最弱と言われた彼女は (こたれん)
しおりを挟む

はじまり

pixivで上げてる小説をそのまんまの文章で投稿しました。
レースの時系列とかは正直めちゃくちゃです。


ウマ娘、彼女らは走るために生まれてきた、遠い別世界、数多の伝説、感動を生み出した生命の名を受け継ぐことでその体に使命を、魂を宿すと言われている。

「なんておとぎ話の本、昔はよく読んでたなぁー」

始発の電車に乗りながら暇つぶしに俺は昔の記憶に浸っていた。眠れない夜、ウマ娘達がどのように生まれたのか、なぜ彼女達は走るのか、それをまあ神々だの奇跡の力だので表現している絵本を母さんに読んでもらってはよく眠っていたものだ。

満員電車の中、痴漢に間違われないように極力手を上の方にあげ俺はこのむさ苦しい空気の中を生還しなくてはならない。

「....次の駅は、トレセン学園前、トレセン学園前、まもなく到着いたします。」

車掌のアナウンスが聞こえ俺は慌てて電車の出口を目指す。

「あ、す、すいません、す、すいません!」

謝りながら思いっきり人の波をこじ開けていく。こうでもしないと駅におりれないのだ、田舎に帰りたい。

まあ、ウマ娘なら走って余裕で間に合う時間なのであろうが、いかんせん、俺は人間だ。絶対にここで降りなくてはならない。

出口を必死で目指し、なんとか電車を降りることができた。

駅の改札をでて、徒歩5分で、まるで中世の城を彷彿とさせる建物が見えてきた。これこそ、トレセン学園、俺がトレーナーとしてのスタートを切る始まりの地だ。

...ここからだな。

桜が咲く校庭を見ながら、密かに思いにふけた。

「おはようございます、失礼ですが、入園の際に、人間の方にはトレーナーカードの提示をお願いしております。お手数ですが確認させてもらってもよろしいですか?」

学園に入ろうとするとまさに、緑色のキャビアテンダントのような見た目の服装の女性に、トレーナーカードの提示を求められた。

俺はトレーナーカードをだそうと財布を探す、探す、血眼になって、探した。カバン、ズボン、上着、そして気がついた、ああ、これはやっちゃったやつだと。

....さて、どうしましょう

緑色のキャビアテンダントさんの表情が人懐っこいものから段々とゴミを見るような目に変わっていく。

「あの、もしかして、トレーナーカードをお持ちでないのにこの学園に入ろうとしたのですか?...はぁ、貴方のような男性の方、たまにいるんですよ、トレーナーになりすましてこの学園に入ろうとする変態がね...」

やばい、この流れはまずい、登校してくる周りのウマ娘の生徒達の目が完全に不審者を見る目になっている。とにかく、事情を聞いてもらわなければ、

「ち、違うんです!財布落として!」

「財布を落とす?貴方、それ本気で言っているんですか?トレーナーともあろう方が、しかもこのトレセン学園の、トレーナーともあろう方が、トレーナーカードを無くす?自覚がないんじゃ無いんですか?そもそも」

こいつ...マジで殺したい。永遠と続く親の説教のようなものを始めたこいつを尻目に俺はどうすればいいかいまだにわからずにいた、ここから片道を戻って探そうにも、そもそも電車の中で落としていたら元も子もない、とすれば、

「おーい、たずなさーん!」

俺が思考の無限ループに入っているときひときわ元気な声がその思考を遮った。

「あら、ハルウララさん、おはようございます」

たずなとよばれたこの女は、先程俺に与えていた侮蔑の表情をすぐに愛する我が子を見るものに変え、桃色の髪の毛と目をしたウマ娘に挨拶を返した。ウマ娘にしては少し小さめな身長をした彼女、その頭にはウマ娘の耳と、お尻の方に尻尾もきちんと生えている。

「たずなさん!あのね!きいて!私ね、これ拾ったの!」

ハルウララと呼ばれた彼女は見覚えのあるものを意気揚々とたずたさんに渡した。

「!?それ!それ俺の!ちょ、ほら!なか!ほら!」

俺はその財布を慌ててとり、中にあるトレーナーカードをたずなという人の形をした何かに見せつけた。

「....たしかに、トレーナーカードですね、はい、ICコードの確認も取れたので中にお入りください。」

..なんて一日の始まりだよ、内心苦笑しながら俺は学園の門をくぐった。

その後ろをぴょこぴょこついてくる気配がしたので振り返ってみるとさっきの桃色の彼女がいた。

思い返してみると、まだお礼を言っていなかったことに気がついた。

「ハルウララさん、であってるよね?ありがとうございます、ほんとに、マジで終わるところでした。」

そう言って俺が頭を下げると彼女はなぜか凄い笑顔になり

「偉い!お礼が言えるなんて流石トレーナーさんだね!」

と、正直褒められてるのか煽られてるのか分からないことを目をキラキラさせながらいいつつ、俺の肩をたたいてきた。

...やけにスキンシップが激しい子だな。

この子が財布を拾ってくれた命の恩人には変わらないのだが、いかんせんこういうタイプは苦手な性分だ。早く距離を取りたいのだが、彼女はまだ俺についてくる

「ねねね!お兄さんトレーナーさんなんでしょ?私、どう?スカウトしてみたくならない?今日のね、模擬レースも私頑張るから、絶対見ててね!一着取ってみせるから!」

桃色の尻尾と頭に生えた耳をぴょんぴょん弾ませながら彼女は自信満々に俺に宣言してきた。しかし、俺の目的はあいにくこの子ではない、皇帝、シンドリルドルフ、かつて天皇杯、有馬記念、数々のレースで勝利し、無敗の三冠ウマ娘になった彼女の再来とも言われているトウカイテイオー、このウマ娘こそ、俺がこの学園でトレーナーをやると決意した理由だ。この子と契約すれば必ず日本ダービーはおろか、世界が狙える。もちろん、大金も手に入るだろう。まあ、契約金でかなり飛ぶとは思うが。この子には悪いが、適当にあしらうことにしよう。

「え、ええ、わかりました。ハルウララさんのレース、必ず見ますね。」

「ほんと!?約束だよ!約束!絶対見てね!」そう彼女はいい自分の教室へと小走りに向かっていった。....ウマ娘の小走りって鬼はえーのな。

俺もトレーナー室に入り、模擬レースを受けるまでの間、資料などの整理をすることにした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

晴れ晴れとした空の下、トレセン学園の生徒会長であり、現役最強の馬娘と言われている皇帝、シンドリルドルフからの挨拶が行われていた。

「トレーナーの皆さん、本日は我々のスカウトのためにお集まりいただき誠にありがとうございます。本校はよりレベルの高いウマ娘を日本に、そして世界に輩出するため、優れた環境、トレーニング、食事、様々な面で一流ではなくてはなりません。そして、ここに集められたトレーナーの皆様も一流であります。皆様が契約してくださったウマ娘達は、その光栄な機会を手にしたことに強い感謝と忠義を誓うことでしょう!」

軍服のような服に身を包んだ彼女、その演説は

力強く、まさに皇帝の名に相応しい立ち振る舞いであった。そのあまりの貫禄、プレッシャーに思わず、鳥肌がたった。

「なんて凛々しいんだ」

「くそ。チームに加入してなけりゃ今頃俺が...」

周りから尊敬やシンボリルドルフを手にできなかったことに対しての後悔の声が漏れている。

まあ、過ぎたことはしゃーないよね。

俺は後悔こそあるがそこまでシンドリルドルフを手にできなかったことを悔いてはいない。なぜなら...

「えーとぉー、みなさん初めまして!一応この先発会で選手代表として挨拶します、トウカイテイオーです!」

おもわず笑みが溢れた、そう、こいつの存在がいるからだ。

シンドリルドルフが出した有馬記念の2500メートルのレコード、そのタイムにこいつ、トウカイテイオーは既に1秒差までつめている。2分37秒。この劇的な速さ、まさに皇帝の再来だ。

「まぁー、皆さん僕狙いだと思うんですけど、僕の取り合いで喧嘩したらだめだからねぇー」

トウカイテイオーは周りの敵を本当に目には入らないというように吐き捨て、マイクをシンドリルドルフに戻した。

「...えぇー。品にかける言葉遣いを行ったこと、彼女の代わりに私が謝罪します。、誠に申し訳ございません。さて、トレーナーの皆様、まもなくレースが始まります。各々、観客席の方に移動してください。」

1番人気のトウカイテイオーは三番目のレース、4のゲートから出走するようだ。それまで各ウマ娘達がレースを行なっていたが、トウカイテイオウの走りを見にきたここにいるトレーナー達の目にはほぼ写っていないのと同じであった。

「まもなく、第3レースが始まります、各ウマ娘達はゲートにはいってください。」

アナウンスの声とともにトウカイテイオーと他のウマ娘達はゲートにはいった。

   そして、レースが始まった。

 

その後のレース展開は圧倒的だった。トウカイテイオーは先頭から三番手の位置につき、第四コーナーを抜けるところで一気に先頭集団を引きさり、二着と三馬身もの距離をつけて1着をもぎ取った。いわゆる先行という戦法だ。しかし、ここまで見事な先行を俺は今まで一度も見たことがない。

「凄いとは分かっていたが、ここまでとは...」

あまりの強さに思わず声が出てしまった。そして、しばらく彼女の走りの余韻に浸っていた目の前を、見覚えのある桃色の髪をなびかせるウマ娘が、通り過ぎていった。

「あれは...」

今朝一着を取ると俺に豪語してきたウマ娘、ハルウララだ。まあ、初めから期待はしてなかったがまさかここまでとは....思わずため息が出る。先頭のトウカイテイオー以外のウマ娘もみんなゴールしているというのに、ハルウララはようやく第四コーナーを抜けたところだった。

「なんだあれ、ありゃーだめだな。」

「なんて惨めな走りだこと、よくトレセン学園に入学したわね。」

当然、あまりにも酷いレースを行なってる彼女に対しての罵声が周りで起こっていた。

...まあ、これが現実、だもんな

俺も別にその罵声を気に止めることはなかった。なぜならそれがレースというものだからだ。強いものは讃えられ、弱いものは蹴落とされ、地位も名誉も失う。それがレースだ。だから何も感じない。さらに言えば、トレセン学園とはトレーナーからすればより良い商品を育てる場、つまり、ウマ娘はトレーナーにとって商売の道具なのだ。彼女達が勝てなければ当然我々は食べていけない。金が稼げないウマ娘に優しさを与える、ましてや、そんなウマ娘がこの学園にいる、その事実になにも感じないような、ただ走る彼女達を支えたいという思いを持つ、そんな心優しいトレーナーなど、もうこの世界にいるわけがないのだ。

「はぁ、はぁ、はぁ、」

もうレーンから出てレースを放棄してもいいのに、明らかに醜態を晒しているのに、彼女は懸命にもがき、全力で、走っていた。

そんな彼女をみて、俺は、なにも感じなかった。いや、なにも感じようとしなかったのだ。努力は才能には勝てないことを、無駄なあがきは醜態を晒すだけなのだと、痛いほど知っているから。そして、努力して、頑張った人が、捨てられるのを知っているから。

「はぁ、はぁ、はぁ、うんぬぅううう!」

激しくターフにそのウマ娘は倒れた。

ようやくゴールした彼女はそのまま倒れ込むようにゴールし、意識を失い、タンカーで運ばれていった。

 

トウカイテイオウのレースを見たトレーナーはもうみるものは見たと言わんばかりに観客席を後にしたり携帯をいじり出したり、各々好きなことをしていた。ハルウララのレースを嘲笑う声も当然聞こえてきた。

俺も他の馬娘には用は無いが一応レースは観戦しようと考えていた。しかし、俺の足は自然と医務室へと向かっていた。

 

少しアルコールの匂いがする廊下を抜け、ハルウララがいる部屋に案内してもらい、中に入った。そこにはベッドの上ですやすやと寝ているハルウララの姿があった。

「...よかった。」

思わず声が口に出てしまった。それほどまでに彼女を心配していた自分に驚いた。...財布を拾ってくれた恩を感じているせいだろうか。そうやって自分を誤魔化し、ハルウララの安否も確認できたから病室を出ようとすると

「あ!トレーナーさんじゃん!」

突然ハルウララの元気な声が耳元に届いた。

驚いて振り返るとそこにはさっきまで寝ていたのが嘘かのようにはっきりと目を覚ました彼女がいた。

「え、ハルウララさんは寝てたんじゃ...」

「えへへー、寝てるふりしてたんだぁー!暇だしすることないもん!でも、トレーナーさんが来てくれたからもう暇じゃないね!やったぁ!」

さあ遊ぼーっと言いながら鼻歌を嬉しそうに歌う彼女はベッドから立ちあがろうとして

「あ、あれ、足に力が...」

「!?あっぶない!」

思わず転びそうになったところをなんとか防ぐことができた。

「...おお!トレーナーさん!ナイスキャッチ!」

彼女は危うくこけそうになっていたにもかかわらず、元気な口調ではしゃいでいる。

ひとまずハルウララをベッドに座らせ、俺も少し間隔を空けて横に座らせてもらった。

彼女を支えたとき、感じたことがある。ああ、この子はとても小さいんだな、と。

そして今横に座り彼女を改めてみるとやはりそうだと確信に変わる。この子はウマ娘でありながらレース上でたたかえる体ではない。ウマ娘達が行うレースの速度は、時速70キロを超える速度である。その中で、激しい位置どりが起きるのだ。つまり、時速70キロで走りながら体のぶつけ合いを、せいすることができる骨格が必要なのだ。そして、骨格は生まれつきのものである。小柄に生まれてしまえば、当然いくら努力しても小柄なのだ。ハルウララは、致命的に骨格が小さい。筋肉量も足りない。つまり、走る才能が

「ねね!トレーナーさん!」

俺が思考にふけているところを遮るように彼女は近づいてきた。俺はその近付かれた距離分離れて座り直し、努めて冷静に「なんですか?」と聞き返した。

「私のレース見ててくれたんでしょ!ありがとね!どうだった?私頑張ったよ!」

純粋な目で、惨敗したことに対してまるでなにも感じてないかのようなその目で、彼女は俺に自分の走りがどうだったかを問いただしてくる。

「いやー、みんな早いよね、うん、私もいっぱい練習したんだけど、全然だめだったや」

あはははは、そう元気に笑う彼女は頭をかきながら、でも、と続ける。

「でもね、すっごく楽しかった。」

それは当たり前のことだと言わんばかりに真っ直ぐな声で、日常の挨拶するかのように彼女の口からさらりと出てきた。だからこそ、

その言葉に、俺は衝撃を覚えた。怒りを覚えた。そして思わず、口をついてしまった。

「楽しい?あの惨敗が?あそこまでこけにされ、嘲笑れたことが?楽しい?なにを言っているんだ君は!悔しくないのか!?普通は嫌だろう!君も聞いていたはずだ!トレーナー達の言葉を!罵声を!なのに、楽しい?意味がわからない、全くもって、大体、君の体は」

しかし、俺の言葉は、彼女のその強い眼差しで、強い言葉で、続かなかった。

「私ね、走るのが好きなの。」

それは。今までの元気な少女だった彼女がみせた、初めての表情だった。まるで、最愛の人に愛をつたえるかのような、そんな声で、彼女は走るのが好きだと、もう一度言った。

「どんなに笑われても、情けない姿でも、私は走るのが楽しい。楽しくて楽しくて仕方ないの。それに、商店街のおじちゃんとか、おばちゃんとか、お母さんとか、みんなね、私がレースに出てたら喜ぶんだよ、ウララちゃんの走る姿を見ると元気が出るーって、だからね、私もただでさえ走るのが好きなのにもっと走ることが好きになるの。」

彼女はそこで言葉を区切り、こう続けた。

「だから、私は、いつか勝ちたいんだ。

きっとね、レースで走って、ドベになってる私を見てみんな元気になるんだったら、私が1番になったらもっと元気になってくれると思うの。だから、私はね...」

それまで自分の手元を見て話していた彼女は俺の目を見て、真っ直ぐに、こう続けた。

「何度だって諦めないんだ!」

そう言ってまたいつものようににっこりと笑い、そっと開けた分の距離を縮めてきた。

「ありがとね!トレーナー!私の走りを見てくれて!」

そう元気に微笑む彼女に、俺は...

「ハルウララさん。」

もしも、好きという気持ちで掴めるものがあるのなら

「?なぁーにぃー?あ、ゲームしたくなったの?いいよぉー、私ねー、二人で遊べるオリジナルのゲームを考えたんだー!凄いでしょ!えっとねぇー」

感情の高鳴りを感じる。あー、なんて希望的な観測を俺はしているんだ、馬鹿だやめたほうがいい。そんなことは、わかっている。でも、もう望んでしまったんだ。

好きという感情で掴めるものがあるのなら、

努力だけで掴めるものがあるのなら、

才能を持たないものが救われるそんな、夢物語な未来があるのなら

俺は、それを見せれなかった自分自身に

「ねー!トレーナーさん!聞いてる?ルール説明してるんだけど!」

何よりも、ただ真っ直ぐなこの子自身に、

「俺と、レースで、勝利をめざさないか?」

「...へ?」

 

その掴める何かを、見せてみたい。

 




コメントとかしてくれると嬉しいです!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

開幕前夜

拝啓 お母さんへ

あのね!重大ニュース!私にね!トレーナーさんができたの!それでね!なんと!トゥインクルシリーズの開幕戦を迎えることができます!いっぱい勝ちをプレゼントするから、早く元気になってね!

 

よし!送信っと、

トゥインクルシリーズに向けてウララ(ハルウララのあだ名)と練習メニューを練り直し、作戦を立てていると元気な送信ボイスが聞こえて来た。

「誰にメールしたんだ?」

「お母さんだよ!あのね!いっぱい勝つから早く病気なおしてねって!メールしたの!」

ウララは今トレーナー室のソファーでうつ伏せになりながら尻尾をブンブンふって嬉しそうに携帯を眺めている。彼女には今後の練習メニュー、戦術を伝えるためトレーナー室にきてもらった。

ウララと正式に契約を結んで一週間、彼女との間で、ささいな変化があった。まず、敬語をやめた。俺は敬語を使って適切な距離感を保つのが好きなのだが、なんか寂しい!と泣きじゃくられた為、敬語を取ることにした。続いて、彼女が思った以上に粘り強いことをしった。今までの練習メニューよりも明らかにきついことをさせているのに文句の一つも言わず、全てこなす。純粋に楽しんでいるらしいが、ここまで下手な物好きだとそれも一種の才能であると考えられる。

ちなみに、時速25キロで20キロランニングさせた後に、1000メートルのダッシュを5セット、時速50キロで走らせると言うのがメニューの内容になる。人間からしてみれば化け物級の速度だが、ウマ娘の中ではこれは平均よりも遅い、しかし、彼女の中ではおそらく限界の数値であり、本数もウマ娘の限界よりも少し少なめに設定している。これを朝夜行い。バーベルトレーニングを週3回入れると言う形で、筋力トレーニングを行っている。

フォームの改善も行った。後半の加速に備え、ストライドを前半と後半で変える走りだ。集団の中にいるときは、ストライドよりもピッチを、抜け出したときはストライドを大きくかつ大胆に走る。今までバラバラであった彼女の走りが少しづつ安定してきた。

「ウララ、ちょっといいかー?」

「なにー?トレーナー」

「お前、適正距離って知ってるか?」

「...テキセイキョリ?」

あー、やっぱりかぁー

キョトンとした様子で首を傾げ、興味なさげに彼女は再びスマートフォンに目を移した。

本来適正距離とは、トレセン学園に入学する際にきちんと決まるものである。しかし、一定基準を下回り過ぎた成績の場合、適正距離認定がなくなる、つまり、全距離不適切という診断を受けてしまうのだ。

「いいか、ウララよく見ろよ。」そう言って俺はウララにふたつの動画を見せた、片方は2400のターフ(芝)を走るウララで、もう片方は1400ターフを走るウララの動画だ。

「よし、動画も見たとこで、ウララ、何か気がついたことはあるか?」

「ふ、ふ、ふ、トレーナーくん、私を舐めないでくれたまえ!この動画には」 

「そう、後半の伸びが明らかに1400の方がいいんだ。」

「あ!まだ!言ってないのに!ちょっと!」

なにか言っているがまあそれは無視するとしよう。そう。ウララには短距離が適正距離なのだ。3000メートルの長距離、2400メートルの中距離だと後半の伸びがないのに対し、1400メートル以下の短距離であれば僅かではあるが、後半の加速、すなわち末脚がコーナーを抜けたところで発揮されているのがわかる。ちなみに、これは本人にも自覚があるようだが芝よりもダートの方が走りやすいそうだ。トゥインクルシリーズの開幕戦には当然、ダートレースも用意されている。数こそへるが、まずは上位入賞をねらうところからだ。

続いて、俺はウララに今日伝えるべきことで最も大切なことを伝えた。

「そしてウララ、勝つためにはだな、戦力だけじゃダメなんだよ、戦術が必要なのさ。」

「!?戦術!?」

それまで興味なさげにスマホをいじっていた彼女は急に目の色を変え、ソファーから立ち上がり興奮気味にこちらに振り向いた。

 

「そう、戦術だ。ウララ、お前今までどうやってレースを走って来た?」

そう聞くとウララは元気よく

「んとね!最初ビューンていって、そんであとはぜーぜー、ぁー死ぬぅ、み、水くれ、くれないと、あ、死ぬーうわぁーー!ってなってゴールしてるよ!」

お前よくそれで走るの好きって言えたな。ただの地獄じゃねーか。

「い、いいかウララ、お前にはこれからスタミナをつけてもらう。なぜならお前には差しを行ってもらうからだ。」

「ー?さし...さし、刺身?」

ちんぷんかんぷんだと言わんばかりに首を傾げる彼女に俺はわかるように説明する。

「差しとは、中盤まで速度を抑えて大体中間ぐらいに位置をとる、そして直線になって集団がはけ出したところで一気に仕掛ける戦法だ。差しにはスタミナ、そしてパワーも必要だ。スピードは正直生まれ持ったものがあるからどうこうはならん、それでも極力伸ばせる。が、差しに必要なのは後半でどれだけ加速できるか、つまり必要なのはスタミナと、集団から抜け出すパワーだ。スタミナは鍛えればきたえるだけ伸びる。パワーもある程度はのびる。あとは差し切るタイミングを覚えるだけ、これも努力で覚えれる。頑張るウララにうってつけだろ?」

少し得意に俺は語り、ソファーから立ち上がった彼女に目配せする。

ちなみに、これは口には出さなかったが、差しを狙うのであれば先行争いのような骨格の違いでせり負けるリスクも減る。今のウララに最適な戦術だといえる。

「お、おおー!なんだかよくわからないけど、わかったよ!」

それをわかってないっていうんだよねー

おおー!と拳を高く突き上げた彼女はやる気に満ち溢れた表情をしている。

けどまあどうせわからないだろうと思ってたから気を取り直して、

「よし、ウララ、これから全部のメニューの負荷を一週間ごとに上げていく。いままでよりも更にキツくなると思うけど、頑張れよ!」

「うん!任せて!頑張ることには自信あるんだから!」

トゥインクルシリーズまで残り1ヶ月と二週間、ここから、ウララの地獄の修行が幕を開けた。

 

トゥインクルシリーズ開幕戦まで残り二週間と少し。

「よし!ウララ!第3コーナー回ったら今よりもうちょっと前に詰めろ!勝負は第四コーナー抜けた直線だ!そこで張り付けなきゃ勝負にならねーぞ!」

ウララは今、サクラバクシンオーというウマ娘、キングヘイローと共に差しのタイミングの練習をしている。距離は短距離1400メートル。サクラバクシンオーとキングヘイローは、トレセン学園にウララのような一般入学とは違い推薦できている。トレセン学園に入るまでのレースでは、1400メートル以下のレースで負けがない、サクラバクシンオー。その血筋と卓越した判断能力を用いて、レースで数々の勝利をかかげているキングヘイロー。そんな彼女達と模擬レースをしている現状に感謝しながら、俺は戦況に注目する。先行して逃げるサクラバクシンオーの、1馬身ほど後ろに付いているキングヘイローが、第四コーナーに入るところで一気に仕掛けて来た。彼女は短距離適正でありながら恐ろしい末脚をもつ。まさにキングに相応しい美貌を備える彼女は、そのまま一気に前線へと詰めた。

本来ならこの2人の一騎打ちになるであろう。だがー

そのキングの後ろに3馬身ほど離れてくらいつき、第四コーナーを抜けた最後の直線でさらに食らいつこうとするウララは、残していた足を爆発させた。

よし、これだ。

3馬身ほどあった差は2馬身にそして、

「ぁあ!!負けたよぉ〜」

ウララは3着でゴールした。しかし、今は順位などはどうでもいい。あのキングヘイローとサクラバクシンオーの走りに、あのハルウララが2馬身差までつめれたのだ。先頭争いしか見ていなかったサクラバクシンオー、キングヘイローも驚いた表情をしている。まさか彼女がここまで追い縋るとは考えられなかったのだろう。

「す、すごいですわ!ウララさん、まさかこのキングの走りにここまであなたが食らい付いてくるとは...」

「えへへー!たくさん練習したからね!」

「いえ!本当に凄いですよハルウララさん!

この私!もう一度バクシンしたいほどの興奮を覚えています!」

レースが終わり、キングヘイローとサクラバクシンオーはウララの伸びをほめたたえていた。実はキングヘイローとサクラバクシンオーとレースを行ったのは、今日が初めてではない。毎週日曜日に、キングヘイローとサクラバクシンオーのトレーナーにお願いして、毎回模擬レースを行わせてもらっていた。最初の一週間目はてんでぼろぼろ、二週間目も惨敗。しかし、三週間目で中盤あたりまでくらいつき、そして今日、残り二週間を切ってようやく、彼女の末脚に力がやどった。

「...彼女、相当頑張ったんだな。」

レースの結果に今後の可能性を見つめ、観客席からウララの方に行こうとすると、少し後ろからタバコをくわえ、髪を金髪に染めた、ヤクザのような見た目のおっさんに声をかけられた。

「あ、田辺さん、ご覧になられてたのですか。」

この人は田辺原道。サクラバクシンオーとキングヘイローのトレーナーであり、トレセン学園に長くいるエリートだ。

「はい、彼女にはまあめちゃくちゃ頑張ってもらいましたよ。ほんとに、少し申し訳ないぐらいです。」

レースが終わり、トレーナー!!と嬉しそうに手を振ってくる彼女に俺は軽く手を上げ、田辺さんに改めてお礼を言う。

「...田辺さん、ほんとに、俺と、ウララに協力してくれて、ほんとにありがとうございます。貴方の協力なしでは、彼女に、このレース感覚を植え付けることはできませんでした。」

ウララは過去にレースこそ出てはいるが、常に最下位争いをしていたため、スピード感のある前線で体をぶつけ合いながら争うということをしたことがなかった。それを学び、実践できたのはひとえに、この人の協力があったからだ。

俺は心からの感謝を述べ、深く頭を下げた。

「おいおいやめろよ、新人トレーナーさんよ。別に俺はあんたのために協力した訳じゃねーんだ。あくまで、これはバクシンオーとキングに自信をつけさせるため、あんたのとこのハルウララちゃんを、コテンパンにすることであいつらに自信つけさせたかっただけなんだよ。...だから、あんたから感謝される筋合いはねーよ。」

そう、少ししゃがれた声で田辺さんは言いながら俺の隣に座る。いつもなら気持ち悪いタバコの匂いが、今はやけに心地いい。

何もないレース場に目を向けて、俺と田辺さんはお互い何を話すでもなく、ただ壮大ななターフをみていた。

「なあ、新人よ。」

その沈黙を、田辺さんの声が破る。横目で彼を見ると、彼はレースが終わり談笑している彼女たちの方に目を向けていた。

「勝てると思うか?あの子は。」

そう言いながら田辺さんはふぅー、とタバコの煙を吹いていた。あの子、それはおそらくウララを指しているのだろう。

再びターフに目を移し、彼は続ける。

「確かにあの子は強くなった。けれど、それはただ成長しただけだ。トゥインクルシリーズには当然、バクシンオーやキング以上の強者が、ダートの短距離レースに出る。そんな中、未だにこの現状、おそらくここが彼女の現段階での限界だろう。いや、俺が思うに、成長期が相まってこの結果だ。ここが今後の彼女の限界だと、俺はそう感じる。けれど、キングとバクシンオーはまだまだ伸びていく。あいつらには血筋があるからな。スタートラインがすでに違いすぎる。お前もトレーナーならわかるだろ、血筋がどれだけウマ娘に影響を与えるかってことを。あの子はいくら頑張ってもトゥインクルシリーズで勝つことはできない。その劣等感に、努力しても報われない現状に、周りの人間においていかれる焦燥に、彼女は勝てると思うかい?君は、これ以上伸び代がない彼女が、レースに勝てると、そう言うのい?」

彼は、まだ残っているタバコを強引に、取り出した携帯灰皿に押し付け、「それは絵空事だ。」と、そう続け、俺に問いただす。 

「...あいつ、あんだけ惨敗した選考会レースのあと、俺に、走るのが楽しいって、言ってきたんですよ。」

質問に対しての答えになっていないことは十分承知で俺は続ける。田辺さんも黙って俺の話の続きを促す。

「びっくりしましたよ。何言ってるんだこいつってね。でもね、あいつ好きなんですよ、純粋に走ることが。だから、誰かと競うとか、順位を決めるとか、血筋だとか、本来、そういうこと気にする柄じゃないんです。...それに、あいつが今ここまで頑張って走ってるのって、自分のためだけじゃないんですよ。」

あの子が勝ちたいと言った理由。それは、周りを喜ばせたい、その一心だけだった。自分の走りを見て喜んでる人をもっと喜ばせたい。その一心で、彼女はレースに勝ちたいんだと、そう言っていた。

「だから、彼女は何度でも立ち上がります。劣等感とか、悔しさとか、そんなのを感じないぐらい真っ直ぐに走ることを愛してる彼女は、周りのために勝ちたいって、そう言った優しいあいつなら、きっと、何度負けても、努力が報われなくても、何度劣等感を感じても、きっと、どん底から這い上がります。」

風が吹いた、芝を揺らす4月の風は妙に心地良く、俺はその感覚に少し安堵感を覚えた。

彼女だって、きっと負けることがこれから苦しくなるだろう。怖いのだろう。そんなことはわかっている。けれど、それでも彼女はきっと走り続ける。走るのが楽しくて、周りの人の笑顔が大好きなあの子は、きっと走り続ける。....そして、いつか、必ず勝ってくれる。

希望的な観測。押し付け。願望。彼女がかかえる不安を分かり切ったかのように語る自分に、次のレースで勝てると言い切れない自分の指導の不甲斐なさに、勇気のなさに、思わず苦笑いが出そうだ。でも、どんなに自分よがりな答えだとしても、俺は、ウララを、好きなことにまっすぐなあいつの走りを、勝ちたいと言ったあいつの言葉を、努力の可能性を、信じたい、だから、

「信じたいんです。俺、努力とか、好きな想いとか、そういう報われない何かがきっと何かを掴むんだって。...だから、俺はあいつの走りを信じてます。」

「...はは、それは結局、お前のただの独りよがりだな。...敗北し続ける悔しさから目を背け、勝てるという願望を彼女に押し付けているに過ぎん。勝てる算段もなく、お前の理想で、願望で光を見せて...そうやってお前は、あの子を苦しめるのか?」

そう言った後、田辺さんは少し悲しそうに笑い観客席を後にした。

ウララはおーい!と言いながら観客席の俺のほうかけてくる。そんな彼女を見ながら

「そんなこと、わかってますよ。」

そう短く、つぶやくのだった。

 

模擬レースを終え、最終調整を行い、ウララは万全の状態となったいた。キング達とのレース後、俺はウララの弱点、強さを再確認し、レースに向けての最後のミーティングをウララとトレーナー室で行っていた。

ウララは過去に成績を収めていない、いわば、期待値が限りなくゼロに近いウマ娘であるため、トレーナー室には、他の馬娘のトレーナー室のような戦略を分析してくれるAI付きモニターやマッサージ機など、高価なものはなく、ただ簡素なソファーとパソコンがポツンとあるだけだ。

「よぉーし!いよいよ明日だね!本番!

楽しみだなぁー!私ね!レースの後、キングちゃんとバクシンオーちゃんと友達になれたの!うれしぃ〜なぁー、あの子達もね、出るんだよ!トゥインクルシリーズに!ぜぇーーったい、負けないもんね!」

ソファーの上ではねたり机の上で作業している俺の周りをぐるぐるしたり、レース前の緊張というよりも、レース前の楽しみで、ウララは落ち着かない様子だ。

「彼女が勝てると思うかい?」

田辺さんの言葉がふと頭をよぎる。ウララは、限りなく限界に近いトレーニングを常にこなしてきた。一度も逃げ出さず、最後まで全力でこなしてきた。本当に、大丈夫なのだろうか、もし、この開幕戦、優勝はできなくとも惨敗なんて結果になれば、この子は、

「ねー、トレーナー!」

マイナスな思考になっているところを、ウララ

の声でなんとか止める。

「あのね!昨日ね!商店街のおじさんがね!にんじんたくさんくれたの!明日頑張るんだよ!って、おばちゃんもね、応援に来てくれるんだって!なんだって私の初デビューだからね!みんなにみてもらわないと!」

そう嬉しそうに語り、ウララは何やらスマートフォンをいじり出した。

「あとね!お母さんからもメッセージきてたの!」

そういうと、ウララはメッセージアプリを開いて俺に見せてきた。

 

精一杯走り抜いてきなさい。

 

メッセージはたったそれだけだった。けれど、ウララはそのメッセージを見ていつもの笑顔をより輝かせ、俺の隣にある小さい椅子に座った。

「私、いろんな人に応援されてるんだなぁーって、今日わかったの。」

ウララは、いつになく真剣な表情になり、俺の目を見つめる。

その桃色の目を見ていると、なんだか吸い込まれそうで、俺はつい目を背けてしまった。

「いろんな人に応援されて、頑張っておいでって励まされて、それでね」

言葉を区切り、ウララは少し黙ってしまった。

俺はそれを疑問に思い再びウララの方を見つめる。ウララは窓の外を見つめており、その横顔はどこか寂しそうだった。

「誰もね、1番になってねって、言わなかったんだ。」

その時のウララの声は、どこか寂しそうで、だから俺は、思わず声に出してしまった

「..勝て。」

あまりにも小さい声だったから、その声は届かなかったかもしれない。

ウララは先程の寂しい表情を変え、今度は嬉しそうに俺の方に振り返った。

「でもね、私とトレーナーが初めてあったあの日。トレーナー、私に言ってくれたでしょ?いっしょに勝利を目指そうって」

医務室にいたウララをスカウトしたあの日、俺はウララに共に勝とうと、そう約束をしたのを思い出した。

ウララは先程と同様、真っ直ぐな瞳で俺を見つめている。俺も今度は目を逸らさず、真っ直ぐに見つめ返す。目を逸らしては、いけない気がしたのだ

「トレーナーが初めてなの。私に勝って欲しいって言ってくれたの。だからね、私ね」

そこで言葉を区切り、こう続けた。

「絶対に、勝ってくるね。」

その声は俺の迷いを、弱音を、全て打ち砕いた。勝ちたい、ではなく、勝つ、そう言い切った彼女はもう今日は帰って寝てくるね!明日に備えていい夢見るんだ!といつもの調子でトレーナー室を後にした。

「ああ、勝とう。」

どこまでも人のために走る彼女。その彼女の走りを信じることは、きっと彼女をこれから苦しめることになるんだと思う。それでも、俺は、勝ってくると言った、あのこの言葉を、信じたい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

たった1人の期待に応えることがこんなに怖いことだって、知らなかった。もう、このゲートに入ってしまえば、何もかも始まってしまう。私の勝ちを待ってくれる人がいる。それが、こんなにも怖いことだってしらなかった。だけど...怖い分だけ、勇気がでる。

トレーナーが小さくつぶやいてくれた言葉。勝て。頑張れでもなくて、無理しないでいいよでもなくて、今まで私にくれた応援の中で1番短いその言葉は..私にとって、1番勇気が出る応援だった。

ゆっくりとゲートにはいり、開くのを待つ。歓声が響いていた場内は静まり返り、目の前にはダート場が私を招くかのように静かに広がっていた。土煙をまとった埃っぽい風が心地いい。ゆっくりと姿勢を低くして、このうるさい心臓を止めて欲しくて、早くスタートを待った。こんなにスタートしたくなったの、初めてだよ。

「...勝つね。」

私は、何度目かわからない呟きをして、目の前のゲートを見つめる。この言葉を言うと、自然と呼吸が落ち着く。

そして、ゲートが開いた。

 




コメントしてくれると嬉しいです!読んでくれてありがとうございました!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

薄れいく意識の中で

『さあ!まもなく始まります!トゥインクルシリーズ開幕戦、東京ダートレースOPジュニア部門!各ウマ娘、それぞれゲートの中に入っていきます!』

ゲートの中にそれぞれのウマ娘が入っていき、スタートを待っていた。馬券予想では1番人気、2番人気、3番人気、その中に当然ながらウララの名前はなかった。トゥインクルシリーズで勝ち上がっていくには、ここで少なくとも5着以内でゴールしなくてはならない。10人中5着だ。今の彼女なら充分可能ではあるが、俺も彼女も、今回のレースで狙っているのはそんな順位じゃない。

スタートが始まるまで、まるで自分が走るのではないかと言うほどの緊張を覚えていた。

『本日の1番人気はブームアバンク!彼女の逃げは本レースの中ではトップクラスです!2番人気はー』

スタートまでの間、テレビやラジオでは実況を聞いて待っていられるから少しはマシだろう。だが、俺は今関係者室からではなく、ゴールゲートからウララのレースを見ている。スタート前の場内は静かで、さっきまでの歓声が嘘のようだ。まるで別世界に来ているかのような感覚をおぼえる。

『いま!ゲートが開きました!各ウマ娘順々に位置どっていきます!開幕順調に飛ばしているのはブームアバンク!やはり作戦通り逃げをきめるか!?しかしその後ろ、ジュエルエメラルドがガッチリとマークしている本日4番人気!さあ2馬身ほど離れてミニデイジー、ハイドロホップと続いて、ハルウララ!第二コーナーにさしかかります!』

スタートと同時に場内に歓声が響きわたる。ウマ娘達の蹄鉄の音がその歓声によって加速するかのように速くなっていく。土煙が、彼女達の周りに激しく巻き起こっていた。

ウララはスタートしてから五番目の位置どりに成功した。いい位置だ。ここからなら第三コーナーの仕掛けにも対応できるし、第四コーナーの直線にも入りやすい。ただ問題は逃げのペースがどこまで持つかだ。仮に、先頭のブームアバンクがこのままのペースで逃げ切るのであれば、確実に負ける。

「たのむ」

ダート場を踏みつけるウマ娘たちの蹄鉄の音が、徐々に大きくなってきた。もうすぐ第三コーナーにさしかかる。逃げのペースが落ちない。ジュエルエメラルドは完全に落ちたが依然先頭のペースは変わらない。この距離だと、差し替えせるかどうか

ーーまずい。ーーー

ブームアバンクと集団の距離が、3馬身ほどになっている。これ以上ひらくと、ウララの足では間に合わない。かと言って第三コーナーで仕掛けても最後の直線でおそらくガス欠になる。このままでは...

『おおっと!第三コーナー集団のなかから抜け出したのはミニデイジー!その後ろ!ピッタリとついていくのは十番人気ハルウララ!これは予想外の展開です!ここから差し替えせるかミニデイジー!ハルウララ!先頭までおよそ2馬身のところまで来ております!』

そんな焦っていた俺の思考を、目の前の戦況が遮った。

ウララは本来仕掛けるはずの第四コーナーよりも先に動いた。こうするしかなかったが、東京ダート場opの最後の直線は長い。コーナリングの技術がない彼女が抜け出した後、なかったスタミナで最後まで加速しきれるかどうか...

「...勝て!ウララぁあぁあ!」

俺にできることは、これしかない、声が張り裂けるまで、彼女に、想いを託すことしかできない。だから俺は、

「勝て!勝て!勝て!勝て!勝て!うららぁぁ!!!」

第四コーナーを抜け、もう残り600の直線、目の前を駆け抜ける桃色の少女に、今までで一番の大声を、想いを、力の限り投げかけた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

スタートしてからの位置どりには成功した。でも第三コーナーに入るまでに吸収しなきゃ行けない先頭の加速が止まらない。それに、

ーーみんなの圧が、凄い

みんなの息遣い、迫力が伝わってくる。レースの先頭集団はこんなにも息苦しい場所なんだと初めて知った。

第三コーナーを抜けて、逃げていた2人のうち1人落ちてきたところを、1人が差し返して前に飛び出した。私は、本来ここでさすべきじゃない。もっと足をためて直線で順位をキープしてゴールしないといけない。でも、そんなレース、私も、きっとあの人も望んでない。私は抜け出した子の背中に食らいつくため、強引に集団から抜け出した。体をぶつけ合っても重心が保てたのはトレーナーの筋力トレーニングのおかげだと思う。

激しく地面を蹴って私たちは先頭についた。私を含め3人。第四コーナーを抜けた。私はコーナリングがまだ下手くそだ。それでも左コーナーを重心をうちにしてなんとか切り抜け直線にはいる。既にコーナーで二番手に少し差をつけられてしまった。息が荒い。視界が霞む。でも足は動いてる。目の前には、追い越すべきウマ娘がいる。でも、足が重い。加速が、できない、、あんなに練習したのに、あとちょっと、なのに、あと...

 

「勝て!勝て!勝て!勝て!勝て!うららぁぁ!!!」

 

一瞬、いつも聞いてる穏やかな声じゃなくて、私は誰なのかわからなかった、でも、こんなことを私に言ってくれるのは、世界で1人だけだから、だから

動け!私の脚!!!

「はぁ!はぁ!はぁ!はぁ!」

短い息をつき酸素を吸い込む。それの繰り返し。血液が沸騰してる。ちぎれるぐらい脚を動かして並んだ、先頭、視界がかすみすぎて自分が二番目にいるのか三番目で競り合っているのか、もしくはもう集団でせっているのか、それすらもわからない。だけど、

あの人が私に叫んでたから、約束したから

だから、私...

「1番に、なれぇええええええ!」

自分に言い聞かせるように、私は、ゴールラインをわった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

控え室に入ると、そこにはウララの応援に来てた商店街の人々がくれた沢山の荷物があった。

「うわー!みんなこんなにくれるの!ありがとー!」

レース後、走り終わった彼女の元に我先にと言わんばかりに、おじさんやらおばさんがにんじんの沢山入った、段ボールやジュースの詰め合わせやらをウララに渡そうとしてきた。流石にレース場に入るわけにはいかず、控え室には関係者以外立ち入りできないからと、それを俺はウララの代わりに受け取り控室に運んでいた。控え室に行く間、後ろでウララと商店街の人々会話が聞こえた。

「いやー!すごかったね!ウララちゃん!最後の直線!まさかまさかだよ!おめでとう!」

「うん!私、速くなったでしょー!」

「ええ!ほんとに、流石ウララちゃんだわ!」

「あのトレーナーさんにも感謝せなあかんなぁー、ウララちゃんをこんなに凄い子に育ててくれて、わしはわしは、、うぉおお!!」

「ちょっとあんた泣かんといてな恥ずかしい!」

「お前も、な、ないとるや、ないか!」

なんともまあ賑やかなことだ。俺はその会話から逃げるように荷物を控室へと運んだ。

控え室でウララの帰りを待つか、トレーナー室に戻るべきか迷っているところに、ウララは帰ってきた。

「いやー!みんな大喜びだったよ!私の活躍にびっくりしてたね!トレーナーもびっくりした?」

ウララはレースの後の疲れを忘れたかのように元気な笑顔で俺にそう聞いた。

「...ああ、驚いたよ。ほんと、最後の直線は見事だった。よく持たせたな...最高の走りだった。」

「うん!まさか第三コーナーから仕掛けて足が持つなんて思わなかったよ!私成長したんだなぁー...ほんとに。」

彼女はそこで初めて、笑顔をなくした。

そして、膝から床に倒れ、控え室のドアに背をもたれ掛けた。

「!?大丈夫か!?」

突然のことに対応できなかった俺はすぐにウララの元に向かった。彼女はうつむき、その表情はわからない。

「大丈夫だよ、トレーナー、ちょっとヘロヘロになっただけ...さっきまで、ずっと座るの我慢してたから、へへへ...」

ほんと、みんな話長くて困っちゃうよぉー

そう彼女は、声を震わせながら続けて、いつもよりも不自然な笑みを俺に見せた。その笑みは引きつっており今にも崩れ出しそうだった。

限界、だったんだろう。 

彼女は再びうつむき、少しくたびれた声で、言葉を紡ぐ。

「みんな、褒めてくれたよ、沢山沢山、頑張ったねって、よく走りきったね!って...3着なんて凄いぞ、って...みんな、すごく喜んでくれてた。トレーナーにね、最高の走りだったって言われて、嬉しかった。」

次第に、彼女の声は震えていく。

「わ、私、最高な走り、でき、たんだもん...沢山みんなに褒められたもん...たくさん練習できたもん...だから、私...わた、し、」

全然、悲しくなんてないよ。

そう声に出した彼女は涙でぐちゃぐちゃになった笑顔を、俺に見せた。

「...あれ?や、やだなぁー、なんだろこれ、止まんない、なんなんだろーねー!ほんと!ねー、もうお願い、止まって、私、なんで!」

...悲しいに、決まっているじゃないか。

悔しいに、決まっているじゃないか。

今まで、敗北し続けた彼女が、ここまで頑張って、歯を食いしばって、初めて、1番になるために、意識が切れそうになるまで走り切ったんだ。

「あと、ちょっとだったのに!ほんとに、少しだったのに!なんで!」

ウララと1着のブームアバンクの差は0.2秒、二着のミニーデイジーとは0.1秒差だった。

「...トレーナー、負けるのって、悔しいね」

涙を流し続ける彼女はそれっきり言葉を失った。

まだレースはある。これで終わりじゃない。君は予選を突破することができた。そんな言葉きっと今のこの子には意味がない。勝利を逃すこと。その苦しみを味わってるこの子には、次がどうとかは関係ないのだ。死ぬまで足掻いて、努力して、それでも勝てなかった、今が苦しいんだ。だけど、俺はこの思いを伝えなくてはいけない。

「...あのね、トレーナー、約束したのに、勝てなくて」

「ありがとな、ウララ。」

勝てなくてごめん。そう謝ろうとした彼女の言葉を、俺は遮った。

おそらく彼女は俺の言葉の意味がわからなかったのだろう、キョトンとして首を傾げていた

「...俺に、お前の全力を見せてくれてありがとう。」

俺は床にペタリと座り込んでいる、子猫のような少女の目線に合わせて地面に座り込み、頭を撫でる。

「俺に、勇気を与えてくれてありがとう。」

「努力が、好きって思いが、どれだけの力を持ってるかって言うのを教えてくれてありがとう。」

彼女はもうひとしきり泣いたのか俺の顔を少し潤んだ瞳で見つめている。

俺はその桃色の瞳をじっとみつめて、こう続けた。

「でも、まだ何も掴めてない。」

その言葉は、彼女にどう聞こえたのだろうか。ハッと気付いたかのようにも捉えれるし、傷ついたように見えた、びくりと肩を揺らし、彼女は再び俯いた。それでも、俺は構わずに言葉を続ける。

「お前の想いは、努力は、周りに勇気を与えてくれる。力を与えてくれる。でも、お前自身は...俺達は、まだ何も掴めてないんだよ。」

彼女の走りで、頑張ることの勇気を、走る楽しさを、きっとこのレースで感じた人は多いはずだ。商店街の人々、彼女の母親は勿論、周りの客も、今までの戦績で負け続きだったこの子が3番手にくるなど、予想だにしてなかったはずだ。だからこそ、その走りに感動するものは多いはず。でも、俺と彼女が掴みたいものは、これじゃない。まっすぐに伝えるのは恥ずかしいから、俺は回りくどく伝えることにした。

「だから、ウララ、絶対に出るぞ」

「...でるって、何に?」

「G1、フェブラリーSだよ。」

彼女は何それと首を傾げている。

はぁー、これからかっこいいこと言って慰めようとしてたのに!もう!せっかくいい雰囲気だったのによ!ほんとに!お前ってやつは!

そう悪態を心の中でついたつもりだが思わず口に出てたらしい。彼女はそれまでポカンとしていた表情を一変させ、しんなりと頭に垂らしていた耳を上にピンっと張り、

「はぁ!そんなの知らないもん!だいたい!私が謝ろうとしたらトレーナーが遮ってきたんでしょ!意味わかんない!なんなのそのジーワンフェブラリーエスってやつ!言いにくいし!ジーワンってなに!フェラーリってなに!」

「G1はレースの最高峰だろ!あとフェラーリちゃうわフェブラリーだよ馬鹿やろう!ウマ娘ならこれぐらい知っとけよぼけ!あのな!いいか!これに出るってことは今後のレース常に勝ち続けるぞってことなんだよ!フェブラリーSにでるには資格がいるんだよ!とりあえず色んなレースで勝たなくちゃいけねーの!つまり、あーもう!俺はお前に今後勝ち続けろよって意味で、お前を信じ続けるぞって意味でこのレースに出るぞって言ったの!なのに!お前ってやつわ!」

「だ、だってわかんないもんはしょーがないじゃん!それだったら今後、一緒に勝ち続けよって、私を信じてるよって言ってくれればよかったじゃん!それに!今後とかそういうの別に今いらないもん!」

「う、うっさい!ちょっと恥ずかしかったんだよ!それにな、いつまでもメソメソされてたら困るんだよ!お前は俺と、勝つんだろ!だったらこんな敗北でくよくよすんな!」

「こんな敗北って、」

「ああ!こんな敗北だよ!マジで惜しいなちくしょう!なんだよあの先頭の馬娘、チートだろあんなの馬鹿野郎!」 

一度愚痴を言い出した俺の口は止まることを知らず、次から次へと罵声が飛び出る。

これ、他のトレーナーに聞かれてたら

....マジィーなぁー

「そ、そそそぉーだよ!ち、ちーと?だよ!ちーと!よくわかんないけどちーと!」

俺たちはお互い大声でどなりあい、わめき、そして、俺たちは声が枯れるまで笑いあった。笑って笑って、俺も彼女も、溢れてくる涙を誤魔化した。

『まもなく、次のウマ娘のかたが控え室をご利用されるので、まだいらっしゃるウマ娘の方、トレーナー様方は速やかにご帰宅の準備をお願いいたします。』

「帰ろっか。」

「...そだね。」

ウララはレース服の上にジャージを羽織り、荷物を入れたリュックを背負った。俺は商店街の人々の荷物をかかえる。

トレーナー用の車に荷物を乗せ、俺は運転席に、ウララは助手席に乗り、帰りについた。

俺たちはその間何を話すでもなく、ウララはぼーっと、窓の流れる景色を眺めていた。

「ごめんね。」

急にウララがそう呟いた。横目で見ると、どうやら寝てしまっているようだ。それもそうだ。限界まで使っていた体を、アドレナリンで持ち堪えさせていたのだろう。

誰に謝ったのかわからないその寝言を、俺は都合よく受け止めて

「勝たせてやらなくて、ごめん。」

「辛い思いをさせてごめん。」

一度出た言葉は、止まることはなく、

「お前を、泣かせてしまって、ごめん」

彼女の涙を見て、胸が締め付けられた。こんなにも苦しい思いをさせたのかと、ひどく後悔した。彼女を、勝たせてやらなかったこと、彼女に、涙を流させてしまったこと、なによりも、彼女を傷つける選択をしてしまった自分自身への怒りで、悔しさで、後悔で、涙が止まらない。我慢してたものが溢れるかのように流れてくる。だけど、それでも、

「それでも俺は、勝ちたいんだ。」

彼女がそれを望むように。俺も勝ちたい。俺が信じた彼女の力で、掴み取りたい。だから、敗北で彼女を傷つけてしまう苦しさを、悔しさを、痛みを、受け止めなきゃいけない。それがレースに出るということだから。それが、トレーナーとして、彼女と共に戦うと言うことだから。

ハンドルを握る手が震えるのを必死に抑え、泣きじゃくる声を懸命に抑える。

「..必ず。君なら勝てる。」

震える声で、彼女に言い聞かせるように、願うように俺は呟き。アクセルを踏み込んだ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

その時私はとても眠たくて、だからトレーナーにちゃんと言おうと思ってた言葉を呟いた。ごめんねって、ちゃんと言っとこうと思って。そしたら、トレーナーが謝ってきて、私以上に泣いててびっくりして目が覚めちゃったもん。でも、起きててよかったと思う。

トレーナーはちゃんと口にしてくれた。

「..必ず。君なら勝てる。」

だったら私がすることはくよくよすることじゃない。またウララーな気分で、楽しく走り続けて、そして、必ず勝つところをトレーナーに、みんなに見せることなんだ。

段々と意識が遠のいてきて、少しだけ開けてた目を閉じていく、横目で彼を見ると、子供みたいに泣きながら運転してたから少し可愛くて、おかしかった。そんな光景を愛おしく見つめながら私は、いつもならレースの後すぐに思うことを、薄れていく意識の中、今日この瞬間に感じた。

 ーーー走るって楽しいな。




読んでくれてありがとうございます!
コメントとかしてくれると嬉しいです!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

恐怖の先に

少し長めに書きました。


「あともう1本!ラストのカーブにある坂路を走る時、ストライドよりもピッチを意識することを保て!」

俺とウララは今高知の競馬場にきていた。彼女の生まれが高知であったことと、ダート場が設備されていること、フェブラリーSにでるためにまず必要なG3のレースプロキオンSに出場するための実績、そしてファン数をここで行われるレースで確保できるメリットを考え、俺は高知にウララと共に拠点を移した。トレセン学園からは遠隔で授業を受ける条件で承諾を得ることができた。これがトウカイテイオウやシンドリルドルフ、エアグルーヴなどのウマ娘ならそうはいかないだろうが、選考会、開幕戦で結果を残せなかった彼女にはトレセン学園に留めておくメリットがないと考えたのだろう。

1400メートルのダート場を懸命に走る彼女。

俺はそんな彼女を見ながら考えていた。

あの敗北の後、トレセン学園に残り、東京で20回、高知に来て15回レースに出たが、4着、2着、5着、4着、3着という風に続いている。確実に強くはなっているものの、結果は正直、一度も出せてはいない。試合で負けるたび、彼女は何度も涙を流し、けれども次の日にはけろりとして練習に参加している。その心情は正直わからない。何度も同じ思いをして、それでも笑っていられる彼女は、どこまでが本心で笑っているのか、どこまでが無理をして笑っているのか、どこまで、今の彼女の心はすりへってしまっているのか、俺にはまだそれがわからなかった。

田辺さんの言葉が、試合で彼女が負けるたびに、涙を流すたびに、俺の頭の中に響く。

『あの子はいくら頑張ってもトゥインクルシリーズで勝つことはできない。その劣等感に、努力しても報われない現状に、周りの人間においていかれる焦燥に、彼女は勝てると思うかい?君は、これ以上伸び代がない彼女が、レースに勝てると、そう言うのい?』

土煙を上げながら全力で走る彼女は一度もまだ弱音を吐いていない。勝てない焦燥に、劣等感に、まだ負けていない。だけど、いや、

彼女なら、絶対にそんなことは考えない。

俺は雑念を頭から振り払うように、最後の直線に入ったウララに檄を飛ばすのだった。

---------ーーーーーー

プロキオンSまで残り1ヶ月。4月を抜け5月に入り、寒さの残った季節がだんだんと暑さを増してきた。俺は今日のウララのトレーニングを終え、彼女の走りのタイムや最終調整に必要なメニューを考えるために高知競馬場の隣にある小さな公園で軽くパソコンを操作していた。

G1フェブラリーSに出場するには重賞ウマ娘、つまり、G2.G3で賞をとり、S級ウマ娘にならなくてはならない。そして、それらのレースに出るにはダートレースOPでの連勝、もしくは上位入賞、そしてファン数の獲得が必要だ。

ウララは未だ連敗続きながらも確実にファンの数を増やしていた。高知新聞にも取り上げられ、『勇気のもらえるウマ娘』として紹介されていた。[諦めない走りに元気をもらえるんです] [どんな順位でも笑顔なところがいいですよね!]その記事にはファンの声が数々載っており、ウララの頑張る姿に関するコメントがたくさん寄せられていた。

その記事をウララはみるなり、

「えへへー、私、勇気のもらえるウマ娘なんだって!凄いでしょ!」と嬉しそうに語っていた。G2レース、根岸フェブラリーSに出る資格は連勝記録こそ取れなかったが、徐々に増えたファン数と、着々と伸ばしている順位のおかげで獲得することができた。

けれど、G2レースで3着以内になれなければ、彼女と俺の夢は終わる。

....勝たせてやれない。

彼女の頑張りに、努力に、見合った結果を、俺はまだ一度も彼女に与えれていない。そんな自分に、現実に俺は、どうしようもない怒りを覚えた。ーそしてー

「...ごめん。」

自然とそう、呟いていた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私は久々に帰ってきた地元に、安心感を覚えていた。トレセン学園に進学したくて東京まででて、楽しく過ごせていたのは事実だけど、地元のみんなと離れた寂しさがそれでなくなったわけじゃなかった。トレーナーとプロキオンステークス、やっと名前を覚えたこのレースに向けてたくさん練習した帰りは必ず、ここの商店街を通ることにしている。

高知競馬場から軽く走って10分ぐらいのところにある私の大好きなこの街。私がここに住んでた時にあったお店がいくつかなくなってて少し寂しい気もするけど、でも、ここの居心地の良さは変わらなかった。何となしに商店街をあるき、私は小さい時からよく通ってたコロッケ屋さんの前にきた。

「あら!ウララちゃん!今日もお疲れ様!いつものでいいかい?」

「うん!いつものにんじん入りコロッケひとつ!」

「あら?今日は一つでいいのかい?なんなら、もひとつサービスするよ?」

いつもは二つ以上頼む私が一つしか頼まなかったことを怪訝に思ったおばさんは私にコロッケをもう一つ追加で渡そうとする。

「ううん!本当はね、私も食べたいんだけど.....」

レースが近く、体重を落とさないといけないことを伝えるとおばさんは、あら、そりゃ悪いことしたねぇーと笑ってコロッケを一つだけ渡してくれた。コロッケをかじりながら懐かしい商店街を抜けて、私は家に着いた。

初めて東京から実家に帰った時、母は病院に入院しているため家にはおらず、父は大阪に職場があるため、祖母しかいなかった。

「たっだいまぁー!」

元気に扉を開け、中に入ると祖母の声はしなかった。いつもは出迎えてくれるからきっと買い物に行っているのだろうと思い、玄関で靴を脱ぎ、リビングに向かう。

「おかえり。」

リビングにいくと、少し白髪が増えた父がいた。

「え!お父さん!?帰ってたの!?」

父は、高知の本部にまた戻されたのだと私に伝え、それっきり何も言わずにテレビをつけた。

父は昔から寡黙な人で、それでも私と母にとても優しくしてくれていた。

『さあ!本日のダービーウマ娘はここまでとなります!最後に、細川さんの一押しのウマ娘の紹介で終わりましょう!』

テレビからはダービーウマ娘という次の有馬記念を取るであろウマ娘たちを紹介する番組がやっていた。

『そぉーですね、やはり私の一推しはサイレンススズカです。彼女の逃げについていけるウマ娘はそうそういませんよ。』

細川さんというおばさんが一推しのウマ娘について解説を入れたところで父親は番組を変えた。

次に父がうつしたのは高知県の地元の番組で、そこでは私が何度負けても諦めない、『勇気のもらえるウマ娘!』として紹介されていた。

「あ!これ私がこの前取材されやつだ!」

私はそう父に自慢してどんなことをしゃべったかを伝えた。でも父は何も言わずに、黙ってテレビを消してしまった。

「え!お父さん!何で消すの!?」

私は父に自分のインタビューされてるところを見てもらいたくて、もう一度テレビをつけようとリモコンに手を伸ばす

「まだ、レースに出てるのか。」

けれど、その一言で手が止まった。

「....うん、こ、今度のプロキオンステークスってレースにも出るんだよ!このレースの名前なかなか覚えれなくてさー!最近、なかなか勝てないけど毎日トレーナーと頑張ってるんだ!タイムもちょっとだけだけど上がってきてるし!うん!次はいけると思うの!」

何度も、何度も自分に言い聞かせた言葉を、父に伝えた。なぜか知らないが、変な汗がでてくる。

「そうか。」

それだけ父は言うと、キッチンに向かった。

何か飲むかと聞かれ、私はココア!と答えて、やっぱりお茶でいいと言った。

レースの為に今よりもあと3キロ、筋肉をつけながら落とさなくてはいけない。勝つ為に、少しでも削れるものは削りたい。

父は両手に自分用のコーヒーと私のために入れてくれた緑茶をもって、席に座った。

父が入れてくれた緑茶からはまだ入れたてだから熱い湯気がたっていた。

「よく、冷まして飲めよ。」

父はそう言うとコーヒーを一口、すすった。

私もふー、ふー、と緑茶をさまして、一口飲んだ。あったかい風味が、体に心地良い。

「...ウララ」

父は何も映っていないテレビ画面を見ながら、ふと口を開いた。

私は、なに?と返して父の言葉の続きをまった。

「走るのは、楽しいか?」

その質問が父の口からでたのは、何年ぶりだろう。私がトレセン学園に行くと言った時、父は反対した。レースでの結果が求められる学園に、お前を入れることなどできないと。あそこまで感情的な父を見たのは初めてで、少し怖かったのを覚えている。でも、最終的には認めてくれた。志願書に父がサインしている時、私に、走るのは好きか?、と唐突に聞いてきたのを覚えている。

あの時はすぐに答えることができた。自然とでた笑顔で、だって、走るのが楽しいなんて、当たり前のことだから。当たり前のはず...だった。なのに、

「....うん!楽しいよ!」

私は、すぐに答えることができなかった。

「あのね!トレーナーとね、今までとは違うメニューを最近やってるの!なんかねー、坂道をね、」

私は、それを誤魔化すかのように、必死に、笑顔で、走るのが好きだと、トレーナーとする練習が楽しくて仕方ないのだと、そう父に伝えた。

そう、楽しいんだ。走るのは楽しい。トレーナーと練習してく中で確かに成長はしてる。楽しいんだ。強くなってる。大丈夫、辛くなんてない。次は勝てる。大丈夫、大丈夫、、絶対に、大丈夫なんだ。

不意にでそうになった言葉を、逃げ出したい感情を、私は懸命に、心の中にのみこんだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

俺はウララの出走登録を済ませ残った事務仕事を終え、プロキオンSに出るために東京に戻る準備をしていた。最終調整はトレセン学園内で行うことにし、その時間や詳細をウララにメールで送った。彼女からは了解!と言うふた文字とスタンプがすぐに返信され、その元気そうなスタンプに少しの安堵を覚えた。

荷物を整理していると、今日の練習中の彼女を思い出した。

残りの400メートル、最後の追い上げ、いつもなら全力で走りきる彼女は、明らかにいつもよりもペースダウンして走しりきった。

どこか体調が悪いのかと聞くと、平気平気と彼女は答え、タイム出せなかったからペナルティで走り込んでくる!といい何本か坂路を走りに行った。

もしかしたら、彼女はもう走りたくないのかもしれない。

そんな不安が、最近よく生まれる。何度も打ち砕かれ、きっと、普通のウマ娘ならここで平然とやめるはずだ。勝ちのない中でウマ娘としてレースに立ち続けることができるほど、この世界は甘くはない。そんな現状を、きっと彼女は分かった上で今もなお走り続けている。それは、きっと彼女がまだ自分の走りを信じているからだと、勝利を望んでいるからなのだと、そう信じて、俺は嫌な考えを捨てる。荷物をまとめ、忘れ物の確認をしていると、蹄鉄の雑誌を見つけた。

そう言えば、ウララは支給された蹄鉄をずっと使ってるな。

トレセン学園に入学すると同時に、ウマ娘達は必要なレース道具を必要とされる。その際、ウマ娘達は、彼女達の脚力を支えるのに必要不可欠な蹄鉄(靴のつま先あたりに入れる錘のようなもの)を支給されるのだが、それはあくまで支給用であり、彼女達の脚力などは一切考慮されていない。

俺は携帯を開き、ウララにメッセージを送る。

 明日、東京に帰った後、練習終わりに

 時間あるか?

しばらくして、あるよーと返信が来た。

蹄鉄を見に行く以外にも、何か彼女の疲れを癒せることをしようと考え、俺は久しぶりにデートプランのようなものを考えたのだった。

 

トレセン学園に戻るために、荷造りなどの準備をしているとトレーナーからメッセージがきた。

明日、東京に帰った後、練習終わりに

 時間あるか?

なにするの?と聞こうと思ったが、楽しみにしていようと考えてあえて聞かなかった。

支度を終えて自室からリビングに出ると父が机に伏せて寝ていた。父は晩御飯の時に酒を飲んだ後は、大抵こうして机の上で寝てしまう。けれども、次の日には普通に起きて出社するから少し面白い。私は父にそっと毛布をかけて、今日父に言われたことを振り返る。

ー走るのは、楽しいか?ー

ずっと、考えないようにしてた。考えてしまうと、トレーナーとの約束が、守れなくなるから。トレーナーの言葉を、考えを、全て裏切ってしまうことになるから。でも、父の言葉を受けて、私は思ってしまったんだ。

ーーー楽しく、ない。ーー

わかってたことではあった。その覚悟もあったつもりだった。毎日ギリギリまで追い込んで、全力を出して、自分がやれる限りのことはしてきた。でも、何もでない。何も掴めない。なんで私はこんなに苦しいことをしているのだろう、なんでレースに出ているのだろう。何十回、私は涙を流したのだろう。何十回、私は自分のことが嫌になっただろう。本気になってるからこそわかる、悔しさを、あと何回味わえばいいんだろう。辛い、悲しい、何より...トレーナーの期待に応えられないことが、怖い。もし彼に、見放されたら私はどうしたらいんだろうか、彼の信頼が無くなった時、彼と走れなくなってしまった時、私はどうしたらいんだろう...彼は、私が勝てることを、あと何回待ってくれるのだろう。そんな恐怖が、辛さが、走る度に私を襲う。

「まだ、起きてたのか。」

自己嫌悪に押しつぶされそうになってる時、父の声が聞こえた。どうやら起きてしまったみたいだ。

「う、うん!明日にはね、もうトレセン学園に帰ることになったの、レースまでの最終調整あっちで行うんだって、いやー、寂しくなるねー。」

私は先程の思いを忘れるように、父に話を振り続けた。

「っというか、ごめんね、物音で起こしちゃったかな?でもダメだよお父さん!ちゃんとお布団の上で寝ないと、腰悪くしちゃうんだからね!お母さんもいってたよー、いつもいつもお父さんはーって」

「....それは、すまない。」

「ぷっ、そ、そんなに真剣に謝んなくても」

冗談交じりで怒っていたことを伝えると、父は本気で怒ってたと捉えたのかしょんぼりとして謝罪をしてきた。それが面白くて、それがなんだが今の私にはとても安心できて、笑いが止まらなかった。

「そんなに、笑う必要は、ないだろう。」

父はそんな私を見て少し不機嫌になる。

「ごめん、ごめん、なんだか、おかしくてさ...ねぇ、お父さん」

ひとしきり笑って、父の顔を見ると、父の言葉が再び蘇った。その言葉に、そして、今私の目を見る父の目に、私の言葉は、もう嘘をつけなかった。

「私ね、正直言って、今、走ることが、辛い。」

一度言葉にしてしまうと、今まで我慢してたのが嘘みたいに、気持ちが楽になった。

「何回も負けることが辛い。勝つために努力しても報われないことが辛い。レースに出るって、こんなに辛いことだって知らなかった。」

目頭が熱くなる。我慢しようにも、止められない。私は、自分の涙脆さを言い訳に、溢れ出る涙を止めようとしなかった。

「なんで私は勝てないんだろうって、なんで早く走れないんだろうって、だって、もう、次で結果出せなかったら何もかもが終わるもん!なんでなの!なんでこんなに私は遅いの!意味わからないないよ!私頑張ってるもん!ずっとずっと努力してるもん!キングちゃんにだってサクラちゃんにだって、誰よりも負けないぐらい、なのに..なんで。」

父は、私の言葉を、黙って聞いてくれている。

「私、嫌だよ。もう、結果が出ない自分を嫌いになるのも、努力するのも...35回もレースに出てるんだよ?それなのに、一回も勝てない。もう、辛いよ。」

これだけ不安を、わがままを口にしても、何も楽にならなかった。ただ、そうやって口に出して逃げようとする自分に対しての嫌悪感が強まるだけだった。

「父さんは...」

静まった空気のなか、寡黙な父がそう口にした

「お前が、笑顔で走る姿を見るのが、すきだった。」

そう言って、父は椅子から立ち上がり、私のもとにかがんだ、膝をおり、私の目からあふれる涙を、優しく拭き取ってくれた。

「母さんと父さんは、どんなに遅くても、楽しそうに走るお前が好きだったんだ、だから、今のお前を見るのは辛い。それはきっと、母さんもおんなじだと思う。」

父は立ち上がり、本棚を漁り出した。そして、アルバムのような白い、分厚いケースを取り出してきた。

「お前の母さんはな、昔、俺と出会う前、それはまあ負け続けの弱っちいウマ娘だったんだ。」

そう言いながら父はアルバムを開いた。中には、今の私に似てる母が、11着でゴールして、笑顔で観客席に手を張っている写真や最下位でゴールして倒れている写真からが山ほど出てきた。

「それでもな、母さんは、あの子は、契約の期限が切れるまで、必死に、最後まで走り続けたんだ。」

母と父は昔、ウマ娘とトレーナーの関係であったことは母から幼い時に聞かされていた。しかし、こんなにも愛おしいように父が語る姿は、予想もしてなかった。

「お前の母さんが、なんで、負け続けても、罵声を浴びせられても、最後まで走り続けれたか、わかるか?」

父は優しく、私に語りかけた。私には、それがわからなかった。何故母は、そうまでして走り続けられたのか、今の私よりも劣っていた彼女が、何故そこまでして走ることにこだわっていたのか、不思議に感じた。

無言で首を振る私に、父は優しく笑い

「それはな、走るのが好きだからなんだよ。」

今までで、1番優しい声音で、父はそう呟いた。

「どんなに負けても、苦しくても、恥ずかしくても、あの子は、最後まで走るのを楽しんでたんだ。走ることが大好きで仕方がなかったんだよ。」

父は写真に落としていた愛おしい目を、再び私に向けた。

「今、お前が逃げ出したくて仕方ないのなら、辛くて仕方ないのなら、父さんは、お前が走るのをやめることを、レースに出るのをやめることを....トレセン学園を、退学することを、絶対に止めたりはしない。むしろやめるべきだと、お前に声をかけるだろう。」

だけど、と父は続ける。

「お前は、そうじゃないんだろう?...好きなんだろ、走ることが、嫌いになったんじゃなくて、怖いだけなんだろ、お前が走って、誰かの期待に応えれないことが。」

その言葉は、私の全てを表現していた。

「お前は、トレーナーさんの信頼に応えれないことが、周りの期待に応えれないことが、自分の頑張りが認められない以上に、苦しくて、つらくて、怖くて仕方がないんだろ?」

涙が、また出てきた。私は父の言葉に、黙って、首を縦に振った。

「だったら、走りなさい。お前を信じてくれる人に、応えなさい。結果がどうなっても、お前を信じてくれる人が1人でもいる限り、絶対に逃げたらダメだ。そうして、信頼を失ったとしても、お前は走り続けないといけない。それが、レースに出ると決意した、ウマ娘の使命なんだよ....なにより、本当は、お前自身、その人から逃げることなんて、望んでいないだろう?」

本当に、父の言葉はすごいなと思った。私の言葉を聞かずとも、ここまでわかるのだから。私の気持ちを、ここまで楽にしてくれるんだから。

私は怖い、努力が報われないことよりも、結果が出ないことよりも、トレーナーの信頼を裏切ることが怖い。彼に見放されるのが、失望されるのが怖くて、辛くて仕方ない。だけど、、私から逃げたら、何も始まらない。

次のレースで勝てなかったら、私のレースはそこで終わってしまう。勝てる保証もない、トレーナーから、嫌われてしまうかもしれない。私の勝ちを、夢を、唯一笑わずにいたあの人の、信頼を裏切ってしまうかもしれない。でも、それでも..

走ることが、私は好きなんだ。

誰よりも、何よりも、走ることが好きだ。

だから、誰のためでもない。

「私のために、走る。」

それは、自然に口をついてでた言葉で、きっと側から見たら自分よがりな言葉に聞こえただろう、結果を残さないウマ娘が、今更何をいうのかと、でも、きっとあの人はそんなこと言わない。あの人は、きっと笑って、そして、全力で背中を押してくれる。

私の言葉を聞いて、父は満足そうに頷いて、キッチンにむかった。

何か飲むかときかれ、わたしは緑茶がほしい!と出来るだけ声が涙声で震えないようにして答えた。その言葉に父は何も言わずに、黙って、私にお茶を入れてくれた。

けれど、お茶を淹れる父の背中は、私に、『頑張ってこい』、そう言ってる気がした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「わぁ!こんなに種類あるんだね!」

いつもの練習着の姿ではなく、青のスウェットに白のスカートをはいた私服姿のウララと、俺はスポーツスプリントという、短距離を専門とするウマ娘の蹄鉄や勝負服を専門とするお店に来ていた。プロキオンSまでの残り期間、約二週間、5月、6月の厳しい合宿やレースを終えた彼女は、勝利はいまだに掴めないものの、全シーズンとは比べ物にならないほどの脚力と、スタミナをつけている。そんな彼女に支給品の蹄鉄を履かせることで本来の素質を上げれるとは到底考えずらい。

「ウララ、店員さんに、いまの体重と脚力、スタミナをそれぞれデータで見せてもらえるか?」

「うん!いいよ!私はね!体重はー」

自分の体重を恥ずかしげもなく公表しようとする彼女を俺は静止し、データを取った資料を店員さんに渡した。

「この数値に適応した蹄鉄をいただきたいんですけど、、」

「かしこまりました、いただきましたデータの方と本店で取り扱っている蹄鉄を照らし合わせてきますので、少々お待ちください。」

俺とウララに対応してくれた20前ぐらいの定員さんは優しく俺に微笑むと、店の奥に消えていった。

「ねね!トレーナー!この蹄鉄ピンク色だよ!」

その間、俺とウララは蹄鉄を見て待っていることにした。彼女は珍しい色の蹄鉄を見つけてははしゃぎ、その軽さや重さに驚いていた。

「大変お待たせしました、こちらの商品などいかがでしょうか?」

そういうと先程はの店員は、ウララが持ってはしゃいでいるピンク色の蹄鉄の前に来た。

「彼女の今の脚力、そして体重をささえるにはある程度の重さと強度のある蹄鉄が必要になります。加えて、お客様はダートコースを走られるということなので蹄がより地面に深く食い込む仕組みのものをおすすめさせていただきます。」

一通りの説明をして、店員はウララの足のサイズにあったピンク色の蹄鉄を俺に差し出してきた。

「ウララ、これでいいか?」

いろんな蹄鉄を一通り見てきた彼女に俺は確認を取った。彼女は、うん!私もね、それが1番欲しかったんだー!と嬉しそうに語り、ウララ〜♪と体を左右に揺らしていた。嬉しい時や楽しい時、彼女はよくこの鼻歌を歌いながら身体を左右に揺らす癖がある。俺は楽しそうに体を揺らす彼女にペットのような保護欲を感じ、即座にこれにしてくださいと、ピンクの蹄鉄を差し出した。値段は正直言って安くはない、けれども、彼女にあげるのならなにも嫌な気分にはならなかった。

蹄鉄を彼女に購入するとき、彼女は、私が払うよ!だって、私お金持ちだし!と胸をはり、俺に一万円を差し出してしきた。しかし、この蹄鉄は5万を軽く超えていたため、そんなに払わなくても買えるから安心しなといい、丁寧にそれを断った。店員に蹄鉄を彼女のレースシューズに埋めてもらい、それをウララに手渡した。彼女は不満そうにそれを受け取っていたが、すぐに余った一万円で俺にプレゼントを買うんだーと気を取り直してウララ〜♪と楽しそうにからだを左右に揺らしていた。

彼女の蹄鉄を買い終えたあと、俺とウララは水族館に向かった。張り詰めた気持ちをリフレッシュするのにはいいとネットに書いてあったからだ。ウララは魚群のコーナーをみて、あそこで大きな口を開けてたらたくさんお魚さんたべれるね!と可愛く残酷なことを楽しそうに喋っていた。俺は、そんな楽しそうな彼女をみて、心からの安堵を感じた。彼女がもしかしたら走ることを嫌がっているのではないのかと、レースを嫌がっているのではないのかと、時折すごく心配になっていた、でも、彼女の楽しそうな様子を見る限り、そんなことはないと確信した。

水族館から帰る時、ふと、ウララが公園によりたいと思い出したかのように言い、俺たちはトレセン学園近くの公園に来ていた。

もう時刻が夜の20時を過ぎていることもあり、子供たちは誰もいなく、俺とウララはブランコにのりたわいもない話をしていた。

しかし、ウララにはトレセン学園の寮の門限があるため、そろそろ帰ろうと俺が言うと、もう少しこのままでいたいと彼女は呟いた。

そのいつになく真剣で、どこか寂しそうな表情に、俺は何も言えなくなり、黙って彼女の言葉の続きをまった。

ブランコの錆びた金属音が、公園に響きわたる。

7月の夜は暖かく、コオロギの鳴き声が心地いい。空を眺めてみたものの、星空が広がるようなロマンチックな光景は、東京の夜空には広がってはいなかった。

「ねぇ、トレーナー。トレーナーってさ、走るの好き?」

なんとなしに空を眺めていると、ウララが突然そんなことを聞いてきた。

俺は空から彼女に目線を移し、そこで目があった。なんとなく気まずくて、目を逸らして

「まあ、、普通かな。」

そう、当たりもさわりもない答えを返した。

「...そっか。」

その応えに彼女は満足そうに微笑み

「私はね、走るのが大好きなんだ。」

そう嬉しそうに語った。それは、俺が久しぶりに見た、彼女の純粋な笑顔な気がした。

「私、ずっと負けてるよね。」

彼女は、俯いて言葉を紡ぐ

「負けて負けて負け続けて、私がトレーナーと一緒に走るには次のレースで確実に勝たないといけなくて、でも、そんな保証はどこにもなくて...」

彼女はまだ、一回も勝ててはいなかった。ウマ娘とトレーナーの契約上、G3までに一勝もできていないウマ娘は契約を破棄する決まりとなっている。そうしなければ、予算や今後のレースの条件を満たせれないのだ。そして、同じトレーナーとの再契約は認められてはいない。

「私はね、それがすごく怖いんだ。」

彼女は、何も映らない星空を見つめてそう呟いた。俺は、そんな寂しそうな彼女の横顔になんて声をかけたらいいかわからなくて、ただ黙ることしかできなかった。

「もうトレーナーと、走れなくなるかもしれない、もう、一緒に笑ったり、泣いたりできないかもしれない。そんなのは...すごく、嫌なんだ。」

彼女は、空を見続けて続ける。

「トレーナーに失望されるのが怖い。トレーナーを悲しませるのが怖い。...トレーナーの隣に、いれない自分が怖い。」

でもね、と、彼女は何もなかった空を見ていた目を、俺の方に向けて

「それでも、私は、レースを走りたい。」

そう続けた。

「努力が報われないのが怖い。トレーナーに嫌われるのが怖い。失望されるのが怖い、結果がでなくて、終わってしまうのが怖い、こんなことなら、もう走りたくない。」

そう語る彼女は、今まで我慢していた不安を、弱さを語る、普通の少女の顔をしていた。僅かな月明かりが彼女の横顔を照らす。

ほんの少しだけ、涙のようなものが見えた気がした。

「でも、きっと、トレーナーは..あなたは、そんなことは望まない。」

そう言って彼女は立ち上がり、俺の前にきた。

「トレーナーは、きっと私が逃げる姿なんて、見たくない。それからね、私もそんな姿、トレーナーに見て欲しくない、例え、最後のレース、勝てなかったとしても、失望されたとしても、それでもね」

『私は、あなたに。全力のわたしを、最後まで見ててもらいたい。』

それは、彼女が語った言葉の中で1番凛と響いた言葉で、俺の中で綺麗に溶けていった。

「自分勝手な理由で、トレーナーを最後まで付き合わせてごめんね!でも、私ぜったいに走るんだから!」

そう元気に彼女は宣言し、私、先に帰るね、付き合ってくれてありがと

そう言い残し、公園を後にした。

トレーナーに嫌われるのが怖い、終わってしまうのが怖い、、でも、逃げる事はあなたは望まない。

だから、あなたに、見てもらいたい

彼女は、怖くないわけではなかった。むしろ、ずっと怯えていたのだ。終わりが見える恐怖に、失ってしまう恐怖に、信頼という名の重圧に、彼女の心は、体は、とっくの昔に悲鳴を上げていたんだ。それでも、俺がそれらの不安から逃げた彼女を見たくないから、そんな姿を望んでいないと彼女は知っているから、最後まで、たとえどんな結果になっても、走る決意をしてくれた。

「...どこが、自分勝手なんだよ。」

きっと彼女の中では、十分に自分勝手な言い分なのだろう。自分の都合を他人に合わせることを、きっと彼女はどこまでも苦手としている、だからこそ、最後まで、人のために走る勇気をもてるのだ。

だったら、信じてやらなくてはならない。

ただの指導者、ただのサーポート役の俺が、彼女を、誰よりも弱くて、そして、強い彼女を、信じてやれなくてどうするんだ。

7月序盤の風にしてはやけに暖かく、心地の良い風が、少し冷めてきた肌に心地いい。そんな風を感じながら、俺は自然な笑みを浮かべて、

「何度だって、信じるさ。」

そう口にして、家路に着いたのだった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

あれから、二週間がたった。

寮で同室のマチカネフクキタルちゃんからはよく聞くおまじないや占い、よく効く祈願がけとやらを今日の本番まで何度も何度もしてくれた。

効くといいんだけどなぁー

そんな淡い期待を持ちながら、わたしはレース場に向かう。夏が近いこともあり、熱い日差しがダート場の熱気をより上げていた。G3のレースということもあり、観客はわたしが体験したこともない人数が押し寄せていた。

けれども、わたしの緊張は、ここに来るまでと何も変わらなかった。周りの人のために勝ちたい。そんな一心で今まで走ってきた。でも、トレーナーと出会って、初めて勝ちを信じてくれる人と時間を共にして、その人の期待に応えたいと思った。その重圧は、ここに応援に来る人の人数でどうこうなるようなものではなかった。

ゲートが、私たちを招き入れるように開いて待っていた。

そこに入ってしまえば、トレーナーとの人生が終わるかもしれない。その恐怖は、今でもわたしの体に染み付いてる、だけど、もう決めてしまったんだ。どんな結果になっても、全力を出すのだということを、彼に、わたしの全力を最後まで見届けてもらうことを。だからわたしは

「よーし!勝つぞ!」

いつものように、笑顔で、ゲートに入ったのだ。

目の前の扉は閉まったまま、動かない。まるで牢獄だ。スタートが怖い。永遠にこの時が続けばいい。そんなことを思ってる自分がいた。足元に目を落とすと、ピンク色の蹄鉄が光に反射して目に入った。わたしの蹄鉄、トレーナーが、選んでくれた蹄鉄。

それは、何よりもわたしに力と勇気をくれた。どんな気持ちで、彼がこの蹄鉄をくれたのかは正直わからない、それでも今は、

ー君なら、勝てるー

そう思ってわたしにくれたのだと、心が、体が、自然とそう理解していた。だからこそ、勇気が溢れ出てくる。

第二コーナーの審判の旗が上がった。いよいよ始まる。ラッパの軽快な音とともに、各ウマ娘がスタートの体勢を取っていた。

わたしも姿勢を低くして、時を待つ。

いつもなら煩わしく思うダートの砂埃が、やけに心地よかった。レースの始まりが、こんなにも怖いのに、不思議と楽しみだった。

目の前のゲートが、開いた。




読んでくれてありがとうございました!コメントくれると嬉しいです!
設定間違えて、マチカネフクキタル同室にしちゃいましたごめんなさい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

スタートライン

今回も長めです。


煩わしいほどの熱気が場内を包んでいた。

出走リストにはやはりOPレースで勝ちをとっているウマ娘が何人かいた。その中に、見たくないウマ娘が1人、異色な存在感を出していた。

サクラバクシンオー。

1400以下のレースで未だ負けなし。G3プロキオンSは1400メートルのダートレース。あのスピードに、今のウララでどこまで通用するのか

「怖い。」

体の震えが、止まらなかった。ゲートに入っていく彼女達をみて、運命が、始まってしまうという焦りと恐怖で、どうにかなってしまいそうだった。

俺は、彼女の勝利を信じている。でも、それでも、目を逸らしたくて仕方がなかった。彼女が負ける姿を、もうこれ以上この目で見たくなかった。もうこれ以上、自分の選択を後悔したくなかった。

「...ウララ。」

耐えきれない恐怖から目を逸らそうとしていると、彼女の名前を呼ぶ声がした。

ふと隣を見てみると中年ぐらいの細身の男性がいた。眼鏡をかけており、少し白髪の混じった頭髪のその男性は、何かを訴えるかのようにゲートをまっすぐに見つめていた。

頑張るウマ娘として少しずつ有名になった彼女ではあるが、金がかかるレースで彼女にかける人がいるとは...それから、どこかで見たことがあるような...俺は驚きと不思議なあまり、しばらくその男性を見つめてしまった。そして、

「...なにか?」

俺の目線を怪訝に思ったのか、俺に少しだけ不機嫌そうに聞いてきた。

「あ、いや、ごめんなさい、なんでも...。」

そこで俺は気がついた。ああ、彼はウララのお父さんなんだと。

ウララとの契約の際、彼女の履歴書を受け取った。その時、身元保証人として彼の写真があったことを思い出した。

あの、ハルウララさんの、お父様であられますか?

俺は怪訝そうにこちらをみる男性にそう声をかけようとすると、レースの開幕を知らせる軽快なラッパの音がした。

そこでウララのお父さんらしき男性は目線を俺からゲートの彼女に移した。

俺も今は彼女のレースに集中しようと、再び目の前のダート場に目線を移したのだった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ゲートが開くと同時に、わたしは走り出しました。学級委員長であり、クラスの目標であり、そして学園の鏡である私、サクラバクシンオーはこのG3を制してなんとしてでもJPAにでなくてはなりません!そしていずれは有馬記念!そう!なぜなら!私は学級委員長なのですから!

「ばくしぃいいいいん!」

『おおっと!ここまで連勝を続けている4番、サクラバクシンオー、軽快に飛ばしていきます!集団との差は3馬身ほど離れている!他の馬娘達は差し替えせるのか!?解説の細川さん、これはどう見られますか?』

『ちょっとかかり気味な気もしますね。ペースを乱しすぎていないといいのですが』

おそらく私は今絶好調。であれば、多少強引にでも最初からバクシンあるのみ!

スタートと同時に私は逃げを見事に決め、第2コーナーに差し掛かろうとしていた。

やはり、先頭は気持ちがいい!

誰も着いてこない、誰も私に追いつけない、まさにバクシン!バクシン!バクシぃいいいン!

『逃げる!逃げるぞサクラバクシンオー!残り1000メートルを切るというところ!3馬身離れて続くのは、2番スリップストーム、1馬身離れて8番ハルウララ!ここまでまだ勝ちがありませんハルウララ、後続集団から飛び抜けていきます!素晴らしい末脚です!しかし前が詰まっている!ここからの追い上げは厳しいか!』

『彼女には勝ちこそありませんが短距離適正とは思えないほどの末脚があります。うまく前を交わすことさえできれば、ここからの巻き返しに期待できますよ。』

風を切り裂きながら走る私の背中に、ふと、まるで野獣に睨まれたかのような、嫌な感覚がした。

...なんでしょう。これは、本能が拒絶している反応、恐怖、...まさか、誰か来ているというのですか!?この絶好調の私に!いったい、誰が!?

いや、もしこのプレッシャーを彼女が放っているのだとしたら、、まさか、あれだけの敗北からここまできましたか。

自然と、笑みが浮かんでくる。これこそ、レースの醍醐味、予想だにできないミラクル...そして、

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」

『おおっと!ハルウララ!残り800メートルで並んだ!スリップストームも懸命に追い縋っていますが届きません!』

私の真横に、桃色の毛をなびかせる彼女が、並んだ。

であれば、引きちぎるのみ!

「バク、しぃいいいん!」

私は残していた足を最後の600メートルの直線で爆発させる。隣に並んだ彼女から、先程のプレッシャーをより濃く感じる。集中力が、あがる。

風が、土煙が、私の走りで切り裂かれていく。間違いなく、過去最高の加速だ。これ以上ない、まさにベスト...だというのに

「っぁぁぁあぁあ!!!」

『ならんでいる!並んでいるぞハルウララ!残り300ほど!誰が抜けるか、横一線、未だ横一線...いや、ハルウララわずかに先頭か!?ハルウララが抜けた!抜けた!』

私の前には、彼女の背中があった。

思わず、美しいと思ってしまった。

フォームは汚いし、ピッチもバラバラ、なのに、加速し続ける、その力強い走りは、私の心を、震わせた。その背中に、何としてでも追いつこうと足により集中した。でも、もうダメだった。どうやら、もう私の足は、限界だったようで、加速しようにも、もうこれ以上速度を上げることができない。...ならば、私にできることはもう一つしかありません。

今の、出せる力全てを使って、彼女に並ぶ!

「バ、ク、シぃいいいいいいいいいん!!」

本当に、あなたは強くなられた。

「...お見事です。」

彼女がレースを終えるその一瞬、自然とそう口をついていた。

『ハルウララ!先頭をキープしたまま今、レースを終えました!まさかのまさかです!連敗続き、最弱のウマ娘と言われた彼女がいま!G3を制しました!なんというどんでん返しでしょう!今年のG3、スプリンターの女王にかがやいたのはハルウララです!』

勝ったというのにまるで敗者のように泣き崩れる彼女のもとに、私は笑顔でかけより、

「おめでとうございます。...本当に、おめでとう。」

そう言葉をかけたのだった。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

何がなんでも勝ちたかった。

ゲートが開くのと同時に、バクシンオーちゃんは大きく逃げていった。私は中盤のやや後方に押し戻されて、それでもなんとか前に行きたかった。強引に前をこじ開けて、ようやく集団から抜け出した。私の前に、1人、進路を塞ぐ形で抜けてきた子がいた。...邪魔だな。

「....!」

なんだか、この時、私はすごく集中できてたんだと思う。

前の子をかわして、更に加速した。色が、音が、周りからなくなっていく。真っ白な世界に、私はいた。目の前には誰かがいる。抜かなきゃ。抜かなきゃ。抜かなきゃ。...そうしないと..もう、トレーナーとはいれない。

「...そんなのは、嫌だ!」

地面に、蹄鉄を思いっきり沈ませる。終わらせない。終わらせない。終わって、たまるかぁぁぁあ!

「っぁぁぁぁあ!」

口の中が血の味だ。全力で走る時にいつも感じるあの味。視界が、霞んでくる。

多分、私は、強くなれたと思う。

何着かわからない。目の前に誰もいない。どうしてだろう、なんで誰もいないんだろう。色が、音が、次第に戻ってきた。

最初に聞こえてきたのは、凄い歓声だった。耳が割れるんじゃないかっていうぐらいの歓声。

それは、私に向けられていた。電光掲示板を見ると、8という数字があった。私の、番号だ。

「....勝った。」

その実感とともに、熱いものが込み上げてきた。ああ、初めてしった。これが、勝つよろこびなんだ。2着でも3着でもなくて、これが...こんなにも、こんなにも、

「嬉しい、うれじい...うれじぃよぉおおおお!!」

声が震える。まともに喋れない。嗚咽と涙で感情がまとまらない。嬉しい、嬉しい、嬉しい、その感情だけが、確かに込み上げてきて、今溢れ出てくる涙のように止まらなかった。膝に力が入らなくて、思わず崩れ落ちてしまった。もう体のどこにも力が入らなかった。...完全に、出し切っていた。

「おめでとうございます。....本当に、おめでとう。」

バクシンオーちゃんが、私にそう声をかけてくれた。私は、うん、うん、としか返すことができず、しばらくそこで泣き続けた。

口の中に砂が入ったのか、すこしじゃりじゃりするのに気がついた。

トレーナーの所に、行こう。

砂の感食を感じて、ようやく落ち着いてきた私は、そう心の中でつぶやいた。

涙を拭いて、観客席に大きく手を振ってみた。いつも、たとえ何着でもレースの後には必ずしていたこの行為、普段なら拍手や笑顔だけなのに、それなのに、

今日は、ゴールした時よりも大きな歓声と拍手で、私は迎えられた。

そのことが嬉しくて、なんだか、恥ずかしくて。だから...

もっと走ることが、好きになってしまった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

どれだけ叫んだだろう、喉がガサガサだ。

彼女が勝つ瞬間を、俺はどれだけ待ち望んだだろう。信じていただろう。

天才に、勝った瞬間だった。

1%の奇跡を、99%の努力で、掴んだんだ。

すごいぞ、ウララ、お前は、本当に、本当に、強いウマ娘だ。

隣で見ていたウララのお父さんは、嗚咽を漏らしながら涙していた。彼も、きっと胸を打たれているのだろう。彼女の走る姿に。そして俺も

「よく、やったな。」

目頭が熱くなるのを懸命に抑えていた。

これから、彼女に会いにいくのだ、泣き顔なんて、見せれるわけがない。

それでも....この興奮を、感動を抑えることはできなかった。

「ほんとに、、ほんとに、、よっしゃぁぁぁぁぁぁあ!!!!!」

大声で、叫んだ。

「よし!よし!よし!よし!勝ったぞ!

ウララが!勝ったんだ!ほんとにお前は最高なウマ娘だよ!みたか!みたか!馬鹿にしてたやつら!これが!俺たちの!これがウララの走りだ!」

彼女がどれだけ走っていたのかを、俺が1番知っている。どれだけ苦しんでいたのかを、1番そばでみてきた、G3に出ると決めた時、世間でどれだけ笑われてきたかをしっている。だからこそ、その苦しみを、悔しさを見てきたからこそ、この勝利は、俺にとって掛け替えのないものだった。本当に、嬉しくて仕方がなかった。彼女の努力が、想いが、ようやく届いたのだ、、そして、俺と彼女の約束が、初めて、果たされた瞬間なんだ。俺が見たかった、努力だけで掴んだ、その結晶が見れたんだ、彼女の、全力な走りによって。

「勝ったんだ。」

改めて口にして実感する。ようやく落ち着いてきた俺は、周りの目が自分に集中してしまっていることに気がついた。

「あ、あははは」

そう笑って誤魔化そうとしたとき

「...あなたは、ウララの応援をしてくれてたんですか?」

ふと、ウララのお父さんにそう声をかけられた。

「ええ、一応、俺あの子のトレーナーなんで。」

俺は先程の行為に対しての羞恥心からゴモゴモと少しこもった声でそう答えた。

「!?あなたがトレーナーさんだったのですか!いや、先程は飛んだ失礼をしました!」

俺がトレーナーとわかるや否やお父さんはさっき少し不機嫌な態度をとったことを全力で詫びてきた。

俺はそんな、謝らないでくださいと頭を下げる彼を全力で宥め、そして、

「あなたの娘さんは、とても強いです。」

彼女の頑張りを、努力を、想いを、目が少しまだ赤い、優しい表情をする彼に、伝えた。

話をするたびに、お父さんは嬉しそうにほほえみ、そしてまた涙を流していた。

「トレーナーさんのお話は、あの娘からよく聞いてました。」

自分は大和だと名乗ったあと、彼は、ウララが俺のことを大和さんに毎晩楽しそうに電話や家で伝えていてくれたことを教えてくれた。なんだか俺はそのことが照れ臭くなって、目線を大和さんの足元に落としていた。

「...あの娘に、勝つ喜びを教えてくれて、ありがとうございます。」

しばらくして、大和さんがそう頭を下げてきた。

「あの娘は、小さい時から、走ることが大好きでした。でも、あの子の体に入った、妻の因子が弱かったため、あの娘は、人生で一度も、1着を取れなかったんです。それでも、どんなに下の順位でも、あの娘はずっと笑顔でした。」

大和さんはどこかそう嬉しそうに語っていた。俺は足元に落としていた視線を、大和さんの目にうつした。そのあまりにもまっすぐな目は、彼女そっくりだった。

「そんなこが、トレセン学園に入ると聞いた時、私はひどく反対しました。勝つことが全ての世界で、あの娘が生き残っていけるわけがないと考えたからです。現に、その考えは今も変わっていません。」

少し、大和さんの表情が厳しいものとなった。

「トレセン学園にいって、トゥインクルシリーズにデビューして、頻繁にレース出でて、あの娘は...よく泣いていました。」

その言葉に、俺はどうしようもないほどの申し訳なさと、やり場のない後悔を感じた。

「電話の最中や、レースの映像、あの娘が涙をする姿を見るたびに、私はもう、走らないでくれと、そう本心からおもっていました。走ることで傷つくのであれば、そんなことはもうしないでくれと...でもね、」

そこで言葉を区切り、大和さんは先程までの厳しい表情を緩め、優しい、父親の表情で、俺に微笑んだ。

「あなたと走ることが、あの娘は大好きなんですよ。」

そう語る彼の声音はとても優しくて、俺の心の中に優しく広がった。

「どれだけ泣いても、悔しがっても、あの娘は、あなたの話をする時は、いつも笑顔でした。ほんとに、父親の私が嫉妬するぐらいですよ。」

そう大和さんはいうと、再び俺に頭を下げる

「...改めて、感謝します。あの娘に、走ることを続けさせてくれて...あの娘のことを、頼みます。」

そう続ける大和さんに、俺は

「俺からも、感謝させてください。あの娘の走りを、僕に託してくれてありがとうございます。俺、ずっと見たかったんです。努力だけで掴める景色を、想いが報われる瞬間を、それを、彼女は見せてくれた。まだ始まりにすぎませんけど、それでも、彼女の全力で、俺は見れたんです。」

そういって頭を下げた。まだ始まりにすぎない。それでも、彼女は成し遂げてくれた。天才に、才能に、努力という名の武器で勝つ瞬間を、全力で、掴んでくれた。

トレーナー!お父さーーん!と、遠くの方から、彼女の声が聞こえる。

その声を聞きながら

「それは、あの娘に直接言ってやってください。」

大和さんはそう続けて、ウララに手を小さく振っていた。

「...はい、少し照れくさいですが、。」

そして俺も、彼女にちゃんと、この想いを伝えようと胸に決めて、彼女に大きく手をふり返したのだった。

レースが終わった後のダート場からは、未だ土煙があがっている。彼女たちの死闘がどれだけ激しかったのかを、土煙が語っていた。

風が吹く。少し熱を帯びたその風は、俺の体に、心地良くあたって、消えていった。

頭上に広がる空が、いつもよりも青く、美しく見えた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

3人でレース場で話していると、商店街の人々や、高知からわざわざ応援に駆けつけにきたウララの地元のおばちゃん達など、気づけば凄い人だかりができていた。

俺は、ここにいては無粋だろうと感じて、そっとその輪から抜け出した。

大和さんも人が多いのは苦手なのかそーっとその輪から抜けようとしていたが、八百屋のおじさんに捕まってしまい抜け出せずにいた。

少し気の毒に思い、俺はウララの控室にまたも渡された荷物や手紙やらを運んでいた。

流石に量が多く、その重さに俺は控室まで続く廊下の端の方にあるベンチで少し休むことにした。

..,みんなに、愛されてるんだな。

商店街の人からの人参や果物の詰め合わせ、服屋さんからの服のプレゼント、地元の子供達からの手紙...彼女が、たくさんの人に愛されてることが、とても嬉しくて、自然と笑みが溢れた。

「重そうだな。なんか、もってやろうか?」

そんな思考になっていると、聞き覚えのある、少ししゃがれた声が聞こえた。

「田辺さん、ご無沙汰してます。」

そこには、サクラバクシンオーのトレーナーである田辺さんがいた。

田辺さんは、おう、と軽く応えて、俺の横に座った。

「まずは、おめでとうだ。」

そういうと彼は缶コーヒーを横の自販機で買い、俺に手渡してきた。

俺はありがとうございますとその缶コーヒーを受け取り、一口飲んだ。無糖の苦味が口にほどよく広がり、豆独特の香りが鼻に抜けてくる。

「正直、あの娘のレースは俺はここで終わると思ってた。」

田辺さんはそういうと自分の分の缶コーヒーを飲んで、やっぱりイキってブラックなんて買うんじゃなかったわ、とおどけるように笑った。

「強いよ、ハルウララは。」

田辺さんは、優しい声音でそう呟いた。

「30連敗以上つづけて、普通走り続ける奴なんてそうそういない。ましてや、そんな凡人以下に近いウマ娘が、が血筋が強いウマ娘に勝つなんて奇跡、俺はおとぎばなしでも聞いたことないぜ。」

そうしゃがれ声でつぶやいた田辺さんは、いつものようにゲラゲラと笑った。

「でもな、その奇跡を、お前の相棒は成し遂げたんだよ。...ほんとに、すげーよ。」

そして静かに、少し震える声でそう呟いた。

未だ天井を見つめる彼の表情はわからない。でも、震える声からして、なんとなくの想像はつく。だから俺はあえて彼の顔を見ずに、

「奇跡じゃないです。あいつが掴んだ、実力で掴んだ勝利です。」

俺はそう、笑って返した。

「は、言うようになったな」

そんな俺の返事を否定する事なく、田辺さんは立ち上がり、自販機の横にあるゴミ箱に向かった。

「俺はよ、勝てればいいんだ。」

田辺さんは缶をゴミ箱に乱雑に入れて、俺にそう語った。

「どんな走りをしようが、そいつの私生活がどんだけ荒れてようが、勝てれば文句はねぇ、逆を言っちまえば、勝てないやつはクソだと思ってる。俺たちトレーナーの契約金を貪り尽くすまさに馬の骨だってな。」

淡々と、田辺さんは続けた。

確かに、田辺さんの言う通りだと思う。勝てなければ、この世界で生き残ることはできない。それでも居続けようとすると言うことは、それだけの無駄金を、俺たちトレーナーが出すと言うことだ。

「トレーニング施設を管理する費用、レースに出走するための登録費、メニューに使う器具...ウマ娘を育成するってのは、馬鹿にならなぇーぐらいの金がかかっちまう。」

その通りだ。現に、今まで勝ちがなかった俺の運営はもうカラカラだった。ウララの蹄鉄をかったことで、正直毎日豆腐を食べる生活になっている。

「だからこそ、俺はお前にずっと腹が立ってたんだ。」

再び、田辺さんは隣に座った。

「お前が叶えもできねぇー理想を押し付けることも、それに必死なあの娘にも、イライラしたぜ。なにごっこ遊びしてるんだってな。ここは、お前らみたいな中途半端がいる所じゃねーんだぞってな。....お前達が負けるたびに鼻で笑ってたぐらいだ。ざまぁーねーなってな。」

「...それは、なかなかにひどいっすね」

一切隠すことなく心情を語る彼に、俺は苦笑で返した。

「だろ?俺も自分で以上なぐらい嫌ってたから驚いたぜ、、でもな、今日、あの娘の走りを見て、わかったんだよ。」

そういうと、どこか田辺さんは寂しい表情をして視線を落とした。

「俺は、お前達が羨ましいんだ。」

「...俺たちが、羨ましい?」

何を言っているんだと思った。負け続きの俺たちの、何を羨んでいるのか。田辺さんは、既に三冠ウマ娘とプリンセスダービーの王冠ウマ娘、その他諸々の成績を1番多く出していると言うのに、いったい、俺たちのどこに

「俺が、昔憧れてたことなんだよ。どん底から這い上がって、いつか有馬記念に出るって言う、そう約束した娘がいたんだ。」

懐かしい思い出を語る彼の表情は、自然と優しいものになっていた。

「そいつは、短距離だとまあぼちぼち走れるんだが、何故か長距離のレースに出たがっててな。でも、あいつのスタミナと足の種類、そして因子の都合上、確実に結果はだせなかったんだよ。」

まるで愛おしい人を思い出すように、田辺さんは続けた。

「なんでそんなに長距離にこだわるか聞いたらよ、そいつ、憧れてるウマ娘がいてさ。それがまあ、長距離で敵無し、幼いながら絶対的な存在を放ってたシンボリルドルフに憧れちまったわけよね。」

馬鹿言ってんじゃねーやって思ったよと、彼は続けた。

「後悔したよ、ほんとに、なんで俺の契約担当ウマ娘がこいつなんだってな。選抜レースで声かけてたウマ娘にはその時の実績でみくびられてよ、結果あまりもん拾っちまったわけだが、まあそん時は死ぬほど後悔したわな。なんで結果出してねーんだよって。」

レースに出場してたウマ娘達が、廊下を歩く音が聞こえてきた。

「でもな、そいつの走ってる姿よ、いつも全力だったんだよ。どんなにけつの方走ってても、常に全力、絶対に棄権はしない。練習も絶対にこなす、スッゲー努力する奴だった。」

そんな姿見てたらよ、俺もだんだんそいつの走りが好きになってな。そう田辺さんはおかしそうに語った。

勝ちにこだわってた俺が、昔はこんなんだったんだぜっと、どこか寂しそうに笑った。

「頑張る姿に、全力の姿に、俺は痺れた。そして、いつかこいつなら勝てるって、そう信じて、金削って、やれることは全力でサポートした。結果、そいつの脚はぶっ壊れた。」

その言葉を放ったとき、一瞬だが、彼の表情はすごく恐ろしいものだった。全ての怒りがともったかのような、そんな顔だった。

「きっと勝てる、次は勝てる、そうやって契約延長し続けて、走らせ続けたら、あいつ、レース中に急にぶっ倒れてな。第3コーナー抜けた時に、いっちまったらしい。時速70キロ出てる中で、あんな華奢な体でこけたんだ、お前ならもう、わかるよな。」

俺は、無言で頷いた。時速70を超えるレースで、ウマ娘が足を壊し転倒する...それはつまり、死を意味する。珍しい事ではない。ウマ娘がレースの最中、重症を追うことや死んでしまうことは、この世界の非情な常識だ。だけど、その常識を知っているのと、実際に目の当たりにするのでは訳が違う。ましてや、それが担当ウマ娘だとしたら....

俺は、血の気がなくなるのを感じた。

「その日、いや、今でも、俺はすげー後悔したよ。俺が夢見たせいで、勝てるなんてなんの可能性もないのにいったせいで、起きちゃいけねーことが起きちまったってな。もうトレーナーをやめようかともおもった。でもな、俺が正しい指導をして、確実に勝てる未来をつくることが唯一の贖罪だと思ったんだよ。だから俺は、勝てる奴だけを育てる。勝てない奴は捨てる。そうやって、勝利に追い縋る、醜い生き方を選んだ。...だからこそ、お前達に腹が立った。」

そこで、田辺さんは言葉を区切り黙ってしまった。しかし、しばらくして、震えた声で

「やめてくれ、これ以上足掻くのはやめてくれ、どうせ勝てない、終わる、この娘の未来が終わっちまう。楽しそうにしないでくれ。いつか手放す未来が辛くなっちまう。やめろ、これ以上...俺に..思い出させないでくれ。」

自分勝手な暴論だと、片付けることもできた。でも俺は、震える声で、涙を流しながら語る彼のその言葉を、意思を、そんなふうに捉えることは、できなかった。

「それでも、見せられちまったんだ。」

震える声で、俯いた彼は力なくそう呟いた。

「努力が報われる瞬間を、どん底から這い上がってくる瞬間を...すっげー、綺麗だった。....涙が、止まらなかった。」

彼は顔を上げ、真っ直ぐに俺を見つめる。

「ありがとな、俺に、俺が見たかった景色を見せてくれて。、、あいつの見たかった景色を見せてくれて。」

あまりにも、真っ直ぐな瞳だった。普段の力の抜けた彼からは想像もできないほどの、力強い瞳。

「それは、俺も同じですよ、田辺さん。」

俺は笑顔で続ける。

「あいつにその景色を見せてもらったのは、俺も同じなんです。だから、感謝するならあいつにしてやってください。...それから、これで終わりじゃないです。まだ、スタートに過ぎないんです。あいつは、何度だって奇跡を必然にします。だから、見ててください。」

俺は、ウララを信じる。信じて、託して、そうすれば絶対に、掴みとってくれる。あの娘は、想いを、力に変えることができる。そういうウマ娘なんだ。

「....なら、俺もより厳選していかねーとな!」

そういうと田辺さんはいつものあっけらかんとした表情にもどし、立ち上がった。

「俺は、もうお前みたいな生き方はできない。今の生き方が、別に嫌なわけじゃねーからな。....だから、この生き方で、お前達を全力で否定し続けてやる。」

それはきっと、過去の自分を否定し続けるということなのだろう。夢を見続けて失ってしまった過去を、否定するということなのだろう。前を見つめる彼の背中は、すごく大きく見えた。

「...だったら、ウララが全力で、その壁をぶち壊しますよ。」

俺はそう確信を持った声で、彼に返した。

まぁ、せいぜい頑張れや。

俺の返答に、彼はどこか嬉しそうにそう言い残して、自分のウマ娘の控室へと足を運んでいった。

俺の隣には、ウララに渡されたたくさんの荷物があった。

「結局、1人で運ばないといけねーのね。」

俺はそう呟き、荷物を持った。

やはり、荷物は重たかった。だけど、ほんの少しだけ、軽くなったような気がしたのだ。

「あ、トレーナー!」

声がした。元気な声だ。この声を聞くだけで、なんでもできる気がする。

「おつかれさん」

元気に駆け寄ってくる彼女に、俺はそう声をかけた。

G3プロキオンステークス

1着ハルウララ 1分27

最弱と呼ばれた彼女が、初めて天才に勝った瞬間だ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ありがとな。お疲れ様の次にトレーナーに言われた言葉。私は、何がありがとうなの?と聞くと、それはまだ言えないなの一点張りだったから、ちょっと残念だった。お礼されるんだったら、何にお礼されてるかは知りたいもん。そとは夏が始まるからか、夕方を回ってるのに不思議と明るかった。

レースに初めて勝って、その興奮が収まらなくて、帰りの車の中でも、トレーナーにたくさんお話をした。いつもいっぱい話すけど、今日は特に口が止まらなくて、レースだけじゃなくていろんな話をした。最近ライスちゃんっていう友達ができたことや、キングちゃんがたくさんお世話をしてくれること、お父さんと久しぶりに笑いながら話したこと、たくさんのことをトレーナーに伝えた。

ハンドルを握って運転する彼は、そんな私に優しく笑ってくれたり、驚いてくれたり、なんだか、トレーナーのテンションがいつもよりも高い気がした。

そして、トレセン学園にあと少しで着く時、私は、ああ、この人ともっとずっと一緒に走っていけるんだって、隣にいる彼を見て凄く実感した。実感して安心したら、なんだか涙が止まらなくなって、、そんな私を見て、トレーナーはあたふたしてた。

「トレーナー、ありがとね。」

私は泣きながらトレーナーに言った。いつも勝てなかった私を信じてくれてありがとう。いつも私のためにいろんな練習を考えてくれてありがとう。いつも応援してくれてありがとう。いつもお喋りしてくれてありがとう、いつも、

いろんなありがとうが止まらなくて、私はありがと、ありがとうと泣きながら繰り返した。

その度に彼は、なにが!?なにが、?だからなにが!?と運転しながら疑問を大声で口にしてて、それがとても面白くて...とても愛おしいく感じた。ああ、ずっとそばで私の走りを見ててほしいなって、そう思った。

そんな彼に私は

「えへへー!内緒だもんねー!」

と返して、トレセン学園前についた車から降りた。

そして元気にトレーナーに言うのだ。

「トレーナー、また明日!」

「..ああ、また明日。」

彼は優しく微笑んで、車を発進させていった。また明日、、次に続く言葉。勝ったからこそ、言える言葉。

次も...必ず勝つんだ。

胸の中で、強く誓った。

負けたくない。勝ちたい。もう一度あの景色を見たい。周りのみんなが、泣いて喜んでくれる、そんな景色を、お父さんが叫んでくれるほど喜んでくれた、そんな景色を、、なによりも、トレーナーが喜んでくれるから、だから

私は何度だって、レースで勝つんだ。

もう19時に近い言うのに初夏の空は少し明るさを残していて、とても綺麗だった。

次のレースが、はじまる。




わざわざ読んでくれてありがとうございました!
感想くれるとありがたいです!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

本能

オリジナルの設定で、エルムステークスをG2レースにしています。


ウララはその後、勝ち負けを繰り返しながらも、着々と成績を伸ばしていた。

G3を見事に制し、続く阪神のダートレース、G3レースを、連勝とはならなかったものの、何度か1着で終わらせてきた彼女に対しての世間の目は徐々に変わっていった。勇気を貰える最弱のウマ娘から、実力のあるウマ娘として評価されだした。

そんな中、ウララは次なるスタップとなるG2のレース、エルムステークスに挑戦する。そして、彼女はそのレースに出走するウマ娘の中で1番人気となっていた。それにより、彼女は今、G2レースの記者達に会見を行っていた。

「連敗から勝利を見事に勝ち取り、今勢いがあるハルウララさん、次なるG2はどのような走りをされる予定ですか?」

「んとねー!トレーナーは最近ね、なんだっけなぁー、あ、そうそう!」

「!?すみません!それは陣営の作戦を公表してしまうことになりますので!」

次のレースの対策をあっさりと話そうとするウララのマイクを俺はすぐに取り上げてなんとか口外を防いだ。

この天然馬鹿娘はほんとに...マイクをウララに返しながら、

俺は心の中で悪態をつく。ウララが素直で優しいウマ娘であることは分かっているのだが、いかんせんこのなんでも話しすぎる癖をどうにかしなくてはならない。この前の記者会見でもまだ内緒にしろと言っていたG1レースへの出走、新規メンバー加入のことをあっさりと口にしてしまっていた。

「トレーナーさんに質問です、先の会見でハルウララさんが仰られた新メンバー

ライスシャワーさんに関してなのですが」

「すいません、本日はウララの会見として来ているので彼女に対しての質問は答えられません。」

記者が新メンバーとして加入したライスに関しての質問を予想通りしてきたため、俺は用意していた返答を即座にした。

「じゃあ私が代わりに教えてあげる!ライスちゃんとはね、1番の仲良しなんだー!」

俺は何を言い出すか分からないウララの口を片手で抑え、

「ライスシャワーに関する質問以外、ウララに関する質問で他になにかある方はいらっしゃいますか?ないのであればここで会見を終わらせていただきます。」

多少強引にでもこの会見を終わらすために若干語尾を強めてそう言った。

「質問よろしいですか」

まだなにかあるのかという多少の苛立ちを俺は飲み込み、どうぞと記者の続きを促す。

「ウララさんが最終目標としてるレースはなんですか?」

その記者はウララにそう質問した。ウララは、なんと答えるのだろう。俺もその質問には興味があった。

「んとねー!有馬記念にでたい!それでね、1番になりたいの!」

一瞬、場内が静まり返った。そして、笑いが起こった。選ばれたウマ娘の頂点を決めるレース、有馬記念。そもそも、出ることすら困難なレースに、ウララが出て1着を取ると言ったのだ。いくら成績を出してると言ってもウララは決してダービーウマ娘のような実力がある訳では無い。笑われるのは、当然だろう。それを知ってか知らずかウララは楽しそうにニコニコしながら続ける。

「初めて有馬記念を見た時にね、みんなすっごいキラキラしてて、とっても羨ましかったの。だからね、私も出てみたい。それから、1番になりたい。そしたら、皆んなたくさん喜んでくれるもん!」

ウララは、何にも臆せずにそう言った。おおーと場内から声が聞こえる。

きっと、この中の誰一人として、ウララが勝つとは考えていないのだろう。未だに笑いが残っている会見場に、ファンへのメッセージを最後にのこし、俺たちは会見を終えた。

会場からでて、ウララとともに長い廊下を歩く。

「...トレーナーはさ、私が有馬記念に出たいって言ったら、どう思う?」

隣を歩く小さな彼女は、そう口をついた。

俺は、少し考えた。有馬記念、三冠ウマ娘や日本ダービーを制したウマ娘、クラシックの覇者、凱旋門を経験した者、異次元の走りを見せる彼女達の出るレースに、やっと一勝を勝ち取って、ようやく成績を伸ばし始めたウマ娘が出る。実力も、経験も、何一つ足りていない。

「まあ、そりゃー笑うよな。」

だから俺は、正直に答えた。

「経験も、実力もないお前が、そもそも出れる確率すら低いのに、そこで勝つって言った時は、正直吹き出しそうになったぜ。」

俺のあまりに正直すぎる感想に、彼女は

「有馬記念って、やっぱり凄いレースなんだ。」

と呟き、1人で気合いを入れていた。

多分、彼女は有馬記念がどんなものなのかを、理解してはいない。でも、理解してたとしてもきっと出たがるのだろう。そして迷わずに1着をとると彼女は言う。何故なら、

「...まあでも、そこでお前がもし、すんげー努力して何とか出場して、1着をつかみとったら、俺はすげー嬉しいよ。」

1着を取って、みんなを笑顔にすることが、この娘にとっては何よりも大切な事だから。

俺の言葉を聞くなりウララはさっきよりも一層顔を輝かせた。

「うん!そっか、トレーナー嬉しいんだ...だったら、私頑張るね!頑張って有馬記念に出て、1番になる!」

そう、いつもの笑顔で、迷いなく彼女は宣言した。

おう、頑張ってくれや、と俺はウララの頭をなでた。ウララは嬉しそうな表情をしてしっぽを揺らしていた。この娘がもし、有馬記念に出れたとしたら、俺はどれだけ喜ぶだろうか、そこに彼女が立っているのを、想像しようとして、やめた。この娘が、自分で出ると宣言したんだ。勝つと宣言したんだ。だったら、信じてやるしか、ないじゃないか。

「まずは、エルムステークスで勝ってG1を目指さないとな。」

俺はそういって止めていた足を再び前に進めだした。

うん!と元気にウララは返事をして、俺後ろを楽しそうにぴょこぴょこついてくる。

俺はその当たり前になった日々に、幸せを感じていた。そして、手離したくないなと、改めて実感したのだった。

 

ライスちゃんをチームに入れたい。

ウララが突然そう言い出したのは3週間ほど前の事だ。ライスシャワー、名前は聞いたことはあるが、詳しい戦績は知らない。ここのところ、ウララのレースで頭がいっぱいなのだ。トウカイテイオーとマックイーンの対決やらダイワスカーレットの桜花賞やら色々レースで波乱が巻き起こったらしいが、正直どうでもよかった。ウララの話によると、彼女はトレーナーとの契約更新が出来なかったため、解雇になったという。

「いや、ダメだな。戦績があるならまだしも、実力がないやつを雇えるほどもう俺には金がねーんだよ。ライスシャワーには悪いけど、ここは諦めてもらうしか」

「い、や、だ!絶対ライスちゃんが一緒がいい!」

俺の言葉を珍しく言葉を上げたウララがさえぎった。嫌だ嫌だという彼女に、なら1度だけ走りを見て決めると応え、ライスシャワーの元に向かった。

走りを見ると言った俺にウララは嬉しそうな表情をして、

「凄いんだよ!ライスちゃんの走り!後からね、ビューンって来るんだ!」

と語っていた。恐らく追い込み型か差しを行うウマ娘なのだろう。俺はトレーナーとの契約が出来なかったウマ娘、もしくは契約期限が切れたウマ娘が練習している第2ターフ場に重い足を動かして向かった。

そこには何人かのウマ娘がいた。しかし、どれがライスシャワーなのか俺は分からなかった。ウララを連れてこようかと思ったが、今はトレーニング中だ。俺はとりあえず観客席に行き、彼女たちの走りを見ていた。

初期のウララほどでは無いが、各々やはり見劣りする走りばかりだ。彼女たちの走りを見ているといかにウララが努力したのか、改めて実感した。俺はやはり断ろうと考えて腰を上げた....けれど、その走りを見て体が、動かなかった。

一瞬の出来事のようだった。

一周3000メートルのターフ場を駆け抜ける、黒い耳としっぽを生やしたそのウマ娘は、併走していたウマ娘達をいとも簡単に抜き去り、1着でゴールしていた。明らかに、レベルが違う。

....もしかして彼女が、

俺はウララの言っている娘が彼女なのかを確かめる為に、観客席を後にした。

すみません、あなたは、ライスシャワーさんですか?

俺は併走練習を終えて休憩をとっていた彼女にそう声をかけた。まさか話しかけられると思っていなかったのか彼女は、ひゃい!、と裏返った声で返事をした。

「突然、声をかけて申し訳ありません、私は」

「...あ、もしかしてウララちゃんのトレーナーさん、ですか?」

俺が名乗りをあげる前に彼女はそう俺に質問してきた。なぜ俺の事を知っているのかを聞くと、どうやらウララといつもいるところをよく見ていたらしい。そして、ウララのレースに必ずいる所などでなんとなくそう考えていたようだ。

「ウララちゃん、凄いですよね!G3プロキオンステークス、私感動してないちゃいましたもん!」

ウララの話をする彼女はとても楽しそうに笑っていた。

「ウララと、仲良くしてくれてるんですね、ありがとうございます。」

俺はそんな彼女に礼を言った。そういえば、ウララの交友関係をあまり知らないなとその時初めて自覚した。

いえいえ!むしろお礼を言うのは私の方ですと彼女は俺にいい、いつも彼女のポジティブな考えに救われていると話した。

ひとしきりお互い話、笑いあった所で俺は本題を切り出すことにした。もうこの時、既に彼女をスカウトすることは決めていた。

「ライスシャワーさん、もし良ければ、俺のチームで走りませんか?」

多少の赤字を覚悟してでも、彼女の走りを手に入れたかった。結果が出ていなくても、十分に潜在能力のある走りを見せた彼女を、放っておくメリットがなかったのだ。...もし仮に結果が出なかったとしても、ウララと同じ様に諦めなければきっと何か起こるはずだ。

「わ、わわわ私を、スカウトですか!?」

予想だにしてなかったのか彼女は大きく動揺し、思わずしりもちを着いていた。

俺は大丈夫ですか?とかがみこみ、彼女の走りを見た時に感じたことを伝えた。痺れる走りだったと、戦力にしたいと、そう真っ直ぐに、率直な感想を伝えた。

「...お気持ちは嬉しいですけど、、私、デビュー戦以来1度も勝ててなくて、この前の新潟ステークスなんて惨敗で、もう、走ることが段々怖くなってきて..ライス、ダメな子なんだって...もう自分のこと、嫌いになりたくなくて...」

彼女はそう語って俯いた。俺は立ち上がって、項垂れているライスシャワーをみて思った。ああ、なんて勿体ないんだと

「ライスが、勿体ない?」

思わず口をついていたらしい。たまに出るこのくせを何とかしようと胸に決めて俺は彼女に伝えた。

「君の走りには素質がある。ただ、適正がまだ見つけれてないだけだと思う。新潟ステークスは短距離だ、でも、さっきの君の追い込み、明らかに伸びる足をしていた、君は本来長距離向けの足をしているんだ。..まあ、ただの俺の予想なんだけどね。」

俺はそう語って1つ伸びをして、彼女の横に座った。

「...それに、負け続けても、努力すれば、必死にあがけば、掴めるものはあるんだよ。」

「掴めるもの?」

ライスシャワーは首を傾げて不思議そうに俺を見た。

「そ、掴めるもの、例えどんだけ笑われても、負け続けても、足掻いて足掻いて、その何かをつかみ出したウマ娘を、俺は知ってる。」

いつも笑顔で、だけど誰よりも努力してたそのウマ娘を、俺は知ってる。不可能なんてないんだってことを教えてくれた、彼女を知ってる。だから、

「だから、ライスシャワーさん、君だってそれを掴めるんだよ。勝利だけじゃない、色んなものが詰まってる何かを、もし、少しでも走る気が向いたら、俺のチームに来てください。」

そう俺は言い残して彼女に一応作っておいた契約書を渡してその場を去った。

その日の夜、彼女は俺と契約をした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

幼い頃の私は、魔法使いに憧れていた。みんなに幸せを分け与えてあげる、そんな魔法使い。キラキラしてて、とても美しい、そんな魔法使い。だから、幸せがありますように、そんな願いが君の名前にはあるんだよ、とお父さんから聞いたときは本当に嬉しかった。私もなれるんじゃないのかって、そう思った。でも、現実は非道で、何度レースに出ても、練習で追い込んでも、結果がでなかった。デビュー戦で勝てて、凄く嬉しかったのに、勝てなくなって、チームの周りの人は着々と勝ちだして、、私は、1人取り残されていた。

「以下の条件を満たせれなかったため、本日をもってライスシャワーとの契約を取り消す。...今日から、また頑張るんだぞ。」

そして、トレーナーさんにすら、置いていかれてしまった。契約更新の条件を満たせれなかった私は、レースすら、走れなくなってしまった。

「だったら私と走ろうよ!私、ライスちゃんと一緒に走るの、夢だったんだぁー!」

私の中で密かに1番好きな友人、ウララちゃんに契約が切れたことを話すと真っ先にそう彼女はいった。

ウララ〜♪と楽しそうに体を揺らして、楽しみーと言いながら彼女はトレーナーに言ってくるね!といってトレーナー室に行ってしまった。

ウララちゃんには、いつも助けられてばかりだ、私がどんなに落ち込んでも、マイナスな考えになっても、あの子はそれをプラスに変えてくれる。でも、今回ばかりは、言ってもどうせダメなんだとおもう。結果を残せてない私を雇うトレーナーさんなんて、絶対にいない..そう、思ってたのに...

「ライスシャワーさん、もしよかったら、俺のチームで走りませんか?」

私は、ウララちゃんのトレーナーにスカウトされてしまった。嬉しかった。まだ、ライスが必要とされることに、安堵感を覚えた。...でも、それ以上に怖くなってしまった。またレースで負けて、置いていかれて、捨てられてしまうことが。

だから、私はスカウトを断った。

すると、そのトレーナーさんは勿体ないって、そう呟いたあと、私に、走り続ける事で掴めることがきっとあると、話してくれた。その話をしてる時の彼の横顔はとても優しい顔をしていて、何とも言えない自信に溢れていた。

契約書を渡されて、気が向いたらチームで走って欲しいと言い残して、彼はトレーナー室に帰って行った。その日の練習中、教官が出したメニューをこなしながら、ずっと考えていた。走り続けることで、努力し続けることで、掴めるもの、勝利だけじゃない、何か....私は、それが、見てみたかった。

そう思ってからの行動は早くて、

寮に帰って契約書を持った私は、真っ直ぐにウララちゃんのトレーナーさんの元に向かった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

エルムステークス残り1ヶ月を切っていた。真夏に突入したトレセン学園のトレーナー室には冷房が本来ガンガンに効かされるはずなのだが

「まあ、そりゃそっすよねー」

現在存続してるチームの中で最底辺の結果しか出せていないトレーナーの部屋には当然、冷房が掛けれる権利が与えられなかった。もっとも、最高気温が設定されているものを上回れば行けるらしいが

実力主義の世界も、ここまでくると考えものだな。

そう心の中で毒付き、俺はウララ走りのデータと、ライスシャワーの出走予定のレースの資料をプリントアウトしてトレーニングに励む彼女たちの元へと向かった。

むせ返るような暑さの中、ウララは相も変わらず楽しそうに走っていた。

ダートのコースはターフのコースの内側にも設立されており、ライスシャワーにはターフで、ウララにはダート場で練習を行わせている。

「良し、2人とも来てくれ。」

俺はそんな2人をそれぞれ集め、一人一人に伝えるべきことを伝えた。

まずウララには上り坂の練習をメインにするように伝える。エルムステークスの会場となる札幌競馬場では、ラストの直線、軽い傾斜がついている。しかし、一見なんともないように見えるこの傾斜は、足が限界に近いときとんでもない障壁となるはずだ。そこで、ウララには登坂能力を向上させるメニューを渡した。

「わかった!私、頑張るね!」

この猛暑の中、かなり過酷なメニューを渡したと言うのに彼女は嫌な顔ひとつ見せず、喜んで走り出した。そんな彼女を見ていると、ほんとに走るのが好きなんだと実感する。

そんなウララを見て

「ウララちゃん、凄いなぁー、あんなにきついメニューに文句1つ言わないなんて..」

ライスシャワーがそう口をついていた。

「ほんとに、俺も驚かされますよ、あいつのメンタルの強さには」

俺も彼女の言葉に同意して、軽く笑った。

「どうして、ウララちゃんはあんなに頑張れるんですかね...」

ライスシャワーは羨ましいというような表情で、登坂トレーニングを行う彼女を見ていた。

「あいつは、走るのが好きなのと同じくらい、周りのヤツの笑顔が好きなんですよ。」

だから俺は、ウララが勝ちたい理由を、走る理由を伝えた。自分が頑張れば周りの人が笑ってくれる。だったら、勝ったらもっと喜んでくれる。だから私は頑張れるんだと。

「...それは、とても彼女らしいですね。」

それを聞いた彼女はやさしく...けれど、どこか寂しそうに、笑っていた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

トレーナーからのメニューはとにかく坂道を走るメニューだった。

「よい、しょ!よい、しょ!」

私はメニューの最後にあったウサギ跳びをしながらダートコースの傾斜を進み続けるメニューをしていた。

「ふぅー!よし、これで、ラストぉぉぉ!」

何とか規定された位置まで飛び続けて、うげ、っと地面に倒れてしまった。土まみれになったから、洗濯物が大変だ。

「はぁ、はぁ、はぁ、なんとか、やりきれたぞ...頑張った...私!」

トレーナーが用意したメニューはどれも足に対しての負荷が以前のものよりも大きくて、一つ一つのメニューをこなすのに精一杯だった。

「ウララちゃん、お疲れ様」

私が暗くなってきた空をぼーっと眺めていると、ライスちゃんの声が聞こえた。

「ええ!ライスちゃん!待っててくれたの?」

一時間ほど前にライスちゃんの練習は終わっていたはずなのに、ライスちゃんはジャージ姿のままだった。

「うん、自主練もできたし、ウララちゃんの頑張ってるところ見てたら、なんだか頑張らなきゃって思えてきて」

「おおー!ライスちゃんもウララのこと見て頑張ってくれるんだ!うーれしいーなー!」

私は、大好きな友達が自分の姿を見て努力する気になってくれたことを素直に喜んだ。

「凄いなぁー、ウララちゃんは。トレーナーさんから聞いたよ。みんなの笑顔のために走ってるんでしょ?みんなを幸せにしたいって...私には、誰かのために走るなんて、できないよ。」

そう言うとライスちゃんは私の隣に膝を抱えて座って、空を見上げた。

私も同じようにして空を見る。東京の真夏の夜空には星が少しだけだけど見えてて、とても綺麗だった。

「ちがうよ、ライスちゃん。」

星を見ながら、私はさっきのライスちゃんの言葉を否定した。

「私が走りたいのは、誰かのためじゃないよ....私が、みんなの笑顔を見たいから走るんだ。商店街のみんな、お父さん、お母さん、みんな、私がレースに出るだけで笑ってくれてたんだ,..でも、勝ったらもっと喜んでくれて。それが、私はとても嬉しいんだ。」

それにね、と私は続ける。

「私、トレーナーとの約束、何回も破っちゃったの。」

そう呟いた私に、ライスちゃんは約束?と首を傾げる。

「...そう、約束。1着になるって言う約束。何度も何度も、負けて、負け続けて、その度に次は勝つよって約束して、トレーナーはそれを信じて待ってくれてて、だけど、その信頼を、私は何回も破っちゃった。」

だからね、と私は立ち上がって、まだ座っているライスちゃんに続ける。

「私は、トレーナーとの約束を果たすために走るんだ。これからたくさん勝って、トレーナーの笑顔をたくさん見たい。...これからもずっと、トレーナーの隣で走ってたい。私を初めて信じてくれたのは、トレーナーだから。」

自然と、笑みがこぼれた。

今日の夜はやけに風が吹く。昼間の暑さが嘘みたいに、夜の風は涼しくて、心地いい。

なんだか、無性に走りたくなってきた。

「...ウララちゃん、一回だけ、並走しない?」

ライスちゃんが、そう私に聞いてきた。

「うん!私も、実は一緒に走りたくなったんだ!」

えへへ〜とお互い笑い合って、スタートの姿勢をとった。

せーの!

お互いの合図で、競い合うわけでもなく、お互いのリズムに合わせて、私たちは2000メートルのダート場を、共に駆け抜けた。

きっと、私はこれからも負けることがあるんだと思う。その度に悔しい思いもする。辛いと思う。だけど、みんながいるから私は走れる。ライスちゃん、だから、違うんだよ。

ー私はね、みんなに支えられてるんだ。ー

横を走るライスちゃんに私はそう心の中で呟いた。

彼女の走りは、きっと私に速度を合わせてくれてるのだろう。それでも、とても美しくて、綺麗だった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「ふざけるな!!」

俺は、出走リストを見て、思わず声を荒げてしまった。おかしい、本来ならG1レース、あるいはもっと上に挑むはずの実力者のはずだ...なんで、こんなとこにいる..

いや、誰が相手でも、関係ない。

どんな壁だろうが、彼女なら乗り越える。俺はそれをこの目で、確かに見てきた。だからこそ勝てると言い切りたい...でも..

あまりにも、格が違う。

スマートファルコン。...絶対なる不死鳥。

東京大賞、帝王賞、数々のダートレースを制してきた彼女が、なぜ、

適正距離を、変えるつもりか?いや...まさか、ジャパンダートダービーへの布石か

疑問が、混乱が、頭を離れない。本来なら、今回のレースに出走する中でウララが1番人気であると言うことは、彼女が勝てる確率が1番高いと言うことなのだ。でも、この出走リストに彼女の名前がある限り、それはあり得ない.,まさか、

「陣営側が、しくんだか。」

スマートファルコンの所属するチームは、スマートファルコンの一強である。つまり、出走リストに彼女の名前があると、それだけ彼女に対しての対策をとられてしまう。おそらくそれを回避するために、出走リスト登録の本受付ギリギリまで、他のウマ娘の名前で隠していたのだろう。一夜漬けのような練習で、スマートファルコンを抑えるようなことはできない。

そして、彼女が得意としていた中距離を捨てて挑む今回のダートレース、おそらく、距離適正を変える以外の目的があるかもしれない。いや、単なる調整のために走るだけかもしれない...くそ、わからない。今から彼女の逃げ対策をとろうにも確実に間に合わない。他の馬娘が逃げても最後の直線の坂で追いつけると仮定して俺はウララのメニューをくんで強化を図っていた。しかし、逃げのペースのレベルがここまで上がってしまうと、そもそもの作戦を変える必要性があるかもしれない。

どーすれば...

落ち着こうと思い、俺はトレーナー室をでて自販機に向かう。さすがトレセン学園、清潔感がただよう廊下を歩いていると目の前からバクシーンバクシーンという奇妙な歌が聞こえてきた。

「おや、これはこれは、ハルウララさんのトレーナーさんではありませんか!いやはや彼女の走りはここのところ素晴らしいバクシンを見せております!いやー!私もまだまだと実感させられております!彼女のバクシンを見ていると私の中のバクシン魂に火が」

日本語のようで日本語ではない言語を話す彼女の言葉を、俺は途中から一つも聞いてはいなかった。

「あら、トレーナーさん?もしもーし?聞こえていないのですか?バ!ク!シーーン!」

俺は何も言わずにそのまままっすぐ彼女の元に向かい、彼女の両肩を掴んだ。

「ちょわぁあ!?と、とととと、トレーナーさん!?

いっ、いったいどーしたというのですか!?い、いけません!こんな、こんなことを」

「頼む!俺に、逃げの弱点を教えてください!」

「...ほへぇ?」

何やら唐突にオドオドし、間抜けな声を出したサクラバクシンオーに、俺はそう頭を下げたのだった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「なるほど!それで私に助けを求めてきたわけですね!任せてください!なんといっても学級委員長ですから!」

サクラバクシンオーは、そういうと胸を張り、えっへんと威張るようなポーズを取ってでは早速トレーニングの格好をしてきますといい着替えに行った。

さてそんなこんなで今に至るわけだが

「うーん、ダメです!私別にされて嫌なことありません!」

小一時間ほど2人で悩んだり、他のウマ娘に俺が考えたプレッシャーをかける作戦などを行ってもらってみたが、まるで意味をなさなかった。

「はぁー、まあやっぱりそーだよな。」

差しや追い込みをするウマ娘であれば、コースを塞ぐなりマークするなりして対策は取れる。けれど、逃げという作戦には明確な対処方がないのだ。

「んー、すみません、お力になれず」

とほほといった感じでサクラバクシンオーは肩を落として俺に謝罪してきた。

「私も何か案を出せればいいのですが...スマートファルコンさんの実力は相当なものですし..」

途中から練習に参加してくれたキングヘイローも、申し訳なさそうに項垂れている。

いや、こちらこそ手伝ってもらってごめんなさいと俺も謝罪して、本格的にどうすれば勝てるかを考えていたところ...

「うーららー♪あ!トレーナー!キングちゃん達も!なになに、今日は一緒に練習の日なの?」

赤点補修から帰ってきたウララが楽しそうにこっちに駆け寄ってきた。

「ああ、今日は急遽サクラバクシンオーさんとキングヘイローさんに手伝ってもらうことにしたんだ。」

俺は、まだ彼女にスマートファルコンが出走することを伝えてはいない。変に今刺激を与えて、練習の調子が狂う危険性を回避するためだ。

「あ!そうそう!聞いてトレーナー!今度のレースにね、ファルコンちゃんも出るんだって!」

だが、俺の秘密は何も意味をなしてなかった。

ぶほぉ!?と飲んでいた水を盛大に吐き出した俺は知ってたのか!?と大声でウララに振り返った。

「うん!私はウマドルとしてあなたに勝ちます!って宣戦布告っていうんだけ?それをねー、されちゃったの!」

そういうとウララは楽しそうにウララーと歌を歌いながらストレッチをしていた。

ウマドルが何を差しているのかは意味がわからないが、とにかく、彼女がこの現状を知っていて取り乱していないのは一つ幸運なことだ。

「...さすがだな、ウララ、スマートファルコンが相手でもビビらずにいられるお前は、強いよ。」

俺は芝の上でストレッチをしているウララの隣に座り、そう声をかけた。

「ビビるー?なんでー?私、ファルコンちゃんと一緒に走れるなんて、ワクワクが止まらないよ!だって初めて一緒に走るんだもん!」

そういうとウララはまた鼻歌を歌いながらストレッチを続けた。まあ、ウララはそうだよなと思う。こいつは、誰かとは走ることを喜ぶことはあっても嫌がることはしない。

ほんとに、純粋なやつだ。

ウララは、よし、準備完了!と口にして今日はどうすればいい?と俺に聞いてきた。

俺は、ペースアップにより後続が離されてしまう展開を予想した。その際、OPレースの時のように、ウララはいつものタイミングより早めに仕掛けなければならない。ウララの脚質を完璧な差し足にするためにメニューを変えてきた。それでも、彼女の加速には多少強引にでも早めに仕掛けないと追いつかない可能性が高い。残り二週間しかない中で、何ができるか

考えた答えが、これだ。

「いいか!サクラバクシンオーさんがでてから二秒後にウララは走り出せ!後半でどれだけ前に追いつけるかがきもだ!離された展開を予想して仕掛けるタイミングをつかめ!」

ほんとうは、スタミナ強化などをして確実に逃げのペースを潰す展開を作りたいのだが、残り二週間しかないなかで、そんな時間はない。

そこで思いついたのが、あえてウララを遅らせてスタートさせることで、前に追いつく闘争心と気力、そして離れている時に1番彼女が先頭に近ずくことができるタイミングを体に染み込ませるというものだ。並走にはライスシャワー、キングヘイローに付き合ってもらい、彼女が出ようとするタイミングで軽くポジションをコースに入れてウララをブロックしてもらう。そのブロックをうまく交わしてどれだけ前にいけるかが、おそらく今回彼女が勝てるかどうかの肝となるはずだ。

サクラバクシンオーにスタートの合図を送り、続いて残りの3人を同時にスタートさせる。前との間隔は想定通り1馬身から2馬身ほど離れていて、ここからどれだけ前に貼り付けるかがポイントだ。 

スプリンターズSを狙っているだけあり、サクラバクシンオーの逃げはG3の時よりも遥かに磨きがかかっていた。2秒のアドバンテージはかなり大きい。

「凄い逃げだな。」

思わず、口に出てしまった。第二コーナーを抜けるまで差が埋まることはなく、お互いに牽制しあって後続の3人も出て行かない。

ウララは前に行こうとするがキングヘイローがいい位置でそのコースをよんで防いでいる。極端にコースを潰すことはルール上禁止されてはいるが、ある程度の間隔があって危険性を伴わない場合は防いでも失格になることはない。レースのレベルがあがり、自分のスピードと同じような連中がいる中であれば当然起こりうることだ。さらに後ろでライスシャワーがウララをマークしているから、仮に飛び出してもすぐに差し返される可能性が高い。

「...さあ、どーする。」

第二コーナーから第三コーナーまでの左カーブでキングヘイローが仕掛けた。それを見逃さずにライスシャワーも飛び出す。

「...なんで、行かないんだ?」

でも、ウララは飛び出さない。後方にいる。

...まさか、あいつ、あえて飛び出してないのか?

ラストの直線、緩い坂道に入った。サクラバクシンオーがわずかにリードし、その右後ろにキングヘイローがいる。距離の適正が合わないためかライスシャワーはキングヘイローよりも後方にいる。そして、

「ははは、嘘だろおい!」

思わず、笑いが出てしまった。ウララは、直線に入る前の第四コーナーから一気に加速した。そしてライスシャワーを抜き去り、先頭に並んだのだ。

その登坂能力は最後まで衰えず、サクラバクシンオー、キングヘイローとハルウララのほぼ同着、ライスシャワーという順でもがレースは終わった。

「...明らかに、足の質がかわってる。」

ウララの足は、確実に伸びる脚質になっていた。目下の目標として考慮していたが、ここまでのものになっていたとは、そしてそれを自分で自覚して、実行した。

死ぬほど練習してるからこそ、気が付いたのだろう。自分の進化に、彼女の本能が。

鳥肌が立つ。

俺は興奮が冷めぬうちに、ウララたちの元に駆け寄った。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

半分くらいコースを走っているのに、やけに足が軽かった。キングちゃんとライスちゃんが仕掛けでだんだん前に行ってるけど、あれくらいの速度なら多分いけるなって、根拠はないのにそう思った。残りの直線、もっとスピードを上げれる気がしたから思いっきってピッチをあげた。足が動く。軽い。今までみたいに顎も上がらない。なんでだろう、ライスちゃんを抜く、キングちゃんに追いつく、

...なんで私、あんな後ろから追いつけたんだろう。

レースが終わってからしばらく、不思議な感覚に襲われてた。

「ウララさん...貴方、また実力をつけましたのね」

キングちゃんがそう、少しだけ怖い雰囲気で言った。でもすぐその後に、まあ私の方が今日も早かったんですけどね、といって、おーほっほほといつものように笑っていた。

「うむむ、私も二秒先に出ていなければ完璧に抑えられていたかもしれません...ふふふ、燃えます、燃えますよウララさん!」

さくらちゃんは凄くやる気に満ち溢れた様子で私に言ってきた。

「うん、ライスも、今日のウララちゃん、凄いと思う。ほんとに、一瞬だった。」

ライスちゃんはそう悔しそうに、でも嬉しそうに私に言ってくれた。

なんだろう。みんなの言葉に何か返事をしたいのに、さっきの感覚が、体を離れない。

今までは、勝ちたいとか、負けたくないとか、そんな感情だけで体を動かしてた。でも、さっきのは違う、そんなのじゃなくてもっと、自然と出てきたというか...

「ウララ!ウララ!」

ボートしてるとトレーナーの声で、私はようやく言葉を発した。

「え!?あ!ごめん!ちょっと考えごとしてて...」

「ウ、ウララさんが考え事ですって!?」

「ウララちゃんが考え事!?」

「ウララさんが考え事!?」

そんな私にトレーナー以外の3人はとても驚いた様子を見せた。...なんでだろ?

「ウララ、お前さっき、どうしてキングさん達の差しにすぐについていかなかったんだ?」

トレーナーはそう私に、とても真剣な目で聞いてきた。

私は、その質問にどう答えていいかわからなかった、だから、

「うまく言えないんだけど、なんとなく、私の体が、そーするべきなんだって、動こうとしなかったの。」

こう答えることしか出来なかった。きっとキングちゃんみたいに頭のいい子だったらうまく言葉にできるんだと思う。私は、うまくトレーナーに伝えることができなくて申し訳なくなってきた。でも、私の言葉を聞いてトレーナーは満足そうに

「そうか!そうか!」

と言って、嬉しそうに笑っていた。

なんでトレーナーがあんなに嬉しそうなのか、よくわからなかったけど、トレーナーが喜んでると私も嬉しくなる。

「なんとなく...ですか。」

キングちゃんがそう小さくつぶやいて、私の目を見て

「....いずれ、ダートレースに私も出ることになります。...ウララさん、貴女の走り、完璧に潰した見せますわ。」

そう、私に言葉を放ち、トレーナーの元に戻りますと、キングちゃんのトレーナーさんのもとに戻ってしまった。

「あ、待ってください!キングさーん」

とバクシンオーちゃんもキングちゃんの後を追って行ってしまった。

「...練習に付き合ってもらったお礼、言いそびれたな。」

トレーナーが彼女たちの背中を見つめて、そう呟いた。ようやく日差しが隠れ出して、走りやすい気温になってきた。

だというのに、私の体はまだ、不思議なあの感覚でほてったまんまだった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

俺は、あのレースの後、ウララには引き続きいつものメニューを指示したのに加え、自分で好きなように走って規定のタイム以内で走るように指示した。

ライスには、皐月賞選考レースに出走するため、ペース走を行うように指示をだし、彼女たちの練習を見守っていた。

人間にも言えることではあるが、反復練習をすることで感覚で動くことが可能になる。ウララは今まで、前が動いたから、このタイミングで仕掛けないといけないから、そう決まったことを考え、勝ちたい、負けたくない、そういう感情に足を任せて走ってきたんだと思う。それは、決して間違っていることではない。むしろ、本来はウマ娘のレースとはそうあるべきだ。思考できるものが勝てると言われるほどに、レースでの読み合いは高度なものだ。しかし..そこに、本能が加わればどうだろう、感覚で動くことができ、それが思考によるものではなく、本能でうみだした反応であるのなら、それはある意味、考えるよりも正しい判断であると言える。

ウララは、それを手にした。きっかけはわからない。でも、度重なるレースと練習と、何度も経験した敗北が、きっと彼女に彼女の走りを教えたのだ。

「トレーナー!自己ベスト更新した!」

少し離れたところにある俺に、ウララはそう嬉しそうに手を振ってきた。

俺はそんなウララを見ながら、確信した。

平凡以下のウマ娘だった彼女が、今、確実に天才の域に確実に近づいている。

まだ遠いその背中を、いつか掴む日まで。

不安は、まだある、でも、可能性が見えた今、彼女はきっと見せてくれる。ここで勝てば、G1レースに向けて、大きな一歩になる。

運命の日まで、残り一週間となった。




感想くれるとモチベーションあがります!
読んでくれてありがとうございました!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

才能と努力

夏の北海道は東京よりもだいぶ涼しく、まるで少し暖かい時期の春のような過ごしやすさだ。

「おお!!!トレーナー!ここが札幌!北海道だよ!でっかいどーってルドルフ会長が言ってただけあって、おっきいね!」

札幌空港に着陸し、ウララのテンションは急上昇していた。遠くの地方でレースがある際、学園長室に生徒会長と同伴で申請を出しに行けば遠征費をもらえるという制度がトレセン学園にはある。ただ、それにはG3以上の大会を一度勝っていなくてはならない。ウララはこの前勝ち星をあげているためギリギリもらうことができた。その時、あの皇帝と呼ばれるシンボリルドルフが

「北海道はでっかいどー....だから、迷子にならないようにな」

とウララに言い、空気が冷たくなるとは思わなかった。ダジャレと気がつかなかったウララは、うん!わかった!と大きく頷いて笑顔で返事をしていた。

さて、そんなわけで俺達はエルムステークス出場のために北海道にいる。

チームのみんな(ライスシャワーだけだが)

もつれてきたかったのだが、流石にそれに遠征費はおりず、ライスシャワーの皐月賞選考会ものこり2ヶ月ほどしかないため、彼女はのこって練習すると判断した。

俺とウララは観光もしつつ、札幌競馬場の近くのホテルにチェックインし、しばしの休息をとっていた。ウララに部屋の鍵を渡し、一緒の部屋で寝よーよーと言う彼女の声を制して、俺は自室へと入った。こっちにフライトしてきたばかりであることと試合まで残り五日であることから今日は休息を取るように指示している。

部屋に入りテレビをつけると、皐月賞に出走する無敗のウマ娘、ミホノブルボンがインタビューされている映像がうつった。世間では、やはりダートレースよりも圧倒的にG1ターフ(芝)の方が人気があるようで、スマートファルコンの飛び入り参加のことの報道などは一切なかった。

俺は特にそれに何を感じるわけでもなく、次なるライスシャワーの相手のインタビュー映像を、ぼーと眺めていた。

必ず、三冠を成し遂げます。

ミホノブルボンのその一言で、会見は終わった。彼女の言葉に、場内の記者はおおーとどよめき、期待のこもった盛大な拍手を送っていた。

「....必ず、勝つ、か。」

世間はきっと、誰もライスシャワーのことを見てはいない。そして、ミホノブルボンすらも....だからこそ、チャンスなのだ。ステイヤーとして、才能と努力の走りを、見せつけてやる。

まずはそのためにも、ウララの勝利を信じよう。

俺は、流れを作れるチャンスに胸を躍らせ、柔らかいベッドにしばらく身を委ねたのだった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

テレビをつけると次の皐月賞に関する番組、有馬記念の予想...どれもこれも、ターフのレースの番組ばかりだ。

「...やっぱり、ファルコ、こんなとこで終われない。」

トップウマドルになるために、勝者のみがたてるウィニングライブのセンターに立つ為に、私は勝つ。勝って勝って勝ち続けて、いつかターフで、有馬記念で、私はステージに立ってみせる。...その為にも、このレース、絶対に落とせない。

私はテレビを消し、蹄鉄を靴にはめこむことにした。

「いつになく真剣なのね。」

私の隣に座ったトレーナーさんは、普段は蹄鉄を自分ではめない私を不思議そうに見ながらそう言った。

「...このレースには、ファルコがどうしても勝たないとダメな相手がいるんです。」

ハルウララ、ダートレースといえば彼女と言うイメージが、世間では生まれつつある。ファルコがいくら結果を出しても、彼女の方がメディアで扱われる頻度は高いし、人気もある。...そんなの、絶対に認めない。

「...ファルコ、トップウマドルになる為に努力してきた。」

私は、蹄鉄をはめる手を止め、トレーナーさんの目をみつめる。眼鏡をかけた優しい目をする彼女は、私の話を黙って聞いてくれていた。

「レースに勝つのも、全部、ステージでセンターに立つ為だった。...でも、去年の有馬記念をみて...マックイーンさんやトウカイテイオーさんの天皇賞をみて、私のライブなんかよりも、全然盛り上がってるのを、感じた。」

だからこそ、と私は続ける。

「ファルコ、レースで絶対に勝つんだって決めたの。常にセンターに立ち続けて、そして、ターフにでて、有馬記念のライブで、ダートに出るウマ娘はは凄いんだぞって、ファルコはすごいんだぞって、日本中に見せつけてやるんだ。」

自分の存在価値を、意義を、常に先頭で、見せつけたい。知らしめたい。だから、諦めずにずっと勝ちを取り続けてきた...なのに、

「それなのに、たかが数回しか勝利をあげてるだけのウマ娘に、負けるなんてありえない。」

頑張るウマ娘ハルウララ、勇気のもらえるウマ娘ハルウララ、強くなって更なる高みへ、ピンクのアイドルハルウララ、ダートにはこの子がいる!みんなのアイドル、ハルウララ!そんな垂れ幕を、学園で、商店街で、いろんなとこで、目にした。その度に湧き上がる感情を、抑えるので必死だった。

「ファルコ、初めてなの。誰かに勝ちたいって思ったの。」

センターに立ちたい、だから勝ちたい。目立ちたい、だから1番が欲しい。その思いで、走り続けてきた。勝ち続けてきた...なのに、

今はこんなにも...彼女に勝ちたい気持ちで、頭が、心が、弾けそうだ。彼女と一対一の勝負がしたくて、出走もずっと隠してきた。

トレーナーに、少し走ってくると伝えて、私は部屋を出た。ようやく、みんなにわからせられる...彼女を、倒すことができる。

今にも爆発しそうな闘争心を誤魔化すように、その日、私は走り続けた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

夜、晩飯をウララとすませ、自分の部屋に戻ろうとしていると、見覚えのあるウマ娘を見つけた。

...あれは、スマートファルン?

廊下にある自動販売機でなにを買うのかまよっているのか、いつものツインテールを解いた彼女はうーんと唸りながら突っ立っていた。そんな彼女をしばらく見つめて、俺は思考に浸っていた。

いくら同じ学園でも、部屋の階ぐらい分けてくれよ

心の中でそう毒づいて部屋に入ろうとした時、彼女が俺に気がついた。

長い間見過ぎてしまったか、と自分の行動を悔いて、とりあえず俺はこんばんわと挨拶をしておいた。そんな俺に彼女は笑顔で

「こんばんは!」

と元気に返してきた。そして

「ねね!ファルコのこと見てたでしょ?もしかして、ファルコのこと知ってるの?」

そう嬉しそうに聞きながら彼女はこちらに近づいてきた。知ってるも何も君の対戦相手のトレーナーなんだけどねと内心苦笑しながら

「ええ、一応...。」

とだけ返しておいた。

すると彼女は顔を輝かせて、

「わぁ!嬉しい!あのね!ファルコ、今週あるエルムステークスっていうレースで、絶対に1番になるから!もしよかったら見にきてね!」

そう元気に彼女は言い残して、再び自販機の方へ歩いて行こうとした。

絶対に勝つ...なぜ、彼女は今の自分のレベルよりも低い、このG2のレースに挑んだのだろう...なぜ、そこまでのやる気を出しているのだろう。メリットはなんなのだろう。その理由が、根拠が、どうしても気になってしまった。そして、

気づけば、その背中に声をかけてしまっていた。

俺とスマートファルコンはホテルの近くにある小さな公園に来ていた。俺がウララのトレーナーであることを話すと、彼女は少し私も話がしたいと、そう言ってこの公園に連れてこられた。北海道の夏の夜は少し肌寒く、夏なのに少し不思議な気分だった。 道中で、このレースに出走する目的を聞いたが、彼女は答えてはくれなかった。

彼女はブランコに座り、トレーナーさんも隣に座って、と片方のブランコをさした。俺は空いている方のブランコにすわり、なんとなしに前後に揺らした。

ブランコの鎖が、少し錆びた金属音を鳴らす

「私達、ダートを走るウマ娘は、世間からしたらそんなに注目されてないの。」

しばらくお互いに無言でブランコを漕いでいたが、彼女のその言葉でその空気は切り裂かれた。

「どれだけ結果を出しても、ターフの方が人気があって、盛り上がって、注目されて、そんなレースに、ステージに、ファルコはね、すごく憧れた。」

まるで幼い時のことを話すかのように、彼女は懐かしい表情をしながらそう語った。

「だから、いま出られるレース全てのウィニングライブにでて、センターにたって、目立って....ファルコのことを、たくさんの人に見てもらいたかった。」

ウィニングライブで、センターに立つ。それは、レースで勝利を得たものだけが許される特権だ。

「だから、私は、努力した。せめて、ここだけでは1番になり続けようって、いつか、もっと実力をつけて必ず有馬記念に出ようって、出られるような、人気者になるんだって、必死に足掻いてきた。...でもね、」

そこで彼女は言葉を区切って、少しの間黙ってしまった。

俺はその間、特に何も話すことはなく、ただ静かに空を見ていた。札幌の星は東京よりも綺麗にみえて、ウララと明日見にこようと、そんなことを考えていた。

「そんな時に、ウララちゃんが出てきた。ファルコが頑張って作り上げてきた人気は、全部彼女に持っていかれた。帝王賞を制しても、東京賞をとっても、誰も、見向きはしてくれなかった。....ファルコの勝利は、努力は...全部、あの子のたった一勝に、負けたんだよ。」

彼女は、だんだんと言葉に熱を込めて、話し続けていた。それして、彼女は言い放った。

「...だから、ファルコ、このレースに出て、ウララちゃんを倒して、証明して見せる。ファルコが...私がダートレース1のウマ娘であることを。...こんな現実、絶対に、認めない。」

そう言っている時の彼女からは、走らない俺でもわかる、物凄いプレッシャーを放っていた。思わず、鳥肌が立つほどの。

「これが、ファルコがこのレースを走る理由だよ!トレーナーさん♡」

そう言い終えた彼女はいつもの調子にもどり、可愛らしい笑顔を俺に見せ、小首を傾げた。

....すっげー変わり身の速さだな。

その空気の入れ替わりの速さに若干引くのと同時に、彼女がこのレースにかかる思いが、どれほどまでに強いものかを理解した。

曲げられない信念。嫉妬。勝つことへの執着。これらを兼ね備えた、ダートレースの天才。それが、ウララにとってどれだけの脅威になるのか、口にするまでもない。

「はい!次は私からトレーナーさんに質問ね!」

彼女に対しての脅威を改めて感じていると、スマートファルコンはそう言ってブランコから降りて、俺の目の前に立った。

「どうして、あの日の選考会で、ハルウララを選んだの?」

彼女はそう、俺に聞いてきた。

「もっと有力株はいたはずよ。トウカイテイオーが一強だったのは事実だけど、ナイスネイチャやスペシャルウィーク、いい走りを他にも見せたウマ娘達はいたわ。...なのに、なんでその中から、本来、あの順位なら契約すらできないウマ娘を、あなたは選んだの?」

スマートファルコンは至極不思議そうに、俺に問いつづける。

「ウララちゃんに、潜在的な能力があるとあの日のレースから判断したの?確かに、段々とウララちゃんは結果を残してはいる。でも、それでも平凡的なもの、デビュー線での勝ちもない。そんなウマ娘になら、契約金を払い続けていくだけでも大損のはず...ファルコ、トレーナーさんがなんであの娘を選んだのか、知りたいの。」

俺がなぜレベルを落としたレースに、天才と呼ばれる彼女が出るのかを気にしたように、彼女も、最弱であった彼女を選んだ理由が気になるのだろう。俺が逆の立場でも、気になっていたと思う。何かを見抜いたのか、はたまた何か狙いがあるのか、それがあるのであれば、当然対策を取りたくなるものだ。

だけど、あいにく、そんなものはない。

「俺が、あの娘を選んだ理由は...そうだな。」

なんと言えばいいものかと、俺は地面を見つめる。

「あの娘の走りで、証明したかったんです。いろんなことを。」

証明?とスマートファルコンは俺におうむ返しで聞いてきた。

「そうです...証明。昔の俺が、見たかった景色、今の彼女に、見せたかった景色、掴みたかったもの、掴ませたいもの...うまく言えないんだけど、そういういろんなものを、努力だけで、走ることに対しての想いで....掴めるんだって、見せれるんだっていう、証明をしたかったんですよ。」

何を言っているのかわからないという風に、目の前の彼女は首を再び傾げた。

そんな彼女をみて、俺は申し訳ないと、小さく笑った。

「少し、昔話をしても、いいですか?」

彼女に、俺はそう聞いた。彼女に、できればタメ口で話して欲しいなと言われた俺はそこからタメ口を使うことにした。

「俺、昔ボクシングしてたんだ。小さい時から、高校まで、結構真面目にしてた。....でもね、勝てないんだよ。どれだけ練習しても、努力しても、勝てない。天才って呼ばれる人たちには。」

それは、ウララの走りを見た時に、思い出した、懐かしい記憶だ。

「俺よりも遅くに始めたやつにも負けて、監督に、おまえは向いてないって言われて。それでもきっと、いつかは芽が出るんじゃないかって、諦めなかったんだよね、俺。」

スマートファルコンは、再び隣のブランコに座り、軽く漕ぎ出した。金属音が、再び鳴り響く。

「...それでさ、結果、パンチドランカー、まあいわゆる、拳が怖くなったわけよ。どんなに頑張っても目が開かないから、パンチを避けることができない。...選手生命が、終わったのよね。」

そこまで大きなパンチをもらったわけではなかった。ただ、怖かったのは結果を出さない自分にたいしてだ。それが、積み重なって、きっと俺の精神を、侵食した。

「才能のあるやつに勝ちたくて、努力して、努力して、平凡以下の俺は、それで、何もつかめなかった。ああ、間違ってるんだなって、その時思ったんだよ。凡人が、天才に勝つ瞬間なんてこの世界にはありはしないんだなって。....弱く生まれたやつは、下を向いて生きることしかできないんだなって。」

その考えは、今でも少しだけ残っている。

この世界は残酷で、結果が全てで、だから敗者は忘れ去られていく。

「だから、俺はトレーナーになったんだ。才能があるやつを選んで、劣った才能の持ち主を潰していく。こんなに簡単で、楽な選択をできる仕事は、これしかないって思ってさ」

なかなかのクズだろ?と自傷して笑った。

「でも、そんな時に、彼女の走りを見たんだ。泥臭くて、誰よりも弱くて、でも、一生懸命な走りを。...あの娘、あれだけ惨敗した後でも笑ってんのよ。走るのが楽しいって...みんな、私の走りを見て、笑顔になってくれるから、私も嬉しいって...だから、いつか勝ちたいんだって。」

医務室での会話を少し懐かしみながら、俺は続けた。

「その時さ、思っちまったのよ。あぁ、このウマ娘が勝つ姿を、俺は見てみたいって。努力が、想いが、天才に勝つ瞬間を...諦めないって事で、捕めるかもしれない何かを、俺はこの娘の走りで見てみたいって。」

だから、俺はウララをスカウトした。

そう締めくくり、俺は隣に座る天才を見つめた。

「才能があるウマ娘だって、努力はしてるよ?」

彼女は不満そうに、俺に返した。だから俺も

「それ以上に、凡人は足掻いてる。君達天才が1でできることを、10も20もこなしてようやく身につけることしかできない、それが俺たちなんだよ。...だからこそ、俺は信じてる。そこで、諦めなかった先の景色を。」

そう、強く彼女に返した。

「ふふ、ファルコ、負けられないなぁー。」

そう彼女は言うと、ブランコから腰を上げた。

「私は、ダートレースの天才。スタミナも、脚質も、ウララちゃんよりもきっとある。

そして、私も努力してきた。足掻いてきた...夢に向かって、必死に。....でもそれはきっと、ウララちゃんも同じなんだよね。」

先ほどまでウララに対して放っていた殺意ようなプレッシャーを、彼女からはもう感じなかった。代わりに、優しい、友人を見守るかのような、優しい声音で彼女は続けた。

「だったら、ファルコ、負けられない。ライバルとして、ウマドルとして、そして、友達として。」

そう言い残し、今日は遅くまでありがと!ホテルに戻るね!と走って行ってしまった。

ウマドルって、なんなんだろう

聞いとけばよかったと少し後悔した俺はもう少しだけ、この綺麗な空を見ていようと公園に残った。

彼女にも...天才にも、強い信念がある。

才能をもって生まれたからこそ観れる高み、目標...それを、ウララが見ている

それがどれだけ無謀で、難しいことか、彼女の思いに、信念に触れて、再確認させられた。それでも...

「ウララは、必ず」

必ず、ウララは勝ち取る。

風が吹く、少し冷たい、でもこの空気にはちょうどいい風。

草木が揺れる音が心地いい。

レースまで、残りわずかだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

よく晴れた日だった。流石の札幌でもその日の気温はそれなりに高く、最高気温が22度を更新した。

「...ふぅー。」

控え室をでて、外に続くこの廊下を歩いている時、本当にものすごいプレッシャーで毎度毎度吐きそうになる。

私は、身につけた勝負服の裾を、軽く拳で握った。昨日、トレーナーがくれたものだ。

いつもの体操服の上から羽織る、白いジャージと赤いグローブ。本当に、はたからみたらただの厚着をしてるだけに思えるだろう。

それもそのはずで、これは本来の勝負服なのではない。勝負服とは、成績を常にトップでとりつづけるウマ娘にスポンサーなどがついてようやくメーカーから渡されるもので、つまり、これはトレーナーが自分で用意してくれたものだ。....それを、私は理解してる。...だからこそ、こんなにも勇気がでる。どんな勝負服にも負けないくらい、強くて、可愛くて、かっこよくて、優しい服。

これを着るだけで、まるで、トレーナーに頑張ってこいって、待ってるぞって言ってもらえてるみたいで...自然と、笑顔があふれる。

「ウララちゃん...笑顔になれるなんて、ずいぶん余裕なんだね。」

横から声が聞こえたから私はふぇ!?と慌てて顔を上げた。そこには、ファルコンちゃんがいた。それに気が付かないくらい、私は集中してた。

「ファルコ、負けないよ。ウララちゃんがどれだけ期待されてても、応援されてても、それを全部ひっくり返して、本来あるべき姿に、私はしてみせる。...改めて、言わせてもらうね。センターを取るのは、ファルコだよ。」

ファルコンちゃんはそういうととめていた足を動かして、私よりも先にレース場に出ようとした。だから、私も彼女に聴こえるように、大きな声で言い放つ。

「私も!負けないよ!だって!」

だって、だって私は

「みんなが!待ってくれてるから!」

たくさんの人を、待たせているから。

だから、勝たなくちゃだめなんだ。いろんな人の笑顔が、それで見れるから...そして、

トレーナーが、待ってくれてるから。

そんな私の言葉にファルコンちゃんは

「アイドルみたいなこと言うのね!」

と、大きな声で返してきて、笑った。

そして、それっきり彼女は何も言わずに、私に背を向けてレース場にでた。

私も、その力強い背中を追って、土煙が立つダート場にいま、足を踏み入れた。




読んでくれてありがとうございます!
感想おまちしてまふ!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ライバル

みんなが待ってるから!

だから勝つ...か。ウララちゃんの言葉。

誰かのために、勝ちたい。そんなウマ娘も、いるんだ...いや、それが彼女らしさか。

ゲートに入る前に、私は、彼女の言葉を思い出した。

今日まで、彼女の全てが憎くて、許せなかったのに...ウララちゃんのトレーナーさんと、なによりも彼女自身の言葉で、そんなものは完全に抜けてしまった。代わりに残ったのは、彼女に勝ちたいという、その信念のみ。目立ちたいとか、センターに立ちたいとか、自分を知ってもらいたいとか、今まで自分を糧にしてきたものは、全て捨てた。

...ファルコ、意外と単純なんだなぁー、

自分の単純さが、あまりにも露骨すぎて心の中で思わず苦笑いがもれた。

8番のパドックをみる。桃色の彼女は、先程までの笑顔を完全に消した、今までとは違う..なにか、野生の本能のようなものをまとったかのような、そんなプレッシャーを放っていた。

それをみて、あぁ、この子はもう弱くなんてないんだって、その時初めて自覚した。

きっと、ウララちゃんは、強い。レースに出続けてるからこそわかる、独特の、強者が放つ空気感。それが、今の彼女にはある。

「負けて、られないね。」

小さくつぶやいて、ゲートに入った。

『さあ、ハルウララを除いた全てのウマ娘がゲートインしました。ハルウララは少し落ち着かないか?いや、たった今ゲートに入りました!』

ウララちゃんは、私より少しだけ遅くにゲートインした。...始まる。

静寂が続く。レースの時はいつもそう。スタートの前、さっきまでうるさいぐらいに響いていた、たくさんの声援、歓声、誰かに誰かが夢を描いた、叫び。それらが、一斉に止んで訪れる、静寂....私が、ライブの次に、好きな時間だ。

集中力が高まるのがわかる。心臓の音が直に聞こえるほど、神経が活性化していく。間違いなく、ファルコは、今日、誰よりも強い。そう、自分を鼓舞する。力が出る。走りたい、走りたい、走りたい....だから

目の前のゲートが開いた瞬間に私は、

『今!ゲートが開きました!』

ありったけの力を込めてスタートを切った。

 

『砂上のトップを目指すウマ娘達が今、一斉にスタートしました!流石前年度の覇者スマートファルコン、快調に飛ばしていきます!1馬身、2馬身程はなされててサザンガピアス、ラストワンダーと続いていく!ファルコンの参戦で2番人気となったハルウララ、ここは苦しいか少し後続にいるぞ!』

砂埃を上げながら、一斉にウマ娘達が飛び出した。トップを走るのはやはりスマートファルコンだ。しかし、俺が予想してるよりも明らかにペースが速かった。

「...これが、スマートファルコンの、本気逃げ」

第1コーナーをあっという間に抜けた彼女はそのまま第二コーナーに入る。明らかにオーバーペースの逃げに、集団は自然と縦に伸び出した。

『おおっと!後続集団ついていけない!逃げる!逃げ切ってしまうスマートファルコン!やはりダートレースの女王は彼女か!力の違いを見せつける!』

独走状態の彼女の勝ちを、きっとこの時は、この会場にいる、99%の人間が予想しただろう。ただ1人、俺を除けば。

『....いや!?後続から飛び抜ける!誰だ!これは!2番人気!ハルウララ!ハルウララ追い縋る!力強く、追い縋る!はやい!早すぎる!これがあのハルウララなのか!?信じられません!』

後続、第四コーナーを抜けた最後の直線、上り坂。正確には第三コーナーから徐々に上げていたのだろう。彼女が、来る。

おそらく、彼女は本能的に理解していた。先頭を追うことの無意味さを、なぜなら、彼女は自分のスピードを、力を、平凡であると理解しているから、その本能で、体で、死ぬほど詰んだ努力と敗北で、彼女の神経に至るまでが、判断能力の進化を遂げている。

レースの熱気、勝ちたいと言う想い、スマートファルコンの逃げを潰そうとペースを乱した集団のウマ娘に、もう彼女を追いかける足は残っていなかった。ましてや、エルムステークスの最後の直線は上り坂だ。ここでその残りかすに等しい足で追い縋るのは、不可能に近い。だから、ファルコンの逃げは正しかったといえる。...けれど、そのリスクは大きい。

残り400、第四コーナーの通過、つまり1000メートルの通過を、スマートファルコンは50秒4で通過した。この速度で通過できるウマ娘はそうそういない。...そう、いないのだ。...だけど、ここから追いつけるウマ娘はいる。

残り400、続く坂道、才能ではどうにもできない、努力があるからこそ登れる、いや、努力した分、その走りの真価が問われる局面...ここからが、ウララの、努力の走りの力の、見せ所だ。

条件は、そろった。

疲れた後続、力がつきかけている先頭。

....いけ!

「ウララぁぁあ!ここだ!ここで決めろ!いける!勝てるぞ!お前が、勝て!勝つんだよぉおおおおお!!!」

いつもながら、最後は大声で声援を送ることしかできないのが、なんとも不甲斐ない。だからこそ、俺は声が枯れるまでゴールスタンドから叫んだ。

きっと、ウララも苦しい。足を残して後続から追いつく。それは、前半の分の労力を、後半全てにぶつけると言うこと、つまり、最後の直線で、何もかもを絞り切る走りをすると言うことだ。それができなければ、決してすぐれた末脚とはいえない彼女は勝てない。...だけど、彼女は、出し切れる。それが、今彼女がレースで発揮できる、他のウマ娘達よりも優れている、唯一の才能だ。

枯らしつくせ。その一滴の力も振り絞れ、追い縋れ、いけ、勝て、勝て、勝て、その背中を、ぶちぬけ!!

「いけぇえええええええええ!!!!」

ゴール直前になるまで、叫んだ。俺も、限界まで叫ぼうと、そう決めていた。限界の走りには、限界までの声援で、答えたい。

『今!ハルウララ、スマーファルコン、2人同時に流れるようにしてゴールイン、続いて後続から1番、』

ほぼ、同着。どうなった....勝てたのか?

電光掲示板を、見つめる、アタマ...4

『ただ今結果がでました!この僅差のレースを制したのはスマートファルコン!彼女の力はやはり不死鳥!ダートの女王は健在です!』

一瞬の静寂ののち、会場は再び歓喜や泣き声、罵声などで溢れかえった。あるものはスマートファルコンをたたえ、あるものは自分のウマ娘が負けたことを嘆き、あるものは勝てなかったウマ娘に罵声をはいていた。

さまざまな声が、空気が、彼女達を包み込む。

ゴールしたウララは、電光掲示板を見て、しばらくのあいだ空をずっと見つめていた。

スマートファルコンは観客に手を振り、ファルコが1番なんだから!と高らかに宣言をしていた。

まさに、敗者と、勝者の光景だった。

そのあまりにも目を背けたくなる現実を、俺は幾度となく見てきた。でも、それでも慣れない。この悔しさは、悲しさは...俺はまた、彼女を勝たせてやらなかった。

「ウララちゃんもよくやったぞー!」

「感動した!早くなったなぁ!」

観客席から、ウララの健闘をたたえるこえが、たくさん響いていた。それにウララは

「ありがと!次は一着、とるからね!」

と、笑顔で、高らかに返していた。

いつも、彼女は笑うのだ。負けても、勝っても、彼女は笑う。泣き崩れたのは、初勝利を挙げたあの日だけだ。...だからこそ、俺にはわかる。いま、どれほどまでに彼女が悔しいのかを、わかってしまう。

「ウララちゃん、ファルコ、まだあなたに勝ててないよ。」

俺が、悔しさで死にそうになっている時、そんな彼女の言葉が、俺の思考を遮った。

ウィニングステージに立った彼女は、マイクを手に取り、ダート場に立っている、桃色の少女に、こうつづけた。

「こんな僅差で勝つんじゃ意味ないの。こんなの、貴方を倒したなんていえない。だから、JBCスプリント。ここで、貴方に勝つ。」

会場に、どよめきが走った。ジャパンカップスプリント。チャンピオンカップダートとも呼ばれるこのレースには、日本のスプリンターの頂点があつまる、まさに、G1ダートの最高峰レース。ここで、彼女と蹴りをつけると、そう宣言したのだ。それは、彼女自身の距離を捨ててまで、ウララと戦うということ。それほどまでに彼女は、ウララへの勝利に、執着していた。

その後、スマートファルコンのウィニングライブが無事に行われて、エルムステークスは幕を閉じた。流石に札幌へのレースには商店街の人たちの姿はなく、少し寂しく感じた。

控え室に行くと、先にウララが入ってて、もう着替えを終えていた。

「...また、負けちゃった。」

ウララはぼーっと天上を見つめて、そうつぶやいた。

「ああ、負けたな。」

そんな彼女に、俺も平然とそう返す。

「...でも、私、今日はね、正直どうしようもないなって思うの。」

彼女は、そう力なくこぼした。

そう、どうしようもないのだ。仕掛けるタイミング、速度、デビュー戦の時と同じだ。完璧、何をとっても、どこを切り取っても、彼女のベストタイムで、ベストタイミングで勝負できていた。だからこそ、生まれてしまう敗北にはもう、何度やり直しても抗えない。

「でもね、ぁあ、悔しいな。」

けれど、だからといって、彼女の努力が、苦しみが、どうしようもない、そんな一言で、すまされるはずがないのだ。才能の前では無力、それを覆すために努力して、負けて、しょうがないの一言で、済んでいいはずがない。だから、彼女は泣いているのだ。声を出しながら、嗚咽を漏らしながら、その悔しさを、憎しみを、涙で、表していた。

幾度となく、俺は彼女のこの姿を見てきた。

でも、今日の涙は、いつも以上に重いものだと、知っている。なぜなら、きっと彼女に、その声は聞こえてしまったからだ。

「おまえにかけた分の金返せよ!」

「何回負けるんだよ!」

ウララに金をかけて、負けた。だから罵声を浴びせる、そんな外道の、自分勝手な、本当に腐ってるとしか思えない罵声を、彼女は、今日初めて、その一身で抱えている。

G2、G1となると、当然かける金額も、人数も、増える。それは、それだけ能無しが増える可能性があると言うことだ。でも、それに俺たちは何も言い返せない。それが、レースを走るものの、敗者に対しての、報いであるから。彼らがあってこその商売であるから。

でも、それでも...本当に...胸糞が悪い。

なのに、ウララは...

「...期待に、みんなの期待に、こた、答えれなかった...わ、わたし、を、信じてくれてる人...たくざんいだのに、わだじ..また答えれなかった。」

彼らの期待に応えれなかったこと、それだけを本気で悔やんで、悲しんだ。愚痴のひとつもこぼさずに、彼女は、自分の走りの結果を、悔やんでいた。

どこまでも真っ直ぐなその姿は、時折、俺を立ち直らせてくれる。

「...ウララ。」

俺は、泣き続けるウララに続けた。

「フェブラリーSを出走して、そこで勝つ。」

ウララは、ぴくりと、その体を反応させた。

「...怖いか?」

それはきっと、敗北への恐怖。期待を裏切ることの、恐怖。幾度となく、彼女が感じてきた恐怖。...そんなもの、

「そんなの、おまえの走る想いと比べたら、どーってことないだろ?」

いつの日か、彼女のお父さん、大和さんが伝えてくれたことば、俺と走るのが楽しいと言う彼女の言葉。連敗つづきで、下を向いていても、走る理由となった想い。...走ることが、楽しい。見てくれる人が笑顔になるのが嬉しい。その気持ちは、レースで負けることなんかの恐怖で、なくなるものじゃない。だとしたら、いま、彼女はこの場所に立てていないのだから。

「ウララ、走るのは好きか?」

俺は、ウララに聞く。

ウララは、うんと頷く。

「負けるのは、怖いか?」

その質問に、少しの間のあと、ウララは頷いた。....それでいいんだ。

「ウララ、俺と一緒にレースを目指すことは、勝ちを目指すことは...辛いか?」

負けるのが怖い。それを再び認め、俯く彼女に、俺は問いかける。すごくずるい質問だと、自分でも理解している。

「....そんなの、ずるいよ、トレーナー。」

彼女は俺にそう困ったように笑って

「大好きだよ。...私、トレーナーと走るのが、大好き。何度負けても、悔しくても、それでも、一緒に勝ちを目指すのが、楽しくて、嬉しくて、、本当に、大好きなの。」

そう、少し照れたように応えた。俺も、なんだか告白されているようで少し気恥ずかしかった。....さてと。

だったら、もう答えはきまってる。

「ウララ、フェブラリーS、とるよな。」

「とる。絶対に、一番、とってみせる。」

今度は力強く、彼女はそう返した。そして、

「それから、ジャパンカップで、私はファルコンちゃんに、、勝ちたい。」

俺が言わずとも、彼女がそう口にした。

初めての瞬間だった。彼女が、誰かのために勝ちたいではなく、純粋に人に勝ちたいといった瞬間は、そしてそれは、これほどまでに力強いものなのか。

俺は、少し圧倒され、ああ、そうだな。とかえした。

ウララ、おまえは強くなってる。

今は気休めにしか、きっと聞こえない。だから口に出さない。心の中で俺は繰り返す。

ウララ、おまえは...強いよ。

有馬記念の前に、ひとつ目標ができたな。

俺とウララは互いにそう確認しあって、お互いの信念をむねに、控え室を後にした。

もう、後悔など、どこにもなかった。

 

 

スタートが始まって、先頭のファルコンちゃんがものすごいスピードでかけているのがわかった。それと同時に、この速度に合わせればペースがもたないことを頭ではなく、体で感じ取った。私は遅いから、単純に勝負すれば、確実に負ける。脚質も、スタミナも、何一つ勝てない...だからこそ、磨いた。

脚のためかた、仕掛けるタイミング、それを、幾度とない練習と、敗北と、少しの勝利の中で、学んだ。

集団が、縦に伸び出している。ここから、少しずつ順位を上げる。まだ無理はしない。5番手の位置につけて、集団よりも右外に出た。左コーナーを抜けて、最後の坂道になるまで、ためる、ためる、ためる、ためる、そして、今!

全てを解放した。足が、腕が、全身の筋肉の細胞が、ものすごい勢いで活性化して、動く。1人、また1人、抜ける。抜ける。きっと、もうこの娘たちには足が残ってないのだろう。ペースを乱されれば、この坂を登る方はできない。....ただ1人を除けば。

どんなにオーバーペースで走ろうと、その無尽蔵のスタミナで、筋力で、私の目の前を走る背中がみえる。なんて、はやいんだ。

追いつけそう、追いつける、追いつく、まだ、いける、みんなが、待ってくれてるから、だから、取らなくちゃ、お願い....私、とどけぇええええええ

「ぁぁぁぁぁあ!!」

最後、なだれ込むようにゴールした。先頭に、立てた気がする。わずかだけど、前に...

しばらくして、その数字は電光掲示板にでた。4番、、ファルコンちゃんの、数字だ。

....また、負けた。

最後の最後、及ばなかった。そして、

「また負けたのかよぉ〜」

「おい!金返せよ!」

「ぁぁーあ、終わりだわもう、最悪、二度とかけねぇーわ。」

その声は聞こえてしまった。大勢のなかから聞こえた、小さくて、わずかな声。でも、その言葉たちは、確かな鋭さを持って、私の心を、抉り取るかのように突き刺さった。

ああ、痛いな。

空を見る。でないとこの両目から、溢れてきてしまうものを、堪えることが、できない。

きっと、私の勝ちを待ってくれてる人は、もう少なくはない。だからこそ、、辛い。

期待に応えれなかったことが、信頼を裏切ったことが、悔しくて悔しくて、仕方ない。

なによりも...トレーナーのことを、また裏切ってしまった。

「....ごめんなざい。」

震える声で。そう小さくつぶやいた。

もう、私は頑張るウマ娘、ハルウララではない。勇気のもらえるウマ娘、ハルウララではない。そう自覚した。そんな夢物語を語っている暇などは、もう私にはなかった。

勝たなければならない。なぜなら私は期待されているから、1人から2人、2人から3人、どんどんその期待は増えていって、、いつからか、とても大きくなって...そして、私に降りかかった。その期待は、私の敗北を、こんなにも、辛いものにするもので...心が、痛かった。

「よくやったよ!ウララちゃん!」

「惜しかったよ!また応援するからね!」

そんな私に、今度は優しい言葉が、さっきとは違って、たくさん飛んできた。その言葉たちは、さっきの乱暴な言葉よりも、今の私には辛くて、辛くて

「うん!ありがと!次は一着とるからね!」

だから私は、物凄く溢れそうになる涙を懸命に堪えて、そう手を振った。

ファルコンちゃんのウィニングステージが始まり、もうこの場を後にしようと控え室に行こうとした時、ファルコンちゃんが私の名前を呼んだ。

JBCスプリンターで、私を倒す。

私をまだ倒せていないといった彼女は、そう私に宣言した。日本最高峰のスピードスターが集まるレース。中距離を得意とする彼女が、自分の距離をなくしてまで、私に挑もうとしている。

それなのに私は、その言葉に、想いに、応えたいと思えなかった。...もう、こんなに沢山の期待を裏切るのは、あんまりだ。

誰とも会いたくなくて、ウィニングライブに渋々出た後、私はすぐに控え室に向かった。

負けた。

着替えを済ませて、控え室の天上を見つめながら、ぼーっとしてみた。もしかしたらそうすることで、この嫌な思いを忘れられるんじゃないのかって、そう思ったから。

私、、また裏切ったんだ。

あの人たちの言葉が、脳裏に蘇ってくる。胸が苦しい。痛い。負けた自分が許せない。

みんなに申し訳ない。いろんな感情が、渦巻いて、渦巻いて、そして

「...トレーナー」

あの人の信頼を、また裏切ってしまったこと。それが、何よりも辛かった。

ドアが開いた。トレーナーだ。今、1番、会いたくない人。

だから、そんな彼に、私は言い訳をした。どうしようもなかったと、そう自分に言い聞かせるようにして、でも、それでも悔しくて、耐えきれなくて、泣いてしまった。

そんな私に、トレーナーは聞いてきた。

負けるのが怖いか、走るのは好きか。そして、、トレーナーと勝ちを目指すことが、辛いか、その質問は、とてもずるいと思った。だって、辛いわけがないのだから。私が、世界で一番好きな、大好きな時間、それは、トレーナーと一緒に、走ってる時なんだから。....負けるのは怖い。前よりも、もっと怖くなった。でも...それでも私は

トレーナーと、走りたい。その気持ちに気がついたら、もう、走りたくないなんて感情は、消えていた。

何日か前に、お父さんともこんなことあったなと、少し懐かしい気分を覚えた。

トレーナーは私がトレーナーと走ることが大好きだと伝えると、すこし照れているようで、なんだかこっちも恥ずかしくなってしまった。

怖さは消えない。苦しさも消えない。...でも、後悔だけは、したくない。

一度、トレーナーがフェブラリーステークスに出るといった時、何も言えなかった。身体が、震えてしまった。...でも、もう大丈夫。だって、こんなにも今は、勝ちたい気持ちでいっぱいなんだから。だから私は、この思いを、そのまま口にした。

「ジャパンカップで、ファルコンちゃんに、勝ちたい。」

初めてだった。1番になりたいでもなく、誰かの笑顔を見たいでもなく、誰かに、勝ちたいと感じたのは。

トレーナーは私の言葉を聞いて、満足そうに微笑んでくれた。

その日、私に初めて、ライバルができた。

 




少し短めになって申し訳ないです!
感想お待ちしてます!次はジャパンカップを書いて、フェブラリーステークスの前に、ライスシャワーの皐月賞、菊花賞、の話を書きます!
時系列めっちゃくちゃになりますけど許してください!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む



ウララの激戦が終わった後、その激戦を見たウマ娘ファン達がTwitterなどに動画を載せ、たちまちにウララとスマートファルコンの知名度は上がった。トレーナーの間でも、ウララをここまで育てた俺に対しての賞賛の声が度々上がっているようだ。俺は素直に、それらの変化を嬉しく思っている。ようやく、ウララの存在に周りが気がつき出した。

そして、ウララのレースから少し月日が経ち、ライスの皐月賞選考会があった。結果は4着、今注目のミホノブルボンが2着と3馬身もの差をつけてゴールを決めていた。

「ライスちゃんお疲れさまーー!」

控え室にウララと共に向かい、ライスの健闘をねぎらった。

「お疲れ、ライス。」

「あ、トレーナーさん....ありがと。」

俺の言葉にライスは少しだけ嬉しそうに微笑んでそう応えた。

ウララと同じように、ライスも敬語を外してもらいたかったらしく、俺はまあこの距離感もありかと感じ、喜んで了承した。

「はやかったねー!みほのぶりぼん!」

「ウララちゃん、ミホノブルボンさんだよ」

ウララが元気よく間違えたのをライスがすぐさま訂正した。

「まあ、俺も生で見てびびったが、確かにメディアで注目されまくってるだけあるわなあれは、クソほど速かったわ。」

ウララが興奮するのもわかる。それほどまでにミホノブルボンの走りは鋭く、速かった。まるで、群れることに意味はないと言わんばかりの、誰も寄せ付けないその逃げで、思わず鳥肌が立ってしまった。

だけど....

「ライスも、今日はベストタイムだったぞ。選考会も通ったしな。」

俺はそういってライスに今日のタイムラップを見せた。

1000メートルの通過から2000メートルまで、どれも練習の時より遥かに上のタイムで更新している。選考会では上位8人までが皐月賞本番に選出され、ライスは無事通過することができた。

タイムも予選も突破できたライスだが、その顔色は明るくはなかった。

「...不満か?勝てなかったことが。」

俺はそんなライスに、そう声をかけた。

「うん、不満だよ。ものすごく不満。でも、それ以上に」

そこでライスは言葉を区切って、羨むような目線を控え室のテレビに移した。そこには、何も映っていない。けれど、ライスの目には映っているのだろう。1番の輝きを纏った、彼女の姿が。

「羨ましかった。ブルボンさんの、輝きが。」

羨ましい。そう口にした彼女の感情は、きっとレースに出る彼女達にしかわからない。だから俺は何も言わずに、ただ頷いた。

「ライスも、あんな風に輝いてみたい。」

そう口にするライスの目はまっすぐで、これが、彼女が掴みたい景色なんだなと理解した。...だったら、俺がやることは一つ。

必ず、その景色をライスに掴ませる。

「つかむぞ、ライス。次の皐月賞、お前がとれ。」

その言葉にライスはうん!と大きく頷く。そんなライスを見て勝つゾォおおお!とウララが大きな声で叫んだ。

....あとで、お隣のトレーナーさんに謝っとかないと。

俺は心の中でそう呟いて、ライスの着替えを外で待つことにした。

ウララは着替えを手伝うとのことで更衣室にのこったため、俺は先に車に向かう。廊下をでて駐車場に向かう時、通りかかっていた控え室の出口が開いた。

.....ミホノブルボン。

異次元の逃げを見せた彼女が、今目の前にいる。

「....なんでしょう?」

しばらく俺が硬直していたことを怪訝に思ったのか、彼女はそう首を傾げた。

「あ、ああ!いや、なんでもないです。」

俺は少しだけ取り乱して、すぐにその場をさろうとした。

「あ、トレーナー発見!」

すると背後からウララの声が聞こえて小走りにかけてきた。

ライスも後ろから、ウララちゃん!走ったらダメだよーと小走りにかけてきた。

...ライスも走ってるんだよなぁー

この会場の廊下では、ウマ娘の移動方法は原則として早歩きまでと決まっているのだが、そのルールを、彼女達が他のウマ娘の前で堂々と破ってしまったことに、若干の羞恥心を感じた。

「あなたは、ハルウララさんのトレーナーさんなのですか?」

ウララたちがこっちにくる間、ミホノブルボンがそう聞いてきた。

「ええ。一応彼女のトレーナーやらせてもらってます。」

「...そうですか。」

それっきりミホノブルボンは何も言うことはなく、俺の方からウララ達の方に向かっていった。

「あ!?トレーナーの方から来てるの!ミホノブルボンだよ!ライスちゃん!」

「ウララちゃん!呼び捨てしたらダメだよ!..って、え!?嘘!あ、ほんとだ!え、なんで!?どーしよ!」

突然のミホノブルボンの登場に、ライスは動揺を隠せず、ウララはわーいわーいと喜んでいた。

俺は先に車に行っていようと彼女達に背を向けて再び廊下を歩き出した。

「あんたが、ハルウララのトレーナーか?」

歩き出そうとしたその時、今度は低く、力強い男の声が聞こえた。声のする方を見ると、そこにはヤクザのような見た目の男が、ミホノブルボンの、控室の横にあるベンチに座っていた。

黒沼清二、ミホノブルボンのトレーナーだ。テレビの番組などに度々出ているため、俺はなんとなくその男をしっていた。

「少し、話さないか?」

続けて黒沼さんはそう俺に問い、横にあるベンチを指した。

なんのようだろうと怪訝に思いつつ、ウララ達とミホノブルボンが何やら話仕込んでいるためその待ち時間だけならと、彼の隣に腰を掛けた。

「....よく、あそこまで仕上げたな。」

なにを、とは聞くまでもなかった。だから俺は、素直に礼を言った。

「ありがとうございます。...そうですね、正直、ウララは、デビュー戦の時とは比較にならないほど、強くなりました。いまなら、多少力のあるウマ娘と走っても、互角に、もしくはそれ以上のスピードを発揮することができます。」

俺の返事に黒沼さんは無言で頷き、話を続けた。

「ブルボンは、はじめから強かった。だから俺は、その走りに磨きをかける形であいつの走りを進化させた。....だから、あんたには本当に驚いてるんだよ、何もないところから、鳥肌が立つほどの走りを生み出したんだからな。よく、その素質を見抜いた。」

黒沼さんはそういうと、俺の肩に手を乗せた。俺はその手を不快に思って身をよじろうとした。

「...だからこそ、不思議でならないんだよ。あの、ライスシャワーってやつの走りはよ。」

しかし、その言葉で動けなくなってしまった。

「あのウマ娘の走りからは、何も伝わらなかったんだ。ハルウララの走りを見た時のような、衝撃を、力強さを、何も感じなかったんだ。まるで、薄っぺらい紙のような走りだ。それは、ブルボンも感じていたらしい。あのハルウララと同じチームのウマ娘というだけあって少し期待していたようだがな、ガッカリだと口にしていた。」

俺はその言葉に、静かにこう返した。

「ライスは、今日初めてなんですよ、こうなりたいって口にしたの。」

控室での彼女の言葉。あんな風に、ライスも輝いてみたい、それはきっと、彼女が走る上で、欠かせない信念へと繋がるはずだ。

「ミホノブルボンは、確かに速い。誰も寄せ付けない走り、理想の逃げ。けれど、その理想が叶っていたのはあくまでついていけるウマ娘がいなかったから。....ライスは、どこまでも食らい付きます。それが、いつか黒沼さんもわかるはずです。」

ウララが信念を持つことで強くなったようにライスもきっと、今日の経験で持ったはずなのだ、輝きたいという信念を、見たい景色を。

俺は知っている、想いが、願いが、どれだけ、ウマ娘の走りを強くするのかということを。

それに、と俺は黒沼さんに続ける。

「俺は、ウララの素質なんてこれっぽっちも見抜いてませんよ。ただ、あいつが勝ちたいって気持ちで、今日まで真っ直ぐに走り続けただけの結果です。だから、俺は何も凄くない。」

俺はそういうと、静かに黒沼さんの手を肩からどけた。

「おいおい、お前さん、まさか想いがハルウララを強くした、なんて理想論をかますわけじゃないよな?ライスシャワーの件もそうだ、何か作戦あってのことなんだ...」

「そうですよ。想いが、ウララを強くしました。想いが、ライスを強くします。」

何をバカなことを言うんだと言う黒沼さんの言葉を遮り、俺は続けた。

「ウララの走りは、決して強くはない。それは、彼女自身が一番わかってる。なのに、彼女はあそこまでの走りを見せた。俺たちを感動させた。それは、ひとえに、信念があるからですよ。勝ちたいと言う信念、期待に応えたいと言う信念、そういった想いは、限界を、どこまでも引き伸ばしてくれる。それは、ライスにも言えることです。」

だから、と俺は黒沼さんの目を見て、宣言した。

「次の皐月賞、菊花賞、ともにライスがとります。」

その言葉に黒沼さんは一瞬だまり、そして、吹き出すようにして笑った。

「ぷ、はははは!皐月賞、菊花賞を、とるだと?あの走りのウマ娘が?....あまり、ブルボンを舐めない方がいいぞ?」

そしてその笑いは一瞬にして怒りのこもった声へと変わる。例えこの人は、冗談でもライスの走りにミホノブルボンが負けると言うことを口にすることが許せないのだろう。だからこそ、俺はもう一度口にした。

「舐めないのがいいのはそっちの方ですよ、黒沼さん。ライスは今日、こうなりたいって口にしたんです。その想いは、必ず彼女の走りに影響を与える。俺はそれを、何度も目にしてきた。....見せてやりますよ、奇跡ってやつを必然のものとして起こす...想いの力ってやつをね。」

しばらく、お互い無言で睨み合った。いや、黒沼さんはサングラスをかけているからどんな表情をしてたのかはわからないのだが。

「,...マスター、お取り組み中のところ申し訳ありません、私の用事はすみました。」

その静寂を、ミホノブルボンの言葉がくだいた。

「いや、俺もちょうど終わったところだ。...帰るぞ、ブルボン。」

黒沼さんはそう言うとミホノブルボンと共に外に出ていった。ベンチを立って一言、期待せずに待っている、そう言い残して。

「トレーナー、どしたの?」

彼らの背中を見つめていると、ウララとライスが、そんな俺を不思議そうに見ていた。俺は

「なんでもない。」

そう応え、俺たちも帰ろう、とライスとウララを連れて外に向かった。

帰りながら、ミホノブルボンとどんな話をしたのかを聞こうとして、やめた。いつになく真剣な表情のライスを見ると、なんだか聞かない方が良い気がしたのだ。

外に出た。まだ暑さを残す夏は、もうすぐ終わりを迎え秋になろうとしている。その季節の変化は、まるで彼女たちの走りを表現しているかのようで、俺は1人静かに、心を震わせた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

ブルボンさんがこっちにきたとわかった時、私はひどく動揺してしまって、とてもあたふたしたのを覚えている。おまけにウララちゃんはブルボンさんを呼び捨てにしちゃうし、怒らせたかもしれないと思って本気で焦った。

「失礼します。私、ミホノブルボンと申します。」

私たちの前に現れた彼女はそう言うと一度、深くお辞儀をした。そのあまりにも機械地味た動きに、なんだかお人形みたいだなと言う印象を受けた。

「私、ハルウララさんのエルムステークス、拝見させて頂きました。

短期間であれほどの走りを手に入れたあなたには、脱帽します。本当に素晴らしい。感動しました。」

そう言うと、ブルボンさんは再び頭を下げた。ブルボンさんの言う通り、ウララちゃんの走りは凄くて、メディアとかでも扱われる頻度が増えるほどだった。そんなウララちゃんを、私は誇りに思っている。

「だつぼう?んー、よくわかんないけどありがと!私もね、ブルボンちゃんの走り凄いと思ったよ!びゅーんって!ファルコンちゃんみたいだった!」

ウララちゃんはそう言うとウララ〜♪と体を楽しそうに揺らしていた。

「ええ、ファルコンさんの走りも相当なものでした。私が尊敬するウマ娘の1人にここで会えたことに、まずは感謝します。そして、こうして言葉をかわせたことも、私の中で、一つの経験として糧にすることができます。」

そう言うとブルボンさんはウララちゃんに質問をひとつしていいかと聞いた。ウララちゃんもどうぞーっと即答し、ブルボンさんは少し考えたのち

「ここまで速くなった秘訣などを、聞いてもよろしいでしょうか。」

そう、ウララちゃんに聞いた。ウララちゃんはひけつー?と口にしてしばらく、うーんと悩んだのちに、わからない!と高らかに宣言した。

「....それは、秘密にする、と言うことですか?」

それを秘密にすることだと捉えたブルボンさんは、少しだけ残念そうにウララちゃんに聞いた。

「うーん、秘密にしたいとかじゃないんだけど、本当にわからなくて。

私、レースに出る時は、トレーナーと会う前から勝つぞーって気持ち出てたんだけどね、トレーナーと会ってから凄いたくさん練習もしだしたし、最近は、勝ちたい気持ちが強くなったと言うか....うん、いっぱい色んなレースにでて、その度に色んな人から言葉をもらって、勇気をもらって、トレーナーから、色んなものをもらって、だから、速くなれたのかな?....んー、やっぱり、わかんないや!」

最後にはわからないと締めくくった彼女は、笑顔でブルボンさんにそう応えた。ブルボンさんはやはりそれを秘密にしていると捉え、難しい質問をしてしまい申し訳ありませんと頭を下げていた。

「そちらの方は、ウララさんのチームメイトと拝見しているのですが、本当なのですか?」

次に、ブルボンさんは私にそう聞いてきた。なぜそんなことを聞くのかと疑問に思いながら、私はそうだよと応えた。

わたしの答えにブルボンさんは残念そうに

「そうですか...。」

そう、耳を垂らしながら応えた。

一瞬、何をこんなに残念がっているのか疑問に思った。けれど、次の一言で、全て理解した。

「残念です。ウララさんのチームの方でしたら、ウララさんのような力強い走りをされるのではないのかと期待してはいたのですが...。」

ウララちゃんのような走り。信念の走り。勝ちたいと言う想いを具現化したような走り。そんな走りを、私は今まで、したことがなかった。今日のレースも、もちろん勝ちたかったけど、それでも、そこまでの想いで走れてはいなかった。...だからこそ、ブルボンさんの言葉に、何も言い返せなかった。...悔しい。何も言い返せない自分が、彼女に馬鹿にされている自分が、悔しい、悔しい、でも、何も言えない。

「ライスちゃんはね、これからもっと速くなるよ。」

何も言えずにしたを向いている私の耳に、いつもの元気な、けれどとても真剣な時の、ウララちゃんの声が聞こえた。

「ライスちゃんはね、今日、あなたに負けて、私もブルボンさんみたいになりたいって、言ってたんだ。」

ウララちゃんは、ブルボンさんに少し近づいて、続ける。

「それはきっと、みんなが思ってることだと思うの。みんな、ライスちゃんみたいにブルボンちゃんに憧れて、努力していくんだと思う。」

だけどね、とウララちゃんはブルボンさんの目を真っ直ぐに見て、こう続けた。

「ライスちゃんは、そんなみんなの中で、一番、ブルボンちゃんに憧れてると思うの。私、そう言うのだけはわかっちゃうから....だからね、ライスちゃんは今よりももっと速くなるよ。...何かを想うことって、凄く力になるから。」

彼女はどこか嬉しそうにそう語った。想うことの強さ、それはきっと、彼女が一番理解している。だからこそ、私が速くなると、断言できるのだ。

「...では、ウララさんは、ライスさんがその想いだけで私に追いつける、そう言うんですか?」

そう聞いたブルボンさんに、うん!とウララちゃんは元気に返事をして、だから、残念がらなくてもいいよと返した。

ブルボンさんはそれに何も言わずに、今日は突然なのにもかかわらず、お話していただきありがとうございました。と言い残してトレーナーさん達が話してるところに向かっていった。

「....ライスちゃん、今悔しいよね?」

その背中を見つめながら、ウララちゃんが聞いてきた。

「うん、悔しい。悔しいよ。あんな風に言われて...でも、ライスじゃやっぱり」

「なら大丈夫!」

私が無理なんじゃないかとくちにしようとすると、ウララちゃんは元気な声と笑顔でその言葉を遮って

「私もね、たくさん悔しい思いしたからわかるの。悔しいって気持ちはね、ライスちゃんを強くするよ、それは、私が保証する。」

ウララちゃんは、そう優しく微笑んでくれた。なんの確証もない保証だ。彼女の自己満足、そんな一言で片付けれるような...なのに、その言葉には凄い説得力があって、凄く、勇気をもらえた。

だから私も、うん!と頷いて、

「絶対に、ブルボンさんに勝つ!」

そうウララちゃんに宣言したのだ。それに彼女も満足そうに微笑んで、2人で、トレーナーさんの元に向かった。

わたしは、その日初めて、誰かに勝つと宣言をすることができた。

きっとそれは、敗北が、悔しさが、そして、ウララちゃんがいてくれたから言えたことで、わたしはそのことが...とても嬉しかった。

私少し前を歩く、桃色の尻尾の揺れを見ながら、小さく

「ありがと」

そう呟いて、私は彼女の横に並んで、歩いたのだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ライスの皐月賞まで残り二週間、ウララのJBCダートまでは残り2ヶ月ほどになっていた。JBCのシリーズのレースは本来なら12月に行われるのだが、今年は11月主催となっている。理由はおそらく運営側の問題なのではあろうが詳しいことは何も聞かされてはいない。しかし、こちらとしては都合が良い話だ。なぜなら、これで有馬記念に向けてウララの時間を作ることができるからだ。彼女は必ず、有馬記念に出走する。そのためには、G1であと二勝、最低でも勝ち星を上げなければならない。JBCとフェブラリーS、この二つのレースを、俺は必ず彼女が制すると信じている。

「よし!ライスはそのままのペースを意識してターフを10周だ!ウララはスプリント30本、10本の間に30秒のインターバルを作って行え!」

俺はそれぞれのトレーニングをみながら今考えられる最適の指示をした。ライスが出皐月賞、そして続く菊花賞はそれぞれ2000メートルと3000メートルの芝だ。ライスの伸びる足であれば菊花賞の方が有利なのは確実だが、今のライスの走りを見る限り、きっと彼女は皐月賞でも負ける気はない。であれば当然それに見合ったメニューをくむことになる。どちらにせよスタミナ勝負のなるのが中山レース場だ。中山レース場は、通常のレース場よりも明らかに直線が短い。それは、末脚で勝負をするウマ娘には致命的な問題である。直線が短いということは、本来加速する滑走路を失っているのと同じだからだ。しかし、ライスの伸びる脚質は、仕掛けるところさえ間違えなければ、どこからでも追い縋ることができる。その素質を最大限まで伸ばすためには、どんな距離からでも仕掛けられるスタミナと、相手の動きに反応するための集中力が必要となる。マイルや長距離向けのウマ娘のことをステイヤーと呼ぶが、彼女にはその中でも少し特殊なスタンスを取らせることにした。それは、レース展開に合わせて自分のスタイルを変えると言うもの。ステイヤーの多くは差しもしくは先行、追い込みを取るのだが、彼女にはその全てを行わせるつもりだ。つまるところ、先頭を最初から射程圏内に収めれるのであれば先行、集団のペースが乱れているのであれば差し、先頭も集団も動きがないのであれば追い込みで、だと言った風に、相手の動きをマークさせる走りをさせる。

一見無謀に見えるかもしれないが、彼女の素質があれば不可能ではない。もちろん、それ相応の負担はかかるが....

「はぁ、はぁ、はぁ、しっ!」

ペースを徐々に上げながらターフを駆け抜ける彼女の走りは、明らかに以前のものとは違う。集中力、闘争心、その全てが、体から滲み出ている。

無敗の三冠ウマ娘、ミホノブルボン

世間での期待は、今恐ろしいほどのものとなっている。だからこそ、楽しみでならないのだ。その常識ってやつが、覆る瞬間が。

「よーい、どん!」

ダート場の方に目をやると、ウララが元気に自分自身に声をかけてスプリントを行っていた。彼女の走るJBCも距離が1800といつもより少し長めのダートレースとなっているため、通常よりも倍スタミナトレーニングを入れている。かと言ってスプリントのメニューを楽にしているわけではないため、過去最大の負荷の練習が彼女にはかかっているはずだ。

それでも、彼女はそのメニューを一度もさぼらずにこなしている。

スマートファルコンの想い、自分に勝つために、自分の土俵を捨ててまで挑む姿勢、その全てに、彼女は全身全霊で応えようとしている。

それぞれに、それぞれの夢がある。憧れがある。責任がある。

それを、彼女達は今、全うしようと足掻いているんだ。

だったら俺は、それに全力で応えなくてはならない。

彼女達を、この身を削ってでもサポートしようと心に決め、俺はトレーニングを見続けたのだった。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

ライスのレースが、始まった。皐月賞は8着と言う結果に終わってしまったが、続く日本ダービーでは1馬身差で2着になった。皐月賞の時の敗因は、慣れていない戦略のせいであった。しかし、日本ダービーでそこをうまいこと調整して、持ち直すことができた。ウララのJBCの前にある菊花賞で、確実にミホノブルボンを捉えることができると、俺は確信している。

「....ごめんなさい、ライス、また負けちゃって。」

ライスは敗北するたびにナイーブになってはいたが、決して諦めたりはしなかった。菊花賞までの残り時間、ライスはウララとの連絡を経っていた。その理由は、集中力を上げるためだと言う。ブルボンさんに勝つためには、集中力が必要なのだと、レースの中で実感した、だから、ウララちゃんの優しさに甘えるわけにはいかないと、臆病な彼女が、初めて一人で練習を始めていた。俺はライスにコースの各所にビデオを設置してもらい、そのファイルをパソコンに転送してもらった。そして、常にそのフォームやトレーニング内容を確認して、メッセージを携帯で送った。本当はそばで見たいのだが、彼女の心理的面を考えてやめた。今は、彼女の言う通り集中力を高める時だ。俺が変に刺激して、それを阻害したくはない。

ウララもJBCに向けて着々と準備を進めていた。ライスの行動に思うところがあるのか、ウララのやる気もいつも以上に上がっていた。何もかも、この時までは順調だった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

ブルボンさんに勝ちたい。その想いは私の中で日に日に大きくなっていった。あの人のように輝きたい、みんなに認められたい。そんな想いが、集中力をかきたてる。私はわがままだから、ウララちゃんみたいに誰かのために、なんて想いで走れたりはしない。だけど、根底にあるものは同じ。勝ちたい。その一心だけなら、今の私は誰にも負けたりはしない。トレーナーのメニューだけでは事足りずに、自分でメニューを加えて私はトレーニングを行った。

故障するまで追い込んでは元も子もないため適度なところでやめて、私は京都レース場の近くのホテルに戻った。トレーナーが提案する一週間前から私はすでに京都にいた。ホテル代は高くなるけど、レースで勝つためならなんとも思わなかった。レース場の感覚を掴むために、京都レース場にお金を払って何度も走り込んだ。足の調整もできている。気持ちも整った。あとは....あの人を、追い抜くだけ。

私は余分な荷物をホテルに置いて、最後に、ブルボンさんの走りをイメージをしながらレース場をダウンジョグした。暗い雲の隙間から、月灯が差し込んだ。綺麗だ。私の体に、その光が優しく差し込んだ。夜のレース場、私以外にもこのレース場を走っているウマ娘はいるのに、なぜか私を見ると慌てたように逃げていってしまう。なぜだろう?

なんだか声が聞こえたような気もする..気のせいかな?

...まあ、そんなことはどうでも良いや。極限まで、鍛えた。 

もうすぐだ、あと少しで、私も...輝けるんだ!

ーーーーーーーーーーーーーー

その日は菊花賞が近いこともあって、私は京都レース場に来ていた。夜のレース場は月明かりに照らされていてとても綺麗で、なんだか明日は勝てるかもしれないと、そんな幻想を抱いたのを覚えている。

ホームストレッジからターフの上を歩いていると、暗くてよく見えないが、一人のウマ娘が見えた。とても綺麗な毛並みで、なのに、なんだか不気味なオーラを纏っていた。私はその姿が気になって、少しずつ近づいて...それを大いに後悔した。

「ひっ!?」

思わず、声にならない悲鳴が漏れた。

月明かりに照らされた彼女は、まるで獣だった。目が充血しているかのように開き、まるでどこか遠くを見ているかのようだった。毛はまるで威嚇をする時のように逆立ち、全身からはさっき感じたプレッシャーをより濃くしたものを放っていた。

...怖い。

肉食獣を見たときに思い出す、本能の記憶、恐怖が、私の体中を駆け巡る。彼女はまさに、本能をむき出しにした猛獣。そう例えるのが、相応しいほど恐怖した。私は思わずその場から立ち去り、更衣室に駆け込んだ。

足の震えが、止まらない。...あんなのが、菊花賞に、でるのか?

ミホノブルボンとは違う、圧倒的強者の前に、私は、逃げることしか出来なかった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

試合当日、俺とウララは共に京都に向かった。試合前に声をかけるかどうか迷ったが、そんな時にライスから連絡が来た。

  控え室に来て欲しい。

俺とウララは急いでライスの控え室に向かった。

「ライスちゃん!今日のレース絶対...」

ウララが先に入って声をかけようとして、なぜか途中で声を区切ってしまった。俺はそれを怪訝に思いウララを見ると、ウララはまるで怯えるかのような目でライスを見ていた。そして、俺もライスを纏う異様なプレッシャーに、気がついた。部屋の奥にいる彼女は、明らかにいつもと様子が違った。ウララが集中している時とも違う、なにかを狩るかのようなその目、漆黒の毛並みは少し逆立っており、それは、まるで...

...まるで、獣だった。

「あ、トレーナーさん、ウララちゃん、来てくれたんだね。」

俺たちに気がついたライスはそういうと、椅子から立ち上がって俺たちの方にゆっくりと歩いてくる。

「私、今日勝つよ。わかるの、私ね、今日は勝てる。」

そういうとライスはようやくいつものような優しい笑みを見せた。俺はそれを見て少し安堵し、

「ああ、信じてる。...勝ってこい。」

そう口にした。ウララも思い出したかのように、頑張れ!ライスちゃん!と声をかけ、ライスをレースに送り出した。

「うん!ライス、頑張るね!」

そう口にした彼女は、再びあの異様な空気感を纏い、レース場へと向かった。

控え室に残った俺とウララは、しばらく何も話せないでいた。

「ライスちゃん、なんだか怖かった。」

ふと、ウララが口にした。

「いつもの優しいライスちゃんじゃなくて、レース前に緊張してるライスちゃんじゃなくて...まるで、別人みたいだった。」

俺も、そのウララの言葉に静かに頷いた。今日のライスは明らかに、いつものライスとは違っていた。

「....凄いね、ライスちゃん。」

先程の怯えたようなウララはもういなくて、代わりにとても優しい声音をした、いつものウララがいた。

「あんなになるまで追い込んで、何もかもを絞り出して...ほんとに、凄いよ。」

そう繰り返す彼女は、力強く、興奮を抑えるように拳を握っていた。

きっと、ライスは限界まで追い込んだのだ。ウララとはまた違った方法で、己の集中力を、やる気を、能力値を、最大限に引き上げた。..たった一人の力で。きっと、俺のアドバイスなんかよりも、ずっと、あの子自身が考えて、努力をしてきた方の影響が大きいだろう。

「...これじゃ俺、トレーナー失格だな。」

思わず、そう口についていた。けれど

「ううん、失格じゃないよ。きっと、トレーナーだからライスちゃんはあそこまでなれたんだと思う。ライスちゃんの考えを尊重して、最後までライスちゃんを信じたトレーナーだからこそ、今のライスちゃんが生まれたんだよ。」

そう、ウララがすぐに否定した。俺はその言葉にありがとうと返して

「スタンドに行こう。」

そう彼女に声をかけて、二人で控え室を出た。

勝ちたいという想い、その力は、俺が思った以上に、人を強くするのだと、その時、強く感じた。

11月が近づいていることもあり、外の空気は夏の暑さを一変させて冷たい風が吹いていた。しかし、場内の熱気はとてつもなく、これがファルコンの言っていたターフの熱気なのだと肌を通して理解した。

『さぁ!始まりました菊花賞!無敗の三冠ウマ娘としての期待がかかる一番人気ミホノブルボン!本日は4番パドックからの出走です!2番人気は...』

続々と、ウマ娘達がパドックの中に入っていく。ライスは10番パドックからの出走。外目から出ることとなる。これは極めて不利なスタート位置であると言える。なぜなら、ライン取りが外めになればなるほどしれつとなるからだ。

「ライスちゃん、外目からのスタートだね。」

ウララが、心配そうにつぶやいた。ウマ娘であり、外枠からの出走が多い彼女なら、その難しさを十分に理解しているだろう、心配そうに見つめる彼女はそれでもすぐに、ううん、大丈夫だよね!と元気に言い直してレース場に目を戻した。

確かに、外枠からの出走、レベルの高いウマ娘達が内枠、これは難しい状況だとは思う。だが、ライスの走る菊花賞は長距離レースだ。レースが始まればじきに上手い位置につけるはずだ。それに....

今の彼女には、きっと内枠だろうが外枠だろうが関係ない。

あの獣のようなプレッシャー、種類こそ違えど、それはウララがあの時見せた本能と似たようなものを俺は感じた。つまり..,

「...これが、ライスの進化した姿。」

レースの開幕の音が鳴り響き、湧き上がるような場内は一斉に静まり返った。冷たい空気が、蘇る。

風が吹いた。強くて冷たい風だ...その瞬間、レースがはじまった。




皐月賞と菊花賞の時系列変えてます!
ウララちゃんのJBCの前にどうしてもこの話書きたくて、しばらくライスちゃんの話が続きます!最後になりますが読んでくれてありがとうがざいます!
感想おまちしてます!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

祝福の雨

控え室を出て廊下に出たとき、そのプレッシャーに思わず逃げ出したくなったのを覚えている。マスターからの最終の指示を受けて、レース場に立つ。完璧な調整、完璧な作戦、何も恐れることはなかった。それなのに、彼女に会った瞬間、今までに感じたことのないような感覚が、全身を駆け巡った。

「...あ、ブルボンさん、今日はよろしくお願いします。」

だから、そう話しかけられるまで、その人がライスさんだと私は気がつくことができなかった。明らかに、以前と違う。纏う空気が、目付きが、まるで、私を今にも食い殺すかのような威圧感を放っていて...あまりにも、恐ろしかった。

「私ね、あなたに勝つために、物凄い努力したの。」

ライスさんは私の方に近づきながら、そう続ける。

「あなたが羨ましかった。あなたのように私も輝きたい。いつかみんなに、祝福されるような、そんな走りをしてみたい。」

私は近づいてきた彼女から思わず後退りをしてしまう。それでも彼女はお構いなしに距離を詰めてきて

「だから、私、あなたに勝つね。」

目の前で、黒き獣はそう呟いた。

...何も、言えない、言葉が、出ない。

後退りを続ける私の背中に、何か温かいものが当たった。マスターだ。

「それ以上、ブルボンに近づくな。」

マスターの声が、ライスさんの前身を制した。それ以上ライスさんは来ることはなく、もう一度、今日はよろしくとだけ伝えて去っていった。

「...ブルボン」

マスターが、私の名前を呼ぶ。何も言わなくても、マスターの言いたいことは伝わった。

「...ええ、マスター、分かっています。彼女は、危険です。明らかに、以前とは違う。それは、きっと空気だけじゃない。」

きっと、彼女の走りは、以前とは比べ物にならないはずだ。あれほどまでの集中力をもったウマ娘と、私は今まで一度も渡り歩いたことがない。

「ブルボン、あいつの動きに惑わされるな。常にお前の走りを心がけろ。...もし、万が一の時があれば、ペースを乱してでもやつの動きを止めろ。」

そうしなければ、お前は負ける。そう口にしたマスターは今までにないほど緊張した様子だった。サングラスの奥の目が、それを物語っている。だから、私は

「はい、マスター。必ず、ライスシャワーを止めてみせます。...あなたの悲願を、私が必ず」

必ず、掴んでみせます。

そうマスターに言い残して、私はターフの上に立った。

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

やっとこの日が来た。トレーナーさんとウララちゃんの声を走る前に聞いておきたくて控え室に呼び出した。二人の声はやっぱり私の高まる心を少しだけ落ち着かせてくれて、だからきちんと笑うことができた。

この頃、笑うことができなかった。何をするにしてもレースのことで頭がいっぱいで、ただ勝つことしか考えられなかった。だから、トレーナーの声を聞いたときに、ウララちゃんの声を聞いたときに、その張り詰めていた心が少し楽になったのを感じて、自然と笑みが溢れた。

だけど、ブルボンさんをそのあとに廊下で見て、すぐに心に火がともった。あぁ、この人に勝つために、私は死ぬ気であがいてきたんだ。

そう自覚すると、心も身体も、どうしようもないほどの熱を帯びてきて、高まる鼓動を抑えられなくて、思わず、声をかけてしまった。

私にまるで怯えるかのように彼女は後退りを繰り返して、やがて彼女のトレーナーさんに近づくなとすら言われてしまった。

私はブルボンさんとまだお話ししたかったけどもうレース場に出ることにした。たくさんの歓声が、上がっていた。ブルボンさんを応援する声ばかりが、私の耳に届いてくる。...羨ましかった。その声援を、独り占めしている彼女が、羨ましかった。でも、もう大丈夫、だって、ここで勝てば、全てが変わるんだから。

私はすぐにゲートの中に入った。あぁ、待ち遠しい。早く走りたい。

目の前の閉じたゲートをこじ開けたい思いを懸命に押さえ込んで、スタートの時をただ、静かに待った。歓声がやんだ。もうすぐだ、もうすぐ開く、開け、開け....開いた。

それを目が認識した瞬間に、私は駆け出した。周りが把握できる位置に素早く陣取る。ブルボンさんを視界に捉えた。これで、いつでも動ける。集団のペースは普通、ブルボンさんの逃げのペースは...少し速すぎる?なんとなく、そんな気がする。菊花賞は3000メートルだ。つまり、ターフを2周することになる。だから、一周目の入りはすごく重要だ。もし、後方に行きすぎてしまえば二周目の最後の直線、下り坂の残り800メートルを抑えることはできない。だから、常に私はブルボンさんの動きを、見つめた。

『さぁ!快調に飛ばしていくミホノブルボン!先頭は変わりませんそのまま一周目を迎えました!各ウマ娘次々とコーナーを抜けて行きます!2番手には...』

一周目は何の動きもなく終えて、二周目に入った。ブルボンさんは未だこのペースのまま。流石に速い。でも、全然追いつける。皐月賞の時はもうすでに顎が上がっていたと思う。だけど、一日中走り込んで、スタミナとパワーは十分につけてる。...これなら、どこまででも!第三コーナーの上り坂を抜けるときに、僅かに集団のスピードと、先頭のブルボンさんのスピードが遅れた気がした。私は、その瞬間を逃さなかった。

「...しっ!」

『おっと!大外から来るライスシャワー!ここから仕掛けるか!ミホノブルボンに並ぼうと後続から飛び出した!』

「は、は、は...」

私は集団の外からブルボンさん目掛けて1段階加速させた。集団のペースはあっという間に崩れて、もう先頭以外、敵ではなくなった。

『さあ先頭と2馬身ほど離れてライスシャワー!ミホノブルボンかわしきれるか!そのまま最後の下り坂に入った!』

「は、ぁぁあ!」

ブルボンさんが、仕掛けた。きっと、前の私ならここで足を使い切っていたと思う。だけど、今の私は違う。違うんだよ、ブルボンさん。

...そんな加速じゃ、私から逃げれないよ。

私は地面を思いっきり蹴り込んで、二段階目の加速に入った。下り坂は私の背中を押すようにその加速にさらに速度を乗せて、もうブルボンさんは目と鼻の先だった。

ブルボンさんに並んだ。彼女は、どんな顔をしているのだろう。驚いているのかな、怒っているのかな、わからない。そんなことを考えれるほどに、この結末を体が、頭が、理解していた。

『ライスシャワー追い縋る!追い縋る!無敗の三冠を取ろうとミホノブルボンも譲らない!両者譲らない!.,いや、ライスシャワーだ!ライスシャワー抜けた!ミホノブルボン追いつけるか!?追いつけるか!」

3段目の加速。残り400、ブルボンさんを、捉えて、そして、抜いた。

初めてたった先頭は、周りに何もなくて、穏やかで、静かな場所だった。

『ライスシャワーだ!今年の菊花賞を制したのはライスシャワーだ!ミホノブルボン三冠達成ならず!』

ゴールした。勝った。..勝てたんだ。あのブルボンさんに、私は、勝てた。...これで、みんなにたくさん褒めてもらえる!ブルボンさんみたいに、キラキラ輝ける!

私は、そんな期待を込めて、観客席に手を振ろうとして、やめた。

ざわめきの中から、徐々に増えていく言葉達に、体を動かせなかった。

「ミホノブルボンの三冠を見に来てたのによ!」

「そーだよ、邪魔すんなよなー。」

「しらけるわ。」「なにこれー」

勝てたよ、ねえ、みんな待って、ライス、勝ったんだよ!褒めてよ!なんで...なんでそんなこと言うの、ライス、頑張ったのに...

私を称える声は、褒めてくれる優しい声は、どこにもなかった。

私は、なんのために走ってたんだろう。ブルボンさんに勝ちたくて、勝てたらキラキラできるんじゃないかって、そう思って、頑張って、頑張って...なのに、

ふと、トレーナーさんと契約をしたときの言葉を思い出した。

想いだけで掴める何か。それを見たくて、わたしはトレーナーさんと契約したんだ。...ねぇ、トレーナーさん。

その掴める何かって、これなの?

みんなにブーイングされて、罵倒されて、これが私が掴んだ物なの?

...そんなの、あんまりだよ。

『勝ったウマ娘達のウィニングライブが行われます、上位3名のウマ娘の方々は準備に取り掛かかってください。』

アナウンスの声が聞こえた。そうだ、きっとウィニングライブにでたら、そうすればキラキラ輝けるはずなんだ。でよう、でて、みんなにたくさん褒めてもらうんだ。

...そんな思いで、淡い期待を抱いて、ステージに、上がった。

「ブルボン、惜しかったな!次は期待してるぞ!」

「タンホイザも頑張ったなぁー!」

なのに、私を褒める声なんて、最後まで響かなかった。

『最後に、ウマ娘の方々から一言ずつ、今後の目標を言っていただいてもらいましょう。』

ではまず、勝者のライスシャワーさんから

そう言われて、マイクを渡された。

「...なんだよ、三冠邪魔されたのに、聞くことなんかなんもねーよ、はやく終われよ。」

「そんなことよりブルボンにマイク渡せー、ブルボンに」

頑張って喋ろうとしても、喉から、音が出ない。誰も私に期待していない。誰も、私を見てくれていない。...誰も、私の勝利なんて、期待してなかったんだ。なんで、なんで、なんで...

涙が、出そうになる。もうこれ以上、ここに立っていたくはなかった。

震える声を出そうとして、でも何も出なくて、もう、限界だった。

そんな時に、彼女の声が聞こえた。

「...マイク、お借りしてもいいですか?」

あのときのように、お人形さんみたいな彼女はそう言うと、私からマイクを優しく取った。

『あの、ミホノブルボンさん?今はライスシャワーさんの...』

「まずは、皆さんの期待に応えられなかったこと、心からお詫びいたします。」

司会の人の言葉を遮って、ブルボンさんは頭を下げた。そして

「...ですが、それでも今は、彼女を称えるべきです。」

そう、続けた。

「敗者である私に本来、こんなことを言う資格はありません。開き直っているようにも聞こえるでしょう、ですが、これだけは言わせていただきたいのです。」

そう言うと彼女はそれまで観客席に向けていた目を私に向けて、

「...ライスシャワーさん、貴方の走りは、どのウマ娘達よりも速くて、力強くて...そして、誰よりも輝いていました。」

ブルボンさんは続ける。

「貴方が、初めてだったんです。私に、背中を見せてくれた人は。ずっと孤独だった私に、追いついてきてくれた人は。だから...ライスさん、

私は、もう一度、貴方と走りたい。」

そう言うと彼女はマイクをステージの床に置いて、私に拍手を送った。タンホイザさんも、優しく微笑みながら、拍手をしてくれている。

その拍手は広がっていって、気がつけば、会場が拍手の海に埋もれていた。

「お、俺はライスシャワーが勝って嬉しかったからな!」

「俺も俺も!皐月賞から応援してたんだ!」

「私も!今日の走り感動した!」

「また!見せてくれ!ミホノブルボンとの激闘を!」

そんな声が、聞こえだした。たくさんの罵声の中に埋もれていた、小さな歓声。ブルボンさんの言葉で、生まれた声援。それが、こんなにも暖かいなんて、知らなかった。

「ライスー!感動したぞぉおおおおおお!」

「ライスちゃーーーん!おーーーい!!すーーーごく!カッコよかったよぉおおおおお!」

あの二人の声も、聞こえた。ガサガサな声だった。きっと、あのブーイングの中、二人はずっと叫んでくれていたんだ。そう思うと、涙が、止まらなかった。でも、さっきみたいな嫌な涙じゃなくて、この涙は、なんだか、我慢したくはなかった。

「...もう、大丈夫です。」

ブルボンさんはそう言って、震える私を抱きしめてくれた。人形のようだと思っていた彼女は暖かくて、優しい香りがした。

世界中が私を憎んでるんだと思った。誰にも祝福されないんだと思った。きっと、私が走ったせいで、みんながまた不幸になるんだって、そう思った。...でも、違った。

ここにいる、みんなが私を認めてくれるわけじゃない。でも、こんなにも多くの人に祝福されている。こんなにも、暖かい気持ちで溢れてる。...こんなにも、キラキラしている。

「...ありがとう。」

やっと、声が出た。ブルボンさんはその言葉に何も言わずに、ただ黙って私を抱きしめ続けてくれた。それが嬉しくて、優しくて、私は

周りの目なんて気にせずに、そのライブが終わるまで、泣き続けた。

拍手が広がる会場を、ブルボンさんと見ながら思った。

私が掴みたかった景色、それはきっとこれなんだと。

涙でよく見えないけど、それでも、私は精一杯の笑顔で、その拍手に

「ありがとうございました!」

そう、力強く応えた。

 

 

我慢の限界だった。あれほどの走りをした彼女を、なぜ誰も称えることができない。なぜそんな声を浴びせられる。俺は、隣で罵声を浴びせる観客を殴るのを堪えるので必死だった。どんなブーイングの中でも、俺とウララは声の出る限り声援を送った。よくやった、感動した。けれど、彼女には、その声が届かなかった。

今すぐにでも、ライブを中止させよう。そう考えもした。けれど、それが原因で彼女達の今後のレース活動に影響がでては困る。でも、それでも、もう、あんな苦しそうな彼女を見るのは辛かった。

いつもオドオドしていて、それでも健気で、真面目で、一直線で、そんな彼女がいま、言葉の暴力で苦しみ、泣いている。

「...なんでみんな、こんなこと言うの。」

ウララが、ふとそう呟いた。

「ウィニングライブは、とっても気持ちいい場所なんだよ。明るくてキラキラしてて、笑顔になれる、場所なんだよ...だから、こんなのおかしいよ。」

ウィニングライブに立つ喜びは、ウララもよく知っている。勝つ回数が少ないからこそ、よりそのライブの価値を理解している。

誰もが憧れる場所、誰もが認められる場所、笑顔になれる場所、そこに彼女は立っているはずなのに、彼女はまだ一度も笑っていなかった。

「わたし、止めてくる。」

「ウララ!待て!」

ウララがそう言って最前列から飛び出そうとしたとき、彼女の声が聞こえた。

会場が、静まり返った。俺もウララも、その突然の出来事に、動けなかった。

三冠を逃したことを謝る彼女。彼女は続けた。

今は、ライスを称えるべきだと。そして、ライスに振り向き、貴方の走りは素晴らしいと、そう伝えていた。

その言葉ひとつ一つがまるで自分に言われているようで、俺は思わず泣きそうになるのを懸命に堪えた。けど、無理だった。

「もう一度、貴方と走りたい。」

そう言い終えた彼女はマイクを置き、ライスに拍手をおくる。その拍手は自然と広がっていって、罵声の中に埋もれていた声援が、会場を包み込んだ。

俺も、ウララも、もう一度、張り裂けんぐらいに声を張り声援を送った。もう喉がガラガラで、痛かった。けれど、そんなの関係ない。この想いを、感動を、きちんとライスに伝えなければならない。そして何よりも、それを彼女は、ミホノブルボンは望んでいるのだ。

ミホノブルボンにとって、この会場の空気は敗者としての自分を、優しく包み込んでくれているはずだった。それなのに彼女は、ライスを称えるべきだと、そう自らの言葉で口にして、拍手を送った。

なんて強いウマ娘なんだと思う。心も体も、その全てが力強い。

ありがとう。その言葉で、俺の胸はいっぱいだった。

ライスを、救ってくれてありがとう。俺を救ってくれてありがとう。...ライスを、笑顔にしてくれてありがとう。

ウィナーズサークルで精一杯、涙でぐちゃぐちゃになった顔で微笑む彼女は、その日、誰よりも輝いていた。

 

ウィニングライブが終わり、俺はウララにライスを頼むと伝え、ミホノブルボンの控え室に向かった。

ドアをノックして、中に彼女がいないかを確認した。

「.,.あいつなら、今着替え中だよ。」

すると、横から聞き覚えのある声が聞こえた。

そこには、あの日と同じようにベンチに腰掛けている黒沼さんがいた。

俺はそうですかと返事をし、黒沼さんの隣に腰をかけた。

「お前さんが言ってた通りだ。」

黒沼さんはそう言うと普段付けているサングラスを静かにとった。

優しい、目だった。

「想いの力ってのは、相当なもんらしい。」

右手が差し出された。分厚く、そこし傷がある右手。

「おめでとう。見事だった。」

俺はその手を静かに握った。少しゴツゴツとしたその右手は、とても暖かくて、外の空気でかじかんだ手が少しずつ溶け出していく。

つめてーなと黒沼さんは笑いながら握手した手をそっと離して、外したサングラスを付け直した。やはりその姿がしっくりくるなと、改めて思った。

「...ブルボンに礼を言うつもりなら、そんなもんはいらん。」

黒沼さんは先程とは違い、少し強い口調で続けた。

「あれは、あいつなりに感じて、考えてやったことだ。感謝されるようなことでも、褒められるようなことでもない。」

黒沼さんはそこで言葉を区切り、少し悔しそうに

「...ブルボンは敗者だ。」

そう呟いた。そして、

「レースにおいて、勝者は絶対だ。それをあいつは、今日までの無敗の中で学んだ。...だからこそ、その勝者が称えられない、そんな現実が、あいつは誰よりも許せなかったんだろう。」

そう言い終えた彼の横顔は、少しだけ、悲しそうに微笑んでいた。

控え室のドアが開いた。ミホノブルボンは俺に気がつくと一礼をして黒沼さんの元に向かった。黒沼さんは、いくぞ、とミホノブルボンと共に出口に向かっていった。

去り際に、だから礼なんてするな、そう言い残して。

「...それでも、俺は感謝してるんです。」

去りゆく背中に、小さく語りかけた。

ライスの勝利を、あそこで祝福してくれたこと。

優しく彼女を、包み込んでくれたこと。

俺には、どうにもできなかったから、本当に、感謝してるんだ。

2人の背中を見ながら、届いてるかどうかもわからない感謝を、俺は口にするのだった。

 

控え室に向かう前に、私はブルボンさんにきちんと話をしたくて、前を歩く彼女に声をかけようとした。

「..勘違いしないでください。私は貴方を助けたわけではありません。」

けれど、ブルボンさんのその一言で、私の言葉は詰まった。

「ただ、納得がいかなかっただけです。レースでの絶対的支配者は勝者であり、称えられるべきは勝ったものだけです。それが起こらないレースなど、あってはならない。」

それに、とブルボンさんは続けた。

「...私に勝った貴方が、祝福されなくては、私の立場がないですから。」

前を歩きながら話す彼女の表情は、見えない。けれど、彼女は笑ってる、そんな気がした。

「ブルボンさんは、優しいんだね。」

そんな彼女に、私はそう語りかける。

ブルボンさんは何も言わずに、失礼しますと言い残して速足にその場をさっていってしまった。控え室の廊下で、その背中を見ながら、私は続けた。

「私の勝利を祝福してくれてありがとう。」

「また走りたいって言ってくれてありがとう。」

「...私に、大丈夫だよって言ってくれて、ありがとう。」

たくさんのありがとうが、あふれて、止まらなかった。

 

控え室の前に来るとウララちゃんが笑顔で私を迎え入れてくれた。

レースのあそこがすごかった、ここがカッコよかった。控え室の中で、

さっきの嫌なことを忘れさせてくれるかのように、ウララちゃんは元気に私に語り続けてくれた。

「...本当に、ライスは助けられてばかりだな。」

思った言葉が、ふと口をついた。

「いつもいつも、みんなに助けてもらって、私はみんなに何もできてない。本当に、ライスは」

「ライスちゃんは、いつも私に勇気をくれるんだ。」

ダメな子だ、いつものようにそう口にしようとした時、ウララちゃんの言葉がそれを遮った。

「今日だけじゃないよ。練習中もね、ライスちゃんを見てると負けないぞ!って気持ちになって走れるの。勿論、今日も凄い走りで、こんな風になりたいなって、勇気をもらえた。....私はね、ライスちゃんと一緒にいると楽しい。一緒に走ってたら雨がたくさん降ってきてどろんこの中走ったこととか、クレーンゲームが壊れてぐわんぐわんなってたこととか、全部、全部、楽しくて....私の宝物なの。」

ウララちゃんは、いつも私といると起こる不幸なことを、楽しく捉えてくれていた。その度に私は救われて、その度に笑顔になれた。

「...だからね、ライスちゃん。私の友達でいてくれて、ありがと。」

ウララちゃんは優しく微笑んで、そう言った。

ああ、本当に、私はどうしようもないほど幸せ者なんだ。

ダメな子だ、そう口にして、嫌な自分を否定して、勝手にいろんなことをわかったつもりでいた、でも、何もわかってなかった。

私は、こんなにも幸せ者だった。レースで勝てなくても、幸せだったんだ。...だから今は、その幸せがもっともっと大きくなる。

自然と、また涙があふれてきた。ああ、今日は良く泣いちゃう日だな。

そんな私の涙を、ウララちゃんは優しく指で拭い取ってくれる。

だから私も、精一杯の笑顔で、応えるのだ。

「うん!ライスも、ウララちゃんと友達でいれて、嬉しい!」

レースに勝って、見えたものがある。たくさんの輝きが、私を包んでくれた。たくさんの言葉を受けて、見えたものがある。たくさん傷ついたけど、だからこそ、私はずっと幸せ者だったんだって気が付けた。

ねぇ、トレーナーさん、あのね、ライスわかったの。トレーナーさんの言ってたこと。

走ることで掴める何か、それはきっと、今日この日に見えた全てなんだって、わかったよ。

だからね、ライス、これからも走り続ける。

走って走って、今日みたいなたくさんの幸せに包まれて、

そして、いつか、みんなにその幸せを返したい。

着替えを終えて控え室を出るとトレーナーさんが待っててくれて、それを見たウララちゃんが飛びつきにいって、私はそれを見て笑顔になる。

「..おめでとう。ライス。」

トレーナーさんはそう言って、私の頭を撫でてくれた。尻尾が、たくさん動いてしまう。それを少し恥ずかしくおもい、私は誤魔化すように

「うん!ありがとう!トレーナーさん!」

その手の暖かさを感じながら、笑うのだった。

 

 

 

 

 




誤字脱字あったらごめんなさい!
感想お待ちしてます!あと、セリフとかでキャラ崩壊してたらごめんなさい!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

約束

「うらぁぁぁあ!」

掛け声と共に、私は体をゴールにねじ込んだ。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、トレーナー、タイムは?」

「...1分17、ファルコ、今日はもう十分よ、タイムトライアルはまた明日に」

「ダメ!..この距離で、1分10以内で走れないんじゃ、勝負にならない。」

もう一本、私はそうトレーナーに言ってスタート地点へと歩いた。

JBCまでもう時間がない。11月の夕方はもう夜と変わらなくて、冷え込んでいた。その冷たい空気が、熱った体に心地いい。

1400メートルのこのダートコースは、本番の距離と同じ。前年度の優勝者のタイムは1分10秒13、今年はきっと、それを上回る戦いとなる。ウララちゃんだけじゃない、きっとスプリンターと呼ばれるものが必ず集うこのレース。それに、私は自分の距離を捨てて挑む。まったく、馬鹿げてる。でも、それでも、

もう一度、あの娘と走りたいから。

全てを出し尽くすような、そんな走りをもう一度、そして、今度こそ完全に勝利して、私はセンターに立つ。

「..っし、ファルコ、まだまだ行けちゃうんだから!」

自分を鼓舞するようにそう口にして、私は再びスタートを切った。

このレースで、もし有馬記念に出れなかったら終わりにするつもりだと、トレーナーにも話している。最後の最後、私はあの娘に全てをかけて挑む。

だから、気づいたらダメなんだ。

少しあった右足の違和感を、私は意識の中でかき消した。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

JBCスプリンターの出走リストが決まった。中には当然スマートファルコンだけではなく、数々の強敵がいた。クラシックシリーズに転向したキングヘイロー、ダートレース、ターフレースで共に実績を残しているニシノフラワー、1200、1400、短距離レースで着々と頭角を表したファーストアロー、日本のスプリントウマ娘の最高峰が集結していた。

サクラバクシンオーはターフレースのスプリンターステークスに出るため出走リストにはなかった。

...今はそれだけでも救いか。

ウララの最終目標は有馬記念だ。しかし、その前にJBCスプリンター、フェブラリーステークス、この二つのG1レースで結果を出さなくては出走することさえ出来なくなる。ここから、ウララにとって本当の、最後の戦いが始まる。

それをおそらく彼女は理解している。今日のトレーニングでもいつものトレーニングに加えて、かなりハードな自主練を行なっていた。

そして、今の彼女の走りにはきっと、ライスの菊花賞の影響もあるのだろう、以前よりもさらにキレが加わっている。特に、第二コーナーを抜けて徐々に速度を上げて先頭に躍り出るタイミングは完璧に近いと言える。

けど、

「はぁ、はぁ、はぁ。」

1分20

ここのところ、ウララのタイムは上がるどころか停滞している。連続でレースに出る披露と、度重なる体の変化に体力が追いついていないのか、あるいはどこか精神面での問題か...。

「ウララー、もう今日は休め。」

俺はライトで照らされたダート場で1人走り込んでいる彼女に声をかけた。

「ま、まだ大丈夫だよ、トレー、ナー。あと、一本だけ、走らせて。」

しかし、彼女は練習をやめようとしない。焦りと、緊張と、興奮で、限度というものが理解できていないのだろう。

俺はそんな彼女の元に行き、頭を軽くチョップした。

「いた!...なにするのさ!トレーナー!」

彼女は痛くもないだろうに頭を押さえながら俺に対してギャンギャンと抗議している。

「馬鹿やろう。これ以上やってもなんも意味ねーだろ。どした?焦ってんのか?焦っても結果は変わらん。だから今日はもう休め。」

俺はそう言ってウララの手を握り、ダート場から引っ張り出そうとした。

「...お願い、もうちょっとだけ、走らせて欲しいの。」

それでも、ウララは動こうとしなかった。

「ライスちゃんの走り、凄かった。私なんかよりもずっと、ずっと凄かった。私は、全然たりてないんだって、その時気がついた。...きっと、今のまんまじゃファルコンちゃんに勝てない。みんなに勝てない。だから!」

「だから、今は休め。」

俺は、ウララの言葉を優しく頭を撫でながら遮った。

「どんなに焦っても、走りたくても、今は休め。それもトレーニングの一環だ。...それに、腹減ってんじゃねーの?」

ウララは、トレーニングを開始して二時間、未だ水しか口にしていなかった。きっと空腹感をアドレナリンで誤魔化していたのだろうが、それでは持つものも持たなくなる。

「あははは、ほんとだ、私お腹減ってるや」

彼女も自分の体の異変に気がついたようで、集中力が切れたせいか笑っていた。

「トレーナー!私にんじんステーキ食べに行きたい!」

そう言った彼女は楽しそうに笑い、着替えてくるねと俺に言い残しロッカールームへと向かっていった。

そう、ウララはこれでいいのだ。最近、彼女の笑顔を俺は見ていなかった。どこか思い詰めたように、苦しそうに走っていたウララ。そんな彼女の久しぶりの元気な笑顔が見れたことに俺は安堵と少しの喜びを覚えた。

俺は、ストップウォッチをコーナーの横に置き忘れていたことを思い出し、ウララが着替え終わる前に取ってこようと駆け足でコース上を戻った。何かが足に引っかかって、俺はダート上にこけてしまった。

なんだと思い自分の足元を見て、それがウララの蹄鉄の後であることに気がついた時、俺は衝撃を覚えた。

地面を抉るほどの数の蹄鉄の跡が、コース上、ウララが走ったコース全てに残っていた。それは、ウララがどれほどの数のダッシュを繰り返してきたかを表しているもので...

「勝たせて、やりたいな。」

おもわず、そう言葉にしてしまった。俺は、彼女に何も返せてない。感動を与えてくれた、勇気を与えてくれた、俺の願いを肯定してくれた、そんな彼女の走りに、努力に、俺はまだ一度も応えることができていない。それが、不甲斐なくて、情けなくて仕方ない。だから...

絶対に、勝つんだ。

日本のスプリントを、彼女の走りで、努力で、想いで、とってみせる。

俺は立ち上がり、体についた砂埃をたたきはらって、思いっきりコースの上を走ってコーナーへと向かった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

目覚まし時計の音で、私は目を覚ました。同室のマチカネフクキタルちゃんを起こさないようにゆっくりと部屋を出る。

冬が近くなっていることもあって、早朝の外の空気はとても冷たく、体の芯から冷える感じがする。

練習前に、少しでも速くなりたい私はこうして朝、誰もいないダートコースとターフの上を両方走ることにしている。JBCで勝つため、そして有馬記念で勝つために、芝と土の両方の感覚を体に刻み込みたかった。

けれど、ここ最近はダートコースばかりを走っている。有馬記念に出るためには、次のレースで勝たないと意味がないからだ。だから、確実に勝ちたい。それに...ファルコンちゃんの全力に、私は応えたい。

彼女は、自分の距離を殺してまで私と走りたいと言ってくれた。それは、私にとってとても嬉しいことで...それと同じくらい、怖いことだった。トレーナーの前では一度も口にしたことはないけど、わたしはファルコンちゃんとまた走るのが怖い。走りたくないわけじゃない、むしろ何度でも走りたい。けど、負けるのは辛い。信頼を裏切ることが、努力を裏切ることが、怖くてつらくて仕方ない。それを、私はたくさん知ってる。だから、ファルコンちゃんと走るのは怖い。また、あの辛さを味わうことになるかもしれないから...だから。

負けたくない。

準備運動を軽く終えて、私は30キロほどの速度で軽くコースを走り出した。

もう誰の期待も、信頼も..なにより、自分自身を、裏切らない。

ダートコースの上は普段よりも少し硬くて、蹄鉄を踏み込む感覚がいつもよりも強く感じれて、少し気持ちいい。二週目に入ると同時に、少しだけペースをあげた。目の前に、ファルコンちゃんの背中を、キングちゃんの背中を、私の前を走る沢山の背中をイメージした。今まで、どれだけ手を伸ばしてもその背中には手が届かなくて、みんなはやいなって、ただそう思ってた。...だけど、今は違う。

トレーナーと出会って、たくさん練習して、私は、その背中に追いつけてる気がするんだ。だから、

私は、前を走るたくさんの背中を、追い越して、先頭に立つ。

トレーナーと出会って、初めて知った先頭の景色、まだたくさん感じれてないけど、先頭はとても静かで、気持ちいいんだ。

加速して、加速して、私はそこで息をついた。上がった息を整えるために徐々にペースを落としていく。

加速もできてる、速度もあげれてる、それなのに...

「タイムが、伸びないんだよなぁー。」

立ち止まって空を仰ぎ、私は思わずそう口にこぼした。

朝練もして、メニューをこなした後に夜練もして、やれることはやってるはずなのに、タイムが伸びない。走る時のイメージも完璧なはずなのに。

何が、足りないんだろう。

足りないものの答えを見つけたくて、なんとなく私は空を見つめた。

だんだん太陽が出てきて、暗かった朝の空が照らされていく。

「あら、そんなところでぼーとされまして、どうされたのですか?」

「え!?キングちゃん!?」

私がしばらく空を見つめているとそこには練習着に着替えたキングちゃんがいた。いつもの緑色の勝負服とは違い、青と白のトレーナーを着ていてなんだか新鮮だ。

「キングちゃんも朝練?」

「ええ、そうですわ。...久しぶりのダートですもの、練習に練習を重ねても足りませんわ。」

キングちゃんは屈伸を済ませてその場で軽くジャンプした。綺麗に真上に上がるキングちゃんは、まるで足にバネが入っているかのように軽やかだった。

「すこし、並走に付き合ってくださいます?」

キングちゃんにそう言われて、私はうん!いいよ!と喜んで並走をした。誰かと走るのは久しぶりで、何気ない会話をしながらの並走はとても楽しかった。少しずつキングちゃんがペースを上げていくから、私もそれに合わせて速度を上げる。次第にお互いの中に会話はなくなって...

「はぁぁあ!」

キングちゃんが、スプリントを仕掛けた。私もそれに反応して加速する。追いつけそうで、追いつけない、そんなもどかしさを感じながら、私はキングちゃんとの並走を終えた。

お互い息があがっていたため、しばしの休息を入れることにした。

「キングちゃん、はやいねー」

私はまだ整わない息を落ち着かせながら、腰に手を当てて空を仰いでいるキングちゃんにそう声をかけた。

「あ、当たり前ですわ!おー、ほ、ほ、..げほ!げほ!はぁ、はぁ、流石に、全力スプリントの後に笑うのはきついですわね」

そんな私にキングちゃんはいつものように笑おうとしたけど、咳き込んでしまっていた。なんだかそれがおかしくて、私は笑ってしまった。

「あ!こら!笑わないでくださいます!?」

キングちゃんはそんな私をみて耳と尻尾をピンと立てて怒っていた。

顔を赤らめていて、照れているのがバレバレだった。

ごめんごめんと言いながら、私は一つの疑問を思い出した。

「キングちゃん、一つ質問いい?」

なんですの?と屈伸をしながら返したキングちゃんに、私はその疑問を口にした。

「なんで、スプリンターステークスじゃなくて、JBCスプリントに出走することにしたの?」

キングちゃんは、本来ターフの方が得意なはずだ。なのに、なんでわざわざダートレースを選んだのか、私はそれが、トレーナーから出走リストを聞いた時から気になっていた。

「...そうですわね。」

キングちゃんはそれ以上言葉を語らずにしばらく、さっきと同じように空を仰いでいた。私は何かまずいことを聞いたのかと思い、無理に話さなくてもいいよと言おうとした

「私、誰からも期待されてませんでしたの。」

その時、キングちゃんがそう口にした。

「母は長距離で無敗のウマ娘でしたわ。私もそんな母に憧れてこの世界を目指しましたの。...でも、長距離でも、中距離でも、結果は出ませんでしたわ。...家柄だけのウマ娘と、馬鹿にされたこともあります。」

そう語るキングちゃんの横顔は、どこか清々しい様子だった。

「そんな時に、田辺さんと...今のトレーナーと出会って、おまえは短距離に向いてるって言われましたの。最初は意地でも短距離を走るなんて言いませんでしたわ。だって、私悔しかったんですもの...馬鹿にされてたことも、期待されなかったことも、そして、一番になれなかったことも。」

悲しそうな表情を一瞬見せた彼女は、すぐに普段の凛々しい表情をとりもどして、だけど、っと続けた。

「私、私だけの一番を見つけましたの。」

そう言って、いつものような高飛車な笑い方じゃなくて、まるで少女のように微笑んだ彼女は、とても綺麗だった。

「ここですわ。」

そういって、キングちゃんは大きく手を広げた。

「距離、2000メートルにも満たない、この短くて、それなのに圧倒的なスピード感のあるレース...ここが、私が、私だけが輝ける場所、そう思っていましたの。」

そこでキングちゃんは空から目線を私に移して

「...ウララさん、あなたに出会うまではね。」

そう語るキングちゃんはどこか楽しそうに笑っていた。

「貴方のことは、眼中にもありませんでしたわ。短距離も中距離も長距離も全然ダメダメ。私の相手はサクラさんやニシノフラワーさん、もっと他にいると、そう思っていましたの。」

いきなり眼中にないと言われて少しショックを受けた私は、ええー!

と抗議をした。けれど、キングちゃんはそれを無視して、

「...ですが、貴方の成長は、私の予想を遥かに超えていました。周りの人も、みんな貴方に期待している。まだ数回しか勝っていない貴方に、みんな期待しているのです。」

これがどれだけ凄いことか、わかりますか?

そう聞いてきたキングちゃんはどこか寂しそうに微笑んでいた。

「..私は、貴方が羨ましい。結果で応えられなくても、笑顔で迎えてもらえる貴方が、羨ましい。...それと同じくらい、私は貴方の走りに嫉妬しているのです。」

キングちゃんは私の頭に手を置いて、優しく撫でてくれた。

「ウララさんのその真っ直ぐな走りが、心を震わせるような走りが、私は羨ましい。...だから、あなたとレースで、最高峰のスプリントレースで争ってみたかった。模擬レースをした時からずっと、そう思っていましたの。」

そう語ったキングちゃんは、田辺さんには無理を言って困らせてしまいましたけどと悪戯っぽく微笑んで、私の頭から手をそっと離した。

「..私がターフでなく、このダートレースを走る理由は、ウララさん、あなたに勝ちたいからです。...お互い、燃え尽きるような、そんな走りをしましょう。」

そう言うと、キングちゃんは右手を差し出した。私もそれに応えるように右手をだして

「うん、やろうね!すっごい走りをしようね!」

元気に笑って、彼女の手を握った。

予鈴の音がした。そろそろ戻って着替えないといけない。

「着替えましょうか。」

キングちゃんはそういって、私の前を歩き出した。私はその背中を見て、ああ、いつも追いかけてた背中だなと、少しだけ懐かしく感じた。私は、その背中を追い越して、彼女の横を歩いた。

もう、追いかけるんじゃない。私は、追い抜くんだ。

高飛車に笑いながらいつもの調子で話し出したキングちゃんの声を聞きながら、私はそう決意した。

キングちゃんとの、約束を果たすためにも、私は、全力で勝つ。

風が吹いた。冷たいその風は、私たちの熱った体を冷ますのにはとてもいい温度で、けれど、この胸の熱意は冷めることはなかった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私は、娘のレース日前の3週間、冬季休暇を使って東京に来ていた。今、私は長い間会えていなかったが、手術のために東京の診療所へと移動した妻に会いに来ている。

少しアルコール臭い廊下を歩き、302号室の前に来た。軽くノックをして、中からどーぞーと言う妻の暢気な声を聞き、思わず笑みが溢れた。優しく扉を開けて、中に入った。

「...元気に、してたか?」

「ええ、それはもう元気元気よ!」

少し痩せた妻はそれでも元気そうで、腕に力拳を作って明るく笑った。

笑った顔は娘そっくりで、少し薄くなり出したピンク色の毛並みも何もかもが久しぶりで、愛おしく感じた。

ふと足元を見た。妻の足は固定されたままで、ギブスがつけられていた。

「これねー、まだ取れないのよねー。ほんと、困っちゃうわ!」

妻は私の目線に気がついたのかギブスのところをコンコンとたたき、しかもめっちゃ硬いの!と楽しそうに笑っていた。

妻の足には二つの怪我がある。一つは腕節炎、右足の膝の炎症で、普通の炎症とは違い歩行困難な状態になるほどの痛みを伴う。もう一つは裂蹄。これは人間で言うつま先部分の骨が砕けかけている状態をさす。当然ながら、もう妻は走ることも、歩くことすら難しい。

「...あの子、またレースに出るんでしょ?」

何気ない会話を楽しんでしばらくした時、妻が、ふとテレビを見ながら呟いた。テレビにはレースとはなんの関係もない、普通のバライティー番組が映っており、エキストラが楽しそうに笑っていた。それをどこか悲しそうに、妻は見つめていた。

「また、見てあげないのか?」

私はそんな妻に、そう問いかけた。彼女はトレセン学園にウララが入ってデビュー戦で負けた以降、娘のレースを一度も見ていない。

娘の電話やメールで結果だけは知っているようだが...

「ええ、私は見ないわ。..見ないんじゃなくて、見れないもの。」

妻はそう呟いてテレビを消した。私はそんな妻に見なさいと強要するようなことはせず、そうか、と応えただけだった。

妻が娘のレースを見れなくなったのは、あの娘が敗北して号泣しているのを見た後からだった。妻からレースを見ない理由を直接聞いたわけではなかった、けれど、きっと何か明確な理由があって見れないはずだ。そんな彼女に、無理を強いるのは良くない。

だから、代わりに私は一つの動画を妻に見せた。

それは、スマートファルコンというウマ娘のレースだ。ウララと一度レースで競い、ウララに勝利したウマ娘。

妻は私の携帯に映しているその動画を黙って見ていた。

「...この娘、はやいわね。」

そして、一言そう呟いた。

「...あの娘は、こんな子たちと戦い続けてるのね。」

妻は窓の外を見つめ、そう続けた。

「この娘は、以前一度ウララと競ったウマ娘だ。」

私は妻に、以前、ウララと激戦を繰り広げたのはこのウマ娘なんだと伝えた。しかし、妻は何も言わない。無言のまま、外を見つめている。

「そして、ウララは負けた。」

その言葉に、妻は肩をピクリと、小さく揺らした。

それはまるで怯えているかのようで、私は少し気まずく思いながらも続けた。

「...僅差で、負けたんだ。」

「...それでも、結果は結果よ。あの娘は負けた。それが事実。」

私の言葉に、妻は外を見つめたまま冷たく返した。

「確かに、負けたのは事実だ。...だからといって、あの子の頑張りから、目を逸らしていい理由にはならない。...私たちは、最後まであの娘を見届けなくちゃいけないんだよ。わかるだろ、君も同じウマ娘なら」

「わかるわよ!」

言葉をつづけようとしたその時、妻の大声で何も言えなくなった。

「わかるわよ!わかってるわよ!あの娘が頑張ってること、強くなってること、全部、全部わかってる!」

「なら、尚更見てやらないと」

「だから見れないんでしょ!」

そう言って妻は外から目線を私に向けた。妻は、泣いていた。溢れんばかりの涙を流しながら、声を震わしながら続けた。

「あの娘が、どれだけ頑張っても、それでも勝てるわけないの。...だって、私の娘だから。」

妻はそういうとうつむき、震えながら、悔しそうに唇を噛んでいた。

「あの娘がどれだけ頑張っても!努力しても!勝てないの!私が..私が、あの娘を、産んだせいで、あの娘は、何度も何度も傷ついて...私は...あの娘に、何もあげられなかった。」

叫び声は次第に弱まっていき、まるで贖罪をするかのように妻は続けた。包帯で巻かれた足を見つめながら、まるで自分に言い聞かせるかのように。

「強い脚を持つ娘に、産んであげられなくてごめんなさい。」

涙を流しながら、声を震わしながら、妻は謝り続ける。

「大きな体に産んであげられなくてごめんなさい。」

そして...

「...レースで勝たせてあげられなくて、ごめんなさい」

妻はそれ以上何も言わずに、ただただ泣き続けた。

きっと、妻はウララがレースで負けるたびに、責任を感じていたのだ。

レースで勝てないのは、努力が報われないのは、全部、自分のせいだと、自分が弱いせいであの娘を苦しめているのだと、己自身を責め続けて、自責の念でいっぱいだったんだ。だから、レースを見ることが怖くて、辛くてたまらなかった。そんな妻を、どうして責めることができる。私は、妻を優しく抱きしめて、何も言わずに彼女が落ち着くのを待った。

しばらくして、妻は落ち着いたようで、もう大丈夫だからと体を離した。私は涙で濡れた頬を優しく手で撫でた後、妻の頭を撫でた。

彼女は嬉しそうに耳を立てて尻尾を振っていた。

「昔もよく、君が泣いた時はこうして頭を撫でたな。」

私はトレーナー時代のとき、彼女が泣き虫であったこと、それをこうして慰めていたことを思い出して、ふと笑ってしまった。

「ほんとに、あなたってそうやって誤魔化すのよね。」

妻も少し恥ずかしいのか照れた様子で、だけど手をどかそうとはしなかった。 

「....ウララは、君が思っているほど弱い娘じゃないんだ。」

しばらく頭を撫でて、私は妻に語った。

妻は何も言わずに、黙って私の話を聞いている。俯いた表情は窺えない。

「確かに、あの娘は負け続けてる。勝ちは圧倒的に少ない。...それでも、もうあの娘は、1人じゃないんだよ。」

ずっと、みんなの背中を追うことしか出来なかった娘。けど、あの娘はいま、その背中に並ぼうとしている。沢山の人の優しさに、期待に、想いに囲まれながら。

「君に私がいたように、あの娘にもトレーナーさんがついてくれた。」

こうして頭を撫でてくれているかもしれないと、私は妻に続けた。

その発言に、妻は、ええ、そうかもね。と優しく微笑んだ。

「きっと、彼は1人だったウララをたくさん支えてくれている。それにな、あの娘にはライバルができたんだ。強くて速い、そんなライバルだ。凄いだろ?ウララが、初めて誰かに勝ちたいって思って走ってるんだ。」

周りの人の笑顔、それが娘の原動力であり、走る理由だった。けど、今はそれだけじゃない。きっと娘は周りのウマ娘達に、勝ちたくて勝ちたくてしょうがないんだ。だからこんなにも、あの娘は走り続ける。

「あの娘は、成長してるんだ。例えどれだけ負けても、挫けても、あの娘は走り続ける。...だからこそ、その責任を、辛さを、覚悟を、君が背を向けてはいけないんだ。それじゃあ、あの娘が報われない。」

私は、言葉を強くする覚悟で、妻に続けた。

「怖いのも、辛いのも、それは私も同じなんだ。きっと君の方がずっと辛いんだろう。けど、それでも私達は、この娘の成長を、走りを、見続けないとダメなんだよ。...それが、親の責任なんだ。」

妻が辛いことも、苦しい方もわかった。それでも、それでも私たちはウララの、ハルウララの親なんだ。だったら、娘の走りを見ないで、責任を、怖さを、辛さを、痛みを、その小さな体一身に抱え込もうとしている彼女の走りを、見ないでどうするというんだ。

着信音と共に、妻の携帯が振動した。その数分後に、私の携帯も振動した。

そして、メッセージの相手を見て、私は妻に携帯を見るように伝えた。

それは、ウララからの動画だった。

『おかーさん!見えてる?あのね!今ね!練習前の控え室にいるの!ここから動画撮ってまーす!んーとね、何言うんだっけ...あ!そうそう!私!今度JBCっていうすっごい大きなレースに出るんだ!速いウマ娘の子達がね、いっぱい来るんだって!私楽しみだなー!』

ウララはそう言って、体を揺すっていた。映像の中の娘はいつも通りで、妻も私も思わず笑みが溢れる。

『...私ね、お母さんに言いたいことがあるの。』

左右の動きを止めて、少し照れたような表情をした彼女は、しばしの間無言になり、意を決したように、カメラに向かって

『お母さん、私を、産んでくれてありがとう!』

そう、大きな声で伝えてくれた。

『私、トレーナーと出会って、いろんな人と走って、いっぱい負けて、それでも沢山強くなれて、今ね、苦しいけど、その分楽しくて楽しくて仕方ない。...それは全部、お母さんが私を産んでくれたからなんだって、気がついた。だからね、私お母さんにね、沢山喜んで欲しい。』

そういうとウララは人差し指をピンと立てて、その腕を上に思いっきり

伸ばした。1番を取った時にとるポーズなんだと、よく私たちに娘が幼い時にしていた、あのポーズだ。

『このレースで勝って、次のフェブラリーステークスも勝って、それから...有馬記念で勝ってね、お母さんの娘は、ハルウララは強いんだぞって、みんなに教えてあげるの!お母さんは凄いんだぞって...だから、お母さん、ちょっとの間、待っててね。』

ほんとうは直接会って伝えたいんだけど、練習でなかなか時間なくて

そうウララは申し訳なさそうに言って、行ってきます、そう言い残して動画は終わった。

私達は、泣いていた。涙が止まらなかった。娘の言葉が、胸に沁みた。

妻は、動画を見ている間、時折、ウララの言葉に頷きながら泣き続けていた。

「...娘にこんなこと言われたら、もう見るしかないじゃない。」

口調は嫌そうだが、妻はどこか嬉しそうに微笑み、そう呟いた。

「ああ、見よう。この娘の走りを、一緒に。」

俺は妻の手を取り、真っ直ぐ目を見て伝えた。

「...ええ。私も、もう逃げるのはやめる。」

妻は私の目を同じように真っ直ぐに見て、そう返した。

きっと、妻はまだ怖い。長年の恐怖は、罪悪感はそう簡単に消えるものでも、楽になるものでもない。それでも、妻は逃げないことを選んだ。

それはとても勇気のある選択で、やっぱり

君はあの子の、ウララの母親だよ。

携帯の動画を再び再生した妻の横顔は、どこまでも優しく、どこまでも美しかった。

 

 

 

 

 




フェブラリーステークスの開催日期日と異なります!
両親のストーリーとかも完全に妄想なので気に入らなかったごめんなさい。続きも頑張って書きます!お待ちください!
同室の設定も変えてます!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

もう1人の主人公

少し長めです!


その日は一段と冷え込む朝だった。いつものように起床時刻の二時間前に起きて、私はダート場で走り込んでいた。

「...っし!」

掛け声と共に地面を蹴り出し、一気に加速する。短距離では私の逃げの速度をより上げて走らなければならない。それには、どれだけ早くに加速しきれるかが重要になる。第二コーナーまでの体感速度は十分だ。

ここからどれだけこのペースを保てるか。...なのに

「!?」

突然走った右膝の痛みに私は思わず減速していく。そのままよろけるようにコース上にこけてしまった。

「がはぁ!...いったたた。」

幸い、減速が間に合ったため骨折などはないと思う。膝を大きく擦り向いたが全然耐えれる痛みだ。後で消毒をしようと思い立ち上がろうとして、またもその激痛に、顔が強張る。

「...誰にも、見られてない、よね?」

周りを見て、誰もいないことを確認した私はひとまず安心した。普段学園生徒が使う練習場から少し離れた高等部近くのダート場で練習をしていたことが幸いだった。

「痛み止め、飲まないとね。」

前に薬局で見た痛み止めを買わないといけないなと、頭のメモ帳に記しておいた。

私は少しだけ休もうとコースを離れて痛む右膝を引きずりながらコース外にあるベンチに腰をかけた。

「...大丈夫。これぐらいなら、少し休めば。」

私はそう自分に言い聞かせて、焦る気持ちを抑え込んだ。

前から、足に痛みはあった。それでも、今まで走り切れてきたのだ。きっと大丈夫。...大丈夫じゃなきゃ、ダメなんだ。

焦りや怒りを、大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせて、沈めた。

しばらくして痛みが引いた私はまた走り込もうと立ち上がった。右膝の痛みは、もうこなかった。

「朝から精が出ているな、スマートファルコン。」

凛とするような声がして、コースの入り口を見た。

「エ、エアグルーヴちゃん!?」

そこには、高等部であり生徒会副会長、そして、女帝と恐れられる素質をもつウマ娘、エアグルーヴちゃんがいた。同じ高等部の彼女は普段なら寝ているはずなんだけど...

「エアグルーヴちゃんも朝練?」

屈伸運動を始めた彼女に私は怪我した箇所を手で隠しながら問いかけた。

「ああ、私もレースが近いのでな、少々本腰を入れねばならん。」

軽やかにその場で飛びながら、彼女はそう答えた。

「...その傷は、こけたときにできたものか?」

一通りの動きを終えて休んでいたエアグルーヴちゃんが、私にそう聞いてきた。

あのとき、膝を隠した私の仕草を、エアグルーヴちゃんは見逃してなかった。

「は、ははは、そーなの!ファルコ、さっきへましちゃって!」

だから私は大したことはないんだと彼女に笑って伝えた。

「....本当、だろうな?」

そんな私を彼女は訝しむように見つめて、一つため息をした。

「ちょっと、付き合え。」

彼女はそういうと、ダートコースを外れターフコースへと私を連れてきた。

「走ってみろ。」

彼女はそういうと腕組みをして有無を言わせない表情で私を見つめた。

私はその言葉に渋々わかったと頷き、スタート地点に向かった。

自分のタイミングで走れと言われたため、私は自分の中で落ち着くタイミングを待ち、地面を蹴り出した。

スタートの姿勢は低く、徐々に加速して、状態を上げすぎない。風の抵抗を減らすために、極力前傾姿勢を保つ。そのために膝に、負荷をかける。

「...!?」

また、あの痛みだ。間違いなく、あの時の違和感が痛みに変わっていた。私はそれでも脚を止めようとせずカーブにさしかかって、そして、

脚が、止まった。

「はぁ、はぁ、はぁ...なんで。」

頭では、動いていた。ちゃんと曲がろうとしていた、なのに、脚が動かない。体が、動くことを拒絶している。

「やはりな。本来、走ることにたけてるウマ娘、ましてやお前のような優れた素質を持つものが、走る時にこける確率など知れている.....ダートよりも負荷が小さいターフでこの有様だ。...スマートファルコン、この意味がわかるな?」

エアグルーヴちゃんが、そんな私に歩きながら声をかけてきた。

「ウマ娘にとって、怪我はつきものだ。なに、焦ることはない。今はゆっくり休め。」

彼女はそう言って、私を医務室へと連れて行こうと、地面に片膝をか変え込むように座っている私に手を伸ばした。

「...だめなんだよ、エアグルーヴちゃん。」

そんな彼女の手を、私は取らなかった。

「次のレース、私は絶対に走る。走らないとダメなの。」

まっすぐにエアグルーヴちゃんを見て、私は伝えた。

それに怯むことなく、彼女はすぐに私に語尾を強めて言葉を放った。

「...それを自分勝手というんだ。何をそんなに焦っている?そんなことでは、走れるものも走れなくなるぞ...そんなに焦る理由など..いや、まさか...契約期間が..。」

高等部となった彼女にも、その日が近づいているのだろう

私の考えを理解した彼女は、申し訳なさそうに目を伏せた。

「さすが、副会長だね。...うん、そう、私は今シーズンでどの道レースを終えなきゃいけない。...だから、次のレース、絶対出ないとダメなの。...ファルコ、まだ一度もウララちゃんに、勝ててないから。例え、この脚が千切れてでも、走りたいの。」

トレーナーとの契約は、今年の冬で切れることになっている。ウマ娘の契約期間は更新できる期間が決まっている。それは、私たちの体を守るためのもので、その期間をすぎてしまえば、もうレースに出ることは叶わない。契約期間を過ぎる前に故障で引退するウマ娘が多い中で、ここまで、怪我も何もなくレースに出続けていられた私は幸せ者だと、心からそう思う。

もしかしたら、有馬記念に出られるかもしれない。きっと、ウララちゃんに会ってなかったら、そう信じてレースを棄権したと思う。無理して走ろうなんて、絶対にしなかった。

..だけど、有馬記念よりも、どんなステージよりも、私には譲れないものができた。

「エアグルーヴちゃん、ファルコが、有馬記念に出るのが夢なんだって言ってたの覚えてる?」

私は立ち上がって、エアグルーヴちゃんにそう聞いた。

有馬記念に出る時のためにと、エアグルーヴちゃんやスズカにはターフの練習に付き合ってもらった。その時、私は口癖のように、有馬記念にでる!そう口にしていた。

「...ああ、覚えているとも。お前が馬鹿の一つ覚えのようにそれを口にしていたことも...死ぬものぐるいで練習してたこともな。」

エアグルーヴちゃんは悲痛そうな表情を浮かべてそう応えた。そして、

「ファルコン、考え直せ。お前は、あんなに出たがっていたじゃないか、有馬記念に!ファン投票も今のお前なら獲得できるはずだ、何も、故障した脚で走ることはないだろ!」

私に、走るなと、普段の彼女では考えられないほど感情的になって、説得してくれた。だから私も、

「有馬記念よりも、大切なものができたの。」

その熱意に、まっすぐに応えた。

「例え、この脚が壊れても、有馬記念に出れなくても、私は、絶対に走る。...もう、次のレースで最後だから、最後の、あの娘とのレースだから。」

まだ、一度しか走っていない。それでも、あの燃え尽きるような走りを、体の芯から熱くなるような走りを、あの娘ともう一度、交わしたい。だって、その時見えた情景は、どんなライブの景色よりも、美しかったから。

「...ライバル、か。」

エアグルーブちゃんは、どこか懐かしいようにそう呟いた。

「私はトレセン学園の副会長だ。つまり、私には生徒を守る義務がある。...だから、これは私個人としての、1人の友人としての言葉だ。」

そこで言葉を区切り、エアグルーヴちゃんは私の肩に手を置いた。

「...頑張ってこい。必ず、勝ってこい。」

彼女はそういうと手を離して、練習に戻ると私に言い残して走り出した。

うん、ありがと。エアグルーヴちゃん。

短くて、少し乱暴なその言葉は、今の私の背中を力強く支えてくれた。

きっと、私はこのレースで最後になるんだと思う。まだ診察も何もしていないけど、なんとなく、体がそう言ってる。...だからこそ、

私は、負けられない。

ダートコースに向かって、私は軽く走り出した。右膝の痛みは少し残っていたけど、それでも、今は走ることを選んだ。ダート場に着くと見慣れた小さな少女が走っていた。桃色の尾を揺らす少女は、真剣な眼差しでダッシュを繰り返している。彼女の走りを見ると、私は胸の中が熱くなるのを感じる。今すぐに、走り出したかった。

「あ、ファルコンちゃん!」

ウララちゃんは私に気づくとすぐに、おーい!と笑顔で手を振っていた。

「あのね、今日は気分転換にこっちで走ることにしたの!」

中等部近くのダートコースでいつも走っている彼女はそう嬉しそうに笑いながらいうと、いちに!いちに!と準備運動を始めていた。

「あ!ファルコンちゃん!膝怪我してるよ!」 

走りたい気持ちでいっぱいで、私は自分の怪我のことを忘れてしまっていた。屈伸運動をしながら私の右膝の擦り傷に気づいた彼女は待っててね!と私に言い残してロッカールームの方にかけて行った。しばらくして絆創膏と消毒液を持った彼女は駆け足にこちらに戻ってきて、私の怪我を手当てしてくれた。

「これでも大丈夫!」

そうしてにこやかに彼女は微笑んだ。

「ありがとう、ウララちゃん。ファルコ、ドジしちゃって!」

そう言って私は出来るだけ元気に笑った。彼女も特にそれを訝しむことなく

「私もよくこけるんだー!だからね、絆創膏持ち歩いてるの!」

えらいでしょー!そう言って、彼女は楽しそうに笑っていた。

体操着から伸びた彼女の脚は確かに絆創膏が何枚か貼ってあった。 

笑顔を絶やさない彼女を見ていると、私は幸せになる。きっと、ウララちゃんには周りの人を笑顔にする才能があるのだと思う。まるで、本物のアイドルみたいだ。...彼女を見ながら、私は自然と笑みを浮かべていた。

「....ほんとに、どこまでもウララちゃんは、ファルコを超えていくんだなぁー。」

思わず、私はそう呟いていた。そんなわたしに彼女は、んー?と不思議そうに小首を傾げていた。私は、なんでもないよと彼女を見て微笑み、

「ファルコ、負けないからね。」

そう、宣言した。

「どんなことがあっても、ファルコは、絶対に負けない。ファルコの...私の全てで、ウララちゃんも、他のウマ娘を寄せ付けずに、私は1着になる。」

彼女は、先ほどまでの天真爛漫な笑みを消して、真剣な目で、私の話を聞いていた。それが、より私の気持ちに火をつける。

「...私もね、負けない。」

ウララちゃんは静かに、私につづけた。

「色んな人に約束したから。友達に、トレーナーに、お母さんに、お父さんに...だから、私は負けない。」

約束したから、そう言った彼女の意思は、明らかに前回よりも強いものになっていると、その言葉から感じ取った。

初めて勝ちたいと思った相手、そして、全力でそれに応えてくれる相手、私は、そんな恵まれた環境にいることを本当に幸せだと、そう心から感じた。それと同時に、やるせなさが、悔しさが、私を襲う。

走ろうかと考えていたが、思い直した。もしまた痛みがでて、ウララちゃんに万が一でも見られて仕舞えば、きっと彼女は走ることを選ばなくなる。誰よりも人に優しくする娘なのだ。...だから、絶対にバレたらダメだ。私はウララちゃんに、もう今日は上がるとこなんだと伝えて、学校に行かずに、診療所に行くことにした。

「あ、まって!ファルコンちゃん!」

私の背中を追うようにして、彼女は駆け足でこちらに向かってきた。

「あのね、あのね、私!」

そして、上がった息を少しだけ落ち着かせながら

「ファルコンちゃんとやりたいことがあるの!」

そうにこやかに微笑んで、手を伸ばしてきた。

「この前ね、キングちゃんと約束した時に握手したの!握手するとね、約束が強く結ばれた気がして、だから!握手!」

そういうと、半ば強引に私の手を取り、右手で握手を交わした。小さくて柔らかい彼女の手は、それでも力強く私の手を握りしめていた。そして、

「お互いに、全力で頑張ろうね!」

そう、彼女は満面の笑みで私に言ったのだ。

全力で、頑張ろう。それが、彼女が私と交わしたかった約束。...なんとも子供らしくて、可愛らしくて...すごく、勇気が出る約束。

だから私も、緩んでいた手に力を込めて、約束したのだ。

「..うん、約束!全力で、頑張ろ!」

その日交わした握手の温度を、私は忘れない。

握手をして、別れる時、私はロッカールームに向かう脚を止めて、ふとコースを振り返った。そこには、誰もいないダート場をただひたすらに駆け抜ける彼女の姿があって...

「...綺麗だな。」

思わずそう呟いていた。洗練されたフォームとはかけ離れている。けれども、確実に丁寧になってきているその走りは、愚直に、真っ直ぐに走る彼女の姿は、何度見ても美しくて、力強かった。

私は再び控え室に向けて歩き出した。その時の足取りは、何故だかとても軽くなっていた気がした。

 

ーーーーーーーーーーーーーー

「スマートファルコンさんの膝の痛み、これはおそらく腸脛靱帯炎によるものですね。」

診察をうけ、私は担当してくれたお医者さんからそう言われた。

「別名ランナー膝とも呼ばれているのですが...まあ、簡単に言いますと膝が走る速度や衝撃に耐えることが出来なくなって炎症が起きている状態になります。痛み止めを出しておきますので一日3回、必ず服用してください。...それから、大変申し上げにくいのですが、次のJBCの出場は控えられた方がいいかと思います。ウマ娘の走りでかかる膝への負担は相当なものです。下手に痛みを庇うような走りをすれば、水が溜まる、半月板が損傷する、ヒビが入るなどウマ娘にとって致命的な怪我につながりかねません。」

膝に痛み止めの注射を打たれたのち、レースにはでるな、そう言われて私は診察室を出た。

注射の痛みは相当なものであったが、その効果は凄くて、歩くなどの日常的な行為をしていても、痛みは起きなかった。ただ、走り出すのとしばらくして、膝に激しい痛みが駆け抜けた。

それでも前のように継続的に続くことはなくて、私はそれを誤魔化すようにトレーニングに参加した。痛み止めを飲んでいれば多少違和感があるが前のように走ることもできた。

「...よし、これなら!」

私は、もしかしたらレースも本調子で走れるんじゃないか、そう考え出した。練習時間も調整すれば、その後の痛みもだいぶ楽になってくる。

練習を終えて、診察を定期的に受けて、注射を打ってもらう。この注射の痛みだけは、どうしても慣れなかった。

「ファルコンさん、貴方、また走り込んでますね?」

膝の診察をしながら、何度目かの注意かわからないその言葉を、お医者さんがいつもよりも少し怒気を含ませて聞いてきた。

「!?い、いえ!?別に、そんな、少しだけですよ...。」

お医者さんが鋭い目で私を見てくる。その目線が気まずくて、わたしはもじもじとしながらそう答えた。

「...まあ、貴方自身の体のことですから、最終的な判断は自分でしてください。...本当に、このまま炎症が続けばいずれ走れなくなります。怪我も増えるでしょう。再三注意喚起はしました。...どうなっても私たちは責任を負いませんので。」

そう冷たく言われて、私は今日の診察を終えた。

どうなっても責任を負わない。そう口にされたと言うことは、きっと何かがいずれ起こるということで...。

けど、そんなことは、初めから分かっていたことだ。

痛みがでてきて、それでもレースを走る。そう決めた時から、怪我が出ることも、走れなくなってしまうことも、そんなことはずっとわかっていた。...なのに。

それなのに、どうしてだろうか。

走れない未来が、走れなくなってしまう未来が、くることが怖い。

そうか...私は、走ることが、大好きなんだ。

その気持ちに気がつくと、もう抑えることはできなくて、

泣きそうな目を必死に押さえつけて、私は病院を後にした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

JBCまで残り二週間となっていた。ウララのタイムは以前よりも更に縮まっていた。何があったのかは知らないが、きっと内面的に変化するような出来事があったのだろう。加えて、ウララにはひと月前ほどから、一つ注文をしている。それは、前回姿勢を更に強めて走ると言うオーダーだ。

短距離はスピードが命。であるから、当然、風の影響を極力減らして走らなくてはならない。トップスピードに入った時に、いかにしてその姿勢を保てるかがポイントとなる。

「うぅううう!トレーナー!この姿勢で走るのきついよぉおお!」

以前よりも意識的に低い姿勢を保たせてコースを走らせているため、ウララには当然前よりも負荷がかかる。

「つべこべ言うなー。はい、あともーいっぽん!」

文句を言うウララに俺は喝を入れて、もう一本本来の本数にプラスでコースを走らせた。文句を言いながらもウララは言われた通りに走り出し、フラフラな状態で帰ってきた。

「ウララちゃん、お疲れ様」

「...らいす、ちゃーん...。」

ライスが、優しい笑みを浮かべながらダート上で死んでいるウララに水を渡しに行く。俺はそんな光景を見ながら、手元の計測ノートを見た。

今日、ウララはベストタイムを二度更新している。確かに、JBCで戦うにはもう少しだけ縮めなければならないだろうが...おそらく、今現時点での限界はここだ。...本当に、ここまでよく仕上げたと思う。

「...必ず、勝たせてやるからな。」

ノートを見ながら、俺は誰に言うわけでもなくつぶやいた。

これだけ努力しているのだ。黙ってはいるが、ウララが隠れて練習していることも知っている。一人で、朝早くから練習しているのも、夜に居残りで練習しているのも、俺はこの目で見てきた。...そんな子が、報われないなんて、そんな現実、俺はもう見たくない。

その日、ウララの練習を終えて、ダート場に忘れ物をしてないかの確認をしに行った時だった。誰もいないはずのダート場を、一人のウマ娘が駆けていた。ツインテールをなびかせながら、力強く駆け抜けるその姿を、俺は間違えるはずがなかった。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ...っし!」

何度も、何度もそのウマ娘はダッシュを繰り返す。まるで、何かに取り憑かれているかのように。

「...そろそろ、コースのライト消えると思うから、早めに切り上げなよ。」

ダッシュを終えて膝に手をつき休んでいる彼女に、俺はコース外のベンチから声をかけた。

「はぁ、はぁ、はぁ、ウララちゃんの、トレーナーさんか...なに?ファルコの練習時間を減らず作戦?」

息を乱しながらも、そう悪戯に微笑んだ彼女はもう一度スタート地点に戻った。

低い姿勢をとり、前傾姿勢のまま加速していく、砂を力強く蹴り上げながら、真っ直ぐに、真っ直ぐに走る彼女は、やはり速くて美しい走りをしていた。その光景に見惚れていたから、気が付かなかった。彼女が、膝を押さえて地面に蹲っているその光景に、それを、現実のものであると認識するのは、あまりにも信じられない光景で。

「...!おい!どうした!?」

すぐに彼女の元に俺は駆け寄った。

手をかそうとしたが、それを彼女は大丈夫、大丈夫だからと拒み、自分で起き上がった。

「いやー!ファルコ最近よく、ヘマしちゃうんだよねー...ウマドルとして、ちゃんとしないとね!」

そう言って元気に微笑んだ彼女の笑みは、明らかに引き攣っていた。

「...なにか、故障があるのか?」

俺は、ファルコンに極めて冷静に聞いた。もし、故障があるのであれば、JBCへの出走は取り消されているはずだ、なのに、現段階でまだ彼女の名は出走リストに入っている。...まさか

「..私の担当には言わないでね..絶対に。」

口にしようとした疑問が、彼女の言葉で確信へと変わった。彼女は、自分の怪我のことを、担当トレーナーに話してはいない。

「いや、そうは言ってもだな、その状態で走るのは..」

「いいから!お願い!お願い、だから...。」

やめといたほうがいい、そう続けようとしたが、ファルコンの、初めて聞いた大声で、何も言えなくなった。

「...本当に、これが最初で最後のわがままなの。だから..お願い。」

そして、祈るように、ファルコンは俺につぶやいた。

静寂が、俺たちを包んだ。俺はどう声をかけるべきか分からず、黙って下を向くファルコンを見つめていた。コース場に、風が吹き付ける。

ただでさえ寒い夜風が、その時はいっそう寒く感じた。

「...ファルコ、初めてだったんだ。レースが楽しいって感じたの。」

しばらくして、ポツリと、彼女は口を開いた。

「今まで、センターに立ちたくて、センターで輝くために走ってた。それだけがファルコにとって価値があることで、レースは付属品みたいなものだったの。...でもね、ウララちゃんと、まだ、一回しか走れてないけどね、あの時、一緒に走って、走って、全てを絞り出してね...ああ、この時間がずっと続けばいいのにって、苦しいのに、そんなこと思っちゃってさ...ファルコね、ウララちゃんと走るのが好きなの。ウララちゃんともっと走りたい、ウララちゃんに勝ちたい...変だよね、だって、この気持ちは..有馬記念のウィニングライブに出たい気持ちよりも、何倍も大きいんだよ?」

おかしいよね、そう続けた彼女は楽しそうに笑っていた。

「...でもね、もうファルコには時間がないんだ。」

時間がない、その言葉で十分に俺は理解できた。それは怪我で走れなくなってしまうからあるいは..契約が途切れてしまうかのいずれかを指していると。

「これが、ファルコにとって...私にとって、ウララちゃんと走れる最後の舞台なの。だからお願い。邪魔をしないで。」

そう言い残して、彼女はコース場を後にした。

全てを投げ打ってまで、ウララと走ることを選んだ彼女、コース場をさっていくその背中を見ながら、俺は何も言えずに、ただ立っていることしか、できなかったのだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

彼女のトレーナーに確認してみたところ、やはり契約期間が今年で終わるそうだった。それはつまり、ウララと走れる最後のレースがJBCになるということだ。

帰り道を歩きながら、俺の頭の中は、ファルコンの言葉でいっぱいだった。残りの時間を、有馬記念に出たいという思いよりもウララと共に走ることを選んだ彼女。その迷いのない言葉に、声に、俺は止めるべきかどうか分からないでいた。いや、トレーナーであれば止めるべきなのであろう。...けれど、誰が、止めれるというのだろう。あれほどの決意を、熱意を目の当たりにして、痛みを堪えて走っているその姿を見て、どうして、諦めろ、そんなことが言えるだろうか。...俺には、無理だ。

「..あ!トレーナーさん!」

自責の念に苛まれながら学園を出ようとすると聞き覚えのある、優しくて、明るい声が聞こえてきた。

「..ライス!?おま、門限は大丈夫なのか?」

「えへへ..大丈夫じゃないかもね!」

本来生徒はもう門限を守らないといけない時間であるはずなのにライスは何故か校門のそばに立っていた。

「..いや、そもそも何で練習着きてるの?」

ライスのメニューはとっくに終わっているはずで、本来なら私服か制服になっているのだが..ライスは何故か、スポーツウェアを着ていた。

「いや、ええーと、あははは、な、何でもないよぉー」

明らかに何かありそうな誤魔化し方をしながらライスは俺から目を離した。俺は訝しくおもい、ライスをじーっと見つめる。

「..!そ、そんなに見つめても、な、内緒の特訓だから!ぜ、絶対に言わないもん!」

ほほう、どうやらライスは内緒の特訓とやらを誰かと行うらしい。

俺は観念しろとばかりにライスに質問をしようとしたが

「ぜぇ!ぜぇ!ぜぇ!はぁぁあ!うぅうう...もう、駄目。」

ライスと俺の目の前で倒れたその少女をみて、俺は何も言えなくなった。

「!?う、ウララ!?お前なにしてんの!?さっきまでトレーニングしてたよな!?」

「え、ええとね、トレーナーさん!怒らないで聞いてほしいんだけど..」

ライスが申し訳なさそうに、ことの詳細を説明してくれた。なんでも、JBCの三週間前ほどからウララはトレーニングの後にライスとこうして外周を走っていたそうだ。そして、いつもライスが先にゴールするためこうしてウララを待っているらしい。今日はいつもよりも長めのコースを走ったためゴールするのに時間がかかり、こんな遅くになっているということらしい。それに対して俺は

「馬鹿野郎!オーバーワークだろ!もっと自分の体を、お前達は大切にしろ!せめて俺に言え!そーすれば考えてやるってのに!」

トレーナー室で、ライスとウララにしっかりと説教をした。

「で、でもでも、トレーナーさん、遅くまで仕事してるし..迷惑かなって..」

「そーだよ!それに、私達だけでもちゃんとできるもん!」

ねー、とウララはライスに微笑んでライスもう、うん!と頷いている。

あーもう、本当にこいつらわ...

「あ!の!なぁ!お前らのトレーニング見るのが俺の仕事なの!残業精神なめるなよ!いくらでも付き合うわ!この量は自主練の領域超えてる量してるんだよ!自主練したいならすればいいけど、それ以上のことしようとするなら俺に言え!メニュー考えるからよ!ほれ、遠慮せずにこれからはじゃんじゃん頼みこんでこい!」

「でも迷惑かけるの嫌だもん!」

それでもウララもライスも俺に迷惑をかけると譲らない..あーもう、こーなったら

「あーもう!わかった!俺が!お前達の練習に付き合いたいの!楽しいの!わかったか!?次から絶対誘えよ!」

半ば強引だが、俺が楽しい、誘って欲しいと言えば

「わかったー!ウララ、たくさん頼むからね!」

「ラ、ライスも!」

予想通りウララもライスも二つ返事で声をかけてくれると約束してくれた。

説教をしていたはずが仕事を増やす社畜行為をしている気がしてきたがまあそんなことはいい。ウララもライスもきちんと理解してくれたことが何よりも安心だ。...ところで、

「...ウララ、なんで夜中に走り込み、それもスタミナ強化の練習をしてたんだ?」

JBCは短距離戦だ、補充で練習するなら当然スピードをメインとしたトレーニングを行うべきなのだが...

「んーとね、理由はね、たくさんあるよ!お父さんと、お母さんに勝つぞー!って約束したし、キングちゃんとファルコンちゃんとはね、燃え尽きる走りをしようね、って約束もした!あと...ファルコンちゃんに、次は勝つって決めてるから。それから...ううん!これは秘密!とにかく、いろんな約束を達成するためにはスタミナが必要なんだー!」

そういうとウララは、にへへへ、と元気に微笑んで、

「今度からトレーニング付き合ってね!」

そう俺に言った。俺は、いまいちしっくり来てないものの、何か目的を持って彼女が取り組んでいるのであれば文句はなかった。

だから、ウララに、ああ、と返事をして、もう寝るように寮に帰した。

帰り道を送ろうかどうか考えたが、寮は学園の中にあるため別にその必要はないなと考え、彼女達に別れを告げて、学園をでた。

帰り道、俺はウララの走る理由を考えていた。スマートファルコンは、ウララと走ることだけを考えていた、けれども、ウララはいろんな人との約束のために走ろうとしている...それが、少しだけ胸に引っかかって、苦しい。別に、ウララが悪いわけではない。彼女には彼女の生活があって、周りの人達に囲まれて、いろんな人から想いを託されて、だからこそレースにでられる。だから、それに応えようとする彼女の努力は何も否定することはできないし、素晴らしいことだ。...けど、それじゃあ、あまりに、報われないではないか。

痛みに耐えて、歯を食いしばって、ウララのことだけを思って走り続けるあの子の走りが、まるで空回りしているようで、どうしようも無くいたたまらない気持ちに苛まれる。

「!?」

駅へと向かう道を何とも言えない気持ちで歩いていると、ふと背中をたたかれた。

「...あ、田辺さん!お疲れ様です。」

「おう、おつかれさん。」

恐る恐る振り向くと、いつものようにニカっと微笑んだ田辺さんがそこにはいた。田辺さんは俺の横に並び、歩きながら一つ伸びをした。

「いやー、こんな時間までよくやるよな、お疲れさんだぜ。」

「それを言うなら田辺さんこそ、珍しいじゃないですか、こんな時間まで残って仕事するなんて。」

俺のことを労ってくれた田辺さんの横顔は普段よりも疲れて見えた。きっと、彼もこのレースに力を入れているのだろう。

「..まあ、高飛車のうちのお嬢様があれだけ頭下げてきたんだ...勝たせてやらんと、いかんわなぁー。」

「キングヘイローの、ことですか?」

「ああ、..ほんとに、驚いたぜ、あいつがダートレースに出たいなんて言い出したことも...それを許した俺自身にもな。」

田辺さんはそう言うと、少し困ったように頬をかいていた。

「..失礼ですが、なぜキングヘイローをダートレースに出走させるんですか?田辺さんのチームなら他にも適正があるウマ娘がいたと思うんですけど..。」

俺は、何故キングヘイローがこのレースに出るのか、何故それを許したのか、田辺さんの考えが知りたくて、そう質問した。その質問に田辺さんはしばしの沈黙の後、絶対に笑うなよと前置きして、俺にこう答えた。

「...まあ、あれだ、キングの想いに、応えてやりたかったんだよな。」

頭の後ろに手を照れ臭そうに回しながら、田辺さんは続ける。

「初めてだったんだよ。あいつが自分から俺にあんなに頭下げてきたのも、レースに出させてくれって志願してきたのも。...きっと、ハルウララの走りってやつは相当なんだぜ、なんせ、周りの奴らの考え丸ごと変えちまうんだからな。」

そう言って、田辺さんは楽しそうに笑っていた。

「...変わりましたね。田辺さん。」

そんな彼をみて、俺はそう思った。レースで勝つことのみを考えていた田辺さんが、今はこうしてウマ娘の意思を尊重してレースに出走させている。昔の彼からは、信じられないことだった。

「...いや、変わっちゃいねーよ。根本的なものは変わらない。キングならこのレースでも、JBCでも勝てる。そう判断したから俺は許可しただけだ。...だから、何も変わっちゃいない。」

しかし、田辺さんはそれを否定して、俺よりも少し前で立ち止まった。

「前に、言ったよな、俺は俺なりのやり方でお前を否定するって。」

それは、あの時田辺さんが俺に言った言葉だった。変わってしまった自分のやり方で、観測的な、願望的な俺のやり方を否定すると、俺はそれを、しっかりと覚えている。

「次のレースで、それを証明するさ。...天才が持つ圧倒的な才をな。どれだけ足掻いても追いつけない、努力だけじゃ追いつけない、そんな世界をお前に、あの子にぶつけて、失望させてやる。」

田辺さんはそう言うと俺に振り向き、少し悔しそうに笑った。

「...なんて、言おうと思ってたんだけどな、やっぱり俺も変わっちまったらしい。...ただ、俺は単純に、キングに勝たせてやりてーのさ。あいつがあれだけ走りたいって言ったレースを、必死に足掻いてる姿見て、走る姿見て、そう思っちまったんだよ。勝てる確信があるわけでもない、負ける確率の方が適性を考えれば大きい...それでも、俺は信じてみたいんだよ。...お前のように、俺も。」

そう言った田辺さんの顔は、いつもよりもどこか優しかった。

「...変わりますよ、人は。」

「ああ、そうみたいだな。」

俺はそんな田辺さんに歩みを並べて隣に再び並んだ。

「...田辺さん、もし、自分の担当してるウマ娘が怪我してたとして、そのウマ娘がライバルと走れるレースは後一回しかない、でも怪我をかかえたまま出なきゃいけないって状態だって時、田辺さんならどうしますか?」

田辺さんはそんな質問をする俺になにも聞かずに、ただ黙って考えていてくれた。その気遣いが、今の俺にはとてもありがたかった。

「まあ、端的に言えば走らせるわけにはいかんな。」

しばらくして、田辺さんはそう口を開いた。

「故障を抱えた状態でレースを走る。それは...その子の命にかかわることだ。」

レースの最中で、自分の担当していたウマ娘を亡くした田辺さんのその言葉は、どんな言葉よりも厚くて、重みがあった。

「...だから、俺がその立場であれば例えどんなにその子がわめこうと、そのレースに想いを持っていたとしても、絶対に棄権させる。」

そう断言した田辺さんは歩く足を再び止めた。もう駅はすぐそこだった。残業帰りの会社員が駅までの帰り道にちらほらと現れては、ホームに消えていく。そんな光景を見ながら、けれど、と田辺さんは続けた。

「それで、その子の努力が、全部無駄になっちまうのは...心苦しいよな。」

「...そう、ですよね。」

悲しく微笑んだ田辺さんに、俺は俯いて同意した。

駅での会話はそれっきり起こらなかった。

お互いに改札を抜けて、それぞれの電車に乗った。帰りの電車は俺と田辺さんは違う。それぞれのホームで、電車を待った。

努力が、全て無駄になる。

田辺さんの言葉の通り、もしスマートファルコンがJBCに出れなければ、彼女の努力は、信念は、全て無駄になってしまう。...それが、彼女にとってどれだけ辛くて、残酷なことなのか、俺には想像できない。

俺が選手だった時、もしも故障していたとしても出たい試合があって、それを棄権すればもう一生出られないものであるとするなら...ライバルと呼べるものと戦える、最後のチャンスなのだとしたら...俺は、きっと出ていたと思う。

「...どーすりゃ、いいんだよ。」

吐き捨てるように、そう呟いた。

結局、答えは出ないまま、静かに、時が過ぎて行った。

 

ーーーーーーーーーーーー

「トレーナーさん、怒ってたねー」

「うん、でも次からは誘ってって言われたからぜーったい誘わないとね!トレーナーも私たちと練習するの好きなんだー」

私はそのことが嬉しくて、ついついいつもの歌を口ずさんでしまう。

トレーナーに秘密の練習が見つかって、私達は怒られた後にトレーナー室を後にした。トレーナーはまだやることがあるとのことでトレーナー室に残っていた。

「トレーナーさん、まだお仕事あるんだね。大変なんだなぁー。」

「...ほんとに、大変だよね。」

ライスちゃんの呟きに、私も同意した。それと同時にくる、自責の念。

これだけ迷惑をかけてるのに、私はまだ何も返せてない。負けてばっかで...だから、私は

「あ、そうだウララちゃん、さっきの秘密、ってなんなの?」

思いにふけていると、ライスちゃんが思い出したかのようにそう聞いてきた。私が特訓をしていた理由の一つを、トレーナーには秘密と言って黙たことを、ライスちゃんも不思議に感じたらしい。

「えへへ、気になる?ライスちゃん?」

「うん!うん!ライス、気になる!」

いたずらっぽく笑ってみると、ライスちゃんは首を縦に2回大きく振った。...そんなに期待されると、少し照れてしまう。

「えっとねー...そ、そんなにみられると恥ずかしいよぉ〜!」

「え、あ!ごめん!」

ライスちゃんの目線に耐えれなくて、私は顔を背けてそう言った。

顔のほてりを収めて、今度はきちんとライスちゃんに向き直って、その理由を、伝える。トレーナーには内緒だよ、そう前置きして

「...有馬記念で、1着をとって、トレーナーを日本一のトレーナーにする。..それが、私が隠した特訓の理由。」

ライスちゃんは、ポカンと口を開けて、しかし、次第に笑顔になっていき

「うん!うん!いいね!それ!ウララちゃん!ライスも!ライスもそうしたい!」

「えへへー!でしょー!」

ライスちゃんの怒涛の共感に、私も嬉しくて胸を張ってしまう。

「...今まで負け続けてた私がね、こうしていろんなレースで活躍できるようになりだしたのって、トレーナーのおかげなの。トレーニングから栄養面から、いろんなところで支えてくれて..なのに、私はまだこれっぽっちも返せてない。...だからね、決めたんだ。有馬記念、絶対に選ばれる。選ばれて、走って、走って、全部の力を振り絞って走って..そこで勝つ。1番になったら、きっと、トレーナーはたくさんの笑顔で喜んでくれると思うの。...私は、そんなトレーナーを見たい。」 

ライスちゃんは、真剣に私の話を聞いてくれている。その目が、この言葉を口にする勇気を、くれた。

「私、弱いから。...自分でも悔しいんだけど、周りの子達よりも才能がないって、自分でも、わかってるんだ。...それでもね、私、私は..トレーナーにもらった、全部を、それ以上にして返したい。..きっと、私が勝てば、トレーナーは凄く有名になれる。だってさ...」

私は、そこで言葉を区切って、少し伏せていた目を、今度はきちんと、ライスちゃんに合わせた。

「最弱のウマ娘だった私が、有馬記念で勝つんだよ?...そんなの、奇跡以外の何者でもなくて...だけどね、私、起こすよ。奇跡。」

「...うん、絶対できるよ。ウララちゃんなら。」

「...へへへ、なんか、照れくさいね。」

ライスちゃんは、笑わなかった。長距離の厳しさを、何よりも知ってる彼女からしたら、きっと私の話は夢物語に聞こえていたと思う。それでも、笑わずに、真剣に、最後まで聞いていてくれた。その紫色の瞳で、真っ直ぐに私を見つめて...それが、どれだけ私を励ましてくれることか。それを改めて理解して、心強くなって、なんだか照れ臭くなって、いろんな感情が一気に生まれてしまった。

有馬記念にでる。..けど、その前にするべきことがある。

私は、エルムステークスの最後の直線を思い出した。最後の最後、鼻先で負けたあのレース。全てを出し尽くした、あのレース。震えるような、そんな走り。...それができることが、楽しみで、楽しみで、けれどそれと同時に来る、敗北という恐怖心で、心に整理がつかなかった。

けど、お母さんに約束をして、今日、初めてライスちゃんに..私の親友に、胸の内を告げて、言葉にしてみて、ようやく、実感が湧いた。

私は、勝たなくちゃいけない。何がなんでも、絶対に。

みててね、トレーナー。

寮の門限を過ぎてしまって、寮長の先輩にキツく起こられてしまった。

特別に許されてお風呂に入った後、先輩の本気の怒りのお言葉を受けて、耳も尻尾もプルプルと震えた。怖かったけど、ライスちゃんと初めて門限を破って、一緒に怒られて、それだけで、ちょっとだけ楽しく感じてしまう。

その日の夜、私の心は、確実に軽くなっていた。

「ウララちゃん、今日は怒られてばかりだね。」

別れ際に、ライスちゃんがそう言って、おかしそうに笑っていた。

「...うん!そうだね!でも、ライスちゃんと一緒だったから、なんだか楽しかったや」

私がそう言うと、なにそれと、再び彼女は笑い出した。

「ウララちゃんにね、私、勝って欲しい。」

ひとしきり笑った後に、ライスちゃんはそう言った。

それ以上語ろうとせずに、ライスちゃんは私の返事を待つ。

きっと、ライスちゃんは、JBCで勝て、そう言ってるんじゃない。これから、勝ち続けていってほしい、そう言ってるんだと、私は自分勝手にそう思った。...だけど、彼女の目が、そう言ってる気がするのだ。

だから、私も、自分の持てる最大の気持ちをこめて、ライスちゃんに応えた。

「勝つよ、私。...絶対に、勝つから。」

ライスちゃんは、うん、信じてる、そう私に言い残して寮に戻っていった。

その背中を見送って、私は部屋に行くために、誰もいない寮の廊下を歩いた。足がもうへとへとで、なかなか前に進まなかった。

次は勝つ、そう何度も自分に言い聞かせてきた。けど、何度も負けて、負けて、負け続けて...それでも、私は信じている。いつか、いつの日かきっと、あの日のように、皆んなを笑顔にできる日が来るのだと。

「...見ててね、トレーナー。」

トレーナーを、いつか笑顔にできる。その日が来るまで、私は、全力で走り続ける。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

明日のレースに備えて、夕方、私は病院に来ていた。もう何度目かわからない膝の注射をうちに、診察室に向かう。

「...本当に、明日のレースには出られるんですね。」

お医者さんの、心配とも呆れとも取れるその表情を見ながら、私も迷うことなく返事をした。

「はい。私は出ます。例え、出た先で走れなくなる未来があるのだとしても。」

「...そうですか。その事実を受け入れる覚悟があるのであれば、もう私からはなにも言いません。」

お医者さんはそれ以上何も言わずに、私にいつものように施術を施してくれた。相変わらずこの痛みだけは耐えられない。

膝に走る痛みになんとか耐えて、軽く症状の説明を受けた。

現段階で、炎症は悪化しているが、今日午前と午後に分けて打った注射はいつものよりも効果が強いものだそうで、明日のレースの痛みを最大限に抑えてくれるそうだ。可能な限り走れるようにしてくれたことに、私は感謝の言葉を伝えた。

「..本当ならば、私は止めるべきなんでしょうけどね..,」

「心苦しい思いをさせてしまい、申し訳ありません。」

苦しそうな表情のお医者さんに、私は頭を下げた。

こちらこそ、痛みを止めることしか出来なくて、不甲斐ないです、そうお医者さんは言って、一言

「頑張ってください。..応援、してます。」

そう言ってくれた。応援してる、その言葉を聞くだけで、私は何倍も強くなれる気がした。

診察室を後にして、受付に呼ばれるのを待っている時、ふと見覚えのある後ろ姿を見つけた。車椅子に乗っているその女性は、まるでウララちゃんのような、綺麗な桃色の髪の毛をしていて、おっとりとした雰囲気の女性で、後ろにいる眼鏡をかけた男性と楽しそうに話していた。

そんな女性に見惚れていると、長く見つめ過ぎていたのか、目があってしまった。

「あら....貴方は。」

女性は後ろにいる男性に一声かけると、車椅子を漕ぎながら、椅子に座っている私の元にきた。

「初めまして〜。」

目元も、口元までウララちゃんにそっくりなその人は私の横の席の近くに車椅子を止めて、私に話しかけてきた。

「あ、あの、どこかでお会いしましたか?」

そんな彼女を不思議に思って、私は思わずそう聞いてしまった。

「いえいえ!私が一方的に知ってるだけですので、お気になさらないでください。」

そう言うと、その女性は楽しそうに微笑んでいた。

「..どこか、悪いんですか?」

私の膝を見て、その女性は心配そうにそう聞いた。

「え、ええ。...少しだけ、膝を痛めてまして。」

「そうですか...それは、残念です。」

何故か、本当に悔しそうにその女性は俯いた。もしかしたら私のファンの方なのかな?そんな疑問が頭をよぎった。

「...私の娘が、明日のレースに出るんです。」

その疑問を、その一言が打ち砕いた。

「...スマートファルコンさんのような、強いウマ娘の方からしたら、本当にどうでもいいことなのでしょうけど...あの子、本気で貴方と走れることを楽しみにしてて..メールや電話で、毎日のようにファルコンちゃんは凄いんだよって聞かされてまして...ですから、その、怪我をしてしまっていると聞いて、少々、勝手ながら傷ついてしまいまして...。」

その女性は、申し訳ありませんねと困ったように笑い、そして困惑していた。

「!?あら、ど、どーしましょ、えっと、ごめんなさい!私、何か、してしまいましたか!?」

取り乱している女性の前で、私は泣き続けた。涙が、止まらなかった。

嬉しかった。ウララちゃんが、私と走ることを楽しみにしていることが、ウララちゃんが、私のことを、ウララちゃんの大切な人に伝えてくれたことが。

きっと、ウララちゃんには、私と走ることなんかよりも大切なことがある。そんなことはわかっていた。それでも、それでも、こうして言葉で伝えられることは、私と走りたいと言ってくれた事実は、何よりも私の心を、強く、強く揺さぶった。

「ち、違うんです....とても、嬉しくて...すみません。」

ようやく涙がおさまってきて、私は目の前でおろおろする女性に謝罪をした。幸い声を殺してないていた為、あまり人目にはついてなかった。

「...ウララちゃんは、貴方の娘さんは、強いですよ。」

「!?え、ちょ、なんでそれを!」

目の前の女性は...ウララちゃんのお母さんは、とても困惑した様子で、なんだか可愛いらしかった。

「...ファルコは..私は、ウララちゃんに勝ちたくて、全力を出すんです。

...もう一度、ウララちゃんと勝負がしたい。..だから、私は走るんです。

ですから、心配しなくても大丈夫です。私は、出ますよ。絶対に。」

ウララちゃんのような彼女は、何故自分にウララちゃんの話をしているのか、何故母親とバレているのか、色んなことを疑問に思い、口にして、そして...少し落ち着いた様子になった彼女は、私を見て微笑んだ後に、

「...そうですか、娘を、そんな風に思ってくれて...私は、とても嬉しいです。」

そう、嬉しそうに語った。そして..

「頑張ってください。」

そう彼女が私に言ったところで、名前を呼ばれてしまった。もっと、たくさんのことを話したかった。けれど...それは、今じゃない気がする。いつか、もっと、全てが終わった後でもう一度、感謝を伝えよう。

そう胸に決めて、私はウララちゃんのお母さんに、こう応えた。

「はい!全力で、ファルコは走ります!」

受付を終えてさっきいた席を見ると、もう彼女はいなかった。

多くは語れなかった。それでも、たくさんの勇気をもらえた。

病院の外にでて、冷たい空気を、目一杯吸い込む。肺に酸素が行き渡る感覚が心地よい。

「...がんばるぞ!ファルコ!」

自分にそう言い聞かせて、学園に向かった。自然と、笑顔が溢れてきた。

その日、私は久しぶりに笑えたきがする。

ーーーーーーーーーーーー

 

痛み止めを控え室でのんで、一通りのアップを済ませた。膝に違和感はなかった。前傾姿勢も、加速もできる。トレーナーにも、いい仕上がりだと褒めてもらえた。迷うことは、何もなかった。

控え室を静かに出て、レース場へと続く廊下を、ただひたすらに歩いた。その日の廊下は、今までで、1番静かで、1番長く感じた。

「...あ!ファルコンちゃん!」

その時、廊下の後ろの方から、凛となるような声が聞こえた。

私が、大好きで、嫉妬して、負けたくない、彼女の声だ。

その声に振り向くと、勝負服を着た彼女が、そこに立っていた。まじまじと彼女の勝負服を見るのは初めてで、似合っているなと、素直にそう思った。

「服、似合ってるね。」

「えへへ!いいでしょ!これね!トレーナーがくれたんだ!」

ウララちゃんはそう自慢すると得意げにターンをしていた。その様子が愛らしくて、少しだけ緊張が解けた。

「...私ね、たくさん頑張ってきたよ。」

おどけるのを辞めて、彼女は真剣な声で私に続けた。

「走って、走って、たくさん走って...だからね、私、全力で走れるよ。」

あの時の朝、交わした約束、それが今果たされようとしている。

「...ファルコも、だせるよ、全力。...今までで、1番凄い全力なんだから!!

そう言って、私は自慢げに胸を張った。

「あ!私だってスーパーウララゴーだもん!もっと凄い全力だもん!」

ウララちゃんも負けじと胸を張り、そして..お互いに、笑い合った。

レース前、こんなに楽しくてどうするんだと思ったけど、それがこの子との最後のレースには相応しいなって、そう思った。

「..私さ、楽しみだったんだ。ファルコンちゃんとまた走れるの。」

隣を歩く小さな彼女が、そう呟いた。

その言葉は、私の心にとても優しく響いて、また泣き出しそうになる自分を懸命に抑え込んだ。

「...私も、楽しみだったよ。ずっと。」

代わりに、とびっきりの笑顔で、私も応える。

それっきり交わす言葉はなくて、お互いに、土の香りが立ちこもる、砂上の上に立った。

たくさんの歓声が、響いている。それを一身に受けながら、私達は

それぞれの想いを胸に、走り抜けるのだ。

JBCが、始まる。

 




投稿遅れて申し訳ありません!誤字ってたらごめんなさい!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ラストラン

『砂上を極めしもの達が集うこのレース!JBCスプリント!1番人気はやはりこのウマ娘、4番スマートファルコン!エルムステークスでハルウララとの激闘を見事に制しました!2番人気は6番、キングヘイロー、ダートでもその強さを発揮するのか!3番人気は10番ハルウララ!誰がこのウマ娘がこの舞台に立つと予想したでしょう!素晴らしい成長を見せています。4番人気は...」

柔らかいようで少し固いダートの上を、私はゆっくりと歩いていく。

歓声が、熱気が、この熱く高鳴る胸の鼓動を、加速させていくのを感じる。目の前に広がるゲートは、まるで牢獄のようで、そこに入れば逃げ道はないぞと、そう言わんばかりに口を開けて待っている。

少しだけ屈んで、自分の右膝に手を添えた。痛みも、違和感も、何もないその膝を撫でて、私は覚悟を決めた。

..お願いだから、最後までもってね。

そう心の中で、祈るように呟き、ゲートの中に入った。

歓声が、ラッパ音とともにやんだ。怖いほどの静寂、それが、不思議と今の私には心地の良い楽曲のように聞こえてくる。

スタートの姿勢をとった。低く、右膝を曲げる。

目の前の扉が、開いた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『各ウマ娘、今一斉にスタートしました!先頭争いは4番、スマートファルコン、ファーストアロー、続いてニシノフラーと続きます。11番、14番と続いてハルウララ、キングヘイロー互いに足をためている!』

ゲートが開くとともに、私は自分の定位置にうまく入れた。ファルコンちゃんは先頭争いに予想通りに参加している。キングちゃんは私のすぐ後ろで控えてる。きっと、私をマークし続けるつもりだ。

第1コーナーが終わる頃には、すでに集団グループが二つ形成されている。私は、後方に行きすぎないように前へと足を進めていく。

後ろから見る遥か遠くのその背中は今までで1番力強く見えた。

...やっぱり、はやいな。

レース中なのに、ワクワクが止まらない。はやく、はやく仕掛けたい、そんな焦りを懸命に抑えた。

『第二コーナーに差し掛かろうというところ!以前先頭はスマートファルコン!懸命に後続集団を引き連れていきます!ファストアロー厳しいか徐々に順位を落としている続くのは...』

第二コーナーに入るまでの直線のペースは、体感的にかなりはやく感じた。けれど、トレーナーに嫌々させられた前傾姿勢のおかげで、かなり楽に進めた気がする。前に、前に、徐々に順位を上げて、先頭を狙う。その動きに合わせるように、キングちゃんもピッタリとついてくる。溢れるようなプレッシャーを、背後から感じる。

第二コーナーを抜ければしばらくカーブが続く。そこでどれだけロスをなくせるかが重要だと、トレーナーは言ってた。

脚は、まだある。大丈夫、まだ、全然差せる距離だ。..なのに、

先頭を走るファルコンちゃんの背中が見える度に、私の心は焦り出す。

まるで、今行かないと間に合わない、そう言っているかのようで

だから私は、思いっきり足に力をこめた。

地面をえぐりとるように、蹄鉄を沈ませ、蹴り上げる。

体が、加速していくのを肌で感じる。

『おっと!第二コーナー中盤でうごきがあります!10番ハルウララ!ここから仕掛ける!すごい、すごい速度で上がってくるぞ!キングヘイロー遅れて追走!全くレースが読めない!』 

以前の私なら、きっとここで仕掛けても最後までスタミナが持たなかった。だけど...今は違う。毎日、やり込んできた。スタミナも、筋力も、自分の全てを鍛え上げてきた。

前に、前に、その背中を目掛けて、私は走った。

...ねぇ、お母さん、見てくれてる?トレーナー、見てくれてる?

私...こんな大舞台でさ、こんなにも強い娘とさ、

『第三コーナーに入るところでハルウララ!先頭のスマートファルコンに並んだ!並んだぞ!エルムステークスの!あの夏の再現が今ここに起きています!』

先頭、走ってるんだよ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「!?あいつ、ここで仕掛けたのか!?」

ウララが並ぶと共に、場内の歓声は割れんばかりに響き渡った。

ウララが本来仕掛るタイミングは、最後の直線に入る第四コーナーからのはずだ。ここで仕掛けても体力が持つはずが...

「..ウララちゃんなら、大丈夫だよ。」

胸の内の心配を、ライスが優しく否定した。

黙ってレースを見つめる彼女の目には、まるでウララの勝利を確信しているかのような、そんな強い光が見えた。

ライスの言った通り、ウララは、先頭に立ち続けていた。

その光景に、俺は言葉を失っていた。

スマートファルコンとウララは、今、日本中から集められたスプリンター達の集団を、およそ3馬身ほど離して先頭をかけていた。どちらも、一歩も譲らずに、砂上の上を力強く駆け抜けていく。 

ウララが、G1レースの先頭に立っている。

これが何を指しているのか、もう言葉にしなくても十分だった。

「..ウララちゃんは、勝つよ。」

ライスが、確信を持ってつぶやく。

その言葉に、俺も黙って頷いた。黙って頷くことしか、できなかった。

ウララとスマートファルコンのペースは落ちることなく、むしろ加速しているように感じた。

『さあ!先頭はハルウララとスマートファルコンが並ぶ展開だ!その後ろ少し遅れてキングヘイローが続いていく!大欅を超えて第四コーナーに入っていくぞ!このまま2人の勝負になってしまうのか!』

まるで、2人だけの世界を見ているかのようだった。

永遠にこのレースを見ていたいとさえ思えた。

それほどまでに2人の走りは、俺の心を揺さぶったのだ。

脚の故障を感じさせないほどの走りを実現させたファルコン、本能のままに仕掛け、それを実現するほどの練習を重ねたウララ。

この2人のレースが、ここで終わってしまうことが、その先を見れないことが、俺には悔しくて仕方なかった。

『第四コーナーを抜けて最後の直線だ!先頭はスマートファルコン、ハルウララせっている!キングヘイローじわじわとその差を縮めてきているぞ!さあ!誰が来る!誰が来る!』

目の前を通過した彼女達は、まるで全てを追い抜くかのように、俺達の目の前を駆け抜けていく。

たった1分の勝負。けれどそれは、俺が見てきたレースの中で、最も長く、熱いレースだった。

 

 

 

 

 

レース中盤、ウララちゃんが上がってくるのを感じた。ここまで、まだ痛みはなかった。今日、確実に私は、最高超の走りをしていると、肌で感じ取っていた。第3コーナーに入るところで、誰かが私の隣に並んだ。私にはそれが誰なのか、見なくてもわかった。

桃色の尾を靡かせながら、私の隣にきた彼女。私は引き剥がそうと、さらに加速した。けれど、彼女は来る。どれだけ加速しても、加速しても、彼女は私の隣に来るのだ。...それが、とても幸せだった。

第四コーナーを、私は先頭で駆け抜けた。そして、最後の直線。

残っていた力を、全て出し切る。

前傾姿勢をより低く保ち、風の抵抗を減らす。真っ直ぐに、ゴールラインを目指して、私は地面を蹴り出した。

『スマートファルコン!スマートファルコンが抜けた!ハルウララが並んでいるぞ!ファストアロー後続から仕掛けてきた!..』

ウララちゃんもそれに合わせるように加速して、その差をすぐに埋めてきた。

...ああ、楽しいな。

2人で走る先頭は、音も、色も、何もない真っ白な空間で、私達だけの呼吸音だけが聞こえていた。そんな景色に、雑音が入る。

痺れるような痛みが、右膝に走り出した。脚が、止まりそうになる。

一瞬の迷い、遅れ、それを私は噛み殺す。

痛い。痛い。痛い。意識が、飛びそうになるほど、痛い。

...けど、そんなことは、初めから分かってた。

痛みも、後悔も、悔しさも、全部、全部、全部、

この直線に、置いていくんだ。

「っぁぁぁぁぁぁあ!!!!」

痛みを、苦しさを、吐き捨てるように叫んだ。残っている力を、全て出し切る。右脚の蹄鉄を鎮める。最後の加速。錆びている車輪が、また動き出した。それは止まることはなくて、きっと、その時の私は今までで1番速く走れたと思う。

『スマートファルコン!強い!強いぞ!もうゴールは目の前だ!』

自分の全てを出し切って走った。後悔も、言い訳もできないほどに、全てを出し切って...

だから、私は嬉しかった。目の前に、その背中があることが。

嬉しくて....悔しくて、仕方がなかった。

ゴールまで数メートル。...ああ、終わってしまう。

...ねぇ、ウララちゃん、私さ...いつかね...

また、ウララちゃんと走りたいな。

『いや!ハルウララ抜けた!抜けた!抜けた!先頭はハルウララ!ハルウララ!JBCスプリントを制したのはハルウララだぁー!』

その時に見た、小さくて、なのに、どこまでも大きい背中を、

世界中の誰よりも強い、そのウマ娘の背中を、

私は一生忘れない。

 

 

 

 

 

ずっと、誰かの背中を見てきた。みんなに置いて行かれて、前には常に誰かいて、それでも、いつか勝てるんだって信じて、走り続けてきた。何度も、何度も負けて、負け続けて...それでも。

私は、今、先頭を走っている。

呼吸することが、脚を動かすことが、苦しくて仕方がない。自分が何故走れているのかもわからない。それでも、私は、ファルコンちゃんの横を、走っている。

楽しくて、仕方がなかった。

ファルコンちゃんが加速して、それに追いついて、また加速して、追いついて...何度も、何度も、私達は並んだ。キツくて、苦しいのに、その時間が、永遠のものになればいいとすら感じた。

...けど、わたしは約束してしまった。

お母さんに、お母さんの娘は..私は、強いウマ娘であることを見せると

キングちゃんに、燃え尽きるような走りをすると

ファルコンちゃんに、全力でぶつかると

ライスちゃんに...トレーナーに、もうこれ以上負けないと、ずっと、ずっと約束している。何度も、何度も裏切ってきた。その度に、たくさんの涙を、流させてしまった。...もう、そんな思いをさせるのは、嫌だ。

だから、私さ、勝たないといけないんだ。

もう無理だと、そう言わんばかりに止まりそうな脚に、最後の力を込めた。これが、最後の加速になる。

思いっきり、私は地面を蹴り上げた。少し前を走るファルコンちゃんを、追い抜いた。風が、音が、全てなくなるほどの加速。

...限界のその向こう側は、何もない、私だけの世界が広がっていた。

その日、私は初めて、G1という舞台で、先頭に立ち

たくさんの約束を、守ることができた。

 

 

 

 

 

世界が、止まったのかと思うような、一瞬の静寂。そして、それが現実であると認識した瞬間、会場は声援で、溢れんばかりの歓声で包まれた。私は、乱れる息を、真っ白になりそうな頭を、懸命に落ち着かせようとした。

電光掲示板には、アタマ10番...タイム、1分10.6

私の、番号...そして、私の、ベストタイム。

「...勝ったんだ..私。」

信じられないとばかりに、口をついてでた、そんな言葉。

だって、そうだよ、こんなにもたくさん強いウマ娘がいるのに、私なんかが...

「おめでとう、ウララちゃん。」

ファルコンちゃんのその言葉が、自己否定しそうになる私を、無くしてくれた。

「...本当に、おめでとうございます、ウララさん。」

キングちゃんも、少し悔しそうな表情をした後に、私にそう言って笑いかけてくれた。

「...まるで、2人だけの勝負でしたわ。..悔しいですが...完敗、ですわね。....けれど、こんなにも素晴らしいレースを、こんなにもそばで見れたことを..本当に、光栄に思えます。...ですから」

そこで言葉を区切って、キングちゃんは私とファルコンちゃんを交互に見た。そして不敵な笑みを浮かべて

「またいつか貴方たちにリベンジを。」

そう言い残して、キングちゃんはコース場を後にした。

「...またいつか、か。」

その言葉に一瞬悲しそうな表情を浮かべて、けれどそれをすぐに笑顔に変えて、ファルコンちゃんは私の方に向いた。

「ね、ウララちゃん。」

そう語りかけるファルコンちゃんは、とても優しい表情をしていた。

「...ありがとね。私と、走ってくれて。」

そして、私を優しく、抱きしめてくれた。 

違うよ、ファルコンちゃん、感謝するのは、私の方なんだよ。

こんなにも私が速く走れたのは、ファルコンちゃんがいたからなんだよ。私が限界を越えられたのは、ファルコンちゃんと競えたからなんだよ。...そう、伝えたいのに。

言葉が、涙で、出てこない。

歓声が、拍手が、私達を包んでいく。

コース場で泣くのは、もう何度も経験した。

けど、こんなにも嬉しい涙を流したのは、生まれて初めてだった。

もう冬だというのに、溢れるような熱気に包まれながら

その日、私はG1という舞台を制した。

 

 

 

 

 

 

ウィナーズサークルに彼女が立つ前に、私はコースを後にした。控え室へと続く廊下を、できるだけ進んで、壁にもたれた。

「...もう、いいよね。」

出口まで、距離はある。もう、誰に見られることもない。

私は、崩れるように床に腰をつけようとした。歩くだけでも精一杯だった。痛みすら感じないほど、私の右足は、歩くという感覚すらも失っていた。

床は思ったよりも硬くて、打ちつけた腰が少し痛かった。

しばらく床に座って、ぼーっとしていた。

遠くから、かけてくるような足音がした。振り返ると、いつものように優しそうな表情ではなく、焦りと後悔のような表情を浮かべた彼女が..私のトレーナーが、走ってきていた。

「ファルコン!」

彼女は、駆け寄ってくるなり、すぐにわたしを抱きしめた。

「...ごめんなさい、ごめんなさい...やっぱり、こんな状態の貴方を、出すべきではなかった!ごめんなさい!ごめん..なさい!」

そして、震える声で、私にそう謝り続けた。

「...そっか。トレーナー、知ってたんだ。」

うまく、隠してきてるつもりだった。けれど、彼女には、お見通しだったらしい。...それでも止めないでいてくれた事を、私は心から感謝している。

「ありがとね、トレーナー。私を、この舞台に立たせてくれて。」

震える彼女の手を、私はそっと握りしめた。

「...私さ、幸せだったんだ。ウララちゃんと、一緒に走れて、最後に、最高の走りができて、本当に嬉しかった。...だからさ、お願い。」

私は、トレーナーを、優しく、優しく抱きしめて

「..もう、泣かないで。」

泣き続ける彼女に、そう、微笑みながら語りかけた。

その日、初めて私は、ウィニングライブに出る事なく、レース場を後にした。

 

 

 

 

「..ウララちゃん、嬉しそうだったなぁー。」

トレーナーの肩を借りて車にのって、病院に向かう道の途中、私はそう呟いた。

そんな私の呟きに、彼女は優しく、そうね、とだけ返して、運転を続けていた。

強かった。本当に、痺れるような走りだった。

それを実現するほどの練習量を、あの子は、あの小さい体でこなしてきた。それが、どれほど辛くて過酷なことか、きっと、それはあの子にしかわからない。

...報われたんだね。

その努力が、報われてくれたことが、素直に嬉しかった。嬉しくて、嬉しくて仕方がない....だけど、ああ、それなのに、

悔しいな。

全部を出して、痛みを噛み殺して、命をかけて走って、届かなかった。

私は、敗北した。

悔しい、そう思った瞬間に、止めどなくでてくるものを、私は懸命に堪えようとして

「...ファルコン、我慢は、もうしなくていいのよ。...もう、十分に頑張ったんだから。」

けれど、トレーナーのその言葉で、もうダメだった。

声にならない声で、私は泣いた。声が枯れるまで泣き続けたのは、初めてだった。

それを、何も言わずに黙って聞いていてくれるトレーナーの優しさに私は甘えて、ただひたすらに、泣き続けたのだった。

冬の夕方は暗くて、車の外は、まるで夜のようだった。

「冷え込んできたわね。」

病院について、車を停車させたトレーナーはそういうとコートを私に渡した。

「...その格好のまんまだと、寒いわよ。」

そういう言って彼女は微笑み、私に優しくコートを着させてくれた。

肩を借りながら、ゆっくりと病院の中に向かう。

外はとても寒くて、はやく中に入りたかった。

そんな私を嘲笑うかのように、冷たい風が吹く。

 

 

JBCスプリント 1分11

私のレースは、これが最後となった。

 

 

 




今回少し短めです!展開をどうするか迷いに迷って結果こうなりました!
皆さんのお考えに添えてるかわからないんですけど、自分的にはこうするのが1番納得する展開です。
この後のストーリー展開が作れてなくて、とりあえずここで一旦投稿するという形になります。引き続き応援してくれると嬉しいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

その背中を見た者達。

投稿遅れましたすみません!
フェブラリーステークスの日程を変えてます!



スマートファルコンの引退は、レースの一週間後に発表された。

ウララとファルコンの激闘を称えたインタビュー、テレビ番組や新聞記事は一変して、ファルコンの電撃引退のものに変わっていた。

そんな現状を、俺は極力避けないように見続けた。

それが、ファルコンを止めなかった俺ができる唯一の向き合い方であると考えたからだ。

「...ウララちゃん、今日も練習きてないね。」

「ああ...そうだな。」

ウララは、ファルコンの脚の故障のことを知ってから、練習に顔を出さなくなった。練習どころか、授業にも出ていないことが多い。どこかに出かけているのか...寮を空けていることもしばしばある。ライスも部屋を訪ねてはいるそうだが..ウララは、いろんな理由をつけて練習への参加を断ったそうだ。もちろん、俺への連絡もない。...けれど、ウララがそうなった理由は、ほぼ確信をもって理解できている。

誰かの笑顔が見たくて、走り続けた彼女。そんな彼女が、自分と走ったレースで...もしも、ウララにとって大切な誰かが、二度と走れなくなるような怪我を負えば、それは..ウララにとって、あまりに辛い出来事なんだと思う。

先週から同室になったキングヘイローに様子を聞いたが、表向きは元気な様子だそうだ。...けれど、レースの話をしようとすると、途端に話さなくなると、そう語るキングヘイローの口ぶりは、まるで愛しの我が子を心配するかのようなものだった。 

俺は、そんなウララにどう接すればいいのか、わからなかった。

大切な人を、自分のせいで傷つけてしまう。

それが例え思い込みだとしても、それでも本人からすればそれは変えられない事実で...そんな辛い現実を見ている彼女に、慰めなんてきっと意味がない。...ファルコンに、何もできなかった時と同じだ。

俺は、何も決められない。

「...うるせーな!」

ファルコンの引退に関する報道番組が流れるテレビ番組を、俺は苛立ちげに消した。...結局、向き合うなんていっても、ただの独りよがりなのだ。少し感情が制御できなくなれば、このざまだ。

ライスが、びくりと体を震わせ、俺の方を恐る恐る見てくる。

そんな彼女に俺は、小さくすまんとだけ伝えて、

「..少し、外の空気を吸ってくる。」

重い空気がたちこもっているトレーナー室を後にした。

 

冬はだいぶ本格的になってきていて、昼間なのに寒さで体が震えてくる。俺はなんとなしにダートコースに足を運んだ。昼間、普段なら、生徒達は勉学に励んでいる時間だが今日は土日だ。たまの休日をたしなんでいる生徒も多いだろう。俺は、誰もいないコースを、コース外のベンチからぼーっと眺めていた。

「...あら、トレーナーさん、1人で黄昏れて、どうされたのですか?」

そんな俺を、気品のある声音で挑発してくるウマ娘がいた。

...キングヘイローだ。

「...別に、黄昏れてなんかいませんよ。ただ、外の空気を吸いたくなっただけです。」

「そうですか、なら私も失礼しますわ。」

そう言って、彼女は俺の隣に腰掛けた。

「...やっぱり、ウララさんは今日も練習には参加されないのですね。..呆れますわ。」

そう語る彼女の横顔は、呆れというよりも寂しさを感じているような、そんな表情をしていた。

「...すみません。」

そんな彼女に、俺は素直に謝った。ウララが今ここにいないのは、何よりも監督者である俺の責任だ。...勝者がこんな姿じゃ、敗者となった彼女達が、報われない。

「なぜ、あなたが謝るのですの?」

そんな俺の謝罪を、キングヘイローは嘲笑うかのように否定した。

「あなたの独りよがりの謝罪なんて、私は聞きたくありません。」

「...そいつは、どーも。」

キングヘイローのその口ぶりに、俺は思わず口調を強めてしまった。

「...ふふ。やっぱり、私は素のあなたの方が好きですわ。」

キングヘイローは俺の口調を咎めるどころかむしろ嬉しそうにそう言うと、一つ大きな伸びをした。

「あの時、私は勝負の土俵にすら上がれませんでした。」

そして、まるで懐かしむかのように彼女は、遠い空を見上げながら語り出した。

「2人だけの世界、2人だけのレース。...場上適正なんて、言い訳にならないぐらいの、敗北。」

そこで彼女はうつむき、悔しそうに唇を噛んだ。

「思い出しただけでも...腑が、煮え繰り返りそうなほど腹立たしいですわ。まるで、私の全てを、否定されたかのような、私の走りを、嘲笑うかのような、そんな光景...それが、どれほど悔しい光景で..美しい光景だったか。...どれだけ、その光景に憧れたか...。」

そして、俯いていた彼女は、どことなく悲しそうに笑った。

いつものような、高飛車な笑い方ではない、本当に、悲痛な笑みだった。

「次のフェブラリーステークス。私は、走りますわ。...そして、そこでウララさんに勝ちます。」

けれど、その笑みをすぐに消して、キングヘイローは宣言した。

「...敗者が...私が、彼女の走りからどれほどのものを学んだのかを...どれほどの強さを感じたのかを、今度は、私が彼女に教える番です。」

その時のキングヘイローの瞳は、ウララが決意を決めた時と同じような、そんな真っ直ぐな想いを持った光を宿しているように感じた。

「田辺さんには、また迷惑をかけてしまいますわね。」

小さくそうつぶやいて、キングヘイローは立ち上がった。

彼女は、俺の前にくると両手を組んで俺を見下しながら、今度はいつもの、高飛車な笑い声を上げた。

「オーホッホホ!あなたもせいぜい観客席から見ているがいいですわ!私の華麗なる走りを!」

そう、高らかに語る彼女からは、いつも感じるはずのうざったさはなくて...何故だか、今の俺には、その傲慢とも呼べる自信が、とても眩しく、鮮明に映った。

「...ですから、ウララさんにも最高の走りをまたしてもらわないと困るのです。...その走りに勝ってこそ、私が、あの日受け取った全てを、彼女に伝えることができるのですから。...ウララさんに、貴方の走りは、こんなにも私を強くしたのだと...伝えなければ、ならないのです。」

静かにそう語るキングヘイローは、いつものような傲慢さも、高飛車な態度も、それらがまるで嘘であったかのように純粋で、真っ直ぐな声で、ウララに対しての想いを、決意を、俺に...そして、おそらく自分自身に、伝えていた。

「さて、話し込みすぎましたわね!それでは私は、練習に行かさせていただきますわ!」

そして、キングヘイローはいつものように、高飛車に笑いながらコースに向かっていった。聞かれるのが恥ずかしくて、俺はこの胸に生まれた想いを、去りゆく背中に、小さく呟いた。

「...ありがとう。」

たった一言、俺はそう呟いて、ベンチを後にした。今から向かうところは、もう決まっている。きっと、彼女はここにいるという確信が俺にはあった。...いや、今までもあったが、それを見てみぬふりをしてきた。

..でも、そんなのはもうやめだ。あの子の辛さを、受け止める覚悟をしなくてはいけない。敗北の辛さではなく...勝つことの責任に、レースの残酷さに立ち向かう彼女に、俺は目を背けていた。怖かったから。怯えている彼女に、その心におった...きっと今までで1番深い傷を、抉りとる言葉を...もう一度走れという言葉を、かけたくなかった。

でも、もう、ウララの走りは、ウララだけのものじゃなかった。

彼女の走りで、憧れを見たウマ娘がいる。彼女の走りに、命をかけたウマ娘がいる。

その事実を目の当たりにして、俺は、もう迷わなかった。

彼女は苦しんでいる。今までよりも、辛い現実に、起こってしまった悲劇を、その一身で受け止めて、傷ついている。

だからこそ、俺は伝えなくてはならない。

キングヘイローが、走りで応えるように。俺は、俺なりのやり方で。

トレーナー室に戻ると、まだライスが残っていた。

「あ、トレーナーさん..その、大、丈夫?」

さっきのこともあったせいか、恐る恐るライスがそう聞いた。

「...ああ、大丈夫。..もう、大丈夫だよ。」

だから、俺も極めて優しく、ゆっくりと、自分に言い聞かせながら応えた。

「...そっか。トレーナーさんが大丈夫って言ってるんだから、大丈夫だよね!」

ライスは、俺に撫でられたまま嬉しそうに、笑顔でそう言った。

ウララに会いにいくために、荷物をまとめる。

財布と携帯、トレーナーカード...ウララの、担当トレーナーである証。

たった一枚のカード、それが、こんなにもいろんな物を詰め込んで、俺の手に重たくのしかかっている。

それを俺は、包み込むように握って、そっと胸ポケットへとしまった。

「いってきます。」

「...うん、いってらっしゃい。」

どこに行くのかなんて、彼女にはお見通しなのかもしれない。優しい笑顔で送り出してくれたライスを見て俺は、最後の覚悟を決めた。

 

 

 

 

 

電車に乗り、俺は訪れるべき場所にきた。

東京第二病棟トレセン学園前。

ここは、トレセン学園に所属している間に負傷したウマ娘達が手術、あるいは入院などの手当を専門的に、比較的安価で受けることのできる場所で、スマートファルコンはここに入院している。

...俺が、1番恐れている場所だ。

どんな顔をして、ファルコンに会えばいいのかわからなかった。

彼女をあの時止めなかった自分の判断を、否定したくなかった。

俺は...なによりも、その現実を受け入れたくないのだ。

彼女が、もう二度と走れないという現実、レースに出れないという現実...ウララと、走れないという現実。それが、あの時止めなかったことによって生まれたという、現実。

その一つ一つに向き合う勇気も、覚悟も、俺にはなかった。

けど、今はもう違う。

ウララが、もう一度走れるようになる為に...ウララの走りから、想いを受けた者たちの為に...俺自身が、向き合わなくてはならない。

独りよがりな向き合い方じゃない。真っ直ぐに、その現実を目の前にしてもなお、後悔しないという覚悟を、俺はしなくてはならないのだ。

真っ直ぐに、廊下を進んでいく。そして、608号室、スマートファルコンが入院している病室の前に、俺は足を運んだ。

手が、すくんでしまう、足が、すくんでしまう。これほどまでに自分は小心者だったのかと、呆れるほどだ。...だけど、そんなことはもう言ってられない。

あの子が逃げ出したように、俺も逃げ出していた。向き合うことをせずに、自分勝手に責任を負ったつもりで.....そんなことは、もう、絶対にしない。

手をかけた扉を、優しく開いた。

その力に迷うことなく従い、扉は横に動いた。

「...トレーナー、なんで...」

目の前には、ギブスをその足に巻き、ベッドに横になっている彼女と、それを悲痛そうな目で見つめる、怯えたような様子の少女がいた。

そんな彼女を見て俺は..

「...よ、久しぶり、だな。」

自分でも驚くほど優しく、彼女に微笑んだ。

 

「今日も、来てくれたんだ。いつも、ありがとね。」

「ううん!全然!ウララ、ファルコンちゃんのお見舞いくるの好きだもん!今度はね、農家のおじちゃんからにんじんたくさんもらってくるから、ファルコンちゃんにあげるね!」

私は、学校を休んでよくファルコンちゃんの病室に来ていた。

あの日のレースの後、ファルコンちゃんの怪我のことを知った。どうしてここまでの怪我を負っているのかも、ファルコンチャンのトレーナーさんから聞いた。詳しい事情は、最近の報道でもう知ってしまっている。...ファルコンちゃんは、もう、走ることができない。

「...あの子は、初めからこうなる覚悟で、貴方と走ったの。だから、あなたが責任を追う必要はないわ。」

トレーナーさんはそう言ってた。...でも、それでも、ファルコンちゃんが走れなくなった事実は...私と走ったせいで、走れなくなってしまったという事実は、変わらない。...変えたくても、変えようがない。

だから、これが私にできる償いなんだ。

「...ねえ、ウララちゃん、最近、練習の調子はどう?」

「あ..うん!いい感じだよ!トレーナーも褒めてくれてるから!えへへ!次のフェブラリーステークスも、頑張って1番取るぞー!」

「そっか。うん、ならいいんだ。」

ファルコンちゃんは、私がお見舞いに来ると、必ずそう聞いてくる。

だから、私も決まってこう答えている。

けど..本当は、走ってなんかない。人生で、初めて嘘をついた。

もう、私に走る権利なんてない。だって...

私が、ファルコンちゃんの全てを奪ったから。

私の走りが、彼女の夢も、希望も、全部、全部、壊してしまった。

だから..私はもう走らない。もう..走れない。

「...ファルコ、ウララちゃんの走ってる姿、大好きなの。だからさ、こうしていつも来てくれて、練習のこととか話してくれるの、本当に感謝してるの...ほんとに、自分で走ってるみたいな気分になるからさ。」

そう嬉しそうに語るファルコンちゃんを見ると、胸が痛くなる。

本当は、走りたいはずなんだ。

センターに立って踊りたいはずなんだ。

それなのに、彼女の脚には、たくさんの包帯が巻いてあって、歩くことすらできなくて...私は、私は、

「...ファルコンちゃん..」

きっと、こんなことを言っても、何も意味がない。そんなことは、自分が1番わかってる。それでも、もうこの罪悪感に苦しめられるのは嫌だった。苦しくて、悲しくて仕方なかった。

私の言葉の続きを、彼女は待ってくれている。だから、もう言ってしまおうと、そう思って、私は口を開いた。

けど、言葉が出ることはなかった。..彼の、見たこともないぐらい優しい笑みが、私の言葉を遮った。

「...よ、久しぶり、だな。」

怒るわけでもなく、嫌味を言うわけでもなく、彼はそう言って私の隣に来た。

「...ファルコン、元気にしてるか?」

「まあ、ぼちぼちね。でも、こんなんじゃファルコ、まともに歩くこともできないから、ほんとに不便だよ!トイレに行くのも精一杯だもん!」

「ほほう、ウマドルはトイレに行くのか?」

「あ!...ちが、行かないよ!トイレ!ファルコ行かないからね!」

トレーナーはファルコンちゃんと何気なく、楽しそうに会話していた。

久しぶりに聴くトレーナーの声は、とても懐かしくて、暖かく聞こえた。

「ねね、トレーナーさん!ウララちゃんは最近どうなの?いい感じに仕上がってるー?」

「!?あ、ファルコンちゃん!えっと..」

ファルコンちゃんが、1番聞いたらダメな質問を、トレーナーにぶつけてきた。なんとか私はそれを誤魔化そうと言葉を探したけど、言い訳が思いつかなかった。

「...ああ、いい感じだよ。物凄くな。」

「!?」

けれど、トレーナーはそう答えてファルコンちゃんに微笑んだ。

「だから、安心しろ。...ウララは止まったりなんかしないから。」

「...うん、そだよね。トレーナーさんがいうなら、間違い無いね。...うん、本当に、安心した。」

そのトレーナーの言葉に、ファルコンちゃんは頷いて、優しい笑みを浮かべていた。

なぜ、ファルコンちゃんはここまで私に走って欲しいのだろう。何故、私を責めないのだろう。なんで..私の走りが好きなんて、言うのだろう。あの時私が約束なんていって、ファルコンちゃんと握手しちゃったから、何も知らずに、レースに出ちゃったから、ファルコンちゃんは傷ついてしまったのに、どうして...

「ファルコさ、本当に後悔してないんだ。レースに出たことも、その結果こうなってしまったこともね。」

体を起こしてギブスを巻いた脚をさすりながら、ファルコンちゃんはそう語った、

「...あの時、最後の、ほんの数メートル、ウララちゃんの背中が見えた時にね、嬉しかったんだ。もちろん、それと同じくらい悔しいんだけどさ...ただ、ファルコのライバルが、ちゃんと強くなってたことが、ウララちゃんの頑張りが報われたことが、ファルコには、まるで自分のことの様に感じちゃってね...。それから、また一緒に走りたいなって、そう思った。」

ファルコンちゃんのその言葉は、私の胸にナイフのようにささった。

叶うことのない願い、それが、彼女の口から出た時、私は、罪悪感で今にも押しつぶされそうだった。悔しさで、申し訳なさで、体が震える。

「...だからさ、2人にはちゃんと伝えておこうと思ってさ。」

そして、ファルコンちゃんは私達2人の目を交互に見て、とびっきりの笑顔で、こう言ったのだ。

「ファルコを...私を、最高の舞台で走らせてくれてありがとう!」

その言葉で、私はもう我慢できなくなってしまった。

「...!違うよ!全然、全然違う!私は感謝なんかされちゃダメなの!私がファルコンちゃんに、約束なんてしたから!わたしが...走ったりなんてするから!ファルコンちゃんは、ずっと、ずっと苦しんで...なのに!」

溜め込んでいた想いは、一度言葉にすると止まらなくて、私はファルコンちゃんの言葉の全てを、否定しようとした。

わからない。何もかもわからない。

「私のせいで!私のせいで!私が!」

うまく言葉がでてこない。言いたいことがまとまらない。けど、私が悪いんだ。私のせいで、私のせいで、私の....

「ウララちゃんは、優しいね。」

まるで幼い子供みたいに喚いてた私の頭を、ファルコンちゃんはそっと撫でてくれた。その手は、私のお母さんみたいに暖かくて、優しかった。

「...ずっと、辛い想いしてたんだよね。...ごめんね。」

悲しそうに、ファルコンちゃんはそう続けて、私の頭を撫でてくれていた。

「なんで、ファルコンちゃんが謝るの!あやまるのは」

「...でもね、違うんだよ、ウララちゃん。」

謝るのは私。そう言おうとした私の言葉を、ファルコンちゃんは遮った。

「ウララちゃんがあの時、ファルコに全力で走ろって言ってくれて、私、すごく嬉しかった。スプリンターの頂点を決めるレースで、一緒に先頭を走れて嬉しかった。....そのどれもが、ウララちゃんが、居てくれたからできたことで、ウララちゃんが走ってくれたからできたことで...それからさ、ウララちゃんが教えてくれたからなんだ。」

そう語り続けるファルコンちゃんはとても優しい表情で、私に笑いかけてくれた。

「...教えるって、そんなの、私、何も教えたことなんてない...いつも、みんなから教えてもらって、与えてもらってばっかりで、私は、何も」

「やっぱり、自覚ないんだね〜。...ウララちゃんはね、教えてくれたんだよ。初めてファルコと走った時から、ずっと教え続けてくれたの。...走ることの、楽しさを。」

「...走ることの、楽しさ?」

走ることの楽しさ。そんなの、私がいつファルコンちゃんに教えたと言うのだろう。

「そ。走ることの楽しさ...初めて走った時から、ファルコが、ウララちゃんの背中を見たあの日まで、ずっとそう。ウララちゃんの、その全力の走りはね、ファルコに...ううん、きっと、ファルコ達にさ、教えてくれるんだ。全力で走ることの楽しさを。熱くて、燃えるような高鳴りを、その走りで、伝えてくれる。その度に、私達は強くなれるし、ワクワクが止まらなくなる。...走ることが、楽しくて仕方なくなってくる。」

だからさ、そう続けたファルコンちゃんは、私の目を見て

「ウララちゃんにはさ、笑顔で、全力で走ってて欲しいんだ。...その姿を見るだけで、ファルコは本当に笑顔になれる。また走ろうって、諦めないぞって思えるんだ。...だから、お願い、笑って?」

そう、笑顔で、真っ直ぐな言葉で語った。

目から出てくるものを、堪えることすらできなかった。耐えてきた罪悪感が、後悔が、その言葉によって、少しづつほぐれていく。

「...今はまだ、怖いかもしれない。」

隣に座っているトレーナーが、そう口を開いた。

「それでも、ウララ...お前の走りは、もうお前だけのものじゃないんだよ。...だから、その責任を背負う覚悟が、必要なんだ。」

涙を拭こうと俯く私の頭に、そっと手を乗せながら、トレーナーは続ける。

「例え、ウララの走りで傷つく相手が生まれたとしても、その自責の念に耐えれなくなったとしても、諦めたらダメなんだ。...自分を否定したら、ダメなんだよ。だって、それは」

そこで言葉を区切り、トレーナーはファルコンちゃんの方に目を向けながら、優しく私の頭を撫で続けてくれた。

「...それは、こいつらの夢を、希望を、否定することと同じなんだから。」

そう語るトレーナーの言葉は力強く、けれどどこか優しい響きをしていた。

「お前の走りに、憧れた奴がいる。お前の走りで、無我夢中になれた奴がいる。...そいつらはみんな、お前の走りが大好きで、大好きで仕方がないんだよ。....だから、そいつらの大好きなものを、否定なんてしたらダメだ。」

私の走りに憧れた子がいる、その言葉を聞いても、私には自覚がなかった。...けれど、それでも、嬉しかった。

嬉しくて、けどまだわからないことだらけで、感情が整理できなくて、私はその日、ファルコンちゃんの病室でずっと泣いてしまった。

しばらくしてファルコンちゃんの担当のトレーナーさんが病室に来て、私のトレーナーが迷惑になるからここで帰ろう、そう私に伝え、手を繋いで病室を後にした。

結局、お見舞いどころか、私はただファルコンちゃんの病室で泣き喚いて終わってしまった。

「...落ち着いたか?」

「...うん。おかげさまで。」

病院の出口の近くにある自動販売機でジュースを買って、トレーナーはそれを渡しながら自動販売機の前にあるベンチに腰掛けた。私も、トレーナーの隣に座って、買ってもらったにんじんジュースを一口だけ飲んだ。

冬の病院の室内は暖房が効いて暑いくらいだったから、キンキンに冷えたにんじんジュースはとても美味しく感じた。

「おいしい。」

「...そか、そりゃよかった。」

思わず口からこぼれたその言葉に、トレーナーは優しく微笑んでくれた。

「...ねぇ、トレーナー。私さ、まだわからないの。...ファルコンちゃんが、私の走りをあそこまで好きでいてくれる理由。ファルコンちゃんが、私に怒らない理由。...まだ、曖昧で、うまく理解できなくて...ほんとに、嫌になっちゃうよ。」

わからなかった。ファルコンちゃんが言っている言葉の意味を、私はきっと全然理解できてない。そんな自分の間抜けさが、嫌になってしょうがない。

「トレーナーが言ったこともね、何にも自覚なくて、そんなこと意識したこともなくて....それでもね。」

私は、きっとまだ何もわかってない。トレーナーが言ったことも、ファルコンちゃんが言ったことも...だからこそ、もうするべきことは決まった。

「...それでも、私は走らないといけないんだって事は、わかったよ。」

トレーナーの目をまっすぐに見て、震える言葉を鼓舞して、伝えた。

「まだ、走るのは怖いよ。...誰かが傷つくのを見るのは、敗北よりももっと辛くて怖いよ...けどさ、私、私ね、それ以上に、その怖いって気持ちから逃げて...トレーナーが言ったみたいに、ファルコンちゃん達の気持ちを否定するのは...それだけは、絶対にしたくない。まだ、信じられないけど...私の走りが、ファルコンちゃんや他の誰かにとって、勇気が出るものなんだったら、かけがえのないものなんだったら...私は、走るよ。...もう、逃げたりなんか、したくない。」

走る資格が、私にあるなんて、今でも思えない。

けど、それでも、私は走ることを選んだ。

私の言葉を、トレーナーは真剣な趣きで聞いて、そして

「...まあ、お互い様だよな。」

そう言って、私の目を見て、微笑んだ。

「...お互い、様?」

なんのことだろうと思って、私は首を傾げた私に、トレーナーは無言で頷いた。

「...ファルコンが、お前と走って...あの怪我を負ったのには、俺の責任もある。...彼女を、止めることはできた。けれど、俺は自分の意思で、お前と走らせる選択を許容したんだ。...怪我のことも、知った上でな。」

その選択を、間違ったとは思ってない、そう語るトレーナーの目は確信を持っていて、心から信じていると言うのが伝わってくる。

「彼女の意思を、想いを尊重したこと。...それは、俺にとって誇るべきことだと、その時までは思ってた。...けど、レースが終わって、怪我が発覚して、いざそれと向き合うってなったら...俺は、怖くて仕方なくなっちまった。俺の選択が、俺の行動が生んだ現実に、向き合うことができなかった。...だから、お互い様なんだよ。」

そう言って少しだけ悲しそうに笑ったトレーナーは、私の頭に手を置いた。

ぶっきらぼうに撫でるその手は、とても大きくて、あったかい。

「今日は、よく私の頭なでてくれるね。」

「...うるせ。」

そんなトレーナーを少しからかってみると、彼は少しだけ頰を赤てそう答えた。

そんな様子を見て、私は久しぶりに笑顔になれた。

「...私、走ってもいいんだよね。」

「ああ、走らなきゃ、ダメだ。」

「...うん、そうだよね。...うん。もう、大丈夫。」

私のその不安を、トレーナーはすぐ否定してくれて、勇気づけてくれる。それが、今の私の決意を、確かなものにしてくれた。

缶ジュースが、手の体温でぬるくなる前に、私はその中身を一気に飲み干した。

「トレーナー、今日、まだ時間ある?」

「...ああ、そりゃーもうたっぷりあるぜ。」

私の質問の意図を、もう理解してくれたのだろう。

トレーナーはすこしだけ悪戯に微笑むと、ベンチから腰を上げて私と同じように、缶コーヒーの中身を飲み干した。

「...さて!そしたら、行きますか!」

そして一度伸びをして、トレーナーは私の目を見て明るくそう言った。

だから、私もとびっきりの笑顔で応えるのだ。

「うん!行くよ!訛ってるぶん、全力で走るんだから!」

走ることも、コースを見ることさえ怖くてできなかった。

それは、今も変わらない。怖いし、辛いし、自分を否定したくて仕方なくなる。...けど、私は走らなきゃいけない。

私が交わした約束だけじゃない。もう、私の走りは私だけのものじゃないんだって...なとなくだけど、わかった。

ファルコンちゃんが、私の走りを大好きだって教えてくれて、笑ってて欲しいんだって言ってくれて、嬉しかった。

私の走りで、走ることが好きになったって言ってもらえて、嬉しかった。

...だから、私はもう逃げない。

誰かが傷つくのをみることになったとしても、それでも私は

もう絶対に、立ち止まろうとなんてしない。

その嬉しかった気持ちを、大好きだと思ってくれた気持ちを...否定したくない。なかったことにしたくない。

病室から出た外の空気は冷たくて、けど、熱っていた私たちの体には丁度いいくらいだった。冬の夕方は暗くて、もう夜のようだった。

「室温、高すぎだよな。」

「そーだよね!少し汗かいちゃったもん!」

病院の暖房について、2人で文句を言い合った。そんな会話ができるほどに、私は楽になれていた。

電車にのって、学園について私は直ぐに更衣室に向かった。

そして、練習着ではなく、トレーナー室をがくれた、勝負服を着た。

「...久しぶりに、見たな、ウララがそれ着てるの。」

「えー!でもついこの間だだよ!これ着てたの!」

私はそう言いつつも、とても懐かしい気持ちを感じていた。

本当に、この服は不思議だと思う。着るだけで、やる気が満ち溢れてくる。走ろって気持ちを、生み出してくれる。...それでも、今日まではこの服を着たくなかった。それだけ、私はずっと足踏みしていた。

止まってた時間を、戻すことは出来ない。起こってしまったことを、戻すことは出来ない。

...もう、わかってるよ。だから、迷わない。

覚悟は、もうきまったんだ。私はトレーナーと共にコースの上にたった。

久しぶりのダートは、なんだか少しだけ柔らかく感じて、変な感じがした。

「...アップは、いいのか?」

「..ううん、ちゃんとするよ、アップ..でもね、1本だけ、全力で走ってみたいの。」

低いスタートの構えの私を見て、トレーナーはそう聞いた。けれど、私は今のこの気持ちを、もう抑えることが出来なかった。

「...トレーナー、ありがとね。」

「ん?なにがだ?」

「...なーいしょ!」

「あ!ちょ!」

疑問に思ったトレーナーに何も言わずに、私は駆け出した。

あの時と同じだな、少しだけ懐かしい気持ちを感じながら、私はただただ風を感じ続けた。

気持ちよかった。走ることが、こんなにも気持ちいいなんて、知らなかった。

...加速した脚が、恐怖で止まることは、もうなかった。

ただ目の前を高速で動く景色が、私の世界を作っていく。

その光景に浸りながら、私はコースを駆け抜けた。

 

その子が走る姿を見て、俺は不思議と泣き出しそうになった。

何故こんな感情になってるのか、よく分からない。

けど、嬉しかった。

もう見れないかもしれないと言う不安が、ずっとあった。

レースを出走させたことを、後悔しそうになっていた。

そんな不安を、後悔を、彼女の走りは、全て吹き飛ばしてくれる。

休んでいた雰囲気を感じさせずに、彼女は第2コーナーに入っていく。

1つ、感じたことがあった。

敗北の中、ウララの走りに、命をかけることを誓ったスマートフォルコン。ウララとファンコンの背中から様々な感情を感じたキングヘイロー。...想いを受け継ぐと誓った、ハルウララ。

走ることとは、きっと、繋がるということなのだ。

それぞれの想いが、願いが、努力が、それぞれの走りを繋いで、強くしていく。それがどんなに脆いものでも、やがて、何者にも変えられないほど強い、強靭なものに変わる...今日、俺はそう感じたのだ。

寒さをまとった風が、俺の体を強くふきつけた。

風が、強い日だった。

冷たく、寒い、いつもなら不快であるその風を、俺はその日、心地よく迎え入れていた。

 

 

「フェブラリーステークスに、出走したい、だと?」

私の発言を、田辺さんは呆れたような口ぶりで繰り返した。

トレーナー室。いつものように練習を終えた私は、次に出走するレースの変更を田辺さんに持ちかけている。

彼は、優れたトレーナーだわ。トレーニングの指示は適切だし、レースの展開を予想することにも長けている、まさに理想のトレーナーと、認めざるを得ません。

だからこそ、きっと私のこの提案に、呆れているのね。

一度、私はJBCに出走し、そして、見事に惨敗した。あの日、レースでの敗北に、私は清々しさをも感じているもの。

それほどまでの大敗を犯し、尚ダートレースに出走するなど、愚の骨頂だと、今この提案をしている自分自身ですら感じてる...それでも、私は走らなくてはならないの。

きっと、ウララさんは戻ってくる。全力で、常に前に進むあの走りで、きっとレースに戻ってくる...だったら、私は走るしかない。

「...キング、お前は、またも勝算がないレースに挑みたいと、そう俺に言ってるのか?」

そう語る田辺さんの目は、まるで私を威嚇するような、そんな目付きだった。その目に、私は怯むことなく首を横にふった。

「いいえ、違いますわ。..勝算なら、ありますとも。」

真っ直ぐに、田辺さんの目を見つめる。勝算なら、確かにあるもの。

以前の私なら、絶対に信じていなかったもの。あまりに抽象的で、確実性にかけている...それでも、私は知ってしまったの。

この気持ちが、どれほどまでに潜在的な能力を引き上げるのかを。

あのレースで、あの光景で、それを目の当たりにした。

...敗北は、悔しさは、憧れは、私の今の全てであり、力であり、

そして、1番の武器になった。

「...はぁー、似てるなぁー、ほんとに...。」

しばらく無言だった田辺さんはそう、諦めたように口を開いた。

「...似てる?それは、一体どういう...」

「いや、なんでもない、こっちの話だよ...まあ、お前が負けるつもりで走るわけじゃないってのは、十分に理解した。...けどな、それで無条件に走る...それじゃ割にあわねーぜ。」

そう言うと、田辺さんは机の上に今年のレースの戦績表を取り出し、私に見てみろと手招きをした。

「まあ、見てわかると思うが、キング、お前は今何連敗してる?」

「...4連敗、ですわね...すみません。」

その戦績表を見て、私は苛立つ気持ちを押さえ込むのに必死だったわ。

JBCを含め、最近の私に勝ちはない。その理由は、自分でも理解している。

「...これは、明らかにダートレースに出走し続けてるからだ。まあ、お前自身、それは理解してるんだろうけどな。」

田辺さんが、私の敗因を言葉にした。

JBCに出るために、3回ほどダートレースに出た。地方レース、イベントレース、規模は小さく、本来であれば勝てるようなものばかり...けれど、そのどれも、私は勝つことが出来なかった...それでも、JBCで勝てなかったのはそれまでのレースの敗因とは、訳が違う。

あの時、私が負けたのは、場上適正でも無ければ、レース運びを間違えたからでもない...単純に、実力が足りてなかった。

その事を再確認して、私はさらに苛立ち、思わず服の横に付けている自身の両拳を握りしめた。

「つまりだ、このまんま連敗が続けば、俺との契約に違反するわけだ。それは、お前も理解しているよな?」

田辺さんとの契約にはいくつかの条件があった。そのひとつに、連敗数の規定があったのを、確かに私は覚えている。

「..ええ、もう、あとがありませんわね。」

田辺さんは俯きながらそう応えた私に、だから、約束しろと言葉を続けた。

「このレース、もし負けるようなことがあれば、次のシーズンのレース、俺は、キングの出走を全て取り消す...これが、このレースに出走するための条件だ。」

それは、あまりにリスキーな条件だったわ。契約は4年間、そのうちの1年を、全て棒に降る可能性があるというのが、このレースに出るための、唯一の条件。そのあまりの恐ろしさに、思わず冷や汗がでてきた。

嫌な不快感だった。

「...俺は、お前を失いたくない。本当は、契約の条件なんかもみ消して、何連敗してでも引き止めたい程だ...それほどの才能が、お前には埋まっている。けどな、契約は契約だ。...だからこそ、このリスクを背負ってもらう。これなら、仮に負けたとしても、お前を失うリスクを俺は無くし、お前はレースに出ることが出来る...悪い条件じゃないだろ?」

不敵に微笑んだ田辺さんは、椅子に座りながら、私を試すように首を傾げてそう言った。

「...確かに、悪い条件では無いですわね。」

だからこそ私は自信を持って、そう応えるの。

「むしろ、甘すぎると言ってもいいですのよ。...この私が、同じ相手に2度も負ける?...そんなこと、絶対に許しませんわ。」

今思えば、私は幾度も敗北を繰り返してきた。短距離に変更する前、長距離レースで味わった、10度の敗北、ダートレースでの敗北、そして、JBCでの、圧倒的な、敗北。

その前に感じてきた悔しさとは、比較にならないほどの悔しさを、私はあの時感じたわ。涙を、嗚咽を、怒りを、憎しみを、憧れを、いくつもの感情を胸に、言葉に灯して、枯れるほどに、燃え尽きそうなほど、あの背中に追いつきたいと、そう思った。

....だからこそ、負けられないのよ。

自分の気持ちが、嘘ではないのだと、どれほどの感情を、あの走りで感じたのかを、彼女に、彼女のトレーナーに、田辺さんに、ファンの皆さんに...なにより、自分自身に、私の走りで、証明しなくてはならない。

私は、高らかと、優雅な笑みを田辺さんに向けて浮かべた。

「...オーホッホッホ!私は、キングヘイロー!...王に敗北は、許されませんもの。絶対に、勝ってみせますわ!せいぜい期待して見ているといいですわ!」

どの口が言うのだと、そう鼻で笑われても仕方が無い。それでも、私は胸を張って、田辺さんにそう宣言した。

この笑い方は、私に覚悟をもたせてくれるの。...本当は、負けるかもしれないという不安に押しつぶされてしまいそうだ。けれど、逃げることは、許されない。それは、今までの私を、あの子の走りを、否定してしまうことになるから。...それだけは、絶対にしてはだめなのよ。

田辺さんは、私の発言を、笑わなかった。代わりに、満足そうに頷いて、それでこそお前だ、と私の肩を叩いてトレーナー室を後にした。

「...キングを試したこと、必ず、後悔させてあげるんだから。」

トレーナー室を後にした彼に、私は不敵に微笑んでそう呟いた。

さっきまで流れていた嫌な汗も、自身を纏っていた後悔も、惨めさも、今は不思議なほど感じなかった。

これが、覚悟の力なのかしらね。

先程のジメジメとした感情の代わりに湧いてきた、溢れんばかりの情熱を胸に、私はトレーナー室を後にした。

...午後のトレーニングは、少しハードになるわね。

疼き出しそうな脚を落ち着かせて、私はゆっくりと更衣室に向かっていった。

 

あの目をみたのは、いつ以来だっただろう。

何者にも囚われない、真っ直ぐな、純粋な目。

自分の想いが、覚悟が、備わっている目付き。

それは、あの日俺が見た彼女と同じもので...

「...やめだやめだ、柄でもねー。」

昔、まだ俺が新米だった頃の...もう、失ってしまった、彼女との日々を俺は思い出そうとして辞めた。

キングがJBCで敗北した時、あいつが、どれほど影で泣いていたのかを、俺は知っている。嗚咽が、叫びが、控え室の外に響くほどに、あいつは苦しんでいた。...だからこそ、俺は自身の甘さを否定した。

やはり、間違えていたのだ。

勝てる確率が低い、確証がない、そんな中、あの子を走らせてしまった。俺の妄想を叶えるために、彼女を傷つけてしまった。

それは...あの時と同じことじゃないか。

後悔が、自責の念が、俺の心に、キングの敗北からずっと続いている。..いや、それはあの日からずっと続いているものだ。

勝って欲しい、そんな俺の自分勝手な想いが、彼女を傷つけた。

そう、今日、あの瞬間まで思っていた。

フェブラリーSを走りたい。そう口にした彼女の目には、何も迷いがなかった。なぜ、そんな目をできるのか、なぜ、そんなにも強くたち続けられるのか...そのわけを、俺はずっと分かっていた。

分かっていて、見て見ぬふりをしてきたんだ。

キングは、誰に囚われているわけでもなかった。彼女自身の意思で、あいつ自身の覚悟で、何かを成し遂げようと、必死だったんだ。そこに、俺の想いなんて関係はない。ただ、彼女の責任を、彼女の全てで成し遂げようと、必死なんだ。

俺は逃げていた。後悔や、自分を責めることで、キングの...ウマ娘達の覚悟から、敗北から、目を背け続けてきた。...けど、きっとそんな姿は...あの子は望まない。

「だからさ、間違ってないよな...ライアー。」

もう、聞こえるはずもない彼女の名を、俺は小さく呟いた。

この選択を後悔しようとする未来があるのかもしれない。この選択が、間違いなのかもしれない。...けれど、それでも、もう、

お前達の覚悟から、俺は逃げたりしない。

俺は、その日初めてトレーナーになれた気がした。

 

 




展開まだ全然ないんですけどとりあえず投稿します!
フェブラリーSは本来2月にあるレースなんですけど、それを12月の頭にあるって設定に変えてます!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

メッセージ

投稿遅れて申し訳ないです!


「これ!相当きついのですけど!」

「つべこべ言うんじゃねー!勝つんだろ!ハルウララに!だったらもっと走りこめ!はい!GO!」

「...あぁぁぁあん!もう!」

早朝のダートコース場、学園ではなく、少し離れたレース場で俺とキングは朝練をしていた。

朝練と言っても、朝練で潰す勢いのものだが...まあ、今のハルウララに勝つなら仕方あるまい。

キングが今こなしているのは1000メートル間隔にコーンをおき、俺がGOと言ったらコーンからコーンまで走り込み、次の合図まで腿上げ、スクワットを繰り返すというものだ。

メガホンを使って、俺は再びキングに合図をした。少し遅れてキングは再び元あったコーンの元まで駆け込み、土の上に倒れ込んだ。

「はぁ!はぁ!はぁ!...これは、本当になかなか、きついのですわね..」

「まあ、とりあえずお疲れ様だ。」

俺は高貴な様子などもう微塵もなくなってしまった死んだ顔のキングにエネルギードリンクを渡した。キングはそれを受け取るなりオアシスにたどり着いた砂漠の動物のように勢いよく飲み出した。

「...キング、この練習の目的、お前なら当然わかっていると思うが..」

「え、ええ!当然!分かっていますわ!...分かっていますとも。なんですの!その目は!わかっていると言っているのよ!この私が!分かってるの!」

「...まあ、一応説明しておく。」

「だからその目をやめなさい!」

俺はおそらくこの練習の目的を理解していない彼女にジト目を向けながら説明を始めた。

「いいかキング。ハルウララに勝つにはあいつの突拍子の無い仕掛けに対応しなくちゃならん。いくつかレースを見てきたが、ハルウララが勝っているレース、そのほぼ全て、仕掛けのタイミングが一致していない。..つまり、やつの走りに対応するためには一瞬の加速と判断力、集中力が必要になるわけだ。...ここまで言えば、わかるよな?」

「...ええ。つまり、判断力、集中力を向上させるために合図、そして瞬発力を上げるために、インターバルの間の腿上げとスクワットですのね。」

「流石だな、その通りだ。」

キングの回答に俺は満足して頷いた。

「フェブラリーSまでの残り期間、このメニューに加えて本練習、自習練の時間を設ける。..何か不満はあるか?」

俺は服に着いた土をはらいながら立ち上がったキングに、答えのわかっている質問をした。

「...いいえ。不満なんてひとつもないですわ。...なんですの?なにを笑いながらジロジロと...気持ち悪い。」

「き、気持ち悪いはないだろ!」

想像通りの返事をしたキングが可愛らしくて俺はニコニコしていたのだが、それを気持ち悪いの一言で片付けられたんじゃ納得が行かない。

俺は抗議しようと口を開いたが

「では、早速自主練をしてきますので。」

そう言ってキングは走り去っていってしまった。

「....笑う練習、しとかなあかんなぁー..。」

その背中を見ながら、気持ち悪いと言われた笑顔の練習をしようと、心に決めたのだった。

 

「本当に、不器用な笑顔なんだから...ふふ。」

田辺さんのあの笑顔を思い出して、私は思わず笑い出してしまった。

いつもの高貴な話し方を崩してしまったことを反省しつつ、再びスタートの姿勢をとった。

スタートとともに、イメージする。後方に控えて、ウララさんがどの位置にいるか、どの位置から仕掛けて、どこで追いつくか、そして...どこで追い抜くか。イメージして、イメージして...一度も、追い抜くイメージができなかった。

本当に、手強い相手なこと...,。本当に、めんどくさいですわ。

イメージですら追い越すことができない彼女に私は心の中で悪態をつく。けれど、少しも嫌な気分はなかった。...むしろ、イメージですら追いつかせてくれないことに、喜びすらも感じている。

「それでこそ、私も倒しがいがあるというもの!」

そう口にして、最後のダッシュを行った。ストライドを保ち、ピッチを崩さない。あくまで、合わせる。プレッシャーをかけ続けて、時が満ちれば差しにいく。繰り返した敗北から学んだ、私のスタイル。

このスタイルで、私はウララさんに勝つ。

私の走りで、貴方に教わった全てを、貴方に伝える。

きっと、こんな想いを人に聞かせても、自分勝手な妄想だと笑われる。

...それでも、笑わない人がいた。

私が倒したくて、追いつきたくて仕方がない彼女を、ずっと支えている、田辺さんに似て、ぶっきらぼうだけど優しい彼。

妄想だと、自分勝手な思い過ごしだと、笑われる覚悟で話した。

けれど、彼は一度も笑わなかった。私は、それだけで十分だった。

だから、この想いを捨てない。捨てることは、許さない。

そして、この想いを本物にするには...勝つ以外に、道はない。

最後の追い込みを終えて、空を仰ぐ。

快晴とは程遠い曇り空、それでも今の私には、とても晴れ渡って見えたのだ。

 

「ふんぬぬぬぬぬぬぬ!」

「ラストだぞ!出し切っていけ!」

「ふんぬぬぬぬぬぬぬぬぬ!!!!」

ウララは今、トレセン学園の中等部近くのダートコースで練習をしていた。

ウララがしていなかった分の練習は既に補えており、更なる強化を目指すために、俺はウララにある課題を設けて練習を行わせていた。

なにせ、次のレースで有馬記念に出られるかどうかが決まるのだ。

手をかけて損することなど、何一つとしてありはしない。俺の持ってる時間を、金を、彼女にかけ続ける。...,彼女の夢を、そして、俺の夢を、叶えるために。

「お、おわったぁぁあ〜」

ウララは走り終わるとそのままコース場に倒れ込んだ。

「ウララちゃん!大丈夫!?」

そんなウララを心配し、ライスがすぐに彼女の元に走りよった。

ウララには教えてないのだが、彼女の蹄鉄の重さをより重いものに変えている。これはレースの後半を意識して思いついたトレーニングだ。

彼女の脚質上、後半の筋力不足による減速は致命的なほどレースに影響を与えてしまう。その為の蹄鉄である。

見た目は同じだが、普段の彼女の蹄鉄二個分の重さの物を彼女には履かせている。そんな状態で普段と同じメニューをこなせば、当然普段よりも疲れが早く出てくるわけだ。

ウララはいつもよりも早い段階でバテてしまい、コース上で沈没してしまっていた。そんなウララを、ライスがオロオロしながら抱き上げて、必死に水を飲ませていた。

...きっと、田辺さんはウララの走りに対抗した走りを、キングに教え込んでいるはずだ。そして、キングもその教えに応えるはず。であれば、今までのウララでは勝つことはできないというのは明らかだ。

少しでも、俺たちが逃げた分の間を埋めるには、強引にでも結果を出す方法でないといけない。

キングに、約束してしまったのだ。全力のウララと闘わせると。

ウララの覚悟に応えると、約束しているのだ。

それに応えるために、少しだけでも打てる手は打ちたい。

ここまで積み上げてきたものを、無駄にしないために。

それぞれの想いを、失わないために。

ウララに、限界を超えて欲しい。

「ウララ...お前も、そう思ってくれてるよな。」

地面から起き上がり、よーし!と気合を入れ直している彼女をみて、俺はそう小さくつぶやいて微笑んだ。

きっと、彼女も同じだ。どんなに苦しくても、きつくても、きっと彼女は逃げない。だから、今も限界のはずなのに、笑顔で立ち上がり、走り出しているのだ。

「...よっしゃ!そのままもう一本いってみろ!」

「お、おぉー!」

走り出したウララにそう声をかけ、ウララも引き攣った顔で手を上げてそう答えた。

フェブラリーステークスまで、残り数週間。

彼女の、有馬出走をかけた最後の努力が、始まった。

 

 

少しアルコールが漂う廊下を、俺は真っ直ぐに歩いていく。エレベーターに入り、彼女の病室の前まできた。

軽くノックをして、声が帰ってくるのを待つ。しばらくして、どうぞー、と軽快な声がしたから、俺はドアを優しく開いた。

「お、ウララちゃんのトレーナーさん!なになに?またファルコのお見舞い?」

「ああ、まあ、そんなとこだよ。」

俺の顔を見るなりいつもの楽しそうな笑顔になって彼女は病室に迎えてくれた。

座って座ってと手招きをして、彼女は俺に丸椅子を差し出した。

俺はそれに一言礼を入れてから座り、手に持っていた鞄を膝の上に置いた。

「足の調子、少しは良くなったか?」

「うん!来週にはギブスとれるんだって!よーやくファルコ、お風呂に入れるよ〜、ほんとにこのギブスの中、気持ち悪くてさぁ〜」

そう嬉しそうに語るファルコンをみて、俺は少しだけ安堵した。

このギブスが外れたとしても、もう彼女は走ることができない。

その現実は、こんなに明るく彼女と話していても、常に俺の頭の中によぎってくる。彼女と話せば話すほど、その現実が俺に襲いかかってくる。...そして、彼女はその現実に、俺なんかよりもずっと、ずっと苦しんでいる。

だから、もう謝ることなど、後悔することなど、絶対にしない。

そんなことを、彼女は望んでいない。

彼女がした覚悟を、選択を、俺如きが後悔で、同情で、謝罪で、否定することなど、なかった未来を望むことなど、あってはならない。

しばらく、楽しい時間が続いた。彼女との会話は心が和むような、そんな不思議な感覚になる。けど、それはもう終わりだ。

俺がしないといけないことは、言わないといけないことは、

「....スマートファルコン、約束する。俺は、ウララを、ハルウララを、有馬記念で優勝させる。」

この約束を、ファルコンに、俺自身の口から伝えることだ。

明るく、楽しく、その場の雰囲気だけで彼女との会話を乗り切ることはできた。ずっと、楽しい時間だけを、何も背負うことなく過ごすことはできた。...だけど、そんなのは間違っている。

彼女の想いを、願いを、唯一叶えられるのは、きっとウララだけなのだ。...だからこそ、俺が約束しないといけない。

彼女がかけた全てで、見たかった景色を、俺が叶えると、ウララが叶えるのだと、口にしなくてはいけない。示さなければいけない。

そうしなければ、彼女の全てが、報われないのだ。

だから、出走できる確率が可能性が低いこと、さらには、そんなレースで勝てることなど、非現実的だと、そう笑われることを覚悟して、そう口にした。

けれど、彼女は笑わなかった。その言葉を受けて、彼女は俺の目を見ることなく、ただ自身の手元を見つめていた。

しばらくの間、静寂が続いた。そして、彼女が口を開いた。

「...うん、約束、絶対に、約束。」

そう口にする彼女は、肩を震わせていて、表情を見なくても、彼女が今どんな顔をしているのか、俺は理解してしまった。

だからこれ以上、ここにいることはできない。

「ああ、約束する。」

そう口にして、俺は病室を後にした。

覚悟を持っていても、その未来を知っていたとしても、きっと、受け入れられない現実というものがある。

それを、受け入れて、前に進もうとしているのが、ファルコンなのだ。

それが、どれだけ辛くて、過酷なことか、きっと俺には理解できない。

だから、これでいいんだ。

俺が今できることは、彼女の覚悟に唯一向き合う方法は、

ウララを、有馬記念という舞台で、1番に輝かせることなのだ。

それは...なによりも、彼女が見たがっていた景色で...なによりも、彼女が、ウララに、とってほしい景色であるはずだから。

病室の外の空気は冷たく、それでいてどこか暖かかった。

 

 

その言葉を、私はずっと待っていたのだと思う。

ウララちゃんのトレーナーさんが、その言葉を口にした時、嬉しさと...もう、その舞台に立つことはできないのだという、変え難い悔しさで、

感情を抑えることができなかった。

彼が病室をでてからは、もう我慢の限界だった。

ただ、溢れてくる涙を、ひたすらに流し続けた。

本当は、走りたい。走りたくて、仕方がない。

誰よりも夢見てきた、その舞台に、その先頭に、立ってみたい。

ウィニングライブに立ちたい。

ファンの皆に、笑顔で手を振りたい。

...ウララちゃんと、何度でも、何百回でも、走りたい。

何度だって、どれほど時間が経ったって、私はそう思うだろう。

...けど、その夢は叶えられない。もう、どうあがいても、叶えられない。その現実を、受け入れていたつもりだった。

「はは!ダメだなぁ〜!もう!し、しっかり、しないと!ファルコ、ダメだよ!そんなこと、思ったりしたら....だめ、なんだよ...」

涙が、願ってはいけない感情が、止まらない自分をなんとかしたくて、必死に自分に言い聞かせて、両手を目に押しつけた。

それでも、どうにもできなかった。

「...走り、たいよ、私だって、走りたい...走りたいんだよぉおおぉおおお!」

声を上げて、子供のように泣きじゃくった。どれほどの時間、そうし続けたのだろう。気がつけば、もう夕方になっていたようで外はほぼ真っ暗だった。

その何もない景色を見ながら、私は思いにふけた。

自分の口からは、怖くて言い出せなかった。

その言葉を口にすれば、それは、この現実を全て受け入れてしまうことになるから。

ウララちゃんに、勝って欲しいと、私の分まで走って欲しいと、そう口にすること。それは、私が走れないということを、その辛さを、また見ないといけないということ....

だから、口に出せなかった。思っていないふりをしていた。願っていないふりをしていた。

ただ、彼女は笑顔で走ってくれてればそれでいいと、自分に言い聞かせてた。

...けど、そうじゃなかった。

彼のその言葉が、約束だと、私に誓ってくれたことが、気がつかせてくれた。

私は、願っている。

ウララちゃんに、私が成さなかったことを成し遂げて欲しいと...

有馬記念での勝利を、ターフでの勝利を、その全てを、願ってしまっていた。

だから、トレーナーさんのその言葉は、私の心を、とても軽くしてくれた。

「....もう、ファルコは..私は、そこに立てないから。だから、お願い。」

何もない景色に、彼女がターフで輝いている彼女を想像して、そして語りかけた。

「...ファルコの...私の夢を、叶えて。」

この声が、彼女に届くことはない。

けど、届ける必要は、もうない。

トレーナーさんが、約束してくれた。

ウララちゃんが、走る決意をしてくれた。

それだけで、充分だ。

なぜなら...

彼女達は、誰よりも勝ちたいと、心の底から思っていることを、私は知っているからだ。その全力の走りは、どれだけ苦しくても、前に進む走りだと、知っているから。

だから、この願いは、口にするだけで充分だ。

フェブラリーステークス、ウララちゃんが有馬記念に出れるかどうかが決まる、最後のレース。

最後の闘いが、始まる。

 

 

 

「WING RISEさん!?え!うそですよね!?あのスポーツウェアの!?」

フェブラリーステークスの一週間前、トレーナー室に若手の男と、少し白髪の生えた男性二人が訪れてきた。

前々から理事長に、お偉いさんが来るから対応するように、と言われていた為、何事かと思いながらとりあえず部屋に入れた。

そして、彼らの名刺をみて、思わず俺は叫んでしまっていた。

「え、ええ。理事長様からお話は聞いていませんでしょうか?」

「い、いえ、お偉いさんが来るから対応するようにとしか言われていませんでして...。」

困惑気味に若手の男性、(名刺には小林一茶と記載されていた。)が俺に聞いてきて、俺もそれに困惑しながら答えた。

すると年配の男性(名刺には山岸英二と記載されていた。)が大きく笑いながら、実にあの人らしいと口にしていた。

なんでも、山岸さんの話によると理事長はトレーナーやウマ娘にサプライズをするのが大好きなようで、こういう大手企業の来客などは昔から黙っているという社会人としては非常に悪い癖をもっているそうだ。

...迷惑すぎるだろ、マジで。

俺は心の中で理事長に悪態をついた。

「さて、早速本題に入らせていただきますが...」

そんな俺の思考を山岸さんが遮った。

そうだ、今は目の前のこの人達に集中しなくては...

俺は、なんでしょう?と山岸さんに焦る気持ちを抑えながら聞いた。

もしもこれが、なにか他のウマ娘が関係しているスポンサーの名前をウララがインタビューやウィニングライブで無意識に汚したなどのクレームであれば、相当な額を支払わなくてはならなくなる。

俺はそんな嫌な予感が外れることを願いながら山岸さんの言葉をまった。

「是非、我が社の方でハルウララさんの勝負服を、'特注'で作らせていただきたいのですが...どうでしょう?」

「....へ?」

だから、そんな予想もしてなかった質問に、思わず素っ頓狂な声が漏れてしまった。

「す、すみません、もう一度、言ってもらってもいいですか?」

「ええ。是非、ハルウララさんの勝負服を、我々から提供させてもらえませんか?」

戸惑う俺に山岸さんは落ち着いた様子でそう答え、契約書とデザイン画を見せてきた。

「そ、それは、つまり、率直に言うと、その、ウララの、スポンサーになるということ、ですか?」

「ええ。そうですね。ゆくゆくはそうしていただきたいと考えております。」

落ち着かないこの感情を、なんとか抑えながら俺は山岸さんにそう聞いた。その言葉を受けて満面の笑みを浮かべ、山岸さんが答えた。

「我々、WING RISEは、ハルウララさん陣営の皆様と、これから"よいパートナー"として歩んでいきたいと考えております。」

そう続ける山岸さんの目は真っ直ぐなもので、すぐにでも契約を結びたくなるほどの説得力があった。

ウララにスポンサーがつけば、これからのレース運び、物資の支給、そのどれもが楽になることは間違いない...だが..

「なぜ、ウララなんですか?」

その疑問を、思わず口にしてしまった。

なぜ、勝率が高いウマ娘が多数存在するこの黄金期の中、ウララとの契約をわざわざ直接会ってまで結びに来ているのか...

そんな疑問が、頭から離れない。

「我々がハルウララさんと契約したい理由は、主に二つです。」

頭の中の思考を、小林さんの声が遮った。

彼の声は若さゆえによく通っていて、まさに好青年といった声だ。

その声で、彼は言葉を続けた。

「まず一つ目は、ハルウララさんの人気にあります。確かに、通常、契約を結ばせていただくにはレースにおいての勝率が高くないといけません。しかし、ハルウララさんには勝率という武器はなくとも人気という武器があります。ハルウララさんに走っていただくだけで、我が社には大きな利益があるのです。...あ!いえ!決して!ハルウララさんの勝率が低いと言っているわけではないんですが...申し訳ありません。」

途中、小林さんはウララの勝率を遠回しに低いと表現してしまっていたことに気がついたようで慌てて俺に頭を下げてきた。

俺は別にその発言を気にしていなかったし、勝率が安定しないのは事実であるから顔を上げるように彼に伝え、二つ目の理由を聞いた。

正直、そんなにもウララに人気があるという事はトレーナーである俺自身自覚していなかった。スポンサーが動くほどに彼女の走りが人気を集めている事、その事実が、俺は素直に嬉しかった。

「二つ目の理由なのですが...」

小林さんはそう口を開いて、けどそれ以上を話そうとせず少し恥ずかしそうに俯いていた。

どうしたのかと怪訝に思い、俺は首を傾げ、山岸さんの方を向いた。

山岸さんは、すみませんねと頭を下げ、

「おい、小林。」

と少しだけ低い声で隣で俯く彼に囁いていた。

「..すみません、少々気持ちを落ち着けるのに時間がかかりまして...実は、その、私、ハルウララさんの大ファンなんです!」

そして、言ってしまったと顔を隠しながら彼は悶えていた。

「...はい?」

そんな彼に、俺はなんと反応して良いか分からず、思わず首を傾げて聞き返してしまった。そんな俺に、山岸さんが苦笑いしながら答えた。

「...まあ、言葉の通り、こいつはハルウララさんの大ファンでしてね、会見の時、ハルウララさんがおっしゃった、有馬記念に出走するという発言を聞いた時から、勝負服を作りたいと言って聞かなかったもんで...それとまあ、私もハルウララさんの人気と、その全力の走りに魅了されてまして...理由としては不可欠かもしれませんが、大きく言えばこの二つが、我が社の理由であります。」

山岸はそう言い終えるとどうか前向きな検討をよろしくお願いします。と、俺に頭を下げてきた。小林さんも慌てて頭を下げて、よろしくお願いしますと契約書を俺の手元に置いた。

「...理由としては、充分すぎるほどですよ。ウララの走りをそこまで買ってくれていて、私が断る理由なんてありません。」

そんな二人に、俺は微笑みながらそう答えた。

ウララの走りが大好きだ、その走りに魅了された。

そんな言葉を言われて、契約を断ることなんてできないじゃないか。

なによりも、どんな経済的な理由よりも、嬉しい言葉だった。

だから、メリットやデメリットを抜きにして、俺はこの人達と契約したい、そう心からおもった。

「ウ、ララ〜!」

契約書にサインをしようとしたそのとき、トレーナー室のドアが勢いよく開いた。

「あれ?トレーナー!この人達だれ?」

桃色の髪を元気に弾ませながら小首を傾げる彼女は、無邪気な顔で俺にそう聞いてきた。

 

 

いや、確かにこうなるという事は理解できていた。

ウマ娘の勝負服契約をする際、その担当ウマ娘と鉢合わせるというのはよくある話なのだ。

しかし、しかしだ、この小林一茶、実際にウララちゃんをこんなに間近でお目にかかれることがあろうとは、予想だにしていなかった...

この天使のような美声、思わずにやけてしまうほどの笑顔、ああ、ここは、ここは天国か...

「小林!」

「は、はい!」

山岸さんの声で、僕の思考はようやく現実に戻ってきた。

そうだ..僕はウララちゃんの声や容姿、はたまたその空気までを楽しむ前に、彼女に契約の話をしなくては..

鼻の下が伸びそうになっている自分をなんとか抑え込んで、ウララちゃんに目を向けた。その桃色の瞳に、僕が、この僕が映り込んでいる。

小首を傾げる彼女、ああ、可愛らしい。なんて、可愛らしいんだ。

....だめだ!どうしても、どうしても....

「.!.!?..」

赤面して、話すことができない!

「おい!この...はぁ、すみません、私の方から話させてもらいます。」

山岸さんは軽く俺の頭を叩いて契約書を取り出し、ウララちゃんの前に差し出した。

「我々がここにきた理由は、ハルウララさんの勝負服の製作をしたいからです。」

「....勝負服の製作?」

山岸さんの言葉に、彼女は小首を可愛らしく傾げた。

「ええ、あなたが今着ているものは量産型のものです。そうではなく、あくまで貴方だけの、貴方しか着ることができないものをつくらせて欲しいというのが我々の要望です。」

「え!それって!私だけの勝負服ができるってこと!?やったー!」

そう言うと、ウララちゃんは楽しそうに笑っていた。

ああ!尊い!

「で、ですので、今までの勝負服よりもより高い性能でウララちゃ...ハルウララさんの走りをサポートすることが可能になるというわけです。」

先程の失態をなんとか挽回させようとしたのだが...またも失態を犯してしまった。

隣で座っている山岸さんの目が痛い。...こりゃあとでこっぴどく言われちまうだろうなぁ〜。

「...ねぇ、それって、もう今の勝負服で走れないってこと?」

この後の山岸さんの説教に若干強張っていると彼女の口からそんな質問が飛んできた。

なぜそのようなことを気にするのだろうと疑問に思いつつ、彼女の疑問に答える。

「え、ええ。スポンサー契約をされるということは率直に申しますと我々のブランド名を宣伝してもらうということです。それは、レースなどで我々が提供する勝負服を着てもらって初めて成立します。つまり、ただで勝負服を提供する代わりに、レースで我々の宣伝をしてもらうというわけです...少々汚い言葉になってしまい、申し訳ありません。」

幼い彼女にもわかるように説明したのだが、あまりにも直球すぎたかもしれない。ちらりと彼女の横にいるトレーナーを見た。もし彼に不快に思われてしまえば契約はすべてなかったことになってしまう。

彼は僕の発言を特にきにした様子はなく、ウララちゃんを見つめていた。

「だったら、私契約したくない!」

「!?」

突然ウララちゃんはそう言うと嫌だ嫌だとまるで駄々っ子のように手足をばたつかせていた。

「お、落ち着け!ウララ!わかった、わかったから!その手を振り回すのやめろ!」

暴れる彼女をトレーナーさんが何とか落ち着けさせようとしていた。

「…小林、我々はいったん席をはずそう。」

「!?や、山岸さん!?」

あの契約の鬼とまで言われている山岸さんがこんなチャンスを前にして帰るなんていいだすとは…

何か言おうとしたが、彼の有無を言わさない目を前にして、僕は何も言えなかった。

「もし今後、契約をしていただけるのであれば、我々に連絡してください。いつでも、連絡をお待ちしています。」

山岸さんはそういうと失礼しますと言ってトレーナー室を後にしてしまった。そんな彼において行かれないように

僕も失礼しますと急いでトレーナーを後にした。

「や、山岸さん!どうしたんですか!契約、せっかく今日中にとれそうだったのに!」

前を歩く山岸さんの隣に並び、さっきの行動の意味を問いただした。

今日のような状況で山岸さんが引くなんてことは、今まででは考えられなかった。

「…あのな小林、勝負服ってのはな、走る彼女達の思いを、覚悟を、具現化したものだ。それには、きっと譲れないものがたくさん詰まってるはずなんだ…性能なんて、どうでもよくなるほどのな。」

小さくため息をついたのちに、山岸さんはそう語りだした。

たびたび廊下ですれ違う生徒たちを横目で追いながら、僕は、内心落胆しながら彼の言葉の続きを待った。

性能よりも思い出をとる?なにを腑抜けたことを言っているとすら感じてしまった。走ること、そしてその結果が問われるこの世界でそんな甘い考えで走っているウマ娘など、いるはずがない。

だというのにあこがれの先輩からそんな理想論が出てきたのだ。これを落胆せずにいられるほど、僕の心はできてはいない。

「まあ、お前にもこの仕事をしていればいずれわかる時が来るさ。」

内面が顔に出てしまっていたのか僕の顔を見るなり山岸さんはそう言って笑った。

「勝負服の思い出や記憶ってものはな、彼女達にとってみればずっとともにあり続けてくれる、背負い続けていられる一つの力になって、責任になって、そして、きっと勇気になるんだ。…少なくとも俺はそう信じてる。だから、彼女の急変した態度は十分に理解できる。今の勝負服に、彼女なりの大切な何かが詰まっているんだってな。

だから、今日は引き上げる。そんな大切な思い出や記憶を、俺たちの言葉で汚したらダメなんだよ。」

僕は彼の理想論を半信半疑で聞いていた。あくまで山岸さんの妄想にしか過ぎないその発言を理解しようとしてやめた。

いつか、彼の言葉が分かる時が来るのであろう。

ならば、僕はそれまで彼の背中を追い続けたい。

前を歩く背中に、駆け足で並んだ。

「…ところで小林、今日のあの態度は、なんだ?」

決意を胸に彼の隣に並ぶと、先ほどとは違った、とても冷たい笑顔を浮かべた“鬼”がそこには立っていた。

…やっぱり、ついていくのはやめたほうがいいかな。

少しづづ距離を取ろうとしたが、首根っこをつかまれてしまった。

その後、僕がどうなったのかは、言うまでもないだろう…。

 

「ウララ、お前急にどうしたんだよ。勝負服だぞ?スポンサーだぞ?なにをむきになってんだ?」

山岸さんたちが出て行った後もウララはしきりに嫌だ嫌だと手足をばたつかせていた。

急に駄々っ子モードになったウララを何とか落ち着かせて、そのわけを聞いた。

スポンサーがつけば、ウララの走る環境は今までよりもずっと良くなる。

彼女も、それは理解しているはずだ。だとしたら、どうしてあんな…

「…だって、嫌だもん。…トレーナーがくれた勝負服、着れなくなるのは…嫌だもん。」

しばらくの無言の後、彼女はそう不機嫌に答えた。

「ば、お前な、俺があげた服なんてどうでもいいだろ、それよりもだな、もっと性能の高い…」

「性能とか知らない!」

ウララの言葉を否定しようとし倒れの言葉は、彼女の大声でかき消された。

「トレーナーからしたら、たいしたことないプレゼントだったのかもしれないよ!でも、それでも私は!私は!」

彼女の声はやがて勢いを失って、諦めたように小さくしぼんでいった。

「…嬉しかったんだ。トレーナーから勝負服をもらった時、本当に、嬉しかった。勇気が出るんだ。着るだけでね、がんばれって、そういってもらえてる気がするの。…勝負服だけじゃないよ、蹄鉄も、ハチマキも、トレーナーからもらった物はね、全部、大切なものなの。誰にも渡したくない、失いたくないものなの…。だから…。」

それっきり彼女は何も言わず、うつむいたままだった。

けど、それは数秒のことで、彼女はすぐに笑顔になってつづけた。

「な、な~んてね!わかってるもん!契約、結ばないとダメなんでしょ?前から、トレーナーがお金で苦労してるっていうのはわかってたし!大丈夫!ウララ、契約結ぶよ!」

明らかにこわばった笑顔で、明るく、それでいて震えている声で彼女は言い切った。

「...はぁ、ほんとに、お前はずるいよ。」

「え!?なんで!?」

そんな彼女に、俺は心から思った言葉を伝えた。

彼女はそんな俺の言葉に驚き、ひたすら、え?え!?え?なんで?

と困惑していた。そんなコロコロ表情を変える彼女をみながら、俺は笑みを浮かべていた。

ずるいじゃないか、そんな声で言うのは。

ずるいじゃないか、そんな笑顔を見せるのは。

ずるいじゃないか、...そんなに、たくさんの想いを伝えるのは。

そんな言葉を受けて、声を聞いて、笑顔を見て、今の俺の答えは、もう決まってしまった。

また、馬鹿なことをしているという自覚はある。ここで契約を結べば、きっと経営費も、練習の質も、ずっと良くなるのだとわかっている。

それでも、俺は思ってしまった。

ああ、嬉しいなと、心から、本当に心から、そう思った。

彼女が、俺が与えたものを、本当に心から大切にしていて、勇気が出ると言ってくれて、失いたくないものなのだと、そう言ってくれて、本当に、嬉しかったんだ。

本当に、泣きそうなほどに、嬉しかった。

「...なあ、ウララ、俺はさ...」

キョトンとした表情をした彼女をみながら、俺は笑みを浮かべてこう伝えた。

「俺はさ、お前がその勝負服で、一着を取る姿を、見てみたい。」

何を言われてるのかわからないと言うような様子で、ウララは再び首を傾げた。けれど、俺の言葉を理解した彼女は、今度はとびっきりの笑顔を見せて、俺にこう言ったのだ。

「....うん!うん!まっかせて!ウララね!これから、たくさん!たくさん!とるから!絶対!」

明るく、弾んだ声で、彼女はそう宣言すると、突然思い出したかのように自分の鞄から何かを取り出した。

それは、白色の、簡素な勝負服だった。...俺が、彼女にあげた、勝負服だ。

「にへへ、私さ、トレーナーにやって欲しいことがあるんだ。」

そういうと彼女は黒の油性ペンを俺に渡してきた。

「...これは?」

「あのね、メッセージ書いて欲しいの!なんでもいいから!私、それをね、本番まで見ずにいてね、緊張した時とか、怖くなった時に見たいの!そしたら、きっと勇気でるから!」

そう言って、何書いてくれるんだろー、と楽しそうにウララは笑っていた。

...メッセージか、どうしようか。

頑張れでも、一着をとれでも、どんな言葉でも、きっと彼女は喜ぶだろう。

俺は少しだけ考えて、言葉を決めた。

これで彼女が何を思うかはわからない。

けど、これが今、彼女に1番伝えたい言葉だった。

ペンを、勝負服の袖の部分に、大胆に走らせた。

「わお、結構いくね、トレーナー。」

そんな俺を意外に思ったのか、ウララが何を書いているのかと覗き込んできた。

「おいおい、書いてる内容、本番まで見ないんじゃないのか?」

「あ!そうだった!危なかった〜。」

「おいおい...ついさっきのことだろわお前...。」

数分前の記憶をもう消しとばした彼女に俺は苦笑いしながら、そのメッセージを書き終えた。まあ、メッセージといってもとても短いものだが...。

「うし、んじゃこれ、本番に読んでくれや。」

「うん!ありがと!トレーナー!」

ウララにメッセージを書いた勝負服を渡した。ウララはそれを大切そうに胸に抱いてソファーから立ち上がってクルクルと回転していた。

俺は、そんな彼女を見ながら、思っていた。

いつまで、こんなにも幸せな時間がつづくのだろうかと...。

「....ねぇ、トレーナー。」

そんなことを思っていると、ウララがふと声をかけてきた。

いつになく真剣な声の彼女は、初めて彼女と契約を結んだときのような、まるで恋をしているかのような顔で、こう言った。

「私さ、これからも、ずっとトレーナーと走っていたい。」

それは、願うかのような、そんな儚さを伴った声音で、とても、美しかった。

「...きっと、もっとずっと今よりも辛くて、苦しくて、悲しいことが、これから起きてくんだと思う...そんな現実から、私は逃げようとして..!でもね、今、こうやって向き合ってみて、わかったの。」

そして、勝負服を大事そうに抱えながら、明るい声音で、それでいて、真っ直ぐな瞳で、彼女はこう言ったのだ。

「...私、トレーナーと、走るのが好き。大好きなの..だから、走るよ。精一杯、自分の持てる全てを出して。」

迷いも、恐れも、きっと彼女の中には存在している。

それでも、彼女は走ると、そう決めたのだ。

だったら、俺がすることは決まっている。

「...んじゃ、俺は全力でそれをサポートするさ。」

俺は、ただその背中を、最後まで押し続けるだけだ。

 

その日は、生憎の雨だった。

レースが中止になるような雨じゃなかったけど、どうせなら晴れが良かったと少しだけ残念な気持ちをもったまま控え室に入った。

控え室にはライスちゃんがいて、私が入ると笑顔で手を振ってくれた。

「ウララちゃん、調子はどう?」

そう聞いてくるライスちゃんは、聞きながらも答えを知っているかのように満足そうな笑みを浮かべていた。だから、私も全力の笑みで応えた。

「うん!大丈夫!絶好調だよ!..本当に、待たせてごめんね。」

走ることから逃げてる間、ライスちゃんはずっと私を待ってくれていた。その事実を知った時の罪悪感から、私は自然と彼女に謝っていた。

私の謝罪を受けて、ライスちゃんは少しだけ驚いた様子を見せて、そして、首を横に振っていた。

「...あのね。私、今までずっと、ウララちゃんに助けられてきた。」

そういうと、ライスちゃんは私に優しく抱きついてきて、言葉を続けた。ライスちゃんの、優しくて甘い香りが、鼻をくすぐった。

「いつも、ライスを励ましてくれてありがとう。勇気づけてくれてありがとう。ライスが...私が、私を好きでいられる理由をくれて、ありがとう。...本当に、感謝してるの...だからね、こんなの、待たされたことにも、ならないんだよ。」

そう語る彼女の声は、否定できないほどにまっすぐで、私の心に溶けていった。

正直、なにを感謝されているのか、いまいちピンときてなくて、それが顔に出てしまっていたのか、ライスちゃんは私の顔を見るなり、やっぱりわからないよね、と優しい笑みで笑っていた。

「...けど、それでいいんだ。ウララちゃんは、そういう、心から純粋で、真っ直ぐな娘なんだって...ライス、知ってるから。」

そういうと、彼女は再び優しく笑って、私にいってらっしゃい、そう言い残して、控え室を先に出て行った。

「...いってきます。」

その言葉に、小さく、けど、大きな決意を持って、私はそう応えた。

勝負服をきた。メッセージは、まだ見ていたない。

意識して、見ないようにしていた。...本当に怖くなった時に、勇気をもらうために。

スポンサー契約を、私のわがままで結ばなかったトレーナーは、どんな気持ちで契約を断ったのだろうか。嫌な気持ちを、していたのだろうか。そんなことを考えながら控え室を出ようとすると、手も触れていないのに控え室の扉が開いた。

「...よ、どうだ?いけそうか?」

そこには、トレーナーがいた。ばったりと目があったことが気まずいのか、彼は視線を逸らして誤魔化すように私にそう聞いた。

なんだか、その様子が少しだけおかしくて、思わず笑ってしまった。

なんだよ!と抗議する彼の声を耳にしながら、私はさっきの疑問を口にした。

「トレーナー、あのね、スポンサー契約を断った時...やっぱり、私がわがままいったから、断ってくれたの?」

その言葉を受けて、トレーナーは困ったような顔をした。

やはり、私のわがままのせいで、彼を困らせてしまったのか...そう考えると、申し訳なさで、どうしようもなくなってきた。

あの時は、トレーナーからもらった勝負服を着れる気持ちでいっぱいだったから、トレーナーがどんな気持ちでいるのかとか、そんなことを考えられなかった。それが、本当に情けなくて、申し訳なかった。

しばらく無言でいる彼に、謝ろうかと口を開いた。

「..,あの時、正直、嫌な気持ちはひとつもなかった...それだけは、いっとく。」

けど、それよりも先に、トレーナーの言葉が、私の耳に届いた。

まるで照れているかのように顔を真っ赤にして俯きながら、彼は続けた。

「だから、その、お前がよ、気にする必要はねーよ。...本当に、嫌な気持ちはなかったからよ。」

そう頭をかきながら照れたように言葉を紡いだ彼は、あー!もうこの話おしまい!と手を鳴らしながら、誤魔化すようにして大声を出した。

「と!に!か!く!...その、なんだ。...色々、あったけどよ。」

そこで言葉を区切り、そらしていた目を、今度はきちんと合わせて、そして、明るくて、優しい...私の大好きな笑顔で、彼はこう言った。

「頑張ってこいよ!...信じてるぜ。」

最後に、そう付け加えて、トレーナーは私の頭を撫でた。

それがくすぐったくて、けど、何よりも嬉しくて、思わず尻尾が動いてしまう。

それを誤魔化すように、私もトレーナーに宣言した。

「...うん!まっかせて!...色々迷惑、かけたけど..まだ、怖い気持ちもあるけど...それでも、私はね。」

そこで言葉を区切り、自分の迷いを消すようにして、彼に伝えるのだ。

「もっと!ずっと!トレーナーと!みんなと!走っていたいの!...だから、このレース..,全力で、駆け抜けるから!」

その言葉を受けて、彼は満足そうに、おう、と返事をして私を控え室から送り出してくれた。

私は、そのぶっきらぼうな返事と、その中に包まれた優しさに感謝しながら、振り返ることなく、控え室を後にした。

ただただ、無機質な廊下を一人で歩いていた。

足が、強ばりそうになった。そんな時、高飛車な笑い声が聞こえてきた。

それが誰なのか、振り返らなくても私はわかった。

「ウララさん、調子はどうかしら?」

キングちゃんはそういうと、私の目の前にきて、左手を口元に、そして右手を腰に当てる....いわゆる、"キングポーズ"をとった。

「私は、万全よ!貴方なんか目に入らないぐらい、調子がいいわ!」

そして、彼女は声を高らかにして、そう宣言した。

けど、私はその言葉が嘘なんだと、すぐに気がついた。

だって、こんなにも闘志を宿した目を見せられては、これが嘘だと誰だって気がついてしまう。

「...キングちゃん。私、負けないよ。」

だから、その言葉を無視して、私はそう彼女に伝えた。

その言葉を受けて、キングちゃんはキングポーズをやめて、そして、不敵に笑った。今度は高飛車な笑い方でもなく、自然に浮かべた、...とても、綺麗な笑みだった。

「...ええ。それでいいのですわ。それでこそ、ウララさんです。」

そして、私の言葉を受けて満足そうに頷いた。

「ウララさん。私は、貴方から、沢山のことを学びましたわ。...それを、今日、貴方に全てぶつけます。...だから、約束しましょう。」

そして、手を差し出した彼女は

「全力の、勝負をしましょう!」

あの時のような、力強い笑みを浮かべて、私にそう言ったのだ。

だから、私も、全力で応えなくてはならない。

私から学んだことがなんなのか、そんなものがあるのか、まだわからないことはある...けど、そんなことは、知らなくてもいい。

だって、キングちゃんが、それをぶつけてくれると、そう言ってくれたのだ。...誰よりもプライドが高く、それでいて、とても真っ直ぐな彼女が、私から学んだことがあると、そして、それを全力でぶつけると、そう言ってくれたのだ。

だったら、私の答えは、決まっている。

「...うん!やろう!全力の勝負!」

手を握りながら、私も笑みを浮かべて、そう応えた。

キングちゃんの手はあの時みたいに小さくて、けど、とても大きく感じた。

二人で並んでダート場に出た。

会場の熱気が、歓声が、私達を包んでいた。

私とキングちゃん以外のウマ娘達も、コース上にでていて、それぞれ色々な表情を浮かべていた。

緊張しているもの、笑顔を浮かべているもの、観客に手を振っているもの...そのどれもが、私の心を懐かしくさせる。

....ああ、帰ってきたんだ。

短いようで、それでも私からしたらずっと長い間、私は逃げていた。

けど...うん。この舞台に立って、まだはじまってもいないけど。

それでも、もう決めた。

私は、好きだから。

レースが、走る事が、何よりも好きだから。

トレーナーと、勝利を掴む走りを続けていたいから。

だから、ここに立つよ。

これからも、何度でも、立ち続けるよ。

「...いきましょうか。」

隣で、キングちゃんが優しく手を差し出してくれた。

「...うん!」

私は、大きく頷いて、その手を握った。

キングちゃんの体温を感じながら、二人でゲートにむかった。

お互いの番号のゲートに行くため、途中ではぐれてしまったけど、最後の最後まで、キングちゃんは手を握ってくれていた。

...少しだけ震える、私の手を、何も言わずに、握ってくれていた。

優しいな。キングちゃんは。

高飛車で、お嬢様な彼女は、どこまでも優しくて、暖かい。

そんな大切な友達がいることを、私は誇りに思う。

ゲートが、口を開いて私を待っていた。

脚がすくんで、動こうとしない。

トレーナーの、声が聞きたくなった。

左袖を、そっと見た。そこには、彼からのメッセージがあるから。

そしてそれは....どこまでも彼らしくて、そして

勇気の出る言葉だった。

「...なにそれ...ふふふ、でも、そうだよね、わかったよ、トレーナー。私....」

小さく、彼に話しかけながらゲートに入った。

ラッパの軽快な音が、場内に鳴り響く。

私、私さ...

『楽しんでくるよ!』

自然と笑みが浮かんできて、私は、心の中で、そう力強く叫んだ。

袖に書いてあった、短くて、無愛想な文字。

楽しんでこい。

その言葉は、今の私を何よりも支えてくれて、そして

力強く、背中を押してくれた。

姿勢を低く、そして耳を、目を、目の前のゲートに集中させる。

静寂、聞こえるのは、うるさいぐらいに響く、自分の心臓の鼓動。

さぁ、もうすぐだ。

焦る心が、体が、全身の神経が、その時を待ち続けた...そして

今、ゲートが開いた。

 

 

 

 

 




投稿頻度、作品をよくしようと何度も書き直してる結果なかなかあげられなくて申し訳ないです。これからも応援よろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

見たかった景色

投稿遅くなりました!すみません。



「...いっちまったな。」

ウララを控え室から送り出して、俺は観客席へと向かった。

彼女に契約を断った理由を聞かれて、熱ってしまった頬を気にしながら歩いていると、見慣れた背中があった。

すこしだけ曲がっていて、それでいて大きな背中。

「...田辺さん。」

俺は、その背中に声をかけた。

彼は立ち止まって、俺に、おう、と返事をして振り返った。

軽く手をあげている田辺さんの表情は、以前よりも柔らかいものになっている気がした。12月ということもあり、彼はベンチコートを着ていた。それがあまり似合っていなくて、少しだけ可愛く見えた。

俺は彼に並んで観客席へと向かった。

「田辺さん、今日はトレーナー室からの観戦ではないんですか?」

手袋を外しながら、俺は田辺さんにそう質問した。

いつもならトレーナー室からレースを見て分析を行う彼だが、今日は観客席の方に行くそうだ。

それが田辺さんらしくなくて、俺は隣を歩きながら聞いた。

「..,まあ、たまには観客席からレースも観戦しようと思ってな。」

少しだけ間の空いたあと、彼はそう答えた。

「珍しいですね、田辺さんがそんなこと言うなんて。」

誰よりもデータを取りたがる彼らしくないその発言を、俺はさらに疑問に思った。

「...まあ、あれだ、ちょっとはその、声を届けたいというかなんというか...なんでもねーや。」

田辺さんはそう言うと早足に歩き出した。

...ははーん。

「なんすか、田辺さん、もしかして、あれですか?俺の声を届けたい的なあれですか?」

「う、うるせーよ!なんだよ!文句あんのか!?あ!?」

少しだけからかってみると田辺さんは声を荒げてそう言い、先に行くからなと観客席の方に行ってしまった。

...本当に、変わったなと思う。

結果だけを常に見ていた彼が、どんな出会いでそうなったのか、俺はそれを知らない。けれど、確かに彼は変わっている。

それがいい変化なのかどうかなんて分からない...けれど。

俺は、今の田辺さんが本当に自由に生きている気がした。

...それに

「俺も、俺の声を届けたくて行くんですよ、田辺さん。」

もう、見えなくなってしまったその背中に、俺はそっと語りかけた。

 

『さあ!ここ東京競馬場で間も無く始まるフェブラリーステークス!

有馬の残された枠をここにいるウマ娘達が取る可能性は充分にあるぞ!貴方のウマ娘が、私のウマ娘が、今このレースで決まるかもしれません!さあ!目が離せられないこのレース!間も無くスタートです!』

観客席に着くと怒涛の歓声が耳に届いた。

今思えば、初めてウララがここで走った時とは比べ物にならないほどの盛り上がりを見せている。

「あ!トレーナーさん!こっちこっち!」

長い耳をひょこひょこしながらライスが手招きをしていた。

俺はそれに軽く手をあげて彼女に近づいていった。

観客にもみくちゃにされそうな彼女を心配しながら早足に人をかき分けて彼女の隣にきた。

「と、トレーナーさん..ライス、怖かったよぉ〜。」

隣にくるなりライスは俺にしがみついてきた。

「あれ、ライスシャワーだよな。」

「ああ、間違いないぜ、あの長い耳はライスシャワーだよ。」

周りを見渡してみると、ライスに気がついた観客がひそひそと話していた。そしてその声に反応するようにライスは肩を震わせてしがみつく力を強くしていた。

ああ、なるほどな。

周りの声に何度も苦しんできた彼女だ。きっと、今のこの自分に向けられた声が、怖くて辛くてたまらないのだろう。

「.....うう。」

ライスは脅えながら、2本の耳を上から押さえつけて何も聞こえないようにしていた。

「 うっわ、どうしよ、俺、天皇賞からの大ファンなんだけど...」

「おい、お前サイン貰いにいけよ!」

「え、い、いやーでもなぁー、いざ声かけるってなるとなぁ〜、緊張がよ...。」

だから、この声がこんなにも暖かくて、自信に溢れるものであることを彼女は知らない。

...それは、良くないことだよな。

俺は耳を塞ぐライスの手を握って、そっと上に持ち上げた。

「!?と、トレーナー!何するの!」

「...まあ、いいから聞けって。」

しきりに手を振りほどいて耳を塞ごうとする彼女にそう声をかけた。

「い、嫌だ!また、怖い思いするかもしれないもん!ライスはもうあんな...」

ブーイングが少なくなったとはいえ、ライスに対しての言葉はあのレース以降も冷たいものが多かった。それから逃げるように、そして、その言葉達を否定するように、彼女はレースで勝ち続けた。そして、当たり前の事のようにしてレース場を去っていった。

けど、それは見て見ぬふりをしていただけだった。

本当はずっと怖くて、怯えていたのだ。

だからこそ、聞いてほしかった。

「あ、あの!ライスシャワーさん!」

俺の手を振りほどこうとするライスに、1人の男が話しかけた。

「!?...はい。」

その男にライスは肩を一瞬震わせ、そして、諦めたように返事をした。

「あ、あの!俺!ら、ライスシャワーさんの!だ、大ファンです!」

「...へ?」

しかし、その予想だにしなかった一言に、彼女は素っ頓狂な返事をした。

「き、今日、このレース見に来たのもライスシャワーさんの親友であるハルウララさんの走りを1度見て見たくて来ました!あの!えっと、有馬記念!俺、ライスシャワーさんに投票するので!これからも頑張ってください!」

口早に男はそう言うと、失礼しますと言葉を残して俺たちの前から去っていった。

男が話している間、ライスは目をぱちくりしながら呆然としていた。

「...な、言ったろ?」

俺は少し自慢げにそう言うと、ライスに笑いかけた。

「...今の人、私の事応援してるって...」

「ああ、そうだな。」

「ファンだって...」

「ああ、言ってたな。」

「....っ!!」

言葉を続けるにつれて、次第に顔を真っ赤にしていく彼女を見ながら、俺はただただ相槌を打ち続けた。

「....ライス、良かったな。」

「うん...良かった。こんなに、こんなに嬉しいの...応援されるのって..少し、照れくさいけどね...」

少しだけ落ち着いた彼女にそう声をかけると、照れたようにほっぺをかきながら彼女はそう答えた。そして、前を向いて

「...でも、そうだよね。うん。私決めたよ。」

そう言葉にした彼女の目は

「私、私も有馬記念に出たい。...ウララちゃんが前を向くことを決めたみたいに、私も、私の背中を押してくれる人達に、私の全力で応えたい。...だから、だから、私」

何よりも真っ直ぐで

「貴方みたいに、誰かに背中を見ててもらいたい。私も..誰かの期待に、応えたい。」

どこまでも輝いていた。

レース開幕のファンファーレが、会場に鳴り響いた。

ライスが指した貴方とは、きっと彼女の事なのだろう。

この場でその震えているであろう足を、体を抑えながら、ゲートに入った彼女。

憧れを背負いながら、夢を託されながら、走り出す彼女。

それを、俺は見届ける事が出来る。

それがこんなにも幸せで、嬉しいことなのだと、今この静寂の中で、俺はようやく理解していた。

『さぁ、ゲートがいま...開きました!各ウマ娘一斉にスタートしていく!』

そして、その静寂を破る大歓声が、俺達を包み込んで行った。

「..いけ、ウララ。」

まだ遠くにいる、小さな彼女に、俺はそう小さく、けど様々な思いを込めて、呟いた。

 

ゲートが開いた瞬間、私は今までで1番ともいえるスタートをきることができた。

...きっと、田辺さんのトレーニングのおかげね。

彼のトレーニングは、自分でも驚くほどの反応速度を私に身につけさせていた。

自分が取りたい位置はあくまでウララさんをマークできる範囲。

案の定、ウララさんは中盤あたりで足を控えながら走っている。

...ここまでは、定石通りね。

『さぁ、先頭は5番パルロカウロに続いて2番ニシノフラワー、4番ゴルドルフ、2馬身ほど離れて...』

しかし、油断してはだめよ、キング。

安心しそうになる自分にそう言い聞かせて、私は集中力を上げる。

彼女の仕掛けを潰すタイミング、そして、レースの集団の動き、一瞬一瞬の判断の迷いが、命取りになる。だからこそ...

怖いのよね、本当に。

思わず苦笑いしそうになるほどに掴めない彼女の走りに、内心で愚痴をこぼした。

本能で仕掛ける相手に、定石は通じない。

ここまでのレースで、痛いほど味わった事だ。

それは才能とも取れるし、無鉄砲な走りとも取れる。...けど、

今この場面で、これ以上ない程に恐ろしいのは、ウララさんの仕掛けであることに、変わりはない。

レースの乱れを、一瞬にして巻き起こす彼女の奇想天外な走り、それを潰さなくては、ついて行かなくては、勝負にならない。

『さあ、順位は変わらず第1コーナーを各ウマ娘達抜けたいき第2コーナーへ!1番人気ハルウララ、未だ動きを見せてはいません!この展開、細川さん、どう見られますか?』

『彼女の仕掛けは独特のタイミングですからね、彼女の動きに注目ですよ。』

ウララさんの動きにまだ変化はない。ならこのままのペースを維持しようと考えたその時、何かを感じた。

これは、なに?風?...

「!?」

私の意識が一瞬離れたとき、視界から彼女は居なくなっていた。

「...けど!」

それでも何とか加速して、先頭に行く彼女の背中を捉えた。

だが、僅かに差がある、このままいかれると.!.!

そんな悪いイメージを振り切るように、私は加速を繰り返す。

恐らく、さっきの追い風を彼女は好機とみたのとみたのだろう。

フェブリラリーステークス、ダートレースである上に緩い坂道が多いこのレース。最初に生まれた少しの差で、命取りになってしまう。

それだけは、させない!

「はぁぁぁぁぁあ!」

その差を、私は全力で何とか埋めることができた。

けど、まだ第2コーナーに入るほどしかレースは進んでいない。

...足を..使いすぎたわね...

もう既に、自身がオーバーペースであることは理解していた。

けど、それでもこうして走り続けていられるのは、彼とのトレーニングのおかげだ。...そして、私自身に貸した、責任のため。

そうだ、私はまだ、何も出来ていない。何も、返せていない。

その場に、立ててすらいない。...なら!

「こんなとこで、止まってられないのよ!」

加速して、ウララさんの背中に食らいつく。確実に先頭に近づいているその背中を、ただただ追い続けた。

...こんなにも純粋に走ったのは、いつ以来だろう。

仕掛けや、動揺、様々な攻防を一切放棄して、ただ前を追い続ける。

風が、音が、景色が、私の体をすり抜けていく。

その感覚が、心地いい。

ああ、そうか、私は今

...こんなにも、楽しんでいるのね。

苦しい、かなりのオーバーペースだと言うのに、自然と笑みが浮かんでしまう。

それは初めてのことで、不思議なことで...けど

この感覚は、嫌じゃなかった。

 

『さぁ!ここで動きを見せたハルウララ!それを追走していくキングヘイロー!しかし先頭は依然変わりません!そのまま集団は第2コーナーに入っていく!』

キングはハルウララの追走に出ていた。

普段なら早すぎるほどの仕掛けのタイミングだ。…けど、これはレースだ。レースにはどれほどの定石を持っていたとしても通用しない場面がある。それを判断するのは彼女自身だ。何より、それに対抗するために、あいつはあんなに努力したのだ。信じてやらなくて、どうするよ。

不安になりそうな自分にそう語りかけ、俺はその気持ちを見ないようにした。

「..キング...」

意味もなく、彼女の名を呼んだ。こんなにも不安なレースはいつぶりだろうか。そして...こんなにも胸が熱くなるレースは、いつぶりだろう。

『第2コーナーから第3コーナーまでの直線!ハルウララとキングヘイロー徐々に先頭におい縋っていく!しかしキングヘイロー少し苦しいか!段々と距離が空いていく!ここで先頭はニシノフラワー!まだまだ...』

キング...苦しいか、辛いか。

馬上適正を考えれば、キングが不利なのは誰が見てもわかる。

負けたっていいんだ。辞めたって構わない。

ターフとダートでは、走り方も、疲れ方も、何もかもが違う。

それでも、キングはこの道を選んだ。

...それはきっと、あいつなりの覚悟をもって決めていることで...

だから、俺も言い訳はやめよう。もう、見ないふりはやめると、決めたじゃないか。

なあ、キング...俺は

「勝て!キングヘイローぉおおおおお!勝て!いけ!勝てぇえええええええええええ!」

お前のその真っ直ぐな走りが、大好きだ。

『さあ!第四コーナーを抜けた最後の直線!先頭はハルウララ!そしてその隣に並ぶキングヘイロー!どうなる!ニシノフラワーも上がってきているぞ!並んだ!並んだ!いや、キングヘイロー僅かに前だ!キングヘイロー前だ!さあ!最後の直線!栄光の座は...』

声が枯れるまで、目の前をかけて行く彼女に声援を送った。

この声が届いたのか、それはわからない。...けど、

目の前を走った彼女の走りは、今までで1番力強かった。

「...強くなったな。キング。」

その走り去っていった背中に、枯らしてしまった声で、俺は小さく呟いた。

まだやまない歓声が、そんな俺の呟きをかき消すように、会場全体に鳴り響いていた。

その歓声に身を任せて、俺は静かに彼女の控え室へと向かったのだ。

 

 

第3コーナーに入っても、ウララさんのペースは乱れるどころかむしろその速度を上げていた。もう先頭との差はほぼなくなっていた。

....それでこそ!ウララさんです!

その加速に何とかついていき、コーナーを曲がり切った。

もう、なぜ脚が動いているのかわからないほどに限界に近づいていた。

体の感覚が、消えかけるほどの走り。これが、私が憧れた走りの世界...

..こんなにも、過酷なものなのね...

そんな世界で、ずっとあがき続けていた、目の前を走る彼女に、素直に尊敬した。ああ、いつまでも、憧れは憧れなのだと、そう理解しようとして、辞めた。

違う。それは、違うのよ、キング。だって...決めたじゃない!

脚を振り絞る。第四コーナー、最後の直線、まだ、私は

「あなたに、背中を見せれていないですもの!」

前を行く彼女に並ぶ。風を切り裂いて、加速する。

フォームも、ピッチも、何も気にせずに、ただ前に、前に、前に

2人で先頭に立つ。呼吸が、止まりそうになる程苦しい。....なのに。

ああ、ウララさん、こんなにも貴方と走ることは...楽しいのですね。

苦しくて、つらくて、吐きそうなのに、貴方の隣で走ることは、こんなにも楽しい。楽しくて楽しくて、仕方がない。

...私は、ようやく、この舞台に立てたのね。

あの日、恋焦がれるほどに憧れた、届きたかった、ウララさんとの、先頭の景色。

それは何よりも楽しくて、美しい世界だった。

そしてこの楽しい世界は、もう終わってしまう。

...だって、まだ終わっていないから。

まだ、私は何も、貴方に返せていないから。

...ウララさん、あなたの走りは、こんなにも、こんなにも、

私を、強くしてくれるのよ。

「...っ、ぁぁぁぁぁぁぁあ!」

最後の直線、全ての力を振り絞ってウララさんの前に出た。最後の加速。私の、キングの名をかけたその全てを出し切って加速した。

きっと、ここで仕掛けて仕舞えば、もう最後まで脚は持たないのだと、自分で理解していた。

それでも、私は仕掛けないといけない。彼女の前に、立たなければならない。立ち続けなければならない。

それが、私自身の、走る理由だから。

そうしなければ、私は、貰ってばかりになってしまうから。

だから、前に出る。どんなに苦しくても、前に、前に...ただ、ひたすらに、前に!

足が、地面にとられそうになる。体が、心が、折れそうになる。

きっと、今までの私であれば、ここで終わってしまったのだと思う。

けど、今、私の足は、意思は、生きている。燃え尽きそうなほどに、全力で。

これは、きっと…あなたのおかげなのね。

後ろを走る彼女に、心の中でそっと語り掛けた。

...ねぇ、ウララさん。

私は、あの日から...いいえ、その前からずっと、あなたに憧れてました。...憧れて、いたのよ。

ずっと、あなたに追いつきたかった。ずっと、あなたの隣を走ってみたかった。

ねぇ、ウララさん。私ね...

あなたの走りで、強くなったの。

あなたの走りで、変われたの。

私は、あなたに、あなたの走りで変われたのだと、強くなれたのだと、証明したい。

だから…勝負よ。

「はぁぁぁぁぁぁぁあ!」

自己満足なのだと、わかっている。

この走りも、言葉も、全て自己完結してしまうものだと、わかっている。

それでも、私は、私なりの責任を果たしたかった。

恩を、返したかった。

強くなれたのだと、証明したかった。

残っている力を、全て脚に込めた。

意識が、朦朧としてくる。

残りの距離が、もうどれほど残っているのか分からない。

呼吸が苦しい、体が、ひどく重たい。

もう、視界を保つのだけでも精いっぱいだ。

…それでも、霞む視界に彼女の背中が見えていることだけは、確かで。

そこで、自分のレースが終わってしまったのだと、そう理解しようとする自分を、消し飛ばす。

なにを、考えているの!

何も、終わってない、だって、目の前に、その背中があるのだから。

追い越すと決めた、その背中があるのだから。

だったら、動きなさいよ。

私は、キングヘイロー、何物にも負けない、唯一のキング。

そうなるのだと、あの日、あの景色を見て、その背中を追い抜くと決めた。...そう誓った。

だから、動け、動かせ!私の、全てを使って!

「っはぁぁぁぁあ!」

『キングヘイロー!追い縋る!追い縋る!ハルウララしかし以前先頭をキープし続けている。しかしその差はわずか!残り100メートルを切った!ハルウララ!先頭は...』

全力で、足掻いた。全力で、もがいた。

なのに...

その、僅かに前にある背中が、どこまでも遠く感じた。

 

控室にいく足が、こんなにも重たいものになるなんて、思いもしなかった。

きっと、これは、疲労だけのものではないんだと、私は理解している。

…本当に、情けないわね。

思わず、自嘲的な笑みが浮かんでしまう。

彼女にもらった物を返したい、彼女の走りが、私を変えたのだと、変われたのだと、そう証明したい。

そんな自分勝手な妄想すらかなえることができない自分の情けなさに、泣き出しそうになってしまう。

「…よ、お疲れさん。」

そんな時に、今一番顔を見られたくない、彼の声がした。

控室の隣の椅子に腰を掛けて、彼は軽く私に手を挙げていた。

私は彼の近くまで行き、隣に座った。

顔を、見ることができなかった。

もう、合わせる顔が、今の私にはなかった。

「…負けちまったな。」

「っ!?」

その言葉で、体の力が抜けてしまいそうになる。この場に、もういたくなくなってしまう。

「…田辺さん…私の走りで、また、あなたに敗北を味わせてしまったこと、謝ります。本当に…」

「いらねーよ、そんなの。」

苦し紛れの謝罪を、田辺さんは遮った。

「...キング、お前が、どんな思いで、どんな理由でこのレースに出たのか、俺は知らねー...けどな、覚悟を持っていたんだろ?決意をもって、挑んだんだろ?」

田辺さんは、私にそう問いかけてきた。どんな顔をしているのか見られたくなくて、うつむいたままその言葉に答えた。震える声を、形にするので精一杯だった。

「ええ、ええ、そうですわ!覚悟も!決意も!誰にも負けないほどしました!けど、それでも、私は、私、は…」

感情とともに、声があらぶる。けど、それはすぐに無力感に変わって、またも言い訳をしようとした自分に、嫌気がさした。

なにも言葉が続かない私に、田辺さんはゆっくりと近づいてきて、そして、

「…だったら、いつまでも下向いてるんじゃねーよ。」

そう言って、私の頭を撫でた。

それが、まるで同情のように感じて、私はすぐに手を振り解こうとした

けど...

「お前は、下を向くべきじゃない。」

そう語る田辺さんの、真っ直ぐな声と、優しく微笑んだ表情を前にして、私は動けなかった。

敗北をした、田辺さんが、1番嫌うはずのことをした、わがままで、彼の顔に泥を塗った。いつもの彼なら、きっと冷酷な顔をしているはずだ。

だというのに、彼は、まるで昔の、優しかったお父様の様な、そんな表情をしている。

「...やっと、俺の方、向いてくれたな。」

そう言って、田辺さんは再び乱暴に私の頭を撫で続けた。

「お前は、負けた。その事実は変わらない。」

そう語る田辺さん声は、どこか悲しみをふくんでいる様な気がした。

「..はい。私の情けな..」

「...けどな、それでもお前は、今のお前を否定しちゃダメだ。」

情けない走りのせいで、そう続けようとした私の言葉を、田辺さんは再び遮った。

「例え、お前が今どれだけ悔しくても、惨めでも、それでも、ここまでの頑張りを、俺はそばで見てきた、ずっと見てきた、だから、お前がお前を否定することを、俺は許さない。」

真っ直ぐな目で、田辺さんはそう言った。

それは、あまりに自分勝手ではないか。自分が認めたくないから、お前は自責の念に囚われるな、それは、価値観の押し付けだと感じた。

私は、そんな言いがかりに、思わず口調を荒げてしまった。

「!?なにを!何を今更!あなたは今まで、結果だけを見ていたくせに!今は悔しがるなって?自分を責めるなって?ふざけないで!意味ないのよ!負けたんじゃ、意味がないのよ...私は、また、何も残せなかった...なにも、伝えれなかった...なにも..」

悔しくて、情けなくて、涙が出そうになってくる。それを、必死に我慢した。

こんな私を、見て欲しくなかった。

ずっと側で支えてくれた彼に、こんな姿を、見て欲しくなかった。

「...お前が、何を伝えようとしたのか、何のために走ったのか、もう一度言うが、俺はそれを知らないし、知るつもりもない。」

震える私に、田辺さんはそう語りかける。

「俺が今まで、結果だけでお前達を評価していたことも、否定はしない。今だって、結果でお前達を見ているし、それはきっと変わらない。変えようがないんだ。」

私の、失礼極まりない発言を、田辺さんは肯定した。

それはあまりに淡々といていて、開き直っているようにすら感じるほどだった。

「....けどな。」

しばらくの無言の後、彼は口を開いた。

それは、あまりに予想してなかった言葉で、あまりに、優しく響いて、だから、私はすぐに、反応することができなかった。

「けどな、キング、お前の今日の走りは、最高だった。」

田辺さんはそういって、私の頭から手を離した。

真っ直ぐに目を見て、彼は続ける。

「後悔してもいい。悔しがってもいい。けどな、誰にも、今日のお前の走りを否定する権利はない。...例え、お前自身であってもな。あれだけ全力で走って、覚悟を決めて挑んで、そうやって色んなものを背負って生まれた走りが、今日のお前の走りなんだよ。今日までのお前の全てが、あの走りなんだよ。...だから、それを否定するな。だって、そうだろ。」

言葉を区切り、田辺さんは優しく微笑んで

「それを否定するってことは、お前の走った意思も、これまでの日々も、努力も、全部否定するってことになるんだぜ?...それは、ダメだろ。」

そう、子供に語りかける様に、私に言った。

なんて、優しい声音なのだろうか。

言葉の一つ一つが、胸に入り込んできて、ずっと我慢していたものが、こみ上げてきそうになる。

それに気がつかない様に、私は黙って彼の言葉に頷いた。

「ああ、それとな、キング。契約の話なんだけどよ。」

「....、ええ、分かっていますわ。」

俯いていた私に、田辺さんはあの時の契約の話を自然に持ち出した。

本当に、躊躇がないなと思う。

けど、今はそれぐらいあっさりとされる方がかえっていい。

...だって、その方が踏ん切りがつくもの。

取り繕う言葉も、慰めも、今は要らない。

「来シーズン、私がレースで走ることはありません。これは契約ですもの、きちんと守ります。」

田辺さんの目を、まっすぐに見て、私はそう伝えた。

「お前は、本当に、それでいいのか?言っちゃなんだが、ただの口約束だ。なんもなかった事にだって出来るし、連敗規定数を越えないように、勝てるレースに出走すればいい。お前にはそういう選択肢がある。...それを踏まえてだ、キング、お前は、どうしたい?」

私の言葉を受けて、優しい声音で、田辺さんが聞いてきた。

けど、もうその答えは出ている。

だから私は、迷わずに答えれた。

「それでも、私は契約を守ります。その覚悟を持ってレースに挑んだのです...その自分を、裏切るようなことはしたくない。それに...勝てるレースだけ出るなんて、私らしくないですもの。」

来シーズンのレース。勝てるレースだけ出ていれば、連敗規定数を超えることもなく、ある程度の戦績で終えることが出来るだろう。

けど...それは、キングヘイローじゃない。

「田辺さんも、わかっていますでしょ?私は、キングヘイローです。常に壁に挑み続け、どんな強敵も抜き去っていく、最強のキングが、私なのです。...その名に恥じるようなことを、私はしません。」

真っ直ぐに、彼の目を見て、そう答えた。

「...キング、お前は...強いウマ娘だよ。」

彼はそう言って私の肩に手を置いて、ベンチから立ち上がった。

先に車で待ってる、そう言い残して、彼は歩いていった。

目の前の廊下を、レースに出走していったウマ娘達が徐々に歩いていた。どうやら、ウララさんのウィナーズサークルが終わったようだ。

「私も、帰らないとね。」

控え室に入って、制服をカバンから取り出そうとした。

そして、その手に何かが落ちてきた。

この冷たいものは、なんだ。

とめどなく、溢れ出てくる。

涙が鬱陶しい。煩わしい。...それ以上に、悔しかった。

悔しくて悔しくて、耐えきれなかった。

その場にうずくまって、感情に身を任せて、私は泣いた。

普段よりも風が強かった冬の日

己の全てを使って敗北する悔しさを、私は知った。

 

 

 

 

 

 




キングちゃんの走りでウララちゃんが感じた事は次の話で書きます!
とりあえず大学のレポートを終わらせないとなので一旦ここで投稿することにしました!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

伝わったもの。

本当に、投稿遅れて申し訳ないです。


その背中は、私に何かを語ってる気がした。

何度も、キングちゃんの背中を見た事はある。けど、こんなにも力強いキングちゃんを見るのは、初めてだった。

だから、追いつきたかった。

勝ちたいとか、負けたくないとか、そういうのじゃなくて、ただ、目の前の彼女に追いつきたくて、隣に並びたくて

余力が無い足に、力がこもる。

まっててね、キングちゃん、今、そこに行くから。

躍動する気持ちの全てを、自分の足にぶつけた。

加速する足が、鼓動が、いつもよりも激しく感じた。

 

 

 「いい、走りだったな。」

 「...うん、いい走りだった。」

 

ゴールし、観客に手を振るウララを見ながら、ライスと俺はお互い同じ感想を抱いた。

いい走り、この短い言葉に、ライスも、俺も、それぞれの、たくさんの想いがこもっている。それは、言葉にならないたくさんの感情で、喜びで、そして、きっと、ウララに何かを伝えようと走り続けた彼女がいたからできた走りで

 「んじゃ、まあ、行こうぜ。ウララの元にさ。」

だから、早く彼女に、言葉を伝えたかった。

控え室に向かう俺は、自然と浮かぶ笑みを噛み殺しながら、早足に廊下を歩いたのだった。

 

ウィニングライブの前に、控え室で休憩をとる事にした。

なんとも言えない高揚感、これは、勝利とはまた違うものなのだと、何となく自分で理解していた。

...キングちゃん。

レースが終わって、勝ったことの喜びに浸っている間に、きっと彼女は控え室に向かっていってしまった。

何をいえばいいのか分からないけど、それでも、私は今キングちゃんと話したい。

 

 「ウララちゃん!お疲れ様!」

 

 控え室前まで来ると、ライスちゃんとトレーナーが笑顔で迎えてくれた。ライスちゃんに抱きつかれて、思わず照れ笑いがこぼれる。

 

 「えへへ〜、ライスちゃん、私速かったでしょ〜」

 「うん!速かった!かっこよかったよ!ウララちゃん!」

 

私の言葉をライスちゃんは頭を大きく縦に振りながら肯定してくれた。それが嬉しくて、ますます笑みがこぼれてしまう。

 

 そうやって幸せを感じていると、ふと、頭の上に暖かい手のひらの感触があった。良く撫でてくれるその手を、私は知っている。

 

「...本当に、いい走りだったぞ、ウララ。」

 「うん...ありがと、トレーナー。」

 

 その優しい手の感触に、思わず私は目をほめながら彼にお礼を伝えた。ここで走れる勇気をくれたこと、この舞台勝てるようにしてくれたこと...逃げた私を、引き止めに来てくれたこと。

トレーナーの行動が、ひとつでもかけてしまっていれば、きっと今の私はいない。

 だから、本当に感謝してるんだ。

 

 恥ずかしいから、その全てを伝えることは出来ないけど。

それでも、これだけは伝えときたかった。

 

「トレーナー、私ね。...すっごく楽しかった。」

「そっか。そりゃーまあ、何よりだな。」

 

勝負服に書いてくれた、彼のメッセージ。その言葉通りに、私は走ることを楽しめた。怖さもあったし、不安もあったけど、それでも、何よりも楽しい時間だった。

キングちゃんと2人で先頭を走れたこと、レースに勝てたこと、自分の限界を引き出せたこと、そのどれもが楽しくて、充実した時間だった。

それは、トレーナーの言葉を見たからそう感じれたのだと思う。

だから、その言葉の通りに走れたのだということは、伝えておきたかった。

 

「何かお祝いに飲み物買ってくるね!」

 

 ライスちゃんはそう言うと、私に何がいいかと聞いてきた。私はにんじんジュースか蜂蜜ドリンクか迷った末に、はちみつドリンクを選んだ。レースの減量でしばらく甘いものを取っていなかったし、ライスちゃんと遊びにも行けてなかったから一緒に買いに行くのが楽しみだったけど、ライスちゃんは

 

 「いいから、ウララちゃんはここで待ってて!休まないとダメなんだよ!」

 

 そう言って、私を置いて行ってしまった。

 「先に控え室に入るか?」

 

 トレーナーの言葉に私は頷いて、二人で控え室に入った。

 

控え室の中はエアコンが付いていて、トレーナーに暖房をつけるかと聞かれた。私はそれに首を横に振って断った。

今はレースの影響があってか、体が火照っている。

ライスちゃんは、きちんと注文できているのだろうか。人見知りな親友のことが気がかりで、私は少しだけ心配していた。

 

「ライスが、有馬記念に出たいって言ってたぞ。」

 

 そんな時、トレーナーがふと口を開いた。

 

「あいつ、今日初めて自分のファンの存在に出会ってな。そりゃもう耳とほっぺ真っ赤にしてあたふたしててな..それから、めちゃくちゃやる気になってた。あいつが、あんな表情になったのは、ミホノブルボン戦以来だな。」

 

 トレーナーは嬉しそうにそういうと、私の目を見てこう続けた。

 

 「お前みたいに、誰かに背中を見てもらいたいって、言ってたぜ?」

 

 そう悪戯に笑って、トレーナーは私にタオルを渡した。

 

 「そっか...うん、私も、負けてらんないね。」

 

ライスちゃんのその決意は、今の私の決意をいっそう固くしてくれた。だからこうして、熱い気持ちが湧いてくる。

 

「...私さ、今日、勘違いかもしれないけど、感じたことがあるんだ。」

「感じたこと?」

 

 私は、トレーナーに今日感じたこと、キングちゃんの背中を見た時の、あのなんとも言えない気持ちを伝えた。

控え室にある椅子に座って、レースの疲れをそこで強く感じた。

その浮遊感に似た感覚に身を任せながら、私はトレーナーに続けた。

 

「うまく、言葉に出来ないんだけど、何かを、伝えてくれてる気がしたの。それが、どういうメッセージなのかはわからなかったけど...それでも、私、キングちゃんがあそこまで全力なのは初めて見て、あんなに力強い走りみたことなくて...だから..そこに追いつきたくて、いつもよりも足が動いてさ、うまく、言葉に出来ないんだけど...私..」

「それは、思い込みとかじゃなくて、きっと伝えてるんだよ。キングの走りが、お前に。」

 

 疲れて頭が回らず、上手く言葉にできない。モヤモヤした気持ちを言葉に出来ずにいた私に、トレーナーがそういった。

 

「お前が感じたこと全部が、あいつのメッセージなんだよ。...だから、受け取れ。全部受け取って、それから、大事にしてやれ。」

 

 優しく笑って、彼はそう言った。

 

「少しはわかったか?俺とファルコンが言ってたこと。」

 

トレーナーが言ったこと。私の走りに憧れてるウマ娘がいること、

ファルコンちゃんが、私の走りを好きでいてくれる事。

あの時は、その言葉の意味がひとつも分からなかった。

けど...今は、照れくさいけど。

私は、少しだけ赤くなってしまった顔を誤魔化すように首を縦に振って

 

「うん!まだ、全部はわかんないけど...それでも、少しだけは、わかった、かも。」

 

そう、小さく笑いながら答えた。

 

「大きく頷いてた割には、あんまり分かってねーんだな」

 

そんな私にトレーナーは笑いながらそう言って、

 「着替えとか済ませとけよ。」

 

そう言って、部屋を出ていった。

トレーナーは、あの時感じたことが思い込みじゃないって、そう言ってくれた。けど、それは多分キングちゃんにしか分からないことで、本当はただの勘違いなんじゃないかって、そう思ってしまう自分もいて...

だけど、確かに感じたんだ。

上手く言葉に出来ないけど、熱いものを、キングちゃんの走りから、感じた。それは、変え難い事実なんだ。

だから、否定的な感情に、終止符を打つ。

勘違いでもいい、思い込みでもいい、例えそうだとしても

私が感じたものは、嘘じゃないから。

 

 「...着替えよっと。」

 

誰もいない控え室でそう呟いて、私はウィニングライブ用の服に着替えた。全部を受け取ろう、そう心に誓いながら、ライブの服の袖に、腕を通した。厚みのある生地が、少し冷えてきた肌に心地よかった。

「ただいま!遅くなってごめん!..あ、ウララちゃん!かわいいね!ライブ用の服?」

 

着替え終えて休んでいると、ライスちゃんが控え室に戻ってきた。手には2つのはちみつドリンクがあって、片方を私に渡してくれた。

「あれ?トレーナーさんは?」

 

控え室にトレーナーが居ないことを不思議に思ったのか、ライスちゃんは辺りを見渡していた。私は、彼が部屋を出ていったことを伝えると、ライスちゃんは

「これ、トレーナーさんの分なんだけどなぁー。」

と、困ったように口にしていた。自分の分を忘れて買っている辺り、ライスちゃんらしくて私は思わず笑ってしまった。

そんな私に首を傾げて、けど、私につられたのかライスちゃんも笑っていた。

渡された蜂蜜ドリンクを口にした。甘くて、それでいて少しだけ酸味の効いた味わいが、口に広がる。しつこくなくて、飲みやすい味だ。

ずっと糖分を取るのを控えていた分、余計に美味しく感じる。

「...うん、トレーナーさんが居ないのが悪い!」

 

ライスちゃんはそう言うと蜂蜜ドリンクを口にして、なんとも言えない幸せそうな表情をして微笑んでいた。

 

「そうだ!トレーナーが悪い!」

 

私もライスちゃんに便乗して、ドリンクを頬張った。

控え室の中2人で笑いながら飲んだ蜂蜜ドリンクの味は、いつもよりもずっと甘くて、それでいて、幸せな味がした。

 

 

俺の足は、自然とそこに向かっていた。

軽く深呼吸をして、控え室の扉を叩く。

 

 「...すみません、今はちょっと座っていたいの。用があるなら、構いませんので、入ってくださいますか?」

 

しばらくして、力のない声が中から聞こえてきた。 控え室の中に入ると、勝負服から制服に着替えたキングが椅子に腰をかけて、ただ何をする訳でもなくボーッと天井を見つめていた。

 

「よ、お疲れ様、キング。」 

「...あら、貴方ですの。それにしてもキング、だなんて...まあ随分とした口を聞くようになったのですね。」

「君が言ったんだろ?素の俺の方が好きだって。」

「ふふ。調子のいい人ね。...そうね、私ももう、高貴な自分なんて意識せずに話すわ。...ちょっとだけ、疲れてるしね。」

 

キングは軽口をききながらもその声音と表情には明らかな疲労があった。それだけで、今日の走りに彼女がどれほどの力を込めてかけてきたのかが、伝わってくる。

 

「...結局、負けたわね。私。きっと、ウララさんは何も感じてないわよね...ええ。分かってるわ、そんなの。それを、伝えに来たんでしょ?」

 

キングはそう言って、自嘲気味に笑った。俺は、そんなキングに首を縦に振って答えた。

「ああ。伝えに来たんだ。」

 

俺の言葉に、キングは肩を小さく震わせた。それでも目をそらさずに、たった一言

「...あら、そうなのね。」

 

そう言って、椅子の肘掛に肘をかけて、疲れた様子で早く済ませるように伝えてきた。

だから、俺も直接、手短に伝えることにした。

 

「ウララには、伝わってたよ。」

「...え?」

彼女には、それがあまりにも意外だったのだろう。しばらくの無言のうち、そんな素っ頓狂な声を出して、そして

「同情のつもり?要らないわよ、そんなの。私は負けた。それが全てよ。敗者から伝えれることなんて何も」

「確かに、具体的なものは、なんにも伝わってなかった。それは認める。」

俺の言葉を同情と捉えたキングは、それにかわいた反応見せ、声を静かにそれらの同情を否定した。だから、俺はそれを遮るように、彼女に伝えた。

「お前が伝えようとした、強くなれたとか、覚悟が出来たとか、感謝してるとか、そういう類のものは、多分、ひとつも伝わってない。」

 

ありのままの事実を、彼女に伝えていく。その言葉を受ける度に、キングの方は震え、俯き、小さく唇を噛みしめていた。

 

 「...それでも、ウララは確かに、何かを感じていた。言葉にできない何かを、ウララ自身の走りを変えてくれる様な何かを、あいつは、お前の走りから受け取っていた。これはウララの言葉で俺が直接聞いたことでもあって...見ていた俺自身、感じたことでもある。ウララがここまでの走りをできたのは、キング、お前がいたからなんだ。」

 

 俯くキングに、俺はそっと語りかけた。これが、例えキングにとって同情に感じてしまっても、意味のないことだと捉えられてしまっても、それでも俺は、伝えないといけないと思った。

 キングの走りが、ウララにとって、俺にとって、大切なものであると、何かを変えてくれる存在であると、知ってほしかった。

 だから、言葉の通りの事実を、目で見て感じた事を、率直に伝えた。

「..私は、例えウララさんに何も伝わっていなくても、今日の私の走りを否定したりしないわ。今日の走りを否定してしまうことは、ウララさんがくれた物も否定してしまうことだとわかったから...だから、私は例えどんなに笑われたとしても、大丈夫よ。それを踏まえて、もう一度聞くわ。私の走りで走りが変わったって、何かが伝わったって、...ウララさんが、本当にそう言ってたのね?」

 

俯いたまま無言だったキングはそう言うと、椅子から立ち上がって、俺の方に歩いてきた。

嘘をつくことを許さないというような、そんな目だった。

だから俺も、その言葉に胸を張って、堂々と答える。

 

「ああ。嘘じゃない。もう一度言う。これは、あいつの口から直接受け取った言葉だ。」

「...あ、そ。」

まっすぐにキングの目を見つめて、俺は答えた。

キングはその言葉を受けて、冷たく、けれどどこか嬉しそうな表情でそういうと。

「ま、当然よね!何せこのキングの走りよ!何も伝わらないなんておかしな話よ!」

 

そう大きな声で言うと、オーホッホッホ、といつもの高飛車な笑い声と共に、心底嬉しそうな、そんな笑みを浮かべていた。

 

「...改めて、ありがとうございます。...あなたには、本当に感謝してる。ウララさんを、この舞台に戻してきてくれて、ありがとう。」

 

それまでの馴れ馴れしさをなくし、キングはそう言って俺に頭を下げた。

 

「いや、ここに戻ってきたのはあいつの意志だ。感謝される筋合いは俺にはないし..それに、今日感謝するべきなのは俺なんだよ。キング..ウララと、走ってくれてありがとな。」

 

俺はそんなキングに、たくさんの意味を込めた感謝を述べた。

嬉しかった。ウララの走りで、強くなることが出来たと言ってくれたことが、ウララに、走りで恩返ししたいと言っていた言葉が、嬉しくて、暖かくて、俺をトレーナーとして、ここに立ち続けさせてくれた。

だから、感謝するのは俺の方なんだ。

 

「ふふ、いいのかしら?」

 

そんな俺に、キングはイタズラな笑みをうかべて空いている間隔をさらに詰めてきた。

ほとんどゼロ距離になって、その甘い香りや雰囲気に思わずドキマギしそうになってしまう。

 

「私にそんな優しい言葉をかけてると、後で痛い目にあうわよ?」

「...勝負で手を抜くつもりは無いさ、次のレースでも、ウララをキングに勝たせにいくさ。」

「へぇー、言ってくれるじゃない。」

「ま、一応トレーナーなんでね。」

 

からかってくるキングに軽口で返して、自分の鼓動を誤魔化した。

時計を見るともうすぐウララのウィニングライブの時間だった。

 

「...行ってきなさい。ウララさんが、待ってるわよ。」

 

時計を見た俺の心情を悟った彼女が、腕を組んで少しだけ不満げにそう言った。

 

「ああ...また、ゆっくり話せる時に話そうな。」

「ええ....ゆっくり話せる時に、ね。」

 

キングはそう言うと、先に失礼するわ、と俺にいい、控え室を後にした。

俺もキングがいなくなった控え室にいる必要も無いのでウララのライブ会場へと足を急がせることにした。

 

「トレーナーさん!」

 

そんな俺の背中に、キングの声が届いた。

俺はキングの声の方に振り向いて、そしてー

 

「この私を追い抜いたんだから!有馬記念、走れることになったら...その時は、必ず勝つのよ!」

 

キングの、大きくて、それでいて、どこまでも優しい声音を聞きながら

その言葉に、胸を張ってこう答えたのだ。

 

「...ああ!俺とお前の...約束だ!」

 

キングはその言葉を聞いて、満足そうに微笑むと、それ以降何も言わずに出口の方へと足を進めていった。

俺も、キングとは別方向に足を進めていく。

 

叶わなかった願いがある。届かなかった思いがある。

それでも...その走りは、何かを伝えていた。

それは、彼女だけじゃなくて、他の誰かにも伝わっていって

そうして、またひとつの夢が生まれる。希望が生まれる。

約束が、生まれる。

だから、彼女達は走るのだ。夢を、思いを、願いを、伝え、届け、叶え、そして、繋げるために。

それを今日、俺は、彼女の言葉と、その走りで、理解した。

会場へと進める足を、少しだけ速める。

コツコツという、廊下をかける俺の足音だけが、静かに響き渡った。

 

 

 




今回、今後の展開をどうするかというのをものすごく考えていて、なかなか結論が出ない中、皆さんを待たせてしまっていると考えてとりあえず新話を投稿しました。
有馬記念編の話ですが、いつも以上に遅れてしまうと思います。
ですが、待たせてしまう分、必ず良いストーリーを書きます。
おまたせしてしまい、申し訳ありません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

有馬へ

前回のストーリー(別れ道)の展開が気に入らなかったので、途中を書き直しました、投稿遅れてすみません。
ご指摘いただいた有馬記念の出走人数を調整しました!


 「トレーナー!まだ?ねぇ、まだなの!」

「ばっか、だから、まだだって言ってるだろ!パソコンに顔近づけすぎるなって!あーもう!離れろ!」

 「トレーナーさん!トレーナーさん!あと1分だよ!あと1分で投票結果でるよ!」

 「ライス!おま、ちょいこら!」

 

俺は今、ウララとライスをパソコンの画面から引き剥がすのに死ぬほど苦労していた。

時刻は21時、有馬記念の出走リストが、今晩にウェブサイトで公開される。本来ならこの時間にウララとライスは寮にいなくてはいけないのだが、寮長から特別に許可をもらい、ウララとライスはトレーナー室にて結果発表をいまかいまかと待ち侘びていた。

ファンの反応や世間の反応からして、この二人はおそらく入っているとはおもうのだが

 

...ま、心配する気持ちは俺もおんなじなんだけどな。

 

ライスの枠入りは安心できるが、ウララは正直わからない。ダートレースでかなりの人気を獲得し、ターフの出走を期待されているのは、ファンの声や世間の評価を見ていれば明らかだ。

しかし、それだからといって有馬の出走が出来るかと聞かれれば話は別になる。

有馬を走るウマ娘達は、皆、ファンの声やメディアによって選ばれた、言わば本当に人気のあるウマ娘達になる。

ウララよりも人気があるウマ娘は当然存在するし、それらの人気を押しのけてこいつが入っているか...

 頼むぜ、神様。

 

苦しい時は神頼みというが、本当に神に頼らざるを得ない。 

発表まで、残り1分をきった。

 

「ふぬぅうううううう」

「ふぬぬぬぬぬ!」

 

ウララとライスは二人でパソコンの画面と睨めっこをしていた。

俺が座っている椅子の前に押しのけるようにして二人が画面を見ているため、俺が見れるスペースが少ない。

もうこの二人を引き剥がすのは諦め、二人の頭の間から画面を覗く。

焦る気持ちを抑えて、ひと呼吸置いた。

それと同時に、サイトが更新される。

 

1枠セイウンスカイ

2枠スペシャルウィーク

3枠エルコンドルパサー

4枠グラスワンダー

5枠...

 

「セイちゃんに、スペちゃん、みんなも走るんだ...」

クラスメイトの名が、ウララの焦りをより加速させる。

未だ、ライスとウララの名はなかった。

マウスを動かす手に、嫌な汗が流れる。

 

6枠ライスシャワー

 

「!?私だ!私の名前だよ!トレーナーさん!」

「おおお!ライスちゃん!おめでとう!」

「うし!まずは一人目!」

 

ライスの名前を見た俺たちは各々の反応をし、まずはライスの名が出走リストに入っていたことに安堵した。

続いて7、8と枠に各馬娘の名前が続いていき14枠を過ぎた所だ。

 

そこでページが途切れる。未だウララの名前はない。

 

「...残り、2枠。」

そして、その結末はこのページをスクロールすればわかる。 

変な汗が止まらない。

 

「....大丈夫だよ。大丈夫。...絶対、入ってるもん。」

 

きっと、本当は怖いはずなんだ。それでも、ウララは信じてる。逃げずに、ここに立ってる。

 

 だったら、臆することはない。

 

俺は、指を動かし、ページを下にスクロールした。

 

15枠テイエムオペラオウ

16枠ハルウララ

 

「...あった。」

「うん、あった...。」

「ウ、ウララちゃん!ウララちゃん!」

 

思考が、一瞬停止してしまった。けどそれは本当に一瞬で

 

「うぉおおおおおお!あった!あったぞ!おま、おまぇえええ!」

「やった!やった!やった!ウララちゃん、ウララちゃん!」

「ちょ、二人とも苦しいって!お願い、ラ、ライスちゃ...くる、し...」

 

その喜びを自覚した瞬間、俺とライスはウララに思いっきり抱きつき、二人で激しく肩を揺すったり頭を撫でたり、それはもう溢れ出る嬉しさを惜しみなくウララにぶつけた。

 

「まだ喜ぶのは早いぞ!ウララ!ライス!お前達の戦いはこっからなんだからな!」

「わかってるよ!トレーナーさん!私、ウララちゃんに絶対負けないから!」

「だ!か!ら!二人とも!苦しいんだってばぁぁあ!」

 

俺とライスの笑い声と、ウララの絶叫が、前よりも華やかになったトレーナー室に、響き渡っていた。

 

その舞台に立ちたいと言ったとき、笑われたウマ娘がいる。

そこに立つまでに、沢山の言葉で傷ついたウマ娘がいる。

彼女達の、それぞれの戦いが、始まる。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「よし!ウララはまず長距離に慣れろ。ライスは相手に合わせた走りだけじゃなくて、自分に合ったペースを覚えるんだ。」

 

俺達は今一周1500のターフのレース場に来ている。

冬の季節の朝、レース場に広がる芝には霜などが付いていて少しだけ幻想的だった。

そんなレース場に朝早くに来た俺達には目的がある。

それは勿論、有馬記念に向けた特訓だ。

ウララとライスにはそれぞれにメニューを出すが、まずは長距離を二人に走らせることにした。

特に初めてきちんと調整を行って長距離レースに出るウララ。彼女には、ライスという長距離になれたウマ娘とともに走ることで、そのペースや疲労の仕方を体感して欲しい。

 

「と、トレーナーさん..さ、寒いヨォー」

「大丈夫!多分慣れたら平気だよ!私全然寒くないもん!だからライスちゃんも慣れたら平気だよ!」

「ウララちゃん...そんなに鼻水垂らされながら言われても..説得力ないよ。」

 

はじめての長距離に興奮を隠せないウララに対して、冬の朝の寒さに耐えられないライスは、体を震わせながら俺に抗議していた。

そんなライスをウララは元気づけようとするが、彼女自身相当寒いはずなのに、アドレナリンでそれに気がついていないため鼻水を垂らし、鼻の先を真っ赤にしながら励ますその姿には説得力がかけらもなかった。

ライスがウララの鼻水をティッシュで拭いているのを尻目にして、俺はストップウォッチを設定する。

 

「お前ら、各々アップ済ませとけよ。20分後にスタートするからな、タイムはウララはとりあえず自由に走ること。ライスは...そうだな、3分前半を狙え。それじゃあ、はい、準備スタート!」

 

手をパンパンと小気味よく鳴らして、ライスとウララがアップに取り掛かるように急かした。

ウララは元気よく、ライスは亀のようにとぼとぼとしながらも何とか走る体制に入り、アップを始めていた。

 

「さて、ウララがどこまでライスについていけるか...。」

 

俺はそんな二人の背中を見ながら、密かに、この試走に期待を寄せていたのだった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

結果から言えば、ウララの走りは悪くはなかった。

勿論、ライスと30秒以上離されて死にかけになりながらゴールするという側から見ればやはり、情けない結果に見えてしまう走りには変わらない。しかし、ここには大きな可能性が隠れている。

第一に、彼女の今までのレース経験だ。短距離レースしか味わったことのない彼女が、初めて体感する長距離レースのしんどさ、疲れ方の違い、足の使い方、それを知らない状態で、落ちてはいたものの、以前よりも明らかにスピードを維持して走ることができたこと。

 

第二に、彼女の蹄鉄が短距離レース用のものであること。

短距離レースの蹄鉄は軽さよりも脚力と瞬発力を重視するためにより深く地面にめり込ませる蹄の構造をしている。この構造を作り出すためには長距離用の蹄鉄よりも多くの鉄をつかうことになり、重さも当然増してくる。これがどれほど影響を与えるのかは走る当人にしかわからないだろうが、人間で例えるのなら、陸上の短距離のスパイクで長距離を走るようなものだろう。足への負荷やパワーの伝わりやすさは多少なりとも不利になるはずだ。

 

第三に、ここがターフであるという点。これは、ウララにとって大きく不利であると言える。ターフはダートのようなパワーで押し切るというよりも、繊細な加速の技術や、走る技術がなければ走れないという、いわゆる[走るための才能]が必要なのだ。

これができないためにダートレースに移行するウマ娘達がいるほど、ターフを速く走るというのは難しい。

それらを踏まえたうえでだ。

ウララは、ライスと1分以内のタイム差で走ることができたのだ。

これは、非常に、非常に可能性が見えてくる結果だと言えるだろう。

 

「見えて来たぞ...ウララとライスの先頭争いがよ!」

 

ターフの上で転げるウララに、わたわたと駆け寄るライスを見ながら、俺はそう呟き、小さくガッツポーズをした。

 

 

二人にしばらく休憩をとらせ、朝のトレーニングを終了させた。

その後にトレーナー室に来るように、ウララとライスに伝えた。

ただし、いつものように二人同時に、ではなく、個人個人でくるようにと伝えておいた。これは、二人が競い合う相手であることを本人達に自覚させなくてはならないからだ。

 

「...それに、お互いの手の内を知ってるなんて、つまんないもんな。」

 

俺は先程のウララの走りを録画した映像を見ながら有馬で二人が走る想像をしていた。

その妄想が楽しくて笑みをこぼしているといきなりドアが勢いよく開いた。

 

「トレーナー!ちゃんと制服に着替えてきたよ!偉いでしょ!」

「あのなぁー..ノックすることおぼえろ!」

 

俺は練習着から制服に着替えたことを誇るウララにそう怒鳴ったあと、彼女をトレーナー室のパソコンの前に座らせた。

 

「ええー、褒めてもらえると思ったのに...」

 

ウララは俺に不服そうな態度をしながらパソコンの前に座り、肘をついて欠伸をしていた。

 

「こいつ...」

 

俺はそんなウララを尻目に、パソコンで彼女の走りを再生した。

動画が始まった瞬間、ウララはさっきまでの眠そうな表情をなくし、その動画を食い入るように見ていた。

 

...あいつなりに、思う事があったんだろうな。

 

俺はそんなウララの様子を嬉しく思いつつ、彼女にアドバイスをしていく。

走る時の顎の角度、意識するべきポイント、ペースの上げ方、落とし方。長距離の基本とその応用を、とりあえず知識として彼女に伝え、それを聞きながらウララは何度も動画を見続けていた。

 

「....凄いな、ライスちゃん、本当に綺麗な走り。」

 

ウララは、自分の走りを見るというよりもライスの走りを繰り返し見ていたようで、小さな口から、ぽろりと言葉を漏らしていた。

 

「トレーナー、私も、こんな走りがしたい。」

 

動画を止め、ウララは俺にそういった。

 

「しなやかで、繊細で、速くて...こんなカッコいい走り方、私もしてみたい。」

 

そう語るウララの表情は、今までのものとは違った。

憧れ、尊敬、キラキラした何かを抱いた、そんな表情だった。

 

「そっか。それじゃあ...頑張らないとな。」

 

そんなウララに、俺はそう語りかけた。

ウララは、うん!と元気に返事をして、言われたことを実践してくると、更衣室へと向かっていった。

 

...ライスの走り、か。

 

ウララが憧れた、ライスの走り。

それは、まるで芸術を見ているかのような、そんな走りだ。

ウララの言葉の通り、しなやかで、繊細で、美しい、そう、これは

...天才であるが故に、実現する走りなのだ。

 

「....。」

 

ウララがこれから挑む舞台には、こんな走りをするウマ娘達が待ち受けている。天才、そう呼ばれる彼女達が、手を緩めることなく、彼女にとって全て未知である舞台で、襲いかかってくる。

それは、今までのレースよりも圧倒的に厳しい戦いになるだろう。

 

...大丈夫だ。大丈夫。可能性はある。

 

不安になる気持ちを、自分自身でかき消した。

 

「トレーナーさん、入ってもいい?」

 

嫌な考えをし始めた俺の思考を遮るように、ライスの声が聞こえた。

俺はライスに返事をして、部屋の中へと彼女に入り、パソコンのあるデスクの前に座るように伝えた。

失礼します、と彼女は一言挟み、トレーナー室の中に入ってくる。

一対一で何かをする機会があまりないためか、ライスは少しだけ緊張している様子でパソコンのデスク前に座った。

 

「..そんなに緊張しなくていいぞ。」

 

俺はそんなライスが可愛らしくて思わず笑みを浮かべ、それを誤魔化すように彼女に声をかけた。

 

「うん...悪くないと思う。」

 

ライスは動画を何度か再生した後、納得したようにそう呟いた。

俺もその言葉に賛同して、首を縦に振る。

 

「ああ。極端に言えば、今のライスに修正する所はないと俺も思っている。...強いて言うなら、ラストの直線の腕振りだな。今のコンパクトで小さい腕振りを、ラストの直線、そうだな..残り400あたりから大きめに振ることを意識してみてくれ、それだけで、最後のスピードの伸び方が変わるはずだ。」

「うん!わかった!腕振りを、大きく、大きく..。」

 

ライスは俺の言葉に頷き、何度も俺のアドバイスを小声で繰り返していた。

 

「やる気、満々だな。」

 

小動物のような愛らしさを放っているライスに、俺はそう声をかけた。

その言葉に、ライスは満面の笑みで頷いた。

 

「うん!ライスね、有馬で勝つって、約束してるんだ!」

「約束?誰に?」

「えっとねー、この前、トレーナーと一緒にウララちゃんのレース見たでしょ?その時にあった人達にね、LINEで約束したの!」

「ら、LINE?え、待て待て待て、お前、まさか...」

「うん!交換したんだよ!えへへー、これでウララちゃんとブルボンさん以外とも友達になれたんだぁー」

 

ライスの発言に思わず頭をかかえた。

 

「あのなぁー!そーいうのは!...あーもう!もういいよ!」

 

ライスは俺が怒っている理由がわからずひたすらに目をウルウルさせていた。

 

ウララもそうだが...ウマ娘は自分の可愛さを自覚してないのか?

 

俺は彼女達の自身への認識を心配しつつ、ライスの変化を嬉しく思った。

 

「ま、なにはともあれ...勝ってやりたいんだな、その人達の為に。」

 

それは、ライスが初めて、誰かのために勝ちたいと言ったこと。

有馬記念に出たいと言った時もそうだが、ライスは、誰かの為に、勝利を望んでいる。

それがどれほどの力を生むのかと言うことを、俺はウララの走りで見てきた。だからこそ、ライス中でこういう心情の変化があったことを喜ばしく感じるのだ。

 

「うん...もちろん、自分が勝ちたいって言う気持ちもあるんだけどね?」

 

ライスは恥ずかしくなったのか、少しだけ顔を赤らめてそういうと、もう一度動画を再生した。

けれど、それは自負の走りを見ていたわけではなかった。

動画の中で、ライスの後ろを走る彼女、その走りを、ライスはじっと見つめていた。

 

「....きっと、ウララちゃんは今よりも、ずっと強くなる。」

 

ライスはそう呟くと、さっきのほんわかした雰囲気を一掃するほどの、何かを全身から放っていた。

それは、レースを走らない俺でもわかるほどの..闘志。

ミホノブルボンとのレースを制した時のような、野生を感じさせる目つき。

明らかに雰囲気が違う彼女の様子に、俺は思わず後退りをしてしまう。

しばらく無言でライスは座っていたが、パソコンの動画を止めずに、椅子から立ち上がった。

 

「トレーナーさん、私ね、ウララちゃんに勝つよ。ウララちゃんだけじゃない、スペシャルウィークちゃん、セイウンスカイちゃん、誰にも負けない...負けたくない。その為なら、なんだってしてみせる。」

 

ライスは、真っ直ぐな目で俺にそう言った。

圧倒されるようなプレッシャーを出しながら、負けたくないと言う彼女は、さながら戦に向かう侍のようにも見えた。

 

「ああ...それじゃあ、めちゃくちゃ頑張らないとな、ライス。」

 

俺は、そんな彼女に怯むことなく、真っ直ぐな笑顔でそう返した。

 

「...うん!...ライス、頑張る!」

 

いつもの様子に戻った彼女はそう言うと、トレーナー室を後にした。

 

「...さて、練習メニューどうするかな。」

 

俺は、いなくなった彼女達それぞれを思いながら、今後のメニューを考えることにした。

負けたくない、勝ちたい。

言葉にするのは簡単だ...けれど、実現するのはその何倍も難しい。

けれど、きっと彼女達は、それを実現するのだ。

だから、俺もできる限りのことはしてみせる。

確たる信念を持って、俺はメニューを組み出したのだった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

私は、焦る気持ちを抑えながら駅に向かっていた。

なぜなら、今日は...

駅の中央改札の出口、そこの近くにある噴水に、彼女はいた。

病室では解いていた髪を二つに結んで、そして、

白色のギブスを取った彼女が、立っていた。

 

「ファルコンちゃーーーん!」

 

私は、そんな彼女に大きく手を振りながら近づいていった。

 

「!?ウララちゃーーん!」

 

私に気がつくとファルコンちゃんも大きく手を振って、私に応えてくれた。

 

そう、今日はファルコンちゃんが退院した日なのだ。

有馬記念の発表から3日後、ファルコンちゃんから、退院するよ!というメッセージを受け、私はその日に遊ぶ約束をしていた。

 

「本当は、色々やることあるんだからね!」

 

昨日した電話でそう言いながらも、ちゃんとオッケーを出してくれたファルコンちゃんは、やっぱり優しいなと思う。それから...

 

『有馬記念出走、おめでとう。ウララちゃん。』

 

そう優しく言ってくれた時の、ファルコンちゃんの声音が、今でも私の耳に残っている。とっても優しくて..嬉しくて...勇気が出る。

そんなことを思い出しながら、ファルコンちゃんの服装に注目した。

私服のファルコンちゃんを見るのは実は初めてで、その都会っぽい服装に思わず、おおー、と声をあげていると、ファルコンちゃんは嬉しそうに一回転して

「いいでしょ!」

そう私にファルコンちゃんがはにかんだ。

そのかわいらしい笑顔を受けて、私も幸せな気分になる。

 

「いこ!ウララちゃん!」

 

ファルコンちゃんはそう言って私の手を引いてある場所へと向かっていく。どこで遊ぶかと言う話は、実はまだ聞かされていない。

私が色々提案したのだが、どうしても先に寄りたい所があるとファルコンちゃんは譲ってくれなかった。

本当は遊園地やゲームセンターに行きたかったのだが、退院したお祝いで遊ぶのだし、私は渋々その言葉を飲み込んでファルコンちゃんの行きたい所に向かうことにした。

駅から少しだけ歩いて、向かった先は....

 

「蹄鉄、屋さん?」

「そ!私が行きつけだった所!」

 

ファルコンちゃんはそう言うと、私の手を引いて中に案内してくれた。

こじんまりとした店の外観とは異なり店内はそれなりに広く、長距離から短距離まで幅広い種類の蹄鉄が置いてあった。

暖房の効いた部屋の中、周りの蹄鉄をキョロキョロしながら見ていると、店の奥から人が出てきた。

「あら、ファルコンちゃんやないの、いらっしゃいね。もう足は平気なのかい?」

「あ!広瀬さん久しぶり!うん!もう平気だよ!軽くなら走れるぐらいなんだから!」

「あらそぉーなの。そりゃよかったわ...あれま!隣にいるウマ娘の子、もしかして」

「そ!ウララちゃん!私の1番のライバル!」

「あらあら!いらっしゃいませー、有馬記念、走るんだってね?投票結果見たわよー。」

 

出てきたのは50歳くらいのおばちゃんで、広瀬さんと言うここの店主のようだ。広瀬さんとファルコンちゃんは仲がいいようで、私は二人が話している間どうしようかとオロオロしていた。

けれど、広瀬さんの口から出た、私が有馬に出ると言うことを知っていてくれたことが嬉しくて、私も会話に参加することにした。

 

「そうなんだー!私!有馬記念に出るの!頑張って優勝するから、応援してね!」

 

私の言葉に、おばちゃんは少しだけポカンとした後に

 

「..あんた、ファルコンちゃんと似てるわねー。」

 

そう優しく呟いて、ファルコンちゃんに目を向けた。

 

「ファルコンちゃん、あんた、あの蹄鉄を残しといたのって...」

「広瀬さん...わかっちゃった?」

「はぁー、ちょっと待ってな。」

 

広瀬さんはそう言うと店の奥に入っていった。

私にはなんの話かさっぱりで、また話において行かれたことが少し寂しかった。

しびらくして、中から広瀬さんが、手に箱を抱えて出てきた。

それを、広瀬さんは私に渡してくる。

 

「?私、まだ何も買ってないよ?」

「ウララちゃん、それ、私からのプレゼント。有馬記念の出走が決定したから、そのお祝いだよ。」

「え!ファルコンちゃんからの!?いいの!?」

 

私はファルコンちゃんの言葉を聞いて、急いでその箱を開けた。

箱の中には、蹄鉄が入っていて、銀色の蹄鉄に桜のマークがついた、とても軽いものだった。

 

「気に入ってくれた?」

 

ファルコンちゃんは私の顔をのぞいて、そう聞いてきた。

私は、緩み切った頬のまま、満面の笑みで頷いた。

 

「うん!嬉しい!可愛いし軽いし!ありがとう!ファルコンちゃん!...あ!でも、私が本当は何かあげなきゃなのに...ごめん、なんも用意してない。」

 

私は、本来なら自分がプレゼントをあげないといけない立場であったことを思い出して、ひどく申し訳ない気持ちになった。

そんな私を見ながら、ファルコンちゃんは優しく笑ってくれた。

 

「いいよ、そんなの気にしなくて...それに、もう、プレゼントは充分にもらってるから。」

「??私、何かあげた?」

「ふふ、なんでもないよ。」

 

ファルコンちゃんはそう言うと、私に支払いをするから外で待つように伝えた。私も一緒にいたかったけど、おばちゃんとファルコンちゃんの二人の中を邪魔したくなくて、外でおとなしく待つことにした。

箱の中の蹄鉄に目を落とす。

ピカピカして、可愛い蹄鉄。

ファルコンちゃんが、私にくれた蹄鉄。

トレーナーがくれた時と、おんなじ気持ちが湧いてくる。

嬉しくて、あったかくて、とっても、勇気が出る。

レースに出ることに、不安がないわけじゃない。

ライスちゃん、スペちゃん、セイちゃん、色んな強いウマ娘達に勝たないといけないと言うプレッシャー、トレーナーを、みんなを、勝って笑顔にしたいと言う願い。

...ファルコンちゃんの、夢を壊した責任。

色んなものを、私は成し遂げないといけなくて、それで平気でいられるほど私は強く無い。だからこそ、今は物凄く心強かった。

 

「...私、勝つよ。」

 

小さく、そう呟く。

沢山の前を走る背中に、追いつき、そして、追い抜くために

私のすべてを、有馬にぶつける。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「いいのかい?あれは本当ならあんたが...」

「ううん。いいの。もう、私には必要ないから。」

 

私は、自分の右足をさすりながら、広瀬さんの言葉を遮った。

もうずいぶんと細くなってしまった足を誤魔化す為に、私はオーバーオールのズボンを履いている。ウララちゃんに、足のことを悟られたくなくて、できるだけ平気なふりをしてた。...実を言うと、まだ歩くのは少ししんどい。

 

「広瀬さん、悪いんだけど、椅子もらえる?」

「あんたねぇー...しんどいんなら、最初からいいなさいな。」

 

広瀬さんはそう小言を言いながらも私に丸椅子を勧めてくれた。

 

「ありがとね、広瀬さん。」

 

私は一言お礼をいって椅子に座った。硬そうで意外と柔らかい椅子に、思わず、ふぅー、と声が漏れる。

 

「それにしてもまあ、皮肉なもんだねぇー。....あんたがいつか走る時のために買ってた蹄鉄が、レースで負けた相手に渡るなんてね。」

 

広瀬さんはそう言いながら私の横に丸椅子を置いて腰掛け、レジの横にある小さめのテレビを見ていた。

その目は遠くを見ているような目だった。

私がまだ引退する前、いつか有馬に出る時のために、ここで特注の蹄鉄を作ってもらっていた。出走が決まるまで店に置いておいてもらうように広瀬さんに頼んでおいた。...もう、使うことはないけど。

けど、私に後悔は無い。

悔しさも、悲しさも、今でもはっきりと胸の中に残っている。

それでも...ウララちゃんと、あの日、走れて良かったと、本当にそう心から思っている。

そして、自分が彼女に何を夢見ているのかも、見つめて、向き合って、理解することができた。

だから、私はあの蹄鉄を、ウララちゃんに託した。

 

「私はね..まだ、納得してないよ。ファルコンちゃんじゃなくて、あの娘が有馬に出るなんてね....私は、納得してない。」

 

広瀬さんはそう言いながら立ち上がり、私の頭を撫でた。

 

「...ごめんね。こんな、どうしようもないことを、あなたに言って。」

「ううん。...大丈夫。広瀬さんに沢山応援されてたってわかって、嬉しい。ありがとね、私のファンでいてくれて。」

 

悲しそうに微笑む広瀬さんに、私は笑顔で、応えた。

 

「ああ..私はね、私は、ずっと、ファルコンちゃんの、ファンだよ。」

 

広瀬さんは声を震わせながらそう言うと、店の奥に消えていった。

 

「...また来るね。」

 

私はそっとそう言うと、店を後にし、出口へと向かっていった。

外には、蹄鉄を大事そうに抱えたウララちゃんが立っている。

...広瀬さん、あのね。

私は、もうその舞台に立たないけど。

それでもね、いるんだよ。ここに、私の想いを背負って、その場所へ向かってくれるウマ娘が。

誰よりも頑張り屋さんで、優しくて、力強いウマ娘が、いるんだよ。

だから...広瀬さん、どうかウララちゃんのことを、見ててね。

 

言葉にすることのない思いを、私は胸の中で、そっと彼女に伝えたのだった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

私とファルコンちゃんは蹄鉄屋さんをでて、ゲームセンターや服屋さんなど、楽しめる場所を一通り回って、駅近くの公園に足を運んでいた。

冬の日の沈む速度ははやくて、まだ17時だというのにもう外は真っ暗に高くなっていた。

 

「ぶぅー、もっと遊んでたいのに。」

 

ブランコを漕ぎながら、私は不満を口にした。

せっかくファルコンちゃんと初めて遊んだ日で、しかも退院祝いだというのに、外が暗くなるのが早すぎる。

それに、私はまだ何もファルコンちゃんにプレゼントできていない。

クレーンゲームでぬいぐるみを取ってプレゼントしようとしていたら、いつのまにか残りのお金が500円になっていて、何かを買おうにも何も買えなくなってしまったのだ。

 

「ほんとだよねー。楽しい時間って、すぎるの早いよね。」

 

そんな私の不満に、ファルコンちゃんは笑ってそう賛同してくれた。

寮の門限があるため、ここで話して解散しようと二人で決め、私達は何をするわけでもなく、ただ二人で話し続けた。

冷たい風が吹く中、ファルコンちゃんが思い出したように言った。

 

「あ、ウララちゃん!今日ね、なんか流れ星が見えるんだってさ。」

「え!そうなの!?見たい見たい!」

 

私はファルコンちゃんの言葉に胸を躍らせた。

流れ星、空に描かれるであろうその美しい情景を思い浮かべながら、私はいつ流れ星が来るのかと期待し、空を見つめ続けた。

 

「...ウララちゃんは、どんなお願い事をするの?」

 

空を見つめている私に、ファルコンちゃんがそう聞いた。

私は空を見つめたままお願いすることを口にしていく。

 

「えっとねー。いっぱい1番になれますようにでしょー、あと、トレーナーとライスちゃんに良いことがありますように!それから、ファルコンちゃんが...また走れるようになりますように、とか。」

 

そこで、私の言葉は途切れた。

 

「流れ星の流れてる間、そんなにお願いできる?」

 

けれど、ファルコンちゃんは特にそれを気にした様子もなく、笑って私の答えを受け入れてくれた。

空を見つめてた視線が、自然と地面を見つめている。

 

「...ウララちゃんは、有馬記念で優勝するってお願いしないの?」

 

俯いている私に、ファルコンちゃんはそう声をかけた。

 

有馬記念の優勝。それは...今私に取って、何よりも欲しいものだ。

でも...それは、お願いすることじゃ無い。

 

「うん、しないよ、だって...だってそれは」

 

私は顔をあげて、隣にいる、私のライバルの目を見て、こう応えた。

 

「私自身で、勝ち取るものだから!...だから、お願いしないの。」

 

私の言葉を受けて、ファルコンちゃんは一瞬ぽかんと口を開けて、けどすぐに笑顔になって、私の頭を撫でてくれた。

なんで撫でられてるのかわからないけど、嬉しいから私は撫でられるままでいることにした。

 

「...本当に、強いなぁー、ウララちゃんは。」

 

ファルコンちゃんは小さくそう呟いて、私の頭を撫でるのをやめた。

それが少し寂しくて、私はファルコンちゃんを見つめる。

けど、ファルコンちゃんは空を見ていて、なんだかその姿がとても儚げだったから、私は何も言えずにただその姿を見つめていた。

 

「私さ、お願いするって、嫌いなんだ。」

 

ファルコンちゃんは空を見つめたまま、そう口にした。

私はそれを不思議に思って、首を傾げる。

 

「お願いするって、誰か頼みになるってことで、自分じゃできないって言ってるようなもんじゃ無いのかなって、ずっと思ってた。」

 

ファルコンちゃんは空から目線を私に向けて、でもね、と微笑んで

 

「そうじゃないんだって、わかったんだ。...願うことは...託すことは、その場所に私も行けることなんだって、気がつけたから。」

 

そう言って、ファルコンちゃんはブランコから降りた。

私の前に立った彼女は、真っ直ぐな目で私を見て、そして

 

「ウララちゃん...私、ウララちゃんと一緒に、見たい。有馬の頂上を、見てみたい。」

 

そう、伝えてくれた。

ファルコンちゃんには、もう見ることができない景色。

それでも、ファルコンちゃんは、私に託してくれた。

私の走りを、信じてくれた。

だったら、私にできることは一つだ。

不安な心を、震える声を、必死に抑えて

私に今できる、最大限の言葉で、彼女に応える。

 

「うん...必ず、必ず、取って見せる。」

 

その言葉を受け取って、彼女は満足そうに微笑み

 

「うん、待ってるね、ウララちゃん。」

 

そう、笑顔で応えてくれた。

 

二人で足並みを揃えて、寮へと向かう。

その間、私達に会話はなかった。

けれど、その日、私の中で、一つの決意が固まった。

 

有馬記念を、『必ず』勝つ。

 

その信念を、確固たるものにして

自分の中にある不安を、恐怖を、かき消した。

冬の風が、頬を照りつける。

その風に打たれながら、ファルコンちゃんと足並みを揃える。

その一歩一歩の感触が、妙に心地よかった。

 

 

 

 

 

 




投稿し直すこと、大変申し訳なく思います。
展開を変えましたので、前回の話より、一層面白くなっていると信じて投稿し直しました!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

あの日からずっと

投稿頻度遅くて申し訳ありません。
有馬記念編に向けてストーリーを動かそうとすればするほど色んなキャラクターの心情を考えてしまって、前に進めないです...申し訳ありません。
有馬の出走人数は16人に変更しました。
ライスの一人称を、私、に変更しています。
ウララちゃんの部屋の設定も変えてます。


12月。クリスマスまだまだ遠いというのに周りはクリスマスに向けてソワソワし出している。そんな中、私達はそんな雰囲気とは無縁の、それぞれのレースに向けた練習の毎日を送っていた。

ウララちゃんとは別のターフ場で、私はトラックを走っている。

....ここだ!

トレーナーさんのアドバイス通り、ラストの直線で腕振りをより大きくすることを意識してみる。体がより前傾姿勢になり、加速力が上がるのが体感できた。けど....

足が、もた、ない...

その加速力に自身の足が追いついてこない。残り200メートルはほぼバラバラの走りで終えてしまった。

それでも、私はその日の練習で自己ベストを作り出すことができた。

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ...ライスの、課題、だね。」

 

ラストのスプリントに足りない筋力。それをどうカバーできるかが私の課題だ。

 

「走った感じは、どうだったか?」

「うん、前よりもタイムは縮んでるし、よくはなってきてるけど...やっぱり、最後のパワー不足が、心配かも。」

 

一通りメニューとコースを走り終えた私の元に、トレーナーさんが、おつかれ、と手を上げながら聞いてきた。

私は、そんな彼に隠すことなくそう伝えた。きっとトレーナーさんなら何か打開策をくれるに違いないと、暗に期待しているからだ。

しばらく無言になった後に、トレーナーさんは何かを思い付いたようで

 

「...っし、ライス、悪いけどストレッチとかしながら少し待っててくれないか?10分程度で戻ってくる。」

 

そう言い残して、急ぎ足で器具室の方へと向かっていった。

 

やっぱり、トレーナーさんは凄いや。

 

私は、すぐに打開策を思いついた彼に、純粋な尊敬の念を改めて抱いた。

練習メニューも、その言葉も、一つ一つが私達に寄り添ってるものを伝えてくれるトレーナーさん。少しそっけないところもあるけど、改めて、この人と共に歩んできたと思えるような、私にとって、彼はそんな存在だった。

彼にそう伝えても、当たり前のことをしてるだけだと話を流してしまうけど...

そんな所も、私は好きだ。

言われた通り軽くストレッチをしながらトレーナーさんの帰りを待つ。

スマホもなにもない10分というのは意外と長くて、私は手持ち無沙汰になりコース外にある青色のベンチに腰をかけて、長い息をついた。

 

「おやおやー、ここにいるのは、ライスシャワーさんじゃないですかー?」

「!?ひ、ひゃい!」

 

完全に気を抜いていたから、急に話しかけられて思わず変な声を出してしまった。

声の主の方に恐る恐る顔を向ける。

短い、少しだけ青みがある白髪、ひまわりの髪飾りをつけて、青色の目をしたウマ娘...

 

「あ、初めましてですよね。私、セイウンスカイっていいます。有馬記念でご一緒するので、以後お見知り置きを〜。」

 

ひらひらとした声音で彼女はそういうと私の隣に座った。

 

「あ、あの、私はライスシャワーっていいます。よ、よろしくね。えっと、ライスでいいよ?」

 

私もとりあえず自己紹介をして、彼女に微笑んだ。

セイウンスカイちゃんは私の笑みを受けて

 

「では、私のこともセイちゃんとお呼びくださいな〜。」

 

と、ひらひらした声音でそう言って、にゃははは、と変わった笑い方をしていた。

 

「いや〜、いいですよねー、このベンチ、練習をサボって休むのにはちょうどいいところにある。トレーナーがきたら直ぐにコースに戻れるし、昼寝に最適です。」

「だ、ダメだよ!セイちゃん!そんなことしたら!練習はサボっちゃダメ!」

「おおー、やっぱり真面目な方だなぁー、ライスさんは。」

 

セイちゃんはそう言うと、休憩がてら世間話でもしないかと、私を誘った。私はトレーナーさんが来るまでならいいよと答え、その会話に付き合う事にした。

 

「ウララちゃんから、ライスさんの話はよく聞きますよ。とっても速くて優しいウマ娘なんだって、よくクラスで自慢されてます。」

「そうなの!?えへへ〜、ウララちゃんに自慢されてるのかぁー...恥ずかしいけど、嬉しいなぁー。」

「やっぱり、ライスさんはウララちゃんと仲がよろしいんですね。」

「うん!...親友、だと、私は思ってるよ。」

「なるほど、親友、ですか...。」

 

しばらく、セイちゃんとウララちゃんの話や最近のトレーニングの話をしていた。トレーナーさんは、まだ帰ってこない。

 

「ふむふむなるほど、やはりライスさんはお優しい方だ。...私の期待通りです。」

「期待、通り?」

「ええ、そうです。優しくて純粋で、真面目であるほど、ありがたいんですよ。」

 

ある程度会話が進んだ所で、セイちゃんはそう言った。

小さな掛け声と共に彼女はベンチから立ち上がって、私の方に振り返ることなく、コースを走るウマ娘達を眺めていた。

 

「そんな真面目で後輩思い。優しい、優しいライスさんだからこそ聞きたいんですけど〜」

 

コースをかけていく蹄鉄の音が徐々に大きくなってくる。周りのみんなが目の前のコースをかけた行くからだ。それをセイちゃんは呆然と見ながら

 

「貴方に、倒せるんですか?...ウララちゃんが。」

 

そう、静かに、冷たい声音で、私に聞いた。

 

「...それは、私がウララちゃんに勝てないってこと?」

 

私は、そんな彼女に怯むことなく、その背中に声を強めて聞いた。

私は、負けるつもりなんて微塵もない。例えウララちゃんがどんなに強くなったとしても、私は

 

「いや〜、その逆ですよ〜、ライスさん。」

 

改めて勝つ決意をしていた私の思考を、セイちゃんの言葉が遮る。

 

「...逆?」

 

言葉の意味がわからなかった。小首を傾げる私に、セイちゃんはゆっくり振り向いて、そして彼女は

 

「ええ、そうです。貴方は勝つ。少なくとも、ウララちゃんが勝てる可能性はない。だから聞いてるんです。ライスさん、貴方は...」

 

その言葉で揺れ動く私の感情を見て楽しむように

 

「ウララちゃんと、貴方のトレーナーさんの夢を...壊せますか?」

 

恍惚な笑みを浮かべて、そう聞いたのだった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

私には才能がなかった。

グラスちゃんのような相手に食らいつき、最後に追い抜く差し足も、スペちゃんのような、強引な走りも、私にはできなかった。

努力の量だけではどうにもできないものがあると、自覚している。

だからこそ、私は頭を使う。

レースにおいて勝つ条件というのは、走る能力だけではない。

厳密に言えば速いウマ娘が勝つ。当たり前の世界。当たり前のルール。

...けど、それはウマ娘が機械であれば成り立つ世界だ。

私は知っている。感情が、言葉が、走るという世界の常識を覆すと言うことを。戦略が、レースというものの常識を変えるのだと。

だから、不安要素は消すのだ。

...レースは、出走前から勝負が始まる。

 

私は探していた彼女を見つけた。その走りを影からしばらく見ていたが、やはりいい走りだった。それもただ良いだけではない、まさに、『天才』のそれだ。この距離を走ったことのあるウマ娘なら、誰もがそう評価するだろう。

ベンチに座り一呼吸置いている彼女に声をかける。

案の定、私に声をかけられたことに彼女は困惑していた。

それもそうだ、そもそも、揺動作戦なんて、ウマ娘がやろうなんて普通は考えないからだ。

 

「ウララちゃんと、貴方のトレーナーさんの夢を...壊せますか?」

 

機会を見計らって、私はそう聞いた。

この言葉は、きっと具体性を持たなくても彼女には伝わるだろう。 

同じクラスの同級生の私ですら、ウララちゃんが有馬という舞台での勝利を望んでいること、そして、ウララちゃんのトレーナーもまた、ウララちゃんの勝利を望んでいるのだと、行動やインタビュー、発言、接し方、様々な面から予測し、感じることができたのだから。

 

「...夢?」

 

それなのに、彼女はそれを理解していないようだった。素っ頓狂な顔をする彼女に対して、私はリズムが狂わされたことに対する多少の苛立ちを隠して改めて口にすることにした。

 

「そうです。ウララちゃんの有馬記念で勝つという夢。トレーナーさんの、ウララちゃんに勝って欲しいという願い。きっとそこに向けて、彼女達は足掻き、苦しみ、そうしてようやく有馬という舞台で戦います。そんなウララちゃんの努力を知っていて、トレーナーさんの気持ちを知っていて、ライスさんは全力でウララちゃんを倒せますかと聞いているんです。」

 

極めて直接的に表現した私の言葉に、ライスさんは今度はピンっときたようで、長い耳をヒクヒクさせながら、

「あー、なるほど。」

と一人で納得していた。そして

 

「...うん。そうだよね。きっと私が勝てば、色んな人が傷つくと思う。それは、ウララちゃんやトレーナーさんだけじゃ無くて、もっと多くの、それこそ、私以外の勝利を望んでる世界中の人が、傷つくと思う。...その事実に、前の私は耐えられなかった。」

 

そう、静かに語り出した。

予想していなかった言葉に、私は何もできなかった。彼女はそんな私の内心を知ってか知らずか、優しい笑みを浮かべて言葉を続けていた。

 

「でもね、こんな私のことを、好きだって言ってくれる人がいるの。こんな私に、勝って欲しいって、そう思って、願って、信じてくれる人が、たくさんいるの。....私は、その人達に、応えたい。」

 

そう語るライスさんの声音は、とても穏やかで

 

「走りで、結果で、私は、みんなに応えたい....例え、その先で誰かを傷つけるのだとしても...友達の夢を、大切な人の夢を、壊すことになったとしても、私は勝ちたい。」

 

そして、とても力強かった。

 

「にゃははは!なるほどです!ライスさんの意気込みはわかりました。では私は次の用事があるので...」

 

ライスさんの内面を揺さぶる作戦はこれ以上してもうまくいかないと、私は彼女の発言や声音から理解できた。だから次のプランに移ろうとその場を動こうとした...なのに、その目を見て、体も、声すら発することができなくなった。

 

....こわい。

 

これは、本能の反応なのだと、すぐに理解できた。私達がもっている、強者に対しての反応...恐怖だ。圧倒的な何かを前にした時に抱く感情。

それが全身を駆け巡り、全てを硬直させる。

 

「..,あのね、セイちゃん。私さ、楽しみなんだよね。」

 

ライスさんはその、まるで獲物を狩るような目のまま、ゆっくりとベンチから立ち上がった。

 

「ウララちゃんが、どんな走りをするのか。どこまで、私に追いついてくるのか。...それを、全力でねじ伏せるのが。」

 

湧き上がるようなプレッシャーが、ライスさんから伝わってくる。まるでレース直前のような、そんな雰囲気をもつ彼女に、思わず足がすくんだ。

 

「...うん。だから、私は大丈夫だよ!セイちゃん!」

 

けどそれは一瞬のことで、すぐにライスさんは先程のような優しい雰囲気になり、私に微笑んでくれた。

 

「あ!でも、練習する場所にね!その...制服で来るのはあんまり良くないと思うな!それだけちゅ、注意します!」

 

そして、後半になるにつれて自身なさげになりながらも私にそう注意して、ライスさんはコースに戻っていった。

 

「...にゃはは...私達は、眼中にないってわけね。」

 

私は、走り去る彼女の背中を見つめながら

未だに収まらない恐怖心を抑えるように、小さく呟く。

けどその声音はコースを走る彼女達の蹄鉄の音に消されていった。

 

「あれは、やばいね。」

 

ようやく収まってきた恐怖心を抑えて、そう自分に言い聞かせる。

あくまでも、マークするウマ娘の一人とだけ考えていた。

けど、それは間違いだった。

間違いなく、ライスさんはレースを動かす、恐らく、誰よりもその可能性が高い。

ストレッチをしている彼女を見つめながら、私は、今までにないほどの焦燥感に駆られながら、担当トレーナーの元へと歩き出したのだった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「わぁ、疲れる所が全然違うや。」

 

トレーニングを終えてお風呂に入り、自室でストレッチをしている時、自分の筋肉の、今までと違う所に痙攣が走っている事に私は気づいた。

長距離をトレーニングしていく中で、気がついたことがいくつかある。

まず、走行中の疲れ方だ。短距離みたいなレース後にどっとくる疲れ方じゃなくて、レース中に疲れがくる。そして、その疲労の溜まり方が短距離と比較して長いせいかとても重たく感じた。

次に、フォームを変更していく中で生まれた違和感。長距離を走る上で大切なのは、いかに力を最後まで残しつつ先頭に躍り出るか、というところにあるとトレーナーが言っていた。その為にはそれを実現するためのフォームと体力が必要だ。腕振りの大きさ、足の運び方...短距離とは、同じ走るという事でも、異なることが山ほどある。

 

「あら、ウララさん。練習終わりですの?」

「キングちゃん!うん!さっき終わってね!お風呂から出たところなの!」

 

私が長距離について色々考えていると、部屋の扉が空いた。

同居人の都合と、私の部屋の広さの都合でキングちゃんが私の部屋に来てくれたから、もう随分と経つ。キングちゃんに、寝ている時に抱きつくと、あったかくていい匂いがするから、私は今の時間が大好きだ。

 

「髪、ちゃんと乾かしましたの?」

「あ!忘れてたや!」

「はぁ...今乾かしますから、そこに来てください。」

 

キングちゃんにこの前、お風呂からでると髪を乾かすように言われていたのだが、私は殆どそれを忘れてしまっていた。

キングちゃんがベッドに座って、隣に座るように言ってきたので私はストレッチをやめてすぐに隣に座った。キングちゃんもお風呂上がりなのか、とてもいい匂いがする。目の前にある鏡に私を写しながら、キングちゃんはドライヤーを始めた。

 

「全く、あれほどウマ娘の毛並みは大切だと言っていると言ったでしょ?」

「うぅ〜、わかってるよぉ〜」

 

以前もキングちゃんにドライヤーをされながらそう言われたのを思い出しながら、私は思わず唸ってしまった。

正直、髪を乾かすのは面倒だ。けれど、こうしてキングちゃんに乾かしてもらうのが嬉しくて好きだから、思わず笑みが溢れてしまう。

 

「はぁー、何が楽しいのやら。」

 

そんな私を見てキングちゃんはため息をつき、そして呆れながらも私の髪を優しく撫でながらドライヤーを続けてくれた。

強すぎず、弱すぎないドライヤーの風が、少し冷めてきた肌に心地よかった。

 

「...長距離には、慣れましたの?」

「うーん、どうかな。最初よりは上手く走れてると思うけど...正直、まだ自信ないんだよね。」

 

ドライヤーをしながら、キングちゃんがそう聞いてきた。短距離レースしか経験がない私を、気遣ってくれているのだろう。私は、そんなキングちゃんの質問に正直に答えた。

体力にはライスちゃんと地道にしていた特訓や自主練のおかげであまり問題はなかった。けれども、短距離とは違うスピード感やフォーム、疲労の溜まり方に最初よりはマシになってはいるが、体が慣れていない。

 

「そ、まあ、そのうち慣れるますから、安心しなさい。」

 

キングちゃんはそう言うとドライヤーの風を切った。

 

「....それだけ?」

 

だから、私はそんなキングちゃんを意外に思った。

キングちゃんなら、絶対何か言ってくると思ったからだ。まだ慣れてないのかとか、呆れましたわとか、そんな感じの言葉が来るんじゃないのかと思っていた。

 

「...なんですの。私が何か失礼なことを言うとでも思いまして?」

「!?ち、ちち違うよ!思ってないよ!そんなの!」

キングちゃんは私の表情からそう思ったのか、少しだけ不満げに頬を膨らませた。私は慌ててそれを否定したけどかえって逆効果だったようで、キングちゃんがため息をついてしまった。

 

「はぁ...あのね!私はそんな嫌味を言うような...い、言うかもしれないけど!...とにかく!言わないの!もう!」

「う、うん!わかったから、お、落ち着いて!キングちゃん!」

 

キングちゃんの喋り方がいつもの高貴な話し方じゃなくて、砕けた感じになった。それを嬉しく思いながらも大きく肩を揺すられてしまい、私はなんとかキングちゃんを落ち着かせようと言葉をかけた。

 

「...けど、本当に、貴方にそんなことを言う必要はありませんわ。」

 

しばらく私の肩を揺すり続けて、キングちゃんはようやく落ち着いたのか、いつもの丁寧な喋り方に戻って、ゆっくりと語り出した。

 

「貴方が長距離に慣れてなくても、例え、本番までそれが続いてしまったとしても...私は、信じていますから。」

「信じる?」

「ええ。信じています。貴方が、有馬という舞台で、必ず勝つのだと。」

 

その言葉に、私は何も言えなかった。真っ直ぐに、私の目を見てそう語るキングちゃんの声音が、あまりにも優しくて、その言葉が、私の全てを信じてくれているのだと、そう言ってくれているようで

嬉しくて、嬉しすぎて、何も言えなかった。

 

「....な、何か言ってもらえます!?恥ずかしいのですけど!」

 

そんな私の反応を見て、キングちゃんは再び落ち着きを失って私の肩を揺すり出した。

 

「ぷ、あはははは!ははは!」

「な!笑った!?今貴方!笑ってるわよね!?」

 

いつもの落ち着いている姿じゃなく、たくさん慌てているキングちゃんが面白く、可愛らしくて、私は思わず吹き出してしまった。

キングちゃんはもう丁寧に話すことをやめて、貴方って人は、と説教を始めている。

 

「だ、だってー、キングちゃん、たくさん慌てて可愛いもん!」

「か!可愛い!?あ、あなたね!うぅうう〜!」

 

私は説教中のキングちゃんに思ったことを伝えると、キングちゃんは顔を真っ赤にして俯いてしまった。

 

それからしばらく、2人でたわいもない話をしていた。今日あった出来事、レースについて、好きな服の話、ドラマの話、そうやって2人で話して、笑って、あったかい時間を過ごした。

そういう、幸せな時間がすぎるのはあっという間で、気がつけばそろそろ消灯時間になる頃だった。

フクキタルちゃんは遠征でいないから、今日は2人部屋だ。3人部屋のこの部屋に2人で寝るとなると、この狭い部屋も意外と広く感じる。

本来なら自分のベッドに入って寝るが、今日はキングちゃんのベッドにお邪魔することにする。

 

「...せまい、です。」

 

キングちゃんはそう言いながらも私の寝れるスペースを作ってくれた。

その優しさに甘えて、私はキングちゃんの横に飛び込んだ。

 

「まったく、いつまでも子供なんだから...」

 

キングちゃんはそう言うと、微笑んで、私の頭を軽く撫でてくれた。

 

「...ありがとね。キングちゃん。私を、信じてるって言ってくれて。」

 

そんなキングちゃんの目を見て、私はようやくさっきのお礼を言うことができた。

 

「い、いきなりお礼をするなんて、少しびっくりしますわね。」

「えへへー、ごめんね、言いそびれちゃって。」

「...ふん、いいですわ!別に、お礼が欲しくて言ったわけではありませんもの。...本当に、心から、そう思っているから言ったまでです!」

 

キングちゃんはそう言うと、少し赤くなった頬を私から背け、私の反対方向を向いてしまった。

 

「...うん。本当に、ありがとう。」

「....おやすみなさい。」

 

私は、またも嬉しい言葉をかけてくれたキングちゃんに、お礼をした。

キングちゃんはそれに何も言わずに、寝たふりをし始める。

だから私も、キングちゃんに習って寝たふりをする事にした。

静寂が、私達を包む。

どれほど寝たふりをしていただろう。トレーニングの疲れから、私は本格的に眠気に襲われはじめた。

それでもその言葉は、薄れていく意識の中で、確かに、私の耳に届いた。

 

「...信じるしか、私にはできないもの。....これぐらいしか、私にはできないから...だから、絶対、貴方を、不安になんてさせない。」

 

ああ、そうか。私は、今、キングちゃんがどんな気持ちでいるのか、ようやくわかった。

キングちゃんは、怖くないわけじゃなかった。私が負けることを、考えていないわけじゃなかった。それでも、私を必死に支えようと、信じてる、そう言い切ってくれて、自分に言い聞かせてるんだ。

....なんて、優しいんだろう。

誰よりもプライドが高くて、負けず嫌いで、それでいて

誰よりも、他人の事を心配してくれる。

そんな娘が、私の友達でいてくれる事に、私を信じていてくれることに、幸せを感じる。

布団の温もりと、キングちゃんの体温を感じながら、私はゆっくりと意識を、微睡みの中に落としていく。

幸せな温もりに包まれたその夜は、とてもよく眠れた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「よし、ウララもライスも、お互い順調だな。」

 

俺は2人の成長に大きな満足感を抱きながらトレーナー室で作業を済ませた。

ウララの走りは元々体力がついていたこともあって長距離の走りに徐々に変わっている。まだ確かなものにはなっていないが、それでも、着実に前に進んでいる。有馬記念で戦えるものに、きっと仕上がるはずだ。

ライスは言わずもがな、彼女の転生の才能にウララに負けないほどの努力が重なり、正直負けなしと言えるような走りになっている。彼女の中で、最高峰の走りを体現していると言ってもいい。最近は声をかけてもその声が聞こえなくなるほど集中してトレーニングをしている時もある。

俺はそれぞれの成長を振り返りながら日付を確認する。

 

12月15日

 

...残り、一週間弱。

 

あまりにも、時間がない。

 

「くそっ。」

 

その時間のなさに対しての焦りで、思わず舌打ちをしてしまった。

わかってはいた事だ。レースのスパンで1ヶ月空けずに次のレースに出る。それも、『今まで走ったことのない距離を』だ。

正直、いくら時間があっても足りないだろう。

 

「...それは、あいつが1番わかってるよな。」

 

ライスは走り慣れてるから良いとしても、ウララにとってはあまりの短期間での調整、フォーム改善、そして練習期間だ。

それは、きっと本人が1番感じていることなのだろう。

だから、俺はそれを絶対にあの娘の前で口にはしない。焦りを加速させて良いことなんて、起きないからだ。

苛立つ自分を深呼吸して何とか抑えて、俺はパソコンを閉じた。

彼女達の走りのデータの書類をまとめ、トレーナー室を後にしようとする。しかし、部屋の扉がノックされ俺はトレーナー室に残らざるを得なくなった。どうぞと返事をしようとしたが、こちらの返事を待たずにその扉が開く。

 

「よ、元気してるか?」

「...田辺さん、あのですね、ノックしたら返事待ってから入らないと」

「なーんだお前、堅苦しいこというなよ!せっかく俺がこうして面倒見に来てんだ!ちったぁーありがたく思え!」

 

田辺さんは豪快に笑いながらそういうと、トレーナー室に入ってくる。俺はそれを渋々受け入れて、ソファーにかける彼にとりあえずコーヒーを出した。

 

「お、コーヒーか、サンキュー。」

 

田辺さんはそれに気軽にそ応えると、ゆっくりとコーヒーを飲み出した。

 

「最近、どうなんだ?ハルウララの調子はよ。」

 

田辺さんはコーヒーを飲みながら俺に何気ないようにそう聞いてきた。

 

「どうもなにも、順調ですよ。確実に有馬記念に向けて戦える脚になってきてます。このまま行けば間違いなく有馬で戦えるはずです。」

「...そうか。」

 

俺の答えに田辺さんはそう短く反応すると、手に持っていたコーヒーのカップをテーブルに置いた。

田辺さんはタバコを取り出して吸おうとしだし、それを途中でやめた。

 

「そういや、禁煙だったな。昔の癖がでやがる。」

 

田辺さんはそう愚痴るとタバコのケースを胸ポケットにしまい、ため息を一つついて背もたれにゆっくりと体を預けていた。

 

「...田辺さん、本題は何ですか?まさか、ウララの調子を聞きに来ただけじゃ、ないですよね?」

「なんだよ、それだけじゃダメなのかよ。」

「だったらもう用は済んだでしょ、お帰りください。」

「ははは!冷たいなお前は!」

 

俺は多少の苛立ちもあり、本題をなかなか言わない田辺さんに強めに声をかけた。しかし、彼はそれを気にした様子はなく、再びコーヒーをすすりだした。

 

「...ま、実のところを言えばハルウララの調子を聞きに来るって言うのが、本題っちゃ本題なんだよ。」

 

田辺さんはしばらくしてそう言いい、俺の目を真っ直ぐに見つめてくる。その視線に、俺は思わず目を背けてしまった。

そんな俺に、田辺さんは少し低くなった、冷たい声でこう聞いた。

 

「お前、有馬で戦える脚になる、そう言ってたよな?...それは、事実か?それとも...お前の、願望か?」

「そ、それは!...」

 

その質問に、俺は答えることができなかった。

たった一言、事実だ、そう言えば良いだけなのに。

口が、動かなかった。

言葉が、詰まってしまう。

何でだ、俺は、信じてるんだ、ウララの走りを、今までだって、何度も、見せてきたじゃないか、あいつは、あいつは....

 

「今週、明日でもいい、キングとレースをしろ。場所はトレセン学園の中等部のターフコース。レース内容は2500だ。」

 

何かを言わなければ、そう必死に口を動かそうとした俺よりも先に、田辺さんが言葉を挟んだ。

 

「キングは、元々長距離を走っていた。適正こそなかったが、決して弱いわけじゃない。並のウマ娘よりかは充分に走るさ....ただ、有馬じゃ恐らく、歯がたたねーだろうよ。そんなキングとレースをして、もし、勝てないようじゃ...ハルウララに、道はない。有馬で、無駄足使って地に這いつくばるのが決定したようなもんだ。」

 

俺はいきなりの田辺さんの申し出に多少の困惑したが、すぐにその強引さに苛立ちを覚えた。

 

「な、いきなり何なんですか!こっちにだって予定があるんですよ!それを無視していきなりレースだ?あんまりにも強引じゃないですか!」

「強引?強引なのはお前だよ。短距離レースしか経験のないウマ娘を有馬記念に出す?ふざけたこと抜かすんじゃねーぞ。それこそ、あの娘に対しての侮辱に値するんじゃねーのか?勝てるどころか、惨敗するのがオチのレースに出走させる....お前は、あの娘が傷つく所をまた見たいのか?」

 

「それは...それは、極論ですよ!走る事にだって意味はあるはずです!有馬記念という舞台に立つ、それだけでも、ウララにとっては立派な...」

 

「...お前は、思い出作りの為に、ハルウララをレースに出すのか?...いつから、勝ちを無視した考えをしている?」

 

「!?」

 

無意識だった。無意識に俺は、レースに出る、ただそれだけのことに満足してしまっていた。

有馬記念。数々の強豪ウマ娘の中から、選ばれた者だけが走る事を許されたレース。そこに、彼女が出る事に、ただそれだけのことに満足しようとしていた。

 

...本当に、情けない。

 

 

「...まあ、レースの件はお前に任せるよ。ただ、もう一度言うが、今のキングにすら勝てないようじゃ、有馬の出走は見送るべきだ。....これは、ハルウララの為に言ってるわけじゃない。あいつに負けた、全ウマ娘のために言ってるんだ....敗者の想いを、無駄にするような事はするな。」

 

言葉を失ってしまった俺に、田辺さんはそう語るとコーヒーを一気にあおいで

 

「コーヒー、ご馳走さま。」

 

一言そう言い残して、トレーナー室を後にした。

その背中を見ることすらできずに俺は

忘れてしまっていた思いが何なのかを、無力感に苛まれながら

誰もいないトレーナー室で1人、考えていた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「キングちゃんとの模擬レース!?長距離の!?やるやる!絶対にやる!」

 

ウララの午前の練習が終わった後、俺はウララに先日の話をした。

彼女はその話を聞くなり目をキラキラ輝かせて食い気味にレースに出たいと言った。

 

「ウララ〜♪」

 

ウララは楽しそうに鼻歌を歌いながら整理体操をしている。

 

「よし!今日はいつもよりも練習、頑張るぞぉ〜!」

 

ウララは整理体操を終えるとそう言って大きな伸びを一つした。

伸びをしながら、ウララはライスがトレーニングしているダートコースを眺めている。

 

「...ライスちゃん、頑張ってるなぁー。」

 

ライスはまだトレーニングメニューを終えていないようで、ダートコースで筋力トレーニングを続けていた。

ウララは、そんなライスを見ながらポツリとそう呟いた。

最近のライスはオーバーワーク気味になるから、彼女の練習はよくみておかなければならない。

 

「ウララ、ライスの練習が終わるまで2人で話さないか?」

 

俺は、真剣な目でダートをかけるライスを見ながら、ウララにそう提案する。いつもは練習が終わると更衣室でライスが来るのを待つウララは、俺の提案に一瞬首を傾げたが、すぐに頷いて

 

「いいよ!話そ話そ!何の話する?」

 

と、楽しそうにターフに腰をかけて俺にそう聞いた。

冬休みの朝、高等部のターフ、それに雪が降っているということもありウララとライス以外に走っているウマ娘はいなかった。

本当はコースの上に座る事はNGだが、俺もその状況を確認した上で今日はウララの隣に座る事にした。

冬のターフは夏よりも冷たく湿っていて、コートが濡れてしまったことが少し悔やまれた。

 

「そうだな...有馬記念についてでも話すか。」

「おお!いいね!いいね!」

 

俺は楽しそうにしているウララに有馬の話をしようと提案した。彼女はそれを喜んで受け入れ楽しそうに笑っている。

 

「ウララ、お前、覚えてるか?有馬記念に出たいって言ったの。」

「うん!もちろん!インタビューの時でしょ?ついに叶ったよ!」

 

エルムステークスに出走する時に受けたインタビュー。その時の記者からの質問に、ウララの最終目標としているレースは何か、というものがあった。それにウララは有馬記念に出たいと、そう記者達の前で答えた。そこで1番をとりたいのだと、そう語った。記者達はウララのその返答を笑っていた。誰一人として、その答えをまともに受け止めた者はいなかった。

 

「トレーナーはね!私が有馬に出て1番になったら、めっちゃ喜ぶって言ってたよ!私、覚えてるもん!」

「お前...意外と記憶力いいのな。」

「えへへ〜、偉いでしょ!」

「...ああ、偉いな、ウララは。」

俺の発言を意外にもきちんと覚えていたウララに、俺は少しだけ驚いた。撫でて欲しそうに頭を差し出すウララを愛らしく思いながら、俺はいつものように手を乗せて頭を撫でながら、あの時の言葉を思い出す。

あの日、ウララは、自分が有馬に出ると言うとどう思うのかと、俺に聞いてきた。俺はその言葉に、まあ、笑うよな、そう返した気がする。有馬記念に、ウララが出る。その現実味のなさを想像して、笑うだろうと、そう答えた。そして、そこにもしウララが立つのであれば、そこで勝つのであれば、それは俺にとって凄く嬉しいことだと、そう答えた。

 

「...笑ってた奴ら、これでとりあえずは見返せるな。」

「???笑ってた奴ら?見返す?」

「...いや、何でもない。」

 

あの時の記者達を思い出すとなんだか腹が立ってきて、ウララの出走が決まってどんな顔してるのやら何て考えていたが、当の本人はその日の事を全く気にしていなかった。

 

...いや、ウララは誰かを恨んだりするような奴じゃないか。

 

誰かを好きになる事はあっても、嫌いになる事はない、ウララは、そんなウマ娘なんだ。

ウララの純粋さを改めて俺は理解し、思わず笑ってしまった。

あまりにも優しくて、純粋で、そんな彼女が俺みたいな大人をトレーナーと慕ってくれていることが、不思議と面白く感じたのだ。

ウララは突然笑い出した俺を不思議に思ったのか首を傾げた。

そんな彼女に何でもないと告げて、俺は頭を撫でるのをやめる。

 

「...なあ、ウララ。」

「ん?なーに?トレーナー。」

「...お前は、俺がトレーナーでよかったって、心からそう思えてるか?」

 

俺は、今のウララにふさわしいのか、田辺さんに模擬レースを挑まれたあの日から、ずっと考えていた。

有馬という舞台に立つ事に満足し、勝負を放棄しようとした、そんな俺が、今の彼女にはどう見えているのか、知りたかった。

今思えば、これまでの勝利だって、結局は彼女一人で掴んだようなものじゃないか。俺の戦略やメニューが役に立った瞬間なんて、あったのだろうか...俺が、ウララにしてやれた事なんて...

 

「ぷ、あはははは!トレーナー!変なのー!」

 

俺が思考にふけているとウララは突然大声で笑い出した。

 

「な、何が変なんだよ!別に、良いだろ!気になったんだからよ!」

 

俺は、そんな笑う彼女に対してなんとも言えない羞恥心を抱いて、大声で言い返す。しかし、ウララは笑う事をやめずに、お腹をかかえて笑っていた。

 

「っち、もういいよ。好きなだけ笑いやがれ。」

 

俺は、止まらないウララの笑い声を放っておく事にした。少しだけ恥ずかしいが、彼女の笑い声が止むのを待つ事にする。

ウララはひとしきり笑った後、ふぅー、とひとつ息をついた。

 

「...トレーナーはさ、私の事、一度も馬鹿にしなかったよね。」

 

そして、ゆっくりとウララは語り出す。その時の横顔は、初めて彼女と真剣に言葉を交わした、あの日の横顔と、似ていた。

 

「私が一番を取りたいっていうとね、沢山の人が、無理だって、そう言って笑ってたんだ。商店街のみんなからはね、無理しなくても良いよって、悲しい顔で励まされるの。私はそれでも、諦めなければいつか、一番になれるんだって、皆んなをたくさん喜ばせれるんだって、そうやって信じて、走り続けてた。走るのが好きで、みんなの笑顔が大好きだから。....トレーナーと出会う、あの日まで、ずっとそうやって、走ってたの。」

 

ウララと出会った日。デビュー戦で、惨敗したあの日。医務室で、彼女のトレーナーになろうと決めたあの日。その時の記憶が、鮮明に蘇る。

ウララは、あの時、走るのが好きで、誰かの笑顔が見たいという一心のみで走っているのだと、そう思っていた。

けど、違った。ウララは、自覚していたのだ。笑われている事も、情けをかけられている事も...誰からも、信じてもらえなかった事も。

 

「けどね、トレーナーが言ってくれたの。一緒に1番を目指そうって。私、初めてだったんだ。誰かにね、一緒に頑張ろうって言ってもらえたのも、一番を目指そうって言ってもらえたのも...誰かから、勝利を信じてもらえた事も。」

 

ウララは走るライスを見ながら、優しく微笑んでいた。それは、母親のような優しさを感じさせる表情で、ウララが心から懐かしんでいるのだと、伝わってくる。

 

「何度もその信頼を裏切って。裏切って、たくさん嫌な思いをトレーナーにさせて、それが、嫌で嫌で仕方ない時もあった。レースの残酷さを知って、逃げ出した時もあった。それでもね、何度負けても、逃げても、トレーナーは私を待ってくれた。取り戻してくれた。...信じてくれた。それがね、心から嬉しかった。」

 

風が吹く。冷たい冬の風だ。その風が、ウララの髪をかすかに揺らす。

綺麗だと、そう感じた。風の冷たさを忘れるような、そんな景色だった。

 

「私は、トレーナーが、私のトレーナーでいてくれて、本当に良かったと思ってるよ。...ううん、トレーナーじゃなきゃ嫌だ。」

 

真っ直ぐに、ウララは俺の目を見てそう言った。だからこそ、俺の心が痛む。

 

「...俺は、有馬で、お前が勝つ事を自然と諦めようとしていた。出るだけで満足しようとしてた。それを知っても...お前はそう言えるか?」

「言えるよ。何度だって、何千回でも、私は言える。」

 

俺は、罪滅ぼしのように、自身の考えていた事を伝えた。しかし、彼女はそれを真っ向から受け止めて、俺にそう伝えた。

 

「有馬記念で勝つ事。それがどれだけ難しいかなんて、私には想像もつかない。だから、トレーナーからそう思われたって、仕方ないと思う。

...それでもね、私は勝つよ。信じてなんて言わない。ただ、見てて欲しい。」

 

いつになく力強い声で、ウララは俺にそう宣言した。

その声が、瞳が、あまりにも大人びていて、俺は何も言えなかった。

ただ、黙って彼女の言葉を聞くことしか、できなかった。

 

「私の勝つところを、有馬で1番になるところを、トレーナーには、見てて欲しい。...誰よりも、トレーナーに、見てて欲しいの。だからね、トレーナー。」

 

ウララはそこで言葉を区切り、立ち上がって、俺に手を差し出す。

そして...

 

「まだこれから先、長くなると思うけどさ...私の事、最後までちゃんと、見届けてね?」

 

そう、笑って俺に伝えたのだった。

 

「...お前、かっこいいな。」

 

俺は素直にそう思って、彼女にそれを伝えた。差し伸ばされた手を掴み、地面から立ち上がる。

 

「えへへー!たまには良い事言うでしょ?」

「....調子に乗るな、テイ!」

「いたい!何するの!」

 

嬉しそうなウララが本当にかっこよくて、俺は苦し紛れに彼女の頭にチョップをした。

ライスがようやく練習を終えたようで、俺たちの元に手を振って走ってくる。

3人で話をしながら、練習場を歩いて後にして、二人は更衣室へと向かった。

俺はトレーナー室に向かい、パソコンデスクの前にある椅子に腰をかけた。

 

「...信じなくても良い、ただ、見ていて欲しい、か。」

 

ウララの言葉を、俺はトレーナー室で口にする。

それは、自分自身に相当な覚悟がないと言えない言葉で、あまりにも勇気がいる言葉だと思う。

信頼がなくても、誰からも期待されなくても、頂点を取る。

それも、有馬という大舞台で。

ウララは、それがどれほど過酷なもので、どれほど辛い事なのか、もうわかっているはずだ。

だからこそ、その言葉を口にする重みが、伝わってくる。

どれほどの覚悟を、どれほどの想いを、このレースにかけているのか。

それが、真っ直ぐに伝わってくる。

 

「...本当、カッコ良すぎるぜ、ウララ。」

 

俺は、そんな彼女にもう一度同じ言葉を放った。

誰もいないトレーナー室で、俺の言葉だけが、無機質に響き渡る。

その音が消える前に、俺の中の迷いは、消えていた。

 

 




ご愛読、ありがとうございます。キャラクターの口調や設定を多々変更してしまって、申し訳ないです。感想お待ちしております。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ターフの上へ

投稿おくれてしまい、申し訳ありません。

ライスの一人称、私を私(ライス)と読んで頂けると違和感なく読めると思います。



よく晴れた冬空の元、キングとウララの模擬レースが始まろうとしていた。ウララと俺は田辺さんに指定されたエリア内でアップを済ませて、レースが始まるのを二人でゆっくりと待っていた。

ライスにも観戦に来るように誘ったのだが、彼女は自身の練習を優先するといって俺の誘いを断った。

一見してみれば冷たいようにもとれるが、俺はライスのその発言は、ウララを信じているからこそ言っているのだと、何となくだがそう感じ、それ以上誘おうとはしなかった。

 

「いちに!いちに!うん!良い感じだよ!トレーナー!」

 

ターフの上でストレッチをしながら、ウララは笑顔で俺にそういうと大きく伸びをする。

 

「んー!空気もいい感じ!冷たい!」

「そりゃ、冬だもんな。」

 

深呼吸を大きくして、当たり前な事を言う彼女。

俺は相変わらず天然な感想を述べるウララに苦笑いをした。

ウララは最終確認とばかりに靴紐を結び直していた。

そんな彼女を見ながら、俺はあの時の言葉を思い出す。

信じなくてもいい、ただ、私が走るのを見届けてほしい。

それは、この模擬レースに向けた言葉でも、有馬に向けた言葉でもない。

これから先、ずっと続いていく彼女のレース。その全てに向けた言葉なんだと、俺はそう感じている。

 

「...ウララ。」

「?何?トレーナー?」

 

靴紐を結ぶ手を止めて、彼女は俺の方へと目を向ける。

桜の花のような、ピンク色の瞳、その真っ直ぐで純粋な目を見て、俺は伝える。

 

「...信じてる。このレースも、これからのレースも、信じて、見届けて、それから...レースで勝ったお前を、俺に沢山褒めさせてくれ。」

 

これから先、彼女はどれほど勝利を疑われても構わないと、そう口にした。結果で応えるから、見届けてほしいと、そう口にした。

それは、俺にとって何よりも居心地がいい言葉だと思う。

期待をしないから裏切られることはない、傷つけることも、傷つく事もない。...だけど

それは、ウララと出会う前の俺に戻っているだけだ。

才能がなくても、努力で、想いで、天才を超えられる。その景色を、俺は見たかったんだ。

田辺さんに言われて一人で考えて、ようやく俺は思い出した。

その景色をウララに重ねて、過去の自分を超えるのだと、そう決めたんだ。

だから、ウララに伝えた。信じてると、ウララが走るその最後まで、信じていると、見届けると、誓った。

そして、沢山褒めさせてもらえるように、そんな幸せが続くように、願った。

ウララはキョトンとした顔をした後、満面の笑みになって

 

「トレーナー!トレーナーから言ったんだからね!絶対、忘れないでね!」

 

そう、ウララらしい言葉とともに立ち上がって、俺に手を差し出す。

それは、ウララの右の手のひらだ。大きく開かれていて、俺の手を待っている。だから俺も、自分の右手をそっと差し出して

 

「ああ...忘れない。」

 

その手のひらを、優しく包み込んだ。

冬の寒さに相応しくないくらいの熱を持ったその手は

あったかくて、小さくて...なのに、とても大きく感じた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

トレーナーと握手を交わして、私はスタート地点に向かう。トレーナーもそれ以上、私に何も言わずに、応援席の方に向かって行った。

スタート地点に向かう間、トレーナーの言葉を思い出す。

きっと怖いはずなのに、信じると口にしてくれたこと、見届けてくれると、口にしてくれたこと、それは、私を笑顔にするには充分すぎるほど嬉しい言葉だった。

 

「...沢山、トレーナーに褒めてもらわないとね。」

 

緩んだ頬を元に戻す事なく、私はにやけ顔で呟く。

これからも、この模擬レースも、有馬記念も、私は褒めてもらう。

沢山、沢山褒めてもらって、それから...

私も沢山、お返しをするんだ。

ふと、新しく自分で買った、長距離用の蹄鉄のハマり具合が気になって、二度三度、地面を軽く蹴った。

まだ、ファルコンちゃんから貰った蹄鉄は履いていない。

初めてあの蹄鉄を使うのは有馬記念にすると、自分の中で決めていた。

 

「全く、今シーズンのレースの棄権をようやく発表しようかと言う時に、模擬レースを走ることになるなんて...とんだ災難ですわ。」

 

トレーナーに対しての想いや、ファルコンちゃんに対しての想いを考えていると、後ろから呆れたような声で私は声をかけられた。その声音と喋り方で、私は見なくてもキングちゃんなんだってわかった。

 

「...元気そうね、ウララさん。」

「うん!コンディションはバッチリだよ!キングちゃん!」

私はキングちゃんの方に振り向き、笑顔を浮かべた。

キングちゃんは嫌だといいつつ、微笑んで私の方に歩いてくる。

しばらくして私の隣にキングちゃんが並んで、二人でスタート地点に向かう。

 

「キングちゃん、やっぱり、本当にレース出ないんだね。...ねね、どうして走らないのか、やっぱり教えてくれない?」

「何度聞かれてもダメなものはダメです。」

「えええー!」

 

キングちゃんが今シーズンのレースを棄権する事を、なんとなくの噂で私は知っていた。それが本当の事だと知った時はとても驚いたのを覚えている。本人に何度か理由を聞いてみたが、その理由は教えてはくれなかった。

今日もダメ元で聞いてみたが、やっぱり教えてはくれない。

私はキングちゃんの返答に頬を膨らませるが、キングちゃんは気にした様子もなく足を進める。

 

「...ウララさん、私、手は抜きませんから。」

 

歩きながら、キングちゃんがふと、私にそう言った。

その横顔は無表情で、キングちゃんの本気が伝わってくる。

 

「貴方を本気で抜きに行くし、何もさせるつもりはありません...私の全力を、ぶつけます。」

 

キングちゃんと私はスタート地点にたどり着いた。そこで立ち止まって、キングちゃんは私にそう言い、さっきまでの無表情を崩して、少しだけ笑みを浮かべた。

 

「...だからまあ、せいぜい私のプライドを、崩して見せなさい。」

 

そして、挑発的にそう言って、キングちゃんは手を差し出した。

私はその手を握って、キングちゃんの目を見る。

真っ直ぐで、一つの迷いもない、そんなキングちゃんの目。

その目をするのに、どれだけの苦悩があったのかを、私は知っている。

だから、目を逸らしたくなかった。そらして仕舞えば、彼女に、向き合えない気がしたから。だから、その目を見つめて、私は伝える。

 

「...私も、本気だよ。本気でキングちゃんに勝つ。...キングちゃんのプライド、折ってみせる。」

「ふふ、言いますわね。」

 

私の言葉を受けて、キングちゃんは軽く微笑んだ。

お互いに手を離して、スターターの位置を見る。

スターター役は、キングちゃんのチームメイトの娘がしてくれることになった。

マルの合図をスターターの一人が手で作ったのを見て、私達は体勢を低くする。

静寂が広がる中、私はキングちゃんに、悪戯も含めて伝えとこうと思っていたことを、口にする。

 

「...ねぇ、キングちゃん」

「なにかしら?」

「...私、丁寧じゃない、普通の話し方のキングちゃんも、好きだよ。」

「へぇー...本当、言うようになったわね。」

 

赤面するかと思ったけど、キングちゃんは少し微笑んでそう言った。

その声音は、不思議といつもよりも明るい気がする。

旗が振られる。もうすぐ、ピストルの音が鳴る。

息を吸い込んでその時を待つ。

空気が肌に張り付く、そんな不思議な感覚。

本気だからこそ味うことができる、うるさいぐらい響く鼓動。

ピストルの音が鳴った。

ターフを抉るように、蹄鉄を沈めて、

私達は駆け出した。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「よ、ちゃんと逃げずにきたじゃねーか。」

 

ウララと別れ、観客席の方に向かっていると観客席の入り口から田辺さんが出てくる。彼は少しだけニヒルな笑みを浮かべて俺にそう言うと手招きをしてくる。俺は軽く会釈をしてから彼の元に小走りに向かった。

 

「...あんなこと言われて、断れるわけないでしょ。」

 

俺は田辺さんの近くまで行くと口早にそう言って、軽く彼を睨みつけた。そんな視線を気にした様子もなく、田辺さんは豪快に笑う。

 

「まあ、意地悪な言い方だったよな!すまん!意図的だ!」

「...あんた謝る気ないでしょ。」

 

すっかり彼のペースに流されているが、俺はそれをもう気にすることなく田辺さんと共に応援席に着く。

レースを大きく見るために、最前列ではなく少し上の方の席に俺達は座った。

田辺さんは俺の隣に腰をかけて、トレーニングの調子などを聞いて来た。俺はそれに以前と同様に鬱陶しさを隠さずに答える。スタートまでの間、世間話をして時間を潰すことになりそうだ。

そう思っていると、田辺さんが思わぬことを口走った。

 

「あ、そうだ。実はな、観客としてこのレースを見るのは、俺とお前だけじゃねーんだ。」

「?俺たちだけじゃない?」

「へへ...ま、もうすぐ来るさ。」

 

俺の疑問に田辺さんは悪戯に笑うと何やらスマートフォンで誰かに連絡を取り始めた。メッセージアプリなんて使うんだなーっと、意外に思っていると、観客席の室内へと繋がる廊下から、ゆっくりと足音が近づいてきた。そして、その足音の主を見て、俺の開いた口は、しばらく閉じなくなった。

 

「すみません。私も、このレースを一緒に観覧させて頂きたいのですが...よろしいでしょうか?」

 

ゆっくりと廊下を抜けて、明るみに出てくるそのウマ娘は...

 

「し、シンボリルドルフ!?」

 

レースの時とは違い、眼鏡をかけて、制服を着ている。それでも尚放たれる強者のプレッシャーをまといながら、不敵に微笑んだ皇帝が、俺の目にはうつっていた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「...すみません、さっきは呼び捨てにしてしまい...その、あまりに驚いたものでして。」

 

俺は動揺のあまり、彼女を呼び捨てにしてしまった愚行を謝罪した。

7冠ウマ娘、その快挙を成し遂げた彼女を、面と向かって呼び捨てにするなど、親族や彼女の担当トレーナー以外には許されることではない。

 

「いえ、お気になさらないでください。元はと言えば、事前に連絡していない私に責任がありますから。...それに、貴方はトレーナーだ。私よりも立場が上なのですから、敬語など不要ですよ。」

 

しかし、彼女は俺の発言を気にするどころか、自身の立場を俺よりも低いと断言した。

 

...こりゃ、走る才能どころか、中身まで一級品だなおい。

 

俺は、完璧すぎる彼女に更なる敬意を払いつつ、その提案を断った。

 

「ふふ。貴方は謙虚な人だ。」

 

そんな俺に彼女は微笑むと、コースの方に目を向けた。

謙虚の塊が何をおっしゃるやら...そう内心、俺は一言呟いて彼女の目を追うようにしてターフで待つウララ達に目を向ける。

ウララは、キングとともにスタート位置に話しながら歩いていた。

俺は、そんな二人を見ながら気になっていることを一つ、彼女に聞いた。

 

「その、シンボリルドルフさん、何故、貴方のようなウマ娘が、この模擬レースを見たいんですか?」

「...田辺さん、伝えてもよろしいのですか?」

「そうだな...ルドルフさんがこのレースを見たくなった理由は言っても大丈夫じゃねーのか?ま、模擬レースをする事にしたきっかけは、終わるまで内緒な。」

 

俺の質問に対して、なぜか彼女は田辺さんに確認をとった、その確認が何なのか検討もつかないまま二人の会話が終わってしまった。

 

「すみません。田辺さんのお言葉を守るというのがこのレースを観るための私の条件ですので...そうですね、簡単に言えば、見てみたい景色が、あるのです。」

 

申し訳なさそうに彼女は俺に一言謝罪を入れ、コースに再び目を戻して、そう口にする。

 

「見てみたい、景色?」

 

俺は、彼女がこれ以上何を見たいのか、それが純粋に気になった。

恐らく、全ての頂きの景色を見て来た彼女が、いったい何を望むというのか、それが、ウララとキングのレースにあるのか、想像して見たが、やはり、俺には検討もつかなかった。

 

「そうです。見てみたいのです。....奇跡が起こる、瞬間を。」

「奇跡...それは、どういう事ですか?」

 

奇跡を見たい、俺の疑問にそう答えた彼女の言葉に、俺は若干の違和感と、不快感を覚えた。

 

「...わざわざ口にする必要があるとは思えませんが...そうですね、では、あえて具体的に、直接的に表現します。...ハルウララがキングヘイローに『長距離』で勝つ。この、限りなくゼロに近い光景を見たいと、そう言っているのです。」

「...それはまた、随分と失礼な言いようじゃないですか。」

「いえ、これは事実です。それに、私の言う奇跡を知りたいと言ったのは貴方だ。発言には、責任と覚悟を持ってください。」

 

俺の目を見る事なく、ただ真っ直ぐにコースを見つめる彼女はそう言うと、俺に構わずに言葉を続ける。

 

「私は知っている。奇跡など、起きないということを。かつての凱旋門で、私は理解した。才能の壁を、越えることはできないと言うことを。...絶対は存在する。私は、それを知っているんだ。」

 

そう語る彼女の声は、先程までの柔らかいものではなく、何かを憎むような、そんな、微かに震えたような声に聞こえた。

 

「...つまり、本当は見たいんじゃなくて、否定したいんですよね?奇跡は起きないんだと、それをこの目で見るために、貴方はここにいる。」

「...本音を言えば、そうなりますね。」

 

俺の言葉に、彼女は少しだけ悲しそうに微笑んだ。

俺は、そんな彼女にひとつだけ訂正をしようと、声をかける。

 

「シンボリルドルフさん、貴方はウララが勝つのは奇跡だと、そう言いました。」

「...それが、何か?」

 

俺の言葉に表情一つ変えずに、彼女は返答する。目線はコースから動かずに、もう言葉をこれ以上交わしたくないと言う意志が伝わる。

それでも俺は、その意思を無視して声をかける。

 

「...ここで今から起きることは、奇跡じゃない。全て、必然だ。結果だ。奇跡なんていう、偶発的なものじゃない。貴方は言ったはずだ、絶対は存在すると、その通りだ。絶対は存在する。才能に、努力だけで勝つという絶対も存在するんだ。俺はそれを見て来た....ウララの走りが、それを俺に教えてくれた。....貴方の見たい景色は、このレースでも、どんなレースでも見ることはできない。....レースに、奇跡なんてものはないんだ。...ウララの勝利を、奇跡なんてものと、一緒にするな。」

 

声が荒ぶりそうになるのを抑えて、早口に俺はまくし立てる。その間、隣に座る皇帝は、やはり表情一つ変えずに俺の話を聞いていた。

何の返答もなく、二人の間に沈黙が生まれる。

 

「...ほら、もうすぐ始まるぜ。」

 

その沈黙を、田辺さんが破った。

俺は視線を、彼女からコースに変えた。

姿勢を軽く低めにとり、その時を待つウララとキングの姿が、視界に入る。

 

「...お前さんが言うことも、ルドルフさんが言うこともな、間違ってねーよ。どっちも正しくて、どっちも捉え方次第では変わってくる。...けどな、ルドルフさん。」

 

田辺さんはタバコを取り出して、火をつけようとして、辞めた。

ここも禁煙だったな、と一人でぼやいて、一呼吸挟む。

 

「ふぅー....あんたの言う奇跡ってのは、必ず起きるぜ。」

 

田辺さんがそう言うと同時に、ピストルの音が鳴った。

ウララ達が、駆け出す。

それを見送る皇帝の横顔は、どこか儚げに見えた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

私は、最近素で話すことが多くなっている気がする。

スタートの号砲が鳴るまで、そんなことを考えていた。

私の話し方が好きと、そう言ってくれたウララさんは、少しだけ悪戯をしているような、そんな笑みを浮かべていた。

..存外、嬉しいものね。

私は、内心でそう呟く。

旗が振られたのを見て、にやけた頬を引き締める。

ピストルが上に構えられたのを視野に捉えた。

 

...もうすぐ、はじまる。

 

耳を、全ての音を捉えるように済ましていた。

そして、号砲が鳴る。

その弾けるような音が鳴るとともに、私はスタートを切った。

ウララさんも遅れはないようで、互いにほぼ同時にスタートを切った形になった。

 

...都合がいいわね。

 

走りながら、私は自身の作戦を組みやすくなったことを嬉しく思う。

田辺さんは、今回の作戦についてこう語っていた。

 

『キング、お前ももう理解していると思うが、ハルウララは短距離レースにおいては既に驚異的な存在になっている。差しでもなく先行でもない、本能による仕掛け、それを実現する足、あいつは、努力でそれを手に入れた、強者だ。...しかしな、長距離じゃそれは通用しない。それを、恐らくレース経験のないハルウララは理解できていないはずだ。だからこそ、あいつはきっと、今まで通り型にはまらない動きで走るはずだ。常に、動きを見失うことだけはないようにしろ。それを追走する形にするかコースを塞いで行うのかはキングの自由だ。それを実行したうえで、最後まで体力を残しながら直線に入る走りをするんだ。』

 

田辺さんはそう言って私をレースに送り出した。

この作戦をする上で起こってはいけないこと、それは、田辺さんの言葉通りウララさんの動きを視界に捉えれていない状態を作ること。レース経験がないとはいえ、彼女を自由にさせすぎるときっとあっという間に射程圏外に行ってしまう。田辺さんは不可能と言ったけど、ウララさんはその不可能を超えてくる。そういう、何かを持っている。

であれば、並走を私は取る。インコースを塞ぐ形で並走していれば、おのずと相手のペースもこちらのものになる。つまり....

 

このまま、このポジションを維持すれば良い。

....もっとも、それを簡単にさせてもらえる相手ではないのだけれど。

 

半周まで来たところで、ウララさんの表情を伺う。流石に、まだ疲れは見えてはいない。

けれど、まだ半分。このままこのペースを維持できれば、きっとウララさんには相当な負荷になるはず。

 

ターフで一周を通過した。ウララさんはその間に私の後ろに着こうとしたり、前に出ようとしたが私はそれを全て押さえ込んだ。

インコースを取らせずに、相手のペースを乱す。

私自身に長距離の素質がないからこそできる、知略による攻防。

 

ペースはイーブン。私にとっても恐らくベストタイムになる。

横目で彼女の表情を伺った。半周の時よりも、明らかに苦しそうだ。

それもそのはず、本来なら、ここまでで彼女のレースは終わるのだから。けれど、この模擬レースの距離はそれにプラス一周分ある。練習で体験するのと、競争相手とレースをする時の疲労感は比較にならない。

 

....ま、私も結構きてるのだけどね!

 

長距離を走っている時に込み上げてくる嘔吐感を、気合いでねじ伏せた。

残り900メートル。1分に満たない距離、ここが、私の粘りどころ。

 

「はぁぁぁあ!」

 

一段階の加速を入れる。早すぎるかもしれないが、ここでまずアドバンテージを作る必要が私にはある。

短距離で彼女との実力の差は現状ほぼないに等しい。そして、ここまでのペースにウララさんは付いてきてる。

であれば、自ずとラスト400の加速で、私が負ける可能性がでてくる。

それを、確実に消さなくてはならない。

 

蹄鉄を芝に沈ませて、コーナーに沿うようにして体を運ぶ。第二コーナーから第3コーナーにかけてはカーブが続くため、ここで大きく曲がっては体力を無駄に使うことになる。

 

斜め後ろ、振り返らなくてもわかる。ウララさんは私の加速についてきた。彼女にとって、今どれほどきつい状況なのか、顔を確認することができないから、私にはわからない。...けれど

 

貴方は、まだついてこれるわよね。

 

苦しいはずなのに、思わず笑みが溢れてしまう。

それはすぐに苦しい表情に変わって、私は歯を食いしばってペースを維持して逃げる体制に入る。

アドバンテージは作った。第四コーナーより手前で仕掛ける。

体制をコーナーに沿うように曲げて、遠心力による減速を極限まで抑える。

うちめをついて曲がって見えた直線。

そこで仕掛けようと、体制を低くする。

 

そして、加速をしようとして、ようやく気が付いた。

それは、彼女が私に伝えてくれたことを、私が信じていたものを、確かなものにしてくれる、そんな景色だった。

 

....ほんと、凄いわね。ウララさん。

 

私の視界の端に、遥か後方にいたはずの、彼女の背中が、映った。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「インコースが抑えられてる...ほんと、嫌な作戦だ。」

 

レース展開を見て、俺は思わず顔をしかめた。

ウララはカーブまでにうちを取ろうとコース取りをしているが、キングがそれをガッチリと抑え込んでいる。

やりたいことをさせてもらえない、それは、ウララにとって、精神的にも、肉体的にも、苦しくなる。

 

「ははは!嫌な作戦だとよ!キングが選んだ作戦なのになぁー」 

 

俺の言葉に田辺さんは笑ってそういう。その表情は、キングの走りを見て満足だと言わんばかりに嬉しそうなものだった。

 

「追走と並走でインコースを取れる並走を選んだ...相手のレース展開を極限まで抑え込むために、風の抵抗を受けるリスクをあえてとった。なるほど、なかなかに警戒した走りをする。」

 

隣に座るシンボリルドルフはそう言って、彼女の顎元に手を置いてしばし考え込むような仕草を見せた。

 

「....ふむ、やはり疑問だ。何故彼女はここまで...」

「格下相手に警戒してるのか、だろ?」

 

しばらく無言だったシンボリルドルフの言葉の続きを、田辺さんが続けた。彼は席から立ち上がって、一つ大きな伸びをする。

 

「まあ、以前のキングなら、初めからぶっちぎる作戦に出るだろうな。一流がなんとかかんとかって言ってな...でもな、そうはいかねーんだよ、ルドルフさん。あんたにはまだわからないかもしれないが...」

 

レースを見ながら、田辺さんはそこで言葉を区切った。無言の間が、ほんの一瞬生まれる。その間を埋めるように、横風が吹く。観客席は外にあるため、その冷たい風が、俺達の肌を刺激する。

 

「...キングにとって、いや、あいつと走った全てのウマ娘にとって...ハルウララは、もう格下なんかじゃねーんだよ。...対等なんだよ。ライバルなんだ。だから、警戒する、そして、尊敬する。」

「....。」

 

シンボリルドルフは、田辺さんの言葉になにも言わなかった。ただ黙って、レースを見ている。

レースは一周目をちょうど迎えるところだ。手元にある電子時計でタイムを確認する。ペースは悪くない。しかし、今までの倍の疲労が今のウララにはあるはずだ。コースを抑えられること、常に視界の端に敵がいること、これは普段の練習ではどうしても与えることのできない疲労感を、ウララに与える。

 

「ここからだぞ、ウララ。」

 

俺は小さく呟いて、ウララの走りを見続ける。脚色は衰えてはいない。一周を終えて再び直線へとウララ達は入っていく。

 

「...そうですね。このままのペースを維持できるか、はたまた落ちるか、キングヘイローがどれほどの差をつけるのか、見ものですね。」

 

俺の呟きに、シンボリルドルフが反応した。俺はそんな彼女に振り向くことなく、レースを見ながら応える。

 

「落ちることも、このままのペースを維持することも、俺は望んでない。....ここからどれだけ、ウララがキングとの差をあけて勝つのか、さっきの言葉はそういう意味です。」

 

若干言葉を汚くしてしまったが、俺は彼女の言葉を訂正する。ウララが落ちること、ペースを維持すること、勝てないと断言したこと、それらが見ものだと表現した彼女に対してのヘイトを、懸命に抑えながら。

 

第2コーナーに入って、レースに動きが起きた。キングが加速をはじめたのだ。その動きにやや遅れて、ウララも加速をはじめた。

僅かな差が、徐々に大きくなる。それでも、まだ捉えれる範囲内だ。

 

「なるほど、ラストに向けての伏線か...ふむ、悪くないな。」

 

キングの動きをよく見た様子のシンボリルドルフは、そういった後満足そうに二度三度、首を縦に小さく振って頷いていた。

 

レースはキングが作った差が埋まらないまま最終コーナーを迎えようとしている。ウララは懸命に食らい付いているが、その差を埋める決定打が無いように見えた。

....確かに、そう見えたのだ。

 

「...もう、決まるな。」

 

隣から、つまらなさそうな声が聞こえる。シンボリルドルフはため息を一つついた後、観客席を立とうとした。

だから、彼女は気がつかなかったのだ。

ウララが、その体制を作っていることに。それは、スタンディングスタートをさらに低くしたような、そんな姿勢だった。片足に体重を乗せて、膝にタメをつくる。そのためにほんの一瞬、ウララに停止の時間が生まれる。

そして、それは爆発的な加速と共に、一気になくなる。

 

「...ははは!おいおいおい!本当におまえってやつはよ!あーもう!最高だぜウララ!」

 

俺はウララの走りに思わず声を漏らす。

 

「な!?これは一体....まさか、あの走りから更なる加速をしたというのか...いやしかし、だとしてもこの差は......」

 

シンボリルドルフは立ったまま何が起こったのかを整理しようとしていた。いや、それもその筈だろう。

なぜなら眼下で起こっているその景色は、G1レースで圧倒的に勝つウマ娘そのものの光景なのだから。

それを、長距離適性がなかったウマ娘が、長距離レースを経験したことがないウマ娘が、選考会で最下位だったウマ娘が....ハルウララが、実現しているのだから。

 

ウララはその日、人生初の長距離レースで、キングと2馬身以上の差を空けてゴールをした。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「...んじゃま、俺はキングを迎えに行くとするか。」

 

ウララの模擬レースを終えてから数分が経った頃、田辺さんはそう言って観客席を去っていった。

俺は、田辺さんに何故ウララの走りを疑っていたのに、信頼を寄せているような言葉をたくさん言っていたのか、純粋に疑問に思ってそれを聞いた。けれど、彼はその質問には何も言わずにその場を去ってしまった。

 

「トレーナーさん。よろしければ、その質問には私から答えさせてもらいたいのですが...よろしいですか?」

 

首を傾げていた俺に、隣で座るシンボリルドルフがそう言って少しだけ微笑んだ。先程まで彼女にかかえていた嫌悪感を飲み込んで、俺は頷いた。

 

「....彼、田辺さんと私は、実は古くからの、それこそ、七冠を達成する前からの知り合いなのです。」

 

ウララとキングが談笑しているレース場を見ながら、彼女は懐かしそうにそう語りはじめた。

 

「その時の彼は、今とは違って、もっとリアリストだった。結果を重んじて、それに見合った態度でウマ娘に接していた。私は、それがとても好きだった。当時の彼のトレーナーとしての立場、あり方、その全てが、私の中での理想的なトレーナーだったんです。....けれど、彼は変わった。勝てもしないレースに担当ウマ娘を出して、挙げ句の果てにはハルウララが有馬記念で勝つ。そんな妄想を、良く周りにするようになりました。」

 

シンボリルドルフはそう言って、困ったように一つ、苦笑いをした。

 

「もっとも、それは可能性がない妄想では無いのだと、今日証明されましたがね。」

 

いまいち話が掴めない俺は怪訝そうに眉を潜めて、首を先ほど傾けた方と反対側にもう一度傾けた。それをまだこのレースの趣旨を理解していない事だと彼女は読みとり、

 

「回りくどい説明をして申し訳ありません。」

 

そう言って、俺に頭を一度下げた。

 

「...このレースは、私が彼に言った言葉が原因なのです。ハルウララが有馬記念で勝つ、そんなことは妄想だと、私は彼にそう伝えました。その時、彼はそれが妄想では無いのだと、それを証明して見せると私に言った。....このレースは、その証明の場所だったんです。」

 

このレースが生まれた本当のきっかけがまさかそんな事だとは思わずに、俺は思わず腑抜けた顔をしてしまう。そんな、開いた口が塞がらないと言った様子の俺を見て、シンボリルドルフは楽しそうに微笑んでいた。

 

「あなたに彼がこの事実を伝えることを拒んだのは、レースに支障が出る可能性を考えたのでしょう。私が見に来るとなれば事前に構えてしまう、それは、ハルウララの本来の走りにつながらない、そう考えて、きっと田辺さんは貴方にそれを伝えてなかったのだと思います。それと純粋に、彼は照れ屋ですから。」

 

俺に微笑みながら彼女はそう言って、不器用な人だ、とため息混じりに言葉を漏らした。

 

「...にしても、不器用すぎるでしょ。」

 

俺にレースの理由を隠す為に、わざわざあんな事を言ったのかと思うと、田辺さんの変な拗らせ具合がはっきりとして、思わず俺は苦笑いを交えてそう呟いた。それに同意するように、シンボリルドルフは、全くです、と相槌を打って頷いていた。

 

「そうだ。貴方に勘違いしてもらいたく無いことがあるのです。田辺さんは、このレースをする上で決してキングヘイローが負けることを前提とはしていなかった。あくまで、キングを勝たせるつもりで調整をしていた。その上で、ハルウララの走りが有馬記念で通用するものだと私に見せる、そう彼は言っていたし、実際に行動していた...そのことを、貴方には分かっていてもらいたいのです。」

 

俺の目を見つめて、そう語った彼女に、俺は少し微笑んで言葉を返した。

 

「ええ。分かっています。彼が初めから勝負を捨てるような人でないことぐらい...これまでのキングのレースを見れば、充分に理解できます。」

 

俺は今までのレースを、田辺さんの言葉を思い出しながら彼女に答えた。その言葉に、彼女は

 

「そうですか、でしたら、私の言葉は余計でしたね。」

 

そう言って、皇帝には相応しく無い優しい笑みを、彼女は浮かべていた。俺は、そんな彼女を見て、素直に、こんなにも彼女は笑うのかと思った。もっと硬く、笑わないイメージを持っていたのだが、ステークス前に行った生徒会室で聞かされた時のダジャレといい、彼女には知られていない一面が多く存在するのかもしれない。

 

「...すみません、先程まで、貴方には、とても失礼なことを言ってしまった。それを、許してもらいたい。」

 

俺がシンボリルドルフに対しての認識を改めていると、彼女がそう言って謝ってくるのが目に入った。俺は慌てて頭を上げるように彼女に伝えた後、自分の言葉について逆に彼女に謝罪をした。

腹が立ったとはいえ、俺の発言は、日本人の国宝に値する彼女に対しての言葉使いではなかった。その謝罪を受けて彼女は困ったように頬を人差し指でかきながら

 

「困ったな..逆に私が謝られるとは...」

 

そう言って、苦笑いをしていた。

頭を上げて欲しいと彼女に言われて、俺は下げていた頭を上げる。

彼女は真っ直ぐに俺を見つめており、忘れていた皇帝の威圧感が再び、俺にのしかかってきた。

 

「....ハルウララの走り、確かに、充分に強いと言えます。そして、そこまでの物を手に入れた努力も、これまでの経緯からして素直に尊敬に値する。...貴方が言った、奇跡ではない、という言葉にも、充分に納得がいく。だが、それでも、だ。それでも、ハルウララが有馬記念で勝つことは極めて困難である事実には変わらない....それでも貴方は、彼女が勝てると、そう心から信じれるのですか?」

 

力強い声音で、目の前の皇帝は俺にそう聞いた。俺はその質問に対しての答えを、すでに持っている。忘れてしまっていた想いが、その答えだ。

 

「....一度、いや、何度も、ウララじゃ勝てない。そう思ってたことは事実です。...それでも、もう、俺は決めたんです。あいつが、走る所を最後まで見届けるって、信じるって...だから、俺の答えは決まってます。」

 

見つめられている目を逸らさずに、真っ直ぐに、俺は答える。

 

「ハルウララは、有馬記念で勝ちます。どんなウマ娘にも、あいつは負けません。」

「...それは、同じチームメイトのライスシャワーも倒す、と言う見解で間違いないのですか?」

 

俺の答えに、シンボリルドルフはイタズラに微笑んでそう聞いてくる。

痛い所をついてくるなと、内心で毒づいた。

有馬記念で、ウララを勝たせる。それを望むことがどういう意味なのか、俺はもう理解している。

そしてそれが、トレーナーとして失格であることも、理解している。

....それでも、それでも俺は

 

「...そうです。ライスも、1人のチームメイトと分かった上で、倒します。...俺は、ウララの勝利を、この目で見たい。」

 

あの日、初めてウララと出会った日。ウララと誓った約束を、2人で勝利を掴もうという約束を....果たしたい。

 

「なるほど...貴方は、トレーナー失格だ。」

 

俺に対して敬語を使うことなく、シンボリルドルフは冷たくそう言い放った。きっと、彼女の中で俺は、もうトレーナーではないのだろう。

担当ウマ娘の勝利を平等に望む、それが本来のトレーナーのあるべき姿、チームを持つということの責任なのだ。

それを、俺は放棄した。

だから、彼女からその評価を受けることは、仕方がない。

 

「....だが、嫌いじゃない。」

 

自己嫌悪を始めていると、ふと彼女の口からそんな言葉が聞こえた。

聞き間違いかと思い隣を見ると、彼女はもう立ち上がっていた。

控え室に向かったのか、ウララ達はもうコースにはおらず、誰もいないターフのコースを、彼女は眺めている。彼女は、そこに何を見ているのだろう。そんな疑問が、頭に浮かんだ。

 

「貴方に、トレーナー失格だ。そう言った直後にこんなことを感じてしまうのは、存外、私も感情というものには弱いらしいな。」

 

俺が彼女の景色を想像している時、コースを見ながら、シンボリルドルフがそう呟いた。それは、どこか明るい声音で、俺からは後ろ姿しか見えないが、なんとなく彼女が今、笑っている気がした。

 

「ハルウララが、G1のレース有馬記念を制覇する。....そんな夢物語を、私もこの目で見てみたい。....私が見たかった景色を、この目で見れるというのなら....私は、それを見てみたい。」

 

シンボリルドルフは、俺の方に振り返ることなくそう言った。

有馬記念、それを制覇すること自体、彼女からすれば容易い事だ。

彼女がみたいと言った景色、それは、多分俺と同じだ。

才能に、努力で勝つ。シンボリルドルフですら敵わなかった、才能という壁。それが、崩れる景色。

それをその目で見たいのだと、彼女はそう口にしたのだ。

現役を既に引退した彼女、走る事が叶わない今、彼女の考えを変える術は、もう彼女自身には残っていない。

だからこそ、ウララの勝利を、彼女は望んでいるのだ。

その勝利に、自らを重ねようとしているのだ。

その感情を、信念を理解して、俺は心が熱くなるのを感じた。

 

「私も、これで貴方と同じだ。会長であるのなら、本来全てのウマ娘の勝利を願うべきなのにな。」

 

彼女はそう言って、俺に振り返った。イタズラに微笑んだ後、右手を差し出してきた。

 

「だから、これは私一個人として...シンボリルドルフとしての言葉になる。....貴方達の勝利を、ハルウララの勝利を、私に見せてくれ。」

 

俺を真っ直ぐに見つめ、彼女はそう言った。

その言葉に、俺は迷う事なく頷き、彼女の右手を取る。

 

「ああ....必ず、勝ってみせる。」

 

もう、敬語を使おうとは思わなかった。何故かこの時だけは、彼女と対等になれた気がしたのだ。

 

思ったよりも小さいその手のひらを、力強く握りしめた俺は、シンボリルドルフ...皇帝と呼ばれたウマ娘に、願いを託された。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

確かな強さを身につけたウララに、俺は労いの言葉をかけに行った。

レースを終えたばかりの彼女は更衣室に続く廊下でキングとともに座り込んでおり、俺が彼女を見つけて声をかけようとすると、キングがそれを手で制した。

それを疑問に思ってキングを訝しげに見ると、彼女は黙ってウララの方を指さす。

そこには、俯いたまま目を瞑り、一定のリズムで呼吸するウララの姿があった。

 

「...寝てる、のか?」

 

俺は小さくキングに聞いた。人間であれば聞き返すような声音なのだが、ウマ娘の聴力は案外高く、キングは俺の呟きに黙って頷いた。

俺は、起こさないようにそっとウララに近づく。

芝で汚れた靴、白色の部分が少し霞んでいる勝負服、乱れた髪....

本当に、出し切ったのだと、その姿を見ているだけでわかる。

 

「私はしばらくここに居るわ。貴方は、どうするの?」

 

ウララの頭を撫でながら、キングが小さな声で俺に聞いてくる。

俺は、愛おしそうにウララを撫でているキングに、良くやったと褒めていたとウララに伝えるように頼み、ライスの練習を見にいくことにした。

ウララに勝って欲しい、そう願っている事実は変わらないが、だからといってライスの練習を手抜きにするつもりはない。ライスにも、俺が出来る全力を尽くす。それは、俺がトレーナーでありながら私欲を優先したことに対しての、せめてもの償いでもある。

中等部のターフ場を離れて、高等部のダートコースへと向かう。

残りの数日でラストのバランスを物にするために、彼女にはダートで走ることを勧めた。

ライスは、残りの直線でフォームが崩れやすい。最初は筋力的なものかと思っていたが、単純になれない短距離のフォームを行うことで力んでいるだけだと、数日前の練習中に俺は気がついた。その為、あえて走りにくいダートをリラックスして走る練習を提案した。

力強く走らなければ進まないダート、しかしながら、力を入れる場所、抜く場所というのは必ず存在する。それを、残りの数日でライスに染み込ませる。

ストップウォッチやメモ用紙を片手に、俺は小走りにコースの入り口を抜けた。ライス以外にも何人か走り込んでいるウマ娘がいる為、彼女を見つけるのに少しだけ時間がかかる。

 

「...そこにいるのは、ライスさんのトレーナーさん、ですか?」

 

ライスを見つける為にあたりを見渡していると、聞き覚えのある声音が、耳に届いた。声のする方に顔を向けて、思わず俺は目を見開いた。

 

「み、ミホノブルボン!?いや、え?なんで!?え!?」

 

そこには、ライスと激戦を繰り広げたウマ娘、ミホノブルボンが立っていた。彼女がここにいる事に俺は驚きを隠せず、それと同時に、今日は驚いてばかりだなと心の中で呟いた。

 

「?何をそんなに驚かれているのですか?私もダートでトレーニングを行う時もあります。本日はマスターの指示により、自主練習をしても良い日だと承りましたので、ライスさんの練習に同伴させてもらっています。」

 

ミホノブルボンは驚いている俺に、表情ひとつ動かさずに答える。俺は、その言葉によって、ようやくここに来た本来の目的を思い出した。

 

「あ、そうだ、ライス!あの、ミホノブルボンさん、ライスがどこにいるかわかりますか?」

「ええ、今もいますよ。」

「..??」

 

俺の質問に、彼女はそう答えて首を傾げた。しかし、首を傾げたいのはこっちの方だ。ここにいると言っても、ミホノブルボンしかここには居ないし...ん?

 

不思議そうに首を傾げている彼女、その背中から、何やら耳のようなものがはみ出ている。

 

「えっと...私、ブルボンさんの後ろで隠れてて、トレーナーさん驚いてくれるかなぁーって....でも、その、先にブルボンに言われちゃった...」

 

その耳が申し訳なさそうに話したかと思うと、ミホノブルボンの背後から顔を真っ赤にしたライスが現れた。

 

「あ、いや、なんか...ごめん。」

 

しゅんとしたライスの表情を見て、俺は何とも言えない気持ちになってしまい、思わず謝意を口にする。

 

....やばい、気まずい。

 

笑ってそこに居たのかよー!みたいな感じにしたいけどタイミングを失ってしまった。ライスは恥ずかしそうにもじもじしてるし....

 

「トレーナーさんが来たのであれば都合がいいです。ライスさん。もう一度並走を行いましょう。今度は、全力です。」

「あ!うん!そうだね!トレーナーさんに見てもらったらもっと良くなるもんね!うん!そうしよ!」

 

ナイスブルボン!そう叫びそうになる心を懸命に抑えて、俺もその提案に首を大きく振って賛同した。ライスも、心なしか勢いよくその提案に賛同していた。

まあ、何はともあれ、ライスを発見できた俺は彼女達の動きがよく見えるように極力前の方で、コーナーを抜けた直線寄りにある観客席に腰をかける。ライスとミホノブルボンがスタート地点に並び、2人でスタートの体制を作っていた。

ライス達は今から2000メートルを走る。ダートコースの一周は1000メートルであり、それをちょうど2周するわけだ。

俺はいつでもスタートしていいように手で丸をつくり、遠くにいる彼女達に合図を送った。俺からは確認できなかったが、おそらく2人はそれを認知したのだろう、先ほどまでのほんわかした雰囲気をかき消して、集中力が上がる雰囲気をまといだした。

そして、同時に2人は駆け出す。

 

二周目のカーブを抜けるまでは、ミホノブルボンが先頭だった。スタート同時に先頭に立ち、ライスは風除けとしてミホノブルボンを利用する為、彼女の後ろに入る。ミホノブルボンは短距離、中距離を得意としてるだけあり、かなりのスピードでコーナリングをこなしていく。

だが、目を見張るのはそこではない。たしかにミホノブルボンは強い。しかしながら、彼女が得意とする距離の走りに、ライスが距離をあけずについていけている事に、俺は驚きを隠せなかった。

以前のライス、それこそ、菊花賞のライスでさえも、このスピードを出すミホノブルボンにはここまでピッタリとついていくことはできなかったはずだ。

 

....短距離の走り方が上手くなってる、何よりの証拠だ。

 

ライスが苦手とするラストの直線。有馬の会場である中山レース場は直線が短いとはいえ、やはりコーナーを抜けてからの直線勝負は重要である。そこを上手く乗り切るには、伸びる走りではなく、単発的な爆発力が必要となる。

それを身につけることは容易ではない。だからこそ、長く速く走る能力が必要になる。つまるところ、ロングスプリントだ。これをいかに速く、長く仕掛けられるか、それが、ライスにとって勝負の鍵になる。

 

「...それは、もう習得済みみたいだな...」

俺は、そのあまりの凄さに立ってしまった鳥肌に気がつくことなく、彼女達の走りを眺めた。

ライスに単発的な勝負ではなく、ロングスプリントをかけるアドバイスをしたのは数日前だった。それを、この期間で、完璧に仕上げてくるライス。改めて、彼女の素質と努力に、感服してしまう。

 

 

一周目を目まぐるしい速度で終えて、彼女達は二周目に入った。未だ先頭はミホノブルボンだが、そのペースに少しだけ緩みが出たように見えた。ほんの少しだが、速度が落ちたのだ。

...そして、それをライスが見逃すわけがなかった。

 

二周目のカーブ、第3コーナーを曲がる時、ライスが大きく横に膨れた。そして、スパートをかける。800メートル以上の、ロングスプリントだ。

ミホノブルボンもそれに食らいつくが、カーブをインコースで曲がっているため、膨らんで走るライスのコースを塞ぐことができていない。

その差が埋まることなくカーブを抜け、そして直線に入った。砂埃が、左から右に流れていく。それは、今のライスにとってなによりも都合がいいことだった。

 

...追い風

 

風が吹く。それに合わせるように、ライスはラストギアを入れた。

ロングスプリントで走っていた為、そこまで速度に変わりはない。それでも、確実に直線の速度は上がっている。

ミホノブルボンも追い風を利用してトップギアに入った。しかし、微妙に生まれた差が埋まることはなかった。

 

「はぁ、はぁ、はぁ、や、やった...やった!」

 

ライスは左手を腰に手を当てて、右手で小さくガッツポーズをしている。息を切らしながらも、ミホノブルボンに勝てたという事実がなによりも嬉しいのだろう。ミホノブルボンも、そんな嬉しそうなライスの元に行き、2人で何かを話していた。

俺も安全を確認してコース内に入り、彼女達に労いの言葉をかけにいく。

 

「2人ともお疲れ様。それにしてもライス、お前すげーな!もうあんな走り身につけてたのか!」

 

俺はミホノブルボンに遠慮することなく、ライスを褒めちぎり、彼女の頭を撫でる。ライスは嬉しそうにはにかみながら

 

「えへへ〜、私、頑張ったもん!」

 

と、嬉しそうに口にしていた。

 

「本当です。ライスさんの走り、正直、今の私では太刀打ちすることができません。....これなら、間違いなく、有馬記念を勝ち抜くことができるはずです。」

 

ミホノブルボンは、嬉しそうにはにかむライスを見ながらそう言うと、彼女の頭を、今度は俺と入れ替わるようにして撫で始める。

 

「!?ぶ、ブルボンさん!?」

「...いえ、ライスさんが頭を撫でられている時とても嬉しそうでしたので...不快、でしたか?」

「う、ううん!全然!ただ、その、照れ臭いというか...。」

 

俺もミホノブルボンの行動に驚いたが、ライスが照れ臭そうにしながらもその手を退けようとしないので、何も言わないでおくことにした。

先程の並走の疲労を取り除くために、俺はライスに10分ほど休むように指示をしてその場を離れようとした。しかし、ライスが休憩の間3人で話したいと提案したため、俺たちはコースを離れ、土がつかないようにコンクリートの出っ張りに腰をかけて話すことにした。

 

「あ!そうだ!ウララちゃんのレース、どうだった?」

 

さっきまで自分の練習に集中していたからか、ライスは模擬レースの結果を、思い出したかのように俺に聞いてきた。そんなライスを見て、彼女の隣に座るミホノブルボンが不思議そうに首を傾げた為、模擬レースをしたのだと軽く彼女に説明をした後、ライスに結果を伝える。

 

「うん、うん!やっぱり...ウララちゃん、ちゃんと強くなってるんだ..」

 

俺の言葉を受けて、ライスは嬉しそうにそう呟き、小さく拳を握っていた。そして、「あれだけ前から練習してたもんね!」と、ライスは目を輝かせながら嬉しそうに俺に同意を求める。

俺もその言葉に、心から同意の言葉を返す。ウララが、短距離レースをしながら影で長距離の練習をしていたことは、偶然だが知っていた。

 

「...流石、ライスさんと、ウララさんのトレーナーさんです。2人を共にここまで進化させるとは、素直に感服いたします。」

 

ライスの右隣に腰をかけたミホノブルボンは表情を変えずに、俺に対しての称賛を述べた。けれど、それは筋違いなのだと、俺は彼女に説明する。

 

「いや、違うんです。凄いのは俺じゃない。俺の言葉についてきて、その中から自分の選択をして、努力し続けてる彼女達が凄いんです。...本当、凄いよ。」

 

俺は、ミホノブルボンに言葉を返すのと共に、照れ臭そうにもじもじとしているライスに、改めての称賛を行った。

それから、俺達3人は、再びさっきの、ライス達の模擬レースについて話すことにした。ライスの走りの修正点などを話し合っていると、実際に並走を行ったミホノブルボンの言葉には説得力があり、修正点とまではいかないものの、意識するポイントを抑えることができた。

ライス自身が感じたことも踏まえた所で、ちょうど10分がすぎた所だった。模擬レースの疲労のことも考え、もう少し休憩するかとライスに聞いたのだが、彼女は首を横に振った。

 

「まだ走るよ!さっき教えてもらったこと、意識してみるね!それじゃ、行ってきます!」

 

そう言い残すと、ライスはコースに駆け足で戻っていく。

ミホノブルボンもコースに向かうのかと思ったが、彼女は未だ座ったままだった。ぼーっと、コースに向かうライスの背中を見つめている。

ライスを真ん中に座らせていたため、彼女が座る位置は俺よりも人1人分遠かった。

俺もライスの練習を見なくてはならないのだが、無言の彼女を放っておくわけにもいかず、どうしようかと内心困惑していた。

 

「...私は、ライスさんが勝つべきだと、そう考えています。」

 

そんな時、ミホノブルボンが、突然そう口にした。

コースを見つめる彼女の横顔は、いつものように無表情だ。それなのに、この時見た彼女の横顔からは、なんだか、いくつもの感情があるように感じた。

 

「ウララさんは、いくつもの努力をしたのでしょう。努力して努力して、そして、有馬記念という舞台に選ばれた。そこからさらに努力を重ねて...ライスさんに、追いつける可能性がある、そんな走りを、ようやく手に入れた。」

 

ミホノブルボンは、コースから目を離さずに、俺に語り続ける。

その目には、きっとライスが映っているのだろう。コースをかけていく彼女は、まるで芸術のような、そんな走りをしていた。

そんな彼女に、ウララが追いつける可能性があると、ミホノブルボンは口にした。それだけで、彼女がどれだけウララを認めているのかが、俺には十分に伝わった。

 

「それでも、ライスさんが勝つべきなのです。彼女の、あの美しい走りが...私にとって、初めて憧れた走りが、ようやく日の目を見たのです。

それが、私は自分のことのように嬉しい。...ライスさんは、私にとってのライバルで...友達ですから。私は、彼女の勝利を望みます。そしてそれは、貴方も同じであってほしいのです。....ライスさんの勝利を、貴方にも望んでほしい。誰よりも貴方のことが好きな、彼女の勝利を。」

 

最後まで、彼女の表情は変わることはなかった。それなのに、そこには優しい笑みが浮かんでいるような、そんな声音が、俺の耳には届いていた。

そんな彼女に、俺はなんと言えばわからなくて、それでも返事をしなければと口を開いたのだが、ミホノブルボンは立ち上がり、

 

「では、私は今日の練習を切り上げることにします。ライスさんに、どうかよろしくお伝えください。」

 

そう言い残して、彼女は練習場をさっていった。

 

「...ありがとな。」

 

俺は、もう遠くなったその背中に、少しだけ微笑んで、小さくそう呟いた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

模擬レースが終わった後、キングちゃんに少しだけ座って休みたいと言って、更衣室へと続く廊下に座った。一息つく程度に座るつもりだったのに、気がつけば寝てしまっていたらしい。

目を覚まして隣を見ると、私の肩に頭を預けながらキングちゃんも寝ていた。小さく寝息を立てながら、可愛い寝顔を浮かべている。

 

「...待っててくれたのかな。」

 

眠っているキングちゃんの頭をそっと撫でながら、私は小さくつぶやいた。その言葉に帰ってくる返事はなくて、それでも、キングちゃんが私のことを隣で待っててくれてたというのは、なんとなくだけどわかった。

しばらくして、キングちゃんの目が覚めた。私が、おはよう!

そう元気よく声をかけると、キングちゃんはようやく眠っていたことを自覚したようでとても焦っていた。

 

「...もう!私がウララさんに言うはずだったのに...」

「えへへ〜、キングちゃんの寝顔、可愛かったよ!」

「う、うるさい!」

 

2人で廊下を歩きながら、更衣室に向かう途中、キングちゃんが恥ずかしそうにぼやいたのを、私は聞き逃さなかった。本当に可愛かったので、寝顔のことを言うと、キングちゃんは頬を赤らめてそっぽを向いてしまった。

でも、それはいつものことなので、私も特に気にすることなく更衣室へと歩を進めた。

眠ったこともあってか、歩く足は意外と軽くて、更衣室には案外早くに着いた。それぞれの制服に着替えて、キングちゃんに髪の毛をといてもらう。

 

「全く...髪の毛のセットなんて、自分でしなさいよね。」

「えー、キングちゃんにしてもらうのが1番だよぉ〜。」

 

自分でとくようにと、キングちゃんは私にため息混じりにそう言いながらも、いつも私の髪を綺麗にしてくれる。その優しさに甘えながら、ゆっくりとした時間を過ごした。

 

トレーナーが私のことを褒めてたと、キングちゃんが髪をときながら教えてくれた。本当は、直接レースのことを褒めて欲しかったのだが、ライスちゃんの練習を見に行っているとのことだったので、それはまた今度にすることにした。

 

今日は、模擬レースが終わった後、休養を取るようにトレーナーに言われている。ここのところ練習浸だったから、有馬より前に体を休ませれるのはありがたかった。

 

「折角だし、どこか遊びにでもいく?」

「おお!いいね!行こう行こう!」

 

模擬レース以降、もうすっかり砕いた話し方になったキングちゃんが、私に小首を傾げて聞いてきた。私は、その提案に大きく首を振って賛成して、るんるんな気分で更衣室を後にする。

一度私達は解散してから、街中のとある店の前で集合という事になった。

トレセン学園を出てから、久しぶりに街中に来た。街には、クリスマスに向けていろんな張り紙や飾りがされていて、そこで初めてクリスマスが近いことを私は思い出した。

 

「...そっか、クリスマスなんだ。」

思わず、小さく口に出てしまった。

有馬記念のことばかり考えていて、すっかり忘れてしまっていた。

今年は何をサンタさんに頼もうか、そんなことを考えていると、一旦部屋に戻ったキングちゃんが、オシャレな私服姿で集合場所まで来た。

 

「ごめんなさい、待ったかしら?」

「ううん!全然!キングちゃんの私服、凄い可愛いね!」

「とーぜんよ!なにせキングだもの....所で、なんでウララさんは制服なの?」

「んーとねー、お財布とか準備してたら忘れちゃった!」

「....はあ、もういいわ。とりあえず、お店でも回りましょ。」

「おー!」

 

何故か、私の言葉にため息をつくキングちゃんと一緒に、いろんなお店を回った。食べ物のお店は、有馬に向けて体重をさらに落としてる為、キングちゃんは極力避けてくれていた。それを口にせずに行ってくれる所が、本当に素敵だなと、今日改めて思った。

 

「..全く、それにしてもクリスマスクリスマスって、まだ数日後の話でしょうに...ほんと、みんな好きよね。」

周りの景色を見ながら、キングちゃんはそう、呆れるように呟いた。

 

「キングちゃんは、クリスマス好きじゃないの?」

 

まるで自分は違う、そんな口調のキングちゃんが気になって、私はそっと質問する。

 

「そうね...好きでも嫌いでもないわね。ただ、クリスマスだからっていう理由で何かをする事に面白みを感じないだけよ。...何かを理由にしないと行動できない、そんな愚かさを見ているような気分になるの。」

 

どこか寂しそうにキングちゃんはそう答えると、点々とお店の中に入っていく。

服やアクセサリー、キングちゃんは可愛いものをたくさん知っていて、私に色々とつけたり買ったりしてくれた。自分の物だから自分で買おうとしたのだが、私がつけさせたいからいいのと、頑なに断られてしまい、気がつけば4個も私はキングちゃんが買ったアクセサリーや服を、身につけてしまっていた。

 

「うん、いい感じね。似合ってるわよ、ウララさん。」

「えへへ!本当に!ありがとキングちゃん!これで私も大人の女だよ!」

 

アクセサリー店を出て、私の全身を見た後、満足そうにキングちゃんは微笑んだ。

服もアクセサリーも、私は子供っぽいものしか持っていないため、キングちゃんがくれた服やアクセサリーは、どれもキラキラしていて、大人びて見える。それを身につけていると、なんだか私も大人になった気分になれた。

何かキングちゃんは欲しいものはないのかと、お返しをしたくて聞いたのだが、キングちゃんは優しく笑って

 

「その気持ちだけで十分よ、ありがとね。」

 

そう言ってばかりで、何も欲しいとは言ってくれなかった。

わたしのお金じゃ買えないものなのかなと、少しだけ悲しくなったけど、それを口にすることはなかった。

 

街の中にはいくつか休めるような所があって、自動販売機の横にある小さなベンチに、私達は腰をかけた。ひんやりと冷たくて、座った時に思わず声が漏れてしまう。キングちゃんもそれは同じだったようで、

「ひゃ!」

と、小さく口から漏れていた。

 

夕方でも、12月の日が暮れるのは早くて、もうすっかり外は暗くなっている。それでも、街の明かりで外は充分に明るく照らされていた。

 

「....綺麗だね。」

「ええ。...こうして何もしない時間も、悪くないわね。」

 

たくさんの人が流れる、そんな街並みを、なんとなくぼーっと眺めていると、そんな言葉が口から漏れる。私のその言葉に、キングちゃんも頷いて、街の景色を眺めていた。

 

しばらくそうして、お互いに無言で景色を眺めている時、キングちゃんが不意に、私の足のサイズを聞いてきた。

私はなんでそんなことを聞かれるのかよくわからなかったけど、とりあえず自分のサイズをこたえてみる。

私の返答に、キングちゃんはキョトンとした後に、楽しそうに笑い出した。

 

「え!?ど、どうしたのキングちゃん!?え?私何か面白いこと言ったかなぁー?」

「いいえ!いいえ!違うの、ただ、こんな偶然もあるのね、そう思ってね。」

 

目頭に浮かぶ涙を拭いながら、キングちゃんは、そう言って、カバンの中を開けた。そして、そのカバンの中から、一つの靴箱がでてくる。

 

「...これ、私が長距離レース用に、使おうって思ってた靴なの。...情けない事に、もうその舞台に立たないって自分で決めたから、結局、一度も履くことはなかったのだけどね....」

 

そう言って、キングちゃんはその靴箱の中から、靴を取り出した。

赤を基盤とした色に、白の模様が入っている、とても綺麗で、軽そうな靴だった。

 

「...これをね、貴方に持ってて欲しかったの。有馬記念のその舞台に、持っていって欲しくて...でも、まさか、その靴のサイズがピッタリだなんて..思いもしなかったわ。」

 

今度は大笑いするわけでもなく、どこか儚い笑みを浮かべて、キングちゃんは笑っていた。

 

「...キングちゃん、私、この靴履いても良い?」

 

その笑顔を見たときに、もう私のしたいことは決まっていた。

どうしてそんなに悲しい笑顔を浮かべれるのか、それを、私は知っているから。

その舞台に立ちたくても立てない、その悔しさを、知っているから。

だから、この靴を履きたかった。

キングちゃんがくれた靴で、ファルコンちゃんがくれた蹄鉄で、トレーナーがくれた勝負服で、有馬という舞台に立ちたいと、その時、改めて強く感じた。

 

「きっとね、有馬記念、苦しくて、辛くて、レース中に、逃げ出したくなる時が、きっと来る。..その時にね、キングちゃんのたくさんの想いが詰まった靴を履いてるとね、きっと、すごく力になると思うんだ。...だから、この靴、私に履かせて欲しい。」

 

真っ直ぐに彼女の目を見て、私は伝える。キングちゃんは私の言葉を受けて、ふふ、と軽く微笑んだ。

 

「私から頼んだのに、なんだかお願いされるなんて...変な気分ね。....けど、そうね、いいわ!許可してあげる!キングの靴を履くこと!キングの想いを背負うこと...サイズも、ちょうど同じだしね。」

 

いつもの、高飛車な声音でキングちゃんはそう言った後、片目をウィンクして私に靴を渡した。

私も段々、サイズが同じという事実が面白く思えてきて、笑いながらその靴を受け取る。

 

キングちゃんからもらった靴はやっぱり軽くて、それでいて、沢山の想いが詰まっているのを、確かに感じた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

仕事を終えてトレセン学園を出る。流石はお祭りごと大好きJapanなだけあって、クリスマスイブ、クリスマスというイベントが間近なこの時期は、この都会の街のどこもかしこもクリスマス仕様になっている。

 

「...有馬記念の前に、あいつらにプレゼントでもやるか。」

 

流石に、有馬記念の前にパーティーなどはできないが、それでも、プレゼントをあげることぐらいはできるだろう。

何かいいものは無いかと思考したところで、これまでの経験の無さが痛手にでた。

 

「...そもそも、プレゼントって、何やればいいんだ?」

 

男友達にプレゼントを送る事は幾度かあった。だが、その大抵のものは思春期男子が渡すふざけたプレゼントか、酒やタバコと言った、いかにもなものが多い。女の子、しかも、年頃の子が喜ぶプレゼントなんて、思いつきもしなかった。

とりあえずなんでもありそうなショッピングモールへと足を運び、そこでスマートフォンを起動する。

手当たり次第に検索をかけては見たものの、これといったものが見つからない。

入り口付近であたふたしている、側から見たらやばいやつに成り下がった俺が、どうすればいいのかと頭を巡らせ続けていると、誰かに後ろから声をかけられた。

 

「あ!ウララちゃんのトレーナーさんじゃん!やっほー!みんな大好き、ファルコだよ☆」

 

そこには、ピンク色のもこもこのセーターを着て、いつものツインテールではなく、ポニーテールをしている、スマートファルコンがいたのだった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

とりあえず、俺はファルコンに事情を説明したところ

 

「ちょうどいいじゃん!ファルコもね、プレゼント選びできたんだよ!」

 

と、俺に手招きをして中へ入れとジェスチャーをする。

本当はアドバイスがほしかっただけなのだが、一緒にまわってもらった方が案外楽かもしれないと思い直し、ファルコンの後をついていく。

彼女にはもう何を買うのかというプランが決まったいるのか、迷いのない足取りで店の中を進んでいく。

そんな彼女を見ながら、俺はなんとなく考え事をしていた。

歩くファルコン、元気に話しているファルコン、そんな彼女を見ていると、今なら走れるのではないのか、もう、走っても大丈夫なんじゃないのか、そんな考えが、生まれてしまう。

ウララから、彼女の病気が治ったのは聞いていた。けれど、改めて元気な彼女を見ていると、話で聞くのとは全く違う現実味があった。

それは、彼女が走れないという現実を壊すほどの光景で...

 

そこまで考えて、俺は思考を停止する。

彼女が、やっとの思いで受け入れた現実を、俺の勝手な妄想で汚すのは嫌だった。俺は、その妄想をとっぱらうようにして、ファルコに声をかける。

 

「にしても、なかなか広いよな、このショッピングモール。店多すぎじゃないか?」

「確かにねー、なんか、似通ったお店も結構あるしねー。」

 

俺の言葉にファルコンは賛同しながら笑っている。

エスカレーターにのって、一階から三階へと俺達は移動した。

レストランやデザートの専門店などが続いていたフロアから一風変わり、今度はぬいぐるみや服屋などが並ぶ、どちらかといえば女性向けなフロアにたどり着いた。

 

「さ、トレーナーさん、私たちはここに行くよ!」

 

ファルコンはそう言うと、エスカレーターを降り、左方向に真っ直ぐに歩いてから着く、熊のぬいぐるみがたくさん並んでいるお店の中へと入っていく。

いらっしゃいませー、という、店内からの声が聞こえる。

俺はその光景に思わずおどおどしながらも、ファルコンの後ろを頑張ってついていった。

 

「さ、ここでプレゼントを選ぶよ!トレーナーさん!」

「...おお、すげーな、これ。」

 

店には、色んな種類のぬいぐるみが置いてあったが、今目の前に広がるぬいぐるみは、普通に俺がほしくなるものだった。

トレセン学園をはじめとした、多くのウマ娘のぬいぐるみが、そこにはあったのだ。

中には、ライスやウララをデザインしたものもある。

 

「なあ...これ、本人達に許可取ってるの?」

 

トレーナーである俺に連絡が来ていないと言う事は、おそらく学園に許可を取っているのだろうか?疑問に思い思わず口に出したのだが...

 

「んー、どーなんだろうね?私も別に連絡来なかったし...けど、可愛いしいいんじゃない☆ほら、私のぬいぐるみもあることだし!」

 

疑問に思っている俺に、細かい事は気にしない!と、ファルコンは呟き、彼女の勝負服をデザインしたぬいぐるみを手にする。

 

「...ま、それもそうだよな。」

 

俺もファルコンを見習って、ぬいぐるみを手にする。

ライスのぬいぐるみと、ウララのぬいぐるみ。

手のひらサイズのそのぬいぐるみは、彼女達の魅力がきちんと再現された、可愛らしいデザインだった。勝負服のデザインも、きちんと再現されている。

 

「ええー、どーせならファルコのぬいぐるみを取ってよー」

「お前、それ恥ずかしくねーの?自分をデザインしてるぬいぐるみだよ?それ目の前で取られるって...なんかこう、なぁ?」

「恥ずかしくないよぉー!だって、ファルコかわいいんだもん☆」

「あー、はいはいそうですか。んじゃ、俺は決まり次第会計してくるわ。」

 

俺の返事に抗議しているファルコンを無視して、俺は他のぬいぐるみにも目を向けた。そこには、ミホノブルボンやキング、ライスにと同室のゼンノロブロイのぬいぐるみもあり、俺はそれらのぬいぐるみも手にする。...それから、ついでにファルコンのぬいぐるみも手にしておいた。

バレないようにその6つのぬいぐるみをレジへと持っていき、先に袋に詰めてもらった。ウララとライスに、3つずつのぬいぐるみを買い、プレゼント用にラッピングしてもらう。梱包が終わってから、俺は先に会計を済ませたこともあり、駆け足でファルコンの元に再び向かった。彼女は、まだプレゼントを何にするか迷っているようで、顎に手を当てて、んーー、とうなっている。

 

「ファルコンは、それ誰にあげるんだ?」

「んーとねー、今から買うプレゼントあげる娘はね、エアグルーヴちゃんに、フラッシュちゃん、スズカとか...高等部の仲良い娘達用なんだよねー。」

 

その中に、ウララの名前が入っていない事が俺は意外だったが、それを口にする事はなかった。

 

「前はアクセサリーとか服とか買ってたんだけど...案外、こういうのがいいのかなぁーって思ってさ。でも、やっぱりいざ買うってなると、迷っちゃうねー。」

 

そう言って、ファルコンは困ったように笑っていた。

 

「迷ってた俺が言うのもなんだが、気持ちがあればいいんじゃねーのか?...ちなみにだな、俺はその、ウララとライスにとってライバル的な存在の子達を選んだぞ。」

 

恥ずかしさもあり、プレゼントを選んだ基準と、ファルコンを選んだと言うことを遠回しに伝えた。

 

「おお!トレーナーさん、ナイスアイデアだよ!」

 

ファルコンには後者の意図は伝わらなかったようで、今度は迷わずにぬいぐるみを取っていく。

ファルコンの会計とラッピングを済ませ、俺達は店を後にした。

ショッピングモールなだけあって、飲食ができる場所は多々あったが、ファルコンは寮で夕食を済ませていたようで、それらの場所による事はなかった。

ショッピングモールを出て、トレセン学園までの道を、2人でゆっくりと歩いた。道中で、ファルコンのファンの女子高生やカップルなどに遭遇して、その度に彼氏じゃないという説明をしてきたため、俺もファルコンもだいぶ疲弊している。

 

「...そんなにファルコ達、カップルに見えるのかな?」

 

人通りが少なくなってきた道で、ファルコンがそう俺に聞いてきた。

 

「まあ、実際男と2人で歩いてたら見られるだろうな。...俺、もうちょい遠くの方歩こうか?」

 

それはそれでストーカーに間違われそうだが、まあ、彼氏と間違われて彼女に迷惑がかかるよりは問題ないだろう。

 

「んー、ウマドルとしては問題なんだろうけど...うん!今夜はファルコの気持ち優先しーちゃお!」

 

俺の提案に、答えているのかどうなのかよくわからない言葉をはいた後、ファルコはさっきよりも近い位置で、俺の横に並んだ。

手は繋いでいないものの、これでは完全に恋人の距離ではないか...

 

「あの、ファルコンさん?近くないですか?」

「そりゃ、ファルコ近づいてるもん、近くなって当然でしょ?」

 

甘い香りやらなんやらが鼻をくすぐって鬱陶しい。

距離を取ることも考えたが、それはそれで彼女に失礼だと思い、このままの距離で再び俺達は歩いていく。

 

しばらく、俺は彼女の話を聞いていた。足の故障が治ってから、軽くは走れるようになったこと、ウララの模擬レースの話が噂になっていること、冬休みの課題が終わらないこと....俺が知らない、彼女の一面が、たくさん見えた気がする。

 

「ウララちゃんには、何をあげよっかな。」

 

会話の中でふと、ファルコンがそう呟いた。

俺と同じぬいぐるみは被るから遠慮して欲しいところだが、最初からファルコンには、ぬいぐるみという選択肢がなかった様だ。

 

「...ま、あいつなら正直その辺の石ころあげても喜ぶと思うぞ。」

「あははは!確かに、ウララちゃんならあり得る話だね!」

 

ウララは、基本なんでも喜ぶ。プレゼントの中身よりも、相手から何かをもらう事に対して大きな幸せを感じる娘なのだ。そんな彼女だからこそあり得る、その極端な例にファルコンはツボっていた。

自分で言った冗談だが、あまりにも想像できすぎて、俺もついつい笑ってしまった。

 

「あー、笑った笑った。...でも、うん、そうだよね..ウララちゃん、本当になんでも喜んでくれるんだと思う。」

「ああ。あいつはそういう奴だからなぁ〜。」

 

ようやく笑いがおさまって、落ち着いた俺たちは再びゆっくりと歩を進めながら、会話を続けた。

12月後半の夜の寒さはなかなかな物で、手袋をしていても手がかじかんでくる。恋人同士ならこれを温め合えるのかという、羨ましくも、妬ましい想像をしていると、ファルコンが急に足を止めた。

 

「ん?どうした?」

 

俺は何か考え事をしている彼女が不思議で、そっと駆け寄ろうとした

 

「...ファルコ、決めたよ!」

 

しかし、彼女は急に大声を発すると、俺に早足で近づき、小さく拳を握りしめて、それを俺の胸に当てた。

そして、彼女は口を開いた。

 

「私、もう一回、レースにチャレンジしてみる。もう、現役として走る事はできないけど。..それでも、努力して、努力して、努力し続けて..いつか、ちゃんとターフの上に立って...ウララちゃんと、走ってみせる。これが、私からウララちゃんに送る、クリスマスプレゼント」

 

震える声で、それでも懸命に、彼女は宣言した。

それが、どれだけ勇気のいる言葉であるのかを、俺は知っている。

だから、何も言わずに、ただ頷いた。彼女の覚悟を、尊重した。

ファルコンは、俺の目を見て続けた。

 

「これは...ただの自己満足。クリスマスに間に合うわけでもない、プレゼントになるかもわからない...きっと、トレーナーさんからしたらこれは、勝手な私の妄想で、願望に聞こえると思うの。...それでも、私、決めたから。だから、ウララちゃんに、伝えて欲しい。...まだ、直接言う勇気は持てないから。」

 

情け無いよね、最後にそう呟いて、ファルコは困ったように、軽く笑っていた。

そんな彼女に、俺は伝える。

 

「...情けなくなんか、ないだろ。」

 

医者に、周りに、もう走れないと、突きつけられた現実。

それを受け入れて、悔しさを噛み殺していた日々。

その中で、きっと彼女は、理解しているはずなんだ。

その世界に、自分が戻ることができないということを、

その世界に戻ることが、どれほど過酷なものかと言うことを。

それでも、彼女は確かに今、はっきりと口にした。

 

『ターフの上に立って、ウララちゃんともう一度走ってみせる。』

 

その言葉をはくのに、いったいどれほどの覚悟がいるのか。

どれほどの勇気がいるのか。

それは、俺なんかじゃ到底わからないものだ。

だから、情けなくなんてない。

それを、伝えたかった。

 

「お前は..ファルコンは、すげーウマ娘だよ。100%無理って言われて、ダメだってそれを受け入れてたのに..それを、ねじ返すぐらいの努力をするって、挑戦をするんだって、宣言できるウマ娘なんだからよ。だから、情けなくなんてない...めっちゃかっこいいよ、お前。」

 

俺の言葉を受けて、ファルコンは突然笑い出した。

 

「え!?うそ、なに!?なんだよお前!人がせっかく褒めちぎったのによ!」

「いやいやだって!ファルコ、改めて聞くとめちゃくちゃ言ってるなぁーって思ってさ!」

 

ファルコンはそう言って、けらけらと楽しそうに笑っていた。確かに、改めて聞くとめちゃくちゃに聞こえる。..だけど、それでも...

 

「お前なら、できるだろ?」

 

俺は、彼女の言葉を聞いた時から、当然のようにそう思った。

だから、笑わなかった。

彼女は、笑うのをやめて、キョトンとした顔をした後、はぁーと一呼吸ため息をついた。

 

「...ほんと、よくそんなにファルコのこと信じれるよね?」

「信じる事には、なかなか定評があるんでな。」

「はぁー、ほんと、ウララちゃんのトレーナーさんって感じだよぉ〜...本当、凄く、そんな感じだよ。」

「そりゃあ〜まあ、実際そうだし。」

 

彼女は、もういいよと言わんばかりに再び歩き出した。

俺も、そんな彼女の隣に並んで、歩を揃える。

 

「....ウララちゃんには、勝ってもらわないとね。有馬だけじゃなくて!これから、もっと、沢山のレースで。」

「そうだな。...スマートファルコンに挑むんだ。晴れ晴れとした姿でいないといけないもんな。」

「そりゃーそうですよ、なんたって、ファルコはウマドルなんですからねー!常にキラキラしといてもらわないとダメだよね☆」

「...まあ、信じて待っててくれ。ウララを、キラキラ輝かせて見せるからよ。」

「...うん。信じてるよ。トレーナーさんの言葉を受ける前からずっと、信じてるから。だから、ウララちゃんを、よろしくね?」

 

会話が終わる頃に、丁度トレセン学園についた。ファルコンは、俺に小さく手を振って学園の中へと消えていった。

俺もそれに小さく手を振って応え、再び家路へと向かう。

...また一つ、約束が増えたな。

はぁー、っと、息を吹いてみる。

白い煙が口から出てきて、消えていく。それを、何度か繰り返しながら、俺は歩をすすめる。

プレゼントを入れた袋が、ギシギシと揺れるのを感じながら

俺は、少しだけ緩んだ頬のまま、家路に着くのだった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

12月23日、今日を過ぎれば、有馬記念当日になる。

気がつけば、あっという間だったと思う。

模擬レースを終えて、練習をし続けて、最終調整もした。

キングちゃんがくれた靴に、ファルコンちゃんの蹄鉄をはめて、準備を整えることができた。

2人の想いを、みんなの想いを背負って走る。

その重さに、体が震えてしまう。

それを誤魔化すように自分のほっぺを軽く叩いて、わたしはベッドの上に寝転んだ。

 

...ライスちゃんも、こんな感じなのかな。

 

練習時間も場所も、競い合う相手であることが理由で、私達はバラバラだった。個人的な連絡を取ることも、お互いに控えていた。

それが、ちょっとだけ寂しいな、なんて、1人になった部屋で思っていた時、突然、トレーナーからメッセージアプリで連絡が来た。

なんだろうと思い、携帯を開く。

 

[クリスマスプレゼント渡すぞ、トレーナー室に来れそうな時来てくれ!]

 

そのメッセージを見た瞬間、顔が思わず笑顔でいっぱいになってしまった。トレーナーからの、クリスマスプレゼント。それは、私には、嬉しすぎる贈り物だった。

パジャマのまま自室を飛び出して、トレーナー室へと一直線に向かった。ノックもせずに扉をいきよいよく開けて、中に突撃する勢いで入っていく。

 

「うぉおおい!ウララ、おま、ちょ、なになになに!?落ち着けって!」

 

そのまんま、トレーナーが座っているソファーにダイブして、前から覆い被さるようにしてトレーナーにくっついた。

嬉しすぎて、もう止まることができない。

 

「わーい!トレーナーからのプレゼント!プレゼントだよ!トレーナー!ねぇ!凄いよ!クリスマスじゃないのにクリスマスプレゼントなんだよ!」

「わーかってるから、ちょ、おま、ほんまに降りてくれ...あ、やばい、苦しい...」

 

もう少しトレーナーにくっついていたかったけど、首元の力を強めすぎていたみたいで、私は渋々体を離して、彼の隣に座り直した。

 

「..ったく、本当に、俺も一応格闘技してたのになぁー」

 

悲しそうにトレーナーはそう呟いて、何やら袋のようなものをいじり出した。その中にプレゼントがあるのかと、私はワクワクしながら、それでも今度はきちんと座って、プレゼントを待っていた。

 

「うし、これで間違い無いな。ほれ、ウララ、メリークリスマス。」

「わぁ!ありがと!トレーナー!」

 

まだ中身は見れてないけど、赤色の箱を受け取って私は満面の笑みでお礼をした。トレーナーがプレゼントをくれたことが、嬉しくてたまらなかったのだ。

中身も気になったので、ラッピングをとって、早速箱を開けてみる。

 

「おおおおお!凄い!何これ!ライスちゃんと、ファルコンちゃんと、キングちゃんだ!」

 

そこには、小さな3人の人形が可愛らしく入っていて、私のテンションは、ますます上がってしまった。

 

「...まあ、その、喜んでくれて、何よりだ。」

「うん!本当に、凄く嬉しいよ!私の大好きな3人の人形が、私の大好きな人からもらえるなんて..えへへ〜、凄く嬉しい。」

「お、おう...そんなに喜んでもらえるとはな。」

 

人形を抱きしめながら、こぼれるように私は感謝を伝える。

トレーナーは顔を赤らめながら、ぶっきらぼうにそう言ったところで、わたしは致命的なミスに気がついてしまった。

「....どーしよ、トレーナー、私、トレーナーにプレゼント買ってない...」

 

有馬記念に集中しすぎて、トレーナーやライスちゃんにプレゼントを買うのをすっかり忘れてしまっている。勿論、ファルコンちゃんやキングちゃんにもだ。

 

「いや、俺はいいよ。別にプレゼントなんか要らないし。」

「ダメ!ダメなんだよトレーナー!プレゼント、私もらってばっかりだもん!」

 

私はそう言って、何か無いかと考えようとしたのだが...

 

「あー、そしたら、あれだ、欲しいプレゼント、俺あるぞ。」

「え!?うそ!?なになに?」

 

トレーナーが突然、思い出したかのようにそう呟いた。

私は、その欲しいものをすぐに手に入れる為に、言葉の続きを待った。

だけど、それは絶対に買うことのできないもので、とても手に入れるのが難しい物で....私が、1番欲しい物だった。

 

「有馬記念の1着、それを、俺にプレゼントしてくれ。」

 

優しく微笑んで、トレーナーは私に言った。

その言葉を受けて、何も言えなくなってしまった私に、トレーナーは続ける。

 

「....俺は、誰よりも、お前の勝利が欲しい。有馬っていう舞台で、努力が、信念が、全てを覆す瞬間を見てみたい....それが、俺が欲しい物で、ウララにしか、渡す事ができない物だ。」

 

これほど、真っ直ぐにトレーナーから言葉を受けたのは久しぶりだった。だから、凄く胸が熱くなる。

今にも走り出したくなるような、そんな熱意に襲われる。

負けない、負けたく無い。...勝ちたい。

そんな想いを、言葉に乗せて、私はトレーナーに伝える。

 

「うん、わかった。プレゼントするよ...有馬記念の、1着。」

「おう...待ってるぜ、ウララ。」

 

私の頭を優しく撫でながら、トレーナーは微笑んだ。

ずっとそうしていたかったけど、明日に向けて寝ないといけない。

部屋に戻る時間になったから、私はトレーナーとの会話をやめて、扉に手をかけた。

 

「あ、そうそう、ウララ。」

 

最後に、トレーナーは私の背中に向かって、こう声をかけた。

 

「ファルコンがな、ウララが1番になったらまた競ってやるってよ!...それが、ウララに送るクリスマスプレゼントなんだってさ。」

「...ふふ。それは、負けられないなぁー、絶対に。」

 

思わず、拳を握ってしまう。

だって、私は知っているから。

ファルコンちゃんの怪我のことも、今トレーナーが口にしたことが、どれだけ過酷な物であるかも、知っている。

だから、たとえそれが嘘だとしても、こんなにも燃えたぎる。

闘争心が、決意が、ものすごい爆発力で、登ってくる。

最後に、おやすみと、トレーナーに伝えて、私は部屋を出て行った。

赤い箱を握りしめて、自室に入る。

ぬいぐるみを大切に部屋に飾って、ベッドに入った。

目をつぶても治らない興奮を感じながら、私は

ただ静かな部屋で、その時を待っていた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

[クリスマスプレゼント渡したいから、今時間あるならトレーナー室に来て欲しい。]

 

俺は、ウララとの会話が終わった後に、ライスにメッセージを送信しようとする。その手が、わずかに止まった。

けど、それはほんの一瞬で、俺はメッセージをすぐにライスに送信した。

 

...罪悪感って、結構ひっかかるもんだな。

 

自分が思っていた以上に、ライスに対して申し訳なさを覚えている事に、少しだけ驚いた。

トレーニングのメニューも、見方も、彼女に対しての接し方も、ライスを勝たす為に組んでいるし、普段通りにしてきた。どちらに肩入れしてることもなく、平等にトレーニングを、『トレーナー』として見てきた。

それでも、気持ち的に生まれてしまう罪悪感は、ぬぐいきれるものじゃなかった。

...いや、拭うべきじゃないな。

トレーナーとしての自分と、俺が俺であると言う自分。

その両面を、受け入れていかないといけない。

そんなことを考えていると、部屋のドアがノックされた。

気持ちを切り替えて、俺は普段通りに部屋に彼女を招き入れた。

 

「失礼します!と、トレーナーさん!」

 

少し緊張しているのか、普段よりも声を大きくしてライスがトレーナー室へと入ってくる。部屋着の上からロングジャージを着た彼女は、若干手足が同時に動きながらも、なんとか俺の方を見て、自然に振る舞っている。

俺は、そんなライスを見て、いつものライスだなぁー、とほのぼのとした気持ちになり、隣に座るように促した。ライスは一呼吸いれて、俺の隣に腰掛ける。

 

「ほい、そんじゃ、メリークリスマスだな、ライス。」

「うん!メリークリスマス!ありがと!トレーナーさん!」

その言葉と共に、俺はライスにプレゼントの箱を渡した。

ライスも俺に一言お礼を入れて、プレゼントを受け取った。

 

「...わぁ、凄い!かわいい!ウララちゃんとブルボンさんに、ゼンノロブロイちゃんだ!こんな人形あるなんて...ふふ、みんな可愛いなぁー」

 

ライスは、嬉しそうに人形を抱きしめて、笑っていた。その笑顔は本当に可愛らしくて、まるで妹を見ているかのようだった。

ま、実際に妹はいないんですけどね。

 

「...私って、妹に似てるの?」

 

...おっと、言葉に出てしまっていたようだ。

やっとの思いで治したクセが、ここで出てしまうとは。

引かれないようになんとか言葉を紡ごうとしたが、ライスは何故か嬉しそうににやけていた。

 

「....ライス、その、なんかごめんな?気持ち悪いよな?」

「ううん!全然!寧ろ、その、私も、トレーナーさんのこと、その...お、お兄様みたいだなって思ってたから...えへへ。」

 

嬉しそうなのは勘違いだろうと思い謝罪を入れると、とんでもないクリスマスプレゼントが飛んできた。これは、まずい、新しい何かが開こうとしているのを、懸命に抑える。

 

「あ、あのね、...もしよかったら、その、トレーナーさんのことね、お兄様って、読んでみても..いいかな?」

「!?あー、えっと、その...恥ずかしいんで、とりあえず2人だからな時だけで。」

「ほんとに!?いいの!やった!お兄様、私今、物凄く嬉しい!」

 

人形を抱きしめて、ライスは嬉しそうにはにかんで、俺にそう伝えた。

流石にみんなの前で呼ばれるのは恥ずかしいから、とりあえず2人の時に限定したが、これはこれで結構恥ずかしいものがある。

なんとかそれを堪えて、俺は短く、おう、と返事をした。

 

「あ、あのね!ライス、お兄様にね、クリスマスプレゼント持ってきたの!だからね、その、受け取って欲しいなって。」

 

そう言って、ライスは自分のポッケに手を入れ、中から花がプリントされている長い紙のようなものを3枚、取り出した。

 

「これはね、ゼンノロブロイさんに協力して見つけたんだけどね、実際の花が印刷されてるお守りなんだって。オレンジ色の花、マリーゴールド。友情とか、信頼の深さを表すお花さんなの。..これを、私と、ウララちゃんと、お兄様の3人で、持てたらいいなって、そう思って買ったんだ。」

 

その3枚のうちの一つを、ライスはそう説明しながら、俺に渡した。

本当に大切そうに、ライスはその残りの二つのお守りを、ポッケにしまった。

 

「ウララちゃんには、有馬記念が終わってから渡そうって決めてるんだ。....それまでは、私達、友達であって、倒さないといけない、ライバルでもあるから。」

 

ライスは、小さな拳を握りしめて、そう呟いた。それは、親友を今だけは完全に敵として捉えている、そんな、ライス自身への意思表明に見えた。

不意に、ライスの携帯のアラームのような音が、けたたましくなり始めた。

 

「あ!お兄様!私もう寝ないと!明日、万全の状態で走りたいから...もう少しお話ししてたいのに...ううー。」

「いや、俺の方こそごめん。本番明日だもんな。うん、ゆっくり休んで、明日に備えろ。」

 

俺は悲しそうなライスの頭を撫でて、彼女に寝るように促した。

 

「うん...だからね、これだけはお兄様に...ううん。トレーナーさんに、謝っておきたいの」

 

けど、俺はすぐにその手を引っ込めて、ライスとの距離を少し開けた。

理由は、単純だ。

もう、そこには妹のようなライスはいなくて。

代わりに、目の前の敵を...ハルウララという敵を狩ろうとする、鬼がいるのだから。

 

「私は、貴方の夢を壊す。ウララちゃんの見たい景色を奪い取る。...だから、ごめんなさい。それでも私、決めたことだから。」

 

ライスは、真っ直ぐな目で、俺を見つめて、言葉を続けた。

 

「私を..ライスシャワーというウマ娘を応援してくれる、全ての人に応えようって、全力で応えるって、決めたから....だから、明日、私はチームメイトじゃない。私は全力をだして、貴方達を倒す。私が、ライスシャワーであることの、責任を果たす為に。」

 

完全な決別、たった1日だが、それを今、ライスはしようとしている。

だから、あえてこんなにも俺に敵意を表して、言葉に覚悟を持って、放っている。

俺は、そんな彼女に、言葉を返す。

 

「...そうだな。ああ。ライス、お前は、そりゃ物凄くはぇーよ。速くて強くて、その為の努力もしていて...俺は、それをそばでずっと見てきた。だから、相手に不足は無い。全力でかかってこい...けどな、ライス。」

 

敵意を剥き出しているライスに、俺は言葉を区切って、そして、

 

「...それでも、お前は俺達のチームメイトだよ。」

 

そう、優しく笑いかけた。

 

「確かに、俺の夢は、ウララが有馬記念っていう大舞台で勝つことだよ。それで、自分が見たかった景色を見ること。これは変わらないし、叶わなかったら絶対に悔しいと思う...けどな、俺はそれと同じくらい、ライスの走りが好きだ。それは、ただ、ライスの走りが好きなだけじゃなくて、誰よりもそばで、お前の努力を見てきたからなんだよ。...だから、俺はライスを、完全な敵だなんて捉えたりしない。...ちゃんとお前はチームメイトなんだよ、ライス。」

 

欲張りな発言だと、自分でもわかっている。

ウララに勝って欲しい。その為にはライスを倒さないといけない。

それでも、ライスを敵として見てはいない。

本当に、めちゃくちゃな言葉で、わがままで、どうしようもない発言だと思う。....それでも、俺は嘘偽りなく、彼女にはっきりと言える。

 

「...だからな、ライス。...明日、全力で頑張れよ。心の底から、お前を応援してる。」

 

1人のチームメイトとして、応援すると、全力を出して欲しいと、本当に、心の底から望んでいる。

 

ライスは、俺の言葉を受けて、そして、困ったように笑った、

震える声で、目から溢れるものを堪えるようにして、ライスは笑っている。そして、その小さな口で、俺に伝えるのだ。

 

「ま、全く、もう..ひ、ひどいよ。私、折角、全部ふり解こうとしたのに...これじゃ、こんな優しくされたら、そんなこと、出来ないよ。」

 

泣きながら、ライスは微笑んだ。それは、本当に美しくて、可愛らしい、幸せを届ける為の笑顔で

 

「...私の事、私のことも、応援してね...お兄様。」

「おう、お兄様に任せろ!」

 

今度は胸を張って、ライスにそう宣言して、優しく彼女の頭を撫でる。

ライスはそれを嬉しそうに受けとって、名残惜しそうに頭を離した。

 

「...それじゃ、私もう寝るね。」

 

おやすみ、お兄様。彼女はそう言ってソファーから立ち上がった。

プレゼントをかかえて、出口へと歩みを進める。

ライスがトレーナー室の扉に手をかけた時、彼女はくるりと振り返って、俺に笑いかけた。

そして、再び彼女は宣言する。

 

「...私、ゴールは譲らないから。」

 

さっきとは違う、それでも、確かな決意と熱量を帯びた声音。

その言葉を、俺は真正面から受けて、不敵に笑って応える。

 

「..それは、ウララも同じだぜ。ライス。」 

 

ライスもその言葉に満足そうに笑って

 

「ふふ、絶対、お兄様を見返してやるんだから!」

 

そう言って、トレーナー室を後にした。

ライスに感じていたあの罪悪感は、まだ残っている。

これは消してはいけないものだと、自分でわかっているから。

それでも、彼女を応援してることを伝えられた事は、確かに、俺の心を軽くしていた。

 

ライスがくれた、マリーゴールドのお守り、それを、そっと胸ポケットにしまった。

 

「...頑張れ、ライス。負けるな、ウララ。....お前らの全力を、会場でぶちまけてくれ。」

 

2人の戦いを、全力を、この目で見たい。

興奮で眠れそうもないなと思いながら、俺は残りの仕事に取り掛かるのだった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「すぅー、はぁー、すぅー、ふぅー....よし、もう大丈夫!」

 

誰もいない控え室で1人、自分に気合を入れ直した。

もう何回したかもわからない深呼吸をして、荒ぶる呼吸を整える。

パドックでアップをしている時、会場の熱量の違いに圧倒された。

芝の匂いを感じれなくなるほどの緊張が、体中を走っている。

それをかき消すようにして、今も深呼吸を繰り返している。

 

今朝、お母さんと電話をしたのを思い出した。

久しぶりに聴くお母さんの声は優しくて、とても勇気をもらえた。

お母さんは病気の手術のために、中々話せないでいため、その電話ができた事は、私にとってとても嬉しい事だった。クリスマスプレゼントのことといい、本当にいいこと続きだと、とても嬉しくかんじる。

 

『お母さんの娘は、強いんだから。だから、安心して行きなさい。』

 

電話の最後に、お母さんがそういって通話を切ったのが、今も耳に残っている。その言葉は、本当に勇気が出る言葉で、泣き出しそうになる程、嬉しい言葉だった。

 

不意に、コンコンというノック音が響いた。トレーナーだと、私はすぐにわかった。彼のノックは、普通の人よりもやたらと大きいから、すぐにわかる。返事を元気にして、トレーナーが来るのを待つ。

扉を開けて、トレーナーが軽く手を上げて中に入ってきた。

 

「...思ったよりも平気そうだな。ウララ。」

「えへへ〜、こう見えて、結構緊張してるんだよねー。」

 

私は見栄を張らずに、正直な感想をトレーナーに伝える。それを受けて、トレーナーは

 

「ま、そりゃしないほうがおかしいわな。」

 

と、楽しそうに笑っていた。

彼のその笑顔を見ていると、トレーナーと初めて出会った時を思い出す。トレーナーと勝つ約束をしたあの日から、随分と時間が経ったようで、そんなに経っていない、なんだか、不思議な気分になった。

 

「...ついに、ここまできたな。」

 

そんな想いにふけていると、トレーナーが私に声をかけた。

真剣な眼差しのトレーナーに、私も頷いて応える。

 

「...勝つぞ。」

 

彼は、多くは語らなかった。思い出も、鼓舞する事もない、たった一言、すごく短くて、それでいて

....なによりも、覚悟が決まる言葉。

だから、私もその言葉に、精一杯の笑顔で答えるのだ。

 

「うん。...私、勝つよ。そのために、ここにいるんだから。」

 

私の言葉に、満足そうに頷いて、トレーナーは私の控え室から出て行った。私も、彼が出てからしばらくして、控え室を後にする。

もう、レースまであまり時間がなかった。

震える気持ちを抑えて、廊下を進んでいく。

 

廊下を歩いている間、いろんなウマ娘の娘達にあった。スペちゃんに、セイちゃん、グラスちゃんにオペちゃん...それから、ライスちゃんも。

その中の誰一人として、もう会話をしていなかった。

みんな、物凄い集中力だ。

それぞれがレースにかける想い、それが、どれほど重いのかを、その時改めて知った。

 

....けど、それは私も同じだ。

 

負けられない、覚悟がある。

託された責任がある。

それを....私は、ハルウララとして、必ず成し遂げる。

 

小さく拳をにぎる。静かに廊下を抜けて、そして

 

青々とした冬空の下、私達は様々な想いを背負って、ターフの上へと、それぞれの足を、踏み出した。

 




ご愛読ありがとうございます!ご感想お待ちしております!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む



遅くなってしまって申し訳ありません。
今回が最終回の予定でしたが、どうしても続きを書きたくなったので変えさせていただきます。誠に申し訳ありません。
ライスの一人称を私と書いていますが、私(ライス)とよんでくださると助かります。



正直、あまり眠れてはいない。

それでも私は、体も精神も、集中し切れている。

お兄様が控え室に来るのは、先に断っておいた。

彼の甘い言葉で、今の闘争心が揺らぐのが嫌だったから。

私を応援してくれると言った、チームメイトだと言ってくれた、そんな優しいお兄様が、私は大好き。...だからこそ、今会いたくないんだ。

甘えようとする自分が、弱い自分が、お兄様の前では出てきてしまうから。そんな自分は...今は、必要ない。

お兄様がくれた頑張れがあるから、みんながくれた、頑張れがあるから。だからもう、これ以上甘えなくても、充分だ。

自分の呼吸を整えて、廊下に足を踏み出す。何人かは外に出ているようで、セイちゃんやスペシャルウィークさんなど、有力なウマ娘の娘達が、足並みを揃えて入場を待っていた。

私もその列に並んで、入場を待つ。

右側の扉が開いて、ウララちゃんが出てくるのを視界に捉えた。

その瞬間に、全身がざわめき出すのを、必死に抑える。

ああ、はやく、はやく走りたい。

これは、誰かのためにとか、そんな綺麗な感情じゃなくて...

ただ、ただ、私の限界を、ウララちゃんの限界を、試したいんだ。

会場へと続くゲートが、関係者の人達によって開かれた。

それとともに、私はゆっくりと、列に沿って歩みを進めていく。

ターフの上に立ち、一歩一歩を踏みしめて、ゲートの中に入った。

構えるわけでもなく、軽く呼吸を整える。

私は6枠出走、ウララちゃんは16枠からの出走になる。

 

...ああ、待ち遠しいな。

 

ゲートが開くその時を、ゆっくりと構えて待ち続ける。ラッパの音が会場に鳴り響いた。集中を邪魔されてしまうのが嫌だったけど、これでスタートが近いことが確実になった。はやる気持ちを、少しは抑えることができる。

物凄かった数の声援が、一斉に鳴り止んだ。

頭をリセットして、もう一度集中する。

焦る気持ちも、苛立つ気持ちも、恐怖心も、もう、何もなかった。

代わりにあるのは、勝利への執着のみ。

それを自覚して、肩の力を抜ききる。

そして、数秒後

 

ゲートが、開いた。

 

私はその瞬間、真っ先にゲートを飛び出した。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ウララの控え室を訪れた後、ライスの控え室に行きたいきもちをなんとか抑えて、俺は応援先へと足を運んだ。

彼女には、控え室にはこないでほしいと、事前に連絡を受けていた。

一言だけで良いから声をかけたかったが、それで彼女の集中力が阻害されては元も子もない。

ライスに対しての考えを振り解いて、第四コーナーを抜けた、最後の直線を見れる、西側の観客席へと、足を運んでいく。

本来であれば最前線で見るべきなのだろうが、今日一緒に観覧する人の都合に合わせて、ちゃんと座れる場所で、俺は応援する事にした。

予約していた席に向かっていくと、俺の隣にはもう彼女達が腰をかけていた。

 

「あ、トレーナーさん!やっときた!」

「...ご無沙汰しております。トレーナーさん。」

 

目的の席に着くと、ファルコンと、桃色の髪をした1人の女性が、それぞれ順に、俺に声をかけていく。

俺は、軽くファルコに手を挙げて反応し、ファルコンの左隣に座る女性に、深く頭を下げる。

 

「...こちらこそ、ウララさんにお世話になっております。」

 

彼女は...ウララのお母様に当たる、ウマ娘の方だ。

俺は、ウララが、ここまで自分についていくことを許可してくれた事、その支援をしてくださった事、そして、ウララのレースを、身体が弱いのに、こうして見にきてくれた事に対しての感謝を含めて、彼女に挨拶をする。

大和さんもお母様の右隣に座っていて、俺は彼の隣に腰をかけた。

大和さんにも挨拶を済ませ、レースが始まるのを待つ。

 

「...ここに娘が立つなんて考えたら、それだけで私は泣きそうです。」

 

続々と席が埋まっていく中、大和さんがそっとつぶやいた。

お母様はファルコンと談笑しているため、その言葉には反応していなかった。

 

「大和さん...ええ、本当。実を言えば俺もそうなんです。あの娘が、この舞台に立つ。走ることができる、本当、それだけで充分すぎるほど嬉しいし、涙が出そうになる....だけど、泣いてなんかいられないですよ。」 

「...そうですよね、わかっています。あの娘の戦いは、これから始まるんですから。....ここに立つことが、あの娘のゴールじゃない。」

 

大和さんの言葉に、俺は無言で頷いた。

それからすぐに、続々とウマ娘達が入場を始めた。

すでに観客席は満席になっており、彼女達に向けた溢れんばかりの声援が、会場を埋め尽くす。

ウララとライスが入場するのを確認して、俺は大きな声で二人に声援を送った。

ファルコンとお母様も、ウララに向けて懸命に声援を送っている。 

大和さんは小さく拳を握って、小さく、頑張れ、そう呟いて、ウララを見つめていた。

その目は少しだけ赤みを帯びていて、潤んでいるのが伝わってくる。

俺も改めてターフに目を戻し、ゲートへと向かうウララの姿を見つめた。

...ついに、本当に、来たんだな。ウララ。

 

ここまでの彼女との思い出、言葉、様々なものが、今の景色を見ると蘇ってくる。そして、今この景色がどれほど素晴らしいものなのかと言うのを、俺に伝えてくる。

だから、涙がこぼれそうになる。

それを懸命に抑えて、俺は彼女達を見つめた。

16人のウマ娘。誰かの想いを、願いを背負って、彼女達は走る。

ラッパの音がなるとともに、今までとは比べものにならないほどの声援が、一気に止んだ。始まる。スタートが、切られるのだ。

本当に、2分にも満たない、僅かな静寂。

それが、永遠に感じるほどの緊迫感が、手に汗をかかせる。

小さく、拳を握った。

それと同時に、彼女達は駆け出す。

今、この瞬間、それぞれの物語が、幕を開けた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

『さあ!始まりました!各ウマ娘一斉にかけていく!先頭に立ったのは5番セイウンスカイ!それを追うようにしてシンボルバギーがついていく!少し離れて9番エルコンドルパサー!第一先頭集団のペースを作っています!2馬身ほど離れて第二集団...』

 

スタートと同時に、私は内側ではなくて外側に自分の位置を置いた。

私のロングスプリントは、囲まれるとそれだけ加速するスペースを失ってしまう。だから、出来るだけ囲まれない位置を取らなくてはならない。しかし、外すぎるとそれはロスする距離が大幅に増えることになる。だから、自分が加速する最小限のスペースを維持して、ポジショニングを取ることを常に頭に入れていないといけない。

 

...セイちゃんが先頭か。

 

集団の遥か前、セイちゃんが前に立っていることを視界に捉えて、私ははあんな走りをする娘だったのかと、少しだけ驚いた。

彼女とは、一度しか言葉を交わしていないが、その話し方や考え方からして、もっとリスクが少ない走りをすると思った。だから、かなりのリスクが伴う大逃げという選択を取っていることに、少しだけ驚いたのだ。

ウララちゃんの姿は、外枠からスタートしたこともあって確認できてはいない。

 

もちろん、いつ仕掛けられても構わない。

 

誰にも、負けるわけにはいかないんだ。

 

『先頭は変わらずセイウンスカイ!後続を離そうとかかんに逃げています!少し離れて続くエルコンドルパサー!シンボルバギーやや後退している!後続集団の先頭にはグラスワンダーがたっている!第二コーナーをぬけ、第3コーナーへ!ウマ娘達がカーブへと入っていく!』

 

カーブに入ってから、私はスプリントを始めた。

集団が膨らみ、1番加速しやすくなるスペースが開くのが、この第3コーナーのカーブだ。徐々に順位をあげて、後続集団の先頭の横に入った。

第四コーナーに入る頃には、セイちゃんをいつでも捉えれる射程圏内へと入れることができた。

隣に一人、後ろに一人とマークされているけど、そんなのは関係ない。

一周を終えようとする頃に、私はトップギアに近い力を、足にこめた。

徐々に、徐々にスピードが乗っていく。

体の力を抜いて、余分なものを捨てる。

そう、捨てるんだ。

今この場所でだけ、私は捨てる。

友情も、情けも、恐れも

私が、ライスシャワーが、この有馬という舞台で、勝つために。

全部...捨てる!

 

『おっと!?ここでレースに意外な展開です!10番ライスシャワー!早くも順位を上げていきます!外から徐々に順位を上げていく!セイウンスカイこれに対応するように脚を早めている!しかしながら差は徐々にうまっています!先頭1000メートル通過は60秒前半です!ライスシャワー、ここから一気に仕留めるのか!?』

『これは..私も見たことがない作戦です。レース終盤までにまだかなりの距離があります。この走りで持つのでしょうか?ライスシャワーの走り、目が離せませんね』

 

一周目をセイちゃんや、先頭に近いウマ娘を風除けにして乗り切る。少しでも脚と体に余裕をもたせたかった。まだフル加速はしていない。残り1000メートル弱、大丈夫。必ず、もたせて見せる。

 

すぐにでもフル加速をしたい気持ちを必死に抑えて、私は二周目へと入っていった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

逃げのペースは悪くなかったはずだ。コース取りも、ペース配分も、正直、完璧と言っていい。

 

...セイちゃんの予定では、も〜ちょっと離せてるはずなんだけどね〜

 

会場の歓声、後ろからくるプレッシャー。それだけで、誰が背後に来ているのかが、容易にわかった。彼女がレースを変えることは分かりきっていたが、まさかここまで早くから仕掛けてくるとは。

 

ま、だからって簡単に先頭を譲るわけには、いかないんでね!

 

詰められた距離をさらに開けるように、私はギアを上げた。

最終直線、そこで後続集団に入って仕舞えば、私のパワーでどうにもすることができなくなる。それだけは避けたい。

であれば、必然的に先頭をキープする必要がある。

 

....こんな所で、譲るわけにはいかないんですよ。

 

後ろの、きっと先頭を狙っている彼女に伝えるようにして、私は足を進めていく。ペースを2段回あげて、加速。

 

『さあ!ウマ娘達は二周目はと入って行きます!先頭はセイウンスカイ!すぐ後ろに10番ライスシャワー、1馬身離れて続くイエローターボ、エルコンドルパサーもついていく!後続集団先頭は以前としてグラスワンダー、集団のペースが上がっているぞ!さらに続いて...』

 

きっと、私のペースが上がったことで集団のペースも上がっている。

それでいい。無理に私を追いかけてくれれば、作戦通り。それでグラスちゃん達の体力が崩れれば、万々歳。

 

今の私に、直線勝負をする能力は殆どない。

それでも、何度も走り込んできた。

それに見合うだけの、スタミナはついた。

だから逃げる。自分に出せる最大出力で、逃げ切ってみせる。

 

....私だって、かけてるもんがありますから!

 

『第二コーナーに入っていく所、依然として先頭は変わらない!逃げている!逃げているぞセイウンスカイ!それにぴったりとついていくライスシャワー!この二人の独走になるのか!?』

『集団のペースが心配ですね。あまり先頭を意識しすぎると、後半に持たなくなってしまいますから。』

 

上げても、上げても、ついてこられる。

どれだけ加速をしても、それを簡単に潰してくる。

 

...本当、面倒だな〜。

 

思わず内心で毒づくほどに、嫌気がさした。

もうこれ以上ペースを上げることなんてできない。

残り1000メートルを切った。まだ距離はある。

大丈夫、なんて、言い聞かせても無駄なのは、この時点で理解できた。

....だって、これは、本当に、私が出せる、限界のフルスロットルなんだ。

それなのに....

 

『第3コーナー正面!ライスシャワー先頭に出た!ここで出た!ライスシャワーぐんぐんとセイウンスカイを引き離していく!独走だ!漆黒のステイヤーが、いま先頭に立ちました!』

 

....本当、虚しくなるよ。

 

どれだけ足掻いても、踏み潰される虚無感。

圧倒的な走りを、見せつけられる悔しさ。

この世の全ての理不尽を、私はその時見た気がした。

....けど、それは一瞬で覆ることになる。

 

残り600メートルになった頃だ。会場が、妙に湧き出した。

歓声が、張り裂けんばかりに上がるのを耳で感じる。

また誰か上がってきたのか。グラスちゃんかな?いや、スペちゃんかもしれない。

私の、大好きで大嫌いな彼女達が、ここにくるんだ。

それに、私は置いていかれる。

 

足を緩めることなく、いずれくる彼女達の背中を待っていた。

しばらくして、スペちゃんと誰かが隣を駆け抜けて行った。それに食らいつこうとしたが、足がもたなかった。

すぐに私の前に二人が立った時、思わず声が漏れてしまった。

 

「....え?」

 

だって。見たことがなかったから。

その背中を、私は一度だって、見たことがなかったから。

だから、動揺が隠せない。

なんで、なんで?なんで?そこにいるの?

 

私が、いや、きっとここにいる誰もが思っていた。最弱の存在。

その彼女が今、はっきりと、この有馬という舞台で、スペちゃんの隣で走っているのが、私の目には映っていた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

本当に、物凄い圧迫感だ。抜けようとしては壁にぶつかって、コースを塞がれて、一周を迎えた頃には、本当に限界に近かったんだと思う。

 

それでも、ちゃんと脚は動いた。

 

これまで走ってきた道のりが、ちゃんと私を支えてくれた。

限界が来そうになるたびに、歯を食いしばることができた。

 

一周目を終えて、二周目に入っていく。それからしばらくして、私がいた集団のペースは一気に上がった。釣られるようにして脚を動かす。

今まで体験したことがない、圧迫感。重圧。

まるで、泥の中を走っているように、足が重たくなるほどの、疲労。

それは、私の気力をゼロにするには、充分すぎるほどのものだった。

 

....なんで、こんな苦しいこと、してるんだろう。

 

意識が途絶えてきて、ふと、そんなことを思った。

脳が、体が、走ることを拒絶してるのが、わかる。

もうやめたい。やめればいい。苦しい、本当に、死ぬほど苦しい。

嘔吐感、疲労、その全てが体にのしかかって、私の脚を止めようとしてくる。それに、身を委ねたくなるほど、限界だった。

 

....けど、やめようって、もう無理だってなるたびに、聞こえてくる声がある。

 

私は、その声を知っている。

それは、この舞台を誰よりも夢見ていた、私を初めてライバルって言ってくれた、あの娘の声。

それは、プライドが高くて、それでも、とっても優しくて。最後の最後まで私に優しくしてくれた、あの娘の声。

それは、この舞台に立つことを許してくれた、私のことを強い娘だって言ってくれた、大好きな二人の声。

....それは、ずっと待ってくれてる、彼の声。

支えてくれた人達が、信じてくれた人達が、私に、言うんだ。

 

頑張れって。負けるなって。勝ててって。

 

その声が聞こえるたびに、止まりそうな脚が、体が、動き出す。

 

隙間が見えた。本当に、小さな隙間。それを縫うようにして、集団の外に出る。

そんな私の行動に、誰かがマークしてついてくる。けど、今の私には、それが誰なのかも、どんな行動なのかも、考える余裕がない。

 

ただ、応えたかった。

 

聞こえてくる声に、支えてくれる手のひらに、応えたかった。

 

.....ありがと。

 

これは、幻聴なのかもしれない。それでも、私はその声に、心の中で一言、返事をする。

 

そうだ。応えるんだ。

頑張れって声に、負けるなって声に、勝利を信じてくれる声に。

全部、全部、全部、壊れてでも、応えてみせる。

それが....私がハルウララとして、生まれて初めて持てた....

 

ウマ娘としての、プライドだ。

 

「うららぁぁぁあ、ごぉおおおお!」

 

気合を乗せて、叫んだ。全身の筋肉をつかって、加速する。

誰かがついてきた。関係ない。前を見る。まだ、ライスちゃんに追いついていない。ならあげろ、もっと、もっと、もっと、止まるな、走れ、走れ、走れ、一滴の後悔も残らないほどに、出し切るんだ!

 

『集団から二人抜け出した!....!?これは、ハルウララです!ハルウララとスペシャルウィーク、互いに一歩も譲らずに先頭に追いついてくる!残り600メートルで大番狂わせだ!ハルウララ!スペシャルウィーク!セイウンスカイを抜き去り、先頭に追いついていきます!』

『...これは、またしても意外な展開ですね。ハルウララが長距離をここまで走れるなんて、正直、信じられません。』

『解説の細田さんも圧巻の様子!どうなる有馬記念!まもなく400を通過していきます!』

 

全身が、沸騰するほどに熱い。苦しい。それでも、止めない。

ライスちゃんの真後ろについた。その瞬間に、加速される。

それに追いついて、離されて、追いついて....

 

本当に、ライスちゃんの走りは綺麗だ。

 

初めて全力の彼女を、間近で見た。綺麗な前傾姿勢で、速くて、強い。

この子の前に出るのなんて、不可能なんじゃないかって、そう思わせるような、強い走り。

 

だけど、それじゃあダメなんだ。

 

ファルコンちゃんがくれた蹄鉄を、ターフの上にもう一度、沈める。

膝を曲げて、更なる加速の準備をした。

 

....見ててね、トレーナー、皆んな。私ね....

 

ーーーーー勝つから!

 

心の中に浮かんだ、大好きな人達。そのみんなに宣言をすると共に、脚を踏み出す。筋肉の痙攣を無視するように、走る。

 

『さあまもなく大欅を超え第4コーナーを抜けるところ!ライスシャワー変わらず先頭!それにピッタリとつくようにしてハルウララ、スペシャルウィークと続いています!2馬身離れてグラスワンダー、セイウンスカイ...』

 

ここを抜ける前に、並ぶ。並ぶ、並べ、並ばないと、ダメなんだ!

 

『第四コーナーを抜け、各ウマ娘が直線へと入る!先頭に並びましたハルウララとスペシャルウィーク!いや、僅かにライスシャワー先頭!グラスワンダーも大外から上がってきた!外から外からグラスワンダー!伸びる伸びる!続いてテイエムオペラオーも上がってきたぞ!....』

 

トップギアに乗せて、先頭に並んだ。カーブを抜けるギリギリだったけど、並べた。最後だ、私が、ライスちゃんに勝てる、唯一の直線。

 

...ここで、出し切るんだぁぁぁあ!

 

歯を食いしばって、脚を動かす、限界のラストスプリント。

視界が、霞んでいる。それでも、前を見る。脚を出す。腕を振る。

 

約束したんだ。トレーナーに、プレゼントするって。

約束したんだ、ファルコンちゃんに、必ず有馬で勝つって。

キングちゃんに、お母さんに、お父さんに、みんなに、約束した。

 

だから、負けられない。負けない。負けない、絶対に!

 

『ぁぁぁぁぁあ!』

 

声と共に、さらに姿勢を低くし、加速をした。

これが、本当に、最後の加速。限界を超える、加速になる。

私の叫びは、ライスちゃんの咆哮と重なり、彼女も同時にスプリントを仕掛けた。

 

『さあ第四コーナーを抜けて最後の直線に入る!10番ライスシャワー、16番ハルウララ、1番スペシャルウィーク、依然として3人が並んで直線勝負を繰り広げています!中山の直線は短いぞ!誰が抜ける!誰が抜ける!ハルウララわずかに先行しているか!?いやしかし、抜けない!抜けれない!今並走する形で、3人のウマ娘が走り切りました!』

 

譲らない、譲らない、絶対に、一歩でも先へ、そう思い続けて、走り切った。

最後の最後、本当に苦しくて、辛くて、正直、どこでゴールをしたのかもわからない。

脚が痙攣して、立っていることすらできなくて、思わずターフの上に尻餅をついてしまった。

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ...」

 

歓声が、止んでいる。まだ、順位が出ていないのか...

電子掲示板を見ようとすると、ライスちゃんに後ろから、優しく抱きつかれた。

 

 

「わ!ど、どうしたのライスちゃん!」

「...本当、凄かったよ、ウララちゃん。本当に、凄かった。」

 

ライスちゃんの言葉が終わると同時に、大きな歓声が響いた。

首を動かして、掲示板を見る。そこに、私の全てが、乗っている。

 

....ああ、そっか。そうなんだ。

 

そして、その数字を見て、ようやくわかった。

この歓声が、誰に向けられたものなのか。何故、今ライスちゃんが震えているのか。...何故、私が、こんなにも、泣きそうになっているのか。

 

『いま!今出ました!やはり有馬を制したのはこのウマ娘!一番人気スペシャルウィーク!日本総大将の名を背負って今!有馬記念を制しました!』

 

本当に、全部を出し切った。やれることは、全部やった。

....けど、そっか。

私、負けちゃったんだ。

 

歓声が、スペちゃんに向けられた大きな歓声が、鳴り止まない。

悔しくて、申し訳なくて、叫びたいほどなのに、声が、出てこない。

 

ライスちゃんの、私を抱きしめる腕が、一層強く、震えている。

首筋に、冷たいものがあたる。

 

「....ウララちゃん...」

 

小くて、震える声で、ライスちゃんが私の名前を呼んだ。

歓声にかき消されてしまうその声が、今の私には誰よりもはっきりと聞こえた。

 

「負けるのって、負けるのって.....こんなに、悔しいんだね。」

 

泣きながら、彼女は言葉を紡ぐ。震えていて、小さくて、それでも、ライスちゃんがものすごく悔しがっているのが、私は誰よりもわかった。

だから、その震えを止めるように、私もライスちゃんを抱きしめる。

 

私は、知っているから、負ける悔しさを。

誰かの期待に応えられないことが、どれほど辛い物なのか、痛いほど知っているから。

 

「....うん、悔しい。悔しくて、苦しくて....それでも、ライスちゃん、私達はね.....」

 

だから、その悔しさを、大きく肯定する。肯定して、それでもなお、私はライスちゃんに伝えないといけない。

 

「泣いてちゃ、ダメなんだよ。前を向いてね、応援してくれた人にね、ちゃんと、ありがとうって、伝えないとダメなんだよ。だからね、ほら。」

 

ライスちゃんの手をとって、立ち上がる。

まだ、足は震えてるけど、涙が、溢れそうになるけど、それでも私は、笑顔でちゃんと言うんだ。

 

「....みんな!応援してくれて、ありがとぉ〜!私ね、とっても、とっても楽しかった!」

 

例え、この大きな歓声にかき消されても、誰も見てなくても、何処かで、私を応援してくれたすべての人に、感謝を伝える。

 

「....ふぅ....私を、応援してくれて、ありがとうございました!」

 

ライスちゃんも、大きく息を吸って、みんなに伝えていた。

そうやって、感謝して、もう控室に戻ろうと、足を進めようとした時だ。

誰かが、私達の名前を呼んでいた気がした。その声は、徐々に大きくなってきて、それで...

 

「ウララちゃん!」

「ウララ!ライス!」

 

最前列の観客の波を押しのけて、私が大好きな二人が、柵に手をかけて、名前を呼んでくれていた。

 

ライスちゃんも、私も、合わせる顔がなくて、それでも、二人の元に歩いていく。

二人とも、泣いてた。遠くから見てもわかるぐらい、泣いている。

二人に、なんて言えばいいんだろう。

そう思った瞬間に、前を見れなくなる。

信じてくれて、送り出してくれて、それで、この結果だ。

悔しくて、情けなくて、思わず震える唇を、噛み締める。

ちゃんと目を見るんだ、そう決めて、前を見る。

 

その瞬間、大声が聞こえてきた。トレーナーの、ファルコンちゃんの、大きな声だ。

 

「さいっこここここうの、走りだったぞぉおおお!お前らぁぁあ!」

「ウララちゃゃややん!ナイスランだった!本当に!すごかったヨォおおおおおおお!」

 

泣きながら、叫びながら、二人が私達に、叫んでくれる。

それが、嬉しくて、それでいて情けなくて、もう、感情がぐちゃぐちゃになる。それでも、今は二人の元に、走り込みたかった。

段々と歩みを早めて、トレーナーの元に飛びついた。

 

柵越しに、トレーナーが、私を抱きしめてくれる。

ライスちゃんもトレーナーの元に来て、抱きしめてもらってた。

 

「...本当に、よく頑張ったぞ、お前ら。」

 

トレーナーが、優しく呟いてくれた。

その言葉で、ずっと我慢してた涙が、溢れ出してくる。

 

ファルコンちゃんも抱きしめてくれて、4人で、

ただただ、泣き続ける。

力強く抱きしめてくれたトレーナーの体温は、汗で冷えた体にとても暖かくて、優しく感じた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

その走りを見て、結果を見て、泣きそうになる自分を堪えるので、必死だった。

二人の走りを見て、それがどれほど苦しいものなのかを、そばで見てきたから。本当に、感動した。

だから、笑顔で迎えるべきなんだと、涙を堪えて、迎えるつもりだった。

 

「...ねえ、トレーナーさん。」

 

そんな時だった、ふと、ウララのお母さんの声が、耳に届いた。

その声は震えていて、彼女がどんな表情をしているのかを、何となく俺に連想させるものだった。

 

「....はい。」

 

俺は、きっと怒られるのだろうと、彼女の元に立ち上がり、そばに向かった。そして、見てしまったのだ。

 

涙を流しながら、それでもなお、真っ直ぐにターフを見つめる彼女を。

震える声で、それでも尚明るく

 

「私の娘、めっっっちゃくちゃ、強いでしょ!」

 

そう語る、彼女の、ウララにそっくりな笑顔を、涙で汚れながら微笑む彼女を、見てしまったのだ。

その瞬間、必死に堪えていたものは、馬鹿みたいにこぼれ出して、止めることなんて、できなかった。

 

「..はい‼︎あなたの、娘は、ハルウララは、世界一強い、ウマ娘です!」

 

涙を拭こうともせずに、俺もぐちゃぐちゃになった笑顔で、彼女に答えた。

 

「...私、今からウララちゃんの所に行ってくる。」

 

彼女の隣に座るファルコンが、そう口にした。席を立ち、最前列へと早足にかけていく。

 

「....行ってあげてください。トレーナーさん。」

 

大和さんが、メガネを拭きながら、俺に優しく言ってくれた。

だから、俺もファルコンの後を追って、最前列へと駆け出す。

彼女達の名前を呼びながら、人混みの波をかき分けて、かき分けて、そして、ようやく、目の前にターフが広がった。

 

ウララとライスが、頭を下げて、そして、顔を上げて、観客席の方に手を振っているのが、目に見えた。歓声が鳴り響いていて、彼女達が何を言っていたのかは聞けなかった。

 

背を向けた彼女達に向けて、ありったけの大声で、もう一度名前を呼ぶ。ファルコンも、俺と同時に叫んでいた。この歓声に負けないぐらいの声を、二人で上げ続けた。

 

ウララもライスも俺たちに気がついたようで、顔を俯かせながら、真っ直ぐに歩いてきてくれた。

 

....そんな、顔をするなよ。

ウララに、ライスに、わかってほしかった。今日のお前達は、最高だったって事を、誰よりも凄かったんだぞって事を....

 

だから、叫んだ。

出せる限りの限界の声で、叫んだ

 

「さいっこここここうの、走りだったぞぉおおお!お前らぁぁあ!」

 

ウララと、目があった気がした。でも、ギリギリで叫んだから、正直目は開けられてなかった。泣きじゃくりながら、それでも、大声で、彼女達に伝えた。

 

ファルコンも、叫んでいる。彼女も、きっと前を向いてほしかったのだ。

 

ウララが、段々と駆け足になって、俺の元に抱きついてきた。

ライスも後に続いて、俺もただただ、二人を抱きしめる。

ファルコンもそれに続いて、抱きしめた。

もう一度、優しく、彼女達に俺は伝えた。

よく頑張ったと、心からの尊敬を込めて、彼女達に伝えた。

 

その言葉を聞いて、二人は泣いていた。俺は、そんな彼女達を見て、また涙が出てきてしまった。しばらく抱き合ったまま、ただただ、涙を流す。

 

ウララもライスも、ボロボロだった。それだけで、どれだけの死闘が行われてたのかが伝わってくる。

足が震え、嗚咽を漏らし、それでもなお、彼女達は挑み続けた。

それがどれほど難しくて、きつい事なのか、想像することすらおこがましいほどの、努力を、彼女達はしてきたのだ。

 

だから、誇ってほしい。

 

天才の壁に、本当の、本当に、後一歩で、こいつらは手が届いた。

それを実現する努力をした事を、その結果を、誇りに思って欲しい。

 

歓声が、再び鳴り始めた。ウィニングライブの前の、勝利者インタビューだ。スペシャルウィークが、壇上にあがっている。

 

「....私達、そろそろ準備しないと。」

 

名残惜しそうにして、ウララが、俺から離れる。ライスも同様に離れ、二人で控室へと向かっていった。その間、彼女達は俯かなかった。

どこまでも勇ましく、美しいその背中を俺は見えなくなるまで見つめ続ける。

 

「....トレーナーさんが見たい景色は、見れた?」

 

彼女達の背中を同様に見つめるファルコンが、俺にそう聞いてくる。

 

ウララが、努力で、天才に勝つ瞬間を見る。

それが、俺の見たい景色であり、夢だった。

それは、形としては見ることができなかった。彼女は確かに敗北して、涙を流し、光を浴びることが、できなかった。

 

「....そうだな、半分、見えたよ。そりゃーもう、絶景だったぜ。」

 

けど、それでも確かに見えたんだ。

後数センチ、本当に数センチで、変わる世界が。

そこに、ウララが届いたと言う事実が、見せてくれたんだ。

 

努力は、想いは、壁を越える力を持つものだと。

走り続けた先に、必ず未来が待っているのだと、証明してくれた。

 

それは、まだ未知のもので、勝った先に何があるのかは、残りの半分を見てみないとわからない。

 

けど、それでも俺が今日見た景色は、どんなレースよりも、美しかった。

 

だから、ファルコンに笑顔で、それを伝える。

 

「ふーん、よかった!トレーナーさんが全部見れたなんて言ったら、ファルコ、怒っちゃう所だったよ☆」

 

「おう。そりゃー、大問題だな。」

 

ピースサインをして戯けるファルコンに、おれも便乗して応えた。その返答に彼女も楽しそうに頷いて、そして、再びターフに目を向けた。

 

「....私もね、まだ見れてないんだ。ウララちゃんがね、あそこに立ってる姿。」

 

スペシャルウィークが立っている、その壇上を見ながら、ファルコンは語る。

 

「本当、これ以上ないぐらい、凄い走りだった。物凄く努力したんだって、伝わった。.....それでも、負ける世界があるんだってことも、よくわかった。」

 

小さく拳を握らながら俯き、ファルコンは悔しそうに言葉を口にする。

 

「....だけどね、終わりじゃないの。」

 

そして、今度は顔をあげて、真っ直ぐな目で俺を見つめながら

 

「まだ、ウララちゃんは走り続けるから。」

 

確固たる声で、そう、口にする。

 

「あの娘が走り続ける限り、きっと、この舞台にまた帰ってくる。そしたら、その時に見えるんだよ。ウララちゃんが、有馬記念っていう舞台で、私の蹄鉄をつけて、1番になる所が。みんなの何かを背負って、一番になれるところが、きっと見れる。....だから、全部なんて、死んでも言ってあげない。また死ぬものぐらいで努力して、ここに帰ってきてもらわなきゃ!頼んだよ!トレーナーさん☆」

 

最後は笑顔でそう言って、俺に人差し指をビシ!っと差した。

 

「ったりめーよ!.....また連れてくるさ、この舞台に。」

 

俺もそんな彼女に精一杯微笑んで、親指を立てた。

そこに拳を合わせるようにして、ファルコンが手を伸ばす。

そして互いの拳が触れ合った時、電気が消え、ステージが露わになる。

 

「....ウィニングライブ、始まるね。」

「ああ....始まるな。」

 

会場の声援が、先ほどと同じぐらい大きくなる。

俺達はその歓声に包まれながら、静かに、彼女達のライブを、見届けたのだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ウィニングライブを、結果3着だった私はやりきって、ゆっくりと控え室に帰ってきた。それまでの足取りは驚くぐらい軽くて、まるで現実味がない、宙に浮いている感覚だった。

 

....負け、たんだよね。

 

頭では、理解しているつもりだ。それでも、体が、感情が、受け入れてくれない。

 

控え室に入って、着替えることもせずに椅子に座った。

 

「...沢山、褒められたなー」

 

ウィニングライブの後、インタビューで、沢山褒められた。

よくここまでの走りをしたって、感動したって、凄かったって

みんな、たくさんの人が褒めてくれて、それで、それなのに...

 

「勝てなきゃ、意味、ないよ。....意味ないもん!」

 

インタビューされている間、ずっと我慢していた言葉を、私は吐き出した。

たくさんの人に認められる走りができた、感動させた走りをした。

普段なら、絶対嬉しく思うし、今だって、そう思うべきなんだって、わかってる、けど

....そんなの、今の私にとってはどうでもいい。

証明できなかった、期待に、応えられなかった。

約束を守れなかった、ずっと待たせてるのに、また裏切った。

 

罪悪感、情けなさ、その感情が、身体中を埋め尽くしている。

 

ノックの音がする。誰だろう。トレーナーかな?

 

「...ごめん、トレーナー、今は、その、誰とも会いたくないんだ。」

 

ドアの方に行って、外にいるであろう彼に、そう呟いた。

今は、特にトレーナーには、会いたくなかった。

こんなに情けない姿を、見て欲しくない。

 

「....あら、折角応援に来たのに、失礼なこと言うのね。」

 

けど、扉の向こうから聞こえてくる声は、トレーナーのものではなかった。それは、私がよく知っている声で...

 

それが誰なのかを確信させるように、扉が開いた。

 

「!?キングちゃん!?」

 

まさか見に来てくれてるとは思ってなくて、思わず大きな声を出してしまった。そんな私を見て、キングちゃんは軽く微笑むと、優しく私の頭を撫でて、中に入ってきた。

 

「ウィニングライブ、素敵だったわ。ウララさん..ほんとに、立派になったわね。」

 

二つある椅子の一つに座って、キングちゃんは優しく微笑んで私にそう言った。私もキングちゃんの隣に座って、笑みを浮かべて頷く。

 

「うん!あのね!たくさん褒められたの!凄かったって!感動したって!ほんとにね...ほんとに、嬉しかった。」

 

最後、ほんとに最後、出てきそうになった感情を抑えて、私はそうキングちゃんに伝えた。その言葉を聞いて、キングちゃんは誇らしそうに微笑んで

 

「ええ、私も聞いてたわ...ほんと、誇らしい友人よ。」

 

そう言って、オーホッホッホ、と、高らかに笑ってくれた。

いつもなら、キングちゃんと話す時は、心から嬉しいはずなのに、今日はずっと心が痛い。

優しく微笑んで、私と話してくれるくれるキングちゃん。その顔は、本当に優しくて、それでいて、あまりに汚れてしまっていた。

 

....きっと、泣いてたんだよね。

 

目の当たりが赤くなっていて、化粧が崩れてしまっているのがわかる。

それを実感して、自分がまた情けなくなる。

しばらく私の頭を撫でた後、キングちゃんは手を離して、カバンの中から色んなものを部屋の机に置いていく。

 

「ほら、疲れてるでしょ。これ、飲みなさい。エナジードリンク、アミノ酸入りよ!疲れた体ににぴったりよ!それから、ほら、補給食でサンドイッチも作ってきたのよ!一流の手料理食を、存分に味わうといいわ!お腹減ったら食べなさい!あとは...」

 

キングちゃんは、明るく、元気にいろんなものを取っては置いて、嬉しそうにしてくれていた。私もそれに、自分の感情を抑えて、元気に応える。

 

せめて、キングちゃんの前では、笑っていたかった。

 

「....レース、惜しかったわね。」

 

ひとしきりものを出しを終えて、キングちゃんがそうポツリとつぶやいた。

その顔には、一つの曇った表情がなくて、スッキリとしているように見えた。

 

「うん!惜しかったよ!あと少しでね!勝てたんだ!ほんとに...あと、少しだったんだよ....あと...ちょっと...だったんだよ...。」

 

だから私も、やり切ったって、頑張ったんだよって、応援してくれてありがとうって、そう伝えたくて、元気に言葉を出したつもりだった。

なのに、口にする度に、言葉に力が入らなくなる。

震えて、何も言えなくなってしまう。我慢してたのが、流れ出しそうになる。

 

「ええ。知ってるわ。...見てたんだから。たくさん大声で応援したのよ?聞こえてたかしら?」

 

そんな私の様子を気にせずに、キングちゃんは優しく笑ってそう言った。

 

「...うん!き、きこえてた!わた、私ね!聞こえてたよ!みんなの声、ちゃんと、ちゃんと聞こえてね、それでね...けど、ううん、全然ダメ。私、ちっとも強くなれてなんてなかった。出し切って、けど、それなのに....届かなかった。」

 

震える声で、なんとか応えようと、言葉を振り絞った。ありがとうを伝えたくて、音をなんとか繋ぎ合わせて、言葉を紡いだ。けど....出てくる言葉は、ずっと我慢していた、自分への侮辱だった。

 

「ウララさん。貴方は、立派だったわ。」

 

そんな私の目を見て、キングちゃんはそう断言する。

 

「...有馬という舞台に立ち、誰もが震えるような、そんな走りをした。それは、誇るべきことであって、俯くべきことじゃない。」

 

真っ直ぐに、私の今の感情を真っ向から否定して、キングちゃんは言った。そんか彼女を見て、今の私に、どうしようもない怒りが込み上げてくる。

 

「...でも、負けたんだよ。...私、誰にも、応えることができなかった、私、また大切なところで負けちゃったんだよ!なのに、なんで、なんでそんなことが言えるの!意味ないじゃん!勝てなかったら、意味ないじゃん!全部私がダメにした!お母さんの言葉も、トレーナーとの約束も、ファルコンちゃんの思いも、キングちゃんの信頼も!全部!全部!私が....ダメにしたんだもん!なのに!どうやったらそんな風に思えるの!?もう、無理だよ!私は...」

 

「いいから胸を張りなさい!このへっぽこ!」

 

その言葉を受け入れられなくて、私は感情をぶつけた。意味もなく、キングちゃんに当たった。それをキングちゃんは、また真っ向から否定した。強引な言葉で、私の言葉を、塞いでくれた。

 

「ええそうよ!あなたは負けた、勝つという約束を果たせなかった。信頼に応えられなかった!だからなに!それだけのことで貴方は今日の走りを否定するの!?私は許さない!例えそれが、貴方の言葉であってもよ!」 

 

言葉を強めて、大きな声で、キングちゃんは私にそう言うと、拳を握りしめて俯いた。

 

「...私もね、自分の情けなさで、その時の、自分の最高だった走りを、否定してた時があったわ。...けど、それが間違ってるって、教えてくれた人がいるの。その人が教えてくれたわ。最高の走りを否定するって言うことは、これまでの自分自身の努力を、過程を、否定することなんだって。....私は、あなたのこれまでを知っているわ。どれだけ努力して、苦しんできたかを知っている。....そんな貴方のこれまでを、否定してほしくないの。」

 

キングちゃんの言葉は真っ直ぐで、直接的で..だから、こんなにも胸に響くんだと、この時にそう強く感じた。

 

キングちゃんが、優しく微笑んで私の頬を撫でてくれる。無意識に流れていた涙が、キングちゃんの指に触れた。

細くて長いその指は、火照った頬にちょうどいい冷たさで、ここちいい。

 

キングちゃんの目線が、そっと下に落ちる。

その目線の先には、キングちゃんの靴があった。あの日、私に預けてくれた、赤色のレースシューズ。たった一回しか履いてないのに、芝と土でかなり汚れてしまったその靴を愛でるように、キングちゃんは腰をかがめてその靴を撫でて、軽く微笑で

 

「泣いてもいいわ。悔しがってもいい。....けど、勝たなきゃ意味ないなんて、口にしないでちょうだい。....私の靴で、この舞台を走ってくれて、ありがとう。」

 

そう言うと、ゆっくりと立ち上がって、今度は、優しく私の頭を撫でてくれた。

 

体、冷やしすぎないようにね。

 

最後にそう言い残して、キングちゃんは控え室から出て行った。

 

立ち上がっていた体を、ゆっくりと椅子に沈めた。もう足が浮いている感覚はなくて、ちゃんとこれが現実なんだって、受け入れている自分がいることに気がついた。

 

....私は、有馬で負けた。

 

その結果は変えられないし、たくさんの人に、涙を流させてしまった。それは許せないことだし、本当に悔しい。

...けど、うん。そうだよね、キングちゃん。

 

もうここにはいなくなってしまった彼女に、そっと語りかける。

負けて、傷ついて、悔しくて...それでも、全力でぶつかった。

全力を出して、最高の走りをして、負けた。

それでも、ここまでの過程を、みんなの言葉を、自分の努力を、否定したくなかった。

 

....だってそれは、私が1番大切にしてる、思い出だから

 

だから、今の自分を、全力で走れた自分を、誇りに思おう。

 

これまでの自分を、否定しないために。今日の自分を、許せる覚悟を持とう。悔しさも、悲しみも、全部、受け入れて、それで...

 

この誇り高い私で、次は勝つんだ。

 

拳を握る。一呼吸ついてから、椅子から立ち上がってほっぺを軽く、二、三回たたいた。小気味の良い音が、控え室に鳴り響く。

 

「よし!次は....次こそは、負けないもんね!」

 

鏡に向けて、笑顔で宣言した。

 

目が腫れて、髪が乱れた、鏡に映るボロボロの自分。

そんな自分に、宣言したのだ。

もう、過去の私には負けないって。

前を向こう。下を向くな。精一杯努力して、私はまた、ここに立つ。

 

「...ウララ、入っても良いか?」

 

声がした。トレーナーの声だ。

 

私は、元気な声で、良いよ!と大きく返事をした。

扉が開く。トレーナーとライスちゃんが、二人で入ってきた。ライスちゃんは服をもう着替えてて、私が着替えるのを、二人で待ってたみたいだ。

 

「ウララ、その、レースのことなんだけどな...お前は、その、本当に」

「私ね、諦めないよ!」

 

 

慰めようとしてくれるトレーナーに、私は大きな声でそう言った。

 

「全部出してね、それで、スペちゃんに、ライスちゃんにね、負けた。....それはね、ものすごく悔しくて、やり直せるんだったら何度だってやり直したい。.....けどね、もうそれはできないって、わかってる。今まで、何度もそんな思いをしてきたから、この現実がどれだけ変え難いものなのかっていうのも、わかってるんだ。」

 

勝てないという事実が、どれだけ覆るのが難しいのかを、私は知っている。その現実が、自分という存在にとって、どれだけの脅威なのかも、理解している。

....だからこそ、前を見よう。

「だからね、諦めないよ。もういっかい、ううん、何百回も、何千回も、私が走れる限りね、全力で努力する!全力で、全部を走ることにかけて、それでね、もういっかい!ここに立つの!そこでね、絶対ね、渡すから!」

 

そして私は、トレーナーの目を見つめて、距離を縮めながら、笑顔でこう宣言するんだ。

 

「有馬の1着、トレーナーにあげる、私からのクリスマスプレゼント!」

 

もしかしたら、もうこの舞台に呼ばれないのかもしれない。その可能性が高いことは、よくわかっている。だから、私のこの発言は、きっとあまりにも現実味がなくて、不確定で、笑えるような発言なのかもしれない。それでも、それでも私は....

 

トレーナーとなら、そんな未来を変えれるって、信じてる。

 

「....強くなったな、ウララ。」

 

優しく微笑んで、トレーナーはそういうと、私に、拳を突き出す。

 

「んじゃよ、俺にくれや!そのクリスマスプレゼント!待ってるからな!」

 

にかっと、明るく微笑んで、彼は私にそう言った。

 

「私もね、負けないから!だから、その時は勝負だよ!ウララちゃん!」

 

ライスちゃんも、トレーナーの隣から、その小さな拳を突き出して、にこりと微笑んでいる。

 

「...うん!うん!私もね、絶対負けないから!」

 

私も、その二人に拳を突き合わせて、明るく笑った。

 

とても大切なレースに負けた。それでも、前を向く覚悟ができた。

それを証明するかのように、私達の間に、大きな笑い声が響き渡る。

 

....もう、涙は流れなかった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ウィニングライブを見終わり、ウララの控室へと、足を進めた。彼女の扉の前まで行き、ウララの控え室の扉を開けようとすると、中からキングの声が聞こえてきた。ライスの控え室の扉からも、ミホノブルボンの声が聞こえていた。

 

...こりゃー、しばらく待機だな。

 

廊下を少しだけ進み、自動販売機でホットの缶コーヒーを買った。ファルコンも控え室に呼びたかったのだが、今のウララの心境を考えて会いに行くことを彼女は選ばなかった。

 

壁にもたれながら、ちびちびと、たいしてうまくもないコーヒーをすすりながら、あの光景を思い出す。

 

ウララが、ライスとスペシャルウィークに並んだ、あの光景を。

 

そして、思い出すたびに、鳥肌が立ってくる。

本当に、痺れる走りだった。

 

それでも届かない、超えることができない、敗北という壁。

 

「...ほんとに、厄介だな。」

 

苦笑いとともに、愚痴がこぼれた。

あれだけやっても、届かない世界がある。

あれだけの走りをしても、届かない世界がある。

わかっていたことだ、けど、それでも

 

「...悔しいな、くっそ....。」

 

叫びたい衝動を懸命に抑えて、小さく毒づいた。

 

「おや、君ならハルウララのところにいると思っていたんだがな。」

 

不意に、誰かの声がした。その方を見ることなく、俺は無言を突き通す。その反応を楽しむかのように、その声の主は廊下をゆっくりと進みながら、俺の方に近づき、何をいうまでもなく、俺と同様に隣に立ち、壁にもたれた。

 

「...観戦、しててくれたんですね。シンボリルドルフさん。」

 

大人びた私服に身を包んで、それでも尚、強者のオーラを保った皇帝に、俺は声をかける。

 

「君と私の中だ、ルドルフで構わない。...ああ、観戦していたさ。...本当に、惜しかったよ。」

 

小さな笑みを、悲しげに浮かべて彼女はそう言うと、自動販売機に向かい、俺と同じ缶コーヒーを買った。

 

惜しかったよ、そう呟いた彼女に、俺は何もいうことなく、ただただ、缶コーヒーをゆっくりと飲み続けた。彼女もそれを気にすることなく、再び俺の隣にいき、コーヒーを口にしていた。

 

「...それ、まずいでしょ?シンボリルドルフさん。」

「まあ、美味とは言えないな....それにしても、君はブレないな。」

 

ルドルフと呼ばなかったことに対して、彼女は苦笑いで済ませ、再びコーヒーを口にする。

 

「ウララの走りは、貴方に何を見せましたか?」

 

そんな彼女に、俺は形のない質問をした。

抽象的で難しい質問だが、彼女なら理解してくれると、なんとなくそう思ったからだ。

 

「ふふ、中々に抽象的な質問だな...そうだな、彼女が私に見せたもの...か。」

 

彼女は少しだけ考え込むように顎に手をやり、目を閉じた。

彼女が見たいと言っていた景色を、ウララは見せることができたのだろうか。才能の壁にぶつかるその様を見て、彼女は落胆したのだろうか。

不安と疑問が、彼女の言葉を聞くまで、頭の中を駆け巡る。

 

「ふむ、そうだな、一言で言うなら...私が見えた、とでも言おうか。」

 

しばらくして、彼女はそう口にして、俺の方を横目で見た。

 

「シンボリルドルフさん自身が、見えたのですか。」

「いや、正確には照らし合わせたと言うのが正しいのかもしれないが...あの一瞬、ハルウララが、スペシャルウィークとライスシャワーと共に先頭に並んだ時...私は、不覚にもそこに照らし合わせてしまったんだ。

サンタアニタ競馬場、サンルイレイステークス。アメリカでの大敗をした、私自身をね。」

 

苦笑い混じりに彼女はそう言って、一口、コーヒーを口にする。

彼女のコーヒー缶はまだ熱を持っているようで、その飲み口から、湯気が立っているのが目に入った。

 

「...恥ずかしながら、涙が出てきたよ。ああ、私は、あそこに並ぶことができたかもしれないと、そんな未来が、あったのかもしれないと、ハルウララが、そう思わせてくれた。そこに並ぶ景色を、彼女は見せてくれたんだ...本当に、感謝しているよ。」

 

ずっと遠くを見ている、そんな表情を浮かべながら、彼女はゆっくりと俺にそう語った。それを見ながら、俺は自分の残り少ないコーヒーを飲み干した。

 

「...それは、あなたが見たい景色でしたか?」

 

どこか悲しげな表情を浮かべる彼女に、俺はもう一度質問をする。

 

「....いいや、私の見たい景色は、もっと先にあるよ、トレーナー君。」

 

その質問に、彼女は首を振ってそういい、肩をすくめて笑った。

 

「無論、それは君も同じだろう?」

 

そして、彼女はいたずらな表情を浮かべてそう言うと、俺と同様に、缶コーヒーを飲み干した。

 

「..ええ、僕も同じですよ。」

 

その言葉が何を意味しているのか、口にしなくとも、明白に理解できた。だから、俺も小さく、そう返事をする。

 

「てっきり、笑われると思ってました。才能には勝てないじゃないかって、あれだけの言葉を言って、敗北という結果を彼女に与えた俺を、笑うんじゃないかって、そう思ってました。」

 

缶のゴミを彼女から受け取り、ゴミ箱にそれを捨てに行きながら、俺はなんとなく思っていた事を、口にした。

 

「笑う?....ああ、確かに、君の言動や行動を省みると少々情けなくはあるかもしれないな...しかし、確かにあの走りは、奇跡に限りなく近い景色を、私達に見せてくれた。それを笑うと言うのは、無粋だろう?」 

「...ま、しっかり俺は今しがた笑われましたけどね。」

 

小馬鹿にされた仕返しに、俺は彼女にそう返した。彼女はそれに小さく笑い、自身の腕時計を見た。

 

「...もっとゆっくり話していたいのだが、私も予定があるのでね。これで失礼するよ、トレーナー君。....またいつか、ここに彼女が立つことを、そして、私に完成したその景色を見せてくれることを、信じているよ。」

 

小さな笑みを浮かべて彼女はそういうと、出口の方に向けて、綺麗な足取りで歩みを始めた。その後ろ姿は大人びていて、本当に自分よりも年下なのかと疑いたくなる。

 

「....ああ。いつかきっと、あんたに見せるよ。...またウララがここに立つことを、そんな未来を、信じてくれて、ありがとう...ルドルフ。」

 

彼女の、その小さくなった背中にそう呟き、ベンチから腰を上げる。

皇帝、レースの全てを知っている彼女が、不確定な未来を、信じてくれると、そう口にしてくれた。

それが、どれほど勇気が出る言葉かは、言うまでもないだろう。

思わず熱がこもった体の力をゆっくり抜きながら、彼女たちの控え室へと足を進めていったのだった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

願いを背負って負けることの痛みを、初めて知った。

この痛みは、誰かからの罵声よりも、ブーイングよりも痛くて

怒りが、後悔が、涙が、止まらなかった。

ウララちゃんと、何も会話することなくお互いの控え室に向かった。

いや、しなかったんじゃない、できなかった。

もう、声を出す余力がないぐらい、泣いていたから。

控え室について、力が抜けたように、椅子の上に座った。

座ってしまうと、もう二度と立たないんじゃないのかと思うくらいに、身体が疲労しているのがわかった。

項垂れるように下を見たあと、目の前の机に置いてあったペットボトルの水を、一気に飲み干す。

 

「...私が、また皆んなを、不幸にしたんだ。」

 

応援してくれた人のために、前を向かないといけない、ウララちゃんがそう言ってくれて、そうしようって決めたのに。

その事実を口にしてしまうと、感情を抑えることができなかった。

 

「なんで、なんでなんで!なんでいつも私は!大切な時に、全部ダメにしちゃうの!せっかく応援してくれたのに、せっかく信じてもらえたのに、なのに、なのに...!」

 

自分に対しての怒りが、どこにもぶつけようのない悔しさが、言葉とともに溢れては、虚しく消えていく。泣いたって仕方がないのに、また涙が出てくる。

 

「...ライスさん、今よろしいですか?」

 

そうやってしばらく泣いていると、聞き覚えのある声がした。

その声に、私は小さく返事をした。

相変わらず機械みたいに無機質で、静かな声...それなのにどことなく暖かい声音で一言

 

「ありがとうございます、入りますね。」

 

そう言って彼女は、控室の扉を開けて、中にゆっくりと入って来た。

断ろうとは、微塵も思わなかった。だって、今の私にそんな権利なんて、ひとつもないんだから。

 

部屋に入って来たブルボンさんは、手に小さな花束と手紙を持っていて、それを私の前にある、丸い机の上に置いた。

 

「...これは?」

「ライスさんのファンの皆様が、ライスさんに渡して欲しいと、控え室に向かう私に預けた代物です。手紙は、レース直後に書かれたようです。」

 

私の疑問に、ブルボンさんは少しだけ笑みを浮かべてそう言うと、私の反対側の椅子に腰をかけた。

ブルボンさんの座った姿はとても綺麗で、本当に機械人形のように感じてしまうほど、凛としていた。

 

「最後の直線、惜しかったですね。...本当に。」

 

そんな姿に見惚れていると、唐突に、ブルボンさんが私に語りかけた。

その言葉は、心の底から絞り出しているような声音で、それだけで、ブルボンさんが自分のことを応援してくれていたんだって、気がつけてしまう。

 

「...うん、あと、ちょっとだったね...でもライス、全然ダメだった。」

 

そんなブルボンさんに合わせる顔がなくて、俯きながら、私は自己嫌悪をあらわにした。

 

「頑張れって言われて、初めてたくさんの人に応援されて、やれることは全部やったのに...結局、私はダメな子なんだよ。周りのみんなに何も返せない...私は...」

「そうやって自分を否定して、逃げているつもりですか?」

 

止まらなくなった自己嫌悪を続けていると、ブルボンさんのその言葉に、私の言葉は遮られた。

 

「自分はダメな子なんだ。そうやって自分を攻めて、痛みに耐えて、その先に何があるんですか?負けた事実だけを見て、下を向いて、そこにどんな成長があるんですか?....敗北を見つめているふりをして、何になるんですか。」

 

その声音は、あまりにも厳しくて、尖っていて、そして

...あまりにも、自分勝手な言葉に、聞こえた。

 

「見つめてるふり?下を向いて何があるか?何でそんな風に言えるの!ブルボンさんに何がわかるの!わからないくせに!私の気持ちなんて、一つもわかってない!敗北を受け止めて、自分を責めて、なんでそれで逃げてるなんていうの!何からも逃げてない!私は、私は!」

 

怒りで、いつもでは考えられないほどの声量が、私の口からでていた。

机をだたいて、目の前のブルボンさんの目を睨みつけた。けど、彼女は一つも動じずに、そして、何故か優しく微笑んで、こう言った。

 

「...応援してた人達の声から、逃げてるんですよ、ライスさんは。」

 

それは、見ないようにしていたもので、無視しようとしていたもので

....今1番、怖いものだった。

 

「ここにある、数枚の手紙、今、読んでみてください。」

 

ブルボンがそう言って、そのうちの一枚を、私に手紙を差し出した。それを震える手で受け取って、丁寧に開封した。

文章を、今の自分に言い聞かせるように、ゆっくりと読んでいく。

 

「...なに、これ。」

 

その思いを受けて、自然と声が漏れた。

 

「こんなの、私知らない、だって、私は、私は..負けたのに、なんで!」

「...けれど、それがあなたの見せた景色なんですよ、ライスさん。」

思わず叫んだ私の頬に、ブルボンさんが、優しく手を差し伸べた。

 

手紙に書いてあった言葉。『感動しました。』『これからも応援してます!』『本当に、すごい走りでした』...それから

 

『俺たちの想いを背負って走ってくれて、ありがとうございました。』

 

その言葉の一つ一つを読むたびに、込み上げてくるものが抑えられなくて、嗚咽と共に溢れ出してくる。それを、ブルボンさんは優しく拭き取ってくれた。前の席から移動して、私を後ろから、優しく抱きしめてくれる。

 

「ライスさん、貴方は確かに負けた、その事実は変わりません。...けれど、確かに今日貴方は、誰かを幸せにしたんです。その名の通り、幸運を与えたのです。...私も、その幸せを貴方から受けとりました。」

 

後ろから抱きつかれているから、表情は見えない。けれど、不思議と笑っていふような、そんな気がするほどの、温かい声音で、ブルボンさんはそう続けた。

涙と嗚咽で、私は何も言えなかった。何も言えずに、それでも、手紙を大切に握りしめて、生まれたばかりの赤子のように、泣きじゃくった。

その間、ブルボンさんはずっと私を抱きしめてくれていて、やっぱりこの人は優しいなと、心からそう思った。

 

「私、また走ってもいいの?」

「ええ。貴方が走らないと、私が困ります。」

「...また、負けるかもしれないんだよ?」

「構いません、レースとはそういうものです。全力を出して負けたなら、そこからまた這い上がればいい。」

「....またみんなの期待を、裏切るかもしれないんだよ?」

「例え誰かの期待を裏切ろうと、誰かが傷つこうと、貴方は走らなくてはいけないんです。.....何故ならね、ライス。」

 

震える声で、何度もブルボンさんに質問した。もう走る資格がないんじゃないのかって、そんなふうに思っている自分を、ブルボンさんは優しい言葉と共に、壊してくれた。そして、その日初めて私を呼び捨てにした彼女は、こう続けたのだった。

 

「貴方が、貴方の走りが、私達の希望だからです。」

 

いつもとは違う、本当にあったかい声音で放たれたその言葉は、私の心にスッと入って、そして、固まっていた恐怖心を、溶かしてくれた。

 

「...私が、希望?」

「ええ、そうです。その手紙を書いた、貴方のファンの方々。...そして、私自身。貴方の走りを見ると、勇気が出るんです。力が出るんです。....それは、貴方にしかできないんですよ?ライス。」

 

抱きしめていてくれた体をスッと離して、ブルボンさんはそう言い終えると、再び私の前の席に座った。

 

「...そうですね、ライスにとっておきの魔法をかけてあげましょう。」

 

しばらく無言で何かを考えていた彼女は、何かを思いついたように耳を張って、私にそういうと、人差し指をピント張って、ひとつ、咳払いをした。

 

「....しのごの言わずに走りなさい!ライス。」

 

どんな魔法なんだろうと、内心ワクワクしていると、ブルボンさんが突然大声で、私にそう叫んだ。

びっくりして、思わず変な声が出てしまう。

 

「...どうですか?ライス。」

 

そんな私を見つめながら、彼女は不安そうに首を傾げ、下から私を覗き込んできた。

 

「...ぷっ、あははは!」

 

そんな、何もかもが普段とは違う彼女を見て、私は思わず吹き出してしまう。不安そうにしている彼女が、あまりにも可愛くて、急に叫んだ事が、あまりにも面白くて、言葉がストレートすぎるのも、またツボだった。

笑っている私を見て、ブルボンさんはどうして笑っているのかわからないと言った様子で、ひたすらに不思議そうにしていた。

 

しばらく笑って、今日初めて、心から笑顔になれたんだと、その時気がついた。

ずっと、自分にかかっていたモヤが、晴れていくのを感じた

 

「...うん、とってもね、元気が出たよ。」

 

しばらく笑った後に、私は彼女にそう伝えた。

私の返事を聞いて、ブルボンさんは嬉しそうな表情をして、

「よかった」と、そう小さく、呟いていた。

 

小さく拳を握って、私は言葉を続ける。

 

「...それからね、私決めた。私、走るよ。」

 

それは、彼女の魔法の言葉によって、決めれた事なのかもしれない。

誰かの希望になれるなんて、正直信じられない。

今日の走りで感動してくれた人達がいた事が、嬉しくて仕方ない。仕方ないからこそ、もっと負けた自分が、許せない。

敗北が怖い。期待を裏切るのが怖い。....けど、彼女が言ってくれた。

 

しのごの言わずに、走ればいいと。

 

「負ける恐怖も、期待も、何もかも背負って、私は走る。どんなに苦しくてもね、逃げたくなっても...この足がある限り、走り続けるよ。」

 

真っ直ぐな目を見て、彼女に伝える。もう、逃げたりなんてしないと、固い決意を持って、そう伝えた。

 

まだ、恐怖はある。期待なんてされたく無いって、思う自分もいる。

けど、それでも私は、走るんだ。

その全てを薙ぎ払えるまで、走り続ける。

 

ブルボンさんは、本当に嬉しそうに、私の話を聞いてくれていた。

彼女の表情がこんなにも変わるのは、後にも先にも、今日が最後かもしれないなと、その時に感じた。

...だから最後に、照れる彼女を見たくて、私はこう聞いてみたんだ。

 

「...それからね、ブルボンさん....もしよかったら、ブルボンちゃんって、呼んでもいい?」

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「はい!ウララちゃん!メリークリスマス!」

「おおお!ライスちゃん!なにこれ可愛い!お花の栞?」

「えへへ、そうなの、これはマリーゴールドって言ってね...」

 

 

有馬記念の翌日、今、俺達はチーム内のメンバーで(キングやファルコン、ミホノブルボンも含めるが)トレーナー室の中で行われる、ささやかなクリスマスパーティーを楽しんでいた。

敗北の悲しみや悔しさはきっと残っているだろうが、それでも今は彼女達は心から楽しんでいると、俺は側から見てそう感じている。

 

「ライス、これをどうぞ、メリークリスマスです。」

「え!私にプレゼント!?嬉しい!えへへ、なんだろうなぁー」

「単四電池です。」

「....え?」

「いえ、冗談です。可愛らしいハンカチがあったのでそれをプレゼントとして入れてあります。」

「だ、だよね!冗談だよね!」

 

なにやら冗談には聞こえないミホノブルボンの冗談に動揺するライス。

...あれ?今ミホノブルボンがライスを呼び捨てにしてたような...

 

「キングちゃん!あのね!朝ね!キングちゃんそっくりのサンタさんに会ったの!キングちゃんも起こそうとしたんだけどその時いなくて...会って欲しかったなー」

「お、オホホホホ!キングにその必要はないわ!な、なぜなら私は、サンタさんの連絡先を持っているのですから!いつでも連絡が取れるのよ!」

「ええ!凄い!流石キングちゃん!」

「ファルコもそのキングちゃんにそっくりなサンタさんに会いたいなー☆」

「え、えええ!もちろんですとも、ぜひファルコンさんもご一緒に」

 

こっちはこっちで、ウララとキングと、そのキングをいじっているファルコンが楽しそうに話しているのが視界に入った。

 

...キング、良いやつだよなー。

 

最近になって、ウララの交友関係上、キングの事を少しずつ知ってきたのだが、その好感度の上がり方に戸惑っている自分がいる。

 

「ねえ、トレーナーさん、ピザ取ろうよピザ!私ピザ食べたい!」

「おにぃ...私も、ピザ食べたいなー!トレーナーさん!」

 

そんなキングに対しての感情を抱いていると、ライスとウララが俺にピザを取りたいとせがんでくる。

ライスがお兄様、なんて、みんなの前で言わなくて本当に良かったと心から安心しながら、俺はその提案を速攻で了承した。

 

「おう、任せろや、ピザでもチキンでも、お前たちが欲しいもんならなんでも買ってやるぜ。金なら任せろ、最悪、アコムから借りればなんとかなるわ。」

「...貴方、ウララさんの前でアコムなんて言葉、二度と吐かないで。」

 

キングからの割とマジトーンな言葉をスルーして、俺はウララとライスが食べたがってるピザを注文した。無難にマルゲリータと、プルコギポテトと呼ばれる二種類のピザだ。

 

「でもこういうのって、チラシで見るのと、実際の商品が結構違う時あるよなー。」

 

頼んだチラシを見ながらソファーに座り、しれっとライスがついでくれたコーヒーをすする。....なんか異常にしょっぱいけど、口にはしないでおこう。

 

「こら!トレーナーさん、それ禁句だよ禁句!写真で見た時と実際の顔見た時の違いを指摘するぐらいナンセンスなんだからね!ま、ファルコは両方かわいいけど☆」

 

しょっぱいコーヒーを机に置き、なんとなくチラシを眺めていると、後ろからファルコンが俺に、中々生々しい例えで注意をしてきた。

 

「おま...現実的な例えしてくるねー....出会い系とか、してないよな?」

「してないよ!...え?ちょ、してないからね!してないんだから!」

 

なんだか怪しい匂いがするファルコンを尻目に、俺は再びピザのチラシに目を移す。

 

「ねね!出会い系、ってなに?」

「こら!ウララさん!そんなこと気にしなくていいの!」

 

「...ライス、出会い系、とはなんですか?」

「えっと、多分たくさんの人達と友達になれるアプリ?じゃないかな?」

 

チラシをぼーっと眺めていると、周りからそんな会話が聞こえて来きた。....マジで発言には気をつけよ。

 

彼女達の純粋さに、改めて自身への改善を強めたところで、キングが、何かみんなでゲームをする事を提案した。

 

「いいね!でも、なんのゲームするの?」

「そうね....みんなでできるものだから、複雑すぎてもダメ!けど、簡単すぎても面白みが欠けるわ!そこで、一流のキングが思いついたのはこのゲーム!その名も、大富豪よ!」

 

高らかな笑いと共にキングはそう宣言し、俺の前にあるソファーに腰をかけた。ライスが俺の隣へと座り、その横にブルボン、キングの隣にウララとファルコンが順に並ぶ形になり、みんなが着席したところでキングがルール説明を始めた。

 

「いい!まずはこのトランプゲームは2が最も強くて、3が最も弱い、それ以外のカードは基本的に数が上のもの、もしくは同じものを相手が出したトランプの次に置いていくというルールね!ただし、役職があるの、今日使うルールは、11バックと、8切り、7渡しよ!11バックは、Jのカード以降、出した次の数の強さが逆転するっていう役職ね、例えば、普通は4よりも5のカードが強いけど、その強さが逆転するの。8切りは、出た時にその場を切ることができる効果よ!11バックが出ている場面が嫌な時はこれでリセットすることができるわ!7渡しは次の順番の相手に7を出した枚数だけ手札を渡せるという効果よ!どう?一流の説明は?完璧でしょ?オーホッホッホ!」

 

説明を終えて、高らかに笑うキング。しかしながら、その隣にいるウララはなにも理解している顔をしておらず、窓の雲をみてぽかーっとしている。隣のライスも、ふん、ふんと必死に頷いていたが、説明が終わってから硬直してしまった。ミホノブルボンは、「機能、テイシ」と言いながらウララと同様に、雲を眺めている。

 

....はぁーまあ、そうなるよなぁー

 

わかってはいたことだが、骨が折れるぞと思いつつ、やりながら彼女達に説明をしていく覚悟を決めて、ゲームがスタートした。

何度か試しにゲームを行い、ウララとライス、ミホノブルボンもルールを把握したようなので、ピザの枚数をかけた大富豪が始まった。

 

「オーホッホッホ!さあ!ウララさん!出してみなさい!ジョーカー1枚重ねの上にくる2!さあ!何か出せるものなら出してみなさい!」

「よ、よーし!諦めないもん!えっと、えっと...なにも、だせない...」

「あ!いえ!違いますの!ウララさん、その、ごめんなさい、私、貴方をそこまで傷つけるつもりはなくて...」

「えー、ファルコも出せないじゃんか!パスで☆...きゃ、パスしてるファルコも可愛い!」

 

.......。

 

「え、えい!8切り!こ、これで、えい!7渡し!ブルボンちゃん、これ、あげるね」

「...ライス、このカード、貴方の切り札に近い存在のはずですが...よろしいのですか?」

「う、うん!ブルボンちゃんに、幸せになって欲しいから...」

「...未知の感覚を確認、データを分析中、分析中...」

 

........。

案の定カオスが繰り広げられたが、ピザが来るまでの時間はあっという間だった。結果は、俺の圧勝、キングが、ウララが悲しそうにした以降、役職がついたカードを出す事を躊躇ったり、わざと負けるなどして惨敗、ライスがその次に負けたという形になった。

 

「意外とトレーナーさん、強かったねー。」

 

ファルコンが意外だというように、ピザを食べながら俺に声をかけた。

 

「まあ、一応この手のゲームはやってきたからな、それなりにはできるぞ。」

「へぇー、案外知的なんだね☆」

「そりゃあー、まあ、一応トレセン学園のトレーナーですから。」

ファルコンに褒められることに若干照れつつも、俺はそう返事をしてピザを手に取った。プルコギポテト味とは想像できなかったが、口に入れるとなるほど、人気なわけだ、肉の旨みとポテトの塩辛さ絶妙に合う。これは...ビールが欲しくなるな。まあ、コーラで我慢するけど。

 

「キングちゃん!ライスちゃん!ブルボンちゃん!見てみて!チーズがね、びよーんって!」

「あ、こら!食べ物で遊ばないの!」

「ウララちゃん、凄いねー!チーズってそんなに伸びるんだ!」

「....ビヨーン」

「ミホノブルボンさんも!やめてください!」

 

向かい側のソファーでは、チーズを伸ばして遊ぶ彼女達と、それを叱るキングというなんとも微笑ましい光景が広がっており、それはそれは大変素晴らしいものだった。

 

「....なんだかさ、悪くないよね。こういうの。」

 

そんな光景を見ながら、ファルコンがポツリとつぶやいた。

 

「...ま、賑やかすぎるのも困るけどな。」

「ふふ、そう言いながらも、トレーナーさん、結構楽しんでるでしょ?」

「うるせ。」

 

からかってくふファルコンを無視して、俺はピザを口に運んで、一気にコーラで、それを流し込んだ。口の中の脂が、炭酸によって流される爽快感で、溶けていく。

 

そういえば、レース以外の何かのイベントを、こうして彼女達と過ごすのは物凄く新鮮な気がする。互いが互いと笑い合い、遊んで、話して、そうやって、あったかい思い出を、共有していく時間。

それは、レースという残酷なものが繋ぎ合わせた、限りなく勝つことには不要な時間で、非効率的な時間とも言える。

 

....けどまあ、うん、そうだな、たまには

「....たまには、こういうのも、アリだな。」

 

「へへー!やっぱり☆トレーナーさんだって楽しんでんじゃん!素直じゃないなーもう!」

「...たまにはだぞ、たまには」

「はいはい、たまにはね、わかってますよー☆」

 

完全にファルコンは俺をからかって楽しんでいるが、もうどうしようもないので今日は諦めることにした。

口にするんじゃなかったという後悔と共に、楽しくて幸せな時間は、すぎていった。気がつけばもうすっかり夜で、それぞれの部屋に戻らなくてはいけない時間となった。

 

「またね!トレーナーさん、みんな!今日は本当に楽しかった!」

「今日はご馳走様でした...貴方、ウララさん達の前で、変な言葉だけは吐かないようにね。」

「本日はありがとうございました。楽しい時間、思い出のフォルダに保存しておきます。」

 

 

三者三様の反応を見せながら、ウララとライスを部屋に残して、彼女達は自分の部屋へと帰っていった。

 

「ウララ、ライス、待たせてごめんな。少しだけ、話がしたくてさ。」

 

俺は、二人に少しだけ時間をくれるように頼み、この部屋に残ってもらった。ソファーに彼女達を座らせ、俺も対面のソファーに腰掛ける。

 

「ううん!トレーナーとのおしゃべり好きだから!私は全然いいよ!」

「うん!私も!トレーナーさんとのおしゃべりは、大好きだよ!」

 

明るく、恥ずかしいこと恥ずかしげもなく伝えて来る彼女達に戸惑いそうになる自分を押し殺して、俺はありがとうと軽く応えた。

 

「...有馬記念が終わって、これからしばらくの休暇がウララとライスには入る。その休暇が開いた次のシーズン。つまり、3月、4月に出るレースをいくつかピックアップしといたんだ。今のうちに確認して、決まり次第教えてくれ。」

 

俺は二人にレースの予定表を渡し、「少し早すぎたな」と軽く謝っておいた。

 

「ううん、私も、レースのことで頭いっぱいだったから、ちょうど良いよ!おにい...トレーナーさん!」

「うん!私もね、次のレースのことでいっぱいだった!だから、助かるよー!」

 

ライスとウララはそう言って、自分のレースの日程を確認している。

 

...次のレースのこと、か。

 

もう、彼女達は本当に前を向いているのだと、その言葉から確信した。

まだ子供の彼女達が、敗北から前を向くまでに、どれほどの涙を流したのかを、俺は知っている。

だから、ものすごく勇気がもらえるのだ。

無意識に、膝の上に乗せた拳を、小さく握りしめていた。

 

「...ねね、トレーナー、私のレース、長距離と中距離それも、ターフのレースばっかりなんだね!私ね、ターフも好きだけど、ダートも好きだよ?」

 

ウララは、自分のレースの予定表を見て俺にそう言った。

ウララの出走さるレースは、前シーズンとかなり変わっている。

ターフのものを中心にしており、距離も伸ばしている。

 

「ああ、お前がダートが好きなのはわかってるさ。気分転換で出たい時は出させるよ....ただな、俺は可能性を見たんだよ。ウララ、お前のターフを走る姿に。」

 

可能性?、そう口にして首を傾げるウララに、俺は頷く。

そう、ウララには、可能性がある。

ここから伸びない状況は、正直に言えば、大いにあり得る。

この日程を組んだことで、ウララにまた敗北の日々が重なる可能性も、大いにある。

 

...だからなんだ。

 

それを覆してきたのが、ハルウララなんだ。1%を現実にするのが、ハルウララの走りだ。

だから、俺はウララにかける。

そして、ターフという舞台で、何度だって、ウララを勝たせると、有馬の敗北から、決めたんだ。

 

「ライスは、6月からが本番だ。宝塚記念、新シーズンになって初のG1レースの舞台が、そこになる。」

 

俺は、ウララの隣で紙を凝視しているライスに話を振った。

 

「うん、そこまではG2までだもんね...よーし、頑張るぞ〜!」

 

ライスもやる気に満ち溢れた様子をみせ、拳を上に突き出した。

 

宝塚記念、芝、中距離。2200メートル。それは、ライスには短い距離だと言える。今回の有馬も同様に、後300メートルあれば、ライスが先頭に立っていただろう。極端なステイヤーというスタンスを、中距離で完璧に通用させるには、有馬よりもさらに短いこの舞台で、勝利を挙げておく必要がある。

 

「...ライス、本来お前は3000に近い距離でたたかうのが適正だと思う。それでも、俺はお前が有馬にかけてる思いを感じたからこの構成にしたんだが...どうする?お前は、どうしたい?勝てる距離をとるか、もう一回、有馬のチャンスに賭けるか。」

「そんなの、決まってるよ。私は、有馬に出る。もう一回ウララちゃん達に挑戦して...今度こそ、期待に応えてみせる。」

 

俺の疑問に対して、ライスは即答した。

 

「...そっか。ん、ならよかった。」

 

その圧に、俺は少しだけ押されながら、それでも目を逸らすことなく、彼女に微笑んだ。

 

ライスも、ウララも、それだけかけていたんだ。

 

...うん、それがわかればもう、充分だよな。

有馬に、俺たちは敗れた。それぞれの使命を、果たすことが出来なかった。

 

それでも、前を向いている。

誰ももう、下を向いてなんかいない。

..!だからこそ、恥ずかしげもなく、無責任に、それでいて、確信的な心を持って、この言葉を口にできるんだ。

 

「ウララ、ライス...勝つぞ、有馬で。」

 

その言葉をうけて、彼女達も大きく頷いて、こういうのだ。

 

「うん!勝つよ!トレーナー!」

「私も!絶対、勝つから!お兄様!」

 

真っ直ぐな声で、瞳で、俺にその意思を、伝えてくれた。

 

「...ライスちゃん?お兄様って?」

「あ、いや!ちが、ウララちゃん!違うの!」

「ええ!凄い!二人って兄妹だったの!?ええー!!全然似てないね!」

「.....はぁー。」

 

...まあ、ライスがとんでもない爆弾を落としていったのだが、それもまあ幸せの一興だろう。

 

 

出れるかわからない、勝てるかわからない。不確定な未来。

そこに向けて、俺たちはもう一度、走り出した。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ライスはあの後すぐに帰ったのだが、ウララはまだ残りたいと言って俺の部屋に残っていた。有馬のこともあったからか、延長の申し出を寮長のフジキセキにすると、案外すぐに了承してくれた。

 

「...私、昨日ね、久しぶりに家族3人で過ごしたの。」

 

今日の思い出話をしばらくした後に、彼女がポツリと、そう呟いた。

有馬の後、学校まで送ったときに、ウララは学校には帰らずに、ウララ達の両親が泊まっているホテルへと向かっていた。

久しぶりのお母様の退院もあって、3人で過ごす時間は、彼女にとってはとても幸せなものだったんだろうと、容易に想像できた。

 

「よかったのか?今日、俺たちと過ごして。」

 

だからこそ、気になった。そんな、久しぶりに再開できた家族と、クリスマスを過ごさなくてよかったのか。彼女は俺の質問に、笑顔で頷いた。

 

「うん...私ね、お母さんとお父さんの事、大好きだよ。....けどね、今日はみんなで過ごしたかったんだ。....お母さん達と同じぐらい、ここが私にとって大切な場所だから。」

 

まるで、ここから消えてしまうのでは無いのか、そんな想像をさせる、儚くて、美しい横顔をした彼女は、大事そうにライスからもらったプレゼントを握っていた。

 

「ありがとね。トレーナー、私に、この場所をくれて。」

 

そして、儚げな少女は俺の目を見つめてそう言うと、今度はゆっくりと、肩に頭を乗せてきた。

 

「...約束、守れなくてごめん。」

 

そして、小さく震えながら、彼女は言葉を紡ぎ続ける。

 

「みんなの期待を裏切ってごめん。トレーナーの夢を叶えられなくてごめん。応援に来てくれたのに応えられなくて...ごめん。ごめんなさい。」

 

俺に対して、そして、ここにいない、ウララを応援していた全ての人に対して、彼女は謝り続けていた。

俺は、そんな彼女に何か言葉をかけようとして、やめた。

俺の言葉で、彼女の罪の意識は、軽くならないから。

期待を裏切る辛さをずっと背負って、それでも前を向き続けたのは、他でも無い彼女自身だから。

だから、俺はただ黙って、泣きじゃくる彼女の頭を、そっと撫でた。

 

ずっとかかえていたんだろう。ずっと、傷ついてきたんだろう。

彼女の涙の一粒一粒が、今の俺には、棘のように痛く感じたのだった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 




本当に、予定を変更して申し訳ありません。
更新頻度が遅いことも申し訳ないです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。