役割が設けられた。

 

 まことは常に中距離を保ち、ランサーは近距離で相手の注意を引き付ける。

 ランサーがババコンガを怯ませ、その隙間を縫うようにまことが強烈な一打を加える。

 

 作戦としては、大成功した。

 

 迷いがなくなった彼女の攻撃は、鋭く相手の体を穿った。

 相手が反撃するにしても、必ずランサーが前に出て出鼻を挫かれる。

 ババコンガは自慢の爪も根本から割れ、脚の腱も切られ、まさに手も足も出なくなった。

 

「もうすぐ狩れるぞ!」

 

「よっしゃあ、もっと来やがれっ!」

 

 まことは亜麻色の髪を振り乱しながら、興奮した表情で叫んだ。

 

 目の前の獲物を狩れない怒りに、獣は狂ったように吠えた。

 生命の危機に瀕し、この獣の奥に潜む闇の気配が遂に暴れ出した。

 ババコンガは突如立ち上がって、聞いたこともないような声で、長くいななき始める。

 たちまち、周囲の草木は枯れ、光がその身体へと導かれていく。

 

「ぐっ……こいつが『吸収』か」

 

 もはや、やぶれかぶれといったところだろう。腹に、黒い星模様が浮かび始めていた。

 ランサーは盾を構えたが、妖力はそれを貫き彼の体力を奪っていく。

 まことも、槌を持つ手ががくんと下がった。

 

 ──が、決して取り下ろすことはない。

 ランサーは、彼女の根性に目を見張った。

 まことは脚を震わせながらも、その長身を起こし上げた。

 

「今度は……あたしに、助けさせてください!」

 

 叫んだ少女の背中は、苦しさのあまり屈みこんでいるランサーからすればかなり高く見える。

 

「キノ君……!」

 

 歯を食いしばり、叫び、全力を振り絞り、恐れず突っ込む。

 無骨な骨の塊は、真っすぐババコンガの脳天めがけて飛んで行った。

 

──

 

 亜美とルーキーは、まさにどん詰まりの状態にあった。

 ルーキーは、脚に斬りかかったが敢えなく弾かれ、痺れる左手を振った。

 

「くそっ、もう少しだっていうのに……!」

 

 ダイミョウザザミとしても音爆弾が飛んでこないのを察したのであろう、一転して鋏を密着させた防御態勢に勤しみ始めた。どこを斬れど撃てど、それは要塞のように頑として攻撃を受け付けない。

 このまま、こちらが諦めて帰るのを待とうという寸法である。

 

 膠着状態。

 その言葉が浮かび始めた時であった。

 

 火のついた大樽が、宙を舞って飛んできた。

 

 それはヤドにぶち当たって、大爆発を起こした。

 爆発音は、音爆弾の炸裂と同等の衝撃をもたらす。

 不意をつかれたダイミョウザザミは倒れ伏した。

 

「誰!?」

 

 亜美が叫ぶと、ダイミョウザザミの陰から3匹のアイルーが現れた。

 彼らは紐を括り付けた簡素な荷車を引いている。あれで爆弾を運んできたのであろう。

 

「よし、これで契約は成立ニャ?」

 

 数本のマタタビを掴み上げ、アイルーのうちの1匹が言った。

 向こう、柱の陰から親指を立てた小さな腕が出て、彼らが去っていくのを見送った。

 

「まさかちびうさちゃんなの!?」

 

 がさりと草を撥ね退けると、ちびうさは顔を現わして叫んだ。

 

「2人とも、今がチャンスよ!」

 

 さらに、エリア2に続く洞窟からまこととランサーが共に走ってきた。

 

「いま、助けに上がったよ!」

 

 まことが、槌を構える。

 彼女は振りかぶると、ヤドの一本角を吹き飛ばした。

 ランサーはまことが作ったヒビ目掛けて盾を構えながら突進し、そのまま重量と勢いに任せ体当たりをぶちかました。

 ぼきっと音がするとヤドが一部砕け散り、その衝撃でダイミョウザザミは前につんのめって倒れた。

 

「ランサーさんのガードダッシュ、相変わらずすげぇや!」

 

 思わずルーキーは感嘆した。

 

「さあ、行くぞ!あともう少しだ!」

 

 ランサーの言葉を以て、全員が真剣な顔つきになった。

 このチャンスは、ぜひとも生かさねばならない。

 全員が総力を挙げて狩猟に当たった。

 ひたすら、斬り、突き、撃ち、殴る。

 防御する間も与えず、攻めの姿勢を崩さない。

 

 ──やがて、時は来た。

 それに真っ先に気づいたのは、亜美だった。

 

「口から青い泡を吹いてます!」

 

 それは、瀕死のサインだった。

 

「よし、シビレ罠を設置するっス!」

 

 ルーキーが円錐状の装置を地面に植え付けた。その場を離れると、強力な電流が周囲に展開される。

 亜美は盾蟹と罠を挟む位置に移動すると、手早く捕獲用麻酔弾を装填した。

 こちらの意図を悟られぬよう、3人で少しずつ立ち位置を変え、亜美の方向に押すように攻撃を加える。

 傷だらけのダイミョウザザミは、戦意をほぼ喪失しおろおろと後ずさる。

 

「よし、その調子だ!押し切れ!」

 

 ダイミョウザザミは身を翻して3人に背を向け、逃げ出した。

 ちょうど亜美と目が合ったが、構わず向かってくる。このまま轢いても構わないと言わんばかりの速さだ。

 だが、目の前の少女がそこにいる意図を、その生物は知らなかった。

 

 脚がシビレ罠の近くに降ろされると、目に見えるほど激しい電流が盾蟹の身体を駆け巡った。

 それは硬直して身体を震わせ、無防備な姿を晒した。

 

「かかったよ!」

 

 まことの声を聴いたと同時に、亜美は麻酔弾を装填した弩の引き金を引いた。

 数発が頭に直撃し、桃色がかった煙が上がる。

 

 急激に、動きが鈍くなる。

 巨体が崩れ落ち、ずぅんと鈍く地面が揺れた。

 ダイミョウザザミはうずくまって少しもがいたあと、動かなくなった。

 そのあと、安らかに寝息を立て始めた。

 

 

 

「──終わった」

 

 

 

 同時狩猟は、成功に終わった。

 ランサーを除く全員が、その場に仰向けに寝っ転がった。

 喜びは確かにあるが、それよりも疲れが真っ先に襲ってきた。

 

「これで、妖魔化直前のモンスターのサンプルも入手できた。研究がさらに進むぞ」

 

 ランサーはそれほど疲労は見せず、盾蟹の寝顔を見て満足気に頷いていた。

 

 

「みんなっ!」

 

 

 ちびうさが、穴から抜け出して一目散に駆けてくる。亜美とまことが上半身を起こし、それを受け止めた。

 

「狩り、いま終わったのね!」

 

 亜美はちびうさの背をぽんぽんと叩きながら微笑んだ。

 

「ありがとう。ちびうさちゃんの支援がなかったら、あのダイミョウザザミは狩れなかったわ」

 

 そこにルーキーもへとへとな様子ながら、横から笑ってびっと親指を立てた。

 

「ほんと、感謝しても感謝しきれねえっス!!」

 

 嬉しそうな表情をしたちびうさはふと、ダイミョウザザミに目をやった。

 さっきまで戦っていたとは思えないほど、よく寝ている。

 

「すごいなぁ、こんなでかいのが、ホントに生きてるんだ……」

 

 彼女は、その周囲を歩きながらその身体を観察し、ただただ純粋な感動に目を輝かせていた。

 ランサーは、それを懐かしそうな表情で眺めていた。

 

「あの子を見ていると、昔のルーキーを思い出すな」

 

「え……ルーキーさんもそうだったんですか!?」

 

 まことの問いに、ランサーは頷いた。

 

「ああ、そうだ。いつのことだかうちのリーダーもぼやいていたよ。この男は、何をしでかすかは予想の遥か上を行き、地平の彼方へ消えていく、とな」

 

「ちょっとランサーさん、この子たちの前でそれ言うのハズいですって!」

 

 ルーキーが頬を赤くしながら叫んでいる。

 

「さぞかし、彼女に若かりし頃を重ね合わせて肩入れしたくなった、てところだろ?違うかな?」

 

 彼が視線をそらしながらも首を横に振らないあたり、図星らしかった。

 そのまま昔を思い出すように、彼は遠くを見つめた。

 

「何も分かんない間って、自分が王様みたいなもんでさ。狭い世界の中で自分は何でも知ってるって思い込んじまう」

 

 ルーキーは、ゆっくりと顔を横に振った。

 

「でも、それは違うんだ。ちょっと見渡したら、分からないものなんていくらでもある」

 

 そこに、盾蟹の観察を終えたちびうさがとてててと走ってきた。

 

「ホンットーにその通りよ!現に今のあたし、知りたいけど分からないことばっかりだもん!ほら、例えばこの変なガイコツとか~」

 

 そのあと彼女が興奮気味にダイミョウザザミの身体のあちこちを指さし始めたのを見て、亜美は頬を緩ませた。

 そして、亜美の隣にいたまことも目を細めた。

 

「あたしも、もっと足掻いてみよっかな」

 

「まこちゃん……」

 

 亜美が視線を向けると、まことは頭の後ろに手を組んで遠くを見た。

 先ほど彼女が崖の上で見たのと、同じ景色だった。

 

「あたしも、まだまだやれることあるって思ったからさ。ある意味、亜美ちゃんがちびうさちゃんにいろいろ教えてくれたおかげだよ」

 

 振り向いて彼女が言うと、亜美は頬を赤らめて目をそらした。

 

「ま、あの堅物のセンパイに手が届くかどうかは別問題だけどな!」

 

 ルーキーが口を挟んだ途端、まことはたちまち顔を紅潮させた。

 

「だ、だからなんでそこでリーダーさんの話が!」

 

 一同は思わず吹き出してしまった。緊張状態から解けた反動もあったかもしれない。

 ひとしきり爆笑したあと、ちびうさはふと真顔になった。

 

「みんな。改めて、今回はたくさん迷惑かけてごめんなさい」

 

 うつむいてそう言った彼女に注目が集まった。

 顔をあげたちびうさの表情は真剣だった。

 

「勝手に出たこと、ちゃんとみんなに謝ろうと思う。その上でこれからあたしがやりたいこと、きちんとうさぎたちに伝えたい!」

 

 戦士たちも狩人もその言葉に頷き、見守っていた。

 

 

 うさぎたちは今、沼地にいる。

 

 




来週からうさぎ&レイ&美奈子sideのお話になります。


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切り裂かれた誇り①

 

 沼地。

 

 正式名称は、クルプティオス湿地帯。

 天には雲が、地には霧が垂れ込み、枯れ木は風に揺れ、湿気と泥濘に支配されている。

 寂しく薄暗い土地だが、ここにも確かに生命は存在する。

 

 湿った灰色の大地にばしゃり、ばしゃりと弾ける水たまりの音。

 毒々しい赤い身体が、狩人たちの間を跳びまわっていた。

 ドスイーオスと呼ばれる、猛毒を吐く鳥竜種だ。

 ずる賢そうな黄色い瞳、ぬらっとした質感の鱗と、異様に発達した鼻先の瘤が特徴的だった。

 細く身軽なその身体には、既に相当数の傷跡があった。

 口からは荒い息と共に毒液が漏れ出しており、動きもぎこちない。

 

 それを見たうさぎは、プリンセスレイピアを構えながら叫んだ。

 

「もうすぐ狩れるね!」

 

「ええ!」

 

 レイは一言返し、獲物の身体を袈裟斬りで切り結んでいく。

 連撃をお見舞いしたあと太刀を振り上げて縦に斬りつけようとしたところで、ぎょろりとドスイーオスの狡猾な黄色の目が動いた。

 ドスイーオスは後ろに飛び跳ねると同時、ひときわ大きな毒液の塊を飛ばした。

 それは、弓なりの放物線を描いてレイに飛んでいく。

 虚空を裂いたばかりで隙だらけの彼女に、逃げ場はない。

 

「レイちゃんっ!」

 

 うさぎがレイの前に出て、盾で攻撃を受けた。

 

「うさぎ……」

 

 うさぎはレイに振り返らなかった。

 ドスイーオスがうさぎに噛みつこうと迫ったところ、横から剣撃が烈風のごとく襲い掛かり、傷だらけだった脚の皮膚を切り裂いた。

 

「これで、終わりだ」

 

 筆頭リーダーは向こうの景色を見据えると、冷静な声と共に腱を斬った。

 ドスイーオスはすっ転がり、そのまま予め仕掛けていたシビレ罠にかかった。

 

「てりゃあっ!」

 

 うさぎは即座に捕獲用麻酔玉を取り出し、鼻先めがけて2つぶん投げた。

 煙が広がるとそれは一瞬痙攣し、舌を突き出しうめき声をあげながらそのまま倒れ伏した。

 やがて、寝息が聞こえてきた。

 リーダーはそれを傍に寄って確かめると、2人の少女に向かって頷いてみせた。

 

「つ……つかれたぁ~!あと蒸れる~!」

 

 数時間に渡る狩猟だった。

 うさぎは思わず、膝と手を地につけ脱力した。

 圧倒的に高い湿度により汗をかきまくり、肌がべたついている。

 その意味でも、中々に苦しい狩猟だった。

 

「ヒノさんは太刀筋がいいな。まだ粗削りだが飲み込みが早い」

 

 リーダーが感想を述べると、レイは途端に顔を赤くして頬に両手を添えた。

 

「え、やだぁ~、そうですかぁ~?」

 

「へぇーっ、良い気になっちゃってー。雄一郎さんがいるってのに、この薄情者ぉ」

 

 うさぎがにやつきながら肩を肘でつつくと、レイはむっとしてにらみ返した。

 その男の名前に、リーダーは怪訝な顔をした。

 

「ユウイチロウ?誰だ、それは」

 

「レイちゃんと修行してる、ちょっと抜けてるけどステキな男の人です!友達以上恋人未満ってところ。ねー、レイちゃん?」

 

 レイは両手をぶんぶんと振り、慌てて否定しにかかる。

 

「ちょっ、誤解されるような言い方しないでよ!あいつはあたしのただの弟子で……」

 

 そう口では言いながらも、次第に彼女の視線は下に下がっていった。

 

「あの男ったらいざという時以外頼んないし……そりゃあいざって時にはいいところだってまあないことも……ないけど……」

 

「おっ、デレ隠しきれてないですねぇ~」

 

「うるさーい!!乙女のプライベートばらしてんじゃないわよ、バカうさぎ!!」

 

 リーダーは砥石で武器を研ぎながら、やや呆れ気味に呟いた。

 

「……まったく不思議なものだ。本命がいながら私に付きまとうとは」

 

「あーあーあー違いますー!!」

 

「完全に違うってこったぁないですよね~?」

 

「うるさぁぁぁい!!」

 

 煽りを入れるうさぎに、レイは見事に乗せられている。

 武器を研ぎ終わったリーダーは、立ち上がって小さく独り言ちた。

 

「まったく、これほど騒がしい狩人を見るのは初めてだな」

 

──

 

 毒怪鳥ゲリョスを乗せた荷車が、キャンプ奥の深い霧中へと消えていった。

 それを、美奈子とガンナーは見送っている。

 

「一仕事、終わりっとぉ」

 

 美奈子は薙刀のような武器『操虫棍』を隣に置くと、テント内にあるベッドに仰向けに伸びて倒れ込んだ。

 それを見て、ガンナーはふふ、と笑みを深めた。

 

「アイノさん、今の調子はどう?」

 

「はーい、最高でーす♡」

 

 美奈子は、オッケーサインで元気よく答えた。

 

「もはや、ゲリョスなんかじゃ相手にならないって顔ね」

 

 ジオ・テラード湿地帯。

 クルプティオス湿地帯に隣接する地域だ。

 俗に『旧沼地』と呼ばれ、ここと比較して古い時期に開拓された。霧がより深いことを除いては似たような土地である。

 

「しかし前代未聞だわ、この前まで狩猟笛を使っていたと思ったら、猟虫なしの操虫棍で狩りをするなんて」

 

 猟虫は、操虫棍使いが右腕に止まらせる虫である。使い手はこれをモンスターに飛ばして攻撃したり、エキスを吸収して自分の力に変えることができる。

 だが、美奈子が手にした操虫棍──『ボーンロッド』──にはそれがなかった。これではただの骨でできた薙刀である。

 美奈子ははっきりと、笑顔のまま言った。

 

「はい、でかくて気持ち悪いんでそこに置いてきました!」

 

 テント内には、クルドローンと呼ばれるカナブン型の巨大甲虫が籠に入っている。

 一応餌はきちんと与えられているが、物言わず皿に満たした蜜を舐めている猟虫を、ガンナーは哀れそうに見つめた。

 

「……私としては、なるべく付けることをお勧めするけどね」

 

 ガンナーはボックスから応急薬の入った瓶を取り出し、美奈子に投げて渡した。

 

「次に狩る相手はフルフルよ。信用はしてるけど、油断せずきちんと万全の態勢で挑みなさい」

 

 そのモンスターの名を聞いた途端、美奈子は瓶を両手で持ったままうつむいて、憂鬱そうな表情をにじませた。

 

「うう……そっかあ、あんなキュートなモンスター狩るなんて、罪悪感半端ないわぁ……」

 

 ガンナーは小さく眉根を寄せたあと、振り向いて話しかけた。

 

「……それ、どこの情報?」

 

「ソフィアさんから聞いたんですよ!フルフルは、白くてぷよぷよしてて可愛いモンスターだって!……ああ、それを狩らなきゃいけないだなんて」

 

 美奈子は、悲しみに打ちひしがれるように額を手で押さえた。

 

 彼女は狩りに行く直前、ソフィアから軽く旧沼地にいそうなモンスターの情報を集めていた。

 なんでも、そのユニークで魅力的な姿に『多くのハンターさんが悩殺!』らしい。

 その時の身振り手振りを交えての熱っぽい語りから、それだけ彼女の期待も膨らむというものだった。

 

 感傷的に涙さえ浮かべている美奈子からガンナーは視線をずらし、支給された弾をボウガンの弾倉に入れた。

 

「……情報の出所って大事ね……」

 

 視線を向けなおすと、彼女は美奈子の肩をぽんと叩いた。

 

「まあ後でしっかり教えてあげるから、どうぞ安心して狩ってちょうだい」

 

「……へ?」

 

 そのまま、ガンナーは次の狩猟に向けて歩を進めていった。

 美奈子は言葉の意味がよくわからず首を捻っていた。

 

──

 

「ほんと、あんたってやつはいつもいつも!……」

 

「なによそういうレイちゃんだって!……」

 

 並んで口々に言い合いながら、うさぎとレイはキノコを摘んでポーチに入れていく。

 ほぼ同時に採取し終わって立ち上がると、彼女たちはつんとしてそっぽを向いた。

 

「まったく、狩りのときとは別人のようだな」

 

 半ば感心も入ったようなリーダーの言葉に、レイは涼し気に髪を手ですくった。

 

「ま、こっちが合わせてあげてますからねー。この子だけだとドジばっかで心配ですから」

 

「な、何をー!」

 

「そっちこそ何すんのよバカ!」

 

 うさぎが叫び、レイの頬をつねりにかかった。それに、レイも応酬していよいよ終わりが見えなくなったときだった。

 リーダーはそれを見て、ふと何かを思ったように口を開いた。

 

「……ツキノ君。なぜ、あそこで君はヒノ君を庇えた」

 

 レイと頬をつねりあっていたうさぎは、振り向いてつねっていた手を離した。

 

「え?単に、友達で仲間だから、じゃダメですか?」

 

 ぽつぽつと天から水滴が落ち始め、鎧に黒い斑点が付き始める。

 リーダーは首を横に振った。

 

「君の行動は、それだけを理由にするには危険にすぎる」

 

 リーダーは、ある方向をさっと指さした。

 うさぎは、雨に濡れててかる、ドスイーオスの姿を見た。

 今も目覚める気配がないこの生物は、もうすぐギルドからの荷車に乗せて運ばれていくだろう。

 

「先ほどのドスイーオス……咬まれた傷から毒が入って死亡したケースもある。その毒液を全身に浴びれば、ただでは済まなかった」

 

 うさぎは言葉に圧力を感じ始め、身体を縮こまらせた。

 

「君はその危険性をきちんと理解したうえで、ヒノ君を庇ったのかね?」

 

「……どうしても、身体が動いちゃうっていうか」

 

 リーダーは、黙ってその言葉の続きを聞いた。

 

「みんなとは……本当にいつも一緒にいて、いろんなことしてきたから」

 

 レイは独白する友人の姿を腕を組みながら見守っていたが、少し照れ臭そうに目をそらした。

 うさぎは続けながら、リーダーの顔を見つめた。

 

「そんな景色を護るってことになったら、リーダーさんだって身体動いちゃいません?」

 

 そう尋ねられたリーダーは、何かを思い出したかのように眉をひそめ、背中を向けて歩き始めた。

 

「……とにかく、私の前で危険な行為は謹んでもらう。いいな」

 

 既に、リーダーは背中を向けて枯れ木の間の細道を通ろうとしていた。

 

「な、なんか怒られたんだけど」

 

「でも、怒る姿もなんだか素敵……」

 

「……レイちゃーん?親友の言葉も無視ですかー?」

 

 双剣を背負った群青色の鎧は、灰色の風景の中では鮮明に輝いて見えた。

 

 

 沼地の『エリア8』。

 腰より高い位置まで伸びるススキのような植物が、灰色の平野に黄土色の絨毯を敷いている。

 小雨が降る中、かしゃん、かしゃんと音を立て3人は歩んでいく。

 鎧の金具が濡れて水滴を落とし、てらてらと鈍く光った。

 

「今回、旧沼地にいるガンナーとアイノ君に『目』の役割を託しているのは説明したな。今回は、あちらからの情報を基点に調査を進める」

 

 『目』とは狩猟や異変の真相を探り、分析する役割を指す。

 

「美奈子ちゃんたら大層な名前の役職もらっちゃって、うらやましいなー!」

 

「でもその役回りに美奈子ちゃんって……ちょっと不安しかないんですけど」

 

 うさぎは目をきらきらさせていたが、レイは苦り切った表情だった。

 どちらかといえば、美奈子は先鋒を切って敵をかき乱し、仲間の士気を高める役割だ。

 そんな彼女が分析に回されたのは、レイにとっては不可解だった。

 

 分隊を組もうという提案がされたのは、現地到着の前夜だった。

 理由については、ガンナーによると『怪しい臭いが大きく広がっている』かららしい。

 彼女の確信に満ちた表情を見てレイは反論はしなかったが、今ここに来て不安は再び膨らみかけていた。

 

「彼女は、目に見えぬものを見破る天才的なまでの勘を持っている。私はそれを信頼している」

 

 リーダーは、歩きながら説明を続ける。

 やがて、マップ上の中心部にある広場『エリア4』へ続く道に入った。

 次第にススキは消え、再びぬかるんだ地面が露わになっていく。

 

「ほら、地面を見ろ」

 

「えっ?」

 

 ふいに、リーダーは地面を指さした。

 

「いくつもの足跡が重なっている。多くの生物が入り乱れた証拠だ」

 

「あっ、ほんとだ!」

 

 うさぎは目線を下げると、いくつも重なった水たまりに気づいた。

 恐らくドスイーオスのものであろう小さいものから、飛竜のものと疑われる巨大なものまで。

 

「沼地と旧沼地は隣接している。我々は別地域として区別しているが、モンスターたちは関係ない。何か理由があれば、生き物はすぐより住みやすいところへと移るものだ」

 

 残念ながら雨のせいで原形を失っており、その詳細は分からない。

 

「彼女はこれに気づいて少しでも視野を広げようと隊を分けたのだろう。アイノ君の件も、何かしらの意図があるはずだ」

 

 リーダーの目は、真剣そのものだった。

 

「やっぱ凄いなあ、筆頭さんたちって」

 

 うさぎは、素直に感心して呟いた。

 やがて、広場の形状になった『エリア4』が小道の間から見えてきた。

 




猿蟹合戦はサイドストーリー的な感じで、本筋はこっちのイメージ。
レイうさ好きなので積極的に絡む描写が前面に出てきます(百合と言っていいかは微妙レベル)
また、活動報告も見ていただければ幸いです。


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切り裂かれた誇り②

今回9000文字くらいあります……キリがいい区切り方するとたまにこうなる。
(追記:8月16日7時36分、以前より告知しておりましたサブタイトルの編集を行いました。)


 

 旧沼地の『エリア8』……ドーナツ状に出来上がった洞窟に、それはいた。

 

 ブヨブヨとした質感のアルビノ肌に、赤と青の血管が浮き出て波を打っている。

 寸胴で真っ白な胴体に、目鼻のないのっぺらぼうの頭。唯一赤く裂けた口には、不揃いの牙が並ぶ。

 頭と首の区別はほぼなく、首がゴムのようににゅうっと伸びている。

 丸っこい爪が付いた翼は、彼もまた飛竜の一種であることを辛うじて伝える。

 

 2人を前にして、化け物は絶叫した。

 人の悲鳴のように裏返った咆哮が響く。

 音圧に押しだされた洞窟の冷気が、美奈子の金髪をばっとかきあげた。

 

 

「ソフィアさんの嘘つきー-っ!!」

 

 

 しゃがんで耳を抑えながら、美奈子は涙ながらに叫んだ。

 フルフルは、臭いを嗅ぐように鼻を鳴らしながらぺた、ぺたとにじり寄ってくる。

 体長はリオレウスより一回り小さいが、人を食うことは容易いくらいの大きさだった。

 

「いやあああああっっ!!」

 

 美奈子は全速力で逃げた。

 その背中を見たフルフルは天井へ跳びあがる。

 

「アイノさん、天井を見なさい!」

 

 ガンナーが追いながら、呼びかけた。

 美奈子は我を忘れて絶叫したまま走っている。

 フルフルは足と翼の先っぽを吸盤にして、素早く美奈子の前方に回り込む。

 

 美奈子は、偶然足元にあった風化した骨に躓いた。

 彼女は派手にすっころび、脚をさする。これだけでなく、洞窟内の一面中に骨が落ちていた。

 

「来たときも思ったけどなんでこんなに骨が散らばってんのよ、最悪!!」

 

 そこに、ぼたぼたと何かの液体が落ち煙をあげた。

 はっとして天井を見上げると、フルフルが尻尾を天井にくっつけて涎を垂らしていた。

 涎はしゅうしゅうと音を立て、美奈子の周りの地面を溶かしていく。

 

「い、いぎやああああ!!!!」

 

 またしても絶叫し、美奈子は洞窟内に舞い戻った。

 

「ガンナーさん、話が、話が違うじゃないですかああああ!!」

 

 両肩に抱きついて泣きつくと、ガンナーは呆れ気味に答えた。

 

「だからさっき教えたでしょ?これから、情報の出所は大事にしなさいって」

 

「あたし、ソフィアさんのこといっしょー恨むかも……」

 

 フルフルは、再びこちらに振り向いて天井を這いずり始めた。

 目が無いのにも関わらず、獲物が洞窟に戻ったことを悟ったらしい。

 

「文句言ってる暇はないわよ。まずは腕を動かして!」

 

 美奈子は息を呑み、『棍』を構えた。

 戦士としての自分を思い出して、無理やり奮い立たせた。

 

 天井からフルフルが飛び降り、そのまま覆いかぶさってくる。

 ガンナーは横に転がった一方、美奈子は棍を地面に突き立てた。刃の近くについた特殊機構から空気を噴射、その勢いで軽やかに跳躍。攻撃を難なく避けた。

 

「てぇいっっ!」

 

 着地するとそのまま駆け寄り、踏み込んで得物の刃を振りかざした。

 幸い、表皮は柔らかく刃は問題なく通る。

 フルフルは首を伸ばして噛みつこうとしたり、尻尾を振り回したりして応戦するが、身軽な美奈子には全く追いつけていない。

 ガンナーが撃った火炎弾の雨が彼女の隙をカバーする。

 

「いい調子よ!」

 

「どういたしましてっ!」

 

 彼女の言葉を追い風にして、美奈子は頭に集中的に攻撃を叩きこむ。

 そのうち、フルフルは地面にしゃがみこんで稲妻のような光を口に溜めた。

 美奈子は跳躍の構えを取った。

 

「なにか来るっ!」

 

 空中に跳ぶと、地上で稲妻が光った。

 ちらりと見ると、青白い雷弾が地上を這って進んでいく。

 ソフィアからは、とにかくビリビリに注意しろとの忠言をもらっていた。ああやって、遠くの獲物も捕らえるのだろう。

 

「当たったらヤバそうだけど……」

 

 だが、それもこの空中では当たらない。

 目の奥を光らせると、美奈子は先ほどと同じように武器から空気を吹かせた。それを助けに、彼女は空を踏んだようにして横に跳んだ。

 錐揉み回転しながらフルフルの頭上を取ると──

 

 刃を下に持ち替えて急降下した。

 

 その技は、狩人の間では『急襲突き』と呼ばれる。

 振り下ろされた刃が獲物をしっかりと斬り下ろし、フルフルは大きく仰け反った。

 

「ふふん、見た目はあれだけど随分とろっちいじゃあないの!」

 

 勢いづいたそのままに、矢継ぎ早に斬撃を繰り出す。

 このまま頭か首を集中攻撃すれば、手早く片づけられるだろう。

 美奈子がそのまま、飛び込もうとしたその時だった。

 

「そろそろ引きなさい!正面に近づきすぎよ!」

 

 ガンナーは忠告をしたが、美奈子は棍を手元で振り回しながら笑った。

 

「大丈夫よ、あたしの機動力ならこんなヤツなんて──」

 

「──────ッッッ」

 

 フルフルが叫んだ。

 遠くにいたガンナーは平気だったが、間近にいた美奈子は思わずしゃがんで耳を塞いだ。

 冥府からやってきたかと思われるほど醜い声だった。

 

「気をつけなさい、興奮状態よ!」

 

 地獄のように長い硬直が終わり、美奈子は恐る恐る目を開けた。

 数メートルほど先に、眼のない白い顔があった。

 それがいきなり飛び出し、眼前に迫った。

 

「がっ!」

 

 少女は弾き飛ばされ、ごろごろと地面に転がった。

 フルフルの首が通常の10倍以上の長さに伸び、すれ違いざまに美奈子の脇腹を殴ったのだ。

 ゆるゆると巻き戻っていく首を見ながら、美奈子の心に嫌悪感と怒りが同時にこみあげた。

 

「……なんのっ!」 

 

 フルフルは、先ほどと同じようにしゃがんで首をもたげた。さっきの電撃と構えが似ており、違いは身体の周りを青白い電流がちらついているぐらいだ。

 美奈子は、自身の身体を再び宙に舞わせた。

 もう一度、急襲突きをがら空きの頭にお見舞いしてやろう。彼女は、空中の一瞬の時間でそう画策した。

 少女は再び、刃を真っ直ぐ、垂直に振り下ろした。

 

「おりゃああああっ!!」

 

 

 直後、電撃が身体中に迸った。

 

 

 フルフルは、電撃を吐くと思わせて身体に電気を張り巡らせていた。

 まんまとフェイントに引っかかったということだ。

 

「がっ……」

 

 美奈子は地面に背中から墜落し、目を見開いたまま力なく身体を震わせた。

 

(麻痺してる……!)

 

 全身にまとったセーラー戦士の力が役目を果たし、被害は軽めで済んだ。

 だが、このままではまずいことは目に見えて明らかだった。

 

 麻痺した彼女に、フルフルがぺたり、ぺたりと近づいてくる。

 

「や……やめ……」

 

 化け物の首が伸ばされ、深紅の唇とたっぷりの涎に飾られた牙がゆっくりと迫ってくる。

 目を閉じたいが、痺れるせいで何もできない。

 彼女の心の底より恐怖が膨れ、沸き上がろうとしていた。

 

 そのとき、化け物の頭に炎を吹く弾が刺さった。

 『徹甲榴弾』数発は大爆発を起こし、フルフルは眩暈を起こして倒れた。

 茫然としている美奈子を、ガンナーが背中から助け起こした。

 

「ほら、今のうちに退避よ!」

 

 ガンナーは美奈子を押しながら、洞窟の出口へと向かった。

 美奈子はまだ震える腕をもう一方の腕で庇いながら、歯を食いしばっていた。

 

 洞窟の外『エリア9』は、この土地特有の濃い霧に覆われていた。

 荷車の横で、一時撤退した美奈子とガンナーは補給をしている。

 一旦外に退避した美奈子は地べたに座り、天を仰いだ顔を手で覆っていた。

 幸い麻痺はほぼ完全に取れ、傷は深くない。火傷したところには、薬草を含ませた包帯を巻いている。

 

「あーもう二度と相手したくない……ほんっと無理……」

 

「まあ、そうなるわね」

 

 完全に意気消沈した美奈子に苦笑いを浮かべたガンナーは、荷車に乗り込んでがさごそと辺りを探った。

 

「やっぱり、この子の助けが必要なようだわ」

 

 彼女が籠を持ち上げると、美奈子は苦虫を嚙み潰したかのような顔になった。

 

「げっ……」

 

「その顔は絶対嫌だって言ってるわね」

 

 籠の中には、蜜を舐める猟虫の姿があった。

 

 美奈子が狩猟笛から操虫棍に持ち替えたのは、遺跡平原からバルバレに帰ってきた頃だった。

 彼女はバルバレに来るまで狩猟笛を使っていたが、こちらの方が高い身体能力を活かせると考えたのだった。

 実際、もともと身軽な美奈子にこの武器の動きは非常に馴染んだ。

 ──だが、どうにもこの虫だけは受け付けなかった。

 

「だって、あんなの身に着けてたら狩りどころじゃないですって!ただでさえあんなヤバいの相手にしてるのに……」

 

 美奈子が眉をひそめていると、ガンナーはふぅ、とため息をついて籠を元の場所に置いた。

 彼女は美奈子の傍に歩み寄ると肩を叩いた。

 

「ちょっと場所を変えましょうか。気晴らしと、あれの興奮が解けるまで待つのも兼ねてね」

 

──

 

「最初見た時から面白い子たちと思ってたわ。武器の扱いはまだ荒さがあるけど、初心者にしては十分上出来」

 

 旧沼地の『エリア5』と呼ばれる区域は、先ほどとは打って変わって霧がない。

 泥濘には池と見まがうほど巨大な水たまりがいくつかあり、天然の鏡として波紋に揺らぐ曇天を映し出している。

 人の背ほどある巨大ハスの下を潜り抜け、美奈子とガンナーの2人は歩いていた。

 

「貴女は特にずば抜けてる。複数の武器を扱える柔軟さと高い身体能力は、まさに狩人になるために生まれたといっても過言ではない」

 

「い、いやーん褒めすぎですよぉ、ガンナーさん」

 

 ほめそやされた美奈子は、思わず照れて頬を赤くした。

 

「もう一つ、特筆すべきは行動力ね。貴女、目的を決めたら真っ先にそこに向かうタイプでしょ?」

 

「あ、分かります?あたし、ものごとには妥協しないってゆーか!」

 

 調子づいた少女は自信を指さすと、てへっと茶目っ気のある表情で微笑んでみせた。

 その時、ガンナーはふいに立ち止まった。

 

「じゃあ、こういうことにも妥協しない?」

 

 彼女はしゃがみこむと、足元にあった白ちゃけたものを手でまさぐり始めた。

 

「ちょっ、ちょっとガンナーさん、それ……」

 

 美奈子はそれを見た瞬間、ぎょっとして思わず身を引いた。

 一生で一度も見たことのない大きいそれが、鎮座している。

 

「ええ、モンスターのフンよ」

 

「はっきり言わないでください!!」

 

 思わずそう叫ぶほど、眉目秀麗な女性が何の抵抗もなくそれを触る姿が強烈だった。

 耐え切れなくなって、美奈子は目をつぶって背けた。

 

「大丈夫。分解されきってるから有害な菌はないわ」

 

「そういう問題じゃ……」

 

「ふむ、これは……かなり古いわ。でもモスは見かけなかったし、このキノコ……」

 

 ガンナーは手につけたフンをじろじろと眺め、臭いまで嗅いでいる。

 美奈子は背を向け、半ば呆れながら呟いた。

 

「やっぱりあたし、こういう役向いてないですよ。亜美ちゃん辺りの方がずーっと活躍できそう」

 

 美奈子は、こうやって深くものごとを考えることが得意ではない。

 だからこそ、状況を分析する『目』の役割を与えられると知ったとき、彼女自身も違和感を禁じ得なかった。

 

「それにあたしたち、霧と魔女の調査に来てるじゃないですか。妖魔化したモンスターを倒した方が情報をたくさん得られるんじゃ……」

 

「それだけじゃダメよ」

 

 ガンナーは、優しい口調ながら毅然と言った。

 

「例えば、さっき戦ったとき不思議に思ったことはなかった?」

 

「えぇ……そんなの戦いに夢中だったし、骨が邪魔だなってくらいしか……」

 

 それを聞き、ガンナーはふふっと笑った。

 

「よく見てるわね。あの骨は捕食痕よ。あれは天井から獲物を襲って丸呑みにするのだけれど、骨だけはいくらか消化しきれず吐き出すの」

 

 要するに、あれはフルフルの食べかすなのだ。

 

「う、うげー……」

 

 美奈子は不快感を露わにした。

 

「骨の量は私も異常だと思った。本来、この地域のフルフルはそんなに洞窟に長居しないの。それがずっと洞窟に引きこもってる……この意味がわかる?」

 

「外に出るのがめんどくさくなっちゃったんですかね?いかにも出不精って感じの見た目だし」

 

「そのめんどくさくなった理由のことを聞いてるのよ」

 

「えー?」

 

 美奈子は、怪訝に首を捻った。

 思いなおしてみると、フルフルそのものは病気らしい様子もなく暴れまわっていた。

 それが、あえてあそこで食事を取るということは。

 

「外に……なんか怖いものでもあるとか?」

 

 ガンナーは黙って微笑むことで肯定した。

 

「付け加えると、ここで凄まじい頻度で生物の入れ替わりが起きてる」

 

 彼女は、先ほど触ったフンを指さした。

 

「草食動物のモスはキノコを食べるんだけど、あの古いモスのフンの近くにはキノコではない別の雑草が生えていたの。私たちが来る前に何かによってキノコが消え去り、取って代わられたわけね」

 

 美奈子は息を呑んだ。

 そんなことが自分たちの見ないところで起こっていたなど、思いつきもしなかった。

 

「じゃあ、その原因って……」

 

「妖魔かはまだ分からないけどね」

 

 ガンナーは、曇天を見上げた。

 

「経験者の言葉として覚えておきなさい。この世にあるものすべてが、求める真実に繋がる手がかりなのよ」

 

 再び美奈子に視線を戻し、彼女は続けた。

 

「貴女は最初から一つの道しか見ず、他を全部切り捨ててしまう。その中のひとつが最高のハッピーエンドに続いているかもしれないのに勿体ないわ」

 

 ガンナーは、美奈子の胸当てを人差し指でとん、と軽く叩いた。

 

「貴女は、もっといろんなことができるはずよ」

 

──

 

「うっ……やっぱ苦手かも」

 

 右腕に猟虫を装着した美奈子の顔はげっそりしていた。

 時々、掴まり続けるために脚を揃えるのが防具越しに分かる。それが余計にぞわっとした。

 

「今すぐ使えとも、心の底から好きになれ、とも言わないわ」

 

 洞窟に入る直前、ガンナーは美奈子の緊張を解くように両肩に手を置いた。

 

「でもその猟虫は、狩人に従うように育てられた子よ。ちゃんと扱えば、今までよりずっと有利に立ち回れる」

 

「だけどあたし、虫の扱い方は本でかじっただけで……」

 

「分かるなら、ここで実践してみなさい」

 

「ああ、ほんっと無茶ぶりもいいとこ!」

 

 美奈子は、半ばやけになりながら洞窟に入っていった。

 

 フルフルは、やはり洞窟の中にいた。くんくんと鼻を鳴らすと、いきなり涎を撒き散らして跳びかかった。

 美奈子とガンナーは、真横に分かれるように避けた。

 

「えーい、こうなったらどーにでもなれー!」

 

 吐き捨てるように叫びながら、美奈子は棍を振り下ろす。

 

 とにかく、目鼻のないフルフルには表情というものがない。

 だから、どちらを狙っているか、何をするつもりかが分かりにくい。

 さっきの失敗のせいか、フルフルがしゃがむだけでびくっとしてしまう。

 

 そんな中、フルフルはゆっくり歩いてきたかと思うと、いきなり身体に電撃を纏わせて素早く噛みついてきた。

 身構えていたのに、心臓が底から跳ね上がった。

 尻尾を巻くようにして何とか逃げ延びたところで、偶然ガンナーと目が合った。

 

 彼女は、相変わらず微笑んでいた。その落ち着きようはまるで、風の吹かない湖水の如くであった。

 

「大丈夫。貴女なら、できるはずよ」

 

 美奈子は顔を引き締め、再びフルフルを正面に見据えた。

 奮戦するうち、あれだけ嫌悪感しか感じなかったフルフルの動きもつかめるようになってきた。

 とにかく、近距離かつ正面に立つのを避ける。そうすれば、大体の攻撃に対応できることが分かった。 

 

 それでも幾度となく肝を冷やされたが、そのたびガンナーの的確な援護射撃が飛んだ。猟虫は使えずじまいだったが、それでもダメージは着実に蓄積していった。

 

 数十分後、急にフルフルが立ち止まった。

 さっきまで奮闘していたのが嘘のように、じっと静止している。

 

「な……なに!?」

 

 手を止めた美奈子に、ガンナーが叫んだ。

 

「あれが瀕死の合図よ!もう一息!」

 

 それを聞いて再び闘志を燃やした美奈子が棍を振りかざすと、フルフルは真上に跳びあがった。

 

「あっ!」

 

 フルフルは首を地上へ長く伸ばし、こちらを追い払うようにぶん回した。

 そうやってけん制したあとは、天井に張り付いたままこちらへ雷弾を飛ばしてくる。

 度重なる連撃に、美奈子もガンナーも避けざるを得なかった。

 

 獲物は、天井から降りる気配を見せなかった。 

 天井を這いずり回ってガンナーの射撃を避け、お返しに彼女に雷弾をお見舞いしてくる。

 

(こいつも死ぬまいと必死なのね!)

 

 美奈子は小さく舌打ちした。

 休む暇なく走って反撃をかわすガンナーとは反対に、美奈子は相手にもされていなかった。

 跳躍でも届かない高所に居座られての攻撃は、実際、彼女にはどうしようもなかった。

 そんな中、ガンナーは美奈子の方を見ながら叫んだ。

 

「さあ、どうする?このままじゃ、私たち埒が明かないわよ?」

 

 この状況でまるで教師のように問を投げかけたのに、美奈子は驚いた。

 

「ど、どうするって……」

 

 彼女は、真っすぐ獲物を見据えた。

 

 フルフルは、尻尾の先を天井に吸盤のようにくっつけて攻撃している。実に器用なことだが、地上と比べるとかなり不安定に見えた。

 

(じゃあ、弱い攻撃でも隙をつけば……?)

 

 手元には、猟虫がいる。それは、感情の見えない瞳で主の指示をじっと待っている。

 

(そうだわ、この狩りにはあたしたちの進退がかかってるのよ!頑張りなさい、愛の女神セーラーヴィーナス!)

 

 これを逃せば、妖魔化に関する手がかりが失われる。

 少女は、覚悟を決めた。

 

 フルフルが、口を開いて電気を溜めた。

 美奈子は棍を銃のように構え、よく狙うと、空気穴から煙の塊のようなものを発射した。

 それはフルフルの頭、鼻に当たる部分に当たると色のついた煙を出した。

 狩人の間では『印弾』と呼ばれる。

 獲物は、驚いたように首を振った。

 

「よし今よ、お願い!」

 

 棍を回すと、刃とは反対側にある膨らんだ部分──『虫笛』と呼ばれる部分が、しゃららんと心地よい音を奏でた。

 

 猟虫が初めて、腕から飛び立った。

 美奈子はその虫の行く先を目で追った。

 

 猟虫は、ぶぅんと力強い羽音を立てて飛んで行く。

 それが向かうは、フルフルの頭から上がる印弾の煙。

 虫は真っすぐ、フルフルの首にかじりついた。

 

 驚いたフルフルはもんどりうち、ついに地面に堕ちた。

 

 それでもなお、虫はエキスを吸っている。

 再び、美奈子は棍をくるりと回した。

 

「──帰ってきて!」

 

 虫笛の音に反応し、猟虫は美奈子の手元に戻って羽を畳んだ。

 猟虫は吸い取ったエキスを霧状にして、美奈子の頭上にふりかけた。

 

「わっ!」

 

 いきなりのことに驚いたが、指南書にあった通りに勇気を出して、恐る恐る霧を吸ってみる。

 それが肺に入ってきた途端に、身体に力がみなぎっていくのが分かった。

 

「す、すごい!」

 

 先ほどとは比べようもない冴え渡る感覚に、眼を見張る。

 ガンナーが、頷いて笑った。 

 

「さあ、思う存分暴れなさい」

 

「はいっ!!」

 

 美奈子は声を張り上げ、斬り込んだ。

 流れるような斬撃を、無防備な頭と首に叩きこむ。

 飛び込み斬りから連続斬り上げ、けさ斬り、突き……。

 どんなに動いても、息切れが全くしない。

 そんな中フルフルは、何とか立ち上がって美奈子に一矢報いようとした。

 

「あたしに触れようなんざ、万年早いのよっ!」

 

 美奈子は、動きを止めなかった。

 前方に飛び込みながら、横に円を描くように薙ぎ斬った。

 

 『飛円斬り』と呼ばれる技だった。

 

 その一撃が、決め手になった。

 

 首に深手を負ったフルフルは滅茶苦茶にのたうち回ったあと、舌をむき出しにしたまま動かなくなった。

 美奈子が目を剝きながら息を荒くしている前で、ガンナーが首元に触れて生死を確認した。

 やがて、彼女は美奈子に振り向いてオッケーサインを出した。

 

「お疲れ様」

 

「や……やっと……」

 

 美奈子は、しばらく剥ぎ取りも忘れてその場に立ち尽くした。

 相変わらず、洞窟はひんやりとした空気だった。

 

「どう?今までやってなかったことをやってみた感想は?」

 

 美奈子は、それを受けて右腕でじっと掴まる猟虫を見つめた。

 その顔に、かつてのような嫌悪感は鳴りを潜めつつあった。

 

「……ま、こんな大人しい子なら、アルテミスのお友達くらいにはなれるかもね」

 

 

『……よっ、第二の相棒!』

 

『…………』

 

 

 一瞬、巨大カナブンを相手に陽気に話しかける白猫の相棒の姿を思い浮かべたが、その幻想はすぐに消え去った。

 

「いや……やっぱダメかも」

 

 ガンナーは、それを聞いて苦笑した。

 

 剥ぎ取りをしている途中、美奈子がぼそりと呟いた。

 

「でもやっぱりまだ分かんないです。なんでよりによってあたしを選んだんですか?」

 

「そうね、確かにツキノさんも貴女と似たようなところがあるけれど……」

 

 ナイフを動かしながら、ガンナーは少し考えた。

 

「あの子は、どちらかといえば周りをまとめて団結させるのが得意。対して、貴女は1人でものし上がれるくらいの覇気がある。だからこそ不安だったのよ」

 

 ガンナーは、剥いだ獲物の表皮をポーチにしまった。

 

「最悪1人なら背負うものはないけれど、仲間を引き連れて底なし沼にはまりたくはないでしょう?」

 

 何も言えず、美奈子は頷くしかなかった。

 かつて美奈子はうさぎたちより先にセーラー戦士として目覚め、『セーラーV』として活動していた。

 その行動力と高い実力は、その時代があったがゆえに培われたものだったのかも知れない。

 彼女はやっぱり鋭い人だ、と美奈子は思った。

 

「さて、アイノさん。貴女は今回の異変の原因についてどう思う?ちょっとしたクイズよ」

 

 今なら分かる気がしたので、美奈子は考えることにした。

 ガンナーが撃っていた弾が炎を帯びていたことを思い出すと、芋づる式に、先日読んだ本の一部の内容が頭に浮かんだ。

 

「フルフルの弱点って、確か火と毒ですよね?」

 

 ガンナーは黙って頷く。

 美奈子の脳裏に、先日教えられたあるモンスターが浮かんだ。

 

「沼地でそれを扱うといえば……」

 

 ガンナーの笑みが深くなった。

 

 



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切り裂かれた誇り③

 

「見つけたぞ、最初の手がかりを」

 

 リーダーが足を止めた。

 彼女たちは既に、エリア4に足を踏み入れていた。

 広場の中央辺りに、ぽつんと山なりにまとまった岩が鎮座している。

 

 レイは目を細めて、リーダーが示した岩を見つめた。

 

「あれですか?ただの岩に見えますけど」

 

「では、確かめよう」

 

 3人は、エリアの隅にある朽木に身を隠した。

 リーダーは足元にあった石ころを拾い上げ、それを岩めがけて放り投げた。

 こつん、と音を立てて跳ね返ると、すぐ変化が起きた。

 

 昔からそこにあったかのように苔むしていた岩が蠢き、泥を払い落としながら持ち上がる。

 下から脚が、翼が、頭が現れた。

 まるで岩そのものが竜の姿を得たような外見をしている。

 岩に見えていたのは、モンスターの背中だったのだ。

 

 その生き物は衝撃の原因を探すように、きょろきょろと辺りを見渡した。

 

「岩竜バサルモスだ。君たちもある程度のことは知っているだろう?」

 

 バサルモスは、沼地に生息する代表的生物として紹介されていた。

 レイは猛勉強の時に、うさぎは調査直前の話し合いで軽くだがその生態を教わっている。

 2人は頷いたが、うさぎは興奮気味にレイの方を向いた。

 

「でも、まさかあれだなんて全然思わなかった!ピクリとも動かなかったよね!?」

 

 レイはツンとしてそっぽを向いた。

 

「あ、あたしは薄々気づいてたわよ?」

 

「ここに一度も来たことのない君たちが気づかないのは当たり前だろう」

 

 リーダーは冷静に助言すると、バサルモスに視線を戻した。

 

「それよりもよく見ろ……背中に亀裂が入っている」

 

 見てみると確かに、バサルモスの背に亀裂が出来てその中から青い輝きがちらついている。

 

「恐らく、何かと争ってできた傷だろうな」

 

 背だけでなく、腹にも白い傷跡がしっかりと見えた。

 それに気づき、うさぎはそっと眉をひそめた。

 

「確かグラ何とか……ってやつの赤ちゃんよね、あの子」

 

「グラビモス、よ。つい昨日聞いたばっかでしょう?」

 

「あ、あぁそうよ、それ!」

 

 レイに口を挟まれると、うさぎは赤くなって投げやり気味に答えた。

 

「とにかく、あの子を傷つけた原因を探らなきゃ!早く洞窟も探索しましょうよ!」

 

 彼女はすぐに表情を切り替え、奥に見える洞窟への入口を指さした。

 しかしリーダーはそちらを見ず、双剣の柄に手を伸ばした。

 

「いや、まずはあれを狩る」

 

 彼の一言に、うさぎは「えっ」と戸惑いを見せた。

 

「でも確かあの子って基本大人しいって……」

 

「あれは今回の事件の重要なサンプルになるからな。今後の被害を減らすためにも重要な個体だ」

 

「……」

 

 しばらく雨に打たれて考えていたうさぎだったが、その目にひらめきの色が浮かんで顔を上げた。

 

「じゃあ、今回もさっきみたいに捕獲してみないですか?絶対その方がみんな楽に狩れますし!」

 

 どこか必死さが垣間見える少女の提案を、リーダーは黙って聞いている。

 彼はしばらく考えるように顔の下に手をやっていたが、やがて軽く頷いた。

 

「生きたサンプルの確保、か。確かに一理あるかもしれんが」

 

 それを聞くと、うさぎはぱっと顔を輝かせた。

 

「やったぁ!ありがとうございます!あたしって天才かも!?」

 

「ほんとサボることについては頭回るわね、うさぎは」

 

「……さあ、そうと決まれば逃げないうちに接敵するぞ」

 

 リーダーに2人は頷き、武器を取り出すと朽木の陰から飛び出していった。

 

 

 狩猟が始まった。 

 バサルモスはその擬態の習性から『見えざる飛竜』と呼ばれ、その強固な外殻から初心者ハンターからはかなり恐れられている。

 

 しかし、既に何回か強豪を相手にしてきた彼女たちにとってはそれほど脅威ではなかった。

 全体的に動きが遅く、幼体ゆえに技の精度や速度もそれほどではない。

 全高はさすがに大人2人ほどはあるが、それを加味しても、危険度は強豪の多い飛竜としては低い方なのである。

 

「毒ガスが来るわよ!」

 

「うん!」

 

 レイの言葉を受け、さっきまで斬り込んでいたうさぎはぱっと離れた。

 

 このモンスターは、幼い身を護るため身体中からガスを噴射する。

 だが、その攻撃は挙動が大振りで、狩人にとっては動きが読みやすいことこの上なかった。

 一歩ずつ足を踏み出しながら踏ん張ってガスを出してくるのを、狩人たちは難なく離れて回避する。

 

 そうやって相手がガスを出し終わったところに、3人は一気に攻めに入る。

 

「とりゃあっ!」

 

 叫びと共に、レイの太刀が腹の比較的柔らかい甲殻を削る。

 続いてリーダーの双剣も、脚を斬った。

 バサルモスはそれを嫌がり、小さいながら尻尾を振って払いのけようとした。

 

「たあっ!」

 

 そこに、うさぎが投げた閃光玉が目の前で破裂した。

 事前に示し合わせていたレイとリーダーは目を腕で覆い、その余波を免れた。

 

「援護、感謝する!このまま行かせてもらうぞ!」

 

 閃光を受けて錯乱したバサルモスは暴れようとしたが、リーダーは攻撃を緩めず脚に斬撃を叩きこんだ。

 遂にバサルモスはバランスを崩し、悲鳴を上げてごろごろと転がっていく。

 まさに、先を読んで確信していなければできない動きだった。

 

「さ、流石です、ジュリアスさん!」

 

 レイは、惚れ惚れとして黄色い声を上げた。

 

「……その呼び方は、今は止めてくれないか?」

 

 本音を漏らしつつも、リーダーはレイと共に斬り込んでいった。

 

「レイちゃん、そんなこと言ってたら雄一郎さんに失望されちゃうよ!?」

 

 軽口を叩くうさぎは、レイから距離を取ってバサルモスの尻尾を斬っている。

 

「だからあいつはただの弟子って言ってんでしょうが、しつこいわ……ねっ!!」

 

 レイは近くに仲間がいないことを見計らってから、バサルモスの腹に気刃斬りを叩き込んだ。

 

 ヒビが入っていた腹の甲殻が弾け飛び、下にある皮膚が露わになった。

 これで、更にダメージを与えることができる。

 

 攻撃を受けて怒ったバサルモスは、立ち上がると空気を震わせて鳴いた。

 彼女たちにとって最も厄介なのはこの攻撃だった。

 リーダーでさえも、その音量には耳を塞ぐしかない。

 長い硬直が解けた直後、3人の目にバサルモスが口内を光らせるのが見えた。

 

「火を噴いてくる!」

 

 レイが叫び回避しようとしたが、リーダーは微動だにしなかった。

 

「いや……あれは不発だ」

 

 リーダーが言った通り、バサルモスの口から炎は一寸も出ず、ただ虚しく口がぽっかりと開かれたままだった。

 体内の器官が未成熟であるバサルモスは、こうやって攻撃を失敗することがままあるのだ。

 その話を、レイは実際に目の前にしてから思い出した。

 

「あ……あらあら……」

 

 見てはいけないものを見てしまった気がして、レイとうさぎは気が抜けたように立ち尽くした。

 

「好機だ!攻めかかれ!」

 

 少女たちは、気を取り直してバサルモスへと走っていった。

 

 狩猟は、その後も順調に進んだ。

 

 バサルモスが脚を引きずったのが見えたのは、2時間ほど戦った後だった。

 舞台は、所々に枯れかかった木が生え、奥に洞窟への入り口が見える『エリア2』に移っていた。

 中央を横切るように流れる小川を渡り、バサルモスは洞窟の方面へ向かおうとする。

 

「よーし、後を追っちゃうわよー!」

 

「ちょっとうさぎ、急ぎすぎよ!武器ぐらい研がせなさいって!」

 

 先走りかけたうさぎに、レイが叫んだ。

 彼女の腰にはシビレ罠がぶら下げてある。これを隙を見計らって仕掛け、そこにうさぎが捕獲用麻酔玉を投げつけるのだ。

 

 バサルモスは地面に潜り、泥を掘り返しながら洞窟内部へ突き進んでいった。

 うさぎは、獲物の向かった先に広がる闇を見つめた。

 

 

 

「……もうすぐの、辛抱だからね」

 

 

 

 彼女は、他には聞こえないほど小さい声で、呼びかけるように呟いた。

 剣の刃こぼれを確認していたリーダーはその横顔をちらりと見たが、すぐに武器へと視線を戻した。

 

 一通りの準備が済んだ後、うさぎは一番前に立って洞窟に足を踏み入れていった。

 足取りに、物怖じした様子はなかった。

 

──

 

 洞窟に入ると最初は薄暗かったが、次第に目が慣れてくる。

 天井には僅かに穴が開いて光を通し、地上に生える木の根っこがびっしりと顔を出している。

 左には横に長い穴ぼこが、右奥に巨大な白い結晶が鈍く光って見えた。

 

(あたしがきっと護ってみせるわ。人も、モンスターも)

 

 うさぎは、固い決心を胸に力強く歩を進めていた。

 彼女が戦ってきたのは、いつでも何かを護るためだった。

 そしてモンスターにも人と同じように、護るべきかけがえのないものがある。

 そのことを、うさぎはあの飛竜の夫婦から学んだ。

 

(あの子も、今頃元気でやってるかな?)

 

 いつか護った金色の幼子の姿を思い出していると、奥に岩塊のようなものが見えた。

 それはぴくりとも動かず、結晶の近くに鎮座している。

 進んでいくうちに、それは見覚えのある形をしていることに気づいた。

 

「え……」

 

 胸の底がすうっと冷えてくるのがはっきりと分かった。

 信じたくない気持ちが先に来た。

 だが、目から入ってくる情報は嘘をつかない。

 数歩歩くたびに懐疑は確信に変わり、うさぎは走って飛び出した。

 

 バサルモスが、あちこちを深く切り裂かれた状態で倒れていた。

 

「なに、これ……」

 

 明らかに狩人では付けられないほど巨大な傷跡が付いている。

 モンスター自体は既にこと切れており、大きく開けられた口から苦しみ抜いて死んだことがありありと分かった。

 うさぎは青い顔で立ち尽くした。

 

「何が、あったの……?」

 

 後から追いついたレイも、惨状に顔を歪めている。

 リーダーは違った。彼は地に伏したバサルモスをしゃがんで見つめ、確信に満ちた表情をしていた。

 

「これは間違いない……」

 

 ぴちゃり。

 

 何かから水が滴る音を聞き、うさぎは顔を上げた。

 

 

「ショウグンギザミだ」

 

 

 呟いたリーダーの後ろで、黒い影が巨大な鎌を振り上げていた。

 

 

 うさぎは、リーダーの背後に飛び出て盾を構えた。

 空気をも裂くような一撃を盾で受け流したが、あまりにも衝撃が大きく、身体が後ろに仰け反った。

 

 爪がついた鎌はしゃきんと鋭い音を立て、地面に深く突き刺さった。

 鎌の大きさは、うさぎの身長の2倍はあるだろう。

 それを難なく地面から引っこ抜くと、怪物は無言で反対の鎌を振り下ろした。

 

 退くことなくリーダーを庇いながら盾を構えたが、巨体に見合わぬ素早い連撃があっという間に少女の体力を奪っていく。

 4度目で遂に盾が弾き飛ばされ、うさぎは仰向けに倒れ込んだ。

 既に盾は深い斬り傷が重なり、今すぐにでも砕け散りそうだった。

 がら空きの胸目掛けて、怪物は間隙なく鎌を振るった。

 リーダーは急いでうさぎの腕を掴んで引き寄せたが、とても間に合わない。

 

 一閃が鳴った。

 

 目をつぶっていたうさぎは、衝撃が来ない代わりに何か暖かいものに包まれていると気づき、恐る恐る目を開けた。

 

 

 

 

 

 

 自分の肩に、黒髪が力なく項垂れていた。

 

 

 

 

 

 

「レイ……ちゃん?」

 

 

 

 

 

 

 そのまま、長く美しい髪が身体から離れていく。

 どちゃっと泥が飛び散る音が鳴った。

 

「い……いやぁっ……レイちゃんっ!レイちゃんっ!!」

 

 うさぎは、泣き叫びながらレイの肩を掴んだ。

 彼女の顔と腕は青白くなっていた。

 

「取り乱すな!全滅だけは避けろ!」

 

 リーダーから怒号が飛んだ。

 うさぎは溢れる涙をぐっとこらえた。

 

 ショウグンギザミと呼ばれた生物は『鎌蟹』の別名の通り、両腕に広げると自身の身体を上回る大きさの鎌を持つ。

 縦二又に裂けたような頭、そこに長い触覚と、蟹らしくぴくぴく動く縦長の黒目、2対4本の脚が付いている。

 それが再び鎌を振りかざし、うさぎとレイに迫った。

 

 うさぎは、レイを背負いながら元の道を戻ろうと走った。

 ショウグンギザミは円を描くように細い脚で素早くはい回り、先回りしてきた。

 一瞬見えた背中には、古びた竜の頭蓋がぽっかりと虚ろな口を開けていた。

 すぐにそれも反転して見えなくなり、鎌蟹は両方の鎌を広げてこちらに迫ってきた。

 

 全速力で横に走ると、後ろで両方の鎌が一気に閉じられる音がした。

 うさぎは気を失っている友人の顔を見て、一人歯を食いしばった。

 彼女は態勢を立て直して双剣を抜こうとするリーダーを見つめると、涙目で頭を深く下げた。

 

「リーダーさん、レイちゃんを、お願い……します」

 

 うさぎは、震える手でレイの身体を慎重に手前へ持ってくる。

 一瞬まごついたリーダーは、預けられた少女の身体をそっと抱きとめた。

 

「あたしが、1人で、引き付けます」

 

 言葉が途切れ途切れになりながらも、うさぎは剣を抜いてこちらに振り向く怪物を見据える。

 剣を柄から迷わず引き抜いた。

 

「大丈夫です、無理は、しないから……」

 

 冷静さを保とうとしていたうさぎは、まだ動かないリーダーにかっとなって叫んだ。

 

 

「早く行って、リーダーさん!!」

 

 

 有無を言わせない剣幕に押されたように、リーダーはざっと踵を返した。

 

「……分かった。キャンプで手当てをしたら、すぐ戻る」

 

 リーダーが洞窟の出口へとレイを担いでいく姿にショウグンギザミは一瞬気を取られたが、間髪入れずうさぎは涙を拭って怒鳴った。

 

 

 

「あんたの相手は、このあたしよ!」

 

 

 

 瞳のない黒目が、ゆっくりとうさぎに振り向いた。

 




2編の重要ターニングポイントです。


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切り裂かれた誇り④

エグめの描写ありです…!


 

 

「はっ……」

 

 

 跳び起きたレイの身体は、先ほどの衝撃の余波でガタガタと震えていた。

 キャンプのベッドに、彼女は横たえられていた。

 奥の池に、ハスの花が静かに開き、浮いている。

 隣を見ると、リーダーがしゃがみこんでこちらを見ている。

 恐々と顔を触るレイに、安心しろ、という顔でリーダーが話しかけた。

 

「背中を掠っただけで血の量もそれほどではない。これくらいなら、回復薬ですぐ治る」

 

 防具は外されて隣に置かれていた。

 鎧の背中には大きな亀裂が入っていて、あの鎌の威力を物語っていた。

 

「うつ伏せになってくれ。私が回復薬を注ぐ」

 

 簡潔な言葉遣いで、リーダーは手元から緑の液体が入った瓶を取り出した。

 リーダーはそのまま、レイの背中に回復薬を垂らしていく。

 

「あ、大丈夫です。あとは自分でやれます」

 

 それを聞いたリーダーは近くの枯れ木の幹に背を預け、彼女が見えないようにして話を聞く。

 手でよくすり込んでいくと、背中の傷からしゅううう、と音がした。

 それなりの痛みが伴うようで、レイはぐっと肩に力を込めた。

 

「彼女とは、長い付き合いかね?」

 

「1年くらいです」

 

「……何がどうなって、あそこまでの仲になった」

 

 一瞬レイは話すのを躊躇ったが、間を置いてから少しずつ話し始めた。

 

「……あたし、人と比べてちょっと変わったところがあって」

 

 レイは包帯を取ると、自らの身体にそれを巻き始めた。

 

「そのせいで近所の人から悪い噂を立てられた時があって、でもその時、あの子だけは違ったんです」

 

 うさぎだけは、貴女とお友達になりたいの、と言ってくれた。

 

「ま、凄まじーくバカで呆れちゃうけど……だから余計にほっとけないっていうか」

 

 包帯を巻き終わり、レイは苦笑いを浮かべながら一息ついた。

 

「終わりました、もうこっちに来ても……」

 

「そんな彼女だから、バサルモスも救済しようとしたのか」

 

 唐突にリーダーが言うと、レイは防具を再び付けようとする手を止めた。

 

「話を聞くに、彼女が捕獲の提案をしたのは、恐らくモンスターが生きたまま野に帰されることを期待してのことだろう」

 

 捕獲されたモンスターは、特に調査が目的の場合はそのまま野に解放される場合が多い。

 ドスイーオスの捕獲を決定したとき、レイはうさぎと一緒にその事実を知った。

 彼女は、否定できないまま黙っていた。

 

「私にも君たちと同じような経験がある。かつての私の師匠も、ハンターとしての人生と引換に私を庇った」

 

 彼女は思わず振り向き、幹の陰から少しだけ覗くリーダーの後ろ姿を見た。

 彼の表情はまったく見えなかった。

 

「ただ彼とは違い、ツキノ君からは強い焦りと恐怖を感じた。迫ってくる何かから逃げているようでもあった」

 

「あの子が、逃げてる……?」

 

 レイは、眉をぴくりと動かした。

 リーダーは頷き、抑揚の少ない口調のまま続けた。

 

「ああ。あくまで忠告として聞いてほしいが、今の彼女の姿勢は、私の目にはハンターとして逃げの姿勢としか感じられない」

 

 それを聞いたレイは目を一旦伏せたあと、低い声で言った。

 

「……リーダーさん、失礼を承知の上で言わせてもらいますが」

 

 彼女は、解除されていたセーラー戦士の力を纏いなおすと、鎖の編み込まれた鎧を着こんでリーダーの前に足を踏み込んだ。

 正面から、自身より背の高い青年の顔を強い眼差しで睨んだ。

 彼の表情は岩のように硬いままだった。

 

「うさぎは確かにドジで馬鹿でどうしようもない子だけれど、やるべきことから逃げるってことだけは絶対にしません」

 

 レイの脳裏に、極寒の大地に立つ塔のごとき氷柱が閃いていた。

 最初に戦った敵の本拠地に向かう道中、倒れた自分を抱くあの少女の姿。

 仲間がすべて消えても、人形にされた運命の人と戦うことになっても、彼女は決して挫けなかった。

 

 

「あの子が『みんなを護りたい』って願わなかったら、ここに立つことなんてまず、絶対ありませんから」

 

 

 冷たささえ感じさせる、凛とした声だった。

 

──

 

 ちょうどフルフルを載せた台車が旧沼地のキャンプに到着し、これからギルドに送ろうという時だった。

 

「ガンナーさーん!」

 

 美奈子ははしゃぎながら、ガンナーに向けて鷹便から受け取った紙を頭上で掲げてみせた。

 

「リーダーさんから連絡が来ました!バサルモスが討伐されたって!」

 

「あら、それはよかったわね」

 

 ガンナーは微笑み、美奈子は手紙を胸に抱いてくるりと回った。

 

「はー良かったー!フルフルをビビらせてた元凶はこれで去ったってことですよね!」

 

「あら、それはどうかしら。続きもちゃんと読んでみなさい」

 

 含みのある言い方に首を傾げつつ、美奈子は手紙の続きを見つけて読んでみる。

 その内容に、彼女は驚愕した。

 

「……ええっ、バサルモスはショウグンギザミに倒され、レイちゃんは背中に軽傷!?しかも、うさぎちゃん1人でショウグンギザミ!大丈夫なのこれ!?」

 

「どうにも、怪しいわね」

 

「怪しい?」

 

 美奈子が素で聞き返すと、ガンナーは何かに納得したような表情を向けた。

 

「どうにもこれではバサルモスじゃ役不足かも、て思い始めてね」

 

 すぐに、2人は再び狩場へ足を踏み入れた。

 今度は今まで訪れていなかった『エリア1』に来た。

 ここも濃霧が一帯を支配しており、視界が悪い状態である。

 向こうにぼんやりと橋のようなものが見えている以外は、ほぼ何も見えない。

 

「よく考えてもみて。バサルモスが、同じくらいの大きさのフルフルをビビらせるほど強いと言える?」

 

「でもほら、この木なんて焼け焦げたあとじゃないですか!絶対バサルモスのせいですって!」

 

 美奈子は、隣にあった巨木の根の残骸を、掌で叩いて示した。

 

「そこのは焦げたんじゃない、()()したのよ」

 

 ガンナーは、表面が炭化したその残骸の向こうを指さした。

 後方には柱のような倒木が、何mにもなって霧中へと続いていた。

 美奈子は納得げに頷きながら焦げ跡を見たが、すぐその後にばっとガンナーに振り向いた。

 

「……は!?蒸発!?」

 

「そういえば、調査前には言ってなかったわね。沼地って土地自体も、そこだけで完結してるわけじゃない。他地域からモンスターがやってくることだってしばしばなのよ」

 

「じゃあ、そいつって一体……」

 

 どすっと地面を踏みしめる鈍い音がした。

 ガンナーは、腕を横に広げて美奈子を制止した。

 

「……いるわ」

 

「えっ……」

 

 美奈子は戸惑ったが、その音の主がどこにいるかは分かった。

 巨木をばきばきと踏み倒す音が聞こえたからだ。

 

「……!」

 

「いよいよ、本丸がおいでなすったわね」

 

 遠くからでも分かる巨体が、地響きを立てて霧中に動いた。

 

──

 

 鎌将軍の研ぎ澄まされた天然の鎌は、岩も甲殻も鎧も、強者の誇りも、紙のように断ち切るとされる。

 

 狩りの舞台は、洞窟『エリア7』に移っていた。

 横に長く割れたように空いた穴からは曇り空が見えている。

 だだっ広い空間に、少女と巨大蟹だけが泥濘の上で死闘を繰り広げている。

 

 ショウグンギザミは口から泡を吹き立たせ、シャキン、と鳴らして両方の鎌を振り上げた。

 興奮状態に入った合図だ。

 

「……よくも」

 

 茨の巻き付いた細剣『プリンセスレイピア』から、青い体液が滴った。

 

「よくも、レイちゃんをっ……!」

 

 うさぎは、掠れた声で剣を振りかざした。

 彼女は涙を流しながら戦っていた。

 ぼたぼたと流れる涙が、洞窟の水たまりの一部になっていく。

 

 レイが斬られた記憶が蘇るたび、激しい鼓動が鳴った。

 もし、彼女の顔が斬られていたらお嫁に行けなくなるかも知れない。

 

(その時は──完全にあたしのせい)

 

 外からすくうような鎌の一撃を、うさぎは転がって避けながら頭の近くに滑り込んだ。

 そのまま容赦なく、斬り上げ、斬り下げ、薙ぎ斬る。

 つるりとした甲殻の表面を切り裂くとき、飛竜とは違って冷たい感じがした。

 

 うさぎは相手の攻撃を警戒するどころか、左の鎌を集中的に攻撃した。

 突き刺さったときを見計らって、思いっきり斬りつけた。

 それを、ひたすら繰り返した。

 

 数十分経った頃、ショウグンギザミは両方の鎌を擦り合わせて火花を散らした。

 それを合図にして飛び跳ねてうさぎに迫った。

 彼女は構わず飛び込み、振り下ろされた両鎌の間、わずかな空間に潜り込んだ。

 そして、すぐ横に刺さった鎌めがけて飛び込んで剣を薙ぐ。

 

 ぼきっと大きな音が鳴り、左の鎌は根本から砕け散った。

 

 破片が散らばり、ショウグンギザミは大きく怯んだ。

 だが、これで気が済む彼女ではなかった。

 

(まだまだ!)

 

 煮えたぎるような思いが、同時に押し寄せてくる。

 うさぎは、今度は頭を狙って斬り込んでいく。

 頭を切り裂かれた鎌蟹はぎちぎち、と何かを擦り合わせるような音を出して後退すると、地面を鎌で掘り返しながら潜っていった。

 

 辺りがしんと静まり返る。

 

「……とっとと出てきて!!」

 

 うさぎは感情の赴くまま、思いきり叫んだ。

 少女の高い声は、洞窟によく響いた。

 

 足元の地面が盛り上がる。

 うさぎが跳び下がった瞬間、鎌が割れた地面の下から飛び出した。

 

 鎌の後ろに覗く黒い目が、うさぎの瞳とかち合った。

 

 その時、心に何かが引っかかった。

 

 ゲネル・セルタスがアルセルタスを食ったあの瞬間から、そうだった。

 あの時彼らが見せたのも、この瞳だった。

 

 地上に這い出たショウグンギザミは、鎌を大きく縦に振りかぶった。

 やや反応が遅れたうさぎの頬を鎌が裂き、薄く赤い筋を作った。

 続いて鎌を広げ、その場を回転して大きく全方位を薙ぎ払う。

 斬り込もうとしたうさぎを牽制するかのように、今度は逆回転。

 その後、一旦うさぎから横歩きして退いたかと思うと、再び急接近して一撃を加えてきた。

 籠手の一部分が寸断された。

 

 うさぎの防具には、既にひどい傷が何ヵ所かにできていた。

 一撃でも当たれば、レイよりも深い傷になるかもしれない。

 それでもわが身を顧みず、うさぎは頭に斬り込んだ。

 

「何でよ……何で、そうやってみんなを傷つけるの!?」

 

 うさぎは、さっきのように叫びはせず、静かに問いかけながら目をきつく細めた。

 既に剣に含まれた毒が回って、鎌蟹は紫色の涎を撒き散らしている。

 地面には、鎌蟹に見つかるや真っ二つにされたイーオスの死骸がいくつも転がっていた。

 赤に黒の斑点が入った彼らの身体は、灰色の風景では非常に目立った。

 

 

 無言。

 

 

 複眼の奥には、何も見えなかった。

 

 

 ショウグンギザミは円を描くように這い、あっという間にうさぎの背後を取る。

 彼女が振り向くのを待たず、鎌を大きく横に広げて突進する。

 精密にうさぎとの距離を見定めると、抱きすくめるように鎌を交差させた。

 ツインテールが鎌の先に当たって裂けかけた。

 

「っ……!」

 

 身をよじると、1、2本の金髪が泥に堕ちた。

 それを見たうさぎは、柄に込める手の力を強くした。

 

 ショウグンギザミは彼女の言葉を無視して跳びあがり、逆さに天井に張り付いた。

 背中の頭蓋を開いて揺すると、その第二の口から激流を噴射した。

 放水は螺旋を描くように放たれた。

 

 うさぎが相手に向かって歩いていくが、放水は当たらずそのまま通過した。

 それを見たショウグンギザミは、ぐぎゅるるる、と泡を含んだ口を鳴らして彼女の方へ這いよっていく。

 さっきの放水の余韻で、ぽた、ぽたと水滴が落ちてくる。

 

 うさぎは決心したように、天井からこちらに向けられた第二の骸の口を見上げた。

 地面を踏み切ると本来の戦士の能力を活かし、骸目掛けて大きく跳んだ。

 放水とすれ違いになり、盾の端の装飾が、紙を切るように切り落とされた。

 

 そのまま、第二の口の内部にある柔らかそうな腹部に剣を思いっきり突き立てた。

 たっぷりと蓄えられていた水が噴き出した。

 鎌蟹は天井からひっくり返り、地面に激突した。

 

 

「──許して!」

 

 

 胴体側面の突起を掴んで叫びながら、もう1回深く突きを入れた。

 青い体液が泡となって口から噴き出し、グギャアアアッと醜くしわがれたような音が出た。

 背中を振り回し、少しでもうさぎを落とそうともがき暴れる。

 うさぎは、その呻き声を聞いて苦悶の表情を浮かべた。

 

 鎌蟹はあちこち這い回って身体をぶつけ、鎌をめちゃくちゃに振り回すが、うさぎはしがみついて離れようとしなかった。

 声にならない声で叫びながら、剣を必死に、ぶよぶよとした腹部に突き立てた。

 



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切り裂かれた誇り⑤

 

 エリア7まで急ぎ走ってきたリーダーは、驚愕した。

 おびただしいイーオスたちの死骸の中、地に伏したショウグンギザミの前でうさぎが膝をついて項垂れ、肩を上下させていた。

 リーダーは駆け寄ると、息を整えている彼女に呼びかけた。

 

「ケガは……ないか?」

 

 剣も盾も手元から離れ、地面に転がっていた。

 リーダーは迷うように視線を彷徨わせたあと、そっと呟いた。

 

「……よくやった」

 

 うさぎは、外目ではほとんど分からないほどだが、微かに頷いた。

 その様子を見て、リーダーはようやく緊張した表情を少し解いた。

 

「ヒノ君は大事なかった。安心しろ」

 

 うさぎは小さく吐き出すように「よかった……」と言ったあと、ゆっくりとリーダーに顔を向けて口を開いた。

 

「なんで……この子はバサルモスやイーオスを襲ったんですか?」

 

「恐らく、過度のストレスによるものだろう。もともと外敵に容赦のない種というのもあるが」

 

 鎌蟹の身体を見上げたリーダーは、固い甲殻を触りながら答えた。

 その中でも、目の横にある真っ黒に炭化した部分を指さしてみせる。

 

「身体が不自然に黒ずんでいるだろう。高熱で炙られた証拠だ」

 

 うさぎが戦っていたときは気づかなかったところだった。

 初めてそれを見つけた彼女は、目元を歪めた。

 

「この子も被害者だったってこと?」

 

「何にせよ危険な個体だったことは確かだ。君がやったことは間違いではない」

 

 その言葉を受けても、うさぎの顔は浮かなかった。

 リーダーは剣を拾い上げ、柄をうさぎに差し出した。

 

「旧沼地にいるアイノ君とガンナーが、黒幕を見つけたと支援を求めている。君はどうする?」

 

「美奈子ちゃんと……ガンナーさんが!」

 

 目を見開いたうさぎはいきなり立とうとして、身体をふらつかせた。

 リーダーは慌てて支えようとするが、うさぎはそれを手で押し返して断った。

 

「大丈夫です!ちょっと疲れただけですから」

 

 彼女は笑顔で答えたが、それを見たリーダーは耐え難そうに眉間にしわを寄せた。

 

「……身体だけはしっかりと休めるように。ヒノ君も心配していたからな」

 

「あ、そうだった!早くレイちゃんに会って安心させてあげなきゃ!」

 

 うさぎは盾も拾うと、西側にある洞窟の出口に向けて走り出した。

 

「ツキノ君」

 

 一言呼びかけられ、彼女は歩を止めた。

 リーダーはしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。 

 

「この世は理不尽とも言える理が支配しているが、それでも我々狩人は前に進まねばならん。特に何かを護りたいなら、それ相応の覚悟をしたまえ」

 

「……はい」

 

 振り向かずに頷いて答えると、うさぎは背を向けたまま走り去っていった。

 

──

 

「わーん、本当に助かったわよ2人ともー!!」

 

 濃霧に囲まれた旧沼地のキャンプで、美奈子はレイとうさぎに同時に抱きついた。

 骨が折れるかと思うほどの勢いだったので、2人はうめき声をあげる。

 

「いででででででで!」

 

「きつすぎるわよ、美奈子ちゃん!」

 

 美奈子は腕を離すと、次は驚いたような顔でレイの両手を握った。

 

「──で、レイちゃん本当なの!?リーダーさんから手を引くって!?」

 

「ちょっと……あんまり大きな声で言わないでよ」

 

 レイは、ガンナーが武器の整備をしているテントを横目に見ながら、シーッと指を立てて美奈子にささやいた。

 

「これからもいつも通り、リーダーさんと協力するわ。ただ、あたしはやっぱり、あくまであたしたち自身のためにものを学ぶべきって思っただけ」

 

「はーやっぱり雄一郎さんのこと思い出しちゃったのねー、このマージーメー」

 

「美奈子ちゃん!!」

 

 美奈子がにやつきながらレイの頬をつつくと、レイはすぐ顔を赤くしてその腕を払いのけた。

 

「で、うさぎちゃん凄いわねぇ!ショウグンギザミを1人で狩っちゃったんだって!?こっちゃーフルフル1匹で大騒ぎだったってのに!」

 

 きらきらとした目で話を振られたうさぎは、一瞬どきっとしたがすぐ自慢げに胸を張ってみせた。

 

「え、えへへ、凄いでしょ!もう向かうところ敵なしってとこかなっ!」

 

「……あんた、本当に行けるの?ここに来るまで上の空だったけど」

 

「えっ、そうだったっけ?」

 

 レイは、うさぎを睨むようにぐいっと顔を近づけた。

 

「昨日まで、何を話しかけてもふん、とかあぁ、とかそればっかだったじゃない!まさか、あたしがいなくなってぴーぴー泣いてたんじゃないでしょうね?」

 

 レイは、うさぎを庇った後のことを知らない。

 茶化しながらもどこか探るような表情に、うさぎは頬を強張らせた。

 

「あはは、もう、そんなことないわよ!元気いっぱいよ、ほーらほらほら!」

 

 彼女は虚空に向かって手を振って見せると、一足先にキャンプの出口に立った。

 

「とにかく、あたしたちは妖魔を倒さないと前に進めないんだから!ガンナーさーん、準備できてますよー!!」

 

「あらあら、なんて元気なこと。でも、今回の目的は他のハンターが来るまでの時間稼ぎよ」

 

「狩猟はしないんですか?」

 

 レイが聞くと、テントから現れたガンナーは少し頬を引き締めて言った。 

 

「今のパーティーでそれをするには、あまりに荷が重い相手だわ」

 

 その実物を見ている美奈子は、神妙な顔をして頷いた。

 

──

 

 ガンナーは、獲物の元に向かいつつ説明をした。

 

「今回の事件の犯人は、妖魔化グラビモスよ」

 

 その名を聞いて、うさぎとレイは思わず唾を飲みこんだ。

 

 グラビモスは、本来火山地帯に生息する巨大生物だ。

 超高熱の溶岩に潜行するという驚きの生態を持つが、その際に熱が体内に溜めこまれていく。

 これを『排熱』するため、熱を熱線という形で吐き出すのだが。

 

「でも妖魔化したとなると、あの生命力吸収は彼の代謝を異常に活性化した可能性がある」

 

 吸収によって過剰に熱量をため込んだとなれば、必然的に熱線を吐く量は多くなる。

 

「彼は、本来の生息地である火山から離れこの旧沼地にやってきた。熱線がこの地で何度も放たれ、あらゆるものを焼き払ってしまったのよ」

 

 雨のため分かりにくくなっていたが、高熱で地面が炭化した痕跡が至るところにあったという。

 この地域の草食竜が餌とする草木も焼き払われ、彼らは移動を余儀なくされた。

 当然、これを食べる肉食のモンスターも場所を移さざるを得ない。

 そこに他の種類の植物が根付いたことで、生態系が根本から崩れてしまったのだ。

 

 その混乱のなか、火が弱点であるフルフルは隠遁を選んだ。

 比較的高温も平気なショウグンギザミは争いを選び、結果、沼地へと敗走した。

 最初は事変の原因とされたバサルモスも、旧沼地から逃げてきた一員に過ぎなかった。

 

 これが沼地の混乱の真相ではないかと、ガンナーは言う。

 

 うさぎもレイも美奈子も、あっけに取られた顔をしていた。

 

「な、なんかよく分からないけど凄い!」

 

「ねっ!うちのガンナーさん凄いでしょ!?」

 

 感心したうさぎに、美奈子が得意げに言った。

 

「美奈子ちゃんが自慢してるのは謎ですけど、なんでここに目をつけたんですか?」

 

 レイに聞かれると、ガンナーは相変わらず落ち着いた笑みを浮かべていた。

 

「一見、現在の主な狩猟地である沼地の混乱が目立ってたけど、隣の旧沼地がやけに静かだったのが目についてね。勘が当たってよかったわ」

 

 そこまで言ってから、彼女は少しうつむいて言った。

 

「……でも、今回は不思議なのよ。私のカンも全体としては役に立たないみたいでね。どうも何か薄膜を張られたように、真相に届いている感じがないのよ」

 

「ガンナーさんでも、そんなことあるんだ……」

 

 うさぎがそう言うと、美奈子が3人の前に笑顔でぱっと飛び出た。

 

「ここにあるものすべてが真実に繋がる手がかり、ですよね!」

 

 彼女の右腕に猟虫が止まっていることを目に留めたうさぎは、心底から驚いた。

 

「あれ、美奈子ちゃん、虫大丈夫なの!?」

 

「うん、へーき!いろいろ教えてもらってね!」

 

 美奈子は自信たっぷりな表情で自身の胸を叩いてみせた。

 

「あたしたちが、何としてでも魔女の尻尾引っ張り出してやりますって!安心してくださいよ、ガンナーさん!」

 

「……美奈子ちゃんが言うと不安しかないんだけど」

 

「まあまあ、泥舟に乗ったつもりで~」

 

「余計不安しかないわ!」

 

 レイと美奈子が言い合ってるのを見て、ガンナーは少し硬かった表情を崩した。

 

「もう、貴女たちを見てると悩んでるのが馬鹿らしくなるわ」

 

 ガンナーは、黄土色が張られた平地の向こうに広がる森林を見た。

 再び、濃霧地帯に入る。

 

 




次は沼地の決戦!


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切り裂かれた誇り⑥

想定BGM:旧沼地戦闘BGM『毒霞』


 

 『エリア9』に着いた。

 

 生命の気配はなく、美奈子とガンナーがかつて見た枯れ木の群れは炭になっている。

 草のひとつすら生えない、土と霧だけがある死の大地。

 

「うわー、もう沼地じゃないわよこれ……」

 

 水分が失われ硬くなった灰色の地面を、美奈子は確かめるように踏みしめていた。

 それだけでなく、前に来た時は生きていた木もすっかり萎びている。

 

「まさに環境破壊の権化ね」

 

 レイが呟く横、ガンナーは抜け目のない様子で、ライトボウガンを構えながら周囲を見渡していた。

 

「よく周りを観察しなさい。これも教練の一環よ」

 

 ふと、うさぎが立ち止まった。

 ぐおおお、と、地の底から来たような低い音が鳴った。

 

「……い、いま、鳴き声が……」

 

 その時、霧の奥で何かが光った。

 うさぎは、レイと美奈子にばっと振り返った。

 ガンナーが叫んだ。

 

「熱線よ!」

 

 直後、光の束が霧を切り裂いた。

 レイと美奈子を押し倒したうさぎの頭上を、灼熱が掠める。

 後方に辛うじて残っていた枯れ木が一瞬で灰になり、伐採されたように綺麗に吹き飛ばされた。

 

 うさぎが前を見ると、再び立ち込める霧の中に黒く巨大な影がちらついた。

 それは太い脚を踏み出し、大きな翼を広げ、身体を低く構えると長くうめくように鳴いた。

 

「こっちに来る!!」

 

 簡潔な忠告が飛び、少女たちは離れて横に走った。

 霧をかき、灰色の山が蠢いてこちらに迫ってくる。

 全身を岩石かと見まがうほど重厚な外殻に包んでいるのに、その動きは予想以上に早い。

 幾層にも重なった突起付きの甲殻は、人が身に着ける甲冑にも見える。

 

「……やばすぎでしょ」

 

 美奈子が、呆気に取られて呟いた。

 狩人たちの間を通り過ぎると、グラビモスは太い脚で踏ん張ってブレーキをかけた。

 重量のあまりすぐには止まれず、脚に掘り返された土がめくり上がった。

 

 誇張でなく、山そのものだった。

 近寄られると、胸を反らせなければてっぺんが見えないほどの巨体だった。

 それが、ゆっくりとこちらに振り返った。

 

「こんなの、相手できるんですか!?」

 

 レイでさえも、太刀に手を伸ばすのも忘れてそう言わざるを得なかった。

 兜のように角を伸ばした頑強な頭が、しっかりと少女たちを捉えていた。

 

「さっきも言った通り、これは時間稼ぎよ。貴女たちは攻撃しなくていいから、よく相手を見て」

 

「……流石に、これ……」

 

 ガンナーは冷静に諭したが、目の前の威容にうさぎは思わず後退りしていた。

 妖魔化の通例に漏れず、目は赤く黒い霧を吐き、莫大な熱量のせいか外殻の所々が黒ずんでいる。

 グラビモスは、こちらから見て右側に胸を仰け反らせた。

 

「今すぐ伏せなさい、薙ぎ払ってくる!うかうかしてると全滅よ!」

 

 それを聞いた瞬間、うさぎの顔にさっと恐怖が浮かんだ。レイと美奈子の背中も強張った。

 

「……全滅!?」

 

 再び熱線が放たれた。

 忠告通り、次は剣のように横薙ぎにしてくる。

 枯れ木を蒸発させながら灼熱の火柱が迫ってくる。

 少女たちは地面に伏した。

 上方からじりじりと焦げ付く熱気が鎧を焼いた。

 

 熱線をやり過ごしたあと、素早く態勢を立て直したガンナーは、未だにグラビモスの口に燻る炎を確認した。

 

「まだ来るわ!!」

 

 下にうつむくと、グラビモスは地面に向かって、太く青白い熱線を開放する。

 湿っていた大地が蒸気を発し、溶けた。

 先ほどと比べ物にならない熱量と威力を持つそれは、莫大な質量を持つ使い手すらも後退りさせた。

 だが、その視線は確かにうさぎたちを見据えている。

 

「散開っ!!」

 

 叫びとともに散り散りに跳んだ。

 直後、巨体は首を振り上げた。

 足元から彼女たちの地点、そして天に至るまでを、白い熱線がぶった切った。

 霧までもが溶かされ、風景が一瞬晴れた。

 

 地面が、白い灰でできた道となって荒く煙を吐いている。

 一撃でももらえば、影ごと消えただろう。

 

「はあっ、はあっ、はあっ……」

 

 間一髪で避けたが、少女たちは呼吸するのだけで精一杯だった。

 ふと、うさぎは尻の下の地面が盛り上がるような感覚がした。

 彼女が思わず身を引くと、乾いた隆起した地面からこぽこぽと、紫色の臭気が噴出し始めた。

 

「えっ、なにこれ!?」

 

 ガンナーははっとして、鼻をつまんで叫んだ。

 

「地下の毒ガスよ!さっきの熱線の高熱で刺激されたんだわ」

 

 地面は続々と膨れ上がり、毒の間欠泉は際限なく湧き出してくる。

 霧に毒ガスが混ざり、辺りの空気に充満しようとしていた。

 

「私がここで引き止める!後で信号弾を上げるから、その時に合流!」

 

 ガンナーは3人の背中を次々に強く押し出した。

 流されるまま、うさぎたちは靄に紛れて逃げていく。

 うさぎが振り返ると、ガンナーはライトボウガンを構えて横目でこちらを見送っていた。

 その姿も、すぐに見えなくなった。

 

 

 

 どこだか分からない枯れ木の林中、3人の少女は膝をついて息を何とか休めた。

 まだ、地響きと凄まじい発射音が聞こえてくる。

 

「全滅なんて言葉……あの人から聞くだなんて」

 

「予想以上にヤバいわ、あの化け物」

 

 美奈子とレイが、息を切らしながら言った。

 うさぎは、ぐっと顔を引き締めた。

 

「2人とも、変身よ!ガンナーさんを絶対助けなくちゃ!」

 

 あとの2人はそれまで下げていた視線を上げた。

 既に、うさぎは覚悟の決まった顔でコンパクトを取り出していた。

 2人も頷いて、変身スティックを取り出した。

 

「……ええ!」

 

「あたしの師匠を死なせてたまるもんですか!」

 

 眩い光が少女たちの身体を包んだ。

 

 

 

 エリア9の霧の色は、毒々しい紫へと変貌を遂げつつあった。

 ガンナーは、毒霧に顔を歪めながら引き金に手を添える。

 鎧竜グラビモスの腹の甲殻は貫通弾によって穴が開き、わずかながら皮膚が露出しかけていた。

 頭の角も翼も、別名『鎧竜』が象徴する頑強な甲殻は、彼女が撃った弾丸によってボロボロにされている。

 

(ここまで漕ぎつけたはいいけど……)

 

 彼女はライトボウガンを構えたまま激しく咳をした。

 毒ガスの勢いは弱まったが、未だやまない。時間を稼ごうとしすぎたのが仇になった。

 その間も相手の攻撃は止まない。

 普通ならば疲れ果てる頃合いなのに元気なのは、それだけ吸収した生命力が莫大である何よりの証拠であった。

 

「ああ、私らしくないわ」

 

 ガンナーは愚痴りながら、手元から『漢方薬』と呼ばれる丸薬を素早く取り出し口内に放り投げた。

 この薬には即効性の解毒作用があり、彼女はそれでこの場をやりくりしていた。

 だが、その数にも限りがある。今彼女が飲んだので最後だった。

 

「もうそろそろ限界ね……」

 

 彼女がボウガンを背負ってよたよたと退避しようとするが、グラビモスはその背中を逃そうとはしない。

 火炎を走らせたその口元を見て、ガンナーはちっと舌打ちをした。

 

 ひゅっと風を切る音がした。

 色とりどりの襟付きのレオタードにスカートを身にまとった少女たちがその身で霧を切って現れ、グラビモスを囲んだ。

 ガンナーは思わず、口に出して呟いた。

 

「あれは、魔女……!?」

 

 黄色い服を着た一人が叫んだ。

 

「少しでも、あいつをガンナーさんから引き離すのよ!」

 

 赤い服を着た少女が巨大な火炎を、青の襟とスカートの少女がティアラを回転させて手から放った。

 高熱を扱うグラビモスに傷は付かなかったが、イラつかせるには十分な威力だった。

 その中、黄色の少女が先鋒を切った。

 

「セーラーヴィーナス、活躍させていただきます!」

 

 巨山が、熱線を吐こうと首をもたげた。

 

「クレッセント・ビーム!!」

 

 黄色の少女の手元が光ると、そこから伸びた閃光が怪物の喉元に直撃した。

 巨体がぐらりと揺らいだ。

 

「理由は知らないけど……ありがたくずらからせてもらうわよ」

 

 ガンナーは息を整えると、ライトボウガンを胸に抱いて走った。

 そのまま霧の中へ立ち去ったと見せかけ、道から横にそれると枯れ木の後ろに身を隠した。

 身体を休めて口内に回復薬を掻っ込み、朦朧としながらも顔だけをちらりと戦場に向ける。

 

(年齢は10代の中くらい。使用言語は不明……強いて言えばユクモ・カムラ地域の訛りに近いかしら)

 

 グラビモスは、黒ずんだ喉を震わせるとお返しに熱線を薙ぎ払った。

 少女たちは身軽に跳ね、走ってかわしていく。

 

「うそ、あたしの必殺技こんな弱かったっけ!?」

 

 戸惑いながら走っているその少女は、長い金髪に赤いリボンを結んでいた。

 

「あたしの炎も効果ないし、浄化以外にこいつを止める方法はないわ!」

 

「分かった!」

 

 あとは、黒髪ロングと金髪のツインテール。

 遠くの彼女たちの姿を見て様々に考えを巡らせ始めた途端、ガンナーは顔を歪めた。

 

(また、これだわ)

 

 確かに、彼女たちは誰かに似ていると思った。

 が、なぜかその先はこの霧に隠されたように分からなくなってしまう。

 この辺りは、妖魔事変全体に対して勘の鈍る感覚と非常によく似ていた。

 

(やはり、魔法と通称されるような力を使うのは確かね。新大陸での事例もあるみたいだし、あり得ないことじゃない)

 

 彼女は、訝しげに魔女たちとグラビモスとの対決を見ていた。

 

「でもおかしい……明らかに妖魔化生物と敵対しているわ。実力も拮抗している?」

 

 

 

「……感づかれたかしら」

 

 マーズが、振り回された丸太のごとき尻尾をかわしながら呟いた。

 ムーンもそこに居合わせ、彼女たちは隣り合わせになった。

 

「そうだとしても、あの人が無事なのが一番よ」

 

 グラビモスが首を前に出して噛みつこうとしたのを、スパイラルハートムーンロッドで受け流した。

 

「もしもうちょっとでも遅かったら……」

 

 ムーンは、隣を通過する赤く充血した目を見つめた。その先の言葉は出なかった。

 

「熱線が来るわよ!」

 

 グラビモスは再び首をもたげた。

 セーラー戦士の機動力をもってすれば、攻撃をかわすこと自体は問題にすらならない。

 本当の問題はそこから先だ。

 

「ムーン・スパイラル・ハート・アタック!!」

 

 セーラームーンがマゼンタの光線を浴びせるも、弾かれた。

 そのままグラビモスは、熱線を大地とほぼ平行に薙ぎ払った。

 辛うじて残っていた草木が、残らず焼けて無くなっていく。

 

「浄化技も効いてない!」

 

 高く跳んで熱線をかわしたムーンが叫んだ。

 

「あの鎧のせいかもしれないわ」

 

 マーズは着地すると、ムーンに視線を合わせて叫び返した。

 

「セーラームーン、2段階変身よ!」

 

 ムーンは顔を輝かせた。

 

「そうよ、この時のための聖杯だわ!」

 

 手を空に掲げると、黄金の器に羽を広げ、紅の蓋を被った聖杯─レインボームーンカリス─が姿を現した。

 彼女はここから注がれるパワーを浴びることで、より強大な力を持つスーパーセーラームーンへと姿を変えることができる。

 

 

「クライシース・メーイク、アップ!!」

 

 

 前回の戦いで得た伝説の聖杯は、その一言を聞くことで蓋を開き持ち主に絶大な力を与える──

 はずだった。

 

 

 

 

 

 聖杯は、固くその口を閉ざしたままだった。

 

 

 

 

 

「えっ……!?」

 

 撃たれた熱線が傍を横切り、背中を飾る赤リボンが蒸発した。

 熱風に煽られ、セーラームーンは地に転がった。

 

「なんで……変身、できないの?」

 

 動揺しているムーンにマーズが近寄り、肩を揺らす。

 

「セーラームーン、しっかりして!!」

 

 ムーンは歯を食いしばると、姿勢を立て直しロッドを構えた。

 

「ムーン・スパイラル・ハート・アタック!ムーン・スパイラル・ハート・アタック!!」

 

 何度も浄化技を試すが、効果はやはりない。

 ムーンがロッドを持つ手を下ろしかけた時だった。

 

 

「クレッセント・ビーム・シャワー!!」

 

 

 ヴィーナスは、グラビモスを見据えたまま光点を集中させ、叫んだ。

 何本もの光線が白き鎧を穿ち、ガンナーが付けた甲殻のひび割れが広がっていく。

 

「適当にやったんじゃないわよ!ガンナーさんが開けてくれた風穴を、もっと広げるっ!」 

 

 マーズとムーンが見ている横で、容赦なくヴィーナスは同じ技を繰り返す。

 そのうち、ガンナーが腹の鎧に開けた風穴にひびが入った。

 

「あの腹の傷なら!」

 

 マーズは叫ぶと、両手で印を結んだ。

 

「ファイアー・ソウル!!」

 

 彼女が放った火炎が腹で爆発し、グラビモスの巨体をよろめかせた。

 腹の鎧には今や大きな風穴ができ、溶岩にも等しい熱気を吐き出す皮膚が露わになった。

 マーズは、強い眼差しでムーンに呼び掛けた。

 

「今よ、セーラームーン!ガンナーさんやヴィーナスの努力を無駄にしないで!」

 

 ムーンは頷き、腹めがけてロッドを振りかざした。

 

 

「ムーン・スパイラル・ハート・アタック!!」

 

 

 『護りたい』という強い想いを込め、技の威力を最大出力まで上げる。

 マゼンタの光線が真っすぐ皮膚に届くと、グラビモスは苦しむように低くうめいた。

 

「お願い、効いて!」

 

 ムーンは必死に叫んで、祈りながら浄化を続ける。

 グラビモスは錯乱して暴れようとするが、マーズとヴィーナスは技を放ちこれを止めた。

 生ける巨山はよじ登る浄化の波から逃げるように、首を高く持ち上げる。

 身体を痙攣させつつ、足元から腹に、腹から首へと妖気が削がれていき──

 

 目の色が黄色に戻った。

 

 瞬間、高熱ガスの煙が全身と周りの大地を覆った。

 

 慌てて戦士たちは後方へ飛びのく。

 妖魔化によって過剰に溜まった熱の排出はほぼ爆発に近く、泥が天高く舞った。

 蒸気のなか倒れてもがいていたグラビモスはゆっくり立ち上がったが、よろめいて昏倒寸前の状態だった。

 脚を引きずりながら、巨山が林の中へ消えていく。

 

「はあ、はあ……」

 

 限界まで力を振り絞ったせいか、ムーンが膝をつきかけた。

 その両腕を、マーズとヴィーナスが掬い上げる。

 

「よし、退避よ!!」

 

 セーラー戦士は、枯れ木の群れの中へと飛び込んでその姿を消した。

 木陰から出てきたガンナーはその姿を見送ると、すぐグラビモスの逃げた方へ走っていった。

 

 

 

 身体を休めた後、ガンナーが発した信号弾を追い、3人は狩人の姿に戻って歩いていた。

 

「……なんで二段階変身ができなかったのかな?」

 

 うさぎが手元のコンパクトを見つめながらうつむいて呟いた。

 美奈子が、むうっと唸りながらそれを間近に睨み、こつんと拳で軽く叩いた。

 

「もしかして故障?叩いたら治ったりしない?」

 

「冗談言わないでよ、電子レンジじゃないんだから……でも、戦士の力が使えることは使えるんでしょ?」

 

 レイが聞くとうさぎはしばらく考え、やがて閃いたように顔を明るく上げた。

 

「きっと、もっとあたしが頑張らなきゃいけないんだ!」

 

「へえ??」

 

 間の抜けた調子で返した美奈子の手を、うさぎはぱっと取った。

 

「リーダーさんから言われたんだ、何かを護るのならそれ相応の覚悟をしろって。銀水晶は想いの強さで力を増すから、きっとそういうことなのよ!」

 

「……うさぎ……」

 

「見ててよレイちゃん!これからあたし、レイちゃんよりずーっとつよーいハンターになっちゃうんだから!」

 

 複雑な表情のレイの前で拳を握ってみせたうさぎの肩に、美奈子が腕を回す。

 

「さっすが筆頭リーダーさん、言うことカッコいいー!あたしもますます頑張っちゃおーっと!」

 

「あっ、美奈子ちゃんも仲間!?やっほーい!」

 

 彼女たちが仲良く肩を組んでいくと、レイもため息をつきながら後を追った。

 

 

 

 キャンプテント内にあるちょうどいい高さの木箱に、ガンナーはどっかりと腰を下ろした。

 

「妖魔化解除の確認が取れたわ。何はともあれ、被害はこれから収まるでしょうね」

 

 その一報を受け取り、うさぎたちの肩から力が抜けた。

 

「魔女に先を越されたのは残念だけど、まあこうやってサンプルも入手できたことだしね」

 

 ガンナーが独りごとを言いながら見た手元の瓶には、黒い霧を発する甲殻の破片が密封されている。先ほど、魔女が撒き散らしたものの一部だ。

 美奈子はうさぎと一緒に樽に座って背をもたれ合い、木製のコップに入った元気ドリンコをごくごくと一気に飲み干した。

 

「ぷっはー!ほーんと、手も足も出なかったわ……」

 

「当たり前よ。それを体感するために来てもらったんだから」

 

「えっ!?」

 

 美奈子だけでなく、うさぎとレイも思わずガンナーの顔を見た。

 

「この職業に例外は付き物。いつ何時、強大なモンスターと遭遇するか分からない……。そんな時にただ突っ立ってたり何も考えず突っ込むのでは、お話にならないからね」

 

 彼女は、苦笑して続けた。

 

「普通、初心者相手にこんなことしないわよ?生き残れる見込みのある貴女たちだからこそ、一度はあの恐怖を今後に活かしてもらいたいと思ったわけ」

 

 うさぎと美奈子は呆気に取られたままだったが、レイが眉をひそめて問う。

 

「……流石に相手が悪すぎません?リーダーさんもいれば多少は楽に……」

 

 それを見越したように、ガンナーは巻かれた紙を取り出した。

 

「そうもいかない事情があったのよ。実はショウグンギザミが狩られた直後、ババコンガ、妖魔化ガララアジャラ、ドボルベルクが沼地で同時に観測されてね」

 

「そんなにたくさん!?」

 

 うさぎが思わず身を引いた勢いで、元気ドリンコがコップから少し零れた。

 ガンナーは机にしている木箱のうえに紙を放り投げ、回復薬を入れた木製のコップをすすりながら、霧だけの空間を眺めた。

 

「そう、だから彼は放っておけなかったってわけ。全く、1人で背負おうとする癖は全然変わってないわね」

 

「彼女たちに伝書の内容を伝えていいとは言ってないが?」

 

「あら、噂をすれば。3頭同時狩猟、お疲れ様」

 

 肩をすくめたガンナーの前に、鎧にいくつか傷を作ったリーダーが整然とした足取りで歩いてきた。

 泥と血がついた跡は見えるが、鎧そのもののダメージはほとんどない。とても複数のモンスターを狩ったとは思えない姿である。

 

「3人とも、怪我は?」

 

「大丈夫です!」

 

 うさぎが笑顔で答えると、彼は心なしか表情を柔らかくした。

 

「そうか、よかった」

 

 美奈子がきゃあっと顔に喜色を浮かべる一方、レイはやや気まずそうに視線をずらした。

 リーダーは、ガンナーが引っ張り出してきた木箱に自身も腰を下ろす。

 

「それにしても、魔女は一体何を考えている。まるで目的が見えん」

 

「そうね。今のところ、妖魔を生み出しては消すことを繰り返しているように見えるけど」

 

 妖魔を消している本人たちはどきっとした。

 

「ソ、ソウデスヨネー!」

 

「ほんと何でかなーあたしには分かんなーい!」

 

(……下手くそ……)

 

 やや片言で答える美奈子とうさぎを、レイは無言で睨んだ。

 

 その時、どこからか翼がはためく音がした。

 ガンナーは立ち上がり、霧の中から飛んでくる小さな影に近付いた。

 

「あら……こんな時に」

 

 ガンナーは、伝書鳩の首を撫でてから足元の手紙を外した。

 その宛先を見ると、彼女はうさぎたちの方向に振り向いた。

 

 

 

「貴女たち、ちびうさちゃんから手紙よ」

 

 

 




一応、MHW及びMHW:IBであった他作品コラボはモンハン世界の歴史に存在した設定です。
(無論、コラボ相手作品のキャラは登場しません。会話内容や設定としてはぼかした上で登場するかも。この辺りの兼ね合いは難しい……)

今回で沼地のことは一見落着。次回は閑話です。


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閑話 待つ者迎える者

セラムン世界の現在の状況と、うさぎたちのバルバレへの帰還です。


 

 うさぎたちが戦士から狩人となり、刃と銃で巨大な怪物を狩っている。

 ──その事実さえ知らされないまま、彼女たちの故郷たる麻布十番の時間は異なる速さで流れていた。

 

 彼女たちが姿を消してから、こちらでは1週間弱が経とうとしている。

 

 ここは火川神社の境内。

 ぼさぼさ頭に無精ひげを生やした袴姿の男が、壊れかけた箒で祭壇前の砂ほこりを掃いている。

 彼はふと青い空を見上げ、呟いた。

 

「……ああ、今どこにいるのですか。俺の愛しの……」

 

 その頭を、お祓い棒がいい音を出してはたいた。

 

「いだーー--っ!!」

 

「おい雄一郎、何をぼさっとしとる!さっさと掃除せんか、ばかもーん!」

 

 その正体は、雄一郎と呼ばれた男よりずっと背の小さい老人だった。

 彼は、レイの祖父であった。

 

「は、はい、師匠~!」

 

 急いで彼はせわしなく箒を左右し始めた。

 師匠と呼ばれたその老人は、鳥居に向かってため息を吐きながら歩き出した。

 

「まったく、落ち込んでもレイが帰ってくるわけじゃあるまいに……」

 

「お忙しいところ、失礼します」

 

「ん?」

 

 老人が目線を上げると、日傘を差した、猫耳にセットした豊かな紫髪を揺らす女性が立っていた。

 黒のワンピースを着た彼女は、にっこりと小首を傾げて笑った。

 

「おっほ~!ぷりちーなギャル!ぷりちーなギャルじゃぞ雄一郎!!ほれ喜べ喜べぇい!」

 

 彼は、ピースサインをして雄一郎に振り向いた。

 

「あ、貴女は……」

 

「ごきげんよう、雄一郎さん」

 

 雄一郎は、その来客を見て驚愕した。

 彼女は、彼もよく見るうさぎたちの友達であり──

 

 

 元、セーラー戦士たちの敵であった。

 

 

 本当の名を『コーアン』。

 現在は改心し、化粧品のセールスレディーとして働いている。

 雄一郎たちに正体は隠しているものの、時々ここに訪れてはセーラー戦士たちと交流していた。

 

 コーアンは案内され、神社内にある住宅の玄関に軽く腰を下ろした。

 

「……やはり、こちらにもいませんか」

 

 コーアンは暗い顔で呟いた。

 

「新聞を見てたら行方不明者にうさぎちゃんたちの名前が載ってて、どうにか手がかりはないかって思ったんですが」

 

 彼女は気の毒そうな顔をしている雄一郎に視線を送った。

 

「あなたは探さなかったの?特にレイちゃん、あなたの大切な人でしょう?」

 

 雄一郎は、黙って袴をめくった。

 コーアンは驚いて玄関に腰を置いたまま後ずさった。

 

「ちょっ、ちょっとレディーの前でそんなこ……あっ……」

 

 彼の脚は、傷と痣だらけでぱんぱんに膨れ上がっていた。

 それに気づいたコーアンは、申し訳なさそうに目を伏せた。

 

「駆け回りましたよ……それはもう、ごみ箱の中だろうと池の中だろうとジャングルの奥地だろうと!」

 

「……そこまでやらなくていいと思うけど」

 

「でも、見つからなかった。それもこれも、あの化け物どものせいに違いない!」

 

 雄一郎はばっと袴の裾を下げ、怒りの表情で拳を握り締めた。

 レイの祖父も、顔を険しくした。

 

「そうじゃのう、ここもうさぎちゃんたちが来なくなってから随分寂しくなってしもうた。あれが来てからは余計にじゃ」

 

「『あれ』?」

 

 コーアンが聞くと、レイの祖父は天井を指さした。

 

「そこにいるんじゃよ。今は眠っとるがな」

 

 神社の瓦は踏み荒らされていた。

 翼天狗に似た青い毛の獣が、腹を掻いて寝っ転がり、いびきをかいている。

 この生き物は尾の先が手のような形になっており、これを器用に扱う。

 これが手当たり次第に柿をぶつけるので、レイの祖父が目当てにしていた女性客はもちろん、あらゆる参拝客が来なくなってしまったのだという。

 

「迷惑なケダモノはこの神聖な神社にいらん!あいつも、他の奴みたいにどこかの巣に帰ってくれんかの!」

 

 自分たちの日常の領域が見知らぬ生物たちに侵されつつある。

 それを思い知ったコーアンは、思わず弱気になってうつむいた。

 

「まるで麻布十番が化け物たちの王国になってしまったみたい。このままだと、私たちもいつまでここにいれるか……」

 

「ここは、いつまでもわしらの街じゃ!」

 

 声を張った火野老人に、コーアンははっと顔を上げた。

 雄一郎も、感動したように声を震わせた。

 

「お、お師匠……」

 

「レイは……あの子らは、無事で帰ってくるとそう決まっておる。それまでわしはここにおる」

 

 胸を張ってそう言ったあと、その小さな老人は背を向けたまま、開いたままの玄関の前へ歩いた。

 

「2人とも、元気を出せい。そんな顔でいたら、どこかにおるあの子らも落ち込んでしまうわい」

 

 コーアンには、彼が密かに涙を拭ったのがわかった。

 

──

 

 彼女は、住居にしているタワーマンションに帰った。

 

「お姉さま方。やはりうさぎちゃんたちは、あの獣たちが住む世界へ行ったのではないかしら?」

 

 リビングには、3人の女性がいる。彼女らはソファに座り紅茶を飲んでいた。

 かつて『あやかしの四姉妹』と呼ばれセーラー戦士を阻んだ彼女らは全員、現在は化粧品店の経営をしていた。

 だが、今は仕事を休みこうやって自宅に集まっている。

 

「そうだったとして、どうするつもり?」

 

 水色の三つ編みポニーテールが美しい、優し気な顔つきの女性が静かに聞いた。

 

「ベルチェお姉さま……」

 

「今の私たちには、ブラックムーンの幹部としての力はない。貴女はやたら急いているけど、どうしたって無駄な足掻きにすぎないわ」

 

 三女のベルチェは末っ子であるコーアンに同情の目を向けつつも、あくまで冷静に諭した。

 そのあと彼女は、にっこりと柔らかい笑みを浮かべてみせた。

 

「あちらの世界に行ったとして、全身焼かれ刺されかじられ、骨ひとつ残ってないかもね?」

 

「……うっ」

 

 コーアンは、思わず言葉を失った。

 

「ほんとあんたの言葉遣い、前々から配慮ってもんがないわね」

 

 ベルチェとは打って変わって、気の強そうな顔の後ろに黄色いリボンでお団子をまとめた女性が口を開いた。

 

「まあ、確かにあの巨大さ、頑丈さ、凶暴さ……私たちが使ってたドロイドたちとは比べ物にならないわ。あれが自分の意思で生きて動いてんだから、恐ろしいわね」

 

 次女カラベラスは、そう言ってため息をついた。

 彼女は、腕を組んでベランダの窓際に寄りかかっていた。

 外を見ると、相変わらずの曇り空だ。

 

 3日ほど前には、宝石店を襲った巨大鳥が月夜に飛ぶのをこの窓から見かけ、4人全員面食らったものだ。

 残ったセーラー戦士のおかげか一時期より怪物は減り、治安は以前とほぼ変わりなく保たれている。

 

「あぁ、お話しにならない。ねぇ、ペッツお姉さまは?」

 

 コーアンは、ずっとソファに深く腰を下ろしていた長身の女性に声をかけた。

 彼女は緑髪を頭の後ろから整然と巻くようにまとめており、立ち振る舞いは物静かで大人らしい雰囲気があった。

 

「まあ腹が立つのは分かるわ、コーアン」

 

 長女ペッツは紅茶を置き、組んだ両手に力を込めた。

 彼女は窓の外に目を向け、皮肉っぽく笑いながら言った。

 

「あいつらには、一切の遠慮ってもんがないからね。こちらが引けば、その分いい気になって入り込んでくる」

 

 カラベラスはベランダから、道路脇のごみ箱を倒して漁る、蛇頭の小さき飛竜たちを見た。

 そこに後からやってきた毒々しいカエル顔の恐竜たちと、醜い声でがなり合った。

 人々はそのいがみ合いの行方を、建物のなかから怯えた目で見守っている。

 

「……随分と賑やかねえ。カラベラスお姉さま、今どうなってます?」

 

 ベルチェが呼びかけると、カラベラスは気怠そうに呟いた。

 

「もうすぐ一触即発……あっ、始まっちゃったわ」

 

 四姉妹全員がベランダに出て、見物を始めた。

 

 蛇頭の飛竜たちは空中から毒液を、カエル顔たちは頬を膨らませ毒霧をふっかけ合う。

 どちらも毒を扱うせいか決着はつかず、やがて肉弾戦が始まる。

 怪物たちは互いに喉を狙って噛みつき合う。ぐおおっ、きしゃあ、と吠え合いながら、命を張った喧嘩を繰り広げる。

 そこに通りがかったサラリーマンは恐怖に顔を引きつらせ、慌てて来た道を折り返していった。

 

 四姉妹は、その騒乱をどこか悔しさの混じった目で眺めていた。

 

「うさぎちゃんたちは、あんなのでも分かり合おうとするかしら……私たちの時と同じように」

 

 獣の雄たけびが響き渡り、そのたびに人々が恐怖に慄く悲鳴も聞こえた。

 

「……ああいう奴らばかりじゃ、厳しそうね」

 

 ペッツが呟くと、ベルチェとカラベラスは沈黙した。

 が、その中でコーアンだけは違った。

 

「あの子たちの優しさは、決して馴れ合いや弱さから来るものじゃないわ」

 

 コーアンだけは、光を含んだ目の色をしていた。

 

「ワイズマンやデス・バスターズを倒したあの子たちよ。きっと何かしら自分なりの道を見つけて帰ってくるわ」

 

 その時、3人のセーラー戦士たちが駆けつけてくるのが見えた。

 生物たちは、その姿をみた途端に尾っぽを巻いて逃げ始めた。

 人々は歓声を上げた。

 背の高い彼女たちは振り返りもせずにビルの間を跳ねながら、獲物を追っていく。

 

 金色と海色の光が地上で、紫色の光が空中で弾けた。

 

 それを見て、コーアンはあることを決意した。

 

「お姉さま方、化粧品店を再開しましょう」

 

 思わず、姉たちは驚きを隠せない顔で振り向いた。

 

「気でも狂ったの、コーアン?この前の宝石店みたいなことが、いつ起こるか分からないのよ?」

 

 そう言って肩を掴んだカラベラスに、コーアンは毅然と答えた。

 

「私たちにできるのは、少しでもこの街を盛り上げることではなくって?」

 

「……さては、さっき行った火川神社で何か吹き込まれたわね?」

 

 ベルチェが微笑む先で、四姉妹の末っ子は街の景色を遠く眺めた。

 

「私たちはかつて、この街とその未来を破壊しようとした……。せめてもの罪滅ぼしよ」

 

「なるほど、せめてあの子たちの帰る場所を作るってことね」

 

 コーアンの固い意志を見て、ペッツは柔らかく笑った。

 

「いいじゃない、やりましょう。そろそろ、引きこもってるのにも飽き飽きしてたところだわ」

 

 麻布十番からは随分と人が減った。

 妖魔でもない奇妙で凶暴な生物の侵入に怯え、家族ぐるみで街の外に引っ越す人が増えた。

 

 それでも、様々な理由でこの街に留まる人はいる。

 そのうちの一部が、彼女たちだった。

 

──

 

 うさぎたちは、沼地での狩猟から3日ほどかけてバルバレへと帰投した。

 筆頭ハンターたちは、ギルドへの報告のため途中で別れた。

 久々の熱砂の乾いた匂いを嗅ぎながら酒場に入ると、ランサーと話したときと同じ喧騒が耳を心地よく揺する。

 集会所に入ると、すぐ手前のテーブルに人だかりができていた。

 

「おう、お前さんたち帰ったか!!今、祝杯を上げていたところだ!」

 

 団長が泡いっぱいのビールを掲げ、泡で髭を塗り重ねながらがなった。受付嬢ソフィアも、ジュースを持ってにっこりと微笑んでいる。

 円形テーブルには彩りに富んだ料理が広げられており、それを亜美、まこと、猫たちや衛が中心となって取り囲んでいた。

 さらにその周りには見知らぬ顔の狩人たちもいて、何人かが興味津々な様子で彼らと話していた。

 その中でも一人、気ぜわしそうに視線をうろつかせていた衛は、うさぎを見るとはっとして立ち上がった。

 

「うさこ!」

 

「ただいま、まもちゃん」

 

「怪我はないか!?」

 

 うさぎが頷いて微笑むと、衛は胸のつかえが取れたようなため息をついて頬を緩ませた。

 美奈子はそのやり取りを隣に見ると、そちらに負けないほど大きな声を張り上げた。

 

「ほらほらー、あたしたちにもおかえりの一言はー!?」

 

「はいはい、お帰り」

 

「うーわ、何この扱いの格差」

 

 美奈子が、見向きもせず猫用の料理をつまんでいるアルテミスに不平を漏らした。

 レイは、苦笑している亜美とまことにやれやれと言った風に肩をすくめた。

 

「あれ、ちびうさは?」

 

 うさぎの問いに、衛が答えた。

 

「今、お手洗いに行ってる。もうすぐ帰ってくるよ」

 

 この場は安全なはずなのに、すぐに会えないというだけでうさぎは落ち着かず、焦ったように辺りを見渡した。

 その時──ガタイのよい狩人たちの間を小さくちょろつく、ピンク色のツインテールが見えた。

 

「ちびうさ!」

 

 うさぎがその名前を叫んだ。

 見えていた髪の毛の動きがさっと変わる。

 影が手前の大きな脚から飛び出すと、そこにはいつもと何ら変わらない幼い顔があった。

 ちびうさは、真っすぐうさぎ目がけて駆け寄ってきた。

 

「うさぎ!」

 

 うさぎは、走ってきたちびうさを全力で胸に抱きしめた。

 

「ごめん、勝手に抜け出したりなんかして」

 

「もう、筆頭さんたちにまで迷惑かけて、あんたって子は!」

 

 うさぎは口では叱りつけながらも、その手つきは未来の娘を優しく包み込んでいた。

 その小さい存在を確かめるように、後頭部を撫でた。

 

「でも、無事で本当によかった」

 

 その呟きに応えるように、ちびうさも胴に回す腕の力を強くした。

 周りの狩人たちは興味津々な様子で遠巻きに眺めてきたが、当の本人たちはまったく気にしなかった。

 団長は、ビールを飲みながら抱き合う少女たちを見ていた。

 

「あーして見ると、姉妹どころか親子そのものだなぁ…」

 

「喧嘩するほど仲がいい、の典型例ですね。マモルさんがいわゆるお父さん役、ですかね?」

 

 ソフィアが何となしに呟くと、衛は彼女たちに向けてふっと笑った。

 

「そうですね。手はかかるけど、素敵な子ですよ」

 

 ちびうさは顔を上げ、こちらに向けてしゃがんでいるうさぎの瞳を見つめて聞いた。

 

「……ねえ、あたしが送った手紙読んでくれた?」

 

「……ええ、読んだわ」

 

 うさぎは、少し間を置いて答えた。

 ちびうさは一旦息を吸うと、はっきりとした口調で話した。

 

「あたし、できる範囲でいいからうさぎたちのお手伝いをしたい」

 

 うさぎは、心配げな視線をちびうさに送っていた。

 彼女は小さな肩をがっしりと掴み、真っすぐにちびうさの瞳を覗き込んだ。

 

「──外は、何が襲ってくるか分かりゃしないのよ。それでも、あんたはそこに行きたいって思うの?」

 

 その時、ルナがテーブルから一っ飛びでちびうさの肩に乗り、若干皮肉を効かせた表情で彼女の顔を覗き込んだ。

 

「さっきは衛さんとあたしたちでこー-ー-ってりとお話させていただいたけど、本人も実際に外に出ていろいろーと思い知ったみたいだしね」

 

 ちびうさは頬を赤くし、恥じらいの表情でうつむいた。

 衛がちびうさの隣に来てしゃがみ、その頭にぽんと手を置いた。

 

「今回のような無茶は二度としないって約束だ。この子の言葉を信じてやってあげないか?」

 

「そうそう、かわいい子には足袋を履かせろってね〜」

 

「それを言うなら『かわいい子には旅をさせろ』」

 

 美奈子に亜美がツッコんだところで、団長が小さく丸められた紙を頭上に掲げた。

 

「さっき、ギルドに報告に行った筆頭リーダーから報せが届いたぞ。『判断が難しいところだが、『未来の狩人の育成も我らの責務』とのルーキーの言葉を信じてみることとする。方法はそちらの裁量に任せる』とのことだ」

 

 それを受けて、ソフィアが何かを思いついたように手を挙げた。

 

「ちびうさちゃんには、安全が確認された地域で付き添いのうえ、狩猟なしの調査を行ってみるのはどうでしょう?何かの手がかりに繋がるかもしれません」

 

「いいですね!それなら筆頭ランサーさん辺りも許してくれるかも!」

 

 まことは明るい顔でソフィアに賛成した。

 その提案に頷く者こそあれ、反対する者はほぼいなかった。

 

「あぁあ!ほんっとみんな、ちびうさに甘いのね!」

 

 うさぎだけがそう呆れたように言ったが、やがて、それも通り過ぎたように視線をちびうさに向けなおした。

 

「……うん、いいよ。あんたのその勇気に免じて、今回は特別に許したげる」

 

 飛び上がって歓声を上げようとしたちびうさに、うさぎはびっと人差し指を突き付けた。

 

「でも、一つ条件があります!」

 

「な、なによ!?」

 

 ちびうさが身構えるとうさぎは仁王立ちで立ち上がり、ちびうさを真っ直ぐ見下ろした。

 

「あんたが外を見に行くときは、必ずあたしも一緒に行かせなさい!あんただけだといろいろ心配だからね!」

 

「うげーっ!うさぎと!?どっちかってーとあんたの方が心配……」

 

「んんー?今の言葉取り消してもいいのよー?」

 

 握った拳にぴきぴきと血管を浮き上がらせながら、うさぎは恐ろしげに笑った。

 衛は呆れたようにため息をついた。

 

「……やっぱりさっきの言葉、取り消そうかなあ」

 

 団長は頭を掻きながら呟いた。

 

「何とも見てて不思議なお二人ですねぇ」

 

 ソフィアは団長のおつまみを横から手に取り、口をもぐもぐとさせていた。

 一方、亜美は不安そうな顔で横から口を出した。

 

「でもうさぎちゃんは妖魔化に関する調査もあるし、忙しいんじゃ……」

 

「だいじょーぶ、だいじょーぶ!何とかするわよそこは!」

 

 亜美にうさぎは自信たっぷりに親指を立てるが、レイは腕を組んで疑わしげだった。

 

「うさぎにスケジュール管理なんかできるの?」

 

「なにを!あたしだって、日頃っからきちんと日常と戦い両立してたわよ!」

 

「……そうだったっけ?」

 

「さあねぇ?」

 

 まことの問いに美奈子が首を捻ったが、うさぎは構わず続けた。

 

「できる限り時間は取ったげるけど、あんまりわがまま言わないでよ?あたしたちは、みんなで調査してるんだからね」

 

「……うん!」

 

 ちびうさは嬉しそうに頷いた。

 それを見届けたうさぎも少し口角を上げると、気を引き締め直すようにふん、と思いっきり伸びをした。

 

 

「さあて、明日からもっと忙しくなるわね!!」

 

 



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憎まれっ子世に憚る①

 

 

 美奈子は、バルバレの昼間の雑踏を駆けていた。

 

「えーと、元気ドリンコの専門店って確か……」

 

 簡素に書かれた地図を見ながら目的地を探す美奈子に、肩に乗ったアルテミスが呼びかけた。

 

「美奈、くれぐれも寄り道するなよ?3回もおつかい忘れたなんてなったらみんなに殺されるぜ」

 

「わかってるわかってるって。あら、何かしらこれ?」

 

 美奈子が掲示板に貼られたチラシに目を留めると、アルテミスは「言ってる傍から……」とため息をついた。

 

 

「へー、『歌姫』?」

 

 

 ドンドルマと呼ばれる街のアリーナに、唄と共に生き、唄に人生を捧げる少数民族の末裔がいる。

 その荘厳な歌声は狩りに疲れた狩人たちの心を癒し、連日彼女の下に来るものは絶えないという。

 

 そんな彼女が、このバルバレで出張公演をするというのだ。

 なんでも、最近の妖魔事変で疲れ切った皆様の心を癒したいとの理由だった。

 記載によると、これはハンターの歴史上初の試みだという。

 肝心の公演日は、約2か月後だった。

 

 そこまで大きくもないスペースに所狭しと同じチラシが並び、日に焼けた髭面の男がグッドサインでビールを宣伝するチラシが隠れてしまっている。

 その光景を、よく似た顔立ちの男が襤褸切れを纏いながら恨めしげに見ている。

 

「……ヌフフフ……諸行無常……ナッシング・キャン・ステイ・ザ・セイムだ……」

 

 そう呟いてとぼとぼ歩いていく彼の向こう、涼しげな衣服を着た人々はゆったりと半透明な衣に身を包む女性の絵を見て盛んにくっちゃべていた。

 

「僕たちの世界でいう、アイドルみたいな存在なのかな?」

 

 肩に乗ったアルテミスが言うと、美奈子は達観したように目を細めた。

 

「多分そうよねー。ほーらこんなスケスケ衣装で男受け狙っちゃってぇ。業界が考えるこったぁ、こっちの世界でも大差ないってわけね」

 

「いやー、だいぶそういうのとは雰囲気違うとは思うけど……ってうわっ!」

 

 神秘的な雰囲気に描かれた挿絵を見ていたアルテミスは、いきなり方向転換をした美奈子にあわや落とされそうになった。

 

「でも、最新の流行には乗ってかないとね!みんなに知らせなきゃ!」

 

「おい、おつかいは……」

 

 彼女はそのまま超特急で走り出し、アルテミスは必死に肩に掴まった。

 

「どわーっ!僕がいることくらい考慮してくれよーっ!」

 

 通り過ぎた少女と白猫の背中を見て、襤褸を着た男は背中を丸めてため息をついた。

 

「はぁ……若いモンはいいなぁ。ワガハイもあの頃は……ぐすっ」

 

 

 

 美奈子は急いで飛んでいき、街中で集合した仲間たちにそのことを伝えた。

 少女たちは数少ない休暇を満喫すべく、今日は屋台の間で立ち食いをしていた。

 常に何かしら動いているバルバレの人々は、間食程度ならこうして済ませてしまう。

 うさぎは掌サイズに小分けされた『オッタマケーキ』にフォークを刺し、口に運ぼうとしていた。

 

「へー、この世界にもアイドルみたいな人いるんだぁ!」

 

 素直に驚くがあまり、彼女は食べることも忘れて感心していた。

 それに気をよくし、美奈子は人差し指を立てて得意げに話を続けた。

 

「そうそう、あと2か月くらいで公演なんだってー!」

 

「ふーん、歌姫ねえー」

 

 レイは小皿に入った『チコフグと林檎王のセビーチェ(マリネ)』をパンと一緒につまんでいた。

 興味のなさそうな顔ながら、しっかりと聞き耳は傍立てていた。

 

「……それにしても、カオスな光景ね」

 

 亜美は紙に挟んだ『リノハツサンドウィッチ』を手に苦笑した。

 美奈子は数々の食べ物を見つめ、涎を垂らしかけている。

 

「あーん、どれも美味しそー!あたしも『モガモ貝とマトンの火山カレー』ってやつ早く食べたぁーい!」

 

「ほんと食い気に関しては他の追随を許さないな、美奈は!」

 

 美奈子の肩から降りたアルテミスは、呆れた顔でルナの隣に来ながら言った。

 

「それぞれ好きなように選んで集合って言ったはいいけど……お菓子を選んだの、あたしとうさぎちゃんくらいじゃん」

 

 亜美の隣にいるまことは、小さく可愛らしいサイズの『熱帯イチゴのタルト』を片手に持っていた。

 昼食とおやつが入り混じったような奇妙な空間だが、これは食べ歩きということで各々で興味が出たものを持ち寄ろうと計画した結果だった。

 

「歌姫の件は、あたしは遠慮させてもらおうかしら。あまり人が集まるところは好きじゃないし」

 

 亜美はやんわりと断ろうとしたが、まことはそれを留めた。

 

「でも逃したら、次ないかもよ?」

 

 言われた彼女も興味はあるようで、迷った顔でサンドイッチを頬張った。

 

「観に行きましょうよみんなー!!行きましょ行きましょ行きましょ行きましょ行きましょー!!」

 

 両手を組んで懇願しまくる美奈子に、亜美とまことは思わず身を引いた。

 

「……菓子をねだる駄々っ子かよ……」

 

 味方になりかけていたまことが呆れかえっても、美奈子は雨に濡れた子犬のような目で訴え続けた。

 

「ま、まあー、戦士にも休息って大事よねー。たまにはこの世界を文化を学ぶためにも……」

 

 レイは目を背けてそう言ったが、そこにうさぎが横から顔をにょきっと伸ばしてせせら笑った。

 

「レイちゃーん、はっきり言いなさいよー。隠れオタクとして気になるんでしょこーゆーの」

 

「ち、違うわよ絶対っ!」

 

「はいはい、そうよねー。でぇ、うさぎちゃんは行くー?」

 

「もちろん行くー!!」

 

 うさぎは、笑顔で腕を振り上げた。

 そのままの勢いで、うさぎと美奈子は拳を互いにぶつけ合った。

 

「よぉーし、それまでに頑張ってミメットのヤツ懲らしめないと!」

 

「で、美奈子ちゃん、頼んでた元気ドリンコは?」

 

 まことが聞くと、しばらく美奈子は拳をうさぎと合わせたまま固まっていた。

 

「……あ、ごめん……忘れた……」

 

 ぴたりと、少女たちの動きが止まった。

 アルテミスがルナと顔を見合わせると、ルナはぼやいた。

 

「こりゃーやっちゃったわ」

 

「言わんこっちゃねぇ」

 

 

「「……みーなーこーちゃあーん!?」」

 

 

 少女たちは、一斉に声を低くし恨めしげに美奈子を睨んだ。

 

「ひーんごめんなさいですゆるしてぇーーーーっ!!」

 

 美奈子は、泣き叫びながら急いで戻ってきた方向へ走り出した。

 

──

 

 その後、うさぎたちは歌姫の公演鑑賞までにこの地域を平和にする、という目標で一致した。

 

 夕日も暮れ闇に包まれていく砂漠のなか、バルバレだけは人の作りだした太陽のごとく、キャラバンのテントや露店から漏れる光と賑わいであふれかえっている。

 

 バルバレを象徴する竜頭船、その内部。

 

 篝火が焚かれた酒場には弦、笛、太鼓の音が鳴り響く。狩人たちは豪快な酒と飯に、腕相撲に、自慢話、その他雑多な駄弁りに興じている。

 それを取り仕切るは、巨大な球儀の前にあるハンターズギルドの窓口。3人の受付嬢が並び、カウンターの端っこでギルドマスターと呼ばれるウェスタン風の好々爺が、にこやかな顔で酒場を見守っている。

 今日はここで、明日からの調査の前祝いとして仲間たちと食い、飲みかわすのだ。もちろん、酒ではなくジュースで。

 

「はー、楽しかったー……ん?」

 

 仲間たちと一緒に酒場に入り、伸びをしていたうさぎの目にあるものが飛び込んできた。

 

「う……うう……」

 

 2人の大男が酒場の端っこでうずくまっている。

 1人は紫の潜水服のような鎧『リノプロシリーズ』、もう1人は太ましい白い鎧『ハイメタシリーズ』を着こんでいた。

 

「だ、大丈夫!?」

 

 居ても立っても居られず駆け寄ったうさぎにルナが気づき、急いであとを追った。

 

「こら、うさぎちゃんったらずっと言ってるでしょ!知らない人に話しかけちゃダメって!」

 

「分かってるわよ!でも、明らかにこのおじちゃんたち弱ってんじゃない!」

 

 ルナに叱られても、うさぎは2人を助け起こそうとした。

 

「は……腹が……減った……」

 

 掠れた声で救いを求めるように僅かに指を動かした直後、2人はばたんと倒れ込んだ。

 

「おねーさーん、このおじちゃんたちにお肉4つ焼いたげて!」

 

 近くを通りがかった酒場娘に料理を頼むと、こちらを見ている仲間たちに向かってぱんっと両手を合わせた。

 

「ごめん、みんな!」

 

 うさぎがテーブルに座った向こう側、ふらふらと死にそうな体で席についた男たちを見て、レイは肘をつきながらため息をついた。

 

「またいつものおせっかい?何度も怒られてるのに、懲りないわねぇ」

 

「別に今はあたしたちがいるからいいけどさ。衛さんも後々来るんだから、ほどほどにしなよ」

 

 まことが呼びかけると、うさぎは「わかったー!」と元気よく返事した。

 彼女たちは席につくも、そのまま少し離れたところでうさぎを見守り続けていた。

 ルナは、仕方なさげにうさぎのすぐ隣の席に座った。

 

 2人の男は、骨付きの巨大肉を無我夢中でむしゃむしゃと頬張った。

 兜を外した2人の顔は装備に似合わず、骨ばった細い顔立ちだった。

 

「ちょっとは顔色よくなったじゃない!」

 

 うさぎが笑いかけると、2人の視線が彼女と後ろにいる仲間たちに投げかけられた。

 

「……あんた、最近話題の美少女ハンターさんってやつか」

 

 白い鎧のハイメタ男が、低い声で切り出した。

 彼の方が、リノプロ男より少し背が高い。

 

「えっ、知ってるの?」

 

 うさぎが驚くと、リノプロ男が少しだけ光が戻った目で笑った。

 

「よく話題は聞いてるよ。妖魔関係で筆頭さんと大活躍だってな」

 

 彼の目に、うっすらと疑惑の色が浮かんだ。

 

「……そんな女神様が、この襤褸切れどもにいったい何の用だい?生憎だが俺たちは何も持ってねえぜ」

 

「床にうずくまってたら誰だって気になるわよ!」

 

 うさぎが身を乗り出すと、金色のツインテールがふわりと揺れた。

 もう巨大な骨付き肉を平らげたハイメタ男は、血色が戻ってきた顔で笑い声を漏らした。

 

「はは、俺たちを豚呼ばわりした女とはえらい違いだな」

 

「えっ?そんなひどい人が?」

 

 うさぎが顔を歪めると、リノプロ男は憂鬱そうに皿の上に転がった骨と蝋燭を見つめながら話した。

 

「まあ……ちょっとお話しようって誘ったら、衆前で装備を貶された挙句逃げられてさ」

 

 ルナは、顔に嫌悪感を丸出しにしてしかめた。

 

「貴方たち、それナンパっていうのよ!自業自得じゃない!」

 

 ルナの厳しい指摘に2人の男はうぐっと口を噤んだあと、下を見つめながら答えた。

 

「どうせこの先飢え死ぬしかねぇからどうにでもなっちまえってヤケになっちまってさ。あれはバカなことをしたよ」

 

 ため息を吐いたリノプロ男の横で、ハイメタ男がちらりとうさぎの後方を見ながら言った。

 

「ていうかよ、嬢ちゃん。旦那もいるのに、それこそ俺たちのようなやつと話してていいのか?お仲間も心配がってるぜ」

 

 4人の少女たちが、食事をしながら険しい視線で2人を凝視している。彼らがうさぎに変なことをしないか監視しているのだ。

 

「ほら、本人たちにまで言われてる。やっぱりこの場は去った方が……」

 

 ルナが小声でささやくと、つんとした顔でうさぎはそっぽを向いた。

 

「あたしのまもちゃんは、おじさんと話してるくらいで愛を疑ったりしないもん!」

 

「お、おじさんて……」

 

「俺たち、まだ20代だぜ……」

 

 かくりと肩を落とした2人に、うさぎは構わず話しかけた。

 

「愚痴くらいなら、ちょっとだけ聞いてあげてもいいわよ!」

 

 彼女の子どものような笑顔に、2人は戸惑ったように互いに顔を見合わせた。

 

「……じゃ、ちっとばかしお言葉に甘えさせていただくか」

 

 2人は揃って少女の仲間たちに会釈したあと、水を飲みながらつらつらと語り始めた。

 

 男たちは、密林近くの貧しい農村出身だった。

 彼らは幼い頃から気づくと隣にいて、喧嘩ばかりだったがそれなりに行動を共にした。

 去年までは、畑で育てた作物を外に売ったりしてひっそりと暮らしていたという。

 だが今年に入り、妖魔化生物によって村の作物が軒並み全滅。土の養分すら根こそぎ吸われ、これまでの生活では到底生計が成り立たなくなってしまった。

 

 そこで、リノプロ男はなんやかんやで縁のあるハイメタ男から、ハンターという職業を提案された。

 ハンターとなって大型モンスターを数頭と狩れば、家族を養う分は当分賄える。

 この夢に一縷の望みをかけ、彼らは共にバルバレに出向いたのだ。

 

 しかし、彼らを待ち受けていたのは過酷な大自然の洗礼だった。

 元一般人に過ぎない彼らは片手剣を振るうことさえままならず、鉱石を掘って草食竜を狩るのでやっとだという。

 貧しく知識も経験も浅い者と共に狩りに行ってくれる物好きもおらず、彼らは沢山の恥と失敗を重ねた。

 彼らの身に着ける装備は、そんな苦行で流した血と涙と汗の結晶なのだ。

 

 そんな状況に先日の罵倒で完全に自信を失い、今や狩場で採取したなけなしのキノコや薬草を売るその日暮らしを続けている。

 備蓄も金も今は尽きかけ、食うものにも事欠く有様なのである。

 

 そんな話を聞くうちに、警戒して横聞きしていた少女たちも次第に同情的な視線を向けるようになった。

 うさぎは自分事のように苦しい表情をしていた。

 それに触発されてか、男たちの目に涙が浮かび始めた。

 

「うぁ~、何もかも上手く行かねえよお~。やっぱ俺たちハンターに向いてねえのかなあ〜」

 

 泣き顔で突っ伏したリノプロ男に、ハイメタ男が叱るように肘で肩をどつく。

 

「何言ってんだばっきゃろう、親御さんと妹にいいもん食わしてやるんだろ」

 

 顔を上げたリノプロ男は、赤く腫らした目でうさぎとその仲間たちを見据えた。

 

「嬢ちゃんはいいよなあ。多分、俺の妹くらいの歳だろ?なのに飛竜ぶっ倒せる実力もあって、いい旦那さんも仲間もいて、全く万々歳じゃねぇか」

 

 涙で掠れ切った声を聞き、うさぎははっとした顔になった。

 

「……おい、そりゃあ俺がいい仲間じゃねぇって意味か?」

 

 ハイメタ男が隣の顔を睨むと、リノプロ男はどこかヤケになった表情で睨み返した。

 

「最近の惨状を見てりゃあ分かるよ。所詮、俺らはただの腐れ縁だったってな」

 

「なんだと!?」

 

 リノプロ男の襟首を、ハイメタ男がひっつかんだ。

 少女たちは、それを見て立ち上がりかけた。

 ルナは、うさぎの袖を引っ張ってテーブルから引き離そうとした。

 

「……確かにあたし、仲間たちに囲まれて幸せ者だなって最近思うけど……」

 

 うさぎは座ったまますっと目を伏せた。

 

 

「大切で護りたいものがたくさんあると、それはそれで大変なんだから」

 

 

 男たちは殴り合おうとしていた手を止めた。

 テーブルの向かいには、彼らを悲しそうに見つめ上げる20歳にも満たない少女の姿があった。

 

「おじちゃんたちも、本当はお互いが大切と思ってるならそんなことしちゃダメだよ」

 

 静かに首を横に振るうさぎを見て、ハイメタ男は自身の振り上げた拳に視線を移した。

 

「あ……あぁ、すまん」

 

 2人は喧嘩を止め、我に返ったように再び席に着いた。

 ルナも友人たちも臨戦態勢を解き、見物しようとしていた狩人たちも離れていった。

 うさぎはほっとしたように微笑んだ。

 

「でも、大切な人のために命張れる人ってとってもかっこいいじゃん!」

 

「そうかな……」

 

 リノプロ男は、照れ臭そうに頬を掻いた。

 

「それに、一度帰りたかったら本当に帰ってみたらいいのよ!」

 

「え?」

 

 彼は不思議そうに眉を寄せた。

 

「きっと大切な人の顔を見たら、また頑張りたいって思えるよ。あたしが現にそうだもん!」

 

 どこにも疑いが見えない彼女の言葉に、男たちは迷うように視線を交差させあった。

 

「ハンターになってそんなこと言われたの、初めてだ」

 

「でも、こんな姿見せたってなぁ」

 

 まだ答えを渋っている彼らにうさぎは席から立って近づくと、じゃらっと音の鳴る巾着袋を差し出した。今回の料理の分と、クエストを受けられるだけの金が入っていた。

 うさぎは、驚いた男たちの瞳を真っ直ぐ見て笑った。

 

「大丈夫よ!今がどん底なら、きっとこれからうまく行くって!」

 

「……きっと、これから……」

 

 2人の瞳の色が変わった時だった。

 颯爽と現れた背の高い影が、それよりずっと小さいうさぎの身体を攫った。

 

「すみません、うちの者が」

 

「まもちゃん!」

 

 名を呼ばれた男は、うさぎの肩を抱きながら仲間たちの方へ歩いていく。

 通り道にいた者たちが、自然と道を開けた。

 男たちはその様子を呆然と眺めていたが、すぐその正体に合点が行くと慌てて叫んだ。

 

「お嬢ちゃん、今回はありがとう!」

 

「その子が隣にいることを誇れよ、背の高ぇ旦那!」

 

「……言われずとも」

 

 こちらに振られる節くれだった手に視線だけ寄越し、やや不機嫌な顔で衛は小さく呟いた。

 

 

 場所を変えるなり、うさぎは衛に両肩を強く掴まれた。

 

「だから、知らない人には近づくなって言ってるだろ!」

 

 うさぎはしゅんとしてうつむいた。

 衛は、怒るというよりは困った顔でため息をついた。

 屈んでうさぎと目線を合わせると、衛は言い聞かせるように言った。

 

「みんな、そういうことするたびいつもうさこを心配してるんだぞ。ココット村より圧倒的に人が多いし、いつ良からぬことを考えるやつが現れるか……」

 

 戦士の面々も、その通りだという顔である。

 

「うん……そうだよね。ただでさえ忙しいのに手間かけさせて、ごめんなさい」

 

 衛と同時に友人たちも見据える瞳には、謝罪の色が滲んでいた。

 

「でも、最近思うんだ。こうやって普通に生きてられるあたしたちって、本当に運がよかったんだって」

 

 うさぎは自分が来た方向を見やった。

 先ほど別れた男たちが傷だらけの兜をかぶり直し、背を向けて酒場から出ようとしている。

 鎧の間から見える布の汚れとほつれは酷く、汚れている。

 

「戦士の力がなかったら、きっとあたしたちもあの人たちみたいな暮らしになってたはずだよ」

 

 衛だけでなく、友人たちも黙って彼らの後姿を見つめた。

 

「でも、だからといって……」

 

 うさぎは振りなおった衛の左胸に手を伸ばしてそっと押し当てた。

 

「孤独な人の悲しくて寂しい気持ち、まもちゃんも分かるでしょ?あたしたちが授かった力は、狩りだけじゃなくああいう人たちにも役立てていくべきよ」

 

「……」

 

「きっとそういう気持ちが、こっちの世界だけじゃなくこの世界も救うことに繋がるんだから!」

 

 うさぎの衛を見つめる視線に迷いはない。

 一方の衛はじっと思いを巡らせていた。

 

「せめてさ、元気づけてあげるだけでも許してくれない?絶対まもちゃんの目につかないところではやらないから」

 

 やがて衛は降参したようにもう一方の手で髪をぐしぐしと掻いた。

 

「仕方がないな、もう……明らかに危ないヤツには近づくなよ?」

 

「ありがと!まもちゃん大好き!」

 

 うさぎは大きな背中に腕を回して抱きついた。

 2人を見た友人たちは表情を緩め、その中で美奈子が口を開いた。

 

「衛さん公認なら、あたしたちもちょっとは慈善活動しようかしら」

 

 レイはそれに苦笑すると、まだ立っているうさぎに向けてテーブルを叩いた。

 

「ほーら、早く食べないと冷めちゃうわよ!」

 

「あ、そうだそうだー!早く済ませないとちびうさのヤツまた拗ねるわ!」

 

 うさぎは席に腰を下ろすと、慌ててこんがり肉にがぶりついた。

 

 彼女たちには今後、筆頭リーダーと共に数件の狩猟の依頼が待っている。

 そのいずれもが妖魔化生物に関連するものだった。

 




いろいろごちゃごちゃしちゃってる^^;
MHXXの料理ってみんなおいしそうだよね……て話。
全体的にセラムンの子たちは自己肯定感高くて羨ましくなるw


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憎まれっ子世に憚る②

 

 まこと、美奈子、衛、リーダーは氷海『エリア2』で化け鮫ザボアザギルを相手取った。

 吹雪のなか、凍てついた背びれが凍結した海上を割り、やがて巨体と共に大きく裂けた口をさらけ出す。水かきのついた4本脚が氷を叩き、ぐらぐらと揺らした。

 動きを見ていた狩人たちは、それがぴょんと飛び跳ね口を開け、鼻息荒く構えを取ったのを見逃さなかった。

 全身に氷の鎧を纏ったそれは、口から大量の冷水を凄まじい勢いで吐き出す。

 

 まことと美奈子は突っ込みながらブレスの軌道を見ることを忘れない。

 化け鮫のブレスは左右に大きく薙ぎ払われるので、避けるのが厄介なのだ。

 

「とおおおおりゃああああ!!」

 

「はあああああああっっっ!!」

 

 まことはハンマーを構えたまま転がってブレスの真下を、美奈子は操虫棍から空気を噴き出し跳躍して真上を搔い潜る。

 

 ハンマーが頭を顎からかちあげ、頭上から棍の刃が斬り伏せる。

 

 驚いた化け鮫はぴくぴくと身体を震わせると、突如風船のように膨らんで少女2人を吹っ飛ばした。

 さっきまでシャープなフォルムだった生物が、白い腹を抱えてたぷたぷと揺らしているのはややユーモラスな絵面である。

 まことと美奈子は、それを前に武器で杖をつきながら立ち上がる。

 

「大丈夫かっ!」

 

 衛の声が飛ぶ。

 

「なんのこれしきぃっ!!」

 

「よぉしまこちゃん、どっちがリーダーさんの心に響く活躍を残せるか、勝負よ!!」

 

「望むところだ!!うおおおおおっっ!!」

 

 少女たちは防具の傷も気にせず再び突っ込んでいく。

 彼女たちを助けようとしていた男性陣は、思わず呆然として立ち止まっていた。

 

「……君には尊敬の念しか浮かばないな」

 

「え?」

 

「あんな賑やかなのに囲まれながら、正気を保っていられる」

 

 生きた風船と格闘している少女たちを眺めるリーダーに、衛はどう返していいかわからず曖昧な笑みを浮かべた。

 

「あ、あはははは……」

 

「だが、次からは君が隣にいなくても狩りができそうだ」

 

 衛は、リーダーのいつもは厳格な眉間が少し穏やかになっているのに気づいた。

 彼は双剣を構え直し、衛に語り掛ける。

 

「さあ、行こう。君も早く次の調査でツキノ君と会いたいだろう」

 

「……ええ!」

 

 男性陣も、急遽獲物に向かって駆け寄っていくのであった。

 

 

 

 一方、未知の樹海と呼ばれる場所ではうさぎ、亜美、レイ、ルーキーが絞蛇竜ガララアジャラを相手取った。

 周囲を大木が取り囲む平地で、40m以上にもなる乾いた緑色の巨体がとぐろを巻き、狡猾な目線で少女たちを見下す。

 

「だりゃあああっ!!」

 

 うさぎは茨の細剣を構え、素早く繰り出された牙を横に転がって避けた。

 そのまま、嘴から頬辺りの鱗を横薙ぎに斬りつける。

 

「うさぎ、深追いするんじゃないわよ!」

 

「分かってる!」

 

 レイの声が飛ぶが、うさぎは快活に答えながら立て続けに斬撃を浴びせる。

 怯んだガララアジャラは後方に退き、シャーッと唸って尻尾を振った。

 尻尾の先、羽根のように一際発達した『鳴甲』と呼ばれる鱗から破片が飛び散る。

 それはうさぎの近くの大地に刺さると、きぃぃん、と不快な音を立てた。

 

「っ!!」

 

 うさぎが耳を塞いだ瞬間ガララアジャラは頭を突き出し、後頭部から肩にかけて後ろに張り出した鳴甲をガラガラガラガラ、と喧しく震わせた。

 破片は音と共鳴して破裂し、うさぎを吹っ飛ばす。

 絞蛇竜は鎧のような背中とは逆に柔軟な腹を滑らせ、たちまち輪を作って彼女を取り囲む。

 立ち上がったうさぎは走って尻尾と頭の間の隙間から外に出ようとするが、竜は素早くその身を回転させて出口をずらした。

 

「あぁもう、だから言ったのに!」

 

 太刀を構えたレイが叫んだ横で、亜美がボウガンを構えた。

 

「援護するわ!」

 

 銃口から放たれた水冷弾が、先ほど震わせていた後頭部の共鳴器官を撃ち抜く。水飛沫と共に僅かながらひびが入り、絞蛇竜は怯んだ。

 

「転ばせてやらぁっ!!」

 

 ルーキーが冷気纏った鋼の剣を振りかざした。

 身体に比して小さな後ろ脚を嵐のように切り裂くと、ガララアジャラは驚き悲鳴を上げて一時倒れ伏した。

 

「す、すみませんっ!」

 

 輪を抜け出したうさぎに対し、ルーキーは叫んだ。

 

「良いってことよ!次は気をつけようっス!」

 

「はいっ!」

 

 レイはふうっと息をついたあと、気を取り直してうさぎと共に攻撃に転じる。

 亜美は剣を舞わせるうさぎの背中をじっと見つめた。

 

「さあ、ミズノさんも!」

 

 ルーキーの言葉を受け、亜美は「はい!」と頷き次弾を装填した。

 

 

 

 狩猟生活は多忙そのものだった。

 妖魔化生物そのものよりは、それによって元の生息地を追い出されたモンスターに関する依頼が多かった。

 メンバーを入れ替えながら様々な地域に渡って狩猟を行った。

 

 再び少女たち全員がバルバレに帰り集ったのは、1か月ほどが経った頃。

 この日は、前々からバルバレの武具工房に頼んでいた新しい装備が完成する日でもあった。

 

「まこちゃん、美奈子ちゃん、おひさー!」

 

 ルナを肩に乗せたうさぎが4人の戦士に手を振ると、彼女たちも大きく振り返した。

 

「お久しぶり、うさぎちゃん!」

 

 彼女たちは、バルバレ市内の休憩用のベンチにその腰を下ろした。

 茅葺屋根の下で、彼女たちは揃ってハチミツ入りのクーラードリンクを吸いながら話をした。

 セーラーチームの面々を見て、亜美が少し寂しそうな顔をした。

 

「5人全員で顔を合わせられない日も増えて来たわね」

 

 一方、ある2人は明らかに溌剌としていた。

 

「でもでもー!その分だけ筆頭さんたちと仲良くなれてきた気がするー!」

 

「そうそう!セーラーチーム以外と組んで戦うなんて、新鮮でいい刺激だよな!」

 

 美奈子とまことは、浮かれたようにきゃっきゃと騒ぐ。

 

「貴女たちは約1人しか見てないでしょーが」

 

 レイは膝に頬杖をついて皮肉っぽく言ったあとストローを啜った。

 亜美は頭痛がしたようにこめかみを押さえる。

 

「2人とも、この前リーダーさんと一緒に狩りをしたみたいだけど迷惑はかけてない?」

 

 美奈子の膝に乗ったアルテミスが口を出した。

 

「衛さんによると狩猟はちゃんとやってたみたいだよ。リーダーさんも2人の成長を褒めてたぜ」

 

「へっ、流石に前と同じヘマはしないよ!」

 

「クエスト失敗したなんて聞いてないでしょ?それが何よりのショーコッ!」

 

 堂々と言ってみせたまことと美奈子だったが、レイが訝しむように彼女たちを見つめた。

 

「ルーキーさんから手料理対決をしたとか聞いたけど?」

 

 それでも2人の表情は変わらず、むしろ美奈子はよくぞ聞いてくれたという風に両手を打ち合わせた。

 

「あーら、よく知ってるじゃない!ありゃ白熱だったわよ!?」

 

 彼女たちがこちらに帰ってくる飛行船内で、労いついでに手料理対決が行われた。

 彼女らいわく、「男をつかむなら胃袋から」ということらしかった。

 肝心の内容は、まことが彩りも栄養も考えられた弁当を作ったのに対し、美奈子はというとほぼすべてが素材そのまま、もしくは真っ黒な物体という有様だった。

 だがリーダーはどちらも完食、無表情のままで一言、『これはどうにも甲乙つけがたい』と言い残して去っていったのである。

 

 まことは、美奈子にずいと顔を近づけた。

 

「結果こそ引き分けだったけど正直、あれはあたしが勝ってたと思うよ?」

 

「いーや、あれはあたしのを食べてる時が一番笑顔だったわ!きっと込められた愛情を感じ取ったのよ!」

 

 2人の少女の視線の間で火花が散った。

 

「それ、2人に気ぃ遣ってんじゃない?」

 

 うさぎがジト目で怪しむように言うと、亜美が呆れたように手をぱんと叩いた。

 

「はいはい、惚気話はおしまいね」

 

 亜美は、真剣な表情に切り替えてレイの方を見つめた。

 

「で、『魔女』やゴア・マガラの手がかり、やっぱり出てこない?」

 

 レイは首を横に振った。

 

「なーんにも」

 

 彼女が片手で広げたバルバレの周辺地域を記した地図には、あちこちに×印が打たれていた。

 様々な地域に行ったようだが、その努力に対して彼女の顔はいまいち浮かなかった。

 

「霊感が鋭いレイちゃんが言うんじゃ、確実にいないわね。みんなも?」

 

 亜美が聞くと、あとの3人も頷いた。

 

「妖魔化生物も見慣れたヤツばかりだよな。イャンクックとか、ダイミョウザザミとか」

 

 まことが口火を切ると、美奈子も腕を組んで頷いた。

 

「同感。ミメットのヤツ、流石にあたしたちを舐めすぎよ」

 

「妖魔化生物を動かす気配すら見せないなんて、余計に不気味ね。一体どうやってあたしたちに攻撃するつもりかしら」

 

 亜美の言葉を受け、うさぎはうんうんとやや大げさなくらい唸って考えていた。

 彼女はふと、弾かれたように顔を上げた。

 

「あーーっ!もしかして、この前のユージアルみたいなことするつもり……」

 

「ぜーったい違うわね」

 

 きっぱりと肩の上で言い放ったルナに、うさぎは思わず抗議の眼差しを向けた。

 

「そ、そんなはっきり言わなくてもいいじゃん!」

 

「ルナの言う通りよ」

 

 レイはそう呟くと、前を見たまま話し始めた。

 

「仮にもここは村じゃなくて、大きなギルドのお膝元よ?筆頭さんたちも含めたお偉いさんたちを、悪い噂を流す程度で丸め込めるとは思えない」

 

「魔法を使って洗脳しようにも、この規模じゃ手間がかかるでしょうね。その間にギルドに摘発されて終わりだわ」

 

 亜美が補足すると、うさぎは渋々と視線を落とした。

 

「……それもそっかあ……」

 

 少女たちはほぼ同時に、クーラードリンクを空っぽになるまで吸い尽くす。

 肌を指すような日差しだと言うのに、前を通った子どもたちは手を広げて互いを追いかけ合う『飛竜ごっこ』をしていた。

 

「うーん……どうもあたしたち、何か見落としてる気がする」

 

 美奈子が、空の容器をベンチの隙間に置きながら目を細めて言った。

 その時、煙を吐き出す石窯風の台車からちりんちりんと鈴の音が鳴った。

 

「あっ、工房の人、取りに来てくれって!」

 

 うさぎが立ち上がると、仲間たちはぱっと表情を明るくしてその背後を追った。

 

──

 

 我らの団には加工担当と見習いの娘がいたらしいが、彼らは修行のため遠方へ出かけているらしい。

 いまは、我らの団が懇意にしているキャラバンの工房に頼んで装備を作ってもらっていた。

 うさぎ以外はみな代金と素材を渡し、以下のように装備を一新した。

 

 うさぎ…レイア装備&プリンセスレイピア(防具の強化以外据え置き)

 レイ…ギザミ装備&鉄刀【神楽】

 亜美…ザザミ装備&アサルトコンガ

 まこと…コンガ装備&ウォーハンマー

 美奈子…フルフル装備&ボーングレイブ

 

 竈の前に、1人ずつ骨組みに載せるようにして置かれている武器と防具。

 それを見て、少女たちは言葉を失っていた。

 隣で工房を取り仕切る老婆がにっこりと笑い、奥には背の高い数人の職人が仏頂面で腕を組みながらこちらを見ている。

 

「わぁ、すごいピッカピカ……」

 

 目を輝かせているのはうさぎだけではない。

 むしろ、感激の具合はあとの4人の方がずっと大きいものだった。

 何よりも自分が狩った獲物が装備になるという一種の達成感と共に、あらゆるものに対するある種の感謝の念も湧く。

 戦士たちは防具と対面して、頭を下げながらぱんっと両手を合わせた。

 

「使わせて、いただきますっ!」

 

 その後、試着となる。

 レイが身に着けるギザミ装備は、主に沼地調査にて仕留めたショウグンギザミの素材を加工したもので、青色の鋭いフォルムが特徴の騎士のような姿である。

 獲物自体はうさぎが倒したものではあるが、狩猟を達成したパーティーでは全員に平等に素材が分配されるため、レイもこうやって防具を作ることができたのだ。

 

「お客様、採寸は問題ありませんかな?」

 

 耳の尖った竜人族の老婆が、にこにこと笑いながら聞いた。

 

「ええ、完璧です」

 

 満足気に着心地を確かめているレイに、うさぎはふと唇を歪ませた。

 

「……レイちゃん、それつけても大丈夫なの?」

 

 レイは、背中を向けたままふっと笑って答えた。

 

「どこかの誰かさんとは違って、あたしは()()()()()の女ですからね」

 

 むっとしたうさぎは、そっぽを向いて呟いた。

 

「ふん、心配して損した!レイちゃん、その兜つけてピエロにでもなるつもり?」

 

「あんた、それ工房の人に対して失礼よ!!だいたいね、これの性能は……」

 

 彼女が振り向いて力説しようとした時にはもう、うさぎは亜美に話しかけていた。

 

「あっ、亜美ちゃんの防具、チアガールみたいでかーわいっ!!しかも髪型、あたしとお揃いだー♡」

 

「これは地毛ではないけどね」

 

 赤白の縞が入った甲殻で作られたザザミ装備は活発な印象を与え、下に関してはセーラースーツと似たデザインだった。

 キャップの後ろにはうさぎが話題にしている通り、白い繊維でできた疑似的なツインテールが垂れている。

 騒ぎ立てて誉めそやすうさぎに、亜美は繊維を手でいじりながら照れたようにうつむいた。

 

「防御力を重視したのはいいけど、ちょっと色が似合わないかしら……」

 

「いいじゃん。あたしも可愛くていいと思うよ」

 

 隣からした声に亜美は視線をずらすが、すぐに顔を真っ赤にして視線を戻した。

 

「……まこちゃんは、ちょっと胸元開けすぎじゃない?」

 

 まことの身に着けるコンガシリーズは全体的にファンキーなデザインで、下半身は膝当てのついた白ズボン、上半身がオレンジのジャケットのような作りになっている。

 身長の高さとスタイルの良さも相まって、その姿はいかにも『姉御』である。

 

「まぁいーんだよ。どうせここのみんなか筆頭さんとしか狩りに行かないし、変な目で見て来たやつはぶっ飛ばすだけだしさ」

 

「さっすがまこちゃん、かっこいー!」

 

 後れ毛をかき上げてさらりと言ってのけたまことに、うさぎは思わず快哉を叫び両手を叩いた。

 

「美奈子ちゃんもナース服みたいで中々いいじゃないか。やっぱりあたしも、もうちょっと可愛い見た目にすりゃよかったかなぁ……」

 

 まことに呼ばれると出番を待っていたとばかりに、美奈子は手を頭の後ろに置いて腰を突き出し、見せつけるように身体をくねらせた。

 

「でっしょー?この白さ!美しさ!まさに愛の女神に似合ってるでしょ!?」

 

 美奈子の装備はほとんどがフルフルの白い柔皮に覆われており、鎧というには丸く、柔らかそうな見た目である。

 それだけに、フードのような兜に金属製のマスクが据え付けられているのが目立っていた。

 

「あ……あはは、美奈子ちゃんのも可愛いよね!ちょっと前のこと思い出すか……な……」

 

 はしゃぐ美奈子にうさぎは頷きながらも、恐る恐る横に視線をずらすと──

 レイの顔が、異様にげんなりとして沈んでいた。

 

「美奈子ちゃんの看病……塩辛いおかゆ……壊されたラジオ……うっ……」

 

「だ、大丈夫かの?黒髪のお嬢さん、顔色悪そうじゃが……」

 

 取り憑かれたように猫背でぶつぶつ呟き始めたレイを見て、工房の老婆は慌て始めた。

 亜美とまことは倒れそうな彼女の両脇を支えた。

 何も分かっていない美奈子の肩を、まことが掴んで引きずった。

 

「あーっ、そろそろおいとましなくっちゃあー!ごめんなさい、今回はありがとうございました~っ!」

 

 うさぎは、会釈して急いで街道に出ていく仲間たちを尻目に、挨拶したあとその後を走っていった。

 それを、工房の面々はきょとんとした顔で見つめていた。

 

 バルバレの陽の元、未だにレイはよろよろとした足取りだった。

 

「美奈子ちゃん、隣来ないでくれる?頭痛酷くなるから」

 

「何それひどっ!」

 

 憤然とする美奈子をよそに、レイを支えるまことはうさぎに視線を寄越した。

 

「そういえば明日からうさぎちゃん、連続で遠征なんだって?」

 

「え?そうだけど、それがどうかしたの?」

 

「いや、ランサーさんに聞いてみたら、あたしたちともしばらく会えないみたいでさ。気をつけてって言いたかっただけ」

 

 それを受けてか、美奈子も心配げにうさぎの顔を覗き込んできた。

 

「うさぎちゃん、相変わらず戦士に変身しまくってるけど大丈夫?怪しまれてない?」

 

「ううん、今のところは全然!」

 

 うさぎは、けろっとした顔で首を振った。

 彼女は特に妖魔化生物の狩猟には必ずと言っていいほど参加し、目に見えないところで浄化したうえで捕獲していた。

 もちろん怪しまれそうな場合はモンスターを討伐したが、時には難しい状況でも変身することを辞さなかった。

 

「まあ普通、こーんなノーテンキが災いをもたらす魔女と結びつくわけないわよ。今回()()()あんたの性格に感謝しなくちゃね」

 

 少し顔に赤みが戻ってきたレイが微笑みながら呟くと、うさぎはぐぐっと顔を近づけて睨んだ。

 

「レイちゃん!どーやら口の調子だけは良くなってきたみたいねっ!?」

 

「あはは、うさぎちゃんもそれなら、きっと今回も大丈夫だな!」

 

 まことが高らかに笑うと、うさぎはふん、と鼻を鳴らしてレイから視線を背け、そのまま胸を張った。

 

「ま、なんとか終わりは見えて来たから、ここからが踏ん張りどころね!」

 

 勢い込んでいるうさぎの横顔を、亜美はじっと見つめて言った。

 

「衛さんも言っていたけれど、こうやってみんなうさぎちゃんを心配してるんだから、無理だけはやめてね?」

 

 うさぎは一瞬、その水色の瞳を吸い込まれるように見たが、やがてそうしているのがおかしくなったように噴き出した。

 彼女はなんてご冗談を、とでも言うように手の平を縦に振ってみせた。

 

「なによ亜美ちゃん、この仕事ずっとやってきたんだからちょっとは信用してよ!」

 

 うさぎは自身の籠手を叩いて笑ってみせた。

 

「むしろ、これからはあたしが踏ん張るところなんだから!」

 




基本的に本作での武具の考え方は
・素材渡してから製作、完成までに数日~1週間くらいかかる
・被弾はなるべく避け、当たらないことが前提
・どんな強い防具だろうと死ぬときは死ぬ(超高熱の熱線、踏み潰し、高所からの落下など……ゲームと描写が違ってくる可能性あり)
・スキルについてはゲームのように能力としてはっきりと付くものではなく、素材の特性や設計構造による副次効果として描く

小説版の設定をやや取り入れた形になるかなと思います。
とはいえ戦士の設定の兼ね合いや登場人物の多さも相まって色々とごちゃつく可能性はあり……。(最善は尽くす)


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憎まれっ子世に憚る③

 

 場所は再び原生林『エリア5』。

 盾蟹ダイミョウザザミは、物思いに耽るように佇んでいた。

 彼もしくは彼女は、以前亜美やルーキーが狩った個体ではない。その証拠に妖魔化の痕跡はなく、何も知らない小鳥が飛んできてはヤドの角に止まる。巨大蟹からは全く意に介されることなく、それはチュンチュンとさえずったあと羽根を広げどこかへ飛んでいった。

 ふいに、細長い黒目がぴくりと動いた。

 じっと瞳のない目でそれは自分の頭から伸びる長い触覚を見上げる。

 

 盾蟹は触覚の先を鋏で掴み、自分の方に寄せるようにたわませる。そこにもう一方の鋏を使い、触覚の先へと滑らせるように、細かく刻むように挟むのを繰り返す。

 それはまるで、女性が髪を漉いているようにも見える行為だった。

 

「ああやって触覚をお手入れしてるんだって!綺麗好きよね!」

 

 そう言ったのは、前回と同じ物陰に隠れて観察していたちびうさだった。

 少女は満面の笑みだったが、左隣のうさぎは心ここにあらずの状態だった。

 彼女が沼地で狩った鎌蟹ショウグンギザミとはまるで正反対だった。同じ『甲殻種』に属するとは思えないほど、ここには平穏だけが広がっていた。

 

「ちょっとうさぎ?聞いてんの?」

 

 ちびうさが不機嫌な顔で振り返ると、やっとそこで彼女は我に返る。

 

「あっ、ああ聞いてたわよ!ちょっと可愛いわよね、あれ!」

 

「ほんとーに?」

 

 訝し気に返したちびうさに、今度は右隣に伏せていた衛が呼びかける。

 

「こら、仮にもあれはモンスターなんだから静かにしとけよ。ほら、言ってる間に何か来たぞ」

 

 衛が指さした先、こちら目掛けて滑空してくる白い物体が見えた。

 華麗に着地したのは、蛇の頭に獣の四本脚、その間にモモンガのごとき皮膜を持ち、背中から大きな尻尾にかけてふさふさとした白い毛に覆われた生き物だった。

 

「あ、トビカガチだ!」

 

「いま来た子のこと?」

 

 ちびうさはうん!とそれに頷き、ますます興味深げに目を見開いた。

 

「『がりゅうしゅ』って種類の中でも、最近発見されたモンスターなんだって!こんなところにも来るんだ」

 

 牙竜種とは、やや乱暴に言えば『獣の如き四肢を有する竜』である。その背に翼はないが代わりに身体は硬い鱗に覆われ、地を四本脚で踏みしめることができる。特に前脚が発達傾向にあり、これで険しい地形も容易く乗り越えることができるのだ。

 

 トビカガチはのそのそと辺りを窺うように歩いてくると、ダイミョウザザミからそれほど離れていない場所に座り、あくびをしたあと毛づくろいを始めた。

 ダイミョウザザミはちらりとそちらの方を見ただけで、特に気にせず触覚のお手入れに勤しんでいた。

 巨大生物が隣合いながらくつろぐ光景を見て、うさぎは穏やかに目を細めた。しばらく狩りという形でしかモンスターと関われなかった彼女にとって、この光景は半ば救いそのものであった。

 うさぎの視線は、自然にトビカガチの風にそよぐ体毛に注がれた。

 

「あんなモフモフに包まれたら気持ちよさそうね!間に入ってマフラーにしてもらいたーい!」

 

「バカねー、うさぎ。あれには静電気を溜められて、いざとなった時はばちばちーって放電してくるんだから。迂闊にでも触ったらうさぎなんて黒焦げよ!」

 

 せっかくの夢に自慢げにケチをつけられたうさぎは、思わずちびうさのお団子を鷲掴みにした。

 

「バ、バカってなによ!そういうノリだなって思ったから付き合ってあげたのよ!」

 

「へーん、口だけなら何とでも言えるじゃないっ!」

 

 それにちびうさも腕を掴んで抵抗する。

 原生林の件以降これまで何回かこの3人で狩猟なしの調査に赴いたのだが、やはりそこは前の世界から続く宿命か、彼女たち2人はどうでもいいことでしばしば喧嘩をしだすのであった。そしてそれを、衛が毎回仲裁する。ほぼ役割が兄か父親も同然だった。

 このいつでもまったく変わらない恒例行事に、衛がとほほ顔になりかけていた時だった。

 

 トビカガチの白く乾燥した毛が擦れ合い、ぱちん、と音がなった。

 ダイミョウザザミの甲殻に電流が走った。

 

 驚いたダイミョウザザミは即座に大げさなほど身体を退け、万歳するように鋏を振り上げた。

 

「ーーーーッ!!」

 

「ーーーーーーッ!!」

 

 それを見たトビカガチも驚いたように飛びのくと、細かく体を震わせて静電気を纏い、毛を立たせて吠えた。

 

「うわっ」

 

 衛が思わず驚きの声を上げ、2人も喧嘩を中断した。

 両者は睨み合い、一歩も引かない。

 ちびうさとうさぎは、はらはらした表情でその経過を見守る。

 彫像のように動かないかと思えば、一方が身じろぎしたのにもう一方が素早く足を踏み出して動きを止める。

 そんなことが、何分も続く。

 

「……いつまでああしてんだろ?」

 

 しびれを切らしたようにうさぎが小声で呟いた。

 そこに、ちびうさが2人に囁いた。

 

「ソフィアさんが言ってたんだけど、モンスターたちって住処や餌の奪い合いとか以外、無駄な争いはしないんだって。あれも多分、出来るだけ争いたくないんじゃないかな」

 

「ああ、なるほど……ていうか、あんたいつの間にソフィアさんと話してたの!?」

 

「へへん、うさぎたちがあたしを酒場に連れてかない間にね!」

 

 驚きを隠しきれないうさぎに、ちびうさは得意げな顔をした。

 衛は、純粋に納得したように顎に手をやった。

 

「確かに、わざわざお互いが傷つくメリットは滅多にない。2人とも、あいつらを見習った方がいいな」

 

「いや、それはうさぎがだいたい悪いから……」

 

「そーいう無駄な発言が無駄な争いを生んでんじゃないんのっ!?」

 

「その発言が無駄なんじゃないんですかっ!?」

 

「なんですって!?」

 

 小声ながら、衛の背中を通して乱闘に近い口喧嘩が始まった。もちろん、これも毎回の恒例行事である。

 ダイミョウザザミが諦めたように腕を下ろして背を向けると、目の前にあった雑草をつまみ始めた。

 一方のトビカガチは素早くそこにあった骨を物色し、その中から肉片のついた骨を咥えて足早に去っていった。

 それを見た衛は胸を撫でおろし、明るい顔で頭上に視線を持ち上げた。

 

「どうやらもう何事もなさそうだ。そろそろ2人とも出てきて……」

 

 2人の少女は、未だに傍から聞くには訳の分からない早口でまくしたてながら、腕同士でがっぷりと組み合っていた。

 

「……あいつらの方がずっと利口だな」

 

 エリア5には、ただ風の唸りと鳥のさえずりのみが聞こえていた。

 

 

 日の暮れ、うさぎは衛とちびうさを見送るため、草食竜に引かせた飛行船行きの幌付き荷車に乗っていた。

 斜陽は荷車前方を赤く照らし、それは後方へ長く影の尾を引かせている。

 荷車の奥に敷かれた毛布の上で、ちびうさが指を咥えてやすらかな寝息を立てていた。

 その身体に、うさぎはそっと毛布をかけてやった。

 

「ちびうさも今回の調査兼観察、満足だったみたいね」

 

「どっちかっていうと、うさこと一緒に騒いでる印象だったけどな」

 

「もー、なにそれー」

 

 茶化した衛に、うさぎは思わず含み笑いした。

 

 これまで何回か行った3人での調査の目的は、前回あった妖魔化被害の鎮静化の再確認。

 筆頭を通じてギルドに確認したところ、妖魔化による被害は今のところ確認されないとして、自己責任のもとちびうさも連れて行ってよいと許可が出た。

 そういうわけで、こうやって3人での調査が実現したのだった。

 

「……うさこ」

 

 荷車右後方に座った衛が、ここに座れという風に隣の床板を掌で軽く叩いた。

 うさぎはその通りにして、衛と同じように空に脚を放り出して座った。

 2人とも装備を外し、冷えないように布を上半身にまとっていた。

 衛は、うさぎと視線を合わせた。

 

「もう、そろそろ帰ってこいよ。ここ3週間くらい、俺もそうだけどみんなに顔合わせてないだろ?」

 

 彼の瞳には、一抹の寂しさのようなものが浮かんでいた。

 うさぎは申し訳なさそうに目線を下げた。

 

「ごめんね。この次は筆頭さんと一緒に地底洞窟に行って、その次はテロス密林でちょろっと被害の後始末する予定。多分、1週間より早く帰ってくるから」

 

「そこまでして、この世界を護りたいのか」

 

 うさぎは微かながら見える夕月を見上げた。

 

「もちろん、あたしたちの世界を忘れるつもりなんかないよ。忘れられるわけない」

 

 上に行くにつれ黄色から淡いピンク、そして水色に移り変わっていく空の色は、あの街のそれと似ていた。

 

「でもね、ここも同じなのよ」

 

「同じ?」

 

 衛が聞き返すと、うさぎは微笑みながら彼の瞳を見つめた。

 

「みんな、あたしたちと同じように笑ったり、泣いたり、怒ったりしながら生きてる。あたしはそんな景色を護りたい」

 

 彼女は、最終的には人々もモンスターも全て助けたいと思っていた。

 魔女を倒し、妖魔を浄化により救う。それでこの世界はみんな平和に暮らせるようになるし、きっと自分たちの世界も救われることになるのだ。

 

「……そうか」

 

 衛は表情に寂しさを残したまま、微笑みを返して頷いた。

 ふと、彼はうさぎの傍に置いている山積みの本に気づいた。

 

「この本、どうした?」

 

「あっ、それね。ちびうさのヤツ、一度ここに来てからなんだか一皮剥けたじゃない。だから、負けないようにたくさん調べてるのよ」

 

 衛は感心したように笑って本の山を指さした。

 

「へー、えらいじゃないか。少し、見せてもらっても?」

 

「うん、まもちゃんならぜんっぜんいいよ!」 

 

 満面の笑みで許可を受け、山積みの本の一番上を取って少しめくってみると衛は驚愕した。

 いつも通りのガタガタな字ながら、びっしりと書き込みがされている。

 彼女なりにモンスターの特徴や弱点をまとめてあり、悪戦苦闘の形跡が見て取れた。

 

「これ、亜美ちゃんの手は借りてないのか?」

 

 衛が横に振り向くと、ううん、とうさぎは首を横に振った。

 

「亜美ちゃん、今まで翻訳すごく頑張ってくれてたからさ。いつまでも手伝わせるのは申し訳ないじゃん?」

 

「俺に言ってくれればいつでも力になってやるのに。ほら、ここの綴りはこうだぞ」

 

 衛は単語の一つを腰のポーチから取り出した鉛筆で修正した。

 かあっと顔を赤くしたうさぎは、本をひったくって胸に抱いた。

 

「こ、これはあたしがやらなきゃいけないことだから!──そうよ」

 

 彼女は、独り言ちながらうつむき、本を抱きしめた。

 

「もっとこういうこと知らないと、この先、まもちゃんも、みんなも、この世界も護れないんだから!」

 

 気丈に明るい口調を保ちながらも、力が入った両手がわずかに震えたのを見て衛は眉を歪めた。

 

「どうしたのよ、まもちゃん?怖い顔しちゃって」

 

 うさぎはとっさに顔を上げて笑顔を振りまいたが、衛は構わず口を挟んだ。

 

「うさこ……やっぱり今からでもバルバレに戻った方がいい。ちょっと疲れてるんじゃないか?」

 

「えー、そうかなぁ?」

 

 うさぎは一旦衛から顔を背け、本を山に返しながら言った。

 

「まもちゃんはずっとちびうさの御守で疲れてるし、狩りなんかしたら身体に毒だよ」

 

「何言ってるんだ。忙しさじゃ、俺なんかよりうさこの方がずっと……」

 

「とぉっ!」

 

 うさぎはばっと振り向くと、言いかけていた衛の唇を人差し指で塞いだ。

 呆気にとられている衛に微笑むと、うさぎは正面に向かいなおった。

 

「今回は筆頭さんたちがいるから安心して。それにこっちの都合で約束を反故にしたら、あっちに迷惑かかっちゃう」

 

 振り返ってちびうさを母のような優しいまなざしで見た後、彼女は呟いた。

 

「大丈夫。あたし、とっくに1人でも戦う覚悟はできてるから」

 

──

 

 『地底洞窟』と呼ばれる地の上部に位置する巨大蜘蛛の巣で、巨体が仰け反って悲鳴を上げた。

 鋏角種という種族に属する生物『ネルスキュラ』だった。

 影蜘蛛とも呼ばれるそれは真っ逆さまにひっくり返ってもがくが、やがて虚空に動かしていた脚が静まり、重力に従って包まった身体が傾いていく。

 そのすぐ前で、うさぎは横に細剣を構えていた。

 

 彼女は腕を下ろすと、光を失っていく複眼をぼんやりと見つめていた。

 後ろから、筆頭リーダー、筆頭ガンナー、筆頭ルーキーが緊張した面持ちで武器を構え続けている。

 その視線に気づき、うさぎははっと我に返った。

 

 振り返ると、彼女は笑顔で両腕を振り上げた。

 

「うっひょー、やるぅっ!!」

 

 真っ先に顔に喜色を浮かべ、快哉を叫んで拳を上げ返したのはルーキーだった。

 

「お疲れ様。随分と腕を上げたわね」

 

 ガンナーが微笑みながらうさぎの肩を叩いた。うさぎは「いやー、それほどでもー?」と言いながら、満更でもなさそうに頬を搔いている。

 

「妖魔化被害もその後始末も、何とか収束の目途が立ってきたな」

 

 彼女たちの様子を見ながら、リーダーはネルスキュラの顔の前にしゃがみこんだ。

 

「捕食しようとした妖魔化ゲリョスに生命力を吸われ飢えかけるとは……。食物連鎖の理すら覆す、恐ろしいウイルスだ」

 

「魔女の奴ら、ほんとひでぇ置き土産を置いていくっスね……」

 

 ルーキーが珍しく厳しい表情をした。ガンナーが苦笑しながら答える。

 

「感染力が非常に弱かったのが幸いね。これが前の狂竜症並みなら、もっと大惨事だったわ」

 

 一方で4人のうち、一番安堵した表情だったのはうさぎだった。

 

「でも、これで近くのナグリ村ってとこも安泰ですよね!」

 

 ナグリ村は、この地域の近くにある『土竜族』と呼ばれる人型種族が住む村である。

 地中に住む彼らは、ハンター向けの武具生産を始めとするモノづくりを生業としているが、飢餓状態のネルスキュラが現れたことでそれが滞ってしまったのだ。

 リーダーは、ちらりとうさぎを横目で見た。

 

「あとは、君が行くテロス密林で終わりだな?」

 

「はい!やっとこれで妖魔化調査も一段落ですよね」

 

 リーダーがうさぎの言葉に頷くと、ルーキーがいきなり彼女に向いて話を振った。

 

「え?思ってみればキミ、めちゃくちゃクエスト参加率高くない!?素直にどうやったらそんなに身体が持つのか聞きたいぐらいっス!」

 

 年下に対するものとは思えないほど純粋な尊敬の眼差しを受け、うさぎは一瞬びっくりしつつも腰に手をやって胸を張った。

 

「ま、まーあたしって一応あのグループでは花形みたいなもんですから!こんぐらいはやんないと務まらないってゆーか!」

 

「っはー、スッゲーや!この調子なら、うさぎちゃんも上位ハンターは夢じゃないかもっスね!」

 

 上位ハンターという言葉を聞き、うさぎは威厳を保てず身じろぎした。

 

「じょ、じょーいっ!それって、一握りの人しかなれないランクですよね?」

 

「そうね……貴女たちのスピードなら、それこそ更にその上……世紀に一つの英雄クラス『G級』も夢ではないかしら?」

 

「じ……じーきゅう!」

 

 もはや、うさぎは取り残されたように呟くしかなかった。

 

「いやぁ、今でも十分、故郷に帰ったときはもう大喝采の嵐っしょ!『英雄、ここに生まれたり!』ってね」

 

 ルーキーが大げさに振りかぶって指さしながら言ったのを聞いて、うさぎはふっと目元を緩ませた。彼女は、緑の刺々しい鱗と金属に覆われた自身の身体に目を落とした。

 

「故郷かあ。ずっと帰ってないけど……みんな、この姿見て喜んでくれるかな」

 

「こんな立派になった姿を見て、喜ばない人なんかこの世界にいないわよ」

 

 ガンナーの何気ない善意の言葉に、うさぎは微妙な感情の見え隠れする笑顔で答え、少しだけうつむいた。

 

────

 

「私たち、ちょっとの間だけ貴女たちと一緒にいられなくなるわ」

 

 その言葉をうさぎが耳にしたのは、ネルスキュラを縛り付けた荷車と並んで歩いていた時、一緒に地上から差し込む光を受けたときだった。

 

「ギルドから通達が出てね。『我らの団』のハンターを含めた数人の『英雄』と、近況報告並びに共同調査を行うことが決まったの」

 

 ガンナーは荷車を引かせていた草食竜をなだめ、一旦停止させた。

 彼女は、どこか申し訳なさそうにしながらも真っすぐうさぎを見据えて伝えた。

 

「だから、場合によってはそっちに妖魔の対応を任せるかも知れないわ」

 

「……あたしたちは参加できないんですか?」

 

 うさぎが聞くと、ルーキーが頭を掻いて苦々しい表情をした。

 

「うーん、ごめんなぁ。機密保持のために、絶対人を入れ替えたり増やしたりしちゃいけないんだってさ。それに、俺たちがいない間妖魔を任せられるの今んところ君たちぐらいしかいないし」

 

 当然と言えば当然である。うさぎたちがここに来てから、たかだか数ヶ月しか経っていない。しかもココット村でハンターになってからは半年強ほど。妖魔化生物たちを数頭狩った程度ではハンターズギルドには信用されない。

 しかし『英雄』たちがこぞって繰り出す調査となると、その成果と得られる情報はとてつもない価値を持つ。何より妖魔と魔女に関する情報が欲しい彼女にとっては、目的地に続く橋を目の前で切り落とされたような思いだった。

 うさぎが悔しげに唇を噛むのを、ルーキーとガンナーは気の毒そうに見つめた。

 

「……そっかぁ」

 

 だからといって立ち止まる訳にはいかない。情報を得られる得られない以前に、彼女の肩には数多の命が乗っかっていた。

 うさぎは小さく吐き出すように呟いたあと、ガンナーたちの方に向くとむしろ勢い込んだように拳を握った。

 

「分かりました、こっちはじゃんじゃん任せちゃってください!妖魔がまた出たら、片っ端から片づけてやりますから!」

 

「ありがとう。本当に恩に着るわ」

 

 ガンナーは固く握手を交わし、強い眼差しでうさぎの瞳を見た。

 

「できる限りの情報は提供するわ。貴女たちには何度もお世話になってきたもの」

 

「いえ、こちらこそ!」

 

 慌てて頭を下げるうさぎに、リーダーが話しかけた。

 

「すまない。ついでといっては何だがこちらからも一つ伝えさせてもらっていいだろうか」

 

 うさぎの背中に緊張が走り、次はピンと伸びた。

 

「は、はいっ!」

 

 ガンナーが草食竜の首をぽん、と叩くと彼らはのそのそと動き出し、荷車が音を立てて運ばれていく。

 そこからガンナーとルーキーは少し離れて歩き、リーダーとうさぎが隣合う形になった。

 

「前に沼地で言ったことに補足したいことがある」

 

「あっ、『何かを護りたいのならそれ相応の覚悟をしたまえ!』ですよね!」

 

 大げさなほど姿勢を正し、軍人のように拳を胸に打ち付けて暗唱してみせたうさぎに、リーダーは軽く頷いた。

 

「君が1人でショウグンギザミを相手取っていたとき、ヒノ君と少しだけ話した。その時、印象に残った言葉がある」

 

 リーダーは、うさぎの見開かれた碧眼を覗いた。 

 

「君が『みんなを護りたい』と願わなかったらここに立つことはない、と」

 

「……レイちゃんがそんなことを?」

 

「なるほど、経緯は知らないが確かに君の正義感と決意の固さはかなりのものだ。そこで一つ、気になった」

 

 頭上に日光が差してルーキーは目を腕で覆ったが、リーダーは構わずうさぎを見ていた。

 

「ハンターとして生きる上で君が護りたいものとは何だ?」

 

 何も知らない人なら慌てて土下座でもしてしまいそうなほど鋭い眼光だ。

 しかしうさぎは、ぷっと噴き出すと腹を抱えて笑った。

 

「あはは、リーダーさんったら相変わらず、怖いおかお!」

 

「……」

 

 男は『怖いおかお』をしたまま言葉を聞いている。いや、余計に怖さが増したかも知れない。

 うさぎは縛って載せられたネルスキュラの隣に腰を下ろした。

 

「あたしが護りたいのは、この世に生きるみんな、かな!今はこうやって狩るしかないけど、早く魔女を追い出して世の中が平和になったらなって」

 

 ネルスキュラを見る彼女の視線は憐れみを伴ったものだった。

 無論、彼女はモンスターという存在が人々にとって大きな脅威であることは理解している。そうでなければ、こうやって武器を手に取ることはしない。

 だが、その脳裏には最期まで互いを護りあった飛竜の番の姿があった。モンスターたちにも行動の裏には必ず理由がある。彼らに出会ってそう思ったからこそ、うさぎはモンスターたちも魔女から護るべき存在と思ったのだ。

 リーダーは困ったようにため息を吐くと、もう一度視線を戻して詰め寄った。

 

「君は、本当にその言葉の意味を理解して言っているのか?今後正しく分かっておかなければ……」

 

 そこに、ガンナーが腕を伸ばして割り込んだ。

 

「彼女は貴方の弟子じゃないわよ、ジュリアス君。それにそういうことは他人から言われるのでなく、自分で気づいていくもの」

 

 それを聞いたリーダーはどうしようもない、という風にため息をつき持ち場に戻った。

 

「ごめんね。彼なりに貴女を気遣ってるつもりなのよ」

 

 彼の後ろ姿を見送ったあと、ガンナーはうさぎに振り向いた。

 

「私は、貴女の勇気と実力を疑ったりしないわ。でもあともう一つ、狩人として必要なものがあるのは確かね。その内容は近いうちに分かるでしょう」

 

「……近いうち?」

 

「ええ、近いうちね」

 

 ガンナーが見上げた先に、キャンプが設置されている切り立った崖が見えた。

 




新大陸で発見されたトビカガチが原生林に来てるのがツッコミどころですが、ライズの水没林、サンブレイクの密林に生息という前例があるので現大陸にも生息してるという体で描いてます。(あと単純にかわいいから出したかった)


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憎まれっ子世に憚る④

 

 歌姫の公演まで1か月を切ったころ、少女たちはまた幾多の狩りを経て再びバルバレに帰ってきた。

 今回も獲物は変わり映えはしなかったが、妖魔化生物による被害はほぼ収まった。それ以上の感染拡大も見られず、まずは一安心、といったところであった。

 通りはいつも以上に人が活気に溢れ、とんてんかんと金槌の音があちこちから聞こえる。歌姫祭の話を聞きつけたキャラバンが新たにやってきたのか、通行人も倍以上に増え、もはや以前に見た景色とは別物だ。

 華やかな旗飾りがテントの間に繋がれ始めており、どこもかしこもが祝賀ムードに湧いていた。

 

「見てー、飾り付けが進んでるわ!」

 

 ルナは、少女たちの足元を歩きながら一歩ごとにめくるめく景色に目を奪われていた。

 隣を、職人たちと大量の石、木材を積んだ荷車が通っていく。その先は集会所の左奥、元々は荒漠の平野が広がっていたところだ。現在ではそこに円形の仮設アリーナが急ピッチで建造されており、工具を背負う職人たちの顔も心なしか気合が入っている。

 アルテミスは、美奈子の肩の上から鼻の高さも肌の色も違う男たちの顔を見送った。

 

「こんなにいろんな地域から人が来てるっていうことは、歌姫ってかなり広く知られた存在なんだな」

 

「まさしく世界的アイドルってとこね!あたしもいつか、こんな総出で迎えられたーい!」

 

 果てしない夢を見て瞳を輝かせる美奈子に、その場の全員が「無理、無理」と首を振った。

 

「それにしても、衛さんとちびうさちゃんとも久しぶりに再会かぁ。うさぎちゃん、もう2人に会ったのかな」

 

 まことがまだ出会えていないうさぎを探して周りを見渡したが、レイは興味なさげに呟いた。

 

「うさぎなら、またどこぞで道草食って迷子になってるかもよ?」

 

「……普通にあり得るから怖いわ……」

 

 亜美は頬に手を添えてため息をついたが、そこで大きな背中にぶち当たった。

 

「あっ、ごめんなさ……っ!?」

 

 謝りかけた彼女の目に入ったのは白い羽衣だった。歌姫と少し似た透き通る衣を纏っている。

 そんな人々が20人ほど雑踏の中固まるように集まっており、通行人は奇異の目でその集団をじろじろと見ている。バルバレは世界中の民族が入り乱れるので服装に点で統一感がない。そのため、同じ色の服装の彼らは余計に目立っていた。

 

「……というわけで貴様ら、祭りの日も近い!今こそ、歌姫様が来られる時のために力を合わせる時だ!」

 

「うおおおおおお!!」

 

 日焼けした白髪の男が壇上に立ち、教祖のように慇懃な物言いで叫ぶと、彼らは一斉に歓声を上げた。

 

「まずゴミ拾いだ!歌姫様を迎えるのに路端に汚物の一つでもあれば話にならん!その次は公演記念ビールの入荷、その次はうちわ販売!やることは山積みだぞー!ヌハハハハハーー!!」

 

 ちょうど集会は解散し、2人の男が少女たちの横を通り過ぎる。彼らの目つきはどこかぎらついていた。

 

「歌姫様が来るなんて夢のようだ……!生で間近で観れるんだよなぁ。サインもらえるかなぁ」

 

「お、俺は握手してもらうぞ!ああ、あのお方の笑顔が顔に浮かぶ……」

 

 男衆の脇では、勧誘役らしき女性ハンターが年若い青年の腕を掴んでいる。痩せっぽちの青年の身なりは貧しく、出稼ぎ労働者のようだ。

 

「ほらそこのお兄さん、歌姫親衛隊に入りましょ?今なら入会料半額の50ゼニーで、入会記念にコラボビールつけて無料食べ放題よぉ」

 

「た、食べ放題!?ほ、ほんとですか!?」

 

 青年の問いに、女性ハンターは甘ったるい声で答える。

 

「ええ!このボランティアは、貧者救済も兼ねてるの。歌姫様の加護を共に分かち合いましょう?」

 

「じゃ、じゃあ、ちょっとだけ……」

 

 男はかなり腹を空かせていたようだ。白い集団が使っているテントの中に入っていった。

 

「何あれ」

 

 正直なにか気持ち悪い、という顔でレイが呟く。ルナが亜美の顔を見上げた。

 

「なんか、変な人増えてない?」

 

「ええ……」

 

 というより、姿だけ見ればカルト組織のようである。

 まことは取るに足らないよ、と笑った。

 

「たかが歌姫様のファンだろ?過激派みたいなのも多少は出てくるよ」

 

 だが、美奈子は白い集団をじっと見つめていた。

 彼女の脳裏に、沼地でガンナーから言われた言葉がよぎった。

 

(この世にあるものすべてが、求める真実に繋がる手がかり……)

 

 彼女はレイに振り向くとその両肩を鷲掴みにし、睨むように顔を近づけた。

 

「ねえレイちゃん、あの人たちをよぉーーーーく調べてくれない?」

 

「えっ、ええ……嫌よそんなの」

 

 傍目でも分かるほど不機嫌な顔をしたレイの肩を美奈子は持って回し、白い集団へと向ける。

 

「いーからちゃっちゃと調べてみてよっ!」

 

「美奈子ちゃん、いったいどうしちゃったのよ……まったくしょうがないんだから」

 

 レイはすっと目を閉じて印を結び、妖気を感じ取る体制を整えた。

 しばらくそのまま動かなかったが、ふいに彼女の肩がぴくりと動いた。

 

「待って……」

 

 レイは何かを捉えたようだ。それを手繰り寄せるように彼女はぎゅっと更に目をきつく瞑って呪文を唱え、その声は次第に真剣味を増していった。

 やがて彼女はあるものを見通し、かっと目を見開いた。

 

「よく見ないと気づかないくらい薄いけれど……妖しい力を感じる!」

 

「えっ!?」

 

 一同が驚くと同時、レイは能力を解除した。彼女自身も自分で信じられないような顔だった。

 

「……やっぱりね。ミメットはバルバレを操ろうとしてる」

 

 美奈子が確信したように呟いた。

 レイが印を結んでいた手を下げ、悔いるような目で答えた。

 

「うさぎが言っていたこと、当たらずも遠からずだったのね……あいつの目的は、あたしたちをこの拠点から孤立させることだった」

 

 それでもなお、美奈子の肩上にいるアルテミスはまだ信じられないような顔をしている。

 

「じゃあ、今までの妖魔たちは何だったんだ?」

 

「そいつらはきっと、あたしたちも含めてギルドやハンターたちの目を欺くための囮だったのよ!相変わらず、やることがせこいってゆーか!」

 

 美奈子が憤慨するように言うと、亜美が目を細めた。

 

「きっと、ここまで静かにシンパを増やしてたのね。表向きは歌姫様を支援する団体として」

 

 ミメットは今回、ユージアルがかつてココット村で取った作戦を上手く改善したというべきだろう。大衆の注目する祝典の影に隠れ、上手く溶け込みながら味方……もとい手下を増やしている。そしてそれは、ある程度成功しているようだ。ミメットはセーラー戦士たちが狩りに勤しんでいる間に、本格的に作戦を開始したのだろう。

 白い集団が横並びに床をせっせと磨き、ビール販売用の屋台を組み立てている。

 外から見ればやることがやや迷惑で変わってはいるが、特に目立って悪事をしているようには見えなかった。

 

「ギルドもまさか、このお祝いムードの裏にそんな計画が隠れてるなんて思いもよらないでしょうね」

 

 彼らのやることがあの程度では、ギルドからの処分はよくても勧告か退去止まりであろう。ギルド職員たちも祝典の準備で忙しく、一組織のボランティアの動きに一々構ってはいられないだろう。まさに、抜け穴を上手く突いたと言える。

 どこか哀れそうな亜美の表情に対し、まことは険しい顔をして腕組みをしていた。

 

「バルバレの人々を洗脳……まさに古典的手段ってとこか。ほんとにこういうの久々で忘れてたよ」

 

 元の世界では敵に人間が洗脳されたり妖魔にされたりといったことは何回もあったが、それと同じことをミメットはしようとしている。

 居ても立っても居られず、ルナが戦士たちの先頭に立った。

 

「まず我らの団に行って相談よ!」

 

 

 

 我らの団のキャラバンは、以前と変わらぬ大通りに、そのままの場所にあった。

 受付嬢ソフィアが座る椅子の前に、異様に大きい人だかりとそれを囲う野次馬が集っている。

 

「な……何よ、ここにも人だかり!?」

 

 そう言った美奈子だけでなく他の少女たちも戸惑って周囲をうろつくことしかできない。

 少し向こうに、ちびうさを連れた衛が見えた。

 迷うような足取りの彼らも、こちらと同じくこの状況を呑み込めていないようだった。

 

「衛さん、ちびうさちゃん!」

 

 そう言ったルナを先頭に少女たちが駆け寄ると、2人もはっと気づき、再会を喜ぶ暇もなく面を向かい合わせた。

 

「みんな!これは一体どういう状況か分かるか?」

 

 そう聞いた衛に、亜美は首を横に振った。

 

「あたしたちも来たばかりで、何が何だか……」

 

 衛はちびうさの不安げな顔を背に受け、決心したように前を向いた。

 

「なら、直接聞いてみるしかないな」

 

 

 

「おい、ここから斡旋を頼めば万事解決って本当かい?」

 

「間違いねえよ、俺のダチが言ってんだから」

 

「私の故郷でも困ってるみたいなんだ。そのお団子頭のお嬢ちゃんに頼んじゃくれないか?」

 

 好き勝手に言い立てる男女相手にソフィアは真剣な顔で頷き、筆を素早くメモに走らせている。

 

「押すな押すな!話は聞くから、お嬢の負担も考慮してくれ!」

 

 押し合いひしめき合う男女を団長が宥めて押さえてはいるが、彼らの殺気迫る空気は今にもその壁を突破するかと思える勢いだった。

 その団長の肩を、衛が叩いた。

 

「なんだこんな時に……ってお前さんたちか、いいところに!」

 

 団長は焦りの滲んだ顔で群衆をかき分け、急いで受付嬢への道を開いた。

 一番足早な衛を先頭として、少女たちは受付嬢の元に急ぐ。

 戸惑う人々の非難めいた声を受け流し、衛は中心に腰掛ける女性に声をかけた。

 

「ソフィアさん!」

 

 机に視線を注いでいたソフィアは顔を上げると、来るのを待っていたと言わんばかりに立ち上がった。

 何とか取り巻きを静まらせると、ソフィアはこれまでの経緯を話し始めた。

 

「3日ほど前から、テロス密林方面の地域からの依頼が殺到しまして。妖魔化生物が急増し、甚大な被害が出ているようです」

 

「テロス密林……」

 

 衛は顔を青くし、彼女の机に両掌を置いて険しい顔をソフィアに近づけた。

 

「うさこは、帰ってきてないんですか?この依頼の束、全部彼女に送ったんですか!?」

 

 頷いた拍子にずり落ちた眼鏡を持ち上げるソフィアの顔も、半ばやつれかけていた。

 

「すみません。ギルドの規則として、こういう場合は必ず指名された本人に紹介だけはするようになっているのですが……うさぎさんは既に、数件の依頼を達成されています」

 

 そう言うソフィア自身ですら、どこか顔が緊張で引きつっていた。

 彼女のメモ帳に記された未達成の依頼は、まだ10件ほど残っている。

 

「もしかしたらうさぎさんは今後、すべての依頼を受注するつもりではないでしょうか」

 

 衛は、悔やむように机上の自身の拳を握り締めた。

 

「やっぱりあの時、俺が無理を言ってでも傍にいてやれば……!」

 

 それを見て、団長はぐっと口を引き締め、帽子を目に被さるほど深くかぶった。

 

「こちらからも時を見てすぐ帰るよう文は送ったんだが、あの子が従ってくれるかは正直なところ……」

 

 レイは、いよいよ我慢ならないという顔で怒鳴った。

 

「なんでみんな、筆頭さんに頼まないんですか!?こんなの、あの子1人じゃ無理に決まってます!」

 

「筆頭ハンターはギルド上層部からの命を受けて動く人々です。一般人がおいそれと依頼を出せる相手ではありません。しかも今は、我らのハンターさんや他の『英雄』と共同調査の真っ最中」

 

「え!?」

 

 少女たちの耳に、そんなことは伝わっていなかった。

 一同の戸惑いを予想していたかのように、ソフィアは一通の文を指に挟んで取り出した。

 

「ちょうどその連絡も今朝、こちらに届いたところで。本当にタイミング悪すぎです」

 

「……信じられない」

 

 レイは、目がくらついたかのようにしゃがみこんだ。

 仲間の少女たちも、どうしようもなく悔しげに立ち尽くすことしかできない。

 だが、彼女たちを見るソフィアの瞳にはまだ光が宿っていた。

 

「でも、理由はそれだけではないと思います」

 

 それを聞く少女たちの視線が、彼女に集中した。

 

「私も、この数日でたくさんのお話を聞きました。ある時は郵便屋さんの落とした手紙を探して遺跡平原を練り歩き。またある時は、妖魔化生物を見ようと抜け出た村の子どもを連れ帰しに沼地を駆け回り。またある時は、落ちぶれた貧しい村出身の2人組を励まし、再起させたと」

 

 ちびうさは、心底驚いた顔をしていた。

 

「……そんなこと、うさぎのヤツ一言も……」

 

「それだけ多くの人がうさぎさんに救われ、彼女を信頼しているということではないでしょうか」

 

 いつの間にか、あれほど騒いでいた周りの人々は黙って真剣な顔で少女たちを見つめていた。懇願にも似た表情が並び立ち、無言で助けを求めていた。

 それを、まことは振り返りながら受け止めた。

 

「あたしたちが最後の頼み綱……ってわけか」

 

 その時、青い瞳が真っすぐにソフィアの顔を捉えた。

 

「俺が助けに行きます」

 

 衛が発した一言に、群衆はざわめいた。

 彼は、ソフィアの手元にある依頼書の一つを指さした。

 

「今から最速で行けば、少なくともこの妖魔化イャンクックの依頼には間に合いますか」

 

 ソフィアは決心した男の表情と依頼書を見比べながら、息を呑んだ。

 衛はうさぎの恋人である。我らの団の2人も、どれだけうさぎと彼が心の奥底で繋がり合ってるかを見ていた。どんな答えを出そうとも、彼は迷いなくうさぎを助けに行くだろう。

 団長は苦い顔で何かを言いかけたが、男の顔を見て仕方なさげにため息をついて言うのを止めた。ソフィアはぐっと気張った表情で決意を新たにした。

 

「恐らくかなり、ギリギリといったところですが。急遽、特急便を手配します!」

 

「あたしたちも行きます!うさぎちゃんを孤立無援のまま放っておけないわ!」

 

 もうこれ以上黙ってはいられないと、美奈子が口火を切って前に進み出た。

 亜美も、仲間たちを強いまなざしで捉えながら言った。

 

「じゃあ、この中から2人選ばなくちゃね。もう一方は、ここに残ってあのことを……」

 

 白い集団についてひとまず報告しようとしたところに、団長が手を挙げる。見つめられると、彼は言いにくそうながらゆっくりと首を振った。

 

「それが……既に受注人数制限で、クエスト参加は締め切られてる。もう空き枠はない」

 

「え、じゃあ後の2人って?」

 

 ソフィアが開いた受注者リストに目を通した少女たちは、そこに載っている名に驚愕した。

 

 

「……この人たちって……!」

 

 




遂にバルバレでミメットが行おうとする作戦が明らかになりました。そして謎の2人の正体についても、後ほど分かりますので、お楽しみに。


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憎まれっ子世に憚る⑤

モンハンラノベ履修してるんですけど、自分の作品と比べてあまりにも情報の密度が凄すぎて圧倒されました……しかも面白いし。ラノベのキャラ直接は出せない(出せるほどの余裕がない)けど、書き方は是非とも参考にしたい!


 

『ランポスを掃討せよ!』

条件:ランポス8頭の討伐

目的地:テロス密林

依頼主:瘦せこけた農民

依頼文:妖魔化現象で作物が全滅したおかげで、うちの地域一帯は大飢饉だ。その上、同じように飢えたランポスどもが村近くに降りてきやがる!助けてくれ、お団子頭のお嬢ちゃん!

 

 

『憎き大猪を討ち取って!』

条件:ドスファンゴ1頭の討伐

目的地:テロス密林

依頼主:涙ぐむ少女

依頼文:貝を取りに行ったうちの兄ちゃんが、なぜかひどく怒ったドスファンゴに突進されて大けがをしたの!この森、最近おかしいわ。報酬は出すからどうか仇を討って、話題のハンターさん!

 

 

『森に木霊す羽音』

条件:ランゴスタ20匹の討伐

目的地:テロス密林

依頼主:困り果てた若商人

依頼文:妖魔化現象で死肉が増えたせいか、密林にランゴスタが大量に湧いて俺たち行商人が通れない。このままではもはや商売上がったり。一番頼りになるハンターさんも用事でいないし、ここはひとつ、近頃話題のお嬢さんに依頼したい。

 

 

『妖魔!妖魔!妖魔!』

条件:すべてのモンスター(妖魔化)3頭の狩猟

目的地:テロス密林

依頼主:村のせっかちな男

依頼文:昨日から、わけは知らんが妖魔化した盾蟹、桃毛獣、毒怪鳥が総出で大暴れしてる。森は枯れるわ、村から人は出ていくわで最悪だ!まとめていなくなるまで狩りつくしてくれ!誰でもいいから、早く!!

 

 

 うさぎは月下の砂浜で、4枚の紙を見つめた。

 平和な村に突然訪れた危機への戸惑いと悲鳴が、紙を通して伝わってくるようだった。彼女はその紙を、目の前にいる自分と同じくらいの身長の少女に差し出した。

 

「はい、今回の分も達成したよ!」

 

 この近くの村で受付嬢として働くその女性『パティ』は、緑のスカートに白いエプロンを被せたような制服に身を包んでいた。

 やや信じられないような顔つきで、彼女は依頼書を恐る恐る受け取る。依頼書すべてに、依頼を達成したことを示すハンコが押された。

 彼女が涙ぐんだ顔で深く頭を下げると、うさぎほどではない短めの茶色のツインテールが両脇に垂れた。

 

「本当に、本当にありがとうございます。今この時うちの村で頼れるのは貴女だけです」

 

「うん!また困ったことあったら、うちの猟団に相談してね。もうすぐ仲間も来てくれると思うから」

 

 屈託のない表情を見たパティは、うつむいて指をいじりながら躊躇いがちに呟いた。

 

「その……すみません。それが、また……」

 

 うさぎは、彼女の腰のポーチからはみ出た、赤い印付きの文に目を留めた。

 

「あっ、新しい依頼?ほら、見せて!」

 

「で、でもやっぱり、これ以上はさすがに!」

 

 手を出された彼女は思いなおしたように首を横に振り、視線を下にずらして一歩下がった。

 うさぎの防具は傷だらけだった。あと一撃でも貰えば崩れ去りそうな危うさがあった。

 それにも関わらず、彼女は何ともないような表情でひょいっと文に手を伸ばす。

 

「お金の問題ならこの際気にしないでよ!こー見えても、結構貯まってる方なのよ」

 

 うさぎは、パティに向かって少し得意げにウインクしてみせる。

 筆頭ハンターたちと共に妖魔化生物を狩り続けた所為で、彼女の懐は十分に温まっていた。狩猟用の道具を買い足したとしても余りまくるぐらいだ。この際ハンターと村を繋げる仲介役のギルドに事情を説明すれば、本来ジャンボ村が出すべき報酬金も少なく済むかも知れない。

 

「そんなことが問題じゃ……あっ!」

 

 パティが背後に持っていこうとしたポーチから巧みに文をひったくると、うさぎは月光に広げて透かし、その内容を見た。

 

 

『ヤバい怪鳥!緊急事態!!』

 

条件:イャンクック(妖魔化)1頭の狩猟

目的地:テロス密林

依頼主:村のせっかちな男

依頼文:俺、また見ちまった。黒い霧に蝕まれておらついてる怪鳥だよ!すっかり化け物になっちまってて、このままじゃ村が焼野原だ!とにかく討伐だ!密林にまだいる間に討伐を今すぐ頼むぜ!

 

 

 苛立ちと焦りと恐怖が一緒くたになったような筆跡だった。

 うさぎは顔を曇らせ、きゅっと口を結んだ。

 

「また出たのね」

 

 すぐうさぎはパティに振り返り、明るい顔で親指を上に立てた。

 

「オッケー!今すぐちょっくら行ってくる!」

 

「ダメです!そのままでは貴女の身が!」

 

 それを聞いたうさぎは、優しい目つきでパティの肩に手を添えた。

 

「そんなこと、気にしてる場合じゃないでしょ?見てれば分かるよ。今までずっと平和だったのに、こんなことがいきなり起こって大変だって」

 

 ジャンボ村は、このテロス密林からほど近い場所にある。今では村長をしながら旅に出ているとある若者によって開拓された村だ。今ではかなりの大規模に発展し交通の要所として栄えている。

 本来ならモンスターの脅威から護るハンターが村にいるはずだ。しかし、今回の事変により各地からの狩猟依頼が急増。これまで妖魔化生物による被害がなかったジャンボ村にギルドから白羽の矢が立ち、村長と長年懇ろにしている優秀なハンターたちは軒並み出払ってしまった。

 

 そのタイミングで妖魔化生物が突如として大発生し、その余波で一帯の環境が狂い始めたのだ。

 折しも、それはうさぎが調査の締めとして簡単な依頼を達成した直後だった。

 

 彼女は、ジャンボ村を見捨てることは出来なかった。至急御付きのハンターたちには緊急事態を知らせる手紙が出されたものの、ここで引き下がればほぼ確実にジャンボ村も妖魔化生物によって被害を被るのである。

 パティは耐え切れなくなったようにうつむいて涙をぼろぼろと零し、砂浜に黒い染みを作った。

 

「大丈夫、あたしに任せればらっくしょーだから!じゃ、探しに行ってくるね!」

 

 うさぎが背を向けると、パティははっとして急いでポーチをまさぐった。

 彼女は取り出した文を手にうさぎの元に駆けつけ、文を差し出すと共に頭を下げた。

 

「お仲間さんからの手紙です。せめて、返事だけでも!」

 

 うさぎは、驚いた顔でそれを受け取った。

 

「あっ、ありがとう。みんな今頃怒ってるな」

 

 うさぎは苦笑いしながら、手元で文を広げた。

 パティは返事用の紙とペンを渡すと、浜辺に停められた小舟に乗り込んで返事を渡されるのを待った。

 手紙の雰囲気は、うさぎの予想とは真逆だった。

 

──

 

 お団子頭のお嬢ちゃんへ

 

 調査、お疲れ様!多分、今頃テロス密林にいる頃だよな?

 

 飛び込んでくるぞ、お前さんの活躍の数々が。あちらこちらからひっきりなしだ!遠征してるお前さんは気づいてないが、バルバレ中でお前さんたちの猟団の評判が上がっている!協力関係の我らの団もますます評価が上がってありがと300万ゼニー!ってとこだ。まさにお嬢ちゃんは幸せの青い鳥だ!!

 

 そこでなんだが、もう調査も終わることだし帰ってきたら記念に宴会でもしないか?そろそろお前さんも狩猟用の食料の味に飽きてきた頃だろう。食い意地の張ったお前さんならきっと気に入るメニューを用意するつもりだ。

 

 みんな、お前さんの帰還を待ちわびている。鳥だっていつまでも飛んでるわけじゃない。時には餌を取り、羽根を休めるからまた飛びたてるんだ。また会えるのを楽しみにしてるからな!無理はするなよ!!

 

 『我らの団』団長

 

──

 

「え……宴会」

 

 彼女の脳裏に閃いたのは、湯気を上げるキングターキー。クック豆とシモフリトマトのスープ。幻獣チーズのケーキ。

 口の端から涎が垂れかけ、ぎゅるるる、と腹が鳴った。

 

「うぐぐぐ……図星ってわけね」

 

 腹を押さえながら、うさぎはちらと左に視線を滑らせた。

 

「でも……」

 

 パティのいる小舟の隣、大型船に縄で縛られたモンスターたちが載せられている。

 彼女は、物言わぬ彼らの山を見つめた。

 うさぎは彼らの前に来ると胸の前に手を合わせた。

 

「……ごめん。今、この子たちを見捨てるなんて無理」

 

 魔女に呪われた生物がいる限り、この地の生きとし生ける者が理不尽な目に遭う。うさぎは決してそれを無視することなどできなかった。

 しばらくずっと祈るように目を閉じていた。

 目を開けると、うさぎは急いで船のへりに腰を下ろして紙を広げた。

 

「ホントにホントにごめんなさいだけど、きんきゅうじたいなのであたしは密林で狩りをしてます、だから気にしないで……と……あれ、この字どうやって書くんだっけ……」

 

 時に分からないながらも、彼女なりに思い巡らし筆を走らせた。

 恐らく日本語で書いたものよりはるかにまずい文章になっているだろう手紙を、うさぎは筒に入れた。

 見上げると、船の向こうに広がる大瀑布の上に、優しく光る満月があった。

 恐らく、あの月には王国の名残の一つもないのだろう。

 

「みんな、どうしてるのかな」

 

 ふと、寂寥感が彼女の心を覆った。

 

「なるちゃん……海野……元基お兄さん……宇奈月ちゃん……」

 

 名前を呟くたびに、懐かしさが胸の底からこみあげてくる。

 同じ月の下に、彼女はネオンの光る街並みを夢想した。

 

「そうだ、ママも、パパも、慎吾も、はるかさんも、みちるさんも、せつなさんも……みんないないんだ」

 

 そこまで言ってから彼女ははっとして、ぺちんと自分の頬をひっぱたいて立ち上がった。

 

「ああもう!センチメンタルになるの、おしまい!」

 

 手紙をパティに渡すため、うさぎは砂を巻き上げて小舟へ走っていった。

 

──

 

「本日は西地区の会員30名総出でゴミ拾いと清掃を行いました!」

 

「こちらの酒場では、コラボビールの総販売数が1日300本を超えました!」

 

「いやはや、1日ごとにバルバレはより良い街に生まれ変わりつつあります!」

 

 篝火の焚かれた暗い部屋に並び立つ男連中は、いずれも鼻が高くて眉も細い中性的な顔立ちで、身体の線が細く華奢な者ばかりである。

 いずれもが白い羽衣を首元から垂らしており、ふわふわと浮遊するかのように揺れていた。

 その先に、椅子に腰かけた細く白い脚がちらりと見えた。

 

「それもこれも貴女のおかげです……ミメット様!」

 

 火の煌めきが、幼さの残る顔を照らし出した。

 

「あら、それはどうも」

 

 カラフルで丈の短いドレスに身を包んだミメットは、どこか恍惚した表情で首を傾け、満足げに笑ってみせた。

 

「みんなにこんなに愛されて……歌姫見習いのミメット、とーっても幸せです♡」

 

 その笑顔を見た男たちはおおっと色めきたち、明らかな喜色を顔に浮かべる。

 

「でも、少し不安があるんです」

 

 椅子から立ち上がると、彼女はかつ、かつとヒールを鳴らしながら歩き、扇子で口元を隠しながら話し始めた。

 

「風の噂ではどうも、魔女がこの市場に巣くっているとか。このままでは歌姫様が穢れに触れてしまうかもしれないわ」

 

 男たちは目の色を変えて互いを見つめ合う。

 

「ほ、本当ですか!?」

 

「それは大事件だ!」

 

「ですから前から申し上げている通り、来週までに最低限、今の10倍に会員を増やしてくださらない?そうすれば魔女どもを追い出し、より『綺麗』な状態で祭りを迎えられますし」

 

 ミメットは真ん中の男の首を扇子で手繰り寄せた。

 

「あたしが教えたやり方なら楽勝なはずでしょう?予定より遅れてるみたいだけど、ちゃんとあたしたちの目的分かってる?」

 

 背後の机には、ユージアルの名で『前作戦の反省点及び改善案について』という題の報告書が積まれていた。

 ミメットに脅された彼は怒りもせず、頷いて従順に答えた。

 

「世界と繋がるここが我らの愛に染まりきれば、間もなく地上くまなくその波は伝わり、歌姫様のご加護と共に魔女の野望を挫く……」

 

「よろしい」

 

「はいっ!!」

 

 解放された男は、再び直立して後ろに腕を組んだ。

 ミメットは、同じく羽衣を付けて入口の見張りをしていた鎧姿の男をちらりと見た。

 

「で、そこのあなた。頼んでたあれ、持ってきてくれました?」

 

「はい、これです!」

 

 彼は喜々として彼女に跪き、書類の束を渡した。

 

「ありがと、守護兵見習いさん♡」

 

 彼女は背を向けながら、閉じた扇子の先で男の肩をぺしぺしと叩いた。

 

「歌姫様とミメット様のためなら何なりと!」

 

 目が血走った彼の顔を尻目に、ミメットは豪華なソファに寝っ転がった。

 

「セーラー戦士どもがハンターとしてここに身を隠してるのは確認済み。あとはどう炙りだすかが問題だったけれど……」

 

 彼女がめくっているのは、受注者リストの複製だった。本来ならば受付嬢など、ギルドの関係者しか閲覧できない書類だった。

 妖魔化生物関連の依頼とその結果の一覧のページを開いたとき、ミメットの顔がほころんだ。

 彼女は残りの紙を放り投げ、吹雪のように撒き散らした。

 

「やったぁ、大当たりー!下手に正義感ある奴って、これだから面白いのよねー!」

 

 リストの受注者の欄には、同じ者の名前がまとまった数だけ並んでいた。

 

「しかも最近話題の猟団やらとメンバーが一致するし、もはや正体が確定したもドーゼン!」

 

 余裕の笑みを浮かべ、ミメットはテーブルに置かれたリンゴを手に取る。

 

「あたしのオンステージも、もうすぐね。フフッ!」

 

 

 しゃくしゃくとそれをかじりながら見上げた先、壁にはミニスカートとフリルのついた黒い衣装が飾られていた。

 

 

──

 

「……うさぎ、帰ってくるかな」

 

 ちびうさが、以前に5人組で来た工房前のベンチの真ん中─うさぎが以前座っていた場所─に座りながら呟いた。

 歌姫のファンを騙った団体が、未知の方法でバルバレ全体の洗脳を企てている可能性がある。

 やや突飛にも聞こえる話を団長とソフィアは真剣に聞き、彼らは自身のツテを使って状況を確認してみると言ってくれた。今はその返事を待っている。

 

「衛さんがいるからきっと大丈夫と信じたいけど、あとの2人がどう転ぶか分からないわね……」

 

 亜美も、不安な表情を隠せなかった。

 

「でも、あんな状況で1人でも戦えるだなんてすごいわ。戦士に覚醒したての時なんか『戦いたくないー』って泣きまくってたのに」

 

「ルナが言うと説得力が違うな」

 

 ベンチの横、ルナの隣に座ったアルテミスが苦笑しながら答えた。

 

「でも、何かおかしい。最近のうさぎ、むしろ戦いに前のめりになってる感じする。ねえ、そう思わない?」

 

 ちびうさが左右見て問いかけると、少女たちは否定しきれず黙りこくっていた。

 そこで、レイがずっと閉じていた口を開いた。

 

「……実は、ちょっと心当たりがあるわ」

 

 彼女は、右側に座るまことと美奈子の方をちらりと見た。

 

「特にまこちゃんと美奈子ちゃんには今後支障が出そうだから、あえて言わなかったんだけど」

 

 レイは、自身がショウグンギザミに傷を負わされたとき、リーダーがうさぎの目の前の命を少しでも生かそうとする姿勢を、『逃げ』だと評したことを話した。

 そして思わず感情に任せ、うさぎを庇って反論してしまったことも付け加えた。

 

「リーダーさん……そんなこと言ってたんだ」

 

 まことは驚きと戸惑いが混じったような、複雑な表情でその話を聞いていた。

 

「で、結局レイちゃんは女の友情を優先したわけね」

 

 美奈子がレイの横顔を覗き込むと、彼女はきまり悪そうに視線を背けた。

 

「ただ引っ込みがつかなくなっただけよ。それに、今となってはうさぎのこと心配してくれてたんだって思うわ」

 

 目元に後悔の色を滲ませたレイに、まことは首を横に振る。

 

「仕方ないよ。多分、あたしも実際にレイちゃんの立場なら、いくらあの人でも普通にカチンときてたと思う」

 

「あたしも。うさぎちゃんは、絶対に何かを護ることから逃げない子だもの」

 

 美奈子もそう言ってまことに深く頷いてみせると、レイがぽつ、と呟いた。

 

 

「……護ることに、逃げてるのかも知れない」

 

 

 彼女は手元のクーラードリンクを見つめたが、一滴も口を付けていなかった。

 訝しげに見つめてくる仲間に彼女は言った。

 

「うさぎが狂ったように狩りに参加し始めたのはあの沼地の時からよ。きっと何かを喪うということに、あの子は耐えられないのよ」

 

 うさぎは、初めての戦いの最終決戦で仲間を全員喪った経験がある。それから、彼女は戦いの中である時は我が娘を、ある時は恋人と彼を奪おうとした宇宙人を、ある時は娘の友となった少女を救った。

 目の前の大切な命が懸っているとなると、彼女は無限にも等しい力を発揮するのである。

 レイの言葉に、そこにいる誰も後に言葉を継ぐことができなかった。

 沈黙を破るように、1つの人影が道の真ん中を突っ走ってくる。

 

「お前さんたちの話、信じるしかなさそうだ!」

 

 息をつきながらオレンジの帽子で白髪を扇ぐ団長の姿を、少女たちは緊張した面持ちで出迎えた。

 

「まさか、あの白い連中がここまで増えてるとは!もしかしたら、ギルド内部にも洗脳の手が及んでるかもしれん!」

 

 もはや、その男の瞳に懐疑の色は一つも浮かんでいなかった。

 少女たちは、予想以上に悪い状況に顔を曇らせる。

 

「だが、希望はまだある」

 

 団長は帽子を被り直した。

 

「ランサーのヤツが進言してくれたおかげで、バルバレの守護兵の数は増えていてな。今から俺の口でギルドに至急、警備を強化するように言ってくる」

 

 それを聞いたまことが真っ先に立ち上がった。

 

「じゃあ、あたしたちはバルバレを調査してきます!あいつらのアジトさえ突き止めればこっちのもんです!」

 

「ああ、頼む!そこで助けになればいいんだが……」

 

 団長は、帽子の中から黄色い紙を取り出し広げた。赤い丸印が付けられた、バルバレ全体の手書きの地図だった。

 彼は手早く、そのうちのいくつかの印を太い指で指さしていく。

 

「俺の知り合いはこことここ、あとはここらへんだ。聞き込みをするならおすすめだぞ!」

 

「ありがとうございますっ!」

 

 美奈子が礼を言って受け取ると、団長はにやっとして親指を立てた。

 

「任せておけよ!こういうのは早く出たもん勝ちさ!じゃあさっそく行ってくる!」

 

 団長は背を向けると、飛ぶように駆けていった。

 壮年とは思えない足の速さだった。

 

「団長さんっていったい何者かしら……?ギルドにも顔が聞くなんて」

 

 亜美が圧倒された表情で背中を見つめていたが、ちびうさはそれに囚われず真っすぐな目で口を開いた。

 

「今はあの人と、まもちゃんの……タキシード仮面の力を信じるしかないよ!あたしたちは、ここで洗脳を食い止める!」

 

 それに、少女たちも気を取り直して頷く。

 

 

「セーラーチーム、出動よ!!」

 

 

 そう叫んだ美奈子が先頭となって、少女たちは雑踏の中へ踏み出した。

 

──

 

「イャンクック……懐かしいな」

 

 うさぎは、密林のエリア4を北に歩いていた。

 足が濡れた砂浜に沈み込む。西側の黒い海からやってくるさざ波が、足元を静かに洗っていく。

 

「あの時も、あの子の命を救おうとしたんだっけ」

 

 目を細めると、波の音と共に様々な言葉が蘇ってくる。

 うさぎは強い眼差しで北を見据えた。

 

「──助けてあげなきゃ。今回の子だけは何としても」

 

 エリア3は、北側に海とピラミッド型の古跡が建てられた孤島が見える場所だった。

 此度の狩りで幾度も訪れたその場所は、妖魔化生物やその他の生物によって穴ぼこだらけ、最初来たときは一面を覆いつくしていた大木は、ほとんどが枯れ果て薙ぎ倒されている。まともな平地といえば、北側に少しだけ残された砂浜ぐらいのものだろう。

 

 砂浜を歩いていると、上方から悲痛な叫びが聞こえた。

 そしてもう一つ、甲高い強気な唸り声。

 うさぎが見上げると、2つの影が上空を飛び回っている。

 一方はオレンジ色、もう一方は紫色。後者が追う側だった。

 速度からして終始、紫色の方が優勢だった。

 

 刺々しいシルエットが、逃げる獲物を巧みに捕らえ抑えつける。

 そのままマウントを保ったまま、荒れ果てた密林のど真ん中に落ちた。

 うさぎは驚いて剣を引き抜き、恐る恐る観察していた。

 木片が飛び散り、その後も煙が何度も上がる。

 

 下敷きにされているのはイャンクックだった。だが、依頼書に記されたような妖魔化はしていない。

 何かがその上を飛び跳ね、弱った獲物のあちこちをしつこくつついている。

 

 

 ふと煙の中でこちらを見た右目が、ギラギラと赤く妖しく輝いていた。

 

 



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憎まれっ子世に憚る⑥


BGM:『唸る一匹狼』



 

 

「……イャンクックじゃない!」

 

 

 大きな嘴、1対の翼に1対の足、長い尻尾と大まかな体つきはイャンクックに似ていた。恐らくは彼らと同じ鳥竜種に属するモンスターであろう。だがその実、体色も鱗も耳も、果てには目つきまで別物だった。

 触れれば怪我をしそうな刺々しい鱗は月光を艶々と紫色に反射し、扇子のような右耳は毒々しい赤紫に染まる。

 振り向くと左耳は──なかった。食いちぎられたように無残に残った左耳の根本を見て、うさぎの背に冷たいものが走った。その下にあるはずの左目には深い切り傷が走り、直視できないほど痛々しい。

 銀白毛の首襟で飾られた嘴は黒い霧を吐き、いよいよ新しい獲物へとその向きを変える。

 リオレウスに比べると小柄なその鳥竜は、異様な雰囲気を抱きながら鎧に包んだような脚を踏み出し、歩み始める。

 

 その後ろで、苦しげに黒い霧を吐きながらイャンクックが立とうとした。

 うさぎがそれに気づいた瞬間、紫色の鳥竜は、その首に棘が生え揃った尻尾をこん棒のようにして殴りつけた。

 地に伏したイャンクックは、その後起き上がることはなかった。

 うさぎは剣の柄を握り締めながら足元に散らばる骨を見た。その光景と地に伏したイャンクックの亡骸が彼女の中で結びつく。

 彼女は震える口を開いた。

 

「貴方が……全部、やったの?」

 

 それに答えることもなく、獲物を振り返ることもせず、棘だらけで傷だらけの怪物は低く狼のように呻いた。

 突然、目の前に闇が迫った。

 

「っ!」

 

 咄嗟に後方に退かせた身体のすぐ前を、黒紫の疾風が通り過ぎた。

 突然甲高く喚き、狂ったように首を振り乱しながら突撃したそれは、勢いを殺しきれず地面に突っ伏した。

 不意打ちである。

 

 怪物は起き上がると、こちらを牽制するように尻尾を振り回した。

 尻尾の棘の先から、紫色の毒液が飛び散った。

 それを見たうさぎは、ぴんと来て剣を構え直した。

 

「もしかして、この子!」

 

 

 黒狼鳥イャンガルルガ。

 

 

 性格は好戦的。

 棘の生えた甲殻は硬く、イャンクックより遥かに高温の炎と毒を含んだ尻尾を扱う。

 こちらの仕掛けた罠を見破るなど戦闘に関する知能が高いため、熟練者でも注意すべし。

 怒りやすく攻撃が激しい代わりに、体力消耗の激しさが弱点である。

 傷を負った個体は歴戦を潜り抜けた猛者であるため、非常に危険。

 

 その脅威を雄弁に語る記述ばかりが頭に浮かぶが、動きが思っていたより鈍い。

 もう一度突進を仕掛けてきたが、明らかに身を屈める動作をしたため容易に見切れた。

 振り返ったイャンガルルガは、どこか苦しそうに首を振る。

 それはまるで、自分の中にある妖魔の因子と戦っているかのようだった。

 うさぎは、心苦しげに顔を歪めた。

 

「きっとショウグンギザミの時みたいに、苦しくてどうしようもなく暴れてるんだ」

 

 この地で相手にした妖魔化生物たちも、例に漏れず身体を蝕む妖魔の因子に苦しんでいた。正直なところ、うさぎ自身彼らを相手どるのは胸が張り裂けるような思いだったのだ。

 今なら誰かに正体を見られる心配もないだろう。彼女はブローチを取り出した。

 

「妖魔化が暴れる原因なら、浄化さえすれば!」

 

 彼女はそのまま、迷いなく叫んだ。

 

「ムーン・コズミックパワー、メイクアップ!」

 

 聖なる戦闘服に身を包んだ神秘の戦士、セーラームーンはロッドを真っ直ぐ構えた。

 イャンガルルガは、それを相変わらず値踏みするような目で見ている。

 

「大丈夫……もうすぐ、助けてあげるから!」

 

 低く嘶いた敵の嘴は笑っているように見えた。

 イャンガルルガはこちらに跳んできて、鋭い嘴で素早くつついてきた。

 セーラームーンはそれを避けるが、黒狼鳥はすかさず軌道を修正して同じ攻撃をしかける。

 

「本当にイャンクックに似てる」

 

 知識の乏しい依頼主がイャンクックの仲間と見間違えるのも無理はないだろう。それだけ動きがイャンクックと酷似していた。

 ただ違うのは、そこに明確にぎらつくような殺意があることだった。

 

 イャンガルルガは足をばたつかせて飛び跳ね、嘴をムーンめがけて振り下ろす。

 彼女が脇をすれ違うようにしてかわすと、嘴が背後で地面を深く穿った。当たれば無事では済まないだろうが、地面から嘴を引き抜く分だけ隙がある。

 

「あれが狙い目ね!」

 

 振り返りながら飛び跳ねて姿勢を立て直すと、相手は再び突進をしかけてきた。

 同じ手にはかからないと横へ身を翻したところ、黒狼鳥はいきなり突進をやめてその場で飛び跳ねた。

 はっとして更に飛びのいたところ、再び嘴が目の前の地面を抉る。

 

「……そこよっ!」

 

 少しヒヤッとさせられたものの、既に攻撃は見切っていた。

 これを隙と見てロッドを構えた瞬間、イャンガルルガは目を光らせた。

 

「──────────ッッッ!!!!」

 

 それは仁王立ちで胸を張って翼を広げ、細い喉からは想像できないほど甲高い咆哮を響かせた。

 耳をつんざくほどの音圧に襲われ、セーラームーンは耳を塞いでうずくまるしかない。

 

「なに、これ……!」

 

 無防備な体に、突進を遂にかまされる。

 南側の荒れ果てた森林に吹っ飛ばされ、幾度も転がった。

 枝やら骨やらが入り乱れた地で、擦り傷のできた身体でムーンは辛うじて上体を起こす。

 

 その時、バキバキと何かが折れる音がした。

 見上げると、辛うじて生き残っていた木がこちらめがけて倒れてくる。

 根本の辺りに、振り回したばかりの尻尾を揺らしてこちらを見る黒狼鳥の姿があった。

 木を利用して、セーラームーンを圧し潰そうとしているのだ。

 赤に染まった目は、獲物がどんな行動を取るか期待しているようにも見えた。

 

 セーラームーンは倒れてくる木から何とか逃げ去った。

 だが、すぐつまずいて転んだ。傷だらけの脚が言うことを効かない。

 獲物が動けないと見たイャンガルルガは、またしても狂ったような動きで突っ込んでくる。

 少女が唇を噛み、震える手でロッドを構えようとした時だった。

 

 紅の薔薇が、黒狼鳥の目前に刺さった。

 少女も、怪物も自身の時を止め、もう一つの大木の上に立つ人影を見た。

 

「烏か狼か知らないが、ここは貴様の遊び場ではない。ましてや、理由があるとはいえ他者の命をいたぶるなど。そんな憚る憎まれっ子は、このタキシード仮面が許さん!」

 

 月を背後に男はマントを広げ、その内側の赤を月光で幻想的な虹色に染めた。

 彼は高く跳ぶとセーラームーンの身体をさっとさらい、また跳んだ。

 お姫様抱っこをされたムーンは、未だに驚いた顔でアイマスクに目を隠した男の横顔を見つめた。

 

「……タキシード仮面様!」

 

 彼が左手でさっと少女の脚の擦り傷を隠し、その手から光を発した。

 

「乙女の白肌に傷をつけるとは……戦う者の風上にも置けん」

 

 次に彼が手を離した時には、傷は完全に治癒していた。

 黒狼鳥から少し離れたところに着地したとき、それは新しく増えた敵を警戒しつつ、忌々しそうに足を擦って威嚇していた。

 

「セーラームーン、今がチャンスだ!」

 

「はいっ!」

 

 彼女はロッドを構え、はっきりと強い口調で呪文を唱えた。

 

「ムーン・スパイラル・ハート・アタック!!」

 

 浄化の力を帯びた光が、跳びかかろうとしたイャンガルルガを妖魔の霧ごと吹き飛ばした。

 黒狼鳥は悲鳴を上げながらすっ転がり、枝を散らしながら背後の崖にぶつかった。

 以降、そこは土煙が昇るだけだった。

 タキシード仮面が確認したが、しばらく経っても沈黙を保っている。

 

「他に怪我はないか、セーラームーン」

 

 気遣うように自身の肩に手を置いた男の顔を見上げ、ムーンは涙をじんわりと浮かばせた。

 

「……助けに来てくださったんですね、タキシード仮面様」

 

「君を助けるためなら、どんなところへも駆けつける。それが私だ」

 

 腕の傷も治すと、タキシード仮面はマントを広げてムーンの背中を覆った。

 

「これからは、身の丈に合わない無理はしないことだな」

 

「……はい」

 

「では、帰ろう。みなのところへ」

 

 顔を赤らめた少女を、男が見守り歩いていく。

 その背後で、岩石の山がぐらりと動いた。

 

 

「────────────────ッッッッッッ!!!!!!」

 

 

 2人の背後から火を含んだ嘴が飛び出した。

 咄嗟に、タキシード仮面はセーラームーンを庇って伏せた。

 嘴は2人を捉えそこない、真上を通過する。

 棘状の爪が付いた翼をはためかせると、それは振り返って砂浜に立った。

 

 満月を背負い、唸る一匹狼は天に吠えた。

 

 火花が散る嘴を、目の前の男女に向かって開く。

 そこから放たれたのはイャンクックが放つような地を跳ねる火炎液ではなく、轟轟と燃え盛る火球だった。

 真っすぐに向かってくるそれに対し、タキシード仮面はセーラームーンを抱えて横向きに走った。

 すぐ後ろで爆発が起こり、彼のマントを巻き上げた。

 

「きゃあっ!」

 

 イャンガルルガはまたしても火球を吐き出して精確に狙撃する。

 タキシード仮面は、朽木の上を飛び跳ねそれをかわす。

 本来の橙色を取り戻した黒狼鳥の瞳は、しっかりと獲物を捉え続けている。

 

「浄化されてない!?」

 

「……違う!確かに先ほど浄化したはずだ!妖魔の気配は感じない!」

 

 黒狼鳥は、今度は直接狙わず自身から見て中央、右、左の順に火球を放つ。

 それによってタキシード仮面は炎の壁に行く手を塞がれ、立ち止まるしかなくなった。

 ムーンは諦めるそぶりも見せずコンパクトを取り出すと、自らタキシード仮面の腕から飛び降りた。

 

「多分、まだ治ったばかりで戸惑ってるんです!今度は、ムーン・クリスタル・パワーで落ち着かせます!」

 

「セーラームーン……!」

 

 イャンガルルガは倒木を踏み荒らしながら突っ込んできた。

 セーラームーンはじっと相手を見据えてコンパクトを開ける。

 蓋が開くと、幻想的なマゼンタ色の水晶がきらきらと輝いている。

 タキシード仮面は、万が一のために迎え撃つ準備をしようとステッキを構えた。

 その光景を見たイャンガルルガの瞳の色が変わった。

 

 突如後方に飛び立ち、瞬間、口から爆音を放つ。

 

 草木が揺れ、2人の鼓膜も揺れ、思わず耳を塞いだ。

 上空に飛び上がったイャンガルルガは間髪入れず滑空に移る。咆哮による拘束がやっと解けて目を開けた瞬間、彼らはそれが目前に来ていることを悟った。

 黒狼鳥は空中で宙返りした。

 大きな棘が生えた尻尾が伴って動き、一筋の黒い風となって土を削る。それは上体を反らしたセーラームーンの直前の空間を打ち上げ、棘の先端から毒液が飛び散った。

 恐怖を抱かせる暇もなく、イャンガルルガはまたしても上空へ羽ばたく。

 再び滑空し、今度はタキシード仮面を狙う。

 

「タキシード仮面様っ!」

 

 彼は辛うじてステッキで尻尾を受け流したが、あまりの衝撃に吹っ飛ばされかけた。美しくしなやかなタキシード服は土やら枝やらにぶち当たって汚れてしまった。

 

 攻撃を終えて着地したイャンガルルガは、休む間もなく口元に炎を溜める。

 そのまま、タキシード仮面に火球を吐き出そうとした。

 

「お願い、落ち着いて!」

 

 そこに、セーラームーンがコンパクトを差し出す。

 柔らかな光がイャンガルルガの背後から当たり、動きが止まった。

 振り返って不思議そうに光を見つめるうちに、黒狼鳥はくらくらと頭を揺らし始める。

 虚ろに閉じられていく瞳を見て、セーラームーンは思わず顔を輝かせた。

 タキシード仮面の顔からも緊張が解けつつある。モンスターも生物。あちらの世界で戦った敵よりはずっと素直なものだ。彼もまた例に漏れず、妖魔化が解ければ穏やかに去ってくれるものと信じて疑わなかった。

 セーラームーンは、潤んだ瞳と優しげな口調で語りかけた。

 

「そうよ!もう痛い思いをして戦わなくていいのよ。だから、貴方も元の平穏な生活に……」

 

 何かに気づいたように、黒狼鳥はその目をかっ開いた。

 

 戸惑うムーンを前に身体の芯から身震いをすると、首を振り上げて甲高く叫んだ。

 けたたましく鳴きながら、その場で地団駄を何度も踏む。

 

「えっ」

 

 明らかに怒りをその全身で表していた。

 イャンガルルガは尻尾で地を擦って薙ぐ。礫と枝の破片が、弾幕となってムーンの視界を塞いだ。

 完全に自由になったイャンガルルガは、先ほどより遥かに勝る勢いで飛び出した。目を腕で覆った彼女を襲う嘴は、怒り狂いながらも正確に狙いをつけている。

 咄嗟にタキシード仮面はその横面を伸ばしたステッキで突いた。

 

「くそっ、一体こいつの精神はどうなっている!?彼女の慈愛の力を拒否するなど!」

 

 穢れを払い、生命力と平穏を与える浄化の力。それが今やただの生物であるはずのイャンガルルガには全く効かない。

 横槍すら無視し、セーラームーンをつつき回そうとする黒狼鳥の目にまったく迷いはなかった。

 

「まさか、自身が死ぬことすら厭わないというのか?」

 

 ひたすら矢継ぎ早に攻め立てる。相手が躊躇するその隙すらも与えずに。

 止まらぬ連撃に、少女は逃げるしかなかった。

 明らかに、妖魔だった時とは格段に動きの切れが違う。

 タキシード仮面は額に汗を浮かべる。

 

「妖魔だった時より強いなど、聞いたことがないぞ!」

 

 彼女たちの目からすれば、はっきり言ってこの生物は「異常」だった。

 動きのすべてが、こちらの息の根を止めるためだけに計算されている。

 怯えや恐怖といった感情も、自身の傷を庇おうとする素振りもまったく見えない。

 私は戦うために存在している、と言わんばかりの態度と、身のこなしよう。

 正しく暴走機関車となってイャンガルルガは駆けまわり、飛び跳ね、炎を吐く。

 

「妖魔じゃ……ないよね、これ」

 

 どこぞの書で見た『好戦的』との説明文。そこに込められた意味をセーラームーンは噛み締めていた。

 これではもはや戦闘のために創造された機械だ。未だ信じられない思いが彼女のなかにある。だが狂気めいた視線はそんな思いも無視し、いつまでも男女をつけ狙い、追い立てる。

 密林は倒され、斬られ、焼かれ、破壊されていく。

 あまりの勢いに、2人は防戦一方だった。

 

 セーラームーンは、何とか態勢を立て直そうとその額にあるティアラを外す。

 

「ムーン・ティアラ・アクション!!」

 

 魔力を込められたティアラはブーメランのように飛んでいく。他の必殺技とは違い。直接的に敵を打ち倒せる技だ。

 だがイャンガルルガは動じなかった。すぐさま身を低く構え、尻尾を振り回す。ティアラは難なく弾かれ明後日の方向に飛んでいく。

 

「くそっ!」

 

 タキシード仮面は必殺の薔薇を放つが、硬い鱗に弾かれ全くダメージにならない。

 イャンガルルガはそれを問題にもせず、橙に光る瞳が少女を捉える。

 突如、それが飛び上がった。

 

「危ない、セーラームーン!」

 

 突然狙いをつけられ、少女は反応が遅れた。

 イャンガルルガは素早く回転しながら空中に舞い上がる。

 翼を畳むと、自身の身体を一直線に束ねて地上に突撃する。

 

 だが、狙ったのはタキシード仮面だった。

 

「がっ……」

 

 完全にこちらの意表を突いた攻撃である。

 セーラームーンに意識を集中させていたタキシード仮面は急降下する嘴の餌食になった。

 撥ね飛ばされる男の身体を見て、セーラームーンは目の前が真っ暗になるような錯覚に陥った。

 

「タキシード……仮面様……!!」

 

 嘴を地面から引き抜いたイャンガルルガは、倒れたタキシード仮面を蹴っ飛ばすとその背を掴み、飛び跳ねては何度も地面に叩きつけた。その動作はまるで子どもが玩具を無邪気に弄ぶよう。

 涙を溜めた少女の胸中で、何かが弾け飛んだ。

 

「もう……もう、やめて!!」

 

 遂に彼女は心の底から叫んだ。

 セーラームーンは狩人の姿へと戻り、片手剣で斬りかかった。

 

「早くその脚をどけて!!どけてったらっ!!」

 

 刃は翼に当たったが、紫の鱗に敢えなく弾かれて火花を散らせる。

 

「まもちゃんだけは、まもちゃんの命だけは、絶対あんたなんかに渡さないっ!!」

 

 何度も、何度もプリンセスレイピアを突き立てた。

 しかし翼の甲殻は刃を通さない。

 黒狼鳥はそれを無視してタキシード仮面の背中をつつき回す。本気こそ出していないが、つつかれる度に男の口から苦悶の声が漏れた。

 それを聞いて、うさぎの顔がますます恐怖と焦りに染まった。

 

「まもちゃん、待ってて!今すぐ助けるから!」

 

 今度は脚を狙う。

 その硬さは翼よりはましだったが、辛うじて甲殻に白い傷が浅くつく程度だった。

 タキシード仮面の髪はぐしゃぐしゃになり、アイマスクは外れ、地場衛としての素顔がむき出しになっている。

 

「うさ……こ……に……げ、ろ……」

 

 そう言いかけた衛の背中を、イャンガルルガは鋭い爪を立てて踏みにじった。

 

「ぐああっ!」

 

 一際大きく、衛から悲鳴が上がった。

 

「なんでよ……なんで、こんなこと……ひどいよ!」

 

 もはや作戦も何もなく、うさぎは涙ながらに剣を振り回すことしかできない。

 何しろ、最初は遥かに容易な相手であるイャンクックを相手取るつもりだったのだ。道具類はほぼ持ってきていない。

 いつの間にかイャンガルルガは攻撃をやめ、剣を自身の脚に打ち付け続ける少女をじっと見つめていた。

 視線はうさぎの胸に集中している。うさぎが気づかないうちに、その橙色の瞳にはそれまでとは別のものが宿っていた。

 

 イャンガルルガは興味津々にうさぎを見据え、衛を捕まえたまま後方に飛びのいた。

 それは、呆然とこちらを見ている少女をじっと見つめた。

 イャンガルルガはそうしたまま、衛を一度だけ踏みつけた。

 途端に、少女の顔が歪む。

 

「い、いやあっ!!」

 

 悲鳴を上げながら駆け寄る少女の胸に、淡い光が宿った。

 その光と足元の衛を見比べると、イャンガルルガはじいっと観察するように瞼を細めた。

 

 追いかけっこが始まった。

 うさぎは、衛を追ってひた走る。

 イャンガルルガは彼女を挑発するように、片足で彼を掴んだままあちこちに飛び跳ねる。

 そのたびに、胸の光が増していく。

 なんとか追いついたうさぎは、無我夢中で剣をがっしりとした踵に叩きつけるが、びくともしない。

 

「まもちゃん……いや……」

 

 涙をこぼしながらうつむくと、自身の胸からこぼれる光に気づいた。

 コンパクトに入った無限のパワーを持つ幻の銀水晶が輝いているのだ。

 

「あ……」

 

 視線を上げて彼女はようやく、自分が観察されるように見下ろされていることを理解した。

 

 橙色の瞳はただ、銀水晶を真っ直ぐに見つめている。

 まるで蕾が花開くのを今か今かと待ち望む子どものように。

 護るはずだった存在は、堂々と最愛の人を踏みつける。

 何の感傷もない、まっさらな目で。

 

「……そんな目で、あたしを見ないで」

 

 蒼い目を見開いたままうさぎは呟き、崩れ落ちる。

 剣が手から落ちた。

 

 あの目だ。

 ゲネル・セルタス、ショウグンギザミ、そしてネルスキュラと同じ目だった。

 物言わぬそれらの奥にある大きく冷たいものは、いくら浄化しようと決して晴れることは叶わない。

 

 イャンガルルガは衛を掴んだまま飛び上がると、あっという間に上空へと円を描いて急上昇した。

 

「行か……ないで」

 

 手を伸ばすも虚しく、恋人を掴んだ黒紫の影は南へと飛び去って行った。

 

「行かないで!!」

 

 居ても立っても居られず、少女は駆けだした。

 

──

 

 月光が天井の穴から降り注ぐ洞窟の広場『エリア6』。

 そこで黒狼は気絶した最愛の人を踏みつけ、眼を期待と興奮で満たして待っていた。

 幸い衛の息はきちんとあった。だが、生殺与奪の権を握られているのは変わらない。

 

「まもちゃんを……返して……」

 

 イャンガルルガはじろりとうさぎを見つめながら、鎧の姿に戻った衛の背中を見せつけるように嘴でこつんと叩いてみせた。

 天真爛漫、純真無垢な少女の表情は、完全に消え去った。

 黒い怒りに取り憑かれた瞳が、獲物を見据えた。

 

「返してよっ!!」

 

 直情的に怒り叫んで向かってきたうさぎをイャンガルルガは冷静に見つめていた。

 距離を目測し、自身から5m辺りに来た瞬間それは上体を起こして飛び上がる。

 

 直後、炎の雨がうさぎを襲った。

 

 少なく見積もっても10連発は吐き出しただろう。

 機関銃のごとく打ち出された火球は、少女の周囲を轟音と炎の絨毯に包んだ。

 

「つっ……」 

 

 ずっと隠していた奥の手であろう。

 貴様も奥の手を見せてみよという風に、空中で低く嘶いてみせる。

 そこから空中を旋回して、別方向から更に炎弾を連続で降らせた。

 

「何よっ……こんな炎なんかっ!!」

 

 炎の海に負けないほど少女の胸の光が揺れて強まると、黒狼鳥の悦びに似た目の色は強まっていく。

 着地したイャンガルルガはうさぎを見ながら、気を失った衛の首元に嘴をこん、と押し当てる。

 

「そんなこと、絶対……!」

 

 剣を握り締めながら、うさぎは炎に突っ込んだ。

 炎を扱う雌火竜の鎧は、彼女の身体を護ってくれる。

 

「させないんだから!!」

 

 うさぎは、炎の海から飛び出した。

 気絶した衛の頭に嘴が、その嘴に剣が同時に振り下ろされようとした時だった。

 

 

「ドハハハハハハ!!ここか、つええイャンガルルガがいるってぇのは!なぁ黒鬼よ!!」

 

「バハハハハハハ!!そうだな赤鬼ぃ!!もののついでに、自殺願望のひよっこも助けてやるとするかぁ!!」 

 

 

 うさぎが振り向くと、南側の洞窟の出口に赤い鎧と黒い鎧の2人組がいた。

 

 




黒狼鳥イャンガルルガ、容姿、BGM、戦闘スタイル、生き様含めて大好きなモンスターです。


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憎まれっ子世に憚る⑦

 

 その2人が現れた瞬間、うさぎとイャンガルルガの動きが同時に止まった。

 うさぎは咄嗟に胸を両手で押さえ、コンパクトから放たれる銀水晶の光が見えないようにした。

 イャンガルルガは衛から脚を離し、乱入者の姿を興味津々な様子で隻眼の中に捉えた。

 

「ひよっこぉ!今、この俺様たちが助けに上がったぜ。あとで膝ついて感謝しな!!」

 

 赤鬼と呼ばれた赤い鎧の男の背には、巨大な青い円筒状の槍のようなものがあった。

 だが、それは単なる槍ではない。今は中折れ式に折り畳まれており、刃の上部には大砲のような機構が搭載されている。

 左手には縦放射状に縞模様が刻まれた盾を備えていた。こちらも槍に劣らない大きさである。

 

「俺様たちの砲が火を吹くのを、目ん玉にしかと刻み込みやがれぇぇぇぇ!!」

 

 一方、黒鬼と呼ばれた黒い鎧の男は後方で巨大な大筒を構えていた。

 男の背丈の2倍以上ある砲の持ち手付近には盾のように蒼い甲殻が付いており、その先に無骨な金属の銃身が長く伸びている。

 

「最、強ぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 

 男たちの雄叫びが洞窟内に木霊した。

 当然イャンガルルガは応戦の構えを取り、素早く跳びあがると赤鬼に嘴を叩きつける。

 だが、それは巨大な盾に固く防がれる。

 幾度に渡る嘴の攻撃を、赤鬼は頑として受け付けない。

 痺れを切らした黒狼鳥は、盾の横から回り込もうと駆けだしたが──

 

「ほらよぉ、頭ががら空きだぜー-っ!!」

 

 その隙を狙って奇妙な形の槍を左手で振るうと、中で折れていたそれは見事に繋がって巨大な銃槍『ガンランス』の形を成した。

 そのまま、前に踏み込んで喉の近くに槍を突き刺すと、赤鬼は手元の引き金を引く。

 ぼぉん、と派手な音と火煙が弾け、首元の甲殻や白銀毛を問答無用で吹き飛ばす。

 

「こっちも忘れて貰っちゃ困るぜ!!!!」

 

 黒狼鳥の背後からズバァン、と空気が張り裂けるような音が聞こえると、その棘だらけの背中に強烈な水飛沫が待った。

 うさぎが見ると、その先にあったのは黒鬼の構えた弩砲『ヘビィボウガン』だった。

 彼女の剣ではまるで歯が立たなかった硬い鱗にヒビが入ったのだ。

 無慈悲な射撃と砲撃に埋め尽くされ、イャンガルルガは動くどころではない。

 うさぎの目には、何が起こっているかまるで分からなかった。

 

「ほらお嬢ちゃん、彼氏のことは心配しなくていいのかぁ!?」

 

 嘴を突いてはその傷を砲撃で焼くのを繰り返しながら、赤鬼が背を向けて叫んだ。

 うさぎははっとして急いで衛のもとに駆け寄る。

 それに気づいたイャンガルルガは火球を放とうとしたが、すかさず背中を黒鬼の撃った弾が抉った。

 イャンガルルガはいよいよ、完全に2人組の男に意識を向けた。

 

「もっと鳴いてみろ、妖魔さんとやらよ!」

 

 彼らの死闘を尻目に、うさぎは衛を助け起こした。

 

「まもちゃん、大丈夫?ほら、回復薬よ!」

 

「……う……さこ……かれ……らは?」

 

 衛の傷は思ったほどではなく、意識もしっかりとあるようだった。

 うさぎは、「よかった……」と涙を流しつつ衛の肩を抱く。

 

「ええ。あの人たちが、あたしたちを助けて……」

 

 そこまで言って、うさぎは眉をひそめた。

 彼女が見た先はおよそそう言い表せる雰囲気ではなかったからだ。

 

「くぅ~、やっぱり黒狼鳥はたまらんねぇ!この殺意!この勢い!どこまでも楽しませてくれるっ!」

 

 急降下してきた嘴を飛びのいて避けた赤鬼の声は、本当に軽いスポーツでもしているかのように楽しそうだった。

 

「だが赤鬼よ!どうもこいつぁ、妖魔じゃねえ!ただの黒狼鳥だ!」

 

 同じような調子で黒鬼が弾を撃ちながら言うと、赤鬼は苦々しく舌打ちをした。

 

「ちっ!魔女かなんだか知らんが、興醒めなことしやがるぜ!!」

 

「……え」

 

 うさぎは赤鬼の言葉を聞いて思わず声を上げた。

 それに構わず、黒鬼はにやりとしてヘビィボウガンを構えた状態から降ろす。

 

「まぁいい!久しぶりに良い獲物にお目にかかれたのは違いねえ!」

 

「ほら黒鬼よ、そろそろあのブレスが来るぜ!!」

 

 先ほどうさぎを苦しめた、あの連発ブレスだ。

 だが、赤鬼は盾を構え、黒鬼はその行動を予見したようにイャンガルルガの懐に潜ることであっさりといなす。

 彼らの間で何の合図もしていない。うさぎからすれば、未来予測でもしているのかと疑わざるを得ない動きだ。

 赤鬼は相手の攻撃の隙を待たず、上空に向かって砲撃を放つ。

 

「ドハハハハハ!!やはり、黒狼鳥には砲撃よ!!かてぇ鱗も面白ぇほど砕けやがる!!」

 

 爆炎に炙られた黒狼鳥は空中から尻尾で一閃するが、赤鬼はそれも跳び下がってぎりぎりでかわした。

 赤鬼は銃槍を振るうと、シリンダーのハッチが開いて空薬莢を吐き出す。シリンダーはガチャリと音を立てて回転し、次弾が装填された。

 すぐさま砲撃をイャンガルルガにお見舞いすると、それは砲撃を恐れて赤鬼から離れるように飛んだ。

 

「赤鬼よ、射撃も実に愉快だぞ!戦術がハマったときの爽快感、これは剣士じゃ味わえねえ!!」

 

 鉄製の冷たい空洞が、黒い男の手中から空中の獲物をつけ狙っていた。

 

「ほら、次は貫通弾のお出ましだ!!」

 

 水冷弾による援護射撃をしていた黒鬼はじゃらりと尖った薬莢の束を取り出し、すべて薬室にぶち込んだ。

 片目を瞑って引き金を引くと、今度は細く尖った弾丸が銃口から飛び出した。

 相手は空中にいるのにも関わらず狙いは非常に正確で、真っすぐイャンガルルガの腹に突き刺さった。

 数発撃たれた弾は甲殻下を跳弾しながら突き進み、相手はあまりの痛みに地上に降りざるを得ない。

 

「おらぁ、もっと暴れてみせろやあぁぁぁ!!」

 

 その隙を逃さず、徹底的に2人組はイャンガルルガを挟撃する。

 狙うところはずっと変わらず、赤鬼は頭、黒鬼は背中だった。それがどこまでも徹底していた。

 うさぎは、衛を介抱しながら狩猟風景を見守っていた。

 

 魔法を扱う彼女にとってすら、彼らのやっていることは魔法のように思えた。

 彼らの操る武器種は重量級の類だ。常人ではまずあれを持つことすら敵わないだろう。

 それを彼らは当たり前のように軽々と動かし、それだけではない、巧みに立ち位置を調整しているのである。

 いくらイャンガルルガが火を吐こうと、尻尾を振り回そうと、嘴を叩きつけようと、彼らは決して動じない。獲物が攻撃した時には彼らは既に攻撃が当たらない位置にいる。安全地帯を見極め、攻撃に縫い合わせるように最適解となる反撃を叩きだしているのだ。

 しかもその後のフォローも完璧である。彼らは豪快に叫び吼えながらも攻撃を欲張ることはしない。小さな隙には護りを意識した攻撃を、大きな隙に大技を繰り出す。次にイャンガルルガが攻撃に移る時には、既にそれを受け止めるか避ける準備をしているのだ。

 2人の動きは、ただの力任せでは到底できない芸当であった。

 

 ただ、うさぎの胸中にモヤモヤとしたものが溜まっていく。

 本来喜ぶべき状況なのに、彼らの笑い声を聞くと心に重いものがのしかかる気がする。

 彼らは容赦なくいたぶるようにイャンガルルガの身体を破壊していく。

 少女はさっきまで憎悪すら感じていた相手が蹂躙されていくのを、喜びの目で見ることはできなかった。

 

 

「……本当に、楽しいんだ……」

 

 

 いつの間にか、ただでさえ傷だらけだったイャンガルルガは満身創痍の状態だった。黒狼鳥は、ふらつきながらも翼をはためかせて飛び上がった。

 男たちは、ちっと舌打ちをしてその影を見上げる。

 

「……!」

 

 うさぎは、つい思ってしまった。

 

 「早く逃げて」と。

 

 狩人としてあり得ない考えだが、彼女は蹂躙の光景を通してどうしてもそう思ってしまったのだ。

 しかし、その想いはまたしても裏切られた。

 イャンガルルガは首をもたげた。

 衛を介抱しているうさぎを見たのだ。

 ぎらついた瞳が光る。

 翼を畳み、一直線にうさぎ目掛けて突撃する。

 

 その瞳に逃げる意思など全くなかった。どんなに戦いの上で圧倒されようと、その心は2人の鬼でも砕くことは出来なかったのだ。

 

「流石は俺たちの獲物ぉ!そう来なくてはなあ!」

 

 すかさず黒鬼が頭に徹甲榴弾を撃つと、弾が刺さってイャンガルルガは空中で怯む。

 弾は少し遅れて大爆発を起こし、嘴から苦しげな声が漏れた。

 だが、まだ落ちない。

 

「地に落ちろやぁーーーーーーーーっ!!」

 

 赤鬼が銃槍を上に掲げ、爆炎を腹に浴びせる。

 甲殻が吹っ飛んだイャンガルルガは、真っ逆さまに地上に堕ちた。

 

「そこだあぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 黒鬼が叫ぶと、鬼神のごとき勢いで赤鬼は砲のついた刃を上から叩きつける。

 

「フルバーストッ!!!!」

 

 ズドドンッッ、と一際大きな爆発が嘴を包み込む。鱗が一気に弾け飛び、中身が露わになっていく。

 赤鬼は反動で後ろに下がった大重量の槍を無理やり筋力で抑え込み、真っすぐボロボロになった右目の辺りに突き立てる。

 

「そして、竜杭砲ッ!!!!」

 

 砲の上部から鋭い杭のようなものが飛び出し、よたよたと立ち上がった黒狼鳥の右目に突き刺さった。

 火花を散らしながら杭はシャシャシャ、と音を立てたあと、爆発した。

 頭を内部から爆破した。

 よろめいたイャンガルルガは、ふらつきながら泡を吹く口を開けた。

 だが、目も脳も傷つけられた黒狼鳥は未だに立っていた。

 それどころか、口元に炎を収束させている。目も見えないはずなのに、それはうさぎと衛を狙っている。

 黒鬼は獣のごとく叫んだ。

 

「バオオオオオオオ!!赤鬼、最大の手向けをしてやれ!!」

 

 うさぎは思わず飛び出しそうになったが、衛がその腕を繋ぎ止めた。

 

「竜・撃・砲ーーーーーーーーーッッッ!!!!」

 

 赤鬼は、砲身を口内に深く突っ込ませた。

 青い炎が一瞬迸り、収束する。

 

 砲口の先が大爆発した。

 

 嘴が内側から焼かれ弾け飛ぶ。

 赤鬼は大きすぎる反動を、足で踏ん張って殺した。

 

 

 蒸気をもくもくと吐く黒狼は、ずしんと音を立てて倒れ伏した。

  

 

──

 

「口ほどにもなかったな」

 

 未だに茫然としていたうさぎは、獲物の素材を剥ぎ取りながらの赤鬼の発言で意識を取り戻した。

 

「多分、魔女の野郎が治していきやがったんだぜ」

 

「はぁー全く、つまんねえことしやがってよぉ」

 

 相方の言葉を受けての赤鬼の言葉に、うさぎの唇がぴくりと動いた。

 

「……今、なんて言ったの?」

 

「んぇ?」

 

「なんて言ったのよ、今さっき」

 

 背を向けたまま剥ぎ取りを終えた男たちは、立ち上がるとうさぎたちの方に振り返った。

 

「つまんねえ、て言ったんだよ。せっかくアガる獲物だと思ったのに、すぐくたばっちまった」

 

 見上げると髭面だった。しかも、無精ひげで眉も太く濃い。

 お世辞にも美男とは言い難い、いかにもガサツで品のない印象を与える中年男だった。

 その瞳に潜む色からは鉄と血の匂いがする。

 

「いつも……ああやって相手が苦しむのを見て、笑いながら狩ってるの?」

 

「おう、そうだが。それがどうかしたのか?」

 

 黒鬼が当然のように軽い口調で答えると、うさぎは思わず立ち上がった。

 

「どうかしたのかって……!どんなに凶暴って言ったって、あの子は妖魔化の犠牲者なんだよ!?いくら何でも、ああやって狩りを遊びみたいに……」

 

 黒鬼が、驚きのあまりか口をあんぐりと開けた。

 

「……おいおいおい、この俺様たちを誰だと心得てやがる!」

 

「こりゃ怪しいぞ黒鬼よ、この小娘、思ってもねぇほどやべぇヒヨッコだ!」

 

「俺たちを知らずにここまでのし上がってきたことは褒めてやる!だがこれじゃ納得いかねえ、自己紹介させろ!!」

 

 戸惑ううさぎをよそに、2人は共に背中を向けて自慢の武器を見せつけた。

 

「俺様たちは、泣く子も泣き出す最強ハンターコンビ『ヘルブラザーズ』!!」

 

「地獄から来た兄弟とは、まさにここにいる2人組のことよ!!」

 

 大きく野太い声でなされた自己紹介に、それを見つめていた衛の唇が動いた。

 

「そういえば、どこかで名前は見たことが……」

 

「まもちゃん!話して大丈夫なの!?」

 

 衛はうさぎに微笑みながら頷くと、表情を引き締め、ヘルブラザーズに向かって頭を下げた。

 

「ヘルブラザーズの御二人。まず彼女を助けてくださったことに、心から感謝する」

 

 直後、衛は鋭い光を秘めた瞳で彼らを睨んだ。

 

「だが、それとは別に……彼女のどこがそんなに『やべぇヒヨッコ』と思ったのか、教えてくれないか?」

 

「まず1つ目。ヤツに関する知識が全くなってねぇ」

 

 赤鬼は尊大に腕組みをしながら声を張り上げた。

 

「イャンガルルガは自分で餌を取ることも、子を育てることもほとんどできねえ。じゃあどうやって生きてくのか?答えてみろ」

 

 彼に話を振られたうさぎは、ごくりと喉を鳴らして慎重に答える。

 

「仲間に助けて……もらう……とか」

 

「違う、何もかも横どりしてやるのさ!!」

 

 食い気味に叫ばれ、うさぎはビクッと肩を浮つかせた。

 

「奴はイャンクックの食いもんを堂々と奪い、なんならその巣に勝手に卵を産みつけ、何も知らず育てられたそいつの子どもは同じことを繰り返す」

 

 黒鬼が、血走った眼を見開きながら続けた。

 

「更にこいつは、とにかく動くもん全部に喧嘩を売る!人だろうが竜だろうが構わずな。耳をなくそうが目を突かれようが関係ねぇ。食う時も寝る時も死ぬ時も、戦うことだけ考えてやがる!」

 

 それを聞いたうさぎはしばらく途方に暮れていたが、気丈に笑みを作ろうとする。

 

「……あり得ない。あの子だって生き物なのよ?そんな無駄なことするわけが……」

 

「無駄も何もあるか。こいつが戦う理由は一つ、『戦いたい』からよ!それがあの生き物の本性なのさ!」

 

 男の言葉にうさぎは冷や汗を垂らしてうつむき、理解できないという風に弱々しく首を横に振った。

 

「あぁあぁ、受け入れたくないって面してやがるぜ」

 

 赤鬼の一言を受け、うさぎは負けまいとするように反抗的に顔を上げた。

 

「……そうだとしても、ハンターは人と自然を護るための存在よ。貴方たちのやり方、あたしは正しいって思えない」

 

 そのうち、2人は腹を抱えてくつくつと笑い始めた。

 何がおかしいのか、とうさぎは唇をきゅっと結んだ。

 

「やっぱりな、赤鬼!こいつら、ギルドの戒律を心の底から信じてる良い子ちゃんたちだぜ。いつか表彰されるかもなあ?」

 

「模範解答、おめでとう。言っとくが、名誉のために、大金のためにハンターになったやつぁごまんといるぜ。犯した罪から逃れるためにこの仕事やってるやつだっている。そしてギルドは、どんな理由であろうとハンターになろうとする者を拒みはしない」

 

 赤鬼の発言に、うさぎと衛は嫌な顔をした。

 ハンターになる目的は人それぞれ、ということは知っている。

 例えばこの前うさぎが助けた貧しい村出身の男たちは地元への仕送りのためにハンターになった。

 だが、彼らはヘルブラザーズのように欲望のまま動く人間ではない。

 

「あのモンスターが憎い、素材が欲しい、金が欲しい。ギルドはその欲望を『共存』っていう名目で縛り付け、何とか文明を長持ちさせてるだけさ」

 

 黒鬼は、手元でもやっとしていたものをひっ掴むような動作をしてみせた。

 振り切るように、うさぎが口を開いた。

 

「じゃあ……あなたたちは何のために狩ってるの!?」

 

「狩りてぇから」

 

 悪びれるどころか、誇らしげに赤鬼は即答した。

 

「とんでもなく超、超、強ぇ奴を狩りてぇ。ま、こいつと同じだわな」

 

 彼は、顎でイャンガルルガの遺体を示した。

 

「……野蛮な」

 

 衛は冷たい眼差しでヘルブラザーズを睨みつける。

 それに動じた様子もなく、黒鬼はへらへらと笑って上から目線で言い放った。

 

「じゃあ、お前らは甘ったれってとこだな」

 

「どこがだ?彼女はずっと、この世界を護ろうと傷だらけになっても戦ってきたんだ。その目的を批判できる理由なんかないだろ」

 

 衛だけに言わせてはおけないと、うさぎは前に出た。

 

「……甘ったれ、確かにそうかもしれないわ。でも、いつか魔女と妖魔がいなくなったらみんな平和に暮らせるだろうなって、あたしはそう思ってずっと……」

 

「ヒヨッコポイント2つ目。この世を氷山の一角でしか見てねぇ」

 

 低く呟いた黒鬼の瞳の奥に、大きく冷たいものが宿った。

 うさぎはそれを見て、唾を飲みこんだ。

 ショウグンギザミ、イャンガルルガの時と似た感覚だった。

 

「いいか?基本、この世を支配してるのはモンスターどもだ。もっと強い奴らなら、人なんか全部ホコリかチリだと思ってんぜ。もっとも俺様たち、その他の英雄様たちのような『超例外』は除くがな?」

 

 赤鬼が、続きの言葉を紡ぐ。

 

「魔女と妖魔が来る前からずっとそうだった。変わったといえば、お前らみたいなヒーロー気取りのぼんぼんやおひいさまのご遺体が増えたってことくらいかな?」

 

 衛はどんどん蒼い瞳の暗い底に落ちていくうさぎの視線を見て、ついに耐え切れなくなった。

 彼は拳を握り締めて叫んだ。

 

「だからって信念もなく快楽のために戦いだけを求めるだなんて、人の形をした怪物じゃないか!」

 

「「ドハハハハハ!!バハハハハハハ!!」」

 

 ヘルブラザーズはむしろ喜ぶように、二人して天に向かい大笑いをした。

 

「お褒めの言葉に預かり、光栄だ!だが、一つだけ修正させてくれ」

 

 黒鬼はにやつきながら、人差し指を立てた。

 

「信念はあるぜ。……いや、信念というよりは事実か。赤鬼、分かってるよな?」

 

 赤鬼は後方で頷き、仁王立ちでふんぞり返り腕を組んで声を張り上げた。

 

「俺たちが信じてるのは、『自由』だ!!」

 

 前にいる黒鬼は、陶酔したように両手を広げてその続きを叫ぶ。

 

「誰がどう思おうと、俺たちもモンスターどもも、己が信じ思うがままに生きていく。綺麗ごとを言ったところで、その歩みは止まんねえ」

 

 小太り気味の髭面は、燃えるような視線でうさぎの潤んだ碧眼を見据えた。

 

「もしお嬢ちゃんがそういうもの何もかも気に入らないってんなら、俺たちと同じことをすればいい」

 

 黒鬼は、ずかずかと押し入るようにうさぎの方に歩いてきた。

 衛が分け入ろうとしたが、赤鬼が衛の腕をその何倍も太い手で掴み、強い力で持ち上げた。

 黒鬼はうさぎの耳元にしゃがみ、凶暴な獣の眼差しを全開にした。

 

 

「その気高い理想に反する奴ら、全員その手で根絶やしにしてみろ。勿論、この俺様たちも含めてな!」

 

 

 うさぎも、衛も絶句した。

 少女はやがて、その震え始めた身を自らの腕で抱えた。

 彼女の胸にあるコンパクトが揺れて光った。

 

「そうやってお嬢ちゃん好みの理想郷を作りゃあいい。俺たちは、そういう堂々としたやり方なら大歓迎だ」

 

 そこにあるのは、どこまでも斬りつけてくるような目つきだった。

 

「そんなの、出来るわけ……」

 

「できるさ。だってお嬢ちゃんは、あのカラス野郎を憎んでたからな。ホントにあいつが気の毒なら、彼氏が止めるのも構わず飛び出したはずだ」

 

「……見てたのか、あの状況で?」

 

 黒鬼は衛の言葉を無視して続けた。

 

「それもしねぇで今更こうして俺たちにぐだぐだ言うってことは、本当は大自然そのものやあいつじゃなくて──

──()()()()だけを護りたいんだろ?」

 

「……ちが」

 

「おい、いつまで聖人面して逃げるつもりだ?てめえはただ見たくねえだけだろ。果敢に立ち向かってるフリして、ひたすら見たくないものから目を逸らしてるだけなのさ」

 

 男の視線は少女の視線をどこにも逃そうとしなかった。

 

「どんな相手だろうとぶっ殺す覚悟がねぇなら、さっさとハンター辞めちまえ!!」

 

 少女は顔中青ざめて、視線は行き場をなくした。

 輝きを失った瞳に急速に涙が盛り上がった。

 男たちより遥かに小さい背が激しく震え始めた。

 衛の端正な顔が怒りで吊り上がった。

 

「やめろっ!!」

 

 衛は叫んで腕を無理やり跳ね上げ、赤鬼の襟首を掴んだ。

 憤激に満ちた表情だった。

 

「おうおう、彼女想いなこったぁな。こちとら、ヒヨッコにアドバイスしてやっただけなのによ」

 

 赤鬼は、焦りもせず呟いた。

 

「黙れ!お前たちに何が分かるものか!!」

 

 うさぎは、衛の籠手を抱いて寄せようとした。

 

「まもちゃん、いやよ。お願いだから、乱暴しないで!」

 

「だが、こいつらは君を侮辱した!」

 

 強い怒りの光を瞳に湛えて叫んだ衛を見て、呆れたように黒鬼がため息をついた。

 

「俺たちは事実を教えてやったまでなんだが……お嬢様とおぼっちゃまには刺激が強すぎたかな?」

 

「もうそれ以上口を開いたら……」

 

 逆上した衛は赤鬼を離して片手剣を抜きかけたが、そこにうさぎが抱きついた。

 うさぎのぶるぶると震える姿を見て、衛は表情をぐっとこらえた。

 彼は剣の柄を戻すと、しばらく思案したのちに兜を外し始めた。

 

「……確か、ハンターが人に武器を向けるのはご法度だったな」

 

「ほお?」

 

 自分より細い男に対する2つの視線の色が変わった。

 衛は鎧を脱ぎ去ると、自身のすらりと鍛えられた上半身を露わにした。

 びっくりしたうさぎに衛は無言で頷くと、きっと目前の2人を睨んだ。

 

「ここまで言われたからには、素手での決闘を申し込みたい。勝負を受けるかはそっちが決めてくれ」

 

「ひゅう、いいねぇ。彼女の名誉のために拳で勝負ってか!受けて立つぜ。俺からでいいな?」

 

 赤鬼は口笛を鳴らすと拳同士を打ち鳴らし、自身も鎧を脱ぎ始めた。

 やがて、衛の何倍も膨れ上がった、胸毛の生えた筋肉達磨が姿を現す。

 汗の臭いがぶわっと周囲に漂った。

 

「やめてっ!!」

 

 衛と赤鬼の間に入ろうと手を伸ばしたうさぎを、黒鬼が咄嗟に抑えた。

 

「おおっと、お嬢ちゃんはそこで観ときな。あぶねえあぶねえ」

 

「じゃ、行こうぜ」

 

 赤鬼の一言を皮切りに、決闘は始まった。

 大男は拳を振りかざして熊のように襲い掛かってきたが、衛は僅かに身をそらして避けた。

 

 前の世界で戦ってきた妖魔は、いずれも人と同じような姿をしていた。

 それゆえ、衛にとってはその時と似た感覚で戦える。

 赤鬼はさっそく何か自分と違うものを感じたのか、にやりとして右拳を振りかざす。

 

「こいつ、ハンターのくせに格闘術やってやがるぜ!」

 

 黒鬼は興奮して叫んだ。

 赤鬼はパワーに任せ容赦のない波状攻撃を浴びせるが、衛は動じずかわし続ける。

 ならばと、赤鬼はばっと両腕を広げ抱えるように掴みかかる。

 流石に対格差は誤魔化せず、衛は両手を相手と組み合わせた。

 大男は、衛と腕を組み合いながら叫んだ。

 

「兄ちゃん、ハンターになる前なんかやってたか!?」

 

 一度捕まえられると、パワーでは赤鬼が圧倒している。

 手の大きさも、指の太さも全く違う。

 次第に衛が押され、圧倒されていく。

 うさぎは、息を呑んで行方を見守る。

 

「さあな!お前たちが知ることじゃあ……ないだろうっ!」

 

 すっとかかる力を分散し、回るように受け流して先ほどのイーブンの状態に戻した。

 隙を見逃さず、すかさず腹に鋭い膝蹴りを入れる。

 巨体は吹っ飛ばされ、地面に転がる。

 

「ドオオオオオオ!!今のは効いたぜぇぇ!!」

 

 それでも、赤鬼はすぐさま立ち上がってくる。

 圧倒的筋力により、先ほどの何倍ものスピードでフックを繰り出してくる。

 衛は咄嗟に腕を盾にしたが、衝撃を受けて後ずさった。

 

「ぐっ……」

 

「へへっ、そこだぁ!!」

 

 勝機と見た赤鬼は、にやりと笑った。

 だが衛は、相手が後ろ手に振りかぶったことで大きく空いた正面を見逃さなかった。

 

 

 カウンターの右ストレートが、赤鬼の顔面に直撃した。

 

 

「ひでぶっ!!」

 

 

 今度こそノックアウトした。

 衛は、むすっとした顔で赤鬼の前に立って相手を見つめた。

 しばらく赤鬼は鼻血を腕で拭いていた。

 

「負けが認められないなら、何回でも受けて立つ」

 

 衛が睨む先、起き上がった赤鬼の顔は──

 

「いいや、こっちの完敗だ!ヒヨッコにしては随分強いじゃねぇか、あんた!!」

 

 清々しいほどの笑顔だった。

 衛は、立ち上がってあっさり差し出された手に困惑した。

 勢いのままに握手すると、黒鬼もまた、爽やかな顔で2人に回復薬を渡してきた。

 

「バハハハハハハ!!派手にやられたなあ赤鬼よ!ほれ兄ちゃん、あんたの名前は?」

 

「……衛」

 

「マモルねぇ!きっちり覚えとくぜ!!」

 

 あれほど対立していた者の顔が、今となってはただの気のいい男にしか見えなかった。

 

「ほら、俺にも戦わせてくれよ!」

 

「……え……あ、ああ……」

 

 黒鬼も、同じような過程を経て衛にほぼ完敗を喫した。

 

「くっそぉ~、勝てねえ!こんなの、この道入ってから久しぶりだ!バハハハハハハ!!」

 

 鎧を着直し、あぐらをかいて膝を叩く彼らは、本当に戦いを心の底から楽しんでいるように見えた。

 衛は複雑な表情で、2人のにこにことした顔を見ていた。

 赤鬼が、満足げに頷きながら衛を見つめ返した。

 

「ひょろっちいから骨が文字通り折れるんじゃねえかと心配したが、見直したぜ!人相手なら無双できるんじゃねえか?」

 

「……俺は、彼女の信念を笑う奴が許せないだけだ」

 

 うさぎは、反応に困った顔をしていた。今どういう感情を持てばいいのか、迷っているようでもあった。

 ヘルブラザーズは、鼻を鳴らして立ち上がった。

 

「はっは、こりゃお熱いこったぁ。さ、俺たちはそろそろお暇するぜ。ヒヨッコと違って、俺たちは忙しいんでな」

 

「今度うさこに何か一言喋れば、容赦しない!」

 

 背を向けて歩き出した2人組は、衛の警告を受けても歩みを止めなかった。

 

「ご心配なさらずとも、俺たちはお嬢ちゃんをどうにかしようなんて気はさらさらねぇぜ」

 

「俺たちは、聞かれたから俺たちの考えを答えただけのこと!」

 

 彼らは、イャンガルルガの遺体を乗り越えて洞窟の出口へと進んでいく。

 

「あばよ、お花畑夫婦。最後の最後で楽しませてくれて恩に着るぜ。ドハハハハハ!!」

 

 赤鬼は背中越しに手を振り、姿を消していった。

 うさぎは肩に入っていた力が抜けるとふらついて、青白んだ顔で倒れた。

 

 

「うさこっ!!」

 

 




イャンガルルガ(別名:黒狼鳥)
 鳥竜種に属するモンスターで『黒き凶風』『唸る一匹狼』の異名を持つ。
 怪鳥イャンクックとは近縁種の関係にあるが、「娯楽として」戦闘行為そのものを好むという生物として異質な性質を有する。中には明らかに格上の強大な相手にも挑みかかったという報告もある。
 戦闘に関する知能は非常に高く、罠を見破って破壊する、咆哮で積極的に相手の行動を封じその隙をつくなどの行動が見られる。
 戦闘に特化した生態ゆえか子育ても自力での餌取りも得意ではなく、他生物の餌を横取りしたり、イャンクックの巣に托卵を行う習性がある。
 どの個体にもほぼ必ず戦闘によって負った傷が見られるが、その中でも目が抉れるほど深い傷がある個体は「傷ついたイャンガルルガ」と呼称され、歴戦を潜り抜けた猛者として狩人に恐れられる。

『ナナ=ソレイユ』…赤鬼が背負うガンランス。炎妃龍ナナ・テスカトリの息吹が籠められている。鮮やかな藍色に蒼炎が似合う、美しき円筒型の銃身が特徴。

『老山龍砲・皇』…黒鬼が背負うヘビィボウガン。岩山龍ラオシャンロン亜種の磨き上げられた蒼白色の甲殻が、無骨な重弩を覆う。強烈無比な威力を誇る。

10000字超えてしまった…許して…


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可憐に、凛々しく①

 

 深夜、篝火の焚かれたテントの間を2つの影が疾駆する。

 両者が見据えるは、集会所に次いで大きな砂上船。

 表向きは何の変哲もない商船で、今はある商店の倉庫として機能しているのだが。

 

「よし、ここは正面突破しよう!」

 

 まことが商人の荷物の陰に隠れ、強い眼差しで呟いた。

 その視線の先で、白い羽衣を着た集団が7人ほど船の前にて監視を行っている。

 

「まこちゃん、そっちは人が多いわ。なるべく気づかれないように、こっちの回り道を……」

 

 隣に控える亜美は、スパコンのキーボードを叩きながら周囲の状況を確認していた。

 

「気づかれないうちにぶちのめせばいいじゃないか」

 

 当たり前だろ、とばかりにそう言ってのけたまことに、亜美は驚いた顔をした。

 

「……その辺りはランサーさんを見ても変わらないのね」

 

「いや、変わったよ」

 

 まことの翡翠色の瞳が、暗闇のなか光った。

 

「よーするにこの力を、先を見通した上で賢く使えりゃいいってことだよ。何たって、あたしの隣にはIQ300が付いてるからさ」

 

 笑顔で肩を叩かれた亜美は苦笑を返した。

 

「……なるほど。役割分担しようというわけね」

 

「大正解」

 

「それなら、計算を少し変えましょうか」

 

 一方何も知らず、時節あくびをしながら眠そうに見張りを続ける男たち。

 そこに足元から泡でできた冷たい霧が立ち込めてくる。

 ふと気づいた1人が隣の男に声をかける。

 

「お……おい、霧が出てるぞ」

 

「嘘つけ。ここは砂漠だぞ」

 

 まともに相手にしようとしない相方に、男はいやいや、と食い下がった。

 

「だ、だがよ。これって、この前のモーラン襲撃でもあったっていう……」

 

 まことが背後に駆けつけ、話していた1人の後頭部に一撃。気絶させた。

 霧は今や周囲を覆いつくし、彼らの視界をほぼ完全に塞いでいた。

 彼女は迅雷のごとく駆け、ボウガンを構えようとした男たちを確実に気絶させていく。

 顔を布で覆い隠した少女たちは砂上船の入り口へと足をかける。

 

「第一関門、クリア!」

 

 2人の見張りが急いで身体で壁を作るが、まことはそれを跳び膝蹴りで突っ切って強行突破する。

 

「情報の通り中の見張りの数は少ないわ!団長さんには感謝しなくちゃね!」

 

 後からついてくる亜美が、船内の地図を見ながら言った。

 団長からもらった知り合いを頼りに、度重なる聞き込みと潜入の末に手に入れた成果である。

 

「にしても美奈子ちゃんとレイちゃん、なに油売ってんだか」

 

 まことがいくら見渡しても彼女たちが出てくる気配はなかった。

 やがて彼女たちは()()()()()()()()のお頭がいるとされる大広間に入った。

 直後、数十人の武装した男女が警備用のボウガンを番え2人を取り囲む。

 

「やべっ!」

 

「お頭はとっくに逃げたあとだわ!」

 

 いくつもの銃口が一斉に彼女たちを狙う。

 白い羽衣を纏った彼らの瞳は赤い煌めきを潜ませていた。

 その後方にいる、格上らしき年配の男が叫んだ。

 

「動くな!一歩でも踏み出したらその面を撃ち抜くぞ、この狼藉者め!」

 

 扉が閉められ閂がかけられた。どこにも逃げ場所はない。

 

「ここは、もう……」

 

「仕方なさそうね?」

 

 2人の少女が苦笑し合って、背中合わせで変身スティックに手を伸ばした時だった。

 

 

「とりゃあああっっ!!」

 

 

 天井に開いた穴から後頭部にタルをぶつけられた1人の団員は、目を回して後ろに倒れた。

 

「あーごめん、ごめんっスよっ」

 

 亜美は目を見開いた。

 身軽に飛び降り、申し訳なさそうに男の身体を乗り越えてきたのは──

 

「筆頭ルーキーさんっ!!」

 

 オレンジ色の短髪が特徴の若者を見て、団体のメンバーたちは思わず怯んだ。

 彼らの顔にある恐れの色は、まだその後ろにいる人物の姿を認めた瞬間更に色濃くなった。

 次は、まことが叫んだ。

 

「リーダーさんまで!!」

 

 筆頭ハンターの2人は、今回は狩猟用の武器を背負っていない。

 その代わり、目にも止まらぬ素早さで間近の相手のボウガンを蹴り飛ばし、丸腰になった相手を容赦なく投げ飛ばす。

 相手方に、大混乱が起きた。

 ミメットに洗脳されているとはいえ、高名な筆頭ハンターに迷いなくボウガンを撃てるほど理性が失われているわけではなさそうだ。

 

「説明は後でする!今はこいつらを片付けるぞ!」

 

「はいっ!」

 

 まこととリーダーは、次々に団体のメンバーを蹴り、投げ飛ばし、瞬く間に気絶させていく。

 亜美は武器になりそうな椅子を手渡し、ルーキーはそれを武器に戦う。

 不意に人々の瞳の色が変わった。

 目が紅く光り、その態度から迷いと恐怖が消えた。

 彼らのうちの1人がリーダーにボウガンを真っ直ぐ正確に向け、引き金に手をかけた。

 

「っ!」

 

 引き金が引かれた。

 リーダーにびゅん、と迫った矢をまことは素手で掴み取り、次弾を装填しようとした相手の顎をハイキックで蹴り飛ばした。

 その後、数人にまで減った相手を彼女は鬼神かと見紛う速度でぶちのめし、悉くをその場に伸びさせた。

 それ以降はルーキーや亜美が手を下すまでもなかった。

 

「キノ君……」

 

「リーダーさん、大丈夫ですか?」

 

 跪いてリーダーの身を気遣うまことを、ルーキーは口をあんぐり開けたまま驚きの表情で見つめていた。

 

「……すっげぇ……」

 

 まことから差し伸べられた手を、リーダーはしっかりと握り締めて立ち上がる。

 

「心より感謝する。だがどうも、頭領は外に逃げたらしい」

 

「それなら、すぐ追いましょう!」

 

 亜美の言葉に3人は同意し、来た道を戻る。

 

「先ほどの様子、確かに未知の方法で操られていたな。ガンナーですら予見できなかったというのに、アイノ君は本当によく気づいたものだ」

 

 階段を駆け下りながら感心したように呟くリーダーの横顔を、平行して走るまことが見つめた。

 

「リーダーさんたち、まだギルドの共同調査だったはずじゃ」

 

「書記官殿とソフィア女史から、君たちによる報告を知らされてな。私の友である我らの団ハンター、そしてガンナーとランサーが、今の調査は任せろと背中を押してくれた」

 

「書記官殿?」

 

 亜美が疑問に眉を歪めると、前を行くルーキーがきょとんとした顔で彼女に振り向いた。

 

「ん、知らなかった?団長さんのことっスよ!こうして無茶が聞いたのも、あの人が王立学術院のチョーゼツ偉い人だからっス!」

 

「え、ええーーっ!?」

 

 まことはいまいちピンと来なかった一方、亜美は信じられないという顔で素っ頓狂な声を上げた。

 王立学術院と言えば、このバルバレより遥か北西にある大国『西シュレイド王国』直属の研究機関のことで、所属する書士たちのもとあらゆることを調査し、資料や書籍を収集し保管する──いわば、世界最大の国立図書館のようなものである。

 学術院には貴族階級か一部のハンターしか出入りできない。あの奔放で豪快な人物と学術院の知的なイメージは、中々結びつきそうもなかった。

 

「……ますますあの人のことが分からなくなったわ……」

 

 亜美はますます悩みを増した顔で呟いた。

 

──

 

 商船から出てすぐ、御供を連れて黒い布を被って夜闇に紛れようとする後ろ姿を見つけた。

 

「逃がすかーっ!!」

 

 まことは全速力を上げ、立ちはだかった2人の護衛ごと目標の人物を蹴っ飛ばす。

 

「ぎゃーーーーっ!!」

 

 倒れたその人物から頭にかけていた布が剥がれた。

 中から出て来たのは、日焼けした白髪の男の顔だった。

 

「こいつ、ミメットじゃない……!?」

 

 あとから駆けつけた亜美たちは、まったく知らない顔に驚いた。

 だが、彼女たちはこの男にどこか見覚えがある。

 目の前の顔と記憶はすぐに結びついた。最初にこの団体を見かけた時、群衆の前で慇懃な態度で指示を呼び掛けていた男だった。

 

「あんた、さては……」

 

「まさかここでご拝謁するとはな……」

 

 そしてなぜか、ルーキーとリーダーまでも驚き呆れた様子である。

 

「そっちは表向きの教祖!本当のアジトはこっちよ!」

 

 そこに聞きなれた少女の声が聞こえた。

 朝陽に白み始めた薄明の空、金と黒の長髪が揺れてこっちに駆けてくるのがじんわりと見えた。

 足元には黒猫と白猫の姿もある。

 

「美奈子ちゃん!レイちゃん!ルナにアルテミスも!」

 

 教祖を捕らえたまままことが叫んだ。

 駆けてきたアルテミスは足元まで来ると息を切らしながらその顔を見上げた。

 

「ごめん、待たせた!」

 

「あとはあたしたちが見張るわ!」

 

 ルナの言葉にまことは頷くと、男の腕を掴んで立たせる。

 

「さあ、しばらくじっとしてもらうよ!」

 

 立った男は、その場を動かずじっとしている。

 やがて、口元に不敵な笑みを浮かべた。

 

「ヌフフ……美少女に捕らえられるのも悪い心地ではないが、ワガハイはあいにくゴーイング・マイ・ウェイを信条にする男でな……」

 

 まこと含む少女たちは呆気に取られてその男を見つけた。

 

「は?」

 

 

 

「必殺、イャンクックの真似!キェーーーーッッ!!!!」

 

 男は突然両手を上げ、足踏みして飛び跳ね奇声を発した。

 

 

 

「うわっ、なに!?」

 

 驚きでまことの拘束が緩んだその隙に、男は全速力でダッシュする。

 

「ヌハハハハハ、引っかかったなー!せっかく手に入れた飯のタネ、逃してたまるかー!!」

 

「あっ、ちょっと!」

 

 男の逃げ足は異常に早く、あっという間に市の闇の中に消えていった。

 まことはぐっとその背中を睨んで悔し紛れに拳を握る。

 

「くそっ、こんなことでしくじるなんて……」

 

「所詮は表向きの教祖だ。今は本当の親分を優先しよう」

 

 追おうとした少女たちとルーキーを、筆頭リーダーはそう言って引き止めた。

 

──

 

 惜しくも教祖は逃したが、ルナとアルテミスが捕縛した白の集団を見張り、筆頭2人と少女4人は本当のアジトへと急ぐ。

 その後、二手に分かれて挟撃作戦を敢行することになった。

 1チームはルーキー、亜美、レイ。もう1チームはリーダー、まこと、美奈子。

 亜美とリーダーがそれぞれのチームの参謀役であり、残りは実行役である。

 

「美奈子ちゃん、よくこんな僻地にアジト見つけたね。最近調子いいじゃん」

 

 まことが感心すると、美奈子は得意げに鼻の下を擦った。

 

「へへーん、ガンナーさん直伝の『第六感』ってヤツよ!」

 

「でたらめを言うな。彼女の勘は他人が一朝一夕で習得できるものではない」

 

 リーダーにばっさりと切られ、美奈子はつまずきかけた。

 後から追いかけた彼女の目には涙が浮かんでいた。

 

「ちょ、ちょっと褒めてくれたってぇ~」

 

 リーダーは、ちらと後ろに顔だけを振り向けた。

 

「だが、最初の頃から雰囲気が変わってきたのは事実だ。キノさんも含めてな」

 

 2人の少女は少しだけ照れたように顔を赤くした。

 十字路に差し掛かり、3人は商隊のテントに一旦隠れた。

 美奈子からの情報通り、白い集団の姿がちらほらと見える。

 

「リーダーさんもだいぶ表情が柔らかくなりましたよね」

 

 リーダーは、そう言ったまことの顔をちらりと振り返ったあと、すぐに前に視線を戻した。

 

「……どんな相手だろうと、共に狩りをしていれば慣れるものだ」

 

「ぶーぶー、相変わらずそこんところ素っ気なーい!でもそーゆーところが好きー!」

 

「相変わらず懲りないな、君たちも」

 

 ころころ顔を変える美奈子にリーダーは呆れつつも、少し遅れて僅かに口角を上げた。

 

──

 

「亜美ちゃん!あと5分ぐらいってとこっスか?」

 

 別の場所で配置についたルーキーが亜美に振り向くと、彼女は地図を開きながら頷いた。

 

「はい、ルーキーさん!後は打ち合わせたルート通りに進めば、最短で辿り着けるはずです!」

 

「いよいよ本物の魔女とご対面ってわけね」

 

 レイが両拳をぼきぼき鳴らしたところで、亜美が地図から目線を上げた。

 

「……すみません、ルーキーさんの本名、お聞きしていいですか?」

 

 突然のことにルーキーは眉を上げた。

 

「あ、ああ!そういや言ってなかったっけ。でも、なんで?」

 

「いえ、そちらはせっかく名前を覚えて下さってるのに、こちらが知らないのは何だか申し訳ない気がして」

 

 亜美の隣にいたレイは、直後、ルーキーが少し緊張するように息を呑むのに気づいた。

 

「……まーその、よかったらエイデンって呼んでくれると嬉しいかな」

 

「エイデンさん、ですね。ありがとうございます」

 

 亜美がにこやかに微笑んで感謝を述べると、ルーキー、もといエイデンは少し紅潮した頬を指で掻いたあと、努めて満面の笑みで答えた。

 

「お、おう!」

 

 レイは、何か訝しむような顔でそのやり取りを見ていた。

 

──

 

 団体の本当のアジトは、一見誰もが風景の一部として通り過ぎてしまうような小さくおんぼろな砂上船だった。

 そこから少し離れて赤い旗が2か所から同時に上がった。

 リーダーと亜美が合図し終わると、いよいよチームはアジトへの潜入を開始した。

 レイと美奈子が手に入れた地図と手がかりをもとに、本当の頭を追い詰める。

 

 アジトは地下に続いていた。常に流浪するバルバレの地にしては意外だった。

 どうやら古代の地下遺跡を改修して使っているようで、外装に比べて内側は豪奢に飾られていた。

 ルーキーとレイの前を行って状況を把握していた亜美は、その量に目を見張った。

 

「団員の資産を巻き上げているのね……」

 

 宝石、ぬいぐるみ、高級そうな絹のドレスなど、さまざまなものが置かれている。

 いかにも華やかなものが好きなミメットらしい内装で、もはや彼女の所有する豪邸と言っても違和感がなかった。

 

 作戦において最重要視されたのはスピードだった。

 敵を倒すことより、その奥に待ち構える『魔女』を捕らえることが第一目標。

 見張りを時にやり過ごし、時に静かに打ちのめし、彼女たちは奥へ、奥へと入り込んでいく。

 予定通りに両チームは合流し、まこととリーダーが力任せに閂のかけられた扉を打ち破る。

 

 部屋の中は甘ったるい香水の匂いがして薄暗かった。部屋中央、赤い絨毯に大きなソファーが置かれ、所狭しと並べられた高級家具には化粧品や食べかけの菓子が所狭しと置かれている。

 部屋の奥、シルク製の白い垂れ幕の向こうに浴槽の区画が設けられて、もくもくと湯気を垂れ流していた。

 そこから素肌の脚が1本伸びている。

 

「お前が噂の魔女か!!遂に追い詰めたっスよ!」

 

「ようこそ、あたしの家へ。ステキな飾りつけだったでしょう?」

 

 幼さと傲岸さが同居した甲高い声で、まるで客人をもてなすような口調だった。

 女性の影が立ち上がり、垂れ幕の向こうでバスローブに身を包む。

 ルーキーは一瞬たじろいだが、気を取り直して表情を引き締めた。

 垂れ幕がゆっくりと持ち上げられた先にあったのは、金色のウェーブヘアーの女性の妖しい微笑みだった。

 

「──貴女は!」

 

 リーダーは遺跡平原で助けた女性の顔が目の前にあることに驚いたが、少女たちは動じなかった。

 彼女こそがボランティア団体の親分でありデス・バスターズの幹部の1人、ミメット。

 前回少女たちと対峙した時と、その高慢な表情は全く変わっていない。

 

「こいつが本当の魔女です!今すぐにでもひっ捕らえないと……」

 

 まことが拳を構えて前に進み出ると、彼女は近くのテーブルに置いてあった扇子を手に取りさっと振り向けた。

 

「あら、そんなことしていいのかしら?むしろ、貴女たちの名がバルバレ中に張り出されることになると思うけど」

 

 ミメットは扇子を立てると、悪戯っ子のような笑みで人差し指を唇に艶めかしく当て、少女たちにシーッと静寂を促した。

 

「分かるわね、()()()()()使()()をお持ちのお嬢様たち?」

 

「……!」

 

 4人の少女の顔が強張ったのを見て、ミメットはいかにも楽しげに笑った。

 

「ふふ、だから言ったでしょう?いつか降参しなくちゃいけない時が来るって」

 

 一連のやり取りを見ていたリーダーが、彼女たちの方を振り向いた。

 

「どういうことだ?」

 

 それに少女たちの誰一人も答えることができない。

 ミメットは余裕の表情で手を振った。

 

「いえ、こちらの話ですのでお構いなく~♪それより、筆頭の方々だってこんなことしてたらまずいんじゃなくって?」

 

「何言ってんだ!ここでとっ捕まえれば、お前の企みなんて……」

 

「待て!あの態度、何かおかしい!」

 

 ルーキーが憤然とした様子で歩み出ようとしたのをリーダーは制した。

 

「これだから野蛮人は。知ってるわよ、あなた方はいくら筆頭だなんて大層な名前の冠頂いてても、ギルドの政に参加してるわけじゃない。所詮は上にこき使われる鉄砲玉にすぎないのよ」

 

 彼女は口元を扇子で隠し、いかにも被害者らしく眉をハの字に曲げて話した。

 

「我々は単なる善意に基づいた()()()()()()()()、迷惑行為や犯罪は一つたりとも侵してませんわ。これを潰そうとすれば、消されるのはあなた方じゃなくって?」

 

「へっ、俺たちとギルドの間には長年の信頼関係てもんがある、そう簡単に……」

 

 なおも言い返そうとしたルーキーの前に、2人の男が立ちふさがった。

 赤い制服に赤い羽根帽子が特徴的だった。

 彼らは同時に、目にも止まらぬ速さでリーダーとルーキーの喉元に細剣を突き付けた。

 抵抗する隙すら与えられなかった。

 

「……ギルドナイト……!?」

 

 ルーキーは目の前にあるものが信じられないという表情をした。彼らの瞳にためらいはない。

 ギルドナイトとはギルド専属の特殊組織の一員であり、要人の保護、依頼主との交渉、規律維持などギルドの内部業務を担う点で筆頭ハンターと異なる。裏では悪質なハンターを直接裁く任務を与えられていると噂される存在であった。

 そんな彼らの目は赤く、虚ろだった。先ほど少女たちを取り囲んだ面々と似た状態である。

 

「なるほど、こういうわけか」

 

 リーダーがミメットを睨み据えながら呟いた。

 

「かなり客引きは強引と思ったけれど、実際はそれ以上だったようね!?」

 

 レイが脅しに負けじとばかりに強気な口調で尋ねると、ミメットは恐れるどころか大笑いした。

 

「それならうちのファンメンバーみんなに聞いてごらんなさい。口揃えて自分の意思で入会したというはずだわ」

 

 美奈子が、耐え切れなくなったように怒鳴ってミメットを指さした。

 

「あんた、こんなことしてるオノレが恥ずかしくないの!?本当のファンなら序列なく、みんなで一緒に推しを愛でなさいよ!!」

 

 ミメットはギルドナイトの後ろで、呆れたようにため息をついた。

 そのまま、手元に取った焼き菓子をサクサクと頬張る。

 

「はあ、歌姫様のファン兼見習いとしてあの方が通る道を整えてるだけってのに、こんなむさっくるしい連中が押しかけてきて……ほんっといいメーワク」

 

 そろそろ面倒になってきたのか、ミメットは開いた扇子で口を隠して眉根を寄せながら責め立てた。

 

「そんなにあたしを捕まえたいのでしたら、証拠の一つでもそろえてみてはいかが?」

 

 細められた目の間に宿った光が、少女と男たちを貫いた。

 彼らはすべての元凶を前に黙って睨むことしかできない。

 にらみ合いの沈黙がしばらく続いたあと、ミメットはふっと笑ってくるりと身体を翻した。

 

「歌姫様の公演、当日はどうぞ楽しんでちょうだいね~!きっとあなた方も満足するに違いないから!」

 

 扇子をひらめかせながら、ミメットは扉もない窓もない部屋の奥へ堂々と歩いていく。

 後を追おうとする少女たちを、ギルドナイトが牽制した。

 

「それじゃあ、ばーいびー!!」

 

 わざと見せつけるように、凄まじい風と共に彼女は跡形もなく消え去った。

 

「うわっ!?」

 

 ルーキーは、驚きのあまり後ろに倒れ込んだ。

 

「あれが魔女の力か」

 

 隣のリーダーがルーキーを助け起こしながら、冷静ながら悔しさの混じった表情で唇を嚙み締めた。

 

「正体を隠そうともしない、堂々としたあの態度……ここのギルドにも対抗できる段階にまで力を伸ばしているのだろう。予想以上の動きの早さだ」

 

「ちきしょうっ!俺たちが妖魔を必死こいて狩ってる間に……!」

 

 ギルドナイトは細剣を筆頭ハンターから離すと踵を返し、主を追って風のように部屋を出ていった。

 少女たちにとって、もぬけの殻の部屋にこれ以上留まる意味はもはやなかった。

 

──

 

 帰り道、美奈子が未だ光の衰えない瞳で皆に訴えかけた。

 

「あいつ、公演当日に絶対何かする気よ。そこで、バルバレ全体を乗っ取る算段に違いないわ」

 

「今はもっと協力者を探して、少しでも奴らの足を引っ張るしかないか」

 

 まことが前を見据えて真剣な表情で呟くと、うつむいていたルーキーがきっと前を向いた。

 

「俺らは、急遽このことを残りの筆頭と我らの団に知らせるっス。きっと力になってくれるっスよ」

 

 その表情の頼もしさに、少女たちの表情に少しだけ安心が戻った。

 

「みんな、うさぎちゃんが戻って来たわ!」

 

「衛さんも一緒だぞ!」

 

 いよいよ朝日が顔を見せようかという時分、それを背にしてまばらな人々の間を駆けて来たのは、黒猫のルナと白猫のアルテミスだった。

 その報せを聞いたリーダーは、思わず首を振り上げた。

 その手前で少女たちも同じような反応をして、真っ先に猫たちに駆け寄る。

 

「本当!?」

 

「怪我はないの!?」

 

 亜美に続けてレイが聞くと、アルテミスは頷きながらも複雑な表情を滲ませた。

 

 

 

「うん、もう戦えないってほどの怪我じゃない。でも……」

 

 

 

 少女たちは、その反応を覚悟していたように眉をひそめた。

 リーダーの顔の表面は岩のごとく変わらなかったが、唇に力を入れ、真横にぎゅっと縛った。

 




ちょっと今回試験的に土日で週2投稿してみようと思います。つまりは明日も連日投稿です。最初はかなりギリギリの状態で書いていて、リアルとの兼ね合いの面で負担が大きすぎるということで週1投稿だったのですが。
理由はバルバレ編の進度を早めたいのと自分に執筆の発破をかけるためです。早すぎるようならまた週1に戻すかも知れないです。


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可憐に、凛々しく②

告知通り連日投稿。
うさぎsideで、前回より少し前の話になります。


 

 東京。

 

 この地では、空の代わりに地上に星空がある。

 人々は寝静まる時刻でもネオンは休みを知らない。

 ビルの間を敷き詰めるように走る光が、これでもかとヒトの繁栄を知らしめる。

 月夜のもとに東京タワーが天にその背を高く伸ばし、爛々と橙色に光り輝く。

 神秘の戦士、セーラームーンはそこに立っていた。

 飛び去っていくあの黒いマントが上空にひらめくのを見送りながら。

 

「……そうよ、この空を……」

 

 夜闇を淡く染める浅葱色が彼女の碧眼に映る。

 建物の形が分かるほど明るいのに、深いまどろみにとろけるような夜空の色。

 

「この空を求めて、あたしは……」

 

 少女は、うっとりとした心地で目を閉じた。

 

 次に目を開けると、ピンク色の天井がそこにあった。

 鳴る目覚ましの音。

 

「むにゃ……」

 

 乙女色のパジャマが、淡い紫の生地に月とうさぎ柄の布団の中に動いた。

 

「起きなさい、うさぎ!!」

 

 そう言われて目を開けると、ピンクのお団子ツインテールの幼女が自身の腹にまたがっていた。

 ある事件をきっかけに家に居候している少女、ちびうさだ。

 

「あたし、確か東京タワーに立って……ていうかあんた、今頃バルバレにいるはずじゃ」

 

 そこまで言ってから、うさぎは唇の動きを止めた。

 

「……あれ、バルバレって……なに?」

 

「はー、前から子どもっぽいとは思ってたけど、まさか次は一気におばあさんに飛んじゃうなんてね!」

 

「は、はぁー!?あたしがボケてるって言いたいわけ!?」

 

 一気に目が覚めた思いで、呆れかえっているちびうさを睨む。

 

「それは冗談よ、冗談。うさぎちゃん、まだ夢と現実の境がはっきりしてないのね」

 

「ルナ……」

 

 もう一匹、生活を共にする彼女の相棒が顔を覗き込んできた。

 

「なんかやたらうなされてたわよ、やたら衛さんの名前呼んで。もうデス・バスターズもいない平和な世の中なんだから、安心して寝てりゃあいいのに」

 

 同じ部屋で寝る彼女をよく見ると、目の下にくまができていた。かなり自分の寝言はうるさかったらしい。

 

「夢……」

 

 どんな夢だったのか、思い出せない。

 とにかく、何か巨大で冷たいものに抗っているような感じだけが胸に残っている。

 

「そうよ。どんな夢見てたか知らないけど、もうここは現実。早く切り替えて、学校行きなさい!」

 

「え、学校……?」

 

「ああもうイラつく!!今日はへ・い・じ・つ・で・しょ・う・が!!」

 

 ルナは、目覚まし時計をがしりと掴まえてうさぎの目の前に持ってきた。

 8時過ぎ。始業時刻まであと10分ほど。

 茫然としていたうさぎの顔に光が差した。

 

「そっか……全部夢だったんだ!!」

 

 うさぎはなぜか自分でも分からないほど無償に嬉しくなって、ベッドから跳び起きた。

 そのままの勢いで制服に着替え、ジャムを塗りたくったパンを咥え、ぼさぼさの髪の毛のまま家を取り出した。

 絶体絶命、危機的状況のはずなのに、いつもの数倍は足取りが軽かった。

 

「あれ?なんで?泣いてる場合じゃないのにな。ゴミでも目に入ったのかな」

 

 意味の分からない涙までが溢れだして戸惑うが、それでもその名が表すごとく跳ねるような疾走は止まらなかった。

 

──

 

「うさぎ、寝坊したの?そろそろ中三なのに」

 

 始業数十秒前にぎりぎり席につくと、既に後方に座っている親友の大阪なるが呆れ気味に聞いてくる。

 

「えへへ、ちょっとドジっちゃったぁ。でも、これでも中一の時よりはマシになったのよ?」

 

 苦笑いしつつも明るく返したうさぎに、丸眼鏡をかけた少年、海野ぐりおがしたり顔で顎に手をやる。

 

「流石はうさぎさん。ドジが多けりゃ立ち直りも子慣れてるってわけですね!」

 

「海野、あんたは黙ってなさいっ!」

 

 拳を振り上げ威嚇するように怒鳴ると、そこにばぁんと教卓から音がした。

 担任の桜田春菜が出席簿を叩きつけた音だった。

 

「月野うさぎさん!出席の時は静かになさいっ!」

 

「は、はーい……」

 

──

 

「あたし……何か忘れてる気がするんだ」

 

 なる、亜美、まこと、美奈子と共に弁当を囲んでいた時、ふっと頭に浮かんだことを口に出した。

 亜美はサンドイッチを持ったまま首を傾げた。

 

「そんなに思い出したいことなの?」

 

「結構重要な気もするんだけど……できるなら、思い出したくはない感じもするかも」

 

「なぁにそれ。結局どうしたいのよ」

 

 うさぎに対し、なるは卵焼きを箸で掴みながら聞いた。

 その答えを聞かないうちに、美奈子はわかったという顔で人差し指を立てる。

 

「あっ、あるある~!お出かけした直後、不安になるヤツよねー!」

 

「多分違うと思うよ……」

 

 まことはそうツッコミつつも、

 

「でも、嫌なことなら思い出さなくていいんじゃないかい?」

 

「そうよ!せっかくこんな平和な世の中なんだから、呑気に食って寝ーすりゃいいのよ!そうすりゃ大抵の悩みは解決するわ!」

 

「美奈子ちゃん、前回のテストの結果を見てそんなことが言えるのかしら?」

 

 亜美の指摘に、美奈子は天井にガンと頭をぶつけたようにうなだれた。

 

「うっ……言葉もございません」

 

 うららかな陽気に包まれた学校の敷地内に、少女たちの笑い声が木霊した。

 

 一緒に笑っていたうさぎの視界の隅を、大きな影が横切った気がした。

 見上げてみると──

 ただの小鳥だった。

 

──

 

 放課後。

 なると一緒にゲームセンター『クラウン』に行くと、オーナーの元基が奥のレジから顔を出して出迎えた。

 

「あっ、元基お兄さーん!」

 

 手をぶんぶんと振ったうさぎに対し、元基はいつも通りの爽やかな笑顔を返した。

 

「おっ、うさぎちゃん久しぶりだね。元気?」

 

「元気も何も、今日は寝坊して突っ走ってきたんですようさぎったら!」

 

「ちょっとなるちゃぁん!」

 

「あはは、それならいつも通りだな」

 

 くすくすと笑う2人を前に、うさぎはしゅんと肩を落とす。

 

「元基お兄さんまで……今日はみーんなイジワル、くすん」

 

 その後、うさぎたちは遊びに遊びまくった。

 アクションゲーム、レースゲーム、パンチングマシーン、クレーンゲーム。

 

「あーん、これ全然取れなーい!」

 

「お小遣い足りるかしら……」

 

 クレーンゲームが最大の鬼門だった。

 中々お目当てのぬいぐるみが手に入らない。

 少ない財産をはたいて懸命に筐体に向かう少女たちに、元基は優しく笑いかけながらケースを開けた。

 

「よし、じゃあこれでどうだ?」

 

 少しぬいぐるみの位置を入れ替えると、さっきまでの苦闘が嘘のようにぬいぐるみがアームに掴まれた。

 

「やったぁ、取れたぁ!」

 

「いぇーい!」

 

 うさぎとなるはハイタッチを交わし、すぐ元基に向かいなおる。

 

「ありがとうございます、元基おにーさん!」

 

「うさぎちゃんたちはお得意様だからね。特別大サービスだよ」

 

 勢いづいたようにうさぎは思いっきり伸びをした。

 

「あーあ、楽しー!こんなの、ほんっと久しぶり!」

 

 その一言に、元基が不思議そうな目を向けた。

 

「おいおいうさぎちゃん、昨日も来たじゃないか」

 

「え?」

 

「あはは。うさぎったら涙なんか浮かべちゃって。そんなにぬいぐるみ狙ってたの?」

 

 なるの声でようやくうさぎは自分の状況に気づいた。

 目元がほんのりと湿っている。

 

「あれ?なんでかな、嬉しいはずなのに、なんで」

 

 ハンカチで涙を拭ううさぎに、元基が優しく話しかけた。

 

「泣くことなんかないよ。ここはうさぎちゃんにとっていつも通りの、日常の景色じゃないか」

 

「日常?」

 

 うさぎは3人以外誰もいないクラウンの景色を見渡した。

 彼女の胸中にある疑念が浮かぶ。

 

「……ねえ、元基お兄さん」

 

「なあに?」

 

「あたし、なにか大切なこと忘れてる気がするの。元基お兄さんは何か知らない?」

 

 彼は、いつも見ていたように明るくあははと笑った。

 

「いきなり変なこと聞くなあ」

 

「だって、なんか今日はおかしいのよ。帰り道も、ここにも、あたしの友達以外誰もいなかったわ。なんだかまるで……作り物みたい」

 

 それを聞いた元基の瞳の色が変わった。

 

「やっぱり上手く行かないな。さっさとかたをつけるか」

 

「……え?」

 

 直後、床が割れ青い鎌が飛び出す。

 背中から斬られた元基は笑ったまま霧になって消えた。

 鎌の後ろから覗いたのは感情なき黒目。辺りを探るようにぴくぴくと左右に動かしている。

 

「あ、あぁっ……!」

 

 毒湿地の鎌将軍、ショウグンギザミ。

 切り裂いたコンクリートの瓦礫から這い出すと、それは口器からぐぎぎぎぎ、と泡を立てるような音を鳴らした。

 ショウグンギザミは四本脚を巧みに使い、素早い横歩きでうさぎの背後に回り込む。

 

「なるちゃ……」

 

 鎌で一閃。

 後ろで手を繋いでいたなるの姿も煙と化して消えた。

 

「あはは。偽物って分かってるのに名前で呼ぶなんて、おかしい子」

 

 その姿がなくなってからも、そこにいる『誰か』は親友の声で嘲笑う。

 うさぎは涙を振り切って、クラウンの入り口へ走る。

 

「嘘よ、こんなこと」

 

 命からがら外に出ると、何者かが真正面に居座っていた。

 蠍のような形をした巨体。武者の甲冑か戦車の装甲のように全身を護る緑の甲殻。

 その上に乗っかる、鎌と翅を備えた巨大甲虫。

 重甲虫ゲネル・セルタスと徹甲虫アルセルタスである。

 

 重量級の女帝はうさぎの姿を認めるや否や、背中に乗っていたアルセルタスを尻尾にある鋏で掴まえ、投げ飛ばした。

 命の弾丸は咄嗟にしゃがんだうさぎの頭上を通過してクラウンに激突し、ガラス片を撒き散らす。

 

 そこからあらゆるものが壊れていく。

 街も、地面も、空も、あるべき姿を失って歪んでいく。

 うさぎは足場を失い、地の底の底に落ちた。

 

「──────────ッッッ!!!!」

 

 闇の底から甲高く嗤うような鳴き声が響く。

 真っ直ぐ飛んでくるのは、全身に戦傷を負った隻眼の烏。

 狂気を孕んだ瞳に映るのは殺意と高揚のみ。

 黒狼鳥イャンガルルガ。

 飛んできたそれの嘴が突如膨れ上がり、落ちて来た彼女を丸呑みにする。

 

 髭面の2人の男の顔が少女の瞳を覗く。

 

「なんだ?人や竜は助けてやって、虫や蟹は救ってやらねえのかよ!?そりゃそうか、どー見たって仲良くお茶囲んでお話できる面してねぇしなあ!?」

 

「本当に自分に都合がいいオンナだな!!愛と正義の美少女戦士が聞いて呆れるぜ!!バハハハハハ!!」

 

 すべてを思い出した。

 うさぎは耳を塞ぎ込みながら真っ逆さまに落ちてゆく。

 

「嬢ちゃんはただ、戦士の頃からいい子ちゃんぶりたかっただけじゃねえか!」

 

「この世界を護るだなんて全部嘘っぱちだったんだな!!」

 

 嘘なわけがない。

 うさぎは涙目をぎゅっと瞑る。

 彼女は、元の世界と同じくらいこの世界を護りたいと確かに思っている。それは、この世界にも尊ぶべきものがたくさんあると知ったからだ。

 だが、聞こえてくる声に抗えない自分がいるのもまた事実だった。

 

 心のどこかに、この世界を恐れる自分がいる。

 

 その気持ちに気づいた途端、目に見えないものに締め付けられるような感覚が彼女の身体を縛っていく。

 

「たす、けて」

 

 見えないものが喉に絡みつき、うさぎは掠れた声しか出すことができない。

 このまま闇に呑まれるかと思ったその時だった。

 

「……き……ろ……お……きろ……!」 

 

 目の前の2人組とは別の声が耳に届いた。

 一筋の光が差し込み、男たちの顔がぼやける。それを見てうさぎは気づく。

 彼らがうさぎの戦士としての姿を知っているはずがないのだ。

 

「そうよ、これこそが夢なんだわ!」

 

 闇が揺らいだ。

 うさぎはその変化に背中を押され、自身の胸にあるコンパクトを握りしめた。

 

「ミメット!貴女の仕業ね!」

 

 銀水晶から放たれた柔らかくも力強い光が、すべての空間を覆った。

 

──

 

「……あぁもう邪魔が入っちゃった。ざーんねん!」

 

 薄暗い部屋のなか、ミメットは撫でていた水晶玉から手を離した。

 そのまま、座っていたソファに背中から寝っ転がった。

 

「まーいっか。もうノルマはもう達成しちゃったし、今こちらの動きに気づいたってもう遅いんだから」

 

 彼女はソファの後方、天幕より向こうに控える白い羽衣を着た人々に呼び掛けた。

 

「あ、みんなもう帰っていいわよー。家に帰るついでに宣伝してきてねー」

 

 寝たままで黒い星型の宝石がはめ込まれた杖を光らせると、虚ろな顔をしていた幹部たちは少しだけ目の焦点が戻った。

 そのまま、互いに話し合いながらぞろぞろと出口に向かって歩いていく。

 

「えへへ、次に教授に会ったらどんな顔で迎えて下さるかしらー?今度こそ上級管理職に推薦とか?」

 

 ソファーの肘掛けに腕を乗せると、彼女は期待に満ちた輝きを瞳に宿らせた。

 長い脚をぱたぱたさせる彼女の姿はただの少女にしか見えない。

 ──だが、1枚の報告書に目を通すと彼女の瞳の色が変わった。

 

 

「あとの課題は、『金の竜』……ね」

 

 

 直後、窓の外にあった影が動いてどこかへ去っていった。

 

──

 

 目を覚ますと、真上に恋人の顔があった。

 

「うさこ、大丈夫か?」

 

「……まもちゃん」

 

「よかった。てっきり目覚めないものかと」

 

 安堵に思わず項垂れた衛の額から、汗が滴っていた。

 

「きっとミメットの仕業だ。さっきまで、コンパクトが黒い靄に覆われていた」

 

 そこは砂の波に揺れる小型帆船、その一室だった。

 はっとして起き上がり胸を見ると、そこにはいつも通り金色の枠にはめ込まれた赤いハート型のコンパクトがあった。

 今は、いつものように静かに輝きを放っている。

 

「ずっと苦しそうに唸ってるものだから、ずっと呼びかけてたんだ。そしたら先ほど銀水晶が光って靄を払った」

 

 衛の見立てはうさぎと変わりない。

 彼の声は、今は落ち着いてはいるもののかなり掠れていた。

 その懸命な叫びが彼女の危機を救ったのだ。

 

「ありがとう。まもちゃんが呼びかけてくれたおかげだよ」

 

 うさぎが感謝を述べたが、衛は「うさこが頑張ったからだ」と短く謙遜する。

 ややあってから彼は呟いた。

 

「あんな奴らの言葉、忘れていいぞ」

 

 はっとして、うさぎは目前の男の顔を見上げた。

 

「俺たちは戦うための戦いじゃなく、護るための戦いをしてきたじゃないか」

 

 彼は、懐から真紅の薔薇を出した。

 そのまま、真剣な表情でうさぎにそっと手渡す。

 

「うさこが今まで流してきた血と涙を、あいつらはお花畑なんて言い方をした。こちらの事情を知らなかろうが、あれだけは断じて許すことはできない」

 

 男の瞳とは反対の、情熱的な赤色をじっと見つめていたうさぎは、うつむいて細く呟いた。

 闇のなかで聞いたあの笑い声が蘇った。

 

「あたし……もう、何を護ればいいのか……」

 

 その声は、衛の耳に届く前にぶおおおお、と角笛の野太い雄叫びにかき消された。

 

「え?」

 

 到着の合図だった。

 船外から錨が下ろされ、少し遅れて一際大きな横揺れが来る。

 一瞬の沈黙のあと、数多のハンターたちの談笑と、木の床を踏み鳴らす音が聞こえた。

 

 荷物をまとめて船上に出ると、朝焼けに染められた色とりどりのテントが無数に並び立っているのが見える。

 衛はその景色を眺めたあと、ちらりとうさぎの横顔を見た。

 

「なあ。さっきよく聞こえなかったが、何か言いたいことがあるなら……」

 

「……ううん、なんでもないよ!」

 

 うさぎは首を振ると、荷物をまとめて足早に船を降りた。急いで衛もその後を追う。

 多くのハンターや商人がごった返すバルバレの発着場のなか、彼女の身体は一際小さく見えた。

 




ちなみにサブタイトルの由来は90アニのある主題歌から取ってます。名曲です。


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可憐に、凛々しく③

 

「えー!ミメットをギリギリまで追い詰めたんだ!めちゃくちゃすごいじゃん!」

 

 場所は戦士たちが共同生活を営むテント。ここに少女たちが久しぶりに5人全員集結した。

 うさぎは大きく見開かせた碧眼を宝石のようにキラキラさせている。

 明るく仲間たちを称える様子に、偽りの感情はどこにも見られない。

 

「でも、彼女はこちらの正体を知っていたわ。これからあたしたちへの世間の当たりがきつくなるかもしれない」

 

 亜美が物思わしい顔で呟くが、うさぎは励ますようにその肩を持った。

 

「きっと大丈夫だよ!筆頭さんや我らの団と協力すれば怖いものなしじゃない!」

 

 彼女は後ろに手を組んで背伸びした。

 

「あーあ、明日からあたしも頑張らないとなー!!」

 

 

「あんたは休みなさい」

 

 

 一斉にレイに視線が集まった。

 彼女は思いつめた表情でうつむいていた。

 しばらく沈黙が続くが、うさぎが真っ先にそれを破る。

 

「あーっ!レイちゃん、そーやってあたしの手柄横取りする気でしょ!そんなわけにゃいかないんだからね!」

 

 うさぎは分かりやすい怒り顔で頬をつんつんとつつくが、レイから反応はない。

 

「あーもう、だんまりぃ?そんなにお邪魔ってんならいっそ、あたしだけでちゃちゃーっと終わらしちゃって、一泡吹かせてあげたっていいんだから」

 

「また……あんただけで……?」

 

 レイの、膝の上に握り締めた拳が震えた。

 

「……ま、流石に無理か、あはははっ!」

 

 天真爛漫に笑う彼女を前に、仲間たちの表情は更に重苦しくなるだけだった。

 それに気づかないうさぎの口は止まらない。

 

「そもそも、あたしが行かなくちゃ誰が浄化すんの……」

 

 

「そうやって誤魔化すの、いい加減にして!!」

 

 

 レイが立ち上がり、遮るように怒鳴った。

 うさぎはビクッとして肩を竦ませた。

 

「レ……レイちゃんどうしたの、そんな怒って?」

 

 レイは息荒く、微かに肩を震わせている。

 まことはそれを見ると覚悟したように呼び掛けた。

 

「ねえ、うさぎちゃん。その髪の毛、前にいつセットした?」

 

 奥を見通すような翡翠色の瞳。

 かつて絹のように滑らかだった自身の金髪のツインテールは、今や荒れ放題であちこちがほつれまくっている。

 

「あっ、忘れてたー!ドジしちゃった、あははは!」

 

 うさぎは慌てて髪を手でさっと隠して明るく取り繕うも、乾いた笑いしか出ない。そのことに自分でも驚く。

 ほつれを隠したはずの白く細い指までもが潤いを喪っていた。

 

「うさぎちゃん、いつも衛さんに会う時はお手入れを忘れてなかっただろ?この世界で行動を一緒にしてからはほぼ毎日だった。でも、今は全然できてない……その余裕もないってことだよ」

 

 うさぎは親友の視線から免れることができない。

 

「そうやって上っ面では誤魔化せても、うさぎちゃんの心と身体はそうやって悲鳴を上げてるんだよ」

 

 美奈子はうさぎの手の甲に、自身の手をそっと上に重ね合わせた。

 

「まさか、あのうさぎちゃんがここまで思いつめるなんて思わなかったわ」

 

 うさぎが答えられずうつむいたのを見て、美奈子は彼女らしくない慎重さでそっと呟いた。

 

 

 

「やっぱり、あたしたちがモンスターに倒されるのが怖いの?」

 

 

 

 辛うじて保っていた笑顔が消え、目の端が潤んで滲み始めた。

 音も立てないまま静かにすすり泣きを始める。

 亜美は憐れんだ表情でそっとうさぎの背中をさすりながら言った。

 

「レイちゃんから沼地で起こったことを聞いたわ。きっとうさぎちゃんは、筆頭さんやあたしたちがなるべく怪我しないよう前線に立って頑張ってくれていたのね」

 

 レイはきっぱりと言い張った。

 

「うさぎも、散々戦ってきて分かってるでしょう?あたしたちはあんたの守護戦士。プリンセスを護るためなら多少の傷は覚悟して……」

 

「違うよ!」

 

 涙を拭ううさぎは叫んで、首を横に振った。

 

「みんなは……これから一生かけたってできない、死ぬまで一緒のお友だちだよ。絶対、()()()失うわけにいかない!」

 

 うさぎは詰まっていたものを吐き出すように叫んだ。

 

「それだけじゃない!あたし、この世界も敵から護らなきゃいけないし、ここで休んでる暇なんか……」

 

 言い終わるのを待たず、レイは彼女の両肩を掴んだ。

 

「そんなにたくさんのもの、自分だけで抱え込めるって本気で思ってんの!?」

 

 一方、亜美は優しく語り掛ける。

 

「うさぎちゃんは、どうしても目の前にある命を無視できないのよね。今までずっと、相手がどんな恐ろしい敵だろうとそこに心がある限り分かり合おうとしてきたもの」

 

 彼女は一瞬その先を言いよどんだが、覚悟を決めるように続きを言った。

 

「でもこの世界でそんな無理を続けてたら……いつかどこかで心が壊れるわ」

 

 うさぎはその言葉に射すくめられたようにうつむいた。

 レイがその肩に手を置いて、伏せられた瞳を覗き込む。

 

「言ってみなさい、密林で何があったの。あの地獄から来たとかいう、ヘルブラザーズが来たんでしょ?」

 

「え……知ってるの?」

 

「ソフィアさんに聞いて知ったのよ。有名な人たちなんですってね?」

 

 その時、外からテントに入ってきたルナが、テーブルの上に飛び乗って言った。

 

「うさぎちゃんの口からは言いにくそうだから、衛さんから聞いた話をまとめて話すわ」

 

 彼女の口から、うさぎと衛がテロス密林で出会った強敵イャンガルルガ、そしてそれを娯楽のように討ち倒して彼女らと口論し、更には衛と取っ組み合った大男2人組の話が、余すことなく語られた。うさぎが聞く限りは、話に誇張されたところはなかった。

 

「はああああああああああ!?」

 

 だが、ルナから一通りの話を聞いた少女たちは一斉に甲高い声で叫んだ。

 亜美は自分までも彼らに暴言を吐かれたような顔で頬に手を当てた。

 

「『狩りに生きる』のあのコラムを書いてる2人と聞いて心配はしていたけれど、よりによってそんなことを……」

 

「そんな無礼な奴ら、鉄槌を加えてやらなきゃ駄目よ!衛さんもなにいい雰囲気で終わらせてんのよ!」

 

 レイは憤然としてテーブルを拳で叩いた。

 

「うさぎちゃんの優しさが分からないなんて、いっしょ―結婚できないわそのオジンどもっ!」

 

 美奈子が怒りに満ちた顔で毒づく横で、まことは鋭い目で腕を組んでいた。

 

「愛を知らないやつの戯言なんて本当聞くに堪えないね。一発、あたしがぶっ飛ばしてこようか?」

 

「……ちょっと、言いすぎだよ。あの人たちはあたしとまもちゃんを助けてくれたし、多分悪い人じゃ……」

 

 仲間たちの間に満ちる殺気にうさぎが一石を投じるが、まことは首を振って強気に答えた。

 

「どうせ道楽のために狩りをやってんだ。そんなイカレた野郎どもに遠慮する道理なんかないよ!」

 

 美奈子は優しげな瞳で未だ迷いある顔をしているうさぎの肩に手を置いた。

 

「誰が何を言おうと、うさぎちゃんはうさぎちゃんのままでいいのよ。ほら、力抜いて」

 

 レイは、まこととは対照的な強い眼差しを向けた。

 

「モンスターのこともバルバレのことも後回しでいい。今は全部あたしたちに任せて」

 

 有無も言わせない迫力である。

 彼女は亜美と共にうさぎを立ち上がらせ、気遣いながらゆっくりとベッドに座らせた。

 

「……ごめん……」

 

 うさぎは、顔を見上げて仲間たちを真っすぐ見た。感謝と申し訳なさで胸がいっぱいだった。

 彼女たちは、徹底的にうさぎの味方をしてくれている。それは元の世界での激闘、そして今ここにある世界での冒険を通じて築かれた強固な絆によるものだ。

 だが、うさぎの中には一つ、彼女たちへの感情とは別に自分の中で疑念のようなものが生まれていた。

 うさぎはありがとう、と礼を言いつつ、ゆっくりと立ち上がって言った。

 

「……まもちゃんとお話してくる。今回のことできちんと相談したいことがあるんだ」

 

──

 

「船から降りるとき伝えられなかったこと?」

 

 先ほどよりも小さなテントで小さなテーブルを囲んで、2人の男女が向かい合う。

 うさぎは衛の言葉に頷く。

 

「あたし、分からないの。この世界の()を護ればいいのか」

 

 衛は気遣わしげにうさぎを見つめた。

 

「……やっぱり、あの2人組の言ったことで悩んでるのか?」

 

「まもちゃんやみんなはあたしを大切に思ってくれてとても嬉しいんだけど……それとは別に、あの人たちの言うことを否定しきれない自分がいるの」

 

 今から思うと、ヘルブラザーズの発言を前提とすれば先日のイャンガルルガの行動に納得がいく。銀水晶の輝きを見てから衛をいたぶり始めたのは、自分が秘める力に気づいたせいではないかと彼女は思っていた。

 

 銀水晶の蕾が花開くのを待ち望む、純粋な興味を孕んだ視線。

 

 あれが死も顧みずに戦いを望んでいたならば、うさぎを挑発することで銀水晶を暴走させ、その力を使わせようとした可能性すらある。

 今となってはただの推測でしかないが。

 

 以上の自説を伝えると、衛は悲しげな微笑みでうさぎの瞳を見つめた。

 

「やっぱり、うさこはまず相手を理解しようとするんだな。そこは全然変わらない」

 

 彼はそのまま、机上の彼女の手を自身の掌で包んだ。

 

「でも、あんな傲慢な男たちに同情する必要がどこにある?うさこはきちんと、護るべきものを護れてるじゃないか」

 

 陽が昇るにつれて賑やかになる外の市場とは裏腹に、本棚が並ぶテントの中は静まり返っていた。

 

「……護れて、ないよ」

 

 震える声と手に、衛がはっと目を見開いた。

 やがて彼女は頬を引きつらせ、涙目になって叫んだ。さっき止んだはずの涙が再びせりあがってくる。

 

「まもちゃんやみんなには分かんないよ!モンスターを相手にする度に、自分が自分じゃなくなっていく気持ちなんて!」

 

 思わず、衛ががたりと音を立てて立ち上がった。

 

「うさこはうさこだ!それに変わりはない」

 

「違うの。あたしはもうあたしじゃないの!沼地に行った時から、もう!」

 

 衛は顔をしかめながら腕組みして話を聞く。

 

「あの時、レイちゃんを傷つけたショウグンギザミを見てあたしはすぐ剣を抜いたの。何の躊躇もなくよ」

 

 かつての自分に震えながらうさぎは語る。

 

「その時はあの子を倒す以外の方法が浮かばなかった。あたしは、あたしは怒りに任せて命を……」

 

「あれは、言ってしまえば蟹の種類だろう?あいつらに人のような感情はない。仕方がないことだ」

 

「ねえ、そう考えてるのが怖いって思わない?」

 

 逆に、うさぎは自分から問いかけた。衛は虚を突かれたように突っ立った。

 

「あたしは怖いよ。そうやって命に線引きしてる自分が怖い。これは大切、これはどうでもいいって。あたしはずっとそれをこの世界で……」

 

 痺れを切らしたように、衛は顔を彼女に近づける。

 

「……その気持ちを、調査からの帰り道で伝えてくれれば!」

 

「あの時は自分でも分からなかったのよ!」

 

 うさぎは首を振って泣き叫ぶ。

 衛は顔を背け、悔いるように眉をひそめた。

 

「やっぱり俺はあの時無理やりにでも止めるべきだったな、こんなことになるなら」

 

「今は今の話をしてるじゃない。今から言ったって遅いわ」

 

 そのやり取りを、うさぎの仲間たちはちびうさと共に並んでテントの外から聞いていた。

 

「喧嘩してる……」

 

 耳を傍立てていた亜美は、不安そうな顔で呟いた。

 美奈子は腕を組んで、予想通りという風に頷いた。

 

「どうしてもって言うから来たけど、やな予感はしてたのよ」

 

「うさぎちゃん、ずっと我慢してたんだね」

 

 まことがそう言う横で、ちびうさは地べたに三角座りでうつむいていた。

 

「……ちびうさちゃん」

 

 ルナがそう呼びかける傍で、レイもちびうさを気にかけて言った。

 

「実の娘としては複雑でしょうね。もうそろそろ、入ってった方がいいんじゃ……」

 

 彼女は意を決したようにテントのドアカーテンに手を伸ばしかけた。

 そこに、一つの影が通りかかって呼びかけた。

 

「ねぇ君ら、ウサギさんとマモルさんって人、知ってるかい?」

 

 彼女たちはいきなり話しかけられて驚いたが、その声の持ち主に振り向いて美奈子が反射的に答えた。

 

「えっ、この中で喧嘩してますけど」

 

 男の影は、それを聞くと参った、といった様子で頭をぽりぽり掻いた。

 

「そうか~。ちょっと用があってきたんだけど……お邪魔かなぁ、今」

 

──

 

「ミメットに見せられた夢に、なるちゃんや元基お兄さんが出て来たわ。みんないつもみたいに笑ってて、優しかった」

 

 叫び疲れたのか、うさぎは椅子に再び腰掛け、目を赤く腫らしながら小さく答えた。

 

「あの時はモンスターたちのことなんか完全に忘れて、これが現実なんだって簡単に騙されてた」

 

「……うさこ……」

 

 衛の声を横に聞きながら、彼女は手で顔を覆った。

 

「あの夢を、ココット村でも見てたんだわ」

 

 互いを想い、庇い合い、共通の敵に立ち向かう夫婦の姿。

 金色の鱗が生えかけた飛竜の子を、胸に抱いたあの日が目に浮かんだ。

 彼女の無垢ながら凛々しさを漂わす瞳が、今でも鮮明に思い出される。

 

「あれだけに救いを求めて、これがあたしの護る世界だって思い込んで……」

 

 続いて浮かぶは、先ほどとは真反対の、どこまでも暗く冷酷な瞳。

 ゲネル・セルタスとアルセルタス、ショウグンギザミ、イャンガルルガ、そして、ヘルブラザーズ……。

 

 

「その思い込みを、勝手にこの世界に押し付けてただけだったんだ」

 

 

 手に覆われたなか、瞳から涙が零れ落ちた。

 それが指の間からぼたぼたと落ち、床に染みを作ってゆくのを見て、たちまち衛は顔を歪めた。

 彼が掌を額につき、どうしようもなく椅子に腰を下ろしたその時だった。

 

「あー、ちょっといま、時間いいかい?」

 

 呼びかけて来た声に2人は振り向いた。

 ドアカーテンが開けられて光が差し込んでおり、そこに1人の男の影が見える。

 

「あんたか、イャンガルルガの喧嘩を買って出てくれたお嬢ちゃんってのは」

 

 そう言って笑ったのは、とんがった鼻と耳が特徴的な、髪を後ろに束ねた若者の男だった。

 彼は入口からこちらに向かって長いキセルを差していた。

 2人は共に腰を抜かし、慌てて後ろに下がった。

 

「あっ、ごめん。お取込み中なら後でもいいよ」

 

「だ、大丈夫です!やましいことなんかどこにもないですから!!」

 

「……説得力ないな」

 

 衛の腕にひっついているうさぎは慌てて手を振って誤解を解こうとするが、衛は彼女を見て呆れたように呟いた。

 男の後ろを見ると、仲間たちの髪の毛がちらほらと見えている。彼女たちは、彼を仲裁役のようにして投入を目論んだのだろう。

 なら遠慮なく、と男は勧められた席に座った。彼は白い半袖の着物に黄色い袴を履いており、背には書物の束が入った大きな壺を背負っていた。

 

「俺、君らがこの前行ったテロス密林の近くの村長。ジャンボ村ってとこなんだけど覚えてる?」

 

 彼の口調は陽気で、初対面の相手でも怖気づいた様子はなかった。

 

「ジャンボ村……!あの、あたしと同じくらいの背の受付嬢さんがいた?」

 

 すぐにピンと来たうさぎに、村長は「話早いね!」とキセルを差し向けた。

 彼は苦い顔をして、手を広げながら話した。

 

「いやー、ホンットーにあの時はヤバかったんだよ!頼れる奴らは他の依頼やらギルド共同調査に駆り出されてた途中で、その時に限って来やがったんだ。イャンガルルガの野郎がな!」

 

 彼によると、あの妖魔化生物の大量発生と環境破壊はやはり、妖魔化したイャンガルルガがその闘争本能により動くものすべてに喧嘩を吹っ掛けまくった結果なのだという。

 

「オイラは放浪の旅をしてたもんで、報せを聞いて急いで帰ったら、パティのヤツに顔見るなり思いっきり泣きつかれてさ。ほんと怖い思いさせちまって申し訳なかったよ」

 

「村は大丈夫なんですか?」

 

 うさぎが急ぐように聞くと、村長は満面の笑みで答えた。

 

「ああ!密林こそ大損害を被ったが、村は全くの無傷さ。一度村を出た奴らも戻ってきてくれてるよ」

 

 ほっと胸を撫でおろしたうさぎを見て、彼は目を細めた。

 

「あんたたちが真っ先にイャンガルルガの喧嘩を買ってくれたおかげで、この村が妖魔に焼かれずに済んだ。改めて心から礼を言うよ」

 

 村長は懐をまさぐると、じゃらりと重い音がする巾着袋を取り出して放り投げた。

 

「ほら、報酬に上乗せだ!」

 

「ひ、ひぇっ!!」

 

 うさぎは受け止めた袋の予想外の重さに、腰を大きく沈めかけた。

 慌てて、衛が下から支えて事なきを得た。

 

「こ、こんなのいただけません!」

 

 衛が急いで村長に返しかけると、彼は両手をこちらに振って受け取ろうともせずに笑った。

 

「いいっていいって、むしろこれじゃ足りないくらいさ。親友からも、自分の思い出の村を代わりに護ってくれてありがとう……って言付け貰ってるぜ」

 

 村長は背を向け、手を振りながら出口へと足を運ぶ。

 

「これからも応援してるぜ、美少女ハンター軍団さんたち!」

 

 男は風のように来て、風のように去っていく。

 うさぎは雑踏に消えていくその背中を見つめていた。

 




男女の喧嘩って書くの難しい……あと来週の第三弾アプデ渾沌マガラ嬉しい!


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可憐に、凛々しく④

 

 

「よし、それではこれから『妖魔討伐取り敢えずお疲れ様パーティー』、始めるとするか!!」

 

 

 その夜、我らの団の2人と少女たちが、集会所前の大通りで円卓を囲み杯を交わした。

 満点の星空のもと、蝋燭で照らされた即席のテーブルの上に集会所から取り寄せた料理が所狭しと並ぶ。

 熱々に炙られた巨大な肉の照り焼き、せいろの中から湯気を上げる中華風の点心セット、色とりどりの野菜と水産物を煮込んだスープ、カットされた南方の果物の盛り合わせ、その他諸々。

 統一性や細やかさはないものの、今日も汗をかいて働いた身を芯から喜ばせる品々だった。

 

「毎日身体動かしてるから、罪悪感なくてさいこ~!」

 

 うさぎはあちこちに手を伸ばし、むしゃむしゃと頬張る。

 さっきからそれを見ていたレイはいよいよ目を吊り上げる。

 

「ちょっと、行儀悪いわよ、うさぎ!ほら、衛さんもドン引きしてる!」

 

「いや、俺はどっちかというと団長さんへの申し訳なさの方が……」

 

 衛は、豪勢な食事を目の前にして苦笑いした。

 これらの料理の出費はすべて、団長持ちだった。猫も含めると総勢10人以上であるから、その額は中々バカにならないだろう。

 当の本人はビールをカッくらいながら衛の肩を叩く。

 

「はっはっは!飲め、食え、もっと!お前さんたちも早くせんと、お嬢ちゃんに取られちまうぞ!?」

 

「そ……それでは、遠慮なく」

 

 亜美はそっとパンに手を伸ばし両手で持つと、端っこをはむ、とかじった。

 隣のまことは、匙に乗せたとろとろの野菜あんかけを目の高さまで持ち上げ、物珍しそうに見つめる。

 

「この味つけ、珍しいな~。また料理の参考にしてみようっと」

 

 一方美奈子は、じろじろと料理を目で物色する。

 

「よーし、あたしはデザートから~」

 

 目をつけたのは、ガラスのカップに盛られたイチゴのシャーベット。

 正直かなり我慢していたらしく、彼女はごくりと唾を呑みこみ、震える手で器を持ち匙で中身を掬う。

 それを口に入れた途端、彼女は目を見開いて飛び上がった。

 

「あっ、これおいひーーーー!」

 

「えーっ!ちょうだいちょうだいちょーだーい!!」

 

 うさぎは目を疑うほどの速度で、遠く離れた皿に向かって手を伸ばす。

 

「こんな強欲なヤツが所によっちゃ英雄扱いされてんの、未だに納得いかないわ!」

 

 ちびうさが小さな中華まんを頬張りながら呟くと、その場に爆笑が巻き起こった。

 その後は一気に賑わいが大きくなり、宴は盛り上がっていく一方だった。

 受付嬢のソフィアは、テーブルから少し離れたところで椅子に腰かけホットドリンクを啜りながら宴を見守っていた。

 

──

 

 賑やかな宴のあと、熱気は湯のように自然に冷め涼やかな雰囲気が漂う。

 だがそこに蒼い鎧の銀髪の男が現れたことで、場は再び活気づく。

 

「すまない、遅れてしまった」

 

「あっ!!お仕事お疲れ様でーす!」

 

 美奈子が笑顔で元気ドリンコを勧めると、彼はそれに頷いて受け取った。

 続いて、後ろに付いてきたルーキーがテーブルに乗った多くの皿を残念そうに見つめた。

 

「あっちゃー、もうちょっと早く来たらありつけたのにな~」

 

「こら、はしたないわよ」

 

「いてっ!冗談っスよ冗談」

 

 彼が隣のガンナーに肘でどつかれるのを見て、亜美は微笑んで席を立った。

 

「デザートはまだ残ってますから、どうぞ」

 

「よっしゃあ!団長さん、ゴチになりまぁーす!」

 

 ルーキーは団長に向かい掌を合わせてから席に着き、いかにも美味そうにタルトを頬張り始めた。

 

 うさぎはそこから少し離れた椅子に深く座り、机に背もたれて自身の腹をぽんぽん叩き、楊枝で歯を掃除した。

 

「ふぃ~、食った食ったぁ~」

 

「完璧にオヤジね」

 

 隣に座ったちびうさが皮肉っぽく呟く一方、リーダーが元気ドリンコ片手にうさぎの横に歩いてきた。

 

「早朝に報せを聞いた時はどうなることかと思ったが、その調子なら問題ないな」

 

「あっ、リーダーさん、これはあの、その……」

 

 うさぎが咄嗟に姿勢を正し、口を手で隠して答えようとすると、ちびうさがすぐ隣に顔を出して意地悪い笑みを浮かべる。

 

「うさぎは、食って寝て遊んでりゃ大抵の悩み吹っ飛ぶのよねー」

 

「ヨケーなことゆーな!」

 

 彼女はちびうさの耳を引っ張って叱責するも、すぐに怒り顔を苦笑に変えた。

 

「それに、こんな時に足踏みしてたらバルバレを護ることなんてできませんし」

 

 今朝やってきた、とんがり鼻の若者の笑顔が頭に浮かんだ。

 自分が迷えば、誰かが必ず犠牲になる。今度迷ったら、次に奪われるのはバルバレの人々の笑顔だ。

 うさぎの碧眼に翳りが入る。

 それを見てリーダーは唇をかみしめ、やや苦い顔で口を開く。

 

「また正義感に従って行動するのか?その前にまず自身の状態への客観的視点がなければ……」

 

 彼の言葉は、少女がゆっくりとかぶりを振ったことで立ち消えた。

 

「正義とか平和とかじゃなくって、あたしは好きなもののためでしか戦えないって今回分かっちゃいました」

 

 ちびうさが彼女の悲しさの入り混じった笑顔を見上げた。

 コップを口に近づけていたリーダーの手の動きが止まった。

 見開かれた目で、うさぎの瞳を覗き込む。

 

「君は……」

 

 リーダーはそこまで言ってしばらく沈黙を保つと、続きを言うのを諦め背を向けた。

 

「……何でもない。では、私は少し食事を取ってくる」

 

 そのままリーダーは仲間たちと筆頭ハンターの間に混じっていった。

 それを見送った団長は干し肉のつまみ、モスジャーキーをかじりながら彼女たちの近くにあった椅子に座り、テーブルに肘をついた。

 

「いやぁ、楽しいなあ。こうやって飯を囲むのは」

 

「はい!」

 

 元気な返事を聞くと、彼は集会所である竜頭船を見やった。

 

「後れは取ったが、必ず取り返して魔女の正体を見極めてやる。今のうちに英気養っとけ」

 

 うさぎは頷きながら、残ったパンの欠片を口に放り込んだ。

 彼は咀嚼したつまみを呑み込むと、ジョッキをテーブルに置いてうさぎに微笑んだ。

 

「どれ一つ、酒のあてにでも本音を寄越しちゃくれねえかい?」

 

 えっ、とうさぎは驚いた顔をした。

 

「聞いたよ、何やら不安なことがあるみたいじゃないか。いらんお節介かもしれんが、何かの拍子で良い言葉が見つかるかもしれん」

 

 団長は、頭を自身の人差し指でこんこんとつついてみせる。

 少し迷ったうさぎに、ちびうさが彼女の顔を覗き込んで言った。

 

「うさぎ、言ってみなよ」

 

「ちびうさ……」

 

「団長さんとソフィアさん、あたしたちよりずーっといろんなこと知ってるのよ!」

 

「そっか、あんたよくお話聞いてるもんね」

 

 ちびうさは原生林での一件以来、亜美だけでなく受付嬢ソフィアから様々な話を聞かせて貰っているのだ。

 うさぎは団長とソフィアに向かいなおった。

 

「……じゃあ、お言葉に甘えて」

 

 彼女は、密林でのイャンガルルガ、ヘルブラザーズとの出会いと対決を語った。

 既に話を聞いているちびうさは特に驚かず、団長とソフィアも至って真面目な表情で聞いていた。

 

「なるほど、あの2人組に……いかにもあいつらが言いそうなことだ」

 

 団長は、ほとんど空になったジョッキを机に置き腕を組んだ。これで3杯目である。

 しかしその瞳は確かに理性を保ち、顔も赤くない。

 

「氷山の一角、ねえ」

 

 ソフィアはややむすっとした顔で立ち上がった。

 

「私から言わせてもらえば、その人たちが見てる世界だって氷山の一角です!この世界にはそういう残酷なこと以上に、数え切れないくらい素晴らしい生命の姿があるのに!」

 

 木製のポットに入ったホットドリンクをコップに継ぎ足した。

 

「どんな経緯でその考えに至ったかは分かりませんが……。うさぎさんは恐らく、モンスターたちとできるなら分かり合いたいと思ってらっしゃるのですよね?」

 

「……はい」

 

 真っすぐ頷いたうさぎは、ソフィアの緑の袖を通した腕が震えるのを見た。

 

「……ですよね!?そうなんですよね!?」

 

 ソフィアは突然駆け寄ってくると、輝いた顔でうさぎと手を繋いできた。

 びっくりしたうさぎをよそに、彼女は激しくその手を振りまくる。

 

「やっぱり!!貴女という存在が出て来たことに、私は興奮しまくりなんです!!特定のモンスターの愛好家こそあれど、あらゆるモンスターに愛を向けられる御方を見るのは、貴女が初めてで!!」

 

 話を聞いていた時とは対照的な興奮のしようだった。

 

「は、は、はい!?」

 

「やっぱ変わってるわこの人……」

 

 ちびうさはジュースをすすりながら、改めて納得するように呟いた。

 団長はふっと笑いながら彼女たちのやり取りを眺めている。

 

「ただ一つ、私の立場から言わせて頂きますと」

 

 咳払いをすると、ソフィアは表情も姿勢も正して言った。

 

「彼らの存在は、私たちを脅かすためにも、喜ばせるためにもいるわけじゃありません。ただ単にそこにあるだけです」

 

 仲間と筆頭ハンターたちのざわめきが遠く聞こえた。 

 彼女は少し寂しそうに微笑んだ。

 

「あの子たちはどれだけ必死に訴えようと、貴女の優しさに共感して反省したり、感激してもくれません」

 

 うさぎの視線が下がり、唇をきゅっと結んで拳を握り締める。

 ソフィアは顔を少し近づけ、うさぎの瞳を下から覗き込んだ。

 

「かと言って彼らは、貴女の考えに反発もしませんし、増してや嘲笑いもしません。ただ本能にどこまでも正直に生きてるだけで、そこには何の意味もないんです」

 

 うさぎはつらそうな色を秘めた瞳で訴えた。

 

「彼らの生の在り方は、そういう在り方としてあるだけです。そんな生命たちの一挙一動に、私たちニンゲンは埃のように翻弄されているだけ」

 

 ソフィアはこちらを見ながらも、遠いものを見るような瞳をしていた。

 ふと、彼女は団長に似た人懐っこい笑みを浮かべた。

 

「でもそんな中でも、どんな逆風の中でも真っすぐ飛んでゆく貴女の在り方はとても素敵ですよ」

 

 もう一つの方向から声がかかった。

 

「俺もお嬢の言葉に賛成だ」

 

 ソフィアの隣を見ると、団長が脚を組んでいた。

 

「今まで話す機会こそ少なかったが、お嬢の前に立つお前さんの宝石のような瞳には、いつでも大切なものを護ろうとする心が燃えていたよ。それこそ、腰を落ち着ける暇すらないほどにな」

 

 鷹揚とした口調で、彼は脚を解いて腰を据え直す。

 

「でも、もう今は焦らなくていいんだ。やるべきことは決まってるからな。あとは、お前さんがどうしたら満足できるかだけを考えな」

 

 彼は干し肉モスジャーキーの入った小皿を手に取り、うさぎの前に差し出す。

 

「どうしたら満足できるか、かぁ」

 

 彼女はそれを手に取り、口に入れてもごもごとさせた。

 それを見たちびうさが、何かを決心したかのように空のコップを置いて椅子から立ち上がった。

 

「ねえ、うさぎもやっと帰ってこれたんだしさ、モンスターのことソフィアさんからたくさん教えてもらおうよ。そうすれば、この先の不安が減るはずよ!」

 

 うさぎは、ばっとちびうさの顔に振り返る。

 彼女は、テーブルの向こうから視線を戻してきたソフィアを見つめながら話を続ける。

 

「うさぎが密林から帰ってくるちょっと前、ソフィアさんからライゼクスのこと教わったよ。ショウグンギザミとかイャンガルルガのことも」

 

「──ライゼクスのことまで?」

 

 ちびうさはうさぎに振り向くと、うん、と頷いた。

 

「本当に生き物それぞれにいろんな生き方があるんだね。この世界って」

 

 彼女があれほど悪者として憎んでいた、冷酷な飛竜。

 そして、他を寄せ付けず孤独に生きる、どこまでも冷たい瞳を持つ者たち。

 彼らのことをソフィアの口を通して知ったちびうさの瞳は、哀愁の色を帯びていた。

 

「あんなのばかりずっと相手にするなんて、きっと大変だったよね。ちゃんと調べる時間もろくになかったのに、うさぎは本当によくやった方だよ」

 

 幼い少女に似つかわしくないほど、緋色の口ぶりは複雑な感情を内包していた。

 

「そういう辛い気持ちを全部背負って、せめてあたしたちやここの人たちを護ろうってがむしゃらになってたんでしょう?」

 

 うさぎはしばらく、驚いた顔でちびうさの顔を見ていた。

 

「ちびうさ……ホントにあんた、たまにびっくりすること言うわよね」

 

 ちびうさはにへっと得意げに笑った。

 

「あたしたち、どれだけの付き合いって思ってんのよ?曲がりなりに長く一緒にいるんだから」

 

 すぐに子供らしい瞳の輝きを取り戻すと、彼女は得意げに口角を上げていた。

 

「それに、知らないことを知るのって単純に楽しいのよ!まぁうさぎは勉強なんか嫌いだろうだけど、ちょっとは試してみたら?」

 

「もう、最後の言葉で台無し!」

 

 うさぎの嘆きに、団長とソフィアは砕けたように笑う。

 だが、彼女の心は先ほどのちびうさの進言で決した。

 金髪の少女は立ち上がり、ソフィアに真っすぐ向かい合った。

 

「……ソフィアさん。どうか、教えてください──」

 

 すう、と息を吸い込んだ。

 

「──あたしたちの探してるモンスター、『ゴア・マガラ』について、もっと深く」

 

 ソフィアは大きく頷いて、笑顔で答えた。

 

「はい、ぜひとも。お役に立てて嬉しいです!」

 




ソフィアさんもソフィアさんでモンスター相手には主観入りまくるけど、知識はちゃんとあるので生命観についてはキッチリとしてると思う。


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可憐に、凛々しく⑤

 

「うさぎさんは恐らく、『狩猟のための情報は完璧だけど、それ以外がカラッキシだよ!えーん!』て状況ですよね?」

 

「な、なんで分かったんですか!?エスパー!?」

 

「んなわけないでしょ」

 

 びっくりしたうさぎにちびうさが冷静にツッコむと、ソフィアはにっこりと微笑んだ。

 

「狩猟と関係ない専門的知識は、一般的なハンターには不要なので流通しづらいんです。貴女たちがモンスターの生態を深く知らないのはある意味当たり前なのですよ」

 

 ソフィアは懐から図鑑のように厚いメモ帳を取り出すと、赤いネクタイを締め直した。

 

「これからお話することは、学術院に行かない限りほとんどの人々は一生知る機会のないものです」

 

 うさぎとちびうさは、並んで真剣に表情を引き締める。

 彼女が眼鏡をずり上げて分厚い本を開くと、一発でゴア・マガラについて書かれたページが開かれた。

 

「フルフルの件で美奈子さんに怒られたので、今回はしっかり長めに行きますね」

 

 ソフィアは咳払いをすると、滔々とうさぎたちが求めるモンスターについて解説を始めた──

 

 

 

 黒蝕竜ゴア・マガラは、厄災の子である。

 

 彼が撒き散らす黒い鱗粉『狂竜ウイルス』は、まさに今回うさぎたちが調べている『妖魔ウイルス』と似て、それを吸い込んだ生物の体を蝕み影響を与える。

 妖魔ウイルスとの違いは、感染者が凶暴化し他者を傷つけることで感染が爆発的に広がること。彼が黒い外套を背負って道を征くたび、生命たちは狂って争い血河を築く。

 

 永い放浪ののち、彼は自身の黒き鱗を砕き内側から打ち破る。

 そこから生まれるのは、それまでの姿とは正反対に眩き光を放つ龍の姿。

 

 

 その名も天廻龍(てんかいりゅう)シャガルマガラ。

 

 

 闇から光へと転生した彼は、成長を果たすと雲上に聳える山の一角『禁足地』へ行く。

 そこが彼の放浪の終着点であり、故郷なのだ。

 天を廻ってきたその龍は、大量の狂竜ウイルスを山風に乗せ周辺一帯へ撒き散らす。

 

 風に混じるのは、新たなゴア・マガラを産む『卵』。

 いずれそれはウイルスに感染した者の身体を突き破り、新たなゴア・マガラを産む。

 

 闇から産まれた彼は、常闇に光り新たな闇を産む、死の輪廻そのものとなるのだ──

 

 

 

「伝承によって、さまざまにその惨状が語られています。山の頂に神が降りたとか、悪しき風が吹いてきたとか。そして最後には生きとし生ける者がみな争いあい、最後には死に絶え山に沈黙が訪れたのです」

 

 覚悟していたとはいえ、うさぎも、そしてちびうさも、予想以上に重くおぞましい話に顔を暗くしていた。

 ソフィアは本を閉じると苦笑いした。

 

「……すみません、ちょっとこの席には似つかわしくない話だったかもしれません」

 

「大丈夫です!こっちが言ったことですから!」

 

 慌てて、うさぎは気丈に手を横に振る。

 そこで彼女は何かを思い出し、ずいと椅子に座る身体を前に傾けた。

 

「もしかして、我らの団のハンターさんはそのシャガルマガラと戦ったんですか?」

 

「おおっ、鋭いな!」

 

 団長は感心したように目を見張った。

 

「森丘で初めて会った時に、竜人商人さんが言ってたんです。あの人は、悪意なき大厄災の化身と戦ったことがあるって」

 

 うさぎの言葉に、ソフィアは深く頷いた。

 

「そう、これまで貴女たちが戦ったモンスターと同じく、彼自身に悪意はありません。ただその生き方がたまたま、周りにとって脅威だっただけ」

 

 彼女の瞳は憐憫の色を表すも、口調ははっきりとしていた。

 

「そして我らがハンターさんは人としてそれに抗し、たった1人で死線を潜り抜け、かつてかの地に降り立った彼を討ち果たしたのです」

 

 ちびうさは呆れかえったように椅子に手をつき、天を見上げて言った。

 

「すごいなぁ!そんな物語の主人公みたいな人がこの世にいるんだ!」

 

 まだ見ぬその人物を思い浮かべていると、うさぎの脳裏に一つのことがよぎった。

 

「そういや、ハンターさんが行ってる調査の調子はどうなんですか?すごい人たちが勢ぞろいなんですよね?」

 

 団長はにやりとしてぱちんと指を鳴らし、アイルーの給仕が持ってきたビールの泡溢れる6杯目のジョッキを受け取った。

 

「実際に行ったご本人から聞いた方が早いな。おおいガンナーさん!お団子の嬢ちゃんが、調査のこと聞かせてほしいってさ!」

 

 美奈子と話していた筆頭ガンナーが立ち上がった。大人らしい微笑みを浮かべながら、うさぎとちびうさの隣に座る。

 

「いいわよ。ネルスキュラの時の約束を果たす時ね」

 

 彼女は手元に黄金芋酒の入ったコップを置き、中の氷をカランと鳴らした。

 

 彼女らはうさぎたちに留守番を頼んでいた間様々な地域に出向いていた。

 地底火山、氷海、砂漠……中にはうさぎたちの聞いたこともないような地域の名が出て来た。

 調査で同行した『英雄』たちを語る彼女の目は、普段の冷静さと比べて興奮の色を隠せていなかった。

 

「まさに『英雄』たちの行くところ敵なしよ。彼らは次々に妖魔化した強敵を打ち破り、その中でも強豪の飛竜を軽く10頭は倒したわ」

 

「じゅ、10頭!?その人たち人間なんですか!?」

 

 ほとんどのハンターがその妖しき力を怖れ、クエストを受けようともしない妖魔化モンスター。だが、この世界にはそんな彼らを次々と屠れる者がいるのだ。

 その事実にうさぎは震える。

 だが、そこでガンナーは憂鬱そうにまつ毛を伏せた。

 

「……でもね、肝心の妖魔化したゴア・マガラの痕跡は何一つ見つからないの」

 

「えっ、英雄さんたちが集まってるのに?」

 

 ちびうさが聞くと、ガンナーは頷きながら深いため息をついた。

 

「狩るだけじゃどうにもならないこともあるものなのよ」

 

 いつの間にかうさぎの仲間たちや筆頭ハンターも顔を覗かせ、彼女の話に聞き入っていた。

 

「さて、これからどうしようかと思っていた矢先、出てきたのが──」

 

 

「──『金の竜』という言葉よ」

 

 

「……っ!?」

 

 

「ランサーが学術院経由で魔女の近くに特殊捜査員を潜り込ませていたんだけど、どうもそれが妖魔化現象と深く関わっているみたい。この言葉が魔女にとってどんな意味なのかは、まだ判然としないわ」

 

 うさぎたちが動揺したその目を団長は見つめていた。

 

「──その『金の竜』って……」

 

 うさぎはそこまで呟いたが、その先を躊躇った。

 仲間や猫たちはじっとこちらを見守り、衛はゆっくりと首を横に振った。

 やがて、彼女は苦しげにうつむいて言った。

 

「いえ、何でも」

 

 そんな彼女に、ガンナーは優しく微笑んだ。

 

「金色のモンスターってだけなら世の中にたくさんいるからね。思い浮かべたのが当たりとは限らないわよ」

 

「もし個人的に『金の竜』が気になるなら、飽きるまでとことん追ってみりゃいいのさ!」

 

 うさぎ、そしてちびうさの視線は、迷いなく言い放ちながらビール7杯目を受け取った団長へと向かった。

 

「我らの団は来る者拒まず、去る者追わずがモットーだ!いつでも抜けて、いつでも帰ってくるがいい!いつだって俺たちは全力でお嬢ちゃんたちをサポートするぞ!」

 

 自身の広い胸をどん、と叩いた彼の表情は頼もしく、うさぎたちは思わず頬を緩ませた。

 

──

 

 月が最も高く昇った頃にようやく、うさぎたちは寝床についた。

 周囲の仲間たちは既にすうすう寝息を立てている。

 その中で唯一、一緒の床に入るうさぎとちびうさだけが起きていた。

 うさぎの懐に入っているちびうさが、ふと語りかけた。

 

「……あの子を救ったこと、悩んでるの?」

 

 うさぎははっとして、胸元から呼びかけてきた彼女の赤い瞳を見た。

 

「『金の竜』……ちびうさもあの子のことだって思う?」

 

「そうと決まったわけじゃないよ。あの子、成長が早い以外に変わったところなんてなかったじゃない」

 

 ちびうさはそう言ったものの、うさぎの顔は未だに不安げだった。

 

「それでも、巻き込まれないとは限らないじゃん」

 

 かつて森丘で救った金のリオレイア。

 仮にあの幼体が探すべき『金の竜』としてギルドに認知されれば、実際には何の関係が無かったとしても後を追う者が出てくるかもしれない。

 それがうさぎにとってはどうしても不安だった。

 

「ほんと、心配性なんだから」

 

 ちびうさはやれやれ、と言う風にため息を吐いた。

 うさぎはむっとした顔でちびうさに訴えかけた。

 

「だって、あの子はあたしが助けたくて助けたんだもの。そのせいで不幸な目に遭ったりしたらやりきれないわ」

 

「じゃあ、もしあいつらの手先になってたらどうするつもりなの?」

 

 ちびうさが問うと、うさぎは目線を落とした。

 

「分からないよ、その時になってみないと。……でも、もしかしたら」

 

 幾多の命が脳裏に浮かぶ。

 

 父と母に護られ育つ命。

 相方を道具としてしか扱わない命。

 孤高に生き、戦いと常に共にある命。

 一つ処に集い、自分たちを取り巻く命たち。

 

 そこには常に誰の思い通りにもならず、ただありのままにある彼らの姿があった。

 うさぎはそれら全部を護ろうと言いながら、実際に護ろうとしていたのは自分が護りたいと思える命の姿だった。

 恥ずかしげもなくそれを正義だと信じていた自分への後悔が、彼女の心を沈める。

 うさぎは目に見えないものを見つめながら呟いた。

 

 

「この世界に、元々あたしなんて必要ないのかな。今までやってきたこと、全部あたしのただのわがままなのかな」

 

 

「……うさぎ」

 

 ちびうさが見つめたまま呟くと、二段ベッドの上でぎしり、と音がした。

 

「わがままでいいんじゃない?」

 

 2人がベッドから這い出して見上げると、まことが上段からこちらを見下ろしていた。

 テント内の明かりは消していたが、月光のお陰でうっすらとその顔が見えた。

 髪を傷めないためポニーテールは解いて、下ろしている。

 

「まこちゃん、聞いてたの?」

 

「へへ、ごめん。今聞いてたら原生林の時のこと思い出してさ」

 

 まことはベッドに再び寝ころぶと、天井を見たままうさぎたちに聞こえるくらいの声で話した。

 

「ランサーさんから聞いたんだ。生き物の形に元から善悪なんてなくって──モンスターの妖魔化でさえ、進化の一環でしかないかもって」

 

 ちびうさが目を見開いた。

 

「まこちゃん、ルーキーさんと同じようなこと聞いてたんだ!……でもあれ、デス・バスターズが悪巧みしてやってることだよ?」

 

「そう分かってはいるんだけどさ、ああ真面目な顔で言うとそれっぽく聞こえちゃうんだよな」

 

 まことは寝転がり、穏やかな口調で語りかけた。

 

「あのランサーさんからそういう意見もあるくらいだし。うさぎちゃんもあれが善いとか悪いとか気にしすぎない方がいいよ。少なくとも、あたしたちはうさぎちゃんが悪いとは思ってないけどね」

 

 それを聞き、ベッドの端に腰かけるうさぎはテント内に眠る仲間たちに視線を向けた。

 テント内部の外周を回るように置かれた2段ベッドに彼女たちは眠っている。

 

 内側に包まるように、行儀よくすうすうと寝息を立てる亜美。

 巫女らしく、和布団に入った時のように整然として眠るレイ。

 半ば足をベッドから出し、いびきを搔いてアルテミスの眠りを妨げながら腹を掻く美奈子。

 

「うさぎちゃんのやったことに悪意は一つだってなかったし、むしろこの世界に貢献しようと頑張ってた。それだけで十分だよ」

 

「……ありがと、まこちゃん」

 

 うさぎは出かけていた涙を拭う。自分への後悔が完全に消えたわけではなかったが、ずっと共に戦ってきた親友の言葉は身に染みるものがあった。

 

「ん。じゃあ、体力回復次第、ミメットぶっ飛ばしてやろうぜ」

 

 うん、と頷いて寝床に伏すと、少女の瞼をまどろみが覆って閉じさせた。




渾沌ゴア、ムービーが悲惨になってて涙でそうになったぜ…あとアマツマガツチ復活の可能性があると聞いて浮足立ってる


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可憐に、凛々しく⑥

 

「ヌハハハハハ、貴様ら!歌姫様のご来光まで今日でいよいよ1週間を切った!このバルバレも、かの方が来られた暁には永遠なるラブ&ピースがもたらされることだろう!!」

 

 小さな酒場に人々が集まっていた。

 一段高い壇上で意気揚々と演説するのは、白い羽衣を着た教祖。

 ここはバルバレの中心から少し外れた地域であり、50名は軽く超える白い軍団が、他には誰もいないその砂上船内の酒場を占拠していた。

 赤色を秘めた彼らの瞳は、狂気ともとれるほど熱狂的な笑みを浮かべる。

 

「しかし!我らが主ミメット様が仰るには、魔女どもは我らの団、筆頭ハンターと結託して抵抗している模様。残念ながら、集会所前のエリアは未だに奴らの天下!」

 

 同意を示す憎悪に染まった叫びが次々に飛び、酒場を揺るがす。

 教祖はそれを聞き届けてからジョッキを取り出す。そこには泡を盛ったビールがなみなみと注がれていた。

 

「それでも、我々は決してネバー・ギブ・アップ!!妨害に屈せず、必ずや祭を成功させるぞ!すべては歌姫様とミメット様の御心のままに!!」

 

 ジョッキを天高く持ち上げ男が叫ぶと、周りの団員たちも「御心のままに!」と続けそれぞれの盃を掲げる。

 高揚感に乗せて彼らが杯を傾けようとしたとき──

 

 

 雷が落ちる。

 

 

 数多の悲鳴と共にジョッキが落ち、テーブルや椅子が倒れ、ビールの池が出来上がった。

 

「な、なんだ!?」

 

「この雷鳴は、まさか……!!」

 

 騒いでいるうちに、船上から続く階段の上で激しい物音がした。

 

「とおりゃーーっ!!」

 

 投げ飛ばされた見張りの団員たちが階段を転がり落ち、部屋の隅に積み上がっていく。

 陽の差す上から酒場に駆け下りてきたるは、木星を守護に持つ保護の戦士、セーラージュピター。

 教祖の髭面が真っ青になった。

 

「ま、魔女どもだ!」

 

「裏口から逃げろ!」

 

 団員たちは大騒ぎで入口とは真反対側にある下側への通路へ集う。

 そのうちの1人がしゃがみこみ、床にある蓋の取っ手を掴もうとすると、蓋の隙間から火花が散り、蓋全体が急速に焼けて溶けていく。

 彼が怯えて飛び下がった瞬間、火柱が噴火のように床を天めがけて貫いた。

 蓋の無くなった通路から、黒髪を振り乱して年端も行かない少女が飛び出す。

 その名は、火星を守護に持つ戦いの戦士、セーラーマーズ。

 

「マーキュリー、周りに人は!?」

 

 彼女の言葉に集団を挟んで向こう、ジュピターの隣に姿を現した水星を守護に持つ知の戦士、セーラーマーキュリーがバイザーを確認した。

 

「大丈夫、いないわ!」

 

「じゃあ、好き放題暴れていいってわけね!?」

 

 金星を守護に持つ愛と美の戦士、セーラーヴィーナスがマーズに続いて飛び出し、戸惑う彼らの前に降り立った。

 

「……酒場は他の人のだから、なるべく壊さないようにね」

 

 マーキュリーは、闘志盛んな仲間たちに心配げに忠告をした。

 一番最後に梯子を上って穴からそっと顔を出したのは、月を守護に持つ神秘の戦士、セーラームーン。

 

「は、はわわ……すっごいかずぅ……」

 

「ちょっとセーラームーン、驚いてる暇ないでしょ!」

 

 彼女に肩車してもらっているのは、未来の戦士見習いセーラーちびムーンである。

 ここに、6人の美少女戦士が集結した。

 教祖は憔悴しきった顔をしていたが、勇気を振り出すように叫んだ。

 

「ま、魔女め、やはり姿を現したか!追い詰めたつもりだろうが、こちらとて準備はしているんだぞ!」

 

 団員たちはみなボウガンを取り出し、鎧を着た守護兵が槍を番えて団員の前に出る。

 守護兵たちは団員と教祖を護るように盾を構えながら槍を突き放ったが、ジュピターは軽々とそれをかわす。

 

「なんだい、その攻撃!?ランサーさんに比べたら全然まだまだだね!!」

 

 彼女は大男の懐に入ると、裏拳で相手の腹を殴った。

 

「ぐはっ……」

 

 崩れ落ちる相手に構わず、少女は次々に守護兵の盾を徒手空拳で打ち破っていく。

 咄嗟に内側の団員たちが彼女めがけて一斉にボウガンを番えた。

 

「えっ、ホントに撃っちゃうの!?」

 

 それに驚いたのは戦士ではなく──教祖だった。

 

「撃ちますとも!手加減すれば、狩られるのはこっちです!」

 

 迷いのない動作で引き金に手をかける団員に、教祖は慌てて呼びかける。

 

「あーっ、ちょっとストップストップ!流石にワガハイ、おなごを傷つけるのは趣味じゃ……」

 

「クレッセント・ビーム!!」

 

 ヴィーナスが手から発した光線が精密にボウガンのみを撃ち抜き、次々とガラクタへ分解した。

 教祖はあんぐりと口を開けていた。

 

「あたしたちが近接格闘しかできないと思ったら、大間違いよ!」

 

「ちくしょうっ、なんて精密速度だ!」

 

「怯むな!数はこちらの方が多いぞ!」

 

 団員たちはなおも抵抗しようと武器を取り出す。教祖は呆気に取られて戦いを見守るしかない。

 マーキュリーが手元に冷気を生成し、それを床目がけて放った。

 

「シャボン・スプレー・フリージング!!」

 

 ボウガンを構えて階段側の前線に出ようとした団員たちの足元が凍り、脚を取られてすっ転んだ。

 後に続いていた者たちは突然前が倒れ込んできたので混乱に陥る。

 マーキュリーは氷の床を張り巡らすことで団員たちの機動力を奪うだけでなく、行動範囲をも制限したのだ。

 

「数の少なさなら、既に織り込み済みよ」

 

 弱り切った表情を見せた団員の1人は、裏口側にいるセーラームーンを睨んだ。

 近くにいるマーズとヴィーナスが、すぐに彼女を護るように立ちはだかった。

 

「そのたんこぶ娘が最優先だ!そいつが放つ光が、一番厄介と聞く!」

 

「たんこぶじゃない、お団子ですぅーっ!!」

 

 ムーンは思わず、自身の頭についたふさふさとしたお団子を掴んで叫んだ。

 

「ちょっとー!ワガハイのことは無視ですかー!?」

 

 残った守護兵たちがセーラームーンたちを包囲し、槍を構える。

 

「わ、わーっ!やめるのだ貴様らー!!」

 

 教祖が思わず眼を背けて叫ぶも虚しく、守護兵たちはセーラー戦士たちを突き刺さんと一気に槍を中心に向けて、放つ。

 

「はっ!」

 

 薔薇が数本、男たちの行く先に突き刺さった。

 彼らが振り向いた先で、タキシード姿の男が酒場のカウンターに座って脚を組んでいた。

 

「タキシード仮面様!」

 

 彼はこちらに振り向くと、腕をばっと広げてマントを翻した。

 

「セーラームーン、セーラーちびムーン、隙は作った!人々の憩う酒場を悪事に使う不届き者を、成敗してやれ!」

 

 ムーンは「はい!」と頷き、スパイラルハートムーンロッドを取り出す。

 慌てて男たちが槍を構え直そうとすると、ちびムーンが咄嗟にセーラームーンの肩から離れ、ピンクムーンスティックを光らせた。

 

「ピンク・ハート・シュガー・アタック!!」

 

 ハート型の光線の輪が、呪いにかかった男たちを怯ませる。

 

「今よ!」

 

 セーラームーンもロッドをマゼンタ色に光らす。

 

「ムーン・スパイラル・ハート・アタック!!」

 

 浄化の力が、男たちだけでなく周囲にいた団員も、そして教祖も含めて船内を満たす。

 

「「ラーーーーブリーーーーーーーー!!!!」」

 

 彼らが叫び、仰け反って叫ぶと妖気が一気に剥され、団員たちは気を失って倒れた。

 ぽつんと残されたのは、顔が虚無と化した教祖ただ1人。

 

 

「ヌハ……ヌハハ……ワガハイ……また……無一文……」

 

 

 そこまで言うと、教祖は泡を吹いて倒れ、気絶してしまった。

 

「やった!」

 

 少女たちは変身を解き、ハイタッチし合う。

 まことは表情を緩ませると、亜美と共に人を踏まないよう気を付けながら、うさぎたちの元に駆け寄る。

 

「やっぱしうさぎちゃんが来てから一気に楽になったね」

 

「えへへー、それほどでもー」

 

 うさぎが帰ってきてから1週間ほどが経った。今はバルバレを我らの団や筆頭ハンターと協力して巡回し、目撃情報があればミメットに呪われた人々を浄化している。

 照れるうさぎをよそに、レイは酒場に横たわる人々を見やった。

 

「でも、これもまだ一部に過ぎないでしょうね」

 

「ホントよ。何度叩いても、そのたびに増えてる気がするわ」

 

 美奈子は同意して、厳しい表情のまま頷いた。

 先日の筆頭ハンターとの共同作戦の後、ミメット勢力はゲリラ化した。

 いつどこで集会や()()()()()()活動を始めるか、予想がつきづらくなったのである。

 

 やがて、洗脳から解けた人々が呻き出した。

 

「大丈夫ですか?」

 

 亜美が元団員の1人を助け起こすと、彼は赤色が抜けた目を困惑して瞬かせた。

 

「あれ……俺は一体何を……」

 

「やっぱり記憶が飛んでるわね」

 

 少女たちは介抱に向かったが、誰1人として怪我人はいなかった。

 そこに、船上から階段の下に影が落ちた。

 

「終わったか!?」

 

 駆け下りて来たのは『我らの団』団長。

 

「団長さん!」

 

 彼はかなり急いできたようで、滝のように汗が流れていた。

 

「遅れてすまん。本当にお前さんたち、駆けつけるのが早いな。これが歳の差ってヤツかな」

 

「いえ、たまたま近くにいただけです。どうぞ、これを」

 

「ああすまん、ありがとう!」

 

 衛が歩み寄って水筒を渡しているうちに、少女たちは後ろ手に持ったそれぞれの変身具を懐にしまい込んだ。

 団長はふうと一旦息をついてから、右手をさっと上げて人差し指と中指、2つの指だけを立ててみせた。

 

「新しく伝えたいことがあって、良い報せと悪い報せがある。どっちから聞きたい?」

 

 少女たちが互いに顔を見合わせてから、レイが答えた。

 

「じゃあ、悪い方から」

 

 団長は黙って頷くと、少しだけ表情を引き締めた。

 

「最近、お前さんたちの悪い噂が出回ってる」

 

 少女たちはぐっと顔を歪め、まことが恐る恐る聞く。

 

「……どういう噂ですか?」

 

 団長はちょうどそこにあった樽に腰を下ろし、水筒の水を宙から口に注いで喉を潤す。

 こくんと美味そうに喉を鳴らして一旦呑み込むと、団長は手ぶりで衛に礼を言って水筒を返し、前に向き直った。

 

「5人組の少女に1人の長身の男と小娘、2匹のオトモには気をつけろ、奴らは魔女かその使いだってさ。白い集団の中では、もはや常識みたいに扱われてる」

 

「なぁんてドンピシャ……」

 

 ミメットの取った露骨な作戦に、美奈子はげんなりとした。

 ユージアルと同じ手口を、彼女はここぞとばかりに使ってきたのである。

 そこで、うさぎはふと気になって聞いた。

 

「……でも、団長さんは何であたしたちを疑わないんですか?」

 

「ん、当たり前だろう」

 

 団長は何を今更、とおどけるように肩を竦めた。

 

「お前さんたちのやること成すこと、演技にしちゃあ全部行き当たりばったりで破茶滅茶だからな!!わっはっはっは!!」

 

 背が反るまでに大笑いする団長に、少女たちは互いに苦笑を浮かべた。

 彼はそのあと、父が子を見るような優しい顔で呟いた。

 

「詳しくは聞かんが、恐らくお前さんたちを個人的に敵視する奴らが糸を引いてるんだろう。まだ若いのに、大変だなぁ」

 

「……団長さんもすみません、あたしたちのためにギルドのごたごたに縛られて」

 

 亜美に同情的な視線を送られると、団長は帽子を深くかぶって苦々しく笑った。

 

「ま、今まで本来の仕事サボって好き放題してたツケだな。こうなったら、とことん付き合ってやるさ」

 

 妖魔化生物の出現が落ち着いたのもつかの間、団長や筆頭ハンターはバルバレギルドの派閥闘争に忙殺された。

 先日見せられたギルド職員の懐柔……もとい洗脳が象徴したがごとく、ミメットの魔の手は既にギルドに及んでいる。

 彼女は自分の団体をギルド公認の組織としたいようであり、団長たちは日々に渡る会議で何とかその攻勢を凌いでいた。

 

「公演を中止できなかったのは良かったんだか、悪かったんだか」

 

 レイが呟くと、美奈子は近くにあった丸いテーブルに腰をかけ足を組んだ。

 

「しょうがないわよ。バルバレの人たち、そのためにたくさん手間もお金もかけて準備してきたんだからそれが人情ってもんよ」

 

 公演を中止する議案は、ギルドに通そうとした時点ではねつけられた。

 歌姫は既にバルバレへ出発しており、連絡を取ることは難しい。それに世論とミメット勢力の反対が重なり、中止は不可能となったのだ。

 そんな激戦を潜り抜けている今でさえ、団長の人懐っこい笑みは絶えない。

 

「だが、お嬢も頑張ってお前さんたちの宣伝をしてくれてる。共同調査中の我らの団ハンターも、その信用に太鼓判を押してくれるって話だ。あいつの信用の高さはシャレにならんぞ?」

 

「……ほんとに、どうお礼を言ったらいいか……」

 

 まことが胸元でぎゅっと拳を握り締めて言うも、団長は何でもないかのように立ち上がって階段の方へ歩き始めた。

 

「感謝は、良い報せを聞いた後に取っておきな」

 

 団長は階段に足をかけると、少女たちに向かって酒場の上──すなわち砂上船の甲板を親指で示した。

 

「今からそれを見せる。ほら、こっちに来てみろ」

 

 少女たちが階段を上るうちに、多くの人の気配を感じるようになった。怪訝に思う彼女らの前で、団長は振り返りつつ説明した。

 

「さっき謎の集団が俺に突然押しかけて来てな。ついに奴さんも実力行使かって身構えたんだが……」

 

 船上に出ると、大勢の男女が彼女たちを出迎えた。

 唖然としながら、うさぎは一番前にいる2人を見た。

 彼らは集団の中でも、一際太く大きい図体を誇っていた。

 

「よお、久しぶり。お団子頭の嬢ちゃんにお仲間さん」

 

「貴方たちは!」

 

 一方は潜水服のようなリノプロシリーズ、もう一方は白く重厚感溢れるハイメタシリーズ。

 男たちが特徴的な兜を外すと、以前より心なしか若返ったような、若さと活気あふれる顔が現れた。

 

「お嬢ちゃんの言う通り、帰省してきたぜ。俺たちの村によ」

 

「美味かったよなぁ?故郷の味は」

 

 ハイメタ男に肩をつつかれると、リノプロ男は血色のよい頬を緩ませながら頷く。

 うさぎは思わず、顔をほころばせた。

 

「行ってきて良かったって顔してるね」

 

 リノプロ男は照れくさそうに笑って答える。

 

「……あんなボロボロで帰ったのに、村のみんなは総出で出迎えてくれてな。辛い状況のはずなのに、誰もそんな素振り一つも見せなかった」

 

 彼の語り方からは、故郷の暖かい雰囲気がそのまま伝わってくるようだった。

 少女たちと団長、そして背後の人々はしんみりとした様子で聞いている。

 

「いつものように親父は仏頂面で薪を背負って、お袋と妹は畑仕事してて……久しぶりに家族の声を聞いて飯を食ってたら、ふと、包み込まれる感じがしたんだよ」

 

 リノプロ男は、うつむいて思い出すように自身の手を見て、それを握り締めた。

 

「俺は家族を支えてると思ってたが……違った。むしろ支えられてるんだって気づいたんだ」

 

 彼は、うさぎの青い瞳を真っ直ぐ捉え直した。

 

「そしてお嬢ちゃんも、その支えてくれたうちの1人だ」

 

 そこに、横からハイメタ男が顔を出す。

 

「おいおい、俺も勘定に入れてくれよ?」

 

「ああ、勿論な。それにあの時俺たちを追い出さなかったお仲間さんも、そして彼氏さんも……思ってみれば、みんなが背中を支えてくれていた」

 

 友人だけでなく少女たちも微笑んで見据えると、リノプロ男はぐっと精悍に顔を引き締める。

 彼はさっと腕を横に広げ、後ろに控える筋肉質な男女を示した。

 

「あんたたちは、俺たちに生きる希望を与えてくれた。これからは、俺たちがお嬢ちゃんたちを支える番だ」

 

 ハンターが割合としては多いが、一般人の数も少なくない。総数にして、60人ほどといったところだろう。

 

「この通り、ミメットの野郎に対抗してくれるって言う有志を集った。いずれも、嬢ちゃんたちに借りがあったり共感してくれた連中だよ。更にこれ以上の協力者がバルバレに潜んでる」

 

 ハイメタ男がそう説明すると、彼ら彼女らは慎んで声には出さないながら、親しみのある顔で少女たちに軽く挨拶をした。

 そのうちの一人が進み出る。

 

「実は、魔女がどういう手口でバルバレ全体を洗脳するかこちらで調べてたんだ。もう、目星は付いてきてる。あとはそこをどう無力化するかって段階だ」

 

「そんなところまで!?」

 

 驚いたまことの言葉に、同志たちの態度は心なしか自慢げだった。

 

「じゃあ、なんで今頃あたしたちに?」

 

 美奈子が聞くと、腕を組んだハイメタ男は抜け目のないハンターらしい目つきになった。

 

「ただでさえ勢力を増してるあいつらに、動きを悟られると厄介だからな。対策できるギリギリのタイミングまで粘ってたってわけさ」

 

「じゃあこれから、お前さん方もいよいよ晴れて大活躍ってわけか」

 

 団長が言うと、リノプロ男は彼にニヤリとした視線を横目で寄越し、うさぎの前に進み出た。

 

「そういうことだ。だから、お嬢ちゃん。これからそちらに協力させてもらえれば嬉しいんだが?」

 

 彼は左腕に楕円形の兜を抱えたまま、右手を開いて差し出した。

 少女たちも団長も笑顔で受け入れ、うさぎは迷わずその手を握って振った。

 

「ええ!ぜひともお願いするわ!」

 

 太陽煌めく青い空に、南方の砂漠から熱風がびゅうびゅうと吹く。それが砂上船の旗をはためかすさまは、彼らの新しい決意を表しているようでもあった。

 

 

 

「あのー……」

 

 

 

 清々しく盟約を終えた面々に、酒場に続く階段の下から陰々とした申し訳なさげな声が呼びかける。

 

「できればー、ワガハイもー、参加させて頂けると嬉しいというか是非そうしてもらわないとちょっと今後が超絶ヤバいのだが……?」

 

 下段から這いつくばってこちらを覗く、亡霊のように絶望感に満ちた髭面を見て亜美ははっとした。

 

「あなた、教祖だった人ね?」

 

 口調は似ているが、ココット村の教官とは全く別人の男である。

 まことが、むっとした顔で皆に呼び掛けた。

 

「このオッサン、狡いことして逃げたヤツだよ!もしかしたらまだ洗脳が解けてなくて、逃げ出すつもりかも知れない!」

 

「狡い!?ワガハイの必殺イャンクックの真似、狡い呼ばわり!?」

 

 歳の割には間抜けた発言をするその顔を見て、リノプロ男はすぐピンと来たようだった。

 

「おい、こいつ『元教官』じゃねえか?」

 

「え、みんな知ってるの?」

 

 うさぎが聞くと、団長はしゃがんで段上からその泣きっ面をしげしげと眺めながら頷いた。

 

「ハンターの間では有名さ。ビール製造や新事業で大成功したかと思ったら、大ポカやらかして素寒貧になるのを何回も繰り返してるんだよ。これでも、昔は狩人の教官してたらしいんだがなぁ」

 

「やめて!そんな的確で簡潔な説明しないで!!」

 

 耳を塞ぐ元教官に哀れそうな視線を向けたうさぎを見て、ハイメタ男が手を伸ばして制した。

 

「嬢ちゃん、安易に助けるのはやめといた方がいいぜ。こいつは金にがめついし、状況ですぐ態度を変えるろくでなしだ」

 

 元教官は、必死の形相で階段を這い上がった。船上の人間たちは思わず後退りし、彼が船上に上がるのを許してしまう。

 彼は、甲板に手をついたまま叫んだ。

 

「ワ、ワガハイは白い集団にいたから奴らの計画の内容を知ってる!より詳しい情報を提供できるぞ!」

 

「あれ、洗脳されたら記憶が無くなるんじゃ……」

 

「ウヌッッッッッ!?」

 

 亜美のその一言で、元教官のただでさえ青い顔が更に血の気を無くす。

 まことは目つきを鋭くし、ごきごきと拳を鳴らす。

 

「つまりあんた……洗脳されてないのにミメットに服従して教祖やってたってことかい?」

 

「えっ、結構ヤバくない?訴えられたら百パー負けるんじゃ……」

 

 美奈子のその一言が決め手となり、周囲の視線が一気に刺々しいものに変わった。

 人々から警戒の言葉が飛び出してくる。

 団長ははあ、とため息をついて元教官の前にしゃがんだ。

 

「元教官さん、勝手に失敗するのならともかく、今回ばかりは話が違うぞ。あんたのやったことはバルバレを破滅に向かわせてたのも同じだ。こりゃあ流石に……」

 

 突然、元教官は耐え切れなくなったように諸手を上げ、天を仰いだ。

 

「ジ・エンドオオオオオオッッッ!!!!」

 

 元教官は、その場に震えて伏せる。

 

「ここで失敗してからというもの、どこにもワガハイの働き口はなく、ただただ露店の下に落ちた小銭を漁る日々!人々からは嘲りの目で見られ、路地裏たった一人ぽっちで落ちぶれていくのみだ!」

 

 情けなくも、顔を上げた男の目には涙が浮かんでいた。

 

「そんなワガハイを拾ってくれたのはあの魔女だけだった!カルトだろうが何だろうが、明日の飯には代えられんかった!シャバに戻ろうとしたら消される雰囲気だったし……」

 

「何なのよあんた、言い訳するつもり!?」

 

「そうよ、人々を食い物にしてぬくぬく暮らしてたヤツがよく言うわ!」

 

 レイと美奈子が責めると、その言葉は他の者にも伝染していく。

 もはや、彼を許すような雰囲気は微塵もなかった。

 教官は吹っ切れたように立ち上がり、半ば自暴自棄に泣き笑いした。

 

「いくらでも罵れ罵れ!ワガハイは一向に構わん!この山あり谷ありの人生で築かれた高潔な精神と気高き誇りは、大衆の暴力の下にあろうと失われることはないからな!ヌーハハハハハハハ!!」

 

 むしろ挑発し始めた元教官により、場の雰囲気は一気に険悪になっていく。

 

「なんだと、今更教官気取りかよ!」

 

「こいつ、聞いてた以上に最悪だな。痛い目遭わねぇとわからないんじゃないか?」

 

 そんななか、うさぎだけは違うことを考えていた。

 目の前の男はかつての自分に固執している。それにこの逆境でも必死にしがみつき自分の心を護ろうとしているのだ。

 形は違えど、その頑固さはかつての自分と似ていた。

 

 うさぎはハイメタ男の手を潜った。

 

「おい、うさこ……」

 

 衛の制止も意味をなさず、彼女は我慢ならないという風に歩み寄り──

 元教官の顔を平手打ちした。

 唖然とした面々の前で彼女は自分よりずっと年上の男に怒鳴った。

 

「なんで、そうやって変にかっこつけようとすんのよ!いらない見栄張る前にちゃんとみんなに謝って、二度とやらないって誓えばいいじゃない!」

 

 沈黙が訪れる。

 教官は呆気にとられた顔で、うさぎの睨み顔を見つめていた。

 

「…………女神…………」

 

「へ?」

 

「女神さまあああああああああああああ!!!!」

 

 元教官は少女の前で平伏し、手を合わせながら泣き叫んだ。

 

「え、ええええ!?」

 

 これにはうさぎもさすがに驚く。元教官は何度も頭を下げ、えずきながら続ける。

 

「こんなワガハイに真剣に手を差し伸べて下さったのは貴女だけ!貴女様ならこのわたくし、どこへでもついてゆきますうううううううううううう!!!!」

 

 よっぽど嬉しかったのだろう、元教官はいつまでも泣き続けている。

 レイは呆れて腕を組んだ。

 

「はぁ、うさぎったら……」 

 

「よくこんなダメ男をねぇ」

 

「うん。ぜっったいモテないタイプ」

 

「まあ、いいじゃない。この人が見聞きしたことはかなり役に立ちそうよ」

 

 美奈子とまことが冷たく言い放つ横で、亜美はあとの3人を宥める。

 一方のリノプロ男は、ハイメタ男と視線を合わせた。

 さっきまでの殺気だった雰囲気も、平手打ちと元教官の土下座で冷めていた。

 

「……ま、この子たちに救われた者同士せいぜい仲良くしてやるか。なあ、みんな」

 

 彼らが率いて来た人々は、完全に納得というわけではないが今の元教官の姿勢を見て感じるものがあったようだ。

 元教官は、おずおずと改めて床に正座した。

 

「さっきは……すまなかった。本当に今回……ワガハイがしたことは不味かったと思ってる。だからどうか、貴様ら……じゃなくて君たちと協力してミメットを倒すということで、許してくれはせんだろうか?もちろん、出来るだけのことを全力でする」

 

 今度は素直で、真剣な懇願だった。

 仕方ないな、といった風なやり取りをして、賛成に至った。

 団長がまとめるように叫んだ。

 

「よし。改めて、俺たちの愛するバルバレを救うぞ!」

 

 少女たち、団長、狩人たち、そして涙に頬を濡らした元教官は、一斉に腕を振り上げた。

 

 




書き直してたら投稿の予定時間過ぎてしまいました、すみません!


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可憐に、凛々しく⑦

来週から新しいエピソードですので、今週はキリを良くするため一回だけ更新です。


 

 晴天に増える色鮮やかな旗と飛行船。

 大地に増える露店と草食竜車、そして人々。

 狂気にも近い熱気が、市場の空間を満たし溢れていく。

 少女たちは、日に日に華やかになっていくこの太陽の集落を毎日駆け回った。

 

 今日も元教官からの情報を受け、隠れ家の一つを制圧しているところである。

 狩人たちがうさぎたちよりも一足早く現場の砂上船に着き、船内で白い集団と乱闘を起こしていた。

 何かを割ったり壊したりする音が絶え間なく聞こえてくる。

 うさぎたちは全員揃って野次馬に混じり、闘いの行方を見守っていた。

 

 やがて騒ぎが収まり、中から逞しい狩人や守護兵たちが汗を拭いつつ出てくる。彼らは気絶させた白い集団を縄に繋いでいた。

 全員が無事であると分かったうさぎは、ふぅ、と大きなため息をついて胸を撫で下ろした。

 

「よぉし、ここは片付いたな。次も行くぞ!」

 

「後のことは、今日もお嬢ちゃんたちに任せるぜ!」

 

 リノプロ男とハイメタ男はうさぎたちに白い集団を差し出すと、親指をぐっと立ててその場を去っていった。それにうさぎは手を大きく振って見送る。

 

「ありがと、みんなー!」

 

 白い集団のギルドへの引き渡しはうさぎたちが行っていた。洗脳が解けていると確認されれば、人々は今まで通りの生活に戻ることができる。

 無論、自分たちの正体は隠したままだ。引き渡す前に浄化を行うことで、正体がバレるのを防いでいた。

 

 観客になっていた商人たちもことが終わると、やがて興味を失って離れていく。彼らも祭典を間近に控え、何かと準備に追われているのだった。

 レイは縄で縛られた昏睡中の白い集団に視線を戻し、ため息をついた。

 

「筆頭ハンターさんたち、今日も忙しくなるわね」

 

 彼らは専ら集会所でギルドの仕事に追われている。ミメット勢力への対抗と祭典の準備、両方を成功に導かねばならない。その心労は察するに余りあった。

 

「あたしたちも、またお仕事手伝わなくっちゃね」

 

 亜美の言葉に皆が頷くところ、誰かが彼女らの姿を認めてざっと立ち止まった。

 

 

「吾輩だ!!教官だ!!!!報告に来たぞ!!!!」

 

 

 はっと振り向いたうさぎは、さっそく新たに仲間となったその男に走り寄った。

 

「教官!()()の守備はどう?」

 

 日に焼けた髭面の男は、にいっと笑顔でピースサインを見せてくる。

 

「超、超、絶好調!奴らも全く気づいておらん。……フッ、吾輩にこういうシノビの才能もあったとはな」

 

「そ、そりゃあよかったわね」

 

 うさぎはなんとも言えない顔で苦笑した。

 それに乗っかるようにまことは、髪をかき上げ自惚れ顔の教官に迫った。

 

「よーし。じゃあまたカルトに忍び込んで、次の集会場所聞きだしてきてよ。そこに総攻撃仕掛けるから」

 

 すると、教官は表情をたちまち憔悴に変えて手で差し止めた。

 

「ちょっ、ちょっと待てぇい!そう簡単に言うけどな、吾輩だって演技するの大変なんだぞ!昨日なんか洗脳されたギルドナイトにめちゃくちゃ睨まれ……」

 

「才能あるんでしょ?言っとくけどあなたのしでかしたこと、まだ清算できてないから」

 

 レイは腕組みをして圧迫感たっぷりに睨む。

 元教官は苦い顔をして顔を背け、小さくぼやく。

 

「まったくこのおなごたちと来たら、顔は可愛くてもそれ以外が可愛く……」

 

 

 レイ、まこと、美奈子の3人は一斉に顔をすごませた。

 

 

「あっ、すみません何にもないです……」

 

 中学生女子とは思えない迫力に、元教官は即前言撤回する。

 そんなどこまでも情けない男の様子に、美奈子は半ば呆れていた。

 

「本当にすぐ調子乗るわねー、この人。ミメットに怪しまれたりしてない?」

 

 元教官はヌフフ、とまた得意げに笑ってみせる。

 

「あの女はとんだ面食いでな。カルトが大きくなってからというもの、男を若さと顔ばかり気にかけて、精神チョ~~イケメンな吾輩には全く見向きもせんのだ!おかげでこうやって大暗躍できるというわけよ!ヌッハハハハハ!!」

 

 確かに、前回の戦いでもミメットはイケメンの芸能人ばかりを目標にしていた。教官の言っていることはおかしくはない。

 しかし、それはそれとして。

 

「……自分で言ってて悲しくならない?」

 

 うさぎがそう問いかけるが、

 

「魔女の驚く顔が目に浮かぶぞ!!ヌ~~ッハッハッハッハッハ!!ヌ~~~~ッハッハッハッハッハッハッハッハ!!!!」

 

 結婚適齢期をとっくに過ぎている元教官は、話を全く聞いていなかった。

 

「ま、いいんじゃない?結果的に役に立ってくれれば」

 

 うさぎはルナの言葉を受け、呆れつつも微笑んで頷く。

 元教官は色々と変わっているが、いくら失敗してもへこたれない(学ばない)どこか憎めない男だ。今ではうさぎたちに尽くしてくれる強い味方である。

 

「あっ、ここにいた。うさぎさんたちですか?」

 

 声をかけてきたのは、見知らぬ青年だった。

 うさぎたちがそうだと答えると、男は自分はギルドから遣わされた伝令であると述べ、その証拠であるサインを見せた。

 彼の表情からして、ただごとではない。

 

 

「デデ砂漠におられる歌姫様の護衛団から、救難信号が届きました!」

 

 

 伝令の声と顔は、緊張に満ちていた。

 

「突如として敵襲を受け、現在は身を隠している状況とのこと!筆頭ハンター殿から至急集会場に集まってほしいとの伝言です!」

 

──

 

「ミメットの差し金!?」

 

 先頭のうさぎが早足で歩きながら後方の亜美を見たが、彼女は未だに信じられない様子だった。

 

「まさかこのタイミングで歌姫様に手を出すだなんて。てっきりバルバレで地盤を固めるのが先と思っていたけれど」

 

「こちとら順調に追い詰めてるってのに、よほど自信がおありらしい。一体何を企んでやがる?」

 

 通りがかった白い集団がひそひそと話し合いながらこちらを見ていたので、まことはそれに思いっきりガンを飛ばした。

 彼らは恐れを成し、散り散りに逃げていく。

 レイも、それを振り返りながら呟いた。

 

「あの元教官、ミメットに見初められて隣に置かれてたら色々とやってもらえたんだけどね」

 

 聴いた噂では、ミメットは自分の周りに若く面のいい男ばかり侍らせているらしい。教官は無論、対象外であった。

 彼女たちは、篝火が並んで集会所へ導く通りに入った。

 うさぎの隣に歩く衛が、考え深げに顎を撫でた。

 

「歌姫様が予定通りに来られるとまずい理由があるのかもしれないな」

 

「でも、ミメットは公演当日を楽しんでって言ってたんでしょ?肝心の歌姫様がいないのに……」

 

 肩車されたちびうさが衛に問いかけたところで、困り眉になっていた美奈子が顔を振り上げた。

 

「そう、公演よ!」

 

 仲間たちの視線が彼女に集中する。

 

「バルバレ中の人々がただ1人のために一堂に会する祭典……。あのミメットが、この機会を逃すわけないわ!!」

 

──

 

 集会所内の酒場で、少女たちの前に筆頭ハンターたちと我らの団団長、ソフィアが勢ぞろいしていた。

 脇には球儀が後方にあるクエストカウンターがあり、そこに腰を下ろしてパイプを吹かすギルドマスターがいた。彼は洗脳を受けておらず、団長や筆頭ハンターたちの肩を間接的ながら持ってくれている。

 

 

「歌姫に成り代わる?」

 

 

 驚いた顔が並ぶ筆頭ハンターと我らの団相手に、美奈子は後ろに手を組みはっきりと答えた。

 

「はい!ミメットは何もかも自分が一番でないと気の済まないヤツです!歌姫様を崇め奉る役に甘んじるワケがありません!」

 

 美奈子は元の世界で、変装したミメットと共にお互いの正体に気づかずアイドルに応募しようとしたことがあった。同志として意気投合しかけたのは良いものの、ミメットは自分が応募に落ちたと知ると腹いせに会場をぶち壊しにかかったのだ。

 ソフィアは椅子から立ち上がり、目を輝かせた。

 

「魔女の性格からの考察、それは思いつきませんでした!」

 

「じゃあヤツはこれを機に歌姫の地位を手に入れようと、一度は公に姿を現す可能性が高い……てなると、その瞬間が最大のピンチであり、チャンスってわけか!こりゃあ面白くなってきたぞ!」

 

 団長が膝を打って笑うと、筆頭リーダーも頷いて少女たちを見やった。

 

「そこばかりに目がくらんでいるとすれば、()()がバレる心配も薄い。急遽、教官たちと共同して推進すべきだな」

 

「でもその一方で、歌姫様を一刻でも早くお救いしなければね」

 

 筆頭ガンナーが、冷静に腕を組みながら言った。

 それで、一同は改めて表情を引き締める。

 

「問題は時間と、人選びね」

 

 亜美が呟き、悩み迷う視線が自然に交差し合った。

 ランサーは岩のような顔の下に手をやりながら、その場を周るように歩いた。

 

「デデ砂漠自体は近いが、歌姫様の安全な場所への護送、モンスターとの交戦も考慮に入れると……少なく見積もっても、公演当日に帰還が間に合うか間に合わないか」

 

 不安げな顔をした少女たちをルーキーがちらりと見ると、急ぐように手を挙げた。

 

「じゃあ、ぜひここは俺が……!」

 

「筆頭ハンターは絶対に必要だ。経験者たる君たちには、ギルドの柱として今なお増えるミメットの勢力を抑えてもらわねばなるまい」

 

 彼の言葉を予見したように遮ったのはギルドマスターだった。

 いつもは柔和に笑っているカウボーイ姿の小さな好々爺は、今は厳しくも思慮深い表情をその顔に滲ませていた。

 ルーキーは懇願するような目線でクエストカウンターに歩み寄り、訴える。

 

「ギルドマスター!俺らが経験者なら猶更のこと……」

 

 筆頭ガンナーが彼の肩にそっと手を置き、制して呟いた。

 

「それほどこちらの状況がひっ迫してるのよ。人選は慎重にやらないと駄目」

 

 ルーキーは、悔やんでも悔やみきれないようにその場に跪いて膝を拳で殴った。

 

「となると、あたしたちの中からね」

 

 亜美が仲間たちと視線を合わせていると、ギルドマスターはすっと人差し指を顔の横で立てた。

 

 

「無茶な願いというのは承知の上だが……出来れば()()。それも、必ず歌姫様を護り通す実力、自信と覚悟のある者を頼む」

 

 

「1人!?」

 

 一気に少女たちの間がざわめいた。

 

「何とか抑えたとはいえ、こちらは明らかにミメットの派閥に数で劣る。君たちも1人でも多く欠ければ、バルバレ全体が致命的な状況になりかねない」

 

 穏やかながら緊迫感のある調子で諭す老人に、レイは前に進み出て叫ぶように言った。

 

「歌姫様や御付きの人たちを1人だけで救う!?どう考えたって、そんなのむ……」

 

 一つだけ手が挙がった。

 その場にいる全員がその人物を見つめた。

 

 

「あたしが……行ってくる」

 

 

 衛は、真っ先に隣にいる金髪のツインテールの少女に険しい顔で振り向いた。

 レイが、彼女を睨み、ずかずかと歩いてくる。

 

「バカ!またあんた1人で英雄気取りする気!?」

 

 衛はがしりとうさぎの両肩を掴み、その瞳を悲しみに暮れた表情で見つめた。

 

「……どうしてだ!1人で無理を押して狩りに行った結果、あんなに痛い想いをしたんじゃないか!!」

 

「ごめん。またわがままやっちゃった」

 

 うさぎはうつむいたが、もう一度、静かに目の前の彼を青空のような瞳で見上げた。

 

「でもあたしは、そのわがままでしか動けないんだ。今はここにいる誰にも妖魔と戦わせたくない。誰か1人でもここからいなくなるかもなんて考えるのは嫌なの」

 

「だからって!」

 

「我こそは正義とか理想のためにと叫ぶ者は信用ならんものだ。その点、お前さんの言ったことの方が1000倍信じられる」

 

 レイの反駁は、団長の一声で断ち切られた。

 つばの広いオレンジの帽子をくいと上げ、彼は片手を大きく広げた。

 

「この市場には、お団子のお嬢ちゃんのわがままに救われた奴らが山ほどいる。きっとその番が、今回は歌姫様に回ってきたのさ」

 

 しんと静まり返るなか、筆頭リーダーが少女たちの前に出る。

 

「そちらの心情が並々ならぬことは覚悟の上だが、私からも彼女の意思を尊重するようお願いしたい」

 

「……リーダーさん」

 

 衛に向かい、彼と同じくらいの背丈であるリーダーは真正面から瞳を捉えた。

 

「確かに、かつて努力する方向は少し間違えたかも知れない。だが、彼女はそれに自分で気づき修正しようとしている」

 

 衛を見つめながら、彼は熱を秘めた瞳で語った。

 

「彼女は目の前のことから逃げず這い上がってきた。たとえ妖魔が束になって襲いかかろうと、全力を総じて歌姫様を護ろうとするだろう」

 

 筆頭リーダーは衛の肩に手を置き、顔を真正面から見つめた。

 

「君が最も彼女の強さを分かっているはずだ。もう一度信じてみてもいいと、私は思うが」

 

 うつむいて渋る衛の前にちびうさが飛び出た。

 

「まもちゃん、あたしからもお願い、うさぎを行かせてあげて!今のうさぎなら、前みたいなヘマはしないわ!」

 

「あたしも同じ意見だな。亜美ちゃんは?」

 

 まことが隣に視線を送ると、亜美は眼鏡をかけてペラペラとメモ帳を開いていた。

 彼女はやがてそれを閉じ、顔を上げて眼鏡を取った。

 

「妖魔化生物と一番刃を交え、一番勝率が高いのはうさぎちゃんよ。あたしは正直不安だけれど……ここの人たちの事情を無視するわけにもいかないわ」

 

「亜美ちゃんまで賛成してきたら、完敗ねぇ」

 

 美奈子が密かに白猫アルテミスを見下ろすと、彼はこれはまずいという風に隣のルナを見た。

 

「仕方ない、ここは僕たちでなんとか食い止め……あっ、ルナ!?」

 

 黒猫ルナは、ギルドマスターの前に飛び出て叫んだ。

 

「ギルドマスターさん。あたしがうさぎちゃんについていくのは構いませんか?」

 

「ルナ!」

 

 呼びかけたうさぎに、ルナは振り向いた。

 

「主人の成長を見守るのもあたしの役目だしね」

 

 一緒にうさぎを止めるはずだったアルテミスは、出鼻を挫かれ仕方なさげにため息をついた。

 ギルドマスターはなるほど、と頷きながらパイプを咥え、しばらく思案を重ねていた。

 やがて彼はそれを外し、口を開いた。

 

「ふむ……君が彼女の良き相棒なら、存分にその使命を果たすといい。同行を許可しよう」

 

 うさぎとルナが喜色を浮かべて顔を見合わせると、ギルドマスターは続けた。

 

「ミメットの勢力による妨害が予想されるが、ありったけの物資を支給し万全のサポートを敷く。現地の護衛団と協力して歌姫様をお救いしてくれ」

 

 うさぎは頷くと改めて仲間たちに振り向き、微笑んで手を振った。

 

「じゃ、準備してくるからまた後で。大丈夫、今回はルナもついてるから!」

 

 うさぎはクエスト準備のため宿泊テントに駆けていき、ルナもそれに続いた。

 レイは、うさぎの小さくなる背を見つめたまま小さく呟いた。

 

「後で泣きついたりしてきたら、絶交だからね」

 

──

 

 デデ砂漠、通称『旧砂漠』行きの特急砂上船から、間もなく出発するという意味で短く強く、角笛が野太い音を立てる。

 集会所の出発口を出た先、砂漠を突っ切るように木製の桟橋があり、帆船が立ち並ぶ様はまさに砂上の港である。

 船の間をハンターと商人たちが行きかい、せわしなく積み荷をやり取りしている。

 そんな人々ひしめきあう海のなか──

 うさぎの仲間だけでなく筆頭ハンター、我らの団、ギルドマスターまでもが集まり、少女と黒猫の出港を見送っていた。

 

「この世の中、いろいろあるが……お前さんがどう考えどう行動するかは、どこまでも自由だ」

 

 深緑の女王の鎧と剣を纏ったうさぎに、団長が腕組みして語り掛ける。

 うさぎの足元で、鉄製の兜と毛皮の鎧が特徴の『ハントネコシリーズ』を着こんだルナが彼を見上げた。

 

「そうやって羽ばたいてると、時にどこへ行けばいいか迷うこともあるだろうが……その時は、思い出してくれ。お前さんの後ろには、見えなくても味方が確かにいるってことをな」

 

 うさぎはうん、と頷き、微笑んだ。

 船の錨が巻き上げられていく。

 衛はうさぎに歩み寄ると、そっと胸中にその小さな身体を抱いた。

 

「うさこは、本当に何処にでも飛んでいってしまうな」

 

 彼女も目を閉じ、彼の胸に自身を預けながら、その包み込むような声を聞く。

 

「いつまでも隣にいてほしいって思う俺は、ダメな男なんだろうか」

 

 うさぎは顔を上げ、静かに首を振る。

 

「そんなことないわ。あたしだって、出来るならまもちゃんの隣にずっといたい」

 

 彼女は懐からあるものを取り出した。

 薔薇の花びらを押し花にし、それを鈍く光る鉱石『ライトクリスタル』に閉じ込めたブローチだった。

 衛はそっと腕を解き、それに見とれた。

 

「それ……この前、俺が手渡した」

 

「うん。御守りにしたんだ」

 

 うさぎは顔をほんのりと赤く染めて、ブローチをしまい直した。

 

「絶対忘れないよ。ここにあるすべてが、あたしを支えてくれたこと」

 

 直後、衛を強い眼差しで見つめ上げた。

 

 

「あたし、必ず帰ってくるわ。そして、ミメットの野望を食い止める!」

 

 

 彼女はこれまで一緒に戦ってきた仲間たちを、そしてこの市場で出会った仲間たちを見据えた。

 彼らは、期待と願いを込めた眼差しで少女を見送り頷いた。

 船の甲板を背に胸をぴんと張り、並ぶ顔に身体を向けたまま甲板に上がる。

 

 角笛が長く、ぱあぷううううう、と遠くまで咆哮した。

 

 船が動き出し、砂粒を巻き上げる。

 切なげに、しかしながら強い輝きを秘めた瞳で少女は手を仲間たちへと振る。

 遠ざかる彼女を仲間たちは追いかけ、口々に叫びながら手を振り返す。

 

 団長とソフィアも、少女たちに続く。

 ルーキー、ガンナー、ランサーはじっと静かに見送る中で、リーダーだけが前に進み出て小さくなっていく船に呟いた。

 

 

「さあ、行け」

 

 

 彼は力を込めて目を細め、蜃気楼に滲んでいく船をいつまでも見つめていた。

 

 

 

 

 

 

「護りたいもののために……最高の一打を放ってくるんだ」

 

 

 

 

 

 




次回からのエピソードでバルバレにおけるミメットとの決着となります!


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砂漠に咲く真紅①

 南側にある天然岩のアーチが、ベースキャンプと日に焼けた大地を区切っている。

 辛うじて洞窟の入り口にあるテントは日光を避けているが、空気は乾き、それを吸った者の胸を内側から炙る。

 

 少女は、そこで青いボックスから支給品を取り出していた。

 

「砂漠は初めてねぇ。うさぎちゃん、マップは持った?応急薬は?携帯食料は?小っちゃい砥石なんか絶対忘れてそうね。あとクーラードリンク……」

 

「あーーーーーーもう!!それ以上喋ったら、初めて会った時みたいに額に絆創膏貼って黙らすわよ!?」

 

 うさぎは久々に頭にカチンときて、自身の額を何回も指さしながら怒鳴った。

 ルナは肩をそびやかして言った。

 

「おーこわ。後で後悔しても知らないわよ?」

 

「言われなくも、ありがたーく全部使わせて頂きます!」

 

 シビレ罠、閃光玉、音爆弾、秘薬など、彼女の手持ちと合わせると余りまくる量の支給品があった。

 それら全てをリヤカーにつぎ込み、うさぎはキャンプを出発する。

 

──

 

 炎天下、『エリア2』のなだらかな砂丘の斜面を下り、うさぎとルナは砂漠に足跡をつけていく。

 本来なら体力が奪われるほどの熱なのだが、冷却効果があるクーラードリンクを飲むことでそれを抑えている。

 うさぎはゴトンゴトンと鳴らしながらリヤカーを引き、ルナは足跡などはないかとあちこちを見て回る。

 ルナは、やがて駆け足でうさぎの元に戻ってきた。

 

「歌姫御一行の痕跡は見つからないわ」

 

「てなると、もっと北かなぁ」

 

 推測しながら、彼女たちは北西に足を向ける。

 少しでも手がかりはないかと抜け目なく視線を巡らすも、やがてルナが一言呟いた。

 

「こうして一緒に歩いてると、ダークキングダムと戦ってた時のこと思い出すわ」

 

 うさぎは彼女に振り向き微笑んだ。

 

「そういや、亜美ちゃんが来るまではあたしとルナだけだったよね」

 

 タキシード仮面の正体も分からず、自身が月の王国のプリンセスであることすら知らず、ひたすら街のネオンの間を駆け巡っていたあの時。

 ルナは、やや皮肉っぽい顔でじろりと主人を見つめた。

 

「最初、肝心のうさぎちゃんはずっと泣いて逃げてばっかりで、こんなんで戦士が務まるかって心配だったわ!」

 

「もう、二人きりだからって言いたい放題しちゃって!」

 

「それがもう、今では1人でジャングルに突っ込んでいくくらいだものね」

 

 口を尖らせていたうさぎは、そこで言葉を噤んだ。

 

「本当に成長したわね、うさぎちゃん」

 

 少女は前に向き直ると、ふっと笑ってリヤカーの取っ手を引く手に力を込めた。

 

「うーん、それほどでもぉ……あるかなっ!」

 

「そこは謙遜するとこでしょ。そこら辺まだまだお子ちゃまね」

 

「いーでしょ、ちょっとくらい調子に乗らせてくれても」

 

 駄弁りあいながら、彼女たちは坂を下った先にある『エリア7』へ走っていく。

 

──

 

「あっ、あれは?」

 

 岩地を背景にした広大な盆地型の地形が見えて来たとき、ルナは何かに気づいて声を上げた。

 

「ん、どれどれ?」

 

 うさぎは双眼鏡を取り出し、覗いた。

 ルナが指さした先、エリア南にいるこちらから見て西の遠方に砂上船が止まっていた。

 

「あれが、歌姫様の乗ってきた船かしら?早速調べて……」

 

「……ちょっと待って」

 

 ルナを一旦制止したうさぎは、それとは別の方向に双眼鏡を向けていた。

 旧砂漠でも最も広大な砂漠地帯であるこのエリアには、あらゆるモンスターが集まりやすい。

 そのうちの代表的な一種──

 

 

「ガレオスがいる!」

 

 

 双眼鏡を覗きながらうさぎが呟いた。

 丸い視界の中、刃物のような形の背びれが砂から突き出て、うねりながら泳いでいる。

 うさぎは、亜美とソフィアから彼女らが集めた多くの書籍をもらった。

 ここに来るまでに、ルナが『あのうさぎちゃんが信じられない』と言うほどに読み漁り、この土地の地理と生物について学んだ。

 

 彼らはまさに、砂の海を泳ぐ魚だった。

 砂塵の間、扁平な半月状の頭に豆粒のような白目が不気味に覗く。砂中生活のため目の機能は退化しているが、その代わり鋭敏な聴覚で獲物の接近を捉える。

 

「どうする?」

 

 ルナの言葉に、うさぎはそれほど時間をかけず答えた。

 

「今あの船を調べるのは無理そうだから、一気に北の『エリア10』まで突っ切ろう!」

 

「──てなると、なるべく荷物を減らさないと駄目ね」

 

 早速、携帯食料などの必需品以外の大タル爆弾や罠など嵩張る荷物はリヤカーに乗せ、一旦近くにあった岩場の奥深くに隠した。

 そしてリュックに様々なものを詰め込み、自身よりも大きいのではと疑うほどのそれをうさぎは背負う。

 

「よし……行くわよ!」

 

 ルナのかけ声を合図に、うさぎは北にある『エリア10』目掛けて疾走する。

 ガレオスの群れは、早くも縄張りに余所者が入り込んだことを悟った。

 美しく整った陣形を取っていた彼らはすぐさま散開し、取り囲むように泳ぐ。

 

「も、もうちょっと荷物減らすんだったー!」

 

「うさぎちゃん、急いで!」

 

 あちこちで砂が舞い上がった。

 全長2mはあろう巨大魚たちが飛び出し、ヒレを拡げ鳥のように突っ込んでくる。

 特殊な体液に包まれた滑らかな鱗が砂や空気の抵抗を減らし、砂漠を泳ぎ空を滑空するなどという芸当を可能にする。

 真っ赤な口に生え揃った牙が少女たちを捕らえようとする。

 

「ひゃあああっ!!」

 

 うさぎは走りながらしゃがみ、ルナは飛び跳ねて彼らの攻撃をかわしていく。

 何とか群れから逃げ延びかけると、一際大きな砂埃が上がった。

 ガレオスたちよりも黒ずんだ背びれが、真正面から砂をかき分けてくる。

 それはある程度近づくと、突然飛び出して一際大きな口を開いた。

 

「ガアアアアアッッッッ」

 

 直線状にぶっ飛んできたそれを、うさぎとルナは間一髪で飛び込んで避ける。

 地面に伏せた後、再び起き上がり砂を振り払いつつ、うさぎはルナに確認した。

 

「……あれ、確か群れのリーダーよね!?」

 

「ええ!」

 

 砂竜ドスガレオス。

 ガレオスの中でも10mに及ぶ巨躯を誇る個体だ。

 それは砂を素早く掻き分けると、たちまちその下に潜って姿を消した。

 

「リーダーがいるのはマズイわ!早く北に急がないと!」

 

 ルナの言葉に従いうさぎは再び駆け出すが、砂漠で何世代にも渡って生き残ってきた彼らにその速度は遅すぎた。

 部下に当たるガレオスたちは一斉に動き出し、半身だけ地上に出すと一斉に砂を吐きかけてきた。

 直撃はしなかったが、足をすくわれてうさぎが転倒する。

 その隙を狙ったように真下の大地がどおんと鳴る。

 

「うさぎちゃん!」

 

 ルナが叫ぶと、うさぎは咄嗟に立ち止まり、ポーチをまさぐって音爆弾を取り出す。

 

「てぇりゃーーーっ!!」

 

 耳を塞いで足元に投げつけると、爆音が鳴り響いた。

 途端に、外部情報を専ら聴覚に頼るガレオスたちはたまらず飛び出した。

 ドスガレオスも例外なく地上に引きずり出され、吊り上げられた魚のごとく砂上にびったんびったんと跳ね回る。

 彼の目は赤く充血し、黒い蒸気を激しく吐き出していた。

 

「……妖魔化してる!」

 

「今はとにかくダッシュよ!」

 

「うん!」

 

 先鋒を行くルナにうさぎは頷くと、もがき苦しむドスガレオスの横を通り、難破船を横に見ながら岩地へ続く道を疾走した。

 

──

 

 『エリア10』は先ほどよりずっと狭く険しく、岩地の間に位置するゆえか強い砂風が吹きすさぶ。

 うさぎが今歩いている窪んだ浅い谷底を見ると、砂上に足跡のようなものが何個も重なり溝のようになっていた。

 

「見て、足跡がたくさん重なってる!」

 

「てなると、恐らくこの辺に……」

 

 ルナが周りを見渡したとき、きしゃあ、きしゃあと叫び声がした。

 奥の巣穴から、黄緑縞模様の肉食竜たちが群れて飛び出し、駆けてくる。

 

 ゲネポスとその群れの長、ドスゲネポスである。

 

 彼らもガレオスたちと同じく赤色に瞳を塗りつぶされ、黒い息が口から漏れ出していた。

 

「やっぱり、ミメットは妖魔たちを歌姫様に……!」

 

 うさぎがプリンセスレイピアを構えると、一際図体とトサカが大きいドスゲネポスは彼女を睨み据えながら咆えた。

 配下のゲネポスたちはあっという間にうさぎとルナの背後に入り込み、四方八方から跳びかかる。

 麻痺毒入りの牙をうさぎは盾で受け流して細剣を振り回すが、この数は流石に分が悪く何度も牙が掠りかける。

 

「たあっ!」

 

 ルナも背中に備えたブーメランで必死に応戦し、うさぎをサポートする。

 思ったより配下の働きが悪いことに耐えかねたのか、ドスゲネポスは忌々しそうに低くうなり、高く飛び跳ねた。

 

「うさぎちゃん!」

 

 ルナの呼びかけに、うさぎが真正面に盾を構えた時だった。

 

 砂が爆ぜる。

 

 ドスゲネポスの身体が天高く打ち上げられた。

 その下から、一本角が見えていた。

 

 乾いた地に強靭な脚が着地する。

 ゲネポスたちが突然の乱入者に泣き喚く中、足元の砂と似た色をしたそれは天を仰ぎ、

 

「ギィャアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァ!!!!」

 

 20mを超える巨体に見合わぬ甲高い咆哮を上げた。

 空気が爆発したかのような爆発的音量に、うさぎはしゃがみ、ルナはその場に伏せて耳を塞ぐ。

 

 数の多さを頼りに飛び出したゲネポスの1体を、後頭部を飾る襟巻から真っすぐ伸びる角が横に打ち据える。

 もう1体が背後から脚に噛みつこうとすると、棘の生えた尻尾が横からそれを吹き飛ばし、崖に叩きつける。

 大きな翼を持ちながら狭い地上で闘士の如く暴れまくるその飛竜を相手に、ゲネポスたちは逃げ惑うばかり。

 結果的に助けられた形になったうさぎとルナは、その雄々しい姿を呆然と見つめていた。

 

「モノブロス!?」

 

 一角竜モノブロス。

 ハンターの間ではとある伝説で名高き孤高の竜。

 はためかせれば空を飛べそうなほど大きい翼を持つが、実際に飛行することはほぼない。

 

 その代わりに──

 

 飛竜は威嚇するドスゲネポスに、翼を広げ角を向ける。

 頭を低く構え、猛烈な速さで獲物に迫っていく。

 ドスゲネポスが竦みあがって走り抜けたあと、直前までそれがいた地点の背後を角が貫いた。

 

 妖魔ドスゲネポスが応戦を諦め足を引きずりながら東側へ逃げると、配下もそれに続いていった。

 モノブロスは角を横に抉り抜き、頭を振って砂を払い落とした。

 さっきまで見えなかった、真紅の角が現れた。

 モノブロスは、ものも言わず身を落とし、構える。

 そのまま、少女の身体を貫かんと一直線に走り出した。

 

「うさぎちゃん、避けて!」

 

 迫力に押されかけていたうさぎが飛びのいて伏せると、彼女のすぐ横に角がどおん、と轟音立てて突き刺さった。

 

「ひ、ひぃっ!」

 

「上よ、上に逃げるのよ!」

 

 叫ぶと、ルナは人の背丈2倍ほどある崖をよじ登った。

 うさぎもそれに続き、何とかモノブロスが角を引っこ抜くまでに崖の上に上がる。

 振り向くと、彼は崖上のこちらをじっと見つめ上げていた。

 

「こっちだ!!」

 

 聞いたことのない女の声がした。

 うさぎが見てみると、エリア左奥にただの割れ目とも見紛うほど小さい穴が空いていて、そこから鎧をつけた女がしゃがんで手招きしている。

 その穴へ先ほど見た足跡が続いているのが分かった。

 

「はい!」

 

 迷う暇もなく、うさぎとルナはそちらに向かってひた走る。

 モノブロスは角と翼で砂を器用にかき分け、巨体を素早く地中に潜らせていく。

 間もなく地響きがして、砂埃が崖上のうさぎとルナに迫る。

 

「早く!」

 

 彼女たちが穴の中に飛び込んだ直後、外の大地が破裂して砂が舞い込んだ。

 その後、何度もがあん、があんと角を突き立てる音を聞きながらうさぎたちは穴の奥へ案内されていった。




モノブロス、復活してない可哀想な子……。復活の可能性については次回作の作風にかなり影響されそう。


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砂漠に咲く真紅②

 狭い洞窟を抜けると、周囲を崖に囲まれた広場のような場所に出た。

 焚火を囲んで黒猫のような生き物たちが数匹集まり、新たな来訪者を見つめている。

 広場の周りは穴ぼこの開いた土壁が囲っていて、左側には彼らの似顔絵らしき壁画があった。

 

 奥の日陰には赤絨毯のうえに安楽椅子が設けられ、誰かがゆったりと腰かけている。傍にはアイルーたちが一所懸命に巨大な団扇を扇ぎたて、その人物に風を送る。顔やその全貌は、日傘から垂らされた薄布によって分からない。

 だが、うさぎとルナにもそれが誰であるかは分かった。

 

「お助けにきました、歌姫様!大丈夫ですか!?」

 

 うさぎが前に進み出て言うと、薄布の先の影はゆっくりと頷き、顔を腕で覆うような動作をした。

 

「よくぞ危険も顧みず来てくれた。心の底より感謝する」

 

 穴の中を案内してくれた赤毛で乱れた長髪の女が、うさぎに握手を求めて来た。

 握り返してよく見てみると、身体中に包帯を巻いた痛々しい姿だった。浅黒く筋肉質な身体は、彼女がハンターであることをよく表している。

 女護衛はその視線に気づいて少しうつむき気味に呟いた。

 

「情けない姿を見せて申し訳ない」

 

 脇には3人の男たちが同じように包帯を巻いて壁にもたれかかっている。彼らの傍には狩人用の鎧が置かれていた。どうも、最も怪我の軽い女護衛が彼らの世話をしてやっているようだった。

 彼女は、うさぎの後ろにいるルナをちらりと見た。

 

「助けに来てくれたのは君とそのオトモだけか?」

 

「ええっと、実はいろいろーと複雑な状況で……」

 

 うさぎは身分の証明としてギルドカードを差し出してから、ルナと共に状況説明をした。

 バルバレで魔女ミメットの軍勢が力を増していること、仲間たちは最後の砦としてバルバレに居残らねばならない事情があることを伝えた。

 

「なるほど。それであれに追いかけられてきたというわけか」

 

「確かあの一本角の竜、モノブロスってモンスターですよね?」

 

 うさぎが聞くと、女護衛は頷いて苦笑した。

 

「ああ、この肝心な時にココット村の伝説が現れるとは踏んだり蹴ったりだ。……だが正直なところ、君もアレを見て興奮したろう?」

 

 彼女の勇猛さを秘めた視線は、うさぎに同意を求めている。

 どちらかというと、うさぎは少し懐かしい気分になっていた。以前に滞在したココット村で、正式にハンターと認められるまでの道のりを思い出したからだった。

 

 モノブロスはハンターという仕事が生まれるきっかけとなったモンスターだ。若かりしココットの村長が二振りの剣だけでそれを倒したことで、それまで自然の脅威に怯えてばかりだった人々に立ち向かう勇気を与えたのである。

 

「なんたってあの一角竜だ。こういう状況でなかったら、狩人として挑んでみたかったところだな」

 

「えっ、そんなの危ないですよ!あの子、簡単にゲネポスをこんな風に、ぽーいぽーいっ!て放り投げてたんだから!」

 

 腕を振って自分が見た光景を伝えるうさぎに、女護衛は訝しげな視線を送った。

 

「ココット村出身のくせにおかしなこと言うな。そっちの伝説に倣い、あれを1人で倒すことが『英雄』の条件って子どもの頃から知ってるだろ?」

 

「へ?」

 

 狩人の間では常識中の常識らしい。

 ココット村で、村長はうさぎの狩人としての覚悟を確かめるため、単身で火竜リオレウスに挑ませたことがあった。

 いわばあれと同じような意味合いの慣習なのかもしれない。

 

「……うさぎちゃん」

 

「あ、あれねー!完全に思い出したー!!」

 

 ルナに肘で小突かれ、うさぎは咄嗟に大声で誤魔化した。

 そこでふと、彼らの乗ってきた船が脳裏に浮かんだ。彼女は話題を変えるついでにあのことを聞いてみることにした。

 

「もしかして、貴女たちの船はモノブロスに?」

 

「いいや、もっとおぞましいものだ」

 

 奥に横たわる40歳くらいの男が、思い出すのも恐ろしいと言うように目を細めた。

 

「船がこの地の『エリア7』を通った時、黒い息を纏った大量のモンスターが嵐のように襲ってきたんだ。ガレオスもゲネポスも()()()()()()な」

 

「種族関係なく?」

 

 ルナが聞き返すと、うさぎはごくりと唾を飲んだ。

 明らかにミメットによる支配の影響であった。

 女護衛は男のように低く自嘲気味に笑った。時折脚を庇うことから歩くのも辛いようだ。

 

「それでこの岩地地帯に逃げ込んだら次はモノブロスに閉じ込められる始末だ。全く、状況は魔女の方に傾いているらしい」

 

 その時、少年とも言えるほど若い男は、包帯を巻いた左手を庇いながら奮い立った。

 

「そんな弱気なこと言ってる場合じゃない!このままではドンドルマからの追加の救援まで歌姫様のお体が持たない。彼女と協力して一刻も早く安全なところに……」

 

 直後、彼は骨折しているらしい右脚を押さえてすぐ倒れて呻いた。

 うさぎが怪我人たちを痛ましそうに見たのち、歌姫の方に視線を向けると、彼女の影は相変わらず威厳を保って不動だった。

 だが、身体のラインはあまりにも細く、今にも倒れてしまいそうな儚さも感じられた。

 少女はやがて、あることを決心した。

 

「分かった。あとはあたしたちで何とかするから、あなたたちはここでドンドルマからの助けを待って」

 

 4人の視線がうさぎに集中する。ルナも、心底驚いた顔をした。

 

「おい。まさか、君たちだけで歌姫様を護送するつもりか?」

 

 白髪の混じった年長者が信じられないような面持ちで聞くが、うさぎは既に覚悟の決まった顔で自身の荷物を下ろし、応急薬と携帯食料を取り出す。

 

「あたしの仲間、バルバレのたくさんの人たち……我らの団と筆頭ハンターさんが今もあたしを信じてくれているの。何が来たとしても、やり遂げてみせる!」

 

「我らの団と筆頭ハンター……あの方々が!?」

 

 護衛1人ずつに数日分の応急薬と携帯食料、そして大きな水筒を渡しながらうさぎは頷いた。

 これは元より、護衛たちが数日生きられるようにバルバレギルドが用意した分であった。

 女護衛は光が差した瞳で3人の仲間に振り返った。

 

「彼らはかつて、度重なる災いから我々の街を護ってくれた。彼らが送り出したなら信用できる」

 

 だが、そこに若者が強く反駁する。

 

「無謀すぎる!ハンター1人なんか正気じゃないぞ。歌姫様もさぞかしご不安に……」

 

「僕が聞いてみますニャ」

 

 御付きのアイルーは手を挙げると、これからどうするか歌姫に聞いた。

 歌姫の影はひそひそと彼に呟き、返答をする。いそいそとアイルーが前に出て言った。

 

「『この乱世の時代、危険な旅路であることは元より覚悟している。どうか自身の命を軽んじることなく、そなたたちは助けを待たれるよう』とのことですニャ!」

 

 若者は目線を落とし、中年男は同情を顔に滲ませながら彼の肩に手を置いた。

 

「こんな身では足手まといにしかならん。ここは彼女を信じよう」

 

 女護衛は顔を引き締め、うさぎを真っ直ぐ見つめて言った。

 

「このままではドンドルマの人々に顔向けできない。せめて、少しでも君たちの役に立たせてくれ」

 

 全員が腹と喉を満たしモンスターについての情報を得たところで、中年男がばっと旧砂漠のマップを開いた。

 彼は、うさぎが先ほど通ってきたエリア10から東のエリア1、3、4、5を指さす。

 

「まず第一関門。撃退が目標だが、相手は伝説の飛竜。知っている限りのことは教えたつもりだが、どうかくれぐれも気を抜かないでくれ」

 

 うさぎは、その言葉に真剣な面持ちで頷いた。

 これから彼女はココット村の伝説と対峙する。かつてその村に世話になった身としては改めて気が引き締まる思いだった。

 

 中年男は、険しい表情をして南にある広大な砂漠、エリア7の箇所をぐるぐると指で囲うようになぞった。

 

「ここが第二関門。君たちも見たドスガレオスと子分どもがうろついてるだろう。できれば夜になって奴らの気性が荒くなる前にモノブロスを撃退してほしい」

 

 今の時間帯は、日の位置からして正午辺りだった。少なくとも6時間以内にあの強大な竜を撃退せねばならない。

 

「モノブロスを退けたら狼煙を上げてくれ。それを見たら私が歌姫様を南にお連れする。君もエリア7に向かい、ガレオスを倒したらすぐ船を修理し、君を送り出す……頼めるかな?」

 

 女護衛が改めて聞くと、うさぎは深く頷いた。

 

「はい!」

 

「大丈夫、うさぎちゃん?また悩んだりしてないわよね?」

 

 ルナが主人の顔を覗き込むと、彼女は笑ってピースサインを振り向けた。

 

「へーき!今回はちゃんと相手のことを調べられたし、何よりルナがいるから」

 

 ルナは一瞬キョトンとしたが、やがてフッと笑った。

 

「たまには嬉しいこと言ってくれんじゃないの」

 

──

 

 護衛たちが持ち込んだのと合わせた狩猟用の物資を持ち込み、うさぎは再びエリア10へ突入した。

 傾きかけた陽をうさぎは仰ぎ見て目を細めた。

 

「ココット村のこと、思い出しちゃうな」

 

 あの時から今までずっと、新しい狩人としての自分に戸惑いを感じていた。

 姿は狩人でも心は戦士であろうと決めていた、あの時。

 それへの答えを、今はこの場にいないココットの村長から迫られている気がした。

 

 少女は、胸当ての下に隠した、浄化の力を秘めた変身コンパクトを取り出して見つめた。

 もう、2年ほどの付き合いになる愛と正義の戦士の力。今も、彼女に重い鎧を纏い剣を振るえるだけの力を与え続けている。

 

 彼女はコンパクトを外し、そっとポーチに入れた。

 先日衛に渡された薔薇の入ったブローチと入れ替え、それを代わりに胸当ての中に収めた。

 ルナはそれを切なげに見届ける。

 

 地下を削る轟音がする。

 うさぎとルナは、さっと顔を引き締め前を見据える。

 この地の主は早くもこちらを嗅ぎつけた。

 

(モンスターたちに、ヒトと同じものを見ようとしてた)

 

 砂塵が見えた。

 

(この世界を、本当は自分たちの世界と同じだって信じたかった)

 

 躊躇なく一直線に、彼女たちがいる西側の崖上へ向かってくる。

 

(でも、違うんだ)

 

 うさぎは大きく振りかぶり、音爆弾を投げる。

 爆音が鳴ると彼女の直前まで来ていた砂塵が弾け、モノブロスが苦しげに呻いて半身を地上にさらけ出した。

 モノブロスもガレオスと同様、非常に発達した聴覚で地上を探るため、爆音に弱いという弱点があった。

 

「開始よ!」

 

 ルナの呼びかけを皮切りに、最初の一撃を斬り込む。

 丸出しになった腹は攻撃がよく通った。

 暴れていたモノブロスはやがて、翼をはためかせ飛び上がった。うさぎとルナが退避すると、地上に地響き立てて降り立った一角竜は、再び侵入者を討たんと走り出す。

 

 角を振りかざし、掬い上げるように突いてくる。

 それがかわされたと見ると、今度はこん棒のごとき棘の生えた尻尾を振り回した。回避しようとしたうさぎは危うく崖から落ちかける。

 更に追撃を加えようとしたモノブロスの眼前にルナが手持ちの閃光玉を放り投げ、一時的に動きを封じる。

 

「たああっ!」

 

 相手が眩暈を起こしているうちに脚を中心に斬っていくが、灰色の腱は恐ろしく強靭で傷が中々つかない。

 狩人たちから聞いた彼の弱点である腹や尻尾は、遥か見上げる位置にあって片手剣では届かなかった。

 

 視界を取り戻したモノブロスはうさぎの気配を敏感に察知し、間近で身を低く構える。

 慌ててうさぎが前転すると、彼女のいた地点を襟巻に飾られた真紅の角が掬うように抉る。

 だがその飛竜はそれに終わらず、目標を捉え直してもう一度角による一撃を見舞った。

 深緑の防具に掠っただけで、甲殻が容易く弾け飛んだ。

 

「ひっ……」

 

 一撃でもまともに喰らえば無事では済まないことが証明された。

 少女の背中に寒気が走る。

 

「……ぐっ!」

 

 彼女も負けじと果敢に斬り込む。

 自分の後ろに信じてくれる者がいる限り、伝説が相手だろうと後には退けない。

 角を避け、尻尾を避け、僅かな隙間を縫うように剣を振るう。

 砂色の筋肉の塊は、その巨大さと強靭さが何よりの脅威である。

 しかも素早い。地上で生活するためかその脚力は凄まじく、目立った隙も見せない。

 突進は言わずもがな、地中からの突き上げもすぐその場から離れて避け、僅かな後隙を狩るしかなかった。

 

 いつの間にか1時間が経過していた。

 

 スタミナは携帯食料で賄うが、精神的にもすり減ってくる頃合いだった。

 一方、モノブロスは動きを鈍らせる気配も見せない。

 何度も見せられた突進の構えを前に、うさぎとルナは息を切らして横へと走る。

 相手が振り返ったらとにかく横。横に逃げるのだ。そうすればほとんどの攻撃は凌げる。

 しかし、決して足を緩めてはならない。モノブロスは駆けだす直前まで突進の角度を調整してくる。何度か避けきれなかったせいで、うさぎの防具にはいくつか傷が出来ている。

 

 彼は脚につけられた傷など一切気にした風も見せず、1時間前と変わらぬ速度で驀進した。

 

「くっ!」

 

 疲労のせいか、走っていては回避が間に合わない位置にいた。うさぎは思い切って前転する。

 直後、モノブロスの角が彼女のすぐ背後を掬い上げ、大量の砂塵を巻き上げた。

 

「もう……ちょっとぉ!!」

 

 少女は振り返り、束の間停止した脚に飛び込み、筋肉の塊を縦に斬る。

 

「グギャオオオッ!!」

 

 その一撃が、脚に蓄積されていたダメージを目に見えた形で引きずり出した。

 巨体が傾き、ずしぃんと地響きが鳴る。

 脚に走った痛みで一時的に立てなくなったのだ。

 

「効いたわよ、うさぎちゃん!」

 

 ルナの言葉を受け、うさぎは「よしっ!」と自分を奮い立たせるように叫んだ。

 この1時間、モノブロスは正しく化け物だった。否が応でも、彼は伝説の名を冠するに値する存在と思い知らされる。

 それが今になって、やっと攻撃が効いたことが実感できた。

 やっと見えた希望に縋りつつ、弱点である下腹部や尻尾に追撃を加える。

 狩人たちから聞いた通り、刃の通りは脚よりも格段に良かった。

 

 だが、モノブロスが藻掻いていた時間は僅かだった。

 何事も無かったように立ち上がった彼の襟巻には、赤い斑点模様が浮かび上がっていた。

 

「あ、あれは……」

 

 嘴状の口からは黒い蒸気が上がっている。

 2人は直感した。

 モノブロスが怒ったのだ。

 

「グオオオオオッッッ」

 

 一角竜は低くくぐもった声で唸りながら尻尾を地面に叩きつけた。

 身を先ほどより低く構えて力を溜めると、先ほどとは比べ物にならない速度で突っ込む。

 走るだけでは間に合わない。

 

「わあっ!」

 

 うさぎとルナは、反射的に身を横へと倒すように投げ出した。

 モノブロスは素早く振り返ると、怒りを表すように低く呻いた。

 

「どうやら、まだまだこれからみたいね……!」

 

 砂まみれのルナの言葉を聞き、うさぎのその手に持つ細剣の柄を強く握りしめた。

 

 そこからは今しがた抱いた希望を灰に帰そうとするような攻撃の嵐であった。

 ただでさえ強烈な攻撃は更に強烈になり、隙も少なくなっていく。音爆弾も怒りに我を忘れたモノブロスに効果はなく、搦め手はほぼ通用しない。

 無理せず護衛たちがいる洞窟に戻り休憩も入れたが、その間にモノブロスが立ち去る気配はない。

 その癖太陽は相変わらず頭上に輝き、影が傾くことで憎らしいほど時間の流れを感じさせる。

 そのせいか、うさぎの心中は少しずつ焦りつつあった。

 

 何十回と見たモノブロスの突進。

 うさぎは走って躱し、ルナはブーメランで遠方から甲殻を削る。

 

「あと、どのくらいかな!?」

 

「この分じゃまだまだよ!ここで彼が退くとは思えないわ!」

 

 ルナの返答に、うさぎは自身を照りつける太陽を見上げた。

 先ほどより確かに傾いた陽は、残酷なほど時間が経っている事実を突き付けてくる。

 

「……早く巣に追い返さないと!」

 

 うさぎは急いで、少しでも攻撃しようと追いかけた。

 だが、それが仇になった。

 モノブロスは頭を傾け、後方を確認する。

 

 後ろから斬り込もうとした瞬間、うさぎは尻尾に撥ね飛ばされた。

 モノブロスは背後からの攻撃を予見し、左右に尻尾を薙ぎ払ったのだ。

 見事その罠に引っかかったうさぎは砂にまみれて地を転がる。

 

「ぐ……」

 

「焦っちゃダメよ、うさぎちゃん!ここで怪我したら後が大変よ!」

 

「分かってる!」

 

 駆け寄ったルナに、うさぎは立ち上がりながら返した。

 そして薄々彼女も気づきかけていた。

 

 モノブロスは本来、今の彼女が立ち向かうべき存在ではない。

 

 大自然に鍛えられた肉体はどこまでもこちらの想像を超え圧倒してくる。

 大地の女王リオレイアの防具と武器を以てしてもこの手強さだ。これにほぼ裸一貫で挑んだココットの村長は無謀というか、傍からすれば無茶苦茶な人だろう。

 

「でも……きっとそれだけ護りたいものがあったんだ」

 

 うさぎは髪の毛を振るい、砂を落とした。

 彼女も元の世界では護りたい人たちのために戦ってきた。

 そこは戦士としての運命に巻き込まれた時からずっと変わらない。

 

「たとえ未熟でも、足掻いてみせる!」

 

 少女は再び目の前の怪物を真正面に捉え毒の細剣を構える。

 モノブロスも自身より遥かに小さい彼女を真っ直ぐ捉えている。

 その瞳はこの砂漠に似つかわしく、ある種の情熱を帯びているように見えた。

 



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砂漠に咲く真紅③

BGM:真紅の角


 旧砂漠のエリア4。

 岩地地帯の北東にある赤茶けた大地にはサボテンが力強く聳えている。

 戦闘開始から4時間ほどは経っただろうか。陽は橙色に染まりつつあり、大地が闇に包まれる時が近いことを教える。

 辺りには砂塵が舞い上がり、大穴や削って抉られた跡が岩に刻まれ、凄まじい戦闘を物語っていた。

 

 少女は、ひたすらに剣を振るっていた。

 プリンセスレイピアに含まれた毒も回っているはずなのに、モノブロスの闘志は未だに衰えない。

 何度も爆音を聞き、目つぶしをされ、腹や脚に切り傷を抱えながら、それはうさぎと一進一退の攻防を繰り広げる。

 その頭を飾る一本角が示すように、その竜の正面に陣取るのは死を意味する。よってうさぎたちは腹や脚を狙うのだが、彼がそう易々と殴らせるわけがなかった。

 

 もはや体力も限界に近い。

 乱れる剣戟のなか攻撃に対して咄嗟に盾を構えたうさぎだったが、弾き飛ばされる。

 

「流石は伝説の飛竜!すごい力だわ!」

 

 ルナはがら空きの脚に背後から駆け寄り、ハンターナイフを振りかざした。

 だが、モノブロスは既にその狙いに気づいていた。

 モノブロスは突如横を向くと、腰を低く構えて力を溜め、肩を突き出すようにタックルをしかけた。

 角に劣らぬ全体重をかけた一撃に、小さな身体は大きく撥ね飛ばされた。

 彼女は北西の、泉がある辺りに転がった。

 

「ルナ!」

 

 うさぎは慌てて剣をしまい、ルナに駆け寄って助け起こした。

 モノブロスは両者をまとめて葬り去らんと突進をしかけた。

 少女は相棒を抱いて転がり、横にそれてぎりぎり難を逃れる。

 彼女が振り返ったときには、通り過ぎたモノブロスもこちらに向き直っていた。

 何を思ったか、モノブロスは頭を大きく振りかぶり、天を見上げ、喉を震わせて絶叫した。

 

「ギィャアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァッッッ!!!!」

 

 空気が再び爆発した。

 一本角が空に傾いた陽光に反射し、てらてらと真紅の光沢を放った。

 そこにあったのは傷による苦しみでもなく、相手の弱さへの嘲りでもない。

 ただ燃え盛る猛りに任せた、腹の底からの雄叫びである。

 彼の肉体は浅黒く、逞しく、巨大だった。

 自分の肉体は白く、細く、小さかった。

 

「あの子は、独りで生きていけるほど強いんだ」

 

 抱きかかえられながら薄目を開けたルナが見たのは、複雑な眼差しで相手を見る主人の顔だった。

 彼女は、戦士の宿命をもたらした黒い相棒の顔を見下ろした。

 

「でもあたしは違う」

「……うさぎちゃん」

「ねえ、ルナ」

 

 咆哮を終えたモノブロスは、角を低く構えて唸る。

 

「もう、あたし、狩る相手を可哀想がったりも恨んだりもしない。彼らには彼らの生き方があるもの」

 

 うさぎは動かない。剣を持ったまましゃがみ、モノブロスの猛々しい顔を真正面から見つめた。

 塵を巻き上げ、凄まじい勢いで一本角が迫る。

 

「あたしの方が変わるしかないんだ」

 

 うさぎはルナを抱えたままその場にうずくまり、ある一時を境に剣を上に突き立てた。

 角が頭上を通り過ぎ、剣が胸、腹を縦に切り裂く。

 弱点を突かれたモノブロスはもつれ倒れ込み、よたよたと立ち上がる。

 ルナはうさぎの腕から抜け出すとその身を奮い立たせ、モノブロスの前に立った。

 

「よく言ったわ、うさぎちゃん!そろそろ、アレを使ってみましょう!」

「分かった、あの『奥の手』ね!」

 

 うさぎは東側にある階段状の地形を駆けあがっていった。

 その先には南のエリアへ続く通路があるのだが、その付近にはハンターたちからもらった物資が合わせて置いてある。

 彼女はぎっしりと爆薬の詰め込まれた大タル爆弾を引きずって運び、上段から下段に降ろすようにして置いていく。3つほど設置したところで、うさぎは円錐状の機械を爆弾の近くに取りつけた。

 

「ルナ、準備できたわ!」

「よっしゃあ!さあ、こちらへいらっしゃい!」

 

 ルナは、うさぎの元へ直行する。

 モノブロスは、さっきまで辺りをうろちょろしていたのがすばしっこく段差の上に駆け登ったのを見て、苛立たしげに唸った。 

 そのままただ真っ直ぐ突き進む。

 自らが向かう先に何があるかも知らずに。

 

「ッ!?」

 

 一角竜の動きが止まった。

 シビレ罠である。

 機械の周囲に漲る電流は、巨大な竜でさえもその場に釘付けにし続けた。

 

「使えるものは、とことん使わせてもらうわよ!」

 

 うさぎが手に持って取り出したのは、こちらも爆薬が仕込まれた小タル爆弾。

 既に、導火線には火がついている。

 少女は大タル爆弾を見て目を細めた。歌姫の護衛たちが、船から唯一持ち出せた物資であった。

 小タル爆弾を上段から放り投げる。 

 

 それが眼下の大タル爆弾に接触した瞬間、光と炎が弾け、凄まじい大爆発が起こった。

 爆風が金髪のツインテールと黒い毛並みを後ろになびかせる。

 静まっていく轟音に反比例して、モノブロスの呻きが聞こえて来た。

 硝煙のなかから、形が変わらず黒焦げただけの頭が姿を現した。

 その実、モノブロスの頭部は爆弾数発で吹き飛ばせるほど柔なものではない。

 だが、彼を象徴する一本角だけは爆発の衝撃でひび割れていた。

 

 それをうさぎは見逃さない。

 導かれるように彼女は剣を抜き、段差の上から一歩外に踏み出す。

 

「お願い」

 

 ほとんど落ちるようにして跳んだ。

 空中で剣を振りかぶる。

 それと同時にシビレ罠の拘束が解け、モノブロスは頭上の少女を睨んだ。

 彼女は手元に力を集中させた。

 

「あたしのわがままを、通させてっ!!!!」

 

 モノブロスは自身の最大の武器を突き上げた。

 空中で身を反らし、巻き付くようにしてその小さな身を額と角の間に踊り込ませた。

 猛る一角竜は、そこで初めて目を見開いた。

 少女は、角に跨ったまま剣を大きく振りかぶり──

 最もひびの入った一点を打ち据えた。

 

 ひびは深くなったが、一発では壊れなかった。

 モノブロスは、うさぎを振り飛ばそうと頭をぶん回す。

 だが、彼女は諦めない。何発でも、角に細剣を叩きつける。そのたびに、ビキッと音がしてひび割れが深くなっていく。

 

「もう少しよ!頑張って!!」

 

 相棒の声援を背に受け、少女は何度も攻撃を加える。

 そして遂に、角の真ん中辺りのひびがくまなく行き渡ったのを見計らい、彼女は天に剣を掲げた。

 

「たりゃああああっっっ!!」

 

 ほぼ同時、モノブロスは少女を吹き飛ばそうと頭を天に大きく振りかぶった。

 一瞬、両者の動きが止まった。

 地面に角が接したのと同時に、緑の女王の細剣も角に接した。

 

 直後、ばきり、と大きな音がしたのをルナは聞き届けた。

 遂に、真紅の角が折れたのだ。

 

 うさぎは大きく仰け反ったモノブロスに後方に投げ出された。

 角の先から真ん中に至るまでの大きい欠片が宙を舞い落ちて、地面に刺さる。

 地に落ちたうさぎが何とか剣を拾い上げ、杖にして立ち上がり、頭を揺らがせふらついているモノブロスに目をやった。

 そこに、ルナが急いで駆けつけた。

 

「うさぎちゃん、怪我はない!?」

「ええ!」

 

 モノブロスは頭を振ってうさぎに振り返ると、角の折れた顔でじっと見つめてきた。

 彼女は相手を見つめ、剣を構え続ける。

 やがてふん、と息を鳴らすと、モノブロスは雄叫びを上げながら去っていった。

 向かった先はここから南にある、多くのモンスターたちが寝床にする日陰のオアシス『エリア3』であった。

 足音は遠くなっていき、やがて静寂が訪れた。

 ルナは叫んだ。

 

「うさぎちゃん!」

「……やった!!」

 

 さっきまで立ち尽くしていたうさぎは、やっと顔に喜色を浮かべた。

 モノブロスからすれば少しばかり飾りを壊されただけだ。うさぎのことは思ったより厄介なヤツだとやや鬱陶しく感じただけの話だろう。

 だが、それでも彼女は伝説の竜に──ほんの少しだったとしても──己の力を認めさせたのである。

 彼女はモノブロスが残した真紅の角を見下ろしたあと、西の方角を見据えて言った。

 

「まだやるべきことは残ってるわ。あたしたちが勝つべき相手は……ミメットよ!!」

 

──

 

 うさぎは無事護衛たちと再会し、第二関門に向けて静かになったエリア10を南に下った。

 歌姫は御付きのアイルーたちが人力車、ならぬ猫力車のような乗り物に乗せて厳重に警護を行い、雄大に広がる砂漠『エリア7』北側にある岩の陰に待機する。

 うさぎたちが妖魔たちを掃討、その後は護衛たちが船を点検し、無事に出航できると判断次第乗り込むという流れだ。操縦は、歌姫の御付きのアイルーがしてくれるとのことだった。

 

 陽が岩山ほどの高さにまで落ちている。

 地を踏みしめ、風景が岩地から砂漠に変わっていく。

 砂漠のど真ん中にうさぎとルナが立つと、さっそく黒い息の混じった砂塵が彼らの周りを回り始めた。

 こちらが動かないことを確認すると、一斉に口を開けて迫ってくる。

 

「さあ、反撃と行きますか!」 

 

 うさぎは手元にある音爆弾を振りかぶり、投げた。

 爆音が鳴り響き砂を泳ぐ魚たちは見事に吊り上がった。

 片手剣はリーチが短く、太刀のような芸当もできない。しかし、武器を出している間もアイテムを使える点で、他の武器にはない圧倒的な戦闘手段の豊富さを誇る。

 うさぎは音爆弾を遠慮なく使い、ガレオスの群れを引きずり出した。むき出しになった腹を狙い、少女たちは彼らを斬り倒していく。

 

 陽が赤くなり始めた頃、戦闘は終わった。

 

 緑の信号弾が上がると、御付きの猫たちが歌姫を後方に載せて車輪を転がし、一所懸命に砂上を駆けてきた。

 

「お疲れ様、猫ちゃんたち!」

 

 船のほとりに辿り着いてへとへとの彼らを、ルナは同じ猫のよしみか、水筒を与えて介抱した。ルナが砂漠を見渡すが、どこにも動く砂塵は見えない。

 

「結局ドスガレオス、出てこなかったね」

「昼ここに来たときはいたのに……」

「あたしたちが強すぎてビビっちゃったのよ、きっと!」

 

 うさぎは明るく言ったが、歌姫に伴ってきた女護衛の表情は浮かなかった。

 

「ここに来た時はこんなもんじゃなかった。あの時は、空にも陸にも黒が埋め尽くして……」

 

 途中で、彼女は首を振った。

 

「いや、この話はいい。何にせよ、早く行かねば歌姫様も、バルバレも危ない」

 

 エリア北側、海のようにうねる流砂の近くに乗り捨てられた船に行き、女護衛が御付き猫と共に船内の点検をした。

 砂上船は天下の歌姫が乗るにしては外装が地味だったが、護衛によると盗賊や砂漠に棲むモンスターの目につかないためだという。

 損傷はかなり酷く、舳先や甲板、手すりが一部無くなっていたが、運航に関しては問題なかった。

 

「……よし、後は帆さえ開けば……」

 

 うさぎたちは脚の怪我で踏ん張れない女護衛に代わり、帆をロープで引っ張って張った。

 帆は東寄りの夕風を受けて大きく膨らんだ。それを見上げ、女護衛は叫んだ。

 

「風速、風向、砂流、視界、全て良好!」

「歌姫様、もう少しの御辛抱です。どうかご容赦を」

 

 彼が屋根のついた猫力車の傍に歩み寄りながらささやくと、垂れ幕を除けて背の高い女性が現れた。

 うさぎはそこで初めて歌姫の姿を見た。

 漆黒の肌に青い襟と袖のついた白い衣を纏い、被り物の奥に金のポニーテールを後ろにまとめていた。

 竜人族である彼女の耳はとんがり、指はヒトより一本少なく四本指である。

 彼女は額と耳につけた水色の宝石を揺らし、凛とした表情で背を伸ばし歩いていく。

 

「……綺麗な人……」

 

 うさぎが見惚れていると、歌姫はすっと足を止め、彼女に向いた。

 目元は蒼、唇は白い化粧に飾られている。

 戸惑う少女を前に、歌姫は袖を顔の前にさっと持ち上げ、そのまま深々と頭を下げた。

 女護衛がうさぎの肩を叩き、微笑んだ。

 

「いま、歌姫様がなされたのは感謝の意を伝える仕草だ。一生の誇りにしておけ」

 

 いよいよ錨は巻き上げられ、護衛たちが背中で船体を流砂の上に押し出すと、砂上船は遭難から数日ぶりに動き出した。

 



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砂漠に咲く真紅④

 

「……追い風なのは有り難いけど、それでもかなりギリギリでしょうね」

 

 紅から深い青へと変わっていく空を見上げていた。

 歌姫は、御付きの猫を伴って船内の奥の一室に匿われている。彼女は慌てもせず、ただ置物のように静を保って鎮座する。

 

「はー、モノブロス、苦戦しすぎたかなぁー」

 

 うさぎが後方のマストにもたれて甲板に腰を下ろし、ため息をついて見つめた先、船体後部には彼女の成果たる真紅の角が置かれている。

 前で、操縦士役の御付きの猫が舵を取っている。

 

「今更何言ってんの。あの伝説の竜の角を折ったんだから、堂々と誇りなさい」

 

 ルナは望遠鏡を再び持ち上げて覗くと、あっと声を上げた。

 

「進行方向左側、遠方に黒いものが!」

「えっ!?」

 

 うさぎは立ち上がった。

 眺めてみると、確かに黒い靄のようなものが東の地平線上に見える。時間が経てば経つほどそれは大きくなるようであった。

 操舵していたアイルーは恐れおののき、飛び出して船内へ入り込んでしまった。

 

「ま、待ち伏せよ!!」

「護衛さんたちが言ってたのは、こういうことだったんだ」

「うさぎちゃん、ここは変身して……」

 

 叫びかけたルナだったが、はっとして船内へ続く入口を見た。

 その中から、御付きのアイルーたちが怯えた表情で見守っている。

 うさぎはそれを振り返ったあと、前を見据えて叫んだ。

 

「ルナ……今のあたしは、狩人よ!」

 

 ルナは、覚悟を決めて頷いた。

 バリスタ、大砲など、護衛たちから教わった迎撃設備の使い方を復習する。

 最後の仕上げに武器を研ぎ、異常がないか点検した。

 2人だけの迎撃戦が幕を開ける。

 

「ガブラスが来るわ!」

 

 蛇のような頭に細身の身体、人を覆い隠せるほど大きな翼を持つ『翼蛇竜ガブラス』が黒い息を吐く群れとなって先頭を切る。

 それぞれのバリスタの配置につき、ありったけの巨大矢を打ち出す。

 弦に弾かれた矢は放物線を描いて飛び、夕焼けにはためく群れに突っ込んでいく。

 大まかに狙っても必ず1匹は刺さって落ちていく。

 勢いがよければ一匹の翼を突き破り、他を撃ち抜いて堕としていく。

 

 だが、それでも時々1匹は撃ち漏らして舳先上部へ差し掛かる。

 黒い息を吐いてガブラスが滑空しようとしたとき、ルナは一個の物体を上空に放り投げた。

 帳のなか閃光が爆発すると、視界を潰されたガブラスは悲鳴を上げながら堕ちていく。後方に控えていた者たちもいくらか撃墜された。

 

「この調子よ!どんどんこうげ……」

 

 ルナが言いかけた時、右側すぐ近くでばぁん!と爆発音が鳴り甲板の一部が弾け飛んだ。

 

「う、うびゃあああ!?」

 

 彼女に湿り気のある砂粒がばらばらと降りかかった。

 それを見て、うさぎはすぐルナの遥か向こうの砂漠に視線を移す。

 黒い息の混じる砂塵をまとった、背びれの群れが接近している。

 左舷を見ると、そちらにも同じものが見えた。

 

「ガ、ガレオス!それにあれは……!」

 

 一際大きな黒い砂塵が、凄まじい勢いでこっちに迫ってくる。

 黒ずんだ半月状の頭が砂上に飛び出し、船の左横腹に持ち前の巨体でタックルをしかけた。

 

「わああああああっ」

 

 船体が大きく右側に傾いた。

 バリスタの弾のいくつかが砂に落ちた。

 足場を崩して転びかけたが、どうにか踏みとどまる。

 何度も揺り返しがあって、少しずつ船は落ち着いた。

 

「歌姫様は無事!?」

 

 うさぎが後方に向かって叫ぶと、御付きの猫が船内から飛び出して何度も頷いた。

 

「もしかして、あの妖魔になったドスガレオスの仕業!?」

 

 うさぎとルナは、両舷でバリスタを撃ちまくる。

 そのうち、御付きのアイルーたちも勇気を振り絞って弾を大砲に込め、戦いに参加した。

 爆風と矢の嵐に、ガレオスたちは不規則に泳いで狙いをそらすことで対抗する。

 

 そんななか、ガレオスたちとは反対に船の行く方向からきしゃあ、きしゃあと何かの叫び声が聞こえた。

 前方を見ると、所々にある岩の上で赤い目をぎょろつかせる、トサカを持つ二足歩行の竜たちの影が見えた。

 彼らの中でも一際大きな首領……あの妖魔化ドスゲネポスがうぉう、うぉうと天高く吼えた。

 

「ゲ、ゲネポスまでいるわ!」

「何よ、次から次へと!」

 

 高所で待ち伏せていた彼らは、素早く駆け出すと船に飛びついてくる。

 

「たあっ!」

 

 うさぎは剣を引き抜くと、甲板に飛び移ろうとした1頭を斬り伏せた。

 その1頭は大きく吹っ飛び、砂上を転がっていった。

 次はガブラスが彼女を掴もうと空中から襲ってくる。

 

「……ごめんっ!!」

 

 うさぎは叫びながら迫ってくる相手の胸を突いた。

 その蒼い瞳に迷いはなく、目の前の景色をはっきりと捉えていた。

 

「歌姫様がいる部屋だけは護らなくちゃダメよ!」

 

 ルナが言うと御付きのアイルーたちは頷き、自身より遥かに大きいバリスタの矢を持って入口の前に待ち構えた。

 近くにゲネポスやガブラスが近づけば振り回して牽制し、それをうさぎとルナが倒す。

 

 音爆弾、閃光玉を湯水のように使い、大いに矢を撃ち、剣を振るった。

 それでも止まない妖魔化生物たちの攻撃。

 少女たちの体力も削られていく。

 

 いつの間にか月が出ていた。

 もはや太陽が地平線に沈もうとした頃、異変が起こり始める。

 

「まだ……まだ終わらないの!?」

 

 うさぎの剣を持つ腕が、血まみれになってぴくぴくと震えている。

 もう、合計百頭は倒しただろうか。

 鎧を覆う鱗の一部が砕け、金属の部分が牙や爪によって削られている。

 腰を落としかけたうさぎに砂上から甲板に飛び移ったゲネポスが襲い掛かろうとすると、ルナが背中から跳びかかる。

 

「負けちゃダメよ、うさぎちゃん!」

「ぐっ……」

 

 歯噛みすると、うさぎは剣を思いっきり振り回してゲネポスの胸を斬り払った。

 背中から飛び降りたルナは、よろめいたその竜が流砂に落ちていくのを見送った。

 そこで、彼女は何かに気づく。

 

「あれ、そういえばガレオスの攻撃が少なくないような……」

 

 そう言った瞬間、どすどすどすどすっ、と刺すような音と共に船体前方から木片が砕け散った。

 

「あっ!」

 

 ルナの目の前を、高速で砂弾が駆け抜けた。

 ガブラスが上空に避難し、ゲネポスの襲撃がぴたりと止んだ。

 

「うさぎちゃん、伏せて!」

 

 少女が訳も分からずうずくまった途端、前方からひゅんひゅんひゅんと風を切る音がして、船のあちこちが砕け散った。

 まるで機関銃の如き一斉掃射が瞬く間に船を駆け巡る。

 荷物は砕け、手すりが吹っ飛ばされ、帆に穴が空き、甲板の木板がいくつか弾け飛んだ。

 それが1分ほど続いてやっと終わり、うさぎたちが目を開けて立ち上がったとき、船は幽霊船かと見紛うほどに壊されていた。

 

「流石に、船底は頑丈に作ってあるわね」

 

 甲板から顔を覗かせたルナがほっとする一方、うさぎはずっと前の地平に伸びる尻尾のような砂塵を見やった。

 

「でもあいつら、船を壊す気よ!」

 

 その時、空から舞い降りた1匹のガブラスがうさぎの肩を掴んだ。

 

「えっ……」

 

 完全な不意打ちだった。

 

「は、放しなさい!」

 

 ルナがジャンプして剣を振るうが、空中の相手には当たらない。

 砂塵の群れから離れたドスガレオスが、先頭を切り、船真正面を捉えて泳ぎ始めた。

 飛び跳ね、口内で圧縮した砂弾を放った。

 砂の塊は銃弾の如く鋭く飛び、うさぎの胸を直撃した。

 

 ルナが見上げる頭上で、少女の身体が吹っ飛んだ。

 彼女は前方マストに叩きつけられ、力なく落下する。

 近くにあった荷物が散乱し、マストにはひびが入った。

 胸当てには穴が開いて蒸気が噴出し、少女の身体は動かなかった。

 

「うさぎちゃん!!」

 

 ルナが涙目で駆け寄る。

 

「コ、コンパクトが壊れでもしてたら……」

 

 二度と変身できなくなるか、運悪く心臓が撃たれていれば命にかかわる。

 

「ねえ、しっかりして!うさぎちゃん!うさぎちゃん!うさ……」

 

 ルナの目に、あるものが止まった。

 

 穴の中から覗いたのは、鈍い白の中に光る赤い花びらだった。

 

「あ……そういえばモノブロスの前に!」

 

 うさぎの目が薄く開かれる。

 

 むくりと起き上がると彼女は自身の胸当てから登る蒸気を見つけ、その裏からブローチを取り出す。

 

「ここにいなくても……護ってくれたんだ、あたしを」

 

 うさぎは潤んだ瞳で、胸の中にそれを全力で抱きしめた。

 

「うさぎちゃん、みんなのためにも、この船を壊されるわけにはいかないわ!」

「うん!」

 

 うさぎは頷くと、ルナと共に舳先に駆けつける。

 群れの長は、猛烈な速度で砂を巻き上げてくる。

 ゲネポスやガブラスは、横取りを狙うかのように遠くを抜け目なく徘徊している。

 彼女らが姿を現すとともに、ガレオスたちの援護射撃が始まる。

 やむなく、うさぎたちはその場に伏せる。

 口内で高密度に圧縮された砂弾がマストを打ち砕き、船体側面に穴を開けまくる。

 ドスガレオスがいよいよ速度を上げ、口を開けて突っ込んだ。

 

「撃龍槍よ!」

 

 うさぎはルナの言葉を受け、傍に置いてあったピッケルを、スイッチ目掛けて振り上げた。

 これさえ押せば、巨大な槍が目の前の巨体を螺旋を描いて貫くだろう。

 だが、黒い息を吐くドスガレオスはそれを見逃さず砂弾を吐いた。

 うさぎを狙ったつもりのそれは、思わず彼女が盾にしたピッケルにぶち当たった。

 かぁんと軽い音を立て、弧を描いて砂漠に落ちていく。

 

 うさぎははっとして目を見開いた。

 もはや、相手は眼前だった。

 

「……っ!」

 

 うさぎは急いで剣を抜き、そのまま折れて短くなった舳先から飛び出そうとした。

 

 ドスガレオスの頭の下の大地が爆発する。

 一本の角がその喉を刺し貫いた。

 

 うさぎは、しばらく凍ったように動けなかった。

 ドスガレオスはその一発で絶命した。

 夕陽を煙らせ、一頭の飛竜は船の前を横切るように飛び出した。

 相手の脳天を突き刺したままぶん回して一回転したのち、高く放り投げる。

 岩場に激突しそのまま沈黙した群れの長を前に、ガレオスたちは船を避けてまでその竜に突撃しようとしたが──

 天を仰いでの咆哮が彼らを丸ごと地中から引きずり出す。

 

「……モノブロスだ」

 

 甲板に戻って後方を見ていたうさぎは、呆然と呟いた。

 妖魔化ドスゲネポスはその光景を見て後退りしていたが、一角竜は決してその姿を見逃さなかった。

 折れた角を、真っすぐ振りかざす。

 ドスゲネポスは身を翻して逃げようと全速力で走ったが、直後、掬い上げるようにして遥か彼方に吹っ飛ばされた。

 

 ドスゲネポスは船上遥か上空を吹っ飛び、横切っていく。

 

 悲鳴を上げて逃げようとする群れの長を、部下であるゲネポスたちは追っていく。

 ガブラスたちは伝説の飛竜の勝鬨を聞き、恐れをなして散り散りになっていく。

 その後も手当たり次第に近くの妖魔たちに襲い掛かっていくモノブロスを残し、船は進んでいく。

 うさぎとルナは、小さくなっていくそれを感慨深げに甲板後方から見つめるだけだった。

 

──

 

「歌姫様、危険は去りました!!」

 

 追手がいなくなったのを確認し、うさぎが入り口の前で叫ぶと、御付きのアイルーたちが歓声を上げる。

 歌姫が、月光の下ゆっくりと自ら船内から歩き出て来た。

 相変わらず凛とした佇まいではあるが、心なしか目線が温かいものに感じた。

 彼女は気品ある動作で御付きのアイルーに口を近づけて小さくささやいた。

 

「『そなたらがここまで成し遂げるとは思いもよらず、誠に私は感謝に堪えない』」

 

 アイルーは、彼自身の感情も入っているのか喜色の入った声で言った。

 うさぎとルナは、嬉しそうに頭を下げた。

 

「『何かそなたらのために出来ることがあれば、どうか協力させてほしい』とのことですニャ!」

 

 うさぎはルナと互いに顔を見合わせると、頷いて一言呟いた。

 

「……じゃあ」

 

 先ほどまでの死闘が嘘のように、地平線まで伸びる砂漠は穏やかな風を運んでいた。

 

 




次回は年内にエピソードを収めるため、3日連続更新となります。バルバレでの決戦です。


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砂漠に咲く真紅⑤

『みんな、出来る限りのことは尽くした。あと必要なのは、互いを信じることとしつこく食い下がるってことだけだろう。お前さんたちならできる、できる!』

 

 そう言い残して、団長は姿を消した。

 集会所より左奥、市場から少し外れたところに巨大な劇場が見える。

 天気はこの太陽の集落にふさわしい快晴であった。

 

 人混みのなか、少女たちは早足で歩いていた。

 劇場の周りには木と布で組まれた屋台が列を作り、大盛況を博す。出張酒場、雑貨屋、菓子屋、武具屋、薬屋、肉屋、スパイス屋、衣服店……と、種類はとても数えられない。

 売り子、主に酒場の看板娘たちが、キンキンに冷えた歌姫コラボビールやその他ドリンクを笑顔で走り回りながら売り歩く。それに人々の手が伸びて、小銭と引換えにジョッキが無くなる度彼女らは店へ駆けていく。

 少女たちは汗を流しながら、人々を真っ直ぐ掻き分けていった。やがて彼女たちは会場内に続く狭い通路に足を踏み入れた。

 

 どこを見渡しても、人、人、人。

 荒地の傾斜を生かして作られた、すり鉢状の野外劇場。

 円形舞台を囲む同心円状の階段は前から後ろまで満員だった。もはやそれは海の形を成し、嵐に掻き回されたような波がさざめいている。

 

 自慢の武器をぶら下げ仲間と駄弁るハンター、

 歌姫にあやかってただの古びた壺を高値で売りつける商人、

 貧しい身なりながら家族ぐるみで公演を待ち望む農民、

 徒弟と笑いながら酌み交わす職人、

 リュートを弾き鳴らし狩人と化け物の戦いを勇ましく唄う吟遊詩人、

 砂塵と喧騒を嫌がり家来が持ち上げた輿にふんぞり返る地方貴族──

 

 世界中から文化、階級、性別、職業を手当たり次第にかき集めごった煮にしたような空間。

 数千万の会話が入り乱れるなか、一か所だけ沈黙を保つところがある。

 すり鉢の底面にあたる、円形舞台のすぐ前であった。

 赤い目をした守護兵たちが舞台を護るように取り囲んでいる。

 それを眺めていたリノプロ男とハイメタ男が、少女たちの姿を認めた。

 駆け寄ってくる2人に亜美が聞いた。

 

「どうですか?」

「あからさまに警備が厳重になってきた。そろそろ出てくるはずだぜ」

 

 リノプロ男が親指で示した先、白い衣を羽織った集団が守護兵に護られ、ボウガンをぶら下げて抜け目ない視線を巡らせている。

 しばらく待っていると、劇場から少し離れたやぐらに設置された大銅鑼が鳴った。

 ばしぃぃぃぃぃぃん、と大地に響く音が、観衆を一斉に黙らせていく。

 

「よし、予定通りだな。じゃあ、頑張ってくれよ!」

「ええ!」

 

 各自が劇場のあちこちに散っていった。

 白い衣を着た男が舞台上に出てくる。

 真ん中に至ると、彼は礼を拝してから声を張り上げた。

 

「皆様、此度は東西南北より遥々の旅路、誠にお疲れ様でした!しかし現在、歌姫様はご到着が遅れるとの連絡を賜っております。何卒ご理解頂きたく……」

 

 ざわめきが中心の舞台付近から劇場外縁部まで伝播する。

 

「おいおい、何やってんだよバルバレギルドは!」

「早く始めろー!」

「ハンターどもは化け物狩る以外何も出来ないのか!?」

 

 たちまちのうちに観客の間からブーイングが起こる。

 それを見計らったように、舞台袖からぞろぞろと白い集団が楽器を持って出てきた。

 弦楽器、木管楽器、金管楽器、太鼓と一通り揃っており、規模は大楽団と言っても差し支えない。

 指揮者が振りかぶると、太鼓がどこどこどこと盛り上げるように鳴り、最後にばあんと破裂するような音を出した。

 それを合図に、舞台袖から一人の少女がパッと飛び出した。

 

「はぁーあーい!歌姫見習い、ミメットでーす♡」

 

 少女が、観客席へ満面の笑みで手を振りながら駆けていく。

 肩と鎖骨周りをさらけ出し、裾丈が異常に短い踊り子風の白いコスチュームだった。

 舞台の真ん中まで来ると、彼女は金色のウェーブヘアーをぱたぱたさせて飛び跳ねた。

 

「きゃはっ、すっごいかずーーーー!1万人はいるかしら?ライブ中継して世界中に繋げたい気分だわ!!」

 

 観客たちは、見たこともない衣装の少女を前に戸惑いを見せていた。

 

「なんだあの子?」

「歌姫の見習いだってさ」

「歌姫様があんな軽々しそうな女を隣に付けるとは思えんのだが……」

 

 囁きあう観客たちの目つきには困惑と薄っすらとした嫌悪感がある。それを目にした少女は、脚をふらつかせて倒れかけた。

 

「……ううっ……」

 

 指揮者の男が急いでその身体を支えると、観客たちは驚いて視線を彼女に集中させる。

 

「ああ、ダメよミメット!せっかく皆さんが集ってくださったのだから、せめてこの場を明るくしないと……」

 

 己を叱ってそれ以上支えられるのを断り、ゆっくりと立ち上がった少女にさっきまでの元気はなかった。

 

「申し訳ありません。こんなにたくさんの人たちが集まって下さったのに、ごめんなさい」

 

 彼女の下瞼に涙がこぼれ始め、声にも張りがなくなりしゃっくりが混じり始めた。

 

「最近、噂にもなってる、魔女の使いである妖魔たちが出始めて……歌姫様の護衛団は、それのせいで動けなくなってるかもって話を、さっき、聞いて……!!」

 

 そこまで言うと堰が崩れたように泣き始め、結局その場に膝をついて手で顔を覆った。

 

「えっ、今の本当!?」

「歌姫様は無事なのか!?」

 

 人々が一斉にどよめく。

 

「現在ギルドの皆様がハンターを派遣して下さったのですけれど、ずうっとそのことが心配で、来る日も来る日も眠れないんです」

 

 場は静まり返り、しおらしい声色と表情にいくつか同情の視線が集まる。

 

「でも、こうやって泣いてばかりじゃいられません。ここはしゃんとしないと!歌姫様の帰りが信じられなくて、何が見習いよ!!」

 

 ミメットは拳を握り、顔を振り上げて涙を払った。

 

「あたし、お詫びに歌わせていただきます。歌姫様にはどうしても劣りますけど、どうかこれで少しでも、皆さまの気持ちが安らぎ歌姫様の公演まで待っていただけるのでしたら」

 

 人々はしばらく黙っていたが、まばらにパチパチと拍手が起こり始める。

 やがてそれは劇場全体に響き渡り、応援の声と共に会場の外にまで聞こえた。

 ミメットの口許が僅かに持ち上がった。

 

「ありがとうございます!それでは聞いて下さい、曲目は──」

 

「ああ!どうか止まってくれ!」

 

 男の叫びとともに、草食竜アプトノスの牛の猛るがごとき嘶きが劇場に木霊した。

 劇場の端で異変は起こった。

 なんと、暴走した竜車が階段を突っ切り、すり鉢状の劇場を凄まじい勢いで下ってきたのだ。

 ちょうど無人の場所を通っていたが、人々は悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 

「な、なによなによ!?」

 

 その勢いに気圧されて舞台を囲っていた守護兵も逃げ、竜車はミメットのいる円形舞台へ突っ込んでしまった。

 アプトノスを駆っていたフードを被った男が手綱を必死に引くうち、その草食竜は落ち着いていった。

 幌のかけられた荷車のなかからもう一人のフード姿の男が現れ、地面に手と膝をついて叫んだ。

 

「ミメット様、会場の皆様!誠に、誠に申し訳ありません!アプトノスが暴れてしまった!いつもは良い子なのだが突然……」

「すべては兄ではなく、この竜を操っていた私の責任です!どうぞ罰するなら私めを……」

 

 アプトノスに乗っていた男がフードをずらして顔を晒すと、それを見たミメットの目の色が変わった。

 守護兵が飛び出し、2人の男両方を睨んで槍を突き付ける。

 

「貴様ら!この神聖な舞台に白昼堂々乱入とはいい度胸だな!」

「待って!!」

 

 ミメットは守護兵を制すると、兄弟の顔をうっとりとした顔で見比べた。

 

「御覧なさい。彼らの髪、瞳、肌、指に至るまで、なんと美しいこと。きっと、こうして出会うために天から遣わされたのね。いいでしょう、すべて許してあげるわ」

「ミ、ミメット様!?」

 

 兄と称された男は泥を被ったような茶色の髪の毛で、傷だらけな代わりに彫りが深くきりりとした顔立ちが特徴である。

 弟であろう男は黒髪で眼鏡をかけており、青い瞳は優しげで包容力さえ感じさせた。

 弟はその場に跪いて頭を下げた。

 

「歌姫様のお弟子様への無礼な行い、お許し頂くどころかお褒めのお言葉を賜り、光栄に存じます」

 

 兄はやや表情は硬いが、真っすぐにミメットを捉えていた。

 ミメットはそれに射止められたかのごとく硬直し、顔を紅くする。

 

「我々はここにいる方々と同じく、歌姫様に心より親愛の情を抱いております。そしていま、貴女の歌姫様への想いを聞き心の底より共感と感動を覚えました」

 

 兄はそっとミメットの手を取った。それを目の当たりにした彼女の瞳は、乙女らしい輝きを閃かせた。

 

「お騒がせした身でですが、何かの縁だ。どうかこの御方からお話を聞いてみたい。観客の皆様もミメット様がどういう方なのか、気にはならないだろうか」

 

 彼は上方に広がる階段を見回したが、観客たちは困ったように仲間たちと目を見合わせている。

 突然、幾人かが一斉に声を上げた。

 

「俺は気になるぞ!」

「私も!」

「是非とも聞かせてください、ミメット様ー!!」

 

 背中を押されてにやついたミメットは、ぱっと素早く2人の手を取って振った。

 

「喜んで!白馬の……とはいかないけど2人の王子様に囲まれるだなんて夢のようだわ!」

「し、しかしミメット様……いづっ!」

 

 止めようとした団員の靴をヒールで踏んでぐりぐりとした。

 ミメットはウキウキした顔で円形舞台の前方を掌で示す。

 

「さあ、こちらへどうぞ」

 

 このやり取りを見ている観客たちは、先ほどまで到着の遅延に怒っていたことも忘れて予想のつかない展開を物珍しそうに見物していた。

 

「よりによって今日この時に大丈夫か?」

「演出中々凝ってるよねー」

「面白けりゃなんでもいいよ」

 

 様々な意見が飛び交うなか、対談が始まった。

 兄弟は、歌姫に関しての話を長々と続ける。

 彼女がどれだけドンドルマだけでなく世界中に貢献しているか、最初にその姿を見た時にどれだけ感動したか、こうしてバルバレに来ることがどれだけ素晴らしいことか、などを雄弁に語った。

 兄はやや口下手だったが、そのたびに弟が機転を利かせて観客をどっと沸かせたり涙を流させたりした。

 一方のミメットはろくに聞かずに頷き適当に返すだけで、彼らの顔をうっとりとして眺めていた。

 弟が、彼女の顔をちらりと見て尋ねた。

 

「それで、ミメット様が見習いとなった1年前といえば龍の災いがかの地を襲った直後でしたが、あの災いをどのように考えておられますか」

 

 ぼうっとしていたミメットは肩を跳ねあがらせたが、こほんと咳払いすると自信ありげな顔で答えた。

 

「ええ。あの忌まわしい災いは二度とあってはなりませんわ。必ずや龍どもをすべて討ち果たし、ドンドルマの人々に平和を……」

 

 柔らかな笑みを浮かべるミメットとは対照的に、兄の瞳の底が光った。

 

「……不思議ですね」

 

 ミメットは兄の言葉を聞いてえ?と振り向いた。

 観客たちも、一部が違和感を感じたように首を傾げている。

 

「貴女はご存じでしょうが、あの街の公的施設には赤の屋根、一般家屋には緑の屋根が飾られております。それは最も有名な飛竜であるリオレウスとリオレイアを表し、街全体で大自然への敬意と感謝を示しているのです。彼らはモンスターに対抗こそすれ、感情的に憎むことはほぼないのですが」

 

 しばし、沈黙が訪れた。

 

「あ……あら、そう?」

「そうだ、確か半年前、歌姫様にドレスを献上したのでした。そのことは覚えておいでですか?」

 

 弟が穏やかに聞くと、ミメットはさっきの空気を打ち消すように深く頷いて元気よく答える。

 

「え、ええ!それを身にまとったあの方はもう豪華絢爛そのもので──」

「……歌姫様は自分を表立って飾られない方だったはずですが、それは随分と意外です」

 

 それまで優しかった弟の瞳に、鋭さが宿った。

 

「ん!?おかしい、どーも話が合わねえんじゃねぇか!?」

 

 観客席に座っていたハイメタ男は立ち上がり、わざと大きい声で叫んだ。

 空気に煙が混じったように、違和感が場の空気に流れ始める。

 ミメットは気まずそうに辺りを見回すと、急ぐように前に進み出て横手を打った。

 

「さ、さあ!そろそろ唄の時間としましょ!もうそろそろ、皆さまも唄が無ければ飽きてしまわれるわ!」

「……そうですか。ですが、その前に水分を補給しましょう。この炎天下、熱中症になられては困ります」

 

 ミメットを見やった弟は、兄と共に足元にあった麻袋を漁る。

 

「あら、ありが……」

 

 取り出したのは、白い球状の物体。

 2人はけむり玉を、その場に叩きつけた。

 劇場が白い煙に覆われる。

 守護兵たちは混乱し、観客たちはどよめき大騒ぎする。劇場から逃げていった者さえいた。

 機を逃さず、少女たちは一斉に煙のなかへ突入する。

 

「な、なによこれ!?」

「ミメット様、奴らの奇襲です!!早くお戻りに……」

「お待ちなさい!」

 

 腕で口を塞ぎながら舞台に背を向けたミメットの前に、レイが躍り出る。

 

「ミメット!世界の歌姫に手をかけた罪は重いわよ!」

 

 そう言った美奈子に続いて亜美、まこともかけつけ、筆頭ルーキーは指を差して叫んだ。

 

「最後の警告!これ以上酷い目に遭いたくないのなら降伏を勧めるっス!」

「もーーーーーーーー!!なんで肝心な時に邪魔してくんの、サイアク!!」

 

 どんと地面を蹴って嘆いたミメットは、そこで何かに気づいたように顔を上げた。

 

「もしかして……あたしが唄を歌うのがそんなに怖いの?」

 

 何も言わず、少女たちは敵を睨む。

 納得がいったように、ミメットは意地の悪い笑みを浮かべる。

 彼女は余裕綽々な表情で人差し指を頬にとん、とんと当てながら呟いた。

 

「なるほど、だからこんな茶番で時間稼ぎしてるのね。……でも正直、あーんな古ぼけた唄なんか、要らなくない?」

「ミメットッ!!」

 

 まことが怒り叫ぶと、歌姫見習いはぱちんと指を鳴らした。

 

「今日からあたしが新しい歌姫。あたしの美声を聴き、あたしの美貌に酔いしればいいの!」

 

 団員たちが少女たちを背後からひっ捕らえる。煙のなかという状況が、悪い方向に作用した。

 もがく彼らを、他の団員たちが前方から槍とボウガンを付きつけ、無理やり引き下がらせていく。

 それを見てふんっと嘲って笑うと、ミメットは煙から出る。

 煙から出て来たミメットは、少女らしい満面の笑みで両手を広げた。

 

「皆様!今のはすべてパフォーマンスです!これからあたしの全力をお見せします!」

 



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砂漠に咲く真紅⑥

 

 その胸の内にあるのは完全な勝利の予感だけだった。

 

『さあ、あたしの手足になって!ここの1万人と劇場の外にいるコたちが束になってかかれば、セーラー戦士どももペチャンコよ!』

 

 1万人以上の観客を前に、ミメットは白い衣を脱ぎ捨てた。

 ティアラ、星の首飾り、黒いサラシとミニスカート、オレンジのストッキングという、より活動的な出で立ちが現れる。

 

『ここはあたしだけの王国になる!ここをデス・バスターズの第二拠点にすれば、教授もきっとあたしを!!』

 

 晴れ晴れと陶酔しきった顔でミメットは言った。

 

「では歌わせていただきます──『あたしを愛して』」

 

 静かなイントロに始まり、ドラムが細やかなリズムを刻み始める。

 ミメットはリズムに乗り円形の舞台上を軽やかに舞い始めた。

 折しも先ほどのけむり玉の煙が地上を這い、雰囲気作りに貢献している。

 歌い始めると、観客たちは目を見開きずっとミメットを見ていた。

 楽団は外ならぬミメットのため、完全な人形となってアップテンポな伴奏を奏でていく。

 完全に自分の世界に入ったミメットは、飛び跳ねるように走り回りながら歌う。

 事あるごとに見せつけるように身体をくねらせ、身体の曲線美を見せつけていく。

 

 愛。情熱。夢。乙女心。そして、野望。

 

 己を構成するすべてを歌いあげていき、遂に2番に入る。

 たん、たん、たん、とリズムよく床が音を立てる。

 少しだけ細部を変えながら、伴奏はミメットの歌を支え続ける。

 遂に間奏に入った。

 

 観客は動かない。

 顔色もまったく変わらない。

 

『聞いてる、聞いてる。ああ、みんな、あたしの歌に聞きほれてるわ!』

 

 ミメットはほくそ笑み、叫んだ。

 

「さあ、あたしの妖魔ちゃんたち!あいつらをコテンパンにしちゃいなさい!」

 

 捕らえられた少女たちと筆頭ハンター、そして男の兄弟を指さし、高らかに宣言した。

 

「……なんだあの歌と踊り?タンゴのつもりか?」

「あの女、あんな恰好をして見習いって……歌姫様を馬鹿にしてるでしょ……」

「ここまで来て、俺たちずっと何を見せられてんだよ!?」

「今すぐやめろ、この下手くそがーーーー!!」

 

「え……?」

 

 老若男女からの罵声の嵐に、ミメットはただその場に立ち尽くしていた。

 少女たちはそれまで張りつめていた顔を緩めた。

 

「説明する!この女ミメットは、バルバレを配下に置こうとする『魔女』だ!!」

 

 兄弟が虚をついて護衛をねじ伏せ、叫びながらフードを外した。

 白髪から泥が落ち、眼鏡が投げ出された。

 兄弟の正体は、筆頭ハンターと衛。

 筆頭ハンターは傷の化粧を拭うと、大きく叫んだ。

 

「君たちもいくつもの不自然な点を見ただろう!彼女はこの歌姫祭に乗じて暗躍し、シンパを増やしてきた!遂にその勢力はギルドを押しのけ、奮闘も虚しく、この祭の運営を独占するほどになってしまったのだ!」

 

 隣の衛が続ける。

 

「そして俺たちの先ほどの質問は、奴の発言の矛盾を炙りだすものだった!」

 

 彼の発言を発端として、観客たちは戸惑ったように話しながらミメットを恐怖の目で見始めた。

 

「やはり、唄を歌うのが目的だったのね」

 

 ミメットがはっと振り向くと、亜美が捕まえられたまま鋭く呟いた。

 

「コラボビール、その他酒場の飲み物に催眠成分を混ぜてたってことは既に知ってたのよ!そして、それにとある人物のビール製造ラインを利用してたってこともね……!」

「とある、人物……?」

「そう、すり替えておいたのだ!!ワガハイの看板商品、達人ビールとな!!!!」

 

 舞台に腕を組んでずかずかと乗り込んできたのは、日焼けした肌に白髪の男。

 

「き、貴様は!」

「教祖様!一体なぜ……」

 

 団員たちからの戸惑った声を聞きながら、元教官は愉快そうに諸手を広げた。

 

「っはーーーー!ずっと言いたかった、この言葉!おかげさまで教官、ここに大・復・活!!」

「貴様……裏切ってたのね!!」

「ヌフフフフ、顔だけ立派な若造ばかり集めて見ていたのが仇になったな!それもこれも、超弩級天才スーパーエリートな吾輩を無視した報いというものだーーーー!!」

「どこの女があんたみたいなオッサンを傍に付けようって思うのよ!?」

 

 ミメットの反駁を聞いた瞬間に教官は精神的ダメージを負ったらしく、悪いものに当たったような顔で崩れ落ちた。

 

「ぐふうっ!今のは中々効いたぞ……だが魔女ミメットよ!聞くがいい!!」

「な、なによ!?」

「じゃーんっ!!」

 

 元教官は札束を取り出した。

 そのまま、ミメットの額に片手で札束をぺしんと押し付けた。

 団員だけでなく、少女や筆頭ハンターでさえ唖然としていた。

 

「達人ビールが売れた礼に小遣いをやろう。貴様くらいの歳の子どもは、駄菓子でも買って舐めてるのがお似合いだぞ!ヌーーハハハハハハハハハハハハーー!!!!」

 

 笑いこけながら額をぺしぺしと叩き続けられていたミメットの中で何かがはちきれた。

 

「いらんわーーーーっ!!」

「どおっ!?」

 

 元教官を突き飛ばすと、ミメットは観客に向かって涙目で叫んだ。

 

「みんな、この人たちこそあたしを嵌めて歌姫様に近づこうとする、魔女の眷属なのよ!お願い、あたしを信じて!」

 

 白い集団がミメットを護りに入る。

 劇場の周囲にも一斉に列を形成し、少女たちの逃げ場をなくした。

 観客もそのほとんどがこの状況に理解が付いていけておらず、呆然と舞台上のやり取りを眺めるだけだった。

 

「やはり、決め手に欠けるか……」

 

 筆頭リーダーは歯噛みし、衛は後ろ手に縛られながら昼下がりの晴天を見上げ、祈った。

 

「……どうか……」

 

──

 

「うさぎ……ルナ……遅いな」

 

 ちびうさは気絶して倒れ伏した白い集団の男を踏み台にして、やぐらから双眼鏡で砂海の地平線を眺めていた。

 その先には何も変わったものは見えない。

 彼女はうさぎの乗った砂上船を見つけた際に大銅鑼を鳴らすことになっていた。

 足元にいる白猫アルテミスが、悔いるような表情で呟いた。

 

「やっぱり、ルナと2人っきりで行かせたのは……」

「間違いじゃない!」

 

 アルテミスは、はっとしてちびうさの意志の籠った瞳を見つめ上げた。

 彼女は双眼鏡を下ろしながら、強く握り締めた。

 

「わがままになった時のうさぎは、誰にだって止められないんだから!」

 

 何も言えずアルテミスがうつむいた瞬間、やぐらに何かがぶつかって揺れた。

 ちびうさはバランスを崩し、足場にしていた男から脚を踏み外して床に尻もちをついた。

 

「きゃあっ!」

「な、なんだ!?」

 

 アルテミスが叫んだ直後、やぐらの下に伸びる梯子に何かが飛びつき、登ってくる音がする。

 

「……まさか、モンスターじゃ」

 

 ちびうさたちは、緊張の面持ちで銅鑼を叩くバチを構える。

 しばらく待つ。

 やがて、ひょこっと金色のお団子が覗いた。

 それから、金髪のツインテールの少女が上半身を持ち上げて姿を現した。

 

「うさぎ!!」

 

 こちらの姿を認めると、その少女も叫んだ。

 

「ちびうさ!!」

 

 2人のお団子頭は駆け寄ると、固く抱擁を交わした。

 アルテミスは、その姿を見てようやく安心したように頬を緩めた。

 

「……ありがとう」

「なんでお礼言うのよ、うさぎ」

「あたしを信じて、護ってくれたからよ」

 

 彼女は微笑んですっくと立ちあがると、ポーチに入っていた変身コンパクトを胸に付け直した。

 

「さあ、お仕置きの時間ね!!」

 

 コンパクトを開くと、銀水晶の輝きが姿を現す。

 

「ムーンコズミックパワー、メイク・アップ!!」

 

 光に包まれて神秘の戦士となったセーラームーンは、確かに胸の中に宿る力を感じた。

 

「理由はわからないけど……今ならできる気がする!」

 

 天上に聖杯を掲げる。

 妖魔グラビモスの時には開かなかった、より強力な力を解放する聖杯。

 それは、果たして──

 

「クライシス・メイク・アップ!!」

 

 開いた。

 虹色の光が蝶を形成し、セーラームーンを新たな姿へと生まれ変わらせる。

 頭と肩には羽。スカートは緑と青のグラデーション。腰にはシルクのように滑らかなリボン。

 この世界での初二段階変身に、アルテミスが顔を輝かせた。

 

「やった、できたぞ!!」

「スーパーセーラームーン、今こそ必殺技よ!!」

 

 ちびうさの言葉を聞き届け、美少女戦士はスパイラルハートムーンロッドを光らせる。

 ロッドをバトンのように回し、天に掲げる。

 彼女の身体はバレリーナのように回転し、そして。

 

「レインボー・ムーン・ハート・エイク!!!!」

 

 ハートが渦を描き、リボン状の光線となって劇場全体だけでなくバルバレそのものを包み込んだ。

 

「「ラブ、ラブ、リーーーーーーーーーーーー!!!!」」

 

 観客は驚愕した。

 閃光が劇場を覆ったかと思うと一斉に白い集団が光って奇声を発し、その場に倒れ伏したのだから。

 しばらくすると彼らは何事もなかったかのように起き上がり、自分たちの着た白い衣を不思議そうに見つめた。

 

「あれ、我々は何を……」

 

 他地域から来た観客たちも、状況を素直に呑み込み始めた。

 

「あの女が本当に操ってたのか……?」

「今の変な光が、この人たちを元の姿に戻したのかしら?」

 

 ばしぃぃぃぃぃぃん、と大銅鑼が響いた。

 それが三回も続けて鳴った。

 

「歌姫様、ご到着でぇーーーーーーーすっ!!!!」

 

 快活な声が階段の上から木霊する。

 舞台の上の人々も、観客も、皆が声の源を見上げた。

 やぐらにぶつかったままの砂上船を背後に、力車と2人の娘、2匹の猫が劇場を見下ろしていた。

 太陽までも背にしているので顔が見えないが、身長が高い娘の頭からは長すぎるくらいのツインテールが風にたなびいている。

 

「うさぎ!!」「うさぎちゃん!」「間に合ったのね!」「あぁ、よかった!!」

 

 仲間たちが口々に喜ぶ中、衛はほろりと涙を浮かべた。

 

「……うさこ……」

「彼女を信じた甲斐があったな」

 

 筆頭ハンターの言葉に、衛は何度も頷きながら縄を解かれた。

 力車から1人の女性が降りた。

 おおっとどよめきが劇場を駆け巡る。

 

「……な、なんで?」

 

 誰一人味方のいなくなったミメットは、膝から崩れ落ちる。

 

 歌姫は太陽の下、慎ましくも凛と背筋を伸ばして立っている。守護兵たちが急遽駆けつけて彼女を護衛した。

 

「伝言っ!!!!」

 

 うさぎは大声で叫んだあと、すぅ、と息を吸った。

 ミメットは、顔をひきつらせた。

 

「や、やめ……」

 

 

「歌姫様、見習いなんか、まったく取った覚えないってぇぇーーーーーーーーーーーっ!!!!」

 

 

 腹の底から出した声は、劇場の隅々まで届いた。

 ミメットに一斉に視線が集中した。



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砂漠に咲く真紅⑦

 魔女ミメットは1万人以上から懐疑と敵意を向けられ、すっかり憔悴していた。

 ぐぐ、と歯を食いしばると、彼女は独り叫ぶ。

 

「み、みんな!聞いてちょうだい!この小娘どもが本当の魔女なのよ!セーラー戦士って言ってね!さっきの光を放ったのも全部……」

「仮にその子たちが魔女だったら、おめーのやったことはチャラになるのか?」

「へ?」

 

 潜水服のような鎧を着こんだ男が舞台に上がる。

 

「よお。久しぶりだな、タヌキ女」

 

 次は、白い鎧の男が上がってくる。

 

「ずうっとお姫様ごっこできて楽しかったかい?あぁ、次は悲劇のヒロインごっこか?」

「だ……だれ?」

 

 リノプロ男とハイメタ男の後ろに、ぞろぞろと厳つい筋肉質の男女が集まってくる。

 ミメットの表情が恐怖に支配されていく。

 

「知らねえだろうよ。まあ、俺たちもあんときゃ血迷ったド阿呆だからよぉ、てめぇを恨むのは間違いかもしれんがな……」

 

 ハイメタ男は、ミメットを見下して鋭く睨んだ。

 

「てめぇが馬鹿にしたこの装備には、友と村のためにピッケル振った汗と涙がたっぷり沁み込んでんだよおっ!!」

「リノプロスなめんな!!あいつ、人が狩ってるときも構わず突っ込んできやがるんだぜええええええっ!!!!」

「ひ、ひー---っ!!」

 

 うさぎとちびうさ、そして猫2匹は円形の舞台へ下っていく。

 

「いよぉっ、我らが救世主!!みんな、拍手拍手ゥ~ッ!!」

 

 筆頭ルーキーが大声で快哉を叫び、自ら拍手して呼びかける。

 

「おい、あの金髪のお嬢ちゃんがやったのか!?」

「まだ子どもだというのに、よくぞあそこまで……」

 

 拍手の輪が、ルーキーから波紋のように伝わっていく。

 ミメットとは対照的に、人々は彼女たちを賞賛と感謝の声で出迎えた。

 その波は徐々に劇場に広がっていく。

 舞台に足を踏み入れたとき、拍手はより大きくなった。

 

「あ、あっはははは!どーも、どーもー」

 

 うさぎが戸惑い気味に頭をあちこちに下げつつやって来ると、仲間たちがばたばたと足を踏み鳴らして駆け寄る。

 

「お帰り、うさぎちゃん!」

「あんたと歌姫様が来るまでの時間稼ぎ、大変だったんだからね?」

 

 亜美、レイが声をかけると、うさぎは仲間たちを見回す。

 

「……うさこ」

 

 衛と顔を見合わせると、うさぎは胸当ての後ろに入っていた薔薇入りのブローチを取り出した。

 

「……まもちゃん。護ってくれてありがとう」

 

 彼が微笑むと彼女は頷いて振り向き、観客席に向かって叫んだ。

 

「みんな、ただいま!!」

 

 1万を超える拍手喝采が、劇場もその外も揺るがした。

 劇場の入り口には話を聞きつけた人々が殺到し、もはや収容人数をとうに超えている。

 美奈子が腕を組んで覇気を失ったミメットを見下ろす。

 

「さあ……こいつ、どうしようかしら?」

「またこういう悪さするかも知れないしなぁ。並大抵のことじゃあ反省しないよ」

 

 まことが魔女を鋭い眼光で睨んでいると、

 

「どいたどいたどいたぁーっ!!」

 

 男の大音声が劇場を揺るがす。

 中央通路の外へと繋がる出入口から守護兵たちが出てきて、人々に指示して道を作る。

 オレンジ色のハット、黄色の鎧、黒髪のポニーテールの3人が人々の海をかき分け、舞台に真っすぐ歩いてくる。

 うさぎは驚いて叫んだ。

 

「団長さん!」

 

 筆頭ランサーと筆頭ガンナーも一緒だった。

 筆頭ルーキーは驚いた顔で仲間を出迎える。

 

「ランサーさんに姐さんも、裏方に回ってるって聞いてたけど……」

「まぁ、こういうことさ」

「お疲れ様。後処理は私たちに任せて」

 

 ガンナーは微笑んで、ルーキーの肩をぽんと叩いてリーダーにも視線をやった。

 銀髪の男は黙って頷き、後ろに下がった。

 

「すまん、待たせた!ランサー、読み上げてくれ!」

 

 団長が叫ぶと、ランサーは巻物を取り出した。

 彼がそれを縦に広げ観客に見せると、右下に赤い印が押してある。

 

「これは、『我らの団』団長の所属する王立学術院からの意見書だ。それに、いま上空にいるギルドマスターが印を押された」

 

 ランサーは、ミメットに一瞥を寄越した。

 

「彼女がミメット君で間違いないね?」

 

 少女たちが頷いたのを確認すると、ランサーはミメットに向かい合い、文書に目を通しながら叫んだ。

 

「君は、バルバレから永久追放されるとギルドで決定された」

 

 ミメットの顔が蒼白になった。

 次にランサーがもう一枚取り出して掲げたのは、セーラー戦士たちの姿を描いたイラストであった。

 

「君たち『魔女』の偽の姿に惑わされぬよう、今を以て、この図像、及びその特徴を使った一切の活動を禁止する。更に、ここにいる彼女たちを中傷する行為は今後一切認められない」

 

 すなわち、セーラー戦士を危険な存在として流布することは出来なくなったということだ。

 ミメットは愕然とした表情で大地を見つめる。

 

「だがひとつ、交換条件がある」

 

 団長の言葉に、ミメットは顔を上げた。

 壮年の男の瞳には野性的な好奇心が見え隠れしていた。

 

「せっかくの機会だ。あんたたちが何を企んで何をしようとしてるか、妖魔ウイルスとは、『金の竜』とは何かを知りたい。全部正直に話して二度と悪いことしないって約束してくれれば、ここでお前さんの命を保障しよう」

 

 団長が放った言葉の一つに、彼女は明らかに狼狽した。

 

「『金の竜』!?なんであんたたちがそのことを……」

「ミメット」

 

 うさぎが魔女の前に膝をつき、目線の高さを合わせる。

 

「貴女はもう、こんなに敵を作っちゃったのよ?これ以上恨まれなくったっていいじゃない」

 

 彼女の手を取り、観客たちを見やる。

 

「完全にとは言えないかも知れないけれど、改心して協力さえしてくれれば、ここにいるみんなも……」

 

 ミメットは感激したように涙を流し、それを指で拭った。

 

「そ……そうね!あんなくっっだらない悪の組織なんか抜けて、新しい人生を始めれば……」

 

「勘違いしてるかも知れないけれど、二度と女王様にはなれないわよ?」

 

「え?」

 

 手を取りかけたミメットに、ガンナーが冷たい声で言い放った。

 

「こちらからすれば、貴女が何を考え何をしでかすかまるで予想がつかないのよ?誰にも会えず何もできないように処置するのは当たり前と思わない?」

「じゃ……じゃあ……あたしの天下一のアイドルになってピチピチのイケメンに囲まれる夢は!?」

「貴様っ!!流石の温厚な吾輩も怒ったぞ!!」

 

 ミメットに詰め寄った元教官を始めとして、いよいよ同志たちの怒りは最高潮に達していく。

 

「あんた、まだそんなこと言ってんの!?」

「てめぇ、魔女だからって俺たちを舐めてんのか!!」

「こいつ街中引きずり回さなきゃ、気がすまんぜ!!」

 

 ミメットがうずくまり、悲鳴を上げかけた時だった。

 

「お願い、やめて!」

 

 うさぎだけがミメットを庇い両手を広げた。

 

「みんなの暴力を振るう姿を、どうかあたしに見せないで!」

 

 しばらく舞台も観客席も驚いた顔が並んでいたが、ハイメタ男が口火を切った。

 

「お嬢ちゃんは悔しくないのか!こいつは散々、お嬢ちゃんたちをきたねぇ罠に嵌めようとしてきたんだぞ!」

 

 そうだ、その通りだ、と同志たちから声が飛ぶ。

 

「あたし知ってるよ。バルバレのみんなは、辛いことがあっても優しい心を失わない素敵な人たちだって」

 

 うさぎは穏やかな微笑みを目の前の人々にもたらす。

 

「確かにミメットのやったことは許せないわ。でもだからって、その場の気持ちに振り回されるのはみんなのためにならないし、あたしもそんなみんなを見たくない」

 

 悲しげに笑みを歪めると、いきり立っていた者たちも勢いを削がれていく。

 

「彼女の言う通りだ」

 

 筆頭リーダーが、声を張り上げる。

 視線が一気にそちらに傾く。

 

「今、この場には歌姫様がおられる。今夜、血の流れた地であの御方に唄を歌わせるつもりか?私は正しいとは思えない」

 

 リーダーが見上げた先、歌姫がじっと劇場を見下ろして事の運びを見守っている。

 場はしんと静まり返った。

 

「世界中から人々が集まるここでリンチなどすれば、ハンターは思慮もモラルもなしに暴力ですべてを解決する集団と思われる。妖魔化の被害よりずっと大きな損害を被るだろうな」

 

 観客席では、あらゆる身分の人々が怯えた視線を舞台に送っている。それが見ているのはミメットではなく、人の背丈に迫りあるいは超える武器を背負った集団であった。

 仲間たちは、冷静になった顔でミメットから引き下がっていく。

 リンチの集団に入りかけていたルーキーを、リーダーは念を押すように見つめた。

 ルーキーは、反省したようにうつむいた。

 

「ハンターズギルドの原則。我々が刃と銃口を向けていいのはモンスターだけだ。そこだけはせめて護ろう」

 

 一息をつくと、リーダーは仁王立ちでミメットを見下ろした。

 

「魔女よ。お前たちの企みは分からずじまいになってしまいそうだが、一つだけ言っておく」

 

 うさぎたちも、観客たちも黙ってそれを見守る。

 

「お前や仲間たちが思っているほど、この天地に流れる理は甘くない。相応のことをすればこの大自然はそれに見合った変化をもたらす」

 

 リーダーは、鋭い目線でミメットを指さした。

 はっとして彼女はその指先に注目した。

 

「予言しておこう。お前の行く先には闇しかない。そこでお前はここで我々に引きずり回されるよりもっと恐ろしいことでもがき苦しむのだ」

 

 ミメットは何も言えずごくりと唾を呑みこむだけだった。

 

「さて、魔女さん。我々とご同行願えるかしら?」

 

 ガンナーがギルドナイトを連れてミメットの前に出る。

 

「ど……どこに行くの?」

「さあ?せっかくの申し出も受け入れられないようだし……まずは、牢に入ってから考えましょうか?」

 

 ガンナーの微笑の奥に、冷徹な光が確かに宿っていた。

 

「それから、ゆうっくりと……ね」

「きょ……きょーじゅーっ!!!!」

 

 泣き喚いたミメットは黒い星のはめこまれた杖を掲げ、一瞬でその姿を消した。

 うわあっと劇場中がどよめく。

 

「き、消えたぞ!」

 

 ガンナーはうさぎの横で呟いた。

 

「最初から逃げられることは分かりきってたからね。あれでいいのよ」

 

 彼女はうさぎを諭すように見つめた。

 

「重要なのは、この先私たちに関わるのは恐ろしいことだって身の髄まで沁み込ませること。きっと、よーく分かってくれたはずよ」

 

 一方、同志たちは一斉に拳を振り上げて歓声を上げた。

 

「魔女どもめ、見たか!これが地に根張って生きる俺たちの力だってんだ!!」

 

 観客席からも、壮大な芝居が終わったがごとく拍手が鳴り続ける。

 立ち上がって叫ぶものまでいて、今がまさに興奮のピークであった。

 

「……すごいわね……」

 

 ルナが壮観な光景を見回す。

 少女たちや仲間たちも晴れ晴れとした表情で、並ぶ人々の笑顔を見上げた。

 

「やっとあたし、みんなの役に立てた気がする」

「おいおい、何言ってんだ!」

 

 声の主はリノプロ男であった。

 

「お嬢ちゃんたちは歴とした『英雄』だろう!?何よりもここにいる世界中から集まった人々を……そしてこのバルバレを、身ぃ張って魔女から救ってくれたじゃねえか!」

「そうだ、そうだ!もっと胸張って威張り散らしてやれ!!今なら城が欲しいって言ったって受け付けてくれるだろうぜ!!」

 

 ハイメタ男までも口を出してきて、うさぎは思わず噴き出した。

 その時、人の海から受付嬢ソフィアがやっと顔を出し、達人ビールを両手に叫んだ。

 

「皆さん!今日は我らの女神に祝杯を挙げますよ!!」

 

 場はより一層盛り上がった。

 

────

 

 静かながら暖かい太鼓の音で演奏が始まる。

 篝火のなか、垂れ幕とギルドの紋章を背に女性がただ一人照らし出される。

 

「あれが本当の歌姫……」

 

 うさぎの隣に座るちびうさが小さく呟く。

 白く透き通る衣に身を包む歌姫。

 その表情に威厳と柔らかさが同居する。

 

 曲目は『魂を宿す唄』。

 

 沈んだ陽が真っ赤な線を地平に残し、月と星が光り始めている。

 風がそよぎ、火が揺れる。

 

 哀愁漂う伴奏と共に、伸びやかながら芯のある声が唄を紡ぎ始める。

 ここにいる誰かでない、もっと大きな何かに宛てたような調べ。

 それはまるで、山頂や平野に独り佇んだ時のもの寂しさにも似る。

 唄に合わせ、歌姫は袖を広げ、閉じ、揺らし、声を届けていく。

 

 ある者はゆっくりと身体を揺らし、ある者は目を閉じて聞き入る。

 身分も、性別も、職業も関係なかった。

 ここにいる誰もが、唄の前にはすべて同じヒトでしかなかった。

 美奈子は肘をつきながらうっとりと目を細めた。

 

「最初思ってたのと違うけど……いい曲だわ」

「寂しい感じも……暖かい感じも、あるんだよね」

「わかる!なんだか不思議な感じよね!」

 

 うさぎの一言にちびうさが頷く。

 世界の広大さを感じさせる旋律に、聴く者に寄り添うかのような暖かさ。

 いま、ここにいる人々は孤独であり、一体であった。

 

 ある一点に来た直後──

 歌姫は両手を広げ、解放されたように高らかに力強く歌った。

 夜空にどこまでも響いてゆく歌。

 

 少女たちは皆、訳もなく涙を頬に伝わらせていた。

 

 歌詞は分からない。歌姫がどんな想いで歌っているのかも分からない。

 それでも、その歌に秘められた何かが少女たちの琴線に触れた。

 

 長いようで短い唄が終わると、少しずつ音の数は減っていき──

 消えた。

 拍手が鳴る。

 歌姫は腕で谷を作り、ゆっくり深々と頭を下げた。

 

────

 

「あたし、武器変えよっかな」

 

 うさぎがそう言いだしたのは夜遅く、家に帰る帰り道だった。

 周囲にはキャラバンのテントが敷き詰めるように設置されている。

 内部からぼんやりと見える明かりも、今の時間帯では数少なくなっていた。

 レイが怪訝な顔をして聞いた。

 

「え?今更何に変えるのよ」

 

 うさぎは振り返らず後ろ手に組んだまま答えた。

 

「んーとね、大剣!!」

 

 仲間たちは目を見開いた。

 

「た、大剣!?マジで言ってる!?」

「どうしたの?この前まであんなに片手剣の訓練してたのに」

「流石にうさぎちゃんのイメージと違いすぎじゃなぁい?」

 

 彼女たちが立ち止まって口々に言うと、うさぎは振り返って笑った。

 

「今まで悩んでた自分をズバッって断ち切りたくなってさ!」

 

 しばらく呆気に取られていた仲間たちだったが、ちびうさがぷっと小さく噴き出した。

 

「うさぎにしてはちょーっと上手いかってレベルね」

「『しては』はいらないでしょ『しては』はっ!」

 

 うさぎはちびうさを睨むとそのお団子を掴まえる。

 ぎゃあああ、と叫んで藻掻き暴れるちびうさを見て、仲間たちは苦笑いを浮かべていた。

 

──

 

 1週間後、うさぎは衛の前に正座していた。

 彼女の背後から陽光が差し込んでいる。

 彼との間に、プリンセスレイピアが鎮座して置かれてある。

 

「じゃあこの子のことはお願いね、まもちゃん」

「……いいのか?ずっと大切に使ってたのに」

「うん」

 

 うさぎは頷くと、はっきりと衛の瞳を見ながら言った。

 

「ココット村で想ったことを忘れるわけじゃないよ。ただ、あたしは今まで怖くて見れなかったものも見ていきたい」

 

 うさぎが少しだけ後ろに視線を寄越すと、衛の視線も自然に引っ張られた。

 

「あの人と同じ武器を持ったら、今までとは違う景色が見えるのかなって」

 

 入口から、彼らを導くように光の筋が斜めから降り注いでいる。

 

「……分かった」

 

 それを聞いて、衛も覚悟が固まった表情で頷いた。

 彼は、大地の女王の力が宿った茨の細剣を左手に取った。

 ずっしりとした重みを感じながらゆっくりと背に納めた。

 

「それなら、俺にもこれから見せてくれ。うさこが見る新しい景色を」

 

 うさぎは頷くと立ち上がってテントの入り口に向かい、立てかけられていた大剣を背負った。

 

 剣の名は『アギト』。

 

 剣というにはあまりに無骨な、竜の顎をそのまま切り出したような代物であった。




うさぎちゃんの武器種変更で取り敢えずバルバレ編は一区切り。次からは次章への繋ぎ的なお話となります。
ミメットもバルバレから追い出したところで、ひとまず今年の更新は終了します。たくさんのお気に入り登録、評価、感想ありがとうございました!来年からも何卒宜しくお願い致します!


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征く黒蝕①

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。感想、評価など、これからもお気軽にお寄せください!


 

「今だ、叩き斬れ!」

 

 腕を組んだ筆頭リーダーが大声で叫んだ。

 目の前には巨大竜の形状を象った的。

 うさぎは自身の背を裕に超える大剣を天に掲げ、叫んだ。

 

「てりゃああああああっっ!!!!」

 

 木製の的が轟音を立てて縦に寸断された。

 

「やった……!」

 

 彼女が顔に喜色を浮かばせた瞬間、練習用の鉄製の大剣が鈍い金属音を立てて地面に突き刺さる。

 そのまま鉄塊を持ち上げようとするも、手に持つそれはうんともすんとも動かない。

 うさぎは顔を真っ赤にしてもう一度腕に力を込める。

 

「んー、ん-、んーーーーー!!」

 

 鼻息荒くし、目を細め、腰を屈めても、大剣はほんの僅かにぴくりと動いただけだった。

 

「……まだするか?」

「……筋肉痛ヤバいです」

 

 そのまま尻をつき、手を広げて仰向けに寝っ転がった。

 

「当たり前だ。ここまで来て、いきなり武器を変えたんだからな」

 

 リーダーは大剣の柄を取ると刃を転がすようにして押し上げ、自身の横に立てるように刺し直す。

 重量級を誇る大剣を当たり前のように扱うさまに、うさぎは「……ゴリラ?」と小さく呟いた。

 

「大剣を教わりたいと言うが、いつまでに今の片手剣と同じ練度に仕上げるつもりだ?」

「あっ、はい!少なくとも、1か月以内でぎゃーーーーーっ!!」

 

 うさぎは笑顔で拳を持ち上げようとしたが、筋肉が悲鳴を上げてその場に倒れ込む。

 その姿はとてもついこの前バルバレを救った英雄には程遠い。

 腕を掴みながらごろごろ転がる少女に、リーダーは呆れたようにため息をついた。

 

「そんなすぐに習得できるわけがなかろう。正直、君の歳と身体で持ち上げられるのが不思議なくらいだ」

「ダ、ダメですか?」

「実戦で一から身につけるのが手っ取り早い。低危険度のモンスターからやり直すことだな」

 

 とほほ、と落ち込むうさぎから、リーダーは、同じ闘技場で片手剣を振るううさぎの恋人の姿へと視線を移した。

 

「ふっ、はあっ!」

「チバ君は、流石に板についてきているな」

「その調子、その調子!」

 

 衛が片手剣を振りかざすと、複数の的に瞬く間に傷がついて破片を撒き散らす。

 隣についているルーキーが声援で彼の背を押す。

 男の鍛えられた身体は以前よりも筋肉を増していた。

 それが躍動するたび、的の傷はより多く、深くなっていく。

 

「まもちゃん頑張れーー、ファイトォーー!!」

 

 衛は手を止め、遠方で座りながら黄色い声を上げる恋人に手を振り返した。

 

「えへへ、これ終わったら一緒にアイスクリーっとぅああああああっ!!」

 

 うさぎはまたしても筋肉痛に襲われ、倒れ込んだまま沈黙した。

 

──

 

 亜美は部屋の隅で黙々と、瓶に入った何かをバイザーで読み取り解析していた。部屋の中央にあるテーブルにはレイ、まこと、美奈子、ちびうさが集まり、脇には猫2匹が控えている。

 

「そろそろ荷物をまとめろ?」

 

 ルナの発言にそうインコ返しをしたのは美奈子である。

 

「バルバレに平和を取り戻したはいいけど、本来のあたしたちの目的は?」

「デス・バスターズを倒し元の世界に戻る、よね」

「そうよ。このままここに留まる理由もないでしょ?」

 

 レイの答えにルナは満足げに頷いた。まことと美奈子は思いを馳せるようにテントの天井を見つめた。

 

「もうみんなとお別れかぁ。長いようで短かったなぁ」

「本当によ~」

「まこちゃん、美奈子ちゃん。大事なこと忘れてない?」

 

 レイに名指しされた2人はきょとんとしたが、すぐにあっと叫んだ。

 

「筆頭リーダーさん!」

「そうよ!あたしたちの恋路がまだ道半ばだったじゃない!」

「あれだけ喧しく競ってたのに忘れるなんざ、いかにも面食いな2人らしいな」

 

 白猫のアルテミスが呆れ半分に呟き、その2人はムッとした顔になった。

 一方、ちびうさは真剣な顔で彼女らを真正面から見つめた。

 

「恋ってのはその人とずっと一緒にいたいって思えるかどうかよ。2人は実際のとこ、どうなの?」

「相変わらずませてるねー、ちびうさちゃんは。あたしは一緒にいたいかなぁ。あの際限なく別れた先輩に近い人を見逃すなんてもったいなすぎるよ~」

「あたしもモチのロンよ!狩り中あのボイスと御顔がずーっと隣にいてくれたら、それだけで調査の効率百憶倍よん♡」

「結局のところ顔じゃないの」

 

 見事に浮かれている2人にルナが皮肉を飛ばした横で、亜美が何かを見つけ目を見開いた。

 

「はぇー、今日も疲れちったわー」

 

 テントの玄関に当たる幕が上がり、うさぎがアイスを舐めながら現れた。

 それを見るなり、亜美はいきなり立ち上がった。

 

「分かったわ!」

「何が?」

「うさぎちゃんが沼地でグラビモスと戦った時、2段階変身できなかった理由よ!」

 

 亜美は玄関で気の抜けた返事をしたうさぎに叫んだ。

 少女たちはその一言を合図に、すぐ真ん中の机に駆け寄った。

 

「うさぎちゃん、今ここで2段階変身してみて」

「えっ?でも──」

「やってみればわかるはずよ!」

 

 戸惑いつつも、うさぎはコンパクトを取り出して開いた。

 

「ムーン・コズミック・パワー、メイク・アップ!!」

 

 神秘の戦士の姿を現したセーラームーンは天に両手を掲げる。

 手元に召喚した聖杯を手に、ムーンは息を呑む。

 

「クライシース・メイク・アップ!!」

 

 当たり前のように聖杯が開いた。

 仲間たちはあっと口を開き、亜美は納得したように頷く。

 眩い光の中から姿を現したスーパーセーラームーンは、目を見開いて自身の姿をくるくる回りつつ見回す。

 

「こ、今回もできちゃった!!一体どゆこと!?」

 

 次に亜美が目の前に持ち上げたのは、白く薄い岩のような物質だった。

 

「これは、前に戦った妖魔化グラビモスの甲殻の破片よ。少しだけ蓋を開けるわね」

 

 コルクが緩めると、亜美はセーラームーンを真っ直ぐ見つめた。

 

「さあ、ロッドを近づけてちょっぴり力を出してみて。みんなも一緒に」

 

 ごくりと喉を鳴らすと、戦士たちはサンプルに向かって自分たちの変身具を差し出し、力を少し解放する。

 6人の戦士の力が眩く杖を光らせる。

 

「あっ!」

 

 さっそく変化が起こった。

 彼女たちの道具から光がほのかに這い出し、妖魔ウイルスへと流れた。甲殻はカタカタと動き、光を吸い込んでいく。

 

「セーラームーンのエナジーが吸い取られてる!!」

「あたしたちの変身スティックからもよ!」

 

 変化はそれだけではなかった。

 スーパーセーラームーンの姿がぼやけるように揺らめく。彼女は通常状態と強化状態の間を彷徨い続ける自身の手を驚きの目で見つめた。

 

「ああっ……」

「やはりね」

 

 亜美はすぐにコルクを絞って再び密封した。

 

「遺跡平原のゲネル・セルタス、沼地のグラビモス……。妖魔と対峙した時に限って技が弱くなったと思わない?」

 

 筆頭ハンターと初めて狩りに赴いた日。重量級の女帝ゲネル・セルタスが妖魔化した際、戦士たちの攻撃が直撃しても大した効果はなかった。

 変身を解いて元の姿に戻ったうさぎはそれを思い出した。

 

「エナジーを吸収されてあたしたちの力が弱まってるってこと!?」

「正確にはエナジー吸収の応用ね。近くで使われたセーラー戦士の力をエネルギーに変換し、肉体の代謝と再生能力を高めているのよ」

「まさしく対セーラー戦士兵器ってとこか。まさかこんなカラクリがあったなんて」

 

 まことは、黒い霧を吐き出すグラビモスの甲殻を睨んだ。

 

「このこと、筆頭ハンターさんたちに教える?」

「それは難しい問題ね……」

 

 ちびうさが言うとベッドに寝そべったルナが答え、戦士たちはうーんと悩みに悩み抜いた。

 相手からすればなぜこの事実が分かったか興味を引かれるところだろう。そこを説明しようとすればセーラー戦士のことに触れないわけにはいかない。

 その中で唯一、うさぎが手を挙げた。

 

「ねえ、いっそあたしたちからみんなに正体を明かしてみるってのは?あたしたちの事情を知ってもらえば、もっとお互い協力しやすくなるわ!」

「ナイスアイディア!今の勢いに乗りに乗っちゃいましょうよ!」

「さっすが美奈子ちゃん、話分かるー!」

 

 双子のように仲良く肩を組んだうさぎと美奈子だったが、それを亜美は制した。

 

「公にするのは流石にまずいわ。バルバレは世界中から人が集まる場所よ。そこで正体を公言なんかしたら」

「確実に大混乱が起こるわね。せっかくの信用も台無しになるかもよ?」

「えーっ、良い案と思ったのに……」

 

 レイの補足を受けて、うさぎは不満げな顔ながら渋々意見を取り下げた。

 

──

 

「はっくちゅん!」

 

 夜の遺跡平原で、ミメットは大きなくしゃみをした。

 彼女は襤褸切れを纏い、一人っきり枝の上で震えている。

 所はエリア6。渓谷の間、山上に続く通り道の東に顔状の遺跡と水たまりがあり、西に木が生えている。

 彼女はそこで野宿をせざるを得ない状態だった。

 

 ぴゅいい、と甲高い音が鳴る。

 額に黒い星の浮かんだ伝書鳩が文を持ってきた。

 ミメットは受け取るのを躊躇したものの、鳩はしきりに鳴き叫んだためやむを得ず文を取り、開いた。

 途端にミメットの顔は苦くなる。

 

「うっ……カオリナイトから現状報告の催促……まさか……」

 

 お茶目顔で、自身の頭をこつんと小突いた。

 

「バルバレからえいきゅうついほーされましたー!テヘッ!」

 

 直後、肩を落として虚しくため息をついた。

 

「……なーんて言えないじゃない……」

 

 うぉうっ、うぉうっと犬のような鳴き声がした。

 ぎょっとして見ると、眼下に背は紫、脚と腹がオレンジに染まった小さな肉食竜2頭が、ミメットに盛んに吠えたてている。

 その名は『ジャギィ』。細身ながらもミメットの身長くらいの高さはあり、首の襟巻をひらひらと舞わせて飛び跳ねている。

 

「ああもう、来るなあっ!チャーム・バスター!!」

 

 杖から黒い雷が鳴ると、ジャギィたちは後ろに飛び跳ねてかわし、遠巻きにミメットをじいっと見つめた。

 ミメットはぐぎぎぎ、と悔しそうに唸る。

 彼らは既に何回か彼女と交戦し、あの杖から放たれる雷にさほど威力がないことを知っていた。

 だから、こうして距離を離して時にチャンスを待っているのである。

 

「諦めるなミメット!まだあたしの夢を取り戻す方法はあるわ!」

 

 ミメットは自らを奮い立たせ、杖を天に掲げた。

 

「こうなったら……ちょっと早いけど実力行使よ!!ダイモーン!!」

 

 天上に黒い雷が降り注ぐ。

 やがて、天から、陸から、地中から妖魔化生物たちが列を成して現れる。

 奇猿狐ケチャワチャ、徹甲虫アルセルタス、鬼蛙テツカブラ、怪鳥イャンクック、毒怪鳥ゲリョス。

 ジャギィたちは驚き、遺跡の中に逃げ込んでいく。

 

「あははははは、ざまあないわ!あたしにはまだまだストックがあるんだから!」

 

 ミメットは目を紅に迸らせ黒い息を吐く生物たちを前に笑った。

 

 そして、取りを飾るように一際大きな影がさしかかる。

 

「さあ、あたしの『最終兵器』、いらっしゃい!バルバレにいる奴らを全員震えあがらせるのよ!」

 

 その影は、彼女目掛けてぐんぐんと大きくなる。

 ミメットは違和感を抱き、大きな瞳を更にかっぴらいた。

 

「……え?ちょっと?」

 

 翌日、妖魔化生物の大量出現の報が遅れてバルバレに届いた。

 

──

 

 少女たちと筆頭ハンターたちは共に再び遺跡平原に赴いた。

 先遣隊は筆頭リーダー、レイ、まこと、美奈子である。

 

 東側に平野、北側に山脈を望む『エリア3』。

 それを背景に、ずうんと重い音を立て巨体が倒れ伏した。

 象のような鼻にぎょろりとした眼、異様に広く顔を覆える耳。そして皮膜のついた腕に長い鉤爪が特徴の牙獣、ケチャワチャである。

 ひょうきんな顔のそれはさっきまで黒い息を撒き散らしていたが、今はピクリとも動かなかった。

 

「やはり以前よりずっと上手くなったな」

 

 筆頭リーダーもとい青年ジュリアスは、半ば驚きの面持ちだった。褒められたことにまことは嬉しくなって、笑顔を弾けさせる。

 

「あ、ありがとうございます!」

「妖魔化生物を連続4頭相手取りながらまだ息も上がらないとは、流石に歳の差か」

「何言ってるんですかー!これもぜーんぶ、リーダーさんのお・か・げ!ですよぉ!」

 

 美奈子はそう言ってすっかりデレデレの様子である。

 

 前ならとても考えられなかった采配だ。

 だが幾戦を共にした現在、緊急性があり攻めの姿勢が必要な場面ではこの編成が素晴らしく刺さると気づかされた。筆頭リーダーが大まかな指揮を執り、あとは勢い余りある少女3人で自由にやる。そうなればあとは彼女らの独壇場であった。

 

「さあ、残すは北ね」

 

 レイは太刀を鞘に納めると、奥に聳える山脈を見上げた。

 その後、彼女たちは北東へ続く上り坂を経験者である筆頭リーダーが先頭となって歩いていく。

 しばらく経って、山脈の入り口に入りかけた時だった。

 

「ひとつ、謝っておきたいことがある」

 

 突然なにを言い出すのかと、少女たちは驚きながら言葉の続きを待っていた。

 

「沼地でツキノ君がヒノ君を庇った時……私はそれを、若いが故の無暗な正義感か英雄願望によるものと思い込んでいた」

 

 レイがはっとしてリーダーの背中を見つめる。

 

「だが、違う。彼女を突き動かすのは、もっと根本的で本能的な衝動だった。今から思えばあの少女に、私はかつての師匠を見ていた」

「師匠って確か、貴方を庇ってハンター人生を捨てた……」

 

 レイの言葉に、リーダーは黙って頷く。

 

「恐らく、心の奥底で認められなかったのだ。二十歳も行かない小娘が師匠と肩を並べられるわけがない……などと。だからいつの間にか彼女の考えを決めつけていた」

 

 次第に重くなる声の調子とは裏腹に、爽やかな青空に甲高いトンビの鳴き声が響いた。

 

「だが私が厳しい言葉を投げかけても、彼女は嫌な顔一つせずに言葉を受け入れ、答えようとした。ある意味彼女をあそこまで追い詰めたのは私といっても過言ではない」

 

 双剣を身につけた背中を向けながら、リーダーは拳を強く握っていた。

 

「リーダーさんってやっぱり、優しい人なんですね」

 

 まことの言葉に、銀髪の男は立ち止まって振り返った。彼の顔は苦悶に苛まれていた。

 

「レイちゃんから沼地のこと聞いてます! 結局はずっと、うさぎちゃんのこと心配してくれてたんでしょう?」

 

 リーダーを見る少女たちの視線は優しかった。まことと美奈子に限らず、レイも例外ではなかった。

 

「うさぎは世話を焼いてくれた人を恨むほど複雑な子じゃないですから。そんな心配しなくていいですよ」

「では……君たちは、こうして同じ場所に私がいるのは嫌ではないのか」

「はい、むしろあたしはちょーーーー嬉しいです!」

 

 美奈子が鼻息をはすはすしながら言うと。

 

「……では、これからもそのようにする、というのは?」

「え?」

「もうすぐ旅に出ると聞いたものでな。頭数が多ければ多いだけ魔女の調査も捗るだろう、と考えた」

 

 少女たちは戸惑う顔を見合わせる。全く初耳の話だった。

 

「それって……これからも一緒にいれる……てことですか?」

「す、すまない。話が急だっただろうか」

 

 美奈子はリーダーの返答を待つ間もなくまことに頼むようにその肩をひっつかんだ。

 

「ま、まこちゃん!あたしたちどうすればいいの!?」

「あたしに聞かれても困るよ~!」

 

 実際に提案をされた結果、2人は軽いパニック状態であった。

 だがレイは1人、リーダーを越して奥の風景を見ていた。

 

「何か……見えるわ」

 

 リーダーは振り直ると、驚きを隠せず目を見張った。

 そこはエリア8と呼ばれ、山脈の麓から中腹間にある区域だった。北や西にある道は、山脈の上方に続いている。東を見れば眼下に金色の平野が広がりある程度の高さを登ったことが伺えるが、問題はそこではなかった。

 

「妖魔が……死んでる」

 

 妖魔化していたであろうイャンクックが半ば大地に叩きつけられたような形で息絶えている。

 少女たちは、正直信じられないものを見ているような心地であった。

 辺りを見渡すと、夥しい数の妖魔化生物が同じように転がっている。

 アルセルタス、テツカブラ、ドスランポス、ゲリョス……。

 あるものは殴られ、あるものは切り裂かれ、そのいずれもが黒い霧を発して倒れていた。

 

「これは一体……」

 

 そこでリーダーがなにかに気づき、西側を指さした。

 

「あれを!」

 

 山上へ階段状に連なる崖の上から黒い霧が這い出していた。液体のように坂を雪崩落ち、大地を包み込みながら降りてくる。

 霧の奥に鎮座する蠢くもの。どうやらそれが地を這う霧の源のようであった。

 それが突如、霧を真上にぶち抜く。

 闇の塊は空中で翼を広げ、その下に隠していた四肢を現した。

 

「あれ、飛竜か!?」

「違う!翼が前脚と別になってるわ!しかもまるで……」

 

 まことの問いにレイは首を横に振った。

 漆黒の光沢がある鱗を持つ点では確かに竜で、だが滑らかな翼を広げた様子はまるで蝶のようでもあり。だがこの生物は明らかにそれらに属さない異形の生物であるとすぐ分かった。

 四肢とは別にもう一対、翼を支えている太い腕らしきものがあったからだ。

 

「ねえ、もしかしなくてもあれって……!」

 

 美奈子の言葉のその先は、異形の化け物が目の前に降りて来たことで中断される。

 それはイャンクックを翼で崖下に突き飛ばしてから、ゆっくり頭だけをこちらに振り向けた。

 

 丸みを帯びた頭部に角は存在しない。

 その両脇の窪みに眼球はなく、虚ろな闇が広がるのみ。

 腕状の奇妙な翼が背中を掴むように折り畳まれると、それは身体を覆う外套のごとき形を成す。

 盲目の黒き竜は、いよいよ体ごとこちらに振り向いた。

 

「やはりお前か……」

 

 リーダーが双剣を握る手に力を込める。

 鱗粉棚引く翼を引きずって、揺れるように歩いてくる。

 それはやがて立ち止まり、人間たちを()()()()

 

「忘れもしないぞ!黒蝕竜ゴア・マガラ!!」

 

 リーダーが叫ぶ。

 

「ヴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァ!!!!」

 

 黒い息を吐く怪物は、人に似た声で咆哮した。




これからしばらく、第3篇に繋がるお話になります。実を言いますと、ここまでで全体の話としてはまだ半分も行っておりません…。去年までの個人的な反省から、これからなるべくお話は短くします。(書く方も、多分読む方もつらい)具体的には1エピソードにつきこれまではおよそ7話使ってたと思いますが、今年からは多くとも3話以内で終わらせます。
※(追記)書き忘れておりましたが、ストックが少なくなったので週一更新に戻します(汗)目処がつき次第週二に戻します。


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征く黒蝕②

 黒蝕竜ゴア・マガラは、4人を値踏みするようにゆっくりとのし歩く。

 

「恐らくあれが、妖魔ウイルスの源だ」

 

 リーダーが双剣を光らせて呟いた。ゴア・マガラが動く度、その足元に霧が池たまりのごとく滞留していく。

 

「憶測だが、あれを吸うとバルバレの時のように洗脳されるかも知れんな」

「要するに慎重にやれってことですよね?」

 

 レイが確認すると、リーダーは軽く頷いた。

 ゴア・マガラは身を屈めると、真っ直ぐ駆けて突っ込んできた。

 

──

 

「4人とも……大丈夫かな」

 

 地上に停泊している飛行船で机を囲み、うさぎは祈るように両手を組み合わせて山脈を眺めていた。

 

「それはどっちの意味かね?」

「どっち?」

 

 筆頭ランサーの問いに首を傾げるうさぎだったが、横にいる筆頭ガンナーが意味ありげに微笑む。

 

「狩りが上手く行くか、それとも……フフ」

「ええっ、続き言って下さいッスよー!」

 

 ルーキーは意味を解せず文句を垂れるが、感づいた衛は驚いたようにランサーの彫刻のような顔に視線を送る。

 

「不謹慎だと思うかね?だが私は今回の人選で必ず成功すると思っている。あの男は少し、ある者に似たところがあるからね。もしもの時、隣で支える者がいるのさ」

 

 うさぎは意味がよく分からなかったが、達観したようにこちらを見るランサーへ曖昧に頷くのだった。

 金色の平野は、のどかな風を今日も送っていた。

 

──

 

 攻撃の応酬は苛烈を極めていた。黒い牙や尻尾が空間を舞った直後、外套に、腕に、頭に、斬撃が乱れ飛ぶ。

 

「どうだ、流石に息は上がってきたか」

「ぜーんぜん!」

「むしろ足らないくらいですよ!」

 

 リーダーが双剣を舞い踊らせつつ聞くと、少女たちからは軽快な声が返ってくる。

 実際、軽口を叩くくらいの実力が彼女たちには身についていた。今や武器は己の一部。ゴア・マガラの鱗に素直に刃が通るのもあって、今は乗りに乗っている状態と言えた。

 

 己が包囲されていると悟ったゴア・マガラは後方に下がり、息を吸って首をもたげた。口から放たれた黒い霧の塊が複数、地を這って大きく弧を描きながら進む。

 だが狩人たちはその身軽さを活かし、弾幕の間を縫うように駆け抜ける。

 

「だああああっ!!」

 

 まことが先頭を取り、そのままの勢いでウォーハンマーを頭に叩きつける。重い衝撃に漆黒の鱗の一部が潰れ、弾け飛ぶ。

 奥から見えた鱗は、闇に濡れたような色とは正反対の白く輝く色をしていた。

 

「見惚れてる暇ないわよ!」

 

 彼女だけの時間は、横から割り入った美奈子の呼びかけで中断された。

 金髪を振り乱す少女は猟虫を飛ばしてゴア・マガラの注意を引き、その隙をついて棍を操る。

 

 袈裟斬り、薙ぎ払い、叩きつけ。

 

 ゴア・マガラは堪らず口を開けて牙による反撃を試みるが、それよりも早く懐に潜り込む者がいた。

 

「そうよ、こいつは今までのよりずっと強いはずなんだから!」

 

 細い刀身が唸りを上げ、一糸乱れぬ連撃によって鱗に細かい傷をつけていく。その太刀の使い手はもちろん黒髪の少女レイ。

 

「あの歳で何という連携だ……」

 

 リーダーも双剣を激しく舞わせながら、ずっと年下であるはずの少女たちに舌を巻いていた。全員が近接武器を扱いながら、お互いに攻撃が当たらない絶妙な間合いを保っている。だが注目すべきはそこではない。彼女らが優れるのは、決して攻撃の勢いを殺さないままこれを実行している点にあった。

 

「私も、ついていかなくてはな!」

 

 リーダーは自身を軸として双剣を振り回す。

 その様はまるで、風に舞う蝶。

 力みはなく軽やかに、しかし如何なる鱗も巧みに鋭く切り裂いていく。

 状況を見れば、完全にこちらが有利。このまま押し切れるのではという考えすら浮かび始めたその時だった。

 ゴア・マガラは攻撃を避けて後方に跳梁し、背に収納していた逞しい翼を拡げた。

 濃い蒼が空中にひらめく。

 それを見たリーダーの瞳の色が変わった。

 

「あの翼膜の色……感知能力が既に高まっている!?」

 

 ゴア・マガラは大きく身を引くと、黒い吐息を真っ直ぐ撃ち放つ。

 咄嗟に各々が横に転がると、すぐ傍に着弾したそれは黒い霧だまりを撒き散らす。

 直後ばさりとはためく音がして、空から迫りくる竜の巨体。

 

「くっ!」

 

 否が応でも接近を拒否する相手に、回避を余儀なくされる狩人たち。

 彼らがそれでも獲物を目で追いかけると──

 首元に、目元に、赤紫の光が妖しく走っていた。

 リーダーの顔に早くも焦燥が滲み始める。

 

「早い……早すぎるぞ!こちらは感染していないのに!」

「一体なにがですか!?」

「ゴア・マガラは目が見えない。だから鱗粉で周囲を感じ取ることは知っているだろう!?その能力が際限まで高まった時、あれが……」

 

 ゴア・マガラは肩上に納めていた翼を拡げ、その先にある爪を大地に突き立てた。それは一般に翼脚と呼称される()()()()。同時に頭から爛々と紫に光る触角が鱗を掻き分け現れた。

 

「ヴア゛ア゛ア゛アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!」

 

 黒い鱗粉が大量に放出され、冥府の使者の如き絶叫が放たれた。

 触角に、翼膜に、首元に。至るところが鈍く赤紫に光る。悪魔の如き六本脚の異形に、少女たちは初めて戦慄を覚えた。

 黒蝕竜は、その場で口元に霧を溜めて目の前の一点に収束させる。

 

「まずいっ!」

 

 黒い霧が、白い光の破裂に転じた。

 霧は大爆発を起こし、それが横に拡散。

 

「ぐっ……」

 

 少女たちの視界が妖魔ウイルスの黒で塗りつぶされた。

 近づけないうえに相手の姿が見えず、彼女たちは判断に迷ってしまう。

 そこを突くように、霧の向こうにあった『第三の脚』が振り上げられた。

 霧ごと真上から大地を裂く、血塗られた色の爪。

 轟音と震動が地を鳴らす。

 叩かれた地面がめくり上がって弾け飛び、少女たち諸共吹き飛ばした。

 

「きゃああっ」

 

 華奢な少女たちの体が空中に舞い、モノのように転がる。リーダーは思わず息が詰まりそうになり、直後には駆けだしていた。 

 

「大丈夫か!?」

「な、なんとか……」

「君たちはキャンプに帰れ!ここは私が食い止める!そしてキャンプにいる仲間に伝えろ、『筆頭ハンターは至急、エリア8に集合せよ』と!」

 

 幸い衝撃の余波を受けただけで怪我のほどは大きくなかった。まことは立ち上がりながら首を振る。

 

「ダ、ダメです!リーダーさんを1人にだなんて!」

 

 彼女たちとしても今の一撃で悟った。いくらベテランとはいえ、あの生物の攻撃をまともに喰らったら立ち上がれなくなるのではないか。

 

「私は何回もあれを相手にしている。いいから行け!」

 

 有無を言わせずリーダーは少女たちの背中を押した。

 ゴア・マガラは背中を見せた彼女たちに興味を引かれたが、その横顔をリーダーが突く。

 美奈子は擦り傷を庇いつつ振り返る。

 

「リーダーさん……」

 

 男は頭を狙って斬り続け、注意を自分へ引き付けようとしていた。

 無謀な行為である。

 確かに生物共通の弱点である頭部を狙うのは一つの方法だ。だがそこに張り付き続けるには、不意な攻撃を真正面から受ける危険を受け入れねばならない。しかもただでさえ、彼はあの厄介な黒い霧によって思うように動けないはずなのだ。

 だが彼はその無謀な行為を双剣使いとしての高い機動力と実力、そして自身を犠牲にする強い覚悟によって可能にしていた。

 霧を、爪を、爆発をすべて避け、剣の残光が乱れ飛ぶ。

 そして見事、ゴア・マガラの意識は狙い通りリーダーに向いた。

 

「はあっ!」

 

 決して攻撃の手は緩めない。

 ゴア・マガラは近づかれるのが嫌になったのだろう、後方に飛びのいて距離を取り、大きな霧を吐き出した。

 

「小癪な!」

 

 それを見たリーダーは旋風のごとく剣ごと自身の身体を回転させ距離を詰める。

 鬼人突進連斬と呼ばれる、攻撃と素早い移動を両立する技だ。姿勢を低くしたことで頭上を霧が通過し、背後で爆発する。

 その判断は正しく、そして間違っていた。

 攻撃を切り抜けた先で突風が吹き、身体が押しやられた。目を開けると既に、獲物の姿はなく。

 空中で、翼脚を構え広げる黒い狩人の姿があった。

 

「なっ……」

 

 ずがああん、と凄まじい破裂音に、撤退しかけていた少女たちは思わず振り向いた。 

 ゴア・マガラの翼脚の爪により、リーダーの身体は大地に縫い付けられていた。

 周囲には大地の破片が飛び散り、衝撃の大きさを物語っていた。

 

「リーダーさん!」

 

 どんなベテランのハンターといえど、あの巨大な生物に全身を全力で抑えつけられて、果たして持つかどうか。苦し気な声からしてとても楽観はできない。

 3人は踵を返し、リーダーの下へ急ぐ。

 

「ダメ……間に合わない!」

 

 策などない。あるはずがなかった。

 明らかに相手が強すぎる。いまこの背にある武器では、とても止めることはできないだろう。

 ならばどうする。

 残された道は、ただ一つ──

 

 ゴア・マガラは翼脚をもう一度振り上げた。

 爪を完全に広げず、閉じかけた形。そこにあるのは、ここで獲物を確実に仕留めるという固い意志。

 だがリーダーの視線はそこではなく、自身に駆け寄ってくる少女たちに向いていた。

 

「来るな……来るなっ……!!」

 

 肺が締め付けられているため声が出ない。

 彼の希望を裏切り、彼女たちは近づいてくる。

 最後の抵抗で、男は精一杯の睨みを利かせた。

 少女たちが懐に手を突っ込むと、その中から棒状の物体が出てきて。

 

 光が弾けた。

 

 リーダーは目を瞑っていたが、衝撃は来ない。

 目を開けると、2人の少女が覆い被さるようにして男を護っていた。

 彼からすれば先ほどの少女が突然消え、別人の女性が現れたように感じられた。

 

 身体のラインに沿った薄く、白く、しなやかな生地。そこに色鮮やかなセーラー襟とスカートが映えている。一方は深緑、もう一方は橙。前にも赤が特徴の似た姿の少女がいて、ゴア・マガラに燃え盛る炎を浴びせていた。全員が狩人の防具とは明らかに異なり、あらゆるところを柔らかい曲線が支配している。

 そして彼女らの横顔はどこまでも完璧で、美しかった。

 

「……魔、女?なぜ……なぜ君たちが……」

「ずっと隠しててごめんなさい」

「こんなこと言うと言い訳がましいけれど、騙すつもりは本当になかったんです」

 

 リーダーはまだ状況を理解しきれていないようだ。ジュピターとヴィーナスは協力して男を立たせる。

 彼の意識は先ほどの衝撃のせいで朦朧としていた。

 

「やっぱあたしは一緒に調査するの、断る」

 

 ヴィーナスはそう言いだし、決意の表情でかすり傷の走った男の横顔を見つめた。

 

「この先も一緒にいたら、あたしたちのせいでこの人が怪我しちゃうわ。それを見るのだけは、絶対に嫌」

「同感。この人にまたこうやって無理させるくらいなら、別れた方がずっとマシだ」

 

 そこまで言ってから、ジュピターはヴィーナスと顔を見合わせ苦笑を浮かべた。

 

「こう思っちゃう時点で、ホントは恋じゃなかったのかな」

「……かもね」

「でも、その人を護りたい気持ちは本物でしょ?」

 

 マーズが火炎放射を放ちつつ振り返った。

 2人も頷き、その想いを確かめ合う。

 恋の真偽がどうであろうと、筆頭リーダーが大切な人であることには変わりない。今は護るべきものを、護りたいものを全力で護る。それがセーラー戦士という存在だ。

 少女たちがリーダーを抱えて飛びのいた直後、ゴア・マガラの翼脚が炎を突っ切りそこにあった大地を粉砕した。

 距離を取った戦士たちは、怒り狂いながら炎を振り払う化け物と再び相対した。

 

「さて……この後どうしようか」

 

 ジュピターはひしひしと目はなくともこちらに向けられた殺意を感じ、拳を握り締めていた。

 誰かを庇いながらの戦いとは得てして不利になるというもの。相手が自分たちより遥かに強靭な化け物であれば、猶更だった。

 

「シャボン・スプレー!!」

 

 その時、軽やかな叫びと共に泡が周辺一帯を覆った。

 鱗粉による感知を邪魔されたゴア・マガラが戸惑って周りを見渡すうちに、3戦士の前に複数の影が現れる。

 その正体はセーラームーン、セーラーマーキュリー、セーラーちびムーン、タキシード仮面。仲間たちの戦士となった姿だった。

 マーキュリーはジュピターとヴィーナスに支えられていたリーダーを見ると急いで駆け寄ってきた。

 

「リーダーさんはこっちで安全なところに避難させてくるわ!」

 

 その身体を預かって支えると、彼女は霧に紛れるように姿を消した。

 通信機も使っていないのになんで、と驚くマーズにムーンが説明をする。

 

「キャンプから見てても分かるくらい、いきなり黒い霧が空に広がったのよ!さてはと思って緊急出動したってわけ!」

「えっ、じゃあ筆頭ハンターさんたちには?」

「……うん、無理やり抜け出してきたから多分バレちゃった」

 

 マーズは深いため息をついた。だが、もうこうなってしまった以上気にしてはいられない。

 やがて霧が晴れてくる。それを合図に、セーラー戦士と黒蝕竜の戦いが始まった。

 

 この世界からすれば異次元の戦いである。遺跡平原の片隅で黒い霧が飛び交ったと思うと、すぐさまそれに雷や火、そして光やらが跳ね返っていく。

 天変地異を一挙に集めたような戦場であったが、その中でムーンはちびムーンと共にロッドを構える。

 

「ムーン・スパイラル・ハート・アタック!!」

「ピンク・シュガー・ハート・アタック!!」

 

 マゼンタの光が浄化の力をゴア・マガラに届ける。

 しかしゴア・マガラは怯みもせず、苛立たしげに翼脚を振りかぶった。

 咄嗟にムーンがちびムーンを抱えて跳ねると、その地点を逞しい爪が深くえぐった。

 

「くっ……やっぱり効かない!」

 

 ムーンは2段階変身も考えたが、グラビモスから得た知見からすれば隙を晒すだけかもしれない。

 攻めあぐねているところへ、手ぶらになったマーキュリーが戦場に復帰した。

 

「骨に少しだけひびが入っていたけれど、命に別状はなかったわ」

「よかった……!」

 

 報告を受けて最も安堵したのはジュピターとヴィーナスだ。

 状況を見たマーキュリーは頷くと、大きい声で叫んだ。

 

「あたしたちの力をセーラームーンに注ぎましょう!妖魔ウイルスの吸収力をも凌ぐ力を込めるのよ!」

 

 それを聞いたちびムーンは、黒蝕竜の悪魔の如き触角を指さした。

 

「あれ狙ってみようよ!いかにも弱点って感じだわ!」

 

 するとタキシード仮面がマントを翻して進み出た。

 

「ならば、私が時間稼ぎをする」

 

 男は竜の前に飛び出、ステッキでも薔薇でもない、一振りの剣を取り出した。

 かつてうさぎが使っていた、緑の女王の細剣『プリンセスレイピア』である。

 ゴア・マガラは翼脚で薙ぎ倒そうとしたが、その触角に、茨の細剣を突き立てる。

 タキシード仮面は一点を見つめ細剣を左右に乱れ舞わせる。

 翻弄される竜は頭を振り抵抗するが、男は迷わない。

 

「はあっ!」

 

 最後の斬撃で頭の鱗が弾け飛び、白い素肌が垣間見えた。

 

「ありがとうございます、タキシード仮面様っ!!」

 

 既にセーラームーンはティアラを外し、その手の上で高速回転させながら構えていた。

 

「ムーン・ティアラ・アクショーンッ!!」

 

 煌めくティアラに更なる回転力を加え、投げつける。

 戦士たちがそれぞれの守護星のパワーをそれに注ぐ。

 マーキュリーの水、マーズの火、ジュピターの雷、ヴィーナスの光。そして最後にちびムーンが魔力を注ぎ、威力を大幅に増したティアラはゴア・マガラの頭部に飛んでいく。

 

 それが触角に触れた瞬間、光が閃いた。

 

「ヴウウゥゥッッッッ」

 

 だが、まだ怯むに留まる。

 

「エナジーをあれだけ注ぎ込んでも耐えるなんて!」

「……それなら!」

 

 マーズの言葉を受け、セーラームーンが駆け出す。

 彼女は咄嗟に変身を解いた。

 虹色の光の中から、大地の女王の鎧が顕現する。

 

 続けてその背中に現れたるは──

 無骨な骨の大剣『アギト』。

 峯にそびえる牙が獰猛に光っている。

 うさぎはゴア・マガラに駆け寄りながら柄を握った。

 重量級の塊が唸る。

 渾身の力を籠め、全身の体重をその剣というには大きすぎる代物に乗っける。

 

「とりゃあああああああっっっ!!!!」

 

 振り下ろす。

 重い斬撃が、盲目を導く器官に直撃する。

 火花と鱗が散り、触角の先が欠けた。

 

「ヴアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!」

 

 漆黒の竜は大きく仰け反り、派手に後ろに転げ倒れた。

 たちまちのうちに空に立ち込めていた黒い霧が散り、太陽が戻ってくる。

 

「やったっ!!」

 

 ちびムーンは喜ぶが、ゴア・マガラは呻きながらも立ち上がった。

 戦士たちは戦う構えを崩さないまま相対する。

 ゴア・マガラもまた、殺意を漲らせて戦士と相対していたが──

 

「!」

 

 おもむろにゴア・マガラは上体を持ち上げ、周囲を見渡すような動作をした。

 

「な、なに!?」

 

 戸惑ううさぎを無視し、ゴア・マガラはばっと翼脚を、そこから垂らされる外套を広げる。

 それは空中に舞い上がり巧みに風をとらえると、あっという間に北の山上へ上がっていった。

 空からは既に黒い霧が引き、再び平穏の青空が広がった。

 

「……何かがおかしい」

 

 黒髪が少し乱れたマーズは顎に手を添え、彼方に去っていく黒点を見つめた。それから仲間たちに振り返る。

 

「あのゴア・マガラ……確かに妖気は感じたけど極々僅かなものだったわ。あれがミメットの最終兵器とは思えないくらい」

 

 真実を知らされた戦士たちの間に、困惑の表情が広がる。

 

「えっ……じゃあ、なんであの子が遺跡平原にいたの?」

「そういやミメットの姿もないじゃない。妖魔もなぜか全員倒されてるみたいだし……さーっぱり意味わかんないわぁ」

 

 ムーンとヴィーナスの素直な疑問はここにいる全員の脳裏にあることだ。彼女たちが遺跡平原に来る数時間前に何があったのか。マーキュリーは思考を巡らせる。

 

「ライゼクスの前例があるわ。今回のゴア・マガラも、完全に制御できず暴走したんじゃないかしら。結局彼に妖魔が全滅させられ、ミメットは逃げるしかなかった」

「なるほど、それなら筋は通るね!」

 

 ジュピターは納得したが、タキシード仮面は難しい顔で唸っていた。

 

「……そう何度も同じ轍を踏むだろうか」

 

 どちらにしろ、見える証拠がないのだから憶測は憶測でしかない。

 

「まぁ何はともあれ早くキャンプに帰りましょ!筆頭さんたちも待たせてるし!」

「あのね、うさぎ。あたしたちの正体バレたこと分かってる?あっちからすれば、ずっと騙してたって思われたって仕方ないんだから!」

「あっそうだったー……」

 

 うさぎの虫並みの忘れっぽさに呆れるちびムーンだったが、実際はそれほど深刻な表情ではなかった。

 むしろどこか晴々とした雰囲気が、彼女だけでない戦士たちの間に流れていた。




今週はMHXXの超特殊をすべてソロで制覇したけど、あまりにも死に過ぎて後半もはや死んだ目でプレイしてました…。ブレイブ前提の難易度でしょこれ…。あんな殺意マシマシの化け物がいるモンハン世界はやはり魔境。

別ジャンルだけど水星の魔女12話見て心に深刻なダメージを受けてしまった…ぼちろ見始めようかな…


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征く黒蝕③

 

「そうか。君たちが、か」

 

 夕暮れに浮かぶ飛行船で、少女たちから話を聞いた筆頭リーダーは静かに頷いた。

 それにうさぎは虚を突かれたように突っ立っていた。

 

「い、意外に驚かないんですね……」

 

 そのどこか落ち着いた反応は、あとの筆頭ハンターも例外ではなかった。

 

「実は前からちょっと考えてはいたのよ。魔女もどうも一枚岩ではないんじゃないか、とね」

「それってどのくらい前からです?」

「沼地に行った頃からね」

「あら結構前……」

 

 ガンナーに美奈子が聞いてみたところ、かなり前から真実に迫られていたという新事実が判明した。

 こんなことならさっさと正体を明かしておけば良かった……と、事実を話した時の緊張が馬鹿らしくなるような雰囲気であった。

 

「じゃあ、あたしたちのことは……」

「今更どうともしないよ。君たちがバルバレの英雄であることには変わらないからね」

 

 念のために問いかけた亜美を安心させるようにランサーは微笑んだ。厳つい顔の彼が優しい表情をしたことで、全体的な場の空気もやっと落ち着き始めた。

 そこにオレンジ髪のお調子者、筆頭ルーキーがずいと身体を乗り出す。

 

「その代わり、君たちの世界とやらについて詳しく話してくれないっスか!?俺、めっちゃ興味あるっス!!」

 

 彼の瞳はキラキラしていて純粋な好奇心に満ちている。それに自然と背中を押されたように、机を囲む少女たちは互いに頷いた。

 

 うさぎたちはこれまであったこと、知ったことを余すことなく語った。

 この世界に迷い込んだきっかけ。ココット村での成り行き。新たに判明した妖魔ウイルスの性質。それらを余すことなく伝える。

 そして、何千年前の前世を超え月の王国の一族として自分たちが持つ使命も、自分たちの世界で繰り広げた戦いのことも──。

 

 時刻は夜半を過ぎた。

 月下の光景に岩地や砂地が混じってくる。乾燥地帯に入り、バルバレに近付いている証拠である。

 やはりと言うべきか、ルーキーは何時間聞いても子どものように目を輝かせていた。

 

「四角い建物に電気で彩られた街、昔から続く使命、そして月の王国!なんかカッケー!」

「まるでおとぎ話を聞いた気分だな……」

 

 胸に包帯を巻いたリーダーは、考え込むように腕を組みながら呟いた。

 あちら側からすれば彼の反応が普通である。文明も文化も世界の仕組みも、あらゆるところが根本的に別物なのだから。

 

「私は信じるよ」

「こちらも同じく。実際、目の前に()()がいるものね」

 

 一方、ランサーとガンナーは柔軟な反応を見せていた。

 

「さて、今回のゴア・マガラの件だけど。私はミメットの下に何者かが乱入したという線を取るわ」

 

 理由が気になる周囲の視線に答えるように、ガンナーは真剣な表情になった。

 

「彼らは貴女たちに1回やられてるのだから、今回こそはと躍起になってるはずよ。そんな中で、肝心の最終兵器の調整に失敗するなんてあり得る?」

 

 反論はできない。流石に前回の戦いと同じようにいかないであろうことは戦士たちには容易に予想がつくところである。しかし、ならばその乱入者とは誰なのか?

 うさぎはうーんと首を捻った。

 

「でも、妖魔の大群に勝てるほど強い生き物って……」

「……『金の竜』」

 

 一言呟いた亜美に注目が集まる。

 確かにある。ちょうど良い、このパズルにはまるピースが。

 

「デス・バスターズの計画に深く関わるというけれど、必ずしもそれがあちらにとっての味方とは限らない。そうでしたよね?」

 

 亜美がガンナーに確認すると、彼女はこくりと頷いた。

 

「てなると、場合によってはこちらの味方になるって可能性もあるんじゃ!」

 

 まことからは楽観的とも言える発言が飛び出すまでになったが、一方筆頭ルーキー……青年エイデンはさっきとは打って変わり真剣な様子で椅子に座っている。

 

「でも……それとは別に、妖魔化したゴア・マガラの存在が確定したってのは中々マズいっス」

「どういうことですか?」

「みんなは『古龍』って知ってる?」

 

 その単語を聞き、亜美の肩がぴくんと動いた。

 

「そういえば、ソフィアさんがシャガルマガラの話をした時も似たような単語が」

「長寿で超常的な力を持った未解明生物をそう総称するんスけど……ゴア・マガラが成長した姿であるシャガルマガラはそこに分類されるんス」

 

 お調子者のルーキーが、彼らしくもなく怯えた目をしている。

 

「……そんなにヤバいんですか?」

「ヤバいなんてもんじゃない。正真正銘の()()()()()()()()

 

 レイの言葉に対してコップを強く握り締めているところからも、彼の焦り具合は尋常ではなかった。それはまさしく、この世界における古龍と呼ばれる生物に対する態度そのものだった。

 

「もしさ、あいつらがそれを手懐けたとしたらどうなる?」

 

 本来シャガルマガラは、狂竜ウイルスを撒き散らしあらゆる生命を狂わせる。

 デス・バスターズがそんな天災の化身を思うがまま、妖魔として悪用したら。

 うさぎは居ても立っても居られず立ち上がった。

 

「早く追いかけないと!」

 

 もはやバルバレに留まる理由などなかった。

 デス・バスターズはこの世界を妖魔ウイルスによって混乱させ、うさぎたちの旅路を邪魔してくる。その先にあるのは恐らく、元の世界へのリベンジ。目的のためなら、彼らはどんな手も厭わないだろう。

 次の度への決意を固めつつあったところへ、筆頭リーダーが前に進み出た。

 

「改めて確認だが……我々はこれから先、同行しなくてよいのだな」

 

 戦士たちは深く頷き、中でも彼との思い出が一際深いであろうまことと美奈子が前に出てくる。

 だが、彼女らの表情は至って穏やかだ。

 

「正直、寂しくて後悔するかもですけど。迷惑かけて後悔する、よりはマシですから」

「本当にありがとうございました、リーダーさん」

 

 意志を確かめると、リーダーは2人と固い握手を交わした。

 それから、少女たちの澄んだ瞳を見渡して。

 

「我々は別地方へ調査に行くが、向こうでもこの魔女事変を解決するため全力を尽くす。君たちの旅路に幸運あらんことを祈っている」

「はい、こちらこそ!」

 

 うさぎも筆頭たちの前に立って、差し出された手を握った。

 

──

 

「おかえり、バルバレの英雄たちよ」

 

 明朝に集会酒場に帰ってきた少女たちを出迎えたのは、ギルドマスターのその一言だった。

 竜頭船の船内、甲板の間から斜めに差し込む朝日のもと、髭を垂らす老人はパイプを吹かしてにこやかな笑顔を彼女らに送っている。

 

「此度のゴア・マガラ撃退、見事だったよ。特に君たち『月の猟団』の近頃の活躍は特筆すべきだね。私の立場からも、賞賛と感謝の意を伝えさせてもらうよ。……そして今回、客人がいる」

 

 ギルドマスターが顎をしゃくると白い制服を着た女性が巨大な槌を振りかぶり、大銅鑼に思いっきり叩きつけた。

 集会酒場の入り口の外から、ぞろぞろと厳つい武器を背負った狩人たちが波のように押し寄せてくる。

 先頭に立つ『我らの団』団長が手を挙げた。隣には受付嬢ソフィアの姿もある。

 

「ゴア・マガラの撃退、おつかれさん!」

「どうでした!?我がメモ帳と瓜二つのキュートな姿でしたよね!?」

 

 リノプロ男とハイメタ男の2人組、そしてかつて共に戦った同志たちもいる。

 

「お帰り、お嬢ちゃんたち!またしてもバルバレを救ってくれたようだなぁ!?」

「みんな!」

「ヌオオオオオ!!遂にワガハイを再び貧困から救う救世主が舞い戻ってきたのか!」

 

 襤褸切れのような姿になった元教官は感激のあまり涙を流している。

 彼は祭の後散々豪遊して散財した挙句、また貧困生活に戻ったらしい。

 うさぎたちは瞳を潤ませ、自分たちを後押ししてくれた彼らに向かって一斉に頭を下げた。

 

「「ありがとうございますっ!!」」

 

 ギルドマスターは空気を入れ替えるように手を叩く。

 

「さて、確か君たちは魔女と霧……そして金の竜を追っているんだったね。どうもそれらしき最新の情報があるんだが、聞くかい?」

 

 当然、うさぎたちは頷く。

 

「いま最も怪しいのはフラヒヤ山脈。そこに向かって妖魔が原因と見られる被害が()()()()()()()出ている。ちょうどいい。その真実を確かめるチャンスかもしれないよ」

 

 ギルドマスターの言ったことはまさに、これから旅立つ彼女たちを導く道だった。 

 彼の言葉を受け、うさぎたちは数日後にフラヒヤ山脈に向かうことを決定した。

 

──

 

 バルバレには、砂上船の港とは別に高速飛行船の発着場も存在する。

 こちらも港と同じく集会所のクエスト出発口の向こう側にあり、巨大な建物が間隔を開けて砂漠の上に並ぶ。

 そのうちの一つ、北方地域行きの飛行船の乗降口の前にうさぎたちは装備を身につけ並んでいた。

 時は早朝。

 少しばかり宵闇を残した砂漠から、肌寒い風がまだ横から弱く吹きついてくる。

 既に彼女らの乗るべき飛行船は低くも浮いており、ロープに繋がれて出発の時を待っている。

 バルバレ中の人々が見送りに来る前、我らの団と筆頭ハンターたちだけがうさぎたちの前に立っていた。

 

「灯台下暗し、とはよく言ったもんだが」

 

 団長は感慨深げに、顎の白みがかった無精ひげを撫でる。

 彼は、まだ幼さの残る少女たちの顔を見回した。

 

「俺の探し求めたものが、こんなすぐ近くにあったとは知らなかった!」

「正直ちょっと残念でした?謎に満ちた魔女の正体が、こんなフツーな女の子で」

 

 美奈子が冗談交じりに肩を突き出してみせると、団長は笑顔のまま首を振った。

 

「いいやぁ、とても素晴らしいことだと思ってる。旅の醍醐味は自分が見知らぬモノと出会うこと!俺の目的の一つは既に達成されたようなもんさ」

 

 団長は、地平線まで続く大砂海を遠い目で眺めた。

 無数に波打つ砂山に、赤い光と黒い影がはっきりと境界を成し始めている。

 雲は一つもない。今日は一日中快晴であろう。

 

「……いつかは我らの団みんなで出会えたらいいなぁ」

「ハンターさんは共同調査中って知ってますけど、加工担当さんとそのお弟子さん、今どこにいるんですか?」

 

 まことが黒い影になっている団長の背中に語り掛けると、彼は眩しそうに目を細めながら光る顔を振り向けた。

 

「ここからかなーり遠くであちらの加工技術を学んでる。特に娘ッコは出会ったら喜ぶぞ、『こんなカッコいいお姉さんがいるなんて夢みたい!』なぁんてな」

「団長さん、昔のイメージで語り過ぎですよ。女の子は精神的成長が早いんですから」

「えぇ、そういうもんかぁ?」

 

 受付嬢ソフィアの指摘にやや間の抜けた声で答える団長に、少女たちはぷっと噴き出した。 

 緑の服を着たその女性は、分厚い書籍を胸に抱えて微笑んでいた。

 

「でも正直、私も内心喜びで胸が高鳴ってます。私の知識や経験が、あちらの世界を救うために役立てられると分かりましたから!!」

 

 彼女はふと笑みを怪しげなものにすり替え、それを顔の横に持ち上げた。

 

「……というわけで貴女たちに頼まれた『超☆メモ帳(全6版)』の全写本、必ずお贈りしますからね!そしてこのモンスター沼に貴女たちも……」

「最後までブレないなー、ソフィアさんも!」

 

 ちびうさは笑って亜美と顔を見合わせた。

 

「さて、普通ならここらでまずはさようならというところだが……」

 

 団長は、後ろにいる筆頭ハンターたちに視線を寄越した。

 彼らは砂上を進み出ると、しばらくは穏やかな顔でこちらを見つめてくるだけだった。

 リーダーは団長と無言で頷き合い、少女たちを見渡した。

 

「……別れの言葉は言わないでおこう」

 

 少女たちもその意味を理解して、真っすぐにその言葉を聞いている。

 ランサーも静かに同意する。

 

「そうだな。これからの決意は既に述べたところだからね」

「俺たちも、全力投球で頑張るっスよ!妖魔も魔女も、ドンとかかってこいやーっ!!」

「投げっぱなしでもそれはそれで困るけどね」

 

 ガンナーがルーキーに冷静に指摘すると、彼らの中でクスクスと笑いが起こった。

 

「我が友たちよ、今までありがとう。そして、これからもよろしく」

 

 筆頭リーダー、ジュリアスは、少女たちに見送りの言葉をかける。うさぎたちもそれに答えようとした、その時であった。

 

「おいおい、ズルいぞ!あんたらだけ先駆けなんてよ」

 

 地平線から上がった朝日が全員の顔を横から照らした。

 床に水差しを倒したように、人々がクエスト出発口から漏れ出して歩いてくる。

 瞬く間にその数は増え、喧しさが一気に増す。

 先頭で最初に声をかけてきたのは、かつてうさぎが飢餓から救い、ミメットに対抗する同志たちとなったリノプロ男であった。その横には彼の友たるハイメタ男、更に隣に元教官が泣きそうな顔で走ってきている。

 

「うおおおおおん、ワガハイの救世主がああああ!!分かっちゃいるけどやっぱつらいいいい!!」

「あんたはさっさと教官業に復帰しろよ!情けねぇなぁ」

 

 元教官をハイメタ男は羽交い絞めにして、四角形の兜の下からどやしつけた。

 蒼い顔で崩れ落ちそうになる彼を、かつての同志たちは総がかりで支えた。

 

「……もう、うさこが支えなくても大丈夫みたいだな」

 

 うさぎが誰も彼も関係なく困った人を救おうとするのを、最初は苦々しく見ていた衛。彼が救われた人々を見る目は既に穏やかだった。

 うさぎは、衛に振り向いて満面の笑みを浮かべた。

 

「ふふっ、そうだね!」

 

 後ろに振り返ってやや呆れ気味だったが、リノプロ男は楕円形の兜を誇らしげにこちらに向けた。

 

「ま、こっちはこっちで何とかやってくよ。お嬢ちゃんたちがせっかく護り抜いた太陽を沈ませないよう、俺たちがずっと火を灯していく」

 

 リノプロ男の背後、ぞっとするほどのテントの群れの中、最も背の高い竜頭船のやぐらが黄色にきらきら輝いている。

 朝日がいよいよ本格的に出て来たのだ。

 角笛が鳴る。

 

「さあ……そろそろ出立の時間だな」

 

 団長の帽子の鍔を上げての言葉に、うさぎたちは静かに頷いた。

 何百人に見送られる中、少女たちはありったけの荷物を積み込んだ飛行船に乗り込む。

 乗降用の梯子が外される。

 船を係留するロープが切られた。

 船上の篝火は気球内を熱し、大重量が飛行するに足る揚力をもたらす。

 飛行船は、目的地に向けていよいよその巨体を持ち上げる。

 

「さあ、行ってこい!お前さんたちは鳥だ!!どこまでも自由に飛んでいくがいい!!」

「また会おう、友よ!!」

「あっちでも、頑張れえええええっ!!」

「いつでも、寂しくなったら戻ってこいよおおおおっ!!」

「ヌハハハハハ!!やっぱ自立が一番、ドント・ギブ・アップ・フォー・ユー!!」

 

 遠ざかっていく天下の市場、バルバレ。

 異世界から迷い旅を続ける魔法少女たちは、彼らの姿が豆粒になってもなお希望を抱いた顔で手を振り続ける。

 そこに、かつてココット村を去る時に見せた涙はなかった。

 

──

 

 ここはどこかの地下空間。

 薄暗いなか1人の白衣を着た男が机に向かい、謎の液体が入った試験管を持って揺らしている。

 そこに1人の女性が盆に湯呑を乗せて歩いてきた。

 彼女も白衣姿であるが、身体の曲線がそっくりそのまま出ているところから、その下に何も纏っていないように見える。妖艶な雰囲気を醸し出す彼女は赤い髪を揺らしながら、湯呑を男の前に置く。

 女性の瞳は金色で、そのどこにも光は宿っていなかった。

 

「教授、お茶です」

 

 教授と呼ばれた男は試験管を置き、影に包まれた顔を彼女の方に向けた。

 伸び気味な白髪に奥が見通せない丸眼鏡。いかにも怪しい学者然とした姿である。

 

「どうかねカオリナイト君。ユージアル君とミメット君の活躍は?」

「ユージアルはココット村からセーラー戦士を追放したとの報告ですが、現地の状況を見ますと信憑性に欠けます」

 

 デス・バスターズの上位幹部を務めるカオリナイトは、手元にある資料に目に通した。そこには部下からの報告が書面でまとめられており、内容を手早く読む彼女の表情はあまり好ましいものではなかった。

 

「次にバルバレを狙ったミメットも失敗です。それだけではありません。どうもこの世界で、我々を指名手配する動きが活発化しております」

「ハンターズギルドの連中の仕業か」

「はい、恐らくバルバレで一部の有力者がセーラー戦士どもと通じたためと思われます。……ミメットの失敗は重大です、何らかの処分が必要かと」

「ふむ、そうだねぇ」

 

 教授は積まれた書類に目を通していく。

 その中、彼の直属の下位幹部であるユージアルが記した『第二改善案』に目を付けた。

 手に取り、ページをめくってじっくりと読んでいくうち、その口角がつり上がっていく。

 

「いや、今は暖かく見守ることにしよう。時には部下の成長に投資するのも上司の重要な役割だ」

「……はい、かしこまりました」

 

 カオリナイトは素直に頭を下げ辞去しようとするが、

 

「何か、不安なことでもあるのかね?」

 

 教授は一言で彼女を呼び止めた。カオリナイトはしばし答えるのを躊躇ったが、やがて振り返った。

 

「非常に申し上げにくいのですが、現時点の彼女らの作業進度では、『最終兵器』の完成までにかなり時間がかかります。しかも『金の竜』までも介入してきたとなっては……」

 

 それを聞いた教授は、丸眼鏡を手でかけ直した。

 

「では復習をしよう。奴らにはいずれ元の世界への鍵として、我らが『沈黙のメシア』にその身を捧げてもらわねばならん。だが、奴らがそう簡単に従うかね?」

 

 カオリナイトは緊張した顔で首を振った。

 

「……いいえ。奴らを無力化して封じ込めるための器がいります。それも、彼女が我らが偉大なる師90(ファラオナインティーン)を再臨させるだけの膨大なエナジーに満たされた器が」

 

 デス・バスターズにとって、セーラー戦士たちは邪魔な存在だ。中でもセーラームーンが持つ幻の銀水晶という宝石は非常に厄介で、それに秘められたパワーは強い愛と正義の意志によって何回でも蘇り、無限の浄化力を発揮する。

 

「そう、その器こそが我らの『最終兵器』だ。現時点で、それの有する妖魔ウイルスがセーラー戦士どもの魔力を抑えられることは証明されているだろう」

「はい」

「『最終兵器』はまだまだ成長段階。決して焦らず、沈黙のメシアの導きを信じ行動すればよいのだ」

 

 カオリナイトは教授の目の動きに従い、空間の奥に居座る影に視線を向けた。

 背よりもずっと長い黒髪と脚を完全に隠すドレスの裾を床に垂らした女性が目を閉じ、沈み込むように玉座に座っていた。氷のように冷たい印象を与える顔立ちだった。

 彼女の唇からすぅ、すぅと寝息が聞こえてくる。

 

 この世界における事の始まりは今でも判然としない。

 というのも、彼らはこの世界の人間に魂が憑依するという唐突な形で新たな生を得たからだ。

 当時の身分は学者、商人、踊り子とそれぞれだった。今の彼らの記憶はこの彼らが仕える巫女『沈黙のメシア』──またの名をミストレス9(ナイン)──による招集命令で始まり、現在はこうやって再び計画を進めている。

 その招集の内容とは、以下の内容である。

 

 我らの偉大なる師90はこの世界に眠っておられる。争いの運命に従い、この世界と星の戦士たちの光とを我に捧げよ。さすれば我と師は目覚め、飛び立ち、両世界を不滅の沈黙によって繋ぐだろう!

 

「不安なのは分かるよ。前回我々の計画が頓挫したことは事実だし、なんせこの世界は広い。邪魔な生物や原住民も山ほどいるようだ」

 

 教授は怪しげな笑みを浮かべたまま、カオリナイトの出したお茶を啜る。

 

「だが気にすることはない。我々はそれらをも凌駕し賢く利用できる知性を有している。現に、ユージアル君が提唱してくれたこの案がそれを歴然と証明しているのだ」

 

 彼は指の背で書類をトントンと叩き、カオリナイトに後ろ手で渡した。

 彼女がそれを読むと、ほぅ……と感嘆の声が上がる。

 

「なるほど……これは試してみる価値はありますわね」

「この世界にあるものはすべて使う。ユージアル君はどうやらそこをきちんと分かっているようだ」

 

 教授は歓喜を現すように横に手を広げ立ち上がった。

 

「これもすべて、師90の思し召しだ! うぁああはははははは! うぁあああああーーっははははははははははははは!!」

 

 カオリナイトは先ほどまでの不安も消え、確信に満ちた笑みを浮かべていた。

 この生命溢れる世界はいわば踏み台。最強の妖魔を生み出すための広大な培養地。

 狭く古びた臭いがする研究室から、その思想を体現する壮大な計画が始まろうとしていた。

 

 すべては彼らの長を復活させ、今度こそ世界を征服、支配するために。




最後に色々と出てきましたが、セーラームーンSの敵さんたちです。

教授……デス・バスターズの偉い人
カオリナイト……教授の秘書
ミストレス9……教授よりも偉い人。師90を呼ぶ巫女のような役割
師90……復活させたらヤバいやつ

転生してますが基本的に前回のこと反省してません。悪役of悪役そのものですね!

ここでバルバレ編は完全完結となります。次回はポッケ村編となり、次に繋がる6話くらいの短編となる予定です!お楽しみに~


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ポッケ編
絶対強者①


 ポッケ村は高緯度にあるフラヒヤ山脈の麓に位置する。

 荷車が止まり、垂れ幕が上がった。

 

「ようこそ、ポッケ村へ」

 

 そう言いながら御者が出迎える。

 荷車を引いていたのはポポと呼ばれる、全身に深い毛に包み湾曲した牙を持つ大人しい動物だ。

 

「あれかぁ……!」

 

 少女たちは白い山間に雪の降り積もった屋根を複数見つけ、年相応に顔を輝かせた。

 ポッケ村は、入り口から見て奥に家屋が連なるように建っている。

 豪雪のなか身を寄せ合うように藁葺の家が並ぶさまは、素朴ながらも暖かみを感じさせた。

 御者がおーい、と叫ぶと灯りのついた家から彼と同じ白い民族衣装を纏った住民たちが出てくる。

 村の外観通りの人々だった。バルバレのような豪快さとは違った静かに寄り添うような温かい笑みで、彼らは出迎えてくれた。

 その中で最も背の低く、体を覆うほどの蓑を被った眼鏡の老婆が杖をついて歩いてくる。どうやら彼女が村長のようだ。

 

「よく来てくだすった、バルバレの救世主様。どの方も別嬪さんだでな」

「えへへ、それほどでもー」

「えっ、うさぎ含めて?」

 

 可愛らしく包み込むような声で褒められ、うさぎは思わず微笑み返した。

 ついでに隣で余計なことを言ったちびうさをげんこつする。

 

「さ、ここの者を一通り紹介しようか」

 

 村長は、集っている人々を簡単に紹介させた。

 狩りに役立つ道具を売る雑貨屋、武具を作る加工屋、竜人族の老人、世話役の女性。

 こちらからも自己紹介を終えたところで、村長は西側にある上り坂を杖で示した。

 

「ヌシらに貸し出す小屋は、あちらの坂を上がった先にある。温泉もそちらにあるぞ」

「温泉っ!」

 

 うさぎは思わず瞳を煌めかせる。まさにその言葉を待っていたのだ。

 ポッケ村は極寒の地にありながら、温泉が湧くおかげで凍結を免れている。

 

「おーんせん、おーんせーん!」

 

 うさぎは真っ先に坂を駆け上がろうとしたが。

 

「あれ。雪山草、もう切らしちまうのかい?」

「そうなのよ。ここ最近、妖魔騒ぎのせいで誰も雪山の麓にすら出たがらないから」

「困ったなあ、あの人たち、またいつ腹を下すか分かったもんじゃないよ」

 

 話し声は、坂の途中にある家屋からだった。

 2人の夫婦らしき男女が、玄関の前で湿っぽい顔で立ち話をしている。

 

「……ハンターさんに頼んだ方がいいかなぁ」

 

 背後から視線を感じた。

 だが、目の前にはずっと寒さのなか待ちかねていた温泉。今は歩みを止めるわけにはいかない。

 気まずいながらうさぎたちが再び歩み出すと、夫婦も気を取り直したように首を振った。

 

「いやしかし、今しがた来たばかりの方に頼むなんて」

「そうよね。今回ばかりは仕方ないわ」

「あ……でもあれを濾した茶がないと、うちの婆さんまた調子が悪くなるぞ」

「そうだったわ。私たち、いったいどうすれば……」

 

 その時玄関のドアが開き、見るからによぼよぼの御老人が杖をついて現れた。

 

「なら……わしが、摘んで、くる」

「ダ、ダメだよ爺さん! その身体じゃガウシカにどつかれただけで天に召されるぞ!」

「愛する妻……と、この村のため、じゃ」

「ダメよ、行かないでお爺さん! 行っちゃダメ!!」

 

 雪の積もった玄関で行われる家族ドラマ。

 それを聞いていたうさぎたちは──

 

「ありがとうございます! この御恩は一生忘れません!」

 

 結局折れた。

 

「……で、誰が行くの?」

 

 レイの言葉を合図に、仲間たちは一旦丘の上に立ち昇る煙突の煙を見上げる。

 そして、互いの顔を見つめ合い。

 最速で拳を握り出す。

 

「さいしょはぐーじゃんけんぽんっっっ!!」

 

 結果は。

 

「……あたしかい……」

「「じゃ、うさぎちゃんよっろしくー!」」

 

 自分以外全員、グー。申し訳なさそうな亜美以外、全員悪びれもせずうさぎに押し付けてきた。

 うさぎは自分が出したチョキを恨めし気に見つめた。

 こういう時に限って運が悪い自分を、彼女は心の底から呪う。

 ともかくも少女たちは一息つくため、西にある坂を上がった。

 

「こんな寒い中来たんだから、これぐらい報われなきゃあね〜!」

 

 美奈子を筆頭にその足取りは軽い。坂の上に見えた小屋の煙突から煙が上がるのを見て、ますます期待が高まる。

 自分たちがしばらく借りる旅人用の貸家が銭湯の向こうに見えた。今頃は持ってきた荷物も小屋に運びこまれているはずだ。

 坂を上がると、銭湯のテラスで2人がテーブルを囲んでいた。二人組の大男で、豪快な笑い声を上げながら酒を飲み比べあっている。顔は屋根の影になってよく分からない。

 

「おい、もっと酒はねぇのか!?」

「残念、あとはホピ酒だけだぜ」

「けっ。ここぁ良いところだが、山奥にあるってのがたまに傷だな」

 

 もしや、とうさぎと衛は身を竦めたが、仲間たちはそれに気づかないまま顔をしかめる。如何にも乱暴そうな雰囲気の連中だ。

 少女たちは目配せし合って彼らに挨拶すべきか迷っていた。

 ただうさぎたちの顔は運の悪いことに、太陽に照らされてあちらからは丸見えだった。赤い鎧の男がうさぎと衛の顔を見ると、立ち上がって一気に酒をあおった。

 

「バハハハハハ!!誰かと思えばあのお花畑夫婦じゃねえか!!」

「バルバレの用事はもう済ませてきたって面だな」

 

 隣の黒い鎧の男も髭面をにやりと愉快そうに変え、立ち上がった。

 特徴的な笑い声、日の下に歩いてきた彼らの顔でうさぎと衛は確信した。あの地獄から来た兄弟だ。

 うさぎの仲間たちはまだその正体に気づかない。赤い鎧の男は安価なホピ酒の緑瓶を挨拶代わりに突き出した。

 

「久しぶりだな。()()()はそろそろ治ったか?」

「ヘル……ブラザーズ」

 

 衛の呟きを聞いた仲間たちの目の色がさっと変わった。

 レイは猛犬のような顔で彼らに詰め寄った。

 

「あんたたち、うさぎと衛さんに余計なこと言った奴ね!」

「あれは講義だよ。目の前が見えねぇお嬢様にお灸据えただけさ」

 

 赤鬼の憮然とした態度は変わらない。

 まことは勇ましく酒の並んだ机を叩いた。

 

「一体次は何をしに来た!?」

「俺たちが目指すのはただ一つ。強敵を狩ることだけさ」

「あたしたちは今日からここで魔女と妖魔の手がかりを調べなければいけないんです。危ないですから、狩りは少し待ってくれます?」

 

 普段大人しい亜美でさえ、険しい顔ではっきりとものを言った。

 面向かって言われた黒鬼は眉をひそめて肩をそびやかし、もう一人の相方、赤鬼に呼び掛ける。

 

「ドハハハハハ!!この俺様たちに警告してくれるなんざ、英雄様は優しいねぇ」

「その様子だと、どうせまだ世界を護るとかほざいてるんだろう?このヒヨッコ集団で調査がどうなるのか見ものだな」

 

 赤鬼はふん、と鼻を鳴らして椅子にふんぞり返った。

 

「あらー、なんですってぇ?」

「あんたら、本当に一発締められたいみたいだね?」

 

 挑発的な一言に美奈子とまことが睨みつけて前に進みかける。

 一触即発の雰囲気だった。

 うさぎはいよいよ見かね、間に割り込んだ。

 

「ほら、もう喧嘩はおしまい!みんなは先に温泉に浸かっといて!あたしは雪山草摘んでくるからー!」

 

 鬼兄弟を睨む仲間たちを無理やり押し、自分たちの貸家に追いやる。

 そのままうさぎは振り返らず、最低限の物資を持ち出して雪山に飛び出した。思わず衛がそれを止めたが。

 

「うさこ、本当に大丈夫か!?」

「大丈夫!山の麓でさっさと摘んで戻ってくるから!」

 

──

 

 この世界の高緯度に在するフラヒヤ山脈は、年中溶けることのない雪の白銀に蒼い山肌を美しく彩られている。

 遠目に見ればこれ以上とない絶景。いざそこに足を踏み入れたらば──

 これ以上とない地獄。

 頂上へ向かうにつれ気温は急激に下がり、山頂付近ともなれば氷点下を下回ることは当たり前。吹雪が吹きすさぶ白銀の大地には草木もほぼ生えることはない。

 凍傷と低体温症を防ぐ保温飲料、ホットドリンクを飲まねば人間はとても活動できない環境であった。

 

「はー、あの人たちまでいるなんて聞いてないわよ……」

 

 白い息を吐きながら、うさぎは夕陽に照らされる原っぱを歩いていた。

 腰にぶら下げたポーチの中には、白い綿のような笠を付けた植物が4束。これが雪山草である。

 ここは狩人から『エリア1』と称される場所。キャンプを出てすぐそこにあるエリアだ。左には巨大湖を望み、向こうには雄大な山脈の姿を拝める絶景スポットでもある。

 

「よーし、見つけたっと」

 

 うさぎは湖畔に群生する雪山草を見つけた。房の部分を傷つけないよう下から掬うように摘み、ポーチに入れる。

 あとはさっさと帰ってしまおう。

 そう思った瞬間ひゅるるると何かが風を切る音がして、背後で大地が砕けた。

 

「……へ?」

 

 思わず振り返る。

 土煙のなか蠢く、巨大な存在。

 

 体長約20m。体高は一軒家程。

 黄土色と青色の縞模様。

 青みがかった額の下に覗く牙。

 その間から白い息を吐き。

 冷たい鱗に覆われた瞳が小さな少女1人を睨む。

 本来なら空に羽ばたくための翼は草原に縫い付けられていた。その代わり、それを携える前脚が人でいう腕のように筋骨隆々に発達している。

 簡単に表現するなら、獣のごとく四肢で地を這う竜。

 

 轟竜ティガレックス。

 

 狩人たちは、その飛竜に『絶対強者』の異名をつけている。

 それは息を吸い込み、恐ろしく発達した肺を膨らませた。

 

「ドガアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァッッッ!!!!」

 

 吐き出されたそれはもはや、音の域を超えた衝撃波そのもの。

 少女の脚は、いつの間にか動いていた。

 

「ひいいっ!!」

 

 対決するなど考えも及ばなかった。

 今はただ脅威から逃れんと、キャンプへと駆け出した。

 間もなくどっどっどっどっどっどっどっどっ、と地を叩くような音が聞こえた。

 恐る恐る振り返ると──

 

「グギャアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

「うわああああああああああっ!!!!」

 

 巨体が今まで見たことのない速度で迫ってくる。

 激しい爆走に対し、青い瞳は静かに保たれたまま。開かれた口に並ぶ歯、四つん這いのまま地を激しく這いずる脚。

 それは他ならぬ、確実に己を餌と見る捕食者の姿だ。

 

 どう贔屓目に見てもこのまま真っすぐ走っては助からない。

 死神の足音がすぐ背後に迫った時、うさぎは横にある空間へ身を投げ出した。

 前脚に生える鉈状の爪が、うさぎの下半身を覆うスカート状の甲冑に触れる。それだけで甲冑が金属音を立てて飴のように曲がり、端っこが捩じ切れた。

 うさぎは弾かれたように転がった。

 

 通り過ぎたティガレックスは無理やり片方の前脚に制動をかけ、ぐるりと身体を旋回させた。

 爆進するティガレックスは飢えた瞳をかっ開き、涎を振り乱し、獲物へと這い縋る。

 

「ひゃあっ!」

 

 今度こそは全力で横に突っ走る。それで次の突進は何とか躱せた。

 ティガレックスは地面を滑り止まる。僅か数秒で、彼の身体はエリア端に辿り着いていた。

 無論、相手は諦めてなどいない。爛々と輝いた瞳がこちらに向く。

 捕食者の視線に捉えられたうさぎは1人、走りながら叫んだ。

 

「なんで、こーなるのよー!!」

 




今年から話数短くする宣言をしたところですが、ポッケ村編は6話に納める予定です。ティガレックスの突進、怖いよね。あと来週にサンブレイクアプデ内容発表だそうで楽しみ~


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絶対強者②

 陽もとっぷりと暮れた夜。少女たちは揃って温泉に足を踏み入れた。

 檜の匂い、銀白の雪、立ち昇る湯気、そして満天の星芒。

 

「はー、ごくらくー……」

 

 全員が髪をまとめてタオルを巻き、肩まで浸かっていた。中でもうさぎは疲労のためか顔が湯船に浸りかけている。あの後彼女はティガレックスの爪を掻い潜りながらぎりぎり森の中に逃げ帰り、何とか難を逃れた。村へは泣きながら転びながら、散々な帰還を果たしたのだった。

 そんな中、美奈子が突然言い出した。

 

「ティガレックス、狩るしかないわね」

「え、ええっ!?」

「当たり前でしょ!うさぎちゃんの仇はあたしたちが取るわ!」

 

 うさぎは突然の強気な発言に驚くが、他の仲間たちの顔もやる気満々である。

 

「どっちにしろヤツは必ず調査の邪魔になるわ。あたしたちでやりましょう」

「よし!明日はモンスターの情報を集めてくか。うさぎちゃんは大剣の練習して、慣れたら参加すればいいんだよ」

 

 武闘派のレイとまことは無論、乗り気だった。

 

「あ、亜美ちゃん……」

「モンスターがそんなキャンプ近くに来るなんて由々しき事態だわ。ここの人たちのためにも早く手を打たないと」

 

 いつもは比較的冷静な亜美に助けを求めてもこの調子であった。

 うさぎは、ばしゃりと水しぶきを撒き散らして立ち上がった。湯船に取り残されたちびうさが湯を頭から被り、きゃあっと仲間たちの間に悲鳴が上がる。

 

「な、ならいいけど、ぜーったい無理しないでね!絶対の絶対の絶対の絶対のぜーーーーーーったいよ!!少しでも怖いって思ったらぜったいぜったいぜったい……」

「あたしの髪濡れたんだけどっ!?」

 

 ちびうさの怒りの抗議も耳に入らないほど、うさぎは不安だった。だが彼女の頭に人を上手く丸め込む術が浮かぶはずもない。

 喧しいほど念を押してくるうさぎに、仲間たちは耳を抑える。

 

「あーはいはいはいはいわかったわかった!」

「ゲシュタルト崩壊起こしてるわようさぎちゃん」

 

 レイはキレ気味に答え、亜美は苦笑しながら突っ込む。

 だが、この行動が今のうさぎにとっての精一杯だった。

──

 翌日は集会所、訓練所、雑貨屋や加工屋などが集まる中央広場で情報集めである。

 家屋に雪が積もり、寒々とした快晴と共に迎える穏やかな朝。

 ポッケ村の住人たちは非常に親切で、彼女たちに情報を惜しげもなく提供してくれた。

 

「そうだねぇ〜。奴はとにかく怒らせると手がつけられないから、狩りが長引くほど苦労するらしいよ」

 

 そう答えたのは、赤ん坊を背に背負う雑貨屋の女将さん。

 

「そうそう、閃光玉だよ閃光玉!この村でも、ティガレックスに襲われた時それを投げて何とか逃げ延びた、てヤツがたくさんいるよ」

 

 一方、隣家でそう答えたのは加工屋の男。

 隣では武具屋のアイルーがカウンターの上で寝っ転がっている。

 

「ニャ~。確かアイツの鱗は電気に弱かったはずニャ。ハンターさんがビリビリした武器をここで作ったの覚えてるニャ」

 

 そんな村中回って集めた情報を書いたメモを、うさぎと美奈子は満足げに見つめていた。

 

「これだけ集まればラックショーね!」

「うん!」

 

 少女たち全員で集めたメモの数は束になるほどだった。いくつか重複こそあれど、ティガレックスの弱点や攻略法は調べ尽くしたも同然である。

 

「ふむ、君たちが噂のハンターたちか」

 

 そこに、やけに低く冷静な声が響いた。

 ポンチョのようなコートを着たアイルーがよちよちと歩いてくる。手は完全に隠れており、脚だけが下から見えた。

 そのアイルーは気品ある物腰でうさぎと美奈子の顔を見上げた。

 

「なるほど、その歳にしては良い面構えだ。装備は……ふむ、ティガレックスに挑むには少し早いようだが、ゴア・マガラを退けた君たちなら特に問題なかろう」

 

 うさぎと美奈子の表情が変わる。アイルーは、彼女たちの手が迫ってくるまでそのことに気づけなかった。

 

「「か〜わい〜〜〜〜っ♡」」

 

 アイルーが美奈子にポンチョごと捕まえられ、たちまち持ち上げられる。

 

「ニャッ!?」

 

 猫そのものの鳴き声が漏れる。

 美奈子はその頬に自身の顔を擦ってその毛並みを堪能し、うさぎはその柔らかいポンチョを掴んで目を輝かせている。

 

「やーん、めっちゃくちゃかわいいんだけどー!」

「この辺のアイルーちゃんたちってこんなもこもこしたの着てるのね!アルテミスにも着せたらちょっとは可愛げ出るかしらー!?」

 

 美奈子もうさぎも、思う存分その生き物をモフモフしまくっている。

 ポッケ村の住人は唖然としてその光景を見ていた。

 

「……」

 

 加工屋の主人が苦笑して割って入る。

 

「すまんすまん、説明がまだだったね。彼女はネコートさん。いろいろと言えないことが多いけど、ギルド関係者の方だよ」

「……彼女?ギルド?」

「左様。ギルドの仲介役を務めている。本当の名は内緒だ」

 

 猫がそのまま立ち上がったような姿を持つアイルー族は、口癖なのか彼らは語尾に「ニャ」をつける。が、ここにいる彼女は人と変わらぬ威厳ある口調でうさぎたちを見上げていた。

 気まずい空気が流れた。

 うさぎと美奈子は顔を見合わせる。そう、彼女たちは偉い人(アイルー)をモフモフしてしまったのだ。

 住民の間に混ざるまこととレイの表情も、この世の終わりを見ているようであった。

 

「まずは私を降ろせ」

「あ……は、は、はい……」

 

 2人が跪いて震える手でゆっくりネコートを地に下ろした瞬間、彼女たちは手と膝を地につけ頭を擦り付けた。

 

「どうかお許し下さいネコート様ぁーっ!」

「どうかお命だけは、ネコート様ぁーっ!」

 

 瞳を潤ませ懇願するうさぎと美奈子をじろりと見て、ネコートはふぅと一息ついて踵を返す。

 

「次からは気をつけよ。君たちの活躍はそれとなーく見させてもらうぞ」

「ははーっ!!」

 

 その背中が去るのを恐る恐る確認してから、彼女らはほぼ同時にその場に崩れ落ちたのだった。

 

 貸家では、亜美、ちびうさ、衛、そして猫2匹が集めた文献を調べていた。

 

「見つかった直接的な対処法はそちらと大差ないけど、面白い記述がたくさん見つかったわ」

 

 亜美は手元に生態樹形図を開いていた。

 これは古今東西の生物の類縁関係を樹木のような形にまとめた、この世界における生命進化の歴史書である。

 亜美が言うには、かの生物の四肢で地を踏みしめる姿は飛竜種の原始的な風貌を色濃く残しているそうだ。

 

「じゃあ、ティガレックスはリオレウスとかの御先祖様ってわけ?」

 

 うさぎの脳内では、あの地を駆けずる生物が悠々と飛ぶ竜の姿となかなか結びつかない。

 難しいことは分からないが、元の世界では人も大昔は魚だったと学校で習ったことがある。それと似たようなものだろう。

 

「あたし、もっと面白いこと見つけたわ!」

 

 別の本を広げているちびうさは得意げに話す。

 

「元々、ティガレックスは砂漠に生きてたんだって!でも、どこかで食べたポポの味があまりに美味しすぎて雪山にわざわざ来るようになっちゃったのよ!」

「美味しすぎて?ふーん、意外とグルメなヤツなのね」

 

 うさぎとしてはあの竜が寒さを痩せ我慢して必死にひた走る姿を想像すると、あの凶悪な面構えもどこか可愛げのあるものに思えた。

 

「食への執着ってすごいわね。うさぎがダイエットしてると『今日頑張ったご褒美』が豪華になってく理由がよく分かるわぁ」

 

 ちびうさの言葉に、仲間たちは一斉に爆笑する。

 うさぎの目の端の辺りがぴくぴく動いた。

 

「あのー、あたしを引き合いに出す必要なくない?」

「えっ?似たようなもんでしょ?」

「似てなーい!!あれはご褒美なのー!!」

 

 その後防具の強化や武器の手入れ、道具類の買い揃えなどの準備をし、亜美、レイ、まこと、美奈子の4人は調査に出発した。

 荷車に乗り、少女4人はフラヒヤ山脈に向けて出発する。彼女らの背中が豆粒ほどに小さくなり完全に見えなくなるまで、うさぎは村の出口で手を振り続けていた。

 

──

 

「帰ってきたわよ……雪山!」

 

 美奈子は針葉樹の間から白く染められた山脈を望み、そう宣言した。

 雪山では、狩人が狩りの拠点とするベースキャンプは山脈の麓に広がる針葉樹林に設置されている。

 黄色のテントから坂を下った先にある細道を抜ければ、そこはもう狩り場である。

 

「うさぎちゃん、キャンプを出たすぐのところで襲われたのよね。あたしたちも気をつけないと」

 

 亜美は警戒の表情を強めているが、あとの3人は前のめりの姿勢であった。

 

「あたしとしてはむしろあちらから来てほしいくらいだよ。そのためにこんなに準備したんだ」

「そうね。このあとが楽しみなくらいだわ」

 

 まこととレイは支給品を入れたポーチを叩き、強気なことを言う。

 この時のために、彼女たちは閃光玉をそれぞれ5個持参している。全員合わせると20個もある計算であり、更に罠などの道具類も揃えている。やや過剰とも思える準備のしようだった。

 亜美が『千里眼の薬』と呼ばれる薬品を飲み、一時的に五感を獣のように鋭く冴え渡らせる。

 

「今のところ、ティガレックスはずっと遠くにいるわ」

「へっ、さてはあたしたちにビビってんじゃあないの!?」

 

 美奈子は先頭に立ち、勇み足で真っ先に雪山へと向かっていった。

 

 ──のは良かったのだが。

 

「……疲れたああああ……」

 

 少女たちは洞窟内の狭い通路で背中を預けあっていた。

 地図上の中央に位置するエリア5に着いても、ティガレックスには辿り着かなかった。キャンプからここまでの南側はすべて調べ尽くしたが、妖魔の痕跡はない。残すは北側にある山頂エリアのみ。

 バツ印で埋まった地図を広げながら、美奈子はため息をひとつ。

 

「なんでこういう時に限って奥に居座ってんのよぉー」

「どうする?ホットドリンクは残ってるけど」

「行きましょう。近くにティガレックスがいたんじゃ、夜も安心して寝付けないわ」

 

 まことが問うと、レイは北側の山頂に続く洞窟を見上げながら立ち上がった。調査を抜きにしても、今の状況は彼女たちにとっては赤信号に近い。

 

「それにあいつらに馬鹿にされたままじゃ悔しいでしょ?」

 

 少女たちは顔を引き締めた。

 ヘルブラザーズが狩りをする目的とは即ち、狩りをすることそのものだ。

 彼らはかつてうさぎの世界を護りたいという想いを嘲った。それだけでなく、彼女を自分の心のために動く聖人気取りとも。

 人々を護るために戦うセーラー戦士たちとして、そんなことを言われたこと自体が侮辱に値する。

 

「あいつらが言ったことは人として間違ってる。それをあたしたちの活躍で証明してやりましょう」

 

 洞窟を抜けエリア6に入ると、麓や洞窟にいた時とは比べ物にならない寒波が少女たちを襲った。

 空も、地面も、一帯が白。

 生命の気配などどこにもなく、そのまま彼女らは頂上へと向かう。

 

 雪山の中で最高標高に在するエリア8は、山頂の周囲を取り囲むように広がる平地であった。

 辺りは猛吹雪で数歩先はほぼ何も見えない。

 

「ここにもいない……?」

「でも、千里眼の薬の反応は強まってるわ」

 

 レイの呟きに、亜美は目を閉じながら緊張した顔で答える。

 各々の武器を構え周囲を警戒しつつ一歩、一歩雪原を踏みしめる。

 時間の感覚がなくなるほどの寒さと白景色だった。

 その時ぼとぼと、と頭上から雪が落ちる。

 

 弾かれるように見上げると、いた。

 

 前脚で絶壁を掴み、忍び寄る四つん這いの竜の姿が。

 亜美は思わず、叫んだ。

 

「避けて!」

 

 轟竜ティガレックスは空に身を躍らせ、飛び降りた。

 青と黄の縞模様が白景色では鮮やかに映った。

 着地した雪原が爆発するように飛び散り、雪の粒が舞う。

 少女たちは姿勢を立て直しつつ、武器を取り出し構える。

 

「ドガアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!」

 

 ティガレックスは強靭な胸筋を膨らませ、咆哮した。音の領域を凌駕した衝撃波が、対峙する者たちへと叩きつけられる。

 ビリビリと耳を鳴らす震動が、心を奥底から突き動かす。

 

「う……うるさいヤツっ」

 

 そう叫んだ美奈子を始め、誰もが耳を塞いでいた。

 

「関係ないわっ!」

 

 束縛を振り払うようにレイは太刀『斬破刀』を抜き放った。

 

「さあ、どっからでもかかってこいっ!」

 

 レイに続いてまことはそう威勢よくハンマー『ウォーハンマー』を担ぎ出し、それに勇気づけられたように美奈子と亜美も武器を構え直す。

 

 狩猟の火蓋は切られた。

 

「グギャアアアアアアアアアアア!!」

 

 ティガレックスは、うさぎにしたのとまったく同じように少女たちに向かって突き進んだ。

 

「なるほど、大した迫力だね!」

 

 呟いたまことを始め、少女たちは相手に向かい横に回避。

 うさぎからの情報で、突進の脅威は十分分かっている。そうでなくとも、この凶暴な面構えに正面から挑むのは無謀だと誰でも分かるだろう。

 

「たあああっ!!」

 

 だから、相手がこちらに振り向くまでの時間を利用する。

 レイはその機動力を生かし、背後から後ろ脚目掛けて斬りつけた。

 ほぼ傷はつかない。

 

「くっ……」

 

 一撃目に効果が見られないと体が強張るのは、戦士だろうとハンターだろうと同じ。だが彼女は深追いせずその場を後ずさった。

 何食わぬ顔で、ティガレックスは再び突進をしかける。

 まるで地震が形をもって顕現したかのような姿は、動物としての本能に畏怖を呼び起こす。

 

「でもね……こちとらあんたのことは、知り尽くしてんのよ!」

 

 隣を走り抜けたティガレックスの巨体に、美奈子は笑う。

 手元から取り出したのは閃光玉だ。

 

「グギャオオッ」

 

 小籠に詰められた光蟲の最期の輝きが相手の視界を奪う。

 ティガレックスが視線を彷徨わせるなか、少女たちは攻撃に転じる。

 

「やっぱり閃光玉、よく効くわね!」

「よっしゃあ、このまま押し切ってやるわ!」

 

 レイが相手の頭部に振りかざした『斬破刀』が放つ電撃は鱗を確実に焦がし、美奈子が振り放つ棍も前脚に傷をつけていく。

 

 閃光玉を投げれば突進を止められる。

 轟竜の鱗は電気に弱い。

 

 村人たちの経験に刻まれた知識は、確かに本物だった。

 ティガレックスが視界を取り戻したら、すぐ閃光玉を投げる。そして安全を見計らい攻撃に転じる。

 状況は、確実に自分たちの計算通りに動いていた。

 

 しばらく経ち、雪雲に隠れた日も上がり切った頃。

 ティガレックスの強靭な身体にもあちこち傷が出来かかっていた。

 満身創痍には程遠いが、息も荒くなっている。それはまるで、何回も自身の行動を止められていることに苛つきを募らせているようでもある。

 

「かなり傷だらけになってきたわね」

「へへ、あいつらの悔しがる顔が目に見えるよ!」

 

 亜美がそんな獲物の姿を観察しつつ通常弾を撃つ一方、まことはハンマーを振り回しながら快活に叫んだ。

 ティガレックスは今や、彼女たちの掌の上で転がされている。

 もはや、自分たちの勝利は目前ではと確信しかけていた──

 その時。

 

「バァオオオオオオオオオオオオォォォォォォォ……」

 

 汽笛を鳴らすような音。

 

「え、なに?」

 

 突然、少女たちの身体がひとりでに動く。

 吹雪のせいかと思われたが、明らかに風が吹くのとは別方角に引っ張られる。

 行く先は、背後。

 それはまるで、何かの吸気に引き寄せられているような。

 

 彼女らが風を感じる方へ振り返ると、そこには巨山。

 

「……え?」

 

 銀白に座す蒼と紅。

 毛によって覆われた山を飾る、無機質の冠。

 その先に伸びる長いものが振り上げられてゆらゆらと動いたあと、こちら目がけて落ちてきた。

 

──

 

「クエストリタイア!?」

 

 ポッケ村で訓練していたうさぎたちは、世話役の女性から雪山の調査中止の報せを受け取った。

 

「だからあれだけ気をつけてって言ったのに!」

 

 コップをおっぽり出して丸太椅子から立ち上がりかけたうさぎを、衛がさっと手を掴まえ引き止めた。

 

「うさこ、落ち着け!」

「誰か無理して怪我したんでしょ!?落ち着いてなんかいられな……」

「あ、あの、いいですか?」

 

 手を振りほどこうとするうさぎに、世話役の女性は慌てて呼びかける。

 

「どうやら状況を鑑みた上での戦略的撤退らしいです。今回は様子見ってことじゃないですか?」

「……な、なーんだぁ」

 

 早とちりと気づいたうさぎは気が抜けたように衛から手を離し、丸太椅子に座り直した。

 一方、ちびうさはもの思わしげな顔で衛に語りかけた。

 

「でもみんな、きっと落ち込んでるよね」

「あれだけ勢い込んで行ったんだ。無理もない」

 

 衛は視界の奥に広がる大山脈を望む。

 予想以上にティガレックスが手強かったか、それとも他の要因か。

 うさぎも衛と一緒に雄大な風景を眺めていた。

 

「ねえ、2人とも」

 

 彼女はそう呼びかけ、注目を集める。

 そして隣にあるもう一つの貸家を見やった。

 

「どうか怒らずに聞いてほしいんだけど」

 




サンブレイク、イヴェルカーナかー。復活というよりは続投じゃない?て思いつつ、BGMが良すぎるのでやっぱり来て良かったなと思う私でした。


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絶対強者③

 

「なによ、次から次へと現れて!」

 

 そう言い捨てたレイの口調はやや荒っぽかった。

 ポポの牽引する荷車から降りた彼女たちの表情はどれも暗い。それも当然、彼女たちは事実上雪山から逃げ帰ってきたようなものだからだ。

 

「ま、まーまー!今回は単に知識不足というか運が悪かっただけよ!」

「そうだよ!次は絶対上手く行くって!」

 

 美奈子とまことが雰囲気を明るくしようと努めたが、それでも場の空気は萎れたままだった。

 ティガレックスとの戦いに乱入した謎の巨大なモンスター。それに、彼女たちは手も足も出ないうちに吹っ飛ばされたのである。

 

 帰路を行く彼女たちに追い風が吹く。雪山そのものが、彼女たちに「諦めろ」と言っているようだった。

 ポッケ村に着くと既に夕方だった。夕飯の支度で住民の姿は見えない。

 明かりが灯り始めた中央広場を西に行き、彼女たちが雪の積もった坂を上がり切ったところで、聞き覚えのある声が聞こえて来た。

 

「そりゃ無理な相談だな」

「そこをどうかお願い!この通り!」

「うるせぇな、ダメなもんはダメっつってんだろ」

 

 ヘルブラザーズの貸家の前だった。

 少女が必死に、大男2人に頭を下げている。そのたびにパタパタと金髪の束が上下していた。

 

「……うさぎちゃん」

 

 彼女がはっと振り向き、これは違うの、と言いかけたところでまことが割り入る。

 

「離れて!」

「あんたたち、うさぎちゃんに何をしたの!?」

「まさか何か脅された!?」

「ち、違うわよ! あたしからお願いしてんの!」

 

 うさぎの言葉の意味が理解できず、口々に心配していた仲間たちは問題の男たちを睨んだ。

 いかにも迷惑そうな顔で、赤鬼が酒を並べた机に頬杖をついた。

 

「全くどういう風の吹き回しなんだか、大剣を教えてくれって言うんだよ。お前らも何とかしてくれ」

 

 動揺が走った。

 あのうさぎが、自分から鬼兄弟に弟子入りしたいというのだ。

 レイの視線が鋭く彼女を刺した。まことは引き離すようにうさぎの腕を引っ張る。

 

「うさぎちゃん、こいつらの言いなりになるつもりかい!?」

「言いなりになるつもりなんかないよ。あたしはもっと、狩人としての腕を磨きたいの!」

「うさぎちゃん! こいつらの言うことなんて聞いてたら、脳味噌まで筋肉詰まった残忍、戦闘狂、サディスト、ナルシストの変態モリモリマッチョガールの一丁上がりよ!」

「美奈子ちゃん、流石に言い方ってものがあるわ」

 

 美奈子の暴言に近い説得を亜美が諫めるが、

 

「と・に・か・く!!!!」

 

 うさぎは無理やり流れを断ち切り、改めて仲間たちに呼び掛けた。

 

「このままじゃ、あたしたち何もできないままだよ。みんなも、今回のことで分かったでしょ?」

「……うさぎちゃん」

 

 亜美は名前を呼んだきり立ち竦んでいた。

 何も言えず、仲間たちは押し黙る。

 

「それで、こいつらに頼ろうってわけ?」

「うん!」

 

 レイは言葉の棘を鋭くしたが、うさぎはそこから逃げず真っすぐ頷いた。

 少女2人の間で視線がぶつかり、火花が散った。

 

「……勝手にしなさい、馬鹿うさぎ!」

 

 レイは我慢できず踵を返して行ってしまった。仲間たちはうさぎを気にしながらも、急いで彼女を追いかけていく。

 いつの間にか、住民たちが貸家の周りに集まっていた。先ほどの騒ぎを聞きつけたのだろう。

 

「はあ、面倒なことになっちまったな」

「全くよ」

 

 赤鬼に視線を傾けられた黒鬼は、コップに入った安酒を一気に飲み干した。彼はふと、うさぎの掌が目に入った。

 自身よりずっと細く白い少女の手には血豆が出来ていた。それも1つや2つでなく、大きなものがすべての指に付いていた。

 

「お前、そんなにティガレックスを狩りてぇのか?」

「ええ!」

「ふーん……」

 

 黒鬼は赤鬼に目配せし、2人して品定めするように少女の腕、脚、全体を見回す。

 その視線に気づいたうさぎは思わず自身を手で庇った。

 

「お、女の子の身体見回すんじゃないわよ!」

「1ヵ月」

 

 反論を無視して赤鬼はそれだけ呟いた。

 

「1ヶ月が期限だ。そこまでは訓練に付き合ってやる。期限内にあのティガレックスを狩ってみせろ。そしたらお手柄はお前らのもんだ」

「だがしかし。もしティガレックスを狩れなければ、それは俺たちの獲物。そん時は何の文句も受け付けねぇぜ」

「えっ、じゃあ……」

 

 黒鬼はぞんざいに顎をしゃくった。

 

「よ……よ……よ、よろしくお願いしまぁーーすっ!!」

 

 まさかこんなあっさり、という気持ちのまま、うさぎは焦って2人に詰め寄り頭を下げた。

 距離を見誤り、酒の置かれた机に額が直撃した。

 

 少女たち4人はうさぎの恋人である衛の所に直行した。

 野外の丸太椅子に座る彼に、レイから軽蔑の眼差しが降りかかっている。

 

「見損なったわ、衛さん。あたしたちはあくまで戦士なのよ。なんであんな奴らにうさぎを任せるなんてことしたの?」

「うさこは、新しい世界を見たいと言っていた」

「新しい世界?」

 

 亜美の問いに、衛は自身の背負う武器の柄を叩いた。

 プリンセスレイピア。緑の女王の素材を用いた華麗なる細剣。

 

「俺にこの片手剣を託し、大剣に持ち替えた時の話だ。きっといろいろ考えたんだと思う。もうその時からうさこは変わっていたんだよ」

「……だから、受け入れるんですか?」

「ああ。それにだ。今から考えると、あの兄弟は本当に狩りが好きなだけだ。うさこを洗脳しようとか、そんなこと考えもしない。拳で戦いを挑んだ時、彼らはただ純粋に戦いを楽しんでいた」

 

 まことに頷いてかつての戦いを思い出す衛の姿は、どこか喧嘩で生まれた友情に浸る男子学生のよう。

 美奈子は思わず馬鹿馬鹿しくなって皮肉っぽく口走った。

 

「ほんっと男の人ってそういうの好きよね。彼氏として心配しないのこういう状況!?」

「大丈夫だよ。俺も訓練に付き合うから」

「あぁ、それならまだ……って、え?」

 

 美奈子は3人と顔を見合わせる。

 それからもう一度、衛の顔を見た。

 彼は無言で頷いた。

 

「ええ!?」

 

──

 

 うさぎの訓練が決まった夜、村人たちが少女たちを労って宴会を催してくれた。

 場所は集会所。中央広場の北西にある小さな施設だ。

 通常ここはハンター向けにクエストを紹介するギルド関連の施設なのだが、今日は村人向けに解放されている。

 巨大な暖炉が設置されている室内は、極寒の外とは裏腹に非常に暖かい。

 

「いやぁ~お疲れ様!」

「こちらはポッケ村特産のポポノタンシチューです」

「お茶飲んでみないか? 雪山草を濾してるから、滋養たっぷりだよ~」

 

 中央にあるテーブルに座った少女たちを中心に、村人たちが次々に食べ物飲み物を勧める。

 テーブルの上には火にかけられた鍋があり、茶色いルーにポポの肉と野菜が煮込まれぐつぐつ湯気を立てていた。特にほろほろに溶けた肉が何とも言えないほど絶品。ティガレックスが好むのも納得の美味しさだ。

 

 食いしん坊のうさぎはあらゆるものを手当たり次第口に詰め込んで、雪国の味を堪能していた。お世辞にもその食いっぷりは上品とは言い難いが、住民たちはどこまでも美味そうに食べてくれる彼女の反応にどこか嬉しそうだ。

 

「ほふほふ、うま~~……」

 

 彼女とたまたま目が合ったレイは、ふんっと顔を背けた。

 2人の間を埋めるのは何とも気まずい空気。

 レイの隣にいる亜美はその肩を叩く。

 

「まだ意地張ってるの?」

 

 レイは不機嫌な顔でお茶を啜る。

 そこへ、次々に温かい料理を盛った皿が押し付けられた。

 

「大変だったね、ティガレックスとガムート、両方に出くわすなんて!」

「たまにはそういうときもありますよ!ほら、たくさん食べて精気を養って下さい!」

「……あの、すみませんけどあたしそんなにいらな……」

「「そんなこと言わず!」」

 

 村人たちは、彼女たちがてっきりガムートの乱入による失敗で落ち込んだものと思っているらしい。

 勢いに押されるがまま、彼女の前のスペースはどんどん皿で埋まっていく。

 それに困り顔をしているレイの横で、まことも村人から歓待を受けていた。

 

「ガムートって一体どういうモンスターなんですか?」

「別名、不動の山神。ティガレックスの牙も通さない、下手すりゃ並の飛竜より恐ろしい牙獣だよ」

 

 加工屋の男の言葉を受け、まことは吹っ飛ばされる直前、わずかにある記憶を引っ張り出す。

 四肢を地につけ、湾曲した巨大な牙を持つ象のような身体つきはどこかポポと似ていた。だが、その威圧感はとても比較にはならない。

 

「厄介だなぁ。あんなのを同時に2頭相手取るのは流石にきつい」

「んなこと言ってらんないわ。また作戦を練り直して、今度こそは成功させないと!」

 

 美奈子でさえも、今回の失敗には責任を感じていた。

 彼女たちにとっては、敵を野放しにするなど言語道断。人々の平和が脅かされるリスクが消えないことになるのだから。

 

「焦らんでもいい。いざとなれば、他の者に任せる」

 

 そう話に割入ったのは、蓑を着た小さき老婆。

 村長である彼女の傍には酒の入った徳利が置いてあった。

 「え?」と言ったきり少女たちは戸惑っていたが、亜美が聞いてみる。

 

「……他の者って、ヘルブラザーズのことですか?」

「そうじゃ。お前さんらが出来ないなら他の者に頼むだけのことじゃ」

 

 老婆は迷いもせず頷いた。レイは眉をひそめて、

 

「村長。そちらの判断をあれこれ言うつもりはないですけど、あいつらはこの村のことなんて考えてません。他のモンスターの噂を聞きつけたらすぐ貴方たちを見捨てたっておかしくない……そんな奴らにここを任せるなんて、怖くないんですか?」

 

 彼女の真剣な問いを聞いても、村長は黙ってニコニコしているだけだった。

 

「まぁま、せっかくの宴の席なんだから機嫌よくやりな。そこで伸びてるお嬢ちゃんを見習ってさ」

 

 横から呼びかける声があった。振り向くと、村人の1人が気遣った表情で湯呑を差し出していた。

 仲間たちも、気持ちは分かるけどここは抑えて、と言いたげな面持ち。

 レイは湯呑を渋々受け取りつつ、言葉の末尾に意識が向いた。

 

「……そこで伸びてるお嬢ちゃん?」

「う゛~~~、ぐる゛じ~~~」

 

 いつの間にか、うさぎは食べ過ぎで席から少し離れた床に寝っ転がり呻いていた。ちびうさがそれを蟻のようにしゃがんで観察している。

 

「あ、あんたホント空気読まないわね……」

「仕方ないわよ。隙あらば食べ物を腹に溜める。これがうさぎの生態だもの」

「あ゛だじを゛げも゛の゛み゛た゛い゛に゛い゛う゛な゛~」

「さあさあ、お嬢ちゃんたちが喜ぶもの、持ってきたよ~」

「あ、デザートの氷結晶イチゴよ! ちびうさちゃんも食べる?」

「食べまーす!」

 

 ちびうさは美奈子からの呼びかけに応じ、無情にもさっさと去っていく。

 その背にうさぎは手を伸ばすが重くなった身体は動かない。

 

「あ、あたしのデザートォォォォォォォ……」

 

 彼女ががくりと肩を落としたところ、ポンチョを着たアイルーが隣に歩いてくる。

 気づいたうさぎは何事かと上体を持ち上げ、視線を投げかけた。

 ギルドの使者ネコートはしゃりん、と首に付けた鈴を鳴らしつつ、うさぎが見るのと同じものを見て。

 

「好きかね、この光景が」

「……えっ?」

 

 彼女の突然の問いにうさぎは驚いたものの、村人と仲間たちの団らんを眺め。

 やがて、自然に笑顔が浮かんだ。

 

「はい! みんな幸せそうで、楽しそうで」

 

 元来、この少女は他人と触れ合い、話し合うことが好きだった。今も、ポッケ村の人々は暖かい笑顔で仲間たちを受け入れている。

 そこにあるのは、元の世界で見たのとさほど変わらない日常の光景だ。それは確かに好ましいものに違いなかった。

 だが一方でネコートの瞳に宿る光は、どこか彼らとの距離を感じさせた。

 

「なら君は、もう一つの事実に気づく必要がある」

「へ?」

 

 そう言ったきり、ネコートはどこかに立ち去ってしまった。

 うさぎには、彼女の言葉の意味はよくわからなかった。




今回は村が中心の回。ポッケ村の集会所のBGM好き。
サンブレイク、イヴェルカーナの脚防具のヤケクソ具合で草しか生えなかった。


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絶対強者④

 宴の翌日からうさぎの特訓は始まった。

 数時間後。

 彼女は、農場にある木の幹に登ってしがみついていた。

 

「おーい、降りてこい! 大剣習いたいて言ったのはお嬢ちゃんだろうが!!」

「イヤーーーーーー!」

「ドハハハハハハハハ、たかがたった1000回じゃねえか! あ、そうかまだ足りねえのか? もう100回追加か!」

「ちがーーーーう!!」

 

 木の根元に来た赤鬼に、うさぎはセミさながらに泣き喚く。

 黒鬼がひょうたんに入った酒を飲みながら追いつくと、

 

「どらぁ!!」

 

 木の根元を蹴っ飛ばす。うさぎは悲鳴を上げてずり落ちてきた。

 赤鬼はその後ろの襟をひっ掴み、地面に跡を付けながら後ろ手に引きずった。

 

「うわーん、鬼ーーーー! 悪魔ーーーー!」

「ヘルブラザーズ、やりすぎだ」

 

 男たちの足が止まる。見ると、目の前に眉をひそめた細い男の姿があった。

 

「何だあんたか」

「お前、よくこいつの彼氏になったなぁ。すぐぐずるわすぐへばるわ、とても英雄の器とは思えん」

 

 衛としては、いやあれは誰でもぐずるしへばるだろうと思わざるを得なかった。

 ヘルブラザーズはいきなりうさぎに、1000回もの素振りを要求したのだ。しかも、100回の腕立て伏せと腹筋を経た後にである。せめて休憩がなければ常人では付いていけないだろう。

 

「確かに彼女は君たちに教えを頼んだが、女性の扱いは紳士らしくしてくれ。君たちだって男だろ」

「紳士ってのは王都育ちのモヤシどものことか!? ドハハハハハハ!!」

「俺たちゃ狩人。あいにく紳士淑女はお呼びでないんだよ」

 

 衛はせせら笑う大男たちを睨みつける。やはり、良くも悪くも彼らは狩人の価値観で動いている。信頼して訓練を任せはしたものの、いざという時のストッパーとして彼はここにいたのだった。

 

「なら、俺が作法を教えようか?」

「おっ、相撲か!? また相撲で決着つけるか!?」

「よぉし今度はゼニー賭けようぜ~!」

 

 お互い、譲れないものがある。

 男同士の視線のやり取りの傍、うさぎはすっと立ち上がった。

 

「……やるよ。あたし、ちゃんとやる」

 

 衛が視線を向けると、彼女は既にきちんと立って、訓練場の方向に身体を向けていた。

 

「だって、元はと言えばあたしが言い出したことだし。ずっと目背けてたって何にも変わんないし」

 

 鬼兄弟への言葉遣いは、以前よりずっとしっかりしているように衛からは思えた。

 男たちも、その言葉は感心した表情で聞いていた。

 

「でも、一つだけ言わせてもらうならねぇ!」

 

 振り返ったうさぎの人差し指は鬼兄弟を真っ直ぐ差した。

 

「ずーっとワンパターンなのよ! ほとんど横に振り回すか縦に振り落とすだけ!  なんかないの、ド派手でみんなの注目かっさらい~って感じの!!」

 

 注文をつけたうさぎに、赤鬼は失笑する。

 

「おいおい、そんな技が出来ると思うか? 地面に大剣落っことしたら拾うだけでひーひー言ってるお嬢ちゃんに」

 

 うさぎはムッとしたが、事実ではある。

 やがてはぁ、と肩を落とし、彼女は帰路に着こうとしたが。

 

「まあ、あるっちゃあるぜ。それをしてれば、素振りは100回だけでいいぜ」

「ホント!? 教えて教えて!!」

 

 聞いて一瞬で身を翻し、詰め寄った。

 

「よし。じゃあ、毎日雪山一周してこい」

 

 うさぎの動きが止まった。

 ユキヤマイッシュウ。

 脳内でその言葉が何度も反復した。

 

「雪山一周?」

「おう、雪山一周」

 

 その意味を悟った瞬間、うさぎは見事に真っ白になった。

 

 訓練に新しい項目が追加。

 その名も雪山地獄マラソン。

 道具や薬の類は、凍傷を防ぐホットドリンク以外持ち込み禁止。

 ルートは狩場の地図に示されるすべてのエリア。

 

「あんなこと言うんじゃなかった~!!」

「グギャアアアアアアアアア」

 

 うさぎは鼻水を垂らして雪の上をひた走った。

 今いるのは雪山の山頂付近。

 吹き付ける猛吹雪。冷たく痛くなる足元。険しい地形。

 そして、雪山に君臨する絶対強者。

 うさぎの日常は、ほぼ1日中化け物に追われ続ける地獄と化したのだった。

 

──

 

 その頃、ポッケ村にいる少女たちは机を中心に額を寄せ合っていた。

 

「で、どうすんのこれ?」

「調べれば調べるほど、難しいと言わざるを得ないわね」

 

 まことが頼みにした亜美の顔はなんとも悩まし気だった。

 目的は無論、ガムートとティガレックス2頭への対策。モンスターが人里近くで争う状態は調査の問題以前にとても見過ごせる状態ではない。

 しかし今の彼女たちがたとえ戦士の力を開放したとしても、あの2頭に挟まれて勝てるかどうかは一考の余地があった。

 

「ガムートはなんでわざわざ乱入してきたのかしら」

「ん~、お腹空いてたから?」

「あのナリで肉食は無理あるわ。元々縄張り意識が強いとかじゃないの?」

 

 美奈子やちびうさを筆頭に意見を出し合うが、レイは冷静に反論する。

 一方、亜美はある資料を手に、今の状況と照らし合わせて熟慮を重ねていた。

 

「……この記述、もしかして」

 

──

 

 マラソンを始めてから1週間の今日、うさぎは吹雪に紛れて何とかティガレックスを撒いた。

 

「はぁー。こんなこと続けてたら、命が何個あっても足りないわよ」

「──……」

「ん?」

 

 何かの声が聞こえたことに少女は耳を澄ました。

 冷たく白いカーテンの向こうから姿を現したのは、剛毛に覆われた獣たち。

 

「……ポポ?」

 

 彼らは何かに怯えるように時節振り返りながら走っている。

 その後方に、影が見えた。

 ポポの体高は人の背を超える。

 それより遥かに巨大な、四つん這いの影。

 

「いっ……!?」

 

 果たして今日で何度目か、少女の防衛本能が赤信号を知らせた。

 影に対して横に身を投げ出した直後、青と黄の縞模様が隣に飛び出した。

 

「ドゴアアアアアアアアアアアアアアァァァァァッッッ!!!!」

 

 大銅鑼をいくつも集めて一斉に鳴らしたような怒号。

 獲物を切り裂くために進化した爪と牙が吹雪と雪原を割る。

 轟竜ティガレックスだ。

 猛然とポポたちに襲い掛かる。彼我の速度には明らかな差があった。

 最後尾の1頭に縋りつく。押し倒されくぐもる悲鳴。

 

 決着は一瞬。

 哀れな被食者を圧倒的膂力により抑えつけ、絶対強者は喜ぶように天に吼えた。

 顎を開くと、膜のように張った咬筋が現れる。ずらりと並ぶ歯からは涎が垂れ、いつでも肉を引きちぎる用意ができていた。

 いよいよ獲物の息を止めんと首を伸ばす。

 そこでうさぎは思わず目を背けかけたが。

 

「バオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォ!!!!」

 

 氷の弾丸が、真っすぐティガレックスの肩口に突き刺さった。

 うさぎは彼が相対する空間へと視線を移す。

 

「あれは……!」

 

 毛に覆われた山のような巨体。木冠の如き甲殻。

 それは確かに、不動の山神ガムートの姿だった。

 仲間たちから特徴こそ聞いていたが、きちんと見ると本当に人とは桁違いの大きさである。体高は15mほどはあり、人の家など地につける四肢の一蹴りで吹き飛ばしてしまえそうだ。

 ポポたちはいつの間にか、その後ろに回り込むように走っている。

 

「グルルル……」

 

 うさぎには迷わず食い掛かったティガレックスが、ガムートの前にはたたらを踏んでいた。

 その隙を見て食われかけていたポポが拘束から逃れ、ガムートの後方にいる仲間たちと合流しにいった。それを見るガムートの眼は穏やかで、自身が盾にされていることを理解し、受け入れているようだった。

 

「……あれは」

 

 睨み合いを傍観していたうさぎは何かに気づいたが、そこで誰かが雪原を素早く駆ける音がした。

 

「見つけたぞ!」

「まもちゃ……タキシード仮面様」

「怪我はないか!?」

「は、はい」

 

 よほど急いでいたのか、自身を抱き上げてくれた王子様の胸はほんのり暖かくなっていた。

 それに、安堵して頭を預けつつ。

 急速に遠ざかる両者の姿をうさぎは振り返る。

 白雪の膜が濃くなるなかティガレックスが突っ込み、ガムートがそれを長い鼻で押し返す様が見えた。

 

──

 

 ガムートは、ティガレックスと種として浅からぬ縁がある。

 幼体の時期は雪に溶け込む白い体毛で覆われており、母と共に生活する。その天敵こそがティガレックス。小さくひ弱な身体は無力に等しく、幼いガムートはこの捕食者の恐怖に日常的に怯えることになる。このような環境のため母子の絆は非常に強く、子が危機に陥れば母は身を挺して子を庇う。

 

 状況が変わるのは、それが無事成体になったとき。

 人が見上げるほどの巨体に成長し、豪毛に覆われたガムートに天敵などいない。だが、今度は自身の子どもを脅威から護る番だ。

 だから、成体のガムートはティガレックスを決して許さない。なぜならその恐ろしさを忘れていないから。目の前に存在することは勿論、縄張りに入ることすら拒み、排除し続ける。すべて、子を護るために。

 このようにして、ガムートの親子の絆は受け継がれていくのだ。

 

「まさしく母は強し、ね」

「すごーい!」

「ううっ、美しすぎるわぁ~」

 

 亜美の解説を聞き、ちびうさは拍手し、美奈子は物語でも聴いたように感動の涙を浮かべていた。世の親はガムートを見習えという意見すら飛び出そうなほど、人に近く共感を呼ぶ生態である。あの凶暴なティガレックスと比較されているので猶更のこと。

 一方、レイとまことは比較的冷静だった。

 

「美しいのはともかく、これからもティガレックスに挑んだら必ず乱入してくるわよ?」

「今度はきちんとこやし玉で追い払おうよ。ガムートには悪いけど、あれはこっちの獲物だ」

 

 その時、玄関の扉が開け放たれた。

 現れたのは、頭を雪帽子に覆われ鼻水をぶら下げる少女の姿だった。その様相はもはや雪でできた厚着である。

 

「た、ただいまー……」

「「うさぎちゃん!」」

 

 それからしばらく、うさぎはひたすら暖炉の前に居座って震えながら手をかざし擦り合わせていた。

 

「さ、さっむうう~~!」

「あんた、もういい加減辞めなさいよ! 毎日死にそうな体で帰ってくるじゃない」

「で、今日は一体何があったの?」

 

 レイが叱り、ちびうさが興味津々に聞いてくる。

 仲間たちの反対を押し切って訓練を始めたうさぎだったが、こうした関係は以前と全く変わらない。うさぎは一息つくと、今日体験した一連の流れを話した。

 

「ガムートがポポの群れを……護った?」

「そんな文献はここにないけれど、確かなの?」

「うん。あれは絶対そうだった!」

 

 まことと亜美の問いにうさぎは確信の表情で頷くが、

 

「またまた根拠のないことを……」

「いーや絶対そうだったもんっ!」

 

 レイは今日もバカなことを言っている、といった表情で相手にしない。

 

「でも、本当だとしたらますますガムートの株が上がっちゃうわね♪」

「株?」

 

 美奈子の一言が気になったうさぎは、先ほどまで仲間たちが話していたガムートの生態について教えてもらった。

 

「ひぇー、すっごいわねそりゃ……」

「でしょー? こんな素晴らしい親子を脅かすなんて、やっぱりティガレックスは人類の敵なのよ!」

 

 美奈子は元々その場の気分に流されやすい質ゆえか、完全にガムートの肩を持っている。だが、うさぎの反応は意外なものだった。

 

「……あたしは、誰が敵とか味方とかは思わないかな」

「なんで?」

「だって、ティガレックスもガムートも、ポッケ村の人たちだってみんな頑張って生きてるんじゃない。別に誰が良いも悪いもないでしょ?」

 

 一同は驚いて、特にちびうさはまじまじとうさぎの顔を覗き込んでいた。以前の彼女なら間違いなくモンスターに感情移入していたところだ。

 

「うさぎ、なんか達観してるわね」

「そりゃだって、バルバレでいろんな生き物と出会ったんだもん。ただ聞きづてで想像するのと実際に見るのとじゃ大違いなんだから」

 

 レイはその言葉を聞き、少し考えていた。

 やがて彼女の掌が机を叩き、その場の注目を集める。

 

「衛さんだけじゃやっぱり不安だわ。あたしたちも訓練に参加しましょう」

 

 突然の翻意に、少女たちはえ?と魂を取られたような顔をしていた。

 

──

 

「どうか……」

「あ?」

「あたしたちにも、訓練受けさせて下さいっ!!」

 

 ヘルブラザーズの2人の前に、4人の頭がずらりと並んで下げられていた。赤鬼は怪訝な顔をして、付き添っているうさぎに視線を送った。

 

「気味悪ぃな。何を企んでやがる?」

「なーんにもないわよ。みんな貴方たちに憧れちゃってんだってさ!」

「ちょっと待って、そんなこと一言もふぐぐぐぐ!!」

 

 うさぎはとぼけた顔で、レイの余計な口を塞いだ。

 亜美は、赤鬼に知性を感じさせる微笑みを向けた。

 

「世に知れ渡る貴方たちの狩りを一度、参考にしてみたいの」

「そう!そしていつかはあたしたちを馬鹿にしたこと後悔させてやるのよ!」

「……美奈子ちゃん、本音漏れてるよ」

 

 亜美はせっかく繕った言葉を美奈子に台無しにされてしまい、うさぎとやれやれ、といった風に視線を合わせた。この少女たちは、共謀して嘘をつくということが元来苦手である。

 

「おい、赤鬼」

 

 黒鬼は赤鬼の肩をつつき、何かを囁く。それを聞き終わった赤鬼の視線には、興味深そうな色が浮かんでいた。彼はふぅん、と呟くと腕を組み、椅子に王のようにふんぞり返った。

 

「いいぜ。ただ、お前らがティガレックスを狩れる期間をあと10日に短縮だ」

 

 少女たちの顔が一瞬華やいだが、最後の条件で一気にテンションが突き落とされる。

 

「……は!? 10日!?」

「ちょっと、それはおかしいでしょ!?」

「こっちにも都合ってもんがあるんだよ。こちとらタダ働きで、しかも狩りを我慢してまで付き合ってやるんだ、それくらいは受け入れてくれねえとなぁ?」

「ま、せいぜいやってみな。ティガレックスの野郎も必死に足掻きゃあ、ちっとは情け見せてくれるかもしれんぜ」

 

 冗談めいた表情で言って、ヘルブラザーズは立ち去った。

 翌日から、4人も入れて地獄の特訓が始まった。

 

「あーかおーにさーぼりーのよっぱーらいーっ!」

「くーろおーにひーげづーらさーいこーぱすーっ!」

「うさぎちゃん美奈子ちゃん、いくら何でもそろそろその歌は……」

「そりゃそうだよ、何の意味があるかも知らされず、走らされるばかりなんじゃ」

「あ、またティガレックスよ!」

 

 雪山で歌い、走り、逃げながら一日、一日、また一日。

 ある時は吹雪に遭い、ある時は雪崩に遭った。

 何時ものようにティガレックスに追い回される日も、ギアノスと呼ばれる肉食竜の何十頭もの群れに追いかけられる日もあった。

 短いようで長い、大自然に振り回される日が過ぎていく。

 1日が終わった時には疲労困憊、帰るなり即ベッドに直行するくらいほとんど何もできない状態だった。

 

 期限があと3日に迫った頃。

 マラソンの前、少女たちは本格的にティガレックスを狩るための作戦を練り始めていた。

 

「まずはここで分断して、ここに誘い込んで……」

 

 貸家前のテラスで地図を広げ、地図とは別の紙に作戦の内容が記してあった。

 大まかにはまずガムートを1人がこやし玉を当てたうえで集中的に攻撃しておびき寄せ、ティガレックスから離れたエリアに終始釘付けにする。そしてティガレックスの方をあとの3人で手っ取り早く片づける、というものだ。その他手順や誘導先まで完璧かつ詳細に記してあった。

 

「絶対にこのうち一つでも狂えば失敗するわ。短期決戦が作戦の要よ」

 

 亜美の言葉に少女たちが頷いたところで、ヘルブラザーズが酒とつまみをぶら下げて戻ってきた。

 

「ん、何やってんだ?」

「作戦会議」

 

 レイは、椅子に座った赤鬼に一瞥すらくれず答えた。他の少女たちもほぼ同様である。あまりにも彼らが何もしてくれないので、もう彼女たちだけでやるしかないという空気が出来上がっていた。

 

「作戦ねえ」

 

 黒鬼は赤鬼と髭面を見合わせ、何か用?と言いたげな少女たちの視線を見下ろした。

 

「お前ら、そんなに失敗したくないか」

「当然よ! 失敗したらその分だけ村の人たちが危険に曝されるんだから」

 

 美奈子は前に進んではっきりと言った。護るべきものを持つ彼女たちにとっては愚問である。

 ほう、とぞんざいに呟いてから、赤鬼は彼女たちを前に煙管を取り出した。

 

「ヘマしたらさっさと逃げ帰りゃいいのによ。騎士か兵士でもあるめぇし」

「それじゃダメなのよ!」

 

 思わずうさぎは、煙をくゆらす男に叫んだ。

 

「貴方たちには分からないと思うけど、あたしたちはね、ここの人たちの命を預かってるの! 中途半端なところで諦めたりしたら……」

「そう言って逃げなかった奴ら、みんな死んだぜ」

 

 横からの黒鬼の一言が、彼女の言葉を断ち切った。

 

「お前ら、自分をこの世で特別な存在だと思ってるだろ。一回だってヘマしねぇ万能の存在だと」

「そんなこと……!」

 

 まことは反駁しかけたが、その先を迷ってしまう。

 実際、彼女たちは異世界から来た余所者である。だからこそこの世界を敵の手から救うため戦い、そのことに誇りを抱いていた。

 だが、この数日間どうだったか。過酷な大自然を前に苦痛と苦難の連続である。これほど、自分たちが無力であると思い知らされた時間はなかった。

 

「ま、せいぜいティガレックスから逃げる練習でもしてきな。ドハハハハハハ!!」

 

 沈黙を破るように赤鬼は立ち上がり、大笑いしながら貸家の中に去ろうとしたが、途中で振り返った。

 

「おおっとそうだ。お前は後で来い」

 

 きょとんとしたうさぎに、彼はにやりと笑ってみせた。

 

「そろそろ教えてやるよ。俺様たち直伝で、ド派手でみんなの注目かっさらえる技を、な」

 

──

 

 白銀の世界に腰を下ろす。息を吐くと、鈍い夕陽が漏れる曇天へと白い蒸気が散っていく。

 今日の山頂は珍しく、穏やかな天気だった。

 崖下でギアノスたちが跳ねるガウシカを追いかけている。極限の環境下、彼らは少しでも晴れ間が覗けば血眼になって獲物を求めるのである。

 

「こりゃうさぎちゃんも手こずるわけだよ。毎日毎日違うことばっかりだ」

「あたしなんかてっきり、雪山って雪しかないところと思ってたわ」

 

 まことがそれを見て感心し、美奈子は天を見上げてため息を吐く。

 

「みんな、そろそろホットドリンクの効果が切れるわよ」

 

 亜美が一声かけると、少女たちは懐から赤い液体の入った瓶を取り出した。

 最初こそ辛さに戸惑ったり効果が切れて凍り付きかけたりしていたが、最近では飲みなれて飲んでからいつ頃で効果が切れるかも感覚で分かる。

 補給を終えると、彼女たちは再び走り出した。

 うさぎは、眼下にうねる山脈の姿を見ていた。

 

「今まではモンスターばかり目が向いてたけど、こうして毎日走ってると思うんだ。雪山そのものが大きな生き物みたいだなって」

 

 白い山々は何も言わず佇み、空はひたすら風を送り続けている。

 突然の発言だが、誰も驚いてはいない。むしろ、その言葉が出てくるのを待っていたかのようだった。

 

「散々狩りには行ってたんだけどな……。なんでこういうこと気づけなかったんだろう」

「妖魔ばかり相手取ってたからよ。あれらは周囲からエナジーを吸い取ってしまうから、乱入するモンスターもいなくなっていたんだわ」

 

 まことの疑問に、亜美は答えた。

 妖魔化生物は周囲の生物からエナジーを吸い取る。その過程で、他のモンスターや樹木は一掃されてしまう。そうなれば本来の自然とはかけ離れた姿になるのは当然と言えた。

 

「……皮肉ね。妖魔のおかげで、あたしたちは元の世界と同じように戦えてた」

 

 レイはリズムよく息を吐き出しつつ目を細める。

 実際の自然は複雑だ。あらゆる生命や自然条件が絡み合い常に変化する。そこには、自分たちが机上で考えることなどとても比較にならない情報が集っている。

 

「うさぎが言ってたこと、いまやっと分かった。そして、この訓練の意味も」

「あたしが言ってたこと?」

「ええ。想像するのと実際に見るのとじゃ大違いってね」

 

 今なら分かる。あとどれくらいでホットドリンクの効果が切れるのか。この先どこからギアノスが飛び出してきやすいのか。ティガレックスやガムートは大体どのエリアに現れやすいのか。

 一々考えずとも身体が覚えている。繰り返したたくさんの失敗と痛みの末に、あらゆる情報が自ずと引き出されるのだ。

 

「なーるほど。あたしたちは狭い知識だけで考えてたってことね」

 

 美奈子は苦笑しつつ呟いた。

 うさぎは自身の背から伸びる大剣の柄を見て、昨日教えてもらった技を思い出していた。

 あれは、足腰が強くなければとても繰り出すことのできない大技だ。

 恐らく彼らは時を見ていた。雪山をひた走るうちに、彼女の身体が自然に鍛えられるその時を。

 

 実際に肌身で自然を知り、痛みを以て経験すること。ヘルブラザーズは暗にそれを伝えたかったのかも知れない。

 

 その時、ずどん、と何かが叩きつけられる音が響いた。

 急いで駆けつけると、巨体同士が激しくぶつかり合っていた。

 ティガレックスとガムートである。

 ガムートの背後にはポポたちの姿があり、しつこくそこに迫ろうとするティガレックスを追い払う形になっていた。

 

「うさぎちゃんの言葉、ホントだったのね……!」

 

 亜美は驚きつつ、あるものに目を奪われた。

 ポポたちの中で1頭、白く一際小さい獣がいる。

 

「あれは……幼体?」

 

 ティガレックスは唸り、ガムートの横をすり抜けようと脚をばねのように躍動させ飛びかかる。

 ガムートはそれを見逃さなかった。その長い鼻でティガレックスを巻くように掴まえると、何度も怒り狂ったように地面へと打ち据える。

 あの巨体が一撃ごとに雪に沈み震動を発するのを見るに、かなりの威力であることが伺えた。

 やがて抵抗の動きが止まった。

 

「し……死んじゃった?」

 

 うさぎと同じように思ったのか、ガムートは目の前の地面にティガレックスをほっぽり出す。

 だが──間もなくして変化が訪れる。

 口内から立ち上がっていく黒い蒸気。

 それはやがて全身を覆っていき。

 ティガレックスは立ち上がる。

 

「ドゴアアアアアアアアアアアアッッッッ」

 

 咆哮と同時に、その身から黒い靄が噴き上がった。




今回、ちょっといろんなストーリーを詰め込みすぎたかなと反省。これでも投稿直前で色々と修正したんだけどね。


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絶対強者⑤

 

「そこで俺様が頭をたたっ斬ってやろうとしたらそいつ、翔んで大嵐を呼びやがったんだ!」

「そうそう! やはり古龍ってヤツぁ頭が良い。だがそこは俺たち鬼兄弟よ、その隙を見計らいこの黒鬼様が老山龍砲の引き金を……」

「……なるほど」

 

 衛は広場にあるベンチで、ヘルブラザーズの武勇伝を頷きつつ聞いていた。

 聞き出したいのは彼らの活躍ではなく、その相手について。

 

 生物を遥か超越する自然存在──古龍。

 

 ある者は大嵐を呼び天候を変え、ある者は大砂漠を一夜で焔に包み、またある者は山の如き巨体で街を踏み潰す。

 聴く限り、彼らは自分たちが相手にしてきたモンスターとは一線を画している。

 まさに生きる天災。この世界を支配する絶対者。鬼兄弟の話の端々からは彼らの異常な能力とその脅威が窺えた。

 決して他人事ではない。自分たちが追う妖魔化したゴア・マガラも、いずれはシャガルマガラと呼ばれる古龍へ成長し、妖魔ウイルスを含んだ病の霧を撒き散らす。

 何とかその前に彼を、そしてそれを操るデス・バスターズを止めねば──

 

「ぐ……ぐが……」

 

 衛は顔を前に向けたまま目線だけをそらし、隣の席を見やった。

 

 ちびうさが、涎を垂らし思い切り船を漕いでいる。

 他人の長い自慢話というのは往々にして、聴く側としては退屈なもの。ましてやまだ小学生の少女に、それは拷問そのものだった。

 薄目かつ鼻提灯までぶら下げてどう見てもモロバレなのだが、目の前の男たちが気づかない辺り彼らも完全に自分たちの世界に入り込んでいる。

 

「……ちびうさ」

「はあっっ!!!!」

 

 彼女は衛が肩を小突いての一言で覚醒した。

 

「ん、どした? ピンクのお嬢ちゃん、ずっとうつむいていたようだが」

「ああ、君たちのあまりにも素晴らしい活躍に感極まってしまったようでね」

 

 衛の言葉に、鬼兄弟は揃って満足げに笑った。

 この男たちは扱い方さえ分かれば簡単なものである。

 

「それはそうと、その調子ならこの世の生物すべて制覇してしまったんじゃないか?」

 

 その勢いで黒鬼に聞くと、

 

「……いいやぁ」

 

 意外にも、彼は横に首を振った。

 

「実は数十年ずっと、ある龍を追ってる。だが、未だに尻尾の先すら見つからなくてな。運ってやつは怖ぇもんだよ」

 

 赤鬼は皮肉気に呟き、遠い目で虚空を見つめる。

 いつもは荒々しい鬼兄弟の顔が、この時だけはどこか哀愁を帯びたように見えた。

 

「ふーん……」

 

 彼らでもそんなことがあるのか、とちびうさが何となしに呟いたところ、突風が吹き込んだ。

 

「みんな、大変よーっ!」

「み、美奈!?」

 

 白猫アルテミスは、主人である少女の乱入に驚いて立ち上がった。本来なら彼女は仲間たちと共に雪山でランニングしているはずである。

 しかし彼女がもたらした報せは、瞬く間にそこにいた者だけでないポッケ村全体に広まった。

 

「ティガレックスが妖魔化しただって!?」

「そうなの! どうやらガムートとの戦いがきっかけになったらしくて!」

 

 アルテミスに美奈子は焦った調子で答える。現在は残ったうさぎたち4人でティガレックスに対応しており、一番足が早い美奈子が村への報告を請け負ったのだ。

 村中は天地をひっくり返したような大騒ぎになった。家に駆け込み荷物をまとめる者、観念して家族と抱き合う者、ただひたすら祈る者。人それぞれが様々な物語を展開していた。

 

「まさか、妖魔ウイルスが潜伏していたっていうのか!?」

 

 動揺した衛を始め、一体どうしたものかと異世界から来た者同士で顔を見合わせていたが──

 

「よーし! ではこれから、そいつは俺様たちの獲物だ!!」

 

 突然、目の前にいた赤鬼が立ち上がった。続いて黒鬼もだ。彼らは既にそれぞれ銃槍、重弩を担いでおり、完全に臨戦態勢に入っていた。

 

「貴方たちの……獲物!?」

「ああ、そうだ!」

「ドハハハハハハハハ!! この時を待ってたぜぃ!!」

 

 ちびうさが思わず、引き止めるようにして立ち上がる。

 

「ちょっと待って! うさぎたちとの約束はどうなるの!?」

「約束ぅ!? この緊急事態に何を言ってやがる!」

「あいつらは結局、普通のティガレックスさえ狩れなかった! それが妖魔化したら、なおさら対抗できるわけねぇだろうが!!」

 

 彼女は思わず押し黙った。

 完全な正論だ。確かに、彼らにティガレックスを狩ってもらい同時にうさぎたちを助けてもらうのが最善に思える。現実、ここで最も妖魔化生物に対抗できるのはこの2人くらいなのだ。

 だが、何かがおかしい。

 違和感が拭えないまま赤鬼と黒鬼は席を立ち、狩りの準備をしようと貸家の方に向かいかけたが、そこに衛が諦めきれず呼びかける。

 

「ヘルブラザーズ!」

「任せときなって。この村ついでにお姫様たちもお救いしてやるからよ、王子様」

 

 黒鬼はそう頼もしく言い、赤鬼は相変わらずの自信に満ちた、どこか上から目線の笑い方をして振り向いた。

 

「ま、必ずしも駆けつけた時に息してるかどうかは、あいつら次第だが……」

 

ぐぎゅるるるるるるるるるる……

 

「な……」

 

 格調高い声を突如、妙な音が断ち切る。

 

「え?」

 

 少し離れたところからでも聞こえる、いかにも何かが詰まったような音だった。

 赤鬼の動きが止まった。彼は咄嗟に両手で腹を抑える。

 たちまちその顔から陽の雰囲気は消えうせ、病人のように蒼い色に染まっていった。

 

「は……はは……はら……腹が……腹がああああぁぁああぁぁあああっっっっ!!!!」

「あ、赤鬼おまいでええええっ!!死ぬほどいでええええええ!!!!」

 

 僅差で黒鬼の腹までも鳴り、呻き出した。彼らはその場に倒れ、「まさか昨日食ったあれが!!」などと汗垂らして喚き散らかしている。

 戦士たちが唖然としているところ、ポンチョに見を包んだアイルー、ネコートがゆっくりと歩んできた。

 

「……この御二方は実力こそ申し分ないのだが、重要な時に限って()()()()ツキの悪さがあってね」

 

 ネコートは腹痛に悶え苦しむ鬼兄弟を眺めながら呟き、相変わらず冷静な顔で村人に指示する。

 

「雪山茶を処方しろ。この前、金髪の彼女が摘んでくれた分があるはずだ」

 

 間もなくして、村人が盆に茶の入った椀を持ってきた。

 

「お……おお……ありがてぇ……」

 

 赤鬼は死にそうな表情で手を伸ばす。

 村人はおっかなそうにしながらも、その手に椀を差し出そうとしたが──

 

「待って!」

 

 ちびうさの手がそこに伸び、椀を取り上げた。

 

「ち、ちびうさ! 何をしてるんだ!?」

 

 衛は予想外の行動に、肩を引き寄せようとした。

 ヘルブラザーズも、見るからに驚愕している。

 だが、彼女は動こうとしなかった。

 ティガレックスが妖魔化したと聞いたとき、まるで待ち望んでいたかのようなあの態度。

 幼い少女の脳裏に、ある予感がよぎっていた。

 

「ねえ! 貴方たち、元からティガレックスが妖魔化するって知ってたんじゃないの!?」

 

 聞いた男たちの顔が一瞬引き攣った。

 

「これは取引! このお茶を飲みたいなら、本当のことを言って! 騙してたんなら、うさぎたちに謝るって約束しなさい!」

「き……きたねえことしやがる……! 変なとこ感づくとこはお姉ちゃん譲りってか……!?」

「うさぎは姉なんかじゃないけど、それでもあいつはあいつなりに頑張ってるの。……これはあいつが死ぬ思いをしてまで摘んできた雪山草。人を騙したうえにそこから甘い汁を吸おうだなんて、許せないわ!」

 

 赤鬼は取り上げられた茶椀を見つめてぎりぎりと歯噛みしたあと、やがて自身が伏せる地面に視線を落とした。

 

「とある情報筋から聞いていたのさ。あれが南の妖魔化被害に遭った個体の可能性があるってな」

「赤鬼!」

「諦めようや、黒鬼。今回もこのパターンだ。茶を飲んだとしても治るには時間が……いつつつ」

 

 相棒からの説得に黒鬼も観念したようで、肩を落としつつ呟いた。

 

「別に村の奴らを騙したつもりはねえ。狩るのが早いか遅いかってだけの話だからな。なら、ただのティガレックス相手じゃつまらねぇ。せいぜい妖魔化するまであいつらにやらせてみるのも面白いと思ったのさ」

「はぁ、何よそれ!? そんなしょうもないことのために……」

 

 そう言ったちびうさを黒鬼は睨み、叫んだ。

 

「しょうもないだと!? 俺様たちの崇高な目的にケチつけんのか!?」

「ええ、そうよ! そのためだけにこの村の人たちを危険に晒すなんて馬鹿げてる!」

「クソッ……ここぞとばかりにつけあがりやがって!」

「とにかく、約束通り喋ったぞ! 早くその茶を俺様たちに……」

「謝るのがまだよ!!」

「なんだ、と……ぐああああああああああ!!!!」

 

 腹痛に喚く鬼兄弟を怒りの表情で見つめる少女の肩に、一つの手が置かれた。

 

「……ちびうさちゃん。そろそろ戻してあげて」

「美奈子ちゃんも本当に許せないでしょ、こんな奴ら! こいつらが反省するまで、あたしは絶対これを手放さないわ!」

 

 美奈子はん~と人差し指を頭に突き刺して考えていたが、

 

「まぁ……ショージキあの人たちはあたしのタイプからかなり……いや、かなり×100くらいは外れてるわ。脳味噌は筋肉、やることは乱暴、理不尽。顔も性格も、年収1兆の石油王だとしてもお断りまっしぐらレベルよ」

 

 あまりにあけすけに語る彼女に、赤鬼は目を血走らせる。

 

「おいてめえ何を……!」

「でもね、狩人としてとっても大切なことを教えてもらったのも事実なの」

 

 ちびうさは理解できない、という顔で振り向く。

 

「だからこいつらを許すの? 一体なにを教えてもらったの?」

 

 美奈子は優しげに微笑んだ。

 

「この世全部があたしたちの思い通りにはいかないし、頑張ってもどうしようもないことで失敗することもあるってこと」

「……なんか嫌な教え」

 

 ちびうさは納得しきっていない。だが、それでも美奈子は語り掛けるのを止めなかった。

 

「でもね、その失敗のおかげで、前よりずっと自信がついた!!」

 

 彼女は屈んで、ヘルブラザーズと視線を真っ直ぐ合わせた。彼らは汗を垂らしながらも、無言でこちらの言葉に耳を傾けている。

 

「だからね、この人たちがこういう顔と性格で心底良かったってあたしは思う。きっと、うさぎちゃんもこのことを知っても許すと思うわ」

 

 恐らくちびうさにはまだ完全な理解は難しいだろう。だが、表情からして美奈子の意図は伝わったようだ。

 ちびうさは無言で茶碗をヘルブラザーズに渡し、彼らはそれを受け取った。

 ネコートは時を見計らったかのように視線を巡らせた。

 

「妖魔化生物は自然環境を根本から破壊するというな。万一の場合を考え、君たちには村人の避難準備を手伝って貰いたい。頼めるか?」

「はい!」

 

 ちびうさや美奈子は即座に返答し、ルナ、アルテミスと共に慌てふためく村人たちの中に混ざっていった。

 衛だけはすぐに去らず、見えないものまで見透かすようなネコートの目を見つめて呟いた。

 

「できれば一つ、聞かせてください。貴女が、彼らに情報を教えたのですか?」

「それは答えられん。だがどちらにしろヘルブラザーズがこの調子では、現地の者に任せる他なかろう。心配せずともすぐありったけの物資を彼女らに届ける」

「……ありがとうございます」

 

 衛は辞去して避難の手伝いに向かった。到着すると、ちょうど黒猫ルナが木箱を台車に積み込んだところだった。彼女は衛の顔を見るなり心配げな顔で駆け寄った。

 

「衛さんはうさぎちゃんのこと、心配じゃない?()()()()()()()()()()行くなら止めはしないけど……」

「大丈夫だ。ネコートさんがうさこたちにティガレックスを任せてくれるということは、彼女もその腕前を認めてるってことだよ」

 

 事前に情報を貰えこそしなかったが、それは自分たちのハンターとしての経験が浅いからだ。実力も経験も圧倒的なヘルブラザーズに情報提供を優先するのは当然のことと言える。

 

「……それに、今の彼女たちなら俺が助けなくとも勝てる。そんな気がするんだ」

 

──

 

 場所は雪山山頂に移る。

 先ほどまで晴れていた空は、今や吹雪に覆われていた。

 その中を妖魔化したティガレックスが駆け抜け、少女たちをつけ狙う。既にガムートはポポたちを連れどこかへと消えていた。

 無論、うさぎたちはまともな用意などしていない。どこかの時機でキャンプに戻らねば、ジリ貧になるのは目に見えている。

 今は、その時機を作り出す時。

 

 少女たちは各々の得物を構える。

 うさぎは大剣『アギト』を。

 レイは太刀『斬破刀』を。

 亜美は軽弩『アサルトコンガ』を。

 まことは大槌『ウォーハンマー』を。

 

 ティガレックスは突進する。

 雪原に四肢を躍らせ、全力を以て少女たちを撥ね飛ばそうとする。まさに嵐のごとし。付けられた傷もまるで意に介さない。

 だが、最初はあれほど恐ろしかったその動きを見てもうさぎたちは冷静だった。

 理由はただ一つ。

 

 あまりに追いかけられすぎたのだ。

 

 すれ違いざま、隣を突き抜けた赤い瞳に強い視線を感じたレイはあとの3人に叫んだ。

 

「折り返してくるわよっ!」

 

 果たしてその通りになる。

 一言で言えば『慣れ』。

 何度も追いかけられた。何度も恐ろしい思いをした。だからこそ次に何をするべきかが身体に染み付いている。

 

 少女たちは突進の軌道を読み横に避けつつ、逆にその背中を追いかけた。

 いかに身体能力に長けるティガレックスといえど、その持続力には限界がある。彼は一旦雪上を滑り止まり、小さな敵たちを再び視界に捉えようと振り向いた。

 

「そこよっ!」

 

 その先に待ち構えていた、巨大な刃。

 先頭に立っていたうさぎが振り上げた大剣だ。

 

「だああああっ!!」

 

 渾身の力を込め、振り下ろした。

 

「ギャアアアアッッッ」

 

 火花が散った。

 致命傷でこそないが目元に深い傷が付く。重量が乗った大剣の一撃は格別であった。

 

「みんな!」

 

 怯んだティガレックスを見上げつつ、うさぎは大剣を持ったまま横に転がった。

 その後ろから、仲間たちは一斉に攻撃を仕掛ける。

 まことが真っ先に頭をハンマーで殴り、レイが前脚を太刀で斬り、亜美が後方から麻痺弾を撃つ。

 

「グアアアッッッッ」

 

 ティガレックスは首を振って唸るが、少女たちは手を緩めない。

 相手が怖いからこそ気を抜かない。怖いからこそ全力を尽くす。それが、この雪山で教わったことだ。

 あちらの攻撃を避け、その合間にできた僅かな隙に全力をぶつける。

 竜の鱗に傷が増えていく。だが、それに比例するようにそれが吐く黒い息も激しくなっていく。

 少女たちもまた、目の前の強敵との戦いに夢中になっていた。

 

 激しい攻防のなか、突如ティガレックスはその場で四肢を力を溜めるように捩じり始めた。

 遠くから狙撃していた亜美は見たことのない動きに気づいたが、あとの3人はまだだった。

 

「離れて!」

 

 鋭い一声に武器を振り回していた彼女らは鋭敏に反応し、急いで後方に転がる。

 直後、ティガレックスは自身の身体をコマのように回転、周囲を薙ぎ払った。雪飛沫が飛び散り少女たちの防具に降りかかる。

 

「あ、危なかったぁ……」

 

 うさぎは一息つき、大剣を背にしまい直す。

 まったく見たことのない動きにいきなり対応できたのは、事前知識ではなく咄嗟の判断によるものだ。以前までの知識頼りの彼女たちなら簡単に引っかかっていただろう。

 これでも小さい敵が倒れないことを認めたティガレックスは、突然高く跳びあがった。

 

「逃げた!」

 

 轟竜は崖の上に飛び移り、そのまま別のエリアへと逃げていった。事前に付けておいたペイントの臭いは残しているので、しばらくはこれを辿り追跡が可能だ。

 

「……生き残った……のね……」

 

 1戦目が終了して最初の発言は、思わず膝をついたレイのその一言だった。

 

──

 

 雪山の麓にあるキャンプに戻ると、ちょうど御者の男が着いて支給品の袋を取り出しているところだった。彼は少女たちの姿を見るなり目を目開き、慌てて駆け寄ってきた。

 

「おお、怪我は、怪我はないかい!? ああ、ほらそこのお嬢さんの膝……」

「あぁ大丈夫ですよ、これくらいは……」

「若いからってティガレックス相手に無理しちゃいかんよ! ほら受け取りな!」

 

 回復効果がある『生命の粉塵』の包みを押し付けて来たのを、うさぎは勢いに負けて受け取った。

 その他にも彼は閃光玉、秘薬、大タル爆弾などの物資を大量に積んできていた。特に回復のための薬類が豊富で、村人たちの気遣いが感じられた。少女たちは思わず、頭を下げずにはいられない。

 

「ありがとうございます!」

「いや、これくらい当たり前さ。それよりもお仲間に言伝を頼まれたんだがね」

 

 うさぎたちは彼から粗方の事情を聞く。

 今回のティガレックスはネコートの計らいにより緊急クエスト扱いとなる。成功した場合は破格の報酬が約束され、失敗した場合は村ごと撤退という結果が待っている。

 

 もう一つ、ヘルブラザーズは事前にティガレックスが妖魔化するという情報を受けておりながら、あえて実際に妖魔化するまで放置していたことも伝えられた。そして、食あたりで腹を下したため狩りに出ることができないことも。

 これぞ因果応報というべきなのだろうか。少女たちの間に呆れきった空気が流れた。

 

「流石に今回ばかりは貴方たち、もっと怒った方がいいですよ。あの人たちは間接的にそちらを危機に陥れたようなものなんですから」

 

 レイがはっきり言うと、御者は苦笑いを浮かべた。

 

「そんな筋合いは無いよ。俺たちだって、あの人たちのそういう所を知った上で受け入れてるからね」

 

 特段装うわけでもなく当たり前のようにそう言った。

 この男を始めとするポッケ村の人々は、ヘルブラザーズは胸の内はどうであれどんな強大な相手にも必ず戦い、勝ってくれると信じているのだろう。その関係には現実的な打算と暖かい人情とが複雑に入り交じっている。

 まことは奇妙な狩人と村人の関係を目の前にして、ふと目元を緩めた。

 

「ま、あの人たちらしいよな」

「そうね。今回はバチが当たったってことにしとくわ」

 

 以前は表立って敵視していたレイですら冗談めいた口調で、ヘルブラザーズを怨む様子はない。考えの違い以上に大切なことを彼女たちは学んだのだ。

 御者の男は改めて深く頭を下げた。

 

「どうか……俺たちの村を頼むよ」

 

 それに、少女たちは微笑み頷いて答えた。

 

──

 

 2戦目。

 妖魔化したティガレックスは、自身の存在を誇示するかのように変わらず山頂に居座っていた。

 それは向かってくる少女たちの姿を見るなり、いきなり跳び下がった。

 

「ドガアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!」

 

 胸を持ち上げ、咆哮。

 頭と前脚に赤い血管が浮き出、沸騰するようにどくどくと迸る。その様、激怒した鬼の如く。

 

「怒った!?」

 

 亜美が言い終わるのを待たず、それは駆け出した。

 

「は、速い!」

 

 前脚の動きが速すぎて捉えきれない。これまでとは次元が違う素早さと迫力を以て突っ込んでくる。

 少女たちは防衛本能に任せ横に身を投げだした。

 それを見たティガレックスは突如急停止、息を吸い、胸を仰け反らせ後退する。

 これまでに見たことのない動きだった。

 

「えっ……」

「ドアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッッッ!!!!!!!!」

 

 空気が目に見えぬ大爆発を起こす。

 周囲の雪が衝撃波で吹き飛び、顕になった黒い岩盤にひびが走る。その凄まじい威力は『大咆哮』とでも名づけるべきか。

 うさぎたちの身体はあっけなく吹き飛ばされた。しばらく浮遊感を覚えた直後、地面に激突。衝撃と痛みが一斉にやってくる。

 

「ぐうっ!」

 

 声が出ない。

 鼓膜がキンキンと悲鳴を上げる。今どんな状況なのかまるで分からなかった。

 だがうさぎの視界の隅で、大きな口が裂けるように開かれるのが分かった。

 その中には肉食動物特有の鋭い歯が幾重にも張り巡らされている。そして鼻を突く、生臭く強烈な臭い。

 

「こんな、ところで……」

 

 立ち上がろうとするうさぎに、無慈悲なほど真っ直ぐ口が迫る。

 

 彼女が思わず目を瞑った直後、ティガレックスの動きが止まった。

 見上げると、痙攣する顎に黄色い弾が数発突き刺さっている。

 

 少し離れたところで、亜美が荒く息を吐きながらアサルトコンガを番えている。彼女の放った麻痺弾が効果を発揮したのだ。

 

「うさぎ、立って!」

 

 レイが腕を掴んで無理やり立たせる。一方、まことは白い粉を包みから出して風に乗せる。

 

「みんな、大丈夫!?」

 

 その粉の名は生命の粉塵。狩りで傷ついた身体を癒す薬だ。こうやって空気中に撒きそれを吸うことで、複数の人がその回復効果に預かることができる。

 再び漲る力。少女たちは武器を構え直す。

 先の失敗に打ちひしがれることはしない。彼女たちは何度も失敗をして、毎度それを糧に這い上がって来たのだから。

 

 狩りは長時間に渡った。吹雪が積もるのも間に合わず、山肌が咆哮の衝撃で露出しては砕けていく。

 気づいた時には、かつて一面白で覆われていた山上の風景は瓦礫だらけになっていた。

 物資は少なくなる一方、ティガレックスの攻撃は激しくなるばかり。

 

 それでもなおうさぎたちは奮戦していたが、遂に最悪の事態が起こった。

 何十回目か、レイが手持ちの閃光玉を投げて目潰しを行った時だった。

 支給された閃光玉はティガレックスの動きを止めるのに非常に有効だった。何よりも突進を封じることができるのが大きく、危ない時やこちらが攻めたい時にすかさず使っていたのだが。

 

「閃光玉、切れたわ!」

 

 彼女の宣言は、ティガレックスの側に狩りの主導権が握られることを意味した。罠などの道具類もあらかた使い切っている。あとは面向かって戦うしかない。

 

「あんなに用意してたのに……」

 

 うさぎは最初に追いかけられた日から改めて、この竜を畏怖した。

 まだ目潰しは効いていて手当たり次第に暴れているが、間もなく効果は切れる。その後は再び追いかけっこだ。

 何回その身を刃に斬られようと弾で穿たれようと、ティガレックスは弱った気配を一向に見せない。

 予想以上に相手の肉体が強大か、もしくは自分たちの武器が貧弱か、またはその両方。

 まるで終わりが見えない戦いに、彼女たちも疲労が溜まりつつあった。

 まことは仲間たちに腰の懐を指差してみせる。

 

「どうする?一か八か、戦士に変身して……」

「前のグラビモスの例もあるわよ。浄化技が効くかどうか……」

「ねえ、一つ提案があるのだけれど」

 

 レイは首を振ったがちょうどそこに亜美が呼びかける。

 彼女の案を手短に聞いた時、レイとまことの2人は渋い顔をした。

 

「それは……!」

「さすがに危険すぎない?」

「やってみよ! こーなったら何でも試してみるもんよ!」

 

 うさぎだけは真っ先に亜美の案に賛成する。

 閃光玉の効果が切れた。視界を取り戻したティガレックスは再び少女たちを睨みつける。

 時間も、他の策もなかった。

 

「……もう、しょうがないわね!」

 

 レイの言葉を合図にして、彼女たちは逃げ出した。

 背を向け、いかにも追ってくださいと言わんばかりに。

 

 当然ティガレックスは本能に従い、脇目も振らずそれを追う。

 後ろに足音を聴きながらひたすら雪山を下る。地面にあるものに目を凝らし、その先を辿る。

 

 



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絶対強者⑥

 

 逃げている途中、ずっと生きた心地がしなかった。何しろ、少し耳を傍立てれば確実にこちらを追う足音が聞こえてくるのだから。

 

「ギャオオオオオアアアアアアッッッッッ……」

 

 荒くれだった怒声が、少女たちの心の芯を震わせる。

 

 まだ、まだ見えないの?

 まさかいないんじゃ?

 不安と期待が入れ混じる。

 

 そのうち吹雪が視界を覆い始める。それを見た彼女らはますますその足を急がせた。

 

「ちょっと、このままじゃマズいわよ!」

 

 レイは前の地面を見ながら叫んだ。

 視線の先にあるのは雪原に空いた丸みを帯びた窪み。そこに少しずつ雪が溜まっている。

 

「でも、足跡は新しいわ!恐らくこの近くに──」

「バオオオオオオオオオオオオオオオオ……」

 

 亜美が発言しかけたとき確かに聞こえた。汽笛に似た、野太い獣の雄叫びが。

 前方に、地響き立てて蠢く巨大な影がある。

 それは吹雪の中を力強く歩む生きた山。

 不動の山神、ガムート。

 

「──よし!」

 

 少女たちは後方を振り向く。先ほどとは打って変わり、むしろあの捕食者を迎え入れるような恰好であった。

 曲道の向こうから登場した轟竜ティガレックスは、馬鹿正直に猪突猛進してくる。

 未だ距離は遠いのに巨獣ガムートは歩ませていた脚を止め、ゆっくりと振り返った。

 さっきまで迷いなく突っ込んできたティガレックスもその気配に気づき足を止める。

 ここに再び、生まれながらにして因縁を持つ2頭が向かい合った。

 

「ガムート……あなたの力、借りさせてもらうわ!」

 

 うさぎの叫びを皮切りに、ティガレックスとガムートは威嚇の咆哮を上げる。

 

「ドガアアアアアアアアアアアアアアアッッッ」

「バオオオオオオオオオオオオオオオオオオン」

 

 一方は鋭い歯と爪を、もう一方は長い鼻と兜の角のような牙を振りかざし激突する。

 前者にとっては生きるに欠かせぬ食事を妨害する邪魔者、後者にとっては自身とその子を脅かす仇敵。

 互いに容赦する必要などなく、そうする気も全くない。

 ティガレックスは頭を狙い飛びつくも、それをガムートは鼻で巻きつけ阻止する。そのまま崖の下に放り投げようとするが、轟竜は中々掴んだ獲物を離さない。

 やがてガムートは自身の頭ごとティガレックスを何度も崖に叩きつけ、痛めつける。その度に地鳴りが響き、崖の上に積もった雪がずり落ちてくる。

 

「すごい戦いね……」

 

 亜美は唾を呑みこみ行く末を見守る。

 下手すれば先の狩りが遊戯に思えるほどの激闘である。

 

 無論、出来ればガムートを巻き込みたくない気持ちも少女たちの間にはあった。だが妖魔化したティガレックスを倒せなければ最悪、雪山全体が危険に晒される。

 だからうさぎたちはある意味、ガムートに賭けたのだ。その頑丈な皮膚が妖魔ウイルスをも寄せ付けないことを期待して。

 そして、それはあまりに危険な賭けだった。

 

 激しい攻防の末、ティガレックスは頭から引き剥がされた。

 ガムートはその隙を見て、前脚を高く持ち上げる。全体重をかけて踏み潰す気だ。

 だが、絶対強者の名を頂く竜がそのまま攻撃を受け入れることなどあり得るはずもなく。

 それは胸を張り、前脚に力を籠め、狙いをつけて揺らめく巨体目掛けて息を吸った。

 

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!」

 

 喉から強烈な衝撃波が撃ち放たれる。

 それはガムートを直撃し、初めてその身体がふらついた。それを見逃さずティガレックスは高く跳躍。首元に食らいつく。

 

「グアアアッ、グアアアアアッッ」

 

 今度は正面ではなく側面から首のあたりにしがみつき、ガシガシと歯で毛を引っ掻き回す。

 

「ま、まずいわ!」

 

 亜美が目に見えて焦った。いくら頑丈なガムートの皮膚といえど、何度もあの鋭い爪の直撃を受ければ無事である保証はない。もし傷でもできれば、ガムートまで妖魔ウイルスに感染する可能性がある。

 一刻も早く、ティガレックスの行動を阻止せねばならない。

 

「でもどうやって……」

 

 レイは太刀をその手に握りながら、未だ一歩を踏み出せずにいた。

 ガムートとティガレックスの争いはあまりに激しく、人間の付け入る隙など無いように思える。

 タイミングが悪ければ暴れて入り乱れるガムートの脚に容易に踏み潰されることは目に見えていた。

 更にもし手元を誤ってガムートに攻撃が当たれば、そちらから怒りを向けられる可能性も捨てきれない。

 

 仲間たちが判断に迷うなか、うさぎは一つのことを思っていた。

 彼女は、護るべき者たちを常に想って戦ってきた。

 ある時は家族。ある時は仲間たち。ある時は恋人。

 

 だがここに来て狩人となってから、何を護るべきかについて改めて考えざるを得なくなった。

 護るべきものと、倒すべきもの。

 暖かいものと、冷たいもの。

 愛すべきものと、排除すべきもの。

 かつてその両者の間には厳然たる違いがあると考えていた。

 

 だが今ここにあるものにそんな区別など意味を成さない。

 ティガレックスは、腹を満たして自身の命を護るためにガムートの命を奪おうとする。

 ガムートは、子の命を護るためにティガレックスの命を奪おうとする。

 護ることも奪うことも、大自然の中では必然的に起こるほんの一部に過ぎない。

 そして──人間さえも、この世界ではその大自然の隅っこにいる存在でしかないのだ。雪山の特訓でそのことを嫌というほど分からされた。

 

「きっとあたしたちが護らなきゃいけないのは、こういうことなんだ」

 

 時に護りたいと思えないものですら、どこかでかけがえのないものと繋がっていて。

 全てが何かの一部として共にある、この世界の現実。

 そんな残酷でありのままの理そのものこそ。

 

「あたしの、護るべきものっ!!」

 

 彼女は新たな目的に向けて駆けだした。

 ガムートの甲冑のような脚をすり抜け、妖魔化ティガレックスに迫る。

 相手は目の前の獲物に夢中だ。

 黄と青の縞模様が連なる背中を睨み据え、大剣を取り出す。

 

 一つだけ、可能性がある。ヘルブラザーズに頼み込んでまで教わった、相手を怯ませ隙を作りだすことに特化した大技。

 それは今この時、確実に出せるかと言われれば怪しい。

 しかし、賭けるしかない。

 

 大剣を振り回す。腕、腰、脚に溜まる遠心力。

 その勢いが最高潮に達した時、少女は飛び上がった。

 そのまま、剛毛を掴む前脚めがけ──

 

 

「『ムーンブレイク』!!!!」

 

 

 空中に、三日月を描く。

 すべての重量を乗せた一撃は、

 

「グギャアアアアッッッ!?」

 

 金属に匹敵する固さの爪を叩き割った。

 ティガレックスの掴みが緩み、そこを突いてガムートは鼻を轟竜に叩きつける。

 

「で、出来た!?」

 

 地上に再び降り立ったうさぎは、自分でも自分のやったことを未だ信じられずにいた。

 

「うさぎちゃん、戻って!」

 

 まことが叫ぶと、うさぎは急いで背を向け大剣をしまい、仲間たちの下に戻る。

 ガムートの猛攻が始まった。ティガレックスに鼻から冷気を吹きつけ動きを鈍らせると、容赦なく何度も脚に全体重を乗せ踏みつける。ティガレックスは抵抗しようとするも、その度悲鳴を上げるハメになる。その身に致命的なダメージを受けていることは目に見えて確実だった。

 

「出来た! あたし、やっと出来たよー!」

「よしよし。よく頑張ったね!」

 

 先ほどの勇気の反動で泣きっ面になったうさぎに代わり、まことが前に出てこやし玉を投擲。

 痙攣したティガレックスの顔を全力で踏みつけていたガムートの鼻っ面に、黄土色の煙が上がる。遠くからでも分かる劇臭が拡がり、ガムートは思わず首を振って仰け反った。

 

「レイちゃん、どう?」

「大丈夫。ガムートに妖気が感染した反応はないわ」

 

 うさぎはレイからの報告を受け、やっと安堵を見せた。

 体よく利用した形になってしまったが、これも雪山に被害を拡大させないためだ。劇臭にガムートは目を細め、吹雪の中に消えていく。

 やがて姿が見えなくなり、地鳴りに等しい足音もなくなったとき。

 

「グアアア……」

 

 呻きが聞こえた。

 はっとして振り返ると、既にティガレックスは虚ろな眼で立ち上がっていた。

 

「ガアッ……ガアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッッッ!!」

 

 咆哮と共に、少女たちの身体からオーラが吸い取られていく。一気に身体が重くなり、彼女らはその場に膝をつく。

 

「エナジーを吸い取られてる……!」

 

 ティガレックスは、自身より遥か小さな少女たち目がけて跳ね、飛び込んだ。

 頂点捕食者としての余裕など完全に忘れ、怒りにその身を委ねたまま。

 

「きゃあっ!」

 

 うさぎたちは爆ぜた雪に巻き込まれる。仲間の姿も見えなくなり、視界にあるのは白色だけだった。

 

「はあっ、はあっ、はあっ……」

 

 うさぎは混沌とした意識のまま、四つん這いで雪をかき分ける。

 傍から見れば不様であろう。

 華の女子中学生、そして愛と正義の戦士としてはあまりに惨めで、泥臭い。

 

 だがそんなことに構いはしない。

 いま、彼女たちは狩人なのだ。

 何度も失敗し、恐怖し、醜く足掻き、それでも勝利を鷲掴まんとする狩人なのだ。

 少女は確たる意志を持って雪上を這って大剣に向かう。

 

 その時感じた、張り詰める殺意。

 直感したうさぎは、咄嗟に剣の柄を掴み横に転がる。

 頬の傍の空気を牙が裂いた。

 

「いっ……」

 

 地を蹴って更に後方に転がり、宙を横凪ぐ爪を避ける。

 だが、そこは。

 

「いたっ!」

 

 背中の痛みに悶える。

 すぐ後ろは壁だった。もはや逃げ場所はない。

 

 ティガレックスは突っ込んできた。

 迫る震動。聞こえる獣の呼吸。

 もはや何もできず、少女はただその場に座るしかない。

 

 ──しかし。

 深く考えることが常日頃苦手な彼女だが、この時だけは脳裏に一筋、電流が走った。

 武器を一旦置く。そして迫ってくる大口をひたすら見つめ、そして覚悟を決め。

 口内にずらりと並んだ歯が視界を埋めた、その瞬間。

 

「たああああああああっ!!」

 

 横に跳んだ。

 

「ギイイィッ!!!!」

 

 岩の砕ける音。

 うさぎは自身の身体が動くことを確認してから、振り返る。

 ティガレックスは、歯を壁に食い込ませたまま藻掻いていた。

 自身の顔ほどはある大きさの瞳が、赤く殺意の籠った輝きをこちらに向けている。

 

「今よ!」

 

 その声の持ち主はレイだ。見ると、仲間たちは既にティガレックスの背後から総攻撃を仕掛けていた。

 初めて、これまで苦難を与えてきた雪山がこちらに味方した。まるでここまで粘った少女たちを祝福するように。

 うさぎは頷くと、轟竜の顔の真横で大剣を振り上げ、力を最大まで溜め──

 振り下ろす。

 

「はあああああああああっ!!」

 

 確かに手応えを覚えた。

 その渾身の一撃で頭の鱗と片目が潰れた。

 あまりの痛みにティガレックスは無理やり歯を壁から引き抜き、頭を振り回す。

 攻撃の包囲を解くと後ろへ飛び退き、しばしの間荒い息を整えていた。

 そして向いた先は、先ほど痛い一撃を見舞ってきた金髪のツインテールの少女。

 

「……」

 

 少女も獣に答えるように大剣を振りかぶる。

 双方、傷に覆われている。

 吹雪も止み、仲間の声も止む。

 雪山を静寂が満たした。

 直後、

 

「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」

 

 ティガレックスは突進する。

 満身創痍とは思えない速度と迫力。

 今のうさぎは確信していた。

 恐らく、この一撃ですべてが決まるのだと。

 

──

 

 夜のポッケ村は、いつも通りの穏やかな灯りが家々から漏れていた。バルバレの時の華やかさこそないが、極寒の地に一つだけ火を灯したような暖かさがそこにはあった。

 その一角の席に、少女たちが座っている。

 

「あーあ、狩りに出られるのが4人までって制限がなかったら、あたしが颯爽と登場したんだけどね!」

 

 宴の席で美奈子はそう不満げに呟いた。その手にあるのは焼き菓子とホットドリンク。この飲み物の辛さにも慣れたいま、狩りの時に限らず身体を暖める便利な一品になっていた。

 

「村の人たちを助けるのだって十分な活躍じゃないの?」

 

 レイのフォローにも納得できなかったようで、美奈子は半泣きしながら前に座る人物の肩を掴んで揺らした。

 

「せめてどんな相手だったかくらい言ってちょーだいよ! そんくらい聴かないと、あたしの腹ん虫が収まんないわ! ね、うさぎちゃ~~ん!」

「うわああ、美奈子ちゃん揺らしてこないで~~!!」

 

 その名を呼ばれた少女、うさぎは一息つくと、その時の情景を思い出しながら話し始めた。

 

「うん……本当に凄かったよ。どこまでも自分が負けるわけがないって、きっとあの子は最期の最期までそう信じてたんだ」

 

 雪山は日中ずっと吹雪いたり、曇天という日も少なくない。そんな中、僅かな合間に現れた奇跡のような夕焼けだった。

 うさぎは動かなくなった絶対強者を見つめ、仲間たちもそうしていた。

 その視線にあるのは恐怖でもなく、哀れみでもなく──

 

 敬意だった。

 

 人間には及びようもない強者の姿。

 恰好も風体も関係なく挑む者に全力で応えるその獣に、彼女たちは一つの矜持を感じていた。

 同じ光景を共有した亜美も、感慨深げに目を細めた。

 

「何だか改めて考えると、強敵を狩れた達成感……とでもいうのかしら。そういうものを始めて感じたような気がするわね」

「え、何それ。まるであの兄弟みたいじゃないの」

「そう言われるとあたしたちの感覚、いよいよ狩人側に片足突っ込んでんのかなぁ……」

 

 一応自分たちは正義の戦士なのだが、果たしてこれでいいのだろうか。まことは不安がったが、うさぎの顔は穏やかだった。

 

「でも実際、あたしはあの人たちの気持ちが少し分かったみたいで嬉しいんだ」

「……うさぎちゃん」

「本当のところは結局わかんない、けどね」

 

 美奈子に、うさぎはそう言って微笑んで見せたのだった。

 

「お取込み中すまないが、少し割り込ませて頂いても構わんかね?」

 

 座る机の足元から低い声が聞こえた。いたのは、静かな佇まいでポンチョを着たアイルー。

 

「「ネ、ネコート様っ!!」」

「『さん』でよろしい」

 

 軍人のように屹立したうさぎと美奈子に、ネコートは歩いてきた。

 そこで、うさぎはあることを思い出した。

 

「この度はお疲れだったな。貴殿らには礼を……」

「ネ、ネコートさんっ! あの質問の意味、分かりました!」

 

 村の人々の団欒の光景が好きだと言ったうさぎに、ネコートが示した『気づくべき事実』という問い。その答えをまだ出せていなかった。

 ネコートは興味深そうにうさぎに注目する。

 

「多分、あの時のあたしは村のことしか見えてなくって、それを囲んでる雪山との繋がりを忘れてた。そう……言いたかったんですよね?」

 

 ネコートは直接答えはせず、視線を横へと外した。

 

「我々は、この日常の場を自然から借りているに過ぎない」

 

 すべてを見透かすような眼差しが、村を見渡す。灯りの向こうから団欒の声が聞こえてくる。ここからでも、白い民族衣装の人々の笑顔が見えるように思えた。

 

「この日常は常にあの巨大な山脈に脅かされ、支えられてもいる。まるで池に張った薄氷の上に家を立てているようなもの」

 

 彼女は向き直ると、低い声で再び語った。

 

「一つのものを大切にするのも確かに大事なことだ。だがそれと同時に……」

「すべてを平等に見なくちゃいけないんですね。ヒトもモンスターも、それ以外の自然も」

 

 言葉の続きをうさぎが継いだ。それを聞いたネコートの視線の鋭さが、幾分か緩む。

 

「そこまで分かってるなら、上出来だ」

 

 彼女は踵を返した。

 

「えっ、せっかくだしネコートさんも一緒に……」

「私は此度の事件の後処理で忙しいのだ。どうぞ私のことは気にせず、ゆっくり身体を休めたまえ」

 

 美奈子の誘いにそう短く答えると、小さな背中は人混みへ消えていった。

 

「何だか最後まで不思議な人……いや、猫だったわね」

 

 呟いたレイが視線を戻すと、うさぎと美奈子は一緒にどんよりと肩を落としていた。

 

「はぁ……どさくさに紛れてちょびっともふれるかって期待したのに……」

「うん……ほんとあの感触をもう一度先っぽだけでも……」

「さてはあんたら反省してないわね?」

 

 ネコートは集会所の前に足を運んだところで足を止め、再び席についた彼女たちを見つめた。

 

「……筆頭ハンターたちよ。異界からの使者のお手並み、この目で見させてもらったぞ」

 

 彼女は胸についた鈴を鳴らしながら屋内に消えていった。

 

──

 

 無人の雪山山頂にて、ティガレックスの亡骸は吹雪に吹かれていた。

 モンスターの遺骸を回収するため、そろそろハンターズギルドに雇われた荷車が到着する頃合いだった。

 そこに、夜闇よりずっと暗い闇が降り立つ。

 

 黒蝕竜、ゴア・マガラ。

 

 眼を持たず、その背に棚引く外套と第三の脚を持つ異形。

 だが、遺跡平原でうさぎたちが戦った時には見られなかった無数の傷が全身にあった。

 それはティガレックスの亡骸を前にぐるるる、と唸っていたが。

 

「ほら、早くしなさいよー。あんたに私たちの進退かかってんだから」

 

 その首元に金属の筒が突きつけられる。

 こんな寒い地域に白衣を着た赤い髪の女性が立ち、苛ついたように足踏みをする。

 デス・バスターズの幹部の1人、ユージアルである。

 

「あのね~ゴアちゃーん。本来なら私たちもこーんな寒いとこへくしょい! 来たくなんかへっくしょーい! ないんだからずるるるる!!」

 

 彼女の鼻水を啜りながらの宥めにも関わらず、ゴア・マガラはティガレックスに鼻を近づけては嫌がるように首を背ける。

 

「……ちっ。まだ遺跡平原のこと怖がってんのね。大丈夫よぉ、いま『お兄ちゃん』はどこにもいないから……ほら早くっ!!」

 

 全く言うことを聞かない相手に痺れを切らし、ユージアルは鬼の形相で火炎放射器『ファイヤー・バスター』を押し付ける。

 努力も虚しくゴア・マガラはぷいと首を背け、拒否をし続ける。

 それに「きいいいいい」と沸騰する怒りに燃えるユージアルだったが。

 

「チャーム・バスター!!」

 

 その声を聞き、ユージアルはぎょっとして咄嗟に身体を翻した。

 黒い雷が彼女の身体があった場所を通り、ゴア・マガラの身体を焼く。

 

「グアアアアアアアアアアア!!」

 

 黒蝕竜は苦し気に呻き、地面に這いつくばる。ユージアルはしばしその光景を確かめた後、落雷の来た方向に振り返る。

 そこには金色のウェーブヘアーが特徴の『魔女』、ミメットがいた。

 

「……あんた、私に当てようとしたでしょ」

「あら、そんなことありませんけどぉ~?」

 

 猫を被った声で笑ってみせるミメットに、ユージアルはますます苛つきを募らせる。

 

「あのね。これ私たちの大事な『最終兵器』なんだから、扱いは丁重にお願いしたいわ!」

「センパイ、子どものしつけってとても大切なんですよ? 時には痛みがないと成長できないんですから♡」

「あんたのは半ばストレス解消でしょうが。とにかく! ゴアちゃん、さっきの痛いのが嫌ならさっさとそのモヤモヤした奴吸いなさい! 嫌でしょ痛いの!?」

 

 その叫びの内容を理解したかは不明だが、ゴア・マガラはようやくティガレックスの亡骸にのしかかる。

 

「よーし、いい子ね」

 

 ユージアルは満足げに舌なめずりをすると、月夜に拳を突き上げる。

 

「セーラー戦士ども、今に見てなさい。あんたたちが英雄ぶっていられるのも今のうちよ! おほほほほほほ! おほほほほほほほほほほ!!」

 

 後輩のミメットはその陰に隠れながら、意味ありげにくすくすと笑っている。

 

「ヴォアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 

 苦悶か怒りか、それとも悦びか。

 人には想像もつかぬ呻きを上げながら、ゴア・マガラは咆哮を上げるのだった。

 

──

 

 数日後、新たな目的地が決まった。バルバレギルドからの通達で、遥か南方に怪しげな動きがあるらしい。

 

「ふむ、ここからは随分と遠いようだね。くれぐれも道中、気をつけて行っておいで」

「はい! 短い間だったけれど、本当にお世話になりました!」

 

 出立の当日、ポッケ村の住民が総出で見送ってくれた。

 穏やかで、慎ましやかな人々の笑顔。

 その象徴とも言える村長の言葉を受け、うさぎも負けないくらいの笑顔で答える。

 少女たちの視線は、次に近くの家屋の壁にもたれかかる2人の大男に向けられた。

 

「貴方たちにも、心から感謝します」

 

 亜美はにこやかに話しかけるが、彼らは不機嫌そうな顔をしていた。

 

「へっ、皮肉かそれは?」

「違うわよ。いろいろと教えてくれてありがとうって意味」

 

 レイの補足を受け、鬼兄弟は意外そうに目を丸めた。

 

「その様子だと、獲物を彼女たちに横取りされたのも満更ではないんじゃないか?」

 

 うさぎの隣に立っている衛の問いに、一晩立ってすっかり快調になった赤鬼は、自身の髪をボリボリと掻いた。

 

「……つまんねえに決まってんだろ。おかげで妖魔と戦うのがまた先になっちまった」

「彼女たちがオヌシらの意志を受け継ぎ、それを以てあの妖魔ティガレックスを討ち取った。実質、貴殿たちの手柄と考えてよいのではないか?」

 

 この村の長たる老婆の言葉に、黒鬼はふんと鼻を鳴らした。

 

「そりゃあ詭弁だな! 俺たちの手で狩らねぇで何が手柄だ!」

「はぁ〜〜、相変わらず頑固な人たち!」

 

 うさぎはこの男どもの反省のなさに呆れたが、赤鬼はそこから少しだけ視線を外した。

 

「まぁ、ただ……お前がいなけりゃ今も腹痛で寝っ転がってたことは事実だ。そこに関しては礼を言おう」

「へー、なーんだ、普通にお礼言えるじゃない! 何度感謝してくれてもいいのよ?」

 

 調子に乗りかけたうさぎを邪魔するように、黒鬼が首を伸ばす。

 

「ま、少なくともティガレックス1頭じゃあ俺たちから見りゃまだまだだな」

「はいはい、負け惜しみありがとーございまーす」

「「おめーは狩りに行ってねーだろうが!」」

 

 美奈子の煽りに鬼兄弟は揃って詰め寄ったが、彼女はそれをひらりと躱す。

 

「また喧嘩にならぬうちに別れた方が良さそうじゃな。ほれ、彼女らをさっさと案内してやりなさい」

 

 村長が杖で示すと、御者の男は頷いてほらほら、と少女たちを荷車に案内する。

 村人たちは手を振り、少女たちに別れの言葉を告げる。

 少女たちは心の底から感謝の言葉をポッケ村と、朝陽を反射して銀色に光る山脈に送る。

 

 優しいことも、厳しいことも、全てにありがとう。

 

 そんな想いを抱き、彼女らは荷車に乗り込んだ。 

 

──

 

 遠くに小さく消えてゆく竜車を眺めながら、ヘルブラザーズは丘の上でたばこをふかしていた。

 

「よぉし、決めた」

「何をだ、赤鬼?」

 

 黒鬼に聞かれた赤鬼は、髭が目立つ口をにやりと曲げた。

 

「分かってんだろ、競争よ。俺たちとあの小娘ども、どちらが妖魔を多くぶっ倒せるか……。今回の借りを全部チャラにしてやらぁ」

「ほほお。てなると、そろそろこの村とはおさらばだな」

「ああ。しばらくはこの近辺に妖魔化生物は寄り付かねぇだろうからな」

 

 黒鬼は、拳を握り合わせごきごきと言わせる。

 

「よぉし。今回は少しばかり後れを取ったが、これからは快進撃だ! 小娘ども、首を洗って待っておけよ」

 

 鬼兄弟はしばし含み笑いを浮かべた後、一気に溜まったパワーを解放した。

 

「ドハハハハハハハハハハ!!!! ドハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」

「バハハハハハハハハハハ!!!! バハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」

 

 馬鹿笑いの喧しさは、モンスターの咆哮にも匹敵した。

 その時ポッケ村の住民たちは、ティガレックスが黄泉の国から蘇ったのかと戦々恐々だったらしい。




今回で想定上での2編が完全に終了。ここまで執筆開始からはや約2年(長すぎ)全体の分量としては中盤にさしかかったくらいでしょうか……。流石に今後はなるべく話は短くまとめていきます。
この編では「うさぎたちが狩人としてモンスターと対峙する」ということが完全にできるようになるまでの過程を描いたつもりです。
次回より3編が始動。満を持してある御二人が登場します。


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モガ編
新しい世界に誘われて①


3編からは、いよいよガールズラブのタグが機能し始めます。
そして遂にお気に入り登録数3桁突入しました!ありがとうございます!!これからも感想、評価などお気軽にお寄せ下さい〜。


 

 眩しいほど白く塗られた自家用クルーザーが1つ。水しぶきを上げ、波紋を広げて海上を行く。

 遠ざかる東京の街を背にして、2人の人物が運転席に乗っていた。

 

「風が静かだ」

 

 淡い金髪の麗人がハンドルでクルーザーを操り、ガラス越しに晴天を見上げていた。

 背は高く精悍な顔つきに空色の瞳、青いタンクトップに白のショートパンツという出で立ち。一目でその人が女性であり、しかも高校生であると分かる者は少ないだろう。

 

「海も、何も言わないわ」

 

 一方、その人物の背後にあるソファーで静かに脚を組む美女がいた。

 波打つ青緑色のウェーブヘアーは今征く海を再現するかのように透明感を帯び、その身にはワンピース型の黒水着、その上に白シャツを羽織る。隣の人物とは裏腹に、女性的で優雅な雰囲気があった。

 助手席に座る彼女は、穏やかな海面を前に微笑む。

 

「これから魑魅魍魎の跋扈する世界に行くだなんて信じられないくらいね」

「あちらの世界はこちらから観測できない。せつなの言う通りだな」

 

 黒水着の美女の隣には着替え、化粧品、食料、サバイバルキットなどを詰めたトランクケースが置かれている。室内は磨かれたように輝いて、一見クルージングにでも来ているような風景だ。

 

「最低限は用意したけれど、これじゃまるで旅行だな。そう思わないか、みちる?」

「あら。平和ボケかしら、はるかさん?」

「……してるつもりは、ないんだけどな」

 

 はるかと呼ばれた女性は、運転席上部から差し込んだ陽に眉間を寄せた。

 裕福な家庭に生まれ育ったお嬢様たちとしては、あまりに過酷な使命に生きてきた。

 その使命とは、地球を狙う外部からの侵略者を排除すること。

 

 将来この地を統治するプリンセス、月野うさぎとその守護戦士が失踪してから1週間が経った日。2人は遂に異世界への潜入及び彼女らの救出を決行した。本来の使命からは外れる形になるが、そもそも護る対象が喪われれば意味がないからだ。現在は他の仲間に元の役割を任せ、異世界に繋がる扉の出現予測地点に向かって航行中である。

 

 みちるは、懐からマリンブルーの円盤と三日月が飾られた杖──変身リップロッドを取り出した。

 

「私たちはこれから、使命を果たしに行くのよ。これを手に取った瞬間から課せられた、残酷な使命に」

 

 はるかのシャツの胸ポケットにも、紺色の2つの円盤が付いた球が光るリップロッドが入れられていた。先ほどは皮肉げに笑ってぼやいた彼女も、既に戦士らしく鋭い、そして暗みを帯びた色を瞳に覗かせていた。

 

「ああ。必ずプリンセスを取り戻し、侵略者を討つ……。僕たちのやるべきことは、ただそれだけだ」

 

 航行は続く。

 街も水平線に消えかかった頃、どこからともなく霧が這い出してくる。5分も経たないうちに視界は真っ白になり、遠近感も分からなくなってしまった。

 

「……せつなの予測通り、霧が濃くなってきたな」

 

 緊張の沈黙のなか、クルーザーはエンジンから排気音を吐き出し続ける。

 みちるは無言で、自身の右手をはるかの運転席後方に投げ出された右手に絡ませる。

 次に、彼女は頭をそっとヘッドレストに預けた。

 それを挟んで前方にいる、はるかの体温を感じようとするかのように。

 

「なんだ、怖いかい? 何か出てきそうで」

「何が出てこようと怖くないわ。怖いのは、貴女と離れ離れになること」

「大丈夫さ。ただ本能だけで生きる獣に、後れを取る僕たちじゃない」

「ふぅん。夜は獣になる癖に?」

「こほん!」

 

 みちるの口から飛び出た言葉を、はるかは咳払いで打ち消した。思わずハンドルを握る手ももたついてしまった。

 それを見逃さず、みちるは身をはるかの隣まで乗り出しその肩を叩いた。

 

「ほら、ちゃんと運転してくれないと元の方向に戻ってしまうわ」

「はは、みちるは手厳しいな……」

 

 その時、はるかは違和感を感じた。

 船の軌道が明らかに曲がっている。ハンドルは真っすぐに握っているのにだ。

 それだけではない。

 霧も、少し話していた間に完全に晴れていた。

 

 みちるはすぐさまソファーから飛び出し、窓際に寄った。

 見渡す限り一面が海であるため、一見ここが異世界なのかも分からない。

 だが、よく目を凝らしてみれば。

 

「渦潮……!」

 

 クルーザーのすぐ脇の海面が荒ぶり、螺旋を描き始めていた。

 激しい水飛沫のなか、先の見えない奈落が中心に覗く。

 間もなく船体そのものも傾き始めた。

 

「まずいっ」

 

 はるかは急いでハンドルを回し始めたが、既に船は巨大な海流に呑まれ始めていた。

 高性能のマリンエンジンも意味を成さず、渦はクルーザーを地獄の底へと引き込んでいく。

 

「時空が歪んでるせいかしら……」

 

 みちるの予想を裏切るように船底を横切った、1つの巨影。

 

 全長、約25m。

 

 流線型の身体から伸びる滑らかな四肢が、海水を魚のごとく優雅に掻く。海に溶けるような色の鱗が背を覆い、そこから伸びる石灰質の突起が海面から突きだし、白泡の尾を引き。謎の存在は身体をくねらすとあっという間にクルーザーを突き放し、渦に沿うように廻り出す。

 先の光景に2人は見とれていたが、はるかはすぐスロットルを全開にする。

 

「まさかあれが、海流を作り出しているというのか!?」

「まるで神獣リヴァイアサンだわ!」

 

 今回の敵が、魔力ではなく肉体のみによって戦うことは分かっていたが。

 これまで人間に近い大きさの怪物と戦ってきたはるかたちにとっては衝撃であった。

 ますます渦の勢いは強まり、はるかの握るハンドルは重くなった。抵抗虚しく、渦に船体は弄ばれ円を描きながら中心へと吸い込まれていく。

 次に見えたのは、渦の奥で光る青白い光。

 

「みちる!」

「ええ、分かってるわ!」

 

 2人は変身リップロッドを取り出し掲げる。

 

「ウラヌス・プラネットパワー、メイク・アップ!!」

「ネプチューン・プラネットパワー、メイク・アップ!!」

 

 直後、海から空へ、雷が落ちた。

 それはクルーザーのエンジンに引火し、大爆発を起こす。

 海面に落ちる破片。雷撃によって蒸発した水分があぶくとなって一帯を覆う。

 

 乱れ暴れる海面から海水を滴らせ現れたのは、淡い紅の角を冠に戴く蒼い竜。

 背に翼は無いが代わりに2列、赤みを帯びた突起がほのかに電流を帯びている。

 

「グゥゥゥウウウウゥゥゥ……」

 

 兜を被ったような形状の頭部、ワニに似る顎の内側にずらりと並ぶ鋭い歯。頂点捕食者を体現する容貌は、人間や海の生き物たちを恐れ慄かせるには十分であろう。

 

 だが、その細く流麗な横顔に影が紛れ込む。

 竜は、晴天を背に自身より上に舞い上がる2人の人間を見た。

 

 1人は淡い金色の髪。

 濃紺の襟とスカートに白いレオタードを包ませ、胸に1つ黄色のリボンが映えている。

 

「新たな風に誘われて、セーラーウラヌス、華麗に活躍」

 

 もう1人は優美な海色の髪。

 相方と同じ白い生地に深緑の襟とスカート、胸には紺のリボン。

 

「新たな時代に誘われて、セーラーネプチューン、優雅に活躍」

 

 2人のセーラー戦士は転覆した船体の一部に降り立ち、眼前に座す海の王者を睨んだ。

 

「グァオオオオオオオオオオオオ!!!!」

 

 竜は咆哮し、長い首をしならせて噛みつこうとした。

 ウラヌスが握りしめた右手が光に染まる。

 彼女が右手を開くと、そこには金色の光球が眩く光っていた。

 

「ワールド・シェイキング!!」

 

 拳を打ち下ろすと、衝撃波と共に光球が撃ちだされ真っすぐ飛んでゆく。

 着弾。爆発。

 頭を丸ごと包み込むほどの閃光のなか、横顔の鱗の一部が弾け飛ぶ。

 

「グオオオッ……」

 

 自分より遥かに小さい者に見合わぬ激しい反撃に、竜は大いに驚き仰け反る。

 息もつかせず、ネプチューンが両手を頭上に掲げる。彼女は自らを新たな激流で包み込み、掌からウラヌスのものとは異なる蒼く光る光球を生み出した。

 

「ディープ・サブマージ!!」

 

 一つだけで津波にも匹敵する超水圧のエネルギー。

 それが竜の巨大な身体をも押し返す。

 そのまま竜は悲鳴を上げる間もなく吹っ飛ばされ、水飛沫と共に海面下に沈む。

 間もなくして海面が光り、盛り上がった。

 

「グワアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」

 

 再び現れた竜は全身を怒りの雷に染め上げ、青白く光らせた口を以て叫ぶ。

 それに答えるように、セーラーウラヌスも勇敢に狭い足場の上を進み出た。

 

「そっちがその気なら、こちらも本気で行かせてもらう!」

 

 そのままの勢いで戦いに突入するかと思いきや、竜は2人のセーラー戦士が再び掌を光らせたのを見て噛みつこうとするのを止めた。

 

「……グルルルル……」

 

 意外にも自ら矛を収めた竜は彼女たちを睨みつけたあと、背を向けて海に自身の身体を埋める。

 そのまま波しぶきを立てながら、彼は海面下を去っていった。

 しばらく再び襲ってこないことを確認してから、ウラヌスとネプチューンは光らせていた手を下げた。

 

「どうも僕たちは、あいつのおやつには向かなかったらしいな」

「でもあの子、賢いわ。あれだけのやり取りで不利を悟り、引き際を見極めるなんて。ただの獣と見ない方がいいかもね」

 

 ネプチューンは長く整ったまつ毛の下から、ウラヌスの瞳と視線を合わせた。

 再び元の姿に戻ると、はるかは肩の力を抜きつつ苦笑した。

 

「何だよみちる。僕への当てつけかい?」

「あら。意外に気にしてたのね」

 

 真意は明らかにせず微笑んだみちるは、そのまま後ろに振り返る。

 

「さて……まずはあの島に行きましょうか」

 

 視線の先にあるのは大きい島だった。

 どこを見渡しても蒼い海と空が支配するなか一際豊かに緑を咲かせるそれは、まさに『孤島』。

 

 クルーザーの残骸から即席のいかだを作り、海原を渡って2人は何とか海岸に辿り着いた。

 足元を海水に濡らしながら、彼女たちは初めてこの世界の陸地を歩む。

 

「どっちにしろ荷物はお釈迦になってしまった。ここからは本格的なサバイバルだな」

「貴女とはいろんなところに旅行したけれど、こんなシチュエーションは初めてね」

 

 常人ならば絶望してもおかしくない状況を前に、みちるはくすりと笑う。

 そんな彼女の腰に、はるかは細い指をそっと這わせる。

 

「ああ。でもこうやってずっと2人きりでいられると思えば、やぶさかではないさ」

 

 そう言った男装の麗人はいたずらっぽい目つきで指に力を込めたが、みちるは身を翻し簡単にその拘束から逃れてしまった。女性の瞳は、挑発的な色に変化していた。

 

「油断はしない方がよろしくってよ。あの竜のような生き物が、いつどこで出てくるか分からないのだから」

 

 手中から抜け出された挙句お説教まで食らったはるかは、あぁ残念、とでも言いたげに肩を竦めた。

 彼女たちはセーラー戦士としての使命に忠実に従い、幾つもの死線を切り抜けて来た。死にかけたことがある者にとって、この程度の遭難など何の問題にもならなかった。

 

 彼女らの前には崖によって作られた道が、海から来た訪問者を迎え入れる廊下として奥へ続いていた。

 そのまま道なりに進むと狭い通路に通じ、そこを更に抜けると周りを森や崖に囲まれた大きな広場に繋がる。

 どうやらここが陸の領域と海の領域の境目に当たるらしく、右手の奥には巨大森林や高い渓谷が見える。地上を見ただけでも蜂の巣やキノコの繁茂する地帯など、この地が恵まれていることは十分伺えた。

 水辺のせせらぎ。森林のざわめき。青空のそよぎ。

 ここにあるすべてが、はるかとみちるの心を満たしてくれる。

 その目の前には、森へ続く道と水の流れてくる道の2つがあった。

 

「さて、どちらに行くのがいいかな。食料を取れそうな森か、水を早く確保できそうな水辺か」

 

 はるかはまだ乾ききっていない自身の髪を撫でながら呟いた。

 まずやるべきは真水探しである。海水は飲み水には適さないし、このままでは塩分で髪も痛むから一刻も早く見つけたいところだ。

 

「そうね。森には危険が多そうだし、奥の方に行きましょうか」

 

 みちるの返答にはるかが頷き、そのまま歩を進めようとしたところ──

 

「ブギャーーーッ!! こっちに来るなッチャーーー!!」

 

 森の方から、風に混じる音が一つ。

 それはまるで子どもの悲鳴のような。

 みちるは、弾かれたようにはるかへ振り向いた。

 

「はるか!」

「ああ、聞こえた!」

 

 彼女たちは翻って森の方へ駆け出した。行くにつれ周りを崖が覆うようになる。その先にあったのは崖の間にできた狭い空間で、一部陽の当たったところにしか目ぼしい植物は見つからない。

 5頭、背を紫、腹を紅に染めた肉食竜がいる。そのうち2頭ははるかたちの背丈と同じくらいの体高で、もう3頭はそれらより一回り大きい。

 

 続いてはるかたちの目に飛び込んだのは、彼らに囲まれ泣き喚く別の生き物。

 背丈は彼女らの半分以下。緑色の身体に藁の履物をしている。どんぐりを逆さにしたような被りものをし、目を表すような渦模様が二つ描かれている。

 何とも奇妙な小さい生き物はその手に持った杖を精一杯ぶん回し、肉食竜たちを遠ざけていた。

 その光景を、はるかたちは近くにあった岩に隠れ覗き見た。

 

「あれは……子ども?」

「どうしましょう、はるか」

「関わると面倒なことになりそうだが……」

 

 奇声に近い子どもの叫びが意味するところは分からない。が、少なくとも彼が絶体絶命の状況にあることは間違いないようだ。

 肉食竜は子どもの被るどんぐり状の被り物に噛りつくと、好き放題振り回す。

 

「オ、オ、オタスケーーーーッ!!」

「そこまでにしてもらおうか」

 

 凛々しい声に肉食竜たちが振り返ろうとする前に、3頭がまとめてふっ飛ばされた。

 解放された子どもが見ると、そこには髪をなびかせ堂々と立つ女性が2人。

 残りの小さい方の2頭がいきり立って噛みついてくるが、はるかはその軌道を見切り強烈な肘鉄、ハイキックを食らわせる。

 肉食竜が怯んだ隙を見計らい、みちるは子どもを抱えて離れたところへ退避させる。

 

「大丈夫、怪我はない?」

 

 言語は通じないと分かりつつ、みちるはそう呼びかけたのだが──

 

「オマエたち、武器も持たないのにスゲーッチャ!!」

 

 子どもは見事にピンピンしていた。

 被り物の口を模した空洞をパカパカさせて口々に叫ぶが、みちるには何を言っているかさっぱり理解できない。だが、言語は分からずとも両腕をばたつかせての興奮具合は笑えるほど伝わってきた。

 

「どうやら杞憂みたいね」

「さて。あいにく僕たちはこの子に恩を売るつもりなんだ。ここは大人しく……」

 

 そこで肉食竜たちが突如、踵を返した。

 言葉が伝わるわけはなくはるかが眉を顰めていると。

 

 岩壁に空いた一際大きな横穴から、はるかたちが見上げるほど大きな影が這い出てきた。

 全長は約9m。先ほどの相手より体つきががっしりとしており、扇状の襟巻が立派な肉食竜だった。

 はるかたちに蹴散らされた肉食竜たちは、頼むように彼の凛々しい顔を見上げる。どうも彼らはこの竜の眷属のようだ。

 

「ド、ドスジャギィっチャ!」

 

 子どもはブルリと震えあがる一方、異世界から来た2人の表情は余裕に満ちていた。

 

「あらまぁ、次から次へと」

「群れの長までご登場か。ご丁寧な対応、感謝しなくっちゃな」

 

 流石に徒手空拳でどうにかなる相手ではなさそうだ。まさしく獣脚類の風貌をしたそれは、天を見上げ咆える。

 

「アーーーーッ、オッオッオッオッオッ……」

 

 犬の遠吠えに似た鳴き声を聞いた途端、眷属たちは流れるような動きで瞬時に陣形を整えた。小さい方は跳びまわって退路を塞ぎ、大きい方は真っすぐはるかたちに向かってくる。

 

「さあ、まずはお逃げなさい!」

 

 みちるがその腕から子どもを解放すると、彼はすぐ地面に穴を掘り姿を消す。

 

「よし、良い子だ。これで好き放題暴れられる」

 

 はるかは呟きながらリップロッドを取り出す。みちるも当然それに続く。

 

「ァオオオオオオオオオオーーーーーーッ!!」

 

 族長は大きく咆える。

 はるかたちの手は、ロッドを真っ直ぐ頭上へ。

 

「ウラヌス・プラネットパワー・メイクアップ!!」

「ネプチューン・プラネットパワー・メイクアップ!!」

 

 風と波が彼女らを包み込み、一瞬にして戦乙女へと生まれ変わらせる。

 

「ワールド・シェイキング!!」

 

 天王星を守護星に持つウラヌスは拳で大地を砕き、肉食竜たちを手当たり次第に衝撃波で吹き飛ばし。

 

「ディープ・サブマージ!!」

 

 海王星を守護星に持つネプチューンは、水一つない空間に顕現させた大海を以て圧し潰す。

 肉食竜たちからすれば、族長の命令を受けて数秒の出来事である。

 

「キャウンッ」

 

 当の群れの長も直撃を受け、悲鳴を上げ仰向けにひっくり返る。

 眷属はすべてその2発だけで気絶し、戦う意志を挫かれていた。

 族長だけは立ち上がり、負けじと噛みつきにかかるが。

 

「出でよ、魔具(タリスマン)……スペース・ソード!」

 

 宙に舞ったウラヌスが顕現させたのは、色とりどりの宝石が散りばめられた宝剣。

 

「スペース・ソード・ブラスター!!」

 

 彼女がその柄を取りその湾曲した刃を振るうと、金色に発光したそれは未知のエネルギーを斬撃の形で飛ばす。

 それは族長の象徴ともいえる襟巻を一発で破壊しただけでなく、その身体を一文字に切り裂いた。

 その時点で彼は満身創痍。たまらず足を引きずり巣穴へと帰っていく。

 

「威力は手加減したわね?」

「ああ。あの程度、この世界の生物なら数日もすれば癒せるだろうさ」

 

 ネプチューンと共に後姿を見送りながら、ウラヌスは手から土を払いはるかの姿へと戻る。

 元の水着姿で外に出ると、助けた子どもが2人を待ち構えていた。それはまさに親を見つけた幼子とさほど変わらぬ懸命さで駆け寄ってくる。

 

「チャパーー!! まさかこの時間でドスジャギィを払い除けてきたッチャ!? オマエら絶対ハンターの才能あるッチャ! このオレチャマが言うんだから間違いないっチャー!!」

 

 彼は2人の前で杖を掲げて振り回すわ、何度も飛び跳ねるわ、頭を軸にして逆立ちで回るわで喜びを全身で表していた。思わずみちるの顔から笑みが溢れる。

 

「どうやら私たち、気に入られたみたいね」

「さて、どんぐり君。君は僕らになにか恩返ししてくれるのかな?」

 

 はるかが子どもの前に脚を折り、目線を合わせる。

 これが彼女らの本来の目的。もし命の恩人として住処に案内してくれれば、まずは最低限の寝床を確保できるだろう。最も、そこから先は運に任せるしかないが。

 

「ブブーー、オマエら何語話してるっチャ……アッ! さてはオマエらその恰好、迷子になったっチャ!? 差し詰めガノトトスかラギアクルスに追われてきたとか、そんなクチッチャ!」

 

 言葉が分からずとも、子どもの騒ぎようは何かを閃いたことが分かった。

 

「こっちに来るッチャ! その功を讃え、オレチャマのコブン第二号と第三号にしてやるッチャー!」

 

 子どもは叫ぶと先に飛び出し、先ほどはるかたちが行こうとしていた水辺に繋がる道へと駆けていく。

 

「案内してくれるのかしら?」

「分からないぜ。新しい生贄が見つかったと喜んでたりして」

「はるか。そんなこと言ったら失礼よ」

 

 先導されるがまま、はるかとみちるは孤島の大地を歩いていく。

 灰色の草食竜がのんびりと群れになって草を食むのを、鹿に似た獣が地上を跳ねていななくのを、巨大な蟻がキノコを食べようと列を成すのを見た。

 どこを見ても自然豊かな場所だ。視界が開けて大樹の傍で崖から流れ落ちる雄大な大滝を見た時、2人は思わず嘆息した。その滝が落ちる浅瀬で身を清め、彼女たちは丘の上へと続く登り坂を歩いていく。

 背後から、風を切る音。

 振り返ろうとした瞬間、周囲一帯が影に覆いつくされる。見上げると、そこには草食竜らしき生き物を掴まえ空を飛ぶ竜の姿。

 

「っ……!」

「あいつは何もしてこないから、さっさとついてくるッチャ~」

 

 はるかたちは思わず身構えたが、子どもは動じずどんどん進んでいく。

 どうも、彼やその一族にとってはあの竜も見慣れたものらしい。

 彼女たちは青空にはためき遠くなる緑の翼を見送っていた。

 

「ヤッタ! 帰ってきたッチャ!!」

 

 子どもが何か叫び喜ぶように飛び上がったとき、周囲には美しい風景が広がっていた。

 悠久の時を経て削られたであろう岩礁の間を満たす、豊穣の海。その上を穏やかな風が満たし、それに乗ってカモメが遊ぶように舞う。

 太陽はすべての生命ある者への贈り物として、雲間からこの地を満遍なく照らしていた。

 

「僕たちが街で戦った怪物たちも、この世界で生きていたのか……」

「やはり、今までの妖魔とは根本的に違う存在のようね」

 

 人工的に作られた妖魔と違い、あの海の竜も肉食竜も、更には空を舞う竜も。

 彼女たちの予想通り、この雄大で美しい自然から生み出された、れっきとした生物なのだ。

 その事実を、改めてはるかとみちるはその目で認めた。

 

「ブ~~。オマエら、さっきから一々突っ立っては呟いてばっかッチャ! さっさとしないと置いてくッチャ~~!!」

 

 子どもは不機嫌そうに口をパカパカさせて急かしてくる。奥の顔は見えないが、駄々をこねていることは傍目からでも分かる。

 

「ああ、ごめんな。癖なものでついね」

 

 苦笑しながらはるかは再び歩みを進め、みちるも微笑みながらその後を追う。

 丘を越えると、海上に浮かぶ小さい島のようなものが見えた。

 放射状に建設され、細い陸に連なる木組みの施設。

 どうやらそこが、次に彼女らが向かうべき場所らしい。

 




この人たちはほんとに気合入れてキチンと描きたい。
いきなり新キャラばかりですが、次回はきちんと主人公サイドが出てくる予定です!


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新しい世界に誘われて②

 

 モガ村。

 この大陸から遥か南方の海上に浮かぶ木製の小島に2人、『旅の者』が来た。

 

 はるかとみちるは樽の浮力を基礎とした桟橋を渡り、波に合わせて揺れる床板を踏み、島の中央に辿り着いた。

 その島は天然の小島から手を伸ばすように床板を海上に浮かべ、そこに藁葺小屋を建てる形になっている。少し離れたところでは帆船や風車が見え、ここと同じような人工島があちこちに浮かんでいる。恐らく、ここの住民は船を使って集落を行き来するのだと思われる。

 

「チビすけ、戻ったか! まったく、また勝手に1人で出歩きおって!」

「村長、聞くッチャ! オレチャマ、またまたコブンをゲットしたッチャーッ!!」

 

 はるかたちが助けた仮面の子どもは人だかりを掻き分け、椅子に座った濃い色の肌の老人に駆け寄っていった。

 ここの住民は、一見はるかたちとそう変わらない人間ばかりである。大抵が群青や水色の鱗模様を基調とした袖なしの衣を身にまとっていた。

 ただよく見ると耳が尖っていたり指の間に水かきや身体全体に紋のようなものが見えたり、はたまた足元に帽子を被った2足歩行の猫がいたりと、姿が明らかに異なる種族が寄り集まって話し合っている。

 

「驚いたな。この世界にはこんなに知的種族がいるのか」

「どうやら、こちらへの敵意はなさそうね」

 

 2人が村を見渡していると、大人たちの脚の間をすり抜けて、男の子や女の子たちが飛び出してきた。

 

「チャチャー! またコブン連れて来たってホントーかよー!?」

「フフフのフーン! 今までの中では『アイツ』以来の上物ッチャ!!」

「え、どんなのどんなの!?」

「聞いて驚くなッチャ! あいつら、ドスジャギィを生身で退けられるッチャ!」

「あんな細い人たちがー? あたし信じらんなーい!」

 

 はるかたちの助けた子どもが被り物を揺らして機嫌よく踊る周りで、人間の子どもたちがきゃっきゃと騒ぐ。

 

「ほお、ドスジャギィを?」

 

 半裸に外套と貝殻の首飾りを纏い、煙管を燻らす白髪の老人は、チャチャと呼ばれた子どもの言葉を受け驚いた顔ではるかとみちるを見つめた。その右目には深い傷跡が刻まれており、歴戦の猛者を思わせる。

 だがそれも束の間、老人は人懐っこい笑顔を浮かべ手を差し出す。それに気づいたはるかとみちるは微笑みを返し握手に応じた。

 

「これは御二方。どうもうちの者が世話になったようじゃ。心より感謝を申し上げる」

 

 老人の貫禄ある姿を見るに、どうやら彼はこの村の長を務めているようだ。

 

「で? 実際のところお前はどういう経緯でこの方たちと出会ったのだ、チャチャ」

「そうっチャ!この2人がオレチャマのピンチに駆けつけ……」

 

 チャチャは背後から見つめる子どもたちに振り向いたかと思うと慌てて咳払いをして、

 

「ブ、ブフン、サポートしたのッチャ! オレチャマがもうすぐでドスジャギィの頭に一発というところでこいつらが……」

「これ、チャチャ。嘘はいかんな嘘は。正しくは助けて貰ったんじゃないのか? ちゃんと正直に言いなさい」

 

 村長から厳しい顔で諭されると、チャチャは見るからに狼狽。子どもたちも「なーんだ、またデタラメか」と言った1人を始めとして、みんなが一気につまらなそうな顔をした。

 

「ブ、ブゥ~~……ありがとうございますっチャ……」

 

 チャチャははるかたちに向かってしょぼんと子犬のように項垂れた。

 彼は今度は優しい手付きで奇妙な仮面の子どもの頭に手を置く。

 

「こやつはどうにも素直ではない奴でのう。どうか無礼を許してやってほしい。はてさて、ハンターズギルドからこちらにハンターが派遣されるという連絡はなかったはずだが……御二人は何処から来られたのか、聞いてもよろしいか?」

 

 彼は何かを話しかけてきたが、その言語はこれまで何度も外国を旅したはるかたちにもまるで馴染みのないものだった。

 

「すまない。僕らには貴方が何を言ってるかサッパリだ」

 

 はるかが正直に困った顔で首を傾げる動作をすると、老人の方もそれを察したようだ。

 

「言葉が通じんか……。故郷さえ分かれば送り返してやることも出来るんじゃがのぉ」

 

 村長が唸っているところ、傍の小屋から飛び出してくる少女の姿があった。活発な印象を与える小麦色の肌に両側に垂らした黒髪。この村では目立つ赤のベレー帽にスカート、そして白いシャツに黒いソックスとどこか学生服を思わせる姿だ。

 

「ホントですか村長! この来客数年間一桁を誇るモガ村に迷い込んだ、麗しき異邦人カップルっていうのは……」

 

 少女と2人の視線がかち合った。

 

「ぬわああああああああ目がああああああああぁぁぁぁぁっっっ!!!!」

 

 突然両目を塞いでの絶叫に、はるかとみちるはびくりと肩を浮つかせた。

 

「す、すみません!! あまりにあなた方が輝きすぎてたせいでっっ!!」

「アイシャ、あちらがびっくりしておるぞ」

 

 ペコペコしながら目をこする少女を前にして、はるかは苦笑をみちるに差し向けた。

 

「……彼女、何というか」

「多分、うさぎや美奈子と似たタイプの子ね」

 

 彼女のこの異様なテンションはいつものことなのか、村人たちもそれを見て朗らかに笑っている。

 少女アイシャは目を吹き終わると、今度は納得したようにしたり顔で頷き始めた。

 

「なるほどなるほど、やはり御二方から『フッ……てめーら全員、物語のモブだぜ』オーラがビンッビンに伝わってきますよ~。こりゃあドスジャギィもビビってご退場って寸法なわけです!」

「真偽はともかく……遭難してなおこの気品、並々ならぬ御仁なことは確かだ」

 

 村長は、探りを入れるように

 一方のはるかたちはそれに動じず、村長と真っすぐ視線を合わせて微笑んでいた。表情だけで感情を伝えるくらいの気合だ。

 実は、人の第一印象は言語ではなく表情や手ぶりといった視覚情報によるものが大きい。敵意がないことを示すには、とにかく正直に、しかも愛想よくすることが重要なのだ。それを彼女たちは海外への旅行経験から知っていた。

 

「……カッハハハハハハハハ!!」

 

 しばらく視線を合わせていた村長は突如膝を叩き、砕けたように大笑いした。

 

「気に入った! 何とも良い目をしておる。遭難した先の言葉も通じぬ異国でたった2人。にも関わらずここまで威風堂々とした立ち振る舞い。実に面白い奴らではないか!」

 

 村長は即座に立ち上がり、確かめるようにその場にいる1人1人と視線を合わせた。

 

「よく分かっておるとは思うが、来る者拒まずがこの村の流儀。その身一つで彷徨う者ならなおさらだ。少なくとも、この人たちの目的がはっきりするまではここで匿おうと思う。異存のある者はいないか?」

「ない!」

「ないぞ!」

「ないわよ!」

 

 住民たちの威勢のよい返事が一斉に連なったと思うと、

 

「よし、では早速迎えの席を設けよう! やんごとなき身分の方かもしれんから、丁重にもてなすんだぞ!」

 

 村長の言葉を受け、彼らはあちこちへ散らばって何かの支度を始める。

 雰囲気からして、はるかたちはどうやら快く受け入れられたようだった。

 

「これは、僕たちの作戦が成功したとみていいのかな」

「というよりは救われた、かもね」

「……かもな」

 

 認められる努力こそしたが、余所者にこれほど寛容な村に出会えたのは本当に幸運と言ってよい。

 はるかは笑いかけてくれた住民の1人に愛想よく会釈しつつ、笑みを消してみちるの耳元で囁いた。

 

「だが、長居はしない。プリンセスとデス・バスターズの足取りを掴んだらすぐに立ち去る。君だってせつなに言われたこと、忘れてはいないだろう?」

 

 それを聞き、みちるの端正な顔に陰ができた。

 

「……ええ、分かってるわ」

 

 だが彼女はすぐその陰を打ち消して、はるかの手に自身の指を絡ませた。

 

「でも、今だけは忘れましょう」

 

 はるかは彼女に向けられた微笑みに答えて肩に手を回し、住民の1人に導かれるがまま床板を踏んでいった。

 

──

 

 はるかとみちるがモガ村に腰を落ち着けた頃から、時は更に下る。

 

 霧に包まれた谷。紅に葉を彩る木々。そして、その間を縫って流れる渓流。

 はらりと舞った紅葉が清らかな水の上を連なって流れていく様子は、中々の風情が感じられるだろう。

 ──そこにばしゃりと遠慮なく下ろされる四本の爪。

 厚い毛皮に強靭な四肢を持つ獣……青熊獣アオアシラ。傷だらけの身体で息を荒くし、注意深くあちこちを見渡していた。

 その名の通り腹と背中を緑青色の毛皮で覆った巨大熊は、更に周囲を広く見渡すため四脚で這っていたところから上体を持ち上げ後脚だけで立ち上がった。

 

 鼻がある匂いを捉え、そちらに橙色の瞳がぎょろつく。

 遂にアオアシラは、見つけるべきものを見つけた。

 彼は威嚇を表すため、棘状の甲殻で武装した前脚を上げて苛立たしく唸る。

 大滝の傍に続く小道から、がしゃんがしゃんと金属同士を打ち鳴らす音が聞こえたかと思えば、

 

「いたわ!」

「よっしゃあラストスパートォ!!」

 

 現れたのは、その物々しさに見合わない可憐な少女たち。金髪碧眼のツインテールの少女と黒猫を先頭に太刀使いの黒髪の少女。

 この(みやび)な場にはおよそ似合わない、白熱した視線が鎧姿の少女たちにはあった。

 

 少女たちの正体は──異世界から来た愛と正義の戦士。

 今は訳あってこの世界に巣くう巨悪を退治し元の世界に戻るため、こうして狩人をやっている。

 

 先頭にいる少女、うさぎが白くふわふわした服の背に背負うのは大剣『炎剣リオレウス』。

 空の王者リオレウス、その中でも強靭な個体の鱗によって覆われたその大剣は刺々しく、翼を畳むようにそこに座していた。

 アオアシラは彼女の揺れる髪に興味を引かれてか、そこへ真っ先に鋭い爪を振りかざした──が、それは相手の背後から飛んできた二筋の弾丸によって中断される。

 

「グオオッ!?」

 

 それを撃ったのは、目の前の獣と似た青い毛皮に可愛らしい耳がついた防具の少女と、ハットと橙色の革をガンマン風に着た少女だった。

 前者の少女、亜美はシンプルな形をした弩『ハンターライフル』を、隣の金髪の少女、美奈子は黄緑と橙の混じった甲殻に彩られた弩『バイトブラスター』を番えていた。

 前者に対し後者はかなり大きい銃身を持ち、従って重量もかなりあるのだが、彼女はそれを何ともしない。

 

「美奈子ちゃんもボウガンに慣れてきた?」

「うん! いろいろ試してきたけど、やっぱあたしにゃあこの距離感よね!」

 

 美奈子は、武器種の乗り換えが激しい。それでいて、新しい武器を使い始めて1ヶ月ほどで使いこなしてしまう。この世界でも稀に見るオールラウンダーと言えるだろう。

 美奈子は引き金に手をかけ、重い発砲音と射撃を立て続けに弾き出す。天然の実から調合された通常弾はアオアシラの毛皮を突き破り、確かにダメージを与えていく。

 

 一方、繊維を編んで作られた笠の下で腰に届くほどの黒髪を振り乱し、紫の布地と袴踊らせ、獲物の背後に太刀『灼炎のルーガー』で斬りつけるのはレイ。

 焔剣の尻尾を振るう竜の甲殻から鍛えられた太刀は炎を舞い上がらせ、確実に獲物の傷口を焦がす。

 

「ほら、うさぎもボケっと突っ立ってないで早く参加しなさいよ!」

「レイちゃんがいつまでもそっから離れないからでしょー!?」

 

 うさぎは柄に添える手をそわそわさせて怒鳴り返した。

 遠距離から攻撃できるガンナーと違い、近距離で戦う剣士はこのように立ち位置に困ることが頻発するのだ。

 だから彼女は、味方と獲物の動きをよく観察し。

 

「たああっ!」

 

 重量級ゆえの一撃の重さを利用し、レイの斬撃の隙間に置くようにして刃を上から叩きつける。

 それはちょうど腹にクリーンヒット。

 同時にレイの太刀に勝るとも劣らない豪炎を噴き出す。

 空の王者の名を冠する大剣は、決して見てくれだけではない。中に仕込まれた火炎袋が衝撃に反応し、獲物に炎を吹きかける仕掛けなのだ。

 アオアシラは忌々しげに唸りつつ、振り向きざまに爪を横薙ぎに振るって反撃。その一撃は巨岩をも深く抉り取る威力を持つ──

 

 が、当たらない。

 うさぎは既に大剣を持ちながら転がり、レイは斬る時の勢いを利用して横っ飛びに回避していた。

 軌道の見えすいた攻撃は、彼女らにとってはただの隙でしかない。

 

「よし……じゃあ、必殺の溜め攻撃、行くわよ!!」

 

 背後に回り込むと、うさぎは頭上に『炎剣リオレウス』を構え、柄を持つ両腕に力を込めた。渾身の一撃は飛竜の鱗も砕き、岩石をもかち割ることができる。

 

 だが、それをむざむざ喰らうほど相手も馬鹿ではない。

 アオアシラは気配に気づいて予測より早く振り向くと、四肢を低く構えた後素早くうさぎにのしかかった。

 

「うわーーっ!?」

 

 捕まえられたうさぎは抱き抱えられて激しく上下に揺さぶられる。高い高いをしているような構図は傍から見れば微笑ましく見えなくもない。

 

「あぁ、あぁ、あぁ、あぁ、あぁ〜〜〜〜」

 

 実際の本人からすればたまったものでないのだが。

 

「うさぎちゃん!」

「め、目が回るぅ~」

 

 仲間たちは援護しようとするが、うさぎが手中に抱かれている以上迂闊には手を出せない。

 ちょうどその時、金色の蜜を入れた瓶が2、3個転がり出て地面の上で爆ぜた。

 偶然にも異変に気付いたアオアシラがその濃厚な煌めきを目の当たりにすると、途端に目の色を変えてあっさりとうさぎを放り出す。

 

「ふげっ」

 

 彼女の身体は浅瀬に突っ込み、見事に水浸しになった。

 それを見たアオアシラが直行する先は、無防備になった少女……ではなく、割れた瓶から溢れるハチミツ。

 

「ヴオオオ~~」

 

 彼は地面にどっかりと腰を下ろすとそれを棘の生え揃った前脚に塗ったくり、それを美味そうに舌で絡めとる。

 このモンスターは大食いの暴れ熊の異名を持ち、食欲旺盛な一面も持つ。今回狩猟依頼が下ったのも、商人の荷物を襲って荒らし商品の匂いと味を覚えた可能性が高いからだった。

 

 レイは太刀をしまい、仲間たちと共にうさぎのもとに駆けていきその身体を助け起こす。

 ブルブルと渋い顔を犬のように振ってしずくを払うと、うさぎは急いで集まる仲間たちの顔を見た。

 

「アオアシラは!?」

「呑気にハチミツ舐めてるわよ」

 

 レイが答えると、うさぎは一転して顔を輝かせた。

 見ると、アオアシラの全長5mの巨体が重たげに揺れている。

 まるで迫りくる眠気に全力で抗うように。

 

「ええ! 作戦大成功よ!」

 

 美奈子の快活な声が響いた。

 アオアシラは基本的に食べ物を選り好みしない雑食性だが、中でも特別、ハチミツを大好物としている。その熱意たるや並々ではなく、戦闘を途中でも放り出して夢中になるほどに。

 この生態を聞いて、彼女たちは一計を講じた。

 マヒダケとネムリ草を調合して精製した捕獲用麻酔薬を、事前にハチミツに混ぜ込んでおいたのである。

 

「もーちょっとかっこよく決めたかったけ……どっ!」

 

 うさぎは流れるような動きで閃光玉を取り出し、放り投げる。

 迸った光の爆発に視界を潰され、アオアシラは悲鳴を上げた。

 

「ルナ、シビレ罠お願い!」

「お任せあれよ!」

 

 彼女の御付き猫であるルナは足元に忍び寄り、円盤状の装置を設置。そこから流れ出る電流がアオアシラの身体を貫き、動きを完全に拘束する。

 

「あとはあたしがやるわ!」

 

 亜美が既に装填していた麻酔弾をハンターライフルから撃ち放ち、それは鼻先に見事命中。

 巨大熊の身体がゆらりと揺れ、その場に倒れ伏した。

 しばらくすると、喉の奥から穏やかないびきが聞こえてきた。

 

 帰り道、うさぎの顔は実に得意げなものだった。

 

「ふっふふーっ、もう上位の個体もラクショーラクショー!」

「大層に言うけど、上位昇格はあんたが一番ドベだからね?」

 

 レイのクールな表情での一言が、ずしりと頭上にのしかかる。

 

「あたしなんてずっと前に一番先に上位になっちゃったしぃー」

「まさか、アオアシラ相手に今更ここまで手こずるとは思わなかったわ」

「……みんな、あたしに対して当たり強くない?」

 

 美奈子とルナの追撃まで食らい、うさぎのテンションは急下降。

 

「下位のまま一生を終えるハンターさんも少なくないなかで、うさぎちゃんは頑張った方よ」

 

 にこりと微笑んでフォローした亜美に、うさぎは逃げるように泣いて縋りついた。

 

「うわーん! やっぱあたし、亜美ちゃんしか信じらんなーい!」

 

 実際、亜美の言っていることは事実だった。

 ハンターという職業は過酷を極める。そもそも一般人からすれば下位だろうが上位だろうがモンスターは巨大な脅威であり、下位ハンターが飛竜を倒した時点で英雄と称えられることも少なくないのだ。

 そんなハンターが上位へ昇格するとなれば、それは狩猟技術、頼もしい仲間、十分な武具、そして強運が揃わなければならない。

 

 彼女たちは、その条件を満たしたうえでここにいる。

 

 ティガレックスとの死闘から数多の依頼をこなし、多様なモンスターと対峙した。

 前と比べ、彼女たちは狩りの成功を純粋に喜べるようになった。強き命と真剣に向き合って戦い、時に勝ち、時に負けた。

 そして今は、上位の世界。

 彼女たちは狩人として以前よりも一つ、確かに新しい段階に足を踏み入れていた。

 

 大陸の東方に位置するユクモ村は、山間に在する。

 宿敵、デス・バスターズの足取りを追う旅。その道すがら、このユクモ村に立ち寄ったのだが。

 ──その村は、一度足を踏み入れたら出ることの叶わない末恐ろしい場所だった。

 

「うう~~」

 

 熱気のたちこめるなか、少女たちは尋常ではない量の熱気のなかで呻いていた。

 ぐんぐん高まる体温。だらだら流れてゆく汗。蒸気によってぼやける視界。

 それは、まさに。

 

「ごくらく~~~~~」

 

 タオルを髪に巻き、少女たちは顔を紅くして湯に入り浸る。

 

「っぱ一狩りしたあとの温泉って格別よね~ぶくぶくぶく」

「こら、行儀悪いよ」

 

 背の高い栗色の髪の少女まことが、遊んで水面に泡を立たせたうさぎに注意を促した。

 

「上位ハンターになっても、うさぎの精神年齢は子どもね」

 

 桃色のお団子ツインテールの幼女、ちびうさはそう皮肉げに嘲り、当人からの「子どもが言うな!」との抗議は無視した。

 

「でもほんと、この温泉の中毒性はスゴいよ。すっかり完全に日課になっちゃってさあ」

「そうそう。お肌の調子も、ここに来てから滅法良いのよ~」

 

 美奈子がまことに答えて自身の艶のある肌を弾くと、ぷるんっと音がした。

 どうやら美肌効果もあるらしい。どこまでも至れり尽くせりである。レイが2人を眺めながら亜美に囁いた。

 

「まこちゃんと美奈子ちゃんなんか、真っ先に上位になってから毎日入り浸ってるわね」

「本当はここに長居する予定はなかったんだけれど……」

 

 亜美が見上げると、紅葉が青空を舞っていた。

 水面を緑色の鳥を模したおもちゃが浮かび、周囲ではタオルを身体に巻いた人々が彼女たちと同じように一時の幸福に浸っていた。

 

 このユクモ村から離れられない理由。

 そのものずばり、居心地が良すぎるのだ。

 村というよりは旅館を中心に栄える温泉街と呼べる情景で、ある時期を境にハンターを始めとした世界中からの湯治客が爆発的に増え、大いに繁盛している。その温泉の効能は傷によく効く、スタミナがつくと大評判。

 それだけではない。行き届いた宿泊設備、山菜や魚など自然の恵みを最大限に活用した料理。まるでどこを見ても非の打ち所がない。折しもここの文化は、うさぎたちの元あった日常に近しいものがあった。

 そのせいもあってか、ユクモ村の滞在予定期間は、最初は1週間。次には2週間。そのまた次には1ヵ月と伸びてゆき。

 

「かれこれ3ヵ月もいるのよねー」

 

 呟いたルナまでも、頭にタオルを乗せてすっかりお気に入りの様子だった。

 この地域付近で見かけられているという『金の竜』を調査しているのでこの村に居つくことは寄り道でも何でもないのだが、ちょっと罪悪感が湧いてくるくらいの快適さであった。

 彼女たちがいるのは、集会浴場と呼ばれるユクモ村の中心。ハンターたちのクエスト受付と浴場が一体化した風変わりの施設である。

 うさぎはきょろきょろと周りを見渡すと、ざばっと湯から這い出して浴場の外に向かって叫んだ。

 

「まもちゃん、アルテミスー! 早くおいでよー!」

「い、いや俺は後でいいよ」

「うん、僕も後で!」

 

 男性陣は着替え場の奥に引っ込んでいた。

 狩りを控え、または終えたハンターが中心に利用するとあって、集会浴場は混浴なのである。

 

「紳士なのは良いけれど、周りのハンターさんは気にも留めてないのにな」

 

 まことが見渡してみても、浴場にいる人々は男女関係なく歓談している。この世界では極々ありふれた光景だった。

 

「わかんないわよ? 衛さんもひそかに鼻伸ばしてたりして」

 

 ルナにいたずらっぽくにやつくと、うさぎは紅い顔を更に紅く染めた。

 

「あ、あたしのまもちゃんはそんなこと考えないもん! ……あっ、で……でも、将来お嫁さんになったら、もしかしたらまもちゃんと2人でおふ……」

「うさぎちゃん、フケツよ」

 

 妄想にブレーキがかからなくなっていくうさぎを、亜美は澄ました顔での一言で突っぱねた。

 その両手はまだ幼いちびうさの両耳にしっかりと蓋をしていた。

 

「温泉ドリンク、お買い上げありがとうございやすーっ!!」

 

 入浴後、次は威勢の良い声が浴場に響き渡った。頭に鉢巻を巻いたアイルーが銭を受け取り、代わりに竹を割って作られた水筒を渡す。

 

「「ごく、ごく、ごく、ぷはーっ!!」」

 

 少女たちは揃って腰に手を当て栓を抜き、ドリンクを一気に飲み干した。

 その内容はしるこ、お茶、サイダーなどと多種多様。腕力が上がる、疲れにくくなる、更には釣りが上手くなったり何だかツキが良くなった気がするなど、温泉に負けない評判である。

 今回頂いたのはみんな大好きユクモミルクコーヒー。温泉で火照った喉を、冷たさとまろやかな甘みが満たしていく。

 

「かぁーーっ、効くぅーーーーーっ!!」

「こりゃー大盛況も納得でんがな!!」

 

 うさぎと美奈子は揃って水筒を握りしめ唸る。女子中学生にしてはやたらオヤジ臭い感嘆のしようである。

 

「おほほほ、貴女方もこの村に慣れてきたようですね」

 

 声がしたので振り返ると、そこには紫の着物をして髪を後ろにかんざしで束ねた妙齢の女性。4本の指、尖った耳から察せられるように彼女は竜人族であった。両手を重ねての佇まいと品の良い笑顔は、温泉宿の女将も務める貫禄までも窺わせる。

 

「あっ、村長!」

「ここは気に入って頂けましたか?」

「はい! 食べ物美味しいし温泉気持ちいいし風景もいいし、もー天国って感じ!」

「ふふ、私めには最上級の誉め言葉ですわね」

 

 うさぎの恋人である衛は、ホクホクした笑顔の彼女とは逆に神妙な顔をしていた。

 

「で、普段は表にいらっしゃる村長さんがここに来られたということは……」

 

 かなり緊急の用事ということだ。村長の笑顔が答え合わせをするように陰る。

 

「ポッケ村のネコート様からお便りが来まして。貴女方が討伐されたティガレックスから、新型の妖魔ウイルスが検出されたとのことです」

 

 緩み切っていた場の空気が一気に張り詰めた。

 

「その子の命が喪われた現在、その性質ははっきりしませんが……魔女と称される方々が、また奇妙なことを企んでいらっしゃることには間違いないでしょう。ここ最近、この地域では『金の竜』の噂もますますハンターの皆様の間で広まっておりますし」

 

 『魔女』と『金の竜』。

 うさぎたちは元の世界に戻る手がかりを得るためにも、それらの後を追いここに来たわけであるが。

 肝心の『金の竜』の正体、そして魔女──デス・バスターズとの関係性も未だ不明だった。

 

「この村の人たちも、不安でしょうね……」

 

 心配げな表情を浮かべた亜美に対し、村長は口に手を当て笑った。

 

「おほほほ、そこは問題ございませんわ。昔と比べこの村を護って下さるハンターさんも増えましたし、間もなくこの村随一の救世主様も帰ってこられます。貴女方もどうぞ、いつでも気兼ねなく出入りしてくださいな」

「いやいやぁ、むしろこれからもどうぞごひいきに~」

 

 村長にすり寄ろうとしたうさぎは、その頭をがしりと鷲掴まれた。振り向かせられると、レイが怖いくらいの笑顔をしている。

 

「うさぎ、元の目的忘れてないわよね?」

「わ、わ、忘れてない忘れてない忘れてない!」

 

 威圧を含んだ声で凄む彼女に、うさぎは涙目で何度も頷いたのだった。




現在の装備設定
うさぎ ウルクS&炎剣リオレウス
亜美 アシラS&ハンターライフル(上位強化済み)
レイ ユクモノ天&灼炎のルーガー
まこと インゴットS&ウォーハンマー(上位強化済み)
美奈子 フロギィS&バイトブラスター

3編ではかなり時間軸を飛ばしました。うさぎたちは現在、モンハン本編で言うと上位の中盤にいる設定。もうすぐ過去作のメインモンスターに相まみえる頃合いです。今後の展開や登場モンスターを考慮した結果のカットなんですが、出来ればもうちょっと丁寧にやりたかったかも…。
次回から2、3話くらいうさぎたち中心のエピソードとなります。


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雷鳴り、泡踊る月下①

突然のことですみませんが前回のサブタイトル、変更しました。今回はライズキャラがゲスト出演。


 ユクモ村の一角にある訓練場。すぐ傍には小川が流れ豊かな木々に囲まれる、そのこぢんまりとした空間には、武器訓練を行うハンターのために丸太や的が設置されている。

 

「いよいよかぁ〜、緊張するなぁ」

 

 そう呟いた金色の金属製の鎧、インゴットSを着込んだまことを始めとして、少女たちはある者の到着を待っていた。

 

「大丈夫よ、ここまで訓練して実践を詰んできたあたしたちならこのくらいの『試験』、受かって同然だわ」

「レイちゃんは相変わらずの強気ね」

 

 レイと亜美が自然に話せている一方、うさぎはこの状況に寒気を感じているらしく、せわしなく両腕をさすっては周りを何度も見渡している。

 

「うう~、あたし、テスト当日寒イボ立つ癖あるの思い出したぁ〜。ねぇ、美奈子ちゃ…」

 

 隣に同意を求めようとしたうさぎは、絶句した。

 美奈子は、彼女と比較にならないレベルで冷や汗をかき、震え、青ざめていた。

 

「み……美奈子ちゃん、大丈夫?」

「ご、ごめーん、思い出したわ、ちょうど今できた用事が……」

 

 笑顔で逃げ出そうとする美奈子の襟を、レイが腕を伸ばし捕まえた。

 

「どんな用事よそれ」

「うあああ受けたくない受けたくない受けたくなぁ〜〜い!!」

「美奈子ちゃん、武器をヘビィボウガンに変えて日が浅いものね…」

 

 絶叫して髪を掻き乱し暴れる美奈子に、亜美は冷静な分析をぶつける。

 

「やあやあ『月の猟団』の諸君、調子はどうかな?」

 

 美奈子の動きは、その爽やかな声を聞いて停止した。

 ぎこぎこと油の切れた機械のような動きで首を振り向けた先には。

 

「どうだったかい、狩技の訓練は!?」

 

 にこやかに笑う、1人の青年。

 角の生えたモンスターを模したお面を付け、黒を基調とする忍者然とした身なり。

 ついでに、顔がかなり良い。

 いつもならイケメンを見ただけで目にハートが浮かぶ美奈子だが、この時だけはお化けでも見たように「ひゅうっ」と息が止まりかけた。

 

「ウ、ウツシ教官!」

「本当にいっつもどこから出てくるんですか」

 

 まさに忍者のような現れ方にうさぎは驚き、レイは呆れる始末。

 まことは苦笑して、肩を回してゴキゴキと鳴らす。

 

「訓練、本当きつかったですよ。モノになるまではもう連日筋肉痛続きで」

「そうだろうそうだろう! 俺も全種類習得するにはそれはもう手こずったさ。だが、これが愛弟子の将来につながると思えば何のその! そう、思い出せばあの時──」

 

 ウツシ教官が目を閉じて立ち話を始めると、美奈子は息を殺しつつ摺り足で、隣のうさぎの後ろに摺り足で逃げようとする。

 

「おおっとまた感傷に浸ってしまったね! じゃあ見せてもらおうか、君たちの血のにじむような訓練の成果──ん?どうしたんだいアイノさん! ツキノさんに隠れて!?」

「な、なんでもありませぇんっ!」

 

 かくして、狩技試験は始まった。

 

「さあ、行けえええええ!!!! この日々の鍛錬で磨き上げられた魂の輝きを、俺の眼に思う存分焼き付けてくれええええええええええええええええっっっっ!!!!」

 

 鳥が驚き飛び立つほどの叫びを合図に、まずはまことが前に出る。

 

「じゃあ、あたしから行かせてもらうよ!」

 

 彼女はハンマーを取り出すと目を閉じて息を吸い、次の瞬間には縦にその得物を振り回し始めていた。

 次第に律動は風を生み出し始める。

 それが最高潮に達した時に、溜まりに溜まった遠心力を──

 

「スピニング・メテオ!!」

 

 そのままの勢いで、目の前にある樽にぶちかます。

 樽を撃ち抜き、地面に食い込む鎚。

 目標は言うまでもなく、木っ端微塵に吹っ飛んだ。

 

「いいぞ、100点満点っっ!!!!」

 

 そう言われたまことは「よしっ!」と嬉しそうに拳を小さく握った。

 

「次はあたしの番ね」

 

 レイが自信に満ちた足取りで太刀『灼炎のクルーガー』を縦に構える。

 そのまま縦に置かれた丸太を見据えつつ飛び下がり、後ろに振りかざした刃に反射光を漲らせ。

 

「桜花、気刃斬っ!!」

 

 踏み込み。

 身体と太刀を捻り、回転しながら払い斬る。

 残心。

 2連撃を受けた丸太は、少し遅れて砕ける。さながら桜が舞うように大量の破片を周囲に撒き散らした。

 

「素晴らしい!! 素晴らしいぃぃぃっっ!!」

 

 教官は感動のあまりかその場に膝をつき、両拳を握り締めながら泣き叫んだ。

 最後に太刀を納刀してカッコよく決めたはずのレイだったが、その声量に圧されたせいで黙るしかなかった。

 

「今日もあの人、いつも通りだね」

「あははは……」

 

 戻ってきたまことが亜美に話しかけると、彼女は苦笑いで答える。

 ウツシ教官は超が5個付くくらいの熱血漢だ。訓練の内容は恐ろしく厳しいものの、常にこちらを褒めて伸ばしてくれる教官の手本と言ってもいい好人物。カムラの里なる村からわけあって出張してきており、その一環でうさぎたちの修行の面倒を見てくれている。

 

「さあ、ミズノさん! 次はキミの狩技を見せてくれっっ!!」

「あっ、はい!」

 

 呼びかけられた亜美は、急いでハンターライフルを担ぎ上げた。

 精神力を爆発させて繰り出すその技は、狩人の間で『狩技』と総称される。以前にうさぎが鬼兄弟から習得した『ムーンブレイク』も、そのうちの一つである。うさぎたちの世界からすれば狩人の必殺技、ということになろう。

 

 亜美が向かったのは、木の枝から縄で吊るされた横向きの丸太。

 彼女は銃身に異常がないことを素早く目で確認すると、そのライトボウガンそのもので丸太を殴り、前方上空へと弧を描かせた。

 勢いよく振り上がった丸太は宙のある一点に停止し、そこから振り子の要領で戻ってくる。

 

「……バレット・ゲイザー!」

 

 亜美が銃口を向けたのは、丸太そのものではなく地面。

 後方に飛びのきざまに撃ちだされた弾丸は、ちょうど丸太が戻ってくる地点に突き刺さった。

 弾丸はまだ爆発しない。着地した彼女は更に身体を捻り、回転させながらの2回目の後方跳躍。

 同時に丸太がちょうど亜美のいた地点を通過し──大爆発。

 弾丸、正確には弾丸型地雷が遅れて作動したのだ。

 少女が背中から転がって衝撃を殺し、弩を構えつつピタッと止まると、

 

「ウォッ……ウォッ……ウォオオオオオオオオオン!!!!」

 

 遂にウツシ教官は、モンスターの咆哮にも迫る勢いで号泣しだした。

 

「あ、あのー、大丈夫ですか……うわっ」

 

 まことが心配して顔を覗き込もうとした瞬間、彼は涙を零しながら振り向いた。

 

「君たちを見てると思い出すんだ、我が愛弟子と過ごしたあの特訓の日々を! ああ、今頃愛弟子は泣いてないかな? 寂しがってないかな!? 俺は!! 今!! 強烈に!! とってもとっても寂しいよおおおおおお!!!!」

「こんな暑苦しい人と日頃から修行だなんて、愛弟子さんも大変ね……」

 

 レイも、この強烈すぎる男を前にどこか狼狽している様子である。

 

「だが、泣いてる暇はない! さあ、次はアイノさんの番だよっ……んんっ、どうしたんだ地面にうずくまって!?」

 

 「えっ」とうさぎたちが大地を見ると、いつの間にか美奈子がその場に丸まって倒れ伏していた。

 

「ぐげえええええええええええ……す、すみません、あたし、今日はお腹の調子が……」

「そうか。くれぐれも無理はしちゃダメだよ! ではツキノさん、彼女に代わってお願いするね!」

「は、はい……」

 

 うさぎは前に進みつつ、ちらりと美奈子の顔を垣間見る。

 よく見ると、顔を青くした美奈子の傍には『にが虫』──食べると凄まじく苦く、腹痛を引き起こす青い昆虫──が2、3匹這っていた。そして彼女の口端からは脚がちらほら飛び出ていた。

 

『美奈子ちゃん、どんだけテスト受けたくなかったの!?』

 

 うさぎは彼女の覚悟に心底恐怖した。

 こうなった原因は、美奈子の武器をよく変える癖ゆえだった。通常、狩技は武器を十分に使いこなしてから修得するもの。彼女は浅く広くやることこそは上手だが、深掘りするとなると、途端に弱みを見せてしまうのだ。

 

「さあ、ツキノさん! 倒れた彼女の分まで背負い全身全霊をその大剣にかけるんだ! 大丈夫! 俺もここで全身全霊の声援を送るからねっっ!」

「そー、そうですかー、ありがとうございますー」

 

 うさぎは意気込む教官に張り付いた笑顔で答え、大剣を構える。

 取り敢えずは切り替える。 

 今から繰り出すは、かつて雪山にてティガレックスに打ち勝つ契機となったあの技。それをこの地域で鍛錬を重ね、更に威力を高めたものだ。

 何度も大剣を振り回し、十分に威力が乗り切ったところで、いざ。

 

「ムーンブレ……!」

「気炎万丈おおおおおおおおぉぉぉおおおおっ!!!!!!」

「あっ」

 

 宙返りしようとしていたうさぎはちょうど重なった教官の声援に足が滑り、そのままひっくり返って墜落。

 そのみぞおちに、大剣の柄が直撃した。

 

「ぶごぉっ!?」

「なにっ!?」

 

 うさぎは仰向けのまま泡を吹いていた。

 

「だ、大丈夫かいツキノさん!? 一体どうしたんだ、しっかりしてくれーー!!」

「多分、ほとんどあなたのせいかと……」

 

 驚いて駆け寄ったウツシ教官に、レイは冷静に突っ込む。彼自身は悪意0%なので余計にたちが悪い。

 この男の何かと熱っぽいところは長点でもあり欠点でもあった。

 

「いや、すまないすまない……思わずいつもの癖で熱くなりすぎてしまったね。では少し休憩を取って、後からまた再開しようか!」

 

 いろいろとトラブルも経て休憩に入ると、少女たちは木陰に入って地に腰を下ろす。相変わらず美奈子は唸りながら横になっていた。

 

「美奈子ちゃん、いつになったらお腹の調子治るんだろ……」

「多分試験が終わるまでずっとこうしてるつもりね」

 

 うさぎとレイはずっとそれを観察している一方、まことは木に腕を後ろに組んでもたれかかっていた。

 

「ま、これも浮気癖ばかり繰り返してるせいだよ。ちょっとくらいは教官の熱心さを見習わなきゃ」

「まこちゃん、あの人と私たちを一緒にしちゃいけないわ。狩人としてのレベルが段違いなんだから」

 

 亜美はそう彼女をたしなめる。

 ウツシ教官は、ハンターとしての腕前はもちろんあらゆる武器種に精通しており、現在は新しい技術の開拓にも携わっているという。

 ユクモ村に来たのも狩技やそれを扱う狩人の意見を参考にしてその開発につなげたいからで、彼女たちに狩技を教えてくれているのもその想いから来ているらしい。

 

 教官は少し離れたところで、巻物に熱心に筆で何かを書き留めていた。

 黙っていればイケメンなので最初は少し戦士たちの間で色めき立ったものの、口を開いた瞬間その空気は何処へと消えていったことは記憶に新しい。

 それはともかく。

 まことはふとその行為が気になり、同じものを見ていた亜美と共に教官の傍に寄った。

 

「教官、今日も新しい技の開拓ですか?」

 

 彼はこちらに気づくと、眩しいくらいの笑顔で頷いてきた。

 

「ああ、そうさ! 今日も君たちの動きを見て参考にさせてもらってたところでね! 本当に君たちは訓練を重ねる度に愛弟子の動きに近くなっている気がするよ! 近年稀に見る逸材だ!!」

「あ……ありがとうございます……」

 

 この男は、愛弟子の話になるとただでさえ熱い口調が更に熱くなるところがある。まことはその勢いに圧されつつも、素直に感謝して頷いた。

 

「それにしてもよく故郷を離れられましたね。しばらく愛弟子さんと会えないというのに……」

 

 亜美の言葉を聞いた途端、ウツシは「ぐうっ」と胸を押さえ、苦しげに背中を丸めた。

 

「そう! 辛い、辛いよ! 我が愛弟子と会えないのは、モンスターに踏んづけられるよりもずっと痛ましいことだっ……!」

 

 しかし、無理やり振り切るようにして彼は熱弁を続ける。

 

「だが新しいものとは常に、異なるもの同士が掛け合わさることで生まれる。既にあるものを参考にしたり、自分で試してみることはとても大切なことなんだ! 俺は今、まさにそれをしている!」

 

 形こそともかく、ウツシ教官の言葉に誤魔化しとか、嘘といった概念は全くない。

 彼は感極まったように筆を固く握りしめ、希望に溢れた眼差しを大空に向ける。

 

「これが上手く行けば、狩猟技術に革新が起こる! 我が愛弟子はもちろん、君たちのような遠い地域のハンターにも必ず利益があるはずだ! 今後の結果を是非とも楽しみにしていてくれっ!!」

 

 しまいには少年のようにキラキラした瞳でグッドサイン。少女2人の頬に思わず笑みが漏れる。

 傍から見れば、数秒ごとに何かと感情の起伏が忙しい変わった人。

 しかし彼のこういう人間性そのものは、戦士たちからは好ましく受け取られていた。

 

「それに実は、もうすぐ同郷の人がここに来る予定になっていてね! ホームシックに関しては何も問題ないのさ!」

「あ、なぁんだそういうことか」

 

 事情を聴いてまことが安心したところに、駆けてくる足音。

 

「ちょっとみんな! 大変よ!」

「ちびうさ、どうしたのよ! ルナとアルテミスまで!」

 

 うさぎが戸惑っているところ、ちびうさの足元にいたルナが叫んだ。

 

「緊急! 村長さんが、ウツシ教官も含めて今すぐ来てほしいって!!」

 

──

 

 ちびうさに連れられユクモ村の表に出る。今日も通りには観光客が溢れ、良質のユクモの木から組まれた家屋の煙突からは温泉の煙が吐き出されていた。

 いつもなら村長は日傘を差して宙舞う紅葉を見つめているのだが、今回はこちらを待ち兼ねるように立っていた。

 うさぎたちの姿を認めた彼女は立ち上がり、いそいそと着物の裾を掴んですり足で駆け寄った。

 

「来られましたか。お得意様からぜひ皆様に緊急の依頼を、と」

「お得意様?」

 

 案内された先には、2人の女性が長椅子に座っていた。

 両者とも顔立ちの整った美人で、紅の袴にゆったりとした白い着物。長い黒髪には縄状の髪飾りを結わえてある。

 

「あり? 同じ人が2人? 分身? 残像?」

「双子さんよ、うさぎちゃん」

 

 目を点にしていたうさぎの肩を亜美が叩き、囁いた。

 瓜二つの顔の女性は両者とも黒髪を後ろに長く伸ばし、眉の上でばっさり切り落とした大和撫子スタイルであった。ちょうどレイと似た髪型である。

 

「ヒノエさん、ミノトさん! どうしたんだい、足元をこんな泥だらけにして!」

「あらウツシ教官、久しぶりですね。心配せずとも大丈夫ですよ、怪我はありませんから」

「いえ、私にはあのことが気にかかります、ウツシの言う通り、無理はしない方が……」

 

 慌てた様子のウツシ教官に、女性たちは慣れた様子で答えている。どうやら彼女らが先ほど言っていた、教官の同郷の人であるらしい。だが、それでも未だに分からないことがある。

 まことが恐る恐るながら前に進み出る。

 

「あのぉ……どっちがどっちで?」

「あら、貴女方が『月の猟団』の皆様ですね。申し遅れてすみません、私は姉のヒノエ」

「私は妹のミノトと申します」

 

 詫びつつ頭を下げ『ヒノエ』と名乗った女性は少し顔の色が悪く見えたが、垂れ目で包容力のある笑顔を浮かべる。もう1人のミノトは、少し鋭い目つきでクールな印象を抱かせた。

 うさぎは純粋な光を湛えた瞳で、姉妹の顔を間近で見比べる。

 

「うっわー! レイちゃんと似てんのに凄くお淑やかね〜」

「……ん?」

 

 レイはその言葉の意味を少し考え、直後、うさぎの頭を拳でガチリと挟んだ。

 

「ん゛ん゛〜〜〜〜? あたしはお淑やかじゃないですって〜〜〜〜!?」

「あっそういうとこそういうとこそういうとこ!!」

 

 折檻されるうさぎにミノトはものも言えず唖然としていたが、ヒノエは口の前に上品に手を持ってきて、柔らかい笑顔を浮かべた。

 

「ふふ、喧嘩するほど仲が良いとはよく言ったものです……ね……」

 

 ヒノエの言葉は途中で途切れた。

 そのまま、彼女の身体はその場にぽすん、と倒れ伏した。

 

「え……ヒノエさん?」

 

 明らかに、ヒノエの顔から血の色が引いていた。

 

「姉様! 姉様!!」

 

 誰よりも先に反応したのは、妹のミノト。彼女は何回も姉に呼び掛けてそれでも起きないことを悟ると、必死の形相でうさぎたちに振り向いた。

 

「皆様! どうか今すぐ、渓流に行って頂けませんか!?」

「け、渓流に!?」

「私たちはここに来る道中、複数のモンスターに襲われました。幸いにして怪我はありませんでしたが……とても、とても大事な荷物を落としてしまったのです」

 

 無念そうな表情のミノトに、先ほどの腹痛から少し復活した美奈子が話しかける。

 

「もしかしてその荷物が、今のヒノエさんを救えるってこと?」

「はい、その通りです。この手にハンター用の武器があれば、今すぐにでも行きたいところなのですが……この季節は状況が落ち着いていると思って油断しすぎました」

 

 ミノトは何もない両手を眺め、悔しげにうつむく。

 この涙の潤んだ表情とやり取りを見ていれば分かる。ミノトは実に姉想いの人物だ。この純粋な想いを前に断る理由などどこにもなかった。

 うさぎは迷わず頷いた。

 

「分かった! 今すぐ行ってくるわ!」

「でもモンスターが複数いるとなれば、荷物を同時に回収するのはかなり難しくなるわよ」

 

 亜美の意見は最もだ。モンスターが複数いる場合、当然ながら狩猟難易度は高くなる。合流などすれば最悪、荷物どころでなくなる場合も多い。

 では荷物の回収だけに集中しよう、というのも手だが、モンスターが荷物に関心を持つ可能性は十分にある。衝突を避けることは難しい。そもそも、複数のモンスターが同時に人里近くにいること自体が交通安全上極めて危険な状態なのだ。

 

「じゃあ、どうすれば──」

 

 そう言ったまことを筆頭に、少女たちは頭を悩ます。

 ギルドの規則では、4人以上での狩りは原則禁止されている。

 こういう場合、前の世界のように5人で行動できればやりやすいのだが──

 

「一つ、案がございます」

 

 そう言ったのは、他ならぬユクモ村の村長。

 普段の穏やかな雰囲気に対し、今の彼女は瞳に聡明な色を光らせて立っていた。

 

「ギルドが定める狩猟参加人数の制限対象は、あくまで『狩人』。すなわち、『狩りを遂行する能力を有する人』のみなのです。この意味、お分かりになりますか?」

 

 うさぎと美奈子を除く少女たちは、それほど時間をかけることはなく「あっ」と村長の真意に気がついた。

 

「でも、良いんですか? ギルドの長がそんなこと言っちゃって……」

「規則というものは、状況によっては柔軟に捉えるべきものです。これも貴女方の実力を知るが故」

 

 レイの問いにも、村長は余裕を持った笑みで答える。

 さすがは長年この村を治めてきただけはあった。

 3人の少女たちは視線を巡らし、一つのことを決める。

 彼女らは頷き合うと、いきなりまこととレイがうさぎの両脇を固め、抵抗できないように固定した。

 

「え?」

 

 亜美は「ごめんなさい、うさぎちゃん」と申し訳なさそうに大剣を背中から外す。

 

「どういうこと?」

「じゃあ、準備に行ってきます!」

 

 少女たちは村長、ミノトやウツシ教官と顔を見合わせ頷き合ってから、マイハウスに向かってうさぎを引きずり始める。

 うさぎは美奈子と顔を見合わせるが、彼女は知らない知らない、と主張するように首を横に振りまくる。

 

「お願いします! どうか、姉様をお救い下さい!」

「頼む! カムラの里を照らす太陽の運命、今ここで君たちに託すぞおおおおぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 

 完全に置いてけぼりを食らっているうさぎは、引きずられながら必死に叫んだ。

 

「どーゆーことー!?!?」




あくまでこの作品はライズ以前の時間軸設定なので、本編にはあまり絡みません。3rd未プレイのため、ユクモ村の描写もやや薄めです。ゲスト扱いが惜しすぎるくらい魅力的な人たちなのですが、こっちも詰め込むとややこしくなりすぎるので私の文章力も鑑みこの形式にしました。


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雷鳴り、泡踊る月下②

1週間のうちに、いつの間にか評価数が一気に増えててビビりました……。本編はかなり長くなってしまってますが、見て頂けてるというのは実にありがたいことです。少しでも更に面白い物語を描けるよう尽力します。本当にありがとうございます!


「なんであたしだけ武器なしなのよ!?」

 

 風に揺れるススキのどこからか鈴虫が鳴り、朧月夜が見える夜の渓流。

 そんな風流な場にあっても、荷物運搬用の荷車を引くうさぎの抗議は未だ収まらなかった。

 レイはため息を吐いて返した。

 

「狩猟参加人数の4人制限に触れないためよ。さっきも説明したでしょ?」

「それとは別の話!! あたしだってちゃんと狩ってきたのに──」

「そりゃあ、うさぎが上位ハンターになるの一番ドベだったからでしょ」

「うぐっ」

 

 ちびうさの思わぬ痛い横槍に、うさぎはドキリとして胸を押さえた。

 

「その大剣だって、散々亜美ちゃんたちに狩猟を手伝ってもらった結果だし……」

「うぐぐっ」

「そのウルク装備を作る時だって、散々ウルクススにうさぎダルマにされてたのを何度もレイちゃんに助けてもらってたの、あたし見てて覚えてるもん」

「大正解よ、ちびうさちゃん。美奈子ちゃんは狩技こそできないけど、ドジばっか踏んでるうさぎよりはずーっと……」

「あーもう言わないでー!!」

 

 うさぎは半泣きになって両耳を手で抑え込んだ。隣で一緒に荷車を引いている美奈子は気まずそうに視線をそらしていた。

 今回、うさぎとちびうさは荷物を回収する役目に徹する。武器を持っていないのは、レイが言ったように狩りに参加する者として()()()()()()()()()()()ため。まさに規則の隙をついた形である。そもそもこの規則自体も、モンスターの脅威度によっては破られることも少なくないため取り立てて厳格なものではないようだが。

 

「ほら、荷車止まってる! 急いで!」

「ぎゃうっ!?」

 

 ちびうさは発破をかけるように、荷車の取っ手を持つうさぎの膝の裏を叩いた。

 

「くぅー!! がきんちょの癖に、コンチキショ~ッ!!」

 

 乙女にあるまじき言葉を吐きながら、うさぎは泣く泣く歩を進める。

 

「さあ、言っている間に見えて来たわよ」

 

 亜美の声にうさぎが渋々前に向き直ると、見慣れた景色が広がった。

 エリア4。

 かつて人の住んだ証、打ち捨てられた廃屋が今は自然の一部として残る平原。

 月下に照らし出されるそれには、美しさと同時に侘しさも感じられる。

 

「ん? ねえねえ、もしかしてあれって……」

 

 荷車をうさぎと一緒に引いていた美奈子が、何かを見つけて指を差す。

 緑が主体の景色ではやたら目立つ、桜色の風呂敷に包まれた大きな箱。

 この状況においては、ほぼ間違いなくそれと断言できるそれを見て、少女たちの顔は一気に明るくなった。

 それまでの重々しさは何処へ行ったのか、うさぎは真っ先に荷車を引いていく。

 

「やったぁ、ラッキー!」

 

 狩猟地に来ていきなり発見とはとんだ儲けもの。モンスターのいない間に荷物を回収すれば、あとは仲間たちに狩猟を任せて帰ればよい。うさぎとちびうさは喜び勇んで荷物へ向かいかけたが──

 

「待って!」

 

 横からレイの手が伸び、廃屋の陰に連れ込まれた。

 

「な、何なのよレイちゃあん!?」

「静かにして。何かが来る!」

 

 しばらく待っていると、するするすると何かが草原の上を滑る音、そして何かがぽよん、と生まれてはパチンと弾けるような音も聞こえてきた。

 うさぎがこっそり片目だけ表に出してみると、北側から泡を纏ったしなやかな形状の生物がこちらに向かって地上を泳いできていた。

 

 一見桜花かと見紛う、頭部に生えたヒレ。狐に似た顔つきは月に照らされ、白く光っている。その後ろに続く、これまた花びらのごときヒレを背負う胴体。それを支えるしなやかな四肢は、今は役目を果たさずただ地面に添えるだけ。なのにその生物は蛇のごとく身体をうねらせ、地上を何の苦もなく滑ってみせる。

 それは胴体から尻尾にかけて下部を広く覆う、紅紫の毛が生み出した『泡』によるものだった。

 生物はうさぎたちから見て廃屋を挟んで向こうの平原に来ると、戯れるように一通りくるりと円を描き、髭のついた流麗な顔を持ち上げて大きな欠伸をした。

 周囲ではそれの生み出す泡が飛び、やがて視界にある月に被さるまでに高く上がった。

 亜美はハンターライフルを取り出しつつ、小さく呟く。

 

「あれは、タマミツネね」

「す、すごくきれ~……ん?」

 

 竜のあまりの可憐さに思わず見惚れていたうさぎだったが、あることが起こってしまったことに今更気づいた。

 あろうことかタマミツネは荷物のすぐ隣で丸まり、眠り始めてしまったのだ。

 

「ちょっとなんでそこで寝るのおおおおぉぉぉぉぉ!?!?」

「仕方ない、うさぎちゃん。バックアップはキチンとするから、どうか頑張って!」

 

 小声で必死に物申すうさぎに、まことは静かにウォーハンマーを両手に構えてみせた。

 それだけでなく、ちびうさも変身アイテムであるピンクムーンスティックを見せてきた。

 

「大丈夫よ、うさぎ。あたしも手伝ったげる」

「うぅ~……りょーかーい」

 

 渋々ながらうさぎはちびうさ改めちびムーンの協力を得、共にそろそろと荷車を引いていく。

 幸い、タマミツネは元の温厚な性格も手伝いすっかり落ち着いた様子。そのすぐ背後の荷物に、確実に向かっていく。

 

「……じゃあ、失礼しま~す……」

 

 荷車の後方を開け放ち、2人でそっと大人の背くらいの高さはある巨大な箱に手を伸ばす。

 その時だった。

 うさぎたちの隣に浮いていた泡がパチンと弾ける。

 一筋飛んできた、小さな光によって。

 

「……え?」

「クルルォォォォ……」

 

 うさぎが奇妙な光景に驚いているうちに、眠たげな声が聞こえた。

 

「うさぎ、後ろ見て後ろ!!」

 

 ちびムーンの焦る声を聞いて振り返ると、そこにはタマミツネの顔が。

 切れ長の瞳は一体お前はそこで何をしている、と問いたげな感情を露わにしていた。

 

「ひゃあああああ!! すみませんすみませんすみませんすみませんすみません」

 

 武器を持たないせいか、うさぎは荷物に縋りついて泣き喚く。

 だが、ちびムーンは他のことに気づいていた。

 

「『蛍』……こんなに多かったっけ」

 

 それらは、タマミツネが来た方とは真逆、南方から飛んできていた。

 

「いだっ!」

 

 偶然ちびムーンの鼻先に当たった『蛍』は、電気の火花を発して逃げていった。

 

「違う! これ、蛍じゃない!!」

 

 今にもタマミツネの前に飛び出しそうになっていた仲間たちも、異変に気付く。

 タマミツネは目の前の人間たちから目線をずらし、光の飛んでくる方を眺めた。

 

「これ……雷光虫!?」

「こんなに大量にいるってことは……まさか!!」

 

 亜美たちは南方にある谷間の道へと視界を切り替える。

 雷光虫の源が、ゆっくりと歩みを進めていた。

 

 タマミツネとは正反対に、それは四肢で堂々と大地を踏みしめていた。

 狼と似た蒼い顔に鋭い角を生やし、猛々しく鋭い目つきは歴戦の侍を思わせる。

 胴体は刺々しい黄色の甲殻が折り重なるようにして胸、背中、そして尻尾へと続き、それを白いふさふさとした体毛が飾っている。

 

「アオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォン!!!!」

 

 蒼い鱗を持つ獣は月光にその身を更に蒼く照らし、遠吠えした。

 それはちょうど自身を照らす満月、そしてタマミツネとうさぎがいる方向に向かって。

 

「ジンオウガ!?」

 

 まことが呟き終わらないうちに、雷狼竜ジンオウガは地を蹴り出す。

 彼の前脚は筋骨逞しく、武者の籠手のように発達し、その先に生える鋭い爪も相まって前面からみた威圧感は伊達ではない。

 それが真っすぐ、うさぎの仲間たちが隠れていた廃屋に突っ込んでくる。

 

「避けて!」

 

 亜美の指示が飛ぶのとほぼ同時、彼女らは一斉に跳んだ。

 体当たりで廃屋を難なく木屑に帰し、ジンオウガはタマミツネへと迫る。

 

「あ、あれ、この箱すごくいい匂い……」

「んなもんどうでもいいから早くして!!」

「え……きゃああああああああああ!!」

 

 ちびムーンの叫びで、鼻をすんすんさせていたうさぎはやっとジンオウガの存在に気づいた。それは真っすぐ、猛然と四肢を宙へと躍らせ突っ込んでくる。

 

「ウオオオオオッッッ」

 

 ジンオウガは、前脚を高く振りかぶり、目の前にいる竜へと叩きつけた。

 だが、相対するその泡狐竜タマミツネは決して慌てなかった。

 彼は泡の上に自身を素早く滑らせて弧を描き、見事に初撃を回避する。

 

「グルルル……」

 

 悔し気に唸る雷狼竜。まるでそれをからかうように、タマミツネは周囲を泡の軌跡を作りながら歩む。

 

「今のうちよ!」

 

 火事場の馬鹿力とでも言うべきか、うさぎとちびムーンは恐ろしいほどの手際を発揮。10秒足らずで荷物を荷車へと運び終える。

 

「う……うさぎちゃんってあんなキビキビ動けたのね……」

「ボケっと突っ立ってる暇はないわ! うさぎたちを援護するわよ!」

 

 美奈子にレイは叱咤し、太刀、灼炎のルーガーを引き抜いた。

 仲間たちが駆けつけてくる間にはすでに、うさぎとちびムーンは荷車の取っ手を握っていた。

 

「行くわよ、ちびうさ!」

「ええ!」

 

 彼女らが牽引を始めた途端、ずっと睨み合いを続けていたモンスターたちに異変が起こる。

 

「……グルアアアッッ!!」

 

 ジンオウガが突然、うさぎたちに意識を向けて吠えてきたのだ。

 

「ええっ!?」

 

 彼は目標を変え、荷車目掛けて突進した。

 

「ひいいいいい!!」

 

 急いでうさぎとちびムーンは荷車を引っ張り、辛うじて攻撃を避ける。

 だが、それだけではない。タマミツネもそれに気づき、荷車目掛けて地面を滑ってきたのだ。

 

「ちょっ、ちょっとなんであたしたちを追ってくんの!?」

「知らないわよそんなこと!!」

 

 必死に逃げ回る人間目掛けて跳びかかろうとしたジンオウガだが、その前方をタマミツネが素早く通過する。

 できた泡の道に脚を取られ、ジンオウガは驚いて立ち止まる。

 

「グオオオオアアアアッッッ!!」

「ルオオオォォォ」

 

 吠えかかるジンオウガに対し、それは私の獲物だ、とでも言わんばかりにタマミツネは鳴く。

 少しの睨み合いの後、雷狼竜が宙返りして尻尾を叩きつけ。それを泡狐竜は横向きに跳んでかわす。

 ジンオウガを『剛』とするなら、タマミツネは『柔』。両者一歩も譲らず、乱戦が始まる。

 

「くそっ、いがみ合い始めやがった!」

 

 うさぎを助けようとしていたまことは、この状況に歯噛みする。モンスター同士の争いは、ハンターにとってはメリットデメリットの両方が存在する。今は、完全にデメリット。乱戦の間を逃げ惑ううさぎたちを救出するのはかなり難しい。

 うさぎたちからすると、あっちを向けばモンスター、こっちを向いてもモンスター。しかもひっきりなしに攻撃が飛んでくる。

 

「ひいいいいいい!!」

 

 もはや半分、パニック状態で走り回っていると、何かぬるりとしたものを踏んづける。

 タマミツネの残した泡だった。

 

「ぎゃああああああぁぁああぁぁあぁぁ……」

 

 そのままうさぎたちは転びかけのスケートのように草原をつるつる滑り、本来行くべき道とは見当違いの方向へ。西側に広がる森林めがけて叫びながら突っ込んでいった。

 

「う、うさぎちゃん!」

 

 彼女らを目に留めていたのは、亜美や仲間たちだけでない。

 

「ウオオオオオオオオンッ」

 

 ジンオウガもまた、うさぎたちのに吠えて森林へと真っすぐ駆けて行った。

 タマミツネもそれを追おうとしたが、その首元に刃が飛んだ。

 

「待ちなさい。あんたの相手は、このあたしたちよ」

 

 泡狐竜が振り向くと、そこには2人の人間の姿。1人は太刀、もう1人はライトボウガンを構えている。

 

「レイちゃん! タマミツネは曲線的な動きでこちらを惑わすというわ! 気を付けて!」

「見て分かるわ。亜美ちゃんもあちらに負けずずる賢くね!」

 

 まことと美奈子は、うさぎたちとジンオウガを追って森林へと走っていった。

 いよいよ、本格的な狩猟が始まろうとしている。

 

──

 

「しつこいわよあのワンコ!!」

「うさぎ! まさかあんた、最近太って美味しく見えてんじゃないでしょうね!?」

「んなわけないでしょうがああああぁぁぁぁ!!」

 

 うさぎとちびムーンは口喧嘩しながら仲良く荷車を引っ張り、森林の中を逃げ回っていた。

 それを追うジンオウガは軽々と木々を薙ぎ倒し、確実に少女たちに迫って来る。

 振り向くと、そこにはうさぎの身長の2、3倍の高さからこちらを睥睨する野生の狩人の視線。

 

「あ……ああ……あああああ……」

 

 言うまでもなく、人と獣の力の差は歴然。

 タマミツネの妨害もなく、ジンオウガは確実にうさぎたちに迫って来る。

 

「未来のお姫様に手ぇ出すんじゃないわよ、あんたーっ!!」

 

 白い体毛に覆われた背中で弾が炸裂する。

 ジンオウガは不愉快そうに顔を歪め、追いついてきた2人の少女に振り向いた。

 

「まこちゃん、美奈子ちゃん!!」

 

 うさぎたちは顔を輝かせた。まことはウォーハンマーを、美奈子はバイトブラスターを背負って駆けつけてくる。

 

「うさぎちゃんは隙を見て、どこでもいいから逃げて!」

 

 まことは叫びながら、ジンオウガが跳びかかって来るのを横に転がって避ける。

 

「さっそく叩き込んでやる! スピニングメテオ!!」

 

 彼女は相手が突っ込んできたのをいいことに、縦にハンマーを振り回す。

 そして相手の後ろ脚に炸裂する、地割れを起こすほどの強烈な振り下ろし。

 

「グルルル……」

 

 むろんそれほどの攻撃でも、ジンオウガの身体はびくともしない。

 

「背中ががら空きよっ!」

 

 美奈子が数発麻痺弾を撃ちこむと、ジンオウガは身体を痙攣させて一時的に動きを止めた。

 

「チャンスだっ!」

 

 まことはウォーハンマーを振り回し、ジンオウガの頭を殴りまくる。

 叩きつけ、振り上げ、振り下ろし。

 幾つかの攻撃で一部の甲殻や鱗がひしゃげ、砕け、潰れた。

 麻痺の解けたジンオウガはまことの怪力を脅威と判断し、真っ先に噛みつきにかかる。

 そこを美奈子のバイトブラスターによる通常弾射撃が襲い、確実に相手の身体にダメージを蓄積させていく。

 

 そして彼女らがジンオウガを引き付けている間に、うさぎたちは荷車を引いてやってきた方向そのまま、西へ森林を抜けようとしていた。

 というのも、元来た道を戻ればタマミツネとぶつかってしまう可能性が大だからである。一番安全な帰り道としては、このまま以前にアオアシラを狩った小川流れる『エリア6』を南東に抜け、渓谷の高所にある岩棚をそのまま東に抜けるルートが最適だった。

 

「ひ……ひぃ……今頃思ったけど、この荷物やたらと重くない?」

「ほんと……一体何が入ってんのよ!」

 

 先ほど散々走り回ったせいか、疲労の蓄積が激しい。この森林を抜けるには、その間にも、ジンオウガとまこと、美奈子は死闘を繰り広げている。

 ジンオウガはふと、うさぎたちがいつの間にか自身から遠く離れていることに気づいた。

 だが、追いかければ追いかけようとするほど、まことと美奈子がしつこく妨害を行う。

 牙竜の瞳が、苛立たしげに歪められた。

 

 雷狼竜は自身に2人が近づいてきたことを見計らうと、いきなり身を斜め後ろに反らせるように構えた。

 

「グオオオンッッッ」

 

 前脚を軸にし、身体を捻らせながら飛び上がる。

 尻尾が螺旋を描き、周囲をほぼ360度薙ぎ払う。

 巨体に見合わぬ俊敏さで繰り出された一撃は周囲の木々を一掃し、まことと美奈子にも直撃した。

 

「わっ」「きゃあっ」

 

 撥ね飛ばされた2人はあまりの衝撃にしばらくその場に動けずにいる。

 それを見下したあとジンオウガは息を吸い込み、虚空に向かって雄叫びを上げる。

 

「アオオオオオオオオォォォォォォォ……」

 

 どこからか現れた雷光虫が無数の群れとなって竜の背中に集まってゆく。

 そのうちに、背中に電流が走り始めた。

 

 ここまでジンオウガは別名にあるはずの『雷』を今まで一度も見せていなかった。

 彼はまさに今、少女たちを必ず打倒すべき敵と認識しつつあるのだ。

 その異変は、必死に逃げるうさぎたちにもひしひしと伝わっていた。

 

「あの子、ビリビリしてきてる……ヤバいわ!!」

「は、早く逃げないと……あちっ、あちっ!!」

 

 渓流中の雷光虫がジンオウガ1頭に引き寄せられ、そのうち数匹がちびうさの顔を直撃した。

 ジンオウガは、単体の力では雷を操ることができない。

 そこで重要となるのが、自身に集まっている雷光虫。この電流を発する昆虫と共生し、力を借りることでこの竜は真価を発揮する。

 

 何とか立ち直ったまことと美奈子は武器を構え直したが、ジンオウガはほぼ相手にせず、雷光虫を呼ぶことを優先した。

 

「こいつ、あの状態になる気よ!」

「くそっ、せめて妨害を……」

 

 まことがそう言って駆けだそうとしたとき。

 

 晴天の夜空に、落雷が起こる。

 ジンオウガの身体が、鮮烈なる蒼光に包まれた。

 雷鳴が森林の夜空に轟き、近くにあった木々が発火して倒れた。

 全身の毛が、甲殻が逆立ち、高圧電流があらゆる箇所にくまなく迸る。

 

「これが噂に聞く……!!」

 

 まことは手で目を覆い、青白い光に包まれた威風堂々たる獣の姿を認める。

 

 『超帯電状態』。

 

 これぞ、無双の狩人の真の姿。

 攻撃力と俊敏性、そして放電能力を最大に出力する最強形態である。

 もはや神々しいとまで言えるまでに眩く光るその獣は、うさぎたちの背を視界に捉え高く鳴いた。

 

「ひいっ!」

「ウオ゛オオッッ」

 

 ジンオウガがその身を宙で翻すと、その身から放たれた雷光虫が青白い光を放ち、弧を描いて飛ぶ。 

 それは電流を帯びた弾として急速にうさぎたちに迫って来る。

 

「あぶなっ!!」

 

 急いでうさぎたちはその場に屈み、雷光虫を何とかやり過ごした。

 ジンオウガはまだ相手が倒れていないと見て、完全にまことと美奈子を無視して駆けだした。

 

「そこまでしてあの荷物が欲しいのかい!?」

「待ちなさいよっ!」

 

 2人は武器を背中にしまい、ジンオウガの後を追う。

 大急ぎでエリア6に来たうさぎたちに、またしても災難が降りかかる。

 なんと、元の南側ルートに続く道が落石や落木で塞がれていたのだ。

 

「ちょっと今回、さすがに運悪すぎない……?」

 

 そううさぎがぼやいた直後にジンオウガが遂に追いついてきた。残るは北側を通るルートのみだが、彼はそれすらも許さない迫力でうさぎたちを睨んだ。

 

「こ……今度こそ終わり!?」

「いいや、終わらせないよ!」

 

 ちびうさが呟いたのを追いついたまことが打ち消し、ウォーハンマーによる一撃を後ろ脚に食らわせた。

 超帯電状態のジンオウガは、攻撃面では恐ろしく強化されるものの防御面は反対に弱体化される。甲殻が電流によって解放されるため、傷を受けるとより深くなりやすいのだ。

 攻撃は鱗に真っすぐ突き刺さり、ジンオウガは痛みに堪えかねてかまことに真っすぐ振り返った。

 

「……来る!」

 

 雷狼竜はいきなり滑るようにして間合いを詰め、前脚を大きく振りかぶった。

 それは、最初タマミツネに行ったのと同じ動き。

 まことが直感に従って振り上げたのと反対側の脚の方向に転がり込むと、背後でばしぃん、と大地が落雷に穿たれる。

 

 まだ、来る。

 

 もう一度必死に懐に潜るようにして転がり、間一髪で続いての叩きつけを回避。

 だがそこでまことはまずいミスを犯した。

 流石にこれで攻撃は終わるかと、一瞬迷って顔を上げてしまったのだ。

 その時には既に、3回目の前脚が彼女の頭上から迫っていた。

 

「ぐあああああっ!」

 

 咄嗟に飛びのいたことで直撃は避けられたが、余波の電撃を食らう。

 白い帯電毛をすべて逆立て、地上に雷光を突き立てる姿はまさしく雷神。

 

「まこちゃんっ!」

 

 煙を上げて転がったまことに、思わずうさぎは引いていた荷車をおっぽり出して駆け寄った。

 

「大丈……夫、あたしの防具、雷への耐性は高いし、あたし自身雷使う……からっ……けほっ」

 

 確かに落雷に匹敵する電流を食らったにしてはきちんと話せるが、だからといって決して無傷ではなさそうだ。

 

「同じ雷使いでパワータイプ……相性悪いかもな、あたしたち」

 

 うさぎの隣で、まことはそう悔しげに呟いた。

 ジンオウガはなおも己への自信に満ちた雷の漲りを以て、いよいようさぎたちを圧し潰そうと上体を持ち上げた。

 

「いい加減こっち向きなさいよ、化け物ぉっ!!」

 

 その頭に、弾が直撃する。急いで前面に回った美奈子が放ったものだった。

 弱点にまともに攻撃を食らったジンオウガは怯み、攻撃を中断。美奈子はしてやったり、とこちらを睨む相手に不敵に笑ってみせたのだが──

 突然、空気に殺気が充満した。

 

「っ!?」

 

 その場にいる全員の背中に走ったのは寒気か静電気か、そのどちらか。

 全身を蒼くスパークさせ、ジンオウガは軽々と後ろにその身体を翻し、天に向かって咆えた。

 

「ウオオオオオオオオンッッッ!!!!」

 

 この森に棲む者すべてが畏怖する、狩人の叫び。

 最少年齢であるちびうさ……ちびムーンは当然この恐るべき竜に心底から恐怖したが、それでも表情を切り替えて振り返る。

 

「ねえ、美奈子ちゃん! さっきの麻痺弾でもう一度拘束を!」

「えっ、いや……何でもないです……さっきは調子乗ってすみません……」

「美奈子ちゃん!?」

 

 彼女は完全に戦意を喪失していた。

 更に、まずいことが起こった。

 ジンオウガは、全身に電流を漲らせたまま闊歩し始めたのだ。

 それも、美奈子に向かって。

 

「い……え……?」

 

 すっかり相手の雰囲気に圧されてしまった美奈子は、精気を失った顔で意味不明な言葉を口走りながら地面に尻をつけたままずり下がった。

 仲間たちは必死に逃れるよう叫ぶが、彼女自身は混乱してわたわたするほかない。

 

 それでもなお、ゆっくりと距離を詰めるジンオウガ。

 まるで、先ほどコケにしてくれた獲物をたっぷりと精神的にいたぶるかのように。

 地を踏みしめるたび、雷光が浅瀬の水を蒸発させた。

 いよいよ大木を背後に追い詰められたとき、彼女自身の体内が追い打ちをかけた。

 

「うぎぐぅっ、今更お腹が!?」

「美奈子ちゃん、武器を捨てて早く逃げて!」

 

 激痛に見舞われた彼女は丸まって涙目で呻く。

 まことの声も届かず、錯乱状態は極みに達し──

 

「ひ、ひいいいいいいい、ク、ク、ク、ク……」

 

 ぐるぐる視線を回しながら、美奈子はバイトブラスターをジンオウガの頭部に向けた。

 

「クレッセントビィーーーーーーーーーームウウウウゥゥゥゥゥ!!」

 

 その時引き金を引く手が光ったと思うと、バイトブラスターの銃身が小刻みに震え始める。

 

「な……なにあれ」

 

 うさぎがそう言った直後、いきなり銃口が爆発を起こした。

 いや、正確には火花だ。偶然にも弾倉に伝播し逃げ場を失くした守護星のパワーが弾倉内を暴れ回った結果、この色鮮やかなヘビィボウガンはこれまでにない速度で通常弾を弾きだした。

 

「うわあああああああああああああ!!!!」

 

 数秒間、瞬く間に弾薬が消費されてゆく。

 それだけではない。うさぎたちが見る限り、その弾が撃ち出される速度は加速度的に上がっていくように感じられた。

 

「ワオオンッ!?」

 

 機関銃並みの連続射撃は、まともに正面にいたジンオウガの顔、胸に集中して突き刺さる。

 どうやら弾の速度だけではなく威力までも上がっているようで、次々に鱗や甲殻が吹っ飛んでいく様子がありありと分かった。

 想像以上の痛手にジンオウガはクゥン、クゥンと鳴きながら顔を前脚で拭う。

 

 すべての弾を撃ち切った美奈子は自身でも唖然として、何となしにバイトブラスターの銃口近くに右手を置いた。

 ぶしゅうう、と肉が焼ける音。腫れあがる右手の痛み。

 そこでやっと、銃口近くが尋常でない熱を持っていることに気づいた。

 

「あっつ、あっつぅっ!!」

 

 我に返って右手を振りまくる彼女を、少女たちは未だに呆気に取られて見つめていた。

 

「み、美奈子ちゃんすごっ……」 

「ほ、ほら、今のうちに逃げるわよ!」

 

 ちびうさはうさぎの袖を引っ張ってまことと頷き合い、北側に逃げるべく荷車へと走っていた。

 

 まだ、ジンオウガは痛みのあまり地面に顔を擦りつけている。

 まことは次の戦闘に向けて回復薬の瓶を呷り、美奈子の手元にあるヘビィボウガンを見つめながら呟いた。

 

「新しいものとは常に、異なるもの同士が掛け合わさることで生まれる……か……」

 

 他のメンバーより大人びていると呼ばれる顔立ちのポニーテールの少女は、その言葉の意味を考えつつ再びハンマーを手に取った。




実はしれっとタグを付け直し、セラムン側の設定はアニメ版に統一しました。一部漫画版要素というのがほぼ息をしていなかったためです。原作のファンにとっては誤解をもたらすことにしかならないからですね。念のためご了承ください。


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雷鳴り、泡踊る月下③

今回はかなり長めです。


 人の倍以上はある高さのススキが、月下にそよそよと揺れている。

 どこからかゆったりと浮いてくる、泡の群れ。

 虹色の光が向こうにある月明かりを写し、幻のようにたゆとうて。

 それを、桜色の竜のしなやかな身体が割って宙を回り舞う。

 一振りの太刀が空中の彼を焔を引きながら追いすがったが、遂に刃は触れることすら敵わず虚しく空を斬る。

 

「レイちゃん、焦らないで!」

「……ええ、分かってるわ」

 

 レイはユクモの木の繊維で編まれた笠を抑えつつ、再び太刀を構え直した。

 タマミツネを相手取る亜美とレイは、単純に言えば長期戦を強いられていた。

 それは何よりも──タマミツネの独特な戦法に理由があった。

 

 彼はさっそく、遠めの間合いから泡を数個吐き出してくる。それは弾幕のように張り巡らされ、こちらに向けて飛んでくる。

 この泡に当たると防具が滑液で塗れ、足で滑ったり手元が狂ったりと、こちらはまるで隙だらけになる。

 タマミツネは、そこを目ざとく突いて獲物を狩るのだ。

 

 レイは灼炎のルーガーを振りかざす。

 彼女は泡を切り裂きつつ獲物に斬り込むという大胆な方法を取った。

 だが、タマミツネはそれを見越したように小さく一拍置いて跳び下がる。

 

「くっ!」

 

 レイが顔を歪めて横に身体を反らすと、すぐ隣を紅紫の毛が生え揃う尻尾が打ち上げた。

 亜美は麻痺弾を込め狙いをつけてハンターライフルの引き金を引くが、タマミツネは弾道を見切って横に滑ることで躱す。

 それどころか、逆に彼は弧を描いて亜美のすぐ隣に距離を縮め。

 蛇のように大きく裂けた口を開けてきた。

 

「……っ!」

 

 素早い噛みつきを間一髪で転がり込んで避ける。

 まるで手の内を読んだようなタマミツネの行動に、亜美は冷や汗をかいていた。

 

 元々亜美とレイがタマミツネを相手を選んだのは、相性を考えてのことだった。レイは水場に生息するタマミツネが苦手とする火属性の武器を持っているし、彼のトリッキーな動きに対応するには亜美のライトボウガンによるサポートが有効だと踏んだからだ。

 だが、それは机上の空論だった。

 実際には見事に相手の掌で転がされている。

 

 それでもどうにか、僅かな隙を縫うように攻撃を積み重ねていくと。

 

「ルオオオオオオオオオオォォォォォォォン!!!!」

 

 感情の高揚と興奮を表す、それでも優美さの抜け切らない咆哮と共に。

 タマミツネの桜花のような冠が、山なりの形状を描く背中のヒレが、椿のように鮮やかな紅へと変化する。

 

「これだけだったなら、綺麗でいいんだけどね……!」

 

 レイはそれを見て、太刀を構えながら小さくぼやく。

 タマミツネはその場で円を描き、自ら生み出した大量の泡の中に己を浸した。

 

 少しでもダメージを稼ぐために亜美は毒弾を装填、それをタマミツネの鱗に撃ちこむ。

 口元に紫の混じった泡が出てくることから、決して効いていないわけではない。しかし、相手はそれをさして気にも止めず相変わらずの優雅な動きで翻弄してくる。

 それが余計に、こちらの心象を焦らせて来るのだ。

 

 泡を全身に纏った泡狐竜はそれまでとは比較にならない速度で跳び、2人の視界から消えた。

 だが、この竜がこういう時に決まってやりたがることくらいは、彼女らもこの戦闘で把握しつつあった。

 

 レイは冷静に背後へと振り向く。

 そこには既に後ろ脚で立ち上がり、見得を切ったように前脚を振り上げた泡狐竜の姿。

 彼女は横に転がり、前脚による渾身の叩きつけを回避する。

 湖畔の地を薄く浸す水が飛び散り、レイのユクモノ装備を大きく濡らした。

 

「あたしの服に何すんの……よぉっ!!」

 

 仕返しとばかりに、レイは前に出て太刀でタマミツネの尻尾を切り結んだ。一部の鱗が剥がれ、新たな傷がつく。

 

「レイちゃん、くれぐれも深入りしてはダメよ!」

「今こうしてる間にも、ジンオウガが乱入するかも知れないわ! 少しでも弱らせておかないと!」

 

 亜美は、次第にレイの動きが雑になってきていることに気づいていた。

 集中力が切れかけている。この結果が一向に見えてこない長期戦では当然のことだった。

 振り向いたタマミツネは後方に跳び下がりつつ、大きな泡を吐き視界を塞ぐ。

 

「なっ……」

 

 レイは虚を突かれて立ち止まってしまった。まともに泡を食らって足を滑らせ、大きな隙を晒す。

 彼女の隙をタマミツネは見逃さない。

 泡で滑り急速に距離を詰め、尻尾をしならせて横向きに少女の身体を打ち据えた。

 

「きゃああぁっ!!」

 

 流れるような被弾。

 掬うように打ち上げられたレイは、重力に従って草原に叩きつけられる。

 

「レイちゃん!」

 

 助けに行こうとした亜美にレイはよろめきながらも立って手のひらを見せ、支援は必要ない意思を示した。

 回復薬を飲み、決して挫けようとはしない彼女の姿を亜美は不安げに見ていた。

 

 まったく相手の動きの先が読めない。

 これまで攻撃しようとするたび被弾し、今では傷を癒やすための回復薬も残り少ない。

 この状況を、打開する術は。

 

 亜美が狼狽した顔で柳を背景に立ちはだかるタマミツネの姿を見つめていると、その向こうにこちらに向かってやってくる誰かの姿を認めた。

 それは死にものぐるいで、何か大きい箱のようなものを引っ張っている──

 

「うさぎちゃん! ちびうさちゃん!」

「何ですって!?」

 

 レイも驚愕して、そちらの方角に振り向く。彼女らは全力疾走で下り坂を下ってきたが、タマミツネは早くもそちらに気づいた。

 

「あんた、もっと安全な道あったでしょ!?」

 

 レイが怒鳴るのに答えてうさぎは叫ぶ。

 

「岩で塞がれてたのよ! それよりも、一つだけ伝えたいことが……」

「ルオオオオオオオオオオォォォォォォォ!!」

 

 タマミツネは迷わず、泡を足下に生成。身体をうねらせ、真っ直ぐ荷車めがけて突進した。

 その一撃は、どうにか後ろにやり過ごす。

 ならばと相手は折り返し、2度目の突撃。

 

「つ、つ、伝えたいことがああああぁぁぁぁぁ……」

 

 叫びながら走るうさぎとちびムーンは涙目になっていた。

 目標を逃したと見たタマミツネは天を見上げたかと思うと、突如口内から勢いよく極細の激流を噴出。

 噴水のように打ち上がったそれを、彼は荷車目掛け真っ直ぐ振り下ろす。

 

「伝えたいことがああああああああぁぁぁぁぁ!?」

 

 体内の水を圧縮して放つ、超高水圧カッター。

 荷車の端に直撃したそれは難なく木材を吹っ飛ばしそのまま地面へと貫通、またたく間に土を液状化させた。

 それが終わるとさすがのタマミツネも身体を休めようと立ち止まる。

 

「たああああっ!!」

 

 僅かな隙にレイは残り少ない閃光玉を投げ、相手の視界を塞ぐ。

 

「ルゥアアアッッ……」

 

 さしものタマミツネも何度も目を瞬かせ、見当違いの方向に尻尾を振り回している。反撃こそ難しいが、時間稼ぎにはもってこいだった。

 その間に、レイと亜美はうさぎたちの近くに駆けていく。

 

「で、伝えたいことってなに!?」

「そ、そう! 美奈子ちゃんがね、ヘビィボウガン持ったまま戦士の技を出そうとしたらいきなりマシンガンになっちゃったの! スババババーンッて! レイちゃんたちもやってみたらいいんじゃない!?」

 

 興奮気味に身振り手振りを交えるうさぎの話を2人はしばらく聴いていたが、やがてレイははぁ?とでも言いたげな顔でため息をついた。

 

「……まさかこんな時にしょーもないホラを吹くなんてね。きっとあんた、走りすぎて頭おかしくなってんのよ」

「えっ!? 本当なのに……」

「じゃあ、ただの見間違い。とにかくこちとら真剣なんだから、横から口出さないで! ほら、さっさと荷物持ってく!」

 

 背中をバシンと叩かれたうさぎは、不服そうな顔で荷車を引っ張っていった。

 

「ちょっとレイちゃん、いくら何でも冷たすぎるんじゃ……」

「本当だろうが嘘だろうが、武器持ってない自分の安全くらい考えろって話よ」

 

 レイはそう呟きつつタマミツネに振り向いたが。

 いない。

 先ほどまでそこで暴れていた竜の姿はなかった。

 

「く……」

 

 数秒目を離した隙にタマミツネは視界を取り戻し、既に2人の背後に回り込んでいた。

 しかし、彼我の距離は遠い。

 ここからやってくる行動は主に3つ。

 1つは突進。もう1つは超高水圧ブレス。

 そして最後の1つは── 

 

「あいつ、大技をしてくる気よ!」

 

 タマミツネは、レイが叫んだ時には準備を始めていた。

 2回跳ね、泡を生み出しながら位置と方向を調整する。

 そこから大きく飛び跳ね、今度は空中から身体を捻り、回転させて。

 少女たちへ渦巻き落ちる、泡狐竜の細やかな肢体。

 急いで少女たちは武器を背中にしまい、その場から両手両足を放り出すように跳んだ。

 

 直後、水場が飛沫となって散り爆ぜる。

 

 泡狐竜自身の高速回旋が渦を生み、水と泡の旋風が起こった。

 それは渓流に一瞬だけ咲いた、一輪の華。

 

「ぐうっ……」

 

 何とか、間一髪で躱し切った。

 地面に伏せていた状態から立ち上がろうとするとき、亜美は自身の手についた泡をしばらく見ていた。

 視線を上げると、ちょうどタマミツネが再び泡の絨毯から跳躍するところだった。

 軽々と宙を滑る竜を見上げた彼女の目は、何かを思いついたように丸くなった。

 

「うさぎちゃんの見たものが、間違いでないとしたら……」

 

 瞳に月光が差し込む。

 だがそれも一瞬だけだった。

 亜美はあることに気づくと、すぐに相手から視線を落として呟いた。

 

「いえ、出来たとしても……彼には多分、通用しない」

 

──

 

 美奈子が『新技』を披露したのちも、怒りに任せたジンオウガの攻撃は熾烈を極めた。

 身体を横向きにしてからの電撃を這わせた体当たりを、まことは斜め前に転がって躱す。

 

「たりゃあああああ、アンタなんかぁこれで蜂の巣よおおおおぉぉぉぉ!!」

 

 美奈子は情け容赦なくクレッセントビームを弾倉にまたしても送り込み、もはや女子中学生とは思えない覚悟の決まり切った形相で通常弾を連射する。

 

「すごいな美奈子ちゃん……猛者の軍人みたいだ」

 

 だが、ジンオウガもこの攻撃への対処に慣れてきていた。超帯電状態の彼の動きは素早く、走って追ってくる弾を避けつつあるところで振り返り、踏み切る。

 そして、2人に向かって強靭な脚によって高く、跳躍。

 

「……だあああっ!!」

 

 これには両者ともさすがに危機を覚え、飛びのく。

 

 直後、渓流に雷光。轟音。震動。

 

 ジンオウガは、雷迸る背中で2人を圧し潰そうとしたのだった。

 凄まじい電流が周囲のせせらぎに伝わり、一部の水が蒸発した。

 美奈子は起き上がると、雨となった飛沫を頭から被りながら、未だ意志の籠った瞳で調合した通常弾を弾倉に込め始めた。

 それを起き上がったジンオウガに向けようとして、まことに手で制される。

 

「美奈子ちゃん、もう無駄撃ちしちゃダメだ! 弾だって無限じゃないだろ!?」

「じゃあ、これ以外になんかあるっていうの!?」

「おかげ様でさっき思いつきかけたよ」

 

 美奈子はまことが自分のボウガンに視線を送り、そして意味ありげにこちらと視線を合わせてきたことでその意図するところを知る。

 だが、それはすぐ疑念に変わった。

 

「でも、ジンオウガもまこちゃんと同じ……」

「そう。このまま技を放っても、こいつ相手に効果は薄い。だからこの先、どうするかが問題」

 

 頷いたまことは、なおも健在の雷狼竜を前に唇を噛んだ。

 折しも亜美とまことは同時刻、全く同じことを考えていた。

 相手と自分の扱う属性が同じせいで、美奈子と同じことをしたとしても効果を期待できないのだ。

 

 その頃、うさぎたちは一周回ってエリア6、廃屋のある平原を歩いていた。

 今度は狙ってくる邪魔者はいない。安心してゆっくり任務を実行できるというわけだ。

 

「あー、やっと安心して帰れる!」

「みんな、大丈夫かなぁ……」

 

 不安な表情のうさぎに、ちびうさは励ますように呼び掛ける。

 

「大丈夫よ! うさぎが仲間を信じてあげなくてどうすんのよ!」

「でも今回のモンスターは2頭とも下位で戦ったことない子たちだし、見た限りじゃ苦戦してたし……」

 

 その言葉を否定はしきれず、ちびうさは「ん~~……」と唸り始めた。

 

「せめて、亜美ちゃんがジンオウガ相手ならちょうど噛み合いそうなんだけどな。タマミツネみたいに賢く立ち回りそうだし」

 

 2人の少女は、とぼとぼと歩いていく。

 そのまま、静かにエリアの中央辺りへ至った時。

 

「……それだーーーーーーっ!!!!」

「わーーーっっ!! 何よいきなり!? 心臓止まるかと思ったわ!」

 

 うさぎに、ちびうさは溌剌とした顔で提案する。

 

「いいこと思いついたの!」

 

 その内容を聞いた途端、うさぎの顔も明るく輝き始めた。

 それは、極々単純な発想だった。

 だが、一つ問題がある。

 

「なるほどなるほど! ……で、どうやってすんのそれ?」

「…………」

 

 奇妙な間があったことで、期待に満ちていたうさぎの表情は一気に裏返った。

 

「何よ、考えてないじゃないの!」

 

 指摘されると、ちびうさは「むぅ」と不機嫌な顔で口を尖がらせた。

 背後からそよ風が吹いてきた。緑豊かな匂いを運んでくる、穏やかな風である。

 

「ん?」

 

 その時、うさぎの意識が他のところに引き付けられた。

 

「……やっぱり、何か匂うわ……」

 

 小さく呟くと、うさぎの視線は後ろにある箱へと向けられる。

 彼女は荷車に跳び乗るとすんすんと鼻を鳴らし、間近で荷物の匂いを嗅ぎ始めた。

 突然の行動に、ちびうさはドン引きした様子だった。

 

「……うさぎ、何やってんの。それ人様の荷物よ」

「それ、もしかしたら出来るかもよ!」

「え?」

 

 うさぎの声色はどうも、確信に満ちた様子だった。

 

「結構な覚悟と根性が必要そうだけど!」

 

──

 

 うさぎたちはもう一度引き返し、亜美とレイの下にやってきた。

 死闘を繰り広げていた彼女たちは、その再会に驚きを隠せないでいた。

 

「ちょっと何戻ってきてんの!?」

「いいこと思いついたの!」

 

 うさぎとちびうさは、上手くタマミツネの泡を利用して滑りながら叫んだ。

 

「きっと、この子たちはこの荷物の匂いに引かれてたのよ! だからずっとあたしたちを追ってきてたのよ!!」

 

 それを聞いた亜美とレイの表情に、閃きが瞬いた。

 

「なるほど、だから最初、これを奪い合って争いを……!」

「でも、戻ってきてどうするつもりなのよ!?」

「それは坂を上る途中で説明するわ!」

 

 タマミツネはうさぎたちを逃すまいと突進を仕掛けるが、彼自身の泡を利用し彼女らはスケートの要領で荷車ごと回転、ギリギリで泡狐竜から荷車を逸らせる。

 

「感覚に慣れればこっちのもんよ!」

 

 泡を踏むと慣性がかなり緩くなり制動が効きにくくなるが、その分だけスピードは上がる。それを扱い、先ほどは下ってきた坂を今度は上がっていく。体力の消耗も、泡と仲間が手伝ってくれるお陰で最小限で済んだ。

 タマミツネから、余裕をもって距離を保つ。追ってくる彼は荷物に夢中になるがあまり泡の補給を忘れ、いつもの高速移動は出来なくなっていた。

 これ幸いに、うさぎたちは作戦を仲間たちに一通り説明した。

 

「なるほどね。実はあたしもさっきの言葉をヒントにして、似たことを考えていたの。流石はちびうさちゃんね」

「えへへへ~」

「あたしもちょっとは褒めてよー……」

 

 亜美に褒められたちびうさを見て、うさぎは拗ねかけていた。隣のレイは、背中の太刀越しに這って来る竜の影を睨んだ。

 

「もうこうなったら、うさぎの勘違いだろうと関係なしね! ここで決着をつけてやる!」

 

 坂を上がってくると、

 

「ウオオオオオオオォォォォォン……」

 

 視界が開けた途端、あの恐ろしき雷狼竜の姿が見えた。

 思わず、彼の視線はそこに縫い付けられる。

 それを見た瞬間、うさぎは荷車を引きつつ思いっきり叫んだ。

 

「まこちゃん!! 『入れ替わって』!!」

 

 まことは瞬時にその意図を理解し、苦笑する。

 

「なるほど、結構な無茶したね!」

 

 ジンオウガを後目に、まことは駆けだす。

 そして向かい側からは亜美の姿。

 

「どうやら、同じことを考えてたみたいね」

「うん、全く」

 

 2人の少女はすれ違う時、そう互いに囁きかけた。

 

 まことが次に尻目に見たのは、戸惑うジンオウガの姿。

 

「……あんたの攻撃、参考にさせてもらうよ!」

 

 向かうのはタマミツネ。

 彼女は、手元に雷を宿らせた。

 それは柄を伝い、ウォーハンマーの鎚頭へ。

 

「シュープリーム・スピニングメテオ!!」

 

 その一撃は真っ直ぐ、獲物の頭へ。

 衝撃波を起こすほどの震動と共に、巨大な雷が脳天へ直撃した。

 

「ルオオオオオッ……」

 

 タマミツネはたまらず、意識が混濁した状態でその場に倒れ伏す。

 

 それを見届けた亜美は、ジンオウガの目の前に黙って佇む。

 竜は新たな相手に一瞬戸惑うも、自身には無双の雷の力が今宿っている。

 彼は即座に前脚を振り上げた。この愚かな人間を一撃のうちに沈めんと。

 

「シャボン・フリージング・ゲイザー!」

 

 彼女の手から泡が生まれる。それは弩を伝い、弾丸型地雷の内部へ。

 少女はそれを、地面に発射。

 そして彼女自身は手から泡を放出し、後方に跳ぶことで離脱。

 電力の漲った前脚は地雷をまともに踏みつけ──

 

「ウォオオンッ!?」

 

 爆発。

 封じ込められた過冷却水が大量に噴出、ジンオウガに電力を与える雷光虫を死滅させ、それだけでなく彼自体の動きすら凍らせ鈍らせる。

 

「レイちゃんっ! 美奈子ちゃん!!」

「ええ! 一発勝負よ!!」

 

 2体の間を通過したうさぎが叫ぶのに、レイが答える。

 舞台は整った。

 

 レイは太刀、灼炎のルーガーを引き抜き、焔の軌跡を弧の形に描く。

 そこに更に守護星の力を送り込むと、太刀は燃え盛る炎そのものと化す。

 まさしく灼熱の刃を持つモンスターのように、自身を軸として振り回し。

 

 目指すは、倒れたタマミツネ。

 

「炎華気刃斬り!!」

 

 美奈子はヘビィボウガン、バイトブラスターを構え、通常弾を全弾装填。

 何度目の連射か、これで必ず決着をつけると覚悟決め。

 その場にしゃがみ、蒼い瞳目掛けて。

 

 目指すは、己を見下すジンオウガ。

 

「クレッセント・ショット!!」

 

 燃え盛る刃が。とめどない弾の嵐が。

 両者の眉間を、深く貫いた。

 

──

 

「皆様、本当にありがとうございました。これで姉様も起きてくださいます……!」

 

 帰ってきた先のユクモ村で、ミノトは深々と頭を下げてきた。

 

「いえいえそれほどでも~」

「めっちゃ顔にやけてるわよ」

 

 うさぎはいかにも謙遜そうに手を振るが、ちびうさが指摘する通りその顔はデレデレである。

 

「何とか荷物は無事だったわね……あんなこと二度と御免だわ」

 

 先の作戦は一歩間違えれば荷物を危険に晒しかねないものだっただけに、レイが見せる気疲れは大きいものだった。

 

「ほんとにあれ、何が入ってるのかしら?」

「やったらいい匂いがしたけど」

 

 一方、美奈子とまことは人の背くらいの高さはある箱の中身に興味津々だった。

 ミノトが風呂敷を広げ巨大な木箱を開けると、その中には更に多くの箱が。

 彼女がそれを開けると生ものの保存に使われる氷結晶が姿を見せ、取り出すとその下にはおにぎりにも使われる筍の皮の包み。

 

「え……なにあれ?」

 

 戦士たちの目線が怪訝なものに変わる。

 3つ折りに畳まれた筍の皮を開けて出てきたのは──

 

 二股に分かれた串が刺された、上から桃、緑、黄のもちっとした球体。

 ゴマを散らして作られた、丸く可愛らしいお顔がてっぺんに付いていた。

 おまけに串の先が2つ頭上から突き出たその様は、まるで耳の生えたウサギのようだ。

 

「団……子……?」

 

 ミノトはそれを、眠っているヒノエの手にそっと持たせる。

 その瞬間、異変は起こった。

 

「この……かぐわしい……匂い……」

「そうですよ、姉様! いま姉様の手にありますよ、この……」

「うさ団子ぉっ!!」

 

 いつの間にか、物凄い勢いで起き上がったヒノエの口に団子が咥えられていた。

 串を引っ張ると、団子は3つ一緒にきゅぽん、と彼女の唇に吸い込まれ、咀嚼も程々にそのまま喉へと滑り落ちていく。

 ヒノエは、恍惚とした顔で至福に浸るように頬を片手で覆った。

 

「ああ、この至福のとろける味わい……生き返る心地ですぅ……」

 

 理解が追いつかないうさぎは、幸せそうなヒノエとそれを見て満足そうにしているミノトを見比べて、

 

「え……なにこれ?」

「うさ団子です」

「うさ団子?」

「カムラの里名物、栄養満点のお団子です。これを1日に最低50本食べるのが姉様の日課なのです」

「「5()0()()!?!?」」

 

 いろいろとツッコミたいところはあるのだが、その本数に思わず意識が向かってしまった。

 

「えっ、じゃあ病弱ってわけじゃ……」

「身体ではありません、精神の問題です」

「精神の問題!? むしろ、そんな量食べてる方がいろいろとマズいんじゃ……」

 

 常時は落ち着いている亜美ですら、狼狽を隠し切れない。

 だが、すっかり顔色の戻ったヒノエは太陽のような微笑みを以てうさぎたちを眺める。

 

「本当に貴女方は素晴らしい御方です。そう、このうさ団子のように慈悲に富み、しかも粘り強さを持っていて……」

「あたしたちを団子に例えるとか、どんだけ好きなんだよ」

 

 まことは呆れ気味にそう言ったが、ミノトはまたしても深々と頭を下げた。姉と比べると感情の薄めな彼女の目も、今は潤んでいるようだった。

 

「貴女たちには改めて、本当に心から感謝致します。私のたった1人の姉様をこうして救ってくださったのですから」

「ま、まあ悪い気はしないか……」

 

 ちびうさはそう言って無理やり自分たちを納得させる。

 自分たちは団子を命がけで護り、団子に振り回され、団子に助けられたのだ。

 ヒノエは腰を落ち着けると、そういえば、と言うようにぽんと掌同士をくっつけた。

 

「それで、狩猟の方はいかがでしたか? 3頭もいれば、かなりの激戦だったでしょう」

「え? ジンオウガとタマミツネの2頭でしたけど……」

 

 3頭も狩った覚えなどどこにもない。レイが答えると、今度はヒノエが首を傾げる。

 

「あら、おかしいですね。もう1頭モンスターはいませんでしたか? 金色の鱗を持って空を飛びまわる飛竜が……」

 

 その言葉を聞いた途端、少女たちの間の空気が一変した。

 

「『金の竜』……!!」

 

 デス・バスターズとゴア・マガラに続く、一つだけの手がかり。

 それらに敵対してくれるやもしれぬ、一つの存在。

 下位ハンターから上位へとのし上がり、強豪たちを相手取れるようになるほど長い月日をかけても見つからなかったものが今、その尻尾を出した。

 

「あの……近くに魔女の姿はありませんでしたか? 妖魔によって何かしようとしてたとか」

「『魔女』……『妖魔』? すみません、世間には疎いものでして……」

 

 亜美の問いに、ヒノエは相変わらずのおっとりとした口調で答える。

 

「私は、里長(さとおさ)からそういう噂が流れていると聞いたことだけはあります。何でも、怪しげな力でモンスターをも思いのままに操るのだとか」

「あら、それならこちらの里でも教官が似たようなことを開発して……」

 

 そう言いかけたヒノエの口を、ミノトは慌てて封じる。

 

「ちょっと姉様、今はまだ機密情報ですよ!」

 

 うさぎたちにその会話の意味は完全には理解できなかったが、その口ぶりからしてウツシ教官が開発している技術のことらしい。

 

「……時々思うけど、この世界の人たちの技術も大概とち狂ってるわよね」

「うん……正直デス・バスターズも顔負けだよな……」

 

 美奈子とまことがそう耳打ちしあっていたところ。

 

「やぁやぁ、『月の猟団』の諸君!!」

 

 噂をすれば何とやら。

 いつの間にか家屋の屋根に上っていた青年、ウツシ教官は忍者のごとく颯爽と飛び降りてきた。

 

「君たちが追っているという金色の飛竜についてだけれど、今、ユクモ村ギルドから最新の情報がもたらされた。どうもその竜は遥か南方のタンジア、モガ村方面に向かったらしい」

「あ、ありがとうございます!」

「となれば、出立ももうすぐでしょうか」

 

 うさぎたちが礼を言っていると、聞き慣れた声が聞こえてきた。

 ユクモ村村長だ。

 先ほどギルドでの用事を済ませてきたのか、彼女は集会場に続く石段から姿を現していた。

 

「ええ、恐らくは。長い間、お世話になりました」

「はぁ~、もうちょっといたかったけどな~」

 

 亜美は頭を下げる一方、うさぎは心残りな様子。

 上品な足取りで歩いてきた村長は、いつも変わらぬ穏やかな笑みを向ける。

 

「この村の門は、いつでも開いておりますよ。ふと立ち寄りたくなった時、好きな時にお越し下さい。そしてカムラの里は人も景色も誠によいところですから、時間が出来た時にでも、是非」

 

 彼女はそう言ってヒノエたちに視線を寄越す。

 

「あらあら、村長さんったら言葉がお上手で……」

 

 ヒノエは朗らかに笑って謙遜する。

 その和んだ雰囲気に、うさぎたちも目を細める。

 

 出来ればカムラの里を見てみたいという気持ちも彼女たちの間で浮かびつつあった。

 だが、目的地が決まった以上は仕方がない。

 この人たちの今の笑顔、生きる場所を護るためにも、今は南方に向かうと彼女たちは決めたのだった。




というわけで、狩技回でした。
シュープリーム・スピニングメテオ→シュープリームサンダー+スピニングメテオ
シャボン・フリージング・ゲイザー→シャボンスプレーフリージング+バレットゲイザー
炎華気刃斬り→ファイアーソウル+桜花気刃斬
クレッセントショット→クレッセントビーム+ブレイヴスタイルのボルテージショット
となっております。

これにてユクモとカムラの人たちの出番は短いですが終わりとなります。
次回は、再びモガ村に舞台が移ります。


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蒼紅流星①

ついに100話目を迎えてしまった…。


 外界から閉ざされた南海に浮かぶ、孤島。

 ここでは豊かな森と海に裏付けられた多種多様な生命が、日々しのぎを削りあっている。

 

 今、開けた水場で羽根を広げ足を引きずっている、鳥に似たモンスター『クルペッコ』もその一種。

 『彩鳥』の別名にふさわしく、黄緑の胴体と翼、背中に生える紫の羽根、橙に染まった喉、黄色のラッパ状の嘴と派手な色合いをしている。

 

「クルァァァァァァァッ……」

 

 全身斬り傷だらけの彼もしくは彼女は、2人の人間から逃げ惑っていた。

 彼らは何ら急ぐこともなく、ただ仕事人としての冷静な足取りで後を追ってくる。

 

「すまないが、君がしょっちゅう夜鳴きするせいで寝れない人がいるらしいんでね」

「変に逃げない方が、無駄に苦しまず済むのではなくって?」

 

 一方は短い金髪に紺色の襟とスカートのついたレオタード。

 もう一方は波打つ海色の髪に、相方とほぼ同じだが、それを飾るのは鮮やかな浅葱色。

 

 異世界から来たセーラー戦士、セーラーウラヌスとセーラーネプチューンである。

 

 クルペッコは2人を見据えると嘴、そして喉を赤色の風船のように膨らませると、それまでとは全く異なる声色で鳴き声を上げ始めた。

 それを見たウラヌスは軽く舌打ちする。

 

「往生際が悪いヤツだ」

「また他のモンスターを呼ぶ気よ!」

 

 クルペッコは天敵に襲われた際に、踊りながら他の生物の鳴き声を真似ることで敵より格上の生物を呼び寄せる。

 そうして状況が混乱したところに乗じて自分だけはその場から逃げ去るという特殊な生態を持つ。

 

 もちろん、そのままにしておく彼女たちではない。

 ウラヌスは魔具(タリスマン)スペースソードを呼び出し、そこに風の力を纏わせた。

 光る剣でラッパのような嘴を切り裂くとそれは音を立てて割れ、クルペッコは絶叫を上げて仰け反る。

 

 ろくに鳴くことも出来なくなった彩鳥は、扇子のように尾羽を広げてウラヌスを払いのけようとした。

 だがウラヌスはそれをひらりと躱し、ネプチューンは天上に掌を掲げていた。

 

「ディープ・サブマージ!!」

 

 圧縮された水属性エネルギーが球の形として集まり、彼女はそれを撃ち放つ。

 

「ゆっくりと、お眠りなさい」

 

 直撃を食らったクルペッコは吹き飛ばされ、その先にあった岩盤に激突。

 そのまま、悲鳴を上げる間もなく絶命した。

 

「今回もいつもの通りいろいろと呼び出されて、厄介だったが……」

 

 はるかは少し横に視線を向ける。

 2人の近くには黄色いスポンジのようなたてがみを持つ獣が魂を喪って転がっていた。

 

「上位とはいっても、口ほどにもない奴らだったな」

 

 水獣ロアルドロス。

 水場を中心としてこれより小さな雌『ルドロス』とハーレムを形成して生息する生物だ。

 今日はクルペッコがこのモンスターを鳴き真似で誘き寄せてきたのだが、彼も含めウラヌスたちにはさしたる脅威にもならなかった。

 

 ウラヌスとネプチューンは変身を解き、鎧を付けた姿へと変わる。

 はるかが着ているのはアロイSと呼ばれ、上質な鉱石で鍛えた群青色の合金と金属のコントラストが美しい防具だ。

 背負うのはチャージアックスと呼ばれる盾と斧を合体したような武器。その中でも『精鋭討伐隊盾斧』と呼ばれる、ギルドの紋章がついたシンプルなデザインをしていた。

 

 一方みちるのふわふわとしたコートのような防具はルドロスSと呼ばれ、これは先に倒したロアルドロスの素材を原料として有名なデザイナーによって設計されたという。

 背負っているのはスラッシュアックス、その中でも「スプラックス」と呼ばれる、これもロアルドロスの素材をふんだんに使用した武器だ。チャージアックスよりはやや細身で、はた目からでは分かりにくいが剣と斧の機能が合体した武器である。

 

 モンスターたちの亡骸を尻目に、はるかとみちるは歩きだす。

 

「生きるためとはいえ、他者の傘に隠れるしかない臆病者か」

 

 先を行くはるかは、クルペッコから視線を前へと戻した。

 

「今の僕には、ちょうどぴったりか」

 

 皮肉っぽくそう小さく呟いたはるかを、先に行こうとしていたみちるはどこか憂いを帯びた瞳で見つめていた。

 

──

 

「はるかさん、みちるさん、クルペッコの狩猟お疲れ様でぇーーーーすっ!!」

「ああ、ありがとう」

「相変わらず、元気な挨拶ね」

 

 モガ村の西側にある桟橋を渡ると、毎回受付嬢アイシャは手を振っての元気のよい言葉をはるかとみちるに送る。

 最初こそ彼女らはその声量の大きさに圧倒され気味だったが、現在では微笑んで軽く挨拶を返されるようになった。

 彼女たちは、狩猟から帰ると必ずと言っていいほどすぐ2人仲良く貸家に入っていく。

 その中で何が行われているかは、未だモガ村の誰も知らない。

 

 後ろ姿を見送ったアイシャは、途端にぐでーっとクエストカウンターに突っ伏した。

 

「いい加減、進展ないもんですかねー、村長……」

「旅人にはみな、その旅をする事情というものがある。無暗に立ち入るもんじゃあないぞ」

 

 煙管に火をつける村長はそう制したが、アイシャはカウンターの木目を指でなぞって納得いかない表情である。

 言語をものの数か月で会話できるまでに習得するほど賢く、愛想もよく村人の手伝いや宴にも顔を出す。更にはハンターとしてモンスターからこの村を護り恵みをもたらしてくれる。

 文句のつけようがない2人だが、人探しをしていること以外はすべて謎に包まれていた。

 

「仲良くするくらい、いいじゃないですかー。私たち、あの人たちがどこから来たのかすら知らないんですよ? 何年何月何日生まれかも、好きな食べ物も歴代お気に入りアイシャギャグもぜーんぶ」

「最後のは全部忘れとるだろうことだけは確かだな」

 

 それでも残念そうにモヤモヤオーラを醸し出すアイシャに、村長は深いため息をついた。

 

「全く、しょうがないヤツよ。じゃあ昼食を運んで差し上げて、その折にでも話してみるが良かろう。だが、迷惑だけはかけるんじゃないぞ」

「ああっ、なるほどぉ!! 歴代受付嬢随一のコミュ力を誇るこの私が、あの方々の心の氷を、ブレイク、ダウン!!してみせますよ!!」

 

 アイシャは突然ハイテンションになり、両拳を持ち上げてから交差させるという謎のポーズを決めた。

 彼女は意気揚々とカウンター外へ飛んでいく。

 

「……やっぱり止めといた方がよかったかの?」

 

 その頃はるかたちは、貸家のベッドに防具を外したインナー姿で寄り添っていた。

 はるかはベッドに腰を下ろして日よけ用のすだれをかき上げ、向こうに広がる大海とそこを行く漁船、小島に設置された風車がゆっくりと回るのを眺めていた。

 一方、みちるは豊かなウェーブヘアーをベッドに広げるように放り出し、仰向けに寝転がっている。

 

「上位まで昇りつめても、プリンセスの足取りは掴めずじまいか」

「覚悟はしていたけれど、これほどまでとはね」

「この島では、遠くの地域の情報が得られない。お金も溜まってきたことだし、そろそろ大陸に出発する頃合いかもな」

 

 はるかとみちるがハンターになったのは、もちろんモガ村を護りたかったからではない。

 単純に軍資金が手に入りやすい、そして狩猟に出ることで住人からの信頼を得て、違和感を持たれる機会を減らせるという理由からだ。

 無論、モンスターの傷跡を見て違和感を持たれないよう、武器も戦士の技と似た攻撃方法を持つものを選んだ。チャージアックスとスラッシュアックスを選んだのは、セーラー戦士と似て属性エネルギーを爆発させる攻撃があったからだ。

 

「……そうね」

 

 みちるは寝たままでそう短く答えると、寝転がってはるかと反対側を向いた。

 それを見たはるかは彼女を追いかけるようにベッドに倒れ込み、みちるの波打つ髪に顔を触れそうなほど近づける。

 

「何か不満なのかい? みちる」

「いいえ? 特には」

「何だい、いじけないではっきりしてくれよ。僕にとっては君がすべて、なんだからさ」

 

 はるかは背後からみちるの髪に指を通し、櫛で漉くように動かした。

 それでも動じないと見た彼女はみちるの耳のすぐ近くに唇を近づけ、囁いた。

 

「もしかして、ここに来てからずっとご無沙汰なのが悪かったのかな?」

 

 腰に手を回しほぼ抱くようにして、みちるの顔を上から覗きにかかる。

 そうして見えた彼女の顔は苦笑を浮かべていた。

 

「お馬鹿さんね。ここは人が使ってた家よ?」

「面白そうじゃないか。こういうところで試してみるのも一興……なんてね」

 

 2人の顔同士の距離は、もうすぐそこまで迫っていた。

 

「もう、からかわないで……」

 

 ガシャン。

 何かが割れたような音に、はるかは顔を上げて振り向く。

 それは、入口にいるアイシャが昼食を載せたお盆を落とした音だった。

 はるかはほぼ反射的に足側にずれていたブランケットをひっつかみ、みちるごと自分を覆い隠す。

 

「す……すす……」

 

 アイシャはしばらく、状況を理解しきれずふらふらと立っていたが。

 

「すみませんでしたあああぁぁぁぁぁぁぁ……」

 

 彼女の顔は一気に紅く染まり、そのまま鼻血を噴出しながら後ろにぶっ倒れた。

 

「アイシャ!」

 

 みちるが叫ぶ。

 それを見たはるかは即座にブランケットを放って走り出し、アイシャの後頭部を腕の中に抱きとめた。

 みちるはすぐさまアイシャの口元を確認し、やがて安堵のため息を漏らす。

 

「大丈夫、気絶してるだけよ」

 

 その後、騒ぎを聞きつけてモガ村の住民が集まってきた。

 はるかたちは簡単な手当をしてから、後の介抱を頼むことにした。

 

「すまないけれど、頼む」

「おう、後は任せときな!」

 

 帰り際、みちるははるかが先ほどから自身の胸をブランケットで隠していたのに目を留めた。

 それは、アイシャに絡みを見られた時からほぼずっとだった。

 

「ねぇ、はるか」

 

 室内に戻ると、みちるは影に沈んだベッドに腰を下ろすはるかに、光差す玄関の側から呼びかけた。

 

「貴女は元の世界ではもっと堂々としていたのに、なぜ今になって臆病者になってしまったのかしらね」

「……僕を護るためじゃない、君を護るためさ」

 

 答えたはるかは、傍に腰を下ろしたみちるの指に、自身のそれを繋げるように絡めた。

 

「ヒトという生き物は群れなければ生きてゆけない。この世界では恐らく、その傾向がもっと強いだろう」

 

 前の世界では、いろんなことがあった。

 

『女は男のレースの世界に入って来るな!』

 

 それはモーターレースでの勝負に負けた、男性レーサーの言葉。

 

『あの天王はるかさんって女って本当!? みちるさんとずっと歩いてるから、絶対男だって思ってたのに~!』

 

 それはみちると連れたって歩く姿を目にした女性の言葉。

 

 別に、そのことを悩んで引きずっているわけでもない。

 彼女自身は自分の性に自信を持っているし、こういう生き方をしてる自分が一番自分らしいと思うだけだ。

 一方で、人がその生き方をどう思うかは分からない。人々は自らこちらとあちらの間に壁を作り、その向こうからこちらを褒めてくれたり、また貶してきたりもする。

 ただ、そういう事実があるだけの話。

 

 だが村から一歩出れば化け物が徘徊する世界において、この事実は彼女にとって重要な意味を持っていた。

 

「もしここから追い出されれば僕たちは使命どころじゃなくなるし、君にも不自由な思いをさせてしまう。だから今だけは……」

「ならせめて、人付き合いくらいはちゃんとした方がよろしくってよ」

 

 はるかの言葉の続きは、みちるに指で唇を塞がれたことで途切れてしまった。

 

「バレ始めてるわ。貴女がどれだけ素敵な顔で笑っていても、心の底では笑ってないって」

 

 みちるの深海色の瞳は、いつになく真剣だった。

 

「……分かったよ。完敗だ」

 

 はるかは苦笑して優しくみちるの腕をどかすと、鎧を付けるためにその場から立ち上がった。

 

──

 

「カッハッハッハッハッ! アイシャめ、怪我の功名というやつか!」

 

 聴き慣れた笑い声が木霊した。

 

「まさか、あんたが自分から話しかけてくれるとは。しかも、ラギアクルスの話を聴きたいとな!」

「ああ。この村には何かと縁深い存在と聞いてね」

 

 自然の島へと続く木製の橋の上に、はるかと村長は並んで腰を下ろしていた。下では、子どもたちが大人に海への潜り方と銛を使った魚の捕まえ方を教えてもらっているところだ。

 

「奴は船を一薙ぎする筋力もだが、何よりも電撃が脅威での。自身の回遊で渦を作り出して魚の群れを閉じ込めると、背中にある発電器官から電撃を放出し、群れごと一挙に仕留めるのだ」

 

 潜っていた子どもの1人が、顔いっぱいの笑顔で魚を刺した銛を天に突き上げた。

 はるかの目には、この島に来る前に乗っていた白い船の残骸がそれに重なって見えた。

 

「だが、それらを差し置いても厄介な点がある。うちの専属ハンターがそやつを退けた時に実感したことなのだが」

「僕たちが来る前にいたハンターのことか」

「うんむ。ラギアクルスはとにかくプライドが高く、己を海で最強の生物と信じて疑わん。だから一度負けた相手のことはしっかり覚えていて、後々しつこく食らいついてきおる。なるべく、狩る時は一発で終わらせる気合でな」

 

 はるかは、はっとしたようにぴくりと瞳を動かしたが、すぐにその表情を引っ込めた。

 

「なるほど。そのハンターさんに話を聴きたいところだけど、今は遠くに?」

「ああ。ここんとこ最近、世界各地に呼び出されてさっぱりと帰ってこなくなってしもうての。何度も手紙で詫びはもらっとるんじゃが」

「なるほど……残念だ」

 

 そこで、村長は何かを思いついたように膝をうち、にんまりと笑った。

 

「チャチャに聞けば詳しいと思うぞ。あやつは少し前、あの人のオトモ……いや、『オヤブン』だったからな! カッハッハ……」

 

 そこに、巨大な骨を担ぎ上げて通りかかった筋肉質の男が足を止める。

 

「親父、チャチャならいないぞ。前に散々注意したってのに、また修行するとか言ってな」

 

 村長の息子だ。

 紫の風通しのよい服に袖を通し、顔は四角っぽい。海の漢らしく大柄だが性格はおおらか、気の良い青年である。

 彼ははるかの方を向くと、へっとおどけるように笑った。

 

「多分、あんたらがまともに相手してやらないからいじけてるんだろうな。カッハハハハ!」

 

 村長と息子は、豪快な笑い方をするところが実に似ている。

 

「あはは、まさかそんなことは……」

 

 あるだろうな、とはるかは心中思っていた。

 チャチャは口でははるかたちを『コブン』と称して強がるが、はるかとみちるに狩りへの同行をねだったのは一度や二度ではない。

 だが、はるかとみちるは、狩りの時も戦士の姿でいることを固く決めていた。だから、正体を見られないためにも彼の申し出をずっと断ってきたのだ。

 

「まぁ、こちらとしてはその方がいいんだろうが……」

「はるかしゃーん、みちるしゃーん! こっちにきてくらはーい!」

 

 誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いていると、それを遥かに上回る音量の呼びかけが耳に入った。

 はるか、少し遅れてみちるもカウンターの前に来ると、ちり紙を鼻の穴に詰めて復活したアイシャがお出迎えした。

 みちるは心配げにアイシャの顔を覗き込んだ。

 

「大丈夫? 無理はしたらダメよ?」

「せんっっせんたいしょーふへすっ!!」

「問題なければ、鼻に詰まってるそれ取ってくれないかな……」

 

 アイシャのこういうドタバタした面は、彼女たちのプリンセスの日頃のドジっぷりに通じるものがあった。

 何はともあれ、彼女は何か話したいことがあるようだった。

 その内容はというと。

 

「水没林で、子どもを追うモンスターを討伐せよ……か」

「はい! その子がどうも、特徴から推測するにおチビちゃんの親友なのです! うう、ここまでずっと1人で頑張ってたんですね、思わず涙が……」

「チャチャが前に言ってた『幼馴染』かしら」

 

 以前から話題に上ってきてはいた。その名はカヤンバと言うらしく、以前はチャチャと共に行動していたがある時袂を分かち、1人で修行に出たのだという。

 

「青いおチビちゃんもこの村の一員! 狩猟については任意なので、どうかその子を救ってくださいませんか!?」

 

 アイシャは涙ぐみながら願ってくるが、安易に助けに行くのは考えものであった。

 ただでさえ好奇心旺盛なチャチャの幼馴染である。もし彼がモガ村の一員となれば、自分たちを取り巻く状況は更にややこしくなると言わざるを得ない。

 

「……はるか」

 

 はるかは答えを迷っていたが、みちるは彼女に呼びかけて周囲を見るように促した。

 いつの間にかモガ村の住人たちは期待の交じった視線をはるかたちに送ってきていた。

 どうも、カヤンバもこの村の人々にとっては大事な存在であるようだ。更に、はるかたちも狩人として予想以上に信頼されてしまっている。

 はるかはしょうがない、という風にため息をつく。

 

「なるほど、分かった。行ってこよう」

「あ、ありがとうございます!!」

 

 はるかは、喜びを露わにしたアイシャの顔の前に、細やかな人差し指をぴんと立てた。

 

「ただし、タダというわけにはいかないのでね。一つ、条件をつけてほしい」

「な……何でしょうか?」

 

 彼女はカウンターに身を乗り出し、その指を静粛を求めるように自分の唇に近づけた。

 

「さっき僕たちの部屋で見たことを、誰にも一切漏らさないでほしいんだ」

「えっ!?!?」

 

 赤くなったアイシャの鼻から、再び血が垂れてきた。

 少女は必死に視線を逸らそうとする。が、どうしてもチラチラと見てしまう。

 目の前の、芸術品のような顔の人を。

 

「ああああわわわわ私は何にも見ててててななないですけどどどどど」

「お願い……できるかな?」

 

 はるかは形の良い眉を困った風に歪め、覗き込んできた。

 直後にアイシャは直立、敬礼。

 

「はいっ!! 絶対言いませぇんっっ!!」

「良い子だ」

 

 一転してはるかが微笑みかけて依頼書を取ると、アイシャは力が抜けたように椅子に座り込む。そのまま、燃え尽きたように白目を剥き、泡を吹いた。

 

「おーい、アイシャがまた気を失ってるぞー!」

 

 はるかとみちるは叫び声を背に、再び隣り合って貸家に歩いていく。

 

「私はそこまでスキンシップを取れとは言っていないのだけれど」

「なに? 妬いてんの?」

 

 みちるはやや不服そうな口調で言ったが、はるかはそれを軽く流して歩を進めた。

 

 一方、西側にある桟橋の傍にはクエスト出発用の船が浮かんでいた。

 一見誰もいないように見えるその縁から、緑のどんぐりが下から生えるように覗いた。

 

「プップップ……潜入成功っチャ! 今度という今度はあいつらの生の狩り様、この目で確かめてやるっチャ!」

 

 それはすぐに下へと引っ込み、モガ村の誰もそれに気づくことはなかった。




はるかさんたちもうさぎたちと同じく上位ハンターですが、現在は序盤から中盤、飛竜も相手に出来るようになってきた頃です。


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蒼紅流星②

ナルガクルガのBGMすき


 

 鬱蒼とした森林が一帯を支配している『水没林』。

 湿度は非常に高く、シダ類が大量に自生する典型的な亜熱帯気候。

 雨季になると滅多に空が晴れることはないが、今日の夜は満月の下見事な星空が広がっていた。

 

「さて……まずはモンスターを探すか」

「場合によっては狩猟も検討しなくてはね」

 

 岩棚の下にあるキャンプテントを出たはるかとみちるは支給品を取ると、そのまま北にある狩場に向かって濁った川を進んでいった。

 

 それを黄緑の素肌にどんぐり型の仮面を被った奇面族の子ども、チャチャは岩陰から見届け、

 

「まずはオヤブンらしく、モンスターを先回りして見つけてやるッチャ!」

 

 背中の瓢箪に貯めておいた水を仮面越しに飲み、意気揚々と駆けだす。

 

 彼の目的は、はるかとみちるを『コブン』にすること。

 仮面の裏にある鼻は感じ取っていた。彼女らから漂う、並のハンターとも、はたまた先代のハンターとも違う、謎の強者の臭いを。その正体を見極めてみたいのだ。

 なのに、サインを出しても気づいてくれない。何となしに近くをほっつき歩いてみても、焼いたこんがり肉を夜にプレゼントしてみても、何の音沙汰もなし。

 

「これはもう……狩猟で実力を見せてやるしかないっチャーー!」

 

 チャチャはいま、迸る情熱に瞳をメラメラと燃やしていた。

 地面を潜り、目標を見つけられることを願って地中を掘り進む。

 

 頭を突き出た先は、森林が視界をほぼ埋め尽くし、その合間から大滝が望める高台だった。大量の水が飛沫を上げて流れ落ちる様は圧巻である。

 その中をチャチャは飛び出て、周りを見渡した。

 

「さーて、獲物は何処へ……」

「ダーッ!! チャチャーーッ!?」

 

 その声に、思わずチャチャは振り返る。

 蟹の爪が上向きにつく、青い被り物が目に入った。

 肩から蓑を被り、腰には貝殻の履物を着たその子どもは、びっくりした様子でまじまじとチャチャを見ている。

 

「カヤンバ!? 何でここにいるっチャーーッ!?」

 

 思わずチャチャも叫び返した。

 カヤンバはチャチャの幼馴染だ。かつては共に行動していたがあることが原因で大喧嘩、別行動を取るようになった。

 それ以来、しばらく音信不通だったのだが。

 

「ぶ、無事だったのかブーー……」

 

 一方のカヤンバは呆気に取られた様子だったが、慌ててそっぽを向く。その手には、猪の頭を模した杖が抱かれていた。

 

「フ……フン! あの時のこと今更謝ろうたって無駄ンバ! ワガハイはあの時から、オマエと袂を分かつと心に決めたンバ!」

「……い、いい加減にするブーー! そもそも元はと言えば……」

 

 言い争いが勃発しそうになるがチャチャは思い返してぶんぶんと頭を振り、

 

「んなこと今はどーでもいいっチャ! 今は新たなコブンを手に入れられるか、それともまんまと逃げられるか、その瀬戸際なのッチャ!」

「……ダ? 新しい、コブン?」

 

 そのフレーズを、カヤンバは興味を引かれたように繰り返した。

 チャチャははるかたちとの出会い、それからの2人をコブンにするための涙ぐましい努力の一部始終を話した。

 話し終えた時には、カヤンバの仮面の目を模した空洞から、とめどない涙が溢れていた。

 

「うう……お前の気持ち、身に沁みて分かるンバ! コブンというのはいつだって薄情なもの! お面の早着替えマイベスト更新をコブン一代目に報告したら、華麗にスルーされた時の気持ちといったら……!」

「うぐぐぅ〜〜! やっぱりカヤンバはオレチャマの心の友ッチャ〜〜!!」

 

 背が小さく奇妙な仮面を被った種族……奇面族の子どもたちは、泣きながら互いにひしと抱き合った。

 

「よし、決めたンバ!」

「うんうん、何をッチャ?」

「そのコブン、ワガハイによこすンバ」

「……ヂャ?」

 

 一瞬にして空気が一変する。チャチャは、涙を止めてゆっくりと抱擁を解く。

 

「話を聞くに、そいつらが見向きもしないのはお前があまりにど田舎臭いからなノダ! この水没林で鍛えたワガハイのエレガンツでビューティフルな魅力こそ、そのコブンたちに最も相応しいンバ!」

 

 得意げに猪の頭を模した武器を向けてきたカヤンバにチャチャはしばらく黙っていたが。

 

「大好物は?」

「一角竜の干し肉!」

「今日やってたことは?」

「水泳してたらチャナガブルに吸い込まれたンバ!」

「今日つけてたお面は?」

「くっさくさのお面!そいつに集めたモンスターのフン何度も口に投げ込んで追い返してやったノダ!」

 

 カヤンバのお面の近くから、彼にたかるハエの羽音が聞こえた。

 

「お前のどこがエレガンツでビューティフルなのっチャアアアア!!!!」

「ダアアアア!? ワガハイのバトルスタイルを侮辱するンバアアアア!?!?」

 

 そんなすったもんだを繰り返しているところ、

 

「……おい、こっちの方で声が……」

「ええ、いま私も聞こえたわ」

 

 2人は急いでエリア一帯の中でも隅にある茂みに逃げ込み、木の陰に隠れた。

 少し遅れて、2人の人間──はるかとみちる──がやってくる。チャチャたちがいること自体には気づいていない。

 

「ふむ、あいつらが未来のワガハイのコブン……」

「オレチャマのコブンッチャ。ともかく、あのでっかいのがハルカ。ふっさふさな方がミチルって名前ッチャ」

「なるほど、ワガハイたちのようなともだ……幼馴染ってところかンバ」

 

 はるかは近くの木にできた傷を見つけた。

 刃物のようなもので切り裂いたような、鋭い傷跡だ。

 彼女は一時だけ目を閉じ、その耳でそよぐ風を感じた。

 

「……風が騒いでいる」

「用心した方が良さそうね」

 

 2人は顔を見合わせると、先端に球と円盤がついた棒を取り出した。

 

「あ……あれは……!?」

「何か取り出したンバ!」

 

 彼女たちはそれを天に掲げ、叫ぶ。

 

「ウラヌス・プラネット・パワー、メイク・アップ!!」

「ネプチューン・プラネット・パワー、メイク・アップ!!」

 

 2人は鎧から解放され、光に包まれ露わになった細い肢体は一瞬で新しい服を纏い直す。

 それは神聖さを思わせる白い素地に鮮やかな色の襟とスカートをひらめかす、美しき戦士の姿。

 セーラーウラヌスとセーラーネプチューンは背中を合わせ、戦闘に備え魔具(タリスマン)──宝剣と手鏡をその手に召喚した。

 

 それを見たこの世界の住人である、チャチャとカヤンバは。

 

「な、なるほど! アイツら()変身するのかっチャ! 奇面族並の早着替えっチャ!」

「あの変なゴツゴツのない、極限まで無駄なく洗練された防具……非常にブレイブ&クール&スマートンバ!!」

 

 小声で大興奮していた。

 

「全くあいつらったら損してるッチャ、何でこんなカッコいいことをコソコソ隠したりなんか……」

 

 そう呟いていたチャチャのすぐ脇で、黒い影が薄っすらと浮かび上がり。

 頭上で細い何かを振り回すと、その先から数発小さな物体を射出した。

 

 鱗か、はたまた棘のような物体が月夜に螺旋を描いて煌めく。

 空気を切り裂くそれは真っすぐ、そちらを向いていたウラヌスの頭へ。

 

「はあっ!!」

 

 宝剣スペースソードの一振りは、その棘を火花を散らして弾いた。

 

「え……」

 

 チャチャとカヤンバが呆然とするなか、隣にいた巨影は陰になっていた谷間の道から、ゆっくりと這い出てくる。

 

 闇に溶け込む、漆黒のしなやかな体毛。

 鳥に似た嘴に竜らしい鋭い牙と瞳。猫科のように出っ張った耳から鼻先まで、充血したような赤い紋様が走っている。

 四肢で地を這う姿は一見黒豹を思わせるが、前脚からはれっきとした翼が伸び、小指側からは白く、長く、鋭い刃が翼の外側と成って月光を反射している。

 そして最後に出てきたのは、鞭のようにしなる、全長の半分にも達する細い尻尾。

 

「……ナルガクルガ……ンバ……」

 

 ナルガクルガは迅竜の別名が示す通り、飛竜種の中でも随一の疾さを持つ。

 闇夜の暗殺者とも呼ばれ、狙われた獲物は存在にも気づかないうちに一瞬で命を奪われるという。

 今回は、ウラヌスたちが先に存在に気づいたため難を潜り抜けた。

 

「ウラヌス!」

「『ワールド・シェイキング』ッ!!」

 

 ネプチューンの呼びかけに応える形で、ウラヌスは掌に金色の球を生成する。

 大地に叩きつけられたそれは、衝撃波を発し地面を割りながら迅竜へ一直線に進む。

 当たれば無論、少なくとも無傷では済まない。

 

「ギキィッッッッ」

 

 ナルガクルガは、跳んだ。

 光球の軌道を読み取り、周り込むようにして回避したのだ。

 その影は、はるかたちから見て左側真横へ。

 

 いち早く視線で追ったネプチューンは、それがこちらを見据えて身を屈めたのに気づいた。

 右前脚が力を溜めるように後方へ置かれている。

 そちらの翼の外に宿る天然の白刃が光った。

 

「ウラヌス、右へ!」

 

 彼女はその言葉を信じその方向へ跳ぶ。

 直後、彼女らがいた左側の空間を迅竜の右側の刃……刃翼が薙ぐ。

 その軌道上にあった木枝が、切断されて宙を舞うのが尻目に見た。

 

 ナルガクルガの猛攻は止まらない。

 更にもう一回、跳んで回り込む。今度は彼女たちが向かっている正面前方。

 

「フアアアアアアアッッッ」

 

 見事に慣性を殺し、ウラヌスたち目掛けて跳躍、直接飛びつきにかかる。

 それを、ウラヌスとネプチューンは合図もなしに二手左右に分かれて回避。

 

「そっちがその気なら、僕と君のスピード……どちらが迅いか、勝負だ」

 

 ウラヌスはスペースソードを再び手元に呼び出し、構えた。

 

「どうやら、貴方はこれまでのモンスターとは一味違うみたいね」

 

 ネプチューンも手元に海水を生み出し、いつでも技を放てる態勢を取った。

 ナルガクルガはそれに、低く唸って答えた。

 そこから両者は、本格的に激突し始めた。

 

「す……すごいッチャ……。でもなんでナルガクルガが……」

「あいつ、ここ最近ワガハイを何回も襲ってきたやつンバ! あれのせいで、ワガハイは水の中でしか修行できなくなったンバ!」

 

 チャチャはそれを聞くと驚いて、杖を振り回してカヤンバのお面をぽかっと殴る。

 

「そーゆーことは早く教えろッチャ! オレチャマがあいつの存在をハルカたちに教えれば、『オヤブン』の威厳を示せたのにーー!!」

「ダッ!? 密かにワガハイより先に抜け駆けしようとはズルいヤツンバ! やっぱお前とは一生絶交ンバーー!」

 

 カヤンバも負けるものと、チャチャの仮面を叩き返す。

 

 2人の奇面族がそんな応酬を続けているとは露知らず、迅竜とセーラー戦士は激闘を続ける。

 ウラヌスとネプチューンが手から技を放とうとしたところ、ナルガクルガは複数の棘を彼女たちのいる距離めがけ放つ。

 戦士たちは回避行動を取らざるを得ないが、そこに迅竜は急速に駆けて距離を縮める。

 そこから尻尾をしならせ、横向きに振る。

 ただでさえ長い上に伸縮性に富むそれは、一瞬で顔の手前まで届く。

 当然ウラヌスたちもその効果範囲に入っていたが、彼女らは身軽さを生かし跳躍して回避。

 

「空中からの攻撃は、想定できるかしら?」

 

 ネプチューンは手元に集約したエネルギーを解放し、ディープサブマージを放つ。

 だが、ナルガクルガはこれを察知。

 後方に大きく跳び、水属性のエネルギーは虚しく大地を割って弾ける。

 

 遠距離に飛びのいた迅竜は、ネプチューンに対応しようとそちらを見据え、体勢を低く構える。

 

「慎重な性格が仇になったな!!」

 

 影に隠れていたウラヌスが姿を現し、ワールドシェイキングを発動。

 ナルガクルガが飛び出そうとした瞬間、エネルギー球が頭部に炸裂。

 爆発した衝撃波の塊はその鼓膜をも揺らし、彼をその場に倒れ伏せさせた。

 

「さぁ、ダブルアタックだ!」

「ええ!」

 

 ウラヌスとネプチューンは、同時に、先ほどよりも強く手を光らせる。

 だが、技が放たれる直前にナルガクルガは復帰。

 

 黄色い瞳が、大きく見開かれた。

 

 螺旋を描いて飛ぶ2つの光球。

 それを、漆黒の影は先より遥かに勝る速度で跳び躱した。

 

 闇に、赤い残光を走らせながら。

 

「っ……速い!」

 

 駿足で空を駆け抜けたナルガクルガは地に滑り降り、月夜と滝を背景に憤怒の咆哮を響かせる。

 

「フルアアアァァアアァァアアァァオアァァァァァオオオゥゥッッッッ!!!!」

 

 叫び終えると、再び残光が宙に軌跡を描く。

 

 舞い散る枝葉。

 

 飛び散る水溜まり。

 

 風を斬り裂く、高い音。

 

 両眼に宿る光の尾が、ウラヌスたちの周りを止めどなく飛び回る。

 この夜闇を疾駆する、一筋の流星となって。

 

「まさか、撹乱?」

 

 先ほどは行動を見抜いたネプチューンも、今回の速度には目がまるで追いつかない。

 いつまで経っても相手は攻撃を仕掛けないまま、

 いつの間にか、存在が消え去っていた。

 

「……一体、どこに行った?」

 

 居場所は近くに切り立った崖の中腹。

 ナルガクルガはそこからそっと飛び立ち、2人の背後へ。

 鱗が毛の如く柔軟に発達しているので、木に擦れて音が出ることもない。

 

 気配を消し、

 

 怒気も消し、

 

 殺気も消し、

 

 一歩一歩にじりよる。

 

 チャチャと喧嘩していたカヤンバは視界にそれを認めると、慌ててチャチャを押しのけて叫んだ。

 

「後ろ見るンバ、後ろーーっ!」

「っ!?」

 

 ウラヌスとネプチューンは突然の謎の声に戸惑うよりも、その言葉通りに振り向いた。

 ナルガクルガは、低く屈めた身体を震わせて力を溜めていた。尻尾の先端の毛と棘をすべて逆立たせて。

 

「ウラヌスッ!!」

 

 ネプチューンが、ウラヌスを抱いて地を蹴る。

 直後、迅竜も宙に飛び上がって身を翻し。

 

 棘の拡がった尻尾を渾身の力で振り降ろした。

 

 地が割れて泥水が噴き、木が根から吹き飛んだ。

 抱かれながら伏したウラヌスが目を開けた時には、50cmにも迫る棘が彼女の頭のすぐ傍に突き刺さっていた。

 いち早く立ったネプチューンに、ウラヌスは苦笑ぎみに顔を上げた。

 

「……悪い」

「どういたしまして」

 

 微笑み返した彼女は、ウラヌスの手を取って立たせながら周りを見渡す。

 

「それにしてもさっきの声、まさか……」

「今は、気にしてる暇はなさそうだ」

 

 ウラヌスはスペースソードを再び構える。

 尻尾を引き抜くと、ナルガクルガは再び森林の中へと姿をくらました。

 ネプチューンはウラヌスと背中合わせに立ち、手元に手鏡状の魔具(タリスマン)、『ディープ・アクア・ミラー』を召喚する。彼女はそれを斜めに持ち、そこから光を照射。

 

「私が補助するわ。攻撃の方向を教えるから、貴女はそれに合わせて」

「助かるよ、ネプチューン」

 

 月下で蒼と紅の流星が駆け巡る。

 

 互いに一歩に譲らず、交差し合って。

 

 時に避け合い、時にぶつかり、また離れていく。

 

「ウラヌス、右!」

「ああ!」

 

 僅かに見えた黒豹のしなやかに躍動する体躯を、手鏡から伸びる光が一瞬だけ照らす。

 相棒の言葉に応え、ウラヌスは意識をその方向に巡らせる。

 予測通り、赤い残光がそこからこちらを見据えた。

 

 闇から出でた必殺の刃翼に、ウラヌスは直角にスペースソードを振りかざす。

 火花、四散。

 単純な筋力ではナルガクルガが遥かに有利。

 ウラヌスは斜めに力を受け流し、何とかやり過ごす。

 

 一方、奇面族の子どもたちは喧嘩も忘れてこの激闘に見入っていた。

 

「ぜ……全然いつも見てる狩りとは似ても似つかないンバァ……」

 

 チャチャはそこであることに気が付き、バシバシとカヤンバの後頭部を小突く。

 

「そういえば、さっきの声で絶対居場所がバレたっチャ! 今すぐ立て直しを──」

 

 瞬間、彼らは背筋に寒気を感じた。

 正確には、殺気。

 偶然チャチャたちとナルガクルガの目が合ったのだ。

 

 彼は突如方向を変え、彼らが隠れている木の近くまで突っ込んできた。

 ウラヌスたちの仲間だと思ったか、新たな邪魔者だと思ったのかは定かではない。

 

「ヂャーーーーッッ!?!?」「こっ、こっちに来るなンバーー!!」

「背後を見せたぞ!」

 

 セーラー戦士たちはこれを好機と見て後を追う。子どもたちの姿は迅竜の陰になって見えていない。

 ナルガクルガは彼女らを尻目に見ると、自身を軸にして尻尾を360度ぶん回す。

 木々、草木も含めそこにいる者すべてを薙ぎ払う、広範囲の一撃。

 ウラヌスたちは攻撃を予期して跳び下がったが、チャチャとカヤンバは木と共に吹っ飛ばされて宙を舞う。

 

「ヂャアアアア~~~~!!」「ダアアアア~~~~!!」

 

 彼らは泣き叫びながら山なりに軌道を描き、セーラー戦士たちの目の前に落下。

 べしゃっという音と共に、顔面に泥を被った。

 

「なっ……」

 

 2人は突然現れた小さな生き物たちに目を見張った。

 一方、目前にはナルガクルガ。

 彼は泥濘をゆっくりと歩きながらこちらを睨み、今にも飛び出しそうな勢いで唸っていた。

 

「ウラヌス!」

「……あぁ、仕方がない」

 

 彼女たちは目で合図すると、ウラヌスがチャチャ、ネプチューンがカヤンバを両手で腹の前に抱える。

 

「ご、ご、ごめんなチャ……」

「話はあとで聞かせてもらう!」

 

 チャチャの涙目での謝罪を断ち切り、ウラヌスは木の間を駆け抜けて立ち去っていった。

 ネプチューンは無念が滲む相方の顔を、憂いを含んだ表情で見つめていた。



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蒼紅流星③

「僕たちとしたことが、全く気づけなかった」

「子どもの勘の鋭さを舐めたのが間違いだったわね」

 

 すぐそこに植物ごと水没した道が見える、水陸の境目であるエリア4。

 ナルガクルガの猛攻から逃れたウラヌスとネプチューンは、抱き合う奇面族を厳しい表情で見つめていた。

 

「ブ、ブブゥ……オレチャマたち、これから一体どうなるッチャ……」

「んなもん分かるわけないンバ!」

 

 最初、2人はカヤンバを見つけたら戦闘は避け、キャンプへ連れ帰るだけで依頼を済ませようと考えていた。勿論その方が、正体がバレる心配は少ないからだ。

 だが、状況は予想の斜め上を行った。

 

「まさか2人で結託して隠れ、僕たちの変身を観察していたとはな。抜け目のない奴らだ」

「いやいやいやいや偶然、偶然ッチャ!」

「そ、そうンバ!いくら何でもオヤブンの座をかけて対決しようだなんて、そんなこと思わないンバ!!」

「ヨケーなこと言うなっチャ!!!!」

 

 ウラヌスはため息をつき、ネプチューンは暗い表情で俯いていた。

 

「もう…あの村にはいられないかもね」

「ああ。本来ならこいつらを始末するべきだろうが」

 

 ウラヌスの蒼い瞳に宿る氷のような冷たさに、子どもたちはブルリと震えあがる。

 

「シ、シマツ?」

「き……きっとハ、ハンティングされるってことンバ!」

「ンギェ〜〜〜〜!?!?」

 

 チャチャが頬を押さえて絶叫していると、

 

「その必要はないわ、ウラヌス」

 

 ネプチューンが呼びかける。

 

「私たちはいずれ……」

「分かってるさ。使命さえ全うすれば、あの村とも一切のしがらみはなくなるからな」

 

 続きを遮るように答えたウラヌスは目を細める。

 

「そして……こいつらとも、永遠に会うことはなくなる」

 

 どこか意味ありげな感情を抑えた言い方にチャチャは疑問符を浮かべていたが。

 やがて、恐る恐る口を開いた。

 

「そもそもの話ヂャけど、なんでそれがバレたら駄目なのッチャ?」

 

 ネプチューンは怪訝そうに顔を上げ、ウラヌスは眉をひそめて振り向く。

 

「貴様は何を言ってる? 僕たちは村の外から来た何処とも知れないよそ者、そいつが得体の知れない力を持っているとなれば排除するのが道理だろう!」

 

 彼女は当然すぎるはずのことに疑問を持たれ、初めて苛つきを顔に滲ませた。

 今度は、奇面族たちの方が戸惑いを見せる。

 

「こいつ、何を言ってるッチャ?」

「チャチャ、こいつらお前とどれくらい話したンバ?」

「んーと、これまでのオレチャマの呼びかけへの回答率、統計で約5.5%キープ中ッチャ!」

「ンバ!? じゃあ奇面族のこともなーんにも知らないに決まってるンバ!!」

 

 カヤンバはウラヌスたちの方に向き直り、胸を張って言った。

 

「じゃあこのワガハイが教えてやるンバ。我らが誇り高い種族『チャチャブー』、またの名を『奇面族』を!」

「……それがいったいどうしたっていうんだ?」

 

 ウラヌスは顔をしかめながらも、まずは話を聞くことにした。

 

 奇面族は、子どもくらいの背丈の人型種族である。

 背に見合わぬ強靭な肉体と高い知性を持ち、かぼちゃの仮面と腰に葉っぱを身につけ族長の元で集団生活を営む。歌と踊りを専ら好み、縄張りを侵す者には竜だろうとヒトだろうと積極的に応戦する。

 その危険性ゆえか、彼らをモンスターとして撃退対象に据える地域も少なくないらしい。

 

 この事実を聞いたウラヌスたちは驚きを隠せなかった。モガ村の住人はそれを一つも口に出すこともなく、ごく自然にチャチャを一員として受け入れていたからだ。

 

「……その種族の出身となると、最初はさぞかし苦労したでしょうね。モガ村の人たちに受け入れられるのは」

 

 思わずネプチューンは憐憫の情を向けるが、カヤンバははっきりと首を横に振る。

 

「全然そんなことなかったンバ! それどころかチャチャに関しては、間抜けにもジャギィに襲われてピンチなところを前のコブンに助けてもらったのがこいつとモガ村の馴れ初めンバ!」

「ブ!! それを言うならカヤンバもッチャ! お前だってここでドボルベルクにちょっかい出して追いかけられたのを救われて……」

 

 意地でも隠したい黒歴史なのか、チャチャは杖を振りやけになって反論し始める。

 それに負けずと早口で言い返すカヤンバを、ウラヌスは見つめていた。

 

「……じゃあ、モガ村の人たちはお前たちを最初から偏見なしで見てくれたというのか?」

 

 言い合いが過熱しそうになったところでその発言に気づき、チャチャは慌ててセーラー戦士たちに向かい直った。

 

「とにかく、お前らはきちんと人を見てないだけッチャ! 村長もそのセガレも、アイシャも交易船の船長も、竜人のおじちゃんもその農場で働くアイルーもみんないいヤツらッチャ! 今更変身するヤツが1人や2人くらい、何が問題っチャ!」

「そうンバそうンバ!! 世話してくれる人たちすら信じられないだなんて、今までよくハンターやってこれたンバ!」

 

 子どもたちの言葉に、ウラヌスは迷うようにネプチューンと視線を合わせる。

 

「少なくとも、村を今すぐ出なきゃいけないわけじゃないみたいね」

 

 先ほどから一転変わって、安心したような微笑みを彼女は浮かべていた。

 

──

 

「あっ、いーこと思いついたンバ!」

 

 2人の戦士たちの後を追いかけていたカヤンバは突如振り返り、チャチャにビシッと杖を突きつけた。

 

「ワガハイとオマエ、どっちが狩猟に貢献できるか競争ンバ! それで勝った方が『オヤブン』を名乗れることにするノダ!」

「むむっ、それはいいアイディアっチャ! 受けて立ってやるっチャ〜!!」

「どうしようと勝手だが、僕たちの足手まといにはなるな。こちらとしては黙って大人しくテントにいてくれた方がよっぽどありがたいくらいだ」

 

 『オヤブン』だの『コブン』だのという言葉も聞き飽き、ウラヌスはいい加減うんざりとしていた。

 

「いいじゃない。せっかく狩猟に協力してくれるというのだから、意気込みある方がよろしくってよ」

「いくら身体が頑丈とはいえ、子どもにあまり期待を背負わせるのも可哀想だぜ」

 

 相方からの言葉に、彼女はいまいち気乗りでない顔で答えた。

 

 ナルガクルガは、エリア2で鹿に似た草食生物、ケルビを捕食していた。

 カツン、カツン、カツカツン。

 苔むしたピラミッド状の古代遺跡を背景に、嘴がかち合う音が鋭く響く。

 そこにセーラー戦士と奇面族とが姿を現すと、彼はすぐさま戦闘態勢に入った。

 

「ある程度傷は負わせている。恐らくあの捕食も、消耗の証だ」

 

 相方に、そして自分にも言い聞かせるようにウラヌスはスペースソードを構える。

 ナルガクルガは残光を煌めかせて跳びまわり、再び死角を取ろうとする。

 

「さあ、いつでもかかってらっしゃい!」

 

 ネプチューンもディープアクアミラーを構え、相手の動きを観察する。

 前回より視界が開けているので不意打ちを食らいにくく、その点では有利。

 だが、迅竜にとってもそれは同じであった。

 

「ギシャアッ」

 

 先を更に上回る勢いで回り込み5、6mほど距離を開けると、ナルガクルガは毛を逆立てた尻尾を振り回し棘を射出。

 それは道を作るようにこちらへと次々に地に突き刺さって来るが、ウラヌスたちは難なく身を反らしてかわす。

 だが、攻撃はそれに終わらない。

 ナルガクルガは正面に噛みつきながら獣らしく猛然と突っかかってきた。

 

「冷静さを失ったか」

「良い的になったわね」

 

 ウラヌスとネプチューンは必殺技を同時に発動。

 手から放たれた二色の光球は刃翼、左肩に命中。

 凄まじいエナジーの爆発は、確実に竜の身体に痛撃を与える。

 

「グギィ……ッ」

 

 だが、ナルガクルガは怯まない。そのまま目の前の虚空に噛みつき、なおもしつこく食らいつこうとしてくる。

 

「なっ!」

 

 ウラヌスとネプチューンは即座に避けようとするが、そこで運命を変えたのが地面に残っていた棘だった。

 ウラヌスは十分に後方へと跳べたが、一方のネプチューンの白い脚を近くにあった棘が薄く切り裂く。

 

「ぐっ……」

 

 脚を庇った瞬間を狙いすましたように迅竜は身を翻し、すれ違いざまに尻尾で流れるような跳ね上げ。

 ネプチューンは腹に大きな一撃を受け、吹っ飛ばされる。

 

「ネプチューン!」

 

 思わずウラヌスは叫び、地に転がった彼女を抱きあげる。

 ネプチューンは気丈に振る舞い、よろめきながらも立ち上がる。

 

「大丈夫よ……動けるわ」

 

 だが腹を抱えて苦しげな表情をしている辺り、決して馬鹿にはできない被弾のようだ。

 チャチャとカヤンバはそれまでナルガクルガを追って杖を振るっていたのだが、それに気づくと2人で頷き合ってその杖を交差させた。

 

「よし、今こそ活躍の時ッチャ!」

「ンバーーッ!!」

 

 チャチャとカヤンバは腰を低くし、杖を真横に。そのまま陽気に口ずさみ、滑るように走りながら踊り始めた。

 ウラヌスはその滑稽にも見える動きを見て、一気に表情に怒気を孕ませた。

 

「おい、何を踊ってる! これはお遊戯じゃないんだぞ!!」

「遊んでねぇっチャァ〜〜。黙って戦ってれば良いっチャ〜〜!」

「ほら、早く動かないと攻撃飛んでくるンバ~~!」

 

 失望。

 その二文字がウラヌスの心に浮かんだ。

 大切な人が傷つけられ、敵は今も確実に2人を仕留めんと跳びまわっている。

 よりにもよって、こんな時に。

 

「やはり、所詮は違う世界の住人だな」

 

 次は眼前に着地したナルガクルガに語るように、ウラヌスは呟く。

 犬歯を剝き出しにして唸り、背後には低く構え据え置かれた黒鞭。

 それを見て、ウラヌスは相方を安全な後方に突き飛ばしつつ跳ぶ。

 

 一閃。

 

 尻尾が円を描く。

 

「そこだ!」

 

 敢えて飛び込むウラヌスは、スペースソードに高周波を宿らせる。

 その落下の勢いで首元に迫ろうとしたが。

 

 神速、二連。

 

 脚が逆方向に返ってきた尻尾に鞭打たれ、彼女は派手に吹っ飛んだ。

 

「ぐあああっ!」

「ウラヌス!!」

 

 もっと深くに飛び込んでいれば、あるいは。

 反省も虚しく、彼女の身体は地面に放り出された。

 

「ンン~~、ンン~~……ホイッホ!」「ンッバー、ンバンバ……」

 

 奇面族の子どもたちは頭を逆さにして回転しては飛び跳ね踊っている。

 力を振り絞り立ち上がったウラヌスの目前に迫ったのは、嘴。

 

「ぐっ……」

 

 噛みつかれはしなかったが、小突かれて彼女の脚がふらつく。

 直後、ナルガクルガは尻尾を頭上に掲げ力を込め始める。

 あの、必殺の尻尾叩きつけだ。

 

「……こんなところで、やられてたまるか!!」

 

 彼女は横っ飛びしながらスペースソードの柄に力を込め。

 再び地面を割ったその尻尾目掛け剣を光らせた。

 

「スペースソード・ブラスター!!」

 

 数度振り下ろすと、斬撃のエネルギーが刃となって放出。

 それは棘の開き切った迅竜の尻尾に直撃、高周波エネルギーにより幾つもの傷をつける。

 

「キイイイィィィアアアッッッ!!」

 

 ナルガクルガは思わぬ痛手に仰け反り、絶叫した。

 それと同時に。

 

「よし、完璧……っチャ!!」

「こちらも完了ンバ!」

 

 子どもたちが揃って低くした腰を振り終える。

 すると、2人の身体に異変が起こった。

 先ほどまで感じていた痛み、腹の重みなどが急速に消えていく。それどころか、身体の芯から力が湧き上がってきたのだ。

 ウラヌスは戸惑い、奇面族たちに振り向く。

 

「まさか、お前たちが?」

「そう! これこそ奇面族代々伝わる、超回復ダンスッチャア!」

「仕組みは聞かれても機密事項ンバ! ほれほれ!気にしてる暇あったら殴りまくるンバーー!!」

 

 ウラヌスとネプチューンは言葉を受け、顔を見合わせる。

 

「それならそうと……最初から言え!」

 

 完全に調子を取り戻した彼女らは、軽くなった表情で再び戦場へと飛び込む。

 

 その後、戦士たちは奇面族と協力して、順調に獲物へ傷を負わせていった。

 さすがに迅竜とて無敵ではなく、ウラヌスたちの調子と反比例するように次第に動きに翳りが見え始める。

 

「ンッチャア!!」

 

 相手が脚をもたつかせながら着地したところ、チャチャのブーメランによる一撃は刃翼を破壊。

 ナルガクルガはバランスを失いその場に転倒した。

 

「ワガハイも負けていられねぇンバーー!!」

 

 カヤンバの渾身の杖による攻撃は竜の片目を潰し、隻眼にした。

 そこへ光球による追撃を加える戦士たちは、その活躍を見て

 

「中々やるわね、あの子たち」

「……僕も、随分と学ばされたものだ」

 

 なりふり構わなくなったナルガクルガは、再び尻尾叩きつけを狙う。

 だが、それこそウラヌスたちにとって待ち望んだ瞬間だった。

 

「他人を、経験だけで判断してはならないと!」

 

 高周波をスペースソードに漲らせ、横に振り下ろされた尻尾目掛け縦に振りかぶる。

 

「ギャワアアアオオオオオウゥゥッ!?!?」

 

 切り裂かれた尻尾の先端が宙を舞った。

 ナルガクルガは衝撃に悲鳴を上げて倒れ込み、何とか敵を捉えようと立ち上がる。

 だがその口元からは涎が垂れ、眼は限界を迎えかけて血走っていた。

 

「さぁネプチューン、いよいよ行こうか」

「えぇ。行きましょう」

 

 もう一度回り込んだナルガクルガは、戦士2人へと駆け寄る。

 それを迎え撃つように、彼女たちも正面から距離を急速に縮めていく。

 迅竜は脚を止め、敵を打ち据えんと横向きに尻尾を振るった。

 

 だが、構わず彼女たちは前方に跳び、身体を捻り、

 そしてすり抜けた。

 尻尾を切断したおかげで、リーチが短くなったのだ。

 眼前に広がるのは、無防備な頭。

 

 少女たちの掌が金色と海色に光る。

 

「ワールド・シェイキング!!」

「ディープ・サブマージ!!」

 

 ナルガクルガの身体は、2つの光に吹っ飛ばされた。

 

──

 

「で、モガ村のみんなにこのことは明かすッチャ?」

 

 帰路に着いた時、チャチャは戦士の状態を解いたはるかにそう聞いてきた。

 

「そうだな……」

 

 少し考えたあと、彼女は優しげな表情を浮かべ、チャチャたち奇面族と同じ視線の高さになるよう屈んだ。

 

「実は僕たちのこの力は、さっきの理由以外にも人に正体を知らされすぎると弱くなってしまうんだ。だから、あまり簡単には明かせない」

「そ、そんな裏設定が!?」

「驚愕ンバ!!」

 

 彼らの反応を見たはるかは、頷きながら拳の小指だけを突き出し、それを差し出す。

 

「だから、他の人には言わないって約束してくれるか?」

「チャパッ! 秘密の組織みたいでカッコいいッチャ!」

「分かったンバ!!」

 

 チャチャとカヤンバはそれに答えて景気よく指切りげんまんをして先に進むが、みちるは首を傾げてはるかに耳打ちする。

 

「そんな設定あったかしら?」

「モガ村にはたまに交易船が来る。村以外に伝わったら厄介なことになるかも、だろ?」

 

 彼女は微笑んで、人差し指を唇の前に据えた。

 

「一応念のため、さ」

 

 彼女の顔は、何かのしがらみから解放されたように爽やかだった。

 いつの間にか夜が明けて、地平線が黄ばみ始めていた。

 

「そういえば、カヤンバ。なぜ貴方たちが喧嘩したか、よかったら教えて下さる?」

 

 ネプチューンの姿を解いたみちるは、そうカヤンバに何となしに聞いてみたのだが。

 

「ダ……」

 

 彼は軽やかな足取りを止め、その場に俯いて静止した。

 

「あれは……ワガハイのガラスのようにピュアでデリケートな心を惨たらしく破壊した……史上最悪の大事件だったンバ」

 

 青い仮面をつけた奇面族の声は、今までにないほど沈んでいる。

 余程傷つけるような酷い仕打ちをしたのか、とはるかたちが振り向くと、チャチャは冷や汗をかいて非常に気まずそうに俯いていた。

 

「チャチャの奴は、命より大事な……それはそれは……」

 

 顔を上げたカヤンバは見るからに憎悪と敵意を滾らせ、杖で勢いよくチャチャを指し示した。

 

「ヤミーでキュートなスウィーツを、こいつは……勝手に全部喰らってしまったンバァーー!!!!」

 

 沈黙の後、チャチャはむしろいきり立って、

 

「……いやでもあれは、自分のって書かなかったカヤンバの自業自得っチャ!! あんな美味そうなお菓子を説明もなくテーブルに放り出してる方が悪いに決まってるッチャ!!」

 

 それにカヤンバは逆上して、

 

「ムキャーーーーッッ!! この後に及んで未だ反省しないンバ! ならワガハイはここに残るンバ!!」

「おうとも勝手にするがいいッチャ! コブンはこちらがありがたく頂戴してやるブ~!」

「んなわけあるかンバ! ワガハイが新しく村を作ってこいつらを御付きに雇うンバ!」

「プププ馬鹿丸出しー、ドボルベルクに叩き潰される未来が見えるッチャ~」

 

 子どもたちはまたしても、いつ終わるか知れない口喧嘩を繰り広げ始めた。

 それを見たはるかとみちるは、思わず小さく吹き出した。

 チャチャは敏感に反応して振り向く。

 

「な、何がおかしいっチャ!?」

「いや、なんとも理由が君たちらしいって思ってさ」

「ふふ。後できちんと謝っておきなさい、チャチャ。食べ物の恨みは恐ろしいわよ」

「ブ、ブウゥ……」

 

 それまで見たことのなかった彼女らの微笑に絆されて、チャチャの反抗心は途端に萎えてしまったのだった。

 

──

 

 数日後、モガ村にて。

 

「へへっ、今日も大漁だぜ! キレアジもシンドイワシもぴちぴち跳ねてらぁ」

「ああ、馬鹿! そいつははじけイワシ。死んで弾けたらヤだから、そっちの水槽に入れときな!」

 

 恰幅の良い漁港の女主人は、今日も今日とて男衆に指示して揚げられた魚を網からバケツへ仕分けていた。

 長らくこの仕事をやっているので、その知識と手際たるや達人の域に達している。彼女は一つの網の魚を片付けると、ふぅとため息をついて自身の腰を叩いた。

 

「はぁ~、本来なら喜ぶべきなんだろうけどねぇ。ここまで人手不足だと忙しくて忙しくてしょうがないよ……」

「女将さん、良ければ手伝うよ」

 

 女主人は顔を上げ、話しかけてきた人物の姿を認めるとにっこりと微笑んだ。

 

「お、そりゃあ助かる! 今日もありがとねー!」

 

 その人物、はるかはそれまで外で羽織っていた上着を脱ぎ、サラシを巻いた動きやすい姿になっていた。

 性別はどう見ても明らかなのだが、男衆たちは特に気にした風もなく喜びの声を上げた。

 

「やったぁ! はるかさんのお陰で仕事がぎゅんぎゅん捗るぜ!」

「昨日から徹夜して、御二人のために応援歌作ってみたんだ! 聞いてみる!?」

 

 歓談しながら漁師たちの手伝いをするはるかを、みちるは日傘を差して見つめている。

 

「んふふ、何だか私たちとはるかさんたちとの距離が少しだけ近くなった気がします!」

 

 そんな光景を、アイシャはクエストカウンターで微笑ましく眺めていた。隣では村長が、村の子どもと遊んでやっていた。

 

「うんむ、そうだのう。あのチビ助2人の手柄かもな」

 

 彼は頷きつつ、ゆっくりと顔を上げアイシャと同じ風景を見て目を細めた。

 

「あの2人もいつか故郷に帰るのだろうが……せめてその時、ここは良いところだったと少しでも思ってくれてたら嬉しいのぉ」



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再会は荒漠の地で①

 

「うう〜〜……」

 

 地平線まで続く大空と海、天辺で昼間も明かりを灯す灯台。世界各地から舟が集い、また離れていく。

 その光景が、うさぎたちがいる位置からは全て俯瞰できた。

 

「うぐぐぐぅ……」

 

 ここはタンジアの港。貿易商人なら誰もが憧れる夢の地。

 うさぎたちがいるのは、ハンターが依頼を受注する出発港にある三つ星レストラン『シー・タンジニャ』。

 彼女のすぐ隣では人の背を超える肉がアイルーによって焼かれ、その傍にある巨大鍋では蟹やら野菜やらが蓋からはみ出すほど煮込まれ、美味しそうな匂いを垂れ流している。

 だが、それを横目に見たうさぎの顔は苦しげである。

 彼女がテーブルに向かい直ったかと思うと、

 

「おカネが、なぁーーーーいっっ!!」

 

 その両掌が叩きつけられ、揺れるテーブル。

 手元には紙袋詰めのシーフード味スナック『タンジアチップス』。

 そして、自分と仲間たちにはコップ入りのお冷がそれぞれ1杯ずつ。

 

「うさぎちゃん、行儀悪いわよ」

 

 ルナにはそうたしなめられ、料理人のアイルーは哀れそうな目で見てくる始末。

 

「オナカ……ヘッタ……スナック……アキタ……」

 

 か細く呟き机に顔を突っ伏すうさぎの腹は、絶えず鳴り続けていた。

 

「大食らいはこうなると悲惨よねぇ」

 

 それを観察する、ちびうさを始めとした仲間たち。

 

「何だか申し訳なくなってきたわ……」

「仲間をここまでひもじくさせてると思うとね……」

 

 亜美は白と桃色を基調とした振袖の婚礼衣装のような防具、まことは蒼い甲殻に覆われた甲冑に棘がついた荒々しい鎧を着込んでいる。

 さらに武器も防具と似た色彩のものに新調し、ライトボウガン『狐水銃シズクトキユル』、ハンマー『王牙鎚』をそれぞれ携えていた。どれも、以前に狩ったタマミツネとジンオウガの素材で作ったものだ。

 

「仕方ないわよ、これから先は相手するモンスターだって強くなるんだから。多少の倹約は覚悟しないとね」

 

 レイも武器は『灼炎のルーガー』のまま、アラビアンな軽装『城塞遊撃隊』の防具へと武具の新調を行っていた。

 

 これまで狩りで稼いできたとはいえ、報酬金は常に狩猟に参加する4人で頭割り。そこに猟団として共通で払う交通費、宿代、そして今回のような武具製作費も重なれば必ず免れない事態であった。

 かつてドスフロギィから今の装備を作った結果同じ憂き目に遭った美奈子は、ある程度慣れた様子ながらつまらなそうに一冊の本を取り出した。

 

「仕方ない、取り敢えず代わりに文字を頭に詰め込んどきますか……」

「おっ、偉いぞ美奈。情報収集とはいい心がけじゃないか」

 

 白猫のアルテミスに賞賛を受けつつ美奈子が開いたのは、月刊情報誌『狩りに生きる』。

 基本的に狩人の生活に役立つあれこれが書かれているのだが、彼女が開いたのは狩りに()()()()()方。役立つ方は改めて見ることもない初心者向けの記述ばかりだ。

 冊子後方には掲示板、狩人同士で話題になっている噂、そして今回新たに女性向けコラムが設けられていた。

 タマミツネの滑液を使ったシャンプー、リオレイアに学ぶ恋愛処方箋……など、実用性こそ別として様々な女性ハンターを対象とした記事が載ってある。

 

「へー、ハンターさんたちも最近、美容を気にする人多いのね……ん?」

 

 ある1ページに目を見張ると、彼女はうさぎの頭を掴み自身の方へと向かせる。

 そしてそのページを開いたまま、冊子をドンッとその目の前に据え置いた。

 

「うさぎちゃん、これ読んで!!」

「え? 何よもー……」

 

 最初は、渋々視線だけを動かして読んでいたうさぎ。

 だが、みるみるうちに彼女の瞳に生気が宿り始める。 

 たちまち、冊子を手に取って熟読し始める。

 

「こ、これは……!」

「ね!? これなら元手ゼロで大儲けよ!」

「大儲け!」

 

 すっかり蘇って半身を起き上がらせたうさぎは美奈子と頷きあうと、勢いよく立ち上がった。

 

「みんな! あたしたち、砂原に採取ツアー行ってくる!」

「どうしたのよいきなり」

 

 うさぎの言葉にレイが驚いていると、美奈子がその後を継ぐ。

 

「見つけたのよ! この状況をひっくり返す、とびっきりの秘策をね!」

「……えぇ?」

 

 一同が怪訝な視線を向けてきたのは予想の範疇だったらしく、うさぎたちは得意げにその秘策の内容を明かした。

 だが、それを聞いた彼女たちの反応は揃って微妙だった。

 

「それ、火山で鉱石を掘ってくる方が高く売れるんじゃ……」

「そんな簡単に上手く行くものかしら?」

「如何にも2人らしく向こう見てないって感じね」

 

 まこと、亜美、そして最後のレイの言葉でうさぎはムッとした表情になる。

 

「何よ3人とも、ノリ悪いわねぇ! ならあたしたちだけで行かせてもらいますから!」

「ま、みんなは装備作りを頑張った分今回は休んで休んでー!」

 

 美奈子にそれぞれ肩を叩かれてはぁ……といまいち納得していない一同。

 それを他所に、2人は武器を担いで意気揚々と階段を降りていく。

 身支度もほどほどに彼女たちは水兵服を着た笑顔の受付嬢と受付をかわし、出発口に立つ。

 

「じゃー、行ってくるっ!!」

「1週間以内には帰って来るわーー!!」

 

 そのまま彼女たちは高速船に乗って砂原のある方面へと繰り出していった。

 

「大丈夫かな……確かに砂原は火山に比べりゃ危険度はマシだけど」

「どーせ変なところで大ドジやらかして、泣きべそかいて帰ってくるでしょ」

 

 純粋に心配げなまことに対し、ちびうさはかなり薄情な予測をする。

 

「2人とも仮にも上位ハンターよ。今更そんな変な失敗するわけ……」

 

 ルナはそう宥めかけてから少し頭を捻った後、

 

「いいや、絶対するわ」

 

 真顔で前言撤回した。

 

──

 

 タンジアの港と海を通して繋がる木造の孤島、モガ村沿岸で小さな波飛沫が立った。

 

「ほら、こう掻けば抵抗が無くなって早く泳げるダロ?」

「さぁ、もう一度試してみるっチャア!」

 

 やんちゃそうな顔の人間の子どもと奇面族の子どもチャチャが海面から顔を出し、目の前にいるはるかに指示してくる。

 彼女はそれに濡れた顔を拭いながらため息をつく。

 

「ったく、簡単に言ってくれるよ。みちるは生まれつき海の力を貰ってるから大丈夫だろうけどさ」

「あら、コツさえ掴めば簡単よ? ほら」

 

 みちるは息をたっぷり吸うと流れるような動きで海中に潜る。途端に、彼女は水を支配したかのように滑らかな動きで水中を舞い始める。

 人間の子どもはうぉー、と感嘆の声を上げた。

 

「相変わらずあのネエちゃん、スッゴイ泳ぎが上手ダナ!」

「海の力って言ってたけど、まさかミチル、魚の遺伝子でも持ってるンバ!?」

「ものの例えってやつだよ、おチビちゃん」

 

 そうはるかはカヤンバに答えると自らも息を吸って潜り、みちるを追いに行った。

 天然島にほど近いため、深度はそれほどでもない。

 彼女が目を開けてすぐ、陽の光を受けて色とりどりに光る珊瑚礁が見えた。

 熱帯魚の群れが縦横無尽に踊る中、みちるは待っていたわと伝えるように微笑んだ。

 

 はるかとみちるは、装備をつけた状態で子どもたちから泳ぎ方を習っていた。

 この地域では水中での狩猟文化が発達している。

 当然、重い装備を着けて水中で動くには肺活量、水圧などの課題がある。

 それについては装備の軽量化、地上の空気を閉じ込める特殊構造、そしてモガ村の伝統的泳法や呼吸法に始まる訓練などにより総合的に解決している。

 

 はるかとみちるは手を取り合って絡み合うように泳ぎ、戯れる。

 綺麗な蒼の魚が2人の隣をゆっくりと泳いでくる様は、まるでこの海中の王国に来た彼女たちを歓迎しているかのよう。

 それから共に波にたゆたう海面を見つめ上げたのち、頷き合って海上へ。

 

「っはぁ!」

 

 はるかとみちるは向かい合って顔を出す。

 髪から水滴がキラキラ跳ねて舞い散り、彼女らの整った顔立ちをより一層際立たせた。

 

「君の顔……ここだとより綺麗に見えるな」

「そう言うはるかこそ」

 

 はるかが艶が増したみちるの豊かな髪を包むように撫でるのに、彼女はうっとりとした声で答えた。

 

「ブーー! また2人で勝手に遊んでるッチャーー!!」

「はよこっちの世界に戻ってくるンバーーッ!!」

 

 チャチャとカヤンバが全力で抗議しているところ、地上の桟橋に腰かけたアイシャははるかたちにすっかり見惚れていた。

 

「ホント、いつ見ても絵で描いたように美しいお二方ですねぇ~……」

 

 そこに村人の仕事を手伝いつつ、村長の息子が話しかけてきた。

 

「顔立ちを見るにずっと北の出身だろうが、この村にもよく馴染んできたよなぁ」

「ええ、もう昔っからここにいたみたいですよね!」

「しかし、人探しの件を考えると……あの人たちにとってもここらがそろそろ潮時かなぁ」

 

 海を見つめてぼやいた彼を、アイシャははっとした顔で見つめた。

 

 そう、はるかたちは人探しをしている。同郷の出身という16歳頃の少女たちを。

 だが、このモガ村は僻地中の僻地。人探しをするには不向きすぎる土地だ。街に出向いた方が効率は遥かに良い。

 だから見つかるにしろ見つからないにしろ、必ずいつかはあの人たちと別れねばならないだろう。

 

 アイシャは少しうつむき、海面をじっと見つめた。

 

「……大丈夫か、アイシャ?」

 

 だが、彼女はそんな自分を戒めるようにパンパン、と頬をはたいた。

 顔を持ち上げた時には既に、笑顔を取り戻していた。

 

「大丈夫に決まってますよ! 今日が最後だったとしても、元気いっぱいに送り出してあげますから!!」

 

 陸から上がってきたはるかたちは身体を真水で浄めると、早速カウンターに向かってアイシャに話しかけてきた。

 

「アイシャ、いつもの用なんだけど……」

「はい、人探しの情報ですね、ちょっと見てみます! どれどれ~〜……」

 

 受付嬢アイシャはいつもと変わらず溌溂と答えると、素早く手元の書類を読んでは積み、読んでは積み──

 空っぽになった『未確認』の箱を前に目を閉じ両手をついて立ち上がった。

 そして、目をカッと見開いて。

 

「うん! 音沙汰ナシ!!!!」

 

 そう大声で宣言され、やっぱり、という風に2人は苦笑いを浮かべる。

 

「うぅ~、お役に立てなくてすみません〜〜。やっぱり私がこんな調子じゃ街に行きたくなりますよねそうですよね〜〜」

 

 先ほどの会話の影響もあり、空元気虚しく完全に落ち込みモードに入ってしまった。

 くすん、と涙目で俯く、アイシャのしょげきった顔。

 だが、その顎が突如、細い人差し指でクイッと持ち上げられた。

 

「泣くなよ、君の可愛い顔が台無しだぜ」

 

 それをしたのは、はるかだ。

 彼女の線細くも精悍な顔が、アイシャの視界を一杯に覆う。

 

「ふぇぇっ!? は、は、はるかしゃん…!?」

 

 ぼふん、と音を立てそうな勢いでアイシャの顔と心臓が沸騰する。

 

「はるか。そうやって遊ぶのも程々にね?」

 

 はるかの背後が見えた瞬間、アイシャの背から血の気が引いた。

 『本妻』みちるの笑顔の裏に見える言い知れぬ圧。ズゴゴゴゴ、と渦巻く擬音が似合いそうな。

 それに気づいたはるかが慌てて身を引くと、みちるは一転して詫びるような表情をアイシャに向けてきた。

 

「ごめんなさいね、そうやって可愛い女の子の反応を見るのがこの人の悪い癖なのよ」

 

 流石のはるかもみちるには手綱を握られているらしい。みちるはアイシャには気遣うように優しく微笑みかける。

 

「人探しの件は気にしないで。ただでさえこの村にはたくさんお世話になっているんですもの、文句なんて言えた立場ではないわ」

 

 アイシャはほろりと先とは違う意味の涙を浮かべる。

 気高く気品がありながら、謙虚で気遣いがある。みちるもアイシャにとって憧れる女性の1人であった。

 気を取り直したはるかは、こほんと咳払いする。

 

「僕らは近いうちに、タンジアの港に行こうと思ってる。お金も十分に貯まってきたことだしね」

「……じゃあ、お別れも近いってことですか?」

「まあ、そうかもな。みちるの言う通り、君たちが気負う必要はない。旅人がまた旅に出る、それだけのことさ」

 

 はるかはそう言ってくれたものの、アイシャは内心迷っていた。

 日頃お世話になっている2人にはせめて最後、何かお礼をしたいのだ。

 彼女がヒントを求めて記憶を掘り返してみると、会話が不自由なく出来るようになった頃、日傘を差したみちるが話しかけてきたことが思い浮かんだ。

 

『アイシャ、この村に日焼け止めってあるかしら』

『ありますよ! えーと……ほいっこれです! よかったらどうぞーー!!』

 

 鎧石と忍耐の種の成分、そしてアルビノエキスが配合された薬品の瓶を差し出すと、みちるは「まぁ、ありがとう」といつもに増してにこやかに受け取ってくれたのだった。

 

 察するに、みちるは美容に人一倍気を使っていることは確かだった。そして、はるかもみちると同じ香水や化粧品を使っているからセットでプレゼントするとなお良いかもしれない。

 

「……でも、そんな都合のいいものなんて一つも──」

 

 アイシャは迷いつつ、何気なく依頼書の束に目を通したのだが。

 

「はっ……」

 

 1つの紙切れを取り上げて読み込むと、カウンターに叩きつける。

 

「お二人とも、緊急の依頼です! ご確認下さい!!」

「えっ? さっきまでそんな様子じゃなかったけど……」

「緊急で来るから、緊急依頼なのです!!」

 

 その勢いに押し負け、はるかたちは当惑しつつ依頼書の内容を確認した。

 

 砂原からのSOS!

 依頼主:2人の少女ハンター

 依頼内容:うえーん! ボルボロスの沼から泥を取って大儲けしようって砂原に来たら、クーラードリンク落っことしちゃったーー!! 地図は風に飛ばされるしモンスターには囲まれるし、誰でもいいからおーたーすーけー!!!! あっ、集めた泥は半分あげるから、それで報酬ってことで!

 

「随分とおっちょこちょいな依頼主だな。それにこんな報酬じゃ、受けてやるハンターもいないだろうに」

 

 一通り読んだはるかはやや呆れた表情であるが、アイシャは知っていた。

 ボルボロスというモンスターの棲む沼の泥は、高級泥パックの原料として高値で売れることがあるのだと。この少女ハンターたちも、恐らくそれを狙って砂原に出向いたのに違いなかった。

 この報酬の一部を使って泥パックを作り、大金と共に渡せば2人とも驚くこと間違いなし。出発祝いとして、これ以上の贈り物はないというわけだ。

 アイシャは内心ムフフと笑い、作戦の成功を確信していたのだが。

 

「僕はパス。別に旨味も少なそうだしね」

「……え」

 

 はるかは苦笑しつつ手を振って断る。

 

「で、でも人が困って──」

「それはそのハンターたちの自業自得さ。少し待ってれば、現地ギルドからも救助が来るだろ」

「ちょちょ、ちょっと待ってくださいはるかさん、どうか話を……」

 

 アイシャがはるかの遠ざかる背に手を伸ばすも、敢無く望みが砕け散らんとしたその時。

 

「はるか。ちょっと気になることがあるのだけれど」

「何だい、みちる。まさか君まで……」

 

 みちるの一言に、はるかの足が止まる。

 

「ねぇ、この依頼書……よく見てみて。何か見覚えがない?」

「ん?」

 

 みちるは、はるかに何かを囁きながら依頼書を共に見ている。

 少しすると彼女の顔つきが変わり、打って変わって真剣な目でアイシャに振り向いた。

 

「分かった。その依頼、引き受けよう」

「ほ、ホントですか!?」

「ええ、是非とも頼むわ」

 

 それを聞いたアイシャは顔を輝かせ、

 

「……よくわかんないけど、いってらっしゃあ~~い!」

 

 そう口ずさみつつ、受付済印を依頼書に大きく叩きつけた。

 




うさぎたちについて、前回の渓流の件から、文中でも示された通りまことはインゴットS→ジンオウSシリーズ、亜美はアシラS→ミツネSに変更となります。武器も防具と統一です。これで自分の属性使えるね!
一応ですが、亜美のミツネSの基本的なイメージとしては『MHXX以前のガンナータイプ』です。(ちょっと活動的すぎるかもだけど…)


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再会は荒漠の地で②

 乾いた空気。

 照り付ける太陽。

 草原と砂漠の狭間にある空は、熱風を年中地上へ送り続ける。

 サバンナ特有の気候を有するその土地は、狩人の間では『砂原』と呼ばれていた。

 

 その広大な土地にある渓谷の間に伸びる狭い道を金髪の少女がただ2人、杖をついて老人のようによたよたと歩いている。

 

「美奈子ちゃん……もう来てない……?」

「多分……大丈夫」

 

 汗だくになった彼女たちは、日陰に入るとどさっと砂の混じりかけた地面に腰を下ろした。

 

「……で、ここ何番エリアだっけ」

「分かんないわ……地図失くしちゃったし……」

「そもそもあたしたち……どこの道から来たっけ……」

「分かんないわ……あいつから逃げるので必死だったし」

 

 美奈子が答えると、虚ろだったうさぎの瞳からみるみるうちに涙が溢れた。

 

「うえええぇ、こんなとこ来るんじゃなかったー!!」

「諦めちゃダメようさぎちゃん! あたしたち2人で大儲けするんでしょ!?」

「そうだけど、帰れなかったら意味ないじゃなーーい!!」

「……仕方ない。あの手を使う時が来たわ」

 

 泣きじゃくるうさぎにそう美奈子は呟くと、後ろを向いてガサゴソと何かをまさぐる。

 

「……あの手?」

「こうなりゃ、最後の奥の手よぉっ!」

 

 彼女が叫びつつ取り出したるは──

 木の枝で出来た棒っきれ。

 

「てぇぇぇいっ!」

 

 地面に垂直に刺し、掌を離す。

 棒は何も言わず一方向に向けて、ぱたん、とだけ音を立て倒れた。

 行き先は、砂と熱風が吹き抜けてくる細い道。

 

「よし、こっちよ!」

「……やっぱ来なけりゃよかったわ」

 

 うさぎは肩を落としつつ、美奈子と共に棒の指す方向へ歩いていく。

 

 ずっと歩いていると、より一層風に熱がこもってくるのを感じた。

 

「あれ、これって……」

 

 そのまま視界が開けた先にあったのは──

 広い、海のように広い砂地。

 手前には魚型のモンスター『デルクス』の砂上を泳ぐ群れが、遠方には陸を深く絶つ谷と地平線まで続く向こうの大地が見える。

 

「あ、あらぁ、すごい砂漠ぅ……」

「……」

「うさぎちゃん、そんな目をしないで!! 今回はちょーっと運が悪かっただけよ! そう、悪かっただけなんだから!!」

 

 死んだような顔をしているうさぎを美奈子が宥めていると、ガァンッと何かがぶつかる音がした。

 

「ん?」

 

 恐る恐る前に出て、左手に広がる砂漠の空間に視線を移すと、

 

「げっ……ディアブロス!」

 

 うさぎは苦虫を噛んだような顔をして、急いで近くの岩陰に隠れた。

 大きく湾曲した双角を持つ砂色の生き物が、同じ姿の生き物と激しく角を突き合わせていた。

 美奈子もうさぎと同じようにしながら、ギリギリと歯を噛み締めていた。

 

「あいつ、今日も手当たり次第に喧嘩吹っ掛けてんのね! ヤなタイミング!」

 

 角竜ディアブロス。

 別名、『砂漠の暴君』。全長約30m。

 飛竜種に属し、種族の遺伝子に従って立派な翼を持つが空を飛ぶことはほぼない。

 サボテンを食べる草食性だが、性格は凶暴。

 縄張りに入った者は人だろうと竜だろうと、その巨体一つでの突進、体当たりで灰燼と化す。

 

 この数日、うさぎたちも散々追いかけられたためその脅威はまざまざと見せつけられている。

 中でも恐ろしいのはやはり、襟巻状の頭部から生える豪壮にねじれた角。

 突進とともに繰り出されるその威力は岩盤を突き通すほどであり、人がまともに喰らえばまず命はない。

 

「グオオオオッッッ」

「ガアアアアアアア」

 

 今はその双角を互いのそれにぶつけ合い、力を比べ合っている。

 引いては押し、押しては引く。

 生来のプライドと縄張り意識の高さゆえ、彼らにとっては避けられぬ喧嘩だった。

 

「今日もあっちが勝つかな?」

「いや……正直もう決まってるわよこれ。明らかに大きさ違うもの」

 

 彼女たちが注目しているのは体格が大きい方のディアブロス。

 うさぎたちを追い回したのもこの個体であった。

 

「ヴヴヴヴヴッッ!!」

 

 彼は頭突くようにして相手を押し返し、一瞬の隙を作る。

 そこから身を翻し、両刃斧状の尻尾で相手の頭を一打。

 ゴッ、と鈍い音、同時に相手の頭がそちらに吹っ飛ばされ、その身体ごとよろめいた。

 

「ガアアッ、ガアアア……」

 

 挑戦者は負け惜しむように情けない悲鳴を上げ、たまらず背を向けて走っていった。

 それを見送るディアブロスは、息を吸った。

 

「ギィャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァッッッッ!!!!」

 

 天上を仰ぎながら、その巨体に見合わないほどに甲高い絶叫。

 戦いの唯一の勝者に許された、勝利の雄叫びである。

 彼は、この地を治める強者であった。

 その様は傲岸不遜なまでの自信に満ち溢れ、歓びすらも少女たちに伝わってくるようだった。

 

 双角の下に埋もれかかった鋭い目が、地上近くに戻って来る。

 

「あっ……」

 

 そこから伸びる視線が、ちょうど少女たちと重なった。

 うさぎたちの顔が青く染まる。

 

「グルゥゥゥアァァァ……」

 

 草食動物とは思えない鋭い前歯の外側に、長く伸びる二対の牙。

 その下から、次はお前たちが相手か?と聞くかのように黒い息が漏れた。

 

「し、し、失礼しました~……」

 

 うさぎと美奈子はゆっくりと岩陰に隠れ、直後、砂漠とは正反対の方向へと全力ダッシュした。

 そもそも彼女たちの目的は狩猟ではないのだ。厄介事は避けるに限る。

 ディアブロスは視界から邪魔者が消えたことを確認すると満足そうに首を回し、傍に群生しているサボテンへと向かっていった。

 

──

 

「あ……!」

 

 今にも干からびようとしていたうさぎの顔に、光が戻ってきた。

 向こうには大樹が見え、目の前には泥沼が広がる。

 沼の近くには荷車があり、大量の麻袋の山が積んである。

 

「も……戻ってきた!?」

「やったあああ……」

 

 2人は叫んではしゃぎかけたがすぐにそのテンションをしまいこんで、共に周囲をそっと見渡す。

 

「……あいつ、いないわね?」

「……うん」

 

 数分後、彼女たちは泥に足をつからせ、せわしなく手を動かしていた。

 

「えいっ、とりゃっ、とぉっ……」

「ふぅっ、はあっ、ぜいっ……」

 

 大型スコップで掬い上げられた沼の泥は、次々に荷車に放り込まれていく。

 少女たちの顔や防具には、相当な量の乾きかけた泥がこびりついていた。

 

「……美奈子ちゃん、本当に大丈夫だよね?」

 

 後方を見ながらスコップを動かすうさぎの呼びかけに、美奈子は恐る恐る沼を振り返って見渡してから再び前を向いて答える。

 

「た……多分大丈夫よ! まだ朝だし、いざとなったら逃げりゃあいいし!」

「で、でもさぁ、もうこんなに溜まったし、やっぱそろそろ素直に助けを待っても……」

「ダメよ! あたしたち、依頼書に泥半分あげますなんて書いちゃったんだからなるべく取り分は増やしておかないとっ!」

「うげー、意地になってるぅ……」

 

 スコップを操る手を焦らせる美奈子に、うさぎは苦い顔をした。

 その視界の隅に、あるものが入った。

 

「あっ……美奈子ちゃん、見て!」

「え?」

 

 うさぎが指差した先に、砂塵と熱風に揺らめいて2人の人影が浮かび上がる。

 それは確かに、こちらに向けて歩を進めていた。

 

「まさかあれ……」

「助けよ! 助けが来たんだわ!」

 

 さっきまでのやり取りなど忘れたようにスコップを放り出し、2人はその人影に手を振る。

 

「こっち、こっちぃーー!」

「ここよ、ここよーー!!」

 

 だが、その詳細が明らかになるにつれ、その元気のよさは少しずつ収まり。

 次第に、疑念へと変わっていった。

 

「え、ちょっと待って……」

「……いや、見間違いよね……?」

 

 戸惑った2人は顔を見合わせ、もう一度向こうを見る。

 

 1人は背が高く短い金髪で、鋭めな顔立ち。

 もう1人は少し背が低く波立った海色の髪、そして柔和な表情をしていて。

 彼女たちはいよいよ目の前にやって来たが、うさぎたちは目をまん丸にしたまま。

 何度も目を擦り確認するが、光景は変わらない。

 ふと、うさぎが考えを閃いて美奈子に振り向く。

 

「そうよ、美奈子ちゃん! あたしたち、炎天下でこんな作業してたから幻覚見てんのよ!!」

「そ、そうよね〜〜! やっぱうさぎちゃんの言う通りきちんと休憩に行かないと! ほら、さっさと洞窟に……」

「やはり依頼書のひどい字と内容、お団子のものだったか」

「貴女、もうすぐ高校生になるのだから悪筆はそろそろ治した方がよろしくってよ?」

 

 黙ったまま、うさぎたちはもう一度目の前の人物を見つめる。

 

「……久しぶりだな、お団子」

「隣にいるのは、美奈子よね?」

 

 海風を撫でたように優しい、懐かしい声がした。

 しかもそれはこの世界の言語ではない。

 仲間以外から久しぶりに聞く、れっきとした滑らかな日本語で。

 

 夢のような光景である。

 いや、彼女たちにとっては夢に違いなかった。

 だって、自分たちの世界にいるはずの人たちがすぐそこに見えるのだから。

 

「本当に……はるかさん?」

「……みちるさんも、そこにいるの?」

 

 うさぎと美奈子の問いに、はるかとみちるは微笑みつつ頷いた。

 

 再会。

 

 その時はあまりに突然に訪れた。

 何処からか吹いた風に、花びらが舞ってゆく空白の時間──

 

「ボアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!」

 

 それは、うさぎと美奈子の身体が宙に舞って終わった。

 

「……へ?」

 

 彼女らを上空に突き飛ばしたのは、岩のような質感を持ち泥に塗れた王冠。

 迎えに来た2人は驚愕のあまり、言葉もなく口をただ開けることしかできなかった。

 

 土砂竜ボルボロス。

 

 空を舞う飛竜種に対し、陸上生活に特化する道を選んだ獣竜種という種族に位置する。

 主には沼に棲んでおり、避暑と乾燥防止のため泥を浴びる習性がある。この個体は一帯の沼を縄張りとしていたのだ。

 うさぎたちは、真っ逆さまに沼へと落っこちた。

 

「プリンセスッ!!」

 

 はるかたちは、沼へ頭から突き刺さっている少女たちへ急いで駆け寄る。

 

「立てるか!?」

 

 畑からカブを抜くように引きずり出すと、彼女らの腰から上は泥まみれだった。

 

「ダ……ダイジョウブイ……」

「これ頸椎逝った絶対逝った」

 

 目を回しつつ立ち上がる2人の顔を見て、はるかは張り詰めていた顔を少しだけ緩める。

 

「軽口を叩けるくらいなら、問題ないようだな」

 

 だがその安心も束の間、土砂竜ははるかたちの姿を認めるとばしゃん、ばしゃんと足音を立てて迫り、睨んで来る。

 王冠を被ったように平べったく大きい頭部、小さく退化した前脚、それに比べ強靭に発達した後ろ脚。

 所々赤みがかった茶褐色の甲殻にはいずれにも溝があり、そこに泥を纏わせ滴らせていた。

 

「ボルボロス……沼地に潜んでいたのね」

「今はプリンセスを護るぞ!」

 

 はるかたちは変身スティックを掲げてセーラー戦士へとその姿を変える。

 

 土砂竜は、何故か非常に虫の居所が悪いようだ。

 さっそく頭部を下げ地面に接するまでに低く構えると、ポゥーッと高く汽笛のような音が鳴った。

 頭上部にある鼻孔から吹き出た蒸気によるものだ。

 

 直後、発進。

 己の身で地面を削ってくる様は、まさに生きた弾丸。

 

「危ないっ!」

 

 はるかとみちるは、うさぎたちを庇いつつ横に跳ぶ。

 何とか突進を横に避けるとボルボロスは振り向き、身体を乗り出して震わせる。

 すると泥が大量に飛散。

 それはうさぎたちと美奈子に頭上から被さり、彼女たちはいわゆる泥だるまの姿に。

 

「あっ、はまっちった!」

「いやーん、動けなーい!!」

 

 それだけでなく、周囲に泥だまりが出来たことで天然の壁が作られる。

 はるか──セーラーウラヌスはそれを見て小さく舌打ちした。

 

「小賢しい奴だ……」

「私にやらせて頂戴」

 

 みちる──セーラーネプチューンが髪をなびかせ前に出ると、腕を天上へと掲げる。

 

「ディープ・サブマージ!!」

 

 空間から放たれた激流が泥の壁を貫通し、そのままボルボロスへと直撃。

 

「グオオッ!?」

 

 大きく仰け反ると共にボルボロスの全身から泥が洗い流され、濡れて艶の出た甲殻が露わになった。

 ついでに彼女は、出力を小さくしたもう一撃をうさぎたちへ。

 それだけで泥は弾き飛ばされ、うさぎたちは無事解放された。

 

「みちるさん、さっすがぁ!」

「これで泥も飛ばせないわね!」

 

 うさぎと美奈子はすぐさま山盛りの泥を積んだ荷車に駆け寄り、取っ手を引っ掴んでスタンバイ。

 すっかり逃走準備は完了である。

 

「おい、そんなもの置いてけ!」

「これはあたしたちの命より大切なものなんですー!!」

「タンジアチップスと水だけの生活なんてもう、懲り懲りよ!!」

 

 セーラーウラヌスが呼びかけたが、2人の少女の意志は変わらない。

 

 ボルボロスは、再び人間たち目掛けて突進を仕掛ける。

 ウラヌスに続いて、うさぎたちも荷車を引いて回避。

 ネプチューンはその光景に目を丸くする。

 

「はるかさん、みちるさん、こっちにいつもあたしたちが使ってる逃げ道があるんです! ついてきてくださいっ!」

 

 うさぎたちはボルボロスに背を向けると、沼と反対側にある2つの岩肌の間に駆け抜けていく。

 

「あの子たちとは思えないパワーだわ……」

「全く、仕方のない仔猫ちゃんたちだ」

 

 半ば呆れつつ、ウラヌスたちはうさぎたちの後を追う。

 沼の地帯を抜けるとその先は渓谷を望める開けた場所、通称『エリア4』。

 そこからは砂地に続く道、草原に続く道、そして最も左手に平べったい口を開けた洞窟が見えた。

 

「こっちです、こっちーー!!」

 

 うさぎたちが慣れた足取りで洞窟へと駆けこんでいくのを、ウラヌスたちが追う。

 ウラヌスたちが足を踏み入れると、すぐ近くにもう一つ、泥入りの袋が積まれた荷車が。

 うさぎと美奈子は荷車から離れると、ぜぇぜぇ息を切らしながら地面にくたばっていた。

 変身を解いたはるかは、荷車に高く積みあがった袋を見上げた。

 

「本当に君たち、泥を集めてたんだな……どれだけ集めたんだ?」

「え、えーと、ざっと一日300回くらいは?」

 

 うさぎの回答に、流石の2人も驚きの表情に変わる。

 

「……それは、ボルボロスも怒って当然ね」

 

 彼からすれば余所者に不法侵入された挙句、ウロチョロ家を引っ掻き回されるのだ。はた迷惑もいいところである。

 

「で、どういう訳で高級泥パックとやらを?」

「お、お金に困っておりまして一発逆転を狙おうかと……」

「貴女たち、ハンターになってもいろいろと大変そうね」

 

 呆れているのかかえって安堵しているのか、みちるは苦笑いを浮かべる。

 その言葉で、うさぎは改めて気づいて目の前にいる人物たちを見回した。

 感動的な再会こそ、縄張りの主に邪魔されてしまったが。

 

「そういえば! はるかさんたちもこの世界に来てたんですね!」

「ああ。守護戦士として月の王国のプリンセス、プリンスと仲間たちを救い出しにね」

「ううっ、これぞセーラー戦士の絆って感じよね!」

 

 はるかのクールな微笑みに感涙を指で拭う美奈子だが、すぐあることに気づく。

 

「あれ、はるかさんたちが助けに来たってことは、もしかしてさぁ……実質あたしたち、ほとんど()()()()()()しちゃったって感じ?」

 

 うさぎは少し遅れて、「あっ」と声を上げた。

 彼女たちの最終目的は元の世界に帰ること。こうして仲間が迎えに来てくれたということは、その望みは達成されたも同然なのだ。

 はるかたちの方を向くと、既に得心したように彼女らは頷いた。

 

「ええ。もちろんこの世界から出る目処も立っているわ。そうでもなければ、わざわざここに出向くことはないですもの」

 

 みちるからの返答を聞き、美奈子の顔がぱあっと陽の光を浴びたひまわりさながらに華やぐ。

 彼女の脳内を彩る、感動のフィナーレを飾る劇伴音楽。

 

「本当、本当なの!? あぁ、遂にこんな地獄生活ともおさらば──」

「みーなーこーちゃーん!?」

 

 はしゃぎかけた美奈子の肩を、うさぎが持ってぐわんぐわんと揺らす。

 

「この世界にいるデス・バスターズのことはどうすんのよ!? テスト万年赤点のあたしでさえ覚えてるのに、忘れたとは言わせないわよーーっ!?」

「わ、わすれちゃい、いないわよお、おおぉぉおおぉぉ……」

「警告しておく。今回、奴らとまともにやり合うのは避けた方がいい」

 

 はるかは、うさぎを真っ直ぐ指さした。いつの間にか、彼女は顔を『戦士』としての冷たい表情へと変えていた。

 

「前回と違い、奴らの狙いは君たちそのものだ。無限の力を持つ幻の銀水晶、そしてセーラー戦士のパワーを奪ってファラオ90を復活させようとしている」

「え? あの親玉は前に倒されたんじゃ!?」

「デス・バスターズが復活しているということはそういうことさ。奴はこの世界の裏に密かに巣くい、ここを拠点に実体化の機会を窺っている」

「貴女たちは、彼らによってこの世界に誘き寄せられたのよ。将来、目覚める主の生贄とするためにね」

「誘き寄せられた……?」

 

 みちるの発言をうさぎは繰り返してから、ごくりと生唾を飲む。

 自分たちがこの世界に来たのも、最初からデス・バスターズの計画のうちだったのだ。

 はるかは厳しい表情のまま、うさぎを真っ直ぐ見つめ問いかけた。

 

「むしろなぜ、そこまでこの世界でデス・バスターズを倒すことに拘る?」

 

 うさぎは先ほど揺すられていた美奈子と顔を見合わせて、

 

「ええっと、話すとながーくなるんですけど……」

「構わないわ。積もる話もあるでしょう」

 

 みちるの助言を受けて外を見ると、まだ日が暮れるにはたっぷり時間がある。

 

 というわけでうさぎたちは、これまでのことを粗方話した。

 この世界から元の世界に帰るため、デス・バスターズを調べていたこと。

 その手がかりとして、彼らが従える妖魔のゴア・マガラとそれに対抗しうる『金の竜』の行方を追っていること。

 そして、彼らがこの世界に棲む生命たちを妖魔の力を以て悪用しようとしていることも。

 

「妖魔化生物……ダイモーンに代わるデス・バスターズの眷属、ね。それは初耳だわ」

「それが最近になって出現しないというのは気になるな。相手がこっちの動きを知って何らかの罠を張ってる可能性がある」

 

 はるかとみちるは新たに聞いた事実を真剣に受け止めていた。

 その一方──

 

「だから少しでも探りを入れようって、ここらで噂に流れてる金の竜を追ってるんですよー!」

「そうそう!だから今度はモガ村の辺りを調べてみようって!」

 

 うさぎと美奈子は、元来の性格も相まって大いに会話が弾んでいた。

 彼女たちは『動』ではるかたちは『静』。その場の空気は完全に二分されていたが、モガ村の名前が出てきた途端、はるかの目の色が変わった。

 

「……モガ村に」

「はい! もしゴア・マガラもそこに居たとしたら、そこの人や生き物たちが安心して眠れないですよ!」

 

 うさぎのその発言に、はるかは僅かに目つきを鋭くした。

 みちるも同じくうさぎに注視しているようだったが、彼女自身も美奈子もそれに気づかない。

 

「……君たちは、そこを救うために行くつもりか?」

「当然ですよっ! デス・バスターズこそ、あたしたちセーラー戦士の敵じゃないですか!!」

 

 美奈子がそう言い張ると、はるかは目を伏せて荷車の縁に腰を降ろした。

 

「デス・バスターズこそがセーラー戦士の敵……か」

「はるか」

 

 呟いた彼女に、相方の声がかかる。

 

「恐らく、今はそのゴア・マガラという最終兵器を何らかの方法で最大級の妖魔として成長させている段階なのよ。そして、時を見てうさぎたちに襲い掛からせる……そうでもしなくては、この子たちに勝てっこない」

 

 そこから、決意したようにみちるは眉を引き締める。

 

「今はしばらく、この子たちと行動を共にしてみましょう」

「……みちる?」

「うさぎのことは前の件でよく分かっているでしょう? 本来の筋書き通り使命を果たすことはそもそもからして困難だわ。まだ、その時が来るまではいろんな可能性を探るべきよ」

「……」

 

 ちらりとうさぎを見てからの彼女の言葉に、はるかは何かを考えるように黙っている。

 

「なに話してんすか?」

「してんすか?」

 

 うさぎと美奈子にとっては、会話の意味がまるで分からない。姉妹のように一緒に首を傾げたが、みちるは首を振って微笑む。

 

「いいえ、こちらの話よ」

 

 はるかは顔を上げると、うさぎたちに向かって頷いてみせた。

 

「分かった。取り敢えずは君たちに協力しよう」

「ぃやったぁー!!」

「よっしゃーい!!」

「だが!」

 

 うさぎと美奈子は揃って喜んだが、すぐにはるかが釘を差した。

 

「……決して無茶はするな。でないと、僕たちのせっかくの努力が無駄になってしまう」

 

 彼女は荷車から腰を上げると、傾いた陽が覗く洞窟の入り口を見上げた。

 

「先ずは、このクエストを達成しなくてはね」

 

──

 

 うさぎと美奈子がそれぞれ泥の山を載せた荷車を引き、それをはるかたちが先導する形で外に出ると、

 

「うげっ……」

 

 うさぎは思わず声を漏らした。

 ボルボロスが、待ち構えるように駆けてきたのだ。

 それも、ご丁寧に泥を全身にまといなおした姿で。

 ため息混じりにみちるは変身スティックを取り出した。

 

「完全に恨まれてるわね、2人とも……」

 

 顔を覚えているのか、ボルボロスは真っすぐうさぎたちに突進してきた。

 

「ちょおっ!」

「ごめん! 謝るから絶対許して!」

 

 許されるはずがない謝罪をしつつ、荷車を持った2人は全力で駆けていく。

 

「そのまま真正面にある道を上がれ! そうすればキャンプが見えてくるはずだ!」

 

 うさぎたちははるかの指示に従い、顔を紅くし息を荒げながら先を急ぐ。

 はるかたちは再び変身し、セーラー戦士の姿へ。

 ボルボロスは今度こそならず者たちを成敗しようと、頭を下げた。

 

 その時、大地が低く呻いた。

 

「なんだ……この揺れは」

 

 ウラヌスたちでさえ膝をつかざるを得ない震動。

 だが、ボルボロスは一向に気にしない。

 そのまま一直線にうさぎたちの方向へ。

 

「ひいいいい!!」

 

 その軌道に、砂漠に続く道から垂直に向かってゆく土煙。

 天然の王冠が、荷車へと迫りかけた時だった。

 

 砂塵が噴きあがる。

 

 ボルボロスはちょうど彼がうさぎたちにしたのと同じように、下から現れた双角によって宙を舞った。




というわけでセーラー戦士たちの再会です。登場人物はSの3話意識してます。はるかさんみちるさん登場時のお決まりの『ドゥードゥー』はボルボロスによりキャンセルされちゃってます……。


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再会は荒漠の地で③

 

 代わりに地中から現れたのは、乾いた色の甲殻から砂を垂れ流す飛竜の姿。

 翼を使いつつ地面から這い出したその生物は、訳も分からず目の前に落ちて来たボルボロスを赤色の瞳で見下していた。

 

「ディ……ディアブロスッ!」

「はるかさん、みちるさん、逃げて下さい! あたしたち、何度あいつの突進で轢かれかけたことか……」

 

 うさぎと美奈子は慌てて呼びかけたが──

 

「僕たちを誰だと思ってる?」

 

 セーラーウラヌス、そしてセーラーネプチューンは一向に動じなかった。

 それどころか、ディアブロスへと自ら歩いていく。

 砂漠の暴君は脚を引きずって去っていくボルボロスを後ろ見、それから目の前の彼女らに気づいた。

 

「……」

「さぁ、来なさい」

 

 ネプチューンの言葉の意味は知らずとも、こちらに退く気はないと判断したようだ。

 

「……グルオオオオオッッッ!!」

 

 ディアブロスは唸ると、真っ直ぐ突進してくる。

 その猛速は、闘牛を遥かに凌ぎ熱風をも引き裂く。

 だが彼女たちは攻撃を軽やかに跳んで避け、背後に回り込んだ。

 

「白き月の王国に仇なす敵を討つ、それこそが僕たちに課せられた使命……」

 

 ディアブロスは背後をカバーしようと尻尾を振り回すが、そもそも近づいていない2人には意味がない。

 彼女たちはただ、相手が来るのを待っているのだ。

 

「使命を邪魔するのなら、お前も例外ではない」

 

 両者の手に光が宿った。

 ディアブロスは屈んで力を溜め、肩を打ち付け彼女たちを突き飛ばそうとした。

 しかし距離が足らず、そこに立つだけの2人の鼻先までしか攻撃は届かない。

 

「そこよ!」

 

 ネプチューンの生み出した水属性の光球が、カーブを描いてディアブロスの腹に命中する。

 

「グオオオオッ……!?」

 

 砂漠での生活で経験したこともなかろう深海圧のエネルギーの直撃に、暴君の身体が丸ごと仰け反った。

 更にそこにウラヌスのワールド・シェイキングが頭部へ着弾。

 衝撃波の爆発が一時的な脳震盪を生み、ディアブロスは涎を撒き散らしつつたまらず後退した。

 

「つ……つよぉ……」

「うおおお……」

 

 うさぎたちは荷車を引っ張りながらも彼女たちの活躍を息を呑んで見守っている。

 

「ヴオオ、ヴオオオオオ……!!」

 

 それでもなおディアブロスの闘志は衰えていない。

 頭を低く掲げ、突っ込みながら素早く角を振り上げてくる。

 だが、それも空振り。

 すぐに少女たちの放った魔法の光に包まれ、鱗と甲殻が砕け散る。

 

「僕たちに真正面から挑んで勝てると思ったか?」

「これなら、ナルガクルガの方がずっと手強かったわね」

 

 たまらず砂漠の暴君は地面に角を叩きつけて掘り返し、翼で穴を広げて潜っていく。

 ウラヌスたちは敢えて追わず背中合わせに佇み、視線を巡らせる。

 周囲を回る砂塵。

 姿は見えずとも、おおよそどこにいるかは手に取るように分かった。

 

「ヤツの動きを最初見た時から、飛竜の中でも卸しやすい部類と思ったが……思った通りだ」

「そうね、戦い方に何の捻りもない。ただ感情に任せて突っかかってくるだけ」

 

 ディアブロスは視覚よりも聴覚が格段に優れており、地中でも地上のわずかな音を聴きつけて外敵の位置を把握できる。

 そのため、本来ウラヌスたちが現在している会話は自殺行為なのだが。

 

「──遠距離主体で戦えば、もはや敵でもないな」

 

 そこに、何の躊躇いも怖れもない。

 砂塵は一旦彼女たちから遠ざかっていく。

 そして、ある一点でどぉん、と大地を揺らす音が鳴り、砂が噴きあがる。

 

「来るわよ、ウラヌス」

「ああ」

 

 既に、2人は光球を作り終えていた。

 

 巨体が、地面を割って飛び出す。

 

 怒りの体当たりが、たった2人の人間に迫り──

 

「良い位置だ」

 

 互いに絡み合うように螺旋を描く衝撃波と激流が、角と頭部を直撃した。

 

「ガアアアアアア!!!!」

 

 空中で衝撃を受けたことで軌道が逸れ、ディアブロスの身体が彼女たちのすぐ横へと墜落する。

 意識も混沌としているのか、盛んに喉を痙攣させて目を見開いたまま呻いていた。

 

 ディアブロスは濁った眼のまま立ち上がる。

 そして再び、突進の構えを取る。

 

 種族代々の凶暴性か、これまで勝利してきた自分自身への信頼か、その行動の原因は定かではない。

 とにかく、彼は未だ勝利を諦めていなかった。

 怒りを漲らせ、角竜は角を振りかざす。

 

「……しつこい」

 

 ウラヌスの一言と共に、堅いものが砕け散る音がした。

 その手に持つは魔具(タリスマン)スペースソード。

 既に彼女はそれを振り終わり、高周波を落ち着かせて、ネプチューンを護るように構えられていた。

 

「グワァァァオオオオオオオゥゥゥゥゥ……」

 

 鋭く硬質な岩のようなものが地に落ちた。

 ディアブロスは、目を見開いて啼く。

 

 右角が、根本から砕かれていた。

 その断面は年輪のような層を成し、成長のために積み重ねられた年月を物語っていた。

 

 砂漠の暴君の身体が、左右前後にふらふらとよろめく。

 角を割られただけで致命傷ではないはずなのだが、彼が天を見上げて呆然と揺れる様はそれまでに受けたどの傷よりも悲痛さを露わにしていた。

 

「す、すごぉい……」

「あのディアブロスが……」

 

 荷車を引くうさぎと美奈子は、一時も目を離せなかった。

 接敵から数分も経たぬうちに、ウラヌスとネプチューンは飛竜相手にここまで有利に立ち回ってみせた。

 

「グオ、グオオオオッ……オオオオオオォォォォォォ」

 

 片角となったディアブロスは、ウラヌスたちを見据えながらも苦しげに呻き、後退っていた。

 そこにもはや、強者の余裕など微塵も感じられなかった。

 

「襲う相手はよく考えろよ、暴君」

 

 敗者は、去るのみ。

 ディアブロスは呆然としたように時節振り返りつつ踵を返し、砂地へ続く道へと駆けて行った。

 

「ある程度の知性はあったようで助かるわ」

「罪のない生き物を殺すとお姫様からお叱りを受けそうだしね。さぁ、そろそろ行こうか」

 

 うさぎを振り返ると、ウラヌスはネプチューンの手を取り、指を絡め合って歩を進める。

 その足取りに激闘の名残などなく、舞踏会場で共に連れ添うが如き気品と清淑を漂わせていた。

 

──

 

「……まさか、お前たちまでこの世界に来ていたとはね」

 

 デス・バスターズ幹部の1人であるユージアルは、崖の上で赤い髪を揺らし、セーラーウラヌスとセーラーネプチューンを双眼鏡で見下ろしていた。

 

「あぁ、なんてのうのうと笑っているの!? 腹立ってくる!」

 

 その声は、憎悪と怒りに燃えている。

 前世では何度も彼女たちに計画を何度も破られ、手下の妖魔『ダイモーン』も数多く倒された。そして何とかウラヌスたちの正体を暴き追い詰めたかと思いきや、後輩であるミメットの策略によってユージアルの上位管理職の夢は藻屑と化したのだ。

 だから、2人を見るだけでユージアルの胸には激しい感情が渦巻くのだった。

 

「現世でもミメットには花形を奪われ、挙句の果てにこんな地味な仕事を任されて……」

 

 双眼鏡を持つ手が震える。

 

「元はと言えばすべてはお前らから始まり……そして、またこの私の前に姿を現した!」

 

 自身の立つ地面に双眼鏡を叩きつける。

 モンスターの背骨と眼球の水晶体から作られたそれは、軽い音を立てて転がった。

 

「いったいっ、何度っ、私をっ、邪魔すればっ、気がっ、済むんだっ、お前たちはーーーーっ!!」

 

 ユージアルは双眼鏡を何度も踏みつけ、最後にはヒールの鋭い踵でヒビを入れた。

 双眼鏡は完全に割れ、ただの骨の破片と化す。

 それを、ユージアルは息を荒くして見下していた。

 

「でも、やっと私の生まれ変わった意味が分かったわ! この胸にいま、確信した!」

 

 彼女は顔を上げ、ヒールで骨の破片を蹴り飛ばす。それらは風に運ばれ、岩の下へと崩れ落ちていった。

 

「あの2人、絶対に潰す! 何をしてでも必ずっっ!!」

 

 彼女は拳を握り怒りを込めて呟いたあと、隣にいる飛竜を見上げた。

 それは全身が刃物のように鋭い鱗に覆われ、夕陽を受け──

 金色に煌めいていた。

 

──

 

 右角を喪ったディアブロスが洞窟に佇む姿は、敗北感に満ちていた。

 産まれてから、ずっと勝ってきた。

 幾つもの同族やあらゆる異種族をその双角を以て投げ飛ばし、吹き飛ばし、あるいは突き刺した。

 生まれつき体格に恵まれたその角竜は、この野生の世界で文字通り頭角を顕した。

 

 だが、彼は今日、初めて敗北を味わった。

 それも、たった2人の人間に。

 鎧すら纏っていない、糸のように細い人間に。

 

 とにかく、衝撃だった。

 彼女たちは、彼のこれまでの総てを破壊した。

 それも、敵を破る矛であり、自らを誇示する飾りである角をへし折る、最高に屈辱的な形で。

 飽くなき怒りが募っていく。

 人間とは比較にならない嵐のような激情が。

 

「よし、見つけたわ」

 

 頭上から音が聴こえた。

 見上げると、頭に後ろへ湾曲した角を持つ金色の飛竜が、ゆっくりと翼をはためかせていた。

 

「お前も、あいつらに怒っているでしょう? あいつらを捻り潰したいでしょう?」

 

 音の原因は、飛竜の背に乗る赤い服を着た人間だった。

 ディアブロスは忌々しく唸ったが、相手の飛竜は逃げるどころか翼を閃かせ、傘状の鱗に囲まれた尖爪を構える。

 

「その願い、叶えてあげる!」

 

 目にも止まらぬ速さで、爪が迫った。

 

 

「今日からお前も、こいつの『兄弟』よ!!」

 

 

──

 

「えーっ、はるかさんたち、モガ村に居候してるんですか!?」

「人聞きは悪いが、まぁそういうことさ」

 

 日の落ちたキャンプテント前に座り、ギルドからの迎えを待っている間。

 はるかたちからこの世界での経緯を聞いたうさぎは、自分たちの行く先に彼女たちが住んでいたと知って驚きを隠せなかった。

 

「で、そのはるかさんたちに懐いた子たちはなんで今回ついて来なかったんです?」

「気まぐれな子たちなのよ。しばらく泳ぎたい気分だからお肌が乾くようなところは嫌だ、って」

「きゃははは、ちびうさに似て生意気盛りってとこね!」

 

 美奈子の問いにみちるが苦笑を交じえて答えると、うさぎは馬鹿笑い。

 

「はるかさんたち、楽しそうでよかった! あたしももうすぐ行けるの楽しみー!」

 

 はるかは焚火に照らされたうさぎの無邪気な笑いを見て、少しだけ視線が下がった。

 

「楽しみ……か」

「?」

「いいや、何でもないさ」

 

 彼女は顔を斜めに背け、膝に頬杖をつく。

 みちるはそれに気づいており、何かを想うように見つめていた。

 

──

 

「お嬢ちゃんたちダメダメ、これじゃあ泥パックになんかなりゃあせんよ!」

 

 数日後、タンジアの市場の一角で、褐色肌の老商人は話にもならないといった風に掌をひらひらとさせた。

 

「へ……?」

 

 うさぎと美奈子は呆然と立ち尽くす。

 

「いいかい、ボルボロスの泥の質には地域差ってもんがあるんだ。お嬢ちゃんが持ってきたのは砂原のもの。高級泥パックになるのは自然豊かで潤いたっぷりなモガの森でしか取れん! だからこその『希少特産品』なんだ」

 

 商人が説明すると、まだ望みを捨ててない顔でうさぎと美奈子は彼の顔を覗き込む。

 

「じゃ、じゃあこれのお値段は!?」

「ま、作物の肥やしくらいにはなるかねぇ。多く見積もっても1000ゼニーだな」

「「そ、そんな〜〜!」」

 

 突きつけられた事実に、うさぎと美奈子は愕然とする。

 

「でも、はるかさんたちに会えたのはすごいじゃないか!」

「それに1000ゼニーならみんなで分け合えば、ギリギリモガ村に行けるわね」

「たまにはやるじゃない、う・さ・ぎ!」

 

 後ろにいる仲間たちはそう彼女たちを褒めたが、

 

「うわーん、全然納得いかなーい!」

 

 泣きながら、うさぎと美奈子は「まいどあり!」と笑顔の老人からゼニー札を受け取ったのだった。

 

 同時期、モガ村でアイシャも同じ理由で落胆していた。

 

「うう……私の完璧な作戦がなんて結果に……すぐそこの森に行けば取れたじゃないですかーー! 私の馬鹿馬鹿馬鹿ーー!!」

 

 泣きながら自身の被るベレー帽をポカポカ殴る彼女に、海の傍にあるカウンターに肘をつくはるかは微笑んでいた。

 

「いいや、大手柄だよアイシャ。君のおかげで、僕たちの探していた人が見つかった」

「えっ……!?」

「もうすぐこっちに来てくれるらしいわ。だから、もう少しここにいれるわね」

 

 みちるの言葉が、アイシャの瞳をうるうると潤わせる。一方、はるかの視線は疑念を持って隣の彼女を捉える。

 

「いやったーーい!! わぁーーい!!」

 

 飛び跳ねて1人、祭り騒ぎで喜ぶアイシャを余所に2人はカウンターから離れて歩いていく。

 

「みちる。その口ぶりだとまるで、この村にもっといたいみたいじゃないか。本来なら僕たちは──」

「貴女は実際、どう思っているの? はるか」

「……どうって」

 

 試すような視線に、はるかは戸惑う。

 やがて彼女は周囲を見渡すと、みちるを連れてマイハウスのベッドへと導く。その上に隣り合って腰掛けると、はるかはみちるに顔を近づけ、静かに首を横に振った。

 

「僕たちはあくまで戦士だ、狩人じゃない。本来果たすべき『第二の使命』を忘れるつもりは絶対にない」

「……では、質問を変えるわ。今の貴女にその使命を果たす自信はある?」

 

 みちるの口調も表情も、頑なに変わろうとしない。

 木の板で組まれた屋根の間から差し込む光が、彼女の髪を、肌を、所々遮っていた。

 

「チャパーッ! お前らも帰ったんなら早く来るっチャー!!」

「コブンたちよ! ワガハイのスマートでビューティフルな泳ぎを見せてやるンバーー!!」

 

 聞こえた声にはるかが振り向く。

 マイハウスの側面を覆うすだれが上げられているので、向こうの海面ではしゃぐチャチャとカヤンバの姿が見えた。

 

「……あるさ。『その時』が来たなら、迷うつもりはない」

 

 しばらく彼女はそれをみちると共に眺めていた。

 瞳には氷のように冷たい色が宿っていたが、彼女はその色を和らげた。

 

「だが、『その時』より先にデス・バスターズを討てば第二の使命は果たさずに済む──だから、ああいう風に答えたんだろう?」

「なによ、分かってるじゃない」

 

 みちるは肩の力を抜くと、己の頭をはるかの肩に預けた。

 

「えぇ、そうよ。私だって何も思い煩うことなくこの綺麗な海を見て、潮騒に耳を傾けられるのなら……その方がずっといいに決まってますもの」

 

 やがて奇面族たちは、またあいつらは自分たちだけで遊んでると文句を垂れ始めた。

 それでも彼女たちは2人だけの世界に浸り、遠くまで続く海を眺めるのだった。




ディアブロスさんにはいろいろと不憫な展開でした。
私自身、ディアブロスは昔ながらの脳筋直球タイプのモンスターで好みな方なので、自分で描いてて心苦しいところはありましたが、基本的に遠距離から一方的に魔法をぶつけられるセーラー戦士とはかなり相性は悪いと見ております。その中でも強めな設定のウラヌスとネプチューンならなおさら。
見ての通り出番はこれで終わりではありませんので、続きを見ればいいこと(?)があるかもしれません。

あと、はるかさんたちは第二の使命という言葉を出してますが第一の使命は前回で言っていた「うさぎたちを無事に元の世界に帰す」ことです。彼女たちは元々外部から侵入者を倒す役目を背負ってますが、今回はプリンセスを直接護る内部と似た役割というわけですね。

では、また来週。


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海の王と天の王①

 

「おーう。どうじゃー、味の方は?」

 

 のんびりした老人の声を受け、一目では青年の男と見紛うほどの金髪の麗人は、目の前に持つ赤い物体に齧り付いた。

 瑞々しい食感、天然の爽やかな酸味と甘みが一気に口の中に広がる。

 彼女は老人に振り向き、目を細めて呟いた。

 

「えぇ。とても美味しいです、このシモフリトマト」

 

 入り口のすぐ傍に大木が聳え、その裾に虫籠や畑の畝が並び、奥には滝がなだれ落ちる水と緑豊かな平地。海に浮かぶモガ村を見渡すことができる高所に、農場があった。

 

 天王はるかは、笠を被った背の低い老人と会話しながら共に実った作物を収穫していた。その片手間、作物の一部をご厚意で頂いているのである。

 この農場長は竜人族で数百年というご高齢のためか、普段はキザな口調で話すはるかも彼に対しては敬語で話していた。

 

「トマトってのはのぉ、肥料を切らさず、上手ーいこと水を少なくすると、おいしーくあまーくなるんじゃ」

「なるほど、勉強になります」

「やっぱり野菜、野菜、野菜ニャ! 野菜を食べないとアプトノスにも勝てないニャ!!」

「ほれほれー。食べたらいつものを忘れちゃあいかんぞー」

 

 農場長はゆったりした話し方で、隣の笠を被り鍬を担いだやけに野菜推しのアイルーに注意を促した。

 「はいニャ〜」と答えると、猫に似た姿の彼は食べたトマトの中から比較的大きい種をほじくり出し、奥の滝で洗ったあと屋根の下にある小さな箱に入れていった。

 

「彼、一体なにをしてるんです?」

「おぉ。種を取っておいてるんじゃよー」

「種?」

「いつ虫に食われるか、嵐が来るか。それとも忍び込んだモンスターが踏み荒らすか。これから先のことは誰にも分からんからなー」

 

 至って穏やかでのんびりした口調からはとてもそんな事態は想像し難いが、真実は周りを見てみればわかる。

 キノコ栽培用の菌床、養蜂用巣箱、虫の養殖に使う虫籠、そして、作物を栽培する畑。

 1人の老人と3匹のアイルー、そこに村の人々が毎日出入りして手伝い、この大農場を切り盛りしているのだ。

 そこに大自然のほんの気まぐれで努力が水の泡に化すことを思えば、怯えるのも当然であった。

 

「とても労力に見合わないですね、農業というのは」

「それでも日常てもんは、こーやって日々頑張らんと保てんからのー。怪物を毎日のように狩っとるお前さんなら分かるじゃろう?」

「……えぇ」

 

 はるかは、赤い果汁に濡れた自身の手を見て物思いに耽る。

 美少女戦士たちもまさしく『日常』の影に潜み、それを護るべく戦う存在である。

 本来送るべき自分の青春や日常を削り、悪と戦う使命に翻弄される日々だった。

 

「でも、僕たちは意味も分からず戦ってるだけですよ。貴方たちのように何かを生み出すことはできない」

「ほっほっほ。相変わらずの謙遜ぶりじゃのう」

 

 農場長は微笑みながらゆっくりと頷きつつ、シモフリトマトの畑へとジョウロを傾ける。

 彼は手慣れた手つきで濡れる土壌を見つめ、ちょろ、ちょろ、と水の量を少しずつ調節していた。

 

「わしらはここで作った作物や虫で、お前さんたちは狩りで村を支える。別に、順位なんぞ決めなくったっていいんじゃないかのー?」

 

 はるかは微笑を浮かべ、トマトを持って立ち上がった。

 

「そうですね。日常的にこんな美味しいものが食べれるのも、貴方がいないとあり得ませんし。じゃあ、そろそろ僕は仲間を迎えに行きます」

「おーう。また待っとるぞーい」

 

 手を振って農場長に一時の別れを告げ、入口を出た瞬間、はるかは足を止めた。

 

「……今さっき、僕は何て言った?」

 

 自分の言ったことが信じられず、彼女は愕然としてトマトを持っていた手をもう一度見つめた。

 

「この世界に僕たちの『日常』だなんて……あるわけがないのに」

 

──

 

 大海に抱かれ穏やかな波に揺られる小島、モガ村。

 その広場で、亜美、レイ、まこと、美奈子の女子軍は受付嬢アイシャと共に現地の子どもたちと輪になって遊んでいた。

 

「モガの村も、随分と賑やかになったもんじゃのう」

 

 村長はちびうさとチャチャ、そしてカヤンバが海で泳ぎまわって遊んでいるのを目を細めて見つめていた。

 

「たっだいま~!」

 

 桟橋を渡る、たんたんと床板を踏み鳴らす足音と声。

 正体は、ピッケルを担いでモガの森から帰ってきたうさぎだった。

 その手には袋が掴まれており、彼女は立ち止まるとそれを開いて中身を改めて覗く。

 

「結局、今回も取れたのは石ころばっか……。あたしゃあユニオン鉱石が欲しいのよ」

 

 加工屋の小さな爺さんが肩を落とす彼女を見ると、手に持ったトンカチで呼び止めるように金床を叩く。

 

「おうおうお団子頭の嬢ちゃん、頼まれてたアレが完成したぞ!」

 

 報告を聞いた途端にうさぎの顔は煌めきを取り戻し、喜びのあまり掌同士を打ち合わせる。

 

「えぇっ、もう完成したんですか!? ありがとうございまぁ~す!」

 

 彼女は頭を下げて礼を言った直後、飛ぶように武具屋の小屋へ駆けこんでいった。

 それにちょうど、子どもたちと手を取り合い花いちもんめをしていた美奈子が気づいた。

 

「あれ、うさぎちゃん。帰ってきたなりどうしたのかしら」

「覚えてないのかい? この前狩ったリオレイア亜種から装備作ったんだよ」

 

 まことが言うと、美奈子は全く覚えていなかったようで驚いたように足を止めた。

 

「あら! じゃあ見にいかないと! ほらみんな、うさぎちゃんの新装備のお披露目よー!」

 

 少女たちは、武具屋の前に集まり、うさぎが武具屋の女性に手伝ってもらって着替えてくるのを子どもたちと一緒に待った。

 やがて、屋根の下から一つの影が飛び出してくる。

 

「じゃっじゃーん!」

 

 うさぎが纏っているのは、金属の下地に桃色の甲殻が据え付けられた姫騎士の如き装備だった。

 デザインは以前に使っていたレイアシリーズと全く同じだが、より良質な素材を使用したことで更なる高性能を実現している。

 

「へっへーん、どーお? 可憐なピンクがあたしに似合ってるでしょー」

「お~~」

 

 くるくると回転して一同の前で装備を見せびらかすうさぎに、アイシャと村の子どもたちは感心して拍手した。

 

「えぇ、うさぎにはもったいないくらい!」

「ほーんと、豚に真珠ってまさにこのことよね~」

「あぁん?」

 

 レイとちびうさの冷やかしにピキッとうさぎの額に血管が浮かぶが、彼女はそれを何とか堪えすぐ彼氏の衛のところに飛んでいく。

 

「どぉー、まもちゃん! 褒めて褒めてー!」

「ああ、とても似合ってるよ」

「もっと具体的に!」

 

 最初はいつも通りに優しく頷いた衛だったが、うさぎにそう言われて期待の目で見られると困った顔にならざるを得ない。

 

「う、うーんと、桜みたいな色合いで前よりもかわいい、かな」

「えっへへ~、やっぱりあたしの王子様ったら分かってくれてるぅ~」

「ひええええ、この御二人もはるかさんとみちるさんに負けないくらいアツアツ……」

 

 衛の腕に抱きついたうさぎを目の当たりにして顔を紅くするアイシャを、亜美は落ち着かない様子で一瞥した。

 

「……うさぎちゃん、人前で恥ずかしいわ」

「でも、やっぱあたしたちも~」

「あんな風に褒めてくれる人がいて欲しいよな~」

「もうちょい成長してハンターになれていれば、ぐぬぬぬ……」

 

 美奈子とまことは羨望の眼差しで乙女チックな感傷に浸り、ちびうさは悔しそうに狂犬のような唸りを上げている。

 はるかとみちるはそれを、少し離れたところで日傘の下から眺めていた。

 

「変わらないな、あの子たちは」

「ええ。相変わらず可愛らしくて安心したわ」

「それにしても、リオレイア亜種にあった傷の犯人は未だ掴めずか。そろそろ、尻尾を出してくれてもいい頃なんだけどな」

 

 うさぎたちがはるかたちと再会し、モガ村に来てから数週間ほどが経っていた。

 

 この村に来たうさぎたちが狩った『桜火竜』──リオレイア亜種。

 雌火竜リオレイアの中でも珍しい色合いの個体であるそれの背中にはいくつも引っ搔かれたような傷があり、この事実はモガ村にも大きな話題を呼んだ。

 何故なら強豪の飛竜種にして頂点捕食者であるリオレイア亜種の背を傷つけられる生物など、この地ではほぼいないに等しいからだ。

 

「……この状態が続けば、第二の使命を果たさなくてはいけなくなる」

「焦るべきでないわ。相手は野生動物、気まぐれなものよ」

 

 やや声を低めて呟いたはるかを、みちるは微笑んで諫める。

 そこに、うさぎが渡ってきたのと同じ桟橋を渡って1人の住人が駆けて来た。

 

「大変だーっ!!」

 

 続いて、船乗りの恰好をした男たちが慌てた様子でその後に続いてきた。

 村長が異変を察して腰を上げると、船乗りを連れてきた住人が叫ぶように報告する。

 

「落ち着いて聞いてくれ。さっき交易船がラギアクルスに襲われて、船長と剣ニャン丸が遭難した!」

「……ラギアクルス」

 

 はるかはみちると共に意識を引かれたように眉を上げる。

 クエストカウンターの前に一同を集めると、船員たちは参った様子で話し始めた。

 

「あの人たちときたら逃げろと言うのに聞かなくて、自分は後から荷物を集めてくるって……」

「いかんな、このままだとあやつらが危ないぞ」

 

 村長の口から出た聞き覚えのない人名に、うさぎがはてな、と首を捻る。

 

「船長と、剣ニャン丸?」

「この村がいつも交易でお世話になってる人たちよね」

 

 みちるがそう確かめた時、アイシャはいつもとは打って変わり深刻な表情になっていた。

 

「はい、一応昔はハンターをしてましたから、そうそう簡単にはやられないと思うんですけど……とにかくこれは、御二人のピーンチッ!ですよっ!!」

 

 アイシャは筆を取ると、走り書きで依頼書を作成した。

 ラギアクルスの狩猟、及び遭難者2名の救出。

 それがカウンターに出されるのを見ると、うさぎは迷わず桃色の甲殻がついた籠手を伸ばした。

 

「よし、早速行かないと!」

「お団子たちはここに残ってくれ」

 

 それより先に、依頼書の上に青みがかった金属の籠手が重なる。

 止めたのははるかだった。彼女は厳しい表情で顔を上げた。

 

「今回は、僕とみちるだけで行く」

 

 うさぎは目を真ん丸にしていたが、彼女は真面目に受け取らず御冗談を、と笑うように掌をひらめかせた。

 

「も〜はるかさんったら、あたしはずっと上位まで頑張ってきたんですよ? 今更指を咥えてるだけだなんて……」

「聞いてるわよ。リオレイア亜種の狩猟、散々だったんですってね」

「ギクッ……」

 

 すかさず差し込まれたみちるの言葉に笑顔が止まり、たじろぐ。

 

「まあ、確かにあれは……」

「散々よねぇ……」

 

 当時その狩猟に立ち会ったレイと亜美、そして衛も苦い顔をした。

 リオレイア亜種自体強大な相手だったので仕方ないところもあるが、以前に行った狩りはお世辞にもスマートとは言えなかった。

 出会い頭にペイントボールを投げるも中々当たらず。初めて見る空中で螺旋を描く尻尾攻撃には吹っ飛ばされ。溜め斬りを放とうとしても、死界から巨大蟻に脚を噛みつかれたせいで見事にスカし。

 

 ここ最近のうさぎの運の悪さは際立っており、もはや疫病神レベルと言ってもよかった。

 一気に立場が危うくなったうさぎは冷や汗をたっぷりと浮かべ始めたが、

 

「ちょっと待ってくれ」

 

 そこに、衛が救いの手を差し伸べた。

 彼はうさぎとはるかの間に割って入る。3人を目の前にしたアイシャはどうすることもできず、視線をせわしなく右往左往させていた。

 

「いくら君たちが強いと言えど、今回は人の命もかかってる。2人だけじゃ少し心許ないんじゃないか?」

 

 後ろにうさぎを一瞥しつつ、衛ははっきりと意見を述べる。

 

「何しろ孤島は広い。狩猟と救助に役割分担した方が、全体として効率がいいと思うが」

 

 彼に優しい視線を投げかけられ、泣きかけていたうさぎは救われたように顔を輝かせた。

 

「まもちゃん!」

「さすがは衛さん、未来の夫ねぇ」

 

 そう言った美奈子に仲間たちが頷く一方、みちるははるかに問いかける。

 

「これは中々折れてくれそうにないわ。どうしましょう」

「……仕方ないな。それなら、条件をつけさせてもらう」

 

 次にどんな言葉が待っているのかと、少女たちは身構える。

 

「まず一つが、僕たちの戦いの邪魔をしないこと。そしてもう一つは──お団子と一緒に彼女を連れていくことだ」

「……えっ?」

 

 はるかが指さしたのは、青髪の少女、亜美だった。

 

──

 

 モガ村から出て、岩礁を見下ろせる丘から坂を真っ直ぐ下っていく。

 

 うさぎが纏うは先ほど新調したばかりの防具『リオハート』に大剣『炎剣リオレウス』。

 亜美の装備は花のように可憐な『ミツネS』にライトボウガン『狐水銃シズクトキユル』。

 はるかは黒の胸当てと袴を基調とした、忍を思わせる『ナルガS』にチャージアックス『精鋭討伐隊盾斧』。

 みちるは引き続きコートのような出で立ちの『ルドロスS』にスラッシュアックス『スプラックス』。

 

「ひぇ~、2人が着ると何でも似合う~」

 

 うさぎが言うように、身体の線が細めでスタイルの良いはるかとみちるの装備を身につけて歩く姿は様になっている。さながら今やっているのはファッションショーかと見紛うほどに。

 

「それはどうも」

「村を出るとお役御免になるのだけれどね」

 

 いつの間にか、彼女たちは大滝が落ち大樹の生える広場に降りて来ていた。

 2人は変身スティックを取り出すと、武器も、防具も一時消し去ってセーラー戦士の姿へと変わる。

 うさぎはそれにあれ、と首を傾げた。

 

「はるかさんたち、戦士の姿でモンスターと戦うんですか?」

 

 もっと驚いた顔をしたのは、むしろセーラー戦士となった2人の方だった。

 

「僕たちはセーラー戦士だ。君たちだってそうだろう」

「貴女たちこそ、狩人の姿でずっと戦ってきたの?」

「はい。この姿の方が頑丈だし色々と恩恵も得られるから、いざという時役に立ったりするんですよ」

「……僕はあまり好かないな。この姿じゃないと風になって戦えない」

 

 亜美が説明しつつ泡狐竜の鱗から作られた滑らかな袖を撫でるのを見ると、ウラヌスは難しい顔をした。

 

「この際言っておこう。僕たちは、あの村のために戦ってるわけじゃない」

「え……?」

「ラギアクルスは僕たちの因縁だ。恐らくヤツは敵対した僕たちを覚えていて……そして、リベンジを果たすために戻ってきたんだ」

「放っておけば、彼はこれから先も私たちを襲ってくるでしょう。だからこれから果たすべき使命を邪魔されないよう、今日ここで叩くわ」

 

 村ではそんな素振りなど一切見せなかったのに、まるで示し合わせたように2人は説明する。

 だが、少女2人はあまりに突然告げられたことで、しばし固まっていた。

 やがて、亜美が批難の眼差しを戦士たちに向ける。

 

「では、元々人を助ける気はなかったってことですか!?」

「……そのために、貴女たちを連れて来たのよ」

「やはり、納得いかないって顔だな。だが君たちこそそんな大きな武器を振り回して、本来の自分を見失ってるんじゃないか?」

 

 ウラヌスは鋭い視線を送り返して指摘する。風に棚引く濃紺の襟が、緑のなかで彼女の姿を際立たせていた。

 

「いいか、僕たちが真に護るべきものはすべて『あちら』にある。その事実を忘れれば、これまでの戦いがすべて無駄になる」

 

 いつの間にかウラヌスが拳を強く握りしめていたのにうさぎは気づいた。その行為は、自分に言い聞かせようとしているようにも見えた。

 

「それを忘れたら……絶対にダメなんだ」

「って言いながら、こいつらも実は裏でこーっそり武器の練習をしてるのっチャ!」

 

 突然、背後から声がした。

 急いで振り向くと、どんぐり型のお面と蟹型のお面が地面から生えて喋っていた。

 奇面族の子どもたち、チャチャとカヤンバである。

 

「えっ、正体見られちゃった!?」

「……はぁ、また勝手についてきたのか。チャチャ、カヤンバ」

 

 うさぎは逃げ腰になって慌てるも、ウラヌスは呆れ気味に肩を落として叱りつけただけだった。

 

「もしかして、貴方たちはこちらの事情を知ってるの?」

 

 亜美が聞くと、胸から下を地面から引っこ抜いたカヤンバが、杖でうさぎと亜美を指し示しながら頷いた。

 

「ンバ! お前たちも変身仲間ということは既に聞いてるノダ! というわけで、お前らもワガハイたちのコブンに決まりなノダ!」

「コ……コブン!?」

「本気にするなよ。要は遊び相手になってほしいってだけさ」

 

 今度は亜美が驚いたが、はるかが冷静に助言した。

 その流れのまま、彼女はちらりと太陽の位置を確認する。

 

「こうなってしまったら仕方ない。このまま現場へ向かうとしよう」

「私たちとこの子たちは海に行くわ。貴女たちは森の方をお願い」

 

 ウラヌスとネプチューンはそう決めると、さっさと東へ続く浅瀬の道を走っていってしまった。

 それを見送った亜美は、眉をひそめつつさっさと反対の方向へ足を踏み出す。

 

「……行きましょう、うさぎちゃん」

「あっ、ちょっと待って!!」

 

 うさぎははるかたちの背中を見ていたせいで出遅れ、急いで追いつこうと駆け出した。

 

──

 

「うさぎちゃんは嫌じゃないの?」

 

 先のエリアより西に進み、崖上にある狭いトンネルを抜け、更に飛竜の巣へと続く横穴に入った時だった。 

 うさぎに振り向いた亜美の目は珍しく、むつかしそうに吊り上がっていた。

 

「はるかさんたち、自分の使命ばかり気にかけて、最初はモガ村も遭難した人たちも護る気がなかったのよ。さすがにどうかと思わない?」

 

 彼女らは、巨大な谷の合間にある薄暗い空間へと足を踏み入れた。広場の傍まで流れ込む海水に光が岩壁の縦に開いた隙間から差し込む様は幻想的ですらある。

 亜美に対し、うさぎはうーん、と考えたあと首を振った。

 

「ねぇ、ほんとにあれって本気で言ってるのかな」

「どうして?」

「だって『使命を護れ』って言ってた時のはるかさん、なんかずっと我慢してる感じだったんだもん。ぎゅーって拳握ってさ」

 

 実際に拳をもう片手で抑えてみせたうさぎに、亜美はえっと小さく驚く。そんな細かい部分までは、彼女も見ていなかったのだ。

 

「それにはるかさんとみちるさんって、いっつも言ってることと本心が違うっていうかさ。なんていうか、ちょっとオトナっぽいじゃない。だからきっと、ああ言ったのにも何か訳がある気がするのよ」

 

 しばらく亜美はそれを聞いて考えたが、やがて頷いた。

 

「……それも、そうかもしれないわね」

 

 彼女は顔を上げ、思い直したように苦笑いを浮かべた。

 

「思ってみれば、危うくまた前みたいにセーラー戦士で仲間割れするところだったわ。……やっぱりうさぎちゃんがいないと駄目ね、あたしたち」

「ニャーーッ、誰か早く来てくれゼヨーー!!」

 

 助けを求める声が左前方にある巣への入り口、更にその上方から聞こえた。直後に、

 

「グルオオオオアアアアッッ!!!!」

 

 獣の咆哮が頭上から鳴り響いた。

 

「……うさぎちゃんっ!」

「なんかヤバそうね!」

 

 彼女らは急いで段丘の地形を駆け上り、上にある巣へ駆けつける。

 

 最後の段を駆け登った先に見えたのは、視界をほぼ覆う青空と──その下に伏せてうずくまる猫の姿。

 青袴、半袖の服に剣を背負い、髪型はあちこちに散らしたワイルドなファッション。

 しかしその見た目とは真反対に彼は涙をぼろぼろ流し、ひたすら脅威に怯えていた。

 彼はうさぎたちの姿を認めると、はっと身体を起こして全速力で駆け寄ってきた。

 

「ニャアアア、助けが、遂に助けが来たゼヨーーッ!!」

 

 どこかの方言に似た奇妙な語尾をつけるアイルーは、すぐさまうさぎたちの背後に隠れる。

 

「貴方が遭難者の1人ね!」

「さあ、もうだいじょ……」

「ガアアアアアア!!!!」

 

 視界の中、一見違和感のなかった空の一部が凄まじい速度で迫る。

 ある程度近づいて、やっとそれが鮮やかな緑の翼を持っていることが分かった。

 空に溶け込むような蒼色の飛竜は、口元に炎を携えて地上へと降り立った。

 

「……リオレウス亜種!」

 

 黒い鱗の混じった頭部に怒りの赤い瞳を滾らせ、通常種を超える危険度も納得の迫力を漲らせている。

 

「ここは一旦、この子を連れて退避よ!」

 

 アイルーを見て叫んだ亜美だったが、

 

「ピュイイイイィィィィィイイイイィィィィィ……」

 

 やけに甲高い、鳥のような嘶きが場を満たした。

 一つの影が、一瞬彼女たちを横切った。

 

「……!?」

 

 一同が顔を上げるよりも早く、リオレウス亜種の背に何者かがのしかかる。

 

「グオオオオッッッ!?」

「キシャアアアアアアアッッッ」

 

 けたたましい叫びをあげ、空の王者の背中を何度も引っ掻くその刺々しい背中は──

 

 差し込む陽光に照らされ、()()()()()()()()

 

 苛立ったリオレウス亜種は棘のついた尻尾を横に振り払うが、翼を持った襲来者は軽業師のように跳ねてひらりと躱す。

 横に降り立った彼が刀状の角を振るうと、幾重に鱗が連なる首元が一瞬開いた。

 その合間から2、3発の鱗が発射される。

 鱗は刃のように整ったひし形で、金属のそれよりも遥かに鋭い輝きを放っていた。

 

 リオレウス亜種は空中へ飛び上がってそれを回避、同時に赤く燃え盛る火球を眼下の敵へ吐いて爆撃する。

 相手の飛竜は翼を腕のように使って横っ跳び、脇を通過した火球はそのままうさぎたちの目の前に着弾、爆炎を巻き上げる。

 

 しばし彼女たちは腕で目を庇っていたが、恐る恐る目を開けると、既に飛び立ってリオレウス亜種へと食いかかっていく飛竜の姿が見えた。

 

「あれは……千刃竜セルレギオス……?」

 

 うさぎは、空を自在に翔けるその竜たちを呆然と見つめていた。

 

「まさか、あれが『金の竜』だっていうの?」

 




モガ村の農場、あの面積だけで村の人々の食糧賄えるのか、という疑問はさておき。(多分水産物主流の食生活だろうし、あれ以外にも農業を営む陸地があるのだろう…)
『金の竜』候補セルレギオスちゃん、初登場と思いきや前回で既にお披露目してました。
あと亜美ちゃん、大人しめでそんなに目立って人を批判するような子ではないと思いきや、割と倫理的なところでは言うべきことははっきり言うタイプなのです。


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海の王と天の王②

 孤島のエリア10。

 天然石のアーチを潜ると、横に据え広がる海岸、その先に岩礁と水平線が見える。

 はるかたちがこの世界に来て最初に漂着したのもこのエリアだ。

 

「キョエアアアアア……」

「グオオオオオオ……」

 

 響く奇声に顔を上げると、蒼い飛竜と金色の飛竜が激しく争いの応酬を行っていた。

 戦場は、高所絶壁の上にある巣近くの上空である。

 

「リオレウス亜種の他に……もう1頭?」

 

 はるかが目を見開いたところへ、後ろからついてきていた奇面族のカヤンバが驚き杖を振り上げた。

 

「ンバッ、セルレギオス! この辺じゃ滅多にいないモンスターンバ!」

「知ってるのか?」

 

 振り向くと、カヤンバはうんうんと頷く。隣のチャチャも、

 

「確かバルバレ辺りでえらく話題になってたヤツってアイシャ嬢が言ってたっチャ!」

 

 と得意げに知識を教えてくる。

 

「そんなやつが、何故モガの森に……?」

「まさか、うさぎたちが言っていた『金の竜』かしら」

 

 はるかたちがそう怪訝な顔で呟いた時、

 

「おぉーーい! ワシはここだゼヨーー!!」

 

 男の叫び声がした。

 はるかたちは声のした方へ振り直る。

 海上に浮かぶ、荷物を載せた小舟から手を振り叫ぶ男が1人。

 

「……どうやらあれらは彼女たちに任せるしかないようね」

 

 みちるに話しかけられるとはるかは頷き、上空へ狼煙を撃った。

 そして奇面族たちと共に海へ飛び込み、真っ直ぐ舟へ。

 

「うおおぉぉ、かたじけないゼヨ〜〜!!」

 

 彼女らは幸い何事もなく小舟へたどり着いた。

 男は白生地に青く染めた羽織袴を着、厳つい顔に豪壮な髭を生やす、いかにも豪商らしい出で立ちである。

 だが、本来あるであろう見た目の威厳は意味を成さない。彼は正座をしながら手を組み合わせ、神でも見たかのような泣きっ面だったからだ。

 

「剣ニャン丸は、剣ニャン丸は大丈夫かゼヨ!? あやつ、リオレウス亜種が盗んだ荷物に掴まったままどこかへ飛んでいってしまったのだゼヨーー!」

「それは大丈夫。もう2人の仲間が見つけてくれる手はずですわ」

 

 みちるが微笑むと、船長の表情も幾分か和らいだ。

 その時、海中奥深くで白く眩い光の奔流が走った。

 

「お? 何か海の下がボンヤリしてるチャ〜〜」

「ホントッンバ!」

「なに?」

 

 最初に気づいたのは奇面族たち。彼らの他人事みたいな感想に、はるかは海面を見る。

 言葉の通りだった。

 しかもそれは、生きているように揺らめいている。

 はるかはみちると顔を見合わせた。

 

「まさか、この下に……」

「恐らく、ラギアクルスがいるわね」

「ゼヨッ!? それは誠ゼヨか!?」

 

 船長の顔が真っ青になった。

 はるかは後に続いてクロールで泳いできた奇面族たちに振り向いた。

 

「チャチャ、カヤンバ。お前たちはこの人を村まで連れて行ってくれ。出来ればもう1人の遭難者も一緒にな」

「ヌヌッ、オレチャマたちは狩りに参加NGッチャ!?」

「そんなの絶対お断りンバ!!」

 

 はるかは、いかにも残念そうに首を振った。

 

「そりゃあ残念だな。あの人を助けたら今日のおやつは奮発しようかと思っていたんだが、仕方ないか……」

「任せて下せぇッチャ!!」

「最愛のコブンの頼みとあらば、了解なノダ!!」

 

 心変わりは一瞬だった。

 チャチャとカヤンバはバタ足で舟を押し、推進力となって海上を爆進していく。

 

「あぁ、オヌシらは一生級の恩人ゼヨ!! この礼は必ず……!」

 

 船長は、歓びの雄叫びを上げながら海岸へと運ばれていった。

 

「貴女もあの子たちの扱い、上手くなってきたわね」

「いいや、みちるのおかげさ。これで本来通り、周りを気にせず戦える」

 

 はるかはみちると共にそれを見送ると、再びみちると目を合わせて潜水した。

 白い泡を掻い潜る。

 目を開けると、陽光が揺れ落ちる海中で長いものがとぐろを巻いていた。

 

 海に溶け込むような鱗。

 石灰に似た質感を持つ紅の突起。

 角が生えた鰐のように細い頭部。

 座するは大海の王者、ラギアクルス。

 

『久しぶりだな。ここに初めて来た以来か』

 

 変身スティックを取り出したはるかは、その竜と目線を合わせた。

 

 彼はしばらく、動かなかった。

 

 それはまるで、かつて己に歯向かった人間たちを待っていたかのよう。

 やがて海竜は2人が近づいてくると悟ると己の身体の拘束を解き、橙に灯る瞳をより強く光らす。

 

「ヴオオオオオオオオオォォォォォォ!!!!」

 

 彼が吼えると同時、海中の2人の少女は聖なる光に包まれた。

 

──

 

 所は飛竜の巣に移る。

 この地の構造はちょうど崖が窪んだような形になっており、真正面には青空が見渡す限り広がっている。

 そこを戦場に争う飛竜たちのうち、千刃竜セルレギオスが首を振るう。

 すると、『刃鱗』と呼ばれるひし形の天然の刃が射出。

 

 リオレウス亜種は横に回り込むように羽ばたくことで回避、刃鱗は巣の方向へ流れてゆく。

 思わずうさぎが盾代わりに構えた大剣に、それらが3枚カンッと音を立てて突き刺さった。

 

「わあっ!!」

 

 凄まじい勢いに、うさぎの腰が崩れかける。

 その威力を目の当たりにした亜美は、傍にいる羽織姿のアイルーに叫んだ。

 

「貴方が剣ニャン丸よね? 今すぐ逃げた方がいいわ!」

「わ、分かったゼヨーーッ!」

 

 空中での激闘に目を奪われていた彼も、正気に返ると一目散に逃げていく。

 

 飛竜たちは空中で噛みつき合い、引っ掻き合いながらもつれ合った。

 彼らは一旦互いを突き放して睨み合ったが、千刃竜の目線が一瞬うさぎたちと合った。

 

「キョエアアアアアアア……」

 

 セルレギオスは不愉快そうに嘶くと翼を広げ身を翻し、空の彼方へ去っていく。

 うさぎはその姿を見送った後、己の大剣から零れ落ちた刃鱗の破片に気づく。

 

「ちょっと、いただきますよっと!」

 

 彼女は拾い上げ、防具を誤って切らないように気をつけつつ瓶に入れ、アイテムポーチに保管した。

 リオレウス亜種も後を追うことはなく、金色の侵入者の姿が完全に消えるまで威嚇していた。

 

「グルオアアアァァァ……」

 

 リオレウス亜種が次に視界に定めたのは、うさぎたちだった。

 蒼い鱗のあちこちに刃鱗が刺さり、切り裂かれたような甲殻の傷もある。姿は痛々しいが、息遣いそのものは生命力に溢れていた。

 それを見て、うさぎたちはあることに気づく。

 

「リオレイア亜種と同じ傷……!」

「あれも、セルレギオスによるものだったのね!」

 

 しかし、リオレウス亜種はうさぎたちに襲い掛かることはしなかった。

 そのまま急上昇すると、何処かへ緑の翼をはためかせて飛んでいく。

 

「あ、あれ? なんで?」

「恐らく、傷を癒しにいったのでしょうね」

 

 亜美は遠のいていく蒼い背中を見て冷静に分析したのち、戸惑っているうさぎに振り向いた。

 

「あれだけの手負いだと、遠からず凶暴になるわ。今回は遭難者もいることだしあのモンスターも狩るしかなさそうね」

「そうね、あの『金の竜』とも何か関係があるみたいだし! そうとなりゃあ、早速追うわよ!」

 

 うさぎも狩人として決意を固め、率先して行こうと先走る。

 しかし、亜美は何かに気づいてふと彼女を追う足を止めた。

 

「そういえば……ペイント」

「ああっ!?!?」

 

 しまった、という顔で気まずくうさぎは振り向いた。

 先ほど蒼火竜が空中にいたせいで、居場所を追うためのペイントがつけられなかったのだ。

 

「……うさぎちゃん、千里眼の薬は?」

「……ごめん、切らしてる」

 

 両者は愕然と肩を落とした。

 これではどこに行ったか掴めない。これではもはや、狩りの成功以前の問題だ。

 

「はぁ、いったいこの先どうすれば……」

「えーい、悩んでても仕方ない! 取り敢えず下に戻ろっ!」

 

 うさぎはさっさと腹を決めると、来た道を戻るため下へ続く洞窟へと脚を踏み入れた。

 その判断の速さには、亜美も感心の顔である。

 

「こういう時の行動力はすごいわね、うさぎちゃん……」

 

 谷の間に戻ると、人の背くらいの体高を持つ小柄の肉食竜が3頭、地面を徘徊していた。

 橙に染まった細身の身体に、紫色の扇のような耳が特徴的である彼らは、犬のような鳴き声を発してはしきりに周りを見渡している。

 

「あら、ジャギィがいるわ。さっきまでいなかったのに」

「げーっ。あの子たち苦手なのよねー。今朝もしょっちゅー採掘邪魔してきたし」

 

 存在に気づいたうさぎたちはエリアの入口から姿を隠しつつ観察する。

 亜美は相変わらず冷静な一方、うさぎは思わず苦いモノを舐めたような顔をした。

 

「オォーッ、オッ、オッ、オッ、オッ……」

 

 その時、どこからか遠吠えが聞こえた。

 それを聞いたジャギィたちは身を翻し、近くにある洞穴へと潜っていく。この穴は孤島南方の各地に繋がっており、彼らはこれを移動経路として使っているのである。

 

「あれま、消えちゃった」

「群れの長、ドスジャギィの招集ね。草食動物でも襲いにいくのかしら」

 

 亜美の言葉を聞くと、一時キョトンとしていたうさぎはたちまちさっきと同じ表情を浮かべた。

 

「げげげーっ。あの子も主張強めで苦手なのよー。この前狩ったリオレイア亜種の時も乱入してきてホント迷惑だったし」

「うさぎちゃん、ちょっと苦手なもの多すぎない?」

 

 うさぎは亜美に突っ込まれると、桜火竜の甲殻から作られた胸当てを自慢げな顔で叩いた。

 

「だってこの防具作るために採取しまくってたんだもん。この孤島の苦手事情に関しては、もしかしたら亜美ちゃんより詳しいかもねん♪」

「……いったいなにを自慢してるのかしら」 

「それにしても、あの子たちも大変よねー。縄張りを護るためだけにあんなデカブツと戦わないといけないもの」

 

 そのしみじみとしたうさぎの一言を聞いて、亜美は突如閃いた。

 

「それだわ!」

「へ?」

「うさぎちゃん。ドスジャギィは、なんのために部下を呼んだと思う?」

「え、だから縄張りを護りに……あっ!!」

 

 続いて、2頭のジャギィの群れが洞穴とは別の道から現れる。

 急いで彼女たちは飛び出すと、ジャギィの1頭に駆け寄ってペイントボールを当てた。彼は鬱陶しげに唸るも完全に少女たちを無視し、専用の通路に潜っていった。

 直後、うさぎたちはこれまでの道を引き返し、孤島南方に続く横穴めがけて走り始めた。

 

「ドスジャギィが部下を呼んだのは、多分……」

「リオレウス亜種に対抗するため!」

 

 少女たちは駆けながら、互いの答え合わせをする。

 姿は見えなくなったが、ペイントの強烈な臭いは彼らの行先へ彼女たちを導いてくれた。

 しかしもう一つ、薄闇から抜けて陽の光に照らされた辺りで、うさぎは地面にある何かに気づいた。

 

「え? 待って、この方向……」

 

 肉球の足跡だ。先ほど逃げさせた剣ニャン丸のものだろう。

 それを辿ると、それはちょうどジャギィたちが向かう方角に続く。更には、彼女たちが辿ろうとしているのもまったく同じルートなのだ。

 

「なんか……めっちゃ嫌な予感がするっ!!」 

 

 うさぎは、亜美と共に足を早めた。

 

──

 

 うさぎたちとはるかたちが分かれた、大木と大滝から流れゆく川が特徴的な平地、エリア2。そこはいま、荒波に揉まれていた。

 荒波と言ってもここは地上。人より大きな草食竜の群れが、地響き立てて逃げ惑っているのだ。

 

 トサカのような角と突起のついた尻尾を持った四足歩行の草食竜『アプトノス』は、通常は温厚かつ臆病で、基本的に無害な存在だ。

 しかし人より大きい図体を持つ彼らが群れて一斉にパニックを起こせば、人にとってはかなりの脅威となる。

 

 それらがエリアを横断する浅い川の水底を踏み鳴らす隙間で、再会を果たしたばかりの交易船の船長と剣ニャン丸は互いにひしと抱き合っていた。

 

「ひいいい、剣ニャン丸、ワシらはいったいどっちに行けばいいゼヨ〜〜!」

「ボ、ボク、じゃなくてワシ、もう終わりかもしれニャ……ないニャゼヨ~~!!」

 

 無論、はるかたちに頼まれて彼らを守護すべく、近くには奇面族の子どもたちが付き添っていた。

 彼らは遭難者にアプトノスやジャギィを近づけまいと、必死に杖を振りまくっていたのだが。

 

「ンギャーーーッ! またジャギィに齧られたっチャ〜〜!!」

「チャチャ! 泣いてる場合じゃないンバー!!」

 

 突然どんぐりの仮面に齧りついてきたジャギィに、チャチャは暴れて泣き喚いた。カヤンバはジャギィの頭を杖で殴って引き剥がしながら相方を激励している。

 

 一連の混乱の原因は、1頭のアプトノスを脚で踏みつける手負いのリオレウス亜種。

 そして縄張りと横取りされた獲物を死守しようとする、ドスジャギィ率いる肉食竜の群れ。

 

「ウオオーーーーーーーーーーッ!!」

 

 ジャギィたちとは別種と思えるほどに大きく逞しい図体に立派な襟巻を持つ、群れのリーダー『ドスジャギィ』。

 彼が天を見上げて咆哮すると、部下のジャギィたちはそれを合図に、果敢にも自身の数十倍の図体のリオレウス亜種に跳びかかり食らいついていく。

 

「グルオオオアアアアアッッッ!!!!」

 

 蒼い飛竜は尻尾を振り回し、身体に噛みついたジャギィたちを吹き飛ばす。背後のドスジャギィに気づくと、口に燻らせた火炎を彼目がけて振り回した。

 

 被食者、中間捕食者、頂点捕食者。

 孤島における陸上生態系の縮図が、そこに出来上がっていた。

 そしていまアプトノスたちは完全にその場から去り、後方に控えるジャギィたちの興味は人間たちに移りかけていた。

 

「まずいわ! もう巻き込まれてる!」

 

 ちょうどそこに、うさぎたちが駆けつけた。

 幸い遭難者たちがアプトノスに踏まれることはなかったようだが、状況は予断を許さない。

 

「させないわ!」

 

 亜美が青空に向けて威嚇射撃を行い、ジャギィたちの気を引く。

 うさぎは急いで船長たちの近くに駆け寄ると、彼らの前に立って大剣『炎剣リオレウス』を横薙いだ。

 内蔵された火炎袋を通して業炎が軌跡を描く。空気を伝わる高熱に、肉食竜たちは恐れて飛びのいた。

 

 しかし悪運というものはいつだって、何回か立て続けにやってくるもの。

 なんと、振り返ってその状況を見たドスジャギィまでも人間たちに興味を示したのだ。

 ただの興味というよりは敵意に近い。彼は人間たちを新たな縄張りへの侵入者と認識し、蒼火竜の相手を部下に任せて走り寄ってきた。

 

「「ひーーっ!!」」

 

 響き渡る船長と剣ニャン丸の悲鳴。

 うさぎは怯まず、真正面に大剣を振り下ろす。

 接地した大剣からは超高熱が発生し、ドスジャギィを一時怯ませた。その隙に振り返って叫ぶ。

 

「とにかくあなたたち、早く逃げて!」

「ほら、さっさとこっちに来るッチャ!」

 

 遭難者たちは奇面族たちに護られつつ、キャンプに続く道へと先導されてゆく。

 

「お嬢ちゃんたち、誠に恩に着るゼヨ! この礼は必ず~!」

「ゼ、ゼヨ……? って、気にしてる暇ないわっ」

 

 豪壮な袴姿の男が手を振りながら放った、奇妙な口調に首を傾げるも、うさぎはすぐに気を取り直して肥やし玉を取り出し、ドスジャギィめがけ投げつけた。

 

「オオウッ!?!?」

 

 鼻っ面に強烈な臭いをぶつけられた彼は大きく仰け反り、たまらず逃げていった。

 ジャギィたちもその後について、その場を去っていく。

 

「よし、これで取り敢えずは安全確保……」

 

 そこで、うさぎははっと視線を別のところへ巡らせた。

 ドスジャギィばかりに気を取られたのがまずかった。

 リオレウス亜種はこの機を逃さないとばかりに頸を動かし、アプトノスの腹を噛みちぎろうとしていた。このままでは、体力を回復されたうえでまた逃げられてしまうかもしれない。

 

「や、やば……」

「大丈夫よ、うさぎちゃん。もう既に()()()()()()わ」

 

 焦った顔を見せたうさぎに涼やかな声がかかった。

 亜美が、冷気を纏ったライトボウガン『狐水銃シズクトキユル』を構えて走り寄ってきた。よく見ると、蒼火竜の足元に地雷のようなものが埋まっている。

 

「シャボン・フレージング・ゲイザー!」

 

 彼女が後ろ目に相手を見て叫ぶと同時、爆発と共に泡に封じ込まれた冷気が弾ける。

 拡散したそれは近くにある草を、浅瀬を、飛竜の全身を覆う蒼い鱗をも一瞬にして霜を走らせひび割れさせた。

 

「グオゥ……ッ!?」

 

 蒼火竜は慌てて飛び立とうとするが、彼の身体は思うように動かない。

 

「すごいわ! ありがとう、亜美ちゃん!」

 

 うさぎはグッドサインで感謝を叫びつつ、リオレウス亜種へ駆け寄っていく。

 そのまま大剣を振りかぶり、最大出力の溜め斬りを蒼火竜の頭へ、一撃。

 武器に宿るものと同じ炎の使い手のためか、手応えはあまりない。それでも、確かに大剣の重い刃は確実に頭の鱗を深く削り取った。

 

 無論、リオレウス亜種もやられてばかりではない。

 彼は立ち上がると、無理やり翼を拡げる。

 

「わっ……」

 

 開かれた口内から炎が湧きあがったのを見て、うさぎは急いで離脱。

 蒼火竜は地上に火球を噴く反動で、身体を無理やり空中に浮きあがらせた。

 同時に熱で霜をも払う力業を見せた彼は、いよいよ怒りを露わにして喉を震わせた。

 

「グワアアアアアアアアアアアアァァァァァッッッ!!!!」

 

 空中から放たれた爆音に少女らは怯み、屈んで耳を塞ぐ。

 早速、暖まった口腔が炎に揺らめく。蒼火竜は空中から距離を詰めると、ホバリングしたまま息を吸い込んだ。

 

 虚空を噛みつくと同時に、爆炎が走る。

 

 亜美は走って避け、うさぎは大剣を盾にした。

 リオレウス亜種の猛攻は止まらない。羽ばたきながら勢いをつけ、宙から亜美を狙って毒爪を振りかざす。

 

「きゃあっ!」

 

 彼女が早めに気づいて身体を捩じったことでなんとか直撃を躱すが、かなりギリギリだった。

 

「そっちがその気なら、これよ!」

 

 うさぎは、閃光玉を懐から出して手に取った。

 それが投げ出される直前、リオレウス亜種は一際大きく羽ばたき、空気を蹴るようにしてはるか上空へ。

 

 閃光玉は弾けたが、その効果範囲に彼はいない。

 蒼火竜は真上から黒く光る爪を再び開き、驚いた顔のうさぎへと迫る。

 彼女は転がろうとしたが僅かに間に合わず、爪先が左の金属製の肩当てに掠る。

 それだけで肩当ては破裂し、飴のように捻じ曲がった。

 

「うぐっ!」

「うさぎちゃん!?」

 

 傷はないが、少女は強い衝撃に飛ばされて地面を転がった。彼女は口に入った土をぺっと吐き出しつつ、大剣を杖にして何とか立ちあがった。

 リオレウス亜種は地響きを立てて地上に着地すると、うさぎに向かって噛みつこうと炎を纏わせた嘴を開いた。

 

 亜美は急ぎ、うさぎに次いで2度目の閃光玉を投擲。

 今度こそ光が視界を直撃し、相手はやっと怯んでくれた。まずは一時的に空への飛翔を防ぐ。

 

「……こんなのがはるかさんたちの所へ飛んでいったらまずいわ!」

 

 亜美は改めて、目の前で唸っている蒼火竜の危険性を認識した。こと戦いにおいては、制空権を取られると最後、地上を這うしかない者にとってはそこは戦場ではなく地獄になる。

 更に、彼の現在の凶暴性も中々のもの。もしこの閃光効果が切れれば、即座に迷いなく襲い掛かってくることだろう。

 

 だが、決してリオレウス亜種の傷は浅くはなかった。

 先のセルレギオスとの戦傷に加え、亜美の必殺技でかなり消耗している様子である。

 

「かなり弱ってくれてるのが不幸中の幸いね。はるかさんたちのためにもなるべくここで引き付けて、捕獲しましょう!」

 

 うさぎは大剣を構えつつ、ふと、思い出したように亜美に語り掛けた。

 

「はるかさんとみちるさんの調子はどうかな? まだ海にいるのかな?」

「いえ、ラギアクルスは身体を休めるため陸に上がることがあると聞くわ。多分、そろそろじゃないかしら」 

 

 蒼火竜は塞がれた視界に猛り狂いつつ、見当違いの方向へと火球を放った。

 それが少女たちの近くにあった浅瀬に着弾すると、爆発した周囲を一瞬にして干上がらせてしまった。

 うさぎは一瞬驚いたものの、それを見てしばらく何かを考えていた。

 

「……これって、はるかさんたちにとってもチャンスかも」

「どういうこと!?」

 

 うさぎは亜美に振り向いて、ぐっと拳を握り締めた。

 

「雪山の時の応用よ!」

 

──

 

 海中の激闘は熾烈を極めていた。

 先ほどまで泳いた水棲の草食獣たちも、既に遠海に逃れていた。

 前回の戦闘ではその技の威力によってラギアクルスを立ち去らせた、ウラヌスとネプチューン。

 

 しかし今の状況は、一味違った。

 ここは海中。水中に棲むモンスターにとってはまさに自身の土俵である。

 それゆえに。

 

「ぐっ……」

 

 苦戦していた。

 海の力に護られるネプチューンはともかく、ウラヌスは水に制限され思ったような動きを取れない。

 

 一方、水中におけるラギアクルスの機動力は凄まじいもの。

 流線型のシルエットは水の抵抗を減らし、ヒレ状に発達した脚は力強く水中を掻き推進力を生む。

 

 彼は胸を仰け反らせ、口内に電気を迸らせた。

 放たれたのは粘液と体内で発電された電気が混じった雷球。それはちょうど、真っすぐウラヌスのいる位置へ。

 彼女は水を蹴り、雷球の軌道から離れることで避ける。

 

 反撃としてワールド・シェイキングを手から撃つが、海中を進む金色の光球は地上で放つそれより速度が遅く、ラギアクルスは海中を滑ることで簡単にそれを躱した。

 

 ネプチューンはウラヌスを心配げに見てくるが、強気に彼女は問題ない、と首を振った。

 そのまま距離を離すように海遊する、大海の主。

 ある位置でぐっと身を屈め方向を定めると、自身ごと螺旋の渦を描いてウラヌスへと突っ込む。

 

 すぐ近くに押し寄せる泡と凄まじい水流に、ウラヌスは思わず腕を盾にしてしまう。

 振り向いたラギアクルスは彼女に長い首を伸ばし、鋭い顎を開いて噛みつこうとしたが──

 

『ディープ・サブマージ!!』

 

 頭部に青い光球が着弾。

 ネプチューンの咄嗟の攻撃だったがそれは確かに角の表面を削り、怯ませて追撃を止めさせた。

 だが、これでも地上に比べれば効果が薄い。

 

 ウラヌスは痺れを切らし、自身も魔具スペースソードを召喚。宝剣を振り、高周波の斬撃で頭部を切り裂いた。

 鱗の一部が飛散。

 だが、ラギアクルスの瞳は戦意を失うどころかいよいよ怒りを顕にして、一際強く輝いた。

 

「グワオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!」

 

 吼えたラギアクルスが軽く身をよじるのを見て、ウラヌスは嫌な予感を覚え離れるように泳いだ。

 

 水中を稲妻が迸り、背中が淡く青白に染まる。

 この種の特徴でもある蓄電行為だ。

 それは目の前の相手を全力で打ちのめすと決めた、何よりの証。

 

 ラギアクルスは、すぐ近くにいるウラヌスに狙いをつけ、すかさず尻尾を下から打ち据え海流を起こす。

 相手が怯んだと見ると、彼は即座に身体を横向きに構え、力を溜めた。

 そして、電気を纏った巨体をぶつけにかかる。

 

「……がっ……」

 

 ウラヌスは何とかそれも上方に躱したが、その拍子に口から泡が零れ出る。

 ラギアクルスは一息で半日水中で生活できる肺活量を誇るが、セーラー戦士たちは訓練して守護星の力を借りても10分ほどが限界。この世界の道具である酸素玉の力を借りなければ、とても戦えたものではなかった。

 

 そこへキラリと煌めく、一条の光。

 ネプチューンが持つ魔具の手鏡が放った反射光だ。

 彼女はそれをウラヌスに示し、海面を指で示した。息継ぎするため海上に上がろうという合図だった。

 

 ウラヌスは頷き、水を搔いて海面を目指す。

 一方、ネプチューンは追ってくるラギアクルスの顔の前で光球を爆発させ、衝撃波と泡で目眩ましを行った。

 地上での狩猟は主にウラヌスが主導していたが、水中ではネプチューンが遥かに有利だった。

 

「ぷはあっ!」

 

 彼女たちが海面を破って息継ぎした時、ちょうど彼女らは上空に竜がいないことに気づいた。

 

「あちらは場所を変えたか……」

「ウラヌス!」

 

 ネプチューンは、その濡れた手に手鏡を持ってウラヌスに語りかけた。

 

「エナジーの流れから、弱点はあの背中にある蓄電器官と見たわ。あれを壊せば、攻撃に支障をきたせるはず!」

「……あの突起の部分か!」

 

 彼女の魔具(タリスマン)ディープ・アクア・ミラーは、対象の真実を暴き弱点を見つけることができる。それを彼女は応用したわけだ。

 

 蒼い海の一部が黒くなる。

 頷きあった2人が分かれるように潜った直後、彼女らの間の海面をラギアクルスが割り、顎を勢いよくバクンと閉じた。

 大きく息を吸った戦士2人は再び海中へ。

 

 再び活力を取り戻した彼女らを前に、ラギアクルスは身体を大きく捩った。

 ブクブクと泡が湧き踊り、背中の放電がより強くなった。

 

「ヴォアアアアアアアアアア!!!!」

 

 大放電。

 最大量まで蓄電したラギアクルスが行う大技だ。

 落雷にも匹敵する電流が、周囲一帯に無数に生み出される雷球という形で駆け巡る。

 膨大な電撃の1つにでも当たれば失神は免れないだろう。

 

「っ……!」

 

 だが、チャンスは今しかない。

 その中を掻い潜りつつ、ウラヌスはワールドシェイキングを、ネプチューンはディープ・サブマージを発動。

 動きの止まっている背中──そこから生える突起、蓄電器官目掛けて同時に発射した。

 

 両者は一点に重なって炸裂、直撃。

 バキリとわかりやすい音を立て、突起の所々が砕け散った。

 

「グゥアアアア……!!」

 

 全長20m以上の巨体がもんどり打つ。

 初めて悲鳴らしい悲鳴を上げたラギアクルスは戦士たちに初めて背を向けた。海岸に向かうと、跳躍して地上に出ていく。

 ウラヌスたちは意気込んで海面に浮上。その後は並んで泳ぎ後を追った。

 

「よし、あれでヤツは蓄電が難しくなるはずだ!」

「畳み掛けましょう!」

 

 現地の民の話では、陸に上がったラギアクルスは身体を休めようとするため一気に動きが鈍くなっている。そここそ、ダメージを与えるチャンスだ。

 

 しかし、海岸に上がった彼女たちは、期待とは異なる光景を目の当たりにする。

 

 ラギアクルスは、見ていた。

 

 ウラヌスたちが海から上がってくるのを、静かに佇んで観察していた。

 瞳の光は衰えず白い胸も生き生きと鼓動したまま。

 

「疲労……していない?」

 

 ネプチューンは驚いた顔で呟く。

 待ち構えるように居座っていた彼の背中は、未だに蒼白く輝いていた。

 

「陸に上がった時はチャンスじゃないのか!?」

 

 セーラー戦士たちは戦闘態勢に入ったが、それを見越したようにラギアクルスは口を開き首を振り回す。

 吐かれた2連の雷球が着弾すると、それらの間に電流の柱が張り巡らされた。

 

「くっ……」

 

 電撃のバリケードにウラヌスたちが阻まれたその隙に、ラギアクルスは陸に向かって勢いつけ滑り出した。

 

「追いましょう、ウラヌス!」

 

 体力の奪われた身体にむち打ち、戦士たちは天然の岩のアーチを潜る海竜を追いかける。

 

 彼は、平原と浅瀬が交わるエリア5に移動。

 ちょうどそこでは、平地から逃げてきた草食竜アプトノスが大小3頭ほど、やっと息を落ち着けているところだった。

 

「ヴヴ……ブモォゥ……オオゥ?」

 

 しかし、大自然の理は容赦しなかった。

 普段は海に居座っているはずの竜が、猛烈な速度で陸上を這ってくる。

 草食竜たちは慌てふためき、逃げようとするがあまりに勢いが違い過ぎた。

 ラギアクルスはそこにいる生物すべてに向け、口内を光らせた。

 

 口腔から放たれた、一際大きな雷球。

 

 それが彼らの近くの大地に着弾した途端、稲妻が大地に走った。

 張られた巨大な電撃の網が地上を連なって拡がり、草食竜たちを一網打尽にする。

 不運な彼らには、悲鳴を上げる暇も与えられなかった。

 

 ラギアクルスは、痺れて動けなくなったアプトノスたちの腹を手当たり次第に食い破る。

 

「……なんて見境のない奴だ!」

 

 ウラヌスたちが追い付いた時にはもう遅かった。

 彼はそこにいた生命をすべて平らげ、その周囲には無数の骨が四散していた。

 さすがのウラヌスでさえ戦慄を覚える。

 

「彼は恐らく、自らの弱点を知っているのよ」

 

 一方のネプチューンは、冷静に分析する。

 

「疲労した状態で陸に上がれば、私たち相手に苦戦することは確実……。それなら前もって疲れる前に気力を回復してしまえばいい、そう考えたのだわ」

「……まさか」

 

 ウラヌスは思わず彼女の言葉を否定しかけた。

 だが次にこちらを睨み据える瞳の色は、それもあながち間違いでもないように思わされるほど燃え盛っていた。

 

 ラギアクルスは、またしても首を振り回して大きな雷球を放つ。

 それを見た彼女たちは、敢えてラギアクルスに向かって突進。

 予想通り頭上を通過した雷球は背後の地面で炸裂、先ほどより遥か広い範囲を電撃で包み込む。

 

 そのまま2人は最大出力のエネルギーを手に集約し、彼の頭に向かってそれを解放しようとした。

 

 だが、彼女たちが狙いを定めようとした瞬間──

 ラギアクルスはとぐろを巻いた。

 それだけではない。背中の突起全てが、白く眩く輝いている。

 まるで、全身のあらゆる力を振り絞るように。

 

 ウラヌスたちは立ち止まり、はっとしてその蒼い大蛇のような肢体を見上げた。

 

「……誘い込まれた!」

 

 取って返し、走って逃げる。

 

「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!」

 

 2度目の大放電。

 白い稲妻が、ラギアクルスの頭上に一つ、青空へ走る。

 そこを中心として帯電した大地が次々に稲妻を呼び寄せ、水も土も抉るように穿っていく。

 奇跡的に戦士たちに直撃することはなかったが、足の近くにあった水が半ば爆発の形で蒸発、その勢いで2人の身体が押し倒される。

 

「……くそっ、撤退するか?」

「貴女らしくない発言ね」

 

 ウラヌスは息を切らして立ち上がり、ネプチューンも苦笑いしてはいるが同じような様子だった。

 予想以上に賢く、そして強大な因縁の相手。

 だが彼女たちは退こうとはしない。

 それはセーラー戦士としての意地か、それとも別の何かによるものか。

 

 その時、ラギアクルスの視線が彼女たちからずれた。

 この場にいるべきでない、誰かに向かって──

 

「ウラヌス、ネプチューン!!」

 

 平原へとつながる段丘の間から、2人の少女が現れた。

 一方は金髪のツインテール、もう一方は青色のショートヘアー。

 

「うさぎ? それに、亜美まで」

「あれほど戦いを邪魔するなと言っただろう!」

 

 ウラヌスが顔を歪めたところで、

 

「グゥオオオオオオ!!!!」

 

 空から咆哮が聞こえた。

 ラギアクルスの視線は、陽を遮り、火を携え降りてくる蒼き天の王へと注がれた。

 




書きたいことをキリの良いところまで全部書いたらここまで長くなってしまった……久しぶりに1万字超えたなぁ……
はるかたちはセーラー戦士として一騎打ちで戦おうとしたけれど、うさぎたちは生態系を活用し、狩人として戦おうとした。そんなところです。


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海の王と天の王③

 両雄、激突。

 

 ラギアクルスとリオレウス亜種は互いの存在を認識し、敵対の咆哮を上げた。

 

 翼をはためかす蒼火竜に海竜は雷球を放つが、彼は回り込んで躱し、爆炎で頭を炙りながらその首元に噛みつく。

 

「グァァァッッッッ!!」

 

 海に適応した生物にとっては致命的な攻撃である。

 毒を滴らせた爪でラギアクルスの首を引っ掴み、空中へ持ち上げ、そこから大地へと叩きつける。それも1回だけでなく、殺意を込めるように数度に渡って。

 その度に少女たちの足元が跳ねるように揺れ、攻撃の威力を物語る。

 

「あんなデカブツを軽々と……」

 

 ウラヌスでさえも、化け物同士の壮絶な戦いに度肝を抜かれている。

 ラギアクルスは怒って蒼火竜の脚に電撃を纏わせ噛み付いたが、彼はゼロ距離から焔を何度も相手の頭に浴びせかける。

 

「グオッ、グオオオオオオ!!」

 

 爆発と炎上に揉まれたラギアクルスは混乱してあちこちに角を叩きつける。

 無理やり顎を引き剥がした蒼火竜は、空中から海竜を何度も爆撃する。

 蒼い鱗が焔の中で焦げ、剥がれ、海竜自身が凄まじい速度で消耗していることが傍目からでも分かった。

 

「恐ろしい威力だわ……」

 

 さっきまで苦戦していた相手だからこそ、ネプチューンの言葉は説得力を増していた。

 だが、ラギアクルスの瞳はまだ戦意に満ちている。

 

 彼は頭目がけて爪を振り下ろそうとした蒼火竜に対し、屈んで回避。通りすがった尻尾に首を回し、咄嗟に噛み付いた。

 

 悲鳴を上げた相手に構わず、海竜は電流を纏った顎を尻尾を噛み千切らん勢いで締め、そのまま蒼火竜を引き摺り下ろして地面に叩きつけた。

 そのまま左右に振り回し、近くにある岩壁に投げ飛ばす。

 

「グルルオオオ……」

 

 ヒビが入るほどの勢いで叩きつけられた蒼火竜は何とか立ち上がる。が、流石に既にある傷に響いたのか、すぐにもう一度飛び上がるほどの気力はない。

 双方は未だ互いへの敵意を露にしつつ、浅瀬に立って睨みあう。

 

 そんな修羅場に忽然と、一つの影が乱入する。

 彼は跳躍し、いきなりラギアクルスの首めがけて食らいついた。

 

「ヴオオッ!!」

「ヴォアアアアアッ!?」

 

 体格差でいえばラギアクルスの圧勝である。

 しかしその肉食竜は勇猛果敢だった。首周りにある立派な襟巻きを振り乱し、必死に顎に力を込めていた。

 

 

「ドスジャギィ!?」

 

 

 あの群れの長が、事もあろうに海の覇者の首に噛みついたのだ。

 年季が入って所々穴が入った襟巻きに、ウラヌスは注目した。

 

「あれは……前に僕たちが撃退した個体だ!」

 

 出会いはウラヌスとネプチューンがこの孤島に初めて来た時まで遡る。彼はあの後もこの地に生き残り、強かに勢力を増やしていたのである。

 更に部下のジャギィ、そして体格の大きい雌であるジャギィノスまでも茂みから次々に姿を現す。

 その数、ざっと20頭前後。彼らも加勢してラギアクルスを包囲、一斉に噛みつく。

 

「グワアアァァァッッッ!?」

 

 海竜は放電しようとするも、発電器官が壊れているため中々上手く行かない。代わりに身体をうねらせ振り払うが、ジャギィ一族は何度でもしつこく食らいつき、数の暴力で攻め立てる。

 一方のリオレウス亜種は、突然の状況に戸惑うように、地上に立ったまま低く唸っていた。

 

「よし、今のうちに!」

 

 うさぎは大剣の柄に手を添えて前に出た。

 彼女は亜美と頷きあうと蒼火竜の前方に立って注意を引き、亜美の方は離れたところに駆けていった。

 狙い通り、リオレウス亜種はうさぎを睨んだ。

 彼は再び飛び上がると、雄大な翼を横に広げて滑空した。それはもはや最後の気力と言っても良いはずだ。彼は空と一体になって、うさぎたった1人へと真っ直ぐ迫る。

 

 だが彼女は突進の軌道を見切り、横にそれるようにして己の位置を外す。

 そこから腕と大剣を連動させて振り回し、すれ違いざまに跳び上がる。

 

「ムーン、ブレイク!!」

 

 空中に舞った大剣は、蒼火竜の尻尾をしかと捉えた。

 

「グガアアアッッッ!?」

 

 切断された尻尾の先端が空中を舞った。

 蒼火竜はバランスを失って地上に落下し、もんどり打った。

 うさぎは大剣をしまうと見せつけるように背を向けて、ラギアクルスとは離れた方向へ走っていく。

 蒼火竜はよくも、と叫ぶように咆えて起き上がり、彼女の後を追った。

 その先は、亜美が地面に円形状に張った網へと続いていた。うさぎはそれを飛び越えて、浅瀬へと突っ伏す。

 リオレウス亜種からすれば格好の獲物。

 彼は首を伸ばし、鋭い歯で噛みつこうとした──

 

 が、土煙と共に巨体は地面へと埋まった。

 

 網の正体は狩猟用の落とし穴。蒼火竜は飛び上がろうと藻掻くが、粘着質の植物から作られた網はその身体を決して離さない。

 

「今よ!!」

 

 うさぎの叫びを合図に、亜美はボウガンから赤い弾を撃ち出した。

 

「グオオオ、グオオオ、グ、グ、ウゥゥゥ……」

 

 2度竜の口元で麻酔成分を含んだ煙が上がると、その首はゆっくり倒れ安らかな寝息を立て始めた。

 

 リオレウス亜種、捕獲成功。

 

 そして同時、ドスジャギィたちに囲まれていたラギアクルスも遂に音を上げた。

 彼はたまらず、海に向かって今まで来た道を引き返す。ジャギィたちはこれ以降の攻撃は不要と見て口を離し、揃って海竜の後ろ姿を見送った。

 

 ドスジャギィはうさぎたちに振り向き見つめてきたが、ウラヌスたちがいること、捕獲された蒼火竜と彼女らを較べることで力量差を測ったのか、それ以上深追いはしてこなかった。

 彼は部下たちを連れて、自身の寝床である森林の中へと大人しく引き上がっていった。

 

「は〜っ、何とか一段落〜!」

 

 うさぎは一気に緊張を抜いて地面に腰を下ろし、思いっきり伸びをした。

 やっと静かになった平地を見渡してウラヌスはため息をつく。

 

「最初に思っていたのとは随分違う戦いになってしまったな」

「そりゃそうですよ! 相手にしてるのは『生き物』なんですから。みんな思い通りにならないだなんて怒ってたら、きりないですって!」

 

 両手の人差し指で目端を釣り上げてみせたうさぎに、ウラヌスは少しだけ頬を緩めた。

 

「……なるほど、それもそうかもね」

 

 亜美は彼女の表情を見て、何かを思ったように前に進み出た。

 

「お二人とも、さっきは責めるようなことを言ってすみませんでした。確かに、あたしたちが余所者ということは事実かもしれません」

 

 ウラヌスとネプチューンは、亜美の発言に視線を引かれた。

 

「でも貴女たちも、心のどこかでこの世界との繋がりを感じているんじゃないですか。特に、あの村に対しては」

「……それは」

 

 ウラヌスの眉がぴくりと動き何か言いたそうにしたが、すぐに口を噤んでしまった。

 

「こちらこそ、世話してくれる人たちに失礼なことを言ってしまったわね。戦いにおける視野の狭さは反省しなくては」

 

 ネプチューンが代弁するように答え、黙っているウラヌスをからかうように眺めた。

 

「でも、どうやらあの人は私としか繋がる温もりを感じたくないみたいなのよ。案外、恥ずかしがり屋で困ったものだわ」

 

 「え……?」とうさぎたちの顔がほんのり紅くなったところで、ウラヌスがすかさず咳払いをして割り込む。

 

「ああ、ともかく、そろそろラギアクルスを追おうか。水中の戦いは僕たちがやるから、君たちは遭難者を……」

「おーい! 誰かいるゼヨー!?」

 

 そこへ、聞き覚えのある声と人の気配がした。

 即座にウラヌスたちは変身を解き、狩人の姿へと戻る。やがて平原へ続く道から、風呂敷を背負った船長と剣ニャン丸、そしてチャチャとカヤンバが走ってきた。

 

「あっ、あそこにいたッチャ!!」

「ンバーッ、やっと見つけたノダー!!」

「あれ、船長さんたちじゃん。さっき村に逃げたんじゃなかったの?」

「奇面族の子たちも一緒だわ」

 

 うさぎと亜美は純粋な疑問符を浮かべた一方で。

 

「……君たちには、村への案内を頼んだはずだが」

 

 はるかは、どことなく圧を感じる声で対応した。

 カヤンバは慌てて「つ、連れ回されたのはワガハイたちンバ!!」と抗議した。

 

「船長、落ちた品物を集めるとか言い出して、ワガハイたちの言うことネバー聞いてくれなくて困ったンバ!!」

「おかげでオレチャマたちも集めものに参加させられて狩りができなかったブー! 責任取れっチャ!!」

 

 不服そうに振り返って叫ぶ子どもたちに「すまん、すまん……」と困り顔で詫びた羽織袴の男は、一旦誤魔化すように咳払いをした。

 

「こやつらから聞いたゼヨ。オヌシらが今のモガ村の守り人、そうに違いないゼヨ?」

「そうだけど、一体何の用だい?」

「おおっ、良い瞳をしとる! そんなオヌシらにワシから朗報ゼヨ!!」

 

 船長ははるかを指さして豪快に笑うと、剣ニャン丸と共に背負っていた風呂敷を大きく目の前に広げた。

 

「交易品特別大・大・大サービス!! ぜぇーんぶタダで持ってけドロボーだゼヨッ!!」

 

 回復薬グレート、いにしえの秘薬、酸素玉、携帯食料、閃光玉、強走薬グレート……

 彼らがかき集めていたのは、こういう狩りに役立つ交易品だったらしい。その量を見て、みちるはどこか心配げだった。

 

「せっかくの売り物をここまで頂いてよろしいのかしら?」

「こういう時、商人というのは後で高い値段を吹っ掛けるものと聞くけれど」

 

 商品としてはかなり値が張る希少品も混じっているゆえ、はるかの視線はやや疑わしげである。

 だが、船長は渋い顔をしかめて何度も首を横に振った。

 

「何を言っとる。自然の脅威を目の前にして損得なんか考えてる暇ないゼヨ!」

「ビジネスとは困ったときこそ助け合い、ワーク・コーポレーション、だゼヨ! モガ村は船長の旧友の村にして最大の取引相手。微力ながら少しでも協力したいのゼヨ!」

 

 船長の姿を真似た羽織姿のアイルー、剣ニャン丸は船長の前に出て、拳を握って力説した。その説明に船長は満足そうに頷くと、感慨に耽るように顎髭を撫でた。

 

「それもあるし、何よりワシはあの村が昔から好きでなぁ。こういうことがあるとどうしても放っておけんのゼヨ」

 

 難破して船を壊されたというのに、腕を組む男の顔は底抜けに明るい。

 が、次の瞬間、彼は太い眉を引き締めた。

 

「だからオヌシらには是非、あのラギアクルスを仕留めてもらいたい。そしてどうか、防人としてあの村の人たちを救ってくれゼヨ!」

 

 彼は真正面から語り掛けながら、はるかとみちるの防具の肩当たりを裏拳で景気付けるように叩いた。

 彼が見せた瞳はあまりに真剣そのもので、切実な願いが込められていた。

 

「……分かった」

「全力を尽くしますわ」

 

 返事を聞くと船長は2人それぞれに向かって深く笑って頷き、さっと襟の間へ片腕を滑り込ませた。

 

「では、ワシらはこの嬢ちゃんたちに村へ送ってもらおう。後のことは頼んだゼヨ! ゼ~~ヨゼヨゼヨゼヨゼヨゼヨ!!」

 

 彼は妙な高笑いをしてうさぎたちの方へ歩いていく。剣ニャン丸もその真似で「ゼ~~ヨゼヨゼヨゼヨ!」と同じ笑い方をして背を向けた。

 

「はるかさん、みちるさん、頑張って下さい!!」

 

 うさぎと亜美も後を託して、手を振りながら船長たちを先導して後を去った。

 今度は彼女たちと入れ替わるように、奇面族たちがはるかたちへ走り寄ってくる。

 

「さーて、オレチャマたちも忘れるなッチャ!」

「さっきの分まで、しっかり活躍させてもらうンバ!」

 

 杖を振り回してついてくる奇面族たちに、はるかは思わず失笑した。

 

「まったく、抜け目のない奴らだ」

「ええ、今回は是非ともお願いするわ」

 

──

 

 岩礁に囲まれた浅瀬を、2人は潮の匂いが濃くなる方へと歩く。

 

「何かとあの村には世話好きな人が集まるな」

「きっと、あの村が持つ海のような大らかさがそうさせるのでしょうね。船長さんの気持ちも分かる気がするわ」

「まぁ、僕たちには少々暑苦しすぎるくらいだけど」

 

 鼻歌を歌う子どもたちを背に、はるかは海の方角へ苦笑を投げかけつつ呟いた。

 

「ブッ!? はるかはモガ村が嫌いだったのッチャ!?」

「ワガハイ、ハイパーショックッンバ~!!」

 

 はるかが子どもたちの純粋な反応に「え、いや……それは」と言い淀んだところに、

 

「あら、そうなの? とても残念だわ」

 

 相方からの試してどこか面白がるような視線。

 はるかは立ち止まると、深くため息をついた。

 

「まったく、みちるまで酷いな」

 

 抗議するも、彼女は豊かな髪を揺らして微笑むだけ。

 はるかは仕方なさそうに首を振る。

 

「……少なくとも、嫌いじゃないさ」

 

 向こうに見える海の上に燦々と輝く太陽は、既に傾いていた。

 

──

 

 海の奥で一時的に身体を休めていたラギアクルスは、再びとぐろを巻いて戦士たちを待っていた。

 黒焦げて無数の傷がついた身体は痛々しかったが、戦意は未だに衰えない。

 

 もう、彼らの戦いを邪魔する者はいなかった。

 凄まじい水流と電流が海中を巡り、時に巨岩をも打ち崩し、戦士服を傷つける。

 水中を飛ぶ光球は、地上に比べれば威力は低いが地道にラギアクルスの体力を奪っていく。

 

 反撃が強くなるなか、ラギアクルスの渾身の体当たりがウラヌスに直撃した。衝撃を受け、口から大量の空気が漏れ出る。

 

「っ……!」

 

 ネプチューンは遠くにいるためすぐには助けに行けない。ちょうどそこに、振り向いたラギアクルスが雷球を飛ばす。

 朦朧とした意識と共に沈んでいく身体。

 それを、突然押し上げる者がいた。

 

 チャチャとカヤンバだ。

 

 彼らはウラヌスの両脇を抱え、2人がかりで持ち上げていく。やがて彼女は、海上に顔を出すことができた。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 何度目かの海上に出ての息継ぎ。

 ウラヌスは最後の秘薬を取り出し、呷った。

 それから、隣で様子を見守る子どもたちを見やった。

 

「2人とも、すまないな」

「なーんで謝るっチャ! そこは素直に感謝するところッチャ!!」

「ほら、さっさとみちるを手伝いに行くンバ!!」

 

 彼らは杖を振り上げるとすぐに潜水していく。

 ウラヌスはしばらく海中に消えていく2つの小さな背中を見つめたあと、気を取り直すように再び息を吸って水中の世界へと戻っていった。

 

 彼女はネプチューンと頷き合って無事を確かめ、海の王に挑む。奇面族のサポートを受け、電撃と水流の嵐を掻い潜る。こちらに吼える竜の鱗に、全力で光の槍を撃ちこむ。

 

 陽が沈んでも、海は泡立っては光り荒ぶった。

 海上に浮かぶ村の人々は夕陽を見つめ、ただひたすら待ち続ける。

 彼女たちと子どもたちが裏手にある門を通って帰ってくる、その時を。

 

「グゥオオオオオオオォォォォォ……」

 

 月が昇り、天上へ間もなく上りかけようとした頃だった。

 海中から、一際大きな咆哮と雷鳴が孤島を揺るがした。そこでやっと、荒くれだっていた海は寝静まった。

 

──

 

「やっぱり流石はハンターさんたちだ!」

「目立った怪我もなくラギアクルスをぶちのめしてくるとはな!」

 

 夜中の宴は大盛況となった。

 モガ村の人々はもちろん、戦士たちや交易船の船員も加わるのだから当たり前のことだった。

 周囲は盛んに活躍を讃えるが、杯を持つはるかは謙虚に首を横に振る。

 

「大変だったよ。もうすぐで僕たち丸ごと、仲間が連れてきた蒼火竜に美味しく焼かれるところだった」

「もー、別にそこまで危ない感じじゃなかったじゃないですかっ!」

「貴女がいつもそそっかしいからそう思われるのよ、うさぎ」

 

 話題の中心にいて焚火に当たるのは無論、ラギアクルスを下したはるかとみちる。

 はるかの冗談にどっと周囲が沸き、うさぎは頬を膨らませて抗議していた。

 

「チャパー!! ンヂャヂャヂャ……」

「ンダー!! ンバンバ!!」

 

 焚火を挟みはるかたちの反対側でチャチャとカヤンバは歓びの舞を踊り、それにちびうさは人間の子どもたちと一緒に拍手を送っている。

 

「きゃはは! お上手お上手ーー!! あたしにも踊らせて!」

「へっへーん、オレチャマたちの踊りのレベルに付いていけるッチャ!?」

「やれるもんならやってみるンバッ!!」

 

 ちびうさが見様見真似で踊ると、子どもたちも釣られて参加し始める。

 

「あんたたち、いつの間に仲良くなってたの?」

「だってこの子たちの踊り見てると楽しいんだもん!」

 

 横から首を突っ込んだうさぎに、ちびうさは手足を揺らしながら答えた。

 一方、隣に座る亜美が別の方を見てみれば──。

 

「実は、受付嬢になるとルール上出会いがイチミリもないのです! うっ、現実とはなんて残酷……」

「それはヒドいわ! 今すぐギルドは、受付嬢にも自由恋愛の権利を認めるべきよ!」

「そうだよ! アイシャさん可愛いんだから、絶対振り向いてくれる人はいるよ!!」

「気持ちわかるわ~~! あたしだってこの美貌でフリーなのよ! 近くにいる男っつったら猫だけよ、猫!!」

 

 アイシャと少女たちが、ジュースを吸い合いながら酔っ払いのように傷を舐めあい愚痴りあっていた。

 

「「亜美ちゃん(さん)もそう思うでしょ!?」」

「え……ええ……」

 

 仲間たちの同調圧力に、亜美は苦笑いで応えるしかなかった。

 

「こっちもこっちで気が合ってるようね」

「賑やかなのが集まると、疲れた身体も休まらないな」

 

 そう言うみちるとはるかへ、傘を被った老人が一歩一歩杖をついて近づいてきた。彼のもう片手には小さな盃が握られていた。

 

「あら、農場長さん。どうなされまして?」

「改めてお前さんたちに、礼を言わにゃあいかんと思ってのー」

「僕とみちるが、何かしたのですか?」

「お前さんたちがこの前納品してくれた、ボルボロスの泥のことじゃよー。あれは本当にいい肥料じゃなー。お陰で見込みの収穫量も増えそうじゃ、ありがとうな」

 

 自然と、彼女たちの口角から笑みが零れる。

 

「それは、本当に何よりですわ」

「でも僕たちはただ、自分の都合で探し人を連れてきただけで」

 

 老人は亀に似た顔に浮かべた笑みを絶やさないまま、杖で床板を軽く叩く。

 

「ほれほれぇ。自分の仕事に誇りを持つこともだいじーなことじゃぞー」

「誇りを持つ……ですか」

「そう、お前さんらのやってることは素晴らしいことじゃ。謙遜するのもええが、今日くらいもっと威張ってもいいのじゃぞー」

 

 穏やかに頷いた農場長に合わせるように、はるかはゆっくりと頭を下げた。

 

「……ありがとうございます」

「礼を言うのはこちらのつもりだったのだがのー。ほっほっほ」

 

 農場長はまた一歩一歩、杖をついて去っていく。みちるははるかが浮かべた、暖かく柔らかい眼差しを見つめていた。

 その一方、村長と酒を酌み交わしていた交易船の船長が、風呂敷を持って集まりの中心に入ってきた。

 

「ここいらでワシも一つ、面白いものを見せてやるゼヨ」

「面白いもの?」

「なになに、見せて~!」

 

 興味津々な村の子どもたちに、船長はにやりと笑ってみせる。

 彼の取り出した風呂敷は、大きな直方体の形をしていた。

 

「……これが、謎の宝ゼヨ!」

 

 船長は勢いよく包みを取り去った。

 

「あれは……!」

 

 はるかとみちるは、思わず目を丸くした。

 

 それは、黒に光るプラスチックのキャリーケースだった。

 チャックを開くと中にはシャンプーやリンスなどの風呂用品、パウダーなどの化粧品、缶詰入りの食料品、ハイブランド製の洋服などが次々に出てくる。

 

「な、なんか如何にもはるかとみちるさんに似合いそ……」

 

 言いかけたうさぎの口をレイが慌てて塞ぐ。

 対してモガ村の人々は興味深そうにしており、特に村長の息子はまじまじとその未知の物品を屈んで見つめ回す。

 

「ほお、これは全く見たことのないモノばかりだな……」

「古代文明の遺物かもしれんと思うたんだが、それにしては新しすぎるところもあってのう。ほれ、まだまだあるゼヨ!!」

 

 船長は調子づいて、更に他の荷物の包を解いてみせる。

 

 ペットボトル、アルミ缶、レジ袋、トタン板、船のエンジンの一部。

 

 無造作に詰め込まれたそれらが、次々に包みの中から転がり出た。

 

「あ……ありゃまぁ……」

「ん、どうした。驚いて声も出ないゼヨ!?」

 

 船長は自慢げに笑っているが、うさぎが呆然と呟いた以外、少女たちは一つも言葉が出なかった。

 

「す、すっごおおおおぉぉいっ!! ギルドに鑑定してもらったらきっと何百万ゼニーの値がついて、向こう一年ほっくほくですよ~っ! そしてモガ村は観光客毎年何万人のリゾート地に……!」

 

 アイシャが騒ぎ立てる後ろで、はるかは陰の混じった顔で席を立った。

 

「すまない、狩りのあとで疲れてしまった。少しばかり席を外すよ」

「……はるか」

 

 みちるはその場を辞去して彼女の背を追う。アイシャはそれに気づき少女たちと目を合わせたが、どうにも誰もが気まずそうにしている。

 

「あ、あれ? 私、何か気に障ることでも……」

「まぁ、そう気にするな。海中での狩猟はどうしても疲労が溜まるものじゃよ」

 

 村長は酒の盃を戸惑う船長に渡すと、緑の外套を羽織ったまま腕を組みつつ、村から離れた丘に行く少女たちを遠目に眺めた。

 

「あ、あの、あたしもお花を摘みにっ!」

 

 うさぎが思い切って立ち上がった。そのまま、彼女もはるかたちの後を追っていく。仲間たちは事情を察した様子で彼女たちの背中を視線で追っていた。

 

──

 

 はるかは農場のある陸地に上がり、金髪を夜風に揺らしながらモガ村の灯りを俯瞰していた。

 

「分かったよ、みちる。なぜ僕たちがここまでこの世界に絆され、本来の『第二の使命』を果たす勇気が薄れてしまったのか」

 

 彼女はみちると隣り合って大木に背を預けている。

 はるかは項垂れて前髪を抑えた。まるで己の身体を痛めつけることで自らを罰するかのように。 

 

「ずっと前、君と一緒に妖魔と戦ってた時はいくら戦っても、褒められることも感謝されることも、決してあり得なかった。でもだからこそ、過酷な日々は使命のためにあると覚悟することができた……それが、ここに来て変わってしまったんだ」

 

 みちるは切なげにはるかを見上げる。まるで彼女の苦しみをそのまま、自分の苦しみと感じているかのように。

 

「はるか。やっぱり貴女、本当は」

「いいんだ、次からちゃんと気をつける。お団子たちに使命を果たせと言った僕がこんなんじゃ、セーラー戦士として示しが付かないからな」

「またそうやって意地を張るのね」

「仕方ないだろう? そうでもなけりゃ、ここに来た意味がなくなってしまう」

 

「……そんなに、仲良くしちゃいけない理由があるんですか」

 

 2人は、入口に立つ少女の存在に気づいた。

 彼女が進み出ると、脇にある松明の灯に照らされて腰まで伸びて揺れる金髪のツインテールが露わになった。

 

「聞いてたのね、うさぎ」

「盗み聞きしてごめんなさい。でもやっぱり2人とも、何か隠してるんですね」

 

 彼女が顔に浮かべる感情は、悲しみだった。

 はるかとみちるがここまでその秘密を2人だけで抱えようとしたこと、そしてそれを相談してくれなかったことに対する悲しみだ。

 

「お願いです、何か伝えたいことがあるなら言ってください! あたしたち、同じセーラー戦士じゃないですか!」

 

 しばらく、はるかたちは頑なに話さなかった。

 しかし。

 

 

「そう遠くない未来、この世界を震源地にして大きな災いが私たちの世界に訪れる。冥王せつな……セーラープルートが告げた未来よ」

 

 

 みちるが突如口火を切った。

 

「みちる……」

「今のうちに言っておいた方が、うさぎたちも気合を入れて戦ってくれるわ」

 

 彼女をはるかは咎めかけたが、その瞳に宿る意志の強さに口を噤む。

 

「セーラー……プルートが?」

「そうよ。その時が来るまでにデス・バスターズを止めれば、災いも止まるかもしれない。その可能性に私たちは賭けているの」

 

 セーラープルートは、うさぎたちの世界における過去、未来の時空を見ることができる特殊なセーラー戦士だ。

 そんな彼女がはるかたちに告げたという、世界を跨ぐほどの大きな災い。

 その存在を初めて聞いたうさぎは不安げな顔になったが、すぐあることに気づく。

 

「なーんだ。じゃあ、この村と仲良くしたって何の問題もないじゃない! むしろこの世界の人たちと協力すればデス・バスターズなんてちょちょいのちょ……」

「お団子」 

 

 はるかの一言が、喜々としたうさぎの発言を断ち切った。

 

「『かもしれない』って言ったろう。そこが重要なんだ」

「えっ? それってどういう……」

「とにかく、今の時点では僕たちはそちらの味方でいられる。僕から言えることは、これだけさ」

 

 はるかは問いに答えることすらなく、うさぎたちを置いて広場へと続く足場を降りていく。

 

「ごめんなさい。本当に……素直になれない人よね」

 

 みちるはうさぎの耳元でそう詫びると、静かに続いて姿を消すのだった。




3編はここら辺が中間ポイントです。


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勇を凍らし、平らげる牙①

 

「なぜ、君たちはそんなに寛容になれるんだ?」

 

 祝いの宴から数日後。

 キノコやら薬草を採取し、山の恵みをモガ村に届けんと自然の坂を下っていた折。

 はるかは盾斧を背負い籠を手にぶら下げながら、同じくキノコでいっぱいにした籠を背負い歩く羽織姿の男に聞いた。

 

「んぁ?」

 

 モガ村の村長の息子は他のことを考えていたのか、気の抜けた声で返事した。

 

「普通、人は似た者同士で集まりたがるものと相場が決まってる。なのにこの村では異種族同士で団結できるうえに、余所者も広く受け入れる……僕にはそれが実に、不思議な光景に思えるんだ」

 

 自身よりも背が高い麗人から向けられた言葉に、男は厳つい顔と筋肉質な腕に似合わないのんびりとした手つきで顎を撫でた。

 

「ううむ。正直、そんなこと今まで考えたこともなかったなぁ。あんたの故郷じゃ違うのか?」

「僕の故郷ではそうした違いに敏感な人が大半でね。ちょっと気になったのさ」

「へぇ、そうなのか。気にするほど大したことでもないと思うがねぇ、カッハハハハ!!」

 

 村長の息子は豪快に笑い飛ばすが、はるかからすれば大したことだ。

 獣人族のアイルーは毛の生えた身体に耳が生えているし、竜人族は耳が長く数百年の寿命を持つ。奇面族は子どもくらいの背しかなく仮面を常に被り、海の民は体表に生まれつき紋を持っていて指の間に水かきがある。

 だが、この村でその違いが原因となった諍いなど、本当に一つも見たことが無かった。

 

 はるかは真剣に考えることを促すように、男の顔を見つめつつその少し前に歩み出た。

 

「この村に伝わる特別な教えでもあるのか? それとも、何か昔話の形で教訓が……」

 

 が、彼は彼女の意図に気づくこともなく、前を向いたまま手を振って歩き続ける。

 

「いやぁ、別に。ガキの頃から海の民も、獣人族も竜人族も村にいるのが当たり前だったよ。オヤジなんか、ハンター時代はそいつらと世界回ってモンスター相手に大暴れしたもんさ」

 

 村長の息子は懐かしそうに目を細めつつはるかの前方で足を止め、坂の下に見えてきた村を一望する。

 

「ま、単純に考えれば……恐らくそういう違いを気にしすぎるヤツは生存競争で生き残れなかったんじゃないかなぁ」

「生存、競争?」

「カッハハ、なぁに目を丸くしてんだ! 俺たちゃ明日にもモンスターに食われかねん身だ。そうなったら、どんな奴だろうと協力できるなら協力するしかないだろ!」

 

 紫の羽織を着た男は実に軽々しく冗談めかした風に言って先を行った。

 何の誤魔化しも皮肉もない、親しみやすい笑顔で振り向いて。

 

「というわけで俺たちが喰われないようこれからも頼むぜ、ハンターさんよっ!」

 

 はるかは複雑な表情をしつつも、男の後に再び続いた。

 やがて村に入る桟橋を渡ると、住民の1人が彼女を呼びに来た。

 

「おーい、お仲間があっちの貸家で何か話してるぞー。あんたも行った方がいいんじゃねーか?」

「話し合いか? 分かった」

 

 はるかは答えて指差された方向に向かいつつ独り言ちた。

 

「喰われる……か。思ってみればそんなこと、考えもしなかったな」

 

──

 

 『極秘会議中』とでかでかと書かれた札が、モガ村の一角にある貸家にかけられていた。

 

「こっちの世界を震源地にして、あたしたちの世界に災い……ねぇ」

 

 その中で、先日うさぎがはるかたちから聞いた話を、彼女の仲間たちがトロピカルジュースを啜りながら聞いていた。

 

「それってつまり……デス・バスターズを止めないとチョーヤバい! ってことよね!」

「あれ、じゃあ結局やること変わらなくない?」

「では何のためにわざわざそんなことを言ったのかしら」

 

 視線が美奈子、レイ、亜美の順に移り変わっていく。

 次にまことが、思いついたようにストローをグラスから持ち上げた。

 

「要するに、これからもっと真面目にやれってことだろう? ほら、はるかさんたちって使命感強いしさ」

「やっぱそういうことなのかなぁ……はぁ~そう思うとプレッシャーがすごいわ~」

 

 うさぎは考えに耽りつつ、ストローに空気を送り込んでジュースをブクブクさせていた。

 

「あら。せっかく協力するのだからむしろ心強く思ってほしいわ」

「あはは、そうですよね~……って、み、みちるさんっ!?」

 

 いつの間にか、みちるが貸家に入ってきていた。彼女は一同の驚愕の顔を見て、表にかけてある札を意外そうに振り返った。

 

「極秘会議、関係者かと思って立ち入ったのだけれど。もしかしてお邪魔だったかしら?」

「い、いえさーさどーぞどーぞー!」

「あたしたち、ずっとみちるさんのこと待ってたんですー!」

 

 美奈子とまことはみちるのために、大急ぎで椅子とジュースを持ってくる。亜美は呆れたようにため息をつき、衛の膝に座ったちびうさは「……極秘会議なんて大嘘ね」とぼやいた。

 さっきまで完全に女子会の雰囲気であった。

 彼女を座らせている間に、レイがうさぎを指さした。

 

「うさぎ、ほら、あれ出して!」

「は、はいーっ!」

 

 うさぎが慌てて懐から取り出したのは、瓶に入った天然の刃の欠片。それは金属のそれよりも鋭い金色の輝きを放っていた。みちるはそれを見て、感心したように目を見開いた。

 

「あら、本当に金色ね」

「そうそう! やっぱし『金の竜』の正体ってセルレギオスなのかしら~!?」

 

 如何にも深刻そうに腕組みしながら首を捻ったうさぎを、ちびうさはジト目で睨んでいた。

 

「しかし、疑問は残る」

 

 一方、ちびうさを膝に乗せた衛が言い出した。

 

「そのセルレギオス1匹がどれだけ強かったとして、果たしてミメットと妖魔たちをまとめて相手できただろうか?」

 

 以前、バルバレを追い出された仕返しに、遺跡平原で妖魔化生物を率いおうとしたミメット。

 しかしうさぎたちが現地に着いて見たのは、デス・バスターズの最終兵器らしきゴア・マガラだけだった。妖魔たちは何者かに襲撃を受け既に壊滅状態だったのだ。

 その犯人こそ、話題に上がっていた『金の竜』ではないかと彼女たちは目星を付けているのだが。

 

「僕たちもセルレギオスを見たが、リオレウス1頭に激しく応戦していた。あれが『金の竜』だと断定するのは早計だろう」

 

 その時、はるかが衛に言葉を返しつつ輪の中に入ってきた。

 

「あっ、は、はるかさん! お帰りなさーーい!」

「ひぃー、どんどん人が増えていくーっ!」

 

 またしても席を増やす大変な作業が始まった。

 自分の周りで大急がしで少女たちが動き回るのを、はるかは怪訝に見つめつつみちるの耳元に唇を近づけた。

 

「いったい何事だ? 話し合いとは聞いてるが」

「あら、看板を見なかったの? 話し合いではなくって『極秘会議』よ」

 

 みちるは微笑み、わざわざ強調するように言い直す。

 はるかはぽかんとしたまま、みちるの隣に作られた席へとそのまま腰を下ろした。

 

「ともかくやっと掴んだ手がかりであることだし、次は逃さないようにしないと。ほら、ギルドから来た依頼書よ」

 

 みちるは2枚の紙切れを少女たちに向けて手にぶら下げた。おおっと彼女たちは声を上げ、その内容に視線を巡らせた。

 

 一つ、凍土で既存の生態系が崩壊。

 もう一つ、セルレギオスの痕跡を火山で確認。

 

「同時に2か所でか……。これは調査を分担するしかなさそうだね」

「レイちゃん、まこちゃんに美奈子ちゃん、そしてはるかさんが凍土。うさぎちゃんと衛さん、それにあたしとみちるさんが火山、てところかしら。うさぎちゃんにはちょっと不利な武器選択になるけれど」

 

 まことに亜美が答え、早くも組の候補を2つに分けてみせた。

 

「なるほど。セルレギオスの動きの把握と、武器にする属性の相性で考えたのか」

「凍土では攻め、火山では護りといったところかしら。なかなか面白い布陣ね」

 

 はるかとみちるは、得心した様子で頷く。

 その一方で。

 

「えっ、本当!?」

「あたしたち、はるかさんと一緒に狩りに行けるのね!」

「キャアアアア! まさに火山の如く、乙女の情熱バックハッツよ~!!」

 

 黄色い声を上げる女子軍団を横に、ルナとアルテミスは呆れた顔で座っている。

 

「……みんな、狩りをデートかなんかと勘違いしてる?」

「ホントこれだから年頃の女子ってやつぁ」

 

 一方、ちびうさは首を傾げてはるかたちを見上げた。

 

「でも、はるかさんたちは良いの? お互い離れ離れになっちゃうよ」

「私は構わないわ。どこへ行こうと、この人の心は私の中にあるもの」

 

 みちるはそう言うとはるかの手を取り、己の頭を自ら彼女の胸中に預けてみせた。

 

「ちょっと困るな、僕のセリフを奪わないでおくれよ」

「あら、ごめんなさい。口が滑ってしまったわ」

 

 はるかもそれを受け入れつつ、みちるの傍に唇を近づけ呟き合う。

 

「……でも、やっぱり君と一緒に居られないのはちょっと辛いかも」

「もう、寂しがり屋さんね」

 

 何処からか可憐な花びらでも飛んできそうな空間が、この海上に浮かぶ村に形成されつつあった。

 

「あ、久しぶりに見るなぁこういう雰囲気……」

「お子様は見ちゃダメ!」

 

 他人事のように呟くちびうさの目を、横にいる猫たちが揃って塞ぐ。

 

「大丈夫ですよ!」

「みちるさんの分は!」

「あたしたちが埋めてあげますから!」

 

 代わって出てきたのは機嫌が絶好調なレイ、まこと、美奈子の3人組。

 

「あ……あぁ、助かるよ」

 

 途中で2人の空間に割り入られたはるかは愛想よくするも、苦々しさが抜けていなかった。

 更に、その脚を固いものがどつく。

 

「……なんだ、チャチャとカヤンバか」

「なんだとは失礼ッチャ! 今回の狩りはどうするッチャ!」

 

 自分たち抜きで勝手に話を進められたことが、かなりの不服であるようだ。

 

「げっ!? あなたたち、いつの間に!?」

 

 うさぎたちの驚きを他所に、みちるは屈んで視線の高さを合わせつつ申し訳なさそうに首を振った。

 

「ごめんなさいね、あなたたちは今回お留守番よ」

「ンバーッ!? ナンデ!?」

 

 みちるの言葉に、緑と蒼の仮面を被った子どもたちは面食らう。

 

 

「この人たちが揃っていなくなる間、おチビちゃんたちにはこの村で手伝ってもらいたいことが山ほどありますからねー!」

 

 奇面族に限らず、うさぎたちは一斉に貸家の入り口へと振り向く。

 そこに手を腰に当て笑顔で立っていたのは、モガ村の受付嬢アイシャだ。

 その後ろに、数人のモガ村の住人たちが既に控えている。

 

 先日の宴の片付け、狩場の後処理、『月の猟団』をまかなえるだけの食糧の確保。

 彼らの仕事は、いつもの数倍以上に膨れ上がっていた。

 

「さぁさぁ、さっそく行きますよー!」

 

 アイシャは奇面族の子どもたちを両手に一瞬で攫っていった。

 

「ヂャアアアアァァァァァァ!!」

「ンバアアアアァァァァァァ!!」

 

 藻掻く子どもたちの絶叫が響き渡り、すぐに遠くなった。

 後には、静かな波の音が残されるだけだった。

 

「……じゃあ、準備しましょうか」

 

 レイはため息交じりに、もはや何の効力もなくなった『極秘会議中』の看板を取り払ったのだった。

 

──

 

 凍土は、年中雪と氷に閉ざされている。

 空も、陸も、見渡す限りの白。

 ベースキャンプからは厚い流氷が北へ水上を滑っていくのが見える。

 

「よし、新しい防具だと気合も入るわね!」

 

 ヘビィボウガンを傍に置いて準備運動をしている美奈子の装備は『ファルメルS』と呼ばれる。

 美しい羽根を持つ『オオクワアゲハ』の色素と素材を元に作られた、まさに己の身を蝶に包んだような可憐な装備である。

 本来は暗い青緑に近い色を黄色に着色してあり、動く度にアゲハ模様のミニスカートと背の大きな翅がしなるのは、まさに蝶の妖精の具現化といったところ。

 

「ここだと余計目立つなぁ、美奈子ちゃんの防具……」

「そうよねー、本当に狩場に来てんのってカンジ」

「その点じゃみんなだってそうそう変わらないじゃないのよっ!」

 

 美奈子は毅然とまこととレイに反論する。

 レイは赤色に着色したアラビアンな『城塞遊撃隊』、まことは鬼武者のような『ジンオウS』。

 彼女らの防具の共通点は、身軽さを追求した結果なのかへそを出す寒そうなスタイルになっていること。

 人型の敵との戦いを基準にしてはいけないのだろうが、それにしても少々ツッコミたくなるデザインではある。

 

「あっ、はるかさんは別ですよ、別! 蒼いカラーリングが騎士様みたいでスッテキ~~! もう見てるだけで狩魂湧いちゃう!」

「あはは、そりゃあありがたいね」

 

 美奈子が慌てて手を振って褒めてきたのに、はるかは思わずおかしそうに笑う。彼女の装備は、今回もアロイSだ。

 

「さあ、立ち話は切り上げてそろそろ行こうか、仔猫ちゃんたち」

「「はーーい!!」」

 

 ホットドリンクを飲んで寒さ対策をしたうえで、少女たちは獣たちの領域へ足を踏み込んだ。

 エリア1は、四方を針葉樹の聳える丘に囲まれた平地。半永久的に解けることのない氷に積もった雪をさく、さくと踏みしめて、彼女らは北へと向かう。

 

 白雲の向こうにぼんやり光る太陽が少しだけ昇った刻、彼女らはエリア2に着いた。

 削り取られたように直線的に切り立った渓谷の麓にある空間だ。

 少し周りを見てみれば、大地から雪の粒が風に吹かれ、固まって濛々と運ばれていく様がよく分かった。

 

 だが、そんな壮大な光景を他所に少女たちが見つめているのは──

 

「それにしてもはるかさんってやっぱり……」

「女の人って分かってても……」

「カッコいい~~!!」

 

 はるか、その人一直線。

 彼女の鋭さを秘めた美しい顔立ちは、白く冷たい背景にかなり映えている。金髪のショートヘアーと金属の鎧も、その高潔な印象に貢献していた。

 周辺を見上げていた当人は苦笑いで振り向いた。

 

「そろそろ、君たちも僕以外にもっと見るべきものがあるんじゃないかな」

「えぇっ、はるかさん以外に見るべきものなんてあるんですか!? どこ見たって何にもないし……」

「まさにそこが問題なんだ」

 

 素で驚いた美奈子に、はるかは食い気味に答えた。

 

「さっきから生物が虫一匹も見当たらないのは、報告通り生態系が崩壊しているということだ。君たちが言う妖魔化生物の仕業かも知れない」

 

 すると、まことと美奈子の視線がレイに集中する。彼女たちはにっこり笑って、揃って戸惑う彼女の肩に手をかけた。

 

「よし、じゃあここでレイちゃんの出番ってわけだ!」

「よろしくお願いしまーーすっ!」

「……あーはいはい、またあたし頼りってわけね」

 

 レイはその意図に気づくと、うざったがるようにため息を吐いた。彼女は笠の下の黒髪を振り乱しつつ、素早く呪文の書かれた御札を取り出した。

 

「それで何をする気だい?」

「あっそっか、はるかさんは知らないんでしたっけ!」

「レイちゃんはチョー霊感強くって、あたしたちにも分からない僅かな妖魔の気配でも感じ取れるんですよ♪」

 

 はるかの疑問にまことと美奈子が得意げに答えたが、手元でそれを丸め印を結ぶレイの顔はやや不機嫌であった。

 

「ったく、2人だってちょっとは気配探れるんだから協力してよね!」

 

 目を閉じ、人差し指同士を合わせながら妖気を探る。

 あちこちを向いて念じるが、一向に状況は変わらない。

 

「……今のところはそれらしいものは感じないわ」

「……そうか」

 

 あまりレイのこういう姿を見ていないはるかは、少し半信半疑の目つきである。

 一方、まことと美奈子は前方の渓谷、後方の白い丘を場所を入れ替わりつつ眺めるが、こちらも変化はない。

 

「なんか、妖魔がいるか不安になってきたわ……」

「そういえば、確かに妙だな。ほら、エナジーを吸収したんなら木なんかもっと干からびてるはずじゃないか」

 

 まことが美奈子に答えて指さした先、樹冠の隅々まで雪の積もった針葉樹林が広がっていた。

 実際、多くのモンスターが行き交うはずのエリア1でも、針葉樹の被害は一部の倒木を除き見られなかった。

 

 なのに動物だけが、全く綺麗さっぱり消滅している。

 

 情報を集めれば集めるほど、奇怪な光景にしか見えなかった。妖魔化したモンスターに植物だけエナジーを吸い取らないという器用な芸当は、これまでのところ確認されていない。

 

「……ならば、空か」

 

 はるかは空を見つめた。

 空は北風に吹かれ、変わらず白色と灰色を混ぜたような階調を成していた。

 

 その一部が妙な動きをする。

 気のせいか、2か所の色が同時にはためいたように見えたのだ。

 

「……おい」

 

 声をかけたときには既にそれは羽ばたきを止め、溶け込んでいた白い上空から飛び出した。

 

「避けろっ! 飛んでくる!!」

 

 滑空に従い視界のなかで急速に大きくなるそれは、前肢を兼ねた翼を広げていた。

 空気を捉える、外周に棘が並んだ白銀の翼。

 その先に鈍く光る、黒ずんだ爪。

 

 はるかの予想以上に、少女たちは素早く反応していた。

 散開するように走り、跳ぶと、近づいてきたそれは4人の間に空いた空間を円を描いて薙ぎ払った。

 雪を払い、氷を削った巨体は、弧を描いてしばしそこに休止する。

 

 静かに唸る獣の息遣い。

 

 首から尻尾の先にかけて、白銀の甲殻が甲冑のように覆っているのが彼女たちの視点からもよく分かった。

 

「……ベリオロスかっ!」

 

 背部に対し、四肢と腹部は体毛に覆われている。

 捕食者の象徴、虎に似た顔には下方に長く伸びた琥珀色の牙。

 その形状は刀に似て、裾のような溝がびっしりと刻まれていた。

 

 氷牙竜ベリオロス。

 『零下の白騎士』を異名を持つ彼は、前に半分だけ開かれた瞼の奥にある冷徹な眼差しを少女たちに突き付けた。

 

「ゴオオオオオオオオオォォォォォォ!!!!」

 

 それの下にある口内が開かれ、戦闘開始を告げた。




3編も後半に入ります。サンブレイクも最後のアプデが終わり、次回作で凍土がそろそろ復活しないか気になるところ。


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勇を凍らし、平らげる牙②

 咆哮を合図に始まったベリオロスの狩猟。

 それは数分も立たぬうちに、激しい攻撃の応酬となった。

 

「たあああっ!」

「はああっっ!!」

 

 レイの太刀『灼炎のルーガー』が焔の軌跡を描き、まことの鎚『王牙鎚』が落雷を轟かせる。

 

 最前線で攻撃をぶつける彼女らに対し、ベリオロスは軽やかに飛び下がりつつ横へ旋回。

 

「ゴアアッッ」

 

 前肢に力を込めて吼えると、直後、氷上を疾駆し跳びかかる。

 レイたちが転がって避けると、彼は己の身を回転させ即座に振り向き。そしてその大きな体躯を氷に滑らせることもなく、次の跳びかかりに備えて身体を屈めた。

 

「こいつ、ナルガクルガと似ているな……」

 

 天王星を守護に持つセーラー戦士、セーラーウラヌスは相手の様子を窺いながらそう呟いた。

 

 次の跳びかかりも外すと、ベリオロスは小さく跳んで横向きに身体を構え、力を溜める。

 そこから身体を直接レイとまことをぶつけにかかった。

 

「やっぱり、隙が少ないわ!」

 

 太刀を払い、斬り下がったレイが叫ぶ。

 原因は、氷をも切り裂く爪と翼の外側に生え揃った棘によるものが大きい。

 これがスパイクの役割を果たすことで、彼は氷上でも何の支障もなく動くことができるのだ。

 

 一方、彼は寒冷地に棲むゆえ火や雷に弱い。

 そのためか、しばしば彼女たちへの対処に意識が行っているところがあった。

 

 激闘のなか、ベリオロスは先が二股に分かれた尻尾を横薙ぎに払う。

 剣士たちを近づけないための牽制だったが──

 

「あたしには効かないわよ!」

 

 美奈子のヘビィボウガン『バイティングブラスト』から撃たれる弾には関係ない。

 相手の意識外から、容赦なく厚い甲殻を背中、尻尾、翼と削る。

 

「グゥアアァァァッッ……」

 

 氷牙竜は忌々しく唸ると体躯を躍動させ、空へと飛びあがる。

 当然レイとまことは武器を持って様子を見るしかない。

 ウラヌスも、空中に飛ぶ相手への有効な攻撃手段が無いゆえ、身構え避ける準備をしていた。

 

 しかし彼女がベリオロスの視線を辿ると、その先は美奈子。

 氷牙竜は彼女を最も厄介と認識し、目標を切り替えたのだ。

 

「美奈子、あの様子だとヤツは君に……」

 

 ウラヌスは、叫ぼうとした途中で言葉を失った。

 美奈子は、真正面にしゃがんで片目をつむり、照準をベリオロスに向けていたのだ。

 

「おい、何をやってる!」

 

 ベリオロスは翼を拡げ、少女を薙ぎ払わんと滑空する。

 

「クレッセント・ショットォッ!!」

 

 待っていたとばかりの連続射撃。

 機関銃と見紛わん光の連射が、ベリオロスの頭に何発も突き刺さる。

 

「ガアッ」

 

 彼が苦しげに鳴き、大気を捉える翼がぶれたことで滑空の軌道もずれる。

 かなり強烈な攻撃だったようで、ベリオロスは美奈子のすぐ隣に不時着すると低く呻きながら首を振っていた。

 

「な……」

 

 あまりに無茶な力業に、ウラヌスは目を丸くしていた。

 美奈子は全ての弾を撃ち切り、発熱した砲身を上に掲げる。間を置くことなく、まことが蒼い甲殻に白い帯電毛をあしらった鎚を持って振り回す。

 

「シュープリーム・スピニングメテオ!!」

 

 翼目掛けて、手から伝わった雷のパワーを開放する。

 閃光と轟音が鳴り響き、落ちた剛雷の衝撃は一挙に翼の外周にある甲殻と棘を吹き飛ばした。

 

「グギャアアアッッ!!」

 

 ベリオロスはバランスを崩して転倒する。

 雷が余程効いたのか、焦げた前肢が痙攣している。

 

「やっぱ武器新しく作って正解だったな! あたしの雷によく馴染んでる!」

 

 まことは未だ静電気の宿る手に王牙鎚を持って不敵に笑った。

 ウラヌスはそれを見て、遂に感づいた。

 

「まさか君たち、戦士の力を武器に込めてるのか?」

「えぇ、とある教官に教わった技と組み合わせてね!」

 

 既にレイは、手から太刀に自身の炎を流し込んでいた。

 伝導した熱は、蒼炎を模した刀を赤を超えて黄色に燃やす。

 

「炎華、気刃斬!!」

 

 螺旋を描き、獲物の頭に灼炎を刻み込む。

 超高温の斬撃は琥珀色の鋭牙を容易く叩き折り、遠くへ吹き飛ばした。

 

 もはやウラヌスが手を出すまでもない。

 少女たちは確実に、凍土に君臨する白騎士を追い詰めつつあった。

 

「グウウッッ」

 

 ベリオロスは起き上がると、悔しげに唸って北へと翼を広げ逃げていく。その動きに弱ったところはなかったものの、すぐさま逃げる判断をしたことは彼女らの実力を認めたと言うに等しい。

 

「さすが、この世界に長くいただけはあると言うべきか」

 

 武器をしまった少女たちに、ウラヌスはほぼ使わなかった魔具スペースソードを虚空へと仕舞いながら呟いた。

 

 澄ました顔をしていた彼女たちは途端に「えっ!?」と表情を一転させる。

 

「やったぁ、遂にはるかさん……じゃなくてウラヌスに褒められちったー!」

「ま、属性の相性もあったけどね」

 

 ぴょんぴょんと飛び上がる美奈子に対しレイは冷静そうに振る舞うが、嬉しそうな感情は誤魔化せていない。

 

「で、アイツはどこに行ったのかな」

 

 まことはベリオロスに付けたペイントの臭いを嗅ごうとしたが、激しい風に吹かれているせいで分からない。

 

「方角からして、洞窟に逃げ込んだ可能性がある。行ってみる価値はありそうだ」

 

 北には洞窟へ続く道が2つある。

 ウラヌスは、その東の方に向かって先頭を歩き始めた。

 だが、やがて雪を踏みしめる足音が自分以外にないことに気づく。

 

「ん?」

 

 振り向くと、少女たちがウラヌスを見つめながら固まっていた。

 

「あ、あのー……」

「本当に行くんですかぁ?」

「行くに決まってるだろう。ここで逃げられたら、調査も何も進展しない」

 

 至極真っ当な言葉に、彼女たちはそうっと洞窟を覗く。

 暗闇の中からひゅううう、と風がそよいだ。

 揃って肩を震わしたかと思うと、レイは焦って見るからにぎこちない笑いを浮かべる。

 

「で、でも、洞窟にはいない可能性だってあるかも……」

「君たち、別の何かが潜んでいると思ってるのか?」

 

 その一言に、少女たちの間の雰囲気がまさにこの地に満ちる空気の如く凍りつく。

 図星とわかったウラヌスは、元から鋭い目つきを更に吊り上げた。

 

「君たち、それでもセーラー戦士か。猛獣1匹にそんな調子じゃ、この先プリンセスを護れないぞ!」

 

 叱り飛ばされた少女たちは目を瞑って耐えていたが、すぐに反駁する。

 

「怖がりすぎるくらいでなきゃ、この世界じゃ生き残れないんですーー!!」

「それにあたしも狩人の勘で感じるんです! あそこに行っちゃダメだって!」

 

 美奈子とまことが必死に訴え、レイも物凄い勢いで頷いている。

 いつも気が強くさっきまでも獅子奮迅の戦いぶりを見せていた彼女たちが、珍しくかなりの弱気を見せている。

 頼むように見つめられていたウラヌスはやがて、はー、と深いため息をついて頭を掻いた。

 

「分かったよ、じゃあ君たちは外を調べてくれ。僕はこのまま行かせてもらう」

「「……ありがとうございますっ!!」」

 

 もう感謝してもしきれない、という勢いで3人は頭を下げた。

 

──

 

「狩人の勘、か……やはり彼女たち、この世界に馴染みすぎてるな」

 

 エリア4。

 洞窟に入って少し歩くと着く、天然の空洞。

 外と違ってやや暖かく感じるそこを歩き、ウラヌスは薄暗い闇の中でぼやいていた。

 

 やがて彼女は、1人密室に入っているかのような感覚を覚えるようになる。

 そうして立ち止まると、スペースソードを再び手元に出現させ、自身の憂いた顔を刀身に映し出す。

 

「……何をしたって、僕たちがセーラー戦士という事実からは逃れられないってのに」

 

 ペタ……。

 

「っ!!」

 

 静かに這い寄る音を、ウラヌスは見逃さなかった。

 構えて振り向くと──

 

 小さな白いぶよっとした塊が、ウラヌスの方へ未熟な4本脚で芋虫のように這っていた。

 どこにも目はなく、丸い口だけが開いている。

 

「……ギィギか」

 

 彼女はゆっくりと剣を下げる。

 ギィギは、洞窟に棲む吸血性の小型モンスターである。

 一般人からすれば十分な脅威だが、鎧を着こんだハンターからすれば対処は決して難しくはない。

 

「ンギャッ」

 

 それは踏ん張ると口を大きく広げ、歯を剥きだしにしてウラヌスに飛びかかる。

 が、彼女は難なくそれを躱す。

 

「どうやら、洞窟ではまだ被害はマシらしいな」

 

 ギィギは放っておき、ウラヌスは東にあるエリア7へ。

 そこは天井も壁も、そして地面さえも氷に閉ざされた空間だった。

 幾分外の光を反射するためか、視界は比較的明るい。

 氷の下には今は亡き生命たちの骨が埋まり、悠久の時間を思わせる。

 

 ウラヌスは念のため周囲を見渡すが、どこにも生命の気配はない。

 ただ、風に反響してフオオォォン、と透き通った環境音が奏でられるだけ。

 

「……あとは一つか」

 

 南側にあるエリア5の洞窟へ、彼女は何の障害もなくたどり着いた。

 そこは今までの洞窟より一段と不気味だった。

 何故なら最奥には光の入らない曲り道状の窪みがあり、完全な闇に包まれていたからだ。

 

「……」

 

 ウラヌスは敢えて、ずかずかと入り込んでいく。

 

「ワールド・シェイキング!!」

 

 必殺技を発動し、窪みに向けて発射。

 金色の光球は奥で爆発し、そこを明るく照らし出した。

 が、そこには何もいない。

 ただ、静寂を保つのみ。

 

「あの子たちの心配は、取り越し苦労だったというわけだな」

 

 ウラヌスは、肩の力を抜いてすぐ隣にある出口を目指す。

 これで洞窟は一通り見て回った。ベリオロスの姿はもちろん、ペイントボールの臭いもしない。恐らくは外にいると見て間違いはなさそうだった。

 そのまま彼女は、ブーツをコツ、コツと鳴らしながら白い光へと一歩、一歩近づいた。

 

 

「ギ……ギ…………」

 

 

 天井から、何かが呻き、軋む音。

 

 振り返ると。

 

 円型に開いた口に無限に列を成した歯が、涎を引いて迫っていた。

 

「はっ!!」

 

 後方へ跳躍した直後、上から伸びた、長く白いものが、ぐるりと空間を刈り取った。

 何も見えぬなか、ぼんやりと浮かび上がる2つの紫色。

 

「ホォアァァ」

 

 うっすらと見えた像は、遠目ならばベリオロスとそう変わらぬ四肢──翼を兼ねた大きい前肢に小さな後肢を持っていた。

 

 だがその表面に、鱗も、甲殻も、毛すらも存在しない。

 ブヨブヨとした白い皮膚が扁平な身体を覆い、翼から伸びた吸盤のようなもので天井に張り付いていた。

 

 首と区別のなくなった壺型の頭には目すら存在せず、代わりに毒々しい紋様が走っていた。先ほどの紫光の正体だ。

 

「まったく、おぞましいヤツだ……」

 

 全貌を目の当たりにしたウラヌスは、思わず顔を引きつらせる。

 

 毒怪竜ギギネブラ。

 

 それが、いまウラヌスの様子を窺っているモンスターの名である。

 

「ンォホアアアァァッ」

 

 天井から身を翻すと、白い背とは真逆な、血のように真っ赤なヒダ状の腹が露わになる。

 そのまま覆い被さろうとする相手にウラヌスは瞬発的に反応、駆けて背後へとすり抜ける。

 

 ベチャアァッと妙な音を立てて着地する白い異形。

 彼女はそれを睨みつつ、ちらりとすぐ手に届く位置にある出口を見つめた。

 

「生憎だが、今はお前に構ってる暇はないんだ!」

 

 片手でペイントボールをぶつけ、もう片方の手を金色に光らせる。

 

「ワールド・シェイキング!!」

 

 ペイントボールを投げた勢いで己の身体を回転、そのままの勢いで地に光球を叩きつける。

 エネルギーの集合体は氷を割りながら真っすぐ相手へ向かう。

 

 が、ギギネブラはそれをひらりと舞うようにして躱した。

 そののっぺらとした身体はウラヌスの真上を通り、反対側へ。

 まるで彼女の行き先を予測したかのように出口を塞がれた。

 

「くっ、こんな時彼女がいれば」

 

 ウラヌスには、波打つ髪の少女がその手に持つ手鏡でこの化け物の弱点を暴き出し、それに従って自分が徹底的に攻撃、そして圧勝する光景がありありと見えた。

 こんな時に彼女の存在がちらつくあたり、思ったよりも相方に依存してしまっているのだろう。

 やがてウラヌスはそんな自分に苦く笑って、

 

「……甘えたことを言ってる場合じゃないな」

 

 ギギネブラは、出口を背にして毒液の塊を吐いてくる。

 軌道を見切って身体を片寄せると、通り過ぎたところで紫の霧が拡がる。

 

 ウラヌスは魔具スペースソードを召喚、逆手持ちに切り替える。

 高周波を発生させ、無防備な頭に斬りつけにかかったが。

 その時ギギネブラは脚を持ち上げ、腹の下から小さな靄を吐き出しつつあった。

 

「っ……」

 

 その動作を見てウラヌスが攻撃を中断して飛びのくと霧が毒怪竜の腹から噴出、一帯の空気を毒に浸らせる。

 これをされると、迂闊に近づくことはできない。

 

「ならばこっちにも考えがある」

 

 ウラヌスは、スペースソードを掲げ赤く光らせる。

 

「ホアアァァァァッ」

 

 毒の霧が無くなると、ギギネブラはその隙を補うように首を元の数倍に伸ばし、前方を振り払った。

 鱗や甲殻がない柔軟性ゆえに繰り出せる攻撃だが、その時セーラー戦士は紺色の襟をはためかせ宙に舞い上がっていた。

 

「スペースソード・ブラスター!!」

 

 宝剣から飛んだ魔法の斬撃が、化け物の頭にある紫の毒腺を鋭く切り裂く。

 

「ンボェェアアアァァァ……」

 

 手痛い反撃を貰った竜の身体が突如、黒く変色していく。

 

「ォアアアアアアアァァァァアアアアアアァァァァッッッ!!!!」

 

 早くも、ギギネブラは逆上した。

 荒い息を吐き、前肢で膨らんだ頭を持ち上げ、おぞましい口を剥きだしにして咆える。

 洞窟に響き渡る絶叫。

 その音量たるや、ウラヌスが屈んで耳を塞ぎ、つららが周囲に落ちてくるほどだった。

 

 そのまま毒怪竜は、毒の混じった白い息を吐きウラヌスに詰め寄って来る。

 だが彼我の距離が十分に離れていたため、彼女自身の拘束が解ける方が、一歩早い。

 

「そう来るだろうと……思っていたよ!」

 

 この飛翔の戦士の脳裏には、咆哮による硬直も計算に入れられていた。

 だからこそのこの間合いである。

 

 ギギネブラは距離を縮めると、こちらを圧し潰さんと後肢だけで全身を持ち上げた。

 再び露わになった真っ赤な腹を見てもウラヌスは動じず、面積の少ない後方めがけて走り抜ける。

 そこから、一瞬の隙をついて彼女は光差す出口へと駆け抜けた。

 出し抜かれたことに気づいたギギネブラは、後を追ってくる。

 

「アアアアァァァァ!」

「まったく、しつこいヤツだ!」

 

 狭い通路を抜けつつあるものの、化け物は暗闇の中から未だ這って来ていた。

 ウラヌスは振り返り、舌打ちをしていたが。

 

 途中で、相手の動きが止まる。

 

「アア、ア、アアァァァ……」

「……?」

 

 ギギネブラは立ち止まったまま、小さく呻いていた。

 直後、ウラヌスの方を向いたまま暗黒の中に何故か再び引っ込んでいく。

 すぐにそれは闇の中に溶け、何も見えなくなった。

 

 一連の出来事は、ウラヌスにとっては不可解でしかなかった。

 いったいなぜ、ギギネブラは獲物を追うのを辞めたのだろう。

 いや、自ら退くというよりは何者かに引きずられていったような気がするが──

 

 とにかく、危機は去った。

 彼女は道を急ぎ、横に広がる洞窟を屈み気味に駆けていく。

 

「ホアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァ!!!!」

 

 突然響いた、二度目の絶叫。

 先ほどよりもずっと大きく、恐ろしい咆哮にウラヌスも思わず肩を浮つかせた。

 

「何なんだ、一体……」

 

 戸惑いつつも、ウラヌスは洞窟を抜けた。

 その先は、エリア6。

 出た瞬間、白い光が視界を覆った。

 暗がりに慣れた目に急な明度の変化はきつく、彼女はごしごしと目をこすった。

 

 先にあるのは、舞台のように盛り上がった氷の平地。

 その上で何かが動き回りぶつかり合っていた。

 おまけに聞こえてくる人、それも少女らしき高い声。

 

「……まさか!」

 

 ウラヌスは軽やかに跳躍し氷舞台の上へ。

 そこでは、仲間の少女たちと氷牙竜がちょうど睨み合っているところだった。

 彼女たちもちらりと視線を向けると、ウラヌスの存在に気づいた。

 

「ウラヌス!」

「無事だったのね!」

 

 心から嬉しそうにした少女たちに、ウラヌスも口角を上げて答えて輪に入った。

 

「ああ。君たちも、ベリオロスを見つけてたんだな!」

 

 当のベリオロスは、既に幾分か傷を負っていた。彼は新たな敵が増えたことに、折れた牙の下から苛立たしそうに唸る。

 

 戦闘、再開。

 

「で、あの中で見たものは!?」

 

 まことは、氷を削りながら駆けるベリオロスの巨躯を躱しつつウラヌスに聞く。

 

「ギギネブラだ! すぐそこの洞窟に潜んで、こちらをしつこく襲ってきた!」

 

 ウラヌスが事実を伝えると、少女たちは一斉に顔を蒼くした。

 

「ひぃ〜〜、やっぱ行かなくって良かった〜〜!」

 

 美奈子は、恐怖を誤魔化すようにヘビィボウガンの引き金を弾きまくる。

 先にレイが翼の棘を破壊したせいか、振り返ろうとしたベリオロスは滑って隙ができていた。

 弾の嵐が、白騎士の背から腰にかけての甲殻を撃ち抜いてゆく。

 

「いいや、いずれ行くことになるだろう。ここで起こった因果関係の把握のためにもな」

「ええっ、あたしたちそれも狩るの!?」

「おい、銃口をこっちに向けるな!」

 

 美奈子が思わず重弩を構えたまま振り向いたので、ウラヌスは驚いて叫んだ。

 一方、レイはまことと共に斬り込んでいたが、あることに気づく。

 

「そういえばこのベリオロスも、やたらしつこいわね」

「それと、全体的に少し痩せてるようにも見えるな」

 

 ベリオロスは、半分閉じられた瞼をギラギラ光らせ、ひたすら少女たちに食いつこうとする。

 どちらかと言えば、その視線は縄張りを守ろうとする騎士というより飢えに満ちた獣に近い。

 

「やっぱり、餌が少ないから!?」

 

 叫んだ美奈子が放った麻痺弾を、ベリオロスは後方に跳んで回避。

 ちょうど背後にあった壁を蹴り、三角跳び。

 そのまま勢いをつけ、前脚と一体化した翼を剣のように美奈子めがけ振りかざす。

 

「うわっとぉっ」

 

 前方に転がってすり抜けた美奈子に代わり、ウラヌスがスペースソードから振り放った衝撃波で反撃。

 

「はあっ!!」

 

 頭に数度攻撃を喰らい、ベリオロスはいよいよ怒りを顕にした。

 

「ゴォアアアッッッ!!」

 

 胸一杯に空気を吸い込み、超低温の液体の塊として吐き出す。

 凄まじい気流を伴ったそれが目の前の氷に着弾した途端、破片が吹き上がり竜巻を起こした。

 

「くうっ」

 

 強烈な旋風に、少女たちは目を塞ぐ。

 その後ろに跳び上がった氷牙竜は、上手く風を捉えて遥か上空へ。

 

「もう、あんな上に!」

 

 レイが視界を取り戻して叫んだ時には、既に彼は彼女らにはとても届かない高所の崖近くに羽ばたいていた。

 

「ヴォオオオオオオッッ!!!!」

 

 もはや、冷静さを失った零下の白騎士は少女たちしか見ていない。

 眼下の獲物を捉え、翼を一層大きくはためかせた、

 

 その時だった。

 

 

 頭上に影がかかる。

 

 

 ベリオロスは声も出さず、浮力を失って落下した。

 正確には、巨大なものに飛びつかれた。

 

 間もなく、少女たちの前に()()が墜ち。

 あまりの重量に氷がひび割れ、ベリオロスの肉体がめり込む。

 

 大地がひっくり返ったような衝撃と地響き。

 少女たちの脚が浮き上がり、1人残らず腰から地に落ちる。

 

「……は?」

 

 ウラヌスでさえ、一瞬目の前の状況を理解できなかった。

 

 だって、あの彼女に似て気高く高潔な印象を与える白騎士の死体の上に──

 

 巨大で歪な、棘の生えた肉の塊が鎮座していたのだから。

 




凍土のbgm、ベリオロスにもギギネブラにも合う素晴らしい曲なのでまた登場してほしい…。最後に出てきた肉の塊、分かる人はすぐに分かるお思います。実はサブタイと繋がったりしてます。


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勇を凍らし、平らげる牙③

モンハン3系列プレイヤーには満場一致でトラウマのアイツ。


 

 この世界のハンターには、実力に応じて所属するギルドからランク付けが成される。

 ランクは下位、上位、G級の3つが存在し、ランクが上がれば依頼報酬の質も上がるが、クエスト自体の危険度も跳ね上がることになる。

 

 それは、はるかとみちるがハンターとして上位ランクに上がりたての頃だった。

 彼女たちは初めて上位クエストを受注するにあたり、モガ村の受付嬢アイシャから説明を受けていた。

 

 留意すべきところは色々とあった。

 対象となるモンスターの手強さが下位とは段違いということ。

 現地の危険性ゆえギルドのサポートが追い付かず、支給品がすぐに届かない場合があること。

 同じ理由で、クエスト開始時にベースキャンプに送り届けることが難しくなること。

 

 そして。

 

「イビルジョー?」

 

 聞きなれないモンスターの名をはるかが聞き返すと、アイシャは改まった顔つきで2人の麗人の顔を見つめる。

 その手元にある紙には、今にも噛みつかんと口を大きく開いた、緑色の恐竜のような生物が描かれていた。

 

「別名『恐暴竜』……目の前にある万物を食らい尽くす、正真正銘の化け物です。今後、クエストにこいつが乱入してくる可能性があります!」

 

 アイシャはクエストカウンターから乗り出し、ぐうっとはるかたちに顔を近づける。

 

「これに出くわした場合……()()()退()()()です!!」

 

 ベレー帽の少女から珍しく強い口調で告げられた言葉に、みちるは小首を傾げる。

 

「あら、そんなに危ないモンスターなの?」

「危ないも何も、今のお二人じゃ絶対に敵いません! ……て、はるかさん何笑ってんですか!!」

 

 アイシャは至って大真面目に説明していたのだが、はるかはおかしそうにくすくす笑いを浮かべていた。

 

「いつも君は何でもないことを大げさに言うが、今回は随分と大きく出るじゃないか。僕たちに向かって『絶対に敵わない』だなんてさ」

 

 それを聞くと、アイシャは一旦息を整えるようにふぅ、とため息をついた。

 

「……あのですね。ヤツが現れた地域一帯がどうなるか知ってますか? それはもう、ドッカーン! バッコーン!! ズッドドドーン!!!! ですよ!?!?」

 

 目を見開き、何度もカウンターを叩いての懸命な抗議。

 直後、彼女は「いっつつつ……」と赤くなった手を抑えて屈みこんだ。

 必死さこそ伝わったものの、思わずみちるまでも笑ってしまう。

 

「と、とにかくこのモンスターだけは絶対に! 撤退推奨というかもう、命令です! ()()()()()()()退()です!!

 

──

 

 

「まさか、あれって……イビルジョー?」

 

 

 唖然としている少女たちを横に、ウラヌスは背を向け骨肉を貪り食らう肉塊の山を見つめていた。

 

 突如戦場に乱入したそれは、セーラー戦士たちの身長の6から7倍、2階建ての一軒家に相当するくらいの体高があった。

 棘が6列に並んで生え揃う、直径5mはあろう丸太のような尻尾を振り回し、太く筋骨隆々な2本脚でベリオロスの骸を抑えつけてその肉を貪っている。

 体色は全身、濡れ光ったような暗緑色。まるで自分の身を隠す必要もないと誇示しているかのように、白い背景にはあまりにも目立っている。

 

 生物として、捕食という行為自体はありふれたものだ。

 飛竜が草食竜を捕らえる光景を見ても、一般人なら戦慄するだろうがハンターにとってはやがて見慣れたものになっていく。

 

 だが、いまあの歪な肉塊が喰らっているのは──

 他ならぬ凍土の絶対的捕食者であり、生態系の頂点なのだ。

 

「まさか、あいつが」

 

 この凍土に棲む動物をみな──先のギギネブラも含め──残らず食ってしまったというのか。

 生態系の崩壊の原因は、あの1頭の仕業というのか。

 

「……それだけじゃない、奴からは何か……風のざわめきを感じる」

 

 他ならぬ、セーラー戦士として備わった勘だ。そしてそれは、大抵の場合的中する。

 小さく呟いたウラヌスは既に、戦闘の構えを取っていた。

 そのまま、戦闘の合図が鳴らされるかと思いきや。

 

 目配せをしあうと、すぐさま少女たちはイビルジョーに背を向けた。

 その行動には、何の迷いも躊躇もない。

 

 1人残されたウラヌスは目を見開き、紺の襟をはためかせて振り向く。

 

「おい、何をしてる!?」

 

 その呼び止めに少女たちは応じたが、3人の瞳に宿っているのは彼女と全く同じ、戸惑いの感情だった。

 

「ウラヌス、何で逃げないの!?」

「聞きたいのはこっちだ!」

 

 美奈子の問いに、ウラヌスは声を張り上げて言い返す。

 まだ、イビルジョーは獲物に夢中になっている。仕掛けるなら今しかないと彼女は考えていた。

 

「まさか……貴女、あれに挑むつもりなの!?」

「ああ。君が感じてるかは知らないが、僕にはヤツから敵の気配がする。セーラー戦士として放ってはおけない」

「そうだとしたら余計によ! あれは発見次第即撤退を推奨されてるモンスターなのよ!?」

 

 にもかかわらず、レイは信じられないという形相で黒髪を振り乱しながら詰め寄る始末。どうやら、互いにまったく意思が噛み合っていないようだ。

 

「もしあれが妖魔になれば、いずれ手下としてプリンセスを襲う! その時まで奴を放っておくつもりか?」

「放っておくつもりなんかないわ。この世界の力を借りるのよ!」

「……この世界の、力だと?」

 

 レイの返答に、はるかは眉を顰めた。

 

「この世界には、あたしたちより経験も、実力も上を行く凄腕のハンターがいるわ。彼らにギルドを通して、狩猟か撃退を依頼するのよ!」

「ウラヌス! 少なくともあれは今、あたしたちが挑むべき相手じゃない! ただギルドから言われたからじゃない、あたしの狩人の勘もそう言ってるんだ!」

 

 この3人で1、2を争う武闘派のまことまでもそんなことを言いだす。

 

「また、『狩人の勘』か」

 

 最初に闇を怖れて洞窟に入りたがらなかったことも、ウラヌスの3人への不信に拍車をかけていた。

 やはり、彼女たちはこの世界に近寄り過ぎていると飛翔の戦士は改めて確信した。

 

「内部太陽系戦士も、落ちぶれたものだな」

 

 冷たく一言言い放つと、ウラヌスは剣を手に提げたままイビルジョーに一歩、一歩近づいていく。

 

「ウラヌス!」

「怖気づいたなら、そこで見ていろ!」

 

 彼女ら3人と、亜美を入れた4人──内部太陽系戦士は、プリンセスである月野うさぎを守護する役割を任されている。

 確かに守護という立場からは、危険を予め察知する能力は必須といえるだろう。

 だが彼女からすれば、共通の敵を前にすぐ逃げようとする3人の態度は、同じセーラー戦士として情けないことこの上なかったのだった。

 

 間もなくして、カラカラと音が鳴った。

 最後に残った氷牙竜の骨の切れ端が、氷上に転がる音だった。

 生きた肉塊はぐるりと首を回す。

 

 先頭に立つ彼女の、使命感に満ちていた表情に陰が差した。

 そこで見えたものは、『邪悪』そのものだった。

 

 顎を、夥しい量の棘が埋め尽くしている。

 まるで歯が口内だけでは飽き足らず口外にまで突き出てきたような形だ。

 その隙間を今しがた喰らった獲物の鮮血がくまなく伝い、滴り、醜悪な面構えを隠そうともしない。

 

 黒い目に一点瞬く黄色い瞳は、小さくも少女たちをしっかりと捉えている。

 次の新鮮な獲物を見つけた恐暴竜は、後肢を踏ん張りながら上空を仰ぎ見た。

 

「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!!!!!」

 

 図体が大きいゆえか、唾液を撒き散らすその声は低く、そしておぞましい。

 強靭な尻尾、背中、後脚に対し頭と前脚が異様に小さいため、背の描くカーブは一つの山に見えた。

 その山がこちらにぬらりと向いて顎を開く。首元まで裂けた頬の筋肉が、自らを引きちぎる勢いで縦に伸びた。

 

 赤褐色のぬめった口腔、食糧を求めて蠢く舌、凶悪な歯。

 頭部の何倍もの縦幅を誇る大口が露わとなり、少女たちへと迫った。

 

「よ、避けて!」

 

 氷を踏み割いて直進するイビルジョーに対し、レイは真っ先に叫んだ。

 少女たちは少し遅れるもそれに従い、横に転がる。

 

 だが、ウラヌスだけは違った。

 先の咆哮に一時は戦慄を覚え目元を歪ませたものの、すぐに戦士としての誇りと勇気を取り戻す。

 

「僕は……あくまで、課せられた使命に従わせてもらう!」

 

 彼女は瞬発的に自らの上体を反らした。

 直後、それのあった位置を棘だらけの顎が噛み締める。

 黒く濁った眼が、すぐ傍にいる金髪の麗人を睨む。

 

「ア゛ガ」

 

 飢え渇いた竜は、食欲に任せるまますぐに顎を再び開く。

 

「ウラヌス、逃げて!!」

 

 美奈子の叫びには答えず、彼女は2度目の噛みつきをバク宙で華麗に避ける。

 

「なるほど、そんなに腹が空いているか」

 

 既に、胸の中から恐怖は消え去っていた。

 

「ならばこれでも喰らうがいい」

 

 その手から金色の光球を作り出し、それを突き出す。

 

「ワールド・シェイキング!!」

 

 衝撃波を伴う爆発が、また噛みつこうとした恐暴竜の口内で炸裂。

 その頭は驚いて仰け反り、巨大な体躯をふらつかせる。

 ウラヌスは後ろ手に持っていたスペースソードを両手で持ち直し、赤く光らせる。

 

「スペースソード・ブラスター!!」

 

 高周波の斬撃はイビルジョーの脚を斬り刻み、くぐもった声で唸らせる。

 竜は横向きに身体をぶつけにかかるが、ウラヌスはこれも素早く屈むことで回避。

 そこからすぐ飛び込んでの斬撃へつなげ、確実にイビルジョーの身体を切り裂く。

 

「……すごい動きだわ」

 

 戦いを見守る少女の1人であるレイも、あの発見次第即撤退が推奨されるモンスターと対等に渡り合う紺色の戦士の姿に圧倒されていた。

 

 イビルジョーの見上げるまでの図体は確かに威圧感があるが、逆に言えばそれだけ攻撃が大振りで避けるための隙間も大きくなる。

 セーラーウラヌスはそのメリットを最大限に生かし、確実に戦況を有利に進めた。

 

 彼女の攻撃は一方的にイビルジョーに通り、全身に深い斬り傷が増えていく。

 恐暴竜は何度も何とか首を捻らせ噛みつこうとするが、ウラヌスの細い肢体に傷は一個もつかなかった。

 そうしているうちに、更に彼女にとっての追い風が吹いた。

 

「ねえ! もう、イビルジョー疲れてるじゃない!」

 

 美奈子が、戦闘中だというのに立ち止まって涎を垂らすそれを、指さして叫んだ。

 大抵の場合、動きが鈍くなるモンスターの疲労状態はハンターにとってまさに攻め時である。

 傍目からすれば、ウラヌスが明らかに優勢だ。

 

「どうした、もう息切れか」

 

 彼女自身、それを察知していた。

 油断はせず、しかし挑発するように宝剣を斜めに傾け光らせる。

 それに対し、恐暴竜は棒立ちのまま首を振って口から涎を撒き散らすだけだった。

 

「手応えとしては、胸の辺りが泣き所らしいな」

 

 彼女はスペースソードを真っ直ぐイビルジョーに向け、白手袋を被った手に込める力を一段と大きくした。

 ちょうどイビルジョーは攻撃を中断した状態で横に向いており、その弱点である胸を曝け出していた。

 

 ウラヌスの意志に応じて宝剣の刀身が高周波によって震え、あらゆる刃物にも勝る切れ味を作り出す。

 飛翔の戦士は、イビルジョーの胸部めがけ突撃した。

 

「はああああああっ!!!!」

 

 白雪を背後に散らし、旋風が氷原を駆け抜け。

 彼女自身がまさに風そのものとなって獲物に迫る。

 

 イビルジョーはそれを横目にすると、ゆっくりと大きく片脚を振り上げた。

 

 大山のごとき体躯を支える筋肉が地面に落ちれば、かなりの威力があるだろう。

 だが一方、それが今から描こうとする軌道は読みやすいにも程があった。

 

「甘い!!」

 

 彼女は身体をしなやかに捻り、宝剣を突き出した。

 それは風のように速く、残像さえ残らぬような一撃──。

 

 

「グゥオ゛」

 

 

 割れた氷が、波紋を広げて飛び散った。

 

 

 直撃は確かに避けていた。

 宝剣も、胸に深々と刺さっている。

 すべてがウラヌスの計画通りだった。

 だが直後、その脚に電流のようなものが走った。

 

「がっ」

 

 いつのまにか彼女は脚を崩し、氷上を這いつくばっていた。

 動けない。

 凄まじい震動がその長く細い脚を痺れさせ、大地へと縛り付けたのだ。

 

 しかし、震動の勢いで地面を見下ろす形になった彼女の表情にはまだ希望があった。

 

「あの、深手だ……痛みで攻撃するどころではないはず」

 

 地上に視線を戻すと、イビルジョーはウラヌスに向かってその身を屈めていた。

 瞬間、跳躍。

 

「な……」

 

 あの巨躯で。しかも疲労している状態で。

 理由を考える暇もなく、恐暴竜の全体重が空中からそのままウラヌスにのしかかった。

 彼女の身体はその顔よりも大きい鉤爪の間へ。

 そのまま、抵抗する間もなく地面へと磔にされる。

 

「ぁっ……」

 

 出す声もなく、彼女は無言の絶叫を上げた。

 ひび割れた氷と、桁外れの怪力を込めた脚の間に胴体が締め付けられる。

 

「ウラヌス!!」

 

 少女たちが、悲鳴に近い叫びをあげて駆けだした。

 

 こうなった原因を一つ挙げるとすれば──

 イビルジョーは、捕食にあたって自身に傷がつくことをまるで恐れない。どのような強大な相手であったとしても、どれだけ抵抗されようと、無理やりねじ伏せて捕食を試みる。

 頭の中にある意志はただ、『喰らう』たったそれだけ。

 多少胸を抉られただけでその欲望を逸らさせることなど、不可能なのだ。

 

「グワァ」

 

 捕らえて即、イビルジョーは大口を開ける。

 

 一部、虫歯になって溶けかけた歯。

 歯の間に残った食べかす。

 口の奥の空間から聞こえる、何かがドロドロと溶けていく音。

 そして、口内から漏れ出す凄まじい腐臭。

 

「うっ……」

 

 中性的で一種の冷たい雰囲気を帯びた麗人が、初めてその整った顔を青ざめさせた。

 

「……くそっ!!」

 

 幸い、両手は自由である。

 彼女は内臓が飛び出そうなほどの重圧にも負けじと叫び、右手から金色の光球を放った。

 爆発を受けてイビルジョーの顎が身じろいだが、すぐにウラヌスを食いちぎらんと帰ってくる。

 

 その拍子に、顎の牙の間から漏れ出た唾液が彼女の戦闘服へ落ちた。

 セーラー戦士の特徴であるしなやかな白地のレオタード、紺の襟とスカート。

 唾液が付いた途端、それらが、シュウウウウウッと音を立て白い煙を上げた。

 

「うあ、ああ、あああぁぁっ!!」

 

 凍土の白い渓谷に響き渡る悲鳴。

 イビルジョーの唾液は強酸性であり、触れたものは何でも腐食させる効果を持っていた。

 為す術もないウラヌスの頭に今度こそがぶりつこうと、イビルジョーは再び大口を開ける。

 ウラヌスは思わず顔を背け、目を瞑る。

 

「炎華気刃斬!!」

 

 勇ましい掛け声と共に、無数の牙を炎の螺旋が焼いた。

 頬を焦がされたイビルジョーは、忌々しく唸って横に視線を巡らせる。

 同じ方をウラヌスが見ると、レイが燃え盛る太刀を構えて息を荒くしていた。

 

「ウラヌス、元の狩人の姿に戻って!」

 

 もう片方の頬を、美奈子が叫びながら放った弾丸が撃ち抜く。

 同じように、ウラヌスが剣で抉った脚をまことが鎚で攻撃しながら呼びかける。

 

「盾を構えれば時間が稼げる! その間にあたしたちが全力で攻撃をぶつけるから!」

 

 彼女は、逡巡した。

 

「だが、僕は……」

「これから先、みちるさんに会えなくなってもいいの!?」

 

 美奈子が言葉を遮って怒鳴った。その表情は、いつもの憧れの人に対するそれではなかった。

 そうしている間にも急速に進んでゆく、戦闘服の腐食。

 それがいつ素肌にまで及ぶか、秒読みの段階に入っていた。

 

「……くっ!」

 

 イビルジョーは顎をそのまま武器にしてレイと美奈子を追っ払った。

 まことの攻撃に構うこともなく、そのままお待ちかねの餌へとそのまま食らいつく。

 

 

 ──ガキンッと、牙が硬いものにぶつかる音がした。

 

 

 眩い光の中から、ギルドの紋章を付けた金属製の盾が現れた。

 続いて姿を見せたのは金属の鎧をつけ、後悔に満ちた表情を見せる金髪の人物。

 

「許してくれ……みちる。僕の不甲斐なさのせいで」

 

 そう独り言ちて謝る彼女にイビルジョーは何度も噛みつきを敢行するが、分厚い盾に阻まれるにとどまる。

 

「シュープリーム・スピニングメテオ!!」

「クレッセント・ショット!!」

 

 直後、乱れ飛ぶ雷、弾の嵐。

 それらがイビルジョーの胴体に直撃したことで、何とか怯ませることに成功する。

 緩んだ脚の隙間からはるかは何とか這い出し、息を落ち着かせた。

 

「大丈夫、はるかさん!?」

「ああ、何とか……」

 

 生きた心地もしないまま、はるかは唾液でボロボロになった盾を背にしまい直す。

 

 

 だが、これで悪夢は終わらなかった。

 

 

 態勢を立て直したイビルジョーは、少女たちを見るなり背を曲げる。

 すると突然、そこを中心とした筋肉がまるで背中に瘤ができたように大きく隆起。

 同時に、首元から背にかけても膨張した筋肉が表皮を裂くようにして、ラインを引いたように出現する。

 さらには、はるかがウラヌスとしてつけた傷もその他既にあった古傷と合わせて開き、スペースソードも同時に排出される。

 

 真っ赤に染まり、痛々しく禍々しい姿となった恐暴竜。

 それは怒りの咆哮を天へと届けた。

 

「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!!!」

 

 変化はそれにとどまらない。

 咆えた瞬間、どす黒い霧がその身体から放出された。

 地上へ戻ってきたイビルジョーの頭を見た瞬間、少女たちの顔は蒼白となった。

 

「なんだ、あれは……」

 

 はるかですら、先までの威勢の良さは見る影もない。

 イビルジョーの頭から、凄まじい量の黒霧が噴き出している。

 その中に埋もれる、かつて黄色かった瞳は爛々と真っ赤に血走っていた。

 もはやそれは生物ではなく、悪魔か魔物の類としか言いようがない。

 

「も、ものすごい……妖気の反応だわ」

 

 レイもそう伝えるのがやっとで、その足は既に後退を始めている。

 

「みんな、逃げ……」

 

 美奈子がそう伝えるも、既に遅い。

 イビルジョーは息をたっぷりと吸い込みつつ、前に詰め寄った。

 

 口から、赤黒い霧が雷を伴った吐息として放たれた。

 そのまま首を弧を描くように振り回す。

 

 思わずはるかは盾を構えたが、あとの3人は反応が追い付かなかった。

 霧の範囲が予想外に広いうえに、拡がりが早かったのである。

 

「きゃあああ!!」

「うわあああああっ」

 

 黒霧に触れた瞬間謎の爆発が起き、少女たちの小さな身体が吹っ飛ばされる。

 

「おい3人とも、動けるか……ううっ!」

 

 はるかは彼女らを呼ぼうとしたが、盾に吐息の直撃を受け強い衝撃が来る。

 謎のエネルギーを受けた盾は焦げて熱を持っており、本来の『盾斧』としての機能を残しているか不安になるほどであった。

 

「は、はぁ……だ……大丈夫……」

 

 レイとまことはよろけながら立ち上がるが、いずれも防具から黒い雷が弾けている。

 一方で、蝶の妖精のような防具『ファルメルS』を着た美奈子はまだよく動けている方だった。

 

「みんな……まだ来るわよ!」

 

 彼女が警告した通り、イビルジョーは、上半身を振り払う勢いで左右交互に噛みつきながら距離を詰めてきた。単純に噛みつかれるよりずっと範囲が広く、距離感が読みにくい。

 思わずレイとまことは狼狽した表情を見せたが、はるかが盾を構えて叫んだ。

 

「僕の後ろに隠れろ!!」

 

 悩んでいる暇はない。

 少女たちが急いで避難すると、無数の牙が大きな盾にぶつかる。

 彼女は何とかそれを受け止めて受け流し、上手くイビルジョーの腹の下に潜り込むことに成功する。

 

「このっ……」

 

 せめてものお返しと、レイは未だに赤黒い雷が這った太刀をイビルジョーの脚に突き立てる。

 だが、驚く頃に太刀は炎を一つも発しない。

 

「えっ!?」

「属性の力が……出ない!?」

 

 驚いたのは、使い手のレイだけでなかった。

 属性の力は彼女らの戦いの要。

 それが今、武器に備わる属性エネルギーだけでなく戦士の力までも封じられてしまっているらしい。

 イビルジョーは僅かにできた傷を気にかける様子でもなく、本能に従ってぬるりと頸を回して獲物を見つめた。

 

「……これは、もうどうしようもないわ」

 

 はるかはあっという間に自分たちを追い詰めた、頭から赤黒い稲妻を発する化け物を睨んだ。

 

 敵前逃亡。

 

 以前の彼女なら絶対に選ばなかった一択。今となっては、大切な人のもとに戻る道はそれ以外に残されていなかった。

 

「くっ……」

 

 ぎりぎりまで睨みつけたのちに踵を返したはるかを筆頭に、少女らは氷上を引き返した。

 

「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛」

 

 しかしイビルジョーも、むざむざ見つけた獲物を逃す性格ではなかった。

 それは彼女らに振り向いて涎を垂らすと、意気揚々と脚を踏み出した。

 

──

 

 『エリア5』の洞窟に入ると、ぬるぬるした液体に塗れて蒸気を上げる骨が真っ先に彼女たちの視界に入った。

 

「ひいっ……」

 

 ギギネブラの成れの果てだった。ギィギを生む卵塊も見当たらない。

 

「お、落ち着いて。西の方に行けば外に出られてキャンプまで近道……」

 

 レイが地図を取り出しているうちに、大地を揺らす足音が暗闇のなかを突き進んでくる。

 棘だらけの双丘が、暗闇でも驚くほど正確に、彼女らのいた地点を噛み締めた。

 

 もはや恐怖に足を止める時間もない。

 間一髪で避けた少女たちは必死に瘴気に塗れた凶牙から逃れる。

 常に背後から聞こえる足音と生臭い吐息。

 常に足元を揺らし近づいてくる震動。

 暗闇のなか、彼女たちは自分たちの行く道に間違いはないと信じて走るしかなかった。

 

 永遠とも思える時間ののち、やがて光明が見えた。

 洞窟を抜けると、白い雪原が目に飛び込んだ。

 

「やった……!」

「安心するにはまだ早いぞ!」

 

 美奈子は光を浴びて救われたように顔に喜色を浮かばせるが、後ろを振り向いたはるかが叫ぶ。

 洞窟の中から噴き出す血のような色の煙。

 暗闇から突然イビルジョーのぬめった身体が跳躍、転がるように飛び出してきた。

 食欲に支配された赤黒い口は頸を伸ばし、空中から勢いをつけて牙を開く。

 

「僕狙いかっ……!」

 

 はるかが首を引っ込めた目の前で、顎がバクンと虚空を嚙み締める。

 側転して受け身を取りつつ起き上がったイビルジョーは、即座に二度目の噛みつきを敢行。

 はるかは再び攻撃を受け止めようと盾を構えかけたが、それは役割を果たすにはあまりに朽ちすぎている。

 

 しかしそれは、投げ入れられた物体が放った閃光によって阻止される。

 

 美奈子が投げた、閃光玉による目眩ましだった。

 見れば、隣でまことがポーチを開けて何かを渡していたようだ。

 

「よっ、よかったー、調合が間に合って」

「素材玉が残ってて不幸中の幸いってヤツか」

「早く! ここからあの道よ!」

 

 レイは既に南方に向けて先導し、針葉樹の生える道を指差していた。

 彼女たちの顔に敗北感はない。むしろ今の自分たちにやれることをこなそうとする使命感までもが窺えた。

 

「……」

 

 はるかは今や狩人として活動する彼女らの姿を、黙して一瞥しつつ後に続いた。

 

「見て! もうすぐキャンプよ!」

 

 レイが正面にある崖に囲まれた細道を指さして叫んだ。

 周囲は針葉樹林に囲まれている。彼女たちは、エリア1に戻ってきたのだ。

 

 ベースキャンプは、モンスターに襲われにくい立地にあるうえ彼らの嫌う臭いをばら撒いている。そこにさえ逃げ込めば、こちらの勝利だ。

 

「グォッ」

 

 しかし最後まで逃さないとばかりに、後をつけてきたイビルジョーはその顎で地面を削り取り、岩を飛ばした。

 

「わあっ!!」

 

 想像以上の速度だ。

 全員が飛んでくる岩に対して身を横に投げ出し、何とか避ける。

 だが、イビルジョーは彼女らが立ち上がる前に急速に接近する。

 はるかは迫りくる牙を睨んだが、

 

「はるかさん、武器を出さないで!」

 

 そう言ってレイが取り出したのは生肉。

 恐らく調理用に取っておいたであろう保存用の草食竜のモモ肉である。

 彼女はそれを天にかざしてイビルジョーに振る。

 

 恐暴竜の視線が、新鮮なピンク色に吸いつけられた。

 

 レイは、思い切り生肉をイビルジョーの横側へと投げ入れた。

 ころころと雪原を転がる、一本の骨に巻きついた生肉。

 すると恐暴竜はあっさり、喜々としてそちらの方へ振り向いた。

 

「さあ、今のうちに!!」

 

 レイが呼びかけると、キャンプに続く人1人分の細道にまことと美奈子が駆けこんでいく。

 レイが3番目に入ったのに続き、はるかが最後にキャンプに駆け込もうとすると、生肉を一飲みで平らげたイビルジョーは再び大口を開けて彼女へと迫った。

 

「はあっ!!」

 

 身体を捻り、噛みつきを躱す。

 ギリギリで細道に入ったはるかは道を潜り抜け、その先の曲道を抜けてテントのある開けた場所へと着く。

 遥か後方でどぉん、どぉんと重いものを打ち付けるような音。重量級の肉体が打ち付けられるたびに大地が揺れていたが、やがてそれも止んだ。

 

 隣に見える流氷の流れは、ここに来た時と寸分も違わず同じ速度だった。

 やっと最初の静けさを取り戻したところで、

 

「3人とも、すまない」

 

 はるかが悔やむように俯きつつ呟いた。

 

「今回は完全に僕の驕りが招いた事態だ。相手との力量差も測れず仲間の足を引っ張るなんて、セーラー戦士としては言語同断だ」

 

 唇を噛み締める様からは、彼女の自責の念が傍目でも分かるほど漏れていた。

 

「きっと前のあたしたちなら、はるかさんと同じことをしたと思います」

 

 最初に話しかけたのは、レイだった。

 

「そうよ。プリンセス……うさぎちゃんが大切って想い自体は今でも同じだもの。はるかさんの気持ちはとっても分かるわ」

「むしろアイツが妖魔だったって事実が証明できたんだから、真っ先に挑んでくれたはるかさんには感謝しなくっちゃね!」

 

 美奈子に続いてまことには責められるどころか感謝までされ、はるかは苦笑いを浮かべた。

 

「……『狩人の勘』を身につけても変わらないんだな、君たちは」

 

 一旦は冷え切った両者の関係もやっと雪解けを迎えたところで、まことは自分たちの来た方向に振り向いた。

 

「それにしても、あのイビルジョー……なんで怒る直前まで妖魔の気配がしなかったんだろう」

「なんだか、これまでとは違った感じよね。レイちゃんさえも妖気を感じなかったんでしょう?」

 

 美奈子が聞くと、レイは悩ましげながら頷いた。

 はるかははっと気づいたように、視線を空に向けた。

 

「また、風が……やけに騒ぎ始めた」

 

 黒に近い灰色の雲がどこからか飛ばされてきて、白銀の大地と空を覆い始めていた。

 

──

 

「……バレた上にまんまと逃げ延びられたとは。ちょっと『お目覚め』が早すぎたようね」

 

 この地では寒そうなほど丈の短いスカートに、魔女らしい杖。

 そして、幼い顔立ちにパーマをかけたような髪。

 デス・バスターズの幹部であるミメットは、切り立った高所の崖の上で双眼鏡を覗いていた。

 

「ゴア・マガラちゃん、ちょっと早いけどもう始めるわよ!」

 

 彼女は振り向き、少し離れたところにある、蠢く黒い霧の塊に命令した。

 黒い外套をはためかせ、霧を払い現れるは、黒蝕竜ゴア・マガラ。

 彼は少し崖の際まで歩み寄ると、息を吸い込み天上に向かって咆えた。

 

「グアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 

 苦悶、怒り、憎悪。

 あらゆる負の感情を乗せたようなその叫びは、凍土全域に響き渡った。

 

「さぁて、これであとは放っておくだけ♪ 楽な作業よね~」

 

 変化はそこからずっと離れた雪原で、新たな獲物を求めて彷徨っていた恐暴竜イビルジョーに及ぶ。 

 

「グォ……」

 

 黒い霧を立ち昇らせながら、それは何かに呼ばれたかのように左右に赤い瞳を巡らせた。

 するとイビルジョーはある1点の方向を見つめ、わき目も振らずそちらに向かって歩き出した。




今回、投稿時間が少し遅くなったのは当日になって直したいところが多く出てきたからです。(急いで手直ししたので最善は尽くしましたが、誤字などあったらご報告いただければ嬉しいです)
生態系の破壊者たるイビルジョーの脅威とセーラー戦士の強さの両立とか、印象とか……結果文字数も膨大なことに。
セーラーウラヌスの実力としては、イビルジョーの行動パターンや脅威を熟知したうえで、仲間と協力して慎重に立ち回っていればぎりぎりでワンチャンあったかも……というところで書いてます。まぁ、完全初見な今の状態ではまず逃げましょう、な段階です……。
ちなみに今回の個体は飢餓個体ではないただの(?)妖魔化個体で、単純に濃縮された妖魔の霧が頭から発散されることで結果的に『怒り喰らう』状態に見える……というカラクリでした。


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真実の片鱗

本編とはちょっと離れてモガ村でのお話。


 凍土での一件があった数日後、ちびうさはモガ村の貸家の中と外をせわしなく駆けまわっていた。

 バケツを左手、ほうきを右手に持ち、エプロンと頭巾を身につけ、その身なりはまるで家政婦である。

 彼女はさっさと部屋の埃を掃き、次はバケツの水に浸したモップで鼻歌交じりに磨いていく。

 

 そんな中、視界の隅に緑のどんぐりを認めると、少女はキッと鋭い視線でそちらへと振り返った。

 

「チャチャ、そのサンプル丁寧に扱ってね! 亜美ちゃんが帰ってきて調べるんだから!」

「は、はいッチャー!」

 

 奇面族の子ども、チャチャはセルレギオスの鱗の欠片が入った瓶をそっと棚から下ろし、近くのテーブルに移した。

 続いてちびうさは、青い仮面を被った子どもをビシッと指さす。

 

「カヤンバ、後でそこのバケツの水汲んできて!」

「イ、イエッサーンバ!!」

 

 チャチャとカヤンバは彼女が背を向けた時を見計らい、互いに耳を寄せ合った。

 

「なんでいつの間にオレチャマたちがあのふさふさピンクの命令に従ってるッチャ……」

「ワガハイたちは誇り高きエリート奇面族というのに、なんというスーパー理不尽……」

「何か言った?」

「い、いや何も!」「ノーコメントッンバ!」

 

 ちびうさが睨むと、奇面族たちは竦みあがって仕事に取り掛かる。

 一方、それを見るルナとアルテミスは部屋の隅の床を雑巾で拭いていた。

 

「さすがはちびうさ、しっかりしてるな」

「これがうさぎちゃんなら、掃除後の方が散らかるという謎現象が見られるわよ」

 

 アルテミスがしばし、沈黙する。

 

「……それ、うちの主人もだ」

「ええっ、美奈子ちゃんも!?」

 

 その一言にげえっとルナの顔が青く染まった。

 

「へへっ、やっぱ部屋が綺麗になるのは気持ちいいわ♪」

 

 次にちびうさが目をつけたのは室内の更に奥だった。

 丸型のテーブルの奥にある、古びた本棚。

 手を腰に当てそれを見つめる彼女の士気は十分である。

 

「よーし、更に奥もやっちゃうわよー!」

 

 そこに、バケツを持ちかけたカヤンバが慌てて呼びかける。

 

「あっ、そっちはコブン第一号の私物ンバ! よーく気をつけるンバ!」

「コブン第一号って……先代の専属ハンターさんのことね、分かってるわよ」

 

 はるかたちとの関係性を見ても、いい加減『コブン』という言い方は改めた方が良いのではと思いつつ、ちびうさははたきを持って本棚の掃除を始める。

 

 週刊『狩りに生きる』、海洋生物学、調合書……。

 視線を巡らせるうちに、列の端っこに開けられたスペースに光る一つの勾玉が目に止まる。

 

 それを手に取ると、磨き上げられた淡く透き通る海色の底に、深海のような暗くも美しい青色が滲んでいた。少し掌を傾けただけで、その勾玉は全く違う表情を見せる。

 小ささに見合わない深さを感じさせるその物体を、ちびうさはしばらく見つめていた。

 

「綺麗……」

 

 瞬間、チャチャが明らかに狼狽した様子で駆けこんできた。

 ちびうさは思わず驚いて身を引く。

 

「そいつは絶対なくしたらいかんッチャ! さもないと、コブン第一号のゲンコツが海の向こうから伸びて飛んでくるブー!!」

 

 ものすごい勢いで慌てるその奇面族に、彼女は半ば呆れていた。

 

「……どんだけあんた、その人が怖いのよ」

 

 一度、コブンという言葉の意味を考え直させた方がいいのではないか。そう思ったところに、

 

「おお、ナバルデウスの大勾玉ンバ! 久しぶりに見るけど相変わらず最高にビューティフルッンバ〜〜」

 

 ちょうど、カヤンバが新しい水をバケツに汲んで帰ってきた。

 

「ナバルデウス?」

 

 ちびうさが首を傾げると、チャチャはここぞとばかりに胸を張った。

 

「プップップ……何を隠そう、このオレチャマがかつてコブンと共に追っ払った、それはそれはでっけー古龍のことッチャ!」

「古龍って確か……」

「影響力が大自然そのものにも等しいっていう、おっそろしい生き物のことだよな?」

 

 ルナの問いにアルテミスが答える。

 いま行方を追っているゴア・マガラのやがて成るべき姿、シャガルマガラ。それが属する、古より生きる大いなる災いたち。ハンターでも、一生のうちに見れるかどうか怪しいくらい希少な存在だという。

 

「そんなのと貴方たちは戦ったの?」

「ま、このオレチャマにかかればなんてことなかったッチャ!」

「おおっと、ワガハイも忘れてもらっちゃ困るンバ! ワガハイも並み居る強大なモンスターどもを、杖1つで成敗してやったッンバ!」

 

 チャチャの明らかなホラ吹きに、カヤンバまでもが乗じる。

 本棚の隣には、古びた木と鉄で組み立てられた斧のような武器が立て掛けられていた。

 

 スラッシュアックス。

 

 みちるが使っているのと同じ、剣型への変形機構を有する武器種である。

 恐らく、先代のハンターのものであろう。

 

「そうなんだ……」

 

 ちびうさは目線を下げ、はたきを握り締めながら一言呟く。

 

「あんたたちはいいわよね、はるかさんたちと一緒に狩りに出かけられて」

 

 それで気づいたように、ルナとアルテミスが共に振り向いた。

 

「へっへーん、もっと羨ましがれッチャ!」

「でもそう言うお前も、調査は月の猟団の奴らと一緒にやってなかったンバ?」

「そうなんだけど……」

 

 一方、奇面族たちは彼女の変化にも気づかず有頂天になっている。

 カヤンバの素朴な問いに、ちびうさはますます表情に暗さを募らせた。

 

「最近これといった成果も出てないし……正直、そろそろみんなに役立たずって思われてるかも」

 

 奇面族たちは、元気のない彼女を見て疑問符を浮かべている。

 ルナとアルテミスがそろそろ話を止めようと立ち上がった時、ある者の手がチャチャとカヤンバの頭を掴んでひったくる。

 

「ふっふっふ、ここだけの豆知識! このおチビちゃんたち今は偉ぶってはいますけど、最初は先代専属ハンターさんの足を引っ張ってばかりだったんですよ!」

「ア……アイシャ嬢!」

 

 仮面の子どもたちは、驚きのあまり身体を固まらせていた。

 受付嬢の彼女は、やれやれという風に肩をすくめる。

 

「例えばそうですねぇ、ハンターさんの大切なコップを壊しちゃったり、はたまたこの前みたいな大喧嘩でモガ村から勝手に家出したり、狩り中に間違えてハンターさんを吹き飛ばしたり……」

「……ふぅーん」

 

 ちびうさは、ルナ、アルテミスと共に奇面族たちをジト目で見つめた。

 

「ブ、ブーー!! いらんこと言わなくていいっチャ!!」

「不公平ンバ! 不公平ンバ!」

「でもあの人はどんな時だろうと必ず毎日、2人分余分に夕飯の席を用意させてたんです。どんなにヘマをした日でも、家出された日でも、ずっと静かに村に帰ってくるまで外で待ってる……そんな人でした」

 

 アイシャはそんな2人の頭に手を置き、優しく撫でてやった。チャチャとカヤンバはうつむいて、照れ臭そうにしている。

 

「それに、狩りをすることだけが人の役に立つすべてってわけじゃないんですよ? ほら、こっちに来て下さい!」

 

 彼女はちびうさの手を取り、貸家の外に連れ出した。

 そこには多くのモガ村の人々が行き交っていた。

 漁師と彼らを統率する女主人が魚を運び、農場で働くアイルーたちがキノコの入った籠を抱え、コックのアイルーが目にも止まらぬ速度で下拵えをし、村長の息子を始めとした人々が大きな骨を担いで持っていく。

 端から端まで歩いて1分もない木の板で作られた人工島を、人々の営みが埋め尽くしていた。

 

「狩りにも使う魚を獲る漁師さん! 薬の調合のための植物を育てる農場主さん! 狩人には欠かせないお食事を用意するコックさん! キャンプを設営する大工さん! そして何よりも……クエストを斡旋するギルドの代表たるこの私!」

 

 アイシャは、自身の白い制服を手で叩く。

 黒い二つ結びの日に焼けた少女の姿は、実に威風堂々としていた。

 

「ハンターさんは、たくさんの人に支えられることで初めて戦えるんです。ですから、私たちも実質一緒に狩りをしてるようなものなのですよ!」

 

 ちびうさはハッと目を見開いた。

 彼女はちびうさの前にしゃがむと、元気づけるようにガッツポーズを作って見せた。

 

「ハンターじゃなくたって、役の立ち方にはいろいろあるはずですよ。今は分からなくったっていつかは見つかりますよ、きっと!」

「……」

 

 ピンクのお団子頭を持つ少女の視線が、いくらか和らいだ。

 ルナとアルテミスは、やっとそこで一件落着と一息をつきかけた。

 

 その時、彼女たちの耳を何かの音が揺らす。

 

「ヴア゛ア゛ア゛アアアアアアアアアアアアッッッ……」

 

 まるで人の呻き声、もしくは絶叫のような。

 遥か遠くから降りかかってきたそれに、そこに居る一同は顔を見上げざるを得なかった。

 

「……えっ」

 

 ちびうさは、その声に聞き覚えがあった。

 

「この声、確か遺跡平原で……!」

 

 彼女の顔が、霧が太陽にかかったように薄暗くなった。

 それは気のせいではなく、モガ村の人々も戸惑うように空を見渡し始める。

 やがて誰かが異変に気付き、ある方向を指さした。

 

「おい、あれはなんだ……」

「まさか古龍か!?」

 

 騒ぎを聞きつけてそちらを見ると、モガの森方面の空が黒い渦を描き始めていた。

 

「なんだ、これはいったい!?」

 

 アルテミスが戸惑い、叫んだ時だった。

 

「ヂャーーッッッ!?」

 

 貸家の中から、悲鳴と共に紫の光が放出された。

 とても自然のものとは思えない、激しい閃光。

 ちびうさたちは、急いで貸家の中へ戻っていく。

 

「大丈夫、チャチャ!?」

 

 予想に反し、彼は無事だった。

 彼は腰を抜かし、ある一点を差す指を震わせている。

 

「な、なんか紫がモヤモヤしてるっチャ!」

「紫の、モヤモヤ?」

 

 彼が示しているのは、先ほどテーブルに置いたばかりのセルレギオスの鱗の欠片だった。

 かつて眩いばかりの金色を放っていたそれは、今は妖しく紫色に渦巻く煙を発している。

 

「何よ……これ」

 

 他ならぬ、妖しき気配。

 異世界の旅人たちは、身に覚えのありすぎる感覚に背筋を凍らせた。

 




(しばらく小説本編とは関係ない劇場版の語り)
先週セーラーコスモス後編を観たけれど、非常に素晴らしい出来だった…。銀河の中心にて銀河最強のセーラー戦士、そしてすべての敵の根本たる『カオス』と対峙するというまさに神話とも言える内容。
原作では難解に感じたシーンも分かりやすく描かれてて、セーラースターソングや終盤のうさぎの姿など旧アニの成分も多く含まれてて凄まじい愛を感じた。これは変えられるかなと思った場面も、重要なところはしっかり原作通りにされてるなと思ったので大満足。
発表時は何かと話題にされたセーラーコスモスの声も、北川景子さんの優しさと儚さを感じさせる演技がすごく噛み合っててとてもハマっていた。
個人的には、サーガの最後を締めくくるに値する出来だったと思う。

Crystal系列もこれで終わるけれど、これからはグッズやセラミュなどを中心に展開するのかな。自分はひとまずこれで積極的に追いかけるのは一区切りかなとは思っているけれど、この二次創作は終わりまで駆け抜けるつもり。
これからもセラムンというコンテンツが続きますように。


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爆ぜ開くは紅く、熱い華①

 ギルドから狩場に指定されている『火山』。

 マグマの川を産み続ける活火山を中心としたフィールドだ。

 

 真っ赤な火口から常に黒煙を噴き上げているせいで、そこでは昼と夜の区別すらつきにくい。辛うじて、火山ガスの影響で赤く染まった月から判別がつく程度だ。

 

 火山の麓にある洞窟『エリア5』では、天然の岩で作られた天井と平地が広がり、すぐ傍には液体状の溶岩が川となって流れている。

 この環境では否応なしに熱気が溜まり、それゆえにクーラードリンクなしに人間は活動できない。

 

 しかし、溶岩にも負けぬほど『熱い』ものが、ここにはもう一つある。

 例えばそれは、いま男の腕にひっつきむしのようにくっついている1人の少女であった。

 

「まもちゃんと一緒に出かけられるなんてシ・ア・ワ・セ♡」

 

 うさぎは頬をぽっと紅く染めて衛の肩に縋りついていた。

 彼女は調査が始まってからずっとこの調子で、その足取りもいつもより明らかに弾んでいる。

 

「防具に当たるから、程々にな……」

 

 衛はそれを受け入れつつも、亜美とみちるの前では流石にはにかみ気味であった。

 

「今回の目的はデートじゃなくて調査よ。分かってる、うさぎちゃん?」

「やぁねぇ~、分かってるわよっ!」

 

 と亜美の問いに答えながらも、うさぎはにやけた顔を崩さない。

 

「まぁ、すっかり色ボケね」

「今回の割り振り、間違えたかしら……」

 

 カップルの後ろでどんよりと悩む亜美に対し、みちるはどこか面白がるような口調である。

 

 彼女は以前に討伐したラギアクルスから作られた防具、通称『ラギアS』を纏っていた。

 蒼色の鱗を基調として所々に赤色の棘や橙色のヒレがあしらわれ、スカート状に広がった腰の防具はうさぎの着るリオハート装備と同じ、姫騎士のイメージを呼び起こす。

 その背にあるのは、水獣ロアルドロス特有のスポンジ状の皮と棘で装飾された、斧のような武器スラッシュアックス──その中でも『スプラックス』の名を冠する得物。

 そんな彼女の姿は、海を完全に征したが如き貫禄をも放っていた。

 

 しかしそれを着ているのは、落ち着いた色を帯びた瞳の女性であった。

 

「いえ、私はこれでいいと思うわ。いざという時、隣に大切なものがある人は強いわよ」

「……確かに、みちるさんが言うと説得力ありますね」

 

 思わずくすくすと笑った亜美は気づいた。

 みちるの武器の軸に括りつけられた数珠を、ジトッとした眼差しで見つめるうさぎの姿に。

 

「みちるさん、何ですかぁその護石?」

 

 亜美は気配もなく至近距離まで顔を近づけていた友人の姿に悲鳴を上げかける。

 みちるは動じることなく、キラキラと宝石にも等しい琥珀色の輝きを放つそれを、掌に乗せて見せてくれた。

 

「はるかと一緒に掘りに行った時、偶然出たのよ。鑑定してもらったら武器が錆びにくくなる効果があると聞いたものだから、こうやって付けてるの」

「きれ~~っ、すっご~~い!!」

 

 紹介は特に自慢げなものでもなかったが、うさぎは勝手に黄色い声で叫んで目をキラキラさせた。

 

 鉱石を掘っていると、こうやって特殊な効果を持つ護石……すなわちお守りが出土することがある。古代文明にこの地域で大量生産されたものらしいが、詳しいことは分かっていない。

 ハンターの中には性能の良い護石を求めて掘りまくるがあまり、本業の狩りを忘れた者もいるらしいが、うさぎが目を引かれたのは中身ではなく見た目である。

 

「よーし、あたしも負けてらんない! 良いのが出たらまもちゃんへのプレゼントにしちゃうもんね!!」

 

 うさぎは夢中になって、何回もピッケルをそこにあった鉱石に叩きつけ始めた。

 

「きょ……今日のうさぎちゃん、特にテンションが高いわ……っじゃなくって!」

 

 亜美は急いで止めようとうさぎの傍に寄ってその肩を揺らす。

 

「うさぎちゃん、そんな今すぐ良いモノが出るとは限らないわよ!? それに、仮にもあたしたちは調査……」

「鉱石をっ、調べるのだってっ、調査のっ、一環っ、よっ!!」

「もう、それは本気で言ってるの、うさぎちゃん!?」

 

 真面目な亜美は声を張り上げるが、うさぎは聞く耳持たず鉱石を掘り続ける。

 

「ふふ、相変わらず元気がよろしいこと」

「……みちるさん」

 

 保護者のような視線で見守るみちるに、声がかかる。

 ついさっきまでうさぎにいちゃつかれていた黒髪の青年、衛である。

 彼は東方の武人風の鎧『ガルルガS』を身にまとっている。紫色の硬質の甲殻で覆われており、自身や仲間を怪我させないために加工されてはいるものの、至るところにある棘がその持ち主とは裏腹に攻撃的な印象を与える。

 

「これから先、俺はうさこのためにいったい何をするべきなんだろう」

 

 それを聞いたみちるは黙って振り返った。

 

「なぜそれを私に?」

「君たちが何かを知ってるからだよ。それも、かなり重要そうなことをね」

「貴方の使命は、隣でプリンセスを支えることですわ。そして、未来の王国のためにも元の世界へ無事に帰還すること。それ以外にいったい何がありまして?」

「あはは、さすがは太陽系外部戦士。使命には忠実だな」

 

 みちるは穏やかな表情を崩さず平然と答える。

 彼女の艶やかな海色の髪の毛は、この火山にあっても輝きを失っていなかった。

 

「ただ、思うんだ。この世界は底が見えない。ポッケ村で聞いた話じゃ、そこにいるだけで天災を齎す生物すらいるという」

「それはお伽噺の存在ではなくって?」

「俺も実際に見たわけじゃないから、確信は持てないが」

 

 ある者は嵐を呼び、ある者は炎を呼び、ある者は霞を呼ぶ。

 みちるの言った通り、御伽噺としか言えぬ力を持つ古の龍たち。

 そんな存在を、衛はある狩人の兄弟から聞いていた。あの自信家な男たちのことだから、実際のところは単なる話の誇張なのかも知れない。それでも、その御伽噺を完全に嘘だと言い切れる証拠もない。

 

「とにかくこの世界では、俺たちの思う以上に多種多様な生命が複雑に絡み合っている。そんな世界と俺たちの護るべき世界が繋がっていることが、とても不安なんだ」

 

 鋭い眼光が、僅かながらみちるの瞳の中を走る。

 

「俺だって、これからもうさこをずっと隣で支えていきたい。だがそれでもいざという時、矢面に立つのは決まって彼女だ。もしかしたら……」

 

 衛の背には防具に劣らぬほど刺々しい茨の細剣『クイーンレイピア』が担がれていた。

 後ろから伸びるその柄を見つめる衛の表情は厳しいものだった。

 彼の握る拳に力が入る。

 

「たとえその時に俺が庇ったとしても、矢を受け止めきれないかもしれない」

 

 不安を振り切るように、衛はみちるに向き直った。

 

「だから、せめて状況だけでも知りたいんだ。俺たちの世界に起こる大きな災いとは、一体何だ? 君たちは何を隠してるんだ?」

 

 みちるはしばらく細い線の顎を指で撫でていたが、

 

「さすがはプリンス。プリンセスのことをよく考えておられるのね」

 

 彼女はすっと視線を横に向ける。

 その先には、亜美の説得を横にピッケルを必死に打ち付けるうさぎがいた。

 

「──でも今はプリンセスの強さを信じてあげてほしいわ。少なくとも、デス・バスターズが育てている最強の妖魔を倒す日まで。その時には、全てのことを伝えられるでしょう」

 

 衛はしばらく粘るが、みちるの瞳は一寸も動かない。

 

「……なるほど、どうも取り付く島もないな」

 

 やがて途方に暮れたようにため息を吐いた衛だったが。

 

「ま~~も~~ちゃ~~ん????」

「……あっ」

「『あっ』じゃないわよ、『あっ』じゃ!!!!」

 

 うさぎはと両拳を振り上げ大変お冠の様子だった。

 

「なぁんで目を離した隙にみちるさんと話してんのよ、あたしというもんがありながらーー!!」

「あっ、ごめ……」

「うあーん、まもちゃんの浮気者ーーっ!」

 

 うさぎは頬を膨らませ衛の甲殻の鎧に覆われた胸をぽかぽか叩く。

 一気に子供っぽさを増した彼女の泣き顔に、亜美とみちるは顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。

 

──

 

「まもちゃん、ずっとずっとずーーっと隣にいるわよね? 誰かに乗り換えたりしないわよね!?」

「そんなことするもんか、俺は未来の夫だぞ?」

 

 エリア8。

 すぐ向こうには山頂が見え、溶岩が狭い道の周囲を覆うこの過酷な場でも、うさぎの粘着行為は続いていた。

 クーラードリンクは飲んでいるが、それでも熱いものは熱い。

 ずっと腕に抱きつかれている衛は毅然と弁解を続けていたが、流石に疲れも見えてきていた。むしろまくし立てるうさぎの体力の方が意味不明である。

 

「うさぎちゃん、いい加減にしないと『重い女』って思われるわよ?」

「あたしはちゃんと狩りでダイエットしてるもーん!!」

「……そういう意味じゃないわ」

 

 亜美の汗水垂らしての必死の説得も意味を成さず、彼女自身も疲れ果て始めていた。みちるも、ここまでくるとさすがに苦笑を浮かべている。

 

 2人の少女からの視線、溶岩の熱気、うさぎからの容赦ないアプローチ。

 それらが一気に衛の五感を限界まで圧迫していた。

 

「もう全く、何だってそんなに不安がるんだ!?」

「だって、いっつもまもちゃんあたしの前からいなくなっちゃうんだもん! 攫われたと思ったら敵になってたり、目の前で別の人にキスさせられたり!! だから、二度とそんなこと起こらないようにするのっ!!」

 

 その一言が、男の弱気だった表情を一瞬で豹変させた。

 ぎりりと噛み締められる白い歯。

 衛は急にうさぎの両腕を掴み、手繰り寄せる。

 

 あまりに突然のことに、さっきまで喧しかったうさぎも、すっかり押し黙ってしまう。

 「あらまぁ」とみちるは声を上げ、亜美は「えっ!?」と肩を震わせた。

 

「俺がどこにいようと俺の心はうさこの隣にある! たとえこの身体がどんな遠くに行ったとしてもだ!!」

 

 さっきまでのお返しとばかりに、彼は腕に力を込めた。

 亜美は思わず赤面して、顔を手で覆い隠した。

 その指の間から透かし見ているので、さほどの効果はないのだが。

 

「今までの戦いでも、この世界でだって、最後にはこうやって一緒になれたじゃないか。少しくらい俺を信用してくれよ!」

「ちょ、ま、まもちゃん……っ」

 

 衛はあくまで真剣に、必死になってうさぎに思っていることを伝えていた。

 ──だが。

 

「し、信じられないわ、こんな人の目の前でしかも調査中に……」

 

 衛がびくっとして振り向くと、亜美が恥ずかしいがあまりに向こうを向いて屈み込んでしまっていた。 

 

「ま……まもちゃん、そんな風に言うのは……」

 

 衛は冷静になって正面に振り直り、ようやく己がやっていることに気づいた。

 説得に夢中になるがあまり、まるで気づけていなかった。

 

 いつの間にか彼女に、鼻がくっつきそうになるほど顔を近づけていたことに。

 

 うさぎは茹ったように顔を紅くして、叱られた子犬のように大人しくうつむいていた。

 

「ズ、ズルいよ……」

 

 彼女は血の昇りきった顔で、縮こまるように小さく呟いた。

 一応、衛は大学生、うさぎは中学生である。しかも、今は人の目の前。

 男は慌てて顔を引っ込めた。

 

「流石。女の子の扱いを良く分かっているご様子ね」

 

 やってしまった、という顔の衛に、みちるが追い打ちをかける。

 

「ま、待つんだ、誤解を招く言い方はよしてくれ……」

「衛さんの破廉恥……」

「違う、違うんだ、俺は!!」

 

 もはや、自分の方が節制ない人間と蔑まれても文句が言えない状況。

 衛が必死に亜美に対して弁解を図っていると──

 みちるが突然、何かに気づいてはっと顔を上げた。

 

「負のエナジーを感じるわ!」

「えっ……?」

 

 彼女の声は、先ほどまでとは打って変わって刃物のように鋭く響いた。

 

「もう、何怖がってんのよ!!」

 

 女性らしき甲高い怒声が上空から聞こえた。

 聞き覚えのある声に、うさぎたちは戸惑いつつ空を見上げる。

 

 そこには、黒煙のなか乱れ飛ぶ金色の何者かがいた。

 

 だが、うさぎたちはそれを既に知っている。

 知っているからこそ、すぐうさぎの口を衝いてその名が出てきた。

 

「セルレギオス……!?」

 

 別名、千刃竜。

 全身に刃状の鱗を生やし、優れた飛行能力でリオレウスにも迫る戦闘力を誇る飛竜種。

 それは空を真っ黒に埋め尽くす絨毯を飛び交い、時に消え、時に現れた。

 やたら慌てた様子で武器となる鱗を飛ばしているが、その詳細は分からない。

 

「ピュイイイイイイイ!!!!」

 

 だが、そのうちセルレギオスは再び煙の下に飛んできて全身を露わにした。

 後ろから何個も飛んでくる謎の黒い霧の塊を避け、大きいカーブを描いて溶岩流の上を飛ぶ。

 

 そこで見えた金色の飛竜の背に、女性が乗っていた。

 赤色の髪に、赤いサラシと黒い帯のついたズボンを身につけている。

 うさぎたちが、それを見て何も思い出さないはずがなかった。

 

「ユージアル!」

 

 デス・バスターズの幹部が、かつての『金の竜』候補に乗って現れたのだ。よく見れば、その竜の口元からは黒い霧が漏れ目からは紅い光が走っている。妖魔化の印だ。

 更にもう一つ、黒煙の下に何者の影が這い出る。

 まるで煙から産み落とされたかのような漆黒の外套が広げられ、風を捉えていた。

 その頭に、目は存在しない。その姿まさしく、盲目の異形である。

 

「ゴア・マガラ!?」

 

 セルレギオスに劣らぬほどの勢いで迫るそれを見て、亜美は思わずその竜の名を叫んだ。

 

「どういうことだ。まさか反旗を翻されたのか!?」

 

 衛がそんな予想を述べるまでに、うさぎたちは混乱していた。

 かつてデス・バスターズと敵対する者として『金の竜』と目された飛竜はユージアルに操られ、デス・バスターズの最終兵器であるはずのゴア・マガラはそれを一方的に追いかけ回している。

 彼らからすれば、全くもって理解不能な状況だ。

 

「ちゃんと狙いなさいよ、金色松ぼっくり!」

 

 ユージアルはセーラー戦士が地上にいるとは露知らず、きつい口調で指示する。

 セルレギオスは忠実に従って飛び下がりつつ正面に刃鱗を放つが、ゴア・マガラは身体を捻って見事に躱す。

 魔女を乗せた金色の竜は、そのまま突っ込んでくる黒蝕竜を空中で弧を描くようにして回避し、うさぎたちのすぐ横の大地に着陸した。

 ユージアルは、すぐ隣を通り過ぎ翻った黒い外套を振り返り、悔しそうな表情で見つめた。

 

「全く……とんだ厄介者の『お兄ちゃん』ねっ!」

「『お兄ちゃん』……?」

 

 ちょうど聞こえてきた発言に、衛が訝しげに眉を顰める。

 ゴア・マガラは、今度は攻撃することなく地上に降り立ってくる。ちょうど、セルレギオスと相対する位置だ。

 本来火山のように熱い地域は苦手なはずの黒蝕竜も、明らかにそんなことを気にする暇もないと思わせるほど怒りを滾らせて千刃竜を睨んでいる。

 

「くっ……」

 

 忌々しげに唸っていたユージアルが、横にちらりと視線を移す。

 ちょうどその先には、うさぎたちがいた。

 彼女は、たちまち仰天の表情に変わった。

 

「あ……ああっ、セ、セーラー戦士ども!? 何でこんなところに……」

「ユージアル! 貴女、ここで何をしてるの!?」

 

 続きを言わせることもなく、うさぎが前に出る。

 彼女の問いは、ここにいる全員が聞きたい問いであった。

 

「うさぎ、下がって!」

 

 みちるが、変身スティックを持ちながらうさぎの肩を手で引き寄せる。

 亜美と衛も、武器の持ち手に手を添え前に出ようとした。

 

「……もう、今日は最悪の日だわっ!!」

 

 果たして、問いに答えられることはなかった。ユージアルは脚でセルレギオスの背を叩く。

 すると彼は翼を拡げ、うさぎたちの視界から3秒も経たないうちにいなくなる。

 見上げると既に、セルレギオスは上昇気流を捉えて空の彼方に消えようとしていた。

 一方のゴア・マガラは、一時首を回し、すぐそこにいるうさぎたちを見回す。

 

「……」

 

 だが、それ以上ゴア・マガラが興味を示すことはなかった。

 ゴア・マガラは鱗粉を纏った翼を広げ、セルレギオスを追った。

 

 うさぎたちは唖然としたまま、溶岩に囲まれた平地に立ち尽くしていた。

 会敵から僅か1、2分での出来事だった。

 

 間もなく、セーラー戦士専用の道具である『マーキュリーゴーグル』を出して状況を分析していた亜美が呟く。

 

「聞いて、みんな。あのゴア・マガラ、全く妖気を感じなかったわ」

「えっ……?」

「いったいどういうことだ。あれが妖魔ではないと?」

「あたしにも分からない。だけれどこの状況、遺跡平原でレイちゃんが言ったことと同じだわ……!」

 

 亜美の言葉を受け、みちるも何かについて深く考えを巡らせる。

 だが、それも長く続くことはなかった。

 

「グオオォ……グオオォ……」

 

 西の『エリア7』方面に続く洞窟から聞こえる、弱々しくも低く重い呻き声。

 金属を叩きつけ鳴らすような変わった足音。

 

「こ、今度は何よ!?」

「負のエナジーの反応があちらからもするわ!」

 

 みちるは思考を中断してうさぎを下がらせ、変身スティックを振り上げる。

 いつものおっとりとしてお淑やかなお嬢様は既にそこにはおらず、海王星を守護星に持つ深海と抱擁の戦士としての彼女が立っていた。

 

「ネプチューン・プラネット・パワー、メイク・アップ!!」

 

 水と光に包まれたなかから、マリンブルーの襟とスカート、紺色のリボンをつけた可憐な姿のセーラー戦士が出現する。すぐそこで煮えたぎる溶岩とは真逆の、優しく落ち着いた色彩であった。

 

 間もなく、ゆっくりと、黒い霧を吐いて足を引きずる生き物が現る。

 亜美はその巨大な二本脚で立つモンスターを見て呟く。

 

「ウラガンキン……?」

 

 巨大な図体を持ち、背中に無数の突起が生えている。

 そして人のように平べったい頭部には、丸く分厚い特徴的な顎。

 爆鎚竜、ウラガンキンだ。

 如何にも岩のように堅そうな甲殻全身を覆ってはいるが口に生える牙はいずれも平たく、小さい目の上に太眉のごとく出っ張った突起はどこかとぼけたような愛嬌がある。

 しかし、その口からは先ほどのセルレギオスと同じく黒い霧を荒く吐き、目も明らかに自然のものではない真っ赤に染まっていた。

 

「間違いないわ。彼が妖魔化生物よ」

 

 セーラーネプチューンはそう言って、うさぎの前で戦闘態勢を取った。

 しかし──

 

「あの子……何か様子がおかしいわ」

 

 うさぎが、ネプチューンを引き止めた。

 ウラガンキンの各部に、何か緑のベトベトしたものが付着しているのだ。

 

「グオオォ……グオオ」

 

 ウラガンキンはうさぎたちなど見ておらず、ただ一心不乱に移動しているだけだった。

 視線も、うさぎたちの方を全く向いていない。

 

「何かから……逃げてる?」

 

 亜美が、ふと呟いた瞬間、

 

 爆発。

 

 うさぎたちに辿り着く前に、ウラガンキンはその身から炎の華を派手に散らした。

 衝撃にもんどりうつ、山のような巨体。

 硝煙がウラガンキンの身体を覆いつくし、その中に巨体がずしん、と巨音を立てて倒れ伏す。

 

 煙に囲まれて、尖ったものが後ろから現れた。

 先ほどの糊状の物体と似たような、緑の蛍光色が3つ。

 そのうちの下側にある1つが、大きく振り上げられる。

 

「グゥゥゥゥ」

 

 くぐもったような唸り声と共に、それはウラガンキンの身体を強烈に打ちのめす。

 もう一つの緑も連動して──

 

 何度も、何度も、何度も、何度も殴りつける。

 

 いつの間にか、爆鎚竜は既に事切れていた。

 その死体の上にあったのは、すぐそこに流れる溶岩とは真逆の群青色だった。

 甲殻は黒曜石に似た艶を帯び、下から湧き上がる溶岩の色を強く反射していた。

 それは既に斃れた骸を踏みつけ、足蹴にし、硝煙から這い出してくる。

 

 鼻先が尖った顔は、鉱石からそのまま切り出してきたかのように鋭く硬質な印象を与えた。

 だがそれよりずっと目立つのは、後頭部に張り出す飛行機の羽に似た突起の前方、額から砲塔のごとく太く、真っすぐに突き出た頭角。

 先ほど見えた3つの蛍光色のうち、1つの正体はそれであった。

 

 もう2つの蛍光色の正体は、胸の前に構えられた柱のように太い腕。

 強靭な後脚に対しアンバランスなほど発達したそれは、拳闘士が手甲をはめて構えているようにも見える。

 その先端には先述の緑の物体が血管のような模様を作って集っており、真っ赤な溶岩、土色の地面、そして黒い空しかない仄暗い火山では、やたらと目立つ明るい黄緑色だった。

 

 無機質な甲殻に覆われた身体のなか、唯一マグマのように赤い眼光がぎょろりと動き、1本の頭角の下から上目にうさぎたちを見つめた。

 

「フウウウゥゥゥゥ……」

 

 まさしく彫刻のように荒々しく切り込まれた顔は彫りが深く、その窪みから覗く視線は明らかに敵意を含んでいる。

 

 彼の背後で、突如、大爆発が起こった。

 

 爆砕の輝きが、その剛く逞しい身体を飾る紺藍をより美しく際立たせる。

 

「ギエエエエエエエエエエエエエエェェェェェェ!!!!」

 

 ゴング代わりに宣戦布告の咆哮を浴びせる、野生の拳闘士の名は──

 

 砕竜、ブラキディオス。

 




久しぶりにうさぎちゃんの彼氏、衛さんの参戦です。これまで何度か狩りに参加しているので、彼もきっちり『ガルルガ装備』着ております。
ブラキディオス、実はメインモンスターの中でも一番好きです。姿形はかなり生物離れしているけれど、アイスボーンを経てどんどんボクサーらしくなっていく彼のファイトスタイルに惚れてます。


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爆ぜ開くは紅く、熱い華②

BGM:剛き紺藍


 

 獣竜種に属し主に火山に生息する生物、ブラキディオス。

 全長は15m、体高は5.5m。

 これまでセーラー戦士たちが戦ってきたモンスターの中では比較的小柄である。

 

 しかし、モンスターの強さは必ずしもその大きさのみで決まらず。

 むしろ小柄が故のメリットも確かに存在する。

 例えば今のような自身より小さき者を相手にする場合、その体躯はむしろ有利に働くことがあるのだ。

 

「避けろ!!」

 

 ブラキディオスは、右腕を高く振り上げた。

 太く発達した肩を捻り、真っすぐ繰り出されるは緑の蛍光色にぎらつく手甲。

 人間で言えば右拳によるストレート。

 

「くっ!」

 

 うさぎが衛の声を受けて咄嗟に後方に転がると、眼前の大地を剛拳が撃ち抜く。

 ひび割れる地面に、ドロリとした粘質状の緑の物体が地面に飛散、円状に広がった。

 

「な、何あれ……」

 

 それは、ウラガンキンに付いていた物体と似ていた。

 うさぎが気味の悪さに顔をしかめる隣で、亜美は水冷弾を装填していた。

 

「情報は少ないけれど、『粘菌』と共生してると聞いたことがあるわ」

「粘菌?」

「ああいうドロドロした形状の微生物をそう言うのよ」

「あ、あれが生き物? うえーー……」

 

 ブラキディオスは、顔を歪める少女にも構わず反対の左拳を振りかざす。

 

「ブシュルウウッッッ!!」

 

 次に狙ったのは、海王みちるが守護星の加護を受け戦士の姿に変身した姿……セーラーネプチューンだ。

 

「はあっ!」

 

 ネプチューンは飛びのいてパンチを容易く躱し、同時に手中に超水圧の塊を生み出した。

 

「ディープ・サブマージ!!」

 

 津波にも匹敵する魔法の光球は、彼女の掌から放たれ真っすぐ飛んでいく。

 それは何も知らないブラキディオスの頭角に直撃し、大爆発を起こす。

 あらゆる生命に潤いを与える水も、時には凶器となる。

 熱を持った黒曜石の甲殻は砕けるような音を立てつつ蒸気にまみれた。

 

「グウウゥゥッッッ!!」

 

 ブラキディオスは、衝撃に驚いて仰け反る。

 そこへ更に、別の方向から飛んできた小さな弾丸が複数突き刺さる。

 すると、これも先の魔法には劣るものの激しい水飛沫を拡散、僅かながら砕けかけた箇所に追い打ちをかけるように亀裂を入れる。

 

 撃ち放ったのは、『ミツネS』の防具を着た亜美が構えるライトボウガン『狐水銃シズクトキユル』。

 桃色と白のカラーリングに赤いリボン、水鉄砲のような全貌と狩りに使うには優雅な出で立ちだが、そこから放たれる水冷弾の威力は折り紙つきである。

 

「どうやら、水属性の攻撃が良く効くようね!」

「よーしっ、こっちもガンガン行くわよ!」

 

 うさぎは亜美の発言に背中を押され、大剣に手を伸ばしつつ突撃する。

 最初の威圧感こそ胸を締め付けられるようなものはあったが、亜美とみちる……ネプチューンの2人が先鞭をつけて怯ませてくれたおかげで恐怖は減った。

 何はともあれ攻撃してからどうするか考えねば。

 

 彼女が持つは、大剣『炎剣リオレウス』に蒼火竜の甲殻を加えて強化を施した一品『煌剣リオレウス』。

 青の見た目に反して強い火属性を持っており今回の相手に効き目は薄そうだが、これが彼女の持つなかで最も切れ味が良い武器である。

 

「たあああっ!」

 

 まずは、先制攻撃で驚いているブラキディオスの脚に──

 

 大剣を縦に振り下ろして一撃。

 

 ダメージを与えるには、少し手応えが軽すぎるが。

 

「弾かれは……しないっ!」

 

 これは重要なことだ。攻撃を続ければ、しっかりと刃は通るのだから。

 少しばかりの安心を得られたうさぎだったが、なにか自分の脚に違和感を感じる。

 

「……ん?」

 

 下を見ると、自分の足に緑のべとつく物体が付着していた。

 よく観察してみると、その下には先ほどブラキディオスの拳から地面に付着した粘菌が見えた。

 

 彼女は、攻撃の際に粘菌に足を踏み入れていたのだ。

 

 そのことにようやく気付いたうさぎは生理的嫌悪を掻き立てられ慌てて足を上げた。

 

「うわっ、べとべとぉっ!!」

 

 ブラキディオスは、邪魔者を払いのけようと尻尾をぶん回す。その先端には六枚の刃に似た突起が放射状に広がっており、まるで天然のメイスである。

 うさぎはその下をかいぐくって離脱、仲間たちのところに集まる。

 衛を始めとして亜美とネプチューンも彼女に何か異変がないかと不安げだった。

 

「うさこ、大丈夫か!?」

 

 だが、今のところはただ足がべたつくだけだ。特に防具が溶けるなどの被害はない。

 それを確認すると、うさぎは両手をひらひらさせて健在をアピールする。

 

「あ、あはは、大丈夫よ、だいじょ……」

 

 ちょうどその時、先ほど足を踏み入れていた粘菌が赤く変色していた。

 それは泡立ち、白く光って、蒸気を発し。

 一瞬で何倍もの体積に膨らんで──

 

 

 爆発。

 

 

 爆音、震動と共に、地から青白い炎が噴火のように噴きあがる。

 焔は赤色へと変わり、火花を散らし、残滓として燻る煙へと変わる。

 地盤は軽く吹っ飛ばされ、黒焦げた岩の下から溶岩の赤みが僅かに覗いた。

 

 3人は思わずうさぎの方を向き、彼女自身も足元を見る。

 既に粘菌は橙色になりかけていた。

 少女の顔が、さあっと青に染まる。

 

「ひいいいいいっ!!」

「うさぎ、慌てないで! 地面に擦り付けて取り払うのよ!」

 

 ネプチューンの指示は、冷静ながらも鋭かった。

 うさぎは武器を背に納めるのも忘れて必死に転げまわるが、そこへブラキディオスが突っ走った。

 彼は明らかに追撃を加えようと、うさぎに向かって右拳を構えている。

 

「うっ!」

 

 息が止まりかける。

 3度目に転がった時、右拳の剛速球が彼女の頬の脇を掠めた。

 通り過ぎたブラキディオスは地面に打ち付けた右拳を軸に己の身ごと回転、こちらへと振り向く。

 

 足元を見ると、粘菌は完全に取れていた。

 心臓が止まりかけたのか、うさぎはぜえぜえして大剣を杖にしつつ立ち上がる。

 

「い……生きた心地がしない……」

 

 ブラキディオスは、今度はうさぎを助けに来た衛を狙う。

 

「無理はするな! 相手の攻撃後の隙を狙おう!」

「う、うん!」

 

 右腕を振るっての横殴り。人で言えばフックという技だ。

 衛は果敢にも、素早く薙ぎ払われた拳を見た後に斬り込んだ。

 

「なるべく粘菌に近づかないよう心がけるしかないな」

 

 それなら、腹の下に潜り込む。

 衛は片手剣クイーンレイピアを鋭く振り、ブラキディオスの白い腹、群青の後ろ脚を抉る。

 鱗も甲殻も堅いものの、刃が完全に通らないわけではない。

 

 ブラキディオスもそのままやられているわけではない。

 彼は前を向いたままサイドステップを踏んだ。

 それだけで、大きい歩幅が衛を腹下から一気に突き放す。

 

「……くそっ!」

 

 彼がブラキディオスを追おうとすると、1mほど近くにあった粘菌が爆発した。

 爆風に立ち止まった衛が周りを見回すと、いつの間にか粘菌の『罠』がそこら中に設置されていた。今でもそれらは緑から橙、橙から赤へと変色し続け爆発へのカウントダウンを続けている。

 

「これがヤツの作戦か……!」

 

 その巧みさに、衛は唸るしかなかった。

 ブラキディオスが拳を振るう度、標的に当たらなかった粘菌は地面で罠を形成する。すぐには爆発しないというのが厄介で、たとえ直接攻撃に当たらずとも粘菌は一方的にこちらの足場を制限するのだ。

 とてもこれでは、大胆に立ち回ることはできない。

 

「ディープ・サブマージ!!」

 

 そこに、女性の凛々しくも華麗な声が響く。

 セーラーネプチューンだ。

 掌から放たれた海色の光球が、凄まじいエナジーを伴ってブラキディオスの頭へ一直線に飛んでいく。

 

「そうか、彼女の攻撃なら!」

 

 衛の顔が一転して希望に満ちた。

 遠距離攻撃を主体とするセーラー戦士にとって、地面に置かれた罠など意味を成さない。それが見えないように隠されているならいざ知らず、明らかに罠と見て分かるものに構う必要はない。

 

「フウウウッッ」

 

 だが、ブラキディオスは動じなかった。

 

 地面を拳で殴りつけつつそこを軸に身体を90度回転。

 光球を見事に避けると同時に、一瞬でネプチューンのすぐ横に回り込んだ。

 そこから即座に、反対の拳を横殴りに振り回す。

 

「……なるほど、パワーとスピード、それにテクニックも高い水準で兼ね備えている。これは手強いわね」

 

 冷静に分析しつつ、彼女はフックを華麗に跳んで躱した。

 

 ブラキディオスは猛攻を加える。彼我の距離を測り、最も効果的な方法で打撃を打ち込んでくる。

 ストレート、フック、ステップ、ダッシュパンチ。

 技同士の繋ぎが滑らかで多彩だ。フットワークの運び方も軽やかで、とても獣のそれと思えないほど洗練されている。

 

「だけど、弱点はハッキリしてるわ!」

 

 亜美は、弾を撃ちつつ叫んだ。

 ブラキディオスは、遠距離の相手に対して炎を吐くなどの攻撃手段を持たない。

 様子見のつもりか、亜美やセーラーネプチューンには単に歩いて詰め寄ってくるかダッシュパンチしかしてこないのだ。

 

 また、更なる追い風も吹いていた。

 ある時点から、彼の拳から粘菌が落ちなくなったのだ。見てみると、腕にあった蛍光色の輝きが明らかに落ちて黒ずんでいる。

 

「なるほど、粘菌も有限じゃないのか!」

 

 それなら話は変わってくる。

 今こそ、こちら側の好機だ。

 衛はここぞとばかりに攻めかかり、茨の細剣『クイーンレイピア』に含ませた毒を白い腹に叩きつける。

 

「まもちゃん、すごく頑張ってる……」

 

 恋人が、自身の託した片手剣を持って奮闘している。

 その懸命な姿に、うさぎの心も鼓舞された。

 

「よーしっ、これは、さっきのお返しよ!」

 

 砕竜が衛に気を取られている間に、力を溜めての大剣の一撃。

 だが、それを見たブラキディオスはすっと脚を後方に下げる。

 

「うそっ!?」

 

 彼女の攻撃は見事にすかされ、地面に落ちた。衛の攻撃も同様である。

 それだけではない。ブラキディオスは鋭い顎を開き、隠されていた舌で輝きを失った両腕を舐め回す。

 すると腕は数秒もせず、蛍光色の輝きを取り戻した。

 

「粘菌を再び活性化させた、だと……?」

「きったない上にズルいだなんて、今回の相手は厄介ね!」

 

 大剣を地面から引き抜いたうさぎは毒づいた。

 ブラキディオスは右拳を軸に、うさぎと衛の横へ回り込む。

 そこから天高く、蛍光色にてかる鉄柱のように太い頭角を振り上げた。

 

「うさこ、避けろ!」

 

 衛の合図で、うさぎは共に正面から転がり出る。

 ブラキディオスが大地を頭突くと、地盤が砕かれると共に一際大きな粘菌の塊が広がる。

 腕で設置される粘菌よりも遥かに巨大だ。

 

 だが、ブラキディオスは渾身の力で頭を叩きつけたためにうずくまるような姿勢になって隙を晒していた。

 

「そこよ!」

 

 セーラーネプチューンはディープ・サブマージを発動。

 

「灼熱のなかに落ちなさい!!」

 

 水属性のエネルギーが後ろ脚に直撃すると、流麗な海水が粘菌のそれにも引けを取らぬ規模で閃く。

 ちょうど、砕竜が攻撃を受けたのは道の端だった。

 

「グゥオオオッッッ!?」

 

 砕竜の身体が揺らめき倒れる。

 その先にあるのは、煮えたぎる溶岩流。

 紺藍の身体はそのまま、一切の生命を拒絶する地獄の釜に消え──

 紅い飛沫と共に、完全に見えなくなった。

 

「……やったか」

「す、すごい威力ぅ……」

 

 衛が確認のため道の端に向かい、うさぎもそこに駆けつける。

 溶岩のなかから生命らしき反応はない。

 それに顔に当たる熱だけでも恐ろしく熱く、溶岩を直接覗きこむまでには至らなかった。

 

 一方、ネプチューンは少し溶岩から離れたところで亜美と話し合っていた。

 

「でもあのブラキディオス、なぜ妖魔化したウラガンキンを襲ったのかしら」

「分からないけれど、ユージアルがここにいたことと何か関係が……」

「そういえば、彼女は襲ってきたゴア・マガラに対してこう言っていたな。『とんだ厄介者のお兄ちゃんね』……と」

 

 衛の言葉に、少女たちの視線が引き付けられる。

 

「……『お兄ちゃん』? 一体、何を指しての言葉なのかしら」

 

 そこまで言いかけて、亜美はあるものを目にして叫んだ。

 

「2人とも、跳んで!!」

「え?」

 

 うさぎと衛の背後にあった溶岩が盛り上がり、弾け飛んだ。

 その中を突っ切って来るのは黄緑色の粘菌の塊。

 岩をも粉砕する必殺の剛拳だ。

 

「うぐっ……」

 

 衛が咄嗟にうさぎの前に盾を構え、拳を受け流す。

 うさぎの方は驚きのあまり言葉が出てこなかった。

 

 超灼熱の上に立つブラキディオスの身体は、溶けていないどころか焦げてすらいない。

 どこの部位を見ても溶岩に落ちる前そのままであり、溶岩の方が水のように滴っている有様である。

 

「……初めて見たわ。溶岩に水浴びでもするように浸かってる生物なんて」

 

 ネプチューンも、流石に冷や汗を隠せていなかった。

 ブラキディオスは、犬のように首を振るわせて溶岩を払い落とした。

 彼にとっては、溶岩が人にとっての水に当たる存在なのだ。

 砕竜は息を昂らせて天を仰ぎ、咆哮する。

 

「ヴゥエエエエエエエエエエエエェェエエエエエエェェェンン!!!!」

 

 緑一色だった粘菌の色が、黄緑と黄色のグラデーションへと変貌する。

 それは、彼の纏う粘菌が激情と連動して活発になった証拠。全身による闘志と怒りの体現だった。

 セーラー戦士たちの顔にもいよいよ緊張が走る。

 

「ヴゥゥゥゥゥゥッッッ」

 

 ブラキディオスは溶岩の中から拳を振り上げる。

 だが、それは直接少女たちを狙ってのものではない。

 彼は、前方の地面を何度も殴りつけながら突き進み始めたのだ。

 今度は腕の粘菌が地面に残ることなく、接地した瞬間に高く爆炎の柱を巻き上げる。

 

「う、うわっ!!」

「落ち着いて! 横に回避よ!!」

 

 一歩ごとに少女たち全員に迫る重い爆発音、硬い地盤すら粉にして吹き飛ばす爆砕の嵐。

 急いで、全力で向かってくる方向に対し垂直に走る。

 その試みはなんとか成功し、ブラキディオスは一心不乱に地面を爆破しながら彼女らの背後を通り過ぎた。

 だが彼は即座にくるりと振り返ると、両腕を舐めて下がりつつ、後ろ脚に力を込めて屈む。

 

「また何かしてくるつもりよ!」

 

 亜美はライトボウガンを構えたが、その射線上から忽然と、ブラキディオスの姿が消えた。

 

「え……っ!?」

「空中よ!」

 

 ネプチューンの声を聞いて見上げると、彼は脚力だけで宙を舞っていた。

 重力に従い、一気に距離を詰めてくる。

 狙ったのは亜美とネプチューンの2人だった。

 

 本能的にそこから地面を蹴って離れた瞬間──

 砕竜は降下する勢いそのまま、豪快に両拳を打ち下ろし大爆発を起こす。

 あと少しでも反応が遅れていれば、容赦なく攻撃に巻き込まれていただろう。

 ブラキディオスは、更に追撃を試みようとまだ立ち上がっていない2人へと歩いていく。

 

「……こっちを見ろっ!」

 

 尋常でない運動能力を恐れつつも、背後から衛が脚に斬りかかる。

 それに相手は気づき、振り向いたことでその狙いは成功。

 ブラキディオスは迷わず標的を衛に変え、素早く左拳を打ち下ろす。

 接地とほぼ同時に、またしても爆発。

 

 衛は反射的に盾を構えたが、あまりに苛烈な炸裂の衝撃に踏みとどまれない。

 半ば地上を吹っ飛ばされるようにしてずり下がり、終いには尻もちをついた。

 盾は、もうあと一発でも喰らえば砕け散るのではと思えるほどに綻びていた。

 

「ま、まもちゃん!」

「問題ない、それよりも!」

 

 彼は短い黒髪を振り乱し、うさぎたちに向かって叫んだ。

 

「気を付けろ! 粘菌がすぐ爆発するようになってる!!」

 

 ブラキディオスは、特に水を使う者たちを脅威と見なしているのか再び彼女らの方を向く。右拳を軸に二連ステップで回り込み、すかさず横殴りに繋げてきた。

 

「ぐっ!!」

 

 亜美とネプチューンは、その範囲を見切り後方に下がる。

 これに関しては、粘菌が平常時と同じように地面にくっついた。

 

「なるほど、強い衝撃を加えると爆発する状態になっているのね。だけど、道は見えて来たわ」

 

 粘菌が活性化し、打撃の効果範囲が広くなったことで直接的な危険性は格段に増した。だが、逆に言えば粘菌の『罠』の数は大幅に減る。その分だけ、純粋に相手の動きに集中することができるということだ。

 

「狙うとすれば……粘菌が切れた、その瞬間」

 

 海王星を守護に持つ、深海と抱擁の戦士セーラーネプチューン。

 その名にふさわしい優美な海色に髪と服を染める彼女は、爆砕の拳闘士を前に確信を持って呟いた。

 矢継ぎ早に飛んでくる拳、爆発。そのいずれもを、彼女は余裕を持って躱す。

 

 もう、ネプチューンの方から攻撃することはない。こうして避けていれば必ず、粘菌が切れたことでパンチを放っても爆発しない状態がやってくる。

 そのタイミングで攻撃してきた時に懐に潜り込み、最大出力で頭に魔法を放つ用意が既に彼女には出来ていた。

 

 そしてやがて、来るべき時は来る。

 ちょうどブラキディオスが何回目か、近くで攻撃したうさぎに拳を振り回した頃だった。

 

「あっ……粘菌が無くなった!」

 

 慌てて攻撃を避けた彼女が気づいて叫んだ通り、ブラキディオスの腕からは黄色い粘菌の輝きが無くなっていた。

 それを気にすることもなく、彼はネプチューンへと振り向く。

 明らかに、こちらへの敵意が見ただけでも赤い瞳から滲み出ていた。

 

「……今ね!」

 

 そこを見計らい、ネプチューンが掌から再び光球を作り出す。 

 だがいまそれを放とうとした時、彼女は気づいた。

 ブラキディオスの動きが止まり、そのまま沈み込んだことに。

 

「ウゥアアァァァァ……」

 

 さっきまで生き生きとしていた砕竜は弱々しく鳴き、おもむろにその場に倒れ伏した。

 

「えっ?」

「し……死んだ!?」

 

 その時は、あまりに突然だった。

 いま、ブラキディオスは完全にもの言わぬ人形になっていた。

 4人の間で、困惑の視線が行きかう。

 

「いや……待て」

 

 衛が先に気づく。

 伏したブラキディオスの鋭い口内から、黒い霧が漏れ始めていた。

 

「違う! 生きてるぞ!!」

 

 直後、ブラキディオスは立ち上がった。

 黒い霧を吐き、赤い瞳は更に爛々と輝いている。

 さながら、黄泉の国から甦ったゾンビ。

 

「まさか、これは……」

「妖魔化……?」

 

 亜美の言葉の続きを、ネプチューンが継ぐ。

 

「ギィエエエエエェェェェエエェェェェエエェェェェエエエエエエンンンッッッ!!!!」

 

 ブラキディオスの咆哮は不気味に上ずっていた。

 初めて見る妖魔化生物を前にしてもネプチューンは退かず身構える。

 しかし、その顔からは先刻見せていた余裕が消え去っていた。

 

「これが妖魔化……。前に戦った妖魔とは違う感覚がするけれど……とにかく何か、嫌な予感がするわ」

 

 歴戦の猛者である彼女にしては珍しく、険しい表情。

 うさぎはそんなネプチューンの後姿に不安そうに眉を寄せていた。

 

 幸い、まだ腕の粘菌は纏い直されていない。

 仮に殴ってきたとしても、爆発がない分対処は簡単だ。

 

「今、ここで決めるしかないわね」

 

 ネプチューンは、掌に海色の光球をより強く、眩しく光らせ。

 地を強く蹴ってブラキディオスの頭へと、蝶のごとく飛翔する。

 相手はそれを見て右足を下げ、足と一緒に後方へ下がらせた右拳を舐めた。

 案の定、粘菌を補充するつもりだ。

 

「遅いわ!」

 

 少なくとも、かの生物は粘菌を纏うときに両方の腕を舐めようとする傾向がある。

 次は左拳を舐めるつもりだろう。

 そうさせる気は彼女にはなかった。

 

「ディープ……!」

 

 強い意志の籠った叫びと共に、魔法を放とうと光る手を前に持ってくる。

 それに対し、砕竜ブラキディオスは──

 活性化させた右腕で即、殴りかかった。

 

「はっ……」

 

 裏をかかれた。

 ネプチューンは素早く反応して腕で自身を庇うが、

 

 殴打、爆砕。

 

「ああああっ!」

 

 拳を中心に発生した爆風に吹っ飛ばされ、地表を身体のあちこちを打ちながら転がる。

 

「ネプチューン!!」

 

 彼女の背後にあるは、燃え盛る溶岩流。

 海色のヒールに弾かれた石がそこに突っ込み、しゅうう、と煙を上げながら溶けて沈んでいく。

 ブラキディオスはゆっくりと彼女に歩み逃げ場を無くしていく。

 

「まさか……こんな意趣返しをされるだなんて」

 

 艶美なウェーブヘアーや戦闘服の所々が黒焦げていた。

 しかし、海王星の戦士の表情から、戦意はまだ失われてはいなかった。

 

 彼女は再び手中に光球を生み出そうとする。

 それを見たブラキディオスは、迷わず粘菌の滾った右拳を高く振り上げた。

 

「はる……か……っ」

 

 明らかに間に合わない。このままいけば、ネプチューンの身体は呆気なく溶岩の中へ沈むだろう。

 思わず、うさぎは彼女を助けるため飛び出そうとした。

 だが、ブラキディオスは拳を繰り出す瞬間、あらぬ方向を向く。

 

「え……」

 

 何かを悟った亜美がうさぎを抑え、その眼前を爆砕の拳が撃ち抜く。

 その目の焦点は彼女らのうち誰とも合っていない。

 ブラキディオスは、虚空に向かって咆え地面を爆砕し始めた。そこにいない誰かを、何度も執拗に殴りつける。

 

「な、なにをしているんだ?」

 

 衛が唖然として呟くも、答えられる者はいない。

 明らかに異常な有様は、悪夢か幻覚を見て暴れているようにも受け取れる。

 

「何なの、この感覚……今までの妖魔化生物とは違う、恐ろしい気配を感じるわ。まさか、新手の妖魔ウイルス?」

 

 亜美の顔には恐怖が募っているが、見た目はこれまで見た妖魔化生物の特徴と瓜二つだ。

 一方、うさぎは違った表情でブラキディオスを見ていた。

 

「でもやっぱりおかしいよ。今まで妖魔化した子たちはあんな動きしなかった」

 

 彼女の大剣の柄を持つ手に力が入った。

 

「……試してみるしかないわ!」

「いったい、何をだ?」

 

 衛の顔を、少女の姫らしく凛々しい瞳の光が貫く。

 

「浄化の力を使ってみるのよ。それで、あの子がホントに妖魔かどうか確かめるの! 亜美ちゃんとまもちゃんは、ネプチューンをあの崖っぷちから助けてあげて!」

 

 うさぎはツインテールを靡かせ、大剣を背負って飛び出した。

 亜美は、離れていく友人の姿、そしてブラキディオスの腹下から見えるネプチューンの姿を見つめた。

 

「……どうもそれ以外しかなさそうね!」

 

 ブラキディオスは、そのまま興奮に任せるように頭角を思い切り地盤に叩きつけた。

 地盤はその耐久勝負に圧し負け、角が重い音を立ててめり込む。

 

 溶岩の川を背負っていたネプチューンは気づいた。

 ブラキディオスの周囲の地面に亀裂が入り、そこが光り始めていることに。

 更に、そこを通って衛と亜美が駆けてきていることに。

 

「みんな、離れて!」

 

 砕竜は、角を引き抜く。

 爆砕、爆砕、爆砕。

 火山に咲き乱れる連爆の華。

 

「……くっ!」

 

 2人は自らを魔法の光で包み込み、タキシード仮面とセーラーマーキュリーの姿に変化させる。

 狩人の状態よりも軽くスピードに優れたその状態で、彼らは爆破の間を潜り抜けネプチューンの元へ。

 

「大丈夫!?」

 

 2人がかりで彼女の肩を抱え飛び去った直後、ネプチューンの下にあった地面が光り、噴火にも等しい爆音と炎柱を上げた。

 

「なんて無茶を……」

 

 呆れ気味に言いかけたネプチューンは、あるものに目を見張った。

 うさぎが周囲で爆発が起こるなか、既に尻尾付近に陣取っていたのだ。

 

「尻尾ががら空きよっ!!」

 

 彼女は腕、腰を連動させ大剣を振り回す。

 火竜の炎が宿った刃に、マゼンタの光が宿っていく。

 

「スパイラル・ハート・ムーン・ブレイク!!」

 

 浄化力を刃に乗せ、尻尾へと跳び回転、強烈な力で斬りつける。

 そこから渾身の浄化の力を注ぎ込む。

 

「なるほど、傷口から!」

 

 亜美は、うさぎのとっさの機転に目を輝かせる。

 これまでの妖魔化生物との戦いでは、外部から浄化の力をぶつけてもエナジー吸収によって無効化されることが多かった。それならば、内部から浄化すればよいという寸法だ。

 果たして、その結果は。

 

「……グルゥ」

 

 砕竜ブラキディオス、健在。

 口元からは黒い霧が、未だに這い出ている。

 

「……妖魔じゃない!」

 

 ブラキディオスはうさぎに振り返って姿を認めると、左拳を地面に叩きつけた。粘菌がその地点に零れ落ちる。

 

「くっ!」

 

 砕竜は打ち付けた左拳を軸に身体を浮かし、うさぎの横に回り込む。

 彼女は何とかその動きを追おうと、大剣を持って振り返った。

 

 そこで、衛……タキシード仮面の視界にあるものが入る。

 ちょうどうさぎのすぐ後ろの大地に、付着した粘菌。

 その様子が、明らかに異常だった。

 

 あまりにも変色のスパンが短いのだ。

 緑から黄へ、そして赤へ。ここまで僅か2秒。

 

 ブラキディオスは、虎視眈々とうさぎを見つめて再びステップを踏む。

 だが、その動きはブラフだ。

 うさぎは背後に全く目が行っていない。粘菌の変化に気づけていないのだ。

 それどころか、この差し迫った状況に衛以外誰も気づいていなかった。彼女らも、素早いブラキディオスの動きを追うので精一杯だった。

 

 既に、粘菌は蒸気を発して膨らんでいた。

 あと1秒も経たず爆発する。

 

「うさこっ!!」

「え……?」

 

 次の瞬間、タキシード仮面はうさぎを突き飛ばしていた。

 黒い背広が爆ぜ、炎に包まれた。

 

「が……あ……」

 

 煙を上げて崩れ落ちていく男の身体。

 地面に座り込んだ少女は、それを呆然と見つめていた。

 

「まも……ちゃん……?」

 




今回のブラキディオス、3G、4G、アイスボーンのモーションを全乗せした贅沢バージョンです。ボクサーみたいな動きほんとすこ。
更に彼は妖魔化ではありませんでした。ならいったい何?てとこですが、4辺り経験済みの方ならすぐ分かると思います。

そして衛さん、またカマセみたいな扱いにして申し訳ないと思ってます。……が、割りとタキシード仮面はかなりの確率で敵にやられたり拐われたりとヒロイン役になることがしばしばだったりするのでそこはご愛嬌として。


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爆ぜ開くは紅く、熱い華③

 火山の麓、ベースキャンプにある粗末なベッドに黒髪の青年が寝かされていた。その顔に傷はなく息もしているが、瞼は力なく閉じられている。

 

「まもちゃん……死なないで」

 

 衛は重傷、昏睡状態に陥っていた。

 あの後、うさぎたちは急いで気を失った衛を運び出し、ブラキディオスから逃げた。

 その後は緊急の狼煙をあげ、ギルドに雇われたアイルーたちに、応急処置を施した上で荷車を使い搬送してもらったのだった。

 

「大丈夫よ、衛さんにも守護星の力が宿ってるわ。現に、命に別条はないみたいよ」

 

 亜美が気遣ってうさぎの肩に手を添えるが、彼女は項垂れて表情が暗いままだ。

 

「……撤退した方がいいわ」

 

 亜美は、そう言いだしたみちるに振り向いた。

 

「うさぎがこの調子だと、今後の狩猟に支障が出ることだし──今頃、ブラキディオスも体力を回復してる頃でしょう」

 

 みちるが視線を向けると、空は噴煙で真っ黒だった。

 向こうに見えるのは今も灼熱の川を形成する火山、その上には真っ赤に染まった月だ。時節、火山が爆発する音がキャンプからでも聞こえてくる。

 

「ゴア・マガラが現れたことを知れただけでも収穫はあったわ。ここは退くしか……」

「あたしは、退かない」

 

 言い出したのはうさぎだった。

 目を潤ませつつも既にそこに弱々しさはなく、再びあの竜に挑もうとする意志が確かに窺えた。

 みちるは困った顔をしたが、彼女は迷わず訴える。

 

「そうよ、みちるさんの武器、ロアルドロスのでしょ? それならみんなと同じように武器に戦士の技を乗っければ……!」

「ラギアクルスの時に話したと思うけれど、私たち、あまり狩人の武器は使ってないの」

「……なんでですか?」

「私たちがセーラー戦士である事実を忘れられない、からかしら」

 

 腕を組む彼女は悲しそうな表情をしていた。

 

「私としては、私たちセーラー戦士はあくまで自分たちの世界を護るために戦うと考えるわ。……そう、この世界とは元々何の縁もない。だから貴女たちのやることはできうる限り尊重はするけれど、同じことをしようとは思えないの」

 

 みちるは大人っぽい顔を引き締め、更に厳しく問い詰める。

 

「貴女こそ、あのブラキディオスに仇討ちでもするつもり? そのつもりなら余計にこちらの立場としては止めるしかないわ」

 

 当たり前のことだった。はるかとみちるの使命は、うさぎ──未来の王国の女王を護り元の世界に連れ帰ることにあるのだから。

 

「……ううん。あたしはあの子を恨んだりしない」

 

 みちるの眉が不可解そうに歪む。

 うさぎは、思い出すように視線を下げた。その先で眠る衛は、爆発に巻き込まれたとは思えないほど安らかな表情だった。

 

「実は、前にもこんなことがあったんです」

 

 興味を引かれたようにみちるの瞳に光が煌めく。

 

「妖魔化したイャンガルルガってモンスターを浄化して、それで逃げてくれるって安心してたらまもちゃんが襲われて……本当は、その子は生まれつき争うのが当たり前なんだって」

 

 うさぎは衛の傍に寄り、屈んでその大きい手を握った。

 

「でも、それで分かった。あたしがどんなに銀水晶に祈っても、この世界に既にある生き方とか考え方そのものは変えられない」

 

 恋人と繋がれた白い手に力が入り、その眉が哀しげに歪んだことにみちるは気づいた。

 

「最初はみちるさんたちと同じように自分の考え方とか、こっちの世界のやり方にこだわって戦おうとしてたんです。でも、結局それはこの世界を壊そうとしてるようなもの……デス・バスターズがやろうとしてることと変わらない」

 

 うさぎは衛の手を、名残惜しそうながらもそっと優しくその身体の上に置く。

 彼女は丸太椅子に座ると、傍に置いていた煌剣リオレウスを膝の上に乗せた。

 

 その刃を、手に持った四角形の砥石で研ぐ。

 1回1回気持ちを込めるように、隅々まで錆びを落とすように、丁寧な手つきで。

 やがて研ぎ終えて出来栄えを確認すると、少女は立って大剣を背にしまった。

 

「……この世界と『何の縁もない』なんて、流石に言い過ぎだと思います」

 

 うさぎはみちるの前に立つと、桜色の甲殻の胸当てに手をそっと添えた。

 

「あたしたちはもう、この世界でたくさんの人やモンスターに命を支えて貰ってる。みちるさんも、そこは分かってるでしょ?」

 

 みちるが纏っているのは『ラギアS』と通称される防具。

 雷を操る大海の王者の鱗を溶かし、繋ぎ合わせて製造された鎧だった。

 

「あたしは、この世界のありのままの姿を護っていこうって決めた。だから、その手がかりを掴むためにあのブラキディオスを狩る。それが、最後にはあたしたちの世界も救うって信じてるから」

「うさぎ……」

「みちるさんも協力してくれたら、きっとそこに手が届くと思うんです! まもちゃんの想いを無駄にしないためにも……どうか、力を貸してくれませんか?」

 

 差し伸べられた白い手には、血豆の跡が出来ていた。

 その手をみちるは羨望にも似た眼差しで見つめ、眩しい陽を見たかのように目を細めてうつむいた。

 

「こんな厳しい世界でも、貴女は変わらないのね。どんな相手だろうと、結局は憎むのではなく理解しようとする」

 

 亜美が覗き見たみちるの顔は、どこか寂しそうな色を湛えて笑っていた。

 

「私たちも、そうあれたら良いのだろうけどね」

「……ダメ、ですか?」

「貴女たちの思ってる以上に、私は怖がりなのよ。もしあの人と一緒なら、勝てないと思う相手に立ち向かう覚悟もついたのでしょうけれど」

 

 女性的な優美さと気品を持ちつつも、気高い意志と賢さ、そして芯の強さを持つみちる。

 そんな彼女が、先ほどまでは想像もつかない弱気な表情を垣間見せていた。

 

「みちるさん。実際、こちらに勝機はまだあります」

 

 亜美が、ここに来て初めてみちるに話しかける。

 

「傷から最大限の力を流し込む……うさぎちゃんの発想は間違ってはいないはずです。その方向性を変えてみるんです」

 

 うさぎが、目を真ん丸にして驚いている。

 普段大人しい亜美がここまで熱っぽく語ることは珍しいからだ。

 

「見た限りでも、水属性の攻撃はかなり効いてるはず。みちるさんの強力な戦士の力を武器に宿し、斬り傷からエナジーを爆発させれば、ブラキディオスの甲殻を打ち破ることができるかも知れません」

 

 みちるも、必死に説得しようと語る亜美を凝視していた。

 

「それにこんな感傷的なことを言うと、きっと怒られるでしょうけれど──勝てるかもしれない相手に最大限の力で挑もうとしないのは、その武器に使われたロアルドロスにも……そして、あのブラキディオスにも失礼だと思います!」

 

 みちるの視線は背中に担ぐスラッシュアックスの一種『スプラックス』に注がれた。

 水獣ロアルドロスの水を大量に吸い込むスポンジ状の素材を取り入れ、強烈な水属性の攻撃を可能とした一品だ。

 海色の髪を靡かせる女性は、久しぶりにくすりと微笑んだ。

 

「まさか、貴女たちに狩人の掟を教えられるとはね」

「あっ……す、すみません、あたしったらつい熱くなってしまって!」

 

 亜美が思わず我に返って頭を下げるが、みちるは首を横に振る。

 

「ううん、感心してるのよ。亜美、貴女も随分と見違えたわね」

 

 やがて、彼女は支給品ボックスに向かい応急薬、携帯食料などを取り出した。

 

「……分かったわ、やってみる。一度だけよ」

 

 その一言に、うさぎと亜美は嬉しそうに顔を見合わせた。

 さっそくうさぎは、再び衛の手を素早く取った。

 

「まもちゃん……あたしたち、後は頑張るから!」

 

──

 

 ブラキディオスは、草食竜を仕留めて食っていた。

 硬い甲殻で知られるリノプロスと呼ばれるモンスターだが、爆砕拳の前には無力だったようだ。

 近づくと、彼は気配に気づき振り向く。

 

「ギィエエエエエエエェェェエエエエエエエエンンン!!!!」

 

 再び戦えることへの興奮か、それともしつこく食らいつかれたことへの怒りか。

 緑に戻っていた粘菌が、黄色へと再び活性化する。

 ブラキディオスはうさぎたちに軸を合わせるように後退、角を地盤に勢い付けて突き刺した。

 

「また何かしてくるわ!」

 

 角から前方の地面に亀裂が入る。

 うさぎたちが急いで横に避けると、直後、粘菌の爆発が一直線に連鎖した。

 

「……ガンナーでも安心できないわね」

 

 亜美はボウガンに弾を装填しながら、下から割れ飛び、黒焦げた地面を見つめた。

 ブラキディオスは両拳を突き合わせて威嚇し、闘気を充填するかのようにそれらを舐め回す。

 

「さぁ、それでは反撃と行かせてもらおうかしら」

 

 みちるが初めて取り出したスラッシュアックスという武器は、文字通りの斧の姿をしていた。

 スリットの入った一つの軸を境に、大きい刃と小さい刃が両方に斧の形を成している。

 

 彼女は前進し、砕竜の後ろ脚に斧を叩きつける。更に横に一閃、そして斜め上へと斬り上げ。

 斬撃と共に水飛沫が飛び、黒曜石で覆われた甲殻を削った。

 

「……さて、いろいろと段取りがあるのがこの武器の難しいところね」

 

 そう言いながらも、彼女の武器の扱いは初心者とは言えなかった。

 ブラキディオスの横殴りを躱して腹下に潜行、そこから更にぶんと斬り上げる。

 その滑らかな攻撃の繋ぎに、うさぎも驚きを隠せない。

 

「な……なんかみちるさん、思った以上にすごく武器の扱い上手いんだけど……」

「そういや前に、奇面族の子たちが練習してるって言ってたわね」

 

 そうとは言っても、恐らく彼女にとっては初の実戦である。

 なのに平然と重い武器を扱うさまは、セーラー戦士としての格の違いを見せられているようだった。

 

「とにかく、今は少しでも甲殻に『隙間』を開けましょう!」

 

 亜美は気を取り直して水冷弾を撃つ。

 うさぎは大剣を叩きつける。

 これまで付けてきた甲殻の傷を、もっと広げるのだ。

 そして必殺技を通すための通路を作る。

 

「はあっ!!」

 

 みちるは、斧を縦に振り下ろす。少女の力とは思えない強烈さで甲殻を削る。

 彼女は同時に、自身が持つ柄付近に設置されたビンをちらりと見ていた。

 斧の刃が衝撃を受けるのに従い、それに入った薬液が反応。沸々と蒸気を上げ始めている。

 みちるを相手取っている間に亜美は背後から弾を撃ち、うさぎも視界の外から追撃を加えるため駆け寄っていく。

 

「それにしても一体何なの、このブラキディオス……。これで妖魔化じゃないってんなら何になって……」

 

 設置された粘菌の爆発を横目に見つつ、うさぎは視線を前に戻した。

 ちょうど、ブラキディオスがみちるに向かって頭突きをかましていたところだ。

 だが前を向く彼の視線が、突然、背後にいるうさぎを捉えた。

 

「いっ……」

 

 ブラキディオスは180度振り向き、同時に腕を振り上げる。

 体勢の移行に1秒もかかっていない。

 繰り出されるのは左拳でのストレートだ。

 

「全然隙が無いっ!」

 

 うさぎは慌てて後ろに転がってパンチを避ける。

 相手も、狩られまいと必死なのだ。

 

「隙が無いのなら、作ればいいわ」

 

 みちるは、流れるような動きで閃光玉を投げ入れた。

 うさぎたちが目を塞ぐと、強烈な閃光がブラキディオスの視界を潰す。

 彼は錯乱してますます狂ったように暴れたが、うさぎたちは距離を離したため影響はない。

 

「亜美、シビレ罠を用意して! 動きを封じましょう」

 

 亜美は一瞬、戸惑ったように視線を彷徨わせた。

 みちるが狩人の道具を使うところなど見たことが無かったからだ。

 

「みちるさんが、吹っ切れた……」

「すまないけれどうさぎ、頭の方を貴女に頼めるかしら?」

「は、はいっ!」

 

 頼みを受け、2人はそれぞれ準備に取り掛かった。

 亜美は素早く円盤状の装置を地面に設置し、スイッチを押して電流を張る。

 視界を取り戻したブラキディオスは、先にも増して怒り狂った視線でうさぎたちを捉えた。

 

「く、来るわ!」

 

 真っすぐ拳を振りかざして走って来る紺藍の身体。

 だが、それが少女たちに届くことは叶わなかった。

 

「ググルウッ!?」

 

 モンスターをも足止める電流が、その脚を地面に縫い付ける。

 うさぎはさっそく、ブラキディオスの頭の前で溜め斬りをお見舞いした。

 無防備な頭に一筋の傷が入る。

 

 一方みちるは、スラッシュアックスの持ち手の近くにあるレバーをカチリと引いた。

 すると軸に合わせて大きい刃が下方にスライド、反対側にあった小さい刃が先端を中心として半回転。

 さっきまでは下側に向けられていた切っ先がひっくり返り、鋭い金属製の輝きを露わにした。

 2つの刃は合体し、一つの剣の形を成す。

 

 これが、スラッシュアックスの隠されていた第二の形態である。

 

 みちるはその大剣にも似た形の刃を、相手の後ろ脚目掛けて二連で叩きつける。

 先の衝撃により武器に備わる水属性エネルギーがビンから補填された薬液によって強化、水の爆発がより一層激しいものになる。

 このビンの薬液の効果を載せた斬撃こそ、『剣状態』の強み。 

 斧の状態よりも甲殻が早いテンポで削られ、砕けていく。

 

 やがて効果時間を超えたシビレ罠は、ひとりでに爆散した。

 かなり攻撃が効いたのか、ブラキディオスはみちるに標的を変更した。

 

「フウウウッッ」

 

 1度目は、右拳による力任せのストレート。

 みちるは相手の腹下に潜り込み、爆破を背後に脚を切り裂く。

 

 2度目の殴打は左拳による横殴り。

 だが、今度も拳はみちるの後ろを通過するだけで当たらない。攻撃を続行。

 

 3度目。砕竜もこのままでは当たらないと判断してかステップを踏み、右から横殴る。

 だが、みちるは既にその軌道を読んで右拳の攻撃範囲から逃れていた。

 

 4度目。次は左拳で真っすぐ追撃する。

 一連の連撃は爆発と共に凄まじい覇気を放っていたが、みちるは武器を構えたまま転がり、爆破をも見事に避けきってみせる。

 

 締めにブラキディオスは正面へ頭突き、前方の地面を爆破で一掃した。

 だが、その時少女は既に後ろ脚の近くにいる。

 隣で連鎖する爆音にも怯まず、その時々により一番己に近いところを剣で斬っていく。

 その時には既に彼女の武器からは薬液が染み出し、雷にも似たエネルギーの光が迸り始めていた。

 

「何あれ、すごい……!」

「スラッシュアックスには『高出力状態』というものがあると聞くけど……まさか、そこへ持っていこうとしてるの?」

 

 うさぎと亜美は、みちるの持つ未知の武器に驚きを隠せなかった。

 

 彼女が必殺技を放つには、蒸発した薬液の効果が剣斧全体に染みわたり、なおかつその薬液が斬りつけたモンスターの体液と十分に化学反応を起こしている『高出力状態』になっている必要がある。

 前者は斧状態での斬撃による衝撃で、後者は剣状態による連撃で溜まる。

 この両方が揃った時こそ、ブラキディオスに致命傷を与えられるチャンスである。

 その状態を目指し、みちるは剣斧を扱っていたのだ。

 

──

 

 狩猟が始まってからどれくらい経っただろう。

 本来人間が来るべきでない溶岩地帯に加え、狩猟という一つも気が抜けない環境。

 相手の身体に確実に傷は付いていくが、少女たちの体力も削られていく。

 そして、壁はそれだけではなかった。

 

 みちるがブラキディオスを睨み、時のことだった。

 突然、彼がそっぽを向いて腕を舐める。

 次の瞬間、紺藍の竜の姿はその場から消えていた。

 みちるは動きを止め、跳んでいく砕竜の動きを目で追いかけた。

 

「わあああっ!?」

 

 ブラキディオスは滑らかな動きでうさぎたちに跳びかかっていた。

 両拳が地面を直撃、爆発する。

 

「うさぎ! 亜美!」

「だ、大丈夫でーーす!!」

 

 悲鳴を上げた彼女たちの回避が何とか間に合っていたことに、みちるはやっと胸を撫でおろす。

 しかし離れた砕竜の後を追っていく間に、先ほどまで漲りつつあった刃の輝きは衰えていった。

 これがスラッシュアックスの難点であり、乗り越えなければならない大きな壁だ。

 攻撃が出来なければ薬液の効果は落ち、『高出力状態』からは遠ざかっていく。

 

「自分が集中して狙われないというのも、考え物ね」

 

 みちるは複雑な表情で武器の刃に宿る金属の輝きを見つめていた。

 積極的に攻めなければ勝利からは遠ざかり、だからといって攻めすぎれば攻撃を浴びせられる確率が急激に上がる。

 ただでさえ動きについていくのがやっとなのに、今はそこに加えて武器の状態までも考慮せねばならない。

 

 運悪いことに、ブラキディオスはあらゆる面で隙が無かった。多彩な打撃技、素早い身のこなし、不安定な動き。そして粘菌の爆発がこちらの攻撃を阻む。

 何よりも厄介なのが、標的を臨機応変に変える習性だ。

 みちるを狙っていたかと思うとうさぎに殴りかかり、そこから亜美を狙って頭突きしての一直線爆破を仕掛けてくる。

 このような一連の動きは全く先が読めない。3人が同時に相手するため、狙いが複雑化しているのだ。しかも加えて、狂ったように虚空を攻撃することもある。

 だから、思い切って攻められない。少しでも読み違えば、剛拳と爆発の直撃が待っている。

 

「……あと一歩なのに」

 

 みちるは、またしても衰えてゆく自身の武器の輝きを口惜しげに見つめた。

 

「そうだわ!」

 

 亜美は何かを思いつくと、突如毒弾を装填し直しブラキディオスに撃ちこむ。

 そして。

 

「亜美!?」

 

 彼女はわざわざうさぎたちの近く、つまりブラキディオスに近付いたのだ。

 毒を注入されたブラキディオスは、ぐるんぐるんと首を振って、痺れるのか舌を振って涎を撒き散らす。

 

「危険よ、下がって!」

 

 ハンターとなってから日が浅いみちるでも、これが愚かな行為であることはすぐ理解できる。

 ガンナーの防具は身軽さを追求しているため、剣士よりも防具の防御力が低いのだ。

 つまりいま亜美が行っているのは、れっきとした自殺行為なのだ。

 しかし、彼女は堂々と叫ぶ。

 

「うさぎちゃん、そっちには行かないで! 粘菌がもう爆発しそうだわ! みちるさんは左です、そっちにはまだ粘菌がありません!」

 

 その意図に気づき、みちるは目を見開いた。

 

「亜美、貴女……」

「あたしはうさぎちゃんの近くで指示役に徹します。こうすれば、あちらの狙いも分散しにくくなるはずです!」

 

 彼女はうさぎの攻撃に当たらない程々の距離を取りながら、付き添うように行動している。

 確かに、これなら相手の狙いは複雑化しない。

 

「……助かるわ!」

「さっすが亜美ちゃん!」

 

 ブラキディオスの標的はやがて、うさぎとみちるの2人に絞られた。

 彼女らは、亜美の指示を受けて的確な位置へと逃げつつ立ち回る。

 そうなれば後はターン制だ。

 相手がもう1人を攻撃している間にこちらが背後から一撃離脱という、分かりやすい流れが出来上がる。

 

 みちるは斧から剣へ、剣から斧へと絶え間なく変形を重ねながらブラキディオスの甲殻を切り裂いた。

 それを繰り返すうちに、剣斧の属性エネルギーの輝きも取り戻され、むしろ勢いが増していく。

 

「恐らく、あと一撃……」

 

 そんな中、頭に無数の傷がついたブラキディオスはゆっくりと後退った。

 弱った身体で攻撃を食らうことに怖れたのだろうか。

 それまでの雄姿からは想像もつかない鈍い動きだった。

 

「よし、毒弾をそろそろ撃ちこまないと!」

 

 亜美はその隙を見て、立ち止まってボウガンを装填する。そこで、前で動くうさぎと少しだけ空間の隙間ができた。

 みちるはふと違和感を感じ、ブラキディオスを見た。

 彼の視線は、亜美を真っ直ぐに捉えている。

 

「いえ、これは……亜美、貴女狙われてるわ!」

「えっ」

 

 隙を晒したと見せかけ殴りかかるのは、ブラキディオスの常套手段。先ほど、ネプチューンに変身していたみちるもそれにやられたのだ。

 

 左拳が素早く振り上げられた。直前まで気配を悟らせぬ、恐ろしく鋭い動きだ。

 みちるは咄嗟に剣斧を砕竜の脚に振りかざす。

 刃は、甲殻の傷に少し掠っただけだった。

 攻撃の直前になって、砕竜の視線は亜美からみちるに移る。

 

「くうっ……」

 

 次の瞬間。

 まるでこの時のためだけに取っておいたような、瞬速の拳。

 亜美に向かうはずだったその軌道が、ぐるんと回ってみちるに直行する。

 この距離ではとても回避が間に合わない。

 

「っ……!!」

 

 武器を盾にしかけたが、爆発をまともに受ければ機構の破片を浴びる。

 思わず、みちるは反射的に目を瞑った。

 

 炸裂音は鳴った。

 が、衝撃の方は来なかった。

 

「ぐっ……」

 

 目を開けると、うさぎが、爆砕の拳を大剣で受け止めていた。

 だが、本来大剣は盾として使うものではない。

 いとも容易く吹っ飛ばされる少女の身体。

 地面に転がった彼女は、苦しげに呻きつつも何とか立ち上がる。

 

「うさぎ! 貴女……」

「みちるさんの決意を、無駄にしたくないから!」

 

 みちるははっとして、金髪の端が黒焦げた少女の叫びを聴いていた。

 純粋な、どこまでも蒼い瞳を彼女は光らせていた。

 

「みちるさんが何を隠してるかとか……全っ然分かんないけど! それでも、はるかさんとの約束を破ってまであたしたちを信じてくれたみちるさんを、あたしも信じたい!!」

 

 みちるは、目を奪われていた。

 間髪入れず、ブラキディオスは角を天高く持ち上げる。

 先刻のように角から粘菌を地面に送り込み、周囲を丸ごと吹っ飛ばすつもりであろう。

 

「お願い、間に合って!」

 

 亜美が腹下に滑り込み、地雷型弾丸をブラキディオスの腹下に設置する。

 そして彼女の頭上を通って頭角が地面に接地した、その時だった。

 

「シャボン・フレージング・ゲイザー!」

 

 青髪の少女が腹下を滑り抜けた瞬間、地雷は爆発する。

 溶岩をも凍らせる程の超低温の冷気が放出される。

 

「グガアアアッッ!?」

 

 それに当てられたブラキディオスの身体が、下側から凍り付く。

 

「あっ、みちるさん! それ!」

「はっ……」

 

 気づくと、みちるの剣斧『スプラックス』がそれまでに見たことのない明るさで光っていた。

 それは彼女の髪くらいに明るい海色に瞬き、まるで、持ち主を祝福するかのようだった。

 

「まさか、さっきの斬撃で……」

「今よ!」

 

 うさぎの声を受け、みちるは頷き、波打つ髪を揺らして駆けていく。

 ブラキディオスの憎々しげな顔を前にし、彼女は一瞬セーラーネプチューンの姿へと変わる。

 砕竜は負けじと拳を振るったが、冷気により勢いは緩んでいた。

 海王星の戦士は拳の上を蹴って放物線を描いて跳び、ブラキディオスの頭部へと着地。

 

「グガアアア……」

 

 砕竜はヒビの入った拳を振るうも、頭上には決して当たりはしない。

 彼女はその手に、虹色の光と共に『スプラックス』を呼び出した。

 剣の形をしたそれは、刃に水を含んだ輝きを漲らせていた。

 

「ディープ……」

 

 狙うべきは、ブラキディオスの頭にできた甲殻の大きな亀裂だ。皆が協力したことで、何とか開かせた通路だ。

 水の滾った切先を、そこに真っすぐ突き入れる。刃が深々と黒曜石に穴を開ける。

 

 零距離で水属性エネルギーを解放。

 武器が持つ水属性エネルギーと自身の守護星の力、そこにビンの薬液による補強効果を乗算。

 ブラキディオスの甲殻は強烈な水の輝きと反応し、遂に限界に達する。次々と、甲殻に波紋が広がるように亀裂が走る。

 

「サブマージッ!!」

 

 赤茶色の渓谷に、一瞬、津波が巻き起こった。

 今までのどの狩りよりも激しい水の爆発だった。

 うさぎたちに、水滴が雨のように降り注いだ。

 水滴が火山の熱で蒸発、霧となる中、ブラキディオスはまだ立っていた。

 揺らぐ蒸気のなかに、甲殻の割れた頭をふらつかせている。

 

「グオ……オォ……」

 

 粘菌のすっかり無くなった拳を、視線も定まらぬまま振り下ろす。

 拳はみちるに当たることなく、虚しく地面へと落ちる。

 

「……」

 

 うさぎたちが無言で見守るブラキディオスの顔は、甲殻が剥げて凸凹だらけだった。

 彼は腕で何とか上体を持ち上げようとするも、傷だらけの拳はもはやそれだけの力を持たない。

 そのまま、身体が沈み込んだ。

 

「ヴオ゛オ゛ォォォ……」

 

 弱々しくなっていく鳴き声。やがて彼から息遣いがなくなっていく。

 最後の最後で狂気から解放されたのか、静かに、穏やかに、ブラキディオスは瞳を緩ませて閉じた。

 




スラッシュアックスの描写、大辞典Wikiやいろいろな動画を参考に書き込んだけれどちょっと細かすぎたかもしれません…。
何はともあれ、ブラキを倒したけれどこれでXX以前までの古龍以外のメインモンスターは1体を除いて書ききったことになります。


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真実の全貌

 モガ村の海に浮かぶ貸家に、セーラー戦士たちが集結していた。

 衛は包帯を巻いて寝床に横たわっている。容態は安定しているが意識は未だ戻らないまま、数日が経過していた。

 

「……それで念のためにイビルジョーの妖気を辿ってたら、ゴア・マガラに似た叫び声が聞こえてね。するとそいつ、いきなり別方向に移動し始めたのよ。あの、しつこさの権化のような生き物がよ?」

 

 火山から帰ってきたうさぎたちに、レイは深刻な表情で状況を伝えている。

 彼女たちは、どうやら妖魔化したイビルジョーから逃げて終わったわけではなかったようだ。

 

「帰ってくる途中でギルドに報告ついでに確認してみたら、凍土付近の地域で同じような動きをするモンスターが続出してるらしいわ。ハンターたちも、他の生物も一切無視してね」

「ど……どういうこと?」

「あたしたちだって聞きたいところだよ。それだけじゃない、よく調べてみたらそいつら、揃いも揃って東に向かって移動を開始してるんだ!」

 

 まことは、ギルドからもらった資料をテーブルに広げた。

 大陸の形を示した地図に夥しい数の矢印が書かれている。それらは確かに東の方面に向かって平行して伸びている。目的地ははっきりと分からない。

 

「バルバレギルドを通して各地の凄腕ハンターさんに近くを警戒してもらうよう頼んどいたわ。今頃は、バンッバン妖魔が出現してるはずよ!」

 

 美奈子の口調は確信にも近いものがあった。

 続いて、ちびうさが何かを持って出てくる。

 

「あたしの方からも、うさぎに見て欲しいものがあるの」

「こ、これ……!」

 

 開かれた掌に紫に光るのは、瓶に入れられたセルレギオスの鱗。

 明らかにそれからは、妖魔と同じ妖気をはっきりと感じ取れた。ちびうさは確信を持った瞳で訴える。

 

「あたしたちが掃除してた時、この鱗も叫び声が聞こえた後に光り始めたの。ちょうど、レイちゃんたちが凍土に行った5日くらい後よ!」

「てことは、あのセルレギオス……」

「ええ。やっぱり、あたしたちが探してた『金の竜』じゃないってことよ」

 

 うさぎの言葉に、亜美は頷いて答えた。

 

「でもおかしいわよ。前はこの鱗から何の妖気も感じなかった……そのゴア・マガラが咆えた時に感染したっていうの?」

 

 物理的に考えてもそれはおかしい。その時、鱗は瓶に密封されていたはずなのだ。

 

「……亜美ちゃん」

 

 レイは何かを思い、亜美に呼びかけた。

 

「ティガレックスの妖魔ウイルスのサンプル、そろそろポッケ村から届いてる頃合でしょ? 今回のセルレギオスのものと比べてみてくれない?」

 

──

 

 セーラー戦士専用の装置、マーキュリーゴーグルによる解析が終わり顔を再び上げた亜美は、額に冷や汗をかいていた。

 

「全く同じだわ! 雪山のティガレックスに宿っていた妖魔ウイルスと、今回のセルレギオスの妖魔ウイルス……全く同じ形よ!」

 

 一気に場の雰囲気が鋭くなる。レイはその中でも、確信をより一層高めていた。

 

「やっぱり。ティガレックスの時も、妖魔になる直前まで全然妖気を感じなかった! これが今回の妖魔ウイルスの性質ってこと?」

 

 感染しても、感染者はまるで何事もなかったかのように振舞う。それが、ゴア・マガラの咆哮が鍵となって一斉に妖魔化したと見るのが良さそうだった。

 

「まるで時限爆弾ね。通りでそこら中にばら撒かれても気づかないわけだわ!」

 

 美奈子は腕を組み、瓶の中の金色の鱗に向かって唸った。

 亜美も悔しげにそれを見つめていた。

 

「今回、デス・バスターズはこのウイルスを持ったセルレギオスを各地に飛ばし、自然界に植え付けたのよ。あたしたちが孤島で見た時のようにしてね」

 

 蒼き天空の王、リオレウス亜種にすら挑みかかっていたセルレギオス。彼の攻撃的な生態を通し、妖魔ウイルスは勝手に各地のモンスターたちにため込まれていった。

 これならデス・バスターズがわざわざ手をかけずとも、妖魔が自動的に生み出されるというわけだ。

 

「はるかさんたちが見たイビルジョーは、とにかく目の前にあるものを食らう生物よ。もしかしたら、どこかで妖魔をたくさん捕食して、その結果妖魔化が早まったのかもしれない」

 

 でも、とまことは言い出した。

 

「あまりに突拍子すぎるよ。ティガレックスに感染したらいきなりそんな性質が出てきただなんて」

「あ、あの、すみません!」

 

 ちょうどそのタイミングでモガ村の受付嬢、アイシャが貸家に入ってきた。

 一斉にそこにいる全員の視線がそちらに向く。

 

「わわっ、お取り込み中でしたっ!?」

 

 それに制服姿の彼女は驚いて肩を浮つかせ、亜美は慌ててゴーグルを背後に隠した。

 黒猫のルナはそれを横目で見届けると、愛想笑いを浮かべてアイシャに振り向いた。

 

「ど、どうしたのアイシャさん。何か用?」

 

 彼女はごくんと唾を呑み込んで、紙を持つ手に力を込めた。

 

「実は……ギルドの回収班でブラキディオスの解析を行ったところ、狂竜ウイルスが検出されたとの報告が来たんです!」

「「狂竜ウイルス!?」」

 

 狂竜ウイルスといえば本来、黒蝕竜ゴア・マガラが扱う生命を狂わす鱗粉を指す。妖魔ウイルスは、元はといえばデス・バスターズが狂竜ウイルスを改造したものなのだ。

 それが、火山でブラキディオスに感染していたという。

 

「だから、うさぎちゃんはあの時浄化できなかったのね」

 

 亜美が前回の戦いを振り返って小さく呟く。当人であるうさぎは、疑問にますます眉をひそめる。

 

「じゃあ、あの時のゴア・マガラは一体何だったの?」

「一つ僭越ながら、推測を言わせて頂いてよろしいかしら」

 

 理知的な口調で話を切り出したのはみちるだった。

 

 

「もし、ゴア・マガラが2頭いるとしたら?」

 

 

 彼女の発言に、海上に浮かぶ木の板に腰掛けた少女たちは一気にざわついた。

 以下に挙げるのがみちるの語った仮説である。

 

 うさぎたちが遺跡平原で対峙したゴア・マガラは、妖魔でないもう1頭のゴア・マガラだった。

 ミメットが妖魔化ゴア・マガラを率いてバルバレへ進撃しようとしていたところにこれが乱入、妖魔化生物たちを軒並み排除してしまったのだ。

 

 ティガレックスはその戦いに巻き込まれるなどして両者のウイルスに感染。保菌したまま雪山へと渡った。

 その体内で、突然変異体として生まれたのが新型妖魔ウイルスである。

 新型妖魔ウイルスを宿したティガレックスはセーラー戦士たちの手によって葬られた。

 デス・バスターズは遺体に残存したウイルスを、妖魔のゴア・マガラに掠め取らせたのだ。

 

「この前、ユージアルがゴア・マガラを『厄介なお兄ちゃん』と呼んでいたものでね。妖魔ウイルスと狂竜ウイルスは、いわば仲の悪い兄弟のような関係ではないかしら」

「……じゃあ、デス・バスターズはその()()1()()()()()()()()()とずっと争ってるっていうの?」

 

 確認するようにうさぎがみちるに問うと、彼女は黙って頷いた。

 衝撃だった。

 だが、彼女の言っていることに大きな矛盾はない。それなら、ブラキディオスが妖魔化したウラガンキンに襲い掛かったことも説明がつく。

 

「だとすると、本当の『金の竜』って──」

 

 そのイメージはすぐに、一つの像へ結びついた。

 居ても立っても居られず、うさぎと美奈子が共に拳を握って立ち上がる。

 

「大変よ、一刻でも早く何とかしないと!」

「そうね! これ以上奴らの思い通りにはさせないわ!」

「それでどうする?」

 

 使命感に満ちている2人に唯一、疑義の視線を投げかける存在がいた。

 精悍な金髪の麗人、天王はるかだ。

 彼女はインナー姿でシャツを羽織り、ベッドに腰かけながら潮風に当たっていた。

 

「まさか並みいる妖魔をすべて、僕たちだけで迎え撃つというつもりか?」

 

 非難の光を帯びた青い眼差しに、美奈子はむきになって反論する。

 

「とにかく東へ行かなくっちゃ! 細かいこと考えるのはそれからよ!」

「東の何処へだ」

 

 言葉を突きつける、はるかの冷静な瞳の色は変わらない。

 

「僕たちは、妖魔たちがどこを目指してるかすら分かってすらいないんだ。もし無駄足を踏んだらどうする? 」

「う、うぐぐ……」

 

 結局うさぎと美奈子は何も言い返せず、言い淀むしかなかった。

 

「あ、あのー、実はもう一つ伝えたいことが……」

「なんだ、アイシャ」

 

 はるかが答えると、彼女は2通の封筒を取り出した。

 

「手紙?」

「はい! 一方は差出人がないんですけど、もう1通は結構凄そうな人ですよ!!」

「えっ、誰、誰?」

 

 うさぎと美奈子はすぐにそちらに興味を引かれ、アイシャへ駆け寄る。

 彼女らが差出人名のある方を受け取り裏面を確認した途端、うさぎたちはわあっとどよめいた。

 

「筆頭リーダーさんからだ……!」

 

 彼はかつてバルバレを共に救ったエリートハンター集団『筆頭ハンター』の1人だ。

 うさぎは懐かしそうに顔をほころばせながら封を開ける。

 

「久々だけど、どうしてるのかな~?」

「もし彼女出来てたらあたしちょっとショック~」

「あたしも、なんだかんだ言ってやっぱりねぇ……」

 

 美奈子とまことは、前の色恋沙汰を引きずって不安がっている。

 

「……さっきまでの真剣な空気が台無しだな」

 

 白猫のアルテミスはそう皮肉り、はるかとみちるは苦笑いを浮かべる。

 しかし、うさぎの仲間たち、ちびうさも含め6人の少女たちが中身を読み始めると、段々と視線に真剣味が増していく。

 

「え……これって!?」

「どうしたの、貴女たち?」 

「とにかく、読んでみてください!」

 

 レイが、手紙を急いではるかたちに見せる。

 彼女たちも、内容を確認するうちにうさぎたちの反応の理由を知ることとなった。

 

~~~

 

 バルバレでの魔女ミメットによる洗脳騒ぎは、世界各地のハンターズギルドに衝撃をもたらした。

 いかにハンターたちが発展した狩猟技術を持ってても、それを纏める組織たるギルドが機能不全に陥れば何の意味もなさない。それがこの事件で証明された。

 

 そういうわけで、専ら妖魔化生物を追っていたハンターたちの関心も妖しき力を使う『魔女』に寄っていった。

 筆頭ハンターたちが第二の目標たる『妖魔ウイルスを操るゴア・マガラ』の調査を依頼されたのは、うさぎたちがユクモ村に滞在していた頃である。

 

 ゴア・マガラの生息できる地域はくまなく調査した。

 あらゆる可能性を潰した末、真相に迫るにおいて有力な候補に挙がったのは──

 東の山々を超えた先にある場所『天空山』。

 彼らは迷わず、そこに向かった。

 

 しかし、調査は早々に袋小路に迷い込んだ。

 

 数か月に渡ってあらゆる知見から検証しても、本当に草一本に至るまで怪しい兆候や異変は全くと言っていいほどなかった。

 それでも彼らが諦めなかったのは、筆頭ハンターの1人、筆頭ガンナーの発言があったからだ。

 

「たくさんの目が、この山を見ている」

 

 理由を聞かれても、彼女は「勘よ」としか答えない。それを説明できる具体的な手段もない。

 筆頭リーダーは彼女の言葉を信じているが、彼らの属するバルバレギルドではそろそろこの地域の調査を打ち切るべきではと言う者も現れ始めている。

 現に愛想をつかしてバルバレへ帰る人員が1人、また1人と増え、今では彼の弟子とベテランのランス使いを合わせ4人しか天空山に残っていないというのだ。

 

 彼らは一心の思いで、関係の深い──かつてうさぎたちとも親交を深めた──『我らの団』団長を通じてこちらにこの文を送ってもらうことを決めた。

 この文を送る自体がこちらの調査を邪魔しかねない行為であり、説得するには根拠も薄すぎることは理解しているという。

 『だとしても』と文は続いた。

 

『もし君たちが少しでも興味があるのならば、いつでも我々は君たちを迎える用意がある』

 

 そして手紙の最後は、こう締めくくられてあった。

 

『判断は君たちに任せよう。もし来るのならば、天空山近くのシナト村で待つ』

 

~~~

 

「天空山……」 

 

 ちびうさが、ぼそりと呟く。

 

「そうよ! ゴア・マガラは大人になるとそこにある『禁足地』に行くんだって、前にソフィアさんから聞いたわ!」

 

 彼女の提言は、一気にセーラー戦士たちの目を覚まさせた。

 

「もし、デス・バスターズが妖魔化したゴア・マガラを最大級の妖魔に育てあげようとしているのなら……!」

 

 レイが言葉を継ぐ。

 いま、エナジーを大量に貯め込んだ妖魔化生物たちが、その地に一斉に向かっているのなら。

 

「奴ら、妖魔たちを集めてゴア・マガラにエナジーを吸わせる気なんだ!」

 

 まことの言葉に、少女たちは頷いて同意を示す。

 

「天空山……行くしかなさそうね!」

 

 うさぎが結論が決まりかけたその時だった。

 

「ちょ、ちょっと盛り上がってるとこ申し訳ないんですがー!!」

 

 大勢の人間に紛れて、アイシャがぴょんぴょん飛び跳ねる。

 その指には、一つの封筒が未だに挟まれていた。

 

「忘れないで下さい、あともう1通の手紙が来てますよ! はるかさんとみちるさん宛てです!」

 

 完全に存在が忘れられていた。

 一同はやっとそのことに気づく。うさぎは慌ててアイシャの手から手紙を受け取る。

 

「あ、あははそうだったそうだった!」

「はるかさん、みちるさん、知り合いなんていましたっけ?」

 

 レイがはるかに渡しつつ聞いてみるも、彼女らはいまいちピンと来ていないようだ。

 

「いや……この村以外にはいないけど」

 

 アイシャの言った通り、手紙に差出人名はない。

 しかし、宛先は確かに『天王はるか 海王みちる 様』と丁寧に書かれていた。

 

「あっ、もしかしたらご家族かご親戚からかも知れませんよ!? もしかしたら、あと少しで感動の再会が……!」

 

 事情を知らないアイシャは勝手に瞳を煌めかせ、彼女だけで盛り上がり始めていた。

 しかしその反応とは真逆に、封筒を見つめるはるかの目つきは剣呑になっていく。

 

「いや、ありえない……絶対にありえないぞ、そんなことは……!」

 

 少女たちの間で、戸惑う視線が交差する。

 ()()()()あり得るはずがないのだ。異世界を跨いで手紙を送ることなど。

 ならば、これは一体誰からの手紙なのか。

 そんな疑問が当然起こる。

 

 沈黙のなか、恐る恐る、封を開ける。

 

 中身を見た途端、一同の表情は緊張感あるものに変わった。

 




というわけで、3編終盤に向けての間話でした。
『金の竜』の正体、人によっては意外だったか予測の範囲内か。
妖魔ゴア・マガラ及び妖魔ウイルスの性質は、カマキリの腸に寄生して水場に誘き寄せ、溺れさせることで繁殖に繋げる寄生虫「ハリガネムシ」にヒントを得ました。
遂に次回より、決戦が始まります。


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古傷という名の鎖①

決戦前夜。


 

 砂原の天気は、今日も快晴だった。

 砂漠地帯を見下ろせる高い崖の上に、デス・バスターズの幹部ユージアルは腰を下ろしていた。

 彼女1人だけだったそこに、どこからかヒールの音が響く。

 

「お待たせしました、センパ~イ! これ、頼まれてたものです~」

「それはどうも。こちとら、あんたとはほんっとーに心の底から会いたくなかったけどね」

 

 背後から声をかけたのは、もう1人の幹部ミメットである。

 彼女は愛想よく、資料らしき書類と小さな袋を差し出した。

 一方それを後ろから渡されるユージアルは、その後輩と目を合わせようとしないどころか、不機嫌そうにぴくぴくと頬を引きつらせている。

 

「まぁまぁ、前世のことは水に流しましょうよセンパーイ」

 

 ミメットは一向に動じず、ユージアルの隣にどかりと腰を下ろす。

 先輩であるユージアルが表情を変える気配はない。

 

 その先に見えるのはだだっ広い砂漠地帯だ。

 そこに、自然物としては明らかに不自然な、地中から噴き出す砂塵が見える。

 

「センパイも不思議な人ですねぇ。どうせうちのゴア・マガラちゃんを育てきればセーラー戦士なんか一網打尽にできるのに、因縁の相手専用に妖魔を育ててたなんて」

「少しでもセーラー戦士を減らすに越したことはないわ。……あの子もどうせあんたんとこの養分になるんだから、無駄にはならないじゃない」

「もう、ユージアル先輩ったらそんな言い方ないじゃないですか~~。ひっどぉ~~い」

 

 あざとくぷくっと顔を膨らませるミメット。

 ぶちん、とユージアルの中で何かが弾けた。

 彼女は怒りを露わにして立ちあがると、ミメットを睨み、指差して一気に距離を詰める。

 

「ひどいのはあんたの方でしょう!? こっちは知ってんのよ! あんたが私にも教授にも無断で、妖魔を予定よりずっと早く覚醒させたこと!!」

「それは一刻でも早くうちの子を育てて、『お兄ちゃん』に復讐させてあげようと思っただけですーっ」

 

 これにもミメットはぶんぶんと腕を振って自分は悪くないと主張した。

 如何にもぶりっ子ぶった態度が、余計に生真面目なユージアルの神経を逆なでする。

 

「そのせいでこっちは火山で出くわして追いかけ回されたのよ!? もしあれがこっちの動きに反応して『金の竜』になったりでもしたら……!」

 

 油を注がれた炎のごとくますますいきり立つユージアル。

 

「そういえばあたしも、知ってることありました」

 

 それをミメットは軽く躱しつつ、すっくと立ち上がった。

 何事かと眉を顰めたユージアルの耳元に、ミメットは顔を近づける。

 

 

「センパイがせっかく生み出した妖魔ちゃんたち、あちこちで殺されてるみたいですねぇ。この世界の『英雄さん』たちに」

 

 

 ユージアルの表情が一瞬で凍り付き、身体が後ろへ傾く。

 相変わらず、ミメットは満面の笑みを浮かべている。

 

「あんた、どこでそれを……!」

「これをみんなに知られたら、ノルマ達成できないって怒られちゃうかも知れませんねぇ。いや、それどころじゃ済まないかも」

「や、やめ……!!」

 

 ミメットは、手元に報告書のようなものをぶら下げた。恐らく、そこに証拠が握られているのだろう。

 ユージアルは慌ててミメットを掴まえようとしたが、彼女は身軽にそれを避けて後ろに積みあがった岩の上に立つ。

 

「でもぉ、あたし、()()()()()()()()()()()()センパイのことは心から尊敬してますから。センパイが悪いことしない限り、見逃してあげます」

 

 完全に立場逆転である。

 かつての後輩は、岩の上からユージアルを見下している。

 いたずらっぽく人差し指を唇の前に持ってきている小悪魔の瞳は、如何にも愉快そうに笑っている。

 

 それに対し、ユージアルはぎりりと歯ぎしりして臍を噛むのみ。

 実際、ゴア・マガラの管理を任せられたミメットの方がセルレギオス担当の彼女よりも位が上だった。

 デス・バスターズ、それに属するウィッチーズ5は対セーラー戦士組織ではあるが、彼女たちと違うのは役職という形で明確に上下関係が分けられている点だ。それに逆らうことは許されない。

 

「じゃじゃ、ライバルとの決闘頑張ってくださいね~」

 

 相変わらずの愛想のよい顔で手を振り、ミメットは消えた。

 後に残されたユージアルは1人、耐えるように両拳を握り締めていた。

 

「……絶対に見返してやる」

 

 かっと目を見開く。

 そのまま、ミメットから渡された袋も、書類も下の岩地に思い切り叩きつける。

 砂にまみれるのも構わず、書類を感情の赴くまま何度も踏みつける。

 

「セーラー戦士どもも! ミメットも! カオリナイトもビリユイもテルルもシプリンもどいつもこいつもっっ!!」

 

 彼女は怒り狂い、叫んで終いには砂を蹴り飛ばす。

 それからしばらく、荒くなった息を整える。

 ユージアルの周りは、外も内も敵ばかりだった。

 

「泥水啜ってでも、お前らを引きずり下ろしてやる!」

 

 袋をこじ開け、その中にある耳栓を取りつける。

 手荒いながらもしっかりと装着したことを確認すると、彼女は先ほどミメットが見ていた砂漠地帯を見下した。

 

「出てきなさい!!」

 

 直後、地中から砂塵巻き上げ、何者かの影が蒸気の中に姿を現す。

 ゆっくりとユージアルを見上げた奥に光る、赤い光。

 殺気と狂気を湛えた視線に、ユージアルは一瞬びくつく。

 だが耳栓がしっかり耳をガードしていることを確認すると、途端、彼女は強気に叫んだ。

 

「はいはい草食系くん、いま咆えたって無意味。それはお前の宿敵のために取っておきなさい」

 

 彼女は、時にこの生物の視線に一瞬肝が冷えることがあった。まるでこちらを観察して探るような冷たさだ。

 そのせいかは不明だが、ユージアルはこの飛竜に食性からヒントを得てあだ名を付けていた。そのひ弱な名前の響きで、彼女は自分を安心させていたのだ。

 彼女は余裕の表情を作り、そのまま谷を越えた先にあるもう一つの砂漠地帯を鋭く指さす。

 

「お昼ご飯の時間よ。早く行っておいで!!」

 

 ユージアルの指示にそれは素直に従い、再び砂を掻き分けて潜り地中を突き進んでいった。

 それを見送る彼女の表情は、いつの間にか軽くなっていた。

 唯一この時だけが、『何かが自分の思い通りになる』時間だったからだ。

 

 今回は、雪山から持ち帰った最新型の妖魔化ウイルスを感染させている。

 これまでよりもより強力に、なおかつ従順に。

 決して、反旗を翻すことなどあり得なかった。

 

──

 

 彼女の怨嗟は形を変え、海を越えてある2人のセーラー戦士の元に届いていた。

 以下が、その内容である。

 

~~~

 

 私の永久の敵、天王はるかと海王みちるへ

 

 驚いた? 前世では世話になったわね。今頃、妖魔たちがいきなり現れて狼狽えてる頃かしら?

 1週間後の正午、砂原のエリア8にて私の妖魔と決闘なさい。

 もしこれに応じなければ、お前たちのいるちっぽけな村を妖魔の群れに踏み潰させてやる。

 決して脅しなんかじゃない、今回は本気よ。

 妙なことは考えずお前たち2人だけで来るの。

 当日は楽しみにしているわ。

 

 デス・バスターズ幹部 ユージアル

 

~~~

 

「これは……果たし状ってやつじゃ」

「な、なになにー!? 何が書いてあるんですかーっ!?」

「「……あ」」

 

 うさぎたちが読み終わった時、アイシャが覗こうと背伸びをしていることに彼女たちはやっと気づいた。

 彼女が手紙の内容を知ったら、大騒ぎになることはほぼ確実である。

 

「なな何でもないです、どうやら前にあたしたちから出した手紙が今頃来たらしくってー!」

「そうそう、どうかお気になさらずー!!」

「あっ、ちょっとー!?」

 

 その場しのぎの理由をレイが叫び、亜美と一緒にアイシャを貸家の外へ押し出していく。

 一方、まことはベッドに腰を下ろしたはるかとみちるに詰め寄る。

 

「こんな脅しに従ってやる必要なんてない! はるかさん、あたしたちも一緒に砂原へ行きます!」

「そうよ! 残りのメンバーがモガ村を護れば万事解決よ!」

 

 美奈子も揃って拳を握ってやる気十分ではあった。

 

「では、天空山はどうするの? 先ほどそこに行くと決めたばかりではなくって?」

「あ……うーん……」

 

 みちるに筆頭リーダーからの手紙を目の前に示されると、2人の勢いはすぐ衰えてしまった。

 前者を優先すればデス・バスターズの企みが達成され、後者を優先すればモガ村が壊されるかもしれない。つまりはどちらを選んでも犠牲が生まれる可能性がある。

 まさにセーラー戦士たちにとって究極の選択である。

 

「はるかさんとみちるさんは、どうしたいの?」

「私はもう心に決めてるわ。はるかは……」

 

 うさぎが呼びかけると、ベッドに腰かけたみちるは隣にいる相方の横顔を見つめた。

 一見男性とも見紛うほど鋭い顔つきをした女性は、床を見つめて沈黙を保ったままだった。

 彼女は苦悩の表情でうさぎの顔を見上げた。

 

「……ちょっとしばらくの間、2人っきりにしてくれないか」

 

──

 

「……なんで迷ってるんだ」

 

 貸家のなか、はるかは責めるように言い募る。

 隣に座るみちるにではなく、自分に対してだ。

 

「デス・バスターズを討つのが僕らの果たすべき使命だろう。一刻も早くプリンセスと共に天空山に向かうべきじゃないか……だというのに、僕は縁がない村の心配を……!」

「『縁が無い』だなんて、流石に言いすぎよ」

 

 はるかは顔を上げて、みちるを見る。

 

「……て、火山でうさぎに言われたわ」

 

 冗談交じりに彼女は微笑んでいたが、やがて真剣な目つきを現してくる。

 

「はるか。本当は貴女はどうしたいの」

「……前も聞いたな、その質問は。外敵を討ち、月の王国の未来を護るのが僕たちの務めだ。それ以外のことなんて、考えるべきじゃ……」

 

 はるかの口はやや面倒そうながら、本を朗読するかのようにすらすらと言葉を並べ立てた。

 みちるの落ち着いた深海色の瞳に、鋭い光が宿る。

 

「はるか!」

 

 みちるは突然背を向けると、羽織っていた布を脱ぎ捨て、その下にあった肩を曝け出した。

 流石にこれにははるかも狼狽えを見せる。

 

「な、なにをして……」

「いいから、ちゃんと見て下さる?」

 

 彼女の背から腰に向かって、薄いが切り裂かれたような痕が走っていた。

 

「……その傷は」

「ええ。貴女が初めてセーラー戦士になった日、妖魔につけられた傷よ。あの時まで普通の中学生だった貴女は、迫りくる使命から必死に逃げようとしてたわね」

 

 みちるは左腕で痕をさすった。はるかは辛そうに眉を顰める。

 白く柔い少女の素肌にあるにしてはそれはあまりに生々しく、痛々しかった。

 

「最近アイシャから聞いたのだけれど、いま、砂原で大暴れしてるモンスターがいるんですって。なんでもその子、片角が折れた個体らしいわ」

 

 はるかははっと目を見開いて身じろぎする。

 砂原。片角。

 それらの単語はすぐ、ある一つの像へと結びついた。

 かつて、無謀にも真正面から襲い掛かってきたので軽くあしらった『暴君』の姿である。

 

「まさか、そいつ……!」

「はるか。傷跡って、鎖のようなものだと思わない? たとえ痛みが無くなろうと、その記憶と因縁に縛られ続ける。そこからは決して何をしても逃れられない……私も、その子も、前のラギアクルスも、みんな同じなのよ」

 

 みちるは自身の肩を握り締めた。

 次第に、細い指に力が入り始める。

 

「私たちはこの世界に来た時、常に心掛けていればこの世界と『無関係』でいられると思った……でも、それは土台無理な話だったのだわ」

 

 みちるは布を背に被り直すと、悲壮な顔ではるかに振り直る。

 

「はるか。いまの貴女は過去の心の傷に耐えられず、使命という言葉に逃げようとしてるだけ。もう一度聞かせてちょうだい。貴女、本当はどうしたいの?」

 

 はるかは逡巡し、自身の手を見つめる。

 セーラー戦士として犠牲を厭わず戦ってきた己の手を。

 その指に、みちるはしっかりと己のそれを絡ませる。

 はるかは眉を歪ませ、みちるの肩に頭を寄せる。

 

「……今更、正義の味方になれると言うのか? 使命のために幾度も手を汚したに飽き足らず、無垢な命を葬ろうとすらした僕たちが」

 

 みちるは何も言おうとしない。ただ、はっきりとした答えを待つように相手の瞳を覗き続けている。

 しばしの沈黙のなか、床の下からさざ波の音だけが響いてくる──

 

「なーに家の中でうだうだ喋ってるッチャ!」

 

 貸家の入り口に、乱入者が現れた。

 犯人は緑のどんぐりの仮面、青の蟹爪の仮面をそれぞれ被った2人の子どもである。

 

「チャチャ、カヤンバ……」

「悩んでることあったらいつでも相談しろンバ! それがオヤブンとしての役目ンバ!!」

 

 呟いたみちるに構わず、彼らはずかずかと屋内に上がり込んでくる。

 外に待機していたうさぎたちは彼らを捕まえようと追いすがった。

 が、身軽さに優れる奇面族たちは彼女らの手をするりと躱していく。

 

「もう、あんたたちこういう時の空気くらい読みなさいよーーっ!!」

 

 ちびうさはいよいよ怒り心頭で叫び、彼らの足をひっ掴んだ。

 

「ンギャッ!?」「ンバーッ!!」

 

 奇面族たちは同時に顔面から床に激突。

 そこから、壮絶な綱引きが始まった。

 

「お前ら、邪魔するなっチャーッ!!」

「邪魔するわよー!! 2人の空間を穢すヤツはいてはならない約束なのーっ!!」

「意味わからんこと言うなンバーッ!!」

「いいんだ。通してくれ」

「……え?」

 

 何を思ったか、はるかは奇面族たちの介入を許した。

 みちるでさえその意図は分からず首を傾げている。

 

「なあ、2人とも。ある少女1人を殺せば世界が助かると言われたら、お前たちはどうする?」

 

 はるかは彼らと向かい合うと、最初にそんなことを聞く。

 みちるは驚いたようにはるかに視線を投げかける。

 

 チャチャはカヤンバとしばらく問いの意味を考えていたが──

 間もなく、ププーッと可笑しそうに噴き出した。

 

「んな状況あるわけないッチャ! 古龍とかならともかく、人間の子ども1人なんか大したことないッチャ!」

「あり得ないンバあり得ないンバ! 流石にワガハイたちを見くびり過ぎンバ!!」

「……例えばの話だ。とにかくその少女は危険だから殺さねばならないと、とある人間たちから思われていた」

 

 可笑しさのあまり床を転げまわる奇面族たちにはるかはため息をつくも、話すのを止めなかった。

 みちるも何かを察し、黙って続きを促していた。

 

「だが彼らの仲間の1人、優しく慈愛に溢れる女の子とその友たちがその子の命を救おうとした。その冷酷な仲間たちと対立してまでね」

 

 うさぎとその仲間たちは、入り口近くで中の様子を観察していた。

 

「もしかして……あたしたちの前回の戦いのこと?」

「多分、ほたるちゃんのことよね」

 

 うさぎとちびうさがひそひそ声で話し合っていると、はるかは束の間、うさぎを横目で見つめた。

 見られた彼女はその意味が分からず口を噤んだが、どうも話すのをやめてほしいわけではなさそうだった。

 

「実のところ、狙われた少女は危険な存在なんかじゃなかった。その事実が最後に分かり、彼女を信じ切った女の子は真の力を解放した少女の協力を得、世界を一緒に救った、とさ」

 

 話は短いものだったが、奇面族たちもいつの間にかはるかの話に耳を傾けていた。

 彼女は話し終えると、自身よりもずっと小さい子どもたちへその顔を近づけた。

 

 

「……その子のようなことが、僕たちにもできると思うか? お前たちの立場から聞かせてくれ」

 

 

 彼女の視線は真剣そのものであった。

 みちるも、並んで子どもたちの反応を見守っている。

 床に胡坐をかく奇面族たちはふーん、と唸り合った末、仮面の口を開いた。

 

「できるとかできないとかじゃなくって、お前ら絶対そんなキャラじゃねぇッチャ」

「ンバ。すぐそいつの頸真っ先にかっ切りにかかるタイプッンバ」

 

 さすが、子どもは正直だった。

 

「あ……あぁ、そうか」

「さすが、容赦ないわね」

 

 ほぼ即答にも近いぶった切りに、はるかとみちるは思わず苦笑を漏らす。遠くから見守るうさぎたちも、同様だ。

 

「けどなんかそいつ、前のコブン第一号によく似てるっチャ」

 

 チャチャの口から突然出てきた名に、みちるが反応する。

 

「先代の専属ハンターさんと?」

「ンバッ、ワガハイがまだモガ村にいなかった頃の話ンバ。超超でかいナバルデウスってモンスターがこの近くの海底を揺らして、この村を沈めかけたことがあったンバ」

「……ナバルデウス」

 

 はるかたちにとっては何回か聞いたことのある名であった。

 モガ村の人々がたまに、「ナバルデウスの時は~」などと言い合うのを耳にしていたのだ。

 チャチャも胡坐から立ち上がって杖を掲げ、その場を周るようにして説明を始めた。

 

「その時、オレチャマたちは村丸ごとギルドから立ち退かされそうになったっチャ。普通考えれば、ビビり散らかして素直に村を捨てるのが道理ッチャ」

 

 チャチャはここぞとばかりにはるかたちの前にしゃしゃり出ていた。彼にとっても印象深い出来事らしいが、一方のカヤンバは肘をついてつまんなそうにしている。 

 

「しかーし! コブンはあろうことか、そいつに立ち向かうって言いだしたのッチャ! とんだ大馬鹿者ッチャ!」

「でもいまこの村があるということは、そのモンスターを退けすべてを護ったのね?」

 

 みちるがそう聞くと、チャチャが仮面越しでも機嫌良さそうににやりと笑ったのが分かった。

 

「フフン、それもオレチャマの協力あってこそのものだがなっチャ〜〜♪」

 

 チャチャが自慢げに胸を張っていると、カヤンバはけっ、と面白くなさそうに舌打ちした。

 

「ま、ハルカがそのさっき話したヤツと同じになれるかはともかく。少なくともお前らがコブン第一号に劣らぬ力を持ってることは、このオレチャマが保証してやるッチャ!」

「……」

 

 はるかがチャチャの言葉を受けしばらく何かを考えていると、カヤンバは不機嫌そうながら彼女の膝を杖で叩いた。

 

「なに黙ってるンバ。チャチャのヤツは間抜けでドジでアホだけど、コブン第一号の隣でずっと狩りしてたから見る目だけは確かッンバ!」

「ブーッ!? ナチュラルに暴言挟んでくるなッチャ!!」

 

 チャチャの反論を皮切りに、子どもたちは勝手に口喧嘩を始める。

 それを眺めつつ、みちるは改めてはるかに話しかける。

 

「はるか、気は済んだ?」

「……あぁ」

 

 その時のはるかは、みちるとしっかり向き合って話せるようになっていた。

 彼女は立ち上がると、奇面族たちの背中をぽんぽんと入り口の方へ押していった。

 

「ありがとうな。さぁおチビちゃんたち、そろそろ村の手伝いをしてくるんだ。僕たちはこれから、仲間うちで色々と決めなきゃいけないからね」

 

 入り口から出された奇面族たちは、そのまま口論を続けながらモガ村の人々の間に入っていく。

 うさぎたちが貸家の中に入って来ると、はるかは決心のついた顔で彼女らの前に立った。

 

「……僕たちは果たし状に従うことにする。お団子たちはすぐシナト村に行って来るんだ」

「でも、やっぱり2人だけじゃ……」

「モガ村には我らのプリンスも、遥か未来の姫君もいることだしね。ただの脅しでないとしたら、やはりここを襲わせるわけにはいかないわ」

 

 うさぎは心配したが、みちるは首を振って譲らなかった。

 はるかは外に行き交うモガ村の人々を、目を細めて見つめた。

 

「明日の明朝に出る。この村の人たちには調査に行ったってこと以外には何も言わないでくれ。特に、あのおチビちゃんたちにはな」

 




デス・バスターズ及びウィッチーズ5は基本的に会社に似た仕組みを取っている(というか大体の悪の組織がそうか)ので、セーラー戦士と対になる存在ではあるけれどめっちゃくちゃ仲が悪く同士討ちも辞さない競争社会。下手すれば自然界よりも残酷かも…。特にミメットはその性質が良く出た人物であると思います。原作アニメでも策略によってユージアルを実質殺害した人物であり、姿は可愛らしくはあるけれど、黒さにかけてはセラムン世界でもトップなんですよね…。


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古傷という名の鎖②

「みちる。今日はいつもより一段気を引き締めていこう」

 

 砂原の砂漠地帯『エリア8』に足を踏み入れて少し歩いた時、はるかが呟いた。

 彼女は白い装甲と毛皮で覆われた、騎士の鎧を思わせる装備『ベリオシリーズ』を着用していた。

 

 果たし状に書かれていた決闘の時間までは少し余裕がある。 

 それでも麗人の碧眼は鋭さを寸分も失わず、太陽に焼かれる不毛の丘を注意深く見渡していた。

 

「凍土の時と同じか、それ以上に風が騒がしい」

 

 凶暴竜イビルジョー。

 ウラヌスとなった彼女をも捕食しかけた、異常存在。

 その時身体を踏みつけられた痛みを思い出すように、はるかは白い胸当てを撫でる。

 

「あら。今になって怖気づいたの?」

「進んで認めたくはないけど、ね」

 

 言葉を濁しつつ彼女は苦笑した。

 

「私も火山で同じような目に遭ったけれど、怖くはないわ」

 

 はるかが導かれたように顔を上げると、みちるは既に先を行っていた。

 振り向いた彼女は微笑みながら続ける。

 

「だってあのうさぎたちが、この世界に負けないほど逞しくなってるって分かったんですもの。貴女もそう思わない?」

 

 はるかはそれを受け、目を細めて前回の調査とその結果を振り返った。

 レイ、まこと、美奈子は『狩人の勘』でイビルジョーの危険性を察知し、無謀よりも撤退を選んだ。

 うさぎと亜美は僅かな勝機を見逃さず、衛を負傷させた強者、ブラキディオスにさえ立ち向かった。

 

「……逃げることも、野生の世界では逞しさの一つか」

 

 それぞれ選んだ道は真逆だったが、彼女たちには共通点がある。

 一貫して、この世界の狩人としての信念と知識に従って行動していたということだ。

 

 結果的には、凍土に行った者たちは妖魔化の情報をいち早くギルドに伝えたことで。

 火山に行った者たちは狂竜ウイルスの存在という隠された真実を明らかにしたことで。

 それぞれの形で、この一連の事件の解明に貢献したのだ。

 

「たとえ私たちがこの地で斃れたとしても、きっとあの子たちが使命を引き継いでくれる。私たちが本来やろうとしていた方法より、もっと善いやり方で」

「……それなら、安心して戦えるな」

「えぇ。だから、たとえどこだろうと一緒よ、はるか」

 

 いつの間にか、2人は手を繋いでいた。

 みちるの呼びかけに、はるかは黙って頷いていた。

 ──そこに、上空から拍手が鳴る。

 

「ブラボ~ブラボ~、感動したわぁ〜。そんな御大層な想いを抱いてらっしゃったなんてね」

 

 両者はすぐさま鋭い目つきを、声のした方を見上げる。

 大蟻オルタロスが巣を作るために土を積み重ねることで出来た、高さ5m以上はある漏斗状の蟻塚。その上に、赤い服を着た女性が立っていた。

 

「……ユージアル!」

「久しぶりね、御二人とも」

「あぁ、お前からすれば前世ぶりといったところか?」

「あの脅迫状の内容は信じて良かったのかしら。もし私たちを呼び出してるうちに何か企んでるなら……」

 

 はるかとみちるはそっと繋いだ手を離すとその手で懐から変身ロッドを取り出す。

 彼女たちはそれを掲げ、一瞬にして守護星の加護を受けたそれぞれの姿、セーラーウラヌスとセーラーネプチューンに変身した。

 彼女たちは既に中腰に構え片方の掌を広げている。いつでも攻撃は出来るという意思表示である。

 

「脅迫状とは人聞きの悪い。安心しなさい、あの果たし状に書いてることは本当よ。むしろもう一つ、みんなが幸せになれるプランを用意している」

「ほう、そのプランとやらをお聞かせ願えるかな」

 

 低くドスの効かせた声でウラヌスが続きを促す。

 しかし、ユージアルも決して余裕ある表情を崩さない。

 

「我々としても無駄な損失は避けたいものでね。そこで提案だ。お前たちがこちらにプリンセスを差し出してくれるなら、これから先見逃して……」

「断る」

「そんな要求、呑むと思って?」

 

 言うまでもなかった。

 彼女らにとってその提案は挑発も同じであった。

 それに対しユージアルはしばらく黙っているように見えたが、実際はくつくつと腹の底で静かに笑いを噛み締めていた。

 やがて彼女はあはははは、と感情を表に出して大きく笑いこけ始める。

 

「何がおかしい?」

「嬉しいのよ、断ってくれて!!」

 

 突然喜々と叫んで目を見開いた彼女の瞳には、狂気すら垣間見えた。

 

「ここは仮にも幹部として示しはつけとこうってしてたところなんだけどねぇ、本当は今すぐにでもお前たちをぶっ飛ばしてやりたかったの! これからあんたたちが苦しんで死ぬところがこの目で見れるのよ!? そんなの気分良くないわけないでしょうがッ!!」

 

 最初にあった冷静さなどどこかへかなぐり捨て、ユージアルはウラヌスたちを指さし叫ぶ。

 直後、彼女たちから少し離れた砂地でどぉん、と爆音を立てて砂が巻き上げられた。

 そこから戦士たちに向け、凄まじい量の砂煙が尾を引いて迫ってくる。

 

「ネプチューン、避けろ!」

「ええ!」

 

 彼女たちが飛びのいた地点を突き破り、大地の下より現れるもの。

 飛び出し、2人を吹き飛ばそうとしたその巨影は。

 

「これが、今回のお相手よ。お前たちにとっては感動の再会ね」

 

 2人の戦士は、それを一目見て息を呑んだ。

 

 砂漠の暴君、ディアブロス。

 好戦的な性格で知られる、翼を持ちながら地上と地中を中心に活動する飛竜。

 本来は砂色の甲殻に覆われているはずだが、今はなぜか青黒く変色している。

 

 何よりも目が行くのは、襟巻がある額に生え、本種を特徴づけるねじれた『双角』。

 かつてその右角はウラヌスが宝剣で砕いたはずだが、それがはいまでは、左角と同じ長さまで再生していた。

 

 だが、それが表す風貌は明らかに『元通り』ではない。

 すらりと1本なだらかに湾曲する左角に対し、それは根元から複数本に分かれ、ばらばらにねじれた剣山を伸ばしているのだ。

 その様を一言で言うなれば、顔半分が歪に育った異形の類。

 

「……まるで鬼か、悪魔ね」

 

 ネプチューンの言葉をもってしても、自分たちの前にいる怪物はあまりに醜く、直截的で、暴力的だった。

 

「私のダイモーン、ディアブロスちゃん! その角であいつらの澄ました面に穴を開けておしまい!!」

 

 そう呼ばれた生物──妖魔ディアブロスは斧の形状をした尻尾を地面に叩きつけ、鋭い牙の下から低く唸った。

 角の下に埋もれかけた双眸に宿るのは、どんよりと暗く濁りきった血のような赤色。

 負けることなど考えもせずウラヌスたちに挑んできたあの自信に満ち溢れた眼差しは、今やどこを探しても見当たらない。

 

 2人のセーラー戦士はその変貌ぶりに若干気圧されつつも、完全に圧倒されることはない。

 むしろウラヌスは表情を引き締め、掌を金色に光らせる。

 

「相手はあくまであのディアブロスだ。前回と同じ、遠距離主体で戦えば問題ないはず」

 

 ネプチューンも同意して頷いた。彼女も守護星の力を借り、掌に水を宿らせる。

 間もなくして強烈なエナジーの漲った光球が出現した。

 

 彼女たちはそれを天上に掲げる。そして妖魔ディアブロスが姿勢を低くし、翼を広げて脚に力を込める瞬間を待つ。

 

 ディアブロスの主な武器は、双角を振りかざしての突進。遠くから魔法を撃ち込むセーラー戦士に、当たる道理はないのである。

 位置から見ても十分に距離はあり、尻尾を振り回したとして当たらない。突進を行ってくることはもはや確定的だった。

 

「ウオオッッッ」

 

 しかしディアブロスは突然上半身を持ち上げ、異形の右角を振り上げた。

 

「っ!?」

 

 異変を感じ取ったウラヌスとネプチューンは、咄嗟に飛びのく。

 直後、剣山が彼女らの立っていた大地を真っ直ぐ、深く串刺しにする。

 数秒前には10mは離れていた角が、今はすぐ目の前にあった。

 

「ウラヌス、前と同じ感覚で挑んではいけないわ!」

「……どうやら、そのようだな」

 

 本来なら走って詰めるべき距離を、彼は頭を振りかぶることで潰してきたのだ。

 1秒でも反応が遅ければ、角の先が胸を貫通していたかもしれない。

 

 早くもウラヌスはネプチューンと目配せし、距離を先よりも遠く離す。

 即ち、()遠距離だ。

 

「さぁ、どうだ!」

 

 ウラヌスの叫びに応えるように、妖魔ディアブロスは低く身体を構え翼を広げる。

 今度こそ、突進の合図だ。

 占めたと彼女らは光球を掌に構え、今度こそはと発射する。

 

 確かに、突進はした。

 しかし彼が突っ込んだのはウラヌスとネプチューンに向けてではない。

 全く見当違いの方向にだ。

 

 相手を迎え撃つはずだった光弾は今度も軌道を外し、虚しく爆発する。

 

「外れた!?」

 

 彼女たちは再び技を放とうとしたが、その前に妖魔ディアブロスは突進を折返し、本命に凄まじい速度で突っ込んでくる。

 

「グオオオッ」

 

 彼はある一点で踏み止まると、先と同じく角を一気に突き刺しにかかる。

 ウラヌスたちは見事にこれを躱したが、かなりギリギリの範囲だ。

 これで早くも、遠距離主体で戦うという甘い見通しは通じないと判明する。

 

「それなら、至近距離からよ!」

 

 ウラヌスはネプチューンの指示の意味を汲み、右手を空へと伸ばす。

 聖なる光と共に、魔具(タリスマン)『スペースソード』がその手に現れる。

 

 中距離に近付いた妖魔ディアブロスは、双角を横薙ぎに振り払いつつ前進、彼女らに迫った。

 ウラヌスは背を低く屈めて腹下へと転がり込む。

 そこで、宝剣スペースソードを振りかざした。

 

「スペース・ソード・ブラスター!!」

 

 弱点であろう腹をめがけ、高周波のビームを連続で飛ばす。

 下位のモンスターなら致命傷、そうでなくとも深い裂傷を負わすことができる必殺技だ。

 

 しかし、妖魔ディアブロスは怯まない。

 傷も浅いままウラヌスを睨んで身を屈める。

 

「くっ……」

 

 そこから繰り出されたタックルをバク宙で避け、踏み出されていた脚へと再び斬撃を食らわす。

 上手く腱を断ち切ってやれば、大抵の生き物は転倒して動けなくなる。高周波による超震動ならそれも容易なはずだ。

 

 しかし、妖魔ディアブロスは怒りすらしない。

 身じろぎすらもせずセーラー戦士だけを見つめ、ただ黙っていた。

 以前の猪突猛進さは完全に鳴りを潜め、代わりに冷徹な眼差しが彼女を追い続けた。

 

「本当にこいつは、前に戦ったヤツなのか!?」

 

 一通りの攻撃を終えたウラヌスが宝剣を携え、ネプチューンの元に戻る。

 ちょうど彼女は手鏡状の魔具(タリスマン)『ディープ・アクア・ミラー』に相手を映し、その分析を終わらせたところだった。

 

「あのディアブロス……デス・バスターズから与えられた妖魔の力と彼自身の負のエナジーが結びつき、ほぼ同化しているわ」

「……なるほど。僕たちへの復讐のためだけに、悪魔に魂を売ったというわけか」

 

 妖魔ディアブロスはウラヌスとネプチューンを見つめたまま、不気味なほど長い沈黙を保っている。

 その行為はまるで、彼女たちの攻撃を待っているかのようにも見えた。

 蟻塚の上にいるユージアルは、諸手を広げて叫んだ。

 

「あははは、いい気味!実に愉快!まさに私は、このときのために転生してきたのよ!」

 

 ウラヌスはネプチューンとアイコンタクトを取り、掌に浮かべた光球を振りかぶる。

 

 その狙いはディアブロス──

 ではなく、ユージアルだった。

 

 放たれた攻撃は、蟻塚の上へと大きくカーブを描く。

 

「そう来るだろうと思ったわ、私を倒せばすべて解決だろうってね」

 

 彼女は軌道を読み、当たる直前に隣の蟻塚へと飛び移った。

 

「でも、甘い甘い甘い! 前のようには行かないわよっ!!」

 

 そう叫びながら続いて取り出したのは、それまで背負っていた掃除機に似た装置。

 彼女は吸引口に当たる部分を空に向け、持ち手付近にあるスイッチを押す。

 

「さぁ、私のダイモーンよ!もっと怒りと憎しみを開放なさい! そしてもっと、私に素晴らしい景色を見せてちょうだい!」

 

 すると、筒から晴天に向かって炎が真っすぐ噴出した。

 ディアブロスは主の命に従うように、それを視界に入れる。

 途端、目の色が明らかに変わった。

 

「ギィヤ゛ア゛ア゛ア゛ア゛アアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!」

 

 彼は天を見上げ、絶叫する。

 ウラヌスとネプチューンでさえ、その大音量に屈んで耳を塞ぐこと以外は許されない。

 

 砂漠の暴君の濁っていた目は、口から吐かれる黒い吐息のなか、燃え盛るような憤怒の色に。

 青みがかった甲殻の表面に、薄っすらと血管のような紋様が浮かび上がる。

 

「……どうやら、あの炎で無理やり怒りを呼び覚ましたようね」

「やはり、結局はデス・バスターズの支配下ってわけか」

 

 音圧が下がってきたころにやっと2人の拘束が解放され、戦いは第二段階に突入した。

 ウラヌスは宝剣を携え、もう一度接近戦を試みる。

 彼女の存在に気づいたディアブロスは角を突き上げつつ素早く距離を詰めてきたが、これは難なく躱す。

 

「背後からなら……どうだっ!」

 

 狙いは、先ほども斬撃を入れた左脚。

 巨体を支える踵めがけて、剣を振りかざす。

 

「ウラヌス!」

 

 様子を見ていたネプチューンの呼びかけが聞こえた。

 ウラヌスが見上げると、ディアブロスは既に首をこちらに傾け、力を込めるように頭を震わせていた。

 

 彼女が攻撃を中断して飛びのいた瞬間、左角が、周辺の地盤をナイフで切るように鋭く斜めに抉り取る。

 亀裂が入り砕けた砂地にウラヌスは足を取られたが、何とか受け身を取って十分に距離を離し、ネプチューンの前に再び立った。

 

「パワーが増している……!?」

 

 ディアブロスは続いて、斧に似た形状の尻尾をぶん回し縦方向に叩きつけた。

 砂と共に、地中に埋まっていた岩が空中まで巻き上げられる。

 それが飛んで行く先はちょうど、ユージアルの立っていた蟻塚だった。

 

「わっ!?」

 

 岩は蟻塚に直撃、根本から破壊する。

 崩れ落ちかけた蟻塚からユージアルは慌てて高く跳躍し、そこで大きく叫んだ。

 

「セルレギオスちゃんっ!」

 

 太陽を横切り、翼を翻す生き物の影。

 ユージアルの身体は、金色の飛竜の背に受け止められた。

 

「あ、危ないわね。ちゃんと周り見なさいよ!」

 

 妖魔化した千刃竜に跨ったユージアルはそう毒づくと、彼を蟻塚のあった位置より高い位置に飛ばせた。

 こうなると、ウラヌスたちからは遠すぎてまるで手が出せない。

 

「あらかじめアイツを潜ませていたとは、抜け目のないヤツだ」

 

 とにかく、これでユージアルを狙うという手段は取れなくなった。

 ウラヌスはそのことを悔しがっているようだが、ネプチューンは別のことを気にしていた。

 

「でも、さっきのまるで主すら気に掛けない様子……。本当の意味で制御されてると言えるのかしら」

 

 ユージアルはやっと安心しきって一息つくと、一際大きな声で怒鳴った。

 

「もうお遊びは終わりよ! アレでちゃっちゃと片づけて頂戴!!」

 

 彼女は耳にねじ込んだ耳栓を抑え、自身の乗るセルレギオスを更に上空へと飛行させる。

 

「何をする気だ?」

 

 ウラヌスはネプチューンと共に警戒し、身構えつつ後退った。

 直後。

 ディアブロスが息を吸い込み、首を持ち上げた。

 

 

「ギィヤ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛アアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァ……!!」

 

 

 再びの絶叫。

 遠くからでもそれは空気を伝わって届き、ウラヌスとネプチューンの耳をつんざく。

 

「ぐっ……」

 

 歴戦の猛者である彼女たちすらも、これには耳を塞ぐしかなかった。

 見えない鎖に縛られる、魔の時間だ。

 音圧が下がりかけ、再び目を開いた。

 そこで彼女らは異変に気づいた。

 

「ッッッッッッ!!!!」

 

 声を張り上げていたディアブロスが、すぐさま姿勢を変えた。

 その赤く充血した瞳が、自分たちを捉えていた。

 低く身体を構え、脚を折り曲げ、人で言えば腕に当たる翼を地につけている。

 

「……はっ!」

 

 セーラーウラヌス、そのもう一つの姿である天王はるかにとって、その姿勢には見覚えがあった。

 彼女がかつて制覇した陸上の世界では何度も見ていた。

 選手が走り出す直前に並んで行う、あの構え。

 それと恐ろしいほどに酷似していた。

 尻尾が、何かを告げるように地面を叩き鳴らす。

 

「ネプチューッ……!」

 

 爆速で駆け抜けた双角が、その叫びを途中で掻き消す。

 何かにぶつかる音を残し、砂塵が彼の行く背後を舞い上がった。

 




復讐に囚われし暴君、妖魔ディアブロス。
怒りの狂奔に絡めとられた戦士たちの行方は果たして。


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古傷という名の鎖③

 魔女の手によって妖魔となった砂漠の暴君、ディアブロス。

 彼が新たに身につけた、強烈な咆哮によって動きを止めた相手に凄まじい破壊力の突進を見舞う技──

 

 

『咆哮突進』。

 

 

 ディアブロスは、これを理論で理解したのではない。

 かつて自身の咆哮を受けた敵が竦みあがって動きを止めたのを見て、考えるよりも前に身体が飛び出したのである。

 かくしてそれは、因縁の相手である2人のセーラー戦士に対しても成功した。

 

 彼は丸太のように太い脚で砂上を滑り止まり、静かに振り向いて砂塵のなかにあるべき敵の姿を探す。

 セルレギオスの背に跨りながらその光景を高みから見物するユージアルは、嬉しさのあまりガッツポーズを決めた。

 

「素晴らしいコンボね! これで流石の奴らも!」

「結局、また使ってしまったな……」

 

 ユージアルの眼下から凛々しい声が聞こえた。

 

「え?」

 

 砂塵は風に運ばれて消えてゆく。

 その中に人影が2つ。

 

「この無骨な盾を、身を護るためだけに……」

 

 白い騎士のような防具を着た女性、天王はるかは、セーラーネプチューン……またの名を海王みちるの前で腰を落とし、縁に刃を備えた盾を構えていた。

 

 チャージアックス。別称『盾斧』。

 

 剣と盾のセット、すなわち片手剣のような風貌をしている。鋼鉄によって鍛えられ、竜を象るギルドの紋章があしらわれたその武器は、盾斧のなかでも『精鋭討伐隊盾斧』と呼ばれるものだ。

 

「あら。私を護るためではなかったの? 残念ね」

「失言だったな。代わりに、これから危ない時は迷わず僕に隠れろ」

 

 相方の言葉に応えつつ、はるかは立ち上がって振り向く。

 妖魔ディアブロスの姿は、既にそこにはない。

 代わりに、向こうの地表が砕け、煙をあげているのが晴れてゆく視界の中で分かった。

 

「ということは……」

 

 はるかは足元の大地へと視線を向けて独り言ちると、再びネプチューンの前に出て盾を構える。

 砕けた地点から砂塵が舞い上がり、彼女たち一直線に向かう。

 はるかが盾を持つ手に力を込めた瞬間、目前の大地が爆発。

 砂を巻き上げ、剣山のような異形の右角が姿を現した。

 

「そう来ると思ってたよ」

 

 衝撃を受け流してから、はるかは剣を後ろ手に挑みかかる。

 ディアブロスは斧のような尻尾を横にぶん回すが、その隙間をかい潜って剣を叩きつける。

 当たったのは下腹部だ。剣の軌跡は確かに相手の甲殻を削り、傷をつける。

 

「では私もそろそろ、装いを変えさせて頂こうかしら」

 

 海王星を守護に持つ戦士は自身を光で包み、海竜の蒼い鎧を着る少女、海王みちるの姿に戻った。

 彼女が持つのは、水獣ロアルドロスの素材を用いて作られたスラッシュアックス、『スプラックス』。

 みちるは爪の装飾とスポンジ状の素材が刃を覆うその斧を振り回し、首の甲殻に数度叩きつける。

 

 見かけ以上に大量の水を含んだその武器は、振るう度に強烈な水を噴き出す。

 ディアブロスは忌々しげに唸り、彼女に首を伸ばして鋭い歯で噛みつこうとした。

 が、みちるは海面のように波打つ髪を靡かせると、横にステップを踏んで華麗に回避する。

 

「なんだと……前に砂原にいた時は、武器など使っていなかったのに!」

 

 上空に留まるユージアルの表情には、明らかに戸惑いと焦りが浮かんでいた。

 それを他所に、はるかとみちるは妖魔ディアブロスの脚を、腹を、首を乱れ斬る。

 

「僕たちが、ずっと前のままだとでも思ったかい?」

「私たちだって、少しでも本物の狩人らしく見せようと日々努力してるのよ。貴女の見えないところでね」

 

 妖魔ディアブロスも、セーラー戦士たちが狩人の武器を使うことを想定していなかったのだろう。

 苛立ったように鳴いたのち、双角を左右交互に豪快に薙ぎ払う。30m強の図体にものを言わせ、2人纏めて吹き飛ばす魂胆だ。

 だがはるかは、横薙ぎに飛んできた異形の右角を冷静に受け止める。

 複数の切っ先が盾に引っかかったことで金属特有の嫌な高音が鳴ったが、そこからがら空きとなった脇腹へまっすぐ斬りかかった。

 

 いま、盾ははるかにとって大きなアドバンテージとなった。

 相手の攻撃に対する択として、セーラー戦士の状態では回避のみに限られていたのに対し、ここからは盾によるガードが加わる。

 一旦攻撃を近くで受け止め、その直後に反撃するという荒業が可能になったのだ。

 

 変化が生じたのは行動面だけではない。

 衝撃によるものか、はるかの持つ剣の柄付近についたビンに入った薬液が火花を散らし、蒸気を上げ、沸騰を起こしていた。

 

「そろそろ『チャージ』か」

 

 それを視界に認めたはるかは突如、剣を盾の上部に開いた穴に()()()()

 ガシャリ、と機械的な接続音が鳴り、蒸気が盾の隙間から排出される。

 

 それが何を意味するかなど知る由もなくディアブロスは尻尾を叩きつけにかかったが、はるかは横にステップを踏んで避ける。

 

 彼女と入れ替わるようにみちるが前に出た。

 斧状の尻尾の付け根に、これまた両刃斧を斜めに撃ち込む。

 水獣ロアルドロス特有のスポンジ状のたてがみから水が噴き出し、水圧の力により斬撃を補強。

 ディアブロスはこの属性が苦手らしく、驚いたように尻尾を引っ込めた。

 

「はるか!」

「……よし、反撃開始といこうか!」

 

 はるかは盾を後ろにして、その中央上部にある『鞘』に剣を再び挿しにいく。

 真っすぐ突き入れると、さっきの『チャージ』よりもっと強く、剣を力を込め押し込む。

 すると自動的に盾が左右対称に割れ、更に盾内部に隠れていた長柄がガチャッと音を立てて伸長。

 刃のついた盾はその柄の先端へとスリットを通って滑り、火花を立てて()()した。

 

 結果、地面に刃を突き立てて現れたのは巨大な両刃斧。

 これぞ、チャージアックスが『盾斧』の別称を有する所以。

 盾が展開してひっくり返ったことで、巨大な斧刃の形を成したのだ。

 

「はあああっ!!」

 

 そこから横に振り回し、首に渾身の力でブチ当てる。

 無論、そんな攻撃だけでは妖魔ディアブロスの身体はびくともしない。

 しかし同時に、衝撃を受けて盾に内蔵されたビンからエネルギーが解放され、ディアブロスの体表で爆発が起こる。

 先ほどの『チャージ』行動は、このためにあったのである。

 

 ディアブロスは異形の右角を震わせ、地盤を抉って反撃しようとする。

 しかしその背後から彼の左脚に、水飛沫を纏った斬撃が飛ぶ。

 

「私のこともお忘れではなくって?」

 

 そこには、スラッシュアックスを構えたみちるがいた。

 取っ手の近くにあるビン内部にある液体が、激しく光っている。

 

 彼女ははるかが攻撃している間も攻撃を行い、同じくビンから供給される薬液を反応させていたのだ。

 みちるは剣斧を振りかざしながら、はるかと同じように、スイッチを押下する。

 斧刃の片方を成していた細い刃が滑り、軸を中心に半回転。はるかが行ったのとは真逆に、斧から剣の状態へと変化した。

 彼女は駆け寄ると同時にこの変形をスムーズに行い、属性のエネルギーを漲らせた刃を振り下ろす。

 変形と攻撃を同時に行う、いわゆる『変形斬り』である。

 

 そこで起こった水属性エネルギーの奔流は、斧の状態とは比較にならなかった。

 休むことなく横斬り、右斬り、2連斬り。

 先ほど刃に十分溜め込まれた薬液の揮発により、明らかに先よりも激しい水の爆発が乱れ起きる。

 

「たああっ!!」

 

 攻撃の締めに、斬りつけつつ回転して跳躍、一瞬宙を舞ったのち、着地して振り返りざまにもう一度斬りを放つ。狩人の間では『飛天連撃』と呼ばれる技である。

 そして遂にそこで、左脚に蓄積したダメージによりディアブロスの巨体を僅かに怯ませた。

 

 はるかは、みちるが作ってくれたその隙を見逃さない。

 手元に盾の刃を回転させつつ引き寄せ、剣と繋げる。

 取っ手近くのスイッチを押し、盾の内部でビンに溜め込まれたエネルギーを圧縮、斧刃が一時的に稲妻のような光を漲らせた『高出力』の状態に持ってゆく。

 

「はあああああああっ!!」

 

 頭に向かって斜めに叩きつける。

 斬りつけられた異形の右角の傷口から、薬品の揮発が連鎖。

 立て続けの凄まじい爆発が、一挙に複数本に伸びていた角の先端を弾き飛ばす。

 『高出力属性解放斬り』。

 チャージアックス固有の大技の一つである。

 

「グオオッッッ……」

 

 またしても、右角をやられた。

 しかもそれに伴う激しい衝撃に、妖魔ディアブロスの首が揺らぐ。

 さっきまでは余裕そうに見物していたユージアルも、ここまでくると動揺を隠しきれていなかった。

 

「くっ……ダイモーン! ここは退きなさい、態勢を立て直すのよ!」

 

 ユージアルはセルレギオスの背中で身を乗り出し、大声でがなり立てた。

 急いで先ほど興奮させるために炎を噴かせた掃除機型の装置を取り出すと、今度は青みがかった煙をディアブロスに向かってばら撒いた。

 恐らくは、彼の鎮静を促す効果があるのだろう。

 

 

 が、しかし。

 

 

「ヴオ゛オオオッッッ、ヴオ゛オオオオオオオオ!!!!」

 

 ディアブロスは一切ユージアルに見向きもせず、角を振りかぶった。

 

「な……なにっ!?」

 

 次の狙いは、みちるだ。

 

「あいつの言うことを聞かない……!?」

「どうも、予想外の事態のようね!」

 

 みちるは剣斧を持ちながら転がって、大地を穿く左角から逃れる。

 

 だが、攻撃はそれで終わりではなかった。

 ディアブロスは左角を引き抜くと、流れるように先程と同じ構えを取った。

 2連続で突き刺してくるつもりだ。

 

「みちる!」

 

 彼女は盾という防御手段を持たないにも関わらず、未だにディアブロスの左脚のすぐ傍に立っている。

 このままでは、2回目の突き刺しに巻き込まれる。

 はるかは、慌てて斧を盾に戻して間に分け入ろうとした。

 だが──

 

「いえ、大丈夫よ。はるか」 

 

 なんとみちるはその場に留まり、屈みながら、スラッシュアックスを真っ直ぐ上空へ突いて震わせていた。

 

「見つけたわ! この恐るべき攻撃の隙を!」

 

 双角が()()()()()()()()()()()()

 彼女の目の前に腹がやってくる。

 ちょうどその時、剣身から噴き出す蒸気が臨界に達した。

 

 マリンブルーの稲光が放射状に閃く。

 

 刃に溜まった薬液が大爆発を起こし、飛び出した水流が刃となってディアブロスの腹に突き刺さる。

 

「ガアアアァァァッッッ!?」

 

 『属性解放突き』のフィニッシュだ。

 確かにそれは、暴君の身体に少なからぬダメージを与える。

 みちるは反動を身体を転がすことで殺し、確信を持った目つきではるかに振り向いた。

 

 妖魔ディアブロスの突き刺しには、殺傷力を増すためか大きく踏み込もうとする癖があった。

 みちるは、2回目に振りかぶった時のディアブロスの脚の位置から、次の突き刺しが()()()当たらないことを見越していた。

 だからこそ、この大技を大胆に放つことができたのである。

 

「なんで……なんで、こんなに、思い通りにならないのっ!?」

 

 ユージアルがセルレギオスの背に嘆きの拳をぶつける間、はるかは盾斧を再び構える。

 

「どうやら、みちるに一歩先を行かれてしまったみたいだ」

 

 痛みに大きく仰け反りはしたが、ディアブロスの瞳から戦意は全く消えない。

 それに答えるように、はるかは再び盾から引き抜いた剣を構えて走り出した。

 

 みちると視線を交わしつつ、ディアブロスの動きをよく観察する。

 相手の手持ちの技は粗方把握した。

 後は、僅かな隙を見つけて攻撃を積み重ねるしかない。

 

 ときおり肉薄し、ときおり離脱する。

 天から降り注ぐ強烈な日差しが2人の白い肌を焼くが、そんなことに気を取られている暇はない。

 双角が、尻尾が、巨体そのものが、今にも彼女たちを葬り去ろうと砂上を全力で躍動してくるからだ。

 

「狩人というのは、こういうものなのか」

 

 一発でもまともに食らえば、立っていられるか怪しい。

 迫りくる圧倒的暴力の塊を避け、時には受け止める。一瞬の油断も許されない。

 

「お団子……僕にも、君たちの見てる景色が少しだけ分かった気がするよ」

 

 牽制斬り。溜め二連斬り。サイドステップ。チャージ。変形斬り。属性解放斬り。高出力属性解放斬り──

 斧振り回し。強化叩きつけ。変形斬り。回転回避。二連斬り。左斬り。二連斬り。属性解放突き。属性解放突きフィニッシュ──

 暴君の角に、首に、脚に、腹に、傷が増えていく。

 

 それでもディアブロスの眼光の鋭さは衰えることなく、ひたすらにはるかとみちるを捉え続ける。

 ユージアルがいくら叫んでも、鎮静のための煙を撒いても勝負は止まらない。両者の対決はますます白熱してゆく。

 

 不思議なことに、デス・バスターズの奴隷として育てられたディアブロスの眼にはいま、かつてあった生気というものが蘇り始めていた。

 あらゆるところに傷を負って痛いはずなのに、怒っているはずなのに。

 さも、どこかで彼自身がまるでこの時を待ち侘びていたように。

 この戦いを愉しむかのように。

 

 異形の角を、槌か斧のような形をした尻尾を、思う存分振り回す。

 本能に任せるがままに地盤を抉り、搔きまわし、破壊する。

 

「強くなったな、お前も──」

 

 角の一撃を受け止めつつ、はるかはそう呟いた。

 互いの視界の中にはもう、戦う相手以外入ることはない。

 

 砂も、空も、太陽も、

 風音も、女の声も、竜の宙を羽ばたく音も、

 彼らにとっては存在しないも同じ。

 

 彼ら以外のあらゆるものは、彼らの死闘を演出する舞台装置に過ぎなかった。

 今、地上で行われる命のやり取りだけが、別世界として周囲と切り離されて存在していた。

 

 その世界を見て、ユージアルは血が出そうになるほど唇を嚙み締めていた。

 

 自分の野心を叶えるために、あらゆる労力と時間をかけて作り上げたこの舞台。

 それそのものに、彼女は「お前は要らない」と、無言でそう告げられていた。

 彼女はいま、完全な孤独だった。

 敵しかいない組織内に飽き足らず、自分が生んだ作品からさえも、自分という存在が完全に弾かれてしまったのだから。

 

「…………くそっ!!」

 

 ユージアルは高級耳栓が耳を塞いでいるのを確認した。

 それから彼女はセルレギオスの背を叩き、眼下のディアブロスの頭上へ飛んでいくと、わざとその頭が自身の陰に入るようにした。

 震える肩を抑え、努めて冷静な顔を作りながらも、声は威圧するように低くする。

 

「聴きなさい、私のダイモーン。誰のおかげでその力を得られたと思ってんの? そろそろいい加減にしないと怒るわよ?」

 

 2人と1頭だけだった世界に、彼女は無理やり割り入ってきた。

 はるかとみちるは攻撃を中断し、ユージアルを見上げる。

 ディアブロスはちらりと『主』を見たのち──

 

 すぐに、そっぽを向いた。

 まるで「お前に構っている暇はない」とでも言いたげに。

 

 ユージアルの瞳に、憎悪と怒りと屈辱が一斉に湧き渦巻いた。

 

「退けって言ってる私の声が聴けないの!? あんたは私に使われるダイモーンなの! 言うこと聴きなさいよサボテンしか食えない癖にッッ!!!!」

 

 遂に、彼女は我慢の限界を迎えた。

 再び背から取り出した掃除機型の装置から、妖魔ディアブロスの背に火炎放射を直接浴びせかける。

 

「これまで食べたい分だけサボテンを分けてやってたぁっくさん優しくしてきてあげたつもりだけど、どうやら直接の痛みでないと分かってくれないようだわ! 所詮は畜生の類ってことねッッ!!」

 

 身体を炎に包み込まれ、驚いたようにディアブロスは低く呻く。

 はるかとみちるは『主』であるはずのユージアルのこの行いに呆然としていた。

 容赦なく火炎放射を浴びせる彼女は、狂気じみた高笑いを上げていた。

 

 

 

 

 ブチン……

 と、何かがはち切れる音がした。

 

 

 

 

 それはユージアルだけでない、はるかとみちるの耳にも届いた。

 妖魔ディアブロスは、『主』に再び視線を向けた。

 思わず彼女は肩を浮つかせ、火炎放射を停止する。

 背中の甲殻は一切燃えることがなく、ただ焦げるのみで終わっていた。

 

「な、何だ、分かってるじゃないの。ほら、ここはさっさと……」

 

 直後、ユージアルは言葉を失った。

 どくん、と唸る鼓動音と共に、青みがかった身体に赤い紋様がはっきりと浮かび上がったのだ。

 血流量が増加したのか、それは翼、顔、角、あらゆる部位にまで浸食する。

 更にはそこから蒸気が噴き出し、立ち昇ってくる。

 

 妖魔ディアブロスは息を吸い、ゆっくりと首を持ち上げる。

 それを見たはるかは、反射的にみちるの前で盾を構える。

 

 ユージアルも本能の部分で危機を察知したか、急いでセルレギオスの背を叩いて上空へ飛ばせる。

 眼下では既に妖魔ディアブロスは天を見上げ、首を曲げかけていた。

 

「…お、落ち着け、私には高級耳栓が…」

 

 彼女は指で耳栓の存在を触って確かめ、安心を得ようとしていた。

 デス・バスターズ幹部として、このくらいの準備は欠かしていない。

 

 だが、その表情には『怖れ』が隠しきれていなかった。

 

 どれだけ妖魔ウイルスがこの世界の生物の絶対服従を約束していると納得しても。

 どれだけあの生物がサボテンを食ってばかりの脳筋草食野郎だと考えようと。

 どれだけすべては私の駒に過ぎないと、自尊心と優越感を感じようとしても。

 一瞬こちらを見た生物の赤い瞳が──

 

 

「お前を殺す」

 

 

 そう宣言している事実は、誤魔化せなかった。

 

 

「「「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」」」

 

 

 絶叫は聞こえなかった。

 耳栓が破裂し、ユージアルの鼓膜を破ったからだ。

 

 はるかとみちるは、もはや咆哮ではない空気の爆発に、盾の後ろで必死に耐える。

 セルレギオスも混乱し、身体を揺さぶる。

 脳を直接揺さぶられたユージアルは、踏ん張ることもできず落下する。

 間もなく、視界を暗闇が覆った。

 

 いったい、どれくらいの時が経っただろう。

 ユージアルが起き上がって目を開けると、正面奥に妖魔ディアブロスがいた。

 言葉を失う。

 

 耳を塞いでいたはるかとみちるは目の当たりにした。

 咆哮が鳴り止まぬうちに身を翻し、尻尾を鞭のように地へ叩きつけた妖魔ディアブロスの姿を。

 ついさっきまで奴隷だった、砂原を破壊し尽くす飛竜の姿を。

 

 彼の視線は既に、ある方向を向いている。

 デス・バスターズ幹部、ユージアル。

 むざむざと身を差し出してくれた、愚かな『主』の青ざめた顔一直線に。

 

 

「あ……」

「ア゛ア゛ア゛アアアッッッッッ」

 

 

 太い脚が、地面を蹴り出す。

 

「……そんな……まさか……」

 

 その光景を前にしたユージアルは、乾いた笑いと共に声を絞り出した。

 笑ったというよりは、笑う他なかったというべきか。

 彼女は、迫りくる沈黙に向かって掌を伸ばす。

 

 

「こ、この私が、デス・バスターズ幹部のユージアルが、こんなところで死ぬわけがっ

 

 

 セーラー戦士とこの世界の人々を幾度も危機に陥れてきた、赤き『魔女』は──

 急加速した巨影に、呆気なく掠め取られた。

 

 




野生の狂気は遂に、『魔女』を超える。



(ユージアル先輩、2年間お疲れ様でした)




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古傷という名の鎖④

BGM:鏖殺(おうさつ)の暴君



 

『鏖魔』。

 

 

 かつてディアブロスの中で、そう呼ばれた個体がいた。

 三又に分かれた左角が特徴で、ハンターに折られた角が歪に再生した結果であると推測されている。

 そして彼は人間、とりわけハンターという存在に対して凄まじい怒気と殺意をもって(みなごろ)さんと襲い掛かった。

 彼に関わる逸話に、人が夢想しがちな幸せな結末(ハッピーエンド)などない。

 挑んだハンター、騎士、軍人のすべてが薙ぎ倒され、突き刺され、吹き飛ばされ、破壊された。

 とあるハンターが現れ激闘の末に討ち果たすまで、人間にとって彼に挑むことはまさしく『死』そのものを意味したのだ。

 

 折しも、いま砂原で佇む妖魔ディアブロスも異形の右角を持っていた。

 頭部が、翼が、内部の充血により赤黒くグロテスクに変色している。

 鏖魔よりは感情を表に出さないものの、それが余計に不気味さを助長する。

 唯一、炎のように複数の枝を伸ばす右角は、奥底に眠る黒く煮えたぎる感情が顔を覗かせたかのよう。

 事前に現地を視察したギルド派遣員の間では、密かにこう囁かれた。

 

「このまま行けば、鏖魔があの世から蘇ってくる」と。

 

──

 

 妖魔ディアブロスは、ねじれた角を凄まじい勢いで、何度もめくれ上がった地面へと突き立てる。

 その下にあるのは──かつて『主』だったモノだ。

 彼は、それが地盤に開いた穴のなかで、沈黙して煙となっていくのを確認する。

 いまこの時、彼を操ろうとする喧しい『主』は砂中へ葬られた。

 

 

「ギィャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァッッッッ!!!!」

 

 

 妖魔ディアブロスは勝ち誇ったように叫ぶ。

 はるかとみちるはこの光景を、予想だにしなかった結末を見つめていた。

 

「デス・バスターズの支配を……自ら打ち破っただと!?」

 

 『主』を喪った妖魔、千刃竜セルレギオスは、すぐに身を翻して空の彼方へと消えていく。

 

「まさか……この機会をずっと待っていたというの?」

「そんなバカなことが……」

 

 ディアブロスが身体を低く構え、翼を広げて唸る。

 そこから、初めてまともに突進をぶつけてきた。

 はるかは盾で受け止め、みちるは横に転がって回避する。

 

 通過して折り返すと、そのまま突っ込んで来るかと思いきや、跳躍。

 

「ぐっ……」

 

 頭から突っ込んできた衝撃に、男性のように逞しいはるかの身体すらずり下がる。

 ディアブロスは身体ごと回転させ、角で地面を抉って潜っていった。

 

 一瞬の沈黙。

 

 2人が大地を警戒していると、やがて亀裂が彼女らの足元を走っていく。

 亀裂はそこに留まらず、次第に半径10m弱ほどにまで拡張。

 それだけではない。

 地響きと共に、白い蒸気が亀裂の間から噴き出す。

 何か巨大な力が地中で溜まり、今にも放出されようとしているようだった。

 そこに至るまでの時間、潜ってから僅か3秒。

 

「何か……まずい気がするっ」

 

 はるかの言葉を皮切りに、2人は初めて武器を背負い直し、ディアブロスに背を向けた。

 少しでも逃れようと砂を蹴る。

 彼女たちの顔は憔悴に満ちていた。

 

 背後で大地が爆発し、ディアブロスが螺旋を描いて飛び出した。

 血走った身体に黒い覇気と白い蒸気を纏わせたそれは高い山なりの軌道を描いて、2人目掛けぶっ飛んでくる。

 その勢いたるや、彼女らの走るスピードの比ではない。

 はるかは間に合わないと直感し、みちるの前で背から抜いた盾を構えた。

 

 

 大地が怒り叫んだ。

 ディアブロスの身から放たれた強烈な圧力が周囲をドーム状に吹き飛ばし、少女たちの足を浮かせた。

 

 

 『水蒸気爆発』。

 常軌を逸した憤怒と興奮によって体温が上昇、自身の体液までもが()()し、爆発を起こす勢いで蒸発したのだ。

 

 蒸気が収束すると、巻き上げられた砂や石が落ちてくる。

 そのなか、半ば倒れかけていたはるかとみちるはよろめきつつも立ち上がる。

 そして、気づいた。

 

 殺意、憤怒、狂気、執念──

 言葉で言われずともありありとわかる。

 妖魔ディアブロスの赤い双眸はあらゆる激しい感情を凝縮し、吐露していた。

 そのすべてを、立ち昇る蒸気の中から2人に向けていた。

 

 そこで、はるかとみちるは初めてはっきりと自覚した。

 自分たちは、恐れている。

 この悪魔の前に、本能が一刻も早く逃げることを望んでいるのだ。

 

 その首が天を見上げ、喉が再び震え出す。

 反射的にみちるは肩を引き、はるかは彼女の前で盾を構える。

 

「ギィヤ゛ア゛ア゛ア゛ア゛アアアアアアアアアアアアアアアアア……ッッア゛ア゛ア゛アッッッッッッ!!!!!!!!」

 

 咆哮。

 それを途中で中断、睨んで身構え、尻尾を叩きつけ、突進。

 

 激突。

 

 盾からはるかの身体に凄まじい衝撃が伝わり、手の感覚が一瞬なくなる。

 彼女は攻撃を受け止めきれずに大きく仰け反り、無防備になった。

 

 その隙を目ざとく見つけ、妖魔は突進を折返す。

 

 それに気づいたみちるは、懐から取り出した閃光玉を投げ入れる。

 

「はるか、目を塞いで!」

 

 幸い読みは当たった。

 はるかに向かおうとした妖魔ディアブロスの目前で閃光が弾け、相手の視界を奪う。

 何とか突進を止めることに成功し、何も見えない彼は、忌々しげにその場で尻尾を振り回して暴れる。

 

 はるかは憔悴しきっていた。

 あちらは本気でこちらを始末しようとしている。もうそれしか頭の中にないのだ。

 自身の肉体を一切省みず、恐らくは死さえも厭わず──

 

「はるか、もうここから逃げて! それ以上使ったら、貴女の腕が……」

「いや」

 

 はるかの前方を向いた一言によって、みちるの視線もそこに戻された。

 

「……どうやら、逃げる暇すら与えてくれないようだ」

 

 妖魔ディアブロスは、無言で身を捩り、翼を広げ、片足を引いていた。

 角から蒸気が殺気を伴って立ち昇る。

 全く見たことのない構えだ。

 いま彼の目は眩まされているはずなのに、そこにはどこか確信めいた何かがある。

 

「はるか、貴女っ……」

「構うな、隠れろっ!!」

 

 はるかは苦悶の表情で再び盾を構えた。

 

 シュウウウッッと蒸気音が鳴った。

 

 角が地面に深く突き立てられる。

 大地はもはや、角を受け止めるには柔すぎた。

 

 そのまま、大渦を描く。

 

 僅か数秒間、角と尻尾が、地表をも容易く抉り飛ばす旋回が、彼女らを乱打の嵐へ叩き込む。

 

 はるかの盾を持つ手は遂に耐えられず、最後に突き上げられた異形の右角に脇腹を殴られた。

 彼女の身体は軽々と毬のように浮き、放物線を描き、地上を転ぶように吹っ飛ばされた。

 

「はるかっ!!」

 

 みちるは戦慄のあまり我を忘れ、その人の名を叫ぶ。

 視界を既に取り戻さなかった妖魔ディアブロスは、その瞬間を見逃さなかった。

 彼は地上に倒れるはるか目がけて、迷わず突進を仕掛けた。

 

「やめてっ!!」

 

 みちるはもはやいつもの冷静さを保っていられなかった。

 必死の形相で閃光玉を投げ入れ、それは何とか相手の視界を塞ぐ。

 

「はるか、返事をして! はるか!!」

 

 彼女は身軽なセーラーネプチューンの姿に変身して駆け寄り、我を忘れてはるかに呼びかける。

 やがて薄目を開けて「……ああ」と小さく返事をしたので、一気に安堵が少女の顔から漏れた。

 

「貴女、セーラー戦士の姿に変身できる?」

「なん……とか」

「ディアブロスの視界は奪ってあるわ。今のうちに遠くへ退避しましょう」

 

 幸い、はるかは相方の助けを借りて立つことができた。

 セーラー戦士になれば、狩人の状態よりは大幅に身軽になる。

 セーラーウラヌスに変身したはるかをネプチューンが支え、彼女たちは北に続く道へと真っすぐ向かった。

 

──

 

 エリア9。

 所々、風によって出来た小山がある砂漠地帯の奥に、深くまで地面を裂く谷が見える。

 それを横にして、崖に連なるように出来たアーチ状の岩陰に身を隠す。

 再び変身を解いたはるかは岩に背をもたれかけると、痛みに堪えるようにきつく目を瞑った。

 

「僕としたことが情けないな、こんな姿を晒してしまって……ぐっ」

「動かないで。回復の効果が薄くなるわ」

 

 みちるは回復薬グレートの瓶を開け、はるかに飲ませる。

 彼女は背後を振り返ったが、まだディアブロスの影は見えない。今頃は視界を回復し、こちらの存在を探っている頃だろう。

 地中移動の素早さからして、恐らくここに来るまでそれほど時間はかからない。

 

「……はるか。私はね、貴女にずっと笑っていてほしかったの」

 

 こんな時に何を言っているのかと、はるかの視線が動く。

 傾けていた瓶を一旦離してはるかの喉を休ませると共に、みちるは彼女のさらさらとした金髪を指の背でそっと撫でた。

 

「貴女は優しい人よ。もしせつなが告げた()()()()で使命を忠実に果たせば、きっと貴女の心に後悔という、死ぬまで治らない傷ができる」

「……それが本当の理由か。前にここに来た時、本来の使命を捨ててお団子の方に靡いたのは」

「だって、貴女が心の底から笑ってられない世界だなんて……護ったとしても意味がないじゃない」

「……」

 

 はるかは、今度は答えることはなかった。

 最後に受け取った回復薬を飲み干した彼女は、みちると見つめ合う。

 

「だから、うさぎを信じてみることにしたの。前の戦いで奇跡を起こした、あの子の愛と友情が成す力を」

 

 その時、岩が吹き飛んだ。

 超高熱の蒸気のなか、周囲にあったサボテンも、飛んでいた羽虫も燃え尽きた。

 爆心地の地面は溶け、黒い炭へと成り果てた。

 

 舞い落ちる礫に打たれた2人の鎧が音を立てる。

 彼女たちは顔を伏せ、その衝撃に無言で耐える。

 

 砂煙の向こうからゆっくりと這い出てくるは、ひたすらに激を募らす昏き眼光。

 全ては、この2人を破壊し尽くすために。

 覇者の名を返上し、自身のプライドを取り戻すために。

 

「……その結果を知ることは、ないかもな」

「……そうね」

 

 鎧を着た少女2人は、武器を背負って立ち上がる。

 妖魔ディアブロスは低く唸ると異形の角を振りかざし、はるかたちへ真っすぐ突進した。

 活力を取り戻した彼女たちは斜め前方へ走り抜けると、ディアブロスは砂塵を後方に撒きつつ脇を通過する。

 

「でも、私はこれで終わって構わないわ」

「どうして?」

 

 はるかたちは足を止め、背後へ走っていったディアブロスを目で追う。

 妖魔ディアブロスは案の定、囲い込むように折り返す。

 まるで、逃げ場を無くそうとするかのような計算的な動きだ。

 

「ここで死ねば、もしうさぎたちが上手く行かなかったとしても──あの、私たちでも残虐でおぞましいとしか思えない使命を……罪を、背負わずに済むもの」

 

 みちるはその時だけはるかの瞳を覗き込んでいた。

 憑き物が取れたような、爽やかすら見える表情だった。

 しかし──

 

「言ってくれるじゃないか。だから、ここで一緒に死んでくれって?」

 

 はるかはそれに微笑んで答え、背にある武器に手を伸ばした。

 

「はるか?」

「僕から離れてくれ」

 

 次にみちるの視界に入った彼女の腕は、赤く腫れあがっていた。

 いくら回復薬を飲んだとはいえ、もはや攻撃を受け止めきることは難しいだろう。

 なのに、目の前の人は再び武器を持とうとしている。

 

「まさか……貴女」

 

 彼女は相方の言うことを聞かず、盾の上部にある鞘に剣を差し込んだ。

 盾は回転し、斧に変形する。

 それを後方に振り、構え、ビンのエネルギーを圧縮する。

 高出力属性解放斬りの動きだ。

 

「やめて。早く避け……」

 

 妖魔ディアブロスは次は正確に2人を狙い、直撃する寸前で身を捩った。

 

 鏖殺(おうさつ)の螺旋。

 

 必殺の連撃が、今度は突進による加速度をつけて飛んでくる。

 だが、それを目の前にしてもはるかは手を止めなかった。

 

 みちるは相方の身体が打ち砕かれる様を想像し、目を瞑った。

 凄まじい速度で地盤が抉られる音がした。

 がぁん、と金属に大きなものが連続でぶち当たる音も聞こえた。

 

 しかし、断末魔は聞こえてこない。

 

 恐る恐る目を開けると、はるかは健在な姿で盾を構えていた。

 そこから、エネルギーの奔流が溢れている。

 

 『属性強化』。

 

 ビンのエネルギーを盾斧の刀身に宿らせて漲らせ、防御力と攻撃力の上昇を並立する。

 これによって衝撃を軽減し、はるかは何とかこの連撃を耐えきってみせたのだ。

 攻撃を終えて角を引き抜いた妖魔ディアブロスは、未だ立っている人間たちに悔しげに唸っていた。

 

「ごめんよ、みちる。僕は、今だけは、このときだけは一緒に死ねない」

 

 はるかがみちるに見せた表情は、この死闘の場には似つかわしくなかった。

 それはあまりにも日常的で、穏やかなものだった。

 

「僕たちが死んだら、おチビちゃんたちが泣き喚いてお団子たちを困らせるだろう?」

 

 彼女はしばらく驚いたように息を詰まらせていたが、やがて。

 

「貴女のそういう言葉、ずっと待ってた気がするわ」

 

 彼女はそう答え、よろめきながらもスラッシュアックスを持ち直す。

 

 本格的な第三ラウンドが幕を開けた。

 

 妖魔ディアブロスは、真っ先に角で突き刺しにかかる。

 はるかは強化した盾で受け流し、みちるは横に転がって回避。

 彼女はそこから滑り込むようにして首から腹にかけてを斬り、剣に搭載されたビン内の薬液にエネルギーを溜める。

 みちるは脚を斧状態の剣斧で切り裂き、搭載された薬液を沸騰させる。

 

 2回目の突き刺し。

 先刻でのみちるの発見を生かし、焦らず足元で青みがかった甲殻を回転しつつ斬り払う。

 読み通り、勢いの乗った異形の角は頭上を通り過ぎた。

 はるかが視線をちらりと寄越すと、みちるは変形斬りを経て剣状態で斬りつけている最中だった。

 

 だが、ディアブロスもそれで終わらせない。

 頭を振り上げ、唸り、眼前の地面を双角で抉り飛ばす。

 

「くっ……」

 

 直撃こそ受けなかったものの、飛ばされた土砂をはるかは盾で防いだ。

 それを払い取った時、ディアブロスの下腹部で水の爆発が起こった。

 武器に備わる薬品の揮発にしてはあまりに鮮やかで、はるかの頬にすら雫が飛ぶほどの派手なエネルギーの炸裂だ。

 あまりの衝撃のためか、不意の方向からの攻撃のためか、妖魔ディアブロスの巨体さえも大きく傾く。

 

「はるか!」

 

 属性開放突きを決めたばかりのみちるは、一時冷却のため蒸気を上げる剣斧を、斧状態へと変形させつつ叫んだ。

 

「うさぎたちは、守護星の力を武器に込めることで威力を上げていたわ。試してみる価値はあるかもしれなくってよ!」

「ああ、やってみる!」

 

 既に凛々しい表情を復活させた彼女が海面のように波打つ髪を生き生きと躍動させると、はるかも背中を押される。

 やる内容自体はシンプルだ。

 常時、狩人としての能力を補完するため纏わせているセーラーウラヌスのパワーを、その手に持つ剣に纏わせる。

 

 叩きつけられる尻尾をステップで躱しつつ、剣を盾に備えられた鞘に差し入れ『チャージ』。盾内部に搭載されたビンに、守護星である天王星から与えられた力を最大限注ぎ込む。

 エネルギーが超圧縮され保存されたことで、斧刃は金色の凄まじい勢いの稲光を帯びる。

 

「なるほど……こういうことか」

 

 剣で盾の鞘を深く突くことで、盾斧を斧状態に変形。

 次は角と尻尾を共に弧を描いてぶん回した相手に対し、氷牙竜の白くスマートな鎧を纏ったはるかは敢えて転がって突っ込む。

 元々の防具の形状に加え姿勢を低くしたことで、双角も尻尾も掠ることなく背後に陣取る。

 彼女はそこを、攻撃のチャンスと受け取った。

 

「ワールド・シェイキング!!」

 

 はるかは片手で盾斧を真上から大きく振りかぶり、真正面の大地に叩きつける。

 斧刃が接地した瞬間、ビンに蓄えられた力が解放される。

 大地を割るように、限界を超えた衝撃波の嵐が駆け巡る。

 

 属性強化状態でのみ繰り出せる大技、『超高出力属性解放斬り』。

 折しもその武器を振るう動きは、彼女の叫んだ技と瓜二つであった。

 

「ヴオ゛オ゛オ゛ッッッッッッ!?!?」

 

 広い範囲で爆発が連鎖的に巻き起こり、かなりの量の鱗と甲殻を吹き飛ばす。

 相手は明らかに苦しみ悶えた。確かな手応えを感じ、はるかはみちると頷きあう。

 

 しかし妖魔ディアブロスはすぐに、赤い瞳に殺意を上書きする。

 暴君は姿勢を立て直すと、迷うことなく突っ込んだ。

 角による薙ぎ払い。斧の形をした尻尾の叩きつけ。異形の角による、地盤に穴を穿つ3連撃。

 怒涛の連撃を2人めがけて叩き込む。

 

 もう、少女たちも怯まない。

 天王星の力を、海王星の力を、それぞれの武器に搭載されたビンに溜める。

 そして相手の攻撃を避け、受け流し、直後に力を解放し爆発させる。

 

 砂原において、彼らのいる砂漠地帯だけが異様な雰囲気を放っていた。

 彼ら以外の生物は既にどこか遠くに逃れていた。誰もいない砂原において、その一帯だけは嵐が舞っていた。

 

 しかし、そこにもある変化が訪れる。

 黒い雲のようなものが天を覆い尽くしていくのだ。

 傾きかけた太陽が隠され、まるで夜のように暗くなる。

 それに真っ先に気づいたのは、みちるだった。

 

「空が黒く……?」

 

 しかし、妖魔ディアブロスはそんな環境の変化に全く構うことはない。

 夜のような暗闇のなかを、彼は紅い眼光と黒い覇気を引いて駆け巡る。それで、彼の現在位置はありありと分かる。

 彼が視線で追うのは目の前にいる2人の人間、それだけだ。

 

「どうやら、気にしてる暇はなさそうだ」

「そのようね」

 

 はるかの言葉にみちるは気を取り直し、剣斧を再び正面に向ける。

 雨が降ろうと、槍が降ろうと。はたまた、爆発と共に岩が降ってこようと。

 彼女たちは既にこの強敵に立ち向かう決心が出来ていた。

 

 妖魔ディアブロスは息を吸い、前屈み、翼を大地につけ、脚に力を籠めた。

 突進の合図である。

 

 『いつでも来い』と、はるかとみちるは武器を構えて示す。

 『ああ、今から行ってやる』と、砂漠の暴君は地を蹴り出す。

 

 妖魔ディアブロスは、その背から蒸気を噴き出し始めていた。

 水蒸気爆発の前兆だ。

 我が身を削って繰り出される必殺の一撃だ。

 それに最大限の力を持って抗わんと、少女たちも盾斧を、剣斧を手放さず真っすぐに睨んでいた。

 

 己の生死を賭けた彼らの命は、暗闇のなかで燦然と輝いていた。

 相手を追い越し、勝利を追い、それを鷲掴まんとしていた。

 彼らのみの空間が放つ熱気は、生命力の放出は、いま、最高潮を迎えていた。

 

 急速に縮まっては離れていく、彼我の距離。

 異形の暴君が突進を折り返すたび、蒸気の量は増えていく。

 3回目にはるかたちへと振り向いた時、彼の覇気はこれ以上ないほどの勢いを見せていた。

 

 恐らく、この一手で溜まった蒸気を爆発させるつもりだろう。

 突進する異形の双角は、今こそこの人間どもを葬らんと疾駆し、迫った──

 

 

 

 

 その時眩い輝きが、上空の闇を掻き分けた。

 

 

 

 

 暴君の首を、純白に光る腕から伸びる漆黒の爪が押さえつける。

 何かをへし折る音がした。

 

「グオッ」

 

 驚いたような短い悲鳴が響き。

 それきり、妖魔ディアブロスは地に伏した。

 

「……え」

 

 彼らだけの時間は突如として終わった。

 代わりに、倒れ伏したそれの上に、純白の外套が閃いていた。

 その下に黒い角と──

 橙色の瞳があった。

 

 それを認識した瞬間、頭上から殴りつけられ、ひれ伏せられるような重圧が彼女たちを襲った。

 

 守護星を持つ戦士として目に見えぬ力を感じ取る者としても、直感として感じたその生物の気配は明らかに異常だった。

 

 なにか、見てはいけないものを見てしまったような。

 その姿を見ることすら、禁忌であり罪であると感じさせられるような。

 

 一方の光り輝く龍は、こちらを一瞥すらしなかった。

 明らかにその龍の視界に、はるかとみちるの姿は入っているのだ。

 しかし、まったく興味を示さない。

 

 『もう用は済んだ』、そう言わんばかりにそれは純白の外套を広げた。

 先ほど爪を生やした腕と思っていたものは、その外套を支える『翼』であった。

 天を見上げ、一瞬だけ見えた本来の前脚に力を込めると、それは舞うようにして上空へと飛翔する。

 一帯を覆う闇のなか、その龍だけが浄光を地上に煌めかせ、そしていつの間にか闇のなかへと消えた。

 

 彼女たちは、立ったまましばらく動けなかった。

 かつて異形の暴君による突進を待っていたその場所から、呆然と、その輝く存在を眺めるしかなかった。

 

 

「まさか、あれが『金の竜』……いえ、『金の(ドラゴン)』」

「天廻龍シャガルマガラ……」

 

 

 その名を呟いた直後、黒い霧があっという間に晴れていく。

 陽はいつの間にか傾きかけていた。

 見慣れた砂漠の風景に戻ったところで、2人はやっと気づく。

 

「……おい、まさか、噓だろ」

 

 みちるは一言も言えず口を押えていた。

 先ほどまではるかたちをまともに動けなくなるまで追い詰め。

 いよいよこれからとどめを刺さんとしていた強大な宿敵が。

 

 

 妖魔ディアブロスが、息を引き取っていた。

 

 

 目は見開かれたままだった。

 恐らく、彼自身何が起こったのか分からなかったのだろう。

 憤怒も、殺意も、狂気も、最初からなかったかのように消え去っていた。

 唯一破壊されつくした大地が、彼がかつて持っていた力を物語っているだけだった。

 

 はるかは、その場にふらふらと膝から崩れ落ちた。

 押し寄せる身体の疲労と精神に受けた衝撃に耐え切れず、視界が歪む。

 

「今の今まで……全力で攻撃を叩き込んで、それでも勝てるか勝てないかってところだったのに……」

 

 立ち向かおうと決意した。

 宿敵と戦うなかで成長を遂げた。

 大切な人と共に死ぬことをも覚悟した。

 それでも勇気を振り絞り、命ある限り抗おうとした。

 

 そのはずなのに。

 ここまで地道に積み重ねたというのに。

 もう少しで、この因縁に決定的な決着がつくはずだったのに。

 それなのに。

 

「まるでアレは、赤児の手でもひねるように……」

 

 悲壮なまでの覚悟は、敵を凌駕する存在によっていとも容易く踏みにじられた。

 何という皮肉だろうか。

 それは、もはや戦いですらなかった。

 あの龍は近くを通りがかったついでに、気に障るモノを処理したに過ぎなかったのだ。

 

 彼女たちとディアブロスの死闘は、彼にとって見れば『遊戯』だった。

 いや、遊戯ですらない。

 普段なら注目にすら値しない、ただの塵同士の揺らめき。

 有象無象の、取るに足らないざわめき。

 

「いま、感覚で理解できた。古龍と呼ばれる者たちが、いったいどんな存在なのか」

 

 無力感のあまり立つことができないのは、はるかだけではない。

 

「彼らは、彼らの持つ力は、人が作った御伽噺などではなかったのね」

 

 みちるも、剣斧で辛うじて倒れようとする自身の身体を支えていた。

 

「異界より来たる災いが王国の未来を喰らい尽くす。せつなの言っていた『最悪の未来』は、誇張ではなかったのだわ」

「だが、彼女の予測は一部間違っていた。デス・バスターズにこの世界を支配することなどできやしない」

 

 はるかは、砂と血が滲む肩を、腕を、手を震わせた。

 

 

「本当の脅威は……破滅の未来をもたらすのは……」

 

 

 その先は言えなかった。

 彼女は言葉を噛み締め、目を見開き、盾斧を思い切り投げ捨て、拳を熱砂に打ち付けた。

 それからしばらく、何も言えず嘆くように地に伏せていた。

 虚しく砂が舞い、散っていく。

 みちるは現実に耐え切れないように口を押え、目を背ける。

 

「……みちる。僕はこれから、一生後悔する道を選ぶ。もう、僕たちの世界を護る方法はその道しか残されていない」

 

 もはやみちるにさえ、そう静かに告げたはるかを止める術も勇気もない。

 ただ、俯いて、屈みこんで、唇を噛み締めることしかできなかった。

 

「チャチャ、カヤンバ」

 

 地に向かって呟くはるかの声は掠れていた。

 彼女は呆然と、すっかり元通りに青くなった晴天を見上げた。

 

「やはり僕たちは……君たちの憧れるような人ではいられない」

 

 はるかの目端から、一滴の涙が頬を伝った。




人を恐れさす魔をも一瞬にして屠った『金の龍』。
2人の使命帯びし少女はある真実を教えられ、絶望する。

4編もいよいよ最終局面に入ります。
次回は、1話だけ物語の視点がこの世界から離れます。


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新たなる戦士

 東京の中心地から離れた、自然豊かな郊外。

 まだ咲かない桜の木の下、ゆりかごの中で赤ん坊がゆっくりと揺られていた。

 黒髪が短く生えた、生後半年くらいの可愛らしい女の子だ。

 彼女はぽけっとした顔で空を見上げていたが。

 

「あぅあ、うぅあー」

 

 突然ぱちりと目を見開き、喃語をあげながら両手を天に伸ばし始めた。

 そこに眼鏡をかけた白髪の男性が車椅子でやってきて、ゆりかごを覗き込む。

 

「どうしたんだい、ほたる。空ばっかり見上げて。お腹でも空いたのかな」

 

 幼児服を掌でぽんぽんと軽く叩きつつ、赤ん坊ほたるの見つめる先を見上げる。

 そこには何もない。

 ただ、平穏な青空に小鳥のさえずる音が聞こえるだけ。

 

「……それとも、何か僕には見えないものでも見えているのかな」

「土萠教授」

 

 呼ばれた男性は、ふと後ろを振り返った。

 そこにいたのは、褐色肌に緑髪を後ろに垂らしたスーツ姿の女性であった。

 

「ああ、君だね。これから代わりにほたるの面倒を見てくれるっていうのは」

「はい。冥王せつなと申します」

 

 彼女は礼儀正しく辞儀をしたが、畏まらなくていい、と土萠教授は手を振る。

 

「まったく、最近は麻布の怪物騒動も落ち着いたみたいで良かったよ。君のところは大丈夫かい?」

「はい。街自体も活気を取り戻してきたようで、やっとこれからというところです」

 

 冥王せつなは苦笑いを浮かべた。

 テラスの中では、テレビが報道を流している。これまでの麻布における怪物騒動のまとめと、街の復興に尽力する宝石店経営の女性たちについての話題だった。

 肝心の怪物たちの正体については、結局のところこれまでの生物の系統樹のどれにも当てはまらないということ以外、はっきりしたところは分からないらしい。

 

「これも、セーラー戦士が戦ってくれたお陰だな」

「……えぇ、まったく」

「最近じゃめっきり現れなくなったようだが、また化け物が現れるようなら二度と来れないようにしてもらいたいものだね。いま頑張っている人たちが気の毒だ」

 

 おくるみに包まれたほたるを受け取るせつなは、複雑な表情を浮かべていた。

 

──

 

 せつなが迎えてから、土萠ほたるは実に子どもらしく天真爛漫に育った。

 

 一方、常識ではありえないことも起こった。凄まじい速さで言語、感情、知識の習得が成されたのだ。

 その結果たるや、イェイツの詩を暗唱し、アインシュタインの一般相対性理論をも理解するほど。

 何よりも目に見えて大きいのは肉体の急激な成長だ。ものの数週間ほどで、ほたるは小学生低学年から高学年の中間相当にまで身長が伸びた。

 

 しかし、せつなはほたるの変化に動じなかった。彼女は奇妙な成長を遂げる少女にも普通の子どもとして接した。共に食卓を囲み、たくさん本を読ませ、外で一緒に遊んでやり、知りたがったことにはすべて答えた。

 

 ある日の夜のこと。

 パジャマ姿のほたるが、リビングに眠そうに目を擦りながら現れた。

 

「せつなママ、おやすみなさい」

「えぇ。おやすみ、ほたる」

 

 ソファーに座って読書をしていたせつなは、ほたるのおかっぱにした髪が揺れ、後ろを向けて去っていくのを見送った。

 彼女はふと、誰もいないキッチンを見つめた。

 

「……ここに、はるかとみちるがいれば──」

 

 言いかけてから彼女は気づいて、本を閉じつつ自虐的に笑った。

 

「何を言っているのかしら。この私が、彼女たちに行ってくれと頼んだのに」

 

 その頃、ほたるはベッドで毛布に包まっていた。

 だが、中々寝れない。誰かが自分に呼びかけている気がするのだ。

 

「……誰? 誰か、あたしとお話したいの?」

 

 起き上がって見渡すも、月の光が差し込む寝室には人影はない。

 

「……」

 

 ほたるは自身の胸に目をやって、そっと手を当てた。

 

「……もしかして、あたしがあたしに話しかけてる?」

「その通りです」

 

 初めて、はっきりとした声が響いた。

 透き通るような凛々しい女性の声。それは、ほたるの声をもう少し大人びさせたようなものだった。

 

 光で出来た人のシルエットがぼんやりと浮かび上がった。

 それだけでもほたるは言葉を失うが、驚異はまだ終わらない。その人の髪型、顔に至るまでが自身とほぼ同じなのだ。

 

「聞こえますか、もう1人の私。私は土星を守護に持つ破滅と誕生の戦士、セーラーサターン」

 

 ティアラを額に冠り、耳から三角錐のピアスを下げた女性は、白い下地の上に紫色の襟とスカート、そしてブーツを身につけていた。肩には花びらのようなフリルが、胸と腰には赤紫のリボンが付いている。胸の中心には、銀色の結晶体のような飾りが輝いていた。

 さらに白い手袋に二股に分かれた巨大な鎌を握って立てており、その全長は彼女の身長をも超えている。

 

「セーラー……サターン?」

「思い出すのです。かつての貴女が辿った軌跡を。──そして、転生した貴女に託された使命を」

 

 幻影が人差し指をほたるの額につけると、穏やかな光がそこに灯る。

 ほたるは脳内に入り込んでくる映像に、静かに目を閉じた。

 

 それは、ほたるが前世で歩んだもう一つの人生の記憶。

 

 かつて重傷に瀕したほたるの命を救おうと、父が自らの肉体を異なる存在に預けた日。

 己の心の裏に巣くう何者かのせいで、周りから孤立する日常。

 それらはすべて異星からの侵入者、デス・バスターズによる侵略の足掛かりだった。

 

 そんな彼女に出来た、唯一無二の親友。

 ほたるを世界破滅の元凶として排除しようとした、3人のセーラー戦士。

 一方で最後まで自身の命を護ろうとしてくれた救世主(メシア)、セーラームーン。

 

 いつの間にか、涙がほたるの頬を伝っていた。

 すべてが、体験していないのにも関わらず懐かしかった。

 彼女の正体はセーラー戦士。

 白き月の王国を守護する者としてこの世に転生を果たしたのだ。

 

「久しい、というには早すぎますね。セーラーサターン」

 

 セーラーサターンは、扉の方に振り向いた。

 そこには彼女と同じような姿をした女性の姿。

 しかし、紺色の襟とスカート、ブーツに黒色のリボンとカラーリングが異なる。赤い宝石とハート型の輪がついた杖を持っており、褐色肌に緑色の長髪を後ろに垂らしていた。

 

「……この世界の歴史が()()から外れたのですね。時空の戦士、セーラープルート」

 

 セーラープルートは黙って頷いた。

 

「貴女の覚醒は本来、ずっと先の出来事だったのです。その前に新たな敵が、新月と共に間もなくやってくる予定でした」

 

 彼女はサターンと共に、窓越しに月の光を見上げた。

 今宵は、綺麗な満月だった。

 

「しかしこの世界線では突如、一つの異世界と空間の歪みによって道が通じてしまいました。そこから現在に至るまで、私の見たことのない時間が流れているのです」

「詳しく聞かせて下さい。その詳細を」

 

 サターンの要望に応え、プルートは現在の状況の説明を行った。

 

 異世界から強大な怪物たちが侵入し、それらと対峙していたセーラー戦士たちが尽くその異世界へと迷い込んでしまったこと。

 この事件の裏では復活したデス・バスターズが糸を引いており、怪物の侵入は強力な太陽系外部戦士、つまりはウラヌスとネプチューン、そして今ここにいる彼女たちをこの世界に引き付けるための意図的なものだったこと。

 そこでセーラームーンたちを助けるため、ウラヌスとネプチューンが異世界に行ってくれたこと。

 

「そして私は根本的な対策を立てようと、時空の門から今後に待つ未来を直接覗きました」

 

 プルートは、一旦間を置いた。

 

「その……未来は……」

 

 彼女は、内容を言えなかった。震わせ、杖を割れるのではないかと思われるほど握りしめた。

 

「よほど恐ろしい未来を見たのですね。貴女でさえ恐れるような結末を……。いま、私たちのプリンセスが生きているかは分からないのですか?」

 

 サターンは同情の視線を向けつつも、長くは引きずらず話題を変えた。

 

「いいえ。先日、微弱ですが銀水晶や他の守護星の反応をあちらの世界からキャッチできました。彼女たちは生きています」

「……よかった」

 

 サターンは初めて、それまで一切動かなかった頬を緩めた。

 

「近いうちに時空の穴からあちらに向かい、ウラヌスたちと合流する予定です。こちらの世界への攻撃が止んでいる今がチャンスですから」

「概ねの事情は分かりました、プルート。一緒にプリンセスを、私たちの未来を護りましょう」

 

 そのまま、話は終わるかと思われた。

 しかしその後、セーラーサターンは何かを想うように動かなかった。

 

「どうしましたか、サターン」

「……プルート。これだけは聞かせて下さい。貴女は、その言葉に表せないほどおぞましい未来を見て……()()()()()()()私たちの未来を護るつもりなのですか?」

 

 プルートは押し黙った。

 傍のベッドに座って話を聞いていたほたるの、美しくも儚げな顔を見て、それから彼女は口を開いた。

 

「それは、あちらに行ってから伝えます。ほたるも、まだ状況を受け入れ切れないでしょうから」

「……分かりました。では、また会いましょう」

 

 サターンの人格は何かを察したようにそれ以上は追及せず、再びほたるの心の中に帰っていった。

 ほたるが見せたのは、年相応の少女としての不安げな表情だった。

 

「せつなママ。多分あたしも、その……獣たちがいる世界に行かなくちゃいけないのね」

 

 セーラープルートは光に包まれると元の冥王せつなへと戻り、ほたるを再び寝床へとつかせた。

 毛布を体に被せ、優しく手を上から重ねる。

 

「ほたる、今日はいろんなことがあって疲れたでしょう。まずは今日、ゆっくりとお休みなさい」

「……うん」

 

 せつなは、そっとその場を離れていった。

 ほたるは電気の消えた蛍光灯を見上げながら、小さく呟いた。

 

「ちびうさちゃん……待っててね」

 

 せつなは独りリビングに戻ると、静かにテーブルに手をつき涙を流していた。

 

──

 

 所は変わり、異世界のどこかにある地下空間。

 

「我々デス・バスターズはいよいよ勝利を掴みつつある。というのも我々の有する妖魔、ゴア・マガラがいよいよ『聖杯』として成熟しつつあるからだ」

 

 ほたるの父によく似た、丸縁眼鏡をかけた白髪に白衣の男性『教授』が杖で設置された黒板を叩いている。

 その先にあるのは、ゴア・マガラを模した絵だ。お世辞にも上手いとは言えないデフォルメされたそれの中に強調して描かれた、紫の点を何度も指し示す。

 周りにはセーラー戦士たちを模したであろう絵も描かれ、それらから矢印が一斉にゴア・マガラに向かって伸びている。

 

「この『聖杯』はセーラー戦士どもを封じ込め、我等を導くミストレス9、ひいては偉大なる主、師90に元の世界への鍵として捧げるための器となる。吸収したエナジーを使って『聖杯』が完成すれば、我々は勝ったも同然だ!」

「教授、ひとつ質問があります」

「ほう、何かねテルル君?」

 

 教授は、質問してきた白衣の女性に振り向いた。

 教壇と机を並べた教室のような空間で、テルルと呼ばれた彼女は蛍光色に近いどぎつい黄緑の髪で、側頭部にお団子、波打つ後れ毛を垂らしていた。彼女は眼鏡をくいと持ち上げ、席から立ち上がる。

 彼女はデス・バスターズの幹部『ウィッチーズ5』の一員、つまりは『魔女』だった。

 

「我々の妖魔ウイルスは、狂竜ウイルスから改造する過程で『悪意』や『憎悪』から生まれる負のエナジーを注入しております。そこから生み出された『聖杯』もまた、セーラームーンに浄化されてしまうのでは?」

「浄化などされることは()()()ない。断言できる」

 

 はっきりと答えてみせた教授は、自信満々に胸を張っていた。

 彼は片方の拳を持ち上げると、興奮のあまりそれを強く握り締める。

 

「この世界の巨大生物に宿る生へ向かおうとするエナジーは強烈なもの! そしてゴア・マガラがいまなろうとしている『聖杯』こそ、侵蝕する妖しき力に抵抗しようとする彼のピュアな心が生み出す、最高の結晶なのだよ! それがつまりどういうことかっ!?」

 

 教授の口調がヒートアップし教壇を叩いた時、テルル、そしてもう2人の女性幹部の顔が引いたように固まっていた。

 熱弁を振るううちに、教授の顔が()()()()()のだ。

 五芒星の瞳を持つ一つ目に赤く裂けた口という、不気味な顔が露わになっていた。

 

「教授。ガワが外れかけてます」

 

 教室の脇から出てきた赤い長髪に黄色い瞳を持つ助手、カオリナイトが助言する。

 

「お、おおっと……」

 

 やっと当人も気づき、背を向けて顔を弄る。

 振り返ると、そこにはいつもの『教授』がいた。

 

「ふう、この形を維持するのも疲れるな。やはり何事も『器』がないと安定せんものだ」

「前に擬態していた形が恋しいからと言って、無理なさらないで下さい」

 

 カオリナイトが小言を呟きつつ姿を消すと、教授はこほん、と咳払いして仕切り直した。

 

「とにかく!! 観測結果からすると、セーラームーンは悪しき心から生まれる負のエナジーは浄化できても、純粋な心から生まれる正のエナジーを浄化することはできない。よって、そこから生まれた『聖杯』も浄化しえないということだ!!」

 

 セーラー戦士たちから伸びる浄化の力を表す青い矢印は、ゴア・マガラから伸びる同じ青い矢印とぶつかり合い、その間に×を描くことで相殺が示された。

 

「なるほど。このために妖魔化生物を量産し、ゴア・マガラに捧げましたのね」

「そうだ。そして今回の『聖杯』の完成は、いま現地に向かっているミメット君がやり遂げてくれるはずだ。ゴア・マガラが成体になるという天空山でな!! うぁはははははははは、うううぅぅははははははははははは!!!!」

 

 テルルが得心して頷くと、教授も奇妙な笑い声をあげて教壇を去っていた。

 これにて、情報共有の時間は終了した。

 

 テルルがメモ帳を胸ポケットに入れて自身も持ち場に戻ろうとすると、青いストレートヘアーの白衣を着た『魔女』が歩み寄って来る。

 ウィッチーズ5における彼女の同僚、ビリユイである。

 冷たい氷のような顔立ちの彼女は、顔を執拗に近づけて笑ってきた。

 

「ふぅん。意外にあんたも不安なのね。我々デス・バスターズが以前のような失敗をするわけがないでしょう? ユージアル先輩は例外だったようだけど」

 

 ユージアルがかつて座っていた机の上で、ビンに挿された白い花が枯れかけていた。

 彼女の遺影も置かれているが、何かの拍子で横倒しになったままほったらかしである。

 ビリユイはテルルに視線でそちらを示し、それから挑発の視線を送る。

 

「あんたも例外どもの仲間入りにならないよう、せいぜい気をつけなさいよ?」

「プログラム通りに動く機械しか相手に出来ない女が、何を言うのかしら?」

 

 テルルも負けていなかった。

 互いに、しばらくガンを飛ばし合う。

 やがてビリユイはふんっと鼻を鳴らすと、こつ、こつとヒールを響かせて教室を出ていった。

 

 テルルも涼しい顔でその場を去ろうとすると、ミメットの空席に置かれた書類に目が行った。

 気を引かれてそれを手に取ると。

 

「あら……ユージアル先輩の遺した資料。妖魔ゴア・マガラのだわ」

 

 どうやら、誰かが事務的に彼女の机に置いたまま放置されていたらしい。

 誰もいないことを確認すると、テルルはぱらぱらと資料をめくり始めた。

 ユージアルらしい、非常なマメさでゴア・マガラに関する生態がまとめられている。

 それを読み進める中で、テルルが目に留めた文章があった。

 

「なるほど、なるほど? 脱皮直前の時期こそ、この妖魔化ゴア・マガラの扱いには気をつけるべきである。その理由については、以下、ハンター大全第4巻60頁より引用する……」

 

 その下には、この世界のどこかのハンターが描いたのであろうあるモンスターの挿絵と、ギルドによる説明文が引用を明記したうえで印刷されていた。

 

「……ふーん」

 

 一通り読んだ後、テルルは書類を手元でひらひらさせつつ呟いた。

 

「ミメットのヤツ、結局は前世から何も変わってないわね。ユージアル先輩がなんであんなに狂竜ウイルスを恐れたか、ここに全部書いてあるというのに」

 

 彼女はそれを片手で後方へ放り投げ、教室の隅にあったゴミ箱へと直接シュートを決めた。

 

「ま、知らないっと」

 




美少女戦士たちの世界でも、魑魅魍魎跋扈する世界による変化は少しずつ起こっていた。
遅々として、しかし確実に。
次回より、3編最終章。

補完として。
・今回出て来た『聖杯』は、セーラームーンの持つアイテム『聖杯』とは全くの別物で関係はありません。ただ、彼女に対抗してそう名付けてるだけです。
・また、分かりにくいと思いますが今回の『教授』……正しくはゲルマトイドは、人間の身体を借りてません。つまり、序盤で出て来たほたるちゃんの父、土萠教授は心身ともに本物です。


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帰るは白閃①

少し懐かしい顔ぶれが揃います。


 シナト村は、極東の小さな島国である『シキ国』、その中でも雲海が眼下に見えるほどの高所にある。

 山々の間から吹く乾いた風を受け、石造りの建物の屋根にある風車がゆっくりと回っていた。

 

「はぇー、すっごい高くにあるわねー」

 

 飛行船から下船したうさぎたちがまず目にしたのは、一面中に冴え渡る晴天である。

 足場から少し視線を外せばそこは断崖絶壁、真下は雲に隠れて何も見えなかった。

 絶景、というには恐ろしすぎるものを見たポニーテールの長身の少女、まことはぶるりと肩を震わせた。

 

「あたし、高所恐怖症かも……」

「こんなの誰だって怖いわよ~!」

 

 快活な金髪の少女、美奈子でさえも、抜き足差し足で門を潜った。木柱に括られた布が風にそよいで少女たちを出迎える。

 シナト村は、もはや村と言えるか怪しい規模の小ささだった。目に見える建築物は5、6軒くらいしかなく人々らしき影も10人にも満たないのではないか。

 

 村に入ると、やがて彼らもこちらの存在に気づき始める。

 見る限り、ゆったりとした軽装を着た小さい人たちばかりだった。

 手前にある粗末な木の柵に囲まれた畑で唯一、彼女たちより少し大きい背丈の青年が鍬で畑を耕していた。

 

「た、たのもーーーー!!」

「うさぎちゃん、それ道場破りで言うやつ……」

 

 うさぎが最初に話しかけたが、今までにない静かな雰囲気のあまりか、まことに指摘されるほど変な口調になってしまった。

 

 青年はこちらに気づくとにこやかな人懐っこい笑顔で汗を拭い、鍬を土壌に突き刺した。

 

「貴女たちが件の猟団の御方かい? 話は聞いてるよ」

 

 いつの間にか、2人の子どもが青年の後ろからうさぎたちを覗いていた。 

 大人と同じく長袖で暖かそうな紫の衣を着ているが、男の子は興味津々に目を煌めかせ、女の子は人見知りのようだがはにかんだ顔で出迎えてくれた。

 「こんにちは」と亜美が微笑むと、彼らはこくんと頷いて反応してくれた。

 

「それなら話が早いです! 長老さんがいらっしゃったらご挨拶を……」

 

 レイが交渉を行っている間、うさぎと美奈子は周囲をつぶさに観察する。

 彼らの共通点としては長く尖った耳や4本の手指を持つが、それ以外は人と全く変わらない。

 集まってくる人々の中には、青年と子ども2人以外にはほぼ老人しか見当たらなかった。

 

「長生きで有名な竜人族の人たちの村って聞いてたけど……」

「これが噂に聞く超高齢化社会ってやつ……!」

 

 竜人族の寿命はおよそ300歳と言われるので、彼らの多くは少なくとも200年以上は生きていることになろう。

 少女たちよりずっと背の低い老人たちが歩いてくるが、健脚なようで足取りはきびきびとしている。その中でも、笠を被り長髭を生やした老人が名乗り出た。

 

「若者よ、よくぞ来てくれた。ワシがここの長老じゃ」

 

 その老人もうさぎたちの腰の辺りまでしか身長が無い。少女たちは揃って挨拶をした。

 

「しかし、このシナト村に悪しき風がまた吹いてくるとは。此度は果たして間に合うのかのう……」

「悪しき風とは、ゴア・マガラのことですか?」

 

 亜美の言葉に頷いて応対する長老の顔は、どこかやつれて見えた。

 

「そうじゃよ。この村に伝わる伝承ではそう言うておる。と言っても、今回は人が操る点で厄介なのじゃがな」

「大丈夫です、ご長老。このシナト村は我らの団と筆頭ハンター……そして、この少女たちが護ります」

 

 若々しい、滑らかな声が響いた。それはうさぎたちにも聞き覚えがあった。

 やがて蒼い鎧を着た青年が、肩まである銀髪を山風に靡かせて人々の間から出てきた。

 

「……久しいな。息災にしていたか?」

「筆頭リーダーさん!」

 

 鋭さの宿る眼、きりっとした眉に高い鼻。

 うさぎは、何とも懐かしい顔に嬉々として駆け寄った。

 彼こそ、バルバレギルドの4人の精鋭『筆頭ハンター』の一角。本名はジュリアスと言い、かつて太陽の市場バルバレをセーラー戦士と共に救ったハンターの1人である。

 

「やっぱ、いつ見ても顔が良いんだわぁ……」

「先輩似のまつ毛の形もそのまんまだぁ……」

 

 レイは、リーダーに見惚れる美奈子とまことをつまみ出して遠ざけた。

 

「はいはい、2人はビョーキ再発しないようにね。で、あとのルーキーさんたちはどうしたんですか?」

「ルーキーは別件でギルドに任じられ遠くへ赴いたが、ガンナーとランサーは我らの団ハンターと共に、天空山に向かう妖魔化生物を相手取っている」

「……やっぱり、妖魔がここに迫ってるんですね」

「そう、だからちょうど避難準備を呼びかけたところだったのだ」

 

 筆頭リーダーは、村の奥へと歩みを進めつつ、少女たちへ手招きした。

 

「こっちに来てくれ。君に会いたがっている者がいる」

「あたしたちに、会いたがってる?」

 

 うさぎたちが付いていくと、窯と金床を備えた小屋の近くに、がっしりした体格の男性が座っていた。

 ゴーグル付きの帽子に白い袖無しシャツ、青いズボンに作業工具類を入れたポーチをぶら下げる姿は、彼が職人であることを窺わせた。

 

「お前たちが、団長が言っていた『魔女』……いや、『美少女戦士』か。……一目では、とてもそうは見えないな」

「ほらもう、2人ともそんなだから」

 

 レイがまことと美奈子の背後から呟くと、2人の顔にやっと恥じらいという感情が生まれた。

 一方で、亜美は何かに気づいた様子で話しかけた。

 

「もしかして、あなたが『我らの団』の加工担当さんですか?」

「ああ……そうだ」

 

 頷く男の尖った耳は竜人族の特徴だったが、同じ種族であるはずのシナト村の人々とはまったく印象が違った。

 言葉数はあまりに少なく、表情筋もほぼ動かない。おまけに目元も帽子に隠れて見えないので真意が分からない。

 一瞬、彼とどう話せばよいのかと少女たちは戸惑ってしまった。

 しかし唯一、1人だけは気にすることなく前に出た。桜火竜の防具を着た金髪のツインテールの少女、うさぎである。

 

「よろしくお願いしますー! 団長さんから話だけで聞いてたけど、こうして実際に会えるだなんて!」

「……あぁ。こちらも御伽噺が現実になった気分だ。よろしく」

 

 彼女が迷いなく差し出した手に、加工屋は初めて口角を上げて応えた。

 

「流石はうさぎちゃんねー。物怖じしないというか疑うことを知らないっていうか」

 

 美奈子が感心する一方、ふとうさぎは周りを見渡した。

 

「そういえば、お手伝いの女の子は? いつも一緒にいるって団長さんが言ってた気が」

「……彼女なら、俺のもとを出ていった」

 

 寡黙な男の如何にも訳ありげな物言いに、少女たちはギクッと身体を固まらせた。

 

「あっ、も、もしかして触れちゃいけない話題だったとかっ!?」

「……いいや。自分の工房を持ってみたいと言ったので、1年ほど前から世界中で修行をさせている……。実際、彼女の技術も相当な段階に仕上がっていたからな」

 

 慌てて謝りかけていたうさぎは、その一言でほっと一息をついた。

 

「驚いたよ、てっきり喧嘩別れでもしたのかと……」

「ほんとにうさぎって、神経が図太いわよね~」

「ほんとにレイちゃんって一言多いわよね~!!」

「でも、円満退社ってんなら良かったじゃないの!」

「……言葉の使いどころが違うわよ、美奈子ちゃん」

 

 安堵の勢いで思い思いに言い合う少女たち。それを見た加工屋は彼女たちを連れてきた筆頭リーダーと視線を合わせた。彼もまた、かつての戦友たちを懐かしさと可笑しみの混じった笑みを浮かべて見守っていた。

 

「……団長の言う通り、面白い娘たちだな」

「だろう?」

「……よければ、そちらの武具を点検しようか。このあと、すぐ天空山に向かうだろう」

 

 加工屋が少女たちに提案すると、レイと睨み合っていたうさぎはすぐに喜々として反応した。

 

「あっ、ぜひぜひ! 助かりますー!」

 

 うさぎたちは武具を外し、加工屋に渡して少しの間待つことになった。加工屋は分厚いミトンを手に装着し、金属の部分をトンカチで叩いて音を出し、異常がないか点検し始める。

 作業の間に、少女たちは村人たちが用意してくれた椅子に座って簡単な近況報告をした。

 職人が金床を鳴らす音を聞きながら、青い鎧の青年は少女たちの話に耳を傾けた。

 

「なるほど、温泉のユクモ村に南海のモガ村、そして新しくやって来た君たちの仲間……」

 

 作業も終盤、一通り話を聞き終えた筆頭リーダーは、感慨深げに点検が終わって作業台に置かれた装備を眺めた。

 

「そして、上位ハンターか。ついこの前まで下位のモンスターに苦戦していた君たちが、今ではあんな立派な防具を」

 

 青年の視線は、次に少女たち本人へと向いた。

 

「何よりも、君たち自身が狩人の目になった」

 

 一見厳格にも思える顔つきのなか、蒼い瞳は柔らかい光を湛えてうさぎたちを認めてくれている。

 それを見て、彼女たちは誇らしげに笑った。

 筆頭リーダー自身でさえ、どこか前よりも大人びているようにも感じられた。

 

「よし、補強も終わったそうだぞ」

 

 彼自身がそう言って立ち上がった時には、既に加工屋は最後の防具の作業を終え、工具をポーチにしまいかけていた。

 

「やったぁ! ありがとうございま~す!」

「……少し、待ってくれ」

 

 加工屋は、防具を受け取ろうと駆け寄ったうさぎの前に手を差し出した。

 

「まず……バルバレを魔の手から救ってくれたことに……そして、またこうして来てくれたことに。かなり遅れてしまったが、感謝を伝えたい」

 

 少しの間熟慮するように黙ったあと、彼は顔を上げ、少女たちが身に纏っていた防具を指さした。

 

「……だから、俺もお前たちに貢献したい。素材や代金は結構だから、防具の強化もついでにさせてくれないか? 時間はそれほどかからせないつもりだ」

 

 男は相変わらず表情が薄かったが、口調はとても優しかった。トンカチを握る手は力強く、その意志の強さを示そうとしているかのようである。

 

「分かりました。お願いします!」

「レイちゃんからも、お願いしまーす!」

「あたしも、あたしもー!」

 

 彼の気持ちを受け取って、うさぎたちは元気よく頼むことにした。加工屋も嬉しそうに頷き、防具強化に必要な鉱石『鎧玉』を炉の中に継ぎこみ始めた。

 煙突から煙と共に、金属の灼ける臭いが漂ってくる。

 昇華した気体中に防具を入れることで鎧玉の成分が蒸着し、防具の強度が増す仕組みなのだ。

 加工屋が宣言した通り、防具の強化作業は彼自身の手際の良さもあって本当に30分も経たず完了した。

 

「……終わりだ」

「わあ、すごい……! 完全にピッカピカだわ」

 

 防具の素晴らしい出来栄えに感動しているうさぎたちを他所に、筆頭リーダーは荷車を引いてシナト村の入り口に歩みつつあった。

 

「さて、私もそろそろ戦線に復帰する。天空山のことは任せるとしよう」

「え、もう!?」

 

 再会してから一緒にいた時間は、1時間もなかったのではないか。思わず驚くうさぎに対し、筆頭リーダーは苦笑を浮かべた。

 

「さっき言ったろう。あくまで私は呼びかけに来ただけなのだ。いつまでも3人に戦わせるわけにはいかん」

「ざーんねん、久しぶりに会えたと思ったらまたお別れだなんて」

「どうやら、あたしたちに平穏は中々訪れてくれないようだね」

 

 美奈子が肩を落としたのに対し、かつての恋敵であるまことは皮肉交じりで励ます。

 

「……フッ。君たちを見ていると、今回もどうにかなるんじゃないかという気になるな」

 

 晴天のもと、銀髪の青年は少女たちに呼び掛けた。

 

「バルバレでの我々の出会いは、遂にこの真実にまで引き合わせてくれた。たとえ互いに距離は遠く離れようとも、それぞれに真実を求めようとする意志が、我々をこの山にまで到達させてくれたのだ」

 

 彼は拳を握りしめた。それまでになかった力強い色が瞳に浮かんだ。

 

「だから、今こそ信じよう。我々の絆を」

「ええ!」

 

 うさぎは深く頷いて答え、去ってゆく背へと手を振る。

 

「どうかリーダーさん、お元気でーー!!」

 

 あまりに短かった縁故の一時を惜しみつつ、彼女たちは青年を見送った。

 翻って、少女たちはシナト村の東にある吊り橋へと歩を進める。

 その先は天空山に登る坂道であった。

 

 これから天空山に集まるであろう妖魔化生物の群れはすべて、妖魔ゴア・マガラにエナジーを与えるための生贄。

 一刻も早く妖魔ゴア・マガラを見つけ出し、それを操るデス・バスターズの蛮行を止めるのが彼女らの目的だ。

 

「場合によっては、これが最終決戦かもね」

 

 『城塞遊撃隊』の装備に太刀『灼炎のルーガー』を背負ったレイは鋭く前方を睨み、

 

「一夜漬けの試験よりはらっくしょーよ!」

 

 『ファルメルS』にヘビィボウガン『バイティングブラスト』を背負った美奈子は腰に手を当てて楽観し、

 

「油断はいけないわ。相手は妖魔の親玉、手強いことは確実よ」

 

 『ミツネS』にライトボウガン『狐水銃シズクトキユル』を背負う亜美は冷静な観測をし、

 

「大丈夫さ。何が来たってこれで打ちのめしてやるよ」

 

 『ジンオウS』にハンマー『王牙鎚』を背負うまことは、自身の武器の柄を叩いてみせた。

 

「行きましょう、天空山へ」

 

 『リオハート』に大剣『煌剣リオレウス』を背負ったうさぎは、裾野まで広がる山脈を見上げた。

 

 聳え立つ霊峰は、沈黙して少女たちを出迎えた。

 




人々は、各々の決意を抱いて向かう。
次回、天空山にてセーラー戦士たちが見るものとは。

ps.モンハンNowめちゃくちゃ面白い。ハンターランク12まで行ったけど飛竜を早く狩りたいなぁ。世界観的にはたった75秒でモンスターを狩ったり、一般人には歩けなくなるほど重いはずの防具を着ただけで不思議な力が湧いたり結構ファンタジーなところがあるけれど(笑)


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帰るは白閃②

 いよいよ目的地に足を踏み入れたうさぎたちは、地図を見ながら慎重に奥へと足を運ぶ。

 天空山はシナト村と同様、非常に高い標高に位置する。

 足場は崩落の際に蔦に絡まった岩や遺跡から成り立っており、つまりは半分宙に浮いたような状態である。

 現に彼女たちが頂上に向かっている間も、破片が奈落へと崩れ落ちてゆく様子が見えた。

 

 エリア1からエリア5へ向かう天然の空中回廊を通っていると、少しずつ晴天に黒い靄がかかり始めた。

 

「そろそろ山の中腹へ着くわ。気を引き締めて!」

 

 亜美の言葉も相まって、否が応でも高まる緊張感。

 そしてエリア5──積み重なった岩が形作る段丘の地形に来た時、彼女たちの目の前に衝撃的な光景が訪れた。

 

「これは……!」

 

 思わずうさぎの口端から言葉が漏れ出る。

 

 モンスターたちの屍が、あちこちに転がっていた。

 

 飛竜種のリオレイア、鳥竜種のイャンガルルガ、獣竜種のドドブランゴ、牙獣種のババコンガ。

 本来この地域に生息しないはずのモンスターたちが、近くにも、遠くにも横たわっている。

 行けど行けど、そんな異様な光景が広がっている。

 

「……酷いわ。無理やりこんな遠くにまで連れてこられて」

 

 うさぎは一時足を止め、痛ましそうに物言わぬ彼らを見つめる。

 筆頭ハンターたちが妖魔化生物を相手してくれているとはいっても、やはり完全にとは行かなかったようだ。

 

「どの遺骸も妖魔ウイルスの残滓が薄いわ。既にゴア・マガラにエナジーを吸い取られた後ね」

 

 レイは遺骸をひとつずつ眺めたあと、ある一点を指さした。

 

「……妖気が濃いのは、あっちの方よ」

 

 天然の岩が環になって作るアーチの先だった。

 その向こうからは静かな風が、獣のように低く唸りながら吹き付けていた。

 

──

 

 エリア6。

 崖の一部が削り取られて出来た平地で、右手には高い崖が聳え、左手奥には大きな遺跡の一部が転がっている。

 更に奥にある断崖絶壁の手前では枯木が風に揺られており、空は曇天が覆って稲光が走っていた。

 迎え入れるように、不穏な雰囲気が彼女たちを包み込んだ。

 

 うさぎが一番後ろに、あとの4人は武器を構えて前方に。

 一歩ずつ、一歩ずつ、前へ進んでいく。

 

 エリアの中央辺りまで到達したとき、亜美が呟いた。

 

「……気をつけて。何かがいるわ」

 

 その時、ひゅるるると風を切る音が彼女らの耳に入った。

 うさぎが目線を上げると、金色に煌めく何かが飛んできていた。

 

「うさぎ!」

 

 レイは素早く判断し、太刀を引き抜くと同時にうさぎを突き飛ばす。

 あとの3人はレイから離れ、それを確認した彼女は太刀を振る。

 やがてその足元に、刃のようなものが燃えながら落ちていった。

 間を置かず、大きな影が少女たちの頭上を横切る。

 

「ピュイエエエエエエエェェェェェェェ!!!!」

 

 宙から襲ってきた爪の一閃。

 それは明らかにうさぎを狙ったものだったが、今度は彼女自身が大剣を盾として構えたことで不発に終わる。

 飛竜は旋回しながら高度を落とし、着地した。

 刀状の角に、全身に刃を備えたような特殊な鱗。そして、この極めて高い飛行能力。

 

「……セルレギオス!」

 

 亜美は、孤島と火山での狩りを経て見慣れたその姿を睨み、そう呟いた。

 少女たちの眼前に降り立ったのは、デス・バスターズの配下となった千刃竜だった。

 彼は妖魔の証である、赤い瞳と黒い煙を口から吐いていた。

 

「どうやら、タダで通してはくれなさそうね!」

 

 美奈子は派手な装甲を備えたヘビィボウガンを構え、本格的な戦闘態勢に入る。

 答えるようにセルレギオスも飛び立ち、空中から蹴りを見舞おうとした。

 

 

「やーっと捕まえた」

 

 

 直後、黒い外套が千刃竜の身体を押し倒した。

 

「ピエエエエエッッッ!?」

 

 無論、驚いたのは彼だけではない。

 うさぎたちはセルレギオスを鷲掴んで地に叩き伏せた、暗黒の鱗を持つ竜に目を奪われた。

 

「……妖魔、ゴア・マガラ!」

 

 彼女らからすれば初めて出会う相手だが、形だけからすれば遺跡平原で見た──狂竜ウイルスを持ち、妖魔である彼と対立していた──ゴア・マガラと、姿形は瓜二つである。

 雷に照らされたその頭部には角も、目も存在しない。常に妖気を撒き続ける外套を翻し、それを支える3番目の脚に生える剛爪をセルレギオスの首根っこに叩きつけた。

 

「ヴォアアアアアアアアアアア!!!!」

 

 黄泉の国の死者の如き禍々しい咆哮。

 すると、途端にセルレギオスの身体から霧が立ち昇り、喉奥から悲鳴が漏れ出る。

 うさぎたちも、たちまち立てなくなって止むを得ず膝をつく。

 

「ぐっ、エナジーが……吸い取られる……っ」

 

 妖魔化生物の特徴である、周囲の生物からのエナジー吸収。

 このゴア・マガラに関しては、その能力自体が強力なようだ。セーラー戦士たちもいまや、一歩歩くことすらままならない。

 

「セーラー戦士のみなさんハロー、おげんきー? って、今はエナジーを吸われてるから元気じゃなかったわね」

 

 こちらを小馬鹿にした甲高い少女の声が崖の上から聞こえた。

 うさぎたちが辛うじて目線だけを上げると、黒いスカートを履いたウェーブヘアーの少女が、優雅に崖の端に腰を下ろしていた。

 

「ミメット……! あんたも……この山に来ていたのね!」

 

 美奈子は何とか立ち上がろうとするが、敢えなく地面に崩れ落ちる。妖魔ゴア・マガラのエナジー吸収があまりに強力なのだ。

 

「だって、もうすぐこの子も『聖杯』になるのよ。それに立ち会うのは主として当然の義務とは思わない?」

 

 聞き慣れない言葉に、うさぎは苦しげな顔で叫ぶ。

 

「なによ、『聖杯』って!? この子に何をするつもりなの!?」

「あんたたちを食わせるのよ」

 

 デス・バスターズ幹部のミメットは座ったまま、余裕綽々に説明する。

 その一言に、力を抜かれゆく少女たちの顔は怪訝に歪んだ。

 

「この子が器、お前たちが中身。そのエナジーをあたしたちの巫女様に一緒に捧げることで、偉大なる主もふっかーつ! 元の世界も侵略できるし、あたしも教授に見初められて上位幹部に昇格ってワケ♡」

「よくペラペラと喋ってくれるじゃない。罪のない命をたっくさん弄んでおいて!」

 

 レイの威圧を含んだ言葉を聞いて、ミメットは意外そうに肩をすくめてみせた。

 

「あんたたち、えらく化け物どもに肩入れするじゃないの。物好きねぇ」

「肩入れするもなにも、この世界にいる人たちも、モンスターたちも、みんな生きてるのよ!?」

 

 必死に訴えたうさぎに、ミメットは「あっははははは!」としばし高笑いを上げ続けた。

 うさぎたちは、困惑と怒りの混じった顔で地面を見つめるほかなかった。

 

「やーねー! この世に存在してくれる生き物なんて、高学歴に高身長に高収入、あと優しくて気遣いができて家事もぜーんぶやってくれてー、あと絶対に浮気しない一途なイケメン君だけでジューブンじゃない♡ あんたたちだって、同じ一人のオンナならわかるでしょ?」

 

 ミメットが浮かべた笑顔は、本当にそうだと心の底から思っているようだった。

 まことはいよいよ我慢ならなくなって怒鳴った。

 

「そりゃあ、素敵な人は欲しいさ! だけど、それ以上に……あたしたちは、この世界に支えられて生きてきたんだよっ!!」

「そうよ! あんただって、そのゴア・マガラがいなけりゃ何も出来ない癖に!」

 

 美奈子も加勢し、負けじと声を張り上げた。

 だが、ミメットはむしろ口を尖がらせる。

 

「えぇ? あたしはむしろ、邪魔ばっかりされたわよ?」

 

 彼女は、眼下でセルレギオスを掴むゴア・マガラを見下した。その視線にはどこか冷ややかなものが宿っていた。

 

「この子ったらねぇ、指示を聞かない時がしょっちゅうあるの。しかも、『お兄ちゃん』からは怖がって逃げようとする体たらく。こういう子たちにはあたしが神様なんだってしっかり分からせてあげなきゃいけないのよ」

 

 ミメットは星形の宝石がはめ込まれた杖を掲げた。

 

「チャーム・バスター!!」

 

 黒い魔法の稲妻が、漆黒の外套を穿つ。

 

「ガアッ……」

「ちょーーっと予定より早いけど、まずはここで邪魔なお前たちを倒すとしようかしら!!」

 

 ゴア・マガラは既に息絶えたセルレギオスから手を離し、身体を捩じって苦しげに唸った。

 

「ほらぁ、ゴア・マガラちゃん。さっさとその汚らしい皮、脱いでしまいなさいな♡」

 

 頬杖をついてミメットは笑みを浮かべたまま雷の勢いを強めた。

 ゴア・マガラはその身を震わせながら屈め、蠢き始めた。

 鱗の一部が剥がれ、欠片となって落ちていく。

 

 そこでちょうど、うさぎたちの拘束が解けた。エナジー吸収が止まったのだ。

 

「まさか……今ここでシャガルマガラに成長させる気なの!?」

 

 ふらついて立ち上がりながら亜美が発した言葉に、ミメットは見下しつつニヤリと勝ち誇ったように笑った。

 

「安心して。これで大人に成長したら、あっという間にお前たちのエナジーを完全に吸い取ってあげるから」

「くっ……マズイわ、このままでは!」

 

 レイが息を荒くして呟く。

 ゴア・マガラが脱皮を経て成体であるシャガルマガラとなれば、古龍という生物種として凄まじい力を発揮することになる。それがデス・バスターズの使い魔となれば、セーラー戦士でも果たして打ち勝てるかどうか怪しい。

 

 うさぎは全力を振り絞って立とうとした。

 だがエナジーを吸収されたばかりのために力が抜け、すぐに倒れてしまう。

 意志と反し、その身体は鉛のように重かった。

 

 一方、妖魔ゴア・マガラは右肩上がりに妖気を増してゆく。

 次第に砕け散っていく黒い鱗は、確実な彼の成長を示す。

 彼は今にも『最強の妖魔』となり、セーラー戦士たちを一掃せんとしていた。

 

 

 突然、純白の光が漆黒の外套を照らした。

 

 

 ふとうさぎたちがそちらを見上げると、一筋の斜光が真っすぐ天上から伸びている。

 空のある一点だけがまるで、雲の切れ目が訪れたように明るい光を地上へもたらす。

 ミメットも、同じ方向を呆然と見つめていた。

 

 直後、光の奔流が曇天に大穴を開ける。

 

 純白は、瞬く間に眩い赤紫へ。

 ゴア・マガラは爆発に包み込まれた。

 

「ヴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァア!?!?」

 

 遥か天上よりもたらされた紫光の鉄槌。

 それは炎のようでもあり、雷のようでもあり。

 妖魔ゴア・マガラが纏う外套を簡単に燃え上がらせた。

 ゴア・マガラは喉奥から叫び、悶絶する。

 のたうち回って逃れようとするが、それも虚しい抵抗に終わった。

 

 天罰とでも形容すべき光景に、人間たちは何も言えず傍観するのみ。

 いったい何が起こっているのか、理解を拒む超然的光景。

 その罰を与える存在はあまりに遠すぎて目に見えないが、ゴア・マガラに集中する光には明らかに意志が見えた。

 

 敵意と、憎悪と、殺気だ。

 

 何秒経った頃だろうか。

 やっと光は止み、その根源は再び曇天のなかに姿を消した。

 

「ヴ……ヴヴ……ア゛ア゛アア……」

 

 未だに妖魔ゴア・マガラは地面を引っ掻き、呻き苦しんでいた。

 そこにいない光の根源に怯えるように。少しでもここから逃げ出したいと訴えるように。

 

 その頃になると、セーラー戦士たちも何とか身体が動くようになっていた。

 マーキュリーゴーグルで解析を終えた亜美が叫んだ。

 

「あの光は……狂竜ウイルスの塊よ!!」

「じゃあ、あの光は!」

 

 レイが続いて叫んだ時、パキリ、と音がした。

 遺跡に寄りかかる妖魔ゴア・マガラの背中が割れていた。

 その割れ目から、金色の鱗が顔を覗かせていた。

 ゴア・マガラは時節呻きながら身体を震わせ、漆黒の鱗を振るい落とす。

 

 少女たちは、息を呑んで見守る。

 彼はいよいよ新たな姿へと生まれ変わらんがため、その衣を脱ぎ捨て──

 

 

 

 られなかった。

 

 

 

 脱ぎ落としたのは右半身の一部だけ。

 頭の右側に角が飛び出し、外套に一部純白の鱗が生えた状態で妖魔ゴア・マガラは脱皮を終わってしまった。

 ミメットは戸惑いを隠せなかった。

 

「え……なんなの、これ?」

 

 多くの命を継ぎこみ、ゴア・マガラを妖魔として育てたデス・バスターズ。

 その末に彼らが生み出したのは、『半端者』であった。

 

「あれが……シャガルマガラ?」

 

 右半身にのみ金の鱗が現れた異形のゴア・マガラ。

 それを前に、うさぎはただ地に立てた大剣の柄に寄りかかり、目を見開くことしかできなかった。

 

「それにしては何だか苦しそうよ」

 

 レイも、まだエナジー吸収によって重たい身体に鞭を打ち、なんとか相手を視界に捉える。

 彼女の言う通り、異形のゴア・マガラは荒い息をして肩を震わせていた。

 ミメットは少女たちを見下していた崖の上から降り、ゴア・マガラに走り寄りながら叫んだ。

 

「ちょっと、何でそんな気持ち悪い脱ぎ方してんのよ!! あんたも大人になりたいんでしょう!? ほら、早くきちんと脱ぎなさいよっ!!」

「アアアア、ァァァアアアア!!」

 

 ミメットが杖を掲げ、そこから放たれた雷が辿り着く前にゴア・マガラは頸を掻きむしり、悲鳴を上げながら彷徨うように彼女の頭上を飛び去っていった。

 

「あっ、待ちなさいっ!!」

 

 曇天と稲光のなかに消えゆく漆黒の影。

 今や少女たちの目前にまで迫ったミメットの顔からは、明らかに余裕が消え失せていた。

 

「待ちなさい、ミメット!!」

 

 ミメットが振り返ると、守護星を持つ少女たちが睨んでいた。彼女はキッと睨み返して歯を食いしばると、

 

「あんたたちは余りものでも相手してなさいっ!」

 

 杖を高く掲げて光らせ、瞬時に姿を消した。

 直後、巨大な肉塊が地面を突き破った。

 

「グゥゥゥゥ」

 

 穴から這い出たそれは身体についた土を払い落とし、強靭に筋肉の発達した後ろ脚で立った。

 棘だらけの頭部はすぐさまうさぎたちを捉え、餌と認識したのか唾液を撒き散らして吼えた。

 

「あれはっ……!」

 

 忘れもしないその姿に、レイは思わず叫んだ。

 生態系の破壊者。貪食の恐王。

 美奈子とまことも、一気に表情を鋭くした。

 

「イビルジョー!」

「あたしたちが凍土で見たヤツだ!」

 

 証拠に、かつてセーラーウラヌスが付けたであろう胸の深い斬り傷が特徴的だった。

 貯め込んだエナジーを大量に吸われ消耗している所為か、以前のような妖気と迫力は失せている。しかし、山のような図体と悪魔のように凶悪な顎の威圧感は未だに健在だった。

 

 にじり寄る、飢える獣の脅威。

 うさぎは大剣の柄に手を伸ばしながらも、どうしたものかと迷っていたが。

 

「ここはあたしたちが引き受けるわ! うさぎは、あの妙なゴア・マガラを追って!」

 

 レイが、黒髪を揺らしてうさぎの前に立った。引き抜いた『灼炎のルーガー』が、炎の軌跡を描く。

 

「そんな! みんなを置いていくなんて……」

「あたしも、前に相手したから感覚で分かる。今の弱ったこいつなら、慎重にやればなんとか勝てる気がするんだ!」

 

 次に、まことが『王牙鎚』を手元から電流を流しつつ前に出る。守護星と武器の力が交じりあった雷に、イビルジョーは忌々しげに目を細めた。

 

「でも、相手はあの……」

「ダイジョーブよぉ、いざとなったらとんずらこいて逃げてやるから!」

 

 止めようとしたうさぎに、美奈子は肩を叩きつつヘビィボウガンを取り出す。

 

「うさぎちゃんはシナト村に戻ってゴア・マガラを追って。そのついでにこちらへの補給を要請してちょうだい」

 

 亜美は首を伸ばしてきたイビルジョーの噛みつきをひらりと躱し、続きの言葉を継いだ。

 

「絶対に生き残ってみせるわ。どうか、あたしたちを信じて!!」

 

 それ以降、少女たちの視線は目の前の恐暴なる竜に集中した。

 彼は完全に4人を標的に捉え、頸を天上に上げ、腹の底から咆哮した。

 うさぎは喉元まで出てきたものをぐっとこらえ、時節振り返りつつもその場を駆け出した。




ついに渾沌が動き出す。


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帰るは白閃③

「あっ、やっと見えた!」

 

 うさぎはギルドに雇われたアイルーの引く荷車、通称『ネコタク』に乗せてもらい、超特急でシナト村に帰ってきた。

 山をいくつか超えた辺りでやっと村の玄関となる大門が見えたが、その隣に何か巨大なものが鎮座している。

 その全貌が露わになった瞬間、彼女はぎょっとして荷車の縁を掴む手を離しかけた。

 

「わわっ、鯨が浮いてるっ!?」

 

 新手のモンスターかと思いきや、それは身じろぎもせず牙の並ぶ口を開けたままだ。荷車を引っ張る雇われアイルーは、顔色一つ変えることはない。

 

「なーにおったまげてるニャ。あれは飛行船ニャ」

「飛行船……?」

 

 それは赤く塗られた木材で組まれた鯨型の船だった。上方には巨大な骨組みに支えられた気嚢が取り付けられ、今も船体を空中に浮かせていた。

 

「あれって、もしかして……!」

 

 ネコタクから降りてシナト村の門を潜ると、村は全くのがらんどうだった。

 代わりに、5つの人影が中央広場にいた。しかし、明らかにシナト村の住民ではない。

 手を振る彼らのシルエットを見て、うさぎはアッと声を上げた。

 そのうちの、ウェスタン風の帽子にジャケットを羽織った、白髭の壮年男が笑った。

 

「久しぶりだな、お嬢ちゃん」

 

 急いで駆け寄るにつれ、予感は確信へと変わった。1人は先ほど出会った『加工担当』の男だ。そして、もう3人は。

 

「団長さん!? 看板娘のソフィアさん、料理長さんに竜人商人さんも!!」

 

 緑色の制服に博士帽を被ったメガネの女性は、椅子から分厚い本を抱えながら立ち上がりつつ微笑んだ。 

 

「うさぎさん、バルバレ以来ですね!」

「お嬢、ワタシの勝ちニャル。ワタシがこのムスメに出会ったのはココット村以来ニャル」

 

 彼女に妙な勝ち誇り方をしたのは、中華鍋を背負ったチャイナ服姿のアイルー。それに対し、紫の服を着た好々爺は鍵の形をした杖でポンポンと自身の頭を叩いた。

 

「お前さんもよく覚えとるよなぁ。もうワシは必死にライゼクスから逃げとったことしか思い出せんわい」

 

 他ならぬ『我らの団』メンバーたちだ。料理長と竜人商人に至っては本当に懐かしい顔ぶれで、看板娘や団長と喋っているのも新鮮な光景だ。

 

「でも、なんでここに……」

「我らのハンターから、嫌な予感がするからシナト村に行ってほしいって言われたもんでね。……で、様子を見るにその予感は外れていないみたいだな」

「うん、実はね……」

 

 残念ながら、再会の余韻に浸る暇はない。うさぎは天空山で起こったことを手早く話した。

 

「ゴア・マガラが……脱皮に失敗!?」

 

 看板娘ソフィアの顔色が一気に変わった。団長も、白い眉をぎゅっと寄せて帽子を深く被った。

 

「……実はお前さんが来る直前、ギルドの気球観測隊から報告があってな。どうも禁足地に1頭、正体不明のモンスターが入り込んだらしいんだ。そのこともあってここの住民を避難させてたんだが……」

「……前例通りなら、もしかして」

 

 ふと、うさぎの視線は別の方に引かれた。

 看板娘が、重い雰囲気を纏って地面を見つめていた。

 

「前にも、そういう目に遭った子がいたんですか?」

 

 うさぎが問うと、迷うように揺れていた看板娘の視線が定まった。

 彼女は顔を上げると、

 

「遭ったというよりは……元より仕組まれているのです」

 

 言葉の真意が分からず、うさぎは眉をひそめた。

 看板娘は近くにあった机に積まれた本から『ハンター大全第4巻』と題された書籍を手に取り、あるページを開いた。

 うさぎが机に広げられたそれを見ると、天空山で目撃したものとほぼ同じ、金色が右半身に交じった姿のゴア・マガラが描かれていた。

 

「闇の光への転生から外れた者。彼を、ギルドは『渾沌に呻くゴア・マガラ』と呼称しています」

「渾沌に、呻く?」

「まず、ゴア・マガラは雄と雌が出会うのではなく、単体が卵を撒くことで増える生物です。シャガルマガラがばら撒く狂竜ウイルス……つまりは卵が他生物に感染し、そこから幼体が増える。これはバルバレでもお話しましたよね」

「……はい」

「ですが、変だと思いませんか? それなら今頃、地上にはシャガルマガラが幾千万と溢れ切っているはず。でも、そうはならない」

 

 言われてみれば、とうさぎは考え直す。しかし、それがどう今回のことと繋がるというのか。

 看板娘のソフィアは、決意したように再び語り始めた。

 

「これはつい最近の研究で明らかになったことなのですが──ゴア・マガラの中で一番に成体となった個体は、自身のばら撒く狂竜ウイルスによって同時期に産まれたゴア・マガラたちの成長を止め、最後には命を奪うようです」

「……えっ」

「いわば、兄弟殺し。競争相手を殲滅することで、自分の子孫を確実に残すのです」

 

 最初、うさぎは聞いたことが信じられなかった。

 少しだけ、大人になるのが遅かっただけで。

 1頭以外のすべてのゴア・マガラたちに与えられるのは、死という結果のみ。

 

「……じゃあ、あの妖魔ゴア・マガラは」

「脱皮直前に狂竜ウイルスの影響を受けたことで、成長を促す妖魔の力と、それを阻もうとする狂竜の力とがぶつかり合い、そして暴走したのでしょう。そうなってはもう、長くは持ちません」

 

 妖魔ゴア・マガラが天から放たれた光に焼かれ、苦しんで飛んでいく姿が脳裏に蘇った。

 あの鉄槌は、妖魔ゴア・マガラに『兄』から下された死の宣告だったのだ。

 うさぎの手が思わず震えた。

 

「……お嬢ちゃん」

 

 団長は心配げに声をかけたが、やがて拳を握り、顔を上げたうさぎは既に『狩人』としての瞳をしていた。

 

「あたしは、もう迷いません。モンスターには、きちんと狩人として向き合うんだって決めましたから」

 

 今の彼女は戦士ではなく狩人。

 この背にある武器を以て、立ち向かう決心をせねばならなかった。

 

「……そうか」

 

 少女の覚悟を見届けた団長は、我らの団へと振り向いた。

 

「よし、みんな飛行船から物資を積み出せ! ギルドからの支給は間に合わん。全力で彼女たちをサポートするぞ!!」

 

 メンバーたちは迷いなく肯定を示し、揃って飛行船を停泊する門まで移動してゆく。

 

「カッカッカ。こんなこともあろうかと、ワシの伝手で役に立つ品物を融通しておいたのじゃよ」

「ワタシも、美味いメシを山ほど作ってやるニャル」

「……俺からは余った砥石を供給しよう……どれくらい助けになるかは分からんが」

 

 うさぎは驚いて団長へ振り向いた。

 

「え、いいんですか!?」

「これまで散々助けられたんだから、このくらいはやらなくっちゃあな。至急、お仲間のところにも支援物資を送るぞ」

 

 にやりと笑った団長は、村の奥にある門から更に伸びる、長い吊り橋の先に立つ尖塔を指さした。

 

「俺たちが準備してる間に、あの神殿に行ってくれ。急いでいるところすまんのだが、大僧正さまに許可を貰わないと禁足地には入れないんだ」

「大僧正さま?」

「はい。この山と村を古来から護っておられる、とっても偉い方です」

 

 看板娘にそう説明され、うさぎは、村のどの建物よりも高く槍の穂先のように細い塔を見つめ上げた。

 

──

 

 塔に入ると、薄暗いなか長く切り立った細道がずっと続く。

 周囲の岩に挿された風車が、カラカラと音を立てて鳴っていた。

 しばらく歩くと、天井から一筋だけ入る光が見えた。それは壁にある何かを照らし出している。

 翅を広げた蝶のような紋章だ。

 その下で、穏やかな顔をした青年が静かに正座していた。彼は紫襟の白いゆったりとした羽織を着て、尖った両耳の前に長い髪の毛を垂らし、その先を金属の輪で結んでいる。左胸には、緑の風車がゆっくりと廻っていた。

 

 彼が、大僧正と称される人物だろう。

 

 しかしうさぎが彼を見て、驚愕と共に発した一言目は。

 

「あなたは……畑を耕してたお兄さん!?」

「やあ。ちょっと驚かせちゃったかな? 以前は僕の兄が世話になったね。心から礼を言うよ」

「え……?」

 

 慌てて立ったまま上半身を乗り出したうさぎに、青年から止むことなく次の言葉が投げかけられる。

 

「僕の顔、見てなにか思い出さないかい? ジャンボ村近くに現れた、イャンガルルガの件だよ」

 

 己を指差す大僧正の顔。それが、かつてバルバレに来てまで感謝してくれた、鼻が尖った竜人族の男と重なる。うさぎは二度目の驚愕と共に身を引いた。

 

「うわーっ! 言われてみればなんか似てる!!」

「ふふ、これも何かの縁だろうね」

 

 大僧正は、柔らかな表情のまま続けた。

 

「それで、聞いたかい? 緑色の娘さんの話は」

「あっ……はい」

「これから、禁足地には激しい嵐が舞うことになるだろう。天廻龍は相当、妖魔となった『弟』を忌み嫌っているみたいだからね」

 

 思わずうさぎは視線をそらしていた。一瞬顔に出た表情を悟られないためだ。しかし、大僧正はその様子を見ただけで悟ったようにゆっくりと頷いた。

 

「なるほど、君は優しい人だ。通りで、兄も君のことをべた褒めしていたわけだね」

「……すみません。あなたの村の危機だっていうのに」

 

 うさぎは拳を握り締めた。

 狩人として生きるうえで、この世界にある残酷さも一部として受け入れる。

 それが、彼女が雪山でした決意だった。

 

「あたしはあくまで狩人として行くつもりです。自分だけの正義に拘ったら、大切なものを歪めてしまうから」

 

 ──だから、この世界にあるやり方に従って戦う。

 その判断にもう迷いはなかった。

 大僧正は、しかし、少女の蒼い瞳の奥底を見た。

 

「本当に、君はそれでいいのかい?」

「……え?」

「確かに、既にある理を尊ぶ君の理念はとても立派だ。僕はその姿勢を心から尊敬する」

 

 彼の視線は優しいままで、こちらを試す風でもない。ただただ、真摯に問いかけているだけだ。

 

「だけど、万物の理とは決して永久不変じゃない。時には自らの信念に従って理を作り出すことすら、この世の理の一部であると僕は思っている。『我らの団』のハンターが、かつてそうしたようにね」

「……でも」

「きっと、君にしか見えない景色だってあるはずだ。それをどうか見つけてみて欲しい」

 

 大僧正は再び衣装と姿勢を正し、少女へと向かい直った。

 

「月野うさぎさん。君に、禁足地への立ち入りを許可するよ」

 

──

 

 我らの団の支援を受けつつ、うさぎは単身で禁足地へと入った。

 

 昼間のはずなのに、周囲は暗闇に包まれている。辛うじて旗がたなびく塔や山岳が見えるだけで、それすらも雲海に埋もれて全貌は分からない。

 まともに明るいのは、彼女が今立っている円状の台地のみだ。

 どこからか吹く風に彼女のツインテールが揺れ、草も一部が千切れ闇を舞ってゆく。

 

「なんで……いうこと、聞かないのよ!! あたしは主よ、あんたにとっての『神様』なのよ! いい加減分かってよ!」

 

 1人の黒い服の少女が、喚きながら杖を掲げている。

 デス・バスターズの幹部、ミメットだ。

 何度も魔法の雷が空中を走るが、異形となった妖魔ゴア・マガラには効かない。彼はただひたすら咆え、暴れ、苦しみから逃れようとするように飛びまわっている。

 うさぎはその光景に顔を歪め、叫んだ。

 

「ミメット! もう、貴女の負けよ。その子を操ろうだなんて無駄な考えは止めて」

「うるさいっ!!」

 

 ミメットは振り向こうともせず、乱れきった黄色のウェーブヘアーを揺らして怒鳴った。

 もう、後がないのだろう。彼女はあまりにも必死だった。もはや、うさぎに構う暇すらないらしい。

 うさぎはその後ろ姿を見つめ、ぽつと呟いた。

 

「……バルバレの時から……ずっと、1人で戦ってるのね。誰も信じられず、たった1人だけで」

 

 ミメットははっとして、直後、肩を震わせた。

 初めて振り向いたその顔は、少女にしてはあまりに激憤と憎悪に満ち過ぎていた。

 

「うるさいって……言ってるでしょ!?」

 

 今度は、うさぎに直接雷を放った。

 

「きゃあっ!?」

 

 それは彼女に直撃し、その小さな身体を遠く吹き飛ばす。すぐ背後に崖っぷちが迫った。

 

「のほほんと生きてるお前のような馬鹿女に分かるもんですか! 社会に出たらねぇっ、何でも踏みつけてかないと生きていけな……」

 

 どうやら逆鱗に触れたようだ。

 ミメットは、うさぎに怒りの形相で杖を握り締め、近づこうとした。

 

 その時だった。

 何者かが、空中にいた妖魔化したゴア・マガラを弾き飛ばした。

 

「ヴォアアア、ア゛ア゛ア゛アアアッッ!?!?」

 

 うさぎとミメットのすぐ背後で、震動と共に悲鳴が聞こえた。

 彼女たちが見ると、そこには力なく呻いて横たわる妖魔ゴア・マガラの姿があった。

 そして彼の頸を、黒い霧の塊が──その中から伸びる腕が、真上から落ちるようにして抑えつけた。

 

「あ……ああ……」

 

 ミメットの顔が絶望に染まる。

 片角しかない異形のゴア・マガラは、苦しげに呻く。

 しかし、彼の息は途絶えない。

 

 やがて黒い霧が動いた。

 純白の存在が、霧を突き破り、吹き飛ばして上空まで跳んだ。

 

「あれは……!」

 

 うさぎはそれ以上、何も言えなかった。

 それが、大きく開いた翼を閃かせて空を廻ると。

 

 

 

 六芒星が拡がった。

 

 

 

 星を成しているのは、翅を広げた龍だ。

 四肢に加え、翼と繋がった逞しき2対の腕を掲げ。

 純白の鱗を燦然と輝かせ、漆黒の爪と双角を持つ、壮麗なる龍。

 

 天廻龍、シャガルマガラ。

 

 深い闇のなか、あらゆるものを導き照らす浄光。

 翅から放たれる虹が、そこに居る者すべての目を焦がす。

 うさぎもミメットもその白い輝きに目を奪われ、全く動くことができなかった。

 

「……すごい、きれ……」

 

 ミメットの言葉は途切れた。

 彼女の足元に、光が宿っていたからだ。

 それだけでなく、禁足地全域に光の手が高く伸びてゆく。

 今や、彼女の頭より高いところまで眩い紫の光柱が立ち昇っていた。

 

「え」

「──ゥアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ」

 

 龍が叫ぶと──

 光柱が、一斉に連なって爆発した。

 

「!?」

 

 うさぎは運よく当たらなかったが、ミメットは違った。

 彼女は大地から放たれた光の槌をまともに浴び、全身を包まれた。

 

「ああああああああああああっっ!!!!」

 

 彼女は、黒い霧に焚かれながら姿を現した。

 爆発の衝撃で、ミメットはうさぎより離れたところへもんどり倒れた。

 

「ミメット……!」

「ゔ、ゔ、ゔお……あ゛……」

 

 うさぎは、思わず駆け寄ろうとした。

 だが、様子がおかしい。

 

「う、う……ゔあ゛あ゛ああああああああ!!!!」

 

 顔を上げたミメットの瞳は、爛々と赤く光っていた。しかも、口からは黒い霧を吐いている。

 彼女は魔法の杖を投げ捨て、涎を撒き散らしながらうさぎに両手を振り上げて襲い掛かった。

 もはやそこに、元の人格の片鱗もなかった。

 

「ミ、ミメット……貴女、まさか!」

 

 うさぎは、反射的に大剣『煌剣リオレウス』を盾にした。

 ミメットは獣のように何度もそれを引っ掻き、噛もうとした。しかしそこで剣が宿らせる炎を感じ、悲鳴を上げて仰け反る。

 黒い霧と言っても、ミメットが感染したのは彼女が使役する妖魔ウイルスではなく、理性を奪い狂わせる狂竜ウイルスだった。

 

──

 

 彼女はただ、美しいものが好きなだけだった。

 化け物などお呼びではない。ただ、王子様が欲しいだけだ。行動のすべてはそのため。

 

 美しいものを求めて何が悪い。

 醜いものを醜いと遠ざけて、何が悪い。

 

 元はと言えば、こんな世界に転生してきたのが間違いだった。

 巨大な化け物たちが我が物顔で闊歩し、住民の生活の悉くが『原始的』で、一度は目に留めた男性でさえも自分を憎んでくる、この恐ろしく歪んだ世界。

 もはやこの世界は支配される以外には何の価値もないと、野心溢れる魔女は思っていた。

 

 そして、ここでようやく目に留めるに値するものを見つけたと思ったら──

 直後、景色は一転した。

 この世界は支配されるどころか、魔女の魔力を簡単に乗り越えて吞み込もうとしているのだ。

 

『お前の行く先には闇しかない──』

 

 かつて魔女が支配しようとした太陽の市場、バルバレで、青い鎧の青年が己に発した言葉が浮かんだ。

 

「あの龍が、神だと、いうの……あんな……虫みたいな、化け物が……」

 

 体内を、恐ろしい勢いで闇が蝕んでくる。

 得体の知れないものに自分の存在が溶かされ、潰されて、消えていく。

 記憶も、知性も、人格も、何もかも。

 

「うあ、あ、あ゛あ゛あ゛あああああああああ!!」

 

 彼女はほんの僅かに残された理性を頼りに、藻搔くようにしてひた走った。

 

「だめっ、そっちに行っちゃっ!」

 

 引き止めようとした少女の手も払いのける。

 少しでもここから去りたい。

 獣となっていく自分から、逃れたい。

 こんな自分は自分ではない。

 

「何も……見え……何も、見えない……わ、私はどこを……走ってるの……あぁっ」

 

 突如、身体が軽くなった。

 

「あっ……」

 

 彼女は奈落へ落ちていた。

 重力は、魔女の身体でさえも下へと引きずり下ろす。

 

「そうよ……これで」

 

 だが、魔女の表情は安らかだった。

 これで、醜い自分を見続けなくて済む。

 純真な乙女としての心を護ることができたのだ。

 自身を取り巻く風音を聞きながら、彼女は目を閉じた。

 

 

 

 しかし、ずっと待っても楽になることはなかった。

 

 

 

 身体は、宙で止まって揺れていた。落ちる途中で、小枝に引っかかったのだ。

 

「え……」

「キシャアッ」「シュィーーッ」

 

 混濁した意識のなか、奇妙な音が聞こえた。

 目を開けると、ぬらりとした質感の青い鱗を持った蛇頭が跨っていた。

 その他にも同じ頭を持つ仲間が、大きな翼を広げてはためかせている。

 

 翼蛇竜ガブラスだ。

 

 生態系では『分解者』に位置し、主にはモンスターの死体、時には集団で()()()()()()()()()()

 

「……やめて」

 

 彼らは魔女の腕や脚を鷲掴み、感情の見えない瞳を開き、涎にまみれた牙を一斉に剥きだした。

 

「い、いやぁっ、いやああああああああああああ!!!!」

 

 闇は、始まったばかりだった。

 決して終わることのない、地獄の責苦は。




生きとし生ける者を狂わす闇の真相は明らかとなった。
闇から生まれし光は闇を祓い、自らが生んだ新たな闇にて覆う。

次回、少女の運命や如何に。
そしてミメットさん、これまでお疲れ様でした。


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帰るは白閃④

 古龍とは──

 生態系を超越し太古から生き続ける、謎に包まれた存在。

 圧倒的な長命と大自然の力を凝縮したかのような特異な能力が、彼らの主な特徴として挙げられる。

 ある者は砂漠を焼き尽くし、ある者は自在に嵐を呼び、ある者は山のような巨体で街を震わせ崩す。

 天災にも匹敵する力によって自然界に影響を与え続ける者たちを、その名で総称するのである。

 

 この禁足地に降り立った純白の龍、天廻龍シャガルマガラもその一つ。

 黒蝕竜ゴア・マガラが放浪の末に成長し、脱皮を遂げた姿。

 自己の保存と増殖のために生命を狂わす疫病を広げる、生きた天災。

 

 瞳に、人は──足元で騒ぐ虫けらは──全く映っていなかった。

 奈落の底に堕ちていった魔女ミメットにも。

 大地に立っている少女、うさぎにも。

 天廻龍は最初から、一貫して無関心だった。

 

 彼が見ているのは、生まれた時から蹴落とす運命にある兄弟だけだった。

 

 互いに一歩も譲らない、凄まじき黒い霧の応酬。

 妖魔の力と狂竜の力が闇の中でぶつかり合い、一時の白光を放つ。

 さながらそれは神と堕天使の戦い。

 外套を広げ、第三の脚の爪で相手を殴り合い、互いの上を目指す。

 

 それぞれの原始的にして強力な武器である牙を、兄弟の頸へと伸ばす。

 しかし彼らも生物、動物的本能でそれを容易に許すことはない。

 揉み合いながら、報復を続け、彼らは禁足地へと落ちる。

 

「っ……!」

 

 その勢いで、台地の中央にあった巨大な岩をいとも容易く砕き、吹っ飛ばす。

 うさぎももはや傍観者でしかいられなかった。

 何とか自分が巻き込まれないように、最大の注意を払う他ない。

 

 地上に舞い戻ってからも戦いは続く。

 兄弟同士の力は拮抗していた。

 いや、単純な膂力で言えば渾沌に呻くゴア・マガラ──『弟』の方が強い。

 現に彼はシャガルマガラが繰り出した第三の爪を無理やり押しのけ、その頸へ毒手を伸ばしかけている。

 そのまま、襲い掛かるかと思われた時だった。

 

 ゴア・マガラは頭を痙攣させ、一瞬だけ我を失ったように体勢を崩した。

 

 そこを『兄』が見逃すわけはなく、、第三の脚による横殴りで吹き飛ばす。

 『弟』は転がるように地面にもんどりうった後、首を振りながら立ち上がる。

 が、未だに苦しげに荒い息と涎を吐いている。

 

 それもそのはず。彼は渾沌に呻く者。

 狂竜ウイルスと妖魔ウイルスが同時に体内から身体を蝕んでいるのだ。

 この状態で立てること自体が奇跡のようなものだった。

 

 シャガルマガラは虹の煌めく翼を広げると空中に飛翔、滑空の勢いをつけて爪を開き、『弟』へと迫った。

 妖魔ゴア・マガラが黒と金の交った外套を盾にする。

 見事、外套は爪を弾く。判断は間違っていなかった。

 

 しかし、代わりに足元から光が漏れ出す。

 気づいた時には遅かった。

 ゴア・マガラの身体が、地面から炸裂した光に炙られる。

 

「グオオッ……」

 

 狂竜ウイルスが、彼の前脚を一瞬にして蝕む。脚の自由を奪われ、妖魔ゴア・マガラは姿勢を崩された。

 そこを逃さず、シャガルマガラは第三の脚でゴア・マガラを強引にねじ伏せた。

 次に狙ったのは頸だ。翼を備えた太い脚に全力を込め、何度も執拗に叩きつける。

 ゴア・マガラの喉から、声にならない悲鳴が上がった。

 

 うさぎは、兄弟同士の死闘を見つめていた。

 虚しく佇む少女の顔の後ろで、二束の金髪が揺れる。

 

 実のところ、初めから勝敗はついていた。

 最初から、この禁足地を闇に包んでいたのはシャガルマガラの方なのだ。

 彼らの間に正々堂々の戦いなどというものは存在しない。

 環境を制する者が、勝つに決まっている。

 

「……っ」

 

 もう、見ていられなかった。

 彼女は両掌を目の前に差し出し、久しぶりにスパイラルハートムーンロッドを取り出した。

 ピンクの柄の先に、王冠を被った赤いハートの意匠。

 今でもそれは、前回の戦いと遜色ない慈愛と抱擁に満ちた光を帯びていた。

 

「……あたしの力を、妖魔ゴア・マガラに注げば」

 

 妖しき力を浄化できるのは、彼女だけだ。

 デス・バスターズが植え付けた妖魔の力を祓えば、シャガルマガラからゴア・マガラに向けられる敵意は無くなり、あの暴力も止むかもしれない。

 

 彼女はロッドを両手に持って前に掲げ、ゴア・マガラをその先に見据えた。

 逡巡。

 しかしうさぎは静かにうつむいて、力なくロッドを下ろした。

 

「……きっと、駄目だわ」

 

 妖魔の力を残らず浄化したとして、生物としての運命は既に決まっている。

 彼は一歩遅く大人になれなかったがために、苦しみ藻掻きながら死ぬ定めなのだ。

 幻の銀水晶の力でもこういう生命の在り様を変えることは出来ないし、許されない。

 彼女はモンスターの前では『狩人』としてあることを、これまでの旅の中で決めたのだ。

 

「これが、この世界の理なら……従うしか」

 

 うさぎはロッドを消すと腕を降ろし、黙って事の終わりを見送ろうとした。

 辛いながらも唇を噛み締め、目の前で逸脱者の命が消えゆく様を見つめようとした。

 

 

 しかし──いつまで経っても終わらない。

 

 

 何度も踏みつけられ、噛まれ、狂竜ウイルスに炙られ、鱗が砕け散ろうとも、妖魔ゴア・マガラは死ななかった。

 

「あ……」

 

 うさぎの戸惑いは、気づきに変わる。

 彼は死なないというより、死ねないのだ。

 天空山でエナジーを大量に吸収した故の半端な生命力の強さが、逆に彼を苦しめているのだ。

 更に、彼女はある光景にはっと目を見開いた。

 

「ヴア゛ア゛ア゛ア゛ッッ……ア゛ア゛ア゛……アア……!!」

 

 ゴア・マガラが腕を天に伸ばし、鳴いたのだ。

 機能を果たさない目を見開き、傷だらけの身体を震わせながら。

 彼の持ち上げた暗血色の爪は、純白の鱗から伸びる漆黒の爪によって叩き伏せられた。

 しかしそれでも、ゴア・マガラは抵抗を続けていた。

 

 言葉の通じない彼女でも、その痛みだけは──

 尋常でない苦しみだけは、分かってしまった。

 

 青い瞳から涙が溢れた。

 

「……なんで」

 

 涙が頬を伝い、落ちた。

 

「なんで、あの子があんなに苦しまなきゃいけないの」

 

 思わず言ってしまった。

 ただ産まれただけなのに。生きていただけなのに。少し、成長が遅かっただけなのに。

 運悪く、デス・バスターズに目を付けられたがためにこうなってしまった。

 このままでは、さっきのミメットと同じように想像を絶する苦しみのなかで死ぬだろう。

 

 シャガルマガラは兄弟の悲鳴にも構わず、その喉に噛みついた。

 狂竜ウイルスを流し込みながら振り回し、容赦なく地面に叩きつけた。

 力なく項垂れたゴア・マガラは今や脚も引きずられるがままで、乱暴に投げ捨てられた後も低く呻いているだけだった。

 

「あの子が産まれたこと自体が、罪だっていうの……?」

 

 少女はその場に立てなくなり、膝から崩れ落ちた。自身の無力さに、大地に置いた指を震わせた。

 涙が地面にぽたぽたと流れ落ちる。

 

『きっと、君にしか見えない景色だってあるはずだ。それをどうか見つけてみて欲しい』

 

 神殿に座していた大僧正の言葉が蘇った。

 彼女は自身の胸元を、次に大剣を見下ろした。

 

「もう、これしかない」

 

 それは、出来れば選びたくない道──

 だが、彼女以外にそれを出来るものは誰もいない。

 

「くっ!」

 

 うさぎは涙を拭き、立ち上がった。

 2頭のモンスターに駆け寄りながら、大剣の柄に手を添えた。

 その目線の先にあるのは。

 

 

 天廻龍シャガルマガラ。

 

 

 その頭に、大剣を振り下ろす。炎の軌跡が弧を描き、純白の鱗を僅かに焦がした。

 しかし、シャガルマガラは何も言わなかった。

 鬱陶しげに角を振り回し、うさぎを吹き飛ばした。

 

「……?」

 

 下を向いて兄弟を噛み殺そうとしていたシャガルマガラは、何があったのかと探るように頸を回す。

 

「はあっ!」

 

 うさぎは諦めず、シャガルマガラ目掛けてもう一度大剣を振り下ろす。

 

「……ヴウ」

 

 2撃目が当たってからしばらく経って、橙色の瞳がやっと一瞬だけ彼女に向いた。

 

 

 それだけで、背筋を冷たいものが貫いた。

 

 

 凄まじい威厳と圧迫感。

 今まで相手したどの敵ともモンスターとも似つかない、本能の芯が震えるような感覚だ。

 先ほど勇気を出したばかりだというのに、金縛りにあったかのように一歩も動けなくなった。

 うさぎは思わず足を崩し、尻もちをつく。

 

 気づくと、天廻龍は飛び上がっていた。

 虹翼を閃かせ、滑空。

 少女の顔に漆黒の爪が迫ったが、たまたま姿勢が低かったお陰で頬の傍を掠めるだけで済んだ。

 

 そのまま、龍はうさぎより遥か背後に着地。

 振り返ると地上を駆けて突っ込み、うさぎを太い脚で撥ね飛ばそうとした。

 

「……はっ」

 

 ぎりぎりのところで、うさぎは我に返った。

 大剣を盾にすると、長さ1m以上の爪がそのままぶつかった。大幅に姿勢を崩して後退ってしまう。

 だがそこは彼女も意地を見せ、何とか大剣を手放さず再び持ち直すことができた。

 

 しかし、うさぎは反撃しない。

 武器を納めて向かったのは、妖魔ゴア・マガラ。

 最初から、彼女はシャガルマガラの狙いを逸らすために行動していたのだ。

 

「お願い、効いてっ!」

 

 そして、あらかじめ持っていた閃光玉を後方へと投げる。

 光蟲の散り際の爆発が強烈な光を生み、振り返ったシャガルマガラの視界を焼く。

 成長したことで眼を獲得したのが初めて仇となり、白き龍は、顔を背けて忌々しげに唸った。

 

 それを確認したうさぎは、いよいよ倒れ伏す異形の前に立つ。

 

 彼は動かなかった。

 ただ喉と胸を静かに収縮させて空気を求め、漆黒と純白の入り混じった身体を痛々しげに痙攣させていた。

 もはや彼はすべての力を使い果たし、ただその時を待つだけの襤褸切れに過ぎなかった。

 

「……」

 

 しばらく、少女は生気を失った異形の横顔を見つめ。

 頸の前で大剣『煌剣リオレウス』を振り上げた。

 

「ごめんなさい。あたしの我が儘を、許して」

 

 目を閉じ、振り上げた大剣に願いを込めた。

 胸元が強く光った。幻の銀水晶の輝きだ。

 蒼い甲殻に覆われた刃が、優しい光を帯びた炎を噴いて光る。

 

 桜火竜の鱗から造られた防具が一瞬、青い襟とスカートのたなびく白いレオタード──『美少女戦士』の姿に変わった。

 頭を振って視界を取り戻したシャガルマガラは何かに気づき、立ち止まった。

 その目前で、彼女は──神秘の戦士セーラームーンは、目を見開いて力を溜めた。

 涙と共に、全力を解放する。

 

 

 

 虹色の光の中に、血飛沫と黒い霧が舞った。

 

 

 

 渾沌に呻く命は銀水晶によって苦しみごと浄化され、散った。

 

──

 

「……」

 

 妖気が禁足地から消え去った。

 シャガルマガラはじっと息絶えたゴア・マガラを見つめ、それからうさぎに視線を移した。

 彼女の周りを、純白の翼をゆっくりと引きずりながら歩く。

 角の下に光る目でつぶさに観察する。

 

 視線を直に受けるうさぎは、今にも息が詰まりそうだった。

 またあの、むせかえるような威圧感。同じ大地に立っているのに、遥か上から見下されているような感覚に陥るのだ。

 

 真意も見えず、ただ観察するような目の煌めき。

 それだけではなく、瞳の奥に知性を感じる。

 まるでこちらの心を見透かすような。

 うさぎは勇気を振り絞り、顔を上げて瞳を見つめ返した。

 

「……ゥゥゥゥ」

 

 シャガルマガラは、静かに喉を震わせた。

 それが何を意味するのかは分からない。

 直後、彼は翼をはためかせて飛び上がった。

 

 

 再び、六芒星が天に瞬いた。

 

 

「──ゥアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」

 

 しかし、今度は様子が違う。

 空中に浮く天廻龍の口内が、紫の光で満たされていくのだ。

 うさぎは咄嗟に、その場から四肢を投げ出して飛びのいた。

 

 

 圧縮された光の奔流が放たれ、地面を穿った。

 

 

──

 

 ちょうどその頃、うさぎの仲間である少女たちは、天空山におけるエリア1で凶暴竜イビルジョーと戦っていた。

 途中で休憩や補給を挟み、半日と少しが経った時だった。

 全体的に傾いた遺跡の一部を足場として、彼女たちは武器を必死に振り回していた。

 そんな中、レイは何かを察知して顔を上げる。

 

「禁足地の方から妖気が消えたわ!」

 

 彼女は、横から口を開けて迫ってきたイビルジョーの大顎を太刀で斬り、その勢いで後方に下がりつつ叫んだ。

 

「えっ……本当かい!?」

 

 ちょうど近くにいたまことは、疲労したイビルジョーの頭に、ハンマーによるかち上げをブチ当てる。

 強烈な雷を纏った鎚の一撃に筋肉の山は一時的に目を回し、倒れ込んだ。

 

「じゃあ、うさぎちゃんは妖魔ゴア・マガラを倒したんだね!」

 

 隙が出来たことを確認しつつ、彼女は喜々としてレイに振り向いた。

 藻掻くイビルジョーの全身にはかなりの量の傷が出来ていた。以前の大量の妖気を纏った時に比べれば、油断こそならないものの何とか立ち回れる相手になっている。

 これが万全の状態ならば、とてもこうはいかなかった。

 

 一方、美奈子はそれを聞きながらヘビィボウガンの弾倉に通常弾を装填、守護星のエナジーを銃身に流し込む。

 スコープからイビルジョーの胸に狙いを固定し、引き金を引いた。

 直後、金色の光を纏った連射が緑色の表皮を穿っていく。

 そんな中、彼女は金色の前髪をかき上げつつ、ちらと視線を上空に向けた。

 

「でも、それならこの黒い霧は何なの? どんどん空を覆っていってるわ」

 

 亜美も隣で毒弾を装填しつつ、曇天を更に覆ってゆく暗闇を怪訝に見つめた。

 まるで、妖魔ゴア・マガラの放つ黒い霧と瓜二つだ。

 

「本当だわ。いったい、何が……」

 

 突然、眩い紫の輝きが視界の脇を照らした。

 彼女らが驚いて目を細めて見てみると、黒い霧が広がって来る方角、それもかなり遠くで星のような煌めきが瞬いていた。

 光はしばらく続いたあと、プツンと途絶えた。

 

「なんだい、今のは!?」

「あれは……禁足地の方向だわ」

 

 まことに答えた亜美の一言に、一同ははっと息を呑む。

 折しもそれは、先日ゴア・マガラに直撃したものと同じ輝きだった。

 

「でも、妖気は感じないわ。まさか、シャガルマガラの狂竜ウイルス!」

「うさぎちゃんは、次は古龍を相手にしてるってのかい!?」

 

 武闘派であるレイとまことでさえ焦りを隠し切れない。

 うさぎが禁足地に赴いたことは、キャンプへ一時退却した際に伝言で聞いていた。

 ついさっき、ゴア・マガラに天上から鉄槌をもたらした存在だ。いかに強大な相手かは火を見るよりも明らかである。

 いつもは冷静に作戦を立てる参謀役の亜美も、狼狽して冷や汗を垂らした。

 

「情報の通りなら……このままでは風下の一帯に棲む生物たちがウイルスのもたらす狂気に侵され、生態系も、近くに住む人々の生活さえも破壊されるわ!」

「なによ、妖魔を倒しても結局マズいことには変わりないじゃない!」

 

 美奈子が嘆いたところで、彼女が撃っていた通常弾も切れた。

 巡り合わせ悪く、イビルジョーが片脚で勢いをつけて巨体を起き上がらせた。

 前回よりマシと言っても、相手は生態系の破壊者とも謳われる竜。隙あらばこちらを捕食しようとする、執拗な挙動は衰えていない。現に少女たちの装備の一部が、既に彼の腹の中に収まってしまっていた。

 

「グオ゛オ゛オ゛オ゛ッッッ!!!!」

 

 その竜の獰猛な視線は何ら衰えることもなく、それどころか勢いを増し、彼は天を仰ぎ見て咆哮した。

 筋肉が赤く膨張し、肉が割けるようにして背に瘤を形成する。

 口元から黒い涎を垂らしながら、イビルジョーは再び少女たちを視界に捉えた。

 

「……くっ。ただでさえ、うさぎちゃんが心配だってのに」

 

 まことがハンマーを構えつつも、全く懲りない相手にぎりりと歯を噛み締め、後ずさった時だった。

 

「弱気になっちゃダメよ」

 

 レイはむしろイビルジョーを真正面に歩み寄り、同時に呼びかけた。

 

「みんな、あの子を信じるって決めたでしょ!? あたしたちはいまこの時、出来ることをする!」

 

 その一言で、一時下がりかけていた視線を仲間たちは持ち上げる。

 そう、彼女たちは自分たちのリーダーたるうさぎに、ここは自分たちが引き受けると約束したのだった。

 ここで食い止めなければ、凶牙がシナト村を襲わないとも限らない。

 

「そうだね……あたしたちが、約束を破るわけにはいかない!」

「よーし、ここが踏ん張りどころ! 全力燃焼しちゃうわよ!」

 

 まことと美奈子はたちまち勢いづき、襲い掛かってきたイビルジョーの胸を、脚を叩き、撃って迎え撃つ。

 

「……助かったわ、レイちゃん!」

 

 亜美も毒弾を撃つため、ライトボウガンを真っ直ぐに構え直した。

 そこで一つ、気になるものが見えた。

 スコープの照準の中に、偶然空に浮かぶ小さなものが見えたのだ。

 

「……飛空艇?」

 

 その影は一瞬見えただけで、すぐに雲に隠れて見えなくなってしまった。

 

──

 

 凄まじい量の光が、禁足地に現れては消えていた。

 大地のそこかしこから光が次々に細く空中へと伸び、直後に光の下方に集った黒い霧が膨張、爆発する。

 それらはすべて、シャガルマガラから発せられる狂竜ウイルス。

 彼から撒かれたウイルスの一部が地上に沈殿、化学反応を起こして凝縮と拡散を繰り返しているのだ。

 

 烈しくも儚く散ってゆく光の間を、うさぎは必死に掻い潜っている。

 シャガルマガラは口腔に狂竜ウイルスを圧縮し、爆発させる。

 拡散してゆく光と、黒い霧。

 一発でも喰らえば、ミメットのように理性を失うかもしれない。

 うさぎはそんな恐怖と圧迫感に耐えながら、前方へ広がる爆発の連鎖を躱した。

 

 大剣を振り下ろし首元を斬り下ろすが、ゴア・マガラとは違ってまったく手応えを感じない。

 感触からして、刃は間違いなく通っている。問題はそれではなく、相手の反応だ。

 何度攻撃を当てても、全く微動だにしない。

 本当に生物なのかと疑うほど、冷静に刃を受け止めている。

 まるで、うさぎの攻撃が攻撃ですらない、と言っているかのようだ。

 

 シャガルマガラは口元に黒い霧を溜め、首を振って遠くへ放り投げた。

 それはうさぎの頭上を飛び越えて後方へ。

 

「えっ……」

 

 判断を迷ったうさぎに、シャガルマガラは第三の脚を振り上げる。

 視線を戻した彼女は、急いで後方に転がる。

 逞しい脚が、慌てて後ずさった彼女の目前を撃ち抜いた。

 

 直後、鈴を鳴らすような炸裂音が鳴った。

 先ほど天廻龍が作った吹き溜まりから狂竜ウイルスが爆発と共に黒い霧の塊として噴き出し、生きた弾となって地面を這って来た。

 

 思わずうさぎはそれに気を取られてしまい、隙を晒す。

 その間に、シャガルマガラは高く第三の脚を両方、高く振り上げていた。

 気づいた時には既に遅し。

 渾身の力で漆黒の爪が叩きつけられ、地盤を高くめくり上げる。

 

 少女はその衝撃の余波に直撃し、高く打ち上げられた。

 一瞬見えた、帳が降りたかのような暗闇。

 そのままうさぎは地面に強く叩きつけられる。

 

「かはっ……」

 

 頭を強く打ち付けられ、意識が混濁する。

 

 シャガルマガラは抜け目なかった。

 彼女が行動不能になったと見るや、第三の脚にある爪を開いて小さな身体を鷲掴みにする。

 そのまま何度も地面に叩きつけ、擦り付け、最後には投げつける。

 奈落に落とされなかっただけ、幸いと見るべきか。しかし、その時には彼女が自慢にしていたお団子ツインテールはほぼ解け、顔には擦り傷、身につける桜火竜の防具も各所が壊れ、見るも無残な姿になっていた。

 

「なん……で……こんな……に」

 

 うさぎはすぐに立てなかった。

 この世界に来てから、ハンターとしてそれなりに経験を積んできたつもりだった。

 しかしそれすらも無であると思わされるほどに強い。

 まるでずっと、相手の掌の上で転がされている気分だ。

 

 これが、古龍。

 環境そのものを塗り替える力と計り知れない膂力を同時に授かる、圧倒的な肉体。

 生きる天災の、偽りなき実力。

 

 シャガルマガラは、一段と大きい黒い霧を口元に溜め、倒れたうさぎの眼前に吐き出した。

 それは彼女の鼻先まで広く膨張し、神々しい光と禍々しい闇を同時に孕む蕾へと変化を始める。

 

 これだけは、当たったら終わりだ。

 

 その一心でうさぎは大剣を盾に構え、そのすぐあとに横倒しのまま転がるように吹っ飛ばされた。

 大剣が、衝撃により手から離れる。

 開花するように華々しく炸裂した光柱は、彼女の身体を禁足地の端に追い詰めた。

 

 もはや、うさぎは動くことすらままならない。

 シャガルマガラは静かに歩んでくる。この故郷の地を冒す者を残らず排除せんと、光と闇を背景に迫って来る。

 

「たた……ない……と」

 

 しかし、意志に反して身体は動いてくれない。

 ぼやけた視界の中で、純白の龍は爪を後ろ手に構える。

 そのまま力を溜めるようにして、次に彼女にそれを叩きつけようとした。

 

 

 風を切る羽音が聞こえたあと、眼前を蒼い矢じりのようなものが横切る。

 

 

 龍の意識が逸れたようだ。矢じりのようなものは翅のような部位をはためかせて、何度も龍の頭を刺している。鬱陶しげに首を振られても、それはしつこく纏わりついていた。

 

「ちょう……ちょ?」

 

 奇妙な光景のあと、視界の一面を白い煙が覆った。

 よくモンスターから身を隠す時に使われる『けむり玉』によく似ている。

 すると少女の身体は突然、誰かの肩に担がれた。

 その誰かは、重装備をつけたうさぎを軽々と肩を組んだ状態で運んでいく。

 

 

 横に視線を寄越すと、確かにそこには人がいた。

 

 

 黒い襟に蒼を下地として白い革やベルトで補強した防具を着て、一番目立つ赤い鉢巻のような額当てには、太陽のようなシンボルマークが描かれている。

 

 左手に持っているのは、操虫棍と呼ばれる武器だろう。赤いカラーリングの両刃構造、四方に付けられた刃の下に、千の剣とでもいうべき鋭い突起が無数に並んでいる。

 

「あな……たは……」

 

 そのハンターらしき人物は、うさぎの方を見ると棍を回すことで蝶を手元に引き戻し、武器をしまった。ポーチからけむり玉らしき白い物体を地面に叩きつけて視界を遮ると、次は紙に包んだ粉をこちらに少しずつ飲ませてくれた。

 

 やがて先ほどとは別方向にある台地の端に来た時には、薬の効果か視界も少しずつ定まってきた。

 ハンターはシャガルマガラが追ってきていないことを確認しつつ、丁寧な手つきでうさぎの身体を下にある階段状の岩へと下ろした。 

 そこでやっと、ハンターの額当てのマークが『我らの団』と同じものだと分かった。

 

「あなたは……まさか」

 

 ハンターはゆっくりと頷き、うさぎの後方を指さした。

 振り返ってみれば、階段と細道が続いていた。

 それは彼女もかつて通ってきた、ベースキャンプと繋がる道だ。

 

「あ、あたしも、休んだら後で戦います……」

 

 うさぎは必死に訴えたが、ハンターはゆっくりと首を横に振った。

 肝心の顔は陰になっているせいで、年齢も性別もはっきりしない。

 しかし僅かに見えた口の端を見るに、微笑んでいるようだった。

 

「今の君の状態では、流石に荷が重い」

 

 優しく一言だけ静かに言ったかと思うと、ハンターは崖の上へと姿を消した。

 その後、少女の視界をゆっくりと闇が覆っていった。

 




ハンターの装備:ブレイブX&蛇帝笏ペダンマデュラ
次回、第3編最終話となります。


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すべてが終わった後に

3編最終話です。


 

 我らの団ハンターが初めて『美少女戦士』なる存在と直接話し合ったのは、シャガルマガラを退けてシナト村に帰ってきた時が初めてだった。

 

「ハンターさん、ご苦労だった」

 

 シナト村に戻ると、まず団長が肩を叩いて労ってくれた。前回と比べてしわが増えた彼の顔を見つつ、前回ここに来た時から経った年月を実感する。

 

「また、帰ってきてくれたんですね」

 

 次に、立ち上がって涙ぐみつつ手を繋いできたのは、看板娘のソフィア。いつもは自分の安否よりは狩ったモンスターに興味津々な変わり者だが、時にこういう表情をしてくるのだから憎めない娘だ。

 

「……久しぶりだ。お前の腕はあの時から……些かも衰えていないようだな」

「ニャハ。旦那、()()()()はどうするニャルか。お赤飯にするニャル。それともちらし寿司ニャル」

「カッカッカ! こういう雰囲気もいったい何年振りかのう!」

 

 いつも寡黙な加工担当、舌足らずなアイルーの料理長、飄々とした竜人商人。そして、一時避難から戻ってきて安堵しているシナト村の人々。

 どの面々も、まったく変わっていなかった。唯一の心残りは、加工屋の手伝いの娘と会えなかったことか。

 

 そして、ハンターはいよいよ今回の立役者と対面する。

 

「初めまして、我らの団ハンターさん! この前はありがとうございました」

 

 上位ハンターとしてはかなり若い、5人の少女たちが出迎えてくれた。

 お辞儀をしたのは、金髪のツインテールを結った少女。名はうさぎというらしい。

 明るい笑顔が似合う少女だ。シャガルマガラに負わされた傷もすっかり癒えたらしい。

 

「『まつ毛のハンター』にしちゃあ、そんなにまつ毛長くないわねぇ」

「やぁだ美奈子ちゃん、まさかあの似顔絵今でも信じてたの!?」

 

 うさぎと同じ金髪の少女に、強気そうな黒髪の少女が信じられないという顔をする。

 

「あ、あなたがあのパンツ一丁で古龍を撃退した……もしかして、今回もまさか……」

 

 一方、栗色の髪をした最も背の高い少女は頬を赤らめつつ呟いた。一応事実ではあるが、こうやって何年も前の話が広まってしまうあたり、当時の自分の向こう見ずさにはため息をつく他なかった。

 

「まこちゃん、さすがに失礼よ!」

 

 青い短髪の少女が肩を引いて叱る様子を見るに、恐らく彼女は日常的にこの仲間たちに振り回される側であることが窺えた。

 

 まったくもって、年頃の少女らしい騒がしさである。ハンターからすれば、とても彼女たちが特別な使命を帯びた異界の戦士であるとはにわかに信じられない。

 だが実際、この少女たちはバルバレを救ったばかりか数多の妖魔化生物を倒し、この事件の真実を突き止め、挙句の果てにはイビルジョーと妖魔ゴア・マガラをも同時に討ち破った、確固たる猛者なのだ。

 

 改めてハンターがそのことに関して感謝を伝えると、うさぎは顔に神妙な色を浮かべ、謙虚にも首を横に振った。

 

「……あたしは本当に何にもしてません。あの子を追い詰めたのはシャガルマガラだし、あなたに助けられなかったら、今頃……」

 

 仲間たちはもの思わしげにうさぎを見つめた。彼女がこんな表情をするのは珍しいのであろう。

 

「むしろ、初めて古龍を見て分かりました。この世界には、遥かにこっちの想像の上を行く生き物がいるんだって」

 

 彼女の心情は、我らの団ハンターにも痛いほど理解できた。

 古龍を初めてその目で見た者の典型的な反応だ。大自然の理を体現する彼らの威厳と強大さに徹底的なまでに打ちのめされ、自らの卑小さを、無力さを実感するのだ。

 

 しかし、彼女が決してそのことで悔やんだり、今までの自分を卑下する必要はないと感じていた。

 

 古龍に初めて接敵したハンターは、大抵3通りに分かれる。

 精神的ショックから立ち直れず突っ立ったまま死ぬか、無謀と挑戦をはき違えて死ぬか、それともボロ雑巾のように地面に転がって生き残るか。

 うさぎが古龍を前にして五体満足で帰ってこれたことは、それだけでも十分に褒め称えられるべきだった。

 

 そもそも彼女たちがいなければどうなっていたか。

 バルバレは闇の組織のテリトリーと化したうえに妖魔化生物が天空山から突然湧き出して、あっという間に全世界を席巻していただろう。

 これは単なる幸運ではない。

 すべてはこの少女たちが真実を追い求めたからこそ起こせた、必然の結果なのである。

 

 だからハンターは、美少女戦士たちにその事実を伝えた。

 彼女たちの果たした役割は、自分たち自身で思っているよりずっと大きいものなのだと。

 それを聞くと、うさぎたちの目元も嬉しそうに緩まった。

 

「……ほんとですか!」

「ず、図に乗ったら駄目よ、みんな。この人に比べたらあたしたちなんてぺーぺーもいいとこなんだからね!」

「なーによー、レイちゃんだってほんとは嬉しい癖にぃー」

 

 レイと言うらしい黒髪の少女は謙遜してみせるが、うさぎは意地の悪い顔でその頬を指でつつく。どうやら、ハンターの心配は杞憂だったようだ。

 

「……友よ。相変わらずだな」

 

 少し遅れ、筆頭ハンターのリーダー、ジュリアスがシナト村の門を通って帰ってきた。

 それを見た途端、「あっ、リーダーさーん!」と身長の長い少女のまことと、金髪を後ろでリボンで結んだ美奈子が黄色い声を上げて駆け寄った。

 

「ああ。君たちも無事で何より……」

 

 どうやら彼は彼女らのお気に入りらしい。元来から他人と関係を築くのが苦手な男だが、彼女たちとの共闘で少しは話せるようになったようだ。

 

「終わったようだな。君の戦いも」

「今回も、あなたのお人好しさが役に立ったわね」

 

 頑強な肉体に黄金の盾と槍を背負う男、筆頭ランサーと、狩人の勘と判断力に優れる筆頭ハンターの紅一点、筆頭ガンナーも帰ってきた。

 ハンターがおかえり、と呼びかけると、少女たちも彼らの方を向いて喜々とした表情を浮かべた。旧知の仲というのは本当のようである。

 

 我らの団ハンターは今回、筆頭ハンターと共闘して妖魔化生物を少しでも食い止めようとしていた。

 しかし、途中で筆頭ガンナーは空の色を見たかと思うと『禁足地に向かった方がいい』と言ったのである。それに思い切って従ったというのが、先の彼女の言葉の意味だ。

 

 そこで、我らの団ハンターはある一つの疑問を呈した。

 妖魔化生物は今までに類を見ないほど群れを成していた。彼らもベテランとはいえ、これだけの短時間ですべての群れを沈められたとは思えない。

 いったい何の魔法を使ったのかと聞くと、「使ったんじゃなくって勝手に起きたのよ」と筆頭ガンナーが腕を組みつつ答えた。

 

「こちらで相手取っていた妖魔化生物が突然、倒れ始めてね。恐らく主の喪失とシャガルマガラが一帯にばら撒いた狂竜ウイルス……両方が同時に作用したのだと思うわ」

 

 彼女は天空を見上げていた。薄い巻雲しか見えない、晴れ渡った空だ。

 筆頭ランサーも、彫りの深い堅そうな顔をにこりとさせた。

 

「時に人を脅かしたかと思うと、助けてくれたりもする。まったく自然とは気まぐれなものだな」

 

 ハンターは頷いたものの、これですべてが丸く収束したとは思っていなかったし、それは筆頭ハンターたちも同じ気持ちだろうと考えた。

 シャガルマガラが邪魔に思ったのか、妖魔ゴア・マガラの遺骸は戦いの最中にどこかへ棄てられてしまった。これからギルドは、血眼になってそれを探すことになろう。

 ハンター自身も、これからまだシナト村に残る。

 シャガルマガラのばら撒いた狂竜ウイルスによってほとんどの妖魔化生物は駆逐されたが、まだ僅かながら生き残りがいるからだ。

 

 とまぁ、いろいろな課題は山積みなものの──

 まずはこの『妖魔事変』が一段落ついた、ということは間違いなかろう。

 

「よかったです。みんながこうやって、また出会うことができて」

 

 うさぎの言葉に、ハンターは深く頷いた。

 その日の夜は、料理長が腕によりをかけて豪勢なフルコースを作ってくれた。

 事変に関わった中心人物たちばかり集まった夜の席は、話が止むことは決してない。

 この世のどれと比べても特別な一夜は、すぐに過ぎ去っていったのだった。

 

 翌日。

 早くも、別れの時が来た。

 

 少女たちが、南海の漁村『モガ村』にいる仲間に急遽帰って来るよう呼ばれたのだ。

 

「ごめんなさいっ! 内容はよくわかんないんですけど、すんごぉーく重要らしいんでこれにてお暇させてもらいます!」

 

 寝ぼけまなこのハンターたちに、手紙を持った美奈子が申し訳なさそうに掌を合わせて詫びた。

 かなりの急用らしく、すぐに飛行船に乗らねばならないらしい。ハンターは驚きつつも、了承した。

 最初から最後まで、慌ただしい少女たちだ。やはり、戦士に課せられた使命というものは一時の暇も許してくれないらしい。

 ハンターとしては彼女らの実際の剣さばきも見てみたいところだったが、わがままを通すわけにもいかない。

 

「それなら、我々の飛行船を使ってはどうだろう」

 

 筆頭リーダーがそう提案した。イサナ船に筆頭ハンターたちも乗せてもらえば、一隻余るのである。

 その案に全員が同意したことで、少女たちは晴れて超特急でモガ村へ向かえることとなった。

 早朝から昼にかけての荷物の入れ替えが終わり、いよいよ出発の時間となった。

 

「短い間でしたけど、とても楽しい時間でした」

 

 各々別れの言葉を言い終わったあと、最後にうさぎがハンターにそう話してくれた。

 

「ここで起こったことは、一生忘れませんから。……次はあなたに追いついて、一緒に戦えたら、なんて」

 

 笑顔で手を固く握り合ったあと、彼女は船に乗り込んで縁から上半身を乗り出した。

 係留ロープが切られ、飛行船は上昇を始めた。

 手を振り合う両者の距離は、ぐんぐんと離れてゆく。

 『我らの団』団長は帽子の鍔を上げて、下方の雲海に潜ってゆく船を見つめた。

 

「なぁ、ハンターさん。あの子たちもいつか、故郷に帰れる日が来るかなぁ。シャガルマガラやお前さんと同じように」

 

 来るだろう、とハンターは答えた。

 無論、これだけで終わらないかもしれない。

 しかし少女たちの瞳に宿っていたあの意志の強さは、どんなことがあろうと乗り越えてゆくと告げていた。

 我らの団ハンターは飛行船の気嚢が雲の中にすっぽりと消え去るのを見ながら、美少女戦士たちに待ち受けるこれからの前途が明るいことを願った。

 

──

 

「ハッピー・エーーーーンドゥッ!!」

 

 桟橋からモガ村に帰ってきたうさぎたちを、元気いっぱいな声が出迎えた。

 ベレー帽に制服を着た、モガ村の受付嬢アイシャ。彼女が、両手に持ったマラカスを掲げて振っている。直後、モガ村の人々があちこちから、太鼓やら琴やら笛やらを華やかなリズムで奏でながら躍り出てきた。

 

「え……なに……?」

「なーにぽけっとしてんですかぁ、みなさーん。妖魔ウイルスの根源も絶って、これで一件落着じゃないですか!」

 

 最初は戸惑っていたうさぎたちだが、人々の純粋な笑顔を見てようやく、自分たちのしたことに実感が伴っていった。

 

「そっか……あたしたちの話、こんな遠くにまで届いてたんだ!」

「うさぎ、おかえり!」

 

 うさぎが顔を輝かせていたところに、ふわりとしたピンクのツインテールの幼い少女が駆けてきた。

 

「ちびうさ!」

 

 彼女は少女の名を呼ぶと胸の中に受け止め、深く抱きしめた。

 

「あぁ、よかった! うさぎちゃん、本当によくやったわね!」

「ここ数日はもう大盛り上がりだったぜ!」

 

 後から額に三日月を持つ黒猫と白猫も海に浮かぶ木板の上を駆けてきた。

 

「あっ、ルナとアルテミスも! よかったわ、無事で……まもちゃんの具合は?」

「大丈夫よ! こっちに来て」

 

 ちびうさはうさぎを貸家の入り口へ連れていくと、外から覗かせた。

 ベッドには確かに、うさぎの愛する人が安らかに胸を上下させ、息をしているのが見えた。

 

「まだ起きないけど、傷はかなり治ってるわ。安心して」

「……看病してくれてありがとう。ほんとに、何事もなくってよかった」

 

 ずっと姿を見ていなくて不安だったのか、うさぎの目端からは勝手に涙が滲みかけていた。

 後を追いかけてきた仲間たちもそんな彼女を見て安心したようだったが、

 

「そーいえば、肝心のはるかさんとみちるさんはどこなのよ?」

 

 美奈子はきょろきょろとモガ村の広場を見渡す。

 そう、最も様子が気になる彼女たちがいない。そもそも今回、うさぎたちを急用だといって手紙で呼び返してきたのも他ならぬあの2人なのだ。

 

「実は、この前から観光客の人が来ててね。モガの森を見てみたいって言うんで、ちょうどいま、はるかさんたちが案内してるわ」

「観光客ぅ?」

 

 ルナの言葉に首を傾げるレイに、アルテミスが神妙な顔で話しかける。

 

「あぁ。一見親子連れみたいなんだが、顔をずっと隠してる妙な人でさ……かなりうさぎたちに会いたがってたぜ。あと、子どもの方は歳が近いちびうさと話してみたいってさ」

「へー。あたしと話したいだなんて、見る目あるわねその子!」

「えぇ……?」

 

 不可解そうにうさぎは眉をひそめた後、モガ村の裏手に広がる森を見つめ上げた。

 

「そうなんですよーっ!」

 

 そこに、アイシャがマラカスを掲げて突然割り込んだ。うさぎたちは驚いて反射的に飛びのく。

 

「ぜひ観光客さんへのアピールついでに、モガの森の丘へ行ってみて下さい! あっ、ついでにモガ村のアピールもして下さると助かります~!!」

 

 アイシャは未だご機嫌にリズムを刻み続けていた。

 

「あ、あはは、じゃあ、さっそく行ってきますー」

 

 久しぶりに浴びるこのモガ村の雰囲気に、うさぎたちは懐かしさと困惑を同時に感じていた。

 

──

 

 2人はすぐ見つかった。彼女たちはモガの森に入ってすぐ手前にある、大海とそこに浮かぶ岩礁を一望できる丘に佇んでいたからだ。

 

「はるかさん、みちるさん!」

 

 男のように短い金髪の麗人と、優美に波打つ海色のウェーブヘアーの麗人が振り向く。

 

「よかったです、2人とも元気そうで!」

「ええ……貴女たちもね」

 

 うさぎの呼び掛けにみちるは静かに微笑んで答えた。

 しかしその視線はどこか憂いを帯びているようだ。腕に巻かれた包帯が、かつての戦いの烈しさを物語っていた。

 はるかは何も言わず、流し目で見てくるだけだった。

 

「はるかさん……?」

「そこの人たちが、観光客の人だね」

 

 まことの一言が、うさぎの視線をはるかたちの傍にいる2人へと引き付けた。

 

 彼らは黙ったまま深くローブを被っている。

 身長差から見ると、彼らはアルテミスの言う通り親子連れに見えた。

 しかし、それにしては2人の間で会話が全くない。それどころか、はるかたちからも彼らに声をかける素振りもなし。

 非常に気まずい。

 まるでうさぎたちが話しかけるのを待っているかのような雰囲気である。 

 思い切って、うさぎは観光客の肩をつついて振り向かせた。

 

「あ、あのー、言葉、分かりますー? ああっ、もしかして緊張のあまり話せないとか!?」

「……やっと会えましたね、プリンセス」

 

 年上らしく落ち着いて、品のある日本語だった。

 ローブの下から、ピンクを暗くしたような色の瞳と口紅が覗いた。

 うさぎは驚きのあまり、一歩後ろに足を退いた。

 

「え、その声って……」

 

 『観光客』は、己の身から布を取り去った。

 その中から、褐色肌の女性が姿を現す。彼女の後方に、緑色の長髪が広がった。

 はるかとみちる以外の全ての少女たちの間に、驚愕と衝撃に満ちた。

 

「貴女は、せつなさん!? それに……」

 

 隣にいた少女も、布を脱ぎ去っていた。

 彼女を見たちびうさが、声を震わせつつうさぎの言葉を継いだ。

 

「ほたる……ちゃん!?」

「……ちびうさちゃん。また会えたわね」

 

 そのおかっぱ頭の儚げな美少女は、ちびうさを見て目を細めた。背はほたるの方が僅かに高いくらいか。

 2人はかつて、親友であった。しかしほたるはセーラー戦士としての務めを果たすために能力を使った代償で赤ん坊へと転生を遂げたはずだったのだ。

 

「い、いったい何でここにせつなさんとほたるちゃんが!?」

「砂原で会った時に言ったでしょう? この世界から出る目処は立っているって」

「あっ……」

 

 みちるの滑らかな言葉の返しで、うさぎは思い出す。そもそもはるかたちの使命は、うさぎたちを元の世界へ連れ帰すことにあった。

 

「そっか! じゃあ、はるかさんたちと同じようにあたしたちを迎えに来てくれたのねっ!」

 

 美奈子は喜々として叫んだ。やっと真のエンディングを迎えるのだと言わんばかりに、感激の涙を流したのだが。

 

「いいえ、多分それだけじゃないわ」

 

 突然の横槍に美奈子は勢いを削がれ、不満そうな顔で亜美に振り向いた。

 

「もーなんなのよー亜美ちゃん、せっかく今度こそ感動しかけてたのにぃ」

「だって、ほたるちゃんはセーラーサターン……破滅と誕生の戦士よ。非常に強力な彼女がいま、再び覚醒した理由は?」

 

 それをきっかけに、他のメンバーたちは感づいたようにほたるに視線を向ける。

 ほたるは、亜美の問いに答えるようにゆっくりと頷いた。

 

「その通りです。私たちはとある重要な使命を帯び、それを貴女方に伝えるためこの世界に降り立ちました。そして、ここにセーラー10戦士を集めたのです」

 

 ちびうさに対して見せた年相応の表情とは、まるで別人。いまのほたるは他ならぬ土星を守護に持つ戦士セーラーサターンとして、深遠な紫色を瞳に宿らせていた。

 

「重要な使命? いったい、どういうこと?」

 

 並々ならぬ雰囲気に、うさぎは前に進み出て聞いた。

 眼下に広がる海、その潮風に乗って遊ぶカモメを見ていたはるかが、腕を組みつつ振り向いた。

 

「お団子頭。前に言ったよな。遠くない未来、この世界を震源地に大きな災いが起こると」

「は……はい。でも、これでひとまず安心ですよね! あたしたちを生贄に捧げるなんていう、敵のでたらめな計画は失敗したんですから!」

「……計画は止まったが、災いが止むことは決してあり得ない。それが分かった」

 

 うさぎは時間が止まったように。

 

「実際に見た方が早いでしょう」

 

 せつなは光に身を包むと、冥王星を守護に持つ時空の戦士、セーラープルートへと変身する。

 彼女は召喚した白い杖を両手に握り、うさぎたちの目の前に差し出した。杖の先、ハート型の輪の中心にある赤い宝石から光が伸び、ドームのようなものを形成する。

 それは最初ノイズが酷く、なんの意味も持たないように思われた。

 

「これからお見せするのは、私が時空の門を通して見た未来の内容です」

 

 次第に、ノイズが消えていく。やがてそれは、街らしき風景を映し出す立体映像となった。

 街からは、灯りが消えていた。

 代わりに上空を征く一筋の光が、窓ガラスを紅く照らす。

 

 老若男女が瓦礫の上を乗り越え我先にと逃げ惑っている。

 彼らの頭上を飛竜の集団が列を成し、空を埋め尽くして飛ぶ。

 地上でも、人を追うように崩れ去ったビルの間を巨大な獣たちが埋め尽くし、駆けていく。

 その周りでは一つの動く影を中心に豪雨と嵐が舞い、道路も建物も巻き上げる。

 他の区では陽炎が噴きあがり、また一方の区では万物が時が止まったように凍てつく。

 また他方では地震と共に大津波が襲い、瓦礫を飲み込む。

 

 その光景を一言でまとめれば、『地獄』だった。

 

 画面は烈しい点滅を迎える。

 一際高い四角錐型の鉄塔に、巨雷が落ちたのだ。

 それは他でもなく──

 

 東京タワー。

 

 雷にしてもあまりに強烈な威力だった。

 しかも、何度も落ちた。

 現代文明を象徴する塔は飴のように溶け、折れ曲がっていく。

 

 映像は途切れた。

 後には、モガの森に降り注ぐ、うららかな陽射しがあるだけだった。

 

「なによ……これ……」

 

 うさぎたちは言葉を喪っていた。

 見せられたのはあまりに陰惨な、これから帰るべき故郷の風景だった。

 みちるは視線をノイズに戻った映像に鋭く向けたまま、静かに口を開いた。

 

「私たちは最初、この光景はデス・バスターズの主『ファラオ90』が貴女たちを生贄として取り込み、この世界の生物を操ることで起こす災いだろうと見ていたわ。彼ら自身、それを目指していたわけだしね」

「だが、今回の件で確信した。破滅の未来はデス・バスターズではなく、この世界の(ドラゴン)たちが自ら引き起こすものだ」

 

 そう告げたはるかはじっと目を閉じた。

 そして、覚悟を決めたように瞼を開いた。

 

「……プリンセス・セレニティ、貴女に直接答えていただきたい」

 

 彼女の瞳はどこまでも、うさぎを真っ直ぐに捉えていた。

 

 

 

 

 

「この世界を、滅ぼす覚悟はあるか?」

 

 

 

 

 




次回より、第4編──『古龍編』開始となります。
本作もいよいよ本格的に後半戦となります。両者の世界はどこへ向かっていくのか、見届けて頂ければ幸いです。


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古龍編
海の向こうへ①


いよいよ本作も4編に突入。
100話を超える本作をここまで読んでくださった方々、誠にありがとうございます。
非常に長丁場となっておりますが、モチベーションアップに繋がりますので感想や評価など初見さん愛読者さん関係なく、お気軽にどしどしお寄せ下さい!


 

 

「この世界を、滅ぼす……?」

 

 

 うさぎは、はるかの口から出た言葉を信じられずにいた。

 

「君の胸に宿る、幻の銀水晶。君がその真の力を解放さえすれば、確実にこちらの世界は救われる」

 

 男性的な顔立ちをした金髪の麗人は、うさぎの胸を指差した。

 その内には、金枠に縁どられた赤いハート型のコンパクトが煌めいている。

 

 幻の銀水晶とは、うさぎの胸に宿る月の王国に伝わる秘宝。これによって、プリンセスの生まれ変わりである彼女はセーラー戦士に変身することができる。

 その力は持ち主の強い決意と願いによって発動し、使いようによっては()()()()()()()ことすら可能。

 事実、彼女は銀水晶の力を使うことでこれまでいくつもの巨悪を退けてきた。

 そして、今。

 

 『悪』の番が、次はこの魑魅魍魎溢れる世界に巡ろうとしている。

 

 はるかも、みちるも、せつなもほたるも、戦士としての顔をしていた。

 正義の味方というには冷たい瞳の色だ。

 

「……冗談、よね?」

 

 レイを始めとした、うさぎと親しい少女たちの『そうであってほしい』という祈りめいた視線。

 仲間たちから告げられた世界を救う方法は、彼女たちを戸惑わせるには十分だった。

 

「先ほど見せた未来は、貴女たちがデス・バスターズの計画を阻止した後も変わらなかったわ。そして、確信したの」

 

 彼女は、潮風になびく艷やかな緑髪を指で除けた。

 腕に巻く包帯を撫でる。

 前回の戦いでも見せることのなかった、傷の痕跡だ。

 

「この世界は、私たちとは決して共存しえないって」

 

 セーラー戦士の中でも実力面、精神面共に上位に在する強者(つわもの)は、そうきっぱりと言い切った。

 

「手をこまねいていれば、滅ぼされるのは私たちの方。だから、もう覚悟を決めなければ──」

「駄目よ!!」

 

 しかし、うさぎだけは首を振ってはっきりと拒む。

 

「この世界の人や生き物はみんな、一所懸命に生きてるだけよ! それを……滅ぼすだなんて!!」

 

 少女の顔には戸惑いと怒りが同時に籠もっていた。

 未だに信じられないのだ。

 彼女たちの口から直接、あんな言葉が出たということを。

 しかし。

 やはり、この前まであれだけ優しい表情を浮かべていた人たちは目の前にはいない。

 まるでよくできた人形のように、ぴくりとも動かさない。

 その様子はむしろ、うさぎのこのような反応を予想していたようにも見えた。

 

「うさぎちゃんに、そんなこと絶対にさせない!」

 

 美奈子はうさぎの前に出て、

 

「忘れたとは言わせないわ! 銀水晶の力を解放したら、うさぎちゃんの命は喪われるのよ!?」

「この世界を滅ぼす瞬間、僕たちが彼女にエナジーを注ぐ。それによって、お団子の死は回避できるはずだ」

 

 はるかは、ともすれば機械的と受け止められかねないほど、冷静に言葉を返す。

 

 天王はるか、海王みちる、冥王せつな、土萠ほたる──

 まとめて外部太陽系戦士と呼ばれ、月の王国から遠く離れた地で侵入者の討伐を命とする防人たち。

 防人とは常に規律を重んじるもの。それ故に、彼女たちは敵に情をかけるようなことはしない。

 それが、女王の直接的な守護者として動く内部太陽系戦士とは全く違うところだった。

 

 まことが、美奈子の横に並び立つ。男にも引けを取らない長身の彼女は、うさぎに相対する者たちを睨んだ。

 

「さっきから聞いてりゃ、同じセーラー戦士の言葉とは思えないな。そんな酷い使命を押し付けられるうさぎちゃんの気持ちなんて、これっぽっちも考えてないじゃないか!」

 

 それに対し、はるかはしばし黙っていた。

 やがて彼女はまことの更に上から、氷のように冷たい視線で見下ろす。

 

「それじゃあ、プリンセスの御望み通りに狩人ごっこを続けてみるか? 今のところ、竜1匹ですら精一杯らしいが」

「……なんだと!!」

 

 聞いてすぐ挑発と分かる一言。

 それにまことは顔を一気に険しくして、正拳を繰り出した。

 同時に、栗色のポニーテールが浮き上がる。

 怪力少女から放たれるその威力たるや、一瞬周りの空気がつられて渦を巻くほど。

 しかし、はるかはそれをも掌で受け止めた。

 

 拮抗し合う2人。

 先日共闘したとは思えない緊張感が、両者の間を満たしていた。

 

「お願い、やめて」

 

 両者の拳を、細い指がそっと包み込む。

 互いに敵意を持って向かい合う力を和らげようとする。

 その手は、うさぎ(プリンセス)のものだった。

 

「はるかさん、みちるさん。ホントは2人とも、この世界を滅ぼしたいだなんて思ってないよね? だって、一度はモガ村を命をかけてまで救おうとしたんだもの」

 

 彼女は、早くも怒りを鎮めて。

 代わりに優しい声音で語りかけるように問う。

 

「まず落ち着いて話し合う方がずっと大事だよ。ね?」

 

 はるかとみちるは、答えはしない。

 まことはちらりとうさぎの顔を見た後、腕を少しずつ下ろす。

 次第に俯くはるかの腕も、ゆっくりと下げられていく。

 うさぎはほっとして、表情を緩めた。

 

 それが隙になった。

 

 はるかは即座に手を取って返し、うさぎの腕を捻り上げた。

 あまりに突然のことに彼女は小さく悲鳴を上げた。

 

「なっ……!」

 

 まことがすぐさま裏拳を放つが、はるかはもう片方の手で容易く掴み取る。

 あくまで仲間とプリンセス相手、決して傷をつけるまでの強さではない。

 だがその麗人の顔は、これまで見せてこなかった険しさを露わにしていた。

 

「それなら、君は奴らと話し合えると思うか!? あの、理不尽が獣の形をした連中と! 答えろ!!」

 

 うさぎは、すぐには答えられない。

 なぜなら、彼女はその理不尽な存在がどのように理不尽であるか、はるかたちよりもずっと知っているからだ。

 

「うさぎちゃん、離れて!」

 

 逡巡を遮ったのは、亜美の言葉だ。

 直後、レイがセーラーマーズの姿となって両者の間に突っ込んだ。

 

 はるかは彼女の手元に注目すると、すぐにうさぎとまことの腕を離して跳ね、距離を取る。

 マーズは既にその手で印を結び、周りを炎がメラメラと揺らめいていた。

 いつでも必殺技は放てる、という分かりやすい威嚇である。 

 

「もしこれ以上うさぎに変なことを吹き込むのなら、同じセーラー戦士だろうと容赦しないわ」

 

 うさぎの前に親友であり守護者でもある4人は壁となって並び立った。

 皆が一様に戦士の姿へと変わり、必殺技の構えを行う。

 

「みんな、やめて! またセーラー戦士同士で争うなんて!」

 

 うさぎが呼びかけても、仲間たちが威嚇を止める気配はない。

 

「もう……見てられない」

 

 一方、この修羅場のすぐ傍で、うさぎと同じくこの状況を憂う存在がいた。

 うさぎの未来の娘にして遥か未来の王女、ちびうさである。

 もはや必殺技が飛び交うまで一刻の猶予もない。

 彼女はいま一度、一歩を踏み出すべきではと足に力を込め始めていた。

 

「ちびうさちゃん、ダメよ!」

「流れ弾でも当たったら、怪我じゃ済まないぞ!」

 

 が、御付きの猫たちが呼んで引き止める。

 彼女はあくまでセーラー戦士見習い。純粋なパワーも、技の威力も目の前の先輩たちには遠く及ばない。いま介入したところで、更に悲しみを増やすだけの可能性が高かった。

 そして残酷なことに、ちびうさ自身もその事実を良く分かっている。

 

「結局……あたしって何も出来ないの?」

 

 諦める他に選択肢はなかった。

 彼女は俯いて泣きそうな顔で両拳を握った。

 

「……ちびうさちゃん」

 

 はるかとみちるの後方に控える少女、ほたるは、ちびうさの葛藤する姿を見つめていた。

 彼女もうさぎたちと対立する外部太陽系戦士の陣営ではあるが、親友を心配する表情はあどけない少女のそれだ。

 やがて、ほたるは隣に立つせつなの視線に気づく。

 実質の育て親である褐色肌の女性は、この世界の破壊を提案したとは思えない、物憂げな瞳をしていた。

 

「やはり辛いですか、ほたる」

「……うん。でも、分かってたことだから」

「……本当に、こんな状況に巻き込んで……申し訳なく思います」

 

 少女の決意を見送ったせつなは、懐から銀色の球が光る変身リップロッドを取り出す。

 

「プルート・プラネットパワー・メイク・アップ!!」

 

 ほたるも続く。

 紫の輝きが、彼女の身体を包み込み別人へと生まれ変わらせる。

 

「サターン・プラネットパワー・メイク・アップ!!」

 

 時空と変革の戦士、セーラープルート。

 破滅と沈黙の戦士、セーラーサターン。

 他の戦士よりも暗い色を靡かせる彼女たちは、ただでさえ緊迫した空間をますます張り詰められたものにした。

 

「……いよいよ実力行使ってとこね」

 

 美奈子改めヴィーナスが、光で出来たムチ『ヴィーナス・ラブミー・チェーン』を手元に出現させた。

 はるか、みちるも彼女に応えるように、ウラヌスとネプチューンの姿に変わる。

 

「あぁ。残念だが、これ以上強情を張る気なら力ずくでも言うことを聞いてもらう他ない」

 

 睨み合う内部太陽系戦士と外部太陽系戦士。

 この世界を滅ぼすか、それとも否か。

 一つの考えの違いが、戦いを生もうとしている。

 セーラー戦士同士の火蓋が切られるのももはや、時間の問題だった。

 

 

「お前らー、そんなとこで何してるッチャー?」

 

 

 しかし、それはすんでのところで止められた。

 風がそよぐ丘を、何者かが呑気な声でひょこひょこと駆けあがって来る。

 人間にしては小さい。

 

 奇面族のチャチャとカヤンバである。

 

 反射的に少女たちは人間の状態に戻った。

 せつなとほたるも、元通りにフードを被る。

 

「なんだ、ずっとこの丘にいたっチャ!? 観光客相手ならもっといろんなところ案内してやれっチャ!」

 

 チャチャはうさぎたちの前で杖を振り、軽く叱りつける。

 セーラー戦士たちはまるで何もなかったのように振舞うが、状況が状況だったために気まずい空気が流れている。

 しかし、子どもたちは一向にそれに気づく様子もない。

 

「……いったい何の用だ」

 

 やや機嫌悪そうにではあるが、はるかが懐にロッドを完全にしまい込みつつ聞く。

 カヤンバが、丘から見える大海、そこにぽつんと浮かぶモガ村を指差して叫んだ。

 

「戻ってこいンバ! アイシャ嬢がお前らに伝えたいことがあるらしいンバ!」

 

──

 

「クックックッ……。来ましたねぇ皆さん、待ってましたぜ」

 

 モガ村のクエストカウンターに戻ったうさぎたちを出迎えたのは、受付嬢アイシャの悪人顔だった。

 両肘をついて口元で手を組み、不敵な笑みを浮かべている。

 普段からは大きくかけ離れた口調に、思わずうさぎは首を傾げる。

 

「ア、アイシャさんってそんなキャラだっけ……」

「訳アリなんで大きな声では言えないんですが、実はこんなブツがですねぇ……」

 

 彼女は人差し指と中指に何かの紙を挟んで持ち上げた。

 意味深なその『ブツ』に、うさぎたちはごくりと唾を呑む。

 

「……ブ、ブツ?」

 

 美奈子が肘でうさぎの脇腹をつつく。

 

「うさぎちゃん、受け取ってよ!」

「や、やぁよあたしは!? ここはレイちゃんお願い!」

「はぁ!? なんでこっちが!」

 

 折り畳まれたその紙は、何かを包んでいるようにも見える。

 怪しげな物体を押し付け合う少女たちの顔の脇から、すらりとした腕が伸びた。

 「あっ」と声を上げたアイシャに構わず、大きな手が紙をひったくる。

 

「前置きはいい、もらうぞ」

 

 うさぎたちが後ろに振り向くと、『ブツ』を横どったのははるかだった。

 

「もぉっ、はるかさんったら、ちょっとくらいノッて下さいよぉ〜! ぶーぶー!!」

「どうせこの前読んだ小説の真似事だろう」

「……え?」

 

 アイシャはそれまでの神妙な表情を解き、文句を垂れる。それでうさぎたちも、彼女の発言がただの演技だったことが分かった。

 はるかは紙を翻し、そこに書いてある文言を確認する。

 すっと目を細めると、ちらりとうさぎたちの方を見て紙を差し出した。

 

「……お団子たち宛てだ」

 

 紙の正体は手紙のようだ。

 うさぎが自ら取ろうとしたが、無言でレイが自ら前に進み出て受け取る。

 はるかと向かい合った時、彼女の瞳が鋭く光った。

 

「……大それたことしようとしてるわりには冷静なんですね」

「その言葉、そっくりそのままお返しするよ」

 

 うさぎの頬に緊張が走った。

 決して対立はうやむやになったわけではない。セーラー戦士の間に出来た亀裂はかなり根深いようだ。

 彼女は悲しげに俯き、この場で何も言えない自分を悔やむしかない。

 

「へ?」

 

 何も事情を知らないアイシャは妙な空気に視線を浮つかせたが、みちるは何でもないわと微笑んでみせた。

 内部戦士たちが手紙を手に取ると、見覚えのある字に目を見開いた。 

 

 差出人は、筆頭ハンターのエイデン。

 

 ついこの前にシナト村で再会した筆頭リーダー、ジュリアスの弟子にあたる人物である。

 

「そういえばあの人、遠くに行ってるって……」

 

 亜美が思い出した通り、彼とはバルバレ以来出会えず終いである。

 彼が、彼女たちにいったい何の用があるというのか。

 意を決して開けると、そこには未知の世界への扉が開かれていた。

 

──

 

 

 

 新大陸。

 

 

 

 ここから海を渡って遥か先に広がる、近年になって開拓が進められている土地らしい。

 うさぎたちが現在いる大陸とはまったく異なる独自の生態系が広がり、未だにその多くは未踏の地である。

 その地に関して、古龍に関するとある謎を解明するためにハンターズギルドはある組織を結成した。

 その名も、『新大陸古龍調査団』。

 実はエイデン自身も3年前にこちらの大陸にある故郷に帰るまでは、その調査団で活動を行っていたらしい。

 しかしこの新大陸に先日、異変が起こった。

 

 

 その大陸中に棲む()()()()()()生物たちが、本来の生息域を外れた地域へ謎の大移動を始めたというのだ。

 それもこれまでにない巨大な規模で、規則性を読み取るにはあまりにも入り乱れている。

 

 

 ギルドは事態を重く受け止め、こちらの大陸で調査員を追加募集している。

 書類検査を経て資格を認められた者は、タンジアの港から数週間後に出発するという。

 

 入団資格は上位ハンター以上。

 自然との調和を望み、思考柔軟かつ骨のある者を求む。

 差出人のエイデン曰く、行くかどうかはこちらの判断に任せる、とのことだ。

 

──

 

 少女たちが一通り黙読し終わった後、沈黙が広がっていた。

 内容を知らないアイシャは、気になってどうにか状況を読み取ろうと、左右見渡して彼女たちの顔を覗き込んでいる。

 

「きっとルーキーさんは、あたしたちの力に望みをかけたんだわ」

 

 はっとして、セーラー戦士たちはうさぎの顔を見た。

 彼女は文面を強く握って見つめている。

 筆の勢いに任せるような字体だが、その一つ一つが太く、力強く、意志が籠った文字だった。

 

「あたしたちにとっても、もっと良い道が……ここにあるかも知れない」

 

 彼女は、外部太陽系戦士に向かい合った。

 決意を瞳に漲らせている。

 まさか、とはるかたちは険しい目つきをする。

 それにも怯まず、彼女はきっぱりと告げた。

 

 

「みんな。あたし、新大陸に行くわ」

 

 




何気にとんでもないこと言ってると思いますが、うさぎの胸にある銀水晶は、条件さえ満たせば本当にそれだけのパワーを出せます。
多分原作漫画設定だともっとやばいことになる。
このように単純な「強さ比較」だとそもそもこの作品が破綻しかねないのですが……。
本作はあくまでも登場人物の心情や状況、そして彼ら彼女らを取り巻く『複雑に生命が絡み合う世界』という視点から、物語を書いていくつもりです。
これから一気にお話が広がっていきますが、執筆頑張って参ります。


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海の向こうへ②

今回は人間の会話ばかりですが、重要回です。


 

 衛は微睡(まどろ)みの中にいた。

 

 周りは薄暗い。

 身体が水中にあるような浮遊感の中で、彼は夢心地で彷徨っている。

 いつからいたのかも、ここがどこなのかも分からず、まるで海藻のように。

 そこに、錐で穴を開けたような一滴の輝きが閃く。

 

『僕を……聖杯を……追って……。どうか……』

 

 静かながらも必死に訴えかけるような、少年の声だった。

 同時に、輝きから漏れた煌めく粒子が群れを作って走り回る。

 それが作る形はまるで──

 

 白馬のようにも見えた。

 

──

 

 新大陸に行く。

 

 モガ村のクエストカウンターの前でそう言い出したうさぎだったが。

 

「なるほど、故郷への想いよりも敵への同情が勝るか。困ったことだ」

 

 はるかの顔は薄く口角を上げてはいるが、瞳に宿る色は笑ってはいない。

 

「敵なんてどちらにもいないわ! ただ、生きる生命があるだけよ!」

「……話にもならないわね」

 

 みちるも、冷たく呟く。

 せつなとほたるとうさぎの側に立つ者たちは向かい合い、警戒の視線を巡らせた。

 

 何よりも困惑したのはモガ村の人々である。

 今や港にいる漁師も魚を籠に移す手を止め、山菜を取ってきた女たちも寄り集まって遠目に見ている。

 

 彼らにはこの前まで仲良しだった彼女たちがなぜ睨み合っているのか見当もつかない。

 とにかくこのまま放っておくと殴り合いにでもなりそうな、そんな剣呑な雰囲気があった。

 

「あ、あのー……何があったか分かりませんけど、喧嘩はやめた方が……」

 

 受付嬢アイシャが、どうにかこの場を収めようと笑顔を作って宥めかけた瞬間だった。

 そこにいるすべての人々の顔が、すべて青白く照らされた。

 

 稲光が、天から一直線に駆け抜ける。

 

 ほんの一時後れて、大地がひび割れるような音が鳴った。

 落雷だ。

 

「……っ!?」

 

 ちびうさは、突然びくりと肩を浮つかせた。

 

 否応なくその場の全員の視線は光の方向へと引き付けられる。

 発生場所はモガ村裏手の山だった。

 木に直撃したのか、煙が青空へ柱のごとく伸びていく。

 

「ねえあんた、さっき雲なんて出てたかい?」

「いや、あり得ねえぞ。山から冷たい風だって吹いてなかったし、今だって雨一滴降る気配すらねぇ」

 

 モガ村の住民たちの一部ではそんな会話が起こった。

 セーラー戦士たちも例外なく気を取られていたが、唯一うさぎはすぐ近くで異変が起こっていることに気づいた。

 

 ずっとちびうさが空を見つめたまま固まっているのだ。

 まるで電源を落とした機械のごとく、ぴくりともしない。

 

「どうしたの、ちびうさ!?」

 

 慌ててうさぎが肩を揺する。

 すると彼女は無事に目を覚まし、辺りを見回す。

 うさぎに呼び掛けられていたことに気づくと、目の色を変えて口を開いた。

 

「いま、声が聞こえたわ! 僕を、聖杯を追って、て」

 

 不可解な発言にうさぎが眉を顰めていると、貸家の玄関を覆う布がめくり上げられた。

 

「俺も……聞こえた」

 

 中から出てきたのは青年だった。

 黒髪に少し痩せてはいるが整った顔立ち。目覚めたばかりだからか足取りはやや頼りない。

 

「衛……さん?」

 

 一番先に気づいたのは亜美だった。思わず男の名を口にする。

 ブラキディオスからうさぎを庇い、深い傷を負って眠っていた月の王国の王子。

 彼の突然の目覚めに、誰もが唖然とした。

 

「まもちゃん!」

 

 その中で真っ先に、うさぎは衛に抱きついた。

 衛は腕を恋人の背中に回し、包み込むようにして迎え入れる。

 

「ごめん。かなり寝てたようだ」

「かなりどころじゃないわよ、もう!!」

 

 目元を泣き腫らしながら、うさぎは衛の背をぽかぽかと叩く。

 彼女からすれば、いつ目覚めるとも知れなかったのだ。その勢いはずっと溜め込まれていた不安を一気に吐き出すかのようだった。

 それをも、彼は苦笑しつつ受け入れた。

 

「俺たちはどうやら、誰かに呼ばれているらしい」

 

 衛はある方向を見上げる。先ほど雷光が瞬いた方角だった。

 モガの森と呼ばれる孤島の森林地帯。その奥からは今も煙が1本だけ立ち昇っている。

 

「とにかく、一度見に行ってみる価値はありそうだ」

 

──

 

 再びモガ村の裏門を出る。その先の丘を左に越えて森に向かう。

 村の人々には、今のところ問題はないので再び観光案内をすると言っておいた。

 万が一を想定し、今は皆がセーラー戦士の姿である。

 取り敢えずは一時休戦だが、地を共に歩んでいても緊張感は拭えない。

 

 聖杯という言葉には聞き覚えがあった。

 デス・バスターズの主が復活するために必要な存在。

 完成した暁にはセーラー戦士をも生贄として呑み込むという強力な『器』。

 その役割を果たすはずだった妖魔ゴア・マガラは、先日討たれたばかりだ。

 

「その声の言う通りなら、『聖杯』はまだどこかにあるってことになるわね」

「となると大変だぞ。デス・バスターズに先に手に入れられたら厄介なことになる」

 

 ルナとアルテミスが歩きながら告げた。

 猫たちの表情は至って深刻だが、その隣を歩くちびうさ──ちびムーンの表情には希望が見える。

 森から上がる煙が一段と近くなる。彼女はそれを真っすぐ見据える。

 

「じゃあ、声の持ち主はあたしとまもちゃんを聖杯へ案内しようとしてくれてるのかも!」

「甘いな」

 

 ちびムーンの横を通ったウラヌスが口を挟む。

 

「よりによってこのタイミングだ。罠の可能性も十分に考えられる」

「同感ね。月の王族にしか聞こえないお告げなど、出来過ぎているわ」

 

 続いてのネプチューンの言葉に、くっとちびムーンは口を詰む。

 言い方こそ厳しいが、彼女たちの言うこともまた正論であった。この先、一体何が待ち受けているとも分からないのだから。

 更に歩くうちに、白い霧が立ち込めてきた。

 ひんやりとした空気が彼女らの頬を撫でる。

 

「待って、この雰囲気……初めてこの世界に来た時と似てるわ」

 

 セーラームーンの歩みをマーズが手で止める。

 そう。彼女たちセーラー戦士が初めてこの世界に、ココット村に来た時も、こうやって突然現れた霧を通り抜けてきたのだ。

 

 一方、プルートは地面にあるものを発見した。

 深く地を蹴ったような蹄の跡。それが一列を成して、霧の中を突っ切っている。

 間もなく、他の戦士たちも存在に気づく。

 

「あれ、この世界に馬なんていたっけ?」

「いるにはいるけれど、私たちの世界とは違ってかなり希少な動物だったはずよ。ここに生き残ってるとは考えにくいのだけれど……」

 

 ヴィーナスの戸惑いにマーキュリーが澱みなく答える。

 プルートは未だ、屈んだまま足跡を見つめて何かを考えている。

 

「プルート、何か分かったのですか?」

 

 サターンがほたるの時に見せた人格とは打って変わり、大人のように落ち着いた声で彼女に声をかける。

 しかし、プルートは首を横に振った。

 

「……いえ、少し考え事をしていただけです。それよりもこの足跡の進む先……」

 

 彼女は、神妙な顔で霧に包まれた前方の森を見つめている。

 サターンも導かれるように足跡の先に視線を移すと、はっと目を見開く。

 

「私たちが通ってきたのと同じ、時空の歪みを感じる!」

 

 その一言に、一気に戦士たちの視線がサターンへと引きつけられた。

 マーズの直感は間違っていなかった。

 つまり、この先に彼女たちの世界がある。

 

「痕跡を見るに、蹄の持ち主は私たちの世界に入った可能性があります。確かめてみる価値はあるかと」

「……」

 

 ウラヌスとネプチューンは、戸惑うように見つめ合う。

 ムーンは衛、そして仲間たちを切なげに見た。

 この先には日常がある。

 狩人として血反吐を吐きながら夢見て求めてきた、ネオンに照らされた故郷が。

 以前なら迷わず彼らと共に霧の向こうへ突っ走っていっただろう。

 

 しかし。

 

「……やっぱりあたし、訳も知らずに一つの世界を滅ぼすだなんて納得できない」

 

 セーラームーンは呟いた後、皆に向かって叫んだ。

 

「古龍たちが災いを起こすというのなら、あたし1人だけでも新大陸でちゃんと彼らのことを調べてみるわ。そうすればこの世界を滅ぼさずに済むかも知れない!」

「この期に及んでまだ君は……」

「じゃあ、声に呼ばれたあたしとまもちゃん、それと外部のみんなが元の世界で声の持ち主と聖杯を探すってのは? 聖杯を見つけて壊せば、災いも止まるかもしれない!」

 

 ちびムーンがウラヌスの言葉を遮ってまで加勢した。

 ムーンが驚いて彼女を見ると、

 

「心配しなくったって大丈夫よ。あっちに行ってる間、まもちゃんには手、出さないから」

「……こんな時にあんたって子は」

 

 思わず苦笑を浮かべるも、軽口を聞くムーンの表情から、重さは幾ばくか無くなっていた。

 ちびムーン(ちびうさ)も、セーラームーン(うさぎ)に負けず劣らず強情な女子なのだ。

 

 2人が決意を確かめ合うのを見届けると、マーズはムーンの肩を叩く。

 

「流石にこの子だけじゃ不安だから、あたしたちも新大陸に行きましょう。ねぇ、みんな?」

 

 彼女は内部太陽系戦士の仲間たちを見やる。

 言われずとも、といった様子で彼女たちはムーンの近くに寄った。

 

「なるほど。それならそちらも外敵を討つって使命を果たせるワケだ」

 

 ジュピターは、返答を求めた。

 全ては外部太陽系戦士たちの言葉にかかっている。

 

「……やってみましょう」

 

 プルートは、5秒ほどの沈黙のあと答えた。

 ウラヌスとネプチューンは、目を細めて彼女に振り向いた。

 

「プルート、いいのか? 君はあらゆる可能性を探った末にあの結論を出したんだろう?」

「幻の銀水晶は、持ち主の強い決意と願いが揃った時こそ真の力を発揮します。今のプリンセスではこの世界の破壊など、到底不可能でしょう」

「……それは認めざるを得ないわね」

「では、スモールレディの提案に乗るということですね?」

 

 サターンの問いにウラヌスたちは黙って肯定を示した。

 それを確認するとプルートは向き直った。

 

「ただし、こちらの世界で災いが起こる113日後までです。それまでに別の方法を探せなければ、迷わず故郷を選ぶ。プリンセスにはその覚悟をして頂きましょう」

「113日後?」

 

 プルートが条件として課した数字に、マーズは驚いたように眉をひそめる。

 つまり、約3ヶ月後。

 新大陸への移動時間や調査にかかる手間を鑑みれば、かなり短い期限だ。

 

「……分かったわ」

 

 ムーンは頷いた。

 どんなに分が悪くとも、彼女たちはこの災いを避けなくてはならない。

 内部戦士たちも無言で了承する。

 

「……」

 

 衛は無言でムーンとちびムーンの2人を交互に見やった。

 恐らく、駄目だと言っても振り切って行くだろう。

 ただしかし、運命で結ばれた恋人にだけは向かい合って、視線を合わせ。

 

「うさこは、それで本当にいいのか?」

 

 それは美少女戦士としての彼女ではなく、彼女自身に向かってかける言葉。

 セーラームーンは一瞬だけ俯くも、再び眉を引き締めて顔を上げた。

 

「……うん。まもちゃんとまた離れ離れになるのは正直嫌だけど。この先、何度だって出会うから」

「……なら、俺も誓う。必ずや次は、この手をずっと握れるようにしよう」

 

 ムーンも、その名を愛おしく呟く。

 2人は全く大きさの違う手を握り合う。

 それを確認したウラヌスとネプチューンは、一足先に霧の向こうへと踏み出した。

 

「それでは、僕たちは先に行かせてもらう。王子と未来の姫に、何が出るか分からない道を進ませる訳にはいかないからな」

 

 そのまま彼女たちは進もうとした。

 

「モガ村の人たちに挨拶はしないの?」

 

 足が止まった。

 引き止めたのはセーラームーンだ。

 2人は、並んで黙ったまま顔をこちらに見せなかった。

 

「その必要はない。彼らには『観光客の正体は故郷から来た迎え人で、家の事情のため北の海から急ぎ帰った』と伝えてくれ」

「……それと、霧が消えるまで絶対に森に立ち入らないよう言ってちょうだい。こちらの世界に来たら厄介なことになるでしょうから」

 

 彼女たちは背を向けたまま、それっきり何も言わないで消えていった。

 その足取りには、まるで躊躇がなかった。

 背中を見送るムーンの仲間たちの瞳には、未だに困惑がある。

 プルートが2人を追う足を止めて振り向き、内部戦士たちを目に留める。

 

 

「彼女たちは本来なら、この真の使命を貴女方と会った時にすぐ伝えるはずでした」

 

 

 ムーンたちは思わず彼女に注目する。

 

「……しかし彼女たちは()()()そうしなかった。その意味が分かりますか?」

 

 はっと内部戦士たちは目を見開く。

 それまで突然の心変りとしか見えなかった態度が、たちまち1つの道のりとして現れる。

 ウラヌスたちはあの残酷な未来を知りながら、ムーンたちが選ぶ方法を決して否定しなかった。

 

「……本当のことを言えば、こんな風になることを見越してたから。更に言えば……」

「この世界を、滅ぼしたくなかったから?」

 

 マーキュリーに続けムーンが問うと、プルートは静かに頷く。

 

「ですからどうか、恨むなら私を恨んで下さい。こんな愚かな方法しか提案できない、この私を」

 

 彼女はきつく瞼を閉じ、真っ直ぐ頭を下げる。

 この世界を滅ぼす提案をした張本人とは思えない礼儀正しさだった。

 サターンも隣で、彼女が深く項垂れる姿を見つめ続ける。

 

「顔を上げて、プルート」

 

 そんな中セーラームーンが泣きそうな顔で、未だに頭を下げるプルートに声をかけた。 

 手を握り、首元に顔を埋め、優しく視線を合わせる。

 

「ありがとう、話してくれて。貴女もきっと辛かったのに」

 

 プルートは少しだけ気持ちが救われたのか目元を緩める。

 内部戦士たちはそれを見て、内省するように俯く。

 ヴィーナスが思わず眉を歪める。

 

「……ごめんなさい。そこまで考えてくれてたってのに、あたしたち……」

 

 あろうことかその場の感情に任せ、彼女たちと反射的に対立してしまった。

 主君である以上に親友としてムーンを想う心に加え、ウラヌスたちを仲間だと信じきっていたが故の失望もあっただろう。

 次に、ジュピターが首を振る。

 

「最初に手を出したのはあたしだよ。ムーンを都合よく利用されると思った途端、カッとなって……」

「子どもじみてたわね、あたしたち。もっと冷静になるべきだった」

 

 彼女が己の掌を見つめ、握り締めて呟くのにマーズが続けた。

 いずれの表情も苦々しい。

 ムーンとちびムーンは心配そうに彼女らを見やる。

 状況をみかね、アルテミスが口を出した。

 

「な、なぁ。今からでも謝りにいけばもしかしたら……」

「遅いわ。もう、あたしたちは違う道を選んでしまった。突き返されるのがオチよ」

 

 マーキュリーの言葉が、仲間たちに重く響く。

 

「その通りです」

 

 サターンが澄んだ声で呼びかける。

 

「貴女方の使命は、プリンセスをあらゆる脅威から護ること。行動を共にすると決めたなら、それに全力を尽くすのです」

 

 きっとウラヌスたちも同じことを言うでしょう、と彼女は付け加える。

 発破をかけられた内部戦士たちは沈黙し、頷いた。

 ムーンはそれを確認するように見てから振り向いて、

 

「じゃあ、あたしたちの世界のことは貴女たちに託すわ。絶対に次は、笑って会えるようにしようね」

「……プリンセスも、どうかご達者で」

 

 プルートは少し離れ、辞儀をしてそう言い残すと、サターンと共に霧の向こうへと消えた。

 

「じゃあ、あたしたちも行ってくる!」

 

 沈んだ空気を、ちびムーンが明るい口調で断ち切る。

 そして彼女はムーンたちから離れて霧の向こうへと歩み出した。

 

「……気をつけてね、ちびうさ。まもちゃんも」

「うさこ、すまない。本来なら絶対、君の近くにいておくべきなのに……」

「良いの、元々あたしが言い出したことだし。まもちゃんは、きちんとちびうさを護ってあげて」

 

 タキシード仮面()は頷くと、セーラームーン(うさぎ)と見つめ合う。

 それから、長く、長く、接吻をした。

 片時も離れたくないのに離れなければならない、この運命を惜しむように。

 それからちびムーンの肩を持って少し進み、それからもう一度振り返った。

 

「じゃあ、行ってくるよ」

「そっちも、あたしたちに追い抜かされないよう頑張りなさいよ!」

 

 互いに手を振って別れた。

 2人の後ろ姿は白い霧に巻かれて消えていく。

 ムーンは、それまで我慢していた涙をぽろりと落とした。

 

「……行こう、新大陸へ」

 

 また、親しい者たちと離れ離れになってしまった。

 だが、これも自分たちの光溢れる世界のため。この生命溢れる世界のため。

 故郷へ続く道を目前にして、少女たちはもと来た道を引き返した。

 

──

 

「あ、あれ? はるかさんとみちるさんは?」

 

 モガ村に戻ってくると、受付嬢アイシャは真っ先にはるかたちがいないことに戸惑った。当然のことだった。

 一通り彼女らが予め用意していた説明をすると、人々は一応納得はしてくれた。

 だがそれでも、彼らの落胆は目に見えるものだった。

 

「確かに、間もなく先代のハンターさんが帰ってくるから安全の心配はしてないが……それにしても急だなぁ」

 

 筋骨隆々な村長の息子でさえも声に覇気がなく、腕組みする身体が小さく見えた。

 

「ナント! 黙って出ていくとは白状な奴らだブー!!」

「今回ばかりはチャチャに同意ッンバ!! これからワガハイたちのスーパークレイジーな冒険があったというのに、ムッキャー!!」

 

 村人の中で唯一怒りを露わにしたのは、奇面族のチャチャとカヤンバである。

 はるかたちと一緒に戦ったことのある彼らは、仮面を剥がれん勢いで振り回して怒鳴っていた。

 

「これ、やめんか」

 

 怒り心頭の子どもたちを頭を押さえることで制したのは、モガ村の村長だ。

 

「時が来たのだ。彼女たちは旅人で、そもそも故郷が見つかれば帰すという約束。それを違えることなど許されんよ」

 

 不満を垂れておかしくない状況でも至って冷静なのは流石というべきか。

 村長は顎の白い髭を撫でながら、うさぎたちに穏やかに微笑んだ。

 

「お前さんらも、まずはタンジアの港に向かうのだろう? ほれ、一番丈夫な船と船乗りを用意しよう、皆の者。いつまでも落ち込んどる場合じゃないぞ!」

 

 彼が手を叩くと、モガ村の面々も気分を入れ替え準備に入る。

 それでも、全てを知るうさぎたちだけは複雑な顔だった。

 

「……すみません。あたしたちがもっとちゃんとしていれば」

 

 彼女たちは、この村に留まってくれたのだろうか。

 亜美が悔しげに呟くと、それに気づいた受付嬢アイシャは物凄い勢いで首を振る。

 

「あ、あなた方が謝ることじゃないですよ! ラギアクルスを討ってくれた英雄さん相手に文句なんて言えません!!」

 

 しかしふと見せた悲しそうな目から、空元気を出しているだけだとすぐに分かってしまう。

 

「……でも、きっとまた顔を見せてくれますよね! いつでも来てくれていいって、故郷に帰ったらあの人たちに伝えて下さい!!」

 

 努めて明るい声を出して握手してくる彼女に、うさぎもまた明るい顔を作って頷き応えるしかなかった。

 船の準備は間もなく終わった。

 帆船にすべての荷物を積み込み、風の流れを読んだ船乗りが合図をする。

 錨が上げられ、港から少しずつ船が離れていく。

 

 子どもたちが桟橋まで走ってきて一所懸命手を振ってくれる。

 村長も、その息子も、受付嬢も、『海の民』の人々も、竜人族の農場主も、穏やかな笑顔で見送ってくれる。

 

 セーラー戦士たちも同じように笑顔で手を振り答えるが、その笑顔は決して心から明るいものではなかった。

 この世界に来てから幾度も繰り広げた人々との別れ。

 しかしこれまでと違い、今回ばかりは状況があまりにも重苦しい。

 

 113日後に訪れる大いなる災い。

 新大陸における異変。

 自分たちに委ねられた、2つの世界の行方。

 

 見送る人々の笑顔とは裏腹に、うさぎたちの胸中には苦々しいものが残っていた。

 やがてモガ村が水平線に消えた時、うさぎは空を見つめて呟いた。

 

 

「はるかさん、みちるさん……これで本当に良かったの?」

 

 

──

 

「……おしまいだ、我々の計画は」

 

 闇の奥にある研究室。

 そこに、白衣姿の男女が机の前に立っている。

 デス・バスターズの幹部である教授。そして助手のカオリナイトだ。

 周りの試験管、ビーカー、湯吞、あらゆるものが壊されて放置されている。

 

 教授は老人のごとく背を曲げていた。

 失意ゆえか、白髪は乱れている。

 

「聖杯は壊された。妖魔ウイルスもすべてシャガルマガラの狂竜ウイルスに駆逐されてしまった。ギルドナイトどもも息を荒くして我々を探している。これでは主の復活のためのエナジー回収すらままならん」

「教授……」

「これではまるで……我々が逆にこの世界に喰われ、手足をもがれているよう……」

「な、なにを仰るのです!? 教授はそんな弱気なことを言う御方ではありません!!」

 

 カオリナイトは机を叩き激昂した。

 教授がいま言ったことはこれまでのすべてを否定する発言だ。

 ならば、自分たちがいま生きている意味がどこにあろう。

 自分たちは故郷を復活させるために他者を喰う。

 断じて喰われる側ではない。

 

「心配には及びませんわ」

「是非とも私たちにお任せください」

 

 どうやって元気づけようかと悩んでいた時、若い少女の声がかかった。

 カオリナイトは、半ば睨むように振り向いた。

 

「テルル君、ビリユイ君……」

 

 教授は、呆然とその名を呟いた。

 ウィッチーズ5の第4、第5のメンバーである彼女たちは、白衣姿に自信満々な顔でヒールを鳴らしてきた。

 緑色の髪をお団子に結ったテルルは、眼鏡をかちゃりと鳴らして宣言する。

 

「我々は、ユージアルとミメットのようなヘマはいたしません」

 

 青い長髪に冷たい笑顔を持つビリユイが競うように前に出て、丸めた地図を胸の谷間から取り出す。

 

「非常に弱いものですが、『聖杯』の反応を再び捉えたのです」

 

 教授は、さっきまでの消耗ぶりからは想像もつかないほど瞳に活気を取り戻した。

 

「なに! どこなのかね、そこは!?」

 

 突然の朗報に、教授は意気揚々と食らいつく。それだけでもはや数十年は若返ったのではないかと思える勢いだった。

 カオリナイトは他の女が横槍を入れてきたのが気に食わないのか、思い切り睨みつける。

 しかしテルルたちは意にも介さず、机の上に地図を広げる。

 西は、現在彼らがいる現大陸。注目すべきは、東のずっと奥に位置する大きな大陸であった。

 地図はその大陸の北で終わっており、まだ開拓途上であることを表している。テルルはそこを指さした。

 

「原住民の間では『新大陸』と呼ばれるところです。聖杯がここに移った理由は不明ですが、ここで聖杯を取り戻せば主導権は再びこちらに戻ります」

「よし、さっそくいってきたまえ! 何が何でも『聖杯』を奪取するのだ!」

 

 テルルは並んで頭を下げ、恭順の意を示した。

 

「はっ。必ずや我々の力をあなた様のお役に立たせてみせます。しかしもう一つ──」

「教授! あなた様に一つ、お頼みしたいことが」

 

 ビリユイはテルルよりも、そしてカオリナイトよりも前に進み出る。

 カオリナイトとテルルは目を剥き、睨んだ。

 

「何かね。早く言いたまえ」

 

 女たちの威嚇も無視して、ビリユイは教授の耳元に何かを囁く。

 やがて男の口端が、笑うようにぐにゃりと曲がった。

 

「……なるほどそれは妙案だ、さっそく検討するとしよう!」

 

 テルルは納得いかない顔で、ビリユイは得意げに微笑んで頭を下げる。

 彼女たちは背を向けると教授に見えないように一瞬睨み合い、それから闇の中へと消えていった。

 それを見送ると突然、教授はちょうど近くのラックに掛けてあった帽子をひったくった。

 

「教授、どこへ!?」

「カオリナイト君。私は今からちょいと遠くへ出かけてくる。我々の作戦をより確実にするためにね」

 

 貴族が被るような少し洒落た黒帽子に白衣という奇妙な出で立ちのまま、彼は研究室の外へと歩む。

 

「セーラー戦士どもめ、今に待っておれ。我々はどんな理だろうと超えてみせるぞ。ぅぅはははははは、うぅひはははははははははははは!!」

 

 さっきまで自分が言っていたことさえも忘れ、教授は高笑いを上げてその場を去っていった。

 

「よく分からないけれど……。とにかく元気になられたようで良かったわ」

 

 立場を取られたとはいえ、カオリナイトは活力を取り戻した男を最初は好ましく見つめていた。

 しかし、そのうち目元に不安の影が入り交じる。

 

「我らが主、師90(ファラオナインティーン)よ……。貴方様の今は何処ぞの闇に(ましま)す御身、必ずや拝謁いたします」

 

 彼女は振り切るように天井の闇を見上げ、そう呟いた。




次回より新大陸&セラムン世界と2つの舞台に分けてお送りする形となります。
詳細は次回投稿時に説明致します。


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旅人導く古代の樹①(☽)

 モガ村から飛空船も使いつつ、最速ルートでタンジアの港へ。そこからギルドによる厳しい審査を通過して新大陸行きの船に乗る。

 古龍に関するある謎を解き明かすべく設立されてから40年以上、5回の増派を経て謎の解明後も調査活動を続ける『新大陸古龍調査団』。

 今回、現地の生態系に生じた異変を解決すべく、追加募集員は船に揺られつつ新大陸へ向かった。

 

「ずっと思ってたけどさぁ、本当に……」

 

 その総数──

 5名と2匹。

 

「すっくなッッッ!!!!」

 

 がらんどうな船内にうさぎの声が木霊する。

 それに隣でスープを舐めていたルナがしかめっ面をした。

 

「どうしたのようさぎちゃん、いきなり立ち上がって」

「どうしてたのよじゃないわよ! なーんであたしたちだけなのよっ!?」

「今更仕方ないだろ。結果としてそうなったんだから」

 

 同じく机でスープを啜っていたアルテミスがめんどくさそうに答える。

 2週間ほど前、タンジアの港にてハンターズギルドが行った入団審査は厳しいものだった。

 猟団に1人でも密猟経験者はいないか。

 一人でも古龍との実戦経験がある者はいるか。

 火山地帯、寒冷地帯での狩猟経験はあるか。

 調査団の規則を遵守するか。

 いざという場合、新大陸に骨を埋める覚悟はできているか。

 

 幾多もの書類審査と面接を経た結果、船に乗ったのは彼女たちだけだった。

 

 そうこうしているうちに、汽笛が鳴る。

 ゴーグルを額に巻いた上半身裸の壮年男が上階から顔を覗かせた。

 

「お嬢様方、甲板に出ておきな。いい景色だ」

 

 この船長は調査団の活動初期から船を操ってきた大ベテランで、軽口をよく叩くが大変気の良い人だった。

 彼の宣言に、少女たちも思わず振り向いて立ち上がる。

 

「やっと陸かぁ~。ありがとう、ございまぁ~~す!」

「おうよ、頑張れよ期待の若人たち!」

 

 美奈子が、伸びをして骨をぽきぽき鳴らしながら礼を述べる。

 船長は返事もほどほどに手をさっと挙げて、再び階段を軽々と昇っていく。

 

 長い長い航海も、これで終わりだ。

 そして、新たな生活がこれから始まる。

 

「どんな人たちが待ってるのかしら。あらゆる分野の天才の集まりと聞くし、うまく馴染めたらいいのだけれど」

 

 亜美は期待半分、不安半分といった様子で視線を彷徨わせていた。

 新天地というものはいつだって浮足立つもの。IQ300の天才少女でも、そこは変わらない。

 

「なーに言ってんだよ。亜美ちゃんなら学者とだって張り合えるって」

 

 まことが肩を叩いて励ましたところに、

 

「ん〜〜〜、ちょっとさっきの言葉、訂正させてくれ」

 

 いつの間にか、船長が出戻っていた。

 何事かとうさぎたちが見上げると、彼はいたずらっぽく笑って告げた。

 

「正しくは()()()()()()()()()()()()()さ。よく覚えときな」

 

 船長はそう言い残すと、今度こそ船上へと階段を上がって消えていった。

 

「……やっぱりあたし、無理かも」

「ああああ亜美ちゃん多分、多分大丈夫よ大丈夫、ね!!」

 

 ますます意気消沈してゆく亜美を、うさぎは必死になって励ますのだった。

 

 甲板に出ると、昨日まで真っ平らに靡く海面しかなかった景色は大変貌を遂げていた。

 時刻は明朝。

 水平線を覆い尽くす緑。

 一際太く大きく屹立する塔の如き大樹。

 その向こうには霧がかかった岩山の群れ。

 黄色がかった太陽光が、すべてを横から美しく照らし出している。

 

「こんな広いところを調べてるのね! さすが大陸ってだけはある感じ〜!」

「ねー! ここを何十年も調べてる人たちなら、古龍のことだってよく知ってるかも……」

 

 美奈子は年相応に手すりに身を乗り出してはしゃいでいる。うさぎもそれに同調してこれからの調査に期待を込めていたが、やがて目線を落とした。

 

 

「本当に調査団の人たちに、あたしたちや災いのこと伝えなくて良いのかな」

 

 

 それまで大陸を見つめていた少女たちは、うさぎの背中に視線を移す。

 

「……まだ気にしてるの?」

 

 美奈子の問いを、うさぎは否定しない。

 沈黙は不満を暗に伝えている。レイはそれを見かねたように、うさぎの隣に身を乗り出した。

 

「あたしたちの正体を言ったら調査どころじゃなくなるわ。エイデンさんもわざとそこを伝えず推薦してくれたのよ? ましてや、あたしたちがこの世界を万一でも……」

 

 レイは誰かに聞かれてないか周りを見渡してから、今度は小声で囁いた。

 

「敵に回すかも知れないだなんて、とても言えないわ。そもそも未来の災いがここの古龍たちの件と関係してるかも、可能性が高いってだけで確定したわけじゃないのよ?」

 

 そのことをうさぎと手を重ね、語りかける。

 新大陸古龍調査団はハンターズギルド直属の組織だ。

 バルバレでも正体は我らの団や筆頭ハンターに伝えたが、その時とは全く背負っている状況が違う。

 調査団がどういう人々なのか、今は全く分かっていないのだ。

 もし軽々しく真実を告げて、この世界が目の前の少女たちに滅ぼされると信じる者が続出したら。

 一気に彼女たちの立場は危うくなるかもしれない。

 

「うん、みんなの気持ちは分かってる」

 

 うさぎはまだ浮かない顔ながら頷く。

 4人は守護戦士としても親友としても、うさぎ(プリンセス)をこの世界の()()()()()()()()護らねばならない。

 それゆえの黙秘なのだ。

 

「……絶対にここで見つけ出してみせるわ。両方の世界が、災いから逃れられる方法を」

 

 うさぎは改めて決意の眼差しで手すりを掴む手に力を込め、森林の中に現れた木組みの巨大建造物を見つめた。

 

「何ていうかモガ村の時もそうだったけど、みんなピリピリしてるな」

 

 白猫アルテミスは、甲板から船内に続く階段の辺りで黒猫ルナと隣り合って座っていた。

 

「そりゃあ、そうよ。あの子たちはプリンセスを護るのが使命。むしろああであってくれなきゃ困るわ」

「……にしてもさ。この世界も救うと言いながら警戒しまくってるの、矛盾してる気もするけどな」

「アルテミスだってこの世界があまりに広くて……深すぎるのは分かるでしょ? 今までの『敵』と違って、あまりに分からないことが多すぎる。警戒するのは当然よ」

 

 それ以上、アルテミスは答えなかった。

 船に打ち付ける波は、陸に近づくにつれ少しずつ弱まりつつある。

 穏やかな大海原は、静かに旅人たちを新大陸へと迎え入れる。

 

 

 災いの日まで、既に100日を切っていた。

 

 

──

 

 

「うっわすごぉ……船が浮いてる……」

 

 

 輸送船を降り、高い階段を上がったうさぎたちの目に真っ先に入ったのは、空高い2つの岩場に橋を渡すように乗り上げた船だった。船長が言うには『星の船』と呼ばれる施設で、集会場の役割を果たすらしい。

 次に目の前に広がる、露店のような天幕を張る木箱や壺の山、そしてその上を覆う屋根。どうもこれも、船底をひっくり返したものに柱を括り付けたものを活用しているようだ。

 よく見てみればいま彼女たちが立つ床でさえも、向こうに置いてある船から甲板を継ぎ足し拡張してきたように見える。

 恐らくは、現大陸から持ってきた船をそのまま拠点として再利用と改良を重ねてきたのだろう。豪快ながら無駄を出さない造りに、亜美は驚いて呟く。

 

「これが……」

 

 調査拠点アステラ。

 新大陸古龍調査団の本拠地であり、現大陸と新大陸を繋ぐ港。

 更に奥を見渡すと書籍の山とそれに囲まれて本をめくる老人、隣には無人ではあるが巨大な樹を中心に様々な植物が繁茂する施設が見えた。

 そこからは木組みの階段が螺旋を描いて、更に上階へと続いている。

 

 ここで分かったことがある。

 これまでうさぎたちが見てきた村々とは違い、アステラは高低差が大きい──つまり、上下に長い構造を有しているのだ。

 次に、水車の力で常に動くリフトが目に入った。

 木箱や袋を持った人々が何やらせわしなく叫びながら行き交っている。

 

「ふぅむ、やたら人が少ない気がするが……」

 

 船長は小さくぼやいたが、すぐに振り返り。

 

「とにかくまずは、あそこに突っ立ってる白髪の爺さんに挨拶してきな。積荷はこっちで宿舎に運び込んどくからよ!」

 

 その指示に従い、少女たちは親指の指した方向へ向かう。

 そこはちょうど彼女たちから見て最も右奥に当たる船の甲板を利用した空間で、巨大な机が中心に置かれ、それぞれの期団を表すのであろう色とりどりの旗が掲げられていた。

 どうやら会議場のようである。そこで、数人が集まってしきりに議論を重ねていた。

 その中でも中心に近い位置にいた、黒い肌に白髪を生やした鎧姿の男性に、彼に駆け寄った船乗りの1人がうさぎたちを示しながら囁く。

 そこで彼は初めて、こちらにちらりと視線を寄越した。

 

「……なるほど。ではあの少女たちが」

 

 船長の言った通り白髪と皺の入った顔が特徴的だが、瞳に宿るはっきりとした意志からは目立った衰えを感じさせない。

 色彩豊かな防具を着るうさぎたちに対し、革を中心として肘や膝を金属で覆った防具は、派手さはないが無駄も一切ない燻し銀の魅力があった。

 

 一方、腰巻には緑色に光る虫籠、左腕には小さな弩のような道具が装着されている。

 見たことのないそれらに見とれていると、男性は歩いてきて微笑し、手を差し出して出迎えてくれた。

 

「長い旅路ご苦労だった。船酔いは残ってないか?」

 

 顔こそ厳ついが、口調は穏やかで気遣いが見える。

 

「はい、大丈夫です」

 

 礼儀正しい亜美を始めとして、少女たちが順番に握手すると、彼は慇懃に胸に手を当てた。

 

「私はここでは『総司令』と呼ばれている。とはいってももうこの歳なもので、最近では大半の仕事を孫に任せているがね」

 

 男性は後から颯爽と現れた黒髪の青年の背を叩き、席を譲った。

 

「ようこそ、新大陸へ。俺はみんなから『調査班リーダー』と日頃呼ばれてる。これから君たちもそう呼んでくれ」

 

 彼が孫らしい。およそ20代中盤といったところだろう。

 髪を後ろに束ねて縛っており、眉の近くには傷跡がある。野生児らしい活動的な顔つきだ。

 防具は動きやすいようにか肩当を外した代わりに立襟が目立つ。その下には程よく筋肉のついた胸元を曝け出しており、自然に鍛え抜かれた肉体をありありと眺めることができた。

 

『け、結構いい男……』

 

 声に出さないながらもうさぎ、レイ、まこと、美奈子の4人は揃ってぽっ、という音が似合うほど顔を紅く染めた。

 ついでに、ルナも。

 

 真面目な亜美でさえも、両手で目を塞ぎながらも指の間から男を垣間見、唯一の()()であるアルテミスはこの見慣れた光景に辟易とした。

 

「……うさぎには衛がいるだろ」

「あっ、はいっ! ぜひあたしたちに異変を解決させて下さいですっっ!」

 

 うさぎは改まったように屹立して叫ぶが、慌てて誤魔化そうとするあまり吃っている。

 調査班リーダーは少女たちの間で行われた密やかなやり取りに気づかず、鷹揚(おうよう)に頷いた。

 

「なるほど、さっそく素晴らしい心意気だな。……さて、実はそのことなんだが」

 

 彼が隣を見やると、総司令は意外なことに難しい顔をしていた。

 

「意気込んで来てくれたところ、申し訳ない。実は現在、緊急事態が起こっているのだ。……ほら、見ればわかるが随分とがらんどうだろう」

 

 総司令の視線に従い、うさぎたちは会議場からアステラ内を見渡す。

 天然の崖からできた壁以外に遮るものはなく、大海を水平線まで見通せる、まるで巨大テラスのような空間だ。敷き詰めれば千人以上は入れそうだ。

 しかし、明らかに人員が少ない。

 普通、こういう拠点は人が使いやすいように適度な広さに設計されているもの。しかし今はかなりスペースを持て余しているように見える。

 

「追加募集をかけてからも、我々は調査のため新大陸各地に大量の団員と物資を送り、近日中には各地の調査結果を一旦、アステラに集約する予定だった。そこまでは良かったのだが……」

 

 一瞬、総司令は言うのを躊躇うようにため息をついた。

 

「……実は、新大陸中の団員と連絡が途絶したのだ」

「……途絶?」

 

 レイが思わず聞き返す。

 

「先日の夜のことだ。その夜は嵐だったのだが、雷とも似つかない、何か爆発したような轟音が聞こえた。その翌日から、連絡に使っている翼竜が何かを怖がって全く飛ばなくなってしまったのだ──」

 

 翼竜というのは、総司令の近くに設置された止まり木に掴まっている小型の竜のことだろう。とはいっても、青みがかった翼を広げれば横の全長が8mには及びそうだ。

 その鳥を想起させる竜は縦に広い嘴を持っており、身体には胸当てのようなものが装着されていた。穏やかに翼を畳んで爪を齧っているところから、よく人に懐いていると見える。

 

「それ以降、各地にいる団員の安否確認すら取れないでいる。非常にまずい状況だ」

 

 うさぎがその言葉を聴いて視線を戻すと、気まぐれにあちこちを見渡す翼竜とは反対に、総司令は真剣な顔でこちらを見つめていた。

 

「大多数のハンターたちもまとめて奥地に行ってしまい、現在は救助すらままならん。そこへちょうど君たちが来た。これ幸いにとは決して言いたくないのだが……」

 

 総司令は俯いたのち、再び顔を上げた。

 

 

「どうか君たちに、調査成果の持ち帰りと共に団員の安否確認、場合によっては救助を頼みたいのだ。無論、サポート面の協力は惜しまない」

 

 

 少女たちは互いの瞳を見つめ合った。

 だがそれぞれの表情からして、答えは既に決まっていた。

 

「ぜひ、あたしたちに任せてください。なんだってやります!」

 

 どんな逆境であろうと、彼女たちはこの新大陸に挑まねばならない。

 何よりも、時間がないのだ。

 既にそれを分かっているが故の即答である。

 うさぎが会議場に並ぶ面々に向けて告げると、それで肩の荷が下りたのか、

総司令は心なしか頬を緩めた。

 

「……心から感謝する。ではまず、あの門を抜けてすぐそこにある『古代樹の森』に向かってほしい。ここからでも見える、巨大な樹を中心に広がる森だ」

 

 彼が指した、アステラの玄関となる巨大な骨のアーチ。その向こうに、まるで山のような茂みが見えた。

 あれが古代樹だろう。崖を跨いで見えるというのはかなりの巨大さである。

 続いて総司令は、先ほども見えた植物の繁茂する施設を指差した。

 

「あそこにある『植生研究所』の所長と新しく入った助手が、『古代樹の変化を見てみる』と飛び出したきり帰ってこないのだ」

「……まさか、走ってったんですか!?」

「ああ。ハンターすら付けずにだ」

 

 まことの問いに総司令は苦い顔で短く頷いた。

 少女たちも一気に同じ顔になる。

 ──天才と変人と問題児の集まり──

 船長の言葉に偽りはないようだ。

 

「よし、それでは案内役は俺が務める。これを各自身に着けてくれ」

 

 いつの間にかその場を抜けて、そして帰ってきた調査班リーダーは大きな木箱を目の前に置いた。

 そこにはちょっとした辞典くらいの厚さはある5冊の赤い本、総司令が身につけているのと同じ緑に光る虫籠と小さな鉄製の弩が、5セットずつ入れられていた。

 

「ハンターノートと導蟲(しるべむし)、そしてスリンガー。この大陸では必須だから無くさないようにな」

 

 その内容物を見て、スリンガーを付けようとしていた亜美が気づいて顔を上げる。

 

「そういえば、5人で行って大丈夫なんですか?」

 

 他の少女たちも思い出して、調査班リーダーの顔を覗く。

 ハンターは4人で狩りに赴くもの。それが、彼女たちの間でも常識となっていた。

 だが、男はきっぱりと答える。

 

「それはあくまで現大陸のジンクスであり慣例だからな。状況も状況だから、君たちの判断に任せよう」

 

 驚いたように少女たちは顔を見合わせる。

 これぞ、変わり者の集まりゆえの柔軟さか。

 調査団にはどうも、これまでの慣習に囚われない気質が備わっているようだった。

 それを踏まえたうえで、うさぎは答える。

 

「……なら、5人で行きます!」

 

 後ろに控える総司令は、腕を組みつつ微笑して頷く。

 彼女の言葉に反対する者は、1人としていなかった。

 その期待を込めた目つきに答えるように、少女たちは箱から道具を取り出していく。

 

 ハンターノートは、新大陸の地図もモンスターの生態も、更には武器の操作指南までも書かれた優れもの。

 導蟲は捜索目標の匂いに反応して群がる性質を持つ蟲で、主に狩猟するモンスターを探すのによく使われるらしい。

 スリンガーは左腕に付ける小型の弩で、拾ったあらゆるものを射出できる。用途は対モンスター、ロープを引っ掛けての移動など実に幅広く、一般人でも扱える万能道具である。

 

「スリンガーの操作については後で簡単に説明する。さあ、まずは虫籠に布を近づけて揺すってみてくれ」

 

 それを受け、全員が調査班リーダーの指示通りにしてみる。

 すると、それぞれの虫かごから蛍光色の光点の集まり──正確には導蟲──が飛び出し、昼でも眩しく思えるほど光って飛んでいく。

 やがてそれらはアステラ入口にある骨のアーチ付近で、ある程度の纏まりをもって静止した。恐らくは住処である虫籠を見失わないように待っているのだと思われた。

 

「これで、後を辿るだけで所長か助手を見つけられるというわけだ」

 

 調査班リーダーは先導して歩きつつそう説明する。

 今まで一々ペイントボールをモンスターにぶつけて臭いを追っていた少女たちにとっては革新的である。

 

「はぇー、べんりー!」

「これで誰かさんみたいにいつまでも迷子になることもないってことね」

 

 素直に感心していたうさぎは、何食わぬ顔で皮肉を言ってきたルナをムッとした顔で睨んだ。

 一方で、美奈子も思い出したように猫の相棒であるアルテミスに振り向いた。

 

「そういえばルナとアルテミスはどうするのよー。防具つけてないみたいだけど」

「僕たちは拠点を見て回るよ。ここ最近、狩りに参加するには身体が鈍っちゃってさ……」

 

 彼は片方の肩を回し、ぽきぽきと鳴らす。

 少女たちは「あー……」と察したように声を漏らした。

 そういえばルナとアルテミスは、モガ村でずっと衛の看病をしていたのだった。

 それに古龍との遭遇もあり得るこの大地。並みのアイルーより身体の線が細い彼らでは流石に分が悪かろう。

 

「では、私がアステラを一通り案内しておこう。仲間の1人でも施設の使い方を分かっておいた方がいいだろうからな」

 

 総司令が名乗り出ると、美奈子は「ほんとですか!?」と素直に喜ぶ。

 うさぎもありがたそうに愛想のいい笑顔かつ丁寧な扱いでルナを抱き抱え、総司令の前に置く。

 

「じゃあ、なにとぞうちの子をよろしくお願いしますー。皮肉屋で一々言うことがとげとげしてて()()()()()()ムカつきますけど大目に見てあげてくださーい」

「……」

 

 為すがまま引き渡されるルナは、不機嫌そうにムッと顔をしかめる。

 天然でどこか抜けているうさぎと皮肉屋でしっかり者のルナ。何年経ってもやはり、このちぐはぐさは変わらない。

 

 とにかく少女ハンターたち一行は、案内役の調査班リーダーを先頭にしてアステラを出発した。

 行き先は古代樹の森。

 巨大な樹を中心に渦を巻くように森林と豊かな生態系が広がる地域である。

 

「じゃあ……みんな、頼むわよ!」

 

 気を取り直した黒猫の声援と白猫の視線を背に受けながら、少女たちは未知の大地に足を踏み入れた。




4編から内部と外部で舞台が分かれますので、内部の話はサブタイトルに(☽)のマークで、外部は(☆)のマークで示します。
基本的に相互にエピソードが交代して進むので、一方の動きを追いにくくなるかと思います。そのため次回からは、新しいエピソードに入るたびに簡潔な前書きを置く予定です。
(登場人物が多いのと出したい古龍が多岐に渡るため、このような形式となりました)


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旅人導く古代の樹②(☽)

今回はモンスター選り取り見取り。


 

「君たちはどこの生まれだ?」

 

 アステラの門から出ていきなり、調査班リーダーはそんな質問をふっかけてきた。

 左には大海が、右には鬱蒼とした森林が広がる細道を歩いている。

 

「え、えーっと……結構遠く、かも!」

 

 一番近くにいたうさぎはそう答えるしかなかった。

 それにしてもまずい言い方ではなかったかと亜美は眉をひそめたが。

 

「そうか。俺はこの大陸で生まれたから、まだ向こうを見たことがないんだ。また機会があれば、君たちの故郷も見てみたいものだな」

 

 特にこだわった調子もなく、調査班リーダーは振り向きながら答えた。

 普段厳つい顔の人がにこりとするのは、それだけでかなりの破壊力がある。

 面々はそれを見て「お、お~……」と感心するように唸った。

 

「あーもうそれは是非いつでも来ちゃってくだ……」

「駄目だよ美奈子ちゃんっ!!」

 

 美奈子の口を突いて出て来た言葉を、慌てて口封じに転じるまこと。

 万一にでも、本当に来ることがあってはならない。

 

「ご、ごめんちょっとドジっちったわー。てへぺろー」

「何がてへぺろーよ!! ここではあたしたちの事情は言わないって約束したばかりでしょうが!」

 

 お茶目っぽく舌を出し、自身の額を拳で叩いた美奈子に対し、レイが鬼気迫る表情で肩を揺らす。

 

「おーい、危険はないぞ。早くこっちへ!」

 

 そんなやり取りをしているうちに、いつの間にか調査班リーダーは導蟲を追って先に進み、開けたところにある木の下で手を振っていた。

 彼女たちの心配はどうやら杞憂だったらしい。

 

「あっ、あの人の足を引っ張っちゃってる!」

「滑り出しは最悪ね……」

 

 うさぎと亜美が呼びかけに気づいて走っていくと、後のメンバーも慌てて男の背を追いかけた。

 

 しばらく調査班リーダーの後をついていく。やがて、彼らは人を隠せるほど背の高い草原へと入った。

 少女たちには何も見通せず、ともすれば迷いそうになるのだが、調査班リーダーはこの辺りの地理には詳しいようで迷いなく歩いている。

 

「よし、もうすぐ視界が開けるぞ」

 

 宣言通りだった。

 一面すすきだった景色がいきなり、青空と浅い川が流れる平地へと様変わりした。

 真っ先に目に入るは、後方に伸びたトサカと灰色に近い体色、黒ずんだ背びれが特徴の草食竜、アプトノス。

 現大陸でも見慣れた彼らが2、3頭ゆっくりと歩き、時々地面に口を伸ばしては草を食んでいる。

 

「わぁ……この景色、森丘を思い出すね」

 

 まことが清々しい顔で初心に帰っていた一方。 

 

「グルルルルルゥゥァァァ……」

 

 亜美が聞き返したところで、そう遠くないところから唸り声がした。

 

「待て……ドスジャグラスだ。みんな、動くな」

 

 調査班リーダーが、掌で少女たちを制する。

 いつの間にか、北の細道から4足歩行の動物が走ってきていた。

 

 ぱっと見の姿はイグアナに似ながらも、前脚が発達して黄に青い縞が入った巨体。

 背中から髪の毛のように垂れ下がったたてがみ。

 そして、威圧感を感じる爬虫類型の顔に黄色の瞳。

 

 ドスジャグラス、別名賊竜(ぞくりゅう)

 

 彼が走って狙うのはうさぎたちの前にいるアプトノスの群れだ。

 浅瀬をばしゃりばしゃりと撒き散らしながら、迷いなく突進していく。

 気づいた彼らは必死に逃げようとするが、ドスジャグラスの速度には敵わない。

 標的に定められたのは、ちょうど一番近くにいたうさぎたちの背よりも大きな体高を持つアプトノス。

 それに賊竜は、牙の並んだ大口を開けて脚に食らいつく。

 

「ブモオオオゥゥッッッ……」

 

 獲物が転倒する。

 それに顎を限界まで大きく開き、頭から素早く食らいつき──

 ()()()()()()()()()()()()

 悲鳴を上げる間もなく、アプトノスの棘のついた尻尾までもが腹の中に吸い込まれる。

 一気に中身の体積が増えた腹は風船のように膨らみ、アプトノスの全身を見事に体内へと納めてしまう。

 

「ええっ!?」

 

 屈んで遠巻きに観察しているのも忘れ、少女たちは揃って声を上げた。

 モンスターたちによる捕食の光景はさすがに狩人稼業で見慣れたとはいえ、この豪快なやり方には度肝を抜かれる。

 

「すごい! 他の捕食者に奪われる確率を下げるために、ああ進化したのかしら?」

「なるほどー! 肉まん食べてる時、隣にちびうさがいるとついつい早食いしちゃうのと同じね」

「え?」

 

 亜美の理知的な考察を聞いてからの突然の落差に、調査班リーダーは驚いてうさぎを見る。

 レイは、無言でうさぎの肩を叩いた。

 

「……あんたはしばらく黙っといて。あたしたちの信用度が下がるから」

「へっ、なんで?」

 

 そうこうしているうちに、状況は刻一刻と変化する。

 痩せ気味だった体型から一変、人が見上げるほどの巨漢となったドスジャグラスは、満足そうにゲップしてから平地に背を向けた。

 彼が向かったのは、ツタが絡まることで作られたような細道。どうも、彼の日常的な通り道のようである。

 少女たちは必死に逃げていくアプトノスたちの間を抜け、その巨漢の背を見つめた。

 

「さて。俺たちはこの足跡を追うしかないわけだが──」

 

 地面を見るリーダーの視線に従ったうさぎたちは、ごくりと唾を呑んだ。

 不幸なことに、人の足跡はドスジャグラスの行く道と被っていた。

 導蟲も足跡に集って光り輝き、この道を行けと示している。

 

「……くれぐれも、気づかれないように行こう」

 

 足音を立てないように注意を払いつつ、北へと細道を抜けていく。

 人間たちが屈みながら列を作り賊竜を追う光景は、他所から見れば中々にシュールであった。

 

 最後に木の根で出来た天然の門を抜けると、いよいよ森林へと侵入する。

 木漏れ日の中いくつかの樹が根を張り、中央の水場を一段高い外周部が取り囲んでいる。

 どこからか流れてくる水により湿り気のある足下にはシダ類が大量に繁茂し、頭上では樹から伸びた太い枝にツタが絡まって、通路のような地形を形成していた。

 亜美が、ハンターノートを開いて地図のページを確認する。

 

「ここがエリア2ね」

 

 そしてドスジャグラスもいた。

 髪のようなたてがみとでっぷりした腹を揺らして、他に不埒な輩がいないか確認している。

 それを見た調査班リーダーは、屈みながら小声で背後の少女たちに指示する。

 

「茂みに隠れろ。そこなら気配を消せる」

 

 見てみると、近くにぽつぽつと広い葉っぱを持つ高い背丈の植物が生い茂っている。

 指示に従いうさぎたちはそれぞれ、植物の中へと身体を埋めるようにして隠れる。

 ドスジャグラスは注意深く周りを見渡していたが、やがて安心しきり──

 中央の水場に()()()()()()()()

 

「えぇっ……」

 

 うさぎは思わず声を漏らした。

 見た目の汚さ、醜悪な臭いもそうなのだが、何よりせっかく食べたものをなぜ吐き出すのか、そこが理解不能だ。

 しかし、その理由はすぐに判明した。

 ある程度痩せた彼が嘶くと、天井になっているツタから何かが次々にするすると降りて来た。

 

 ドスジャグラスと顔立ちだけでなく体色までも酷似しているが、体格は圧倒的に小柄で細い。『ジャグラス』とでも言うべき彼らは、一斉に消化物へと群がっていく。

 喜ぶように鳴きながらがっつく彼らを他所に、ドスジャグラスは威厳ある足取りでその場を去る。

 

「なるほど、案外仲間想いってわけね」

 

 まことは、ちょうど近くに隠れていた美奈子と微笑みあった。

 その時だった。

 

「ガカカカカカッッッ……」

 

 ドスジャグラスが、何かを打ち鳴らすような音に反応して上方を見渡す。ジャグラスたちも同じだ。

 うさぎたちも謎の音の根源を辿ると──

 何者かが上段にある樹皮に掴まって、赤い瞳でジャグラスたちを見下ろしていた。

 青白く蛇によく似た顔つきに、イタチのごとく靭やかな四肢。遠目でも分かるほど背中から全身を覆う白い体毛は、パリパリと静電気を漲らせて靡いている。

 

 飛雷竜トビカガチ。

 ジャグラスたち、ひいてはジンオウガなどと同じ『牙竜種』に属するモンスターである。

 

「ギュゥルィィィィィィィィッッ!!」

 

 それは素早く周るように樹表を這い昇ると跳躍し、手足の間に皮膜を張って滑空、ジャグラスたちに肉迫する。

 狙われた彼らは一目散に踵を返す。

 トビカガチは着地した瞬間、帯電した扁平な尾で中央の水場を一閃する。

 

 水面に電流が流れ、蒸発。

 

 当然、ジャグラスたちの餌場は大騒ぎである。

 トビカガチは煙を上げる肉塊を咥え、そのまま立ち去ろうとした。

 ジャグラスたちも深追いはせず、ツタを登って我先にと逃げていく。

 

「グワァオオオオオッッ!!」

 

 それに対し憤然と吠えたのはドスジャグラス。肥大化した図体にものを言わせ、侵入者へと突撃する。

 トビカガチは身軽に跳ね、樹に飛びつくことでそれを回避した。

 

「な、なんかマズそー……」

 

 頭一つくらいの葉っぱの間から首を出すうさぎは、不安そうに視線を右往左往させた。

 いくら隠れているといっても、あちこち暴れ回られてはいつ巻き込まれるか分かったものではない。

 

「よし、よく見ておけ。こういう場合にこれが役立つ」

 

 調査班リーダーが左手に装着した小さな弩を掲げる。

 うさぎたちも支給された超小型の(いしゆみ)、スリンガーだ。

 前方に弦が張られた後方にある金具。

 そこに、石ころが固定されている。

 男はスリンガーの先端にある矢じりをモンスターたちの上方に向け、手元にある取っ手を軽く握った。

 

 すると、石ころが弦に弾かれ射出。

 放物線を描いて、モンスターたちより向こうのツタに生える赤い実に着弾した。

 それらが衝撃で地面に落ちると、幾らかの破片を撒き散らすと共にハジけ、強烈な破裂音を発する。

 

 ドスジャグラスとトビカガチはそちらに意識を向け、向こう側へとしきりに咆えた。

 その手際の良さに、うさぎたちは思わずおお、と感心する。

 調査班リーダーはそれを確認すると立ち上がり、茂みから忍び足で抜け出した。

 

「難しいことは考えず、金具に固定してグリップを握ればいい。さぁ、行くぞ!」

 

 うさぎたちはそれに急ぎついてゆく。

 リーダーは導蟲を追って、右手にある崖一面に広がるツタに掴まる。

 彼がスリンガーの取っ手を強く引き込むように握ると、次は本体先端から格納されていたロープが真っすぐ射出された。

 先端にあるアンカーを崖上に引っ掛けてからロープを引き戻すことで、容易く自らを上方へと引き上げる。

 その芸当に驚いている少女たちに、リーダーは崖上に待機しつつ手を伸ばした。

 

「ここは無理に俺の真似はしなくていい。慌てずツタを掴んで登って来てくれ!」

 

 その後、互いに引っ張り上げつつ彼女たちは崖を登っていった。

 全員が登り切った時、それまでとは違う地鳴りを聞いたような気がしたが、振り向いて確認する余裕などなかった。

 

 次に見えてきたのは、人が歩けるほど太い樹の幹の上。道が様々に入り組んだ複雑なエリアだが、調査班リーダーは迷わず右の下り坂へ入る。

 再び先頭に出た彼は腰を落とす。そのまま斜面を滑り降りていくのをみて、うさぎたちもその通りにした。

 

 導蟲に従い滑っている途中、ふと亜美が見上げると。

 左手にはどこからか滝のように流れ落ちる水、その向こうには、巨大な大木がこちらを見下ろすように座していた。

 古代樹である。

 気づかないうちに、自分たちは古代樹の根の上に足を踏み入れていたのだ。

 頭上そこかしこに巨大な枝が張り、その合間から青空が時たま現れては消えていく。

 壮大な光景に思わず見惚れている一方、一番後ろで滑る美奈子が前方に向かって声を張り上げた。

 

「もしかして、いっつもこんな感じなんですかーっ!?」

「いいや!」

 

 調査班リーダーは振り返って叫んだ。

 

「ドスジャグラスもトビカガチも、通常なら威嚇も挟まず争ったりしない! 今日はやたら気が立っている!」

 

 下り坂が終わると次は上り坂に差し掛かり、2つに分かれた道を左に曲がる。

 植物がそこら中に絡みすぎて、もはや根と地面の境界さえわからない。特にうさぎはいつ迷子になるか気が気でなく、仲間たちとリーダーの背中を追い続けるしかなかった。

 

 やがて彼女たちは柱のように太い樹が自生する森林地帯に入った。林冠が上空を埋め尽くすことで、日の光はほぼ入ってこない。

 木々の根には、階段を形成するかのように平たいキノコが繁茂していた。

 

「南に行けばアステラに帰れるのに、あの人はわざわざ奥に向かったらしい」

 

 呆れたようなリーダーの言葉を聞きながら、木々の間を北に通り抜けていく。

 うさぎが頭上を通り過ぎた風に気づいて見上げると、近くの樹皮に小さな生き物が掴まった。

 

 エメラルドグリーンの風切羽、コバルトブルーの尾羽、紅の冠羽。

 羽毛を持っているものの鋭い指の爪が残っており、顔つきも爬虫類らしさがある。 

 その姿はまるで鳥と恐竜を繋ぐ存在『始祖鳥』に見えた。

 

 一瞬、美しさに見惚れた。

 その向こうから、毒々しい紫色の液体が飛んできた。

 

「え?」

「うさぎちゃん、危ないっ!!」

 

 まことがうさぎを庇って倒れ込む。

 幸い2人とも液体に当たることはなく、それは地面でぶくぶくと泡立つ紫の池を形成した。

 

「……プケプケか!」

 

 リーダーが、大剣を背から引き抜いて構えた。

 さっきいた『始祖鳥』は、驚いて悲鳴をあげてどこかへ飛んでいき。

 次に樹の向こうから出迎えたのは、ぎょろりと動く黄色の大目玉に2つの角という、仮面のような形相。

 顔が緑色なことからまるで蛙のようにも見えるが、その後ろには羽毛に翼、1対の脚と鳥のような特徴を有している。

 

「ルルル……」

 

 一瞬にして、導蟲は警戒して赤く光りそれぞれの虫篭へと戻る。

 奇妙な鳥が口を開けると、紫色の舌が長く、太く伸びた。

 突然のことに地面に伏せていたうさぎ以外の少女たちは武器を抜きかけた。

 

 しかし、彼はそれ以上何もしてこない。

 そのまま舌を引っ込めた。どうやら、威嚇以上の意味はなかったらしい。

 次にその怪鳥は向こうへ注意を向け、木陰で何かがピクリと動いたかと思うと──

 

「ンゲァアアアアアアッッッッ」

 

 再び毒をそこめがけて吐きかける。

 すると、突如砂っぽい色の生き物が飛び出した。

 

「ンェエエエェェェェッッッッッッ!!」

 

 鳥類が、顔だけはそのままで脚を太くして羽根の部分を腕にしたような姿である。

 水色の丸い瞳をかっ開いたままでどこかとぼけた顔ながら、黒い嘴からさえずる悲鳴はかなり真に迫っていた。

 

「なになになになに!? 何が起こってんの!?」

「クルルヤック……! プケプケは奴を探していたのか!」

 

 うさぎは地から立ち上がろうとしているところで、未だ状況がよく掴めていない。

 リーダーが呟く間に、プケプケは向こうへと突進していく。

 頭、そして腕の鉤爪付近から生える橙色の羽根を揺らし、クルルヤックはそれから必死に逃げ惑う。

 遂に隅に追い詰められると、クルルヤックは弱り切ったように鳴いて後退りした。

 

 しかし──足元にたまたまあった石を見つけると、鉤爪を器用に使って掘り出す。

 それを拾い上げた途端、目の色が変わる。

 

「ンェアアアアッ!!」

 

 高く嘶くとその後ろ脚で跳躍、なんとプケプケの頭に直接石をぶつけにかかった。

 相手が怯んだ隙を突き、黒い嘴で何度もつつきにかかる。

 愛嬌のある顔に似合わず烈しい攻撃だ。

 

「あの温厚なクルルヤックまで……。やはり異常事態だな」

「争うのはいいけど、あたしたちを巻き込まないでよっ!!」

 

 レイがツッコミを入れたところで、噛みつき合っていたクルルヤックとプケプケが素早く離れ、吹っ飛んできた何かから逃げた。

 両者の間で鈍い音が鳴り響き、重い震動と共に樹が大きく揺れた。

 その正体はドスジャグラスだった。仰向けで何とか立ち上がろうと藻掻いている。

 

 少し遅れて、ずしん、ずしん、と大地が揺れる。

 かなりの体躯と重量の持ち主のようだ。

 一転してモンスターたちは争いを中断し、震動の根源に背を向け、悲鳴を上げて散り散りに走り出した。

 どうやら、彼らに関しては勇気ではなく臆病が勝ったらしい。

 調査班リーダーは舌打ちを漏らした。

 

「ここもダメだ! 北にあるキャンプに逃げ込むぞ!」

 

 遂にその正体も見ないまま、うさぎたちは今度は北に向かって走り出した。

 

──

 

 一行は樹に囲まれた細道の脇にある長いツタを登り、何とか崖の上にあるキャンプに辿り着いた。

 黄色いテントの前に来ると、美奈子は仰向けに転がった。

 

「もー、新大陸ってモンスターのパラダイスね!」

 

 彼女以外も疲労困憊といった様子で、膝をついて息を整えたり水を飲んだりしている。

 調査班リーダーも額の汗を拭い、その場にどかりと腰を下ろしてあぐらをかいた。

 

「これまでは最大3頭ほどまでしか同時に姿を見せなかったんだが……やはり古龍の影響か」

 

 雷狼竜の腰防具が緩んでないか確かめていたまことは、眉を上げてリーダーの方を見た。

 

「古龍? それとこの現象に関係があるんですか?」

「あぁ、大有りだ」

 

 彼は即答する。

 

「古龍の自然災害にも匹敵する強大な力を、その他の生物は敏感に察知する。逃げる者が大半、おこぼれに預かろうとする者が少し」

「……てことは、この近くに」

「ああ、古龍が来たんだ」

 

 返答を受けたレイは、ごくりとつばを飲んでメンバーたちと顔を見合わせる。

 うさぎを除いた4人の少女たち──内部太陽系戦士は、まだその目で古龍を見たわけではない。どうやら、彼女らが古龍と相見えるのもそう遠い話ではなさそうだ。

 

 一方、調査班リーダーはそれからしばし黙考したのち、膝に拳を打ってうさぎたちに深く頭を下げた。

 

「──今回は君たちに対し、本当に申し訳ないことをした。新大陸古龍調査団を代表して謝罪する」

「え、な、何がですか!?」

 

 別のことを気にしていたところにいきなり謝られて、誰も彼もが目を真ん丸にした。思わずうさぎが声を上げる。

 地面を見つめる調査班リーダーは、やりきれない顔をしていた。

 

「この御時世、ギルドも資金難でベテランも集まりにくいからと『量より質』を言い訳に採用人数を絞り……更には焦ってその分を埋めようとハンターの多くを奥地に送り……完全にすべて、こちらの判断ミスだった」

 

 追加調査員が異様に少なかった、どころかうさぎたちだけだった理由が初めてはっきりする。

 ギルドの資金難は、確実に妖魔事変への対処が大きな原因であろう。その影響が海を越え、意外な形で波紋を残していたのだった。

 

「結果、君たちたった5人にこうやって莫大な負担をかけてしまっている。本来なら、君たちだってもっと怒っていい状況だ」

「えぇっ、そんなの。こんな事態、誰だって予想できませんよ! みんなもそう思うわよね?」

 

 美奈子が驚いて確認すると、あとの4人は顔を見合わせ何度も頷く。

 世界規模の災いが迫っているという裏事情はあるにせよ、大事な協力者である調査団をこの不幸な事故で責めることはできない。

 それと単純に、真面目な人が落ち込んで頭を下げているのは良心が痛む光景だ。

 

「どうか頭を上げて下さい。相手は大自然ですし、誰かに責任を追及するなんて間違ってます」

「いいや。どんな状況でも最悪を想定し、団員に危険が及ばないようにするのが俺の務めだ。どうも、じいちゃんのようにはいかない」

 

 レイが宥めても、男は頑なに頭を上げようとしなかった。

 野生児的な見た目とは裏腹に繊細で、責任感の強い男のようだ。

 

「じいちゃん……?」

 

 少女たちは驚いたように固まっている。

 しかしそれは、この若者の意外なまでの頑固さそのものに対しての反応ではなかった。

 咄嗟に、彼女たちは疲労も忘れて一つのところに寄り集まる。

 

「ね……ねーねー、『じいちゃん』だってあの人っ!! ちょっとかわいすぎない!?」

「正直、ジュリアスさんといい勝負に来てるわ」

「あたしのセンパイも確かおじいちゃんっ子だったんだよな〜」

「あの見た目でってのがツボ突いてくるわよね~、うへへへ」

 

 怒るどころかむふふ顔で何やら囁きあう彼女たちに、男の顔はぽかんとしている。

 

「……まるでケダモノ」

 

 亜美の冷たい視線の入った横槍に、イケメン品評会を開いていた少女たちはギクリとした。

 

「ほ、ほら、亜美ちゃんってアインシュタイン系がタイプだからさー」

「そ、そうだよねー、あの人の良さはちょっと分かりにくいかも」

 

 美奈子とまことの会話も聞き流し。

 青い髪を持つ少女は、取り敢えず余計なことを言う輩の前に出る。

 

「どうかしたのか? 何か要求があるのなら……」

「大丈夫です。本当にこちらはそんなこと全然気にしてませんから。()()()()()()

 

 仲間たちを微笑で後ろ見て語尾をやたら強調した亜美に、調査班リーダーは疑問の色を浮かべつつも。

 

「……寛大な心に感謝する」

「ずっと後悔を引きずるより、これから何をするかの方が大切だと思います。次はどうしますか?」

「そうだな、ひとまずここから出たら北部に行こう。導蟲もそちらを指し示している」

 

 さすが調査団を引っ張るリーダーというべきか、切り替えは早い方だった。

 

──

 

 キャンプから出て北上する。

 古代樹の無数の枝が作るトンネルを抜けると、初めて陽の差すエリアに出た。

 しかし。

 

「……枯れてる?」

 

 一番驚いたのは調査班リーダーだ。

 本来緑が広がっていたであろうそこにあるのは、枯木と地面ばかりだった。空気も、森にしては乾燥している。

 亜美は、これ以上の北上を遮る、高い崖を見上げた。

 

「いったい、何が起こってるっていうの?」

「……あの人がこの崖を登ったということはまずないだろうな」

 

 リーダーが呟くと、導蟲もそれを証明するように今までで北に案内してきた道を南西へと折り返す。

 次に向かったのは、ぽっかりと大きく口を開いた横穴。

 その先は、どうやら先まで見上げていた古代樹の内部に続いているようだ。

 

「水が干上がっているな……」

 

 穴を覗くと、一見太い根か支柱となって天井からツタが垂れ下がる、何の変哲もないトンネルに見える。

 しかしリーダーによると、かつてここには沼があったらしい。それが、たった数日で干上がったというのだ。

 明らかに、何かがおかしい。

 

「まさか古龍か? だが、それならこの森からも生物はいなくなっているはず」

 

 男は呟きつつ、穴の向こうを覗き込む。

 奥は暗くて見えない。

 リーダーは振り向き、少女たちに宣言した。

 

「……とにかく、行ってみよう」

 

 彼女たちは頷いて、男と共に導蟲の後に付いていく。

 

 

 洞窟に巻き付く数多の枯れ枝のなかでたった1つ、緑色の枝が身動ぎしたのにも気づかずに。

 

 




古代樹の奥に潜む者は、如何に。


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旅人導く古代の樹③(☽)

 古代樹内部はこれまでのエリアの中でも一層薄暗く、たった一つ、斜め上にある細めの穴からのみ陽の光が差し込んでいる。

 一見、いまいる場所は大木の内部が腐ることでできる、いわゆる『うろ』の中だ。

 しかしよく目を凝らせば壁の一つ一つが枝で構成されており、今も生きていることが分かる。

 つまり古代樹とはたった1本の大樹ではなく、幾つもの植物が寄り集まったものだったのだ。

 

「……すごいな、こりゃ」

 

 まことは、顔を上げて周りを見渡す。

 清流が高所から数本なだれ落ち轟音を立てている。それが集った巨大な水溜りが更に一つの川の源流を成していた。空気に湿り気を感じるのはそのためであろう。

 頭上では苔むした枝がうねるようにいくつも絡み合って、そこからツル植物がカーテンの如く垂れ下がっている。 

 その一部には、人の頭くらいの大きさはある、黒く丸っこい甲虫がものも言わず逆さにぶら下がっていた。

 それが気まぐれに翅を広げるたび、金色の腹が蛍のように光った。

 更にはどういう拍子でそうなったのか、空間中央辺りの空中には巨石が枝やツタに支えられ、ぶら下がっている。

 

「お〜い! そこの君たち〜!」

 

 風景に見とれているところに声をかけられ、うさぎたちはぴくりと瞬きして声のした前方の奥へと顔を動かした。

 緑が保護色になって分かりにくかったが、よく見ればそう遠くないところに、全身を枝らしきものに絡まれて声を張り上げる男がいた。

 尖った耳に丸眼鏡をかけ、学者らしいゆったりとした衣を着ている。

 

「ああっ!!」

「やはりいたか……!」

 

 調査班リーダーの反応からして、あの男が捜索していた植生研究所の所長であることは間違いない。

 うさぎたちは、すぐさま彼の下へ向かおうと地面を蹴る。

 

「安心して下さい、いま助けますから!」

 

 だが、所長は歓ぶかと思いきや下を見て、即座の返事を躊躇った。

 

「あーいや、今はちょっと……止めといた方がいいかも知れないなぁ……」

「え?」

「待て! いったん止まれ!」

 

 調査班リーダーは少女たちを制すると、所長に絡まっている枝を睨む。

 

「よく見てみろ。こんなに大量の水が降り注いでいるのに、やけに足下に水が少ない」

 

 うさぎと美奈子はその指摘に一時きょとんとして、揃って足下を見つめた。

 

「そういえば!」

「言われてみれば、空気も変にカラってしてる!」

 

 直後、所長が捕まっている辺りの地面から大量の枝が伸びた。

 それらは蛇のようにうさぎたちの方へ這いずり、そして空中に急激に伸びて襲い掛かってきた。

 

「みんな、避けろ!」

 

 彼女たちは枝が身体に巻きつく寸前、横っ跳びした。

 あと数歩でも近寄っていたら所長の仲間入りを果たしただろう。

 彼を捕える枝の近くに1本の茎が生え、どんどんせり上がっていく。

 所長もそれにつられて、あっという間に高く持ち上げられた。

 

 地面から出た茎は急に膨らみ、大木ほどの太さになる。そこから大人の背ほどの巨大な葉を茂らせ、天頂には蕾を形成する。

 植物にしては異常な成長速度だ。

 

 赤いそれが花開いたその中には──

 動物のような口と夥しい牙が並んでいた。

 

 明らかにこの世界の生物とは一線を画す姿。

 うさぎたちは、唖然として。

 それを見た直感を口にする前に、またしても無数の枝が襲い掛かってきた。

 再び回避してからもう一度、その姿を睨む。

 

「いったいなんだ!? こんなモンスターは見たことがないぞ!」

 

 調査班リーダーの声は困惑に満ちていた。植物がこんなに俊敏に動き動物と同じような振る舞いをするのは、確かに前代未聞である。

 一方、少女たちは目を丸くして、つぶさに確認するように怪物を観察している。

 隣にいる男とは別の驚愕の仕方だった。

 やがて、まことがその手に持った鎚を構える。

 

「……いろいろ言いたいことはあるけど、議論は後だ。今はあの人を助けるよ!!」

 

 うさぎたちは武器を抜き、周囲を蠢く枝に向けた。

 うさぎと調査班リーダーはそれぞれ大剣『煌剣リオレウス』、『オオアギト』で一刀両断。

 レイは太刀『斬竜ヘルヘイズ』で周囲を撫でるように薙ぎ払い。

 亜美はライトボウガン『あまとぶや軽弩の水珠』で貫通弾を茎に撃ちこみ。

 まことはハンマー『王牙鎚【大雷】』で巨大な雷撃により枝を根から圧砕し。

 美奈子は『バイティングブラスト』で目にも止まらぬ乱れ撃ち。

 

 少女たちがタンジアの港に寄ったついでに集めた素材を継ぎこみ、強化した武器たち。

 以前より切れ味や射撃性能の上がったそれらは、実に気持ちがいいほど枝を駆逐していく。特に捻った動きもない、ある意味ではこれまでの狩りで最も楽な作業だ。

 

 しばらくそうしているうちに行動の癖も掴めてきた。

 花が生えている本体の根を重点的に枝で護り、その上で攻撃を仕掛けてくるのだ。

 

「本体の根が弱点か。そこを切断すれば、活動も止まるかもしれない」

 

 調査班リーダーはそう分析する。

 

「それなら前進あるのみよ!」

 

 美奈子の言葉を契機に、少女たちは二度目の波状攻撃を仕掛ける。

 次は根本めがけて火力を集中させる。

 ひたすらに斬る。撃ちまくる。どうにか根を削げば勝機はあるか。

 しかし──

 

「くそっ、いくら斬っても生えてくるぞ!」

 

 キリがなかった。

 どうも植物の手となる枝は無限に再生するらしく、数秒もすれば斬った枝も元通りの姿で元気よく襲ってくる。

 更に本体を傷つけたとしても、直後に分厚い枝で保護しながら再生させてしまうのだ。

 

 そうしているうちに、怪物は太い枝を横に広く薙ぎ払った。

 少女たちは遠くまで退避する。相手も大地に固着する植物である以上、そう長く枝は伸ばせないこともわかっていた。

 

「このままじゃ埒が明かないわ。どうすれば……」

 

 亜美が唇を噛んだところに、リーダーがやや躊躇いがちに口を開いた。

 

「……一応、あるにはある」

 

 すぐさまうさぎが反応し、嬉々として詰め寄る。

 

「ホントですか!?」

「だがそれにはまず、俺がここから離れなくてはいけない。まさか所長をそのままにはしておけないし……」

「じゃあ、しばらくあたしたちが引き付けます! その間に!」

「──出来ない」

 

 希望に反し、リーダーは俯いて首を振った。

 

「え……な、なんで」

「分かるだろう!? ここに来たばかりの君たちを、俺も知らないモンスター相手に放り出すわけには……」

 

 それを聞いたレイは、一気に目つきを鋭くした。

 

「まさか、まださっきのこと引きずってるんですか? それとも、あたしたちが何もできないか弱い女の子に見えるから?」

「そんな、まさか──」

 

 レイは、背後まで迫った枝を振り向いて斬り払った。

 

「じゃあ信じて下さい! あたしたちだって、この新大陸に来るまでに散々危険な目に遭ってきたんです。調査団だって、それを覚悟出来てる人しかいないはずでしょう!?」

 

 レイだけでなく残りのメンバーも、どうか頼ってくれという目でリーダーを見つめた。

 元の世界では闇の組織に未来人、更には異星人。

 この世界では幾多の強大な竜に虫に獣。

 今になって甲斐甲斐しくされても、彼女たちにとっては余計なお世話というものだった。

 

「……ぶっつけ本番だが、スリンガーの撃ち方は覚えているか?」

 

 沈黙を経て帰ってきた回答に、少女たちは勢い込んで頷く。

 続いてリーダーは、空中のツタにぶら下がっている甲虫を指差した。

 

「いいか。危なくなったらあの『楔虫(くさびむし)』にスリンガーの射線を真っ直ぐ向けろ。そして取っ手を強く長く、引くように握るんだ」

 

 手短に説明した。

 というのも、怪物が枝をそこら中に伸ばし、触れるものすべてを捕まえる作戦に出たからだ。

 

「俺が戻ってきた時、怪我してたら怒るからな!!」

 

 リーダーは叫びながら飛び出し、来た道を戻っていく。

 少女たちは、再び怪物と向かい合った。

 亜美が口を開く。

 

「みんな。今だから言うけど、多分あの怪物……」

「……前に戦ったアレよね」

 

 うさぎが辿ったのは、狩人としてではなくセーラー戦士としての経験。

 これと酷似、いや、まったく同じ怪物を見たことがある。

 前回のデス・バスターズとの戦いで一度相手取った魔法植物──

 

 テルルン。

 

 ウィッチーズ5に所属する魔女、テルルがかつてセーラー戦士たちに仕向けた怪物だ。

 しかもこれは薬を注入して強化され、『ハイパーテルルン』と呼ばれた種。

 

「あれは確か、周りの水分を大量に吸い取る性質を持っていた……。今回の森の異変も、きっとこの植物が原因なのだわ」

「てことは、奴らもこの大陸に来てるってことか」

 

 亜美に続けてまことも推測を重ねると、うさぎは表情を暗くした。

 もはや、新大陸全体がデス・バスターズの魔の手にかかっているのかもしれない。それで被害を被るのは調査団の人々だけでなく、この大陸中に広がる生態系なのだ。

 

「でも、これでここに来たのが間違いじゃなかったって証明できたじゃない」

 

 美奈子はうさぎの肩を叩いて励ますと、そっと歩きながら足下にあった小さく硬い質感の赤い実を拾う。

 狩人の間では俗に『ツブテの実』と呼ばれる代物だった。

 

「確かこれを……こうね!」

 

 近くにあった茂みに隠れつつ、ツブテの実を後方にあるU字型の金具に装填し、挟み込むように固定する。

 次に腕を伸ばして狙いをつけ、手元にある引き金を一瞬だけ軽く押す。

 

 発射。

 ツブテの実が、放物線を描いて落ちる。

 

 テルルンはぴくりと動き、音のした向こうの方へ枝を伸ばしていく。

 どうやら誘導は成功したようだ。枝も無限に生やせるわけではないらしく、段々根本の護りが手薄になっていく。

 

「美奈子ちゃん、コツ掴むの早いわね」

「あたしはオール5じゃなくって……体育に関しちゃオンリー1000000なのよっ!」

 

 思わず亜美も感心するほど、美奈子のスリンガー操作は滑らかだった。

 茶目っ気を入れて笑った彼女は、次々にツブテの実を装填し、巧みに連射する。

 テルルンはどんどん見当違いの方向に枝を伸ばしていく。

 遂に枝で作っていた壁がなくなり、本体の根本ががら空きになった。

 

「なるほど、テルルンは地面の震動で獲物の位置を知るんだわ。だから、所長さんを餌にあたしたちを待ち伏せできたのね」

 

 亜美の考察を受け、レイが太刀を構えながらまことに振り向く。

 

「それなら不意打ちが有効かも。まこちゃん!」

「ああ! 挟み撃ちだね」

 

 彼女たちが先頭となって、こっそりと忍び寄る。

 美奈子たちは、引き続きスリンガーで相手の注意を引く。

 十分に近づいたところで、

 

「……今っ!!」

 

 得物を振り回す。

 火炎と雷撃とが、同時に根本で閃いた。

 植物はよく燃える。

 魔法植物にもその物理法則は覆せなかったようで、それは茎を捩らせ烈しく反抗した。

 

「レイちゃん、まこちゃん、いい調子よ!」

 

 美奈子が歓声をあげる。このままの勢いで茎を寸断するかと思われた。

 しかしテルルンは、レイたちに牙を並んだ花びら、すなわち顔を振り向けた。

 するとそれまで天高く上げていた所長を捕える枝を一気に下げ、次の攻撃を放とうとしていた2人の前に突き出した。

 

「なっ!?」

「うおっ!?」

 

 当然、彼女らは攻撃を中断せざるを得なかった。

 所長も、流石に口をあんぐり開けて叫んだ。

 レイがすみません、と声を上げようとしたところ──

 

「す、すごいなぁ! 僕を盾にするとは、確実に我々が仲間であることを認知している証拠だ!」

 

 とても喜んでいた。

 

「……今、それ言います?」

 

 レイもまことも、この男の空気を読んでいない発言に突っ込まざるを得なかった。

 その隙をついて枝が伸びる。

 瞬時に、2人は全身を雁字搦めにされてしまった。

 

「きゃああっ!」

「わああっ!?」

 

 うさぎたちは「あっ!」と声を上げ、武器を引き抜いてテルルンに向かおうとした。

 しかしそこから、テルルンは動きを変える。

 さっきやったのと同じように、3人の人質を盾にし始めたのだ。

 

「なっ……!?」

 

 これでは一向に手出し出来ない。

 それをいいことに枝が光り輝きオーラを纏うと、所長と少女2人から苦悶の声が漏れる。

 妖魔お得意のエナジー吸収である。

 更に、捕らえられた彼らの背後から次々に枝が襲い掛かる。

 

「くっ……」

 

 仲間と救助者が力を吸い取られ、それを自分たちは助けることすらできない。

 テルルンは吸ったエナジーによりますます勢いを増して枝を伸ばしてくる。

 いま、うさぎたちはいわゆる詰みの状態にあった。

 

「こんなの、どうすれば!」

 

 自分に真っ直ぐ伸ばされた枝を、うさぎは横に転がって回避する。

 亜美、美奈子とも散り散りになってしまい、いよいよ万策尽きたと思われた。

 その時だ。

 たまたま地面に転がっていた丸く大きい実が、枝に掠り当たった拍子に音を立てて弾けた。その威力たるや、かなり太い枝が一瞬揺れるほど。

 調査班リーダーがドスジャグラスとトビカガチを誘導する際に利用した、強烈な衝撃と破裂音を発する実『はじけクルミ』だった。

 

 うさぎはそれを見ると、反射的に散らばったそれらを数個ポーチに放り込み、1個を美奈子の見様見真似でスリンガーへと装填した。

 

「それ以上は、させないわっ!」

 

 はじけクルミがテルルンの口元に着弾する。

 よろめいてエナジー吸収を中断し──

 次はうさぎに振り向き、吼えた。

 

「うわぁ────っ!」

 

 至る所から枝を伸ばし、一気に彼女だけを狙った。

 うさぎは思わず叫びながら、数度に渡ってはじけクルミを枝に発射。確かに一瞬相手は怯むが、余計に彼女を集中して狙ってくる。

 

「何してんのよバカ……ッ!!」

 

 レイは歯ぎしりして小言を漏らす。

 

「うさぎちゃん!」

「こっちを向きなさいよっ!」

 

 亜美と美奈子も武器で枝に攻撃するが、もはやテルルンは他のメンバーに見向きもしない。

 遂にうさぎは隅っこに追い詰められる。

 彼女が必死に上下左右に首を動かしていると、ちょうど頭上に腹を光らせる虫を認めた。

 こんな騒がしい戦場でも一貫して中立を決め込み、ツタに逆さにぶら下がっている。

 名を『楔虫(くさびむし)』。

 

 うさぎは覚悟を決め、スリンガーを真っ直ぐその虫に向けた。

 リーダーに言われた通り、レバーを引き込むように強く握る。

 すると、内蔵されていたロープがスリンガー先端から弾き出された。重力に逆らうかのように一直線の軌道を描く。

 だが、アンカーは当たらなかった。楔虫にすんでのところで当たらず、レバーから手を離すと再び戻ってくる。

 それと確実に迫ってくる枝を見比べて、うさぎは一気に顔を青くした。

 

「お、お願いお願いお願いお願い!!」

 

 もう一度。

 震える手で、スリンガーから一直線上にあの虫が来るように狙う。

 射出。

 今度はしっかりと、アンカーが楔虫の腹と脚の間に引っ掛かった。

 

「やった!」

 

 直後、枝が一瞬脚に絡みついた。

 

「ちょっ……」

 

 さすがに狼狽えるあまりレバーを握る手の力を緩ませると、突然凄まじい勢いで空へ身体が引っ張られた。

 ロープの巻取りが開始されたのだ。

 

「うわああああっ!?」

 

 枝も追いつかない速度で引き上げられる。

 あまりの恐怖にもう一度レバーを握ると、巻き取りは中断した。

 だが次は振り子の要領で、ロープに吊るされたうさぎの身体が弧を描く。

 中空に枝に支えられ浮かぶ、巨石に向かって。

 

「あぁーああぁぁあ────っ!!!!」

 

 勢いがついてますます縮まる距離に、うさぎは絶叫した。

 手に入る力が緩んだ拍子に、ロープのアンカーが楔虫から外れる。

 そのまま、奇跡的に大の字で巨石に張り付く。

 

「ひ、ひぃや────っ!」

 

 うさぎはそのまま、虫のように巨石の上へと這い上がったのだった。

 

「……カッコいいんだか、カッコ悪いんだか……」

 

 驚き呆れるあまり、4人はものも言えなかった。

 

「みんな、待たせたな!」

 

 聞き覚えのある叫びが聞こえた。

 美奈子が真っ先に、顔を輝かせて振り向く。

 

「リーダーさんっ!」

 

 帰ってきた調査班リーダーはやたら汗をかいて息を荒くしていた。彼は、ジャラジャラと音を立てる煌びやかな衣を着ていた。

 

「やたら派手な格好ですけれど、いったい何を……」

 

 亜美は言いかけた途中で、その真実を知った。

 男の背後からどすん、どすん、と地鳴りが聞こえる。

 彼は急いで亜美と美奈子を押し、自身の出てきた穴から横へと遠ざけた。

 

「よろしく頼んだぞ、暴れん坊!!」

 

 穴から鋭い牙の揃った顎が飛び出し、空気にばくりと噛みついた。

 

「まさかモンスターを……」

 

 亜美たちの前に、逞しい後ろ脚を持った生き物が枝を押し退け這い出てくる。

 全体的なシルエットでいえば、うさぎたちの世界から見た『肉食恐竜』そのものの姿だ。

 桃色の表皮を背から尻尾に至るまでを黒毛が外套のように埋め尽くし、窪んだ眼窩の下から獰猛な色を秘めた黄色い瞳が光る。

 

「まさかあいつ、さっき乱入してきた!?」

 

 美奈子に続けて、亜美がハンターノートをめくって確認し、呟く。

 

「蛮顎竜アンジャナフ……!」

 

 無論、その竜は正義感から来てくれた『味方』ではない。

 アンジャナフは足下にいる人間たちに何度も顎を開き、噛みつきにかかった。

 

「化け物増やしてどうすんですかぁ〜っ!」

 

 美奈子が逃げながら半泣きで叫ぶ。が、リーダーの顔には確信があった。

 

「ヤツの蛮勇さは、調査団お墨付きでな!」

 

 それまでうさぎを追っていたテルルンは、誰よりも大きい震動に反応してか一転して蛮顎竜に狙いを変える。

 それはまず枝を瞬時に彼の脚に括り付け、行動を縛ろうと試みた。

 

「グワオオオッ、アオオオッッ!!」

 

 しかし、アンジャナフは棘の生えた尻尾を鞭のように振り回して一蹴する。

 なおも襲い掛かってくる無数の枝。

 あまりのしつこさに、彼は怒れる視線を完全にテルルンへと向けた。

 蛮顎竜が頭を振り回すと、ぶぅぅぅぅぅ、と妙な音と共に火の粉が混じった鼻息が撒き散らされる。

 テルルンの枝は一瞬戸惑ったが、一気にアンジャナフを捕らえにかかる。

 背中を、頸を、尻尾を一気に地上に縛り付けた。

 

「あっ……」

 

 思わず亜美が声を上げる。

 アンジャナフは藻掻くが、更に枝が重ねられることで次第に動きが鈍くなっていく。

 この意外な展開に、リーダーも思わず舌打ちをした。

 

 しばらく宙に浮く巨石の上で震えていたうさぎも、勇気を出して真下を覗き込んだ。

 そして、彼女は何とか今の状況を理解した。

 ちょうど所長たちを人間たちへの盾にしているお陰で、岩を挟んだ真下にいるのはテルルンだけだ。しかも枝をアンジャナフばかりに集中させて、こちらの存在には気づいてすらいない。

 見上げれば、石をぶら下げる天然の枝は、うさぎの体重が加わることで限界に達していた。

 ──まだ、スリンガー用ポーチにはじけクルミが1つだけ残っている。

 

「……よし!」

 

 決意を固め、うさぎはスリンガーに最後のはじけクルミを装着する。

 狙うは頭上にある今にも千切れそうな枯れ枝。

 

 彼女は引き金を軽く握った。

 その衝撃は弓に伝わり、弦を弾いて弾を撃ち出す。

 枝に当たったクルミは破裂、拡散。

 すると、読み通り枝がパキパキと音を立てて折れ始めた。

 うさぎは近くにある楔虫にロープを撃ち込み、次は余裕を持って飛び降りる。

 

 数秒後。

 地上にいる面々の前で、砂と共に岩が崩れ落ちた。

 それは、天頂にある花に直撃。

 

「──!?」

 

 本体が怯んだことで、レイ、まことと所長を縛っていた枝も緩やかになった。

 彼らはその隙に急いで抜け出し、調査班リーダーたちの下へ駆け戻った。

 それとほぼ時を同じくして、うさぎもロープにぶら下がりながら地上に舞い戻ってきた。彼女も、亜美と美奈子が迎え入れる。

 

「うさぎちゃん、やったわね!」

「ほら、早くこっちへ!」

 

 少女たちは、横穴近くに留まって様子を観察した。

 拘束が緩んだのは別の方でも同じだった。アンジャナフを絞め上げていた枝が、膨れ、爆ぜる。

 それを成し遂げたのは、丸太のように太い尻尾だった。

 枝を振り払ったアンジャナフは喉を紅く光らせる。

 鼻腔の上部が蓋のように開き、火の粉を含んだ息とトサカのような器官が飛び出した。更に、背中にも毛に隠れて見えなかった『翼』のような器官が拡げられる。

 

「バオオオオオオオオッッ!!!! ァオオオオオオオオッッ!!!!」

 

 鼻から飛び出した器官は妙に湿気た質感で、穴が縦に並ぶ様は中々に生々しい。

 あくまで動物然としていた顔が突然別物になった衝撃に、うさぎは思わずたじろいだ。

 

「い、一気に派手になったわね」

 

 アンジャナフはテルルンに容赦なく噛みつく。

 口元で炎が舞った。

 枝が炙られると、天頂の花びらがぱくぱくして涎を撒き散らす。

 声を持たない魔法植物でも、その炎熱に苦しんでいることはありありと分かった。

 

「なるほど。リーダーさんは最初からこれを狙ってたんだね」

 

 まことは、畏れの入った表情で煙をあげる魔法植物を見上げる。

 もはや、蛮顎竜の強襲は誰にも止められない。

 彼は強靭な後ろ脚をもって空中に跳び上がり、テルルンの花弁のすぐ近く──動物でいえば首に当たる部分に噛みつく。

 そのまま自身の体重で茎を引き倒し、噛んでいた部分を踏みつける。

 そして、牙の並ぶ花びらに向けて口を開き。

 

「バオオアアアアアアッ!!」

 

 巨大な火炎放射を噴きつけた。

 テルルンは頭から一気に火が拡がり萎びていく。

 全身が焼け枯れ、散々暴れていた枝も次第に動かなくなっていく。

 それでもアンジャナフの怒りは収まらず、何度も相手に噛みついては炙りまくる。根っこをも引きずり出し、隅々まで燃やし尽くす気だ。

 

 それを見届けたうさぎたちは森の暴れん坊に睨まれないうちに、こっそりと古代樹内部から抜け出したのだった。

 

──

 

「いやはや、全く恩に着るよお嬢さん方。少しでも遅かったらミイラになってたところだ!」

 

 古代樹を背にして穏やかになった草食竜の間を通り抜けていく。

 植生研究所所長は、捕まっていた時と何ら変わらぬ陽気さでうさぎたちに感謝した。

 真反対に、調査班リーダーの表情は厳しかった。

 

「今回から学者先生たち全員、会議での賛同を経ないフィールドワークは禁止だ。これ以上、彼女たちの負担を増やさないように」

「ごめんごめん、もう分かったって。今から探す助手にもきちんと言っとくからさぁ」

 

 所長の返答の仕方は心配になるくらいに軽かった。

 

「いやぁ。でもまさか、あの時と似たことがまた起こるなんてなぁ」

 

 その発言にある違和感に、ふとうさぎは丸眼鏡の男へと視線を巡らせた。

 

「あの時?」

「や、前にもこういうことがあったんだよ。ああいうおかしな植物の遊び相手になった経験がさ」

「……」

 

 不可解な発言である。

 これまで、テルルンのように動く植物がこの世界に生息するなどという情報は聞いたことがない。

 亜美が戸惑いつつも嘆息して口火を切る。

 

「す、すごいです。まさかあんな新種の植物がいるなんて、この大陸の生態系はつくづく……」

「いや。異世界から来たヤツだよ」

「え?」

 

 思わずうさぎたち5人の足が止まる。

 それに調査班リーダーも気づいて、彼女たちの方を向く。

 

「そういえば説明していなかったか。我々調査団は、以前に異世界と接触したことがあるんだ」

 

 所長も、それに合わせて振り向く。

 

「変な混乱を招かないようギルドも目立って公表しないが、何度か『魔法の世界』からお客さんが来たことがあってね。その時は新大陸内部で事が収まったが、現大陸じゃ『魔女』なんて奴らが暴れたらしいし、今回はどうなんだろうね」

 

 所長はまるで他人事のように、芝居がかった動きで肩を竦めた。

 一方、少女たちはいきなり浴びせられた情報に頭がついていけていない。

 あまりの急展開だった。

 本当にさっきまで予想だにしていなかったのだ。

 

 まさか、この世界が前にも異世界と繋がったことがあるなどと。

 かつてうさぎたち以外にも、異世界からの旅人がいたなどと。

 

「それがこんなに影響を及ぼしているとなると……まさに誰かさんの思し召しってやつかもしれないな」

「なんだ、それは。いわゆる『神様』ってヤツか?」

「そう言う人もいるだろうね。僕、竜人族だからあんまり信じたことないけどさ」

 

 調査班リーダーと所長がそんな問答をしていると、遠くの森の中から1人の女性が駆けて来た。

 

「所長ー! 探しましたよー!!」

 

 その声で、うさぎたちはやっと我に帰る。

 白衣姿に眼鏡をかけ、明るい緑色にお団子を4つ編んで残りを少し垂らした優雅な髪が特徴的だった。

 あまりに衝撃的な事実を知ったせいか、うさぎたちはすぐに目の前の人物に対して反応出来ずにいた。

 

「ああ、君ぃ! ヒドいなぁ、いつの間にかいなくなっちゃってさぁ~」

「申し訳ございません、あまりに珍しい環境生物がいたものですから……」

 

 所長が現れた女性を指差しながら駆け寄ると、彼女はあくせくと何度も頭を下げた。

 

「あ……貴女が所長の新人の助手さんね。名前は?」

 

 気を取り直してレイが聞くと、女性は振り向いて丁重に深く辞儀をした。

 

「ルルと申します。何卒お見知り置きを」

「……まぁ、とにかく助手も無事で戻ってきたのは助かった。それならアステラに帰還して報告しよう」

 

 調査班リーダーが安心した顔で告げると、アステラがある東に向かって歩を進めた。

 

「……チッ」

 

 一瞬ルルの顔が険しくなって舌打ちをしたが、うさぎたちはそんなことに気づく余裕すらなかった。




テルルンはセーラームーンSに出てきた敵キャラで、『Witcher3』とのコラボモンスターであるレーシェンを意識しています。
原作では獲物を捕らえると自爆したりしてましたが、今回は色々と改造されております。

一応2編でも述べましたが、念のため。
この作品ではMHWでのコラボイベント自体は起こっているという解釈で話を進めております。しかし、他のコラボキャラやコラボモンスターなどは出る予定は一切ございません。


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都邑の暮を呑む霞①(☆)

うさぎたちが新大陸に向かった一方、外部太陽系戦士たちとタキシード仮面、そしてセーラーちびムーンは自分たちの故郷である東京へと帰って来たのだった。

※本筋とは関係ありませんが、あとがきに非ログインユーザーの方に向けてお知らせ的なものがあります。


 白い霧の中をセーラー戦士たちは歩いていた。

 タキシード仮面はちびムーンをマントの中に抱えて護り、その周りをウラヌス、ネプチューン、プルート、サターンが十字を描くように取り囲む。

 

「いよいよ、あたしたちの故郷に帰って来るのね」

 

 いやに涼しい風が吹いている。

 遥か未来の王国の姫であるちびムーンは、なにも見えない先の景色を見つめて呟いた。

 タキシード仮面は、右を歩いているセーラープルートに視線を寄越す。

 

「プルート。両者の世界で時空の歪みがあると前に聞いたが、東京ではどれくらい経っているんだ」

「あなた方が向こうの世界に消えてから1ヶ月ほどです。こちらのおよそ50分があちらの1日ですから、あなた方は少なくとも2年以上あちらに居た計算になります」

「2年……」

 

 すらすらと出てきた答えに対し、タキシード仮面……本名を衛という男は、思わずその年月を口にして呟いた。

 あちらの世界の狩人は『繫殖期』『温暖期』『寒冷期』という季節の数え方をするので、1年の期間について厳密なところは判然としない。

 だがプルートの言葉を真実とすれば、やはりかなりの年月をあちらで過ごしたと思われる。

 その割に誰の身体にも目立った成長や老化が見られないのは、あちらとは違う時間を生きる人だからか。

 

「我々のことを忘れられるほど経っていないのは幸いだったな」

「よかったー。クラスであたしだけ上級生になってたらどうしようかと……」

「しかし、遅れた分の勉強は頑張らなければな」

「うげー」

 

 胸を撫で下ろしかけたちびムーンにタキシード仮面が釘を刺すと、彼女は一気に苦い顔をする。

 直後、それまで土に埋もれていたブーツがコツンと音を立てる。

 彼が足下に目線を遣ると、地面が灰色の硬質な質感に変わっていた。

 コンクリートだ。

 

「……帰ってきたか!」

 

 タキシード仮面の胸中にいるちびムーンの顔が華やぐ。

 彼女は彼の腕から跳び下りて、先を走った。

 

「東京よ!」

 

 嬉々として呼びかけながら行く少女。

 その背中を見て、タキシード仮面は目元を緩めた。

 

「2年ぶりの故郷だものね」

 

 紫色の戦闘服を着て黒髪のおかっぱに紫の瞳を持つ戦士、セーラーサターンも、口の端を僅かながら上げて呟いた。

 そこには彼女の親友『土萠ほたる』としての表情があった。

 一方、ウラヌスとネプチューンは思わしげな顔で隣り合っていた。

 

「……ここで彼らが思い直してくれたらいいんだが」

「あの2人が、そんな素直な人たちに見える?」

 

 ネプチューンの問いに、ウラヌスはため息交じりに視線を逸らす。

 

「とにかく、いまは急ぎましょう。我々はこの先で見た真実を元に決断をするのみです」

 

 天王星と海王星に護られる2人は、じろりと冥王星を守護に持つプルートの背を見つめ、それから無言で追いかけていった。

 

 ちびムーン──本当の名をちびうさという少女はひた走る。

 長い間、待ちに待った故郷。

 それがすぐそこに迫っていた。

 かなり遠くだが、天に向かって細く尖ったモノが見えてくる。

 

「東京タワーだ!」

 

 ますます足を早める。

 妖しい気配も感じない。

 守護戦士も追いつかないくらいの勢いで、彼女の身体が空気を切り裂く。

 霧は急速に晴れた。

 

 故郷である世界有数の大都市、東京。

 地平線まで伸びる高層ビル群。

 その中に屹立する赤と白の鉄塔。

 陽光を反射して光るそれらは、以前となんら変わらぬ姿を保っていた。

 しばらく、少女は目を細めて感傷に浸る。

 

「ほんとに……帰ってきたんだ」

 

 それから歩んでいく。

 懐かしい都会の匂いに思い馳せながら、通りを行く。

 人は見当たらない。

 十字路を通っても、通りに出ても──

 

「……あれ?」

 

 ちびムーンの顔に戸惑いが積み重なっていく。

 歓喜に満ちた走りは、迷子の足取りへと変わった。

 その違和感の正体は──

 

 無音だ。

 

 電車の音も、ヘリの音さえも聞こえない。

 真っ昼間なのに、人影も見る限り一つもない。

 タキシード仮面も見るからに憔悴した。

 

「……まさか」

「プリンス。貴方の思う通りです」

 

 プルートは暗い顔ながら頷く。

 ちびムーンはしばらく立ち止まって俯いていたが、やがて顔を上げて走り出した。

 

「そんなわけっ……!」

「ちびムーン!」

 

 タキシード仮面が後を追い、更にその後を戦士たちが追う。

 とにかく見える道を行った。

 体感時間にして2年経っても、鮮明に風景は覚えている。

 本来なら一つ一つが喜ばしい景色のはずなのに、ずっと欲していた景色のはずなのに──

 

 そこにあるべき人間は、誰1人としていない。

 

 住宅街が並ぶ大通りに出ると、そこにも惨状が広がっていた。

 時間が停まったように静まり返っていた。

 街路樹や植樹は手入れされず伸び放題になっている。

 とある不動産の巨大看板に止まる小鳥たちは、眼下を通るセーラー戦士たちに時折首を傾げつつ楽しげにさえずっていた。

 信号機は定期的に青へ赤へと変わり、本来の機能を虚しく果たすのみ。

 車は路上に放置され、ただの鉄クズと化している。

 株価の暴落を報せる新聞が、風化した姿で風に吹かれ飛んでゆく。

 斜め上より強めに差し込む日は、時刻が朝から昼に差し掛かったことを示している。

 

「……どこにもいない」

「多くの人が怪物たちを怖れ、街から逃げたのよ」

 

 やっと立ち止まり掠れた声で呟くちびムーンに、ネプチューンが答えた。

 一方、タキシード仮面が看板の間を飛び交う小鳥を目で追いかけると、あるものが目に入った。

 

「あ、あれは……」

 

 ちょうどちびムーンも同じ状況だった。

 そこには、硝子張りの宝石店が確かにビルの形で残っていた。

 しかしそこにも人の気配はなく、窓ガラスは隅々まで割られている有様だ。

 

「なるちゃん()の、宝石店だ」

 

 そう呟くちびムーンの顔は泣きそうになっていた。

 

「……悲惨ね」

 

 ネプチューンを筆頭に、ウラヌスたちも顔をしかめている。

 彼女たちは戦士であると同時に、東京で生まれ育った人間だ。

 この麻布十番は日常の象徴であったと言っていい。

 それが今は空虚な建物が並ぶばかりの風景となってしまった。

 

 ちょうど彼女たちの行く道に、胸ほどの高さまで伸びる植物があった。青い実が束のように実っている。

 ウラヌスはそれを目にとめると腰を屈め、手にとって睨むように観察した。

 すぐその端正な顔に無念が滲む。

 

「……くそっ、ウチケシの実か」

 

 彼女はそう吐き捨ててその実を握り潰したのち、その手を力無く垂らした。

 ネプチューンとプルートは、周りに生える雑草をもう一度よく見回した。

 どの草本も路端に生えるにしては異様に大きく、力強い。

 

「ここにあるのは全部、あちらの世界から来た植物よ。妖気も感じない……単純な生命力の強さでこちらの世界の生物を駆逐しているのだわ」

「まさか、ここまで成長が早いとはな」

 

 ウラヌスは、立ち上がるとちびムーンとタキシード仮面を見つめた。

 

「プリンスと未来のプリンセスに改めて聞かせてもらう。これを見てもあなた方は、無謀な賭けを続けるつもりか?」

 

 2人は答えなかった。

 ちびムーンは──やがて、辛そうな顔ながらも頑なに首を振った。

 

「ここで諦めたら、見つかるものも見つからないわ!」

 

 タキシード仮面は彼女よりも長く考えていたが、間もなくちびムーンに頷いてみせた。

 

「……私も賛成だ。この地の守護者としても、こんな状態の街を目の前に放っておくわけにはいかない」

「タキシード仮面様、あっちはまだ道が開けてるわ! 向こうならまだ人が残ってるかも!」

「ああ、向かうぞ」

 

 自らの胸中に迫る悲しみを振り払うようにして。

 ちびムーンとタキシード仮面はウラヌスの横を抜け、門のような樹の隙間へと向かう。

 

「プリンスもスモールレディも、よほどの覚悟をお持ちですね」

 

 プルートも白い杖を持ち直し、後を付いていこうとする。そこにウラヌスは、鋭く目を細め呟いた。

 

「……プルート。いま、君は何を考えている?」

 

 行こうとしていた彼女は黙ったまま振り向く。

 

「ついこの前あちらの世界を滅ぼそうと言い出しておいて、次は素性もわからないヤツを追うなどという賭けに応じる。まさか、今更良心が痛んだわけじゃないよな?」

「……ただ私は、今のプリンセスの心に安易に頼りたくないだけです」

 

 プルートは僅かに目を伏せ、そう短く言い残しただけだった。

 再び護衛しにいった彼女を、ウラヌスは険しく見つめる。

 一連のやり取りを見ていたネプチューンは憂うようにため息をついた。

 

「同じ外部太陽系戦士までも疑わなくてはいけないなんて、世も末ね」

「そこまで不安がってはいないさ。たとえこの世界がどんな最期を迎えようと、必ず審判を下す存在がいるからな」

 

 ウラヌスはネプチューンの後ろにいる黒髪の少女に目を向けた。

 

「君は、使命を果たす覚悟は出来てるか。セーラーサターン」

「……えぇ」

 

 彼女は背丈を超える丈の二又の鎌を携え振り向いた。

 

「我らが王国の未来に仇なす敵は、すべて消去するのみ」

 

 土星を守護星に持つセーラー戦士。

 今や少女の面影もない冷たい黒い瞳の彼女が司るのは、破滅と沈黙の力。

 彼女が完全に覚醒しその鎌を振り下ろしたとき。

 

 

 

 星の命は終わるとされる。

 

 

 

──

 

 もぬけの殻となった住宅街の間を戦士たちは行く。

 声の持ち主と聖杯に対する何の手がかりも掴めず、せめて人はいないかと彷徨うしかない。

 背後からセーラー戦士たちの視線が突き刺さる。

 虚無の時間を過ごすしかないタキシード仮面の視線は、いつの間にか下がりかけていた。

 

「タキシード仮面様、諦めないで」

 

 勇気づけるように、ちびムーンが呼びかける。

 それに男は顔を上げる。

 自分より遥かに小さい少女の健気さに、彼は微笑んで頷いた。

 

「そうだな。彼女の決意を無駄にはするまい」

 

 ふと彼の視界に、細長いものが入る。

 歩道の端に設置されたバス停の看板で、『仙台坂上』と書かれている。

 

「仙台坂上……懐かしいな。全く気づかなかった」

 

 ようやく感じ取れた故郷の匂いに、タキシード仮面は感傷に浸るように目を細めた。

 そこに、陰が差す。

 

「曇りか。さっきまでは快晴だったんだが」

 

 何となしに呟いたのだが、ことはそれだけに止まらない。

 雲だけでなく、霧までもが這い出してきたのだ。気温もぐんぐん下がっていく。

 それはたちまち周囲を覆い尽くし、街を白で埋め尽くしていく。

 戦士たちの誰もが、異常事態と捉えるまで時間はかからなかった。

 

「デス・バスターズの仕向けた妖魔の仕業か?」

「いえ、妖しい気配は一つもないわ」

「となると……いったい」

「とにかく、この先は気をつけて進みましょう」

 

 セーラー戦士たちは臨戦態勢に入る。

 セーラーサターンは、沈黙の鎌を携えちびムーンの前に駆け寄った。

 

「ちびムーン、私の後ろに」

 

 彼女のもう1つの姿である土萠ほたるは、親友であるちびうさとはほぼ歳が違わない。

 しかし艶のある黒髪に紫色の瞳、そしてもの静かながら使命感の強い性格は、年相応にお転婆で洒落っ気の強いちびうさとはおよそ真逆とも言えた。

 

「う、うん。サターンは怖くないの?」

「いいえ。むしろ貴女にまた会えて、とても嬉しいわ」

 

 サターンはそう語って優しく口角を上げた。それまで心細そうにしていたちびムーンも、救われたように頬を緩めてその手を握る。

 

「うん、あたしも! これからはずっと一緒にいれるんだよね!」

「ええ。貴女とプリンスを狙う者がいれば、誰だろうと決して容赦しない」

「へ?」

 

 あまりに意思の強い色を秘めた瞳。

 およそ子どもらしくない覚悟からは、機械のような冷酷さすら漂う。

 

「たとえこの身を灰に変えたとしても、私は守護戦士としての使命に……」

「そ、そこまでしなくていいわよ!!」

 

 ちびムーンは、慌ててわたわたと手を振る。

 その直後のことだ。

 彼女の背後に、1つ、人影が霧の向こうに現れる。

 

「何者!」

 

 戦士たちは即座に反応した。

 サターンはその手に持った身丈より長く、二又に分かれ銀色に光る刃を持つ戦鎌──サイレンス・グレイヴを構え突き出した。

 続いて、ウラヌスは宝剣スペース・ソードを。

 ネプチューンは手鏡ディープ・アクア・ミラーを。

 プルートは宝杖ガーネット・オーブを。

 注意深く、しかし鋭さを忍ばせて未知の存在に向けた。

 しかし。

 

「ひぇっ!?」

 

 その存在は、すぐに両手を上げ降参の意を示した。

 敵意は全く感じられない。

 

「……あ、あなたたちは!」

 

 聞き覚えのある少女の声だった。

 

「なるちゃん!」

 

 ちびムーンは目を丸くして、それだけで救われたように駆け寄った。

 それを見て、戦士たちも即座に構えを解く。

 

「すまない、一般人の子だったか」

「い、いえ。そんなことより、貴女たちセーラー戦士ですよね!? またここに戻ってきてくれたんですね!!」

 

 ウラヌスが詫びるのも構わず歓ぶ少女は、茶色がかったウェーブヘアーに緑のリボンと華やかなヘアスタイルをしている。

 服装は白いタートルネックに淡いピンクのルーズパンツ。シンプルではあるが、肩からかけられた革のカバンが裕福な家庭環境を伺わせる。

 この世界の住人にしてうさぎの大親友、大阪なるだ。

 

「セーラーちびムーン、タキシード仮面様、前の『鳥』の時は……」

 

 なるが頭を下げようとしたが、タキシード仮面は手を振った。

 随分前のことだが、彼女の宝石店は毒怪鳥ゲリョスの襲撃を受けたことがある。

 その時、ちびムーンとタキシード仮面が共に撃退に携わったのである。

 2人にとっては1年以上前、なるにとってはつい何週間か前の出来事だ。

 

「礼はいらない。して、君はここで何をしている?」

「はい。ママと一緒に商店街へ避難しようとしてたんですけど、ここに来てはぐれちゃって」

「……そっか。家も壊されちゃってたもんね」

 

 ちびムーンは自分事のように同情するが、なるの表情は明るい。

 

「でも、やっと希望が持てました! セーラームーンも今はいないみたいだけど、すぐ来てくれますよね!?」

 

 それは一般人の少女として希望を込めた、何の邪気もない問いだったのだが。

 無言のまま動いたウラヌスたちの視線が、ちびムーンたちとぶつかる。

 主がここにいないことへの非難か、それともまた別の意味かは定かではない。

 

「あぁ。きっとだ」

 

 タキシード仮面はそれでも、なるに堅い眼差しで諭した。

 そこで、ちびムーンも自らの本来の目的に立ち返る。

 

「ねぇ、最近になって変な雷を見なかった? あたしたち、訳あってそれを追ってるの」

「雷? ……あたしは見てないけど、他の人からそんな話は聞いたことあるわ。商店街に行けば分かるかも」

「ホント!? それなら早速……」

 

 幸先が良い。

 ちびムーンは顔を輝かせて土地勘を頼りにしようと振り向いた。

 しかしその時には既に、周囲にかなりの量の霧が立ち込めていた。

 これでは商店街の方向など分かりようがない。

 

「あ、あれ? ここら辺、こんなに霧が出たっけ……」

 

 すると、なるの表情が次第に焦燥に駆られていく。

 

「……もしかしたら、これ」

「どうかしたのか?」

 

 説明を求めたタキシード仮面に、なるは一時言うのを躊躇したが──

 

 

「『魔の6時のバス』って、知ってます?」

 

 

 男は、はっと目を見開いた。

 

「中2の時、仙台坂上のバス停から6時に出るバスが消える事件があったんです。その時はセーラームーンが解決してくれたんですけど」

 

 霧中に辛うじて見える梢が、生暖かい風にざわめいている。

 なるはそれにすら怯えるように視線を逸らし話を続ける。

 

「もしかして、また『神隠し』が」

 

 一方でちびムーンは、なるが思っているのとは違う意味で肩を竦ませた。

 

「……まさか、これ」

 

 何もないところで土煙が舞う。

 それにセーラーサターンがいち早く気づく。

 

「あの世界への」

「ちびムーン!!」

 

 サターンが続きを言いかけたちびムーンの前に飛び出て、鎌を突き出し光らせる。

 

沈黙鎌奇襲(サイレンス・グレイブ・サプライズ)!!』

 

 強力なエナジーが一点に収束し、刃から弾き出される。

 紫色の光球は、戦士たちが気づく前に炸裂した。

 光の奔流が霧を吹き飛ばし、建物、大地すべてを根こそぎ剥ぐ。

 戦士たちも一般人であるなるも、凄まじい閃光と風圧から顔を腕で護る。

 

 勢いが収まった頃には、半径20mの一帯は瓦礫の山と化していた。

 

 セーラーサターンが今しがた放った技は、一定範囲内の万物を完全に消滅させるもの。これすら破滅の力のほんの一部に過ぎない。

 破滅と沈黙の戦士の名に恥じない威力である。

 

「な、なに!?」

「いま、確かに()()()()者がいたわ」

 

 セーラーサターンは、ちびムーンの困惑に答える。まだ構えを解いていない。

 霧が隙間を埋めようと、瞬く間に立ち込める。

 しばらく、風景は沈黙を保ち続けた。

 ウラヌスが剣の切先を霧に向け、同じく武器を再び構えた仲間らと共に鋭く、霧の向こうを見通さんと睨む。

 

「やったか?」

 

 突如、セーラーサターンの手から沈黙の鎌がするりと抜け。

 そして、ひとりでに()()()

 

「……っ!?」

「うそっ……」

 

 人知を超えた現象に、サターンだけでなくちびムーンも目を丸くする。

 サターンは咄嗟に手を伸ばすが、鎌は主人を弄ぶように軌道から自らをずらした。

 

 なるが何度目を擦ってみても、沈黙の鎌は明らかに宙に浮いている。

 まるで意思を持ったように彷徨い、それから。

 急に反転し、柄で持ち主の腹を突き飛ばした。

 

「かはっ……」

「サターン!?」

 

 少女の軽い身体がもんどり打って倒れる。

 

「まさか、幻術!」

「どこかにデス・バスターズの手下が!?」

 

 ウラヌスとプルートは、空を舞う沈黙の鎌に己の武器を向けたが。

 

「いえ、やはり妖しい気配は感じないわ」

 

 ネプチューンは、ディープ・アクア・ミラーを構えて冷静に呟いた。しかし、その額には冷や汗が浮かんでいる。

 

「むしろこれは……強烈な生のエナジーよ」

 

 鎌は独りでにくるくると回ったかと思うと、次は勢いをつけて向こうへと飛んだ。

 遥か遠くの地面に、鋭い刃を立てて突き刺さる。

 

「お……おばけっ……」

 

 なるは、恐慌してその場に屈み込む。

 ちびムーンとタキシード仮面は彼女を背にして護り、さらに彼らを外部太陽系戦士たちが囲む。

 

 確かに、すぐ近くに誰かがいる。

 しかしそれは人にとって幻影に等しい。

 姿もなければ音もない。ただ、深い森の匂いだけが場を満たす。

 

 なるは、半ば錯乱して周囲を見渡した。

 不可視の恐怖に駆られたがゆえの行動だった。

 セーラー戦士たちの間から見える、何もない空間に目を向ける。

 そこから少しだけ、地面に浅い足跡が付くのが見えた。

 彼女が「え」と声を上げた瞬間。

 

 突如、鼻の先に目玉が現れた。

 渦を巻いたような模様の巨大な眼球がぐるりと回る。

 ちょうど近くにいたなるを、中心にある瞳がじっと注視した。

 

「い、い、いやあああああっ!!!!」

 

 なるが絶叫を上げる。

 急ぎ、セーラー戦士たちは戦いの構えをそちらに向ける。

 ほぼ同時、目玉は再び消え去った。

 

 少し離れたところに、それはいよいよ全身を現す。

 笠を被ったような奇妙な頭。

 前面に突き出た硬質な角の後ろに、大きな目玉が左右それぞれ、あちこちを向いてはぎょろついている。

 表面がざらざらした長い舌がぬめりを持って、牙を有する口内から蛇のようにちらつく。

 

「くきゅるるるるるるるる」

 

 甲高く嗤うような鳴き声。

 なるはいよいよ青ざめて腰を抜かした。

 

「わ、わ、ああ……っ」

 

 抜き足、差し足、忍び足。

 ぶよぶよして短い四肢らしきものが前後に揺れながら、一見臆病な風に、しかしどこか悠然と足を運ぶ。

 

 体表は毒々しい紫色の鱗に覆われ。申し訳程度に付いた翼に対し、尻尾は扁平に広く葉っぱの形に広がって、どことなく頭と似た形状になっている。

 その先端や両端にある突起はゼンマイのようにくるりと丸まって、生物というよりは物の怪か妖怪に属する印象を残した。

 

 ヤモリか龍か、何と言うべきか迷わざるを得ないその奇妙な生き物。

 彼はセーラー戦士たちの前で眼球を回しながらぺろりと舌を出して、何の意志も読み取れない顔を傾けた。




というわけで今回のゲストは霞龍オオナズチ。
やはり、美少女たちと比べても遜色ないくらい可愛い(洗脳済)
予告していた通り、内部と外部で交互にエピソードが来る形で投稿させて頂きます。

※最近、非ログインユーザーの方からコメントなど頂けて、とても嬉しく感謝しかないです。誠にありがとうございます。
一方で「非ログインユーザーから感想を受け付ける」設定なのに、非ログインユーザーの方が一定数感想をつけるとある時点から書けなくなる…という謎現象が起きていまして。
原因は不明ですが、その場合に感想を書かれる際は
①アカウントを作る②ログインする③Pixivにて連載している当作品にコメントする
などの対策がありますので、もしもの場合はご活用頂ければ。

雑談ですが、モンスター総選挙はブラキディオスに投票しました。フロンティアならベルキュロス(ドラギュロス)、いかれ具合部門ならUNKNOWNが好き。


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都邑の暮を呑む霞②(☆)

第1章で出て来たある村が再登場。
予約投稿直前になっていろいろ手直ししたので、少し投稿が遅れました…。


 霞の中より現れたぎょろ目の怪物。

 それは黙して人間たちを頭上から見下ろしていた。

 扇子のように広がり先端がゼンマイのように巻いた尻尾で、暇を潰すかのように大地を叩いて。

 

「はあっ!!」

 

 タキシード仮面は反射的にステッキを伸ばすが、怪物はすぐに這い下がった。

 ちびムーンはなるを庇い、その彼女を戦士たちが囲って護る。

 

「きゅろろろろんっ」

 

 化物はくるくると目をぎょろつかせつつ、完全に霧の中に溶け込んでいく。

 後に残るのは、ただぼんやりとした陽に照らされ流れゆく霧のみ。

 そしていつの間にか、周囲は住宅街ではなく鬱蒼とした森へと変化していた。

 

「いったいどういう原理だ!?」

 

 タキシード仮面はステッキを構えて叫ぶ。

 

「分かりません。しかし今はとにかく、死角を作らないことを優先しましょう」

 

 プルートは冷静に呼びかける。

 直後、音もなく龍がサターンとプルートの横に現れる。

 それは頸をもたげると、ごぽっと不気味な音と共に紫色の液体を吐いてきた。

 弧を描き落ちる液体。速度はさほど早くない。

 彼女たちが危なげなく回避すると、足下に毒々しい赤紫色の霧が拡がる。

 

「なに、これ……」

 

 サターンが戸惑いがちに呟いた時だった。

 龍は翼を広げると、飛ぶでもなくそれを羽ばたかせた。

 すると、毒霧が風の煽りを受けて寄ってくる。

 

「スモールレディ、プリンス!!」

 

 咄嗟にちびムーンとタキシード仮面を庇ったプルートは、極々少量だが霧を吸い込んでしまった。

 それだけで彼女はむせるように咳き込み、口を押さえながらその場に膝をつく。

 

「プルート!」

「大丈夫です、それよりも……あの毒霧にはくれぐれも用心を!」

 

 セーラーネプチューンはきっ、と怪物を睨んでちびムーンたちの前に出た。

 

「ディープ・サブマージ!!」

 

 彼女は間断なく超水圧球を飛ばす。

 化け物はそれを予見したように横に跳んで避けつつ、またも姿を消す。

 ウラヌスはスペース・ソードを構え、金色に光らせる。

 

「サターン、武器を取れ!」

「ええ!」

 

 彼女はサターンにそう鋭く指示すると次は息を潜め、地面をじっと睨む。

 ネプチューンはディープ・アクア・ミラーを構え、生命エナジーの流れを読み取る。

 

「30°左よ、ウラヌス」

 

 ちょうどそこに、僅かな土煙が立ち昇った。

 

「スペース・ソード・ブラスター!!」

 

 彼女は即座に剣を振り放ち、高周波の斬撃を飛ばした。

 それは、先回りするように消えた怪物へと直撃。

 正確な偏差撃ちだ。

 

「きゅるるるるるるるっ!?」

 

 想定外の衝撃に怪物は驚いて仰け反った。

 

「攻撃は、通る!」

 

 ウラヌスはそう叫んだものの、強烈な高周波の直撃にしては傷がほぼ付いていない。

 怪物は這い下がると、迎撃といわんばかりに口から眼下めがけ、毒霧を噴射。

 紫の霧が渦巻いて、放射状に死の絨毯が敷かれる。

 その範囲の広さにはセーラー戦士たちも散開せざるを得ない。それを分かってか、怪物は余裕を持って再び姿を消した。

 サターンは鎌を地面から引き抜くと、即座にその切っ先を霧中へと向ける。

 

「くっ……」

 

 だが、仲間のいる方向に撃つわけにはいかない。それに、覚醒しきっていない少女の身体では無駄撃ちでエナジーを消費するのも好ましいことではなかった。

 切先を左右に振り向け狙いをつけようとするが、やはり相手は一切見えない。

 薄っすらとだけなら見えるとかそんな域ではない。

 本当に、何も見えないのだ。

 そこにネプチューンが叫ぶ。

 

「サターン、今、エナジーの流れがそっちに行ったわ!!」

 

 すぐ隣の空間がぼやけ、後ろ脚で立った怪物の姿が現れる。

 そこに走るタキシード仮面に抱えられたちびムーンが手を伸ばし、サターンの腕を引いた。

 地面を腹這いに打ち砕く巨躯、そしてヤモリに似た三本の指。

 

「いつの間に背後に……っ」

「このまま戦ってたら貴女もなるちゃんも危ないわ! ここは逃げましょう!」

 

 舌なめずりする怪物を睨みつけていたサターンは、ちびムーンの発言に驚く。

 彼女が提案したことは敵前逃亡にも等しい。

 躊躇を見せたサターンに、ウラヌスが肩に手を添えて走り出す。

 

「こればかりはどうも、おチビちゃんの言う通りだ」

 

 続いて、プルートも。

 

「サターン、貴女は力こそ強力ですが戦い慣れしてません。ここは勇気ある撤退を」

「……分かったわ」

 

 サターンは渋々ながら答えた。

 ネプチューンが注意深く手鏡を向けながら背後に振り向く。

 

「きゅろろろろ、ろろん……」

 

 ぎょろ目の怪物は相変わらず首を傾げ、大きな目を左右ばらばらに回しながら、逃げていく人間たちの後姿を追うことなく見送っていた。

 

──

 

 行けど行けど、鬱蒼とした森ばかりが広がっている。

 どちらを見ても緑ばかりで、方角すらも分からない。

 今はとにかく道なりに、あの霧を吐く怪物から離れることを優先している。

 

「まさか、ここって……」

「恐らくはあちらの世界と繋がる時空の穴だったんだ。ヤツはここの霧に紛れていたんだろう」

 

 ちびムーンの呟きにウラヌスが答える。

 穴を抜けてしばらく歩いてきた今となっては、再び霧は薄くなりつつあった。

 怪物の気配もほとんどしない。

 

「あの生物、これまで狩って来たどのモンスターとも違うわ」

 

 ネプチューンは、確信に満ちた眼差しで言い出した。

 

「あれは、セーラーサターンの攻撃を見て単に恐れをなすのではなく()()した。そして沈黙の鎌が最も脅威であると理解し、真っ先に彼女を無力化したのよ」

 

 サターンが無念に唇を噛み締め、沈黙の鎌を握り締める。

 隣にいるちびムーンは、その顔を心配げに覗く。

 

「凄まじく高い知能に霞を操る環境操作能力……。恐らくあれは『古龍』ね」

「まさか、あそこまで完璧に隠れられるとはな」

 

 ネプチューンの推測に、タキシード仮面は顔をしかめる。

 彼の恋人がかつて相手取った古龍という生き物は、どうも思っていた以上に桁外れの存在らしい。

 やがて、ウラヌスは一旦立ち止まって背後の暗闇に振り向く。

 

「プルート。君らが出発する前、あの仙台坂上に時空の穴は?」

「いえ、恐らくは最近になって新たに出来たものです。発生原因は私にも不明ですが」

「……となると、僕らを導く声の主が関わっている可能性も否定できないな」

 

 それを聞いたプルートは、黙って何か考え込むように視線を逸らした。

 少女、大阪なるはさめざめと顔を蒼くして、己の身を抱いて震えていた。

 

「……やっと怪物がいなくなったから、みんな戻ってきたのに」

 

 ちびムーンははっとして一般人の少女、大阪なるの方に向いた。

 その目尻にはいつの間にか、涙さえ浮かんでいた。

 

「またあいつらが襲って来るの? もう、こんなの懲り懲りよ!」

 

 泣き叫ぶ彼女に、ちびムーンはそっと背中に手を添えた。

 

「……なるちゃん」

 

 セーラー戦士たちも立ち止まり、限界に達してすすり泣く少女を遠巻きながら見つめる。

 それに気づくと少女は自身の涙を指で拭い、努めて口端を上げる。

 

「ごめんなさい。でも、きっと貴女たちがあいつらを全部やっつけてくれるわよね。今までだって、どんな敵が相手でも街の平和を護ってくれてたもの」

「……出来うる限りのことは、するつもりだ」

 

 ちびムーンが何も答えられない代わりに、辛うじて、タキシード仮面が曖昧ながら答えを返した。

 

──

 

 しばらく行くと、やがて向こうに森林の切れ目が見えた。

 月明かりがあるため、夜でもよく遠くが見える。

 そこで、タキシード仮面は周りを見渡した。

 

「……何だろうか、この感覚。まるで、いつか前に来たことがあるような」

 

 ともかく、先を急ぐ。

 遂に森林の出口へ到達し、視界が開けた。

 

 見渡す限りの、山と草原だった。

 

 そこにはビルどころか電柱の一つすらなかった。

 正面に広がる丘の上には藁葺屋根の家屋が見える。

 そのうちの幾つかからは煮炊きでもしているのか、天へと煙が上がっていた。

 

「え!?」

 

 ちびムーンは一瞬で何かを思い出し、先頭へと駆け出した。

 

 

「ココット村っ!」

 

 

 タキシード仮面もその名を聞いて、急いで彼女の横へ並びその景色を望んだ。が、彼以外は未だ釈然としない顔である。

 そこに、ちびムーンは振り返った。

 

「あの村に泊めてもらいましょう!」

 

 「えっ」となるは声を上げ、顔をひきつらせた。

 そうなったのは彼女だけではない。

 

「……なぜ、そんなすぐに信用できるの?」

 

 サターンが警戒ぎみに問うが、ちびムーンは迷いなく頷いた。

 

「あたしたち、前にあそこに居候してたの。村の人たちも親切だから、きっと迎え入れてくれるわ!」

「……確かお団子頭たちが一時、世話になってた村か」

「偶然にしては出来過ぎにも思えるけれど」

 

 ウラヌスとネプチューンはやや躊躇うように視線を巡らしたが、

 

「スモールレディの案を取りましょう」

 

 プルートが進言する。

 

「あちらの世界で過ごせば『災い』へのカウントダウンは遅くなる。作戦を立て直すためにも、利用できるものは利用すべきです」

 

 彼女を観察するようにじろりと見つめたウラヌスは、金色の前髪を掌でくしゃりと曲げ、ため息をついた。

 

「……分かった。だが、長居は避けることを勧めるよ」

 

──

 

 時は既に夜。村には明かりが灯っている。

 ココット村の櫓に立つ門番は、全く変わり映えのない闇夜の景色にうつらうつらとしていた。

 が、間もなく門に近づいてくる人影に、彼は寝ぼけ眼を腕で擦る。

 

「ん?」

 

 男はよく目を凝らした。

 女が多い集団だが、唯一男らしい顔と少女の顔に、それまで左右していた彼の注目が行った。

 

「や、まさか……」

 

 信じられない、とばかりに目を見張る。

 門番は喜々とした表情で振り返り、櫓から村内に向かって身を乗り出した。

 

「おおおおい!! 村長を呼べーーっ!!」

 

 声を張り上げると、しばらくして門が開けられる。

 なるは一番後ろに下がって、見るからに怯えている。

 

「大丈夫なの? あたしたち、生贄にされたりしない?」

「安心して。そんなことする人たちじゃないわ」

 

 ちびムーンはなるの腕を取って、必死に呼び掛けた。

 内にあるゲートを潜ると、既に10人ほどの人が集まって松明を掲げ、こちらを覗き込もうとしていた。

 松明に照らされて互いの顔が分かるようになると、一気に歓声が上がった。

 

「おお、おおおぉぉ……っ!!」

 

 1人、小さい老人が感激して杖をついてくる。

 彼はちびムーン、タキシード仮面の順で握手する。

 

「元気にしとったか、おヌシたち!」

「村長!」

 

 なるの視線はあちこちに錯綜した。

 彼らが駆け寄って握手するのは、人の背の半分以上小さく茶色の衣を羽織った、鳥足に4本指を持つ老人。

 他にも尖がった帽子の男、スカーフを巻いた女性。家から伸びる煙突、水車、幾つもの松明、桜の木に似た大樹。

 いかにも中世の異国風、その中でも田舎らしい景色だ。

 それに加え。

 

「村長はお変わりないようで」

「ほっほほ。竜人族からすれば一瞬の時の流れじゃよ」

 

 両者の口から飛び出す未知の言語に、なるは大いに困惑していた。

 

「な、何を話してるの……?」

「おいおい、久しぶりじゃないか。王子に小さい姫様」

 

 そこにまた、訳の分からない言葉で呼びかけて来た者がいた。

 そちらを見て、なるの肩が浮き上がる。

 背丈より大振りの骨製剣を背負い、金属と毛皮製の鎧を着た、白髪で黄色い瞳の厳つい老武人が立っている。

 ウラヌスとネプチューンはともかく、プルートとサターンは瞳に緊張感を宿らせた。

 

「マハイさん!」

「ライゼクス以来ね! あなたも、あの子も元気にしてた?」

 

 しかし、その威圧感はちびムーンとタキシード仮面を見ると一気に崩れ去った。

 

「あの子というのは、金火竜の赤ん坊のことか」

「うん、うさぎが助けたあの子。まさか捕まえられたりしてない?」

「あいつなら、既に父親の元を離れて巣立ったさ。捕獲されたなんて情報も聞かないし、今頃遠くの地ですくすく育ってるんじゃないか」

「よかった、ずっと気になってたのよ。マハイさんも元気そうね!」

 

 外部太陽系戦士たちも、流暢にやり取りをする彼らに戸惑っている。

 ちびムーンの問いに狩人は目を細めると、その白髪をやれやれという風に撫でた。

 

「こちらは、日を経るごとに物忘れが酷くなる一方だがね。それで、そこのお嬢さん方は誰だ?」

「あたしたちの仲間と、故郷から来た人よ」

 

 ウラヌスとネプチューンは、頭を下げる。

 

「……少しの間だが、世話になる」

「よろしくお願い致しますわ」

 

 少し遅れ、プルートとサターンも同じようにした。

 

「君も、よろしくな」

「えっ……」

 

 その厳つい狩人から突然注目を浴び、なるは戸惑う。

 どう対応すればいいか分からない。

 思わず後退り、足が勝手に逃げる用意をし始めた時だった。

 

 ぐぅぅぅぅ。

 

 鳴ったのはなる自身の腹の虫だった。

 思わず彼女は頬を赤くしてお腹を押さえた。

 

「おお、腹減っとんな。そろそろ夕飯時じゃからのぉ」

 

 村長は笑いかけると、ある方向に向いて合図をした。

 少し離れたところにある家屋から、人々が出てきて手招きをした。

 ちびムーンは、そっとなるの背中を押す。

 

「大丈夫、あの人たちは信用していいから。言葉が通じなくても優しくしてくれるよ」

「……は、はい」

 

 まだ状況の理解が追い付かないなるは時節振り返りつつも、暖かい光溢れる家屋へと歩いていった。

 マハイは戦士たちに振り直った。

 

「さて。あんたたちも、何か話したげな顔をしてるな」

 

 彼は、なるの入った小屋より少し奥側にある小さな小屋を親指で示す。

 

「そっちの事情はほんの少しだけだが知ってる。食事後にあの小屋に来い」

 

──

 

 ココット村への到着から数時間後。

 

「そいつは霞龍オオナズチだ」

 

 変身を解いた少女たちが見たことを一通り話すと、マハイは即答した。

 それから、背筋を立てて座るみちるに視線を寄越す。

 

「まさにそこのご令嬢の言う通り、古龍種に属するモンスターでな。霞に隠れ、伸びる舌で旅人から薬や食物をくすねたりする」

 

 夕食も終わったのでココット村は消灯しかけていた。

 人数に比べて狭い室内で1本だけ灯るランプが、獣臭い臭いを立てて彼らの顔を横から仄かに照らし出す。

 彼の言葉に、ちびうさは思わず大きな目をぱちくりさせた。

 

「え、それだけ?」

「あくまで直接的な攻撃性が低いだけだ。古龍災害の真価は、自然環境の強制的な書き換えにある」

 

 マハイはそう付け加えてから、椅子に腰を据え直す。

 

「オオナズチが山中で一度毒霧を吐けば、周辺一帯は向こう1週間不毛の土地……そうでなくとも翌日には、上流から浮いた魚の群れが流れてくる。そして数日間は川の水も飲めなくなるんだ」

 

 彼自身の顔に刻まれた皺は、ランプに照らされることでより深く見えた。

 ちびうさだけでなく戦士たちも険しい顔で黙り込む。

 彼の語り口にはどこか、その目で見て来たような生々しさがあったのだ。

 

「となるとやはり、放っておくわけにはいかないな」

 

 ちびうさと衛は、そう呟くように言ったはるかへ振り向いた。

 彼女は重そうに下に向けていた瞳を持ち上げ、目の前にいる老人に向けた。

 

「マハイさん。あの龍は、我々セーラー戦士で葬ります」

 

 老人は鋭く目を細め、発言した張本人を凝視する。

 しかし、はるかはそこから視線を逸らすことはしない。

 

「本気で言ってるんだな?」

「あれは存在そのものが危険だ。あなた方にとっても、安全が保証されるという点で利益はあるはずです」

 

 ちびうさは横顔を明るく照らされながら、慌てるように中心にある机へと身を乗り出した。

 

「ねえ、あっちから手を出してこないなら無理して戦わなくったって……」

「私もはるかに賛成です」

 

 せつなは、はるかたちが意外そうな顔をするのを他所にちびうさだけを見つめている。

 

「かの龍が生み出す霞によって時空の穴を覆う霧の範囲が広がり、人や生き物が迷い込んでしまう可能性が高まる。十分に大きな脅威になりえます」

「プー……」

「それに私たちは、あの龍と既に交戦してしまいました。これは手を出した我々の責務でもあるのです」

 

 それまで所在なさげに両手と膝をぴったりと合わせ、行儀よく俯いていたおかっぱの少女、ほたる。

 しかし彼女も目の色を変えると、上半身を前に押し出して。

 

「マハイさん、もっと詳しくその生き物の情報を聞かせて下さい」

「……君も戦うのか?」

「はい」

 

 透き通りつつも芯の通った声だった。

 齢で言えば完全に子どもである少女。それが大人と遜色ない口調で答える様に、マハイは答えを躊躇った。

 ちびうさ自身も、心配するようにほたるの顔を覗き込んだ。

 

「彼女も立派なセーラー戦士です。どうぞ、お気になさらないで」

 

 みちるの発言を受けて、マハイは決断して口を開いた。

 

「ヤツの吐く毒には出血毒から疲労をもたらす毒、鎧を溶かす毒から声帯を潰す毒まで多彩なものがあった。最近では出血毒のみに頼る個体が多いようだが……とにかく、妙な色の吐息には絶対に当たるな」

「では、あれの弱点は?」

「まずは皮膚が火に弱いのと……最も重要なのは角だ。そこに深傷を負わせれば透明化を解除できたはず。昔は姿を現した瞬間に爆音を聞かせても透明化を防げたんだが、そちらは耐性のある個体が増えて、最近ではほぼ博打のようなものだ」

 

 はるかの鋭い質問にも、老人の返答は一切の澱みがない。

 みちるは、品よく微笑みながら首と波打つ青緑色の髪を同時に傾けた。

 

「随分お詳しいのですわね。以前に戦ったご経験が?」

 

 老人は一瞬だけ床を見つめると、顎髭の辺りをひとしきり撫で、首を振った。

 

「ない。だが、奴がこの地域に出現した記録はあるのでな」

「……なるほど」

 

 やがて、手が差し出される。

 少女のものではない大きめの手だ。

 マハイが顔を上げると、そこにはうさぎの恋人にして未来の王子、衛の微笑む姿があった。

 目元に陰を含んではいるが、いつもうさぎが褒めちぎっていたように、相手を包み込むような優しい笑みを浮かべた。

 

「……ありがとうございます。一つの王国の王子として、ご協力に感謝します」

 

 マハイは頷き、衛と握手しながら共に立ち上がる。

 手持ち型のランタンにランプから火を灯し、扉を押し開けると、彼は差し込んだ月光の下振り向いた。

 

「奴は人間がどういう存在か、どういう戦法を取るか、()()()()()()()()()理解している。用意だけは怠るなよ」

 

 扉が閉じると、また室内に暗闇が戻って来た。

 

──

 

 セーラー戦士たちは、オオナズチがココット村に近づいていないか見回りに行った。

 

 ちびうさとほたるは留守番である。

 小屋の中、彼女たちはベッドの上で三日月をすぐ脇にある窓を通して見上げていた。

 一般人であるなるは、少し離れたベッドで安らかな寝息と共に熟睡している。

 安心して疲れがどっと出たのだろう。しばらく目を覚ます気配はなかった。

 

 ちびうさは、隣に腰掛けるほたるに振り向く。

 

「本当にオオナズチと戦うつもりなの?」

「ええ」

「……考え直して。妖魔みたいに簡単に倒せる相手じゃないよ」

「あの龍に一番先に争いを仕掛けたのは私だから。この村の人たちにも迷惑をかけてしまったし」

「ほたるちゃんが転生したのは、そんな危険な目に遭うため?」

 

 ちびうさは今にも泣きそうな顔で、ほたるの、陶器のように白くなめらかで細い腕を掴んだ。

 

「……そもそも私の生まれてきた意味は、自らも含め死にゆく世界に区切りをつけること。その使命からは決して逃れられない」

「そんなのヤだよ。ほたるちゃんとまたお別れだなんて!!」

 

 ちびうさは、質素な寝巻を着たほたるの袖に額をピタリとつけた。

 ほたるはそれを受け入れつつも、困ったように眉を下げた。

 

 セーラーサターンは、いわば世界が滅ぶ時に甦る『死神』。

 銀水晶の持ち主であるプリンセス、ひいては世界が危機に陥った時に覚醒、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、新世界の誕生へと導くのである。

 

「ほたるちゃんはどう思ってるの。この世界を滅ぼしたいって心の底から願ってる?」

「……ううん。ここにいる人たちはみんな善い人たちだもの。私も本当はしたくない」

 

 ほたるは首を振りつつも、そっと手を胸に添える。

 

「でも、きっと『サターン』は許してくれないわ。それが何よりも優先すべき使命だから」

「使命だったら、何をしてもいいの?」

 

 沈黙。

 ほたるは答えることが出来なかった。

 その中にいるサターンでさえも言葉を発することはない。

 やがてちびうさは耐え切れなくなって、ずっと繋がっていた視線の糸を切った。

 

「ごめん。あたしを護ってくれてるのに、こんなこと言って」

「気にしないで、ちびうさちゃん」

 

 ほたるはちびうさを気遣うように背をさする。

 そこに、扉がぎぃと音を立てて開いた。

 

「サターン、少し来てくれ。プルートが伝えたいことがあるそうだ」

 

 呼びかけて来たのはウラヌスだった。

 ほたるはちびうさに軽く会釈すると一瞬でサターンの姿へと変わり、背を向けて外へと出ていった。

 代わって入ってきたタキシード仮面がアイマスクを取ると共に青年『地場衛』の姿に戻り、入れ替わるようにして隣のベッドに座った。

 上半身には薄い白シャツを纏っている。

 

「まもちゃん、お疲れ」

「あぁ。ちびうさはさっきから浮かない顔だが、何かあったのか?」

 

 気さくに話しながらも心配してきた彼に対し、ちびうさは俯き気味に話した。

 

「ねぇ。あたしってやっぱり、何の役にも立てないのかな。戦えもしないし、うさぎみたいにみんなを説得もできない」

 

 ちびうさはセーラー戦士ではあるが、あくまで見習い。特に強い力を与えられている外部太陽系戦士とは、戦闘力の基礎となる魔力の時点で雲泥の差がある。

 更にその歳の幼さと遥か未来にうさぎの後を継ぐ王女という立場ゆえ、彼女は他の戦士に護られることがどうしても多くなるのだった。

 しばらく衛は前を向いて黙っていたが。

 

「実は俺も、ずっと同じことを思ってた」

「え、まもちゃんが?」

「ああ」

 

 衛はまだ包帯を巻く背中をさする。

 袖がまくられているからこそ分かる、すらっとして、それでいて筋肉の程よくついた腕。それを前に、ちびうさが少しだけ頬を赤らめた時だった。

 

「火山でブラキディオスに伸されて学んだよ。俺はいわば、塵のように吹けばすぐ飛ぶ存在だ」

 

 思わずちびうさは目を見開き。

 

「そんなことないよ! まもちゃんはイケメンで運動神経抜群でアタマも賢くって……!」

 

 必死に言い募るが、それに衛は苦笑を見せて人差し指を唇に当てて沈黙を促し、そのまま指の先をある方向に向けた。

 ちびうさははっとして、なるの寝るベットの方を見た。

 幸い彼女は、深く眠ったままで起きていない。

 それから、衛は再びちびうさを見つめて話を続けた。

 

「ちびうさが言いたいのは人間の範疇の話だろ。たとえそうだったとしても、この世界の生き物たちにとっては何の意味もない」

 

 彼は、ほたるがしたのと同じように窓越しで月を見上げた。

 

「俺は別の方法を探すと決めた。直接戦う以外に、うさこの夢を夢で終わらせない方法を。だからちびうさの提案に乗っかったんだ」

 

 視線を戻すと、彼はちびうさのお団子を解いた頭を優しくぽんぽんとした。

 

「俺たちはいま、出来るだけのことをするだけさ」

「……」

 

 ちびうさは少し考えたのち、立ち上がった。

 そのまま小屋の扉を開ける。

 

「どうしたんだ?」

「トイレ!」

 

 衛の目から逃れるように彼女が向かったのはトイレのある裏側……

 ではなく、ココット村のなかで一つだけ揺れる光だった。

 

──

 

「それで、なんでこんな村から離れたところに?」

 

 ちびうさが向かったところよりずっと遠く、門の外にある草原。

 そこまで先頭に立って案内してきたプルートに、ウラヌスはその理由を聞いた。

 彼女は振り向き、神秘的な真紅色の瞳で3人の仲間たちを見やった。

 しばし躊躇うような間があった後、プルートはやっと口を開いた。

 

「私はモガの森であの蹄の跡を見つけた時、ある者の気配を感じ取りました」

 

 横から強い風が吹き、足元を覆う緑の絨毯が波打ちざわめいた。

 

 

「エリオス。美しい夢の世界を護る祭司です」

 

 




『無力』な少女が下した決断とは。

マハイは、第1章に登場した狩人でオリキャラ。
大剣使いで、初代主人公そのものかどうかはご想像にお任せ。
うさぎたちを狩人として導いたおじいさんです。(メタ的には、今から思うと伝説のガンナーで良かったのではという個人的所感)
4編になって展開がファンタジックになってきましたが、せめて人物のやり取りくらいは自然なものを心がけたいところ。


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都邑の暮を呑む霞③(☆)

流石にワイルズ発売までには本作完結すると思います(フラグ)


 美しい夢の世界を護る司祭、エリオス。

 風に靡く草絨毯のなかで抽象的な存在の名を聞いたネプチューンは、乱れるうねり髪を抑えて朧月をふと見上げた。

 

「前世の記憶かしら、懐かしい響きね」

「彼は本来、今の貴女たちが知るべき人物ではありません。現時点では、我々の世界で来たる敵の手中に囚われているはずなのです」

「そんなヤツがなぜこの世界に?」

「分からない、としか言いようがありません。その敵から脱け出したのかも知れませんし、未来から来たと考えても納得はいきます」

 

 プルートが告げたのは未来予知と言うべき内容だった。

 しかし、仲間たちが戸惑うことはない。プルートが未来と過去を行き来できる戦士であることは既に周知の事実だからだ。

 

「竜たちの世界と接触したことで、我々の未来の形は急速に変化しています。あくまで憶測ですが、彼はこの世界に……確実に対処する方法を伝えに来たのかも」

 

 ウラヌスとネプチューンはそれを聞いて初めて、真正面からプルートに顔を向ける。

 東京に戻ってからずっと彼女に向けていた不信と懐疑の視線を、やっと和らげた。

 

「なるほど。君がプリンセスの提案に靡いたのは、そのエリオスとやらを追うために……」

「貴女の意図は分かったけれど、それは私たちの主たちにこそ伝えるべきことではなくって?」

「プリンセスはじめ、とりわけスモールレディは彼と深く関わる運命にあります。このことをいま彼女に伝えれば、それこそ未来が大きく変わってしまうのです」

 

 プルートは念を押すように仲間たちの顔を一つ一つ見つめ、一歩踏み込んだ。

 

「スモールレディには勿論、プリンセスにも、プリンスにも。そして内部戦士たちにも、ここで伝えたことは決して話さぬよう」

 

 サターンはしばらく無表情で言葉を聴いていたが、やがてため息交じりに自ら視線を逸らした。

 

「……仲間内で隠し事とは、慣れませんね」

 

 そう言葉を漏らした彼女に対し、プルートは申し訳なさそうに眉を下げた。

 一方で、ウラヌスがサターンの肩にそっと手を置く。

 

「彼らに変な期待を持たせるよりはいい。それに僕らが提案したことに比べりゃ、隠し事なんて随分可愛いものじゃないか」

「むしろ外部戦士で目的を共有できたのは喜ばしいことよ。プルート、この場を設けてくれたこと、感謝するわ」

 

 ネプチューンが謝意を述べる一方で、サターンは唇を噛み締めていた。

 草原をずっと見て、口を一文字に結んで。

 草の一部に見つけた水滴を、鏡に見立て。

 

「これも……彼女を護るため」

 

──

 

 

「お願い、一緒に戦って!!」

 

 

 寝間着姿のちびうさは、老人に向かってそう叫んだ。

 ココット村の専属ハンターであるマハイは、月下でランタンを持ったまま立ち尽くしている。

 彼が夜の見回りをしていたところに割り込んだのである。

 

「オオナズチのこと、たくさん知ってるんでしょ。ベテランハンターの貴方がいれば、きっと!」

 

 マハイは、期待の視線を投げかけてくる少女に視線を寄越した。

 だが、すぐには答えない。

 代わりに彼は首を横へと回し、見事な三日月を懐かしそうに見つめた。

 

「……この村も、たった2年で随分と変わった」

 

 骨から造られた大剣の刃には、錆びが蔓延りかけている。

 

「最近、若く優秀なハンターがよく来てくれるようになってな。『狩人発祥の地』の知名度は伊達じゃない」

 

 ちびうさは、月明かりに照らされた彼の顔を見てやっと気づいた。

 マハイの頬はココット村に居候していた時と比べ、多少だが痩せこけていた。

 狼のように鋭かった瞳も穏やかに、悪く言えば覇気を失っている。

 

「マハイさん、そんな」

「潮時ってやつが来たのさ。多分、妖魔化したライゼクスに体力を吸われた辺りからだな」

 

 ちびうさは嘘よ、と言えなかった。

 実際、座って背を丸める男の姿が本当に、いつもより小さく見えたのだ。

 彼はしばらくちびうさに目をくれたが、やがて振り払うように目を背け。

 ランタンを再び持って立ち上がった。

 

「今の俺より彼女たちの方がずっと強い。安心して行ってこい」

 

 少女は項垂れた。

 マハイとの距離は、ぐんぐんと広がっていく。

 

「あたしの友達が危ないのよ!!」

 

 進もうとしていた足が止まる。

 

「ほたるちゃんはほとんど戦ったことがないの。もしかしたらこの先マズいことになるんじゃないかって、でも、あたしにはあの子が戦うのを止められない!」

 

 もう必死に、縋りつくように叫んだ。

 一時、妙な時間が続く。

 老人は背を向けたままだった。

 穏やかな風に草がそよぐ。

 その音に交じるように、呟きが聞こえた。

 

「……その件は村に関係ないことだ。俺もこの身体で古龍に挑むほど勇敢じゃ……」

「本当にそうでしょうか」

 

 若い男の声だ。

 老人が振り向くと、背の高い黒髪の青年が歩いてきていた。

 

「まもちゃん」

「ずっと前の話ですが、あなたはご自分を『護れなかった』側だと言いましたよね」

 

 老人の頬の端っこがぴくりと動いた。

 

「一つだけ、聞かせて頂きたいことが」

 

──

 

 翌日の明朝。

 天然の朝霧が少なくなった時を見計らい、ココット村を出発する。

 万一の時のため村人からもらった解毒薬も持参済みである。

 朝日の中小鳥たちがさえずる、爽やかな空気の中での出発だった。

 

 ココット村の素朴な木製のゲートの前に、一同が集まっていた。

 

「なるちゃん、昨日は眠れた?」

 

 なるに、ちびムーンが呼びかけた。

 彼女の髪は多少乱れていたが、昨日に比べればずっと表情は落ち着いている。

 

「……ええ。村の人たちも優しくって……お夕飯も美味しかったわ。言葉は全然分からなかったけど」

 

 なるはココット村の人々を見て、何かを考えているようだった。

 

「じゃあ、そろそろ行くわね」

 

 ウラヌスはそこから自身の腰よりも低い村長に視線を寄越すと、目を閉じ、頭を下げた。

 

「短かったが、世話になった」

「……うむ。あの子たちにも、よろしくと伝えてくれ」

 

 この後オオナズチと戦うという事情を知る村長は、複雑な表情でいた。

 戦士たちはココット村を後にする。

 その途中、ちびムーンが少しマハイを振り返ったが彼は何も言わず、腕を組んでいるだけだった。

 

──

 

 霞龍オオナズチ。

 彼は、予想通り木々の幹の間に居座っていた。

 

 大樹が絡み合うことでトンネルのようになった、狭い小道。

 木漏れ日の下、そこを一歩一歩、前脚を前後に揺らして踏みしめる。

 悠然と風にそよぐ木の葉のように。

 泰然と流れる小山の清流のように。

 

 ふと、目玉同士の中間から伸びる白い角をこちらに向けて。

 静止。

 眼は左右それぞれ異なる方にくるくると動いて、節操がない。

 

「待ち構えていますね」

 

 プルートが呟いた。

 外部太陽系戦士の4人は武器を構え、にじり寄る。

 ちびムーンとタキシード仮面はなるを引き連れ、遥か後方から見守っている。

 セーラー戦士の攻撃によりオオナズチがダウンした隙を狙い、戦闘を彼女らに任せて逃げ去るという計画だ。

 

「……来るわ」

 

 ネプチューンが呟くのと、オオナズチが口を開けたのはほぼ同時だった。

 

「こおおおおおおぉぉぉぉ!!!!」

 

 突然、オオナズチは首をぶん回して紫の毒霧を吐いた。

 前脚を上げ、仁王立ちで何度も噴射し、眼下の人間へ振り撒こうとする。

 それを彼女たちは跳躍して冷静に遠くへと避け。

 

「ワールド・シェイキング!!」

「ディープ・サブマージ!!」

「デッド・スクリーム!!」

「サイレンス・グレイヴ・サプライズ!!」

 

 4つの光球が一斉に飛ぶ。何れも攻撃力を抑えた代わりに推進速度を上げたものだ。

 どれも角を別々の角度から狙っている。

 それに気づいたオオナズチは瞬時に頸を引っ込め、姿を消そうとしたが──

 僅かに間に合わず、プルートが放った気流を纏う紫色の光球が、角の先端に掠った。

 

「きゅええええっ!?」

 

 爆発。

 硬質な白い表皮に、僅かにひび割れが入る。

 オオナズチは昏倒したように舌を垂らして立ち尽くした。

 

「さぁ、今のうちに!」

 

 サターンが振り向いて叫んだ。

 ちびムーンたちは時を見計らい、なるを連れて走っていく。

 目を回す全長15mの龍のすぐ傍が唯一の通り道である。

 なるは好奇心に負けて、ちらりと、傍に佇む龍へと視線を寄越した。

 

 のっぺりとした質感の毒々しい紫色の皮。

 ヤモリに似た四肢に翼が生え、大きく扁平な頭と尻尾が伸びる奇妙な身体構造。

 真ん丸の渦巻き模様の中心に居座る、人間に似た瞳。

 大阪なるは、顔を真っ青にしてますます足を早めた。 

 

「きゅおおおおおおおお!!!!」

 

 ギリギリでの通過だった。

 オオナズチは息を吹き返すと、白い霧を大量に吐いて這い下がっていく。

 全方面が、あっという間により濃い霧に包まれる。

 

「……やはりそう来るか」

 

 いよいよ戦闘が始まる。

 セーラー戦士たちは小道に広く散開し、全神経を尖らせた。

 こうすることで相手の狙いを分散させ、索敵範囲を広くするのだ。

 そしてこちらの攻撃で相手が1回でも動きを止めれば、後は包囲して思う存分袋叩きにできる。それを実現できるほどのパワーを、彼女たちは守護星から授かっていた。

 

 そのうちの1人であるウラヌスは、宝剣スペース・ソードの柄をしかと両手に握り、斜めに構えていた。

 太陽の光届かぬ霧中でも、宝石に彩られ美しく湾曲した刃は、銀の輝きを失っていない。

 

 そろり、そろりと。

 

 様子見のつもりか、不規則に点滅を繰り返しながら歩む霧中の幻影。

 最初は木陰に隠れ、茂みに隠れ、いつでも逃げられるような位置を通り過ぎる。

 

 金髪の麗人は男のように鋭くも美しい顔立ちで、目線だけを影に追わせてゆく。

 今は、誰も何もしない。その時をひたすら待ち続ける。

 

 やがて、ウラヌスからそう遠くないところにその姿を現す。

 攻撃のチャンスを彼女は見逃さなかった。

 

「はああああっ!!」

 

 濃紺のミニスカートの下から長くすらりと伸びた脚をばねとして、疾風となり、スペース・ソードを突き出す。

 赤く張り巡らされた高周波がブゥンと唸る。

 

 しかし、切先が紫色の鱗を穿つことはなかった。

 剣の柄に、オオナズチの口内から伸びた細長い物体が巻き付いたのだ。

 

「舌……っ」

 

 マハイが言及していた、オオナズチ特有の伸縮自在の舌だ。

 いくら力を込めて引こうとしても、粘着力とぬめりに富む舌は傷つけることを許さない。

 

「きゅろろろっ」

 

 かつてサターンから沈黙の鎌を奪い去ったように、今度はスペース・ソードを狙っているのだ。

 ウラヌスはそうはさせまいと抵抗したが、結果は剣ごと自身を宙へ舞い上がらせることとなった。

 放り投げられた彼女は、地を転がることで受身を取る。

 

「ウラヌス!」

「いま、援護します!」

 

 サターンとプルートは、ちょうどウラヌス、ネプチューンとオオナズチを挟む位置にいた。

 彼女たちは即座に武器を構え、エナジーをその先端に集約させようとした。

 それに気づいたオオナズチ。

 彼はぎょろりとそちらに瞳を滑らすと、くるりと、巨体に見合わぬ素早さで翻った。

 

「なっ……」

 

 先ほどまでの緩慢な動きからは想像できないほどの俊敏さ。

 オオナズチは身体をくねらせながら突き進み、同時に舌で前方を薙ぎ払った。

 それは鞭のようにしなやかに伸び──

 中距離から技を放とうとしていたサターンの鎌とプルートの杖を手元から打ち払う。

 舌による殴打の威力は凄まじく、彼女たちはほぼ水平に吹っ飛ばされた。

 

「ディープ・サブマージ!!」

 

 ネプチューンが横から高水圧球を放つと、オオナズチは跳び上がりながら姿をくらました。

 彼女は即座にその行先を捉えようとディープ・アクア・ミラーを覗く。

 しかし、何も感じ取れない。強烈な生のエナジーの流れは、いま自分がいる地上には見当たらなかった。

 

「……まさか」

 

 感づいて、彼女は手鏡から顔を上げた。

 見上げたのは頭上の樹の枝だ。

 

 周囲よりも木の葉が多く揺れ落ちる、不自然な空間。

 

 そこに突如、ぎょろ目と白い角が浮かぶ。

 

「はっ!」

 

 枝を脚で掴むオオナズチは舌を直線状に伸ばし、眼下のネプチューンを直接狙う。

 彼女が横っ飛びに避けると、爬虫類のようにするすると樹皮を這い、再び霧中へと溶けてゆく。

 

「……まさか、これも理解しているの?」

 

 まるで彼女がディープ・アクア・ミラーを使うことを予見したかのような攻撃だった。

 次は枝の上から、毒霧を比較的遠くにいるプルートとサターン目がけて撒き散らす。

 彼女たちはそれを難なく避けたものの、はっとして背後を見た。

 滞留した毒霧が壁のようになり、退路を塞いだのだ。

 ただでさえ狭い森の細道、遠距離を保って相手を狙撃するという手段は難しくなった。

 

「……デッド・スクリーム!!」

 

 プルートは「きゅるるる」と鳴いたオオナズチに光球を放つがすぐに俊敏な動きで透明化、放たれた光球は当たらず。頭上に密集した枝を円形にくり抜く結果に終わった。

 彼女は初めて、焦燥の感情を出した。

 何よりも厄介なのは、濃霧が作り出す劣悪な視界だ。

 その程度は前回を遥かに超えている。5mでも離れればお互いの姿すら見えない。

 これが、あらかじめ立てていた作戦に大きな影響を及ぼしていた。

 

「霧や森ごと敵を吹き飛ばせば……」

 

 少し離れたところでサターンは沈黙の鎌を構えて黒い雷を滾らせたが、ややあって諦める。

 周りの地形ごと相手を完全に消し去ることは、セーラーサターンの能力としては『理論上』可能だ。

 しかしこんな狭い場所で大技を最大出力で放てば、濃霧に紛れた仲間を巻き込む確率が非常に高い。

 

「……無理だわ」

 

 まともに戦うにはあまりにも不利すぎる環境に、土星の守護戦士は臍を噛んで鎌を下げる。

 そこへどこからか毒霧が飛んでくる。

 彼女は、咄嗟に腰をずらして避けた。

 

 オオナズチは逃げに徹していた。

 一度攻撃してはすぐ消える。その動きを、ランダムに相手を決めては繰り返す。

 遠くの敵には毒霧を吐き、己の姿を見て近寄ってきた者には緩急付けた動きで舌を振り払う。

 

 特に、セーラーサターンはかなり警戒されていた。

 彼女に集中して大量の毒霧をばら撒くことで攻撃を阻害。そこから翼をはためかせ風を起こすことで毒霧を動かし、サターンとプルートの行動を制限する。

 沈黙の鎌の威力を学んでいるがゆえの対処である。こちらに考える暇すら与えてくれない毒霧の量だ。

 毒溜まりの間を必死に潜り抜ける彼女を見たプルートは、叫ぶしかなかった。

 

「作戦を変えましょう! ばらばらにいるのはむしろ危険です!」

 

 その提案に反対する声はなかった。

 毒霧を吐いたオオナズチが一旦消えたのを合図とするように、ウラヌスとネプチューンが駆けてくる。

 サターンも一際小さい体で息を切らしながらも、鎌を番えてきた。

 

 彼女たちは示し合わせたように背中合わせで集う。

 そして武器を構え、ひたすらに待ち伏せる。これなら、どこから攻撃が来ても対応することができる。

 ネプチューンは手鏡をあらゆる方向に向けていたが、

 

「……」

 

 やがてそれを降ろし、ちょうど隣にいるウラヌスにアイコンタクトを取った。

 彼女は瞬時に意味を理解し、黙って掌を握る。

 

 赤紫色が混じった霞の中。

 オオナズチの目玉が、再びウラヌスの隣に現れた。

 口が素早く開き、ぬめった舌の先っぽが覗いた。

 

「ワールド・シェイキング!!」

 

 瞬時に開いた掌に、金色の光球を出現させる。

 伸ばされた舌を屈んでやり過ごし、掻い潜り、それを零距離で放つ。これなら、スペース・ソードのように舌に絡め取られる心配はない。

 

 そして見事、頭に命中。

 

 強烈な衝撃波により、角のヒビが更に広がる。

 

「きゅえええっ!?」

 

 角の完全破壊には至らなかったがオオナズチは大袈裟と思えるほど悶え、そのまま横向きに頭を沈ませた。

 

「ろろろろろろろ……」

 

 それが初めてだった。

 霞龍が弱々しく鳴いて舌を垂らしたのは。

 頭は一目見て分かるほど叱られた子犬のように項垂れて、動きは完全に止まっている。

 

「サターン、プルート!」

 

 ウラヌスが呼んだときには既に、サターンとプルートが鎌と杖を構えていた。

 

「この距離なら……確実に当たるわ」

「2人とも、射線から離れて下さい!」

「ああ、分かった。だが、攻撃には加わらせてもらうぜ」

 

 ウラヌスも傍で剣を高周波によって光らせ、トドメを刺そうとオオナズチを睨んでいる。

 しかし──ネプチューンだけは攻撃の構えをしつつも、違った反応を見せていた。

 

「数百年も生きた古龍が……こんな簡単に隙を晒す?」

 

 作戦の転換により、彼女たちとオオナズチの距離は1mほどしかない。

 そしていま命が潰えようとしている龍は、どこか異様に落ち着いているようにも見えた。

 この状況を俯瞰した彼女はある結論に達し、仲間たちへと振り向いた。

 

「待って、これは罠よ!!」

 

 オオナズチは瞳を目玉の上で滑らせ、戦士たちを初めてはっきりと捉えた。

 突然背を向けると、先端が包まった尻尾で地をはたく。

 

「っ……!?」

 

 とても尻尾一つで起こしたとは思えない、強烈な風圧が吹いた。

 攻撃することに意識を集中させていた戦士たちは、纏めて足を掬われる。

 オオナズチはくるりと身を翻す。

 

「こぉおおおおおあああああああ!!!!」

 

 それまでの紫の毒とは明らかに異なる、青緑の吐息が襲い掛かった。

 

「かっ……!!」

 

 その激烈な臭いと勢いに倒れ込んだ戦士たちに、さっそく異変が起こる。

 声が枯れて出せないうえに、急速に身体中の力が抜けたのだ。

 ネプチューンはその場に膝をつきながら、目の前で眼球をあちこちへ動かす霞龍を睨んでいた。

 

 裏をかかれた。

 

 最初から、オオナズチはこの状況を狙っていた。

 彼はセーラー戦士が強力な飛び道具を持っていることを学んでいた。

 そんな生きた兵器が自身の周囲に散らばっているのは、かの龍にとってかなり都合が悪かったはず。

 

 だからこそ、遠距離でも中距離でもなく()()()()にまで近寄らせた。

 遠くにいる者へは何度も毒霧をばら撒き、中距離の相手には──特に宝剣を持つウラヌスには──舌による攻撃を見せつける。

 そこへ更に、濃霧による不安感の相乗効果。

 これによって互いに散らばることは危険であり、至近距離からの集中攻撃が有効であると印象付けた。

 最後に4人を一ヵ所に固まらせ、更にわざと攻撃を受け、弱ったフリをして油断させた。

 

 霞龍は言葉を一切発しない。

 あからさまに挑発することも、傲慢さゆえに弱点をうっかり話すこともあり得ない。

 非常に臆病で、用心深い。

 だからこそ、行動の裏をすぐに読み取れなかったのだ。

 

 オオナズチは、口元に毒を含んだ。

 翼で飛び上がると共に、それを真下に放出。

 塊は爆発に近い半球状の破裂を起こし、4人の戦士を毒霧の波に包み込んだ。

 

──

 

「待って!」

 

 ちびムーンが呼びかけて、皆の足を止めた。

 

「みんなの声がしないわ」

「なんだって?」

 

 タキシード仮面が聞き返した直後、来た道の向こうから風が吹いてきた。

 そして、たったったっ、と。

 何も見えないのに明らかに誰かの足音が、凄まじい素早さで這い寄ってくる。

 

「はやくこっちへ!」

 

 なるは、悲鳴を上げるのをこらえてひた走る。

 ちびムーンはもう一度振り返る。

 後方には確かに何もない。

 そして前方を向いた瞬間、目玉が現れた。

 

「わあああああああああっ!?」

 

 彼らは既に先回りされていたのだ。

 ちびムーンは先頭にいるなるを庇い、ピンクのハートジュエリーが付いた杖を向ける。

 

「ピンク・シュガー・ハート・ムーン・アタック!!」

 

 ハート型の光線が角に直撃する。

 しかしオオナズチは一時、目を細めただけだ。

 

「くっ、やむを得ないか!」

 

 更にちびムーンの前に出たタキシード仮面がステッキを構えた時。

 

 

 そこへ、一つのボール状の物体が飛んでくる。

 

 

 きぃぃぃぃぃ、ん──

 

 

 物体が弾け、不快なほどの高音が鳴り響く。

 

「きゅるああああああああっ!?」

 

 口を開けかけていたオオナズチは驚いて仰け反った。

 

「音爆弾!?」

 

 タキシード仮面は、それが飛んできた後方に振り向く。

 呆気に取られている一般人たちよりも更に後ろだ。

 そこには鎧を付けた白髪の老人が、かなり息を切らして投擲を決めたばかりの姿勢でいた。

 先ほど別れたはずのハンター、マハイだ。

 

「やはり……お前、だったか」

 

 彼は荒く息を吐きながら声を絞り出していた。

 そして視線を、自身の更に後方へと持っていく。

 

「ディープ・サブマージ!!」

 

 水を纏った光球が、浅い弧を描いてオオナズチの頭へと直撃した。

 

「きゅるるるるるっ!?」

 

 水の爆発と共にオオナズチが仰け反り、前脚で空を掻き、その場に倒れ伏してもだえ苦しむ。

 セーラー戦士たちが遅れてやってきた。

 時々咳き込みながらも、大怪我はしていない様子である。

 

「みんな! 無事だったのね!」

「ええ……解毒薬を持ってきて本当に助かったわ」

 

 サターンもまだ声が枯れて本調子ではないが、喜々と駆け寄ったちびムーンを見て安心したようだ。

 しかし無事を喜ぶ暇もなく、マハイが未だ地面で藻掻いているオオナズチを横見ながら叫んだ。

 

「あんたたちは迷子たちを元の場所へ連れていけ。あいつが起き上がらんうちに!」

「しかし、あなたは……!」

「死なない程度に相手するさ!」

 

 ちびムーンは、マハイの顔を見つめ上げた。

 

「後はお願い!」

 

 ウラヌスは、その決意に満ちた様子を見て、仲間に視線を巡らせる。

 

「……こいつはどうも、訳アリだな」

 

 とにかくのんびりしている時間はない。

 

「マハイさん、またいつか!」

 

 別れを惜しむ暇もなく、セーラー戦士たちはオオナズチの横を通り抜けていった。

 それからしばらくしたのち、オオナズチは立ち上がる。

 白い吐息を口端から激しく何度も噴き出している。

 表情筋がないにも関わらず、傍目からでも興奮していることは明らかだ。

 それは即座に、彼女らが向かった方へと目線を持っていこうとしたが。

 

「おい」

 

 その一言で、意識はいま眼下にいるたった1人の人間へと注がれる。

 

「お前、俺のこと覚えてるだろ」

「……くるるるるる」

 

 意志の見えない眼。

 しかしそれは確かにマハイをずっと見つめ、それ以外の方向に向かおうとはしなかった。

 老人は薄く笑った。

 

「ったく、迷惑事を押し付けられてこっちは困ったもんだ。そっちも随分と賢くなったじゃないか」

 

 竹馬の友とでも出会ったような調子で、通じるはずもない会話を持ちかける。

 

「共に思い出話でもしようじゃないか。ゆっくり、ゆっくりとな」

 

 彼が骨で造られた大剣『天竜ノ顎(テンリュウノアギト)』を引き抜いてみせると、明らかに雰囲気が変わる。

 

 

「来いよ」

 

 

 男が叫ぶと同時、オオナズチは猛然と舌を振り回して彼へと向かっていった。

 

──

 

「マハイさんは何十年も前、あの霞龍に挑んだことがあったようだ」

 

 物音がしなくなった頃、タキシード仮面は木の間を歩きながら戦士たちへと語りかけていた。

 

「だがそれは彼曰く、若さゆえの慢心、そして情報と準備の不足によって失敗し、結果的にはヤツの毒に汚染された川の水や魚から……ココット村は壊滅的な被害を受けたらしい」

 

 横で話を聞くなるは、口を噤んで俯いた。

 

「あれがその時と同じ個体だと、なぜ分かる?」

「直感、だとさ」

 

 当然湧きあがった疑問に、タキシード仮面は前を向いたまま答えた。

 ウラヌスは振り直って、「……なるほど」と少しの間を経て呟いた。

 それ以上同じことを聞いても、恐らく無駄だ。

 プルートは次に、ちびムーンの方に首を傾けた。

 

「ココット村の人たちは納得したのですか?」

「狩りはいつだってそんなものだし、俺の代わりはもういるから安心してるって。本当かどうかは知らないけどね」

 

 ちびムーンはそう答えたあとサターンの方を向いて、少し茶目っ気のある笑いを投げかける。

 

「……マハイさんは、私の罪を代わりに被ってくれたのね」

 

 サターンは鎌を握り、俯く。

 この一生の友達が、出会って間もなかった狩人が、己の身を案じてくれたことを噛み締めるように。

 タキシード仮面は、かつて2人の少女の間にあった気まずい空気が今はないのを確認したうえで、 

 

「サターン。マハイさんから預かった言葉がある」

「何でしょうか」

「『何かを護ると決めたところから争いの火蓋は既に半分切られている。後の半分を切るかどうか。それはよく考えてから決めろ』……とのことだ」

「……ええ。肝に銘じます」

 

 サターンは言伝を聞いたのち、静かに頷いた。

 一方、少し離れてネプチューンと並ぶウラヌスは、無表情に前だけを見つめて歩いていた。

 

「さっきのはむしろ、僕たち向けの言葉だな」

「あら、貴女が後悔を口にするなんて、らしくないわね」

 

 ウラヌスは口の端だけを曲げて、相方へと笑いかけた。

 

「ちょっとくらいはいいだろ。僕らはいずれ地獄に行くって、そう決まってるんだからさ」

 

 しかしネプチューンは視線を背けて、憂うように眉を歪めた。

 

「不吉ね。もう少しマシな言い方を選べないのかしら」

「僕は幸せさ。転生するまでずっと君と2人、同じところにいられるから」

 

 金髪の麗人は、海色の髪の乙女の波打つ髪に細い鼻を寄せる。

 その行為をされた彼女は、断ることもなくそのまま相方を受け入れる。

 

「本当に……一緒に暮らす家族がいなくてよかったと思ってるくらいなんだ」

「……!」

 

 プルートは一瞬、はっとして2人の横顔に振り返る。

 しかし、気づかれないうちに悲しげに顔を背けた。

 

「なんだか、セーラー戦士さんたちも大変そうね」

 

 少女なるは何となしに空を見上げると「あっ」と声を上げた。

 白い霧の向こうに青い色と、銀色の光が見えた。

 

 銀色の光の正体は、ビルに反射した太陽光だった。

 

 一行は、霧の支配する森を抜けていたのだ。

 東京の街は本来の姿を彼女たちに見せつつあった。

 なるたちが向かう方向には、『十番商店街』と書かれていたタワーが聳えていた。




外部戦士の目的が、プルートの独白によりエリオス探しに変化。
しかし希望を見出したというにはまだ足りない状態です。

そして今回で改めて、古龍の強さのハードルが上がり過ぎたかもしれないです。
ゲームに出てくる動きは単なるプログラムとゲームバランスを考えての調整結果なので、世界観的に知能が高いナズチならこれくらいはするだろうと思ったのですけど。

モンハンワイルズ、控えめに言って最高に楽しみです。突然の発表で驚きましたね。
小型がうじゃうじゃ集まって、そこにアシラ骨格っぽいモンスターたちも群れで襲い掛かってる時点で「これ、生態系表現でワールドを超えるかもしれない」と感じました。
あと、導蟲とスリンガーの存在を確認、そしてタイトルの『MONSTER HUNTER』の文字がワールド型であることから、実質ワールドの続編の可能性あり?(でもリオレウスの鳴き声が旧シリーズなので現状はあくまで不明)
モンハンもいよいよオープンワールドの時代かな? 次世代機のパワーを存分に見せつけて欲しいです。


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大地を踏みしめる太陽①(☽)

未来に来たる災いを止める手がかりを掴むため、新大陸へと足を踏み入れたうさぎたち。
彼女たちは新大陸古龍調査団より、『嵐の一夜』後に各地で孤立した団員の救助と調査結果の回収を任じられる。
その後、調査に入った古代樹の森にて怪物テルルンを打ち倒し、植生研究所の所長を救助した彼女たちは、この世界に来た異世界人は自分たちだけではないと知るのだった。


 新大陸の調査拠点アステラ、3階。

 網天井から、夜の灯りとなる松明や保存用のバナナ、食肉がぶら下がっていた。

 周囲にヤシの木が生えた巨大なかまど付近では、バンダナをつけたアイルーたちがせわしなく調理済みの野菜や海産物を掲げ運んでは鍋に放り込んでいる。

 『武器と山猫亭』。

 料理場とも言われる、新大陸古龍調査団に属するハンターたちの胃袋を支えるところだ。

 かまどを中心とした調理場とカウンターが一体になっており、ここに座ったハンターたちは目前でアイルーたちによる調理を眺めることができた。

 

「はぁー。色々話したいことがあるってのに、何でこういう時に限ってエイデンさんがいないんだか……料理長さん、どこ行ったのか知りませーん?」

 

 カウンターに着くレイはため息をついて、慣れた様子で呼びかけた。

 団員に聞いてみても、混乱の最中だったせいか『何やら急いでるようだった』とか、『いつの間にかいなくなってた』とか、よく要領を得ない回答ばかりだったのだ。

 

 猫そのものな愛くるしい顔ぶれの中、竈門の方を見ていた一際異彩を放つ巨漢が振り向く。

 そのアイルーの目つきは鋭く、隻眼だった。

 

「さあな。少なくとも、ここ最近メシは食いに来てねぇ」

 

 彼の語尾に、アイルー特有である『ニャ』の訛りはなかった。

 身体つきもかなり大きく、特に肉を取り出す腕は毛に覆われていても筋骨隆々であることがひと目で分かる。

 赤いバンダナとネクタイをつけ、愛用の巨大な包丁を取り出し、鉄板に置いたこれまた巨大な肉を紙のように切り捌く姿は、人間と比べても何ら遜色ない貫禄があった。

 

「もうあたしギーブ……」

「うさぎちゃん、今日もおねが~い……」

「はいはいどもども、皆さんありがとうございまぁ~す!!」

 

 机に突っ伏したまことと美奈子から横流しに皿を受け取ったうさぎは、嬉々として残飯を迎え入れる。

 既に彼女の下には、レイと亜美から受け取った空皿があった。

 

 エビの串焼き、海鮮パエリア、厚切りロースハム、カマンベールチーズ、蟹と魚のスープ。いずれもすべて、階下に見える海と森から頂いた新鮮な食材を使用。いまだ湯気が立っている。

 一応レディースサイズではあるが量はそれなりに多い。あと2人分、頑張ったが今一歩というところで残されている。

 

 うさぎは受け取った竜肉のステーキをフォークに刺すと、物凄い勢いで口内へとかきこんでいく。

 レイは、その動きを野生動物でも観察するような視線で追った。

 

「うさぎ……太るわよ?」

「体重計見ない限り太んないもん」

「どーいう理屈よそれ」

 

 レイとうさぎを挟んで反対側に隣り合う美奈子が、突っ伏したまま人差し指を一本掲げる。

 

「あっ分かった、ハートシュガーの袋ってやつね!」

「それを言うならシュレディンガーの猫よ」

 

 レイの更に外側で亜美が水の杯を持ち、冷静かつ即座に間違いを修正する。

 料理長は少女たちのマイペースぶりを前にしても眉1つ動かすことはなかったが、それでもうさぎの底なしの腹には料理人の性ゆえか、興味深げに目を引かれていた。

 

「たんこぶのおマエ、この前までそこに座ってた編纂者にも迫る食いっぷりだな」

 

 うさぎは「たんこぶじゃないです!」と膨れるが、彼女の足下にある小さな椅子に座ってスープを舐めていた黒猫のルナが首をひねる。

 

「編纂者? どっかで聞いた気がするけど……」

「編纂者ってのはいわゆる情報統括のエキスパートでな。通常、ここのハンターには所属ハンター1名につき専属の編纂者がもう1人つく」

 

 料理長の説明に、ルナの隣に座る白猫アルテミスはふんふんと頷いて同じくスープを一口啜った。

 

「つまりはバディか。じゃあ、その人から探ってみるのも手だな……」

 

 料理長はそこへ、こんこんと机を爪で叩いた。

 

「おマエたち、その前に早く会議場へ行け。集合時間までもうあと3分だ」

「へえっ、そうふぁっふぁっへぇっ!?」

 

 うさぎはちょうど、パンを咥えたところだった。彼女は慌ててパンを無理に詰め込もうとしたが、咽かけて胸をどんどんと叩く。

 

「う、うさぎちゃん、まさか知らずに全部食べるつもりだったの?」

「どうせそういうことと思ったわ……」

 

 亜美が驚く一方、レイは掌で額を覆うのだった。

 

──

 

「本日、良い報せと悪い報せが2つある」

 

 調査班リーダーが人差し指と中指を同時に立てて告げた。

 

「まずは良い方の報せだ。調査団所有の翼竜が大量に帰ってきてくれたうえに、再び飛ぶようになった。まだ怖々とではあるけどな」

 

 会議用の卓には、うさぎたちを始めとして様々な人物が集まっていた。研究班の男、物資班の女、技術班の老人、そして総司令は、少し離れた所に座っている。

 

「えっ、じゃああたしたち、遂に……」

「翼竜で飛べるってことね!」

 

 うさぎと美奈子は姉妹のように揃って目を輝かせた。

 新大陸のハンターは、遠距離の移動手段としてアステラでも多く飼われる翼竜を使う。スリンガーから射出したロープをその脚に引っ掛けると、こちらをぶら下げて飛行してくれるというのだ。

 

「ああ。この分なら古代樹の森の向こう……『大蟻塚の荒地』に行けそうだ。君たちにも本日、現地団員の救助及び安全確保、そして情報収集に行ってもらうことになるだろう」

 

 若い黒髪の男はそう言ってうさぎたちに向いた。

 うさぎと美奈子は次も同時に目を丸くした。

 

「ええっ!?」

「大蟻塚の荒地に!?」

「「……って、なんだっけ」」

 

 2人の足下にいたルナとアルテミスは思わず同時にずっこけそうになった。

 

「古代樹の森より更に東の奥地にある乾燥地帯。西は森を水源とする湿地と森林、東は荒涼とした砂漠が広がる特殊な地形……でしたよね?」

「そうだ。よく調べているな」

 

 すかさず亜美がフォローを入れると、調査班リーダーは微笑んで頷く。

 

「へー。ノート見て数秒で忘れちったわー」

「あたしもー」

「で、でぇー、悪い報せってのは何なんですか?」

 

 うさぎたちのボロを誤魔化すように、まことが愛想笑い気味に声を被せた。

 彼女たちに対し、調査班リーダーは顔を引き締めた。

 

「あぁ。悪い方の報せは……。帰ってきた翼竜はすべて、北部の拠点で飼われていた個体だった。人を乗せた個体は一匹もいない」

「……じゃあ、取り残された人たちはまだ脱出できていないってことですね」

 

 その口から告げられた重い事実に、答えたレイを始めとして少女たちもさすがに表情を切り替える。

 

「では次に、久しぶりに集った『リーダーズ』から報告を頼む」

 

 調査班リーダーの指示を受け、一番先に、鉛筆を耳に挟み紙の束を手にした黒髪の女性が出てくる。軽装を身に着けた彼女は、如何にもやり手らしく前髪をかきあげた。

 

「物資班は此度の異変を受け、前線拠点セリエナからの人員と物資の移動がほぼ完了しました。現在は大蟻塚の荒地各地のベースキャンプとの連絡及び補給ライン復旧を、技術班と連携して行っています。輸送ルートの安全さえ確保できれば、2日以内にも復旧可能です」

 

 物資班リーダーからのアイコンタクトに、次は背丈が一回り小さく、ヘッドランプを付けた探窟家のような格好をしている白髭の老人が頷いて答えた。

 

「うむ。技術班は、嵐により微小ながら損傷を受けたアステラ各部の修復作業を完了。再建設した翼竜飛行中継所の最終点検も無事に終わった! お嬢ちゃんたちも是非使ってくれよ!」

 

 彼は歳を感じさせない笑顔で、うさぎたちの方にグッドサインを送った。

 『リーダーズ』の最後のメンバー、学者風の長身男性が大きな冊子を抱えて穏やかな声で話した。

 

「研究班では、本国のギルドに先日古代樹の森で新発見された『妖魔』の報告とサンプルの送付を行いました。今後は暗躍が疑われる『魔女』についても研究を続けます」

 

 これが新大陸古龍調査団の日常だった。

 それぞれの専門分野に特化した班が、常に会議を通して意思疎通を図りながら共に新大陸調査を進めていく。

 天才変人奇人揃いの調査団であるからこそ、こうして足並みを揃える工程が非常に重要なのだ。

 

「じゃ、次は僕らの番だね」

 

 陽気な声で話の続きを継いだのは、うさぎたちが魔法植物テルルンから先日救助した、植生研究所の所長。

 

「今回の未確認不明植物の件を受け、生態研究所と僕ら植生研究所は共同で調査を行った。奥地で起こったことの手がかりを、少しでも手繰り寄せるためにね」

 

 彼は竜人族特有の尖った耳にかけた丸眼鏡をずり上げると、紐で括った紙の束をめくり読み上げようとした。

 

「所長、続きはこの私にお任せを」

 

 それを、横から伸びた手がかっさらった。

 蛍光色にも近い髪の白衣姿の女性──所長の助手であるルルだ。

 驚きを隠せない面々を前に、手が空いた所長はやれやれと言う風に肩を竦める。

 

「手柄を取りたがるのは如何にも人間って感じだね。まぁ、僕は手間が減って大助かりだから歓迎するよ」

 

 彼はひょうきんな口調のままひらひらと手を振ると、すぐ椅子に腰を下ろした。

 最初は困惑したうさぎたちも、彼の言葉に納得してルルの言葉を待つ。

 

 彼女は助手としての仕事ぶりは完璧だが、以前からプライドが高いうえに何かと押しが強く上昇志向的なところがあった。

 知的好奇心に満ちた学者たちの中では浮いた存在ではあったが、所長も特に気にしてはいない。むしろ野心に満ちた優秀な人材として調査団でもその実力を認められていた。

 だからこそ、所長も常に傍に置いているのである。

 

「では改めまして、所長に代わりこの私が──」

「や、君はええよ。僕がまとめて話す方が早いわ」

 

 しかしそこに、今も熱心に書物を読み耽る禿の老人が、本に目線を向けたまま訛りの入った言葉で横槍を入れる。

 生態研究所の所長である。

 

「え、ちょっ」

(ぼん)とルル君は天候条件とそれに伴う植生の変化。僕は生物たちの生息数、移動経路、糞のサンプルを調査した」

 

 驚くルルを他所に、老人は話を進める。

 これから言われることを残らず書き取ろうと、亜美が慌ててペンとメモを取り出した。

 

「結果としては、やはり動植物の移動が大きかった。特に古代樹の森のエリア1で昨日までの1週間に確認されたニクイドリの個体群密度が通常時の1.6倍、トウゲンチョウが1.75倍。それらの糞の6割から北部地域由来の腐肉や果実が見つかった。更に荒地由来のサンプルの割合が観察初期から後期にかけ漸増傾向にあったことから、少なくとも鳥類の移動現象は地域を跨ぐ規模で南下したことが推測できるんや。これは、先述の調査団所有の翼竜たちの状況とも一致した。更に重要な点が2つ。まず古代樹の森北東部における7℃前後の温暖化、降水量及び湿度の有意な減少、引いては荒地特有の乾燥に適応した植生の遷移……つまりは森に対する地理的条件を無視した乾燥気候の侵入。そしてもう1つ、荒地最北部上空に確認された巨大積乱雲。これは、奥地からの冷たい空気と荒地の暖められた空気とがぶつかったことで前線を形成したと睨んでる。これらの事実を総合して、荒地では気温上昇と乾燥、更に奥地では寒冷化が、それぞれ急激な速度で起こっていると判断したわけや。当地域の気流からは通常考えられん現象やからな。さて、ここまで来れば答えはほぼ決まったもんやけど……」

 

 全く訳が分からない。

 亜美までも呆気に取られたばかりに、その手からペンがすり抜けて落ちる。

 うさぎは、頼むように調査班リーダーの顔を覗く。

 

「……えーと。つまりどういうことで?」

「恐らくは複数の古龍による環境の撹乱、だな。それの影響が南にも次第に波及し、森のみならず大陸全域の生態系が大混乱に陥っているというわけだ」

 

 古龍。

 その言葉に、場全体の緊迫感が一気に高まる。

 

「やはり、古龍は天候さえも操るって本当なのね。……『魔女』の仕業という見方はないんですか?」

 

 亜美が生態研究所所長に聞くと、ルルの視線が波立つように動いた。

 が、誰も気づくことはない。

 

「まぁ油断は禁物やけど、アンジャナフに焼かれる程度のモンしか作れん奴らにとても出来る芸当とは思えへんね」

「っ……!」

 

 何故かルルが声を震わせた。

 それを気遣うつもりなのか、植生研究所の所長は陽気に声をかけた。

 

「まーまー、喋れなかったからって怒らなくていいじゃないか。きっと次があるよ」

「……私は持ち場に戻らせていただきます!」

 

 ルルは丸眼鏡をかける所長をバレない程度に一睨みし、そう言い残して去っていった。

 生態研究所の所長は、丸眼鏡の彼がポカンとするのを一瞥したのち、再び書物に目線を戻して。

 

「君ら、くれぐれも気ぃつけや。現在、荒地に『炎王龍』がいる可能性がある。あとで、よぉーく調べとき」

「炎王……龍? まさか、古龍が荒地にいるんですか!?」

 

 うさぎはいち早く反応した。

 

「あくまで可能性やけどな。万一出くわした場合、対処は君らの個人的判断に任せる」

 

 老人が相変わらず俯いて本に目を移したまま平坦な声で答えると、調査班リーダーは頷いてうさぎたちに呼び掛けた。

 

「では早速、出発の準備を頼む。いつでも、君たちのタイミングで向かってくれ」

「はいっ!」

 

 少女たちは威勢よく返事をすると、揃って近くの階段を駆け上っていった。

 

 一方、ルルは会議場から少し離れた植生研究所に着くと。

 

「あぁ~イケない、私ったら。たかが耳尖った爺さま1人にムカついてる暇なんかないってのに」

 

 ふぅーと一息吐き、一転して口角を上げた。

 

「まぁいいわ。荒地に植えておいたテルルンは今頃大成長して、ハンターどもをまとめてミイラにしてるはず。セーラー戦士どもも、もうじき奴らの仲間入りね」

 

 己に言い聞かせるように呟くと、不敵な笑みを浮かべるのだった。

 

──

 

 装備と持ち物の点検、地図による荒地と飛行中継所の場所確認。

 諸々の準備を行った後、うさぎたちは食事場の隣にある拠点外へと繋がるゲートに赴いた。

 各々が口笛を吹くと、すぐに鳥に似た鳴き声が響いた。

 斧型の嘴を持った小型の竜がちょうど5頭、羽ばたいてくる。翼竜メルノスだ。

 先頭にいるうさぎは息を吞んで、その脚目掛け、スリンガーからロープを射出した。

 その先端のアンカーが、翼竜の足爪の間に引っ掛かる。

 途端に、彼女の身体がふわりと浮かび上がった。

 

「と、飛んだぁっ!!」

 

 そこからは一瞬だ。

 翼竜も人に慣れているのか、特に戸惑う様子もなく力強く羽ばたいて彼女を運んでくれている。

 みるみるうちにアステラが遥か眼下に小さくなり、少し遅れて、仲間たちも後を追って飛んできた。

 

 彼女たちに手を振ると、うさぎは自身がやってきた南方へと振り向いた。

 ちょうど、時刻は正午より少し前。

 いつもより高い位置から見下ろす水平線は丸まって見え、改めて自身が鳥たちと同じ視点で世界を見ていると知らされる。

 

「わぁ~、感動~……」

 

 北へ視線を向けると、かつて彼女たちが足を踏み入れた古代樹が左手に見えた。 

 アステラの何倍もの面積を持ち森中に巨大な根を張るその姿は、まるで今にも動き出すかのような生命力を感じる。

 その横を風を全身に受けて空中を突き進むのは、飛行船に乗るのとは全く違う感動をもたらした。

 うさぎはそのまま飛行を続けていたが、やがて亜美に抜かされ、レイに抜かされ、まことにも美奈子にも抜かされ。

 

「あれ? あたしだけ高さが低い? なんで?」

 

 あっという間にビリになったうさぎが疑問符を浮かべていると、先頭を行くレイがふん、と鼻でせせら笑った。

 

「そりゃあんたが重すぎんのよ」

「ああああ言ったわねえええぇぇぇ!?」

 

 その声量で翼竜が暴れかけるほど、実に賑やかな出発だった。

 

──

 

 古代樹の影響はかなり遠くまで及んでいた。

 正午を少し過ぎた頃、うさぎたちは調査団が建てた翼竜飛行中継所の櫓に着いたが、そこでも地上には調査対象外の森林が陸の海の如く広がっている。

 テルルンと戦った古代樹が、今は豆粒のような大きさになっていた。

 あくまで調査団が調査しているのは、大陸のほんの一部でしかないのである。

 

「──異世界からこの世界に来たの、あたしたちだけじゃなかったのね」

 

 レイが、止まり木に掴まる翼竜に餌をやりながら呟いた。

 

 その事実は衝撃的なものだった。所長に聞けば、その旅人たちも『魔法』と称される力を使っていたという。

 つまり彼女たちは、唯一無二の存在ではなかった。

 

 亜美は、憂うように北の地平線を眺めた。

 

「でも、植生研究所の所長さんは言ってたわ。他の場合と違って今回は世界中に影響が及んでるって」

 

 天候は出発とは打って変わってどんよりと曇り、灰色の海が頭上に広がり始めていた。

 

「今回の古龍の異変……。もしかして大自然そのものが、あたしたちも含めて異世界からの侵入者を追い出そうとしてるのかも。それが未来の災いに……」

「えーっ、そりゃないわぁ! あたしたちはこの世界を助けるために頑張ってんのにー!」

 

 美奈子が嘆いて顔をしかめると、まことは手すりに頬杖をついてため息をつく。

 

「……だからこそ、事情を知ってるエイデンさんと相談したかったんだけどな。音信不通じゃどうしようもないな」

 

 正体を曝しても十分に信用が置ける新大陸の人間は、あの男しかいない。

 結局のところ、自分たちの問題は自分たちで何とかするしかない、というのが守護戦士たちの結論だ。

 

 

「……みんな。古龍に出会ったとしても、絶対に無理しないでね」

 

 

 少女たちの視線がうさぎへと向く。

 

「多分それ聞くの、ここに来て100回目だな」

「いいやぁまこちゃん、絶対150回は行ってるわよ!」

 

 うさぎは至って真面目に言ったのだが、仲間たちは苦笑いした。

 中でもレイは面倒そうにそっぽを向く。

 

「そんなこと言われなくたって分かってるわよ。五月蠅いわねー」

「本当によ!!」

 

 真剣な叫びに、彼女たちはもう一度振り向かざるを得なかった。

 

「シャガルマガラと戦ったから分かるの。古龍は、今のあたしたちじゃとても敵う相手じゃない」

 

 しばし戸惑うような沈黙があった後。

 レイは、渋々という表情で立ち上がった。

 

「……はいはい、分かったわよ。せいぜい睨まれないよう頑張るわ」

 

 うさぎはその言葉を聞いて、やっと安心したように目を細めた。

 

──

 

「見えて来たわ……『大蟻塚の荒地』よ!」

 

 亜美が指さした先、岩のような質感の柱が、遠くからでも分かるほど高く地面に聳え立っている。

 それこそが狩場の名の由来にもなっている『大蟻塚』。

 ハコビアリと呼ばれる生物が土を積み重ねることで造った天然の牙城である。

 麓には地肌がむき出しになった段丘やら砂丘やらが連なっている。

 それより手前には湿地帯が広がり、ちょうどうさぎたちは南方にある森林側から来ている形になっていた。

 そして、荒地の最も南にあるキャンプまではあと数分というところ。

 

「い、いきなり暑くなってきたわ!」

 

 そこに来て、美奈子が右手で顔を扇ぎながら呼びかけた。

 

「暑いというより……熱い!」

 

 まことも、じんわりと額に浮かんできた汗を右腕で拭う。

 事前にある程度聞いていたとはいえ、明らかに異常な気温だ。

 それだけではない。

 

「……ねぇ、あそこ」

 

 レイが、亜美とは別の方を指差す。

 彼女たちから見て西方だ。

 仲間たちが、果たして何事かと振り向こうとした直後。

 少女たちの身体が、黒煙に飛び込んだ。

 

「けほっ、けほっ!?」

 

 何かが焦げ、燻る臭い。

 全身を焼かれるような熱気。

 

 散々咳き込んだ彼女たちが、煙を抜けた瞬間に目を凝らすと。

 

「……火事!?」

 

 本来ならば、荒地の西で生命を営んでいるはずの森林。

 そこが、大量に黒煙を噴き上げていた。

 それも一ヵ所や二ヶ所ではない。()()()からだ。

 

 かちん。

 

 遠く、火打石を鳴らしたような音が鳴った気がした。

 

 

 森が、爆ぜた。

 

 

「!?」

 

 

 そうとしか言いようがなかった。

 平方300mほどはある森が、一挙に連鎖するように、至るところで爆破されたのだ。

 緑の海はそれらを発火点に、一瞬にして火の手に呑み込まれた。

 その後も火事の範囲は急速に膨れ上がっていく。

 

「……っ!?」

 

 後れて、凄まじい熱波が直撃する。

 うさぎたちは、反射的に顔を腕で覆って耐えた。

 しかし、翼竜はそういうわけにはいかない。

 彼らは悲鳴を上げ、翼を何度もばたつかせて暴れた。

 運搬に集中できなくなったためか、一気に高度が下がっていく。

 

「ちょっと、落ち着いて!」

 

 制止も虚しく、うさぎたちは森のすぐ東側へと運ばれた。

 その時には既に翼竜たちの列は乱れ、今すぐにでも我先に逃げださんほどの勢いだった。

 こういう時、調査団所有の翼竜はハンターたちを危険性の低い高度の低空から振り落とすよう訓練されている。

 しかしこのままではうさぎたち自身がチームとして離れ離れになる危険性があった。

 

「みんな、ロープを外しましょ!」

 

 美奈子の叫びに、4人はすぐ従った。

 スリンガーのレバーを引くとロープごとアンカーが揺れ、それに反応した翼竜たちは脚を振り払う。

 幸い高度はそれほどでもなく、砂地に少女たちは無事に着地した。

 無論半ば転がるような形での不時着であり、決してカッコよくはなかったが。

 翼竜たちが悲鳴を上げて帰っていくのを見つめながら、うさぎは仲間たちへ振り返った。

 

「みんな、大丈夫!?」

「ええ、何とか」

「こんぐらいで倒れるあたしたちじゃないよ!」

「もう、今度から翼竜に乗りたくなくないわぁ……」

 

 悪態をつく美奈子含め、いずれも目立った怪我はない。

 取り敢えずは着陸成功、である。

 

 しかし、出来事はこれに終わらなかった。

 ぞろぞろと、坂道の上から小さい集団が雪崩のように降りてくる。

 兎や鳥、蛙たちが悲鳴を上げて逃げているのだ。

 彼らは少女たちの脚にぶつかるのも気にせず、不毛の地に四散していく。

 

 彼女たちが西に顔を向けると──

 森は既に、炎獄と化していた。

 木々が轟々と音を立てて燃え、溶け、崩れ落ちてゆく。

 時分としては昼なのに、黒煙が立ち込めるそこはもう一つの夜の世界が作られたようでもあった。

 

「まさか……」

 

 亜美は続きを言えず、息を呑んだ。

 視界の裾まで広がる業火の中に、一つ、揺らぎが見えたからだ。

 やがてそれは、影になった。

 

 あらゆる万物が熱によって荒ぶるのに、それだけはゆっくりと()()()()()

 確実に意思を持った彼は遂に、灼熱のカーテンを潜った。

 

 その存在は、初めに山羊のような荒々しい角を現して。

 次に紫炎の色に染まった、雄々しい獅子の顔。

 口元には上下に聳える鋭い牙、その間からは火の粉のようなものが、後方へとなだらかに撒かれていた。

 名を名乗らずとも帝王の威厳を感じさせる、黄色がかった冠毛。

 尖った耳の後ろと顎からは、灼炎色のたてがみが豊かに伸び揃い、一種の気品すら醸し出している。

 

 続いて出て来た四肢は、4つとも大地を踏みしめて焼いていた。

 爪の周りの空気が、蜃気楼となって揺らいでいる。

 次に、溶けた砂や岩が液体となって、森の方面から斜面を流れ落ちてくる。

 獅子はその四肢を溶岩の川に潜らせたが、まったく意にすら介さない。

 

 彼は、四肢とは別に背から生えた翼を広げた。

 その幅、自身の肩幅の5倍以上はあろう。

 肩から外套のように伸びるそれは、内側に毛のように発達した鱗を靡かせていた。

 

 その時。

 一本、先ほどまで燃えていた一際背の高い木が中折れ、その上部が獅子の方へと傾いて落ちた。

 

「……」

 

 灼炎纏う獅子は何も言わず、落ちてきたものを見上げもしなかった。

 

 かなりの太さを誇っていたそれは、燃やされた復讐とばかりに獅子に直撃すると思われたが── 

 それは彼に到達する前に、炭になって虚無へと消え去った。

 

 彼はそのまま、帝王の如き堂々とした歩みを進める。

 うさぎたちは、ただ圧倒されていた。

 歩むだけですべてを葬る、生きた太陽そのものに。

 

 

 炎王龍テオ・テスカトル。それが、彼に人がつけた名だ。

 

 

 やがて、炎の壁を背にして止まる。

 天然の王座から、彼は身に纏う炎とは正反対の蒼い瞳で睥睨する。

 たった5人、自身より遥かに小さい少女たちを。

 

「……ゥルルル」

 

 小さく唸り声がした。

 うさぎは足が竦みつつも、疑問を持って彼を見つめた。

 表情は非常に険しいのに襲ってこない。

 見た目に反して温厚なのだろうか。

 

 しかし観察しているうちに、うさぎはある発見をした。

 よく見ると、炎王龍は立ったまま翼を動かしている。

 その動きは如何にも意味ありげで、風を送っているようにも見えた。

 

「……あつっ!?」

 

 気づいた瞬間、熱風が襲った。

 うさぎの眼前を、幾つもの火の粉が舞っている。

 

 粉塵だ。

 

 テオ・テスカトルは、それをうさぎたちの周囲にばら撒いていたのだ。

 見回せば、すっかり彼女らはその中に身体を埋めている。

 

「みんなっ」

 

 うさぎは振り返って叫ぶが。

 仲間たちは目を見開いたまま、全く動けていなかった。

 

 うさぎはそこでもう一つのことに気づいた。

 今の状況は、シャガルマガラに初めて見つめられた自分と全く同じだった。

 

 畏怖に射抜かれている。

 

 これまで相手してきたモンスターたちとは段違いの存在感、威圧感。

 それに心が圧し潰されて、身体さえも反応を拒否しているのだ。

 

 

「みんな、避けて!!」

 

 

 頸を回した炎王龍が、口に生える牙を上下に打ち鳴らした。

 一つだけ小さな火花が光る。

 

 

 粉塵が連なって光った。

 

 

 炎の華が次々に弾け、爆発音と共に地上を埋め尽くした。

 

 




最近、自分の書きたいことを詰め込んだ結果余裕で10000字を越すことに…。
ここまで来ると、もはや展開が頭に入ってない方もいるのではないかという不安も出てきました。
というわけで今回はアンケート実施。ご忌憚なき投票をよろしくお願いいたします。
流石に10000字近くで中々ないかもだけど、一応「短い」も選択肢に入れてます。
(1話ごとの文字数を減らすとエピソードごとの話数が増える可能性もありますが…そこは質と量のバランスを考慮に入れたうえで善処します)


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大地を踏みしめる太陽②(☽)

 少女たちは火花散る中、煤に塗れて倒れていた。

 

「う……」

 

 そのうちの1人であるうさぎが、ぴくりと指を動かす。

 恐る恐ると頭を上げた。

 

 幸い、他の4人も五体満足だった。

 彼女たちも、何とか顔を持ち上げようとしている。

 寸前でうさぎが声をかけたことで、ぎりぎり回避が間に合ったようだ。

 

 ただ、尋常でなく熱い。

 周囲の枯木が崩れ、高温と乾燥に強いはずのサボテンすらも萎びかけているほどだ。

 

 そこにずしんと足音が響き、火の粉が前を通る。

 鬼のように豪壮な牙が視界の上に覗く。

 

「あっ……」

 

 炎王龍テオ・テスカトルだ。

 彼は牙を打ち鳴らした所から一歩も動いていなかった。

 ただ斜面の上からこちらを見下し、佇むのみ。

 

 全く思考が読めない。

 

 彼女たちは立ち向かうべきか、逃げるべきか選択を迫られていた。

 なのに──未だに動けない。

 脳は思考を、腕と脚は反応を拒否する。

 

 やがて、あちらから歩み始めた。

 20mにも迫る体長ゆえ歩幅は人間とは段違いで、一歩ごとに威圧感と熱気が増す。

 

 そこでやっと、うさぎの口が動いた。

 既にかなりの距離を詰められた時だった。

 

「みんな! メイク・アップよ!!」

 

 かつて古龍と相見えたほんの僅かな経験が、彼女を突き動かした。

 彼女たちはうさぎの呼びかけで再び我に返り、変身スティックを急いで取り出す。

 テオ・テスカトルは猛然と吼え、紅と濃紫の交じった四肢を折り曲げる。

 

 燃え盛る巨躯が飛び出そうとした時、虹色の光が差した。

 

 炎王龍は光を堂々と突き抜け、人間たちがいたところに寸分違わず突進をしかけた。

 が、既にそこには誰もいない。

 うさぎたちは、久しぶりに皆揃ってセーラー戦士の姿へと変身していた。

 彼女たちは左右に散開し、振り返る炎帝の姿を見つめていた。

 

 無論、何の意味もなく変身したわけではない。

 この姿は、軽さと素早さを重視した形態だ。これで、本来なら躱せなかった位置でも無事に避けることができたのだ。

 

 うさぎことセーラームーンが王冠を外し、振りかぶる。

 

「ムーン・ティアラ・アクション!!」

 

 魔法の力と回転力を同時に加え、放つ。

 浄化の煌めきが王冠を輝く円盤に変え、直進。

 獅子の顔面に王冠が直撃する。

 

「グルオオッ……」

 

 見慣れない攻撃に灼炎の帝王、テオ・テスカトルは軽く態勢を崩す。

 

 だが、それだけだ。

 

 セーラームーンはこの世界の生物を浄化できない。その法則は古龍に対しても一貫していた。

 

 炎王龍は、頸を回して少女たちを睨みつける。

 何故かは分からないが、彼はかなり機嫌が悪いように見えた。

 そうでなければ、本来なら取るに足らない人間相手に出会い頭、爆破などしてこないだろう。

 彼は後ろに跳び下がって再び戦士たち全員を視界に据える。

 

 すう、と頸を仰け反らせ息を吸った。

 そして、吐き出すと同時。

 牙の間から、火炎放射が渦を巻いて噴き出す。

 

 螺旋はたちまち、炎王龍自身の全長をも超える長さへ拡がった。

 砂をも焼き焦がすそれを、彼は往復するように振り回した。

 

「くっ!」

 

 戦士たちはそれを跳躍して避ける。

 そして着地すると同時。

 

「あたしたちを……舐めるんじゃないわよ!」

 

 レイことマーズを筆頭に、各々が手に守護星の力を宿らせ、印を結び。

 

「クレッセント・ビーム!!」

「ライトニング・ワイド・プレッシャー!!」

「バーニング・マンダラー!!」

 

 遠距離から技を立て続けに放つ。

 光線、雷球、火焔輪の嵐。

 下位クラスの飛竜ならば、致命傷とまではいかなくとも衝撃に耐えきれず吹き飛ぶくらいはする弾幕だ。

 テオ・テスカトルはそれを、射程外から受け止めた。

 

 強烈な爆発が弾け、音が轟き、沈黙した。

 

「……」

 

 戦士たちは慎重に見守る。

 しばらくして、砂塵が消えた。

 そこにあるのは僅かに鱗が削れた以外大した傷もなく、眉間に皺を寄せる気高き獅子の姿。

 

 彼は不動だった。

 

 彼女たちは息を吞んだ。

 しかしレイことマーズは何とかそれを振り切って、

 

「マーキュリーッ!」

 

 その叫びに呼応するように、彼女たちは後ろにいる1人の青い戦士に振り向く。

 彼女は短い青髪を揺らめかせながら、掌の間に泡を虚空から生み出していた。

 

「シャボン・スプレー・フリージング!」

 

 技名を言い放ち泡を解放すると、テオ・テスカトルの周囲にたちまちのうちに霧がかかる。

 絶対零度の低温をもたらし、視界を奪う代物である。

 

「グルゥ……」

 

 赤いたてがみの先端に霜が降り、炎王龍は不愉快そうに首を振る。

 

「やっぱり。水、氷はヤツの弱点属性!」

 

 そう、少女たちは無策なわけではない。

 彼女たちは学者から貰った情報を元にハンターノートを読み漁っていた。

 彼の角が火焔を司る能力を制御することも、水や氷を苦手とすることも、あの火の粉が炎王龍の皮膚から排出される老廃物であることも、すべて知っている。

 

 だからこそ、このために時間稼ぎをしたのだ。

 最大弱点の属性を扱うマーキュリーが技を使えるように。

 彼女は一瞬できた隙を見逃さず、手元に大量の水分と冷気を生成する。

 

「シャイン・アクア・イリュージョン!!」

 

 マーキュリーは、冷気を帯びた激流を炎王龍へと浴びせる。

 

「グオオッ……」

 

 頬の辺りに直撃した。

 これにはテオ・テスカトルも驚いたのか大きく仰け反り、巨体が後方へと押しやられた。

 

「いいぞ、マーキュリー!」

 

 ジュピターは僅かに見えた希望に拳を握る。

 

 しかし、それも束の間。

 

 振り直った炎王龍は目を見開き、前脚を持ち上げ、翼を大きく広げた。

 

「ガア゛ア゛ア゛アアアアアアアアアッッッッ!!!!」

 

 憤怒の咆哮と共に、たてがみを始めとした彼の周囲が灼炎に包まれる。

 熱波が目に見える明らかな空気の流れとなり、彼を中心に広がった。

 

 霧はすべて吹き飛ばされた。

 一瞬で気温が()()()()()()

 

 先の更に上を行く熱波が、逆にセーラー戦士たちを飲み込んだ。

 

「あつっ……!?」

 

 セーラームーンは思わず怯んで顔を腕で覆った。

 その拍子に自身の戦闘服を見た直後、目を丸くした。

 

 赤いリボンが、白いレオタードが、青いスカートが、黒焦げて煙を上げ始めている。

 

 情報としては聞いていた。

 炎王龍テオ・テスカトルはその生物離れした体温により、周囲の気温を灼熱へと変える。

 しかし、守護星の聖なる力によって加護されるセーラースーツは、下手な防具よりも高い耐久力と環境適応力を持つ。それはあらゆる生命を拒絶する、宇宙での活動を可能にするほどだ。

 それさえも、この炎を司る古龍の前では通用しないというのか。

 

 陽炎のなか、仲間たちのセーラースーツもたちまちのうちに灼け焦げていく。

 それはあまりにも想定外であり、同時に絶望的な光景だった。

 

「……駄目よ! 狩人の防具を重ねないと、この灼熱……とても耐えられないわ!」

 

 苦渋の決断を迫られた美少女戦士たち。

 そのうちの1人であるヴィーナスの呼びかけは、戦士としては実質、敗北宣言にも近い。

 しかし、彼女たちには迷っている暇さえもなかった。

 

 光を纏い直し、戦闘服の素地の上に重い防具を重ね着る狩人の姿へと戻る。

 テオ・テスカトルはその変化に眉一つ動かさず、身を低く構えると突進を仕掛ける。

 当然、これは動きを見ていたので全員が横に避けることができた。

 

 マーキュリーの姿から戻った亜美は、視線の軌跡から彼が次に狙っているのは自分だと気づく。

 どうやら炎王龍も、彼女が自身の苦手な水と氷の使い手であると認識しているのは確かなようだ。

 亜美は急いで、地雷型の設置弾を砂地へと埋める。

 獅子のような雄々しい顔が、彼女を見据えて走り出すのを見計らい。

 

「シャボン・フリージング・ゲイザー!」

 

 相手の鼻が当たりそうな位置から、後方に地を蹴って離脱。

 地雷を踏んだ炎王龍の足下から、強烈な冷気が噴き出す。

 今度は顔だけでなく全身を包み込んだ。

 

「今度こそっ!」

 

 しかし──

 

「ガアアアアアッッッ」

 

 テオ・テスカトルは怯みもせず、堂々と冷気の中を突っ切った。

 その疾駆に目立った鈍りはなかった。

 

「これもダメなの……っ!?」

 

 霧のなかから姿を現した獅子の蒼い瞳が、亜美を睨む。

 思わず、ライトボウガン『あまとぶや軽弩の水珠』の引き金を持つ手が震えた。

 

「なんのっ……」

 

 美奈子は意地を見せて、ヘビィボウガン『バイティングブラスト』をしゃがんで構える。

 そこから守護星である金星の力を手から弾倉内に流し込み、乱反射させる。

 

「クレッセント・ショット!!」

 

 彼女が背後から撃ち出した弾は、強烈な加速度を得て射出。

 一発一発が重機関銃並みの威力を誇るそれらは、古龍の表皮をも容易く穿つ──

 はずだった。

 

 炎王龍を取り巻く炎に触れた途端、弾が消える。

 

「……え?」

 

 幻でもなく現実に、燃えて消滅したのだ。

 攻撃手段を丸ごと否定された美奈子は、どうすればいいのかすら分からない。

 

「あいつの纏う『龍炎』が弾を燃やすとは知ってたけど……」

「あれは、守護星の力を込めた弾だろ!?」

 

 レイとまことも武器を取り出した矢先にその光景を見せられ、立ち尽くすしかない。

 

 これまでの積み重ねの中で築き上げた、守護星の力と狩人の武器の併せ技。

 妖魔とは違い強大な巨躯を持つ竜に対して編み出した、彼女たち独自の武器。

 それが、いとも簡単に跳ねのけられた。

 この事実から言えることは、ただ一つ。

 

 (ドラゴン)は、竜とは全く違う。

 

「逃げよう、みんな!」

 

 うさぎが、呆然自失とする仲間たちに叫ぶ。

 幸い、彼女たちは何とか我を忘れず視線を向けてくれた。

 

「何よりも今は、死なない方が大事よ!!」

 

 テオ・テスカトルは再び息を吸った。

 急いで少女たちは踵を返し、燃え盛る森から離れる方向へとひた走る。

 直後、火炎放射が地上を薙ぎ払った。

 

 少女たちは何とかそれから逃れ、アーチ状の岩の下にある天然の空洞を通っていく。

 亜美は急いでハンターノートを開き、付箋の貼ってあった『大蟻塚の大地』全体図を開いた。

 素早く、真ん中辺りに書かれたテント状の絵に注目する。

 

「中央キャンプに行きましょう! そこなら攻撃を凌げるかも!」

 

 絵の指したキャンプの位置はそう遠くなかった。

 とにかく、南へ。

 木の根が絡みつく砂色の崖を右横に、沿うようにして走っていく。

 その先に、キャンプと繋がる横穴があるはずだった。

 

 一方、テオ・テスカトルもそれを見逃すわけはない。

 炎を噴き終わると、彼はすぐさま灼炎を纏って少女たちを追う。

 豹や獅子と同じく4つ足を使うせいか、飛竜より遥かに動きが素早い。

 

「間に合わない……!」

 

 レイはぎりっと歯を食いしばると、太刀『斬竜ヘルヘイズ』の鞘に手を添えて振り返った。

 

「レ、レイちゃん!? 駄目よ、あいつに炎は効かないわ!」

「……だとしてもよ。あたしたちの使命は、あんたをちゃんとまも──」

 

 うさぎに答えつつ、レイは使命感溢れる鋭い瞳でテオテスカトルを睨み返そうとした。

 彼女はそこで言い詰まり、動けなくなった。

 

 テオ・テスカトルは寸前で立ち止まり、彼女を凝視していた。

 人間()()ではなく、彼女1人だけを見ていた。

 

 怒りの中にも知性と気品すら漂わせる、青い瞳。

 それまで見て来た竜とは明らかに違う色だった。

 

「あ……」

 

 その瞬間、彼女の猛き心は必死に叫んでいた。

 動け、動けと。

 しかし肉体は怯え切って、震え切っていた。

 

 そう、その現象は先ほどからずっとあるものだった。

 初めてあの龍と出会った時も、戦士へと変身する直前も、美奈子の弾が効かなかった時も。

 

 ただ、自らの身体に鞭打って気づかないふりをしていただけ。

 それが間近に接近されたことでいよいよ露わになったのである。

 

 テオ・テスカトルは翼をはためかせ飛び上がる。

 牙の並んだ口内から炎が覗いた。

 うさぎたちが立ち尽くすレイの身体を引っ張ろうとしたときである。

 

 龍の頭上にあった崖から、何者かが炎王龍目がけて飛び込んで来た。

 

 抉れ傷のある金属のフルフェイスメットが、銀に鈍く光る。

 胸当てを飾る、ギルドの紋章が書かれた帯が上へと舞い上がった。

 

 背負う武器は太刀。

 恐らくは雌火竜のものであろう、緑の鱗が剣刃を渋く彩っていた。

 

 落ちながら刃を脳天に垂直、一撃。

 

 予想外の攻撃ゆえか、少しだけ熱気が収まった。

 その隙を突いて、その人はテオ・テスカトルの背に掴まる。

 

「グオオオオッッッ!!」

 

 驚いたのか、テオ・テスカトルはうさぎたちへの攻撃を中断してその場を跳び上がった。

 翼をはためかせて浮上し、ハンターを振り落とそうと藻掻く。

 それで、レイも我を取り戻した。

 

「……ハンター?」

「そこの穴に入れ!」

 

 兜の中から飛び出したのは年を取った男の声だった。

 彼が指差すのは、ちょうど近くの岩壁にある横穴。

 中央キャンプに繋がる入口である。

 

「は、はいっ!!」

 

 彼を訝しむ時間はない。

 うさぎを先頭として、少女たちは一目散に横穴へ駆け込んだ。

 洞窟だからか特別な加工をしているのか、入口に入ると熱気は一気に引いた。

 

 そしてそのまま行こうとして──

 突然地面がなくなった。

 

「あ、あれ?」

 

 先頭を行っていたうさぎが重力に従って落ちると、仲間たちも雪崩落ちていく。

 

「ぎゃーーーっ!!」

 

 派手な音を立てて折り重なる少女たち。

 それを見て、立ち上がって急いで走り寄ってくる人影があった。

 

「貴女たち、いま外に出たらダメじゃないの! 勇気と無謀は違うんだから!」

 

 厳しい叱る声に、一番下のうさぎは顔を上げる。

 うさぎたちより大人びて、しかし勝気な雰囲気の女性だ。

 明るい緑色の服を着て、額を出した波打つ黒髪ショートが印象的だった。武器を背負わず代わりに本を持っているので、ハンターでないことはすぐ分かった。

 その背後には黄色いテント状のベースキャンプが見える。

 うさぎたちの顔を見ると、彼女はすぐに表情を変えた。

 

「あれ……見ない顔ね。もしかして、5期団じゃない?」

「あ、あなたは……」

 

 まさに、安否確認の対象とされている生存者だった。

 未だ外から聞こえる怒声を尻目に、うさぎたちはこれまでの状況と事情を話す。

 

「……そうだったのね、誤解してたわ。じゃあ、貴女たちがアステラから助けに来てくれたってことね!」

 

 彼女は訳を知ると、気丈な笑顔で手を差し出した。

 

「私は5期団所属の編纂者よ。気軽に『リア』って呼んで頂戴」

 

 彼女はテオ・テスカトルを相手取るハンターたちの世話と編纂を行っているらしい。

 実際、キャンプにはうさぎたち以外にもハンターたちがいた。

 見るからに猛者らしい、ごつい防具をつけた彼らは回復薬らしき瓶を隣に置いて半ば寝るようにして休んでいた。

 

「それにしてもこんな若い子たちを推薦してくるなんて……相変わらずエイデンったら、変に広い人脈あるのね」

 

 何となしに彼女が呟いた人の名に、うさぎは敏感に反応した。

 

「エイデン……!? もしかして、リアさんって……」

「あら、鋭い。そう。私、彼専属の編纂者なの」

 

 編纂者リアは、少し得意げにネクタイを締める胸に手を当てた。

 うさぎは、ますます期待を膨らませて話を切り出した。

 

「良かったー。ちょうどエイデンさんとあるお話がしたくって探してたんです!」

「彼ならついこの前、現大陸に帰ったわ」

 

 ん?と、少女たちは時間が止まったように固まった。

 

「状況が状況だから、ちゃんと理由も聞いたのよ? そしたら『今は全く確信持てないから話せないっス!』とか言ってそのまま飛び出しちゃってね」

「え……じゃあ、新大陸にはもう……」

 

 ため息交じりに話すリアに亜美が確かめると、黙って首を振られた。

 目に見えて、少女たちの肩から力が抜ける。

 

 やっと自分たちのことを話せると思った矢先だった。

 いったいあの男はどこで何をしているのだろうか。

 見るからに落ち込むうさぎたちに、リアは心配げに呼びかける。

 

「私でよければ話、聞きましょうか?」

 

 一瞬うさぎは迷ったように仲間たちの顔を見たが、彼女らの表情は『ダメ』という風に硬かった。

 

「……いえ、大丈夫です」

「そう……。また気が向いたら、いつでも相談して頂戴ね」

 

 うさぎが首を振ると、リアは品の良い言い方で気遣ってくれた。

 しかし、彼女はれっきとした調査団の一角。

 エイデンの相棒とはいえ初対面で『自分たちが世界を滅ぼすかもしれない』などと誰が言えようか。

 

「いま、帰った」

 

 低く年を取った男の声が響いた。

 振り返ると、あの太刀使いがうさぎたちが落ちて来た崖の側面にあるツタを、ゆっくりと降りているところだった。 

 偶然ながらその防具のデザインはうさぎがかつて愛用していたリオレイアの装備、その男性用だった。

 リアはそちらに振り返ると、丸太で出来た簡易的な椅子を持っていった。

 

「ソードマスターさん、ご無事ですか?」

「ふむ」

 

 慎重深く足をうさぎたちと同じ平地に着けた彼は、リアの用意した椅子にどっしりと腰を据える。

 直後、テオ・テスカトルの蒼い瞳が横穴から覗いた。

 

「わあっ」

「大丈夫よ。たとえ炎を吐いてきても蒸し焼きにはならないようにしてるから」

 

 驚いたうさぎたちに対し、リアの態度は落ち着いたものだった。

 しかし、テオ・テスカトルはそのままじっと人間たちを見つめ続ける。

 うさぎの仲間たちは恐怖の入り混じった表情で見つめ返すしかなかった。

 

「…ルルル」

 

 炎王龍は、間もなくして引き下がった。

 彼の唸りも、ゆっくりと遠くへ離れ小さくなっていった。

 

──

 

「あれは嵐の夜の翌々日くらいだったわ。すべてのベースキャンプでツタ状の植物が生えてきて、次々にこちらを襲い始めたのよ。きっと、貴女たちが古代樹の森で見た不明生物と同じだわ」

 

 編纂者リアは本を開き、これまでの荒地の状況を説明する。

 うさぎたちは息を呑む。

 十中八九、魔法植物テルルンのことだった。

 デス・バスターズの毒牙は、この地にも迫っていたのである。

 

「とにかく、5期団のハンターたちも植物のせいで弱ってしまっててね。そこにテオ・テスカトルが北から来て、その熱波のせいで萎れてくれたのは良かったのよ。でも彼はそのまま荒地に居座り、更に西進する動きを見せた」

 

 リアは、今も怪我から身体を休める5期団ハンターたちを同情的に見つめた。

 

「彼らは実力を十分に出せない状態で戦わざるを得ず……今は、植物から奇跡的に助かったソードマスター1人で何とか拮抗を保ってる状態よ」

「……それで、あたしたちも見境なく襲ってきたんだね」

 

 まことは地面を見つめ、呟いた。

 幾ら人が虫けらと言っても、それらに何度も刺されれば憎たらしくなるのも道理であろう。

 

「ソードマスター。テオ・テスカトルは引き下がりそうですか?」

「動かざること、山の如し」

 

 リアに聞かれると、太刀使いの男は一言だけで状況を説明した。

 うさぎたちは彼が太刀の鞘を持って座り、微動だにせずに話す姿を緊張気味な顔で見ていた。

 

 ソードマスター。

 

 調査団では最も最初にこの地を踏んだ『1期団』であり、40年以上ここで活躍する現役の大ベテランである。数多くのハンターの指導者となり教え導いたとして尊敬を集めるという。

 以前からその存在を聞いてはいたが此度の件でその目に見ること敵わなかったが、折しも今回、直接命を助けられることとなった。

 

「それじゃ、みんなでアステラに帰ることは……」

「そなたらの言葉が誠なら、人を見た瞬間炙りにくるであろうな」

 

 ソードマスターの返答に、うさぎは俯いた。

 それはつまり、あちらから襲ってくる可能性が高いということだ。

 

「貴女たち、これからどうする?」

「え?」

「あの古龍と戦うかどうかよ」

 

 リアの問いに、うさぎは顔を上げる。

 

「……ごめんなさい、貴女たちにとっては侮辱に聞こえることを覚悟するわ」

 

 そう前置きをしてから、リアは敢えて厳しい表情をした。

 

「物資も尽きかけてる状況で、古龍との戦闘経験が少ない貴女たちが行くのは危険よ。アステラに救難信号を送って、補給班と入れ替わるべきだと思う」

「で、でも、せっかくあたしたちがいるのに……!」

「貴女たちが、現大陸での妖魔退治の件を買われたってのは検討がつく。だからこそ、ここで喪いたくないの。エイデンだってきっと同じことを言うでしょう」

 

 リアが相棒の名を出すと、反駁しかけた美奈子も躊躇を見せた。

 彼女たちがエイデンに推薦された訳ははっきりと伝えられなかったが、普通に考えるならデス・バスターズ暗躍を見越しての判断だ。そして実際、こうやってテルルンが出現している。

 だから本来ならば彼女たちには妖魔方面への対処が期待されるはずで、ここでわざわざ危険を犯してまで古龍に構う理由もない。

 リアの意見は、セーラー戦士たちにとっても非常に現実的だった。

 

「……リアさんに従いましょう」

 

 やがて、亜美が言い出した。

 

「ちょ、ちょっと、亜美ちゃんまで何言い出すのよ! ほら、レイちゃんもまこちゃんも、ずっと黙ってないで何か言わないと!」

 

 美奈子は再びこの諦めムードに逆らおうとするが、やはりどこか歯切れが悪い。

 いつもは戦いに前のめりなレイとまことでさえ、黙って座ったまま迷いを見せているからだ。

 

「……あたしたちだけなら、いいんだけどさ」

 

 それを聞くと、美奈子もいよいよ口を紡ぐしかなくなった。

 迷うようだったレイの視線が、そこで定まる。

 とはいっても、彼女に瞳にあるのは今や、諦めきった色だった。

 

「今のあたしたちじゃ、ソードマスターさんを手伝っても足手まといになるだけよ」

「……レイちゃん」

 

 まことが黒髪の少女の顔を覗き込む。

 ソードマスターは、彼女の方にヘルメットを少し傾けただけで何も言わない。

 

「ホントはあたし……うさぎが古龍を見てすぐ動けなかったっていうの、眉唾で聞いてたの」

 

 驚く面々を他所に、レイはうさぎの方を見つめた。

 

「でもあんたの言ってたこと、本当だったわね」

 

 レイは苦笑いしたかと思うと、元のように項垂れてしまった。

 普段何事にも気の強い彼女がこんなに意気消沈しているのは、それだけで異常事態だった。

 

「……」

 

 もう、リアの意見に反対する者はいなかった。

 彼女は幾分か罪悪感のある表情ながら頷いた。

 

「なるほど、分かったわ。じゃあいったん身体を休めて、時機を見て出ましょう」

 

 ソードマスターはただ、腕を組んで座っていた。

 

──

 

 少女たちは各々、テントの中やら地面やらに寝そべっていた。

 テオ・テスカトルによってもたらされた熱気はクーラードリンクによって防いでいるが、それでも汗ばむのは止められない。

 その中、レイは閉じていた目を半開いた。

 眠れないのだ。

 

「そこまで悔いるか。あの龍と戦えんことを」

 

 男の呼びかけに、彼女は真正面にいる彼を見やる。

 フルフェイスヘルムを通して聞こえるくぐもった低い声は、呆れる風でもなく同情する風でもなく、単なる興味と疑問を呈していた。

 レイは誰も動かないことを見て、

 

「前に、あたしたちの身を心配してくれた調査班リーダーさんに言ったんです。『自分たちも散々危険な目に遭ってきたんだから、信じて』って。……そのクセ今回、炎王龍を見て……動けなかった」

 

 やがて太刀の傍に置く己の腕を憎々しげに見つめ、掌で強く砂を握った。

 それから背後でポーチを枕に寝るうさぎの方を振り返りかけて、止めた。

 

「あたしたちには絶対に……命に代えても失っちゃいけないものがあるのに」

 

 仮にも守護戦士なのに、古龍を前に動けなかった。

 それどころか、護るべきプリンセスであるうさぎの声を受けて、初めて動けた。

 その事実が、彼女……いや、仲間たちの心に大きい影を落とす。

 

「矛盾など、生きておれば星の数ほど起こすものよ」

 

 ソードマスターがかけてくれた言葉は気休めにもならなかった。

 彼女たちの苦しみの根源は、この男には理解しようがない。

 それは前世を超えて繋がる絆であり、現世における親友としての絆なのだから。

 

 きっといざとなれば自分たちの身体はあの子のため、身代りとなるべく動いてしまうのだろう──

 

 その想いを、炎王龍はいとも簡単に否定した。

 一時的にとはいえ、根源的な生物としての恐怖と畏怖に負けた。

 そんな己を誰よりも許せないのは、自分自身である。

 

 ソードマスターはそんな事情すら知らず、それでもレイの俯く姿を見つめていた。

 やがて彼は、ゆっくりと肩を慣らすように動かし、

 

「そなたはあれを恐れているか。あれが、神に見えるか」

 

 突然の問い。

 レイは少し視線を逸らしただけで、答えられなかった。

 答えたくなかった。

 

「……ソードマスターさんにとっては?」

「あれは某の因縁の相手。現大陸では何度も戦った仲ぞ」

 

 ああ、やはりこの人は自分とは違う生き物だ。

 そう確信したレイは、長い黒髪を傾けてため息を吐いた。

 

「やっぱり人間辞めてるわ、ベテランのハンターさんって。死ぬのが怖くないなんて、まるでどっかの鬼兄弟みたい」

「いや、怖い。この(よわい)になってもな」

「え?」

 

 意外そうに目を丸めて顔を上げるレイ。

 それを見て初めて、ソードマスターはふっと小さく笑った。

 

「ただ、分かったことはある。某が真に見るべきは……龍そのものではなかった。龍だけを見つめることは己だけを見つめることになると、10年前まで気づけなんだ」

 

 恐らく、重要なことを言っている。

 レイはすぐそのことが分かった。

 だがいったい彼は何を言いたいのか。

 龍を狩るのに、龍を見ないとは一体どういうことなのか。

 

「ええっと……じゃあ、何を見ればいいんですか?」

「ふうむ、何というべきかな」

 

 困ったことに、悩まれてしまった。

 レイ自身も頭を押さえて考えてみたが、どうしてもその言わんとすることは掴めそうにもなかった。

 

「……」

 

 やがて気づく。

 ソードマスターが、腕を組んだまま全く微動だにしていない。

 それどころか呼吸すらしていないように思える。

 

「ソードマスターさん……!?」

 

 目の前であらゆる方向から手を振って見せるが、反応がない。

 最悪の事態を想定し、レイは急いでソードマスターの口許──正しくは兜に耳を近づける。

 

「ま……まさか……」

 

 顔を半ば青くしながらそばだてると──

 

「……ぐぅ」

「……寝てる……っ!」

 

 深い眠りに落ちていた。

 ベテランのハンターとはいえおじいちゃん。

 疲れによる眠気には勝てなかったのだ。

 

「はあ……いったい何だったのかしら」

 

 どちらにしろ、自分たちは退却する。

 古龍に対するあれこれを今考えても、どうしようもなかった。

 

 レイは髪をかきむしりながらその場に寝転ぶ。

 そんな彼女の背中合わせ。

 うさぎは少しだけ目を開け、何かを考えていた。




先週のアンケートについて、ご回答ありがとうございました!このままで良いとのご意見が多数だったので、だいたい1話につき10000字以内という想定で進めさせて頂こうと思います。

ワールドのムービー見返してるけど、ソードマスター本当にかっこいいですね。まさしくモンハン世界のベテランかくあるべきという感じで。己のやり方を貫きつつも新しき道を拓く若者を見守る貫禄。あと初見でイヴェルカーナの動きをあそこまで見破るのが凄すぎますよね…。
別にセーラー戦士を弱く書きたいわけじゃないけど、古龍の能力とソードマスターの熟練度を鑑みるとどうしてもこうなってしまう。


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大地を踏みしめる太陽③(☽)

「6期団。肩が強張っておる」

 

 洞穴の出口から、火の粉の飛ぶ曇り空が見える。

 ソードマスターは段差の上に開くそれを見上げ、後ろに控える少女たちにそう呼び掛けた。

 彼女たちは緊張の面持ちをしていた。

 当然でもある。

 今や物資は枯渇寸前、その上でテオ・テスカトルの襲撃を潜らねばならないのだから。

 それでも、男の声は至極落ち着いたものだった。

 

「老いぼれを踏み越えるは若人(わこうど)の特権ぞ。胸を張ればよい」

「え、踏み越えるって……」

 

 レイを始め、彼の言葉の選び方に違和感を覚えない者はいない。

 まるで、自身の命を勘定に入れていないようにも聞こえる言い方だ。

 

 後ろで待機していた5期団のハンターたちが、「先生……」と戸惑うように呼び掛ける。彼らにとっても心外だったのだろう。

 編纂者リアも険しい表情をして、傷だらけの鎧の男に詰め寄った。

 

「ソードマスター。炎王龍との接戦は一時に留め、すぐに帰って下さい。万一でも貴方が欠ければ、調査団は……」

「今の炎王龍は激情に駆られておる。安全第一では数秒とて引き留められまい」

 

 リアはそれ以上答えられなかった。

 怒り狂う古龍は自然災害に等しい。

 それを前に、『こうすれば思い通りに動いてくれる』などという希望的観測は通用しない。

 彼の言う通り、中途半端な攻撃ではすぐさま狙いを悟られる可能性すらあり得るのだ。

 

「後継については心配ない。優秀な者が既にいるゆえ」

 

 だが、調査団の面々にとっての問題はそこではないだろう。

 それをも了承したように、ソードマスターはハンターたちをじっと見つめた。

 不安げな顔が並んでも、男は確かな信頼の視線を崩さなかった。

 

「5期団、何があっても決して彼女らを恨むな。もしもの時は熱に狂って自ら燃えにいったと皆に伝えよ。……1人の生徒は何を言っても暴れるだろうが」

 

 編纂者も5期団も、しばらく視線を迷いに迷わせ、やがて。

 

「……はい。その時は……調査班リーダーは、こちらで何とかします」

 

 頷いた。

 やり取りは短くも、そこには凄まじい覚悟があるに違いなかった。

 

「まさかソードマスター、貴方は最初から……」

「外へ出るぞ。時間がない」

 

 亜美が聞くのを待たず、ソードマスターは先にキャンプ外へ続くツタに手を伸ばした。

 彼女たちは、急いで後を追う。

 

「ほう、これは」

 

 外に出たソードマスターが、ある方向を見上げて感心したように呟く。

 一番先に出たレイの鼻を、熱気が薙ぐ。

 はっとした彼女が、男が見る崖の上を見ると。

 

「グルルルル」

 

 炎王龍テオ・テスカトルが、既に立っていた。

 獅子に瓜二つの顔を不機嫌そうに歪め、牙の間から低く唸っていた。

 少女たちは出て来た者から順に身構える。

 多少慣れこそしたが、それでも冷や汗の滲むような覇気だ。

 

「早速の出迎えか」

 

 炎王龍はゆっくりと飛び降りた。

 そして、わざと見せつけるように翼をやや広げ、目線をこちらに向けたままその場を往復する。

 ソードマスターも太刀を引き抜き、白刃を見せつけ、ゆっくりと歩んでいく。

 やがて彼は止まり──抉れたヘルメットを少しだけ、うさぎたちの方に傾けた。

 

 

「そなたらは、自分の行きたい道へ行け」

 

 

 テオ・テスカトルが四肢を曲げ、飛びかかった。

 ソードマスターは横に転がり避け、そこから太刀の切っ先で龍の首元を突く。

 灼熱のたてがみに吸われ、皮膚には届かない。

 龍の注意はソードマスターへと集中し、首を回すと同時に炎を噴きかける。

 しかし男は敢えて懐に入り込み、巧みに胴へと斬り込んだ。

 

 炎王龍は懐を警戒し、前脚を軸にして胴体を転回。

 お陰で、彼に塞がれていた谷道に少しだけ余裕ができる。

 なおも達人の猛攻は止まらない。

 雄叫びを上げて走り込むと縦斬りを放ち、それは相手の頬の鱗を削った。

 続いて突き、斬り上げ。

 龍は反射的に噛みつこうとしたが、その時には既に反対側の頬に陣取っている。

 一つ一つの挙動を見切っていなければ到底不可能な、大胆ながら繊細な動き。

 凄まじい威迫に、うさぎたちが足を止めかけていたところ。

 

「行けっ!!!!」

 

 ソードマスターは初めて大声を張り上げた。

 

「は、はい!!」

 

 それに押されるように、うさぎたちはソードマスターが作ってくれた隙間を駆けていった。

 だが、もはやテオ・テスカトルの興味は彼女たちに向けられていない。

 彼が両前脚を上げて咆えると、その身に火の粉にも似た粉塵を周囲に纏った。

 

「ふむ、粉塵を纏ったか」

 

 炎王龍は、粉塵の入り混じった火炎放射を正面にいる男に噴きかける。

 彼が龍の側面に入り込むように走り込むと、直後、火を吐きかけた地点で連鎖爆発が起こる。

 そこから次は頭付近に太刀を上からもう一撃。

 岩をも穿つ刃が獅子らしい顔の鱗と擦れて、眉の辺りに白い筋が入る。

 苛立たしげに唸った炎王龍は口許に粉塵をばら撒き──

 牙を鳴らして即座に爆破。

 

 だが、ソードマスターはその動きをむしろ()()()()()

 一度でも当たれば人など容易く粉砕するそれを、瞬間的に。

 

 見切る。

 

 爆発の衝撃が当たらない寸前の位置で腰を捻り、その身を回し、太刀を持ち上げ、後方へと受け流す。

 すぐさま踏み込み、斬り返す。

 相手は吹っ飛んだろうと安心しきったその顔面に一発ぶち込み。

 

 白銀に輝く大回転斬り。

 

 炎王龍は強烈な一撃に思わず怯んだ。

 

──

 

 うさぎたちは、天然のトンネルが見える辺りまで逃げ延びて来た。

 最初は全速力で走っていた。

 一所懸命に指示に従って、南の十分離れた所で補給班を呼ぶ信号を打ち上げようと。

 しかし、次第にその足取りは遅くなっていく。

 

 

「ごめん。あたし……間違ってた」

 

 

 うさぎが最も先に立ち止まった。

 察したように、仲間たちの足も止まって彼女に振り向いた。

 

「リアさんやソードマスターさんの言ったことは多分、正しいわ。でも──」

 

 乾き切った熱風が、少女たちの鮮やかな髪を揺らす。

 

「あの人の犠牲も仕方ない、なんて言ったら……本当にあたしたち、取り返し付かなくなる」

 

 仲間たちは、胸を貫かれたように顔を歪めた。

 そもそも彼女たちの目的は、未来の『災い』から自分たちの世界の、そしてこの世界に数多とある生命を救うためだ。

 なのにここで救えるかも知れない、しかも多くの人にとって大切な人の命を見捨てようとしている。

 

「……なるべく龍と戦いたくないのは事実じゃないの?」

 

 その中レイが問いかけると、うさぎは迷うように一時は俯いた。

 彼らは、強い。

 奮起しても全く敵わず、誰かの命を喪うかもしれない。そもそも立ち向かうべき存在かどうかすらも分からない。彼らに挑むこと自体、自然の理を乱す間違った行為なのかもしれない。

 『かもしれない』がいくらでも木霊する。しかしうさぎはそれでも、靄を振り払うように顔を上げる。

 

「だから、モンスターたちと傷つけ合うのはこの大陸でおしまいにする。それが、この世界への……あたしの最後のわがままよ」

 

 ただの自己満足。

 そう言われればその通り、としか言えない。

 だがそれでも、彼女は桃火竜から造られた胸当てに掌を当てる。いまその胸にある想いを確かめるように。

 

「……やっぱり、うさぎちゃんは強いな。あたしたちの中で一番この世界に向き合ってる」

 

 まことが一番に口火を切る。5人の中で最も背の高い彼女は、最も背の低いうさぎの肩に肘を乗せ。

 そして、男勝りな微笑みを見せた。

 

「あたしも行くよ。うさぎちゃんだけに戦わせるわけにはいかない」

 

 そこにもう1人、美奈子も加わり反対の肩に手を置く。

 

「そのわがまま、あたしも乗るわ。このまま逃げ帰ったら、それこそ絶対後悔が残るもの!」

 

 吹っ切れた様子の2人に、うさぎは幾らか元気づけられたように顔を緩ませた。

 亜美はまだ迷っているようで、彼女たちに相対する形で口を開いた。

 

「じゃあ、これからどうするの? あの龍への対策は?」

「そこは………………ごめんっ!」

「あんたねぇ」

 

 うさぎは、仲間たちに頼み込むように手を合わせた。

 そう、ここまで言っておきながら、彼女には何も具体的な策がなかったのである。

 呆れを口に出したレイだけでなく、仲間たちも「まぁそうですよね」という顔でいた。

 やがて、亜美は唇を噛み締め、真っ先に前へと歩み出した。

 

「……それなら、あと30秒以内に方法を考えましょう」

「さ、30秒!?」

「早いに越したことはないわ!」

 

 亜美は鋭く早口で振り返りざまに言うと、地図を素早く開く。うさぎの戸惑いも打ち消すほど、その目は『マジ』だった。

 そう、これには1つの命の行方が関わっている。残りの4人も、顔を引き締めた。

 一斉に5人分の脳味噌をフル回転させる。

 

 そのうちの1人であるレイも、懸命に記憶を手繰り寄せた。

 ハンターノート上のモンスターに関する記述はあくまで汎用的なものであり、ほんの一部でしかない。

 実際のところは個体ごとに生息環境、その場の状況によって細かな生態に差異があり、結局は自分自身が見たものからヒントを得るしかないのだ。

 

『某が真に見るべきは……龍そのものではなかった。龍だけを見つめることは己だけを見つめることになると、10年前まで気づけなんだ』

 

 レイにはやはり、ソードマスターの姿が多く浮かぶ。

 彼がかけた言葉と、実際に戦う姿がダブる。

 やがてそこに違和感が生まれた。

 彼女たちが挑んだ時とは明らかに異なる、ある点に関して。

 

「……さっきのソードマスターさん、頭に近づけてたわ! あたしたちの時は、一歩も進めないくらい熱かったのに!」

 

 レイの一言に、「そういえば」と仲間たちの顔が変わる。

 

「でも、あんな動き回る相手の頭を狙うなんてさすがに無理じゃあ……」

 

 うさぎの視界に、偶然あるものが入った。

 今自分たちが背を向けようとしている、かつて下を潜って逃げてきたアーチ状の岩だった。

 

──

 

 凄まじい太刀捌きが、紫の鱗を削る。

 ソードマスターは相手の爪を、炎を、牙を全て躱しながら着実に攻撃を進める。

 男が選ぶのは攻めの姿勢一択。

 その苛烈さに、遂に炎王龍は苛立ったように首を振った。

 

 彼は翼をはためかせ、前方に粉塵を撒いて跳び下がる。

 直後に男を見据えて牙を鳴らすと、少し遅れて粉塵が大きく爆ぜる。

 ソードマスターは既にそれを横に避けていた。胸当てから垂らす黄色の団旗が爆風で強くはためき、砂の幾つかがぶつかってカラカラと軽い金属音を立てる。

 

「相変わらず、用心深いヤツよ」

 

 テオ・テスカトルの撒く火の粉に似た『粉塵』──正確には古くなった組織片──には、爆発性がある。

 

 これは僅かな火種、または強い衝撃があれば瞬く間に引火し、並の生物ならば容易く灼き、爆散させる。いわゆる粉塵爆発だ。

 炎王龍自身もこの性質を理解しており、己の牙を擦り合わせ火花を散らすことで、意図的に爆発させるのである。

 

 出来るなら粉塵に当たるべきではない。

 もしも粉塵に塗れた状態で体当たりや火炎放射などを浴びれば即引火、ほぼ死亡は免れないからだ。だが、そうすると行動範囲に制限がかかり、思う存分に動けない。

 そこでソードマスターが取った行動は──

 

「大技を喰らわねば、問題はなし」

 

 粉塵に構わず突っ込むことだった。

 粉塵だけでなく煤までも付着するが、一切気にもとめない。

 次に来る攻撃を見切り、即座に転がるように躱しながら直後に反撃。この転がるという動作を織り交ぜることで、粉塵を払いつつ戦うのである。

 彼は、あらゆる動作、あらゆる時間を攻めに注ぎ込んでいた。

 それもすべて、あの少女たちを逃す時間を稼ぐため。

 

「……しかしあの娘たち、遂に挑まなかったか」

 

 今しがた口を開けた獅子の頬を、太刀で横薙ぎながら右に足踏みをした男は、惜しむように呟く。

 

 最後の最後に狩人を生かすのは、運だ。

 

 生き残るための努力は必要だが、それも運の力に比べれば微々たるもの。

 どれだけ才能に恵まれようと、技術を山ほど積もうと、対策を積もうと、死ぬ時は一瞬で死ぬ。

 それが人という生き物だ。

 

 その点、彼女たちは十分に見込みがあった。

 一度はテオ・テスカトルに挑み、生き残っている。しかも1人は龍と相見えたのはこれで2回目という。

 なのに、編纂者に1回咎められただけで挑戦を諦めてしまった。

 真実を求め、高みを目指すには、時には自ら分かって危険に飛び込むことも必要だというのに。

 

「まぁ……たかが老人の戯言か」

 

 小さく笑いながら自嘲し、ソードマスターは再び縦斬りを放とうと一歩右から踏み出した。

 途端──

 右脚に激痛が走る。

 

「ぐぅっ!?」

 

 完全に想定外だった。

 老体に鞭打ち、何日も休まず戦っていた無理が祟ったのだ。

 

 態勢を崩した男の隙を、炎帝は見逃さない。

 差し込むように前脚を薙ぐ。

 瞬間、彼は身体を捻るように逸らし、腹に力を込めた。身体に与えられる衝撃を最小限に抑えるためだ。

 

 鋭い爪が団旗を、その下の鎧を容易く裂き、金属の断面を真っ赤に灼く。

 

 奇跡的に内部の身体に傷は負わなかったが、身体は吹き飛ばされ転がった。危うく背後の岩壁に叩きつけられそうになる。すぐさま篭手で姿勢を立て直し、激突は免れた。

 

 しかし彼ほどの剣豪になると、狩りの流れというものが分かる。これは相手の番、この次は自分の番、という風に。

 

 今は、完全に相手の番だ。

 

 明らかにソードマスターは押されていた。余程のことが無い限り、助からないと確信した。

 

 炎王龍は、首を持ち上げて男を睨み歩んでくる。昨日までにつけた何百もの傷は、ほぼ全て塞がっていた。溢れ出る気品にも全く陰りはない。

 これが古龍という生き物だ。

 何度傷つけても、何度怒らせても、絶対に威厳を崩そうとしない。

 

「……好敵手に引導を渡されるとは、幸せな最期よ」

 

 ある種その姿に畏敬を示すかのように、穏やかに呟く。

 あの少女たちも、そろそろ南に逃げ延びた頃だろう。今後は、5期団のハンターたちが上手くやってくれるに違いない。

 

 しかし、太刀は絶対に手放さない。

 最期は愛刀と共に散ると固く誓ったからだ。

 彼は天然の王冠ともいえる炎王龍の角を見つめながら、太刀を構える。

 

 

 小さなものが一つ、炎王龍の背にぶつかる。

 

 

 それは軽い音を立てて跳ね、ソードマスターの目の前に転がってきた。

 何の変哲もない石ころだ。

 テオ・テスカトルは開きかけていた口を閉じ、背後に振り向いた。

 彼の向こうに、お団子頭の少女の姿があった。

 

 間違いない。あの、ソードマスターが身を張ってまで逃がそうとした少女たちのうちの1人だ。

 ソードマスターはそれに目を見張った。

 そして自身の覚悟や努力を踏み躙る、この愚かな行為に怒る──

 

 

「あの娘たちも、狩人だったか!!」

 

 

 どころか、彼は、思わず大声で快哉を叫んだ。

 

「ヴア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!!!」

 

 むしろ怒り狂ったのはテオ・テスカトルの方だ。

 狩人への直々の処刑を邪魔した無礼者に、彼はすぐさま吼えて向かっていく。

 

「こっちに来なさい!」

 

 彼女は叫びながら、西側にあるアーチ状の岩──その下にある天然のトンネルの下に陣取る。

 テオ・テスカトルはそのままその少女、うさぎを追った。

 駆ける速度は間違いなく龍のほうが格上。

 そのまま眼下の少女に爪を振りかざそうとした時、正面から鋭く飛んできた複数のモノが彼の角に直撃した。

 

「ヴゥ……?」

 

 半ば皮膚に突き刺さったそれらは間もなくして取れたが、それに含まれた冷気を帯びた水分、そして眩い光に気づき、炎王龍はうさぎの向こうを見やる。

 亜美と美奈子だった。

 その手には軽弩と重弩。

 彼女たちがトンネルの向こうから撃ったのだ。

 間髪入れず、2つの銃口から火薬の炸裂光が漏れた。

 

「ガァ……アアッ!」

 

 頭に銃弾を何発も入れられ、龍は忌々しげに唸る。

 痛さから来る声ではない。ただ鬱陶しいだけだ。

 彼はその場に留まったまま前方に粉塵を翼で扇ぐことでばら撒く。

 牙を鳴らし、着火。

 

「うわっとっ!」

 

 うさぎは横に走り抜け、攻撃範囲から逃れる。

 けたたましい爆破音と共に、爆発が連鎖して道を作る。それがアーチ岩の下を潜り、向こうまで5秒たらずで突き抜ける。

 その射程、最低でも直線距離で50m以上。

 うさぎはごくりとつばを飲んで見守った。

 

 硝煙の中、トンネル両脇の壁から亜美と美奈子が再び顔を出した。

 

 彼女たちは地形を使い、爆破から逃れたのだ。

 

 うさぎは安心してため息をついた。

 このままでは埒が明かない。そうテオ・テスカトルも気づいたのだろう。

 彼は、次は真っすぐトンネルに向かって突進する。

 

 それを見たうさぎは急いで石ころを取り出し、左腕にある小型の弩、スリンガーの弦後部にある金具に装着。

 すぐさま狙いをつけ、スリンガー下部にあるグリップを握る。

 

 石ころが再び弾き出されるが、それはテオ・テスカトルに向かわない。

 

 放物線が向かう先、トンネルの天井に掌より大きな橙色の固い実が生っていた。

 それに石ころが当たり、実を揺らす。

 

 実は真下に落ちて、ちょうどそこを通りがかった炎王龍の鼻面に当たって殻が弾けた。

 破裂。強烈な衝撃を与える。

 テオ・テスカトルは一瞬だけ、顔を背け動きを止めた。

 

「グゥッ」

 

 目を瞑り、立ち止まる。

 それ自体は攻撃にすらならない些細なものだ。

 しかし、そこに影がかかった。

 崖上から同時に、少女2人が落ちて来たのだ。

 ハンマーを持ったまことと、太刀を持ったレイである。

 亜麻色のポニーテールと黒いロングヘアーが、重力に逆らい上方へ広がる。

 

「シュープリーム・スピニングメテオ!!」

 

 先攻はまこと。

 空中で回転力を加えながら、最後に強烈な落雷を浴びせる。

 

「たあああっ!!」

 

 後攻のレイは遅れて一太刀浴びせ、そのまま着地。

 炎王龍の視線を誘導し、反撃の暇すら与えず。

 

「炎華気刃斬!!」

 

 真紅の炎を纏った刃による回し斬りを、三連で顔にぶち当てる。

 ちょうど当たりどころがよかったのか、いくつかの鱗片が弾けた。

 

 無論、雷も火もテオ・テスカトルには通用しない。

 だから、彼女たちは重力を使った。

 落下する衝撃を利用して、意識せざるを得ない衝撃に底上げしたのだ。

 それはちょうど、ソードマスターが彼女たちを助けた時のように。

 

 まことは頭を振る炎王龍を前に、嬉々としてハンマーの柄を構え直す。

 

「本当だ、近寄っても熱くない!!」

 

 この作戦に至ったのはレイの一言がきっかけだった。

 炎を纏っていた時は近づけなかったが、今の粉塵を纏う状態ならば何とか熱気に耐えられる。ソードマスターはこれを判断して戦っていたのではないか、と。

 

 スリンガーを活用する辺りは、テルルンとの戦いからの応用だった。

 図体だけならテオ・テスカトルの何倍もの体積を誇ったテルルンをも怯ませたはじけクルミ。それなら彼も足を止めてくれるのではという、うさぎの期待が見事に的中したのである。

 

 焼かれないのなら、相手に近づかれる心配はしなくてよい。

 少女たちは自身の心を落ち着かせて、次の相手の出方を伺う。

 テオ・テスカトルも彼女たちが先程とはまるで違う表情をしているのに気づいたのか、何処か警戒するように唸った。

 睨み合いが行われるうちに、うさぎは急いでソードマスターの下に駆けてきた。

 

「ソードマスターさんっ!」

 

 うさぎは息も整えない間に、ポーチを急いでまさぐる。

 

「言いつけ破ってすみません! これが、あたしたちの『行きたい道』です!!」

 

 うさぎは取り出した回復薬の瓶のコルクを抜き、ソードマスターに差し出す。

 同時に、叫んだ。

 

「ソードマスターさん。貴方の力、どうかこれからも調査団に……あたしたちに、貸して下さい!」

 

 必死に駆られた声だった。

 だが、ソードマスターはそれをそっと押し返した。

 

「それはそなた自身のために取っておけ」

 

 代わりに彼は自身の応急薬を取り出し、一気に呷った。

 次に好敵手を見る。

 テオ・テスカトルが特に重傷を負った様子はなかった。たかだか角に僅かに亀裂が入り、古くなった鱗のいくつかが剥がれ落ちただけ。全くもって弱った様子がない。

 

「どうやら……まだ某は死なせてもらえんようだ!」

 

 瞬間的に立ち上がった男は、年齢に見合わぬ速度で地を駆けた。

 ずっと少女たちに集中していたテオ・テスカトルは反応が遅れた。

 その後ろ脚の踵に突き刺す。

 青い瞳が再びソードマスターを捉え、素早く翻って前脚を叩きつける。

 

 しかしその時、男は既に踏んで蹴り、バネにして高く跳び上がっていた。

 眼下に捉えるは、ちょうど振り返った炎王龍の王冠の如き角。

 

「でぇやあああああああっっ!!」

 

 宙から垂直に斬り下ろす。

 

 兜割り。

 

 バリバリバリッと音がして、角の先端から掌に収まるほどの小さな欠片が落とされ、頬の辺りの鱗が剥がれた。

 

「……凄い」

 

 同じ太刀使いであるレイはその技の鮮やかさに思わず見惚れた。

 他の少女たちも、足を止めていた。

 テオ・テスカトルは苛立たしげに頭を振るい、6人の人間たちをじっと見つめた。

 攻撃はしてこない。

 

「ガアアアアアッッッ!!!!」

 

 彼は威嚇するように咆えると、翼羽ばたかせ飛び上がった。

 粉塵を散らし、尾を引きながら北部の砂地へと飛んでいく。

 次第に、熱気はほんの少しだが収まっていった。

 

「……今のうちに!」

 

 亜美は急いで懐から取り出した発光信号弾をスリンガーに装填し、天に向かって撃ちあげた。

 アステラでの打ち合わせでは狼煙を発見次第、すぐさま補給隊が荒地入りする予定だ。

 未だテオ・テスカトルは北にいるようだが、南のキャンプへの補給を行うなら今がチャンスだった。

 煙を引く光を見て、うさぎはやっと腰をその場に下ろした。

 

「これで、キャンプのみんなも助かるわね!」

「あ……貴女たち、まさかソードマスターとテオ・テスカトルに……?」

 

 振り返ると、そこには編纂者リアがいた。

 彼女は声を震わせている。

 

「あっ……」

「怪我はない!?」

 

 彼女は駆け寄り、5人の装備を見回して怪我がないことを確認したあと、急いでソードマスターの様子を見にいく。

 彼は「大丈夫だ」と断るが、それでも医薬品の入ったポーチを取り出しかけている。

 

「まさか、貴女たちはそんな無茶しないって信じてたのに……!」

「そう怒るでない。お陰で某は助かった」

「ソードマスター……」

 

 リアはその手を優しくも止められ、涙で潤んだ瞳でフルフェイスの老人を見やった。

 

「むしろ、調査団はこの蛮勇と知恵を称えるべきよ。これで彼女らは、早くも5期団と肩を並べた」

 

 ちょうど、包帯を巻いた5期団ハンターたちも出てきていた。

 彼らは未だ力無い足取りではあるが、それでも頑張ってソードマスターの近くへやって来る。その中にはぼろぼろと涙を流している者さえいた。

 4人ほどの彼らは、順に少女たちと握手した。

 

「ありがとう……。君たちのお陰で僕たちの希望が消えずに済んだ」

「流石はエイデンが選んだ子たちね。この恩、一生忘れないわ」

 

 言葉の端々に重々しさが見え隠れする。

 それに釣られたように、編纂者リアも背を向けて涙を拭った。

 この『先生』がどれだけ大きな存在なのか、うさぎたちは改めて思い知ったのだった。

 

「喜ぶは早いぞ。まだ炎王龍を荒地から追い出せたわけではない」

 

 感動的な空気に構わず、ソードマスターの言葉が飛んだ。

 

「あの古龍は縄張り意識が高い。此方から刺されるを嫌って少し移動したのみぞ」

「……確かに、あの様子だとすぐ戻ってきそうですね」

 

 レイは顔を引き締め直して呟く。

 傷の浅さからも見て取れるに、恐らくは西へ進む意志も崩してはいまい。

 

「じゃあ、もっと彼に嫌がらせしまくるしかないってこと?」

「美奈子ちゃん、言い方……」

 

 真面目な口調ながらあんまりな表現に、まことは咎めるように囁いた。

 

「考え方は間違いではないわ。我々は彼に、ここから西に行くことはメリットがないと思わせる必要がある」

 

 リアも編纂者としての整った顔立ちに戻り、そう進言する。

 

「とにかく、一旦補給隊の到着を待ちましょう。そこから今度は着実に、計画を立てるのよ」

 

 亜美の言葉に反対する者はいない。

 彼女たちは頷き、中央キャンプへと歩を進める。その中、うさぎは北の方を振り向く。

 塔か城のような大蟻塚が聳えている。向こうには大峡谷が広がっており、その先は見えない。空は未だ火の粉が舞い、黒ずんだ煙のような雲が生き物のように一面を埋め尽くし蠢いていた。

 

「越えなくっちゃ。この壁を」

 




というわけで、次回は2回戦となります。古龍がそう簡単にやられるわけないからね。この作品も来年に持ち越しとなりますが、さすがに来年で終わるかな…。現状、まだ執筆完了した分は4編中盤に届いてはおりませんが。
皆様よいお年を。来年もぜひ、ご愛読頂ければ嬉しいです!


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大地を踏みしめる太陽④(☽)

あけましておめでとうございます!


  巨大な大蟻塚の膝下には、起伏の激しい砂丘が広がっている。

 その頂点、あるいは谷に当たるところには蟻塚が複数立っていた。

 いずれもハコビアリと呼ばれる小さな生き物たちが、長い時間をかけ土を積み上げたものだ。

 しかし今、彼らはどこかへ避難したのか1匹残らず姿を消している。

 

 

 炎王龍テオ・テスカトルは、その最も高い砂丘に座っていた。

 

 

 彼は鱗から成る猛々しい獅子の顔を持つが、堂々と砂地に座す姿は王の名に相応しい高貴な印象を与える。

 

 彼はふと、振り返った。

 北の方角だ。

 そこには大峡谷が聳えていたが、そこに関心は向いていない。

 ずっと遠くの、大陸の奥だ。

 

 すん、と鼻を鳴らす。

 彼はぐるるる、と唸り、南へと視線を戻す。

 

 人間だ。

 

 6名歩いてきている。

 先の戦いから、1時間ほどが経とうとした時だった。

 

「グォアアアアアアアアアッッッッッッ!!!!」

 

 炎王は立ち上がり、咆哮する。

 命知らずの客人を、王座へと迎え入れる。

 

──

 

 先陣は思い切ってソードマスターに任せた。

 彼以外に『炎王龍に慣れている』人などいるわけがない。

 

 見たところ、現在は近づく者を焦がし弾矢を消し去る『龍炎』を纏っていない。

 前回と同じく、十分に近づいての攻撃が可能だろう。

 両者は砂を蹴飛ばしながら接近する。

 ソードマスターは突進を軽く躱すと、すれ違いざまに横に太刀を薙いだ。

 刃が赤いたてがみを軽く裂き、その下の鱗も削った。

 それに引かれてか、炎王龍が立ち止まる。振り向くまではまだ余裕があった。

 

「ふんっ」

 

 だがすぐに左脚を軸にして転がり、離脱。その後も斬りこんでは様子見という行動を繰り返す。

 右脚を痛めた状態で先と同じような無茶は流石にマズいと、キャンプで待つ面々に散々念を押されたのだ。

 実際、彼は右脚を庇いながら動くので、どうしても動きは時節鈍くなる。

 

 そして念を押されたのはうさぎたちも同じ。

 無暗に突っ込んだりはせずソードマスターの後方に陣取り、よく周りを見て対応する。

 特にうさぎは彼の傍、太刀が届かないくらいの後方でスリンガーを構えていた。

 

「今!」

「はいっ!!」

 

 ソードマスターの指示を受け、スリンガーに装着したはじけクルミを飛ばす。

 それは額に命中すると弾け、一時的に動きを止める。

 その隙にソードマスターは炎王龍の頸に斬り込み、傷をつけていく。

 

「うむ、良い腕前ぞ」

 

 短く褒められて、うさぎは少し照れた。

 彼女は、隙を作る役割に特化したのである。 

 その間にも、ソードマスターは龍の口内から火が散るのを認めた。

 

「炎を吐く。横に回って叩け!」

 

 簡潔な指示に少女たちは従い、斜め前に走り抜け、散開。

 その予言通りにテオ・テスカトルは放射火炎を噴き、長大な範囲を薙ぎ払う。しかし、彼女たちは十分余裕を持って回り込むことができた。

 

 がら空きになった胴体に、5人は攻撃と射撃をほぼ同時に四方からぶつけた。

 テオ・テスカトルは苛立たしげに唸り、翼を広げる。

 そして大きな粉塵を撒きながら跳び下がった。

 

「たんこぶの娘、決して粉塵の塊に当たるでないぞ!」

「えっ、あたし、またたんこぶって……」

 

 彼女がその呼び名に反応する暇はなかった。

 先ほど躱した粉塵が離れた炎王龍の牙により着火、背後で爆破されたからだ。

 

「わあっ!?」

 

 龍はたてがみを揺らし、鎌首をもたげて威嚇する。

 

「先の攻撃を見て思ったが──」

 

 それを前に、ソードマスターは目を離さず呟く。

 

「太刀はやや踏み込み過ぎる、もう少し距離を取れ。槌は太刀と反対側に。首の斜め前に陣取る方が、却って突進や龍炎に当たらぬ」

 

 太刀とはレイ、槌とはまことを指すのであろう。

 続いて彼は遠くにいる亜美と美奈子にも聞こえるように声を張り上げた。

 

「軽弩と重弩は翼を狙え! 龍炎を纏ったら正面から狙うが良い!」

 

 各人も見ず、ソードマスターは指示を出した。

 それに、少女たちは信じられないように目を見張る。

 

 あの同時の一撃を見て癖を見抜いたというのか。

 彼女たちは指示に従って攻撃するので必死だったというのに。

 更に、彼はテオ・テスカトルの顔を見ると衝撃的な行動に出た。

 

 納刀したのだ。

 

 青葉色の鞘に、鍔をぴったりとつけて。

 

「ソ、ソードマスターさん!?」

「そなたらは離れておれ。あの顔つき……突進が来る」

 

 果たしてその言葉通り、突進してきた。

 うさぎたちはやむを得ず離れる。

 それに対し、ソードマスターは納刀したまま腰を落としている。

 

「ソードマスターさん、リアさんたちは、さっきあれほど無茶はするなって──」

 

 そこまで言いかけレイは、ある事実に気づいた。

 彼は凄まじい速度で迫ってくる龍を──

 

 見ていなかったのだ。

 

 静止を続ける男に、炎王龍はこれ幸いと全速力で突進を仕掛ける。

 距離はぐんぐんと縮まっていく。

 いよいよぶつかる。

 思わず少女たちが目を瞑り、恐る恐るもう一度開けた時。

 

 男の手から一本、引き抜かれた太刀が光っていた。

 

 炎王龍は悶絶し、仰け反って前脚で空を掻いていた。

 龍の脳天から顎までを、鋭く白い線が走っていた。

 

 

 居合抜刀気刃斬り。

 

 

 相手の攻撃を直撃直前で躱すと同時に斬りつけ、強烈な一打へと転じる居合の神速一閃。

 非常に難易度の高い技で、太刀を極めた達人にしか扱えない奥義だ。

 そして、もう一つ。

 同じ太刀使いだからこそ、レイには分かった。

 

 彼は()()()()()()()()

 

 常人ならば死ぬ覚悟を持って行うような必殺奥義を、ソードマスターは『通常技』として使ったのだ。

 あれは運頼みなどでなく、確信の下に放たれた一撃だ。

 

 では、いったい何があの芸当を可能にしている?

 次はそんな問がレイの中を駆け巡った。

 

 一方の炎王龍は、いよいよ苛立ちを露わにする。

 今のは流石に痛かったのだろう、彼は前脚を持ち上げ大きく咆えた。

 

 直後、体表の鱗の境目から光が漏れ出し周囲に陽炎が出現する。

 先刻は恐れて突っ立つことしかできなかった、龍炎だ。

 

「やはり……炎王がそれを使わぬ手はないな」

 

 ソードマスターに反撃しようと向く、青い瞳。

 男も灼熱の龍炎を警戒し、太刀を構えながらも少しだけ後退る。

 

 いつの間にかまことが大きく回り込んで、力溜めしながら坂を滑り下りてきたのだ。

 

「たぁりゃあああああ!!」

 

 長い脚をバネにして、跳ねる。

 空中から垂直に振り下ろされたハンマーが、テオ・テスカトルの背中に迅雷を落とす。

 炎王龍は気づいて尻尾を振り払ったが、その時彼女は既に脇をすり抜けていた。

 

 これが作戦会議で決めた基本の立ち回り。

 つまるところ、地形を利用した一撃離脱戦法である。

 

 反撃のリスクを最小限に抑え、ちまちまと攻撃を当てるよりも高威力の攻撃を着実に当てていく。

 何よりも大きい学びは、龍炎の最大火力は主に平地に対して集中され、空中から突っ込んですぐ離れれば多少炙られるだけで済むということだ。

 しかも今の龍炎は纏ったばかりだからか、まだそれほど熱くない。

 

 狙うなら、短期決戦。

 

 レイはまことと互いに頷いて、その反対側の坂を駆け登る。

 しかしテオ・テスカトルがそのアイコンタクトに視線を巡らすと、目聡く丘の上に立つレイに振り向く。

 彼女は舌打ちした。

 どうも古龍という生き物は、想像を超えて賢い。

 

 炎王龍の頬で衝撃が弾け、彼の動きが止まる。

 ちょうどうさぎがスリンガーからまたしてもはじけクルミを撃ち出し、隙を作ったのだ。

 

「レイちゃん、今よ!!」

「……やるじゃない!」

 

 彼女の言葉に背を押され、レイは砂丘の斜面に腰を落とす。

 熱砂を弾き飛ばしてゆく身体。

 尻が焼けそうなくらいに加速してゆく。

 

「こーなったら……小賢しく勝ってやるわっ!!」

 

 レイは太刀を鞘から引き抜いた。

 まことがしたように、彼女も地面を蹴って翔ぶ。

 

「はあああああああっ!!」

 

 宙から身体で螺旋を描き、横薙ぎに気刃斬りを決める。

 まずは翼に一閃。

 そして着地した直後、まだ動きが止まっていることを見越し──

 そのまま大回転斬りを決めた。

 

「……よしっ!」

 

 彼女はすぐに離脱。再び隙を窺う。

 それを地道に繰り返す。

 地道ではあったが、全く動けなかった時に比べれば大きな進歩だった。

 古龍といえどあらゆる方向から来る攻撃を完全に防ぐことは出来ない。

 少しずつであるが、外傷は蓄積しつつあった。

 

 相手は幻の類ではない。

 その認識が、彼女たちの足取りを強くしてくれる。

 

 しかし途中で、ポーチをまさぐったうさぎが「あっ」と気まずそうに声を上げた。

 スリンガー用のはじけクルミが無くなったのだ。

 

 あまりに仲間たちの安全を意識しすぎた結果である。

 それを察したように、テオ・テスカトルがうさぎへと振り向く。

 しかし、彼女は覇気に曝されながらも怯まなかった。

 なぜなら──

 

 ちょうど炎王龍の首の辺りに、羽が付いた杭のような物体が突き刺さる。

 

 それは着弾から少し遅れて大爆発して、爆炎と共に細かい破片を撒き散らした。

 

「グルゥッッ……」

 

 凄まじい衝撃に炎王龍は呻いて首を傾け、声を上げた。

 彼は視線を、中央の窪地より少し離れた東側の2つの砂丘、その間に移す。

 そこには煙上げる大口径の銃口が、その向こうには金髪の少女と青髪の少女の姿があった。

 

「……命中っ!」

 

 スコープを覗き込んでいた美奈子は、思わずガッツポーズをした。

 ヘビィボウガンの新大陸製最終兵器、狙撃竜弾である。

 威力こそ大砲級であるが、装填にはかなりの時間がかかる。

 だからこそ敢えて攻撃をせず相手の意識から外れ、この時をずっと待っていたのだ。

 

 しかし、テオ・テスカトルは火炎と爆発に高い耐性を持つ。それは当然、自身がその使い手だからだ。

 彼は首を取られるどころか、首の鱗とたてがみが幾らか抜けただけだった。

 そして早くも、あの忌まわしい狙撃手を踏み潰すために駆け出す。

 

「やーっべっ!」

「早く避けて!」

 

 美奈子と亜美は即座に離脱。

 だが確実に軌道は正確に修正されていく。

 遠かった距離はあっという間に詰められる。

 

 そして次に炎王龍が見たのは──

 冷気の爆発だった。

 苦手とする属性の直撃に、思わず炎王龍は顔を振って足を止める。

 

「……なーんて。引っかかったわね!」

「当たってくれて良かった……」

 

 美奈子はぺろりと舌を出して、亜美はライトボウガンを背に納めながらため息をついた。

 

 起爆竜弾。

 

 これも新大陸製の武器で、地中に設置すると、強い衝撃により自動的に爆発する仕掛けになっている。

 亜美はその内部に戦士の力を込め、こうして近づいてきた時のために二段構えをしていたのである。

 

 彼女たちも作戦通り、坂を滑り下りて更に東へと逃げていく。

 亜美は水冷弾に魔力を注入したうえで装填し直す。

 美奈子はちょうど近くにあった植物……『チャッカの実』をむしり取る。

 これを割り掌で磨り潰すと、火薬粉が調合できるのだ。

 彼女はすぐ北の砂丘にあった蟻塚の陰に隠れると、それを持ってきたLv.1徹甲榴弾の薬莢に、掌を傾け慎重に入れていった。

 更に炎王龍による追撃を阻止すべく、レイたち剣士が前面へ積極的に躍り出る。

 

「ガアアアアアッッッッ」

 

 それを見たテオ・テスカトルは痺れを切らしたように吼えると。

 翼を広げ、飛び上がった。

 そして眼下を睨むと、勢いよく息を吸った。

 

「なんか、嫌な予感……」

 

 空中から、火炎放射が地上に向けて吐き出される。

 地上が無差別に獄炎に包まれる。

 砂が焼かれ、焦げ、半ば溶岩と化す。

 それはまさに閻魔大王の如き、地上への制裁。

 

 剣士の少女たちは、「まずい」という顔をした。

 炎王龍に、地形を利用していることが感づかれた。

 空中から狙われたのでは、地形など関係がない。

 

 更に、ガンナーの脅威にも気づいたらしい。

 その動きは、まるで亜美と美奈子を追っているかのようだった。

 力強く羽ばたきながら、2人のいた辺りを隈なく焼き尽くす。

 

 そして、ちょうど彼女たちの隠れていた蟻塚が高熱で炙られ、溶かされ、砕け、消えた。

 

 遂に、彼女たちが陰から炙り出された。

 炎王龍は火炎放射を吐き終わると、後方へ羽ばたいてから勢いをつけ、遂に見つけた獲物に向かって滑空。

 その行く道先に先回りし、威嚇する。

 

「くぅっ……」

 

 炎王龍はこれまでの怒りを込めるように四肢に力を込め、飛び掛からんとした。

 今度こそ仕留められる。

 

 そう思われた時、横から金属の爪が伸びる。

 

 正しくはスリンガーから射出された、アンカーのついたロープだ。

 それがテオ・テスカトルのたてがみに引っ掛かる。

 

 そして割り込むようにしてロープに引っ張られてきたのは、身長に見合わず黒い甲冑を着込んだ人物だった。

 そのまま、テオ・テスカトルの横顔に掴まる。

 甲冑の頭に当たる部分からは、二束の金髪が揺らめいていた。

 

「うさぎちゃん!」

「……あれをやるつもりか!」

 

 意図を察した少女たちは距離を詰めて武器をしまい、いつでも彼女を助けられるよう準備をした。

 亜美は回復弾を装填し、いつでも撃てるようにする。

 

「少しでも危ないと思ったら、すぐ手を離すのよーっ!!」

「うん!」

 

 叫ぶ美奈子にうさぎは答える。

 彼女が掴むのは灼熱地獄だ。

 今も燃え盛るたてがみは、並の生物ならたちまちのうちに灰にしてしまうだろう。

 

 しかし、桃火竜の装備は非常に耐火性に優れていた。その上に甲冑も着ているから、龍炎によるダメージは可能な限り軽減されている。

 うさぎは、首を暴れさせての抵抗を何とか耐え凌ぐ。

 

 彼女が着る甲冑の正体は、補給班から貸してもらった『不動の装衣』。

 これには一時的に攻撃による衝撃を和らげる効果があり、ある目的の補助に使用している。

 デザインはイマイチ()()()()()が古龍相手、背に腹は代えられない。

 

 一瞬見えた炎王龍の瞳に、ぞくっとする。

 赤く燃える炎とは真逆の青い色。

 冷徹ささえ垣間見える、無言の圧力。

 しかし彼女が見るべきは彼の瞳でなく、外の景色だ。

 やがて視界の隅に岩らしきもの──蟻塚が映る。

 うさぎは何とか威圧から逃れ、そこを見つめた。

 

「たあっ!!」

 

 頬を思い切りアンカーで殴る。

 虚を突かれた炎王龍は方向転換を強いられる。

 頭の方向が、蟻塚に向いた。

 

 それが、少女にとってのチャンスだ。

 

 網袋に入れたありったけの石ころを大型のツブテとし、スリンガーの射出部に詰め込む。

 至近距離から炎王龍の額にスリンガー先端で狙いをつけ──

 グリップを握る。

 

 何十個もの石ころが弦に弾かれ強烈に撃ち出される。

 眉間に直撃。

 反動でうさぎは後方に跳んだ。

 

 炎王龍は前につんのめるように突っ走っていく。

 そしてそのまま、物凄い勢いで蟻塚に頭からぶつかった。

 

「ガアアッッッッ!?!?」

 

 炎王龍が初めて上げた悲鳴だった。

 燃え盛る身体が大きく仰け反る。

 初めて倒れかかる古龍の姿に、少女たちは目を見開いた。

 何度攻撃しても意に介さないか少し怯むだけだった龍が、大きい反応を見せたのだ。

 そして何よりも注目すべき点としては──

 あの頑強な角に、ヒビが入っていた。

 

「良い調子だ! もうすぐで追い返せるかも!」

 

 ピンチを反撃に変えたうさぎの機転に、まことは嬉々として叫んだ。

 しかしその直後、テオ・テスカトルから言葉に上書きするように熱気が広がった。

 

「ガァアアアアアアアアアアアア!!!!」

 

 いよいよ怒りが頂点に達したのだ。

 龍炎が遂に最初に出合った時と同じ威力を取り戻し、少女たちはあの時の畏怖を思い出す。

 万物を灼く太陽の再来だ。

 

「怯むな、常に側面へ陣取れ! ガンナーは特に気をつけよ!」

 

 しかし再び足が竦みかけた彼女たちに、ソードマスターは的確に指示を出した。

 そこで5人は再び同じ状況に陥りかけていることに気づき、今度は動くことが出来た。

 

 レイは気づいた。

 ソードマスターが一切炎王龍を見ずにして彼の怒りを察知し、少女たちの怯みをも同時に把握したことに。

 

 彼は龍だけを見ていない。

 攻撃も見ずして居合を決め、一撃のみを見て4人の癖を見抜き、龍の怒りを前にして冷静な指示を出す。

 考察を経て、彼女はあの達人の能力についてある結論に至るしかなかった。

 

 鳥の視点。

 

 まるで空を飛ぶ鳥が地上を見下ろすように、己、龍、環境、そして仲間たち……あらゆるものの動きを同時に把握している。

 すなわち、客観視の極み。

 そこには龍に対する畏怖も、驕りも存在しない。

 だからこそ、最適な行動を無意識のうちに取ることが出来るのだ。

 

「……こりゃ、敵わないわけだわ」

 

 怒り狂ったテオ・テスカトルは、手当たり次第に突っ込んでくる。

 灼熱が砂を溶かし、溶岩のように紅く染める。

 それを前に、少女たちは回避するのでやっとだ。

 

 最後に龍の瞳は、うさぎとソードマスターを捉えた。

 

 彼らを特に疎ましく思ったのだろうか。

 彼は2人に向いて仁王立ち、羽ばたいて大量の粉塵を送り込む。

 今まで見たことのない量だ。

 

「走れ!」

 

 うさぎはソードマスターの指示を受け、共に背を向けて走り、地へと身を投げ出す。

 炎王龍が牙を打ち鳴らす。

 彼らのいた地点が、球を作るように大爆発する。

 その威力たるや、視界が熱波と衝撃波で歪みかけるほどだった。

 

「ひいいっ!?」

 

 凄まじい爆風。

 うさぎは腰を抜かしかけるが、何とか持ち堪えた。

 急いで使い捨ての支給品である、不動の装衣を脱いで捨てる。

 ソードマスターは一時手から離れた太刀をすぐ手に取り、叫んだ。

 

「まだ来るぞっ!」

 

 炎王龍は、2人を仕留められなかったことに気づいていた。

 だから、直接手を下そうと駆けてくる。

 万物を焼き溶かす龍炎が駆けてくる。

 思わずうさぎが目を瞑りかけた時である

 

 空中から何者かが、炎王龍の背中目掛けて飛び込んできた。

 

 裾が広く白い編笠の、端にぶら下がる札が舞い上がる。

 肩を出した軽装の、砂塵から身を守る首巻が棚引く。

 背負う武器は太刀。

 斬竜ディノバルドから造られた灼熱の刃が、ゆらゆらと熱気を紅く放出する。

 

「このっ……」

 

 落ちながら刃を脳天に垂直、一撃。

 

 予想外の攻撃ゆえか、少しだけ熱気が収まった。

 その隙を突いて、少女はテオ・テスカトルの背に掴まる。

 

「グオオオオッッッ!!」

 

 驚いたのか、テオ・テスカトルはうさぎたちへの攻撃を中断してその場を跳び上がった。

 翼をはためかせて浮上し、彼女を振り落とそうと藻掻く。

 

「レイちゃん!」

 

 正体は、城塞遊撃隊の装備を着たレイだった。

 ひたすらに足掻く。

 足掻き続ける。

 抵抗は烈しく、何度も振り落とされそうになる。

 

 そこに、水冷弾と徹甲榴弾が飛ぶ。

 テオ・テスカトルの顔面に突き刺さり、見事に怯ませる。

 

「レイちゃん、踏ん張って! あたしたちが援護するわ!」

 

 仲間たちの頼もしい言葉を聞き、レイは背に伸びるたてがみを掴みなおす。

 うさぎたちは、ガンナーの2人の強烈な射撃を見守る。

 やがて攻撃を受けるうちに、炎王龍の動きが収まった。

 レイはそこで頭に駆け登り、両手に持った太刀を振りかざした。

 

「もう、逃げるなんて……言わないわよっ!」

 

 そう直接炎王龍に伝えるように叫び──

 何度も角を滅多斬りにする。

 押し勝った。

 巨躯が彼女を乗せたまま、地上へ堕ちていく。

 その近くには、ハンマーを構えて力を溜めたまことの姿があった。

 

「まこちゃん、お願い!!」

「よし来たぁっ!!」

 

 レイが背から飛び降りると同時、まことはハンマーを渾身の力で叩きつけた。

 蓄積された衝撃が脳を揺さぶる。

 炎王龍は藻掻きながら倒れた。

 

 最大のチャンスだ。

 全員が顔に一斉攻撃を叩き込む。

 無我夢中、がむしゃらに。

 自分が何をしているか分からなくなるほどに。

 

 うさぎが最後に角目掛けて大剣を構え、溜め斬りをぶち当てた。

 これまで攻撃出来なかった、その分を全て返すかのように。

 全力で、振り下ろす。

 

 仲間たちから「あっ」と声が漏れた。

 

 炎王龍の角から、鱗が大きく剥がれ落ちた。

 岩のように固く熱を持った破片だ。

 中折れたわけではないが、龍の身体の一部が遂に限界を迎えたのだ。

 

 唖然としているうちに炎王龍が起き上がる。青い瞳が殺気を帯び、鋭く光っていた。

 翼を広げ飛び上がり、そこから力を溜めるようにうずくまった。

 体内で凄まじい熱が発生しているせいか、今や翼を動かさずとも宙に浮いている。

 

「蟻塚に隠れるか、もっと遠くへ!!」

 

 ソードマスターはその動きから何かを読み取ったようだった。

 うさぎたちも直感的に危機を感じ取り、その通りにする。

 急いで蟻塚の陰に、炎王龍が見えないように身を隠す。

 その間も熱は急速に高まっていく。

 燃える巨躯から噴き出す火の粉が溢れ、そして。

 

 

 天に咆えると同時、地上に2つ目の太陽が産まれた。

 

 

 爆風、次は熱風と衝撃波が砂を巻き上げる。

 凸凹していた砂丘は一気に均される。

 サボテンを、枯れた草木を、何もかもを吹き飛ばす。

 蟻塚の陰に隠れる少女たちは必死に堪えていた。

 

 風がやっと収まった頃。

 

 残ったは延焼する焦土と蟻塚の残骸だけだった。

 ぱらぱらと舞い落ちるなか、テオ・テスカトルはいくらか怒りの収まった顔つきで狩人たちを見つめた。

 

 そこから、翼をはためかせ飛んだ。

 荒地から離れ、北へ、北へと。

 熱気は急速に収まっていく。

 上空の雲の動きは収まり、穏やかになっていった。

 

 

「終わった、の……?」

「やったあああ!!!!」

 

 

 うさぎがちょうど隣にいたレイの肩を、ぐわんぐわんと揺らす。

 レイは顔を背けてうさぎの顎を掌で押し、無理やり動きを押し留めた。

 

「これも……5期団の人たちとソードマスターさんがここまで粘ってくれたお陰ね」

 

 亜美の一言に、まことと美奈子は微笑んで頷いた。

 そもそも彼らが何日も踏ん張っていなければ、この光景すら絶望的だっただろう。

 あくまで彼女たちは最後の一押しを担っただけなのだ。

 

 そして冷静に見るなら勝利、というのは語弊がある。

 テオ・テスカトルは特に重傷を負ったわけではない。

 まるで虫のように執着して刺し続けると言う行為を続けた結果、このまま西に行くのは割に合わないと思わせたに過ぎない。

 

 だが、殊に調査団の拠点を護るという目的から見れば──

 それは、間違いなく大勝利だった。

 

「御苦労。今宵は宴かな」

 

 ソードマスターが太刀を鞘に納めて歩いてきた。

 まだ少し右脚を庇っているが、この身体であれほどの剣戟を繰り広げたとは未だ信じ難い。

 

「意外でした。貴方が道具に頼るやり方を嫌がらないなんて」

 

 レイは自分たちの成したことを見て、そう振り返る。

 

「『あるものはすべて使え』。型破りな同期からの受け売りよ」

 

 そこまで言うと、男は傷の入った兜を撫でながらため息をついた。

 

「……ただ某自身は、新しきものがよう分からぬが故」

 

 達人が見せた素顔に、少女たちは思わず笑った。

 それから顔の向きを北へ変え、遠ざかっていく炎王龍へと向ける。

 

「次は、北ね」

 

 亜美の言葉が重く響く。

 調査班リーダーはアステラから出発する直前、これより北にも古龍がいることを示唆していた。

 恐らく炎王龍は、その氷山の一角に過ぎない。

 ソードマスターはゆっくりと少女たちの前に進み、振り向いた。

 

「これより奥は神々の領域であると弁えよ。そなたらはそこに足を踏み入れる覚悟はあるか?」

 

 うさぎたちは少しだけ肩を強張らせた。

 出来るならば、龍たちと対峙しないに越したことはない。

 しかし奥に行く限り、今回のような差し迫った事態は恐らく何度も来るだろう。

 災いの時はこうしている間にも刻々と迫っているのだから。

 やがてレイが前に出て、告げた。

 

「彼らを畏れたら最後、あの時みたいに前にも後ろにも進めなくなります」

 

 それから仲間たちを見る。

 もう以前のように怯えることはない。

 

「あたしたちは先に進みます。この異変の真実を見つけるために」

 

 ソードマスターは彼女たちを見て、静かに頷いた。

 

「なるほど。意志は堅いな」

 

 南を見ると、手を振る人々がいた。

 アステラに帰る荷車が迎えに来た時だった。

 

──

 

 夕陽が西に沈もうとしている。

 ソードマスターは右脚を氷水で冷やしながら荷車に乗り揺られていた。

 その隣に、他のハンターへの世話を終えた編纂者リアが戻ってきた。

 

「彼女たち、凄いですね。あの炎王龍を初見で撃退するとは」

「うむ。やはり某の目に狂いはなかった」

 

 リアは思わず、ソードマスターの兜を被った顔を見やった。

 

「まさかソードマスター、元からこれを望んで……」

「いや。この道を望み選んだのは彼女たち自身に他ならぬ」

 

 彼は前方の荷車であどけない表情で眠る少女たちを見つめた。

 

「自分で考え選んだ道はきっと、未来に燦然と輝き誰かを導く。たとえそれが、どんな場所であろうとも」

 

 空を見上げると、早くも星々が瞬き始めていた。

 その中でも青白い星が、彼の目に止まった。

 

「我らを導いたあの星は、今はどこで輝いておるかな」




この作品における古龍は「人の手によって討伐できなくはないけど何度も撃退をしてやっと」レベルの設定です。2系列に近いですね。

今年は正月から地震、事故と災難が続きましたが、皆さんはご無事でしょうか?私は何ともありませんでしたが、今年はせめてこれから良い年であってほしいです。


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焦土を望む街①(☆)

 早朝、薄暗い商店街のシャッターはどれも閉まりきっていた。生ける文明の存在を示すのは、弱く点滅する電灯のみである。

 

 ちびムーンが行き、タキシード仮面はそれを隣で護る。その背後には、ウラヌスとネプチューン、プルート、サターンの外部太陽系戦士。ココット村から連れ帰ってきた一般人も一緒だ。

 

「ここもみんな、逃げちゃったのかな……」

 

 ちびムーンは人影を求めて視線を彷徨わせた。

 聖杯、そして雷の持ち主の情報を得るため赴いた『十番町商店街』は、朝日を受けても眠ったように静止していた。現代的なビルや商店の尽くが沈黙を保ち、道路両端に植えられ伸び放題になった並木だけが葉を揺らしている。

 

 冷え切った色のビルに囲まれた道路中央に、コートを着た人影が独り彷徨っていた。

 茶髪の妙齢の婦人である。

 それを見たなるは突然、前に踏み出して、

 

「ママ!!」

 

 ビルの間に少女の声が反響した。

 彼女もこちらに振り向くと、1、2歩近寄って目を凝らす。直後、がらんどうの街にヒールの音が何度も鳴って。

 互いに走り寄った彼女らは抱き合った。

 

「なるちゃん、無事だったのね!!」

 

 女性の声は上擦っていた。

 どうも、はぐれた娘を探しに来ていたらしい。

 続いて、目の前にいるセーラー戦士たちに涙ぐんで何度も頭を下げる。

 

「セーラー戦士の皆さん……娘を救って下さったのですね。本当に……本当にありがとうございます!」

 

 なるも涙に頬を濡らしていた。

 感謝された戦士たちは一先ずは肩から力を抜く。

 親子の再会を見つめながら。

 

「さて。御婦人にあらかたのことを聞いたら、また人を探さなくっちゃな」

「多少の人は残っているでしょう。少なくとも1人や2人は……」

 

 ウラヌスにネプチューンがそう答えて、街並を見回した時だった。

 

 がしゃん、と一つのシャッターが開く。

 

 振り返ると、一人の老店主が文具店を開けたところだった。

 それからもう一つ、また一つ。

 出てきた人々が旗を立てる。看板を『開店』の面へと裏返す。その眼に入る旗や看板に掲げられる名前は、彼女たちにとって見慣れたものばかりだった。

 ちびムーンは息を呑んだ。

 八百屋、肉屋。カフェ、レストラン、美容院、洋服店、菓子屋、絵画教室、書店。

 見て挙げられるものだけでもみんな、懐かしいものばかりだ。

 

「信じて……良かった」

 

 ちびムーンは潤んだ瞳で呟くと、タキシード仮面は微笑んで頷いた。

 東京は死んでいなかった。

 

「では……そろそろ、この辺りでお別れですね」

 

 プルートの視線を受けたタキシード仮面は一般人たちに振り向くと、

 

「君たちは先に行ってくれ。我々は引き続き周辺を見回り、この街を護る」

 

 そう言うと彼らはそれぞれ深々と頭を下げ、通りの向こうへと歩いていった。

 しばらく、それを見送った後。

 戦士たちは人目のない路地裏に入り込むと、変身を解いて日常の姿に戻った。

 はるかたちの服装は今回のことを見通してか、東京の人間として違和感のないブラウスやワンピース、コートの姿となっている。

 ちびうさと衛はそのままでは明らかに目を引く民族衣装のため、布をコートまたは頭巾のように纏って誤魔化した。

 

「では、僕たちは東を回って情報を集めよう」

 

 はるかは相方であるみちる、せつなと頷きあいつつ、ちびうさたちと向かい合った。

 

「じゃあ、あたしたちは西で『雷』についても聞いてみる!」

 

 ちびうさは衛、ほたると固まった。

 日が昇ると次第に人通りが並び始める。

 ついこの前まで怪物が来ていたとは思えない賑わいだ。

 そこにいる人々に、今の状況や見聞きした情報を片っ端から聞いていく。

 そして数時間後、正午を少し過ぎたほど。

 

「改めていまの状況を整理しようか」

 

 まず今回この世界で起こっている災害について、はるかたちは重要なことを幾つか聞けた。

 

 電気、ガス、水道などのライフラインは無傷。電波も問題なく通じ、ラジオやテレビも使用可能。

 しかし各所に出没した霧からあちらの怪物が侵入した。そのせいでなるのように一部、家を追われた人もいる。

 とはいっても彼らが居座り続けることは以前に比べて少なくなったらしい。

 

「デス・バスターズが妖魔ウイルスを使えなくなったせいか……今のところ、目だった被害は無いようで何よりですね」

 

 せつながそう言う一方、はるかとみちるは、

 

「油断は出来ない。今にも、災いの前触れとして誰かが先陣を切ってくるとも知れないからな」

「……声の主探しは急いだ方が良さそうね」

 

 彼女たちは、ちびうさたちが向かった方向を見つめた。

 

──

 

「やっぱりなるちゃんの言う通りだったわ!」

「まさか、こんなに雷の持ち主を見た人がいるとは……」

 

 ちびうさ、ほたる、そして衛は、商店街の人々への聞き込みをもとに書いたメモを見返す。

 

 曰く、それは雷と共に現れる四本脚の獣。腕は岩のように盛り上がり、白い鱗に覆われている。地を蹴るように軽々と駆け、ビルを軽々と超えるほど高く跳ねる。鋭い牙が並ぶ口からは雷を吐き、蒼い一本の角が何より美しかったという──

 

 聞くからに危険そうな特徴が挙げられているのだが、不思議なことにその獣による被害の報告は1つもなかった。

 

「で、予想図を作ってみたはいいけれど……」

「……なんかむしろ全然予想つかないわ。自信作なんだけどなぁー」

 

 今度は、メモの裏にあった画用紙を表に広げる。

 ほたるとちびうさは、出来上がったものを前に沈黙する。

 

 彼女らの前には、ゴリラと二翼のドラゴンが合体したようなキメラが爆誕していた。子どもが描いたものゆえ絵はかなり拙い。

 

「ま、まあ、あくまで予想だからな。案外こういう姿かも知れないぞ?」

 

 衛はしょげるちびうさたちを励まし、奥の方を指差した。

 

「ほら。待ち合わせにはまだ時間があるし、もう少し向こうで聞いてみようじゃないか」

 

 彼の言う通り、ちびうさたちは奥へ奥へと進んでいく。右も左も人が行き交う中をすり抜けたあと、そこには。

 ちびうさたちは言葉を失ったまま、聞き込みも忘れ雑踏を行く。

 

 街の中でも一際、宝石のように輝く場所があった。

 

 ガラスで仕切られた店内には、磨き上げられた純白の棚やショーケース、中央には丸いテーブルがある。

 それらには柔らかな色彩のルージュ、保湿クリーム、マニキュア、香水、マスカラ、ファンデーションなどの化粧品が種類ごとに分けられたうえでずらりと並べられている。

 店の面積は狭いが贅沢にライトアップされ、利用客は意外にも多い。

 テスター用の鏡が置かれた右手前側にあるカウンターでは今ちょうど、1人の女性客が店員に購入したアイシャドウとリップスティックのセットを手渡されるところだった。

 

「お買い上げ、ありがとうございます~!」

 

 会計を済ませた店員は、出ていく客に対し愛想良く頭を上げる。

 彼女は濃い紫の髪を長く伸ばし、頭には猫耳に似た独特なヘアセットをしていた。

 

「……コーアン!」

 

 彼女の視線が呼びかけたちびうさたちへと導かれると、途端に驚きのあまり口に手を当てた。

 

「あなたたちは……衛さんに、ちびうさちゃん……!?」

「お久しぶり、お姉ちゃん!」

 

 ちびうさが手を振ろうとした時、コーアンと呼ばれた女性は既にその場からいなくなっていた。

 彼女は「すみません、どうかしばしの間お待ちをっ!」と客に一々慇懃に頭を下げて回り、背を押して店外に押し出した。「準備中」と書かれた看板を店先にかけ、シャッターを下げる。

 そのままの勢いでちびうさたちは手を引かれ、一つのカーテンの裏に続く空間へと導かれた。そこは従業員用の休憩スペース、即ちバックヤードだった。

 

「ちょっと、お姉さま方っ!!」

 

 部屋中央、コップ入りの珈琲が3つ並んだ一つの机の周りに、3人の女性が座っていた。いずれもコーアンと同じ、清潔感のある黒色の制服を着ている。

 しかし、髪の色や顔つきは全く違う。

 最も大人っぽい巻髪の女性、黄のリボンで丸く頭を纏めた気の強そうな女性、そして銀髪の三つ編みポニーテールに優しげな瞳を持つ女性。

 

「何、こんな時に騒々しい。まさかクレーマー?」

「うっそぉ、まだ休憩入ったばかりよ!? ブラックも良いトコだわ!」

「あたくしたちも立ち仕事は疲れますのよ。用があるなら先に……」

 

 纏う雰囲気は「お姉さま方」と括られるにはあまりに個性的である。

 話し込んでいた彼女たちが、同時にちびうさたちの姿を認めた直後。

 椅子が蹴っ飛ばされ、半ば吹っ飛ぶように倒れた。

 

「あ、あ、あなたたち、無事だったの!?」

「お怪我は! お怪我はありませんこと!?」

 

 気の強そうな女性と優しそうな女性が、騒ぎながらちびうさたちを取り囲み、次々に言い立てる。

 ほたるは目を白黒させて思わず後退った。

 

「カラベラス、ベルチェ、落ち着きなさい。あちらも驚いてるわ」

 

 それを、長女らしい女性が制す。

 

「貴女たちは……ブラック・ムーンの幹部『あやかしの四姉妹』……」

「やぁね、それは昔の名前。今はただの四姉妹よ!」

 

 ほたるの肩を軽く叩きつつ、コーアンは左に並んだ姉妹たちを示す。

 

「貴女とは初対面よね、紹介するわ。長女のペッツ、次女のカラベラス、三女のベルチェ、そして末っ子の私、コーアンよ」

 

 改めて、ちびうさたちは予備の椅子に座らせてもらった。衛は、改めて明るく照らされた店内を見回す。

 天井には絢爛なシャンデリアがぶら下がっており、照明の一つ一つに至るまでほこり1つない。至る所に、四姉妹の仕事へのこだわりぶりが窺える。

 衛は彼女たちの方に向き直った。

 

「驚いたよ。怪物が来てた時も、ずっと店を開いてたのかい?」

「ええ。あなたたちを待つためにね」

「あたしたちを?」

 

 ちびうさの問いに、末っ子コーアンは頷いた。

 

「1ヶ月くらい前にあなたたちがいなくなってから、この麻布はすっかり変わってしまったわ」

 

 彼女はカウンターに手を置き、ガラス越しに行き交う老若男女を眺めた。

 見る限り、ちびうさたちがあちらの世界に行く前と人の数はほぼ遜色ない。

 しかしコーアンは憂いげに目を細めて、

 

「みんな、ついこの前までキラキラした顔と姿で外に出てたのに、突然、怪物どものご機嫌を窺う暮らしになって……。この街から人も笑顔も減っていくのが、とても見てられなかった」

 

 そして、目の前の少女たちに視線を戻した。

 

「だから決めたの。セーラー戦士に頼るばかりじゃなくって、あたしたちに出来る範囲でこの街の灯を繋ぎ止めようって」

 

 ちびうさはいつの間にか涙ぐんでいた。

 商店街のシャッターが次々に開いた時、他愛もない話に夢中になって街をぶらついていた、自分たちの世界が戻ってきたという実感がした。

 それは、彼女たちのような者たちが粘り強く耐えてくれたお陰だったのだ。

 次女カラベラスは、横に立って苦笑を投げかける。

 

「言い出しっぺはこの子でね。そしたら、商店街の人たちもそうだ、そうだって団結しちゃって。まったく、感心しちゃうわ!」

「何でか、みんなヤル気が凄かったのよね。自分でも驚くくらい」

 

 コーアンが自慢気に胸を張るのに、ほたるは尊敬の眼差しを向ける。

 この街で戦っていたのは、セーラー戦士だけではなかったのだ。

 ほたるは思わず、嘆息する。

 

「……凄いです。普通ならお客さんもみんな逃げておかしくないのに、ここまで……」

「最近はあなたたちが怪物たちを退けてくれたお陰で人が戻ってきて、売上もV字回復ですの。まだまだこれからですわ♪」

 

 三女ベルチェも、にこっと微笑んだ。

 それからあちらの世界で何があったのか、簡潔に話した。

 一時的に店を閉めさせているという事情もあってかなりの部分を端折ったが、彼女たちは急かすことなく話を聴いてくれた。

 

「はぇ〜、あーんな馬鹿デッカイ化け物を、剣やら弓やらで狩る人間が、ねぇ」

「ちょっとあたくし、身震いしてきましたわぁ。思った通り、血で血を洗う世界ですのね……」

 

 カラベラスはしかめっ面で唸り、ベルチェは少しあざとく身を竦める。

 

「……良い人たちもたくさんいるよ?」

「きっとそりゃ、運が良かったのよ! 場所が場所なら身包み全部剥されてたかもよ!?」

 

 ちびうさのフォローも虚しく、カラベラスは大仰な手振りを交えてさえずる。

 かつての大阪なると同じ反応だ。

 モンスターの脅威を身近に感じたからだろうが、まるであちらの世界が地獄か、世紀末のような扱いである。

 

「えっとね、あたしたちが言ったのはほんの一部の人で、ほとんどの人は……」

 

 慌ててちびうさが言い直そうとしたところで、コーアンは彼女の手の甲に、掌を上からそっと添えた。

 

「とにかく貴女たちは、またこの街を護ってくれるのよね? そこが一番重要なところよ」

「……そうよ」

 

 ちびうさは頷くしかなかった。

 こちらを見つめる瞳は、他ならぬセーラー戦士たちへの期待に溢れているのだから。それに、災いから世界を護ることが目的であることには違わない。

 

「その答えが聞けて良かった。実はちょうど、貴女たちに相談したいことがあるの」

 

 長女ペッツは険しく低い声でカップを握る。

 他の姉妹が上機嫌な中彼女の表情は深刻で、ちびうさたちの目を引いた。

 

「奴らが、戻ってくるかも知れない」

 

 その一言で、場はしんと静まり返った。

 

「どういうことですか?」

「……昨日の夜遅く、商店街の近くで爆竹みたいな音がしたのよ」

 

 カラベラスがほたるに答えるように少し眉を顰めてみせ、ペッツの言葉を継ぐ。

 

「爆竹……誰かのイタズラじゃないか?」

「それなら良いんだけどね」

 

 衛は疑問を投げかけるが、ペッツの不安の表情は消えなかった。

 

「商店街のみんなも不安がってるわ。帰ってきたばかりで申し訳ないけれど……出来れば、様子を見に行って欲しいのよ」

 

──

 

 商店街を抜けた先、正面のずっと向こうに巨大な影が見えた。

 どうやらこの奥から例の音が聞こえるらしい。

 

「かつて東京を侵略しようとしたあの姉妹が、今度は護る側になるとは。……時の流れも、決して悪いことばかりではないですね」

 

 一連の話を聞いたプルートは、そう言って微笑んだ。

 セーラー戦士たちは商店街で合流したのち事情を説明しあい、戦闘形態となって問題の地点へと向かっていた。

 既に人通りはまばらになり、最初に彼女たちが戻ってきて見た風景と様相が似てくる。

 やがてあらかた予想していた通り、先ほどまでは晴れていた空が曇り、霧が濃くなってくる。

 あちらの世界に近付いている証拠だ。

 

「……どうやら、杞憂では終わってくれないようだな」

 

 かなり薄暗くなった太陽を見上げ、タキシード仮面は呟いた。

 さらに進むと完全に人はいなくなり、『立入禁止』のテープが張られた区域にやってくる。そこを抜けるとひび割れの入ったマンションやビルが目立つようになる。

 そして。

 

「あっ。もしかして、あれ?」

 

 ちびムーンが真っ先に気づいた。

 防獣策を応用したのかある所に大量のライトアップがなされ、独特の薬剤らしい臭いもした。

 霧の濃い方へ近づくにつれ、道路を塞ぐモノの全貌が分かってくる。

 

 まず最も手前に、電気柵が張られている。高さは5mほど。

 その奥には、二重に侵入を阻む防護柵。

 そしてその更に向こうに三重の壁──

 一軒家ほどの高さはある瓦礫の山が、右のビルと左のマンションの間を埋め立てるようにして積み上げられていた。おまけに有刺鉄線までびっしりと敷き詰めている。

 近くの道路には、どこかの工事会社のものであろうショベルカーやトラックが置かれていた。恐らくは崩された建物の破片を再利用したのだ。

 

「やたらに念入りだな」

「それだけ、怪物たちが恐ろしいということね」

 

 ウラヌスとネプチューンが、壁を見上げて呟く。

 

「……」

 

 ちびムーンもその拒絶の象徴を見て押し黙る。

 

「嫌か、あっちの世界のことを分かってもらえないのが」

 

 呼びかけたウラヌスに、ちびムーンは思わず振り向いた。

 

「だが、これが普通なんだ。僕らがこの街に望まれることは1つ、あちらの世界の排除のみ」

「……でも、なるちゃんたちは」

「みんながみんな、そうなれるわけではないのよ。どんな事情があろうと、この街にとってあちらの世界は休みなく怪物を供給してくる魔の領域なのだから」

 

 ネプチューンが口添えすると、ちびムーンはぐっと唇を噛み締める。

 タキシード仮面はちびムーンの肩をそっと引き寄せて宥めた。

 

「……スモールレディ」

 

 プルートが、そんな彼女を憐れむように見つめた時だった。

 

 

 どすっ、どすっ、どすっ、どすっ、どすっ。

 

 

 重いものに地が踏まれる音が、全員の鼓膜を震わせた。

 

「はっ……」

 

 気づいたサターンは真っ先に振り返る。

 音がするのは、壁の向こうからだ。

 

「みんな、離れて!」

 

 霧の向こうから、何かが瓦礫の山を超えて飛び出した。

 

 草食竜アプトノスだ。

 

 人の背丈を裕に超える灰色の体躯が、有刺鉄線に激突する。

 

「ブモオオオゥゥッッッッッッ!!!!」

 

 猪や熊なら防げたであろうそれは、それらを超える馬力と巨体に敢えなく突き破られる。

 鉄製の防護柵でさえもそのまま体当たりで突破。

 最低3500ボルト以上の電流が流れる電気柵でさえも容易く曲がってねじ切られ、吹っ飛び、危うく戦士たちに当たりかける。

 三重の壁を一瞬で突破したその草食竜の口にはハミがしており、背後には何か四角いモノが繋がれていた。

 

「ヌオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」

 

 次に誰かの絶叫が、破れた柵の間を突っ切った。

 アプトノスの後ろに見えたのは、軽トラックほどの大きさがある荷車だった。

 そのまま、セーラー戦士らの眼前を通り過ぎる。

 運の悪いことに、その行き先は彼女らの辿ってきた道……即ち、商店街だ。

 

 このままでは商店街に突っ込みかねない。

 セーラー戦士たちは急いで踵を返し、荷車を追う。

 

「ウラヌス!」

「ああ!」

 

 ネプチューンからアイコンタクトを貰ったウラヌスは、『ワールド・シェイキング』を発動。

 掌に浮かんだ光球を振りかぶり、アプトノスの前方に射出。 

 それは加速度を増すと共に大きくカーブし、相手を先回りするように着弾。

 爆発は衝撃波を生み、アプトノスは驚いてブレーキを踏む。

 

 竜車は軌道を大いに乱し、そのまま電柱に激突。

 草食竜はしばらくその場をふらつくようにして暴れるが、やがて観念したのか、幾ばくか落ち着きを取り戻した。

 やっと竜車の動きが止まったところで、戦士たちは荷車の中を改める。

 荷車全体がまず大きな布に覆われており、四方が紐に括りつけられる形で固定されている。本来ならば中身は見えないはずだが、先の衝撃のせいかあちこちが破れており、少しだけ様子を窺うことができた。

 光蟲の入った虫かご、瓶には緑色の回復薬、その他あちらの世界の物品が散らばっている。

 

「持ち主はいないのか?」

 

 タキシード仮面が呟いた直後、布が生き物のようにもぞもぞと動いた。

 

「おーい! 吾輩をここから出してくれぇー!! 頼むゥゥゥゥゥ!!!!」

 

 声がくぐもっているが、あちらの世界の言語に違いない。情けない感じの叫び方である。

 

「……危険はなさそうだな」

 

 戦士たちは顔を見合わせ、一旦は変身前の姿に戻る。

 布と車を結んでいた紐が解かれた。

 直後、布をひっくり返し、1人の鎧姿の人が飛び出してきた。

 

「だっはぁ――っ、マジで死ぬかと思った――!!」

 

 ちびうさは、ぜぇぜぇ息を切らす男の顔をよく見てみた。

 白髪が交じった胡散臭そうな髭面である。

 

「……あ、あなたは」

 

 衛もすぐ気づいた。

 彼は信じられない、という風に目を瞬かせた。

 外部戦士たちには、その意味が分からない。

 

「お……おお!!」

 

 一方、その男も目を丸くした。

 

「ヌゥ〜ッハッハッハ!! 久しぶりではないか、ピンクの小娘とギザ男!!!!」

 

 彼は金歯の並んだ口をにかっとさせて、勢いよく腕を上げた。

 

「そうだ、吾輩だ!! 教官だ!!!!」

 




ざっくりと解説をば。
四姉妹……元セーラー戦士の敵「ブラック・ムーン」の女幹部。昔は絶望的に仲が悪かったが、改心し浄化され人間たなった現在では仲良く宝石店を経営。此度の怪物騒動では粘り強く十番商店街に残り続けている。
教官……バルバレ編で出て来たモンハンお馴染みの成金おじさん。毎回新事業で成功しては失敗を繰り返している。2編のミメット騒動では一時魔女カルトの教祖になっていたが、うさぎたちに寝返りバルバレの防衛に一役買った。


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焦土を望む街②(☆)

 彼との最初の出会いは、太陽の集落バルバレだった。

 カネのために敵幹部ミメットの仕切る闇組織に入ったが、最後にはうさぎたちに寝返りバルバレを救った経歴を持つ。

 そんな人物こそこの声が無駄に大きい髭男、教官である。

 

「ヌ〜〜ッハッハッハ!! どうだそっちの調子は! あの小娘どもはおらんようだが!?」

「ま、まあまあよ……。うさぎたちは、色々あってね……」

「ああ、色々な」

 

 まだ驚きが抜けきっておらず、2人の返事も漫然になる。

 

「で、そこの麗しきマドンナたちは誰だ。もし良ければこの後吾輩とお茶でも……あ、そこのパツキン野郎は例外だがな!」

 

 教官は早速彼らの背後にいるせつなとみちるに目をつけると、髭を整えながら何度もウインクをしてみせた。

 

「……あの男、自分の状況が分かってるのか?」

「恐らく分かっていないわね」

 

 はるかが男のスカす姿に眉を顰めると、みちるも少し困り顔で答える。

 せつなとほたるは、共にちびうさの耳に顔を寄せた。

 

「スモールレディ、知り合いなのですか?」

「うん、そんなとこ。見た目通りな人だけど、一応悪人じゃないわ。……一応ね」

「それなら早く帰してあげた方がいいわ。こんなところを街の人たちに見られたら……」

「教官、これは何だ?」

 

  ほたるは心配げに背後にある破れた柵を見つめていると、荷車を見ていた衛が呟いた。

 

「え?」

 

 セーラー戦士たちが布に隠された荷車の中身を覗くと。

 ビールの入った樽、瓶、虫かご、様々な荷物の下側に──縄に縛られて固定された大タル、そして爆薬が山積みされていた。

 

「ああ。大タル爆弾の素材だが、それがどうかしたか?」

 

 あっけからんと答える教官に一斉に視線が集まる。

 

「ちょ、ちょっと、教官!!」

 

 ちびうさは目を丸くして、教官の腕を引っ張った。外部戦士たちの目尻がみるみるうちに上がり、鋭く尖る。

 顔に疑問符を浮かべる教官の背後に、多くの人影が落ちた。頼りなく不揃いな足音が響く。

 

 彼女らが振り返ると、霧に交じってぎらぎらと光るモノたちが、畑に植えられた苗の如く聳えていた。

 フライパン、モップ、ほうき、竹刀などあらゆる用途に使われるそれらが、今は武器としてこちらを威嚇している。

 それらを持つのは、いつもなら雑踏のなかで素通りするような何の変哲もない老若男女だ。彼らは霧の中、一様に蒼白い能面を並べてすぐそこに迫っていた。四姉妹も先頭に立って、消化器や刺股を構えている。

 

「……」

 

 合図もなしに人々の波が少女たちの間を掻き分けるように通り、教官を無言で囲い込む。

 一定の距離を保ちつつも、決して逃そうとしない。

 

「お前はどこから来たの!?」

 

 先頭にいたペッツの叫びが、目に見えぬ弾丸となって空気を穿く。

 

「貴様らか、噂の連中は。だがもう安心して良いぞ。吾輩が来たからにはここも安泰だからな!」

 

 教官は空気も読まず得意げに叫ぶが、あちらの言葉は街の人々には伝わらない。むしろ未知の言語を耳にして、ますます警戒を伝播させるだけだった。

 

「噂……安泰? 一体どういうことだ?」

「そもそもなんで、みんなこんな霧の近くに来てるのよ!?」

 

 男の訳知り風な顔に衛が眉を上げる一方、ちびうさは次々に目の前を入れ替わる人々を見て半ば後退っていた。あの四姉妹はセーラー戦士たちに、ここを調べて欲しいと言ってきたのではないのか。

 

「言ったでしょ、もう、セーラー戦士たちに頼るばかりじゃないって。さっき酷い音がしたから、いざという場合は早めに情報を伝えられるようにってご近所さんを集めてきたのよ」

 

 ちびうさにちょうど近くで刺股を構えていたコーアンが屈み、顔を近づけて囁いた。

 次に姿勢を伸ばし教官を見据えた途端に、目つきが刃物のように鋭くなる。

 

「みんな、絶対に目を離さないで。奴がどんな手を使ってくるか分からないわ」

 

 人が変身すらせずたった数秒で別人に入れ替わる光景を、ちびうさは生まれて初めて目撃した。うさぎたちへの想いを語ってくれたあの暖かい感情の欠片すら、今はどこにも見られない。

 

「お嬢ちゃんたち、ここは子どもが来るとこじゃないぞ!」

 

 横から帽子を被ったガタイの良い八百屋の主人が、太い掌でちびうさとほたるを人混みから押しのける。

 

「きゃあっ」

 

 今はただの少女である彼女たちは、抵抗虚しく集団から弾かれる。続いて、衛やはるかたちもだ。

 

「おい、火薬をこんなに詰め込んでるぞ!」

 

 1人の男が叫んで荷車の上に立ち、高く持ち上げた掌から黒色の粉を風に散らすのが見えた。住人たちはたちまちどよめきを広げる。

 

「は、犯人はこいつか……」

「きっと怪物どもを入れるために壁を爆破したんだわ」

「とにかくひっ捕らえろ、話はそれからだっ」

 

 彼らの話す内容が不穏になっていくのが、傍から聴いていても分かった。

 

「……あれ、もしかして吾輩、ピンチ?」

 

 教官はやっと自身の置かれた現状に気づいたが、遅い。人々の手が次々に襲いかかる。

 

「そこの貴様、吾輩の超繊細な身体に触るでない! おい、聞こえんのか!!」

 

 人々が作る黒山の中央で、教官が抵抗する声が聞こえた。

 しかし、それも長くは続かない。やがて蟻のように集った人の中から教官が出て来た。ついでに、荷車とアプトノスも没収されている。アプトノスは人に慣れているせいか、暴れる様子はない。

 教官は後ろ手にされたうえで腹の辺りで縄で束縛され、四姉妹が中心となる形で引き連れられていた。

 

「ぬおおおお! 何か知らんが暴力反対ー!!」

 

 教官はめちゃくちゃに暴れかけるが、その度に左右で縄の両端を持つペッツとコーアンが縄を引っ張り、締め付ける。

 ぐえええ、と蛙が潰れたような音を喉から搾り出した後、教官は項垂れる。そのまま観念したように大人しくするとちっと小さく舌打ちして、

 

「バルバレでもそうだったが、どうも吾輩は可愛いおなごに縛られる運命にあるのかも知れんな……まぁ、これはこれで良しとするか」

「コ、コイツ……。ブツブツ何か喋ってるわ」

 

 妙に落ち着いたそぶりで呟く教官を、コーアンを始めとした姉妹と周囲の人々は気味悪そうに見る。

 そして彼の言葉が分かるはるかとみちるは、別の意味で言葉を失っていた。

 

「……何ていうか」

「結構ポジティブな殿方なのね」

「て、呑気にしてる場合じゃないわっ!」

 

 しかし、ちょうど列の前方にいたちびうさは、それを見るやいなやすぐに地を蹴って。

 四姉妹の目前に先回り、そこで手を大きく広げた。

 

「待って! この人が犯人って確証はどこにもないじゃない!」

 

 衛もすぐに追いついて、殺気立った群衆と相対したが、数で言えば雲泥の差がある。教官の両脇で縄を縛る三女のベルチェと次女のカラベラスは、縄の端を持ちながら視線を刺すように向けてきた。

 

「霧の向こう側からやってきただけでも、十分怪しいですわ」

「そうよ。あれもどう見たってコイツが開けた穴でしょ。証拠なんて腐る程あるじゃない!」

 

 カラベラスはちゃんと見てみろと言わんばかりに、既に破壊された三重の壁を何度も指差す。

 

「それでも相手の事情すらちゃんと聞かないのは、どうかと思うけどな」

 

 衛が、ちびうさを庇うように横から入って告げる。

 確かに、教官が壁を破ってきたのは事実だ。しかし、彼が爆弾を使うのを見たわけではない。重要なのは、あちらの世界で一体何を目的にうろついていたのかだ。

 

 少なくとも20人は下らない集団は、今にも濁流となって押し切るかも知れない雰囲気を抱えていた。それを感じてか、はるかたちセーラー戦士は素早く衛たちの周りに集う。

 

「……なぜ、そこまでして庇うの」

 

 長女ペッツが、腕組みをして真正面から睨む。

 

「この人が、あたしたちの知り合いだからよ!」

 

 四姉妹も、人々も、動きを止める。

 教官はちびうさが何を言い放ったのか気になって、チラチラと姉妹の横顔を垣間見た。

 彼女たちは、戸惑いつつもその捕らえた男と少女の顔を見比べる。

 コーアンは迷うように、荒く息を吸っては吐くちびうさを見つめた後──

 

「……嘘つくにしても、もうちょっと上手いやり方があるでしょ」

 

 ペッツは、無言で縄を引っ張ってコーアンに合図し、そのままちびうさを振り切ろうとした。

 

「嘘じゃないわ。だってあたしたちはあっちで──」

「まさか、あっちの人間か」

 

 姉妹の背後にいた人々のうち、1人が叫んだ。

 

「もしかしたら、そいつらはグルかも知れない」

「そうだ。そうやって仲間を逃がそうって魂胆だろう」

 

 一部の人が声を張り上げるとそれが迷っている人をも呑み込んで、積み重なり、まるで全体の意見であるかのような風潮になっていく。

 雪崩れるように剣呑な雰囲気になっていくのが、肌でも感じられるほどだった。外部太陽系戦士たちもいよいよ、懐に手を伸ばす準備をする。

 四姉妹はしばし、群衆へ振り向いたまま迷うように立ち尽くす。コーアンは急いで、きつい視線のままちびうさと衛に顔を正面から近づけた。

 

「……どうか今だけは何も言わないで。私たちも貴女たちを敵に回したくない」

 

 仲間に聞こえないくらいの声量で呟くと、その後は戦士たちの顔も見ず姉妹と共に教官を引っ張っていく。

 

「皆さん、あの方々は後回しに致しましょう。きっとただの人違いですわ」

 

 その意図をくみ取ってか、三女ベルチェはにっこりと笑ってその場を凌ぐ。

 彼女の柔和な表情を見て、主に男性を中心に刺々しさが一時的に引っ込む。

 

「ほら、早く歩いて!」

「いでーっ!!」

 

 カラベラスに太腿の辺りを膝でどつかれると、教官は海老反りで再び情けない声を上げた。

 ちびうさがすぐさま後を追おうとするが、せつなが予測したようにその腕を先んじて追いかけて掴んだ。

 

「スモールレディ、コーアンの言葉を無下にしてはなりません!」

「じゃあ、このままあの人をほっとけっていうの!?」

「……本来の目的を果たしたいなら、あの件に関わるべきじゃない」

「君たちはそう言うだろうと思ってたよ」

 

 衛はじっと、同じく行く手を塞いだはるかの陰った瞳を見つめながら呟いた。

 しかしちびうさは納得していなかった。

 護るべき人々が、かつての仲間を傷つけようとしている。その状況自体が、この少女にとっては何よりも許せなかった。

 

「今の私たちには時間がない。そのことはよく分かっているでしょう?」

 

 ちびうさはみちるに何か言い返そうとしたが、言えない。

 今こうしているうちにも『災い』までのリミットは、あちらの世界の20倍以上の速さで迫っているのだ。

 彼らの中間くらいのところにいるほたるは、

 

「マハイさんの言葉が、ここでも現実になるなんて」

 

 何かを護ろうとした時点で、争いの火蓋は半分切られている。あの人々は、その火蓋の残りを切ろうとしているのだ。いや、もしかしたら既に。

 

「くそ……いったいどうすれば良いんだ」

 

 正解が分からない衛は、答えを求めるように何もない空を見上げた。

 

「ゥオオオオオオオオオオオォォオオオ……」

 

 後の面々も、前を行く人々も、思わず空を見る。

 サイレンとも、雄叫びとも取れる音だった。

 黒い影が、薄っすらと霧がかった空の向こうに現れる。 そこから、風を切る音と共に黒い実のようなものが落ちてくる。

 1つではない。夥しい数だ。

 

「危ないっ」

 

 すぐ近くにいたせつなは叫びながらちびうさとほたる、そして衛の背を同時に押しやる。

 その背すれすれを落ちたモノは、少し潰れて地面にへばりつき、細く煙を上げる。

 黒い実の大きさはちょうどパイナップルほどで、一抱えできるくらいだ。表面は幾つもの層が折り重なっていて、全体的な形状は松ぼっくりに似ている。

 

「何、これ……?」

 

 ちびうさが見回すと、その実は道路やビルの壁面、あらゆるところにひっついていた。

 そんななか、霧に紛れる黒い影は翼を広げ、風を切る。

 

「……!」

 

 それを視界の隅に捉えたはるかとみちるは、すぐさま変身リップロッドを取り出しセーラー戦士へと変身。

 黒い実を避けてちびうさのすぐ隣に位置取る。

 

「飛竜だ!」

 

 ウラヌスの一報で、セーラー戦士たちは迷いなく変身アイテムを懐から取り出し、自身を光に包んだ。

 

「どこ!?」

 

 ちびうさ改めちびムーンは気持ちを切り替え、短く場所を聞いた。

 

「あのビルの辺りを通っていったわ!」

 

 ネプチューンは素早くその位置を指すが、既に姿は見えない。

 

「ゥオ゛オ゛オ゛オオオオオオオオオ……」

 

 またしても、威圧的な音が戦士たちの耳を突き刺す。

 しかし、羽ばたく音は聞こえない。

 黒い謎の物体が、またしても雨のように降り注ぐ。

 

「いったい何なのこれは……」

「とにかく、近づかない方が良さそうですね」

 

 サターンはちびムーンの隣で鎌を構え、プルートはタキシード仮面の隣で宝杖を正面に番え光らせる。

 未だに攻撃には移れない。視界不良も相俟って、セーラー戦士たちは飛竜の位置を正確に掴みかねていたのだ。

 

「……頭上にいるぞ!」

 

 注意深く天上を見上げたタキシード仮面が、真っ先に叫んだ。

 戦士たちが弾かれたように同じ方を見ると、妙な形の影が空を滑っていた。

 

 大抵の飛行能力を持つ飛竜は細長い首に比較的小さな頭を持ち、身体の線も細い傾向にある。

 体重の調節か、飛行時の空気抵抗の軽減か、進化の理由はともあれそういう形質を持つ飛竜が多いのは事実。

 

 だが、その飛竜は本来の法則を完全に無視していた。

 胴体と一体化したような太い首に、異様に小さい顔。

 そこから腰が括れたかと思うと尻尾が膨らみ、縦に長い瓢箪を逆さにしたような形をしていた。

 

 それが、真横に翼を広げる。

 

 狙いは教官の連れていたアプトノスだった。それは我先に逃げる人々に置いていかれ、戸惑うように彷徨っていた。それの近くにも、黒い実が大量に撒かれている。

 

「ブモオオオ……ブモオオオオオッッッ」

 

 灰色の草食竜はとにかく逃げようと行き交うが、人間のために作られた狭い区画はその進行を阻み、動きを鈍らせる。

 無慈悲なほど正確に、頭が陰にすっぽりと覆われる。

 

 翼を畳んだ飛竜は弾丸となり、一直線に突っ込む。

 瞬間、白みがかった景色が吹き飛んで、朱に染められる。

 

「!?」

 

 飛竜の身体が爆発した。

 セーラー戦士たちにはそうとしか見えなかった。

 道路を塞ぐほどの爆風が隣接する建物を襲い、ガラス窓を一挙に吹っ飛ばす。

 

 しかし、まだ終わらない。

 熱風に当てられた黒い実が、急速に紅く染まって滾り。

 

 弾ける。

 炎を噴き出す。

 隣へ、隣へと、爆炎が連鎖する。

 それらが1つのうねる波となって、戦士たちへと迫ってくる。

 

「サイレント・ウォール!!」

 

 セーラーサターンが咄嗟に、鎌を構えて叫ぶ。

 目に見えぬ壁がドーム状に形成された直後、強烈な爆風の嵐が戦士たちの視界を埋め尽くす。

 その中から、彼女たちは地獄を目にした。

 

 道路のアスファルトが捲り上がり。

 ビルの壁面が砕け散り。

 電柱が倒れ、電線が引き千切れ。

 無人の街が、たちまちのうちに燎原へと変えられてゆく光景を。

 やがて技を解除したセーラーサターンは、苦しそうに息を切らしていた。

 

「……次は、攻撃……」

 

 彼女はそう呟きながらも、朦朧として膝をつきかける。

 

「サターン! 駄目よ、少しは休憩しないと!」

 

 その小さな身体をちびムーンが支え、次にプルートが抱え上げた。

 

「スモールレディの言う通りです。貴女はこうして変身してるだけでも無茶をしているのですから」

 

 セーラーサターンは、戦士としての力は非常に強力であるが、それが宿る心体そのものは未熟な少女。本来の時間軸よりもかなり早く覚醒しているため、技を放つだけでも大きくエナジーを消費するのだ。

 

 一方のタキシード仮面は、炎と瓦礫の海を悠然と渡る飛竜に注目していた。

 その膨らんだ首下から丸みを帯びた黒いものが夥しく垂れ下がり、ゆさり、ゆさりと揺れている。

 その形状は、ちょうどあの爆発した黒い実を逆さにしたものと瓜二つだった。

 

「あれはまさか……鱗」

 

 今となっては正体が分かる。

 あの空から降ってきた黒い爆弾は、ヤツの抱える鱗そのものだったのだ。

 

「……あちらの人類が生み出した、生物兵器か?」

 

 ウラヌスでさえ、語る唇に力みが入っている。それほど今の光景は常識を超えていた。むしろこれを野生動物と断言出来る方がどうかしている。

 

 草食竜は既に息絶え、煙を上げて炎上していた。

 焔の海に悠然と佇む竜は焼けた肉を啄み食い千切り、咀嚼する。

 その少し向こうには動転のあまりすっ転んだ商店街の人々が複数いた。爆発からは逃れたようで、しばらくすると悲鳴を上げて時節こちらに振り返りながら遠方に駆けていった。

 しばらくして、飛竜はセーラー戦士たちの方に首を傾けた。

 

「グェ゙ヮワァ」

 

 裏返ったような、何にも形容し難い唸り声だった。

 鋭い目つきに太い眉のような鱗、そして大きく尖った嘴。悪漢にも似た厳つい顔の持ち主である。

 

「君たちはあの飛竜の相手を。私とちびムーンは、住民にこのことを伝えて避難させる」

 

 タキシード仮面はちびムーンをマントの中に抱き抱え、近づいてくる飛竜と睨み合いながら告げた。

 

「……ご賢明な判断です」

 

 プルートは一時目を瞑り、再びその飛竜に向かいあい宝杖で地面を叩いた。

 皮肉にもこの爆撃機じみた飛竜の襲来は、タキシード仮面……衛に、己のすべき道を与えてくれた。

 外部戦士にとっても同じ。使命の名において主たちを逃しこの非道なる飛竜を倒すべきだと、この現実が告げたのだった。

 

 戦士たちは再び、二手に分かれて駆け出した。

 先に飛び出したタキシード仮面に対し、飛竜は大きく口を開けて迫る。が、それは後から飛んできた水色と金色の光球の爆発によって阻まれた。

 怯んだ飛竜は、ぐるんと首を回して4人の人間に注目する。

 

「あなたの相手はこちらでしてよ」

「恨んでくれるなよ。先に攻めてきたのはそっちだからな」

 

 ネプチューンとウラヌスは、ヒールを鳴らしながら最も前に出る。

 下位の飛竜ならば致命傷にもなりかねない連撃だが、この飛竜にはほぼ効かなかった。

 

「ウ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オオオオオオオオオオンンンッッッッッッ!!!!」

 

 その飛竜は天を拝み、野太く低い声で雄叫びを響かせた。

 

──

 

 煙の手が、空を埋め尽くすように際限なく上がっている。

 幸い放棄された区画はガスも電気も断たれていたため、大規模な火事は起こっていない。それでもその光景は、遠くから眺める人々を威圧するには十分すぎた。

 

「なに……あれ」

「戦争でもおっ始まったのか?」

 

 自警団の先頭にいる四姉妹は、商店街から集いし『有志』を眺めた。

 

 ほとんどの人に、ハンターやセーラー戦士のように怪物たちを追い払う実力は無い。

 ならば何が彼らをここまで団結させたのか。それは勇気ではない。ましてや隣人愛や絆でもない。

 

 恐怖である。

 

 怪物に襲われるのが、自分だけ取り残されるのが怖い。そんな常に隣り合うリスクと不安を解消するために、必死になって群れている。

 他人と繋がり他人の中に埋もれることが、最も自分と家族の命を護る方法だと本能的に知っているから。現に、ほとんどの人々は確かめ合うように顔色を一々窺っている。

 

「やっぱり、この男が怪物どもを誘き寄せてきたんだ!」

 

 1人の青年が声を上げる。怒りの表明というよりは、恐れから来る絶叫だ。

 

「……それはっ」

「コーアン、あんた殺されたいの?」

 

 反駁しかけるコーアンをペッツは食い止めたが、そうする彼女自身の顔にも迷いが出ていた。

 当初は強く教官を拘束する縄を引っ張っていたベルチェとカラベラスの手も、下がり気味になっている。

 この胡散臭い髭男がちびうさの、セーラー戦士たちの仲間だと聞いてしまったからだ。

 彼らの言い分を肯定することは彼女たちを裏切ることになりかねず、その逆は自分たちが群衆に攻撃される可能性を孕みかねない。

 

「俺に任せろ」

 

 そんな姉妹たちの熟慮を待たず、肩幅の広い筋肉質の中年男が、ずかずかと大股で教官の前に歩いてきた。

 教官だけでなく周囲の自警団メンバーもびくりと肩を震わせて萎縮し、そそくさと道を開けた。

 

「や、安田さん……」

 

 岩のような顔をした男の目つきは正義感に溢れている。

 40から50代頃の見た目に反し、瞳の光は若々しく生真面目さが垣間見える。

 自警団全体がざわつき始めた。

 

「随分と愉快そうな面してるな。化け物どもを弱者にけしかけるのがそんなに楽しかったか」

 

 太い図体と低い声から溢れる威圧感に、教官、そして両脇で彼を縛るベルチェとカラベラスの顔にも緊迫感が表れる。

 

「お前はこの街をぶっ壊した。ガキの頃からやってた山崎の婆さんの駄菓子屋も。家内がよしみにしてた大阪さんとこの宝石店も……去年からのバブルでやっと日の目を見た俺の会社も全部、全部だ」

 

 言い募る男が手に持った、古びた金属製のバットが端っこから、水が伝うように銀色に光っていく。

 

「き、ききき貴様、何をするつもりだ!」

「少しくらい、分かる言葉を喋れないのか?」

「あ、あー分かった。貴様、6年前にタンジアで世話になった闇金のボスだな。そんならもう時効ってことで……」

「だから分かる言葉喋れと言っとるだろうがっ!!」

「ひいいいいいんっ!!」

 

 教官を此度の厄災の原因と信じるその男は、叫ぶと同時にバットを思い切り地面に叩きつけた。

 言語の違い以前に、もはや会話の体を成していない。

 四姉妹も、自警団の人々も、教官も、思わず肩を竦ませる。教官は子犬のような声をあげ、蹲ってぶるぶる震えた。

 対する男の瞳からは、怨みと怒りが積もりに積もっていくのがありありと分かる。

 

 遂に、バットを持ち上げた。

 

 ベルチェとカラベラスは、反射的に縄を持つ手を緩めてしまう。

 コーアンは、ペッツの拘束を破って駆け出す。

 

「駄目っ」

 

 コーアンは教官を庇おうと前に出た。

 それは男、安田にとっても意外だったようで。

 

「なっ……」

 

 しかし、いったん振り下ろした凶器の軌道は変わらない。銀光りするそれはそのまま彼女の背に直進し。

 

 ガァン、と鈍い音が響いた。

 

 沈黙が続く。目を瞑っていた人々は、少しずつ、恐る恐る目を開ける。

 

 1輪の赤い薔薇が、地面に突き刺さっていた。バットは路端に転がり、男は手の甲を押さえて唸っている。

 

 その向こうに、ハットを被った男の姿。そしてピンク色の髪の乙女の姿が並んでいた。

 

「その手をどけるがいい。この男を殴っても何の解決にもならん」

「……あっ、あんたらテレビの」

「タキシード仮面様とセーラーちびムーンよ!」

 

 男に次いで、女性陣の一部が黄色い声を上げる。

 セーラー戦士は東京ではメディアに取り上げられるくらいには有名人であり、街を護る正義の味方だ。

 

「皆の者、あの男と話し合いをさせてくれまいか。不安なら縄はそのままでいい」

「は、話し合いぃ? こんな人の形をした化物に、話が通じると思ってるのか!?」

「通じるさ。少なくとも、安易な感情と暴力に訴えるよりはな」

 

 そう叫んだ男に向けて、タキシード仮面は視線を鋭くした。

 

「我々はあちらの言葉が分かる。ここしばらくいなかったのは、我々があちらの世界に迷いこんでいたからなのだ」

 

 初耳の事態に、四姉妹を除く一同は半信半疑に囁きあう。

 

「……間に合ったのね」

「うん。コーアンもありがとう」

 

 ちびムーンの助けを借りてコーアンは起き上がる。

 それを見て、長女ペッツは群衆の前に出た。

 

「セーラー戦士さんたちが来たからには安心だわ。みんなも一旦、落ち着きましょう」

 

 そこでやっと、彼女は強気に出ることができた。特に、さっきバットを振りかぶった男に念押しするように睨む。

 男もこれ以上は分が悪いと踏んだか、渋々ながら引き下がった。

 そして遂に、ちびムーンとタキシード仮面が教官と対面する。

 

「な、なんだ貴様らは!? そのヘンテコな姿、まさかハンターか!?」

 

 教官は次は何をされるか気が気でないようで、身を捩って逃れようとする。

 セーラー戦士の不可思議な力によって商店街の人々のみならず、教官にも正体が分からないのだ。

 タキシード仮面は、アイマスクを教官に対してだけ見えるように外してみせた。

 

「……え゛っ」

 

 教官の顔が驚愕に染まる。

 それも織り込み済みで、ちびムーンは顔を近づけた。

 

「あたしたちよ。助けに来たの」

「き、貴様ら、なぜこの状況でアホみたいな仮装大会を?」

 

 2人の表情が、同時に固まる。ちびムーンの額にピキリと血管が浮かんだ。

 

「……もう助けるのやめとこうかしら」

「すみませんめっちゃかっこいいです助けて下さい」

 

 いちいち余計なことを言う癖も変わっていない。

 タキシード仮面はこほんと咳払い、アイマスクをかけなおして仕切り直す。

 

「教官。なぜあなたはここに来た?」

「……ここの連中が爆鱗竜に襲われそうなので、吾輩が助けに来てやったのだ。結果はこのザマだが」

「爆鱗竜?」

「その顔だと本当に知らんのだな」

 

 教官は、少女と男の瞳を真っ直ぐに見つめ言い放った。

 

「爆鱗竜バゼルギウス。それがヤツの名よ」




生きる爆撃機、バゼルギウス登場。
人vs怪物の話って終盤こういう人vs人になる場合が多いけれど、(進撃やまどマギなどの名作もその例)本作はそこをメインにしたいわけではないのでこういう展開はう〜んなんだけど、個人的にやはりこういうのも書いて楽しい〜となる場合もあるので長く引き摺らない程度に書く予定。


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焦土を望む街③(☆)

 爆鱗竜バゼルギウスは、存在そのものが戦争である。

 彼が縄張りとする範囲は広く、獲物や外敵に対し異様なまでの執着を持つ。

 好奇心も一際強く、喧騒を聞きつけると積極的に介入する。

 そして手当たり次第に首や尻尾の下部にある特殊な鱗……『爆鱗』を空中から地上に振るい投下、文字通りの『爆撃』を行い、目標を破壊せしめるのだ。

 

「数週間前から、バゼルギウスの徘徊する区域にこの集落があると知ってな。吾輩はこれをビジ……ボランティアチャンスとして捉えた」

 

 教官は人差し指を得意げに立て、爆鱗竜の次にここに来た事情を滔々と語ってみせた。

 

「さっそく対策を授けようと隠れ蓑を被ってきたところ、突然アプトノスの機嫌が悪くなって操縦不能に……」

「あの大きなビール樽は?」

 

 縄に縛られた教官が忙しなく身振り手振りを交える前、タキシード仮面が脇に置かれた荷車の方を向いた。

 

「あ、あれは……緊急時の飲み水だ!!」

「どうせバルバレの時みたいに、お金儲け企んでたんでしょ」

 

 ちびムーンにジト目で苦しい言い訳も看破され、教官は「ぎっ」と声を上げた。

 彼の性格からすると、あの荷車に積んである『商品』を対策グッズや嗜好品として売りつけるつもりだったと考えるのが自然だ。商魂逞しいとはまさしくこのことか。

 更にタキシード仮面は指を顎に当て考えを深める。

 

「確か、バゼルギウスは最初にアプトノスを狙ったな」

「ねえ……まさか、教官の連れてたアプトノスを嗅ぎつけてきたんじゃ」

 

 ちびムーンの推測が確かだとすると、バゼルギウスがやってきた直接の原因は──

 そんな空気を察した教官は顔を真っ青にした。

 

「な……」

 

 しばらく下を見てから、跳ね上げるようにして縛られた身体を前のめりにする。

 

「も、元はと言えばこの集落の連中の自業自得ではないか! 砂漠を緑化するなんて馬鹿をやらかすからこうなったのだ!」

 

 傍から聞けば、みっともない自己弁護の言葉だ。だが初耳の言葉が気にかかり、タキシード仮面は眉を上げた。

 

「緑化?」

「どうやったかは知らんが噂になってるぞ。お陰でアプケロスが異常繁殖するわ、ガレオスどもの餌場がバルバレに寄って来るわで砂漠の生態系が乱れまくりだ!」

 

 教官は足下のアスファルトの間から伸びた雑草をヤケクソ気味に引き抜き、眼の前に放り出した。

 

「草木があれば草食種が集い、更にそれを狙って肉食モンスターが寄ってくるなんて誰だって分かる。オマケにヤツが近くにいるというのに吾輩を見た途端、集団になって大声で騒ぎ立てると来た。あいつらは、自分で爆鱗竜を誘き寄せたも同然だ! 嘘と思うなら聞いてみるがいい!」

 

 タキシード仮面は、背後に不安な顔を並べる商店街の人々に振り向いた。

 

「……街のなかで霧の向こうに行った者は?」

「壁を作るくらいよ。そんな物好きいると思う?」

 

 即座に四姉妹の次女カラベラスは、いかにも有り得ないと言いたげな顔をする。

 次に長女ペッツは目で自警団に問いかけるが、誰もかれも困惑気味に首を横に振る。

 確かに、とタキシード仮面は目を伏せる。

 

 怪物を恐れる人々にとって、あちらにわざわざ向かってまで開拓するメリットはない。

 緑化の原因はどうもこの街の住民ではないらしい。

 だが、こんな状況で教官が苦し紛れの嘘をついているようにも見えない。

 それでは、いったい誰が。

 しかしそんな悩みを断ち切るようにして、タキシード仮面は教官の顔を覗いた。

 

「……教官。折入って頼みが」

 

 すると彼は目を丸くして、いきり立った。

 立ち上がった彼に姉妹や群衆は驚いて、一斉に肩を揺らす。

 

「おいおいおいおいおい貴様ら、吾輩を助けてくれるって約束じゃないのか!?」

「君の安全は我々が保証する。その代わり……」

「いいや、絶対帰る! こんなとこ一刻でも早くおさらばに決まってる!」

 

 教官は何度も縛られた身体を揺すり、タキシード仮面の制止を振り切ろうとする。

 これまでの扱いを見れば当然とも言えた。

 

「この吾輩でも、あの娘ほどの慈愛はないぞ! ましてやあんな凶暴な連中なんかのために……」

「ここは、その故郷なのよ!」

 

 自警団の方を指差していた指の動きが止まる。

 あちらの世界の言語が分からない住民たちは、固唾を呑んで先を見守っていた。

 

「……なに?」

「虫の良い話だなんてわかってるわ。だけど、それでもここは……あたしたちにとって大切な故郷なの!」

「ここの人々はモンスターも、ハンターの存在さえも知らない。だから知らないものから自分を護ろうと、余計に恐れている」

 

 ちびムーンとタキシード仮面の言葉を受けて、教官は、自警団の人々の顔ぶれを見つめた。

 そこにあるのはやはり、怒りとか憎悪というよりも怯えだった。

 いったい彼は何を言って何を考えているのか。そんな不安が透けて見えるよう。

 言語が違うゆえに、姿が違うゆえに、住む世界が違うゆえに、彼らは威嚇しつつ距離を離している。

 

「逃げるのは一向に構わん。だがその前に、どうか教えてくれないか。あなたがこの地の人々をどう救おうとしたのかを」

「……」

 

 タキシード仮面の提案に、教官は唇をへの字に曲げて黙りこくっていた。

 

──

 

「ヴォォォオ゛オ゛オ゛ォォォオ゛オ゛ォォォォォ……」

 

 爆鱗竜バゼルギウスは人にも似た声で低く唸り、天然の焼夷弾を手当たり次第にばら撒いていた。

 既にあちこちの空家の屋根には穴が空き、煙と火の手が上がっている。

 道路のアスファルトが砕け散り、所々、舗装されていた地面が剥き出しになっている。

 

「攻撃の手を緩めるな! こちらにヤツの意識を引きつける!」

 

 ウラヌスは爆鱗の雨を掻い潜って屋根に跳びあがると同時、掌から金色の光球を発射した。

 しかし滑空する爆鱗竜の動きは素早く追いつけない。

 

「ディープ・サブマージ!!」

 

 間髪入れずネプチューンが深海色の髪を翻し、高圧水球を投げるようにして放つ。

 だがそれも今しがた爆鱗竜の手前を塞いだビルが盾となり、着弾とはならず。

 

 再びビルの陰から姿を現した爆鱗竜は、セーラー戦士に向かって高度を急激に落とす。

 不運なことに、路上に倒れた樹が彼女たちの行く手を塞いだ。

 前も後ろも、既に無差別に撒かれた爆鱗が蒸気を上げその時を待っている。

 次に左右を素早く確認したプルートが叫ぶ。

 

「路地裏に!」

 

 辛うじて近くのビルの間に滑り込むと、連鎖爆発が烈しく横の空気を打ち、炙った。

 衝撃と熱気に、セーラー戦士たちは反射的に顔を背ける。

 決して彼女たちが手を抜いているわけでも、実力が及ばないわけでもない。かの爆鱗竜から落とされる爆鱗の量が異常なのだ。

 

 あの天然の爆弾は飛竜の一挙一動で簡単に剥離し、こちらの行動を制限する地雷と化す。

 爆鱗竜はそれを知ってか、爆鱗を眼下に大量かつ無差別にばら撒く。

 そうして物量任せにこちらの自由を奪ったあと──先ほどのように狙いをつけ、一挙に爆破するのである。

 

 サターンが路地裏から顔を突き出すと、その先には焼け野原が広がっていた。

 四角に整えられた区画は建物という綺麗な化粧をひっぺがされ、今や室内が露出し瓦礫が散乱する、戦場のごとき惨状だ。

 黒色と朱色に煙るなかで爆鱗竜は吼え、再び目標を見つけんと羽ばたき空へと消えた。

 

「このままでは被害範囲が……!」

 

 再び隠れたサターンの呟きは、半ば静かな悲鳴だった。

 今は放棄された無人地域だから人的被害はないものの、街の破壊は人々の生活を奪うと同義。

 更には、人がいる商店街はここからそう遠くないという懸念があった。

 短期決戦を狙わねば、最悪の事態になる。

 ネプチューンはそれでも冷静に、地上から炎に照らされる竜の姿を見上げ熟慮する。

 

「……あの飛竜、滑空は上手いけれど羽ばたくことは苦手と見えるわ」

 

 同じ方向を見つめていたプルートは別方向へ視線を持ち上げる。

 赤紫色の眼に映ったのは、街の中でも一際大きい商社ビルだった。

 

「とにかくこちらが地上にいる限り、勝目は薄いでしょう」

 

 そのビルは爆鱗竜の飛空高度よりも高い標高なためか、周囲と比べても無傷な方だった。

 

「……あれしかないな」

 

 ウラヌスの一言を合図として。

 飛竜の姿が見えないのを見計らい、彼女たちは飛び出す。

 

 そのまま煙に身を隠しながら穴の空いた道路を飛び越え、商社ビルへと直行。

 ある一軒家の屋根の上を踏み台に、跳躍する。

 スカートの下から伸びる脚が弧を描き、ガラス張りのある窪みを足場とし、ばねのように曲がって。

 垂直に跳ねた。

 重力に逆らって真上に飛んだあと、次の窪みにブーツの先を引っ掛け、またしても飛ぶ。

 そうして1分もしない間に屋上に辿り着くと、4人はそこから爆鱗竜の姿を探す。

 

 すぐ見つかった。

 

 ゆっくり旋回して地上を監視している。

 どうやら、こちらを排除したと安心しきっているようだ。

 

「なるほど、これなら狙いやすい」

 

 俯瞰したウラヌスは再び拳を握り締めた。

 金色の光が指の間から漏れる。

 

「ワールド・シェイキング!!」

 

 そのまま、掌に現れた光球を投擲。

 それは深く弧を描いて飛ぶと、バゼルギウスのすぐ近くで爆発した。

 

「ヴァァァ゛ァ゛ヴゥ゙ッ」

 

 衝撃波に煽られたバゼルギウスは甲高い驚きの声を上げつつも体勢を立て直した。

 首を回し、煮え滾るような視線で『敵』を探す。

 逃げることなど考えてすらいないようだ。

 

「いい子ね」

 

 ネプチューンとプルートも、攻撃を続けて放つ。

 だがいずれも遠距離であったためか、翼の端や胴体に命中して有効打とはならない。

 それほどしない間にこちらに気づかれた。

 バゼルギウスは、更に高度を上げようと翼を羽ばたかせた。

 

「まぁ、そうするしかないよな」

 

 ウラヌスはこちらを見上げ睨んだ飛竜に向かい、そう独り言ちた。

 商社ビルを中心に旋回しつつ、こちらがいる天井へ確実に迫る竜の軌跡。

 しかしそれは滑空の時と比べれば目で追える速度だった。

 

 爆鱗竜は下方への『爆撃』という攻撃手段を持つ故に、地上に対しては圧倒的な制圧力を誇る。

 さりとて、己より高所にいる相手には手も足も出ないのはこの飛竜とて同じ。そのため、こうして高度を稼ぐしかないのだが。

 爆鱗の重量ゆえか、こと飛行に関してはまさにネプチューンの読み通り鈍重そのものだった。

 

 いよいよ爆鱗竜は唸り、勢いをつけて一旦身体を沈ませる。

 それから勢いをつけ、急上昇。滑空の応用形だ。

 一気に高度を上げてビルの屋上を望んだバゼルギウス。それを見据えるセーラー戦士。

 忌々しき敵と睨み合う。

 爆鱗竜は爆弾をその身に抱え、翼を畳み突撃体勢に入る。

 

 しかしいま、彼女たちにとって今の爆鱗竜は──

 いわば動く的。

 となれば当然。

 

「デッド・スクリーム!!」

 

 プルートが白杖から放った、凄まじいエネルギーを秘める紫の光球。

 それが弾丸状の頭頸部に、掠めるようにして命中した。

 バゼルギウスは強烈な衝撃の余波に頭を揺らす。

 

「ヴヴォォォ゛ォ゛ヴッッ」

 

 巨体が狙いを外して柵を突き破り、ビルの屋上を滑るようにして不時着した。

 首元に垂れ下がっていた爆鱗のいくつかが衝撃で爆発、屋上を削る。

 バゼルギウスは完全に倒れはせず、片脚の踏ん張りで無理やり身体を起こした。

 それでも昏倒しかけているのか、涎を垂らして目を何度も瞬かせている。

 

 これで一時的ながら街への空爆を封じ、地上戦へ持ち込むことも叶った。

 ならばやることは1つ。

 爆鱗竜の顔を、黒に近い紫光が照らした。

 塵が舞い上がり、風がある一点に向かって吹き込む。

 そんな超自然現象を生み出すのは、ウラヌス、ネプチューン、プルートのどれよりも背の小さい少女のセーラー戦士。

 彼女は黒いおかっぱ頭を靡かせ、二叉の槍を前方に構え詠唱を始めた。

 

「サイレンス・グレイヴ・サプライ……」

 

 この一撃さえ当たれば、爆鱗竜は間違いなく跡形もなく消滅する。

 溜めに溜めた破滅のエナジーを、サターンは沈黙の鎌の先から弾き出そうとした。

 

 しかし、あまりに本能的に危機を感じる光景だったからか。

 バゼルギウスは気を取り戻して咄嗟に首を振るい、前方に放り投げるように爆鱗を飛ばす。

 そのうちの1つがサターンの足下へ転がった。

 

「はっ……」

 

 危険を察知した彼女は、すぐさま攻撃を中断して飛び退く。

 それを追うように、バゼルギウスの口から焔が拡がった。

 他のセーラー戦士もその場から離れる。

 吐き出された火炎は爆鱗に引火。

 爆竹のような破裂音と朱い色の炎が屋上を這い、駆ける。

 仲間たちと辛うじてその間をすり抜けたウラヌスは唇を噛む。 

 

「次から次に新しい動きを!」

 

 ビルの屋上は戦場とするにはあまりにも狭い。

 爆鱗竜の全長だけでも、屋上の面積の3分の1ほどを圧迫している。

 そんな空間に爆鱗が撒き散らされれば苦戦は必至。

 先ほどサターンが回避を強いられたのも、この戦場の狭さが原因なのだ。

 出来れば先の一撃で仕留めたいところだったのだが。

 

 不安の種はそれだけではない。

 いま目の前にいる爆鱗竜の頭部──

 それを構成する網目状の鱗の合間、首下から葡萄のように無数に垂れ下がる爆鱗が紅に光っている。

 体内が燃えているよう、とも比喩できようか。

 見るからに不気味で、危険な雰囲気を醸し出している。

 

 バゼルギウスは前のめりに構えると、そのまま自らの頭を擦り付けるようにして身体ごとこちらにぶつけにかかった。

 動き自体は至って単純。何の苦もなく避けたネプチューンは、そのまま接近して追撃を試みる。

 しかし攻撃と共に撒き散らされた爆鱗を見て、血相を変え、足裏を軸に踵を返す。

 紅く染まった爆鱗が、元々彼女のいた地点に接地すると。

 即座に爆発した。

 火の粉とコンクリートの破片が舞い、ネプチューンの海波が如き髪の端っこが焦がされる。

 

「ある程度覚悟はしていたけど……まさかここまで厄介だとはね」

 

 爆鱗竜の身体からは今も爆鱗が勝手に零れ落ち、片っ端から爆発する。いわば自動的な障壁となる。

 セーラー戦士たちが近寄って来れないと見たバゼルギウスは、翼を大きく広げた。

 回転しながら飛び上がると同時、爆鱗が同心円状に大量に撒かれる。

 屋上を埋め尽くす火の雨に、またしても戦士たちは回避を迫られた。

 バゼルギウスは空中から急降下し、噴き乱れる炎の中を踏みつける。

 

「っ!?」

 

 戦士たちは、嫌な感覚のする震動を足下から感じ取った。

 続けてみしり、みしりと音がする。

 ビルの天井は、そう何度も爆発に耐えられるようには出来ていない。

 ましてや人間の何十倍の体積を持つ生物が、勢いをつけて落下したとなれば。

 

 当然、圧壊する。

 

 足場を失った戦士たちは、突如屋上に出来上がった穴から滑り落ちた。

 ビルの屋上まで通されていた配管が断ち切れ、アナログアンテナや給水タンク、変電設備までもが屋内へと雪崩込む。かつてどこかの社長室だったのであろう、最上階の落ち着いた雰囲気の内装は、コンクリートの雨に完膚なきまでに殴られた。

 バゼルギウス以外、サターン以外のセーラー戦士が瓦礫の海に埋もれていた。

 

「みんなっ……」

「問題ない!」

 

 サターンの叫びに、ウラヌスの声がすぐ答える。

 彼女は片手で天井の破片を突き飛ばし、庇っていたネプチューンの手を引き上げた。

 プルートも白杖で瓦礫を弾いて、五体満足で立ち上がりかけている。

 

「ヴヴォォォォヴッッ」

 

 サターンが安堵するのも長くは続かず。

 爆鱗竜は爆鱗が周囲の瓦礫を吹き飛ばしたことでいち早く復帰した。

 爆鱗をばら撒きながら、螺旋を描くようにして高度を上げる。

 彼の翼を水平にして行く方向、炎とは別の光で明るく染まる空を見て、ネプチューンは目を見開いた。

 

「あの方向は……商店街!」

 

 すぐさまセーラー戦士たちは後を追った。

 




バゼルギウス、自然の地形よりも街に来た方がかなり被害が甚大になる気がする。なんたって無差別爆撃だからね…。


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焦土を望む街④(☆)

「……その作戦、本当に上手く行くの?」

 

 四姉妹の次女カラベラスは、セーラー戦士を通して聞かされた教官の作戦にいまいち乗り気そうではなかった。

 他の面々も同様である。

 彼らにとってその内容はあまりにも穴がありすぎたし、一つ一つが一般人にとっては未知の領域の話で、成功するか失敗するのかも判断がつかなかったのだ。

 

「我々にも時間がないのだ。街を護りたいのなら、彼の縄を解いてやってくれ」

 

 それでもタキシード仮面は、教官を拘束するベルチェとカラベラスへ特に語尾を強調してみせる。

 それから、視線を東の空へと移した。

 

 黒煙が先よりも大きく見え、何かが風を切り爆発する音もよく聞こえる。

 

 バゼルギウスがこちらに近づいている証拠だ。

 彼女たちは一旦顔を見合わせると、怖々とながら縄を緩めた。

 縄がぱさりと地面に落ち切ると、教官はしばらく視線を巡らせて、誰も自分を襲って来ないことを注意深く確認した。

 そしてすぅ、と息を鼻いっぱいに大きく吸ったのち。

 

「吾輩、かいほおおおおぉぉぉぉ!!」

 

 天に向かって大きく腕を広げ、ガッツポーズをした。

 金歯の入った歯をきらりと光らせる。

 

「いっやぁ~。やっぱり人間に一番大事なのって、お金でもなく名誉でもなく……『自由』ですよね!」

 

 そこに割り入るように、いくつかの人間が前に出てきた。

 先頭に教官を厳しく問い詰めた中年男がいる。

 その姿を見た途端、教官は子犬のように怯えてセーラー戦士たちを盾にしゃがみ込んだ。

 

「……やっぱり信用できん。見てみろ、解放された途端あんなに喜んで。さぞかし適当なことを喋ったら上手くいったとほくそ笑んでるんだろ!」

 

 言いがかりにも等しい内容だ。しかしその男を先頭にした集団は、慇懃に頷いて肯定を示している。

 

「焦る気持ちは分かるが、落ち着いてくれ。もし上手く行かなかった時は我々が対処する」

「落ち着いてられるか。今にもあの化け物でみんな丸ごと焼き払われるぞ、早く縛り直せ!!」

 

 タキシード仮面は落ち着いて説得を試みるが、中年男のバットを取り上げられた拳はガタガタと震えている。未だ、教官を悪役と見立てているらしい。

 自警団の大半の人々はやはり、迷っていた。

 誰に従えば良いのか判断しかねているのである。

 

 それに対し、声の大きい人々はひたすらがなり立てた。自分の見る現実こそが正しいと叫ぶ。自らの正しいと思う方へ迷える仔羊を導こうとする。

 ちびムーンは何も言えなくなり、タキシード仮面も押し寄せる罵声の波を抑え切れなくなりかけた時だった。

 

「……あの」

「あら、大阪さんとお嬢さんじゃない」

 

 1人の呼びかけで、一時、喧騒が鎮まった。

 そこにいるのは、先ほど別れたばかりのなると、その母だった。

 

「なるちゃん……!?」

 

 なるの母は、なるの背を支え、共に頭を下げさせた。

 

「あたしたち、もう一度店を見に行ったところでここで騒ぎがあったって知ってね。事情も聞いてるわ」

「安田さん、商店街の皆さん。いつもお世話になってます。……差し出がましいようですが、ここはあの御方を信じてみては」

 

 なるの母は恭しく頭を下げると、懐疑派の先頭とその背後の集団に声を掛ける。

 

「この子、セーラー戦士さんたちと一緒に霧の向こうに行ったようで。困ってたところをあちらの人たちが助けて下さったようなんです」

「ちょうどその男の人みたいな恰好の人が、セーラー戦士さんたちを手伝ってくれたのよ」

「……え、吾輩の顔に何か?」

 

 なるに指差された教官は、日本語が分からないので急に寄せられた視線に冷や汗をかく。

 自警団にも波紋が広がっていた。

 特に、教官に迫った中年男は気まずそうに黙り込んでいる。

 

「だから一度、信じてみても良いと思う! あっちの人ならいろいろあたしたちの知らないことも知ってるし……こんな大勢に見られて悪いことも出来るわけ無いと思うし」

 

 タキシード仮面の瞳に光が差した。

 風向きが少しずつ変わりつつある。

 ちびムーンはしばらくして何かを思い出し、勇気を振り絞って声を張り上げた。

 

「みんなだって見たでしょ!? あの竜は、おじさんの荷車を引っ張ってた生き物を襲ったの。操られてたならそんなことさせる訳ないわ!」

 

 ちびムーンが言ったのはアプトノスのことだ。

 バゼルギウスはこちらの世界に来てからまず、教官のアプトノスを獲物に定めたのである。

 それを聞いた四姉妹の末っ子、コーアンの視線が跳ね上がる。

 

「……そういえば私、見たわ! ちょっと遠くだったけど、あの竜が真っ直ぐ牛みたいなのに向かっていくの。確か貴女も、近くにいたわよね?」

 

 コーアンが隣の奥さんに振り向くと、彼女も首肯した。

 

「あっ、そうよそうよ。あの時、私も気のせいかって思ってたけど……」

「それなら俺だって」

 

 コーアンに端緒を発し、次々に目撃者が名乗りだす。

 自警団の側で証拠が出てきたのは大きい。セーラー戦士が嘘をついているとも言えなくなったからだ。急激に懐疑派の意見が苦しくなっていく。

 中年男は迷うように頬を引き攣らせつつも、歯ぎしりして。

 

「……それだって演技かも知れん! むしろあんたらこそ怪しいんじゃないか? 仮にもこの街を護るヤツが突然、こんな余所者の味方をして」

 

 彼の視線がタキシード仮面とちびムーンを貫いた。

 虚を突かれたのは戦士だけでなく、四姉妹や自警団の多くも同じだった。

 更に懐疑派のうちの1人が、戦士を指差す。

 

「そもそもニュースで見とった時から思っとったんだ。子どもがあんな妙ちきりんな恰好をして正義の味方と名乗るなんぞ……!」

「いい加減にして!!」

 

 叫んだのはコーアンだった。

 驚いた懐疑派とその先頭の男は、目を吊り上げた彼女に振り向く。

 セーラー戦士までも疑いにかかった者たちに四姉妹が向ける目は、既に厳しいものに変わっていた。

 

「さっきから、何もかも頭っから疑いにかかってばかりじゃない! 結局威勢の良いように見せかけて、あっちの世界が怖いだけでしょ!?」

「……だ、だがあんただって」

「ええそうよ、私だってそうだった。でもね、こんなこと続けてたらみんな揃って共倒れよ! そんなに人に頼るのが嫌なら、自分らだけでやってみなさいよっ!!」

 

 コーアンの猫耳に似たヘアーは、叫びすぎたせいかぼさぼさに乱れていた。

 ふー、ふー、と肩を怒らせて、興奮した犬の如く息を吐いている。

 やがて、長女のペッツがもうそれ以上はいい、と告げるように肩を叩き、引き下がらせる。そして、無言でさっきまで喧しく訴えていた数人の面々を見つめる。

 やがて彼らは口を結んで黙ったまま、人の間を通ってその場を立ち去った。

 それを見送ったペッツは、静かになった自警団の面々へ振り向いた。

 

「みんな、やりましょう。こうなったら使えるものはすべて使うだけよ」

 

 そして、タキシード仮面とちびムーンに視線を寄越し。

 

「通訳はお願いね」

 

──

 

 道路の幅を超える鳥影が、低音どよめかせ街の上を通り過ぎた。

 通過後に赤黒い塊が数個風を切り、雫のように落ちて。

 着弾と同時にそれらは爆煙を噴き上げ、付近にあった自動車を逆さまに吹き飛ばす。

 

「ヴォォォォォアアアアアァァァァ……」

 

 爆鱗竜バゼルギウスは興味を引かれていた。

 前方からする喧騒を竜の耳は何km遠くだろうとしかと捉え、情報を受け取った脳は本能の指揮のもと『敵の殲滅』を命令する。

 それにとって、縄張りとは──目に見える土地すべて。

 人が引いた境界など意味を為さない。

 元々そこに住んでいたという人間側の都合は、撤退の理由にすらならない。

 かの喧騒を撃滅せんと、威嚇し、主張し、誇示し、それは宙を邁進する。

 太い首元に天然の弾頭を次々に実らせ、次弾装填を完了する。

 投下準備を終えたそれは、標的を詳細に捉えるため高度を少しずつ下げた。

 

 その頚椎近くに、刃が食込む。

 

「ギョググゥゥ゛ア゛ア゛ッッッ!?」

 

 奇襲は上からだった。

 犯人は、湾曲した宝剣を持つ金髪の麗人、セーラーウラヌスだ。

 近くのビルから飛び出し、そのまま飛びついたのだ。

 鱗の密集した背中に、高周波を巡らせたスペース・ソードを突き立てる。

 狙い目は網目状の鱗の間。

 手応えは良く、剣は深々と突き刺さった。

 

「グギュルゥゥウッッ」

 

 バゼルギウスは振り落とそうと暴れまくる。

 上下左右に揺れ、時には天地逆さまに。

 それに合わせ、爆鱗がぼろぼろと落ちていく。

 だが、ウラヌスは決して剣から手を放さない。

 

 抵抗を続ける爆鱗竜の尻尾で水の爆発が起き、再び大きく身体が沈んだ。

 次に紫色の爆風も襲う。

 並行してビルの屋上を伝い走る、ネプチューンとプルートからの支援攻撃だ。

 

「サターンは、エナジーの充填中か……」 

 

 彼女らの後方を走る少女の姿を認めたウラヌスは前方に視線を移し、そこにある景色を確認した。

 

 一の橋公園。

 

 それは河川近くの首都高速下にあった。

 湧き出る噴水がトレードマークで、子どもがアスレチックとして遊べる『木の船』、トンネル型の通路も特徴的である。

 

「くそっ、遅すぎたか!」

 

 この向こうには十番商店街がある。

 すなわち、人がいる訳で──つまり、この公園がセーラー戦士にとっての最終防衛ラインなのだ。

 だが、バゼルギウスは意地でも前進しようとする。

 その首下には、まだ爆鱗がまだいくつか装填されている。

 更に不運なことに、振り回される彼女の視界端にとんでもないものが見えた。

 

 人々の姿だ。

 なんと、公園に集ってきているではないか。

 少なくも10人以上はいるだろう。彼らはこちらを指差し何か叫んでいる。

 

「止められ……なかったか……」

 

 悔しさの滲んだ言葉を吐く口は堅く食いしばられていた。

 もはや、市民の犠牲は免れまい。

 膨れ上がった彼らの感情を抑えることなど無駄だったと、ウラヌスはそう解釈する。

 彼女の剣柄を掴む手が緩みかけた。

 その揺らぐ視界に、もう一度公園の風景が入ってきた。

 

 木の船のマストに当たる部分に、黒い服を着た男が立っている。

 ステッキのようなものを番え、その先には何か丸いモノが当てられている。

 彼の背後には、内側の赤いマントが棚引いていた。

 

「プリンス……?」

 

 謎の物体がステッキによりビリヤードのように弾かれ、推進力を得て撃ち出される。

 球形のモノが、バゼルギウスの目の前へと飛び込んできた。

 その正体を知ったウラヌスは反射的に目を瞑った。

 

 閃光が、閉じた瞼を越して瞳を灼きかける。

 

「ヴォアアアアアアアアアアアッッッ!!!!」

 

 まともに視界を焼かれたバゼルギウスは完全に平衡感覚を喪い、高度を急激に落とした。

 途中、ビルの壁面に突っ込んで砕き、街灯を折り曲げ、悲鳴を上げて堕ちた。

 公園の石畳が迫ると、気を取り戻したウラヌスは爆鱗竜の身体を蹴って離脱する。

 激突。

 残った爆鱗は衝撃ですべて吹き飛び、巨体が路面を突き破りながら滑り、やがて止まった。

 

「ウラヌス、怪我は!?」

 

 何とか立とうと藻掻く爆鱗竜を見やるウラヌスのもとに、真っ先にネプチューンが駆けつけた。

 屈みこんで心配のあまりあちこちを見て回る彼女を、ウラヌスは掌で優しく制す。

 

「大丈夫だ。それより──」

 

 多くの人影が少しずつにじり寄ってきた。

 その先頭には、あの髭男がいる。

 

「言っておくがこの街のためじゃないぞ。バルバレでの借りを返すだけだ!!」

 

 彼が叫ぶとほぼ同時、バゼルギウスが立ち上がる。

 少し遅れて来たサターンとプルートは、ほっと一息を吐く。

 

「……交渉に成立したのね」

 

 今のバゼルギウスは爆鱗を喪っている。『爆撃』は使えない。

 そのことを呪ってでもいるのか、彼はタキシード仮面のいる遊具の木の船に向かって突進を仕掛けた。

 

 あくまで木製アスレチックでしかない船は脆く、簡単に砕け散る。

 しかし、それがある効果を生んだ。

 空洞のなか、バゼルギウスは視界を塞がれ動きも封じられたのだ。

 突然訪れた暗闇に惑うその背を、2筋の光が照らす。

 

 無人の軽トラックだ。エンジンをかけたまま突っ込ませている。

 更にその荷台には5個ほどの大タル爆弾、運転席にも大タル爆弾と小タル爆弾が括り付けられていた。

 軽トラはそのまま突っ込み、バゼルギウスを押しのけて──

 

 木の船を内部から吹っ飛ばした。

 並みの爆薬など比にもならない巨大な爆風で、破片をも残さない勢いで粉々にする。

 遅れてやってきた衝撃波が、セーラー戦士たちの髪を後ろへ引いた。

 紅く閃いた光が、黒い煙へと変わった頃。

 

 バゼルギウスが、首を振りながら這い出てくる。

 頭部の鱗が一部剥げ、翼も膜が少し破れていたが、歩みに目立った鈍りはない。

 小型とはいえ数tの重さがあるトラックの直撃、その上にあれだけの爆熱と爆風を直接受けても、未だに生きている。

 つくづく、飛竜という生物の生命力というものが窺える。

 

「……まぁ、古龍級生物がこんな『花火』では倒れんよな」

「みんな!」

 

 教官がぼやく横で、ちびムーンが号令をかけた。

 続いて、四姉妹を中心に一般人たちが顔を強張らせながらも出てくる。

 大勢の人間を相手にバゼルギウスは唸り、翼を畳んだまま突進を仕掛けた。

 

「あ……危ないっ」

 

 サターンが思わず声をかけるが、彼らが逃げることはない。

 

「よしっ、そのまま行けっ!」

 

 あと10mほどの距離に差し掛かった時、教官が叫んだ。

 人々が取り出したのは、瓶やスリングショット。

 その手から放たれた瓶が地面で弾け金色の液体が飛び散った時、その正体が判明する。

 

「……ビール!?」

 

 ウラヌスは遠くからでも漂ってくるその匂いを確かに感じ取った。

 バゼルギウスもよほど感知能力が高いのか、知らない匂いを警戒して立ち止まる。

 その鼻先を、四姉妹の番えていたスリングショットから放たれた玉が貫く。

 

「……ヴヴッ!?」

 

 半固体状の塊が飛び出し付着すると、見るからに爆鱗竜は狼狽え仰け反った。

 

「なるほど、こやし玉ね!」

 

 かつて狩人をしていたネプチューンは、すぐにその物体を見破る。

 四姉妹は後ろの木箱からそれらを何個も取り出し、今度は素手で投げつけた。

 

「まだ足りない!?」

「ほら、まだまだあるわよっ!!」

 

 それまでの鬱憤をぶつけるように、こやし玉はバゼルギウス目掛け何度でも投げつけられる。

 腹に据えかねる臭いは離れた位置にいるセーラー戦士たちの鼻をも強烈に刺すほどだったが、姉妹と後から加わる自警団の人々はお構いなしである。

 爆発には強くても激臭には堪えかねたようで、爆鱗竜は嫌がるように顔を振る。

 そして遂に、背を向け翼をはためかせた。

 気力減退のためか、身体へのダメージのせいか、飛び上がった速度は決して早くない。

 

「後は頼んだ!」

 

 タキシード仮面が前に進み出て叫ぶ。

 決して、あらかじめ作戦を共有していたわけではない。

 それでも外部太陽系戦士はしかとサインを受け取り、後を追った。

 

 勿論、バゼルギウスは瀕死になどなっていなかった。

 

 彼が選んだのはあくまで一時撤退。

 爆鱗が切れた頃に興を削がれたから、別のところに移るだけだ。

 また体勢を立て直せば、いくらでも反撃の機会はある。

 上空へ行けば、滅多に追撃をもらうこともあるまい。

 市街地を抜けようと翼をより大きく振るった。

 

 直後、その頭部から尻尾までを凄まじい衝撃が駆け巡った。

 爆鱗竜自身は理解できなかったが──

 彼は、頭から電線に突っ込んだのだ。

 元の世界でいう『シビレ罠』に匹敵する電力が、一時的に神経を麻痺させたのだった。

 

 翼が硬直したことで、当然巨体は再び地面に縫い付けられる。

 

「ヴ、ヴォ゛、ォ゛ッッッ……」

 

 感電したせいで涎を垂らし、呂律も回らない。

 脚も翼もがくがくと震え、地面を撫でるだけで支えとなることは決してなかった。

 それでも翼を使って這おうとする爆鱗竜に、セーラー戦士たちは容易く追いついた。

 一瞬、妙な間が生まれるが。

 彼女たちの前に広がる、廃墟にも等しい景色を確認してから。

 

「サターン、今よ」

 

 ネプチューンが静かに述べる。

 土星を守護に持つ破滅と沈黙の戦士、セーラーサターンは、二又の槍をゆっくりと前方に。地面とほぼ水平に突き出した。

 穂先で黒い稲妻が光る。

 道路の破片が、重力に抗い浮き上がる。

 

「……」

 

 バゼルギウスは何度も脚を起こそうとするが、持ちあがらない。

 もはや外しようがなかった。

 侵略者に相対する者として、絶対に揺るぐことのない漆黒の眼差し。

 大きな眼とその中にある小さな光が、辛うじて彼女が齢としては少女であることを示す。

 

「私はあと何回、これを使うのでしょうね」

 

 そう告げた言葉はエナジーの集約音に掻き消され、周りの仲間には聞こえなかった。

 

 

 3秒後、黒い爆発が道路を包んだ。

 

 

──

 

「なるほど。そういうご経歴だとは」

「そんな綱渡りで生きてる人、生まれて初めて見たわ!」

「割と胡散臭いイメージそのまんまですわねぇ」

「よっぽどのことがなきゃ近づかない方が良いタイプね」

 

「……言葉は分からんが、吾輩の悪口を言われてる気がする」

 

 四姉妹が、年齢の高い順に辛辣な評価を下していく。

 教官とセーラー戦士、そして四姉妹は揃って東の方面へ歩を進める。

 むすっとした顔の教官の腰を、ちびうさはポンと叩いた。

 

「無茶な金儲けは止めた方が良いって話よ」

「ビ・ジ・ネ・ス・だ!!!!」

 

 教官はそう念を押したあと、ふと、霧の広がる方角を眺めた。

 

「とにかく、あの『穴』はどうにかして近くにハンターを駐在させるか、通り道を埋め立てるかしかなさそうだな。今回のようなことがまた起こらないとも限らん」

「教官……」

「吾輩の行動が今回のことのきっかけの一つになったのは……認めたくはないが確かだ。こうでもせんと、安心して枕にもつけん」

 

 前を見続ける彼の声は、強がってはいるものの複雑な調子を帯びていた。

 

「どんな方法であれ、貴方はこの街を救おうとしてくれた。そこは胸を張っていいと思う」

 

 そう言ってくれたのは衛だった。

 教官は横に並ぶ彼を見つめたあと、前方を見つめ直して髭を指で撫でながら鼻を鳴らした。

 

「……すり寄っても飯は奢ってやらんぞ」

「そんなこと考えてないわよ、教官じゃないんだから」

「こっ、この小娘っ!!」

 

 教官は途端に取り乱し、怒鳴って追いかけるが、ちびうさはその手をひらりと躱す。

 終いには衛の周りをかくれんぼのようにしだしたので、衛は呆れてはぁとため息をついた。

 それを見たはるかとみちるは、僅かながら目を細めて。

 

「……あの人、懐かれてるわね」

「ああ。齢に見合わず子どもっぽいからかな」

「ちょっと、言いすぎよ」

 

 ずっと戦っていた2人が、久しぶりに雰囲気を和らげている。

 そして彼女たちの瞳には、単なるからかい以外の何かが映っていた。

 ほたるとせつなは、そんな2人に思わず目を奪われていた。

 

「……じゃあ、そろそろ行くぞ」

 

 一息ついた教官は終わりの見えない鬼ごっこを諦め、軽くなった荷車を引く。

 セーラー戦士たちは並んで、髭男の出立を見送ることにした。

 

「分かった。達者でな」

 

 衛がそう告げると、教官は頷いて1人、荷車を引いていく。

 その背中は霧に紛れて見えなくなり、やがて消えた。

 

「さーて、これで一件落着ね」

 

 しばらくして、コーアンが伸びをした。

 セーラー戦士たちの間でも、どこか肩が下がった雰囲気があった。

 

「そういえば、あっちがどこに繋がってるかって聞いてなかったなぁ」

 

 ちびうさはふと、名残惜しむように呟いた。

 順当に考えれば砂漠にある太陽の市場バルバレだが、教官はずっとあそこにいたのだろうか。

 

「そうだな。バルバレの近くにある街として候補を挙げるとすれば、前に確か──」

 

 衛が答えかけた時、雷が鳴った。

 

「!?」

 

 そこにいる誰もが、それが真っ直ぐ地面に直撃するのを目撃した。

 蒼白い、光の柱だ。

 場所はそう遠くない。北の方向である。

 

「……行きましょ!!」

 

 ちびうさの発言を契機として、彼女たちは路地を駆けていった。




バゼルギウスの肉質が柔らかくって(ゲーム上でも小説執筆の上でも)助かった…。これで実際の爆撃機のようにカッチカチだったら本当に目も当てられない強さだったなぁ…。


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陸の珊瑚に揺蕩う喧騒①(☽)

「ほれ、黒髪の嬢ちゃん。あんたが頼んでたカイザー装備だぜ!」

 

 あちこちから突き出した煙突が蒸気を吐く、新大陸式の工房。

 正面奥では瞼を焼くほど眩しい炉が休む間もなく稼働し、熱気を送ってくる。

 その前で、色黒肌の眼帯をした男……工房の親方が、トンカチを持って指差した先。

 少女たちの間、黒髪のツリ目の少女があっと声を上げ、手前のコンベアの縁に手をかける。

 

 炉を囲むように設置された鉄の細道を、真紅の鎧が5セット流れてきた。

 王冠、胸当て、篭手、スカート、脚部。

 いずれもが高貴な光沢を帯びており、今にも燃え出しそうな色合いを秘めている。

 カイザーβ装備。

 炎王龍テオ・テスカトルの素材から造られる防具である。

 

「まあ綺麗ー! ありがとうございまーす!」

 

 親方の弟子たちがレプリカ人形に防具を着せていく手前、少女レイの紫色の瞳は宝石のように輝いた。

 

「あのー。試着、させて頂いても?」

「ハッハッハッ! 良いぜ。存分に自慢してやりな!!」

 

 彼女のわざわざ顔を近づけての確認に、親方は豪快にOKを出した。

 

「んっじゃーレイちゃん、着替えてきまーす♪」

 

 いつにも増してハイテンションで着替え室に直行してゆくレイと並行し、レプリカ人形も滑車に乗って連れ去られていく。

 それを見守るうさぎたち一行も、自然に視線を引かれていった。

 レイの姿が消えた途端、彼女たちは一点に顔を寄せ合う。

 

「あれ、確か重ね着よね。よく出来てるわ〜」

「ああ。見た目だけ変えるってやつだろ?」

「へんっ。表面だけ着飾っても、中身が駄目じゃー意味ないのよっ!」

「もしかしてうさぎちゃん、対抗しようとしてる……?」

 

 しばらく仲間たちが様々に話し合っていたところ、意外にも早く幕が上がる。

 同時に、レイはその腰まで伸びる黒髪をかきあげた。

 

「みんな見なさいよ、この輝き。まさしくこのクールビューティーなレイちゃんに相応しいって思わなぁい?」

 

 自画自賛でさえ嘘ではないと思わかねないほどの似合い具合だった。

 炎王龍の鱗が封じ込められた全身の赤は、無論彼女の扱う炎を連想させるがそれだけではない。

 性質としては甲冑であるが、同時に絢爛さが目を引く。縦線型の装飾と腰鎖が印象をそうさせるのだろう。

 王冠の載った姿はまさしく戦神を守護に持つ女王に相応しい。

 まことと美奈子が思わず怯み、目を塞いだ。

 

「こ、これが古龍の装備……!」

「眩しい、眩しすぎるわーっ」

「おほほほほ。皆の者、平伏すがいいわぁ〜! おーっほっほっほっほ〜!」

 

 調子に乗りに乗ったレイは、羨望の眼差しを欲しいがままにする。

 己の作品がここまで喜ばれることに感慨を感じたのか、親方は誇らしげに腕を組んでレイと向かい合った。

 

「どうだ。着心地の方は?」

「ええ、もうサイッコーです!」

 

 文句無しに、レイは最高点を告げたが。

 それに対し、本来のプリンセスであるうさぎは如何にも面白くなさそうであった。

 

「けーっ。レイちゃんたら態度でかくなっちゃってさー」

「まあいいじゃない、荒地の戦いのVIPなんだし」

 

 亜美がそう宥めるが、うさぎの不服は止まらない。

 

「はぁー、いいなーいいなー。あたしももっと可愛い装備ほしいなー!」

「ほらほらうさぎちゃん、ここにある装備なんて良いじゃない!! 次はこれ目指しましょーよー」

 

 美奈子がうさぎの肩に腕を回し、コンベア上に造られた机へ半ば無理やり意識を向けさせる。

 そこには、工房で作製可能な武器や防具が書かれているリストが置かれている。

 美奈子がいう『可愛い装備』のスケッチが、ちょうどページの開かれたところに書かれていた。

 頭にはふさふさの装飾に蒼い角、胸当てと腰当ては面積の狭い白生地だけで、腹と脚を露出させた大胆な恰好である。

 

「……なんか水着みたい。こんなんで身体守れんの?」

「そぉ? 動きやすそうであたしなんか似合いそうじゃなーい?」

 

 疑心暗鬼なうさぎの前で、美奈子がセクシーめに身体をくねらせ体躯をアピールする。

 

「嬢ちゃんたちも、見た目変えてぇなら新しい素材を持って来な。重ね着なら少量の素材でも作製出来るぜ」

 

 親方はここぞとばかりに身を乗り出し宣伝してきたが、うさぎは動じないとばかりに手をひらひらと振り、

 

「でも見た目変えるだけでしょ? 生憎、あたしは見た目だけでなく中身も重視する女なのでー……」

「そう思うだろ?」

 

 澄ました顔を作っていたうさぎの視線が、親方の顔に食いつく。

 

「今までの重ね着は単に見た目を変えるだけだったんだが、防御力と素材の性質を一部上乗せできるよう改良したんだ。あのカイザー装備もそうだぜ」

「えっ、そうなの!?」

 

 親方が、レイが今も見せびらかすカイザー装備を親指で示すと、うさぎは素っ頓狂な声を上げた。

 

「はぇー、すっごい……」

「さすが2期団の人だからこそ為せる技ね……」

「はっは、何言ってんでぃ。あんたら6()()()の大活躍があったからこそ、こうやって一念発起したんだぜ」

 

 まじまじと工房の『芸術品』を眺めていたまことと美奈子は、その呼び名に思わず振り向いた。

 亜美は、照れたように俯いてしまう。

 

「そ、その呼び方、なんだか慣れないです……」

「素直に喜べばいいじゃねえか。あの炎王龍相手に大金星をあげたんだ。みんな、心から尊敬してそう呼んでんだぜ」

 

 親方は、眼帯とは反対側の眼を優しく細めて語りかけてくれた。

 書類上では5期団の補欠であるうさぎたちだったが、今やその5期団からも『6期団』と呼ばれる始末だ。

 

「次は陸珊瑚(おかさんご)の台地だろ? 頑張ってどしどし素材をここに注ぎ込んでくれよ」

「はぁーいっ、6期団も頑張りまーすっ!!」

 

 うさぎは手を上げて、元気よく返事する。

 まことは、親方に急接近していた彼女の肩を引き戻した。

 

「うさぎちゃん、上手く乗せられすぎだって……」

 

 さっきまで気取っていたのは何だったのか。あまりもの心変りの早さに、レイも含めた仲間たちは苦笑いを浮かべるのだった。

 

──

 

 少女たちは、細い崖を伝うように歩いていく。

 その横には御付きの猫、ルナ、アルテミスも一緒だ。

 リハビリも終え、彼らもある程度の任務ならば同行できるようになっていた。

 

「ほら、危ないわよアルテミスッ!」

「ああうん、そんな言われなくても分かって、ぎゃ──ッ!!」

 

 白い雄猫の彼はさっそく足場を踏み違え、ぐらついた岩場から落ちかける。

 猫ゆえの反射神経の鋭さで何とか姿勢を立て直したが、落ち着いた頃にはかなり息を荒くしていた。

 

「ほーら、言わんこっちゃない」

 

 足を少しでも踏み外せば奈落の谷底へ真っ逆さまだろう。

 空では雲が早く流れて渦巻いている。

 それが示すように彼女らに横から吹きつける風はかなり強く、翼竜の使用による越境はできない。

 一説にはテオ・テスカトルによる天候変化の余波だと言われている。

 

 ここは大峡谷。

 大蟻塚の荒地の北方に見える、さらなる奥地への侵入を阻む天然の障壁だ。

 左右の稜線は不自然なほど平行線を辿って、巨大な溝を成している。

 案内役を務める青年、調査班リーダーは、草木1つも生えないその不毛の地を感慨の眼差しで見下ろした。

 

「ここに来るのは久しぶりだな」

「確か古龍渡りの調査の時に、超巨大古龍……ゾラ・マグラダオスを迎え撃った場所ですよね」

 

 毛皮を着た浅黒い青年は、亜美に振り向いて「ああ、そうだ」と返す。

 

 古龍渡り。

 

 古龍たちが現大陸から海を渡り、はるばる新大陸に来るという不可思議な現象。

 当現象の原因解明こそ、新大陸古龍調査団の発足理由の一つであった。

 

「そのゾラなんとかが、この亀裂を作ったんですよね。よくそんなの捕獲しようって思ったよなー」

 

 まことは足を一旦止めた。

 峡谷の高さは500m以上はある。

 この山々を己の身1つで破ったというのだから、件の古龍の異常なスケールが窺える。

 

「当時は重要な調査対象だったからな。失敗はしたが、今となっては良い思い出さ」

 

 調査班リーダーの口調には、苦みの一切ない純粋な懐かしさが滲んでいる。

 

「むしろ彼が大地を割ってくれたお陰で我々も奥地へ行けた。感謝すらしてるよ」

 

 青年の足が止まった。

 彼の左前方に、亀裂が大きく縦に入っていた。

 

「そこを抜ければ、陸珊瑚の台地だ」

 

 ひたすら一直線の天然……正確には龍が切り拓いた道を征く。

 亀裂の間に吹き込む向かい風は、ますます強さを増す。

 運動能力の高い美奈子辺りはまだ平気だが、うさぎはひぃひぃと息を切らすようになった。猫たちは今にも飛ばされそうなので、匍匐前進で進むしかない。

 その中でも先頭にいる調査班リーダーは、風に全身で逆らう少女たちに振り向いて微笑した。

 

「こうしてると、君たちもアイツの通ってきた道を辿っていると感じるよ」

「……『青い星』さんのこと、ですか?」

 

 飛んでくる砂から腕で顔を庇い、なんとか背中についてきた美奈子は問う。 

 『青い星』の話は、うさぎたちも何度か聞いていた。

 古龍渡りの謎の解明に大貢献した、英雄とも表現すべき5期団のハンター。

 現大陸の噂では、世界規模の危機を何度も救ったとかなんとか。

 調査班リーダーは前を向いたままゆっくりと頷いた。

 

「アイツは凄かった。古龍との連戦でも大した怪我もなく帰ってきて、まさに俺たち調査団を導く青い星だったよ」

 

 亀裂の向こうからは光がもたらされていた。

 それを眩しそうに見つめる彼の眼差しは、憧れにも近いものを感じさせる。

 しかし、後方にいる亜美やレイの顔は沈んでいる。

 

「その人も、奥地に取り残されてるのよね」

「嵐の夜からは何週間にもなるし……大丈夫かしら」

「必ず生きてる」

 

 先頭でそう断言した調査班リーダーに、うさぎたちは思わず顔を上げた。

 

「そう楽観視できるくらいは、しぶといヤツだ」

 

 彼女たちの風圧に抗い押し出した足が、不意に、ザラザラとした質感の岩を踏んだ。

 これまで踏んできた砂岩とは違った感触である。

 風が弱まる。

 うさぎたちが目を開けると、そこには──

 

 

 海底が広がっていた。

 

 

 うろこ雲の波間から、水のない紺碧の海面に太陽光がぼんやりと揺蕩っている。

 中空に湧き上がる塵のなかを青白く光るクラゲが泳ぎ。

 熱帯魚のように鮮やかな橙色のハチドリが、チチチと囀って目の前を飛ぶ。

 下方では桃色珊瑚の樹が枝を四方へ伸ばし、白に緑に茶色の珊瑚も豊かに森林を成している。

 上方に行けば行くほど色素は薄くなり、青色の薄い珊瑚が段状に積み重なっているのも見えた。

 

「ここ……地上よね?」

 

 レイの問いかけに、少女たちの中で答えられる者はいない。

 事前に名前を聞いてどんな土地かは知っていたはずなのだが。

 遥か遠方には塔のように細い白山がいくつか聳え、ここが辛うじて地上であると知らせる。

 

「感動してるところ悪いが、あそこが『研究基地』だ」

 

 彼女たちの余韻は、苦笑した青年の声にかき消された。

 彼は自分たちのいるところから少し下方を指差す。

 珊瑚でできた天然の段差をいくつか降り、木製の跳ね橋を渡ったところにそれはあった。

 ある地点に錨を降ろし、気球によって斜めに吊り下げられる──などという珍妙な浮き方をした木造船である。

 

「案内はここまでだ。俺はアステラに戻って他地域調査の指揮を執る。引継ぎは頼んだぞ、『6期団』」

 

 調査班リーダーは各々の肩当てを拳の裏で叩いてからその場を後にする。

 

「……いつまでも、見惚れてはいれないわね」

 

 少女たちは前へと向き直り、研究基地を見据えると、再び珊瑚で出来た大地を踏んだ。

 

──

 

「なるほど。貴女たちが『6期団』ネ」

 

 顔の両脇から髪を垂らした妙齢の女性が、本の山に囲まれ座布団に胡座をかいている。

 ゆったりとした着物に蒼色の袴を履き、その右手に抱え込んだ容器からは、くらっとするほど甘ったるいお香の匂いが漂う。

 

「あたし、一応期団長。この研究基地を仕切ってる」

 

 無数に置かれた小さな蝋燭の灯の間で、気だるげな視線と声が交じる。彼女にはおよそ長らしい威厳というものはなかったが、勝手に襟を正されるような只者でない雰囲気を醸し出している。

 

 3期団の住居兼研究施設では、本来船底に当たる部分が壁としての役割を果たしていた。

 期団長と少女たちのいる階は最上層であり、そこから垂れ下がる幕と螺旋階段が施設を縦に貫く。

 天井──正しくは船尾から垂れ下がるシャンデリアに似た装飾が、今も揺れて上窓から入る光に輝いてシャラシャラと軽やかな音を奏でている。

 

「初めて見る景色ばかりで、返事どころじゃない?」

 

 その一言で、うさぎは我に返り背を仰け反らせた。

 

「あっ、すみません!」

「別にいいのヨ。ここの学者なんて、毎日目に穴空くくらい顕微鏡覗いてるから」

 

 彼女は一旦そっぽを向き、煙管を吸った口からぷはぁと息を一つ吐いた。

 

「貴女たちが来たってことは、やっとあのメンドくさい安否確認も終わったってわけネ」

 

 大蟻塚の荒地の解放以後、3期団の安否確認については滞りなく進んだ。

 そもそも以前に3期団は20年以上調査団から孤立していた事例があり、今回の件も彼らにとってはさほど問題にならなかったという。

 その後、数日に渡る補給ルートの再構築や団員の状況確認などを経て今に至る。

 

 しかし他の団員と同じ1人の学者である期団長にとっては、どうもそういった手続きすべてが煩わしいものだったらしい。

 彼女は背後に積み上がった本の山から、すぐさま数枚の書類を指に挟んで取り出した。

 

「事前の依頼通り、ここから観測できた古龍の動向について調べといたワ」

 

 お香の匂いが染み付いた紙を、うさぎたちはまじまじと見つめる。

 

「一つ。今回の翼竜逃走の発端になった嵐の一夜は、鋼龍クシャルダオラがもたらしたもの」

「クシャルダオラ……!」

 

 うさぎたちの間でどよめきが起こった。

 書類のうちの1枚に、鎧のような甲殻を纏い口から突風を吹き出す、四足の龍が描かれている。

 クシャルダオラは、うさぎたちも以前から名を知る古龍の中でも有名な種だ。

 鋼の身体を持ち、征くところに悪天候をもたらす典型的な古龍である。

 

「でもネ、消えたの」

 

 期団長はため息を誤魔化すように煙管をふかした。

 亜美は、紙から視線を持ち上げる。

 

「消えたって……もう、新大陸のどこにもいないってことですか?」

「ええ。嵐のせいで目的地は不明。あともう1頭、幻獣キリンも消えたワ」

「……キリン?」

「あんたが思い浮かべてるのとは違うでしょうね」

 

 怪訝に眉を歪めたうさぎの考えを、レイが見透かす。

 間違っても首が長い方ではない。

 

「キリンは雷を起こす古龍。かつてはこの地に生息してた。でも、それも──」

 

 2枚目の資料には、雷をたてがみに纏う馬と似た神秘的な獣の姿があった。

 それを見つめ、レイは複雑な表情を浮かべた。

 

「古龍のせいで他の生物が姿を消すのはよく聞くけれど、古龍自体が一夜にして複数いなくなるなんて……」

「ソ。かなり、緊急事態」

 

 期団長の声は至って平坦だったが、視線は前を向き壁の向こうを見通すように真っ直ぐだ。

 

「古龍渡りの再来……かもネ」

 

 そう一言だけぼやいたあと、彼女は眼下の螺旋階段に目をやる。

 階段を下った先、船でいえば船首に当たる最下層。

 そこに鎮座するは、気球に足場を取り付けた装置である。嵐で壊されたのだろう、気嚢が破れるなど損傷が酷く、今も数人の研究員が懸命に部品交換を行っている。

 

()()()()も今すぐ調べたいところだけど、翼竜もまだ怖がってるうえにあの連絡機の復旧も手間取っててネ。だから、その間に頼みたいことがあるの」

 

 彼女は懐から白い毛束の入った瓶を摘み出した。透き通った質感を持つ代物で、静電気のせいか一本一本が広がっている。

 

「ええっと……これは?」

「キリンの素材の一部。うちの研究員が原住民たちから貰った」

 

 そこで、何かに気づいた美奈子の瞳が疑問に染まり──やがて輝いた。

 

「だからそれまでの間、貴女たちには周囲の脅威の排除とキリンの痕跡集めをしてもらいたい」

「ええっとぉ、期団長さぁん……」

 

 うさぎたちが頷こうとした時だった。美奈子が上目遣いかつ猫撫で声で期団長へ迫った。

 その両手はどこぞの悪徳商人のように擦り合わされている。

 白猫アルテミスの顔が「うげっ」と歪む。

 

「ど、どうしたの、美奈子ちゃん」

「ほら、気づかない!? 工房で見たヤツよっ!」

「……あ」

 

 うさぎはそこまで言われてやっと気づいた。

 あの白い水着のような装備である。

 確か、キリン装備という名だったか。

 改めて美奈子はにじり寄るようにして話しかけた。

 

「ふふ、そのぉ、痕跡で集めた素材は、調査が終わったらぁ……」

「いいワよ、そちらの好きにして」

「ぃやった──っ!!」

 

 間も置かない了承とほぼ同時に、美奈子の体が飛び上がる。

 研究以外にさしたる興味はないのか、期団長は余所事のように煙管を再び口に咥える。

 

「み、美奈子ちゃん……」

「完全に重ね着目当てだね」

 

 苦笑いするうさぎとまことに構わず、美奈子はヘビィボウガン『バイティングブラスト』片手に拳を振り上げて階段に1番目の足をかける。

 

「ほら6期団、さっさとコ・ウ・ケ・ンしちゃうわよ〜!!」

「……現金なヤツめ」

「……まぁ、モチベーションはないよりあった方が良いでしょ」

 

 アルテミスはげんなりした顔で主人についていき、隣のルナはそれを慰める。

 レイは肩を竦め、亜美もため息を吐きながら着いていった。

 途中で亜美が再び戻り「……それでは」と肩身狭そうに挨拶した後、列に戻った。

 期団長はそれを最後まで、入口から出ていくまでを見送ると。

 

「なるほど、有望な人材ネ」

 

 一言述べてからゆっくり立ち上がって、階下の研究員を覗き込むようにして呼びかけた。

 

「連絡機担当以外は、大陸内外の移動が観測されたモンスターと環境生物のリスト、全部まとめて。少しでも、奥地に繋がる『糸』を探すのヨ」

「承知しました!」

「うんむ、分かった」

「了解じゃよぉ」

 

 研究員たちがみな彼女を見上げて頷き、各々のタイミングで返事をする。

 そのなかにはかなり若い、青髪の鋭い顔立ちをした女性研究員の姿もあった。

 

「はぁ〜。古龍以外にも渡ってきた生物、たくさんいるんだよなぁ……」

 

 若い男の学者が、膨大なリストを抱えて階段を昇りながら溜息をつく。

 彼が書類をよいしょとかけ声をかけて机に置くと、勢いのあまり数枚の書類が散らばる。

 そこに描かれたスケッチ類の中にはふわふわの生き物、巨大な羽虫、そして、黄金に包まれた竜の姿もあった。

 それを見上げた女性研究員は、隣でネジを回していたご高齢の竜人学者に顔を向けた。

 

「連絡機の調節は私にお願いします」

「あらあらぁ、ユイさんは新人さんなのによく働いてくれるわねぇ」

 

 彼女が新人ユイににこやかに笑いかけると、答えるように口端を上げる。

 しかし彼女が持っているのは冷たい色の瞳だった。

 

「いえ、これも仕事ですから」

 




冒頭のレイちゃん、こんな性格だっけ…?と思いそうになるかもですが、むしろ今までが真面目すぎたかも。原作アニメでは多分、これよりもっとはっちゃけてます。
オリジナル設定である重ね着の改良は、古龍の装備をすぐ作れる理由付けみたいなものです。実際にやったら重くなって機動力がた落ちしそうなのは置いておく。
キリン装備は色々と迷いましたが、使命感のようなものを感じたので実装。


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陸の珊瑚に揺蕩う喧騒②(☽)

 海面のように波立つ空から陽が差し込み、白い砂浜の斜面を更に白く照らし出す。

 それを、永い年月を経て石灰岩となった陸珊瑚が囲んでいる。

 水はどこにも一滴すらない。

 むしろここは、激しい風が吹き荒ぶ高所だ。

 

 蝶のような生き物が宙を横切る。

 体躯は人家並みに大きく、それを覆うは硬い鱗。

 表を黒い十字紋の入った青に、裏を混じり気のない乳白色に光らせ。

 花弁を思わせる翼を躍らせて。

 冷風と己が身を一体として、螺旋を描く。

 

「ィエエエエッッッ」

 

 砂丘に霜が降り、攻撃的な形に走った氷柱を生み出す。

 舞のパートナーたる少女たちは、各々の武器を背負いつつ軽やかにその場から離れた。

 

 風漂竜レイギエナ。

 この陸珊瑚の台地に君臨する、生態系の頂点である。

 二対の頭角からは背へ伸びるように膜が張り、正面からは逆さまの三日月にも見える。細長い尻尾にもヒレ型の膜が扇のように広がり、流麗な三角を成していた。

 

 空で身を翻したレイギエナが翼をはためかせると、その下にある分泌腺から冷気が一直線に飛ぶ。

 目に見えるほど白く染まった強風が、一瞬で凍った道を形作った。

 

 レイの腰まで伸びる黒髪が、すぐ隣を通り過ぎた突風に棚引いた。

 彼女は炎形の鞘に蒼い刃を持つ太刀『斬竜刀ヘルヘイズ』を手放さないよう腰を低め、一時視界に入った髪に目を細めた。

 やがて姿勢を整えると、炎王龍の防具と同じ朱い色の焔に刃を光らせたまま、歯を食いしばる。

 

「……また飛んだわね」

 

 レイギエナは空中戦を強みとする。

 頭部、翼、尾の膜により巧みに上昇気流を捉え、獲物や敵を撹乱するのである。

 そのため狩人にとっても、一旦飛ぶとなかなか手がつけられない相手となる。

 

 ちょうどそこに、鎚を後ろ手に構えた武者が斜面を滑ってきた。

 その少女、まことの位置は風漂竜より高い。

 亜麻色のポニーテールを後方へと暴れさせつつ、腰を落とすことで摩擦を減らし滑走している。

 得物に見合わぬ細い指が握った金属の柄に、青白い雷が走る。

 鋭い目つきが振り返るとほぼ同時、雷狼竜の鱗を纏った彼女は、砂粒を散らし跳び上がる。

 

「でえええぇぇぇぇぇりゃあああああっ!!」

 

 一見華奢な少女は、男にも引けを取らない豪快な雄叫びを上げた。

 身体をしなやかに捻り、背を丸め──

 空中で大車輪。

 『王牙鎚【大雷】』から何回も迸る電撃が、レイギエナの尾、背中、そして頭へ流れるように叩き込まれた。

 

「キゥルイイイイッ」

 

 怯んだ風漂竜は流れるように地上へ降りた。

 続けてその場で回転、ちょうど目の前にいたレイとまこと目掛け、尻尾の膜を振り抜く。

 直後に薙いだ付近を雪片が舞い、霜が円形に張られた。

 だが、彼女たちは離れた位置にいたため攻撃を喰らわない。

 

 レイギエナは飛び込むように前転、宙返りを決め。

 尻尾を叩きつけると冷気が放たれ、大地から氷の剣が伸びる。

 それも、剣士である彼女たちは敢えて攻撃を行わず回避に専念。

 

「これでも喰らいなさいっ!!」

 

 次に声がしたのは、砂浜を囲む珊瑚の上からだった。

 美奈子だ。

 『ファルメル』と呼ばれる蝶素材を元に黄色く染色された装備は、レイギエナの目を引くのも納得のド派手さを誇る。

 その手に持つのもまた、身の丈に合うか心配なほどの巨大な弩砲。

 狡猾な蛇竜から造られた、黄と草色のカラーリングが特徴的な『バイティングブラスト』である。

 

 風漂竜が挑発に乗ってそちらを見上げてくれたのは、実に好都合であった。

 引き金を引いたのを起点とし、大口径の砲口から徹甲弾が射出。

 火薬と守護星の力による加速度を得て、金属製の竜の頭部に深く突き刺さる。

 

「ルエェェェェェェッッッ」

 

 散らされる火花に視界を塞がれた風漂竜が悲鳴を上げるが、弾に内蔵される遅延信管は反応を待たない。

 火薬が炸裂し、爆風と破片が鱗を抉る。

 間髪入れずレイが太刀を横薙いだ。

 レイギエナの片角が弾け飛び、巨躯が揺らぐ。

 大回転斬りを決めた少女の手にある刀は、赤く燃え盛っていた。

 

「そろそろ捕獲を!」

 

 美奈子の隣に並び、水鉄砲に似たライトボウガン『あまぶとや軽弩の水珠』を番える亜美が叫んだ。彼女の見立てでは、レイギエナの体力は捕獲ラインに入っていた。

 体力が数字として分かるわけではない。判断の根拠は、竜の傷や動きの鈍りから見た『勘』である。

 

 レイギエナは地と空とを自在に行き交う、接近戦を挑む剣士にとって厄介な相手だ。

 だからこそ空舞に惑わされにくいガンナーが動きと流れを読む。彼女たちが隙を作り、その間に剣士が攻める。

 

 しかし、レイギエナも馬鹿ではない。凄まじい脚力により飛び立つと一気に上昇、ガンナーたちのいる岩場まで一気に飛んだ。

 

「まぁ、そりゃ気づかれるわよね!」

 

 亜美と美奈子の顔色は変わらない。その隣から、1人の少女が空中へと飛び出す。二束の金髪が上昇気流によって広がった。

 うさぎである。

 彼女は左手のスリンガーを構え、先端部から爪のような形をしたアンカーを撃ち出した。クラッチクローと呼ばれるその機構は、レイギエナの頭部を掴む。

 

 再び彼女がグリップを持つ手を緩めると、伸びていたロープは巻き取りを開始。竜の頭へ瞬く間に張り付いた。

 

「キュルエエエエッッッ!?」

 

 またしても不意に視界を塞がれたレイギエナは、彼女を払おうと首を振る。

 しかしうさぎは構わず、その背にある柄を持った。

 取り出したるは、蒼き火竜の棘々しい甲殻に包まれた大剣『煌剣リオレウス』。

 彼女は切っ先に飛び出した骨の巨刃をレイギエナの青い額に押し当て。

 足をかけ、全体重をかける。

 

「はぁぁぁっ!!」

 

 重力という何より大きな力が加わることで、大剣はメリメリと音を立てて鱗を剥がした。

 傷の中に白い皮膚が露出する。

 

「あとはお願い!」

「ええ、任せて」

 

 うさぎが落ちざまにそう叫んだ時、亜美は、薬室に赤い薬莢を装填し終わっていた。

 銃口を向ける。

 視界を取り戻したレイギエナが、再びガンナーたちを見据える。

 撃ち出された捕獲用麻酔弾は、鼻先に2発着弾。

 

 上がった赤い煙にレイギエナは驚き、一時首を振った。それを確認した美奈子は即座に、足元にいる─アイルーにしては華奢な─白猫に叫んだ。

 

「アルテミス、『痺れ虫』!!」

「ああ!」

 

 青いポンチョ風の装備を着た彼は、腰にぶら下げたポーチからネット状のものを取り出した。

 亜美含めた彼女たちは、ボウガンを構えたまま飛び降りる。

 

「地上に誘導よ!」

 

 これで、少女たちは同じ地上に足を揃えたことになる。

 ただ、レイギエナは素直に降りようとはしない。

 飛行が出来るという利点を無駄にするわけがなく、大きく羽ばたくと、体躯を高空まで浮き上がらせる。

 人の剣よりも大きい爪を開く。眼下に集まる少女たちめがけ、急降下を仕掛けた。

 一気に砂浜へ近づく段階に差し掛かったところで、竜の視界は突然光に塗り潰された。

 

「キュィエエエエッッッ……」

 

 レイギエナは、揚力を喪い砂浜へ墜ちる。

 光の出処は、いつの間にか編まれ砂浜に置かれた草籠だった。

 レイがスリンガーに散った鱗の鋭い破片を装着し、閃光羽虫が閉じ込められたそこへ飛ばしたのである。

 

「『足止めの虫かご』設置しといて良かったわ!」

「ルナ、ありがと!」

 

 うさぎが、横に並んだ鎧というには可愛らしい毛皮のコートを纏った黒猫に賛辞を送る。

 彼女の御付き猫であるルナだ。

 亜美の判断を、仲間たちは臆面もなく信じていた。

 だからこそこうして捕獲を前提とした行動を展開している。

 

 やがて、レイギエナは起き上がった。

 未だ視界は取り戻していない。だがどこかに敵がいることを知る竜は、手当たり次第に薙ぎ倒そうと突っ走った。

 しかし、それが不運だった。

 途中で地面に縫い付けられたように動きが止まる。

 

 アルテミスが置いた罠『痺れ虫』を踏んだのだ。

 

 脚から麻痺毒を注入された風漂竜はガクガクと痙攣するが、長くは続かない。

 やがてそれはくらりと頭を揺らめかせ、その場へとゆっくり身体を沈ませた。

 やがて、すぅすぅと安らかな寝息を立てる。

 

「レイギエナ、捕獲完了っ……と!!」

 

 美奈子が閉じられた瞼を確認して告げると、一気に少女たちの肩が脱力した。

 先ほどまで縦横無尽に大暴れしていた風漂竜は今や、肩を動かす程度の動きしかしていない。

 頭部を中心として各部位に走る生傷が、苛烈な戦闘と生命力の高さを物語っている。

 

 古龍を退けた彼女たちにとって、飛竜は通過点となった。

 彼らを低く見積もるようになったわけではない。

 狩猟における戦況を以前より冷静に、客観的に見れるようになったのだ。経験が人を何よりも大きく成長させる、その良い一例である。

 

 亜美は天を見上げ、陽の傾き具合を測った。

 

「……約7針、といったところね」

 

 この世界では1日の長さを50分割し、1つ分の単位を『針』として狩猟時間を計測する。

 彼女たちは風漂竜を、現実時間でいうとおよそ3時間強で制したことになる。

 上位ハンターとしては十分、平均以上の速さだ。

 

 やがて完全に静まった砂浜に、軽い足音が複数響く。それは次第に大きくなり。

 岩場の上から姿を表したのは、木の柄に鋭い骨を付けた簡易的な武器を持つ、猫に似た生物たちだった。

 アイルーよりも耳が長く、首元には襟巻のような体毛を持ち、身体はすらっと伸びたような形をして独特の紋様が浮かんでいる。

 明らかに喜々とした顔で跳ねながら杖を何度も振る姿は、アイルーにも劣らない愛くるしさがあった。

 

「みんな、『さすがはチョウサダンだ、ありがとう』だってさ!」

 

 ルナたちとアルテミスは開いた辞書を見て、にっこりと微笑む。それに釣られ、うさぎたちも頬を緩めた。

 

 このレイギエナは嵐の夜以後に北から侵入し、原住民である彼らの縄張りを荒らし回っていた。

 新大陸古龍調査団は以前から、円滑な調査のため彼らと協力関係を結んでいた。この狩猟も取引の一環で、この竜を狩る報酬を『嵐の夜に関する情報とキリンの痕跡』と契約していたのである。

 まず彼らは約束通りいくつかの白い鱗、そして体毛を差し出してくれた。

 美奈子はそれを肉球のある手から受け取ると、鱗の1つを濃紺の空に浮かぶ陽にかざす。

 

「はぁーさすがは古龍、取れるモンも一級品ねぇー」

「……間違ってもネコババはやめなよ?」

「あ、あたしをなんだって思ってんのよ!」

 

 うっとり悦に浸っていた美奈子は腕を組んだまことの言葉に驚き、切って返した。ポーチを慌てて隠そうとした辺り、ちょっとした独占欲が見え隠れするが。

 その蓋からには既に、白い毛や鱗がいくつかはみ出している。

 腰を下ろしたままそれを見たレイは、目端を疑い深そうに歪めた。

 

「にしても古龍があんなに鱗や毛をぼろぼろ落とすって……いったい何があったってのよ」

 

 これらは一旦研究基地に引き渡し、研究してもらった後はほとんどが『6期団』の所有物になる……のだが、目の前の量は予想の斜め上を行っている。不気味ではあるが、さぞかし研究者たちも喜ぶだろう。

 この分ならば、美奈子が喉から手が出るほど作りたがっている『キリン装備』重ね着の完成もいち早く目処が立つように思われた。

 

 一方、ルナとアルテミスは砂上に通訳用の辞典を開いてテトルーたちの話を聴いている。

 うさぎは大剣を砂に突き立て、右手に持った狩猟祝のこんがり肉を口に運びつつ彼らの傍に寄った。亜美も興味を引かれ、ライトボウガンを背負い直しその横に並ぶ。

 

「ルナ、なんて言ってんの?」

「うーん。やっぱり嵐の夜当日、キリンの様子がおかしかったらしいわ」

 

 うさぎの問いに、ルナはそう答える。隣のアルテミスも、真剣に身振り手振り交える原住民の、一見ニャアニャアとしか聞こえない言語に耳を必死に傾ける。

 発声方法が似ているからだろうか、アイルーと同じくこの猫たちも、辞書を見ながらであれば彼らの言語を理解しやすいようだった。

 リハビリを終え狩場に復帰した彼らの仕事は、こんな意外なところにもあったのである。

 

「ふむふむ、前日までは平和に共存出来ていたのに、嵐の夜、突然狂ったように暴れ出して……」

「そこからはもう雷の嵐。みんな避難して、やっと嵐が止んだと思ったら姿はなし。これまで聴いた話とさほど変わらないわねぇ」

 

 一通り話を聞き終えた猫たちの反応に、特に大きな驚きはない。それは少女たちも同じである。

 ハンターノートのメモ欄を眺める亜美は、ペンを顎に押し当てながら唸る。

 メモには日付と原住民から入手した情報が記載されている。情報の更新は、一昨日のもので止まったままだった。

 

「もっと手がかりが欲しいわね。もっと奥を知ってる人はいないの?」

 

 彼女の言葉をアルテミスが翻訳する。

 5匹のテトルーたちは互いの顔を見合うと一時押し黙った。

 そのうちの1匹が、迷いつつもニャゴニャゴ口籠るように呟いた。言葉の内容を知ったルナは目を見開き、すぐ振り返った。

 

「ガジャブーの奴らならもしかしたら知ってるかも、ですって」

「ガジャブー?」

「確か、気性の荒い獣人族……だったっけ。でも、彼らの本拠地はもっと奥地でしょ?」

 

 うさぎのオウム返しに答えるようにして、レイが指摘する。

 ガジャブーは『奇面族』とも呼ばれる種族で、モガ村にいるチャチャやカヤンバが属するチャチャブー族と似通った面がある。

 最初にその名を出した1匹に対し、あとのテトルーたちは微妙そうな表情を浮かべる。あまり口に出したい名前ではなかったようだ。

 しかし突然、テトルーの1匹が決心したように飛び出す。彼はうさぎたちを導くように砂浜の下へと走り、断崖から飛び降りた。

 

「あ、案内してくれるの!?」

 

 身体の軽いルナとアルテミスが先頭に。

 その次に誰よりも痕跡が欲しい美奈子、

 ちょうど手ぶらだったまこととレイ、

 ハンターノートとペンを急いでしまう亜美、

 そして僅かに骨にこびりついたこんがり肉を口に咥え、大剣を必死に引き抜いたうさぎの順に続いていく。

 

 崖下には、青みがかった珊瑚由来の大地が広がっている。海藻に似た植物が所々で風に吹かれ、段状の珊瑚がある以外は見晴らしの良い平地で、西側には幻想的なピンクに染まる華やかな『珊瑚林』を眺められる。

 テトルーは追いついてきた少女たちに振り向いて、北の方角に続く道を杖で示す。

 その先はまだ彼女たちが足を踏み入れていない場所だった。地図上ではエリア10と11へと繋がる方面である。

 

「なるほど……あそこね。次の目的地は」

 

 次に行くべき道が拓かれた。誰もがそれを疑わず、前に進もうとした時だった。

 もう1匹のテトルーが駆け込むように少女たちの前へと割り込んだ。案内してくれたテトルーに肩を怒らせ、ふしゃーっとしかりつけるような鳴き声を立てる。

 彼はすぐ、少女たちへまくし立てるように喋り始めた。その様は必死にこちらを食い止めようとしているようにも見えた。

 

「『今行くのはとてもキケンだ! 奴らは奥地から突然たくさんやってきて、無理やり俺たちの部族の住処を乗っ取りやがったんだ』……」

 

 アルテミスによる通訳を聴いたうさぎたちの間に困惑が生まれる。

 人間でいえば侵略行為にも等しい事件だ。今まで、そんなことが起こったなどとは資料にも記されていない。むしろ、混じることはなくとも同じ地域に争うことなく共存しているという記述があったくらいである。

 

「の、乗っ取った……!?」

「今までの子たち、そんなことちっとも言ってなかったわよ!?」

 

 うさぎに続け、美奈子が言葉が通じないに関わらずテトルーへと顔を寄せて疑問を言葉にした。

 ルナから翻訳を聴くテトルーの肩は、在りし日のことに怯えるように縮こまっていた。

 

「『何があったかは知らないが、今のあいつらは獣のように残忍かつ凶暴で、言葉が通じないと思って良い。下手な飛竜より恐ろしい。だから俺たちは敢えて今まで言わなかった。悪いことは言わないからチョウサダンも別の方法を探したほうがいい』……」

 

 うさぎは唾を黙って飲み込む。

 『下手な飛竜よりも恐ろしい』というのはよっぽどである。

 飛竜とは生態系の頂点であり人からも畏怖の対象とされる生物。それをも凌ぐというのだ。

 日常的に自然の脅威に接する原住民がこう言うのだから、人間にとっては言わずもがなである。

 

「……行きましょう。あたしたちが行かないと、何も始まらないわ」

 

 だが、うさぎは仲間たちを見やって口を開く。

 今しがた狩猟を済ませたばかりの少女たちは、脂のついた武器の刃を砥石で研ぎ、携帯食料を噛む。次なる舞台に備えて万全の準備を、北に視線を向けたまま行う。

 

 反対する者は、誰一人としていない。

 

 彼女たちの意思を察したルナとアルテミスは原住民たちに『安心してくれ、方法を探してみる』とだけ伝え、崖の上に帰らせた。

 

 他の5期団のハンターたちは、古代樹の森や大蟻塚の荒地の安全を重点的に護っている。魔女の魔の手がかかっている可能性がある以上、陸珊瑚の台地の調査は事実として彼女たち『6期団』の双肩にかかっているのだった。

 

──

 

 白い砂浜で出来たなだらかなスロープを、少女たちは歩いていく。

 左手には、人家より大きいつぼ型の珊瑚が密集している。その間にはしな垂れた枝を持つ柳に似た巨大珊瑚が根を張り、枝から豊かに咲いた桃色の『花』からは卵が雪の如くゆらゆらと舞っている。それを食べるために純白の柔毛に包まれた翼竜ラフィノスが群れて羽ばたく姿は、遠目からでも十分目を引く美しさだ。

 

 彼女たちが踏みしめるのも元はといえば白化した珊瑚。この台地は、誇張でなくすべてが陸に適応した珊瑚によって創造されているのである。

 

 左の景観に見惚れていた少女たちだったが、美奈子がふと背後を振り向く。

 誰もいない。

 美奈子はふん、と鼻を鳴らす。

 彼女は片膝立ちになると、中折れ式のヘビィボウガン『バイティングブラスト』を元の形へと組み立てる。

 薬室ハッチを開け、ポーチから取り出したLV2通常弾を8発装填した。

 ハッチを手早く閉めると双腕で銃身を持ち上げ、取り出した銃口を転回させ抜け目なく後方へと回す。

 

「念のため背後用心しとくかぁ。『焼菓子は叩いて砕け』ってねー」

「それを言うなら『石橋は叩いて渡れ』……」

 

 相変わらず治らない間違いだらけのことわざにアルテミスは突っ込みつつも、相手する時間すら惜しいと言わんばかりに先を行った。

 一方で、真ん中辺りにいたうさぎは一番行進が遅れている美奈子に気づいて振り向いた。

 やがて彼女は仲間たちに「ちょっと待って」と呼びかけ、美奈子に寄った。

 

「美奈子ちゃーん、何してるの?」

「ああ、かっこよく言えば『哨戒』ね! ガジャブーの奴らがどこから攻めてくるかわかんないでしょ?」

 

 美奈子は弩というよりは銃そのものの見た目である武器をうさぎの目の前でまさに軍人の如く構え、どん!と効果音でもつきそうな勢いで得意げに首を傾けてみせる。

 それを見せられたうさぎの瞳の奥が、少し暗く沈んだ。

 胸を張る美奈子に、うさぎは黙って黄と草色の甲殻に覆われた銃身に手を置いた。

 

「……武器はしまっていこ」

「へっへーん。でしょでしょ、散々武器を迷ったあたしでも今となってはここまで……ってえええええ!?」

 

 言われてから、少し遅れて甲高い絶叫が響いた。

 

「そ、そりゃダメよ。あたし、仮にも守護戦士ですもの! ちゃんとうさぎちゃんのことは護らなくっちゃ!」

 

 美奈子は慌てて首を振るが、うさぎは目立って非難するでもなく静かに首を横に振る。

 

「あたしたちがこの大陸に来てるのは戦争をするためじゃないよ。むしろ、その逆」

「……うさぎちゃん」

「ひとまず、みんなと一緒に行こ。美奈子ちゃんだけ残すのも却って危険だし」

「……うん、まぁ、分かったわ」

 

 後ろ髪を引かれるようながら、美奈子はため息交じりに銃身の留め具を外し再び中折ったのだった。

 

──

 

 エリア10は、高く聳えた珊瑚の内部が崩れたことで出来た縦方向の空洞から成っている。

 薄暗くなってはいるが、天井が崩れているので洞窟といえるほどの密閉空間ではない。

 現に頭上には赤い葉をつけたツタが壁一面にびっしりと繁茂しているのが陽光に照らされてよく見える。更に上層には断崖が巨人の階段のように連なり、そこから網目状の紅珊瑚が壁へと枝を伸ばす形で、鮮やかな空中回廊を作っていた。

 うさぎはその途方もなく遠い天井を、手を額に翳して見つめる。

 

「ひえ~、すっごーい……」

 

 いったい何層まで連なっているのだろうか。天然の珊瑚の塔はまさしく、人の常識を超える大自然を表現している。

 

「うさぎちゃん、上に用はないわよ?」

「あ、ごめんごめん。あまりに凄い風景でさぁ」

 

 ルナが言う通り、余韻に浸っている暇はない。今から行くべきは空洞外の細道に続く狭い穴だった。そこから、本来のテトルーの住処であるエリア11に直行できる。

 うさぎもすぐ追いつき、エリア11へ進むべく今から歩を進めようとしたその時だった。

 丸っこい壺が1つ、こん、と音を立てて前方に落ち、転がってきた。

 

「……?」

 

 揃ってポカンと口を開ける。

 壺の口付近からは導火線らしき紐が伸びており、火がついてじじじと音を立てている。

 

「わ、わーっ!?」

 

 うさぎたちが一斉に背を向け倒れるように伏せた瞬間、爆音が轟く。

 直撃は免れたが、破片のいくつかが放物線を描いて彼女たちの防具に当たる。

 

「あーもうどーなってんの!?」

「真っ暗、真っ暗よ! さては妖魔ね!?」

「美奈子ちゃん、多分単に山になっちゃっただけだよ……」

「う、うさぎ、あんた重すぎ!」

「なんであたしだけ言われなくっちゃあいかんのよっ」

 

 少女たちは、傍で振り返った猫たちが思わず引くくらい綺麗な一塊と化していた。

 

「ちょっとうさぎちゃん、早く頭抜いて!!」

 

 ルナの指摘で頂点付近に埋もれていたうさぎは何とか頭をすぽりと引き抜いて、しばらく動けない状態をやっと脱する。

 

「確か、今のって上から……」

 

 あれは明らかに爆弾の1種だった。

 その源泉を辿ってもう一度天井を見上げたうさぎは思わず、息を止めた。

 

 赤肌の生き物たちが少なくとも10体以上壁のツタにぶら下がって、無言でこちらを見下ろしていたのである。




ルナ→ウルムーネコシリーズ
アルテミス→カガチネコシリーズ
どちらももふもふダァ…


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陸の珊瑚に揺蕩う喧騒③(☽)

 奇面族ガジャブーは、小鬼を思わせる姿をした種族だった。

 ずんぐりとした子どものような体型で、腰蓑を履き頭には赤く丸い仮面を被っている。仮面には2つの角がつき、手前には顔を表す3つの丸穴が空き、口に当たる部分から本来の目であろう2つの光が垣間見えた。

 身長は少女たちの半身以下しかないだろう。そんな小柄でともすれば愛嬌もなくはない彼らが、今は尋常でない不気味さと威圧感を放っている。

 

 こちらに何の気配も悟らせなかった辺り、かなり警戒されている。

 うさぎに続いて立ち上がった少女たちもすぐこの異様な光景に気づき、互いに身を寄せ合う。

 

「ハ、ハ、ハロー……」

 

 弱々しくも、うさぎは片腕をあげて挨拶をしてみた。

 目立った反応はない。

 やがて彼らの1人が何か光るものを取り出し──

 投げた。

 

「えっ」

 

 壁にかぁん、と小気味いい音を立てた。ちょうどうさぎの顔の真横に突き刺さったそれは。

 石から削り出したナイフだった。

 刃先からは毒々しい色の液体とむせるような臭いが染み出していた。

 

「ぎゃああああああああああああああああ!!!!」

 

 うさぎは絶叫をあげた。

 守護戦士たちは迷いなく各々の武器へと手を伸ばしかける。

 それを見たガジャブーたちは──

 

「ホギャーッ!! ホギャアアアアッ!!」

 

 およそその体格から出たものとは思えない奇声をあげ、背後からナイフを続々と取り出した。

 

「あ、あんなに!?」

 

 思わず亜美が狼狽えるのも待たず、彼らはナイフを雨のように投げつけた。

 目に止まらぬ速度で飛んできたそれらは、彼女たちの眼前を的確に貫いてくる。

 

「ひっ……」

 

 弩砲を持つ美奈子でさえ、取り出す前に怯んでしまう。

 ガジャブーの一連の攻撃は、まるで軍隊のように統率が取れていた。次には、合図も無しに壺爆弾を投げる準備まで整えている。

 

「ひ、ひとまず退却よ!」

 

 ルナの一言が撤退の決め手だった。

 エリア10から出ると、すぐに追撃は終わる。

 

「し、死ぬかと思った……」

 

 レイが視線を寄越すと、ガジャブーたちはエリア10の入口に無言で立ち、擲弾筒めいた武器を手に持ってこちらに向けていた。

 見るからに脅しである。

 

「……ここは出ていくしかなさそうね」

 

 亜美は小声で皆に呼びかけ、彼らに背を向けないよう注意を払いつつ立ち上がる。仲間たちも同じようにした。

 少しずつ、隙を見せないように退いていく。

 それがある程度のところまで行くと、ガジャブーたちは獣のように素早く駆けてたちまち姿を消してしまった。

 

 うさぎは息が整ってからもずっと、もぬけの殻になったエリア10を見つめていた。

 

──

 

 桃色の珊瑚生い茂る森林で。

 美奈子と相棒の白猫であるアルテミスは珊瑚の『うろ』の前に並び、ナイフで彫られたのであろう鋭い筆跡の文字を読んでいた。アルテミスは、手元にある辞書と文字を交互に見やる。

 

「どう?」

「はーあ。また同じ記述だよ。山頂でやった『鎮めの踊り』のデュエットやらが楽しかったんだとさ」

 

 アルテミスは伸びをすると、四肢を放りだし仰向けにひっくり返った。

 今行っているのはガジャブーの言語調査である。

 既に彼らの言語については調査団内で解析が進んでおり、文字についてもある程度の読解が可能だ。

 彼らがテトルーたちの住処を乗っ取った理由、あわよくば更なる奥地の情報を探るため、今こうして調査を行っているのである。

 

「今まで解析できた情報と言えば……今夜も北の本拠地で集会があるので新しい踊りの振り付けを考えてること、翼竜に乗ってみたら空を舞う踊りのアイデアが浮かんできたこと、踊るスタミナをつけるために焼いたユラユラの蒲焼が予想以上に美味かったこと……」

「大して重要とは思えないわね」

「ホントだよ。寝ても覚めても踊りのことばっかだぜ、こいつら」

 

 アルテミスが一つ一つ指を折って数えると、美奈子も彼と同じような退屈気味の顔になる。

 

「にしても、どうする? もうガジャブーの調査開始から、今日で4日目だぜ」

「4日ねー」

「やっぱ獣人族の調査は僕らの専門じゃないよ。今日から専門の学者さんが来るみたいだし、後はそっちに任せるべきじゃないか?」

 

 アルテミスは、ハチドリに似た華やかな生物『ドレスサンゴドリ』が群れ、草状の柔らかい珊瑚を細い嘴でつつくのを、遠目から寝っ転がったまま見つめていた。

 美奈子は胡座をかいた膝に頬杖をつき、同じ風景を眺めながら溜息をついた。

 

「それを、これからみんなと話し合うのよー……」

 

 彼女はよっこらせと合図をかけて立ち上がると、北の方へそのつま先を向けた。

 

──

 

「そっちの調子は?」

「ダメ。何にもわかんないわ」

 

 南から来た美奈子に対し、北から来たレイは正直うんざりした様子で短く答え、傾けた首を篭手で掻いていた。ちょうど、同じように四方から仲間たちが駆けてくる。

 色とりどりの珊瑚礁に囲まれ、丸く青い絨毯のような珊瑚が大地に根を張るエリア4。そこが少女たちの待ち合わせ場所だった。

 

「うさぎは、『貝殻の洞窟』に行ったのよね。……やったら汚れてるけどどうしたのよ」

「きょ、今日も何にもなかったんだけど、ちょっと小型モンスターに絡まれてさー」

「ウーソ。帰り際ついでに食材を籠に詰め込みまくって、坂道でド派手にすっ転んだのよー」

「ルナ、勝手に言わないで!!」

「……あーなるほど通常運転ねー。美奈子ちゃん、研究基地の人たちはなんて?」

「幻獣キリンの行先は不明。足跡のルートを辿っても、突然消えたとしか思えないんですって」

「ガジャブーたちの記録にキリンらしきモンスターは載ってなかったし、どうも両者の間に関係はなさそうだわ」

「うーん。ここまで手がかりがないとなると……」

 

 しばし、少女たちは頭を突き合わせる。

 そう長く経たないうちにまことが拳を握り、据わった眼で篭手同士を突き合わせる。

 

「やっぱりここは、本拠地を堂々正面突破しか……!」

「あたしたちの人数じゃ無理よ」

 

 亜美は提案を一言で取下げ、ノートをぱらぱらとめくる。まことは「あっ……」と言ったきりである。

 

「これまでみんなで見つけたいずれの痕跡も、あたしたちがこの台地に来るまでに書かれたもの。もしかしたら、内情を探られるのを警戒したのかも知れないわ」

 

 示されたページに掲載される陸珊瑚の台地の地図は3層に渡り、調査済みのマークが一部を覗いて隅々まで描きこまれていた。

 ガジャブーが居座る地域は北のエリア10、11と東のエリア13、15。いずれも監視役の目が厳しく、この警戒網を掻い潜るのは至難の技だった。

 

「……やっぱり、この前アジトに踏み込もうとしたからかしら」

 

 そう言ったレイの横で、うさぎが地図を見たまま何かを考え込んでいる。

 改めて、美奈子は腕を組んで頷いた。

 

「ガジャブーって思ってたより賢いのねー。頭ン中突撃一色じゃないんだわ」

「……なんでそこであたしを見るのかな、美奈子ちゃん?」

 

 まことは美奈子からの悪意はないが意図のある視線に、笑顔ながら頬の端を引き攣らせる。

 

「……確か『瘴気の谷』への連絡機、明日に修理が完了するのよね」

 

 亜美がぼそりと呟くと、自然、仲間たちの視線が彼女の方を向いた。

 瘴気の谷とは陸珊瑚の台地の下部に位置するフィールドで、次の調査予定地となっている。そこにも調査団員がいるので、研究基地も急ピッチで連絡機の修理を進めていたのである。

 

「ここには妖魔の気配もないし、瘴気の谷に行くための準備を優先しても良いと思うのだけれど……どうかしら?」

 

 品よく青珊瑚に座った亜美は、そう提案する。

 この調査も、あくまで次の専属の学者が来るまでの繋ぎのようなもの。彼女たちの本業はあくまでハンターであり、怪物退治である。

 

「まぁ、半分分かってた結果だけど」

 

 レイが肯定を示す。続いて、まこともやや残念そうながらも。

 

「うん、亜美ちゃんの言う通りにしよう。『災い』の調査なら瘴気の谷を調べた方が手っ取り早く……」

「じゃあ、ここで何もせず諦めるの?」

 

 樹木型の珊瑚が風にざわめき、卵の雪を散らす。

 いつの間にか調査を諦める方向で話が決まりかけた時、うさぎだけは堅く三角座りで口を開いた。

 

「……まだガジャブーたちとも、まともに話し合ってすらいないじゃない」

 

 仲間たちは困り顔を浮かべる。

 しばらくして、白猫のアルテミスが溜息をつき苦笑を浮かべる。

 

「あいつらから情報聞きだすなんて、もう僕らじゃ無理だと思うぜ。こっちを見るなり爆弾投げつけてくるんだぞ?」

「でも、もしかしたらあたしたちにしか出来ないことが……」

「うさぎちゃん。あたしたちに残された時間がどのくらいか、知らないわけはないわよね?」

 

 黒猫のルナが、アルテミスより前に進み出た。

 

 

「あたしたちの世界に災いが訪れるまで、あと65日」

 

 

 うさぎは俯いて瞳を陰にした。一際強く吹いた風が、彼女の二束ある金髪を何度も揺らして乱した。

 

「言い方は悪くなるけれど、このままだと本当に()()()()()()()()()()()()()()()()かも知れない」

「ル、ルナ……」

「だから敢えて聞くわ。今のうさぎちゃんは世界の趨勢と目の前の小競り合い、どちらが大切なの?」

 

 アルテミスは咎めかけたが、それにもルナは構うことなくもう一歩詰め寄る。長年の相棒としての仲だからこその、容赦のない言葉だった。

 仲間たちも口に出すのを躊躇ってこそいるが、どこかでルナに同調するそぶりを見せていた。

 

「……その目の前に答えが転がってるかも知れないのに」

 

 うさぎは座ったまま、膝の近くにある拳を握った。レイはそれを見かねて、

 

「ルナは貴重な時間を無駄にするなって言いたいのよ。理由なんて後から考えれば……」

「だから、あの時喧嘩になったのよ!」

 

 うさぎが吠えるように叫んで立ち上がった。

 仲間たちは何のことを言っているのか分からず、混乱したように顔を見合わせる。

 そのなか、美奈子だけが気づいたように目を見開き、そっと確かめるように呟いた。

 

「……もしかして、モガ村のことを言ってるの?」

 

 彼女の中ではガジャブーの本拠地へ出向いた時の『自分たちは戦争をしにきたんじゃない』という言葉が、モガ村ではるかたちと睨み合った光景と重なっていた。

 うさぎは直接には答えないながらも頷き、両腕で桜火竜の胸当てを抑える。

 

「あの時はるかさんたちが言ったことをあたしたちがすぐ否定しないで、言葉の理由を考えてたら……仲間割れなんてしなかった」

 

 今のガジャブーに対する不利な状況は、結果的には彼女たち自身が招いた結果でもある。

 親友であるうさぎが脅かされるのではないか、利用されるのではないかという不安、そしてこの世界への同情のあまり。仲間であるはずの外部太陽系戦士との間に軋轢を生んでしまった。

 

「だからもう、目の前の小さなことでもおざなりにしたくないの」

 

 やがてうさぎは自らを落ち着かせるように「……ごめん」と一言詫びたあと、再びその場に座った。

 仲間たちはあの日を振り返って、それぞれ苦々しい表情を浮かべていた。ルナは、悲痛そうな表情で口を結んだままでいる。

 

 その沈黙を、がさごそと何かを動かす音が掻き消す。

 おもむろに美奈子がポーチを開け、地面にノートを開き出したのだ。

 思わず目を剥く仲間たちに、彼女は表情を引き締めた。

 

「もう一度、集めた痕跡をちゃんと見直してみましょう。 何か手がかりが見つかるかも!」

「美奈……」

「内部戦士のリーダーは、一応あたしだし。こういうときこそしっかりしなくちゃ」

 

 顔を上げたアルテミスに美奈子は赤リボンで結んだ長い金髪を傾けてにこりと笑うと、すぐ仲間たちへと振り直った。

 

「確か、今日から獣人族専門の学者さんが来てるのよね。あとで、その人に聞いてみましょうよ」

「……分かったわ」

 

 そう呟いた亜美を筆頭として、堰を切ったように仲間たちも頷き、それぞれのハンターノートと採集資料を取り出す。

 美奈子はアルテミスから受け取った獣人族語辞書の背、その下部に書かれた筆者の名を一時、見ていた。

 

──

 

「ふぅ……疲れますなぁ、久々のフィールドワークは」

 

 そこは、マップで言えば南方の高台にあるベースキャンプ。

 ゆったりとした服に円錐形の笠を被る老人が、原住民から習った羽毛と骨をつけた杖をつき、よたよたと丸太椅子に座った。

 脚は服の裾に隠れているが、尖った耳に4本の指を持つことから、竜人族であることはひと目で分かる。

 

 口を隠すほどに豊かに生やした髭をゆっくりと指で漉きながら、彼は眼下に広がる海水なき珊瑚礁を眺める。

 後ろに既に夜闇が迫りつつあるなか、燃えるような夕陽が彩色豊かな生態系を照らし出す。発光性の小さなクラゲ『オソラノエボシ』が大群をなし、ゆっくりと膨らみと萎みを繰り返す。それらが風に従って気ままに漂う様は、一見海中と見紛うほどに浮遊感に溢れ、夢想的だ。

 

「何度見ても美しいですな」

 

 独りごちる老人の眼は、紡がれる言葉とは裏腹に不安げで物悲しい。

 

「しかし、未知の怪物の出現、複数の古龍の南下、そして此度のガジャブーの大移動。一体この大陸の奥地でなにが……ん……?」

 

 彼は手前にある崖から篭手が出現したことに気づく。ぴくぴくと踏ん張るそれは、途中まで持ち上がったものの、突然力を失ったように見えなくなった。

 

「大丈夫ですか!?」

 

 老人は疲労も忘れて飛び出し、四つん這いになってから恐る恐る崖下を覗き込む。

 

「あっ、だ、大丈夫でーす……」

「ぜんっぜん大丈夫じゃない……っ」

 

 先頭を行っていたお団子頭の少女の尻がへばってずり下がったせいで、仲間であろう黒髪の少女の頭に直撃していた。

 しばらく後。

 

「ガジャブーの調査をしている『6期団』とは貴女方のことですか! 話は聞いておりますぞ」

 

 老練の獣人族学者と敬意を込めて呼ばれるその老人は、 溌剌と笑いながら1人ずつと握手していく。

 

「こんな若いお嬢さんたちが古龍の撃退のみならず最前線での言語調査まで……。いやはや、まったく頭が下がる思いです」

 

 うさぎたち『6期団』が求めていた人物とは彼のことである。彼こそがルナ、アルテミスが使った獣人族の言語辞書の筆者であり、彼らの研究の第一線を担う人物だ。

 亜美は一礼してから、一歩前に進み出る。

 

「早速ですけどあたしたち、この度折り入って聴きたいことがあるんです」

「ほう、なんですかな。是非ともお聴かせください! 獣人族に関することであれば、何であろうと大歓迎ですぞ!」

 

 知的好奇心がそうさせるのか、目を輝かす彼の話し方は、老体に影響がないか心配になるほど興奮気味だった。思わずうさぎや美奈子は「お、おお……」と身を引く。

 

「あたしたちが改めてガジャブーたちについて話し合った結果、一つ腑に落ちない点があったんです」

 

 亜美は、丸太椅子を机代わりにして地図を広げた。

 学者に、これまでの言語調査の経緯を話す。

 ガジャブーの占拠する地域から、僅かな痕跡から窺える現在の彼らの生活様式まで、出来うる限りすべてを。

 

「ガジャブーたちは明らかに技術力も戦闘能力も、テトルーたちの上を行ってます。なのに彼らがやったことは、テトルーたちを追い払って山頂と奥地の一部を乗っ取っただけ……」

 

 亜美の言葉に合わせ、レイがペンで地図上のエリア15とエリア11付近を何回も囲む。

 無論、住処の乗っ取り自体はテトルーたちにとっては冗談事ではないし怒って当然の行為だ。だが亜美始め『6期団』は、もっと違う側面を見ようとした。

 

「本当にガジャブーたちが北方から侵入した『残忍で凶暴な侵略者』なら、もっと資源を求め南方に積極的に侵攻するはず。なのにずっとこれらの地域に留まり続けるのは辻褄に合わない……」

 

 重要なのは、嵐の夜以降から何週間も彼らが何も目立った行動をしなかったという事実そのもの。逆転の発想である。

 学者は深く頷くと、「続きをお願いします」と促した。

 

「勿論、何らかの侵略準備をしている可能性もないわけではありません。ですが彼らの備えていた武器や戦闘力を踏まえると、そんなことを長期間かけて行う必要すらないはずなんです。つまり……」

「むしろ何かを周りから隠し、護ろうとしているのでは……そう仰りたいのですな」

 

 学者は、先回りするように鋭く言葉を差し込んだ。

 うさぎは思わず目を丸くして、

 

「す、すごい! まだ言ってなかったのに……」

「驚いたのはこちらです。本来であればその域の考察は学者の領分ですぞ!」

 

 獣人族学者は首を何度も振り、喜々として褒め称える。

 それからしんみりとした表情で陸の珊瑚礁を眺め、杖をついて前に出る。そしてガジャブーたちがいる北の雲海に沈みゆく陽を見上げた。

 

「仰る通りガジャブーたちは好戦的な気質ではありますが、それはモンスターの脅威が多い奥地において、縄張りを護るため備わったもの。積極的な侵略行為を望んで行う部族は確認されておりません」

 

 彼はゆっくり振り返ると、急に、自身より背の高い少女たちに老人とは思えない早足で詰め寄った。

 先頭にいたうさぎの鼻とぶつかりそうなほど、近く。

 

「貴女がたには獣人族学者の素質があるようですな! どうでしょう、研究基地に身を置き私の後継に……っ!」

「いえそれは流石にちょっとっ!!」

 

 先頭にいたうさぎは両掌で荒い息を防ぎ、丁重にお断りする。

 学者は見るからにしょぼんと項垂れ「なるほど、分かりました……」と名残惜しそうにしながらも、髭を撫でて仕切り直すように地図を見直した。

 

「それにしても、北からの大移動を経た彼らがそこまでして護ろうとするもの……ふぅむ」

「まさしくそこが問題なんです。これから何に注目してどこを調べるべきか、てところで……」

「確かに。次に失敗すれば、ただごとでは済まされないですな」

「はい。でも1つ、話す中で気になることがありました」

 

 レイは顎を掻いて苦笑する学者に、彼女たちのまとめた膨大な量のメモを開いてみせた。すると学者は「ほう……」と言ったきり顔つきを変え、それらを真剣な目つきで覗き込んだ。

 

「あたしたちが調べた限り、『鎮めの踊り』に関する記述が全痕跡中6割くらいを占めてたんです。まぁよくある儀式かなって思ってたんですけど、あまりにも多くって……」

「何を鎮めたがってるのか、てとこだよね」

 

 レイの言葉の続きを、まことが継いだ。

 ガジャブーたちの文化においては踊りが重要な位置を占めている。それはハンターノートにも書かれている事実だ。

 

「『鎮めの踊り』……ふむ」

 

 獣人族学者は、じっと虚空を見つめたまま考察を重ねる。時間が止まったかのように静かだったが、陽はとうに沈んでいる。

 老人が少女たちの前を無言で行き交いながら熟慮に熟慮を重ねる、奇妙な雰囲気の空間。

 

 長くも短くも感じられるこの時間も、やがて終わりを告げた。

 老人がやがて立ち止まり、少女たちへとゆっくり振り向いた。

 

「以前、遥か遠き地より旅人がこの新大陸に来訪したことがありましてな。その際にあったことで1つ、思い当たる節があるのです」

 



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陸の珊瑚に揺蕩う喧騒④(☽)

 真夜中、月が高く昇り雲に隠れた頃──

 エリア12を、東に進む。

 レイギエナを狩った砂浜のエリアだ。

 

「今更だけどごめんなさい。モガ村の時……あとこの前も」

 

 美奈子が隣でそう言い出すと、うさぎはどこか姉妹のような雰囲気を持った彼女に振り向き、苦笑して首を振った。

 

「ううん。むしろあたしこそ、モガ村の時は一番に冷静になるべきだった」

 

 うさぎは当時のことをそう振り返る。だが、もう暗い表情はしていない。いまは彼女も、するべきことに向かって真っ直ぐ向かい合い進もうとしていた。

 

「予想が当たってなかったら、すぐ瘴気の谷に向かう……それでいいのね」

「うん。これで駄目なら諦める」

 

 黒猫のルナがもう一度確認すると、うさぎは迷いなく頷いた。

 「分かったわ」と静かに主人の答えを聞き届けたところで頬を下から吹き上げる風に撫でられ、ルナは足を止めた。

 目の前の道は途中で途切れ、その先の奈落の底から塵が重力に逆らうようにして上空へと舞い上がっていく。それに、自然と少女と猫たちは視線を引きつけられた。

 美奈子の相棒、アルテミスはごくりと唾を呑み込む。

 

「……これだな」

 

 これは『湧昇風』と呼ばれる上昇気流。陸珊瑚が産卵した卵をこの台地全体に蒔いたり、この地に棲息する飛竜や翼竜の飛行に貢献したりと、生態系上大きな役割を果たしている。

 

「いよいよ、これの出番ね」

 

 もちろん、人間もそれを利用する術を考えないわけがなかった。

 亜美を筆頭に、少女たちが引いてきた荷車から取り出したのは青い翅のような部位を持つ装衣。それを、防具の上から次々と羽織っていく。

 猫に関してはうさぎはルナを、美奈子はアルテミスを肩に掴まらせ、その上から装衣を被る。

 

「ほ、ほんとに使うんだよな?」

「そら使うに決まってんでしょ」

「な、なぁみんな、やっぱ普通に山を登った方が……」

「いい加減諦めなさいよアルテミス。これ以外で山頂に早く登る方法なんてないでしょ?」

 

 完全にビビっているアルテミスに、既に肝の座っているルナはうさぎと自身を紐で括り付けながら淡々と呼びかける。

 

「いや、でもやっぱこんなちっちゃな翅で……」

「はぁ〜、工房の技術舐めてんの!? もーちゃちゃっと行くわよちゃちゃっと!!」

 

 躊躇するこの雄猫に、いよいよ美奈子は痺れを切らした。「ぎゃーっ!」という悲鳴も無視して無理やり紐で自身の背と彼を密着させ、装衣を羽織る。

 

「じゃ、お先っ!」

 

 そのまま腕を広げ、断崖絶壁から飛び出す。

 本来なら、万有引力に引っ張られ墜ちるはずの彼女の身体。

 それが、浮き上がる。

 生き物のようにうねり上がった少女の金髪が、頭上にあった珊瑚を容易く超す。

 死んだ珊瑚で出来た高さ数十mの岩場を抜き、10対の翅で空を飛ぶマンタのような昆虫を抜き。

 すぐに彼女は高層雲を飛び出す。

 

 そこからは月と一面に広がる雲海、剣のように突き出た珊瑚山の頂を望むことができる。遠くには気球で木造船を縦に吊った、いつ見ても奇妙な形をした研究基地が小さいながらも見えた。

 

「すっごぉい……」

 

 見惚れるのも束の間、湧昇風は彼女の身体を一定の方向へと運んでいく。

 そこは白い珊瑚の枝に囲まれた高台だ。面積はかなり狭く、そこ以外に降り立てそうな地形はない。

 月光に青白く照らし出される丸形の平地は、石灰の彫刻として建てられた舞台のような、静的な美しさを秘めていた。

 

「あれが山頂……エリア15ね」

 

 美奈子は狙いを定め、そちらに器用に身体を傾ける。

 人工の翅は重心移動に従ってぱたぱたとはためき、何事もなく彼女をゆっくりと高台に着地させた。

 装衣を取ると、グロッキーな状態でアルテミスが背から数十秒ぶりに地上へ落ちる。

 

「お……終わった?」

「ええ、そうよー。あっ、みんなも来た」

 

 美奈子が振り向いた先には既に、翅を広げた仲間たちの姿があった。

 かくして、うさぎたちも次々に無事着地に成功する。

 3番目くらいに到着したレイは装衣を脱ぐと、すぐさま抜け目なく耳を傍立て、エリアを隈なく見回す。

 

「……よし、ガジャブーはいないわ」

「本拠地で夜会をしてる時、やはりこっちの監視は甘くなってるのね」

 

 亜美が、ツタの生える入口方面を見つめながら呟いた。

 これも僅かな痕跡から得た情報だった。だからこそ、彼女たちはこの時間帯を選んだのである。

 本命の作業はここからだ。うさぎたちはなるべく静かに、痕跡を探す。

 しばらくあちこちをまさぐる音が続いたあと、美奈子が「あ」と声を上げた。

 

「……みんな」

 

 小声だったが仲間たちはすぐ反応し、彼女の下に小走りで駆けつけた。その前にある珊瑚で出来た壁には、楔形の文字が刻まれていた。

 すぐさまルナとアルテミスが辞書を取り出し、一見ただの紋様にしか見えない文字を眺める。そして、彼らの間で囁き合い、翻訳のすり合わせを行っていく。

 答えを待つ少女たちの間で、緊迫の糸が切れそうなほど張り詰める。

 

 やがて、ルナとアルテミスが同時にぱたんと辞書を閉じて。

 ルナが神妙な顔で、こちらへ首を振り向けた。

 

「……『黒き呪いを ここに埋めた 我々にも 他の誰にも、決して近寄らせるな』……」

「黒き……呪い……?」

 

 彼女たちの顔が、疑惑から確信に変わる。

 美奈子は、急いでその下の柔らかい土を掘り起こし始めた。

 

「多分。いや、絶対っ!」

 

 やがて、篭手がこつんと何かに当たる。

 更に掘る速度を上げ、手中でその形がはっきりした時。

 彼女は、思い切ってそれを掴み上げた。

 黒き呪いの正体が、土を払われ、いよいよ眼前へと暴き出される。

 

 白銀の結晶が、右手の中に光っていた。

 

 竜の爪のようにカーブを描いた円錐形で、そのまま武器として使えそうなくらい尖っている。

 およそ黒とは真逆に、月光を反射することで宝石のような煌めきを見せる。

 

「……あれ」

 

 それは少女たちにとって意外だった。

 うさぎは、口を半開きにして呟いた。

 

「妖気が……ない?」

「○××△!! △○■×!!(おい、余所者!! そこで何してる!!)」

「あっ」

 

 大声に振り向くと、ガジャブー5人ほどが四肢を地につけこちらを睨んでいた。

 前線にいる者は擲弾筒を真っ直ぐこちらに番えて、発射準備を整えている。

 一触即発の事態だ。

 

「アルテミス。通訳お願い!」

 

 一瞬怯みはしたが、少女たちは決して逃げようとしなかった。

 美奈子は叫びながら立ち上がり、武器には一切手を付けず、棘を持ったまま息を吸った。

 

「族長にかけられた呪いを、あたしたちなら何とか出来るかもしれないの!!」

 

 ガジャブーたちにも負けないくらいの声を張り上げた。アルテミスも惑いながらも覚悟を決め、ガジャブーたちの言語に直して負けじと呼びかけた。

 

 ナイフを取り出しかけていた、ガジャブーたちの動きが止まる。

 

「……■◯◯△?(お前ら、なぜそのことを?)」

 

──

 

 彼女たちが獣人族学者から聴いた話によると、ガジャブーたちにはそれを纏め上げる族長『キングガジャブー』がいるという。

 

 彼らが北から大挙してきた以上、北の本拠地に族長がいる可能性が高い。それなら彼らが山頂より徹底的に護りを固めていたのも頷けるというのだ。

 ということは山頂にもう一つ、何か重要なものがある可能性がある。ガジャブーたちがどうしても鎮めなければならない、何かが。

 

 したがって、うさぎたちは山頂のエリア15を選んだ。

 しかしこれを確かめるには、本拠地で行われる夜会の隙を潜入するしかなかった。直接的に剣を交えないに越したことはないのだから。

 かくしてそれは、成功した。

 

 以前撃退されたエリア10を通って案内されたエリア11は、入り組んだ珊瑚の間から複数の滝が落ち、浅い水場を形成する洞窟地帯だ。

 天然のスロープを少女たちが歩くたび、あちこちで足音と囁き声が木霊した。

 

「■◯△✕、✕□△□? ✕□✕✕!(あいつら、変なニオイがする。オレたちの族長を治す? ハッタリに決まってる!)」

「□□◯◯。□■△◯(あいつら、チョウサダンの一部らしいぞ。下手な余所者よりはマシ)」

 

 ガジャブーたちが、珊瑚の陰からそっとこちらを覗き込んでいる。人数は把握できないほど多い。最低50人以上はありそうだ。幸い、目に見えたところでは武器を番える様子はなかった。

 

「ほーんと、戦争にならなくってよかった……」

 

 美奈子は彼らの視線を受けながら、げんなりした顔で歩く。

 3人のガジャブーはエリアの上部へ、上部へと先導する。時には谷間を乗り越えたり、ツタを登る場面もあった。

 やがて彼らは最上部へとたどり着いた。止むことなく滝の流れ落ちるところを、ガジャブーたちが潜っていく。

 うさぎたちは意を決して次々に水に潜ると、一時目を閉じ、足をバタつかせ、もう一度浮き上がる。

 無数の泡と共に飛び出した時には既にガジャブーたちは陸へと上がり、念のため武器を構えながらも脇にどいて道を開けてくれていた。

 

「……◯◯□■(では見せろ。オマエらの『魔法』とやらを)」

 

 初めて見た陸珊瑚の台地最北の地は、意外に狭いところだった。

 周囲はすべて断崖絶壁で、北の方角は小さな平地以外すべて奈落である。

 

 背の低い珊瑚が草のように生える中、1人のガジャブーが、杭に固定された鎖に四肢を繋がれて呻いていた。

 ガジャブーたちより一回り大柄で、髭のような立派な房がついた仮面を身につける。頭には蝋燭つきのシャンデリアを再利用したような冠を被り、トーテムポールのようになっている。

 彼はこちらを発見すると、突然、立ち上がった。

 

「ホギャ、ホギャ────ッ!!」

 

 そのままの勢いで太い両腕を上げ、うさぎたちに襲いかかろうとする。意味をなさない奇声を上げ続ける。

 だが、部下に四肢を鎖に繋がれているので彼の腕は虚しく宙を彷徨うに留まる。武器の類も外されていた。

 獣のような凶暴性が表立つが、注目すべきはそこではない。

 仮面の口に当たる丸穴から黒い靄が吐き出され、赤い目が光っているのだ。

 そのあまりの激しさに、レイが眉を顰めた。

 

「……凄まじい妖気ね」

 

 彼女は一旦唇を結び、仲間たちに向かって一時躊躇いながらも再び口を開いた。

 

 

「これで確定したわ。族長は妖魔ウイルスに感染してる」

 

 

 彼女からはっきりと言葉としてもたらされた事実は、少女たちの間に悲しみとも、怒りとも、無念とも言える無言の間をもたらした。

 デス・バスターズの魔の手は、既に彼女たちの先を越していた。かつて現大陸を席巻せし、生命を悪の傀儡へと変える生物兵器。それは、海を超えて新大陸を蝕んでいたのである。

 

「ガジャブーたちが族長をここに隔離してくれて大正解だったわ。外に出したら大惨事になってたところよ」

 

 亜美はなおも暴れる族長を前に、唯一外部と繋がる夜空を見上げる。図らずも、彼らの高い警戒心が感染拡大の歯止めとなってくれたというわけである。

 まことは、ため息をついて自身の後れ毛をいじる。

 

「……予想通りで良かったのか、悪かったのか」

「✕◯□△! △□◯◯!(ボーッとしないで早くやれ! 見てるオレたちが怖い!)」

 

 ガジャブーたちがナイフを天に掲げて振り、口々に催促した。それでうさぎは気を取り直し、彼らの前に屈んだ。

 

「ちょっとびっくりするかもだけど、このことは誰にも言わないで」

 

 ルナが訳するも、ガジャブーたちは意味が分からず首を傾げる。

 うさぎは息を整えると、胸に手を当てる。

 

「ムーン・コズミック・パワー・メイク・アップ!!」

 

 途端に、少女の身体が虹色のリボンと眩い光に包まれる。

 やがてその中から現れたのは、金のティアラにピースを添え、白いレオタードに長手袋を履き、青い襟とミニスカートを靡かせる少女の姿。

 

「!?!?!?!?」

 

 ガジャブーたちはある者は狼狽え、ある者はひっくり返った。しかし幸い、興奮して刃を向けてくるようなことはない。

 

 久々に美少女戦士の姿となったうさぎ──セーラームーンは、ピンクの柄に赤いハートと王冠のついた杖、スパイラル・ハート・ムーンロッドをキングガジャブーへと向ける。

 

「スパイラル・ハート・ムーン・アタック!!」

 

 彼女が杖を持って叫ぶと、族長の全身をマゼンタ色の光線が包んだ。

 

「■✕△♡〜〜!!!!(ラーブリー!!!!)」

 

 鎖が外れるほどの衝撃だったが、族長の身体に一切傷は入らなかった。

 やがて、周囲を見回しながら起き上がる。

 さっきまでの荒々しい様子とは打って変わり、彼は穏やかな様子で見つめ上げた。

 

「□□◯△!!(こ、これが魔法、スゴイ!!)」

 

 部下のガジャブーが驚く一方、正気を取り戻したキングガジャブーは起き上がり少女たちを見つめ上げた。

 うさぎが変身を解き元の姿へと戻ったのを見て、族長はさっきとは別人のように静かに頷いた。

 

『□……□◯◯□(なるほど……お前たちがオレを助けてくれたのか。礼を言おう)』

 

 戦闘民族の長としては意外すぎるほど語り口が冷静なことに、少女たちは正直なところ驚きを隠せず返事が少し遅れるほどだった。

 族長は部下に直ちに武装を解き、うさぎたちを賓客として正式にもてなせと命令した。その後は、テトルーたちが使っていた焚き火を囲む。

 粗方の事情を聴いた彼は、うさぎたちの正体は外に漏らさない約束のうえ、猫たちの通訳を通して自分が知りうる情報をすべて話してくれる運びとなった。

 

『嵐の夜の少し前から、既に大地はざわめいていた。竜の入れ替わりが激しくなり、オレたちも苦境に立たされたが、何とか持ち堪えていた』

 

 族長、キングガジャブーは、空を見上げて語りだした。

 

『だがあの嵐の夜、海の向こうから赤い災いがやってきた』

「赤い……災い?」

『そこからは地獄だ。暗闇と暴風と炎の中、ありとあらゆる生き物が争った。オレはイチ、ニ、サンの部族を纏め、住処を捨てて南へ下ることにした』

 

 うさぎたちに『赤い災い』の正体は分からないが、ガジャブーたちは奥地でかなり酷い目に遭わされたようだ。

 キングガジャブーは、船舵を頭にした杖で地面をカンッと叩く。

 

『そしてオレたちはこの下にある死の満ちた谷に逃げ込んだのだが、それを不用意にも触った瞬間、意識が無くなってしまったのだ……』

 

 死の満ちた谷とは、調査団が『瘴気の谷』と名付ける場所。恐らく、そこで美奈子のいま持つ結晶を触って妖魔ウイルスに感染したということだろう。

 しかし族長は美奈子の持つ結晶を凝視すると、一旦黙りこくった。

 

『……だが、どうもおかしい。その『黒い呪い』は谷で見つけた時、もっと黒いモヤモヤを孕んでいた。埋めたお陰かは知らないが、今ではかなり穢れが取れたように見える。オマエがさっき使った力か?』

「いえ。掘り出した時にはもう……」

 

 ルナが通訳したキングガジャブーの言葉に、うさぎは首を振る。

 白銀の結晶は『黒い呪い』と呼ばれるにしてはあまりに邪気を感じさせず、むしろ神聖な輝きを秘めている。やはり、ガジャブーたちにとっても今の姿は違和感を拭えないらしい。

 亜美は少し考えると、

 

「族長さん。あなたたちが良ければ、これを持ち帰って調べてもいいかしら?」

 

 かなり思い切った発言をしたが、族長は深く頷いた。

 

『むしろ持っていってくれ。チョウサダンならそれが何かきっと分かるし、部下たちも安心するだろう』

 

 寛大な処置にうさぎたちは感謝を述べ、握手を求める。それに族長も立ち上がり、すぐ応じた。

 

「いろいろ話してくれてありがとう。あなたたちの故郷を必ず取り戻すわ」

『オレたちも、テトルーたちには多大な迷惑をかけた。事情を話したうえで謝罪の品を贈ろう。居候先のことはオレたちで話し合うことにする』

 

 ガジャブーたちの前にあるのは決して平坦な道ではない。だが、この族長から溢れる知性と覚悟が、猫たちによる翻訳からも伝わってくるようだった。

 

 うさぎたちが奥地を後にしようとした時、数人のガジャブーが四肢で珊瑚を駆けてきた。一切息切れもせず追いついた彼らは、うさぎたちに蒼く澄んだ破片を渡す。

 

『受け取っとけ。族長を助けてくれたお前たちへのカンシャの印だ!』

「……これ、キリンの!」

 

 美奈子の顔が喜々としたものに変わる。紛うことなき、幻獣が持つという蒼角の破片だった。

 破片とはいっても、彼女が両手で持っても肩幅をはみ出すくらいには大きい。余裕で重ね着の作成が出来る素材の量だった。

 それを持ち帰る美奈子の足取りは、持つ重量に反して充足感と軽やかさに満ちていた。

 

──

 

「その話から察するに……嵐の夜に古龍が海を渡って来たと見るのが良さそうネ。それが奥地の生態系に混乱を齎し、大陸全域の翼竜をも慄かせた」

 

 一通りの報告を聴いた期団長は、手に持つ壺からお香を吸いながら推測を述べる。

 次に彼女は、机に置かれたケース入りの水晶に顔を近づけ、じっくりと舐めるように眺める。

 

「それに、散々風の噂で聞いてた妖魔ウイルスとやら……興味深い。これは重要なサンプルヨ」

 

 どこか恍惚さえ垣間見える学者らしい発言だった。

 亜美はそれに危機感を感じたのか、顔を期団長と同じ高さに揃えて見つめた。

 

「取り扱いには気を付けて下さい。魔女が作り出した妖魔ウイルスは、生態系を破壊する悪質な兵器です。何が引き金になるか、あたしたちにも分から……」

「ん、分かった」

 

 彼女は食い気味に答え、掌に収まる簡易顕微鏡を取り出して水晶を覗き始めた。どうやらこの竜人族学者にとっては、恐怖より知的好奇心の方が勝るらしい。

 

「瘴気の谷にはフィールドマスターがいる。貴女たちには彼女の救出、そして調査を頼むワ」

 

 視線をこちらに向けもせず水晶をあらゆる角度から観察する期団長。

 そのマイペースさに亜美は観念するも、不安げに目を細める。

 

「最低1ヶ月は向こうにいるのよね。無事かしら」

「安心して。そんなすぐ死ぬタマじゃないから、彼女」

 

 下層に集う研究員たちも揃って頷いている。

 フィールドマスターが女性であり、調査団が彼女をかなり信頼しているということ以上、あちらのことではっきり分かることはない。ともかく、うさぎたちが次にすべきことは明白だった。

 

「じゃあ、用意したらさっそく連絡機に乗ろう!」

 

 うさぎが提案すると、仲間たちも頷く。

 連絡機のある下層へ階段を降りようとしたところで、期団長が「ちょっと待って」と呼び止める。彼女は、振り向いたルナとアルテミスを人差し指で差した。

 

「あなたたちに頼みたいことがある。報告書が出来たらアステラに持っていってくれない? うちの新人が急にいなくなっちゃってネ」

 

 猫たちはぱちくりと目を瞬かせる。

 

「え、ええっ……いなくなったぁ?」

「ソ。今までもしょっちゅうあったんだけどネ。年頃の人間って難しいワ」

 

 新人とは、ユイという名のクールな銀髪の女性研究員のことだろう。ご高齢な研究者集団からはかなり可愛がられていた記憶が彼女たちの中にはあったが。

 

「あの、僕らは美奈たちの……」

「大丈夫よ、後でゆっくり来てくれれば。竜の1、2体くらいなら5人でも対応できるし」

 

 断りかけたアルテミスに、美奈子は声をかける。そこに見えを張った感じはない。

 うさぎも、ルナに向かって「任せて」と言うように微笑んでみせた。

 

「……んじゃ、信用させてもらうわ」

 

 かくして、うさぎたちは諸々の準備を整え、5人で瘴気の谷に出発することとなった。

 

 行きは、研究者たちが総出で見送ってくれることとなった。先頭にいるのはガジャブーについて教えてくれた獣人族学者。期団長は、今日は寒いという理由で出てこなかった。

 彼女の発言通り、今日の湧昇風は一段と冷たく感じられる。うさぎたちは研究基地の入口に設置された、気球のついた連絡機に乗り込んでいる。

 

「改めて貴女たちの、分かりやすい答えに惑わされずどこまでも真実を見極めようとしたその姿勢……学者の1人として尊敬に値します」

「えへへへ……」

「あんただけの手柄じゃないけどね?」

 

 頭の後ろを掻いて照れかけたうさぎに対し、レイが念を押した。

 

「ただ、1つだけ」

 

 獣人族学者が杖をつきながら前に出て。

 

「どうしても分からない時は分からないことを理解し、そのまま受け入れる。それも1つの共存の形です。()()()()()()()()()()()()()のもまた、人が犯しやすい間違いの1つですから」

 

 うさぎは少し考えたが、微笑んで答える。

 

「分からないなら分かるまでどこまでも、地獄へだって行きます」

 

 それがうさぎの今の答えだ。ある意味こう答えるのは当然でもある。彼女はいつだって、理解できないものを敵であろうと理解しようとしてきたからだ。

 獣人族学者は髭を指でなぞり、やや間を置いて。

 

「……なるほど、それも良いでしょう。ですがどうか、怪我にだけはお気をつけて」

 

 うさぎたちは頷いて答えた。

 減圧された足場の気球が、高度を下げ始めた。

 がこん、と音が鳴り、足場上空にある滑車がワイヤーを下へと送る。

 

「皆様、ご健闘をお祈りしますぞ!」

 

 声援に見守られながら、ワイヤーにぶら下がった足場は少女たちを載せて下方へ運ばれる。

 高度が少しずつ下がり、やがて太陽光の届かない物陰に入った。

 それに従い、青く澄んでいた空気が少しずつ淀み濁っていく。陸珊瑚も黄土色に染まり、すえた臭いが鼻を突くようになる。

 

「それにしても……ゴア・マガラは死んだのに、彼の呪いは生き続けてただなんて」

 

 レイが嘆きを交じえて呟くのも道理ではあった。

 妖魔ウイルスに蝕まれたゴア・マガラはあの時、うさぎの手で完全に討伐されたはずだったのだから。

 

「でもなんで、妖魔ウイルスが新大陸に?」

「デス・バスターズの仕業に決まってるよ。あいつらはここでまた『聖杯』を育てようとしてるんだ」

 

 美奈子の提示した問いに、手すりに背を預けたまことが即答する。反論する者はいない。

 デス・バスターズの目標は、妖魔ウイルスにより吸い取ったエナジーを宿す『聖杯』へセーラー戦士を生贄として捧げることだった。

 亜美は、漂いながら上へと流れ行く塵を見つめて呟く。

 

「……また前と同じように防げるかしら」

「でも、昨日諦めてたらこのことにも気づけなかった」

 

 うさぎの言葉が仲間たちの視線を引く。彼女は手すりを両手で掴み、ちょうど横を浮くクラゲ『オソラノエボシ』を見つめ。

 

「目の前のことから頑張れば、きっと災いを止められるよ。両方の世界を無意味な争いから救えるはずだから」

 

 光溢れる空に泳ぎゆくそれを見上げ、自身にも言い聞かせるように励ました。仲間たちも決意を新たにして頷く。

 

「ねぇ……そこでなんだけど」

 

 うさぎは彼女たちのいる足場の内側へと振り向いた。

 

「やっぱりあたしたちのこと、調査団の人たちに……」

 

 

 がこん、と嫌な音が鳴り、連絡機が急停止した。

 

 

「え……?」

 

 うさぎだけでなく、仲間たちも頭上を見上げる。

 きぃ、きぃ、と擦れる音が鳴ったあと。

 ワイヤーが切れた。

 上との繋がりを失った連絡機は、重力に従う。

 少女たちの身体が一瞬だけ浮く。

 

 

「きゃああああああああぁぁぁぁ……ぁぁっ……」

 

 

 セーラー戦士たちは手すりに掴まったまま、天空から昏き地の底へと。

 悲鳴をあげて堕ちていった。

 

──

 

「タイミング、完璧」

 

 研究基地から遠く離れた台地で望遠鏡を覗いていたユイは、レンズに映る慌てふためく研究員たちを見てにやりと笑った。

 

「これで死んでなくても、時間稼ぎとしてバッチリ。これなら私の昇進も……。残念だったわね、テルル」

 

 青髪の少女にそう呼ばれた人物は、背後の皿型の珊瑚に腰を下ろし、退屈そうに組んだ脚に頬杖をついていた。

 白衣を着た緑髪の少女、ルルは眉間を険しく寄せる。

 

「はぁ? あんたを調査団へと推薦してやったのは誰だと思ってんの」

「ヘマばかりしてるグズに恩を感じるわけないでしょ」

 

 仲はかなり険悪である。

 ルルは動じず眼鏡に右手をかけた。

 

「ふーん。大した苦労もなく手柄を横取りしようとするヤツに言われる筋合いないわ」

「あら。お褒めの言葉をありがとう」

 

 ユイからの言葉にルルはちっと舌打ちしたのち、白衣に左手をかける。

 そして、前方に浮かぶ研究基地に視線を戻して。

 

「ともかく。あの変人集団ともやっとおさらばできてせいせいするわ」

「それだけは同意」

 

 2人が並んで眼鏡と白衣を同時に脱ぎ捨てると、胸元の大きく開いた黒いドレスが現れる。

 ルルだった女は真緑のストッキングを履き、その脚の上や腕に網を撒きつけ。ユイだった女は砕いた氷のような模様のシュシュを巻き、頭には同じ模様のベレー帽を被っている。

 まさにこの世界において明らかに異質な『魔女』と呼ぶべき姿だった。前者は植物の魔女、後者は氷の魔女とでも形容すべきか。

 彼女たちは、デス・バスターズの幹部『ウィッチーズ5』の一員だった。

 

「ここまで計算が上手く行くとなると、大自然とやらもどうやら我々による支配を望んでるようだわ。そう思わない、テルル」

 

 肩までかかる雪のような色の銀髪をかき上げた女は、陸珊瑚の台地を見下ろし勝ち誇ったように宣言する。

 その横で、真の名をテルルという緑髪の女は、何か考え事をしているようだった。

 

「なに浮かない顔してるのよ」

「ねえ、ビリユイ。これが終わったら、私たちは我らが主に会えるのよね?」

 

 ビリユイと呼ばれたその女はテルルの発言を聞くとまず素直に驚き、それから半ば小馬鹿にするように肩を竦ませる。

 

「今更何言ってるの。ファラオ90の意志が無ければ、我々はこの世界に転生しなかった。全ての目的はかの御方のためにあるも同じじゃない」

「カオリナイト、ミーティングの後にボヤいてたのよ。何度ミストレス9を通して呼びかけても、主がずっと黙っておられるって」

 

 両者の視線は一切合わない。

 ビリユイはしばらくしてから鼻を鳴らす。

 

「ふん、下らない」

 

 一笑に付すと、ビリユイはさっさとテルルに背を向けた。

 

「アイツもお前も、ミメットが死んだ辺りから落ちこぼれたわね。いったい何を恐れてんだか」

 

 冷たく笑って歩みながら、右の親指と人差し指をくっつける。

 

「仕組みさえ正確に理解すれば、全てのものごとは操作可能な機械に過ぎないと……そう自ずと分かるのにね」

 

 指を鳴らすと、一瞬でビリユイの姿は消えた。

 やがて、テルルもそれに続いた。




妖魔ウイルスの脅威、再び…。


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乙女ら導く双雷は①(☆)

 十番街外れの高い石造りの階段。それを登った先に見える鳥居を、セーラー戦士たちは一般人の姿で前にしている。

 

「火川神社だ……」

 

 ちびうさは懐かしさ半分、不安半分に呟いた。

 急ぎ、何段も続く階段を登る。

 

「レイちゃんのおじいちゃんも雄一郎さんも、いるのかな……」

 

 鳥居が近くなった時、少女は不安を口にした。

 レイの祖父がここの宮司を務めており、セーラー戦士のレイ自身も巫女として住んでいる由緒ある神社だ。日常的にセーラー戦士、特にうさぎたちが集う場でもあった。

 

「……雷の方角から見て、この辺りで合ってるよな?」

「ええ。そのはずよ」

 

 はるかとみちるは、確認するように互いに視線を巡らせた。

 商店街で見た巨雷。モガ村でちびうさに雷光と共に呼びかけた声の主が、この先にいるのだろうか。

 鳥居をくぐると、お賽銭箱の前の石畳でぼさぼさに髪を伸ばした無精髭の若い男が箒を掃いていた。散髪もあまりしていないのか、前髪で目元はほぼ見えない。

 

「あ、雄一郎さん!」

 

 ちびうさが喜々として手を振り呼びかける。

 

「……彼は?」

「レイさんのお祖父さんにお世話になってる居候さんよ」

 

 せつなの問いかけに、ほたるが簡潔に答える。

 忙しなく床を掃いていた男、雄一郎は、ふと顔を上げる。

 

「あっ……あなたたちは……」

 

 最初はぱっと顔を輝かせる。

 しかしその中に衛の姿を認めた瞬間表情を失くし、箒を落とす。

 ずっと目線を合わされる衛は困惑気味だ。

 男は箒を拾い直し、剣のように持ち直す。

 

「き……」

「き?」

「貴様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

 

 突如男は、幽鬼のような顔で箒を振り上げ迫ってきた。セーラー戦士たちもまさか男が襲ってくるとは思わず反応が遅れた。

 頭上から振り下ろされた箒を、衛は咄嗟に横に避ける。

 

「ど、どうしたんだいったい!」

「どうしたもこうしたもあるか!! レイさんのみならず、うさぎさんたちをどこへやったああああぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 身に覚えもない恨み言と復讐から必死に走り逃げる衛を、雄一郎は箒を何度も振り回して追い回す。その勢い凄まじく、衛が転びかけたのを好機にその身体に跨り、思い切り得物を振り上げた。

 

「おい、ちょっ!」

 

 衛の額を直撃すると思われた箒が、途中で停止する。

 雄一郎の前に立つのは金髪の麗人。

 はるかが、細い腕に反した力強さで箒を掌に受け止めたのだった。

 

「感心しないな。綺麗にするための道具を血で汚そうとするなんてね」

「お、お前は以前にレイさんを誑した……!」

「失礼だな。僕の本命はいつだってみちるだけさ」

 

 臆面もなく言い放つはるかの横で、ちびうさは雄一郎の怒り様に疑問符を浮かべるせつなに囁く。

 

「雄一郎さんはレイちゃんのことが好きなのよ」

「……なるほど、それで」

 

 せつなは状況を理解するも、苦々しく眉を顰める。うさぎたちがこちらの時間で1ヶ月近く姿を消しているせいで、かなりややこしい事態が生じている。

 雄一郎の怒りは未だ収まらない。

 

「やはり前からおかしいと思っていたんだ! お前らは最初っから、これが目的だったんだぁぁぁぁぁ!!」

「待って、雄一郎さん! あたしがいるでしょ、あたしが!」

 

 慌ててちびうさが雄一郎の前に飛び入って、何度も自分を指差す。

 箒をはるかの手から抜こうと荒ぶっていた雄一郎はやっと手を止める。

 

「ちっ……ちびうさちゃん?」

「いろいろと怪物関係で事故があって、うさぎたちは別のところにいるの。まもちゃんのせいじゃない!」

「ほ、本当、なのか?」

「ええ。あたしたちが保証するわ」

 

 ちびうさと同年代のほたるも口添えしたことで、雄一郎はやっと箒から手を離す。その後、何とか落ち着いて話を聴いてくれるようになった。

 こちらの世界で、うさぎたちは行方不明者扱いだ。当初は世間のメディアでも大きく取り上げられていたが、怪物たちの侵入によりうやむやになってしまったらしい。

 

「うぐっ……ひぐっ……レイさぁん……。貴女はどこにいるのですかぁ……」

 

 話がややこしくなるので、別の世界に行ったとは言わなかった。彼女らの正体がセーラー戦士であることは隠しているからである。

 

「大丈夫、大丈夫。きっと帰ってくるよ」

 

 ちびうさが中心となって泣きぐずる雄一郎を何とか宥めすかしているところに、髪のない小さな老人が歩いてくる。神職の装束を身に纏い、水色に近い袴を履いている。

 

「おーおー! こりゃ別嬪さんが揃っておるのー! どうじゃーこの神社で巫女さんのバイトでもー……」

「お、お師匠!」

「あっ……」

 

 少しの沈黙のあと。

 

「きっ、きっ、きっさまぁぁぁぁ!! ワシの可愛い孫娘をどこにぃぃぃぃぃ……」

「あぁん、またやり直し──っ!!」

 

 以下、先と同じやり取りをした。

 

──

 

「そうか、商店街でそんな話が……」

「ええ。だからあなた方も、近くで雷を見たなら避難をお勧めしますわ」

 

 雷を落とす怪物が近くにいるとみちるが話すと、宮司であるレイの祖父は神妙な顔で顎を掻いた。

 無論、戦士の間で口裏を合わせている。いざという場合の被害を減らすためだ。

 

「雷……そういえば今日雷鳴を聞いたぞ! 晴れの日だったのに、妙な天気だと思ったんだ!」

 

 雄一郎はそう険しい顔で呟くと、住み込んでいる境内中央奥に構える本殿へ駆け込んだ。ちびうさは妙に思って、縁側から開いた障子の間を覗き見る。

 

「……なにしてるの?」

「男の尊厳を取り戻すんだ!」

「は?」

 

 見えたのは大量のバット、竹槍、鉄パイプ。神社に見合わない物騒なものばかりだった。

 雄一郎が装束の袖を捲ると、思いの外筋骨隆々な腕が出てくる。どちらかというと誠実ではあるが頼りないイメージの男にそぐわない身体に、衛は目を見張った。

 

「驚いたでしょう。ずっと鍛えてたんです」

「……雄一郎くん、君は」

「レイさんが遠くへ行ってしまったのは俺が弱かったからです。なら、せめて彼女が愛する街を怪物から護るのが道理ってもんでしょう!」

「雄一郎さん、相手は人なんか比べ物になんない怪物よ。そんな無謀な……」

「ほっほっほ、若さはいいもんじゃな〜。今の雄一郎なら、レイも惚れて帰ってきてくれるかも知れんわい」

 

 ちびうさが柔らかくも止めようとした時、いつの間にかその場から消えていた宮司が、何かを持って廊下から出てきた。

 突然、障子の陰から刃渡り30cmほどの片刃が伸びた。

 

「ひっ!?」

「心配しなさんな。ただの剪定じゃよ。この前からやたら樹の生長が早くての〜」

 

 老人は驚いたちびうさの脇をのこぎりを持って通り抜け、境内の大樹に立てかけられた梯子に登った。

 衛が見ると確かに、大樹はあちこちの方向へ好き放題枝を伸ばしている。前に剪定されたとは思えないほどだ。

 

「それにしても、足跡1つも見当たらないとはね」

「どうも当てが外れたかもな」

 

 少し離れた縁側に座ったみちるとはるかは、中ほどまで下がった陽を見上げながら呟く。

 それに、せつなは呼びかける。

 

「とはいえ、この近くにいることには違いないでしょう。もう一度商店街に戻ってみて……」

 

 レイの祖父が引いたのこぎりにより、1つの伸び切った枝が切り落とされた。

 枝が音もなく落ち、そして跳ねる。

 空中に静電気が走る。

 境内の真ん中から上空へ、碧雷が走った。

 

「!?」

 

 本殿側に集っていた少女たちの背後が青白く照らされる。雷光は一回限りですぐ止んだ。

 当然少女たち全員が、境内の方向へ振り向く。

 

 額に1本の蒼角を生やす白馬が佇んでいた。

 

 髭と鬣、そして襟を一体に成す豊穣な白銀の体毛が、風もないのに後方へ自ずと棚引く。

 白を基礎とした鱗に黒い鱗が縞を成し、細くも力強い四肢を地へ、靭やかで逞しい首を天へ伸ばす。

 

 人間たちは直立不動でその神々しい来訪者を見つめている。

 霊獣は石畳を爪で戯れに引っ掻き、赤い瞳をちらと人間たちに向ける。無言なのにびりびりと、静電気か威迫か、得体の知れない何かが空気を伝ってくる。

 それでやっと彼女たちは正気に戻された。危機感からか、セーラー戦士たちは身を寄せ合う。

 

「ア、ア、アヤカシじゃあ────っ」

 

 梯子に登っていたレイの祖父は驚くあまり足のバランスを崩し、大樹の間から地面に背中から落っこちる。

 

「お、お師匠────っ!!」

 

 その身体は縁側から飛び出した雄一郎によって、奇跡的なタイミングで受け止められた。

 

 何秒経っても、あちらから動く気配はない。

 ぶるるという唸りと共に耳が跳ねるように動く。

 ちびうさはそれに、一歩進んで呟いた。

 

「まさか、あなたが……あたしに呼びかけてくれたの?」

 

 一方後ろにいる衛は、ちびうさの肩を静かに持って引き寄せた。そして白馬に疑義の視線を送る。

 

「商店街で聞いた姿と違うぞ。牙も持っていないし、岩みたいな腕もない」

 

 違和感を生じているのは彼だけではない。少し離れたところで顔を寄せ合うはるか、みちる、せつな、ほたるの外部太陽系戦士も同様だった。

 

「プルート。あれが君の知ってるエリオスとやらか?」

「少なくとも、人の形ではなさそうだけれど」

「……エリオスは、ペガサスというもう一つの姿を持ちます。全体的な形はそれに一致するのですが」

「確か『天馬』とも呼ばれるように、翼を持った馬なのよね……だけど」

 

 ほたるが呟いたように、あの白馬の背中に翼はない。

更にその表面は皮膚ではなく鱗に埋め尽くされている。

 もう1つ馬との相違を挙げれば、脚の先は一見蹄のような形だが、実際は2本の爪だった。

 やがてせつなは首を振った。

 

「見た目が似ているだけです。そもそもペガサスは、人の美しい夢に潜む形のない存在。あの白馬のように実体として現れることはありません」

 

 彼女がそこまで言った時、再び雷が落ちた。

 その場にいた全員の肩が浮き上がり、衛は更にちびうさを手前へ引き寄せた。

 外部戦士たちはみな懐に腕を入れかけていたが、雷は両者の間の石畳を焦がし、砕いただけだった。

 

 赤い瞳がずっとこちらを見ている以上、偶然ではない。雷は明らかに、この白馬に似た生き物の意思で落ちている。

 それは完全な拒絶の反応。これ以上近づくのなら容赦はしないという言外の意思表示にも見えた。

 

「……そもそも我々を導くつもりなら、こちらに矛を向けるなどなおさらありえないことです」

「じゃあ、あれはエリオスじゃない?」

「……少なくとも、彼の気配はしませんね」

 

 ほたるの問いに、せつなはやるせない表情で答えた。

 雷が次々に、滝となって白馬の周囲に雪崩落ちる。

 それは主を護るように、壁となって彼我を遮る。

 衛とちびうさもそれを前に、足踏み強いられる。

 

「俺たちを導いたにしては、かなり警戒されているな」

「……じゃあ、あたしたちが追いかけてたのって……」

 

 沈黙を破るように、ある1人の男が石畳を蹴った。

 

「うおおおおおお!! 熊田雄一郎、男を見せてやりまぁぁぁぁすっっ!!」

 

 セーラー戦士たちにとって、それは予想外だった。

 蛮勇とも無謀とも言える、雷を落とす相手への接近戦。雄一郎の手には、竹槍が握られている。

 

「雄一郎さん、無理よ、やめて!!」

 

 ちびうさの制止も聞かず、雄一郎は竹槍を霊獣の頸元に真っ直ぐ突いた。

 しかし、刺せない。

 傷一つない白馬は敵意を露わにし、透き通る蒼角をぶん回した。

 そのまま、横向きに殴られると誰もが考える。

 が、雄一郎は顔をそらしてそれを避けた。

 

「!?」

 

 驚く面々を横に、次は先ほど梯子から転落したばかりのレイの祖父が、のこぎりをぶん回して白馬へと迫る。

 

「あ、アヤカシめ! その見た目には騙されんぞぉぉぉっ!」

 

 直撃したのこぎりも、鱗を穿つことはなくむしろ毀れてしまった。

 しかしその直後、白馬が嘶いて的確に放った雷を、老人は素早く宙返りして回避する。

 

「た、戦えてる……!?」

 

 一番驚かされたのはセーラー戦士たちである。

 彼女たちのレベルまでとは言えないが、中々の運動神経だ。少なくとも、人並みに鍛えて出来る動きではない。

 

「どういうことなんだ……!?」

 

 言うまでもなく、あの2人は何の能力も持たない一般人である。

 衛もこの光景に疑問を持つ他ないのだが、それすら打ち消す事態が起こる。

 

「おい、避けろっ!!」

 

 はるかが上空を見て何かに気づき、男たちに叫んだ。

 直後、霊獣の全身が陰に覆われる。彼はそれ以上男たちに構うことはせず、腱を曲げると大きく飛び跳ね包囲網から容易に脱出。

 

「うわぁっ!?」

 

 男たちも少し遅れて気づき、悲鳴を上げながら陰の外へ飛び出した。

 直後、黒い巨弾が石畳を丸ごと撃ち抜いた。

 飛散する瓦礫のなか、跳ねた砲弾から四肢が伸び、地を掴んだ。

 

 白馬とは正反対の漆黒の皮膚を持つ猛獣。それが砲弾の正体だった。

 

 類人猿に酷似した細長い顔、彫りの深い眼窩に血走った眼光。螺旋を描く双角は闘牛のそれに近く、左右の空間を鋭く貫き。下顎からは捕食者特有の鋭い牙が覗く。

 前肢は完全に腕としての発達を遂げ、異常に筋肉が密集したそれはもはや岩石に等しい。それを支える胸筋も凄まじく、後肢は獅子のように深く折り曲がり、引き締まった下半身を支えている。

 

「な、なんじゃあ、次から次へと!」

「なんの、こんなところで諦めたら男がすた……」

「ヴヴヴォ゙ォ゙ォ゙ォ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙ォ゙ォ゙ォ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙ゥ゙ッ゛ッッッッッ!!!!」

 

 地につけた拳を握り、天を見上げた猛獣の咆哮。

 その音圧は境内の茂みに隠れていたはずの雄一郎の髪を一瞬で捲り上げるに留まらず、レイの祖父の身体までも後ろに押し倒す。

 

「い、いきなり何なの……!?」

 

 一方のちびうさも困惑する。セーラー戦士たちにとっても当然、この獣の出現は完全に想定外だった。

 

「とにかく……今のうちに変身よ!」

 

 ほたるの進言を機に、彼女たちは本殿内部や近くの木、茂みの裏へと身を隠し。

 男たちが黒き乱入者に圧倒されている間に、変身。この街と星の守護者、セーラー戦士の姿へと変わった。

 彼女たちは高く跳び、境内へとその姿を現す。

 

「あっお師匠、セーラー戦士の皆さんですよ!」

「おお、久しぶりに来てくれおったか!」

 

 雄一郎は、助け起こしたレイの祖父と共に正義の味方の到着に快哉を叫ぶ。

 

 しかし、獣たちはそのことにすら関心を持たなかった。

 黒き獅子は頭を下げて角を振りかざし、四肢で真っ直ぐ突進を仕掛ける。

 白馬は直前まで引きつけ、跳躍。黒い肉弾は男たちの隠れる茂みの真横、そして石壁をも難なく突き破る。

 直後、白馬が前脚と共に振り上げた角を眩く光らせ、振り下ろすとほぼ同時に落雷。向き直ろうとした猿の背中に直撃する。

 続けて、2、3連撃。

 閃光と共に砕かれた石畳から煙が上がり、相手の姿が見えなくなった。

 

「っ……」

 

 思わず、セーラー戦士たちも構えていた腕を下ろしかける。

 普通、雷がまともに当たれば生物は無事で済まない。

 もはやこれで決着は着いたものと思われた。

 

 しかし、漆黒の猛獣は生きていた。

 

 右拳を握って、煙中から飛び出したのである。

 白馬は既に予測していたのか後方に跳び下がり、拳を避ける。

 鬼にも似たその筋肉達磨は、着地すると即座に後ろ脚だけで体重を支え、それと比べても圧倒的に太く厚い拳を構えた。

 

「ウホウホウホウホウホッッッ」

 

 獣は、その顔面に見合った声で咆え。

 人など一瞬で握り潰せそうな巨腕を振るい、左右交互に手当たり次第に殴打を繰り返す。その下にあった石畳は粉砕され、瓦礫の雨と化す。

 その拳撃は中央奥の賽銭箱付近にいるセーラー戦士たちにも迫り、彼女たちは離散を強いられた。

 さっきまでは白馬に立ち向かう勇気に溢れていた男たちも、この暴力の嵐には腰を抜かしていた。辛うじて雄一郎は、折れた竹槍を震える手で構えていた。

 

「お、お、俺は、レ、レレ、レイさんのため……」

「ゆ、雄一郎、あれは流石に死ぬぞ!!」

 

 レイの祖父は雄一郎の装束の襟をひっつかんで茂みの外へ引きずり出し、鳥居の外へと無理やり連れてゆく。

 猛獣は賽銭箱を掴む。

 神罰すら全く恐れないその獣は、それを白馬へと投擲。避けられた賽銭箱は粉砕され中にあった小銭を大量に撒き散らす。

 

「なんて凄まじい破壊力だ……!」

 

 衛扮するタキシード仮面は、境内の中央から少し離れたところで冷や汗をかく。

 他のセーラー戦士も、臨戦態勢は取りながら獣たちの苛烈さに手を中々出せずにいる。狭い境内に安全地帯など無いに等しく、矢継ぎ早に飛んでくる雷やら拳やらからとにかく離れるしかない。

 

 猛獣は霊獣から放たれる雷を避け、時には受け止め、ジグザグに跳ねながら突っ込む。

 ちょうどその方向にいたちびムーンは、その迫ってくる巨体が当たるのではないかという不安に襲われた。

 

「ひゃ、ひぃゃああああ!」

 

 彼女はちょうど目の前にあった、レイの祖父が刈り入れていた大樹の幹へと跳んで掴まる。

 ちびムーンが少しでも高いところへ逃げようと四肢を動かすと、火事場の馬鹿力か、木登りはトカゲのように上手く行った。

 

 だが、それが運の尽き。

 猛獣はちょうどその大樹に目をつけた。

 右の巨拳が、ちびムーンがよじ登った木を掴む。

 そのまま腕力だけで木の根を地面ごと音を立てて引き抜いて、頭上へと持ち上げる。

 

 土塊が、根からぼろぼろと零れ落ちる。ちびムーンは、目を剥いて遠くなった地上を見つめる。

 なお、大樹の全長は約4m、幹の幅は約1mである。

 セーラー戦士の誰もが口を開けた、圧巻の光景だった。

 

「……スモールレディをっ!!」

 

 驚いてばかりではいられない。プルートは真っ先に彼女を助けに行こうと駆け出す。他の戦士も同じだった。

 だが、相手が早すぎた。

 猛獣は軽々と跳び下がると、白馬めがけ大きく振りかぶり。

 ちびムーンごと、大樹をぶん投げた。

 

 それに向かって白馬は嘶き。

 自身に迫ってくる大樹に直接、落雷をかました。

 大樹は加速度を失い、爆散。

 砕け散る幹。燃える枝。

 飛び散った破片の中には、辛うじて直撃を免れたちびムーンの姿もあった。

 

「きゃああああああああっ!!」

 

 放り出された小さな身体は放物線を描き──

 奇跡的な角度で、白馬の肩に跨った。

 

「ヒヒィィンッッッ!?」

 

 突然飛びつかれた白馬はじたばたと四肢を暴れさせ、ちびムーンを振り落とそうと藻掻く。しかし彼女は目を瞑り、反射的にますます強くしがみついてしまう。

 白馬は早くも迫りつつある猛獣を後ろ目に見ると、ちびムーンのことは諦めて駆け出した。

 そのまま鳥居を潜り抜け、階段を丸ごと飛び降り、街へと出ていってしまった。猛獣も唸ると、獅子の足を躍らせ素早く後を追った。

 

「ちびムーンっ!」

 

 サターンとプルートは、真っ先に飛び出す。

 ウラヌスとネプチューンは、後に続こうとしたタキシード仮面を見て引き止めた。

 

「プリンス、あなたはここに」

「彼女は私の未来の娘だ! こんなところで……」

「あの獣たちは危険だ。あなたまで危険に曝すわけにはいかない!」

 

 タキシード仮面は、ウラヌスの言葉に臍を噛む。

 それは戦力外通告に近かった。

 しかし従うしかない。いまの彼は、彼女たちに護られる側。未来の王国の王子として、無事でいる()()()()()のだ。

 あの圧倒的暴力を目の前にしては、彼女たちの判断もやむなしである。

 

「なんて……有り様だ……」

 

 鳥居の方から、雄一郎の声がした。

 彼が、レイの祖父をおぶって帰ってきたのである。

 

「わしの、神社が……」

 

 境内に、男組の無力感溢れる嗚咽が響いた。




雄一郎がはるかを「前にレイさんを誑かした」と言った理由
→原作アニメでレイとはるかが一緒にいるところを見かけ、はるかがレイを奪おうとしてると思い込んだことがあるから(なお片想い……)といういわゆるBSS的シーンがあったから。実際にはそれですらないですが。しかもはるかを男と勘違いしていたというオマケつき。現在では誤解は解けてますが、それでもシコリはちょっと残っているというイメージ。

あと、ラージャンのXX以前の咆哮好き。多分ギターを使ってると思うんだけどあの狂気さ加減がいいですねぇ。


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乙女ら導く双雷は②(☆)

モンハン20周年、おめでとう!


 この東京にいるセーラー戦士は誰一人として知らないが。

 現在ちびムーンを乗せて風を切る白馬は、狩人たちの世界で『幻獣キリン』と呼ばれている。

 曰く、雷と共に現れ雷と共に去る古龍。

 その道路を蹴る健脚は海をも数日で超えると噂されるほど力強く、いま前方の自動車の近くに落ちた雷は、自らの上空に渦巻く雷雲から放たれたものだ。

 雷を自在に操る原理については、一切不明である。

 

「ひっ……」

 

 次は近くの公衆電話に雷が落ちた。落雷の度にちびムーンは肩を竦める。周囲にいた数少ない人々は、悲鳴をあげて蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。

 

「お願い、やめて! 街の人たちが怖がってるわ!」

 

 呼びかけるも効果はない。人を狙うことこそないものの、自らの障害物となるものは徹底的に破壊する傾向があった。

 やがて、閑散とした細道に入る。

 そこに来てある程度落雷は収まった。諦めたのか振り落とそうとする気配もない。ちびムーンはやっとか、とため息をついて。

 蒼角を天へ伸ばし、前を見続ける細長い横顔を見つめる。

 

「ねぇ、あなたが……あたしたちを呼んでくれたの?」

 

 幻獣キリンから、返答はない。

 狩人がこのやり取りを見たら古龍相手に愚かしいと思うだろう。だが、彼女は真剣だった。

 いま、セーラー戦士たちの世界を救うには、2つの方法しかない。あちらの世界を滅ぼすか、それとも声の持ち主を見つけるか。

 ちびムーンにとっては、少しでも後者の可能性を拾うしか方法がないのだった。

 

「多分、いきなりこんなことされて怒ってるよね。でも、もしあたしの声が分かったらせめて返事だけでもして。お願い」

 

 彼女は透き通る銀白の鬣に顔を埋め呟いた。それでも、前を向いた彼から返事は返ってこない。

 そして束の間の安息も長く続かなかった。

 

「ヴヴヴオオ゙オ゙オ゙ォ゙オ゙ア゙オ゙ア゙オ゙オ゙オ゙オ゙ア゙ァ゙ァ゙ァァァァ……」

 

 身の毛もよだつ奇声が背後から聞こえた。続いて、破砕音が止むことなく耳に飛び込んでくる。

 ちびムーンは、反射的にキリンの鬣を強く掴んだ。

 細道が終わる。

 

 そのまま飛び出した彼らが目にしたのは、大通りの交差点だった。既に自動車は乗り捨てられ、逃げる人々は数少ない。

 キリンが真っ直ぐ突っ切ろうとしたその時、前方の空を黒い塊─四肢を丸めたあの猛獣─が飛び、電柱へとその身を激突させる。

 そのまま電柱は中折れ、キリンのゆく道を塞ぐように倒れた。

 

「ヒヒィィッッッ……」

 

 驚いたキリンは前脚を高く振り上げ、嘶きながら急停止。

 

「きゃあっ」

 

 乗っていたちびムーンは、その反動で後方へ振り落とされた。

 キリンの前方に、猛獣は再び立ちはだかる。

 

「グゥオ゙ォ゙ォ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙」

 

 しばし睨み合ったのち。

 キリンが先制攻撃で角を振りかざす。

 そこからの突進を、猛獣は横に胸を反らして避け。

 

 丸太のような腕で、幻獣の頭にある蒼角を掴みにかかった。

 

 一瞬、爪が引っかかる。

 しかしその瞬間、角に雷が落ちた。猛獣は弾かれたように後ろに跳んで一旦距離を取る。

 

「うぅ……」

 

 ピンクのツインテールを揺らしながら立ち上がるちびムーンに、程なくして外部太陽系戦士たちが駆けつけた。

 

「ちびムーン!」

「スモールレディ、怪我は!?」

 

 サターンとプルートが急いで彼女を助け起こす。

 

「大丈夫よ。それより……」

 

 ちびムーンは、眼前でしのぎを削る白銀の獣と漆黒の獣を見上げた。

 猛獣は邪魔な自動車を豪腕で殴り飛ばし、転がりながら吹っ飛ぶその横を霊獣がすり抜ける。霊獣が放った雷がガードレールを焼き、乗り捨てられたトラックにも直撃、火花を散らす。

 

 そこに向けられていた視線は、前に出てきた複数の影に移る。ウラヌス、ネプチューン、プルート、サターンの4人だ。

 彼女たちは厳しい視線で、それぞれの得物を構えていた。

 

「何してるの、みんな」

 

 その眼差しは、2体の獣両方に向けられている。次第に彼女たちの方向に吸われるように風が吹き、輝くエナジーが収束していくのがよく分かった。

 

「待って! まだあの白い子のこと、何もわかっていないじゃない!」

 

 これからやろうとしていることを理解したちびムーンは、必死に呼びかける。だが、彼女たちは手を下げようとしない。

 

「……僕たちの使命は、この街を護ることだ」

「これ以上の破壊と脅威を、見過ごすわけにはいかないわ」

 

 ウラヌスとネプチューンは前を向いたまま表情を見せず、手元に光を纏わせていた。白杖に風を纏わせるプルートだけは横目をちびムーンに向け、眉を下げていた。

 

「スモールレディ。あの白き獣は我々に敵意を懐いているうえ……許容できる範囲を遥かに超える被害を齎しています」

 

 背後で爆発音が鳴った。

 ちびムーンが振り向くと、夥しい黒煙が上がっている。遠く悲鳴のようなものさえ聞こえた。

 

「……放つのは、動きが止まった時よ」

 

 サターンは沈黙の鎌を真っ直ぐ構えたまま呟く。

 その瞳は暗く、淀みのある黒に染まっていた。

 鎌の先からは、破滅のエナジーが溢れ出している。

 

 獣たちの攻防は烈しさを増していた。交差点の信号が落雷で次々と破裂し、ガラスの雨が黒い獣を打つ。

 しかし彼は潔く諦めない。執拗に腕を振りかざし幻獣の角を狙う。

 そんな相手に対し、幻獣は距離を空け、一際大きく嘶いた。角が青白く光る。

 見えすいた罠に、猛獣は愚直に突進。

 待ち伏せた巨雷がまさに、脳天に真っ直ぐ突き刺さった。

 半径数mを灰燼と化した雷の鉄槌は、猛獣の全身を包み込む。

 

「ヒヒィィン……」

 

 轟音、煙と共に沈黙が訪れる。

 幻獣キリンは古龍の威厳を見せるように、静かに佇んだ。

 

 その顎に突如として拳が伸び、下から真っ直ぐ打ち抜いた。

 

 怯んだ幻獣の額にある角を、巨猿が遂に掴む。

 幻獣の必死の抵抗にも全く屈さない。雷を何度も撃たれるが、怯みすらしない。

 頸を羽交い締めにして拘束を固め、角を右手で掴み、それに向かって大きく、口を開けた。

 

 数秒後、それまでにない規模の雷光とあらゆる色の光を伴った爆発が重なった。

 

 最後に万物を消滅させる黒い球が炸裂、交差点の中央に拡がる。

 

「…………」

 

 ちびムーンは膝から崩れ落ちたまま、闇が薄れ、交差点中央に出来たクレーターを光を喪った目で見つめていた。

 すべてが──あらゆる意味ですべてが終わったような。

 

「……っ」

 

 しかしちびムーンは、ある気配に気づき5階建てのビルの屋上を見上げた。他のセーラー戦士も同様。

 黒く蠢く影が、その逞しい腕に蒼いものを掴んでいる。

 

「そん……な……」

 

 握られる物体の正体を知ったちびムーンの絶望は、先より更に深いものとなった。

 キリンの角だ。

 漆黒の獣は幻獣の角の半分を折り取り、跳躍することで爆発範囲から逃れたのだ。

 そのまま、丸ごと齧る。

 

 すると変化が起きた。

 

 額の辺りの鬣が、黒とは無縁な金色に染まっていく。

 真っ赤な目は何かに目覚めたかのように更に見開かれ、雷に焼かれたのが原因と思われた巨躯からの蒸気が更に激しさを増す。

 黄金は額から頭へ、頭から腕へ、腕から背へ、背から尻尾へ。

 頭から背にかけての体毛が金に染まると共に逆立ち、怒髪天を衝き、金色の翼を開く。

 先までいた黒い獣は既にそこにはおらず、眩いばかりの黄金が、己こそ真の姿であると宣言した。

 漆黒の貪欲な猿は、黄金の猛々しき獅子へと生まれ変わった。

 

「ウラヌスッ」

「仕留め切れなかったかっ!!」

 

 すぐさま、ウラヌスとネプチューンが光弾を掌から弾き出す。だが、黄金の獅子は撃たれた瞬時に跳び上がった。光弾はビルの縁で虚しく爆発する。

 獅子は光り輝く流星となって天を穿き、別のビルの屋上を破砕しながら着地。セーラー戦士たちへ振り直ると口を開け、胸を張り、息を吸う。

 口内が黄金の光に充たされる。

 

「ォ゙ボア゙ア゙ォ゙ア゙ォ゙ア゙ォ゙ア゙ォ゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ッッ゙ッ゙ッ゙ッ゙ッ」

 

 黄金の暴風雨が、その口から奇声と共に放たれた。

 

「!?」

 

 視認できるほどの光熱が真っ直ぐに路面を撃ち抜く。アスファルトを一瞬で蒸発させ、車を爆発四散させ、それがセーラー戦士たちへも迫る。

 

「ちびムーンっ!」

 

 路上で呆然とする彼女を、サターンが支えながら逃げる。他のセーラー戦士も咄嗟に跳躍し、回避する。

 やがて光線は止んだ。

 交差点は溶かされ、紅い尾を引いていた。自動車のいくつもが炎上し、電柱も複数薙ぎ倒されている。

 

「……あの獅子は、私たちを狙っています」

 

 プルートはちびムーンの前に立つと、白杖を持ち直し、路上に降りてこちらを睨む獅子を見据えた。

 

「私たちが引き付ける間に、スモールレディは神社へ戻って下さい!」

 

 戦士たちは敢えて獅子の横をすり抜けて東へと引きつける。あちらも挑発に乗り、四肢を躍動させて彼女たちの後を追った。

 

 ちびムーンはただ1人、瓦礫の散乱する戦場跡に置いて行かれた。

 

──

 

 金獅子ラージャン。

 狩人たちの世界では『超攻撃的生物』『破壊の権化』の異名を持ち、牙獣種でありながら古龍に匹敵する実力を持つ古龍級生物としてその名を轟かせている。

 

 思考は実に単純明快。

 眼の前で動くモノは全て敵と見做し、圧倒し、粉砕する。

 名を知らない彼女たちでも、その尋常でない闘気は感じる事ができた。

 ビルの頂上から包囲し、地上にいる金獅子を見下ろす。

 

 不幸中の幸いか相手がセーラー戦士たちを狙いに定めてくれたおかげで、放棄された区域に誘導することができた。人的被害は最小限に留められる。

 しかし地上を歩く目標を待ち伏せるウラヌスは、決して楽観的ではなかった。 

 

「……あのペガサスに似た生物が古龍だったとすれば、あいつはそれを超える可能性がある」

 

 ネプチューンが見回すが、やはり周囲には誰もいなかった。人がいないのはいいことなのだが。

 

「……バゼルギウスの時のようにはいかないわね」

 

 あちらの世界からの援護は期待しようもない。この圧倒的な相手に対し、今回はセーラー戦士だけで戦わなくてはならないのだ。

 

「行くぞ!」

 

 2人は合図とともに光弾を発射。意識範囲外からの不意打ちを狙った。

 しかし、即座に気付かれた。

 ラージャンはビルの間を脚力だけでかっ飛び、壁面を三角跳びで蹴り渡る。常軌を逸した機動力で、光弾の嵐を尽く掻い潜る。

 ビルの屋上に至るまでの高度を10秒足らずで稼ぎ、着地。近くにあった給水タンクを引き千切り、別のビルの屋上にいるプルートへ投擲。空中に跳び上がると奇声をあげ前転突撃、全身で彼女を圧し潰しにかかる。

 

 それも躱されたとみるやすぐさま飛び込んで殴りつけようとするが、下半身の太股辺りで水の爆発。ラージャンは派手にぶっ飛び、石畳を砕きながら踏み止まる。

 ちょうど近くにあったマンションの屋上に、彼を見下し海色の髪を波のように靡かせる戦士の姿があった。

 

「力で敵わないのなら……策で上回るのみ!」

 

 プルートが敢えて囮となり、ネプチューンが意識外から狙撃したのだ。効果はある。

 ネプチューンを見据えたラージャンは、四肢を屋上に固定し、再びその口から黄金の光線を吐き出した。狩人たちから『気光』と呼ばれる波動の塊だ。

 破壊力は凄まじく、彼女が跳び上がったビルの屋上が一瞬で蒸発する。気光は貫通して、更に後方にあったビルにも直撃。融けたガラスの破片を撒き散らし大穴を開けた。

 

「お前がその気なら、これで行かせてもらう!」

 

 気光を吐くため無防備になったラージャンの頸に、朱く揺らめく湾曲した刃が突き立てられる。

 持ち主は飛翔の戦士セーラーウラヌス、構えているのはスペース・ソードだ。

 刃の周囲に鋭く張り巡らされた高周波は、黒毛と皮膚を容易く斬り裂いた。

 

 ラージャンは拳を振り払ったが、ウラヌスはその動きを予知して素早く離れる。

 

 とにかく、金獅子は桁外れの筋力と素早い動きが厄介だった。戦士たちは近距離戦を避け、複数人からの集中狙撃を中心に立ち回る。

 何度か攻撃しつつ観察したところ、頭や尻尾が弱点であると判明。剣も問題なく通る。つけいる弱点は確かにあった。

 

「しかし……」

 

 ウラヌスは、沈みゆく夕陽と遠くに揺らめく黒煙に目を細めた。

 現在は昼下がりから夕方に移る頃合い。午前にあったバゼルギウスとの戦いからほぼ連戦という状態である。その疲労ゆえか、ここに来て彼女たちはやや動きに精彩を欠くようになっていた。しかもビルの屋上を中心に戦う以上、視界を夕陽が塞ぐ危険もある。

 

 一刻でも早く決着をつけねば。

 そうウラヌスが思い、再び剣を構えた瞬間だった。

 ラージャンが後ろ脚で立ち上がり、腕を振り上げる。

 

「ゥ゙ゥ゙ォ゙オ゙ォ゙ォ゙ォ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙ッ゙ッ゙ッ゙ッ゙ッッ!!!!」

 

 吠えると同時、目に見えるほどの衝撃波が拡がり、腕に血流が漲り、筋肉が一層肥大する。発達した胸筋を拳で叩き、自己を顕示する。

 充血した腕から噴き出す熱気が、彼を取り巻く空気を変えた。

 

 金獅子が次に一歩を踏み出した直後、戦士たちは常識を外れた力動的空間の中に放り込まれる。

 

 地上にあったトラックを、ウラヌスの方向へ殴り飛ばす。彼女が信号機に跳び乗った直後、ガソリンスタンドに突っ込み爆発、炎上。跳び上がりざまに会社の看板を引き千切ると近くの歩道橋に飛び移っていたネプチューン目掛け、片脚で蹴り飛ばす。その勢いのまま前転、筋肉の巨弾となって、プルートが足場にしていた人家を1軒丸ごと寸断する。

 一連の動作にかけた時間、約7秒。

 反撃として放たれた光弾による狙撃すら、横っ飛びと跳躍により巧く避けた。瞬発力までも跳ね上がった今のラージャンは、まさに破壊の権化であった。隙などあったものではない。

 

「なんて出鱈目な……」

 

 ネプチューンは、眼の前で行われる大破壊に狼狽を隠せなかった。

 相手は完全に流れを支配している。初めて見る現代の街並みに一切困惑することなく、むしろ最高の戦場として利用している。

 

 金獅子は付近に地下鉄への入口がある通りに着地すると、自動車、並木、歩道柵、ガードレールなどの区別もつけず手当たり次第に更地にし始める。それだけに留まらず、何が気に入らないのか手当たり次第に路面まで叩き壊し始める始末だ。

 それを見たウラヌスは、仲間たちと同じく顔を真っ青にした。

 

「まずいっ……」

 

 彼女は、カラフルな宝石のついた宝剣を両手で顔の横にくっつけ、腰を落とし、前方へと差し向ける。

 

「……真正面から、頭を!!」

 

 まだ金獅子がこちらに気づかないうち、彼女は駆け出した。

 何よりも速く、何よりも鋭い斬れ味で、頸か頭を。

 突く、と思われた。

 掲げられた拳が、刃を弾いた。

 

「硬い……っ」

 

 奇襲に気付いた金獅子は、周囲の地面を回るように殴りつける。

 ウラヌスは一旦退くも、ちょうど相手から同じ距離に来た仲間がアイコンタクトを取ってきたことに気づく。

 すぐに、彼女たちの意図を察する。

 

「……こうなったら……っ!!」

 

 金獅子が睨んでいるうちに、10m離れた包囲網を形成する。大まかに言えば正面、背後、頭上の3面だ。

 そこから、敢えて3人同時に近づく。

 彼女たちはそこから一瞬でエナジーを充填し、一気に、同時に対処不可能な距離から同時に光弾を放った。

 これで、どれか1つは必ず金獅子に大打撃を喰らわせられるはず。

 

 しかしそれを見た金獅子は、その場で四肢を駒のように回転。

 膨張した拳のみで、光弾を弾き返した。

 

「なっ……」

 

 反射された弾は、マンホールごと道路のアスファルトを粉砕。

 

「……!」

 

 ひび割れた路面の隙間から、微かだが声が届いた。

 それを認識したラージャンは、闘気の漲った両腕を開き、唸ると、高く跳び、両拳を握りしめた。

 

「やめっ……」

 

 プルートの制止など聞くわけもなく。

 上空から、撃砕。

 道路に薄氷の如く数十mに渡って亀裂が走る。

 崩壊。

 路面が爆ぜた所為で、金獅子の身体は戦士たちも巻き込んで地下街へと雪崩込んだ。

 

「しまった……っ!」

 

 瓦礫の中頸を振るラージャンが見つけたのは、地下道の端で沈黙の鎌を支えにするサターンの姿だった。彼女は3人に戦闘を一旦任せて隠れ、エナジーの回復に務めていたのだ。

 金獅子は地面を蹴り出す。そのまま角がサターンの腹に突き刺さると思われたが。

 

「逃げろ、サターン!」

「ウラヌス……!?」

 

 その拳に、飛翔の戦士が宝剣を叩きつけた。

 低く唸ったラージャンは、2人をまとめて吹き飛ばそうと左右を交互に殴りつける。ウラヌスはサターンを大きく横方向へと突き飛ばし、自身は引きつけるように後方へ。

 しかし最後に金獅子が地面へ拳を叩きつけたのが、彼女の運命を決めた。

 

 それはいつか、凍土で相対した恐暴竜の時と同じ。

 足下から襲い来る振動に彼女の細い脚は耐え切れず、大きく身体が落ち込んだ。その隙を狙い、金獅子が両腕を広げる。

 

 直後、身体を丸ごと掴まれた。

 

「ウラヌスッ!!」

 

 ウラヌスを掴まえたラージャンは、何度も地面に彼女を叩きつける。

 抵抗しようがない。

 ネプチューンとプルートがすぐ攻撃を加えるが、ラージャンは大跳躍することで一瞬で地下街を脱する。

 その生きた金色はひとっ飛びで、地上を越え、信号機を越え、電灯を越え、電柱を越え、高級住宅の屋根へ着地する。

 

「はな……せっ……」

「ウホウホウホウホウホッッ」

 

 抵抗の声も届くわけはなく、ラージャンは黒く深い眼窩に真っ赤な瞳であちこちを見回す。

 やがて20mほど離れたある場所に目をつけ。

 右拳のなかにあるウラヌスに咆え、大きくその拳を振りかぶった。

 

 1秒後、彼女の身体が音速すら追い越さん勢いで20階建てマンションの窓ガラスを突き破った。

 

──

 

 斜陽が白い部屋を朱く染めていた。

 周囲にはガラスが散乱している。

 一つ何十万するであろう高級家具が並び、フローリングは鏡かと見紛うほどに磨き上げられている。少し離れたところには小粋な白いソファが鎮座している。

 いわゆる「億ション」と呼ばれるマンションだ。

 今頃、怪物による避難の影響で価値は大暴落しているだろうが。

 

 ウラヌスは床に転がったまま動けなかった。セーラースーツが無ければ即死だっただろう。

 意識朦朧とした瞳で、彼女は純白の天井を見上げる。

 

「そういえば……こんなとこに住んでいたっけ」

 

 そこはかつて2人が住んでいた部屋に似ていた。

 はるかは天才レーサー、みちるは著名なヴァイオリニストで。毎週、自家用車で浜辺へドライブに行っていたあの日々。

 パトロンのお陰で生活には困らなかった。毎日のように彼女たちの一挙一動は新聞や雑誌、テレビで取り上げられ一世を風靡。世間の誰もが2人の環境と才能を羨み、あるいは妬んだ。

 

「……もっと、贅沢……しときゃ、良かったか」

 

 過去を振り返ったウラヌス──はるかは、小さく呟くいたのち激痛に顔をしかめる。

 金があるからいつも幸せとは限らない。いつだって光の裏には、泥臭く血に塗れた使命のための戦いという陰があった。

 何の見返りもない、人に取り憑く妖魔を祓い続ける孤独な戦い。一歩間違えれば自分たちが死ぬか人を殺す。そんな生活をみちると共に続けていた。

 

 そしてあることに薄っすらと気づいた。

 

 あちらの世界でも、やっていたことはさほど変わらない。村を護るためという名目で『狩人』という役目についていた。

 むしろこの街こそ、自らに課せられた使命として真に護らねばならない対象のはず。

 

 それなのに。

 

 彼女はこの部屋を見るまでこの世界での時間のほとんどを忘れ、驚くほど関心を失っていた。

 

「ウラヌス!」

 

 彼女にとって誰よりも聞いた声が薄暗い室内に響いた。

 ぼんやりとした眼差しだが、大海の波のようにうねる髪を視界に捉える。

 

「今はプルートとサターンが食い止めてくれてるわ。今のうちに退避を……」

 

 ネプチューンが傷だらけの手首を掴んで持ち上げかけた。それでも力が入らないのを見て、彼女は視線を険しくした。

 

「……死にたいと思ってるわね、はるか」

 

 ウラヌスは目を背ける。ネプチューンは、その腕を掴んだまま視線を追いかけた。

 

「……それは、君もだろう」

「貴女がよくても私が許さないわ。私たちは」

「みちる」

 

 反駁する相方の言葉を遮り、ウラヌスは呼吸を整えつつ呟く。

 

「思うんだが……僕らはいったい……()()()()人間なんだろう」

 

 唇から弱々しく苦しげに零れてきた言葉にネプチューンは目を見開く。彼女は、半ばウラヌスに被さった形で黙ったままだった。

 

「ヴヴヴォ゙ォ゙ォ゙オ゙ォ゙オ゙ォ゙オ゙ォ゙オ゙ォ゙オ゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ッ゙ッ゙ッ゙ッッ!!!!」

 

 荒ぶる獅子が奇声を上げて残った窓ガラスを割り、身体を丸めたまま突っ込んだ。

 四肢を解くと、天井に届くほど豊穣な黄金の鬣を靡かせ、角で壁を抉り、床を踏み割り、眼下にいる2人を睨む。

 

「……決まってるわ。私たちは」

 

 答えの続きはなかった。

 ネプチューンは俯いたまま続き表情を喪って。

 涙を頬の上に伝わらせ、相方の頬へ落とし。

 白長手袋に包まれた掌を握りあった。

 

 金獅子は人の背ほどある拳を握りしめ、咆えて涎を撒き散らす。

 背を向ける少女たちは抵抗も見せず、互いの温度を確かめ合うだけ。

 狂獣はお構いなく、後ろ手に構えた充血した拳をちっぽけな2人に振り下ろそうとした。

 

 青白い雷が落ちた。

 

 金獅子の真っ赤な瞳が横を向く。

 それだけで少女たちへの関心は失われ、その場に拳が置かれた。

 代わりに出っ張った鼻をひくつかせ、くんくん、と臭いを嗅ぐ動作をしたのち。

 

「ヴォ゙ォ゙ォ゙ォ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙ッ゙ッ゙ッ゙ッッ」

 

 窓から飛び出し、雷の落ちた方角へとビルを乗り継ぎながら奇声をあげて吹っ飛んでいく。

 

 後に残されたのは、倒れた観葉植物、粉になったガラス、破かれたソファ、砕かれた家具。

 そして、横に身を寄せ合う傷だらけの少女2人。

 

「……使命は、私たちを逃してくれないようね」

「……そのようだな」

 

──

 

 女たちが荒ぶる獣と戦っていた頃、男たちは神社で夕暮れを見ることしか出来なかった。

 

「……じゃあ、あんたは俺たちに、あくまで何もせずここで待っとけっていうのか?」

「そういうことだ」

 

 影の長くなった鳥居の前。

 タキシード仮面の答えに、朽ちた竹槍を持つ装束姿の男、雄一郎は不満を溜め込んでいた。

 宮司であるレイの祖父は、懸念の表情で両者のやり取りを見ている。

 

「俺は前までのひ弱な俺とは違う! その気になればあの猿だって……」

「そんな武器では無理だ」

「なんで分かる!?」

 

 彼とはずっと口論を続けていた。無謀を叱ったり、宥めすかしたり。それでも、男は恋する少女に誓ってあの怪物に挑むと言って憚らなかった。実際、白馬相手には巧く立ち回れていたから話がややこしい。

 タキシード仮面は、ある覚悟を決めて語りだした。

 

「私たちが、『あちらの世界』を見たからだ」

「あちらの……世界だって?」

 

 雄一郎にとっては初耳であることを確認すると、タキシード仮面はあちらの世界で見たことを語った。

 その目で実際に見たすべてを。狩人と怪物たちが繰り広げる、凄まじい生存競争のあらましを。

 

「……人の背を超える馬鹿でかい剣を?」

「言っておくが、彼らは少なくとも君ら10人分の腕力がある。今の君たちが束になってかかっても押し倒すことすらできないだろう」

 

 このことを言うのを迷った原因は、バゼルギウスでの一件だ。一般人にとって、あちらの世界は未知そのもの。いらぬ不安を掻き立てる可能性がある。

 だが、それでも言わねばならないと彼は腹を括った。

 

「逆に言えば、怪物たちはそんな者たちが数人がかりで挑んでやっと倒せる相手だ。君はそんなとてつもないモノにたった2人で挑もうとしている」

 

 雄一郎の髪に隠れた瞳に惑いが生まれる。それを見たレイの祖父は、手に持っていたのこぎりをその場に落とした。

 

「やめよう、雄一郎」

「……お師匠、そんな」

「ふと、レイが戻ってきた時に果たして今のお前を見て喜ぶのか、と思ったのじゃ」

「……」

「ワシだって怪物どもは憎い。気持ちはよく分かる。じゃがワシらがあの子の無事を願うように、あの子も同じくらいこちらのことを思うとるんじゃないかの」

 

 雄一郎は黙り込み、悔しそうに歯を噛み締める。タキシード仮面はその肩を持つ。遂に雄一郎は、その手から竹槍を手離した。

 

「今はただ……待つんだ。自分が役に立てることは何かを考え、その時を逃さないようにする。今、できることをするんだ」

「俺にできることなんて、一体」

「……みんな」

 

 声に導かれて見ると、小さな少女が、鳥居を潜ってすぐそこにいた。タキシード仮面が迎えに行くと彼女も走り、境内の中央で再会を果たす。

 

「……ちびムーン、無事か!? 後の者は?」

「えぇ。みんなはあの猿と戦ってるわ」

「いまの状況はどうだ?」

「正直、厳しそう」

 

 俯いて首を振るちびムーンを見て、男たちは信じられないと言いたげな顔をする。

 

「セーラー戦士でも敵わないってのか……?」

 

 その時、雷が落ちた。

 次の瞬間、境内には確かに幻獣キリンの姿があった。

 近くにいた男たちは、死んだと思われた獣の再登場に腰を抜かす。

 

「ま、ま、また現れおったか!?」

 

 一方のちびムーンは、思わずキリンの方へ駆け寄りかけた。

 

「……生きてたのね!」

 

 しかし角の中折れた幻獣は、赤い瞳でこちらを牽制。タキシード仮面はそれを察し、ちびムーンを引き下がらせた。

 

「ク、クソッ、こうなったらもう一度……」

「待って!」

 

 セーラーちびムーンの呼びかけに、竹槍を拾いかけていた雄一郎は、今度は素直に振り向いた。

 

「絶対にとは言えないけど……あの子は、あたしを逃してくれたかも知れないの」

「……あ、あいつが……味方だって言いたいのか!?」

「少なくとも敵じゃないことは、いま証明されてるわ!」

 

 雄一郎だけでなくレイの祖父まで彼女の意見に驚愕するが。しばらくして、タキシード仮面があることに気づきキリンを見据える。

 

「確かに……彼に敵意があるなら、既に攻撃してきているはず」

 

 男たちは、もう一度キリンの方を向く。確かにあの獣は先ほど彼らに小突かれたはずなのに、一向に敵意を見せてこない。

 

 幻獣はじっとこちらを見つめたまま、耳を一回、巡らすように動かした。

 そこからしばらく、睨み合いが続いた。日もいよいよ地平線に沈み始める。

 

「いったい何をしたいのじゃ、アヤツは……」

 

 レイの祖父が戸惑っていると、遠く奇声が聞こえた。

 突然上空から黄金の弾が乱入して、境内に着地とともに既にボロボロの石畳を再び粉砕する。

 金獅子ラージャンだ。

 

「ひいっ!?」

 

 男たちは驚きを隠せない様子だ。しかし、更に驚くべきことが起こる。

 キリンが、ちびムーンとタキシード仮面の後ろへと歩いて割り入ってきたのだ。

 それを見た彼女たちは顔を見合わせると、男たちを遠ざけ、自ら進んでラージャンの行く手を阻む。

 

「な、な、何をする気だ!」

「この子のことを信じてみたいの!」

「大丈夫だ。いざという場合、逃げる用意はしてある。君たちも、今のうちに隠れるんだ」

 

 彼女たちは不動であった。なんと幻獣キリンも、雷を降らせることはしない。

 わざと半分に折れた角を揺らして見せびらかす。

 ラージャンは、しばし顎をゆっくりと回したあと。

 

 後肢で石畳を蹴り出した。

 

 そのまま人間たちも薙ぎ倒さんと、直進のままスピードを上げる。

 そこへ、タキシード仮面がちびムーンを抱えあげ横に跳びながらステッキを伸ばした。

 突然眼の前に伸びてきた得体の知れない物体を、金獅子は瞬発的に身体をねじり、回避。

 

 次の一歩を踏み出した彼が見たのは、背を向けた幻獣の姿だった。

 

 キリンが後方へ蹴り出した踵が、ラージャンの顎を直撃。それは見た目以上に凄まじい威力を放ち、一時ラージャンの身体が中を浮く。

 一時的な脳震盪を起こしたのか、金獅子は何とか着地するもふらつく状態に。

 

「サイレンス・グレイヴ・サプライズ!」

 

 透き通る声が鳥居の方から木霊した。

 突き出した二叉の鎌の先から放たれた破滅のエナジーが、転がり倒れる金獅子を今度こそ捉える。

 

「ヴヴヴォ゙ォ゙ォ゙ォ゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ッ゙ッッッ!?!?!?!?」

 

 絶叫とそれを包む暗闇が、境内の真ん中に拡がった。

 残滓の消え去った後にはクレーターだけが残り、あの恐ろしい猛獣は跡形もなく消滅していた。

 その向こうにいたのは、セーラーサターンとセーラープルート。

 

「間に合って、良かった……」

 

 エナジーを使い果たしたサターンが、思わずその場に崩れ落ちる。プルートも白杖を付きながら崩れ落ちるあまり、緑髪を地面へ垂らす。

 

「てっきり単身で戦うつもりと思っていたが……これを狙っていたのか」

 

 タキシード仮面はステッキを胸元にしまった。

 成り立ったのが奇跡とも言える、一瞬の決着だった。

 

 先ほどまでちびムーンの隣にいたキリンも、いつの間にか消えていた。

 まるでそこにいたのが幻かのように。

 

「ほ、本当に、助けてくれた……?」

 

 雄一郎は、呆然としてそう呟く。

 

「単純に私たちが都合よく利用されたのか、それとも……」

 

 プルートは、もう少し現実的な解釈を述べた。身を挺して彼女たちを助けたとも、能力を利用して天敵を倒したとも見える。

 

「……何とか、倒せた……か」

 

 プルートの隣、ネプチューンに抱えられ今しがた鳥居に到着したウラヌスが、一言を添えた。

 

 ごろごろと、遠く雷が鳴る。

 

 またあの獣かと予想した人間たちが空を見上げるが。

 その顔を照らしていた夕陽が陰る。

 彼らの視線の先、鳥居の向こうで。雲が速く流れ、黒雲が主役になり始めていた。

 一際冷たい風が頬を撫でる。

 

 嵐が来ようとしている。




予想通りジンオウガさんが1位だったけど新参のネルギガンテが2位とは意外だった。海外も入ってるからかもしれない。
そして色々と展開が忙しかった今回のエピソード。2話で終わるよう結構頑張って詰め込んだけど性急な展開になっちゃったかもしれない。(でも多分次の外部エピソードがまた4話になる……)


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飢え渇く獣らは黄泉にて嘶く①(☽)

陸珊瑚の台地にて、妖魔ウイルスという災いの一端を再び掴んだセーラー戦士たちは、テルルとビリユイの策略により瘴気の谷へ落とされたのだった…。


 澱んだ空気の腐臭で、うさぎは目を覚ました。

 

「う……ひっどい臭い……」

 

 薄目を開けたうさぎの視界に、蠢く血色の爪が見える。その向こうには、ひっくり返った連絡機の無残な残骸。

 どうやら彼女たちは、連絡機が壊れた拍子で地面に投げ出され、気絶したようだ。

 ということは、ここは。目の前にいるのは。

 

「……ギルオス!」

 

 うさぎは積み重ねた狩人の勘ですぐさま覚醒して起き上がり、叫んだ。まことや美奈子は既に立ち上がり武器を構えている。

 周囲を囲むのは、四肢のついた蛇のような姿をした蒼緑の体表を持つ生物の群れ。ギルオスと呼ばれる、麻痺毒を含んだ牙で襲ってくる牙竜種だ。

 慌てて彼女たちは武器をぶん回した。後から起きたレイや亜美も加わる。彼らの一部に攻撃を喰らわすと、深追いすることはなくすぐ背を向けていった。

 

 ギルオスたちを追い払ったあと、うさぎたちは頭上を見渡す。

 厚い雲が灰色に空を覆い、入り組んだ茶色の岩場が様々な形に頭を伸ばす。

 

「う、うわっ!?」

 

 ふと足下を見たまことが思わず脚を除けるも、その足裏が付いたところからも急いで脚を除け、やがてそれが果てしない作業となることに気づく。

 大地は、無数の骨に覆われていた。

 

「瘴気の……谷」

 

 誰もが初めて見る地獄の底にも似た醜悪な光景に眉をひそめるなか、亜美が辛うじてその名を口にする。

 陸珊瑚の台地の地下に広がる瘴気の谷。

 うさぎたちはそこで、孤立無援の状態になったのだ。

 

 取り敢えず救難信号は打ち上げたものの、アステラから大蟻塚の荒地までしか翼竜が飛ばず研究基地から繋がる連絡機が壊れた状態ではもはやどうしようもない。

 彼女たちは骨肉の絨毯が広がる土地を踏み、何か手がかりはないかと歩み始めた。

 

「……ハンターノートで知ってはいたけど、こんなにおぞましい所だなんて」

 

 近くにあった高台に登ったレイは、未だに青い顔で広がった景色を見つめた。

 

 地表近くには黄土色の腐敗ガスが溜まり、人の頭くらいの大きさの蜘蛛が骨の間を徘徊し、僅かに残った腐肉をニクイドリと呼ばれる黒い鳥類が啄んでいる。少し遠くを見れば、大蛇の頭骨に似た巨大な岩が風化しかけている。

 

 色彩豊かな珊瑚と光に囲まれ、ともすれば天国を想起させた陸珊瑚の台地とはおよそ真逆の風景だった。

 一面中に漂う死の臭いに普段活発なうさぎと美奈子でさえも言葉を失い、携帯した回復薬や携帯食料を口にする気力すら失せていた。

 

 ともかく、この地にいるという女性、フィールドマスターの救出が研究基地から預かった第一目標である。

 気晴らしの意味も込め鎌の切先のような突起が生えた奇妙な回廊を通り、岩棚を渡り歩く。しかし、それでも1つとして骨の見えない土地はない。

 ツタが一面を覆う岩棚に来た時に風が吹き、思わず美奈子が蝶素材でできたファルメル装備を必死にさすった。

 

「ううっ……さっぶぅぅぅぅっ!!」

「しょっ、瘴気の谷ってこんな気候だったっけ!?」

 

 うさぎも横でがちがち歯を鳴らして同じようにする一方、レイは足下で時間が止まったように群れで縮こまるカブトガニを見ていた。

 

「多分……違うわよね」

 

 どうも、生物の動きも鈍いように感じられた。亜美とまことが、岩棚の際から暗い谷底を覗き込む。

 

「下から風が来てる気がするわ」

「てなると、原因はそこかな」

 

 この谷に来た彼女たちのもう一つの目標は、異変の調査だ。実際、災いまで残された時間も少ない。救援を待つまでもなく、次に目指すところは決まっていた。

 

 今度は逆に下層へ向かう。最初に落ちた地点を通り過ぎ下り坂を過ぎると、先の上層部を天井とした暗い洞窟が口を開ける。その入口から、黄土色の澱みがより濃くなる。

 

「けほっ、けほっ……」

「確かこれが『瘴気』……」

 

 澱みに入った少女たちは、喉に焼かれるような痛みを味わった。

 この靄の正体は屍肉や生物を分解する肉食の微生物、即ちバクテリア。空気中に棲まう彼らは人体にとっても有害で、獲物を内部から少しずつ蝕むのである。セーラー戦士の力で中和してもなお喉の痛みは酷いものだ。

 できる限り、息を止めて進む。しかしそうそう進まないうちに彼女たちは息を吐き出しそうになる。

 血溜まりだ。

 上層以上に生々しく夥しい骨、それにこびりついた肉片が床を埋め尽くし、それが壁にまで堆積物として突き出している。

 

「うっ……!」

 

 前に向き直った少女たちはますます戦慄した。

 一点に、大量の蠢くモノが群がっている。

 そこにあったであろう死骸はもはや原型を留めていない。ニクイドリ、ヘイタイカブトガニ、スカベンチュラ、ウロコウモリ、ギルオスといった生物たちが我先にと僅かに残った屍肉を争っている。

 

「何て……おぞましい……」

 

 喉の痛みすら忘れて亜美が呟いた時だった。

 乱入者が現れる。

 ナイフのように鋭い四肢の爪が地上の血と骨を蹴散らし、餌場へと飛び入った。

 

「アオオオオオォォォオオオオオッッッッ」

 

 血のように赤く、一際大きい体躯を持つ犬のような生物が死骸を踏みつけると、鎌首を持ち上げ異様に甲高い咆哮を上げた。

 それを見た群衆は、何の抵抗もせず地へ空へと散らばった。

 凶犬は肋骨の中に口を突っ込み、既に食い荒らされた内臓に猛然と食いかかる。

 

 その姿をはっきりと捉えた少女たちの顔が恐怖に引き攣った。

 皮膚と呼ばれるべきものが見えなかったからだ。

 一言で表現するなら、全身の皮を剥がされた狼である。

 全身が血塗れた色の筋繊維に覆われ、爪は見間違いではなく1()0()()が肉を引き裂き、全く動きも瞬きもしない緑の小さい瞳が光り、剥き出しになった牙が屍肉を咀嚼する。

 

 惨爪竜オドガロン。

 それが、彼女たちが研究者たちから調査にあたって気をつけるよう注意された眼の前にいるモンスターだ。属する分類は牙竜種。

 

 やがてオドガロンが鼻をひくつかせた。前方を向いて、それまでいなかった新入りを捉える。

 

「……目、つけられたわ」

 

 息を潜めながらレイが呟くと、仲間たちはそっと武器に手を添える。

 予想の斜め上をゆく容貌にずっと驚いている暇はない。

 餌を横取りしにきたと思ったのだろうか。今の惨爪竜は凄まじく機嫌が悪いようであった。

 

 先制はあちらからだった。

 飛びかかると同時に空中から爪を振りかざす。

 うさぎたちは一斉に散らばり、その一閃を避けた。

 

「ごほっ、げほっ!!」

 

 少女たちは、地表を転がった拍子に咳込んだ。

 ここは瘴気が支配する洞窟。本来なら、明らかに人が戦うべき場所ではない。

 

「くっ!」

 

 レイは炎燃え盛る太刀を引き抜き、ぶん回した。すると、その周囲だけ瘴気が晴れ、彼女は何とか息が出来るようになった。

 それを見た亜美はあることを思い出して近くの骨をまさぐり、赤色の小さな石を見つける。

 

「みんな! 松明弾を撃つわ!」

 

 そう宣言するとスリンガーにその石を装填し、仲間たちの周囲へ数個発射。それらが衝撃を受けると火花を散らして着火、火種となり、周りにあった瘴気を払った。

 瘴気に住む微生物は火や熱に弱いため、こうやって一時的な安全地帯を作ることが出来るのだ。

 亜美は特に瘴気の谷の環境について事前にハンターノートを読み込んでいたため、すぐこのことを思い出したのである。

 

「ありがと、亜美ちゃん!」

 

 うさぎは礼を述べつつ、引き続きオドガロンへの対応を急ぐ。

 惨爪竜は素早く縦横無尽に骨肉の海を駆け回る。

 少し離れたところにいたまことに向かって深く踏み込んでの噛みつき、それが躱されれば振り返っての二連撃。

 ちょうど眼前にいたうさぎに対しては前脚の爪を伸ばし、避けたところにあった地面ごと引っ掻くことで深い傷を残す。

 そして攻撃の隙は、即座に別の目標へ駆け寄ることでほぼ潰される。回避と攻撃を繋げることで狙いを付けさせず、包囲を乱さんとする動きだ。

 

 しかし、うさぎたちも古龍を制した狩人。この牙竜を前に過剰に恐れ慄くような真似はしない。

 ガンナーである亜美と美奈子はしっかりと動きを見て風を切る惨爪を避け、氷結弾とLv2通常弾を表皮へ的確に撃ち込む。

 剣士であるうさぎ、レイ、まこともその場から下手に動くことをせず、待ち構え反撃する形で連撃をいなしていく。

 

 ある程度の傷を負ったオドガロンは不意に骨の堆積した壁を蹴り跳び、亜美に向かって10本の爪を振り翳した。

 

「アオオオオオォォォオオオオオッッッッ」

 

 地面に爪を突き立てた途端、骨を吹き飛ばすほどの爆発が起きる。

 亜美が地表に設置した起爆竜弾だ。

 

「……よしっ」

 

 小さく呟いた彼女に対し食いかかろうとしたその胴体を、まことのハンマーが横向きに打ち据える。

 脚のバランスを崩された餓狼はそのまま倒れ伏した、と思いきや。

 

「キィャアオオオオオオオオオオッッッッ!!!!」

 

 地を蹴り出し、転がり込みざまに前脚を振る。

 慌てて身体を捻ったまことの篭手を僅かながら削いだ。

 

「うわっ!」

 

 亜美の横をそれが通り過ぎた瞬間、彼女は惨爪竜の横顔に比較的古い、大小の傷が刻まれていることに気づく。

 

「手負い……?」

 

 オドガロンはそのまま、戦場から流れるように去った。彼の四肢は一歩ごとに人間を裕に置き去りにする距離を踏み、あっという間に洞窟の横穴の中へと消えた。

 

──

 

「ええ、腐った肉!?」

 

 美奈子がスリンガーから松明弾を撃つのも忘れ、素っ頓狂な声で返した。

 洞窟の奥を瘴気を払いながら征く道中だった。亜美は頷いた。

 

「ええ。ここの生き物たちは、上から落ちてきた生物の死骸を食べて生きてるらしいわ」

「そんなのうさぎでもしないわね……」

「あたし、いったい何て思われてんですかねぇー!?」

 

 レイの口から零れた言葉にうさぎが歯向かいかけたのを、まことがまぁまぁと宥めすかす。

 一方で彼女はふと首をひねる。

 

「餌を護るにしても、なんであんな必死だったんだろう。やっぱ妖魔ウイルスが影響してるのかな」

 

 まことが指しているのはオドガロンのことだ。亜美も、その身に刻まれた傷のことを振り返る。

 妖魔ウイルスは、周囲の生物からエナジーを吸い取るため生態系に悪影響をもたらすとされる。それで残った獲物の取り合いが激しくなるのは十分考えられることだ。

 しかし、レイは骨の横たわる地を眺めると呟いた。

 

「それにしてはおかしいわ。ガジャブーの族長は、ここで妖魔ウイルスに感染したのよね? ……なのにここまで来て1つも妖気を感じない」

 

 印を結んだレイの霊感は、妖魔特有の臭いを全く感知しない。実際、ここに来てから散々現大陸で見た妖魔化生物とは一度も会えていないのである。

 

「またデス・バスターズの奴らが細工をしたって可能性は捨てきれないわ。ちゃんと痕跡を探してみましょう」

 

 亜美の言葉に皆が頷き、それぞれ地面を見回し始めた時だった。

 

「あれ……これって」

 

 うさぎが呼びかけて指した先、人の足跡らしきものがある。

 

「え、ちょっと……奥まで続いてるわよ、これ」

 

 美奈子が足跡を目で辿ると、それはさらなる下層へ繋がる道へ続いていた。

 自然と少女たちのなかで、最悪の想像が膨らむ。

 オドガロンの住処は、恐らく瘴気の谷の深部だ。

 

「……フィールドマスターさん」

 

 急いで彼女たちは、新奥へと足を踏み入れた。

 中層下部に来て崖上に見えたキャンプテントは獣か何かに潰されていて、大量の書き物と携帯食が食いかけで置かれていただけだった。本来なら周囲を照らす松明も倒され消えている。

 その下に降りると──オドガロンと人の足跡が重なっていた。

 

「本当に……マズイかも知れない!」

 

 少女たちの足は早くなった。

 足跡の続く先には瘴気はこれまでと打って変わってほぼなくなっている。洞窟の奥からは、青く澄んだ色の反射光が差し込んできていた。

 しかし彼女たちの行く手を阻むように、気温が一気に下がる。かつて赴いた雪山に匹敵するほどの寒さだ。

 おまけに地面には霜まで降りている。そんな異様な光景から吹いてきた一筋の風に、流石に彼女たちの足取りは鈍る。

 

「行こう。フィールドマスターさんは調査団にとっても、あたしたちにとっても大切な人よ」

 

 うさぎは、仲間たちの背中を押すように言った。

 面識もない人に対しそう臆面もなく言い放った彼女を笑う者はいない。

 彼女たちはいま、調査団の一員でもあるからだ。

 

──

 

 瘴気の谷の深層に入ったうさぎたちを出迎えたのは、一面の水色と白銀だった。

 本来、ここは地表に降り注ぐ酸性雨が上層と中層を通して濾過され、『酸の池』として集まる場所。実際、これまでの濁った光景とは裏腹に神秘的に輝く姿は驚くほど美しい。

 

 しかしそこはいま見渡す限り、凍てついた大地と化している。

 

 辛うじて、透き通る氷となった酸の奥で液体が動くのは確認できた。だが、調査団が残した文献にはこんな光景は報告されていない。

 

「これが……寒さの正体?」

 

 亜美の足下で胞子草が枯れ果てていた。彼女は途方に暮れたように一歩、また一歩と踏み出し一面を覆い尽くす氷の城を見渡す。

 

「こんな状態じゃ、この地の生態系はダメになってしまうわ!」

「どういうこと?」

「微生物は、死骸を分解して養分に変え、大地に還す役割を果たしてるのよ。彼らは、こんな極端に気温が低い環境では生きられない!」

 

 美奈子の問いに、亜美は見るからに狼狽して答えた。

 

「じゃあ、生態系の根っこから崩れるってことじゃない……!」

 

 レイは垂れ下がったつららに映る歪んだ己の顔を見つめ上げた。まことは、当然次に浮かんだ問いを口に出す。

 

「じゃあ、いったい……誰の仕業なんだ!?」

「キュオオオオオオオオオオオオ……」

 

 何かを吸い込むような音が聞こえた。

 はっとして少女たちが奥に続く道へ視線を向けると。

 

 屍肉の塊が、周りに瘴気を靡かせて歩いていた。

 

 一瞬動く死体かと思われたが実際は違った。全身に屍肉を纏っているのだ。

 細い四肢に、尻尾に、二対の翼に、頭に。余すことなく肉片を外套の如く垂らし、揺らしている。ぬめりのある胴体だけが、青っぽい色を周囲の氷から反射して映し出していた。

 頭らしき部分を、そこに大きくランタンのように光る目に似た器官をこちらへと向ける。

 そして。

 

「ファオオオオオッッッッ」

 

 顎を開いて氷を踏み割り突っ込んできた。

 

「わっ!」

 

 不意を突かれたが、距離が遠かったお陰で回避が間に合う。腐肉製の頭巾の下からは空洞になった顎が覗き、その内部にもう一つの顎が見えた。

 

「あれは確か、屍套龍ヴァルハザク……!」

 

 亜美は美奈子と並んでライトボウガンを取り出しながら、屍肉の翼を開く化け物を見据える。

 ヴァルハザクは首をゆっくりと回すと、口内から濁った瘴気を一直線に吐き出した。

 その量たるや凄まじく、後方にいるガンナーにまで届く圧倒的射程をもって横に薙ぎ払う。

 少女たちは急いで頭を下にずらすことで、何とかその攻撃はやり過ごす。

 

「さすがは、瘴気を統べる主だわ」

 

 レイは太刀の刃に炎を宿らせる。

 ヴァルハザクは瘴気──そこに住まう微生物と共生関係を築いている。

 彼は今のように瘴気を武器と用いて、弱らせた生物や死骸を分解した瘴気からエネルギーを貰うのだ。

 

「でも……こんないきなり襲ってくる……なんてっ!!」

 

 次に迫った細長い牙を避けつつ、前脚の屍肉を斬る。

 簡単に肉の鎧が削がれる。手応えもいい感じだ。

 うさぎやまことが続いて胴体を叩くと、ヴァルハザクは上体を持ち上げ首を下へ伸ばす。

 

「離れてっ」

 

 嫌な予感がよぎった美奈子は、剣士である3人に指示。彼女たちが武器をしまうと、ヴァルハザクは眼下へ瘴気を吹き付ける。

 急いで離れるうさぎたちを追い立てるように、瘴気は同心円状に拡散。氷しかなかった地はたちまちのうちに瘴気の海と化す。

 またもや咳込んだうさぎは、急いでスリンガーに残っていた松明弾を瘴気へと撃ちこむが。

 

「なにこれっ……全然払えないっ」

「これじゃあ調査どころじゃないな!」

 

 ヴァルハザクが放った特殊な瘴気は、熱を受け付けなかった。

 まことが嘆きつつハンマーを構え直す。

 実際、今の状態でフィールドマスターと出会えばかなりの危険が伴う。調査を再開するとしても、ヴァルハザクを追い払って瘴気が晴れてからの話だろう。

 

 先の惨爪竜に続き、古龍があちら側から食らいついてくるという異常事態。

 しかし攻撃を躱すうち、彼女たちはいくつもの不自然な点に気づいた。 

 

「何だか、動きが鈍い……?」

 

 そう呟いたのは、最前線にいたレイ。他のメンバーも同じ感想で、遠目に対象を観察できるガンナー勢は他の点にも気づいた。

 具体的には3箇所ほどの違和感を挙げられる。

 

 まず、瘴気の量が少ない。時折、瘴気を吐こうとするが不発に終わる場合が非常に多い。肝心の瘴気も勢いが弱く、吐き出されてすぐに晴れてしまった。

 次に大小の傷。黒ずんだ凍傷のような傷跡と表皮に刺さった棘のようなもの。挙句の果てには飛膜にぽっかりと食われたような跡が、ヴァルハザクの身体に深々と刻まれている。

 

 そして何よりも大きいのは──以前に対峙したテオ・テスカトルとは比べようもない覇気のなさ。

 仮にも古龍である。並大抵の生物ならば動けなくなるような威厳と猛烈さが前回の炎王龍にはあった。

 だが、屍套龍はその比較的温厚な性格や少女たちの古龍への慣れを差し引いてもやはり一つ一つの動作が重く、どこか苦しげにも感じられる。

 

「もしかして、弱ってるの……?」

 

 氷結弾を撃ち尽くした亜美がそう予測を述べた時。

 そこへ、四肢を持つ影が飛び出した。

 惨爪竜オドガロンである。

 驚く少女たちを他所に、彼は一目散に屍套龍へと駆けていく。

 

「あ、相手は古龍よ!?」

 

 レイの叫びも無視してなんと惨爪竜は屍套龍に馬乗りになり、その纏う屍肉に喰らいついた。

 普段なら竜が龍に平伏し、畏れ、逃げる一方的な関係。自然界の絶対的な掟。

 それを嘲笑うかのように。

 惨爪竜が、屍肉の一片を食い千切る。

 

「ゥゥウウウオオオオオ……」

 

 儚く虚空に響く声を上げたヴァルハザクは、その身から上方へ瘴気を噴き出して追い払おうとするが、勢いが足りない。

 結局、オドガロンは頸や飛膜の辺りの屍肉を無理やり引き剥がし、咀嚼する。

 その辺りでやっと瘴気が効いたのか、鼻を突いた瘴気に彼は嫌がるように首を振り、飛び降りた。

 そして嵐のように、中層へ続く洞穴へ踵を返していった。

 

「嘘でしょ……?」

 

 ある程度露わになった屍套龍の姿に、うさぎを始めとした少女たちは攻撃を忘れ言葉を失う。

 頸の辺りを、大きな歯型と棘のようなものが貫いている。背の辺りは霜が降りたように真っ白に染まり、しかも一部が欠けている。腹付近は風穴が開けられており瘴気で出血を食い止めてはいるようだがかなり痛々しい姿だ。

 

 屍套龍は、力を振り絞るように四肢を動かした。狙いはうさぎに付けられている。

 

「わっ……」

 

 二重の牙が迫る。

 それが大きくうさぎを噛もうとした時、動きが止まった。

 亜美が引き金を引いていた。

 屍套龍の頸に氷結弾が突き刺さっていた。

 

 天井を見上げたのち。

 屍套龍は嘆くような声をあげて沈み込んだ。

 そして、動かなくなった。

 

 古龍が目の前で死んだ。

 驚くほどあっさりと。

 

 衝撃が少女たちの頭から抜けてくれない。

 それは古龍を討伐できたことに対する喜びではない。戸惑いと恐怖だ。

 なぜ、討伐できたのか?

 古龍は強大な生物ではなかったのか?

 そもそも彼を討伐するべきだったのか?

 

 彼女たちの脳内で鳴り響く疑問を、駆ける足音が遮った。

 オドガロンだ。

 続いて小さなこの地の分解者たちが、一斉に地から空から出張ってきて古龍の死骸を喰らう。血肉を貪り、骨を齧る。

 

 理解できない。

 彼女たちにとって、大切な何かがその言葉と共に崩れ去ろうとした時。

 

「あんたたち、こっちへ来な!」

 

 年を召した女性の声が聞こえた。振り返ると、登山服のような格好にゴーグルとマスクをした、スリンガーに似た装置を杖代わりに使う人がいる。

 彼女は、何度も自身の横にある洞穴を指差している。

 

 うさぎたちは半ば呆然としたまま、その人物の誘導に従った。

 



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飢え渇く獣らは黄泉にて嘶く②(☽)

 

「すまなかったね、心配かけて。多分、お互い入れ違いになってたんだろう」

 

 洞穴に入ると、そこは辛うじて凍結を免れていた。

 目の前の女性は、前髪含めた白い髪を後ろへ伸ばしていた。歳はとっているが、まるでそれを感じさせない足取りだった。

 奥まで来ると、彼女はうさぎたちに気さくな顔で振り向く。ゴーグルとマスクを外したその顔はかなり皺が刻まれているが、それを上回る溌剌さに溢れている。

 

「改めて自己紹介すると、あたしはフィールドマスター。この谷を……40年くらいは見てるかな? あんたたちが噂の妖魔退治専門の新入りだね。よろしく」

 

 うさぎたちは握手に応じるが、どの顔も生気を失っている。

 

「あ、はい……」

「どうしたんだい、シケた面して。古龍討伐だなんて、大抵の狩人は飛んで喜ぶよ?」

 

 恐る恐る、亜美が口を開いた。

 

「あの、あたしたち……彼を討伐して……良かったんでしょうか」

 

 それを見たフィールドマスターは、感心したように顎をつねった。

 

「ははぁ、上位のハンターって聞いてたけど随分変わった子たちだねぇ」

「古龍は撃退したことはありますけど……まさか、あんな呆気なく死ぬなんて」

 

 レイは、先のヴァルハザクとの戦いをそう振り返る。

 先に受けた衝撃の余波がまだ皮膚にひりつくように残っている。

 圧倒的な生命力を持つはずの古龍が、倒れた。倒れてしまった。初めて対峙した炎王龍が古龍の基準となっていた彼女たちの中では、あり得ないことのはずだった。

 

「さっきのヴァルハザク、凍傷と棘のようなものが刺さってただろう」

 

 その言葉だけで、うさぎたちはすぐあの凄惨な光景を思い出すことが出来た。

 

「あれは計2体の古龍が原因だと見てる。1頭の古龍が齎した極端な気温低下ともう1頭による致命傷で、両方とも追い出したはいいが傷の回復がままならなくなったんだ。詳細は地上に戻って分析班に確かめといてくれ」

 

 フィールドマスターはそう語ると、一番手前にいるうさぎの肩に手を置いた。

 

「あんたたちがやらなくても、近いうちに屍套龍は死んでいた。むしろ、あんたたちが介錯してくれて良かったって考えりゃいいんだよ」

 

 うさぎは首を縦には振りかねたが、「……はい」と力無くも答える。

 

「でも、まさかこんなことがあるなんて」

 

 未だ衝撃を隠せない美奈子にフィールドマスターは軽く笑って杖代わりにした弩で地面を叩く。

 

「古龍は神様じゃない。あくまで大自然の一部として存在してる。この地が何よりの証明さ」

「……証明?」

「なんだあんたたち、知らないのかい」

「すみません。今回の騒動の関係で資料が足りなくて……」

「そっか。じゃあ、詳しいことは知らなくって当たり前か」

 

 亜美の回答を聞いたフィールドマスターは、しばらく間を置いて。

 

「ここはね、古龍たちの墓場なんだよ」

 

 少女たちを、二度目の衝撃が揺さぶった。

 

「死期を悟った古龍たちはこの谷で果て、その身に溜め込んだエネルギーを大地へと還元する。そうして、新たな生命を育む土壌になって……」

 

 フィールドマスターは、天井を挟んで遥か遠い上空を見上げる。

 

「その栄養を吸ってすくすく育った『花畑』が、陸珊瑚の台地なのさ。それだけじゃない、ここから大陸全域に地脈を通して栄養が運ばれる。だから、新大陸は生態系の楽園になった」

 

 彼女は朗々と、しみじみと語り部を務める。

 少女たちは真逆の雰囲気を持つ土地が互いに関係していて、果ては新大陸の根をも成していた真実に立て続けに目を丸くする。

 そして次に、別のことに眉をひそめ始める。

 

「……瘴気の谷って、そんな大事な場所だったのね」

「となると、ますますまずい状況かも知れないわ」

 

 レイに続いて亜美が呟くと、フィールドマスターは興味深げに眉を上げた。

 

「ほう。どういうことか聞かせてくれる?」

 

 彼女たちはその場の岩場に腰を下ろし、酸の滝のせせらぎを聞きながら話し始めた。

 これまでの新大陸における気候や生態系の変化、翼竜の異変、生物の大移動やガジャブーたちの調査での妖魔ウイルスの発見を報告する。

 

「なるほど……そいつは随分手こずらされたね。となると、この瘴気の谷が痩せたのもその変化の一環ってわけだ」

 

 フィールドマスターはその情報をもとに、この地に起こった出来事を整理した。

 瘴気の谷に棲む生物の主な栄養源は、陸珊瑚の台地から絶命して落ちてくる生物の死骸である。

 しかし嵐の夜を境として、翼竜を始めとする空を飛ぶ生物の数がかなり少なくなってしまった。更に妖魔ウイルスの侵入、奥地の騒ぎによる古龍の移動により環境が激変。

 結果、瘴気の谷の生物たちは飢餓に陥った。だからオドガロンや他の生物は、相手が古龍であろうと意地になって食らいついた。

 

「……もう、古龍の動向に構ってる暇はないよ」

 

 まことがそう真面目な顔で切り出した。

 

「これはつまるところ魔女との戦いだ。調査団の人たちにも一度、人の出入りを調べてもらうよう頼んでみようよ!」

「あの人たち、古龍のことばかり見てるもんね。そのうち新大陸のモンスターがみんな妖魔になって襲ってきたら、それこそゲームオーバーだわ」

 

 美奈子が続けて不安を口にする。

 しかしフィールドマスターは注意深く少女たちの話を聞いたあと口を開いた。

 

「あんたたちは……魔女をどのくらいに見積もってるんだい?」

 

 少女たちが一斉に戸惑いの視線を投げかける。

 デス・バスターズは最大の敵であり、全ての元凶。この世界の理までも乱す存在というのが戦士たちの共通認識なのだ。

 亜美が唯一、顔を引き締める。

 

「魔女は──彼らが使う妖魔ウイルスは、自然そのものを揺るがす存在です。最も対処すべき存在は彼らではないですか?」

「ほー、自然そのものを揺るがす、ねぇ。じゃあ、そいつをばら撒くだけですべての出来事が魔女の手先になって思い通りに動いてくれるってわけか」

「……フィールドマスターさんの考えは違うんですか?」

 

 フィールドマスターの言葉は、聞き方次第では事態の楽観視でもある。亜美はそれを見逃す少女ではなかった。

 反論を受けたその女性は、しばらくしてからゆっくりと立ち上がった。

 

「続きは、地上に戻りながら話そうか」

 

 フィールドマスターは再びゴーグルとマスクを着用、フル装備で洞穴の入口へと戻り始めた。

 言葉の真意は分からないものの、導かれるままにうさぎたちは彼女の後を追う。

 

 フィールドマスターはスリンガーに似た銃型の弩に、モンスターを追い払うためのこやし弾を装填。

 穴から顔を出して、ヴァルハザクの死骸にオドガロンがいないことを確認。一旦出て再び弩を構え脅威がないことを確認すると、うさぎたちに出てくるよう促した。

 

 しばらく警戒のため無言を貫く。瘴気の谷の中層、深層はほぼ全域がオドガロンの縄張りらしい。

 谷底を抜け、火で瘴気を払い、広場型の地形に出、血肉の海を渡り、坂を登り、最初に不時着したエリアが見えた時、彼女はやっと口を開いた。

 

「さて。あんたたちが最も恐れる妖魔ウイルスがこの地を蹂躙したとしたら、おかしい点はないかい?」

 

 地上に出たフィールドマスターはゴーグルとマスクを外し、穏やかな顔のまま振り返る。

 答えを待つ彼女の目を見て、美奈子は周囲を見渡しあることに気付いた。

 

「……フィールドマスターさんが……感染してない。あ、それどころか今まで見た瘴気の谷の生き物、どれにも!」

 

 女性は黙って頷き、前に向き直った。再び歩を進める。

 

「嵐の直後、あたしはここに生息する生物間で黒い靄が感染するのを見た。多分、それがあんたたちの言う妖魔ウイルスってやつだろう。あたしは警戒して上層のテントに籠もってたんだけど、1週間後に降りてみたら靄は隅々まで消えてしまっていた」

 

 淡々と語られた新事実に、うさぎたちは一瞬混乱して立ち止まりかける。

 つまり今では──とっくに妖魔ウイルスは全滅しているというのだ。

 

「原因は、ヴァルハザクを死に追いやった古龍がもたらした急激な寒冷化だった。まぁ結局、生態系は壊滅寸前になったけどね」

「でも、その原因を辿れば自然の外です。それを絶たねばまた……」

「大自然に内も外もないよ。自然って枠組みですら、人が創り出した概念に過ぎない」

「どういう……ことですか?」

 

 亜美による反論を、フィールドマスターはいつも通りの口調で滑らかに切って返す。

 

「高台に登ったら、別の話に変えようか」

 

 亜美はそこで初めて、自分以外の仲間たちが首をひねっているのに気付いた。フィールドマスターは先行してツタを登って先導し、少女たちをキャンプのある高台に上がらせる。

 かつて昇降機がギルオスの群れへ不時着した、最初に瘴気の谷への第一歩を踏みしめた地だ。

 ハンターでもないのに彼女は息を切らさず登り切り、少女たちの手助けをする。

 

「最近の学説じゃ、この瘴気の谷の地形はある大蛇に似た古龍がとぐろを巻いて死んだ賜物だって言われてんの。あたしたちが今いるのは、その背中」

「えっ!?」

 

 ツタを登ろうとしていたうさぎが振り返ると、それまでただ黄土色がかった骨塚としか見えなかった景色の見え方が変わった。

 遠くに見える岩が蛇の頭蓋骨に見える。天井から垂れ下がる幾つものつららは牙の化石だ。巨大な岩盤が連なる細長い回廊も、言われてみれば背骨のようでもある。

 全員が登り切ったのを確認すると、フィールドマスターはぴんと人差し指を立ててみせた。

 

「その蛇には何の意図もない、ただとぐろを巻いて死んだだけだ。だが、彼が元々あった生態系を丸ごと圧し潰したお陰で……次に彼の死体から染み出した生命力が、こんな奇妙な生態系を創造した」

 

 振り向いた少女たちは誰も質問に答えられず、これまで自分たちが何気なく踏んできた土地に目を奪われたままだった。

 あまりにも自分たちが日頃生きている世界と違いすぎて、想像が及ばない。

 

「あたしが一番脅威に感じるのはそういうこと。一片の偶然を礎に幾重にも連なる変化が、その先が読めないこと自体が一番怖い」

 

 亜美は俯いて、神妙な顔で彼女の言葉を嚙み砕いていた。

 

「今じゃ、妖魔ウイルスを含んでいた土壌から別地域の植物の芽が物凄い勢いで伸び始めてる。競争相手がいなくなったからだ。彼らにもし感情があれば、魔女には感謝してもしきれないかもね」

 

 亜美は、目を見開き顔を上げた。

 フィールドマスターは目に掌を翳して、遠く谷を見つめていた。

 

「あたしにはこの魔女と妖魔の事変……大いなる環の一片でしかないようにも映る。何の感傷もなく破壊と創造を無限に繰り返す、途方もなく巨大な、ね」

 

 上から見る谷はとぐろを巻き、登ってきた暗闇へとなだらかに落ちていく。その先に終わりは見えず、まるで回廊が永遠に続いていくようにも見えた。

 少女たちは黙っていた。半信半疑、相手が研究者とはいえあまりに壮大に過ぎる仮説にどう答えればいいのか分からない。

 そこまで言ってから、彼女は再びこちらへ人懐っこい微笑みを向けた。

 

「とまぁここまで言っておいてなんだけど、魔女に用心しとくべきってのは同意だよ。そればかり見てるうちに背後から刺されるのが怖いってだけさ」

 

 うさぎの肩にフィールドマスターは手を置き、励ますように揺すった。

 その後、彼女に案内されるがまま道を歩く。次第に死骸の数が少なくなっていく。白い靄を超えると、その傾向は一層顕著になった。

 陽光が差し込む。

 やがて陸珊瑚が見えた時、やっとうさぎたちの顔から緊張感が抜けた。そして遂に陸珊瑚の台地を眺め、研究基地が見える位置まで来た時、フィールドマスターは信号弾を打ち上げる。

 

「じゃ、アステラの連中によろしく伝えといてくれ。あたしは相変わらず勝手にやらせてもらってるってね」

 

 再び握手して、彼女たちは別れた。

 フィールドマスターの背は相変わらず疲れを見せず、若者と何ら遜色ない速さで視界から遠ざかっていった。

 

「デス・バスターズさえ……大いなる環の一部?」

 

 亜美か、その遠ざかっていく背を見つめたまま言い出した。

 

「じゃあ……あたしたちは」

「亜美ちゃん」

 

 谷底に視線を落とす彼女に、まことが肩を叩いた。

 

「あの人はあたしたちの世界のことを知らない。割り切って考えた方がいいよ」

「……ごめんなさい、ちょっと気になっちゃったのよ。わかってるんだけどね」

「亜美ちゃん、自信持って!」

 

 うさぎがそう言いだして、亜美の弱気に項垂れた手を握り、真っ直ぐ見つめる。

 

「うさぎちゃん……」

「あたしにはあの人の話よく分かんなかったけど……少なくとも、魔女たちの所業を許しちゃいけないことだけは確かよ!」

 

 彼女は前方に開けた、珊瑚の乱れ咲く道を見つめた。

 

「この世界のありのままの姿を歪ませる……デス・バスターズを!」

 

 先方からルナやアルテミス、研究者たちが泣いて駆け寄ってきた。




投稿後1時時点で、フィールドマスターの言葉の意味を分かりやすくするようかなり編集しています。結構重要なところなので、後から修正したくなってしまった。


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黒き凶風へ手を伸ばせ①(☆)

未来にやってくる災いに対抗する術を得るため声の持ち主を東京で探すなか、容赦なく続く「あちらの世界」から来る巨大生物との戦い。
あちらの世界との協力と平和的解決を諦めない衛とちびうさ。頑なに強硬姿勢を崩さないもののどこか迷いを見せるはるかとみちる、そして、声の持ち主の存在自体を疑わざるを得なくなったせつな。
それぞれが胸に抱く感情とは何の関係もなく、1日が終わろうとしていた。


 東京の港区で朝から立て続けに発生した、濃霧、爆発、雷、正体不明生物による物理的損壊。これまでに起こった怪事件の中でも最悪の被害を叩き出した日のこと。

 

 17時頃、麻布十番の日暮れの空がびゅううう、と強く低く呻き始める。原因は不明。

 先刻に爆鱗竜と金獅子によって傷ついたばかりの街の中を、戦士たちが歩いている。

 

「はるかさん、大丈夫!?」

「ああ……だいぶ、マシになった」

 

 人通りはない。

 みちるとせつなに支えられるはるかは、ラージャンに締め付けられたところをさすりながら何とか歩いていた。

 

「……次は何が来るんだ」

 

 衛は、赤かった空が後から来た黒雲に染まっていく様を恨めしげに見上げていた。

 セーラー戦士たちは火川神社から出たあと、十番商店街に舞い戻った。

 

「逃げられたってことは……やっぱりあの白馬は、声の持ち主じゃなかったのかしら」

 

 ほたるは半ば諦めぎみに眉を下げる。金獅子を倒した後の雷鳴から、足跡を探しているはいるものの。

 白馬の姿で現れた雷の持ち主の正体ははっきりとしない。敵なのか味方なのかすら判別が付かない状態だ。

 

「もし声の持ち主がいなかったとしても、我々のやることに変わりはありません。私たちはただこの街を、世界を護ることが最優先事項です」

 

 スーツ姿のせつなは静かに激を飛ばした。

 傷だらけの彼女たちにも休む暇は与えられない。

 それに対しはるかとみちるは、何も答えなかった。

 

 突風が吹く。

 

 数tあるトラックさえも路上を滑り横倒しになりかける強烈な速度だ。

 今は一般人の姿である戦士たちが、悲鳴を上げて横に倒れそうになる。

 数滴の飛沫が彼女たちに打ちつけ、その濡らした跡が横向きに尾を引く。

 

「……これは、大きいのが来るぞ」

 

 衛の予感は的中した。

 数分もしないうち、これまで体験したことのない暴風雨が街を襲う。勢いが激しい余りに視界が白くぼやけ、飛沫が肌に当たるのが刺されるように痛い。物陰に隠れてもほぼ意味がなかった。

 1分でずぶ濡れになった一行は、空中で押し寄せる水滴の波に何とか抵抗しながらどこか雨宿り出来る場所を探した。

 

「おーい、あんたたち! そんなとこで歩いてないでこっちへ!」

 

 1人の男が、2階建ての建物の階段上から手招きする。

 

「あ、ありがたい……」

 

 衛を始めとして戦士たちはほっと一息つき、一時暴風が引いたタイミングで一気に階段を駆け上がる。ガラスのドアを開けるとカランコロンと鐘の音が鳴り、エプロン姿の男が出迎える。

 

 明るい色の髪を爽やかな感じに跳ねさせたその大学生くらいの男は、先頭にいる衛を見て「えっ」と信じられなさそうに瞼を瞬かせた。

 すぐさま衛の両肩を掴み取り、激しすぎるほど前後に揺さぶる。

 

「お……お前、衛! 衛じゃないか!」

「……元基!?」

 

 衛もすぐその顔馴染の男のことに気づいた。

 彼は古幡元基。衛の通う大学の同級生で、うさぎたちの行くゲーセンやカフェのアルバイトをしている。

 

「そっか! ここは……フルーツパーラークラウン!」

 

 ちびうさは、いくつも並ぶ赤いソファ、洒落たテーブル、ガラス張りの大窓を見上げて気づいた。

 建物の正体は喫茶店だった。客席には、彼女たちと同じ経緯を辿ったのであろう人々が何人か身を寄せ合っている。

 

「うさぎちゃんたちを追うようにお前まで連絡つかなくなってさ……こちとら心配だったんだぞ!?」

 

 衛の肩を持って揺さぶり、客の眼を憚りつつも険しい顔で呼び掛ける元基。その瞳は早くも、別のところに向く。

 

「おい、うさぎちゃんたちはどうした?」

 

 気まずい沈黙が流れる。

 ここは、セーラー戦士たち……うさぎたち内部戦士が良く会議や女子会に使っていたカフェだ。彼女たちからは『モトキお兄さん』と呼ばれていたほど親交がある。だからこそ、気づかれないわけがなかった。

 

「今回のことでうやむやになったけどな。お前を疑ってる人も、うさぎちゃんたちのご家族の中に未だいるんだ」

 

 思わず、ちびうさは元基に向かって進み出る。

 

「まもちゃんはそんなことしない!」

「俺にも分かってるよ。だからこそ詳しく説明してほしいんだ……いったい、何があったかをさ」

 

 ちびうさの視線は、そう言われた瞬間弱気になる。

 言えないことが多すぎるのだ。

 衛は肩を掴まれたまま、元基から視線を僅かに切る。

 

「……怪物の関係でトラブルがあった。あの子たちは無事だが、訳あってまだ別のところにいる」

「別のところって……どこだ? あっ、まさか向こうの奴らに攫われたとか……!?」

「いや、決してそんなわけでは……」

「じゃあ、何でずっとあっちにいるんだよ!?」

 

 問い詰められても、衛は言葉を濁すしかなかった。

 

「あれ、お兄ちゃんその人たち……!」

 

 そこに、元基と同じエプロンを着けた女性が銀のトレイを抱き、赤茶のポニーテールを揺らして足早に駆けてくる。

 

「宇奈月ちゃん!」

「ちびうさちゃん、無事で良かったぁ……怪我はない!?」

 

 宇奈月という女性は、屈み込むとちびうさの身体をあちこち見て回った。何ともないのを確認すると、小さな頭に掌を置いて。

 

「取り敢えず嵐が収まるまではここにいて。早くご家族にも顔見せてあげなよ?」

「……うん、分かった」

 

 ちびうさが頷いてみせると、宇奈月は元基の肩を引き寄せた。

 

「お兄ちゃん。いろいろ気になることはあるけど、今だけはおいとこ。取り敢えずこうやって出会えただけでも……」

 

 その拍子に、外部戦士たちの姿が宇奈月の目に入る。

 

「って、そこのあなたたち怪我してるじゃない!」

「ほ、本当だ! 包帯とか消毒液持ってこないと……!」

 

 古幡兄妹は、飛ぶようにバックヤードに駆け込んでいった。

 

「……賑やかだな」

「全くね」

 

 未だ痛む腕と擦り剥いた膝を抑えていたはるかは、みちると共に入口にあったカウンターに背を預けた。

 

 外部太陽系戦士たちの傷を癒す間に、遂に夜が訪れる。緊急事態ということもあり、一行はソファに囲まれた一席を借り、無料で貸し出してもらうことができた。夕飯も簡易なものだが頂くことができた。

 ガラス張りの窓の外には、チラシや木の枝が飛んでいく様子をありありと眺めることができた。

 

「運命の日までもうすぐ3日になるか……早くここを出て、声の持ち主を探さなくては」

 

 衛は、店内の隅から嵐吹き荒ぶ街を見下ろして呟いた。あまりに今日はいろんなことが起こりすぎたのか、彼も含め戦士たちの顔には焦りと疲労が見えた。

 対面していたせつなが、恵んでもらったグラスに入った水を一口だけ含む。

 

「プリンス。苦しいところですが、我々は今日1日ずっと戦い通しです。夜に出歩けば危険も大きくなります。ここはまず、態勢を整えましょう」

 

 彼女は眠り込む仲間たちを見やり、それから窓の外に目を向けた。

 暗闇と豪雨による視界不良。暴風による足場の不安定と飛来物への衝突の危険。そして衛自身も含めた、戦う本人の消耗。戦う以前の問題であった。

 

「……その通りだな、焦りは禁物だ」

 

 一刻一刻と迫る時間を刻むようにガラスへ叩きつける雨を見つめ、衛たちは時間を過ごした。

 やがて、消灯した。

 他のビルからも灯りが消え、人々が各々寝静まった時である。

 

「キシャアアアアアアアアアアアアアアッッッッ」

 

 雷鳴と共に響いた金属を鳴らしたような叫び声で、人々が一斉に目を覚ます。

 

「な、なに今の!?」

 

 戦士たちは真っ先に飛び起きる。

 宇奈月は道路側に接する結露したガラスを手で吹いて、張り付くように向こうを見た。

 

 再び店内を雷光が照らした。

 室内に、翼を広げた影が投影される。

 

 そこで彼女たちは、嵐に舞う黒い影を目撃した。

 

──

 

 戦士たちがこの世界に戻ってから2日目の明朝。

 彼女たちは巨大生物の発見と排除を決断してクラウンを出発した。

 

「……どうやらあちらの世界から相当好かれてるようだな、この街は」

「この有様だと()()がざわつくのも避けられないわね」

 

 はるかとみちるは、並び歩きながらそんな言葉を交わす。

 ちょうど雨風は少しだけ収まっていた。元基たちもまだ寝ている頃だ。守護対象である衛とちびうさはクラウンで待機している。

 

 

「下手すれば、『災い』が来る前に戦争が始まるかもね」

 

 

 先方を行っていたはるかが立ち止まったのを見て、3人も止まる。一旦収まりかけていた風が再び唸り出し、彼女たちに吹き付けた。

 はるかは、静かにせつなへ振り向いた。

 

「せつな。残り3日弱の間に声の持ち主が見つかる確率について、君の見立ては?」

 

 聞かれたせつなは目を伏せ、一瞬口を噤んだ。

 

「……限りなく……低いと言わざるを得ません」

「……そうか」

 

 はるかの返事は短かく、その後に会話は続かない。

 ほたるが、3人を取り巻くどこか重い空気に何かを言い出しかけた時だった。

 

「いたわ」

 

 みちるが遮るように呟いた。

 

 一際高いビルの屋上に、そこを覆い尽くせるほどの黒銀の彫刻が座していた。

 

 全体として鋼鉄のような硬質な光沢を放つ。

 翼は鎧が縦に何層も重なったような模様で、横幅は最低5m以上はある。鋭い尻尾も、翼に見合う分の長さが揺れている。

 その下には地の獣と似た四肢を持つが、胴体も含め全身がやはり鋼に包まれていて、翼と比べるとかなり細い。

 長い首から二叉に分かれた角は後方へ伸び、三角形の鋭い顔には幾つもの凸凹がまさに彫刻のような荘厳さと均整さをもって自然に彫られている。

 それはまさに龍であった。

 こちらの人々が西洋のドラゴンと言われてすぐ思い浮かぶ、あの生き物そのものだ。

 

 彼が首をこちらに向けた。

 戦士たちは一斉に息をも止める。

 

 何十mと離れているのに、気づかれた。

 宝石がはめ込まれたと勘違いするほど透き通った蒼い瞳の色は変わらず、牙と一体化して触れただけで切れそうなほど鋭い口周りの突起が僅かに空き、錆びたように赤茶けた鼻は確実にこちらに向けられる。

 彼を中心としてぶ厚い空気の層が渦巻いている様子が、かなり離れたところからも分かる。

 

「暴風雨を司る龍……か」

「貴女の操る風と、どちらが強いかしら」

「試してみないと分からないな」

 

 はるかとみちるはそう掛け合いながら包帯を外し、リップロッドを取り出した。せつなとほたるも同じタイミングで取り出す。

 

「ウラヌス・プラネットパワー・メイクアップ!!」

「ネプチューン・プラネットパワー・メイクアップ!!」

「プルート・プラネットパワー・メイクアップ!!」

「サターン・プラネットパワー・メイクアップ!!」

 

 変身呪文を唱える。

 彼女たちは月の王国の戦士セーラーウラヌス、セーラーネプチューン、セーラープルート、セーラーサターンへとそれぞれ姿を変えた。

 

 その神々しい姿にも龍は全く動じなかった。

 最初からそうなることを分かっていたかのように、石像の如く身じろぎもせず、四肢を休めるように屋上に横たえたまま、氷のように冷たい視線を寄越していた。

 相対する女たちは並び立つ。

 

「……災いをもたらす敵はただ、消去するのみ」

 

 サターンがその沈黙の鎌を目の前に掲げた、その直後。

 凄まじい横風が叩きつけられる。

 彼女たちの髪が、襟が、スカートが乱れ、翻弄される。プルートが腕で目を護りながら薄目を開けると、彼女ら4人を中心に旋風が舞っていた。

 

「まさか、彼が暴風雨を」

 

 彼女が天を見上げると──

 

「早く外へ!」

 

 咄嗟に出たその声で戦士たちは身を投げ出し、旋風の外へ。

 旋風は太い竜巻へ様変わりする。地から天まで貫く凄まじい空気の濁流が、近くにあった塵や破片を残らず天井となる雲へと運び去る。

 ふとそれが消え去った時。

 

 目の前で鋼の翼が舞っていた。

 

 表に曝け出された体躯は、翼の影響も相まってかなり大きく見える。

 幾重にも重なった鋼の鱗は天然の甲冑というに相応しく、雨に濡れた艶がその生物により金属質な質感を与えていた。

 

「ァアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!」

 

 龍は空中に浮きながら、頸を上空に振って啼いた。

 威圧と風圧が同時に、戦士たちへ正面から吹き付けられる。

 同時に周囲にも変化が起きた。

 竜巻が次々に天から地へと複数の腕を伸ばし、自動車や信号機、電灯、木造家屋を螺旋に乗せてもぎ取っていく。

 

「……想像以上だなっ!」

 

 ウラヌスを始め、ネプチューンやプルートも立て続けに光弾を発射する。

 龍は羽ばたくのではなく舞うように移動。その鋼の体躯から出るとは思えない軽やかさで攻撃を避ける。

 龍が浮いた状態から息を吐き出す。無論、呼吸の一環に過ぎない空気の動きは直接目には見えない。

 しかしその危険性を、戦士たちは肌に感じた風の感覚からいち早く感じ取った。

 彼女たちが避けた背後にあったマンションの、すべての窓ガラスが割れた。

 この龍の呼吸は凶器の域に達している。そのことを戦士たちはまざまざと見せつけられた。

 

 続いて龍は暴風を口から吹き、翔びながら地上を蛇行するように薙ぎ払う。同時に叫び声が自身の甲冑により反響する。アスファルトさえも出来た割れ目から削られ、重力すら無視して破片が吹き飛んだ。

 それを見たウラヌスはスペース・ソードを構え、ビルの壁面を使って三角跳びの要領で跳躍。龍の頭へとその剣を突き立てようとした。

 しかし鋼の翼がはためくと共に、一段強力な風圧が彼女を押し戻す。

 

「ぐっ……」

 

 龍は、呆気なく地へ堕ちてゆく金髪の戦士を一瞥すらしない。

 彼は口に空気を溜めると、それを眼下へ発射。着弾した空気の塊はたちまち複数の竜巻となって不規則な軌道で地を這った。

 セーラー戦士たちは避けられたものの、通過した竜巻は後ろにあった人家の瓦やポスト、街路樹、ガードレール、電柱などあらゆる物体を巻き込み、剥ぎ取り、粉砕し、分解し、上空へ打ち上げる。

 竜巻は数秒でなくなったものの、上空20m以上に飛ばされたそれらすべてが次に従うのは重力である。それらは混沌とした破片の雨となって地上へ降り注ぐ。当然、彼女たちは攻撃どころではない。

 無数の残骸が街中に響く轟音を立て路上へ落ちる。その隙間を縫うように、龍が金属音を立てて着地。そのまま路面を踏み砕き、鋼鉄で出来た己を戦士たちへぶつけにかかる。

 

「前から来ますっ!」

 

 プルートの指示は何とか間に合い、上空と前方から同時に降りかかる死を彼女たちは何とか潜り抜ける。

 龍の背にも多くの破片が降り落ちるが、それらのほぼすべてが龍の鱗に辿り着く以前に円を描いて遠く吹き飛ばされる。

 

「あいつ自身も風を……!?」

 

 ウラヌスは湾曲した己の宝剣を見て歯を食いしばると、試しに中距離へ跳んでから剣を振る。

 

「スペース・ソード・ブラスター!!」

 

 斬撃と共に放たれた赤い高周波が、音速にも近い速度で頭へと飛ぶ。

 しかし、それは見えない壁に阻まれた。

 エナジーの塊は軌道をそれてあらぬ方向へ飛び、代わりに道路標識を真っ二つに寸断する。

 戦士たちの誰もが驚きのあまり一瞬、立ち尽くした。ウラヌス自身は、こちらをゆっくりと見た龍を睨み返して。

 

「……今回は、長くなりそうだ」

 



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黒き凶風へ手を伸ばせ②(☆)

『東京都港区麻布十番を襲った局地的豪雨は12時現在も勢力を増し、暴風、浸水などの甚大な被害を……当地域では正体不明生物のおよそ1ヵ月ぶりとなる連続出現と重なることで情報が錯綜しており、目撃情報の中には……これに対し政府は……』

 

 人々が喫茶店のソファの上で言葉少なにうずくまるなか、テレビは最新ニュースを報じている。

 衛とちびうさはフルーツパーラークラウンの窓際の席から、遠方で上がる幾つもの竜巻を眺めるしか出来なかった。

 守護戦士たちからは「絶対に助けに来るな」と念を押された。強力な力を持つ彼女たちに倒せない敵が、ここの2人でも倒せると豪語出来る訳もなく。

 

「……もう、人を探してるどころじゃなくなっちゃった」

 

 ちびうさは、薄暗い店内で塞ぎ込むように机へと顔を伏せた。

 

「もう、あたし……これ以上ほたるちゃんたちが傷つくの、見たくない」

「大丈夫さ。彼女たちならきっと生き残る」

 

 そうは言ったものの、結局は気休めでしかないことは衛自身も分かっている。

 ロクな休息や補給を挟まない長時間の戦闘は、確実に体力を削る。戦士たちに疲労が溜まっているのは確実だった。

 そのうえで、衛はちびうさの小さな手を掌で包み込む。

 

「俺たちに出来るのは、考えることだ。どうにかこの先、両方の世界が生き繋げる道筋を」

「……うん、そうだよね」

 

 ちびうさは頷いたが、実際として道筋は全く見えない。此度の災害で、声の持ち主を探す道はほぼ絶たれた。

 それでも、衛とちびうさは悩み、考え続ける。うさぎの願いを現実にするための鍵を──

 

「……どうも、俺たちが何か見落としているものが……」

 

 そこまで言った時、衛は弾かれるように窓の外を見た。

 電線から蒼白い光の粒子が窓ガラスをすり抜けて、近くの観葉植物へ迸ったように見えたのだ。

 直後、電灯が何度も点滅する。

 

「ん……?」

 

 カフェに居着く人々は次々に天井を見上げた。それからひそひそと、口々に不安を囁く。

 衛は視線を戻す。

 彼の視線は、観葉植物の植木鉢から生えた小さな芽へと引き付けられた。

 

「まもちゃん、どうしたの?」

「いや……何でも」

 

 芽は衛が目を離した後、二つの葉を開いた。

 

──

 

 邂逅から3時間が経過した。

 龍の嵐は止むどころか、その激しさを増している。

 戦士たちの光弾を舞うように躱し、鋼翼を一打つだけで路面を引き剥がす。息を吹きかけ、建物の壁面さえも砕く。

 彼の息が切れる様子は、いつまで経っても見られない。

 結果、戦えば戦うほど被害が拡大する悪循環へと陥った。

 

 不幸中の幸いとしては、金獅子の時と同じく戦闘場所を放棄区域へ誘導できたことか。この龍に人そのものへの執着が見られないことは、人を護る使命にある者としては僥倖という他ない。

 

 しかし、戦士たちは決して喜べなかった。なぜなら彼のもたらす被害は戦闘場所のみに限らないからだ。

 現在、麻布十番を覆う広範囲に渡って冠水や浸水、暴風の被害が及んでいる。その規模と威力は自然に発生する台風と何ら遜色がない。

 胸の辺りに放った金色の光弾をまたしても弾かれたウラヌスは、ネプチューンと廃墟の最中へ並び立つ。

 

「この広範囲の環境作用能力……恐らくは古龍」

 

 人智を超えた圧倒的存在。自然現象の具現化。生きた天災。

 彼女たちはその脅威から逃れるべく、地下鉄のホームへと駆け込む。がらんどうの改札機の前で、4人は顔を突き合わせた。

 

「見る限りはオオナズチと似た骨格ね。恐らくは角で暴風雨を司っているのだわ」

「角への経路を開けば、あるいは」

「勝算はあって?」

「1つだけならある」

 

 ネプチューンの問いにウラヌスはそう答え、自分が見出した作戦について話した。しかしプルートとサターンからの反応は芳しくない。

 

「……それはやめましょう。危険過ぎます」

「では、これ以外に奴を倒す方法が?」

 

 プルートは答えられなかった。

 

「じゃあ、決まりだな」

 

 ウラヌスは背を向けると、地上への出口へとヒールの音を響かせていった。続いて、ネプチューンも一歩を踏み出す。

 

「プルート。何を恐れているの?」

「……!」

 

 彼女は背を向けたまま呟いた。

 プルートは、目を見開いて言葉に詰まったままだった。

 

「この世界は今も私たちを必要としているわ。立ち止まってる暇なんかないはずでしょう?」

 

 そのまま言い捨てて闇へ消えていく少女の姿を、プルートとサターンは見送るほかなかった。

 サターンは不安そうに眉を下げた。

 

「……ネプチューンの口からあんな言葉が出てくるとは」

 

 サターンが見上げると、プルートは物憂げに俯いていた。

 まだ、闇の中からブーツの鳴らされる音が一定の間隔で聞こえた。それは少しずつ、遠ざかって小さくなっていった。

 

「以前とはまるで、別人のようです」

 

──

 

 地上の交差点では、豪雨の中に龍が佇んでいた。

 彼は路面を踏み砕き、金属音を鳴らしながら歩んでいたが、やがて1つの影が前に立っていることに気づく。

 波打つ髪を雨に濡らしたその少女は、高く手鏡を掲げた。

 そこから照らされた一筋の光が龍の目を照らす。

 

 不愉快そうに目を細めた龍は、息を吸うと竜巻を吐き出した。

 それを見た戦士、セーラーネプチューンは冷静に攻撃を避けながら更に手鏡から光を見せつけた。

 周りに追うべきもののない龍は、当然それを追う。

 

「さぁ、こっちよ」

 

 ネプチューンは建物の屋上を跳び、誘導を続ける。龍は苛立たしく思ったか、巧みに滑空して彼女を狙った。

 彼女はその深海鏡(ディープ・アクア・ミラー)を通じ、龍から生命力を感じ取った。

 

「……何て凄まじい生命エナジー。天候を操るのも納得ね」

 

 やがてある入り組んだ狭い交差点でネプチューンが素早く別方向へ駆け込んだ。

 龍はそのまま交差点を、彼女が逃げた方へと曲がった。

 しかしそこに標的はいなかった。

 代わりに、地面から散々自身を苛つかせた光が出ている。

 龍は何かと思って、その光が覗く狭い穴がついた丸い模様を覗き込んだ。

 

「ディープ・サブマージッ!!」

 

 直後、水の激流がマンホールを下から吹っ飛ばし、龍の顎を重い金属音と共に殴りつけた。

 

「!?」

 

 不意を突かれた龍は一時、怯んで首を振り回す。

 そこでちょうど横にあった高層ビルの窓をウラヌスが突き破った。位置を調整し、ほぼ真上から龍の背中へ飛び込む。

 彼女が今回の作戦で目を付けた位置は真上だった。龍の纏う風のなかに、台風の目の如く風が弱い部分があると踏んだのだ。

 その部位に張り付き、宝剣を突き立てる。凄まじい量の火花が散った。その鱗は実際の鋼鉄以上に硬く、高周波の力でも全く刃が通らない。

 しかし、龍の身体が沈む。

 戸惑った龍は振り落とそうと藻掻きながら翼をはためかせ、地上から飛び上がる。それを下水道から見たネプチューンは、路上へ跳びあがってから人家の屋根を伝い同じ高度へ移動。そして。

 

「サターンッ! 今よ!!」

 

 龍を見下ろせる位置にまで来たネプチューンは、先ほど通り過ぎた交差点に向かって大きく叫んだ。

 そこから出て来たのは、プルートとサターン。サターンは雨に濡れながら沈黙の鎌を真っ直ぐ龍へと向ける。

 

沈黙鎌奇襲(サイレンス・グレイブ・サプライズ)

 

 周辺の重力が歪み、黒い光が鎌の切っ先に収束する。龍は高度を上げるがウラヌスを背に乗せているためか動きは鈍く、確実に攻撃は当たると思われた。

 一方、ネプチューンはふと、ウラヌスがある点を見つめて固まっていることに気づいた。

 彼女も反射的に視線を釣られる形でそちらを確認する。

 

 見知らぬ人たちが複数のビルの屋上に集い、ずぶ濡れになりながら大文字の書かれたプラカードをこちらに見えるように掲げていた。

 

『正義の味方なら早く倒せ!』

『お前たちが弱いから、私たちの家が壊された』

『敵は滅ぼせ! 手加減してるのか!』

『セーラー戦士の弱さは敵の陰謀』

『うちの会社が倒産した。弁償しろ!!』

『弱小セーラー戦士はもう必要ナシ!』

『この星から出ていけ、エイリアン!!』

 

 ネプチューンの顔から感情が消えた。

 

 サターンは、切っ先から最大の破滅のエナジーを弾き出す。黒い輝きを放つ光弾は真っ直ぐ龍へと間違いなく飛んでゆく。

 本来なら、直撃する直前で手を離し離脱するという話だった。

 しかし──

 

「ウラヌス……?」

 

 サターンは、いつまでもその動きが見られないことに気づいた。

 

「……ウラヌス、手を離して下さい!!」

 

 プルートも思わず叫ぶ。動かないのはネプチューンも同じだった。

 そこに変化が生まれる。ここからでは大まかな形でしか見えない彼女が大きく跳び、その先にあったビルの屋上へ足をかける。

 そして、龍へ向かってウラヌスがやったのと同じく真上から飛び込んだ。

 

「ネプチューンッ……」

 

 真っ逆さまに落ちる彼女は、明らかに、共に果てようとしていた。

 表情は見えない。

 だが、エメラルドグリーンのウェーブヘアーが逆さまに真っすぐ棚引くその様に、足掻きは全く見えなかった。

 

 技を放ったサターン自身でさえどうにもできず、思わず目を背ける。

 紫の光弾の軌道からして間違いなくそれは龍に直撃し、あちらから来た生物を三度に渡って影も残さず消し炭にすると、誰もがそう予感した。

 光弾は、弾かれた。

 

「……え?」

 

 龍がいつの間にか纏った()()()()()は、生命すべてを消滅させるエナジーの塊を、事も無げに吹き消した。

 

「サターンの攻撃が……!?」

 

 直後、龍は激しくその場で身体をねじる。黒い風は、2人を容易くその身から引き剥がした。

 

「ウラヌスッ! ネプチューンッ!」

 

 すぐさまサターンは駆け出した。すぐ後にプルートも続く。しかし、距離からして間に合わない。

 揃って高くかちあげられた2人は、瓦礫に混じりながら地上へと、鈍い音を立てて落ちた。

 サターンとプルートが駆け寄ったところ、彼女たちは傷だらけではあるが息はしっかりとあった。

 しかし、瞳に覇気がない。生気を失ってくすみ、沈むばかりで、そこに光が差すことはない。

 

「……っ!」

 

 プルートは思わず、両者を掴む手を震わせる。

 直後、少し向こうで龍の息吹が路面を破砕する。

 地面に潜り込んだ息吹は上方へ剣のように振り抜かれた。道路を縦に切り裂くようにして、下からアスファルトと共に戦士たちをまとめて吹っ飛ばした。

 50mほど先までの道路が下水道や地下鉄が露出するまでくり抜かれ、その先に瓦礫の山が積もったのを見届けると、龍は興味を失い別方向へ路面を歩んでいった。

 

 セーラー戦士たちは瓦礫に半ば埋もれる形で倒れ、残らず気を失っていた。

 しばらくした後、土煙に紛れて何者かの足が彼女たちの前で止まった。

 

──

 

「……遅い。いくらなんでも遅すぎるっ……!」

「ねぇ。やっぱし助けに行った方が……」

 

 衛は、ちびうさの提案にぎりっと歯を噛んだ。

 間もなく2日目が終わろうとしている。

 ここに留まるよう言われてから10時間ほど。悪天候は収まるどころかますます被害を拡大させていた。

 TVでは、揺れる中継画面から雨天を映し出している。

 

『えー。見えました! あちらです!』

 

 思わず、ちびうさが立ち上がった。

 人家5軒ほどの半径を誇る巨大竜巻が、画面中央に捉えられた高層ビルへ差し掛かる。

 まずガラスが剥ぎ取られる。壁を成していたパーツの一つ一つが薄皮を剥かれるように、四角い破片として渦を作って天へと運ばれていく。窓枠も、屋上も、床も、柱も、濁った黒い凶風の腹の中へ、1つ残らず呑み込まれていく。

 

『まさに前代未聞の光景です! 竜巻が、ドラゴンの操る巨大な竜巻が、去年の台風でも決して倒れなかった東京のビルを片っ端から吸い込んでいきます! いったい時速何㎞の風があの中で吹いているのでしょうか!? 我々の乗っているこのヘリも果たしてどうなることか……』

 

 リポーターはヘルメットを押さえながら、乱れた映像の中で必死に現状を伝える。

 

『近年、悪を倒す正義の味方として名を馳せていたセーラー戦士は一体何をしているのでしょう!? まさか、あのドラゴンを前に屈してしまったのでしょうか!?』

 

 衛はニュースを聞いたあとしばらくしてから、静かに席から立ち上がってカウンターに赴いた。

 

「……衛。まさか、また今朝いなくなった人らを探しにいくなんて言わないよな?」

「危ないのは分かってる。だが……!」

 

 扉の方から突風が吹き、からんからんと鐘が鳴った。振り返ると、あの4人が、一般人の姿で今にも倒れそうな様子でそこにいた。

 

「みんなっ」

 

 ちびうさが、その次に衛がすぐ駆け寄った。はるかがせつなを、みちるがほたるを背負っている。背にいる2人は気を失っている。

 何よりも目についたのは、彼女たちの衣服のあちこちが破れ、肌に傷がいくつも見られたことだ。

 

「……あんたたち、食糧を探しに行ったと聞いたがまた怪我してるじゃないか!」

「お兄ちゃん、包帯包帯っ!」

 

 古幡兄妹はもう一度医療品を取ってくるため、キッチンの奥へと走っていく。

 はるかとみちるは共にカウンターに背を預け、亡霊と見間違えるほど虚ろな表情で床へと崩れるように座り込んだ。ちびうさはその前に座り込む。

 

「でも……生きてただけでも良かったわ!」

 

 はるかが何か呟くが、小さすぎて聞こえない。もう一度聞こうと耳を唇の近くまで持っていく。

 

 

「何も良くない」

 

 

 ちびうさと衛は愕然とした。はるかのものとは思えない、今にも消え入りそうな声音。

 そこへ再び横風が吹いた。1つの人影がドアを開ける。

 

「すまない。私の言葉が分かる者はいないか?」

 

 男は()()()()()()で静かに語った。

 くすんだ緑のフードを被り、浅黒い肌に黒く細い髪を耳前に垂らしている。背にはドアの縦幅を超える薙刀を背負っているため室内には入っていない。

 衛がよく目を凝らすと、フードの下から尖った耳が覗いた。



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黒き凶風へ手を伸ばせ③(☆)

「竜人族……?」

 

 はるかは喫茶店の入口に立ったずぶ濡れの青年を見やった。

 褐色肌に薄く剃った髭、細い眉に整った顔立ちをしており、どこか神妙な表情をしている。

 尖った耳に手の指が4本。靴も踵が上がるような形になっている。

 

「あいつ、でっかい薙刀を持ってるぞ!」

 

 喫茶店に籠もっていた人の1人が、恐れ慄いて叫んだ。

 混乱を察した衛は男を慌てて押し返す。

 

「君、あの人が何と言っているか分からないか?」

「あ、あー。『それを出来ればしまってほしい』と言ってる」

「ふむ、分かった。そうしよう」

 

 男が手すりに素直に布を巻いた薙刀を置いてくれたことに、ひとまず衛は一息つく。

 咄嗟に衛の口から出てきた未知の言語に、元基兄妹は目を白黒させた。

 

「衛、話せるのか?」

「あ、えーと……そう、彼は俺たちの海外の友達でね。お、驚いたなぁ、こんなところで出会うとは!」

 

 元基の方へ振り向いた衛は、友好的に接しながらもはにかみ顔で竜人族の男の身体を隠そうと試みる。耳を見られでもしたら大騒ぎされるかもしれない。

 ちびうさは一体どうなることかとハラハラした顔で見つめ上げている。

 しかしそんな努力も露知らず、男は衛の身体越しに元基を覗き込んだ。

 

「君がこの家のご主人か? 出来ればそこの座っている方々と話したいのだが……」

 

 戦士たちを指差してフードを外そうとした彼の肩を衛は急いで掴み、入口の外へと突き返す。

 

「すまないがちょっと大人しくしてくれ! ここは君を見たことがない人たちばかりなんだ!」

 

 そう必死に囁いてから、愛想よく元基に振り向いて呼びかける。

 

「な、なあ元基、ちょっと彼と思い出話をしたいんだが、いいかな?」

 

 有無を言わせない勢いに気圧されて、元基は鍵を恐る恐る取り出して投げ渡す。

 

「じゃ……じゃあ、下の倉庫が空いてるからその中で話してくれないか? お客さんも落ち着かないだろうからさ」

「本っ当に助かる!」

 

 元基の手を握って感謝を伝えると、戦士たちも連れて下の階へ赴いた。

 

「なるほど、そういうことか。手間を掛けさせてすまなかったな」

 

 あちらの世界とこちらの世界の違いを大まかながら話すと、男は驚くほど聞き分けがよく素直に謝罪を口にした。傷だらけの戦士たちは、まだ新しい傷口に包帯などを巻きながら話を側で聞いている。

 

「いや、分かってくれたらいいんだ。あなたの名前は?」

「名乗るほどの者ではない。旅の者……とでも告げておこう」

「竜人族のハンターさんって珍しいね」

「よく言われる」

 

 竜人族の男はちびうさへ軽く微笑みを返しつつ、頭陀袋から取り出した皮革製の水筒を呷る。

 

「……それで、私たちに何の用が?」

 

 せつなが改めて聞くと、竜人族のハンターは「ああ、そうだった」と水筒の蓋を締めながら振り直った。

 

「あの龍がもたらした嵐のせいで迷ってしまったので、案内と護衛を頼みたい。ドンドルマという街へだ」

 

 衛はその名を聞いて少し考えたあと、なにか閃いた顔で自分の口元を髭を表すように撫でてみせる。

 

「……逆に聞きたいんだが、もしかして近くで商人の男を見なかったか? ビールを売ってる髭面の男なんだが」

「そういえば、露店の店主が過去に教官業をやっていたとやたら言いふらしてきたな。彼のことか」

「やっぱり。教官が帰った街というのは、ドンドルマのことだったのか!」

 

 衛は立ち上がり、隣に座るちびうさに呼びかけた。

 

「俺たちがいよいよ役に立てそうだぞ、ちびうさ!」

「どういうこと?」

「バルバレに居た時、うさこが歌姫様を救ったことがあるだろう? 彼女のいる街だよ。その時の繋がりが役に立つかもしれない!」

 

 ちびうさも思い出して目を見開く。

 バルバレと砂漠を挟んで隣合う街、ドンドルマ。そこの人々にとって歌姫は重要な存在だったはずだ。それなら、話も通りやすいかも知れない。

 うさぎの残した軌跡は、こんなところで繋がっていた。

 すぐさま彼らは竜人族のハンターへと詰め寄る。

 

「ハンターさん、ドンドルマへ案内するついでに俺たちもそこへ連れて行ってくれないか」

「行ってどうするつもりだ?」

「ハンターさんたちに協力を求めるのよ。あの龍でも、その街の力を借りれば……!」

「少し待って下さい」

 

 せつなが話の流れを掌を出してまで止める。

 

「……あなたは先ほど、護衛も頼みたいと言いましたね。私たちがそんなことを出来る人間と思ってるのですか?」

「思うも何も……君たちが、あのクシャルダオラと戦っていた人たちだろう?」

 

 軽く聞かれた口調に反し、時が止まったような重い沈黙が広がった。雨の滴る音だけが木霊する。

 

「クシャル、ダオラ……」

「鋼龍ともいう。暴風雨を呼び纏う古龍……君らが戦っていた、まさにその龍の名だ」

 

 聞き返したほたるに、男は念を押すように伝える。

 はるかやみちるは腕を押さえて項垂れたままだった。そこに凛々しく使命感に満ちた戦士としての面影は全くない。はるかが辛うじて唇を動かす。

 

「……知らない。何かの見間違いじゃないか」

「たまたま君らがあの変わった鎧から今の姿に着替えるのを見かけてね。近くに兵士の詰所かハンターズギルドでもあるのかと思い、失礼を承知で追いかけさせてもらった」

 

 一度しらを切ろうとしたはるかは黙り込む。もはや言い返す元気もないようだった。

 男は財布らしき麻袋を開け、その中に積まれた金貨を見せた。質素な格好に見合わない多さだ。

 

「無論、見合った対価は支払う。余裕が出来てからで良いから、頼まれてくれないか」

「みんな……っ!」

 

 衛とちびうさは、共に戦士たちに頼み込むように見つめる。彼女たちはいつまでも返答を渋っていたが。

 

「やってみましょう」

 

 ほたるの一声がその殻を破った。

 

「『行動は雄弁である』。シェイクスピアもかつてそう言ったわ」

「……しかし、こちらの街を空けるわけには」

 

 せつながそう躊躇うのを他所に、ほたるははるかたちの方を向いた。

 

「はるかさんとみちるさんに任せるのはどう?」

「……どういう風の吹き回しだ」

「時間の流れが遅いあっちの世界なら、貴女たちの傷も十分癒せる。クシャルダオラと戦ってる時他の怪物は見かけなかったから、恐らくそっちに行く方がずっと安全よ」

 

 幼い上にちびうさと違い大人しい少女であるが、ほたるの意見のしかたは存外はっきりとしていた。

 しばらくはるかたちは黙っていたが。

 

「……分かったわ、引き受けましょう。この身体では使命を果たすことなんて出来ないわ」

 

 みちるが地面に引かれるようにしながらも立つのを見て、はるかも重い腰を上げた。

 

──

 

 「それにしても」と竜人族の男が歩きながら顔を上げたその先。遠くにある夜の都会の灯りが、気丈に天井の雨雲を照らし続けている。竜巻は鋼龍の気がある程度済んだのか、完全に消え去っていた。

 

「地上に星空を作ってしまうとは、こちらでは人間が大層繁栄しているな。底無しの開拓心がなければ成せない業だ」

 

 心底感心した風の男を見て、衛はその目を丸める。

 

「竜人族は自然と共存する考えが根強いと聞いたが、なんだか意外だな」

「自然を肯定する者は必ず文明を否定すべきという決まりはない。むしろ人の力強さに感服させられるばかりだよ」

 

 いくらか進むと、穴の空いた道路に差し掛かる。昨日の爆鱗竜による爆撃跡だ。この地域は危険と判断されたためか修繕工事は為されていない。

 男は背中の頭陀袋から防水加工の袋を取り出して、「受け取ってくれ」と、前方を行くはるかとみちるへ投げ渡した。

 

「秘薬だ。それくらいの傷なら、数分すれば全快するだろう」

 

 彼女たちは、その中身を口にしないまま彼に振り返る。

 

「遠慮するな。ゼニーは使えないようだからその代わりだ。味には目を瞑ってくれ」

 

 ちびうさは心配そうに彼女たちを見上げた。血があちこちから滲んでいるのに、2人はそのままの状態でここまで来ている。

 竜人族のハンターは前を向いているので気づかない。

 

「君たちはどうも、ハンターでも兵士でもないように見える。他に仲間はいないのか?」

「……あと、5人いる」

「驚いたな。こちらの世界では古龍1体現われれば最低50名は狩人を雇うというのに。何と誇り高く屈強なことか」

 

 はるかとみちるは何一つ喜ぶことはなかった。

 雨を避けながら、袋の中にあった丸薬を黙って口に運ぶ。かなり苦い薬のはずだが、両者とも眉を機械のようにピクリとも動かさない。

 

「君らはまさしく鳥の如く自由に翔んでいたな。重力を無視し縦横無尽に……あんな真似は狩人にもできない」

「自由……か」

 

 感傷的な竜人族のハンターに対し、秘薬を呑み干したはるかは、袋を握り潰す手を見ながら呟いた。

 男は、感づいたように眉を上げて振り向いた。

 

 

「君らは、あの街が好きではないのか?」

 

 

 ちびうさが2人を見上げたが、視線が合うことはない。両者とも憂いげに目を伏せているのだ。はるかが口を開いた。

 

「好きでも嫌いでもない。ただ、そういう使命を背負わされてるから戦うのさ」

「思い入れのないもののために戦うとは面妖な。報酬金はどうなっている?」

 

 男にとっては少し意味が理解しがたいようだった。

 はるかは鋼龍と戦った時から初めて、おかしそうにせせら笑った。

 

「まさか。一銭も貰えやしないよ」

「では名声か。見返りなしに命がけの戦いなどやってられないだろう」

「セーラー戦士はね、戦ってる時の自分と日常の自分は別物なの」

 

 そう答えたみちるの沈んだ瞳が、ちょうど横に差し掛かった路地裏を捉えた。

 

「ある時から突然、人生を前世という楔に繋がれて。日常の裏に隠れながら人に憑いた悪を倒し続ける……そんな生活、想像しろだなんて言っても無理な話よね」

 

 街の灯りが届かない路地裏の奥は、真の暗闇が広がっていた。その奥の排水溝に水が流れ落ちていく。みちるの目線は、その暗く狭い領域に閉じ込められたままだった。

 

「感謝だなんて家族にすらされないわ。それどころか、自分や仲間が死ぬかも知れない……人を殺すかも知れない……誰にも知られず、冷たい床の上で……毎日、そんなことを想って生きていくの」

 

 いつの間にか全員が立ち止まっていた。

 

「み、みちるさん?」

 

 後方にいる衛とちびうさ、そして竜人族のハンターは、同情するも何を言えばいいのか分からないまま視線を迷わせている。

 

「……みちる。もうよせ」

 

 はるかが肩に手を置いたとき、無表情な彼女の切れた唇の端が微かに震えていた。頬を雨水が幾筋も伝い足下へ落ちていく。

 

「口が過ぎたわ、ごめんなさい」

 

 急いでちびうさが前に出て呼びかけようとする。

 

「ねぇ、さっきから気になってたけど、2人とも……」

「君たちが気にすることじゃない」

 

 はるかはみちるの肩を抱き、さっさと先に行ってしまった。

 

「どうも、こちらが無遠慮だったようだ」

 

 苦い顔で反省を口にするハンターは、再び前へ踏み出す。衛ははるかたちの背中を見つめながらも、並行するハンターへと視線を戻した。

 

「あなたは、なぜ旅を?」

「とある若者に導かれてね。海をはるばる渡ってきた。彼とはもう分かれたが面白いヤツだったよ」

 

 いつの間にか周囲の霧が濃くなってきていた。バゼルギウス襲来後、教官と分かれた地点だ。

 霧に紛れるせいで、お互いの姿が分かりづらくなってくる。

 

「そう、この霧だ。これでドンドルマに帰れそうだな」

 

 比較的もの静かな竜人族のハンターが、初めてそれと分かるほど口調に喜色を浮かべる。

 小型モンスターなどの奇襲を警戒したが、ほたるの予測通り杞憂に終わった。彼らは間もなくして霧の向こうに出る。

 

「あれがドンドルマか」

 

 戦士たちが降り立ったのは山に囲まれた起伏の激しい道だった。あちらの世界の影響か、曇り空で雨は降ったまま。森林をいくつか超えた先にある丘陵に小さく城門が見え、更にその向こうで赤と緑に塗られた屋根、そして風車が連なっているのが見えた。

 衛とちびうさは既に知っていたことだが、竜人族のハンターが言うにはあの屋根の色は雄火竜リオレウスと雌火竜リオレイアを表し、自然への敬意と感謝を伝えているのだという。

 

 次節休憩しながら向かい、数時間後、ドンドルマの麓へ着いた。

 川にかけられた板橋の向こうには城門があり、そこを蒼い鎧に金属の篭手と兜をした兵士が複数人で護っていた。その間を通って、何人もの商人が竜車や荷物を出入りさせている。

 竜人族のハンターが戦士たちの先頭に出、城門にいる門番に袋から取り出した許可証を見せ何かを説明すると、すんなりと城門の奥へ通してくれた。

 

「それでは、君たちが用のあるところまで案内しようか」

 

 そこからは、竜人族のハンターが先導役に変わる。

 城門を潜ると、石造りの街が戦士たちを出迎えた。街道は直進して大広場から向こうのうねる石段へと続き、それを巨大な石壁がいくつも取り囲む。横よりは縦に広い印象を受け、ここが山に囲まれた土地であることを再認識させられた。

 事前に「大陸内でも随一発展した街」と聞いていた通り、露店やそこの売り物を求める人通りは非常に多い。

 その一方、曇りのせいかどこか物々しい雰囲気でもある。それだけではない。所々、屈強な男たちが屋根や街路の修繕を行っているのも見えた。

 

「こっちもクシャルダオラの影響を受けてるのか?」

 

 衛は疑問を懐きつつも、正面に伸びる長大な石段へと導かれる。その前でハンターは戦士たちへと向き直った。

 

「協力を申し出たいならまず、ドンドルマを仕切る『大長老』に話を通す必要がある」

 

 次に彼は、巨大槍の柄を石畳へ突き立て石段に立つ、1人の守護兵を見上げた。

 

「あそこに見張りがいるが、事情を話せば通してくれるかも知れない。それも君たち次第だが」

「……本当にここまで、親切にしてくれてありがとう」

 

 衛とちびうさにしてみれば、ここに連れてきてくれただけで釣りがくるくらいだった。

 礼を言って、階段に足をかける。

 ある程度昇ったところで、守護兵がこちらに気づく。

 彼のいるところまであと数歩という地点で巨大槍が目の前に振りかざされる。上段を見上げると、むすりと口を結んだ厳しい顔が見えた。

 

「コラコラ! これより先は、この街の大長老様が住まわれている宮殿だ。許可のない者を通すわけには……」

「俺たちは、歌姫様を救った少女の同志だ。我々の故郷を襲った鋼龍への対抗に向け協力を依頼したいので、この先の大長老様にお会いしたい」

 

 衛の顔を、守護兵はまじまじと見る。

 

「大長老様にお会いしたい? 余所者のお前たちが? はは、新手の冗談か」

 

 彼は一時的に薄く笑うも、すぐ顔を引き締めますます左手の槍を横へ伸ばす。

 

「いいか? この先には街の首脳部か大陸でも随一の実力を認められたハンターしか出入り出来んのだ。クエスト依頼ならまず、左手にある古龍研究所の窓口で事実確認をしてもらってから集会酒場に行け。もっとも、今取り合ってもらえるかは……」

「そんな悠長なことをしてる場合じゃないんだ!」

 

 薄々分かっていたことだが入れてもらえない。

 しかしここまで来たのだ。簡単には諦められない。

 

「ドンドルマは俺たちの故郷とそう離れてない。早く迎え撃たねばここにも……」

「もうそれなら済んだことだ」

「え?」

 

 守護兵は顎で階下を示す。そこには、担架で運ばれる鎧を着た狩人らしき人の姿が見えた。

 

「すべて鋼龍にこっぴどくやられたよ。多分あんたたちの時と同じヤツだ。迎撃兵器、食糧、資材、そして狩人……ヤツを追い返すだけで、ドンドルマはかなりの損害を被った」

 

 衛の予感は当たっていた。

 盾を石段に打ち付け衛たちの視線を引き戻すと、守護兵はため息をつきつつ告げた。

 

「いいか。あんたたちの苦境も分からんではないが、我々も余裕がないんだ。わかったらさっさと……」

「おい、お前……っ」

 

 そこにもう1人守護兵が横の街道から走り寄り、何かを耳元で囁いた。戦士たちを食い止めていた守護兵は戦士たちの背後辺りを見た途端、びくりと肩を震わせた。

 

「ど、どうも状況が変わったようだ。通ってヨシッ!」

 

 戦士たちは後ろを見てみるが、竜人族のハンターが黙って見送っているだけだった。彼は単なる旅人のはずで、何か細工した風にも見えない。

 驚くほど簡単に通過できたことに首をひねりながらも、彼らは階段を昇った。

 

 幾人もの守護兵に見守られながら進むと、大理石で出来た神殿の如き大建築物へと突き当たった。

 神聖さを醸し出すそこには垂幕が扉の代わりを務めるように左右で揺れている。上級守護兵らしき人物に導いてもらい絨毯を渡り歩いていくと、なだらかな階段を昇った先で大広間に出た。

 絨毯以外はすべて磨き上げられた石造りで、鏡のように自分たちを逆さまに映す。

 周辺には官吏らしき老人たちや、丈の長い衣装を着た竜人族の女たちが緊張した面持ちでこちらの来訪を待っていた。

 

「ムォッホン! ヌシらか。ワシとの面会を望んだ、珍しき人の子は」

 

 大広間に出ると咳払いと共に低い話し声が聞こえた。しかし目の前にいる人々の誰も口を開いていない。正面には、2つの足らしきものが屹立している。

 戦士たちがまさかと思いつつ顔を上げると──

 

「わ、わあっ!?」

 

 山のような武人が玉座に座っていた。

 決して比喩ではない。東洋風の鎧を着、見上げるような大太刀を床に突き立てる、正真正銘の巨人である。

 戦士たちの背丈が膝当てにも届かない、といえばそのスケールは伝わるだろうか。

 

 身体が大きければ頭も大きい。長らしきその人物の頭は丘のように盛り上がり、長く垂れ下がった眉に眼が埋もれ、口髭と顎髭が顔の面積をほぼ覆っている。

 明らかな見た目の威厳に加え、玉座の間に重く響き渡る低音が戦士たちの身体を震わせる。

 はるかがみちると共に衛とちびうさを挟むように並び、片膝をつき、静かに頭を下げた。床を見つめたまま口を開く。

 

「あなたが、大長老様でいらっしゃいますね。どうか、此度の突然の無礼をお許し下さい」

「面をあげられよ」

 

 言われた通り一度下げていた顔を上げると、大長老はゆっくりと前のめりに上半身を傾けた。

 

「話はかねてより聞いておる。ヌシらの故郷が鋼龍に荒らされたことを誠に遺憾に思い、心より見舞いを申し上げる」

 

 この街のすべてを仕切る者が、旅人に過ぎぬ余所者に向ける態度としてはあまりに礼儀正しい。

 しかしそれが、余計に只者ではないと思わせるに足りすぎる緊張感を生む。

 

「……とまあ、こんな慰めの言葉など求めてはおらぬな」

 

 大長老は首を小さく回すだけで、眼下の戦士たち全員を見渡す。

 

「身なりを見るに、恐らくそちらにとっては死活問題。今すぐにでも、物資が潤沢なドンドルマからの支援が欲しい。心の理として極々自然な流れであろう」

 

 一瞬、ちびうさの顔に希望が浮かぶ。だが、大長老の眉は曇っていた。

 

「しかし……先に結論を言えば、支援は非常に難しい。というのも今、このドンドルマは内憂外患を抱えておるからだ」

「ない……ゆう?」

「内憂は国の中の心配事、外患は外国との間の厄介事って意味だ」

 

 幼いちびうさに、衛が小声で伝える。

 

「まず『内憂』から話そう。ヌシらの言う鋼龍は、名うての狩人たちが揃って辛酸を舐めさせられた強者。はいそれと倒せる相手ではない」

「……やはりドンドルマの方々は、あの鋼龍と交戦されたのですわね」

「うむ。この地は地理上、古龍の襲撃を受けやすいのでな。しかし、あのクシャルダオラはこれまでとは格が違う。どんな刃も矢も弾も、大砲ですらあの風の鎧を貫けぬ。今回の『撃退』も事実上、奴が蹂躙に飽き気まぐれに飛び去ったのを、便宜上そう名付けたに過ぎぬ」

 

 みちるの言葉への答えに、衛の顔はある種の納得と狼狽を見せた。

 狩人が何十人かかっても、ドンドルマの誇る兵器を使っても敵わぬ古龍。そんな者を相手に、連戦で疲弊したセーラー戦士数名が誰の助けも借りず勝つというのは、そもそも無茶な話だったのだ。

 しかし、戦士たちへもたらされる厳しい状況はそれに留まらなかった。

 

「正直に包み隠さず本音を言うなら……このままクシャルダオラがヌシらの故郷に留まってくれれば、ドンドルマは無事でいられる」

 

 「えっ」と、ちびうさの洩らした声が響いた。

 隣にいたはるかは、思わずぐっと目端を歪めて拳を握った。しかしすぐ、諦観したように頬を引き攣らせながらその拳を下げた。

 

「……当然だな」

 

 そもそもドンドルマがセーラー戦士に味方する利点がない。彼らからすれば自らの怪我を治したいのに、そこに自分も怪我したと泣きついてくる厄介者でしかないのだ。

 

「『外患』についても話そう。世界には東シュレイドの首都リーヴェル、西シュレイドの城塞都市ヴェルド、他にもモンスターの出現しない国家や地域があるのだが、それらの宮廷世界を中心にとある噂が飛び交っておる」

 

 ちびうさたちが落胆する間もなく、これまで聞いたことのない地名や都市名が告げられた。彼女たちは困惑するが、大長老は構わず続ける。

 

「『あと1ヶ月あまりで、異世界より草色の悪魔の軍勢が何万と攻め込んでくる……鉄の竜、鉄の魚、鉄の馬を走らせ、最後は『死神の火』で街を丸ごと業火に包む。その時、竜の世界は終焉を迎えるであろう』」

 

 はるかとみちるが真っ先に顔を上げた。

 

「……最強の死神『セーラー戦士』たちを先頭として」

 

 いよいよ、戦士たちの目が見開かれた。

 

「東西シュレイドは『対セーラー戦士連盟』を結成。国の隔たりを超えて連合し、それらに対抗する姿勢を強めておる……最も、あちらの世界に擦り寄る動きを見せる貴族もおるがな」

 

 ドンドルマの首領による報告から見えてきたのは、本格的な『戦』の気配だった。そしてこの大長老は、こちらの世界のことを既に知っている。

 草色の悪魔や鉄の竜、馬などというのは、現代の軍隊のことを指しているのだろう。そして恐らくこの噂の根源は──

 完全に敵に裏をかかれたことを衛は歯噛みするも、何とか自身を保って大長老の顔を見つめた。

 

「では……ドンドルマはどうするのです?」

「当然ではあるが、我々の戦力を成す狩人は怪物の狩猟が生業。人との戦は想定しておらんばかりか禁止されておる。兵士の練度も国家の軍隊とは比べ物にならん」

 

 官吏や女たちが下げた視線を交差させる。

 

「ハンターや竜人族はこの世では少数派に過ぎん。連盟につけばあちらの世界からそれを口実に攻められ、あちらの世界につけば連盟から攻められる……」

 

 しばしの沈黙のあと、大長老は大太刀の鞘で床を叩いた。

 

「よって我々は中立を貫く。ヌシらの街を攻めもしなければ護りもせぬ。自分の街は自分の力で護って頂きたい」

 

 ここまで来て、得られた回答は拒絶だった。

 打ちのめされたように戦士たちは黙り込む。

 

「……あたしたちが欲しいのは支援じゃなくって、協力よ」

「なに?」

「あなたたちの持ってるモノを寄越せだなんて言わないわ。ただ、共に戦って欲しいだけ!」

 

 しかしちびうさは、食い下がった。目を厳しく歪めた老人の官吏が前に出てくる。

 

「なぜお前がそこまで言う? 単なる旅人の娘であるお前に、そんな権利があるのか?」

「だって……」

 

 はるかは首を横に振る。が、ちびうさは躊躇わなかった。

 

「だってあたしたちが、そのセーラー戦士だもの!」

 

 官吏たちが一気にざわついた。大長老の眉が、ぴくりと跳ね上がった。守護兵の一部が槍を突き出す。

 

「まさか貴様ら、大長老様の寝首を掻こうと……」

「そのつもりならこの2人がとっくにやってるわ! こんなお芝居する必要だってない。兵士さんたちも数秒で伸せるくらいには強いんだから!」

「あなた、何てことを……」

 

 みちるが咎め、衛が手を引く。

 

「ちびうさっ……」

「いつまでも嘘ついて協力だなんて、出来るわけないじゃない!」

 

 衛の言葉を一言で一蹴すると、ちびうさは前に進み出て大長老に訴える。

 

「確かにセーラー戦士の一部は大きな力を持ってる。でも、本当は誰もこの世界の滅亡だなんて望んでない。みんなが、両方の世界を何とか護ろうと頑張ってるの」

 

 振り向いたちびうさは、この世界を滅ぼせとかつて言ったはるかとみちるまでもしっかりと見つめる。それに虚を突かれて、彼女たちは口籠る。

 

「両方の世界が生き残るには、あたしたちで協力するしかないわ! お願い。1人だけでもいいからどうか一緒に……!」

 

 必死に宮殿を見渡し大声を響かせる。

 しかしそれに答える者はなく、肝心の大長老の表情は元通りに鎮まっていた。

 

「……たとえヌシらがそのセーラー戦士だったとしても、結論は変わらん。守護兵よ、その者たちを外へ連れてゆけ」

 

 守護兵が駆けつけ、戦士たちの腕を捕える。虚しく引っ張られるなか、ちびうさは叫び続ける。

 

「どうか考え直して! このままじゃ、あなたたちはデス・バスターズに……」

「待ってください、大長老! 我々はただ!」

「何の不可思議な力を使うか分からん。そやつらを決して、二度とこの街に入れてはならぬぞ」

 

 衛の言葉を遮るように守護兵が槍を突きつけ、警戒しながら階段を降りさせる。はるかとみちるは大人しく、項垂れながら並んで続く。

 数分もしないうちに旅人たちがいなくなり、元の静けさが戻った。

 

「……大長老どの、ご賢明な判断で」

 

 竜人族の官吏が、大長老を見上げ恭しく発言する。続いて別室からぞろぞろと続いてきたのは他国の大使たち。勲章の付いた鎧で己を着飾っている。

 

「あやつらがセーラー戦士……女王を中心として、思いのままに世界を牛耳る王族か。デス・バスターズの方々の忠告が今回、役に立ちましたな」

「まさか自ら正体を名乗るとは思いませんでしたが……恐らくあれも妖術の1つ。大長老様を誑かそうとしたに違いありませぬ」

「ハンター社会は国家に資源を供給する『指』……そこのところを大長老様もよくご存知のようで、ヴェルド大使としては安心致しました」

 

 恭しくもどこか大使たちの言葉の端には棘がある。

 鎮座する大長老は、大使たちの言葉を黙ったまま聞き届けていた。



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