鉄血のオルフェンズ 残華 (イング・ディライド)
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蒔かれた種が、芽吹くとき

気まぐれに書きなぐった状態に近い未熟で稚拙な拙著です。

「ここおかしくね?」、「設定無視かよ!!」などなど、違和感を探しながら読むのが一番いいかもしれません。

もし長期連載として続けられればトンデモメカやトンデモ設定が乱立するカオスに成り果てると思いますので、予めご了承ください。

と、予防線を張り終えたところで、本編をお楽しみくださいませ。


 火星は今日も晴れている。乾燥に強い植物を植え、多額の予算を割いて気温を人類の生存可能な範囲に操作し、街を作って多くの人々を入植させたところで、根本的な気候そのものは改善しようがないのである。

 どう頑張っても太陽からの距離は人類がどうこうできる範疇を越えているし、地球とは桁が違う規模の山脈や砂漠といった地形に手を加えようとすれば今の火星政府の何万年ぶんの予算が吹っ飛ぶことになるのか想像もつかない。そもそも地球と同じ環境を再現するために、人が快適に住める場所にするために最も重要な大気の状態を人類に最適化させるには圧倒的に技術力が足りていない。火星へのテラフォーミングが実施された厄祭戦前ならまだしも、終末戦争とまで呼ばれた人災を乗り越えて現在まで継承されている技術は数少ない。

 必然、火星の人々は地球よりも気温が低く乾燥した大気の中、毎日氷点下まで気温が下がる夜を凌ぎ、なんとか人類生存が可能なレベルまで整えられた世界を日常としながら生きていくことになる。

 それでも昔に比べれば天地の差、厄祭戦からさらに遡った旧世紀では昼夜の温度差が百度以上にもなる中、ドーム状に建設されたコロニーの外に出るには防塵機能付きの酸素マスクが必要だったというのだからとんでもない話である。植民開拓の最初期とはいえ、そんな環境に人が住むなど考えられない。

 

「オルガ・イツカを覚えていますか? 」

「あぁ? 誰だ、それは」

 

 火星の中で最も栄えていると言われるオフィス街の高層ビル、その中の公衆トイレで発砲の音が響く。一回、二回、三回。赤い液体が床をねっとりと覆っていくのを見て、最後にもう一回。かつて戦い方を教えてくれた恩師にして恩人の形見である拳銃のグリップは擦りきれて鉄色がのぞいている。とはいえ銃そのものはとても綺麗に整備されていて、何年もの間憎苦を共にしてきた持ち主の愛情が込められている。だからたとえ壁一枚隔てられている向こうの男の急所だとて、外すことなどあり得ない。当然すべての弾が正確に命中している。

 銃口から薄く伸びる白煙に複雑な感情を抱き、ふっと吹き消す。本当なら足や手を撃って、命乞いを聞きながらでもなぶり殺してやりたいところだったが時間がない。もう自分ひとりの復讐のために戦っているのではない、という自覚が知らず知らずのうちにこびりついていることに気づき、舌打ちをひとつ。

 

 ノブリス・ゴルドン。世界で最も成功を収めたとされる実業家である。彼が手掛ける分野は一次産業から電子機器の製造販売、不動産業に投資アドバイザー、人材派遣から軍需産業まで多岐にわたる。

 当然ながら、彼の生業から分かる通り自分で管理している会社以外にも積極的に投資を行っており、八年前まではたった今ノブリスを射殺した少年もその恩恵にあずかっていた立場である。

 少年にとっては忘れてしまいたい、なかったことにしてしまいたい、嫌悪と憎悪と後悔とどうしようもない無力感を呼び起こす忌むべき過去だ。

 

 乾いた血の色にも似た、こちらもとある人間の形見であるスカーフで口元を覆い隠した少年は、鮮やかなオレンジ色の髪をなびかせて走る。いらだちを振りきるように、この数年自分を縛り続けてきた男の死体を後にして。

 

「こっちは終わったぞ」

「こっちも問題ない」

 

 豪勢な装飾を施された屋敷の中を、事前に頭に入れておいた見取り図に沿って中央の部屋まで一直線。未だ多くの人々が貧困にあえぐ火星にあって、ここまで無駄な金をつぎ込んだ建物も珍しい。ギャラルホルンの改革が進められている今、治安は以前にも増して悪化しているというのに。

 廊下に飾られていたのは、いつか訪れたアドモス商会の本社で見たものと同じ「革命の乙女」の絵画だった。芸術にはまったく縁のない彼の人生の中で唯一、おぼろげながらもその美しさが分かる品だ。

 だからこそ、こんなところに存在するのは許せなかった。いっそのこと火をつけてやろうかとも思ったがすぐに冷静を取り戻す。不必要な破壊はしないよう、厳しく言いつけられているのだ。

 

 世界の警察、もとい地球のヤクザの元締めとも言われたギャラルホルンの内部抗争、通称マクギリス・ファリド事件から八年。ラスタル・エリオンのもと、旧体制の打破と民主化への路線変更は未だかなりの強硬な手腕でもって急激に進行している。血統による幹部ポストであるセブンスターズの権限剥奪、圏外圏で横行する人身売買の禁止とそれに伴うヒューマン・デブリ対策法案、ギャラルホルンが独占してきたエイハブ・リアクター製造技術の公開など、たったの八年で多くの実績を残している。当然のごとく支持率は高水準で推移しており、政権交代は当分ないだろうとの見方が強い。マクギリス事件以前から彼が積み立ててきた実績と相まって、内外からの圧倒的な支持があるからこその迅速かつ強硬手段なのだ。

 しかし、力にものをいわせた早すぎる改革は多くの問題を産んでもいる。代表的なものが、ヒューマン・デブリの難民化だ。そもそも海賊や傭兵はともかくとして、不発弾処理に宇宙船外活動などマトモな人間が寄り付かない仕事を行う、いくらでも使い倒せる人材としての側面があったヒューマン・デブリだが、彼らが社会に与えてきた影響と恩恵は計り知れない。ギャラルホルンと火星独立政権が共同で発表したヒューマン・デブリ対策法案が施行された途端、彼らを雇用していた企業は軒並み倒産してしまった。未だ厄祭戦当時の不発弾が数万発埋まっているとされ、老朽化したインフラが社会問題となっている火星においてだ。

 とりわけ火星においては対策法案の要であり根本である「基本的人権に基づく活動の自由」との文言が元ヒューマン・デブリの社会復帰を阻害する一番の原因である。現火星政府の実質的なトップに立つクーデリア・藍那・バーンスタインがいくら頑張っても火星で大規模なビジネスは生まれない。マクギリス事件時に将来性が期待されたハーフメタルとて、ヒューマン・デブリがいなくなったいま民間企業は採掘に掛かるコストに尻込みしてしまうのが現実だった。大量に生まれた雇用先のない人間、その社会保障に充てる金すら難儀するのが火星の現実である。

 

 目当ての部屋を見つけ、少年は仲間に目配せした。頷いた少年がチューブ状の爆薬を使って鍵を開ける。

 三、二、一。

 カウントがゼロになると同時に、握った拳で勢いよく扉を殴る。

 

「動くな!! 」

 

 短い悲鳴が少しだけ場をざわつかせた。しかしそれもすぐにおさまり、この屋敷で最も広く最も重要な部屋は静まり返った。

 

「いまこの瞬間をもって、ここの全権限を強奪させてもらった。しばらく言うことを聞いてもらうぞ。まずは、そうだな。現在進行形で外部との連絡を取っているやつ、手を挙げろ」

 

 外部に情報を漏らしたり状況を知らせたりしたらどうなるかわかってるな。言うまでもない脅し文句を、ドスの利いた声で言う。こういうのは、口に出すことに意味がある。

 十人といない室内で、指示通りに手を挙げたのは二人だった。それぞれ民間企業との先物取引、子会社との経営計画の打ち合わせを行っていた。全員が全員たいして年齢を重ねていないであろう武装集団のリーダー、オレンジ髪の少年の指示でそれぞれに見張りをつけながらも外部との通信が継続される。突然通信を切り、不自然だと思われては困るからだ。

 さらに念のため数人で全モニターの確認を行うと、もう一人、とりわけ厄介なことに、ギャラルホルンとの直通回線を使っている者がいた。そもそもそんな回線があること自体、仮にも民間の組織を騙る以上あり得るはずのないことではあるのだが、実際のところそれが分かっているからこそ少年たちは今ここに奇襲をかけているのである。八年前に自分達の運命を狂わせた、利権と金にしか興味がない大人たちへの報復として。

 だとしてもまだ計画は始まったばかりである。戦力も対外的な影響力もまだまだ未熟。天下のギャラルホルンが相手となれば下手な対応は打てない。

 目配せでの指示により、回線が一人の男のところへ回ってくる。事前に練られた計画に抜かりなく用意されていた、万が一の際における交渉役。どうも少年たちばかりというのではこういう時に都合が悪く、協力者から半ばお目付け役としてリーダーにあてがわれた青年である。少年たちで構成された集団の中で彼は、ひとり異彩を放っていた。

 

「申し訳ないが、こちらの事情によって担当者を変更させて頂きます。勝手ながら、無礼をお許しください」

「随分とイレギュラーな対応だねぇ。そちらも多忙と見える、そんな中での対応、こちらこそ無礼だったかもしれないね。じゃあ無駄話で時間を浪費するのも悪いし、本題に戻ろうか。来月スタートの火星政府通常国会でうちの隊が行う警備計画の打ち合わせ、でよかったよね」

 

 穏和な老人、富裕層の紳士のイメージそのままなギャラルホルン火星支部の司令に「ええ」と微笑み、リーダーは部下たちを離れさせる。全員が心得てはいるものの、万が一にも気取られてはまずい。雌伏の年月を無駄にしないため、各々の目標達成のため、組織の最終目的達成のため、気を遣いすぎるということはない。

 

「情勢が芳しくないことは周知、まあギャラルホルンが直接的に関与した影響が十年やそこらで消えるとも思えないけれど、厄介な時に厄介なことを運び込んでくるものだよね、世界ってのは。クーデリア嬢からのご連絡によれば、例の・・・『鉄華団』残党が集まった過激派組織の活動が活発化しているらしくってさ」

「もちろん、承知しておりますとも。万が一のことがあっては、我々の信頼関係にヒビが入りかねませんからね。現在、最優先で実態の調査に当たっているところです」

「テロリストとなれば、こちらから出す予定のモビルスーツもモビルワーカーも用を為すか分からない。悪いんだけれど、そちらの対応は一任するよ」

 

 まあ、バレているよな。

 リーダーを筆頭に静かな動揺が広がるなか、例に漏れず心中穏やかではない男だったが、それを悟らせない程度の駆け引きは慣れたものだった。組織の中でも古株とは言えない、むしろ新参者にあたる彼が周りから頭ひとつ抜きん出た、交渉者たる由縁のひとつ。ただ単に年を重ねているから任されている訳ではない。伊達に修羅場を重ねてはいないのだ。

 

「メイクスしれっ」

 

 愚かにも、あるいは賢明にもギャラルホルン火星支部長に助けを求めた男が、音もなく喉を切り開かれて倒れた。遺体を静かに寝かせる団員。それを見たリーダーは眉ひとつ動かさず飛び散った血液を拭くように指示を出す。そして更なる犠牲が重ねられぬよう、悲鳴どころか余計な物音ひとつ立てられないようすべてのオペレーターに銃が向けられることとなった。もちろん通信相手に気取られぬよう、それぞれのモニターの上から撃てる体勢だ。

 

「何かあったかい? 」

「いいえ、何も。モニターのひとつが音量の調節を間違えただけです」

 

 幸いにも、十数分に及ぶ会談の中で出た犠牲はその一人だけだった。手のひらを湿らせるじっとりとした感触に顔をしかめながら、男は微笑を浮かべたまま通信を切った。打ち合わせ、と言いながらも男は終始支部長から多くの情報を聞き出すことに注力していたため、警備計画にさほどの進展は見られなかったが。

 そして、画面越しの相手ではなく、室内のオペレーター相手に向き直ったリーダーが、彼本来の低く重苦しい声で言う。

 

「今からここは俺たちが仕切らせてもらう。それぞれに追って指示を出すから、それに従ってくれ。大人しくしていれば悪いようにはしないと約束する、いつも通りに家に帰って風呂に入って寝られるだけの安全は保証するよ。ひとまず、引き続き仕事を続けていてもらいたい」

 

 ついでにそっちのヤツ、とギャラルホルンとの回線を開いていたオペレーターに歩み寄る。少年の方を振り向く様子はない。よく見れば指先も動いてはいない。ぽん、と肩に手を置くと「ひぃっ」と短い悲鳴が漏れた。体が小刻みに揺れている。ひどく怯えて震えているのだろう、今はもう何も映してはいないモニターに向けられた視線も全く動かない。

 少年は誰にも聞こえないよう、小さく舌打ちをした。

 

「少し別室で待っていてくれ。話がある」

 

 傍らの部下を一人つけて、部屋から出す。一人にしたことでよけいに恐怖が増したであろう男とまともに話をするためには、かなりの時間を置かなければならないだろう。どのみちもうしばらくかかるのだから問題はないのだが、彼を見ていると妙に神経がささくれだつ。

 重要任務にあたっている緊張感のせいだろう。

 自分の中でそう決着をつけて、リーダーは通信端末を取り出した。普通、長距離通信を行えばアリアドネの中に残るデータからギャラルホルンに情報が漏れる可能性があるが、少なくとも今、一時的にはそれを考慮する必要がない。

 そもそも、その情報がほぼ筒抜けの現状を脱却するための任務なのだ。

 

 今回の作戦の目的は、金星圏から地球、果ては火星までもをカバーする無数の電波中継局、アリアドネに対するギャラルホルンの一方的無条件なアクセス権の剥奪。もちろん戦力の少ない少年たちでは、別動隊を含めても地球や金星圏にまで手が届くはずもないので火星におけるそれに限った話である。

 ギャラルホルンは「世界の秩序」、「法の番人」の体面のもとであらゆる方面に特殊で特別で一方的で高圧的な権力を有し、自分たちの定めたルールに従わない者を徹底的に排除する。それはラスタル政権のもと民主主義を謳ったところで変わりようのない根本的かつ根元的、ギャラルホルン設立当時からの存在意義であるからこそなのだが、表面上とはいえ民主主義を掲げた今となっては批判と非難の対象になっていた。

 だから、少年たちが特に過激派と呼ばれる集団で、ここを襲撃したとしても何ら不審な点はない。とはいえ彼らの最終目的、あるいは原動力といってもいいその根幹にあるものは一週間もすればネット掲示板の賑わいも失せる一過的突発的衝動的な理由ではないが。

 それがなぜギャラルホルンではなく胡散臭い実業家のオフィスを襲撃しているのかといえば、先刻に直通回線を開いていたことからも分かる通りここがギャラルホルンの火星におけるアキレス腱ともいえる場所だからだ。いかに人類史上最大のグローバル組織といえど貪欲に生存圏を拡大していった人類すべてをカバーするだけのキャパシティを持ち合わせてはおらず、必要最低限の業務のみ内部で行うもののある程度はそれぞれ特別契約を結んだ外部組織に委託する形を取っていて、地球から離れたこの火星においてはその傾向がより顕著であるという事情のもとノブリス・ゴルドンは私腹を肥やしていたのだ。

 

「ったく、何もかもがアイツの思い通りってんなら気に食わないが、確かに完璧だな。文句のつけようがない」

「あの時から既にここまで考えていたというのなら、まったく恐れ入るよ」

 

 交渉を終えた男と二人で忌々しげに吐き捨ててから、口元にあてた通信端末に一言。

 

「こっちは終了だ」

 

※※

 

「了解だよ」

 

 不満げな感情を隠そうともしない通信相手の声に臆することもなく、むしろどこか嬉しそうで楽しそうに涼しい顔で男は通信を切った。

 この時点で彼らの任務はまだ第一段階が終了したに過ぎず、本来の目的であるアリアドネを含めたギャラルホルンが掌握する通信ネットワークの制圧もまったく不完全である。いつ復旧するかも分からぬ網を警戒するに越したことはない。長話をしていれば身内に殺されかねない、という保身もあったのかもしれないが。

 

「マッキー、こっちも問題ないわ」

 

 今度は無線通信越しではなくその場の空気を直接震わせる面と向かった声、先程とは違いとても明るく陽気で、幼さを残した女の声。吸い込まれてしまいそうなほど深い紫色のショートカットが目を引く、突っ張った感じを隠せてもいない民間の安物戦闘服に身を包んだ少女が、尊敬と幸福と信頼と服従と、少しばかりの緊張と怯えを含んだ眼差しでこちらを見つめていた。

 こちら側のチームの実質的なリーダーであり彼ら彼女らが所属する組織の象徴、表向きはトップに立つ身としてそんな顔をするものではない、と忠告した方が良かったのだろうが、その視線を向けられた男はすっかり毒気を抜かれてしまったらしく強い言葉をいうことができずになだめるような猫なで声を出すのだった。

 

「わかったよ、アルミリア。こちらも行動開始だ。以後、互いの通信はコードネームを用い、暗号化したもので行うこと。では、スタートだ」

 

 瞬間、凄まじい衝撃が身体全体を包み込んだ。火星の衛星軌道に浮かぶステーション、アーレスが爆炎に震え、それを合図にアルミリア・ファリドとマッキー、もとい『マクギリス・ファリド』が率いる別動隊の仕事が始まるのだった。



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荒野の種火は山を燃やす業火となるか

 火星軌道上を周回するステーション、ギャラルホルン火星支部の本拠地アーレス。それが今、巨大な身体に突き刺さったたった一発の弾丸によって真っ赤な炎に包まれていた。

 

「初弾命中。機体と共に帰投します。ご武運を」

「助かったよ。決して気取られぬようにな」

 

 火星近辺、といっても地表どころかアーレスからでも観測できない位置に浮かぶ中継ステーション・アリアドネの上に、獣のような四足を食い込ませた機体があった。

 背中の長大な砲身からモビルスーツ単機では考えられない超長距離射撃を行い、その衝撃を安定した足場に受け流し、そして兵器としての汎用性を重視した人型に戻ると、あらかじめ往復分の燃料を詰めておいた追加ブースターに点火してドックへ帰投する。隠密作戦ゆえ、普段は純白に塗装されている装甲を漆黒に包んでいた。闇夜に紛れて獲物を狙うその姿は、まさに肉食獣そのものといえる。アリアドネに張りついている間、二つのリアクターから生成されるエイハブ粒子の波によって通信にノイズが混ざってしまうが、それを確認する者はない。

 ここからは、アーレス内部に潜入したマクギリス、アルミリアたちの見せ場だった。

 

「a班は中枢の制圧を最優先。b班、c班はルートの確保。d班は弾頭の回収を急げ。順次、手が空きしだいa班に合流。五分で終わらせるぞ」

 

 マクギリスの指示のもと、ギャラルホルンの制服で忍び込んだ『エインヘリアル』のメンバーたちが正規の隊員たちに牙を剥く。同じ格好をしている仲間が突然銃を乱射してきたとあって、施設内はたちまちパニックになった。

 

「懐かしいな。偽りの記憶といえど、もうあれから八年も経ったと思えば多少の感慨も沸くものか」

 

 天井から吊るされた照明の光を反射するほど丁寧に磨き上げられた床と壁は、常人に比べ刺激に弱いマクギリスの網膜に深く突き刺さる。あらかじめ遮光メガネを用意していなければ、指令室にたどり着く頃には失明していたかもしれなかった。この火星支部が八年前と変わらずとも、マクギリスにとって八年間という時間のなかで変わったことは多すぎた。

 

「思い出に耽るのは後にしてください、准将。いくらあなたが長年にわたって練り上げた構想といえど、フェーク・メイクスが指揮する部隊となれば遠い未来ばかりを見ているわけにはいきません」

「分かっている、新江。初めから君の協力がなければ成り立たない作戦だ。頼りにしている」

 

 直接言葉を向けられた新江も、傍らでそれを聞いていたアルミリアも、そのセリフにはうすら寒い感覚を抱いたが、マクギリス相手に感情を抑えるのはもう慣れたものだった。

 

「我々は最短で指令部に向かう。それぞれ指揮下の部隊の戦闘状況を把握しておけ」

 

 マクギリスという男の心は、誰にも見えてはいない。

 

「隔壁閉鎖、クルーの退避急げ」

「第六区画の制御、乗っ取られました」

「第三区画、通信途絶」

「外部との通信回線、遮断されました」

「第二、第三ハッチ制御奪われました。パトロール隊、帰投できません」

 

 指令室に飛び交う現状報告は、悲鳴にも似た叫び声ばかり。中央の席に座る火星支部の司令、フェーク・メイクスは達観したような落ち着いた表情を浮かべていた。

 ノブリス・ゴルドンのところとの通信を切ってから五分と経っていない。どこか違和感を覚えはしたが、まさかここまで敵の動きが早いとは思わなかった。ハッチは封鎖されてモビルスーツの出入りが禁じられ、制御を奪われた区画は隔壁も作動しない。真っ先に空気と水の循環システムを制圧され、援軍を待っての持久戦の道も絶たれていた。

 マクギリス・ファリド事件以降、明言はされずとも目に見えて規模を縮小されたギャラルホルン火星支部の軍事拠点は、今やここアーレスのみである。『火星連合が自治を行う妨げになってはならない』との名目と、一部将校のマクギリス・ファリドとの癒着が露見した故の措置ではあるが、ラスタルがクーデリア、ひいてはテイワズのマクマード・バリストンに対して恩を売るための政策というのが一番の理由だろう。

 その判断のため、ギャラルホルンとの癒着が消えた代わりにテイワズの影響力が強まっているというのは皮肉に過ぎるが。仮にも世界の警察を名乗り犯罪行為を取り締まってきたギャラルホルンと違い、いくらトップがまともな思考回路を有して正確な判断を下せる逸材であったとしても所詮テイワズはアンダーグラウンドの住人、結局のところは利権とそれに伴う金によってのみ動くのが常である。まだ行政に不慣れな火星連合のアドバイザーとして多くのテイワズスタッフが政府に入り込み、火星ハーフメタルの採掘場を筆頭に多くの施設の利権を『経営の健全化』の名目で奪い取る。

 火星が地球の勢力から独立したとはいえ、民衆に還元される利益、メリットはほとんどなかったと言っていい。一部の税金に関しては地球の資本が入らなくなったぶん税率が引き上げられたほどだ。

 ラスタル・エリオンとマクマード・バリストン、互いのトップが同盟を結んでいる以上、公式的には友好的なギャラルホルンとテイワズではあるが、こと火星支部とテイワズの下部組織との対立に関しては表面化しないだけでかなり危険な状態が続いていた。両者が仮にも友好的な関係を築けているのは、前任の新江・プロトとフェーク・メイクスの狡猾な立ち回りのたまものだった。

 

 しかし、そんな名声も所詮は平穏を守るための地道な努力に過ぎず、紛争を終わらせたジュリエッタのような功績に比べれば評価の対象にもならない。他人受けがいいのは目に見えて成果が分かるタイプの功績であり、現状を維持するために尽力したとて『彼がいなければどうなっていたか』が分からない以上すべてをフェーク・メイクスの功績とは認めてもらえない。となればギャラルホルン本部に戻っても居場所などあるはずもなく、そもそも事態がここに至っては安全に脱出できる保証もない。脱出艇を撃墜されることも十分あり得る。

 せめて部下の命を守れるよう交渉しつつ、適当な頃合いを見て自害するのが最善か。

 そこまで思考を巡らせたところで、司令室の扉が開いた。それはこの施設内の全システムが奪われたことを意味していた。

 

「久しぶりですね、メイクス司令」

 

 背後からの声。聞き覚えのあるその声に、メイクスは耳を疑った。あわてて振り向いた彼の目は、十人ほどの武装集団を捉えた。しかし人数などどうだっていい。その十人の中に少なくとも三人、メイクスが、いやギャラルホルンの隊員なら誰もが知る顔が含まれていた。どう考えてもここにいるはずのない、そしてアンバランスであり得ない組み合わせの三人が。

 

「さすがは『般若教官』、私がいた頃とは兵士の練度が全然違いますね。想像以上に手こずらされましたよ。しかし、久方ぶりに再会する教え子に対して酷い歓迎ではありませんか」

 

 短い茶髪、貼りつけたような感情のない薄っぺらい笑顔、恰幅のいいその姿。

 

「新江か・・・!! 」

 

 ギャラルホルン火星支部の元司令、フェーク・メイクスの前任。

 新江・プロト。

 

「感動の再会、といったところか。水を差して申し訳ないがメイクス司令、直ちに隊員の抵抗をやめさせてくれないでしょうか。こちらとしても、無用な犠牲を増やしたくはないのです」

 

 金髪碧眼、端正な顔立ち。身売りの少年からギャラルホルンのセブンスターズにのしあがり、さらにそのギャラルホルンに反旗を翻し、かつて世界を震わせた戦乱の首謀者。

 マクギリス・ファリド。

 

「そこ、余計なことはしないで。動いたら撃つわよ」

 

 セブンスターズの一画、ボードウィン家に属しながらもファリド家の男との政略結婚に身をやつした幼い少女。

 アルミリア・ボードウィン。

 

「悪いが、こちらも火星支部始まって以来の珍客に対応を決めかねていたのでね。何せ、既に死んだ男と退官した元支部長、そして元セブンスターズのご令嬢ときている。いち地方基地司令が判断する域を越えているよ」

 

 なんとか形だけは取り繕って見くびられないようには努めてみるも、メイクスにとってそれは施設を攻撃され、五分足らずで制圧された衝撃を遥かに上回る驚愕だった。メイクスの知る限り、新江・プロトは八年前にはマクギリス派でありながらそれを裏切ってラスタルに与し、新生ギャラルホルン内での立場を確立したはず。それがマクギリスと共に立っているとはどういうことか。

 それよりも何よりも、マクギリス・ファリドは死んだはずだ。ガンダムバエル単機でアリアンロッド艦隊に突っ込んで戦死、その記録がギャラルホルンのデータベースにしっかりと記載されている。

 

「私は初めから徹頭徹尾マクギリス派なんですよ、メイクス司令。新生ギャラルホルンに残ったのも、仲間たちに内部の情報を流すためです。『敵を倒すには狡猾であれ』、あなたから教わったことです」

 

 ふっ、と突然、新江の顔からうすら寒い微笑が消える。肩に掛けていたベルトを外して銃を下ろし、腰に吊った拳銃も足下に落とす。

 

「なんの真似だ」

 

 厳しい、咎めるような口調に物怖じする様子もなく、新江は淡々と告げた。

 

「メイクス『教官』、私たちの仲間になってはくれませんか」

 

 理解できなかった。

 ギャラルホルンの火星支部を預かる司令にしてかつての教官に対して、前任の司令を務めていた教え子が離反を持ちかける。あまりにも異常で、異質で、異端で、前例のない事態が起こっていた。

 

「あなたの経歴は調べさせて貰いました、フェーク・メイクス。地球で生まれながらもコロニー育ち、なんのコネもなく自力でのしあがった努力家。しかしラスタル・エリオンがあなたをここに配属したのは追放のためですよ? 功績を認めたからじゃない」

「お前のような小娘に、それが分かるものか」

「我々の仲間は既に、ギャラルホルンの奥深くまで入り込んでいる。その気になればヴィーンゴールヴのガンダム・フレームを奪う事もできる。人事評価のファイルを閲覧するくらい、大したことではない。そもそもあなたがラスタルに疎んじられる理由、あの過去がある限りあなたはここらで頭打ちだ。もう昇進には興味がないのでしょうが、飼い殺されるつもりもないでしょう? 」

「その『過去』が誰のせいで汚点になったと思っている。さんざん目をかけてやったのに、まさか飼い犬に手をかまれるとはね」

 

 しきりにステーションを揺らす爆発が次第に収まってくる。制圧が完了したブロックから順に応急処置が行われているのだ。初めから、ここを破壊するのではなく再利用するための襲撃なのだから。

 そしてこれ以上のことをマクギリスは言わなかった。新江も、アルミリアも口を閉ざす。与える情報と伝えるべき言葉は全部終わったから、あとはお前次第なのだ、と。早く結論を出せ、とも。指令室のオペレーターたちが向ける敵意などどこ吹く風、まるで我が家のリビングのように傲岸不遜、傍若無人な態度でメイクスを急かしていた。

 そして数分の沈黙。十数人からの視線を受けながら、メイクスは吐き捨てるように一言「降伏だ」と告げた。

 

「迅速な決断に感謝します、メイクス教官。そして勘違いしておられるようですが、これは脅迫ではなく勧誘、私たちからのお願いです。主導権はあなたの方にある。それをお忘れなきよう。私たちの組織は信頼とそれに基づく契約、そして互いを尊重する心によって成り立っていますので」

「フン、理想的な組織運営だな」

 

 メイクスには、ちくりと嫌味を差すくらいの気力しか残ってはいなかった。しかし、ひとつだけ最後の抵抗を試みる。それは自分が教えた男に負けたくないというプライドからくるものだったかもしれないし、今の自分が育てた男の実力を信頼してのものだったかもしれない。あるいは過去と現在、自分が教えた二人の男のどちらが優れているか、という単純な興味でもあったのだろうか。

 ともかく、自分では抵抗できないのなら、部下に任せてみる。それが指揮官に許された特権である。

 

「流仁・ヴィスフルト二尉。火星支部一の腕を持つパイロットと、そちらの代表者との決闘を申し込む」

「良いでしょう。しかし、このような形で死者が出てはたまらない。模擬戦闘用の判定システムを使用させてもらいます」

 

 もちろん、部下の命は保証されたうえでのことだ。心を読まれたようで不快ではあったが、それは加齢によって短気になっているのだと自分をごまかすことにした。

 

※※

 

「自分で人使いが荒いと思ったことはないのか? これまで何も文句を言われなかったなら、革命軍の連中はよほど人間ができてたんだろうよ」

「ぶつくさ言う前に仕事を果たしてもらいたいな。少なくともその機体を渡した分の働きはしてもらいたい」

「あんたと同じで、こっちも根回しが大変なんだよ」

 

 ノブリスのオフィスを制圧して一時間と経たず火星軌道上への呼び出しを食らったライドは、慌てて指揮権を交渉役の男、ウィリアム・ヴェリーハットに譲って現場を後にすると、宇宙港に直行して民間共同宇宙ステーション「方舟」に上がり、ノブリス名義で借りているコンテナで整備をしていた愛機に乗ってアーレスまで直行してきたのだ。

 その間、わずか一日に満たない。近年、方舟と宇宙港の定期便のチケットがほとんどテイワズ関係者の特権で埋まっていることを考慮すれば、なんのコネもない民間人が直近の便で席を取れたこと事態が奇跡だった。

 チケットが取れてしまったせいで、待ち時間に仮眠を取るつもりだったライドの計画が台無しになってしまったのは深刻な問題ではあったが。

 ノブリスのオフィスを強襲する計画のため、実行のまる一日前から休息を取っていないライドにとって、ささやかな希望が絶たれたのだった。

 

「先に言っておくが、コクピットを狙うのは禁止だ。手足をもぐくらいなら構わないが、パイロットには絶対に手を出すな。阿羅耶識も禁止だ、機体性能の差もあるからな。そのくらいのハンデは余裕だろう」

「注文が多いな、こっちは疲れてるんだ。とっとと終わらせて休ませて貰うぜ」

 

 決闘、という言葉に込められた緊張感や緊迫感、その重みなど意に介さない、呑気とも取れる二人の会話は、当然アーレス指令部にいるメイクスにも聞こえている。そしてそこから通信を繋ぐ、『レギンレイズ』コクピット内の流仁・ヴィスフルトにも。

 

「相手がガンダム・フレームだなんて聞いてませんよ、司令」

「落ち着いていつも通りにやればいい。薄っぺらい言葉かもしれんが、君の命と実力は私が保証する」

 

 メイクスの激励にも、流仁は納得いかずに情けない顔のままだった。

 無理もない。

 マクギリスがライドに与えた機体、ガンダムアガレスは、ガンダム・フレームの中でも特に異質なコンセプトに基づいた異形の体躯を持ち、その姿は人型として認識できるかどうかぎりぎりのラインだった。

 ガンダム・フレーム特有のツインアイは片眼が装甲で覆われて隻眼となり、額に備えたアンテナはV字の片側が折れている。胴体は異常に小さく、そのせいで下半身と上半身がひどくアンバランスな印象を与えた。しかし最大の特徴はその腕にあり、通常のモビルスーツと同サイズ程度の左腕に比べ、右腕が一回りもふた回りも大きい。気をつけて機体を見れば、ガンダム・フレームに備えられた二基のリアクター、それが一般的な胸部に二基の配置ではなく、左胸に一基、肥大化した右腕に一基の配置であることに気付く。つまり、とてつもない質量と鋭い爪を備えたアガレスの右腕は本来ならモビルスーツ一機の出力を補って余りあるエイハブリアクター一基ぶんの出力をフルに使って、右腕のみに注ぎ込んで攻撃に利用できる。厄祭戦時、モビルアーマーを極近距離まで近付いてその純粋な打撃力のみで敵を沈黙させるというコンセプトのもと建造されたいびつな機体は、対峙する者に今すぐ背を向けて逃げ出したくなるような畏怖と恐怖を与えるのに十分なプレッシャーを放っていた。

 

「では……始め」

 

 ひゅっ、と風を裂くような音が、決闘を見届けている全員に確かに聞こえた。真空の宇宙で起こりうるはずのない現象、そんなものを錯覚させるほど、まさしくアガレスの動きは怪物だった。

 セオリー通りに一歩さがってレールガンを構えるレギンレイズに対し、アガレスは躊躇なく踏み込んだ。レギンレイズと同じくたった一歩、前に踏み込んだだけ。しかしそれを、その動作を一同が認識できた時にはすべてが終わっていた。

 一歩で数千メートルを一息に駆けたアガレスは、そのスピードを乗せた右腕でレギンレイズの両足、膝から下を削り取っていた。

 

「終わりでいいか? 」

 

 あくび混じりの気だるげな声で、ライドが言う。流仁もメイクスも、アルミリアも新江も、そのスピードとパワーに開いた口が塞がらない。通常、加工することすら困難な硬度を持つレアアロイのフレームをナノラミネートアーマーで覆ったモビルスーツが物理攻撃によって一撃で切り裂かれることなどありはしない。対モビルスーツ戦闘においては複数回にわたる衝撃でパイロットにダメージを与えるか、質量とスピードでもって「切り裂く」のではなく「押し潰す」のが常套手段であり、そもそも機体を切断することは想定していない。

 結果的に、場に居合わせた人間すべてに圧倒的な力量を見せつけて士気を挫いたアガレスはセオリー通りに戦ったとは言えなくもないが。

 一同が揃って間抜け面を並べる中、マクギリスだけが感情の読めない微笑を絶やさずにいた。

 

「これが、ガンダム、なのか? 」

 

 切断部分から火花を散らすレギンレイズ。百年単位で現役だったグレイズの後継機として正式採用が進む新型機であるにも関わらず、三百年前のロスト・テクノロジーには手も足も出ないというのか。警報が激しく鳴り響くコクピットの中、流仁は自身の無力と絶望、そして磨き上げ築き上げてきた自信が失われていくのを感じた。

 しかしそれとは別にもうひとつ、身体を突き動かす衝動が沸き上がってきてもいた。

 なぜ、勝てないのか。

 それは純粋に洗練された、純然たる怒りの感情。

 新型と言いながら大した性能もない機体を押し付けてきた技術部に対する怒り。三百年も前にこんな化け物を作り出した名前も知らない技術者への怒り。この場に自分を送り出した上官メイクスに対する怒り。研ぎ澄まされた暴力に対してなす術もない無力な自分への怒り。先ほどちらりと顔を見たアガレスのパイロット、そのまだ幼い少年に対する怒り。

 それらすべてが混ざりあって溶けあって刺激しあって集約されて、切っ先鋭く炎の如く輝く一本の剣、一方向に向けられた形容しがたいまでに膨張した敵意となる。

 

「調子に乗るなよ、小僧がぁっ!! 」

 

 ヘルメット内の空気が激しく振動し、自分の脳をも揺らすほどの雄叫びをあげて流仁はレギンレイズのスラスターを全開にした。

 

「まだやるのか」

 

 背筋を丸めて休んでいたアガレスがまた、腰をあげて戦闘態勢に移る。パイロットの余裕ぶった物言い、歴戦の勇姿とでも言いたげな機体の傷痕、すべてが癪に障る。

 

「所詮はギャラルホルンに楯突くテロリストだろうが、さっさと死ねよっ!! 」

 

 最も強度が低そうな胴体付近へ向けてレールガンを乱射。しかしアガレスは、その弾丸をまるで蝿を払うかのように右腕で払いのける。

 

「マクギリス、これどうするんだよ。半分くらいはお前の責任じゃないのか」

「知らないな。一撃で終わらせるつもりならちゃんと仕留めろ。それができなかった君の失態だよ」

「はいはい、分かりましたよ、っと」

 

 アガレスの視界、右腕を下ろして視界が開けた瞬間、そこにレールガンが映りこむ。弾丸ではなく、レールガンの銃身そのものが。流仁が投げたそれが、正確にアガレスの頭部を狙っていた。

 叩き落とすには近すぎる質量弾を、ライドはスラスターの一噴きで難なく避ける。しかし回避したその先で、レギンレイズが大きくサーベルを振りかぶっていた。

 

「いくら教官といえど、戦乱もない治世であれほどの逸材を? 素質か、それとも改造か……」

 

 さしものガンダムとてレギンレイズの全推力と質量を乗せた一撃を咄嗟に突き出した左腕だけでは受けきれず、装甲に大きな溝を刻まれて押し込まれる。

 ライドが考える前に、アガレスの右腕が動いていた。両腕でサーベルに力を込める、頭上に位置するレギンレイズのがら空きになった腹部に巨大な鈍器がまっすぐ突き出される。

 

「まずい、コクピットはっ!! 」

 

 焦るライドの目の前で、レギンレイズはさっと身を翻して打撃を避けた。両足を削り取った一撃目に勝るとも劣らないスピードで放たれたはずの一撃を。

 今度は、ライドに感情の揺れが生じる。

 最初の攻撃から、違和感はあった。結果的に膝から下をえぐったアガレスの右腕は、しかし狙い通りなら胸と腰の接続部分、最も装甲が薄く最も堅牢なフレームが露出した場所を切り裂いてレギンレイズを真っ二つにするはずだった。そうすれば宇宙におけるモビルスーツの機動力はないに等しく、その時点で勝敗は決していた。AMBAC機動が行えないモビルスーツなど、地上におけるモビルワーカーよりも役に立たない。

 そして現実はこれだ。

 軽減されたとはいえかなりの損傷を負ったレギンレイズはアガレスと互角以上に渡り合い、このまま行けば自分が敗北するかもしれない。正直なところ、ライドにとってこの勝負の決着などどうでも良かった。『エインヘリアル』の一員としては是が非でも勝たなければならない、それでもライド・マッスいち個人に取ってみればその目的はノブリスとラスタルの殺害、ひいてはこの世界この体制の破壊であり、火星支部の下っ端パイロットに負けようと構いはしない。

 しかし、自身の目的達成のためにはマクギリスやアルミリアたちの力が絶対に必要であることもまた、ライドはしっかりと理解していた。だからこそ負けられない。ここで『エインヘリアル』に愛想を尽かされては、もう自分に復讐のチャンスが回ってくることなど二度とないのだから。

 

「邪魔をするなよ、三流が」

「早く楽になれ、このクソガキ」

 

 サーベルと右腕がぶつかりあい火花を散らす。金属の擦れる音が互いのコクピットに伝わり、思わず顔をしかめる。パワーでは遥かに上回るアガレスの攻撃を、しかしレギンレイズは僅かに刀身をそらすことで衝撃をいなし、決定打にはさせない。毎度自分の推力で体勢を崩すアガレスも、アンバランスな機体を器用に操ることで決して隙を見せない。両者のパワーバランスは寸分の違いなく均等につりあっているように見えた。

 しかし十数分にわたる打ち合いの末、その均衡が崩れる。

 破損覚悟でサーベルを左腕で受け止めたアガレスが、空いているレギンレイズの左腕を切り飛ばしたのだ。それでもサーベルに力を込め続けた流仁によって、アガレスの左腕も変形して動かなくなる。しかし機能せずとも「機体に接続されているかどうか」は宇宙でのモビルスーツ戦闘において勝負の分かれ目だった。

 両足に続き左手を失ったレギンレイズは必死に体勢の立て直しを試みるも、ANBAC肢を失い姿勢制御バーニアもほとんどが破損した状態では静止することさえままならない。

 

「これで、諦めろ」

 

 さらにアガレスがレギンレイズの右腕を狙う。それが命中する直前、溺れるようにじたばたと手足を動かしていたレギンレイズがぴたりと静止した。

 

「せめて、相討ちにっ!! 」

 

 言って、流仁はサーベルの柄を自機の胸に突き刺した。そして突っ込んでくるアガレスに切っ先を向け、モビルスーツで体当たりをかけた。予想外の捨て身の一撃に反応が遅れたライドは、レギンレイズの右腕こそ狙い通りに切断したものの、側面からの刺突によってアガレスの頭部を貫かれていた。

 一拍おいて、結末を見届けたマクギリスが二人に声をかける。

 

「終了だ、両者不満はあるだろうが、痛み分けとする。メイクス司令、構いませんね? 」

「交渉の席につこう。曲がりなりにも、君たちの誠意は見せて貰った」

 

 円満、といえなくもない双方合意の結論を得た指令室の会話を聞きながら、組み合ったまま動かなくなった二機のモビルスーツのコクピットの中でそれぞれ独白が漏れる。

 

「順調そうで何より、ってな」

「私は、負けてなどいない……」

 

 八年前に散った鉄の華、それがまいた火種はまだ、火星に掲げられた小さなかがり火に過ぎない。




結末は見えてるけど過程が見えない、最後までたどり着けるのか……?
マクギリスが生きてた理由、本人が語りたがらないのでしばらく不明のままになります。


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戦乙女の契約

 蒔苗東護ノ介の屋敷でIDの書き換え、すなわち自分の社会的な称号を改竄したのち、"元"鉄華団メンバーは火星にとんぼ返りするためにアーブラウ領内の宇宙港へ向かっていた。アーブラウの実質的なトップである蒔苗の権力を使えば世界中の金持ちが自家用シャトルを飛ばすために共有しているプライベートの港を使うこともできたが、それではいくらIDを書き換えたからといって目立ちすぎるだろうとの判断で民間の定期航路を使うことにしたのだ。

 それぞれが不自然ではない程度のカジュアルな服を一揃い用意してもらい、屋敷での着付けの時にさんざんはしゃぎまわった後、宇宙港での手続き(特に本人確認)に心臓をバクバクいわせながら、ひとまずはクーデリア嬢が用意してくれたアドモス商会内の働き口へ収まり、そこから各々が自分の道へ進めば良い、という算段だった。わざわざアドモス商会が新規開拓するいくつかの事業に子会社を割り当て、数名の商会職員を据えてその中に団員を受け入れようという大袈裟な計画を聞いたときにはチャドやユージンら年長組が驚きを隠せずにいたが(ほとんどの団員は訳も分からず「へぇ、すごいな」くらいの感想だったが)、横で蒔苗がくつくつと心底楽しそうに、この数年で見たことがないほど愉快そうに笑っているのを見ればあらかたの事情は見当がつくというものだ。「引退後は火星で暮らすのも悪くはないと思っていたのだよ」などと真偽のほどを図りかねる意味深な言葉は捨て置くとしても、将来的にアーブラウの企業が火星に進出する際の足掛かり、そのための出資とも捉えられるし、政治家の天下り先としても機能するだろう。クーデリアの気質がそれを許すかどうかは分からないが。

 発足直後の資金難と人材不足に苦しんでいた弱小零細新参企業時代の鉄華団からは考えられないマトモな身の振り方を提示され、団員たちは改めてオルガや三日月たちが遺してくれた業績の大きさに涙を流すのだった。

 

 分散して宇宙へ上がるために複数用意された、蒔苗の私邸から宇宙港までのルートをたどるべく短い別れを惜しみ複雑な表情を浮かべる団員たちの中に、ひとりだけの異質、とても分かりやすく強烈に単純な感情を表層に表した少年が混じっていた。

 つい先刻、升牙・ライグライドという名を手に入れた、目の下にひどいクマをこしらえた、ボサボサだったオレンジ色の髪を整えてもらった、ずっと顔を伏せている少年。生まれ落ちた時にもらった名前を、ライド・マッスという。

 数か月前、火星で行われたギャラルホルンとの最終決戦において敬愛する上司にして先輩にして兄貴分、オルガ・イツカを目の前で失った、ライド・マッスである。

 

「心中は察するが、若人よ。その男が遺してくれたから、お前は生きていけるのだ。オルガ・イツカだけではない。多くの者が命を賭して繋いだ道がお前をここへ導いたのだよ。今は亡き仲間のためにも、胸を張れ」

「お前はよくやったよ、ライド。オルガが死んだのはお前のせいじゃない、気に病むな。お前はお前の道を生きろ」

「ライド、言ってくれればできる限りのことはする。だからそんな、自殺志願みたいな顔はやめてくれよ」

 

 あまりにも陰鬱な感情を隠そうともしない彼を心配して声をかけた人間は決して少なくなかったが、蒔苗の言葉もユージンの言葉もタカキの言葉も、ライドの心には全く響かなかった。

 人間が死んでいく様を、身体で感じ取ったことがあるのか。自分に覆い被さった人間の血液を浴び、青白い顔で焦点も虚ろな目で「お前のせいじゃない」と慰められた絶望が分かるのか。モビルスーツやモビルワーカーを使って体温のない機械を撃つだけのシューティングゲームしか経験したことのない仲間たちの見当外れな慰めは、ただライドに無力感と後悔、そして激しい怒りを呼び起こす燃料にしかなり得なかった。

 

「一緒に、来てくれないかしら」

 

 だからライドは、既にギャラルホルンによって封鎖されていたクリュセに忍び込んだときに遭遇した自分とさほど歳の変わらない女の誘いに、一瞬の葛藤も躊躇いもなく答えられたのだ。

 

「もちろんだ」

 

 幸い、ついてきてくれる仲間は少なくなかった。鉄華団に受けた恩を思えば、たとえ自分の人生が多少いばらの道になったとしても構わない、そんな奴らも一定数いた。その多くはライドよりも年下、オルガの意向で前線には出されなかった年少組だったところを見れば「モビルスーツに乗りたい」、「戦いたい」という欲求、手の届くところにひどく面白そうな玩具があるというまだまだ幼稚な本能的かつ直感的な理由だったのだろうが、それでもライドは受け入れた。そしてクリュセで出会った少女、アルミリア・ファリドも快く承諾してくれた。少しでも、一人でも、一機でも多くの戦力が欲しいのだとアルミリアは言った。利害の一致した二者が取るべき道は、当然、結託のひとつだけだ。

 アルミリアはライドが欲しかったもののほとんどを持っていた。モビルスーツや戦艦、たくさんの仲間、指揮系統、力、行き場のない怒りをぶつけるための目的。

 

「ラスタル・エリオン。虚実織り混ぜた上っ面でギャラルホルンを掌握し、私たちを迫害し、いままさに圧倒的な権力にものをいわせて世界を作り替えているすべての元凶、絶対悪。あなたたちに関わりのあるところでいえば、名瀬・タービンを殺したイオク・クジャンの飼い主であり、鉄華団地球支部に多大な損害と犠牲者をもたらしたSAUとアーブラウの紛争を仕組んだ張本人であり、三日月・オーガスと昭弘・アルトランドを殺しここを更地にするよう命令した男でもあり--オルガ・イツカを殺したノブリス・ゴルドンと組んでいた男。奴を倒し、かりそめの平和と虚構の民主主義と偽りの歴史に踊らされる民衆を救う。それが私たち『エインヘリアル』、神の名を騙る驕った人間とその野望を、共に打ち砕きましょう」

 

 ライドにとってこんな話の大半はどうでも良かった。

 世界を救う? 何のために。こんな世界、壊した方が早いじゃないか。表向きは人権の尊重だなんだと謳いながら、敵対すれば容赦なく嘲り、罵り、遮断し、切り離し、切り捨てて存在そのものをなかったことにする。名瀬も昭弘も三日月もオルガもアストンもビスケットも、みんなそうやって切り捨てられた。都合良く切り貼りされた情報をただ受け入れ、発信者の思惑通りに憎み蔑み唾を吐く、そんな民衆にも興味はない。だからこんな絵空事、途方もない理想、理解しがたいきれい事だった。

 

「分かっているさ、君は新しい世界に興味はないのだろう。だから君には『壊す』役をやって欲しい。理想に基づいて作り替えるにしても、ラスタルという色に染まったこの世界は一度リセットしてしまう必要がある。そのための戦士、兵士として戦って欲しい」

 

 計画のすべてはこの男、マクギリス・ファリドから始まった。

 かつての身売りの少年が夢見た、すべての人間が実力によって評価される正しく等しい世界、その実現のために集まったのが『エインヘリアル』。

 

「あの時のことは申し訳なく思っている。敗北することは計画済みだったとはいえ、鉄華団に被害を出すつもりはなかったのだが、しかしあれも必要な手順だった。ギャラルホルンを一枚岩にすれば倒すべき敵が明確かつシンプルになる。一度勝利した相手に対しては無意識のうちに慢心が生まれる。そしてギャラルホルンが所有するガンダム・フレームはすべて凍結され、開かれた政治を掲げるラスタルはもう禁止兵器も使えない。気休めにしかならないとしても、勝てる確率は少しでも上げておきたかったのだよ」

「そんなこと、どうだっていい」

 

 思わず、声が荒くなる。理想で飯は食えない。夢で生きてはいけない。空想だけでは、世界に受け入れられない。

 何より、あまりにもキレイな絵空事を掲げればライドにとって本当に大切な事が切り捨てられる。

 

「全部、壊していいんだな。鉄華団を拒絶した、オルガ・イツカを排除した、オルフェンズを認めなかった、この世界すべてを」

「構わないよ」

 

 そう、ノブリス・ゴルドンもラスタル・エリオンもテイワズもギャラルホルンも関係ない。そんなものはただの通過点だ。

 自分たちを認めなかったこの世界すべて、自分たちのこの手でぶち壊す。後のことなんてどうでもいい、どうなろうと知ったことじゃない。

 

「頼もしいな」

 

 言葉を重ねるごとに眼光が鋭くなるライドを見て、マクギリスが目を細める。

 

「君を見込んで、託したいものがある」

 

 君の目的を果たすために必要な、絶対的な力だよ、と。

 ライトアップされたドックの中に、一機のモビルスーツが立っていた。今は眠っている鋭い一対の眼、破損していても原形が容易に想像できる特徴的なV字のアンテナ。スマートな人形を踏襲しながらも右腕だけが異様なまでに肥大化した異形のフォルム。

 

「ガンダムアガレス。圏外圏で見つけたものだ。かつてはグシオンと共に運用されていた機体、我々のできる範囲で改修も行っている。君の、鉄華団の戦闘スタイルには似合いのものだと思うが」

「私たちが泥船じゃないって証明と、契約成立の証に。たった今から、これはあなたのものよ」

 

 深紅の装甲に彩られたガンダム・フレーム、その隙間から漏れる鈍い光に睨まれているような錯覚すら覚える。三日月や昭弘、シノといった先輩が乗り込む後ろ姿を見送っていた頃とはまったく違う、とてつもないプレッシャーを機体から感じる。

 

「基本的にはずっとここに置いておくから、暇があれば身体を慣らしておいてもらいたい。機体データを見る限り、これはグレイズやユーゴーどころか並みのガンダム・フレームをも遥かに上回る出力を持つらしい。肝心な時に動けないのでは困るのでな」

 

 あまりにもとんとん拍子に一方的に進められる話に置いていかれる形になったライドがあわてて口をはさむ。

 

「ちょっと待ってくれ。先に言っておくけど、俺らに崇高な理念や大層な志なんてもんはない。あんたたちの言うことだって理解はできるけど同調するつもりはない。あくまで『敵の敵は味方』ってだけ、昔の話も関係ない。俺らが望むのは、今の秩序の崩壊と今の世界の破滅だよ。そんなやさぐれ者の集まりで、本当にいいのか? 」

「そんな君たちだから、頼んでいる」

 

 アガレスの装甲を叩く小気味良い音がドックに反響する。恍惚とした表情で目の前に佇む巨人を見上げて、マクギリスはふっと息を吐いた。

 

「純粋な力こそが、それのみが世界を変えうるというのが私の持論なんだ。しかしもう私はモビルスーツには乗れない身となってしまった。阿羅耶識システムを使い、いくつもの修羅場を潜り抜けた経験を用いてガンダム本来の力を引き出せるのは君だけだと思っている。事前準備も事後処理もこちらで引き受ける、だから君たちは何も考えず最高のパフォーマンスで暴れて壊して潰してくれればいい。これでは不満かな? 」

 

 不満などあるわけがなかった。たとえ囮だろうと捨て駒だろうと構わないと思っていた矢先、後始末は全部やるから好きに暴れろなどと。

 

「契約、成立だ」

「共に戦おう、新たなる同志たちよ」

 

 マクギリス率いる革命軍残党、ハーフビーク級戦艦二隻にモビルスーツ十五機。ライド率いる鉄華団残党、所持戦力はアガレスただ一機。

 取るに足らない些末な戦力ながらも威勢のいい、唯一の反ギャラルホルン武装組織がここに活動を開始する。

 鉄華団本社壊滅から、ちょうど一年が経っていた。




マクギリスやアルミリア、ライドたちの言葉遣いの表現が難しい……
定期的に確認しながら、このセリフ誰よ?みたいになってるところあったら修正致します。


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鮮烈、宇宙に響く雷鳴

「さあ、始めますよ。まずは基本的な礼儀作法からです」

 

 ライドが知る限り、質素な既製品か『エインヘリアル』一般の構成員と同じ無機質な戦闘服くらいしか着ていないアルミリアが、まるで上級貴族のように豪華絢爛、華美な装飾が施されたドレスを身にまとい、こちらも未だ見たことがないほど嬉しそうな表情を浮かべて、目の前にいた。

 詳しく聞いたことはないが恐らくはライドと同じ年頃であろうアルミリアの、年相応の笑顔。それは見る者を幸せにさせる美しさと華やかさを持ってはいたが、ライドの中では別の感情が素直にそれを美しいと感じられないようにする。

 それは当然、七年もの間連れ立っていたにも関わらずこんな表情は過去に一切見せなかった、それに対する困惑である。

 

「どうして、こうなった……」

 

 そんなむなしいつぶやきも、アルミリアは快活に笑い飛ばしてレッスンを再開する。もはやライドに抵抗のすべはない。

 つい半月前にライドたちが接収したノブリスのオフィスビル。幸いにもビル一棟まるまるノブリスの所有物だったため、いくつかの部屋を急ぎ改装することでここは『エインヘリアル』の事務所として機能を始めていた。

 その中でも特に豪奢にしつらえられた一室で、二人はもう一週間以上、同じことを繰り返していた。

 

※※

 

 アーレス襲撃から半月。

 ライドと流仁の決闘の後、マクギリスたち『エインヘリアル』とメイクスとの間で結ばれた契約は単純明快。「『エインヘリアル』のいかなる行為に対しても、今後火星支部は一切関わらないこと」、これだけだ。無論これが最終目標ではなく、将来的には火星支部戦力との共同戦線を張ることも視野に入れてはいるが、当然ながら今の『エインヘリアル』にそこまでの実績はないしそれに伴う信頼は言わずもがなである。よって交渉の場で交わされたのは非介入、無関心の二項のみ。どうやらマクギリスたちも初めからそこまで上手くいくとは思っていなかったらしく、組織のトップを担うレベルの人間が考えることは分からないものだ。アガレスの力で押せばなんとかなるだろう、程度で思考を止めてしまう現場の指揮官クラスであるライドには到底理解できなかった。

 そうして邪魔者を未然に排除した『エインヘリアル』が次に打つ手が、地球の四大経済圏それぞれのトップを招いた火星独立記念式典への潜入だった。参列者の中には表にフェーク・メイクスを含むギャラルホルン火星支部の幹部クラス、クーデリア・藍那・バーンスタイン、裏にはテイワズのマクマード・バリストンやノブリス・ゴルドンも出席予定となっている。まさに火星の政治を動かす大物たちの集結である。

 もちろん目的は先日のアーレス襲撃のような荒っぽいものではなく、主に政治・軍事情勢などの情報を収集することにある。要はSPなどとして対象に近付き、それとなく機密を聞き出せ、ということである。

 ぶっ続けで働き続け、流仁との決闘の後に倒れこむようにして眠ったまま丸一日起きなかったライドがそれを聞いたのは決定から一日後、『エインヘリアル』構成員の中では最後だった。仮にも幹部格、かなり高いポジションに位置していると自認していたライドに、この事実は軽いショックを与えた。

 潜入メンバーに選ばれたのは五人。ライド・マッス、アルミリア・ファリド、ウィリアム・ヴェリーハット、ライドと同じ元鉄華団員のリュウゴ・シャルティス、そして火星支部から流仁・ヴィスフルト。マクギリスと新江はギャラルホルン内外に顔が割れている、良くも悪くも「有名人」である以上参加は不可能ということで、必然的にライドたち元鉄華団の人間の割合が高い人選となる。流仁はメイクスが『エインヘリアル』の行動に対しての牽制、今後の判断基準にするための状況の把握を目的として送り込んだ半ばスパイ染みた人間ではあるが、ギャラルホルン現役士官としての肩書きがあれば立ち回りやすくもなるだろう、とはマクギリスの言。

 式典は二か月後、正直なところまだかなり先の話ではあり、七年間を費やした下準備のそれでもまだまだ不完全な箇所を少しでも穴埋めしておきたいライドやマクギリスにとっては無為に過ごすことはできない重要な期間ではあるのだが、目下ライドにはそれよりも重要な責務があった。

 

「TPO? なんだそりゃ」

 

 今回の潜入、調査対象は言うまでもなく社会的地位の高い高級官僚がメインであり、となれば警護する側にも相応の品格が求められる。肉体的な強さだけでは到底務まらない仕事なのだ。ノブリスの会社を占有したことでむりやり警護担当にねじ込むことができても、礼節に欠けた者はすぐに見抜かれてしまう。特に元鉄華団はそもそも年少組がメインであった故に、クーデリアやアトラをはじめとする「先生」役が熱心に教えていたのは基本的な読み書きと計算くらいのものだ。戦場で培われた経験からモビルスーツの整備や初歩的な戦術への知識はあったが、本物のエリートを前にした時のマナー等には一切触れてこなかった。

 これを機に『エインヘリアル』の手空きのメンバーが元鉄華団メンバーに自分の知識を教える習慣ができあがってくるが、それはもうしばらく後の話で。

 特にメインゲスト、オセアニア連邦議会議長のアスタ・ピースロウの護衛を任せられたライドには元ギャラルホルン将校の知識でも足りない、本格的な礼儀を叩き込め、とのことであてがわれたのが地球の中でもトップクラスの富裕層である元セブンスターズの一角、ボードウィン家で育ったアルミリアだった。

 思っていたよりもスパルタな彼女のレッスンが始まって一週間、日常生活においても意識を切るな、との指示からライドの所作はかなり品格を帯びてきていた。

 初めの頃こそ自分の抱える案件が進まなくなる、と気が急いてばかりいたライドも、身のこなしに落ち着きが表れてきた頃には精神的にもかなりの余裕を持てるようになっていた。

 

「それにしても美しいドレスね。これを見ればマッキーも喜んでくれると思う? 」

「そういうのはよく分からないけど、俺は良いと思うぞ」

 

 当たり障りのない世辞に、アルミリアは口を尖らせる。むしろ誉め言葉というよりは悪口のように聞こえたのかもしれない。物心ついた頃から戦場に身を置き続けたライドにしてみれば華やかなドレスの感想は「動きづらそう」の一言に尽きるのだが、それをそのまま口に出さなかったことくらいは評価されていいはずだ。

 アルミリアのその言葉は、今日のレッスン終了の合図だった。彼女はたとえどんな任務であろうと手を抜くような人間ではなく、裏を返せば気が抜けている時は手が空いている時である。どこまでも生真面目な気質を全面に押し出した人間であるが故に読みやすい。しかし、ライドはその愚直ともいえるほどの正直な性格をあまり快くは思わなかった。何か理由があるわけではないが、なぜか時折、胸を刺すような違和感を覚える。

 

「悪いけど明日は実働一番隊としての仕事がある。レッスンをやってる時間がないんだ、すまない」

 

 これもまた原因不明だが、何に対してかも分からない後ろめたさが広がるのを感じたライドはむりやり会話を終わらせようとする。しかし上機嫌のアルミリアはそう簡単に敵を見逃がしてくれる相手ではないのだった。

 

「それなら、私も同行するわ」

 

 突然の申し出だった。

 元鉄華団組の『エインヘリアル』編入後、マクギリスの配慮で結成された実働一番隊。職務上の産物として入手した強襲装甲艦『カガリビ』を母艦とし、有事の際を除けばマクギリスの指揮から外れる遊撃隊であり、ライドが指揮を任せられている。その仕事は主に圏外圏で横行する海賊行為への制裁、私財の没収とその販売。要は海賊からモビルスーツや戦艦を強奪して地下市場へ売り飛ばすのだが、仕事の性質と組織の構成上マクギリスや新江、アルミリアなど元ギャラルホルン組のメンバーは同行することがない。

 異例中の異例である。

 

「マッキーの許可は貰ってるし、私もモビルスーツの操縦や戦艦のオペレーター業務は一通りかじってる。迷惑はかけないから、問題ないでしょう? 」

「待てよ、あんたに何かあったら俺がマクギリスに合わせる顔がない、というか殺される。久々のオフなんだろ、あいつには話を通しておくから、ここで待機してろよ」

「嫌よ」

 

 ああ、これは理屈が通じないやつだ。鉄華団組とギャラルホルン組、これまであまり話したことはなかったがここ数日のレッスンでアルミリアという人間の性格は把握している。

 まだ成人も迎えていない歳にして、ライドは現場のリーダーという中間ポジションの面倒さを知るのだった。

 

※※

 

 実際ブリッジに入れてみれば、アルミリアは驚くほど真面目に、冗談のように優秀な働きを見せた。普段は男くさい密閉空間の中に紅一点が混ざったことで、他のクルーたちにも活気が溢れている。

 

「敵、ロイヤーズの戦艦捕捉。通信可能領域に入ります」

「繋げ」

 

 ブリッジ前方大型モニターに今回の仕事の標的、ロイヤーズ首魁の痩せこけた顔が映る。どう贔屓目に見ても法の及ばないこの宙域で略奪をはたらく悪党のボス、その風格や威厳、そんなものは一切なかった。それでもロイヤーズはカガリビと同クラスの戦艦三隻、モビルスーツも二十機近くを保有する一大勢力である。警戒を怠るわけにはいかない。

 

「こちら『雷電隊』隊長の升牙・ライグライド。貴艦の即時降伏を要請する」

 

 おおよそ交渉とも議論とも呼べない切り出し方は、ライドのいつものやり方だった。

 

「こちら『ロイヤーズ』ラム・ラバナ。勿論、要請に応じるつもりはない。奪うつもりなら、力ずくでやってみろ」

「了解した」

 

 分かりやすくて助かるよ。

 そう独りごちて、ライドはクルーに戦闘態勢を取らせる。

 

「神奈隊、全機出撃。リュウゴ隊はコクピットで待機、すぐに出られるようにしておけ」

 

 一通りの指示を出し終えると、ライドはブリッジ中央に設けられた自分の席を立つ。カガリビの指揮はウィリアムに任せ、自らアガレスに乗って最前線で切り込み隊長を務める、これもライドのいつものやり方だった。

 

「危険を感じたら、あんたの判断でアルミリアは居住区に避難させてくれ。彼女に何かあったら、俺たちの命も危ない」

「承知しておりますとも」

 

 茶化すウィリアムを置いて、モビルスーツデッキに向かう。

 パイロットスーツに着替えキャットウォークからデッキを見下ろすライドの目に、綺麗に整列したモビルスーツ隊の勇姿が映る。単艦での任務を主とする運用に合わせ改修されたデッキには計七機、ライドのガンダムアガレスを始めとする機体群が搭載されており、小隊に属さないアガレスを除いた六機をそれぞれ三機ずつのチームに割り振っている。

 神奈・ガルモン率いる神奈隊は隊長機のドローミと二機のラムズ・ロディ。

 リュウゴ・シャルティス率いるリュウゴ隊は青冥と二機の獅電改。

 

「神奈、アガレスは正面からの攻撃を全部受け止めてそのまま突っ込む。左右からの攻撃を抑えておいてくれ」

「了解致しました。ご無理はなさらぬよう」

 

 元傭兵の年配男性、神奈は遥か年下のライドにもクソ真面目に敬語を話す堅物であり、ライドもその堅実な仕事ぶりと確かな実力に信頼はしているがあまり得意な相手ではなかった。六つ上ながらも気遣いなくずけずけとものをいい文句を言わせてくれるウィリアムの方がよほど話しやすい。

 それはともかく。

 

「ガンダムアガレス、出すぞ」

 

 カガリビは旧鉄華団の強襲装甲艦、イサリビとほぼ同型艦ではあるが、細かい部分にいくつかの差異があるため運用は多少異なる。

 目に見えて分かりやすいのがMS発進用カタパルトの位置で、イサリビでは艦体下方から伸長されるものだったがカガリビでは艦の上方に二十メートルほどのカタパルトが展開される。

 通常なら機体を寝かせた状態でカタパルトに固定し、レールで加速してから発進という一般的なタイプのものではあるが、ライドはいつもこれを使おうとはしなかった。基本的に単機での正面突破を行うアガレスに可能な限り敵の注意を引き付け、ほとんどの敵を味方のところに回さず自分だけで処理する、それがライドの戦い方だ。

 鉄華団時代に多くの同僚を失ったことで、仲間の死ということに敏感になりすぎている、というのは傍らで付き添い続けてきた神奈の弁。

 

「敵のモビルスーツ隊、発進を観測。ヘキサ・タイプとグレイズ・タイプの混成部隊です」

「グレイズとはまた、豪勢なことだ」

 

 マクギリス事件の後、ギャラルホルンの主力機がレギンレイズに転換されていく過程で大量のグレイズが民間に流出した。ヴァルキュリア・フレームやガンダム・フレームなどごく一部の機体を除けばグレイズ・タイプは圧倒的な性能と信頼性を誇るため人気は高く、売りに出されれば即完売。それらはほとんどがフリーの海賊に流れるため火星圏の治安悪化の一因にもなっていた。

 市場で人気がつけば、価値はつり上がるのが常。

 

「神奈、グレイズ・タイプは任せていいか? できるだけ無傷で捕獲したい」

「善処します」

 

 後に売り渡すことを考えればグレイズは完品に近い状態で手に入れたい。それをするにはアガレスは不向きだった。

 

「第一波、来るぞ」

 

 敵の先鋒はグレイズ二機とユーゴー八機。グレイズ一機に対してユーゴー四機、チームの組み方から数の暴力が見える。グレイズだけでもかなり厄介な相手だが、ヘキサ・フレームの機体は総じて機動力を重視した傾向にあり、神奈隊のラムズ・ロディでは対応が難しい。

 

「散開」

 

 神奈の指示に寸分違わず、三機の編隊がぱっと散る。ユーゴー四機の一斉射がむなしく空を切るが、もともと牽制にすぎない。敵はグレイズを含む三機をドローミに向かわせ、残りの二機でラムズ・ロディの牽制に当たる戦法を取った。戦力を分散させず、各個撃破を狙う堅実なやり方だ。

 もう一チームはアガレスを包囲し封じ込めるように撃ってくる。

 

「なるほど、評判は伊達じゃない」

 

 まだロイヤーズのモビルスーツには余裕があるはずで、ライドもそれを警戒してリュウゴ隊を出さなかったのだが出し惜しみしていて勝てる相手でもないらしい。戦術の拙い並みの海賊なら何十機いようとアガレスで突破できるが、敵の動きは正規の軍隊とも思える規律と規則正しさがあった。

 ラム・ラバナ、無事に捕らえられたなら仲間にしたい男だ。

 

「リュウゴ隊も出す。青冥は神奈隊の援護、獅電改はカガリビの直掩に当たれ。敵が増援を出す前に片付ける」

 

 『雷電隊』の指揮系統はライドを頂点とするピラミッドだが、ライドが前線に出た場合はカガリビの艦長席にウィリアムが座る。そしてモビルスーツ隊の指揮は神奈に委任される。リュウゴ隊を含め、アガレスを除いたカガリビ所属モビルスーツ全機を動かす権限を与えられるのだ。

 

「相分かった」

 

 過ぎた堅苦しさが古めかしさすら感じさせるリュウゴの返事があって、カガリビから二機の獅電改が前線に参じる。神奈はまずラムズ・ロディと獅電改でバディを組ませ、ユーゴーを威嚇させる。それらが数の劣勢に押されグレイズたち本隊と合流したところで、神奈もラムズ・ロディ二機、獅電改二機を加えた陣形を組んだ。五対五、数の上では五分となる。

 

「一機ずつ抑えてろ。グレイズはこちらで対処する」

 

 神奈のドローミが敵陣形の中に正面から突っ込んでいく。グレイズのカバーに動くユーゴーそれぞれに、『雷電隊』のモビルスーツが体当たりをかけた。弾幕が薄くなった敵陣の中央をドローミが駆ける。

 遠巻きに指示を出すだけだったグレイズがバトルアックスを構えた。ドローミが突き出すサーベルの二倍はあろうかというリーチが愚直なまでに直線軌道の神奈機に叩きつけられる。

 

「反応が遅い」

 

 ぐん、と脳が揺さぶられる感覚。一瞬、世界が歪む。いくら訓練を積んでも越えられない人間の限界の壁、その苦痛をおくびにも出さず、神奈は隊長としての威厳を保ったまま勝ち誇った声を出した。

 振り下ろされたバトルアックスを無茶苦茶ですれすれな動きで回避、グレイズの後ろに回り込む。すれ違い様にサーベルの切っ先をグレイズに引っ掛け、体勢を崩すことも忘れない。

 ドローミ背部のユニットから十本ほどのワイヤーが射出され、グレイズに絡みつく。しっかりと獲物を捉えたことを確認して、神奈はワイヤーを巻き取りグレイズを引き寄せる。

 

「降伏しろ、部下ともどもな」

「こっちにはまだ出せる機体があるんだ。俺一人捕まえて、艦隊の動きを止められると思ったか? 」

「それもそうか」

 

 ドローミの拳がグレイズの腹を殴りつける。「しばらく大人しくしててもらうぞ」と神奈が告げた時、グレイズのパイロットは既に気を失っていた。

 

※※

 

 一方、アガレス一機で敵部隊の相手を務めるライド。

 

「やりづらいな」

 

 アガレス唯一の飛び道具、右腕に内蔵された機銃による射撃はスラスターを噴かす敵の軌道を追いかけるだけで、一発たりとも命中しない。

 

「そもそもこういうのは苦手なんだよ……」

 

 ライド本来の真っ正直から突っ込んで敵陣を切り崩すスタイルが通用しない。大抵の場合、海賊のモビルスーツ隊なんてものは阿羅耶識を積んだモビルスーツにヒューマン・デブリを乗せて使い捨てる戦法がほとんどなのだが、対峙するロイヤーズのチームは堅実な戦法でアガレスを抑え込んでくる。増援が来るまで足止めするか、こちらが疲弊するまで待つ心づもりだろうか。神奈たちはといえば、グレイズを捕らえてもユーゴーたちの抵抗が止まずその場を離れられない状態だった。

 四方からの弾幕に耐えかね、ライドは操縦幹を一気に押し込んだ。阿羅耶識から伝わる意思と実際の操作が噛み合って相乗効果を生み出し、アガレスは爆発的な加速を得る。

 まずは取り巻きのユーゴー。最初に狙いを定めた敵の頭を粉砕し、二機めの右足を切り飛ばす。次いで三機めの腰から下をフレームごとねじ切ると、四機めの右腕が宙に舞った。まるで閃光のように駆け抜けたアガレスの動きに、ユーゴーたちはなすすべもない。

 

「またウィリアムに怒られるな」

 

 売却するときに値が下がる、と。外装だけならまだしも、通常兵器ではそうそう破壊し得ないフレームまでもが破損した状態では市場価格が著しく下がる。テイワズやギャラルホルンなど、一部の大型工廠を所有する者でないと修復が難しいからである。だがまともな武装が巨大な右腕くらいしかないアガレスを駆る身にしてみれば、そんな繊細な芸当は不可能だった。

 そもそも今回の作戦、といってもいつも通りのやり方ではあるが、その中核を担うのは神奈やリュウゴでもなければライドでもなく、ウィリアムなのである。

 いら立ちにまかせ、ユーゴーを屠った勢いのままグレイズへと向かう。アガレスの出力は最大、トップスピードを乗せて大きく振りかぶった右腕を振り下ろす。

 

「流石に舐めすぎだろう、それは」

 

 機体が後方に引っ張られる感覚。狙いを定めた猛禽の如く構えていた右腕の鋭い爪が、グレイズの数メートル手前で止まった。

 見れば、後方のかろうじて動けるユーゴーが三機、それぞれワイヤーを射出してアガレスに絡ませていた。いくら二基のリアクターを搭載するガンダム・フレームもリアクター三基ぶんの出力には勝てない。単純な算数の問題だ。

 

「このまま連行するよ」

 

 ヤバい、感情にまかせすぎた。マクギリスから受け取ったガンダム・フレームを敵に渡したとなれば、たとえ戻れたとして『エインヘリアル』内での降格は免れない。そうなればライド個人の目的は潰えたも同然である。

 

「動けよ……っ」

 

 必死に身を揺するアガレスの各部がぎしぎしと悲鳴を上げる。

 

「君も諦めが悪いな。少し静かにしていてくれないか」

 

 とたん、コクピットに電流が走った。「ぐあああぁっ!! 」久々に聞く自分の悲鳴は思っていたよりも大きい声が出ていた。意識は残っているが、末端の感覚がなくなっている。手足が動かせなければアガレスの操縦はできない。

 こんなところで、終わるのか。

 七年かけて積み上げてきたものが崩れる音が聞こえた。次いで激しいスラスターの噴射音。さらにぷつん、と何かが切れる音、続けてがつん、と打撃音。

 

「情けないなぁ、『雷電隊』のボスは」

 

 リュウゴ隊のものと同じ、獅電改。しかしそれは、派手な黄色をした一般機とは違う純白の装甲でフレームを包んでいた。

 かつて鉄華団がテイワズから贈られたサービス品、それを示す特徴的なフェイスシールド。

 マクギリス・ファリド事件当時にオルガ・イツカのために用意された、獅電改である。パイロットは、言うまでもない。

 

「ウィリアム、帰ったら一発殴るぞ…… 」

「まあまあ、あっちも忙しいんだから。早く片付けて合流しましょう」

 

 まだ身体への違和感は残っていた。それでも、隊長として情けない姿は見せられまい。オルガ同様、ライドは気合いや意地で多少の無理は押し通せる男なのだ。そういう風に、研鑽を積んできた。

 

「おうよ」

 

 手負いのユーゴーたちと一人きりのグレイズを仕留めるのに時間はかからなかった。




描写少なくて分かりづらい『雷電隊』のモビルスーツ隊一覧です。

ドローミ(神奈・ガルモン)
ヘキサ・フレームを採用した機体。背部に複数のワイヤー射出ユニットを備え、アガレスでは不可能な鹵獲などを担う。阿頼耶識システム非搭載。

ラムズ・ロディ(神奈隊)
大型のランスをはじめとした、中世の騎士に近いシルエットを持つ。機動性を犠牲に装甲や出力の上昇が図られている。阿頼耶識システム搭載。

青冥(リュウゴ・シャルティス)
イオ・フレームを採用したテイワズ製のモビルスーツで、雷電隊の中では最新機種。辟邪とは別系統で、パイロットに合わせたカスタムが行える余地を残している。作戦に応じて柔軟な対応が可能。阿頼耶識システム非搭載。

獅電改(リュウゴ隊)
イオ・フレームを採用したテイワズ製のモビルスーツ。八年前鉄華団が購入した獅電を、マクギリスたちが持ち寄った技術で改修している。基礎性能の向上が図られているが、外見などに大幅な変更はない。阿頼耶識システム非搭載。



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混ざりあって、固まって

 いずれ自分の身に理不尽な暴力が降りかかることもこともまだ知らず、ウィリアム・ヴェリーハットはカガリビの指揮に奮闘する。

 

「敵との距離が三千を切ったらスモーク散布、距離を百まで詰める。それまでは全力で打ち続けろ。砲座、準備できてるな? 」

「もちろんです」

 

 こちらのやり方もまた、いつも通りのものではある。状況の変化に応じて多少の変更はあっても、『雷電隊』の基本戦法は「モビルスーツ隊が陽動で、カガリビをぶつけてケリをつける」である。

 しかし、ラム・ラバナは綿密で精密で狡猾な策士だった。温存しておいたモビルスーツ隊を敗色濃厚な先発隊の増援に向かわせることはせず、八機のゲイレールを艦隊の直掩にあてていたのだ。ナノラミネートアーマーで覆われたカガリビの艦体に致命打は与えられずとも、砲座やアンカー射出部、通常ブリッジなど脆弱な箇所は山ほどある。神奈やライドのように正面から突っ込むやり方では被害が大きすぎる。

 

「敵艦との距離五千。なおも接近中」

「この速度を維持すれば暗礁宙域に突っ込みます」

「構うな、その程度で装甲はやられない」

 

 強気に指示を出すものの、視界が悪く小回りの効かない暗礁宙域では敵モビルスーツ隊の脅威がさらに大きくなる。通信内容を聞く限り神奈は近いうちに戻ってこられそうだったが、他は敵の先発隊に足止めを食らっていた。

 

「正面距離八千、巨大なデブリを確認!! 戦艦クラスです!! 」

 

 オペレーターの叫び声。レーダーに映っているのは直径三千メートルはあろうかという岩の塊だった。鉄華団時代から過酷な戦場を経験してきたクルーたちも、肝を冷やしてどよめきが起こる。確かにそんな大きな物体にスピードを乗せたままで衝突すればひとたまりもないだろう。三百メートル級の戦艦などゆうに沈んでしまう。

 それがたとえ、ロイヤーズの旗艦であろうと。

 

「正面のデブリにアンカーを打ち込め。敵艦にぶつけるぞ」

 

 自分たちのリスクは、転じてリターンとなる。リスクが巨大であればあるほど、得られる対価は大きなものになる、それは世の理。

 ウィリアムがライドやマクギリスの信頼を勝ち得ているのは、単に一般人としての教養を備えているからではない。彼の本質は、土壇場での決断の早さにあった。

 そして、指示を受けたクルーたちの行動もまた、迅速そのものだった。

 

「敵艦の行動予測。進路微修正、直線コースに乗せます」

「アンカーの射出準備完了。いつもムチャな使い方してるんだ、今回くらい修理のいらない運用を心掛けてくださいよ」

「敵モビルスーツ隊接近。対空防御システム起動します」

 

「アンカーは標的に刺さったらすぐに全速で巻き取れ。カガリビと挟み込んで木っ端微塵にしてやるぞ」

「了解!! 」

 

 鉄華団というものを知らない、マクギリス事件以後に『雷電隊』に加入したウィリアムだったが、こうして覚悟を決めた彼らの威勢の良さと行動の迅速さには快感すら覚えるほどだった。トップの指示が相違なく伝達され、まるで自分の手足のように思った通りに動く。実際そうでなければ成功しないような作戦を立案することも多く、ウィリアムは彼らに全幅の信頼を寄せていた。

 敵艦隊は後方へと進んでいく、こちらの思惑に気付かれてはいない。そうしているうちにデブリとの距離はどんどんと縮まっていく。七千、六千、五千、四千……。

 

「距離、二千を切りました」

「アンカー、スモーク射出」

 

 カガリビ艦首左右に装備されたアンカー付のワイヤーが勢いよく飛び出した。射出後にアンカー本体に付属するバーニアが点火し、その速度はぐんぐん上昇していく。それはあっという間にロイヤーズ旗艦のわきを掠めて追い越し、背後の巨大デブリに深々と突き刺さった。

 

「巻き取れ」

 

 ぐい、とカガリビの艦体が引っ張られ、クルーたちがふらつく。デブリを引き寄せるのではなく、デブリを起点にしてカガリビを加速させるためのアンカー。スモークでホワイトアウトした視界に敵艦は捉えられないが、レーダー上のマーカーが先ほどまでとは段違いのスピードで近付いてくる。直線の加速ならモビルスーツにも追い付かれず、敵のゲイレールはあっという間に遥か後方へと流れていった。

 カガリビの艦体がかき分けたスモークの先、手を伸ばせば届きそうな距離に敵艦。随伴する二隻の砲撃にブリッジが揺れるが、気にすることはない。

 

「衝撃に備えろ!! 」

 

 恐らく今後一生味わうことのない、今後一切経験したくない、人類史上初めてではなかろうかという衝撃がカガリビを襲った。正面からカガリビと激突した敵艦がぎりぎりで少しだけ下降したため、カガリビは底面を敵に擦り上側から交差する。

 軽い脳震盪を起こしたクルーに代わって自ら席に着いたウィリアムが間髪いれずに砲撃の指示を出す。

 

「進路修正、右に三十。最小半径でデブリの裏を回って敵艦を後ろから叩く」

 

 もはや戦艦クラスの質量を持つ物体が行う機動ではなかった。並みのモビルスーツ乗りだってこんな無茶はしないだろう。デブリに突き刺したアンカーを軸にして減速もせずに急旋回、ウィリアムの指示に文字通りぐるんぐるんと振り回されるカガリビの艦内に横殴りのGがかかる。恐らく今頃、居住区の非戦闘員たちは泡を吹いて倒れているのではなかろうか。

 数分後、正面モニターから岩塊が消え、視界がクリアになった。デブリを半周し、敵艦隊の後方を取ったのだ。ロイヤーズの二隻は制御不能になって高速でデブリの方へ流れていく旗艦を追いかけて陣形が崩れ、加えてカガリビの予想外の速度にさらに軌道が乱れた。まだモビルスーツ隊も遠く、艦体は無防備そのもの。激しく損傷した旗艦も、満身創痍の横腹をこちらに向けてさらしていた。

 その傷口に再度アンカーを射出して傷口に塩を塗るようにしたあと、突入部隊を待機させつつウィリアムは通信回線を開いた。

 

「まだやるかい? 」

「いや、遠慮しておくよ。これ以上の損害は出したくないからね」

 

 モニター越しのラム・ラバナが冗談めかして白色のハンカチをひらひらと振ってみせる。その様子からしてまだ逆転の手は残しているのだろうと思えるが、降伏してくれるのなら願ったり、断って追撃をかけることもない。窮鼠猫を噛む、との諺に学ぶまでもなく追い詰められた人間が出す力は簡単に想像を上回る。

 それよりも何よりも、カガリビクルーの損耗が激しすぎた。艦内カメラの映像を見るにおそらく乗員の半数を越す人数が失神している。

 

「了承した。まずは衝突コース回避のために力を貸すよ」

 

 ウィリアムの言葉で、ようやくこの悪夢のような戦闘が終わったことの証明を与えられて、クルーは皆その場にへたり込むのだった。

 

※※

 

 八年前にSAUとアーブラウ間で起こったような国家間の争いとは違い、民間組織の小競り合いは事後の処理もスムーズだった。カガリビとロイヤーズの二隻のワイヤーで旗艦をデブリとの衝突コースから外し、互いにモビルスーツ隊を帰艦させ、ラバナとライドがカガリビのブリッジで交渉を行う。『雷電隊』が要求するのはいつも兵器や消耗品、人間をも含めた敵の資産すべてだが、今回も話はそれでまとまった。接収や没収・強奪というよりは組織の買収に近い。

 

「僕は君らについては行けないかな。ただ、君らのボスには会ってみたい。今後の身の振り方はそれから決めるとするよ。ああ、クルーたちの意見は尊重してもらえるんだよね? 」

「もちろんだ」

 

 敗戦の将だというのにまったく変わりないラバナの様子にウィリアムは少し戸惑っていたが、案外そんなものなのかもしれなかった。こういう生き方しか選べなかった人間は形はともあれそのレールから解放された時、まともな感性が残っているなら安堵に近い感情を抱く。ライドの実体験だ。

 さすが戦艦三隻を擁する海賊だけあって、ラバナから提出された契約成立の書面は膨大なデータ量があった。モビルスーツ十八機、クルーは総勢六百名を越える大所帯の所有物すべてを記したファイルを渡されたライドは、途中から目を通すのを諦めてずっと画面スクロールをしていた。結局、それらはウィリアムを通して事務方の面々が処理したあとマクギリスたちギャラルホルン組へと回されるのである。

 その間、ライドはといえば。

 

「お前たちにはこれから、これまで他人に迷惑かけた罪を償ってもらう。飯は一日三食、体力つけたら毎日風呂に入って揺れることも起こされることもないベッドで八時間以上ぐっすり寝て学校に通って勉強した後で好きな仕事を見つけて社会に貢献する。それから好きな人見つけて結婚して八十くらいまで生きて勝手に死ね。とにかく、それまでは死ぬことも許さない」

 

 ヒューマン・デブリに対して励ましなんだか脅しなんだかわからないような言葉をかけたり。

 

「お前ら、よくやってくれた。歳生に着いたらみんなで旨いものを食いに行こう。もちろん、俺の奢りでな」

 

 『雷電隊』のクルーたちに威勢よく気前よく言ってみせたりと、組織のリーダーらしいことをそこら中でやっていた。

 いくら自分が『雷電隊』に馴染んだつもりになっていても、その隊長はライドでなければならない。こうも景気よく皆を引っ張るのは自分には向いていないのだと、こういう時いつもウィリアムは少しだけライドに嫉妬する。

 いつも接収した海賊だの傭兵だのの相手をしたりマクギリスたちとの打ち合わせをしたりと、書面で済まない業務をすべて一人でこなす立ち位置には絶対に収まりたくないとは思うが。

 ともかく、そんなこんなであらかたの事後処理が終わると、カガリビを先頭にした四隻は半月の航行を経て。

 到着したのは歳生、巨大な宇宙船である。

 宇宙船といってもそのスケールは想像を遥かに凌ぐもので、全長三百メートル級のカガリビを駐留するドックを有することからも分かる通り、それ単体で街として機能する規模である。多くの店で賑わう商店街、モビルスーツの改修どころか製造までこなすドック、人工重力を発生させる居住区は地球圏のスペースコロニーに匹敵する。

 そしてこれを所有するのが国家でもなければ公社でもない、一介の民間組織なのだというのだから驚くほかない。ここを統べるテイワズという組織が、果たしてまっとうな民間組織と呼べるかどうかはともかくとしても。

 

「とりあえず、戦利品の売却だな。しばらく待機してろ」

 

 ウィリアム、そしてまたしても駄々をこねたアルミリアを連れて、ライドは慣れた足取りで歳生の最外縁区画に向かう。

 広大な歳生の内部はその構造に精通したライドが引率しなければ元の場所に戻ることすら難しく、ただ後ろをついて歩くだけのウィリアムに対してアルミリアは視界いっぱいに広がる人工構造物、というスケールにとらわれてあちこちで足を止めていた。もしオルガがいれば、初めてライドがここに来たときと同じ反応だ、と過去を懐かしむのだろう。あいにくウィリアムはライドを見失わずなおかつアルミリアから離れてはならないという義務を与えられ、目的地に着く頃にはへとへとになっていた。とりわけアルミリアが興味を示したのは商店街が形成される繁華街のブロックで、スペースコロニーに行ったことがない彼女にとって人間の生活基盤がすべて人工の大地の上で形成されているという事実はとてもロマンをくすぐらせるらしく、ウィリアムは足を止めさせないためにいくつかのアクセサリーやジャンクフードなどを買ってやったりもした。

 戦艦やモビルスーツの製造・修理を主とする重工業を担う下部組織のエリアを足早に抜け、さらに外壁へと近付く。エアロックとは違う、不自然に重厚な鉄の扉をくぐった先にライドの取引先、ヴェニヤ・インダストリアル代表のトラビ・ヴェニヤが待っていた。

 

「お久しぶりです、社長」

「そう畏まるなよ。君はテイワズの人間ではないし、この取引は売り手側の君が優位なんだからさ。フラットに行こうぜ、フラットに」

 

 終始にこやかにフレンドリーに、商談というよりは歓談といった感じで話を進める中年の男性、トラビ・ヴェニヤ。歳を重ねた威厳を失わず、かといって学生のような屈託のない笑みを浮かべても子どもっぽさは感じさせない、独特な男。パレットの隅っこから様々な絵の具を垂らしたとき中心にある黒の点のように、多種多様が混ざり混ざって落ち着いた結果のような人間だった。

 未だ彼の距離の詰め方に慣れず、ややひきつった笑顔のライドとトラビの商談はとんとん拍子に進み、十分と経たないうちにトラビはライドから受け取った書類へのサインを終わらせていた。

 

「グレイズ・タイプ二機、その他にも十機のモビルスーツとはね。本当に君はいつも豪勢だよ。……ところで、そちらの大将との契約の話になるんだけれど」

 

 す、と薄汚れたディスクを差し出すトラビ。製造も販売もとうの昔に終了した記録媒体、一枚のDVDだった。アリアドネを利用した双方向通信での盗聴を恐れる『エインへリアル』外部関係者とマクギリスたちとの主要連絡手段である。受け取ったそれを雑にカバンへ突っ込むライド。

 

「もう火星より外側のアリアドネは『エインへリアル』の管轄下にある。これからは直接ボスに連絡を取ってもらうようになる」

 

 今度はライドがトラビに、くしゃくしゃになった紙切れを渡した。殴り書きされているのは、ノブリス所有オフィスもとい『エインへリアル』事務所への直通回線パスワード。

 

「まあ最後だと思って、これは届けておく。そちらの状況は? 」

 

 これまでの人当たりのいい笑顔とは違う、腹に何かを隠したにやけ顔のトラビ。

 

「それなりに、ね」

 

※※

 

 では、改めて。

 

「任務遂行の祝いだ。お前ら、気が済むまで存分に食って騒いで楽しめ。以上」

 

 空気を震わせる歓声が上がって、通りを歩いていた人たちが一斉に顔をしかめた。『雷電隊』のメンバーはせいぜい四十人がいいところだが、道中ですっかり打ち解けたロイヤーズの面々までも加わっての大宴会となればその規模はかなりのものになる。仕事を山ほど抱えていたウィリアムに代わって予約を取ったのはライドだが(そもそもライドも抱えている仕事の量は尋常ではない)、歳生のほとんどの店に電話をかけるはめになっていた。

 互いの声も聞こえていないのではなかろうかと思える喧騒を尻目に、乾杯の音頭を取って自分の仕事は終わったとばかりにライドがウィリアムの横に座る。手にしたジョッキには、透き通った琥珀色の液体がなみなみと注がれている。

 

「あまり頂けませんね、あなたが酒を飲むというのは」

「無礼講だ、少しくらいいいだろう」

 

 言って、喉を鳴らし一気に飲み干す。くはっ、と身体から出る歓喜の音がけほけほとむせる声に変わったのを聞いてウィリアムが背中をさする。

 

「ジンジャーエールだよ」

 

 紛らわしい、と一発頭を殴られた。苦笑いしながら、ライドは洒落た皿から唐揚げをひとつつまみ上げて口のなかに放り込み、しっかり味わって飲み込んでから席を立つ。

 

「どちらへ? 」

「トイレだよ、いちいち気にするな」

 

 こういう場面くらいはしゃげばいいものを、ウィリアム・ヴェリーハットという男はどこまでも生真面目で困る。ほとんどが自分に向けたからかいの言葉だとしても、口うるさい、とある女性を思い出すその言葉は本当にやめて欲しいと思っていた。

 テラス席から通りに出て、冷たい風を浴びながら辺りを見回す。テイワズとの離別後、そして鉄華団解散後もここには定期的に訪れているが、少しずつ街並みは変わっていってしまう。かつて鉄華団のメンバーでどんちゃん騒ぎしたレストランはもうない。ラフタさんが殺された店も潰れていた。かつてオルガと一緒に歩いた景観は、残っているようでいて何も残ってはいないのだ。気付けば、自分の年齢がオルガを追い越しそうになっている。それほど時の流れは早い。

 くだらない感傷か、と自嘲してあてもなくふらふらと歩くライドの視界に、一人の女性が写った。

 いつも不機嫌そうな真顔で背筋を伸ばしている、美しい銀髪の、恩人。

 ライドが声をかけるのをためらっている間に彼女もこちらに気付き、すたすたと歩み寄ってくる。できれば会いたくはなかった、顔を会わせることそのものが彼女に対しての不義理になるのではなかろうか。そんな複雑な関係性にぐだぐだと思考を迷わせるライドに、彼女は何も言わず、げんこつをくらわせた。

 

「少し、話がある」

 

 『雷電隊』が騒ぐレストランから距離をおいたカフェで、二人はカウンター席に横並びに座る。女性はブラックコーヒーを、ライドはミルクティーを頼んでふっと息をつく。

 

「ノブリスを殺ったのは、あんただろう? 」

「もうしばらくは公表されることもない事実ですよ。世間的には、ノブリスはまだ生きている」

「そうか」

 

 叱られるか、と身構えたライドは、そのあっさりとした返答に肩透かしをくらった。ちらと横を窺えば、その顔は悲しげに伏せられている。

 

「できれば、あなたたちとの接触は断ち切りたいと思っています、アジーさん。これから俺たちはもっとヤバいことをする。俺たちと繋がりを持っていれば、後で必ず迷惑をかける、だから」

「生意気言うんじゃないよ、ガキのくせに」

 

 タービンズの代表、アジー・グルミンは少しだけ気迫を取り戻した。

 

「先代と姉貴はあんたらを自分の子どもだと思ってたんだよ。タービンズを継いだ私もね。余計な気は遣わずに、頼ってくれればいい」

「そう、ですか…… 」

 

 ここで素直にアジーを頼れる状況であったならどれだけよかっただろう。彼女の協力を仰ぐことができれば、テイワズが独自に開拓した地球と火星の往還路を使えるうえ、地球での活動拠点も工面できる。それでも、単にライド個人の感情や意地とは関係なく、もっと政治的な面で不可能な理由があった。

 なにせ、『エインへリアル』はいずれギャラルホルンのみならずテイワズをも敵にまわすつもりなのだから。

 

「タービンズの業績はどうです? マクマードさんのことだから、鉄華団との繋がりがあった、ってくらいでは冷遇されたりはしないでしょうけど」

「あの人には良くしてもらってるよ。あの時に失った仲間も商売道具も顧客も信頼も、少しずつ回復してきてる。あんたらは何も悪くない、気にすることはないさ」

 

 そんなはずはない。

 いくら言葉を取り繕っても、名瀬・タービンが殺されたのは鉄華団に世話を焼いたがゆえのことであるしラフタ・フランクランドの死ももとを辿ればその責任は鉄華団にあると言っていい、そうとしか言えまい。

 直接的な事象よりも、間接的な原因の方が重要である、とは新江に教わった言葉だ。

 

「アジーさん、雰囲気、少し変わりましたね。いや、似てきたのか。頼りになる、気風のいい、少しおせっかいな、一緒にいると心地いいような。うまく言葉にできませんけど、なんだか安心しました」

 

 そう、最後の最後までおせっかいで、受けた恩も返せずに、宇宙のチリになっていくのをただ見ているだけだった、あの人に。

 それでもアジーには芯が通っている。いくら他人に影響されていても「自分」が残っている。憧れに似せようとして似ても似つかない、いつの間にか自分すら忘れてしまったような、俺とは違って。

 少し前に飲んだジンジャーエールのせいですっかり膨れてしまった腹になんとかミルクティーを流し込み、おもむろにライドは席を立つ。カウンターに、明らかに額が大きすぎる紙幣を置いて。

 

「話ができてよかったです、アジーさん。またこんな時間が迎えられるなら、その時はエインへリアルの一員とタービンズの代表、ではなくライド・マッスとアジー・グルミンとして、いち個人どうしで話したいですね」

「待て、まだ話は……」

 

 振り向くつもりはなかった。過去は過去、未来は未来。そうやって割りきらなければ、自分が選んだ今の道を進むことはできない。それは敬愛するオルガに対する恩義だけではなく、力を貸してくれるウィリアムたち『雷電隊』のメンバーへの感謝と義理、復讐の場を与えてくれたマクギリスやアルミリアに通すべき道理でもある。ライド・マッスという一人の少年から始まった道は、もう止まれないのだから。

 

 残されたアジーは込み上げる不安をごまかすようにコーヒーを飲み下した。仕事は待ってくれない、しかし対話のチャンスはまだ訪れるはずだ。ライド・マッスの命を、オルガ・イツカたちが紡ぎ繋いだ意思を、決して絶やしてはならない。

 

※※

 

「ああ、戻ってきましたか」

 

 それほど長い間席を外していたつもりもなかったのだが、ライドを待っていた光景は想像を越えていた。

 年少組も含めたほぼすべてのメンバーが明らかに酔っている。幼いとはいってもライドとさほど変わらないからせいぜい十七、八くらいの年齢だが、そもそも歳生は合法組織とは言い難いテイワズの本拠であり、未成年の喫煙や飲酒はそれほど珍しいことでもない。売る側からしてみれば売上の増加、喜んで提供するだろうが、ライドの意向で普段は酒を飲ませたりはしていない者が大半だからかなりヤバい。

 派手などんちゃん騒ぎは繁華街のブロックを貫くメインストリートに響き渡る大音声になり、テーブルの上は食器や食べさしの料理が散らかり放題。ところどころに吐いたような跡があるのは、もう見ないふりを決め込むしかないだろう。呂律が回っていないような会話は辺り構わずの業務情報や下品なジョークが飛び交い、店の前を通る人々はみな反対側の端に寄って通りすぎていった。

 

「どうにかしてもらえませんかね、これ。隊長以外には止められません。つーか、あんまり騒ぐと周りにバレますよ、俺らの正体」

 

 通常時には自分を隠しているウィリアムが素の口調に戻ってしまう辺り、相当頭にきているらしい。言葉遣いこそ丁寧なだけで普段からライドが言われていることは大差ないのだが、そこはひとまず置いておくとして。

 

「お前ら、そろそろお開きだ」

 

 うざったい絡み方をしてくる酔っぱらいたちに冷や水を浴びせ、まともに歩ける者にはぶっ倒れた者を運ばせる。戦闘直後のカガリビ艦内にも似た光景に、ライドの笑いが漏れる。

 

「できればもう少し早めに気付いて欲しかったんですけどね。どこのトイレに入ってたらこの騒ぎをスルーできるんです? 」

「お前がいれば、と思ってたんだがな」

「それは信頼じゃなくて丸投げですよ」

 

 アジーと話していた店にも騒ぎは届いていた。正直なところ、関わりたくなかったというのが本音ではあったが、さすがに看過できないレベルに達したのを感じて戻ってきたのだ。

 店員への謝罪と事の後始末を済ませる頃には日付も変わってしまっていた。事前にネット上で終わらせていた会計の額に追加で迷惑料を渡し、カガリビに戻ると先に帰っていたウィリアムがコーヒーを飲んでいた。艦内の自動販売機は乗員の趣向を考慮して甘いものばかりになっているなか、ただ一種類だけ残されているブラックの缶コーヒー。

 

「隊長も飲みますか」

「いや、遠慮しておくよ」

 

 ただでさえ一歩踏み出すたびに胃の中の水分が波打つのを感じているのだ。正直、早く自室に戻ってトイレに行きたい。

 

「マクギリスへの報告書は? 」

「終わりましたよ。どうぞ」

 

 古風なUSBメモリは、情報流出防止の観点から優秀なため『エインへリアル』では使用頻度が高い。特にライドやウィリアム、マクギリスが扱う情報は機密性の高いものが多く、ネットワークを避ける身としてはありがたいツールだった。

 ノブリスを倒し、火星近辺の通信網を手中に収めた今となっては、そこまで警戒する必要もないとはいえ。

 

「高速艇を出すならあのじゃじゃ馬姫様も乗せて送り返したらどうです。少しは楽になるでしょう。ついでに、ヴェニヤからのメッセージも持たせてね」

 

 名案だった。とはいえ、ライド個人としては火星に戻ったらすぐに式典潜入の任務があるため彼女の面倒なレッスンも受けておかなければならないのである。

 

「悪いけど、それはできないな。クロセ辺りに頼むとするさ。それより、彼らの身元を引き受けてくれそうな場所は見つかったか? 」

 

 彼ら、とはロイヤーズのメンバー、主にヒューマン・デブリの話だ。『雷電隊』の業務は主に海賊の退治、その資産の売却と人的資源の保護であり、その本分に乗っ取った確認事項。ヒューマン・デブリ上がりの子どもたちはまともな教育を受けていない者も多く、時にはそういった子らをアドモス商会傘下の保護施設へ受け渡すこともやっていた。テイワズから一部の火星ハーフメタル採掘場を譲り受けたうえ、火星独立政府高官というクーデリアの知名度もあり、資金には事欠かない彼らに預ければまっとうな社会に復帰させられる。

 もちろん、その際は別会社の名義を使い代理の担当者を立てることで『エインへリアル』やライドたちの関与を隠す必要はあるが。

 

「ええ、いつもよりスムーズに行きそうです。ラム・ラバナは戦略通りの用兵を行うために最低限の教育は施していましたし、そこまで酷い扱いを受けていたわけではありませんので。社会に出しても、それぞれ上手く馴染んでやっていけると思いますよ」

「それは良かった。なるべく散り散りにならないようにしてやってくれ、これ以上はこちらからもあまり面倒は見られないからな」

「承知しております」

 

 いつものように茶化すウィリアムに背を向けたライドの足を止めるように、またウィリアムの声がした。

 

「そういえば、『雷電隊』への合流を希望する者もいましたがどうなさいます? 」

「悪いがそれは無理な相談だ。俺から話をしておこう。……増えすぎた仲間は、足を引っ張りあうだけだからな」

「隊長のそういう優しさは嫌いじゃありませんがね。せいぜい後ろから刺されることがないよう、気をつけてくださいよ」

「五年前のあの日からずっと、俺の背中はお前に任せてるよ」

「そうですか」

 

 さほど関心はない、といった感じの受け答えをして、ウィリアムは飲み終わった空き缶をゴミ箱に投げる。小気味良い音が、二人の会話が終わる合図になった。

 歳生の人工太陽がゆっくりと光を増していく、そんな時間にようやく二人は眠りについたのだった。




書いてる時のイメージとして、アニメの構成を意識してます。
Aパート→Bパート→小休止、みたいな感じで3話で一エピソード。

校正とか推敲とかもあんまりやってなくてできたらどんどん上げていってるので、気になったところは後から修正かけていきますのでご容赦を。


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笛の音が鳴る時は近く

 時を少し遡って、マクギリスたちがアーレスを強襲した少し後のこと。

 

 「私が火星に、ですか」

 

 ヴィーンゴールヴ。太平洋を臨む壁一面をガラス張りにしただだっ広い高級官僚の執務室で、現在ギャラルホルンの全権を握る男、ラスタル・エリオンが苦い顔をしている。オーク製の、簡素ながらも気品を感じさせるデスクの上に一枚置かれているのは、ギャラルホルン火星支部長の正式な印が捺された書類である。

 

「先日、アリアドネのネットワークが一時的に途切れたことがあっただろう。火星支部の方でも調査はしたが何も分からないらしくてな。念のため警備を増強しておきたい、との依頼だ」

 

 気だるげにその紙をつまみ上げ、ひらひらと振ってみせるラスタル。遠回しに「私の管轄外だから、どうしようもない」と言わんばかりの態度である。釈然としない様子のジュリエッタだったが、上官にこういうさまを見せられては抵抗することもできなかった。

 

「しかし、現在ここを手薄にするのは危険ではありませんか。各経済圏の軍隊も整備され、ギャラルホルンの優位性も崩れつつあります。特にアフリカンユニオンなどは経済発展と軍備増強が急速に進んだことで混乱が起こっている。平定のために派遣する予備兵力は残しておくべきかと」

「賢くなったな、ジュリエッタ。視野も広い」

「茶化さないでください」

 

 ぴしゃりと言い放つジュリエッタの剣幕に怯む様子もなく、ラスタルは椅子を回してジュリエッタに背を向けた。その視界に一面の海原をおさめ、ふっとため息。近頃のラスタルが、公には生き生きと振る舞っていても私には少しやつれたように見える、そう思うのはおそらくジュリエッタを含めて数人だけだろう。

 不用意に弱点を見せることはたとえ相手が誰であれ自分の死を一メートル近付けることなのだ、とはラスタル本人の弁。

 

「だが型に嵌まった立ち回りだけでは生き延びられん。お前も火星の姫と対をなす『戦場の乙女』、悪魔狩りの英雄として政治的な立場からは逃れられないのだから、しっかりと胸に刻んでおけ」

 

 いくぶんか小さく見える背中を睨むようにするジュリエッタに、咎めるような諫めるような口調で語るラスタル。以前は気が逸ってばかりのジュリエッタをこうやってラスタルが窘めるやり取りも多く見られたが、互いに歳を重ね、ジュリエッタも経験を積んだ今はそんなこともなくなった。

 それが嬉しくもあり、悲しくもあり。

 

「そうそう、忘れていた、火星での首脳会談の件。こちらから出席する者がいてな。彼らの護衛という名目も兼ねている。」

 

 ラスタルはデスクの引き出しの中から書類の束を取り出し、パラパラとめくる。ギャラルホルン所属兵のプロフィールらしい。

 

「それぞれの支部から優秀そうな者をピックアップさせておいた。代理の人選は任せる。心配するな、長くても半年もあれば戻ってこられるさ」

 

 それとも、あの男が同行しなければ不満か?

 ラスタルの古風な冷やかしに、ジュリエッタは冷ややかな視線で応える。悪びれる様子もなく肩をすくめる老人に暴言を吐くほど理性を失ってはおらず、

 

「では、代理はシーミア二尉を推薦します」

 

 ほう、と目を細めるラスタル。当然だろう。

 おそらく那弥木はラスタルに提出された推薦リストの中に名前のない、あまたいるギャラルホルン通常士官のひとりに過ぎない。今は確か地球外縁軌道統制統合艦隊所属のいち事務官として勤めているはずだ。

 

「以前、私が彼女の所属へ査察を行った際に世話になりました。世界情勢への知識や兵法への造詣も深く、ここへの配属に適していると考えます。かつては彼女自身も査察官として各地を巡っているため、更なる人材の発掘も期待できるかと」

「なるほど、それは興味深い」

 

 さほど感情のない相槌から話題を膨らませることもなく、ラスタルは会話を打ち切った。それは検討の余地があることを示しているのだと長年の付き合いから理解しつつも、最近は以前にも増して反応が薄い。言葉を交わしていても心ここにあらずといった感じか。

 セブンスターズの廃止によりラスタルへの負担が増えているのは理解しているつもりのジュリエッタだったが、心のなかに言い表しようのない不安が生まれつつあるのを否定できずにいた。

 

 

 

 そして、後日。

 地球、太平洋の海上に浮かぶメガフロート、火星から金星まですべてのギャラルホルンを統べる本拠地、ヴィーンゴールヴ。白を基調にした清潔感のあるカラーリングは、頭上の太陽と海面から照り返す日光を浴びて眩しく光る。迂闊に視界に捉えれば失明してしまうのではないかと思うほどに光輝く巨大構造物の中には、歳生と同様にそれ単体で街として機能しうるほどの設備が整えられている。

 

「この度、第十三特務大隊に配属されました、那弥木・シーミアです。まだまだ未熟なところも多い若輩者ですので、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します」

「そういう堅苦しいの、好きではないんですけどね」

 

 ギャラルホルン司令部直属で主にヴィーンゴールヴの防衛、太平洋上の対空監視を行う特務隊。かつてはセブンスターズの近親者あるいはそれに準ずる血統を備えた者しか入隊を許されなかった、超一流のエリート部隊。それがここ、第十三特務大隊である。

 

「臨時で隊長をやってるジュリエッタ・ジュリスよ。私がここにいる間はビシバシ鍛えてやるから、覚悟しておきなさい」

「あの、伝説の『悪魔殺しの英雄』、なのですか。まさか本物に会えるとは、いえ、ヴィーンゴールヴに異動になったからって、少しは期待してましたけど、本当にこの目で拝める日がくるとは、思わなかったもので、えっと・・・」

「落ち着いてください、シーミア二尉」

 

 当然の事ながら地球上、それも太平洋の上でことを構えられるほどの戦力を有するギャラルホルンの敵対勢力は現状確認されてはいない。そもそもそれを可能にするなら最盛期の鉄華団の数倍の戦力と着地する場所のない洋上戦闘に精通したクルーたちが必要になるため事実上不可能ともいえるのだが、それゆえにこの特務隊はギャラルホルンいち安全な部隊である。その特別性と安全性からエリート御曹司のボンボンが着飾るためのポストとしての役割が強かったが、ラスタルによる部隊再編の影響でそういった事情も変わりつつある。

 出身地や経歴、家系などから配属先を振り分けていた風通しの悪い血統主義から一転、地球上の安全な場所で十分な訓練を終えた後に本人の希望を尊重したうえでそれぞれ前線に割り振られる、良心的なシステムが浸透していっている。そもそも訓練の足りない新兵を最前線に送り込めば人的損失、物的損失は馬鹿にできず、そして頻繁に人員の入れ替えが起これば教育にかかるコストも無視できない。

 ラスタルが掲げる『開かれた組織運営』の宣言のもとで行われた改革のひとつである。

 

「聞けば私の配属はジュリス特務三佐の推薦があったからこそとのことで、期待に応えられるよう精一杯の努力をしていく所存、どうかよろしくお願いいたします」

 

 末尾に向かうにつれ小さく細くなっていく声で、なんとか那弥木の自己紹介が終わる。いくらか緊張は解けたようにも見えるが、まだ堅苦しさは否めない。これが彼女生来の気質なのかどうかは、顔を合わせるのが初めてに等しいジュリエッタには判断がつきかねる。

 

「そう畏まらないでください、私も軍備再編計画の折りには世話になりました。あの時の仕事は見事なものでした。とにかく私は初対面だとは思っていませんので、分からないことがあれば気軽に聞いてください」

 

 そう言ってにっこりと微笑むジュリエッタ。八年も勤めていれば、後輩の面倒を見る余裕もいくらかは生まれてくるものだ。まだ若いとはいえ、ジュリエッタ自身も若手とは言い難い歳が近づいてきている。その事に多少のショックを抱きこそすれ、自分の立場が上がっていくことへの高揚感も確かにあった。

 それはともかく。

 

「では、お聞きしますが、ボードウィン中将とは、どういうご関係なのですか? 」

 

 新任教師がやってきた時の中学生のような質問に、不覚にも先刻のラスタルとのやり取りを想起してしまったジュリエッタは、いつ以来か自分でも分からないほどに激昂するのだった。

 

「少なくとも、あなたが想像しているものとはまったく違います」

 

 静かで穏やかな中にふつふつと滾るジュリエッタの怒気が爆発したとき、第十三特務大隊の面々は既にそれぞれの持ち場に戻っていた。わざとらしい口笛で誤魔化しながら。

 

 

 

※※

 

 

 

 

「君たちはこれから、誰にも教わらなかった苦しさや辛さ、悲しさを味わうかもしれない。それは仕方のないことだ、しかし悲観してはいけないし自分を責めるのも駄目だ。もちろん、他人のせいにするなんて絶対にいけない」

 

「何なんです、これは」

「ありがたいスピーチだよ、ぶつくさ言わずに聞いてろ」

 

 カガリビの中で最も広いスペース、メインブリッジ。

 そこに元ロイヤーズの子どもたちを集めて、伝えたいことがあると。かつてヒューマン・デブリ同然の身の上だった隊長、ライド・マッス直々のご高説である。自身の仕事を片付けてブリッジに来てみればこの状況、戸惑うのも当然のウィリアムにふんと鼻を鳴らしたのは、なぜか当たり前のようにここにいるラム・ラバナだった。

 

「選択肢なんてなかった過去を必死で生き抜いた君たちの過去は、たくさんの大事なことを教えてくれたはずだ。自分だけでは生きていけない、しかし他人を信じれば騙される。だからって、絶望するだけが人生じゃないってことを、知ってほしい」

 

 カガリビは現在、歳生から一か月の航行を経て火星の民間共同宇宙港、『方舟』に入港していた。そして集められた元ロイヤーズの子どもたちは、明日からそれぞれの生き方を始めていく。ウィリアムとライドの人脈を伝い紹介された職場あるいは孤児施設、養父養母の元へと向かうのだ。

 

「たくさんの嬉しさや楽しさ、喜びが君たちを待っている。でも、どうしても苦しさが我慢できなくなったら、一度立ち止まって深呼吸するんだ。一人で考え込むのはよくない、だいたい最後は自分を責めて終わるから。そんな時に、ひとつ覚えておいてほしいことがある」

 

「俺だってそこそこ愛情は注いできたつもりなんだが、あのクソガキたちがここまで懐くとはな。嫉妬しちまうよ」

 

 ラバナの言葉にある通り、二十人からの子どもたちはおとなしくライドの言葉に聞き入っている。彼らがライドと話をしたのは歳生を行き来した二か月足らずの期間に過ぎないが、それだけの間で彼らの間に強固な信頼関係が結ばれたことは明らかだった。いかにライドが面倒見の良い兄貴分気質とはいえ、理由はそれだけではあるまい。

 

「周りの人たちが、とても頑張っている凄い人間に見えるかもしれない。でも、本当のところ、みんなそんなに苦労なんてしてないんだよ。そう見えるだけさ。君たちほど力強く、努力を重ねて生きてきた人なんてそういない。だから胸を張ってくれ。知識が足りていないならこれから勉強すれば良い。体力が足りていないならトレーニングを。もう君たちは命を危険に晒して戦うことはないし薄暗い部屋のなかで怯えて過ごすこともない。未来は、明日は絶対にやってくるんだ。なんだってできる。その心意気を、忘れてさえいなければな」

 

 ふとウィリアムが見やったラバナの横顔は、仏頂面ながらもどこか晴れやかな印象を与えるものだった。先の戦闘での用兵といい子どもたちへの教育といい、「圏外圏の宇宙海賊」と聞いて世間一般が思い浮かべるイメージとはかなり違う人間なのだろう。それをからかうような野暮な真似はさすがに気が引けたので(ライド相手なら躊躇わなかったろうが)、ウィリアムは黙って視線を反らしたのだった。

 

「そして縁があれば、また会おう。そのときに、君たちが生き生きとした笑顔で俺から大量に金をむしりとるビジネスを持ってきてくれるなら、それほど嬉しいことはない」

 

「自虐ネタですか。私たちにむしりとられるほどのお金なんてないんですけどね」

「まあ生きるにも商売するにも、逞しさは必要だからな。それを十分に仕込むことができたかどうかは、これからのあいつらを見なければ分からないが」

「随分と肩入れしてますね? 所詮は手駒に過ぎないでしょうに」

「駒が円滑に動くためには、将も兵も賢くなければならんってことだ。千兵は得やすいが教育は難しいからな」

 

 自分のかけたカマが不発に終わったウィリアムはそうですか、と気のない返事で応じた。

 初めて出会うタイプの指揮官だった。

 仲間との繋がりを重んじるライド、必要とあらば腹心の部下すら切り捨てるであろうマクギリス。

 面識はないが、一番近いと感じるのは噂に聞くラスタル・エリオンだろうか。情を注ぎ、手厚く育てながらも決断を鈍らせることはない。勝利のために犠牲を厭わないという点でマクギリスとは似ているようではあるが、初めから情などない彼とは比較にもなるまい。

 

「教養は自己肯定に繋がる。確かに、彼らに自身の境遇を悲観する者は少なかったようです」

 

 誰に言うでもなく呟く。

 環境がどうであれ、思考をポジティブに回していける人間は強靭でいられる。裏を返せば、いくら育ちが良かろうと悲観的で自己否定的な者は弱い。

 自分はどうなのだろうか?

 

「絶対に忘れないでくれ。君たちが知るなかで、一番つらく苦しい日々を乗り越えてきたのは君だ。その忍耐は必ず報われる。……さようなら、また必ず会えるさ」

 

 わっと歓声が上がった。

 感涙に咽ぶ声、仲間との別れを惜しむ言葉、ライドへの尊敬の叫び、おとなしく清聴していた子どもたちの感情があらわになる。

 『方舟』のスタッフが書類手続きのために乗り込んでくるまで、ブリッジが満面の笑顔と最高の泣き顔に包まれて一切の仕事が進まなかったのはご愛敬、些末な問題に過ぎないだろう。



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道を違えた者たち

 血の滲むような努力は、ライドの心にいくらかの自信と余裕を与えてくれた。

 馬子にも衣装、とはよく言ったもので、実際に着慣れないスーツ姿のライドは服に着られている感が拭えない印象はあったものの、これから会場に集まってくる大物政治家たちに見劣りしない程度の仕上がりにはなっていた。

 どれもこれも、アルミリアのお陰である。

 ネクタイの色からこういった場でのマナー、ボディーガードとしての立ち居振る舞いまで丁寧にレクチャーしてくれた彼女には頭が上がらない。この恩に比べれば、ロイヤーズとの戦闘の最中に勝手にモビルスーツに乗り込んで乱入してきたことなど不問にして構わない …… かどうかはともかく(少なくともウィリアムは許さないだろうし、あの戦闘の後にアルミリアは数時間に渡って説教されていた)、いつも団員に見せる背中を気にして胸を張っていたライドが誰かに頭を下げているというのは副官として付き添ってきたウィリアムも久方ぶりに見る光景だった。

 

「何をにやついてるんですか、気持ち悪い」

 

 唐突に横合いから暴言を吐かれた。ライドと同じようにスーツ姿、警備員に扮するウィリアムなのは見なくても分かる。

 彼の持ち場は建物内、裏口の方だったはずなのだが。

 

「さっさと持ち場につけ」

「言われなくても、時間になったら行きますよ。貰った給料以上の仕事はしたくないたちなので」

 

 悪びれる様子のないウィリアム。相変わらずの遠慮のない態度には好感が持てるが、あまりそういうことを公言するのはどうかと思う。

 

「そもそもあなた真面目過ぎやしませんか。『エインへリアル』のこと以外に趣味とかないんですか? 」

「あるわけないだろ。みんなをこんなことに巻き込んでおいて、そんな悠長にしてられるか」

 

 一切わき目を振らず『エインへリアル』と『雷電隊』の仕事に没頭するライドの、嘘偽りない本音だろう。ウィリアムもそれが分かった上での質問だが、こうも真面目に返されてはからかい甲斐もない。

 

「配属場所、あなたのお姫様と同じなんですけど何か伝えておくことあります? 」

「これ以上仕事を増やされたくなかったら黙ってろ」

「まあ、あの人は人妻ですしねぇ」

 

 冗談とするには少々重たすぎる軽口を叩き、口を尖らせるウィリアムの真意が、鈍感極まるライドに伝わるはずもなく。

 面倒な関係間に挟まれる自分の役回りを理解しているからこそ、多少の手助けはしてあげたいと思うこの気遣いは、からかっていて楽しい弟分への冷やかしから来るものではないと信じたい。

 会話を続ける気もないと見える友人に、やれやれ、と肩をすくめる部下を一瞥して、ライドは無線機に一声。

 

「こちら正面玄関前、異常ありません」

 

 この一大イベントの警備を統括する、ノブリス名義の警備会社の現場監督に定時連絡を終えて一息つく。ノブリスの息がかかっている会社は事実上すべてライドたちの傘下になるのだが、それはまだ裏向きの話。それぞれの会社にノブリスを装ってマクギリスや新江たちが指示を出す形を取っているため、現場単位で横の連携を取ることはできない。万が一の際にボロが出ないようにと頭に入れておいた現場監督の顔と名前を思い浮かべ、ライドは自分の仕事、周囲の警戒に当たる。

 まだ深夜と早朝の境にあるこの時間、街灯に照らされてはいても薄暗い都市中心部は隠れるところも多く気が抜けない。ここからは見えない都市郊外では既にギャラルホルン火星支部のモビルスーツ隊も展開を終え、アルミリアやリュウゴ、流仁たちもそれぞれ持ち場につき警備体制は完全に整ったといっても、だ。

 本来の目的である情報収集のため、ライドたちは各国の主賓が到着してからはその引率兼SPとして動く予定なのだが、それはもう少し先、火星の夜が明けてからだ。

 気付けば、ウィリアムの姿はなくなっていた。

 

 微かな駆動音が耳を打つ。

 こんなに早くの到着は聞いていない、とライドが向けた視線の先、リムジンから降りてきた一番乗りは火星の女王だった。付き添いは真っ黒のスーツにサングラス姿、そこにくすんだ金色の髪がよく映える。背格好を確認するまでもなく、見知った顔だった。

 

「少しだけ外す。しばらくここを頼んだ」

 

 指揮車両には聞こえない一対一の無線で同僚に告げると、ライドは建物の裏手に回った。

 クーデリア・藍那・バーンスタイン、そしてユージン・セブンスターク。

 どちらにも昔世話になった、そして現在進行形で世話になり続けている大恩を抱えている身の上ながら、のこのこと顔を出して礼を言えるような厚顔無恥な真似もできない。ならば身を隠し、バレないようにやり過ごすのが最良だろう。思わず身を隠してしまったことに対する言い訳じみた言い様を自虐する余裕もない。

 アジーといい彼女らといい、全く面倒な関係性になってしまったものである。覚悟の上とはいえど、過去の温かだった世界に戻りたい衝動に駈られてしまう。

 

「今さら戻れるもんか。進むしか、ないだろ」

 

 自分に言い聞かせるように呟く。玄関をのぞいて、クーデリアたちが案内役のスーツ姿に連れられ中に入ったのを確認してから、ライドは自分の持ち場に戻った。

 

「すまなかった、ありがとう」

「構いませんよ」

 

 礼を言う相手も『エインへリアル』から潜伏した、マクギリス肝いりの仲間である。にっと歯を見せる陽気さに少し気分が上向きになって、ライドも静かに微笑む。

 すっかり人工の色に染まった地平線から太陽が昇り、空がうっすらと白んできた。オフィスビルの隙間や申し訳程度の街路樹で逞しく生きる小鳥たちのさえずりが聞こえる。

 ライドの仕事が始まるのももうすぐだ。

 

 

 

※※

 

 

 

 現地時間にして午前九時。

 煩雑極まる打ち合わせや種々の手続きが一通り終了し、式典を控えた各国の来賓たちの会談が始まった。

 出席者は七人。SAUの外務大臣、アフリカンユニオンの首相、アーブラウの与党幹部、オセアニア連邦議会の議長、ギャラルホルン本部から陸軍統括司令。そしてその傍らに補佐官兼護衛、仏頂面の『戦場の乙女』ことジュリエッタ・ジュリス。中央に座るのは『革命の乙女』、火星連合の代表クーデリア・藍那・バーンスタイン。

 フェーク・メイクスの部下、火星支部の面々は既に式典の会場に入り、警備の指揮をとっている。

 ジュリエッタが不機嫌な理由は数多いが、いくつか例を挙げてみるならば、まず生身で会談の場まで同行する事への不満があった。モビルスーツによる警護ならいざ知らず、ジュリエッタは自身の体術や射撃の腕を二流以下と断じている。実際、訓練は人並み以上に積んでいても所属する部隊の特性上白兵戦の経験はほとんどなく、かつて『ヒゲのおじさま』ことガラン・モッサを尊敬していたことからもわかるように、生身での打たれ弱さは彼女にとって一種のコンプレックスであるともいえる。汚れ仕事を請け負うラスタル肝いりの何でも屋、ガランの腕は相当なものだったのだから比べるだけ無駄だという理屈は、本人の前では通らない。

 更に、そもそも火星での会談という部分が気に食わなかった。昨今の社会情勢が不安定だというのもあるが、クーデリアが同席するというのが一番大きい。ラスタルの言にもあった通りジュリエッタとクーデリアは一対の存在として世間一般に認識されており、その容姿や境遇も相まってアイドルさながらの注目度を誇っている。

 個人の感情だから、とあまり口には出さないようにしていても、そうして他人と同列に並べられる、比較されるというのはあまり気持ちのいいものではない。

 

「この度は、多忙な日程の間を割いて遠方までご足労いただき、誠にありがとうございます。本日は私、クーデリア・バーンスタインが進行を務めさせていただきます。召集に応じていただいた身でありますので、ご要望などあればなんなりとお申し付けください」

 

 自分とはさほど歳も変わらないはずのクーデリアが年老いた狡猾で高圧的な男どもをものともせずにすらすらと話す凛とした姿に、ジュリエッタは確かに常人ならざる気配、戦場で出会うエースパイロットと似たものを感じた。格の違いからくる恐怖と、磨き抜かれた技術に対する敬意、そして強者に挑む昂り。

 話の内容など頭に入らず、周囲を窺うジュリエッタを蚊帳の外に置いて、会談は粛々と進んでいく。

 

「最初の議題ですが、『火星における我々地球経済圏の政治介入の権限について』でよろしかったかな」

「ええ、その通りです」

 

 改めて確認している、というよりは半ば脅迫めいた念押しだろう。権限について、などとぼかしてはいるが実際のところは『政治介入をやめろ』という旨の話である。受け入れられないのも無理はない。

 マクギリス・ファリド事件以降表立った揉め事は起こってはいないが、地球の経済圏が火星独立を快く思っていないことは疑うべくもない。火星が資本主義に則ったシステムを構築するにあたって、合法的、あるいは脱法的、時にはあからさまに違法な手段を使ってまでも火星の土地や企業、あらゆる資産を地球の管理下に置こうとする運動は根強い。ノブリスの新たなビジネスとして地球と火星の間での取引の仲介が業績を急激に伸ばしていたのがいい証拠だろう。

 ギャラルホルンの圧力が弱まり、さらにエイハブ・リアクターの新規製造すなわちモビルスーツの自前供給が可能となったことで軍事力を拡大する各経済圏の傲慢さをひしひしと感じる。

 資産と資本の流出、それを知りながらも手出しができないことを歯がゆく思っていたテイワズと火星連合が盛り込んだこの議題は、ある意味クーデリアにとって最重要のものといえた。ヒューマン・デブリから解放された多くの労働力(そのほとんどがまだ若い世代に属する)を活かそうにも地球企業の下請けでしか働けないのでは労働環境も経済状況も改善されず、『悲惨な境遇にある子どもを救いたい』とするクーデリアと『火星を地球と同等の経済圏に成長させたい』マクマード・バリストンとの利害の一致である。

 

「何か勘違いをされておりませんか、火星連合の代表よ。私たちはあくまでも行政の立場、民間企業がいくら火星に出資して会社を買収しようとそれを規制することはできませぬ。彼らは資本主義にしたがって商売をしているに過ぎず、そこに政府が干渉するのは自由の侵害にあたる。何よりまだ火星のシステムは経験不足だ、地球企業の融資と技術提供がなければ立ち行かないでしょう。そこのところを、しっかりと理解して貰いたい」

「確かに私たちには、あなた方の援助が必要です。人道的にも経済的にも、技術的にも何もかも。こうして私が火星連合の長を務めていられるのも元を正せばあなた方のお力添えがあってこそ、感謝の念を忘れたことはありません」

 

 政治介入ではなく正当な経済活動と主張する、とはまさに詭弁でありただの論点のすり替えに過ぎない。こうしてのらりくらりとかわし続けて相手が諦めるのを待つ、それが最も懸命かつオーソドックスなやり方だろう。まして自分が優位に立っているという自覚はより攻撃的な理論を生み出す。

 予想の範囲内とはいえ、臆面もなくそんなことばかりを口にする老人に憤慨せずにはいられないクーデリアだったが、その衝動を堪えるのも自身の職務のうちだと戒める。感情的になってはタヌキどもの思うつぼだ。

 

「それならば、私どもが気を回すことでもありますまい。これまで通り、法の秩序に反する経済活動の取り締まりを強化していく、ということでよろしいかな」

「もちろん、違法行為への処罰は厳重にしていただかなければ困ります。その辺りについて、取り決めの整備は互いの意志のすり合わせが必要ではないかと」

「無論、我々の意見だけを押し通すつもりはありませぬ。会談が終わり地球に戻れば本格的な議論が始まるでしょう、その際に文書をいただければ可能な限り対応いたします。それではご不満ですかな」

「それで火星の民たちが納得のできるルールが出来上がるのならば異存はございません。しかし、現状を見る限りではそれも難しいのではないかというのが私たちの総意です」

「民の声を聞き、不満を抑えるのはあなた方の仕事ではないのですか。それを我々になすりつけられても困りますな」

「ですから、こうして機会を設けて皆が納得できるものをつくりあげていこうと申しているのです。この度の会談は私たちの悲願、となれば民の声を届けるのも私たちの仕事の一部と考えます」

「納得、とはまた面白い表現を使いなさる。そこまで言う以上、そちらにも相応の譲歩をしていただけるという認識で構いませんかな? 」

 

 話せば話すほど、自分にとって不利な状況になっている。

 やはり力不足か。

 無力感と絶望に打ちのめされ、視界がぐらつくほどのショックになんとか耐え、姿勢を崩さないことに成功する。

 結局、力を借りるしかないのか。後ろ暗くとも後ろめたくともなんであっても、個人のプライドよりも優先すべき重大な事案があるのだ。

 

「確かにこちらにも譲歩の用意はある。しかし、それはそちらの出かた次第だろうな」

 

「誰です? 」

 

 しゃがれた声が会談に話って入った。

 クーデリアにとって最も頼りになるバックボーンにして最も頼りたくはない立場と肩書きをもつ男。その声を聞いて真っ先に反応したのはジュリエッタであり、次いで経済圏の首脳たちもその正体に思い当たり、戦慄する。

 

「マクマード・バリストンか……!! 」

 

 

 

※※

 

 

 

 会談が始まってしばらく経った頃、本来の仕事を終えて再び正面玄関に戻ってきたライドの視界に、場違いなものが映り込む。

 会場である火星屈指の高級ホテル、その前に伸びる、市街地を真っ直ぐに切り裂く片側五車線のメインストリート。

 そこに、幼い男の子がいた。身に付けた衣服はぼろぼろ、ぼさぼさの髪の毛は泥や錆びや血に汚れて元の色も分からない。ふらふらと、上半身を丸めて、今にも倒れそうな足取りで、ゆっくりとこちらに向かってくる。

 そして、大事そうに何かを抱えていた――それが何かに思い至ったライドは、咄嗟に子どもの方へ駆け出していた。

 

 その時のことは、後になって考えてみても思い出せなかった。まさに脊髄反射、意識もなく、本当になぜあんなことをしたのか分からない。身も心もぼろぼろに見えたその子どもに、自分の幼かった頃を重ねてしまったのだろうか。ともかくひとつ確かなのは、その決断はまるっきり、とびっきりに間違っていたということだ。

 

 十メートルほどまで近づいたところで、子どもが顔を上げた。そして、はっきりと視線が合った。光のない、意思のない、空虚な瞳。

 己の職務も忘れ、声をかけることも躊躇われた。黙っているうちに、子どもが先に言葉を発する。

 

「『革命の英雄』、ライド・マッス……!! 」

 

 聞いたことのない異名。それが自分のことを指しているのだと気付くまでに数秒を要した。

 

「あなたがここにいるってことは、『鉄華団』が動いてるんですね。ギャラルホルンを倒すんですね、たくさんの同志がいるんでしょう、そうなんですね!! 」

「俺は雇われの警備員だよ。升牙・ライグライド。『革命の英雄』なんて知らない」

「潜入中ですもんね、失礼しました。オレたちも鉄華団に世話になった身です、協力は惜しみません。オレはここで終わりですけど、『バルコーナ・ヨーゼン』ならきっとあなたの力になれます。必ず、鉄華団の無念を晴らしてください。オレたちが咲かせる最後の花、見ててくださいね」

 

 ライドの話を聞くつもりもないようで、子どもは自分の言いたいことだけを早口でまくし立てる。無線の先に何も知らない警備会社の人間がいることを思い出してマイクを手のひらで覆う。そちらからも何やら怒鳴りつけるような声が聞こえたが、それどころではなかった。

 よく見れば子どもの腕にはバンダナが巻かれており、そこには見慣れたあのマークが入っている。

 もうライドに用はないのだというように背を向けた子どもは、よたよたと再び力なく歩いていく。不吉な予感は既に確信へと変わっていた。

 

「自爆する気か」

 

 あの様子では建物まではたどり着けないだろう。しかし、彼は「オレたち」と言った。ならば、正面玄関から来るというあからさまな行動を取った彼は陽動と見るべきだ。本命はどこか、分かりきっている。

 会談の会場、ホテル最上階の大広間だ。

 そしてそこには当然、各経済圏の首脳が集まっているはずだった。

 

「鉄華団に、栄光あれーーっ!! 」

「やめろ、バカ野郎がぁっ!! 」

 

 最近ようやく忘れかけていた、耳障りな電子音が響いた。

 反射的に身を伏せたライドの目の前で、炎の球が生まれる。爆風と爆音に耐えかね、たまらず身を縮めた次の瞬間には立ち上がって走り出していた。当然、無線に怒鳴り付けることも忘れない。ただ焦りのあまり、今の自分の立場は忘れてしまっていたが。

 

「緊急事態だ、警戒体制を最大まで上げてくれ。敵の目標は会談の会場だ、手空きの人間は全員向かわせろ。手遅れになる前に、早く!! 」

 

 鉄華団を騙るテロリストたちへの激高はある。何のために自分がその看板を、大義名分を自ら捨てたのか、その理由と覚悟を思い起こせば彼らの行動はライドにとって最も許せないものではあったが、今はそんな個人の感情を語っている場合ではない。

 クーデリアさんが危ない。

 

 

 

※※

 

 

 

「そろそろ始まった頃でしょうか」

「藪から棒だな、なんの話だよ」

 

 同刻、ヴィーンゴールヴ近海。

 那弥木・シーミアの呟きに、第十三特務大隊の先輩、ドナーシュ・バンディットが怪訝そうな顔を向ける。

 第十三特務大隊の面々の、いつも通りの訓練風景が繰り広げられている中での会話。

 

 一部の特殊部隊にのみ配属される空戦仕様のレギンレイズ、その特徴的な操縦に那弥木が慣れるための慣熟飛行の面も兼ねている。

 機体そのものは徹底した軽量化が図られる反面、大型化した腰まわりのフライトユニットが生み出す空気抵抗を抑えるためにユニットそのものを最適な配置に動かすことで抵抗を減らす設計のレギンレイズだが、それを自動操縦に任せていると急な動きに対応できないため、ある程度は手動操縦の技術を会得する必要がある。

 用途は違えど設計思想の原型にあたるレギンレイズ・ジュリアの腰部ユニットをジュリエッタが乗りこなしてみせたことが実用化への流れを作ったのだが、彼女に比肩するほどのパイロットがそうそういるわけもない。使いこなせられれば優秀な機体、というのは全軍に配備する量産品にとって大きな欠陥ゆえに、こういった正規の編成に組み込まれない部隊への配備が多い。とはいえ、ここの特務部隊においては必要な性能でもある。

 そもそも那弥木は元々事務仕事を担当していた文官ゆえ、いくら適性検査をパスしたといっても人並みの操縦技術を会得するには相応の時間を必要とするだろうが、それはともかくとして。

 

 隊列を組んで海上を飛行する六機のレギンレイズが海面に波の尾を引く。順調に飛んでいた最後尾の那弥木が気を散らし、集団から離れていく。

 注意散漫を咎める隊長、ヤーグル・ロアルスの声で体勢を立て直して隊列に復帰した那弥木。しかし一度回り始めた思考は、そう簡単に振り切れるものではなかった。

 

「恐らくは、既存のパワーバランスの崩壊。その一番最初の、きっかけです」

「物騒な話だな。地球と火星の全面戦争とでもいうのか? 」

「嬉しそうね、脳筋バカ」

「そういうシンプルな悪口はやめろ」

 

 横から口を挟んだ先輩、カーバル・ミレイナとドナーシュの口喧嘩を気に留める素振りもなく、那弥木はさらにぼそぼそと続ける。

 

「こうなることを予測していたのは、三人といったところですかね。一人はこうならないように手を打っていたでしょうが、間に合わなかったようです。後の二人は、思惑は違えど恐らく …… こうなることを望んでいた」

「厄祭戦の再来ってか、腕が鳴るってもんだぜ。良かったなお前ら、こんな頼れる男が味方でよぉ」

「わあ、ほんとうにたのもしいですわ」

「ミレイナ二尉、『頼もしい』という言葉に『頼むから何もしないで欲しい』って意味はありません」

「なんでわざわざ解説するのよ、何も言わなければこの脳筋には分からないのに」

 

 ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるカーバルとドナーシュにヤーグルの怒鳴り声が飛ぶ。

 あの二人が噛んでいるのなら、『戦争』などという言葉で括れるようなものではないかもしれません。

 野太い怒号にかき消された不穏当極まる那弥木の言葉を、はっきりと聞いている者はいなかった。

 

 

 

※※

 

 

 

「五時方向にモビルワーカーを確認。グレイズ三番機で対応にあたります」

「十一時方向、ロディ・タイプが一機。グレイズ十二番、十三番機で対応」

「二時方向、武装した民衆がいます。催涙弾の使用を許可」

「八時の方向、砲撃を受けています。グレイズ・シルトタイプ二機で防衛、シュヴァルベ・グレイズで発射地点の特定と鎮圧に向かいます」

 

 式典会場となる火星議会施設の駐車場で指揮を執る通信車の中に、次々と敵襲の報告が上がってくる。示し合わせた四方からの攻撃に指揮官が歯ぎしりする。報告を聞く限りでは旧式のものばかりのようだが、テロ行為において攻める側は守る側より圧倒的に優位なのが道理、対応には正確で迅速な判断が求められる。

 なにせ、向こうは全滅覚悟の突撃だろうがこちらは一人の犠牲も出してはならない立場にある。万が一、一人でも来賓に犠牲が出ればすみませんでしたで済むはずもない。

 

「クリュセの駐屯地から増援を呼んでモビルスーツと工作部隊を全部出せ。防衛のことは考えなくていい、こっちが最優先だ。式典参加者全員に連絡を取れ。絶対に今いる場所から動くな、とな。」

 

 恐らくはすべて無駄だろう。増援の到着までテロリストたちが待ってくれる道理はないし、ホテルの位置は特定され既に襲撃が始まっている。

 それでも、いま現在ここを除けば最も警備体制が磐石なのは会談会場のホテルであり、男はそのメンバーを信頼していた。いくら指示を出そうと結局は現場の判断に任せるほかないのが指揮官のつらいところではあるのだが、そういった意味で彼は幸せなのかもしれない。

 

「任せたぞ」

 

 ひとりごちる男を取り囲んで、状況は着々と悪化していく。

 

 

 

※※

 

 

 

「現在、少し事情を抱えていてな。まずは直接参列できないことについて謝罪する、申し訳ない」

 

 傲岸不遜そのものといった態度での謝罪を終え、画面越しのマクマードはさらりと話に入り込んでくる。こういうことができてこそ他人を動かし、組織を動かせるのだろうがクーデリアには無理な話なのだろう。互いにそういった駆け引きを念頭において話すこういった場面では、なおさらだ。

 

「確かに私たちも譲歩すべきところはあろうが、それはあなた方の提示条件次第だろう。初めから相手を見下したような物言いはみっともないぞ、老公がた」

「滅相もありません。しかしそもそもあなたがここに参列するとは聞いていませんが」

「私もクーデリア嬢と共に圏外圏の行く末を憂う身、なんら問題はありますまい」

 

 悪びれる様子もなかった、どころか咎められている認識すらないだろう。でなければ、ああもストレートな物言いはできるものではない。

 あくまでも民間のオブザーバーという立場であるからこそのフラットな意見、と言えるかもしれない。

 

「火星の経済は火星で回す。あなた方が取り締まらなかった企業が法外な値段で取引することが常態化しているのは問題ですからな。我々のグループが総力を挙げて火星企業の復興に取り組みますので、一度静観してはいただけませんか」

 

 相手の意見など意に介さない、半ば強引な話の進め方をして、いつまでも結論に辿り着きそうになかった会談をあっという間に一足飛ばしに終わりまで近づけた。やはりこの辺りは年の功、男・マクマード・バリストンがここまで積み上げてきた豊富な経験の賜物だろうか。

 

「しかし、あなたの立場を考えれば容易に認可できるものではないでしょう」

「そもそも誰が参列の許可を出したのです、このような者に」

「話になりませんな、クーデリア代表はどうお考えです? 」

 

 反感を買ったマクマードに下らない野次が飛ぶのは自然な流れではあったが、一度老獪どものペースを崩せばクーデリアとて非凡な手腕を持つ政治屋であり話し手である。まるで逃げ道のように答えを求めるアフリカンユニオンの首相に対して、きっぱりと言い放った。

 

「火星の経済は、火星で回す。あなた方には、市場からの撤退を要請するものとします」

 

 しん、と静まり返った部屋に。

 

「そいつを止めろ!! 」

「早く取り押さえるんだ、その先はっ……」

 

 いくつかの怒号、それに続いて勢いよく部屋の扉が開け放たれる。

 ホテルという場において最も自然といえるウェイター姿に身を包んでいたのは、まだ幼さを残した少女で。

 抱えていたのは、確認するまでもなく。

 

「鉄華団、万歳!! 」

 

 身を伏せたクーデリアの前で、火柱があがった。

 視界が高級な絨毯に覆い尽くされる間際、何人かの老人が炎に吸い込まれるのが見えた。



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立ち昇る獄炎

 目を開いたときそこにあったのはブスブスと燻る火種だけ、であってくれればどれだけよかっただろうか。

 腹這いになったまま顔だけを上げたクーデリアは、その光景を知ってしまったことを後悔した。

 さすが超一流のホテルだけあって構造物は頑丈らしく、爆発の規模の割に壁や柱、天井などへの損傷は少ない。爆心に近い部分が破損しその他へは軽くすすがついた程度のもので、修繕費用は大した額にはなるまい。少なくとも今回の会談の警備に割かれた予算よりは圧倒的に安く済むはずだ。

 それよりも、床に散らばったものの方が問題である。

 かつて鉄華団に仕事を依頼し、弾丸が飛び交うその職場もとい戦場へも同行し血生臭い現場を知りそれなりの知見を培ってきたと自負するクーデリアをも陰鬱とした気分にさせる、惨憺たる状況が、広がっているのだ。彼女はそれを言葉にするすべを知らず、仮に知っていたとしてもこの真っ赤に染まった空間を言い表して誰かに伝えようという気にはなれなかった。

 

 遅れて部屋に入ってきた警備員二人も、おおよそ同じ感想を抱いたようだった。

 手際よく消火器で炎を消すと、しつこく絨毯にへばりつく火種を踏み消して生存者に駆け寄る。入り口付近にいたアフリカンユニオンの首相、オセアニア連邦議会議長は恐らく足下に散らばっている調度品の破片の中に混ざっているのだろう、判別などできたものではない。SAUの外務大臣は重傷を負ってはいるがかろうじて息があるようで、警備員が真っ先に駆け寄っている。ギャラルホルンの陸軍統括司令とジュリエッタ、そしてアーブラウ与党幹部は皆叩き上げらしく、各々が咄嗟に自己防衛に走っていた。

 

「大事ありません。それより、来賓の方々を早く」

 

 次々と入ってくる警備員にやんわりと告げて、改めて部屋を見渡す。

 火星連合代表に就任して以来一番の大仕事といえるこの日のために、どれだけの準備をしてきただろうか。ただでさえ多忙極まる仕事の合間を縫って会場スタッフの人選や設営などにも携わり、火星と地球の関係を少しでも良好にしようと心身を費やしてきたクーデリアの努力の結果がこれだった。

 もちろん、地球の人間を快く思わない者がいることも知ってはいる。最近になってその運動が活発になり、武力行使に発展する事案が数件、耳に届いてもいた。

 

「だからといって、こんなことでは……!! 」

 

 いっこうに、対立した両者の溝は埋まらない。よりいっそう、両者の乖離が深まるばかりなのだ。

 

「とにかく、今はあなたの身の安全が第一です。彼らのことは警備員に任せて、私たちも避難しましょう」

 

 いつの間にか室外待機させていたはずのユージンが傍らに立ち、周囲への警戒を担っていた。

 

「そんなことができると思っているのですか。私には主催者として果たすべき責務があります」

「そうですね、しかし連合の代表として火星の民へ果たすべき責務があります。そのためにも、ここに留まるわけにはいきません。さあ、早く」

 

 自分に向けられたクーデリアの不安げな眼差しに、ジュリエッタは短く「大丈夫です」とだけ応えた。実際、自分も自分が守るべき人間も傷は浅く、先導してくれる者もいる。渡り歩いてきた戦場に比べれば大したことはない。やはりこれだから生身での護衛など嫌だったのだ、という愚痴や文句や不平不満その他諸々は地球に帰ってからラスタルに三日三晩ぶちまけてやろうと心に決めたのはもちろん表には出さない。

 それでも後ろ髪を引かれるような足取りでおそるおそる会場を離れていくクーデリアの態度を見て、少しいら立ったジュリエッタは携帯電話でギャラルホルン火星支部の職員に電話をかけた。個人的なコネクションゆえプライベートなごく普通の電話回線であり、今どこにいるかも分からない相手ではあったし、そもそも勤務中なのか休暇中なのかどうかも賭けだったのだが、幸運にも数十秒の呼び出し音の後に聞き慣れた声がした。

 

「お疲れ様です、ジュリエッタ・ジュリス准将。こちらへは何のご用で? 」

「堅苦しいのはやめろと再三言っているはずです、セヴェナ・クジャン」

 

 軍人然としたくそ真面目な口調は稀少種の部類に入るが、それをからかいだとか冗談だとか思わせないのがセヴェナ・クジャンの尊敬を集めるところでもあり憎らしさを集めるところでもある。

 

「そちらへ会談会場の情報は回っていますか」

「それはもちろん、連絡が来ています。支部も大騒ぎですよ。何せ、あの『鉄華団』が復活したというんですから」

「なんです、それは」

 

 不穏な気配がした。

 それはラスタルにもセヴェナにもない、八年前に自ら先陣に立ってガンダムを討ち取り、組織壊滅を引き起こした張本人としての経験を持つジュリエッタ・ジュリスしか感じ得ないものだった。

 

「モビルスーツの手配をお願いします。どんな機体でもいい、とにかく早急に。三時間以内にクリュセへ受け取りに行きます」

「相変わらず無茶を仰る …… 了解しました、ご期待には添えると思います。貴女には兄の件でも大恩がある身ですし、出来る限り上等のものをお渡しします」

 

 ジュリエッタから見たセヴェナの欠点はただひとつ、いつまでも彼の兄にしてジュリエッタの同僚だった男、イオク・クジャンのことを話に上げてしまうことだった。

 

 

 

 

※※

 

 

 

「鉄華団、と言いましたね、彼らは」

「ええ」

 

 クーデリアと護衛のユージンが歩く廊下は来たときと何ら変わりなく、今回の騒動が各国首脳のみを狙い計画されたものであることを物語っている。煌々とした光に照らされる赤いカーペットが、どこか痛ましく感じる。

 

「私の知る限り、鉄華団にあのような人間はいませんでした。名前を借りただけのテロリストか、あるいは団員に近しい何者か。どちらにせよ、我々が関知するところではありません」

 

 あの外見から察するに十代後半、八年前といえば十歳に満たない頃合いだろう。当時の情勢を考えればまともに学校に行っているのは少数派だろうが、鉄華団がそんな人間すべての受け皿になっていたわけではない。

 むしろその頃にはそれなりに企業としての体裁が整い、採用条件もある程度絞っていた。副団長として少なからず人事にも携わったユージンが知らないというのなら、間違いはないだろう。

 

「まだあのような者が存在するくらいには火星の情勢も安定していないということでしょう。不甲斐ない限りです」

「何もかもを自分の責任と思うのはあなたの悪いところです。一人で変えられるほど、火星は狭い世界じゃない」

 

 なおも俯くクーデリアの説得を諦め、ユージンは警戒を強める。建物の外に出れば、既に手配したアドモス商会の装甲車が着いている。ひとまずの安全まで、あと少し。

 

「誰だ」

 

 階段に繋がる廊下の曲がり角で、視界の端に動くものを捉えた。数秒の沈黙。そして壁の向こうから姿を現したのは、両手を挙げた少年。

 

「ライドか …… !! 」

「お久しぶりです、副団長」

 

 八年ぶりの邂逅。それは互いに望まざる形で、唐突に訪れた。

 クーデリアと共に新しい世界を、『未来』を見据えて動き始めたユージン。

 マクギリスに利用されることを受け入れ昔の仲間の魂を弔うため、『過去』にとらわれて動くライド。

 両者の違いは決定的で、決別は必然。

 

「顔を見ないと思ったら随分とふざけたことやってるじゃねぇか。お仲間も増えたみたいで何よりだが、ここまでやっちゃあ冗談では済まないぞ」

「何か勘違いしてやいませんか副団長、オレは雇われの警備員ですよ。こんなことになっちまって、仕事が慌ただしくってかなわない。なんなら出口まで護衛につきましょうか」

 

 数秒の沈黙。ライドの真意を図りかねるユージンは、迂闊なことを言うまいと慎重になっていた。

 気まずい静寂が数十秒続いた。鉄華団の、彼ら二人の問題だと理解したクーデリアも口を挟もうとはしない。結局、耐えかねて口を開いたのはライドだった。

 

「まあオレも似たような道を選びましたけど、彼らとは別の段取りをしています。自分勝手な物言いですいませんが、今回のことはオレたちにとっても予想外なんですよ。そこだけは信じてもらえませんか」

 

「信じましょう」

「お嬢さん、それはいくら何でも …… 」

「付き合いは浅いかもしれませんが、私も少なからず縁のある身です。仲間を信じる、というのを、私はオルガ団長から教わりました」

 

 その名前を出すことは卑怯だと感じたが、クーデリアは躊躇わなかった。そういう駆け引きも、少しずつ身についてはいるらしい。嬉しいとは到底思えないが、自分の目標のためには必要なことだ。

 少しばかり心が痛むのは、たぶん忘れてはならないことだと思うが。

 

 背後から複数人の足音が聞こえた。毛足が長い絨毯の上でこれだけの音を響かせるあたり相当慌てているらしい。ライドは一時的な同業者として同情を禁じ得なかった。

 しかし、せっかくクーデリアやユージンと話す機会を得られたのなら、余計な横槍が入る前に言っておかなければならないことがあった。

 

「すみませんクーデリアさん。あいつらとは違えど、オレもあなたの望む世界に仇をなし、あなたから受けた恩を仇で返す道を選びました。今さら許してくれなんて言いません、でも今を逃せば謝ることもできなくなる。チャドさんたちにも伝えておいてください、本当にごめんなさい」

「結局お前も大差ないってことだろ」

 

 ユージンが拳銃を構えた。対するライドはユージンではなくクーデリアに銃を向ける。しかしクーデリアは眉ひとつ動かさなかった。

 

「申し訳ないついでに、あとひとつだけ」

 

 乾いた音が廊下に反響する。ライドが撃った弾はユージンの左足を掠めていた。意地なのかプライドなのか、苦痛に悶えながらも決して膝は折らないが、動くことはできないらしい。

 同時に放たれたユージンの弾は、ライドの身体には当たらずに背後の壁に穴を空けた。

 二人の間の距離は五メートルもなく、まず外すことはあり得ないと思えた。

 

「やっぱりあなたは現場には向いてないですよ、ユージンさん。そのうち別の人たちが来るでしょうから、事情聴取されるようなら、テロリストが発砲したから応戦した、とでも言っておいてください。オレたちのせいであなたにまで迷惑をかけたくない。最後までエゴの押し付けですみません」

 

 まだオレのこと、仲間だと思ってくれるんですね。

 ふと胸をよぎった感傷は、絶対に口に出せるものではなかった。

 

「団長の、オルガの思いを!! てめぇは無駄にしてるんだぞ!! 」

 

 理解していることだが、承知の上での暴挙だが、改めて言葉にされると胸に刺さるものがある。

 これ以上話していると追っ手に捕まる。逃げ出す言い訳を作って自分を納得させて、ライドはその場を後にした。

 

「死者は二度と戻りません。ならば、振り返るにせよ前に進むにせよ、彼らに恥じない生き方を選ばなければならない。私もユージンさんも八年前に失った仲間のため、そう誓って生きています。ライドさん、あなたもそうなのですか」

 

 答えている余裕はなかった。

 時間的な問題ではなく、精神的に。

 追いかけてくる男たち、数分前までは同僚と呼べる立場だったスーツ姿たちを威嚇するように、銃弾を一発、男たちの背後の壁へ向けて発砲する。下手に動けば当たる程度の予測は立てて撃った弾の射線を理解し、動きを止めた彼らは確かに優秀な兵士たちだろうが、この場合は被弾覚悟で飛び込むべきだった。

 彼らは防弾チョッキを着ているのだし、数の差で押せばライドとて一人では何もできなかったのだから。

 次いでポケットから取り出した手榴弾のピンを抜き、これ見よがしに掲げてからひょいと投げ捨てる。クーデリアたちの安全を優先する男らは先に進むことができず、ライドは背後の爆風から逃げるように建物を出た。

 裏口に控えていたアルミリアとウィリアムがライドを出迎え、あらかじめ用意しておいた車で逃亡する。裏といえど外国の来賓をもてなすほどのホテルである、かなり幅が広く見通しの良い道に直結しているが、運転するウィリアムは裏道を一通り頭に入れている。あっという間に都市郊外までの脱出に成功していた。

 ここから『エインへリアル』事務所のあるクリュセまではモンターク商会名義の小型機を使い空路での移動となる。マクギリスが手配した機体とあれば多少の不安がライドの胸をよぎったが、気にしても仕方のないことだった。操縦桿を握るウィリアムに任せるしかない。

 

「そこの車、どこへ行く。今ここは重点警戒区域に指定されている、民間人は立ち入れんぞ」

 

 都市外縁でようやく仕事が巡ってきたギャラルホルンのモビルスーツパイロットには、無線機越しにまだホテルの中にいる流仁からの「特例許可を得ている、そいつらは通せ。その程度の融通は利かせろ」との怒鳴り声で一喝。あとはプライベートジェット専用の民間共用空港までの道のりを急ぐだけ、のはずだった。

 背後で、どしゃり、と砂地に巨体が倒れこむ様子が見えた。音と振動が伝わるより前にバックミラーでそれを確認したウィリアムが力一杯にアクセルを踏み込む。急加速と急ハンドルに脳が振り回される中、遅れてライドとアルミリアもその光景に気付く。

 身の丈十八メートルのグレイズが倒れたことで視界を塞ぐ障害物はなくなり、その影から姿を現したのはまた新たなモビルスーツ。しかしその容姿は、己をそこらに蔓延る量産品から独立卓越したものであると誇張していた。

 肉食獣を思わせる鋭い双眸、異常なまでにか細くアンバランスな四肢、重力の存在を忘れさせるゆったりとした挙動での浮遊。そしてモビルスーツの巨躯を浮かせる継続的な大出力を可能とする、胸部装甲の奥にのぞく二基の円盤形状。エイハブ・リアクター。

 

「ガンダム・フレームだと …… ? 」

 

 それもただのガンダムではない。八年前の騒動の渦中で多くのそれを直に目撃し、さらにはその後の七年間で数多の関連文献を読み漁ったライドですら知り得ない新たな機体。ギャラルホルンが管理する九機でもなく、『エインへリアル』で所有する二機とも違うガンダム。

 

「ガンダムフォカロル。それがヤツの固有コードです」

「神奈か」

 

 会談潜入メンバーから外れ、マクギリスらと共にアーレスで待機していたはずの神奈。

 その声は周囲を覆い尽くす影の元凶、長距離輸送ブースター「クタン」のスピーカーから発せられていた。

 

「あなたの機体をお届けに参りました。ご健闘をお祈り致します」

 

 がこん、と積み荷を固定していたアームが外れ、拘束が解除される。クタンが飛び去り日光の下にその身を晒したライドの愛機アガレスは、オートで姿勢制御を行い、ライドたちが乗る車の前にふわりと着地した。

 急ブレーキをかけた車から放り出されるように飛び出したライドは勢いそのまま、全力でアガレスに駆け寄ると慣れた足取りでコクピットまで駆け上がる。そしてアガレスの起動、ここまで三十秒とない早業である。

 

「得体の知れないガンダムとは恐れ入る。とにかく様子見だな。ウィリアム、アルミリアと二人で予定通りに離脱しろ。オレもすぐに追いつく」

「分かりました」

 

 アガレスの股をくぐり、ウィリアムたちが十分に距離を取ったのを確認してライドも臨戦態勢に入る。それを待っていたかのように対峙するフォカロルも明らかに雰囲気が変わった。

 

「オレはバドイ・ロウ。ライド・マッス、ガンダム同士での決闘、たっぷりと堪能させてもらうぞ」

 

 獣のような戦意と凪いだ水面のような敵意が、正面からぶつかった。

 

 

 

※※

 

 

 

 遥か上空の軌道上、アーレスで割り当てられた自室の窓から赤茶けた大地を見下ろすマクギリスの耳に、インターホンの呼び出し音が響く。感傷に浸る浮わついた気分を悟られぬように抑えて、努めて平坦な声で「どうした」と無愛想な返事をスピーカーに吹き込む。

 

「なに、大した用じゃない。ただ『エインへリアル』、神殺しを謳う組織の首魁がどんなものかを覗きにきた野次馬だよ」

 

 ラム・ラバナだった。

 彼はロイヤーズ解体後、マクギリスの意向で単身ここアーレスまで召集され、大した規則や拘束、罰則などが与えられることもなく自由に出歩くことのできる立場にあった。もちろんマクギリスがライドたちへ直々に頼み込んで身柄を譲渡してもらったほどの男だ、ただ者であるはずもなく、その召集と数項目の条件にラバナが快く同意したからこその例外扱いとなっている。

 

「物好きもいたものだな」

 

 ちくちくと刺のある言葉を挟みながら、マクギリスはロックを解除して扉を開ける。見知った顔が彼を出迎えた。

 

「八年前に死んだって話を聞いたときには肝が冷えたが、何にせよ元気そうで良かった。久しく会わないうちに、少し変わったか。角が取れた」

「あなたは変わった様子がない。豪胆で強靭でブレることがない。元バクラザン家所有艦隊旗艦モビルスーツ隊隊長、ラム・ラバナ」

「よせよ照れくさい。もう十年以上前の話だ」

 

 世に言うマクギリス・ファリド事件のさらに前、まだギャラルホルンが世襲制の貴族家セブンスターズによって運営されていた頃、その七家の一角バクラザン家に代々仕えていたラバナ家の長男、ラム・ラバナ。家系に関わらずラバナ本人も当主への忠誠心に厚く、並外れた操縦技術と指揮官として申し分ない戦略・戦術知識を持ちバクラザン以外の家からも一目置かれる超エリートパイロットの肩書きを欲しいままにしていたのが、本人の言葉にあるよう十年以上前の話。

 そんな有名人であればこそ、当時まだ三十にも届かない若さで退職し姿を消したことは多少の騒ぎにはなったものの、ギャラルホルン外部まで波及するほどのことではない。ライドが知らないのも当然といえる。

 

「あの頃は、本当に世話になりました。モビルスーツ操縦、戦略と戦術の知識、一般教養から白兵戦闘の心得まで、私の今はあなたのお陰で成り立っているといっても過言ではない」

「飲みこみが早くて教えがいのあるガキだったからな。文句も言わなかったし諦めて逃げ出すこともなかった。境遇がそうさせたとはいえ、憎たらしいやつだったよ」

 

 アングラな世界でも最底辺の立場、自分の身体を売って日銭を稼いでいたマクギリスがファリド家に拾われてまだ間もない頃、まともに口をきいてくれたのはラバナだけだった。マクギリスの生い立ちを知る者らはあることないこと噂を流して煙たがり、彼を拾った当のイズナリオすらも話をするのは夜伽の相手をするときだけ、それもイズナリオの欲を満たすための機械的な受け答えだけ。ヴィーンゴールヴ内のセブンスターズ邸宅が立ち並ぶ区画において、マクギリスは完全に孤立する身だった。

 そこへたまたま通りかかったのが、バクラザン家当主、ネモ・バクラザンと話をするために訪れたラム・ラバナである。

 当然ラバナもマクギリスの噂は聞いていたから、初めは少しからかってやるだけのつもりだった。並みの新兵では到底耐えられないようなメニューを組んで厳しくしごき、どこかで脱落するのを嘲笑ってやろうと楽しみにしていたのだが、いつになってもマクギリスが音を上げることはなかった。

 意地になったラバナがどれだけハードな訓練を用意しようと、マクギリスはそれを達成するまで黙々と己を磨き続け、そう間も空けずにやり遂げてみせるのである。いつしかラバナはからかうためではなく、本気でマクギリスを育てるために稽古をつけるようになっていった。

 マクギリスが実力をつけて頭角を現すにつれ噂はより悪質なものに変わっていったが、もうそんなことは気にならなくなっていた。僻みや妬みを相手にする暇があれば、より己に磨きをかけていく。カルタ・イシューやガエリオ・ボードウィンと話をするようになったのもこの頃だった。

 ギャラルホルンの士官として、ファリド家の力を利用しながら異例のスピード出世を遂げられたのも、ラバナの協力があってこそのものだ。

 

 それはともかく。

 

「そんな昔話をするために来たのではないでしょう? 何を知りたいんです」

 

 滅多に見られないへりくだったマクギリスの姿は新江たちに見せれば半年は笑いものにされるかもしれない。その態度はマクギリスが心の底からラバナに敬服しているからこそのものだが、ラバナはそれを見てにやりと歪んだ笑みを浮かべる。

 

「話が早くて助かるな。まあ聞きたいことはたくさんあるが、とりあえずは二つ。『なぜお前が生きているのか』、それから『この組織を使ってこれから何をしていくつもりか』だ。手を貸す準備はとうにできあがっているが …… 場合によっては、ラスタルに付いてお前と戦う用意もできている。言葉は慎重に選べよ」

 

 ふっ、と息を吐いて、マクギリスは緩慢な動きで椅子に腰をかける。さらに数回、大きく呼吸を重ねてから紅茶を一口含んで、たっぷりと間を空けてから話し始める。

 

「ラバナ隊長は、アグニカ・カイエルの伝記を読んだことはありますか? 」

「隊長はよせと言っている。ギャラルホルンの士官なら読んだことがない者はいまい。厄祭戦終結の英雄にして組織創設の立役者、人類史最強のモビルスーツパイロット。まあ、いざ考えてみればそのくらいしか思い出せないな。そいつがどう関わってくるんだ」

「アグニカは、全ての始まりです。彼がいたから、この計画が立てられた。三百年前に残された彼の意志が、私たちを立ち上がらせてくれたのです」

 

 おもむろにデスクの引き出しに手をかけると、金属製のケースを取り出した。決して大きくはないマクギリスの手のひらに収まるほどの、火星で最近よく見るようになった交通系ICカードよりひとまわり大きいくらいのものだが、そこから感じる重たさ、威圧感のようなものは形容しがたい。おかしな奴だと笑われるのを承知で例えるなら、生身でモビルスーツを見上げた時のような圧迫感。それに似たものを、ラバナは感じ取った。

 表情から軽薄さが消えたラバナの様子を見て、マクギリスはギャラルホルンの紋章が刻まれたケースの蓋を開ける。鍵穴はあるが、鍵はかけていない。

 

「ここに収められているものを見て、驚かない人間はいないでしょう。アグニカが後世に託した、鋭い刃を見れば」

 

 ラバナの想像など及ぶ余地もない、突拍子がなく冗談みたいなそのデータは、二人の交渉を瞬時にまとめあげた。

 

「もう腹を探ることもないな。胸を張って、お前に力を貸せる」

「ありがとうございます」

 

 マクギリスの眼下、火星の大地は、徐々に集結し始めた鈍色の雨雲で見えなくなっていった。

 

 

 

※※

 

 

 

 始まった。

 火星連合が独立した時から、いずれこうなることは分かっていた。ならばそれを少しでも遅らせよう、少しでも小規模なものにしようと尽力してきたマクマード・バリストンは歳生の邸宅で一人、己の無力に絶望していた。

 八年前に手を取り合ったラスタル・エリオンは遠からずこの状況が訪れることを予測していただろうし、それに際して何か予防線を張るようなことは絶対にしないだろうと分かっていた。だからこそ嫌われているのを承知のうえでクーデリアとも手を結んだし、大人のやることだと分かったうえで鉄華団のツテをたどってアーブラウの議員連中にも甘い汁を吸わせてやった。テイワズの頭を降りる覚悟で実務は子どもたちに引き渡し、火星の安全と発展のために全力を注いできた結果がこれである。

 たった八年、引き延ばしただけに過ぎなかった。政治的に見れば、歴史的に見ればほんの一瞬にも満たない時間稼ぎ。若い頃に感じた挫折とは違う、もうあの頃の気力はない。

 

「失礼します」

 

 そんなことばかり考えていたマクマードは、部屋の扉が開いたことにすら気付かなかった。そして、下部組織の中でも特に勢いのある運送会社、タービンズを率いるアジー・グルミンが入ってきたことにも。

 

「何をしているんですか。今、火星が大変なことになっているんですよ」

「ああ、そうだな」

 

 激しい剣幕で詰め寄られて初めてアジーの顔を見たマクマードは、気のない返事をよこしただけ。時おり焦点が合わない虚ろな目を動かし、呼吸が荒くなる以外にまともな反応がなかった。

 

「できることはあるはずでしょう。戦闘向きの者もいるし、事務処理に向いた者もいる。テイワズは何から何まで自己完結できる組織だってダーリンに自慢してたの、あなたでしょう。まだ遅くはないはずです」

「うるせぇな、まだ青いだけの小娘がよぉ……」

 

 そこでマクマードはようやく、アジーの言葉に答えた。まともな反応をよこした。しかしそれはかんしゃくを起こしたような、ひどく稚拙で見るに耐えない、無茶苦茶な理屈だった。

 

「こうなりゃラスタルは敵に回ったようなもんなんだよ!! 言うこと聞けねぇ鉄華団のガキどもは勝手にノブリスの野郎を殺しちまうし、挙げ句マクギリスなんて厄介極まりない若造までかんで来やがる。これ以上オレにできることがあるものかよ!! 」

 

 もう、疲れたんだ。休ませてくれ。

 言葉にならない叫びに、アジーは顔をしかめる。だん、と拳を痛めそうなほどの勢いでデスクを殴ると、息が触れあうほどの距離まで顔を近付けてマクマードをどやしつける。

 

「私はあんたとの付き合いが短いから詳しいことは知らないけどね、あんたの息子になれたことを誇りに思ってるダーリンとの付き合いは長いんだよ。御託を並べるのはよしてくれ、みっともない。それ以上、ダーリンが憧れたマクマード・バリストンの顔に傷を付けないでくれ …… !!」

 

 動き出せないでいるマクマードを最後に一瞥すると、アジーはそのまま部屋を出ていった。「あんたが動かないならあたしらは勝手に動く。盃を割っても構わない。あたしらは、あの悪ガキたちを助けに行く」言い捨てた顔はひどく悲しそうで、しかしその裏に強い決意を秘めた、青い若造の顔だった。

 

「そうか、そういうものか」

 

 ゆっくりと、気付けば無駄な肉が付いてしまった身体を起こす。まだ気力が戻ってきたわけではない。何かをやってやろうという気概もない。

 ただ、駆け出しの若者にはない、何かをやらねばならないという使命感を、思い出したのである。

 

「漢マクマード・バリストン、最後にひと花、上げてやらねぇとなぁ!! 」

 

 己を奮起させるための一言が、誰もいないだだっ広い室内に威勢よく響いた。

 まだ戦える。

 少しだけ、若さというものを思い出した気がした。




閃光のハサウェイ、遅ればせながら観てきました。
エヴァの感動に触れていた手前、どうせ大したことないだろ(失礼にもほどがある)と思っていたのですが、本当によくできてました。
透き通った海面、じっとりした感じが伝わってくる植物園、くどすぎず分かりやすすぎない適度にデフォルメされた富野節、刷新されたキャラクターデザイン、重厚感とスピード感を両立するバトルシーン。
明らかに「これまでにないタイプのガンダム」だったと思います。
次が本当に楽しみ。


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三百年越しの感情

 三百年前、厄祭戦が終わった時。そこまで話は遡ります。セブンスターズの当主をはじめ、多くの戦果を挙げ、「七星勲章」を手に入れた家門は新たに設立されたギャラルホルンという組織の中で、確固たる地位を築き上げる。

 しかしラバナ隊長、おかしいとは思いませんか。

 記録に残る限り、最も多くのモビルアーマーを駆逐し人類を勝利に導いたアグニカ・カイエル、「七星勲章」の数もセブンスターズ筆頭イシュー家を遥かに上回る。そんな彼の家系が、なぜ後世に残っていないのか。

 子を成せなかった? 養父、イズナリオ・ファリドはこうして外部から子を迎え入れ血を繋ぎました。当時の技術ならば体外受精などの選択肢もあったでしょうし、血筋が絶えるということはまずあり得ない。セブンスターズの席に家紋すら残っていない、伝記にある功績が本当ならひどく扱いが雑ではないのか。

 疑問の答えは、バエルの中にありました。

 コクピット内のコンピュータに紛れさせて機体の一部のように見せかけてありましたが、完全に独立した記録媒体。三百年前、アグニカが残したものです。

 ゆっくりと、語っていきましょう。

 

 

 

※※

 

 

 

「絶対に捕まえろ、逃がすんじゃないぞ」

「あっちへ行ったのを見た。早くあのネズミを……」

 

 視界が霞む。脚の感覚はとうに失い、自分がどこに向かっているのかも分からない。荒れた空気を体外に排出しようと躍起になった生理的反応のせいで鼻水が止まらない。ひたすらに酸素を取り込もうと喘ぐ口はからからに乾いている。もう記憶さえまともに機能していないと思えた。

 ただひとつだけ確かなことは、「捕まってはならない」、それだけ。

 これまでに連れていかれた仲間は、この掃き溜め同然の汚ならしい町で出会った気の良い彼らは皆、悲惨な末路をたどった。

 二度と帰っては来なかった、なんて安っぽい表現が最大の不幸を表すと思っているのなら、そいつは想像力が足りていない。変わり果てた姿、落ちぶれた姿で戻ってきた人間に対して、これまで通りに接することができなくなった時のことを考えてみるべきだ。

 生きる希望も丁寧に育てた自信も何かを成し遂げる気力も何もかも奪われ、自分を責めるだけの置き物に成り果てた人間を見たことがある人など、このすさんだご時世にもそうはいまい。

 

 一人目は、手術に失敗して左半身不随の後遺症を負った。必死に這って住んでいた雑居ビルの屋上までたどり着くと、そこから身を投げた。

 二人目もうまくいかず、中枢神経が麻痺して植物人間になった。何の感情もなく何の反応も示さない彼に対して、今度は周りがおかしくなった。甲斐甲斐しく世話を焼いていた母親が自らの腹を刺し、父親はどこか遠くの町へ逃げた。世話をする人がいなくなって、結局彼も死んだ。

 三人目はようやく手術が成功して、モビルスーツのパイロットになった。まともな教育も受けられず、ゴミ箱を漁るだけの一日を過ごしていた彼は見たこともない額の給与をもらって親に新しい家を用意した。パイロットになってから半年も経たない頃、初めてモビルアーマーとの戦闘に参加したとき、コクピットを叩き潰された。無惨な姿になって帰ってきた子どもを見て、新居を喜んでいた両親は激しく後悔していたようだった。

 

 他にもたくさん連れていかれ、たくさん戻ってきた。生きて戻ってきた者、死体になった者、見た目は何も変わっていない者、どいつもこいつも、戻ってきたところで誰も嬉しがりはしなかった。

 

――厄祭戦当時の技術は万能だと誤解されがちだが、そんなことはない。そもそも厄祭戦終結、モビルアーマー全機の活動停止が確認されたのは、最初にモビルアーマーが人類を攻撃してから五十年の月日が流れていたという。それだけの期間を空ければ、技術力は大きく変わってくるだろう。阿頼耶識システムの運用体制が整ったのはガンダム・フレーム開発とほぼ同時期、厄祭戦末期とも聞く。彼が施術を受けたのは厄祭戦が始まって間もない頃だ、恐怖を抱くのも当然だろう。

 

 全自動殲滅兵器、モビルアーマーの見境ない人類虐殺が初めて確認されてからたったの数年、町には戦乱によって家族を失った子どもが溢れ、結託した彼らは混乱した世界を逞しく生き抜いていた。

 しかし、これまで敵対していた二大勢力、地球連合軍と宇宙革命軍が合流した人類史上最大の軍事同盟、「ヘラクレス」が対モビルアーマー用決戦兵器、モビルスーツを実用化させてからその生活は厳しいものになっていた。

 体内に直接インプラント機器を埋め込み卓越したモビルスーツ操縦技術を付与する阿頼耶識システムの誕生によって、身寄りのない子どもたちは瞬く間に即席戦力としての価値を見いだされ、次々とヘラクレスに身柄を拘束されて強制的に手術を施されて前線に送り込まれ。仲間は日ごとに減っていく。

 

 結局、彼もほどなくして捕まった。

 他の子どもたちと同じように拘束され連行され、同じように手術を受けた。

 全身麻酔で意識がないはずなのに、身体のそこら中に激痛が走った。好き勝手に身体をいじくり回される経験は少年に恐怖と苦痛と屈辱を与えた。医療知識がある者が見れば発狂するような外法である、教養も学も何もない少年にとっては言わずもがなだ。

 そしてこれまでの仲間たちと同じように前線に送られた少年は、同じようにモビルアーマーと対峙する死地を味わった。

 ただひとつだけ違ったのは、「いつまでたっても死ねない」こと。

 主に火星近辺での戦闘に駆り出された彼に与えられたのは量産の粗悪品、マンロディであったにも関わらず、一か月で三度出撃し三度とも生き延びた。四度めでモビルアーマーに一撃を入れることに成功し、六度めには単機でモビルアーマーの矢面に立った。十回もしないうちに正規の軍人たちの隊列に加わって、一年が経つ頃には「武神」の通り名がついた。

 彼と共に出撃した部隊は、誰も死なないようになっていた。

 

 気付けば何十年もの間戦い続けた彼は、厄祭戦末期、ヘラクレス旗艦所属モビルスーツ隊を率いる立場になっていた。

 技術の発達によって安定した結果を得られるようになっていた阿頼耶識の手術でインプラント機器を追加し、モビルスーツ隊の中で最年長でありながら最前線で味方を鼓舞した。ガンダム・フレーム、バエルに乗った彼が叩き出した戦果には誰もが恐れおののき、いつの間にか「火星の王」、アグニカ・カイエルの名が浸透していった。

 

――あっという間に時間が飛んでしまったじゃないか。ゆっくりと話すってのは何だったんだ?

――長くなるのはここからですよ。現代まで繋がる旧体制の汚点、隠蔽された失政。厄祭戦の結末も現在の情勢をも決定づけた、三百年前の利権争い。語ることはまだまだあります。

 

「終わったか」

 

 辺り一帯、見渡す限り焼け野原になった大地のど真ん中でアグニカが呟く。バエルの前に横たわるのは、かなり人体に近い構造をした無人兵器である。

 確認されていた最後のモビルアーマーを停止させたのも、アグニカが率いる部隊。名実ともにヘラクレス最高峰のパイロットが集結したエリート部隊は、いとも容易く異形の化け物を仕留め、功績を挙げていた。

 同日、ヘラクレスの司令部が厄祭戦の終結を宣言。何十億の命と引き換えに、人類は平和を手に入れた。地下シェルター暮らしに慣れた人々は、太陽の光に目を焼かれる喜びを共有した。

 

 その裏で粛々と進む戦後処理の闇を、庶民たちが知るよしもない。

 ヘラクレス改め『ギャラルホルン』。

 終末戦争を告げるその笛が鳴らないようにとの願いを込め、もしもその時が訪れたなら真っ先に戦場へ駆けつけて火種を消すため、そのための武力もヘラクレスから引き継いだ。

 その頂点に立つのはモビルアーマー打倒の証、「七星勲章」の所持数がヘラクレス構成員の中で飛び抜けて多い者、その上位七名からなる最高議会において意志決定を行う。その制度の発案者はバクラザン卿だった。

 独裁にも似た悪政ともとれるシステムは、教育を受けず、ただ戦うことだけを知り育った旧ヘラクレス構成員たちを取りまとめるために必要なものだった。同時に、疲弊しきった人類そのものを回復させるためにも強力なリーダーシップが必要とされた。後世から検証すれば破綻しているようなシステムも、その時代に最も適したものである場合が多々ある。このとき、セブンスターズという存在は確かに必要とされていた。

 ただひとつ、アグニカ・カイエルをセブンスターズから除外するという決断をしなければ、このときのバクラザン卿たちが後世に渡って責められることはなかっただろう。

 システムを構築し運用するにあたって、アグニカほどの突出した個の力は体制崩壊の憂いにしかならない、その判断は確かに正しい。しかしアグニカに対するその後の処遇はあまりにも酷すぎた。

 厄祭戦で挙げた戦果の証拠、「七星勲章」はすべて没収。指揮下においていた艦隊は解体され、ギャラルホルン本隊に統合。アグニカ自身は火星よりもさらに遠く、アステロイドベルトに駐留する新設の艦隊、木星内縁軌道統制統合艦隊指揮官のポストを与えられたものの、その実態は旧式のハーフビーク級数隻にマンロディを主力とするモビルスーツ隊と酷く貧相なものだった。

 名目上は「厄祭戦当時から活動記録が停止しているモビルアーマーへの警戒」、そのためアグニカからバエルまでも没収することはなかったものの、島流しに等しい冷遇であることは明らかだった。

 

 その間に、地球は厄祭戦前ほどではないものの、驚くべき速度で復興を遂げた。火星や金星、宇宙へ目を向けず、そこに割かなければならないはずのリソースをすべてつぎ込んで。しかしアグニカは繁栄から遠く外れた道を歩むことを余儀なくされた。地球再興の立役者であるはずの彼が。

 付け加えるならば、アグニカが厄祭戦終結のため尽力していたことを示すエピソードは枚挙に暇がない。

 阿頼耶識手術の技術に進展があれば自らの身を差し出して実験台となり、難民キャンプの人手が足りなければ軍務の合間を縫って応援に駆けつけ、必死に勉学に励みモビルアーマーの解析にも従事した。

 当時はどこも人手不足で複数の仕事を掛け持ちするのが当たり前の状況であったといっても、アグニカほど勤勉だった人物は他にいない。金星から木星まで、困っている人がいればどこへでも赴くその姿は畏敬の念を込めた視線の的だった。「武神」の称号はすぐに消え、争いの神ではなく、人々を救う神として、認知されていた。

 となれば、アグニカを信奉、崇拝する者たちが新生ギャラルホルン政権に対して異議を唱えるのも必然。アーブラウやSAUなど各経済圏の復興が進むにつれ、その運動は加速。結局のところ、人類は未曾有の災害となった厄祭戦から十年と経たないうちに次の戦争を、人対人の争いを始めてしまった。

 

 ギャラルホルン対全世界という分かりやすい構図は民衆の心を煽り、戦力差は一対二十とも言われた。しかしその結果は誰もが予想し得なかった、ギャラルホルンの勝利に終わるのです。

 言わずもがな、圧倒的戦力差を覆し勝敗を決したのは厄祭戦の禁忌です。機械が相手であればといかなる方法をも試行錯誤して生み出された兵器が人間に牙を剥いた。ガンダム・フレーム、ダインスレイヴ、生物兵器、理論上の最高到達点にたどり着いた完成形の阿頼耶識。

 人類の四分の一が死滅したと伝わる厄祭戦、しかしその被害のほとんどは人間どうしが戦ったほんの一週間に生み出されたものです。同時に、今に至る経済圏とギャラルホルンのパワーバランスの原型が築かれました。

 

 アステロイドベルトにいたアグニカに一報が届いたのは、すべてが終わった後だった。

 火星の地形は変わり、抉られた大地の中から目覚めたモビルアーマーによって二次被害が発生。地球でも生物兵器が投入され、ギャラルホルンに反抗する勢力は軒並み壊滅させられたという。

 形容し難い絶望がアグニカを襲った。

 学がなかった彼に難しい理屈は分からなかったが、自分は人を救うために戦っているのだということは理解していた。どんなに混乱した戦場でも民間人を守り、仲間を救い、友を助けた。モビルアーマーを倒すために町ひとつを囮にする作戦も提案されたが、即刻却下した。徹頭徹尾、力なき人々を見捨てる選択肢は頭になかった。

 そうして助けた人類が自分のために戦い、膨大な犠牲を払っている。戦後世界を統治するためのギャラルホルンは、自ら戦を巻き起こし人類を淘汰する横暴と成り果てた。

 もう誰も信じられなかった。

 五十年間唱え続けた平和への渇望も所詮は口先だけのものか。人間の持つ自浄作用などそもそも存在しないのか。

 アグニカは自身の職務を副官に任せ、ギャラルホルンを退役した。何年かの勤務のうちに得た情報――休眠に入っているモビルアーマーと行方不明になっていたガンダム・フレームの位置座標、独自に研究を続けていた阿頼耶識の技術、その他にも三百年後に失われることとなった多くのロストテクノロジー――それらを収めたコンピューター・チップをバエルのコクピットブロックに封印して。

 

――当時のギャラルホルンは、アグニカ自身が反乱に加わらなかったことに感謝するべきです。彼が戦列を率いることになれば、それは宗教戦争に等しい。反乱分子は最後の一人になるまで抵抗をやめなかったでしょう。幸いにもアグニカは冷静な人間でしたが、それでもさすがにギャラルホルンの暴挙に対しては耐えかね、後世に願いを託したようですが。それがどんな想いだったのかは、もう誰にも分かりません。

 

「アグニカの復讐を引き継ごうとでもいうのか? その程度の展望しかないっていうのならオレは手を引くぞ。泥舟に乗ってやる義理はない」

「まさか。他人の激情に身を任せるほど私も愚かではありません。あくまでもアグニカの想いは利用価値のある道具。我々の目的は別のところにある」

「その言葉選びには悪意を感じるな。『我々』ではなく『私』、お前一人の目的だろう。『雷電隊』とかいうところのライドってやつは現行体制の崩壊を望んでいたらしいが、お前がその程度で満足するはずがない。隠し通せると思うなよ。全部吐かなければ、オレは納得しない」

 

 長く話し続けたマクギリスは、ここでようやく一息を入れた。「失礼」とグラスの水を口に含む。

 

「敵いませんね、教官には。あの少年にも、新江にも私の目的は明かしていません。それが組織の頂点に立つ者として相応しくないことは、自分でも分かっていますから。私の本当の目的は――」

 

「まあ、及第点といったところか。全部が終わって最終評価が出るまでに、オレの印象が少しでも好意的なものになっていることを祈るよ。あの少年と同様に、『エインへリアル』には遊撃隊として参加しよう。好きに使ってくれ」

 

 マクギリスとラバナの交渉は、誰も知らないところでひっそりと終わった。それが今後の世界に与える影響を考えれば、ひどく簡素で慎ましいものであったと言わざるをえない。

 

「次の作戦が、すべての点を繋ぐカギになります。参加していただけますか? 」

「もちろん。お前の成長を見せてもらうさ」

 




こういう密会シチュは大好きですが、自分で書くには雰囲気や駆け引きが難しい……。

マクギリスの秘密が一部明かされた感じになってます。
さて、あとどれだけの秘密が隠されているのやら。


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受け継いだ者が選ぶ道

 

 仮にも人の形を模しているとは信じがたいアガレスの巨大な腕が空を切る。そのたびに吹き荒れる暴風が錆色の砂粒を巻き上げる。対するフォカロルはすいすいと不規則な挙動を取って攻撃を回避する。避けているというよりは当てさせない、という表現が近いだろうか、時折明らかにアガレスが無駄で大振りな動きを見せている。

 見晴らしのいい砂漠での決闘は、既に相当の距離を走ったウィリアムたちの車窓からもはっきりと見ることができた。

 

「劣勢か。相性の悪さもあるだろうが、なんとも動きが大味だな。何か余計な悩みごとでも抱えてなけりゃいいんだが」

「あのままでは一撃も当たらないでしょうが、あのガンダムもアガレスに致命打を与えられるとは思えません。いずれにせよ、現時点での判断はできません」

「案外、慎重派なんだな」

「戦場において戦局を見極めることは最も大切なことです。それを見誤ることは、敗北を意味します」

 

 そうかい、とウィリアムはフロントガラスに視線を戻す。マクギリスから与えられた情報の中にもない新たなガンダム・フレーム、それはとても興味をそそられるものだったが今は離脱が最優先。

 明らかにアガレスが不利と見ての言葉は本心ではあるが、別にウィリアムとてライドが負けると思っている訳ではない。生死をもって判断される戦場の勝敗においては、勝つことよりも負けないことの方がよほど簡単なのだから。

 願わくば、アルミリアと二人きりというどうしようもない居心地の悪さからも、早く離脱したい。

 

 

「リアクター固有波形特定完了、ガンダムフォカロル。エイハブ粒子が生み出す重力場の圧縮によって局所的な反重力域を生成、通常のスラスター噴射とは異なる独自の機動パターンを有する、と。三百年前のデータが残ってるってのも、便利でいい」

 

 暗礁宙域やアステロイドベルトで廃棄されたリアクターが生み出す重力がより高密度なデブリ帯を形成することは周知の事実であり、テイワズなどはその危険地帯を安全に航行できる独自のルートを持っていることが他の組織に対する大きなアドバンテージになっていたりもする。

 しかしエイハブリアクターが生み出す重力など僅かなもので、上述の現象も惑星の力の影響を一切受けることのない圏外圏でしか起こりえないほどのまれなものである。モビルスーツにおいても生み出された重力は有効活用されており、加減速などによるパイロットへのGを軽減したりもしているが、あくまでオマケ、気休め程度のものに過ぎない。ガンダム・フレームがいくら二基のリアクターを備えているといっても、それはせいぜいしょせん五十歩百歩といったところ。そもそも勝手に四散するエイハブ粒子を制御する技術など現代に残っていようはずもなく、厄祭戦当時の技術に敬服する他ないが、理屈が分かれば多少の進展はあったといえる。

 

「期待してるんだよ、あんたには。バルコーナ・ヨーゼンも、計画に賛同する同志たちも。がっかりさせないでくれ」

「勝手に幻想を見てんじゃねぇよ。オレが応える義理はない」

 

 バドイ・ロウはよくしゃべる男だった。戦闘中によくもまあそこまですらすらと言葉が出てくるものだ、と感心してしまうほどに。

 それをひとつずつ突っぱねて、ライドは淡々とフォカロルを攻め立てる。

 アガレスの腕がフォカロルを捉えた。

 力を込める間もなく、フォカロルはぬるりと衝撃をいなしてすり抜けた。海を漂うクラゲのような、美しさの中に不気味さを内包する気配。それが余計にライドの神経を刺激する。

 マクギリスとは別の意味で腹立たしく、心底嫌いなタイプだ。

 

「打倒ギャラルホルンの目的は一致しているだろ? 何を躊躇うことがある」

「鉄華団を騙れば迎合するとでも思ったか。そういうのが浅ましいんだよ」

「オレたちの事を知ろうともせず、頭ごなしに否定ってか。あんたが嫌う政治屋と変わりねぇぞ」

「初対面のくせに偉そうな口をきく、お前みたいなのが一番気に入らねぇ」

 

 平行線の会話は果てしなく続く。初めから何も話す気はないライドだったが、ロウのしつこい言葉がいちいち癇に触るのだ。バルコーナ・ヨーゼンというのが何者かは知らないし興味もないが、名前が出てくるタイミングが胡散臭い。言葉の響きが鬱陶しい。どうせマクギリス・ファリドと同じようなものに決まっている、ならばわざわざ鞍替えをする必要もない。目の前の、騒がしいヤツを倒して終わりだ。

 

「いつまでも腕を振り回すばかり、脳がねぇな。そんなものなのか、ガンダムアガレスとライド・マッスは」

「オレは升牙・ライグライド。ライドなんてヤツは知らないな」

「ずっと過去に固執してる人がよくそんなことを言えたものだな。オルガ・イツカの前で同じことが言えるってのか? 」

「少し喋りすぎだな」

 

 アガレスの右腕が、二度めにしてしっかりと、確実にフォカロルの身体を捉えた。脚部にクリーンヒットした一撃がか細い脚の膝関節を砕く。軽量ゆえに衝撃を受け流すフォカロルの身体を左腕で掴み固定し、さらに一撃。直撃を受けた頭部は激しく歪み、ぐちゃぐちゃになって破損した精密機器が露出する。

 

「軽々しくその名前を出すな。これ以上鉄華団を侮辱するなら、コクピットも潰すぞ」

「鉄華団の名前に誇りを失ったのは、あんたの方じゃあないのか」

「昔と同じやり方では、もう成功できないって学んだだけだ。いつまでも子どもではいられない」

「そうやって自分を抑え続けることで、あんたの目的が達成されるとも思えねぇけどな。まあ、今回の目的は達した。何かあれば、気兼ねなく頼ってくれ、とバルコーナ・ヨーゼンからの伝言だ。ゆっくり考えてくれ」

「逃げられるとでも思ってるのか」

「思っているよ、お坊っちゃん」

 

「そこのモビルスーツ、所属と目的を伝えろ。抵抗すれば相応の措置を取る」

 

 ジュリエッタがセヴェナに頼んで調達したレギンレイズだった。

 鈍い鉛色を基調としたカラーリングはイオク・クジャン、ひいては三百年前の初代クジャン卿の頃から代々伝わるパーソナルカラーであり、つまりこの機体は普段セヴェナの乗機ということである。

 ギャラルホルンのモビルスーツパイロットの中でも特にエリート、出世街道にいるような人間は他人が乗る機体など乗りたがらないものだが、貧民上がりのジュリエッタにそのようなプライドも嫌悪感もない。むしろくだらない自尊心を捨てられず迅速な行動を取れない人種にいら立つ、そういったギャラルホルンの中では特異と分類される気性を持っている。

 

「ギャラルホルンがなぜ、こんなに早く来られるんだ」

 

 マクギリスと新江の暗躍でギャラルホルンの動きがかなり制限されると聞いていたライドは、いくらフォカロルに意識の大部分を割いていたとしてもジュリエッタの迅速さを考慮していなかった点で迂闊だった。

 とはいえジュリエッタとて、連続して発生した自爆テロに混乱する会談の会場に警護対象を置き去りにして、有事特権で通りすがりの車を拝借すると『方舟』との定期便が発着する宇宙港へ向かうとセヴェナが手配したレギンレイズに乗って息つく暇もなくここへ乗り込んできたのだ。自身の判断に特権を与えられる立場にあるからといっても相当の無理を通して道理を蹴飛ばして来たのだから、ライドを責めるのも難しい話ではあるが。

 

「問うているのはこちらです。所属と目的を答えなさい。ギャラルホルンから逃げられるとは思わないでください」

 

「その声、聞き覚えがあるな。戦場の乙女、ジュリエッタ・ジュリスか」

 

 反応したのはロウだった。当然、数時間ほど前に顔を合わせたライドも気付いている。だが、できるだけ彼女とは言葉を交わしたくない理由があった。

 

「いつまでも黙っていると敵対と見なします。所属と目的、早く答えて頂けますか」

「話している時間はない。急ぎ、用事が待っているんでな」

 

 アガレスのスラスターに火が灯る。再び高く舞い上がった砂粒がモニターを覆い尽くした。

 反射的に操縦桿を押し込んで敵との距離を詰めるジュリエッタの耳に、必死に圧し殺した声が響く。つい先刻、ホテルでの喧騒の中に混じっていた声だ。

 ライドが覚えているのであれば当然、ジュリエッタも覚えているのは道理だった。ちっ、と漏れた舌打ちの音は通信機が拾っただろうか。

 

 

「逃がすわけにはいかない理由が生まれたようですね」

「上からものを言うばかりで、結局は奪うことでしか変えられない。表向きしか変わってない。それがギャラルホルンだろ。オレを捕まえる権利なんてあるのか? 」

 

 重心が通常のモビルスーツと違うアガレスの動きは不規則で不可思議で、端から見ればフォカロルのものよりもトリッキーで予測不可能に思える。

 それを必死に食らいついていくジュリエッタの技量は相当なもので、とはいえその本質は見るべき者が見なければ分かりはしない。

 

「犯罪者及び不穏分子の拘束は権利ではなく義務です。法の番人たるギャラルホルンとしての」

「そりゃ素晴らしいことだな。敵対する者をすべて牢屋にぶちこんで殺してしまえば体制は磐石に保たれる。そこにどれだけの問題があろうと」

 

 軽やかなステップを踏むアガレスに、レギンレイズの手が届く。それをすぐに払いのけ、ライドはさらに後ろへ下がる。

 目下、ライドの目的はアルミリアたちと合流して方舟に上がり、貸しコンテナ区画で一息ついてからアーレスへと戻ることである。しかし、ギャラルホルンの目に留まってしまった以上はどうにか撒いてしまわなければアルミリアたちにまで実害が及ぶ。

 

「少なくともあなたたちのやり方よりはマシですよ。暴力だけで世界を円滑に動かせるとでも思っているのですか」

「法に基づけば暴力は正義の鉄槌となる、か? SAUとアーブラウの武力衝突を煽ったことも、圏外圏のヤクザと取引してお坊っちゃんを守ったことも、火星の大地を抉り取ったことも、民間会社を徹底的に殲滅したことも、すべて正当化されるとでも言うのか!?」

「まさか、本当に鉄華団の生き残りだとでも……」

 

 話していくうちに抑えきれなくなったライドが、感情をぶちまける。言葉の内容だけではない、その絞り出した悲鳴のような、腹の底に溜まったものを吐き出す怒声のような、正直な感情をまっすぐにぶつけられたジュリエッタは、心臓を直接握られたような圧迫感を覚えた。

 コンマ数秒、レギンレイズの動きが乱れる。それはジュリエッタの心の乱れを正直に反映したものだったが、そこでアガレスが初めて自分から距離を詰めた。

 

「確かにオレたちに大義なんてない。あの時は、ただ生きていくために戦っていた。そして今は、奪われた痛みを知らしめるために戦っている。ギャラルホルンがオレにこの生き方を選ばせたとは言わないが、結果的にこういう奴らが生まれるようなことをやったんだよ、お前たちは」

 

 ひゅっ、と静かにアガレスの右腕が動く。たった一撃でレギンレイズの前面装甲に大きな傷痕が、一直線に刻まれた。

 むき出しになったコクピットの中で、ジュリエッタは自分の身体から力が抜けていくのを感じた。

 

「余計な手出しをしなければ、もう会うこともない。そう願いたい」

 

 ギャラルホルン士官としてあるまじきことに、このときジュリエッタは心の底から敵と同じことを願った。

 

 

 

※※

 

 

 

 会談が中断されたホテルは即座に封鎖された。予定されていた式典も中止となり、そちらに本陣を構えていた警備隊や式典用モビルスーツ部隊もホテル周辺の警戒に当たる。

 同時に、フェーク・メイクスが手配した部隊が合流。テロリストへの対策と警戒を主な任務とするその特務隊は現場到着後、真っ先に指揮系統を自分たちを頂点とするピラミッドに作り替えた。

 適材適所といえば聞こえはいいが、横暴が過ぎるほどの振る舞いは現場の警備隊たちにひんしゅくをかっていた。それでも自分たちに向けられる恨みがましい視線をものともせず、職務を忠実に果たそうとする彼らの姿勢には、見習うべきところもあるにはある。

 まず行われたのは、ノブリスが雇用している警備員たちへの事情聴取だった。

 この際、名簿と照らし合わせて人数確認をした時点で既に多くの隊員が行方不明になっていたのだが、それらは全てマクギリスの息がかかった者たちであり、メイクス直属の特務隊員が問題視することはなかった。何を隠そう、その隠蔽が今回の彼らの主目的である。

 百人以上にも及ぶ警備員をひとりひとり呼び出して個別に話を聞いているうち、さらに両者の関係が拗れていくのはどうしようもない問題だったが、それだけのリスクで済ませるにはとても有益な情報が得られた。

 

 曰く、「バルコーナ・ヨーゼンを知っている」と。

 

 すなわち、テロリストの実行犯に当たる人物の拘束に成功したのだ。

 数は四人。自爆した者らと違い、全員が警備員として潜入するにあたって不自然のない成年である。聞けば数か月前、それぞれが別ルートで雇用契約を締結した新人らしい。

 

「彼らの身柄はこちらで預かる。不都合があれば、火星支部へ問い合わせてくれ。何も出てこなければ、すぐに返却するさ」

 

 最後まで慇懃な態度を崩さないまま、特務隊は捕虜を連れて引き上げた。無線を通じて指示を出しこそすれ、現場に残る価値はもうないと判断を下したのだ。

 一連で僅か半日足らずの手際のいい仕事ぶりに、残された者らはただ唖然とするしかなかった。

 

 

 

※※

 

 

 

「苦労をかけたな。ともあれ、無事で何よりだ」

 

 アーレスに着いて早々、ライドとウィリアムはマクギリスの私室へ呼び出された。

 流仁は事後処理のために現場に留まったままであり、アルミリアはしばらくマクギリスと水入らずを楽しむらしいのでこの場で聞く必要はないのだろう。

 

 一通りの報告を聞き終わるまで、マクギリスは神妙な面持ちを崩さなかった。

 いつもいつもその表情を浮かべているため、内心で何を考えているのかは読み取れない。雷電隊のメンバーの中には、「実は何も考えていないのではないか」などと茶化す者も多い。

 

 

「バルコーナ・ヨーゼンとはまた、厄介な相手が絡んできたものだな。鉄華団を名乗る辺りも彼らしいといえばらしいだろうが」

「勝手に納得してんじゃねぇよ。そりゃ現場の指揮官クラスに開示できる情報にも限界があるのは分かるが、そうやって何もかも隠されてるんじゃ今後の行動に支障が出る。最低限のことは教えてほしい」

 

「そうか、そうだな」

 

 ふっと口もとを緩めるマクギリス。つい先刻ロウとかいう男やジュリエッタにも言った通り、こういう常に人を見下したような態度を取る人間は生理的ともいえるレベルで嫌悪感を抱くライドだったが、マクギリスに対しては決してそれを表に出すことはなかった。

 自分の目的達成のため、マクギリスとの協力関係、あるいは主従関係は必要不可欠なもの、となれば多少の私情は抑え込める。

 

「バルコーナ・ヨーゼン、彼は今は、アフリカンユニオンに拠点を置く反ギャラルホルン組織の親玉だよ」

「地球のテロリストか? そんなやつがなんでわざわざ火星くんだりまで」

「それはもちろん、実利のためさ」

 

 五年前、アフリカンユニオンでテロが起こった。しかも、歴史的に因縁の深いSAUとの干渉地帯で。

 厄祭戦前は数百年に渡って散発的な軍事衝突が起こっていた両者はこの三百年間、ギャラルホルンの仲裁と厄祭戦の反省を以て互いに友好関係を築くべく尽力していた。

 しかし八年前の改革以降ギャラルホルンの軍事的圧力が弱まり、モビルスーツの入手が容易になったことから二つの経済圏は急速に軍事力を整え、関係性がぴりついてきた矢先の出来事である。

 SAU側の警備部隊の基地においての爆破テロだった。

 アフリカンユニオンとSAU、双方への攻撃であれば協力してテロリスト逮捕への道のりを進められたかもしれない。しかしSAU側にのみ被害があった点、犯行後に出された声明から主犯格バルコーナ・ヨーゼンがアフリカンユニオン出身であることが明かされた点、その二つはSAUの国民感情を激しく揺さぶった。

 間もなくして両者は些細な軍事衝突を起こし、互いに宣戦布告を経て戦争へと至った。

 アーブラウやオセアニア連邦と違い資本流入が少ないことで、幸い火星への影響は皆無ではあったものの、『エインへリアル』参加以降世事の収集に並々ならぬ心血を注ぐライドにも多少の知識はあった。

 

「そういえばそんなこともあったな。しかし火星にまで遠出してきた理由は何だ? 」

「言っただろう? 反ギャラルホルン組織だと」

 

 現在のギャラルホルンは組織改革を推し進めたことで外部からの信頼こそ取り返し始めていたものの、エイハブリアクターの技術を公開したことで影響力と軍事的圧力については低下の一途を辿っていた。

 独裁、強権、傲慢、無慈悲。

 それらかつてのギャラルホルンの代名詞ともいえるものが消え去れば、恐れる必要はないのだ。

 ならば、ようやく戻ってきた信頼も崩してしまえば、ギャラルホルンは瓦解するのではないか。そう考えるのはごく自然な流れだろう。

 当事者たるSAUとアフリカンユニオンの感情はともかく、戦争を止められない軟弱な組織との評が立てばもう誰もギャラルホルンに見向きはしなくなるだろう。あくまでもそこにのみ焦点を絞るのなら、そこら中に火種を撒き散らしていくというやり方は非常に効率的かつ効果的だ。

 

「本気で、ギャラルホルンを相手取ろうっていうのか。あんな、武装しているとすら呼べない粗末な玩具で。自分の思想を確立しているともいえない未熟な子どもたちで。手段を選ばない、悪質な手法で」

 

 違うだろう。

 反体制というのは、確かに体制への不満から来るものであったとしても、そこに無関係の人間をも巻き込む悪辣なやり方を容認していいはずがない。歴史上、繰り返し行われてきたその手段において良い結果が得られたためしはない。領土争奪、民族紛争、宗教戦争、そのどれもが失ったものに釣り合う価値を勝ち取ったことはない。

 テロリストという括りで見れば、確かに『エインへリアル』だろうが雷電隊だろうが、バルコーナ・ヨーゼンだろうが変わりはしない。部外者からの評価は必ずしも、当人たちの行いが反映されるわけではないのだから。それでもライドにはプライドがあった。絶対に譲れない矜持、越えてはならない線引き。

 必ず、絶対に、何としてでも、何があろうとも、関係のない人間を巻き込まない。

 そう、固く誓っていた。

 

「理想論だけで世界が動かないことは知っているだろう。私がバエルを手にして『私のもとに集え』と声をかけるよりも、武器を持つ子どもたちの映像を見せて『子どもたちも未来のために戦っている』と情に訴える方が有効なのだよ。無論『エインへリアル』としては選択しようのない手法だがな。民衆の煽動というのは、成功すれば勝利を確約してくれる女神のようなものなのだから」

 

 マクギリスが正面からはっきりと、きっぱりと告げたのは正論ではないし机上の空論などでもない。

 感情論を用いた戦術論だ。論理性にも正当性にも文句のつけようがない。

 

「……分かっている。オレたちの目的は絶対に民衆の賛同を得られない地獄への道だ。それに比べれば、奴らが目的達成のために取りうる全ての犠牲と被害はほんの軽微なものだろう。でも、でもな……。悪い、先に自室に戻る。報告書は今日中に仕上げる。何かあれば連絡してくれ」

「了解した。ここしばらくは働き詰めだったろう、ゆっくり休むと良い。次の任務でもまた、過酷な道を選ばせることになってしまうだろうからな」

 

 少し小さくなったようなライドの背中を横目にウィリアムも続いて退出し、部屋にはマクギリスだけが残される。

 ため息のようにも、あるいは嘆息のようにも聞こえる大きな息を吐いて山積みになった書類を片付けにかかるマクギリスに降りかかる声があった。

 

「最後の切り札とするには少々気概が足りないような気もする。圏外圏の戦闘で見せてもらったセンスは疑いようのないものだが、本当にあれで大丈夫なのか? 」

「まさかあなたがそこまで踏み込んでくるとは思いませんでしたね、ラム・ラバナ。こちらの内情へは不干渉、そして無関心を貫くつもりかと」

「それは薄情っていうより薄学薄識だろうよ。ギブアンドテイクのドライな関係だとしても、自分が乗った船の行き先くらいは知っておきたいのが人情ってものだろう。こっちの行動に支障が出ないとも限らんからな」

 

 おっしゃる通り。

 中核からは遠ざけたつもりでいたのにこの調子だ。内心舌を巻いているのを気取られないよう、マクギリスは慎重に言葉を選ぶ。

 

「彼との契約は、『力』を提供する代わりに『力』を借りることです。まあ文字通りアガレスという悪魔が絡んだものですが、信用に値すると私は思っています。私が最終兵器のトリガーを託した人物です。それだけでは、不満ですか」

「そう気にするな。お前の評価が聞きたかっただけだよ、マクギリス。発案者たるお前が信頼を置くのなら問題はあるまい」

 

 ほっと安堵の息が漏れた。

 ライドやアルミリアにはともかく、新江やメイクスにも明かさず腹に隠している事が山積みなマクギリスにとって、何もかも見透かしたようなラバナの態度はとても心臓に悪いものだった。

 ラバナほど世界に精通する者にとって、情報を小出しにしながら虚実を織り混ぜて他人を操るマクギリス十八番の人心掌握術が有効なはずもない。

 だが、リスクを背負ってでも仲間として引き留めておく価値のある駒だ。

 『エインへリアル』トップとして、『計画』の実行者として、マクギリスは不敵な笑みを浮かべる。誰に向けているとも知れないそれは、あるいは自身を鼓舞するためのものなのかもしれなかった。

 

 

 

※※

 

 

 

「彼らは、本当に『鉄華団』だと? 」

 

 事情聴取として数日に渡ってあのホテルに拘束されたのち、クリュセのアドモス商会事務所へ帰ってきたクーデリアは、ひどく不安げな顔をしていた。

 

「違いますね。八年前の時点で、十歳以下の構成員はいませんでした。チャドが実行犯について調べているところですが、これは断言できます。名前を勝手に使われたことには納得できませんが、反ギャラルホルンの姿勢を明確に示すならこれほど分かりやすいアピールもない」

 

 後半は失言だった。

 とにかく、クーデリアには『実行犯の少女が鉄華団メンバーではない』ことを断言しておく必要があった。

 このままでは八年前、クーデリアが火星連合代表として立つ時にラスタル・エリオンやマクマード・バリストンらと交わした契約、それに背いたかたちになってしまう。

 すなわち、『治安維持の観点から、鉄華団の監視・管理、その他の対応をアドモス商会で行う』こと。

 踏み込んだ言い方をすれば、『鉄華団の者らに不穏な動きがあった場合、殺害を視野に入れた管理責任をクーデリアに与える』ということになる。

 当然といえば当然だが、鉄華団メンバーがアーブラウで個人IDを書き換えたことはラスタル・エリオンの耳にも届いていた。すぐに指名手配して殺害することもできる力を持ちながら、それを交渉のカードとして持ち出してくるラスタルの狡猾さには心底吐き気を催すユージンだったが、その交渉のお陰で自分たちの命が繋がっていることもまた理解していた。

 だからこそ七年前に消息不明となったライドたちの捜索には全力を注いでいたのだが、それが成果を挙げる前にこの騒ぎである。

 

「彼らが関与していないことが確定するまで調査を続けてください。望み薄だとは思いますが……」

 

 気を落とすのも仕方のないことだとは思うが、クーデリアの立場としてはこれからが本番だろう。アドモス商会にも火星連合にも状況説明を求める声や批判の声、果てはギャラルホルンや各経済圏からも通信が殺到している。

 受け答えにあたる職員らの体力が切れないうちにクーデリアをなんとか元に戻し、会見を開くなりして事態を公表しなければならなかった。

 

「あいつはバカですが、自分の行動がどういう意味を持つかはちゃんと分かる奴です。ギャラルホルンへの復讐を考えているなら、少なくとも無関係な人間を巻き込んだりはしません」

 

 希望的観測でしかないと言われればそれまでだが、これが偽らざるユージンの本音だった。副団長として、団員のことはオルガ以上に目を配ってきたつもりでいた。だから、ライドを信頼してもいる。

 

「そういうもの、なのでしょうね。家族のあなたが言うのですから、間違いないでしょう。私も、彼を信じます」

「オルガや三日月たちが守り抜いた鉄華団の看板は、そう簡単に汚させやしません。その思いは必ず、ライドだって同じです」

 

 きっと、そうだ。

 僅かながらもクーデリアの調子が戻ったことに安堵しながら、同時にライドへも祈るように呟く。

 

「絶対に、連れ戻してやる」

 

 離れていても、道を違えても、家族は家族だ。オルガが、三日月が、ビスケットが、シノが、昭弘が流した血で、もうオレたちは離れられなくなっている。

 

 こうして気負いすぎる辺りは、オルガもユージンもライドもそっくりだった。子は親に似る、ということだろうか。

 それは同時に、親の心を子は知らず、子の心を親は知らないという図式も成り立つ状況だったが、当の本人たちに気が付くはずもなかった。





最近Twitter感覚でつぶやいてるのは、ここまで読んでくれている物好きさんたちなら性癖(趣味嗜好)が一緒だったりするかな?っていう仲間欲しさだったりするのです。

STEINS;GATEやグリッドマンのような「なんだか分からないものが最後にぴったりハマる面白さ」を目指してるんですが、なかなか難しいものですね。
今のところは、「なんだか分からないけど続きが気になる」ストーリーになっていれば良いんですが。


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舞台設営

「はい、被害状況は先ほど送信した報告書通りです。……申し訳ありません、ガンダム・フレームとはいえ、不覚を取りました。次こそは必ず……。え、地球へ帰還ですか? すみません、しかしまだこちらの事後処理が残っておりますので」

「構わん、火星支部とあのタヌキに任せておけ。ムダ飯食らいの汚名を晴らすにはちょうど良い機会だ。とにかく、一刻も早く戻ってこい。万が一の場合はボードウィンの若造にも足を運ばせなければならん」

「……了解致しました」

 

 八年前、親友を倒すために阿頼耶識の新技術のモルモットに志願し、そして両足の感覚を失ったボードウィンの若造、ガエリオ・ボードウィンは既に前線から退き、現在はヴィーンゴールヴの邸宅で事務仕事を行っている。

 ラスタル・エリオンのギャラルホルン総司令としての立場をもって行われた労い、あるいは褒賞にも似た人事異動を覆す可能性をも示唆するということは、名誉職扱いだったジュリエッタも前線へ戻るかもしれないということだ。

 戦艦所属のパイロットとして最前線へ赴き、戦う。また彼と剣を突き合わせることもあるのだろう。敵がガンダム・フレームであること、それは大した問題ではない。

 かつて自身が殺害し、蹂躙し、服従させた者らの生き残り。

 

 ラスタル様の指示だったから。

 でも、直接手を下したのは自分だ。

 治安維持のため、世界秩序のためだったから。

 それが民間人に禁止兵器を用いることまでも容認するほどの大義なのか?

 そう、ダインスレイヴの斉射で、戦局は決していた。

 虫の息だったあの子どもに、とどめを刺したのはこの両手だ。

 

 もしまた戦場で彼と相まみえた時、自分は全力で戦うことができるのだろうか。

 ジュリエッタが信じてきたラスタル・エリオンという正義は、世界を知るほどに歪みを増していく。もちろんラスタルが悪いとは言わないし、自分の行いの責任が自分にあることは理解している。

 だからこそ考えてしまうのだ。

 彼についていくことで、自分の手はどれだけ汚れてしまうのだろうか。それは本当に、世界のために必要なことなのだろうか。

 

 誰もがそうであるように、ジュリエッタもまた八年の歳月を経て変化の時が近付いていた。

 

 

 

※※

 

 

 

「地球、ね……」

 

 火星や金星、果てはアステロイドベルトからさらに向こうまで人類の生存域が広がったといっても、子どもにとって親が永遠に心の安らぎであるのと同様に人類にとって地球は永遠に心のふるさとである。圏外圏で産まれた者、火星の荒れた大地で生活する者、閉ざされたスペースコロニーの中で一生を終える者たちにとって、地球の地面を踏むことは先祖代々に渡って願い続けてきた叶わぬ思いだった。

 

「嬉しくはないのか? 」

「別に火星と大差ないだろ。それに、緑色の大地は …… 嫌なことを思い出す」

「そうか、君が地球へ行くのは初めてではなかったな」

 

 わざとらしい台詞を聞かなかったことにして、ライドはマクギリスに値踏みするような視線を向ける。

 

「思ったより進行が早いんだな」

「長かった準備期間と、君たちの働きあってこそだ。無論、まだ気は抜けないが」

「分かってるよ、そんなことは。明朝、カガリビで発つ。乗せていくものはあるか? 」

「ラム・ラバナ率いる遊撃隊も連れていってもらおう。新設の急ごしらえだが、役に立ってもらえるだろう」

 

 カガリビの積み荷はアガレス、ドローミを始めとした雷電隊のモビルスーツ七機、ラバナが指揮を執る遊撃隊のモビルスーツが四機。それを偽装用のコンテナに収め、モビルスーツ・デッキを埋め尽くす。

 急遽乗艦が決まった遊撃隊のメンバーはマクギリスの側近から生え抜かれたエリートたちであり、新顔と言ったわけでもなかったが、さほど口を利いたこともないため初対面さながらの気まずさがあった。

 

「複雑な心境だよ、ついこの間取っ捕まえた人間を運ぶのは。まあ個人的な恨みがあるわけでもないし、マクギリスの指示なら従うしかないが」

「こちらこそ、過去は水に流してよろしく頼むよ。安全な船旅であることを祈る」

 

 他人事のようにそう言って、ラバナはライドとの握手に応じた。

 

 一月ほどの航行を経て、カガリビは地球圏へたどり着いた。航海中の艦内に大きなトラブルはなく、およそ予定どおりの日程だった。

 新江が手配した民間の宇宙港へ繋留が終わると、コンテナを地上との往還シャトルに積み換えて降下する。職員にも話が通っているお陰で検閲もあっさりと通過し、目的地であるファリド家所有の別荘までの旅路は一切の滞りもなかった。

 

「何の感慨もないもんだな。無邪気に憧れたまま、知らないままでいられる方が幸せかもしれない」

「あなたがそういうことを言い出したら止まらないんですから。仕事を終わらせてからにしてもらえますか? 」

 

 ぼやくウィリアムに山ほどの荷物を抱えさせられる。身体を動かしていられるうちは気が紛れていい。ウィリアムなりの気遣いだと信じることにした。

 

 唯一、トラブルという程でもない些細な騒ぎはあった。ラバナたちが、道のりの途中であるはずのコロニーでライドたちと別行動になったことだ。

 マクギリスをもってしてももて余すようなその立場は重々理解していた故に引き留めたり問い詰めたりはしなかったが、マクギリス同様に知らないところで暗躍されると胸騒ぎがする男なのだ。気にはなる。

 

「そう気にしなくていい、こっちはこれで予定どおりだからな。マクギリスも了解しているから、後で文句を言われることもないさ」

 

 確かにそれを聞けば少し安心はするが根本的な問題が分からないままだった。

 

「ああ、彼なら月に行ったわ」

「何でここにいるんだ」

 

 ファリド邸の門扉を叩くや、顔を現したのはアルミリアだった。聞けば細々とした準備をするため最短ルートで先に来ていたらしいのだが、マクギリスがそれを伝えてこなかったのは何故だろうか。

 

「あなたを喜ばせるためじゃないんですか」

「バカ言うな、アイツの嫁だろうが」

 

 それにしても、月とはまた謎が深いところだ。

 三百年前、厄祭戦が終わった時からずっと荒れ果てたままの大地に、何の用があるのか全く分からない。

 噂では、厄祭戦当時に地表が削られて質量が激減したことで潮の満ち引きに大きな影響を及ぼしたというが、あながち嘘だとも言い切れないのが三百年前という時代だった。

 

「これからはここが『エインへリアル』の地球支部、という形になるわ。細かいルールは後々決めていくとして、まずは一息入れましょうか」

 

 別荘とは言うが、ここは余暇を過ごすためだけに使うにはあまりにも贅沢すぎる。

 絵本でしか見たことのない洋風の城にも似たつくりの建物は地上四階、地下二階の六フロア。各階、どころか各部屋に水回りが完備され、中庭だけでクリュセ郊外の鉄華団本部と同じほどの広さがある。極めつけはその真下にある部屋で、二階層をぶち抜いた二十メートル以上の高さがあるスペースにはモビルスーツ繋留設備から修理・補給用の物資までもが備えられていた。

 恐らくアルミリアが言っていた「準備」のほとんどはここに費やされた手間のことだろう。

 

「これだけの施設、相当目立つんじゃないのか? 」

「名義はモンターク商会になってるから、よほど騒がしくしない限りは問題ないと思うわ。用心するに越したことはないけれどね」

 

 なるほど、マクギリスの先読みには敬服せざるを得ないらしい。十年前、クーデリアと鉄華団を巡る争いに部外者として参加するための口実に過ぎないと思っていたのだが。

 マクギリス・ファリド事件後にモンターク商会の実権を握ったトドがさんざんアドモス商会へ自慢しに来ていたのを思い浮かべ、ライドはその滑稽さに吹き出してしまった。

 

「彼とはそういう『契約』なのよ。マッキーの味方でもないけれど、敵でもない。相応の報酬を払えば、ビジネスが成立する相手。よくもまあ、こんな無茶な契約を受け入れたものだとは思うけれど」

「あいつはそんなに素直なやつじゃない。たぶん、オレたちとギャラルホルンとの戦いの結果を見届けてから勝ち馬に乗るつもりなんだよ。今頃、あちら側にも悪どい商談持ちかけてることだろうさ」

 

 マクギリスなら当然、そのくらいのことは織り込み済みなのだろうが。人心掌握とは他人を自分の言いなりにさせるものだけではなく、相手の性格を把握して思い通りに動かさせるものもあるのだ。その点で、ライドはマクギリスに掌握されているようなものでもある。

 

「次の仕事なのだけれど、ギャラルホルン本部ヴィーンゴールヴへの強襲を行うわ」

「早速だな、オレたちだけでか? 」

「ラム・ラバナの部隊も現地で合流予定よ。マッキーと新江も来る。『エインへリアル』の総力を挙げた戦いになるって言っていたわ」

 

 作戦の全容を伝えられないのは、万が一にも捕虜になった時に敵に全てが露見するのを防ぐため。軍隊だろうとテロリストだろうと変わらないやり方である。

 だとしても、マクギリスが直々に顔を見せるとなればいくらかの想像もつく。主に不穏な予感からくる勘のようなものだが。

 

「私も詳しくは聞いていないけれど、『計画遂行の鍵となる世界最高峰の力』を連れてくるんだとか。私もこっちでの雑務が終わったら宇宙に上がってマッキーと合流するの。何か分かったら、また連絡するわ」

 

 そこまで話した時、ウィリアムがタブレットを片手にやって来た。

 

「これ、今不足しているもののリストです。みんなが好き放題書き込んでるので、経費で落とせそうなものだけ買い出しお願いできますか? 」

 

 ふと画面から顔を上げると、ウィリアムがアルミリアには見えない角度で片目を瞑った。ライドはひったくるようにタブレットを奪い取り、差し出されていたウィリアムの手のひらを思い切り叩いた。

 

「余計なお世話だよ」

 

 ぼそりとウィリアムの耳もとで囁いて、ライドは彼に背を向けた。

 

「お嬢様、買い物へ行きましょう」

「からかうのはやめて」

 

 握り拳で腹を小突かれた。

 

 

 

※※

 

 

 

 その頃、火星の衛星軌道上を周回していた歳生の内部でトラブルが発生していた。

 

「二十五番ゲート解放? 何も連絡を受けていないぞ、止めさせろ」

 

 『会談』の際に通信を繋ぐため、もともと火星にかなり近い位置にいた歳生だが、突如発生した爆破テロの状況確認を行う必要があったため、予定外の航行となったのだ。もとはと言えばギャラルホルンの統治の外にある世界で活動している非合法組織、それが火星の運営に携わるための契約として自治警察のような責任を負っているため、今回の件に関してはテイワズのメンツも絡んでくる。

 火星連合首脳と今後の対応について話をするため、マクマードを含めた幹部格が火星に降りる予定になっていた。

 

「『シーラカンス』から通信が入ってます」

「トラビか。こっちへ回せ」

 

 よくある展開だ。そしてこういう場面が訪れた場合、大抵はロクなことにならない。長年の経験と知識から、既に手遅れなのだろうとマクマードは察していた。

 

「親父、いやマクマード・バリストンさん。これまで本当にお世話になりました。あなたに拾って貰えなければ、今のオレはなかったでしょう。感謝しています」

「じゃあ考え直せ。何をするつもりか知らねぇが、どうせまともなことじゃないんだろう。今なら、まだ引き返せる」

「それは無理ですね」

 

 話すうちにも、マクマードは手もとの端末から警備隊の出動を指示していた。すぐに整備班長とモビルスーツ隊長からの返信が届く。

 

「私だけじゃない、私についてくる者たちは皆、自分の意思であなたから離れることを決めました。もちろん、うちのスタッフ全員がここを出るわけじゃない。計画に賛同しなかった者は残していきますので、寛大な対応をお願い致します。私たちがこれから何をしようとしているのかも、彼らから聞いてください」

「そうか、そりゃあ残念だな。じゃあてめぇらは今からテイワズの敵ってことだ。無事に出られると思うなよ? 」

「そういう安っぽい脅しはあなた自身の品位を落としますよ、マクマード・バリストン」

「何を …… 」

 

 ずん、と突き上げるような衝撃が歳生全体を襲った。何事だ、とマクマードが聞くまでもなく、クルーたちから報告が上がってくる。

 

「船首モビルスーツデッキ、一から十二番カタパルトが使用不可。通信途絶、状況が把握できません」

「港の制御エリアでシステムトラブル発生、復旧の見通しは立っていないとのこと」

「六十七ブロックで外壁破損。作業スタッフの到着まで十分は必要です」

 

「事前準備は十分ということか」

 

 各所に仕掛けられた爆弾が、巨大な歳生の急所を的確に破壊していた。放っておけば自力での航行が不可能となるほどの損害、当然ながらシーラカンスに対応している余裕などない。

 

「心配なさらずとも、テイワズのスタッフならば一時間もあれば復旧できるでしょう。それでは、再会することがないよう心からの祈りを捧げます」

 

 ふっと違和感を感じる小さな揺れ。シーラカンスがハッチを吹き飛ばして出港した合図なのだということは、各々が瞬時に悟った。

 モビルスーツ隊が、モビルワーカーが、どんどん小さくなっていくシーラカンスの艦体を口惜しげに睨みながら復旧作業に当たる中、マクマードはまだ諦めていなかった。

 

「ハンマーヘッドの帰投は今日だったな。そう遠くない位置にいるはずだ、探しだして裏切り者の相手をさせろ。しばらくもたせるだけでいい、絶対に逃がすな」

 

「了解」

 

 通信を受け取ったアジーはハンマーヘッドのブリッジ中央、簡素な椅子から素早く立ち上がった。タービンズ代表の立場にいても訓練は欠かしてはいないし、身体に染み付いた癖は抜けないのだ。

 

「モビルスーツ隊全機発進。私も出る」

 

 言うなり、真っ白のスーツにハット、えんじ色のネクタイを席に置いてすたすたと歩き出す。

 

「結局、そうやって背筋伸ばしてるのが一番生き生きしてるのね」

「苦労をかける。指揮は任せた」

「了解」

 

 気のおけない友人でありながら腹心の副官、エーコ・タービンにハンマーヘッドを任せ、アジーは愛機『辟邪』で飛び出す。

 

「頼みますよ、用心棒さん。バカ高い金を払ってるんだ、相応の見返りは求めますよ」

「懐かしいですね、昔を思い出します」

 

 対するシーラカンス、イサリビなどと同型の標準的な宇宙戦艦のブリッジでトラビがにやついている。それに応じるのはモビルスーツデッキに待機する、雇われの傭兵だった。

 

「敵は辟邪が六。先頭の黄色いのは確かアジーとかいうタービンズのトップだ、気をつけろ」

「大船に乗ったつもりで待っててください。バドイ・ロウ、ガンダムフォカロル発進します」

 

 船体の後部下方からカタパルトがせり出し、フォカロルが射出される。トラビにはヴェニヤ・インダストリアルからついてきているパイロットもいるが、出撃させるつもりは毛頭なかった。

 誰あろうマクギリスが寄越した援軍である。いろいろと思うところはあれど、一人でやらせておけば後でどうとでも逃れられる。

 実力拝見と行こうか。

 

 

 八年前、一番大事な時に役に立たなかった苦い経験から、辟邪はテイワズが開発した他のモビルスーツに比べてもかなり念入りに調整が行われ、傘下企業への正式な配備が決まったのは二年ほど前のことだ。

 ハードウェア、ソフトウェア共にほぼ完成していたにも関わらず六年もの歳月を費やしたぶん、機体の信頼度はグレイズにも劣らない。

 対してフォカロルも、火星でアガレスとの立ち回りを演じた時とは一味違う。ヴェニヤ・インダストリアル倉庫にあったパーツを根こそぎ集めて可能な限りのチューンアップが行われているからだ。

 

「全機散開。私が引き付ける、その間に囲い込め」

「了解」

 

 多対一なら包囲して落とす。セオリー通りの戦術だが、最も効果のある方法だ。

 

「個々の戦力差がなければの話だがな」

 

 くん、とフォカロルの描く軌道が変わる。くねくねと、ぐにゃぐにゃと宇宙に刻まれる曲線は他の追随を許さない。スピードはさほどのものではないが、その不規則な動きは六機の辟邪をしても捕まえられない。

 

「ハンマーヘッドを囮にする。頭から突っ込め」

 

 指示が出るまでもなく、フォカロルに重火力兵器がないことを確認したハンマーヘッドは戦闘宙域のど真ん中へ乗り込んだ。

 銃座が火線を開き始めると形勢が変わる。

 日頃の訓練と家族の信頼に裏打ちされた統制の取れた連携には、さすがのロウも少しばかり逃げ腰になってくる。

 

「そっち抜けたわ」

「分かってる、任せて」

「防衛ライン通すな」

「八時方向、火力足りてないよ」

 

 一度戦端が開かれれば、ブリッジの指示など必要ない。互いに掛け合う言葉すらも本来は必要ないほど、全員の意識は繋がっている。

 的確にフォカロルの足を止め、それでいて味方には意識すらさせない針の糸を通すような繊細な射撃はタービンズの専売特許だ。マクギリス・ファリド事件以降最前線で戦うことは少なくなったものの、その技術力は衰えてはいないのだ。

 

「捕まえ …… 、っクソ!! 」

「焦らないで追い込めばいい、私たちは絶対負けない」

 

 そう、モビルスーツ一機相手に少し時間を稼ぐだけの簡単な仕事だ。下手に欲を出してリスクを増やす必要はない。

 

「これはマズいか」

 

 むしろ、焦っているのはロウの方だった。いくらガンダムとはいえ、辟邪六機を相手に正面きって戦えるほどの能力はない。このまま時間をかければテイワズの態勢も整う。そうなれば逃げることすら危うい。

 ならば、とロウはフォカロルを前に出した。ずっと下がっているばかりだったフォカロルの予想外の動きに辟邪たちの対応が遅れ、ロウはタービンズの機体をすべて抜き去ることに成功した。そのままの勢いで、直掩もいない、完全にフリーのハンマーヘッドへ取りつく。

 

「船を潰されたくなかったら、少しだけ目を瞑ってくれないか。お互いに不必要な損害は本意じゃないでしょう」

「その貧弱な機体で、脅しになると思っているのか」

 

 フォカロルが取りついたのはハンマーヘッドの正面、最も装甲が厚い部分だった。敵艦にぶつけることが多い運用上、火器が配置されておらず接近されれば死角となるのだが、並みの火力では傷などつかない。

 

「私が一人だと、いつ言った? 」

 

 ロウの口調が変わる。突然の凄みに怯んだアジーが敵から目を反らした時、視界の端に煌めく光があった。

 

「急速旋回!! 総員衝撃に備えろ!! 」

「頼むよ、ジョナサン」

 

 戦闘宙域から遥か彼方、モビルスーツどころか歳生のレーダーにも映らない距離で、ジョナサン・ハイリンカーはボリボリと頭を掻いた。

 

「全く、この距離で送信された座標だけを頼りに狙撃するなんて無茶苦茶だよ。挙げ句自分は外せだなんて …… 僕じゃなけりゃあ、出来っこない」

 

 燃えるようなオレンジに塗られた四足獣のマシーン、踏ん張る足場のない虚空のなかでその足からそれぞれ衝撃を相殺しうる爆炎が噴射される。

 

「ファイア」

 

 びくん、と機体が揺れた。無論、その程度の誤差は計算に入っている。

 放たれた鋼鉄の弾丸は音を越え、人の認識を越える速度で真っ直ぐに飛んで。

 今度はハンマーヘッドが痙攣した。

 真空の中でも破壊の音が聞こえてきそうなほどの惨劇。鈍く光る鋭い刺が、ハンマーヘッド自慢の装甲板をいとも容易く貫いた。

 

「ブリッジ、応答しろ。エーコ、聞こえるか。返事をしてくれ、頼む!! 」

 

 激しく取り乱すアジーを見て、タービンズのモビルスーツ隊はみな浮き足立つ。それを冷めた目で一瞥して、ロウは機体を翻した。

 追撃の必要はない。そもそも、外してもらったとはいえロウの身体にも相当の衝撃が襲った。いずれ駆けつけるテイワズの増援と一戦交えるにはコンディションが悪すぎる。

 

「ガンダム・フレーム二機が出向く大盤振る舞いだ。報酬の額も妥当だろ」

 

 最大望遠に入れていたカメラを切り、ジョナサンもゆっくりと機体を動かす。人の形に変形し、自身がモビルスーツであることをはっきりと主張する外観をあらわにした乗機、ガンダムフラウロスを、近くに停めておいたクタンに接続。

 何の感情もないのだと言わんばかりに、必ず射止めたという自信の表れのように、二度と振り向きはしなかった。

 

 

 

※※

 

 

 

 ライドたちとほぼ同じタイミングで火星から地球へ戻ってきたジュリエッタは、ヴィーンゴールヴのラスタルは執務室に呼び出された。召集そのものはわりとよくあることなので気にはならないが、恐らく話題となるであろうネタ、ジュリエッタがフェーク・メイクスから引き受けて地球に連れ帰った捕虜のことを考えると少し憂鬱にもなる。

 何せ、もう一週間は経とうという頃に、未だ有益な情報が得られていないのだ。四人が四人とも、黙秘を貫いている。

 そしてなんとも残念なことに、組織上、取り調べを担当する士官はジュリエッタの部下なのだった。

 

「しょせんは寄せ集めの弱小組織とはいえ、テロリストへの対応が遅れればギャラルホルンの信用にも傷がつく。迅速に頼むぞ」

「ええ、全力で対応しています」

 

 毅然として、揺るがず動じず、いつも通りのラスタルに見えたが、やや落ち着きがないようにも見える。気のせいだろうか。

 

「私が留守の間に、何かありましたか」

 

 カマをかけてみる。こういうやり方はあまり好きではないが、何かを隠しているような態度のラスタルに気を遣って話すのも苦手なのだ。

 

「アフリカンユニオンが落ちた」

 

 茶化すような雰囲気ではなかったし、ラスタル相手に二度同じことを聞く無意味さはよく知っていた。ラスタル・エリオンは、こんなたちの悪い冗談を言うような人間ではない。

 とはいえ、だ。

 

「まだ二か月と経ってはいないはずです」

「それは彼らが蜂起してからの話だ。計算の基準にはならない」

 

 綿密な準備のもとに行われる電撃作戦。

 その恐ろしさを、戦歴の浅いジュリエッタはまだ知らない。

 十年前の鉄華団、八年前のイオク・クジャン、どちらも素早さには長けていたが、目の前の餌に食いつく犬のように、目の前の火にたかる野次馬のように、ただ突っ込んでいっただけだ。

 マクギリス・ファリド事件時のラスタルですら、後手後手に回った対応に終始していた。

 

「火星での騒ぎは陽動だろうな。加えて、敢えて警備の厚い会場でテロを実行することで、自分たちの力を誇示した。そして火星へ送った戦力の引き揚げを渋っているうちにこの有り様だ。何らかの発表が出来なければ、民衆の暴徒化もあり得る」

「では、薬物及び無制限の特別手段遂行許可を出します。必ず、三日以内に成果を挙げてみせます」

 

 恐喝、自白剤、拷問、配偶者への制裁、果ては殺害まですべてが許される、国家転覆レベルの犯罪者にのみ適用される特例だった。許可の権限を与えられてから、ジュリエッタが指示を出したことはこれが初めてだ。

 

「頼んだぞ」

 

 重ね重ね、懇願にも似た様子でラスタルが呟く。

 きっちりとした足取りで退出するジュリエッタを見送って、デスクの端に避けておいたコーヒーカップに手を伸ばす。

 

「尋問ひとつマトモに出来ないとは、な。やはりあの男、切り捨てるべきではなかったか」

 

 失って気付く大切さ。

 古くからの戦友であり、表に立った自分と対になるよう裏の世界に根を張った駒のひとつ、それを手放してしまったことはまだラスタルの胸に古傷として残っている。

 

 

 

「国家転覆、ですか」

 

 ヴィーンゴールヴ上、レギンレイズを着地させたデッキで足を止め、那弥木は遠くの司令室を眺める。

 いくら世界情勢が騒がしくとも今は平時同様、交代制での勤務となっているが、そこに総司令たるラスタル・エリオンが座する時もそう遠くないように思えた。

 

「物騒だが、あり得ない話じゃないな。バルコーナ・ヨーゼンの活動が活発になるにつれ、これまで静かだった奴らも動き始めてる」

 

 普段は軽薄に笑い飛ばすドナーシュが、珍しく神妙な顔をしていた。

 

「何考えてんのよ、気持ち悪い」

 

 ミレイナの隠す気もない理不尽かつ直球な悪口に取り合う様子もなく、ドナーシュは自分のレギンレイズを見上げた。この一か月だけでも、彼らのテストデータから改良を繰り返して随分とシルエットが変わっていた。

 

「確かドナーシュはアフリカ出身だっただろう。しつこい詮索は許さないが」

 

 ちょうどワイヤーを使ってコクピットから降りてきたヤーグルが口を挟む。それを聞いたミレイナは慌てて口をつぐんだ。

 いくら毒舌とはいえ、さすがに馬鹿にしてはならないラインくらいはわきまえている。

 

「構いませんよ隊長。オレたちは与えられた任務を遂行するだけ。そのための兵士ですから」

「らしくありませんね」

 

 那弥木の言葉は冷やかしではなく本心だった。むしろ褒めているつもりだった。

 それを知ってか知らずか、ドナーシュはまともな反応を見せない。

 

 

「国家転覆。その程度で満足する連中ならいいんですが」

 

 いま見上げている空は青いが、海上の天気は変わりやすいものだ。





話の進行を考えてなかったせいでライドとジュリエッタがワープしたレベルで早く動いてます……。

あと、さんざん酷評してるラスタル政治はたぶんそこまで悪くないのかと。
ライド視点だとどうしてもマイナス面ばかり見えますが、アニメの締めかたから見てもけっこうな善政のはずです。そもそもギャラルホルンが政治って時点で「?」だったから、それだけでも進歩なんですよね~。


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最初のシ者

 眼下に広がる海原は静かに凪いでいる。真っ青な一面を乱す白波が立つこともなく、魚が飛び跳ねることもない。これから何が起こるのか、地球そのものが理解し受け入れているようにも思えた。

 海はいい。緑の大地とは違い、青一色の世界にはもともと人の命が存在する余地がない。初めからなにもなければ、失う痛みもないのだから。かつて人類は太陽系のほとんどを探査しつくしたという話を聞いたこともあるが、それほどの技術があっても人類は海へ進出することは出来なかった。まだまだ開拓は進むまい。

 

「予定時刻まで二十分。問題はなさそうですね」

 

 手元の計器類をひとつひとつ確認しながら神奈が呟く。今、ドローミは長距離輸送ブースター『ヘルメス』に接続されているため自分で操作する必要はなく、気にしなければならないのは周辺の警戒と天候の変化くらいのものだった。

 

「もう一回確認しておくが、今回の作戦は露払いだ。マクギリスが安全に降り立つために、ヴィーンゴールヴの守備隊を殲滅、あるいは無力化させる。居住区への被害はなるべく留めろ。出てくる敵は全力で薙ぎ倒せ。以上」

 

 マクギリスから譲り受けた『ヘルメス』はテイワズの『クタン』と違い、三機までを同時に運搬できるギャラルホルン製のサポートメカだった。そのため、ライドのアガレス、神奈のドローミ、リュウゴの青冥は首根っこをひっ掴まれたチーターの子どものようにして海上を飛んでいた。

 

「しかし、後詰めが来るとはいえ三機だけでなんとかなりますかね? ギャラルホルンの総本山に攻め込もうっていうのに、無茶が過ぎませんか」

 

 リュウゴの懸念ももっともだった。

 臆病風に吹かれたとか、足がすくんでいるとかそういうことでは決してなく、勇気や根性とは別の、理性的な状況判断である。神奈もリュウゴも生真面目で職務に忠実、優秀な人材。だからこそ勇気と無謀の区別はつく。

 

「いや、問題ない。アルミリアは、オレたちが乗り込む頃にはヴィーンゴールヴは半壊状態だろうと言ってた。恐らくは大気圏外からの狙撃だろう」

 

 聞いたときにはまさかと思ったが、マクギリスなら躊躇はないだろう。決して自分には選びえない選択肢を平然と実行するその姿勢には、感嘆や驚嘆、それに恐怖が混ざる。

 いつかきっと、ライドが恐れていることが起こるだろう。マクギリスにとっては数多ある作戦のひとつに過ぎない、とても矮小な事案だ。

 ことあるごとにマクギリスに対して抱く不安は、なぜかラスタル・エリオンに抱くそれを遥かに上回るのだった。

 

「予定のポイントに到達しましたけど、どうします? 」

 

 『ヘルメス』のパイロットの声で、ライドは我に返った。水平線の向こう、かすかに陰りが見える空の中に、純白の構造物が豆粒のように映った。

 

「号砲が鳴るのも近い。ひとまず旋回して様子を …… 」

 

 その必要はなかった。

 「それ」の正体を知り、脅威を知っているが故のおぞましい感覚に囚われたライドが振り向いた先、不可視であるはずの弾丸が視界を縦断した。次いで、漫画のように立ち上る黒煙。遅れてやって来た衝撃波と轟音が通り過ぎる頃には、ヴィーンゴールヴに二発目の槍が降っていた。

 

「全速力でヴィーンゴールヴへ。モビルスーツを切り離したら『オクリビ』で次の獅電改を連れて来い。その次はラムズ・ロディ。全機の投入を終えたら撤退だ。いいな? 」

「分かってます、これで終わりじゃありませんから。これからを乗り切るためにも、誰一人欠けずに終わらせましょう」

「ああ、頼むぞ」

 

 二度めの衝撃波が通り過ぎるのを待たず、『ヘルメス』はメインスラスターを最大出力に噴かす。崩壊した基地のそこかしこから敵機が現れるのを視認できる位置まで到達すると、ライドは機体のパージを命じる。

 

「了解です」

 

 腹の奥に響く振動と共に、アガレスを支えていたアームが離れていく。モビルスーツでのスカイダイビングだ。

 

「さすがにこんなのは初体験だな …… !! 」

 

 三十トンあまりの機体が重力に引っ張られてみるみる加速していく。これまでに見たことのない数値を示す計器と次第に面積が広がってくるヴィーンゴールヴを交互に睨みながら、必死で機体の制御プログラムを走らせる。

 海抜二千、千八百、千五百、千、二百五十。

 

「早く立て直せ、ぶつかるぞ!! 」

 

 冷静さを失ったリュウゴが怒鳴るのが聞こえた。言われなくたってそんなことは分かっている。ライドは、渾身の力を込めて操縦桿を引いた。

 

「これで、ど、う、だっ!! 」

 

 アガレス右腕のバーニアが勢いよく青い炎を吐き出す。その推進力で海面側を向いていた腹を空に向け、背中のスラスターで落下速度を相殺。阿頼耶識を通じて送られてくる機体のダメージに激しい頭痛を覚えながらも、ライドはなんとかヴィーンゴールヴ甲板への着地に成功した。

 辺りを見回しながら、マクギリスの命令を反芻する。

 

「最高司令官ラスタル・エリオンは殺さず生け捕り、守備隊は徹底的に殲滅。施設中枢へは元ギャラルホルン組と合流後に制圧。非戦闘員及び降伏してくる者には手を出さない。まあ、基本はいつも通りに全力でやればいいってことだ」

 

 大きく崩れた構造物、物見の塔のようなものがあったところ、その瓦礫を押し退けながらレギンレイズとシュヴァルベ・グレイズが続々と姿を現す。どうやら下部がモビルスーツの格納庫になっていたらしい。衛星軌道上からの狙撃とはいえ、少々詰めが甘い。

 

 先んじてヴィーンゴールヴだったものの下から脱出した機体がライドたちに向かってくる。恐らくは混成も混成の急造な編成も形を整え、それなりの脅威に思えた。

 

「進化してるな、ここも」

 

 感慨深く漏らすセリフは、八年前、マクギリスの呼び掛けに呼応して内部から崩れたヴィーンゴールヴの無様な姿を知っているからである。

 ラスタル・エリオンが実権を掌握したことで腐敗が正され、部隊の練度も上がったと言うのなら皮肉という他ない。何せ、あの時も最後の詰めを台無しにしてくれたのはラスタルの配下だったガエリオ・ボードウィンなのだ。

 

「隊長、ここは私たちで抑えます。早く司令部の制圧を」

 

 リュウゴと神奈が四方からの攻撃を捌く。いかに二人がエース級のパイロットであり、なおかつカスタムされた機体に乗っていようと多勢に無勢、さすがに数が多すぎて攻めには回れない。

 ならば頭を抑えて戦闘停止の指示を出させるのが一番手っ取り早い。そのくらいのことはライドだって分かっている。

 

 それでも。

 

 テロリストの汚名。

 大きな盾を装備したグレイズ、シルトタイプ。

 高々度からの攻撃で抉られた大地。

 多勢に無勢。

 

「そうか、三日月さんたちは、こんな状況でも戦ってくれたんだ」

 

 しかも、ダインスレイヴの直撃を浴びるというハンデを負いながら。

 たったの二機で。

 

「仲間を、オレたちを、生かすために」

 

 手近なところにいたグレイズの頭を、握り潰さんばかりの力を込めたアガレスの右腕が掴む。機体の五感が集中するユニットを丸ごと破壊されたパイロットの悲鳴が接触回線で生々しく聞こえた。

 そして、アガレスの腰を大きくひねる。機体の重量を支える脚が深く地面に食い込む。

 

「大義? それが何だって言うんだ!! 」

 

 脚の爪が勢いよく地を蹴った。次いで、内部シリンダーが軋む程の勢いで腰関節を逆方向に回す。

 ボクサーのパンチ、あるいはピッチャーの投球、あらゆる動きの基礎の基礎、人体が備える強力なバネ。その勢いを機体そのものの加速に乗せて、アガレスは敵を掴んだままの右腕をぶん回した。

 扇状の攻撃範囲にいた敵機が折り重なり、まとめて後方に吹っ飛んでいく。

 

「なんて戦い方を……」

 

 絶句する神奈。

 しかし、本当に異常なのはそこではなかった。

 

「早く中へ!! 」

 

 グレイズ三機のサーベルを器用に受け止めながら叫ぶリュウゴの言葉が、ライドには届いていなかったのだ。

 

「何故、中へ進む必要がある」

 

 届いていない。否、受け入れない。

 

「直接頭を叩くのは効率の話だろ、これはそういう戦いじゃない。出てくるやつを片っ端からスクラップにしてやればいい。お前らは下がってろ」

 

 初めて見る剣幕。凄み。そして、我が儘。

 八年前の記憶のフラッシュバック、そして同時に激烈な感情までも呼び起こしてしまったライドの頭にあるのは、敵を殺すことだけだった。

 

「団長の痛み、三日月さんの苦しみ、昭弘さんの怒り、ハッシュの無念。全部、お前たちが受け止めるべきものだろ!! 」

 

 鬼神さながらの迫力を放つガンダムアガレス。

 全七十二機のうち最も獣に似たガンダムは、鎖から解き放たれたかのように怒り狂ったかのように、その右腕をひたすらに振り回し続ける。

 

 

 

※※

 

 

 

 まだ、帰投してから十分と経っていなかった。それでも、司令部のモニターに表示される被害状況を見れば、のんびりとモビルスーツ搭乗後のメディカルチェックに向かっている場合ではないのだと思い知らされる。

 

「使えるのは八番ハッチだけだ。すぐに移動してくれ」

「そんなことをしてる暇はありません」

 

 まだラスタルが到着していないヴィーンゴールヴの心臓部で、ヤーグル・ロアルスは司令代理の指示を突っぱねた。ドナーシュも、那弥木も、ミレイナまでもがそれに賛同する態度である。

 

「敵に一番近い、二番から出ます」

 

 

 そして、阿鼻叫喚の地獄絵図さながらの戦場へと至る。

 

「誰かこいつを止めてくれ!! 」

「飛び道具で仕留めろ、早く!! 」

「狙えるわけがない、あんな動き…… 」

「隊長がやられた、隊列を組み直せ」

「こっちも隊長がいないんだよ!! 」

「仲間がいない? おい、嘘だろ…… 」

 

 八面六臂の活躍、あるいは厄災を背負いし悪魔。

 基地全体を襲った衝撃から那弥木たちが出撃するまで、わずか十分足らず。そのうちに、迎撃に出た守備隊のモビルスーツの半数近くが機能を停止していた。その惨状を生み出しているのは、ガンダムアガレスただ一機。随伴する二機は巻き添えを恐れてか、高所に陣取って周辺の警戒を始めている。

 

「野郎、舐めやがって」

 

 ドナーシュが感情を昂らせるのも分かる。天下のギャラルホルン、そのお膝元どころか総本山たるヴィーンゴールヴが、たった一機のガンダムに、たった一人のテロリストに蹴散らされている。

 

「落ち着けドナーシュ、正面から仕掛けて勝てる相手ではない。勝機を呼び込むには、もう少しデータが必要だ」

「じゃあ何か、今目の前で起こってることには手を出すな、無視しろってのか? そんなの待っているうちにこっちが壊滅してしまうぞ!! 」

 

 言い争っているうちにもアガレスは次々とグレイズを、レギンレイズを屠っていく。鈍器どころの話ではない質量を振り回し、背後の敵に回し蹴りを放ち、距離が遠ければ身体ごとぶつかっていく。野生の獣などというかわいらしいものではなく、破壊、殺意、敵意、暴力、理不尽、異常、狂気、激情、衝動、得体の知れない何もかもをごちゃ混ぜにしたようなプレッシャーが、相対する守備隊パイロットの戦意を完膚なきまでに叩きのめす。

 こんな獣に、こんな化け物に睨み付けられて正気を保っていられる人間がどれほどいるのか。那弥木は、本能的にレギンレイズを一歩、二歩と後退させる。

 

「確かに、悠長に考えている時間はないな。全機、飛ぶぞ。敵の目を引き付ける」

 

 ヤーグルの言葉を聞き終える直前、那弥木はモニターを見たことを後悔した。

 周囲のグレイズをあらかた撃破したアガレスがまっすぐ、自分に狙いを定めていた。青色の冷たい光がこちらを睨み付けている。

 あまりの威圧感に、実戦経験の浅い那弥木はパニックに陥った。

 

「近寄るな、バケモノっ!! 」

 

 腰のフライトユニットに内臓された機関銃を、手当たり次第に撃ちまくる。アガレスのナノラミネートアーマーを破壊するにはあまりにも非力な、対人あるいは牽制のための火器である。そもそも、アガレスはまだ射程距離の外にいた。

 

「バケモノ、ね」

 

 対するライドもひとしきり暴れ、身体を火照らせていた熱がなんとか冷えてきたタイミングだった。那弥木にとっては、とても不幸なことに。

 衝動に任せた無駄で無茶苦茶な動きが減り、静と動を兼ね備えた優雅で研ぎ澄まされた挙動に変わっていく。

 

「それが、鉄華団を潰した奴らの言うことか」

 

 押し固められた敵意と憎悪が戦場を埋め尽くしていくようだった。剣を交える必要すらない、少し言葉を交わしただけで覚悟の違いが目の当たりになった。

 文官生活の長かった那弥木は、生まれて初めて剥き出しの感情を向けられることの恐ろしさを知った。

 

 足がすくんで動かない。

 命乞いの言葉すら出てこない。

 

 ゆっくりと迫ってくる悪魔の腕を、眺めていることしかできなかった。

 

「バカ野郎っ!! 」

 

 視界の外から飛び込んできたのは、ドナーシュのレギンレイズだった。まっすぐに突っ込むことしか頭になかったアガレスの横合いから体当たりをかけて軌道を反らす。

 呆然と立ち尽くす那弥木の数十センチ前、レギンレイズの胸部装甲が僅かに触れたアガレスの爪に削り取られていった。

 

「死にに来たのか、お前は!! 足を止めるんじゃねぇ、とにかく動け。逃げ回っているうちは、死にはしない!! 」

 

 アガレスと共に壁に激突したドナーシュは既に体勢を整えている。対するアガレスは大の字になって叩きつけられたまま、動き出す気配はなかった。

 

「やったのか……? 」

 

 ドナーシュが二歩、距離を詰めた時。

 

「この程度で、倒れるかよ」

 

 アガレスが、大の字のまま、深々と刻まれた壁の傷痕から飛び出した。反応する暇もない、レギンレイズの右半身がごっそりと抉りとられた。剥き出しになったコクピットの中にドナーシュの姿を直視できる。

 阿頼耶識を使わないギャラルホルンのパイロットには理解できない、完全に想定外の攻撃である。

 

「なまじ、人の感覚のままで動かそうとするから」

 

 異形の天使に対抗する人形の悪魔を操るのなら、生身ではできないこともやってみるのがいい。

 モビルスーツには足で地面を蹴るだけでなく、背中のスラスターを噴かすという推進力もあるのだから、それを軸にした動きができるのは当然のことだ。機体にかかる負荷を度外視すれば、完璧な作戦だっただろう。

 

「ミレイナ、ドナーシュを頼む」

 

 ヤーグルが自らアガレスの正面に立ち、囮を買って出た。それは隊長職の責任感であると同時に、那弥木やミレイナには任せられないことだと直感的に悟ったからでもある。

 

「そうやって偽善を騙るのもお前たちの常套か。偉そうな口をきいておきながら、結局は自分のことしか頭にない、そんなクズはもう見飽きたんだよ」

 

 なるほど、とヤーグルは得心する。

 マクギリス・ファリド事件において、治安を乱す逆賊、野心に溺れたマクギリスと手を結び民間企業ながらギャラルホルンの派閥争いに巻き込まれて散った命。

 最終局面においてはクリュセ郊外の鉄華団基地に対しての情報封鎖、大部隊による包囲殲滅が行われたと聞く。

 声を聞く限りまだ大人とは言い切れない年頃だろう。幼い頃の苛烈な経験は、人格形成に大きく影響を及ぼす。

 

「汚れた大人に振り回されて、荒んでしまったか」

 

 ラスタル、マクギリス、マクマード、蒔苗。他にも多くの思惑が、彼らを振り回したのだろう。

 

「お前に何が分かる!! 」

 

 ぴくりとも動かなくなったドナーシュ機に興味を失くしたアガレスがヤーグルを睨む。心臓まで凍りつきそうな視線を、ヤーグルは正面から受け止めた。

 

「分かるさ」

 

 ゆっくりと、力を込めた言葉。

 アガレスの足形が、滑走路のアスファルトにくっきりと残った。

 

「ここで話せる事情ではないが、境遇は似たようなものだ。理解はできる」

「何を言おうが結局、お前も『そっち側』の人間だろうが」

 

 ライドは、右腕での一撃を止めた。

 互いのリアクターの駆動音が聞こえそうなほど肉薄する二機。向かい合う二人の顔に動揺はなかった。

 

「部下に手を出させない根性には敬意を表する、しかしこれだけだ」

 

 獣の瞳がいっそう強く輝く。

 出力を上げた、それを理解したヤーグルがサーベルを抜刀一閃、逆袈裟に切り上げる。その直線上に鉄塊が勢いよく振り下ろされる。

 鈍く重たく鋭い大音声が響き渡る。

 サーベルと鉄塊は、拮抗して止まっているように見えた。

 

「大人には大人の意地があるのでな」

 

 サーベルは、レギンレイズの膝で支えられていた。

 全身を使って勢いをつける一撃と違い、零距離で放たれた拳は腕の力だけによるものだ。いくら出力が高かろうと、乗せられる重さが全くの別物だった。

 

「小賢しい」

 

 即座に飛んできた足払いを跳躍で避ける。次いでまたしても右腕、それを危なげなく回避。

 殴打を避ける。蹴打をいなす。頭突きを食らい、体当たりを受けても致命打には至らせない。

 アガレスとレギンレイズの戦いは、一騎討ちの様相を呈していた。

 

 破竹の進撃を続けるアガレスが止まったことで、ギャラルホルン側の士気にも回復の兆しが見えてくる。

 

「早く体勢を立て直せ。雑魚なら私たちで落とせる!! 」

 

 獅電改三機、ラムズ・ロディ三機、ドローミと青冥が一機ずつ。計八機、雷電隊の全戦力に対し、未だ十五機以上が残る守備隊が牙を剥く。

 増援到着までの消耗戦を覚悟した神奈の無線に、割り込む声があった。

 

「支度は整った。これより、戦闘に参加する」

 

 アスファルトの上に、サーベルが突き刺さる。

 シンプルなデザインでありながら優雅さを感じさせ、それでいて兵器然とした武骨さをも内包する、一本のサーベル。

 その上に音もなく舞い降りたのは、艶やかなビビッドカラーに身を包んだしなやかなフレーム。他にはない華奢なシルエット。

 

「フォカロルだと? 前とは姿が違うが…… 」

「その声、あんたか。久しぶりだな」

 

 バドイ・ロウだった。

 しかし、前のような勢いを感じられない。どうにも歯切れが悪い。

 

「『ガンダム・フォカロルティフォン』、貰い物だよ。今はマクギリス・ファリドの配下なんでな」

「随分と気前の良いことだ。まああれの考えていることなんて分からないが、まさかお前が来るとはな」

 

 敵か味方か、そんなことを言い争うほど野暮なことはしなかった。敵の敵は味方なのだと、古くから伝わっている。

 のんびりとゆったりと、酒の席のような会話を続けるうちにもギャラルホルンの猛攻は収まる様子を見せない。

 不意の乱入者に動きを止めたのも一瞬のこと、ヤーグルのレギンレイズはアガレスを見逃してはくれないのだ。

 

「反ギャラルホルンを謳うなら、もう少し賢く立ち回るべきだな。自ら死地に飛び込むのでは、後に何も残らない」

「ご忠告痛み入るよ、あんたも苦労人みたいだな。同情はしてやらねぇが、なっ!! 」

 

 着地時とは真逆、力強く大地を踏みしめたフォカロルが太陽を背に高く跳躍する。

 

「ベルネス、ディアン!! 」

 

 ヤーグルの声に合わせ、指揮統率を行っていた特務仕様のレギンレイズがフォカロルを追って飛び上がる。研ぎ澄まされた鮮やかな連携で以て、調子に乗った闖入者を懲らしめる ―― とはいかなかった。

 推力にかなりの余裕がある高度で上昇を止めたフォカロルが身体を反転、急降下。レギンレイズ二機が形成する牽制の火線も虚しく自由自在に飛び回り、敵機すれすれで通り過ぎたり機体をロールさせたりと、ひとしきり曲芸飛行を終えて再びふわりと着地する。

 ハンカチが落ちた時のようにひらひらと、美しく。

 

 ティフォン。

 すなわち、台風のごとく。

 

 レギンレイズの装甲が剥がれる。ばらばらになって、瓦礫の上に降り積もる。

 

「流石は旦那、良いものをくれたもんだ」

 

 腰のフライトユニットが破損し、滞空のための推力を失ったレギンレイズが墜ちた。ギャラルホルン一とも称されるヤーグルからの指導を受け、腐ってもヴィーンゴールヴ直属のパイロットである、重力のなすがままに大地に叩きつけられる愚は冒さなかったものの復帰は困難と見て間違いない。

 

「一体、何が起こったというんだ」

 

 再度ヤーグルの勢いが弱まる。

 呆然と眺めるライドの視界の端で、きらきらと光るものがあった。

 フォカロルの至るところから伸びているそれは、かつてバルバトスがモビルアーマーから拝借した遺物に酷似している。

 

「ワイヤーか」

「正解であり不正解、半分半分ってところだろうな」

 

 軽薄な調子であしらわれた。勘に障る言葉遣いは、後でしっかりと咎めなければなるまい。

 マクギリスの持ち出した、得体の知れない武器についても。

 

 ともあれ、指揮系統がズタズタになった守備隊の動きは幾分か鈍くなった。神奈やリュウゴたちが息を吹き返す。

 

「一気に押し戻すぞ」

「何言ってるんだ、逃げるんだよ」

 

 フォカロルがひときわ高く積もった瓦礫の上に飛び移る。一息に飛んだものだから距離を見誤りそうになるが、相当離れた場所だ。

 

「細かいことを話してる暇はない。捨て駒にされたくなければ、今すぐここを離れろ」

 

 言ってロウが指し示したのは、上。

 暗雲に覆われた空。

 

「厄災が降ってくる。ギャラルホルンも雷電隊も関係ない。死にたくなければ、逃げろ」

 

 ざわ、と。

 阿頼耶識を介して、アガレスが伝えてくる。

 戦え。

 屠れ。

 蹂躙せよ。

 殲滅するのだ。

 

 とんでもなく巨大なものが、迫ってくる。

 

「神奈、全機撤退。オクリビとの合流ポイントまで下がれ」

「遅かったか」

 

 ぱっと光が降り注いだ。

 一面の雲海がヴィーンゴールヴ直上のみ切り取られ、鉄屑の山となったメガフロートに太陽の光が浴びせられる。

 丸い光源の中央に、一点の影。

 みるみるうちに大きくなり、はっきりと姿が視認できる距離まで迫る。

 

「翼を生やした、蠍 …… か?」

 

 その認識が間違っていることはすぐに証明された。

 どしゃ、と情けない音を立てて地面に激突したそれは、衝撃でばらばらに砕けたのだ。所属を問わず呆気にとられる一同の目前で、再び蠍の身体がパズルのように組み上げられる。

 身体を構成するパーツのひとつひとつが蠢く。一糸乱れぬその動きは、群体となったそれらが取るべき最適解とプログラミングされているかのようで。

 それぞれが自分の定位置に隙間なく嵌まっていく、そのピースの姿には見覚えがあった。

 

「『プルーマ』か」

 

 本来、ギャラルホルンやテイワズが所蔵する古書の中でのみその存在を確認できる過去の遺物、言葉通りの『厄災』。

 そして、プルーマとは大量に生産される補助ユニットに過ぎない。彼らを生産し、使役する親機。

 それがモビルアーマー。

 目の前でのそりと身体を持ち上げた、異形のマシーンである。

 

「『タブリス』、ね …… 」

 

 エイハブウェーブの固有波形からアガレスのコンピュータが機種を判別する。

 

 同時に、激しい頭痛がライドを襲った。

 

 敵。

 人類の、敵。

 ガンダムの、敵。

 戦え、それが責務。それこそが存在意義。

 

 アガレスの双眸が煌めく。冷たい水面の色が、紅い怒りに塗り替えられる。

 

「仕方ない、今は全部お前に任せる。だから思う存分に暴れろ。アガレス」

 

 タブリスが尻尾の先から空高くビームを放つ。

 それに呼応して、アガレスが吠えた。

 

 

 

「厄祭戦の再現、まさかここで仕組むとはな」

 

 ヴィーンゴールヴ最奥の緊急時用特別司令部、モニターの光に顔を照らされながらラスタルが微笑む。

 傍らのジュリエッタは、その表情を見ることができなかった。





ヴィーンゴールヴが消え、戦友が去り、傷心のライドにアガレスが微笑む。彼の全てを包み込むような笑顔にとけこむシンジ。だが彼らには苛酷な運命がしくまれていた。
次回「最後のシ者」

……冗談ですスミマセン。
新キャラ増やすと手に負えなくなるからってんでそこら中を駆けずり回ってもらってるバドイ・ロウに敬礼。
オレも頑張らないと。


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芽吹く種がひとつだけだと、誰が言った?

 ガンダム・フレーム本来の敵であるモビルアーマーを相手に、雷電隊とヴィーンゴールヴ守備隊は不本意ながらも一時的な共闘体制を敷くことを余儀なくされた。

 モビルアーマーの相手をしている横腹を叩くのは簡単でも、モビルアーマーを倒そうというのなら背後からでも難しい。

 ギャラルホルンの中でも、正面きっての対機動兵器戦闘を経験した者は半分にも満たないのだから。

 

「っ、ぐ、らあっ!! 」

 

 アガレスの瞳が赤くなった時から、ライドはマトモな言葉を発することがなくなっていた。単機でタブリスの正面に立ち、他への攻撃を許さない姿勢だ。

 その背中に、ライドの理性がはっきり残っていることを認めた神奈とリュウゴが意図を汲む。

 

「ヴィーンゴールヴ内部の構造を教えてもらえますか」

「機密情報を軽々に賊へ漏らす訳にはいかない」

 

 事実上マクギリスからの戦力外通告、あるいはもっとストレートに『ここで死ね』と言われているに等しい状況にあっても冷静でいられるのは、彼らがベテランのパイロットであればこそだ。

 しかしアガレスが仕留め損ねたプルーマを潰しながら共同戦線を張っていても、ヤーグルは頑なだった。組織に属する者として当然の選択とはいえ、雷電隊の面々にいら立ちが募る。

 

「無理ならそれでも構わねぇ、いちばん人が多いところを教えろ。モビルアーマーの動きが読めれば少しは戦況の予測もつく」

 

 耐えかねたロウが口を挟む。

 思わず視線を向けたリュウゴに迫ったプルーマにサーベルを投げ、磔にしたフォカロルの噴射炎が光る。

 

「バルコーナ・ヨーゼンの意思は知らんが、オレ個人としては旦那のこと気に入ってるんだよ。それに、オレたちが助かるためには旦那がヤツを倒す他ない」

 

 ぴょんぴょんと遠ざかる背中を見つめる余裕もなく、リュウゴはプルーマの対応にあたる。

 

「それに、オレまで捨て駒にしようとしやがったマクギリスの野郎に少しばかり仕返ししてやりたいのさ」

 

 

 

 甘く見ていたのかもしれない。

 もちろん、バルバトスとハシュマルがどれほどの戦いを繰り広げたのかは知っている、この目で見ている。

 その上でモビルアーマーに対しては最大限の警戒をするべきだという心積もりでいた。マクギリスならあれを持ち出してきてもおかしくはないと。

 それでも、甘かった。

 

 ハシュマルは恐るべきスピードとパワー、殲滅力を持ったパーフェクトマシーンだった。それを倒すためには、三日月さんのようにガンダムのリミッターを外して身体を捧げ、純粋に力で上回る他ない。

 だがリミッターを外してタブリスと対峙している今、一対一のタイマンになった今だからこそ分かる。

 

 このままでは勝てない。

 モビルアーマーとガンダム・フレームはそもそも戦力的に釣り合わないのだ。

 

 タブリスはハシュマルと違い、大した出力を持っていない。しかしプルーマで身を鎧うことにより、戦術の幅の広さが段違いだった。

 

「ーーーー!!」

 

 一撃一撃が渾身のフルパワー、必殺技にも等しい殴打をひたすらに繰り返すアガレス。

 それはすべてプルーマで受け止められ、タブリス本体まで届かない。

 プルーマはナノラミネートアーマーを持たない。直撃をくらった者からひとつずつ脱落していくが、なにぶん物量が多いのだ。決闘に全神経を注ぐライドは気付いていないが、タブリスの落着からしばらく経っている今もポロポロと空から降ってくる増援がいる。おおよそマクギリスが飼い慣らし、その間に数を蓄えたのだろうが、今はそんなことに頭を巡らせている場合ではなかった。

 

 脱落したピースを埋めるように、タブリスの身体は傷つくたびプルーマが貼り付いていく。

 

「おい、聞こえてるか。マトモな理性が残ってるなら返事しろ」

 

 押し寄せるプルーマの物量をかいくぐってようやくたどり着いたロウが、ヴィーンゴールヴの無線を使ってライドに声をかける。

 表層部分が破壊された程度では、ギャラルホルン総本山の中枢システムはびくともしない。

 

「ああ? 」

 

 その反応はまだ言葉の形を成してはいなかったが、獣のようだった勢いが少し和らいだように感じられた。

 

「アガレス一機で勝てる相手じゃない。かといってフォカロルだけでも倒せない。連携が必須だ」

 

 タブリスが尻尾を持ち上げたのを見て、アガレスが右腕を振る。高台から見下ろす司令部に合わせられた照準がずれて、あらぬ方向へ放たれたビームが雲に吸い込まれた。

 

「ん、そうだな。力を貸してくれ」

「もちろん」

 

 ひどく素直な返事に肩透かしをくらった思いで、ロウもモニターの中央にタブリスを捉える。

 

「雑魚はこちらで相手をします」

 

 体勢を立て直した守備隊と雷電隊がタブリスの周囲を固める。

 

「頼むぞ、諸君。ラグナロクを告げる角笛を、二度鳴らすわけにはいかない」

 

 

 

※※

 

 

 

 野うさぎのようにひょいひょいと、タブリスから付かず離れずの距離感を保ってフォカロルが飛び回る。数秒前に自身がいた場所をビームがえぐり取っても、ロウは顔色ひとつ変えない。

 

「タブリスが持つ射撃系の武器はビームだけ、そもそもナノラミネートアーマーには通用しないこけおどし。最も警戒しなければならないプルーマに注意を払う必要もないなら、おとり役なんて軽いもんだ」

 

 グレイズ・シルトが最前列に立ち、堅固な壁を築く。ドローミが、青冥が、獅電改が、ラムズ・ロディが、レギンレイズが、押し寄せるプルーマを薙ぎ払う。

 物量こそ驚異的なプルーマだが、通常の合金製であるのなら、こうして足を止めてやればただの的に過ぎなかった。

 

「こっちは十分に抑えられる。 …… 頼みますよ、隊長」

 

 

 身体は常にアガレスに正対したまま、尻尾だけをフォカロルの動きに追随してうねらせるタブリスの表皮は隙間だらけになっていた。

 一撃で数機のプルーマを粉砕するアガレスに対し、補給が見込めなくなったタブリスが消耗戦を強いられる状態だ。

 

「足りないな」

 

 攻めるアガレスにも決定打がない。しびれを切らしたタブリスが両腕の鋏までも振り回して威嚇するが、リミッターを解除することでアガレスと百パーセントの感覚を共有するライドに見切れないほどのものでもない。

 

「悪い、一匹抜けた」

 

 アガレスの背後にプルーマが飛びかかる。

 

「っ …… !!」

 

 反射的に振り向くライド。初めて、タブリスに背を向けた。

 タブリスの尻尾が鎌首をもたげる。フォカロルには見向きもしない。

 プルーマを叩き落としながらもライドは『最悪の瞬間』への覚悟を決める。毒々しい光が収束する。

 

「諦めがいいのですね。たかだか虫けらでしょう」

 

 音速を越えて飛翔する運動エネルギー弾が、ビーム砲の角度を大きく変えた。

 

「おいおい、そんなものを持ち出すなんて聞いてないぞ」

 

 戦場の視線を一手に引き付ける黄金色の、『ガンダム』。

 

「どうやらお前は良い性格になったらしいな。後はもう少し時間を守れるようになったら完璧だ」

「あなたに罰を下すに相応しい女と、認めて頂けるなら」

「全部が終わったら、罪は償うさ」

 

 ジュリエッタ・ジュリス。

 ガンダム・キマリスヴィダール。

 

 味方として迎え入れるのに、これほど頼もしい組み合わせもないだろう。

 

「これでよろしいのですね? ラスタル様 …… 」

 

 

 

※※

 

 

 

 ガンダムアガレス、ガンダムフォカロルティフォン、ガンダムキマリスヴィダール。

 青冥、ドローミ、ラムズ・ロディ、獅電改、レギンレイズカスタム、シュヴァルベ・グレイズ、グレイズ・シルト。

 

「これで勝てぬなら、白旗だな」

 

 キマリスで飛び出していったジュリエッタに代わり、ラスタルの隣に付くのは車椅子に身を預けたガエリオ。

 モニターに映るかつての乗機に、何を思うのか。

 

「あの男は切れ者です。モビルアーマーひとつ退けた程度では顔色ひとつ変えませんよ」

 

 かつての友。一度は殺され、一度は殺し、なんの因果か未だに腐れ縁が途切れずにいる。

 友を殺され、部下を利用された恨みも既に消えたが、二人を結びつけているのはそれほどやわなものではなかった。

 

「感傷に浸るのも悪くないが、今はここを守ることが最重要事項だ。『例の部隊』、準備は出来ているか? 」

「お声ひとつで、すぐにでも動かせます」

「ジュリエッタの身が持たぬと判断したら彼らに任せる。今はあれに託すほかないな」

「残念なことです」

 

 今は眠りについている彼らを動かす時が来るなら、それは人類の種の存続に関わる厄災が訪れた時だろう。

 責任者の身で言えたことではないが、そんな時など来ないことを祈らずにはいられなかった。

 

 

 

※※

 

 

 

「正面からはオレが行く。二人は、機を見て尻尾と鋏の破壊を頼む」

「無茶を言いますね …… 」

「まあまあ、どのみちこいつを壊しきれるのはリミッターを外した『ガンダム』だけだからな。あんたにその覚悟があるかよ? オレはまっぴらごめんだぜ」

 

 モビルスーツの背丈と大差ないスケールを誇るタブリスの鋏が打ち下ろされる。その質量ゆえに大したスピードはないが、もし直撃をくらえばフレームごと破壊されてもおかしくない。

 アガレスの右腕が受け止める。明らかにパワー負けしているが、数秒の拮抗状態が生まれる。すかさずキマリスが腕の根元にランスを叩き込んだ。

 重装甲が施されたぶんスピードはアガレスに及ばなくとも、衝突面積が少ないため威力は高い。

 それでも。

 

「無傷ですか …… 」

 

 重なりあったプルーマをまとめて刺し貫きはしたものの、ようやく姿を現したタブリス本体レアアロイのフレームには傷ひとつない。

 跳ね返ってきた衝撃による脳震盪を堪えながらジュリエッタは後方へ飛びすさる。

 

「チッ、うっとうしいな」

 

 身軽さを信条とするフォカロルの攻撃では傷をつけることなど到底叶わない、それを理解したロウが歯噛みする。

 

「次だ」

 

 今度はアガレスから距離を詰める。キマリスにも、フォカロルにも目を向けさせない。

 スラスターの噴射炎が勢いを増す。

 

「 !! 」

 

 金属のぶつかり合う音、空気を切る音、プルーマが擦れ合う音、それらすべてが重なって不気味な鳴き声となる。

 

「クソ、気持ち悪い」

 

 ランスの質量を、二十回ほどぶつけた頃だろうか。

 タブリスの鋏の動きが鈍った。僅かにフレームが歪んだらしい。

 

「今しかない」

 

 アガレスが右腕を大きく振りかぶった。

 一呼吸おいて、地面が陥没するほどに力強く踏み込んで飛び出した。

 銃口から放たれた弾丸のように、狙いを定めた肉食獣のように。

 タブリスの尻尾がアガレスに向けられる。禍々しい光がいっそう激しさを増す。

 

「壊せなくったってなぁ!! 」

 

 ぐい、と。

 タブリスの足が、尻尾が、あらぬ方向へ不自然に折れ曲がった。蜘蛛の巣のように張り巡らされたフォカロルのワイヤーが動きを封じる。

 

「できることはあります」

 

 キマリスの身長を越えようかというサイズのランスが一閃、タブリスの胴回りにこびりついた残り少ないプルーマを弾き飛ばす。

 蠍の腹の下、最も攻撃を受けにくい部分にモビルアーマーの制御コンピューターが露出する。

 

「もらった」

 

 ヴィーンゴールヴが揺らぐほどの衝撃。

 タブリスの身体から、力が抜けた。フォカロルに引っかけられたワイヤーを支点にだらりと足が垂れる。

 同時に、周囲のプルーマたちの活動の停止が確認された。

 

 

 

※※

 

 

 

「案外、脆いものですね」

 

 リミッターを解除した『粗悪品』のガンダム、マクギリスが闇市で拾った『継ぎ接ぎ』、そしてギャラルホルンの技術が注ぎ込まれた『出来損ない』。

 厄祭戦の時とは比べるべくもない戦力でありながら、それにタブリスは敗れた。

 

「ああ、誰か一人くらいは犠牲になるものと思ったのだがな」

 

 『復讐者』に『没落貴族』、『戦場の乙女』に『角笛の担い手』。

 いくらでも替えのきく戦力であるとはいえ、モビルアーマーを相手にとって犠牲が出なかったというのはマクギリスにとっても予想外のことだった。

 

「フラウロスを戻してパイロットを休ませろ。次は持てる全てを投入する」

「今すぐに追撃をかければヴィーンゴールヴは落とせると思いますが」

 

 新江の提案に、マクギリスは口もとを緩めた。

 

「彼らがどういう化学反応を起こすのか、見てみたいのだよ」

 

 眼下に青い大地を見下ろし、思索を巡らせるマクギリス。話は終わりだと言わんばかりの雰囲気を察して、新江は静かに退室した。

 

「ヴィーンゴールヴへの降下はいつです」

 

 背後からかけられた声に背筋が伸びる。

 暗礁宙域に潜伏するハーフビーク級の艦内に軟禁状態のアルミリアは、明らかに不機嫌だった。

 

「態勢が整えば、すぐにでも」

「簡易ダインスレイヴを連射したフラウロスの整備がそんなに早く終わる訳はないでしょう。短くて二日、状況によっては一月はかかる。その間、彼らを放置しておくつもりですか」

 

 もちろん、準備が必要なのはフラウロスだけではない。新江の見立てでは、マクギリスがことを起こすのは二か月後だ。

 どうやって宥めたものか、と思い悩む新江に助け船が出る。

 

「いくら天下のギャラルホルンの親玉とはいえ、壊滅状態の基地に何の力がある。雷電隊だってあのツンケン小僧だけで回してる訳じゃないだろう、交渉の手もあるはずだ」

 

 ラム・ラバナである。

 

「あなたたちは今回の作戦の支援を行うと伺いましたが」

 

 割って入ったラバナにアルミリアが詰め寄るのを尻目に、新江はそっと場を離れた。思っていた形とは違うが、助け船であることに変わりはない。

 

「直接戦場に出向くだけが支援じゃないことくらいは理解してるだろう? 月で育ててたタブリスを誘導して、あそこに落とした時点で俺たちの仕事は終わり。後は現場の奴らに任せるだけだ」

「雷電隊までも巻き添えにするつもりで落下させたくせに、よくもそんなことが言えたものですね」

 

 彼女の剣幕が収まる様子はなく、ラバナもそのまま立ち去ろうと足を動かす。アルミリアも無理に追うことはせず、本命だったマクギリスのもとへ向かった。

 

「もう少し仲が良けりゃ、からかい甲斐もあるんだがな」

 

 夫婦、というにはねじれ過ぎ、ひねくれ過ぎた関係の二人に余計な軽口を叩けばどんな地雷を踏むか分かったものではない。

 せめて互いの意思は統一しておいてほしいと思うのだが、マクギリスの性格を思えばそれも無理な話だろう。

 

「あのお姫様も、不憫なものですね」

 

 角で待ち構えていた新江の言葉には、共感せざるを得ない。

 

 

 

※※

 

 

 

「バレたら首が飛ぶかもな …… 」

 

 ユージンが自嘲気味に笑う。

 火星の宇宙港から地球圏へ向かうシャトルは最終加速を終え、ひとまずの緊張が解けていた。

 ユージン以外の乗船客とスタッフは、である。

 

「無茶は承知の上です」

 

 ユージンの気が休まらない元凶、隣の席に座るクーデリアの視線はまっすぐ正面を見つめていた。

 火星の臨時議会も召集をかけられている状況下で、議長のクーデリアが行方不明となれば混乱は免れないだろう。それを分かっていても地球行きを強行した彼女の気持ちは分かる。

 だからこそチャドに後を任せて旅路に同行することを決めたユージンだったが、道中の様子を見ればその決断は間違いだったのだろうかと不安にもなる。

 火星どころか地球にまで顔の通った有名人である以上、ある程度の変装や身分証明書の偽造が必要になるのは分かっていたが、乗船時の検問を堂々と潜るその背中には見ているこちらの肝が冷えた。

 

「少し前からギャラルホルン発の報道が途絶えているのが気にかかります。行動を起こすなら、一刻も早くなければなりません」

「その理屈は分かるがな …… 」

 

 鉄華団。

 その名前を使われれば、冷静さを失うのも無理はない。居残りを受け入れたチャドだって、見送りの時には不安を隠そうともしなかった。

 

「ライド・マッス。今は、升牙・ライグライドでしたか。ここまでずっと後回しにしてきたツケを払う時が来たのかもしれません」

 

 その神妙な面持ちは議会の老獪どもを相手にしている時ですら見せることの少ない、偽らざる彼女の本心を表すシグナルだ。

 同じ危機感を共有し、かつ一生かけても返しきれない大恩を抱える身でありながらなんら有効な助力を思い付かない自分にいら立つユージンは、気休めを言うくらいしかできることがなかった。

 

「これは鉄華団の問題です、あなたが心を痛めることじゃない。過去の精算を済ませられなかった、私たちの責です」

 

 結局、最後には互いが押し黙る空虚な議論だった。事ここに至っては責任の所在などどうだっていいと、クーデリアもユージンも理解できているはずなのに。

 ライド一人の責任と押し付けて割り切れない残酷な優しさが二人の共通認識であると分かったのが唯一の益だろうか。

 

 沈黙に耐え兼ねたちょうどその時、機内販売のワゴンが通りかかる。通路側に座るユージンがコーヒーを二つ注文し、決して手慣れているとは言えない手つきの乗務員が少し時間をかけ、おずおずとカップを差し出す。

 ありがとう、と言うのがもう少し早ければ、舌を噛んでいたかもしれない。

 

「機内の衝撃に備えてください」

 

 切羽詰まった操縦士の声がアナウンスから流れて三秒と待たず、身体が座席から投げ出されるほどの急減速によるGが襲った。

 吹き飛ばされそうになる乗務員を抱き止めるような形で支えることに成功したユージンは、まだかなり若く見えるその女が頬を赤らめていることになど気付く余裕もなくシートベルトを外して駆け出していた。

 嫌というほど身体が覚えている感覚。最悪の事態を想定し、即座に自分で否定し、それでも沸き上がる不吉な予感を振り切れないままコクピットへ向かう。

 幸い、ハッチは動揺する乗務員に頼むとすぐに開けてくれた。ユージンのような仕事についていなくとも、警備上の問題を感じずにはいられない対応だったが追及している暇はない。

 鬼気迫るといった様子で入ってきたユージンに戸惑う副操縦士、冷静というより冷ややかな、警戒する視線を向ける機長。常識的な反応にやや安堵しつつ、正面の強化ガラス窓の先に視線をやると、そこにトラブルの元凶があった。

 

「テイワズ、ヴェニヤの船か」

「知っているのか? 」

 

 いっそう警戒を強める機長。

 ヴェニヤのところには、それなりに世話になった過去がある。見間違うはずもなかった。

 

「予定の航路に、申請のない艦船がいたんです。ルートを変えるにも危険が伴うので …… 少し燃料を食われますが、減速して衝突を避けることにしたんです」

 

 ハイジャックの類いではないと判断したのか、落ち着いてきた副操縦士が説明してくれた。

 確かに、宇宙において予定していたコースを外れることは相当なリスクを伴う。大気圏内とは比べ物にならない速度で飛んでいるゆえに、少し針路をずらしただけで何千、何万キロの誤差が生じるからだ。そのうえ、厄祭戦時に撒き散らされた大量のデブリが回収されず漂うエイハブ・リアクターに引き寄せられてそこら中で高密度の暗礁宙域を形成している。ギャラルホルンが管理し、認可した航路を外れるというのは民間のシャトルにとって遭難、漂流に等しい。

 その点に関しては、機長の冷静かつ適切な判断により問題なくなったといえる。

 

 となれば、問題は、ヴェニヤ・インダストリアルの艦船であるシーラカンスがなぜ事前の申請もなく堂々とギャラルホルンの航路を使っているのか、ということだ。申請を出さずに航行する船など、アリアドネを介して宇宙に張り巡らされた警戒網の目から逃れられるはずもない。そもそもギャラルホルンに言えない後ろ暗さを持った事案であるのなら、テイワズの独自航路を使えばいいはずなのだ。

 もしもそれが叶わない理由があるとすれば、それはテイワズとギャラルホルン、両陣営に不利益をもたらす何かがそこにある、だとか。

 

「はっ、まさかな」

 

 馬鹿馬鹿しい。

 人類最大規模の二大組織を両方敵に回すなど正気の沙汰ではない。

 どうやら向こうも気付いたようで、船足の早いこちらに譲るように航路を離れた。一直線に飛ぶことを前提で航海するシャトルと違い、備蓄食糧も燃料も余裕のある戦艦なら多少の融通が効くのだから当然と言えば当然の判断だが、ユージンは肩透かしをくらった思いをした。

 

「すみません、邪魔をしました」

 

 もう操縦に意識を戻した二人に詫びて、ユージンは自分の席に座った。隣のクーデリアは何も聞いてこなかったが、数分前よりもいっそう険しい顔をしていた。

 敏感な女だ、と感心するこの時のユージンには、危機感が足りていなかった。

 

 本当に、人類最大規模の二大組織を両方敵に回す奴だって存在するのだと、彼は経験上知っていたはずなのだから。

 

 加速のGに身体を震わせ、すれ違い様にシーラカンスの方を見やる。

 そのブリッジでトラビ・ヴェニヤがどんな表情を浮かべているのかなど、ユージンは想像すらしなかった。





やたら場面が飛ぶのは、定期的に登場させてないとキャラや設定を作者自身が忘れそうだっていう不安からくる強迫観念みたいなものだったりします……

読みづらくて申し訳ない。


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敵の敵は……?

火星議会は紛糾していた。

 最高レベルの警備態勢を手配したホテルで、国賓クラスの大物を招いたにも関わらずテロリストに屈した形になってしまった。今後の対応、責任の所在を筆頭に議論しなければならないことは山ほどある。

 そんな状況で、議長のクーデリアが不在とくれば話がこじれるのも必然だった。

 

「なぜギャラルホルン火星支部は何も言ってこない? 警備には彼らも参加していただろう」

「議長はどこへおられるのです。現場を直接見たのはあの方だけでしょう、そこは詳しく聞かせて頂かなければ困りますな」

「周囲の民間施設からも問い合わせが殺到しています。早急に政府としての姿勢と対応を明確にしなければ信用問題です」

 

 収拾のつかなくなった議会は荒れに荒れ、その様子は留守中のクーデリアの執務室を預かったチャドにも伝わってくる。同じ建物の中とはいえ、火星自治議会の威信を表す立派なものである。何部屋を、何メートルを挟んでいるのか想像もつかない。

 この騒動が遠からず自分のもとへ波及するだろうという確信に基づいて準備はしていたが、もとが小心者のチャドである、大きな図体が落ち着きなく動き回るのは見ている者をとても不安にさせた。

 

「案ずることはない、クーデリアお嬢さんの秘書官さん。こういう事態に備えて、私がここに呼ばれたのだから」

 

 そう言ったのは、来客用のソファに他人行儀に腰かけた男。彼の階級を知っていれば、その態度は借りてきた猫のようにおとなしく自分を律し、制しているのだと理解できるが、それでもなぜか傲岸不遜な雰囲気を漂わせている。

 恐らくは、生来の気質だろう。

 

「事態の収拾を図るためにも、まずは彼らに落ち着いて貰わなければならんな」

 

 チャドが制止する隙も与えず、まだ老人というには若すぎる男はずんずん廊下を進んでいく。

 

 数十秒後、男の姿は議場、さらに詳しく言えば壇上にあった。

 人目に晒されることにもすっかり慣れているその堂々とした姿に、議場に入るなりまっすぐ壇上に向かうその態度に、謎の男が乱入してきたという事実に議員たちの怒声は下火になった。が、

 

「私はギャラルホルン火星支部司令、フェーク・メイクスだ」

 

 たった一言で再び議会は荒れた。

 そんな様子をしばらく我関せずといった風に眺めていたメイクスは、ある程度騒ぎが収まったのを見て口を開く。

 

「此度の件につきまして、ギャラルホルンとしての公式見解、そして今後の対応について述べさせて頂きたい。お互い、そこから協議しなければならないこともあるでしょう」

 

 芝居がかった口調と身振りは、聴衆の反応を楽しんでいるとしか思えなかった。

 

「まずは今回の爆破テロの実行犯、正面玄関の少年と議場の少女、あの二人の所属です。ギャラルホルンの調査により、彼らの所属は『鉄華団』であることが判明しました」

 

 

 議場に踏み込む勇気もなく、中継を見ていたチャドが声もなく固まった。

 いいかげん騒ぎ立てることにも疲れた議員たちは静まり返っている。

 

「八年前、マクギリス・ファリド事件の時に壊滅したと思われていた彼らは、個人IDの改竄によって身分を、経歴を偽り生き延びていました。そして虎視眈々と、自分たちを滅ぼしたギャラルホルンへの復讐の機会を窺っていたのです …… そして今、ラスタル政権の気の緩みと驕りが最高潮に達したのを見て行動を起こしたのでしょう。もはや別人となった彼らがどこに身を潜め、誰を狙っているのか。我々ギャラルホルンが威信をかけて捜索した結果、そのすべての所在が確認できました。これをご覧ください」

 

 メイクスの背後、超大型の画面に数十人からの顔写真が整列する。そこにはライドたち雷電隊の面々からユージンやチャド、さらには町工場を立ち上げたナディ・雪之丞・カッサパやヤマギ・ギルマトン、タカキ・ウノまでもが映し出されている。

 ご丁寧に、今の所属まで添えて。

 

「小さな工廠で兵器の調達を行う者、アーブラウの政権中枢を狙う者、幼い子どもに過激思想を植え付ける者、その役目は様々です。そして、魔の手はここ火星において最も大きな力のもとへ潜り込んだ。そう、あなたたちにとっても、見覚えのある者がいるはずだ」

 

 ぽん、とメイクスが講壇を叩くと、二枚の写真が拡大される。言うまでもなく、チャドとユージンのものだ。

 

「さて、私から話すべきはここまでだ。後は直接、彼らに聞くといい」

 

 どこまでも怠慢で、愚鈍で、誇りだけは高い地球の政治家とは違う。まったくのゼロと言っていい状態から火星自治政府の運営を主導してきた火星の政治家は根っからの行動派である。

 メイクスの言わんとすることを理解した者から、我先にと数十メートルの距離を駆け出しクーデリアの執務室へなだれ込む。

 もぬけの殻となった、だだっ広い空間へと。

 興奮冷めやらぬ彼らの前に、一枚のメモが残されている。

 

「真実を確かめてくる。すべては自分の目で見て、肌で感じるところから始まるのだ」

 

 丁寧な筆跡から強い覚悟が滲み出す。

 何もかも、誰もかれもが変わっていくなかでただ一人、クーデリア・藍那・バーンスタインだけが確固たる信念を変わらずに抱き続けている。

 

 

 

※※

 

 

 

「さて、君たちをどう処分したものか」

 

 満身創痍のアガレス。もちろんそれは神奈やリュウゴ、守備隊の機体にも当てはまる事実だが、互いに傷だらけであればこそギャラルホルン側の数の優位性は大きな壁だった。

 八年の間、復讐を夢見てきたラスタル・エリオンが悠々と生身を晒しているのを目前にしながら何もできない身体を恨めしくさえ思うライドだが、リミッターを解除してアガレスと感覚器官を百パーセント以上にまで同調させた代償は高くついていた。

 

 右腕の感覚がない。

 ついさっきまで、操縦桿を通して伝わる殴打の衝撃に激痛が走り、悲鳴をあげていた腕はもう何も言ってはくれないのだった。

 そして当然のことながら、ヴィーンゴールヴに殴り込みをかけてから数えて数十分にも及ぶ長時間の戦闘の末、全身に蓄積した疲労はライドの根性や激情を萎えさせてしまうほどに重たくのしかかってくる。

 

「動くな」

 

 見かねた神奈たちがアガレスに駆け寄る。銃を構えて制止するギャラルホルンの警告に、むしろ戦意をかきたてられているようでさえある。ラムズ・ロディが大槍を掲げ、獅電改がガントレットを握る。

 

「てめぇらだけでモビルアーマーを倒すこともできなかったくせに、オレたちには勝てると思ってそういう態度を取る。世界の警察を謳う組織にしちゃ、ひどくダサい真似をしてくれる」

 

 吐き捨てる獅電改のパイロットの声は、もちろん戦場の全域に聞こえている。しかし挑発を受けるギャラルホルン側とて、譲れないものがあった。

 

「モビルアーマーだとて、お前らが引き連れてきたのだろう? まともに制御できんものを実戦投入しようなどと、底が知れる」

 

 一触即発。

 共通の敵を失えば、もとより水と油の存在である雷電隊とギャラルホルンの敵対を、廃墟と呼んで差し支えない程度に壊れたヴィーンゴールヴの背景が演出する。

 

「捕らえろ」

 

 短く発せられた命令に、しかし即座に対応できる機体はなかった。

 隊長格が乗るシュヴァルベ・グレイズも、率いられるグレイズ・シルトも、那弥木たち第十三特務大隊のレギンレイズ・カスタムも、満足に四肢を動かせるものはひとつもない。まして「捕らえる」対象の中には、アガレスとフォカロル、二機のガンダムがある。

 二本の足で機体を立たせることに全神経を注ぐ守備隊の隊員たちの視線は、一か所に集まった。

 キマリスヴィダール。

 そしてジュリエッタ・ジュリス。

 

「 …… 」

 

 万全とは言えないまでも相応の余力を残し、なおかつ機体性能と操縦技量、求められる条件をすべて満たした兵士が、そこにいる。

 しかし、キマリスの文字通りの鉄面皮は、微動だにしない。

 その奥にあるのは確固たる意思や信念ではなく、渦巻く戸惑いだった。

 

「どうした、ジュリエッタ。武装解除ののち、拘束。普段と何も変わらない、賊への対応を求めている」

 

 上司、どころか兵士としての立場から見れば神にも等しい総司令、ラスタルの言葉にもその指一本動かそうとしない。パラパラと瓦礫が崩れ落ちる乾いた音だけが響く。

 

「ラスタル様は」

 

 長い長い沈黙ののち、絞り出した言葉は。

 

「ラスタル様は、大義とは何だと思われますか」

「愚問だな。世界を治めるシステムに逆らい、一般の大衆に危害を加える者を排し、混乱をもたらす逆賊を世界から失くすことだ」

 

 迷いのない即答。

 八年間日増しに膨らみ続け、この三か月でさらに強くなった鬱屈としたジュリエッタの感情を晴らすには足りない言葉だったが、その場かぎりの言い逃れには十分だった。ようやく動き出したキマリスの、字義通りに重たい身体がアガレスに近付く。警戒を強める神奈たちだが、守備隊同様に傷だらけの機体でガンダムを相手取ることへの恐怖が少なからず態度から漏れ出している。

 歴戦の猛者というのは立ち塞がるものすべてをなぎ払う力を持った人間のことではなく、最も易しい道を見極め選びとる力を持った人間なのだ。

 

「剣を収めてください。罪状が長く、分厚くなるだけですよ」

「お前たちが犯してきた罪に比べれば、軽いものだろうさ」

「理解して頂けないなら、力ずくで行くしかありませんが」

「是非そうしてもらいたいな。お前たちの罪状が、私の命ぶんだけ重くなる」

「虜囚は恥、ですか? 随分と前時代的な思考ですね。まあ、この場合は正当防衛でしょうか」

「ああ、どちらが死んでもそれで片付く。まさか部下を使うなんてせこい真似はしないだろう? 」

 

「待ってください」

 

 高まっていく熱が、その先がフォカロルに向けられた。

 

「いや、ああ、オレじゃないんだが」

 

 ロウの言葉に被せるようにして、ギャラルホルン組には馴染みのない声が届く。

 

「交渉に、応じて頂きましょう。『戦場の乙女』、そしてラスタル・エリオン総司令殿」

 

 このような場においても一切揺るぎない凛とした声。

 

「私は雷電隊の参謀、ウィリアム・ヴェリーハット。少しばかり、お話の場を頂きたい」

 

 既にライドは気を失っていた。

 

 

 

※※

 

 

 

 十分後、ライドはヴィーンゴールヴの医務室へ運び込まれていた。

 すなわち、ウィリアムは十分とかけずにラスタルとの交渉をまとめあげたということである。

 

「私たちが保有する戦力がこれだけだとお思いですか? アガレス、フォカロル、そしてタブリス。強力な駒ではありますが、ギャラルホルンの体制を覆すには足りないことは百も承知。しかし、今回はこれで終わり …… つまり、我々は先鋒に過ぎないのです。この意味は、伝わると思いますが」

 

 要は、その気になればいくらでも戦力を投入できると、ギャラルホルンも殲滅しうるという脅しだ。

 

「こうしてお前がのんびりと話していることが、増援は見込めないということの裏付けだと思うがね」

「我々が捨て駒だとお思いなら、なおさら敵対は無益です。首魁が誰なのかご存知なら、取るべき対応も自ずと導き出されるでしょう」

 

 ふむ、と動きを止めるラスタル。

 賊の言うことだからと切り捨てず、ひとつひとつ可能性を検討する辺りはさすが司令官の器といえる。

 

「素直に情報を提供するなら、条約に基づいた扱いはしてやろう」

 

 終始、ジュリエッタが言葉を発することはなかった。

 



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血水混然

 真っ暗な闇の中、三枚のモニターが放つぼんやりとした光が、青年というには少し老けた男の裸体を照らし出す。はっきりと全体像を捉えられないそれは、むしろ照明の下で見るものより遥かに扇情的であると思えた。

 男の正面、光源を背にして簡素な椅子に腰掛ける白衣の女性はそんなことを気にする風もなく、淡々と診察を終わらせた。

 

「限界が近付いているのは日々感じているが、存外長生きできそうだな」

 

 映し出された診察結果に、シャツに袖を通しながら視線を走らせたマクギリスが満足げに言う。

 

「すぐに結果を出せる項目なんてこんなものよ、詳細はもう少し時間を貰わないと分からないわ。でも確かに、あなたは並み以上に活きがいいわね」

 

 面と向かって会話しているように見えて、女の方はマクギリスの顔を一切見ていなかった。

 当然、マクギリスはいちいちそんな些事に神経を割いたりはしない。

 うなじに突き出た阿頼耶識のデバイスをひと撫でして、モニターと女に背を向ける。

 

「例の件、順調に進んでいるか? 」

 

 部屋を出る直前、開いた扉から差し込む光に影を落としながら、いま思い出したかのように尋ねる。

 

「データの復元と検証も終わったし、理論上は何も問題ないわ。本人の説得ができれば、今すぐにでも施術可能よ」

「なるほど、それは先が長そうだ」

 

 薄皮一枚下で他人を嘲笑っていそうな、表面に貼り付けただけの笑みを返すマクギリス。意趣返しのように、女がちくりとトゲを刺す。

 

「それはあなたの役割でしょう、『マッキー』? 」

「努力するさ、君の期待に応えられるようにな。よろしく頼むよ、アルダ・ハンティア」

 

 ふっと息を吐いたマクギリスの真意が露になるのも、そう遠くはない。

 

 

 

※※

 

 

 

「火星自治議会は『鉄華団』残党勢力をテロリストと断定し、構成員の身柄拘束に向けてギャラルホルンとの連携を進めていくことを表明しました」

 

 混沌を極め、混乱の極地にまで達した議会をものの数時間で手中に収めたマクマード・バリストンの手腕は流石の一言だった。

 消息不明となったクーデリアの側近、元鉄華団員に関する詳細な情報を武器に、状況の説明を求める者らの怒りを鎮めつつ対『鉄華団』の気風を煽る。混乱の原因から目を反らさせ、かつ全員が同じ方向へ向くように導いたのだ。

 結果、臨時議会の開場から半日と経たずにこうして決定事項が大々的に報じられている。

 

「間に合って良かったです」

 

 クリュセ市街地に建つ、何の変哲もない民家。

 差し迫った状況に流されて、言われるがままに付いてきたチャドは、その隠れ家と呼ぶには堂々としすぎている佇まいに驚く。

 自身を取り巻く環境についてひとまずの説明を得て少しは落ち着いたように思えたが、いま逃走しているという事実は問題の先延ばしどころか問題の肥大化をもたらしていることに再び胃を締め付けられる思いだった。

 

「トロウ、お前、何をしてるんだ」

 

 見覚えのあるかつての友、しかし八年の時を経てすっかり歴戦の雰囲気を漂わせる男たちに取り囲まれていることへの恐怖。そしてチャド生来の気質でもある、道を違えたとはいえ旧友である者らへの気遣い。それらが一挙手一投足に漏れ出して、いまこの場における上下関係をはっきりと視覚化している。

 ユージンやダンテ、あるいは願うべくもないがシノやオルガならば威風堂々と単刀直入に核心を突く質問をするのだろうがチャドにそこまでの度胸はなかった。

 口をついて出た問いも、論点をぼかした弱々しいものだ。彼らを狼に例えるなら、議場に居た高官たちの勢いなど死骸にたかる蟻のようなものだった。

 

「『隊長』の信念、そしてオレたち隊員の意思です。こうなることは、始めから分かっていましたから」

 

 差し出されたタブレットの画面に、見知った顔が躍り出る。

 ライド・マッスと、ラスタル・エリオン。

 水と炎よりも相容れない二人が面と向かって話をしている。音声はついていなかった。代わりに、こちらも耳に覚えのある声。

 

「ギャラルホルンは、テロリストと手を組んだ。突如出現したモビルアーマー、タブリス。そしてその撃破は『鉄華団』残党の自作自演だ。それを見抜いていながら、ラスタル・エリオンは彼らの持つ暴力に屈したのだ」

 

 両端をギャラルホルン兵が支える担架に乗せられ、四肢をだらりと力なく横たえながらも、心までは傷ついていないことを窺わせる引き結ばれた顔のライドに、ラスタルが何か告げた。ライドの力強い首肯を受けてラスタルは満足げに微笑んだ。

 どんな会話が交わされたのか定かではないが、こうして映像だけを見ればいくらでも邪推のしようはあった。

 

「この七年で進められたラスタル政権の施策はどれも、外への対面を取り繕うためにギャラルホルンのあるべき力を削ぐ愚策だった。これ以上座して待つわけにはいかない、ギャラルホルンは世界の警察としての姿を取り戻し、毅然とした態度でテロリスト廃絶へ向けて先頭に立ち旗を振っていかなければならない。その必要性を痛感した我々は、再び立ち上がることを決めた。『エインへリアル』の名の下に、弱体化した現行ギャラルホルンは打ち崩す。市民の皆さまにおかれましては、多大な混乱をもたらすことにどうかご理解を頂きたい。政権奪取の暁には、我々がテロリスト、武装組織、その他あらゆるトラブルすべてに対して厳正に対処し、全責任を負うことを約束致します」

 

 後半は、映像もマクギリス本人の演説のものに変わっていた。

 気付けば、周囲の青年たちから放たれるオーラが剣呑としたものに変わっている。

 警戒を強めるチャドの様子を見て取って、トロウが事情を話してくれた。

 

 曰く、『鉄華団』残党は『雷電隊』を核として、ライドによって取りまとめられていること。

 そして、そのライドは七年前からマクギリスたち反乱軍の生き残りと手を組んで打倒ギャラルホルンを掲げ活動していたこと。

 今、ライドが率いる雷電隊はヴィーンゴールヴへ降下していること。

 

「そこから先、現場で何があったかは推測になりますが、恐らくあなたが考えている状況で間違いないと思います」

「必要がなくなり、切り捨てられたか」

「理解が早くて助かります」

 

 かつての上下関係を思えば傲岸不遜も甚だしいものだが、そういうことに気を回さないことがむしろ実直さを感じさせる。

 いや、不器用というべきか。

 

「この日が来ることは覚悟の上でした。そしてそうなれば、あなたやクーデリアさんたちに危険が及ぶことも、隊長は承知していました。だからオレたちは、事が始まればかつての関係者を全力で守り抜く、そのための部隊です」

「勝手な言い分だ …… というのも承知の上らしいな。言うまでもなく」

 

 沈黙の肯定。

 クーデリアやユージンと消息を辿っていた頃から九割九分そうだろうと思ってはいたが、いざ言葉にされるとようやく現実味が伴ってくる。

 行方不明になった元鉄華団員は、マクギリス・ファリド事件当時の年少組を中心に二十名余り。それをまるまるライドが戦力としているなら、それなりの規模にはなる。

 

「この放送は、火星にしか流されていません」

「なんだと? 」

 

 チャドがいくらか状況を飲み込み、落ち着いたことを確認してトロウは続ける。話の進め方というものを、主導権の握り方をよく理解している。チャドもクーデリアの交渉術や彼女の相手の老獪な話術をさんざん聞かされてきた身ではあるが、情けないことに門前の小僧レベル、かろうじて自分が手玉に取られていると自覚するのがせいぜいだった。

 

「少し前に隊長たちがノブリスを殺し、マクギリスがギャラルホルン火星支部を取り込み、『エインへリアル』は火星周辺の通信網を掌握しています。この放送が直接地球圏に届くことはありません」

「しかし、火星に拠点を持つ企業から各経済圏の耳に届くのはそう遠くないぞ」

「『ギャラルホルン本部に届かないこと』が重要なんです」

 

 そこまで言われて、ようやく気付く。

 マクギリスの言う通り、ラスタルの穏和政策はギャラルホルンの影響力を弱めた。これは各経済圏が『有事の際、ギャラルホルンが動くまで戦線を維持できるだけの力』という口実のもと軍事力の拡張を推し進め、それを後押しするようにラスタルが『癒着の根絶』を発言したための施策だったが、厄祭戦以降三百年続いたパワーバランスの崩壊でもある。

 既に圧倒的な『力』として君臨してきたギャラルホルンをいかに利用するか策を巡らせてきた時代は終わり、自らが力を持って他の勢力への影響力を強める時代が訪れている。着々と力を着けていく経済圏にとって既にギャラルホルンは厄介者でしかなく、以前のように軍事力で脅される心配もない。いわばギャラルホルンと各経済圏は敵対しているようなものだ。

 そこへ、ギャラルホルンにとって圧倒的に不利な状況を作り出して情報を流す。

 

「戦争が起こるぞ …… !! 」

「あのマクギリスなら躊躇いはしないでしょうね」

 

 ことの重大さを受け入れるには、少し時間がかかった。

 ゆっくりと咀嚼し、飲み下したチャドは、しかし続けられたトロウの言葉に再び思考が止まった。

 

「オレたちに、協力して頂けませんか」

 

 あまりにも無茶苦茶な話だと思った。だがトロウの話を聞くうち、理解が追いついてくるとチャドの考えは変わった。

 

「分かったよ」

 

 何の変哲もない町の片隅で交わされた、重大な口約束。

 複雑に絡み合った各陣営の思惑が生み出す混乱は、マクギリス・ファリド事件の比ではない。

 

 

 

※※

 

 

 

 実際、マクギリスの企みはそっくりそのまま実現された。

 ヴィーンゴールヴの復旧に明け暮れていたラスタルのもとへマクギリスの演説内容が届く頃にはぴったり一か月が経っており、ようやくタブリスから受けた被害の影響がなくなろうかというタイミングである。

 

「さて、詳しく聞かせて貰おうか」

 

 ガラン・モッサ一派のように世界に散らばっているギャラルホルン外部の部下から話を聞き、ラスタルが最初に訪れたのがライドの病室だった。

 あの後精密検査を行った結果右腕の感覚は今後戻らないことがはっきりとし、さらに全身の打撲、内臓へのダメージも加味した上で最低でも三か月の安静を、と診断が下された。しかし言葉に従うつもりなどさらさらなかったライドは、ラスタルがジュリエッタを伴って訪ねると今にもベッドを抜け出しそうな勢いでトレーニングに励んでいた。

 

「下っ端のオレに伝えられてることなんざ、あんたが予測できる範囲内だと思うがな」

 

 ラスタル自身が顔を見せたことに対しあからさまに不機嫌な態度を取るライドだが、素直に会話に応じるのは停戦を受け入れ治療をしてくれた対応への誠意である。やや偏った過激なものではあれど、鉄華団からテイワズへと続く組織の中で人として通すべき道は教わっていた。

 

「バエル奪取の目的が『アグニカ・レコード』だったってことは把握してるんだろ? 」

「恥ずかしながら、それに気付いたのは事件の後だったがな。長らく噂には伝えられていたが、都市伝説のようなものだと思っていた」

「それにしても、三百年もの間誰も探ろうとしないってのは異常に思えるがな」

「他のすべての家門を出し抜くというのは難しいものだからな。君たちが信頼で繋がっていたなら、私たちの関係は疑り合いだ。皆が誰もを信用していないからこそ均衡が保たれていた」

 

 自虐的に語るラスタルの様子は実直な壮年を思わせるが、どこまでが本心なのかなど分からない。ライドは当然のこと、ジュリエッタも常々それを意識せずにはいられない。

 情に流されまいと警戒するライドが話を戻す。

 

「素直に考えるなら、『マクギリスのギャラルホルン』と経済圏、火星、金星、その他人類すべてがあんたの敵ってことになる …… 切り捨てられたオレたちにとっても。奴の狙いは現政権を打倒した後に新生ギャラルホルンの指導者として君臨することだろうが、そうなると違和感がある」

「『強いギャラルホルン』の復権、か」

 

 確かに今のギャラルホルンは存在そのものが目の上のたんこぶで、ラスタルの辣腕によって軍事力での恫喝こそないものの政治的に未だ大きな力を持っている。しかし三百年の呪縛から解かれた経済圏は、マクギリスの言うギャラルホルンの復権を良しとはしないだろう。この八年間でみるみる増えていった軍事費もそれを証明している。どちらが良いか、と言われればラスタルの方が御しやすいだろう。

 となると、それを声高に唱えることはマクギリスにメリットがない。

 ライドが言葉を切ったのと同時に訪れる沈黙、三人がそれぞれ必死に頭を巡らせる。

 そこへ、再び病室の扉が開く。

 

「あの男は、権力になど興味はありませんよ」

 

 ガエリオ・ボードウィンだった。車椅子を押すのはバドイ・ロウ。ラスタルの目が軽く開かれる。

 

「恐らく奴の目的は、次の時代を統治する新しい王の選別、といったところだろう。その基準は、常々口にしていた『純粋な力』。力のあるものがすべてを支配し、力なきものは淘汰される世界。それが実現されるのならその頂点に立つのが自分でなくとも構わない、そういう男だ」

「しかし、素人とはいえ各国の大臣も軽々しく軍を動かすほど無能ではあるまい」

「その辺も折り込み済みだ」

 

 バドイ曰く、『バルコーナ・ヨーゼン』の首魁はマクギリスであり、反ギャラルホルンのテロリストを装って各国の対立を煽っているという。

 盗聴を条件にヴィーンゴールヴから繋いだ通信で、捨て駒にしたことへの謝罪もなく、挙げ句いけしゃあしゃあと次の任務を言い渡されて離反を決めたというバドイの言い分はにわかには信じがたいものの、彼が嘘をつくメリットもなかった。

 

「ギャラルホルン対全世界の対立ではなく、全世界でのバトルロワイヤルってことか」

 

 かなりオブラートに包んだライドの表現にジュリエッタが眉をしかめる。何かを言おうとした彼女を遮り、ガエリオが口を開く。

 

「それよりも、ライド・マッス、私の妹について聞きたいのだが」

「知らないな」

 

 間髪入れない即答にガエリオの右手がぴくりと動いた。

 

「アルミリア・ボードウィンが火星会談の時に確認された話は上層部の間で広まっている。共に君がいたこともな」

「ひどく余裕がないみたいだが大丈夫か? 知らないって言ったはずだ、少なくとも今のアルミリア・ファリド・ボードウィンについてはな」

 

 当てこすりのように言うライドを睨み、ガエリオが握り拳を作る。当人の意志がどうであれ、元貴族家ボードウィンの名にかけてもガエリオやガルスがあのような婚約を認めているはずもない。

 努めて平静であろうとしていることが目に見えて分かる様子のガエリオと、せめてもの抵抗といった感じで煽り嘲るような口の利き方をするライドがさらに二言三言交わし、互いの沸点ぎりぎりに達したところでラスタルが制止に入った。

 

「仮にも病人だ、その辺にしておけ。ライドくんも身体を休めるといい、まだ話を聞く時間はたっぷりあるからな」

 

 貫禄のある、腹の立つ笑みを浮かべ立ち去るラスタル。それに続いて背を向けたジュリエッタをライドが引き留める。

 

「狼の屍肉の味はどうだった、ハイエナさんよ」

 

 振り向いたジュリエッタは、晩秋の夕暮れの空模様のような顔をしていた。それがどういう意味なのかに勘づく程、ライドは察しが良くない。

 

 





本当に書きたかったところ、筆者が思うところの本題はここら辺りからになります(遅ぇよ)。
オチの構想はけっこうしっかり固まってるんですが、どう話を繋いでいくかで迷走真っ最中。

はてさて、完結するのはいつになるやら。
どれだけの物好き(失礼)が、ついてきてくれますことやら。


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鉄の花弁、血の花粉

 錆びた鉄と散乱する血痕の酸っぱい臭いを、風にあおられた乾いた砂が消していく。しかし、数秒と経たずに新しい廃材と血の滴が砂の大地を削り、そしてまた上に砂が覆い被さる。

 

「突出し過ぎです、下がってください」

「お前たちが下がっていればかたがつく、事後処理でもしていればいいさ。どのみち砂漠で長期戦なんてできないだろう」

 

 マンロディ、ユーゴーなどの旧型の他にもグレイズの改修機や見覚えのない新型が見える。数はおよそ六十といったところだろうか、自身を取り囲んで放射状に広がる敵陣の中に、アガレスは躊躇うことなく跳躍した。

 

「指揮下に入るって話じゃなかったんですか?」

「協力するとはいったが、連携するとは言わなかったはずだ」

 

 無謀とも狂気とも取れるライドの奇行に一瞬だけ円陣が乱れる。すぐに気を持ち直してアガレスに相対した者から順に、サッカーボールのごとく弾き飛ばされることになった光景を見て、ジュリエッタは同情の念を覚えずにはいられなかった。

 

「悪いね、こういうやり方しかできないんだよ、オレたちは。一度請け負った以上やるべきことはきっちりやらせてもらうさ、信用にかけてもな」

 

 ジュリエッタの隣にいたフォカロルが予備動作もなくふわりと浮き上がる。キマリスヴィダールのモニター片隅に警告メッセージが表示される。それを非表示にして、ジュリエッタも操縦桿を押し込んだ。

 

「大口叩いておいて、たくさんこぼしてるじゃないですか!! 」

 

 全長二十メートルのランスをぶんぶんと振り回し敵を蹴散らすさまは、駄々をこねる子どものようにも見えた。

 

 

 

 ラスタルたちにマクギリスの言葉が届いてから半月。事態の進行は想像以上に早く、まずはアフリカンユニオンの地方都市郊外にあったギャラルホルンの支部が武力にものを言わせた脅迫を受けた。

 曰く、『見返りのないものにこれ以上の投資をすることは無意味である』と。

 軟弱な軍に対しては貸す土地もなければ金銭的な優遇措置もない、早く出ていけということだ。

 司令官はそれなりに肝が据わった人物で、その時点で相当数の敵に囲まれていながら要求も交渉のテーブルに着くことも拒否したのだが、それに対してアフリカンユニオン軍が取った作戦は「兵糧攻め」。古風ではあるが敵の戦意を挫くにはこれ以上ない適策だといえる。戦力の質でいえば圧倒的にギャラルホルンが有利ではあるが、一国の軍をまるまる相手取れば物量の差に勝てるわけもない。

 そして、ヴィーンゴールヴへ救援要請が届いた。

 

「我々の姿勢を示すためにも、易々と屈するわけにはいかん」

 

 こうして、急遽、迅速かつ柔軟な行動が取れる派遣部隊が編成される運びとなった。

 しかしヴィーンゴールヴとて万全の態勢ではない。必然的に、部隊編成には少数精鋭の方針が取られた。

 

 指揮官にガエリオ・ボードウィン。

 モビルスーツ隊にジュリエッタ・ジュリス、那弥木・シーミア。そして、

 

「オレも行く」

「右に同じ」

 

 ライド・マッスとバドイ・ロウ。二人の威勢にラスタルが目を細める。

 

「あなたたちは捕虜も同然ですよ? そんなこと許されるわけが …… 」

「ガンダム・フレーム二機とそれに慣熟したパイロット。貴重な戦力だと思うが」

「言っただろ? マクギリスとはもう縁を切った。ギャラルホルンに入隊するつもりはないが、あれが敵なら力になりたい」

 

 かくして、前代未聞の混成部隊の完成である。

 そしてボードウィン家所有の輸送機にそれぞれの乗機を積み込み、支部上空に差し掛かった途端飛び降りたアガレスが戦端を開き、今に至る。

 

 

 

 アガレス、フォカロル、キマリスヴィダール。

 三機ものガンダムが戦場に姿を現せば、誰であろうと足がすくむ。ましてやそれがギャラルホルンのものであり、それを敵に回しているとなればなおさら恐怖は増大する。

 何の障害物もなく、地形の起伏もない単調な砂漠の光景に血溜まりが広がっていくように、少しずつ敵の陣形が崩れていく。獣さながらの三機が混沌を加速させてゆくのを鳥瞰するかたちの那弥木は、誰にも聞こえないよう気を払ってひとり静かに息を吐いた。

 

 この場所に、私は必要なのか?

 

 詮のない考えが胸の隅をちくちくと刺している。身体の端から言い表しようのない感情が這い上がってくる感覚に、那弥木は思わず身震いした。

 空戦試験型のレギンレイズで上空から補足した敵の動きを味方に共有する、重要な任務ではあるし、ガンダムのパイロットたちと比べて自身の操縦技量が劣ることを考えても適任だとは思うが、それでも。

 あの三人なら、索敵も策略も何もなく正面から突っ込んでも平気な顔をして勝利をおさめるのではないか。そして、改めて考えるのだ。

 ここに自分は必要か、と。

 それはギャラルホルン入隊直後に抱いたものにも似た青臭い心境。

 ガンダムから離れた位置にいる手持ち無沙汰の敵機から浴びせられる砲弾を未だ固さの残る動きで避け続けながら、ぐるぐると意味のない思考を巡らせる。

 

「レギンレイズ、前に出すぎだ」

 

 飛び込んできたガエリオの声に慌てて周囲を見回す。眼下に蠢く敵の数からかなり奥まで入り込んでしまったらしいことを悟り後退しようとするも、それを易々と許すほどアフリカンユニオンの軍も甘くはない。バケツをひっくり返した豪雨のような鉛弾の大群に退路を塞がれ、やむなく反撃を打ち込んでみても焼け石に水だ。気付けばエイハブ粒子の濃度が上がりすぎた戦場ではレーダーが機能しなくなっていた。けたたましく鳴り響く警告音すらかき消してしまう発砲音は止まることを知らない。モニターに更新されてゆくのは被弾箇所を示す赤色ばかり。

 がつん、とひときわ大きな衝撃が襲う。

 五感が麻痺する断続的な震動に気力だけで耐えていた那弥木も、脳を直接揺らされたようなダメージに堪えきれず唾液混じりの血を吐いた。真っ白になった視界がじわじわと赤く染まり、さらに外側から黒く塗りつぶされていく。オートパイロットの起動ボタンへ伸ばされた腕は空を掴み、そして力なくだらりと垂れ下がった。

 

 

 

※※

 

 

 

 手入れが行き届いていることを感じさせる清潔感のある壁と天井が流れていく。宝石の輝きもかくやと思うほどの純白がややくすんでいるのは掃除が甘いからではなく、ここが歴戦の前線基地であることを示すサインのようなものだ。足早に通り過ぎていく者、同情と好奇の混ざった視線を向けてくる者、携帯端末を片手にぶつぶつ言いながら歩く者、皆が皆忙しなく働いている様子だった。

 いたたまれなさにたまらず身を起こそうとして、全身に走った激痛に阻まれる。呻き声を上げることは堪えたものの、身じろぎした気配を察してジュリエッタが振り向いた。

 

「気付きましたか。しばらくは安静にしていてください、と医者が言っていました」

「 …… 」

 

 声にならない声が返事になったかどうかは分からない。もともとジュリエッタはその辺りの気遣いに疎い人間だから、気付いたとしても反応は返してくれまい。

 寝かせられたストレッチャーがタイルの継ぎ目を越える度に小刻みな揺れが感じられるが、それはむしろ少し心地いい感覚だった。

 

「どこまで覚えていますか? 」

「機体が落ちていくところまでは」

 

 その時の揺れがフライトユニットへの被弾だったことはかろうじて覚えていた。レギンレイズとの接続部分が破損し、バランスを崩した機体が少しずつ加速しながら落ちていくのを、他人事のように冷めた頭で感じていた。

 もう、ここで死ぬのだと思った。敵陣のど真ん中にたった一人墜落して、無事でいられるはずがないと。なのに。

 

「なぜ、私は生きているんですか」

「死にたかったわけではないのでしょう? 」

 

 挑発的なジュリエッタの言葉に飛び起きようとして、また激痛に襲われる。ふっとジュリエッタが浮かべた笑みは、他人の不幸を笑うものではなかった。

 

「少し休んでいてください、今後の行動についてはこれから決定します。 …… 『現実的な思考』と『悲観的な思考』は違います、シーミア二尉。あなたの欠点は自分を過小評価しすぎることです」

 

 では、と立ち去るジュリエッタの背中にかける言葉もなく、那弥木はそれをぼんやりと見送った。

 

 

 

 部屋に入った途端に、極東の梅雨の時期のような蒸し暑さを感じた。乾燥という概念そのもののようなこの大陸において、である。

 

「すみません、遅くなりました」

 

 安物のパイプ椅子に腰を下ろしたジュリエッタに先客――ガエリオ、ライド、ロウ、そして基地司令のエルバ・マーセリーの四人――の視線が刺さる。少なくともこの基地において状況は好転したというのに、重苦しい空気が部屋を満たしていた。

 会議にはあと一人、今は各地を飛び回って情報を集めている雷電隊非戦闘員をまとめるウィリアムがモニター越しに出席するはずだったがそちらはまだのようだった。

 

「先ほどは、ありがとうございました」

 

 しばらくは会議が始まらないであろうことを察したジュリエッタが、おもむろにライドへ言葉を投げる。つい二時間ほど前、ライドが那弥木のレギンレイズを救出したことへの礼だ。敵陣深くへ一人で切り込み、自分の命すら省みない突撃の末にレギンレイズを抱え込み、そのまま敵をなぎ倒しながら戻ってきた。アフリカンユニオン軍がここの包囲を解いて後退したのも、ほぼアガレス単機を恐れた結果だと思える。

 

「しかし無茶をする。今は君も私たちにとって重要な戦力なのだから、少しくらいは自分の心配もしてほしいものだ」

 

 感謝半分、怒り半分といったガエリオの言葉に、表情ひとつ変えることなく何の感慨もなく、さして当然のようにライドが答える。

 

「仲間を見捨てるなんて選択肢はない」

 

 呆れ、とはまた違う感情のこもったため息を吐いて、ガエリオは会話を打ち切った。後を引き継ぐ言葉もなく、ジュリエッタも口を閉ざす。

 幸い、すぐにウィリアムが顔を出したので、ジュリエッタにとって針のむしろのような沈黙はすぐに終わったのだった。

 

 

 

「アフリカンユニオンは公式発表なしに軍を動かしていたため、しばらく表立った行動はできないでしょう」

 

 ウィリアムがつい今朝発刊されたばかりの新聞の中にひっそりと掲載されている記事を指で叩く。どこの国でも、マスコミは国民の知る権利と権力への従属を両立させようとこうして『記事を書いた』事実を作っておくのだ。

 

「AEU、アーブラウ、オセアニア連邦は表向き、変わらず静観を決め込んでいますが」

 

 わざわざ言葉を切って想像の余地を残すまでもなく、結果は分かりきっている。

 

「マクギリス・ファリドないしバルコーナ・ヨーゼンと連絡を取っていることは確認できました」

 

 とはいえ、改めて言葉にされるとその事実は重い。ライドの言った「バトルロワイヤル」が正しいとしても始めに潰されるのは確実にギャラルホルンだろう。

 

「エリオン公はなんと? 」

 

 ライドやロウへも慇懃ながら配慮をしてくれている、クソ真面目な軍人気質を持つエルバが口を開く。公の場に立つときの勢いはどこへやらといったジュリエッタも、おずおずと視線で答えを促した。

 

「まずは結束させないこと、潰し合わせること。『共通認識』を持たせないことだと」

「待て」

 

 たまらず口を挟んだライドへ一斉に注目が集まる。

 

「それじゃあ八年前と同じだろう。また戦火を拡大させて犠牲を増やすのか? ギャラルホルンの体裁を守る、それだけのために」

「きれいごとだけで世界が成り立たないことは分かるだろう。恨まれても仕方のないことだとは思うが、結果的に間違ってはいなかった」

「策を巡らせ、事態を複雑にすればそれだけ敵にもつけ入る隙を与えることになる。あの時だって、状況を完全には制御できていなかっただろう? 」

「予想外のことが起こるのは世の必然。万全を期したうえでなお、私たちは予測の外にある状況へ柔軟に対応するための訓練と覚悟を済ませている」

 

 バチバチと火花が散るライドとエルバの舌戦に、黙していたガエリオが顔を上げた。

 

「責任は取る。引責辞任だろうと公開処刑だろうと、これを収めることができたなら私の尊厳など捨てても構わない。だから、もう少し建設的な議論をしよう」

 

 部屋の空気が変わったとライドが感じたのは、気のせいではあるまい。水を打ったように静まり返る中、ライドは八つ当たりとばかりにジュリエッタを睨み付けたが、視線を向けられたジュリエッタの方はすぐに目を反らした。

 怯えたとか驚いたとかいう反応でないのは明かだった。

 

「分かったよ、話を進めよう」

 

 ふてくされたような感情が声に乗らないよう、努めて平静にライドは言った。

 

 

 

 

「まず、目に入れておいて頂きたいものがあります」

 

 ウィリアムが提示した資料には、ここ数か月の間に雷電隊の隊員が集めたデータがまとめられていた。

 火星圏、金星圏、月、そして南極大陸。どれも人が寄り付くことのない辺鄙な場所の、風景写真家が好みそうな静かな光景を写した画像データだが、そのどれにも一点だけ明らかに周囲の調和を乱す存在がいた。

 人工物であることを主張する無骨な金属色に塗られたそれらは、形状の差こそあれギャラルホルンが所有する探査船だとガエリオが即座に看破する。さらに拡大された写真には、紫色で描かれた特徴的な紋様が見てとれる。立派な牙を見せつけるように誇らしげな表情を浮かべる狼。見間違えるはずもない、ファリド家の紋章だ。

 

「アグニカ・レコードの解析が終わった、と見るべきか」

 

 ライドの言葉にガエリオは鉛を呑んだような顔をする。

 

「都市伝説の類いだと思っていたがな …… 」

 

 あのラスタルですら、警戒はしていても存在そのものには懐疑的だったのだ。しかし噂に聞くレコードの内容が事実ならば、とうてい看過していいものではない。

 休眠状態にあるモビルアーマー、失われたと思われているガンダム・フレームの所在。多くのロストテクノロジー。

 一度目覚めさせれば、今くすぶっている火種は容易に地球から立ち上る火柱へと変わる。

 

「そしてここからが本題なのですが …… 。ラスタル・エリオン曰く、アグニカ・レコード以外にも一点だけ、厄祭戦の遺物の所在を記したものがあったと」

「スキップジャックのコンピュータか」

「ご名答です」

 

 スキップジャックのコンピュータに厳重なロックがかけられた絶対不可侵領域が存在することは、アリアンロッド艦隊クルーの中ではかなり有名な話だった。厄祭戦時に建造された要塞兵器であることを考えれば、その中に厄祭戦のデータがあることは想像に難くない。

 

「しかし複数の目標が存在するなら待ち伏せは意味をなさないでしょう。ちまちまと尻尾を切っていても何も解決しません」

「確実とは言いませんが、我々が知る情報からマクギリスの居場所は割れており、動かせる人間もおよそ把握できています。ラスタルが予測した、次なるマクギリスの目標は、ここです」

 

 モニター上のマップに、鋭い赤色の光点が現れる。ラグランジュ・ポイントですらない辺境の、ライドどころかガエリオですら馴染みのない宙域だった。

 

「厄祭戦後に放棄された、ビフレスト要塞です」

 

 その名が示すとおり、かつては地球と火星の交易路を見守るために建造されたものなのだが、戦乱の余波で航路は使えなくなり、戦争も終われば金食い虫でしかない。コロニーの設置もままならないラグランジュ・ポイントの外となれば、誰も気を向ける者はいなかった。

 

「しかしラグランジュでもない宙域に置いたものがなぜ、三百年も同じ位置にいられるんだ? 」

「厄祭戦時に失われた技術です。常に地球との位置関係を計算して座標を修正する全自動化されたシステム。とはいえそれも完全ではないので設置当初とはかなり異なる位置にありますし、あと十年もすれば地球から離れていくと予想されていますが」

 

 本題から逸れる話にもすらすらと淀みなく答えるウィリアムは、制服さえ着ていればギャラルホルンの士官だと言われても疑いようがないほどだった。教師なんかにも向いているかもしれないな、とライドは場違いなことを考えた。

 

「我々の予想では、マクギリスがここに手をつけるとすれば最速で十日。いち艦隊の派遣は無理でも、あなたたちだけならじゅうぶん間に合うでしょう? 」

 

 ついこの間まで部下だったはずの、いや今も部下のはずのウィリアムが焚き付けるようなことを言うのは複雑な心境だが、そんなのはそもそも今に始まったことではなかった。明らかに自分が行く気はない、という姿勢にはややいら立ちを覚えるが。

 

「マクギリス本人が来るという確証は? 」

「ビフレスト要塞に眠るのはモビルアーマー、『ヘルビム』。スキップジャックにある記録の中では最も上位の機種です。とはいえ、博打であることに変わりはありませんが」

「俺たちが行くことをリークすればいい。必ず来るさ」

 

 最もマクギリスのことをよく知るガエリオがそう断定すれば、それ以上部外者が口を挟む余地はなかった。

 




ウルズハントがようやくリリース時期決定みたいで、けっこう楽しみにしてる作者です(UCエンゲージ?知らないな、そんなものは)

昨今のガンプラ争奪戦でグレモリーは買えてませんが、その分どんどん進めて行ければな、と思ってます。
毎年買おう買おうと思って足踏みしてるガンプラ福袋、特にこのご時世は地雷が多そうなのでやっぱりスルーですかねぇ。

今年の更新は最後になりますが、ここまで読んでくださってる方々には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

よいお年をお迎えください。
そして、来年もよろしくお願いいたします。


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嵐の前の動乱

 面も角も綺麗に整えられた正八面体の形をした岩石の塊が、暗礁宙域を抜けて突然開けた視界の中にぽっかりと浮かぶ。三百年、あるいはさらに昔にシルクロードとして栄えた道にその面影はなく、人の気配が消え失せた代わりに厄祭戦のときに撒き散らされた無数のスペース・デブリがビフレスト要塞の動力たるエイハブリアクターの重力に引かれて周囲を賑わわせていた。

 形状も大きさも一貫性のない瓦礫の渦に取り囲まれた虚空の中心に鎮座する人工物然とした要塞の姿は、砂漠の中に佇むピラミッドのような違和感と威圧感を放っている。その光景には、生まれてこのかた様々な場所へ行き、他人よりは多く宇宙の顔を知っていると自負するライドですら、背筋に水滴を垂らされたような悪寒を抱かずにはいられなかった。

 

「ひとまず、先んじることはできたようですね」

 

 言葉とは裏腹に、ジュリエッタの声音は固い。順調にことが運ぶ状態すらも、自身が誰かの手の上で踊らされているという感覚を拭い去るには足らない。もちろんこの場合、脚本を書いているのはラスタルではなくマクギリスだろう。ガエリオやライドたちもそれを理解しているから、ジュリエッタを冷やかすようなことはしなかった。

 

「内部の状況を探りたい。クジャン二尉、ジュリス特務三佐、バドイ・ロウ、頼んでいいか」

 

 月外縁軌道統制統合艦隊、もといアリアンロッド艦隊から離れて数時間、輸送機の中で気を揉む以外にやることのなかったガエリオの声は指示を出せることに喜びを感じているものだ。

 ビフレスト要塞の中にヘルビムが眠っているのであればモビルスーツでの接近はご法度となるため、エイハブリアクターを動力としない輸送機備え付けの小型艇での潜入となる。その大役に選ばれたのは火星支部からアリアンロッド艦隊を経由してこの混成部隊に合流したセヴェナ・クジャン、白兵戦への理解もあり政治的判断も可能なジュリエッタ、そして万が一に備えた多芸が強みのロウ。

 周辺警戒の名目で輸送機に居残るライドと那弥木、ガエリオは互いを信用しきっていなければこそ、要塞へ突入することは控えていた。

 

「聞きたいことがある」

 

 口火を切ったのは一切の反応を示さないレーダーやセンサーの類いとにらみ会うのにも飽き、渋面を隠そうともしないガエリオだった。

 

「マクギリス・ファリドのことをどう感じた? 」

 

 輸送機のコクピットとアガレスのコクピット、モニターを介したやり取りを鬱陶しがるようにボリボリと頭をかき、ライドはしばしの沈黙を返す。

 

「とても素直な人間、だろうな」

「素直、ですか」

 

 驚く那弥木に反してガエリオは小さく頷く。

 

「純粋、と言うべきか。己の欲望に対して。普通なら人道や倫理から断念せざるを得ない手段でも、それが最適と判断すれば躊躇なくラインを踏み越える。そして奴の考える最適はいつだって最短経路だ。まともな感覚のままでは後手後手に回るしかない」

「だから納得しろと? 」

「いや、ただ理解してもらいたいだけだ。過去のことも、これからのことも」

 

 そしてまた、静寂が訪れる。ねっとりと絡みつくように包み込んでくる鈍色は、沈黙を続ければその重苦しい空気どころかライドたちの存在そのものまで呑み込んでしまいそうに思えた。

 

「私には分かりません」

 

 耐えかねた那弥木の口をついて出た言葉に、特に意味があった訳ではなかった。ただこの険悪極まる雰囲気に投じる一石としては明らかにミスだった、と思える一言。

 しかし、二人はさほど気に留めた様子もなかった。むしろ変質した沈黙は続きを促しているように感じた。

 

「戦うための正義とか、信念とか私には分かりません。もちろん鉄華団も、そしてギャラルホルンも」

 

 相変わらず、輸送機のレーダーにも積み込まれたアガレスのものにもレギンレイズのものにだって目立った反応はない。話を遮られないのは都合が良かった。この際だから吐き出しておきたいことも、聞いておきたいこともたくさんあった。ガエリオに対しても、ライドに対しても。

 

「鉄華団が滅びた後も戦い続けられる理由はなんなんです? ギャラルホルンが自身を圧倒的正義だと信じられる理由はなんなんですか? 」

 

「「子どもじみた意地だよ」」

 

 じっくりと考えたようでいて、さほど質問から時間を空けず、二人の声が重なった。当人たちも驚いてモニター越しに顔を見合わせ、侮蔑と嫌悪と自嘲が混ざった顔をした。

 やがてライドの方から口を開く。

 

「ギャラルホルンを滅ぼすだのラスタル・エリオンを殺すだの、世界を壊すなんてのも本気じゃない。結局のところ、鉄華団が存在したという事実を …… 『家族』が戦った軌跡を、風化させたくなかっただけ。たかが『歴史上の事件』で終わらせたくなかっただけなんだよ」

 

 そして、引き継ぐようにガエリオが言う。

 

「厄祭戦を終結させし者。いま現在最も力を持つ者。秩序を守る者。長い歴史の中でおだてられ、恐れられたから『力で屈服させる』やり方が正しいと信じるようになった。そうなれば、それを維持すると同時に増長が膨れ上がる。最も力が強い者が正義なのだと」

 

 心底忌み嫌うように顔を歪めるガエリオの様子に那弥木は目を丸くした。ここしばらく共に行動していたが、彼がそうも感情を表に出すことはなかったからだ。

 

「ああ。力の強さは、正義そのものだよ」

「誰です? 」

 

 突如回線に割り込んできた声に思わず叫んだ那弥木だったが、その問いは聞くまでもないものだ。今ここにやってくる者など限られている。

 それでも声の主は律儀に答えた。

 

「マクギリス・ファリド」

 

 とたん、コクピットのモニターからけたたましい警告音が響いた。無線越しにアガレスのコクピットと輸送機のコクピットからも耳障りな音がして、那弥木は慌ててパイロットスーツのヘルメットをかぶった。コクピットの機器と接続されたヘルメットのスピーカーから、耳を痛めない程度に補正をかけられた音声が聞こえてくる。しかし大音量を聞いて耳がおかしくなった後であれば、直接頭に響くような聞こえ方をするので不快度は大して変わらない。

 

「悪い、ハッチ開くのは待ってられない」

 

 ようやく耳鳴りが落ち着いてきた那弥木に、今度は身体全体を振動させる爆音が襲った。アガレスがハッチを破壊して発艦したのだと理解するまでに数秒を要し、耳鳴りが収まるまでにさらに数秒。

 半開き、ではなく半壊したハッチの向こう、文字通りの底無しの闇で既にアガレスは敵と切り結んでいた。

 

「よくもまあ、ぬけぬけと顔を出せたものだな。モビルアーマーがそんなに大切か? 」

「タブリスもヘルビムも、手段にしか過ぎない。目的は別にある」

 

 マクギリスが乗る、アガレスと対峙する機体は見たことのない機種だった。グリムゲルデやヘルムヴィーゲのようなヴァルキュリア・フレームの機体に似たシルエットを持ちながら、全体のバランスを考慮していない非対称の追加装甲。どうやらスラスターを噴かした高速移動のときに動きを不規則に乱して狙いを絞らせないためのものらしい。

 

 がん、と。

 質量と質量がぶつかり合う炸裂音。金属が擦れ会う耳障りな音がそれに上乗せされて、神経を苛立たせた。

 

「なるほどな。自分の命でさえ駒にできる男の言いそうなことだ。まあ、お互い、その程度じゃあ満足なんてできないだろうさ」

「初めて会った時から、君に語った言葉に嘘など混ぜてはいない。偽りない私の本心を、君はよく知っているはずだ」

 

 アガレスの脚部、こちらは明らかに後付けと分かるものの上手く調和している、大型のスラスターがいっそう力強い炎を吐き出す。

 

「オレを捨てたのは別にどうだっていいさ。初めから覚悟していたことだ、それにもともとこの命に大した価値はない。だがな――」

 

 マクギリスの乗機が動きを止めた。もちろん戦意がないことを示すものではなく、アガレス同様に次の一撃に向けた『溜め』である。青白い燐光が舞うさまは、後光が差した仏のような神々しさすらあった。

 そして、互いが牽制し合う永遠にも似た一瞬の後、二匹の獣が爆ぜた。

 

「アルミリアを、どうした!? 」

 

 アガレスの右腕を、振り回すのではなく、突き出す。爆発的な推進力を最も活かした一撃。鈍く光る爪に反射する恒星の輝きが瞬きするほどの間もなく流れていく。

 

「無粋だな。他人の家庭の事情に首を突っ込むのは感心しない」

 

 背骨に沿うようにしてマウントされていた身の丈を越えるメイスを振りかざし、まるでバットのように振り回す。

 

「なっ …… 」

 

 火薬での爆発にも似た暴力的なまでの音が響く。

 ひと目見ただけで誰もがその莫大なエネルギーに怯え、避けるか受け流すか、真正面から受けようとはしなかった一撃。それを初めて、受け止められた。

 全身に広がっていく衝撃を遥かに上回る驚愕に、僅かな間思考が止まる。

 メイスは拳を受け止めた部分が大きくひしゃげてしまったが、しっかりと芯で捉えられたアガレスの腕も衝撃で歪んでしまった。

 

「なるほど、"スルース"。悪くないな」

「悪趣味な名前だな、マクギリス」

 

 アガレスの背後に、ようやく発艦したレギンレイズがひっつく。恐怖からだろうか、自分でも無意識のうちにライドに背中を預けるような形を取ってしまったことは那弥木に多少の罪悪感を抱かせたが、それでも離れることはできなかった。

 そんな部下の様子を知ってか、ガエリオはマクギリスに対して普段よりも饒舌に喋っていた。

 

「これが私のもとで見つけられたことは必然だと思っている。神々から土人形へ渡された、神の血を引く戦乙女。私にぴったりだとは思わないか? 」

「それが運命だと言うのなら、半神半人の戦乙女も落ちたものだ」

 

 マクギリスがふっと口元を緩めるのが音だけでも伝わってくる。余裕綽々といったその態度には、ライドもガエリオも慣れている。それでもアガレスに睨まれ、レギンレイズに退路を塞がれてなお、となれば背筋を這う悪寒は増していくばかりだった。

 

「邪魔はしてくれるなよ」

 

 悪い方向へばかり向かう思考を吹っ切るようにして、短い言葉と共にライドが飛び出す。最近ようやく要領を得てきた那弥木の援護射撃がスルースの逃げ道を塞ぐ。最も強度の高い箇所を破損したメイスではアガレスの一撃を受け止められるはずもない。

 獲った――。

 ライドの確信は、しかしあっさりと裏切られる。

 

「今すぐに、ここから離れてください!! 」

 

 気付けば、小型艇がビフレスト要塞から脱出していた。

 脱兎のごとく、大した馬力もないエンジンをフル稼働させての最大船速。鬼気迫る様子のジュリエッタが叫んだ直後のことだ。

 

 真空中にざわざわという音が伝播した気がして。

 ふっとビフレスト要塞へ目を向けると、『何か』が蠢いていた。

 建造にあたって基礎になった小惑星そのままの、岩石剥き出しの無表情な表面がみるみるうちに薄桃色へ染まっていく。

 すっかり元の色が分からなくなり不謹慎にも肉の塊を連想した那弥木の前で、それは内側から弾けた。

 

「前菜は充分楽しんで頂けたかな。ここからがメインディッシュだ」

 

 桜吹雪が舞うように、薄桃色に染まった岩塊や瓦礫が弾丸のように飛び散っていく。傍らを通り過ぎていくそれに目をやって、ライドは愕然とした。

 瓦礫そのものに色がついている訳ではなかった。瓦礫に、薄桃色をしたものがぴったりと張り付いていたのだ。音速を越えようかという速度でまっすぐ飛び去る足場にしっかりと爪を食い込ませて、精一杯に身を縮めて。

 それは、ライドが知っているものによく似ていた。

 そして、信じたくない確信を裏付けるように。

 

「――!! 」

 

 動物の鳴き声のようにも思えたし、出来損ないの機械音のようにも感じられた。激しい爆発音にも負けず明瞭に耳を打った『声』を追いかけるように、藍色の虚空を光の奔流が切り裂いた。

 モビルスーツの表面を覆うナノラミネートアーマーに効果はないと分かっていても、本能的にひやりとさせられるビームの矢。

 掻き分けられた砂ぼこりの中から異形の機体が姿を現す。

 

「ヘルビム…… !!」

 

 憎々しげに呟くガエリオの視線の先でスルースがつんと澄ましたポーズを取った。ライドがふと索敵レーダーに目をやると、思っていた以上にビフレスト要塞との距離が縮まっていたことに気付く。

 嵌められたのだ。

 

「こんなに面倒なやり方をしなくても済んだものを …… 道楽にもほとほと呆れ果てるな」

「いいタイミングです、ラバナ隊長」

「隊長ってのはいい加減やめろ」

 

 さらにラム・ラバナが増援を引き連れてきたのだった。モビルスーツがおよそ一個中隊くらいの規模だろうか。アガレスのコンピュータが機種を判別してモニターに映し出す。厄祭戦時のものらしいが、現代では見ない機体だった。

 

「ガエリオ・ボードウィン。撤退を進言する」

「しんがりを任せる。フォカロルも出そう」

「助かる」

 

 いくらガンダムといえど多勢に無勢、ガエリオの決断は早かった。

 日頃口喧嘩ばかりしている二人が必要最低限の言葉で意思を通わせ、てきぱきと後退を始める。

 帰艦するなりキマリスヴィダールで出撃したジュリエッタが直掩に回るのを見て、那弥木も輸送機に近付く。

 

「撤退、それもいい。地球内縁軌道上のギャラルホルン駐屯地までまともに人が住んでいるところはない。ヘルビムが本気で動き出すまでにはそれなりに時間がある」

 

 マクギリスの挑発を背に受けながら振り返ることはなく、黙々と四方からのプルーマを捌きながらギャラルホルンの部隊が戦場を離れる。その行為自体が屈辱的ではあったが、背に腹は変えられなかった。

 

「もう一度聞く。アルミリアをどうした? 」

「答える必要はない」

 

 凄みをきかせたライドの言葉にも怯む様子はなく、その答えにガエリオも奥歯に力を込める。

 

「ガエリオ、俺はギャラルホルンを倒し世界を覆しうる力を得た。勘づいてはいるだろうが、俺の目的は新たなる『王』の選定だ。そして俺は本気でそこを目指す」

「選定だと? 審判が競技に参加する資格を持つとでもいうのか」

「選ぶのは俺じゃない。天使と、悪魔たちだ」

 

 問答は終わりだった。

 小刻みに速度を上げていた輸送機が最終加速を終えて全速力に達し、四機のモビルスーツを船体のフックに引っかけてあっという間に戦場から遠ざかる。

 

 天使。モビルアーマー。

 悪魔。ガンダム・フレーム。

 

 アグニカ・レコードに記されたそれらが一斉に牙を取り戻すなら、国という枠組みそのものがなくなってしまうかもしれない。人は群れることで危機から逃れるが、危機が迫れば疑心暗鬼にならざるをえない。そうなったときに待ち構える未来は『バトルロワイヤル』などという気楽なものではない。

 

 ライドの頭は既に目の前の屈辱など忘れ、思い付く限りの最悪な未来に対処するための方法を模索していた。

 

 

 

※※

 

 

 

 火星から地球への一か月の旅路は、自分の心臓がこわばって動かなくなるかと思うほどの緊張感があった。八年前の騒乱にも勝るほどの陰謀が世界を揺るがす中で変装も何もせず民間機に乗る火星自治政府の議長を護衛するとなれば、勝手に思いが引き締まるというもの。

 せめて、手配すればすぐに出してもらえたはずの政府所有機にもう少し多めに護衛をつければユージンの心労もいくらかは軽減されたかもしれないが、クーデリアがそれを許さないことは目に見えていた。

 『革命の乙女』ではなく、『クーデリア・藍那・バーンスタイン』個人として行かなければ意味がないのだ。

 

 とうに見慣れているはずの船外に広がる宇宙の風景にも僅かに目を輝かせている、凛とした横顔の中に幼さにも似た面影を感じるのは自分だけなのだろうか。

 こうと決めたら梃子でも動かず、利益よりも仲間を優先し、大人の理屈を痛いほど理解していながら子どもの理屈を押し通そうとする。

 まるでオルガじゃないか。

 脈絡もなく頭に降って沸いた名前に苦笑いして、手元のモニターでコーヒーを頼んだ。

 地球~火星間の航路のうち大半は電波が入らないため、いくらか残っていた仕事を片付けることもできず溜まっているであろうメールを見ることもできない。ならば開き直ってゆったりと過ごそう、というのだ。

 うっすらと立ち上る湯気と香りで心を落ち着けつつ、傍らにあった地球観光のパンフレットを開く。

 

 ずん、と。

 複数方向からの突き上げるような力を受けて、身体を固定していたシートベルトがちぎれそうになった。かろうじて座席から飛び出すのを防いでくれたはいいものの、アザが残るほどに食い込んでくる感触はきっと勘違いではない。

 

 どうやら急減速したらしい、と見当をつけたユージンはベルトを外しコクピットへ向かう。乗務員たちが困惑して動けないうちに乗り込むと、半月前に顔を合わせた操縦士二人が忙しなく計器をいじっていた。日頃の訓練の甲斐もあって、二度めともなれば一切の戸惑いが見られない洗練された動き。

 口を挟むのを諦めて周囲を見回すユージンの視界に入ったのは、船体上面を映したカメラだった。

 一面、燃えるようなオレンジ色。

 四本のアームが伸び、シャトルをがっちりと掴んでいる。

 

「抵抗するなよ。別に危害を加えようって訳じゃない」

 

 ぎり、と奥歯に力が入る。

 しかし続けられた言葉はユージンの覚悟と予想を裏切った。

 

「宣戦布告、だよ」

 

 誰が、何に、いつ、どんな理由で。

 矢継ぎ早に頭に浮かぶ疑問は口に出さず、代わりにゆっくりと長い息を吐く。

 狙いはクーデリアではない。

 立場上、それさえ確認できればユージンはもう『運悪く乗り合わせた一般市民』に過ぎない。

 だから次いで告げられた情報もどこか他人事のように落ち着いた心で聞いていられた。

 

「マクギリス・ファリド率いる『エインヘリアル』は、ギャラルホルン、火星自治政府、アーブラウ、SAU、アフリカンユニオン、オセアニア連邦へ向けて戦争を仕掛ける。今から二日後にクリュセ、ニューヨーク、ロンドン、カイロ、シドニーへ同時に攻撃を行う。以上だ」

 

 全世界に喧嘩を吹っ掛けるのと同義。

 しかし、ユージンにはそれほど緊張がなかった。

 実感がない訳でも、達観している訳でもない。

 ただ、自分には関係ないのだと思っていれば、どんなことにも感情が動かなくなるだけのことだった。

 

「聞いているんだろ? ユージン・セブンスターク。俺が預かった伝言は『革命の乙女』じゃなくあんたに向けたものだぜ」

 

 シャトルが減速しきったのを確認して、オレンジの機体は変形を始めた。腹の部分に覆われていたカメラの視界が開けて全体像が露になる。

 その姿に、ユージンは言葉を失った。

 

「俺たちが起こす戦争に、お前たち鉄華団は無関係ではいられない」

「ざけんな …… っ」

 

 フラウロスのパイロット、ジョナサン・ハイリンカーの言葉に目を丸くするシャトルのパイロットの視線も忘れ、ユージンは数年ぶりになるだろう口汚い罵倒を漏らした。

 



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