モモンとナーベの冒険~10年前の世界で~ (kirishima13)
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プロローグ

 DMMORPG(Dive Massively Multiplayer Online Role Playing Game)ユグドラシル。

 鈴木悟が没頭することになったそのゲームが発売されてからはや12年、ユグドラシルはサービス終了の時を迎えようとしていた。

 

 システム開発当初それは画期的な発明であった。

 脳波を感知し、脳とゲームサーバ双方向の情報通信技術の開発により現実世界と混同しないよう味覚と嗅覚の情報はないものの現実世界とほぼ変わらない仮想世界を実現させたのだ。

 

 そして発売されたユグドラシルは未知を楽しむことを目的とした膨大な世界を冒険するという運営方針で瞬く間に前人未踏のシェアを獲得し、業界トップクラスの売り上げを叩き出した。

 そして数々の伝説を生んだそのゲームに鈴木悟を含めたギルドメンバーたちも熱狂していたのだが、それも今は昔。

 

 時の流れとともにライバル会社の台頭や新技術の開発などにより、かつては持て囃されたゲームも時代の流れには逆らえず終わりを迎えることは必然であった。

 

 そしてそのサービス終了の日しがないサラリーマン鈴木悟は骸骨の姿でゲーム内にいた……といっても死亡したというわけではなくゲーム内のキャラクターを操作している。

 

「はぁ……いよいよユグドラシルのサービス終了かぁ……」

 

 『モモンガ』、それが鈴木悟の操作するキャラクター名である。漆黒の豪奢なローブを纏った骨しかない体。そのひび割れた骸骨の眼には赤い光が宿っている。

 レベルは最高である100レベル、アンデッド系最強種族である超越者(オーバーロード)である。

 

「いろいろあったけど……この玉座も久しぶりに使ったな」

 

 サービス終了が数分後に迫っている中、キャラクター『モモンガ』がいるのは、現実にはあり得ないような絢爛華美な空間であった。

 天井にはためく旗の数々には金糸の刺繡が施されそれぞれにギルドメンバーのサインが彫られている。床には深紅の絨毯が玉座まで続き、物々しい漆黒の玉座に座るのは死の象徴ともいえる禍々しい存在だ。

 

 しかしその禍々しい存在の口から洩れるのは疲れたサラリーマンそのものの声であった。

 そこはモモンガたちが作り上げたギルド『アインズ・ウール・ゴウン』のギルド拠点にある玉座の間である。

 現在モモンガがいるのはゲーム内に9つある世界の一つ『ヘルヘイム』のグレンデラ沼地。そこにモモンガたちの作ったギルド拠点(ホーム)『ナザリック地下大墳墓』は存在していた。

 

「今日会えた人もいたけど……最後まで残ってくれた人はいない……か」

 

 一番遅くまで一緒にいてくれたヘロヘロさんでさえ明日4時起きということでログアウトされてしまった。広々とした広大な玉座間には豪奢なローブをまとった骸骨のみ。

 

「最終日だし誰か攻め込んできてくれてもいいんだけどなぁ……」

 

 モモンガは襲撃者を期待する。

 アインズ・ウール・ゴウンはいわゆる悪役ロールを行っているギルドであり数々のPK行為により悪のギルドとしてプレイヤー間では認識されていた。

 ギルドマスターであるモモンガに至っては『非公式ラスボス』と呼ばれるほどである。

 最終日の本日、今まで攻略されたことのないナザリックに攻め入ろうとすろプレイヤー達がいるのではないかと期待していたのだが、それさえ来ない現状に一抹の寂しさを感じる。

 

「誰もいない中でサービス終了か……最後は派手に終わろうと思って花火とかも用意してたのになぁ……」

 

 モモンガのインベントリの中にはこの日のために用意した花火が大量にしまわれていたのだが、一人で打ち上げるのも寂しく結局死蔵されたままだ。

 

 しかしナザリック地下大墳墓にモモンガ一人であるというのは語弊があった、モモンガの周囲には人影が少なからずあるのだから。

 

 玉座の間の脇に控えるのは漆黒の翼を腰から生やしたサキュバスたるアルベドだ。右前方には執事服の老人とそれぞれが独特の意匠を凝らしたメイド服を着たメイドたちが控えていた。

 それに気づいたのかモモンガはふと呟く。

 

「いや、まだお前たちが残っていてくれたか……」

 

 話しかけている相手は人の姿をしているが人ではない。NPC(ノンプレイヤーキャラクター)である。誰かが操作しているわけではなく制作者の作ったプログラム通りにしか動かない。

 誰にも見られていないこともありモモンガはNPC相手の独り言を続ける。

 

「アルベド……ついにここまで攻めてくる敵はいなかったが……いままでご苦労だったな。いつか防御特化のお前を前面に出して戦ってみたかったな」

 

 アルベドはナザリックにおける各階層守護者の統括という設定であり、100レベルの盾職として玉座の間を守護している。

 モモンガはその美しいフォルムに感嘆の声を漏らしつつその顔を見つめる。さすがはギルドメンバーである『タブラ・スマラグディナ』が設定にも造詣にも凝りに凝った傑作NPCだ。

 

「お前は……セバスだったか。変身して戦う機会はついになかったが……いや、最後くらいはやらせてみるか!コマンド《竜人化実行》!」

 

 セバスはギルドメンバーである『たっち・みー』の作成したNPCだ。人間のように見えるが実は竜人という異形種のモンクであり100レベルの実力を持っている。普段は第9階層から10階層を守護しているナザリックの執事という設定であった。

 

 セバスはモモンガの言葉に反応し、両手を揃えて目の前で一回転させる。

 すると眩い光とともにセバスの姿が竜人へと変わった。その体はキラキラと光る鱗に覆われ、執事服もヒーローモノの戦闘服のように変わっている。

 

「ぶっ!?エフェクト凝りすぎでしょ!ああ……そういえばたっちさんは変身ヒーローマニアだったか……。それにしてもコマンドにポージングまで仕込んでたとか……でも最後に見せてもらえて良かったよ。セバスおつかれさま」

 

 笑いながらもセバスの肩をポンと叩き、続いて戦闘メイドと設定された六姉妹(プレアデス)たちへと目を移し、まずは長女であるユリ・アルファ、侍女のルプスレギナ・ベータと順にねぎらいの言葉をかけていく。

 

「ごくろうさん」

 

 そして次に目を向けたのは黒髪のメイドだ。

 三女と設定されたナーベラル・ガンマである。切れ長の黒く美しい瞳をしており、長い髪をポニーテールにまとめていた。メイド服もスタイルを強調するように非常に凝った作りをしており、作者のギルドメンバー『弐式炎雷』のこだわりを感じるものがある。

 

「うわー……ナーベラルも美人だよなぁ……まぁ正体は二重の影(ドッペルゲンガー)なんだけどさ……うん、ナーベラルいままでおつかれさん……って、あ、もう時間か……え?」

 

 モモンガがナーベラルの肩をポンと叩いた時、すでにユグドラシルのサービス終了時刻が迫っていた。

 

 そして時計が時刻の0時0分を指したその瞬間……周りの景色は一変しモモンガは深い森の中に立っていた、肩に手をかけたナーベラルとともに……。



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リ・エスティーゼ王国編
第1話 ナーベラル・ガンマ


 私の名前はナーベラル・ガンマ。

 ナザリック地下大墳墓における最終防衛拠点である第9階層を守る戦闘メイド六連星(プレアデス)の一人だ。

 我々は至高の存在より創造されたものでありその命は御方のためだけに捧げられる。そのために存在しているというのに鉄壁を誇るナザリックでは一度も我々の階層まで攻め込まれたことがない。それは残念ではあるが誇らしいことでもある。

 

 そんなナザリックは至高の存在により栄光をもたらされ、毎日が光り輝くような日々であった。

 私の創造主である弐式炎雷様やほかの至高の御方々はお隠れになってしまっているものの、モモンガ様という最高位の至高の御方にお仕えすることができてこの上ない幸せであったのだが……。

 

「はぁ……いよいよユグドラシルのサービス終了かぁ……」

 

 モモンガ様のその言葉に心がざわつく。『サービス終了』とは何を指すのだろうか。それはもしかして最後に残られた至高の存在がこの地から去ることを指すのではないかと。

 

「アルベド……ついにここまで攻めてくる敵はいなかったが……ご苦労だったな」

 

 守護者筆頭であるアルベド様の肩を優しく叩くモモンガ様。そしてセバス様から順にプレアデスにねぎらいの言葉をかけてくださる。

 

 『労いなど不要です。至高の御方々のために働くことこそ我々の喜びです』そう言いたかったがアルベド様が黙っているというのに私程度がモモンガ様に何を言えるというのだろう。

 そしてモモンガ様が今伝えている言葉、それはまさに役目を終えた者に対するものなのではないだろうか。

 もしかしたらモモンガ様も他の御方々と同様にこの地を去ってしまうのではないだろうか。

 

 

───私の肩を叩かないで、どうか叩かないでください

 

 

───お願いします、いつまでも仕えさせてください

 

 

 その願いもむなしくモモンガ様の手が私の肩へと触れる。至高の存在に触れられた喜びとともにたとえようもない恐怖を感じる。

 

 

───しかし

 

 

 モモンガ様との別れは訪れなかった。

 

 

 

 

 

 

「え!?何!?どした!?」

 

 私の目の前でモモンガ様が戸惑われている。いや、モモンガ様が冷静さを失うはずもないのでこれも何らかの理由があっての行動なのだろう。

 しかし、私自身は非常に戸惑っていた。それもそのはず玉座の間にいたはずの私とモモンガ様は森の中に佇んでいたのだ。

 こんな事態は想定外であるが、こんな時こそモモンガ様をお守りしなくてはいけない。

 

「モモンガ様!ご安心ください!ここがどのような地であろうともモモンガ様は私がお守りいたします!」

 

 モモンガ様の前で跪き、忠誠の視線を向けるもモモンガ様は顎に手をやって黙り込んでしまわれた。おそらく私などでは想像もできない高尚なことを考えていらっしゃるのだろう。

 

「NPCがしゃべってるだと……なんだこれは……それにここはどこだ?ナザリックは沼地にあったはず……転移?まさかそんなことが……GMコールも利かないし……」

 

 モモンガ様の言葉に神経を集中するが、その言葉は難しく私の頭ではほとんど理解できない。私ではモモンガ様の質問に答えられない……お役に立てない……、それならば……。

 

「<火球(ファイアー・ボール)>!」

「えっ!?何やってんの!?」

「モモンガ様には虫一匹近づけさせません!」

「むし!?」

「<雷撃(ライトニング)>!」

「今蝶々が消し炭になったんだが!?」

「<衝撃波(ショック・ウェーブ)>!」

「ちょっおまっ!?」

 

 これで一通りモモンガ様に近づく者は排除出来ただろう。モモンガ様もさぞご安心なされたと思ったのだが……モモンガ様は頭を抱えて蹲っていた。どうされたのだろう。

 

「サービス終了時刻が延びたという可能性……それはありえる。そしてその後別のサーバ……システムエラーによりそこへ飛ばされたとして……問題はナーベラルなんだよ……。勝手に動いてるし……そんなことはあり得ない……では誰かが操作してる?あー、えーっと……あなたはプレイヤーの方ですか?」

 

 モモンガ様がここに来て初めて私を見てくださる。燃え上がるようなその猛々しい眼光に見つめられると自然に鼓動が早くなるような喜びを感じた。

 

「モモンガ様。私はプレイヤーではなくナーベラル・ガンマ、モモンガ様のしもべでございます」

「えっ!?いや、そんなことないですよね?そんなプログラムが入っているはずもないし……あの……中の人は誰ですか?」

「中の人とはなんのことでしょう?申し訳ございません、モモンガ様の質問に答えられない愚かなこの身をお許しください!」

 

 土下座をするように頭を下げると『ひぇっ』と息を呑むような声が聞こえた。モモンガ様がそのような声を出されるはずがないので空耳だろう。

 

「ほ、本当にナーベラル・ガンマなのか……?」

「はい!」

「だけどそれをどうやって証明する……?いや、出来るか?ユグドラシルでは18禁行為は禁止されていたはず。電子法でもそのあたりの規制は厳しい。それを超えた行為が可能であるならば……」

 

 モモンガ様がまた難しい話されて考え込んでおられる。さぞ高尚な熟慮をなされているのだろう。理解できればもっとお役に立てるものを。愚かなこの身がもどかしい。

 

「やるか?いや、やらなければいけないよな……これは……必要なこと……必要なことなんだ……ナーベラル!」

「はいっ!」

「む、胸を触ってもいいかにゃ?」

 

 モモンガ様の言葉に一瞬耳を疑う。しかし至高の御方に必要とされることこそ創造されし者の誉れ。モモンガ様が胸を触ってくださるという行為にどのような意味があるのかは分からないがそれでお役に立てるのであれば至高の喜びである。

 

「どうぞ!モモンガ様!」

 

 躊躇うことなく胸を差し出す。胸をやや強調しているメイド服であるため御手を触れるのに支障はないだろう。

 モモンガ様はやや躊躇した様子を見せた後、私の胸に両手を近づけ、優しく揉み始めた。

 

「ふむ……ゲーム内であればこのような18禁に準ずるような行為は不可能であったはず……なるほど……であるならば……」

 

 難しい顔をしながらモモンガ様がつぶやく。やはりモモンガ様の発する言葉は難しくてわからない。代わりに私の胸をモモンガ様が揉むことの意味を考える。

 モモンガ様の大きな手は私の胸全体を包むように揉んでくださっている。時折指先が胸の先に触れるたびに声が出そうになるが何とかこらえる。

 モモンガ様がなぜこのようなことをなさるか。

 普通に考えればモモンガ様が私に懸想して……いや、それはありえないことだろう。私程度よりもっと素晴らしい相手がモモンガ様にはいらっしゃるはずだ。

 

「だがこの手から伝わるぬくもり……こんな機能はなかったはず……それに匂いも……」

 

 モモンガ様が顔を近づけて私の匂いをかがれる。胸を揉まれながらそのようなことまで……。これは私の体をお求めだということだろうか。

 守護者筆頭たるアルベド様をはじめ守護者の皆様を差し置いて恐れ多いと思うとともに、この場に守護者の方々がいないのであれば私がこの体を差し出さねばとも思う。

 そう思うと急に恥ずかしくなってきた。至高の御方の真意を知らなければ粗相をしてしまうかもしれない。これは確かめねばならないだろう。

 

「あ、あの……モ……モモンガ様は私の体をお求めなのでしょうか……」

 

 恐れ多くて消え入りそうな私の問いにモモンガ様の手がビクリと震えて止まる。そしてその尊い口から答えをお聞かせいただけると思ったその時……。

 

「なんだよ、こりゃ!?こんな森の中にメイドと……アンデッドだと!?」

 

 不躾な声とともにそこに現れたのは青みがかったボサボサの髪にナザリックでは見ないようなみすぼらしい服、腰にレア度が最低ランクであろう剣をさした若い二足歩行の生物……人間。

 つまり虫けらが現れた。

 

 



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第2話 ブレイン・アングラウス

 俺の名前はブレイン・アングラウス。

 俺はリ・エスティーゼ王国の王都へ続く街道を歩いていた。なぜこんなところを歩いているかというと単純な話で田舎暮らしが嫌になったからだ。

 

 辺境の農村で生まれた俺はこの国の身分制度というものが嫌というほど身に染みている。農民はどんなに頑張ってもその作物のほとんどが税金と称して奪われ、代わりに国が何をしてくれるかと言えば偉そうに兵士を引き連れてきた徴税官が民を罵倒し、蔑み、虐げるだけ。

 

 俺たちにしてみれば何もせずに金や作物だけ奪っていくあいつらは野盗と大差ないとさえ思っている。

 

 そんな農村に生まれた俺だが剣の才能があったらしい。それは農作業の途中、村に野盗が現れた時に気づいた。武装した野盗10人ほどが村を襲ってきたのだが……当然この時も国は何もしてくれはしない、税金を払っているにも関わらずだ……この俺はやつらをこの手に持っていた鍬一本で撃退できたのだ。

 

 その後も同じようなことが何度かあり、村どころか周辺には俺に勝てるような者は一人もいないことに気が付いた。

 そこで俺は村長に頼み込んで貸りた徴兵された時に拾ってきたという剣を片手に今王都へと向かっている。

 

 

 

───王都御前試合

 

 

 

 これまで貴族のみに門戸が開かれていた御前試合がなんと王の意向で平民の参加も認められたのだ。それが数か月後に開催されるということを旅人から聞いて俺は名前も知らない王に生まれて初めて感謝した。平民でも一旗揚げる機会が得られるのだ。

 そして意気揚々と王国へと向かったわけだが……。

 

「確かこの道をまっすぐって言ってたよなぁ……」

 

 街道の途中で出会って道案内を頼んだものの口うるさいため置いてきたリグリットと名乗った老婆の言葉を思い出す。冒険者のような恰好をした奇妙な老婆で、腰には俺のものなんかとは比べ物にならないような立派な剣を携えていた。

 

「御前試合ならあたしも見学させてもらおうかと思ってんだよ。どうだい?一緒にいくかい?」

 

 そう言われたがこんな婆と王都まで寝食を共にするのなんて御免こうむるということで礼を言って方向だけ教えてもらった……のだが。

 

「こっちで本当にあってんのかよ……」

 

 疑いつつも獣道らしき道を進んでいく。都市間を結ぶ街道ならまだしもこんな田舎の村への道などこの国が整備するはずもなく森なのか道なのかも判別が付きづらかった。

 

 そんな道を歩くこと数日、そこで信じられない光景を見る。

 

 豪奢なローブに身を包んだ骸骨がこのあたりでは珍しい黒髪で完璧な美貌を持つメイドの胸を揉みまくっていたのだ。

 

「なんだぁこりゃ!?こんな森の中にメイドと……アンデッドだと!?」

 

 状況を理解できない俺が叫ぶと骨とメイドがこちらを見る。

 アンデッドは生きとし生きる者の敵であり、生者を憎むという。だが襲われているにしてはどうも様子がおかしい。メイドの顔は紅潮しており恍惚とした表情をしている。なんというか……エロい。

 

 そして骨の方はというと慌てたようにメイドから離れ、まるで何もしていませんというように手を振って違う違うと言っている。

 導き出した結論は……。

 

「あんた……死霊術師(ネクロマンサー)ってやつか?魔法でアンデッドを操ってお楽しみ中だったとか?」

 

 アンデッドを使役して意のままに操る術師がいるという話を物語で聞いたことがある。確か13英雄の一人にもいたという話だ。

 

 そう、恐らくこのメイドは死霊術師であり、そういった性癖を持っているのだろう。若いのに可哀そうに……自分には理解しかねるがこんな美人なのにまったくもったいない。

 

「なんですか?虫けらごときが至高の御方に語り掛けるなど分を弁まえなさい!」

 

 メイドがまるで見下すような目をしてこちらを睨め付けてくる。ゾクゾクとした悪寒が背筋を震わせるがこれは俺がそういう性癖というわけではないだろう。

 強者の気配だ。

 

「<雷撃(ライトニン……)>」

「ちょっ!ちょーっと待て!待つんだ!ナーベラル!」

 

 メイドから感じるのは完全な殺気だ。村を襲った野盗など比べようもないほどの殺気と強者のオーラのようなものを感じる。

 しかしその前になぜか立ちふさがった骨の方から不思議なほど何も感じなかった。

 

「モモンガ様、お下がりを!虫けらの分際で(こうべ)を垂れて這いつくばらないとは!この者も殺してご覧にいれます!」

 

 メイドがどこからともなく煌びやかな杖を取り出すとそれを俺に向けて構える。 

 俺はというと殺気を感じた時点ですでに抜刀はすませている。体が僅かに震えているがこれは武者震いだろう。

 待ちにまで待った強者との戦いがこんなところで訪れるとは僥倖だ。おそらくこの女も御前試合への参加者なのだろう。参加前に対戦相手が一人減ってしまうことになるが……やむを得ない。

 

「はっ!上等!来……」

 

 言い終わる前にメイドの杖が上段から振り下ろされる。魔法詠唱者(マジック・キャスター)じゃないのか!?

 構えも何も関係ないまるで虫をつぶすための箒のような動作だが、その速度は尋常ではない。

 金属同士がぶつかる音と剣が折れそうなほどの衝撃が手を伝わる。なんなんだこのメイドは……。楽しくなってくるじゃねえか。

 

「ちょっ!?いきなりなにしてるんだ!?ナーベラル!待て!本当にちょっと待って!」

「はっ!御意!」

 

 そこに横やりが入った。使役されているはずの骨が止めに入ったのだ。それを見てメイドも引き下がる。これから楽しくなるっていうのに余計なことをする。しかし一つの疑問が生じた。

 

「なぁ……えっと……あんたアンデッド……なんだよな?」

 

 骨が喋ったことにも驚くがまるで敵意を感じないその態度に猛烈な違和感を感じる。村にもスケルトンが現れたことがあったがいきなり村人を襲って来る会話の成立しない何の知性もないモンスターだった。

 この骨はアンデッドの皮を被った一般人と言われても信じてしまいそうだ。

 

「えっ……それはまぁそのとおりなんだが……。ところで君はプレイヤーなのかな?」

「は?」

 

 骨が訳の分からないことを言いだす。その言葉に首をかしげていると骨は言葉を続ける。

 

「やはり違うのか……では普通に生きてる人間なのか?これはどうしたものか……」

 

 骨が一人でぶつぶつをつぶやいている。これはこのメイドが話をさせているのだろうか。喋るアンデッドなど初めて見た。

 

「あー……なんだ。この近くに人の住んでいる場所とかはあるのか?君はなんでこんなところにいるんだね」

 

 主人であるメイドの意をくんだのか使役されている骨が質問をしてくる。ここがどこかなんてのはこっちが聞きたいというのに。

 

「あんたこそなにもんだよ。こんなところで何してんだ?」

「なんというか……単刀直入に言うと迷子だ」

「はぁ!?」

 

 俺も似たようなものだがこの死霊術師と骨も道に迷っているらしい。それを聞いてどうにも馬鹿らしくなってしまった。戦う気がなくなり、俺は剣をおろす。

 

「俺は王都に向かってるところだ。もうすぐ御前試合があるんでな。そこで自分の腕を確かめるために向かっている。場所はたぶん……向こうだ」

 

 婆に教えてもらった方角を指す、たぶん合ってる……と思う。それからは御前試合の日程はいつかだとか、この周辺の地理とか国の名前とかいろいろと聞かれたが適当に答えておいた。

 

「じゃあな、姉ちゃん。もしあんたも御前試合に出るっていうんなら次は容赦しねーぜ。あとその特殊な趣味は人のいないところだけにしとけよ」

「……」

 

 王都であんなことをしていたらただではすまないだろうと忠告はしておく。

 眼光だけで殺せそうなほどメイドが睨んでくるが、無視して俺は王都への歩みを再開させた。こんな森の中でさえあれほどの強者に出会うのだ。

 御前試合が楽しみでしかたがない。



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第3話 二人の旅立ち

 モモンガは堪えようもない羞恥心に苛まれていた。原因は先ほど男との不幸な遭遇だ。

 

(あああああああ!!ここってやはりゲームじゃなく現実なのか!?そこで俺はナーベラルの胸を揉みしだいた挙句にそれを通行人に見られただと……!?)

 

 まごうことなき変質者である。通報されたら痴漢、いや強制わいせつ行為として有罪確定だろう。私はやってないなどとは口が裂けても言えない。

 

「あああああ……」

 

 ごまかす様に毅然とした態度で目撃者の男から情報を得たつもりだが、今になって考えるに恥ずかしすぎる。後からお巡りさんが逮捕に来るということはないだろうか。

 悶絶しながら苦悩しているとふいにその気持ちが軽くなった。

 

(なんだ突然……これは……精神の鎮静化?もしかして精神攻撃と判定された?)

 

 ユグドラシルでは痛みや恐怖、混乱など攻撃を受けた場合は精神攻撃として判定されて視界制限や酩酊などが再現されてキャラクターの操作性が著しく悪くなる。

 対してモモンガはアンデッドの種族特性として精神耐性を有しており、それら精神攻撃は無効化されるのだ。先ほどの苦悩が精神攻撃と判定されたのであれば自動的にそれが軽減されたのも納得である。

 

「モモンガ様!先ほどの続きは!続きはいかがいたしましょうか!?」

 

 なぜか鼻息を荒くしたナーベラルが先ほどの行動について咎めてくる。それにより再びモモンガの精神がじわじわと攻撃される。

 

(胸を揉まれて喜んでる……?いやそんなわけはないだろう……。それにまた見られでもしたら今度こそ言い訳出来ない)

 

「あ、あれはもういいのだ。お前は十分役に立ってくれた」

「はっ……そうですか……」

 

 なぜか少し残念そうな顔をするナーベラル。

 ナーベラルはモモンガに上位者としての態度を望んでいるように思えた。会社では下っ端サラリーマンでしかなかったモモンガに上位者としてロールは厳しいが、やるしかないと気合を入れる。

 

「それでナーベラルよ。お前は私の仲間……ということでいいのだな?」

「仲間など恐れ多い!私はモモンガ様のしもべ!どのような要求にでも応えて見せます!」

 

(ええー……)

 

 しもべと聞いてモモンガはどん引きする。話ができて意志を持ったNPCの美女をしもべにするとかギルドメンバーだったペロロンチーノなら喜んだだろうか。

 反逆されないだけいいとも言えるがあまりといえばあまりの扱い。その忠誠心がモモンガには重すぎる。

 

「わ、分かった……。お前がそれでいいならそれでいこう……。それにしてもこの格好は目立ちすぎるかもしれないな……」

 

 あらためてモモンガは自分の格好を見つめる。先ほどの若者は無地でみすぼらしい服を着ていた。

 それに比べてモモンガはというと、派手すぎるローブに胸骨の中央に赤く輝く宝玉、そして何より骸骨の肉体。目立つことこの上ない。

 

「そうでしょうか。モモンガ様に相応しい素晴らしい恰好かと愚考いたします。むしろ神々しくいつまでも見つめていたいほどお似合いです」

 

 ナーベラルは目をキラキラさせてモモンガを見つめてくるが、先ほどの若者の反応からするとアンデッドは普通に町中を歩いているものではないのだろう。

 それにメイドがこんな外を歩いているのも目立ちすぎるのではないだろうか。

 

「<上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)>」

 

 モモンガが発動したのは第7位階魔法<上位道具創造>、創造系の魔法で道具類を作成するものだ。

 魔法で全身鎧を作成するとさっそくそれを身にまとう。ただしこれにはデメリットが存在する。この鎧を着ている限りモモンガの魔法に制限が加わり5つまでしか使用できない。

 この魔法を使わず幻術でごまかすことも出来るが探知系の能力持ちには通用しないだろう。ナーベラルの姉であるルプスレギナなどは完全不可知化まで見破る能力を持っていた。この世界にそういった存在がいないとは限らない。

 

(石橋は叩け……だったか?)

 

 ギルドメンバーだった『ぷにっと萌え』から聞いたうろ覚えのことわざだ。意味はたしか慎重に行動しろということだったはずだ。

 

(なんで石の橋を叩くと慎重なんだ?)

 

 頭を振って疑問をどこかへとやるとモモンガはこれからすることを考える。

 ひとまずこの格好であればアンデッドとバレることはないだろう。自分の格好を見回して納得するとモモンガはナーベラルには一つのローブを渡す。

 

「これは……?」

「ナーベラル。目立たないように街中ではこれを着るがいい。頭のブリムも外せ。これは即時装備変更の能力が付与されているからすぐに戦闘用装備へ変更できるはずだ」

「はっ!かしこまりました!」

「それから指の装備枠もずいぶん空いているな。疲労空腹無効効果を付与した維持する指輪(リング・オブ・サステナンス)は基本として……お前は魔力系魔法詠唱者だが低位であっても神聖魔法を使えた方がいいだろう。この指輪をすれば一部のみだが使用可能になる。地火風水などの属性耐性もつけておいた方がいいか。継続回復や位置特定の指輪も必要だろうな。それから即死耐性に恐怖による耐性も必要だし、行動阻害防止には自由の指輪(リング・オブ・フリーダム)だが……」

 

 アイテムボックスから取り出した指輪を順にナーベラルの指にはめていく。

 

(むっ……全部装備できるだと!?)

 

 ユグドラシルでは通常両手に1つずつまでしか指輪の装備枠はなかった。モモンガは課金により10本すべてに指輪に装備可能としてたが、この世界ではその制限はないらしい。

 

(まぁ現実世界だというのであれば装備できない方がおかしな話だから……か?)

 

 どうやらこの世界はユグドラシルとの異なる部分が多々ありそうだ。しかしこれだけ指輪を装備していればもしもの際の対応もある程度は可能だろう。

 

「これほどの貴重なアイテムを御下賜いただけるとは……」

 

 なぜかナーベラルが感動してないているが、これらのアイテムは特に貴重というわけではない。モモンガはとりあえず手に入れたアイテムは必要なものから不要なものまで取っておくタイプであり、これらはインベントリの肥やしとなっていたものだ。それらが役に立つ機会ができてむしろ嬉しいくらいである。

 

 装備変更と今後の予定を考えながらモモンガは一つの特殊技能(スキル)を発動させる。《上位アンデッド創造》……70レベルまでのアンデッドを1日4体まで作り出すスキルだ。

 選んだのは集眼の屍(アイボール・コープス)。体全体に無数の目を有した球体のモンスターであり、高い感知・看破能力を有している。

 モモンガは不可視化した集眼の屍をブレインと言う男が示した方角に飛ばし、しばらく待つと集眼の屍から報告が入る。

 

「あの男が言ったことは正しかったようだな。人間の町があるようだ。集眼の屍の報告によると王都に我々に匹敵するほどの人間はいない」

「当然のことでございます」

 

 ナーベラルは胸を張って頷いているが、モモンガとしては驚きである。報告によると40レベルを超えるような人間さえ発見できていないというのだ。

 

 モモンガは100レベル、ナーベラルでも63レベルであり、40レベル以下の人間などユグドラシルでは初心者の中の初心者でありモモンガに傷一つつけることができないだろう。

 だが油断するのは愚か者の所業だ。集眼の屍でも見つけられない隠密に特化した100レベルプレイヤーがいる可能性もある。

 

(可能性は低いだろうけどな……)

 

 人間の街で特にレベルが高いと思われる人間でもレベル20~30台と思われる老婆と派手な装備をした冒険者の少女たちくらいだった。その他に大した相手はいなく、最初に出会った若者以下の存在ばかりである。

 

「しかし気になることを言っていたな。冒険者……ね。それから御前試合か……」

 

 ブレインと名乗った若者から聞いた『冒険者』という言葉を反芻しつつ、かつて仲間たちと世界を冒険した日々が思い出す。

 

 仲間たちと時に笑い、時に喧嘩をしつつ、冒険を終えたらナザリックへと帰って冒険話からくだらない世間話など取り留めもなく話をした。  

 

 楽しかった……。

 

 当時はそれは当たり前の光景であったが今では光り輝く思い出だ。それに比べて今の自分たちには帰る家さえない状態である。ギルドメンバーから預かったナーベラルも一緒にいる。

 ならば自分たちの居場所を探すために冒険をしよう。そして自分たちを……異形種でも気兼ねなく暮らせる場所を探そう、そしてもしいるのであれば仲間たちを探そう。

 

「よし!ナーベラル。まずは王都に行き冒険者となり仲間たちの情報を探ろう。お前も姉妹たちと会いたいだろう。彼女たちがこの世界に来ていないとも限らない」

「なるほど!さすがモモンガ様!私なぞのことまで考えていただけるとは……」

 

 ギルドメンバーにログアウトの瞬間までログインしていた者がいたのかは不明だが可能性は捨てたくない。

 それに他のNPCやギルド拠点がどこに行ったのかも気になる。インベントリのアイテムはそのままにここに飛ばされたということは拠点だけどこかに飛ばされている可能性もあるだろう。

 仲間の情報を集め、かつてのギルド拠点を探す。それが不可能であれば安心して暮らせる居場所を探す。それを目標とすることにする。

 

「ナーベラル。人間の街に入る前にお前に言っておくことがある」

「なんでございましょうか?」

 

 モモンガが努めて出した重い声にナーベラルは不安そうな顔をするがこれは言っておかなければならないことだ。

 

「まず人間を虫けらと呼ぶのはよそうか……」

「なぜでございましょう?取るに足らない虫けらを虫けらと呼んで……」

「ナーベラル……まだ私がしゃべっているところだ」

「も、申し訳ございません!」

 

 まるで叱られた幼子のようにシュンとするナーベラル。少々罪悪感にかられるがこのまま王都に出向いて殺戮パーティーなどを開かれてはたまらない。

 どうにもナーベラルは人を見たら殺しても構わないと思っている節がある。追ってまで殺しはしない気がするが目の前に立っていたら問答無用で殺しそうだ。

 

「人間だからと言って侮ることは厳に禁じる。仲良くしろとは言わないが、いきなり殺そうとするようなことはよせ」

「かしこまりました!」

 

 元気よく返事をするがナーベラル。本当にわかっているか一抹の不安を覚えるが、他のこまごまとした注意にも同じ返事をするので良しとすることにしよう。

 目指すは人間の都、王都リ・エスティーゼだ。

 

 



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第4話 目指すは虫けらの街

 私の名前はナーベラル・ガンマ。

 現在はモモンガ様とともに冒険者ナーベとして王都リ・エスティーゼへ侵入を果たしている。

 

 虫けらの街へ向かうに当たってモモンガ様は我々の名前を変えることになされた。他のプレイヤー達を警戒してのアンダーカバーとして動くとのことだ。そこで新たに賜ったのが冒険者ナーベという名前だ。モモンガ様はモモン様と名乗るらしい。

 本心を言えば虫けらたちなど気にせずに皆殺しにしてしまえばよいと思う。先日もモモンガ様との逢瀬を邪魔され、怒りに任せて虫けらを殺そうとしたのだがモモンガ様は虫けらにさえ温情を与える慈悲深き御方。

 あの虫けらを許してしまわれた。なんと慈悲深いことだろう。

 

 しかしだからと言って虫けらごときがモモンガ様に近づくなどおこがましいにもほどがある。

 王都へ向かうことしばらくその入り口には鎧を着た虫けらがおり、街の中に入るとそこにもあそこにも虫けらだらけだ。

 

「美しい……貴族……いや、王族か?」

「どこの国の姫だ……?」

「いや、恰好からして冒険者……?」

「それにしても美しい……おい、ちょっと声かけてみろよ」

 

 虫けらたちが我々を見て(さえず)っている。この街には虫けらしかいないだろうか。きょろきょろと周りを見回していると一匹の虫けらが近づいてきた。

 

「君この街ははじめてかい?どこから来たの?もしよかったら俺が街を案内してやろうか?へへっ」

 

 酒臭い息を吐きかけながら私の体に触れようとする虫けら。それもモモンガ様から触れていたただいた胸に手を伸ばしてきた。万死に値する。

 魔法で焼き殺してやりたい衝動にかられるもモモンガ様から出来るだけ殺すなとの厳命を受けている身だ。

 モモンガ様の命令は絶対。そのため私は虫けらを相手にすることなく……。

 

 

 

 そのまま避けることなくその足を踏み潰した。

 

 

 

 ポキポキという心地の良い音がする。虫けらにしては上出来の踏み心地だろう。

 

「うぎゃああああああああ!あ、足がああああああああああああ」

 

 虫けらは転げまわりながら道の端で蹲る。それを見た他の虫けらどもも道を開けた。最初からそうしていればいいものを手間をかけさせてくれる。

 

「さぁ、モモンガ様。道が空いたようです。どうぞお通りください」

「あー、ナーベ。ちょーっとこっちに来ようか!」

 

 モモンガ様が私の手を引いて路地へと引っ張られる。何かご不快にするようなことでもしてしまったのだろうか。やはりあの程度の罰では生ぬるかっただろうか。

 

「ナーベ。私が何を言いたいか分かるか?」

 

 その声からは不満の様子を感じ取れる。やはり何か不手際を犯したのだろう。そこでモモンガ様からの命令を思い出す。『出来るだけ』殺さないように。なるほど……。

 

「モモンガ様。やはり今の虫けらは殺した方がよろしかったのですね!」

「違う!そうじゃない!聞かせてくれナーベ。なぜあの男の足をつぶした?それから私のことはモモンと呼ぶように」

「失礼しました、モモン様。あの虫けらですがモモン様の行く道をふさいでおりました」

「そ、それだけ?」

「いえ、それからこれはモモン様には取るに足らないことでしょうがあの男は私の胸に手を伸ばし触れようと……」

「なん……だと。そ、そうか。それはいけないな、うん、セクハラだものな。女性の胸を揉もうなど……まぁ殺したいというのもわからないでもない……その、すまなかったな」

 

 モモンガ様が頭を下げる。なんという恐れ多いことだろう。私の愚かな発言のせいでご自分のことと勘違いされてしまった。慌てて私は弁明する。

 

「そ、そのモモンガ様のことではありません!虫けらの分際で私の胸を触ろうとしたことが許せないのです!虫けらの分際で!」

「虫けら……胸を触る虫けら……くぅ……わ、分かったナーベ。まぁ、今のは仕方ない……仕方ないことだったな。次から気を付けよう。なっ?」

「はっ!かしこまりましたモモンガ様!」

「モモンな、ナーベラル。この格好の時は私のことはモモンと呼ぶように」

「はい!モモン様!」

「呼び捨てでいい。冒険者仲間なのに様付けはおかしいだろう」

「そ、そんな……至高の御方を呼び捨てにするなど恐れ多い」

 

 モモンガ様は我々NPCを創造された創造主の中でも頂点に位置される方。呼び捨てにするなど許されるはずがない。

 

「で、では……モモンさー……んと」

 

 唇を噛みしめながら代替案を提示する。これでも不敬にすぎるだろうが命令とあれば従わざるを得ない。そんな苦渋の決断だったのだが……。

 

「さんもいらん。モモンと呼べ」

「それは……不敬です!モモンガ様を仮の名とは言え呼び捨てにするなど出来るはずがありません」

「いいから。呼び捨てにしていいから」

 

 モモンガ様に決定を翻意していただくことは難しいようだ。

 そんなこと……至高の御方を呼び捨てにするなど姉妹たちはもとより守護者をはじめ創造された仲間たちが絶対に許すはずがない。

 絶対に許せない……。しかしそれが命令だとモモンガ様はおっしゃられている。

 

 モモンガ様の期待に応えられない不甲斐なさと悔しさに唇を噛みしめると目がかすんできた。それでも命令は命令だ……従わなければ……。モモンガ様を呼び捨てにしなければ……偉大なる御方を呼び捨てに……。

 震える声で命令を実行しようとするも……。

 

「ぐすっ……モ……モモ……」

「な、なぜ泣く!?泣くほど嫌なの!?」

「いえ!ご命令ならば!モ……モモ……うぐっ……」

「ナーベ!なんか顔がすごいことになってるから!女の子がしちゃダメな顔してるから!もういい!もうモモンさんでいいから!」

 

 不甲斐ない私が悪いのにモモンガ様は許してくださる。なんとお優しい方なのだろうか。

 

「はい!わかりました!モモンさー……ん」

「言い方ぁ……まぁいいか。さぁ、ナーベ冒険者組合に行くぞ」

 

 モモンガ様はこんな不甲斐ない私を許してくださった。本当に慈悲深い御方だ。こんな御方にお仕えできるなどなんと幸福なことなのだろうか。

 

「はいっ!」

 

 返事とともにモモンガ様の前へと回る。

 そう、立ちはだかる有象無象の虫けらどもを踏み潰すために。お任せくださいモモンガ様。モモンガ様の御身はこのナーベラルがお守りしてご覧にいれます。

 私は虫けらを蹴散らすべく虫けらの王都の中と歩みを進めた。

 

 



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第5話 計画変更

 モモンガは困惑していた。存在しないはずの心臓がドキドキしていると感じるほどである。

 

 まさかナーベラルが泣くとは思わなかった。胸を触られることはそれほど嫌なことだったのだろうとモモンガは自身の行動を後悔する。

 

 立場的に反抗できない美人の部下に対して胸を揉ませろと言ってしまったのだ。あの行動は今思い返すに完全にセクハラ上司そのものだった。ここは少しでもセクハラ上司の汚名を払拭しておかなければなるまい。

 そんな心の内を読んだかのごとく、どこからか叫び声が聞こえてきた。

 

「おいっ!薄汚い平民ごときがアームストロング伯爵の馬車の進行を妨げるとは!身の程を知るがいい!」

 

 金銀の華美な宝飾で飾り立てられた豪華な馬車、その護衛と思われる鎧に身を包んだ男……兵士だろうか、その護衛がうずくまる親子を蹴りつけていた。

 子供を守るように抱えた女性は蹴りつけられただろう足があり得ない方向に曲がっている。

 

 モモンガがそれを見て感じるのは既視感。先ほどモモンガの前に立ちふさがる人間にナーベラルがやっていたことそのものだ。

 

(俺たちって傍から見るとあんな感じだったんだなぁ……)

 

 まさに人の振り見て我が振り直せ、モモンガにこれはいけないという思いが湧き上がる。

 モモンガはギルドマスターであり、ナーベラルはギルドメンバー『弐式炎雷』が作ったNPCで娘のようなものだ。友人の娘に情けないところを見られたままでは終われない。

 さらにこの国の貴族というものがどのような反応をするのか気になるということもあった。強者がいないということは調査済みだが、仲間を見つけるにあたり、安住の地を見つけるという目的のためには権力という点で貴族がどの程度の存在なのか確認しておく必要があるだろう。

 ならば遠慮することはない。

 

「そのあたりにしておいたらどうだ?見苦しいぞ」

 

 王都の路地にモモンガの口から不思議なほど威厳のある声が響き渡る。

 

 先ほどまで似たことをやっていたどの口が言っているのだという思いがあるがモモンガはそれを飲み込む。これはナーベラルに対する対人対応の見本でもあるのだ。

 

 モモンガを見た兵士はビクリと後ずさる。

 それはそうだろう、目を向けた先には漆黒の鎧を着た偉丈夫。その鎧は『たっち・みー』の鎧を模して魔法で作成したものであり、この国では見たこともないほど繊細で優美な意匠が凝らしてある。

 それだけでただ者ではないと分かりそうなものであるが、彼も仕えている貴族の手前引くに引けないのだろう。兵士はモモンガへと剣を向けた。

 

「な、なんだ貴様は!我々の後ろに控えるのがどなたか知っての物言いか!」

「おまえたちが誰かだと?そんなことは知らないしそこの親子が何をしたのかも知らないが……殺すほどの何かをしたとも思えないな」

 

 横でナーベラルがうんうんと頷いている。

 

(ナーベラル!お前にも言ってるんだからな!道を塞いだくらいで誰でも彼でも殺すなよ!)

 

 しかしモモンガの心の声はナーベラルはもとより目の前の兵士にも通じていなかった。

 

「き、貴様ぁ……この者たちは伯爵様の前に立ちはだかったのだぞ!それをかばいだてすると貴様も一緒にしょっ引くぞ!」

「ほぅ?立ちはだかっただけで殺そうとは傲慢なことだ……。お前たちの言い分は分かった」

 

 どうやらこの国で貴族の権力は相当強いらしい、道に立ちふさがったというだけで平民の命を取ることが出来るほどに。

 モモンガは元いた世界を思い出す。アーコロジーに住むことが出来る上層市民とガスマスクがなければすぐに肺炎になって死ぬしかない世界で生きる下層市民。その格差は生まれつき命の価値が違うとも言えるほどのものであった。

 

 

(どこの世界も同じだな……)

 

 

 モモンガは在りし日の自分を思い出しながら子供をかばう母親に問いかける。

 

「そこの親子……困っているか?」

「……」

「困っているなら……助けてほしいなら……言うがいい。私も助けを求めないものを助けるほどの善人ではないのでな」

 

 脳裏に『たっち・みー』の姿を幻視する。かつてユグドラシルで職業(クラス)取得のためのアンデッド狩りが流行っていた際に『困っている人がいたら助けるのは当たり前』と言ってアンデッドであるモモンガを助けてくれた。

 そうしてたっち・みーに助けられたメンバーが集まったのがギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の始まりだ。これが恩返しになるとは思わないが、目の前で助けを求める声を無視する気にはならなかった。

 

「こ、この子だけでもお助けを……」

 

 母親が消え入りそうな声でつぶやく。自分を犠牲にしてでも子供だけでも助けたい。その想いは自分を育てるために無理をして亡くなった鈴木悟の母親を思い出させる。

 

「よかろう。ここはこの私モモンが引き受けよう。ナーベ。彼女たちに治癒魔法を。そして安全な場所まで運んでやれ」

「えっ……この虫け……いえ!かしこまりました!モモン様!」

「モモンだ……」

 

 まだ『様』付けが直っていない……。親子をつれてナーベラルが立ち去るのを見つつモモンガはため息をつく。

 そんなモモンガを馬車の周りにいた兵士たちが取り囲んだ。その数は4人。御者と馬車の中にいる人物は動かないようだ。

 

「キース!お前は女を追え!怪我人連れだ、絶対に逃がすな!黒髪の女は生かして連れてこいとのことだ!行け!」

 

 兵士の一人はモモンガを無視してナーベラルを追うようだ。

 モモンガはそれを見逃した時のことを想像する。ナーベラルが負けることはないし親子も無事ですむだろう。だがそれを追う兵士の運命はそこで終わってしまうかもしれない。モモンガは彼の命のためにもこの場で倒すこと決意した。

 兵士の行き先に立ちふさがるとその膝を蹴りぬく。

 

「ぎ、ぎああああああああああああああああ!」

「あ……ごめ……」

 

 相手にならないとは思っていたがここまで弱いとは思っていなかった。力加減が分からなかったので足が変な方向に曲がってしまっている。

 

「なっ……いつの間に!?こいつ……強い。囲め!一気にやるぞ」

「「はっ!」」

 

 のたうち回っている兵士を放ったまま残り3人が四方から斬りかかってくるが、そこにはフェイントもなければ魔法も特殊技能(スキル)の発動もなかった。

 モモンガが蹴りを3回放つだけで終わってしまう。

 

 それ以上向かってくる者もなかったので立ち去ろうとモモンガが振り返ると御者が警笛を吹いているところだった。

 

「何事だ!?」

「こ、これは何があった!?」

 

 警笛の音を聞いて現れたのは王都を警邏している巡回兵たちだろう。鎧にこの国のものと思われる紋章が彫られている。

 彼らの前には足を抱えて倒れている4人の兵士とその容疑者と思われるモモンガ。

 

「いきなりそこの賊に襲われたのです!相手は強い……応援を!」

 

 倒れた兵士がニヤリと笑っている。

 おそらくここで何を言おうと自分たちは被害者であると主張するつもりなのだろう。行動が裏目に出てしまった。

 

(ぷにっと萌えさんみたいな頭が良い参謀役でもいれば違ったんだろうけどなぁ……)

 

 しかし、残念ながらここにいるのは最終学歴小学校卒業のモモンガだけである。

 

「私は困っている人間を助けただけだ。その際に斬りかかって来たから反撃したまで。正当防衛だ」

 

 国としての対応を知るために集まってきた巡回兵たちに無実を主張してみるが……。

 

「武器を捨てろ!!冒険者!」

 

 まだ登録さえしていないのだがモモンガの格好から冒険者と思われたようだ。そしてどうやらこの国では貴族に比べて冒険者の地位は圧倒的に低いらしい。言い分も聞かずに巡回兵が剣を向けたのはモモンガへだった。

 

「はぁ……仕方ないな。投降しよう」

 

 ここで無関係の兵士たちを蹴散らすのは容易いが、このままではモモンガが冒険者になることは不可能。ナーベラルを巻き込むわけにもいかない。

 モモンガは計画を変更することにする。冒険者になれないのであればまずはこの国の刑罰については知る事にしよう。

 実際この後どのような裁判が行われどのような処分を下されるのか興味がある。当然逃亡するためにアイテムや魔法を封じられた際の対処なども想定済みだ。

 ぷにっと萌えの言葉を思い出す。

 

(『戦いは始まる前にもう終わっている』……だったか?)

 

 事前調査と準備の大切さはユグドラシルで嫌というほど学んだ。それならば、とモモンガはナーベラルへ向け<伝言(メッセージ)>の魔法を発動させる。

 

『ナーベラル、計画は変更だ。私はしばらく単独で行動する。お前は冒険者として名を売れ。殺人は厳に禁ずる』

『はっ!かしこまりました!それで……モモンガ様はどちらへ?』

 

 どちらへと聞かれてこの先を予測する。

 どうやらこの国は封建主義社会のようで貴族の権力は絶対、逆らう者はどのような目に遭わせても良いという社会に思える。ならばまともに裁判を行うということもないかもしれない。この国がモモンガたちが住むに値する国なのかしっておくべきだろう。

 それならば……。モモンガは兜の中で赤い眼光を細める。

 

「ふふっ、私はこの国の司法制度とやらを体験してみるとしよう」

 

 

 



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第6話 冒険者ナーベの旅立ち

 私の名前はナーベラル・ガンマ……いえ、今は冒険者となるべく冒険者組合に向かっている人間の女ナーベ、ということになっている。

 

 モモンガ様より単独任務を仰せつかり、その栄誉はとても喜ばしいと感じるもののモモンガ様はお一人で行動されている。

 何かお困りのことはないだろうか、また私の胸を揉みたいと思っていただいたりしていないだろうか。心配で仕方がなかった。

 

 モモンガ様に治癒せよと命じられた虫けらの捕虜は命令通り指輪に込められた<大治癒(ヒール)>で治癒を施し解放してきた。何やら礼をしたいと言っていたがそれならばその不快な囀りをやめて消えさればいいと思う。

 とは言え、虫けらの相手より冒険者組合へ向かう方が大切だと気を取り直したのだが……。

 

「ここはどこ……?」

 

 虫けらを開放するため大通りを外れたことで道順が分からなくなってしまった。このままではモモンガ様からの任務を達成できない。

 小汚く狭い道を歩きながら大きい通りへと通じる道を探す。すると前方の道をまた虫けらが塞いでいた。本当に虫けらが多い街だ。

 

「いやぁあああ!離してえええ」

「ちょっとお。さっさと黙らせなさいよ。最近は変な冒険者のせいで奴隷狩りにうるさくなっちゃってるんだから。誰かに見られるわけにもいかないのよ、やんなっちゃうわね」

「へい!コッコドールの旦那。おい……黙れ、おらぁ!」

 

 虫けらの男が虫けらの女をガツンと殴り猿轡をはめている。

 周りを見ると同じように猿轡を嵌められた虫けらの女たちが地面に転がされていた。

 私の歩く先を遮っているのはそれらを行っている全身が筋肉で覆われている5人ほどの虫けらたちだ。

 

「どきなさい」

 

 早く冒険者組合に行かなければならないのに……。目の前の集団にそう命じると虫けらの一人がこちらに気づいたようだ。

 

「あ?なんだてめぇは?」

「すげぇ……美人だな」

「ついでにこいつも捕まえちますかい?コッコドールの旦那」

 

 どうやら道を譲る気はないらしい。仕方がないのでその虫けらの手を捩じってやるとポキポキと小気味の良い音がする。そしてそのまま後方へと放り投げ飛ばしててやった。

 

「ぐぎゃあああああ」

「邪魔よ」

 

 それを繰り返すこと5回。デカい虫を駆除してやっと通れる道が出来た。

 

「あ、あなたまさか噂の冒険者組合から依頼された……?ひぃぃ!」

 

 その中のリーダーらしき虫けらの男は背を向けて逃げていった。しかしわざわざ追いかけてまで虫を踏み潰す趣味はない。

 

「あ、あの……ありがとうございます……お名前を教えていただけますか」

 

 捕まりそうになっていた虫けらが礼を言ってくるがまったくもって煩わしい。ふんと鼻を鳴らしてその場を立ち去ろうとすると後方からさらに二人の虫けらが現れる。

 

「なんだこりゃ?俺らが来る前に終わってんじゃねえか、ラキュース」

「そのようね、ガガーラン」

 

 派手な装備に身を包んだ10代と思われる少女と屈強な肉体をもった男のような女。モモンガ様の創造したアンデッドから報告のあった虫けらの中では強いと言っていた冒険者だろうか。

 

「おい、あんたがやったのか……?」

 

 次から次へと現れる虫けらに殺意が沸くが殺しは禁止されている。

 それならばこいつらも痛めつけてさっさと行こう。そう思っていたのだが地面に転がっていた虫ケラが代わりに返事をしていた。

 

「は、はい!私たちが攫われそうになってるところを助けていただきました」

 

 その言葉に二人の虫けらが道を譲るように退いた。

 

「ふんっ」

「お、おい……なんだぁあいつは?」

 

 虫けら同士の会話に興味はない。私は鼻を鳴らすとさっさとその場を立ち去る。

 早くモモンガ様の任務を達成せねばならない。名声を得るために冒険者になるのだ。こんなところで虫けらを踏み潰していて名声が得られるはずもない。

 そう思い足早に移動したのだが……。

 

 

 

 

 

 

 どうやらこの街は本格的に害虫駆除が必要なようだ。

 大通りに出て冒険者組合に向かうまでに同じようなことが3度もあった。その度になぜか礼を言われるというよく分からない状況になっている。

 いったいいつになれば冒険者組合に行くことが出来るのだろうか。そんなことを考えていたが、時間がかかってしまったもののようやく冒険者組合に到着してすることが出来た。

 そして分厚い木の扉に両手をかけて開けると……。

 

 

 

 

「「「……」」」

 

 

 

 

 虫けらどもが黙り込んだ。それでいい。永遠に黙っていれば邪魔にならならないのだ。永遠の沈黙を保つがいい。

 

「綺麗……」

「美しい……」

「どこぞの国の姫か何かか……?」

「南方ではあんな黒髪の人種がいると聞くが……」

「姫だ……」

「姫……」

 

 前言撤回。うるさい黙れ虫けらども。モモンガ様の命令さえなければその囀りを今すぐ止めてやるものを。

 

 一瞬黙り込んだ虫けらどもだが一転、好き好きに騒ぎ出した。

 相手にするだけ時間の無駄だ。私はそれを無視して受付と思われる窓口の前に立ち、そこに座っているの虫けらに用件を言いつける。

 

「冒険者になりにきました」

「へっ……?」

 

 窓口の虫けらは言われたことが理解できなかったのだろうか。仕方ないのでもう一度。

 

「冒険者になりにきました。手続きをしなさい」

「え、えっと……あなた様が……でしょうか」

「そうです」

「あの……冒険者というのは魔物と戦ったりとても危険な仕事でですね……あの……あなた様のような高貴な方がなさることはないかと……」

「そんなことを聞いていません。手続きをするのか、しないのか。答えなさい」

「あ、あの……組合長~~~!」

 

 泣きそうになった虫けらの受付が見つめた先にいたのは……。大柄で髭面の男、あれが虫けらの冒険者組合長だろうか。

 

「お嬢様。私は王都冒険者組合の組合長のカイムという者です」

 

 虫けらに名前なぞ必要ない。すぐに頭の中から虫けらの名前を消去する。

 

「冒険者というのはモンスターと戦えば傷も負うし、時には生きて帰れないほどの危険な仕事を請け負うこともある職業です。だからあなた様のような高貴な身分の方が冒険者になってそんなことにでもなると責任の所在が……ねぇ……」

 

 そう言って虫けらの組合長は助けを求めるような目線を私の後ろに向けた。

 

「そうそう。君みたいな美しいお嬢さんが冒険者なんて危険なことしなくてもいいんだよ。何か依頼があれば我々冒険者に依頼してくれたまえ。ああ、俺はミスリル級冒険者の……」

 

 虫けらに名前なぞ必要ない。すぐに頭の中から虫けらの名前を消去しつつ、肩に置かれそうになった手を取る。

 

「あ……やわらかい手……」

 

 至高の存在に創造されたこの身に触れようとは然るべき罰が必要だろう。

 その手をつかむとそのまま振り向くことなく後方へと虫けらを放り投げた……ところで思い出した。モモンガ様から殺すなと言われていたのだった。

 虫けらは弱い。あの程度でも死んでしまうこともあるかもしれないと振り向くと白目をむいた虫けらが虫けらの信仰系魔法詠唱者に治癒魔法をかけられている。良かった死んでないセーフだ。

 

「ミ、ミスリル級冒険者を片手で投げ飛ばすだと……」

「く、組合長……」

「わ、わかった!こちらへ来てくださいますか?冒険者になりたいのでしたね……とりあえず組合長室で話を聞きましょう」

 

 冒険者になれるのであれば是非もない。私は虫けらの組合長に続き部屋へと入った。

 

 

 

 

 

 

 組合長室にはナザリックとは比べるべくもない虫けらに相応しいみすぼらしい机とソファー、そして何の価値もないような調度品が置かれていた。

 そこに座るように言われ、嫌々ながら腰を掛ける。

 

「まず……よろしければ名前とどちらから来られたのか聞かせていただけますかな?」

「私の?」

「はい……概ねお察ししますがどのような身分の方なのか教えていただけないでしょうか」

 

 家名というフルネームのことだろうか。だが今はただのナーベだ。だが身分については別に言うなとも言われていない。ならば誇りある我が身分を知るが良い。

 

「私の名はナーベ。ナザリックにおける六連星(プレアデス)が三女!ナーベよ!」

「……ナザリック国?ということなのかな……?」

「組合長……プレアデス王家の第三王女様でしょうか?聞いたことのない国ですが……」

「しぃっ……恐らくお忍びなのだろう」

 

 虫けら同士で何やらぼそぼそ話し合っている。早くしてくれないだろうか。

 

「それで冒険者にはなれるの?」

「わ、分かりました。事情がおありなのですね。それで……ナーベ様は先ほどの力を見るに職業は戦士ということでしょうか?」

「いえ、魔法詠唱者(マジック・キャスター)よ」

「は?」

 

 この虫けらは何を言っているのだろうか。どこからどう見ても私は魔力系魔法詠唱者だろう。その無駄についている目玉をくり抜いてやろうか。

 

「いやいやいやいや、うちのミスリル級のエースを片手で一捻りしておいて魔法詠唱者はないでしょう!?」

「あなた……私が至高の御方より授かった能力を否定するというの……?」

 

 殺気を込めて睨みつけてやると虫けらは脂汗を顔にびっしり浮き出して目をそらした。

 

「な、ならばどのような魔法が使えるか教えていただいても?」

「そうね……<魔法の矢(マジック・アロー)>、<火球(ファイアーボール)>、<溺死(ドラウンド)>、<雷撃(ライトニング)>、<飛行(フライ)>、<次元の移動(ディメンショナル・ムーブ)>、<転移(テレポーテーション)>、<爆裂(エクスプロージョン)>、<連鎖する龍鎖(チェイン・ドラゴン・ライトニング)>、それから……」

「ちょちょちょ、ちょっと待ってくれないか。それをすべて使えるというのか?いや、言うのですか?聞いたこともない魔法もあるのですが……」

「組合長……チェイン何とかってなんですか?」

 

 さすがは虫けら。魔法の知識さえないらしい。

 

「<連鎖する龍鎖(チェイン・ドラゴン・ライトニング)>は第7位階の魔力系攻撃魔法よ」

「何を馬鹿な……そのような魔法が存在するはずがないでしょう。は……ははは、冗談がお上手ですね……」

「で、ですよねー。<飛行(フライ)>が使えるってのも少し信じがたいんですけど……」

「使えるわよ。<飛行(フライ)>」

 

 <飛行(フライ)>を唱えて部屋の中を飛び回って見せる。

 

「な……んだと……。しかもその制御……どれほどの熟練を……」

「すごいんですか?」

「すごいとも!この狭い空間で何にもぶつからずにこれほど制御して見せるなど……」

「納得したかしら?」

 

 そのままフワリとソファーに戻る。早く冒険者とやらにしてほしいものである。

 

「いや、疑って申し訳ない。第7位階魔法を使えるなどと冗談を言われるので魔法自体が使えないかと思ってしまった。分かりましたあなた様の冒険者登録を認めましょう。登録料はありますか?」

「お金ね。これでいい?」

 

 無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)に預かっていたユグドラシル金貨をテーブルに放り投げる。

 

「これは……どこの貨幣かね?南方大陸のものなのですかな?ちょっと君」

「はい!」

 

 虫けらの受付は天秤を取り出し他の金貨と重さを比べたりしていたが、やがて納得がいったのか金貨をしまい、銀貨をテーブルに置いた。

 

「こちらがお釣りになります。それからこちらをどうぞ。最初は(カッパー)級からのスタートになります」

 

 冒険者には(ランク)があり、銅、鉄、銀、金、白金、ミスリル、オリハルコン、アダマンタイトの順にランクが上がっていくらしい。

 お釣りの銀貨とともに銅の冒険者プレートというものを渡され、細々とした冒険者の心得とやらを聞かされる。これで手続きは終了のようだ。

 

「それでは仕事を寄こしなさい。一番難しいものがいいわね」

 

 モモンガ様のために名声を得なければならない。そのためには難度の高いものを多くこなす必要があるだろう。

 

「えっと……そう言われましても銅級冒険者の方は、銅級の仕事しか受けられませんので……」

 

 どうやら登録してすぐには難しい仕事は受けられないようだ。

 

「さっさとランクを上げたいのに……くだらない規則ね。まぁいいわ。じゃあその中で一番難しいのを寄こしなさい」

「えっ……えっと……でもこれは……」

 

 虫けらの受付が言いよどんでいる。虫けらのくせに情報を隠そうとでもいうのだろうか。

 

「彼女なら……大丈夫だろう。いや、彼女以外には不可能か……。この仕事は本来冒険者に回したくなかったのだが……」

 

 後ろから再び姿を現した虫けらの組合長が説明をする。

 

 依頼の内容は王都リ・エスティーゼから離れた都市エ・ランテルまでの街道沿いの魔物討伐。期間は5日後までに街道沿いすべての魔物を討伐すること。

 本来は銀級以上の仕事であるが、これは貴族がらみの仕事であり依頼料をとことん出し渋られた結果、誰も引き受けないような金額で無理に押し付けられたものらしい。

 

「だから本来は組合として危険すぎる仕事を銅級にさせるわけにもいかないので断るべきなんだが……そのまま断っても角が立つのでね。依頼を受ける者はいなかったということで伝えよう思っていたのだが、どうしてもというのであればこれを受けてもらえないか?達成できれば銀級へのランクアップを約束しよう」

「分かったわ」

 

 街道沿いの魔物をとにかく殺しまくればいいのだろう。虫けらの組合長から依頼書を受け取り街道の場所を聞くと窓枠に手をかけ飛び降りる。

 

「なっ……」

 

 虫けらが何か言っているが気にしない。ひらりと着地するとすぐに目的地へと向かう。虫けらを守るなどよりよほど私向けの依頼だ。

 私は有象無象を皆殺しにするという依頼を達成すべく出発するのだった。

 

 



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第7話 ラナーの灰色世界

 私の名前はラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ。肩書を言えば人間の国、リ・エスティーゼ王国の第三王女ということになる。

 

 今年で6歳になる私は最近死ぬことばかり考えている。なぜならここには私の話の通じない異形ばかりしかいないからだ。

 

 私は1歳になる前に言語を覚え、3歳になる頃にはこの国の政治を理解するだけの知恵があった。その知恵を使って調べれば調べるほど、そして人々の話を聞けば聞くほど人間という異形が理解できなくなった。

 

「ラナー様。ベッドメイクが終わりました」

 

 そう言ったメイドに私はベッドメイクの手順が足りないことを指摘する。

 30の手順を正しく踏めば綺麗で寝心地の良い寝床になるにも関わらず、そのメイドは10の手順でしかも決められた順番も間違えている。

 そう教えた時メイドは怪訝な顔をして謝るものの結局ベッドの寝心地はよくならなかった。言った事が理解できなかったのだろうか。

 仕方ないので自分でやり直した。

 

 そんなことを繰り返すうちに、やがて私は気味悪がられたり『変な子』と呼ばれるようになった。

 

「ラナー様。お茶の用意が出来ました」

 

 そういったメイドの淹れたお茶は酷く不味く感じた。

 茶葉自体は王家に卸されるだけあって最高級の一品で文句はない。しかしそのお茶の香りや味を活かすのは淹れる者の腕次第なのだが、このメイドの腕が最下級なのだろうか。なぜそんな人間が王家でメイドをしているのだろうか。

 淹れる前に茶葉を炙ってもいなければ容器を事前に温めてない。それでは香りも無く、すぐ冷めてしまって台無しだ。50の手順が必要なのに知らないのだろうか。

 そう思い教えてあげたのだが、その時も気味の悪い目で見られ、お茶もおいしくならなかった。

 

 

 

 やがてその気持ちは両親にも向くことになる。

 

 

 

 

「お父さま。このままでは農業も産業も駄目になってしまいます」

 

 そう言って私は農業改革と各地での基準や道具類の規格を統一し、生産力を一手に統一した産業改革の案を提示したのだが……。

 

「はははは。ラナーは難しいことを知っているな。でもこれは大人の話だから部屋で遊んでいなさい」

 

 そう言って相手にされなかった。お父さまは私の父親なのになぜこんなことも分からないのだろう。このままではこの国は愚かな貴族たちの食い物にされて近いうちに滅ぶことになるのは間違いないのに。

 

 後継者についても早く決めるべきだと忠告しても聞く耳を持たなった。四大貴族の一人であるボウロロープ侯が第一王子のバルブロ兄さまに近づき、傀儡にしようとしているという調べはついている。王家と対立する貴族派の台頭が迫っているのだ。

 

 このままでは王家の力を削ぐための陰謀によりいずれ二人の兄が骨肉の争いへと発展に国を二つに割ることになるのは間違いない。

 

 こんなことも理解できない愚かな生物が本当に私の両親なのだろうか。

 

 そう思って鏡を見ると、お父さまの顔の特徴の15の部分が、お母さまの顔の30の部分が私と酷似しており髪や肌の色も併せて考えれば私の生命の設計図が両親から受け継いだものであることに疑いの余地はなかった。

 

 一向に改善されない食事の不味さ、そして何を言っても通じないという不条理。

 それらが重なってますます食欲はなくなり、体はどんどんやせ細り死んだような目をした死人のような外見になってしまった

 このままいけば遠からず私は死んでしまうだろう。いや、殺されるのが先かもしれない。どうも貴族派が思うとおりに操れない私を邪魔に思って消そうとしているらしい。

 計画はこうだ。表敬訪問を含めた顔見せとして私はエ・ランテルを訪れる予定があるが、その道中に魔物に殺されるというストーリーである。

 国の中央部はそうでもないが、エ・ランテルはトブの大森林に近接していることもあり道中の魔物との遭遇の危険は高い。

 このような場合は通常、街道の魔物駆除を冒険者組合に依頼するのだが、あえてその費用を削り、引き受け手がないような最悪の条件が組合に提示されている。これでは期日までに魔物が駆除されることはないだろう。

 貴族の派閥に属さない信頼できる護衛を揃えるべく父に助言をした結果、平民を御前試合に出場して召し上げるということにはなったがとても今回の旅に間に合いそうにはない。

 

 

 

 どうしたものか。対応を考えていたある日……。

 

 

 

「止まって」

「どうしました?ラナー様」

 

 馬車で城下を移動中、ふと窓のそとを見たときに()()を見つけた。

 

「馬車の中に入れて。運びます」

「あ、あの……ラナー様。本当にですか?」

「はい」

「まぁ、なんとお優しい……」

 

 侍女は何を言っているのだろうか。本当に愚かだ。役に立つと思うから拾うだけだというのに。エ・ランテルへの移動は数日後に迫っている。拾ったそれを餌にすれば逃げる時間がある程度は稼げるだろう。

 

 

 

 

 

 

「まだ街道が安全じゃありません。エ・ランテルには行くべきではないと思いますが?」

「まぁまぁ、ラナー様。我儘言わないでくださいませ。先方からはパーティの前倒しの手紙まで来ているのです。遅れるわけにはいかないですよ」

「行ったら死にます」

「おほほっ、大丈夫ですよ。冒険者に街道の掃除を頼んでいますから安心してください」

 

 そのくらい調べはついている。そしてその依頼した貴族が依頼料を着服し、最低クラスの冒険者しか雇えていないということも。本来いるはずの護衛の数があり得ないほど減らされていることも。

 そしてパーティが前倒しになったことにより、もし生きてその冒険者が依頼を達成しようとしてもとても間に合わないことも。

 

「わかりました……」

 

 私は諦めた……この私の命ではなく……。

 

 

 

……この愚かな異形たちの命を。

 

 

 

「クライム。この指輪を付けて」

「うん!ラナー様!」

 

 私は(クライム)に指輪を渡す。

 クライムは先日王都で拾った犬だ。行倒れているところを助け、この旅での敵への囮にでも使おうと思っていたのだが……。

 

「あ、あの……ラナー様。僕絶対ラナー様を守る!」

 

 キラキラとした目で私を見つめてくるクライム。助けてからずっとこうだ。綺麗な服を与え、食事を与え、撫でてやると私だけがすべてだと言うように見つめてくる。

 クライムは私の言うことは何の疑いも持たずに信じている。他の異形たちと違うそれを見て私は気が変わった。クライムの優先順位を上げたのだ。だから指輪を渡した。

 

 その指輪は王家の宝物庫にあったものだ。しかし、その効果は誰にも知られていない。恐らく王家の人間も含めてただの装飾品だと思っているだろう。

 それもそのはず、この指輪は魔法道具(マジックアイテム)ではあるがその効果は極めて低く、一見して効果の分かるものではないのだから。

 

「絶対に外しちゃだめよ。そうすれば助かるわ」

 

 この指輪には魔物避けの効果がある。

 実験を重ねてその効果は確認した。しかし、その効果は魔物を撃退するほどのものではなく、襲われる順番が一番最後になる程度のもの。

 しかしそれだけでも効果があることに違いはない。数十人で移動するエ・ランテルへの馬車列。魔物に彼らが襲われ全員が食べられるにはいくらモンスターがたくさんいても結構な時間を要すだろう。

 その間に私とクライムだけは逃げ出して生き残ることができる。その結果街道の危険性を知らしめて魔物の討伐に懸賞金を付ける制度なども認められるかもしれない。その算段であった。

 

「……生き残ることができる?」

 

 私らしからぬ考えに思わずつぶやいてしまう。『生きたい』そんなことは思ったのはいったいいつぶりだろうか。

 この愚かな異形たちが闊歩する灰色の世界。そこに生きる価値などないと思っていたのに。

 そう……自分にキラキラした目を向けるこの犬と出会うまでは。そして実際に魔物に襲われるまでは。

 

 

 

 

───そこで私は本当の異形に出会うことになる

 

 



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第8話 冒険者ナーベと蒼の薔薇

 私の名前は冒険者ナーベ。モモンガ様のご命令に応えるために虫けらからの依頼を受けて魔物を殺して回っている。

 

「GUGYAAAAAAAAAAAA」

 

 今回の依頼は王都からエ・ランテルまでの魔物を皆殺しにしろというもの。確かそんな感じの依頼だったはずだ。全部殺せばいいならば実に楽でいい。

 しかしオークの頭を杖で叩きつぶしながら考える、これがそれほど評価される任務なのだろうかと。簡単すぎてあくびが出るとはこのことだろう。これで冒険者としての名声を得ると言えるのだろうか。

 

 また一つ今度はゴブリンの首が引きちぎれてどこかへ飛んでいく。走りながら目につくモンスターは皆殺しにしている。依頼期限は5日間と言われていたがこれならば3日もかからないだろう。

 

 そんな感じで目に入るものすべて殺戮しながらエ・ランテルに向けて進んでいると久しぶりに目の前に虫けらの集団が現れた。これはモモンガ様の命令で殺すわけにはいかない虫けらどもだ。

 

「た、助けてくれええええええ」

「うわああああああああああ」

 

 と思っていたがどうも私が殺すより前に魔物たちに殺されそうになっている。魔物の数50匹はいるだろうか。いい気味である。

 

「いえ、そうじゃなかったわね……」

 

 私が殺さなければならない魔物を下手に抵抗されて勝手に殺されて手柄を横取りされても困るし、虫けらが死に絶えるまで待っているのも面倒だ。

 

「<魔法効果範囲拡大化(ワイデンマジック)><火球(ファイアーボール)>」

 

 とりあえず魔物だけが密集している部分に魔法を放ってみる。悲鳴を上げながら半分くらいが焼け死んだ。それに気づいた魔物たちの目が一斉に私を見つめてくる。その眼に宿るのは戸惑いと怒り。

 その気持ちはよく分かる。虫けらたちを殺しているのを邪魔されるのはとてもイライラするものだ。とてもよく分かる。

 

「GUFUGUFUGUFU」

「GYAGYAGYA」

 

 怒りに任せて私の方へと一斉に向かって来る魔物たち。気持ちは分かるがモモンガ様の命令であるし殺すことに戸惑いはない。むしろ固まってまとめて向かってくれば私を倒せるなどと思っているのであれば失笑ものだ。

 

「<魔法遅延化(ディレイマジック)><衝撃波(ショック・ウェーブ)>」

 

 遅延化させた<衝撃波>を放つとモンスターたちは一瞬歩みを止め警戒したが、魔法の発動が失敗したと勘違いして下品な笑い声を上げながら再びこちらへ向かってくる。本当に愚かだ。

 そんな魔物たちが私に襲い掛かろうと一丸となったその時……。

 

「GYAAAAAAAAAAAAAAA」

 

 遅延された魔法が発動する。

 十分に引き付けられ放たれた<衝撃波>が残りの魔物の多くを巻き込み血肉へと変えて地面へと降り注ぐ。

 

「ふんっ」

 

 <飛行(フライ)>を使ってふわりとそれを避けると虫けらどもがこちらを指さして口々に何かを言っている。またお礼がどうのとでも言い出すのだろう。

 煩わしいのでさっさとその場を後にしようと思ったその時……虫けらの中で二人だけ態度が違う者がいることに気付いた。

 

「……」

 

 他の虫けらたちよりほんの少し身綺麗なものを着ている二人の虫けら。まだ子供なのだろう、他の虫けらより随分と小さく見える。

 それらは一言もしゃべらないものの道の一番端っこで膝をつき、こちらへ向かって地に頭をこすりつけるように下げていた。

 ほんのチラリと金色の髪をした子供の虫けらと目が合うが、その頬はこけ、その瞳はこの世界のすべてを諦めたかのように虫けららしく濁っていた。

 他のものより高貴そうな服を着た死んだ魚のような目をしたガリガリに痩せた幼女、そしてそれに付き添うように頭を下げている子供。その小さな体を見るに虫けらの幼生体だろう。

 

「虫けららしく分を弁えている者も中にはいるのね」

 

 虫けらはこうあるべきと言う見本のような虫けらだ。モモンガ様に対しても常にそうしていれば余計な手間が省けるものを。

 私は口々に何かを言って来る虫けらたちに背を向けると少し気分よくその場を立ち去るのだった。

 

 

 

 

 

 

 私の名前はラキュース・アルベイン・デイル・アインドラ。

 現在はミスリル級冒険者チーム『蒼の薔薇』のリーダー見習いという立場だ。もともと『蒼の薔薇』は現リーダーのリグリット様が作ったアダマンタイト級冒険者チームだった。しかしリグリット様が引退を表明しているため残ったメンバーの実力で再度冒険者ランクを判定され、ミスリル級となっている。

 

 リグリット様が出かけている今、私は王都リ・エスティーゼの高級宿で仲間の戦士ガガーランと二人きりで待機をしていた。

 

「しっかし何も手がかりなかったなラキュース」

「ええ、そうね……残念だわ」

 

 私たちが依頼されて追っているのは誘拐事件だ。それも女子供だけでなく、時には冒険者まで姿を消しているという話で明らかに異常な事件である。

 子供を、親を、兄弟を誘拐された人々が冒険者組合に依頼を出しているのだがその状況は芳しくない。

 

「あいつのおかげで結構な数が捕まったってのに結局なにもつかめなかったしな」

「ええ、あの黒髪の女の人のことね」

「今じゃ『漆黒の美姫』とか呼ばれてるらしいぜ」

 

 捜査中、誘拐事件の現場に颯爽と現れ、誘拐犯たちを行動不能にして名前も言わずに立ち去った黒髪の美姫。今、王都で一番の話題の人物だ。

 

「何でもあの時は冒険者でさえなかったみたいよ」

 

 あの後彼女については多くのうわさを聞いた。

 遠国の姫君だの、高位の魔法詠唱者であるだの、ミスリル級の冒険者を投げ飛ばすほどの戦士であるだの、その噂はどれも信じられないものばかりだ。

 

 しかし、多くの人々を助けながら冒険者組合へと行き、銅級冒険者として登録したとの情報は間違いないようである。

 

「おいおい、あの手並みで銅級冒険者かよ。気配も全然しなかったしありゃ相当な隠し玉持ちだぞ。まぁ俺たちほどじゃないと思うけどな」

「そうかしら?」

 

 私がアダマンタイト級冒険者である『朱の雫』のリーダーである叔父に憧れ、貴族であるアインドラ家を飛び出したのは最近のことだ。

 叔父の伝手を使って元冒険者のリグリット様と引き合わせてもらい、そこでガガーランと出会った。

 

 ガガーランは超級の女戦士だ。

 童貞好きを豪語する彼女はその言動とは裏腹にとても仲間想いで頼りになることはこれまでの付き合いで分かっている。彼女単独でもミスリル級の実力はあるだろう。全身を覆う重装備を軽々と着こなす膂力と巨大なハンマーを巧みに使う技術。私はガガーランほどの女戦士を他に知らない。

 

 そんなガガーランがあの黒髪の美姫を私たちほどではないと言うが本当だろうか。

 私が感じたところでは彼女は何か力を隠している気がした。漆黒の髪に漆黒の瞳、その瞳の奥にはまるで人ではない何かを感じたような気がする。その瞳の奥に眠るものは……。

 

「あれは……封じられた暗黒の何か……いえ、邪眼?」

「どうしたラキュース?」

「い、いいえ!何でもないわ」

 

 私も冒険者になるにあたって装備はかなりのものを揃えた。4大暗黒剣の一つに数えられる暗黒剣キリネイラムに選ばれた一人でもある。

 なんとなく彼女はそれに近いものがあるような気がした、というかあって欲しい。いや、あの漆黒の髪と瞳は間違いないだろう。

 

「彼女も闇に選ばれし者……ふふふっ……そして私の好敵手(ライバル)として……」

「何ぶつぶつ言ってるんだ?そんなことよりこの後どうする?婆さんから何か言われてないのか?」

「リグリット様からは現状維持を指示されてるわ。まだ何も解決していないし、何だかきな臭いから……この街で何かが起こってるのは間違いないと思う」

「あー、なんだったか?そういや今ある犯罪組織が消されていってるとかいう話もあったよな?でも、そりゃいいことじゃねえか?」

「リグリット様はそうは思っていないようね」

 

 犯罪者が減ることそれは素晴らしいことだろう。だけど犯罪組織が減ったからと言って犯罪者が減っているとは限らない。現に私たちに誘拐犯の捜査が依頼されているのだから。

 

「だけど冒険者まで誘拐されるなんてありえるのかしら?」

「はっ!誘拐されるなんてよっぽどの駆け出しか間抜けだろうな。じゃなかったら……」

「じゃなかったら?」

「よっぽどの馬鹿がわざと捕まったとかな」

「ええ……それなら……なるほど、納得ね。ガガーランならやりそうだわ」

「どういう意味だそりゃ」

「囮捜査とか?わざと捕まって相手の組織の本部で暴れてみたり?」

「なるほど、そういう方法もあるわな……よし、やってみるか!」

 

 冗談でからかっただけなんだけどガガーランがやる気になってしまった。彼女の場合、本当にやりかねないから困ったものだ。

 

「さすがに私たちは顔が割れてるから無理でしょう。顔でも隠せればそうでもないかもしれないけど……いえ、あなたの体格じゃ無理かもしれないわね……」

 

 ミスリル級冒険者となれば有名であるし、ガガーランのその巨体ではさすがに隠し切れないだろう。

 

「ああ、顔を隠すと言えば……婆さんが置いていったこれなんなんだろうな」

 

 ガガーランが宿の机の上に置かれた仮面とローブを指さす。私もそれらのことはすごく気になっていた。それはもうすごくすごく気になっていた。

 

 真っ白い仮面には目も口も表に出るような場所はなく、額のあたりに赤い宝石が埋め込まれており、まるで怪人の仮面だ。そしてローブは血を思わせるような赤い色をしており、丈が非常に長く、まるで赤い羽根を連想させるようなマントである。

 

「これは……良いものね……」

 

 ふとあの漆黒の美姫のことが頭をよぎる。相手を助け、名前もつげずに助ける格好良さ。そんなことを私もやってみたいと思っていたが、有名な冒険者である私がそんなことをしてはすぐ冒険者組合に報告がいってしまうだろう。

 

「おい、ラキュース?」

 

 だけど顔を隠せば?このフードを被れば?

 

「誰とも分からない仮面の怪人が闇の力で蘇り……そして……」

「ラキュース、何か変なこと考えてるんじゃないだろうな?」

 

 ガガーランが何か言っているがそれよりもこちらの方が優先だ。怪人としての名乗りの口上はどうしようか、必殺技の名前なども考えなければならない。

 どうしよう。本当にどうしよう。ああ……私の左目の邪眼が疼くわ。なんだか楽しみで仕方がなくなってきた。

 

 



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第9話 王城の愚か者たち

 私の名前はラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ。

 エ・ランテルへの旅路の途中、私は本物の異形に出会った。いや、あの存在からすれば私の方こそ異形の虫けらに過ぎないだろう。

 

「いやぁ、すごい美人だったなぁ」

「何も言わずに立ち去るなんてかっこいい……」

「高名な冒険者だろうな……。もしかしてあれが噂の『蒼の薔薇』か?」

「いや、冒険者にしてはあの美貌はないだろ……どこかの姫君ではないのか?」

 

 口々に私の従者たちがあの異形について語っている。何を言っているのだろうか、あれが人に見えたとでもいうのだろうか。

 

 美しかったのは認めよう。立ち居振る舞いに人を惹き付けるものがあったのも認めよう。しかしあれは人ならざる者の美しさだ。あれが人の手で、人の設計図から作り上げることが出来るはずがない。

 

 完全なる左右対称(シンメトリー)……一部の隙も無い髪の美しさや顔の造形。あれは神、またはそれに類するものがそうあれとして作り上げたもの以外の何物でもないではないか。

 

 私のように父と母からの特徴を受け継いで作られては、絶対にあのような完全なる存在になりえるはずがない。

 

「ラナー様。守れなくてごめんなさい……」

 

 私の犬が年相応の可愛らしさで頭を下げてくるので撫でてあげる。この私だけを頼り見つめてくる可愛らしい犬とともにこの国と心中するしかないとも思っていたのだけれども……。

 

「クライム。私たちは生き残ることが出来るかもしれませんよ」

 

 一縷の望み、いや、一片の光明だろうか。それを彼女に見た。絶対なる存在、その慈悲を得ることが出来るのであればもしかしたら……。

 

 

 

 

 

 

 その後、私は無事エ・ランテルへと到着することができた。あの絶対なる存在と出会った後は驚くほど順調に行程は進んだ。魔物どころかネズミ一匹、鳥の1羽さえ出くわすことがなかった。

 

 そしてエ・ランテルでの式典を終え、王都に戻るとあの絶対なる存在……名前はナーベ様と言うらしいが……その話題で持ちきりであった。

 当然父であるランポッサ三世にも伝わっており、王女を救った英雄として冒険者組合を通して彼女は王城へと招聘されることとなる。

 

 

 

───そして現在

 

 

 

 私は今絶賛、土下座の真っ最中である。

 

 

 

 その存在がそこに現れた時、謁見の間の誰もが息を飲んだ。

 艶やかな漆黒の髪、整った顔立ち、黒く切れ長の瞳、質素ながらも歴戦の戦士を思わせる灰色のローブも彼女が身に包めば美しさを際立たせる道具の一つのようで誰もが目と心を奪われる。

 

 ナーベ様は王の御前だというのに跪きもせず、不遜な態度で周りを見回している。それにも関わらず咎めるものは誰もない。

 それもそのはずだ……その場に呼ばれたのは人間ではないのだから。人間などを超越した存在であるにも関わらず人間の冒険者の振りをする存在、ナーベ様なのだから。

 

「よくぞ来た。冒険者ナーベよ。私はリ・エスティーゼ王国国王ランポッサである」

「……私はナーベよ」

 

 まるで虫けらに仕方なく挨拶をするように尊大な返答をするナーベ様。そんな彼女を見て周りの愚かな貴族たちは口々に小声で話し出した。

 

「美しすぎる……」

「聞いたか。冒険者になる前、依頼を受けてもいないにも関わらず貧民街で奴隷狩りにあいそうになった国民を救ったらしい」

「他にも暴漢に襲われている女性を助けたとか……。心まで美しい方だ……」

「3日でエ・ランテルまでの街道の魔物をすべて狩りつくしたそうだとか……」

「いくらなんでもそれは……」

「いや、間違いない。街道に数百の魔物の死体が転がっていたそうだ」

 

 そんな言葉は絶対なる存在であるナーベ様の機嫌を取るには逆効果だ。今すぐやめてほしい。虫けらである我々に何を言われても煩わしいだけだろうから。

 

「そんなことよりなぜ王の御前で跪かない!不敬だぞ!」

 

 声のした方向を見ると第一王子のバルブロお兄様だった。

 バルブロお兄様は体は大きいものの愚かな人間の中でも特に頭が悪く、人望もないのに自分に能力があると勘違いしている、そんな人だ。まさかとは思ったが命が惜しかったらナーベ様への暴言は本当にやめてほしい。

 ナーベ様の顔を見ると機嫌がますます悪くなっているようだ。

 

「兄上、それは跪かない理由があるからでは?」

 

 それを止めたのは第二王子のザナックお兄様だった。ザナックお兄様は少し太り気味であるもののバルブロお兄様ほど愚かではないようだ。それでもナーベ様の正体については分からないらしい。

 

「どういうことだ?」

「市井の噂ですが彼女は他国の姫君であるという話もあります。そのあたりを何も調べずに一方的に不敬と断じるのはどうかと思いますけどね」

「ちっ……」

 

 まったく、こんな時にも後継者争いでいがみ合うとはどうかしている。このままではいけないと私は私はお父様に声をかける。

 

「お父様いけません、跪くのは私たちの方です。ナーベ様は偉大で強大な力を持った御方です。ナーベ様、助けていただいたにも関わらず本当に申し訳ございません」

 

 そこで初めてお父様は部屋の隅で土下座をしてる私に気づいたらしい。

 

「ラナー……何をしておるのだ」

「お父さまお願いです。ナーベ様に失礼のないように……。頭を下げるのは私たちの方です。そしてナーベ様にこの国を……」

 

 一縷の望みをかけてお父様に忠告する。ナーベ様にこの国を差し出すのだ。政治が腐敗しきって王家の力が失われているこの国にはそれ以外に道はない……。ナーベ様さえいれば家柄のみでこの国を蝕んでいる貴族たちを粛清できるだろう……だというのに……。

 

「ラナー、お前が彼女に命を救われ感謝しているのは分かるが、王族たるもの軽々しく頭を下げるのはやめなさい。それにまぁ本来の身分は隠されているようだが……彼女は冒険者だ。多少の無礼は許そうではないか」

「おおっ、さすが父上、お心が広い。ナーベとやら感謝するとよいぞ」

 

 お父様とバルブロ兄さまはまったく分かっていなかった。ここが国として存続できるかどうかの分水嶺であるというのに。

 私は絶望に目の前が暗くなる。

 

 一方、ザナック兄さまは何かを感じ取ったらしく首を捻っているが核心にはいたらないようだ。

 目の前の存在がその身一つでこの王都くらいは灰燼と化すことができるであろうことが報告で分からなかったのだろうか。

 

 あの街道での戦闘では微塵も本気を出していなかった。そして見たこともない魔法の使い方。魔物の動きを読み、魔法を遅延発動させた手並み。完全に戦闘に特化した恐るべき存在だ。

 

「まずは娘であるラナーの命を救ってくれたことに父として礼を言おう。そしてこの国の国民を救ってくれたことにもな」

「礼には及ばないわ」

 

 その言葉にお父様は感心したようにため息を漏らす。無心の善意で私や国民を救ったと思っているのだろう。だが私の見立ては全く違う。『礼には及ばない』とはそのままの意味だ。ナーベ様は我々に関心がない。お前たち程度に礼を言われる筋合いなどないという真っ向からの否定だろう。

 

「その心意気や見事。金貨100枚を褒美として与えよう」

「別にお金など求めてないのだけれど」

「そ、そうか……。では金貨に加えて何が欲しいか望みをいうが良い。叶えられることであれば善処しよう」

「そうね……名声?名誉?そう言ったものを御方はお望みよ」

「この国で名を上げたいというのか?それならば……近いうちに王都で御前試合が行われる予定がある。その席を用意してもいいが……しかし……」

「出るわ」

 

 ナーベ様は即断する。あれほどの力を持ちながら名声や名誉を求めるとはどういうことだろうか。

 

「危険では?」

「あの美しい顔に傷でもついたらどうする」

「所詮魔法詠唱者(マジックキャスター)だろう?剣士と戦えるのか?」

 

 この国において魔法詠唱者への評価は低い。確かに下級の魔法詠唱者は弱い。剣士とくらべて魔力の限界があり最後まで戦うこともできず、接近戦では一撃で斬り殺されることもあるような存在だ。

 しかし上級の、それも伝説級の魔法まで使える魔法詠唱者はその存在自体が災害だ。一撃で何十人、何百人という相手を殲滅でき、転移魔法なども加われば補足することも難しいだろう。

 

「はははははは、気に入った。魔法詠唱者で御前試合に出ようとするその度胸。もし優秀な成績で生き残ったらこのバルブロの妻にしてやってもよいぞ」

 

 勝てるなどとは微塵も思っていないのだろう。バルブロ兄様が嫌らしい笑みを浮かべてナーベ様を見つめている。そのあまりもの愚かしさに……いや、ここにいるすべての愚か者たちに私は眩暈を覚える。

 

 このままではいけない。彼女だけではないのだ。彼女の言った御方と呼ぶ人物こそ真に警戒するべき相手だろう。彼女は一人の漆黒の鎧の人物とともにこの国に来たという情報もある。その人物こそ御方なのだろう。

 

 私は直属の部下も権限もない立場であるが、噂話の絶えない王宮に身を置いている。一つ一つの情報は一見関係なく、つながりもないようであるが、『関係ない』という情報と『関係がある』という情報の価値は同等であり、無駄な情報など何一つとしてない。

 それらをつなぎ合わせれば、否定された情報から情報を収束させれば、おのずと答えは出てくるものだ。そんなことさえ分からない愚か者たちに囲まれて過ごしてきたが、御前試合……それで何かが分かるかもしれない、何かが変わるかもしれない。

 もしかしたら彼らは古文書に書かれた()()()なのかもしれないのだ。私はナーベ様の敵意のある目を避け、地面にひれ伏しながら次の行動を考えるのだった。

 

 



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第10話 囚人ナンバー41

 貴族の私兵たちに大人しく捕った後、その後どんな制度で裁くものかと知りたかったのだが、司法制度どころか結局裁判も何もなく彼らはモモンガを囲んで殴りつけてきた。

 しかしモモンガは常時発動型特殊技術(パッシプスキル)として上位物理無効化を持っている。どれだけ殴られようとビクともせず、打点1のダメージさえ受けることはない。

 どれだけ殴りつけられていただろうか。結局殴り疲れたのか私兵たちは諦めてモモンガを馬車に乗せるとモモンガは王都から遠く離れた場所まで連れて去られ、地下にある牢屋に入れられていた。

 

(あれ……裁判は?)

 

 

 

 

 

 

 数日が経過した。

 この国には法律がないのだろうか。結局裁判というものはなかった。

 しかしここに来てモモンガにも分かったことがある。まずここにはモモンガ以外にも囚人がたくさんいるということだ。それも皆屈強な肉体をした者ばかりである。

 そして時折彼らは牢から出ていくと疲れ切って帰ってくる。そして中には帰ってこない者もいた。

 その間、暇なのでずっとインベントリの整理をしたりナーベラルへ<伝言(メッセージ)>を飛ばして報告を受けたりしていた。

 

 ナーベラルの報告によると冒険者としての名声はまだまだ得られていないらしい。『虫けら程度の依頼しかなく、成果を出せずに申し訳ありません』とのことだ。

 

(まぁ最初は最低ランクから始まるんだし簡単な仕事しか回してもらえないのかもなぁ。荷物持ちとか力仕事とかでもやってるのかな……。いきなり王族とコネクションが取れたりするわけもないし……)

 

 モモンガとしてもそろそろここで情報収集を始めないといけないと思いながらインベントリの整理を続けていたその時、隣の房に入ってる体の大きいハゲ頭の男が話しかけてきた。

 

「よう、新入り。地獄の底へよく来たな」

「ん?ちょっと待て……これをここにしまってっと。よし。ああ、よろしく先輩。で、ここはなんなんだ?」

 

 モモンガが禿げ頭にそう返すと大声で笑われる。<生命の精髄(ライフ・エッセンス)>で確認したところここで見た人間たちの中では一番レベルが高そうだ。

 

「うはははははは。聞いてたとおりキモの太え新人だな」

「そうか?俺の名前は……」

「あー、ここじゃ名前なんて必要ねえよ。お前の呼び名はもう決まってるからよ」

「は?」

「そこの房の上に数字が書いてあるだろう。お前の名前は囚人ナンバー41だ。まぁ短い付き合いだろうがよろしくな」

「囚人ナンバー?なんだそれは?詳しく教えてもらえるか?」

 

 何のことだか分からないが41とは縁起がいい。アインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーの数と同じではないか、とモモンガは気分を良くする。

 

 気分良く男の話を聞いているといろいろと分かったことがあった。

 まずはここは貴族が秘密裏に経営している闇闘技場であるらしい。そこには犯罪者や借金で首が回らなくなった者、誘拐され無理やり連れてこられた者など様々だが、囚人としてここでそれぞれ戦わされるらしい。

 しかし本来なら国のためも使えるだろうこれだけの戦力をこんなところで使いつぶすなど許されるわけもなく、当然違法だ。

 

「それであんたの名前は?」

「俺は囚人ナンバー0。まぁおまえが生き残っていればそのうち対戦で当たるかもな。ははははは」

 

 そう言って大男は大声で笑った。

 

 

 

 

 

 

 さらに数日語、大男の言う通り数日後に試合が組まれていた。もっとも相手は囚人ナンバー0ではなく、囚人ナンバー30~32の3人だ。

 闘技場と聞いてモモンガは1対1のPVPを予想してたのだがそうでもないらしい。試合としてだけでなく虐殺ショーとしての意味もあるのだろう。

 

「殺せ!殺せ!殺せ!」

 

 闇闘技場という場所はそれほど広くはなかった。ナザリックの円形闘技場(コロッセウム)の十分の一もないようだが、客席には数百人の男女が集まり、酒を飲みながら一部の人間が囚人を煽っている。

 賭けも行われているようでチケットを売っている人間もちらほらと見られた。

 

「お前はこれからあの3人と戦ってもらう。勝てば賞金が出て、その分刑期も少なくなる。まぁ、ありえないことだけどな。へへへっ、どうせ死んじまうんだ。その前にその高そうな鎧は脱いでもらおうか」

 

 モモンガを案内してきた男は闘技場の囚人ではなく関係者なのだろう。モモンガの兜を引き抜こうとするが、取られたら中身が骨だとばれてしまう。

 

「無駄だ。この鎧は脱げない」

「んなわけねえだろ……この……あれ、おかしいな……」

 

 例え脱げたとしても魔法で作られたものなので魔法を解除すれば消え去ってしまうし、男の行為そのものが無駄であるのだが……。

 

「おい、はやくしろ!」

「へ、へい!……ちっ」

 

 他の関係者に急かされて男は兜から手を放した。無実の罪の者を囚人としたり無理やり戦わせたり、着ているものをはぎ取ろうとしたり、思ったよりこの国は腐っているようである。

 

「みなさま!お待たせしました!この度は闇闘技場による格闘ショーをお楽しみください!」

 

 闘技場の真ん中で司会と思われる人間が大声を上げる。審判兼司会者というところか。

 そして司会による試合の説明によるとモモンガの相手は3人でどちらかが死ぬか試合続行不可能になるまで戦わせるようだ。

 

「それでは試合開始!」

 

 審判の掛け声に前方の相手を見る。剣を構えた男二人と無手の男が一人がこちらを睨みながら構えている。HPも低く大した相手には思えないのだが……。

 

「ふむ……どうするかな」

 

 相手の構えを見るにレベルは低いようだが剣や武術の心得があるように見える。

 たっち・みーもリアルが警察官ということで剣道や柔道をやっていたのだろう。ユグドラシル内でも美しい構えをとり、それゆえに恐ろしいほどのプレイヤスキルを持ちワールドチャンピオンにまで昇り詰めた。あの技術には憧れたものだ。

 

 一方、モモンガは武術の心得などないしがないサラリーマンである。魔法詠唱者としての技量はユグドラシルで鍛えただけあって自信はあるが武術はまったくの素人だ。構えも何もなく棒立ちである。

 

「うっしゃあああああああああ!」

 

 男の一人が剣を中腰の構えのままモモンガへと向かってくる。街で自分に向かってきた兵士は威嚇のためか剣を振り上げたまま襲ってきたのでその動きを読めた。

 しかしこの男は直前まで動きを読まれないようにしているのだろう。確かに直前まで手を隠しておくのは有効だ。

 

「なるほど……勉強になるな」

「しゃあ!」

 

 剣が中段から下段に下ろされるとそこからモモンガの首に向かって斬り上げられる。喉を掻き切るコースだろう。

 しかしモモンガは魔法詠唱者といえども100レベル。肉体能力だけでも30レベルの戦士以上はあるため見てから避けることは容易だった。

 

「はぁ!」

 

 そう思ったのもつかの間、二人目の男が反対側に回り込んで腕の付け根を狙い剣で突きを放ってくる。それをモモンガはぎりぎりで躱すもそこには無手の男が待ち構えていた。

 

(やっぱり複数人相手だといくらレベル差があろうが手数では負けるなぁ……)

 

 ユグドラシルにおいても数の力というのは個人の力を何倍にも増幅させる。強大な力を持ったレイドボスなどは仲間との連携なしに倒せないものだ。

 もし同格の相手複数なら迷わず逃げるところであるがこの程度の相手ながらその必要はない。しかし、その手数はさすがに面倒である。

 まずは無手の男を倒してしまおうと足を踏み出したところ……。

 

 

 

「あれ……?」

 

 

 

 モモンガが地面に倒れ伏していた。

 踏み出した瞬間、反対側の足を相手の足で押さえられ、手首を軽く引っ張られただけなのにクルリと体は一回転し背中から叩き付けられていたのだ。

 

(動きを誘導された……?)

 

 これは俗にいう空気投げというやつだろう。相手の動きを利用して最低限の動きで投げられたのだ。

 観客たちは投げられたということすら気づかずにモモンガが勝手に転んだように見えたことだろう。

 

「すごい……」

 

 これは素直なモモンガの感想である。どう見ても男たちの膂力や素早さはモモンガに敵わないだろう。それに特殊技能(スキル)の発動もなかった。

 ということはこれは純然たる技術であり、技であるということである、つまりモモンガでも習得が可能であるはずだ。

 

 相手の技に感嘆しながら倒れていると、残った二人の男が剣をモモンガの鎧には突き立てようとして弾き返される。

 困惑する男たちを余所にモモンガは笑いだす。

 

「あはははは。面白いな!」

 

 ユグドラシルでもやろうと思えばできないことはない技術だが、ここまでの芸当を出来るのは『たっち・みー』クラスだけだろう。

 ほとんどのプレイヤーは特殊技能(スキル)の種類や発動タイミングと間合いでの対応しかしてなかった。

 それはそのはずだ。ユグドラシルにおけるプレイヤースキルと言うのはたっち・みーのような例外を除けば、技術より弱点属性をつくことや強大な威力の攻撃スキルや防御スキルを使用するタイミングといった知識の方が重要であったのだから。

 だがモモンガの持ってない《技》が得られるならもっと上を目指すことができることだろう。

 

「今の技……もう一度やってもらおうか。俺にも習得できるか試してみよう!」

 

 そこから会場は大いに盛りあがった。

 いくら投げようが斬りつけようが立ち上がる不死身の戦士、囚人ナンバー41。その試合は、やがて対戦相手が疲れ果て動けなくなるまで続き、審判がモモンガの右手を天に突き上げる。

 その日、闇闘技場に新たな人気選手が誕生した。

 

 



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第11話 囚人ナンバー0

 俺は囚人ナンバー0、名前はない。

 職業(クラス)修行僧(モンク)だ。俺みたいな人間が修行僧とはお笑いだが、それもあながち間違いというわけでもない。なぜなら俺はかつてここで殺した本物の修行僧から技を盗んだのだから。

 

 そんな俺だがいつまでもこんなところにいるつもりはない。ミスリル級の実力を持つ護衛に守られたアームストロング伯爵とかいう糞野郎を倒してこんなところからはおさらばしてやる。

 すでに渡りはつけてある。今も観客席にいるオカマ野郎……コッコドールからの誘いに乗っていずれここを出る予定なのだ。

 

「ははっ、これは修道士……いや修行僧の技か?柔道の技にも似ているが実に勉強になる」

 

 だがその前に目の前のこいつだ。今俺は闇闘技場での試合中なのだが、この目の前の黒い鎧が悩みの種だ。

 

「なんなんだおまえは……なぜ立ち上がれる!?」

 

 腕を決められたまま逆筋方向へ投げられ、常人なら関節が外れるどころか腕がちぎれ飛ぶような衝撃を受けたにも関わらずその鎧は平然と立ちががる。

 

 囚人ナンバー41。こいつと対戦するのはもう10回を超えている。それにも関わらずこいつは生き残り、勝敗もついていない。この俺と戦って無事でいられるほどの実力者は俺も認めた囚人ナンバー1から囚人ナンバー5以外にはこいつが初めてだ。

 

「すまない、丈夫な体をしているものでな」

「ふざけんな!どうなってやがる!?」

 

 丈夫な体どころの話ではない。いくら攻撃しても効いている感触がまったくしない。まるで鉄の塊を殴っているようだ。

 俺は漆黒の鎧で覆われた囚人ナンバー41の肉体がどうなっているのかと想像する。打撃や投げ、関節技による攻撃は確実に内部まで届いているはずだ。ズタズタの肉塊になっていなければおかしい。絶対におかしい。

 俺はある魔物を想像する。

 

「おまえ、実は妖巨人(トロール)か何かじゃねえのか?」

 

 トロールには非常に強い自己回復能力を持つものがいるという。あの鎧の中身がトロールであっても何もおかしなことはないだろう。

 

「はははっ、トロール程度と一緒にされては困るな」

 

 そう言って向かってきたナンバー41は俺の手を取り、目を見張る速さで足を払いにかかってきた。

 先ほど俺がやった技を真似ているのだろう。俺自身もこの闇闘技場で技を盗み、腕を磨いてきた身であるがこいつの成長速度は異常すぎる……いや、それとも元々の身体能力のなせる業なのだろうか。

 現にこいつはここで初めて会った頃は見習い戦士以下の技術しかもっていなかった。しかし最初はその身体能力で無理やりねじ伏せて勝っていたのが、今は徐々にその技が磨かれている。未熟ながらその身体能力で技を成立させているのだ。

 

「ふっ……ざけんなああ!」

 

 足払いを仕掛けてきたナンバー41の足を避けると同時に鎧野郎の胴体を蹴り上げる。俺の丸太のように太い足の全力の蹴りだ。奴はそのまま一直線に天へと吹き飛んだ。

 そして天井近くまで蹴り上げられた奴が落下してくるが……それに合わせて俺も飛び上がる。

 

「落下途中の身動きが取れないところを狙ってくるのか?それとも《武技》か?《武技》なのか?《武技》だったら嬉しいな」

 

 奴は俺が迎撃のために武技を発動するとでも思ったらしい。だが、こんな衆人監視の中で切り札の武技を使うような真似はしない。そのままナンバー41の横を通り過ぎ到達した天井を蹴りつけ落下速度を増すとやつの体に取り付く。

 

「ほぅ?この技は初めてだな」

 

 感心したような奴の声を無視して逆さで落下する奴の両膝の関節を両腕で極め、両足で奴の両肩の関節を固定し身動きを封じる。

 

「この技は……どこかで……ああ、昔の漫画で読んだな。超人が出てくる奴だったか……?」

 

 奴が何か訳がわからないことを言っているが最後まで言わせるつもりはない。そのまま俺とやつの全体重に天井からの加速も加えて頭から石造りの地面に叩き込んでやった。

 

「おおおおおおおおおおおお!」

「す、すげえ……!頭から刺さってるぞ!」

「うはははは!これは死んだだろ!さすがに」

「いやいや、あのナンバー41だぞ。万が一もありえるぞ」

 

 観客は手を叩いて喜んでいる。

 さすがにこれは首の骨が折れただろう。いくら中身がトロールであってたとしても立ち上がるなどあり得ないはずだ……。

 

「なかなか派手で面白い技だった。だが天井のないところでは工夫をしないと無理だな、その場合はどうするんだ?」

 

 平気な様子で上半身を地面から引き抜いて話しかけてくる囚人ナンバー41。これはもう笑うしかない。こいつを力でねじ伏せるのは厳しそうだ。

 

「くっくっく、分かった分かった。てめえは本物だよ」

 

 両手を上げてお手上げのポーズをしてやる。この手の輩は潰すより別の方法で取り込んだ方が早い。

 

「ああ、認める、認めてやるよ。そんな本物の実力者のてめえにうまい話があるんだが乗る気はあるか?」

「ほぅ?どんな話だ?」

 

 観客に聞かれないよう首に手を回して組み合いながら小声で提案するとナンバー41は興味深そうな声を出す。

 

「てめえもいつまでもこんな地下にいるつもりはねえだろう。だが金を稼げば……刑期が過ぎれば解放される、そう思ってるめでたい野郎でもないだろう?」

「え、そうな……ごほんっ。ま、まぁな……分かっていたさ。つい楽しくて長居してしまったがな」

「俺はいつまでもあの糞貴族の言いなりになってるつもりはねえ。どうせ世の中は力こそがすべてなんだ。外に出てその力を……暴力を好きに使って暴れてみたいと思わねえか?」

「外に?」

「ああ、外に出ればここよりもっと自由にド派手に暴れられる。俺らを止められる奴はほとんどいねえ。せいぜい『朱の雫』に『蒼の薔薇』くらいじゃねえか?そのうちやり合うことになるんだろうがな。いや、最近『漆黒の美姫』ってのの話も聞いたか。それから……『邪眼』だったか?おかしな仮面をつけたやつが暴れまわってるとか……相手になるのはせいぜいそのくらいだ」

「……『漆黒の美姫』と『邪眼』?調べた中にはいなかったが……もしかして外に伝手があるのか?」

「ああ、この国のあらゆる裏の組織が新しく変わろうとしている。この機を逃す手はねえぞ?来週の試合まで待つ。それまでに考えておけ」

 

 こいつは俺と同類だ。ここで牙を研ぎ、そして地上に出て暴れるためにここにいる。そう確信しての提案だったのだが、囚人ナンバー41は首をかしげていた。

 

「ふーん……そうなのか……だが断る」

「なぜだ?おまえだってここで終わるつもりはないだろう」

「いや、来週はちょっと予定があってな。試合はないと思うぞ」

「はぁ?てめえは囚人だろが!試合の他に予定なんぞあるはずがないだろう」

「おまえの言う糞貴族のアームストロング伯爵から要請でな。金をばらまいて御前試合の出場枠を取ってきたらしい。そして俺に出場しろとのことだ。裏賭博で大儲けするらしいぞ。どんな面子が出場するのか今から楽しみだな。はははははっ、でもその前にここでもっと技を覚えないとな!」

 

 こんな場所で生き生きと楽しそうに殺し合いをしてる時点でおかしいのだが、どうやらナンバー41は俺が思っている以上に頭がおかしかったらしい。呆然とする俺を無視する囚人ナンバー41は嬉しそうに戦いを続けるのだった。

 

 

 



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第12話 邪眼

 私の名はラキュース・アルベイン・デイル・アインドラ、いえ今は闇を駆る仮面の狩人とでも言っておこうかしら。

 

「風が……泣いているわね……」

 

 私は王都リ・エスティーゼ、中央広場にある時計塔の上から王都を見渡していた。時計塔に登ったことに意味はない……いや、これも我が内から湧き上がる闇の波動が望んだこと。

 

「うふふふふ、静まれ……静まるのよ。まだその時ではないわ……」

 

 私は顔に手をやり仮面のそのつるりした表面を撫でる。

 

「うん……なかなか良いわね!」

 

 今の私はリグリット様から預かった仮面で顔を隠し、頭から被った赤いフードを風に羽ばたかせていた。この何もない真っ白な仮面にただ一つだけ付けられた真紅の宝玉は我が闇の邪眼といっても過言ではないだろう。

 装備も普段とはすべて変えてある。両手のすべての指につけていたアーマリングは外し、代わりに指なしの黒手袋をつけた。

 

「アーマリングもいいけど、この指なし手袋もなかなかいいわね」

 

 服装も普段の白と青を基調としたものから黒一色に変えており、腰にはシルバーのチェーンを巻いてみた。もちろんこれにも意味はない……いえ、これは我が内に眠る獣を解き放たないための枷。そう、枷なのである。

 この格好であれば私を『蒼の薔薇』の冒険者と思うものはいないだろう。

 

「さて……獲物を狩りに行くとしましょうか」

 

 私は手袋を握りしめる。向かうのは王都のスラム地区だ。この国では人間狩りが絶えない。なぜなら王国は奴隷制度を認めており、不法な奴隷狩りを見逃しているからだ。

 当然、無差別に奴隷を認めているわけでなく、金銭的に身売りされた者、犯罪者が奴隷として売り飛ばされたなど理由があって奴隷の身分に落ちる者のみを認めているわけであるが、その法の縛りは極めておざなりなもの。

 それなりの身分の者を攫って奴隷にすればさすがに捕まるが、平民やスラムの人間を攫っても何のお咎めもなしである。もちろん攫われた者の家族は訴え出るのだが、相手が貴族や上流階級の商人では勝ち目はない。

 

 私たち『蒼の薔薇』や一部の冒険者や衛兵たちが巡回をしているのだが、犯罪者があまりにも多く、捕まえられるのはそのごく一部であり、捕まっても貴族の横やりが入って解放されてしまう。

 

「ならばこそ!目には目を!闇には闇で対抗してさしあげますわ!とうっ!」

 

 高らかに時の(とき)の声あげると私は時計塔の屋根からスラムへ向かって飛び立つのだった。

 

 

 

 

 

 

「キャアアアア!」

「うるせえ黙れ!」

「っ!」

 

 今日もスラム街は相変わらずの平常運転である。汚い格好をした男達が婦女子を襲っていた。目的は誘拐なのか強姦なのか、いずれにしてもろくな者ではないだろう。

 

「ったく、大声出しやがって!あの美姫とかいうのが来たらどうすんだ」

「ありゃやべえって話だよな……いきなり足の骨折られたって言うぜ」

「しかも王家のお墨付きまでもらってるとか……容赦ねえって話だよな……ああ、くわばらくわばら」

 

 どうやらここの住民にもあの美姫の噂は伝わっているらしい。確かにあの高潔で気高い冒険者がこの光景をみたら許しておくことはないだろう。

 

「まぁ『蒼の薔薇』とかに捕まるほうがよっぽどマシだよな」

「そうそう。俺もうあいつらに2回も捕まってんだけどさ。馬鹿だよなー、金さえ積めばいくらでも釈放されるってのによ」

「いや、あれも衛兵と癒着かなんかしてんじゃねえのか?釈放してまた捕まえればあいつらも金になるんだしよ」

「ぎゃははははは。持ちつ持たれつってか?」

 

 なんと私達が過去に捕まえた犯罪者たちだったらしい。冒険者組合経由で引き渡したと言うのにこの国の腐敗はどこまで進んでいるのか。

 自分のいままでしてきたことへの無力感とともに堪えないようのない怒りを感じる。

 

「そこまでだ!闇に住まう者どもよ!」

 

 もっと格好のいい登場方法を考えていたのだが、我慢できず私は屋根の上から彼らの前に飛び降りる。

 

「何もんだ!……て本当に何もんだよ……!?はぁ!?」

 

 どうやら私のこの溢れ出る闇の波動に戸惑っているらしい。そうだろう、そうだろう今日の私は一味も二味も違うからね。

 

「ふふふっ……名乗るほどのものではない。今宵この身に宿る邪眼が疼いただけのこと……闇を駆る邪眼がお前たちの悪事を見抜いたまで」

「……何言ってんだこいつ」

「何言ってんだとか言うな!!」

 

 私は素人では視認できない程の速度で男に駆け寄るとその鳩尾に一撃を食らわせる。『蒼の薔薇』の時のような手加減は一切しない。

 冒険者として、そして貴族としての立場であまりむちゃくちゃなことは出来なかったがこの闇の仮面はそれを可能にするのだ。

 ボキボキという音は男の肋骨の折れる音だろう。これで数ヶ月は足腰がたたないだろう。

 

「て、てめぇ!いきなりなに……うごぁ!」

 

 振り向きざまに右ストレート。強化魔法により加算された腕力がもう一人の男が顔面を崩壊させる。顎があらぬ方向に曲がってしまった男はしばらく針金であごを吊らなければ生活もできないだろう。

 

「成敗!!」

 

 予め決めてあったポーズ、右ひざを曲げ左脚はまっすぐにそして片手を天高く上げたもの……を被害者の女性の前で決める。

 決まった!……のだが思ったようは反応がない。なぜ拍手喝采がないのだろうか。

 

「あ……まず怪我の治療よね……」

 

 怪我した相手に拍手喝采を求めるなんてどうかしていた。思わず素に戻って治癒魔法を発動させる。

 

「<軽傷治癒(ライト・ヒーリング)>」

 

 信仰系治癒魔法で殴られて腫れあがっていた傷は綺麗に治ったようだ。顔を触って痛みがないことを確認すると女性は頭を下げた。

 

「あ、あの……ありがとうございます。お名前を教えていただけますか……?」

「ふふふっ、私のこの邪眼の導きで現れたまでのこと。名乗るほどものではない。さらば!!」

 

 私は跳躍して壁を蹴りながら建物の屋根へと駆け上がる。そんな私に後ろからかすかな声が聞こえたような気がした。

 

「邪眼……イビルアイ様……」

 

 私は屋根から屋根へと移動しながら次の獲物を探す。この仮面を被っていればなんだって出来そうな気さえする。何だか気分が乗ってきた。

 

「今宵の月には我が闇の仮面がよく映えるわ!この王都を我が闇の邪眼の波動で染めてあげて見せよう!はーっはっはっはーーーー!!」

 

 私の名はラキュース・アルベイン・デイル・アインドラ14歳、私の冒険はこれからだ!!

 



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第13話 王都御前試合①

 王都リ・エスティーゼ。ヴァランシア宮殿近くに設けられた試合会場には大規模な観客席が設けられ、大勢の人々が詰めかけていた。

 それもそのはず、国王ランポッサ三世の意向によりこれまでは貴族にしか観戦や出場が許されなかった御前試合が一般開放されたのだ。その目的は身分に限らず強者を求めるというもの。

 ただし、その観戦権はほぼ貴族に限定されており、平民が観戦しようと思ったら多額の金銭が必要になる。それにも関わらず高名な商人や冒険者などは観戦に訪れていた。

 

 ただ試合を楽しもうというだけでなく、試合後にその眼にかなう人間がいたら勧誘しようという考えもあるのだろう。いわば戦士におけるリクルート会場といったほうがしっくりくるかもしれない。

 その中でも一番人気の就職先である王家の面々は特設された特等席から試合の様子を眺めていた。すでに1回戦、2回戦は終了し、次の試合はいよいよ準決勝。このあたりからは全員が有力な勧誘対象になる。

 

「続いては、いよいよ準決勝です!アームストロング伯爵推薦の戦士!モモン!対するは優勝候補の筆頭!剣士ガゼフ・ストロノーフ!」

 

 会場を盛り上げるため司会は大げさに身振り手振りを交えて観衆を煽っている。

 モモンガの前に立つのは短い黒髪に黒い瞳を持つ若者だ。胸当て膝当てといった急所を守る防具を装備しているが動きやすさを考えてか比較的軽装だ。体つきはがっちりしてその分厚い筋肉こそが防具と言えるかもしれない。

 

「モモンはこれまでその鉄の拳のみでこれまで戦ってきました!これまでの戦いでは時間をじっくりかけて相手の技をすべてしのぎ切る防御主体のスタイルで勝ち上がってきております!」

「モモン様がんばってくださーい!!」

「一方、ガゼフ・ストロノーフはこれまでの試合をすべて一撃で終わらせてきた攻撃主体の天才剣士!さあ!いったいどちらが勝つのか!」

 

 別にモモンガは拳闘のみで戦う必要はないのだが何となく格闘技が楽しくてそのまま続けていた。剣が主体の御前試合においてそれは異質であり、観客も興味を持っているようである。

 会場の割ればかりの歓声を背に試合開始が告げられる。

 

「それでは試合開始!」

「モモン様ーーー!!」

 

 モモンガは拳法の構えを取りつつ相手の出方を伺う。相手は平民出身であるものの名の知れた剣士であるらしい。このガゼフという人物を見定めるために王が平民に御前試合を開放したという噂もあるほどだ。

 

(<生命の精髄(ライフ・エッセンス)>、<魔力の精髄(マナ・エッセンス)>)

 

 モモンガはいつものとおり情報系魔法を最初に使う。

 無詠唱化した体力・魔力の感知魔法だ。これにより相手の残り体力や魔力を可視化して見ることができる。

 数値として見えるのではなく色と大きさで判断することができるのだが、激しく高速で戦闘する際にはこのほうが分かりやすい。

 

(ふむ……この体力の大きさからするとレベルとしては20台といったところか?この会場内ではブレインという男と並んで一番体力がある。魔力は非常に低い、純戦士か?)

 

 闇闘技場でもこのように相手の体力と魔力を確認しながら手の内を出し切らせるスタイルで戦ってきた。しかしそれは司会が言っていたような防御を求めてのものではない。

 理由の一つは会場を盛り上げるため。一撃で終わらせてしまったときなどは会場から大いにブーイングを浴びせられたものだ。

 血沸き肉躍る戦いを見に来たというのに5秒で終わってしまったら確かに拍子抜けだろう。

 

 もう一つはモモンガが相手の技を盗むためだ。魔法詠唱者としての戦い方しかしてこなかった自分が戦士として戦うのであれば少しでも強くなりたい。残念ながら武技を得ることはいまだに出来ていないが技術であればそれなりに学んできた。

 

(空間斬とか言ったか……囚人ナンバー4の技は面白かったな……)

 

 見えないほど細い鋼糸状の剣を使い相手の体を切り裂く技はモモンガの興味をとても引いた。モモンガの中二病的な部分を貫いたのだ。

 似たような武器を手に入れて練習してそこそこ使えるようにはなったが実戦にはいまいち向きそうになかったので残念ながら使ってはいない。ロマン武器というやつだろう。

 

「例え相手が格下でも情報収集から入る!さすがモモン様!用心深いです!!」

 

(ってうるさいな、さっきから!!何をやってるんだナーベラルは!)

 

 先ほどからのモモンガへの声援はすべてナーベラルである。

 意気揚々と御前試合に出場したのはよかったが参加者の中になぜかナーベラルがいた。しかも王家推薦枠という立場をもってだ。

 確かに名声を得なさいというようなことは言ったが、これまで一言もその報告がなかったのはどういうことなのだろうか。そしてなぜ当たり前のように声援を送ってきているのだろうか。

 

「ゆくぞ!はあああ!」

 

 モモンガがナーベの声援に頭を抱えていると律儀に一声かけてからガゼフが剣を下段に構えて向かってきた。

 

「むっ……速いな」

 

 ガゼフの動きは闇闘技場で戦ってきたどの相手と比べても格段に速い。闇闘技場の下位の連中ではその動きに対応できず一撃でやられていたことだろう。

 

「はぁぁ!」

 

 しかしモモンガにとっては速いと言っても見切ることは造作もないレベル。

 下段から斬り上げられた剣を首だけ動かして躱し、その隙に胴体へ正拳を叩き込む。もちろん一撃で終わらせない程度には力を抜くことも忘れない。

 

「<不落要塞>!」

「む?」

 

 妙な感触。あって然るべき殴った感触とそれに付随する衝撃が襲ってこない。それどころかお互いにノックバックさえ起らない。拳の力はどこに消えて行ってしまったというのか。

 モモンガは目を凝らしてその原因を探すが何も見つからない。その何も見つからないということが一つの結論を導き出す。

 

「まさか……武技か!?」

 

 確かめるためにモモンガはもう一撃正拳を叩き込む。

 

「<流水加速>!」

 

 今後はゼロ距離近くまで迫っていたモモンガの拳をガゼフはあり得ない加速度で速度を上げて避けて距離を取った。

 

「<りゅうすいかそく>?それも武技か?<ふらくようさい>というのは防御系の武技か?無制限にあらゆる攻撃を防げるとしたら……無敵ではないか。ならばなぜ2発目は同じ武技で防がなかった?継続時間が短い?リキャストタイムが必要?その割に魔力の減少がないな……特殊技能(スキル)に近い?ならば1日の発動回数に限界があると考えるべきか。なぁ、その武技は何回まで使えるんだ?次に使えるまで何秒かかる?」

 

 ガゼフはモモンガの言葉に怖気を感じる。その腕力や技量にではない、その執拗なまでの可能性に追求と相手の手の内を探ろうとする手管にだ。まるで蜘蛛の巣に捕らわれていくような感覚さえ抱く。

 

「……悪いが自分の手の内を晒すつもりはない」

 

 律儀にモモンガに返事をしつつガゼフはこの相手は全力でかからなければ不味いと直感的に感じた。時間をかければかけるほど相手に情報が与えられ不利になっていくだろう。

 

「本気でいかせてもらう!<能力向上><能力超向上>!」

「むっ……体力や魔力が変わらないということは名前的にステータスを上げる武技か?<上位全能力上昇(グレーターフルポテンシャル)>に近い武技か?」

 

 また分析されているという確信とともにガゼフは時間がないことを悟る。手の内を見せるたびに確実に反応してくる。

 

「武技<戦気梱封>!」

「武器が発光したな?<魔力感知(ディティクト・マナ)>。武器に属性を付与したのか?なるほど、それは正解だ。だが何の属性だ?火か?水か?光か?」

「ええい!ままよ!」

 

 先ほどとは比べ物にならない速度でガゼフが迫る。対するモモンガは最初の構えのままだ。ガゼフの斬撃を巧みに手甲を使って(さば)いていく。

 

上段斬り……捌かれる

 

横払……捌かれる

 

中段突き……捌かれる

 

斜斬り……捌かれる

 

下段切り上げからの袈裟斬り……捌かれる

 

神速からの三段付き……捌かれる

 

フェイントを混ぜた多段斬り……捌かれる

 

 右から左からあらゆる方向からあらゆる斬撃を繰り出すがそれを楽しそうにモモンガは捌く。

 時折「ほぉ?」とか「おお、これは面白いな」といった感嘆の声にガゼフは頭に血が上っていくのを感じる。全力でこれだけの攻撃を繰り出しているにも関わらずモモンガは最初の位置から一歩たりとも動いていないのだ。

 

「舐めるなあああああああああああ!」

 

 ガゼフはここぞというタイミングで自身最大の武技を発動する。

 

 

 

───武技<四光連斬>

 

 

 

 これまでガゼフ以外に使えたものがない究極の武技だ。この武技ゆえにガゼフは剣士の世界で一躍有名になったとも言える。

 それは命中精度は落ちるものの一度で四つの斬撃を放つという剣技。これを躱せるものをガゼフは知らない。

 

「<四光連斬>!!」

「すごい……」

 

 モモンガは思わず見惚れる。技の発動までのガゼフの動きには一切の無駄がなく、4つの斬撃が……あり得ないことだが()()()モモンガに向かってくる。

 

「これか!」

 

 モモンガはその内の一つの斬撃を手甲で挟み込む。真剣白羽取りという技だ。闇闘技場でもこの技はなかなかに観客に受けた。紙一重のやり取りが観客の心を沸かせたのだろう。

 そして今回掴んだのはガゼフの握る剣の本体。本体を掴まれれば他の斬撃も無くなるだろう。モモンガのその予測は外れる。

 

「なに!?」

 

 本物の刀身を掴んだというのに他の斬撃が消えないのだ。

 

「まさか……すべて本物の刃なのか!?」

 

 物理的にはあり得ないことだ。剣はあくまでも一本でありそれを掴まれた時点で攻撃は止まる。子供でも分かる常識だ。しかし目の前でその常識が覆されている。

 

「やったか!?」

 

 確実に斬撃は入った。ガゼフが確信の声を上げるが金属の跳ね返る音とともにその確信は覆る。

 

「な……んだと?」

 

 なんとモモンガはガゼフの抜身の斬撃を3発頭部に受けても平然とその場に立っていたのだ。

 

「くぅ!ならば」

 

 ガゼフはその太い腕に血管を浮かせながら剣に力を込める。白羽取りされた剣でそのまま押し斬ろうというのだ。

 

「お、おい。ちょっと……」

 

 モモンガが戸惑ったような声を出す。ガゼフの力で圧迫された刀身からビキビキと嫌な音がしているのをモモンガの敏感な聴力がとらえたのだ。

 しかしそれを力負けしていると受け取ったガゼフはさらに剣へと力を込めた。

 

「ま、待て!」

「ぬうんっ!」

「あ……」

 

 パキンという音と同時にガゼフの力は行き先を失い、たたらを踏む……剣が折れたのだ。

 

「これは……」

 

 ガゼフは自分の手の中に残った剣の残骸を見つめるとため息を吐いて天を仰いだ。

 

「俺の負けだ……」

 

 剣を失った。ガゼフは素手の戦闘にもそこそこ自信はあるが目の前の拳闘士を相手に素手で勝ち目はないと敗北を宣言する。

 

「き、決まったー!勝者!モモン!なんと一歩も動かずにストロノーフの剣を搔い潜り!叩き折りましたー!」

 

 司会の宣言に会場は割れんばかりに盛り上がっている。しかし、モモンガはバツが悪そうに手に残った刀身を見つめていた。

 

「ご、ごめん……いや、すまない」

「どうしたモモン殿?貴殿の勝利だ」

「折るつもりはなかったんだ。わざではない、わざとではないぞ!絶対にな!」

 

 どうやら剣を折ったことを謝っていると気付きガゼフは呵呵大笑いする。先ほどまで死闘を演じていた歴戦の戦士とは思えない一般人のような反応だ。

 

「ははははは、勝利よりも剣を折ったことを気にするとは面白い御仁だ」

「いや、弁償……ってお金持ってないんだよな……ユグドラシル金貨でいいかな……」

 

 モモンガは王都に来て1円たりとも稼いでいない。稼いでるのはナーベラルでありこのまま合流したらヒモ確定の身だ。当然弁償しろと言われても払えるお金はない。

 

「いや、気にしなくてもいいんだが……」

「社会人としてそういうわけにはいかない。仕方ない……代わりにこの剣を渡すので許してほしい」

 

 モモンガはインベントリから青く輝く剣を取り出す。モモンガの持っている中では大したものではない。宿っている魔力は微妙だしモモンガの能力を突破できる力もない剣だ。

 

「大したものではないが、今の剣よりは多少はいい剣だと思う。ブルークリスタルメタルを使ったもので魔力はまぁたかが知れているが……これで許してくれ」

「いや、だから気にしなくても……ってなんだこの剣は!?」

 

 恐ろしいほどの力を感じる魔剣。それはガゼフがそれを一目見て感じた感想だ。事実その剣はこの国の五大秘宝をも凌駕する強さを持っていた。

 

「では、そういうことで」

「いや、待ってくれモモン殿……」

 

 伝説級の秘宝をポンと渡されて戸惑うガゼフを余所に金銭での弁償は勘弁とモモンガは控室へと逃げるように退場するのだった。

 

 



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第14話 王都御前試合②

 私の名前はナーベラル・ガンマ。今は冒険者ナーベとして御前試合などという虫けらの大会に出場している。

 虫けらの分際で『御前』とはなんと不敬であることか。モモンガ様の許可があればその玉座に住み着いた害虫を駆除してやるものを。

 

「へっ、また会ったな。死霊使いの姉ちゃん」

 

 目の前の虫けらが話しかけてくる。しかし死霊使いとは何のことを言っているのだろうか。そしてまた会ったとはどういうことだろうか。

 

「また?」

 

 またも何も目の前の虫けらのことなど一切記憶にない。

 

「え……あの時のスケルトンに乳を揉ませてた姉ちゃんだろ?覚えてないのか?ブレインだ。ブレイン・アングラウス」

「……?」

 

 虫けらの名など覚えるはずがないのに何を言っているのか。そんな当たり前のことも理解していない虫けらの態度に首を捻っている虫けらは何やら諦めたらしい。

 

「ま、まぁいい。死霊使いかと思っていたがあんた剣も一流だったんだな。これまでも俺と同じで一撃で終わらせてるし、あんたと戦うのを楽しみにしていたんだ」

 

 虫けらの言う通りこれまでの対戦者は剣撃だけですべて倒してきた。別に剣が得意だというわけではない。殺すなという命令を守るには魔法で手加減することが難しかったからだ。

 

「それにしてもさっきの試合すごかったよな。決勝でモモンってやつと戦うのも楽しみだが負けたストロノーフってのも相当やるよな。ちっくしょう、両方と当たりたかったぜ」

 

 まさかこの虫けらは私に勝ってモモンガ様と戦えるとでも思っているのだろうか。身の程知らずも甚だしい。

 

「まったく虫けらごときが……。ごちゃごちゃ話をしていないでかかってきたら?煩わしい」

「いや、まだ開始の合図されてねーだろ」

「は?あなたは殺し合いの最中でもそんなこと言うつもり?開始の合図してないから待ってくれって?虫けららしい甘えた考え方ね」

「……」

 

 瞬間、虫けらの体が揺れたかと思うと目の前に迫っていた。虫けらのレベルではありえない動きだ。恐らくモモンガ様がおっしゃっていた武技とか言うものを使ったのだろう。

 虫けらの剣撃をこちらも抜刀した剣で受ける。この剣は市販のものだ。虫けら程度を倒すのにモモンガ様から武器を賜わるわけにはいかない。

 

「ちょっ、ちょっと!まだ開始の合図をしてないですよ!」

「俺の<縮地>を見切りやがったか!だがこれならどうだ?武技<能力向上>!」

 

 虫けらの司会者の言葉を無視してさらに速度を上げた虫けらの剣撃が続く。

 

「ああもう!準決勝第二試合!冒険者ナーベ 対 剣士ブレイン・アングラウス!試合開始ー!」

 

 虫けらの司会者がごちゃごちゃいっているがどうでもいい。この調子に乗った虫けらをどのようにすり潰してやろうか。

 

「どうしたどうした?さっきまでの威勢は。防戦一方じゃねえか。あの時のスケルトンは出さねえのか?」

「くっ」

「ほれほれ、まぁあんなスケルトンを呼んでも俺には勝てないけどな。顔はおっかなかったが全然強そうには見えなかったしな。でもあんな見掛け倒しでも呼び出せば盾代わりにくらいにはなるんじゃねえか?」

「なん……ですって……」

 

 まさかそのスケルトンとはモモンガ様のこと?それを強そうに見えなかった?見掛け倒し?虫けらの分際でそのような言動が許されるわけがない!

 

「どうやら死にたいようね。いいえ……死すら生ぬるいわ!」

「言うじゃねえか!だったらどうするってんだよ」

 

 次第に斬撃の力を強めながら虫けらが笑っている、己の命がもう僅かもないことにも気づかずに。

 

「<次元転送(ディメンションムーブ)>」

 

 転移魔法で虫けらの後ろに回り込む。一方虫けらの剣は私がいた場所で空を斬りつけていた。転移対策をまったくしていない愚かな虫けら……呆れ果てながらその背中を斬りつける。

 

「っとお!!」

 

 なんと虫けらは生意気にも後ろを振り向かずに剣だけで背中への攻撃を防ぎきった。

 

「なんだ!?いつの間に後ろに回った!?嘘だろ?俺の<領域>でも捉えきれなかったぞ!?」

 

 また武技か、本当に面倒くさい。<りょういき>とやらは恐らく探知系の武技だろう。ならばと魔法のターゲッティングを行う。狙うは……。

 

「<雷撃(ライトニング)>」

「うおっ!いってえええええ!」

 

 狙い違わず指先から飛び出したら第三位階魔法は金属製の虫けらの剣へと向かいバチバチと紫電を散らした。手が痺れたのか虫けらは剣を取り落とす。

 

「魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)だと!?死霊使いじゃねえのかよ!」

 

 文句を言いつつ虫けらは取り落した剣を見やる。その剣から雷撃の影響が消えたと見たのか再び拾おうとする虫けら。

 

「やらせると思うの?<火球(ファイアーボール)>」

 

 次に放ったファイアーボールが虫けらの剣を包み込む。燃え上がった剣からは持ち手や鍔は焼け落ちる。残った刀身は真っ赤に輝いていてとても掴める状態ではない。

 

「ちょっ!?何しやがる!?」

「虫けらが道具を使うなんて分不相応。さぁ、地べたを這いずり回りなさい」

 

 真っ赤に燃えた刀身に触ることも出来ない虫けら。武器破壊対策もしていないなんて本当に下等生物だ。

 

「上等だ!武技……」

「<重力(グラビティ)>」

「ぐおっ!」

 

 面倒な武技を発動する前に次の魔法を叩き込む。重力魔法に耐えられないのか虫けらは膝をつき、さらには地面に倒れ伏した。

 

「どうしたの?その程度?さっきまでの大口はどうしたの?虫けら」

「ぐっ、ぐぅ……」

 

 私は一歩、また一歩と虫けらへと近づいていく。そんな私を虫けらは無理やり顔を上げて睨めつけてくる。

 

「ほら、どうしたの?ねぇ?何か言ったらどう?」

 

 私は虫けらの元までたどり着くとそのままその見上げてる顔を踏みつけた。

 

「ぐっ」

「この芋虫が……あなたのような虫けらはそうやって地面を這いつくばってるのがお似合いなのよ」

 

 会場の虫けら達から「おおっ」っという声が聞こえてくる。これは至高の御方に創造された私の力を以ってすれば当然の帰結にすぎないというのに何を驚いているのだか。

 

「さっき生意気なことを言っていた口はこれ?どうしたの?ほら、何か言ってごらんなさい?」

「ち、ちくしょう……てめ…がっ!?」

 

 虫けらが余計なことを囀ろうとしたので不快な顔をぐりぐりと足で踏みつける。

 

「ほらほら、その汚い舌で私の足でも舐めたいの?このゴミムシが!」

 

 顔を上げようとすれば蹴りつけ、手を動かそうとすればそれを踏み潰す。重力で身動きができない虫けらだが、モモンガ様に働いた不敬はこの程度で許されるものではない。

 

「わ、わかった。こうさ……」

「<静寂(サイレンス)>」

 

 降参しようとする相手の声を魔法で封じる。降参などさせてなるものか。まだまだ痛めつけ足りない。

 

「~~~!?」

「何を言ってるの?降参なんてさせてあげると思って?何も聞こえませんよ?この芋虫!」

 

 

 

───それから数十分

 

 

 

 虫けらへの蹂躙はそれはもう執拗に続けた。出来るだけ意識が失わせないための手加減が難しい。ビクンビクンと痙攣しているがこれは意識があるのだろうか。治癒魔法をかけてから続けた方がいいだろうか。

 そう考えていた矢先……。

 

「えー……非情に……本当に非常に残念ですが時間切れです!」

「「「BOOOOOO!」」」

 

 なぜか会場から大ブーイングがあがる。

 

「審判団で協議した結果、ええ……みなさまもお分かりのとおりだと思いますが……勝者!ナーベ様あああああああああああああ!」

「「「おおおおおおおおおお!」」」

 

 割れんばかりの歓声。そしてなぜか私を様付けにしている司会者。よく分からないが虫けらたちも少しは分を弁えたということだろうか。

 目の前でピクピクしている対戦相手の虫けらへの制裁はまだ足りないが仕方がない、次は……と考えて顔が青くなる。

 次の相手は……モモンガ様……?

 

 

 



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第15話 王都御前試合③

 御前試合の決勝戦、モモンガはナーベラルと対峙していた。

 モモンガは<伝言(メッセージ)>を発動させる。ナーベラルに事情を聴かなければならなかったのだ。報告では『まだ冒険者として名声は得られてません』としか言われていない。

 

『ナーベラル聞こえるか』

『はっ、モモンガ様』

『私が何を言いたいか分かるか?』

 

 報告の中にナーベラルが御前試合に出るという話はなかった。取るに足らない依頼をこなしているという話だったのに報連相が出来ないのは問題だ。ここは厳しく言った方がいいだろう。

 

『はい……虫けらの催しとは言えモモンガ様と敵対することになり誠に申し訳ありません!今すぐ責任を取り自害を……』

『待て待て待てそうじゃない!』

 

 何を勘違いしたのかナーベラルは手に持った剣を首に充てて俯いている。流れとは言え至高の存在と敵対しているということがナーベラルの中では許しがたい罪となっているのだろう。

 

『私が言いたいのはなぜこの大会に出場することを報告しなかったのかということだ』

『はい……モモンガ様から名声を得よとのご命令を賜り行動していたのですが……虫けらの催しに出場する程度では名声と呼ぶには程遠くご報告するまでもないと……』

 

 モモンガとしてはそれは十分な名声だと感じるのだが、一体ナーベラルはどこまでを求めているのだろう。

 

『ナーベラルよ、お前の考えている私たちの名声とはどの程度のものを想定しているんだ?』

『それはもちろんこの世界のありとあらゆる者たちがモモンガ様を称え、地にひれ伏し、モモンガ様をこの世界の神として信仰する讃美歌が流れるくらいの名声です。それこそが正しい世界の在り方ではないでしょうか』

「ええー……」

 

 ナーベラルとモモンガの中の名声における基準が違いすぎた。モモンガとしてはこの世界での居場所を探すために、いるかもしれないギルドメンバーの情報が得やすいように、ある程度の情報が入ってくるだけの地位と名声が得られたらいいなくらいの気持ちだったのだ。

 これは説明を怠ったモモンガも悪い。上司の指示がいい加減では部下が間違うのも仕方のないことである。

 

『ナーベラル、私はそこまでは求めていない。これは私の言い方が悪かったな。許してくれ』

『何をおっしゃるのです!愚かな私が悪いのです!』

『いや、私が悪い。もっと細々とした説明をしておくべきだった』

『そんなことはございません!やはりここは自害して謝罪を……』

『やめろ……私が言いたかったのはこの試合の決勝で注目される程度の名声があれば十分ではないのかということだ』

『そうなのですか?』

『まぁな。ちなみにナーベラル。冒険者ランクはどのくらいになった?』

『確かアダマンタイトかと』

『アダマンタイト!?』

 

 事前調査の情報ではアダマンタイトとは冒険者ランクの最高位だ。この国では『朱の雫』という冒険者チームただ一つしかないらしい。

 

『至高の御方であればヒヒイロカネなどの七色鉱が相応しいというのに残念ながら私の力が及ばず……』

 

 ナーベラルは悔しそうに唇を噛みしめるが、モモンガとしては十分すぎる成果だ。最高位の冒険者ということであれば情報を得やすいだろう。

 

『十分だ。ナーベラル、おまえはよくやってくれた。これだけの名声があれば任務達成だ』

『は、はい!ありがとうございます!』

『それならばもうこの試合にそれほど意味はないのだが……どうするか。そうだな……せっかくだ、お前の実力を見せてくれるか』

 

 NPCとしてのナーベラルの設定は知っている。だが自我を持ち動き出した一個人としてはどうなのだろうか。実際のところモモンガはもしかしてこいつはポンコツなのではないかと一抹の不安を覚えている。

 

(いつまでもモモン様と言って様をとらないし、たまに間違えてモモンガ様と呼ぶし……それともそういう設定なのか?)

 

 設定であれば仕方ないがそうでないかもしれない。それに戦闘能力についてもはっきりと知っておきたい。もしかして61レベルだというのにその力をまったく発揮できないかもしれないのだ。それを知らないせいで弐式炎雷さんの娘を失うような真似は絶対に避けなければらならない。

 

『私はこの鎧があるから武器はなしで攻撃魔法も使わない。上位物理無効化や低位の魔法無効化の常時発動型特殊技術(パッシブスキル)も解除しておこう。おまえは本気で私に攻撃してくると良い』

『そ、それはご命令なのでしょうか……』

『ああ、命令だ。私を殺す気でかかってくるといい』

 

 ナーベラルに命令すると<伝言>の通信を切る。そして我々の会話の終了を待っていたようなタイミングで司会者が試合開始の合図を告げた。

 

「それではいよいよ決勝戦です!向かって左側はみなさんご存じ!この御前試合における紅一点でありながら見事決勝まで進出したナーベ様です!」

「「「うおおおおおおおおおおおおおお」」」

「ナーベ」「ナーベ」「ナーベ」

 

 会場から割れんばかりの拍手と歓声が響き渡る。そして巻き起こるナーベコール。もともと依頼なしで困っている人々を救う冒険者として国民的な人気を得ている上に準決勝でやや特殊なファンまで増えてしまったためものすごい人気だ。

 

「そして右手にはあの優勝候補筆頭!ガゼフ・ストロノーフを下して決勝まで進出した拳闘士モモン!」

「「「……」」」

 

 会場になり鳴り響いていた拍手がピタリと止まる。誰一人としてモモンガを応援しようとするものはいない。

 

(何……このアウェー感……)

 

 冒険者としての人気の違いだろうか。それとも見た目が原因だろうか。いつのまにかナーベラルが会場の人々を魅了していた。

 

「試合開始!」

 

 腑に落ちない気持ちはあるものの試合開始と同時にモモンガはナーベラルへ向かって駆ける。

 

 正直モモンガはこの試合は分が悪いと思っていた。一つは魔法がほとんど使えないこと。魔法でなければ物理で戦わなければならないが魔法詠唱者であるモモンガの物理攻撃力は高くない。

 そしてもう一つは……。

 

「<飛行>」

「そうくるよな……」

 

 ナーベラルはモモンガの接近に反応して<飛行>の魔法を唱えて距離を取る。魔法詠唱者が戦士とまともに接近戦をする必要などないのだ。<飛行>などの魔法で遠距離から魔法を叩き込むのが正しい戦い方だ。

 

「ならば……」

 

 モモンガが次の手に打って出ようとしたその瞬間、足元が光り出す。

 

「これは……まずい!!こっちに来い!」

「へ?ちょっとモモン殿!?」

 

 モモンガはナーベラルへの歩みを止めて横っ飛びに飛び去り、さらにそこにいた司会の男を掴むと観客席まで放り投げる。

 

 

 

───次の瞬間

 

 

 

 先ほどまでモモンガたちがいた地面が爆発した。火炎と黒煙が舞い上がり硬い石の闘技上の舞台が大きく抉れてしまっている。

 

「今のは無詠唱化……しかも遅延化した<爆裂(エクスプロージョン)>か」

 

 開始の瞬間に仕掛けていたのだろう。<飛行>で距離を取るのと同時に魔法を発動し、モモンガを誘導した地点で発動するように遅延発動させたのだ。

 

「なかなかやるな……ってやばい!」

 

 <爆裂>で破壊された舞台の数mもある瓦礫がよりにもよって王族の貴賓席へと向かって飛んでいくのが見える。

 先ほどモモンガと一緒に司会も爆裂させようとしたり、どうもナーベラルはものの程度というのを理解していないようだ。

 モモンガは脳内ノートにマイナス点をつけつつ、瓦礫を追い抜き、さらに壁を駆け上がる。そしてなんとか貴賓席に瓦礫が当たる直前でそれを掴むことに成功した。

 

(ふぅ……間に合ったか。こんなことで王族を殺してしまっては名声も何もあったものではないからな……)

 

 危うく手配犯になるところである。

 

「ああ……ええと……失礼しました。陛下」

 

 偉い人との会話などどうすればいいか分からず適当に声を出したが、余りの事態に王族たちは皆固まっている。警備兵まで大口を開けて固まっているのだがそれでいいのだろうか。

 そんな中で一人だけまともに返事をした人間がいた。とても小さな少女だ。金色の髪をしており綺麗な衣装を着ているがその顔は伏せていて表情は見えない。

 

「モモン様。助けていただきありがとうございます」

「う、うむ……」

 

 感謝しているということはこれはセーフということでよいだろうか。良いとしよう。モモンガはその巨大な瓦礫を持ったまま舞台に戻る。

 

『ナーベラル。人間を殺してしまうような戦い方は控えるように』

『あ……申し訳ございません!』

『分かったらよい。さて、次はこちらから行くぞ』

 

 ナーベラルへ<伝言>で声をかけ、試合を再開する。そのための第一手として持ち上げていた舞台の瓦礫をナーベラルへ向かって投げつけた。

 

「モモン様なにを!?」

 

(だから様をつけるな……ってもう言っても無駄か)

 

 投げつけた瓦礫はモモンガの予想通りナーベラルが<飛行>であっさりと躱すが……。

 

「え……」

 

 地上にはもうモモンガはいなかった。投げつけた瓦礫の死角に隠れて一緒に飛び上がったのだ。さらにナーベラルより上空まで投げられた瓦礫を足場にして上下逆さまの状態で瓦礫をさらに蹴りつける。

 

「くっ……」

 

 ナーベラルが避けようとするがもう遅い。腕をつかんだ。このまま両手両足を極め地面に叩きつける。あの囚人ナンバー0が使った技だ。

 

「<転移(テレポーテーション)>」

 

 しかし次の瞬間ナーベラルの体の感触がモモンガの手から失われる。

 

「まぁ……そうなるよな……」

 

 転移のできる魔法詠唱者と対峙すればこうなるのは目に見えていた。それでもせめて一撃をと思っていたが予想通り無理だったようだ。

 

「<魔法最強化(マキシマイズ・マジック)魔法の矢(マジックアロー)>」

 

 すかさずナーベラルから最強化された6本の<魔法の矢>が撃ちだされる。転がりながらそれらをかわそうとするが必中不可避の矢は誘導されるように体に突き刺さってモモンガを弾き飛ばす。

 

「<魔法三重化(トリプレット・マジック)電撃球(エレクトロスフィア)>」

 

 間髪いれずに3連発で範囲電撃魔法が向かってくる。さすがに隙がない。接近されることのデメリットを十分分かった上での立ち回りだ。

 

「なかなかやるではないか。だがまだまだ私の体力は削れていないぞ?」

「くっ……」

 

 悔しそうにナーベラルは唇を噛むと次々と多種多様な魔法を放ってきた。まるで絨毯爆撃だ。魔法が発動する度に闘技場は爆発し、熱風が吹き荒れ、地面が陥没する。

 

「そらどうした?どんどん撃って来い」

 

 正直言ってモモンガは戦士としての自力勝利はないと思っている。だからこそ自滅を狙うことにした。MPが尽き、魔法が使えなくなってしまえば地力の差で勝てる。実に消極的な作戦だが勝利のためには手段を選ばない主義だ。

 もちろん隙あらば一撃食らわせようとは思っている。

 

(でも負ける可能性の方が高いんだよな……まぁ一撃でもナーベラルに当てられたら勝ちと思っておくか)

 

「……さすがですモモン様」

「お前もな。それで、次はどうする?」

 

 ナーベラルは自嘲気味にふっと笑うと地面に手を当てた。

 

「<魔法三重化(トリプレット・マジック)風壁(ウォール・オブ・ウィンド)>!」

 

 まさかの防御系魔法。しかも不可視の風属性の壁は触れてもダメージはないもののノックバック効果を与えてくる面倒なものだ。しかしそれらはなぜかナーベラルを守ることなくモモンガの周囲に壁が作られていた。

 

「なに!?」

 

(逃げ道を塞ぐためか!?……よく分からないがここにいるのは不味い……)

 

「<溺死(ドラウンド)>!!」

 

 次にナーベラルが発動したのは相手を口から肺にかけて水を詰め込む魔法だ。当然呼吸が必要な種族であればダメージを与え場合によっては溺死する魔法であるのだがアンデッドであるモモンガには何のダメージもない。

 

「どういうことだ?いや……まさか!?」

「<魔法二重最強化(ツイン・マキシマイズ・マジック)連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)>!」

 

 いつのまにか土壁からの逃げ道を塞ぐように空中に浮かんでいるナーベラルの両手に激しく暴れる雷の竜が現れていた。そしてそれは当然のようにモモンガへと牙をむいて襲い掛かってくる。

 

「ぐっ……ぐうううううううううううう」

 

 第7位階魔法というモモンガにさえ届く魔法の雷撃により体の表面を焼かれると同時に<溺死>によって濡れた体内にまで電流が届き、体の内と外から電流で焼かれる。あまりの高熱に飛び散った火花は周囲の瓦礫を溶解するほどだ。

 

「これが……痛みか。なるほど痛みによる行動阻害はないか……」

 

 結構なダメージを受けたがそれでもモモンガは100レベルの魔法詠唱者だ。魔法防御力も高いので魔法1発くらいで倒れるほどのダメージは受けない。

 モモンガが自らの状態を確認していると空中にいたナーベラルが地面に両手をついてうずくまっていた。

 

(……どうした?ついに魔力切れか!?チャンス!!)

 

 そう思った瞬間にモモンガは闇闘技場で盗んだ技術の粋を使い、全体重を乗せた綺麗な掌底打ちをナーベラルの腹に叩き込んだ。

 

「~~~っ!?」

 

 ナーベラルは何ともいえない声とともに吹き飛びそのまま闘技場の壁へと突っ込む。そして瓦礫とともに地面へ崩れ落ちた。

 

「よし!」

 

 思わずガッツポーズをする。たとえこのあと引き分けに終わってしまったとしても一撃もダメージを与えなかったとしたら情けなさ過ぎる。

 正直ナーベラルがこれで終わるとは思っていない。きっと立ち上がって反撃してくるだろう。

 

(HPが全然減っていないからな……。魔力は……えっ!?)

 

 攻撃に夢中で気にしていなかったナーベラルの体力と魔力を確認する。体力は十分の一も削れてなかった。そして魔力は……。

 

(魔力も半分以上残っているだと……)

 

 魔力が残っているならなぜあのような隙を作ったのがが謎だった。追撃の魔法を放つことも出来たし、転移や飛行で距離をとる事も容易かったはずである。

 

(いや、これもブラフという可能性もある……もしかして<虚偽情報・魔力(フォールスデータ・マナ)>を使っていたとか?ここはもう一撃入れて様子を見るか……。ぷにっと萌えさんも様子を見るために一発殴るのはいいことだと言っていたし……)

 

 かつてのギルドメンバーの言葉を思い出しつつモモンガは膝を突いて俯いているナーベラルに向けて拳を振り上げ……。

 

「うっ……ううっ……」

 

 ナーベラルの両目から涙が流れていた。悔しそうに顔しかめ何かを我慢するように唇を噛みしめている。

 

「えっ!?なんで!?」

 

 モモンガの感情が振り切って精神沈静化がおきる。しかし泣き続けるナーベラルを見る度に精神が揺さぶられ混乱は収まらない。

 

「おゆ……お許しを……。御身を傷つけ痛みを与えるなど……。うっ……。お許しください……。どうかお許しください……」

「いや、ちょっ、まっ」

 

 どうやらモモンガを傷つけるという行為自体が嫌だったらしい。涙で顔を濡らして許しを請うその姿にモモンガはドン引きであったのだが……。

 

「てめええええええええええ!何をナーベ様を泣かせてんだごらああああああああ」

「謝って降参してんだろうが!それをまだ殴るってのか!!」

「うわぁ……最低!!」

「父上、あのモモンとか言う男は失格にして死刑に処すべきではないでしょうか」

「う、うむ……いや、しかし……」

「ナーベ様がんばって!負けないでえええええええええ」

「ナーベ!」

「ナーベ!」

「ナーベ!」

 

 会場の観客たちの感情あらわにその怒りをモモンガへと向けていた。二人のあまりの攻防に言葉を失っていた観客たちだったが、ナーベラルの涙を見たとたん我に返ったのだろう。

 そして目の前で行われているのは泣いている美姫への虐待。

 

「えっと……。ナーベ様は降参と言うことでよろしいのでしょうか?」

 

 吹き飛ばされていた司会が顔だけ客席から出して問いかけるとナーベラルはこくんと首を縦に振る。

 

「えー……勝者モモン……」

「「「BOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!」」」

 

 司会の投げやりな勝利者宣言とともに会場に怒号のようなブーイングが鳴り響き王都の御前試合は幕を閉じた。

 

 



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第16話 暗殺者襲来

 私の名前はラキュース・アルベイン・デイル・アインドラ。またの名を闇を駆る狩人……おっとそれは昼の間は秘密にしなければならない。今は闇を照らす光がこの身を封じているがゆえに。

 それにしてもこの間は楽しかった。また今夜もひと狩り行きたいものである。はやる気持ちについ手元にある仮面とローブを撫でていると妄想の世界に入ってしまいそうだ。

 

「んふっ……んふふふふふふ」

「どうした?ラキュース、ご機嫌だな。何かいいことでもあったのか?」

「い、いえ! 別になんでもないわ! ガガーラン。えっと……そう! あの時会った冒険者はどうしてるのかなーって考えていたのよ」

「ああ、漆黒の美姫ナーベのことか。聞いたかラキュース、あの冒険者が王宮に呼ばれたっては話を」

「ええ、ラナー様をお助けしたって話ね。それにしてもそんな危険な道を通るなら私たちに依頼すれば良かったのに」

 

 ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセル、彼女はリ・エスティーゼ王国の第三王女である。貴族として知り合いではあるが今いちよく分からない少女だ。いつも暗い顔をして驚くほど痩せている。心配して何度かお見舞いに行ったことがある。

 

「何でもエ・ランテルまでの街道で数日で魔物数百匹を一人で倒したとか聞いたな。それで王女様の馬車が襲われてるのを助けたってよ、さすがラキュースがライバルと呼ぶだけあるな」

「ま、まぁね!でも最近は私も負けてないけどね!」

「そうか?でもあいつもうアダマンタイト級になったって話だぞ」

「え!?」

 

 それは初耳だ。彼女と初めて会ったのが数ヶ月前。その時彼女は冒険者でさえなかった。そんな彼女がもうアダマンタイトになった?

 

「私たちもう追い抜かれてしまったの!?」

「ああ、最初の依頼達成で一気に銀級までなってその後も危険な依頼ばかりをこなして異例のランクアップだ。最後はあれだ、王都御前試合に出て準優勝したってさ」

「御前試合にまで出てたの!?」

「ああ、噂では試合会場が復元不可能になるほどの魔法を使ったらしい。ちっくしょう!見に行けばよかったな!」

「そ、そうなんだ……さすがね……。そういえばあなたはなんで出なかったの?」

「いまさら御前試合なんて出てどうするよ。俺は貴族とか王族へ仕えるつもりなんてさらさらねーぞ」

 

 御前試合といえば王侯貴族に仕官するための登竜門としても有名だ。自由な冒険が好きなガガーランは確かに出場する意味があまりない。しかしあの漆黒の美姫は出場したという。

 

「それにしても意外だな、あの女がそんなことに興味あるとは思わなかった」

 

 ガガーランも私と同じ意見らしい。あれは私と同じく身の内に闇を飼う獣。あの漆黒の美姫がその闇の力で誰かを従えることはあっても誰かに仕えるようなことがあるとは思えない。もし彼女が仕えるとすれば……。

 

「真の闇に潜めし者がいるのね……」

 

 

 

───そうつぶやいた瞬間

 

 

 

「ラキュース!後ろ!!」

「ガガーランも!!」

 

 ガガーランの言葉で()()に気づき、彼女にも即座に私に警告する。

ガガーランはハンマーを、私は浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)の一つを自分の背後へと叩きつけた。するとギャリギャリという金属を引っ搔くような音が部屋に響き渡る。

 

「驚いた……」

「完全に気づかれてた……そう、闇に潜んでいた……」

 

 私とガガーランの影の中から現れた人物。小柄なその二人の女はよく似た顔だちをしていた。双子だろうか。

 

「警告助かったぜ!さすがだな、ラキュース。影に潜まれてたなんて全然気づかなかったぜ!」

「え、ええ……そ、そうね!」

 

 今更妄想をつい口走りましたとは言い出せない。ごまかすようにその暗殺者たちに向けて戦闘態勢を取る。

 

「よく見つけた、褒めてやる。でも死んでもらう」

「覚悟」

 

 言葉少なに殺害を予告する暗殺者。両手に持った小太刀やその黒で統一された独特の服装は南方で使われる布で作られた忍び装束というものだろうか。

 

「<影分身の術>」

「<空蝉の術>」

 

 聞いたことのない魔法だ。その魔法が発動すると双子の片方が二人に増えた。もう一人は体が薄っすらと透けている。

 

「人違いで襲ってきてるってわけじゃなさそうね!私は分身したほうをやるわ!ガガーランはもう一人を!」

「了解だぜ!」

 

 私に向かって複数に分裂した女がゆらりゆらりと揺れるように向かってくる。どちらが本体なのか、それともどちらも実体なのか。確かめる方法ならばある。

 

「ならば……射出! 浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)!」

 

 私を中心に周囲に浮いている剣。これは飾りではない。魔法を付与されたこの剣群は私の意志で敵に襲い掛かる。叫ばなければ襲い掛からないというわけではないが、技名は重要だ。叫ぶことに意味がある。

 

「くっ……」

 

 浮遊する剣群の攻撃を受け、2体に分かれていたうち1体の体が掻き消え、もう一人が襲い掛かる3本の剣をさばいている。

 

「踊りなさい!浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)!!」

 

 顔を片手で隠すポーズを決めながら残り5本の剣を追加で襲い掛からせる。何度も言うが技名を叫ぶことに意味がある。

 これで足止めしたところを超技<暗黒刃超弩級衝撃波(ダークブレードメガインパクト)>で決めよう。いや、それでは宿屋に被害が出るかもしれない……。でもこの階には私たちしかいないはず。人的被害は出ないだろう。それに決め技で決めたほうがかっこいいし……どうしよう。

 悩みながらガガーランの方を見るとそちらも勝負がつきそうだった。

 

「くっ……ふざけた腕力。本当に女?」

「うっせー!おっと手癖が悪いぜ!」

 

 ガガーランのハンマーの衝撃で手が痺れた女は何とか距離を取って飛び道具を取り出そうとするが、ガガーランが接近して蹴りを放ちそれを許さない。

 さすがの相棒ガガーラン。よし、ここで超技を放ってまとめてやってしまうのがカッコいいかもしれない!

 

「ガガーランあれを決めるわよ!」

「なっ……うそだろ!?ここであれぶっ放すのか!?」

 

 有利に戦闘を進めているはずなのになぜか驚いているガガーラン。それを見て暗殺者二人も何事かと顔を見合わせた。

 

「なんかやばそう」

「逃げる?」

 

 暗殺者は私の迸る闇の波動に不安を感じたのか、ジリジリとお互いの背を合わせながら後ずさっている。もうちょっとだけ待ってほしい!もうすぐ私の真の見せ場なのだから!

 

「「<影渡り>!!」」

 

 あとは暗黒刃超弩級衝撃波を発動するだけだと言うのに、二人の暗殺者はズプンと自らの影に飲み込まれ姿を消してしまった。

 逃げられた!なにより私の見せ場がなくなってしまった!そう思ったのが……。

 

「おっと逃がさないよ」

「なんだこいつら?」

 

 部屋のドアが開き、床に2本の剣が突き刺される。中に入ってきたのはリグリット様ともう一人、白い髭を蓄えた老人だ。

 

「な……何?」「これは……暗殺術?」

 

 剣が突き立った影の中から暗殺者たちが現れた。

 

「ああそうだよ。『影縛り』だ。もう動けまい?」

「なぜ忍の技をおまえが……」

「忍びの技がお前たちにしか使えないとでも?これでも顔は広い方でね。あんたらのところの頭領とも知り合いなんだよ」

「戯言を……」

()()()()()()の女頭領は元気かい?」

「「!!?」」

 

 リグリット様の言葉に暗殺者たちの顔が固まる。イジャニーヤとは世界を股にかける有名な暗殺組織だ。なるほど私とガガーランを苦戦させるだけはある。

 

「リグリット様どういうことでしょうか?彼女たちを知っているのですか?それにそちらの方は?」

「こっちの爺は後で紹介するよ。あたしらを消すためにイジャニーヤの暗殺者が雇われたって聞いて待ってたんだよ」

「え?知ってたのですか?それならなぜ教えてくれなかったのですか?」

「なぜ教えなかったって?アダマンタイトを目指そうってあんたたちに丁度いい相手だと思って放っておいたのさ。でも詰めが甘かったね、もうちょっとで逃げられるところじゃないかい……っていうかラキュース、あんたこの宿ごとやっちまうつもりだったろ」

「す、すみません……」

 

 どうも私とガガーランを鍛えるためにあえて教えてくれなかったらしい。そして私のこともお見通しだった。見せ場だとか思っている場合じゃなかったかもしれない。

 

「おいおい、婆さんそりゃねーんじゃねーの。分かってたなら教えてくれよ」

 

 ガガーランはいまいち納得していないらしい。床にハンマーを押し付けたまま仁王立ちしている。

 

「教えたらあんたたち二人とも警戒しただろ?そうしたらこの双子は襲ってくることさえなかっただろうさ。それじゃつまらないじゃないか」

「「……」」

 

 リグリット様の言葉に暗殺者たちは苦い顔をしている。図星なのだろう。

 

「さて、あんたたちの処遇だけどね……」

「「……」」

 

 暗殺者たちの顔に緊張が走る。ミスリル級冒険者を襲ったのだ。よくて牢獄行き、場合によっては処刑もありえるだろう。

 しかしリグリット様の決定は意外なものだった。

 

「あんたたち二人とも『蒼の薔薇』に加わりな」

「「は?」」

 

 双子の暗殺者はぽかんとしてる。私だってぽかんだ。だってそうだろう、どこに今さっき殺そうとしてきた相手を仲間にしようとする人間がいるのだろうか。

 

「どうせ帰ってもあんたたちの掟じゃ粛清されちまうんだろ?」

「なぜそれを……」

 

 確かにイジャニーヤは非常に厳しい組織だと聴いたことがある。裏切り者や任務に失敗したものには厳しい粛清が待っている。だがそれゆえの精鋭であり、依頼者からの信頼に応え続けているとも言える。

 

「っていうかあんたらの頭首にもう話はついてるよ」

「「!?」」

「あとあんたらの依頼主……えっとなんて言ったっけ。そうそう、アームストロング伯爵だったかね、そいつはもう死んでるから。あたしらを狙っても意味がない」

 

 リグリット様は淡々と話されているがそれはとんでもない情報だ。いつのまに暗殺組織の幹部と話をつけていたのか。いつのまに依頼主を屠っていたのか。

 

「リグリット様が依頼主を殺したのですか?すべてを見越して?」

 

 私は尊敬の目をリグリット様に向けるが首を振られる。

 

「いや、もう殺されていた。まぁやった連中の目星はつくけど……まぁ依頼もないのにあたし達がどうこうすることはないね。自滅ってやつさ」

 

 もう暗殺組織からの襲撃はないらしい。嬉しいようなほんのちょっぴり残念なような気がする。

 

「で、どうするんだい?ちなみに頭首は戻ってきたら容赦しないそうだ」

「くっころ……」「心まで好きに出来ると思うな」

「そうかい。じゃあイジャニーヤの頭首に……」

「わかった仲間になる」「異議なし」

 

 どうやらイジャニーヤの頭首と言うのはそれほど恐ろしい存在らしい。しかし『蒼の薔薇』の新しい仲間が暗殺者と言うのはどうなんだろう。闇を抱く私にふさわしい仲間だろうか。

 そんなことを考えていると今まで黙っていた老人が口を開いた。

 

「リグリット。その二人はもう売約済みか?才能ありそうなのに残念だな」

「あの、リグリット様。そちらの方は?」

「ああ……こいつは一緒に御前試合を見に行った友人さ」

「お初にお目にかかる。元冒険者のローファンという」

 

 ヴェスチャー・クロフ・ディ・ローファン!元アダマンタイト級の高名な冒険者である。引退したと聞いていたがどうしてこんなところにいるのだろう。

 

「ローファンは弟子候補を見つけるために。あたしは『蒼の薔薇』の追加メンバーを探しに。あたしたちの目にかなう奴らはいないかと思って御前試合を見てきたのさ」

 

 高名なローファン様と知り合いというだけでも驚きだがその二人が同時に後継者を探しているというのも驚きだった。少なくとも私たちはその眼鏡にかなったようだが、御前試合で誰に目を付けたのか興味がある。

 

「準決勝以上に残った4人は見所があるね。声をかけてみようと思ってはいる」

「おいおい、リグリット。俺の分を残しておいてくれよ。あのガゼフとかいう剣士は俺にくれ。あとは優勝したモモンってやつもな」

「何いってんだい!それを決めるのはあたしたちじゃないだろ。私の希望を言えば決勝に出た二人が欲しいね」

「あの二人か……?確かにあいつらはやばかったな。全盛期の俺に匹敵する。特にあのモモンってやつは鍛えようによっては俺を超えるかもしれん。だが多少は武術の心得があるようだがあのレベルから言えばてんでダメダメだ。自分の腕力で無理やり技を成立させてるに過ぎない。俺が弟子にして一から鍛えなおしてやろうじゃないか」

「でも大丈夫かい?あのモモンは一筋縄じゃいかなそうだよ」

「ああ、決勝でのことか。降参して泣いてる女をさらに殴ろうとかいう腐った根性は俺が叩き直してやるから安心しろ。最初からガツンと言ってやるさ」

「人の性根についてあんたにとやかく言えるってのかい?」

「んだと!」

 

 わいわいと喧嘩を始めるリグリット様とローファン様。二人とも詩人(バード)の歌に謳われるほどの伝説の人物だ。その二人が認めるほどの強者、そしてそのうちの一人はあの漆黒の美姫だという。

 もしも彼女が『蒼の薔薇』に加わったらと想像する。うん、良い……。闇の神官たる私に、闇よりの暗殺者姉妹、そして闇の君たる漆黒の美姫。この布陣は完璧なのではないだろうか。

 頭の中のガガーランが『俺は?』と言っているけど、今いいところだからちょっと黙っててガガーラン。私はますます楽しくなってきた妄想……闇の遊戯にふけっていくのだった。



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第17話 六本の剛腕

 俺の名は囚人ナンバー0。今俺は闇闘技場のオーナールームの血だまりの中にいる。

 部屋の中心に倒れているのはこの地の領主アームストロング伯爵だ。周りには洗練された装備を身に着けた元ミスリル級冒険者の護衛たちが散らばっていた。

 『散らばっている』という表現に間違いはない。俺の拳を食らって五体が満足にくっ付いているはずがないのだから。

 

「ひゃー……派手にやったわねぇ!胸に風穴空いてるじゃない」

「コッコドール、やっと来たか」

 

 約束した時間にやや遅れる形で現れたオカマ野郎。協力者のコッコドールだ。

 

「約束は果たした。今度はお前たちが約束を守る番だぞ」

 

 俺は裏闘技場を取り仕切っていた男から引きちぎった親指をコッコドールへと放り投げる。

 

「もっちろんよ!うふふふふ、この国は変わるわよぉ。古い組織は倒れて裏の組織が一新されるんだから。麻薬、密輸、奴隷、暗殺、窃盗、金融、賭博、警備、それら8つの新しい裏組織みんなが手を組むの。どんなことだってできるわ」

「麻薬というとお前が言っていた新しい薬か」

「ええ、これがもうすっごいの!黒粉っていうんだけどね。うちの娼館の女たちに使ったらそれはもうキまっちゃって嫌がっていた娘も喜んで腰を振るようになったわ。薬欲しさに何でも言うこと聞くから逃げられる心配も減ったのよね」

「そりゃ儲かりそうだな。俺たちにも一枚かませろよ」

「んー?それはあなたたちの活躍次第じゃない?」

「ちっ……」

 

 簡単に言質は取らせない、油断のない野郎だ。だからこそ手を組むに値すると判断したのだが。

 

「んもうっ、そんな怖い顔しないでよ。今まで大きい顔していたお馬鹿さんはあなたが殺してくれたしね。あなたたちの武力期待してるわよぉ。私の娼館ももーっと奴隷を入れて稼ぎたいのにこの間は変な女に部下をほとんどやられちゃってねぇ……」

「それで俺たちの出番というわけか」

 

 俺たちの役割はもちろん警備部門だ。この闇闘技場で俺に賛同した猛者たちのすべてを引き抜く手はずになっている。

 

「おい、牢屋の方は片付いたぞ」

 

 扉から新たな影が現れる。囚人ナンバー1、いや、今はデイバーノックと本名で呼ぼうか……。

 デイバーノックはアンデッド……リッチだ。自らが強くなるための魔法道具(マジックアイテム)を求め、それを買う金を稼ぐためにここに潜っていた。

 

「逆らうやつはやはりいたか」

「ああ、少しな。全員殺したが問題は?」

「もちろんない」

「地下二階の闘技場も終わったわ。貴族の連中がいたから部屋に閉じ込めて部下達が見張ってる」

 

 デイバーノックに続いて現れたのは囚人ナンバー2、エドストレーム。

 薄布を身にまとった身軽そうな出で立ちで整った容姿をしている。魔法武器の複数のシミターを操る女だ。その美貌とは裏腹に殺してきた相手は数知れない。

 

「地下一階も制圧完了したぞ」

「一階部分も終わった」

 

 続々と報告が上がってくる。囚人ナンバー3、マルムヴィストと囚人ナンバー4、ペシュリアンだ。マルムヴィストは凄腕のレイピア使い、ペシュリアンは空間を斬り裂く技<空間斬>を操る。二人とも恐るべき戦士たちだ。

 

「金庫のカギ見つかったぞ。ボスがそいつを殺しちまうから吐かせるのに苦労したぜ」

 

 カギを放り投げて渡してきたのは幻影魔法を使った<多重残像(マルチブルビジョン)>という技の使い手、囚人ナンバー5ことサキュロントだ。

 俺は投げられたカギを受け取りオーナールームに備えられた巨大金庫へと向かう。金に飽かせてアダマンタイトで作らせたのか、ドワーフにでも作らせて魔法でもかかってるのか、この金庫は俺の拳でもぶち破れなかった。真っ先に領主を殺したのは俺の失態だ。

 

「よし、開けるぞ」

 

 重い金属製の扉が開くと中から黄金の煌きが溢れてくる。溢れんばかりの金貨がつまった袋が部屋いっぱいに置かれており、壁沿いの棚には明らかに魔法の輝きを持つ武具が何十と並べられていた。

 

「これは素晴らしい……ボス、手にとってもいいか?」

「好きにしろ」

 

 急くように部屋に入ってきたのはデイバーノックだ。よほど魔法道具が気になるらしい。他のメンバーも歓声を上げて金庫の中を物色している。

 

「ん?なんだこりゃ?ボス」

 

 金庫の中でもとびきり豪華な宝箱を開けたペシュリアンがひとつの書類を取りだして俺に渡してくる。

 

「これは……御前試合の賭札……か?おいおい、とんでもねえ金が賭けられてるな」

「へぇ……ちなみに誰にかけてるんだい?」

「漆黒の戦士モモン……」

「モモン?だれだそりゃ?」

「まず間違いなくあいつのことだろうな。囚人ナンバー41だ」

「ああ!そういえばあいつどこにもいなかったけど御前試合に出てたのか!で、戻ってきたら仲間に加えるのか?」

「いや、あいつはおそらく戻ってこないだろう」

 

 なんとなく確信めいたものを感じる。俺がこの場所で唯一勝てなかった相手だ。奴は去り際にこんなことを言っていた。

 

『ある意味お前には感謝している。お前たちのおかげで武術というものを学べた。仲間になる気はないし、復讐するつもりもない。ここを出たいのであれば勝手にすればいい。俺はアームストロングという人間に恩も借りもないからな』

 

 あれほどの男が床で倒れているこんな貴族の手におさまるわけがないだろう。だがもし戻ってきたらもう一度声をかけてみるのも悪くはないかもしれない。

 

「まったく最後までおかしな男だったな」

「もし戻ってきて敵対したらどうするんだい?」

 

 心配そうにペシュリアンは聞いてくる。こいつは何度かあいつに負けていたな。いや、俺以外は全員あいつに負けている。

 

「心配するな。俺たちはこれだけの組織になったんだ。あいつ一人ではどうしようもない。それに俺も()()は出してないからな」

 

 そう言って俺は腕の刺青を光らせる。あいつとは引き分けに終わったが俺は切り札である武技は一切見せていない。本気でぶつかれば壊れるのはあいつだ。

 

「しかしこの賭け札はとんでもねえな……」

 

 あらためて賭け札の金額を見る。俺が勝てなかったあいつが御前試合で負けるはずがない。この賭け札を換金すれば小さな領地であれば買い占めてしまえるのではないかというほどの金額が転がり込んでくると言うことだ。

 

「コッコドール!」

 

 俺は金庫の中の大きな皮袋の一つを掴むとコッコドールに向けて放り投げる。床に落ちた袋の中からぱんぱんにつまった白金貨が溢れ、チャリチャリと小気味のいい音が部屋に響く。

 

「わぉ、すっごいお金ね」

 

 コッコドールは目を丸くしている。この貴族が何年も貯めこんできた金にこの賭け札も加えれば国庫に匹敵するほどの財産になるだろう。一袋程度渡しても何の問題もない。

 

「持っていけ。お前には世話になったからな」

「い、いいの?」

「手土産だ。派手に行こうぜ。傀儡を作るにも金が要るだろ」

 

 この糞貴族の代わりに影武者を用意することになっている。その前にこのアームストロング伯爵の関係者や邪魔な奴らは皆殺しにする予定だ。

 

「ありがと。他の幹部にもよろしくいっておくわ。囚人ナンバー0……じゃなくて……そういえばあんた本当の名前はなんていうの?」

「名前なんてねえよ……。だが俺はもう囚人でもねえな。だったら……そうだな……」

 

 この国を暴力と血で染め上げてやる。力の強いものこそが報われる。それこそ理想の世界だ。金も権力も名声も全部全部力で奪いつくしてやる。

 

「はははははっ!さらに上へ……もっと上へか。だったら俺のことはゼロと呼ぶがいい。これ以上の上のない頂点!ゼロだ!」

「ふーん。じゃあよろしくゼロ。あんたを幹部として迎えるわ。それで警備部門なんだけど……。その名前はどうするの?」

 

 『警備部門』でもいい気もするがそれでは確かに何の捻りもない。俺は目の前で倒れ伏している男を見下ろす。この国で貴族と言う地位につきながら力の前に敗れ去った男。この男から奪うものなどすべて奪ってしまったと思っていたがこいつは分不相応なものを一つ持っていた。

 

「ふんっ、こいつの名前が豪腕(アームストロング)とは笑わせてくれる。おい、おまえら腕を出せ」

「お、おう……」

「どうした?」

「ボス?」

「なになに?面白いこと?」

「これでいいのか?」

 

 俺の丸太のような腕につき合わせるように5本の腕が差し出される。俺の腕とあわせて6本だ。こいつらは裏組織の警備部門を仕切る俺が認めた実力者たち。

 

「こんな糞野郎に豪腕なんて名前はもったいねえ!俺たちこそ組織の豪腕!『六腕』だ!!」

 

 俺の言葉に5人は互いの目をうかがった後にニヤリと笑って頷く。

 麻薬、密輸、奴隷、暗殺、窃盗、金融、賭博。この国は犯罪の宝庫となるだろう。そこで俺たちの暴力は絶対的な力となる。暴力の時代の始まりだ。俺たちは今まさに手に入れた血と力に酔いながらこの国の新しい夜明けを祝うのだった。

 

 

 



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第18話 (クライム)

 吾輩は犬である。名前はクライム。

 最初の記憶は薄汚い路地でゴミを漁っているところ。いつ誰から生まれ、なぜここにいるのかも分からない。いつもお腹をキューキューと鳴らし食べられるものを探してスラムの中を彷徨っていた。

 

 食べ物屋のゴミ箱を漁っては汚い臭いと殴られ蹴られ泣いていた。でもそんな殴ってくる人たちはまだマシな方である。本当に怖いのは貴族だ。綺麗な格好の人たちには絶対に近づいてはいけない。興味本位で近づいた時には本気で殺されそうになった。

 自分の生まれも歳も分からない。分かっているのはクライムという名前だけ。だが幼い自分がそんな環境でいつまでも生きていられるはずはなかった。

 

 その日空腹と殴られた傷の痛みについに動けなくなり路地裏で蹲っていた。だからと言って助けてくれる人なんていない。こんな場所で動けなくなったらそのまま死んでしまうに違いない。

 薄れゆく意識の中でこの世界でクライムという人間は消えてなくなってしまうはずだった。

 

「どうしたの?大丈夫?」

 

 そんなときだ。天使のように美しい声が耳を震わせる。自分は死んでしまって天国に来てしまったかと思った。しかし、そうではなかった。

 

「私と一緒にいらっしゃい」

 

 見上げたそこには自分と同じくらい幼い少女が見つめていた。瘦せこけた頬に落ちくぼんだ目、もしかして自分と同じように飢えているのだろうかと思った。でも着ている服は自分と全然違う。とても高価そうだ。もしかして貴族だろうか。でも不思議と怖いとは思わなかった。

 

「お腹がすいているの?これ食べなさい」

 

 少女が差し出したクッキーに自分はむしゃぶりつく。数日ぶりの食べ物だ。食べ終わったあとに指まで舐めてから何もお礼を言っていないことに気が付いた。

 

「あ……ありがとう」

「……」

 

 神様はいるのだと思った。目の前のこの人はきっと天使か何かに違いない。こんな自分を救ってくれた彼女にお返しをしたいと思った。そんな彼女が自分をじっと見つめている。

 

「あの……お礼をさせて……何でもするから……」

 

 相手は命の恩人だ。こんな自分に食べ物を与えてくれる天使だ。彼女のために何かをしたい。自分に出来ることは少ないかもしれないが自分の持っているものをすべて彼女にあげたい、そう思った。

 

「今、なんでもするっていったわね?」

 

 少女は無表情のまま自分を見つめていたが、やがて嬉しそうに笑った。その笑顔はまさに黄金、金色の髪がキラキラと輝いてまさに天使様のそれであった。

 

 

 

……と思っていた時期が自分にもありました。

 

 

 

「クライム。あなたは今日から犬よ。返事は『わん』ね」

 

 自分を拾ってくださったのはこの国の第三王女ラナー様だった。ラナー様に拾われてしばらく、天使かと思っていたラナー様は急に奇妙なことを言い始めた。

 

「……ラナー様?」

 

 まだ自分が幼いから理解できないのだろうか。まさか自分に犬になれといったのだろうか。犬になれとはどういう意味なのだろう。

 

「違うわクライム。わんよ、わん、ほらっ言って御覧なさい」

「……わん」

「そうそう」

「あの……何でこんなことをするの?」

 

 質問にラナー様はその小さな手で頬を押さえて考え込む。その仕草はとても可愛らしい。

 

「クライムもこの間の御前試合を見ましたね?」

「え……うん」

 

 周りの大人たちには良い顔をされなかったが、自分もラナー様と一緒に貴賓席に連れて行かれそこで試合を見ていた。

 

「決勝戦を戦ってた人たちを見てどう思った?」

 

 決勝戦……その言葉を聞いてぶるりと震えが走る。あまりに速い攻防で全部が見えたわけではないけれど、二人が動くたびに会場が破壊され、爆発し、炎や雷が飛び散っていた。

 その恐ろしい光と音はまるで災害だった。時折空の上で神様が起こす雷のようだった。

 雷は怖い。どうして昼間なのに空があんなに真っ暗になるんだろう。どうしてあんなに恐ろしい音が鳴るんだろう。なんであんなにピカピカと恐ろしい音で光るのだろう。いつも思っていた。

 あの試合は神様達が喧嘩してるとしか思えなかった。だったらあの人たちは……。

 

「人間じゃない……」

 

 そんな自分の答えが意外だったのか、ラナー様は驚いたようにポカンと口を開けたあと微笑んでくれた。

 

「そうね、クライム。きっと人間じゃないわ。この国のどんな人間でもあんなことは出来ないし、誰も勝つことなんて出来ない。でもこの国のほとんどの人間はそのことを理解出来ていないのよ」

「そうなの?」

「ええ、人間は自分の信じたいことだけを信じるの。ナーベ様が高位の魔法詠唱者だと言っても所詮は一人の戦士に負けた、強大な魔法と言ってもその程度のものだって貴族たちは思ってるわ」

 

 あれを見てそんなこと思えないと思うが、ラナー様がそう言っているならそうなんだろう。自分はラナー様のことを信じている。

 

「優勝したモモン様のことも『強いと言っても個として強いだけで自分の周りの兵士を10人や100人も集めれば勝てるだろう』なんて思っているでしょうね。目の前で見たものを正しく判断できないのね……。それからあの二人はきっとお仲間よ」

「え?」

「きっとモモン様のほうが主人ね……。お父様たちはナーベ様が負けを認めて跪いたと思ってるみたいだけどきっと違う。あれは臣下として跪いたのよ」

「……何で分かるの?」

「ナーベ様の表情とこれまでの情報から……かしらね。きっと間違いないわ」

「でもあの二人は王家に仕えるんだよね?」

 

 周りの大人たちが二人とも王家に仕えさせると言っていた。だからきっと二人は王家の家来になるんだろう。そう思っていたのだけれど……。

 

「いいえ、それは絶対にないわ。それどころかどこにも仕えないでしょうね。王家だけではなく貴族や冒険者、裏の組織までがお二人を引き入れようと動くでしょうけど……。そんなことには絶対にならないわね」

「そうなの?なんで?」

「なぜって……ナーベ様がお怒りだからよ。あの方はずっとずっと怒っていらした……。最初に会った時から……。お父様たちがあの方に失礼なことを言ったときなんか生きた心地がしなかったわ」

「そ、そんなに怒ってたの?」

「ええ、そして今は主人であるモモン様と合流なされたから……。ナーベ様単身ならまだ我慢なされていたのでしょうけど、もし主人であるモモン様が侮辱されたりしたら……きっとあの方は爆発するわ」

「うーん?」

 

 ラナー様の話は難しい。知らない単語がたくさん出てきてよく分からなくなってきた。「うらのそしき」ってなんだろう。ナーベ様とモモン様と今いるこの場所と関係あるのだろうか。

 

「それでラナー様。僕たちはどこにいくの?」

 

 そう、なぜかラナー様と自分は王都郊外の森の入口にいるのだ。お互いの背中には大きなリュックサックを背負っている。少し重いが気にならないくらいの重さだ。ここからは王都が一望できてとても見晴らしがいいけれど散歩だろうか。

 

「この国を出ていくからよ。クライムもついてくるでしょう?」

「うん!」

 

 迷わず返事をする。ラナー様と離れるなんてあり得ない。ラナー様は天使じゃなかったかもしれないけれどまだ全然恩が返せていない。自分がラナー様を守ってみせる。……でもふと思う、王女様って勝手に出て行っていいのだろうか。

 

「ラナー様、連れ戻されたりしないの?」

 

 幼い自分でも王女が家出などしたら大騒ぎになるのではと心配してしまう。今頃捜索隊が出ているのではないだろうか。

 

「あら、そのくらいもう手を打ってありますわ。しばらく私たちを探そうとはしないはずよ?私はブルムラシュー侯のご令嬢が主催するお茶会に出席するために馬車でリ・ブルムラシュールへ向かっているのだから」

「ええ?」

 

 ラナー様は目の前にいるのにブルムラシュー領に向かっているとはどういうことだろう。さっぱり分からない。

 

「彼女には昔、私のことを気味の悪いお化け呼ばわりしていただいたことがありましたわ。今回の招待もきっと私を馬鹿にするためでしょう。うふふ、まさか参加するとは思ってもみなかったでしょうけど」

 

 ラナー様はとても楽しそうに話をされている。ラナー様が楽しいと自分も楽しい。だからこれはきっと良いことなんだろう。

 

「すでに偽装した馬車は手配して出発していますわ。向こうの領地につくまで2週間程度。そこで私が乗っていないことが発覚しますの。そのタイミングで王家にブルムラシュー侯の封蝋で封印された脅迫文が届きます。脅迫主はブルムラシュー侯。当然否定するでしょうけど王家の兵が動きますわね。そして指定した場所を調べると……なんと王国の情報をバハルス帝国へと流していた証拠が見つかりますのよ」

 

 ラナー様は楽しそうに語った後、少し悲しそうな顔になると再度王都を見つめる。

 

「せめてもの置き土産ですわ……その情報を使うも使わないもお父様次第ですけど……まぁ期待薄ですわね」

 

 ラナー様はお父さんに何かを残してきたらしい。きっとそれはとても大切なものなんだろう。自分もラナー様と一緒にこれまで過ごしてきた王都を見つめた。

 今まで悲しいことばかりあった街だけれど出ていくとなると少し物悲しい気分になる。

 

 

 

 ───その時。

 

 

 

 王都中に響き渡るような爆音が木霊した。木々がガタガタと恐ろしい音を立て揺れている。驚いて遠くを見ると王都に黒煙が上がっていた。

 

「きっとナーベ様ね!誰かが言ってはいけないことを言ったのよ!ねぇ、クライム。私は王女をやめてあのお二人の奴隷になるつもり。もちろんあなたも連れて行ってあげるわ。あなたはペットってことにしてあげる。だからあなたはこれからわんっとだけ鳴いていなさい」

 

 ラナー様は自分のような浮浪児を拾ってくださるような方だ。変わった方だとは思っていたがどうやら思っていた以上におかしな方だったらしい。

 

 ……しかしそれがどうしたというのだろう。自分のラナー様のためになんでもしたいと言う気持ちは変わらない。

 犬になれ?ラナー様のためならば犬だろうとなんだろうとなる。ラナー様のためには何でもしたいから。

 自分はラナー様の目を見つめ高らかに宣言した。

 

「うんっ!わかりました!ラナー様!あ、わん!」

 

 



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第19話 〇〇は二十歳になってから

 モモンガは王都の郊外で途方にくれていた。目の前には土下座をしているナーベラルがいる。

 

(どうしてこうなった……)

 

 なぜこんなことになっているかと言うと……。

 

 

 

 

 

 

 時は御前試合の決勝戦に(さかのぼ)る。

 モモンガは決勝後に闇闘技場の人間を探したが誰もいなくなっていた。まだ刑期が残っていたはずだがもともとずっといるつもりでもなかったので気にしないことにした。

 そしてナーベラルと合流したのだが……。

 

「国王陛下がお待ちです。こちらへ」

 

 国王の近衛兵か何かだろうか。他よりも立派な鎧を着た兵士が現れ、二人で王城へと案内されることになった。その間、ナーベラルへの声援がすごかった。そして俺への罵倒はさらにすごかった……。

 

 その後『王家に仕えないか』という勧誘を受け国王ランポッサ三世への拝謁を許されたのだが、それでも王家に仕えるということへの魅力は感じない。

 

(あんな貴族を放置しているくらいだしな……)

 

 当然士官は断ったのだがなぜか国王本人からではなく、周囲の貴族や王子から罵倒を浴びた。

 さらに退室した後には罵倒を浴びせてきた貴族がなぜか自分の領地に来いと言ってきたため辟易として王城を早々に退散することになる。

 

 やはりこの国の貴族はろくなものではないらしい。王族にしてもそうだ。貴族たちが好き勝手に言っているのを御せているようには見えなかった。

 この国に自分達の居場所はないのかもしれない。そう思っていた時に()()()()()が起こってしまった。

 

「おい、お前!モモンと言ったな!俺の弟子になれ!その腐った根性を叩きなおしてやる!」

 

 ナーベラルはずっと我慢していたのだろう。冒険者ギルドで、御前試合で、王族の前で、そして貴族の前で。ずっとモモンガが人間の下に見られるのを我慢していたのだろう。

 しかし、その一言が最後の引き金となった。

 

「ふざけるなよゴミが……私のことならばまだしも至高の存在たるモモン様に対して何という不敬!虫けらの分際でえええええええええええ!<爆裂(エクスプロージョン)>!!」

 

 

 

 

 

 

 死者は出なかったし、一般市民にも被害はなかった。そのあたりの命令はきっちり守っているところがモモンガの頭を痛くする。

 ナーベラルは街中で大爆発を発生させてしまった。そのため、モモンガはナーベラルを連れて王都の郊外へ<転移>で逃げてきたのだ。

 

「あのなぁナーベラル。確かに人を殺してはいない……いないが時と場所を考えてくれ」

「申し訳ございません!あの男のあまりの不敬に我慢ができませんでした!」

 

 それは謝っているのだろうか。それともまたやるという宣言なのだろうか。モモンガはさらに頭を抱える。

 

「次からは気を付けてくれ……。しかし情報収集が中途半端に終わってしまったな……まぁ大半は私が遊んでたせいなんだが……」

「モモンガ様の責任などではありません!この私が不甲斐なかったのです!」

「この都市以外の情報もお前が行ったというエ・ランテルだけか。だがそこもリ・エスティーゼ王国の領地なんだろう?あまり魅力を感じないな」

 

 安心して暮らせる場所を探しているというのにまた偉そうな貴族が絡んでくるかもしれない。そんな気がする。

 

「……と言っても他の国の情報も地理もあまりよく分からないんだよな……地図くらい手に入れておけばよかった」

 

 睡眠も食事も疲労も無効なのでユグドラシルと同じように未知を楽しむという意味で道なき道を行きそこでの発見を楽しむ、というのも良い。良いのだがそれで仲間達の情報が得られないというのもなんとなく違うような気がする。

 できれば人間でも異形でも亜人でもいいので会話が成立する者のいる町に行きたいと頭を悩ませていると……。

 

「こちらがこの大陸の詳細地図でございます。モモン様お納めください」

「おっ、ありがとう」

 

 受け取ってから気づく……なぜそんなものがここにあるのか。そして誰に渡されたのか。目線を下に向けると頭を下げている小さな子供が二人いた。

 その顔には見覚えがあった。御前試合の貴賓席で返事をした少女とその隣にいた少年だ。

 

「……誰だ?」

「私はラナーと申します。こちらはクライム。どうぞ私をモモン様の奴隷としてお仕えさせていただけないでしょうか」

「どっ……!?」

 

(奴隷ってどうしてこんな子供がそんなことを言い出すんだ?っていうかこの地図……すごいな……めちゃくちゃ書き込まれてる……)

 

 おそらく手書きで作っただろう地図を見てモモンガは感嘆する。翻訳の魔法道具である眼鏡(モノクル)を通して読むそれには周辺すべての街道から生息している種族、山脈や湖の名前まで事細かに書かれている。まさにモモンガの求めていたものだ。

 

「奴隷になりたいとはどういうことだ?お前はこの国の王族関係者ではないのか?そんな人間を攫ったなどという風評は困るぞ」

 

 幼い女の子と男の子を攫って奴隷にする。どこのエロゲだそれは。エロゲ好きだったギルドメンバー『ペロロンチーノ』なら喜びそうなシチュエーションだが普通に条例で罰せられるレベルではないだろうか。

 

「私は自らの意志でモモン様に仕えたいのです。必ずお役に立ってみせます。思うにモモンガ様は次の街を目指される様子。地図だけでなくこの世界の知識ならお任せください。たいていのことには答えられます」

「お前が?それを信じるとでも?」

 

 それが本当であれば魅力的な提案だが、にわかには信じられない。この地図も本当に彼女が書いたとは限らないだろう。

 

「モモン様はプレイヤー……なのではないでしょうか?」

「なに!?」

 

 『プレイヤー』。それはユグドラシルプレイヤーのことを指しているのだろうか。この世界に来てからゲーム用語に関することを言われたのはこれが初めてだった。

 

「この世界の歴史を幼い頃より調べております。恐らく100年おきに来訪する異世界からの転移者。それがプレイヤーではないかと……違いますか?」

「……」

 

 モモンガは答えを逡巡する。簡単に答えられる質問ではない。もしかしたらこの少女は敵対プレイヤーの手先という可能性も考えられるのだから。

 

「私の奴隷……仲間になりたいといったな。だが、私の仲間になるには3つの条件がある。一つは社会人……つまり自立しているということだ。誰かに養われていたりする人間を仲間にすることはできない」

「ご安心ください。私もクライムも自立しております。もうこの国に戻るつもりはありません」

「そ、そうか……。二つ目はメンバー過半数の同意……まぁこれはいいか。だが3つ目だ。3つ目の条件は人間ではないこと。お前たちは人間をやめるつもりがあるのか?」

 

 その言葉を聞いてラナーの瞳が驚きに見開かれる。それもそうだろう。これはモモンガが人間ではないと言っているようなものだからだ。それで諦めるかと思ったがラナーは嬉しそうに微笑んだ。

 

「モモン様、私はもとより人間であるつもりはありません。もし人間をやめることが出来るのであればそれを希望します」

「ええ!?」

 

 まさか普通に受け入れるとは思っていなかった。子供なのだから異形種を恐れて逃げ帰るのがオチだと思っていた。

 

(どうする?知識は魅力的だがまだ子供だしな……連れて歩くのはどうかと思うしここは記憶を消して帰らせてから考えるか……)

 

 面倒ごとはなかったことにしてしまうに限る。モモンガがこれから使おうと思っている魔法は<記憶操作(コントロールアムネジア)>。ユグドラシルではクエストに必要なNPCが敵対してしまった時などに誤認識させてクエストを進めたりするのに使っていた魔法だ。

 

「ならばその覚悟を示してもらおうか。私が今から使う魔法を受け入れろ」

「分かりました。どうぞ」

 

 モモンガの前にラナーが(こうべ)を垂れる。

 

「ではいくぞ。<記憶操作(コントロールアムネジア)>……何!?」

 

 モモンガは魔法を発動しラナーの記憶を探る。記憶を遡る毎に驚くほどの魔力が消費されていくが、モモンガが驚いたのはその消費される魔力量ではなかった。

 ラナーの6年間という短い人生……その中からモモンガとナーベラルの記憶を消そうと思っていたのだが……そこからモモンガへと流れ込む思考や考え方があまりにも常軌を逸していた。

 さらに記憶の中で彼女は齢6歳にして何人もの人間を殺していた。殺した人間は同情の余地もないラナーに悪意を持った人間たちだったが……この年でこれだけの経験をしているというのは異常すぎる。

 

(まるで人間じゃない……なんなんだこの少女は……)

 

 記憶の中でラナーはありえないほど卓越した頭脳により数々の政策を打ち出していた。それはモモンガの知っている現代の歴史においても採用されているような優れたものだ。それを彼女はただ一人で誰の助けも借りずに考えだして……そして否定され続けていた。

 

(彼女にとっては人間こそが自分を廃する異形だった……のか)

 

 ふと頭に自分と彼女は似ているという想いが横切る。アンデッドであるがゆえに狩られ続けた自分と優秀すぎるゆえに否定されてきた彼女。

 彼女がこのまま生き続けたとして人間らしく生きることは難しいだろう。彼女の記憶によると王国の未来は長くない。だからこそ彼女はモモンガを頼ってきたのだろう。この国から逃れるために……。

 

「なるほど……おまえはこの国のために輪作や工場製手工業(マニュファクチュア)などを提案していたのか」

「まさか……私の記憶を……?りんさく?まにゅふぁくちゅあ?」

「ああ、悪い。ちょっとな……輪作っていうは確か畑の養分が失われないように豆類などの栽培を途中に挟んで畑を休ませる期間を作るんだったか?マニュファクチュアとは個人製作で効率が悪い商品製作を作業を手分けして工場化することで大量生産を可能にするというものだったかな?」

「も、もしかして……モモンガ様には私の考えていることがご理解いただけるのですか……」

「ん?理解しているというか知っているというか……」

 

 これでもモモンガは小学校卒業という学歴だ。人類の基本的な歴史くらいの知識は普通に持っている。

 

「そうですか……私の話を理解していただけるのですか……」

 

 ラナーは何やら泣きそうな顔をして俯いてしまった。

 モモンガはもう一人はどうなのだろうとクライムと呼ばれた少年に手を伸ばす。

 

「なるほど、ラナーは確かに人間ではないかもしれない。ではクライムはどうだ?<記憶操作(コントロールアムネジア)>」

 

 少年の人生は単純なものだった。モモンガ最初に連想したのは動物だ。いや、その実態は動物以下かもしれない。人に捨てられ搾取され、人間らしい暮らしをしてこなかった少年。それもラナーに会うまでだが……。

 

「彼は……なんだ?」

 

 モモンガは戸惑う。ラナーに合うまでは人間でなかったかもしれない。しかしラナーに会った後、彼はなぜかわんわん言い始めている。

 

「クライムはペット、犬ですわ」

「わん!」

「???」

 

 モモンガの意識が理解の範囲外へと飛ぶ。犬とはどういうことだろうか。そういう性癖なのだろうか。本人も嫌がっているようには見えない。いや、本当に犬なのだろうか。

 

(月の光で犬に変わるとか? 人犬(ワードック)? 人狼(ワーウルフ)ならユグドラシルにいたが……いや、どう見ても人間だろう。でも本人がそうでないというのなら……)

 

 モモンガは混乱しながら判断に迷う。人間を仲間にすることはあり得ない。だが、彼女達は自分たちを人間ではないという。

 

「私にはお前たちは本当に人間ではなくすることが出来ると言ったらどうする?」

「本当ですか!?」

「ああ、例えば天使や悪魔などだ。そう言った種族に変わることが出来ると言ったら変わるか?」

「もちろんです!私は喜んで人間をやめます!クライムもそうですね?」

「うん……あ、わんっ!」

「ナーベラル。異存はあるか?」

「いえ、その者達であれば異存はありません」

 

 人間を虫けらと卑下するナーベラルが珍しく何も文句を言わず同意する。そのことにモモンガは違和感を覚えた。

 

「この子達を知っているのか?」

「何度か見かけました。分を弁えて虫けららしい態度をとっていたので覚えています。奴隷になるというのであれば最低限の礼儀は(わきま)えているでしょう」

 

 評価が良いのか悪いのかよく分からないがナーベラルなりにラナー達を認めているらしい。モモンガは決断する。

 

「そうか……ならば問題はない。では種族変更を……いや、今すぐはちょっと不味いな」

「どうしてでしょうか」

「天使や悪魔は私やナーベと同じく不老不死の種族だ。それゆえに年齢による肉体の成長というものがない。つまり種族変更した場合お前たちはその6歳の肉体のままになってしまう」

 

(人間なのにそんなデメリットを持ったまま種族変更するやつなんているはずがないものな……小さいまま年齢だけが何百歳にもなってずっと生き続けるなんて地獄だろう。ペロロンチーノさんならロリババアとか呼んで喜びそうだけど……いや、まさかそんなやつがいるはずがないか)

 

 モモンガはいくつかの種族変更アイテムを持っている。しかし今それを使うのは不都合が大きいと判断した。戦闘において身長や手足の短さは大きなハンデとなってしまう。

 それまで人間のままということになってしまうが、成長してから使うのがベストだろう。

 モモンガは自らの決断が間違っていないことを確信するとラナーとクライムに向かって高らかに宣言するのだった。

 

「種族変更は二十歳になってからだ!」

 

 

 



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第20話 グリーンシークレットハウス

 ラナーとクライムを仲間に加えることを認めたモモンガはまずは二人の状態を確認することにする。重要なのは二人の装備とステータスだ。

 

「<上位道具鑑定(オール・アプレイザル・マジックアイテム)>、<生命の精髄(ライフエッセンス)>、<魔力の精髄(マナエッセンス)>」

 

 モモンガは判明した情報を見ながら唸る。

 

「うーむ……ラナーは体力の大きさから言うといくらかのレベルはありそうだが……」

 

 ちらりとクライムを見る。問題はクライムだ。

 

「あー……クライムはどう見ても初期値に近いな……年齢から言って当然かもしれないが……」

 

 クライムの体力はユグドラシルにおける初期値、レベルがない状態に近かった。おそらく何の職業レベルも種族レベルも持っていないのだろう。

 

「このままだとまず確実にすぐ死ぬな……持っている装備にも大した付加能力はなさそうだし……ある程度の装備が必要か……よし!」

 

 モモンガのインベントリにはイベントで手に入れたままの放置していた装備や仲間が捨てる装備をもらったものなどが無駄に死蔵されている。それらを使えば当面は何とかなるだろう。

 

「……といってもこんなところでは着替えもできないか。お前たちの話も聞きたいところだし場所を移そう。<要塞創造(クリエイト・フォートレス)>!」

 

 モモンガが発動したのは創造系魔法である<要塞創造>。高さ三十メートルを超える巨大で重厚感のある塔が出現する。拠点を創造させる魔法の中でも防御力に優れたものであり、この中でならば安心して夜を明かせるだろう。

 

「さあ、では中で話をしようか」

 

 モモンガはその重厚な扉を押し開くと中に入る……が誰一人として後ろを続いて来なかった。心配になって入り口に戻るとナーベラルが扉を開けようと四苦八苦しているのが見えた。

 

「どうしたんだ?」

「そ、それがモモン様。扉が開きません……」

「なんだと……?」

 

 モモンガが扉に手をかけるとそれはあっさりと開く。しかしナーベラルたちが押そうが引こうが扉はビクともしなかった。

 

「これは……仲間(パーティ)判定のルールが違うとでもいうのか?この世界に来た影響なのか……どちらにしろこのままでは使い道がないな……」

 

 全ての扉の開閉をモモンガが行うわけにもいかない。右手を振って魔法を解除すると要塞を消し去る。

 その代わりのものがないかとインベントリを探り、あるアイテムを展開した。グリーンシークレットハウス、拠点作成用の魔法道具(マジック・アイテム)だ。初めて見るラナーとクライムには建物がいきなり出現したように見えただろう。

 

「こ、これは……」

「すごい!なにこれ!」

「ちょっとクライム!失礼でしょう!」

 

 クライムが突然現れた建物に目をキラキラとさせて飛び出した。それはそうだろう、何もない空間に一瞬で建物を建てたのだ。

 

「別に砕けた話し方でも構わないぞ。無理してかしこまって話すこともない。子供は子供らしく話さなくてはな。ナーベラル、お前も砕けた話し方で構わない」

「はっ!かしこまりました!」

「わかりましたわ」

「わんっ」

 

 出来ればギルドの仲間たちのように気の置けない関係になりたいと思うのだが、前途は多難なようだ。

 

(ナーベラルはもう駄目だ諦めよう。ラナーは最初からこうなることが分かってたような気がするが……。問題はクライムだな。何でわんわん言っているんだ……)

 

「クライム、仲間になるのだから普通に話していいのだぞ」

「えっ……でもラナー様の犬ですわん」

 

 クライムにはなぜだかそのことが誇らしそうに見える。下僕扱いされて喜んでいるナーベラルに似たものを感じる。

 

「それで……いいのか?」

「わん!」

「ま、まぁそれでいいならこれ以上は言わないが普通に話したくなったらそうしてくれ。この魔法道具の話だったな。これはグリーンシークレットハウスという拠点作成用のアイテムなのだが……立ち話もなんだ。この中で話をしようじゃないか」

「はっ」

「はっ」「うん!あっわん!」

 

 展開された建物に入る。中は白を基調とした高級そうな家具の数々が置かれた過ごしやすそうな空間が広がっていた。ナーベラルたちも問題なく扉の開閉ができている。

 その神秘的なまでの空間にラナーやクライムの足が止まっているが、モモンガは慣れた様子で中に入って状況を確認した。

 

「ふむ……ユグドラシルとの違いはないようだな……こちらの部屋にテーブルがあったはずだ。そちらで話をしよう」

 

 モモンガは扉を開けてリビングへと向かう。ナーベラルがそれに続き、ラナーとクライムは恐る恐ると言った様子で付いてきた。

 リビングに入ったモモンガは中の様子に若干違和感を覚える。

 

「なんだ……?何かが足りないな」

 

 調度品は文句のつけようのないものばかりなのだが何かが物足りない気がする。

 

「ああ……花瓶に何も入ってないな」

 

 ユグドラシルでは装飾品の花瓶には花が飾られていたはずだがそれがない。生物については道具として扱われないということなのだろうか。ユグドラシルとの違いを調べる必要があるかもしれない。

 

「確かに花がありませんね……!モモンガ様!このままではモモンガ様の居城としてこのままでは相応しくありません!すぐに手に入れてまいります!」

 

 ナーベラルが部屋に入ったばかりだというのに止める間もなく、子供たちを連れて飛び出していってしまった。

 

 

───数十分後

 

 

 両手にいっぱいの花を持ったラナーとクライムを連れてナーベラルが戻ってくる。

 

「モモンガ様、私には植物に関する知識がないためこの者たちに選ばせましたがいかがでしょうか」

 

 ナーベラルたちの手にある花々は見たところタンポポや水仙に似たような花が多いように見える。しかしモモンガにはユグドラシル時代のアイテム作成に使う植物くらいの知識しかなく、美的センスについては言わずもがなだ。ならば言うべきことは決まっている。

 

「お前たちに任せる」

 

 丸投げである。

 その言葉にナーベラルはテキパキと指示を出して部屋の中を飾り立てていく。こういったところはまさに出来るメイドである。

 花々が飾られてみると部屋の家具とも色合いが合っており良い感じに思えた。それに友人のNPCと子供たちが一生懸命取ってきた花であるということが微笑ましい。

 

「ご苦労だったな。さて、落ち着いたところで座って話をしようか」

 

 部屋が整ったのでモモンガは椅子に座って話を進めようとしたのだが誰も座ろうとしなかった。見るとラナーがナーベに小声で話しかけている。

 

「どうした?ナーベ」

「はい、モモンガ様。ラナーが言うには今後の方針を決められるのであれば周辺の地理について詳しく情報提供をさせていただきたいとのことです」

「なるほど……それは確かに必要だな」

 

 ラナーからもらった地図は素晴らしいものだが、モモンガには基礎知識が足りない。直接いろいろと尋ねたいこともある。いい機会だ。

 

「では王国の周辺の国について聞かせてもらえるか」

「はっ」

 

 ナーベラルが元気よく返事をするとラナーと小声で話する。そしてモモンガへと向き直ると報告を始めた。

 

「ここから一番近い国であればバハルス帝国という国があるそうです。帝政の国家でリ・エスティーゼ王国との関係はよくありません。それから……」

「ちょっと待てナーベラル」

 

 モモンガが待ったをかける。何かがおかしい。

 

「なぜお前が説明する?なぜラナーが直接説明しない?」

「ラナーを配下に加えたとはいえ序列で言えば最下位の下僕。モモンガ様と直接会話を交わすなど不敬ではないかと……ラナーもそう申しております」

 

(なんなのその伝言ゲーム……。直接話をすればよくない?)

 

 モモンガはそう思うが、確かに会社の社長などに平社員が直接話す機会などほとんどない。上司を通して話をするのであればこれが普通ともいえるが、平社員でしかなかったモモンガは勘弁してもらいたかった。

 

「ナーベ。途中に誰かを挟めば挟むほど話した内容が曲解されたり誤解されたりして正しく伝わらないということも考えられる。もしその必要があるのであれば書面にするという方法もあるが些細なことで字を書く手間も無駄だろう。直接話すことを許す」

「ですが……私程度の虫けらがモモンガ様に直接話をするなど……」

 

 ラナーが顔を伏せながらナーベラルの意見に賛同する。

 

「私はラナーもクライムも仲間に加えると決めたのだ。虫けらなどと自分を卑下するな。そういうわけだ、ナーベ。お前の中継はいらないぞ」

「かしこまりました」

 

 なぜか寂しそうな顔で頷くナーベラル。

 

(え?なんで?なに?あの伝言役やりたかったの?)

 

 NPCの価値観とモモンガの価値観があっていない。ふと見るとラナーがニヤリと笑っていた。

 

(どうしたの!?……何か面白いことでもあった!?)

 

 ラナーの頭の中を覗いたモモンガは彼女が計算高いということは既に把握している。ならばあえてそうしたのだろうと思うがその理由が分からない。天才の考えは凡人たるモモンガには分からない。分からないならとりあえず笑って誤魔化すしかなかった。

 

「ふふふっ……なるほどな。ではラナー、この世界の情報を教えてくれ」

「は……はいっ!」

 

 一方、ラナーは自分の目論見がすべて見通されたと感じ冷や汗を流した。

 直接モモンガに話をしなかったのには訳がある。ナーベラルの存在だ。おそらく最初からモモンガへ直接話しかけたらナーベラルは下僕失格だと見なしただろう。もしかしたら殺されたかもしれない。そんな打算があったのだがモモンガから鼻で笑われてしまった。

 

(やはりこの御方は私の頭脳さえ超える絶対的な御方……)

 

 ラナーの頭の中を読んだとはいえその考えを一瞬で理解してのけたのだ。輪作にしても工業製手工業にしてもさすがのラナーも一瞬で閃いたわけではない。思索の末に導いた答えを一瞬で理解する。まさに超越者だ。

 

「まずは……」

 

 ラナーのこの世界の情報を語り、その情報量にモモンガは頭の中で喝采を送った。

 リ・エスティーゼ王国はトブの大森林を境としてバハルス帝国、スレイン法国という国と接している。またその南方にはローブル聖王国、そして都市国家連合といった国がありこれらが人間のおさめる国らしい。

 大陸全土から言えば人間の生活圏は極めて狭い範囲だ。それ以外には獣人たちのおさめる国や竜王のおさめる竜王国など人間以外のおさめる国が多くあるとのことだった。

 

「なるほど、参考になった。ちなみにアンデッドや悪魔のいる国はないのか?」

「アンデッドや悪魔ですか?そのような国の存在は確認できてませんわ」

「そうか……お前たちには明かしておこう。私の目的はかつての仲間たちを探すこと。そして私たちを受け入れる居場所を見つけることだ」

 

 モモンガは覚悟を決めて魔法を解除する。その姿が漆黒の鎧の戦士から骸骨の魔法詠唱者へと変わる。

 

「やはりモモン様は人間ではなかったのですね……」

 

 それを見たラナーの第一声がそれだった。驚いた様子はない。クライムもキョトンとした顔をしているだけだ。そもそもアンデッドという存在自体を知らないのかもしれない。

 

「私は超越者(オーバーロード)、ナーベラルは二重の影(ドッペルゲンガー)という種族だ。私のかつての仲間には悪魔やゴーレム、スライムに鳥人、蟲人など様々な異形がいた。我らを受け入れてくれる国というのはあるのか?」

「申し訳ありません、モモン様。私では分かりかねます。少なくとも人類の守護を標榜し他種族の排斥を行っているスレイン法国は難しいでしょう。またリ・エスティーゼ王国はそれ以前の問題です。人間ですらこの国でまともに生きていくのは難しいかと思いますわ」

「まぁ……そうだな」

 

 ラナーから詳しく聞いたリ・エスティーゼ王国の現状は一言でいえば「詰んでいる」である。貴族の腐敗が横行しすぎてもはや歯止めが利かない。

 

「分かった。では順に回ってみるか。近いところで言えばバハルス帝国か。まぁその前にやることがあるのだが……。まずお前たちの持ち物を見せてくれ」

「えっ……あ、はい」

 

 戸惑ったようにラナーが返事をし、クライムが背負っていた大きいバックから荷物を出していく。

 着替えや靴の替え、食料、野営関係の道具類等に加えて魔法道具と思われるものも一部ある。モモンガは一つずつ興味深く鑑定を行っていく。

 魔法道具はとるに足らないものばかりだが、ユグドラシルになかったものもあり、現実世界ではしたことのない野営の道具などは使い方をぜひ知って体験してみたいものだ。

 

「なるほど……いろいろ考えて持ってきたのだな」

「いえ、モモン様にとっては価値の低いものばかりかと……。このような強大な魔法道具があれば野営などする必要もありませんし……」

「そ、そんなこともないぞ!時にアンダーカバーとして野営の真似事をする必要があるかもしれない!うん、ぜひ今度やってみよう!」

 

 ラナーは少し考えこんだ後頷く。

 

「なるほど……さすがモモン様。深淵なるお考えがおありなのですね」

 

 モモンガはちょっとキャンプ気分を体験したいというだけのつもりだったのだが何故か深淵な考えにされてしまった。尊敬の眼差しが痛い。

 

「ごほんっ!これらの道具ではお前たちが外敵からの攻撃から身を守れるのかは不安だろう。さすがにそのままの装備ではすぐ死んでしまうだろうからな。まず装備を渡しておこう。まずは維持する指輪(リングオブサステナンス)だ。これで疲労・睡眠・食事は無効になる。だが成長期だろうから食事はしっかりとるように。睡眠もだぞ。夜9時には寝るように。それから相手の体力魔力鑑定用の指輪、移動阻害防止の指輪、恐怖防止の指輪、麻痺防止の指輪、即死耐性の指輪、毒耐性の指輪、暗闇耐性の指輪、沈黙耐性の指輪、時間対策の指輪……これで装備個所は埋まってしまうか」

 

 モモンガはインベントリから出した指輪をテーブルに並べていく。魔法の輝きを放つそれらは装飾品としても一級品と呼べるものであり、ラナーもクライムも目を見開いてそれらを見つめる。

 

「それから首に会得経験値増加の首輪は……もうちょっと後だな。今は滑落防止のために<飛行>の魔法を込めたネックレスを渡しておこうか」

 

 さらにゴツゴツした鉄製の首輪と翼の装飾が付けられたネックレスが机に置かれた。

 

「それから身体防具についてはどうするか……。確かイベントで無駄にもらったものがあったな」

 

 モモンガはインベントリの奥を探る。<無限の背負い袋>と違ってショートカットが割り振れず即座に取り出せないのがインベントリの欠点だ。

 

「ラナーには……これはどうだ?」

 

 モモンガが取り出したのは真っ赤な衣装だ。頭巾のついた上着もズボンも一部の白い装飾を除きすべて真っ赤であり、これをラナーが着れば赤ずきんと呼ばれるかもしれない。

 

「クリスマスのイベントでその日限定のアイテムを特定数集めると交換してもらえるサンタセットだ……50レベル程度の微妙性能なんだが今のレベルのうちはまぁ使えるだろう」

 

 ユグドラシルでは各種季節ごとのイベントというものがあった。クリスマスイベントも同様であり特殊アイテムと交換で限定アイテムが貰える。

 そのイベントではその日のみ敵を倒すと一定確率で特殊アイテムが手に入る仕様だった。得られるアイテムは敵のレベル帯毎に異なりモモンガがこのアイテムを手に入れるために倒していた時敵のレベルは優に80レベルを超えていた。

 完全に見た目だけのファン装備のためのイベントである。

 

(それでもクリスマスに恋人もなくゲームにログインしてる仲間と敵を倒して一応取ったんだよな……一回も着なかったけど……)

 

 ユグドラシルは十数年運営を続けたが、クリスマス限定の強アイテムやモンスターが出現という話は聞かない。

 しかし考えてみれば当然かもしれない。ユグドラシルの課金層の多くは富裕層であり、生活に余裕がある人々がクリスマスに一人でいることなど運営が想定するはずもない。逆に限定の強アイテムなどを出したら苦情が殺到することだろう。

 

(いや、あの糞運営ならやりかねないか……見つからなかっただけで……)

 

 そんな悲しい思い出とともに手元に残ったのがそれであった。

 

「クライムにはどうするかな」

 

 モモンガはクライムを見つめる。ワクワクしたような表情をしているが、そこまでいいアイテムを渡すことは出来ないのに若干罪悪感を覚える。子供なのだし子供らしい衣装がいいだろうか。

 

「うーん……これでどうだ?」

 

 インベントリから取り出したのは犬の着ぐるみだ。何かのゲームとのコラボ装備でこれも50レベル程度のものだが全身装備ということで防御力は高い。

 

「すごい!これをくれるの!?」

 

 クライムにとってテーブルに並べられた指輪など装飾品の数々と同じように犬の着ぐるみもキラキラして見えた。クライムにとってはまるで宝石箱の中身である。

 

「そんなにすごいか?」

「うん!すごい!これはモモン様が作ったんですか?」

「いや、私と私の仲間たちが手に入れたものだ。まぁ大したものではないから気にするな」

「すごい!モモン様のお仲間もすごいです!」

 

 かつての仲間たちを褒められたモモンガは破顔する。確かに大したアイテムではないのだが、ユグドラシルでの仲間たちとの思い出が詰まっているといえる。

 気分を良くしたモモンガはその無骨な骨の手でクライムの頭を撫でる。

 

「よしよし、ならばまずそれらに着がえてくれ。今の装備は防御力が弱すぎる」

 

 モモンガの言葉にラナーとクライムは目を見合わせるとモモンガの目の前で服を脱ぎだした。6歳の男女の初々しい肌が露出する。

 

「ちょっ、ちょっと待て。着替えるなら隣の部屋でやれ。べ、別にやましいことなど何もないが人前で肌を晒すものじゃない」

 

 ペロロンチーノなら大喜びでガン見していたかもしれないが、さすがに幼女や男児の裸を目の前で見るのは色々と不味いだろう。通報されてしまう。

 モモンガの言葉に二人は装備を持って隣の部屋へ移動すると着替えて戻ってくる。

 

「まぁなかなか似合うな」

 

 見た目は赤ずきんと犬。魔法道具であるためサイズは自動的に調整され二人にフィットしている。イベントの仮装用衣装ということもあって特に子供にはよく似合っている。

 

「これで多少の攻撃には耐えられるだろう。次に所持している特殊技能(スキル)や魔法は……まぁさすがにないか」

「モモン様、私は第0位階が1つだけ使えますわ」

 

 モモンガの予想に反してラナーは一つだけ魔法を使えるらしい。第0位階魔法というユグドラシルで聞いたことのない位階に興味を覚える。

 ラナーの話によると第0位階魔法というは『生活魔法』とも呼ばれるもので、『水をお湯に変える』、『砂糖や塩を生み出す』、『水を桶いっぱいだけ出す』など攻撃力が皆無で生活に密着したものらしい。

 

「私の使えるのは<(アシッド)>です。飛ばすことも出来ず桶いっぱい程度の酸を生み出すだけですが……使い道としては始末した人間を溶かして……」

「いや、いい。もうわかった」

 

 ラナーの記憶にそんな感じのものがあったと思い出す。記憶を共有したモモンガとしてはあまり思い出したくない記憶だ。

 

「武器については職業(クラス)適性を見ながら渡してレベルを上げていくか……」

 

 モモンガが説明を続けようとしたその時、ぐーっと大きな音がなる。クライムが恥ずかしそうに顔を赤らめていた。

 

「ああ、もうそんな時間か」

 

 気が付けば外が暗くなっている。アンデッドであり寝ることも食べることも出来ないモモンガはもはや『食べる』という感覚さえ忘れかけていた。

 そしてラナーとクライムのリュックの中に入っていた携帯食料を思い出す。

 

(あれは……俺の世界の食料より酷かったな)

 

 カチカチになったパンや干し肉などさすがに成長期の子供に食べさせるものではないだろう。

 

「何か食べるものは持っていたかな……」

 

 モモンガがインベントリの中で探るのはイベント用の特殊アイテムだ。交換用アイテムとして食料品があったはずである。食べても体力の回復量が微妙でバフ効果もさらに微妙なのだが、ただの食料としてなら問題ないだろう。

 

「クリスマスイベントの『七面鳥のロースト』にバレンタインイベントの『チョコレート』、ホワイトデーイベントの『クッキー』、ハロウィンイベントの『パンプキンパイ』……」

 

 恋人たちのためのイベントの際もゲームにログインしていたということの証明であり、それを数千個単位で持っているという事実に何だか悲しくなってくる。

 

「これらはお前たちの《無限の背負い袋》に入れておこう。水が飲みたくなったらこの無限の水差し(エターナル・オブ・ウォーター)を使うといい」

「こ、これらの品は……なんていうことなの……」

 

 ラナーは驚愕していた。どことも分からない空間から取り出した大量の料理が作りたてのように湯気を出していることも驚愕だが、その出されたものそれぞれが完全に何もかも同じだったのだ。形から色合い、焦げの付き具合など寸分の狂いもなくすべてを同じにするなどどんな料理人にも不可能だ。

 

(こんなことが可能なのは……)

 

 ラナーはモモンガへの評価をさらに一段階引き上げる。神の所業、それを目の前に見せつけられて。

 

「こんなところだ。大したものがなくて悪いが食べるといい」

 

 モモンガの言葉にラナーはよだれを垂らしているクライムを押さえつける。まずは上の立場であるナーベラルが口にするのを待たなければならないだろう。

 

「ありがとうございます。さすが至高の御方の食べ物。素晴らしい出来です……」

 

 並べられたナイフとフォークを使いナーベが恍惚とした表情で食べ始める。その仕草はマナーの見本のようでとても美しい。おそらく味よりもモモンガから与えられたということを喜んでいるのだろう。

 

「どうした?お前たちも食べるといい」

「おいしい!」

 

 言われた瞬間かぶりついたクライムが叫ぶ。ラナーも初めて食べる鳥の料理だがその甘辛い味わいが口の中に広がり噛みしめる度に肉汁が口の中に溢れてくる。

 クッキーも王城でラナーに与えられたものとも比べ物にならない。色とりどりのジャムやクリームが挟まったそれらは絶妙な甘さをサクサクとした感触を歯と舌に伝えてくる。

 チョコレートは口の中に入れたとたんに蕩けるような甘さとわずかな苦みが口の中に広がる。

 王城で高級料理を食べていたラナーでさえこれらの食べ物に一つの欠点も見つけることが出来なかった。完璧な仕事である。

 

「うまそうだな……」

 

 あまりに美味しそうに食べる3人に一人食べられないモモンガは若干の寂しさを感じる。

 

「ナーベ。ちなみにその七面鳥のローストはどんな味なんだ?」

「そうですね……アルフヘイム産のワイバーンロードの肉の味に近いかもしれません」

「……」

 

 ゲーム内の肉に例えられてますます興味をそそられるが余計に分からなくなった。なんで俺だけ食べられないんだという嫉妬の視線がナーベラルに刺さる。

 

「ところでナーベ。今日の人間への対応はよくなかったな」

「んぐっ……」

 

 思わず鶏肉をのどに詰まらせ手を止めるナーベラル。急いで口の中のものを飲み込むと頭をテーブルに叩きつける。

 

「申し訳ございませんでした!」

「いや、私の言い方も不味かったところはある。お前と私の間での常識が違うようだ。まず初対面であれば人間であれ何であれ丁寧に対応する必要がある。いきなり上から目線で見下すなどしてはならない」

 

 これでもモモンガは小学校を卒業してから会社員として生活してきたのだ。社会人の先輩として対人関係にはある程度の自信はある。相手が他の会社の人間だろうと取引先だろうと横柄な態度を取れば会社の評判は一気に下がってしまうだろう。

 

(このパーティーはナザリックと一緒で俺がまとめ役、つまり上司だ。部下にそんな態度を取らせるわけにはいかない。ナーベラルには若干……いやかなり常識が欠如している。上司である俺が手本にならないとな……ならば……)

 

「よし……分かった!次の対人交渉は私に任せるといい。正しい人との接し方というものを見せてやろう!」

 

(ふふふ、見ているがいい!ナーベラル!普通の社会人の対人能力というものをな!)

 

 新しく仲間になった子供たち、そしてかつての仲間の娘、彼らに必要なのは強さよりもまず常識だ。そして普通の対応などは一般人であったモモンガのお手の物と言える。

 モモンガは立ち上がるとその瞳にやる気を漲らせるのだった。

 

 

 

 

 

 

 その頃、リ・エスティーゼ王国のロ・レンテ城には複数の貴族たちが集まっていた。彼らはラナーの工作により王女が失踪したとは誰一人考えていない。議題の中心は先の御前試合の出場者についてだった。

 

「王都での爆破事件ですがモモンとナーべ殿の両名がやはり現場で目撃されているそうです」

「だが被害者はいないのだろう?」

「攻撃を受けた元冒険者の老人は衣服が焼け焦げておりましたが無傷でした」

「怪我人はなしか……だがそんな者たちを王家に仕えさせて本当によろしいのですかな?」

 

 発言力がある貴族たちから様々な意見が出される。その中には件のブルムラシュー侯をはじめ四大貴族の面々も含まれていた。

 

「父上、彼らを他国に渡してはなりません。ぜひ我が国に取り込まねば禍根を残します。被害者が出なかった以上その件は不問にするのがよろしいかと」

「珍しく気があったなザナック。父上、ぜひナーベ殿は王城に招きましょう。そして従者とし私の部屋の離れに部屋を与えてはいかがでしょうか?」

 

 二人の王子は同じようなことを言っているが、ザナックのそれは王国の未来を考えてのもの、パルブロのそれは己の欲望を満たすためのものである。しかしランポッサは兄弟仲が良いことだと顔を綻ばせる。

 

「おまえたちの意見は正しい。ただし彼らに事情は聴かねばなるまい。問題がなければ不問とする。そして返事は保留されているが今一度王城に招き、正式にこの国に仕えるよう勅令を出そう」

「父上、それであれば適任の者がおります。フォンドール男爵!」

「はっ、ここに」

 

 一歩前で膝をついたのはパルブロお抱えの貴族の一人、アルチェル・ニズン・エイク・フォンドール男爵だ。その人間性は上へは媚びへつらい、下には極めて横柄で残酷な対応をする人物である。その人選にザナックは顔をしかめる。

 

「父上、モモン殿もナーベ殿もあれだけの力の持ち主。引く手は数多でしょうし、帝国にでも引き抜かれたら多大な損失です。国賓としてもっと立場のある人間を出すべきではないですか?」

「何を馬鹿なことを言っておるのだ、ザナック。聞けばあのモモンという男は平民であると答えたそうではないか。そんな男がナーベ殿のような方と一緒にいたというだけでも腹立たしい。いや、そんなことより貴族の品位が疑われるぞ」

「そのとおりです。陛下の名代としてアルチェル殿が出るだけで十分な礼儀でしょう」

「平民程度に舐められては今後にも秩序維持にも差し障りますからな」

「……」

 

 数々の貴族たちがいるにも関わらず誰一人自分に同意しないことにさすがのザナックも黙り込むがその顔は納得しているものではない。

 

「よし分かった。ではフォンドール男爵に命じる。モモン殿とナーベ殿を説得し王城まで連れてくるように」

「はっ、私にお任せください。モモンとナーベの両名を必ずや連れてまいります」

 

 王国の貴族らしい尊大な笑みを浮かべながらそう答えるアルチェルにザナックは不安な顔を隠しきれずにいた。

 

 



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第21話 普通の社会人の対人能力

 昨夜はいろいろ大騒ぎだった。モモンガの出した食べ物を食べては騒ぎ、部屋の柔らかいベッドに乗っては騒ぎ、捻れば水の出る蛇口に騒ぎ、お湯の張った大浴場に騒ぎ、子供というのは元気だなと思っていたら夜が更けていた。

 一睡もすることが出来ないモモンガはインベントリから適当な本を取り出して読んでいるうちに夜が明けてくる。

 

(これユグドラシルのアイテムなのに中にきっちり文字が書いてあるんだよなぁ……)

 

 『死者の書』という名前のアイテムで本来はアイテムとして使用するものなのだが、中を見てみると魔法関係のことが細々と書かれていた。

 

(死者変質における魂の異質化ってなんだよ……)

 

 もう少し簡単な本にしておけばよかったと思いつつパラパラとページを捲っていたその時……。

 

───ドンドンドンドンドン

 

 扉を叩くけたたましい音が鳴り響く。何事かと部屋から飛び出ると甲高い声がそれに続いて聞こえてきた。

 

「扉を開けろ!国王陛下からの使いである!!」

 

(国王からの使い?もう話すことはないはずだけど……)

 

 仕官を薦められはしたが『考えさせてほしい』と答えた。『考えさせてほしい』イコールお断りと言うことである。相手を傷つけずに柔らかい形でお断りを入れたはずなのになぜという疑問がモモンガの頭をよぎる。

 

「モモンガ様!ここは私が排除してきましょう!」

 

 モモンガと同じく飛び出してきたナーベラルや子供二人が戦闘態勢で入口へと突入しようとするので慌てて止める。

 

「待つんだ。ここは私が対応するからよく見ているといい」

 

 今こそ元社会人の本気を見せる時だ。ここで彼女たちに手本を見せておこう。

 アポイントもなしに来たのならば恐らくクレーマーの類だ。クレーマー相手にこちらも頭に血を上らせて反論や暴言などを吐いた末に、噂や映像を拡散され何も悪くないのに炎上し、会社に迷惑が掛かるというのは現実世界でも往々にして起こっていた。

 

「相手が怒っていようと初対面の相手には丁寧に接しなければならない……」

 

 尊敬語を使えとは言わないが少なくとも丁寧語で接するのが常識だろう。

 

「おはようございます、どちら様ですか?」

 

 モモンガはドアを開けると出来るだけ明るい声で挨拶をする。挨拶は大切だ。加えて笑顔をサービスできれば最高であるが残念ながら無骨な鉄兜では無理だった。

 

「ふんっ、さっさと出てこい。お前がモモンだな。ナーベ殿も一緒にいるのか?」

 

 表には数人の兵士と思われる男たちと後ろで踏ん反り返っている身なりの良い壮年の男がいた。大声を上げていたのはその男の部下と思われる兵士だ。

 

「ええ……中にいます」

「そうか。こちらにおわす御方は国王陛下の名代としていらっしゃったアルチェル・ニズン・エイク・フォンドール男爵である!頭が高いぞ!」

 

 いきなりの上からの対応。お客さまは神様だと言い張るクレーマーに近いその態度に一瞬怯むがモモンガはそれでも笑顔で対応する。

 

「これはようこそいらっしゃいました。フォンドール男爵。私はモモンと申します。こんなところではなんですので話は中で聞きましょうか」

 

 まず大切なのは相手の話を聞くことだ。傾聴の心を忘れてはならない。そして相手の話を最後まで聞くまではどんなに反論があっても我慢する。その後に相手を怒らせないようアサーティブな対応が出来ればベストである。

 さらに場所を移すことも有効だ。現在怒っている場所から場所を変えることでその気分を変えて落ち着かせるとしよう。

 

「それもそうだな。男爵を外で待たせるわけにもいくまい。しかし……これはなんなんだ?」

 

 森の中にいきなり現れた建物に訝しむ視線を送る兵士をよそにアルチェルはのしのしと中へ入ってきた。

 

「ふんっ、平民風情が待たせおって……なっ……」

 

 アルチェルの声が止まる。そこに広がっていたのは見たこともないほどの白く美しい空間。調度品の一つをとっても細かな意匠が凝らされている。男爵という地位についていてもこれほどの宝を見たことはなかった。

 

「ずいぶん立派な家具を持っているのだな……」

「え?ああ、ありがとうございます。そちらのソファにお掛けください。お話を伺いましょう」

「うむ」

 

 アルチェルは勧められるままにソファに座る。そしてその座り心地の良さに思わずため息を漏らした。

 驚くほどに柔らかい座り心地でありながら肥え太ったアルチェルの体をしっかりと体を支える弾力もあり、一度座ってしまえば離れがたくなるほどであった。

 一目でソファを気に入ったアルチェルはなぜ自分でさえ持っていないほどのものを一般人が持っているのか、と疑問に思う。

 

「さあ飲み物でも出しましょう。ナーベ」

「はい」

 

 ふと見るとそこには王都を沸かせた美姫がメイド服を着て立っていた。黄色い液体を水差しからグラスへと注ぐ動作は優雅でとても美しい。その完璧さはラナーでさえ一言の苦言も出せないほどだ。

 

「なぜナーベ殿がメイド服を着て給仕などしているのかね?おまえとナーベ殿の関係はどうなっているのだ?」

 

 他国の姫君であると聞いていた美姫がまるで召使のように平民につかえているのだ。おかしく思っても仕方がないだろう。

 

「私とナーベの関係ですか?彼女は……私の友人の娘……ですね」

 

 その言葉をアルチェルは疑問に思う。平民の友人の娘が王族などと言うことがあるだろうか。そんなことがあるはずがない。

 

「ということはナーベ殿も平民であると?」

「まぁ……そうなりますね」

 

 ナザリックではNPCに役職を振ってはいたが身分制度などを作っていない。ならばナーベラルも平民ということになるだろう。

 

「そうか。ではバルブロ殿下にもお伝えせねばな……平民を次期王妃などには出来ぬから……妾か何かで十分であろうからな」

「どうかしましたか?」

「お前が気にすることではない。それからさっきから気になっておるのだが、そこにおいてあるものはなんだ」

 

 リビングから見える広間に武器や防具など様々な道具類が置いてあった。それらは見た目的に美しいことに加え、明らかに魔法と思われる輝きが見られた。

 

「ああ……あれは子供たちに装備させようと思っている武具ですよ」

「子供にあれを?どれも優れた装備品に見えるが?おい、ちょっと調べろ」

「はっ」

 

 アルチェルの傍に控えていた男の一人がモモンガの許可も取らずに前へと出てくる。杖を持ってところを見るに魔法詠唱者なのだろう。

 

「<道具鑑定(アプレイザル・マジックアイテム)>」

 

 そのまま手に取った指輪を魔法で鑑定した男は驚愕に顔を青ざめさせた。それはとてもこんな場所にあっていいような品ではなかったのだ。

 

「こ、これは……なんだこれは!?」

「どうした?やはり価値のあるものか?」

「これは強大という言葉でも言い表せないほどの魔法道具(マジック・アイイテム)!価値は詳しく分かりませんが世に出せば金貨数千枚はするのではないでしょうか」

「金貨数千枚!?」

「金貨数千枚!?」

 

 アルチェルに続いてモモンガもその金額に驚きの声をあげる。慌てて口を押えるがモモンガは現在金欠なのだ。

 

「なぜおまえも驚く?」

「いえ……失礼しました」

 

 モモンガのその態度がますますアルチェルに疑念を抱かせた。

 

(自分が持っているアイテムであるにも関わらずその価値を知らない?この家具についても住んでいる家についてもそうだ。それに王城に飾っても遜色のないような花瓶になぜその辺でいくらでも取れる珍しくもない花などを飾っている?どう考えてもおかしい!)

 

 平民に相応しくない逸品を持っていることへの嫉妬と先ほどのモモンガの発言がアルチェルを一つの結論を導く。

 

(……もしやこれらは盗んだものでは?)

 

 価値の高いものはその価値を認められる者の場所へと行きつく。これらの途方もない価値の宝は王族や貴族が持っていてしかるべきもの。そしてこれだけ逸品が何の噂にもならないということなど考えられない。

 

「モモン、お前はこれらの魔法道具や家具をどうやって手に入れた?この住んでいる家はなんだ?税金は払っているのか?」

 

 王国に家を持っていれば徴税官が訪れているはずである。彼らがこれほどの宝物を見逃すだろうか。

 

「これですか?これはですね、ふふっ……昔仲間たちと一緒に手に入れたものなのですよ」

 

 まるで自慢をするようなモモンの態度にアルチェルは青筋をたてる。怒りに任せて怒鳴りつけたい気持ちを抑えながら声を絞り出した。

 

「……どこでだ?どこで手に入れた」

「ダンジョンなどの遺跡であったり、モンスターを倒して手に入れたり色々ですが何か?」

「遺跡だと!?どこの遺跡だ!」

「それは……」

 

 まさかユグドラシルです、異世界ですとは言えないモモンガは言葉に詰まる。

 その沈黙をアルチェルは窃盗であるからだと確信する。王国にある遺跡に勝手に入り込み中の宝物を持ち出すのは犯罪だ。

 

「勝手に遺跡から持ち出したというのか?その所有権はどうなっている」

「所有権?それは私や仲間たちのものですが……」

「盗み出した魔法道具が自分たちのものだと!一度おまえの持ち物を改めさせてもらう必要がありそうだな!それらの所有権について虚偽の疑いがある!」

「……」

 

 顔を真っ赤にして怒鳴り散らすアルチェルは完全に黙り込んだモモンガに、そら見たことかとほくそ笑む。なお、黙り込むのは社会人の対人方法としては不信感を持たせるのでNGであるが、もはやモモンガはそんな気分ではない。

 

「まぁまぁ、アルチェル様。その疑いは強いですが、また決定というわけでもないでしょう。陛下の采配を得なければなりませんが、ここはモモン殿の態度次第で便宜を図ってもよろしいのではないでしょうか?」

 

 兵士の言葉にアルチェルは考える。このまま告発したとしてもアルチェルに実入りはない。多少の褒美はあるかもしれないが、殆どは国に徴収されるだろう。

 だがこのことを黙認してやる代わりにこれらの品々を献上させてはどうだろうか。自分だけでなく派閥の上位貴族にも献上しなければならないが自分の実入りは大きいだろう。そう思ったアルチェルはいやらしく笑う。

 

「そうだな。お前とお前の仲間たちが薄汚い盗みを図った可能性は非常に高い。だが、もしこれらの品々を渡すのであればまぁ私の胸の内に留めて置いてやってもいいかもしれんぞ。よく考えることだな」

「……」

「これらの調度品は物の価値も分からないお前やお前の仲間などより私の方がよっぽど良い使い方をすることができる。見ろ、このみすぼらしい花を!これほどの花瓶に汚い花など飾りおって!はっ!これだから平民は!」

「なんだと……」

 

 モモンガは怒気もあらわに相手を睨めつける。当然普通の社会人の対人マナーとしてそんなものは存在しないのだが……。

 しかしアルチェルにとっては平身低頭であった人間がいきなり貴族に対して怒気を露わにしたようにしか見えなかった。そんなモモンガの態度がアルチェルの怒りにさらに火を付ける。

 

「何か言いたいことでもあるのか!平民が!お前のそのくだらない仲間にも言っておけ!この王国で貴族に逆らったらどうなるのかということをな!」

「……」

 

 アルチェルはソファーから立ち上がりモモンガを指さしてさらに怒鳴りつけた。そしてモモンガが再び沈黙したことに溜飲を下げたのだが……。

 ゾクリ。突如として背筋を凍らせるような寒気を感じる。

 

(なんだ……?どうした?)

 

 周りの兵たちも何が起こったのかとと周りを見回している。

 

「俺の……俺だけのことだったらいいんだ……俺自身はそんなに大したものじゃない。ギルドマスターとして魔王ロールなどやっていたが実際はただの調整役だ……いくら馬鹿にされようと構わない……だがな!」

 

 アルチェルはモモンガから部屋全体に黒い気配が広がったような錯覚を覚えた。まさか太陽が砕けたのかとアルチェルは窓の外を見るが太陽はさんさんと輝いている。

 

「くぅ……クズがあああああ!その花は新たに仲間に加えた者たちが泥だらけになって取ってきたものだ!このアイテムはかつて仲間たちと共に集めたものだ!お前などにその価値が分かるものか!それをよくも……よくも俺のもっとも大切にする仲間たちのことをくだらないなどと侮辱してくれたな!お前には死すら生ぬるい!」

 

 モモンガは鎧の具現化を解除すると胸元から一つのスクロールを取り出す。

 

「が、骸骨の仮面などつけてなんのつもりだ!わわわわたしが誰なのか分かっているのか!」

「お前が何者だろうともはやどうでもいい……地獄というものが本当にあるのかどうか知らないが……永遠の業火に焼かれ続けるがいい!<第10位階怪物召喚(サモン・モンスター・10th)>!」

 

 モモンガの手にあったスクロールが青い炎とともに消え去ると足元の魔法陣から光とともに巨大な影が現れる。

 天井に届くのではと思える巨大で真っ黒な肢体。その先には3つの凶暴な獣の顔が付いており、口からは黒い炎が漏れ出ている。

 『地獄の門番』とも呼ばれるケルベロスだ。ユグドラシルにおけるフレーバーテキストではこのモンスターに殺された相手は地獄へ落ち永遠に業火に焼かれ続けるという。

 

「な、なんだこれは……」

「ひっ、ひぃいいぃ」

 

 突如現れた見たこともない凶悪な魔物を前にしてアルチェルと兵士たちが恐怖の悲鳴を上げる。

 

「ケルベロスよ、こいつらを殺せ……いや、ここではちょっと手狭だし汚れるな……外に散らかしてこい」

「グルルルル」

 

 ケルベロスは召喚者であるモモンガへ頭を下げるとアルチェルに向き合う。

 

「ア、アルチェル様!先ほど財を提供せよなどと言ったのは冗談でしょう?冗談ですよね?謝りましょう!」

 

 命惜しさに兵士がアルチェルに先の発言の撤回を進言するが、当のアルチェルはまだ貴族である自分が殺されるとは思っていないのか震えながらも謝罪を口に出来ずにいた。

 

(……いくらなんでも殺せというのは脅しだろう……脅しであるはずだ!私は貴族だぞ!たかが魔法詠唱者一人で何が出来る!力があるのは分かったから発言は撤回するとしても平民に頭を下げるなどできるものか!)

 

「わ、分かった。先の発言は撤回してやる。だからその魔物を消すんだ平民!」

「……もはや呪詛と悲鳴以外は聞きたくない」

 

 まるで子供の言い訳のようなその言葉へのモモンガの返事は冷酷なものであった。

 ケルベロスは叫び声をあげるアルチェルと兵士たちを口に咥えて扉へと向かう。その巨体では通れないのでは思えた扉は近づくと通れる大きさまでに広がり、外へと出て行った。

 そしてバタンという扉の締まる音ともに恐ろしいほどの絶叫と骨や金属の砕ける音が響き渡り、やがて森は静寂を取り戻す。

 

「……あ」

 

 モモンガは思い出す。『普通の社会人の本気を見せてやろう』と誓ったことを。

 

(いや、違う!今のは違うぞ!人間との接し方の見本と違うからな!)

 

 恐る恐る後ろを振り返る。

 ナーベラルにとっては虫けらが、ラナーにとっては自分を理解しない愚かな異形が、クライムにとっては自分を虐げてきた貴族が、死よりも残酷な運命でこの世界から去ったのだ。

 モモンガの心の声とは反対に3人の下僕たちは口をOの字にして『なるほど!』とでもいいそうなキラキラした尊敬の眼差しをモモンガに向けているのだった。

 

 

 



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第22話 第1回下僕会議

 私の名前はナーベラル・ガンマ。今は冒険者ナーベにしてモモンガ様の下僕である。昨日モモンガ様に下僕が増えた。

 至高の存在たるモモンガ様の下僕にナザリックに属さない者が増えたことに不満はないと言えば噓になる。しかし、モモンガ様が認めたことであるし、そもそもモモンガ様ほどの御方に傍仕えが一人では少なすぎるのは事実だ。

 

「それでは第1回下僕会議を始めます」

 

 モモンガ様による王国貴族(むしけら)の蹂躙の後、私たち下僕は自由時間というものを与えられ入浴などを行った。

 

 その後、私たちは新たな下僕の一人ラナーの提案により私に割り当てられた部屋へと集まっていた。役割は議長が私、書記ラナー、会員クライムとなっている。

 

「ナーベ様、今の時刻は20時05分30秒です。残り54分と30秒しかありませんわ」

「分かったわ。では手短に話しましょう」

 

 モモンガ様の方針によりラナーとクライムには午後9時就寝が義務付けられていた。成長期に睡眠不足は絶対にダメだということで午前7時の起床まで寝なければならない。ちなみに私は24時までは寝なくてもいいとされている。

 さすがはモモンガ様。私が下僕として格上と認めてくれているのだろう。

 

「モモンガ様は私たちに手本を示すべくあの虫けらを地獄へと送りました。これをどのような教訓として活かすべきか、あなたたちも知恵を貸しなさい」

 

 そうなのだ。私がラナーの提案に乗ったのはこの疑問を解決するためである。ラナーはモモンガ様が認めるほどの知見を有しているらしい。協力させればこれまでのモモンガ様の行動の意味を少しでも理解できるかもしれない。

 

「ナーベ様……私たち程度が発言してもよろしいのですか?」

「構わないわ。モモンガ様が認めたのですもの。私のこともナーベラルと呼ぶことを許します。あなたたちは末端とは言えナザリック入りを約束されたのです。そのことに自覚を持って行動しなさい」

「はっ!かしこまりました!クライムも分かったわね」

「わん」

 

 この犬……クライムはどのような意図があって下僕にしたのか理解しかねるがモモンガ様なりの深淵なお考えがあるのだろう。

 

「それでモモンガ様が与えてくださった教訓についてですね……。あの時のモモンガ様はなんというか本当に恐ろしかったですわ……死してもさらに地獄で業火に焼かれ続けるとは……」

「あれこそがモモンガ様の本当の御姿なのよ。この世界のあらゆる存在に畏怖される絶対なる死の象徴そのもの……なんと神々しいことか」

 

 あの時のモモンガから発せられる気配は私をして恐怖に顔を上げられないほどのものだった。

 まさに死の支配者たる一面をお見せいただいた瞬間であり、あの時のモモンガ様から感じた畏怖と言ったら筆舌に尽くしがたいほどだ。今思い出しても身震いがする。

 

「それほどお怒りだったということなのですね。やはりモモンガ様のお仲間を侮辱するということが許せなかったのでしょうか?ナーベラル様」

「それは当然よ。至高の御方々を侮辱するなど万死に値しますから」

「ですがモモンガ様はご自分が侮辱された時は殺すなと言われてたのですよね?……と言うことはこういうことではないでしょうか?あの時もおっしゃっていましたが『死すら生ぬるい』と」

「そ……うね。そうとしか考えられないわ……ね」

 

 なるほど、さすがモモンガ様の認めた下僕だ。ラナーの言葉に私は目から鱗が落ちた。

 モモンガ様は度々『殺すな』とおっしゃっていた。私はそれをモモンガ様の慈悲であると思っていた。しかしそれは間違いだったのだ。

 もしかしたらモモンガ様は人間を殺すのが嫌なのではないか……などと一瞬でも考えてしまった自分が恥ずかしい。

 

「つまりラナー。あなたはこう言いたいのね? 目の前の虫けらを殺すだけで済ませるなど甘すぎると……」

「はい、そうとしか考えられませんわ」

 

 確かにモモンガ様は先ほど虫けらに対してただ殺すのではなく、死しても身を焼き続けられるという過剰と思えるほどの対応をなされた。

 それは至高の御方々への虫けらの言動を考えるとそれも当然であろう。

 至高の御方々を侮辱されてただ殺すだけで済ませるなどやはり私は甘かったのだ。これからはより凄惨で残酷な罰を与えなければなるまい。

 

「結論を言うわ。モモンガ様は慈悲深い方ですのでご自分が侮辱されても許してしまうかもしれない。しかし下僕としてそれをそのままにしておくのは不敬!モモンガ様や至高の御方々が侮辱された場合、ただ殺すだけで許してはいけないわ!『死すら生ぬるい』ほどの苦痛を与え続ける、これこそがモモンガ様の言いたいことだったのです!」

「異議なしですわ」

「わん!」

 

 モモンガ不在のグリーンシークレットハウスの一室。そこで秘密裏に行われた会議の一つの議決がなされた。そしてちょうどその時、時計のアラームが鳴りラナーたちは就寝時間を迎えるのだった。



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第23話 戦力育成

(どうしてこうなった……)

 

『仲間への侮辱者には死すら生ぬるいほどの報復を与える』

 

 モモンガの教えはなぜかこうなってしまっていた。モモンガの教えに感銘を受けたと目を輝かせるナーベラルたちにとても反対できなかった。それでも何とかモモンガ自身が侮辱された場合は自分で何とかするからと説明したのだが……。

 

(でも俺が侮辱されたらやってやっちゃうぞって雰囲気なんだよなぁ……)

 

 事実ナーベラルを含めた3人はあまりにも苛烈な報復を行った主人を見習って『あそこまでやっていい』という認識にしか思えない雰囲気に包まれている。

 

「えい!」「やあ!」

「やめろ!くそがあああ!!」

 

 あの時はついカっとなってしまったがモモンガ自身は平和を愛する普通のサラリーマンの精神を失っていないつもりだ。

 多少感情の起伏が抑制されているようだが初対面の相手には人間だろうと魔物だろうと平和的に接するし、相手から攻撃してこない限りは殺したりするつもりはない。

 

「えい!えい!」「やあ!やあ!」

「この臆病者どもが殺してやるぞ!!」

「黙りなさい、舌を引き抜きますよ」

 

 ブチブチと言う何かを引きちぎる音が聞こえてくるが気のせいだ。きっと気のせいに違いない。心に棚をつくりモモンガは思索を続ける。

 

(さすがに死体を散らかしたままじゃ不味いから召喚したアンデッドに後片付けはさせておいたけど……貴族が失踪したら絶対疑われるよな……)

 

 リ・エスティーゼ王国にはもう戻ることは難しいと言うのがモモンガの考えだ。追手が送られてくるかもしれないし、何より国として何の魅力もない。

 ラナーに聞いた話ではあまりの政治腐敗でこの国はもう長くはないらしい。

 

「ぐぞ!やめろ臆病者!このグ様の餌にしてやる!」

「さすがトロール。もう舌が再生しましたか」

「ナーベ様。私がやりますわ<(アシッド)>」

「ごぼぼぼぼぼぼ」

「口内や肺を焼かれてはさすがに話せませんわよね。あ、悲鳴や呪詛であれば大歓迎ですわよ」

 

 ナーベラルはよくやったと言わんばかりにラナーに笑いかけている。いつの間に二人は仲良くなっていたのだろう。意外と性格が合っていたのだろうか。

 

「……」

 

 後ろで行われている捕獲したトロールへのあまりに残虐な行為から現実逃避していたモモンガは仕方なしに振り返る。

 

 そこにはモモンガの特殊能力(スキル)により<麻痺>の効果を与えられ、身動きの取れなくなった巨大なトロールがいた。それをラナーとクライムが手に持った武器で叩いている。

 ナーベラルはというと、トロールが死なないように<生命の精髄(ライフ・エッセンス)>で体力を管理しながら死なない程度に治癒魔法で調整していた。

 

(本当にどうしてこうなった……)

 

 

 

 

 

 時間は遡り、王国の貴族を始末してから数日。モモンガはラナーとクライムの教育に時間を使っていた。

 ある程度の装備を与えたもののモモンガはラナーとクライムの弱さが心配だったのだ。そこでまず育成を優先することに決めて様々な注意を与える。

 

「戦いにおいてまずは何より相手の情報を調べることが重要だ。渡した指輪の効果で<生命の精髄(ライフ・エッセンス)>と<魔力の精髄(マナ・エッセンス)>が使えるようになるだろう。それを使って相手の体力と魔力を確認しながら動け。相手の体力が多ければ慎重に削り、残り僅かなら一気に攻めろ。複数なら弱いものから仕留めるのがいいだろう。それから……」

 

 モモンガの注意は長く執拗なものであったが、それを聞いたラナーは実に理にかなっているものだと感心していた。

 ユグドラシルでの経験や『ぷにっと萌え』などの仲間から聞いた話をもとにしているだけなのだが、ラナーとクライムの目から尊敬の光が失われることはない。

 

「これからレベルを上げていくが、その前に職業構成(クラスビルド)を考えておく必要がある」

「びるど……ですか?」

「職業の構成のことだ。ユグドラシルでは一つの職業について最高でも15レベルまでしかなかったし、合計レベルの上限は100レベルだった。だからこそ厳選する必要があるし人によって向き不向きもある。ああ、間違っていらない職業のレベルが上がってしまったらあとで死んでレベルダウンする方法もあるから気にするな。まぁそれはもっとレベルのあがってからの話だが……とりあえず希望する職業(クラス)はあるか?」

 

 ラナーとクライムは首を振る。そもそも職業毎のレベルという概念が理解の範疇外である。

 

「では私が最初は決めさせてもらうか。ラナーは(アシッド)系魔法が使えるんだったか。であれば魔力系魔法詠唱者がいいかもしれない。この杖を持つんだ」

 

 モモンガはラナーに枯れ枝のような歪な形の杖を渡す。ユグドラシルにおける魔力系魔法詠唱者の初期装備だ。

 

「クライムはおそらく現在職業無しだろうな。ふふふっ……ゼロからのビルドとはなかなか面白い。戦士がいいか、魔法詠唱者がいいか、鍛冶師や彫金師などの生産系も面白そうだし、特化型か万能型か、さて……どれがいいか。ふふふふふ……」

「あの……モモン様。いったい何をはじめられるのでしょうか?」

「それはな……」

 

 それはMMORPGにおいては禁じ手とされるもの。人によっては寄生と叩かれ、人によっては効率厨の余計なお世話だと怒られる。しかしゲームではないこの現実では生きるすべとして有効だろう。

 モモンガはニヤリと笑うと高らかに宣言した。

 

「パワーレベリングだ」



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第24話 トブの大森林へ

 モモンガの一言により始まったパワーレベリング。トブの大森林には強大な力を持つモンスターがいるらしいとラナーから聞いたモモンガは周辺を探したのだが期待していたほど強い相手はいなかった。

 

(せめて80レベル程度の魔物や人間がいたらよかったんだけどな……)

 

 結局見つかった中で敵意のない者や逃げ出す者を除外した結果、選ばれたのがこのトロールだった。

 

 『グ』と名乗ったトロールは非常に好戦的でモモンガたちの名前を聞くなり『長い名前は臆病者の証拠だ』などと言って襲い掛かってきたのだ。

 モモンガの薫陶のおかげか主人を侮辱した愚か者にナーベラルたちは容赦することはなく、めでたくレベル上げの生贄へとしてエントリーし今に至る。

 

「ラナーはそこそこレベルが上がったな。もう20レベル程度か?この相手ならば恐らくもう少し上まであげることが出来るだろう。その杖で限界になったら次はこちらの杖を使え。呪術系の職業の取得条件だ」

 

 当初は罪悪感に苛まれていたモモンガであるが、レベルが上がり始めて様々なスキルや呪文を次々と得ていくラナー達の様子に楽しくなってきていた。

 ラナーには魔法詠唱者の才能があると考え、希望を聞いたところ呪術系それも錬金術師や幻術師などの創造・幻術系魔法を覚えたいらしい。今のところビルドは希望通りに進んでいる。

 

 一方、ラナーはモモンガにひたすら感服していた。この短期間でこれだけの強さを得る方法を当たり前のように提案できるなど尋常ではない。ラナーにとって初めての常識を超越した知恵者との遭遇である。

 武器を変える、アイテムを使用するなど職業の変更条件、それぞれにおける限界レベルの存在、そして1レベルにつき3つまで魔法が取得できること、言い換えれば3つ取得してしまうとそれ以上の取得が不可能になる事などなど。それは神のみぞ知る叡智の欠片と思えた。

 

「クライムは……また止まっているな。ほら、次はこの双剣を使ってみろ」

「う、うん!」

 

 クライムはというと剣を渡しては1レベルで上限を迎え、槍を渡しては1レベルで上限を迎え、他にもいろいろと戦士系に魔法系と武器を変えながら適性を見ているが今のところすべて体力の増え具合から判断するに1レベルで限界を迎えている。

 

(総合レベルは恐らく15はあるだろうけどそのすべてが1って……)

 

 まごうことなきゴミビルドだ。総レベルは上がっているため体力や魔力は増えていっているが、平均的で器用貧乏の状態になってしまっている。

 

「クライム……お前には何かやってみたいこととかないのか?」

 

 得意なことを聞いてみたりしたが適性がさっぱり分からないので、何かのヒントになればとなんとなしにやりたい事を聞いてみる。

 

「えっと……ラナー様を守る!」

「誰かを守ることが好きなのか?」

「わかんない!でも……ラナー様を守るって決めたんだ!」

「ほぅ?守るね……」

 

 モモンガはふと思いつき一つの盾を出す。バックラーと呼ばれる小型の盾だ。大型の盾も持っているがさすがに6歳では体の大きさ的にも扱えないだろうと思ってのチョイスである。

 

「試しにこれでアレを殴ってみろ」

「うん!あ……わん!」

 

 双剣の替わりにバックラーを手にしてトロールを殴りつける。その瞬間クライムの体力がわずかに増えた。1レベル上昇したのだろう。

 

「よし、もう一回いってみろ」

「わん!」

 

 クライムが何度か殴ると体力がさらに上がった。

 

「おっ、これはいけたか!?よし!クライムもっといけ」

「わんわん!」

「ぐぼぼぼぼぼ」

 

 トロールの悲鳴にならない悲鳴が上がる中、クライムのレベルは順調に上がり始めた。

 

「盾職に適性ありか……。確かぶくぶく茶釜さんのいらなくなった装備をもらっていたな」

 

 『ぶくぶく茶釜』はアインズ・ウール・ゴウンの中でも盾職を持っていたスライムだ。さらに治癒魔法も使うことができ、相手を殴りながら自分を治癒する殴りヒーラーとしてヘイトを稼ぐなどといった戦法を取る味方ながらに頼れる仲間だった。

 

(ぶくぶく茶釜さんのビルド……参考にしてみるか)

 

 何でも取っておく主義だったモモンガのインベントリには仲間からもらった装備からイベントで手に入れて一度も使ったことのない装備までそのままに入っている。これは活用するいい機会だろう。

 

「ぐぼぼぼぼ」

「よーし、グ君安心しろ、そんな心配そうな目で見ることはないぞー?終わっても殺したりしないから……もう1セット行ってみようか!」

「「おー!」」

 

 どうも社会人としての常識というか仲間以外への情というものが薄れているような気がするが楽しくなってきたモモンガは気にしないことにした。

 そして元気よく返事をする子供たちと一緒にレベリングを続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 トブの大森林を境としてリ・エスティーゼ王国とバハルス帝国の西側に一つの国が存在する。

 

 

 

───スレイン法国

 

 

 

 他国では地神、火神、風神、水神の4大神を奉る宗教が主流である中、闇と光の神を加えた6大神を奉り、それらを束ねる最高神官長が国の政治の頂点に立つ宗教国家である。

 

 そして彼らは自分達のことをこう呼ぶ、『人類の守り手』と。

 

 彼らがそう呼ばれる理由、それは6大神になぞらえて作られた6つの特殊部隊『六色聖典』に由来する。

 

 彼らは世界各地から勧誘された敬虔な信仰心を持った強者を集めた団体であり、表の顔は各教会の聖職者であるが、裏の顔は完全なる戦闘員であった。

 

「ニグン、人間への影響は本当に大丈夫なのだろうな」

「はっ、ドミニク隊長!問題ありません」

 

 その六色聖典の一つ、亜人の討伐を主な職務としている陽光聖典がトブの大森林を訪れていた。

 ニグンと呼ばれた若者はその若さにして陽光聖典の副隊長まで上り詰めた逸材である。その黒い瞳を森の中の小川へと注いでいた。

 その横で心配そうな顔をしているのはいずれ神官長になるのではと目されている陽光聖典の隊長のドミニクだ。

 

 今回の任務で陽光聖典はトブの大森林にいる亜人を駆逐するために訪れていた。その隊員数は30人。揃いの特殊な神官服に身を包んだ彼らは一騎当千の戦闘力を持つ魔法詠唱者であり、30人という数は並みの人間の一軍にも匹敵する。

 そんな彼らの目的はトブの大森林を人類の手に取り戻すことである。

 

 『トブの大森林』。そこは薬草や野生動物などの宝庫であり、開墾すればそれこそ豊かな土壌により豊富な作物の実りが期待できるまさに人間にこそふさわしい土地である。しかし、そこは未だに人外の支配下にあり、力のない人間が踏み入ればその餌食になるのは間違いない。

 

「私たち陽光聖典は亜人を殲滅し人間の土地を取り戻すための部隊です。そんなヘマはしませんよ」

 

 今回トブの大森林での任務には複数の目的があるがその一つがリザードマンの駆逐である。

 この森には様々な人類の脅威となりうる存在がいる。トロルやナーガ、ゴブリンやオーガ、そしてリザードマン。特にリザードマンは知能が高く、魔法の武器を所持している者もいるという。魔法詠唱者や戦士としての能力の高い個体もおり群れで襲い掛かられては脅威である。

 

「本来であればリザードマンどもを即死させるほどの毒を流してやりたいのですが……」

「馬鹿を言うな。下流には人間の村落もあるのだぞ」

「はい。ですので弱い毒を定期的に流す魔法道具を作成しました。下流につく頃には希釈され生物に影響はないでしょう。まぁそのおかげでリザードマンの命にも影響はないと思われますが……」

「……だがやつらの食料である魚は殺しつくせる」

「さようでございます」

「しかしニグン副隊長……いくら亜人とは言え川に毒を流すなど……」

 

 ニグンがこれからの飢えて死んでいくだろう亜人の運命を想像しニヤリと笑みを浮かべているところに、一人の隊員が顔に嫌悪感を浮かべながらつぶやいた。

 

「なんだと……?貴様はそれでも敬虔な神の使徒か?」

「いや、しかし毒を流すなどと……」

「亜人をかばい立てすると言うのか?貴様も漆黒聖典……あの第9席次のようになりたいのか?」

「ひっ!?い、いえ!亜人は殲滅すべき対象であります!」

 

 ニグンの言葉に前言を撤回する隊員。力はあるものの神への信仰心に欠ける漆黒聖典第9席次への扱いは他の聖典でも有名な話だ。

 隊員が信仰心を取り戻したことを確認したニグンは満足そうに続ける。

 

「やつらの主食は魚。そして農耕やそれ以外の狩猟をしている様子もない。飢えて数を減らすのもよし、少ない食料を奪い合ってお互い殺しあうのもよし。我らが手を下さずとも滅びへと向かうでしょう。そして弱り切ったところを攻め込めばいい」

「だが川はここだけではあるまい」

「はい、ですのでこれから順に支流に魔法道具を設置していくつもりです」

「分かった。だが、急げよ。今回来た本来の目的を忘れるな」

 

 隊長に厳しい顔で睨み付けられニグンは気を引き締める。もう一つの任務はこのような命の危険がない簡単な任務ではない。場合によっては自分達だけでなく周辺国を巻き込んで大災害へと発展するかもしれない。

 

「リザードマンへの対応が終わり次第、森の最奥部に向かうぞ」

「破滅の竜王……本当に存在するのですか」

「やめろ、その名をみだりに口に出すな!」

「申し訳ございません!」

 

 名を呼ぶことすら憚られるほどの恐ろしい化け物。その名には強大な魔物に付けられる『竜王』の称号まで付けられている。トブの大森林最奥部に封じられているという異世界の魔物。様々な呼ばれ方をするがそれが人類の敵であることには間違いない。

 

 その破滅の竜王が近く復活するという予言があったのだ。

 破滅の竜王については過去にアダマンタイト級冒険者ローファン率いる冒険者チームが命がけで戦っても討伐できず、封じたのみだという。それから数十年、更なる力を蓄えたそれが復活することになれば人類の存続の危機となるだろう。

 

「そのためのケイ・セケ・コゥクだ。見つけ次第カイレ様に連絡する」

「は、はい……」

 

 その言葉にニグンは安堵の吐息を吐く。神の遺産と呼ばれる神器『ケイ・セケ・コゥク』。それはあらゆる存在を意のままに魅了すると言われている。人類の脅威たる破滅の竜王が人類の守り手の手に落ちるわけだ。

 

「さあ、いくぞ。我らの信仰に神のご加護があらんことを」

「我らの信仰に神のご加護があらんことを」

 

 この任務には人類の存亡がかかっている。ニグンは気を引き締めると光の神アーラ・アラフへ人類の繁栄と異形種の滅びを願うのだった。

 

 

 

 

 

 

「ローファンがやられた」

「は?」

 

 突然にリグリットから言われた言葉に蒼の薔薇の面々は困惑する。その面々にはラキュースとガガーランに新たに双子の忍者ティアとティナも加わっていた。

 

「あの爺さんがやられた?モモンとガゼフを弟子にしてやるって息巻いてたじゃねぇか」

「いや、あたしにもよく分からないんだが……たぶんやったのはモモンとナーベだろうね」

「何であの二人がローファンの爺さんをやるんだよ」

「さぁね?何か怒られることでも言ったんじゃないのかい?あれでスケベジジイだしね」

 

 美姫と称えられるナーベを前にしてセクハラでもしたのだろうとリグリットは呆れるようにやれやれと両手を広げる。

 

「それでローファン様は無事なのですか?」

「心配しなさんな、ラキュース。怪我一つないらしいよ」

「なんで怪我してねーんだよ。やられたんじゃねえのか?」

「死ぬかと思ったって言ってたから大怪我したんだろうけど気づいたら治ってたとさ」

「は?」

「誰かが治癒魔法でもかけていったんだろうね」

「それもあの二人か?ぶっ飛ばしておいて治して逃げるって……ったく、どういうやつらなんだよ」

「それは分からないけどね……くくっ、ぜひうちに欲しいね」

「あの……リグリット様。モモン殿とナーベ殿を私たちのパーティメンバーにということでしょうか?」

「そうしたいところだけどね……どこを探してもいないから今のところは保留だね。それよりローファンからの頼みがある」

「ローファン様から?」

 

 リグリットが言うローファンからの頼み。それはかつて仲間達とともに封印したトブの大森林の魔物の様子を見てきて欲しいというものであった。

 

「なんで自分でいかねーんだよ」

「あれで結構な歳だからね。それに若い二人にコテンパンにされたのが決め手だったんじゃないかね」

「はぁー歳は取りたくねーなー。で、その魔物の名前は?」

「ザイトルクワエと言うらしい。何でも昔その森で会ったドライアドに名前を聞いたということだよ。そして復活した際にはまた封印してやると約束したらしい」

「それで俺らが代わりに約束を果たすってわけか」

 

 アダマンタイト級冒険者でさえ封印するのがやっとだった魔物。それを封じるなり討伐するなりすればアダマンタイト級への昇格は確実だろう。

 蒼の薔薇の面々の顔にやる気が満ちる。

 

「異論はないみたいだね。じゃあトブの大森林に出発だよ!」

 

 



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第25話 リザードマン集落の異変

 トブの大森林、その中にある巨大な湖の近隣には広大な湿地帯が広がっている。

 湖を含め周辺には様々な亜人種の生息圏があり、そこにはトードマンやリザードマン等の半水生の亜人種が住んでいた。

 そのリザードマン一族の一つ、『緑爪(グリーンクロー)族』のザリュース・シャシャは川に膝までつかりながら魚を取っている。彼は今は緑爪族である。『今は』というのには訳がある。ザリュースはもうすぐ一族から離れる予定なのだ。

 

「今日も大漁だな、兄者」

「そうだな、弟よ。今夜も腹いっぱい食べられそうだ」

 

 そう言って笑うのは兄のシャースーリュー・シャシャ、ザリュースの兄だ。いつもは捕るのに一苦労する川の魚がやけに動きが悪く、さらに水に浮いて動かない魚までいる。おかげで最近は食うに困るほどの量が捕れて皆浮かれている。

 

「これだけの大漁、祖霊たちの祝福によるものだろう。まるでこれからの一族の繫栄を約束しているようではないか」

「ああ、そうかもしれないな。それにお前の勝利を祝うためのものかもしれないぞ」

 

 リザードマン族には人の神への信仰というものはなく、先祖の霊を敬っている。この大漁も祖霊信仰によるものだと感謝の念を抱き笑いあっていた。

 しかし一転、シャースーリューは真剣な顔つきに変わる。

 

「それでザリュース……本当に行くのだな」

「ああ、明日には旅立とうと思う」

「……死ぬかもしれんぞ」

「覚悟の上だ。いや、死ぬつもりなど毛頭ない、俺は勝って帰ってくる」

 

 そう言って腰に下げたショートソードを叩く。

 シャースーリューの言葉はもっともであった。ザリュースはリザードマン最強の戦士へと挑もうとしているのだ。その相手はリザードマン族の4大秘宝の一つ、氷の魔力を宿したフロストペインの持ち主である。

 勝てばフロストペインはザリュースのものになるが、負ければその命はないだろう。

 

「俺は勝って旅人になる」

 

 『旅人』、それはリザードマンが部族を離れて外の世界へと旅に出ることを意味する。そして旅人となった者はもう一族の一員とは見なされない。

 それでもザリュースが旅に出ようと思うのは危機感からであった。時折外の世界から来る人間や強大な力を持った魔物、そういったものに今までは何とか対応できているが、これからもそうであるとは限らない。そうした危機感からザリュースは外の世界の知識を手に入れようと思っていた。

 そんな弟の想いをシャースーリューも理解する。

 

「分かった……もう何も言うまい……ん?」

 

 弟への説得を諦めかけたシャースーリューが何かに気づく。戦闘の物音のようだ。

 

「<毒沼(ヴェノムスワンプ)>!」

「武技<盾強打>!」

 

 そこにいたのは赤い頭巾を被ったやせ細った人間の女と大型の犬であった。いや、その傍にもう二人いる。漆黒の鎧の者と黒髪の人間だ。

 赤ずきんが魔法によりオーガたちの足を止め、犬が盾を使って殴りつけ、魔法で作り上げた毒の沼の中に沈めている。

 

「強い……な」

「ああ……」

 

 オーガは勝てない敵ではないがその腕力は脅威だ。それに対して赤ずきんが足止めや状態異常の魔法を発動し、犬が盾で攻撃を捌きながら殴りつけて倒している。

 結果、10匹はいただろうオーガがすべて地面に倒れ伏していた。

 

「よーしよしよしっ!クライムよくやったわ」

「わんわんっ」

「よーし、よしよしよしっ」

 

 赤ずきんが犬に抱き着いて頭を撫でまわしている。しかしそこで違和感を覚えた。

 

「犬……いや、人間なのか!?」

 

 犬と思ったがどうも動きがおかしい。歩き方が四足歩行のそれではなかった。

 

「ん?」

 

 どうやら相手も向こうもザリュースたちに気づいたようだ。訓練されたような動きで4人が見事な陣形を作る。かなりの手練れのようだ。

 

「モモンガ様!お下がりください!」

 

 黒髪が鎧と我々の間に立ち、赤ずきんと犬は左右に分かれた。その中で黒いポニーテールの髪を尻尾のように揺らしている女がポツリとつぶやく。

 

「……私も活躍すればモモンガ様にあのように撫でてもらえるのでしょうか」

 

 手のひらをこちらに向けながら黒髪は何か奇妙なことを言っている。しかしその動きに一切の乱れはない。ザリュースの背筋に悪寒が走る。

 

「待ってくれ、我々は敵ではない!お前たちは……人間なのか?」

「ナーベ、ちょーっとこっちに来るんだ。交渉は私がするから……ああ、うん、殺したりする必要ないぞ、ちょっと黙っていような。ああ、分かった。よくやった、よしよし」

 

 漆黒の鎧が黒髪の頭を撫でると黒髪は嬉しそうにして奥へと下がっていった。どうやら漆黒の鎧がリーダーのようだ。安堵の吐息と共にザリュースたちは名乗りを上げる。

 

「俺の名はシャースーリュー・シャシャ。こっちは弟の……」

「ザリュース・シャシャだ」

「仲間が騒がせたな。私の名はモモン。こっちはナーベ。あちらの赤いずきんがラナー。着ぐるみがクライムだ」

 

 ザリュースたちが出会った奇妙な集団、それはモモンガ一行である。

 モモンガたちは生贄()以上のパワーレベリング対象がいなかったため、バハルス帝国へ向けて森の中を移動していたのだ。

 20レベル後半程度までレベルの上がったラナーとクライムについては、襲ってくる魔物にやられる心配も無くなったため実践訓練も兼ねて戦闘は二人に任せていた。

 

 ラナーは魔力系魔法詠唱者としてモモンガの持ってない魔法を中心に適正ルートに沿って育成している。結果、デバフ系や状態異常関係をメインに順調に育成が進んでいた。

 

 クライムについては当初職業構成(ジョブビルド)が混沌状態だったが、今は盾職を中心に育成をしており、防御系の魔法の習得にも成功した。

 ただし、武技については山ほど生贄()を殴っている時に<盾強打>という武技を取得している。ユグドラシルにおけるシールドアタックに似た技だ。

 そんなクライムだが相変わらず犬の着ぐるみを着ているのでザリュースたちには奇異に映っていたのだろう。奇妙な目で見つめられている。

 

「着ぐるみ?あれは人間なのか?中に何者かが入っているのか?」

「……」

 

 クライムは人間ではあるが、将来は異形種になる前提で仲間としている。そして相手も人間ではない。であるならば異形種と言ってしまっても受け入れられるかもしれない。

 モモンガは少し悩んだあと正直に答えることにする。

 

「いや、我々の中に人間はいない」

「え……だがあれの中身は……」

「中に人などいない」

「モモンガ様の仰ることがすべてにおいて正しいです」

「クライムは犬ですわ」

「わんっ」

「……」

 

 どう見ても犬ではないのだが、そう言い張るならそれ以上突っ込んでも意味はないとザリュースは話を続けることにした。

 

「それで……お前たちはどうしてここにいるのだ?」

「旅の途中だ。その最中にオーガたちに襲われたから撃退していただけだ」

「旅……」

 

 モモンガの言葉にザリュースは憧れを感じる。

 旅人になる。それは一族からの離脱を意味する。しかし、ザリュースはその経験を一族の糧としたいと思っていた。この平和な森の中で生活し続けることは幸せだ。しかし、外の世界を知らなければ危険が迫った時対処が出来ないだろう。

 そして目の前に現れた旅人たち、彼らの話は部族のためになるかもしれず、話を聞かないのは愚か者だろう。

 

「兄者……」

「分かっている。モモン殿。どうだろうか、近くに我々の集落がある。そこで話でも聞かせてくれないだろうか、歓迎する」

「……それは願ってもない」

 

 情報収集はモモンガにとっても重要である。しかしモモンガは川をちらりと見てその異常な様子に気がついた。

 

「川に魚がずいぶん浮いているな」

「ああ、そうなのだ。今日も大漁でな!歓迎の料理は期待しててくれ!」

 

 シャースーリューは嬉しそうにしているが、飲食の出来ないモモンガからすれば期待しても食べられないのでため息しか出ない。

 

「はぁ……期待ねぇ……?」

「さすがはモモン様……気が付かれましたか?」

 

 料理に期待しても無駄と思ってついため息をついてしまったモモンガなのだが、同意するようにラナーが顔をしかめて水を見つめていた。

 

「……どうかしたのか?」

 

 シャースーリューの言葉にラナーが水を手にすくうとそれを観察する。

 

「モモン様、これは自然現象ではありませんね。すでにお気づきでしょうが……」

「えっ!?えーっと……。あ……ああ!もちろん気づいていたとも」

 

 まったく何のことだか分からないが子供を前に知らないというのも情けなさすぎる。モモンガとしては頷くしかなかった。

 

(なんかこの子は俺が何でも知っていると思っているみたいなんだよな……。期待は裏切りたくないが……俺の知識なんてユグドラシルのものくらいしかないんだけど……)

 

「モモン様……これはあれでしょうね」

「ああ……あれだろうな……」

「あれですね?」

「あれだな……」

「それでいかがいたしますか?」

 

(あれってなんだよ!?何かリザードマンにとって悪いことがあるんだろうけどなんなんだ?助けるかどうかということか?)

 

 モモンガは頭を悩ませる。彼らは一応友好的に接触できた初めての人間以外の種族だ。この世界に他にどのような種族がいるか分からないが、この場所がモモンガの落ち着ける場所という可能性もあり得る。

 

(何より彼らは俺たちが人間でないと答えたにも関わらず普通に接してくれている。ならばここで貸しを作っておくほうがいいだろう)

 

 問題があるとすれば何が起こっているのかモモンガにはさっぱりわかっていないということだけだ。

 一方、ラナーはモモンガを見上げたまま返事を待っていた。その視線はモモンガならば何でも知っているという絶対の信頼を持ったものである。

 その視線に目を逸らしたくなるのをグッと堪えてモモンガは考えぬいた返事を伝える。

 

「そうだな、力になってあげなさい。ラナー、彼らに何があったか分かりやすく教えてあげなさい。分かりやすくだぞ?」

 

 モモンガは部下へすべて問題を放り投げると言う上司としての禁断の技を披露する。部下(ラナー)に投げたボールを投げ返されるのではないかとビクビクしていたが、ラナーは言われたとおり説明を始めてくれたのでほっと胸を撫でおろす。

 

「はい……かしこまりました。結論から言いますが……このままではリザードマンは滅びます」

「なんだと!?」

「ぇ?」

 

 ラナーの言葉にザリュースはつい大きな声を上げる。モモンガも思わず声を上げかけるが何とか堪えることが出来た。

 

 『リザードマンが滅びる』、まるで確定した未来であるかのような言われようだ。それはリザードマンたちの知らない知識を持っている証拠でもある。

 ザリュースはやはり旅に出る必要があると確信する。一族を守るためのそのような知識こそが求めるものなのだからだ。

 そしてその知識を持っているというラナーの次の言葉をザリュースたちは真剣な顔をして待った。

 

「魚が浮いている理由はいろいろ考えられます。まず一つは水の中の空気が不足していること。藻などの植物や生物が大量発生して息が出来なくなって浮くことは考えられますが今回はその兆候はありません」

 

(確か赤潮とかで水の中の酸素が極端に減ると魚が死ぬって話は聞いたことあるな……)

 

 モモンガは小学校の頃習った知識を思い浮かべる。

 

「次に落雷などの衝撃により魚が行動不能になって浮いているケース。ですがこの辺りではここ数日晴れ渡っていました」

 

(確かに水は雷系魔法を伝えやすくするからな……。ナーベラルにも御前試合でやられたな)

 

 考えることの無駄を悟ったモモンガは推理から現実逃避を始める。ちなみにモモンガはここ数日の天気さえ正確には覚えていない。

 

「となると……ちょっと水を採取して調べてみましょうか」

 

 ラナーは無限の背負い袋からガラスの瓶を取り出すとそれに川の水を入れる。

 

「<毒物感知(ディティクト・ポイズン)>……なるほど、やはりこれは毒物ですね」

「なんだと!?」

 

 ザリュースはつい大きな声を上げてしまう。

 母なる大地の恵みたる川に毒を流す、それは一族への明確な攻撃である。まさかそんなことが行われているとは思ってもみなかった。

 

(そんなことも分からず我々は魚がたくさん捕れたと喜んでいたのか……)

 

 先ほどまで笑顔で喜んでいた自分たちのなんと滑稽なことか。ザリュースは旅に出なければならないという思いをより強くする。

 野生の毒草などに詳しい者はいるが、今回のものはリザードマンの知らない毒であるかもしれない。世界を回り危険にどのような対応をする必要があるのかを学ぶ必要があるだろう。

 

(いや、それよりも今は目の前のことだ!)

 

「待ってくれ。ラナーと言ったな。本当にこの水には毒が入っているのか」

「ええ。魔法による鑑定結果に間違いはないですわ」

「だがそれだとおかしいだろう。俺たちはこの浮いている魚を最近食べているし、この水も飲んでいる。なのになぜ俺たちは生きているんだ」

「最近体調の悪くなった人は?」

「どうだ?兄者」

「いや、そのような話は聞かんな」

「では……極めて弱い毒なのでしょうね」

「弱い?」

「弱い毒は体の大きな者には効きにくい。だから体の小さい魚だけが弱っていくのですわ」

 

 確信したように断言するラナーにザリュースは戦慄する。この小さく、そして細くやせ衰えた体にどれだけの知識が詰まっているのだろうか。

 

「お前……何者だ……」

「私はモモン様の家畜ですわ!」

 

 当然のようにラナーはそう言って笑うが、すかさずモモンガから突っ込みが入る。まるでモモンガが幼女をいかがわしいことに使っているようではないか。

 

「ちょっと待て!誤解を招くような言い方をするな!彼女は何というか研修期間中の社員……いや、丁稚奉公……のようなものだ」

 

 日本でも江戸時代などは子供を奉公に出して職を学ばせていたという。ならば今仕事を学んでいるとも言えないわけでもないラナーとクライムはそういってしまっても間違いではないだろう。

 

「私たちをそのように扱っていただけるとは……なんと慈悲深い。さすがはモモン様です」

 

 なぜかラナーから注がれる感謝の眼差し。色々と知っているから役に立つしついてくるなら仲間にするのもいいと思っていただけなのだが、まるでナーベのように絶対者へ向けてくるような対応で接してくる。

 

「それに私程度が知っていることなどモモン様はすべてご存じですから」

「ふふんっ、モモン様なら当然です」

 

 ラナーに同調するナーベラル。その言葉の端々からモモンガへの信頼があふれていた。

 

 一方、ザリュースはモモンガたちの言葉を信じるに値すると判断する。ラナーの理路整然とした説明、魔法の行使、モモンガへの信頼と自信に満ちた態度、間違いはないだろう。

 

「兄者!」

「おう!」

 

 俺と兄は顔を見合わせると頷きあう。ザリュースはここで彼らに会ったことに運命と言うものを感じていた。そして感謝とともにモモンガ達へとその犯人捜索への協力を依頼するのだった。

 

 



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第26話 陽光聖典

「モモン殿。協力に感謝する」

「……気にするな」

 

 友好的に接しているがモモンガはリザードマンたちを全面的に信用したわけではない。リザードマンたちが何らかの報復に毒を流されたという可能性もあるからだ。

 しかし、安住の地を見つけることや、仲間たちの情報を得るという目的のためにはわざわざ敵対する必要はない。

 

「それに毒が流れてきたとしてそれが人為的なものか、自然発生的なものか。気になるではないか」

「自然発生することなどあるのか?」

「鉱毒という可能性もあるのではないか?銅が溶け出した場合や水銀が溶け出して昔大勢の人が死んだことがあったと聞くからな」

 

 ラナーが何かすごく嬉しそうに『さすがモモン様』とでも言いたそうな表情でモモンガの言葉に頷いている。

 

(そんな目で見ないでー……。こんな知識は小学校で習うようなことだろう……)

 

「その可能性もあるというだけだ。誰かが流している可能性もあるがその場合は理由が不明だな。お前たちはどこかと敵対したりしているのか?」

「他の部族との小さな衝突はあるが、いつも正々堂々とした戦いで決着をつけている。毒を流すような誇りのない行為をするリザードマンなどいない」

「ほぅ?」

 

 どんな種族にも善人や悪人はいるものだがリザードマンにはいないらしい。それとも悪事を働くだけの余裕がないということだろうか。

 

(昔ぷにっと萌えさんが何かいっていたな……歴史ゲームの話か何かだったか?)

 

「閑人蟄居して不正をナス?」

「なんだそれは?どういう意味だ?」

「なんだったか……暇を持て余すと悪いことをするということだったか。忙しくしていれば悪事を働く余裕などない。リザードマンは勤勉だなと思っただけだ」

 

(でもナスが不正をするってなんだ?……暇なほどナスを作ったということか?)

 

 モモンガが思い出そうと頭を捻っているとザリュースが口を歪めた。不快な感じはしないので恐らく笑ったのだろう。

 

「ザリュースといったか?リザードマンは人間と比べてずいぶんと好感の持てる種族なのだな」

「モモン殿は人間と会ったことがあるのか?俺も聞きたいのだが、あなたたちにとって人間とはどのような種族なのだ?」

「私もそれほどこのあたりの人間には詳しくはないが……人間の国、リ・エスティーゼ王国には魅力を感じなかったな。ラナーの話によると国の危機であるというのに貴族同士で足の引っ張り合いをしているとか……」

「一族の危機にもかかわらず争いあっているのか?それは口減らしということか?」

「いや……違うだろうな。誰かより楽をしたい、贅沢をしたい、自尊心を満足させたいといった感情か? だがそのために誰かを傷つけ、時に殺すことさえあるのはいただけないな」

「そんなことのために殺すのか!?」

 

 ザリュースは眉をしかめる。生きるため、食べるため、誇りを守るために戦って死ぬことは何も恥ずべきことではなく誇り高いことでさえある。

 しかし人間はそれ以外の欲望のためだけに相手を殺すというのだ。警戒すべき種族とザリュースは心に刻む。

 

「モモン様、それらしき反応を見つけました。周りには人もいるようです」

 

 ラナーからの声にモモンガは口に人差し指を当てる仕草をする。静かにしろということだ。

 

 ラナーには習得した2つの魔法を発動して周囲を探査するように言ってあった。一つは<魔法探知(ディティクト・マジック)>、もう一つは<生命探知(ディティクト・ライフ)>である。

 

「ここのやや上流のあたりに魔法の波動を感じます。その周辺に30人ほどの生命反応がありますわ。体力を<生命の精髄(ライフ・エッセンス)>で確認しますか?」

「いや、さすがにそろそろバレるだろう。私が不可視化の魔法をかけるのでそれで接近してみよう。会話はここまでだ」

 

 完全不可知化でないことがモモンガにはやや不安はあるが、それを看破できるほどの相手ならば今の時点で見つかっているはずだ。なので見つかることも前提にして近づいていくと声が聞こえてくる。

 

「ニグン早くしろ。破滅の竜王の捜索が優先と言うことを忘れるな」

「お待ちください。もう少し……」

「まったくお前は執拗というか……やりだしたらとことんだな」

「当然です。亜人どもは人類の敵と聖書には謳われております。聖書に従うのであれば躊躇など必要ありません。徹底的に一匹残らず排除せねば……毒で数が減らなかったら次は直接薄汚いリザードどもを皆殺しにしてやりましょう」

 

 どうやら探すまでもなく犯人が自供したようである。横を見ると不可視化しているから見えないがリザードマンたちの体から怒気が上がっているような気がする。

 

「おまえらか……」

 

 ザリュースの怒りに震えた声がその場に轟く。

 

「何!?誰かいるのか!?」

 

 きょろきょろと周りを見回す男たちの様子にもはや不要とモモンガは不可視化を解除する。

 

「なっ……リザードマン!?」

「どうやって……」

「お前らが川に毒を流していたのか!祖霊たちが守りし偉大なる川によくも……」

「……」

 

 ニグンと呼ばれていた男はシャースーリュー達を無視して視線をモモンガ達へと変えた。

 

「お前たちはリザードマンの仲間なのか?見たところ人間のようだが……」

 

 言われてみて考える。

 モモンガにとって彼らは別に仲間というわけではない。人外というくくりで言えばその中に含まれるかもしれないが、協力を約束したのは犯人の特定までだ。リザードマンに味方するかと言われればそれはメリットとデメリット次第である。

 

「ふむ……難しい質問だな……仲間ではないが……通りかかって偶然会った関係というのが正確だな」

「そうか……。ではお前たちが我々人間側につくというのであれば殺さないでやろう。その亜人どもを殺すのに協力しろ」

「は?」

「亜人というだけで生きている価値のないゴミだ。亜人、魔物、アンデッド……我々は人類以外をすべて駆逐し、その居場所をなくしてやる!お前も人間ならわかるだろう!これはすべて人類のためなのだ!」

 

 居場所をなくす……その言葉にかつてのユグドラシルでの自分を思い出す。

 

 

 

───アンデッド狩り

 

 

 

 特定の職業(クラス)を習得するために必要とされるアンデッドプレイヤーの討伐数、それを稼ぐための人間のプレイヤーにモモンガはキャラクター喪失寸前まで殺され続けた過去がある。

 

『異形種が!』

 

『キモイんだよ!』

 

 そんなことを言われながらゲーム内のどこに行っても狩られ続け、ユグドラシルに居場所などないと思っていたかつての自分。

 そんな状況をかつての仲間たちが救ってくれたから今のモモンガがある。ニグンの言葉はそんな仲間たちの行為さえ否定するものに思えた。

 

「勘違いするな……。ここにお前たち以外に人間などいない」

 

 身の内からにじみ出る不快感とともにそう告げるとニグンたちは顔を青くして一歩下がった。

 どうやら意識せずにスキル『絶望のオーラ』が発動してしまったようだ。リザードマンたちも最初にいた場所から一歩引いている。

 

「だが……そうだな。私はお前たちとは違う。彼らリザードマンに謝罪し、食料について賠償を行い、今後二度と罪もない亜人や異形種を迫害しないと約束するのであれば私は手を出さないがどうする?」

 

 ナーベラルが信じられないというような顔でモモンガを見ている。

 

(気持ちは分かるが毎回その調子で殺しまくってたら困るだろうが……クライムは……何もわかってない顔だけどラナーは何で楽しそうに笑ってるんだ!?怖いんだけど!)

 

 しかしモモンガのその慈悲深い提案も相手には一切通じることはなかった。

 

「愚かな……亜人の味方をするか!身の程を知らないとは厄介なことだな。隊長、殲滅でよろしいでしょうか」

「やむを得ん。各位戦闘態勢!」

「「「はっ!」」」

 

 30人はいるだろう奇抜な神官服の集団が一斉に杖を取り出す。対するリザードマンたちも剣を抜き放った。ナーベラルは残酷な目つきをしながら杖を抜く。

 

「待てナーベ。私とお前は見学だ。人間どもが向かってくるというのであれば是非もないが……ここは我が部下たちの(経験値)としてやろう」

 

 相手は多い。そして相手のレベルも考えるとこの人数は二人にはやや厳しいがそれも経験だ。モモンガは念のため自身の姿を幻術によるものに切り替えて魔法を発動可能にするとともにラナーとクライムを解き放った。

 

「<第3位階天使召喚(サモン・エンジェル・3rd)>!」

 

 陽光聖典の隊員たちが次々と天使を召喚する。ラナーたちに襲い掛かってきたのは炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)だ。ユグドラシルと同じ魔法もあるようだ。

 そのため強さについては予測できるが複数で来られると戦力は天使の方が上だろう。

 

「ふむ、少し力が足りないか。では……<竜の力(ドラゴニック・パワー)>」

「な、なに!?」

 

 強化魔法の光がラナーとクライムを包み込む。すると天使たちの剣により防戦一方であったクライムの盾が徐々に剣を弾き返すようになった。

 

「か、囲め!魔法を使うんだ!」

「<衝撃波(ショック・ウェーブ)>!」「<聖なる光線(ホーリー・レイ)>!」

 

 天使による直接攻撃では分が悪いと感じたのか陽光聖典の隊員が次々と魔法で攻撃を始める。さすがにその魔法のすべてが命中してはラナーたちでも厳しいだろう。

 

「ふむ、第3位階までの魔法しか使わないのか。<聖域加護(サンクチュアリプロテクション)>、<月光の帳(ベール・オブ・ムーン)>」

 

 高位の物理防御上昇と魔法防御上昇の魔法がラナーとクライムを包み込み、飛んでくる魔法効果によるダメージが目に見えて減少した。

 

「た、隊長!効きません!」

「くっ……おいニグン!頼む!」

「はっ!お任せください!<第4位階天使召喚(サモン・エンジェル・4th)>!いでよ!監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)!」

 

 監視の権天使はニグンが自身で召喚できる最強の天使である。その能力は視認できる自軍構成員すべての防御力を上昇させるというもの。さらにニグンには自身の召喚対象の能力を向上させるという稀有な才能(タレント)を有している。

 監視の権天使の登場に他の天使たちの防御力も上昇し戦線を持ち直した。

 

「ほぉ、第4位階の召喚魔法か……。ではもう少し手助けが必要か?<天界の気(ヘブンリィ・オーラ)>、<無限障壁(インフィニティ・ウォール)> 、<自由(フリーダム)>」

「な、なんだ!?力が湧き上がってくる」

「兄者もか……俺もだ……」

 

 モモンガがラナーとクライムに加えてリザードマンたちにも強化魔法を飛ばす。一方、監視の権天使で戦力を持ち直した陽光聖典は再び窮地に立たされるが、モモンガは容赦しない。

 

「もっと必要か?<超常直感(パラノーマル・イントウイション)>、<感知増幅(センサーブースト)>。<不屈(インドミタビリティ)>」

 

 モモンガが駄目押しに強化魔法を飛ばす。それにより4対30という圧倒的不利であった構図が一気に書き換わった。

 

「モモン様ありがとうございます!<盲目化(ブラインドネス)>!」

 

 攻勢の機と見のがさずラナーが魔法を発動すると陽光聖典たちの視界が真っ暗に染まる。

 

「くっ……状態異常か……<盲目治癒(リムーヴ・ブラインドネス)>!」

「な……治癒が効かないだと!?」

「こっちもだ!」

 

 次々と視界を奪われ混乱する陽光聖典たちを見ながらモモンガはラナーの戦略に感心する。

 

(今のは<盲目(ブラインドネス)>ではなく<暗闇(ダークネス)>の魔法だな。あえて違う魔法名を叫んで相手を混乱させるとはなかなかやるじゃないか)

 

 モモンガは戦いとは騙し合いだと思っている。より正しい情報を掴んで対応した方が有利に戦闘を進めるのだ。そのため相手に虚偽の情報を流すのはとても有効である。

 

 ラナーの魔法は状態異常魔法ではなく幻術系魔法で空間を暗闇で包んでいる。そのためその場を移動するか<閃光(フラッシュ)>などの魔法で暗闇自体を消し飛ばせば視界は回復するのであるが……。

 単純なことなのだが経験不足による思い込みというものは恐ろしい。

 

「目が……目がああああ」「ぎゃああああ!」「誰か助けてくれえええ」

 

 

 

───数分後

 

 

 

 死体の山が出来ていた。モモンガの強化魔法とラナーの幻術系魔法などにより戦力差は覆り、陽光聖典は一気に殲滅されてしまった。

 そして残ったのは一人の男。一番の実力者と思われるニグンが情報収集のために殺されずに残されていた。

 

「さて、敗北を認めるかね?」

「み、認める!ゆゆゆ許してくれ!」

「許しを請う相手が違うと思うが……まぁいい。聞かせてくれ。お前たちは何者だ?」

「……」

「答えないか……では手足の一本くらい……」

「は、話す!我々はスレイン法国の特殊部隊『陽光聖典』だ」

「陽光聖典?ああ……」

 

 ラナーから聞いていたスレイン法国の特殊部隊である。亜人討伐を主な任務としている狂信者集団らしい。

 

「なるほどな。それで君たちがここから帰らなかった場合どうなる?」

 

 ニグンは顔を青くする。それはニグンを生きて返すつもりはないという明確なる殺害予告だ。でなければこんな質問をする必要はない。

 

「……」

「どうした?」

 

 ニグンがなぜか苦し気に胸のあたりを押さえていた。

 

「お、おそらく捜索隊が出される……。風花聖典あたりがな……」

「見つからなかったらどうなる?」

「人外に殺されたと思われるだろう。そしてリザードマンやダークエルフへ報復が行われ……ぐっ!」

 

 報復という言葉にリザードマンが殺意を睨めた目を向けた瞬間……ニグンが胸を押さえると血を吐いて倒れ伏した。

 

「なんだ?どうしたんだ?」

 

 ニグンの顔を掴みあげてみるが白目をむいて泡を吹いておりピクリともしない。生命力も0だ。

 

「死んでいる?お前たちが何かしたのか?」

 

 リザードマンやラナーたちを見るが双方とも首を振る。逆に彼らが半目でモモンガを見つめていた。その眼は口ほどに物語っている。あなた(モモンガ)がやったのでしょう、と。

 

「いやいやいやいや、私じゃない!私じゃないぞ!確かに無詠唱で即死魔法を使えばこのくらいは出来るしスキルを使えば一瞬だがやってない!もしかしたら時限式の魔法を仕掛けられていたんじゃないか!?質問に答えたら死ぬような……」

 

 『出来るけどやってない』と言ってしまったがそこは『出来ない』と言うべきだったと後悔する。

 モモンガがさらなる言い訳を続けようとしたその時……。

 

「なんだいこりゃ?」

「……死体いっぱい」

「血まみれじゃねえか」

 

 森の中から老婆が引き連れた若い女冒険者集団が現れた。

 

 



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第27話 正当防衛

(どうする?一見俺たちが虐殺したように見えないこともない……。正当防衛は成立するだろうか……?攻撃してきたところを返り討ちにしたのだし……)

 

 良い言い訳がないものかと考える。

 とりあえず相手は全員死んでいる。こちらは無傷。殺されそうになったから反撃したというのはどうだろうか。正直モモンガは殺されそうだったとは思っていないし、ラナーたちも思っていない。

 

 ……無理そうである。どう考えても過剰防衛だ。

 

「何とか言ったらどうだい?」

 

 老婆の表情からは何を考えているのかは読めないが落ち着いているようには見える。

 しかし、後ろにいる若い女達はやや驚いているように見えた。それはそうだろう。何十人もの人間が血まみれで倒れているのだ。若い女性など叫びださないだけマシだろう。

 

(それでも正当防衛を主張してみるか……、まぁ嘘だろうが卑屈な態度などもってのほかだな……。あのアルチェルとか言う貴族には丁寧に対応しすぎて失敗したし。多少尊大でも自信を持って対応しよう)

 

 モモンガは頭の中で演じるキャラクターを作り上げる。高貴な出自で歴戦の戦士として実力を持ち、誰にも簡単には頭を下げない自信家。よし、これでいこう。

 今回のことも悪いことなど何もしていないの一点張りで押し通すのだ。

 モモンガは心臓のない体に感謝する。もし心臓があったのであれば緊張により破裂していたかもしれない。

 

「その質問の前にまずは自己紹介をするべきではないか?君たちは何者だ?私の名はモモンと言う」

「ずいぶん落ち着いてるんだね……。まぁ、いいさ。あたしらはミスリル級冒険者チーム『蒼の薔薇』、右からラキュース、ガガーラン、ティアにティナだ。冒険者組合から調査依頼を受けてここへ来た」

「ほぉ?『蒼の薔薇』ね……」

 

 蒼の薔薇の話はモモンガもラナーから聞いている。

 王都でも有名な冒険者チームらしく、実績はまだ少ないがその実力はアダマンタイト級にも匹敵するとも言われているらしい。

 

「私たちは旅人だ。私がモモン。彼女は冒険者のナーベ。それからラナーにクライムだ。バハルス帝国に向けて旅をしている」

「ナーベ!?それにラナーですって!?」

 

 若い女が大声を出す。ラキュースと紹介された少女だ。よく見るとやけに派手な装備をしている。

 

(両手の指すべてにアーマーリング?背中に浮いている剣はなんだ……?なかなかいいセンスをしてるな……)

 

 モモンガは見た目を重視したようなその派手な装備センスに共感を覚える。ロマン装備やファン装備といった種類に近いのだろう。しかし彼女はナーベとラナーの知り合いなのだろうか。

 

「知り合いなのか?」

「いえ、知りません」「私も知りませんわ」

 

 ナーベとラナーが同時に否定する。知り合いではなかったようだ。

 

「彼女たちは君を知らないようだが……人違いではないか?」

「いえ、あの……ナーベ様、一度お会いしましたよね?」

「……は?」

「え?覚えていないのですか……?」

「……誰ですか?」

「くぅ……。で、ではそちらの赤い頭巾の方は……?ラナーという名前なのですよね?顔を見せてもらっても?」

「お断りします。酷いやけどの跡がありますので……」

「ええー……」

「ラキュース、そんな話はあとにしな。モモンとナーベの二人は私も知っている。御前試合のあと姿を消してたけどこんなところにいるなんてねぇ。それでこの状況を説明してもらえるかい?」

「……いいだろう」

 

 モモンガはスレイン法国の特殊部隊がリザードマンに対して行なったことを話す。毒が川に流され食料である魚の収穫が見込めなくなると聞いてリザードマンとともに蒼の薔薇の面々の顔も曇っていく。

 

「それで謝罪と賠償を求めたところ襲ってきたのでやむを得ず殺した。それで何か問題があるか?」

 

 自分達は何も悪くないという正当性の主張とともに胸を張る。例えそれが無茶な主張であっても強気で行けば意外と何とかなるものだ。

 

「確かにそりゃあ殺されても文句は言えないかもね」

「だろう?ならば問題はなかろう」

 

 ガガーランという大女が意外にも納得したように頷いた。人間側に立ってモモンガたちの過剰な反撃を責めるのではと思っていたがうまくいったようだ。しかしリグリットは首を振る。

 

「あんた達の言っていることが正しいならね」

「……何?」

「目の前に人間の死体の山がある。それを殺した奴が『悪いのは殺した相手の方だ』と言う。それを疑わずに信じろとでもいうのかい?」

 

 確かに何の証拠もない状況でモモンガたちだけの証言を信用できないというリグリットの主張はもっともだった。うまくいったと思ったのに逆戻りである。

 

(死人に口なしって言いたいのか。一人くらい生かしておけばよかったか……いや……別に死人だから口がないってことはないんじゃないか……?)

 

「では我々以外の証言があれば信じると言うことか?」

 

 モモンガは一つの解決策を思いつく。一つ手の内を晒すことになるが、この方法であれば何も問題なくすべてが片付くことだろう。

 

「そうだね……誰かほかに目撃者でもいるのかい?」

「いるだろう?目の前に」

 

 リグリットは周りを見渡す。湿地帯の森の中には蒼の薔薇とモモンガたち以外には誰も見当たらない。

 

「あんた、何を言っているんだい?」

「だからいるだろう?そこに死体として」

 

 モモンガは目の前の血溜まりを指差す。そう、別にここは現実世界ではないのだ。死んで証言できないならば生き返らせてしまえば良い。幸い目の前の連中は蘇生魔法でも灰にならない程度のレベルはありそうである。何も問題ないだろう。

 

「死体がどうしたって?本当に何を言っているんだい?」

「ナーベ。こいつらを蘇生しろ。<死者蘇生(レイズデッド)>だ」

 

 ユグドラシルにおける低位の蘇生魔法。結果、膨大な経験値を失いレベルが大幅に下がるデメリットがあるが敵対してきた相手にそこまで気を使う必要はないだろう。

 ナーベラルは指の神聖魔法の込められた指輪を見つめると陽光聖典に魔法を発動する。

 

「<死者蘇生>」

「な、なんだって!?」

「うそっ!?」

 

 リグリットに続きラキュースも驚きの声を上げる。<死者蘇生>はラキュースの知る限り王国では自分だけが到達した神聖魔法の極意であり、他に使用できる者など聞いたこともなかった。

 しかもナーベラルはそれを30回も連続で使用して魔力を消費したにもかかわらず何でもないような顔をしている。

 

「さて、これで証人が増えたな。おい」

 

 モモンガは陽光聖典の中で特に態度が悪かった男、ニグンの髪を掴むと蒼の薔薇の前まで引きずってくる。

 

「は、はれ?ここは……い、いたい……いたいいたい!」

「さて、ニグンとか言ったな。ここで何があったかもう一度正直に話せ」

「ひ、ひぃ!」

 

 先ほど自分達と戦い、隊員たちの体をバラバラにして殺した相手。その相手の赤い眼光が兜の中からニグンの心を射殺す。

 

「どうした?また死にたいのか?ならばお前を殺して別のやつに聞くぞ」

 

 その冷たい声に優しさはなく、答えなかった場合確実に殺すと確信するだけの恐怖をニグンに与えた。ニグンは呂律の回らない口でここであったことを残らず話す。

 

「……ということだ。納得したか?」

「あ、ああ……分かったよ」

 

 当たり前のように人の生死さえ容易くその手の中で転がすその様子にさすがのリグリッドもそれ以上声が出なかった。

 

「さて、リザードマンの諸君。図らずも彼らを生き返らせてしまったわけだが……どうする?」

「ど、どうするとは?」

 

 ザリュースも声を引きつらせる。蘇生魔法などリザードマンの中でも伝説とされる神話にだけ出てくる奇跡の御業だ。動揺しないわけがない。

 

「我々はあくまで中立だ。彼らに賠償を求めるなり殺すなり好きにするといい」

 

 モモンガは生き返らせた陽光聖典の扱いをリザードマンに丸投げする。蘇生のいい実験台にはなったが、正当防衛を勝ち取った以上は用なしの存在だ。

 

「賠償などいらん。こいつらの顔などもう見たくもない」

「……だ、そうだ。彼らがそう言う以上は我々も手は出さない。だが、二度とその顔を我々の前に出すな。でないと……」

「で、でないと……」

 

 ニグンの顔が真っ青になる。『殺す』、そう続くと思ったニグンは己の甘さを後悔する。

 

「お前たちには死よりも恐ろしい結末が待っていることだろう」

「ひっ……ひああああああああああああ!!」

 

 実際にニグンたちを殺して生死を弄んだ存在。その存在が言うのであればその言葉は事実になるのだろう。モモンガの言葉を聞いた陽光聖典は動かない体を無理やり引きずってその場から逃げていく。

 

「さて、これで誤解は解けただろうか。これ以上話をすることはないが……いや、聞いておきたいことがある。ナザリックやアインズ・ウール・ゴウンといった言葉を聞いたことはあるか?」

「いや……知らない言葉だね」

「ではお前たちは亜人や異形種についてどう思っている?人間がリザードマンを殺そうとしたことに対してどう思うのだ?」

「もしあたしらがあんたたちより先にここに来てたのなら法国の連中とやりあってたのはあたしらだったろうさ。一方的に他種族を殺すなんて許されることじゃない」

 

 リグリットの言葉に蒼の薔薇の面々も頷いている。王国にも意外とまともそうな人間がいると思たのだが……ラナーがくいくいとマントを引っ張ってくる。なんだろうか、早くこの場を去りたそうだ。トイレでも行きたいのだろうか。

 

(確かに水場で冷えたからな……)

 

「そうか、私からはそれだけだ。お互い誤解が解けたようでよかった。では失礼する」

 

 蒼の薔薇の面々はまだ何か言いたそうにしているように見えるが気のせいだろう。それよりラナーの膀胱が大変だ。モモンガは蒼の薔薇の返事を待たずに背を向けて歩き出すのだった。

 

 



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第28話 過剰技術(オーバー・テクノロジー)

「モモン様、それでこの後はどうされるのですか?」

 

 蒼の薔薇と別れた後、ラナーに言われた言葉にモモンガは漆黒の兜に手をやると考える。言葉足らずだと思ったのかラナーはそのまま言葉を続ける。

 

「リザードマンさん達のことです。このままでは食糧不足で良くて戦争、悪ければ全滅ですわ」

「なっ……」

「なんだと!?」

 

 モモンガの返事を遮るようにシャースーリューが大声を出す。緑爪族をまとめる族長として全滅とは聞き捨てならない。

 

「モモン殿たちのおかげで毒の発生源は取り除いたではないか。なぜ食糧不足になるのだ。今までどおり魚を取って暮らせばよいのではないのか?」

「生態系がもとの通りでしたらそのとおりです。ですが魚の絶対量が少なければこれから生まれてきた魚は取りつくされてしまうでしょう。魚が取りつくされれば産卵する魚はほとんど残りません。今のままでは絶望的ですわね」

「そんな……では我々はどうすれば……」

「すべてはモモン様次第ですわ」

「……ぇ」

 

 突然話を振られてモモンガは困惑する。

 

(……何が俺次第なの!?いつもいつも何で俺なら何でも出来ると思っているようにボールを投げつけてくるの!?)

 

「モモン様にはあなたたちを助けるだけの力と叡智があります。ですがあなたたちにそれに応えるだけの何かがあるでしょうか?」

 

 そんな叡智ないよと目で訴えかけるが、期待に満ちた視線が逆に返って来て許してくれない。モモンガは投げ返されたボールを顔面で受けるしかなかった。

 

「リザードマンは受けた恩は忘れない!必ず返す!」

「……だそうですが、いかがいたしますか?モモン様?」

 

 すべては狙い通り、分かっておりますよと言った笑みを浮かべるラナー。

 

 モモンガとしては亜人排斥主義者たちが許しがたかったので敵対はした。それはいい。リザードマンが困っているのであれば助けることもやぶさかではない。

 しかし残念ながらモモンガにはその助ける叡智とやらがないのだ。ラナーは何か考えがあるようだがそれを教えてくれとは言えない。

 

「……ではラナーお前に任せよう」

 

 モモンガは顔面に投げられたボールを泣きながらもう一度投げ返すしかなかった。

 

 

 

 

 

 

(……どうしてこうなった)

 

 3か月後、目の前の光景にモモンガは眩暈がする。もしアンデッドでなければ熱を出して倒れていただろう。

 

「ラナー様!養鶏場については軌道に乗りました。量も全部族に行き渡るだけ確保できそうです!」

 

「ラナー様!魔化蒸気機関の開発に成功しました!」

 

「ラナー様!道路整備が完了しました!魔化蒸気機関の車両への搭載許可を願います!」

 

 ラナーにすべて丸投げしてしまった結果、モモンガの現代知識とラナーの頭脳による改革が想定外の成果を上げてしまっている。

 

 農業においては湿地帯ということを生かした根菜類を中心とした食用植物の栽培方法を確立し、王国で立案していた小麦などの畑作についても森林の一部をモモンガの魔法により焼き払うことで一気に開墾がなされて、すでに作物が育ちつつある。

 

 酪農においてはトブの大森林の中から食用、卵用、搾乳用など用途ごとに使えそうな家畜を探しだして現在は繁殖中だ。養鶏以外についても1年以内には軌道に乗りそうである。

 

 さらに産業においての進歩が最も著しかった。文明レベルが極めて低かったリザードマンたちに過剰と言える産業革命が起きた。

 

 滑車などの歯車(ギア)を使った技術を開発したことにより時計が作られ、水車を利用した動力が作られ、車輪を利用した荷車なども開発され、それらを通すための道路についても整備が行われた。

 

 もちろんそれらを製作する図面を作成する技術についてもラナーにより開発されて伝えられている。単位を新たに作成して統一化、スケールや重さを計量する機器、地図の作成道具なども作られている。

 

 さらにモモンガが驚いたのはそこに魔法による技術が融合されたことだ。燃料を必要とする蒸気機関などの動力を魔法で賄おうというものだった。いずれ列車や自動車も走り出すかもしれない。

 

 水道や下水道についても整備が進み、簡易なものであるが上流から水を引く導水路を整備し、配水池と浄水池を設け、ろ過後の水を高低差を利用した圧力で各家庭へ通している。

 下水については処理場まで送られて肥料として利用する計画中である。

 

 

 

 これらの事業が軌道に乗り始めるにあたりリザードマンの部族を一つにまとめることが提案されている。

 

 食糧不足による部族間の小競り合いが始まったのだ。

 

 最終的に部族間の衝突を時に武力を、時に利益を提示しながら一つにまとめ上げたのもラナーと緑爪族であった。

 

(なんということでしょう……あのほのぼのとした牧歌的な村が匠の手により近代的な街へと変わってしまったのです……)

 

「モモン様のおっしゃる半導体……シリコンですか。それさえ手に入ればもっと色々出来そうですのに……」

 

(こいつ……まだやる気なのか……)

 

 現実逃避していたモモンガは現実へと戻って来た。

 

 想定外にラナーが挙げた成果。

 軽い気持ちで現代知識を話していただけであるのに、ラナーは一を聞いて十を知るどころではなかった。

 モモンガのあいまいな知識から完成形を再現し、さらにそれを魔法の存在する世界に適したものへと昇華させたのだ。

 モモンガはやりすぎたと後悔しているが、ラナーは材料さえあれば半導体を用いた電気回路の開発までやってしまうだろう。

 

「モモン様―」

 

 チリンチリンとベルを鳴らしながらクライムが補助輪付き自転車で走ってくる。

 

「お花つんできたー」

 

 クライムが手に持った赤い花を振っている。子供らしくあった当初とあまり変わらないクライムはモモンガの唯一の癒しだ。

 

「あとお肉取って来たー!」

 

 クライムは<無限の背負い袋>から巨大な悪霊犬(バーゲスト)の死体を取り出す。森の中で狩ってきたのだろう。強さについては子供らしさの欠片もなかった。

 

「食べられるのか?これ……ん?クライム口の中どうかしたのか?」

 

 クライムが口をモゴモゴさせているので、モモンガは怪我でもしたのかと心配になる。

 

「んっ……なんでもない、わん!ラナー様ただいま」

「おかえりなさいクライム」

 

 帰ってきたクライムの頭をラナーが撫でている。

 はた目から見ると子供同士の仲睦まじい微笑ましい光景なのだが、年齢以外のいろいろな面がおかしい。

 そしておかしいと言えば村の中にまたおかしなものが見えている。

 

「ところでずっと気になっているんだが……あそこに建てようとしているものはなんだ?」

 

 村の中心となる広場に巨大な木彫りの何かが設置されようとしている。どこかで見たような造形をしておりとても嫌な予感がする。

 

「あれはナーベ様のご提案によりリザードマンの部族すべてが賛同して製作した10/1スケール木製モモン像ですわ」

 

(何をやっているんだナーベラル!!)

 

 ラナーはリザードマンを救ったのは英雄モモンの英知によるものであると伝えていた。

 その結果彼らはモモンガを祖霊の遣わした神だと思っているようなのだ。それに気をよくしたナーベラルが発注したのだろう。

 黒々とした木から彫り出したと思われるその像は鎧姿のモモンの姿を精巧に再現していた。それを見てモモンガは決意する。

 

「ラナーまだ彼らが食料不足になる可能性はあるのか?」

「いえ、後は彼らだけで何とかなると思いますわ」

「ではこれ以上ここにいる必要もないな……」

 

 あんな像まで建てられて崇め奉られるなど罰ゲームでしかない。モモンガのその言葉にラナーは思案気な顔をした後、納得したように頷く。

 

「なるほど……そういうことですか」

「うむっ……まぁ、そう言うことだ」

 

 ラナーが何を思ったか分からないが反対しないのであれば是非もない。

 モモンガは、もはや集落とも呼べないほどの規模になりつつあるがリザードマンの集落を見ながら、新たな場所へ旅発つ決心をするのだった。

 

 

 

 

 

 

 モモンガが旅立ち前になんとか木像の設置を阻止しようとナーベラル相手に四苦八苦している頃……ラナーとクライムは旅立ちの準備を始めていた。

 

 集落にいる間に増えてしまった荷物をいるものといらないものに分けていく。

 

「ラナー様。ここにずっと住まないの?」

「ええ、きっとこれもモモンガ様の予定通りの行動なのよ」

「モモンガ様の考えなら心配ないね!」

「きっとここでの《実験》は終了ということでしょうね。それに私にこれ以上文明を発展させるのを止めたかったのでしょう。迂闊でしたわ……まだ全世界がモモンガ様の下にひれ伏してないというのに……」

 

 この世界がリザードマンたちのみであればこのままでいいかもしれない。

 しかしこの世界には取るに足らない知恵しか持っていないにも関わらず、恥ずかしげもなくまるで自分は何でも知っていますとばかりに人々を支配している者たちがいる。

 彼らに本当の支配者とは誰か、それを教える必要があると主人はいっていたのだろう。

 

「さぁ、クライム。世界中にモモンガ様がいかに素晴らしい支配者であるか知らしめてあげましょう」

「わんっ」



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バハルス帝国編
第29話 帝国を継ぐ者たち


 まだ少年と言える年齢の男が二人の部下を引き連れてある街の大通りに向かっていた。名はジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。バハルス帝国の皇子の一人である。

 

「さて、確かこのあたりだったか」

「ええ、報告どおり間違いありません」

「っていうか間違ってたら俺らも一緒に縛り首なんだけどな。本当にいいんですかい?」

「ちょっとバジウッド、殿下に対してその口の利き方は……」

 

 二人はジルクニフの側近だ。

 一人はバジウッド。口の利き方は粗雑だがそれは平民出身であるため目を瞑っている。それを窘めている貴族然としたもう一人はニンブル。下級貴族の出身の次男、つまり平民とそう変わらない身分の男である。

 

「いや、構わない。公式の場では許さんが、そういったところも含めて私の騎士団に勧誘したのだからな」

「そうそう、でもびっくりしやしたぜ。平民も含めた新しい騎士団を作るって聞いたときには」

 

 現皇帝陛下、つまりジルクニフの父は厳しい男であり皇子である息子たちを遊ばせておくようなことはしない。質実剛健をモットーとする帝国の習わしとして息子たちに役職を振り競わせていた。

 兄たちは他の有力貴族などにパイプを持てる大臣職を争って奪い合っていたが、ジルクニフはその時一つの提案をし、父の承認を受けていた。

 すなわち、「新たな騎士団を創設しその指揮を任せてほしい」というものだ。

 

「びっくりしましたよ。私のような下級貴族まで取り込むとは……」

「まだ時間までしばらくあるな……。少しおしゃべりでもしようか。なぁ、ニンブル、バジウッド。今私は皇位継承権を巡って兄たちと争っているが、その継承者である皇子たちが一番恐れるのは何だと思う?」

「皇帝は長子継承ではなく、実力で勝ち取るもの……でしたかね?」

 

 帝国の皇位については皇太子に継承権があると決まっているがその順位は実力によるものと代々定められている。獅子は我が子を谷底へ突き落とし、這い上がってきたもののみを育てるということなのだろう。

 

「やはり有力貴族とのコネクションでは?産業や農業で力を持っている貴族の発言力は侮れません」

「たしかにそりゃそうだな。金を持ってるやつのところには人も兵もいっぱい集まるしな。でもそんな貴族とつながりがあるだけで皇帝がつとまるのか? 俺はやっぱ人を引き付けるカリスマってやつが怖いんじゃないかと思うな」

 

 予想通りの回答をするニンブルとバジウッドにジルクニフはニヤリと笑う。

 

「確かにお前たちの答えは正しい。しかし間違ってもいる。それは……」

 

 ジルクニフが答えを言おうとしたその時、前方に複数の馬車が現れた。過剰なほど華美な金銀で飾り付けられた馬車の周りには複数の護衛が付いている。

 馬車は馬上で道を塞いでいるジルクニフ達の前で止まった。

 

「何者だ!ランカスター公爵の馬車に立ちふさがるなど……」

 

 御者台に乗っていた男が声を上げるが、ジルクニフ達の服装を見て顔色を変える。

 

「私はジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス!帝国第8騎士団を預かる将軍である!皇帝陛下より賜った警察権によりお前たちの馬車の検問を行う!」

「な、なにを……」

「バジウッド!」

「へい!」

 

 相手の返事を待たずバジウッドは迷わず一番後部に付けられた馬車へと向かう。周りの冒険者が、またはワーカーと思われる護衛たちも皇帝陛下の名代と聞いて戸惑っていた。

 その隙をついてバジウッドは馬車の扉を開けようとするが予想通り固く閉ざされている。そのため腰の剣を引き抜くとその扉に叩きつけて無理やり斬り開いた。

 そしてその中には……。

 

「んーっ……んーっ!」

 

 そこには声にならない悲鳴を上げている女たちがたくさん詰め込まれていた。涙に顔を濡らし着ている物はほとんどなく半裸と言っていい状態だ。

 

「殿下、間違いねえ。村から攫われてきた女たちだ」

 

 バジウッドの言葉にジルクニフは馬車へと目を向ける。その整った顔立ちに宿る瞳は帝国を荒らす悪を断ずる光のように人々の目には映ったことだろう。

 

「さて、馬車の中にいつまでも隠れてないで出てきたらいかがですか?ランカスター公爵殿!」

 

 ジルクニフの言葉に馬車の中から妙齢の男が下りてくる。それに続き華美な服装の男も下りてきた。金色の髪が輝くその横顔はどことなくジルクニフに似ている。

 

「さて、ランカスター公爵と……おやおや?まさか兄上までこのようなことに関わっていたとは驚きです」

「なっ……私は違う!」

「違う?どの口がそのようなことを言うのですか?ここまで大勢の人間が目撃したこの場で! 帝国の法を犯す形で女性たちを攫ってきて!」

「本当だ!私は知らなかったんだ!ランカスター公爵が勝手に……」

「殿下、落ち着いてください。これは何かの間違いです。私も真摯に原因究明にご協力したいところ……私も後続の馬車にこのような女たちがいたということは知らなかったのです。まずは法律の専門家などを集めて……」

「黙れ!国賊が!」

 

 言い訳を始めた侯爵だが衆人環視の中で響き渡るジルクニフの凛とした声に思わず黙り込む。

 

「どの口がそれを言う!すでに証人も証拠もすべて押さえている!見ろ!これがお前たちが攫い!そしてこれまでもて遊んで殺してきた人間たちの名簿だ!!」

 

 ジルクニフはニンブルが差し出した羊皮紙の束を持ち上げると公爵に投げつける。それを読んだ公爵の顔は見る見る青くなっていった。

 

「お、お待ちを!これは……」

「既に証拠は十分! 帝国法に基づき! 私ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは皇帝の名代としてランカスター公爵を死刑に処す! ニンブル!」

「はっ!」

 

 ジルクニフが腰の剣を抜くと同時にニンブルも剣を引き抜いた。そして一気に公爵のいる馬車まで馬で駆ける。

 しかし、それを護衛が許すはずもない。馬車の周りにいた4人の護衛も剣を抜くが、次の瞬間には既に4つの首が地面に転がっていた。

 抜身も見せる間もなくニンブルが剣を振るったのだ。

 護衛のいなくなった公爵にジルクニフは駆け寄りその首を問答無用で刈り取る。その首からは噴水のように血しぶきが吹き上がりジルクニフの顔や服を赤く染めていく。

 

「ひっ、ひぃ!ま、待てジル!側室の子のお前が私を殺したりすれば母上が……」

「皇族でありながらこのような悪逆非道!潔く覚悟されよ!」

 

 兄が何かを言う前に公爵を斬った剣をひらりと返し、躊躇なくジルクニフは兄の首を刈り取った。

 

「さて、帝国にあだなす逆賊は討ち取った。さて、残ったお前たちはただの雇われか?それとも主と同じ穴のムジナか?」

 

 ジルクニフの言葉に公爵に雇われていた者たちは慌てて武器を放り捨て地面に首を垂れる。

 

「さて、女性たちをそのような格好のままにしておくものではないな」

 

 ジルクニフはパチンと指を鳴らすとどこから現れたのか複数の兵士たちが毛布を持って現れて女性たちの肌を隠して保護をしていく。

 そのあまりにもの手際の良さに武器を捨てた公爵の部下たちは下手に反抗しなくて正解だったと安堵する。もはやこの場にジルクニフが現れた時点ですべては仕組まれており公爵の敗北だったのだ。

 

「我が愛する帝国臣民たちよ!よく聞け!我々帝国騎士団第8軍は貴族・平民問わずに公正なる裁きを行う!諸君らの平和は我らが守る!もしこのような非道が今後も行われるようであれば我らを頼るがよい!」

 

 血塗れになりながら堂々と言い放つ、まだ少年とも呼べるほどの年齢のジルクニフの言葉に周りで見ていた群衆は一人また一人と跪き、畏怖と尊敬の感情を抱きながら頭を下げていく。

 

「なんという王の器……」

「まさにあの御方こそ次代の皇帝陛下に相応しい」

「側近のニンブル様の剣技を見たか?カリスマだけでなく恐るべき力も備えておられる」

「ジルクニフ殿下!万歳!」

 

 その後、噂が噂を呼び、ジルクニフの通る先では我先にと帝国国民は道を開け、自ら進んで頭を下げていった。

 その様子を見ながらジルクニフは満足そうに微笑む。

 

「殿下、せめて顔くらい拭いてください」

 

 さすがに血塗れのままというのを放置するわけにもいかずニンブルがハンカチを濡らして手渡す。

 

「ああ、すまないな。そうそう、先ほどの答えだがな」

「殿下たちや貴族が恐れるものですか?」

「そうだ、今のがその答えだ。つまり絶対的な『暴力』。権力者はそれが怖くて怖くて仕方がない。そのくせ見栄を張って暴力よりも権力のほうに力を注いでしまうからこのような結果になるのだ」

「っていうと何ですか?お貴族様は俺らが怖いってことですかい?」

「ははははは、バジウッド。そのとおりだ。どんなに金を持っていようと、どんなに広大なコネクションを持っていようと、自分の首が体から離れてしまえばそんなものは使いようがない。この世界には一人で100人1000人を相手に出来る圧倒的な強者がいるのだ。そんな強者を敬い、仲間にしなくてどうする」

「なるほど、だから殿下は大臣なんかより平民でもなんでも関係なく強者を集める軍を率いることにしたってことですかい」

「そのとおりだ。不快か?」

「いえ、俺をあんな裏路地から引き抜いてくれた殿下にはどんなに感謝してもしたりませんぜ」

「それはありがたい。私もお前たちを信頼しているからこうしていられるというわけだ」

「信頼してるのは私たちも同じですけどね。証拠を集めて裏で糸を引きながらあれだけの場を用意したのはすべて殿下の手腕ではないですか」

 

 ニンブルはジルクニフを尊敬の目で見る。事実ジルクニフの手腕は常軌を逸していた。わずかな情報から的確な指示を各部署へ送り、そしてこの日この時のためにすべて準備を万全にしたうえで不正を罰したのだ。

 

「私だけの力ではないさ。平民出身だが優秀な軍の諜報担当が複数動いてくれている。それにあそこであの二人を殺せなかったらおしまいだったからな。慎重にもなるさ」

「あの証拠だけでも十分かと思いますが……」

「それはやつらを甘く見すぎだ。公爵がその権力を使えばトカゲのしっぽを用意して簡単に逃げ切るだろう。だからこそあそこでお前たちに護衛を処分させて命を奪ってしまう必要があった。まぁ兄上は本当に知らなかったようだが、どうせ気弱な兄上のことだ。公爵の肉欲接待を受け入れて骨抜きにされていただろうさ。そんな人間を皇帝にするわけにはいかない」

「まったく恐ろしい人です……」

「私なんてまだまだだ。伏魔殿には兄上の母であるあの皇后様がいらっしゃるからな……」

 

 正妃である皇后はジルクニフにとってもっとも厄介な相手だ。自らの子供を皇帝にしようと様々な手段で画策しており、ジルクニフにしても今回のことに対する皇后の反撃を予想すると頭が痛くなる。

 

「だが、この国はこのままではいけないのだ……」

 

 帝国は広大な領土を持つが、リ・エスティーゼ王国と違い肥沃な大地を持っているというわけではない。その中で歴代の皇帝が貴族たちをまとめ食料を融通しあい国を維持してきた。

 しかし、民と国を守るべく長く続いた貴族は譲り受けた爵位を自分自身の力と勘違いし、己の欲望にのみその力を振るう貴族が増えてきている。

 国の根幹を担う国民を欲望のために殺してしまうような貴族ばかりになってしまってはジワジワと帝国は自らの首を締めることになるだろう。

 

「隣の国がうらやましいものだ……」

 

 リ・エスティーゼ王国では帝国以上に貴族の腐敗が進んでいるが、それでも国を維持できるほどの食料生産があるのだ。王は凡庸で発言力がなく、貴族たちは付けあがり民を虐げているというのにである。

 

(私が王国を支配してしまえば……)

 

 何度そう思ったか分からない。この国にしてもそうだ。皇帝はよくやってはいるが皇后からの進言に甘く、政策が中途半端だ。奴隷制度を全面的に取り締まらないのもその影響だろう。

 この国を救う、そのためにはたとえ父親でも……。

 

「ニンブル、バジウッド。もしもの話だが帝国の近衛兵全員とお前たちが戦ったとして勝てるか?」

「へ、陛下突然何を!?」

「たとえ話だ、あまり深く考えるな」

「俺とニンブルの二人じゃちょっときついだろうな。あいつら結構隙がないぜ」

「率直に言ってそのとおりですね。まぁあと一人か二人くらい我々と同じくらいの戦力が入ればなんとかなるかもしれませんが……」

「あと一人か二人か……」

「ちょっ、ちょっと殿下!?変なこと考えないでくださいよ!?」

「ははは、何を言っている我々は皇帝陛下直属の騎士団だぞ。変なことなど考えるわけあるまい」

「ほんと勘弁してくださいよ……」

 

 ニンブルが首を振りながら肩を落としている。ジルクニフが少しからかい過ぎたかと反省していると……。

 

「殿下!」

 

 ニンブルとバジウッドの二人が馬上で警戒態勢を取る。

 まだ街中であり無人の野を行くがごとく人垣が割れていくなかを進んでいるというのに何があったというのだろうか。

 ジルクニフが前方に目を見やると帝国民と全く異なる動きをしている者たちがいた。道を避けることもなく堂々と真ん中を進んでくる4つの人影。

 

 一人は漆黒の鎧を着た偉丈夫。一人は驚くほどの美貌を持つ黒髪の女。一人は赤い頭巾の痩せた幼女。そして犬。

 

(……犬!?)

 

 よく見ると2本足で歩いているので獣の皮でもかぶっているのかもしれない。

 彼らはジルクニフ達と同様に無人の野を行くがごとく民衆たちの間を堂々と進んでくるとジルクニフたちの前で立ち止まった。

 

 漆黒の鎧に動きはない。しかし黒髪の美女と赤い頭巾の幼女は思い切りジルクニフ達を睨みつけていた。犬に至っては唸り声をあげている始末だ。

 

(な、なんなんだこいつらは!?)

 

 馬を止めたジルクニフは奇妙な集団と往来でお互いに見つめあうのだった。



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第30話 腹黒皇子と漆黒の戦士

 リザードマンたちと別れた後、モモンガたちはバハルス帝国へ向けて移動していた。その道中……。

 

「痛い……痛い痛い……」

 

 突然クライムがうずくまって苦しみだしたのだ。その苦しみようにモモンガは慌てる。

 これまでクライムたちには陽光聖典を始め数々の魔物たちと戦闘をさせてきた。しかし、多少の怪我をすることはあるもののここまで苦しそうな顔をしているのは見たことはない。

 もしかしたら戦闘中に大怪我を負っていてそれを隠していたのだろうか。それであれば保護者であるモモンガの責任といえる。

 

「ど、どうした?怪我か?大丈夫か、クライム?」

「モモンガ様、ペットの体に傷はありません」

 

 すぐにクライムを裸に剥いて状況を確認するナーベラル。『なぜ脱がした』とは思うものの確かにナーベラルの言う通りどこにも外傷は見当たらない。怪我ではないということは何らかの病気か呪いの類という可能性が挙げられるが……。

 

(クライムに与えたアイテムである程度の状態異常は防げるはず……ということは私も知らない未知の状態異常ということか!? トブの大森林の風土病?ならばどうする!?)

 

 子供の世話などしたことがない。モモンガの精神は予想外の事態への動揺で限界を迎えるが、鎮静化して落ち着きを取り戻す。

 

「クライムどこが痛い?どうしてそうなったのだ?」

「は……」

「は?」

「歯が痛いよぉ……」

「……」

「モモン様ここは私が診ますわ」

 

 ラナーはクライムに口を開かせると口内を観察する。しばらく中を診察した後に溜息を一つ吐くと無慈悲にもその頬を思いっきり指で突いた。

 

「ぎゃああああああああああああ!!!」

 

 クライムがあまりの痛みに絶叫して転げまわる。

 

「クライム。<無限の背負い袋>の中身を見せなさい」

「や、やだ……」

「見せなさい!!」

 

 ラナーの剣幕にクライムは涙目で自分の<無限の背負い袋>をラナーに渡す。その中身を見たラナーはため息を吐いた。

 

「あなたモモン様からいただいたチョコレートを1日いくつ食べました?」

「……」

 

 クライムは片手の手のひらを広げる。5個だろうか。

 

「50個も食べていたの、あなたは……」

 

 50個という数にモモンガは最近クライムが食事の時あまり量を食べていなかったのを思い出す。さらに昼間に口をもごもご動かしている時があった。あれはチョコレートをつまみ食いしていたのか。

 

「チョコレートもクッキーもキャンディーも没収です」

「いやあああああああああああああ!!」

 

 クライムがこの世の終わりのような顔をして泣き叫んでいる。これはもしかしたら……。

 

「虫歯です」

 

 モモンガの予想通りだった。

 それは甘いものばかりを食べて歯も磨いてなければ虫歯にもなるだろう。モモンガはクライムを子供だと甘やかしすぎたと反省する。

 

「確かインベントリの中に歯ブラシも入っていたはずだ。後で渡すので今後はそれで毎食後歯を磨くように」

 

 モモンガ自身が飲食不要だったので虫歯という可能性を考えなかったのが失敗だった。これも人間をやめたデメリットなのかもしれない。ならば今後のために実験が必要なのかもしれない。

 

「しかし……とりあえず私としては虫歯というものがステータス異常なのか負傷扱いなのかが気になるところであるな……。どうせ乳歯だし抜く前にいろいろと実験してみてもいいか?」

「クライム。モモン様がこうおっしゃっております。これに反省して今後は甘いものの食べすぎは控えるようにするのですよ。モモン様、出来るだけ痛くしてやってください。私もっとクライムの泣き顔が見たいですわ」

「お、おう……」

 

 ラナーのドS発言にドン引きしつつ、クライムは残りの生命力を観察されながら虫歯にダメージを与えたり回復をされたりすることとなった。

 

 どうやら虫歯部分を削り取ったり折ったりした後に治癒魔法を使用するとその部分は健全な状態に戻るようだが、状態異常回復の魔法では治らないようだ。

 

 結局最後はあまりに泣いているクライムを哀れに思ったモモンガが麻痺で麻酔をかけてやり、虫歯は抜かれることとなった。

 

 

 

 

 

 

「クライム隙だらけですよ」

「ぐふっ……」

 

 ラナーの杖がクライムの腹部を突く。

 お菓子の禁止を言い渡されたクライムはその禁止解除の条件として防御系の武技の取得を義務付けられた。

 

 ラナーが様々な資料や伝承から武技の取得条件として出した結論。武技とは本人がそれを必要とする『意志』と『経験』により習得するというものだ。トブの大森林での戦闘では一方的過ぎて防御を必要とすることが少なすぎた。

 そのための実証実験が現在行われている。

 

「<魔法の矢(マジック・アロー)>」

 

 不意打ちで斜め後ろからナーベラルが手加減して放った1本の魔法の矢をクライムはすんでのところでバックラーで防ぐ。

 このように移動中もまったく気が抜けるような状況でなく、右から左から攻撃をされまくっていた。

 

(6歳児にこれはどうなんだろうか……)

 

 児童虐待という言葉がモモンガの脳裏によぎる。虐待している側も児童だからセーフだろうか。

 

「武技<要塞>や武技<城塞>などの低位の武技くらいそろそろ覚えて欲しいですわ。それらを覚えて初めて武技<不落要塞>へと至ると聞きます」

 

 <不落要塞>は御前試合でガゼフの使った武技である。ユグドラシルでは存在しない能力であり、使われて攻撃を無効にされた時はモモンガも驚愕したものだ。

 

(あれって最高位の武技だったのか……相手の攻撃の無効化とかどう見てもチートクラスだものな……)

 

「魔法や遠距離攻撃を防ぐ武技などはないのか? または防いだことで相手の体勢を崩すものとかは?」

「私は存じませんがモモン様はご存じなのですか?」

「ああ、パリィやミサイルパリィ、マジックパリィなどがあったな。それらが取得可能かどうかも知っておきたいところだ」

 

 そのために児童虐待と思いつつもナーベラルに魔法攻撃もさせている。防御力を高めるだけの<要塞>などと比べてパリィは相手の攻撃を捌き、数秒の硬直時間を相手に与えるものだ。

 

 実践においてその数秒は致命的な隙ともなりえる。それを防ぐためにユグドラシルでは攻撃する方もパリィされないようタイミングを計ったりスキルや魔法を使って駆け引きをするものだった。

 

「ですがそろそろ街につきそうですわ。このあたりでやめておいてはどうでしょうか」

「そうだな……」

 

 さすがに人前で児童虐待は見せられない。のんびりと移動して来たがいよいよ2つ目の人間の国だ。リ・エスティーゼ王国のような国でないことを祈るばかりだが、未知の土地を探索するというのは実に気分が高揚する。これが冒険の醍醐味というものだろう。

 

 そんな気持ちのモモンガ一行は領地の名を示す看板を横目に兵士たちによる検問を終えて街へと入っていく。

 するとなぜか道行く人々が道の両脇に立って道を開けていた。

 

「ふふんっ、虫けらたる身の程を弁えた街のようですね。モモンガ様のために道を開けているのでしょう」

 

 ナーベラルがさも当然のように胸を張っているが……。

 

(いやいや、そんなわけないだろう!?どうしたんだこれは?)

 

 きょろきょろと周りを見ながら道の真ん中を進んでいくと前方から馬に乗った3人の人間が進んでくるのが見える。

 彼らが纏っているのは元は煌びやかな鎧だったのだろう……が血を浴びたように赤く染まっていた。

 

 バハルス帝国の皇太子の一人であるジルクニフと護衛のニンブルとバジウッドである。

 

 その様子にモモンガは自分たちが避けた方がいいと判断するが、指示する前にナーベラルたち3人が堂々とその正面へと向かっていってしまった。

 

(ちょっ!待って!?)

 

 一方、ジルクニフの護衛のニンブルとバジウッドもモモンガたちに気が付くとジルクニフの前に出るように立ちふさがる。

 

「止まれ!ここは天下の帝道である!さらにジルクニフ殿下の御前である!道を開けるがいい!」

 

 大男(バジウッド)の声にモモンガはすぐに道の端に移動しようとするが、その前にナーベラルが声を上げていた。

 

「ふんっ、ここが天下の公道であるというのであればなぜその天の前に立ちふさがるというの?」

「な、なんだと?」

 

 あまりと言えばあまりの言葉にさすがのバジウッドも怯む。相手は自らを天に例えたのだ。皇帝位は宗教上、天より与えられるものとされる。ナーベラルの言葉は自らが皇帝より上だと言ったも同然であった。

 思わずモモンガが顔を手で覆っている中、ジルクニフが前へと進み出た。

 

「やめよ。たかが道を譲る譲らないで争うなど見苦しい」

 

(まさにおっしゃるとおりです……すみません)

 

 それはモモンガがいつも思っていたことだ。まだ少年と言えるような年齢のジルクニフへの共感にモモンガは好印象を抱く。

 

 一方、ジルクニフは穏やかに対応しつつも心の中でしっかりと警戒を緩めず相手を観察していた。

 

(とてつもなく美しい女だな……王族かなにかか?立ち位置的には漆黒の鎧が一番偉そうだな……しかし後ろの子供と犬はなんなんだ?)

 

 冒険者なのか芸人か何かなのか。今まで出会ったことのない種類の人間たちだった。ジルクニフは小声でニンブルとバジウッドに耳打ちする。

 

「ニンブル、やつらの実力がはかれるか?」

「いえ……すみません。何も感じませんが……」

「殿下……この場合何も感じないってのが何かヤバいって気がしますぜ……見てください、ほら」

 

 バジウッドが小手の隙間から肌を見せると一面に鳥肌が立っていた。帝国有数の実力を持つ戦士であるバジウッドがである。ジルクニフは相手への警戒度をさらに一段上げる。

 

「なんて言ったらいいか分かんねえがヤバい。俺は力づくで何とかするのは反対ですぜ」

「ふっ、私もそんなつもりはないとも。相手が強いなら強いで対応はいくらでもある」

 

 戦士の勘というものが馬鹿にできないことをジルクニフは知っていた。そのおかげでこれまで何度も命拾いしてきたのだ。バジウッドが危険と判断した相手であるならば相応の礼を以って接する必要があるだろう。

 ジルクニフはモモンガたちに対して馬上で優雅に一礼する。

 

「部下が失礼したな。まずは自己紹介を。私はバハルス帝国第三皇子で帝国第8騎士団を預かっているジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスという。こちらは部下のバジウッドとニンブルだ。そちらのお名前を伺っても?」

「ふふんっ、恐れ多くも御方のお名前を聞きたいですって?身の程を知らずですが……いいでしょう!こちらにおわす御方こそすべての創造主様たちのまとめ役、この世のすべてを支配されるべき絶対の……キュッ」

 

 モモンガのチョップが頭にクリティカルヒットしたナーベラルは頭を押さえながら涙目でモモンガを見上げる。

 

「こちらも仲間が失礼した。彼女はアダマンタイト級冒険者のナーベ。少し妄想癖があるが許してほしい。私はまだ冒険者ではないがモモンという。赤い衣装の子供がラナーで犬の格好をしているのがクライムだ。訳あって共に旅をしている」

 

(ナーベとモモン?どこかで聞いたような……どこだったか……そうだ!リ・エスティーゼ王国の御前試合!)

 

 王国へ潜入させている諜報員から王国の御前試合の結果は聞いていた。会場を破壊しつくすほどの魔法を放った冒険者ナーベ。魔力切れで負けを認めたナーベを無慈悲にぼこぼこにして泣かせて優勝した屑のモモン。

 

(じいもえらく興味を持っていたな……。しかしなぜ二人が一緒に?それにラナーと言うのは王国の第三王女と同じ名だ……。だが……いずれにしろ取り込まない手はない!)

 

 特に帝国の主席宮廷魔術師であるフールーダをジルクニフの陣営に取り込むためにも冒険者ナーベという高位の魔法詠唱者はぜひ欲しい。

 

「モモン殿。貴殿はまだ冒険者ではないと言ったが仕事を探しているのかな?」

「まぁ……そうなる」

 

 ナーベラルやラナー、クライムでさえ金を持っているが、モモンガ自身が稼いだ金はなく、現地の所持金はゼロである。困っているわけではないが、働いてもなく、所持金もないというのは社会人であったモモンガにとって不安でしかない。

 

「それであれば私の騎士団に来てはどうだろうか?貴殿たちならば高待遇で歓迎しよう」

「えっ……いくら……」

 

 『いくらくらいもらえるの』という言葉をモモンガは飲み込む。

 『働きやすい職場です』『家族のような親しみやすさ』『高待遇高賃金』、こういうのはブラック企業の常とう句だ。安易に信じると馬鹿を見る。

 

「んんっ、いくら好待遇でもそのつもりはない」

「それは残念だ。しかしいつでも歓迎するから考えておいてくれ。では冒険者としての活躍に期待させてもらうよ。私からも何か依頼するかもしれないからね」

「分かった。その際はぜひ引き受けさせてもらおう。では、我々はこれで失礼する」

 

 モモンガは一礼するとジルクニフたちを避けて街の中へと入っていった。

 

「殿下、行かせてしまってよかったんですかい?」

「いいわけないだろう!追え!どこに行き、どこに泊まり、何をするのかすべて確認してくるんだ。万が一そんなことはないだろうが、皇后や兄の勢力に取り込まれたら不味い。後で諜報員も合流させる」

「了解!じゃあ行ってきますぜ!」

 

 バジウッドは馬をニンブルに預けると人込みへと紛れ込んでいった。もともと裏路地で生活していた元庶民だ。うまく溶け込んで探ってくれることだろう。

 

「殿下、彼らのことを気に入ったんですか?」

「お前たちが強いというのならば間違いないだろう。強者であり、話が通じるのであれば見た目や身分や性格などどうでもいいことだ。少なくともお前たち並みの強者があと二人は欲しいな」

「ちなみに他に目をつけてる方がいたら教えていただけますか?私の同僚になるかもしれませんので……」

「そうだな……闘技場の武王『白亜蛾眉(はくあがび)』とかはどうだ?」

 

 ニンブルは予想もしていなかった人物を挙げられ困惑する。武王とは帝都の闘技場におけるチャンピオンに付けられる称号だ。

 

「それ人間じゃないじゃないですか……」

「話が通じるのであればそれでもかまわないではないか。じいなどアンデッドを使役して働かせることができないか研究したいなどと言っているのだぞ」

「えー……さすがにアンデッドはないでしょう。アンデッドは……」

「私もそう思うがじいを引き込むためには仕方がない……」

「フールーダ様は帝国の礎ですからね……」

 

 フールーダ・パラダイン。主席宮廷魔術師である彼は魔力系魔法・精神系魔法・信仰系魔法の三つの系統を修め三重魔法詠唱者(トライアッド)と呼ばれる最強の魔法詠唱者でもある。

 『フールーダ・パラダインがいる』、それだけで他国は帝国との戦争を避けるほどの影響力を持っている。

 

「お前はどこかに強者の心当たりはないのか?」

「そうですね……。強者と言えばロックブルズ家の令嬢なんてどうですか?剣を持っては天衣無縫と言います。あのワーカーチーム『竜狩り』に挑んで勝ったとか」

「ああ……彼女なら知っている。冒険者でもないのに領内の魔物を駆逐して回っているとか色々噂は聞いているが……あれは駄目だ」

「何か問題でも?」

「近日兄の派閥の人間との結婚が決まっている。さすがに無理に婚約を解消させてこちらに引き込むわけにもいくまい、よほどのことがない限りな……」

「ああ、そういえばそうでしたね。婚約者との仲も良好だとか聞きます」

「今のところじいを取り込むのは絶対として、候補としては武王にナーベにモモンと言ったところか。忙しくなるな」

 

 皇后の策謀への対応もしつつ各地からの情報も整理しなければならない。身の回りも固めなければならない。やることが多すぎて目が回りそうであるがこれから激動の時代となるだろう帝国の未来を創っていくためには必要なことだろう。

 ジルクニフはいまだに自身を称える民衆の声に応えながら思索にふけるのだった。

 

 



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第31話 レイナースの幸せな日々

「ふっ!ふっ!」

 

 手入れの行き届いた庭園の一角でブンブンと剣を振る音がしている。

 そこにいるのは金髪碧眼の美しい少女。とても剣を振るような容姿には見えないが、その剣筋は一切のブレがなく、玄人が見ても目を見張るほどのものであった。

 彼女の名はレイナース、ロックブルズ伯爵家の次女である。

 

「やあ、レイナース。今日も剣を振っているのかい?」

 

 声をしたほうへ振り向くと期待したとおりの相手がいてレイナースは顔を綻ばせる。

 

「リチャード!」

 

 レイナースは剣を置き男に駆け寄るとキスをする。

 そこにいたのは帝国第一騎士団の団長にして国の重鎮である皇帝の血筋にも連なる公爵家の長男リチャードであった。

 

 リチャードの公爵領はロックブルズ伯爵領に隣接しており、古くからの付き合いがある。さらに彼は次期当主にしてレイナースの婚約者でもあった。

 

 帝国内でも文武両道の好青年と評判であり、レイナースは彼のことをとても尊敬していた。

 

「ああ、私の愛するレイナース、こんな汗だくになって。君が剣を振る必要なんてないんだよ、君に何があろうと私が守ってみせるから……」

「いえ、これは……リチャード様の剣に比べれば趣味みたいなものですから……」

 

 リチャードがその整った顔でにこりと笑うと白い歯がキラリと光る。誰もが見惚れるようなその笑顔にレイナースは頬を染める。

 

 趣味といいつつもレイナースは剣の鍛錬を怠ったことはない。幼いころから英雄譚に憧れて剣を取ったレイナースは、これまで敗北というものを知らなかった。

 剣を教わった師であるロックブルズ家の護衛の騎士は当時10にも満たないレイナースに叩きのめされ、領を訪れたミスリル級の冒険者に無謀にも挑んで引き分けたことさえある。

 

「私は君の美しい顔に傷でもついたらと思うと心配だよ。もうすぐ僕たちは結婚するんだからね」

「まぁ、恥ずかしいですわ」

 

 レイナースもいつまでも剣を振るってばかりはいられないことは分かっている。近日ステュアート公爵家に嫁ぐことになっているのだ。そうなれば剣を振るうのではなく、妻として夫を支えていかなければならないだろう。

 

「レイナース!リチャード様がいらしゃって……あっ……」

「うちの娘が申し訳ありません!ほんとうにお転婆で……」

 

 レイナースの兄と母が館から出てくる。

 リチャードは入り口から直接庭へと来たのだろう。まさか婚約者が直接庭に来ているとは思っておらず慌てているようだ。

 彼らは貴族の令嬢でありながら剣を振るっているレイナースを恥ずかしく思っているのだろう。もしそれではるか格上の公爵家との縁談がなくなったりでもすれば目も当てられないのだから……。

 

「レイナースあなたはもっとお淑やかになりなさい。そんなことではリチャード様に嫌われてしまいますよ」

「ええっ!?」

 

 母の言葉にレイナースは驚き顔を青くする。

 レイナースも心からリチャードを愛しているのだ。そんな彼から愛想をつかされるなど想像もしたことがなかった。

 

「ははははは、嫌ったりするわけないじゃないですか。私はね、レイナースの力でも容姿でもなくその美しい心を愛しているのですから」

「リチャード様……ありがとうございます。私もリチャード様を心からお慕いしておりますわ……」

 

 手を取り合い身を寄せ合う二人だけの甘い空間に兄と母は苦笑いするしかない。

 

「ああ、もうごちそうさま!リチャード様、こんな妹ですがよろしくお願いしますね」

「それよりいつまでもこんなところにいないでお茶でも飲みませんか?」

「おーい、お茶が入ったぞー!」

 

 屋敷から大きな声が聞こえる。既に父が準備していたらしい。そのあわただしい様子にレイナースは思わず微笑む。仲の良い両親に優しい兄、そして愛する婚約者。

 

(こんな人たちに囲まれて私はなんて幸せなの。そうね……リチャード様のためですもの。剣よりはもっと花嫁修業をがんばらなくてはいけませんわね……)

 

「分かりました、お母さま。(わたくし)はもう剣は捨ててリチャード様を支えますわ」

 

 優しい婚約者と家族とともに屋敷に向かいながら、レイナースは剣を捨てる決心をすると本当に幸せそうな顔で笑うのだった。

 

 

 

 

 

 

 彼は腐臭漂う密室の中で蠢いていた。

 

───イタイ

 

 彼は無敵だった。

 

───クルシイ

 

 彼は一族の長だった。

 

───クヤシイ

 

 彼は強者だった。

 

───オノレ

 

 彼は誇り高かった。

 

───ニクイ……ニクイニクニクイ

 

 帝国闘技場、その死体置き場で腐肉が盛り上がる。

 

───グルルルルル

 

 そこから現れたのはかつて森の王として君臨していた巨大な狼の魔物。多くの同族たちの中で突然変異と言われるほどの巨体を持つものの、人間たちに捕らわれ闘技場において数多の敵を屠ってきたツワモノ。

 

 

 

 そして今日、武王『白亜蛾眉』に敗れてバラバラにされて殺された獣であった。

 

 

 

───カワク……カワクカワクカワク!

 

 死体置き場には闘技場に連れてこられた様々な死体があった。スケルトンやゾンビ、吸血鬼や人間、そして巨大な狼。

 その中で誇り高き狼の白い魂は穢れ、死しても敗れた悔しさを忘れない魂は大地へ帰ることなく周りの血肉を取り込んで黄泉帰る。

 

「グアアアアアアアアアア」

 

 咆哮とともに腐肉が周りに飛び散る。

 中から現れたのは白い毛並みに包まれた巨大な狼であった。その体を取り巻くように呪印のようなものが刻まれ、その4つもある眼光は真っ赤に発光していた。

 それはまごうことなきアンデッドの眼光。帝都の中心より呪われし獣が解き放たれようとしていた。

 



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第32話 呪われし獣

「グオオオオオオオオオオオ!!」

 

 闘技場で蘇った獣は死体置き場を囲っている牢の柵にその体を突撃させる。その衝撃でまるで紙のように柵が吹き飛んだ。

 

(ナンダコノ体ハ……)

 

 獣は己の変化に気が付く。今までの体と全く違う。これまでにないほどの力が体の奥から湧き上がってくるとともに、全身を縛る呪印が締め付けるような痛みを与えてくる。

 

「グアアアアアアアアア」

 

 獣は歓喜とも痛みとも分からない叫び声を上げる。

 

(渇ク……渇イテ渇イテ……)

 

 痛みとともに感じる耐えがたいほどの渇き。獣は渇いていた。血肉を求めて……そして戦いを求めて。

 

(武王……武王武王武王!!ヤツニ勝ツタメニ血肉ヲ食ラワネバ!モット強者ヲ食ラッテ奴ヲ殺ス!モットモットモットモット!モット!)

 

「なんだかすごい音がしたぞ?」

「あっちは死体置き場の方だ。もしかしてゾンビでも湧いたか?」

「脅かすなよ……え……う、うわあああああああああ」

「どうし……ぎゃああああああああああ」

 

 まず物音に気づいた闘技場の見張り達が犠牲になった。獣はそのまま門を飛び越え帝都の市民たちで腹を満たすと強者を求めて飛び出していくのだった。

 

 

 

 

 

 

 レイナースがそれに気が付いたのは深夜のことであった。ロックブルズ家の広大な屋敷の外から叫び声が聞こえたのだ。その声は恐怖を含んだ絶叫のようであり、ただ事ではないことを知らせてくれる。

 

「何があったの!?」

 

急いで自分の部屋を出るとそのまま階下へ降りていく。そこには既にランタンを持った父が立っていた。使用人とともに様子を見に行くところだと言う。

 

「お父様、(わたくし)もご一緒しますわ」

「そうか、では頼……」

 

 父が何かを言いかけたその時、突如として玄関が周囲の壁ごと消え去っていた。いや、それだけではない。父や使用人がそれに巻き込まれて目の前から吹き飛んでいったのだ。

 

「お父様!!」

 

 父たちの安否はとても心配だ。しかしもうレイナースには目の前に現れたそれから視線を逸らせない。そこにいたのは4つの目を持つ見たこともないほどの巨大な狼の化け物であった。

 

「け、剣を……」

 

 思わず腰に手をやるがそこに剣はない。愛する婚約者のために剣を捨てることにしたレイナースは愛剣を戸棚の奥に仕舞ってしまっていた。

 今から取りに行くため背を向けたりしては、目の前の獣は迷わずレイナースの背中を引き裂くだろう。迂闊に動くわけにはいかない。

 

「オマエ……ツヨイ!オマエ!クウ!」

「しゃべった……」

 

 知能のある魔物は理性もない獣より強者であることが多く、ずっと厄介だ。

 レイナースはジリジリと移動しながら突き破られた壁の先、食堂まで移動してそこにあったナイフを手に取る。

 

「失せなさい!獣!!」

 

 ナイフを獣に向け大声で威嚇するが、そんな小さなナイフで相手が引き下がるわけもなかった。

 

「ガアアアアアアア!」

 

 レイナースを丸飲みできるのではないかと思うほどの巨大な口を開けて噛みついてくる獣に、レイナースはナイフで応戦する。

 ギィンという金属同士が立てるような音を立て、牙とナイフ、爪とナイフが交差する。

 

「こっちよ!こっちに来なさい!」

 

 家の中で本気を出したらレイナース自身が家族を傷つけてしまうかもしれない。獣を家族たちから引きはがすために庭へと出る。

 

 

「武技<能力向上>!<戦気梱封>!」

 

 十分に館から離れたことを確認するとレイナースは武技を発動する。

 身体能力を向上させ、ナイフに魔力を纏わせた。戦力差は多少マシになったものの、それでも勝機は薄いだろう。何より武器や防具がないのが厳しい。

 

「オマエモットツヨクナッタ。オマエクウ。オレモットツヨクナル」

 

 獣の言葉に相手の狙いがレイナース本人であると分かる。倒した相手の肉を食らうことでさらなる力を手に入れようというのだろう。

 

(こんなやつ放っておいたらお父様もお母さまもお兄さまも……領民たちもみんな食べられてしまう……)

 

 こんな危険な獣を野放しにはできない、レイナースは覚悟を決める。武器は手持ちのナイフ一本。相手は全身凶器の化け物。玉砕覚悟で向かっていっても倒せるかどうかだろう。

 

「おおおおおおおおっ!いくわよ!」

 

 ナイフの切っ先に戦気を纏わせながらレイナースは駆ける。

 

「武技<縮地>!」

 

 獣の鋭い牙と爪がレイナースへと迫る。単純に避けても手にしたナイフは届かないだろう。そう判断したレイナースはギリギリまで引き付けたタイミングで武技を発動させた。

 足を動かすことなくスライド移動する武技だ。予備動作なしの武技の動きに獣は対応できなかったのかレイナースは獣の横に回り込むことに成功し、両手で掴んだナイフをその4つある目の一つへ思い切り突き立てた。

 

「食らいなさい!!」

「グワアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 

 信じがたいほど怖気の走る絶叫を上げて獣が後ろへと跳ねる。その眼の一つにはしっかりと根元までナイフが突き立っており、そこからシューシューと蒸気のようなものが上がっていた。

 

「ヨクモヨクモヨクモヨクモオオオオオオオオ!」

「くっ!浅かったの!?」

 

 さすがに食事用のナイフでは頭部の奥まで突き立てられなかった。レイナースが武器を失ったショックで戸惑った瞬間、獣の全身を縛る呪印が光り出す。

 

「オノレエエ!<呪詛(カース)>!」

「!?」

 

 獣の全身の呪印から魔力があふれ出し、レイナースの顔面へ直撃した。

 

「きゃあああああああああああああ!」

 

(痛い痛い痛いいいいいいいいいいい!顔が焼ける!!)

 

 特に感じるのは顔の右側への痛みだ。顔に焼きごてでも押し付けられたかのような激痛であった。

 

「オマエハコロシテヤル!必ズ殺シテヤルゾ!決闘ダ!ソレマデ苦シムガイイ!グオオオオオオ!」

 

 獣は最後に一声吠えると壊した門を通って逃げていく。レイナースはしばらく痛みが治まるのを待った後フラフラと立ち上がった。命拾いしたようだ。

 

「はぁ……はぁ……逃げられた……」

 

 いまだに焼け付くような痛みを顔に感じるが、それよりも家族のことが心配だった。

 屋敷の一部は吹き飛ばされており、家を囲う塀にも巨大な穴が開いている。痛む体を何とか動かし父が吹き飛ばされただろう部屋へと向かう。

 そこには父や使用人たちがうめき声を上げながら倒れていた。

 

「ううっ……」

「お父様!」

 

 父に駆け寄り体を見回す。幸い命に別状はないようだ。ただ骨でも折れているのか立ち上がれないようである。レイナースはすぐに物置においてあったポーションを持ってきて父を抱えると少しずつそれを飲ませた。

 ポーションの効果か、父はしばらくすると意識を取り戻す。

 

「ここは……あの化け物はどうした?」

「あれは逃げていきましたわ。それよりお父様、大丈夫ですか?」

「あ、ああ。助かったよレイナース……うわっ!お、お前……その顔はどうした……!?」

 

 ポーションを飲ませていた父が突如レイナースを突き飛ばして少しでも離れようと後ずさった。

 

「ああ……これはあの獣に何かされたようで……」

「父さん!レイナース!何があったの!?」

「あなた……これはいったい……」

 

 兄と母も騒ぎに気付いて起きてきたようだ。兄たちは父が無事なことに安堵した後、レイナースの顔を見てるとまるで能面のように表情をなくして後ずさった。

 

「な、なにその顔……おまえレイナースなのか?」

「ああ……何てこと!」

 

 兄は嫌悪の表情で顔を歪め、母は顔を蒼白にして倒れてしまった。どういうことだろうか。

 

「私の顔……?私の顔に何が!?」

 

 不安になったレイナースは姿見の前まで駆け出す。そして初めて自分の現状を把握した。

 それは酷いありさまだった……。

 顔の右半分にあの獣と同じような呪印が浮かび、その下の皮膚が膿のように溶け出して中の筋肉まで見えている。さらにまぶたも溶けてしまったのか左目は右目に比べて不自然に大きく見えてまるで化け物のようだ。

 

「わ、私の……私の顔が……」

 

 自分の美しかった顔のあまりに無残な変わりようにレイナースは膝から崩れ落ちる。

 

「レイナース!おまえは部屋から出るな!教会の神官を呼んでくる!」

 

 父は座り込んでしまったレイナースを立たせると部屋に連れて行きベッドに座らせた。そして真剣な顔をしてレイナースを見つめる。

 

「いいか、絶対に部屋から出るなよ。絶対だぞ!」

「は、はい……お父様。ですがあの獣を放っておくわけには……」

 

 父のあまりの剣幕に思わず『はい』と返事をしてしまったが、あの獣がまだ生きたままなのを思い出した。放っていおいては犠牲者が増え続けるだろう。

 

「獣には兵を出す!だからお前はここで安静にしていろ。いいな」

 

(お父さま……私を心配して?)

 

 きっと父は娘を心配して言ってくれているのだろう。そう思ったレイナースは父の優しさを感じ涙が頬を伝った。なんと娘想いの父なのだろう。

 

「分かりました。神父様が来るまでここで大人しくしていますわ」

 

 レイナースはこんな顔になってしまったというのに心配してくれ、家族を守ろうとする父の姿に涙ながらに微笑むのだった。

 

 



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第33話 冒険者チーム漆黒

 ジルクニフ達との邂逅の後、モモンガ一行はバハルス帝国の首都、帝都アーウィンタールを目指していた。

 ラナーの情報によると各地方領にも冒険者組合はあるのだが、ミスリル級以上の冒険者は通常大都市を拠点とするものらしい。

 アダマンタイト級であるナーベラルを必要とするほどの依頼は帝都くらいにしかないということだった。

 

 その後アーウィンタールに到着したモモンガたちは冒険者チームとしてあらためて4人で登録しようとした際には、ナーベラルは『モモンガ様であればヒヒイロカネ級以上は間違いありません!』などと言っていたが4人チームとしてアダマンタイト級として登録することにした。

 

 いきなり新人がアダマンタイトと合流など解散した場合どうなるのかと思ったが、実際に個人でアダマンタイトと認められているのはナーベラルということらしい。モモンガたち新しく登録する3人はチームから外れた時点でランクは再度査定されるとのことだ。

 

「まずは活動拠点となる宿を取るのがよろしいと思います。帝都の最高級宿であればモモン様にも相応しいかと」

 

 テキパキと宿の手配などの手続きを進めてくれるラナーはもはや6歳児とは思えない。一方『子供たちに宿代まで出してもらう』という大人(モモンガ)は……。

 

(くぅっ……)

 

 あまりの情けなさに歯を食いしばる。モモンガは未だに現地通貨を持っていないのだ。仕方なく屈辱を受け入れた。

 

(早くお金を稼がねば……)

 

 案内された宿に入ってみるとまるで高級ホテルのような豪華さであった。贅を凝らした部屋であり得ないほど広い。モモンガの現実世界の部屋の10倍以上はあるだろう。

 

(いやいや……こんな金のかかった部屋必要か!?)

 

 1階には広いレストランが併設されており当然食事も最高級の食材をふんだんに使った料理の数々が食べられるようでまずはそこで食事をすることにした。

 

(良い匂いだし旨そうだな……)

 

 ナーベラルとラナー、そしてクライムが食事を楽しんでいる中、一人だけ水のみを頼んで座っているモモンガ。

 湯気を上げて良い香りが漂ってくる料理には興味が尽きない。現実世界の料理ともユグドラシルの料理とも違うのだ。どんな味がするのかと気になって仕方がないのだが……。

 

「なぁ……クライム。それは美味いのか?」

「うん!」

 

 モモンガの質問にクライムが口にソースを付けながら元気に無慈悲な返事をする。

 

(そうか、美味いのか……)

 

「ちなみにどんな味がするんだ?」

 

 今テーブルに並んでいるのは何かの煮込み料理のように見える。モモンガは食べたことがないが現実世界でのビーフストロガノフに似ているだろうか。クライムではうまく説明できないと思ったのかラナーが代わりに答えてくれた。

 

「野菜は人参とたまねぎ……それから牛肉でしょうか?じっくり煮込まれていますから野菜の旨味が牛肉に染み込んでますわ。フォンは鶏ガラでしょうか。二重に下処理をしてありますのでより濃厚な味わいですね」

「そうか……」

 

 モモンガの脳裏に『飯テロ』という言葉が浮かぶ。これだけ美味しそうな料理が並び、味について説明を受けているというのに食べることは出来ないのだ。

 

「この飲み物はカフェシェケラートにミルクを多めにしたような味に似ていますね。ナザリックのものには劣りますがなかなかかと」

 

 ナーベラルも感想を教えてくれてありがたいのだがそれを確かめるすべはない。

 

「そうか……」

 

 もはや『そうか』としか言えない置物と化したモモンガとは対照的にナーベラルもメイド視点での料理談議に花を咲かせ、前菜、スープから始まりメインの肉料理に食後のデザートに至るまでまで料理を楽しむのだった。

 

 

 

 

 

 

 こうして帝都で行動を開始したアダマンタイト級冒険者チーム『漆黒』。

 突如現れた新星のアダマンタイトチームは次々と依頼をこなしていくこととなる。

 北進してきたオーク軍団の殲滅、ギガントバジリスクの討伐、カッツェ平野から溢れた強大なアンデットの処理などなど困難な依頼をいとも容易く解決していくその様は英雄として人々に歓迎された。

 

 一方、やっと現金を手に出来る喜びを嚙みしめるモモンガ。現金欲しさにやる気も上がり、あり得ないほどの早さで活躍し続ける『漆黒』の名は帝都では知らない者はいないまでになっていた。

 

 

 

───そして数か月後……。

 

 

 

「『漆黒』のみなさまに指名依頼が入っております」

 

 既に顔なじみとなった帝都冒険者組合の受付嬢から指名依頼の要望が告げられる。

 

「指名依頼?」

「モモン様。指名依頼とはチーム指定で依頼されるもので通常のものより依頼料が高くなっています。その分難易度も高い可能性もありますが……。内容次第では受けてもよろしいのではないでしょうか」

 

 ラナーが後ろからこそっと教えてくれる。ラナーの知識は本当に役に立つ。

 知らないことなどないのでは、と思うこともあるが、ユグドラシル由来のモモンガが当然知っているような知識は持っていない。

 お互いに持ちつ持たれつの関係だ。

 

(逆になぜかラナーは俺が何でも知っていると思っているような気がするんだよな……)

 

「現在、帝国内で正体不明の狼型の魔物による被害が増えているのです。そこでぜひ冒険者チーム『漆黒』にご依頼したいと。もしご依頼主とお会いになるのであれば3日後に指定した場所で話をさせていただくそうです。依頼料は……」

 

 その依頼書には家が買えるのではと思わるような金額が書かれている。モモンガは心でゴクリと唾を飲み込む。

 

「ふむ……受けても問題はないな?」

「モモン様の御意に」「よろしいかと」「わん」

 

 チラリと後ろを振り向くが3人とも問題はないらしい。

 そもそも彼女達がモモンガの言うことに反対するところを見たことがない。

 

 モモンガは若干不満に思う。モモンガが何もかも正しい行動をしているとは限らないだからだ。むしろ間違った行動を戒めてくれる存在が欲しいくらいであるのだが……。

 

(喧嘩したいとは言わないけど……もっと仲間っぽくならないものかなぁ)

 

 かつてのギルドメンバーたちのいた頃はよく揉め事が起こっていたものだ。クエストの行き先をめぐっては喧嘩して最終的にコイントスで決めていたのは今となってはいい思い出だ。

 

 残念ながら今の仲間たちにはそこまでの気安さはない。結局意志の決定は今回もモモンガが行うしかなかった。

 

「分かった、この依頼を受けよう。では3日後、指定の場所で」

 

 モモンガは少し寂しく思いながらも帝都での新たな依頼を受けるのだった。

 

 



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第34話 ロックブルズ家の裏切り

 レイナースは部屋で服を着替えていた。

 それは朝起きたから寝巻から着替えるというものではない。硬い皮の胸当てをずれないようにきつく括り付け、鉄板入りのブーツの紐を一つ一つしっかりと結んでいく。

 最近のレイナースはずっと部屋に籠りっきりになっており、寝間着か部屋着のどちらかしか着ていない軟禁されているような生活を送っていたが……もう我慢の限界であった。

 

(神官様の治癒魔法でも治らないなんて……これは呪いに違いないわ)

 

 父はあらゆる伝手を使って高位の神官を呼んだり、治癒のポーションを手に入れたりしてくれたが、それらはレイナースの顔を侵す傷にはまったく効果がなかった。

 さらにあれから1か月……あの獣が討伐されたという話は聞こえて来ない。

 

(アレは私でさえ苦戦する獣……生半可な冒険者などでは倒せはしないでしょう。だとしたら犠牲者がすでに多く出ているはず……)

 

 もし倒すことが出来るとしてもミスリル級以上の冒険者チームが必要になるだろう。それでも依頼の危険度から言って断られる可能性もある。

 

(逃したのは私よ……家族を……領民を守らなくては……)

 

 レイナースは剣の稽古着に着替えるとスカーフで顔の半分を隠す。さすがにこの顔を人前に晒す気にはならない。

 最期に棚の奥から愛剣を引き出す。愛する婚約者のために封印した剣である。しかし今はそんなことを言っていられないと覚悟を決めて腰に括り付ける。

 

 準備完了、とドアに手をかけ出ていこうとノブを捻るが……いくらノブを捻ろうとドアが開くことはなかった。

 

(おかしいわね……開かないわ。壊れているのかしら?)

 

 何度やっても開かないドアにしびれを切らしたレイナースは2階の窓を開けるとそこから庭へとひらりと飛び降りる。剣を含めた重量は相当なものだが足腰のバネですべて受け流した。

 そして体が鈍ってはいないことを確認するように足腰を伸ばすと、そのまま塀を飛び越え屋敷の外へと飛び出していくのだった。

 

 

 

 

 

 

 向った先は領内の冒険者組合である。小規模でいつもは銀級までの冒険者しかしないはずだが、それでもあの獣の情報は入っているかもしれない。

 期待しながら重い木製扉を押し開けると中には見知った冒険者たちがたむろしていた。

 

「あれ?ロックブルズのお嬢じゃないですかい?その顔の布はどうしたんで?」

「こんにちは、リック。ちょっと怪我をしただけよ。それよりキャサリンちょっといい?」

 

 予想通り顔の布のことを聞かれたが、わざわざ見せる必要もない。

 顔見知りの冒険者に軽く挨拶を交わしながら組合の受付へと向かう。いつもと違い少し落ち着きがないレイナースの様子に受付嬢は戸惑いがちだ。

 

「あ、あのロックブルズ様、今日はどのような御用でしょう?」

「そんなに怖がらないでちょうだい。ちょっと聞きたいことがあるの。大きな狼のような魔物の情報はない?」

「狼ですか!?それならそこに貼っておりますが……」

 

 掲示板に大きな張り紙がしてあり、そこには四つ目の狼の絵が描かれていた。よく見るとミスリル級冒険者募集とある。

 

(あいつだ!!)

 

 間違いなくレイナースに呪いをかけた獣だろう。組合に依頼があったということはロックブルズ家からの依頼なのか、はたまた別に犠牲者がいたのかのどちらかだろう。

 

「討伐は私が引き受けるわ!どこで目撃されたの!?」

「えっ……お嬢様がですか?で、でもそれは……」

 

 冒険者組合ではレイナースが弱い魔物を狩っていることは知っているが、この依頼はミスリル級冒険者向けのものである。さすがに領主の令嬢に頼むわけにはいかなかった。

 

「いいから教えなさい!」

 

 なかなか口を開かない受付嬢にレイナースはカウンターを叩く。こうしている今も犠牲者が増え続けているかもしれないのだ。鬼気迫る表情のレイナースに受付嬢は引きつりながら助けを求めるように後ろを振り返る。

 

「いったい何事だ」

「あ、組合長!」

 

 大きな物音に出てきたのだろう。受付が振り向いた先には冒険者組合長と一緒にもう一人、レイナースの見知った顔があった。

 

「リチャード様?どうしてこちらに……」

 

 組合長とともにいたのはレイナースの婚約者、リチャードである。さすがにレイナースも居住まいを正すがリチャードは驚いた様子でレイナースの格好を見つめていた。

 

「レイナース……だよね?その格好はどうしたんだい?私は父の名代としてこちらの冒険者ギルトに魔物の情報共有をするために来たんだけど……。何でも恐ろしい魔物が現れたとか聞いてね。それにその顔の布はなんだい?」

「こ、これは……」

 

 レイナースはとっさに顔を隠そうとスカーフの布に手を当てようとした。

 

 しかし運命のいたずらか、それとも神の試練であるのか……。スカーフの結び目はハラリと解けてると布が床へと落てしまう。

 

「……ひっ!?」

 

 レイナースのあらわになった顔のそれを見た受付嬢が引きつったような声を出した。しかし、それは彼女だけではなかった。

 

「な、なんだそれは……」

「顔の半分が溶けてる?」

「呪いか何かか?」

「気持ち悪いな……」

 

 組合長や冒険者達がレイナースの顔を見て次々に驚きの声を上げ、レイナースを見つめてくる。その目は普段レイナースを見つめるものと違い、恐れと忌避が入り混じったもののように思えた。

 

『気持ち悪い』

 

 今まで言われたことがない言葉を投げかけられイナースは恥ずかしさのあまり顔を伏せる。今まで蝶よ花よと育てられてきた彼女とってその言葉はあまりにも非情であった。

 

 いまだボソボソと組合内で囁かれる言葉と視線に耐えられなくなったレイナースは唯一の望み重い婚約者に向き直る。彼ならば庇ってくれると信じて……。

 

「待ってください、リチャード様。これには理由が……」

 

(リチャード様なら分かってくださる。この方は私の容姿でなく心を愛してくださっている……)

 

 婚約者はレイナースの容姿でなく心を愛しているとずっと言い続けてくれていた。それが本当であればきっと大丈夫なはずだ。

 涙が出そうになるのを堪え、リチャードへと歩み寄ろうとすると……。

 

「ひぃーーー!ち、近寄るな!なんだその顔は!気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!顔が腐ってるじゃないか!ば、化け物!」

「ぇ……」

 

 レイナースは絶句する。彼と自分の家族だけはそんなことは言わないと思っていた。たとえ容姿がどうであれ愛してくれていると思っていた。それが……。

 

「お、おい!ここは冒険者組合だろう!この化け物を捕らえよ!」

 

 信じられないことに婚約者は、レイナースを討伐対象の魔物として捕らえるように命じる。

 

(うそ……こんなのうそです……。あ……ああ……あああああああああああああ!)

 

 信頼していた婚約者に化け物と呼ばれる。

 信じがたい事態にレイナースは冷静さを失う。頭の中は疑問と絶望のあまりめちゃくちゃだ。そして自分が何をしにここに来たのかさえ分からなくなりその場から逃げ出した。

 

(ど、どうして……どうしてどうしてどうして……)

 

 頭の中に『どうして』が木霊する。今でもレイナースには彼の言ったことが信じられなかった。

 

(顔?顔だけで私を化け物って言ったの!?顔……。治さないと!はやく……はやく治さないと!)

 

 レイナースの思考はさらに支離滅裂となっていく。とにかく顔を何とかしないといけないということだけを頭の中で考えながら駆け出していく。

 

 

(とくかくあの獣を倒さないと……。倒せば……きっと倒せばなんとかなるはずよ……きっと……)

 

 倒せば呪いが消えるなどあるかどうかも分からないのに、冷静に考えるだけの余裕はまったくなかった。

 レイナースは動転のあまり顔も隠さず獣を探すために街中を駆けていく。その横顔を領民達に見られているとも知らずに……。

 

 

 

 

 

 

 レイナースは有り余る体力で三日三晩領地の内外を駆け回った。しかしそれでもあの獣は見つからない。

 時間が経つにつれて次第に頭が冷静になる。そして自分がいかに自暴自棄になっていたことを思い知った。

 

(わたくし)一人で見つけられるわけないのに……)

 

 領地は広く、帝国はもっと広い。冒険者組合などの組織が目撃情報などを元に探すのならまだしも一人で闇雲に走り回って見つかるはずがない。

 

「うっ……。ううっ……」

 

 あれだけ愛していると言っていた婚約者の豹変。今更ながら婚約者に投げつけられた言葉が心に突き刺さり涙が出てくる。

 ひとしきり泣いた後、レイナースは決意する。

 

「帰ろう……」

 

 さすがに3日も走り回れば体は疲労するしお腹もすいた。家に帰ってしばらく休んだら家族に事情を説明して獣の捜索をしよう。

 そう思いトボトボとロックブルズ家の屋敷へと歩いて帰ってきたのだが……。

 

「お、お嬢様!?」

 

 門番がなぜか剣を構えてレイナースと対峙した。しかしレイナースは何かの間違いだろうと手を振って挨拶を返す。

 

「あ、ただいま帰りましたわ」

 

 それでも門番が警戒の姿勢を崩さないことに不思議に思いつつ門を潜ろうとすると、門番は首に下げた笛を吹く。

 ピィィと大きく響き渡った警笛音で集まってきた20人ほどの兵士にレイナースは囲まれた。

 

「な、なんですの?」

「……帰ってきたか」

 

 レイナースが突然の出来事に戸惑っていると兵達の間から父が現れる。見るとその隣には母と兄も立っていた。

 

「お父さま!これはいったいどうしたのですか?」

「黙れ化け物が!!」

「ぇ……」

 

 普段温厚で怒られたことなどない父の剣幕にレイナースは面食らう。いつもの父は優しく微笑みを絶やさず誰に対しても温厚だった。そんな父をレイナースの尊敬していた……はずだ。

 

「先日、婚約者殿がみえて話を聞いた……。お前との婚約は解消とのことだ……理由は分かるな?」

「そ、それは……」

 

 間違いなくレイナースの顔の呪いが原因だろう。

 勝手に家を飛び出して婚約者に顔を見られたのはレイナースの落ち度だ。婚約者の反応は予想外だったとはいえ、父の顔をつぶしてしまったのは間違いない。レイナースは申し訳なさに思わず顔を伏せる。

 

「まったく……ステュアート家との婚姻を台無しにしおって!何のためにお前を育てたと思っている!」

「ぇ……」

 

 貴族としての面目を潰されて叱責されることは分かる。

 しかしそれでも娘として愛しているから育ててくれたのではないだろうか。レイナースのそんな想いを父は無情にも切り裂いていく。

 

「まったく……容姿がいいからと公爵家へ嫁がせれば我が家も安泰だと思って期待していたものを!そんな顔になりおってこのごく潰しが!」

 

 そもそもこんな顔になったのは父たちを獣から守るためであった。家族を守るために戦って顔に呪いを受けた。しかしそんなレイナースの献身も想いを踏み潰すように罵倒は続く。

 

「せめて家の恥にならぬようにと部屋に閉じ込めておけば勝手に抜け出してその醜い顔を領地中に晒して恥を振りまきおって!」

「閉じ込めて……?じゃあ部屋の扉が開かなかったのはもしかして……」

「お前のような化け物を閉じ込めておくために決まっているだろう。まったく、おとなしくしていると思ったが、こんなことなら地下牢にでも閉じ込めておくべきだったな」

「そ、そんな……」

 

 傷心のレイナースを慮って気遣ってくれていた。そう思っていたのはレイナースだけで、父は醜くなったレイナースを外に出して人に見せたくなかっただけだったのだ。そこにはひとかけらの愛情も感じられない。

 あまりもの不条理にレイナースは怒りさえ忘れ呆然とする。

 

「せめてもの情けだ。その首を自ら掻き切って死ね!そうすればロックブルズ家の墓に入れてやる!」

 

 父がレイナースの足元にナイフを投げて寄こす。それを使って自害をしろということだろう。このまま生かしておいても貴族としての使い道などない。まして家名を汚すだけの邪魔存在だ。そう父の目が言っていた。

 

「い、いや……」

 

 レイナースは後ずさる。なぜ自分がそこまで言われなければならないのか、なぜ自分が死ななければならないのか。理解できずにレイナースは必死に首を振る。

 

「ならば今すぐこの地から出ていけ!化け物が!お前などロックブルズ家の令嬢ではない!」

「そんな……。お、お母さま……」

 

 父の隣にいるお母さまなら分かってくれるはず。自分のお腹を痛めて産んだ子供なのだ。きっと愛していてくれる。しかしその一縷の望みへの返事さえ無常であった。

 

「ひっ、近づかないで!化け物!」

「さっさと消えろよ。おまえはもうロックブルズ家に必要ないってことがまだ分からないのか。化け物」

 

 母の言葉に続いた兄の言葉がレイナースにトドメを刺す。家族からも化け物と呼ばれる。居場所などどこにもない。レイナースの心はもう壊れるしかなかった。

 

「いやああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 レイナースは周りの兵達を押しのけると駆け出した。走っているのか歩いているのかさえ自分でも分からない。目は涙で霞み、心臓は破裂しそうなほど高ぶり、昼間なのに視界は真っ暗だった。

 

(ひあああ!化け物)

(きゃあああ!)

(お、お化け!)

 

 領民たちから向けられる恐怖の悲鳴が聞こえるような気がした。それはレイナースの心の中にだけ響いていた声なのかもしれないし、そうでなかったかもしれない。しかしそれがますますレイナースの冷静さを失わせる。

 

(み、見つけなきゃ……はやく!はやくあの獣を見つけなきゃ!)

 

 もう帰る家はない。婚約者にも捨てられた。領民達も自分を見限っているだろう。そんな彼女に残されているのはあの獣との決闘の約束だけだ。

 あの獣はレイナースを殺すと、決闘すると言っていた。もはや何もかも失ってしまったレイナースにはそんな敵との約束だけが残されたものだった。

 

 

 

 

 

 

 どこをどう走ったのだろうか。とうの昔にロックブルズ領の境を越えてレイナースは遥か離れた王都が見下ろせる森の中まで来ていた。

 すでに周りには夜の帳がおり静寂が闇を満たしている。もう耳障りなあの悲鳴は聞こえない。そのことにレイナースはほっと安堵した。

 

(これからどうしようかしら……)

 

 多少冷静さを取り戻したレイナースは考える。こんな顔をしてまともに街で生きていくのは辛いだろう。顔は隠さなければならない。

 それならば傭兵やワーカー、冒険者はどうだろかと考える。強さには自信があるし自分には向いているかもしれない。

 

(でも父が許さないでしょうね……)

 

 父はあれでも大きな貴族派閥に属している。家を出奔した自分がのうのうと帝国で生きていることを見逃すとは思えない。

 

(他国にいくしかないかしらね……でもその前に……)

 

 今はあの獣のことが気になっていた。レイナースが家を出奔した原因にして元凶。獣は決闘を望んでいた。そして決着をつけなければおさまらないのはレイナースとて同じだ。

 そんなことをぼんやり考えていると静かな森の中から懐かしいような、そしてなぜか心が揺さぶられるような奇妙な気配がする。

 何だろうと木陰から森を覗き込むととそこには……。 

 

 

 

───月明かりの下、呪われた狼と踊るようにじゃれ合っている漆黒の鎧がいた。

 

 

 

 



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第35話 狼と踊る男

 冒険者チーム『漆黒』への指名依頼の依頼主、それはジルクニフである。

 依頼内容は帝国内を荒らす狼型のアンデッドと思われる魔物の捕獲。討伐でなく捕獲なのはもし調教(テイム)出来るのであれば戦力としてその魔物が欲しいということだろう。

 事前情報によると人語も解する魔物であり、そういった魔物は交渉次第では人に従う。それを期待してのことだろう。

 

 依頼を受けたモモンガは目撃情報のあった帝都の郊外の森へと向かっていた。

 時間帯は夜。相手がアンデッドである場合、日中はペナルティを受けステータス低下等があるため、洞窟などに潜んでいる可能性を考えてだ。

 

 しばらく捜索を続けるとモモンガのスキル『不死の祝福』に反応があった。これはモモンガの常時発動(パッシブ)スキルの一つで、アンデッドの数や方向が大雑把にだが分かるというものだ。

 

「この先にアンデッド反応がある。相手は1体だな」

「モモンガ様、先手必勝で仕留めましょうか」

 

 いつものようにナーベラルが物騒なことを言う。これが敵対プレイヤー相手の殺し合いならばそれで正しいが、今回は事情が違う。

 

「状況次第ではそれもやむを得ないが、とりあえず交渉してみよう。依頼主は生け捕りを希望しているからな」

 

(皇子が俺たちを勧誘して来たくらいだし……もしかして帝国はアンデッドであってもそれほど気にしないのか?)

 

 もしそうであればモモンガたちには住みよい国となる可能性はある。捕まえた場合はその扱いについてぜひ聞いておかねばなるまい。

 

「とりあえず私一人で交渉してこよう。お前たちはここで待機していてくれ」

「モモン様、お一人では危険です!」

「油断は禁物だが……見たところそれほど強くもなさそうだ。それに……いや、なんでもない」

 

 ナーベラルたちに任せるのは心配だという言葉を飲み込む。

 リ・エスティーゼ王国では怒りのあまり交渉相手を皆殺しにしてしまった。それがナーベラルたちの手本にされていると仮定すると、このままではジルクニフに魔物のミンチを渡すことになってしまいそうだ。

 

(それにラナーたちに任せるのもな……頭はいいのになぜか考え方がナーベラルに近いような気がするんだよな……)

 

 むしろ分かっていてあえてナーベラルに合わせているとさえ感じる時がある。

 クライムについては論外だ。結局モモンガが出ていくのが一番穏やかに交渉を進められるという結論に達した。

 

「もし危険であればすぐに知らせる。ここで隠れていてくれ。逃げられても面倒だ」

 

 有無を言わせずナーベラルたちには待機を命ずると、モモンガは前方で伏せたまま休んでいるように見える狼型の魔物へと向かう。まだこちらには気づいていないようだ。

 

(でかいな……フェンリルに似ているか……)

 

 伏せていてなおモモンガが見上げるほどに体が大きい。その大きさはナザリック地下大墳墓第6階層に放たれていたフェンリルを思い出させた。

 

(確か階層守護者のアウラが使役していたな……彼女がいれば調教するのも楽だっただろうが……ん?顔に何か刺さってるな)

 

 よく見るとその魔物の目には銀色のナイフが突き立っていた。

 

(銀のナイフか?誰がやったのかは知らないがアンデッドには確かに有効だな。ふむ……自分では抜けないのか?)

 

 アンデッドの中には銀を使った武器や魔法の籠った武器でしか攻撃を受け付けない者は多く、モモンガ自身にもそれは該当する。通常の何の効果もない武器では傷一つ付けることはできないだろう。

 

 しかし、この魔物と戦った相手はそれを知っていてか、はたまた偶然か。有効な攻撃をしたらしい。 

 モモンガが興味深く魔物を観察していると、相手も気づいたのかその4つの目がモモンガへと向けられた。

 ここは初対面同士である。いきなり敵対する理由もないので社会人の常識としてまずは挨拶から入ることにした。

 

「やあ、いい夜だな」

 

 天気の話は挨拶の鉄板だ。ありきたりであるが会話のきっかけにはなる。

 モモンガは出来るだけフレンドリーに話しかけてみたのだが……言葉が通じないということは恐らくないだろう。この世界では人間だろうと魔物だろうと何故か言葉が自動翻訳されるようなのだ。

 

「グルルルル……オカシナ奴!」

「おかしな奴ではない。私はモモンという。ところで……私のどこがおかしいと思ったのだ?」

「オマエ何ノ臭イモシナイ!」

「ああ、なるほどな……」

 

 アンデッドとは言え獣だ、嗅覚が優れているのだろう。汗をかくどころか肉体さえないためモモンガに臭いがしないのは当然だ。そこに魔物は違和感を覚えたということだろう。

 

「私には敵意はないから安心してくれたまえ狼くん。ちょっと聞きたいことがあるだけだ」

「オマエ……ヨワイ?ツヨイ?分カラナイ!喰ウ!グガアアアア!」

 

 いきなりモモンガを丸飲みにしようと、大口を開けて肩口に噛みついてきた。問答無用かと思いつつも実力を確かめるためその攻撃を放置する。

 予想通り上位物理無効化が働きダメージは一切なかった。

 

(うん……ダメージはないな……しかしやっぱり魔物はあまり話を聞かないのか?どうする?ナーベラルの言った事がやはり正解だったか?)

 

 モモンガは最後まで交渉に屈しなかった生贄()を思い浮かべる。あれは本当に話を聞かなかった。しかしまだ交渉は始まったばかりだ。諦めるのはまだ早い。

 

「よーし!よしよし!まだ話が終わってないぞー?まずお前の種族を教えてくれないか?」

「ング!?」

 

 いまだに肩に噛みつかれたままだが、モモンガは辛抱強くフレンドリーに狼を撫でる。怖がっている動物が噛みついてきても敵意がないと示せば仲良くなれる……と昔テレビでモモンガは見た気がする。ならば我慢だ。

 

 一方、魔物は噛みついても一切傷つかず動揺もしないモモンガに目を白黒させながら戸惑いつつも、鎧に噛みつき続けていた。

 

「もしかしてお前の種族はもともとフェンリルだったりしないか?アウラと言うダークエルフの少女がフェンというフェンリルを飼っていたんだが名前に聞き覚えは?」

「ガルルルル!」

 

 モモンガの言葉を聞き流し何度も何度もモモンガに噛みつくが一向に傷がつくことはない。

 

「よしよし、落ち着け。怖くないぞー?よーしよしよし」

「グルルルル」

 

 ずっと噛みつかれたままでモモンガは魔物の顔の毛を撫でつつ手を伸ばすと、銀のナイフをその目から抜いてやる。さすがに刺さったままなのは痛々しい。

 

 

「ギャウ!」

「よしよし、痛かったなー?もう大丈夫だぞー?」

 

 昔テレビで見た動物好きのおじさんを思い浮かべながら、落ち着かせるようにモモンガは狼の頭や腹を撫でまわす。こうすることで動物と心を通わせて分かり合える……とテレビで言っていた。

 一方、狼はモモンガに噛みついたまま離そうとはしない。

 

「よしよしよしよしよしよし、ははははは、元気だなー?」

「ガルルルル!」

「よしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよし……」

「グルルルル」

「……」

「グルルルル」

「よーしよしよし…………あー!もう……無理!!」

 

 一見踊るように狼と戯れていたように見えたモモンガであったが、おもむろに狼の胴体に手を回すと腰を掴むと体をのけぞらせた。俗にいうバックドロップである。

 

「……」

 

 ドゴンという音とともに予想外の膂力で頭を地面にめり込まされた狼は沈黙した。

 

「こんなことで分かり合えるか!もう面倒だ……話が出来ないのであればこのまま始末して……」

『モモンガ様、お待ちください』

 

 調教スキルもなく、それ以外の方法での調教実験もうまくいかなかった。諦めて普通に倒してしまおうとするモモンガにラナーからの<伝言(メッセージ)>がきた。

 

『生け捕りにするのではなかったのですか?』

「あ……」

 

(そういえばそうだったな……でももう面倒だな……それとも俺のスキル『アンデッド支配』が効くだろうか?でもそれだと俺がアンデッドを操って帝国に被害を出したとか思われる可能性も……)

 

『指輪を外してモモンガ様の御力を示してはいかがでしょうか?その威光の前にすべての者がひれ伏すかと思います』

 

「そうか……?」

 

 そのあたりのことはいまいち実感が出来ないところだ。強者の気配だの威光だの、スキルによらない探知方法をモモンガは持っていない。

 

 しかし、ナーベラルを含めてこの世界では相手の強さを感じ取れる能力があるようなのだ。今は気配を消す指輪を付けているが外した場合、モモンガとの力の差を思い知る可能性はあるということだろう。

 

『周りにいる有象無象どもへの良い牽制にもなるかと思いますわ』

「……周り?……今この場に他に誰かいるのか?」

『おそらく依頼主の手のものと思われる集団がいます。それから正体不明の女が一人近くにおりますわ。先ほど獣を地面にめり込ませた時に驚いて声を上げてました』

「そ、そうか……分かった。それらは逃がさないようにしておけ」

『はっ!』

 

 第三者にまったく気が付いていなかったことにバツの悪さを感じつつ、、モモンガはアンデッド反応を隠すために付けていた指輪の一つを外す。

 

 

 

───その瞬間……その場で敵意を持っていた者……見ていただけの者……そして隠れていた者……すべての者が硬直した。もちろん目の前の獣も……。

 

 

 

「オ、オマエ……ナント恐ロシイ……」

 

 恐怖に耐性のあるはずの狼がガクガクと震えながら思わず後ずさる。

 目の前の存在から感じるのは挑もうという気持ちさえ起こらないほどの強者の気配。もしその気になれば自分など一瞬にして確実に殺されるという確信を狼は抱いた。

 

「……で、気は変わったか?」

 

 モモンガの言葉に狼は頭を下げる。その圧倒的な死の気配に逆らう気力さえなくなってしまったのだろう。

 

「オレ従ウ……大イナル死ノ君。聞カレタコトニ答エル。フェンリル知ラナイ」

 

 狼が屈服する一方……隠れていた面々は少しでも見つかるまいと体を縮こまらせていた。

 隠れて観察していたバジウッドはあまりの恐怖に目を向けることさえ出来ない。自分より弱い他の諜報員たちはなおさらだろう。

 

(……くそっ、なんつー任務につかせんだよ!殿下!)

 

 調べるように命じられた相手がここまでの化け物だとは思っていなかった。自らの主に思わず心の中で悪態をつく。

 

 一方、吹き荒れるようなその絶対者たる気配に恍惚を覚える者たちもいた。

 

「ああ……これこそ至高の御方の気配……なんという至福……」

 

 ナザリックにおける至高の存在のみが持つ気配にナーベラルは興奮したように頬を染める。指輪のせいで感じられなかった創造主の気配をこれでもかと感じた。ラナーとクライムについても同様だ。

 

「やはりモモン様こそこの世界を支配すべき方ですわ!すばらしい!」

「モモンさますごい!つよい!」

 

 さらにモモンガへ憧れの視線を送る人物がもう一人……レイナースである。

 自分との宿命の相手とも呼べる狼が屈服したのだ。その姿は幼いころから憧れた物語の英雄そのものに見える。

 

「さて、依頼は達成だな。で……そこのお前たち、そろそろ隠れてないで出てきたらどうだ?」

「ひっ……!」

 

 モモンガがひと睨みすると怯えた悲鳴とともに複数の人間が木々の間から出てくる。

 

「お前はバジウッド……だったか?」

「はっ……あの……そうなんだけどよ……あのー……全部話すんで殺したりしねえでくれますかね?」

 

 バジウッドはモモンガと目を合わせようとせずに命乞いをする。目の前の相手を怒らせたら殺される、戦士の勘がそう告げていた。

 

「……なぜそんなことをする必要がある?」

 

 殺すことができないとは言わない。それは殺そうと思えば殺せると言う意味でもあった。

 

「それなら話すが……殿下が依頼の成否を気にしてまして……ちょっとついてきたというか……」

「……要するに監視か?」

「い、いえ!決してそんな!ちょっと心配してただけですぜ!」

「そうか?それは悪いことをしたな。見てのとおり無事任務は達成だ」

 

(……わざわざ心配して付いてくるとは帝国は随分冒険者に優しいのだな)

 

 狼の強さからすると普通の冒険者では失敗することもあるだろう。保険の意味でついてきたのかとモモンガは納得する。

 

「それで……そっちの女も依頼のサポートでついてきたのか?」

 

 モモンガはレイナースに目を向ける。もとは美しい顔をしていたのだろうが、顔の半分が呪印で覆われておりとても痛々しく見える。

 

「あ、あの……私はレイナースと申します。その……そちらの方々とは関係ありません」

「……レイナース?知らない名前だな。それでなぜこんなところに?私に何か用なのかな?」

「あの……その前に……その……お名前をいただけますか」

 

 レイナースは熱に浮かされたようにモモンガを見つめている。それはまるで憧れの英雄にでも出会ったような表情だった。

 

「私の名はモモンという……冒険者だ」

「冒険者モモン様……私はそちらにいる獣と因縁のある者です」

 

 レイナースは一転してキッと狼を睨みつける。狼はじっとレイナースを見つめるといつか自分の目にナイフを突き刺した強者であることに気が付いた。

 

「……オマエアノ時ノ!……グルルル……決闘ダ!」

 

 狼は巨大な体を震わせながら毛を逆立てて威嚇する。そこに先ほどまでの、モモンガに見せていた怯えはない。

 突然睨み合う一人と一匹。モモンガには事情がさっぱり飲み込めていなかった。

 

「……これはどういうことなんだ?」

「モモン様、私はその獣と戦い、顔に呪いを受けました。今の私にはその獣を狩ることだけが生きる目的!何卒私にその獣との決闘する機会をお譲りください!」

「……だが私はこの獲物を捕らえて依頼主に引き渡す契約をしている。そうだったな?」

 

 チラリとバジウッドを見ると怯えたように目をそらしながら返事をする。

 

「あー……それは……はい……そうなんですがね」

「ここでこの狼をバジウッド殿に渡して依頼完了でいいか?」

「オマエ人間!殺ス!」

 

 狼は引き渡されるのを拒否してレイナースやバジウッドを睨みつけて毛を逆立てて威嚇を続ける。

 

「これはちょっと無理そうですな……」

 

 こんな状態で渡されても逃げ出されるか被害が拡大するのがオチである。

 逃げられた場合、殺すならまだしも捕獲するなどバジウッドには絶対に不可能だ。ならば目の前の男に丸投げするしかない。

 

「おい!獣!私と決闘だ!」

「オ前殺ス!決闘ダ!」

 

 睨み合うレイナースと獣、モモンガに何かを期待するように見つめてくる部下たち、恐れ慄き助けを求めるようにモモンガを見つめるジルクニフの配下たち。もはや収拾がつきそうになかった。

 

 

 

───それから……

 

 

 

 深夜の帝国闘技場。そこで互いの顔に傷を負った一人の女剣士と一匹の狼が睨みあっている。

 観覧席には帝国の皇子ジルクニフや主席宮廷魔術師フールーダなどそうそうたる顔ぶれがそろっていた。

 それを見ながらモモンガは独り言ちる。

 

「どうしてこうなった……」



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第36話 フールーダ・パラダイン

 その日、ジルクニフは帝国主席魔術師フールーダとともに帝城の一室にて今後の帝国の行く末について協議をしていた。もっともそう思っているのはジルクニフのみでフールーダについては魔法研究についてのみに関心が向いていたのだが……。

 

「それで殿下……アンデッド支配に関する研究施設の方はご用意いただけそうですかな?」

「ああ、順調に進んでいる。ところで爺、なぜそれほどアンデッドの支配にこだわる?爺ほどの力があればアンデッドに頼らずとも大概のことはできるだろう?」

 

 ジルクニフの考えはもっともである。帝国の国民はフールーダのことを守護神のごとく信頼しており、人を襲うアンデッドをわざわざ調伏しなくてもフールーダのために働こうとする者はいくらでもいるだろう。

 しかしフールーダにとっては視点そのものが違っている。

 

「むろん魔法の深淵を覗くためです! 古の記録にはあまたのアンデッドを支配した英雄譚や人には支配不可能と思われるほどの強大なアンデッドを支配した記録さえあります。それらは恐らく魔法による支配! 死した魂がどのように変異し、魔法がそれらにどのように干渉するのか! それらを知ることにより私の魂を一つ上の位階へと昇華するヒントとなると確信しておりまして……。そもそも魂というものの本質を知ることで……」

「あーもういい分かった。爺の想いは十分伝わった」

 

 普段は聡明であるのだが、魔法が関わるとフールーダは人が変わる。その長くなりそうな魔法談議をジルクニフが遮る。フールーダが残念そうに口を閉じた後、ジルクニフは本題に入った。

 

「それで爺、皇后の様子はどうだった?」

「そうはもう大変なお怒りで周りの者たちが気を静めるのに四苦八苦しておるという話を陛下からは聞いておりますぞ」

「そうか……」

 

 ジルクニフが皇后の実子である第二皇子を殺したのだ。その恨みは計り知れないだろう。しかし怒りのあまり軽率な行動を取らないところはさすがと言える。もし直接兵を送ってきたとしたら簡単にジルクニフの謀略の餌食となっていただろう。

 

「にも拘らずこんなものをよこすとはな……」

 

 ジルクニフの手にあるのは晩餐への招待状だ。これまで皇后はジルクニフのような側室の子とともに食事をとるようなことはなかった。確実に何らかの狙いがあるのだろうが、無下に断るわけにもいかない。

 

「陛下も気にはしていましたが、特に怪しい様子はないようでしたな」

「いや、罠には違いないと思うが……何が狙いだ?彼女の工作を片端からつぶしたのがよっぽど効いたのか?」

 

 皇后はジルクニフが第二皇子を断罪したことを罪に問おうとありとあらゆる手を使ってきたが、その度にジルクニフは先回りしてその工作をつぶしてきた。今現在もお互いが用意した数々の権謀術数が宮廷内で行われているはずだ。

 

「陛下も共謀しており、その面前で殿下を断罪しようとしているのでは……?」

「父はそれほど愚かではない……と信じたいな。ともあれ断るわけにもいかないだろうな……」

 

 ジルクニフは窓の外を見ながら熟考する。外はもう深夜になろうとしていた。このところ寝る間も惜しんで働き詰めであり、窓に映った自分の目元にはうっすらと隈まで出来ている。

 

「ふおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 突然叫び声が部屋に響き渡った。何事かと振り返ると声の主はジルクニフとともに窓の外を見ていたフールーダである。

 

「あ……あれはなんだ!?なんなのだ!?第9位階?いや、10位階?それ以上なのか!?な、なんなんだあれはなんなんだあああああああああああああああ!!」

 

 発狂したように叫び続けるフールーダ。ジルクニフは何事かと窓を開けて周囲を確認するが何かが起こっている気配はない。

 

「爺?突然どうした?」

「恐るべき!恐るべき魔法の力が見えますぞ!あちらです!」

 

 フールーダははるか先の山々を指さす。深緑に覆われたそこには何もないように見える。しかしジルクニフはフールーダの才能(タレント)を思い出した。

 

(爺は才能(タレント)で相手が第何位階まで魔法が行使できるか分かると言っていたな……それほどの高位の魔法詠唱者と言うと……彼女のことか……?)

 

「もしかしてそれはナーベというアダマンタイト級の魔法詠唱者ではないか?王国の御前試合で高位の魔法を使用したという報告がある。ちょうど私が彼女たちに魔物の捕獲依頼を出しているところなんだが……。」

「なんですと!?」

「帝国に現れた狼の魔物について聞いたことはないか?確かあちらの方向で出没したという話もあったが……爺!?」

 

 ジルクニフの言葉が終わるのを待たずフールーダは窓枠に手をかけて飛び降りようとしている。

 

「殿下!お話は後程に!ナーベ殿!今行きますぞおおおおおおおおおおおお!<飛行(フライ)>!!」

 

 フールーダは<飛行>の魔法を唱えると唖然とするジルクニフを置いて闇の中へと飛び去って行くのだった。

 

 

 

 

 

 

 数時間後……フールーダが気を落とした様子で戻って来た。その間ジルクニフは一睡もしていない。相手はジルクニフの側近をして強者と認める相手だ。フールーダが負けるとは思わないが、無礼を働いて帝国から出ていかれでもしたら目も当てられない。

 心配のあまりただでさえ職務に忙殺されているというのに目の下の隈がさらに濃くなってしまった。

 

「殿下……起きていらっしゃったのですか……」

「あんな様子で出ていかれて寝られるはずがないだろう!会えたのか?おかしなことはしていないだろうな?」

「いえ、途中で気配がなくなってしまいまして……探し出せませんでした」

 

 いつになく気落ちしているようだ。こんなフールーダを見るのも珍しい。しかし何もなかったという事実にジルクニフは安堵する。相手が非常に優秀な冒険者であるということはこれまでの依頼達成の速さや精度から分かっている。今度もぜひ帝国のために働いてもらいたい。敵対することは極力避けたい。

 

「いずれにせよ依頼した私へ報告に来るだろう。その時に爺と話をする機会を作れないか聞いてみようか」

「本当ですか!?殿下!!」

 

 フールーダが老人とは思えない勢いでにじり寄ってくる。その様子に思わずジルクニフは後ずさった。顔が近い。

 

「お、おい。そんなに興奮するな」

「これが興奮せずにおれますか!あれこそが!あれこそが我が望みを与えてくださる方かもしれないのですぞ!そもそも人類史上あれほどの高位の位階を極めたものなど……」

「分かった!分かったから離れろ!それとじい、私との約束も忘れてくれるなよ」

「もちろんでございます!」

 

 即答するフールーダに本当にこいつ分かってるのかとジルクニフは心配になる。普段は帝国の未来を考えられる優秀な魔法詠唱者にして歴代皇帝の相談役、そして今はジルクニフの協力者であるのだが、魔法が絡むとポンコツになるときがあるのだ。

 そんなジルクニフの不安をよそに朝日が昇ろうとしていた。

 

 



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第37話 決闘

 帝国闘技場。

 古来より毎年、人対人、人対魔物など数々の熱戦が繰り広げられ、その血と暴力の競演に観客が沸き上がる場所。

 それは国民のストレス発散となるだけでなく、帝国にとってスカウトすべき強者を見つけるための場でもあり、そして参加する者達からすると命を懸けて大金を手にするチャンスをつかむ場でもある。

 

 その伝統的な場所を中心に、一振りの大剣を与えられたレイナースと獣が静かに睨み合っていた。時間は深夜、観客はモモンガやジルクニフ達を除いて誰もいない。

 

 なぜこのようなことになったか。それは魔物の捕獲依頼を達成したモモンガからジルクニフが報告を受けた時のことだ。

 バジウッドからの報告を受け、ジルクニフが件の獣が捕獲された場所へと行くと冒険者チーム『漆黒』とともに、なぜかロックブルズ家の令嬢レイナースまでその場にいたのだ。

 ロックブルズ家の状況についてはジルクニフも把握しており、この機に自陣に取り込めないかと探していたのだが、まさかこんな状況になっているとは思ってもみなかった。

 

 しかし事情を聞くうちにジルクニフは考えをまとめた。

 狼とレイナースがお互いに決闘を望むのであれば、望みを叶えてやれば良いのではないかと。

 その場を与えてやる代わりに片方、または両方が自分の手の者となるよう誘導すればいいのではないか。そう考え、秘密裏に深夜の闘技場を手配して一人と一匹が睨み合うこととなった。

 

 

 

───レイナースと獣はお互いに裂けるような笑顔を浮かべると咆哮とともに激突する。

 

 

 

「で、殿下殿下! はよぅ! はよぅ私を紹介してくだされ! はよぅ!」

「待て待て、そんなに興奮するな、肩を揺するな!じい!」

 

 レイナースは先手として両手で握りしめた大剣で獣の喉元を目掛けて突きを放つ。しかし獣もさるもの、空中でヒラリと身をかわして逆に爪で斬撃を返してくる。

 

「モモン殿、こちらが先日伝えた帝国主席魔術師のフールーダ・パラダインだ。ナーベ殿とどうしても魔法談議がしたいということで連れてきた」

「はぁ……はぁ……フールーダ・バラダインと申します!ナーベ殿は王都の御前試合で誰もが見たことがない数々の魔法を披露したと聞いたのだが……むぅ?ナーベ殿から魔法を使える気配が一切しないですな?これはどうしたことですかな?」

 

 レイナースは爪の斬撃を大剣で受ける。武技の力も乗っているようで、大剣にずしりと重い衝撃を受けた。しかし実家で寝間着にナイフ一本、さらに背後に家族を庇いながらという状況と違い、今は万全の状態である。ギャリギャリと火花を飛ばしながら爪を捌く。

 

「は?なんですか?あなたは……?」

「ナーベ様、この方は帝国の主席魔術師フールーダ様ですわ。相手がどの位階の魔法まで使えるか分かるという話を聞いたことがあります」

「ふん……そうなの。この程度で主席?ラナーが言うならそうなんでしょうけど……。でも私に気配がしないのが不思議だというのであれば、それはあなたのような羽虫が寄ってこないように隠匿しているからだとなぜ分からないのかしら?」

「魔力隠匿の魔法道具(マジック・アイテム)ですかな!?そ、それはどこの名工が作られたものなのでしょう!?それに御前試合ではどのような魔法を使われたのですかな?ナーベ殿は第何位階の魔法まで使えるので?わしは第6位階までしか使えないのですがそれ以上なのですかな?」

 

 爪を捌かれた狼は一転してその巨体を活かしてレイナースへと覆いかぶさってきた。レイナースは一瞬大剣でそのまま獣を貫こうかと迷うが、とっさに横に飛ぶ。

 先ほどまで自分がいた場所を見ると、立ち上がった狼の下の地面からシューシューと湯気が上がっている。レイナースは思わず呪われた顔を指でなぞる。あのまま剣を突き刺していたら全身を呪いで焼かれていたことだろう。

 

「あなたのような虫けら程度と至高の存在に創造された私を一緒にしないでくれる?あの時使った魔法は<生命の精髄(ライフエッセンス)>、<魔力の精髄(マナエッセンス)>、<爆裂(エクスプロージョン)>、<連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)>……」

「チチチチチチェイン・ドラゴン・ライトニング!?そ、それは第5位階魔法<龍雷(ドラゴン・ライトニング)>より上位の魔法なのですかな!?第何位階の魔法なのでしょうか!?」

「第7位階よ」

「お、おお……おおおおおおおおおお!ナーベ様あああああ!あなたこそ!あなたこそ深淵の主!」

「ちょっ、近づかないで……殺されたいの?虫けら」

「や、やめろ爺。ナーベ殿の靴を舐めようとするな!」

 

 あの呪われた獣の体に触れるのは不味い。しかし近づかなければ倒せるはずもない。レイナースは込み上げてくる恐怖を振り払う。自分にはもう友人も家族も恋人も何もない。今は幼いころから振り続けてきた剣だけが心の支えなのだ。

 レイナースは覚悟を決めると、一気呵成に攻め込むとともに武技を発動する。<能力向上>と<戦気梱封>。武技により一気に身体能力を強化するとともに、大剣へ魔力の付与を行い臆することなく獣を斬りつける。

 

「クライム!ナーベ様をお守りするのよ!」

「わん! ラナー様!」

「む?君たちはナーベ様の配下の方たちですかな?ふおおおお!そ、その身にまとった魔法道具の輝きはああああああああ!分かりました!まずはあなた様の部下の方たちの靴を舐めて私の気持ちを知っていただきましょうぞ」

「ひぃあああああああああ!」

「やめろ!ラナー様を舐めるな!」

 

 レイナースの放った会心の斬撃を見た獣は大剣を避けるかと思いきや、なんと体で受け止めた。獣の筋肉に覆われた肉体に大剣が深く沈み込むが、そこで逆に筋肉を引き締められて抜けなくなる。

 レイナースは慌ててブチブチと獣の筋肉を千切りながら剣を引き戻すが、その間にすでに獣はその鋭い爪をレイナースに向けて放っていた。

 

「くっ……この方がここまでの魔法狂いとは私も知りませんでした……このラナー一生の不覚ですわ!」

「おい、ニンブル!バジウッド!爺を引きはがせ!」

「はっ!」「参ったなこりゃ……」

 

 レイナースと獣。その戦いはゼロ距離での削り合いとなっていた。

 顔が触れ合うほどの距離で大剣と爪により互いの血肉が削られていく。数秒が数分にも感じられる削り合いの後、一人と一匹はお互いに距離を取るべく後ろに跳ねた。

 レイナースは体のあちこちから血を流しぼろぼろの状態だ。それは獣も同様である。お互いにボタボタを血を落としながらジリジリと間合いをはかる。ここまで傷を負ってしまっては次の一撃がお互いの生死を分けることを理解しているのだ。

 

「離せえ!離さんか!私はナーベ殿に弟子入りするぞ!」

「お断りします」

「おい、じい。やめろと言っているだろう。彼女には断られたんだ。ニンブル、バジウッド。爺を連れていけ!」

「フールーダ様、申し訳ありませんが殿下のご命令です」

「ったく……大人しくしててくだせえよ?フールーダ様」

「ナーベ殿おおおおおおおお!」

 

 先に動いたのは獣だった。何らかの武技を使用しているのだろう、これまで以上のスピードでその巨体がレイナースに迫る。

 一方レイナースは出血と疲労のあまり走り出す力もない。しかしその眼は諦めてはいない。大剣を両手で下段に構えて反撃の一手を受けの姿勢で待つ。

 

 

 

───そして。

 

 

 

 死闘を演じている一人と一匹を一顧だにせず騒いでいるフールーダたちをちらりと見ながら、モモンガが闘技場に降り立った。

 

「さて、そろそろいくか……」

 



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第38話 決着

 レイナースと獣は互いに最後の斬撃を交差させる。

 レイナースの中にはもはや狼への恨みはなかった。何度も斬り結んだこの戦いの中で獣の気持ちが分かった気がする。

 この獣は強者になることを求めている。そこにレイナースへの悪意という感情はない。

 顔に呪いを受けただけで態度を一変させた婚約者や両親と比べ、正々堂々と決闘を挑み、自らの望みを有言実行する獣のなんと高潔なことか。

 

「武技<限界突破>!」

 

 斬撃の交差の瞬間、レイナースは最後の武技を放つ。この武技は限界を超えた身体能力を得られる代わりに耐えがたい痛みとともに武技発動後に極度の肉体疲労に襲われる。これで決められなければもう動くことは出来ないだろう。

 <能力向上>に加えて<限界突破>、そして<戦気梱封>による魔力付与に<斬撃>による攻撃力上方修正、そのすべてがレイナースの斬撃の限界を突破させ獣の爪の強度に迫る。

 

「はああああああああああ!」

「グオオオオオオオオオ!」

 

 刹那の後、斬り飛ばされたのは獣の爪であった。決着をつけるべくレイナースの返した大剣が獣の喉元まで迫まる。

 

(……勝った!)

 

 レイナースが確信したその瞬間……。

 

「<完璧なる戦士(パーフェクトウォーリアー)>!」

 

 いつのまにか現れた漆黒の戦士にレイナースの大剣は止められていた。

 

 モモンガである。それも剣筋に割り込んできて防いだのではなく大剣の後方から指二本で摘まんで止められていた。それはすなわちレイナースの渾身の一撃に後から追いついたということ。

 

「そこまで。君の勝ちだ、ロックブルズ殿」

 

 モモンガにレイナースの勝利を告げられ獣は納得したようにその身を伏せた。しかしレイナースには納得できるものではない。

 

「なぜ止めた!」

 

 互いに命がけの真剣勝負であったのだ。神聖な決闘を邪魔された怒りにレイナースは思わずモモンガへと詰め寄る。しかしモモンガの返事は素気無いものだった。

 

「なにも殺す必要はないだろう。もしお前が殺されそうになっていても私は止めていた」

 

 『レアっぽい魔物だし』とぼそりとモモンガはつぶやく。幸いその声は小さくレイナースには聞こえていなかったが、それでも納得できないもう一つの理由がある。

 

「しかし奴を殺さなければ呪いが解けないではないですか!」

「ん?こいつが死ねばその呪いは解除されるのか?そんなはずはないと思うが……」

 

 モモンガの記憶では時間経過で解除されないほどの呪いは魔法かアイテムでしか解除できないはずである。案の定獣が頭を振っていた。

 

「そんな……それでは私はずっとこのままなのか……」

 

 レイナースが膝から崩れ落ちる。戦士として決闘で勝利した満足感はある。しかし獣を倒したら呪いが解けるのではないかという淡い期待がなかったわけではない。

 

「PvPは終わればノーサイドだ。これ以上争い合う必要などないだろう」

 

 ユグドラシルでは条件を決めてPvPをしたにも関わらず、後で奪われてしまったドロップアイテムを返せと言ってくるような連中もいた。しかしそういった連中はIDを晒され誰にも相手にされなくなるのが常だ。

 

「ナーベ、指輪を渡せ。私がやる」

「はっ!どうぞモモン様」

 

 ナーベラルがモモンガの前で跪くといくつかの指輪を差し出した。

 モモンガは課金により10本の指すべての指輪が装備可能となっているが、神聖魔法を使用可能にする指輪はナーベラルに預けていたのだ。

 

「まずはお前だ……獣……?呼びにくいな。名前はあるのか?」

「クレルヴォ・パランタイネンと呼ばれていたかと。闘技場の試合で見た覚えがあります」

 

 ジルクニフの側近であるニンブルが答えてくれた。闘技場ではある程度勝ち進み有名となった魔物は名前を与えられる。それを覚えていたのだろう。

 

「クレルヴォか。傷は癒してやるからこの女への恨みは忘れろ。<大致死(グレーター・リーサル)>」

 

 モモンガは戦士化の魔法を解除すると指輪に込められた魔法を開放する。<大致死>は高位の神聖魔法であり、負のエネルギーを与えて生命のある者にはダメージを与えるが、アンデッドなど負の生命力を持つ者には回復魔法となる。

 

「コ、コレハ……」

 

 獣の体が輝いたかと思うと傷が瞬く間に癒えていく。銀のナイフにより失われていた視力も戻り光を取り戻していた。

 

「次はロックブルズ殿だな。<解呪(リムーブ・カース)>、<大治癒(ヒール)>」

 

 続いてモモンガは指輪に込められた解呪の魔法と治癒の魔法を発動する。解呪の魔法によりレイナースの顔の呪印が黒い霧となって消え失せ、続いて発動した治癒魔法により傷ついた顔が綺麗に修復されていった。

 

「痛みが……無くなった?」

 

 レイナースは自分の顔をペタペタと触る。そこにはどこにも爛れた肌の感触などなかった。もう戻れないと思っていた元の自分の顔の感触だ。

 しばし呆然とした後、涙が頬を伝う。

 

「治ったの……?本当に……?」

「これでノーサイドだ。いいな?」

「は、はい……」

 

 レイナースは感謝に(こうべ)を垂れる。その横ではクレルヴォもモモンガへひれ伏していた。

 

「偉大ナル御方、忠誠ヲ誓ウ。オレ、モモン様、従ウ」

「……従う?部下になりたいというのか?」

 

 クレルヴォは頷く。これほどの強者の下に仕えれば自分はより強大な存在になることが出来るだろう。そうなれば武王を倒すことも夢ではないかもしれない。そう思った。

 

「そ、それでしたら(わたくし)も!私はもうこの国に居場所がありません……それにこれほどのご恩をいただいて何もしないわけにもまいりませんわ!……ぜひモモン様にお仕えさせてください!」

 

 事実、レイナースにはこの後に帰る先がなかった。実家とはもう縁が切れている。一人で冒険者になるというのも考えていた。すでに冒険者をしている恩人がいるのであればそのために働きたかった。

 しかしそこにジルクニフが待ったをかける。なおフールーダは強制退場させられておりこの場にはいない。

 

「待ってほしい!前にも話をしたが君たちは素晴らしい力を持っている。その力をこの帝国で発揮してみないか?冒険者をするより給金は弾むし地位や名誉も保証しようじゃないか!」

 

 ジルクニフの提案にモモンガは考える。

 このジルクニフという少年はクレルヴォという異形種を前にしてもものおじせずに対応していた。もしかしたら異形種への理解のある人物であるかもしれない。

 

「聞きたいのだが……この国では彼のようなアンデッドにも市民権は与えられるのか?自由に外出や買い物をする権利はあるのか?」

「魔物の市民権?いや……それは私が皇帝になったとしても……難しいだろうな。アンデッドは基本的に人々を襲うからな……。だが冒険者の乗騎として使役する場合や闘技場での戦闘奴隷としてであれば存在は許されると思う。それでもアンデッドだと差別は免れないだろうが……」

「なるほどな……それならばお断りさせてもらおう」

 

 残念ながらアンデッドに寛容な国というわけでもなさそうだ。モモンガは落胆しながら次はどこに行くべきかと頭を悩ませる。

 しかしジルクニフもここで引くわけにはいかない。

 

「なぜだ!?この国での最高に近い地位を約束するぞ!?それとも他に欲しいものでもあるのか?」

「異形種だからと差別をする。そのような国にいたくないだけだ。それからロックブルズ殿とクレルヴォは私の部下になりたいと言っていたが……」

 

 ジルクニフは息をのむ。

 この二人まで連れていかれたらこれまでの苦労が水の泡だ。モモンに悪印象を残さなかったことだけが救いだが、ナーベには後日アレの謝罪が必要だろう、あの変態(フールーダ)のせいで……。

 ジルクニフは臍を噛む。もし失礼を働いていなければもう少し有利に話が進められたかもしれない。

 

「そうだな。クレルヴォは今後理由なく誰かを傷つけないのであれば仲間にするのは構わないが……レイナース殿は無理だな」

「なぜですか!?私が女だからですか!?」

「いや別にそういうわけでもないが……」

 

 ここでレイナースが加わると子供のクライムを除き仲間はすべて女になってしまう、どこにハーレム主人公だ……という理由で断ったのではない。

 

「話は単純だ。君は我々のパーティの参加条件を満たしていない」

 

 そう、レイナースは条件を満たしていなかった。ギルド『アインズ・ウール・ゴウン」の参加条件のひとつは『異形種であること』。ラナーとクライムは特例として加入を許したがこれ以上例外を増やすつもりはない。何よりこれだけの人数の記憶を操作するのは面倒だ。

 

「ではどうすればその条件を満たせるのでしょうか……」

「それを言うつもりはない……諦めろ、不可能だ」

「そんな……」

 

 モモンガの返答にジルクニフはほっと胸を撫でおろす。敵対派閥に取られそうだったレイナースという強者が手に入るかもしれない。慎重に交渉をする必要があるが……。

 

「レイナース。君に行き先がないなどということはないぞ。このジルクニフが君の身分は保証しよう」

「しかし私は領内で両親や婚約者に縁を切られております。それに領民たちもきっと私を恐れていることでしょう……」

「お前の元婚約者や両親はともかく領民たちはお前に感謝しているし、とても心配していると聞いているが?」

「え……」

 

 レイナースは領民から忌み嫌われる存在になった、そう思い込んでいたが間違いだったのだろうか。

 

「私が伝え聞いた話では君は冒険者たちとともに長年領地を荒らす盗賊や魔物たちを討伐していたのだろう?君のおかげで命が助かった人間はそれこそ無数にいる。彼らが君の顔が呪われたからと言って恐れたり嫌ったりすると思うか?むしろ君との婚約を解消した公爵家やロックブルズ家への怒りで反乱さえ起きかねない状況だよ」

「……」

 

 レイナースにとって元婚約者のリチャードや両親は絶対に許せない存在だ。しかし領民たちには何の罪もない。しかし反乱となれば多くの領民が亡くなるだろう。それはレイナースの望まないことである。

 

「私なら君に力を貸してやれるが?」

「ですがリチャードには帝国第一騎士団の団長としての立場もあります……。それに勝てるのでしょうか……」

「だからこそ私なのだよ。家柄だけで実力不足も甚だしい第一騎士団と我が第八騎士団の精鋭たちなど比べるべくもない。まぁそもそも軍を動かすまでもなくやつらの処分は出来ると思うがね?どうだ?私の手を取らないか?」

 

 レイナースはしばらくモモンガとジルクニフを見比べた後、モモンガにその気がないのを確信しジルクニフの手を取る。

 

「すまないな、そういうことだ。モモン殿」

「別に構わない。クレルヴォは私についてくるのだな?」

「イヤ、オレ、マダココデタタカウ」

「ん?」

「彼は今の武王に負けていますからね。そのリベンジがしたいのでは?」

 

 ニンブルの話によるとクレルヴォは現在の闘技場のチャンピオンである武王に負けてそのリベンジを狙っているらしい。それを聞いてジルクニフは提案する。クレルヴォを帝国に留めるチャンスだ。

 

「ならば彼も武王に勝つまではこの闘技場で面倒を見るというはどうだ?」

「絶対ニ勝ツ!」

「そうか……ではその時を楽しみにしていよう。ところでその武王というのも人間ではないのか?」

「そうだが……モモン殿、貴殿は異形種に興味があるのか?」

「ああ……まぁ何というか……私の求めるものを異形種であれば知っている可能性が高いのでな……」

 

 まさか自分が異形種ですと言うわけにもいかない。しかし今話したことは嘘ではない。モモンガの求めるもの、それは安住の地と仲間の情報、どちらも人間よりは異形種のほうが知っている可能性は高いだろう。

 

(むしろ異形種の住む土地に行った方がいいのか?人間の国に異形種が住んでいれば話を聞けるのだがな……)

 

「であれば私の方でも異形種を探してみてもいいが……連絡ができるようにしておいて欲しい。できればこの帝都をホームタウンにしてもらえると助かる」

「依頼があるのであればこのまま残るのは構わないが……」

「ふむ、ではこういうのはどうかな?最近とある噂を耳にした。しばらくしたら冒険者組合にアダマンタイト級冒険者向けの依頼として張り出されることになると思う。それを引き受けてくれるのであれば私も君たちに協力させてもらうということでどうだ?」

「ほぅ?その依頼とは?」

 

 ジルクニフはモモンガが自分たちに向けていた気配が変わるのを感じる。これまではどちらかというとあまり関心のない様子であったのに、今の声は興味に満ちていた。ジルクニフはそこに一縷の希望を見出し笑みをこぼす。

 

「ふふっ……なんでも王国との国境付近の廃村でとある異形種を見たという目撃情報があったのさ」

 

 ジルクニフは焦らしながらモモンガの反応を伺う。そしてその反応は予想以上のものであった。兜で表情は分からないもののジルクニフにずんずんとにじり寄って来た。

 

「なんだ!?ゴーレムか?悪魔か?スライムか?まさかバードマンじゃないだろうな!?」

「い、いや……吸血鬼だよ」

「吸血鬼!?」

 

 モモンガの興味が帝国に向くのならば今後も活動していってもらえるかもしれない。

 アダマンタイト級冒険者のホームであるということは、それだけで帝国の財産となる。さらに今回の依頼は軍を派遣しなければ解決できないほどのものなのだ。例え帝国を拠点としてもらえなくても解決の糸口になるだけで十分な利益がある。

 

「そう、伝説の吸血鬼。かつてとある王国を一夜にして滅ぼしたという恐ろしき吸血鬼の姫。『国堕とし』だよ」

 

 



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第39話 暗殺

───帝都アーウィンタール

 

 帝城の晩餐室に4人の人物が着席していた。現皇帝、皇后、そして第一皇子に第三皇子。それぞれ後ろには護衛兼給仕が控えている。第三皇子のジルクニフの後ろに控えているのはニンブルである。

 

 ジルクニフは第三皇子として皇帝に食事の席に招かれたが、そのような機会はこれまでにめったになかったことだ。多少緊張感を含んだ顔つきになってしまうのもやむを得ないだろう。

 

「どうしたの?ジル。何か気になる事でも?」

 

 普段はジルクニフなど歯牙にもかけない皇后が珍しく優しく話しかけてくる。

 

「いえ、ここに来るのは久しぶりなので少し緊張してしまったようです」

「ははは、我々は家族じゃないか。そんなに緊張することはないぞ」

 

 いつもはジルクニフを見下す様にしている第一皇子が打って変わったように優しさを持った対応をしてくる。

 

「ところでジル。おまえは第二皇子を討ったそうだな」

 

 しかしそこで雰囲気が一変する。それまで黙っていた皇帝がそこで初めて声を発したのだ。その声は威厳に満ちており、威圧する風格さえ感じさせる。

 

「はい、そのとおりです。父上」

「あれはランカスター侯と繋がり帝国の臣民を非道な方法で害していた。それはお前の揃えた証拠で疑いようはない。今回のことはあれ自身が招いたこと。息子を一人失ったことは残念だが……帝国の礎となったと思うことにしよう。お前たちもそれでよいな?」

「思うところがないわけではありませんが……納得しておりますわ」

「弟があれ以上の非道を行う前に止めてくれてむしろ礼を言うよジル」

 

 皇后と第一皇子が柄にもなくジルクニフを認めているような発言をする……といっても第一皇子は皇位継承のライバルが一人減ったと本心で喜んでいる可能性が高そうだ。

 

「そのような慈悲深い言葉をいただきありがたく思います。騎士としての職務を全うしただけとは言え、私も実の兄を手にかけたことには心を痛めておりましたので……」

「ふむ、ではこの件についてはもういいだろう。さて、久しぶりの家族の団欒だ。今夜は珍しい料理も用意した。晩餐を楽しもうではないか」

 

 皇帝の血で繋がり合った獣たちが食事前の祈りを神に捧げる。その様子は神への感謝というより貢物を捧げる前の祈りにも似ていた。

 

「いと尊き4大神よ……我らに生きる糧を与えた賜うたことを感謝いたします」

「「「感謝いたします」」」

 

 ジルクニフはスープの香りを嗅ぐと手元に置かれた指輪を2つその指にはめる。一つは毒感知の魔法が付与された指輪、もう一つは毒物無効の魔法が付与された指輪だ。帝室では代々毒殺を防ぐためにこのような処置が取られていた。

 

 指輪に反応がないことを確認するとジルクニフはスープをスプーンですくい口に含んだ。

 

(辛い……)

 

 それが一口目に感じた感想だ。おそらく南方にある国の香辛料をふんだんに使った料理なのだろう。しかしよく味わうと辛みの中に苦みと旨味が含まれており、なかなかの珍味である。

 

「これは初めて食べました……」

 

 周りを見ると皇帝、皇后、第一皇子も満足そうにスープに手を付けていた。しかし次の瞬間……うめき声が食堂に響きわたる。

 

「うっ……うぐぅ!?」

 

 ジルクニフは突然口を押さえると俯いた。その表情は非常に険しいものであり、何事か非常事態が起こったのは間違いない。

 

「で、殿下!?」

 

 後ろに控えていたニンブルが思わず声をかける。通常御側付きが主人の許可なく声を上げることなどあってはならない。しかし胸を口を押えて苦悶の表情をしている主人に起こった異常に戸惑っているように見えた。

 その様子を見ながら皇后は笑い出したいのを必死でこらえる。

 

「ジル!?ジルクニフ!?どうなさったの!?」

 

 皇后は心から心配しているような声を出すが、それはすべて演技であった。そう、この晩餐会はジルクニフを毒殺するために設けられたものなのだ。

 

「おい、ジル!大丈夫か!?しっかりしろ!」

 

 心底驚いた表情をして弟を心配しているような声を出している第一皇子も共犯である。今回用意した料理にはすべて毒が入れられているのだ。スープにワイン、メインディッシュからデザートに至るまですべてである。

 

 しかし、それを食べている皇后と第一皇子はまるで平気そうな顔をしている。なぜなら彼女たちのそれぞれの指にはめられた毒無効の指輪は本物であるからだ。

 一方、毒感知の指輪は偽物である。効果のない見た目だけ同じものにすり替えていた。そのため毒が入れられているというのに反応は見られない。

 そしてジルクニフの毒無効の指輪はというと……。

 

「う……ぐうう」

 

 呻くジルクニフ。

 皇后たちはジルクニフの毒無効の指輪のみ、同じように効果のないものにすり替えていたのだ。そしてジルクニフさえ死んでしまえばあとはいくらでも隙を見つけて指輪を元に戻しておけばよい。

 

「ふっ……ふふふふふ」

 

 あとはジルクニフの持病であったとでもでっち上げれば良い。完璧な策略だと皇后は思わず声を漏らす。

 皇后は本当にジルクニフが憎くて憎くてたまらなかったのだ。血筋が良い自分が生んだ子供が皇帝になるべきであるのに……息子を殺したジルクニフは許されざる大罪を犯した。

 息子たちがジルクニフよりやや劣っていたのは分かっている。そして彼らが良くない人間たちと繋がっていたことも。

 それは彼女が甘やかして育てたせいだが息子の仇を討てたことを彼女は単純に喜んでいた。笑うなというのが無理な話だ。しかし……。

 

「うまい!いやぁ美味しいですねこのスープ。思わず唸る美味しさですね!辛いだけかと思いましたがよく味わうと深いコクがありますね。野菜の旨味ともよく合って絶品ですね」

 

 死んだかと思っていたジルクニフがすくっと起き上がりスープの感想を語る。まさか生きているとは思わなかった皇后は呆然として固まってしまった。

 

「え……」

「どうされましたか?義母上?」

「そ、そんな……ジル、なんで……」

「うぐっ……」

 

 驚きよろける皇后の横で今度は皇帝が胸を押さえながら立ち上がった。その表情は先ほどのジルクニフとは比べ物にならないほど苦しげなもの。顔色は真っ白であり目を剝いている。

 

「ぐっ……ぐっ……ぐうううううう」

 

 皇帝は胸を押さえて数歩歩くとそのまま床に倒れ伏す。そしてそのまま動かなくなってしまった。

 

「ち、父上!?」

 

 あわててジルクニフは皇帝に駆け寄ると大声を出した。

 

「だ、誰か!神官を呼べ!父が……皇帝陛下が倒れたぞ!」

 

 ジルクニフの声に皇帝の給仕をしていた護衛が慌てて扉から飛び出していった。一方それを見ていた皇后は焦りを覚える。

 

(な……なんでジルクニフが生きているの!?なんであの人が倒れたの!?)

 

 ジルクニフが生きていた……だとすると優秀なジルクニフのことだ。皇后はジルクニフが毒や指輪のことに気が付いていた場合どう動くかを考える。

 おそらく指輪を調べようと言い出すだろう。それは非常にまずい。その焦りが皇后の判断を誤らせる。

 

「ど、毒よ!! ジルが陛下に毒を盛ったに違いないわ!」

「そ、そうだ!お前がまさか毒で父上を暗殺しようなどと!そんな恐れ多いことをして命があると思うなよ!」

 

 第一皇子も慌てて皇后に同調するようにジルクニフを犯人扱いする。しかし、ジルクニフは冷静であった。

 

「毒?父が倒れたのは毒なのですか?なぜ毒だと分かるのですか?」

「料理にあなたが毒を盛ったのでしょう!?」

「料理に?なぜ料理に毒が入っていると分かるのですか?」

 

 ジルクニフの指摘に皇后は顔を青くする。焦りのためか話せば話すほど言い訳が苦しくなってゆく。

 

「詳しく聞かせてもらいましょうか?今の話は私も私の側近も聞いています。ニンブル!人を呼べ!」

「はっ!」

 

 ニンブルが緊急用の警笛を鳴らして人を呼ぶ。これは不味い。来た人物が皇后の派閥の人物であれば何とでもなるがそれ以外の可能性もある。むしろジルクニフの表情からすると皇后の派閥ではないのだろう。

 

「さあ、話していただきましょうか?なぜ毒が入っていたと知っていたのですか?父が倒れましたが怪我なのか、病気なのか、毒か呪いか私にはさっぱり分からなかったのですが……?」

「も、もしかして……あなたが指輪を……」

 

 動転した皇后は第一皇子を見つめる。皇后は第一皇子に指輪をすり替えるように命じていた。ジルクニフには毒無効の効果がない指輪を渡す手筈だが、それを間違えて皇帝に渡したのではないかと疑ったのだ。

 

「ち、違う!母上!私は言われた通りジルの指輪をすり替えた!!」

「馬鹿!何を言ってるの!?」

「あ……」

 

 皇后の言葉に第一皇子は思わず口を滑らせる。自供したようなものだが皇后は諦めない。一転してそれさえもジルクニフへと擦り付けることにする。

 

「まぁいいわ!ジル!あなたが陛下の毒無効の指輪をすり替えたのね!?」

「さて、何のことですか?」

「いいえ、そうに違いないわ!皇后の権限によりあなたを皇帝殺害の罪で有罪とします!リチャード!来なさい!」

 

 皇后は念のために外に控えさせていた近衛である第一騎士団の団長の名を叫ぶ。この場にジルクニフの護衛はニンブルしかいない。精鋭である第一騎士団の近衛兵たちであれば勝てない道理はない。

 そしてジルクニフと一緒に目撃者の首さえはねてしまえば罪をジルクニフに被せることはわけもないだろう。そんな皇后の期待通り扉が開いて一人の騎士が入ってきた。

 

「あなたが呼んだのはコレのことかしら?」

 

 騎士装備に身を包んだレイナースが皇后へ向かって首を放り投げる。そこには恐怖に歪んだ表情のリチャードの顔があった。

 

「ひぃ!?」

「部下を盾にして逃げ出すわ、命乞いをして泣き出すわ……騎士としての誇りもないこんな人に一時でも心を許していたとは情けない限りですわ。殿下、この機会を与えてくださったこと感謝いたします」

 

 新たにジルクニフの側近となったレイナースがやれやれと首を振った後、ジルクニフに騎士の礼をする。

 

「ったくおっそろしい女だな……あれでもそこらの冒険者じゃ歯が立たないくらいの精鋭なんだぜ?」

 

 レイナースに続いて部屋に入ってきたのは血塗れのバジウッドだ。二人で第一騎士団の近衛を始末してきたのだろう。

 

「そうかしら?地元の銀級冒険者にも劣ると思いますけれど?」

「いや、あんな鬼気迫る恐ろしい顔で追い回されちゃ実力もなにも……」

「はぁ!?」

「いや、何でもねえ……殿下、これをどうぞ!」

 

 レイナースの形相に恐怖を感じたバジウッドは話を変えるようにジルクニフに剣を放り投げ、ジルクニフはそれを受け取る。

 

「さて、義母上に兄上。もう自供したようなものですが第8騎士団長として皇帝殺害容疑でお二人を取り調べさせてもらう」

「な、何を言っているの!?毒を入れたのはあなたなのでしょう!」

「そうだ!母上が毒を父に毒を盛るはずがないだろう!」

「ではそのあたりから調べましょうか。フールーダ!」

「はっ!」

 

 ジルクニフの合図で扉から帝国魔法省の人間たちとともに帝国の重鎮フールーダ・パラダインが入ってくる。ジルクニフが事前に手を回しておいたのだ。

 

「ではまずは料理に毒物が本当に入っているかどうか調べてくれ」

「かしこまりました」

 

 魔法省の職員たちが次々に料理に<毒物感知>の魔法をかけていくとそれぞれに陽性の反応が見られた。結果は当然黒である。

 

「ふむ、どうやら料理、飲み物すべての毒物が入っていたようですな」

「フールーダ……あなたは私の味方なのよね?ね?ジルクニフがやったのでしょう?そうおっしゃいなさいな」

 

 ジルクニフの分析を無視して往生際悪く皇后が縋るようにフールーダに声をかけるがフールーダは冷淡な目を向けるのみだ。

 

「私は中立の立場でいるつもりでおる。嘘偽りなど言わないことを魔法の神ナーベ様に誓おう」

 

 魔法の神ナーベと言う謎の言葉に皇后は戸惑う。しかしフールーダが味方をしてくれないという事実に顔を真っ青にして震えだした。

 

「毒が入っていたことは証明されたな。さて、義母上と兄上はなぜそれを知っていたのか。そしてなぜ毒が入っていたにも関わらず毒感知の指輪が反応しなかったのか」

「殿下、この指輪は何の魔法付与もされておりません」

 

 料理に続いて<道具鑑定>を指輪に唱えていた魔法省の職員たちが次々と証拠を突き付けていく。

 

「毒無効化の指輪は陛下のものだけで魔法効果のないもののようです」

「では何者かが毒を料理に混ぜ、父上の毒無効の指輪をすり替えて殺害したということなのでしょうね?母上?兄上、心当たりがあるのでは?」

「知らない!私はやっていないわ」

「おまえこそ怪しいぞジル!犯人はこいつだ!早く捕らえろ!」

 

 皇后と第一皇子が喚き散らすも、誰も相手にはしない。既に勝負は決しているのだ。負け馬に乗るような真似は誰もしたくないだろう。

 

「ではこういうのはどうでしょう。毒を入れたのが誰か、指輪を用意したのが誰か、魔法により強制的に取り調べるというのは?もちろん私も取り調べを受けよう。これこそ公正な真実が分かるというものだ」

「そ……そんなこと王族にするなんて認められるわけがないでしょう!」

「そ、そうだそうだ!きっとイカサマをするんだろう!」

「ふんっ、見苦しいな……。それ以外でこの場を収めることなどできんぞ? もう良い。フールーダ遠慮はいらん! やれ!」

「かしこまりました。<支配(ドミネート)>」

 

 フールーダの精神支配の魔法が皇后、第一皇子、ジルクニフの3人にかかりその瞳に靄がかかる。これで3人ともフールーダからの命令には逆らえない。

 

「料理に毒物を入れるように手配した者は手を挙げよ」

 

 フールーダの質問に皇后が手を挙げる。

 

「指輪を用意したものは手を挙げよ」

 

 次の質問に第一皇子が手を挙げる。

 

「支配を解除しました。さてはっきりしましたな……」

 

 その場にいるすべての者が冷ややかな目で皇后と第一皇子を見つめていた。この国の皇帝の殺害を自供したのだ。まさに国賊。国民のすべてが彼らを許さないだろう。

 

「違うわ!魔法で無理やり手をあげさせられたのよ!」

「ただ手を挙げろとは言っておりませんぞ?毒と指輪を用意した者でなければ手は上がりませぬ」

「ふざけるな!すべてジルの策謀だろうが!そもそもジルクニフが死ぬはずだったんだ!なんで父のところに効果のない指輪が行っているんだ!」

 

 もはや自供としか思えない発言をする第一皇子に皇后は顔をさらに青くする。これで皇后は第一皇子ともども死刑は免れないだろう。

 

「さて、真実は明るみになった!皇帝陛下殺害の罪によりその首もらい受ける!」

 

 ジルクニフはテーブルを蹴って躍り出ると皇后と第一皇子の首を容赦することなく斬り落とした。二人の首から溢れる血がジルクニフを真っ赤に染めていく。今後、『鮮血帝』と恐れられる新たなバハルス帝国皇帝が誕生した瞬間であった。

 

 

 

 

 

 こうして歴代最高と謳われることになる皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスが誕生した。 

 前皇帝の葬儀が国を挙げて行われた後、正式にジルクニフが皇帝として国民に迎えられる。民衆は諸手を挙げて歓迎したが、一部の貴族たちは顔を青くした。悪事を働いていた者たちはなおさらである。

 その予感通りジルクニフは敵対貴族たちの罪を洗い出し粛清する。

 

 そして血の粛清が終わりひと段落した頃……皇帝の私室で二人の人物が向かい合っていた。皇帝ジルクニフと帝国主席魔術師フールーダだ。

 

「ふぅ……思ったよりうまくいったな。助かったぞ、じい」

「あの時もう少し気づくのが遅ければ死んでいたのは殿下……いえ、陛下でしたな」

 

 話の内容は前皇帝が毒殺されたときのことだ。世間には皇后により皇帝が毒殺されたとされているが、事実とは異なっている。

 皇后と第一皇子が晩餐会へと誘い込み、毒物を混ぜた料理を食べさせて殺害しようとした相手はジルクニフだった。しかし実行の直前フールーダに気づかれることになる。つまりフールーダが第一皇子派閥であったのならば、殺されていたのはジルクニフだったことだろう。

 

 しかしフールーダはジルクニフについた。そして皇族用に用意された指輪に魔法が付与されていないものが混ざっていることを発見し、それをジルクニフは逆に利用することしたのだ。

 

 もし事実をありのままに告発したとしてもただの管理ミスという形で皇后たちには何の痛痒も与えられなかっただろう。そのため第一皇子がすり替えた指輪をジルクニフがさらにすり替えたのだ。

 

「ですがまさか皇帝陛下を殺すとは……皇后を直接殺すものかと思っておりました」

「何を言っている。父上を殺したのは義母上でないか」

「ははっ、そうでしたな」

「まぁ国力向上のための施策を何も持たない父には早めに退場してもらわなければこの国が終わるとは思っていたがな。まだ今であれば間に合う」

「やはり実力主義の強者を手に入れられたのがよろしかったですな」

「ああ、特にレイナースを敵対勢力からこちらに引き込めたのは大きかった。あれがあちら側にいたとしたらと思うと頭が痛くなる」

 

 レイナースは個人的な恨みもあってか一人で第一騎士団の近衛騎士の大半を打倒していた。ジルクニフの側近の中でも群を抜いた実力者だ。彼女が敵対していた場合、計画は大幅な修正を強いられただろう。

 

「彼女は今後どうするので?粛清した彼女の両親の領地を与えるのですかな?領民たちは彼女を慕っていると陛下も言っておったと聞きましたし……」

「いや、私は領民たちの意見なぞ知らんぞ?」

「はぁ?」

 

 フールーダはジルクニフの言葉にあっけにとられる。レイナースを説得する際に決め手となったのは、領民たちが彼女を慕っているといったジルクニフの言葉だ。まさかそれが何の根拠もないものだとは思わなかった。

 

「そう言った方がレイナースを御しやすいと思ったからな。親しく思っていたあらゆる人間に裏切られた彼女には特に効いたことだろう。実際には領民の中にも呪いを怖がっていたやつがいたかもしれないし、そうではないかもしれない」

「それが陛下の嘘だとバレたら不味いのでは?」

「ははははは、そのあたりの手抜かりはないさ。ロックブルズ領……いや、元ロックブルズ領の者たちにはレイナースが己の身も顧みず呪われた獣に一騎打ちを挑んで打倒したと伝えてある。あの地ではレイナースは英雄扱いだ。私の言ったことは結果的には本当になったというわけさ」

「ふふっ、ふはははは。さすがでございますな、陛下。ではその陛下の優秀な頭脳で私との約束も本当にしていただけるのですな?」

 

 フールーダにギラリと鋭い目つきで見つめられジルクニフの背中に嫌な汗が流れる。

 

「ナーベ殿のことなら約束通り会わせてやったではないか」

「ですが……まだ魔法談議が出来ておりません!」

「それは爺が足を舐めようとするからだろう。なぜあのようなことをした……」

「私の忠誠を示すためでしたが……いけませんでしたか?」

「あの拒絶を見て駄目だと思わないじいを私は尊敬するよ……。まぁ彼らの動向は今後も注視していくつもりだ。だから爺もあまり無理強いするようなことはしてくれるなよ?あの様子ではこの国から出ていかれかねんぞ」

「むぅ……分かりました……仕方ありませんな」

「私としても彼らとは友好的な関係を築きたいと思っているから、くれぐれも失礼な行動は慎んでくれ。この国にいる限りまたいつか機会を作ってやる」

「かしこまりました。期待しておりますぞ、陛下」

 

 これで帝国はジルクニフの統治の下、改革を進め国力を向上させていくことが出来ることだろう。いずれリ・エスティーゼ王国をも取り込み豊かな国を築いていきたいとジルクニフは考えている。

 そのためにもフールーダの協力は今後も必要不可欠である。

 

 しかし本人は分かったと言っているものの、闘技場で変態行為に出た彼に一抹の不安を覚えるジルクニフであった。

 

 



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第40話 国堕とし

 そこには人口数百人程度と思われる村があった。

 いや、そこをもはや村とは呼べないだろう。家屋は辛うじて残っているもののそこには住民が一人もいないのだから……。

 

「……」

 

 ただしその廃村に人っ子一人いないというわけではない。朽ちて開いたままとなっている扉の内側に人影が見えていた。

 

 そこにいる人物は輝くような金色の髪に人非ざるほどの白い肌をしている。

 服は古びた衣装を幾重にも重ねていた。元は質のよい衣服だっただろうことは分かるが所々が風化して破れている。

 

 特徴的なのはその背丈と目の色である。背丈は10歳程度の子供ほどであり、目は血のように赤く輝いている。さらには口から人ではあり得ない長さの牙が飛び出していた。

 

 それは『吸血鬼』と呼ばれる種族。人に比べあらゆる身体能力が高く、飲食不要で疲労も感じないアンデッドである。

 その能力の代償として生きるのに生き血を必要とし、低位の者は日光によりその体が滅びる。

 その吸血鬼の中でも特別な存在、『国堕とし』と呼ばれる恐れられるキーノ・ファスリス・インベルンの優れた聴覚が廃村の外からの声を拾っていた。

 

「モモン様。標的を発見しましたわ」

「ご苦労、ラナー。ふむ……思ってたより小さいな。しかしなんでこんな廃村に一人でいるんだ?……む?何かを手に持っているな」

「人形……でしょうか」

 

 確かに今キーノの手にはぼろぼろになった布製の人形があった。もともとはこの廃村にあったものだ。

 

「子供だから人形を持っていてもおかしくはないが……」

「私の推測ですが話してもよろしいですか?」

「うむ、聞こう」

「彼女が『国堕とし』であるなら200歳は超えていると思います、強大な力を持った吸血鬼だと伝承に謡われておりますから……。ですが愚かな人間たちは分不相応にもアンデッドを忌み嫌っていますわ。彼女を受け入れるような人間もいなかったことでしょう。それでも人恋しさに彼女はこのような廃村に人のぬくもりを求め、いつか誰かが遊んでいた人形を握りしめて寂しさを慰めている……というのはいかがでしょうか?」

 

「……つまりぼっちということか」

「はい、一人ぼっちの寂しんぼですわね」

 

 そんなつぶやきが聞こえているキーノは思わず人形を棚に戻す。

 

「むっ、人形を置いたぞ」

「恥ずかしくなったのではないでしょうか? こちらの声が聞こえているかもしれませんね。吸血鬼は聴力も良いと聞きますから」

 

 自分のことを分析する二人の囁き声にキーノの顔が赤くなる。

 

「顔が真っ赤になったぞ。アンデッドでも紅潮するのだな」

「モモン様と一緒におりますと新発見の連続ですわね」

「む?ぷるぷる震え出したぞ」

「相手は『国堕とし』です。何か特別な特殊技能でも発動する気かもしれませんわね」

「ところでなぜ国堕としなどと呼ばれているんだ?それが名前なのか?」

「これも伝承でしかありませんが、彼女は一国を単身で滅ぼしたと言われています。滅ぼされた都市はアンデッドの闊歩する魔界と化したとも……」

「ほぅ……まぁぼっちは拗らせると大変だというからな。癇癪でも起こしたのだろう」

「そうなのですか?ぼっちの生態なのでしょうか?」

「そういうものなのかもしれないな……。まぁ私も人のことは言えなかったが……」

「まさか。モモン様には素晴らしい仲間の皆様と部下たちがいらっしゃったのでしょう」

「まぁ確かに……。ずっと彼女のようにぼっちであったわけではないな」

「哀れですわね。ぼっちって」

 

 木陰で囁き合っている人影、モモンガとラナーはキーノを憐れみを持った目で見つめる。さらに一緒にいるナーベとクライムも同様に可哀そうな子を見るような目でキーノ(ぼっち)を見つめていた。

 

 それらの視線がついにキーノの羞恥心を怒りへと変えた。

 

「やかましい!!! 私はぼぼぼぼぼぼぼぼっちではないし! いや、たとえぼっちだったとしても寂しくないし!」

 

「お、喋ったぞ」

「トロールよりは賢いようですわね」

「寂しくはないといっているが?」

「嘘ですね、声の感じで分かりますわ。ここは寂しさを慰める人形でもプレゼントしてはいかがでしょう?」

「何かあったかな……?嫉妬マスクとかでもいいだろうか……どこにしまったか……」

「うるさいうるさいうるさい!寂しくないと言っているだろう!それに私は国なんて滅ぼしてないからな!」

 

 キーノは思わず廃屋から飛び出すとモモンガたちを睨みつける。一方モモンガたちは誰が話をしたものかと顔を見合わせた。

 

「ここはナーベ様にお任せしたらいかがでしょうか」

「ラナー……なんだか最近楽しそうだな。顔色もよくなったし」

 

 食べ物が良かったのか環境が良かったのか、ラナーは会った時ほど痩せこけてもおらず明るくなってきていた。率先してモモンガにも進言をしつつ、ナーベを立てることも忘れていない周到さも健在だ。

 

「しかし本当にナーベで大丈夫か?」

 

 ナーベに任せて相手が無事であった試しがない。少しは成長しているように思えなくもないが不安だ。

 

「お任せください!私が見事先触れの役目を果たしてごらんに入れます!」

「おい……先触れも何ももう見えているぞ……」

 

 キーノの呆れ声を無視してナーベが木陰から歩み出る。

 

「私こそはこの世界で至高であらせられる方……ではなく、アダマンタイト級冒険者モモンさー……んに仕えるしもべー……ではない仲間のナーベです! 死にたくなければその首を垂れ沙汰を待ちなさい!」

「よし、ナーベ。以前よりは良くなってるぞ……良くなっているが……あとは私に任せるんだ!」

 

 一応討伐依頼を受けて来たので間違った発言ではないがモモンガとしては話が通じるのであれば交渉したい。ナーベラルが満足げにしているのを確認すると即座に下がらせた。

 

「そういうことで私が冒険者のモモンだ。よろしく頼む」

「お前らは……ふざけているのか!?冒険者ではなく芸人の間違いだろう!」

「いや、間違いなく冒険者だぞ。ほら」

 

 モモンガは胸にかけられている冒険者プレートを見せる。それはまごうことなき本物の冒険者の証であるプレート。しかもアダマンタイトのものだ。

 

「本当に冒険者だと……?私を討伐にでも来たのか!?」

「それは話を聞いてからだな。ちなみにここで何をしているのだ?良ければ教えてくれないか?」

 

 モモンガの質問にキーノの表情が一瞬暗くなる。聞かれたくない質問だったのかもしれない。

 

「……何もしていない」

「きっとぼっちだからですよ」

「ぼっちなど殲滅してしまいましょう!モモン様!」

 

 キーノの答えに遠くからラナーとナーベラルが煽ってくる。なぜあの二人はあんなに仲が良さげなのだろうか。

 

「くっ……別にいいだろう!私は国を滅ぼしてもいないし悪いこともしていない!討伐されるような覚えはないぞ!」

「ではなぜ国堕としなんて呼ばれているんだ?」

「それは……私はもともと人間で……その国で唯一の生き残りだからだ。信じないならそれでもいいがそれを私のせいにされたのだ」

「それで『国堕とし』か。本当は名前はなんというのだ?」

「キーノ……キーノ・ファスリス・インベルンだ」

「そうか。ではキーノ、君は吸血鬼ということだが他に吸血鬼の仲間はいるのか?シャルティアという吸血鬼に聞き覚えはないか?」

 

 シャルティアというのはナザリック地下大墳墓の第1から第3階層を守護していた守護者だ。真祖の吸血鬼であり、親友のギルドメンバー『ペロロンチーノ』の作ったNPCでもある。キーノは見た目年齢はシャルティアに近い。

 

「……シャルティア?聞いたことがないが……どんなやつだ?」

「背丈はお前よりちょっと高い女の子の吸血鬼の真祖だ。銀色の髪をしていて胸はお前と同じように薄いんだが……」

 

 モモンガのデリカシーのない言葉にキーノが自分の胸を見て頬を膨らませる。

 

「あー……だがシャルティアはいろいろ詰め物をしてるから見た目は巨乳に見えるな……」

「それは何というか……残念な奴だな……」

「まぁそういう設定だし……ごほんっ、それでゴスロリ衣装を着ていてな」

「ゴスロリ?」

 

 ゴスロリの説明をしようとしてモモンガはハタと困る。ヒラヒラがたくさんついた服と言えば分かるだろうか。いや、きっとそれではうまくイメージできないだろう。

 

「ああ、そういえば持っていたか……」

 

 見せたほうが早いと判断しモモンガはインベントリに手を突っ込んで奥を探る。

 

「これだ。こういう衣装を着ている」

 

 取り出したのは昔モモンガがペロロンチーノからもらった衣装である。

 『パンドラズアクターの衣装を着てみたい』とペロロンチーノが言いだした際、折角だからお互いに種族や性別制限のないNPCの衣装を作って交換し合ったのだ。

 シャルティアの衣装を着て爆笑されたモモンガに比べて、軍服を着たバードマンのペロロンチーノは信じられないほど似合っていて悔しがったものだ。

 

「ほぉ……」

 

 そんなモモンガが一度着たお古のゴスロリ服とも知らずキーノの目は衣装にくぎ付けとなって、ため息を吐いていた。完全に目を奪われている。

 

「こんな衣装を着た吸血鬼の女の子なんだが……」

 

 ゴスロリ服から目を離さないキーノにモモンガが服を右に動かしてみる。するとつられるようにキーノの視線が動く。服を右にやれば右に、左にやれば左に。

 

「……欲しいのか?」

「はっ!?べ、別に……欲しいなんて思っていないんだからな!」

 

 キーノは否定するが目はゴスロリ服から逸らさない。モモンガはチラリとゴスロリ服を見る。これを着たのは自分の黒歴史であり今後絶対に二度と着ることなどないだろう。本当に不要なアイテムである。

 

「欲しいのなら別にやっても構わないぞ?」

「……」

 

 モモンガが服を差し出すと奪うようにキーノが受け取った。

 

「も、もう返さないからな!」

「野生の猿みたいですわね……」

虫けら(ベニコメツキ)のような動きね」

 

 遠くからラナーとナーベラルがまた余計なことを言っている。だが、これで少しはキーノの口が緩むかもしれないと期待する。

 

「受けとったな?受け取ったのなら質問に答えてくれるかな?」

「吸血鬼の知り合いはほとんどいない。アンデッドなら多少は知っているがシャルティアという名前もこの服も見た覚えはないな」

 

 キーノは大事そうに服を抱えながら答える。気に入ったというのもあるがアンデッドにとって人の街で買い物することも服を手に入れることも困難であるため、新しい服はとても貴重で大切なのものなのだ。

 

「そうなのか。では悪魔や虫人、バードマンやスライムに知り合いはいるか?ナザリックやアインズ・ウール・ゴウンの名に聞き覚えは?」

「ないな……というか悪魔やスライムなどと話が通じるのか?」

「私の友人には悪魔もスライムもいた……大切な仲間たちだ」

「そうか……お前は異形を仲間にできるのだな……」

 

 キーノは羨ましそうにモモンガの話を聞く。アンデッドだという理由でどこに行っても居場所はなく、迫害され、それが嫌ならやり返すだけの毎日。

 そうかと言って寿命で死ぬこともなく、それらが永遠に続くという現実。時に協力することはあっても仲間というものはこれまで作ることが出来なかった。

 

 

「ではそういった異形が差別されずに住めるような土地に心当たりは……あるはずがないか……だったらこんなところで一人寂しく人形を抱いたりしていないものな」

「別に寂しくないといっているだろうに!まぁ人間であったなら良かったと思ったことがないとは言わない……人間でさえあれば……」

 

 人間であればこんな子供のままの姿ではなかっただろう。誰かと恋をして子供を産み、幸せな家庭を築けたかもしれない。あり得たはずの未来。それはもう手が届かないと諦めているものだ。

 

「では……一緒に来るか?」

「え……」

「吸血鬼であってよかったな。お前であれば私の仲間になる条件は満たしている。どうする?」

 

 キーノは迷う。今日初めて会った相手だ。しかしこんなに怒ったり恥ずかしがったりしたのは久しぶりだった。ラナーという少女も悪意があって馬鹿にしてきたのではないのだと思う。であればこの奇妙な集団と永遠に続く時の中のひと時を過ごしてもいいかもしれない。

 そう思い手を取ろうとしたのだが……。

 

「ちょっとそれは待ってほしいね」

 

 そこに現れたのはトブの大森林で出会った女だけの冒険者チーム『蒼の薔薇』であった。

 

 



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第41話 スカウト

 バハルス帝国の辺境の廃村。そこで3者が対峙していた。

 

 一つはリ・エスティーゼ王国を中心に活動する冒険者チーム『蒼の薔薇』。

 

 一つはバハルス帝国に拠点を置いた新進気鋭の冒険者チーム『漆黒』。

 

 そしてもう一つは伝説の吸血鬼『国堕とし』である。

 

 『漆黒』と『国堕とし』の交渉に割り込んできたのは『蒼の薔薇』の現リーダーであるリグリットである。

 

「まず聞きたいんだけどね、あんたたちは国堕としを討伐しに来たってわけじゃないんだね?もしそうだったら邪魔をしたあたしらが悪者になっちまう」

「まぁ……そうだな。我々は彼女と話をしに来ただけだ。だがお前たちが彼女を討伐するというのであれば……」

 

 リグリットからキーノを守るようにモモンガはその前に立ちはだかる。

 

「彼女の味方をさせてもらおう」

「ぇ……」

 

 モモンガの意外な言葉にキーノは思わずその顔を上げる。これまで成り行きで共同戦線を張ったことはあったが心から味方となってくれる者などいなかった。

 初めての味方になってくれるかもしれない相手なのかと少し胸が熱くなる。

 

「まったく……リザードマンに味方するわ、吸血鬼に味方するわ……あんたたちはどういう冒険者なんだい」

 

 呆れたように首を振るリグリット。しかし呆れたいのはモモンガの方である。

 

「冒険者が亜人やアンデッドの味方をすることはそんなにおかしいのか?私にとって冒険者とは世界各地を冒険し、未知を既知とする者たちのことだ。そんな私が異形種への偏見を憂えて何がおかしい?私からも質問させてもらおう。そちらは何が目的でここへ来たのだ」

「そうだね……はっきり言おう。あたしはもうすぐ冒険者引退を考えている」

「「「「ええ!?」」」」

 

 蒼の薔薇の面々が顔を見合わせる。リグリットが引退するつもりであることは聞いていたがそんなに急だとは思っていなかった。

 

「私の穴が埋められるくらい頼りになるやつを仲間にしたいと思ってたんだけどね。『漆黒』には逃げられるし、ガゼフやブレインにも断られるし……」

 

 どうやらあの御前試合の出場者をスカウトをしようとしていたらしい。モモンガ達は試合後逃げるように王都を離れたのでスカウトできるはずもなかっただろうが……。

 

「そこに国堕としの情報だろう?これは勧誘するしかないとおもったね。どうだい国堕とし?あたしたちの冒険者パーティに入らないかい?」

「それは……」

 

 キーノはちらりとモモンガを見つめる。期待するような眼差しだ。

 一方、モモンガとしてはその答えは予想外であった。先ほどまで一人で寂しく廃墟で時間をつぶしている寂しがりだと思っていたのだが……。

 

「なんだ……。ぼっちの割にスカウトされるとは人気者じゃないか」

「おい!いい加減ぼっちと言うのをやめろ!」

「なんだい随分仲がいいことだね」

「「良くない」」

 

 モモンガとキーノが声を揃えて否定する様子を見てリグリットは天を仰ぐ。

 気が合っているとしか思えない。どうやら自分たちは一歩遅かったらしい。しかしそれでも簡単に諦める気にはなれない。かの国堕としと言えば魔神を弑したほどの実力者だ。今後蒼の薔薇の支柱となりえるのは間違いない。

 

「あたしたちには国堕とし、あんたが必要なんだよ」

「そ、そうは言われても……」

 

 キーノにとってどちらの勧誘もありがたかった。しかしそれを素直に受けるわけにはいかない理由がある。

 

 キーノは生きとし生けるものの敵、アンデッドだ。

 時に冒険者を差し向けられて命を狙われるなど危険は免れない。また、神官などのアンデッドを感知できる人間に出会えば迫害を受けることは確実である。

 

「申し出はありがたいが私は誰かと一緒にいるわけにはいかない理由が2つほどある。一つは私がアンデッドであるからだ。私と一緒に人の街に入ろうものならすぐさま討伐隊が送られてくるだろう。この紅い目と牙を見れば一目で分かる。神官もすぐに見抜くだろう。私などと一緒にいない方がお前たちのためだ……」

 

 寂し気にキーノは背を向ける。

 あらためて言葉にしてみるとこんな境遇の自分を仲間にしたいと思う者はいないだろう。彼らもきっとそこまで考えて誘ってくれたわけではないだろう。そう思っていたのだが……。

 

「安心しな。こっちのメンバーも碌なもんじゃないからさ」

「ちょっと!リグリット様。それは酷いわ」

「そうだぜババア。俺たちのどこが碌でもないんだよ」

「名誉棄損」

「謝罪と賠償を要求する」

 

 蒼の薔薇の面々が抗議の声を上げる中、リグリットはその苦情を気にする素振りさえ見せずに笑い飛ばす。

 

「ははははは、ほらね?うるさい連中だろ?あんたも安心するように先にこっちのメンバーの紹介でもしておこうか。こいつがリーダー候補のラキュースだ。貴族の令嬢だというのに英雄に憧れて家を飛び出して冒険者になった碌でなしさ。それにこの子はちょっと特殊な趣味を……」

「やめてください!リグリット様!」

「そうかい?趣味は人それぞれだと思うけどね。それからこっちのデカいのがガガーラン。性欲旺盛で童貞と見たら宿に連れ込んで食っちまう若い男の敵みたいなやつだ」

「ふざけんな!むしろ俺に童貞を奪ってもらって感謝してるはずだ!」

「そう思ってるのはあんただけだと思うけどね……。それで残りの二人はこの間あたしらを殺そうと襲ってきた元暗殺者さ。しかも一人はショタ好き、もう一人は女が好きってもうまごうことなき変態だよね」

「性癖バラすなババア」

「殺すぞババア」

「とまあ何ていうか常識がない連中ばかりでね。こいつらに比べりゃあんたが吸血鬼だってことなんて些細なことだろ」

「そういう……ものか……?」

 

 キーノは何かとんでもなく面倒なことを頼まれているような気がしてきた。しかし誰かに頼りにされるというのは意外と悪い気分ではない。

 

「あとあんたの心配についても想定済みさ。ガガーラン、あれを出しな」

「ん?あれはラキュースに預けてあるよな」

「ぇ……、この仮面とフードのこと?これを彼女に?あの……これは……」

 

 なぜかラキュースが持っていた荷物から戸惑いながら赤い宝玉のついた真っ白な仮面と真っ赤なフードを取り出す。

 

「ラキュース、なんか目が泳いでるけどどうかしたのかい?」

「い、いえ!何でもないわ!どうぞ、リグリット様!」

「そうかい?この仮面は生体反応の探知を阻害する効果があってね。あんたがアンデッドだからって誰にも気づかれることはなくなるよ。それに顔を隠してしまえば目の色も牙も関係ないだろう?」

 

 リグリットの言葉にキーノは納得する。確かに言うだけはあって考えた上で勧誘をしてきているようだ。一方モモンガはと言うと……。

 

「なかなか面白い魔法道具(マジック・アイテム)を持っているな。鑑定させてもらっても?駄目?ちっ……。このまま彼女にはそちらに行ってもらって別に構わないのだが……もしそいつらの寿命が尽きてまだその気があるのならいつでも受け入れようではないか。いや、やはり我々のチームが劣っているようで不快だな……。よし!いいだろう、私のチームメンバーを紹介しよう!」

 

 モモンガの言葉にナーベラル、ラナー、クライムの3人が躍り出る。

 

「私の名はナーベ。偉大なる至高の存在たるモモンさー……んの下僕です。ちなみに私は虫けらたる人間が大嫌いです」

「私は偉大なるモモン様の奴隷ラナーです。ちなみに私も愚かな人間たちが大嫌いですわ」

「ペットのクライムです……意地悪な人間は大嫌いですわん!」

「……とこのように非常に冗談!冗談が好きな愉快な仲間たちなんだ、はははは……は」

 

 ナザリックの下僕としての自己紹介であったら高得点だったかもしれないが、この場では赤点をつけるしかない自己紹介である。

 自慢げに紹介してしまった自分が恥ずかしいが……モモンガは何とかフォローしようとあがくしかない。

 

「我々のパーティーはこのようにとてもアットホームで楽しい職場環境なのだ。福利厚生も充実して……充実して……ないか?そういえば……休みとか取ってないな……」

 

 モモンガは内心で冷や汗をかく。

 睡眠も疲労の無効の肉体に合わせてこれまで休みらしい休みもなしに連日フル稼働で働き続けていた。ナーベラルたちもそれに合わせて働き続けていたはずだ。これはいけない。

 

「そうだな。今後はきちんと休暇も取れるようにして福利厚生を充実させていくと約束しよう!」

「福利厚生……とはなんでしょうか?モモンさー……ん」

 

 意外にもナーベラルから質問が飛んで来た。

 

「何というか……部下たちの慰労のための活動をいろいろとするというか……」

「ですとあの者にもあの時のようにモモン様のご寵愛を授けるというのですか!あの時のように!」

「……あの時?」

 

 モモンガがナーベに何か福利厚生としてご褒美的なものをあげた記憶はない。思い出そうと首を捻るがまったく思い出せない。

 

「いったい何のことだ?」

「私の働きを労いそして森の中で胸を揉んでくださったではないですか!」

「……胸を!?」

 

 ナーベラルの告発にキーノは自分の薄い胸を思わず腕で隠す。蒼の薔薇の面々も思い思いに胸を隠していた。

 

「ち、違う!っていうかなんであんたまで胸を隠しているんだ婆さん!」

「ま、まぁあたしたちの仲間になるっていうんなら少しくらいなら考えなくはないよ?」

 

 頬を染めてそんなことを言うリグリットにモモンガは怖気を感じる。なぜ進んで熟女を遥かに超えたような老婆の胸を揉まなければならないのか。

 

「だから違うと言っているだろう!私は誰彼構わず胸を揉むようなことはしない!」

「なるほど、私だからこそ胸を揉んでいただけたということなのですね!?」

「ナーベラル!いや、まぁあれには必要な理由があったんだが……。ここで詳しく言えないがやむにやまれぬ事情が……まぁ……そんなわけで!私たちはまぁ人間嫌いという点を除けばそう悪い待遇ではないと約束しよう!」

 

 誤魔化すようにそう言われても胸を揉んだという前科が消えるわけではない。

 キーノはモモンガを半目で睨んでいる。これは不味い。

 モモンガはより親近感を持たれるための伝家の宝刀を抜くことにした。

 

「よし!ではこちらのパーティに入るのであれば特典をつけよう。こちらにも生命感知を防ぐ指輪がある。それからさらに顔を隠すためにこれを進呈しよう!」

 

 モモンガが取り出したのは『嫉妬する者たちのマスク』通称『嫉妬マスク』である。

 泣き笑いのようなその表情はまさにリア充たちに対する嫉妬と怨念に満ちた顔をよく表していた。

 

「このマスクこそ世のぼっちのためと言えるようなマスクだ。クリスマスという恋人たちが語らうイベントの期間に一定時間以上一人でいた者に渡されるマスクでな、このマスクを持っているというだけで共感を覚えて仲間になり、共に手を取り合って幸せに浸っている恋人たちを襲撃しては英気を養ったものだ。どうだ?ぼっちの君に相応しいと……」

「よし、『蒼の薔薇』のリグリットとか言ったな。お前たちの仲間になるという話を聞こうじゃないか」

 

 モモンガの話を遮りキーノは決断した。あの黒い鎧のパーティはもう駄目だ。

 

「だがお前たちの強さを確かめてからだからな。それがもう一つの条件だ。あまり実力差があるようなら抜けさせてもらう」

「へっ、上等だぜ。なぁラキュース」

「ええ!異論はないわ。よろしくね『国堕とし』さん」

「負けない」

「ぼこぼこにする」

「じゃ、行くとするかね。それじゃあね『漆黒』。あ、そうそう一つ言い忘れていたよ。トブの大森林の奥地は危険だから行くんじゃないよ。あたしらには見つけられなかったけどとんでもない化け物が封印されてるらしいからね」

 

 別れを告げて蒼の薔薇はキーノとともに廃村を離れていく。

 

 

───そして残されたモモンガたちはというと……

 

 

「これは……このマスクはいいものなんだ。クリスマスでもギルドに残っていた仲間たちとともにゲーム内のリア充どもを血祭りにあげるのが楽しくてな……本当に楽しかったんだ……」

「モモン様!至高の御方々を差し置いて幸せになるようなものたちなど皆殺しにして当然です!ぜひその嫉妬マスクをつけて血祭りにしてやりましょう」

「ナーベ様のおっしゃる通りですわ!人間たちを不幸のどん底に突き落としてやりましょう!」

「モモン様とお仲間様が言うなら間違いないです!あ、わん!」

 

 廃村に取り残されて言い訳がましくなおも嫉妬マスクの素晴らしさを語るモモンガだが、ナーベラルたちの慰めともいえない慰めにさらに心を削られるのであった。

 

 



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第42話 イビルアイ

 私の名前はキーノ・ファスリス・インベルン。

 人々からは『国堕とし』などと呼ばれ、伝承にも謡われている吸血鬼だ。

 ひょんな事情から冒険者へと誘われた私は勧誘してきた『蒼の薔薇』の実力を確かめるべく戦いを挑み、見事にボコボコにされて仲間に加わることとなった。

 

「くそ!お前さえ加勢しなければ……」

「私たち全員を相手にしてやるっていったのはあんたじゃないかい」

「それはそうなんだがな……」

 

 それでも悔しいものは悔しい。

 結局仲間になることになって今は渡された仮面とローブを身につけている。

 この仮面は私のアンデッドとしての特性を隠してくれるものらしく、試しに信仰系魔法詠唱者であるラキュースにアンデッド感知の魔法をかけてもらったが反応はなかった。

 

「人の街か……」

 

 久しぶりに入る人間の街、王都リ・エスティーゼに思わず感嘆の声をあげてしまう。

 これまで人の街に入ってもアンデッドと分かるや追い出されるしかない身であった。しかしこれからは自由に行き来できる。こんなに嬉しいことはない。思わずピョンピョンと跳ね回りたい気分になるが年配者として我慢する。

 これでも私は大人なのだ。

 

「どうしたんだ『国堕とし』? キョロキョロしてよお」

「いや、なぜか注目を集めているような気がしてな……」

 

 私の挙動不審な様子にガガーランが声をかけてくる。しかしそれも仕方ないだろう。明らかに街の人々が私を注視しているのだ。

 まさかこの仮面には効果がなかったのだろうか、ラキュースの魔法は防げたはずなのだが……。

 なぜか悪意のある視線ではないがそこら中から視線を浴びせられている。そう思っていると一人の少女がとことこと目の前に来て私を見つめていた。

 

「あ、あの……!イビルアイ様ですよね!?」

「……は?」

「先日はありがとうございました!!あの時は何もお礼をできませんでしたが……これお礼です!!」

 

 少女からお金の詰まった皮袋を渡される。まったく意味が分からない。イビルアイとは何だろうか?なぜお礼を言われるのだろうか?

 

「お、おい。どういうことだ?」

 

 戸惑っている内に少女はいつの間にかいなくなっており、代わりに大勢の人が集まって来た。

 

「え?あれがイビルアイ様なの!?」

「本当だ!イビルアイ様だ!」

「イビルアイ様!闇の狩人なのに昼間に出てきていいんですか?」

 

 なぜ『イビルアイ』と呼ばれるのだろうか。『闇の狩人』とはどういうことだろうか。なんだ、その子供の考えたような二つ名は!まったくもって訳が分からない。

 

「おい、ガガーラン助けてくれ。なぁ、ラキュ……ラキュース!?」

 

 私が助けを求めるように新しくできた仲間たちを見つめる中、ラキュースが青ざめた顔で思いっきり目を逸らしていた。

 

「ええええとそそそそそういえばイビルアイという言葉を聞いたことがあるようなないような……」

「私は聞いたことがある。闇の狩人、夜にだけ現れて悪い奴をぼっこぼこにする」

「闇の波動をまき散らし、高笑いをしながら去っていくと聞いた」

 

 ラキュースだけでなくティアとティアからの証言も取れた。なぜかラキュースが思いっきりどもっているがどうやら実在する人物らしい。しかし話からすると奇人変人の類だろうか。

 

「俺も聞いたことがあるな。赤い宝石を嵌めた白い仮面と赤いローブが特徴みたいでな……ちょうど今『国堕とし』がしている奴みたいだな」

「そ、そうかしら?そそそれほどイビルアイとは似てないんじゃない?似てないわよね?」

「ん?ラキュースお前イビルアイに会ったことがあるのか?」

 

 ラキュースはそのイビルアイとやらに会ったことがあるようだ。詳しく事情を聞かなければならないだろう。この金はそいつのものだ。探して渡さなければならないだろう。それに勘違いされたままでは困る。

 

「そのイビルアイというやつの仮面とこの仮面は似ているのか?……っていうかラキュース。何か知っているならこいつらに私とそいつは別人だと説明してやってくれ」

 

 さっきからお礼を渡されたり握手を求められたりで忙しい。いや、こうして人と接するのは久しぶりだし、悪い気分ではないのだが他人の手柄を奪っているようでちょっと気が引ける。

 

「えーっと……そ、そう!彼女はもうこの街を離れたのよ!」

「はぁ!?マジかよラキュース」

「なぜおまえが知っているんだ?」

 

 私の当然の質問にラキュースはまた目を逸らす。なぜだ。言いづらい事情でもあるのだろうか。

 

「えー……彼女は闇から現れた存在というか……私の……いえ、人の闇の心から現れたというか……」

「もしかして召喚された存在ということか?」

 

 それならば今はいないというのも分かる。召喚魔法には制限時間があり、それが過ぎると召喚された存在はこの世界から消え失せる。イビルアイとはそういった存在なのだろうか。

 

「イビルアイが消えるのを見たということか?だが召喚主がまた召喚する可能性はないのか?召喚主はどこにいる?」

「も、もう絶対やらないから!……じゃないもうこの街にはいないから大丈夫だから!絶対もう出てこないから!」

「そ、そうか……お前がそういうなら……そうなのか?」

 

 余り深く追及しない方がいいような予感がするのだが……。私が首を捻っているとニヤニヤと笑っているリグリットがラキュースの肩を叩いた。

 

「ああ、ラキュースが言うのなら間違いないさね。『ラキュースが言うのなら』……ね。誰でも若気のいたりってやつはあるものだし……ぷはははは……それにしても闇の狩人って……ぷくく」

「~~~~~~!」

 

 顔を真っ赤にしたラキュースがリグリットの背中をポカポカと叩いている。どういうことだ?

 だがリグリットほどの人間がそう言うのであればラキュースの言うことは正しいのだろう。

 

「……ってことでこれからよろしく頼むよ、イビルアイ」

「は?」

 

 私の肩を叩きながら先ほど勘違いされた名前で呼ぶリグリット。何を言っているのだろうか。

 

「もうそいつが戻ってこないならせっかく得た名声だ、あんたが貰っちまいな。お前がこの街で受け入れられるには時間がかかると思ってたけどちょうどいいじゃないか」

「ふざけるな!誰がイビルアイだ!おかしな名で呼ぶな!」

「じゃあ国堕としと呼ぶ」

「やーい、国堕としー」

 

 双子の忍者がからかってくる。その名で呼ばれ続けるのは絶対に嫌だが……。そもそも国を堕としたことなんてないのに風評被害も甚だしい。

 

「だから私は国など堕としていないと言っているだろうが!」

 

「イビルアイ様がそんなことするはずないわ!」

「そうだそうだ!イビルアイ様は闇から現れた漆黒の天使のようなお方なんだぞ!」

「イビルアイ様が悪いことなんてするはずないよ!」

 

 周りの民衆たちが私の味方をしてくれるがイビルアイというその名称は何とかならないだろうか。どこの思春期の子供がつけたんだその名前は。

 

「イビルアイ様ぁ……」

 

 小さな少女が私の手を握りながら見上げてくる。その手はとても小さく……そしてとても温かかった。それは私がずっと求め続けて得られなかった人の温もりのようで……。

 

「……ま、まぁどうしてもそう呼びたいのであれば別にかまわんがな」

 

 仮面をしていてよかった。でなければ真っ赤になったこの顔を見られてさらにからかわれていたことだろう。顔の火照りがばれないのに安堵しつつ、少女の手を握りながら私はこの街の一員となることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

───そして

 

 

 

 

 

 

 

 あの時安易にその名前を受け入れた私を殴り飛ばしてやりたい。その元祖イビルアイがこの街で発した言動の数々に私がベッドで七転八倒するのはこの後すぐのことだった。

 

 



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第43話 トブの森最深部にて

 蒼の薔薇が立ち去った廃村の中でモモンガたちが話し合っていた。

 内容は今後の方針。『国堕とし』の討伐依頼については失敗となるが仕方がない。それより気になるのはトブの大森林についてだ。

 

「ラナー。さっきあの老人が言っていたトブの大森林に封印された魔物については知っているか?」

「詳しくは分かりませんが……あれは死霊使いリグリットで間違いないと思いますわ。13英雄の一人と言われています。彼女が言うのであればその魔物がいる可能性は高いでしょう」

「13英雄ね……」

 

 13英雄や八欲王は人々の噂や吟遊詩人の詩にまでなっており、モモンガも街で聞いたことがある。有名な偉人という印象だ。

 今現在も生存しているかどうかは疑問ではあったがリグリットがその一人と聞いて少し後悔する。

 

「もう少し詳しく話を聞いてみても良かったかもしれないな……私と同じ存在という可能性はあるのか?見たところそれほど強そうには見えなかったが……」

「モモン様と同じところから来たかは分かりませんが……強さ的には放置しても問題ないでしょう」

「まぁそうだな……。それよりあの長生きしている吸血鬼の知識のほうが惜しかったか……これのどこが駄目だったんだ……」

 

 モモンガは手に握ったままの『嫉妬する者たちのマスク』を見つめる。

 クリスマスぼっちプレイヤーの団結の証とも言えるそれはぼっち同士の友情を育むに相応しい道具(アイテム)だと思ったのだがお気に召さなかったらしい。

 

「いと尊きモモンガ様のお考えがあのような下賤の者に分かるはずがありません!」

「ナーベ様のおっしゃるとおりですわ!」

「僕もそう思います!あ、わん!」

 

 仲間たちが全力で慰めてくれるのはいいが余計に惨めになるのでやめてほしい。それにモモンガが黒と言えばどんなものでも黒と言うような仲間たちに言われても参考にならない。

 モモンガはため息を吐くと思考を切り替える。

 

「……その封印されたという魔物、少し気になるな。まさかと思うがナザリックの関係者が封印されているなんてこともあるかもしれない」

「まさか私の姉妹たちということも……!?あの老婆は近づくなと言っておりましたが……我々には関係ありません!行きましょう!」

 

 どうやらナーベラルは自重をするつもりはないようだ。しかし仲間のことが絡んでいるとなれば当然モモンガも自重など一切するつもりはない。

 

「行ってみるか……トブの大森林の最深部とやらに」

 

 モモンガ達を優秀なアダマンタイト級冒険者と思ってリグリットは忠告したのだろうが、そんなことはモモンガたちには関係がない。

 高らかに出発を宣言するモモンガたちの前では、過去の英雄たちによる封印など風前の灯だった。

 

 

 

 

 

 

 モモンガ達は<転移門(ゲート)>を発動するとリザードマンの村の近くへと移動する。そのまま村には寄ることなく、今までマッピングした中で行っていない地点を確認しつつ、トブの大森林の奥地へと移動していった。

 

 大森林の最深部というので樹木がより密集するようなジャングルを想像していたが、なぜか逆に奥に進むほど木々が少なくなっていた。

 しばらく進むと大森林の中のポッカリと木々が枯れたところへ出る。

 

「ちょ、ちょっと君たち!待って!ちょっと待って!」

 

 どこからともなく声が聞こえてきた。後方のまだ樹木がまばらだがあるあたりから聞こえる気がするが姿は見えない。

 

「……どこだ?」

「モモン様、あそこの木蔭に何かがおりますわ」

 

 ラナーが指さした方向をよく見ると緑色の生物がいる。

 体は小柄で子供と思えるくらいに小さく、髪は樹木の葉のような緑色で衣服の代わりに葉と木の皮を編んだようなものを纏っていた。

 ユグドラシルと同じ見た目であるのならば森精霊とも呼ばれるドライアドという異形種のはずだ。

 今見えているのは分体のようなもので本体の樹木がどこかにあるはずである。

 

「ここに来てから植物系の異形種は初めて見たな……。やあ、こんにちは。私はモモンという。こちらはナーベ、ラナー、クライムだ。我々に何か用かな?」

 

 警戒されないようにこやかに挨拶をする。するとドライアドは嬉しそうに手を振っていた。

 

「あ、どうも!僕はドライアドのピニスン・ポール・ペルリア。君たちは……変な格好してるけど人間……?」

 

 モモンガたちの格好を上から下まで見渡した後ピニスンは質問する。

 確かに見た目だけならば人間と勘違いするのは当然だろう。しかしピニスンが人間でないならばこちらも人間である振りをする必要もない。

 

「いや、我々は人間ではないが……それがどうかしたか?」

「この間人間が通りかかったんだけど……遠くて声がかけられなかったんだよ。聞きたいことがあったんだけどさぁ……」

「ああ……おそらく『蒼の薔薇』のことだろうな」

 

 ピニスンのその言葉にモモンガは心当たりを思い出す。森の奥地に行くなということはその場所を調査したということなのだから間違いはないだろう。

 

「……蒼の薔薇ってなに?薔薇の精霊か何か?」

「知り合いの冒険者チームだ。人間で構成されている……と思う」

 

 一部オークではないかと思うような巨躯の女戦士や最近加入した吸血鬼もいるがほぼ人間といっても間違いはないだろう。

 

「そうなんだ!その人たちにも会いたかったなぁ!まぁいいや!でさ!君たちに聞きたいことがあるんだけどいい?」

 

 人見知りしない物言いのピニスン。この人懐っこさはドライアドの特性なのか、ピニスン本人の性格なのかは分からないが不快に思ったナーベラルが前へと出てきた。

 

「モモン様に何という無礼な口の利き方……殺してもよろしいでしょうか?」

 

 眉間に皺をよせ怒りの表情を浮かべたナーベラルは手を突き出し魔法のターゲティングまで行っている。どう見ても本気だ。

 

「ちょちょちょ!えっ?どういうこと!?やめて!殺さないで!」

 

 ナーベラルから向けられる殺気と魔法の気配に気づいたピニスンは恐怖に泣き叫ぶ。しかしそこに可愛らしい救世主が現れた。

 

「ナーベ様待ってください。殺すのはせめて拷問して情報をすべて吐き出させてからにしましょう」

 

 救世主ではなく拷問官だったようだ。

 

「っていうか!話が終わったら結局僕殺されちゃうんじゃないのそれ!?」

 

 確かにピニスンの話し方は初対面の相手に対するものではないだろう。

 しかしそれはモモンガのような社会人としての常識の中でだ。こんな森の中の生物が丁寧語を使わなかったしてもそれは文化というものだ。

 家に引きこもっていたぼっちが久しぶりに話をしようとしてとっさに言葉が出てこないようなものだ、たぶん、きっと……。

 相手を侮ってそのような話し方をしただけであればモモンガに責めるつもりはない。

 

「待て。彼はただ上位者に会ったことがない、または話し方を知らない原生生物……というだけなのだろう。多少の無礼は仕方あるまい。ピニスンという名だったな。普通に話してもらってかまわないぞ」

「……なんかすっごく失礼なこと言われた気がするけどまぁいいや。君たちは冒険者?」

「まぁそうだな」

「ローファンって人知らない?」

「ローファン?聞いたような気がするな……ちょっと待て思い出す。ええと……ああ、王都でナーベが爆裂魔法を叩き込んだやつがそんな名ではなかったか?」

 

 忘れかけていた記憶を何とか思い出す。王都で御前試合が終わった後なぜかモモンガに弟子になれと言って来た相手がそう名乗っていた。

 

「モモン様に無礼を働き、私が消し炭に変えた虫けらですね!」

「え!?ローファン殺しちゃったの!?」

「ナーベラル、嘘を言うな。死ぬ前にちゃんと治療したぞ」

 

 全身大火傷で死にかけていたが死んではいなかったはずである。治癒魔法で治ったからきっと生きているはずだ。たぶん。

 

「そ、そうなんだ……?生きてるんならその人たちを呼んでくることって出来ない?」

「モモン様を小間使い扱いして命令すると?殺してよろしいでしょうか?」

「ひぃ!命令じゃなくてお願いだよ!お願い!」

「居場所も知らないから呼んでくるのは難しいな……。そもそもなぜ彼が必要なんだ?」

「難しいの?そんなー……。魔樹が復活しようとしてるのにさぁ……」

 

 ピニスンはモモンガの返事を聞いて頭を抱える。一方、モモンガにとっても気になる言葉が出てきた。

 

「……魔樹?」

「うん……ここから先の森……枯れてるでしょう?」

「確かに枯れてるな」

 

 枯れているどころか一部ではもはや更地となってしまっているところさえある。

 

「あれは地下に封印されてる魔樹が復活しようとして養分を奪っているからなんだ。侵食はちょっとずつ広がってる。以前ここに来てくれた冒険者がその一部を倒して封印してくれたんだけどこのままじゃまた復活するかもしれないんだよ」

 

 モモンガの中でピニスンの話とリグリットの話がつながる。封印されている魔物、それが『魔樹』なのだろう。

 

「それでその『魔樹』はあとどのくらいで復活するんだ?」

「分からないけどその頃から結構時間がたってるから心配なんだ。それに約束したんだよ、また復活する頃に倒しに来てくれるって!」

 

 握った拳を上下に振りながらピニスンは力説するが、その約束したローファンとやらはここには来ていない。目の前のドライアドの話が本当かどうかも不明だ。

 

「……そもそもそれは何年位前の話なんだ?」

「えーっとね……太陽がいっぱい回った前!」

「……」

 

 どうやら言語だけでなく数字の知識も原生生物並みだったらしい。俄然話の信憑性が薄くなってきた。モモンガは指を1本立てる。

 

「これは何本だ?」

「一本!」

 

 指を二本立てる。

 

「二本!」

 

 指を三本立てる。

 

「いっぱい!」

「なるほど……」

 

 地球でも3以上の数を必要としない民族などはいたらしい。ピニスンにとっても必要なかったのだろう。

 しかしモモンガにとっては必要なことだ。少なくとも3年以上前であることは間違いないが正確な年数が分からない。

 モモンガはローファンと名乗った老人を思い出す。老い先短く大した力も持たないあの老人に『魔樹』を倒すことが可能なのだろうか。恐らく安心させるために口から出まかせを言ったのか、その時はそう思っていただけなのかどちらかだろう。

 

「それで『魔樹』とはどんな魔物なんだ?名前は?大きさは?攻撃方法は?」

「え?なんで君がそんなこと聞くんだい?」

「戦う前に相手の情報を調べておくのは当たり前だろう」

 

 モモンガの言葉にピニスンは疑問に思う。目の前の4人は確かにピニスンよりも大きく強そうではあるが『魔樹』に比べるとあまりにも小さい。そして昔助けてくれた冒険者たちより人数が少ない。

 

「君たちだけで戦うのかい!?あれと!?」

「いや、いきなり攻撃したりはしないぞ。最初は対話してみようと思う」

「対話って……無理じゃないかな?同じ植物系の生き物なのに僕の仲間も食べられちゃったし」

「肉食なのか……?いや、ドライアドは植物だから草食……?食べるのは植物だけなのか?」

「ううん、確か『魔樹』……名前はザイトルクワエって名前で呼ばれてたんだけどザイトルなんちゃらの一種だって。でっかい口に牙があって動物も食べてたよ。すっごくおっきくて枝を鞭みたいに振り回すんだ!それにでっかい種を飛ばしてきて……ぶるる……思い出したら怖くなってきちゃったよ……」

 

 ピニスンは身振り手振りでザイトルクワエの恐ろしさを表現した後、震えて木陰に隠れてしまった。木陰から顔だけ出している。

 

「大きいのは分かったがザイトルクワエ、だったか?その大きさは何メートルくらいなんだ?」

「えっとね……たくさん!」

「……。あの一番大きな木より大きいか?」

 

 モモンガは10mほどの高さの木を指さす。

 

「うん、あれよりもっともっと大きいよ」

 

 ナザリックでそれほど大きいモンスターというと第4階層守護者のガルガンチュアや第7階層の領域守護者の紅蓮などが思い浮かぶ。

 どちらも植物系のモンスターではない……とはいえモモンガはここまで来た以上ザイトルクワエに会わずに帰る手はないだろう。

 

「ラナー、生命反応は調べているか?」

「あの枯れた場所の地下深くに反応があります。強さまでは私では分かりかねます」

 

 モモンガに言われる前にすでに探知魔法により情報を得ているのはさすがだ。

 

「うーん……場所が分かっているならとりあえず会ってみようか。何かいい道具はあったかな……」

「モモン様、<爆裂(エクスプロージョン)>などで表層をえぐり取ってしまいましょうか?」

 

 相変わらず相手のことを一切心配しないナーベラルの作戦にモモンガはドン引きだ。

 

「い、いや……ナーベラル。最初は敵対行動を避けような、まずは対話だ。ん……とあったな。よし、みなこれを持て」

 

 モモンガはインベントリからシャベルを4つ取り出す。採掘用にと所持していたものだ。消耗品で一定以上使うと確率で壊れるがやむを得ないだろう。

 

(懐かしいな……)

 

 モモンガはユグドラシルでの採取を思い出す。

 討伐以外でも素材採取は頻繁に行っており、鉱物のみならず植物や土類、特殊な水や溶岩など様々なものが武具などの材料として必要であった。当然そのための採取道具もユグドラシルには豊富に存在している。

 

「<完璧なる戦士>! よし……掘るぞ!!」

 

 モモンガは少しでも効率を高めるために戦士化の魔法で筋力を上昇させると意気揚々とシャベルを掲げるのだった。

 



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第44話 発掘

「うおおおおおおおおお!」

 

 モモンガは100レベルの戦士の筋力を使って怒涛の勢いで穴を掘り進める。  

 ナーベラルたちとともに掻き出した土はインベントリに放り込んでいくことにより運搬の手間を省いているのでそのスピードは尋常ではない。

 

「希少鉱石がないかと昔そこら中を掘りまくったことがあったなぁ……ほとんど何も出てこなかったけど」

 

 モモンガはユグドラシルで仲間たちと共に希少鉱石を探して回っていた頃を思い出す。極まれに超希少金属や鉱山を見つけた時は皆で飛び上がるほど喜んだものだ。

 

「……むっ。これはなんだ?……ただの岩か?」

 

 順調に掘り進んでいたところにガチンと音がしてシャベルが止まる。岩の層にぶつかったような感触だ。モモンガはシャベルからピッケルに持ち替えると地面へ向けて打ち下ろす。

 地中にあった岩が粉々に砕けた。

 

「<上位道具鑑定>」

 

 試しに掘り出したその岩に鑑定魔法をかけてみるが、鉄や銅さえ含まれていないただの石、つまりゴミアイテムである。

 しかし残念がることはない。100に1、1000に1見つかれば大成功というレベルである。

 

 そして掘り続けること数時間、希少鉱石が出てくることもなくついに鉱物以外の物が地面から見つかった。

 

「おっ、植物の根のようなものがあったぞ」

「ちょっとまってーーーーー! なにやってんの!? 本当になにやってんのさ君たち!」

 

 掘り始めてからずっと叫んでいたピニスンがさらに大声を出しているが、残念ながらモモンガたちを力づくで止められるはずもなく……。

 

「モモン様の決定は絶対です。黙りなさい」

「むぐぐ……」

 

 あっけなくナーベラルに口を塞がれ力づくで黙らされる。

 静かになりモモンガは下をあらためて見つめる。巨大な樹木のような肌の一部が見えている。これがザイトルクワエだろう。

 

「もしもし?眠っているところすまないがザイトルクワエ君。ちょっと話が出来ないかな?」

 

 この世界では言語を使うのであれば人外であってもなぜか自動翻訳されている。ならば言葉は通じるのではとモモンガは木の根をノックしたのだが……。

 

 

 

 

───空気まで震えるような地鳴りとともにまるで血管のように根が動き出した。

 

 

 

 

「お、おおおおおお!?」

 

 モモンガに続きナーベラルたちも急いで穴から飛び出す。ピニスンにおいては泣きながら木々の間へと逃げていった。

 

 ズルズルと木の根がまるで手のように地面から伸びてくる。植物のつるで出来た巨大な手が大地に手を突き、ザイトルクワエの頭が飛び出す。

 

「これは……でかいな……」

 

 頭だけでも数十メートルはありそうだ。さらにその口には植物系モンスターであるにも関わらず肉食獣のような白い牙が生えている。

 

「見た目は確かに肉食と言われても頷けるな……。眠ってるところを起こして悪いが話は出来るか?」

「グオオオオオオオオオオオオ!」

 

 どうやらお怒りで話をするどころではないらしい。問答無用にモモンガたちに向けて触手を振り回して打ち付けて来た。

 

「……会話は成立しないようだな。頭の中身はトロール以下か? <生命の精髄(ライフ・エッセンス)>……HPがすごいな。攻撃も上位物理無効化を貫いてくる。ダメージ量から言って80レベル程度といったところか?ふふふふっ、いいな。ちょうどいいじゃないか!」

 

 モモンガが相手の能力を分析していると今度は触手の表面につぼみのようなものが出来上がる。

 つぼみは口をすぼめたように変形すると、その中からバスケットボール大の巨大な種を噴出してきた。

 硬く重量もありそうな種は地面に当たると炸裂して表層を抉ってゆく。

 

「聞いてたとおり遠隔攻撃もあるのか!ナーベラルたちはいったん離れろ!範囲攻撃を使うぞ!そこのトレントの本体も引っこ抜いて持っていけ!」

 

 100レベルのモモンガであれば余裕で耐えられる攻撃だが、ラナーたちには防げないだろう。

 

 しかしそのモモンガの判断は一瞬遅かった。

 

 退避をしつつあるラナーへ向けて種弾が向かっていたのだ。

 

「ラナー様!!」

 

 クライムが吠えるとラナーに向けて飛んできた種の前に立ちはだかる。

 それは一目見て自分の実力をはるかに超えた威力を持っているとクライムに分かった。しかし……。

 

(ラナー様が死んじゃう!)

 

 自分を救ってくれた姫を絶対に死なせるわけにはいかない。

 クライムは右手のバックラーを構えると決死の覚悟で種を受け止める。通常これだけのレベル差があればその時点で右手は吹き飛び、貫通してラナーまで命を失っていただろう。しかしクライムの覚悟は限界を凌駕する。

 

 ギギィンと盾を削る音とともになんと種を弾き飛ばした。ノーダメージ……それは武技の発動であった。

 

「で、出来た!?パリィができたよ!」

 

 嬉しそうに武技の発動を喜ぶクライム。

 しかしそれは悪手であった。

 種弾は一つではないのだ。2つ目の種弾が今度はクライムへ向けて飛んでくる。予測してなかった2つめの種弾にクライムは構える間もなく体でそれを受けるしかない。

 

「ごぼっ……」

「クライム!!」

 

 敵の射程外へと逃げつつあるラナーが振り向くとクライムの胸の中心に大きな穴が空いていた。クライムは口から血の塊を吐くとその場に倒れ伏す。

 

「……クライム……クライムー!」

 

 <生命の精髄>を発動していたラナーの目にはクライムの体力が完全に消え去っていることが確認できている。

 

 

───死んだ。

 

 

 

───クライムが死んだ。

 

 

 

 クライムは……ラナーに取って家族と比べても短い付き合いだった。

 

 情を育むには短い期間だった。そしてラナーにとって情などと言うものは効率の前には優先順位の低いものであった。

 

 しかし……クライムは子供らしく泣いて、そして笑って……自分にないものをたくさん持っていた。人間を愚かと見限ったラナーだが、いつの間にかクライムだけはなぜか心の支えとなっていた。

 

 モモンガたちと共に一緒にラナーに生きる希望をくれた本当の仲間だと思っていた。

 そのクライムが死んだ……。その事実に心が張り裂けそうになりラナーは叫ぶ。

 

「クライムーーーーーー!!」

「おっ、クライムが死んだか!ちょうどいい!ついでに無駄な戦士系職業(クラス)を消しておけ!ナーベ!」

「はっ!承知しております!死者蘇生(レイズデッド)!」

 

 叫ぶラナーとは対照的な冷静な声。

 モモンガとナーベラルだ。さらに死んだことがちょうどいいとばかりにナーベラルにあえて低位の蘇生魔法を使わせる。当初のパワーレベリングの際にLV1で止まってしまった不要職業(クラス)を消してしまおうというのだろうが……。

 

「あ、あれ、らなーさま?」

 

 あっけなく生き返ったクライム。

 魂の海へとたゆたう間もなく現世へ蘇らせられ、弱体化の影響かふらふらとしながら立ち上がろうとする。

 ラナーは思わずクライムに抱きつく。

 

「クライム!」

「モモン様の指示が聞こえないのですか。さっさと離れますよ」

 

 感動的な場面であるはずだが、余韻に浸る間も何もあったものではない。

 ナーベラルはラナーとクライムの首根っこを掴むと種弾の射程外へと引きずってゆく。

 

 ラナーはクライムと共に引きずられながらあらためて思った。

 

(……軽い!モモンガ様にとって命の価値は軽すぎる!でもいつかモモンガ様が言っていたとおりね……。死ぬことなんてモモンガ様にとってはすぐ治せる状態異常の一種に過ぎない……)

 

 クライムに至っては死んだということさえまだ理解していないような有様である。

 感情がないと思っていた自分以上に無情なモモンガに畏怖の念を感じるとともに、生死さえ自由自在に操る超越者……それはまさに……

 

(神!モモンガ様こそ本当の神に違いないわ!)

 



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第45話 魔樹の森の守護者

 ナーベラルが離れていったのを確認したモモンガはザイトルクワエと向き合う。地中から完全に地上へと全身を現したザイトルクワエは2メートルそこそこのモモンガと比べると象と蟻どころの差ではないだろう。

 

 

「ほぉ……でかいな」

 

 全長100メートルはあるだろうか。これだけの巨体となるとレイドボスを思い起こさせる。しかしモモンガからすれば生命力は多いものの先ほどの攻撃も大したことはなかった。ならば魔法詠唱者としてではない戦い方を試そうと拳を握りしめる。

 

「まずは戦士化状態で行ってみるか。<完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー!)>」

 

 100レベルの戦士の能力を得たモモンガは駆けだすと触手を避けながらザイトルクワエへと向かいザイトルクワエに昔取った杵柄と体重を乗せて正拳を叩き込む。

 

「むっ……あまり効かないな」

 

 闇闘技場で得た体重の乗った見事な正拳だったが、それでも相手を数メートル後退させる程度で終わってしまう。ダメージは多少あるのだろうが、それでも完璧なる戦士はスキルも職業補正も何もない劣化戦士の腕力でしかない。このまま殴り続けてては何日もかかってしまうだろう。

 

「100レベルと言っても補正無し特殊技能なしではこんなものか……だが、ステータス減少のパッシブスキルは効いたようだな」

 

 殴られたことによるダメージは少ないようだがモモンガとの接触は超越者(オーバーロード)としてのパッシブスキルにより相手のステータスにダメージが入る。

 今の接触でザイトルクワエは能力に大幅な減退が生じたはずだ。ザイトルクワエは叫びながら触手をモモンガに向けてくる。

 

「もう少しいけるか?<負の接触(ネガティブ・タッチ)>!」

 

 モモンガは触手を掴むととも負のエネルギーを流し込み、同時にザイトルクワエの足を思いきり蹴り払うとそのままその巨体を投げ飛ばした。

 枯れた木々が巨体にぶつかりなぎ倒されていく。

 

「なにあれ!?なんなのあれ!?なんであんなでっかい相手を投げ飛ばせるの?」

「黙りなさい。まだモモン様の偉業はこれからです」

「おかしいよ!こんなの絶対におかしい!」

 

 うるさい声のする方を見ると空中でナーベラルがラナー、クライムと一緒にピニスンを保護していた。ピニスンが大騒ぎしており遠く離れたモモンガにまで声が聞こえて来る。

 

「拳闘としての技は派手だがやはりダメージはほとんどないか……やめだ。<完璧なる戦士>解除……」

 

 相手が武術や武技を使ってくるわけでもないなら時間の無駄だ。モモンガは戦士化とともに魔法の鎧も解除すると元の姿へと戻る。本来のナザリックの支配者たる超越者の姿である。

 

「あ……やっぱり人間じゃなったんだ!」

 

 アンデッドを見た反応からすると、ピニスンにそれほど忌避の感情はないようだ。騒ぎ立ててはいるがあれはもともとそういう性格なのだろう。森精霊とは仲良くやっていけるかもしれないとモモンガは安堵する。

 

「さて、とりあえず体力を半分以下までは一気に削るか!<隕石落下(メテオフォール)>!」

 

 モモンガが発動したのは第10位階魔法。天から真っ赤に灼熱した巨大な隕石がザイトルクワエへと降り注ぐ。

 

「グオオオオオオオオオオオ」

 

「森が!森が焼けちゃうよ!ぎゃあああああああああああ!!」

 

 モモンガは出来るだけ森精霊の本体に被害が及ばないように加減はしているのだがピニスンには分かるはずもなく大騒ぎしている。

 

「植物系モンスターだけあって火属性の攻撃はよく効くようだな。だがまだ生命力が残っているな、<朱の新星(ヴァーミリオン・ノヴァ)>!」

 

 続いて発動したのも第10位階の魔法だ。炎属性対個人への最高位の攻撃魔法によりザイトルクワエは紅蓮の炎に包まれ暴れながら触手を振り回す。

 

「燃えた!!ザイトルクワエが燃えちゃってるよ!なんなの!?なにをやってるの!?火が!火がああああああああ!」

「確かに触手が邪魔だな。<魔法三重化(トリプレット・マジック)><現断(リアリティ・スラッシュ)!>」

 

 火の付いた触手が振り回されて周囲が延焼していく。さすがに不味いと思ったのかモモンガは第10位階の魔法<現断>によって現れた不可視の斬撃によりザイトルクワエのすべての触手を斬り払う。

 

「もう原形とどめてないんだけど……あれはさすがに……」

 

 触手が動かなくなったことで延焼の心配はなくなったが先に葉っぱを付けたただの巨大な棒のようになってしまった魔樹にピニスンは同情を感じてしまう。

 

「たしかにちょっと削りすぎたな……このままでは死んでしまうではないか。<大治癒>!」

「あの……なんであの人ザイトルクワエを回復してるの……わけがわからないよ……」

「ギギ!?」

 

 傷つけられては治癒されるという事態に自我のほとんどないザイトルクワエでさえも戸惑っているようだ。しかし現実は無情である。

 

「……ステータスは限界まで下げておくか」

 

 モモンガは倒れてもはや動けないザイトルクワエに乗りあげるとその手を幹に触れさせ負のエネルギーを限界まで注ぎ込む。

 

「……」

「よし、完全に沈黙したな……念のために拘束しておくか。<魔法三重化(トリプレット・マジック)><肋骨の束縛(ホールド・オブ・リブ)>」

 

 巨大な肋骨が地面から3つ現れるとザイトルクワエの頭、胴、脚に骨が食い込んで拘束する。

 

「よし……ナーベラル。もう戻ってきていいぞ」

 

 もはやザイトルクワエは種弾を撃つことも出来なければ触手で攻撃することも出来ない。

 そこには全身の枝や根を切り払われ、ステータスを限界まで下げられた上に、巨大な骨に全身を拘束された巨木があった。

 ここまで準備が出来ればやることは一つだ。

 

「さぁ、パワーレベリングの時間だ!」

 

 身動き一つ取れないそれを前にモモンガは高らかにパワーレベリングの宣言をするのだった。

 

 

 

 

 

 

 モモンガの言葉にナーベラルがラナー達とともに空から降りてくる。

 クライムは着ぐるみの中央に大きな穴が開いてしまっているが中の体はすでに回復しており、蘇生後の弱体化状態も多少は回復して一人で歩けるようだ。

 

「さて、お話の通じない相手であるようだし、ちょうどいい生贄……いや、練習相手だ。ここで一気にレベルを上げるとしよう。ナーベラルよりもレベルは高そうだし今回はナーベラルも一緒にやってみるといい。当然私も参加する」

「はっ!モモンガ様!ご期待にそえるよう頑張ります!」

 

 ナーベラルの宣言後、始まるのは拘束され身動きが取れない相手が複数でタコ殴りされる姿だった。

 傍目に見るとまさに鬼畜の所業である。

 モモンガまで一緒になって経験値が稼げないかと殴ったり回復させたりと非道の限りを嬉々として繰り返していると後ろから甲高い声が響いてきた。 

 森精霊のピニスンである。

 

「あの……あのさー!君たちが強いのは分かったし、魔樹を倒してくれたのも感謝するんだけどさ!なんでまた回復させてんの!?っていうか何してんの!?」

「ん?何って……殺してしまうなんてもったいな……かわいそうじゃないか、なぁ?」

「可哀そうと思ってる相手をそんなボコボコにしないよ!!」

「安心しろ、終わったらちゃんと埋めてから帰るから。また使うかもしれないし……殺したりしないから」

「ぇ……」

 

 ピニスンにとってそれは聞き捨てならない言葉だ。

 いきなり来た頭のおかしな人たちが魔樹を復活させてしまったときは絶望したが、結果としては魔樹を倒すことには成功している。

 やっと平和な森に戻ると思っていたのに……。

 

「それじゃあ、またいつか復活しちゃうじゃないのさ!そしたら僕殺されちゃうよ!お願いだからやめて!」

「いや、そんなこと言われても……」

 

 せっかく見つけたレベリング用のサンドバッグだ。

 またクライムのジョブ再構成(リビルド)のために再利用することも考えられるし、殺してしまってはもったいなすぎる。他の代替品もないため現状では非常にレアだ。

 しかしピニスンの言い分も分からないでもない。モモンガは腕を組んでしばし考えをまとめると一つの提案をすることにした。

 

「では……復活しても君が殺されないくらい強くなればいいんじゃないか?」

「……え?いや、でも僕はかなり弱いよ。うん、自慢じゃないけどゴブリン並みにすっごく弱いね!自慢じゃないけど!」

「そうかそうか。ではお前も彼女たちに加わると良い」

「えっ!?ちょっ!?」

 

 モモンガはピニスンの手を引くと武器を持たせてナーベラルたちの下へと引きずっていく。

 その態度にさすがのピニスンも何をさせられるか分かったようだ。

 

「待って!待って!待って!やだよ!僕にこの手を汚せというのかー!ザイトルクワエに恨まれるじゃんかー!」

「大丈夫大丈夫!もし復活しても君が何とか出来るくらいに強くしてやろう。安心したまえ」

「モモン様、魔樹と呼ばれる魔物からどんな病気でも治る薬草が取れると聞いたことがあります。取ってもよろしいですか?」

「なんだと、ラナー!?よし!毟れ!」

「はい!」

「いやああああああああああああ!」

 

 こうして嬉々としてザイトルクワエの頭部から素材のはぎ取りを始めるラナー。そして泣き叫びながら魔樹を殴るピニスン。

 魔樹の森の騒ぎはこうしてしばらく続くのだった。



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第46話 休暇

「これからは7日に2日間を休暇とする」

 

 魔樹の森での出来事から数日。

 パワーレベリングは半分成功、半分失敗と言えるものだった。

 ラナー、クライム、ピニスンの現地組は大幅なレベルアップに成功したが、モモンガとナーベラルにはその実感がまったくなかったのだ。

 

(ユグドラシルから来た我々はこれ以上レベルを上げられないのか?いや……私は限界レベルである100レベルだったがナーベラルは63レベル。また余裕はあるはずだが……NPCはギルドの規模によって合計レベルの制限があったからなぁ)

 

 ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の拠点である大墳墓ではNPCのレベル合計は2750までという制限があった。そのためNPCをいくらでも増やせるというわけではなかった。

 

(その制限があるということはギルドがどこかに存在するということ……?うーん分からないな……)

 

 結局自身のレベルアップは諦めて魔樹の見張りは嫌がるピニスンに任せ、モモンガ一行は帝都アーウィンタールへと戻って来ていた。 

 そんな帝都の高級宿でモモンガが決意を込めた宣言。

 

 

───休暇

 

 

 そう、イビルアイを勧誘した際に約束した福利厚生を実施するべき時がきたのだ。

 この休暇は現在のパーティ結成以来初めてのもの。これまで無休で働かせすぎたと反省するモモンガは元の世界では不可能だった週休2日を実現させてみせようと意気込んでいるのだ。

 

「きゅうか?とはなんでしょうか?」

 

 しかし無情にも『休暇』という言葉自体が理解されていなかった。

 ナーベラルの残念な言葉にモモンガはかつてのブラック企業勤務のギルドメンバー『ヘロヘロ』を思い出し天を仰ぐ。

 

『もう休暇という概念さえ思い出せませんよ……ははは』

 

 休暇を取得することさえ当たり前でなくなる。それは社会として異常なことなのだと思う。

 モモンガの勤めていた会社でも休暇取得のハードルは高かった。

 取得申請したときの同僚からの冷たい視線、上司からの嫌味、休日は何をするのかという執拗な詮索。

 そんなブラックな環境を作るまいと思っていたのだが……飲食睡眠不要の疲れ知らずの体であったため、ついうっかり1日も休んでいないことを忘れていた。

 今では後悔しかない。

 

「ナーベラル。休暇とは何もしない1日……いや、違うな。自分の自由にしていい1日のことだ。私はしばらく自由に過ごそうと思う。お前たちも自由にするように」

 

 幸い冒険者としての活動で得たお金はある。

 特にザイトルクワエの頭部から毟り取った薬草は信じられないほどの高額で売れた。

 4人で等分に分けたが普通の家族であれば10年は遊んで暮らせるくらいの金額はあるだろう。

 

「自由ですか?」

「今もかなり自由だと思いますが……?」

「?」

 

 どうやらナーベラルだけでなくラナーとクライムも自由主義革命を経験していないようだ……。

 もっとも自由の概念が出来たのも現実世界では近代に入ってからであるのでそれを笑うことは出来ないが。

 

「ちなみにモモンガ様はどのような休日を過ごされるのでしょうか?」

「私か?そうだな……魔法道具(マジック・アイテム)やスクロールに興味がある。かなり高級品らしいが出来ればそれらを見て回りたいな。持っていないものや知らないものは実験用に買おうと思う。今後にも役に立つだろうし……それらを使った訓練をするのもいいかもしれないな……それから……」

 

 モモンガが今日の予定を考えていたその時……。

 

『ねぇねぇ?今何やってるの?こっちはね!魔樹のせいで荒れてた森に花を植えたんだー。虫も結構帰ってきててね!』

 

 モモンガの頭に突然《伝言》が届いた。

 相手はトブの大森林のピニスンだ。レベルが上がった際、魔法詠唱者としての才能があったのか、《伝言》を覚えたピニスンは暇なのか話し相手が欲しいのか頻繁に《伝言》を送ってくる。

 

『あーピニスンか?悪いが話はあとで……』

『あひゃ!ちょっと!くすぐったいよ!でね、ミミズも帰って来たから根っこがくすぐったくって、あはははは。えーっとなんだっけ……あ、そうだ。花がね……僕に花が咲いて……あ、ちょっとまっ……!』

 

 問答無用で《伝言》を解除する。彼女は放っておけばいつまでも話し続けるのだ。あんな場所で一人ぼっちならそれも仕方ないかもしれないが勘弁してほしい。

 

「いかがなされましたか?モモン様?」

「いやピニスンから《伝言》が来てな……」

「あの雑草からですか。まったく煩わしいですね」

 

 ナーベラルが眉間にしわを寄せながら吐き捨てる。

 

「もしかして……お前のところにも来るのか?」

「はい。ですが何度か話をした後は来なくなりましたね。ラナーやクライムにも来てましたが最近は来ないようです」

 

(……俺のところにはほぼ毎日《伝言》が来るんだけど)

 

 どうやら迷惑《伝言》は全員に行っていたようだが、結局話しやすいモモンガのみに絞られたらしい。

 眠れない夜中はモモンガも暇なのでいい暇つぶし相手になっているのだが昼間は控えるように言っておいた方がいいかもしれない。

 

「まぁアレにも土産を買っていってやるか……肥料とか苗とかがいいか?」

「あの雑草にモモンガ様からの下賜など必要ないかと思いますが……それが休むということなのですか?」

「それは……」

 

 どうなのだろう。

 ナーベラルにあらためて聞かれて考えてみる。

 現実世界では仕事から帰ってきてゲームの中で魔法道具などのアイテムを集めることは確かに休んでいると言えると思う。

 しかしこの世界で生きている自分たちにとっては?それはただの仕事の一環になってしまうのだろうか。

 

「もしよろしければモモンガ様の休日というのを見て参考にさせていただけないでしょうか」

「……ぇ」

 

 『ついてくるの?』とは言えなかった。

 特にナーベラルは本当の意味で休みというものを理解できていないように思える。

 そうであればモモンガが趣味を全開にして楽しんでいる様子を見ることは悪いことではない……と思う。もし意識が改善されれば儲けものだ。

 

「よし、いいだろう……この私が休日の楽しみ方というものを教えてやろう!」

「はっ!」

 

 モモンガは現在のブラック環境を改善するためだと気合を入れるとナーベラルたちを連れて街へと繰り出すのであった。

 

 

 

 

 

 

「主人これをくれ。それからこれもだな」

「え……そ、そんなにたくさんですか?」

 

 帝都にある高級魔法道具店、そこに現れたアダマンタイト級冒険者モモンから次々に入る注文に店員は目を丸くしていた。

 モモンガの選んだ品はこの店で特に性能の良い武具の上から順である。道具店の店主は一流の冒険者は一流の目利きもできるのかと畏怖を感じていた。

 

「えっとお代は金貨550枚になりますが……」

「そうか、これでいいか?」

 

 値切りもせずにモモンガは金貨の山をカウンターに置く。

 相手は帝国でも有名なアダマンタイト級冒険者。金の頓着などするはずもないと分かってはいるが、その堂々した佇まいは周りから見ても惚れ惚れとするものであった。

 もっともモモンガからすれば<全道具鑑定>の魔法を無詠唱で使って欲しいものを選んだだけなのだが……。

 

「あ、ありがとうございます!」

「ちなみにこれ以外にもっと高性能な武具はないのか?」

 

 モモンガレベルになるとこれらの武具は実用性はないもののコレクションとしては集める分には非常に楽しい。しかしより良いものがあればそれも見てみたいのがコレクターとしての性である。

 

「これ以上の物となりますと量産品ではなく一点物になりますので……そういった品はなかなか小売りされることはないのです。個人売買やオークションなどでの取引が主でして……」

 

 ユグドラシルにおいてもゲーム内の店に売っているような品で満足できるのは初級プレイヤーくらいだった。

 本当に有用なアイテムは結局自分の足で探すか、手に入れた他のプレイヤーと交渉して手に入れるしかなかった。

 昔を思い出し、店主の言葉に納得する。

 

「そのオークションに私も参加することは可能なのか?」

「もちろんでございます!もしよろしければ私どものお店で紹介状を書かせていただきますが……」

 

 話を聞くに参加者として紹介された場合、紹介料として落札金額の一部が店に入るらしい。

 金貨の山をポンと払ったことで信用を得たのだろう。モモンガはアダマンタイト級冒険者と言う看板に感謝する。

 

「そうか。ではお願いできるか?」

「はい!ちょうど今夜開催予定のものがありまして……通常では予約なしでの参加は不可能ですがアダマンタイト級冒険者の方でしたらきっと大丈夫です!」

 

 嬉しそうな店主の声にモモンガもまだ見ぬ未知の魔法道具を脳裏に浮かべ期待を募らせる。

 

 

 

 

 

 

 夜まで他の店を回って買い物を続けた後、早速オークション会場へと向かう。

 魔法道具店の店主の紹介もあり、ほぼフリーパスでオークションへの参加は認められた。

 

「10」

「20」

「25」

 

 会場では早速競りが行われているようだ。

 

「おおっ!あの武器はなんだ?曲刀か?ユグドラシルでは見たことがない形だし色もいいな……。魔法も付与しているようだし迷ったらとりあえず買っておけ、だな。100!」

 

 使うかどうかは置いておいてとりあえず買っておくという主義のモモンガは少しでも興味のあるものはすべて落札していくスタイルである。

 

「100、金貨100枚がでました!他におりませんか?おりませんね?ではこちらの商品は41番の方が落札されました!」

 

 帝都一の大きさを誇る商館の中に設けられたオークション会場。

 高級な衣服に身を包んだ貴族や大手商人たちが大勢参加している中で、アダマンタイト級冒険者であるモモンガはひと際目立つ存在である。

 部屋の中だというのに漆黒の全身鎧を着こみ、漆黒の髪の美女や子供や着ぐるみを引き連れているのだから言わずもがなだ。

 

 そんな周りの反応も今は気にならないようでモモンガは商品を落札したことを純粋に楽しんでおり、出品される商品を次々と落札していく。

 

「あとでじっくりと鑑定するのが楽しみだな……。またコレクションが増えるぞ……。ふふふっ、宝物殿があればいいのに……まぁないものはしかたない。だがどこかに飾る場所を作るのもいいな……」

 

 落札したものを今後どのように使うのか想像を膨らませて楽しんでいるモモンガと対照的に周りのオークション参加者たちは憎々し気にモモンガを見つめていた。

 

「くっ……またあいつか!どれだけ資金があるんだよ……」

「おい、あれって『漆黒』じゃないか?」

「アダマンタイトの!?それなら羽振りがいいのも納得だが……ほとんど全部持っていかれたぞ」

「なんと乱暴な……気品も何もない」

「なんであんな奴があれほどの美姫と一緒にいられるんだ」

「なんでも暴力で脅してチームに入れているとか……」

 

 リ・エスティーゼ王国での噂を聞いたのだろう。

 目当ての商品を手に入れられなかった貴族や商人が悪しざまにモモンガについて口にするが、その本人はそんな視線も気にせずに商品案内の冊子を見つめていた。

 

「次の絵画や壺はいらないな……俺ってセンスないし……。おっ、初探索の遺跡からの発掘品か!それにドワーフの工房製の武器……これは買いだな」

 

「120」

「125」

「150」

「くっ……155」

 

 そんな楽しいオークションであるが、ついに最後の商品が出品された。

 おおとりの注目の品というだけあり、今目の前で競われているのは非常に希少とされるドワーフ工房製の剣である。

 魔法の輝きを持った美しい造形をしており、美術品としての価値も桁違いの一品であろう。

 現在モモンガと競いあっているのは肉付きの良い髪の短い商人風の男であった。モモンガが高値を付ける度に粘ってきてなかなか勝負がつかない。

 

「200……ん?あの男の後ろにいるのは……」

「205!」

 

 よくよく見ると男の後ろに人間以外の種族が控えていた。

 人間の国であるバハルス帝国では非常に珍しい。兎の頭をした亜人のようであり、メイド服を着て可愛らしい仕草で商人の後ろに立っていた。

 

「あれはラビットマンですね」

 

 モモンガが知りたいと思った瞬間、後ろで見学していたラナーが教えてくれた。本当にこの幼女は知らないことなどないのかもしれないと感心させられる。

 

「ほぅ?あれは奴隷なのか?」

「いえ、奴隷には見えませんわ。首輪もしておりませんし……。雇っているのかもしれませんね」

「そうか。……ではぜひとも後で詳しく話を聞かなければな。300」

 

 亜人であれば仲間たちのことを知っている可能性もある。

 モモンガが兜の隙間から赤い眼光を送るとなぜかラビットマンは総毛を立てて逃げるようにその場を離れていった。

 

「……くっ」

 

 主人と思われる男もモモンガの提示額に諦めたのか、兎人族を追ってか、その場を離れていく。

 結局は本日の商品で魔法道具のほとんどはモモンガが落札するという結果に終わった。

 

 

 

 

 

 

 オークション会場に設けられたVIP用の控室。そこで肉付きの良い商人……オスクは護衛のラビットマンを問い詰めていた。

 

「おい、護衛対象を置いていくとはどういうことだ!首狩り兎!」

「無事だったんだからいいんじゃないか?」

 

 雇われているとは思えない言葉づかいでオスクの護衛である首狩り兎は可愛らしく首を傾げる。

 服装も仕草も女性そのものであるがこの首狩り兎、実は男である。

 こんな格好をしているが元暗殺者であり、非常に腕が立つということでオスクが高額の報酬で護衛として雇っている。

 相手を油断させるためなどと言っているがオスクは趣味も入っているのではないかと疑っているが、今はそんなことより護衛を放棄したことを問い詰めるのが先である。

 

「こんなことは初めてだろう。どうしたんだ一体」

「それは……」

 

 首狩り兎がオスクの問いに答えようとしたその時……。

 

「ちょっと話を聞かせてもらえるか?」

「なっ!?」

 

 首狩り兎は全身に鳥肌を浮かべながら振り返る。いつの間にか背後を取られていた。こんなことは首狩り兎にとって初めてだった。

 固まって動かなくなっている首狩り兎の代わりにオスクが訪問者へと向き合う。

 首狩り兎の後ろを取りVIPルームへと入って来たのは先ほどまでオークションを競い合っていたアダマンタイト級冒険者モモンであった。

 

「お前はさっきの……ごほんっ。私たちに何か御用ですか?オークションのことで何か話でも?」

「ん?オークション?ああ、あれは……ふふふっ、久しぶりに満足させてもらった。初めまして、私の名はモモンと言うものだ」

 

 名乗らずともここ最近破竹の勢いで大活躍を続けている漆黒の鎧のアダマンタイト級冒険者を知らない者は帝都にはいないだろう。

 ナーベと言う仲間と共に活躍する英雄である。

 正直英雄や強者に憧れがあるオスクとしてはお近づきになりたい相手ではあるが今はオークションで競い負けた悔しさの方が先に立っていた。

 

「欲しいものを全部落札できればそれは楽しいでしょうね……。私はオスクと申します。ところで……最後のドワーフの武具だが……その……譲ってくれないだろうか。ドワーフはめったに帝都に取引に来ない。ここで逃せばもう二度と手に入らないかもしれないのですよ」

「……断る」

 

 駄目もとで交渉してみるが即座に断られる。しかしオスクもそれは予測済みだ。こうした交渉には手慣れていると言ってもいい。

 

「では金は倍額を払おうじゃないですか。あなたのおかげでこちらは欲しいものが一つも手に入らなかったのです。一つくらいは譲ってくれてもよろしいのでは?」

 

 オスクは商人らしく本心を笑顔で隠して交渉を始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 倍の金額という言葉にモモンガの内心は揺れていた。それだけの金があればまた別のものが買えると……。

 

 正直に言って今回の買い物はコレクション魂による衝動買いであり、どうしてもそれが欲しいというわけでもない。

 そしてあれだけ持っていたモモンガの所持金だが、それも現在尽きかけていた。

 まるで給料日前だというのに追加された課金アイテムで散財した時のようだ。こう言った事は後になって後悔するものだ。

 しかし、モモンガはオスクの申し出に一つの疑問が頭をよぎる。

 

「コレクターにとって欲しい欲しくないは金の問題ではないと思うのだが……。2倍も払える資金があるのならなぜあの時入札しなかったのだ?」

「……それでもあなたは上乗せしたでしょう」

「まぁ……そうだな」

 

 コレクターはコレクターを知る。オスクは直感的に分かっていたのだろう。こいつは絶対に落札するまで値を吊り上げ続けると……。

 その場合、モモンガは支払い不能で破産、またはナーベラルたちから借金する必要があっただろうが……。

 

「そうだな……そこのメイド君」

 

 金銭的に乏しいモモンガは心の内では譲ることを考えているが、折角なので条件を付けることにする。

 

「……ん?」

「もし君が私の質問に答えてくれたらその値で譲ろうじゃないか」

 

 金が欲しいというのもあるが、この亜人から情報を聞き出すのが最優先であろう。丁度良いとばかりにモモンガは条件を付け加えた。

 

「……どういうこと?」

 

 首狩り兎は動揺から立ち直ったのか、再び可愛らしい仕草で首を傾げている。

 オスクがメイドに目配せをしている。言わずともわかる『はいと言え、そして商品を譲ってもらえ』だろう。

 

「私はこの国で亜人というものは奴隷以外にはいないと思っていた。しかし君は奴隷ではないようだ。いったいどういった立場なんだ?」

「ああ、そういうことですか。彼……いや、彼女は私に専属で私に雇われているから何も言われることはないのですよ。まぁ珍しいのは認めますがね」

 

 事実首狩り兎は暗殺者として雇われており、奇異の目で見られることはあるが一人にしても平気なほどの強さを持っている。

 

「この国は過ごしやすいか?迫害されたりしないのか?」

「差別はされる。驚かれる。住みやすくはないが迫害はされない」

 

 最低限の言葉で答える首狩り兎。 

 もし下手に手を出そうものなら返り討ちにあうのだろう。迫害しようとした者がいたら逆に命がなくなるかもしれない。

 

「種族はラビットマンであっているのか?どのあたりに住んでいる?」

「種族はラビットマン。大陸の南方」

「なるほど、そのあたりは過ごしやすいのかね?」

「厳しい土地。帝都の方がいい」

「アインズ・ウール・ゴウンやナザリックという言葉に聞き覚えはないか?」

「ない」

 

 残念ながら今回も仲間たちとの情報には繋がらなかった。モモンガは少し落胆するも金が増えることには違いないと気持ちを切り替える。

 

「そうか。いろいろと教えてくれて感謝する。では、この剣はあなたに譲るとしよう」

「おお……」

 

 モモンガから渡されたドワーフの魔法剣を渡されるとオスクは早速鞘を抜いてその刀身の輝きにうっとりとした表情になった。

 同じコレクターとしてその気持ちはモモンガにはよく分かる。

 新しく手に入れたアイテムはじっくり鑑賞してその用途や制作方法や背景について時間をかけて想像を巡らせて楽しむものだ。

 モモンガは手早く金貨を受け取ると一人でじっくりとコレクションを楽しみたいだろう同好の志(オスク)への気遣いとしてその場を足早に去るのだった。

 

 

 

 

 

 

「で、どうして逃げたんだ?」

「今更?まったく……どれだけ前の話してるの?」

 

 オスクは手にした剣を小一時間も見つめ続けてふけっていた妄想からやっと帰って来たところだ。

 首狩り兎の発言ももっともだろう。

 護衛を放棄して逃げたことなどとっくに忘れていてもいいだろうと思っていたがそうはいかないらしい。

 

「それでどうしてなんだ?」

「……あれは超級にヤバい」

 

 首狩り兎はあの漆黒の鎧と目が合った瞬間を思い出して身震いをする。

 

「あの漆黒の男か?確かにアダマンタイト級冒険者であるし、ただ者ではない雰囲気だったが……それほどの強者の気配を感じたのか?」

「逆。まったく強さを感じなかった。でもそれでもヤバい。見つめられた瞬間死が襲って来たかと思った。それにあの黒髪の女、あれも超級にヤバい」

「なるほど……アダマンタイト級冒険者『漆黒』か……。お前が超級にヤバいと評価する人間が二人もいるとはな」

 

 この首狩り兎は暗殺者として最高位の存在である。それが自分では敵わないと認めているのだ。想像を超える強さを持っているのだろう。

 

「あんな人間をプロデュース出来たら最高なんだがな……」

 

 オスクには夢があった。

 自分が戦えない代わりにこういった武具を使って闘技場で戦ってくれる戦士を育て、プロデュースし、そして帝国随一となるという夢が。

 

「二人じゃない四人」

「は?」

「あの子供二人も超級にヤバかった」

「まさか……」

 

 そんなことはないだろうと言いたかったが、首狩り兎が嘘をつくとも考えられられない。あの二人がそこまでに育て上げたということだろうか。

 

「羨ましいな……」

「ん、どういうこと?」

「私のプロデュースしているやつらにはあれほどの強者はいないのだろう?」

 

 オスクの知りうる限りで首狩り兎が超級に強いといったのは先ほどの4人が初めてだ。そして彼は現在闘技場に出場している戦士にそこまでの評価はしてくれなかった。プロデューサーとしてこれほど悔しいことはない。

 

「いや……違うな。今いないなら私もこれから育てれば良いのではないか?どこかにあれらに匹敵するほどの才能を持つ者がいれば……」

 

 人間であっても人間でなくても構わない。オスクは強者を育て戦わせることが楽しいのだ。自分が戦えない分代わりに戦ってもらう。

 オスクはそんな未来を夢見るのだった。

 

 

 







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第47回 戦利品鑑賞

 モモンガは一人、帝都の高級宿の一室で趣味の世界に没頭していた。

 目の前にあるのは本日魔道具店やオークションで手に入れた魔法道具の数々だ。一つ一つはモモンガの元々持っているアイテムや魔法には及ばないもののユグドラシルでは見られなかった物であり、一つ一つ丁寧に部屋のテーブルへと並べていく。

 

「ふふふっ……これは非常に丁寧な細工がしてあるな……。これは葉の模様か?いや、動物……いや竜を象っているのか?これほどのものを造るとはさすがドワーフだな」

 

 手にしているのはオスクに渡したのとは別の魔法剣である。刀身は一片の曇りもなく磨き上げられており、柄や鍔にも意匠が凝らされている。

 特にモモンガが感心しているのは軽金属製の鞘だ。まるで本物と見紛うような双龍が金細工により克明に彫られていた。

 

「はぁ……かっこいいな……額に入れて部屋に飾りたいくらいだ」

 

 一通り魔法剣を愛でたモモンガはインベントリに整理しながらしまい込むと次の品を取り出す。

 

「これは短剣……にしては小さいな。棒手裏剣……いや投げナイフのようなものなのか?んー……そうだな」

 

 モモンガは何を思ったかインベントリから板を取り出すと壁に立てかけて的を描く。

 こういったコレクションアイテムは造形を愛でたりするのも楽しいが、やはり実際に使って楽しむのが定番だ。

 

 それにこれは実験でもある。モモンガの職業(クラス)の関係で通常の状態では戦士が装備できるような武具をモモンガは扱えない。

 手に持ったり人に渡したりくらいは出来るが攻撃を目的として振ろうとすると手から離れてしまうのだ。

 

「変なところでユグドラシルのシステムが活きているんだよな……」

 

 R18のシステムは活きていないというのに職業による武器装備制限のシステムは活きている。

 ならば攻撃以外の目的で使う武器の場合はどうなのだろうか。モモンガは手元の棒手裏剣っぽい武器を見つめる。

 

「やっぱり手裏剣は浪漫あるな……。忍者と言えば弐式炎雷さん……いけるかな……?しゅっしゅっしゅっと」

 

 モモンガの投げた短剣は作った的から大きく外れて板に突き刺さる。

 どうやら戦闘でない対物への投擲であれば問題はないようだ。しかしコントロールまではその限りではない。

 もう少しで宿の壁に刺さるところだった。

 

「あっぶな!これは投擲スキルがないからか?いや!格闘技ではある程度技が上達した感触はある!これも練習すればいける……はず!」

 

 モモンガはあらためて落札した投擲武器をすべて机に並べるとそれを順に投げては一喜一憂する。

 

「ナーベラルたちもこういった趣味でも持てばいいんだけど……なぁ」

 

 彼女に趣味があれば何が挙げられるだろうか。

 

「虫か?よく虫の名前を言っていたような気がするが……昆虫採集が趣味とか?休暇が終わったら記憶を覗いてみるか……いやいや、<記憶操作>はそんな簡単に使っていい魔法じゃない。ましてや記憶を改竄するなんてもってのほかだしな……っと」

 

 考え事をしながら投擲を続ける。

 徐々に上達している感触はあるものの命中率は50%を超えるか超えないかといったところだろう。

 命中率に上限があるのか、それとも単にモモンガのセンスの問題なのかは分からない。深夜の暇つぶしには丁度いい。

 最近は持っていた書籍も読みつくしてしまった。

 

「今日は珍しくピニスンからの<伝言>がないから暇なんだよなぁ……。朝までこれで遊ぶ……もとい訓練するしかないだろう!そぉれ!よっし!真ん中!」

 

 モモンガは肉体も精神も疲労しない身の上である。モモンガは次第に上達していく投擲の腕に時に声を上げながら楽しんでいたのだが……。

 

 しばらくすると、ふいに扉をノックされた。

 

「あの……お客様。何をされているのでしょうか……。もう少しお静かに……」

 

 モモンガの部屋に来たのはその日夜番をしていた宿屋のメイドさんである。高級宿ということもあり、若く比較的顔も整っている美人さんだ。

 

 深夜に出入りするお客様のために寝ずに受付で番をしていたところ、『ダン!ダン!』という奇妙な音がしたり、時々に奇声が聞こえたりして他の部屋から苦情が入ったので部屋に来たのだろう。

 そんなメイドさんがモモンガの部屋をノック後に覗いてみると……。

 

「おっと手が……」

 

 ダンッ!メイドがドアを開けた瞬間、その目の前でドアの桟へと短剣が突き刺さる。

 自分の頭部わずか数センチ横に突き刺さったその刃は鋭く、一目で本物だと分る。

 

「ひっ……」

 

 メイドはあまりの恐怖に悲鳴を上げようと息を吸い込む。

 しかし、それだけに収まらなかったようで床を見るとすでに染みが出来ておりアンモニア臭が部屋の中にまで届いてきた。

 

「<記憶操作(コントロール・アムネジア)>!!!」

 

 

 

 

 

 

 私は帝都の高級宿屋の従業員。

 数多のライバルたちを蹴落とし、この美貌と研鑽により晴れてここへメイドとして就職した立派な従業員です。

 

 そんな私ですが、なぜかついうっかり立ったまま眠っていたようです。私としたことがこんなことは初めてですね。恥ずかしい。

 

 しかし何か恐ろしい夢を見たような気がしますがどうも思い出せません。

 私はただ廊下で突っ立っていました。

 こんなところで何をしているのだろうとしばらく考えて思い出しました。私は騒音を注意しに来たのでした!

 夜番をしていたところお客様の一人が隣がうるさいと怒鳴り込んできたのです。

 夜番はお客様の相手をしなくていい楽な仕事かと思っていたのになんということでしょう。

 

 仕方ないので注意するためにその原因の部屋へと行くとそこは何とあのアダマンタイト級冒険者モモン様の部屋ではないですか。

 

 あの方の評判は聞いています。力ずくで女の人に酷いことをするらしいです。こんなにも若く美しい私が夜中に一人で訪問しても無事に帰れるのでしょうか。

 

 でも嘆いても仕方ありません。誰も助けてはくれないのです。

 私は意を決して部屋をノックすると「はい」という返事がありました。

 

「あの……お客様。何をされているのでしょうか……。もう少しお静かにしていただきたいのですが……」

 

 ドアを開けて中を覗くと漆黒の戦士、アダマンタイト級冒険者であるモモン様が腕立て伏せをしていらっしゃいました。なぜこんな夜中に?

 

「ああ、すまない。ちょっとトレーニングに力が入りすぎてしまったみたいだな」

「そ、そうですか……」

 

 さすがアダマンタイト級の冒険者。いつでも体の鍛錬は怠らないらしいです。しかし鎧を着たまま腕立て伏せをしているのはなぜなのでしょう。

 

 それに鎧を着たまま腕立て伏せをするような音だったのでしょうか。記憶を探るけどよく思い出せません。腕立て伏せの音だったかもしれないしそうでないかもしれないし。何だか頭がぼーっとしています。

 

「夜中に騒がせてすまなかった……いや、本当にごめ……すまなかったな……少し壁も傷つけてしまったし……そうだ、これはお詫びだ。受け取ってくれ」

 

 そう言ってモモン様は私の手に何かを握らせました。革袋のようです。中を開くと金貨が何百枚も入っているではないですか!なにこれキラキラだ!

 

「こ、こんなにいただけません!」

「い、いや気にしないでくれ。色々と見てしまったし……しかし黒だとは……いや、ちゃんと洗って乾かしたし……おほんっ!まぁ悪いことをした詫びだ。受け取ってくれ」

「……」

 

 お詫びにしては多すぎます。どういうことだろうかとしばらく考えて一つ答えを思いつきました。

 

「あの……そういったサービスが必要でしたらこちらで娼館などに手配いたしますが……」

 

 夜中に腕立て伏せをしているくらいです。色々と持て余しているのでしょう。

 ここは帝都でも一番の宿なのです。そう言ったお客様に斡旋できる娼館の一つや二つはあります。ここは紹介するのが出来る従業員としての務めでしょう。

 

「は?いや、私は君に悪いと思って渡しているわけで……そういうことではないんだ!頼む!受け取ってくれ!」

「はっ!まさか私の体をお求めなのでしょうか!」

 

 もしそうであればこの金額は納得がいきます。自分で言うのもなんですが私は器量はいい方です。体のほうも痩せて見えるが脱ぐと結構すごいと評判です。

 

 それに私には無縁だったけれど、これまでこの宿でこういった話がなかったわけではありません。貴族に見初められて玉の輿に乗った従業員の話は過去に幾度もあったと聞きました。

 

 最初は噂を信じて怖いと思っていましたが意外と紳士的な方のようです。

 アダマンタイト級冒険者なら地位も名誉も合格でしょう。お金だって毎日こんな高級宿で暮らせるくらいのお金持ち。この波に乗らない手はないでしょう!もし駄目でも金貨数百枚は大金だし!

 

「あの……モモン様がお望みでしたら……」

 

 服に手をかけ脱ぎ出そうとするとモモン様にその手を止められました。

 

「待て待て!なぜ脱ぐ。さっき見たから……いや、なんでもない。とにかくこの金を持ってこの部屋であったことは他言無用で頼む。では、解散!」

 

 モモン様に体を回れ右されて外に出されるとドアを閉められてしまいました。

 どうやら土壇場で恥ずかしくなってしまったのでしょう。強い上になんて可愛らしくて優しい人なのでしょうか。

 

 きっと仲間のナーベ様を無理やり仲間にしたというのも嘘に違いありません。それに帝都のこの宿にいるのならきっとチャンスは今後もあるでしょう。ならばその時のために美容を磨きましょう。それには夜更かしは天敵です。

 私はこれからは夜番を誰かに変わってもらおうと決意して受付へと戻るのでした。

 

 

 

 

 

 

 ……焦った。

 今回は本当に焦った。部屋に入って来たメイドに短剣が刺さりかかけて粗相をされた瞬間、急いで記憶を消せて本当によかったとモモンガは安堵する。

 

 もしあのまま悲鳴でも上げられていたらとんでもないことになっていただろう。 

 夜9時には就寝するように言ってあるナーベラルやラナーたちも駆けつけて来ただろうし、そうなれば修羅場になったのは火を見るより明らかだ。

 そしてその瞬間、モモンガの風評は地の底へ転落することになっただろう。

 

『ピニスン!』

 

 モモンガは思い出したように<伝言>の魔法を発動する。

 

 

『え?突然なに!?君から<伝言(メッセージ)>くれるなんて初めてじゃないか!』

『朝までおしゃべりしよう!』

 

 モモンガの発動した<伝言>の相手はトブの大森林のピニスンだ。

 せっかく戦利品を大量に収穫してそれで暇をつぶそうと思っていたがそんな気分ではなくなってしまった。

 深夜にあの遊びはいろんな意味で危険なようだ。

 

 そしてモモンガは現実逃避するようにピニスンと取り留めのないおしゃべりを朝まで続けるのだった。

 

 

 



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第48話 第41回下僕会議

 モモンガが部屋で七転八倒することとなる夜。

 ナーベラルの部屋にはラナーとクライムが訪れていた。珍しくナーベラルが喜色を表しながら会議の開催を宣言する。

 

「今日は記念すべき41回目の会議です!」

 

 至高の存在である主人(モモンガ)の意を汲むために開かれているこの会議もついに40回台へと突入していた。

 しかしラナーはその言葉に首を傾げる。40回記念であれば分かるが41回記念とは何のことだろうか。

 

「記念すべき……ですか?」

「至高の御方々の人数は41人!同じ数であるこの数字はこの世界で最も尊い数と言えるわ!」

「なるほど!もしモモンガ様が世界を統一なされたら6大神などという有象無象の神を排して真なる神々の数として知らしめなければなりませんね!」

「もちろんです!モモンガ様たち至高の御方々を差し置いて神を自称しようなど無礼千万よ!」

 

 すでに3人の中ではモモンガは神認定されている。 

 モモンガがいたら大反対をするところであるが、残念ながらこの場にそれを止める者はいない。

 彼女たちの中でこの世界の神を入れ替えることが決定した瞬間である。

 

「今日の議題はモモンガ様が提案された『休日』というものについてよ。現在の時刻は20時31分30秒、モモンガ様が定められたあなたたちの就寝時間まで28分30秒しかありません。手短に進めましょう。モモンガ様は今日一日を通して私どもに休日とは何かを示していただいたのだけれど……あなたたちには何か分かった?」

 

 実際ナーベラルは今日一日モモンガと行動を共にしたが『休日』について真に理解できたかと言われれば否である。

 至高の存在のために働くことが喜びだというのに『自由にしてよい』と言われ、見本も見せてもらったらその理解には程遠かった。慙愧の念に耐えない。

 

「えっと……何かすっごいたくさん買い物してた!」

 

 無邪気にクライムが発言するが、ナーベラルはそれに頷く。

 確かにたくさん買い物をしていた。しかしそれはナーベラルでも分かることだ。どうやらクライムには期待できそうにない、とナーベラルはラナーに目を向ける。

 

「クライム、確かにそうだけれど……でもそれは表面上のことだけなのよ」

 

 やはりラナーには何らかの考えがあるようだ。

 しばらく一緒に過ごして分かっていることがある。ラナーの知識は主人(モモンガ)の役に立つということである。

 ナーベラルでは考えつかないようなことも理解している。ならばその知識を活用しない手はない。

 

「至高の御方たるモモンガ様のことです。そこに深淵なるお考えがあるのでしょう。ラナー、あなたにはそれが分かったというの?私の見たところ今後の旅に備えて武具やアイテムを買い集めているように見えたのだけれど……。」

「確かにどこにも休む要素がありませんでしたわ。私の考えなどモモン様の足元にも及びませんが……しかし、あれが『休日』だけを意味するとは思えません。おそらくモモン様はあのドワーフの商人を通して何かさせようと策謀されているのではないでしょうか?」

 

 ラナーをしてもモモンガの行動は理解の範疇外である。

 しかし予測することはできる。あの超高位たる存在がただ楽しむだけのために、その日のうちにオークションに赴くなどありえないだろう。

 しかも有り金をすべて使い果たすほどのペースでだ。それこそ狂的なまでのアイテムの収集癖でもない限りはありえない。

 ラナーにとってモモンガの行動は何らかの策謀としか思えなかった。

 

(これがただの何も考えていない愚か者だというのなら理解できますが……あの超常の存在たる御方がそんなはずがないですわね……)

 

 休みと言いつつ朝から晩まで武具やアイテムを買いあさるという行為に何らかの意味を見出すのは困難だ。

 もしラナーが本当に『休む』というのであれば部屋でのんびりお茶を飲んだり、買い物するにしてももっと時間をかけて楽しむだろう。

 

「ラナー。モモンガ様はドワーフを何かに利用しようとしているというの?」

「モモンガ様は今、安住の地やお仲間の情報を探しておられます。ですので今度はアゼルリシア山脈の探索へ向かうべく準備を整えていたのではないでしょうか?」

「なるほど……」

 

 ナーベラルの胸にラナーの言葉はストンと落ちて来た。

 至高の存在たるモモンガ様が動くのであれば常人では計り知れない狙いや策謀があって然るべきであり、ラナーの考えに納得がいく。

 

「ドワーフ国の位置情報は私も持っておりません。ですのであのドワーフの商品を買い占めたことでつながりを作ったのではないでしょうか?」

「だとするとモモンガ様が進むべき道を示してくださったということ……ね。分かったわ!休日の使い方としては明日1日を使ってそのドワーフを生け捕りにしましょう!」

 

 モモンガの配下として主人に先んじて雑務をこなすことは当然の行いである。

 ドワーフが必要であるというのであれば無理やりにでも捕らえて情報を吐かせる必要がある。

 

「……生け捕りはともかくとして交渉期間として明日1日使ってでも連れてくるべきですね」

「それが休日ってやつなの?わん」

 

 クライムも休日という概念については知らない。

 しかしラナーのためになるのならと真剣に話は聞いていた。そんな飼い主の顔を伺うようなクライムのトドにラナーは相好を崩す。

 

「そうだと思いますがナーベ様いかがでしょうか?」

「分かりました、結論をいいます。モモンガ様は我々に道を示してくださいました。『休日』とは次の任務のための準備期間のことなのでしょう。1日たりとも無駄にせずモモンガ様や至高の御方々のために尽くす時間、それこそが休日と言うものなのです!」

「はい!明日は1日有効に休日を使いますわ」

「わん!」

 

 モモンガの下僕3人は目の奥に炎を宿らせ、初めての休日を迎えようとしていた。

 

 

 



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アゼルリシア山脈編
第49話 アゼルリシア山脈を目指して


 モモンガの休日宣言から二日後。モモンガの休日は終わった。

 完全に魔法道具集めという趣味に浸かり、その後の宿屋での出来事もあって散財してしまったが十分に満喫出来たといえるだろう。

 

 一方、ナーベラルたちはというとモモンガに付いて来ていた一日目は別として、二日目には各々出かけていたのできっと良いリフレッシュになったのではないだろうかとモモンガは予想する。

 

 上司として部下の福利厚生も用意できたのであれば僥倖だ。

 

 休日も終わったことだし、そろそろ次の行き先でも決めて通常業務に戻ろうかと思っていたのだが……。

 

 なぜか宿のロビーにドワーフの商人が連れて来られており、次の行き先がいつの間にかドワーフ国となっていた。

 

(……どうしてこうなった?)

 

 モモンガとしては特にまだ次の行先など考えていなかった。そもそも一部回収できたものとは言え、趣味でと賠償金で散財してしまったのだ。

 そのため、帝国で冒険者として依頼でも受けながら各地を回る程度に思っていたのだ。今目の前にある現実はまさに青天の霹靂である。

 

 しかし、ナーベラルを含めた3人はまるで頼まれた仕事をやり遂げた新入社員のように目をキラキラさせて褒めてほしそうな顔をしていた。

 

(どうする? ……どうしたらいいんだ?私の考えと違うと言うのは簡単だが……)

 

「おぬしか、わしの持ってきた武具をすべて買ってくれたというのは。感謝するぞ」

 

 何と答えたものか思案に暮れている中、話しかけてきたのは背が低くずんぐりむっくりした男。

 顔の下半分が髭で覆われており胸の中ほどまで伸びている。ドワーフという種族だ。

 この世界でも同じなのかは不明だが、ユグドラシルでは鉱山のある山に住み着いているとされる人族の一種であり、種族としては鍛冶スキルに大きな補正がかかり、ドワーフではないと取得できない職業(クラス)や作れない武具も存在していた。

 

 モモンガがオークションで手に入れたものはユグドラシルの魔法道具と比べると実用的な価値はないに等しい。

 しかしこの世界においては上位に属するものだということは、様々な素材を手に入れられる可能性もある。

 ならばドワーフの国に行ってみるのもいいのではないだろうか。何よりキラキラとした目で見つめてくる部下たちの期待を裏切るわけにもいかない。

 

「あ、ああ……私が落札させてもらった。冒険者をしているモモンという。よろしく頼む……それで……どう……なんだ?」

 

 なんでドワーフの国に行くことになったのか、どうして彼はここにいるのか。

 それを聞くわけにもいかないので曖昧な問いになってしまうのも仕方ないだろう。しかしその言葉をドワーフは道中への心配と取ったようで……。

 

「ああ、このお嬢さんから聞いておるぞ。ドワーフ国への案内なら任せてくれ。わしとしてもアダマンタイト級の冒険者が護衛についてくれるとなれば心強いわい」

 

 どうやら護衛を引き受ける代わりに案内を頼んだらしい。

 アダマンタイト級の冒険者への護衛依頼となれば破格の金額になる。ドワーフが喜んで引き受けたのも頷ける話だ。

 

「あー……聞きたいんだが、君の国にはもっといろいろと珍しい武具があったり、素材があったりするのか?」

「もちろんじゃ。わしらの国はかつて13英雄にも謳われたドワーフ王がおった国じゃからな。鉱物もミスリルにオリハルコン、アダマンタイトまで採れるわい。魔化の技術もあるからの」

 

 挙げられたのはモモンガにとっては特に珍しくもない素材だが、技術面も含めるとコレクター魂を揺さぶられる。しかし残念ながらモモンガには先立つのものが乏しかった。

 

「そうか……それなら金を用意しておかなければならないが……」

 

 モモンガは先の衝動買いを後悔する。

 もしドワーフ国のことを知っていれば、卸先であるバハルス帝国で購入するより現地で購入した方がよほど安上がりだっただろう。

 輸送の手間についてもモモンガであれば転移門で一瞬である。

 

(昔もこんなことあったけどなぁ……)

 

 ユグドラシルにおいても衝動買いした後に、もっと安い値段で売っているところを見て後悔したことは数知れない。

 

 モモンガが金について悩んでいるのを見かねてかドワーフの商人が提案をする。

 

「もし荷物に余裕があるのなら金よりも酒や肴を持って行った方が喜ばれるし得だと思うぞ」

「……酒!? 肴!?」

 

 意外な言葉にモモンガの頭にクエスチョンが浮かぶ。それを見てドワーフの商人は笑いながら自分のカバンを開けて見せた。

 

「おう、ほれ見てみい」

 

 ドワーフの商人が背中から降ろした大きなカバンには所せましと様々な酒や保存食が詰め込まれていた。

 

「ドワーフは酒に目がないでな。金より酒じゃ。帰るときには持てるだけ酒と肴を買っていくのよ。まぁ半分は帰る途中に飲んじまうんだがな、わはははははは。あんたも酒を向こうで換金した方がいい武具を手に入れられるだろうて」

「なるほどな……」

 

 モモンガのインベントリであれば、ドワーフのカバンなど比較にならないほど大量に物が入る。

 手持ちの金のすべてを酒や肴に替えてしまっても何も問題ないだろう。

 モモンガは大いに頷くとドワーフの提案通り、出発前に大量の酒を買うべく帝都内を駆けまわるのだった。

 

 

 

 

 

 

 帝都を出て数週間。モモンガはドワーフ国への旅を満喫していた。

 アゼルリシア山脈への道のりはうっそうとした森林地帯であり、そこにはモモンガの見たことのない植物やモンスターが多く生息している。

 

 道中、モンスターが襲い掛かってくれば嬉々として撃退し、素材をはぎ取り、珍しい植物を見つければ採取して鑑定しては一喜一憂する。

 未知を既知とするまさに冒険者としての冒険だ。

 

 さらにドワーフ流の野営術。

 鍛冶にも使われるという熱を発する鉱石を使った野営はとても興味深く新鮮であった。拠点作成アイテムを所持しているというのにほとんど野宿を続けるほどである。

 

「今日も野営するのか? あのすごい建物を出す魔道具でいいんでないかのぅ……」

 

 当初拠点作成アイテムに目が飛び出るくらい驚いていたドワーフの商人であったが、今はもう慣れたものである。

 寝心地の良いベッドの感触が忘れられないのかモモンガの方をチラチラと見て催促してくる。

 

「あと数日で到着してしまうのだろう? せっかくだからキャンプをもう少しだけ楽しんでだな……」

 

 モモンガとしては、現実で出来なかったキャンプが純粋に楽しいので野宿を続けたかった。

 食事を取ることは出来ないが川で水を汲んできて、火をおこし、食事の準備をするという作業は実験としても楽しい。

 

(俺が作るとなぜか消し炭になってしまうんだがな……。ナーベラルも同じだったがラナーとクライムは普通に料理が出来る……。料理スキルの有無でも関係しているのか……?)

 

 疑問は尽きないが、今はキャンプを楽しむのが優先だ。

 シートを木々に括り付けて簡易のテントを作ってゆく。魔法を使えば一瞬で終えてしまえることだが、人の手でやると実に味があった。

 

「おぬしが夜中騒がしいから個室でゆっくりしたいわい」

 

 着々と準備を進めるモモンガに催促を諦めたのかドワーフの商人はため息を吐く。

 

「……それは悪かったな……まぁ確かにそれもそうか」

 

 モモンガは基本夜の間、暇である。

 そのため見張りと称して周りを散策したり、ピニスンと<伝言>でおしゃべりしたりしていたのだが少しうるさかったらしい。

 それに疲労無効の能力のない彼にとって野宿は疲れるものなのだろう。

 

「仕方ないな……分かった。たまにはグリーンシークレットハウスで休むとしよう」

 

 モモンガの言葉に喜色満面でキャンプの準備の片づけをするドワーフの商人とともに撤収を終える。

 そしてモモンガはインベントリから拠点作成用の魔法道具<グリーンシークレットハウス>を取り出して設置し、皆で中に入ろうとした───その時……。

 

「なんだこりゃ……なんでこんなところに建物があるんだ?」

 

 そこに現れたのはなぜか左腕だけが太く、屈強な肉体を持つ巨体のリザードマンだった。

 

 

 



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第50話 再びリザードマンの集落へ

 

「ドワーフと……お前たちは人間か?で……こりゃなんなんだ?」

 

 現れた屈強なリザードマンは物珍しそうにグリーンシークレットハウスをペタペタと触っている。

 

「リザードマンか……湿地帯でもないのになぜこんなところに?それと私たちは人間ではないので勘違いしないでもらいたい」

「人間じゃねえのか?まぁそれはいいか。それでこれはなんなんだ?」

 

 見た目が奇妙なモモンガ一行よりグリーンシークレットハウスに興味が行っているようだ。 

 窓から中を覗いたりぐるりと周りを回ったりしているが確かに突然こんなものが現れれば驚くだろう。

 

「それよりまずは自己紹介といかないか? 私の名はモモンという。冒険者だ。こっちの黒髪の彼女がナーベ。この子供たち、赤ずきんがラナーで犬の着ぐるみを着ているのがクライム。ドワーフ国に行く途中でドワーフに案内してもらっている」

「俺はゼンベルってんだ。ドラゴンタスク族の族長をしている。今はまぁ……武者修行のために旅をしている旅人ってところだな」

「……ドラゴンタスク族?」

 

 どこかで聞いたことがある名だ。

 しかしモモンガの灰色の脳味噌ではいまいち思い出せそうにない。

 いや、こんな時のためのラナーだ。彼女ならかのネコ型ロボットのごとく何でも解決してくれるだろうと期待して見つめる。

 

「モモン様。彼はリザードマン部族で唯一連合に入らなかった部族かと……」

「ああ……」

 

 ラナーの言葉にやっと思い出す。

 リザードマンの集落の復興を手伝った時、ほぼすべての部族が一つにまとまったのだが、確か族長不在のためリザードマン連合に入らなかった部族があった。

 その部族だけ時代に取り残されたような形になってしまい罪悪感を感じていたのだが……。

 

「あれがドラゴンタスク族だったか……」

 

 族長が旅人のため不在だと言っていたのを思い出す。

 

 旅人……リザードマン部族の中で外の世界を見ようと集落を出ていくハグレ者のことである。

 

「お前ら俺の部族のことを知っているのか?何かあったのか?」

「ああ、それは……」

 

 モモンガはゼンベルにリザードマンの集落での出来事を話す。

 

 人間たちが川に毒を流して魚が激減したこと。

 その人間たちをグリーンクロウ族とともに殲滅したこと。

 その後、起こりうる食糧難に備えて援助をしたこと。

 モモンガが話している間、時に疑わしそうな目で見ていたゼンベルであるが、モモンガの話が終わると口を開く。

 

「……なんだかどうもしっくりこねえな。おめぇはさっきからお前らが敵を殲滅したとかぬかしてるけどよ。……ちっとも強さを感じねえぞ。俺は口だけの奴を信じたりはしない」

 

 実際に戦ったのはラナーやクライムたちだが……それを言ったら余計に信じなさそうだ。

 別にそれを証明する必要もないが疑われたままだというのも気分は良くない……というよりナーベラルの目つきがやばい。

 今にもモモンガを侮辱した罪人(ゼンベル)に対して処刑を実行しようとしているように思える。

 

「ああ……まぁ、別に信じてもらわなくても構わないんだが……どうすれば信じてくれるんだ?」

「俺と戦え!俺に勝ったらてめえの言ったことを信じてやる!」

 

 ゼンベルが両の拳を構える。

 

 どうやら言葉ではなく肉体言語を得意とする相手らしい。

 族長の仕事を放り出して武者修行の旅をしているという話であるし、かなりの手練れなのだろう。

 それであればモモンガもその技術を盗めるかもしれないと期待が高まる。

 

「ふふふっ……面白いな。ナーベ、お前たちは離れてみていろ。ではゼンベル。どこからでもどうぞ?」

 

 モモンガはナーベラルたちを下がらせると王国で習得した拳術の構えをとる。

 まだまだ未熟であるがずぶの素人ではない程度には思ってもらえるとありがたい。しかし、ゼンベルにとってそれでは不満だったらしい。

 

「……てめぇ得物もなしに舐めてんのか」

 

 残念ながら構えだけでは拳法家だと認めてもらえなかったらしい。

 しかしモモンガとしてはまずは相手の攻撃を受けて学ばせてもらいたいのだ。無手で行くことに変わりはない。

 むしろ相手の武器が弱そうでそちらのほうが心配だった。

 

「……君こそそんな斧一つで大丈夫か?出来れば全力で来てもらいたいんだが?」

「……あ?」

 

 次の瞬間ゼンベルは斧を放り捨てると一直線にモモンガに向かって来た。当然武器を捨てたので無手である。

 

「お前も修行僧(モンク)か!?面白い!」

「うるせえ!なめやがって!食らえ!アイアン・スキン!」

 

 鉄強度と化したゼンベルの拳がモモンガの鎧へと突き立てられる。ギギィンと金属でしかありえないような音が響き渡る。

 

「ほぉ!?今のは武技……いや、スキルか??硬質化……いや、金属化か。どの程度防御力が上がるのだ?逆に雷属性に弱くなったりは……」

「くっ……硬てぇ!なんだよその鎧は!」

 

 訳の分からないことを呟くモモンガにゼンベルは不気味なものを感じつつも攻撃の手は緩めていない。

 しかし、いくら攻撃しようとその鎧には傷一つもつかなかった。

 

「少し硬度を試させてもらおうか……行くぞ!」

 

 その瞬間、ゼンベルの第六感が最大限に警鐘を鳴らす。

 このままではやられる……そう感じた瞬間に距離を取ろうと後ろに飛び去るが……。

 

 目の前にはいつの間に距離を詰めたのか拳を振りかぶったモモンガが現れていた。

 

「くぅ!アイアン・スキン!」

 

 ゼンベルが再度全力で硬質化させた両腕を目の前で交差させる。

 

 

───次の瞬間。

 

 

 ゼンベルの両腕があり得ない方向へと曲がるとちぎれ飛んで行った。

 さらにモモンガの拳の勢いは収まらず、ゼンベルの顔面を捉えると首があり得ない方向に曲がった。

 そして骨の折れる音とともにゼンベルが地面へと沈み込む。

 

「あっ……しまっ……」

 

 力加減を間違ってしまった。

 自信満々の様子で向かって来たのでこの程度は耐えられると思ってしまったのだ。

 原因ははっきりしている。魔樹だ。あれと同じ感覚で接してしまった。

 慌てて生命の精髄(ライフ・エッセンス)で体力を確認するが、一ミリも残っていなかった。

 死亡確定である。

 

「さすがです!モモン様!あのような有象無象に慈悲を与えるとはなんとお優しいことか……」

「ぇ……優しい?」

 

 ナーベラルの言葉に疑問を覚える。

 今自分がしたことは力加減を誤って殺してしまったという恥ずべき事実なのはずなのになぜ優しいという感想になるのだろうか。

 しかし、ナーベラルの横でラナーとクライムも尊敬の眼差しを向けながら頷いていた。

 

(うわぁ……今更間違って殺しちゃったとか言えない雰囲気なんだけど!)

 

「う、うむ。まぁ彼もこれで実力の差を思い知ったことだろう。ナーベ、蘇生して上げなさい」

「はっ!」

 

(……でもゼンベルとか言ったっけ?彼は武者修行……つまりレベル上げ中だったんだよなぁ……。死んで蘇生したらレベルが確実に下がる……)

 

 ユグドラシルで例えるならレベルアップして喜んでたところを殺されて振り出しに戻ってしまった……、それまでかけた時間のすべてが無駄になった、といったところだろうか。

 罪悪感がモモンガを襲う。

 

 

 

 

 

 

 モモンガ達はグリーンシークレットハウスの中にいた。

 その床には一人のリザードマンが横たわっている、なおすでに死体ではない。

 

 モモンガは蘇生魔法によりゼンベルを蘇生させた。

 ただ、呂律の回らないような衰弱状態では殺したことが露見する恐れがある。それを誤魔化すために睡眠(スリープ)の魔法をかけて起きるのを待っているのだ。

 

「伝説の蘇生魔法まで使えるとは……アダマンタイト級冒険者とは凄まじいんじゃなぁ」

 

 その一部始終をドワーフの商人に見られていた。

 戦い自体はゼンベルから仕掛けてきたこともあり、ドワーフからモモンガへの悪感情は感じられない。しかし殺したまま放置したらさすがにそうはいかなかったかもしれない。

 

「ふふんっ、すべてはモモン様のお力によるものです」

 

 風評被害が増えているような気がするがモモンガは心に蓋をする。自分はリザードマンなど殺していないし、何も起きてはいない。

 ゼンベルは死闘の末に気絶したのだ。そうに違いない。

 

「うっ……ここは……どこだ?」

「あーと……ゼンベル。その……大丈夫か?」

「俺は……負けたのか?」

「あー……まぁ……そうだな」

「……」

「……」

 

 負けたどころか命を失いました、とは言えない。せっかく修業をしてきたというのに殺してレベルダウンをさせてしまった、などとは言えない。

 

(……気まずい)

 

 どう言い繕ったものかと頭を悩ませるモモンガであったが、部屋の中にゼンベルが笑い声がこだました。

 

「わははははははは!負けたか!わかったわかった!俺のもまだまだだな!世の中にはつえぇやつがいるもんだ!よし!今日からてめえがドラゴンタスクの族長だ!任せたぜ!」

「なぜそうなる!?」

 

 負けを認めそれをそれほど気にしてない様子にほっと安堵する。しかし話がどうもおかしな方向に行きそうになっている。

 

「なんでぇ……嫌なのかよ?」

「え……あ、はい」

「ちっ、そうかよ!めんどくせえな!」

 

 どうやら駄目もとで言ってみただけらしい。

 ゼンベルも族長が面倒くさかったのだろうか。モモンガもナーベラルたちの上司としてその苦労は多少わかるつもりだ。

 

「そんだけ強ければ集落を襲ったやつらを殲滅したってのも本当のことなんだろうよ!礼を言うぜ!」

「礼は別にいらない……それにリザードマンは助けたがドラゴンタスクを助けたわけではない」

「……どういうことだ?」

 

 モモンガはドラゴンタスクが同盟に未加入な理由を説明する。それを聞いたゼンベルは呆れるように天を仰いだ。

 

「あいつら馬鹿か!?魚が捕れなくなるってのに断ったのか?俺がいないからってあの馬鹿どもが……」

「お前がいたら説得できるのか?」

「ああ……だが、ここからは遠すぎる」

 

 ゼンベルとて族長として部族の者たちが飢えるのは忍びないのだろう。モモンガとて保護者としてナーベラルたちに貧しい思いはさせたくない。

 モモンガは手を振ると魔法を発動させた。

 

「……ならばついて来ると良い。《転移門》!」

 

 自分のミスでレベルを下げてしまった上にここで見捨ててはさすがに心が痛む。ここは助けてやるべきだろう。転移門の行き先はリザードマンの集落だ。

 

 漆黒の空間へとモモンガに続いてナーベラルたちが入った後、ゼンベルとドワーフはお互い顔を見合わせると恐る恐るそのあとに続いた。

 

 空間を抜けた先は見慣れた湿地帯……であったのだがゼンベルの見慣れた光景からはかけ離れていた。

 

「なんだこいつら!?」

 

 ゼンベルの目の前に現れたのはリザードマンであってリザードマンでないもの。 

 上下にきちんと服を着ており、靴も履いている。

 おしゃれな帽子を被っている者やスーツにネクタイを締めている者までおり、整備された道の上を歩いている文化的な様子は人間のものと大差がない。

 

「あ、これはモモン様!?」

「モモン様!?」

 

 モモンガに気づいたリザードマンたちが集まってくる。皆綺麗な身なりをしており、清潔感が漂っている。

 

「おかえりなさいませモモン様!」

 

 スーツ姿でグリーンクロウ族長のシャースーリュー・シャシャが駆けてきた。

 それを見てゼンベルは大口を開けて呆けていたが、モモンガはそれよりも気になるものがあり、横で同じように呆けていた。その驚きはゼンベル以上だっただろう。

 そこにあったのは新たな『木製モモン像』。

 四つん這いで首に縄ひもをつけられたナーベラルたち3人の従者に腰かけて支配者のポーズを決めているモモンガの像であった。

 

「<衝撃(ショック・ウェーブ)>!!」

 

 ()()を問答無用で吹き飛ばす。

 製作には絶対にナーベラルが関わっているのではないだろうかとちらりと見ると吹き飛ばされたことに口をOの字にして驚いていた。

 『なぜ気に入らなかったのか』と言いたげにチラチラとモモンガを見つめてくる。

 もしかしてナーベラルたちが夜な夜な集まっているのはこういうアイデアを考えているのだろうか。

 

「……()()は建築禁止とする」

「ぇー……」

 

 ナーベラルがこの世の終わりのような顔をしているが諦めてほしい。

 何が悲しくてこんな変態プレイをしているような像を公衆の面前に出さなければならないというのか。

 そんなあまりの事態に頭を抱えていると聞きなれた声が聞こえてきた。

 

「ちょっとちょっと!なんでこんなものを僕にぶつけるのさ!」

 

 プリプリと怒りながら木製モモン像を担いで緑色の奇妙な生物が走って来る。森精霊(ドライアド)?いや、魔樹の森にいたはずのピニスンだ。

 しかし、巨大な木像にぶつかったという割には怪我をしているようには見えない。

 

「おい……なぜお前がここにいる」

「ふふんっ、聞きたい?聞いちゃいたい?どうしよっかなー?んーーー……それはね!僕の本体を持ち上げてここまで運んできたからだよ!!」

 

 自信満々に胸を張って指さす先には一本の立派な大樹が植わっていた。

 勝手に魔樹の森から引っ越してきたのだろうその大樹はもともとの木より随分と成長しているように見える。

 

 場所も集落の中心に堂々とそびえたっており堂々としたものだ。よく見ると木の肌が一部に木像がぶつかったと思われる跡があった。

 

 しかしあんなところに植わっていては通行の邪魔や日照権の問題はないのだろうか。

 

「そんなことよりもさ!なんでこんなものを僕にぶつけるのさ!酷いじゃないか!」

「こんなもの……?」

 

 どすんと降ろされて指を差される木製モモン像。これは不味い。チラリと見るとナーベラルがキレそうになっている。

 ピニスンはというとさらに先ほどの大樹のめくれている部分を指さしてプリプリ怒っている。

 これはナーベラルが実力行使に出る前に謝っておくべきだろう。

 

「なるほど!本体が傷ついたということか!それは悪かったな!よし!植物系の種族でもポーションは有効だろう!これを使うと良い!」

 

 急いでモモンガがポーションを渡すとピニスンはそれを鑑定した後、喜んで木の幹にかけ始めた。どうやら飲んで使うのではないらしい。

 

「あー……いいねーこれ。体にしみわたるー!」

「しみわたるのか……それはまぁいいが……魔樹の見張りはどうしたんだ?」

「どうせずーっと眠ってるんだからからたまに見に行くだけで十分じゃない?それにね!君!最近はよく話をしてくれるけど、以前は全然《伝言》くれなかったじゃないか!こっちからしても無視してたし!」

「それは……」

 

 昼間に<伝言>を送られても無視していたことを言っているのだろう。

 人と話している時や考え事をしている時にあの迷惑<伝言>は非常にうっとうしかった。

 

「それで暇だし森の木々と話をしていたらさ。このあたりで美味しい肥料がもらえるよって話を聞いたんだよね!」

 

 恐らくラナー監修のもとに作った農園のことだろう。

 近くで採れる果実の実る木々や野菜、薬草などを栽培して増やしているのだ。腐葉土についても改良しており、植物の育成に利用していた。

 

「それでね。ここにやって来たんだけどそうしたら美味しい肥料は貰えるし、おしゃべりする相手もいるし、それからずっとここにいたんだよね。んー……これで元通りかな?ほらっ、見てよ!」

「なにをだ?」

 

 ピニスンは万歳をするように両手を挙げて紹介したのは先ほどポーションを与えた大樹だ。

 回復効果で捲れていた木肌は復元されている。

 よく見ると他の木々に比べて葉はつやつやとしており、木の幹も立派に見えた。さらにその枝の先には様々な果物が実っているのが見える。

 

「ふふんっ、これが僕の本体!んふふー。どう?何か感想は?」

「こんな大きい木を自分で引っこ抜いてここまで持って来るとはご苦労なことだな……」

 

 転移を使えないピニスンが距離の離れたこの集落まで持って来るのは大変だっただろう。

 その苦労を労ったのだが、それではピニスンはお気に召さなかったらしい。

 

「そうじゃないでしょ!?見てよこの立派な葉っぱと樹皮のつやとかさ!違うでしょ!?他の木と比べ物にならないでしょ?かっこいいでしょ!」

「ま、まぁそうだな……かっこ……いいか?」

 

 カッコいいと言われても木の美醜はよく分からない。

 他の木々と比べて立派かと言われればそうかもしれないが、葉っぱのつやとか言われても基準がどこにあるのかも分からなかった。

 

「それでね……他にも見るところあるでしょ?」

 

 ピニスンの視線の先を追うとそこには色んな果物がたわわに実っている。

 実があるのなら種もあるのだろう。トレントは種から繫殖するのか育つのか別の方法なのかという疑問がわいてくる。

 

「……実がなってるな?」

「でしょ?んー、どうしよっかなー?どうしよっかなー?いやー僕もここまで色んな木にモテモテになるなんてねー。色んな花粉を飛ばされちゃってね。まぁ?ハーレムってやつ?」

 

 何が言いたいのかよく分からないがチラチラとモモンガを見てきて非常にウザイ。

 植物基準で言われてもさっぱり分からない。花粉を飛ばされるのはナンパとかそういう感じなのか。色んな実がなっているということはつまりはそういうことなのか。

 

「モモン様。この木の実はとても種類が多くて美味しいのですよ」

 

 首を傾げているモモンガを見かねたシャースリューが教えてくれる。

 おいしいと言われてモモンガの興味は逆に薄れる。食べられないものの感想を言われても何も言えることはない。

 

「……そうなのか」

「どうしよっかなー?あげよっかなー?でも最近まで全然《伝言》くれなかったしなー?」

 

 正直果物自体よりトレントの生態の方が気になる。

 様々な果物が実るということは果物の木に準じた職業を取得しているということだろうか。

 殺してレベルダウンして職業を失った場合、ある果物が実らなくなるということだろうか。

 

「モモン様、このうるさい木は引っこ抜いて細切れにして薪にでもしてしまいましょう。この間楽しんでおられたキャンプファイヤーとやらをやりましょう、盛大に……」

「よし、ナーベ。許可す……」

 

 モモンガは実験のために半ば本気で許可しようするとピニスンが慌てて割り込んでくる。

 

「ちょちょちょ!やめてよ!君たち本気でしょう!?……もう!仕方ないなぁ!ほら、これ上げるから許してよ」

 

 モモンガの手に巨大な果実が次々と渡された。

 蜜柑のようなもの、バナナのようなもの、リンゴのようなものにパイナップルのようなものまで様々だ。

 食べることが出来ないので見た目だけしか分からないが甘い香りが漂ってくる。

 

「……私は味が分からないからな。クライムちょっと食べて……」

「むぐむぐ」

 

 食べてみろという前にピニスンからもらった実をクライムは貪るように食べていた。

 

「おいしい……あ、わん」

 

 どうやら美味しいらしい。

 ナーベラルやラナーにも食べてもらったがかなり好評である。いくつかもらっていくのもいいだろう。

 

「私にも少しもらえるか?代価は……そういえばお前は金銭って使ったりするのか?」

「……別にいらないかなー」

 

 リザードマンの集落ではいまだに物々交換が主流である。

 ピニスンにとっては果実の代わりに肥料がもらえればそれでいいのだろう。

 だとすると対価に何を払えばいいのだろうか。ただ働きなどさせられない。株式会社ナザリックはホワイトな企業を目指しているのだ。

 

「……まぁ、とりあえず今後も夜に連絡するから欲しいものがあったら言ってくれ」

「うんっ!!別に欲しいものはないけど……絶対《伝言》送ってよね!」

 

 報酬よりもおしゃべりの方が大事らしい。モモンガの言葉にピニスンは嬉しそうに頷くのだった。

 

 

 



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第51話 アルハラの国

 リザードマンの新集落ではゼンベルの希望によりドラゴンタスクが住民に加わることとなった。

 族長たるゼンベルは新しい文化を面白がっており、その言葉は絶対だ。

 そんな彼らも嬉々として新しい技術を受け入れている。もともと仲間入りの希望は内部にあり不満も高まっていたらしい。

 

 そんなゼンベルは集落に戻るかと思い、モモンガ達は旅を再開するために《転移門》で元の場所に戻ってきたのだが……。

 

 

「お前はまだついて来るのだな……」

「おうよ!ドワーフ国ってのは行ったことはないからな!」

 

 旅人らしく旅を続けるらしい。

 確かに武者修行のために旅に出たというのに弱くなって帰ってきたら本末転倒だろう。主にモモンガのせいであるが……。

 

「ところでゼンベルは今までどのような国に行ってきたんだ?」

 

 ゼンベルの行ったところに興味もあるが、それよりも仲間たちの手がかりがあるかもしれないとの期待もある。

 

「そうだなぁ。フロッグマンの集落に……トロルの集落……。どっちも好戦的なやつらでよ、いい特訓になったぜ」

「それ以外は?人間の国には行ったりしていないのか?」

「ん?行ったぞ。でもよぉ……人間が一番狂暴だったぜ?話も聞かずにいきなり剣で斬りかかられたからな!」

 

 どうやら人間はエルフやドワーフは受け入れるがリザードマンは受け入れられないらしい。

 モモンガにはリザードマンだからと襲い掛かるその人間たちの気持ちはいまいち理解できないが、この世界ではそういうものだと諦めるしかないようだ。

 その後も色々と話を聞くも残念ながら仲間たちの情報はなかった。

 

 

 

 

 

 

「でよぉ……まだドワーフの国ってのにはつかないのか?」

「いやもうすぐじゃ。こんな早く着くとは思わんかったがの。やっと帰って来れたわ。いやぁ、帰ったらやっと酒が飲めるぞ」

 

 ドワーフの商人はそんなことを言っているがこれまでも野営の度に帝都で買ってきた酒をちびちびやっていたことをモモンガは知っている。

 それでも足りないということは、やはりドワーフが酒好きというのは間違いないようだ。

 

 帝都を出てすでに2週間ほどが経過している。

 ドワーフの商人の歩くペースに合わせたのとモモンガがのんびり野営を楽しんでいたせいではあるが、それでもドワーフの商人曰く、魔物から隠れながらの往路に比べて半分以下の旅程で到着したらしい。

 

 魔物を気にすることなく夜はベッド付きの家屋で眠れる旅は快適そのものであり、名残惜しいそうだ。

 

 商人の指を差す方向をよく見ると山の切れ目から中に空洞が続いていた。

 

「この洞窟の中にドワーフの王都があるのか?」

「いや、フェオ・ライゾという都市じゃ。王都はもっと離れたところにあったが100年以上前の魔神襲来でダメになってしまったわい。今はフロストドラゴンたちの巣窟と聞いておる。ここと他にフェオ・ジュラという都市があるだけじゃ」

「そちらの方がいい武具などが手に入ったりするか?」

「そうとも限らん。都市ごとに自慢の職人が腕を振るっておるからの。まずはフェオ・ライゾで見てからフェオ・ジュラに行ってみればいいじゃろう」

「それは……そうだな」

 

 正直ドワーフの都市に来たのはナーベラルたちが勝手に進めてしまったことなのだが、新たな素材や技術などを見てみたい気持ちはある。

 

 心配なのは資金だ。これについては酒が高く売れるのを期待するしかない。

 

 目の前に欲しいものがあるのに金がない場合、部下に借金をするという最悪の上司の汚名を被ることだろう。

 戦々恐々としながらモモンガは商人の後ろについて洞窟へと入っていく。

 

「……結構暗いな」

「そうか?土の種族であるわしらはこのくらい問題ないがの」

「まぁ私も問題はないが……」

 

 岩屋の割れ目から中に入ると壁がうっすらと光っていた。何らかの工夫で光量を確保しているのだろう。

 だがそれでも薄暗く、普通の人間は足元が危うくなるところだろうが暗視(ダークヴィジョン)のスキルを持っているモモンガには問題ない。

 

 モモンガはちらりとナーベラルたちを見る。

 

 暗視能力のない3人は辛いかもしれない。

 

「もし暗かったら指輪の一つをこれと交換しておくといい」

 

 モモンガは暗視効果の付与された指輪を3人へと渡す。

 

「お主そんな貴重な魔法道具(マジックアイテム)をポンポンいつもどこから出しておるんじゃ……?」

「ん?まぁインベントリ……いや、収納の出来る魔法道具のようなものだ」

「それは伝説の……まぁ、今更じゃな。そろそろ着くぞい」

 

 家を出したりしまったりすることに比べれば何でもないと思いなおしたのだろう。

 ドワーフの商人の案内に従ってしばらく洞窟を進むと広大な空間が現れた。

 

 ドワーフの地下都市である。

 

 そこは道はすべて石畳で舗装されており、地面が露出しているところは一つもない。 

 街に木々が全くない代わりに所々に見事な彫像がいくつも立っていた。

 

 一つの岩から削り出されたと思われるそれらは一つ一つがまるで本物のような躍動感があり、芸術を理解しないモモンガをしても一級品だと分かる。

 

 建物も人間の街とは全く異なり、木造の建物は皆無であり、どれも岩を組み合わせたり、くりぬいたりして作られた無骨なものが多い。

 

 しかし扉などは見事な金属細工が施されており、窓も色とりどりのガラスで町全体が色彩を強調するような工夫がなされていた。

 自然の美しさとは違う、自然では決して超えられない人工ならではの美しさがそこにあった。

 

 

 モモンガは街の造りを見て感動を覚える。

 

 ナザリック地下大墳墓も地下の遺跡を改造して作ったものだが、それはあくまでもシステムを利用したものだ。

 だがここは1から素材を切り出し、一つ一つ人の手で作ったのだろう。手作りならではのナザリックとは違う独特の趣がそこにはあった。

 

「これは素晴らしいな!で、まずは入国の手続きがあればしたいのだがそこまでの案内も頼めるか?」

 

 ドワーフの商人と一緒に来たもののビザもパスポートも持っていない。別れるにしても入国の許可をもらわないわけにはいかないだろう。

 

「それならこっちじゃ」

 

 移動しながら聞いた商人の話によるとドワーフ国には王都があった頃には国王がいたらしい。

 だが王が亡くなり、それを継ぐ世継ぎもいなかったため、現在は各部門ごとの代表が集まった摂政会で国の方針を決めている。

 

 商業組合長がその摂政会の一員であるということでまずはそこへ紹介してくれるということになった。

 アポイントなしで当日訪れていいのかと疑問に思うが、ドワーフとはあまり身分を気にしない大らかな種族なのかもしれない。

 

「組合長!客を連れて来たぞ!」

 

 扉の前で大声で叫び、扉が壊れるのではないかという勢いで扉を叩く。そんな叩き方でいいのかと思っていると中から怒鳴り声が返ってきた。

 

「やかましい!そんなに叩かんでも聞こえとるわい!」

 

 文化の違いかと思っていたがやはりうるさかったようだ。

 中から赤ら顔のドワーフが顔を出すが、その顔は怒りに染まってはいなかった。微妙に酒臭いところを見ると怒っているのではなく昼間から飲んでいたのだろう。

 

「わはは、まだ耄碌しておらんかったか」

「なんじゃお前か。随分早く帰ってきたのう。じゃが無事に帰ってきて安心したわい。それでわしらの武具は売れたのか?」

「おうともさ、商品の売り上げならほれ!」

 

 先ほどの無礼など気にすることなく肩を叩き合うと商人は自慢げにカバンをパンと叩き、中身を組合長へと見せる。

 そこにはカバンいっぱいに購入した帝都の酒などが入っていた。

 

「おほっ、よし!早速わしに売ってくれ!」

「客がいると言っておるだろう」

「……客?そちらのおぬしら……変な格好をしておるのう」

「おう、帝都から護衛をしてもらった冒険者じゃ。かなりの手練れじゃぞ」

 

 変な格好とはこれまた無礼な発言であるが、目の前の顔ぶれを見ればやむを得ない。

 

 ドワーフの商人の後ろにはドワーフの倍ほどもある漆黒の全身鎧を着た巨漢。

 黒髪の人間に、赤い頭巾をかぶった幼女。

 そして獣の皮に身を包んだ童子に屈強な体をしたリザードマン。

 

 なんだこの取り合わせはと組合長が驚くのも無理はないだろう。

 

「おぬしらは帝都の人間なのか?いや、人間でないのも交じっておるようじゃが……」

「お初にお目にかかる。私は冒険者のモモンと言う。こちらは仲間のナーベ、ラナー、クライムだ。こちらで作られた武具に感銘を受けてな。ここまでついてきたというわけだ」

「わしらの商品を買ってくれたお得意さんじゃ!」

「これはあいさつ代わりだ。受け取ってくれ」

 

 インベントリからそれを取り出す時、『つまらないものですが』と言いかけるがモモンガはすんでのところで我慢する。

 実際ビジネスマナーとして『つまらないもの』という表現はNGではないが曲解されがちだ。言わないで置くのが無難だろう。

 

「おい、それはわしも知らない酒なんじゃが……」

 

 ドワーフの商人は見たこともない酒が差し出されたことに目を見張る。

 目を見張るような意匠を凝らした瓶には青く透き通るような色の液体が入っていた。

 

「それはそうだ。ここで帝都で買える程度の酒を渡してもな……。私の持っていた酒で良さそうなものを出させてもらった」

 

 会社の同僚への土産なら旅行先で買った安物の菓子で十分だろうが、取引先に持っていくのにそんなものを手渡す人間はいないだろう。

 

 モモンガがテーブルに置いたのはユグドラシル産のアイテムである。

 

 ユグドラシルにおける酒類は調合の材料としても用いるが、単独で使用すれば凍結ダメージ軽減などの効果があり、飲みすぎると酩酊状態や視界や操作性が悪くなるという特徴がある。

 

 今出した酒はレアアイテムではないが度数が90度を超えると設定されている。

 強い酒を好むドワーフには喜ばれるのではと考えたのだが……。

 

「よし!それじゃ早速一杯行くかのう!おまえはもう帰ってもいいぞ!」

「ふざけるな!わしの連れてきた客だぞ!わしにも飲ませんかい!」

 

 どうやら手土産の酒をその場で飲むらしい。

 だが、モモンガとしては酒を勧められても飲むことが出来ないのでこの場は残念ながら撤退するしかない。

 ビジネスマナーとしてはここで一緒に飲むことも悪くはないのだがこのアンデッドの体が恨めしい。

 

「それは二人でゆっくり飲んでくれ。私は商業組合で取引でもしてくるとしよう」

「待て待て客人!酒だけもらって手ぶらで返せるかい!わしの秘蔵の酒を出してやるから飲んでいけ!」

 

 案の定酒を勧められる。

 ごそごそと奥から壺に入った酒を持ってくる商業組合長。

 

 モモンガとしてはドワーフがどのような酒を造るのか非常に興味深い。

 それは麦から作るのか、それとも果物から作るのか、このあたりで取れる原料はなんなのか。

 モモンガの興味は尽きないが残念ながらアンデッドの体がそれを許さない。ここは正直に答えるしかない。

 

「すまない……私は酒が飲めないんだ」

 

 酒どころか水を飲むことさえできない体なのだがそこまで言う必要はないだろう。

 

「なんじゃと!わしの酒が飲めんというのか!」

 

 そのかつて会社員の時に言われたセリフに懐かしさを覚える。

 

「まったく酒が飲めんなんて、それは人生の9割を損しているようなもんじゃぞ!」

 

 そんな事を言われてもモモンガが酒を飲めば全部顎の下から零れ落ちて地面の養分となるだけだ。9割どころか全損である。

 

「飲めんものは仕方ないが……これから取引で酒を渡すんじゃろう?どこでも返杯されるはずじゃ。それを全部断っておったらあまり信用されんぞ?」

「そうじゃそうじゃ。飲まず嫌いかもしれんじゃろう。ドワーフの酒は口から火が出るくらいうまいぞ。飲んでみい」

 

(……それってアルハラでは?)

 

 アルコールハラスメントで無理やり酒を飲ませることはれっきとした犯罪だ。

 しかし、そんなことを言うわけにもいかず奥から酒壺を持ってきた商業組合長がグラスになみなみと注いでドワーフの酒を渡してきた。

 

 モモンガは会社の飲み会に無理やり連れだされたときを思い出す。あの時もたいして強くもない酒を無理やり飲まされたものだ、早く帰ってユグドラシルをやりかったというのに……。

 

(あの時も『乾杯は杯を乾かすという意味だ』とか言って無理やり飲まされたんだよなぁ……)

 

 結局無理やり酒を勧める上司に逆らうわけにもいかず二日酔いになるものは当時でも後を絶たなかった。

 

「しかしだな……」

 

 香しい匂いの琥珀色の液体を見ながらモモンガは考える。

 無理やり飲ませるのは言語道断だとは思うが飲みニケーションは人と交流するうえで有効なことは間違いない。

 

 酒好きのドワーフと付き合っていくには必須スキルと言えるだろう。なので彼らと酒を酌み交わすことは必要だとは思う……が……しかし、誰がそれをやるというのか。

 

 まずモモンガは飲むことが物理的に不可能なので論外だ。

 ラナーとクライムは未成年である。魔法道具を使えば効果で酔わないかもしれないが未成年の彼らに後でどんな悪影響があるか分からない。この世界の飲酒可能年齢は分からないが飲ませるわけにはいかないだろう。

 

 ちらりとナーベラルを見る。

 彼女は二十歳を超えているのだろうか。設定を思い出すが年齢のことまで思い出せない。

 そもそも二重の影(ドッペルゲンガー)なので年齢も関係ないと言えば関係ない。何より飲んでもモモンガのように下から駄々洩れということにはならないだろう。

 

「私の出番ですね?モモンガ様」

 

 ちらちらと見ていたモモンガの視線に気づいたのかナーベラルが自身に満ちた表情で颯爽と前に出る。

 

「……いけるのか!?ナーベラル!」

「お任せください!ナザリックの名に恥じない働きをしてご覧に入れます!」

 

 ナーベラルはモモンガへ差し出されたグラスを持ち上げると一気にあおる。

 その凛とした表情は酔いや気分の悪さなどは感じられない。

 

「ほう!あんたはいける口かい!」

「ふんっ、まぁまぁの味ね」

 

 人間に厳しいナーベラルがまぁまぁと評価するのであれば酒として相当の上物なのだろう。飲めない自分の体が本当に恨めしい。

 ナーベラルの飲みっぷりに満足したのか商業組合長の相好が崩れる。

 

「今度はそっちの番よ」

「おうとも。おお……こいつは綺麗な色をしてるな……この酒はどうやって作ったんだ?」

 

 モモンガが渡した酒瓶を開けグラスに注ぐと綺麗なコバルトブルーの液体がグラスを満たす。

 

「よく分からないがヘルヘイム産の何かの草から作っていたはずだ……」

 

 そもそもモモンガには生産系能力がなく、アンデッドであるがゆえに飲食によるバフ効果が発生しないのでそのあたりの原材料はうろ覚えだ。

 

「とりあえずいただくぞ。……かぁあああああああああああ!!」

 

 一口飲んでそのあまりの度数に商業組合長は叫び声をあげる。口から火が出るほどの度数に体がカッと熱くなるがそれだけではない。

 口の中に芳醇な香りと爽やかな甘さが広がる。さらには何故か体の中から力が湧き上がるような気までしてくる。酒精も強く頭がクラクラしてくるくらいだった。

 様々な酒を嗜んできた商業組合長をしてこのような酒は今まで一度も飲んだことはない。

 

「どれわしもいただくぞい。かぁ!こりゃすごい酒じゃわい。魂が揺さぶられるというかのう。かなりキツい酒じゃが……しかしうまい!」

「ふふんっ」

 

 モモンガの酒が褒められて嬉しいのだろう。ポニーテールを揺らしながらナーベラルもグラスに注いでそれを一気に胃に落とす。

 

「あ……おいおい、それ一気にいくんかい!?」

「すごい姉ちゃんじゃわい。相当酒に強いんじゃのう」

 

 ドワーフでさえ強いと感じる酒を一気に煽るナーベラルのグラスにドワーフたちは嬉しそうに酒を注いでいく。

 どうやらここはナーベラルに任せてもよさそうだ。

 

「では私は商業組合へ行ってくる。ナーベ、ここは任せてもいいな?」

「はっ!すべてこの私にお任せください!」

「そうか。よし、ナーベ。ナザリックの威を示すがいい」

 

 モモンガの言葉にナーベラルの瞳に火が宿る。

 その様子に一抹の不安を覚えるが、ドッペルゲンガーは毒物無効なのだし酒を飲んで死ぬということはないだろう。

 モモンガはナーベラルを商業組合長の家に置き、商業組合へと向かうのだった。

 

 

 



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第52話 ドワーフ殺し

 モモンガは商人から紹介された商業組合前へと来ていた。石造りの比較的大きな建物で周りには出入りしているドワーフが多いようだ。

 

 よそ者が珍しいのかジロジロと見られるがその瞳に敵意のようなものがない。どうやらリ・エスティーゼ王国のように貴族だからどうこうという者達はいないらしい。

 

 なお、ナーベラルはドワーフと飲みニケーション中であり、子供たちは宿屋に置いてきた。二人で市内の散策をするらしい。

 

 ゼンベルは武術の道場があると聞いて道場破りをすると行ってしまった。旅人と言っていたがやっていることは未知を既知とする冒険者のようだ。

 

 モモンガ自身もドワーフの商業組合にどのような商品が並んでいるのか期待に胸が膨らむ。未知のものであり少々の不安と多くの期待を持ちながらその扉を開けた。

 

「いらっしゃい」

 

 中には大きな受付カウンターがあり顎髭がないドワーフが座っていた。

 やや天井が低いことやカウンターが金属製か木製かといった違いはあるが人間の建物とそう大きな差はないように思える。

 座っているドワーフは恐らく女性だろう……と見当をつける。女性でもひげが生えているので顎髭のありなしで男女を見分けるしかないと聞いた。

 

「すまない、お嬢さん。私は商業組合長の紹介で来たモモンというのだが……」

「ああ、あんたが噂になってた客人だね。いらっしゃいお客さん。商業組合にようこそ。一杯どうだい?」

 

 どうやら紹介以前にモモンガたちは噂になっていたらしい。詳しく聞くとドワーフの商人が知り合いに話して回っており、人の来訪などめったにないとういうことで興味を持たれているようだ。

 

(しかし、挨拶代わりに酒を勧めてくるのはどうにかならないのか……)

 

「いや、遠慮しておこう。ここで商品の売り買いが出来ると聞いたのだが、こちらの品を出させてもらってもいいか?」

「はいよ。買取だね。随分酒を買い込んでいたって聞いてるよ」

 

 どんな噂をされていたのかと思っていたが酒の話だったらしい。目が酒を売れと物語っている。

 

「……良ければ売ったお金で魔法道具なども買い取らせてほしいのだが?」

「じゃああとでまとめて清算させてもらおうかね、それより酒はあるのかい?」

「……分かった」

 

 ここではすべてに酒が優先されるらしい。

 

 モモンガはインベントリから帝都で購入してきた酒を取り出すとカウンターに順番に並べていく。

 麦酒に葡萄酒、果実酒や芋酒など次々に並べるとすぐにカウンターがいっぱいになってしまった。

 

「ちょ、ちょっと!こんなにたくさんあんたどこから出してるんだい!?」

「ん?インベントリ……んんっ魔法の鞄(マジック・バッグ)のようなもの……だな」

「魔法の鞄!?」

 

 魔法の鞄とは中の空間を拡張する魔法付与がされた鞄であり、商人としては垂涎の逸品である。

 これから商売を広げていこうとするドワーフ国としては喉から手が出るほど欲しいものだ。

 

「そ、それを売ってもらうわけにはいかないのかい!?」

 

 とてつもない勢いで顔を寄せてくる。

 魔法の鞄というものはドワーフ国でもまだ開発されていない貴重なものであるらしい。

 

「すまないが私も一つしか持っていない。それにどこで作られたかもしらないんだ」

「そ、そうかい、残念だねぇ……」

 

 インベントリを渡すことはできないし、無限の背負い袋も誰彼構わず渡すのは不味いだろう。

 モモンガは適当に誤魔化して酒の売買へと話を戻し、ドワーフはモモンガが取り出す酒類や野菜類に値付けを行い交渉を進めた。

 

「本当にどれだけ入ってるんだい……。その鞄は……って!こ、これは!?」

 

 ドワーフはモモンガが最後に取り出したものに目を見張った。それはピニスンからもらった果物類だ。

 バナナのようなものにマンゴーのようなもの、ココナツのようなもの等様々である。『ようなもの』というのはモモンガが食べられないので本当に味が同じなのか保証が出来ないからだ。

 モモンガとしてはまったく使い道がなかったのだが、ラナーがぜひ持っていくべきだと言っていたので出してみたのだが……。

 

「すまないが鑑定させてもらってもいいかい?」

「別にいいが……それがどうかしたのか?」

 

 ピニスンの果物は見たところ大きめの果物類のようにしか見えない。

 クライムたちは美味しそうに食べていたがモモンガは食べられないので特に気にもしていなかった。

 

「<道具鑑定(アプレイザル・マジック・アイテム)>」

 

 モモンガの質問に答えることなくドワーフは魔法を発動する。そしてその表情の変化は顕著だった。

 

「ほぅ……これは甘い果物のようだね……」

「どうした?気になるな……では私も……<道具上位鑑定(オール・アプレイザル・マジック・アイテム)>」

 

 鑑定魔法で果物の何が分かるというのだろうか。

 ドワーフの嬉しそうな様子に興味が出たモモンガも鑑定を試みる。

 

「むっ……?糖分の割合のような……糖度というやつか……?」

 

 頭の中に果物に関する情報が入ってくるが、だから何だというのだろうか。特にバフの効果があるというわけでもない。

 

(まぁ甘い果物の方が美味しいから喜んでいるのか?)

 

「これはいいね!十分酒の素材になるよ!」

「……そっち!?」

 

 どうやらそのまま食べるという発想はないらしい。

 確かに糖分のあるものはたいていが酒の原料にはなる。買い取るというのであれば何に使われようがいいのだが、釈然としないものを感じる。

 

「じゃあ、全部合わせてこのくらいの金額でどうだい?」

 

 ドワーフから提示されたのはモモンガが予想していた金額を遥かに超えるものだった。金欠の今これは本当にありがたい。思わず心の中でガッツポーズをする。

 

 ついでに出した果物類が帝都で買い付けた酒類すべてより高額というのにいささか納得いかないが、これだけあれば十分にドワーフ製の魔法道具購入の資金となりえるだろう。

 

(今度ピニスンに頼んでいくらかもぎ取ってくるか……)

 

 

「分かった。では次は君たちの商品を見せてくれるか?<魔法道具(マジック・アイテム)>に興味があるんだ」

「あいよ。じゃあ、まずは目録を見て選んでくれるかい?」

 

 ドワーフが分厚い本を持ってくるとモモンガの前で開く。ドワーフの文字は読めないため翻訳のモノクルをかけて順番に中を確認していく。

 

「火属性付与の魔化された剣に麻痺の状態異常耐性向上の指輪……それから……」

 

 モモンガは興味を覚えた魔法道具を次から次へと物色していく。たとえ使い道がなくてもコレクションとして十分に価値がある。

 

 機嫌よくページを捲りながら注文をしているとモモンガも知らない金属名の武具が書かれていた。

 

「……この金属はアダマンタイトより硬いのか?どういった効果がある?どこで採掘できるんだ?」

 

 この都市まで連れてきてくれたドワーフの話ではここでの最高の金属はアダマンタイトだという話だった。しかし、さらに高度な金属があるのであれば是非コレクションに加えたい。

 

「それは単体の金属を魔化したものじゃないよ。金属の配合を変えた合金製のものさ。硬さはやや劣るけど柔軟性があって壊れにくく強靭で長持ちする」

「ほほぅ?」

 

 モモンガは彼女が語る金属の説明に目を輝かせる。

 現実でも金属単体ではなく炭素などを加えて性質を変えていた。金属とは硬ければ硬いほど割れやすくなる。線ではなく点の構造にすれば粘性が出て割れないというが合金とすることでより強靭にする技術の一つなのだろう。

 

「なかなかに面白い。もし注文すればここに書かれた合金製の商品はすべて作れるのか?」

「どれだい?ああ……そこに書かれてるものは昔……それこそドワーフ王が健在であったころならば可能だったもしれないものさ。けど今は素材がほとんどないから難しいかもね……」

「……希少金属の鉱山でも枯れたのか?」

 

 何を混ぜた合金なのかは分からないがそれがもし七色鉱などの希少金属であればこの鉱山全体を調査してみる必要があるだろう。

 

「いや、当時でも採れる金属は今と同じだったはずだよ。技術は随分失われたけどね……それより金属以外の素材が不足しているんだよ。このあたりも少し物騒になったからね」

「……物騒?」

「クアゴアだよ……」

「クアゴア?」

「あたしらドワーフの天敵のような亜人さ。あたしらと同じ地下に住む土の種族で問答無用で襲ってくるんだ。まぁこっちも見かけたら倒してるから同じだけどね」

 

 敵対種族が近くにいたのではおいそれと採取にもいけないというのは納得のいく話だ。しかし諦めきれないのがコレクターのつらいところ。

 

「それで素材があまり採れないのか? 例えばどのような素材が必要なんだ?」

「ちょっとこれを見てもらえるかい?」

 

 ドワーフが奥の棚から大事そうに持ってきたのはアダマンタイトと思われる非常に頑丈そうな錠が掛けられた箱だった。ガチャリと鍵を開けた中をモモンガは覗き込む。

 中にはキラキラと七色に輝く小さな欠片が入っていたが、よく見ると金属ではないようだ。

 

「これは……?鱗か?」

「ドラゴンの鱗だよ」

「ほぅ!?ドラゴン!」

「こういった上位種族の素体は金属に混ぜて魔化すると特殊な変化をするからね。これはかつてドラゴンの死体を見つけた時に手に入れたものだけど……今はそれも難しくなってしまってね……」

 

 ドワーフ国ではアダマンタイト以上の金属は手に入らない。そこで登場するのが他の触媒になるのだが、その中でもドラゴンの素材は貴重である。

 彼らにはドラゴンを倒すなどは不可能であるし、たまたま落ちているドラゴンの鱗や死体を探すのが関の山だ。

 

 しかしそんなドラゴンも今ではドワーフの王都をねぐらとしてめったに外に出てこなくなってしまった。偶然死体を手に入れるという機会もなくなったと言うことだろう。

 

 さらにクアゴアに対する警備に人を割かれて洞窟の外への探索もなかなか行けないらしい。

 

「なるほど……ドラゴン……ドラゴンかぁ……」

 

 モモンガはドワーフの元王都がフロストドラゴンに支配されているという話を聞き胸が高鳴る。

 

(ドラゴンといえば皮、鱗、肉、血、眼球から骨まですべてが使える素材の宝庫じゃないか……もし敵対してくれればそのすべてが私のものに……)

 

 垂涎の的とはまさにこのことだろう。殺せばそのすべての素材が手に入るのだ。

 

 死体から骨だけを手に入れるなどと言わず全身余すところなくだ。実に美味しい話である。

 

 さらにモモンガには鍛冶技術がないので彼らに任せることになってしまうが、その加工技術もぜひ見てみたい。万が一モモンガが鍛冶技術を取得できれば自分で魔法道具を作れる可能性もある。

 

「もしそれらの素材を手に入れたら制作を依頼できるのだな?」

「あ、ああそうだけど……まさかあんた……」

「それは重畳。ではまた来るので今注文した分を清算しておいてくれたまえ。私はちょっと用事が出来たので失礼する」

「なっ……」

 

 モモンガは返事を待たずに踵を返す。

 成り行きと趣味の延長線上で来たドワーフの都市だが思わぬ収穫がありそうだ。モモンガは頭の中で皮算用をしつつほくそ笑む。

 

「さてドラゴン素材か……いいだろう、手に入れてみせようじゃないか。ふふっ……ふははははははっ」

 

 

 

 

 

 その後、集合場所に決めていた宿に戻ってみるとナーベラルはまだ帰っていなかった。

 ラナーとクライムはドワーフの街で買って来た道具や食べ物を楽しそうに整理していた。二人とも食事も済ませてきたということなので出発は明日にする。

 

 戻って来ていないナーベラルに知らせに行くかと宿を出ようとするも、恐らく今も飲みニケーション中なのだろうと思い踵を返す。

 飲めないモモンガが言っても邪魔にしかならないだろうと思い、モモンガは部屋に戻ると戦利品の整理を始めるのだった。

 

 

 

───翌朝

 

 

 

 朝になったがまだナーベラルは帰ってこない。

 さすがに心配になったモモンガは商業組合長の家へと向かう。するとそこには人だかりが出来ていた。

 

「……なんだ?何かあったのか?」

 

 近くのドワーフに声をかけるとそのドワーフは顔を青くして首を振りながら答えてくれた。

 

「ドワーフ殺しじゃ……あれはまさにドワーフ殺しじゃ……」

「ドワーフ殺し!?」

 

(……まさかまたつい殺ってしまったのか!?酔った勢いで!?やはり酒など飲ませるべきではなかったのか!?)

 

 その不穏な言葉の響きに出もしない冷や汗をかきつつ、モモンガのないはずの胃がキリキリと痛む。

 ナーベラルに任せたモモンガも犯罪共助とかになるのだろうか。

 

(……それともまさか噂のクアゴアが出たのか?むしろそっちであってくれ!)

 

 信じてもいない神に祈りながらさらに近づいていくと地面に多くのドワーフが地面に倒れ伏していた。

 

「なんなんだこれは……」

 

 ドワーフたちの顔色は髭でよく分からないが皆青白いように見える。

 ふと見るとあのゼンベルというリザードマンまで倒れていた。ドワーフ殺しどころかリザードマン殺し事件の発生だ。

 

「おい!ゼンベル!?しっかりしろ!」

 

 やはりナーベラルが……いや、ゼンベルの場合はモモンガに殺された後遺症ということも考えられる。心配になってゼンベルを揺さぶっているとその眼が薄く開いた。

 

「お、おい……うぷっ……やめろ揺らすなぁ……」

 

 よかった、どうやら生きているらしい。しかし立って歩ける状態ではないようだ。怪我をしているのか、それとも状態異常であるのか。

 

 モモンガが回復手段を悩んでいると……。

 

「おまえんところの女は化け物かよ……」

「くぅ……わしらドワーフが束になってもかなわないとは……」

「屈辱じゃあ……王都が奪われたこと以上の屈辱じゃあ……」

「ドワーフ殺し……あれこそ伝説のドワーフ殺しじゃ……」

 

 どうやらゼンベルの周りに倒れているドワーフたちも死んではいないらしい。ほっと一安心したところでその原因が酒場の中から姿を現した。

 

「モモン様!お喜びください!御覧の通りドワーフどもにナザリックの威を示してみせました!」

 

 ナーベラルが嬉しそうにポニーテールを揺らして酒瓶をトロフィーのように掲げて走ってくる。

 飲みにケーションでドワーフたちとの交流を深めて良好な関係を築いて欲しかったというのに……何かがおかしい。

 

(ナーベラル……そうじゃない……そうじゃないぞ……)

 

 モモンガが頭を抱える中、後に『ドワーフ殺し』という二つ名を戴く酒豪伝説が誕生した瞬間であった。

 

 



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第53話 ドワーフの元王都へ

「お前たち準備はいいか?」

「はっ!」

「よし、行くぞ。<全体飛行(マス・フライ)>」

 

 モモンガたちはフェオ・ライゾの入り口を出ると《全体飛行》により上空へと浮かび上がる。

 

(はぁ……出てくるの大変だったなぁ……)

 

 我も我もとナーベラルに挑んでくる酒豪たちを振り切って出てきたのだ。目的はもちろんドラゴンの素材である。

 

 周りを見ると首を見上げなければ見えなかったアゼルリシア山脈の山頂が眼下に広がっている。モモンガはさらに雲の上まで浮かび上がったのだが……。

 

「むっ……雲が邪魔だな……」

 

 遥か遠方まで見渡せていた景色が下に広がる雲霞で遮られてしまった。ならば、とモモンガは魔法を発動させる。

 

「<天候操作(コントロール・ウェザー)>」

 

 気象を操る魔法により雲を消し飛ばす。一面雲しか見えていなかった景色が見る見る雲一つない晴天へと変わった。

 

「ふむ、これでよく見えるな。ラナー、これでいいか?」

「はい、モモン様。北北西へまっすぐお願いいたします」

 

 手元の地図とコンパスを見つめながらラナーに指示を出させる。

 

 元王都へと向かうため聞き取りをする際、ラナーにも一緒に地図を見ながらドワーフたちの話を聞いてもらったのだが、モモンガには内容の半分も理解できなかった。そのため探索(スカウト)はラナーに任せることにしたのだ。

 

 彼女ならば持ち前の頭脳でドワーフからの情報を元に王都の位置を特定していることだろう。

 

(うん……これは適材適所だ。けして俺の頭がからっぽだからではない……たぶんきっと……)

 

 通常であれば地下の踏破困難なダンジョンを通らなければたどり着けないと言われたのだがラナーは空から行くことを提案した。

 GPSもないというのにドワーフたちからの話から正確な位置を把握する能力には驚嘆しか感じない。

 

「そこの峰の……南側あたりですね」

 

 ラナーは探索(スカウト)としての能力も非常に優れているのだろう。ユグドラシルでは方位は画面上に表示されるし、地図も踏破すれば自動筆記されていく。

 それらがない状態で方角や距離を瞬時に計算して的確な指示を出すラナーは規格外というしかないだろう。

 

 上空を山脈を見下ろしながら数時間進んだところでモモンガ達はついに山の中に降り立った。

 周りを見るも山肌しか見えるものはなく、建物や入口のようなものは見当たらない。

 

「ここでいいのか?王都は地下だという話だがどこにも入口はないぞ……」

「モモン様、入り口がなければ作ればよろしいかと具申いたします」

 

 モモンガの前に跪くラナーにモモンガは首を傾げる。

 

「入り口を……作る?」

「はい。下には空洞が広がっていると思いますのでモモン様が魔法を叩き込めば入り口ができますわ。この辺りを魔法で吹き飛ばせばよろしいかと……」

「はぁ!?」

 

 ラナーのあまりと言えばあまりな提案にいったい誰がこんなことを考えたのかと横を見るとナーベラルが誇らしげに頷いていた。

 

(おまえか!?)

 

「……ナーベラル。何か意見があるのか?」

「はっ!どうやらフロストドラゴン配下のクアゴアは太陽光の下では目が見えない種族らしいのです。そのため先制攻撃として天井を吹き飛ばし、日光下で優位に交渉を進めるのがよろしいかと思います!」

 

 考えなしで突っ走ったのだと思ったナーベラルの提案だったが、モモンガはなるほどと納得する。

 確かに戦闘を前提とするのであれば相手に不利な環境下で先制攻撃することは非常に有効だ。相手の目が見えなくなるということは完全に無力化できる可能性さえある。戦略としては高得点を与えてもいいくらいだ。

 

 ただし……そこに重大な問題点がなければ。

 

「ナーベラル。それでは初見で敵対してしまうではないか……。もしかしたらクアゴアやフロストドラゴンと友好的な関係を結べる可能性もあるのだ。まずは友好的に接してみよう。もちろんドラゴンの素材は欲しいが……それも相手の出方次第だな」

 

 いきなり殺して剥ぎ取りをすれば話は早いが彼らが仲間たちの情報を持っていないとは限らない。

 

「さすがはモモンガ様! 深淵なるお考えを察することが出来なかったこの身を恥じ入るばかりです!」

「……気にするな。お前の提案は一案としては有効だ。やむを得ない場合はこの辺りを吹き飛ばすことも考えよう。それでラナー。入り口の予測はつくか?」

「申し訳ございません。ある程度の予測は付きますが発見までに時間がかかるかと……誤差も含めてここから直下あたりにあることは間違いないかと思うのですが……」

「そうか……ならば簡単だ。掘ろう」

「……え?」

 

 ラナーが珍しく困惑した表情をしたのを面白く思いながら、モモンガはインベントリからシャベルを4つ取り出した。

 ザイトルクワエを掘り出したのと同じもので攻撃力はほぼない道具だが採掘性能は良いし、アイテムとしては上級に属している。

 

「ほ、掘るのですか……?」

「ああ。ユグドラシルでも地中にアイテムなどが埋まっていることは多々あった。採掘スキルが高い方が効率は良かったがスキルがなければ掘れないというわけでもない。生産系の『あまのまひとつ』さんなんかはよく採掘にいっていたものだ」

「あまのまひとつ様が!」

 

 ユグドラシルの運営はむしろ地中深くや崖の途中に隠しダンジョンの入り口を作るなどという理不尽なことをしてくるくらいだった。

 しかも遠方からのあらゆるスキルや魔法での探知が不能というおまけ付きで。あの労力を考えれば直下に少し穴を掘るくらい造作もない。

 

「よし!掘るぞ!!」

 

 

 

 

 

 

 数日後、数百メートルは掘り進めただろうか。

 掘った土はインベントリに放り込んでいる。大容量が入るインベントリも限界があるため、いっぱいになるたびに地上部へと捨てに行くこと数度。

 そろそろまたインベントリが一杯になるのではと思ったその時、シャベルが地面の底を突き抜けた。

 

「おっと……<飛行(フライ)>!」

 

 反射的に<飛行>の魔法を唱えて周りを見るとナーベラルたちも<飛行>を使って周りに浮かんでいた。滑落対策が万全に機能していることに安堵する。

 

「ここがドワーフの王都フェオ・ベルカナか……」

 

 ドワーフの都市フェオ・ライゾよりやや暗いものの同じように光るコケの効果なのかぼんやりと周りが見える。

 都市フェオ・ライゾの倍以上の広さがあり、低い建物だけではなく5階建てくらいはあるのではないかという高層建築も複数見られた。

 

 しかし何よりも目を見張るのは岩壁に埋もれるように建てられた巨大な城であろう。魔法道具で明かりを取っているのか、周囲が薄暗い中でそこだけがひと際光輝いて見える。

 

 城の塀や柱にはドワーフが彫ったと思われる重厚な意匠が凝らされており、芸術品としての価値も高いだろう。

 

「地下遺跡、いや地底城か……。何というか……こういった景色を見ると『冒険をしている』という気分になるな」

「それはモモンガ様たち至高の御方がされておられたというアレですか!?」

 

 この世界における冒険者の冒険とモモンガたちの行っていた冒険はナーベラルの中でも異なるものと区別されていた。つまり純粋に未知を既知にするという意味での冒険のことである。

 

「ああ、凍った城や砂漠の地下迷宮なんかもあったな。あの時は弐式炎雷さんのおかげで何とかクリアできたんだったっけ」

「弐式炎雷様が!詳しく!詳しくお教えいただけますか!」

 

 自分の創造主の話と分かりナーベラルがグイグイ迫ってくる。

 仲間たちとの思い出を語るのはモモンガとしてもやぶさかではないが今は他にやることがあった。

 

「分かった、分かったからあとでな。今はここでの交渉が先だ」

 

 何とかナーベラルを抑えつつ、モモンガたちはそのまま<飛行>でゆっくりと広場のような場所に降り立った。

 地下水を利用しているのか噴水のようなものまであり、周りには全身が毛で覆われた亜人が集まっている。

 背丈はドワーフたちとそうは変わらないが衣服を着ているものは少ない。口の先が尖っており、細長い尻尾に長い爪を持った彼らはモグラの亜人といった容姿だ。彼らがドワーフから聞いたクアゴアなのだろう。

 

「なんだ!?」

「お、お前らどこから現れた!?」

「ドワーフ!?いや、エルフ!?エルフなのか!?」

 

 突如上空から現れたモモンガたちにクアゴアたちが遠巻きに指差してくる。

 ふと見ると、子供と思われる小さい者を連れたクアゴアが足早に離れていくのが見えた。突然空から侵入者が来たのだ。驚くのも無理はないだろう。

 

「あー諸君。我々はドワーフでもエルフでもない。話がしたくて来た旅人だ。君たちの代表と話をさせてもらえないだろうか」

 

 別にあえてクアゴアと敵対したいわけではない。モモンガは出来るだけ穏便に対処しようと出来るだけ優しく話しかける。

 地下と言うこともあって思ったよりも大きく声が響き渡ったが、クアゴアたちからの返事はなく、場は静寂に包まれてしまった。

 

「あー……良ければ案内をしてもらえないかな?案内してくれたら……そうだな。この金貨を進呈しようじゃないか!」

 

 敵対しているドワーフ国で流通している金貨では不味かろうとユグドラシル金貨を1枚出すとざわりと周りのクアゴアたちが騒ぎたった。

 

(きん)だ……」

「金だぞ……」

「そ、それくれるの!?」

 

 周りの大人のクアゴアが戸惑っている中、小さい子供と思われるクアゴアがモモンガの下へと寄ってくる。表情は毛に覆われて分からないがその視線はユグドラシル金貨へと注がれていた。

 

「ああ、いいとも。このあたりの代表のところに案内してくれれば君にあげよう」

「じゃあ案内する!」

「そうかそうか!ではこれは君のものだ!」

 

 モモンガは子供のクアゴアに金貨を手渡した。

 金貨は子供が持って帰るかどこかにしまうのだろうとモモンガが思っていたところ、小さなクアゴアは迷わずそれを口へと入れてしまう。

 そしてゴリゴリと言う音が聞こえてきた。

 

「おいしい!」

 

(ぇ……食べるの!?)

 

 金貨が食べられた。金貨は食べ物ではないと思っていたモモンガは目を見張る。

 

(……これは子供が何でも口に入れるというあの現象なのか!?吐き出させた方がいいのか!?)

 

 子供がモノを喉に詰めて亡くなるという事故も聞いたことがある。

 背中を叩いて吐き出させる必要があるのだろうかとモモンガがあまりの事態に呆然としていると、母親と思われるクアゴアが子供を叩いた。

 

「ちゃんと洗ってから食べないと駄目でしょ!」

 

(そういう問題なの!?)

 

「モモン様。彼らはどうやら金属を捕食する種族のようですね」

「そ、そのようだな……」

 

 まさか手間賃として渡した金貨が食べられるとは思ってもみなかった。美味しいと言っていたということは味があるのだろうか。疑問は尽きない。

 あまりの事態に戸惑いつつしばらく待っていると親子のクアゴアが戻って来た。

 

 一緒にいるのは他のクアゴアより二回りは大きく体に赤いラインが入っている個体だ。もしかしたら兵士か警備員なのかもしれない。

 

「お前か?士族長に会いたいというのは」

「ああ、そうだ。私はモモンと言う。よろしく頼む」

 

 あいさつ代わりに金貨を一枚指ではじくとクアゴア兵がつかみ取ってジロジロ見た後、ひと噛みすると頷いた。

 食べるというよりは真贋を確認したという様子だ。気が付くと周りに複数の屈強なクアゴアたちに囲まれていた。警戒を解いたわけではないらしい。

 

「こっちだ」

 

 どうやら案内はしてくれるらしい。大勢のクアゴアに囲まれたまま引き連れられて案内されたのは上空から見えた一番大きな建物だった。

 

「入れ。士族長がお会いになるということだ。入ることを許可する」

「分かった。ナーベたちはこのあたりで待っていてもらおうか。私が行ってこよう。ああ、ナーベ。護衛は不要だぞ?その必要もなさそうだからな」

 

 会社の代表がぞろぞろと連れてこられた不要な相手まで一緒に会うようなことはないだろう。

 見たところ体力も魔力もたいしたことがないようであるし何かあっても対処は容易そうだ。ここは社会の常識として代表者には必要最低限の人間で会うべきだろう。

 

 ナーベラルは不服そうにしているが口に出すことはない。

 機先を制しておいて正解だった。もしここでクアゴアたちと揉めても面倒であるし、あくまで目的はドラゴンの素材である。彼らを殺しても何の得もない。

 そう思って一人で入ろうとするとクアゴアたちが動揺していた。

 

「ほ、本当に一人で士族長と会うというのか?」

「?」

 

 クアゴアの表情は分からないが何やら驚いているらしい。何か驚くようなことをしただろうか。

 

(もしかしてクアゴアは複数で行動する種族だとか?だとしたらナーベラルあたりを秘書代わりに連れて行った方がいいかもしれないが……)

 

「……エルフとはいえその勇気に敬意を表する」

 

 なぜか敬意を表されてしまった。

 新入社員でもあるまいし一人で営業やプレゼンを行うことなど当たり前なのだが……。

 モモンガは疑問に思いつつも屈強なクアゴアたちに囲まれながら士族長へ会うため部屋へと入るのだった。

 

 

 



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第54話 クアゴアの氏族王

 私の名前はペ・リユロ。クアゴアの氏族王である。

 

 我々クアゴアは現在、旧ドワーフ王国の王都にて白き竜王、フロストドラゴンの王たるオラサーダルク様の支配のもと暮らしている。

 しかし竜王からの加護を受けるという名目のもと貢物を捧げているため、我々の生活は非常に苦しい。

 

 そもそも保護と言っているが地の中に生きる我々には天敵は少なく、また天敵と言えるドワーフやサンドワームなどは狭い通路での戦いになるため巨体を持つドラゴンに助勢を願うわけにもいかない。

 

 つまり何が言いたいかというと我々の支配者たる白き竜王はこの都市一番の立派な城を占拠して我々から財を奪う目の上のたん瘤であるということだ。

 

 今日はそんな白き竜王に会いたいという奇特な相手が現れた。漆黒の鎧を着た戦士のようだ。背丈からいってエルフだろうか。

 青色の線を帯びたブルークアゴアの戦士が案内してきた相手を私は玉座を模した椅子に座って迎え入れる。これでも私はクアゴア士族の王である。服も着ずに地面に直接座るような真似はしない。礼節も弁えている。

 

「私が士族王のペ・リユロだ。お前が白き竜王に会いたいと言う者か?」

「そうだ。私はモモンという。ぜひともその竜王に会って話がしたいのだ」

「その前に聞きたいのだが……お前は恐怖を感じないのか?」

「は?」

 

 首をかしげる漆黒の戦士。こいつは一体何なのだろう。たった一人で士族最強の戦士である私、そしてブルークアゴア、レッドクアゴアに取り囲まれた状態で怯みもしない。

 こいつからは戦士としての気配を一切感じないというのに何か薄ら寒いものを感じる。この度胸もなぜか蛮勇という感じはしない。自信に満ち溢れている。

 

 部下の話によると相手は外部からの侵入者である。しかもあらゆる警戒網を無視して都市のど真ん中にいきなり現れたらしい。

 今この場にも精鋭のクアゴアたちが集結しており、相手に対してあらゆる方面から殺気が放たれている。それにも関わらず平然としているのだ。よほどの強者かそれともただの間抜けなのか。

 私は判断に迷う。

 

「いや、何でもない。それで白き竜王に謁見したい理由を聞いても?」

「大したことではない。ちょっとドラゴンの死体が欲しくてな。もし持っていたら分けてもらえないかと思って来ただけだ」

「なん……だと……?すまない、もう一度言ってもらえるか?何か聞き間違えたみたいだ」

「ドラゴンの死体が欲しい。たくさんあると嬉しいのだが……」

 

 どうやら聞き間違いではないらしい。このエルフはあろうことかあの白き竜王に同族の死体を寄こせと言うらしい。頭がどうかしているとしか思えない。

 

 いや、そこまでのことを言うのであればそれが可能なだけの力があるということだろうか。ただ者ではないと思うのだが、いまいちこのエルフの強さが読めない。

 

 もしあの竜王を怒らせても黙らせられるだけの実力があるのであればむしろこいつを利用しない手はないのだが……。そのためにも実力を見極めておきたい。

 私はエルフにばれないよう後ろに立つ部下に目配せをする。部下は事前の打ち合わせどおり爪を振り上げて怒り出した。

 

「貴様!!偉大なる白き竜王様にそのようなことを頼めるか!」

 

 その鋭い爪がエルフの首を捉えた。

 例え金属の鎧を着ていようと鍛え上げたクアゴアの爪は金属さえ斬り裂く。首が落ちて噴水のように血が噴き出す。そう思ったのだが……。

 

「ん?」

 

 エルフは何事もなかったように後ろを振り返った。まるで効いていない。攻撃されたことさえ気にかけていないようだ。何の痛痒も感じていないというのか!

 

「口の利き方が悪かったか?それはすまなかったな。お前たちがそれほど竜王とやらを敬っているとは知らなかったからな。まぁ紹介してくれないのであればしかたがない」

「ま、待て!どうするつもりだ!?」

 

 嫌な予感しかしない。まさか大勢の軍勢でも後ろに控えているのだろうか。確かにそれであればこの自信も納得だ。まさかたった数人でドラゴンの軍団をどうにかできるはずもない。

 そうだ、そんなこと出来るはずがない!そうでないと言ってくれ!

 

「なに、紹介がないのは不安だがアポイントなしで竜王に会ってくるだけだ」

「……」

 

 そんなことになればどうなるだろうか。フロストドラゴンの奴隷たるクアゴアたちはその程度の仕事も出来ないのかと白き竜王の怒りを買うだろう。そしてこのエルフが勝ったとしても協力しなかった我々はどうなるのか……想像するだに恐ろしい。

 

「待て!紹介しないとは言っていない!分かった。だが白き竜王はとても気位の高いお方だ。何の貢物もなしに謁見しては不興を買うだろう。それに我々に対してもただで紹介してくれというのは虫が良すぎる話ではないか?」

 

 ここはともに白き竜王に謁見してどちらか勝てそうな方につくしかないだろう。 

 そしてそこから士族長として何らかの利益を得ておきたい。まずはこのエルフから報酬を約束させるのが先決だ。

 

「それもそうだな。何か欲しいものはあるのか?」

「竜王は宝物に目がない。そして我々は鉱石を欲している。報酬としていただくことはできるのかな?」

 

 クアゴアは血筋による強さや鍛錬による強さの他にも食べた鉱石によって体の強度や爪の鋭さが上がる。それは幼い頃に食べるほど効果があり、鉱石はクアゴアにとって食べ物というだけでなく、生きる力そのものと言えるのだ。

 強者である相手がすんなりと受けるとは思わないが、駄目もとでエルフへ提案を試みる。

 

「鉱石か……ではこれなどはどうだ?」

 

 するとエルフが見たこともない蒼い鉱石を懐から取り出した。

 明らかに懐から出せる大きさではない。魔法だろうか。もしこいつが魔法詠唱者であったら厄介だ。我々は雷の魔法に弱い。

 しかし今は出された鉱石の見分が先だ。持ち上げてみるとズシリと重く食べ応えはありそうに思える。

 

「これは……?」

「ブルークリスタルメタルだ。まぁたいしたものでは……いや、まぁまぁ良い鉱石だとも」

「知らない鉱石だな……少し鑑定させてもらうぞ、おい」

「はっ、私にお任せください。<道具鑑定>」

 

 魔法の使える部下に<道具鑑定>の魔法で鉱石を調べさせる。毒石などを食べさせられてはたまったものではないからな。

 

「どうだ?」

「リユロ様……。こ、これは……アダマンタイトをはるかに超える硬さを持っているようです。このような鉱石があるとは……」

「ふむ……」

 

 毒物でもないようであるし試しに噛みついてみるか。……硬い!

 

「ぐっ……なんだこれは……」

 

 硬すぎる……まったく歯が立たない。ガジガジと噛む位置を変えてみるが一向に歯がとおらない。

 ちらりとエルフを見る。兜をしているが呆れているのだろうか。クアゴアとして歯が立たない金属があるなど誇りが許さない! 絶対に嚙み砕いてみせる!

 

「くそっ!武技<牙強化>!<能力向上>!」

 

 武技を発動して身体能力を向上させる。さらに強化した牙で全力で噛みつくと何とか嚙み砕かれて鉱石が腹へと落ちていった。そして得も言われぬほどの甘美な味わい。噛めば噛むほど力が湧いてくるようである。

 

「お、おおお……」

 

 私の体に変化が起きた。よほど高度な金属であったからなのか成人しているこの体の肌の一部にさらに発光するように蒼色のラインが入り、爪も蒼い光沢を放っている。

 そして全身から湧き上がる力。もしかしたらこの爪ならばあの硬い竜王の鱗でも斬り裂けるのではないだろうか。

 

「ほぉ!体力に変化が出たな!興味深い!先ほど子供も金貨を食べていたがクアゴアは鉱石を食べると体に何らかの変化があるものなのか?」

「あ、ああ……これほどの鉱石は見たことがないがな」

 

 クアゴアの特性を見られた以上話さないわけにもいかないだろう。食した金属によって強さが変化するクアゴアの特性についてエルフに教えてやる。

 それをエルフは本当に嬉しそうに頷いて聞いていた。何がそんなに楽しい?何か邪悪な企みでも考えているのか?

 

「ならばドワーフと争っている理由は鉱石の採掘権をめぐってと言うことだな?」

「ドワーフだと!?」

 

 こいつはドワーフの関係者とでもいうのか。それであれば敵として白き竜王に協力を仰いででも葬ってしまわなければならない。

 

「勘違いしないで欲しいが私はクアゴアとドワーフの争いに介入するつもりはないぞ?どちらも生きるために鉱石が必要だということなんだろう?それであれば争いの理由としても納得できる。ただまぁ……共存を模索するべきだとは思うがな」

「共存など出来るはずがない!やつらはあればあるだけ鉱石を掘りつくす! 我らがどれほど食べるのを我慢して鉱脈を保存しておいてもお構いなしだ!」

 

 クアゴアとて別に鉱石だけを食べるわけではなく洞窟トカゲなども食べるが、鉱石が生きる上で必要不可欠であることは間違いない。それを掘り尽くすドワーフは不倶戴天の敵だ。

 

「ならば別の鉱脈を見つければいいのではないか?」

「別の鉱脈だと?」

「探知系スキルを鍛えれば可能ではないか?ああ、話がそれたな。鉱石はそれでいいのであれば次は竜王への貢物だったか?金貨とかでいいのか?」

 

 エルフはどこから出したのかテーブルに金で出来た小さな円盤を並べていく。その煌びやかな輝きからは相当の上質な金であることが伺われた。子供が食べたというのはこの金のことかもしれない。

 

「そうだな……。だが白き竜王の気分次第でもっと要求されるかもしれない」

「ほほぅ?随分と欲深いことだ……。ふふふっ、その際はさらに別の歓迎をするから安心してくれ」

「……」

 

 今の発言の意味を普通にとるなら追加で貢物を渡すということだろうが……。そう素直には受け取れない。

 どうするべきか。この男を竜王に会わせてもいいのだろうか。いや、会わせるべきなのだろう。この男の強さは先ほど確認させてもらった。もし彼らと竜王が争い双方が傷つけば漁夫の利を得られるかもしれない。

 私は決意を固める。

 

「いいだろう。では明朝、白き竜王に謁見できるように話をつけてこよう」

 

 どちらに転んでも我々クアゴアの有利に働くように動くのだ。事前に念入りに計画を練っておこう。明日は運命の日となることだろう。

 私はエルフが差し出した金の板を袋に入れると、王城へと向かうのだった。

 

 

 



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第55話 フェオ・ベルカナの悪夢

 ドワーフ国の王城、かつては強大な力と鍛冶の腕を持ったドワーフ王が君臨し栄華を極めた場所は今やフロストドラゴンの居城となっていた。

 全盛期のドワーフの技術で作られた城は頑強であり、扉も巨大で天井も高くドラゴンの巨体でもゆったりと暮らすことが出来る。

 

 フロストドラゴンの王、オラサーダルクは王城の中で特に煌びやかな玉座の間に莫大な量の宝物を積み上げてその巨体でとぐろを巻いていた。

 さらに周囲には侍らせるように3頭の王妃が控えている。

 

「我がフロストドラゴンの王、オラサーダルクである。小さきものよ。話を聞いてやろう」

 

 金貨の山を積んだことによりクアゴアの氏族王に紹介されたモモンガを巨大な竜はじろりと見下ろすと居丈高に問いかける。

 

「……私の名はモモンという。一つ提案があって来たのだ。お前たちドラゴンの死体が欲しい。譲ってくれないか?」

「……」

 

 リユロの渡した貢物の質の高さに上機嫌で喜び、来客に会うことになったオラサーダルクだが、その機嫌は急転直下で転落する。

 

 最初から喧嘩を売る気で歩み寄ろうとすらしないモモンガの直球にリユロは思わず後ずさった。

 この恐ろしき竜王にそのような口を利いたものはこれまで誰もいない。怒りのあまりどのようなことが起こるのかと気が気ではない。

 

「ぶ……無礼者が!身の程を弁えろ!貴様のような下賤な……いや、なんだ?その鎧……だけではないな。お前たちの装備は……。そのような素晴らしい価値のあるものは他に見たことがない。よし、それらをすべて差し出すがいい。そうすれば命だけは助けてやろう」

 

 ドラゴンの宝物に対する嗅覚は非常に鋭い。オラサーダルクは一目見てモモンガたちの装備の価値に気が付いた。自分の座るこの宝物の山が霞んで見えるほどの価値があると。

 

「我々の装備を寄こせと?ふふふっ……それは決闘(PVP)の申し出と受け取ってもいいのか?」

 

 ドラゴンの素材が欲しくて仕方がないモモンガはワクワクしながら問いかける。勝った時の報酬はドラゴンの皮や肉などだ。

 

「……何を言っている?」

「装備はやらん。断ると言っている。文句があるならかかって来い」

 

 モモンガは指を動かしてかかってこいと挑発する。

 あまりの傍若無人さにオラサーダルクはしばし呆然とした後、問答無用で口から白いブレスを吐き出した。氷結のブレスである。

 

 氷点下100℃を下回る極寒のブレスにすべてのものは凍り付き、そこには愚か者の氷の氷像が出来上がる、そう考えたオラサーダルクの予想は外れた。

 そこには依然黒い鎧が凍り付くこともなく立っていたのだ。

 

「なんだと!?」

「フロストドラゴンを相手にするのに氷結属性対策をしてこないわけがないだろう?いくらブレスを吐き出そうと無駄なことだ」

「馬鹿な!そんなことがあるわけが……」

 

 さらにオラサーダルクがどれだけブレスを吐きかけようと、モモンガはもとよりナーベラルたちも一切ダメージは負っていない。

 はるか後方に逃げていたリユロが余波を受けてガタガタと震えていたくらいだ。

 

「さて、予定通り交渉は決裂……おっと予定外に決裂してしまったな。あー、それじゃあ仕方がないな。うん、不本意だが仕方がない。私はPVPの勝利者の権利としてドロップアイテムを回収させてもらうとしよう。……ドラゴンの素材をな」

 

 モモンガは無造作にオラサーダルクへと歩み寄る。氷結のブレスが効かないと分かったオラサーダルクは尻尾を振るって撃ちつけるが、モモンガに当たった瞬間にその衝撃は霧散した。

 

「な、なんだ!?なんだなんだお前は!?」

「私たちか?そうだな……私たちは冒険者だ。未知を既知とするために今から実験を行う。いいから大人しくしていろ。<麻痺>」

「ぐっ」

 

 モモンガが触れたとたん麻痺が発動しオラサーダルクの全身が動かなくなる。

 

「さて、どの程度素材がとれるかな?そうだな……クライム、試しに尻尾のあたりを斬ってみろ」

「分かりました!」

 

 命令されたクライムは嬉々としてナイフを取り出すとしっぽの先を斬り落とす。

そこには何の逡巡もない。気分は料理の食材解体教室といったところだろうか。

 

「ぐあああああああああ!!」

「そう、叫ぶな。これからしばらく付き合ってもらうのだから。ナーベ、回復を」

「はっ!<大治癒>!」

 

 治癒魔法により欠損した尻尾が元に戻る。しかし同時にクライムが手にしていた素材が消え失せてしまった。

 

「むぅ……素材が消えただと……。どうしたものか……。何セットか欲しいのだが……殺してからバラすしかないのか?いや、もう少し試してみるべきだな。とりあえず尻尾のあたりの皮を剥がして今度は(なめ)してみよう」

「はがして鞣す?」

「クライム、こうやるんですよ」

 

 ラナーはオラサーダルクの尻尾にナイフを突き入れると器用に皮膚に沿って切り裂いていく。

 

「や、やめろおおおおおおおおおおお」

「これを剥がして……クライム、こん棒を出して」

「はいっ」

 

 ラナーは鞣しの知識を持っているのだろう。クライムと仲良く皮を叩いて鞣していく。そして皮がもともとの大きさから倍程度まで薄く広がったところでラナーは手を止めた。

 

「このあたりでよろしいでしょうか?ナーベ様お願いします」

「<大治癒>」

「おお!!皮が消えない!」

 

 モモンガは嬉しそうにラナーから渡された皮を手に取る。今度はその皮は失われることなくオラサーダルクの尻尾が復元していた。

 

「なるほど。別種のアイテムと判別された状態ならば復元は可能なのか?それとも別の条件か……では次は血液でやってみよう」

「や、やめ……助け……」

 

 とても楽しそうに悪魔の所業を行おうとするモモンガ一行にオラサーダルクは妃たちに助けを求めようと見つめるが、全員が目を逸らして地に伏せていた。

 服従のポーズである。オラサーダルクの二の舞はごめんだということだろう。

 

「ま、待て。話を!そう話をしよう!」

「安心しろ、殺しはしない」

 

 答えになっていない。まるで自分たちが小動物を弄ぶときのようなその態度にオラサーダルクは絶望するがモモンガたちの実験は続けられていくのだった。

 

 

 

 

 

 

「血液は瓶詰すればいいし、骨や眼球も砕いて瓶詰で行けたな……。途中でどうなるものかと心配したが……」

 

 蘇生と剥ぎ取りを繰り返しているうちに問題が発生したのだ。

 オラサーダルクが治癒を拒否したのだ。治癒魔法に抵抗し、傷が思うように治らず素材の質がどんどん悪くなる。

 

 そんな状態を解決したのが<記憶操作>だった。帝都の宿屋のメイドで試していて本当に良かった。不味い事実はなかったことにすれば良いのだ。

 

「ま、待て。話を!そう話をしよう!」

 

 オラサーダルクが本日何度目かも分からないほど繰り返されたセリフを吐く。

 そう、モモンガが<記憶操作>により素材を剥ぎ始める前まで記憶を消去したのだ。これにより再度治癒を拒否するまでは同じ品質の素材を採取し続けることが出来る。

 

「MPが心もとなくなってきたからとりあえずあと2、3回で終わりにするか。くっ……ヤバいな……他のところまで引っこ抜けそうだ。ナーベそっちを押さえてくれ」

「このあたりですか?」

 

 モモンガが次に引き抜こうとしているのはオラサーダルクの頭蓋骨だ。ドラゴンで最も価値のある部位の一つと言える。

 いつの間にかオラサーダルクの子供たちも騒ぎを聞きつけて集まって来ていたが誰もが青い顔をして震えあがっていた。

 偉大にして最強たる父親がまるで玩具のように扱われているからだろう。

 

「体力に注意しろよ。抜いた瞬間体力が激減するはずだ。0になるまえに処理をしてみる。タイミングを間違えるなよ。念のために《時間停止》も使うからな」

「お任せください!」

「できれば私たち4人で山分けする分は欲しいからな。死なないように注意してくれ。いくぞ、せーの!!」

 

 かつてはドワーフ王が君臨しその技術と財力で栄華を極め、そして現在は竜王の称号まで手に入れたフロストドラゴンの王が支配した地。

 そこは今まさに屠殺場へと変貌していた。

 

 ドワーフのかつての王都、フェオ・ベルカナに訪れた悪夢はまだまだ醒めそうになかった。

 

 

 



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第56話 新たなる白き竜王

 僕の名前はヘジンマール。フロストドラゴンだ。

 

 ドラゴン……最強の種族の一種と言われているがはっきり言って僕はドラゴンとしては弱い。とことん弱い。

 長いこと引きこもっているおかげで体もかなり横幅が長くなってしまった。

 

 食事は奴隷になったクアゴアたちが運んでくれるし、特に動く必要がないからだろう。だから僕は自分の趣味に没頭している。

 

 それは書物だ。

 僕は何よりも知識を得るのが好きだ。このドワーフの城には本がたくさんあった。そこにはこの世界の様々な事情についての情報も載っている。

 世界にある様々な国のこと、そこに暮らす種族のこと、魔法のこと、武技のこと、そして様々な危険な生き物たちのこと。

 

 父であり王であるオラサーダルクはそんなものは実際に見てきた方が早いという。だけど見た瞬間殺されたりしたら知識を活かす暇もないじゃないか。

 だから僕は書物に没頭する。我ながら臆病だと思うが外に出るのが怖いから仕方ないよね。

 

「……?」

 

 しかし最近は妙だ。何かがおかしい。

 城の中で今までの雰囲気が以前と違うような気がする。何がおかしいのかよく考えてみる。

 

 そうだ、そういえば最近誰の声も聴いていない。

 そもそも僕は部屋から出ないので自分から話をするためにどこかへ行くことはないのだけど、部屋から出てこいと言う怒鳴り声を最近まったく全く聞いていない。

 

「月に一回くらいは来てたんだけどなぁ……」

 

 おかげで悠々自適で自堕落な生活を続けられているので文句はないけれど、あの恐ろしい父や厳しい母がそんなことを許すだろうか。どうもおかしい。

 

「もしかして僕のところまで来られない事態が起きたとか……?」

 

 これだけの期間何も音沙汰がないというのは少々不安になる。そう思った僕は試しに開かずの扉と化している自分の部屋の扉をそろそろと開けてみる。

 

「誰もいないなぁ……」

 

 広く長大な廊下には物音ひとつしておらず、誰一人としてそこにはいない。

 

「あ、あの~~~誰かいますかー?」

 

 久しぶりに出した僕の声は酷く掠れていていて聞き取りづらかったかもしれない。それでも近くの部屋の兄弟たちくらいには聞こえたと思うのだけれど……。

 

「もしかして見捨てられたとか……?」

 

 だんだんと不安が募ってきた。

 長年引きこもりに引きこもり、出て来いと言われても無視し続けていたがさすがに堪忍袋の尾が切れたのだろうか。

 いや、もしそうなら父であれば扉をぶち破ってでも部屋に入ってくるだろう。

 やっぱりおかしい。ここはもう仕方がない。父と話すのはとても怖いがとにかく誰かに話を聞いてみた方がいい気がする。

 

「うーん……本当に誰もいないなぁ……?」

 

 広い城の中を上へ下へと家族を探すがどこにも誰もいない。玉座の間に行ってみるも父の姿もない。玉座代わりに使っていた宝物の山は父の大のお気に入りであったというのに無くなっている。どこかへ持って行ってしまったのだろうか。

 

「やっぱり部屋にいるのかなぁ?」

 

 とりあえず一番歳の近い弟の部屋に行ってみることにする。決して同年代や年上の兄弟が怖いということではない。いや、本当は怖いのだけど僕は弱いのだから仕方ない。むしろ弟にさえ戦ったら負ける自信がある。

 

「おーい、いるー?」

「ひぃ!」

 

 扉から弟の部屋へと声をかけると中から叫び声が聞こえた。

 何だか悲鳴めいた返事だったけれど、無人になってしまったと思っていた城に誰かがいたことにほっと安堵する。

 

「いたんだね。よかったよー。あの、ヘジンマールなんだけど……」

「く、来るなああああああ!」

「ぇ……」

「部屋は出ない!絶対に出ないぞ!」

 

 断固たる拒絶。

 まるで部屋にこもっている僕のようなことを言っている。いったい全体何があったのだろう。ぜひ聞きださなければならない。

 

「あー、落ち着いて。何があったの?父上はどこに?」

「そ、そんなの父上に聞けばいいだろ!!とにかく俺はここを絶対に出ないからな!」

 

 何かに怯えるように部屋から出てこない弟。その後事情を聴こうと話を続けたがまともな返事はもらえなかった。

 仕方がない、怖いけれど一番事情を知っているだろう父上の部屋に向かうことにする。このまま何も知らないことが一番危険だと思うから。

 

「父上、ヘジンマールです」

 

 父の部屋の扉をノックしてみるも返事はない。扉に耳を付けてみる。うん、中に誰かいる気配はある……ような気がする。僕は鈍いから自信がないけど。

 

「父上!ヘジンマールです!!」

 

 仕方ないので強めに扉を叩いて大声で呼びかけた。すると反応があった。

 

「や、やめろおおおおおおおおお!」

「父上!?」

 

 反応はあったが……それは返事と呼べるものではない。

 叫び声だ。それもとてつもない恐怖を感じた者が出す……つまり父上に怒られたときに僕が出すような情けない負け犬の叫び声だった。

 

「父上、どうなされたのですか!?」

「すみません! すみません! もう逆らいませんからやめてください! うわあああああああああああああああ!」

 

 中から叫びが響き渡る。それに反応するように周りの母上たち妃の部屋からも恐怖の呻き声が聞こえだした。

 

「な、なんなのこれ……母上!?」

 

 母であるキーリストランの部屋のドアを叩くもそれ以上の反応はない。しばらく対話を試みてみたが誰一人部屋から出てこようとしなかった。

 

「どうしたんだろう?とんでもないことが起こったのは間違いないんだけど……どうしよう……そうだ、クアゴアたちなら何か知っている?」

 

 こうなったら街に降りて聞いてみるしかない。まさかクアゴアたちがこんなことをやったとは思えない。

 しかしそこで考える。まだ父たちを恐怖に陥れた存在がいるかもしれないじゃないか。それは怖い……。

 ならば……よし!そんな存在がいたら即座に服従を申し出よう。そう心に決めてこそこそと隠れながら城から街へと降りていく。

 

「ねぇ、ちょっといい?」

「こ、これは竜王様!?」

 

 見かけたクアゴアに声を掛けたら父に間違われた。父に匹敵するのは腹回りの肉付きくらいだろうけど……。彼はそもそも父を見たことがないクアゴアなのかもしれない。

 

 それにもしかしたら僕よりも強いクアゴアなのかもしれないけれど、下手に出るわけにはいかない。父に頼れない今の僕は力ずくで来られたら非常に不味い。だから彼には出来るだけ上位者として話しかけてみることにする。

 

「僕は竜王じゃないけれど聞きたいことがあるんだ。城の様子がおかしいんだけど何かあったの?」

「しょ、少々お待ちください!」

 

 そのクアゴアは全速力で走り去っていき、全速力で氏族長を連れて戻ってきた。呆れた速度だ。よほど仕事熱心なクアゴアに違いない。

 

「あ、あのご無事だったのですか!?」

 

 クアゴアの氏族長は驚いたようにこちらを見ている。確か名前はペ・リユロだったと思う。

 でも彼……じろじろ見てくるんだけど僕の体に何かついているのかな。一通り体を見たがどこにも異常はない……はず。

 

「あの……無事ってどういうこと?」

「い、いえ……あの光景を目の当たりにしてもう克服されているとは……なんという強い心をお持ちなのかと……」

「あの光景?」

 

 あの光景ってなんだろう。僕が部屋に引きこもっている間に何があったのか。怖いけれど聞かずにはいられない。

 

「は、はい……私の種族に対してではないとは言えあれは……あの光景は……私も一週間は正気を失いましたし……」

「話して」

「え……」

「その時の話を詳しく話して」

「そ、それは……」

「話して」

 

 正直目の前のクアゴアの方が自分より強そうな気がするが、相手が怯んでいるようなので強気に出てみる。

 それが功を奏したのか、氏族長は怯えながら事の顛末を語ってくれた。そしてその内容は……まさに悪夢だった。

 

「エルフの戦士があの父を倒しただって!?」

「相手にもなりませんでした」

 

 父のオラサーダルクはフロストドラゴンの中でも最強の個体だ。それも本来家族といえども個人主義でまとまりのないドラゴン族を数十匹まとめるだけの力を持っている。

 その力は天敵であるフロストジャイアントでさえ相手にならないくらいだ。それを無傷で弄ぶように皮や骨をはぎ取っていったなどにわかには信じがたい。

 

「ねぇ、エルフは魔法や弓を得意とする森にいる種族だって本で読んだんだけどそれは本当にエルフだったの?」

「い、いえ……その……あのくらいの背丈の種族を私は他に知りませんので……」

 

 氏族長には本当にエルフであったという確証はなかったらしい。やはり知識は重要だ。

 本から得た情報ではエルフとは遥か北西にある森の中の国であり、背が高い2足歩行の人間に似た生き物らしい。昔は人間の国と仲が良かったけど今は戦争中だって話だった。

 そんな国から強大な力を持ったエルフがこんな辺境に少人数で来るだろうか。何より森を愛するエルフは地中になど興味はないと本に書いてあったし……。

 

「それは人間か……いや、もしかして伝説に謡われるアレじゃないのかな……?」

「あの者たちに何か心当たりがあるのですか!?」

「いや、何となくだけど……。昔この都市に魔神が降り立ったって話は知ってる?」

「魔神……」

「その魔神は次元を切り裂きこの世界に現れた異世界のものたちだと言う。彼らはその後英雄たちに倒されることになったというけど、その英雄たちも異世界から来たのではないかと書いてある文献もあった。もしここに来たのがその魔神のような存在であったのなら……」

「……」

 

 ゴクリと氏族長が唾を飲み込むのが分かる。むしろここに来た何者かが行ったことは魔神ほどの力がないと出来るはずがないように思える。ドラゴンを弄ぶなどあまりにも力の桁が違いすぎる。

 

「とにかく父上たちが部屋から出てこなくなった理由は分かった。ありがとう」

「いえ。それで我々はこの後どうすれば……」

 

 どうすればと言われてもこの地の王は父のオラサーダルクだ。

 一番の下っ端と言える僕が勝手に決めていいことではない。しかしもし父が正気を取り戻して相手に復讐でも考えたとしたら……。

 その想像にヘジンマールは股間が緩みそうになる。駄目だ何とかしないと。

 

「それほどの存在に逆らうなど愚か……。こちらから服従を申し出るべき」

「や、やはりそうですか。ではドワーフとも……」

「君は彼らに何か言われたの?」

「ドワーフと和解した方が良いと……」

 

 ドワーフと和解!?なにそれ。国を背負ってる人たちがする話じゃないか。そんな話は父や母、それにヘジンマールより強い兄たちとやってほしい。

 しかし頼ろうにも……父たちは恐怖に身をすくめたままだし……。

 僕が頭を悩ませているとなぜか氏族王が期待に満ちた眼差しで僕を見つめてきた。あ……何か嫌な予感。

 

「あなた様のその知識! 今必要なのは彼らが何者であるかというその知識です! 白き竜王がお隠れになった今、頼りになるのはあなた様だけです! どうぞ我々に知恵をお与えください! そしてあの者たちとの交渉を!」

「ちょっ!?なんでそうなる!?」

「今話をしてみて分かりました。あなた様の知識はあの者たちとの交渉に必要不可欠なものです。この地の支配者に相応しい!」

「だからなんで!?」

「あの者たちに服従すると言い切ったからです。そのような屈辱的な決断、よほどの知恵と度胸がなければ言えるものではありません!お願いします!新たな我々の指導者に!ヘジンマール様!」

「ぇぇー……」

 

 とても面倒なことになった。

 しかし、誰かがやらないといけないことであるし、他に誰もやってくれないのであれば僕がやるしかない……のだろうか。

 僕は部屋に引きこもっていた読書の日々とお別れしないといけないのかと嘆きつつ、氏族長と今後の交渉について話を進めるのだった。

 

 

 



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第57話 モモンとナーベの夏休み 1日目

 モモンガたちはドワーフ国からバハルス帝国の帝都アーウィンタールへと帰って来た。既にドワーフ国に向かってから半年が経過している。

 

 そんな帝都の高級宿の一室でモモンガはインベントリから出した剣をうっとりと見つめた。ドワーフの鍛冶職人が鍛造した一品である。

 アダマンタイト鉱石にドラゴンの骨を加えて加工したそれはまるで水晶のように翠色の透過した非常に美しい輝きを放っている。

 能力的にはモモンガにとってそれほど価値のあるものではないが、コレクターとして見ると至高の逸品であった。

 

「やっぱり武器はロマンがあるよなぁ……こっちの鎧も……」

 

 取り出したのはフロストドラゴンの鱗を使ったドラゴンメイルだ。白い鱗がキラキラと輝いていてこれもまた美しい。

 

「やはりドラゴンはいい……。でも途中からあいつは治癒を拒否しだしたから結局記憶操作を何度もやり直すことになってしまったな。直前に記憶を戻すと言っても結構MPを消費して思ったほど素材を取れなかったし……。他のドラゴンは逆らってこなかったから素材を剝ぎ取れなかったんだよな……」

 

 また気が向いたらまた彼に会いに行ってみるのもいいかもしれない。あ、そういえば最後剥ぎ取ってから記憶を消し忘れてたな……。

 まぁ彼が元気になっていることを期待することにしよう。

 

「しかしまたナーベラルたちを働かせすぎてしまった……」

 

 つい楽しくて時間を忘れ素材採取に鍛冶修行にと楽しんでしまったのだが、彼女たちにもつきあわせてしまった。

 文句ひとつ言わずモモンガのいう通りに売買や交渉などで働いてくれて助かったのだが、どうも彼女たちに仕事をしてもらっているということを忘れてしまう。

 

「クライムとラナーは子供だしな……」

 

 

 

───そこで

 

 

 

「これより1カ月を休暇とする。この休暇中に仕事は禁止だ。分かったな?これはフリじゃないからな。しっかりと体を休めるんだぞ。自分のやりたいことをやればいいんだ。仕事も仕事の準備も不要だからな?分かったな?何度も言うがフリじゃないからな」

 

 帝都の高級宿でモモンガは決意を込めた声で告げた。

 今でも週2日の休暇を与えているのだが、なぜかナーベラルも子供たちも休まないのだ。何かと仕事を見つけてはせかせか働いている。

 モモンガとしては自分が手本とばかりに休日を満喫している様子を見せているつもりだが……それを見ても『分かっております』と取り合ってくれない。

 

(……社畜か!)

 

 これはいけないということで、モモンガは長期休暇を与えることにした。

 夏休みなどモモンガが社会人になった時点でなくなってしまったものだが、子供に夏休みは必要だろう。

 それこそ友達でも作って子供の頃しか味わえない夏の思い出を作って欲しい。

 

(俺はそんな思い出は作れなかったからな……。さて……その間俺は何をしようか……。この世界にある娯楽とかか? ゲームショップはないとしても娯楽本とかあれば読みたいな。手持ちの本も読みつくしてしまったし……。飲み食いできないから食べ物関係は楽しめないんだよな……本当にこの体はメリットとデメリットがある……)

 

 

 チラリとナーベラルたちを見る。

 読書を薦めてみようかと思うが、付いて来られておかしな趣味の本を買っているところを見られるのは避けたい。

 

(ライトノベルでさえ見られて馬鹿にされることもあるからな……)

 

 『挿絵が入っているから』といい歳をした大人が子供向けの本を読んでいると思われ軽蔑されることもあるのだ。

 これは絶対に一人で行動する必要があるだろう。

 

「というわけで私はこれから単独行動をする。では解散!」

「お待ちください!モモンガ様!」

 

 子供たちは休みに何をするか楽しそうに話しながら部屋から出て行ったがそのまま解散とはいかなかった。ナーベラルである。

 

「モモンガ様がお一人でお出かけになっては私が盾になって死ぬことができません!私も同行します!」

「休暇だと言っただろう。お前ものんびりお前のしたいことをするといい」

「したい……ことですか」

 

 ナーベラルは自分のしたいことを考えるが、『至高の存在のために働く』という以外にしたいことなど何一つなかった。

 しかし主人である至高の御方はそういったことを聞きたいわけではないようなので今まで我慢していた希望を一つ言うことにする。

 

「では休暇中はメイドに戻りたく思います」

「ぇ……」

「私はこの世界に来てからまったくメイドとしての仕事をさせていただいておりません!衣装やお食事の準備などの身の回りのお世話もさせていただいておりませんん!ぜひ私にメイドとしての仕事を!」

「そんなにメイドの仕事したかったの……?」

「はいっ!」

 

 ナーベラルが装備変更能力を発動すると冒険者風の服装から元のメイド服へと衣装が変わる。

 やはり創造主から与えられたこの装備が一番しっくりくるのだろう。顔が心なしか嬉しそうである。

 

「休暇中は私がメイドとして身の回りのお世話をさせていただきたく存じます。何なりとお命じください」

 

 優雅な礼をするナーベラルはどこからどう見ても完璧なメイドであった。しかし一人で行動したかったモモンガは言葉に詰まる。

 

「いや、あのな……私が行ってみたいところは完全に個人の趣味の世界であって一緒にいて楽しいものではないと思うぞ」

「モモンガ様の向かう場所こそ私の向かう場所です! ご一緒いたします!」

「あ……はい……」

 

 モモンガの説得は一瞬で撃沈し、メイド姿の美姫と漆黒の戦士が帝都アーウィンタールへと繰り出すことになるのだった。

 

 

 

 

 

 

 帝都を二人で歩くモモンガとナーベラル。ぴったりと寄り添う二人に好奇の視線が突き刺さる。

 

「見て、ナーベ様とモモン様よ」

「なんでナーベ様はメイド服を着ているのかしら」

「でもとってもお似合いね」

 

 帝都のアダマンタイト級冒険者として活躍を続けたモモンガたちは知らない人間がいないほど知名度が上がっていた。

 漆黒の鎧の偉丈夫と美しい黒髪をした美姫はただでさえ注目を浴びるというのに今日のナーベラルはメイド服姿である。騒ぎにならない方がおかしいというものだろう。

 

「おい、そこのお前」

 

 そう───騒ぎにならないはずがなかった。

 

「聞いているのか!そこのお前!」

「ん?私のことを呼んだのか?」

「そうだ!冒険者モモン!お前は美姫になんて恰好をさせているんだ!」

 

 目の前に現れたのは身を飾る立派な服装からして貴族と思われる青年だ。こういう輩はたまに……いや、結構頻繁に現れる。

 

「彼女が望んで着ている服だ。私に言われても困る」

「ふざけるな!メイドの服なんて着せやがって!まぁ……似合ってはいるが……聞いているぞ!お前は暴力で無理やりナーベさんを連れまわしているらしいとな!」

 

 王国でのモモンガの評判が帝都にまで届いてしまっている。

 その結果、ナーベさんを解放しろというナンパ紛いの言いがかりをつけてくる人間は後を絶たない。

 そういった輩にはお話をして分からない場合は少々乱暴にお引き取り願っている。それが良くなかったらしい。

 安易に暴力に訴えたことでさらに噂に信憑性を与えてしまっていた。

 

「私はそんなことはしていない。私と彼女に対等な仲間として接している」

「そんなわけはない!彼女の目を見れば分かる!」

 

 そう言われてモモンガがナーベラルを見ると……まさに虫を見るような目で睨んでいた、言いがかりをつけてきた男の方を……。

 

「さっきまでは機嫌がよさそうだったんだがな……」

 

 久しぶりのメイド服に珍しく楽し気な表情をしていたのに男のせいで台無しである。それはもう親の仇を見るように憎々し気に睨もうというものだ。

 

「ほら見たことか。ナーベさん、あなたはこんな男といるべきではありません。この私と共に来ませんか?ぜひ私の開催する舞踏会へ招待させてください。美しいドレスも仕立てます。あなたのように美しい方であればメイド服よりドレスの方が似合いそうだ」

 

 やはりただのナンパのようだ。

 こういった誘いは依頼を通してのものも多かったものだ。

 護衛依頼を装ったパーティーへの参加の誘いなどナーベラル単独で名指しの依頼をもらうことも多い。

 簡単な割にとても高額の報酬が約束されており、モモンガとしてはどうするか迷ったがこれまで一つも受けたことはなかった。

 

(弐式炎雷さんから預かってる大事な娘さんだからな……)

 

 

 やはりそれは正解だったようだ。今はもうナーベラルは爆発寸前といった様子である。メイド服を卑下するような発言がよくなかったのだろう。

 

「とにかく断る。さぁいこうかナーベ」

 

 このままでは彼の命が危ない。

 男の命を守るため、ナーベの手を取ってさっさと場を離れようとする。

 

 ここで大抵は男が逆上して肩を掴んできて結局ナーベラルに物理的に排除されることが多いのだが……。

 

 今回は肩を掴まれもしなければ前に回り込まれて行き先を塞がれもしなかった。気になって振り返るとそこには誰もいなくなっている。

 

「……?」

 

 誰もいない……と思いきや以前ジルクニフと一緒にいた男がちらりと見えた気がしたが……気のせいだろうか。

 

 しばらく周囲を見回しても何も起こる気配はない。

 気にしても仕方ないので一向になくならない好奇の視線を一切無視してナーベラルが満足するまで自由に散策することにした。

 

「ナーベはどこか行きたいところはあるか?」

 

 一人での行動は不可能であるというのであればせめて二人で楽しめるような場所に行きたいものだ。

 

「モモン様の行きたい場所こそ私の行くべき場所です」

「そ、そうか……」

 

 行き先をナーベラルに丸投げするという方法は無駄らしい。ならばモモンガがリードすることになるが、モモンガの行きたい場所が本当にナーベラルの楽しめる場所なのか一抹の不安があった。

 

「私は珍しい魔法道具があったら見てみたい。この町ではいくつかそういった商品を出している市があるらしい。そちらに行ってみないか?」

 

 モモンガが向かうのは帝都の北側にある広場だ。そこには商売人だけでなく、冒険者やワーカーなどの一般人も不要になったアイテムや遺跡などで見つけたアイテムなど様々なものを売っているらしい。

 

 

 

 

 

 

「これは……市というよりバザーといったところか」

 

 市に着いてみると大勢の人間が広場のあちこちで床に敷いたゴザやマットの上に様々な商品を置いていた。さらには商売人や客を目当てにした食べ物の屋台も並んでいる。

 

「なかなか旨そうだな……」

 

 ジュージューという肉の焼ける音やタレの焦げる香りに食べられもしないのにモモンガはボソっと呟いてしまう。

 

「モモン様!手に入れてまいりました!」

 

 振り返るとナーベラルが串焼きを数本差し出している。さすがの身体能力と言うべきかさすがの忠誠心と言うべきか、言葉にして数秒後には串焼きを手に入れてきたようだ。仕事が早い。

 

「私は食べられないのだが……いや食べないと不自然か……」

 

 二人で散策していてナーベラルだけが食べ歩きをしていては不自然だろう。モモンガは串の一本を手に取る。

 

(ん、やはり良い匂いだな……まだジュージューと言ってるし……この甘い香りの赤いタレはなんなんだ?トマトか?唐辛子か?まぁ食べてもわからないんだが……)

 

 仕方なしに兜の隙間から串を差し入れてかぶりつく。もちもちとした食感は鶏肉に近いものだろうか。香りは感じることが出来るもののやはり味は感じない。顎の下の隙間から落ちてきた肉片を手で受け止める。

 

(これはどうしようか……インベントリに死蔵してしまうか)

 

 食べかけのものを取っておいても誰かにあげることも出来ないが、捨てるという選択肢はモモンガのもったいない精神が許さない。

 ふと見るとナーベラルが残りの串焼きを手に持ったままモモンガの串焼きを見つめていた。

 

「ナーベ。どうした?食べないのか?」

「モモンガ様、お持ちの串焼きはもうよろしいのでしょうか?」

「ああ……まぁ食感と香りは楽しめたからな」

「では私がいただいてもよろしいですか?」

「ん?頼めるのか?」

 

 どうやらナーベラルが処分してくれるらしい。悪いが頼むことにしよう。そう思っていたのだが……。

 

 ナーベラルはモモンガの手から肉片と食べかけの串焼きを強奪するとヒョイヒョイとそれを口に入れてしまった。

 

「ちょっ」

「ああ……モモンガ様から御下賜されたと思うととてもおいしゅうございます」

「ぇぇー……」

 

 ナーベラルは手に残った串ではなくモモンガの食べかけの串焼きが食べたかったらしい。

 モグモグと嬉しそうに頬を膨らませて噛みしめている。

 至高の存在の口にしたものを食べる、それがナザリックのしもべとして重要だとでもいうのだろうか。

 

「残った串はあの(クライム)にでもあげましょう」

 

 ナーベラルは残った串を無限の背負い袋へと収納する。クライムは余りものでも喜んで食べるだろうが……モモンガとしては微妙な気分である。

 

「まぁいいか……うん……いいことにしよう。私は何も見なかった……。それより商品を見て回ろう。この店の商品なんかなかなか面白いそうじゃないか」

 

 今見たことを忘却の彼方へと放り投げ、商品の物色へと話を戻す。

 冒険者向けの商品にはモモンガの知らない魔法が込められたスクロールやスタッフ、ワンドなどもあって大変に興味深い。

 

 それ以外にも冷蔵庫としか思えない形状と機能を有した魔法道具や扇風機のようなものもあり、何度も触って構造を詳しく聞いたりして店主を困らせてしまう。

 

(こういった休日も悪くないな……)

 

 モモンガがそんなことを思ったその時、ナーベラルが眉間へと指を当てた。

 

「ナーベ、どうかしたのか?」

「ラナーから《伝言》が入りました。虫けらどもと遊んでくるので今日は帰れないかもしれないとのことです」

「帰れない?虫けら……?ああ人間のことか。そうか、友達でも出来たのかな」

 

 ナーベラルは人間のことを虫に例える癖がある。 

 モモンガが子供のころは家に泊りがけで遊びに行くような友人はいなかったが要領のいいラナーのことだ、帝都で友人を作って家に招待されるということもありえるだろう。

 

「ふふっ、休日を満喫しているようで何よりだ。ちゃんと保護者に心配しないように連絡してくるのも好ポイントだな」

「では許可してもよろしいのですか?」

「ああ、好きに楽しんで来いと伝えておいてくれ」

 

 モモンガが許可を出すとナーベラルはラナーに《伝言》を送りなおしているようだ。途中で『誘拐』とか『殲滅』とか言う言葉が聞こえたような気がするがきっと気のせいだろう。

 モモンガは子供たちの成長を喜ばしく思いつつ散策を続けるのだった。

 

 

 



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第58話 モモンとナーベの夏休み 2日目

 モモンガは帝都で一番の老舗と紹介された書店を訪れていた。

 モモンガは本を欲していた。なぜなら夜の時間に暇を持て余して持て余してしかたがないから。つまり暇つぶしの道具が欲しいのだ。

 

 ということで趣味の範囲の本については一人で物色したかったのだが……そこには当然のようにナーベラルがついてきている。

 

「ふむ……歴史書や自伝なんかが多いようだな。魔導書のようなものは……ないか」

「モモン様、何をお探しでしょうか?私がお役に立てることはございますでしょうか?」

「い、いや、ナーベ。私は私で探すのでお前も自分の欲しいものを探すと良い」

 

 ナーベラルには出来れば購入する本を見られたくはない。

 ラナーもそうなのだが、なぜかモモンガのことを絶対の知恵者のように思っている。娯楽本などを購入するのを見られた日には落胆されるに違いない。

 

「それにしても何というか……娯楽本は少ないな」

 

 帝都の一番の書店と言うこともあり、壁一面に非常に多くの書籍が並んでいるが、専門書や歴史書などがほとんどだった。

 羊皮紙で作られているため、本そのものが高価と言うこともあり実用書や高価でも買える富裕層向けの本が中心なのだろう。

 

「ん、これなんかはどうだ?」

 

 棚を見ていたモモンガは絵の多く載っている美術書のようなものを発見する。植物の図鑑のようなものから風景画をまとめたものまで様々なものがあるようだ。

 図鑑などはモモンガの知らないこの世界の知識がまとめられており、現実世界とも異なった内容は想像力を掻き立てられ、見ていて飽きることはない。

 

 しばらくパラパラといくつかの本を見ながら最後に手に取った本の中身を見て、モモンガはきょろきょろと周りを見回した後、慌てて本を閉じた。

 

「こ、これは……春画か!?」

 

 春画……つまり女の人の裸がたくさん載っている本であった。

 モモンガはアンデッドであるため色々と失っており、それに合わせて性欲もすべて無くなってしまったかと言うと……なぜか微妙に残っているような気もする。

 そして人間、鈴木悟の残滓であろうそれが手に取った本を購入するかどうか迷わせた。

 

「これをいただくわ!」

「ひっ……」

 

 まさか見られたのかとビクビクしながら振り向くとナーベラルが目を輝かせながらカウンターに本を積んでいた。

 

 自分のことはさておき、この世界に興味のなさそうなナーベラルがどんな本を欲しがったのだろうと興味がそそられる。

 手にしていた本をそっと本棚に戻すとモモンガはナーベラルが買おうとしている本を覗いてみた。

 

(……『漆黒の戦士と呪われた姫君』?)

 

 タイトルを読んで何となく嫌な予感がする。

 さらにそのタイトルの下に描かれたイラストを見て愕然とした。

 そこにはモモンガに似た全身鎧の戦士と先日呪いを解除したレイナースに似ている顔の半分を髪で隠した女性のイラストが描かれていた。思わずモモンガはナーベラルに聞く。

 

「なぁナーベ。それは……なんだ?」

「あ、モモンさー……ん。見てください!モモンさーんが描かれた絵本ですよ!もちろんその素晴らしさは本物には及びませんが私はこれが欲しいと思いました!」

「そ、そうか」

 

 頭の中にはなぜこんな本が売り出されているのかという疑問でいっぱいだ。

 しかし、普段にない良い笑顔を浮かべるナーベラルに思わずモモンガは沈黙してしまう。

 

「いや、待て。そもそも著作権はどうなっているんだ……。ナーベ、これはどこにあったのだ?」

「はい、あの辺りの本棚にありました」

 

 モモンガが指を差されたコーナーを見るとそこは平置きされたこれまたどこかで見たようなイラストの本が高く積まれていた。

 

「……『帝国の英雄、漆黒の美姫と魔物兵団』?」

 

 どう見てもナーベラルを参考にしたとしか思えないイラストと内容である。しかも漆黒の戦士の本が1冊しかないにも関わらず漆黒の美姫シリーズは10種類も置いてあった。

 

「いったい誰が書いたんだ……というかいつの間に帝国の英雄になっているんだ……。まだ冒険者として仕事を始めて1年もたっていないぞ……。中身は気になるが……。内容次第では著者に文句を言わないといけないな。でも購入するならついでに……」

 

 ナーベラルがカウンターに積んだ本の中に自分が欲しい本もついでとばかりに混ぜておく。これならば娯楽本を自然に購入できるだろうとモモンガはほくそ笑んだ。

 

「主人、これをすべてもらおう……ナーベ、代金は私が払っておくからいいぞ。……むっ!?」

 

 モモンガが見られる前にさっさと会計を済ませようとしたその時……周辺の空間にひびが入るようなエフェクトが生じた。

 

「モモン様!?いかがなされましたか!?」

「私の攻性防壁に反応があった。誰かが私を覗き見ようとしたらしい。あまり見られていないと思うが……。見られていたとしたら……許せんな」

 

 モモンガはちらりと山と盛られた本に混ぜられた1冊を見やる。これを見られていたとしたら本当に許しがたい。

 

 

 

───さらに次の瞬間

 

 

 

 書店の棚がガタガタと揺れ始め、遠くから爆発音が聞こえてきた。周囲の通行人がそれに驚いたのか悲鳴を上げている人間もいる。

 

「犯人は意外と近くにいたようだな。恐らく反撃設定しておいた<爆裂(エクスプロージョン)>が発動したのだろう。ナーベ、行くぞ」

「はっ!」

 

 

 

 

 

 

 法国の特殊部隊『漆黒聖典』。

 それは6柱の大いなる神に合わせて編成された6つある聖典部隊の中でも特に戦闘に特化した特殊部隊である。

 

 それ故にその信仰心は他の追随を許さず、信仰のためにはどんな非道なことでも迷いなく行うことが出来る。

 

 その狂信者と言える漆黒聖典の内、帝都を見渡せる丘の木の上に二人の隊員が潜んでいた。

 

「<占星千里>、漆黒の様子はどうだ?」

「昨日に続けて帝都を散策しているみたいよ、<巨盾万壁>。あの二人の子供は今日も別行動ですね」

 

 本名ではなく異名で呼び合う二人。

 一人は占星千里と呼ばれる少女でモモンガの元の世界の女子高生のような恰好をしていた。

 一方、もう一人の巨盾万壁と呼ばれた男は巨大な2つの盾をもつ巨漢であり、隠れ潜んでいなければ非常に目立つことだろう。

 

「本当にあれらが陽光聖典を全滅させたのか?俺はまったく強さを感じなかったぞ」

「でも……実績は本物ですよ。能力隠蔽の魔法道具か何かを使っているのではないですか?」

「まぁ実力についてはそれで良いとして……それより信仰心の方はどうなんだろうな?いまいち奴らの行動の目的が分からない。亜人や異形種を殺すのを止めに来たかと思えば、冒険者組合の依頼で魔物を狩りまくっている。地位や名誉が欲しいのかと思えば王国でも帝国でも仕官を断ってるし……なんなんだよあれは。占星千里、お前はあいつらの強さを看破出来たりしないのか?」

「いえ、それは……私でも見破るのは難しいのではないですか?あなたの戦士としての勘でさえ感じ取れないほどなんですよ?」

「ったくよー。巫女姫をさっさと稼働させりゃいいのに本国は何やってるんだか……」

「……あの子はまだ9歳ですよ。せめて10歳までは人間として生かすと神官長たちが決めたんじゃないですか」

「それはそうだが……神への信仰の……それこそ人類のためだぜ。さっさと便利な魔法道具(マジック・アイテム)にならないもんかね。それさえ出来りゃあれも看破できるんじゃねえか?」

「そうかも知れませんが……ん、建物の中に入りましたね。あれは……書店でしょうか」

「おっ、もしかして聖書でも買ったりするのか?だったらいいんだがなぁ。占星千里、分かってるな?」

「はい。何を買おうとしているのか、何を考えているのか、それを探らせてもらいましょう。<千里眼(クレアボヤンス)>!あ……ああ……これは……これは!?」

「どうした?まさか春画でも買ってたか?ははは、んなわけないか」

「逃げてください!来ます!武技を発動してください!」

「は?何を言って……な、何だと!?」

 

 次の瞬間、占星千里は後悔した。

 あれは人が手を出して良い存在ではなかったのだ。きっと自分たちが探ってくるということもすべて見通していてからかっていたのだろう。

 自分の放った魔法に対して抵抗する恐ろしいほどの力を感じる。

 

 そして占星千里は身を焦がす爆風に四肢が引きちぎられるのを感じながら意識を失うのだった。

 

 

 

 

 

 帝都が大騒ぎになってしまったためモモンガは仕方なく本の購入は諦めて書店を出る。

 さすがにこの状況で買い物を続けるわけにはいかないだろう。まずはモモンガを探ろうとした相手を確認するのが先決である。

 

 恐らく煙が上がっている場所が<爆裂>が発動した地点だろう。そこへと移動しようしたその時……背後から肩を掴まれた。

 

「失礼!」

「ん?君は確か……ニンブル殿だったか?」

 

 そこにはなぜかジルクニフの配下である四騎士の一人、ニンブルが立っていた。

 

「モモン殿。失礼ですがちょっとお話を伺いたいのですが……」

 

 モモンガはその言葉に周りを見る。

 大騒ぎがパニックへと発展していた。

 それはそうだろう。帝都ではあれほどの大魔法など見たこともない一般市民ばかりなのだ。町の近郊で巨大な爆発とともに町全体が揺れたのだからたまらない。

 

「ひょっとして……私たちのせいだと思っているのか?」

「……違うのですか?」

 

 ニンブルにジト目で睨まれる。事実モモンガのせいではある。もし街中に相手がいた場合はさらに大惨事になっていたことだろう。

 そうでなくてよかったと思いつつモモンガは考える。

 

(<爆裂>は私のせいだとして……私が悪いのか?無粋な覗き見をしてきた連中が悪いのではないか?そもそもユグドラシルでは<爆裂>程度で相手が懲りるようなことはなかったのだし……)

 

「攻撃されたから反撃しただけだ。どこの誰かは分からないが私を魔法で覗き見ようとした者がいる」

「至高の御方のことを探ろうなど無礼も甚だしい!万死に値します!」

 

 どう考えても自分に非などないと正当防衛を主張するためにも正直に状況を話すことにする。その言葉に堂々と追従するナーベラル。

 

(お前は頼むから黙っていてくれ……)

 

 二人の自信の満ちた態度にニンブルは怯んだ。そう、ニンブルもそのモモンガを探ろうとしていた一人なのだから……。

 

 

 

 モモンガが帝都に戻ってきたと聞いたジルクニフにより動向を探るように命令を受けて後を付けていたのだ。

 

『もしどこぞの馬鹿が絡んで怒らせでもしたら大惨事になる』

 

 ジルクニフの言葉である。

 そのためニンブルは絡んでくるような輩を排除ししつつ、追跡を続けていたところにこの大爆発が発生したという次第である。

 それが自分以外の追跡者の末路であったと知りニンブルの背中に嫌な汗が流れた。

 

「そ、そうなのですか……。それなら仕方がない……かもしれませんね。あの……現場に同行してもよろしいですか?」

「それはいいが……随分都合よく現れたものだな」

「えー、そ、それはですね……陛下に言われたというか……そ、そう!陛下に本を買ってくるように言われてですね!別にモモン殿たちを探っていたわけではないですよ!たまたま!たまたま本を買いに来たらすごい音がしたので出て来たのです!」

「なぜ皇帝陛下の側近がわざわざ町の本屋に買いに来るんだ?」

 

 言外に『持って来させればいいのに』というニュアンスが匂わされている。

 ニンブルは冷や汗をかきつつ、助けを求めるように周りを見るとカウンターに積まれたある本に目を止めた。

 

「それは……そう!これ!このモモン殿の活躍を物語にした本が発売されたと聞きましてね!これの作成には我々も協力していまして!モモン殿の雄姿が今後とも語り継がれるようにと……」

 

(こいつらか!)

 

「よし!その話はあとで詳しく聞かせてもらおう!」

 

 こんな恥ずかしい本を今後もバラまかれてはたまらない。モモンガは絶対に発売中止にしようと決意しつつ、次の行動に移る。

 

「まぁ話はあとだ。ニンブル殿が来たいというのであれば一緒に誰が覗き見ていたか調べに行くとするか」

 

 モモンガのその言葉に、ニンブルは覗き見をしていた相手が帝国関係者でないことを……特にいつか失態を演じた某主席宮廷魔術師でないことを神に祈るのだった。

 

 

 



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第59話 暗躍する者達

 モモンガたちが到着したその場所、<爆裂>が発動したと思われる箇所の周辺は折れたりなぎ倒された木々が散乱していた。よく見ると木々に血や肉片がこびりついている。

 元々は木々の生い茂る丘の上であったのだろうがもはやその面影はなく、凄惨な光景がそこには横たわっていた。

 

「こ、これは……これほどの威力の魔法が存在するのか……」

 

 ニンブルはその様子に絶句する。

 爆心地と思われる部分にはクレーター状に大きな窪みが出来ており、そこから周囲に血や肉片、そしてそこから飛び出す骨が散らばっていた。

 

 ニンブルは職業柄、敵を剣で斬り殺すことはある。しかし、このような惨状を作り出すことは不可能だ。あらためて魔法と言うものの恐ろしさを思い知る。

 そしてその原因と思われる人物はというと……。

 

「しまったな……<爆裂>程度でこうなってしまったのか。これでは話が聞けないではないか」

「罪を償うこともなく死ぬとはまったくもって不敬ですね!」

 

 モモンガとナーベラルのまるで世間話をするような態度の会話にニンブルは怖気を感じる。もしや人の命を何とも思っていないのではないかと勘繰ってしまうほど無味乾燥な日常会話のような態度だ。

 

「む、あそこに盾が落ちているぞ……」

 

 モモンガが指さした先に巨大な盾が置かれていた。爆発のあった場所に何故か置かれている焼け焦げた盾。違和感しか感じない。

 

「タワーシールド……でしょうか?帝国でこれだけの巨大な盾を使っているとなると……」

 

 ニンブルは最近加入した帝国4騎士の一人を思い出す。

 2つの大盾を使う騎士だが隠密行動を得意とするような者ではない。それに彼が動いていたのであればニンブルに知らされないということもないだろう。いや、そうであってもらわなくては困る。

 

「心当たりがあるのか?」

「い、いえ。彼がこのような場所にいるはずがありませんので……」

 

 ニンブルは祈る気持ちで盾をどける。

 すると下から現れたのは見たこともない男だった。ニンブルは思わず安堵の溜息をもらす。

 

 髪はチリチリに焼け焦げており、全身も火傷だらけだがわずかにうめき声をあげている。なんとか生きているようだ。

 片手で大盾を持ち、もう一つの手には何かを大事そうに抱え込んでいた。

 

「知らない男ですね。私が調べても?」

「ああ、別にかまわない。何か分かったら教えてくれ」

 

 ニンブルは男が握っている手を開かせて中を確認する。

 握られていたのは聖印と呼ばれる飾りであった。帝国においても教会関係者は信仰する神ごとに決まった聖印を首から下げている。つまり一般人ではなく教会関係者の可能性が高いということだ。

 

「これは……聖印のようですね。ですが私は見たことがないものです。少なくとも4大神のものではありませんね」

「4大神というとこのあたりの宗教だったか?そうするとこの男は別の神を崇める異端ということになるのか」

「そうかもしれませんが……4大神以外にも従属神などの細かい派閥もあるのでなんとも……彼をこちらで預かってもよろしいですか?」

「かまわないが……まず治してからだな。このままでは話が出来ない。ナーベ」

「はっ!《大治癒》! 《死者蘇生》!」

「なっ……蘇生魔法……!?」

 

 治癒魔法は以前闘技場で見たニンブルであるが、蘇生魔法まであっさりと使われたことには驚きを隠しきれない。

 それは主席宮廷魔術師であるフールーダでさえ使えない高位の神聖魔法であり、帝国ではただの一人も使い手がいない大魔法であるからだ。

 バラバラの肉片だったものがまるで時間が巻き戻るように人間の形へと戻っていく。

 

「これで話をすることが出来るだろう。では話を……いや待て、ラナーから《伝言》が入った。なんだと……?」

「あの……ラナーというと一緒にいたあの赤い頭巾の女の子でしょうか?」

「ああ。今、法国の聖典と思われる者達と対峙しているらしい……。なぜだ……友達と遊んでいるのではなかったのか……」

 

 モモンガの頭は混乱する。

 なぜ夏休み中の二人がそんなことになっているのか。あまりにもモモンガの頭の中での想像とかけ離れた報告である。

 

「ともあれ聖典というのは以前あった連中の仲間か……すぐに向かった方がよさそうだな」

 

 モモンガはトブの大森林で対峙した集団を思い出す。

 人類以外は問答無用で殺害すると明言するような相手だ。ラナーたちが不覚を取るとは思わないが万が一はあり得る。

 

 モモンガは蘇生直後で未だうめき声をあげている二人を見つめた。

 彼らをここに放置するというわけにもいかない。帝国の衛兵に渡すにしても相手はかなりの実力者に思える。逃げられたりでもしたら面倒なことこの上ない。

 

「仕方がないな。<要塞創造(クリエイト・フォートレス)>!」

 

 モモンガの創造系魔法により黒々とした巨大な塔が出現する。王都を出る際に野営用に使おうとして失敗した魔法である。

 

「なっ……これは……」

「彼らはここに放り込んでおこう」

 

 突如出現した巨大な塔にニンブルは言葉を失うが、モモンガは無造作に二人を持ち上げると入り口を開けて中に放り投げた。

 この要塞はなぜか『作成者以外扉の開け閉めが出来ない』という仕様になってしまっているのは実験済みである。

 破壊できるだけの力があれば外に出ることは出来るだろうが<爆裂>程度で死傷する相手には無理な話だろう。留置場代わりに丁度いい。

 

「ここに閉じ込めておけば逃げ出すことは出来ないと思う。私は仲間に呼ばれたのでそちらへ行くがニンブル殿はどうする?」

 

 不審者の所在も気になるところであるがニンブルの任務はあくまで漆黒の動向調査である。

 ここで不審者の尋問をすることよりも明らかに異常な力を持つ『漆黒』のほうを追跡することをジルクニフも望むだろう。

 

「私も同行させていただきます。彼らについては……他のものに任せましょう」

 

 ニンブルは急ぎ帝城へ使いを飛ばすとモモンガたちに同行するのだった。

 

 

 



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第60話 ラナーとクライムの夏休み 1日目

 長期の休暇をもらったラナーとクライムは帝都の街へと繰り出していた。特にクライムは久しぶりの自由行動にはしゃいでいた。

 

 それもそうだろう。

 スラムで死にかけているところをラナーに拾われ、モモンガたちと合流してからは冒険者としての仕事や力をつけるための魔物討伐など想像も出来ないほどの非日常が続いており、久しぶりの日常と言える日なのだ。

 

 軍資金の方も潤沢である。

 ラナーやクライムは遠慮したのだが、モモンガの方針で報酬は山分けとなっており6歳児二人が持つには明らかに過剰なお金を持っていた。

 

 何に使おうかとワクワクしながら歩いていると、周りからジロジロと見られる。

 赤い頭巾と犬の着ぐるみという奇妙な格好で歩いていることもあり若干注目を浴びていた。さらになぜか何人かが尾行までしているのをラナーが魔法により察知する。

 

 モモンガたちと一緒の時にはこのようなことはなかったが、二人きりになったからだろうか。しかし、敵か味方か不明なため一応の警戒をしておくに留めることにする。

 

「ラナー様。あれ買っていいですか?」

 

 クライムが屋台を指さしながら許可を求めてきた。子供っぽい話し方も少しずつではあるが改善されているようだ。丁寧語で話すクライムに一抹の寂しさを感じつつもラナーはクライムと並んで屋台へと並んだ。

 

「ん?チビどもは客なのか?これは1本5銅貨もするんだが……払えんのか?」

 

 ラナーたちの背格好を見て支払いを心配したのか屋台の主人が聞いてくる。確かに屋台にしては中々のお値段である。

 しかし、クライムはこの屋台ごと買ってもまったく問題ないくらいのお金は持っていると知ったらどんな顔をするのだろうかとラナーは笑ってしまう。

 

「とりあえず2本ください!」

「おっ丁度だな。ほらよ」

 

 無限の背負い袋から出した10銅貨渡すと安心した店主は焼き立ての串をクライムへと渡した。

 

「はむはむ……ラナー様も食べますか?美味しいですよ」

 

 クライムはひき肉を固めて串に刺したような食べ物を美味しそうに頬張っている。タレの焦げる香りに食欲をそそられる。

 

「私は結構です。それより食べ過ぎるとまたご飯が食べられなくなってモモン様が悲しみますわよ」

「んぐ……じゃあ1本にしておく……おきます。じゃあ、おじちゃん!同じの50本ください!」

 

 クライムは残った1本を<無限の背負い袋>へしまうと代わりに銀貨の山を取り出し屋台へと置いた。

 

「こりゃまいど!坊主はおかしな格好してるけど金持ちなんだな……」

   

 思わぬ収入に主人も相好を崩して串を焼き始めた。

 焼きたての串が出来上がるたびにクライムは無限の背負い袋に入れていく。美味しかったので持ち帰っておやつにでもするのだろう。

 

 クライムはその後も同じ調子で買い物を続け、焼き菓子を買い占め、肉をパンで挟んだものを詰め込み、果物や飲み物、果てはシチューを鍋ごと購入してついに……。

 

「あっ……ラナー様……」

 

 泣きそうな顔でラナーを見つめるクライム。

 どうやら重量オーバーで入らなくなったらしい。<無限の背負い袋>は500キログラムまでしか入らないとモモンガから言われていたのを失念していたのだろう。

 

「仕方ないわね。それは私に渡しなさい。買い物はこれまでね」

 

 ラナーはクライムから入りきらなかった分の食料を受け取って自分の<無限の背負い袋>へと入れる。ふと見ると自分たちを物陰から取り囲むようにしている視線が増えていた。

 

「ふーん……ちょっと面倒ね。クライム少し歩きましょうか」

「あ、はい」

 

 ラナーはクライムを連れて人通りの少ない道へ少ない道へと歩いていく。感じていた気配がそれとともに移動してきているのを感じる。

 

「4……いえ、5グループくらいかしら?クライムこっちよ」

 

 商業地区を抜け、職人街を横断し、入り組んだ住宅地区の細い道をあちらへこちらへと誘導するように歩いて回る。そうしてしばらく歩き回るうちにラナーの顔が笑顔になる。

 

「ふふ、いくつかぶつかったみたいね」

 

 追っている人間達は全員が同じ所属ではないようだ。

 お互いに牽制しあっており、そのためにラナーたちに手を出してこなかったのだろう。しかし巧みに追跡者を誘導するようにラナーが歩いたことにより、二つのグループを衝突させられた。

 

 金が目当てかそれ以外が目的かは不明であるが、下手に優秀な人間の思考ならばラナーには手に取るように誘導できた。

 そうしてぐるぐると帝都を回っているうちにやがて追跡グループが一つ消え、二つ消える。

 そして最後には目の前に黒いローブで身を包んだ集団が現れた。

 

「……やれ」

「はっ」

 

 黒ずくめは手短にやり取りをするとラナーたちを取り囲んだ。子供と思って侮っているのだろう。相手は武器を抜くことさえしていない。

 

「ラナー様!」

 

 危険を察知したクライムが動こうとするがラナーがそれを手で制する。

 今のクライムの実力では10秒あれば相手が全滅してしまうだろう。それではせっかくの休日だというのにつまらない。

 

「せっかくの休日なのですし、この方たちと遊んで差し上げましょう」

 

 ニコリと楽しそうに笑う顔はかつてのやせ衰えていた時とはまるで違う。

 健康的に輝く金色の髪と青い瞳はまるで黄金の輝きを思わせる太陽のようであった。一瞬、その美しさに呆けてしまったクライムであるが了解したとばかりに頷く。

 

 一方、黒ずくめの男たちはそれを子供特有の危機管理意識のなさだと思いほくそ笑んだ。そして背の高いリーダー格と思われる男へと視線を向けた。

 

「ウィンブルグ様?いかがいたしますか?」

「しっ……ここは穏便にいこう。ははは、そうだよ、お嬢ちゃんたち。おじさんたちは君たちと遊びたいだけなんだ。おいしいお菓子もあるし、楽しいところに連れて行ってあげるよ」

 

 猫なで声をラナーたちへ向けてくる男。ラナーは後ろの黒ずくめが言った名前を即座に頭の中で分析する。ウィンブルグというのはこの国の公爵の名前だ。

 

(ふふふっ、面白くなってきたわね。遊び相手としては合格ね)

 

 帝国に来るにあたりラナーは当然帝国のすべての貴族名を調べ上げている。

 せっかく長期の休暇をもらったのだ。せいぜい楽しませてもらおうとラナーたちはモモンガへ<伝言>を送ると、抵抗することなく男たちの用意した馬車に乗せられるのだった。

 

 

 

 

 

 

 一方、ラナーたちを追っていた追跡者のうちの一人……バジウッドは焦っていた。

 あの子供たちはジルクニフが注目しているアダマンタイト級冒険者の連れである。それをジルクニフに命じられるまま追跡していたところ、あろうことか彼女たちは市場で大金を取り出して食料の買い占めを始めたのだ。

 

(何をやっているんだあいつらは……そんなことをしたら……ほら見ろ……)

 

 バジウッドの危惧していた通り、幼い子供が大金を持っていると気づいたガラの悪い人間たちが彼女たちを追い始める。

 

 しかし、ジルクニフが取り込もうとしている冒険者の連れにそのような目にあわせてしまっては国を出ていかれかねない。

 

 バジウッドは即座に追跡者の追跡を開始し、そのような輩を順次始末していったのだが……。さすがに数が多すぎた。

 さらにその隙をつくように黒ずくめの集団が現れたことには気づいてはいた。

 当然彼らも制圧することが望ましかったが、それ以外の危害を加えようとしている連中を押さえている間になんと保護対象の二人を連れ去られてしまったのだ。

 

 助けを呼ぶなり、抵抗するなりすると思っていたのになぜか子供たちはスタスタと馬車に乗り込んで去ってしまったのだからたまらない。

 

「嘘だろ!まるで自分から馬車に乗ったみたいに見えたが……いや、そんなはずはねーな。くっそ!陛下に連絡する暇がねーぞ!」

 

 バジウッドは悪態を吐き捨てると走って馬車を追いかける。

 しかしバジウッドは気が付いていなかった。さらにもう一組、彼女たちを追って走っていく者がいることを……。

 

 

 



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第61話 ラナーとクライムの夏休み 2日目

「ついたぞ。降りろ」

 

 馬車に乗っていたのは10時間ほどだろうか。既に日付は変わって深夜になっていた。

 ラナーは馬車の進む方向や振動から分かる速度、時間から脳内の地図で現在位置は把握している。ここは帝都郊外の墓地のはずだ。

 男たちに言われるがまま素直に馬車から降りる。

 

「ここはどこですか?」

「お前たちが気にすることはない」

「あら?美味しい御菓子をご用意いただけるのではなくて?」

 

 惚けたラナーの言葉に男の顔が歪む。いくら幼いと言ってもまさかここまで来て誘拐されたと気付いていないとは思ってもみなかったのだろう。

 ラナーを無視するように男は墓石の一つを動かすと下から階段が現れた。

 

「こっちだ」

「ここで何をしているんですの?」

「あとでわかる」

「ふふふっ、きっと楽しい遊びをなさっているのでしょうね。中には何人くらいいるのですか?」

「……」

「30?40人くらい?そう、40人くらいですか」

 

 男の顔が固まった。

 表情を読まれた……いや、こんな子供にそんなことは不可能だろうと思うものの男はラナーに不気味なものを感じ始めていた。

 

「私たちは無事に帰れますか?無理?そうですか。ふふっ、なるほど分かりました」

「うるさい!黙って歩け!」

 

 男は薄気味の悪いガキだと思うが力づくであればどうにでもなるだろうと気を取り直す。

 ラナーたちは男に案内されるまま暗い階段を降りると広い廊下が続いていた。

 周囲には燭台に蝋燭が灯されて明かりを取っているが決して明るいものではなく、ゆらゆらと動く自分たちの影が不気味にたゆたっている。

 

「ここに入ってろ」

 

 連れていかれたのは何もない広い部屋である。当然そこには御菓子もお茶も遊ぶための玩具もなく、それどころか椅子やテーブルさえなかった。

 押し込められるように中に入ると後ろで扉が締められる。

 

 しかし、何もないといったのには語弊がある。そこには10人ほどの子供たちがいたのだから……。その誰もが不安そうな顔をしていた。

 

「そこのあなた」

 

 ラナーはツカツカと中に入っていくと物怖じすることもなく、一番年上と思われる少年を指さす。

 

「あなたはここがどこで何をしている場所なのかご存じかしら?」

「し、知らない!俺何もしらない!」

 

 怯えたように答える少年。しかしラナーはその表情が嘘であることを一目で看破する。

 

「知っているのね。ここから出された子供たちはどうなるの?」

「そ、それは……」

 

 ラナーは少年の瞳の中の恐怖を読み取った。そこに見えるのは暴力を振るわれるとか怒られるとかその程度の恐怖ではない。命の危険を恐れる生物としての恐怖の目。

 

「……殺されるのね」

「ひっ……」

「でもそれは何のため?連れていかれるとき何か言ってなかった?」

「じゃ、邪神に捧げるって……」

「邪神?邪神ね……はぁ……何ともつまらない理由ですわ」

 

 どうやらただのカルト教団の生贄に選ばれただけのようだ。もう少し規模の大きい組織であればモモンガ様のお役に立てたのにとラナーは落胆する。

 

「それでも暇つぶしくらいにはなるかしらね」

 

 ラナーが頬に手を当てながら首を傾げていると、『グーッ』という音が部屋に鳴り響く。クライムのお腹が鳴ったのだ。

 

「ふふふっ、そういえばもう夕方かしら?」

 

 お昼に串焼きを食べていたが移動で結構時間が経過している。時間的には夕食を抜いてしまったことになるだろう。

 

「食事にしましょうか。クライム」

「はい!」

 

 ラナーは<無限の背負い袋>からテーブルと椅子を取り出す。さらにテーブルクロスを取り出すと、その上にグラスや皿を並べていく。

 続いてクライムの<無限の背負い袋>からは帝都で袋がパンパンになるまで買った食料を取り出した。サラダに果実水、肉料理に、白パン。すべてが出来立てのように湯気を上げている。

 

 その様子を捕らわれていた子供たちは呆然として見ていたが、ラナーは気にすることなく椅子に腰かけると指を胸の前で組み合わせる。

 

「至高なる神モモンガ様、今日この命がある事に、糧を与えてくださることに感謝いたします」

「感謝いたします!」

 

 二人は食前に自らが崇める神へと祈りを捧げる。目の前でやると止められるので本人のいないところでナーベラルとともにやっている祈りである。

 

 祈りを終えて二人で食事を食べていると、背後からお腹の鳴る大きな音がしてきた。それも一つだけではなく複数である。ふと見るとお腹を空かせた子供たちが羨ましそうにテーブルを見つめていた。

 それに気づいたクライムが申し訳なさそうにラナーを見つめる。

 

「ラナー様……」

「……下等生物などに分けてさしあげる必要はないと思いますけど?」

「でも……」

「はぁ……仕方ないわね。この料理はあなたが買ったものなのだから好きにすればいいわ」

 

 ラナーの言葉にクライムは嬉しそうに顔を綻ばせる。

 食うや食わずの生活をしていたクライムには空腹の子供たちの前での食事は心苦しかったのだろう。

 

 クライムが食事を差し出すと嬉しそうに子供たちが群がってきた。

 しかし子供たちがテーブルの近くに来たことにより人間以外の種族が一人だけ後ろに隠れていたことに気が付く。

 さらにその亜人の子供だけは子供たちの輪に入っておらず、テーブルにも近づいて来ない。

 

「あれは……?」

「おい!何をしている!」

 

 亜人の子供に声をかけようとしたところ、騒ぎに気付いたのだろう。中へと入ってきた男が部屋の様子に驚く。

 それはそうだろう。ただ監禁するためだけの何もない部屋に突如として立派なテーブルや椅子が並んでおり、そこで食事までとっているのだから。

 

「どどどどどういうことだ!?部屋を間違えてねえよな!?」

「あら、(わたくし)たちは食事をしていただけよ。何もおかしなことはなくってよ?」

「お、おい。こいつ何言ってるんだ?誰が用意したんだこんなもの!?」

「分からねえ。ウィンブルグ様の指示かもしれない。聞いてくる!お前ら!とにかく静かにしてろよ!」

 

 慌てて男たちが部屋から駆け出していく。その間に食事は終わったのでテーブルや椅子は<無限の背負い袋>に戻して食休みをしていると、誘拐の際にいた背の高い男が入って来た。

 

「おい、さっき言ってたものはどこだ?どこにもテーブルなんてないが?」

「へ?いや、確かにさっきまでありましたが……」

「この私に虚偽の報告をしたと?その場合粛清対象になるが……」

 

 男の目が黒ずくめたちを睨みつける。

 後ろ暗いことをしている組織がゆえの常識というのか。密告されないよう裏切者に対する報復でも行っているのだろう。もしそうならばいい見世物が見られるかもしれないとラナーはほくそ笑む。

 

「し、信じてください!俺たちは嘘なんかついていません!おい、あのテーブルはどこに隠した!」

「あら、何のことかしら?ねぇ、クライム。テーブルなんて知りませんわよね?」

「うん!串焼きもシチューも全然知らない!……ゲップ」

 

 ニヤニヤと惚けるラナーとクリームシチューの臭いのするゲップをするクライム。

 うまく内部分裂が見られれば面白いと思っていたのだが、さすがにクライムのゲップのせいで男は気が付いたようだ。

 

「ふーむ……。収納の魔法道具か何かを持っているのか?こんな子供が持っているとは思えないが……。後で調べることにしよう。それより……子供たち、時間だ」

 

 ニヤリと笑う男を見て子供たちは恐怖の表情でビクリと身を縮める。これまでも同じようなことが繰り返されてきたのだろう。

 

「祝福の時間だ。この中から二人、幸せになる権利を与えよう。さあ、希望者はいるか?」

 

 『祝福』。きっと碌なものではないものの比喩だろう。

 子供たちの皆が皆震えて声も出せないようだ。歳が上で体の大きい子供ほど後ろで目立たないようにしており、それどころか小さな子供を前に押し出そうとしているほどだ。

 押し出されそうな小さな子供は涙目になりながらも、さらに亜人の子供を押し出そうとする。

 

「クライム、見ましたか?まったく人間とは醜いものですわね」

「はい……」

 

 弱い者がさらに弱い者を犠牲にしようとするその醜い様子にクライムは弱弱しい声でつぶやく。

 かつて自分もあのように世の中からはじき出されたことを思い出したのだろう。弱く愚かな存在であるくせにさらに弱い存在を叩く、それがラナーの考える人間だ。

 弱いものを利用するだけならばまだ分かる。だがあれは何の考えもなしに異物を排除しようとしているのだ。だからこそ食事の時もあの亜人は一人でいて輪に入ってこなかったのだろう。

 ラナーはそんな一団の中、一歩前に出る。

 

「ふふふっ、その幸せになる権利とやらは私とこのクライムがいただきましょうか」

「ほぅ?自分から名乗り出るとは信仰心が高いことだな」

「ええ、私の信仰している存在は本当の意味でこの世界で至高なる存在ですから」

 

 ラナーの語るその存在が男の信仰する存在と違うと分かったのだろう。ウィンブルグと呼ばれる男は眉にしわを寄せると部下たちに命じてラナーとクライムを廊下へと連れ出した。

 

「こっちだ」

 

 狭く暗い廊下を男たちに連れられて右へ左へと歩いていく。やがて廊下から洞窟を思わせる通路へと入っていくと、そこに作られた祭壇のある広間へと出た。

 

「ふーん……まぁこういう趣向も美の一つとしてあることは認めますがセンスは皆無ですわね」

 

 床に転がった子供のものと思われる無数の骨。そして大きな石でできた台と巨大な肉切り包丁。石には赤黒い跡が所々に残っている。

 

 その向こう側にある祭壇には髑髏が置かれ、その眼窩に蠟燭が部屋を不気味に照らしていた。よく見るとその周りが様々な動物の骨と思われるもので飾り付けられている。

 

「お前たちは邪神様への貢物とされる。感謝するがいい」

「邪神?それがあなたたちの信仰する神なのですか?その神の名前を教えていただいても?」

 

 絶対の神たるモモンガ様を差し置いて邪神を名乗るとは何と愚かなのだろう。

 ラナーは笑いをこらえながら邪神の名前を聞こうとするが、ウィンブルグの部下と思われるその男にはその態度が気に入らなかったようだ。

 

「様をつけんか!この生贄風情が!」

 

 激高した男がラナーを殴りつける。クライムが前に出ようとするがラナーはそれを手で制した。

 この程度の打撃で傷つくほどもはやか弱い存在ではない。むしろ虫けらを弄んでいる気分である。

 

「様をつけないくらいで怒るとは随分矮小で卑屈な神のようね。本当の神というのはその程度の些事には動じることもなく泰然とされているものよ」

 

 ラナーは自分の知っている(モモンガ)を思い浮かべる。

 ラナーさえ知りえない高度な知識を有し、自分がいかに侮辱されようと下等生物程度を相手に感情を乱されることもない。保護したものには絶大な慈悲を与え、敵対する者には死すら生ぬるい天罰を与える。

 目の前の男が信仰する矮小な神など吹けば飛ぶほどの偉大な御方だ。

 

「黙れ!今すぐ殺してやってもいいんだぞ!」

 

 元々殺すつもりで連れてきておいてそのようなことを言う男をラナーが笑うと、さらに激昂した男がラナーの頭をガツンと殴る。

 しかしラナーは気にすることなく質問をする。

 

「そのあなたたちの言う邪神とやらに私たちを捧げて何がしたいのかしら?」

「黙れと言っているだろうが!」

「あら、どうせ殺すのでしょう?では死ぬ前にそのくらい教えてくれてもいいのではなくて?」

「てめぇ!」

 

 さらに殴りつけようとした男をウィンブルグが止める。さすがに本当に生贄にする前に殺されてはたまらないと思ったのだろう。

 

「おい、儀式の前に殺すんじゃない。いいか、お前の魂は邪神へと捧げられてかの地で魂は救済され幸せを得るのだ。そしてその代わりに我々は別の奇跡を得ることになる」

 

 ウィンブルグの言葉にラナーは首を傾げる。どう見てもここにいる男たちにその奇跡とやらを起こす力があるようには思えない。

 レベルにして10以下だろう。そんな彼らが生贄を捧げて何かが起こるとは思えなかった。いつかモモンガから聞いた話によると人の死を捧げて発動する魔法はあるが、それに見合ったレベルや能力がなければ発動することはできないという。

 

「奇跡ね……それはもしかして魔法のことをいっているの?何という魔法なのかしら?」

「魔法などという(まじない)い師の使うインチキと一緒にするな。奇跡とは永遠の命のことだ。我らが信仰する邪神様は……」

 

 恍惚とした表情で語り始める貴族風の男。

 自分に酔いしれているところを悪いが、『魔法でない』と言い切った時点でラナーにとっては取るに足らない話になってしまった。

 もし未知の魔法ということであれば何らかの役にも立つだろうが、どうやらただ根拠もなく奇跡が起こると思っている愚か者たちだったらしい。

 

「あなたがこの教団のトップなのかしら?」

「いや、私は幹部の一人だ。それがどうした」

「トップの人は人間?」

「どういう意味だ?」

「ああ、もういいわ。だいたい分かったから」

 

 ラナーの感知魔法にはアンデッドの反応がある。さらに生贄という死者を捧げるという儀式。アンデッドの関係している秘密結社と言えば予想が付く。

 

 『ズーラーノーン』。アンデッドを使う犯罪組織だ。恐らくアンデッドにするための素体にするか、アンデッドになるための儀式に使うかと言ったところだろうか。

 

「これはあの御方の役に立つかしら?いえ、あの御方以外を、それも邪神なんて信仰している時点で不敬ですわね。面倒だし潰しておこうかしら」

「何を言っている、気でも触れたのか……。まぁいい。さっさと台へ寝かせろ」

 

 ぶつぶつと呟くラナーを気がふれておかしくなったと思ったのか、男は無理やりラナーの体を持ち上げると台に押さえつけ、牛刀を思わせる刃物を振り上げた。

 

「邪神様、貢物をお受け取りください!」

 

 ウィンブルグの合図に大男が巨大な刃物を持ち上げてそれを石の台に叩き下ろす。ラナーの首が切断され、噴水のようにあふれ出た血が男たちの頭から降り注いだ。

 

「ははははははー!どうぞ!どうぞお受け取りください!この赤く迸る命の輝きを!」

 

 発狂したように男たちは両手を天に掲げて踊り狂い出す。

 むせ返るような血の臭いと室内に焚かれた香により男たちは全能の邪神の祝福を全身で感じる。より多くの血を捧げれば永遠の命は自分たちの物であると。

 

「生贄を受け取りに邪神とやらが出てくる可能性も考えてたんですが……そのようなことはないようですわね」

 

 笑い、狂い、踊る男たちに向けてあり得ない声が聞こえた。それは首を斬られたはずの幼女のものだ。

 何事かと声の下先へ振り向くとそこには先ほど首を斬られたはずのラナーがクライムと共に入口に立っている。ラナーの首には傷一つなく、それどころか殴られて流していた血さえ流れていない。

 

「な、なに!?どうして……」

 

 それに気づいた大男が慌てて石の台を見ると貴族風の男、ウィンブルグが首を斬り裂かれて横たわっていた。

 

「初歩的な幻術よ。簡単に殺すつもりはなかったのだけれど……あんなにあっさり殺してしまうなんてあなたたち意外と優しいのね」

 

 言外に私はそれほど優しくはないという想いがあるのを男たちは感じ取る。目の前の幼女が化け物に見えた瞬間であった。

 

「代わりにあなたたちには恐怖と痛みを与えましょう。クライム、出口は押さえておいてね」

「あ、はいっ!」

 

 無邪気な声で返事をするクライムとは対照的に、男たちの感情は先ほどまでの興奮から一気に背筋に氷を突き立てられたような恐怖へと変貌するのだった。

 

 

 

 

 

 

 満足するまで遊んだ後、ラナーとクライムは秘密結社のアジトから子供たちを地上の墓地へと連れ出していた。

 いまだに階段の下から恐怖に怯える悲鳴が聞こえてくるが気にする素振りすらない。

 

 ラナーとしては人間の子供など見捨てても良かったのだが、クライムが渋ったのだ。

 そこで子供たちを保護しようとしたのだが……その際にその豚のような顔を忌避したのか、子供たちの中に亜人の子供に手を差し出そうとする者はいなかった。

 しかしクライムは迷うことなく亜人の子供の手を握り、一緒に階段を上っている。

 

(人間の基準で言えばこの亜人の子供は醜いのでしょうけど……心は人間のほうがよっぽど醜いわね……。それに比べてクライムは……)

 

 無垢な心を持ったまま成長しているクライムにラナーはつい顔がほころんでしまう。そのクライムが救うと決めたのであればこの亜人の子供は助けてあげよう。まずは状況を確認してからであるが……。

 

「あなたはどこから来たのかしら?」

「……」

「あなたの種族は何というの?」

「……」

 

 クライムと繋いだままの手は離さないものの喋ろうとはしなかった。人間を信用できないだけの何かがあったのだろう。

 

「……私たちは、ラナーとクライムは人間ではないわ」

「ぇ……」

「私たちは()()らとは違います。だから話してくださらないかしら?」

 

 無邪気に喜んでいる人間の子供たちを蔑んだ目で見ていると、亜人の子供がポツリと言葉を発した。

 

「私は……ミル。種族は豚鬼(オーク)のミル」

「ミルね。私はラナー、彼はクライム。あなたはどうしてバハルス帝国へ来たのかしら?」

「……ばはるすていこく?」

「ええ、ここは人間の国。バハルス帝国よ。知らなかったの?」

「知らない……。私は村がスレイン法国の人間に襲われて……それで捕まって……」

 

 その時のことを思い出したのかミルの両目からポロポロと涙がこぼれた。

 それをハンカチで拭いてあげながらラナーは次の言葉を待つ。優しさからではない。

 『スレイン法国』。それはモモンガの潜在的な敵国だと認識している。生の情報は貴重である。

 

「ゆっくりでいいわ。話してみて」

「あの……もともと私たちが住んでいたところに別の亜人が増えてきて……暮らしが厳しくなったからお引越しをしたの……」

「それで?あなたはもともとどこにいたの?」

「……アベリオン丘陵」

 

 アベリオン丘陵。

 多くの亜人が群雄割拠しているという話を聞く土地だ。緑は少なく、荒れ果てた大地が広がっており、豚鬼や牛頭人、蛇身人など様々な亜人が住んでいるという土地のことだ。肉食の種族については人間を食料にしているという話も読んだことがあった。

 

「捕まったあと馬車に乗せられて……奴隷にするって言われて連れていかれたの……」

「奴隷として彼らに売られたの?」

 

 いまだに恐怖の悲鳴が聞こえてくる地下への階段を見る。しかしオークの少女は首を振った。

 

「んーん。その途中で女の人が逃がしてくれた……」

「女の人が?それは人間?名前は?」

 

 亜人を助けるために逃がす人間なんて変わっている。

 スレイン法国だけでなく、リ・エスティーゼ王国やバハルス帝国でさえ亜人は忌避されている。その女にラナーは興味を覚えた。

 オークの子供がその名前を告げる。

 

「……クレマンティーヌって言ってた」

 

 

 



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スレイン法国編
第62話 合流


 ラナーは子供たちを連れて街まで戻ることにした。

 このまま放置というのも後で問題になるだろう。モモンガ様にとっては些事だろうし、今はモモンガ様も休日を満喫していることだろう。

 戻ってから指示を仰ぐべきかもしれないとラナーは考える。

 

 誘拐犯が使っていただろう馬車もあるし、帰りの道のりも覚えている。馬術についても馬を魔法で操れば特に問題はないだろう。そう計画していたのだが……。

 

「……これはお前たちがやったのか?」

 

 馬車への子供たちの振り分けや段取りについて考えていると墓地の階段の下から一人の男が現れた。

 体中に刺青が彫られており、さらにジャラジャラと鎖が巻かれている。奇抜な恰好。これまで見た男とは明らかに様子が違う。

 

 現れた男の言う『これ』というのは彼が階段の下からひきずってきた発狂して縄に縛られている邪神教団の人間達のことだろう。地下で幻覚を見せ続けていたというのにわざわざ連れてきたらしい。

 

「お前はその歳でこの男たちにこれほど高位の術をかけたのか?神人……?神人なのだろうな……。そうとしか思えん。人間に新たな神人が生まれていたとは素晴らしい。これから鍛え上げれば立派な信徒となるだろう」

 

 満面の笑みを受かべながらラナーに向けてパチパチと拍手をする男。顔は笑っているもののその眼は注意深くラナーたちを監視していることが分かる。

 

「我々はお前たちを見極めるためにずっと見ていた。そしてお前たちは合格だ。邪神を崇める異教徒を排したのだから」

「……我々?あなたはどこのどなたなのかしら?」

「あなたなら言わずとも我々が何者なのか分かっているのでは?あなたの仲間の方々も私の同僚が勧誘に伺っているはずですから」

「……」

 

(……勧誘?合格?)

 

 ラナーは脳裏にモモンガとナーベラルが勧誘されている様子を思い浮かべる。

 勧誘の瞬間、その場には血の雨が降り注ぐのを幻視する。主人たちがこのような人間の勧誘を受けるはずもなく、逆に不興をかって酷い目にあっている姿しか想像できない。

 

「だが最後に少し信仰心を試させてもらおうか……。そこの亜人。それはこちらで保護させてくれないか?」

「……亜人?」

 

 ラナーはいまだにクライムと手を繋いでいる豚鬼の子供を見る。彼女は目の前の男と決して目を合わせようとせず、俯いたまま震えていた。

 

「そう怖がらなくても悪いようにはしない。この俺が我が神の名にかけて約束しよう」

 

 胸元から何かを取り出した男の言葉にラナーは逡巡する。

 相手の実力が未知数なのだ。先ほどから隙を見ては情報系魔法をかけようとしているのだがうまくいかない。何らかの探知防御を行っているのだろう。

 誘いに乗ったふりをしてさらに情報を引き出そうとした、その時……。

 

「い、いやああああああああああ!」

 

 豚鬼の少女が叫び出した。彼女の指が男が取り出したものを指さして震えている。

 

「ねぇ、あなたどうしたの?」

「だ、だってあの首飾り……集落のみんなを殺した人たちと同じ……」

 

 ラナーがよく目を凝らして男が取り出したものを見る。それは首飾り……いや、教会関係者が神への忠誠を誓うための聖印であった。

 

 ラナーはその形を過去に読んだ書物のものと照合する。

 結果は闇の神に対する聖印。そして闇の神を信仰するのはスレイン法国しかなく、その中でこのような場に現れるのは特殊部隊『漆黒聖典』またはその関係者しかありえないだろう。

 つまりこの亜人の少女の集落を襲ったのは彼ら漆黒聖典ということ。

 

「……その亜人を渡してもらおうか?」

「……」

 

 亜人の少女の叫びを無視して男はラナーへと引き渡しを要求する。ここまで分かってしまえばもはや敵対するしか道はない。

 

「ふぅ……もう少し休みに遊べるかもしれないと思いましたがここまでみたいですね……」

「何を言っている……?」

「分かりました。あなたたちに従いましょう。ですがその子をどうするつもりなのか教えてもらえますか?」

「気になるか?はぁ……まぁどうせ後でわかることだ。良いだろう。亜人は子供でもやがて大人になれば人間を食らい殺す生物となる。今のうちに駆除しておかなければならない。あのバカ女が逃がしたりしなければこんなことをしなくてもよかったんだがな……。あいつがいなければ私の席次も上がるものを……」

 

 悪態をつきながら地面を蹴りつける男を見ながらラナーは考える。

 バカ女と言うのはおそらく豚鬼の少女が言っていた逃がしてくれたクレマンティーヌという女のことだろう。その女に目の前の男はライバル意識を持っているようだ。そのあたりを突けば時間を稼げるかもしれない。

 

「私たちは人間を食べたりしない!!」

「……だそうですけど?人に無害な亜人のようです。どうもその女の人の方が正しい情報を持っていたようですね。あなたより彼女の方が優秀ということの証明なのではなくて?」

「そんなはずがない!あんな……あんな血筋だけで優遇されているような……いや、そんな話はいい!その亜人は今は弱いから逃げるためにそんなことを言っているだけだ。所詮は亜人、将来きっと人間を殺す」

 

 それは人間も同じではないかとラナーは思うが愚かな生物ゆえにその矛盾に気づかないのが目の前の男か。その無言を反抗と取ったのか男は不満げに漏らす。

 

「お前も私の国に来て洗礼を受ければ変わるさ。亜人や異形は悪、アンデッドは滅ぼすべきもの。これは神の決めた定めなのだ」

 

 よほどその洗礼というものに自信があるのか恍惚とした表情で語る。

 法国にとって神とは六大神以外ありえないものだが、ラナーにはそれが彼女の主人と同等の存在ではないかと考えている。

 そして法国に今なおも神、主人と同等の力を持った者がいるのであれば亜人などとうに殲滅されていることだろう。

 つまり……法国に神はいない、それがラナーの出した結論である。

 

 

 

 

「……それは聞き捨てならないな」

 

 

 

 

 その神はラナーの期待を裏切らない。

 

 ラナーが密かに送った《伝言》。

 予想通りの時間とタイミング。

 まさに狙ったかのように現れてすべてを蹂躙して死すらを超越した恐怖を与える存在。天から啓示を与える神のごとき荘厳な声とともに漆黒の戦士()が現れた。

 

 

 



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第63話 交渉決裂

 法国の特殊部隊、漆黒聖典の一人神領縛鎖こと、エドガール・ククフ・ボーマルシェは突然背後から現れた声に驚愕の声を出しそうになるのを何とか堪えた。

 

 複数の人間たちがこの場に向かってきているということは察していたが、今そこに立っている漆黒の鎧の男と隣の女からは気配と言うものがまったくしなかったのだ。

 バジウッドと共に墓地へと向かったモモンガとナーベラルである。さらにラナーたちを捜索中だったニンブルも合流していた。

 

「お前が漆黒のモモンか……。初めましてだな。俺のことは……神領縛鎖とでも呼んでくれ」

「しんりょうばくさ?変わった名前だな……。私の名前は知っているようだがモモンと言う。私の仲間におかしなことを吹き込むのはやめてほしいものだな」

 

 宗教勧誘に子供が使われることはよくあるが実際目の前でおかしな教えを子供に向かって吹き込まれるのは面白くない。それが異形差別の教えということであればなおさらである。

 

「俺の名はまぁ二つ名のようなものだ……。俺たちは親から与えられた名前より神から与えられた名前を優先する」

「……ほぅ?」

 

 それにはモモンガも親から与えられた名前『鈴木悟』ではなく、アバター名『モモンガ』を使っており、さらに偽名である『モモン』を使っているのだから何も言えることはない。

 

 一方、神領縛鎖としては目の前の得体のしれない男女のことをより詳しく知っておく必要があった。特に神への信仰心についてである。

 

「それで……聞き捨てならないとはどういうことだろうか。俺が何か間違ったことでもいったか?」

「モモン様、彼らは法国の人間かと思われます」

 

 ラナーからのあらためての忠告にモモンガは無い眉を顰める。

 法国と言えばトブの大森林で会った『陽光聖典』に続いて二度目の遭遇である。『宗教国家なのだろうな』という程度の知識しかモモンガにはないため、そう忠告されてもどう対処するのが正解のなのかが分からないのでとりあえず単純な質問をぶつけてみる。

 

「あー……その……法国がなぜ他国である帝国で亜人を殺そうとしているんだ?……それを帝国は認めているのか?」

「帝国は確かに亜人を奴隷として法国から買い入れていますが不法に入国して彼らを殺すようなことは認められるはずがありません」

 

 いつの間にか傍に控えていたニンブルが答えてくれた。

 それはそうだろう。亜人が奴隷だとするのならば売却後は商品である。金をもらった後でそれを殺すなど犯罪でしかない。しかしその指摘を神領縛鎖は否定する。

 

「その亜人はまだ売られたわけではない……移送中に逃げだしたのだからまだ法国の持ち物だ」

「それを証明することは?」

「それは……」

 

 法国は亜人一人一人に身分証明書などを与えていないのだろう。そのためここにいる亜人がもともと帝国や他国にいた者なのか法国から連れてきたものなのか証明することはできない。

 

「……少し話を伺わなければならないようですね。ご同行いただけますか?」

「……従う義務はない」

 

 神領縛鎖の返答にニンブルが表情を硬くする。

 目の前の相手、神領縛鎖はおそらく強い。そして強者には時にこのような勝手が許される。特に法国のように周辺国家最強の軍事力を有している国ともなればジルクニフの了承もなしに下手なことは出来ない。

 

「……が、まぁ言い分は分かった。こちらとしても問題を起こしたいわけではない。ここは引かせてもらおう」

 

 ちらりとモモンガを見ながら神領縛鎖は言ってのける。

 スレイン法国とてバハルス帝国を敵に回すつもりはない。ここは『漆黒』の情報が得られただけで撤退するべきであると判断し、次の瞬間にはその場から姿をかき消した。

 

「……引いたか」

 

 一方、モモンガは心の内でニンブルに拍手を送る。

 普通の社会人としてかつては営業には自信を持っていたが、リ・エスティーゼ王国の交渉では相手が血の雨となって降り注ぐ事態になってしまったし、その後も思い返せば似たようなものだった気がする。さらにここでもその時の二の舞となってしまう可能性もあった。

 

「申し訳ありませんがモモン殿。この件はこちらで引き取らせていただいてもよろしいですか?」

「う、うむ……仕方がないな。すべてニンブル殿にお任せしよう、国同士の話では仕方ないからな、うん」

 

 モモンガは面倒ごとから解放されて心の中でガッツポーズを作る。以前のように子供たちから誤解されるようなことも今回はないだろう。

 

「それでそこの男たちはどうしたのだ?」

 

 モモンガが階段の脇を指さす先には地下から登って来ただろう数人の男たち。明らかに正気を失っている様子で黒ずくめの男たちが頭を抱えてうずくまってブツブツ言っている。

 

「地下で怪しげな儀式をしていた人たちですわ。子供を殺して邪神の生贄へと捧げていたようです。何でも永遠の命を得るためだとか……地下に子供の骨がたくさん散らばっていましたわ」

「そんなことがまさか帝国で……」

 

 あまりにも残酷な内容、それを帝国の共同墓地の地下で行っていたという事実にニンブルは顔が青くなる。さらに捕縛したのが目の前の幼女だという事実。ジルクニフへと報告する内容が増えてしまった。

 さらに……。

 

「……なっ!あれはウィンブルグ公爵!?」

 

 ニンブルはそのうちの一人が帝国の高位貴族であることに気がついた。

 このような醜聞が広まっては公爵家の貴族としての権威は地に落ちることだろう。幸いなのは彼がジルクニフ陣営の貴族ではなく第一皇子の派閥だったということだ。

 

「それでその子供はどうしたんだ?」

 

 モモンガが指さした亜人の子供を見てさらにニンブルの胃は痛くなる。

 本来であれば無断で処分しようとしたスレイン法国に抗議をする立場ではあるが、今は時期が悪い。皇后との政争の結果、これから多くの貴族を処分することになりそうなのだ。他国と争っている余裕はない。

 

「どうやらアベリオン丘陵から拐われてきたそうですわ」

「……この子供たちはどうなるんだ?」

 

 ニンブルは胃を押さえながらモモンガを見つめる。

 『漆黒』が亜人に対して寛容なのは先日の魔狼騒動で分かっている。そのような相手がニンブルの答えに納得してくれるのだろうか。

 

「人間の子供たちは保護者を探して引き渡します。いなければ教会で預かることになるでしょうね。亜人の子供は……申し訳ありませんが売却するしかないでしょう……」

 

 バハルス帝国ではあくまで亜人は商品というスタンスだ。

 恐る恐るモモンガの返事を待ちながら助けを求めるようにニンブルはモモンガに付いて来ていたバジウッドを見るが全力で目を逸らされた。

 

「……ならば私たちがアベリオン丘陵まで送ってやろう」

「なんですって!?」

「別に構わないだろう。帝国からしたら勝手に入り込んだ密入国者だろう?もといた場所に返すのが筋ではないか」

「ですがアベリオン丘陵ですよ!?危険な亜人たちが群雄割拠する魔境です!」

 

 亜人を元の場所に戻してくるのは別に良い。むしろ望むところである。しかしそんな面倒なことをするくらいであれば奴隷として売るか殺してしまう方が面倒がない。それを漆黒は行って返してくると言うのだ。正気の沙汰ではない。

 

 ニンブルにとってアベリオン丘陵は絶対に立ち入ってはならない危険地帯だ。広大な大地が広がっているが戦って得るようなものは皆無の土地である。誰が好き好んでそんな場所に行くというのだろうか。

 

「ほほぅ?そこには亜人がたくさんいるのか。ははは、なるほどなるほど。それは実に楽しみじゃあないか!」

 

 ニンブルの心配をよそに、まるでその場所こそ自分の行くべき場所だとでも思っているように漆黒の戦士は楽しそうに笑うのだった。

 

 

 



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第64話 亜人狩り

 広大に広がる渇いた大地の上を数人の男女が歩いていた。法国から化外の地であるアベリオン丘陵へと続く土地である。

 そこには道などと言うものはなく、見渡す限り岩肌と砂しか見えるものはない。

 

「こっちには何もなかったって言ってんでしょ!おい、糞兄貴!」

「兄と呼ぶなと言っているだろう。クインティア家の出来損ない」

「なんだとてめぇ!」

 

 言い合っているのは法国の特殊部隊、漆黒聖典の第5席次クアイエッセと第9席次『疾風走破』クレマンティーヌである。

 同じ色のブロンドの髪をしており、顔も似かよっているが、前者の目に宿るのは軽蔑と嫌悪であり、後者の目には憎しみと憎悪が宿っている。

 

「兄弟喧嘩はそのあたりにしてくれませんか?修正されたいのですか?疾風走破……」

「ひっ……いや……」

 

 クレマンティーヌは息を飲む。

 目の前にいるのは法国最強の存在、漆黒聖典の隊長なのだ。

 生まれついての強大な力を有しており、一部からは『神人』と呼ばれている。とても敵対して勝てる存在ではない。

 

 『神人』とは神の血を受け継いだ人間と言われる。

 かつてこの世界に100年周期で降臨する神々……中には悪神もいるが、それら神の血を受け継いだ人間のごく一部が神の力に覚醒することがある。

 そしてその力はまさに英雄級を超越した化け物である。

 

 つまり漆黒聖典隊長は神の血を発現させた絶対的強者であり、クレマンティーヌをして決して勝てない存在だということだ。

 

「……」

 

 恐怖の象徴ともいえる隊長の一言に黙り込んだ二人が歩くこと数十分、目の前を歩く隊長が立ち止まる。

 そこも今までと変わらず岩と砂ばかりで何もない場所に見えた。

 

「はいはい、無駄足無駄足!何もないつったでしょぉ?」

 

 クレマンティーヌは頭の後ろに腕を組みながら惚けるが、隊長は気にする素振りさえ見せずに探知系魔法を一つ発動させた。

 

「<生命探知(ディティクト・ライフ)>」

 

 魔法により広範囲における生命反応を感知することができる。それはレジストされることもなく、目の届く範囲の生命体を余すところなく白日のもとへと晒した。

 

「……地下から複数反応がありますね、この岩の下ですか?」

 

 人間とは思えない膂力で自身の身長を遥かに超える大きさの岩を持ち上げると隊長は地下へ向かうと思われる扉のような板を発見した。

 それを見たクインティアは顔色を変えてクレマンティーヌを睨みつけた。

 

「これはどういうことだ!?この屑が!!」

 

 『何もない』とクレマンティーヌから報告された内容が虚偽だと分かり、クアイエッセの足が妹のみぞおちを蹴り上げる。

 

「ぐっ……!?」

「また亜人などに同情でもしたのか!全部殺せって命令されただろう!!この間の修正じゃまだ足りなかったか!」

「や、やめ……」

 

 神人ではないもののクアイエッセも人並み外れた身体能力を持っている。鉄板にさえ穴を開けるほどの力で蹴り続けられクレマンティーヌの口から血を吐き出される。

 

「そんなことより今は亜人を殲滅することの方が大切です。本来これは陽光聖典の仕事なんですがね……」

 

 陽光聖典は正体不明の冒険者たちにトブの大森林で壊滅されており、生きて帰って来た者の現場復帰は未定である。そのため漆黒聖典が出張っているのであるが……。

 

「こんなに亜人が法国の近くにまで来ていたとは……」

「ま、待って!ちょっと待ってよ!こいつらは人間を食べたりしない!放っておけばいいじゃない!」

「何を言っているのですか?『疾風走破』?」

「っ!?」

 

 隊長に見つめられてクレマンティーヌはその瞳の中を覗き込む。

 その中にあったもの。それは神への信仰。理屈や理由など何も関与しないただ純粋な信仰心、その感情しかないことに怖気を感じる。

 しかしクレマンティーヌはその信仰心に屈することはなく、その理不尽は怒りへと変わる。

 

「ふっざけんな!てめえらおかしいだろ!人間を襲う相手を殺っていうんならあたしだって分かる!でも何で害がないやつらまで皆殺しにするんだ!」

「……疾風走破、やはりクアイエッセのいうとおりあなたにはさらなる修正が必要のようですね?」

「死ねサイコ野郎!何が修正だ!てめえらの思い通りにならない奴らを拷問してるだけじゃんかよ!巫女姫のことだってそうだ!あいつはまだ9歳だぞ!それを感情のない魔法道具にするなんて……」

 

 サイコ野郎と言われた隊長は困った顔でクアイエッセを見つめる。その顔には怒りなどの感情はなく、ただただ落胆の色が濃い。

 

「クアイエッセ。あなたの家はどういう教育をされているのですか?」

「す、すみません!隊長!おい、隊長に謝るんだ!」

「まぁいいです。今は殲滅と行きましょう。さて、クレマンティーヌ。あなたはここに詳しそうですから案内していただきましょうか。クアイエッセ、あなたは亜人を逃がさないようにここで見張ってください」

 

 隊長はクレマンティーヌの髪を掴むと引きずりながら扉の下に降りていく。中は薄暗いながら通路があり、たくさんの部屋に分かれているようだ。

 

「まるで蟻のねぐらですね。どちらの方向が亜人の住処ですか?答えたくない?そうですか……この部屋から気配がしますね」

 

 隊長は扉を蹴り開けると中の様子を探る。そこには小さな子供をかばう様に立ちはだかる豚のような顔の亜人がいた。豚鬼(オーク)である。

 

「やはりいましたね……。疾風走破、敬虔な神の使徒としての見本を見せてあげましょう。ほら、こうやって人類の敵は殺すんですよ」

 

 隊長は背中から古ぼけた槍を取り出すと目にも止まらぬ速さでそれを突き出し母親、父親、子供と3人まとめて串刺しにする。

 

「……や、やめろ!」

「ほら、こうやってやるんですよ」

 

 次は逃げようとするオークの兄弟を振るった槍でまとめて両断する。上半身と下半身が分かれた二人はピクリとも動かず床に大量の血がまき散らされた。

 

「やめろって!何で……何でこんなものを見せんのよ!」

「疾風走破、私はあなたに期待しているのですよ?兄には及ばないとは言えあなたには英雄級の力があります。その力は人類のために大いに役立つのです」

 

 その部屋での虐殺を終えると隊長は次々と部屋を回り、時に逃げ、時に反撃のために出てくる亜人たちを殺して回る。そこに感情はなく、まさに害虫を駆除して回っている作業でしかない。

 

「さて……こんなところですか?」

「……」

 

 地下に隠れていたオークたちが殺され、鉄錆のような血の臭いの漂う中でクレマンティーヌは力なく項垂れていた。しかしその眼はまだ死んではいなかった。

 それはまるで一縷の希望を抱いているようであったのだが……。

 

「なるほど……ここにも気配がありますね」

「!?」

 

 しかし隊長はその希望さえ打ち砕く。

 殺されたオークの死体の山。それらが何かを隠す様に倒れ伏している。その下には隙間なく床に張られた板。

 そこに違和感を感じたのだろう。死体をどけ、床板を剥がすとそこには小さなオークが震えながら泣いているのが見えた。

 そのつぶらな瞳がクレマンティーヌを見つめる。

 

「……クレマンティーヌ?」

「!?」

「おや?お知り合いですか?」

「……友達」

 

 オークの子供がぽつりと零す。

 それはクレマンティーヌが討伐を命令され、この地に来た時に初めに会った少女だった。少女は殺しに来ただけのクレマンティーヌに笑顔で話しかけ、そして集落の中まで案内してくれた。

 

 そしてそこで見た光景。それは法国で教えられている亜人の印象を打ち壊すに十分なものであった。

 オークたちはみな暮らしぶりは貧しいものの礼儀正しく友好的で、人間を食べるといった習慣も持っていなかったのだ。

 

 そして数日滞在するうちに目の前の少女と仲良くなり、隠れて暮らし人を襲わないならと見逃した。しかし……。

 

「友達?亜人が?あなたはふざけているのですか?亜人などと人が手を取り合うはずがないでしょう」

「あんたたちに比べたら亜人の方が……よっぽどまともよ……」

 

 隊長の偏見に満ちた言葉にクレマンティーヌは静かに反論する。

 

「……なんですって?」

「てめぇら人でなしに比べれば亜人の方がまともだっつってんのよ!死ね!お前らみたいな外道なんてみんな死んでしまえ!」

「はぁ……仕方ないですね。はぁ……これだけお手本を見せたのに分かりませんか?では分かってもらうためにあなたにもやってもらいますか……」

 

 何をするのかと身構えるがいつの間に背後を取られていた。さらに背中から両手を取られる。

 そしてそのまま隊長は槍をクレマンティーヌに持たせると無理やりそれを握らせた。

 

「これも教育です。この亜人はあなたの手で殺してもらいましょう」

「なっ……」

「亜人に友達などと言われてあなたも不快でしょう?あなた自身の手で汚名を雪いでください」

「や、やめて!……やめろおおおおおおおおおおおおお!」

 

 必死に腕を振りほどこうとするがまるで石で固められたかのように手が槍から離れない。必死に髪を振り回して叫ぶが、抵抗も空しく、クレマンティーヌは自分自身の手で友人を手にかけ、オークの集落の殲滅は終了するのだった。

 

 

 

 

 

 

「……あれがスレイン法国か」

 

 漆黒聖典が帰ったオークの集落。そこには複数の人影が立っていた。漆黒の鎧をまとった巨漢、黒髪の女、赤い頭巾の幼女、犬の格好の少年。そして多数のオークたち。

 そう、その場には一滴の血も流れていなければどこを見ても死体一つ転がってはいなかった。

 

「あの……ありがとうございました!!」

 

 その場にいる多くのオークたちが次々と目の前の漆黒の戦士と仲間たちに礼を言って頭を下げる。

 そこにいたのはオークたち、そしてモモンガ一行であった。

 バハルス帝国で拾ったオークの子供を連れてきた集落がここであったのだ。その後、周囲から警戒していたところ、敵と思われる集団を発見したため事前に策を練っておいたのだ。

 

「しかし……ふふふ、ラナーの幻術も上達したものだ。やるじゃあないか」

 

 幻術の極致は幻影と現実の境目をなくしてしまうものであるという。

 現在のラナーは幻影を完全に現実にするまではいかなくとも、それに近い魔法まで習得できていた。

 

「漆黒聖典は今ここであったことがすべてを五感では現実のものとして捉えていたでしょうね。でも魔法を解除した今、それはただの幻でしかありませんわ」

 

 オークたちもまた確かに殺されるだけの苦痛を味わった。漆黒聖典も殺す感触を味わった。

 しかし、実際は何も起こることはなく、すべては幻術の内で行われていたのだ。あの仲間に殴られて血を流したクレマンティーヌの傷ですら今は既になくなっていることだろう。

 

「それで……これからどうするつもりだ?」

「どうもこうもここにはもういられない……別の場所でまた隠れ住むだけだ」

 

 モモンガの問いにオークの族長は悔しそうに地面を見つめる。

 今日の襲撃は防ぐことが出来た。しかし、今後ずっとこの場をスレイン法国が見逃すと考えるのは甘すぎる考えだ。ならばここから離れるしかない。

 

「オークがもともと住んでいた場所はどうしたんだ?」

「……あそこはもうビーストマンの集落が出来ている」

「ビーストマン?」

「中央大陸にある六大国から流れて来た種族だ。何でもソウルイーターに都市を襲われて避難してきたと言っていたが……」

「ソウルイーターだと!?」

「よくは知らないがとてつもなく強大で恐ろしい力を持つアンデッドらしい。まだ都市は陥落していないと言っていたが……もしそうなったら避難民はさらに増えるだろう。ますます住める土地が減るな……」

「……ほぅ?」

 

 中央大陸とはラナーに聞いたところによるとこのあたりの南部一帯を指すらしい。

 そもそもこの辺りはごく小さな土地に様々な国が並んでいる辺境であり、世界の中心と言えるのは南部にある中央大陸6大国らしいのだ。

 

 その中でも一番北側にあるビーストマン国の都市が襲われ、アベリオン丘陵に住民が流れ込んだ影響でオークたちは住む土地を追われたのだ。

 

「族長、それでは我々も『大侵攻』に参加した方が良いのではないですか?」

「そうだ!このままじゃ人間たちに殺されちまう!」

「そうだな……」

 

 族長は仲間たちからの声に力なく頷く。本心から言えば人間と敵対などしたくない。しかしやむを得ない事態と言うものはある。

 

「……『大侵攻』とはなんだ?」

「亜人で連合を組んで人間の国に攻め込むという計画がある……」

「それは……我々に話してもいいことなのか……?」

 

 モモンガたちが人間側に付くのであればそれは言うべき情報ではないだろう。族長はモモンガを見上げると首を振った。

 

「あんたたちは人間ではないんだろう?そのくらい分かる。それに恩人だ。人間の側につくとは思えない」

「……まぁそうだな。少なくともスレイン法国につくことはないだろう。ラナーはどう思う?」

 

 まさか人外を排除するスレイン法国にギルドメンバーがいるとは思えない。モモンガにとって『不要な国』と言える。

 

 そうかといって今後どうすればいいか、たいしたアイデアはなかった。では分からないなら分かりそうな人間に放り投げればいい。自分で出来ないことを出来る人間に任せることも上司として必要なことだろうとモモンガは自分で自分を慰める。

 

「人間の国に攻め込むなんて無謀です。スレイン法国はご覧のとおり精鋭部隊がおり、法国への侵攻など許さないでしょう」

 

 ラナーの冷静な分析に族長は頷く。その程度は想定済みらしい。

 

「そこまで彼らも馬鹿ではない……攻め込むのは南だ。南にローブル聖王国と呼ばれる人間の土地がある。そこを攻め落とそうと考えているらしい。我々も誘われたが返事は保留していた。だがもはやそんなことは言っていられる状況ではない……」

「それで、成功する見込みはあるのか?」

「……分からない。だが何もやらなければ滅ぶだけだ」

「ふーむ……」

 

 モモンガにとって特に彼らを助けるメリットはない。しかし気になる言葉が出てきた。『六大国』。それから『大侵攻』。そして『ソウルイーター』。その中にモモンガの求めるものがあるだろうか。

 

「モモン様。とりあえずそのビーストマン国の『ソウルイーター』を何とかすれば人口流入は防げるのではないでしょうか?」

「そう……だな」

 

 ラナーの言う通り今回の事態は本を正せばビーストマン国からの人口流入が原因だ。そしてその原因はアンデッド『ソウルイーター』。ナザリックにもいたアンデッドである。それを調べるべきだとラナーは進言しているのだろう。

 

「な、何をされるおつもりか?」

「そうだな……ソウルイーターに会いに行ってみるか」

「なっ!?ビーストマンが束になっても勝てない相手だぞ!」

「……ただのソウルイーターなのだろう?」

 

 ソウルイーターならモモンガが中位アンデッド作成で召喚できる程度のモンスターだ。それもレベルは35とあまり高くない。殺した相手の数により自身の体力を回復させて力も強くなるという特性があるが、それで強化されたとしてもせいぜい40レベル程度の強さといったところだろう。

 

「よし、行ってみるか!」

「あの!」

 

 さっそく向かおうとモモンガが地図でビーストマン国の位置を確認しようとしたところ亜人の少女が声を上げた。幻影の中でクレマンティーヌに殺された少女だ。

 

「……あの人を助けてくれませんか?」

「あの人?」

「あの……クレマンティーヌっていう……」

「はぁ?」

 

 クレマンティーヌというと先ほどまでここで殴りつけられていた漆黒聖典の女のことだろう。スレイン法国の人間であり、目の前の少女を庇うような発言をしていたが幻術の中とは言え結局殺している。

 

 モモンガが人間であれば同情して助けでもするだろうが、今の体になってかは『役に立つかどうか』、『自分の仲間かどうか』でしか判断していない。

 

「あの人は私たちを助けようとしてくれました……。でもこのままじゃ酷い目にあわせるって……」

 

 少女は瞳に涙を溜めながらモモンガを見つめる。確かにそのようなことを言っていた。スレイン法国による『修正』、おそらく拷問または洗脳の類のことだろう。

 あの女の精神が壊れるか、または殺されるかの2択になるかもしれない。そうなればもはやあの女からまともな話は聞けないかもしれないが……。

 

「まぁこの場に我々が来て情報を得られたのはあの女がオークの子供を逃がしたからでもあるか……異形に敵意もないようだしこの世界では珍しい人間(レア)なのかもしれないな……」

 

 この世界に来て異形を忌避しない人間にはほとんど出会っていない。そのような人間の損失はもったいないのかもしれない、一つの懸念があることを除けば……。

 

「だがそんなことをしていてはその間にビーストマン国の都市が滅びるのではないか?」

 

 どちらを優先させるのかと言えばよりモモンガたちにメリットがありそうなビーストマン国の方だろう。そう思った矢先にラナーが声を上げる。

 

「モモン様、それではスレイン法国には私とクライムが参りますわ」

「……お前たちが?」

 

 まるで最初からモモンガがビーストマン国を優先するということを分かっていたようにラナーが提案する。

 しかし子供たち二人だけで敵地とも言えるスレイン法国に行かせて大丈夫だろうか。不安しかない。

 

「……二人で大丈夫か? 戦闘訓練は足りていると思うが……油断は禁物だぞ」

「お任せください。必ずやご期待にお応えしてみせますわ」

「そうか?状態異常回復のアイテムは持っているな?魔法道具で無効化されていると思って油断はするんじゃないぞ?防御効果を貫通してくる攻撃もあるからな?お前たちは飲食可能なんだ、飲食による強化(バフ)も忘れるんじゃないぞ?少しでも不審なことがあればいったん逃げて相手を探るんだぞ?もし死亡するにしても場所を私に報告しておくんだぞ、蘇生が大変だからな。クライムの防御を突破できる敵は少ないと思うが回復の手段は複数持っておくんだぞ?それから……」

 

 モモンガはユグドラシルの経験からあらゆる状況で想定される対応を執拗に話し続けるが……その様子を何故かナーベラルがうらやましそうに見つめているのだった。

 

 

 

 



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第65話 クレマンティーヌ

 スレイン法国の首都の中に聖域と呼ばれる場所がある。

 その中には荘厳な佇まいの6つの神殿が建っていた。六大神を祀る大神殿である。

 

 そこには法国の中だけでなく、国外からも神官や敬虔な信者が訪れ、洗礼や儀式を受ける静謐な場所であった。

 

 しかしそれはスレイン法国による表の顔に過ぎない。裏の顔は大神殿の地下に隠されている。

 そう、闇の神を祀る神殿の地下深くにてクレマンティーヌは鎖で両手をつるされており、その場には殴打音が響き渡っていたのだ。それを見てそこが聖域であると感じる人間はいないだろう。

 

「この出来損ない!クインティア家の恥さらしが!」

 

 バシンバシンとクアイエッセがクレマンティーヌを殴る音が響き渡る。

 

 兄妹だというのに手加減も何もあったものではない。英雄の領域に届こうというクレマンティーヌは一般の神官や兵士程度に殴られても大したダメージは負わないだろうが、同じく英雄の領域に達している兄の拳に殴られた頬は大きく腫れあがり口の中を切ったのか顔から血がしたたり落ちていた。

 

「べっ!」

 

 殴り疲れたのか肩で息をしているクアイエッセの顔にクレマンティーヌは口の中にたまった血を吐きかける。

 

「てめぇ……」

 

 クアイエッセは顔にかかった血を袖口で拭いつつ憎々し気にクレマンティーヌを睨みつけた。

 

「何が神よ……おまえら人間なんてみんな死んじゃえば……?」

 

 身動きが取れない中で殴り続けられてるにも関わらず、弱弱しいながらクレマンティーヌは反抗を続けていた。クアイエッセはその様子に怒りを抑えつつ笑い出す。

 

「ふ、ふふふふふふふ」

「何がおかしいの……?」

「お前がそんなに強気になっているのも今日までなんだよ!あれを見ろ!」

 

 クインティアの指さした先には金属で出来た奇妙なオブジェ。人の腕くらいの大きさのそれには取っ手にボタンのようなもの。そして先には花のつぼみのような形の金属がついていた。

 

「これは百合の花と呼ばれる拷問道具だ。ふふふ、知っているか?どれ使い方を教えてやろうか?」

 

 クアイエッセは百合の花を手に持つとカチャンカチャンとボタンを押す。その度に先のつぼみが開くのを見せながら嫌らしい笑みを浮かべる。それを表情を見てクレマンティーヌの背筋に怖気が走った。

 

「まずこれを火にかけて真っ赤に熱するんだ。それをお前のあそこに捻じ込む。するとおまえは体の内側から焼かれて凄まじい痛みを感じるだろうな?」

「……」

「それで終わりじゃないぞ?このボタンを押すと先がパッカリと開くだろう?くくくっ、まるで百合の花のようにな。体の内側を焼かれながらかき回されるのは楽しみだろう?それでも今の言葉が吐けるなら言ってみるがいい」

「……」

「どうした?謝るなら今の内だぞ。土下座して許してください、もう神の意志に逆らいませんと言うのであれば取りなしてやってもいいぞ?」

「……る」

「なんだって?」

「お前の××××をナイフで切り裂いて捌いて口の中に突っ込んでやる……」

「なっ……このやろう!」

「ぐっ……」

 

 余裕の笑みが消え失せたクアイエッセが再度殴るとクレマンティーヌは気を失った。

 スレイン法国においてここまで『修正』に耐えた人間はいない。この壊れた妹が本当に神の信徒になる日は来るのか。クインティアは一抹の不安を覚えつつその場を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 私は真っ暗な闇の中で目を覚ました。そして先ほどまでのやり取りを思い出す。

 あの酷い拷問器具で明日……いや、もう今日だろうか。拷問が行われるのだ。法国の神官たちのことだ。治癒魔法で死なないようにするのだろうから終わりと言うものはなく、いつまでも続くのだろう。正気を保てるとは思わない。

 

「正気?あはははははは……なんだかどうでも良くなってきたわ!もう私正気じゃないかも……。あははははははは……はぁ……つっまんない人生だったわねー」

 

 私はいつも駄目だった。英雄の一族として生まれたのに家族の期待にも応えられなかった。なぜならスレイン法国の人類至上主義が納得いかなかったから。

 

 それで反発したは良いが結局友人さえ守る事さえできなかった。それでも言われることは『亜人を殺せ』だ。

 

「んふ、んふふふふふ……じゃあ殺してあげるわよ。男も女も大人も子供も全部全部全部人間という人間を殺してあげるわ」

 

 きっとあの拷問器具を受けたら完全に正気を失うだろう。もうどうなるのか分からないが今の自分ではいられなくなるだろう。

 もしそうなったら……気が狂ったとしても法国の言いなりにだけはならないようにしよう……どうせ狂うなら人間を殺しつづける狂人になろう……。

 

 

 

────暗闇の中でそう誓ったその時……私の耳に幻聴が聞こえた

 

 

 

「クライム。静かに、静かにやるのですよ……」

「はい……」

「……なに、あんたたち?」

 

 硬く施錠されたはずの扉の先から現れたのは小さな男の子と女の子の二人組だ。私を殺そうとする殺し屋?いや、二人とも奇妙な格好をしているけど、殺し屋にも死神にも見えない。

 

「あれ?ラナー様。あの人傷が無くなってないよ?」

「……傷?」

 

 男の子の言葉にあの集落で殴られた傷がいつの間にか無くなっていたのを思い出す。不思議なことにあの集落で負った傷が無くなっていたのだ。兄はポーションを使ったのだろうと思っているようだが実際は何もしていない。しかしなぜそれを彼らが知っているのかは考えても分からなかった。

 

「ラナー様?あれなに?」

 

 男の子……クライムは壁につるされた残虐な拷問器具を指さす。少女は即座にその構造から使い方を推測したように見えた。そしてそれを使われた人間がどうなってしまうかも……。

 

「ふーん……あんなものを使われたら堪らないわね。良かったですね、闇落ちする前に私たちが来て……」

 

 少年は分かっていないのかキョトンとしている。一方クレマンティーヌも相手が何を言っているのかさっぱり分からなかった。

 

「……良かったって何が?……どういうこと?」

「オークの子供に頼まれたのよ。あなたを助けてほしいって……」

 

 オークの子と聞いて隊長に無理やり持たされた武器で友人になったオークの子供を殺した感触を思い出す。あの肉を裂く感触を……

 

「でもあの子は死んで……」

 

 そう、死んだ子供が助けを求められるはずがない。そう思ったのだがその考えはすぐに否定される。

 

「幻術よ」

 

 少女はそう冷たく言い放つと幻術でその場に集落でのオークの死体を再現してみせた。

 

「うっ……」

 

 突如現れた本物にしか見えないオークたちの死体にクレマンティーヌは思わず吐き気を催す。まさに本物にしか見えない。しかしこれが幻術だという。

 

「分かりましたか?あそこであったことは全部幻影。あなたが傷ついたことも、オークの子供を殺した事も全部現実ではなかったことなのですよ」

 

 少女がさっと右手を振ると生々しいオークの死体たちの幻影が消え去った。私をこれほど不快な気持ちにさせたというのにその表情には一切の曇りはない。

 

「……あんたいい性格してるじゃないの。本当に人間?」

「……とある理由で二十歳になるまでは人間ですわ。……そんなことよりほらこれを飲んでください」

 

 少女は腰の袋から赤い液体が入った瓶を取り出すと私の口に突っ込んできた。なにこれ……。

 

「ちょっ……ごぼぼ……甘い?」

 

 得体の知れないものを飲まされると警戒したが味は普通に美味しかった。

 果実水と言われても信じてしまいそうだが私の肉体に魔法の効果が発生している。信じられないことに今まで息をするのも苦しかったはずなのに痛みがすべて消えてしまっていた。

 

「……これってポーション?苦くなかったけど」

 

 通常ポーションは薬草や薬液で作った下級(マイナリー)ポーションが一般的だ。さらに魔法を付与した中級ポーションに、魔法のみで作成した上級ポーションなどがある。

 しかも味はどれもけして美味しいものではないはずなのだが、今飲んだものの効果は上級としか思えない効果がありしかも美味であった。

 

「……信じられない効果ね」

 

 さらに犬の格好をした男の子が近づいてくると無造作に私の繋がれている鎖を手に取ってそのまま引きちぎった。

 英雄の領域に届こうという私でさえ千切れないのにどんな力業だと目を疑ったが、助かったのであれば文句を言う筋合いはない。

 

「あー……まぁお礼くらい言っておくわ。あんがと……。で、この後私をどうするわけ?」

 

 何の目的もないのにこんな法国の深部にまで潜り込んで自分を助けるはずはない。これでも私は一般人に比べると隔絶した強さを持っているのだ。きっとそれを利用しようとろくでもない目的のために助けたのだろうと予想していたのだが……。

 

「特に何も……?この建物から逃げるくらいまでなら協力しますから好きにしてもらって構いませんわ」

「……わけわかんないんだけど?一緒に仕事しろとか言わないわけ?」

「別にそこまで求めていません。……と言うかあなたのような痴女がそのような恰好で……もし主人を誘惑しようものなら従者のあの御方があなたをただじゃ置かないでしょう。だからそのまま来てもらっても困ります」

 

 私はあらためて自分の格好を見下ろす。傷はすべて塞がったものの当然衣類までもとに戻るわけもなく所々破れた下着同然の格好だった。

 

「痴女じゃないわよ!」

「……そうなのですか?では衣服くらいは恵んで差し上げますからどうぞお好きに。クライム、行きましょうか」

「は、はいっ」

 

 まるでこちらの返答が最初から分かっていたようにどこからともなく衣服を取り出すと私に手渡してそのまま去ろうとする子供たち。

 

「ちょっ、ちょっと待ってよ!」

「なんですか?」

 

 訝しそうに振り返るが、無視してそのまま行こうとまではしていないようだ。

 私は出来ればこのまま逃げだしたいがその前にやることがある。そしてそのために必要なものも……。

 

「……ナイフでもなんでもいいからさ。武器も譲ってもらえない?」

「何をするつもりなのですか?もしあの人たちへの復讐を考えているのならあなたじゃ勝てないと思いますよ?」

「違うわよ……。私は……巫女姫を殺すわ」

 

 その言葉は予想外だったのか一瞬きょとんした顔をした幼女は初めて驚きの表情を作ったあとに面白そうに顔を歪めた。笑ったのだろう。

 

 それを見て初めて私は理解できた。そう、この幼女も自分と同じように狂っているのだと。

 

 ならばこれからすることを考える。目の前の幼女とそう変わらない歳の一人の少女のことを。

 

 巫女姫……生きる魔道具になるくらいなら殺してやった方がよっぽどマシだろう、それにあいつらへの良い意趣返しになるだろうと……。

 

 

 

 



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第66話 巫女姫誘拐

 クレマンティーヌは深夜の聖都を駆けていく。

 

 息を殺し、音を殺し、それでいて恐るべき速度で走る。

 

 走るのは得意だ。これだけであればあのくそったれな兄にさえ負けていないという自負さえある。

 

 まさに疾風のように誰にも気づかれることなくクレマンティーヌは巫女姫が住む神殿区域内の住居区まで到着することに成功した。

 

 巫女姫の住居は六つの大神殿に守られるように囲まれた場所にある。それは日々の信者たちの礼拝のためと言われているが、クレマンティーヌはむしろ巫女姫をその場から逃がさないためなのではと疑っている。

 人が住むというよりも捕らえるための建物。

 

(ふんっ……まるで牢獄ね)

 

 クレマンティーヌは軽くしなやかな足取りで一つの居室へと足を踏み入れる。巫女姫の寝室である。

 途中で見つかることも、その場合逃げることも想定していたがここまで警備が手薄なのは異常だ。もしかしたらあの子供たちが何かしたのだろうか。

 

(……私も怪我をしてたはずなのに。あのポーションのおかげ……?)

 

 あのポーションの回復力は異常だった。

 あれだけの怪我を一瞬で治癒するのだから低位のポーションではないはずである。それを気にする素振りさえなく無理やり飲ませてきたのには怪しさを感じるものの、こうして自分を解放してくれたことには感謝するしかない。

 

(……おかげで巫女姫を殺して法国に復讐してやれるんだからね)

 

 寝室のドアからこっそりと中を覗くとベッドの上で寝息を立てている幼い少女がいた。巫女姫である。

 

 ただ暗殺するだけであれば眠らせたままナイフで胸でも刺してやれば終わる。しかしそれではクレマンティーヌの気持ちは収まらない。

 あえては扉をノックしてやる。

 すると目を擦りながら少女が身を起こした。

 

「……誰?」

「はぁい?こんにちわー」

 

 クレマンティーヌは部屋に入るとヒラヒラと手を振りながら笑顔で巫女姫へと近づく。過去に一応面識はあるので悲鳴までは上げられないが夜中に約束もせずに来たからだろう。警戒の色が強い。

 だがここで彼女と話もせずに殺してしまっては来た意味がない。

 

「あなたは確か……聖典の方でしたか?」

「あ、覚えてくれてるんだー?嬉しいなー?あたしはクレマンティーヌ」

「クレマンティーヌ様……?あのこんな夜更けに何か御用でしょうか?」

「んー、まぁ最後に聞きたいことがあってねー。ねぇ、今どんな気持ち?」

 

 クレマンティーヌは自分でもなぜこんなことを聞いているのかよく分からない。そんなことを聞くつもりはなかった。だが聞かずにはいられない。

 今まで繰り返し受けた暴行で頭がどうかなってしまったのか、それとも違うのか。よく分からないが巫女姫の気持ちが知りたくてたまらなくなっていた。

 

「……え?」

「あんたもうすぐ叡者の額冠で生きる魔道具にされちゃうんだけど……どんな気持ち?ねぇ、どんな気持ち?」

「……それは……神々から与えられた私の使命だと思っております。幸せなことです」

「……はぁ?」

 

 予想できた答え。巫女姫として理想的な答え。

 しかしクレマンティーヌの聞きたかった答えではない。巫女姫の返事に顔をしかめていると巫女姫が逆に問い返してきた。

 

「……あの……何か言いたいのですか?」

「あのさぁ……本気で言っているのかなぁって思って。だってあれ付けたらもう何もできなくなるんだよ?口から飲み物も食べ物も無理やり流し込まれて、下なんて、ぷははははは。……垂れ流しだよ?垂れ流し?いいのそれで?」

「……」

 

 『下が垂れ流し』という下品な言葉を聞いて巫女姫の顔が羞恥に染まる。

 まだ9歳の少女である。そこまで考えていなかったのだろう。

 当然周りの神官たちもそんなことを教える必要はない。結果そうなったとしても知らせずにおく方が楽だからだ。

 

「それでも……神の思し召しです」

「あんたまだ9歳でしょ。それで何でそんな風に思えんの?馬鹿なの?」

「私しかあの魔道具を使える人間がいないのです。人々の安寧のため……仕方がないことです。それこそ神の思し召し……」

「仕方ないわけないでしょ!クソガキ!」

 

 あくまで神への信仰を口にする巫女姫に、そしてそんな巫女姫を作った法国の神官たちに、クレマンティーヌの怒りが爆発する。

 

「く、くそ!?」

「くそだからくそって言ったのよ!!人々のため!?神が言ったから!?馬鹿じゃないの!?神があんたに何をしてくれた!?糞神官どもがあんたに何をしてくれた!?こんなところに閉じ込められておかしいとも思わないの?本当にばかなの?」

「そ、そんなことは……」

「あんた友達いないでしょ!?」

「そ、それが何か……。それに私には神官の皆さまが……」

「あいつらがなんだっていうのよ!?」

「じゃ、じゃあ!あなたには友達がいるのですか!?」

 

 友達がいないと言われたことが悔しかったのか巫女姫はクレマンティーヌをキッと睨めつけてくる。

 

「いない……。でもさぁ……友達がいたらもう会話もできなくなるただの魔道具になるなんて……そんなことを言えるはずがないでしょ!」

「っ……」

「あー、やっぱむかつくクソガキだわ!殺す価値もなかったわね!」

 

 黙り込んでしまった巫女姫を見てクレマンティーヌは自分の気持ちがやっと理解できた。

 自分は巫女姫に『魔道具にされるくらいなら死んだ方がマシだ』と言って欲しかったのだ。魔道具なんかになりたくないと泣き叫ぶところが見たかったのだ。

 しかしあくまで信仰を口にし、反論できなくて悔しそうにしている巫女姫を見て気が変わってしまった。

 

「はぁ……しっかたないわねぇ……」

 

 クレマンティーヌは姫巫女の腰を掴むと荷物のように持ち上げる。その体は驚くほど軽かった。

 

「何をするのですか、放してください!」

「やーだね!」

 

 するとクレマンティーヌは目の前にある姫巫女の尻を平手でひとつ叩く。

 

「痛い!」

 

 パァンという乾いた音と同時に巫女姫が叫ぶ。

 

「あはははは、神様も言ってるでしょ。左の尻を叩かれたら右の尻を差し出しなさいって」

 

 もう一つ叩く。再度スパーンという小気味の良い音が寝室に響き渡った。

 

「神を愚弄するというのですか!」

「……あ?だったらその神が実際にどんな酷いことさせてるのかじっくりたっぷり教えてやるわよ」

 

 巫女姫を担いだまま窓枠に手を駆けるとそのまま飛び降りる。落下により地面が迫る。しかしクレマンティーヌは落下以上の速度で壁に足を走らせ駆け下りる。

 

「<疾風走破>!」

 

 落ちるよりも速く、風よりも速く。

 自分の二つの名の由来となった武技を発動させると、クレマンティーヌは法国の街の中を一陣の風のように駆け抜けるのだった。

 

 

 



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第67話 大侵攻前夜

「というわけで、モモン様の狙い通り漆黒聖典から第九席次が離反しました。巫女姫を失ったことでスレイン法国も混乱しているようです」

「そ、そうか……」

 

 ラナーからの報告を聞きながらモモンガは首を傾げる。

 

(巫女姫?何を言っているんだ?狙い通りって別に何も狙っていないんだが……法国に仲間たちがいるとは思えないしなぁ。ソウルイーターも仲間たちと関係なかったし……)

 

 ビーストマン国のソウルイーターについては早々に片付けてきた。召喚されたモンスターであればもしやと思っていたがどうやら自然発生した個体たちであったようだ。

 

「モモンガ様謹製のアンデッドと比べるまでもありませんでしたね」

「まぁな……」

 

 ナーベラルの言う通りスキルによる強化がされるモモンガの中位アンデッド作成によるものよりかなり弱かったのも自然発生したものと判断した理由の一つだ。

 もしプレイヤーによる召喚であれば何らかの強化がなされている可能性が高い。つまるところ仲間の情報なしということである。

 

「さてどうしたものか……」

 

 人間の国にも仲間たちの情報もなく、手掛かりと思えたアンデッドも空振り。人間の宗教国家は異形を排斥しようとし、豚鬼たちの情報によると亜人たちはアベリオン丘陵で人間の支配域に一斉蜂起しようとしている。

 

「あの……モモンガ様はどちらにつくのですか……」

 

 珍しく着ぐるみ姿のクライムがモモンガに話しかけてきた。その瞳は何かを心配しているようであるが、それはおそらく人間たちを心配しているわけではないだろう。迫害される亜人たちをかつての自分に重ねているのだろう。

 

「……お前たちは人間が嫌いか?」

 

 3人の仲間たちが頷く。

 

「そうか」

 

(亜人たちの側につき、人間を打倒することは容易い……。だけどそれでいいのか?いつか会うかもしれない仲間たちにそれが俺たちの居場所だと胸を張って言えるだろうか……)

 

 モモンガは考える。この世界に本当に自分たちの居場所などあるのだろうかと。

 

(いや……違うな……。居場所とは探すものではない。かつてナザリックを手に入れた時もみんなで考えたはずだ。居場所とは探すのではなく……)

 

 モモンガは熟考した後、3人の顔を見ながら一つの結論を出すのだった。

 

 

 

 

 

 

「ビーストマン国のソウルイーターについては我々が始末してきた」

「……」

 

 モモンガが今いるのは大侵攻へと備えて数々の亜人たちが集結している集落である。広大な丘陵の中、見渡す限り数々の亜人たちが集結している。

 豚鬼たちに繋ぎを取ってもらい、紹介してもらったのだ。

 

 蛇身人(スネークマン)鉄鼠人(アーマット)洞下人(ケイブン)獣身四足獣(ゾーオスティア)。さらにはモモンガの知らない種族もいることもあり、実に興味をそそられる顔ぶれである。

  しかしそこにはただ1種族、『人間』という種族だけはいない。

 

「何を馬鹿な!信じられるか!」

「これがビーストマン国の都市長からの書簡だ。ソウルイーターの死体もある。見るか?」

 

 実験用にでも使えるだろうとソウルイーターの死体は1体は回収しておいたのだ。

 インベントリからソウルイーターが広場に出されると悲鳴が上がった。小さな都市であれば1体で滅ぼすとも言われる災害級のアンデッドである。その恐ろしいまでの凶悪さを知っている者たちだろう。

 

「ソウルイーターは倒れた。これでビーストマンがこの地に流入するのは収まるのではないか?」

 

 そもそも痩せた土地に多くの亜人が集まりすぎたのが原因の大侵攻である。この土地で生きていけるのであれば人間の土地に攻め込む危険を冒す必要もないだろう。

 

「……だいたいおまえは何なんだ!?その連れているちっこいのは人間じゃねえのか!?」

 

 獣身四足獣の族長がモモンガたちをその鋭い爪で指さす。漆黒の鎧の下は人間だと言いたいのだろう。しかし、モモンガはもはや姿を隠す気はない。

 

「私たちは人間ではないと言っている。仕方ない……良いだろう、私はこういうものだ」

 

 モモンガはおもむろに兜を外す。その下から現れたのは白磁のごとき白骨。その眼窩には眼球はなく、炎の如き赤い光が輝く。

 さらに先ほどまでは感じなかったその全身からは見るだけで恐怖を引き起こすような漆黒のオーラが立ち上っていた。

 

「あ、アンデッド!?」

「アンデッドだ!」

 

 亜人たちたちの中から恐怖の叫び声が次々と上がる。しかしその声をかき消すように厳かな声が場を鎮めた。

 

「私はアンデッドではない!スケール族だ!」

「……は?」

「私は偉大なるスケール族の魔法戦士モモンである。お前たちは偉大なスケール族を知らないのか?」

「ス、スケール族?なんだそれは?スケルトンじゃないのか?」

「スケルトンと一緒にされるのはスケール族への侮辱だ。この場に信仰系魔法詠唱者はいるか?アンデッド反応を感知してみるがいい」

 

 そのあまりの自信のある様子にしぶしぶながらいくつかの部族から信仰系魔法詠唱者が連れて来られる。

 

「……アンデッド感知に反応ありません」

「どうだ?分かったか?私の連れている子供たちもスケール族だ。年を得れば私のように立派な白き肉体になるだろう」

 

 ラナーやクライムたちに関しては寿命を迎えれば真っ白な骨だけになるので嘘は言っていない。

 モモンガの言葉を信じたのか、アンデッドだと恐れる声は小さくなり、代わりに期待に満ちた目で見られるようになった。

 

「それでソウルイーターを倒したスケール族の戦士よ。我々に力を貸してくれるのか」

「……力を貸す?」

「人間の街を奪うのに力を貸してくれ!このままでは我々は永遠に土地を求め争い合うことになる!」

「……ビーストマンの流入が止まれば土地問題は解決するんじゃないのか?」

「……無理だ。この乾いた大地でこれまでに食料を消費しすぎた。これ以上は耐えられない……それに人間は我々を殺しすぎた……」

 

 亜人たちの目に宿るのは恨みや憎しみを含んだ負の感情。親や兄弟、恋人を殺されたのか。その感情はもはや爆発する先を探しているのだろう。

 

「そうか……それで……勝てるのか?」

「勝つしか道はない!!」

 

 苦渋の決断なのだろうし、口減らしの意味もあるのだろう。このまま不満を抱え、この乾いた大地に留まっても未来はない。

 亜人たちの代表は厳しい顔でそう断言するのだった。

 

 

 

 

 

 

 ローブル聖王国。

 リ・エスティーゼ王国の南西、アベリオン丘陵の西にある人間の国家である。

 その国家の中枢と言える王城の会議室にて十数人の人間たちが真剣な顔をして議論を重ねていた。

 

「亜人たちの集結はそれほどなのか……」

「はい、その数50万を超えるかと……」

 

 斥候に出した兵士からの報告を聞いた国王は思わず天を仰ぐ。絶望的な数である。人間に比べ身体能力が高い亜人は1対1では勝つことは困難である。それが50万。人間の兵力で撃退するにはその倍以上の兵力が必要な計算だ。

 

「他国への救助要請は?」

「時間がありません。この国から一番近いスレイン法国からは共闘の約束を取り付けました……轡を並べることなく独自に動くそうです」

「……それでも何もないよりましか」

 

 国王は居並ぶ重鎮たちの中の一人の男に声をかける。『九色』と呼ばれるローブル聖王国が誇る才人の一人だ。

 

「……時にパベル。子供は元気か」

「どうしたのです陛下?うちの子ですか?元気すぎて困っているくらいですよ」

「……今7歳だったか。可愛い盛りだな」

「はい」

「私の子供も今年で14歳だ。まだこれからいくらでも幸せをつかむことが出来る歳だろう」

「ええ、そのためにも命を賭してでも侵攻を防がなければ……」

「そのとおりだ!子供や老人たちは南部へと避難させろ!最悪の場合、この王冠を使う!」

「まさか……陛下」

「ああ、最終聖戦(ラスト・ホーリーウォー)の儀式の準備を進めろ!」

 

 

 

 



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