ウマが合うからいつも一緒 (あとん)
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タマモクロスとオグリキャップ

タマモクロス早く実装してくれ! そんな思いから書き上げました。

見切り発車なので、続きは未定です


「チーム・アンタレスって知ってるかい? 昔、学園で粋に暴れまわったっていうぜ? 今もバ場は荒れ放題。ぼやぼやしてると後ろからバッサリだ。どっちもどっちも! どっちもどっちも! さあ、君もこの」

 

「アホか! そんな誘い文句あるかい!」

 俺は台詞を最後まで言いきる前に、目の前の少女に思いっきり頭を叩かれた。

 ズキズキ痛む後頭部を両手で押さえながら、俺は両目を吊り上げながら自身を見下ろす小さな少女をまじまじと見つめた。

 

 可愛らしい少女だった。

 美しい芦毛の髪を腰まで伸ばし、透き通るような白い肌と海のように綺麗な瞳。

 俺の腰位までしか身長が無いにも拘わらず、食って掛かってくる負けん気の強さ。

 彼女の名は――

 

「ひどいじゃないか、タマ」

 

 タマモクロス。通称タマ。俺が担当しているウマ娘の一人で、同じく俺が率いるチーム・アンタレスのメンバーだ。

「ヒドイも何も、完全にふざけとるやろ。そんな台詞で新入生がウチらのチームに入るわけないわ!」

 

「おかしいな……マルゼンスキーは絶賛してたんだが……」

 

「はあ……何度も言うけど、あの人のセンス信じてたら火傷するで」

 

 嘆息してタマは言った。

 現在、俺とタマはトレセン学園の校庭で新入生相手への勧誘活動を行っている。

 

 我がチーム、アンタレスに所属するウマ娘はタマを入れて4人。あと1人、入団して5人にしなければ、学園からチームとして認めて貰えず解散となってしまう。それだけは断固として避けたい。

 かつてトレセン学園の中で名を轟かせたチーム・アンタレスをここで終わらせるわけにはいかない。そのためにここで俺とタマは必死で新入生たちを勧誘していたのであるが……

 

「見事なまでに誰も入ろうとしないな」

 

「まあ、普通の娘はもっとしっかりしたチームにいくやろ」

 

 タマの言う通りだった。

何せ競争相手は、強豪揃いでしっかりした練習設備を持つトレセン学園指折りの名門チーム達。片や俺たちのチームは歴史は浅く、充分な設備など無い弱小チーム。誰だって強豪チームに入るに決まっている。

 

「……そろそろオグリのダンスレッスンが終わる時間だな」

俺は現実から眼を背けるように俺は腕時計を見て言った。タマの顔が一層、渋みを増す。

 我がチームのエース・オグリキャップは、去年この学園に転入してきたウマ娘で、転入前に地方のレースで勝ちまくっていた強豪である。その活躍がトレセン学園の理事の耳に入って推薦入学してきたという異色の経歴を持つウマ娘である。そんな彼女だが、少し問題……いや、変わった特徴がある。普段は真面目で優等生なオグリのたった一つの難点。それは、

 

「なにぼやぼやしとんねん! はよ行かんと、また空腹でぶっ倒れるで! 」

 

 オグリはフードファイターもびっくりの健啖家なのだ。

 

 チーム・アンタレスのホームであるプレハブ小屋は学園の隅の隅、裏の一番奥にある。そこまでタマと走り、たどり着いた俺達が見たものは。

 

「……トレーナー……タマ……」

 

 死にそうな顔で机に突っ伏すオグリキャップの姿だった。

 

「だ、大丈夫か?」

 

「すまない……ダンスのトレーニングで動きすぎたようだ」

 

 弱々しい声と同時にオグリのお腹がキュルルと鳴った。

 

「購買に行かなかったのか?」

 

「いや……トレーナーの作るご飯が食べたかったんだ……」

 

 オグリは妙に俺の手料理を気に入っている。というかこのチームに入るきっかけになったのが、俺の料理だったのだが……今はその時のことを思い出している余裕はないな。

 

「タマ、ホットプレートの準備だ! その後、野菜を切ってくれ!」

 

「まかしとき! トレーナーは?」

 

「俺は鶏肉を切る」

 

 冷蔵庫から鶏肉、キャベツ、人参、もやしを出して並べていく。それを俺とタマが切り分けていき、熱くなった鉄板の上に乗せるのだ。まず鶏肉。塩コショウで軽く味付けして炒めてから、そのあと野菜・もやしの順に入れていき、それらがしんなりしてきたら取り出して一旦、別のところに避難させる。その後、麺と少量の水を鉄板に入れて火が満遍なく通った所で、再び野菜と鶏肉を入れて炒めていく。そして最後に伝家の宝刀、オタ○クソースで炒め合わせて出来上がりだ。漂いだしたソースの香ばしい匂いに、オグリが顔を上げる。

俺はそんな彼女の目の前に皿を置いて、山盛りの焼きそばを入れていく。本当はお好み焼きを作りたかったのだが、タマと広島か大阪かで論争になるのでやめにした。俺とタマが唯一、譲れない戦いがお好み焼き論争なのだ。

 

「オグリ! 出来たぞ! 大盛り焼きそばだ!」

 

「あ……ああ……」

 

オグリは体を震わせながら、両手を出来立ての焼きそばへ伸ばす。が、途中で何を思ったのか手を止めて、再び突っ伏した。

 

「ど、どうしたオグリ!?」

 

 俺が尋ねると、オグリは弱々しい声で答えた。

 

「……だ、ダメだ。体が動かない……」

 

「ま、まじかよ……」

 

「トレーナー……頼みがあるのだが」

 

 オグリは机に突っ伏したまま続ける。

 

「う、動けそうにないから、た……食べさせてくれないか……」

 

相当辛いのか、耳まで真っ赤にしてそう言うオグリ。これは相当疲れているのだろう。こんな弱小チームで毎日頑張ってくれているのだ。俺はトレーナーとして、彼女を支えてあげなければ。

 

「よしわかった。ゆっくり顔を上げろ」

 

 俺がそう言うと、オグリはおずおずといった感じで顔を上げた。

 その上目遣いの顔に思わず、ドキリとしてしまう。タマと同じ芦毛の白髪に宝石のような瞳。スッと整った鼻筋に桜色の唇が美しいクールビューティー。思わず見とれてしまうような、上品な美しさ。それがオグリキャップだった。

 

「く、口を開けてくれ」

 

 照れ臭さを隠すべく、俺は出来るだけオグリの方を見ないようにして箸を取る。

 

「……ふ、ふーふーも……してほしい。た、頼めるだろうか」

 

 恥ずかしいのか、ほんのりと頬を染めてオグリは言った。どうやら相当、空腹で参っているらしい。

 

「わかったわかった。ほれ」

 

 熱々の麺に軽く息を吹き掛けてから、彼女の口元に運んでいく。

 

「はい、あーん」

 

「あ、あーん」

 

 体が動けないという事情とは言え、やはり恥ずかしいのかオグリは頬を紅く染めながらゆっくりと咀嚼していく。

 もぐもぐ、ごっくん。

 オグリは一口で焼きそばを飲み込むと、ぱぁっと瞳を輝かせた。

 

「やっぱり、トレーナーの作るご飯は美味しいな。もっとくれないか」

 

「あたぼうよ」

 

 俺はどんどんオグリの口へ焼きそばを放り込んでいく。その気分はさながら雛鳥にご飯を与える親鳥のようだ。

 

「うおっほん!  げほげほ・・・・・・あぁ~ウチも疲れてしもうたなぁ~勧誘がんばったからな~食べさせて欲しいな~誰かに食べさせて欲しいなぁ~」

 

 するとタマがこれ見よがしにそんなことを言ってきた。しかも何かこちらをチラチラ見てくるのだ。

 

「ほれ、そこに皿があるぞ。好きなだけ食べてくれぐぼっ!?」

 

「このアホっ! 唐変木っ! オグリばっかり贔屓しよってからに! ウチだってウマ娘なんやぞ!」

 

 タマに思いっきり殴られて、俺は吹っ飛んでしまう。小柄だがウマ娘だけあって力は強い。痛みにのたうち回っている俺を見下ろしながら、タマは小さい体を大きく震わせて怒りを表現していた。

 

「タマ、違うぞ。俺はオグリを贔屓しているんじゃない。俺は担当するウマ娘は皆、平等に接する主義だ。皆、大事な俺の教え子だからな。特にタマ、お前は潰れかけたアンタレスに入ってくれて、一緒に支えてくれた大事なウマ娘だ」

 

「そ、そう? えへへ、照れるなぁ」

 

「ああ、だから俺にとってお前は仲間であり家族。何の遠慮もいらない関係なんだぶふぉっ!?」

 

「なんやなんや! ウチは妹か娘ちゅうわけか! うがーっ!」

 

 何か知らないが激怒したタマにポカポカ殴られている俺を尻目に、いつの間にか復活したオグリは焼きそばを頬張っている。

 ある意味、このチームアンタレスの日常であった。

 

 そんな時、俺の胸ポケットに入れていた携帯が激しく鳴った。

 俺もタマもオグリもその音にピタリと動きを止めた。俺は無言で携帯を取り出す。着信元には『駿川たづな』と表示されている。

 

「う・・・・・・」

 

 俺は恐る恐る、携帯を取った。そして暫く聞いて電源を切る。

 

「ど、どうやった?」

 

 おっかなびっくりで尋ねてくるタマに俺は顔面蒼白で答えた。

 

「お呼び出しだ。理事長室に行ってくる・・・・・・」

 

 凄く業務的な感じで理事長室まで来て下さい、と言われたのだ。

 

「だ、大丈夫かいな、トレーナー」

 

「ああ・・・・・・行ってくる。タマとオグリは先に練習をしといてくれ・・・・・・」

 

 とうとう最終通告なのか・・・・・・俺はタマとオグリに見送られながら、フラフラと外へ向かうのだった。

 

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 

「・・・・・・大丈夫かな、トレーナーは」

 

「うーん、正直いままで色々見逃してもらったからなぁ・・・・・・そろそろ不味いかもなぁ」

 

 タマモクロスはパンパンと服を叩いて埃を落とすと、席について焼きそばを啜り始めた。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 暫し沈黙。

 タマモクロスとオグリキャップは焼きそばを口に入れながら、お互いに視線を合わせた。

 

(オグリはええなぁ・・・・・・ウチもオグリみたいにトレーナーから女の子扱いされてみたい・・・・・・)

 

(タマが羨ましいな。私もトレーナーとあんな風に気兼ねなく話したい・・・・・・)

 

「・・・・・・・・・・・・考えてもしかたない。さっさと食って練習しよか」

 

「・・・・・・・・・・・・ああ、そうだな」

 

 二人は頷いて焼きそばを一気に平らげていく。

 あの人なら何とかなるだろう。なら自分たちは彼は信じて待つだけだ。

 そう思い、二人のウマ娘は焼きそばをかき込むのだった。

 

 これは弱小チームで奮闘するトレーナーと、そんな彼に好意を抱くウマ娘の物語である。



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弱小チームの今事情

独自設定で、ウマ娘はトレセン学園を卒業した後、別のプロリーグみたいな所に行きます。

ですが本編にはあんまり関係無いです。


 

「通告っ! 今後一ヶ月以内にウマ娘を五人集め、正式にチーム登録を行わなければ、チーム・アンタレスは解散とする!」

 

 死刑を宣告された罪人の気持ちとは、このような感じだろうか。

 現在、俺はトレセン学園の一番上にある理事長室にいた。真っ正面には俺を呼び出した張本人である、秋川理事長が高級そうな革製のソファーに腰を降ろしている。その横には秘書であるたづなさんが、苦笑して立っていた。そしてその二人の視線の先にいる俺は、魂の抜けたような顔になっているのだろう。

 とうとう来たか、と思った。だがよくここまで待ってくれたな、とも思う。

 マルゼンスキーが卒業して以降、何の業績も無かったアンタレスがここまで存続を許されたのは偏に、理事長とたづなさんのおかげである。

 広島から一人で上京し、右も左も分からなかったトレーナー候補生の俺を何かと目にかけてくれたのは、この二人だ。

 そのおかげでただのカッペだった俺はトレセン学園に何とか馴染むことが出来、個性豊かなウマ娘たちと出会うことが出来たのである。

 マルゼンスキーと俺が初めてチームを立ち上げた時も、彼女が卒業して他のメンバーが抜けていきチームが存続の危機に陥った時も。

 理事長とたづなさんが、色々と便宜を図ってくれたのだ。

 だからこそ、申し訳なかった。

 マルゼンだけの一発屋。たまたま規格外の天才を担当しただけの男。

 そんな風に言われた俺をかばってくれていた。後から入ったタマやオグリ達がシングルで活躍してくれているおかげで、何とかチームも存続を許されてきた。だがそれも限界なのだ。

 

「提案っ。私達は君のトレーナーとしての才能は評価している。チームの運営は上手くいかなかったようだが、君をトレーナー助手として受け入れたいというチームは多くある」

 

「同期の皆さんは勿論、貴方の指導役だった桐生院さんもウマ娘ごと受け入れる用意があると言っています」

 

「・・・・・・桐生院先輩が」

 

 桐生院先輩は俺がトレーナー候補生の時にお世話になった御方だ。

 当時はトレセン学園を卒業した後に本場でブイブイいわせていた、ハッピーミークを育てたことで有名だった人だ。

 あの時はまだチームすら持っていなかった先輩は、今やトレセン学園を代表する大チームのトレーナーだったりする。

 そんなチームに呼んで貰えるのはありがたいことなのだが・・・・・・

 

「すいません。大変ありがたいお話ですが、お断りさせて頂きます。自分は・・・・・・やっぱりマルゼンと作ったチームをここで終わらせたくないんです」

 

 全てにおいて圧倒的だったマルゼンスキーのおかげで本来、チームなんて組めない若造がアンタレスを結成し、多くのレースを制した。

 チーム・アンタレスは俺の夢だ。

 マルゼンと当時のメンバー達で一度、栄光は掴んだ。

 だがまだ終わりじゃない。

 マルゼンスキーだけのチームで終わらせたくない。

 そして今の俺に着いてきてくれているウマ娘達に、あの栄光の景色を見せてあげたかった。

 

「あと一ヶ月で必ず一人を見つけて、チームを完成させます。自分に最後のチャンスを下さってありがとうございます」

 

 そう言って俺は深々と頭を下げた。

 その気があれば今すぐにでもチームを解散させられるハズだ。だが二人は俺に最後のチャンスをくれたのだ。ならば最後まで頑張ってみようじゃないか。

 

「うむ! 君ならそう言ってくれると思ったぞ! あと一ヶ月、本気で足掻くがよい! チーム・アンタレスの復活を私も望んでいるぞ!」

 

「ありがとうございます!」

 

 俺はもう一度頭を下げ、理事長室を後にした。

 重い扉を閉じて、襟元を正すと俺は歩き出す。

 まずは今、こんな斜陽チームにいてくれる四人のウマ娘にこの事を言おう。そう思い、俺はチームのホームであるプレハブ小屋へ向かうのだった。

 

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 

「・・・・・・見つけられますかね、五人目のチームメイトが」

 

「当然っ! 見つけるだろう。そう信じたから私は送り出したのだ。一ヶ月後には、きっと新しいアンタレスがターフにそろい踏みするだろう」

 

 秋川は閉じた扇子をトントンと叩くと、不釣り合いに大きい背もたれの椅子にもたれかかるのだった。



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グラスワンダー

 理事長室から出て、俺はそのまま校舎の出口に向かった。すると出入口付近で見知った顔を発見したので声をかけると、相手は礼儀正しくお辞儀をして答えた。

 

「お疲れ様です。トレーナーさん」

 

「グラス、どうしてここに?」

 

 そこにいたのはウマ娘のグラスワンダー。トレセン学園中等部三年生で、我がチーム・アンタレスの一員でもある。

「先ほど、トレーナーさんがこの校舎に向かうのが見えたので、ここでお待ちしておりました」

  

 そう言ってグラスは礼儀正しく頭を下げた。その様子に俺は苦笑する。

 グラスワンダー・通称グラスはアメリカ生まれの帰国子女なのだが、両親が大の日本好きだったことから幼い頃から大和撫子の教育を受けていたらしい。

 その結果、今の日本でもまず見られないような、清楚で礼儀正しい性格に育ったのだ。

 

「そうか、すまないな。今から部室に行くから、一緒に行こうか」

 

「はい。お供致しますね」

 

 にっこりとグラスは微笑むと俺と一緒に歩き始めた。だが彼女は自慢の栗毛を揺らしながら、俺より三歩下がって付いてくる。

 こういった所作の一つ一つがまた様になっていた。

 

「・・・・・・では五人集めなければチーム・アンタレスは解散ですか」

 

「ああ。一ヶ月の猶予は貰ったが、正直自信は無いな・・・・・・」

 

 隠すべきじゃ無いと思い、俺はすぐに先程の事をグラスに話した。

 彼女は神妙な表情を浮かべると、少しだけ俯いた。

 

「タマもオグリもグラスも、俺が勧誘したけど・・・・・・正直同じような娘がいてくれるとは思わないし・・・・・・」

 

「ふふふ。確かにトレーナーさんは他の方々と違って、とても個性的でした」

 

 当時のことを思いだしたのか、グラスはクスクスと笑った。

 この温和で柔らかい物腰からは想像できない、闘争心と誇り高い精神を彼女が持っていることを俺が知ったのは丁度1年前になるだろう。

 当時、俺は新しいチームメンバーを求めて中等部によく足を運んでいた。

 タマとオグリのような才能を持つ、若いウマ娘を探そうと思い、普段活動している高等部から離れて中等部に向かったのである。

 マルゼンスキーを始め、俺が今まで担当してきたウマ娘は皆、高等部の生徒だった。そのため正直不安だったのだが、高等部では全く勧誘が成功しないので縋るような思いでここまで来たのだった。

 そこで俺は彼女に出会った。

 あの時、校庭では中等部の生徒達による模擬レースが行なわれていた。

 中等部でデビュー前の同期ウマ娘達が中心となって行なわれたレースで、グラスワンダーも参加していた。

 そこで彼女は周りのウマ娘をぶち切って、一着でゴールしたのだ。

 芝1600m、タイムは1分34秒。

 ジュニア級のウマ娘とは思えない好タイムだった。

 そしてそのタイムはかつてマルゼンスキーが出したレコードタイムと同じであった。

 怪物二世、マルゼンスキーの後継者・・・・・・彼女がそう呼ばれ出したのはそれかららしい。

 らしい、そうらしいのだ。

 何故こんな歯切れの悪い言い方をしたのかというと、実はそのレース。俺は見ていなかったのだ。

 俺がグラウンドにやって来た時はレースは既に終わっており、大勢の記者やトレーナーが彼女の周りに集まっていた。

 それを遠目で確認した俺は、その娘の顔だけ覚えて退散した。

 あんな状況じゃ、ゆっくり勧誘できないだろうと思ったからだった。

 そのため俺は彼女のタイムも異名も全く知らないまま、中等部を後にすることになった。

 数日後。

 俺は再び彼女に会うべく、中等部に向かっていた。

 そして幸運にも練習に向かう彼女を発見したのである。

 声をかけて自己紹介。

 ここで俺は初めて彼女の名前がグラスワンダーという事を知った。

 そんな簡単な下調べもせずに俺は彼女を勧誘しに来たのは、偏に俺にそう言った情報収集能力がないから・・・・・・もあるが一番は彼女の姿に魅せられたからであった。

 レースが終わった後に見せた彼女の表情、立ち振る舞いは上品且つ優雅で・・・・・・早い話、一目惚れみたいなものだった。

 そして後先考えず俺は勧誘に踏み切ったのだが、グラスはチーム・アンタレスの名前を聞いた瞬間、顔を強張らせた。

 

「チーム・アンタレス・・・・・・かつてマルゼンスキー先輩が所属したチームですよね?」

 

「おお、知っててくれたのか。ありがとう。そう、俺のチームはマルゼンと創ったチームだ」

 

 アンタレスの名前を知っていたことに俺が喜んでいると、彼女の表情はドンドン険しくなっていった。

 

「トレーナーさん、私を貴方のチームに誘ったのは・・・・・・私が、怪物二世と呼ばれているからでしょう?」

 

「え?」

 

「マルゼンスキーの再来・・・・・・そう呼ばれている私をかつてマルゼン先輩が所属していたチームのトレーナーが誘うなんて・・・・・・」

 

 拳を震わせ、グラスは俺に怒りの視線を向けてきた。

 後から知った話だが、彼女はあの模擬レース以降、怪物二世と多くの人たちから讃えられ、勧誘や取材を受けていたらしい。

 二世――ウマ娘の頂点を目指すべくトレセン学園に入学してきたグラスにとって、その称号は不本意極まりないものであった。

 そんな時、そのマルゼンスキーの元トレーナーがチームに勧誘してきたのである。

 そりゃ誰だって不快だし、怒りたくもなるだろう。

 だが、当時そんなことを知らない俺は。

 

「え、マルゼンスキーの再来? 何のことだ?」

 

 素でそう答えてしまった。

 あの時、グラスは目をまん丸くして驚いたのをよく憶えている。

 最初は俺がグラスを懐柔するために放った嘘かと疑いもしたらしいが、話している内に本当に知らないという事を分かったみたいだった。

 そこで彼女は緊張と警戒心が多少和らいだのか、表情が若干柔らかくなった。

 

「なんで、俺が君を勧誘したか? なんていうか・・・・・・偶然、レースが終わった後の君を見てビビってきたんだ」

 

 自分の噂も知らないのにどうしてチームに誘ったのかと、グラスに尋ねられ俺は素直に答えた。

 理屈じゃ無い。本能でグラスに魅了され、育てて見たいと思ったのだ。

 まあそもそも俺は今まで自分の直感でチームにウマ娘を誘ってきた。

 オグリも彼女のレースを見て、欲しいと思ったから誘ったし、タマもそうだった。

 

「ふふ、変わっていますのね」

 

 俺が正直に自分の胸の内を告白すると、グラスは手に口を当ててクスクスと笑った。

 

「少し、話しませんか? もしよろしければトレーナーさんを『野点』でおもてなししたいのですが・・・・・・」

 

「のだて?」

 

「はい。野外で楽しむお茶会です。お外で日射しや空気の匂いを感じながらお茶をいただく・・・・・・風流な文化ですよ」

 

「は、はぁ・・・・・・」

 

「私、茶道が趣味でして・・・・・・丁度、お道具も持ち歩いていたんです。いかがですか?」

 

「それは・・・・・・是非、お願いしたいかな」

 

「よかったです~♪ では、さっそく準備しますね」

 

 先程までの警戒心はどこへやら、グラスワンダーは上機嫌に校庭の隅の方に歩いて行く。

 その後、俺は彼女の点ててくれた美味しいお茶をご馳走になり、軽い雑談をしてから中等部を後にした。

 次の日。グラスは俺たちのチームの部室にわざわざ足を運んでくれ、色々話をした。

 彼女が海外からやって来た帰国子女であること。両親が共に日本文化が好きで、自分も影響を受けたこと。ウマ娘の頂点を目指すために、この学園の門を叩いたこと・・・・・・

 

「グラスワンダーは一見、お淑やかに見えるが・・・・・・胸に熱いものを秘めているな」

 

 そう評価したのはオグリだった。

 彼女の言うとおり、グラスは見た目や言動からおとなしく上品なイメージがあるが・・・・・・その実、熱い闘志を秘めたウマ娘であることに俺も気が付いたのだ。

 是非俺のチームに入って欲しいと思い、それを伝えた。

 グラスは暫く考える時間が欲しいと言って、その日はそのまま帰路についた、

 三日後、彼女は再び俺たちの所に来てくれた。

 

「・・・・・・かつてマルゼンスキー先輩がいたチームで、先輩を超える記録を作る・・・・・・チーム・アンタレスをマルゼンスキー先輩が在籍してらした頃よりも大きくする。そうすることで私は、怪物を越えようと思います」

 

 決意を秘めた瞳でグラスはそう言うと、非常に正しくお辞儀をした。

 

「今日からこのチームに参加させて頂きます。ご指導ご鞭撻よろしくお願い致します・・・・・・トレーナーさん――」

 

 グラスワンダーがチーム・アンタレスの一員になった瞬間であった。

 

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 

「あの日以来、私は一人のウマ娘として。同時にチームのウマ娘として、日々精進して参りました」

 

「ああ、グラスのおかげで俺のチームも存続できている状態だ」

 

 グラスは中等部で既に様々なレースに出場し、結果を出していた。それは彼女の努力の結果である。

 

「これも皆、トレーナーさんのご指導のおかげです」

 

「・・・・・・そんなこと無いさ。君には才能がある。俺はその生まれ持った才能をほんの少し、手助けしただけさ」

 

「ふふふ、そのようなことはありません。貴方が私を誘ってくれたから・・・・・・『怪物二世』ではなく『グラスワンダー』として扱って下さったから、ここまで強くなれたのです」

 

 不意に俺の掌を柔らかい感触が包んだ。

 見れば、グラスが俺の手を握ってくれていた。

 女の子特有の柔らかさと、温かい体温が心地いい。

 

「貴方がチームと運命を共にするなら私もご一緒します。別のチームに行くのならお供致します。トレーナーさんと私は、いつも一緒です」

 

「グラス・・・・・・」

 

 こんな駄目な俺を彼女はここまで慕ってくれている。

 胸から熱いものが零れ落ちそうだった。

 こんないい娘に俺が出来ることは何だろう。

 チームを創り上げ、胸を張って送り出してやることじゃないだろうか。

 

「グラス、俺はな・・・・・・」

 

 俺がそこまで言った時だった。

 

「いだだだだだだっ!?」

 

 不意に背中に激痛が走った。

 慌てて振り向くと、そこには憤怒の形相を浮かべたタマが俺の背中をつねっていた。

 

「遅いと思って心配して迎えに来てみれば・・・・・・何を昼間っから乳繰りあっとんのや」

 

 美少女が出していい音じゃないドスのきいた声で、タマは俺を睨み付けてくる。

 

「いやですわタマ先輩ったら・・・・・・私達そんな・・・・・・」

 

 恥ずかしそうに身を捩るグラスに、タマはますます機嫌を悪くしたようだ。ふん、と鼻息を荒くしてグラスの手を握っていた俺の腕を引っ掴む。

 

「さっさと行くで! もう皆、集まってトレーナーを待っとるんや!」

 

 そのままタマに引っ張られて俺は部室まで連行される。その後ろにグラスは苦笑しながら着いてきた。

 

「今日も頑張りましょうね、トレーナーさん」

 

 そう言って微笑むグラスワンダー。

 俺は彼女と出会えた事。そして俺のチームに入ってくれたことに感謝し、歩を進めていくのだった。



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ダイワスカーレット

遅くなってすいません。


タマに引っ張られて俺とグラスは、ホームであるプレハブ小屋に辿り着いた。

薄い扉を潜って中に入ると、先程タマが言っていたように、チーム・アンタレスのメンバーが既に集まっている。

 

「遅いっ!」

 

俺が入ってくるなり、一番出入口に近い椅子に座っていたウマ娘がそう叫んだ。

 

「す、すまん、スカーレット」

 

俺はすぐにそのウマ娘が――ダイワスカーレットに頭を下げた。その様子を見た彼女は不機嫌そうに腕を組んで、こちらを睨んできた。

 ダイワスカーレット。それが彼女の名前である。

 チーム・アンタレス、最後のメンバーにして期待のルーキー。今年、中等部に入学してきたばかりの彼女は、このチームの最年少でアンタレスに所属してから日も浅い。だが既に先輩達とは打ち解け、俺にはタメ口を使ってくるほど馴染んでいた。これで普段の学園生活ではアイドル的存在の優等生で通しているのだから、凄いものである。

 

「全く! 一番を目指すためにはそれに見合ったトレーニングが必要なのに……そのトレーニングを指導するアンタが遅れちゃ、世話無いじゃない」

 

 真面目で時間に厳しいスカーレットは、俺の遅刻にご立腹のようだ。すると俺の後ろにいたグラスが、すーっとスライドしたような自然な動きで、俺の前に移動した。

 

「ごめんなさいスーちゃん。私がここに来る途中、トレーナーさんと偶然出会ったの。そして二人で少し話していたら、遅くなってしまったわ」

 

 丁寧に頭を下げるグラス。だがスカーレットは何やら面白くなさそうに、眉を吊り上げた。

 余談だが、スカーレットのことをグラスは『スーちゃん』と呼んでいる。ちなみにタマとオグリは、彼女のことを『ダスカ』と呼んでいた。

 

「ふぅん。二人で、ね」

 

 そして何やら怒りの目線を俺にぶつけてくるスカーレット。どうやら相当怒っているようだ。

 

「ごめんなさいね、スーちゃん。トレーナーさんと二人で話し込んじゃって……」

 

「いえいえ、グラス先輩のせいじゃないですよ! 責任はこのバ鹿トレーナーにありますから! 全く、今日はアタシのトレーニングに付き合ってくれる約束だったのに!」

 

 スカーレットは立ち上がってそう言うと、俺の腕を掴んで言った。

 

「ま、待て待てスカーレット! 大事な話があるんだ」

 

「そうですよ、スーちゃん。トレーナーさんが困ってますよ」

 

 何だか不機嫌そうなスカーレットと、それを能面のような笑顔で受けるグラス。

 この二人、決して不仲という訳では無いのだが、時たまピリついた空気になる時があるのだ。

 個人的には仲良くして欲しいのだが・・・・・・

 ちなみにオグリはタマが焼いたであろうたこ焼きを嬉しそうに頬張っていた。俺が作った焼きそばは、もう平らげてしまったようだ。

 

「落ち着きぃや、二人とも。トレーナーはわざわざ、たづなさんに呼び出されたんや。きっと大変な話があったはずや」

 

 タマが何とか助け船を出してくれたので、俺はこれ幸いと便乗することにした。

 先程、理事長室で下された宣告。一ヶ月以内に正式なメンバーを集め、チームを再編成しなければアンタレスは解散しなければならない。

 それを皆に伝えた。

 暫し、沈黙が流れる。

 流石に話が話だけあって皆、暗い顔をしていた。

 タマもグラスも、オグリでさえたこ焼きを摘まみながらではあるが俯いていた程だ。

 

「なる程ね。つまりあと一人集めれば、チームは存続できるって事じゃない!」

 

 だがその沈黙を破ったのは、スカーレットだった。

 彼女は勢いよく立ち上がると、拳を握ってそう言い放った。

 

「だ、ダスカ。そうは言うてもなぁ・・・・・・今までこのチームにはほとんど新しいウマ娘は入ってこなかったんやで」

 

 タマが困った顔でそう言うも、スカーレットは自信満々に言葉を続けていく。

 

「タマ先輩! 今年はこのアタシが入っています! 一ヶ月もあればあと一人くらい、皆で勧誘すれば不可能じゃありません!」

 

 そうだ。

 このダイワスカーレットは、現チームで俺の勧誘ではなく、自らの意思でアンタレスに入ってくれたのだった。

 

 ・・・・・・遡る事、一ヶ月前。

 スカーレットはデビュー戦を控え、とあるチームの選抜テストレースに顔を出していた。

 常に一番を目指す。

 それが信条のスカーレットが、トレセン学園最強とも言われるチーム・スピカのテストに顔を出すことは当然であった。スピカといえば、トウカイテイオーやサイレンススズカ、ゴールドシップといった名ウマ娘が所属する強豪チームで、URAシリーズ創世記から活躍する名門チームだ。スピカのトレーナーは俺の師匠である桐生院先輩と同期で、俺達世代かしたら憧れの存在である。そんなスピカにスカーレットが目を付けるのは、自然なことだった。

 だがこのレースでスカーレットは二位の結果に終わってしまう。一位を取れなかった悔しさは勿論、その時の一位がよりによって同室で日頃からライバルとして競いあっていたウオッカだったのが、スカーレットの怒りをより燃え上がらせた。彼女はスピカのトレーナーの勧誘を断り、別のチームに入ることにしたのだ。同じチームでは満足にウオッカと勝負出来ないからである。

 スカーレットはすぐに新しいチームを探すべく、学園の掲示板に足を運んだ。そこには様々なチームが勧誘のポスターを貼っていたのであるが、そこで彼女は隅っこに掲示されている小さな手書きのポスターを見つけたのだ。

 

「このポスターにビビっと来たわ!」

 

 勢いよく入ってきたスカーレットの手に握られていたのは、俺が手書きしたアンタレスの勧誘ポスターだった。

 ちなみに手書きなのは単純に金が無いから。印刷所に頼むことは出来ないし、だからといってPCで簡単に作るのは味気ないと思い、手書きにしたのだ。

 デザインはシンプルにサソリ・・・・・・に見えるが実は仮面ライダーV3に出てくるデストロンのエンブレムを丸パクリしたものだ。余談だがこの事に気が付いたのはマルゼンだけであった・・・・・・

 まあそんな感じでやって来たスカーレットであったが、久々のメンバーしかも新入生。そりゃ嬉しいに決まっている。

 皆で大歓迎し、逃がさないように気を使いまくった。さらにスカーレットは期待の新人だけあって、指導すれば指導するほど期待通り伸びていってくれたのだ。

 今や、チームの有力株。ライバルであるウォッカとのレースでも、一進一退の攻防を繰り返すまで成長していた。

 

「それにアタシはこのチーム・アンタレスで一番になるって決めたんだから、こんな所で終わらせたりしないわよ!」

 

 そう言って自信満々に大きな胸を張る彼女を見ていると、本当にどうにかなりそうな気がしてくるのだから不思議である。 

 プライドが高くて、負けず嫌い。そんなスカーレットだからこそ、ここまで強くなれたし、俺も惚れ込んだのだ。

 

「・・・・・・せやな! くよくよしとっても始まらん! 残り一ヶ月、バリバリ勧誘活動するで!」

 

「私もレースに出場し、チームの名前を売ろう。勝ち続ければ、いずれ誰かの目にも留まるだろう」

 

「中等部を中心に私も勧誘をしてみようと思います。もしかすると別のチームから移ってくれる方もいるかもしれませんし」

 

 一番後輩のスカーレットがここまで言っているのだ。先輩達が奮起しない訳にはいかないだろう。

 タマもオグリもグラスも先程の暗い雰囲気は吹き飛び、勧誘活動へのやる気に満ちていた。

 

「スカーレット、ありがとな。お前のおかげで、希望が湧いてきたよ」

 

「ふふ、当然じゃない! アタシを誰だと思っているの!」

 

「ああ、チームアンタレスの一番槍・ダイワスカーレットだ」

 

「えへへ・・・・・・」

 

 俺は思わず感極まって、スカーレットの手を握った。照れくさそうに彼女ははにかんだ。

 

 ――ドスン。

 

 何かが俺とスカーレットの間を通り抜け、直後に壁に何かが刺さった。

 思わずそちらに目を向けると、そこには薙刀が刺さっていた。薙刀が刺さっていた。薙刀が――

 

「え、ええええええっ!? 何!? 何!?」

 

 突然、凶器を投げつけられた衝撃で俺は動転して掴んでいたスカーレットの手を離した。

 すぐに飛んできた方向へ目をやると、グラスが張り付いたような笑顔でこちらを向いている。

 

「邪な気配を感じましたので~」

 

 ニコニコ笑ってそう言う彼女だったが、背後から妙にどす黒い雰囲気を出しているのは気のせいだろうか。

 

「・・・・・・グラス先輩、ちょっと危ないじゃないですか。もしトレーナーに当たったら、大変でしたよ」

 

「大丈夫よ。トレーナーさんには決して当てないから」

 

 『には』の部分がやけに強調されていた気がする。あ、笑顔のスカーレットの額に青筋が・・・・・・

 

「ウマ娘の先輩として尊敬していますし、チームの仲間として信頼してますけど・・・・・・こればっかりは譲れません」

 

「あらあら、私もよ~」

 

「あはは・・・・・・」

 

「うふふ・・・・・・」

 

 何だろう、二人とも笑っているのにこの背筋に流れる嫌な汗は。

 グラスもスカーレットも普段は普通に仲の良い先輩後輩なのに、時々妙に重い雰囲気を出すのはなんでだろう・・・・・・

 

「トレーナーはもっと女心っちゅうもんを理解した方がええな」

 

 いつの間にか俺の横に来たタマが、脇腹を小突く。オグリもたこ焼きを頬張りながら、コクコク頷いていた。

 

「・・・・・・まあ、何はともあれあと一ヶ月。皆で頑張っていこうじゃないか」

 

 これ以上深入りをすると、大変な事になりそうなので俺は強引に話を締めた。

 だが、この狭い部屋を見渡して皆の顔を見ていると不安な気持ちもふっとんでいくようだ。

 必ず、最後の一人を見つけてチームを再興しよう。

 そう心に誓うのだった。



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買い物に行こう

オグリとイチャイチャしたい日々でした。


「トレーナー、何処かに行くのか?」

 

 放課後。学園の駐車場に向かっていた俺の後ろから、そんな声がかけられた。

 

「おお、オグリか。授業は終わったのか?」

 

 振り向くと芦毛と澄んだ瞳が美しい少女が立っている。

 

「ああ、今さっき終わった。これから部室に行くところなのだが・・・・・・トレーナーは?」

 

「俺は今から買い出しに行ってくる。食料が尽きてな・・・・・・」

 

 俺がそう言うと、オグリの表情が変わった。

 

「なん・・・・・・だって・・・・・・それじゃまさか」

 

「ああ、このままではお前に料理を作ってやる事が出来ない」

 

 オグリが大きく目を見開いた。

 レース中でも滅多に表情を変えない彼女だが、食に関することだと目まぐるしく顔色を変える。

 こういう意外な所が結構可愛かったりする。

 このまま世界が滅びるんじゃないかと思うくらい絶望的な顔をしながら、オグリはよろよろと俺に縋り付いてきた。

 

「・・・・・・食べられないのか。キミの料理が・・・・・・」

 

「・・・・・・いや、そんなことはないぞ!」

 

 俺はオグリの震える肩を抱いて力強く言った。

 

「オグリに毎日、料理を作ってやる・・・・・・俺が約束したことだ。必ず、守るよ」

 

「と、トレーナー・・・・・・」

 

「今すぐ、食材を買いに行ってくる。待っていてくれないか」

 

「ひ、一人でいくのか?」

 

「いや、タマと行く。いつも一緒に買い出しに行ってくるからな」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 俺がオグリに毎日料理を作っている――といっても焼きそばやお好み焼きと言った簡単なモノだが――のは彼女がこのチームに入るときに交わした約束だった。

 ・・・・・・餌で釣ったわけではないぞ。決して。

 だがオグリは俺の予想する量の400倍くらいよく食べた。

 そもそもこのトレセン学園には巨大な食堂があり、学園関係者なら消灯時間までは何時でも自由に使えるようになっている。

 食べ盛りのウマ娘たちが利用する施設だけあって、かなりの量の食材がここには備蓄されていた。

 だがそれを使えるのは食堂の料理人のみ。まあ、当たり前だ。

 なので俺がオグリに料理を振る舞うときは、食材は自己調達である。経費でも落ちなかった。

 普通に考えて、食堂があるのにわざわざウマ娘に料理を振る舞うトレーナーなどほとんどいないだろう。

 だが俺はそのほとんどいないトレーナーの一人だった。

 おかげで俺の給料の大半は食費に消え、常に金欠状態を維持している。

 そして冷蔵庫が空になれば、車を走らせ業務用スーパーに調達しに行く。これがチーム・アンタレスの日常だった。

 だが今日は少し違った。いつもなら買い出しは俺とタマで行くのであるが・・・・・・

 

「きょ、今日は私が行こう」

 

 オグリがそんなことを言ってきたのだ。

 

「いや、大丈夫だぞ。オグリはグラスとスカーレットと一緒に練習を・・・・・・」

 

「私が行こう。行かせてくれ」

 

 結局強引に押し駆られる感じで、俺はオグリと買い出しに出かけたのだった。

 

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 

 軽トラを暫く走らせて、だいたい30分の場所に行きつけの業務用スーパーがある。

 俺はいつものように駐車場に軽トラを停めると、オグリと一緒に入り口へと向かっていく。カートの上と下にカゴを入れて準備完了。

 そのままカートを押して店の中へと入っていく。

 

「いらっしゃいま――ああ、トレーナーさん。何時もご苦労様です」

 

 入ってすぐに店員さんが挨拶してきた。

 このスーパーにはよく通っているので、店員さんとはすっかり顔馴染みになっていた。

 

「あれ、今日はいつもの娘と一緒じゃないんですね」

 

 店員さんは俺の横にいるオグリを見て言った。

 彼の言うとおり、いつもはタマと一緒に来店するから今日のオグリは新鮮なんだろう。

 

「ああ、タマは今日用があってね。代わりにこの子が手伝ってくれてるんだ」

 

「こ、こんにちわ・・・・・・」

 

 緊張しているのか、オグリはぎこちなく頭を下げた。

 

「はい、いらっしゃいませ。トレーナーさんにはいつもお世話になってますよ」

 

「は、はぁ・・・・・・」

 

「今日もモヤシを貰うよ。あと、キャベツと人参も欲しい」

 

 キャベツはちょっと高いけど・・・・・・食物繊維豊富だし、あったほうがいいだろう。

 

「いつものですね。ちょうど補充したばかりですよ」

 

 俺は慣れた手つきで野菜をカゴに入れていく。特にモヤシは安いから買い込んでおかないと。

 その後はお好み焼き粉を買い、そのまま精肉のコーナーに向かう。

 安い鶏肉は我がチームにおける食料の要なのだ。

 

「あら、いらっしゃい。あれ、今日はタマちゃんいないのかい?」

 

 精肉コーナーに辿り着くと、精肉のパートさんが話しかけてきた。

 この人は普段からよく話かけてくれて、タマとは仲がよかったのだ。

 

「ええ、今日は用事がありまして。代わりにこの子が来てくれました」

 

「あらまあ。随分、綺麗な娘なこと。トレーナーさんも隅に置けないねぇ」

 

 こういうゴシップが好きなおばさんは、そんな風に俺とオグリを交互に見てニヤニヤ笑った。

 

「な・・・・・・い、いや、私とトレーナーはそんな・・・・・・」

 

 冗談に慣れていないのかオグリは珍しく赤面し、しどろもどろになってしまう。

 

「この子もタマと同じ、俺の担当しているウマ娘ですよ。そういった関係じゃないですよ」

 

 全く女の人は男女が揃っているとすぐにそういう関係だと邪推するんだから・・・・・・と考えていると脇腹に痛みが走った。

 見るとオグリが頬を膨らませながら、脇腹を抓っている。

 

「な、なんだオグリ!?」

 

「・・・・・・なんでもない」

 

 俺が尋ねてもオグリは頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。

 突然、不機嫌になったオグリに違和感を感じつつも、俺は鶏肉をカゴへと入れていく。

 そんな二人の様子をパートのおばさんは微笑ましい顔で見守っていた。

 

 やがて買い物は終わり、パンパンになったエコバッグを両手に俺とオグリはスーパーを出た。

 オグリはさっきから何故かむすっとしていて、ちょっと素っ気ない感じだ。

 荷台に荷物を載せて、エンジンをかける。

 隣の席にオグリが座った時だった。

 

「オグリ、これを」

 

「むっ・・・・・・これは・・・・・・パンか?」

 

「ああ、さっき買った惣菜パンだ。腹減っているだろ? 先に食べておけ」

 

「え・・・・・・い、いいのか?」

 

「ああ。買い物に付き合ってくれたお礼だ」

 

 俺はそのまま軽トラを発進させる。

 オグリは無言でパンを見つめていたが、やがて袋から取り出すとかぶりつき始めた。

 

「・・・・・・トレーナーは」

 

 暫く走った所でオグリが口を開いた。惣菜パンはもう食べてしまったらしい。

 

「何時もこんな風に裏で働いてくれていたんだな。私はいつもご飯を食べるだけだった・・・・・・」

 

「それでいいんだよ。オグリは。食べて走って踊るのがウマ娘の仕事だ。それをフォローするのが俺たち、トレーナーなんだしな」

 

「・・・・・・いや、私達は同じチームだ。やらなければならないことは、共に分かち合いたい」

 

「オグリは真面目だなぁ」

 

 進む道の先にトレセン学園が見えてきた。俺はほんの少しだけ軽トラのスピードを上げる。

 

「皆、待っているだろうし早く帰ろうか」

 

「・・・・・・ああ、そうだな」

 

 今日はお好み焼きを焼いてやろう。タマには色々言われるだろうけど、皆がいっぱい食べられるハズだ。

 そんなことを考えながら、俺は車を飛ばしていくのだった。

 

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 

「すまんなぁ、オグリ。本当はウチの仕事なのに、代わりに行ってもろて」

 

「いや、このチームで一番食べているのは私だ。ならば本来なら私が買い出しに行くべきだったのだ。だから今後は、私がトレーナーに同行しよう」

 

「いやいやいや。まだ東京に慣れんオグリに遠出させるのは辛いやろ。ウチが今まで通りにいくで」

 

「安心してくれタマ。私も最近都会になれてきた。大丈夫だ」

 

「待ってください先輩方。ここは最年少であるアタシが・・・・・・」

 

「抜け駆けは駄目よ~スーちゃん」

 

 その後、何故か誰が俺と買い物に行くかで四人が揉めていた。

 議論の結果、交代で俺の買い出しに同行してくれることになったのだが、それはまた別の話である。




四人は仲良しですが、トレーナーのことになると真剣にライバルになります。


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練習風景

 俺たちチームアンタレスの最終期限が、刻一刻と迫っていたある日。

 

「すまん・・・・・・本当なら練習の指導をしなければいけないのに・・・・・・」

 

「ええよええよ。勧誘活動も大事や。グラスとダスカはウチらが責任もって指導するから、トレーナーは最後のメンバーを連れてきぃや」

 

「チームが無くなっては元も子も無いからな。トレーナーは出来ることを頑張ってくれ」

 

「すまん・・・・・・」

 

 胸を張って俺を送り出すタマとオグリに、俺は頭を下げた。

 勧誘活動も大事であるが、彼女達はあくまでもウマ娘の一人である。練習を疎かには出来ないのだ。

 そのため今日は俺が勧誘活動を行ない、皆は練習をすることにしたのだ。

 タマとオグリは高等部。トレセン学園に長く籍を置いているだけあって、練習慣れしている。特にタマは人に教えるのが上手かった。

 なので今日はタマ達に自主練をさせて、俺は勧誘活動に向かうことにしたのだ。

 頑張ってくれている皆のためにも、早く新メンバーを連れてこなければ。

 俺は胸にそう決めて、中等部の方へと進んでいくのであった。

 

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 

「よぅし! いい調子やグラス! そこまでや!」

 

 タマのかけ声と共にグラスがゴールへ到着し、ストップウオッチのボタンが押された。

 その直後にスカーレットもゴールし、同じようにオグリがタイムを計り終える。

 先程まで併せて走っていたグラスとスカーレットは肩で息をしながら、オグリから渡されたスポーツドリンクを飲み、汗を拭いていた。

 

「二人とも、タイム更新や! えらいいいあがりやなぁ。これなら次のレースにも期待できるで!」

 

「次のレースもいけるな・・・・・・」

 

「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・ありがとうございます・・・・・・」

 

「ふぅ・・・・・・オグリ先輩にそう言って貰えたら、自信になります・・・・・・」

 

 息を落ち着かせながらグラスとスカーレットは言った。

 怪物二世と呼ばれたグラスワンダーと、新鋭のホープと称されるダイワスカーレット。そんな既に若くして頭角を現している二人から見ても、タマモクロスとオグリキャップはやはり特別なのだ。

 

「さて、と。じゃあウチも走るとするか」

 

「そうか、併せウマは任せろ」

 

「ほう・・・・・・言っとくけどウチは練習だろうと手を抜くつもりはないで」

 

「奇遇だな。私もタマ相手に譲るつもりはない」

 

 タマとオグリはお互いニヤリと不敵に笑い、グラス達と入れ替わりでグランドに入っていく。

 

「タマ先輩とオグリ先輩の模擬レース・・・・・・」

 

「スーちゃん。しっかり見ておきましょう。二人のレースから学ぶ事は多いわ」

 

 息を整えたグラスとスカーレットが二人に視線を向ける。

 さらに周りで練習をしていた他のウマ娘達も集まり始めていた。

 

「グラス、スタート頼むで」

 

 タマがそう言ってホイッスルをグラスに渡してきた。

 二人は位置に着き、構える。それを確認するとグラスワンダーは一息ついた後、大きくホイッスルを鳴らした。

瞬間、風が吹いた――視界から二人の姿は一瞬で消え、地を蹴る音と共に巻き上がり、砂塵がグラスの頬に散っていく。

横にいたダイワスカーレットが息を呑む。二人の先輩は既にコースの彼方へ進んでしまっている。先頭を走るオグリキャップと、その後ろにぴったりと貼り付くタマモクロス。互いが牽制しあいながらも、2つの白い影は外周を回って、スタート地点へと戻り出していた。

 このコースは丁度、中距離レースと同じ2400mある。それは二人が得意とする距離の一つであった。

 

「す、凄い……」

 

 思わずスカーレットは呟いた。模擬戦とはいえ二人は本気である。その気迫、その力強さは本物のレースさながらだった。

 やがて最終コーナーを二人は回った。先行するのはオグリキャップ。その背後にピッタリとくっつくタマモクロス。

 大きく膨らんだ曲線を越えたところでタマモクロスが動いた。

 内側からぐんぐんと追い込み、一気にオグリに並ぶ。

 先に出ようとするタマと、逃げ切ろうとするオグリ。ラストスパートをかけ、ゴールまで一直線に駆け抜けていく。

 タマモクロスか、オグリキャップか。

 グラスもスカーレットも、いつの間にか集まった他のウマ娘やトレーナー達も固唾を呑んで、レースの行く末を見守った。

 ゴールに迫る二つの風。その白い閃光はほとんど同時にゴールに飛び込み、グラスとスカーレットはタイムウォッチを押した。

 同時に割れんばかりの歓声が飛び、二人の模擬レースは終わったのであった。

 結果は1/4バ身の僅差でタマモクロスの勝利。

 だが結果よりもトレセン学園でもトップクラスの実力を持つ二人が見せたレースに、観衆は大盛り上がりだった。

 

「お疲れ様です、先輩! 素晴らしかったです!」

 

 タオルとスポーツドリンクを持ってスカーレットが二人に駆け寄っていく。

 

「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・ありがとな、ダスカ」

 

「すまない・・・・・・」

 

 スカーレットから受け取ったスポドリを喉に流し込みながら、二人は肩で息をしながら答えた。

 

「タイムも上々です。ますますのご健勝・・・・・・素晴らしいですわ」

 

 グラスが感嘆の吐息を漏らす。ウマ娘として、そしてチームの後輩として、タマとオグリの勇姿は誇らしいものがあるのだろう。

 

「いやぁ、凄かった! さすが白い稲妻・タマモクロスと怪物オグリキャップだ!」

 

 突然、知らない声が聞こえてきた。

 見ると、集まっていたトレーナーの一人がこちらに話しかけてきている。その周りも他のトレーナーが集まっていた。

 

「これだけの力があれば学園では勿論、ドリームトロフィーリーグだって活躍できるだろう」

 

 芝居がかった台詞回しで男は近づいてくる。四人の顔が心なしか強張った。

 

「だけど今のままじゃ君たちはその真価を発揮できていない! そうは思わないかい?」

 

 男の言葉に同調するように数人のトレーナーがうんうんと頷いた。

 

「今のチームにいては、君たちは実力を発揮しれないと思うんだ」

 

 そこで何かを察したのかタマの眉間に皺が寄った。

 

「今のアンタレスにいては君たちは本来の実力を発揮できないだろう。それはウマ娘界の損失だ。だから僕のチームに移籍しないかい?」

 

 そこで残りの三人も、彼が持ちかけたのが引き抜きの事であることに気が付いた。

 チームの移籍。それは別に珍しい事では無い。

 より上位を目指すためにチームを変えるウマ娘。チームメイトとソリが合わず、新しいチームに変わるウマ娘。トレーナーに見初められて、引き抜かれるウマ娘・・・・・・様々な理由でチームを変わるウマ娘は多かった。

 特にトレーナーからしたら強いウマ娘を自身のチームに引き入れることは、そのまま自分の手柄になるのだから、イケイケのトレーナーは進んで引き抜きを行なっているのである。

 

「僕だったら君たちに適したトレーニングを施して、より強いウマ娘に育てることが出来る自信があるよ。少なくともあのトレーナーよりはね」

 

『・・・・・・・・・・・・』

 

 スカーレットの眉がピクリと動いた。オグリも心なしかむっとした顔になり、グラスは徐々に冷たい笑みが浮かび始める。

 だが彼にとってはそれも予定通りなのか、話を続けていく。

 

「そもそも奴はマルゼンスキーの担当だっただけで、トレーナーとしてはまだまだ未熟だ。今だって君たちが強いからチームが存続できているだけで――」

 

「そこまでや。それ以上言ったら許さへんで」

 

 タマが男の声を遮るように言った。

 

「あんた、顔憶えとるで。昔、ウチのレースに顔を出しとったなぁ」

 

「え?」

 

 憶えがないのか、男は首を傾げた。

 

「あん時は『芦毛は走らない』って言われてたもんなぁ・・・・・・実際、どれだけウチが頑張って走っても勝てんかった。その時、あんたは何も言わんかったなぁ」

 

「え・・・・・・」

 

 憶えがないのか、男は困惑している。

 

「まあ、何言われようがウチはチームを抜ける気は無いし、他の皆も同じや。じゃ、失礼するで」

 

 その隙にタマは皆を連れて練習場を後にした。

 トレーナー達は何か言おうとしたが、何も言えず黙って彼女達の背中を見つめるだけだった。

 

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 

「タマ先輩、さっき言ってた事は本当ですか?」

 

「ん?」

 

 スカーレットにそう尋ねられ、タマは顔を上げた。

 暫し考え、ああ・・・・・・とタマは呟いた。それ程時間が経ってからのことだったのだ。

 

「今じゃ信じられんかもしれんけどな。ウチがデビューした頃は『芦毛は走れない』って言われとったんや」

 

 部室に向かう道でタマは言った。

 今でこそオグリやメジロマックイーンなど、活躍している芦毛のウマ娘は多くいるが、当時は皆無といっていい状態だったのだ。

 

「ウチは芦毛で、おまけにこの体格や。全然、期待されとらんかった。レースも連戦連敗で・・・・・・もうどん底だったんや」

 

 当時を思いだしたのか、タマは顔をしかめた。

 

「そんなウチを見てくれるトレーナーなんておらんし、チームに誘う奴なんて尚更やな」

 

「大変だったんですね・・・・・・」

 

 グラスにそう言われ、タマは苦笑する。

 

「でもな。ある日、そんなウチに話しかけてきた奴がおったんや。ちょっと走り方を変えてみたらどうだ、ってな」

 

 オグリがクスリと笑った。

 トレーナーだ。すぐに分かったのだ。

 

「そいつは別に専属トレーナーでもないくせに、色々世話焼いてくれてな。おかげで一ヶ月後にあった次のレースで初めて勝てたんや」

 

 昔を思いだしたか、遠い目でタマは言った。

 

「そしたらアイツ、自分の事みたいに喜んでな・・・・・・で、後からチームやってるて聞いて、入ることにしたんや」

 

 それがトレーナーとタマモクロスの物語だったのだろう。

 その結果チーム・アンタレスは息を吹き返し、オグリ達が後に参加することになるのだ。

 

「だから、ウチはこのチームから離れることは・・・・・・いや、トレーナーから離れることはないで。例え五人目が見つからんで、チームが解散してもな」

 

「ああ、私も同じ気持ちだ」

 

 オグリがそう言うとグラスとスカーレットも頷いた。

 校庭の端、チーム・アンタレスの部室が見えてくる。

 

「もうトレーナーは戻ってるかしら」

 

「時間的には戻っていてもおかしくないですね」

 

「練習でお腹が空いた。トレーナーに作って貰わないとな」

 

 四人はそんな事を言いながら、部室に帰っていくのであった。

 

「おう、皆お帰り。練習お疲れ様。丁度良かった、今日からこのチームに入ってくれることになったハルウララだ」

 

「ハルウララ、がんばりまーすっ!!」

 

 トレーナーの横に座っていた桃色の髪をした小柄なウマ娘が、元気よく皆に挨拶してきたのだった。

 

『え、えええええええええええっ!?』

 

 四人の叫びが、狭い部室中に響き渡ったのであった。



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ハルウララ

 その日、俺が中等部に向かったのには理由があった。目的は勿論、ウマ娘を我がチームへ勧誘することであるが、今日はそれに大きく影響を与えるイベントが中等部で開かれているのである。

 

「おお、お前も来たのか」

 

目的地である中等部のグラウンドに辿り着くと、見知った男が声をかけてきた。

 

「よぉ、三鷹。お前も偵察か」

 

「そりゃそうだろう。なんたってチーム・リギルの選抜レースなんだからな」

 

 そう言って目の前の男――三鷹は俺の肩をポンポンと叩いた。

 俺と三鷹は同期で同じ師である桐生院葵の元で指導を受けた仲である。

 いわば同期の桜といった間柄で、トレーナーに昇格したのも、自分のチームを持ったのも同じ位の時。ライバルであり戦友、そんな間柄であった。

 もっともマルゼンが抜けて凋落した俺のチームに比べ、三鷹のチーム・ベガは今もAランクチームに名を連ねているのだが。

 

「俺だけじゃないさ。他のトレーナーも狙いにきているぜ。リギルのおこぼれをよ」

 

 そう言いながら三鷹が視線を移した先には、同じ様に集まってきたトレーナー達の姿があった。

 チーム・リギル。

 このトレセン学園で長きに渡って『最強』の名を欲しいままにした名門チーム。

 URA創世記から活動していた東条ハナ先輩率いるこのチームは、常に優秀なウマ娘を輩出している。

 そしてそのためにリギルは定期的に新しいメンバーを募集して、選別レースを行なっているのだ。

 当然、そのレースにはリギル加入を狙って多くの前途有望なウマ娘達が参加してくる。しかしそのレースで合格してリギルに入れるウマ娘はほんの一握りなのだ。酷いときは合格者0だってある。

 そしてリギルの選抜から落ちてしまったウマ娘の中で優秀そうな娘を勧誘するのが、俺たちの目的であった。

 何せリギルに加入を希望するだけあって、前途有望なウマ娘が多い。東条先輩から見れば不合格でも、俺たち下位チームから見れば喉から手が欲しいウマ娘なのである。

 

「リギルもスピカも最近はよく選抜レースをしてくれるからな、ありがたい」

 

「『カノープス』と桐生院先生の『ミーク』に最強チームの牙城を崩されたからな。あちらさんも必死なのさ」

 

 そう言うと三鷹は中等部のグランドを指差した。

 

「見ろ、今回も豊作そうだぞ」

 

 スタート地点でストレッチしているウマ娘達を、三鷹は一人ずつチェックしていく。

 既に下調べはしていたのか、幾つか名前も挙げてみせた。

 

「流石、バッチリ調べてるんだな」

 

「むしろ何も調べてないお前が凄いよ」

 

「すまん、そういうのは苦手で・・・・・・で、注目株は誰だ?」

 

「そうだな・・・・・・やっぱり一番株はエルコンドルパサーだな」

 

 実力はあるが束縛を嫌い、色んなチームを転々としている。と三鷹は語った。

 

「確かグラスのルームメイトだったな。実力はあるって聞いたぞ」

 

「ああ、間違いなく今回の大本命さ。まあ俺たちが狙うのは他のあぶれたウマ娘だがね」

 

「普通に考えたらそのエルコンドルパサーはリギルに入るだろうしな・・・・・・まあ、俺はレースの結果を見て決めるよ」

 

「結果・・・・・・と言っても勝ち負けじゃないんだろ?」

 

「ああ」

 

 俺がウマ娘に求めるのは実力じゃない。

 その走りがどれだけ魅力的に映るか、である。

 かなり曖昧で非現実的なことだが、俺はこれを一番にしていた。マルゼンスキーもタマモクロスも、それで勧誘したのだ。

 

「お、始まるぜ」

 

 三鷹の言うとおり、ウマ娘達がスタートラインに着いていく。ゴール付近には東条先輩とリギル所属のウマ娘・ヒシアマゾンがいた。スターターピストルを鳴らすのは、フジキセキのようだ。

 皆、真剣な面持ちである。その中で一人、俺の目に留まったウマ娘がいた。

 桜色の髪と瞳を持つ、小柄なウマ娘。

彼女がこの中で、スタート前に一番の笑顔を浮かべていた。

 

「あの子が気になるか?」

 

横に並んだ三鷹が聞いてきた。

 

「ああ。」

 

「……タマちゃんのときに思ったんだけど、お前ロリコンじゃないよな?」

 

「失礼な。俺はただ楽しそうに走るウマ娘が好きなだけだ。ほら、ほんとに始まるぞ」

 

俺がそう言った瞬間にスタートは切られ、ウマ娘たちは一気に駆け出した。

さすがチームリギルの選抜レースに出てくるだけあって、皆レベルが高い。特に三鷹が注目していたエルコンドルパサーは、好調なスタートを切って先頭を進んでいる。その中で、一人。ぶっちぎりで皆から遅れているウマ娘がいた。

 

「ふぇ~~~っ! み、みんな、はやいよぉ~~っ」

 

顔を真っ赤にして、息を切らせながら懸命に走っているその子は、俺がスタートの時に目を付けたウマ娘だった。両手を前に突き出した滅茶苦茶なフォームで走る様は、明らかに一人浮いていた。

 

「お、おい大丈夫かよ、あの子」

 

心配そうに三鷹が言った。他のトレーナーたちも彼女の圧倒的なレベルの低さにざわざわし始める。

やがて先頭のエルコンドルパサーが一着でゴールし、後続のウマ娘たちも続々とゴールしていく。そして件のウマ娘は一人遅れて、最後にゴールした。彼女のゴールで選別レースの一回目が終わり、走り終わったウマ娘たちその友達の馬娘やトレーナー達が集まり始める。一位のエルコンドルパサーは、東条先輩に呼ばれてそちらに向かっていった。

 

「くそっー! 」

 

「あともう少しだったのに……」

 

レースが終わり、負けたウマ娘達が悔しそうにゴール付近で歯噛みしている。一人の勝者とそれ以外の敗者。それが残酷なレースの現実だった。そんな中で一人だけ、笑顔を見せるウマ娘がいた。

 

「負けちゃったー! みんな強いねー、次は負けないぞぉーっ!」

 

最下位になったあのウマ娘であった。

本当にレースが楽しかったのか、汗まみれになりながらも、花のような笑顔で笑っている。そんな彼女の前に俺は一人で向かっていった。

「お疲れ様。がんばったね」

 

俺がそう言って手を伸ばすと、彼女は顔を上げてこちらを見上げてきた。桜色の大きな瞳が、興味深そうに揺れている。

 

「うん! 楽しんで、がんばったよ!」

 

何の警戒もせず、彼女は俺の手を取って立ち上がった。少女特有の柔らかい手の感触に、少しだけドキドキしてしまう。

 

「そうか、レースは楽しかったかい?」

 

「楽しかった! わたしね、にんじんと走るのがだーい好き! ってあれ、あなた誰?」

 

そこでようやく目の前の俺を疑問に思ったのか、少女は首を傾げて尋ねてきた。

 

「俺はこの学園でトレーナーをやっている者だ。君をスカウトしたくて、ここまで来たんだ」

 

「え、わたしを?」

 

少女もさすがに驚いたのか、自身を指差して聞いてくる。

「ああ、君の名前を聞かせてくれないか?」

 

俺がそう尋ねると、少女は満面の笑みで元気よく答えた。

 

「ハルウララ! わたしの名前はハルウララだよっ!!」

 

……

…………

 

「と、いうわけで今日からアンタレスの新しいメンバーに加わったということだ」

 

「と、いうわけって、あんたなぁ」

 

タマは呆れたように言った。グラスとスカーレットも同じように戸惑っているようだった。

「焼きそば、美味しいね!」

 

「ああ、トレーナーの作る焼きそばは絶品でな」

当のハルウララはオグリと仲良く焼きそばを頬張っていた。オグリはこの中でもただ一人、ウララよりも俺に焼きそばを作らせることを優先させたウマ娘だ。なんというか器が違う。

 

「えーっと、ウララやっけ? チームに入ってくれるのは嬉しいんやけど、大丈夫か? このチームが今あんまり良くない状況なのは知っとるんか?」

 

タマが不安そうに尋ねた。もしかしたらチームアンタレスが、解散寸前であることを知らないのではないかと思ったのである。

 

「大丈夫です! トレーナーとなら楽しく走れそうと思ったので!」

 

だがウララは不安など微塵も感じさせない笑顔で、元気よく言った。

それを見たタマは大きく息を吐き出すと、ニカッと笑う。

 

「なら、安心やな。ウチはタマモクロス。よろしくな!」

 

「うん! タマ先輩、よろしくお願いしまーす!」

 

「うふふ、私はグラスワンダーと申します」

 

「アタシはダイワスカーレット! よろしくね、ウララちゃん……そういえばウララちゃんってどこのクラスなの?」

 

「うん! よろしくね! ウララは中等部3年でC組だよっ!」

 

「えっ、先輩……」

 

「ど、同学年……」

 

スカーレットとグラスが驚愕する中、俺はようやく揃ったチーム・アンタレスにこれからの活躍に思いを馳せるのだった。



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ハルウララ、初陣!

水着スペちゃん、マルゼンで100連爆死しました。

星3すらほとんど出なかったよ・・・・・・

ライスとかブルボンとか出てもよかったのに・・・・・・


 ハルウララが我がチームに加入して、一週間が経とうとしていた。彼女が入ったことでようやく規定である五人のウマ娘を揃えたチーム・アンタレスは学園から存続が許され、晴れて復活したのである。

だがここで終わりではない。

今まで俺の我が儘を許してくれた理事長とたづなさんのためにも、アンタレスをまた一流のチームに建て直す。それが俺の新しい目標の1つであった。

幸いにも俺のチームにいるウマ娘は、転校して間もないウララを除けば、それなりにレースで結果を残している娘ばかりだ。なので俺は新メンバーであるウララの練習に力を入れている。しかしウララは俺の予想してた以上に、個性的なウマ娘だった。

「ふぇええ~っ!」

 

中等部のグラウンドで両手を前に突き出し、必死で走っているのは件のウララである。この滅茶苦茶な走りが、彼女の走法であった。当然、こんな走り方では速く走ることなど無理な話である。

 俺はまず、ウララに基本的な走り方を教えた。だが彼女は最初こそちゃんと教えたフォームを守るのであるが、長く走らせていると最後は自然とこの走法に戻るのである。スタミナもあまりないため、長く走らせるとすぐにバテてしまう。

 さらに地方の高知トレセン出身ということもあって芝に慣れていないことも発覚。

 考えた末、彼女はダートで短距離中心のレースを走らせることに決めたのだった。

 

「よし、ひとまず休憩にしよう」

 

 ウララの併せウマ・・・・・・もとい指導役として走っていたオグリキャップがそう号令すると、ウララは緩やかにスピードを遅めていき、やがてそのまま地面に突っ伏してしまった。

 

「こひゅーこひゅー・・・・・・」

 

「そんなところで横になると汚れてしまうぞ」

 

「はい、ウララ先輩。これを飲んで息を整えてください」

 

「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・ありがとーダスカちゃん・・・・・・」

 

 息を切らしながら地面を転がるウララをオグリが肩を持って起こしてあげ、スカーレットがタオルとスポーツドリンクを渡していた。

 この小さな後輩を皆は可愛がっているようだった。

 オグリは地方である笠松トレセン出身で、ウララも地方高知トレセン出身という共通点。スカーレットは持ち前の面倒見の良さから、本来は先輩であるウララの世話を焼いていたのである。

 

「しかし・・・・・・よく転入試験受かったもんやな。ココ、確か結構厳しかったやろ」

 

 俺の横にいたタマがそう呟いた。

 確かに彼女の言うとおりこの中央トレセン学園は、全国からエリートが集まるだけあって、かなり難関な編入試験を設けている。だが、

 

「ウララは面接で一発合格したらしい。たづなさんに聞いたらそう返ってきた」

 

「・・・・・・まぁ、分かるわ。ウチだってあの笑顔見せられたら、合格印押す自信がある」

 

 俺とタマの視線の先には、満面の笑みを浮かべてスポドリを飲むウララの笑顔があった。

 彼女は本当に走ることを心から楽しんでいる。

 そのことが分かるから、こちらも応援したくなるのだ。そして俺は彼女を勧誘したトレーナーだ。その責任を・・・・・・ウララをレースで勝たせてあげないといけない責任がある。

 なんとしても彼女にレースで勝たせてあげたいと思うのだ。

 

「で、デビュー戦はもう考えとるんか?」

 

「・・・・・・来週のオープン戦を予定している」

 

「えらい急やな」

 

「チームでのレースも月末に予定しているからな。そのためにウララには一度、レースで勝って貰いたい」

 

 ウララは既に高知でメイクデビュー戦を行っているため、オープン戦から出れることになっている。

 しかし今まで出場したレースで彼女は一度も勝っていなかった。

 それでもレースを楽しめるのは素晴らしい事だが、やはり勝利経験も必要だ。

 

「それまでにやることは二つ」

 

 俺は指を二本立てた。

 

「走るフォームの矯正と、それから・・・・・・」

 

「あっ! トレーナー! おーいっ!」

 

 ウララがこちらに手を振ってきた。

 屈託の無い、満面の笑み。思わずこちらの頬も緩んでしまう。俺はそのまま、彼女の近くまで歩いて行った。

 

「大分、長く走れるようになってきたな」

 

「うんっ! 楽しい時間が増えて、ウララも嬉しいよっ!」

 

「そうかそうか」

 

その天真爛漫さに思わず子供にやるように頭を撫でてしまう。だがウララは嫌がるどころか、目を細めて気持ち良さそうに笑っていた。

 

「最初はゴール前でスタミナが切れることもあったが、今ではなんとか完走できるまでになった。スピードは元々それなりにあるし、これならレースに出れるだろう」

「あとはどう走るかですね。ウララ先輩の性格上、最初から逃げてゴールまで駆け抜けるのがよさそうですが……」

 

オグリとスカーレットはこの数日でウララの性格と脚質を理解したようだ。

 俺も大体同じ考えだったが、やはりスタミナと集中力を考えたら逃げの作戦は難しそうである。

 

「そうなると・・・・・・色々、ウララと話さないとな。よし、今日はここまで。一旦、部室に戻るぞ」

 

 部室に行くと聞いたオグリとウララの耳がぴょこんと、動いた。

 彼女達にとって練習を終えて部室に行くことは、俺かタマの料理を食べられる事だと思っている。

 瞳を輝かせながら練習の後片付けをする二人を見ながら、俺は戻ったらたこ焼きを焼いてあげようと思うのだった。

 

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 

 そしてあっという間にオープン戦の日がやってきた。

 ジュニア級、ダート(1300m)左。

 本来なら一年生達が主に出走するレースであるが、ウララは今年転入してきたばかりなので、ここに参加することになった。

 

「みんな! 頑張ってくるね!」

 

「ウララ、気を付けるんだぞ」

 

「バ群に呑まれないようしてね。ウララちゃんはあまりパワーが無いから」

 

「ウララ先輩、ダートは足元が悪いので転ばないように気を付けてくださいね」

 

 まるで末っ子の妹を心配するようにオグリ・グラス・スカーレットが、ウララに声をかけていく。

 それをタマがまぁまぁと宥め、三人をウララから引き剥がしていった。

 もうすぐレースが始まる。

 ウララは自身が持参した勝負服を身に纏っていた。

 高知トレセンの時から着ているという、体操服だ。

 

「ウララ・・・・・・勝ち負けはともかく・・・・・・精一杯レースを楽しんでこいよ」

 

「うんっ! いってきまーすっ!」

 

 ウララは元気いっぱいそう言うと、張り切ってパドックの方へと進んでいった。

 その後ろ姿を見送ってから、俺たちも観覧席の方へと移動する。

 ゼッケンは7番。ラッキーセブンやなと笑うのは、タマだった。

 

「スカーレット、参加するウマ娘の中に知っている子はいるか?」

 

 今回のレースに参加するのはほとんど一年生だったので、俺は同じ一年生であるスカーレットに尋ねた。

 

「うーん、顔は知っているけど名前となると・・・・・・」

 

 スカーレットは考えながら何人かの名前を挙げていき、やがて一人のウマ娘の所で指をピタリと止めた。

 

「あの子、結構有名な子よ。ダートの模擬戦で何度も勝ってるって」

 

 スカーレットは芝がメインなので、あまり知らないようだったが確かに良い体つきをしている。

 ゼッケン3番・サイドボーガンか・・・・・・

 

「ワイルドな見た目のウマ娘だな」

 

「見かけ通りよ。色んな場所で騒ぎを起こしているって話」

 

 確かにそんな風に見える風貌だった。

 ウララは一緒に走る皆に笑顔で挨拶していたが、彼女はふんと鼻をならしただけである。

 だが、他のウマ娘たちの反応も、あまり芳しくなかった。

 それはこのレースというモノ自体が競争であるため、自分以外全員敵という関係なので、間違いではないのだが・・・・・・

 

「この嫌な雰囲気、懐かしいなぁ。ウチがトレーナーと出会う直前位の時、いつもこんな空気やった」

 

 元気いっぱい挨拶するウララの方を見て、忍び笑いを漏らすウマ娘達。明らかな嘲笑である。

 ウララは中央にやって来て、リギル以外にも様々なチームの選別レースに出走していたらしい。だが結果はどれもぶっちぎりのドベ。ただでさえ転入生ということもあってか、ウララは注目の的となった。

 

「明らかに小馬鹿にしとるで。まあ、ウララは鈍いから気づいてへんようやが」

 

「全く・・・・・・不快ですね」

 

「そう言うなグラス。それに逆にこれはチャンスやで。誰にもマークされんわけやからな」

 

「タマの言う通りだ。前ばかり見る者たちは、意外と足元は見えないモノだ。道ばたの小さな小石には」

 

 周りの悪意など全く気にせず・・・・・・気づいてないウララは笑顔でパドックへと入っていく。

 もうすぐレースが始まろうとしていた。

 

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 

『さあ、各ウマ娘ゲートに入って体勢を整えました。やはり注目は3番、サイドボーガン。チーム未所属ですが、非常に良い仕上がりですね』

 

『いい感じに気合いが乗っていますね』

 

『トップスピード・瞬発力ともに、いいモノを持っていますね』

 

 アナウンサーが出走するウマ娘達の名前を並べて紹介していく。

 

『・・・・・・ゼッケン番号7番、ハルウララです。高知トレセンから転入してきた、三年生です』

 

『チーム・アンタレス所属。頑張って欲しいですね』

 

 解説もアナウンサーもあまりウララに期待していないようだった。だがその方が好都合だ。

 下手にマークされないし、勝ったときに度肝を抜いてやれる。

 

『さあスタートです! 各ウマ娘一斉にスタートを切りました! サイドボーガン、好調な駆け出し!』

 

『非常にいいスタートですね。流石です』

 

『先頭はサイドボーガン。その後ろに・・・・・・』 

 

 飛び出した12人のウマ娘。

 先頭に一人飛び出したサイドボーガンとそれを追うように続くバ群。ウララは中団、6番手あたりか。

 やがてバ群が三つに分かれ始める。

 逃げ切ろうとするウマ娘とそれに追従し先行するウマ娘。少し下がって真ん中で先行するウマ娘を差そうとするウマ娘達。後方でスタミナを温存する追込勢。

 ウララは所謂、差しのグループのところを走っていた。

 オープン戦とはいえ、ほとんどが一年生。レース慣れしていないウマ娘も多く、後続の中には接触したり、バ群に埋もれて上手く身動きが取れない娘も多くいた。

 

「トレーナー、ウララ先輩の作戦は差しですか?」

 

「・・・・・・ああ、そういうことになるかな。尤も、今のウララに作戦を理解出来るかは分からない」

 

「それ大丈夫なの?」

 

「ああ、ウララならやれるさ」

 

 走り方の矯正は上手くいっている。俺がやらなければならないことの一つだった。

 そしてもう一つ――

 

「ウララ、レースは好きか?」

 

「うんっ! 大好きだよ!」

 

「そうかぁ・・・・・・どんな所が好きなんだ?」

 

「えっとねー、皆で一緒にスタートして、ばびゅーんって走って! ゴールして・・・・・・とにかく、楽しいっ!」

 

「なるほどなぁ・・・・・・じゃあウララはいっぱいレースで走りたいんだな?」

 

「うん!」

 

「よしよし。だけどレースってのは毎日出来るものじゃ無いんだ」

 

「ええ、そうなの?」

 

「ああ。だけど、一度のレースで二度楽しめる方法ならあるぞ」

 

「ええーっ!? なになに? どんなこと?」

 

「それはな・・・・・・」

 

 ――俺がそこまで思いだしていた時、実況の大きな声がレース場に鳴り響いた。

 

『さあ、最終コーナーに差し掛かった! 先頭は依然としてサイドボーガン! 軽快に飛ばす圧巻の走りだ! さぁ第四コーナーをカーブして――』

 

「ちょ、ちょっとこのままじゃボーガンが逃げ切っちゃうんじゃないの?」

 

 スカーレットが不安そうに尋ねた。

 だが俺はウララとの練習を思いだし、現状上手くいっていることを確信する。

 

  ――ウララ、レースはスタートを切らなきゃ始まらない。スタートする時は好きか?

 

 ――うん! 大好きだよ!

 

 ――そうか、じゃあスタートする場所を二つにしよう。そうすれば二回、スタートが楽しめるぞ。

 

 ――二つ? どういうこと?

 

 ――まず最初のスタート。そしてもう一つ、一気に駆け出す場所を作るんだ。そうだなぁ・・・・・・場所は最終コーナを過ぎた直線。そこまでパワーを貯めて一気に駆けるんだ。そうすれば、一度で二度レースが楽しめるぞ。

 

 ――おお~っ! 凄い! それならレースを二倍楽しめるね!

 

 ――ああ、その名も・・・・・・

 

「いけぇーっ、ウララ! ワクワク、よーい・・・・・・ドンだ!」

 

 俺が叫ぶのと同時に最終コーナーを回ったウララが、一気に駆け出した。

 狙うは内側。小柄な彼女にはインを突く方が合っているだろう。

 

「いっくよぉーっ!」

 

 ウララは叫ぶと地鳴りと共に一気にサイドボーガンに迫る。

 後続が詰まり、差しの中でも動き出しそびれたウマ娘がいる中で一人、ウララはバ群を抜け出して前へ、前へと進んでいく。

 

『おーっと、ここで抜けてきたのは・・・・・・7番、ハルウララだ!』

 

 実況からウララの名があがり、スタンドからどよめきが走る。

 最初から歯牙にもかけられていなかった彼女が、一気に前に抜け出したのだから、驚くのも無理は無いだろう。

 

「何っ!?」

 

 それは一人旅を満喫していたボーガンも同じようだったようだ。

 背後から迫る小さな影に目を見開き、歯を食いしばる。

 

『ハルウララがもの凄い脚で迫る迫る! 逃げ切れるかサイドボーガン! だが徐々に差は縮まってくるぞ!』

 

「なめるな! こんなチビに負けるかよ! こんなオープン戦で・・・・・・負けるわけにはいかねえんだよっ!」

 

 ボーガンは負けじと更に速度を上げる。凄まじい末脚で、最後の直線を一気に駆け抜けていく。

 だがウララも負けてはいない。序盤、スタミナをキープしていた分、どんどん速度を増していった。

 

『内側から地を這うように突っ込んでくるのはハルウララだ! 残りのウマ娘はいまいち、伸びない! サイドボーガンとハルウララの一騎打ちか~っ!』

 

「と、トレーナー、ウララ先輩は・・・・・・」

 

「作戦は上手くいっている・・・・・・後は」

 

「根性やな」

 

 タマはそう言ってスーッと大きく息を吸った。

 

「ウララーっ! 頑張れーっ!」

 

「私達が着いているぞ!」

 

 タマが叫び、オグリが追従する。

 

「ウララちゃん! そのまま一気ですよ!」

 

「ウララ先輩! ぶっちぎって下さい!」

 

 グラスとスカーレットも拳を握って叫ぶ。

 そうだ。ウララの素のポテンシャルは高い。だがそれは相手も同じこと。後はどれだけ勝ちたいかという気概の勝負だ。

 

『さあ最後の直線だ! サイドボーガンが粘るか、ハルウララが差しきるか! 一年生として絶対に勝ちが欲しいサイドボーガン! 先輩として勝ちは譲れないハルウララ! 勝つのはどちらだ!」

 

 アナウンサーが叫ぶ中、二つの影は一気にゴールへ駆けていく。

 ウララは俺の指示通りに走ってくれた。

 フォームを崩さず、スタミナを貯めてここぞで爆発させてくれた。

 後は勝つだけだ。これで勝てなかったら、責任は俺にある。

 だがウララなら勝てる。そんな確信があった。

 

「ウララ! 見せてやれ! お前の、本当の力を!」

 

 うん、わかった。そんな風にウララが笑った気がした。

 差はどんどん迫り、遂に二人は並んだ。

 

『しかし先頭はサイドボーガンだ! サイドボーガンが・・・・・・いや、うああああああっ! ハルウララだああああああっ!』

 

 絶叫と共に、スタンドから悲鳴に似た歓声が上がる。

 タマとオグリが雄叫びを上げ、グラスとスカーレットが抱き合って叫んだ。

 俺も思わず拳を握ってガッツポーズを決める。

 

『ハルウララ今、一着でゴール! 高知から芽吹いた桜が今、中央で開花ーっ! 遅咲きの桜吹雪がこのトレセン学園に舞いました!』

 

 最後まで走りきったウララはそのままゆっくりと速度を落とし、そして満面の笑みを浮かべて両手を挙げた。

 

『なんと! トレセン学園ジュニア級1300mダートを制したのは・・・・・・チーム・アンタレス! ハルウララーっ!』

 

「ふぁあああ・・・・・・やったーーーーーーーーーーーーーーーっ!」

 

 ウララの喚起に満ちあふれた声がレース場に響き渡る。

 嬉しそうだ。本当に嬉しそうだな。

 そりゃそうだ。初勝利だもんな。

 そんなことを考えていると、いつの間にか体が自然に動いていた。

 俺も、タマも、オグリも。グラスもスカーレットも一気にウララに駆け寄っていく。

 小さな桜色の彼女に皆が殺到し、抱きつき、撫で回した。

 

 アンタレス復活の前哨戦。

 それは今、ウララの初勝利という最高の形で始まったのだった。




シリアスなレースは書かないって言いましたが、今回のはセーフでしょうか・・・・・・
あと、サイドボーガンはオリジナルです。
やられ役なので…


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ご褒美

「ハルウララ、初勝利おめでとうっ!!」

 

『かんぱーいっ!!』

 

皆の掛け声と同時に、6つの紙コップが重なりあった。

我がチーム・アンタレスのホームであるプレハブ小屋の一室で、ささやかながらウララの初勝利を祝う打ち上げが開かれているのだ。

 

「みんな、ありがとーっ!」

 

今日の主役であるウララは所謂お誕生日席に座り、ジュースの入った紙コップ片手で嬉しそうに笑っている。

テーブルにはお菓子や俺の作った焼きそばが置かれ、早速オグリが喰らいついていた。

 

「よぉーく、見とくんやで! これがタマモクロス直伝! 浪花のたこ焼きやーっ!」

 

さらにタマがノリノリでたこ焼きを次々に量産している。彼女の意外に几帳面な性格が出ているのか、均整の取れた綺麗な球体が各紙皿に平等に盛られていく。

 

「へい、一丁上がり! コメの準備はええかっ!」

 

 小気味よくタマが言うと、オグリがコクコク頷いて炊飯器から白米を盛り始めた。

 

「粉ものにご飯を?」

 

「炭水化物に炭水化物?」

 

 グラスとスカーレットが首を傾げたが、これが関西の食文化なのだからしょうがない。

 山盛りのたこ焼きをおかずにご飯を頬張るオグリの姿に、軽く引くグラスとスカーレットに俺は苦笑しながら、一つ摘まんで口に入れた。

 

「ん、これは……中身がタコじゃないな」

 

「せやで。タコだけじゃ飽きると思って、色々入れたんや」

 

「これは……ハムか?」

 

「せや! 他にもいっぱい味があるで!」

 

「あ……これはカニカマですね」

 

「美味しい! タマ先輩、これはトマトですね!」

 

「わぁ~っ! チーズだっ~」

 

 タマ特製のアレンジたこ焼きに、皆が舌鼓を打っていく。彼女は幼い時から母親の代わりに下の弟妹たちの面倒を見てきたのもあって、料理が上手い。

 特に粉物やもやし・ハンペンの料理は、俺も素直に降参するほどである。

 

「さすがタマだな」

 

「おおきに。はい、トレーナーも食べや」

 

 ちょっと照れているのか、頬を若干朱く染めて頭を掻くタマからたこ焼きをさらに受け取り、頬張っていく。

 熱々で外はカリカリ。中はとろっとした最高の焼き上げだ。

 

「でも本当にウララ先輩が勝って良かったですね」

 

 暫くしてスカーレットが言った。

「ああ、本当によくやってくれた。皆が練習に協力してくれたおかけだ」

 

皆、自分の練習があるにも関わらず、それでもウララのために一緒に頑張ってくれた。それにどれだけ助けられたか。

 

「でもやっぱり一番は、ウララ自身が頑張ってくれたおかげだよ」

 

 俺はそう言って、隣にいたウララの頭を撫でた。正直、ウララをモノにするためには、時間が無さすぎた。それをどうにかするには最低限の問題を解消し、あとは本人のポテンシャルにかけるしかなかったのだ。そしてウララは俺の言うことをよく守り、走り抜いてくれた。

「頑張ったな、ウララ」

 

「えへへへ。初めて勝ったよ」

 

「嬉しかったか?」

 

「うんっ! レースはいつも楽しいけど、勝つともっと嬉しかったよ!」

 

「そうか。よかった。俺も嬉しいよ」

 

俺はそう言ってウララの頭を撫でた。気持ち良さそうに目を細めながら、ウララは頬を緩めて破顔した。

「ちょいちょい、トレーナー。頭を撫でたい気持ちも分かるが、ウララやってもう中等部3年なんやで。子供扱いしちゃ失礼やろ」

 

「おお、すまんウララ」

 

確かにそうだと思い、俺は慌ててウララの頭から手を離した。

 

「え? ウララは大丈夫だよ?」

 

 だがウララは首を傾げてそう言った。

 

「ウララ、トレーナーに頭を撫でられるの、気持ちよくて好きだよ」

 

「そ、そうか。よかった」

 

嫌だったらどうしようと思ったが、杞憂だったようだ。ヘタすりゃセクハラ扱いを受けるかもしれんしな……ウララでよかった。

 

「ねぇ、トレーナー。またレースで勝ったら頭を撫でてくれる?」

 

「ああ、勿論だ。いつでも撫でてやるよ」

 

 上目遣いでそう尋ねてきたので、俺はそう答えてこらまた頭を撫でてやる。

 

「ほう……」

「へぇ……」

 

「あらあら……」

 

すると、何故かオグリとスカーレットとグラスからそんな声が聞こえてきた。

何かとそちらを見ると三人が真剣な表情で、こちらに視線を向けていた。

 

「ど、どうしたんだ皆」

 

三人の凄みのある顔に、俺は思わずたじろいでしまう。

 

「なんでもないって。次のレース頑張ろってやつや」

 

タマが簡単にそう言ったが、そうは見えないのですが……それはそれとして。

 

「次のレースはいよいよチームレースだ」

俺のその言葉に、皆が息を呑んだ。タマもたこ焼きを焼く腕を止めて、静かに聞いていた。

 

「アンタレスが最後にチームレースへ参加したのはもう、5年も前だ。そのときのメンバーはもう残っていない」

 

マルゼンが抜けてからチームは一人抜け、二人抜け……半年で0人となった。それからタマが来るまでの半年間は、文字通りの暗黒時代だった。タマが入ってからもウマ娘は戻らず、オグリやグラスが入るまで一年を要した。そして今年、ようやくスカーレットとウララが参加し、チーム・アンタレスは規定の数を揃えたのである。

 

「本来ならチームに誰もいなくなった時点で、アンタレスは解散しなくてはいけなかった。しかし今までのマルゼンの功績で、何とか存続を許して貰っていた」

 

他のトレーナーたちから見れば変に贔屓されているように見えただろう。実際、俺への当たりは強かった。

 

「そしてお前たちが入ってからは、各個人がレースで活躍していたから、存続できていた。全部、皆のおかげだ」

 

 タマがまず活躍し、オグリが持ち前のスター性でレース盛り上げた。

 あまりよくは思わなかったが、マルゼン二世と呼ばれるグラスが俺のチームに入ったのも話題になった。あれだけ嫌がっていた『怪物二世』の渾名を、グラスはチームの名が売れるならと笑って許してくれるようになった。

 何もしてやれない自分が情けなかった。

 結局、ウマ娘の自力におんぶにだっこなのかと悩んだ時期もあった。

 

「……俺に出来る事は皆にチームでも勝たせてあげることだけだ。その練習はしてきたつもりだ。だから俺は皆なら勝てると思っている……だから……」

 

 一呼吸。そして皆の顔を一人ずつ見て、言った。

 

「チームレースを楽しんできてくれ」

 

 しばしの沈黙。

 それを破ったのはタマだった。

 

「何言っとんや。ウチらはトレーナーが育てたウマ娘やぞ。楽しんで勝ってくるに決まっとるやろ!」

 

 屈託のない満面の笑み。この笑顔に俺はどれだけ救われてきただろうか。

 

「安心してくれトレーナー。きっと勝つ。勝ってみせるさ」

 

「……マルゼン先輩が成したチームでのURA制覇。これをしなくては、あの人を超えたことにはなりませんからね」

 

「アタシは個人でもチームでも一番になるって決めたのよ! それを支えるアンタが弱気になってどうするの!」

 

「ウララも頑張るよ! 皆で一番を目指そうっ!」

 

 ……目頭が熱くなった。

 本当に。本当によく、こんな俺に皆が付いてきてくれた。

 彼女たちに報いるのは勝たせてあげるしかない。

 アンタレスをかつてのマルゼン時代以上のチームへと変えていくのだ。

 苦しい、しかし皆となら出来る気がした。

 

「さ、さっさとたこ焼き食った方がいいで。冷めたら不味なるからな」

 

 タマがそう言って再びたこ焼き作りを再開する。

 すぐに部屋の中がソースの良い香りに包まれた。

 

「皆、ありがとう」

 

 俺がそう言うと、皆は花のように笑った。

 その日、和やかな雰囲気のまま、ウララの祝勝パーティーは続けられたのだった。

 

 …

 ……

 …………

 

「勝ったら私も頭を撫でて貰えるのか……」

 

「うふふ、トレーナーさんに……」

 

「勝ってなでなでよ……絶対に負けられないわ……」



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アンタレスの帰還

遅くなって申し訳ありません。

しかしタマモクロスの実装はいつになるんだと運営に小一時間(以下略)


 トレセン学園には数多くのチームが存在し、様々な学年のウマ娘たちが在籍している。

 チームは所属しているウマ娘達の成績と、チームレースで得た得点によってランクが付けられ、それによって待遇もかなり変わってくる。

 チームランクはS・A・B・C・D・Eの6つに分類され――その中でもB1とかB2とか細かく分かれているのだが――チームは同じランクのチームレースにしか出られないのである。

 我がチーム・アンタレスのランクは現在『C』である。チームの格としては真ん中くらいだ。

 タマやオグリという個人レースで大活躍したウマ娘がいながら、このランクは低すぎるといってもよい。だがそれも仕方ないことだった。何せ俺のチームはマルゼンが抜けて以降、まともにチームレースに出ていないのだから。むしろそんな状態でチームの存続を許してくれた挙げ句、Cランクから再出発させてくれるのだからトレセン学園の懐は広い。

 

「このレースで勝てばアンタレスも一先ず安泰だな」

 

 横にいた三鷹が言った。

 現在、俺達はトレーナー専用の観覧席でグランドを見下ろしている。もうすぐ先鋒のウマ娘がパドックに入り、レースが始まる予定だ。

 

「最初は短距離。出場するのはウララちゃんか・・・・・・」

 

「ああ、短距離に適性があるのはウララしかいなかったからな」

 

 その分空いたダートにはオグリ。マイルにはスカーレット、中距離はタマ。そして今回の大将戦である長距離にはグラスを出場させる予定になっている。

 

「どうした、自信ないのか? 震えてるぞ」

 

「自信というか・・・・・・皆を信頼はしている。でもやっぱり久々のチームレースだ。緊張するだろ・・・・・・」

 

「お前が緊張してどーすんだ。トレーナーは黙ってウマ娘を送り出してやればいいだろ」

 

「そうなんだが・・・・・・」

 

 チラッと観客席の方を見る。普段は数も疎らなランクCのチームレースに、今日は満員に近い人数が入っていた。

 いつもは来ない他のトレーナーや記者たちが特に多い。

 目的は明らかに俺のチームである。

 

「そりゃあのオグリやタマモクロスがチームレース初参戦となりゃ、見に来るだろうさ」

 

 今まで個人レースで大活躍してきた彼女達が、初めてチームレースに出場するのだ。

 注目するなと言うのが、無理な話である。

 

「勝っても負けても記者からすれば美味しいネタ。他のトレーナーは引き抜く気満々ってとこか」

 

「うううう・・・・・・あんまりいい気持ちじゃないな」

 

「ま、そんなに気にしなくてもいいだろ。後はお前が育てたウマ娘しだいさ」

 

 三鷹がそう言ってポンと、俺の方を叩いた。

 せめて皆はレースを楽しんで欲しい。そんなことを考えながら、俺はこれから始まる大レースに思いを馳せるのだった。

 

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 

 チーム・アンタレス控え室。

 既に勝負服に着替えたウマ娘達は、タマモクロスを中心に集まって顔を見合わせていた。

 

「皆、いよいよウチらアンタレスの初陣や」

 

 いつもは明るいタマの真剣な表情。その言葉を聞く皆の顔も強張っていた。

 

「トレーナーは結果なんて気にせず楽しんでこいみたいなことを言っとったが・・・・・・ウチはそうは思わん。勝って当然のレースやと思っとる」

 

 実力的にウララ以外は皆、ランクAにいてもおかしくない面子である。

 そんな彼女達がランクCのチーム戦で戦う。もし負けてしまえば、世間から何を言われるだろうか。

 

「トレーナーのことを未だに色々言う奴も仰山おる。ここで負けてしもうたら、アンタレスは・・・・・・トレーナーは・・・・・・」

 

 それ以上、タマは言わなかった。だが何を言いたいのかは皆に伝わったようだった。

 

「ウチはトレーナーに会ってからレースで結果を出せるようになった。もしあの時、トレーナーと出会わんかったら田舎に帰っとったかもしれん。今、ここにこうしておられるのはトレーナーのおかげや」

 

 トレーナーとタマモクロスの付き合いは長い。それこそオグリ加入までたった二人でチームの旗を守っていたのだ。

 

「ウチの夢はレースに勝って家族にいい暮らしをさせてあげることやった。その夢はトレーナーのおかげで叶った。次はトレーナーの夢を叶えてあげる番や」

 

 タマが拳を突き出した。するとオグリが。さらに他の皆も拳を重ね合わせていく。

 

「チーム・アンタレスをもう一度マルゼン先輩がおった時みたいに・・・・・・いや、それ以上のチームにする。そのために、ココは負けられん。皆、ええな?」

 

「ああ、勿論だ」

 

「負けるわけにはいきませんね」

 

「絶対、皆で勝ちましょう!」

 

「頑張ろうね、みんな!」

 

「いよぉし! アンタレス、出陣や!」

 

 タマのかけ声と同時に五つの腕が天に向かって上げられる。

 新生チーム・アンタレスの最初の戦いが始まろうとしていた。

 

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 

『おーっと最終コーナーを回って抜け出してきたのはハルウララだ! 内側からトップを一気にぶち抜いていく! 一気にごぼう抜きで先頭だーっ!』

 

『さすがのオグリキャップ、今回も圧倒的だ! 久々のダートでのレースと危惧されましたが、圧巻の走りで見事一着に輝きました!』

 

『ダイワスカーレット、ここで一気に勝負を決めるか!? 最後の直線に入ってもその脚力は衰えない! 二番手との距離をぐんぐん引き離し、今一着でゴール! ダイワスカーレット初めてのチーム戦で素晴らしい勝利を見せました!』

 

『チーム最古参としてここは負けられないタマモクロス! 速い速い! うごめくウマ娘たちを躱し躱し、一躍トップに躍り出た! 白い稲妻、未だに健在だ! 浪速の怪物・タマモクロス、ゴールまで一直線だーっ!』

 

『アンタレス大将・グラスワンダー、力強い走りで一気に最終コーナー差しきった! そのまま凄まじい末脚でぐんぐん後方を引き離し、ゴールっ! アンタレス、完封勝利だ!』

 

『数年の沈黙を破り、チーム・アンタレス、ここにふっかーつ!!』

 

 正に圧倒的だった。

 アンタレスの皆は期待以上のレースで、完全勝利を達成してくれた。

 スタンド内には凄まじい歓声。勝利したウマ娘達には多くの記者が群がってきている。

 そんな様子を俺は呆けたように見つめていた。

 

「さすがお前の育てたウマ娘たちだ。景気よい初陣じゃねぇか」

 

 三鷹がそう言って肩をポンと叩いた。そこで俺はようやく落ち着きを取り戻したのだ。

 

「ば、馬鹿野郎。皆はそもそもAクラスの実力を持っているんだ。ここのチーム戦で勝てるのは想定済みだ・・・・・・」

 

「・・・・・・お前皆が来る前には泣きやんでおけよ」

 

「うう・・・・・・」

 

 頬を伝う涙を必死に拭いながら、俺はただただ彼女達の晴れ姿を目に焼き付けていた。

 

「あっ! トレーナー!」

 

 取材陣も落ち着いてきたところで、ウララが俺の方に気づいたようだった。

 俺は慌てて目を擦り、笑顔を作る。

 大丈夫だろうか。目は腫れていないであろうかと考えていると、彼女は一目散に俺の胸元に飛びついてきた。

 

「レース終わったよ! 楽しかったー・・・・・・あれ、トレーナーどうしたの? 目が赤いよ?」

 

「い、いやこれは・・・・・・ご、ゴミが入っただけだ! それよりレースお疲れ! よくやったぞ!」

 

 俺は照れくささと涙を隠すように、ウララの頭をわしゃわしゃと撫でた。

 

「えへへ~ウララ頑張ったよ~」

 

 ウララは気持ちよさそうに目を細め、尻尾をパタパタと振った。

 その天真爛漫な様子が微笑ましくて、ついつい可愛がってしまう。

 

「アンタレス、完全復活やな!」

 

「ああ、やったな!」

 

「うふふ、大勝利ですね」

 

「やった! アタシたちの勝ちね!」

 

 遅れてタマが。さらに他の皆も駆け寄ってきた。

 

「ああ、皆良くやってくれた! これも全員がずっと頑張ってきてくれたおかげだ・・・・・・本当にありがとう」

 

「何、照れくさいこと言うんや。それにトレーナーが熱心にウチらを指導してきてくれたから、ここまで走れたんやで」

 

「た、タマ・・・・・・」

 

「タマ先輩の言う通りです。トレーナーさんと私達の研鑽が実を結んだ結果・・・・・・皆の努力の勝利です」

 

「これからも皆で頑張りましょうね!」

 

 グラスとスカーレットもそう言ってくれる。

 

「・・・・・・ありがとう。俺はいい教え子を持った・・・・・・」

 

 また涙ぐんできたので、慌てて顔を逸らして目を擦る。

 本当に皆・・・・・・ありがとう。

 

「と、ところでトレーナー」

 

 するとオグリが珍しく控えめな様子で俺の方へと寄ってきた。

 

「ん、どうしたオグリ?」

 

「いや・・・・・・その・・・・・・な・・・・・・」

 

 オグリはおずおずといった感じでウララの方を見る。

 ウララは俺に頭を撫でられてながら、ぎゅっとこちらに身を寄せていた。

 

「れ、レースに勝ったら、ウララのようにしてくれるという・・・・・・話だったが・・・・・・」

 

「え?」

 

「ああ。そう言っていたはずだが・・・・・・」

 

 そう言いながらオグリはずいっ・・・・・・と頭をこちらに向けてきた。

 

「・・・・・・えっと」

 

 オグリのよく分からない行動に俺は戸惑い、交互に彼女とウララの方を見てしまう。

 あ、もしかして。

 

「・・・・・・ウララみたいに撫でて欲しい・・・・・・とか?」

 

「・・・・・・・・・・・・駄目か?」

 

 上目遣いでこちらを見てくるオグリに、俺は面食らってしまう。

 しかし多分違うだろうと思って言ったのに、まさか正解とは・・・・・・でも小っちゃいウララと違ってオグリは高等部で大きいし、頭を撫でるのは・・・・・・待てよ。

 よく考えたら彼女達はウマ娘とはいえ、まだ10代。

 本来ならまだ親に甘えたいお年頃だ。しかしトレセン学園は全寮制で必然的に親元から離れて暮らさなければいけない。そのために誰かに甘えたい欲求が貯まってしまうのだ。

 

「そうか、分かった。こっちへおいで」

 

 おこがましいかもしれないが、せめて父親代わりにはなってあげないとな。

 そう思った俺はちょいちょいと手でオグリをこちらに誘った。

 彼女は少しだけ頬を赤らめながら、近くまで寄ってきた。

 

「よくやった。偉いぞ、オグリ」

 

「ん・・・・・・」

 

 俺は優しくオグリの頭を撫でた。芦毛の髪がサラサラで気持ちいい。

 

「・・・・・・ふふふ、これは中々いいものだな」

 

「そ、そうか。喜んで貰えるなら、俺も嬉しいよ」

 

 満足そうに顔を緩ませるオグリに、俺も何だか嬉しくなる。

 そのままわしゃわしゃ撫でていると、オグリも尻尾を振って喜んでくれた。

 

「トレーナーさん。私もお願いできますか?」

 

 すると今度はグラスが横にやって来た。

 

「え、グラスもか?」

 

「ええ。私も今回のレース、誠心誠意頑張りました。なので、トレーナーさんからご褒美を頂きたいと」

 

「そ、そうか・・・・・・でもこんなコトでいいのか? レースでの賞金もあるし、欲しい物だったら」

 

「いえ、これでいいのです。よろしくお願いしますね」

 

「あ、ああ・・・・・・」

 

 俺はそのままグラスの頭へと手を伸ばした。栗毛のふわふわした感触が心地いい。

 

「うふふふふ。ありがとうございます~」

 

 グラスは気持ちよさそうに目を細めて、緩やかに微笑んだ。

 そういえばグラスは帰国子女で両親は海の向こうにいる。普段は真面目でしっかりしているように見えるグラスも、もしかしたら寂しかったのかもしれない。

 

「グラス。俺で良かったらまたいつでもこうしてやるからな」

 

「・・・・・・・あらあら、それは・・・・・・楽しみですね」

 

 何やら含みのある笑みを浮かべながら、グラスは耳を嬉しそうに動かした。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

「あら、どうしたのスーちゃん」

 

「へっ!?」

 

 グラスがスカーレットの方を見て言った。

 彼女から話を振られたスカーレットはびくりと肩を震わせて、素っ頓狂な声を上げた。

 

「先程からトレーナーさんの方を見ているけど・・・・・・スーちゃんも撫でて貰いたいの?」

 

「はぁっ!? そ、そんなわけないじゃないですか!?」

 

 顔を真っ赤にして声を荒らげるスカーレットだが、グラスはあらあらと余裕の様子だった。

 

「ダスカ、私達はチームだ。チームは一丸となってこそ、チームと言えるだろう。ならば皆で同じ事をするのも、必要なことだと私は思うな」

 

 さらにオグリがそう言いながら、スカーレットをぐいぐいと俺の方に押してくるのである。

 

「お、オグリ先輩! あたしは別に・・・・・・」

 

 そのまま俺の近くまでやってきたスカーレットは、恥ずかしそうに俺の方を見上げてきた。

 

「す、スカーレット。嫌なら別に・・・・・・」

 

「な、何よ! アタシだってチーム・アンタレスのウマ娘よ! トレーナーならウマ娘皆、平等にするもんでしょうが!」

 

「だが嫌なことを強要するのは・・・・・・」

 

「いいからさっさとやりなさい! このばかトレーナー!」

 

 何故か怒られたが、まあそこまで言われたら撫でない訳にはいかないだろう。

 俺はふさふさのツインテールが特徴的なスカーレットの頭を、出来るだけ優しく撫でた。

 

「ふん・・・・・・まぁまぁじゃないの」

 

 頬を朱く染めたままスカーレットはそっぽを向くが、尻尾はち切れんばかりに振れているのでまあ喜んではくれているのだろう。

 

「皆、トレーナーに褒められたいんだね」

 

 俺の腰に抱きついたままでウララが言った。そういえばこの子は何時までくっついているんだろう。

 

「・・・・・・まあチーム皆で同じ事をするというのは一体感が生まれるからな・・・・・・これでチーム全員撫でたわけだし、一旦ホームに戻るか・・・・・・」

 

「ちょいちょいちょい! トレーナー! 何か忘れてへんか!」

 

「おや、どうしたタマ。着替えるなら早く戻った方がいいぞ」

 

「そうやなウチのホームには更衣室もないから早めに戻って、さっさと着替えんと・・・・・・って違うやろ! トレーナー! 誰か一人忘れとるんとちゃうか!」

 

「何を言っている。ここにチーム皆集まっているじゃないか」

 

「それはそうやけど・・・・・・ち、チームメンバー全員が同じ扱いじゃないとあかんのちゃうか?」

 

「おおそうだった忘れていたよ。すまないなタマ」

 

「へへへ、分かればええんや分かれば」

 

 俺は寄ってきたタマの体を持ち上げるとそのまま天高く掲げた。

 

「ほーら、タマちゃん。たかいたかーい」

 

「わぁい。高いなぁ・・・・・・って、なんでやねん! ここは皆と同じように頭を撫でるのが流れっちゅうもんやろ!」

 

「はははははは、そう言ってもな・・・・・・」

 

 俺はタマを抱えたまま続けた。

 

「皆頑張ってくれたの勿論だが・・・・・・その中でもタマは今まで一番頑張ってくれたからな」

 

「え・・・・・・」

 

「長かったもんな。お前と二人で初めてもう五年。そこからオグリが入ってくるまで三年。ずっと俺とお前で頑張ってきたんだもんなぁ」

 

 小さなタマの体を何度か上げ下げしながら、俺は今までのことを思いだしていた。

 マルゼンスキーが去ってからのどん底。そんな中でのタマとの出会い。

 二人でレースに勝ち、チーム再建を目指し走ったタマの中等部時代。

 高等部一年での春秋天皇賞連覇と宝塚記念での勝利。

 ついこの前までの事にようにタマとの思い出が浮かび上がり、俺の脳裏に刻まれていく。 

 オグリもグラスもスカーレットも。この前入ったばかりのウララもアンタレスにとって、俺にとって大事なウマ娘だ。

 だがタマは、やっぱり特別なのだ。

 ずっと一緒に戦ってきた戦友。

 共に辛酸を舐め、勝利のために走り続けていた相棒。

 

「・・・・・・ありがとうな、タマ。そしてすまない。照れくさくて頭を撫でられなかった」

 

「・・・・・・なんやトレーナー・・・・・・こんないい日に泣いとるんか」

 

「ばっきゃろう。これは汗だ。お前こそ目が潤んでるぞ」

 

「アホか。ウチが泣くわけ無いやろ。ウチは浪速の白い稲妻やで? そんな簡単に泣くわけないやろ・・・・・・」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 俺とタマは互いに視線を合わせた。

 宝石のようなタマの瞳から涙がこぼれ落ちそうな時だった。

 

「・・・・・・タマっ!」

 

 おれはそのままタマを抱きしめた。

 

「やったな・・・・・・やったな、タマ~っ!」

 

「ああ! ウチら、やったんや! ようやく・・・・・・ようやくここまできたんや・・・・・・」

 

 二人で思いっきり抱きしめ合う。

 これまでの出来事が走馬灯のように脳裏を流れ、俺もタマも感極まって互いの名前を呼び合った。

 皆の前では泣かないようにしようと思ったのに、どうしてもタマを見ると駄目だったのだ。

 

「・・・・・・少しだけ二人だけにしてあげましょうか」

 

「ああ。トレーナーとタマは悔しいが特別だからな」

 

「あーあ、こんなことするからまた記者達がこっちへ来るわ。でも二人の邪魔はさせないわよ」

 

「皆で二人を守って、後で勝利パーティーだねっ」

 

 他の四人が気を使ってくれたようだった。

 

「・・・・・・後で皆にお礼言わんとな」

 

「ああ、だからあと少しだけ勝利の美酒に酔おうぜ」

 

 今日、ここにチームアンタレスは復活した。

 それは皆が頑張ってくれたからに相違ない。

 俺はトレーナーとして、その幸せを噛みしめ続けているのであった。

 




今回で話は一区切りつきます。

暫くシリアスっぽい空気だったので次は明るい話にしようと思いますので、よろしくお願いします


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マルゼンスキー

第一話から名前は出てきたのに、出番が皆無だったスーパーカーお姉さんの回です。

シリアスは暫く無いって言ったのに、結構シリアスな話になってしまった……申し訳ありません。


『数年の沈黙を破り、チーム・アンタレス、ここにふっかーつ!!』

 

 小さなラジオから興奮した実況の声が聞こえてきた。トレセン学園で行われるレースの殆どはこうやってラジオを通して、外部に放送される。ランクAのチームレースともなればテレビでも放送され、ドリームトロフィーリーグには及ばないものの大きな人気があった。

 ここに一人のウマ娘がいる。

 彼女は掛けていたソファーからゆっくりと立ち上がり、傍らにあるラジオの電源を切った。

 ボリュームのあるウェーブがかった長髪。健康的な肢体に、均整の取れた抜群のプロポーション。

 大人びて整った容姿でありながら、どこか茶目っ気があるような印象の美しい顔立ち。

 かつてURAファイナルズ優勝、URAチームリーグ優勝とトレセン学園を盛り上げ、現在もドリームトロフィーリーグで活躍するウマ娘。

 スーパーカーの異名をとるこのウマ娘こそ、初代チーム・アンタレスのリーダー、マルゼンスキーである。

 

 彼女がトレセン学園に入学したのはもう随分と前になる。中等部でデビューしたマルゼンはすぐに当時の学園で若き天才指導者と呼ばれていた東条ハナの目に止まり、学園最強と名高いチーム・リギルに参加した。この頃のトレセン学園はリギルとスピカが覇権を争う二強時代であり、南坂トレーナーのカノープスはまだ結成されたばかり。後にチーム・ミークを結成する桐生院葵は、新人トレーナーとしてハッピーミークの育成を終えたばかりという時であった。そんな中でリギルに誘われるということは、いかにマルゼンが優れていたのかの証明になるであろう。余談だがこの時同時にシンボリルドルフも新入生として、リギルに参加している。

 マルゼンはすぐにオープン戦に参加し、圧倒的な実力で快勝。その後も様々なオープン戦で抜群の結果を残していった、しかし、彼女が中等部時代参加したレースはその後もずっとオープン戦のみであった。

 これは『中等部の時に基礎をみっちり鍛えてから、高等部で本格的にデビューさせる』という東条ハナの指導方針もあるが、当時のトレセン学園で行われる重賞レースは高等部中心のレースばかりであったことも大きい。今でこそトレセン学園の各重賞レースは中等部の生徒へ門戸を開いているが、当時は高等部と中等部の間にかなりの実力差があると信じられており、中等部はオープン戦で鍛えるというのが中央トレセン学園だけでなく、トゥインクル・シリーズ全体の暗黙の了解となっていた。この悪習はそれこそタマが中等部の辺りまで続いたものであり、理事長の秋山やよいが苦心して撤廃させたものでもあった。

 自身の楽しい走りを追求する。

 それが信条のマルゼンスキーにとって、この現状はあまり快いモノではなかった。走るならやはり大きなレースで色んなウマ娘たちと、思いっきり走りたい。そんな思いを抱えながら、マルゼンスキーは毎日中等部のグランドで練習に明け暮れていた。

 ある日、練習中している自分を面白そうに眺めている一人の青年をマルゼンは発見した。彼女の評判はすでにトレセン学園内では知れ渡っており、無謀にも引き抜きを行おうとするトレーナーや、将来を期待して取材をしようとするマスコミは今まで何人もいた。しかし青年はそういった者たちとは、立ち振舞いが違った。

 楽しそうに。面白そうに。誘い文句も取材要求もせずに、一人でマルゼンの練習風景を見ているのである。彼はマルゼンが練習をしていると、どこからともなくやってきて暫く彼女の走りを眺めると、仲間らしき男に呼ばれて帰っていく。

 不思議な感覚の青年であった。

 その青年はマルゼンより一年早く、トレセン学園のトレーナー学課に入学していた。広島から単身上京してきた彼は、二年間トレーナーとしての教育を受け、その後一年間、桐生院葵の元でトレーナーとして現場を学んだ。そして現在は大勢のウマ娘に簡単な指導をする、サブトレーナーとして一年働いていたのだ。彼はその合間に、何度もマルゼンの走る姿を見に来ていたのである。そしてようやくトレーナーとしてウマ娘を個別で指導できるようになったのは、マルゼンが高等部に進学したときと同じ頃であった。

 ついにマルゼンスキーが本格的にデビューするとあって、多くのトレーナーやマスコミが彼女の元に押し寄せた。この頃、マルゼンスキーは漠然とした不満を東条ハナに募らせていたという。彼女との関係は良好で、チームメイトとも仲は良かったが、思いっきり自由に走ってみたいという欲求もあった。だからこそ多くのトレーナーの勧誘を、彼女は拒まなかった。しかし、マルゼン自身が満足するような誘い方をするトレーナーは中々いなかった。

 そんなある日。

 マルゼンスキーがいつものようにグランドで練習していると、あの青年がいた。

 そういえば、最近見なかった。そんなことを思いながら自然に彼の方へと視線を向ける。

 青年は珍しくピッチリとした背広を身に纏い、顔は目に見えて分かるくらい緊張の色を浮かべていた。まるで初な中学生が初めて好きな相手に告白するような、そんな初々しさが感じられたのだ。

 彼はマルゼンの練習が終わるまでそこで待っていた。そしてマルゼンが走り終わるのを確認すると、こちらへ近付いてきたのであった。前までは様々なトレーナーが勧誘に来ていたが、彼女が首を一向に縦に振らないため最近は数もまばらで、今日は殆ど見当たらなかった。

 

「ま、マルゼンスキーさんですよね?」

 

 青年はガチガチに緊張した様子で尋ねた。本来なら彼の方がマルゼンスキーより年上のはずなのに敬語を使ってきて、しかもそれが妙にしっくりきていた。恐らく精神的に自分の方が年上なのだろう。マルゼンはそう考えた。

 

「そうですけど……どうしました?」

 

 マルゼンがそう尋ねると青年は強張った面持ちで、礼儀正しく直角に頭を下げた。

 

「俺……いや、僕の担当ウマ娘になってください! お願いいたします!」

 

「え?」

 

「一目見たときから、決めてました! 貴方と一緒に駆け抜けたいです!」

 

 それはあまりにも単純で直情的な、勧誘の誘い文句であった。普通のトレーナーなら自分はどんな指導方針だとか、今後のレースや練習環境などをアピールするものだ。だがこの目の前の青年はそのようなことを一切言わず、滾る感情をぶつけてきたのだ。その不器用さにマルゼンは思わず吹き出した。

「だ、駄目ですか?」

 

 不安そうに頭を上げた青年の頭を、マルゼンは軽く撫でた。

 

「そうね、男の人が簡単に頭を下げちゃ駄目よ」

 

 青年は照れくさそうに笑った。ちゃんと立つと自分よりも背が高いし、肩幅も割とある。この人は年上の男性なのだ。だが自分よりもはるかに年下のようにも感じる純粋さがあった。

 

「……少し、話しましょうか。キミも私を勧誘しに来たんでしょう? とりあえず洒落乙なサ店にでも行って、自己紹介からね」

 

「え、あ……はい! でも僕は恥ずかしい話、東京の喫茶店なんて分からなくて……」

 

「うふふ、それならお姉さんに任せなさい! ティラミスが有名なお店があるのよ!」

 

 マルゼンは青年の手を取った。振り返ってみればこの時から、彼を自分のトレーナーにする気があったのかもしれない。

 

「あ、それとその話し方はあまり好きじゃないわ。キミが年上なんだし、トレーナーなんだから。ありのままで喋ってほしわ」

 

 彼が息を呑むのがはっきりとわかった。マルゼンは今まで感じたことの無い高揚感に包まれながら、一歩を踏み出したのだった。

 

 その後、二人は何度か会って話をした。

 時に喫茶店、時に映画館。マルゼンスキーに言われるまま、青年は彼女を様々な場所に連れて行った。

 青年はマルゼンに試されているのだと思ったが、彼女は会って話すたびに楽しそうだった。

 

「ねえ、キミは昔からずっと私を見てたわよね?」

 

「え?」

 

 ある日のこと、マルゼンは青年に尋ねた。

 

「ずっとって、知っていたのか?」

 

「ええ、練習とか模擬レースにも来ていたわよね」

 

「うん……まぁ、そうだな」

 

 青年は照れ臭そうに言った。既にお互いくだけた口調で喋れるくらいの関係にはなっている。 

 

「あんなに見られちゃ、こっちだって意識しちゃうわよ」

 

「う、すまない。邪魔だったか?」

 

「そんなことは無いわよ。でも……毎日ずっと見てたから、気になっちゃって」

 

「うん……ただ……最初は楽しそうに走るなぁと思って見入ってたんだ」

 

 青年は手にしていたコーヒーカップを置いて、思い出すように言った。

 

「それで、いつの間にか夢中になっちゃんだよな。何ていうか……速いとか力強いとかじゃないんだ。ただ、輝いてたんだ」

 

「ふぅん……」

 

「多分、マルゼンは本当に走ることを楽しんでいるんだと思う。勝ちとか負けとか関係なく。そんなマルゼンだからこそ、一緒に走りたかったんだ」

 

 そこまで行って青年は恥ずかしそうに頭を掻いた。

 

「……なんていうか、感情的な考えですまない。でも、俺はそう思ったからマルゼンを誘ったんだ」

 

 その言葉を聞いたマルゼンスキーは目を閉じて暫く考えた後、

 

「ふふふふっ♪ バッチグーよ!」

 

 満面の笑みを浮かべると、青年の頭をポンポンと叩いた。

 

「うっ!? い、いきなりどうしたんだ?」

 

「あらあら、鈍感ねぇ。そんなんじゃトレセン学園じゃやっていけないわよ『トレーナー君』」

 

「……ま、マルゼン。今なんて」

 

「さ、学園に戻りましょうか。トレーナー登録と、チーム移籍の準備をしなきゃね! 善は急げよ!」

 

 どうやら青年はマルゼンスキーのお眼鏡にかなったようであった。

 二人はそのまま学園に戻り、正式なトレーナー契約を結んだ。

 名門チームの注目ウマ娘が新人トレーナーの元へ電撃移籍することは、瞬く間に学園中に広まっていった。

 そしてマルゼンスキーとトレーナーは三年間を駆け抜けた。

 幾つものレースを制し、新しく立ち上げたチームでもマルゼンスキーは抜群の成績を残した。

 個人でのURAファイナルズ優勝。チーム・アンタレスでのURAチームリーグ優勝。

 新人トレーナーとウマ娘とは思えない程の功績を残し、マルゼンスキーは学園を卒業。ドリームトロフィーリーグへと進んだ。

 マルゼンスキーはこの時、青年を専属トレーナーとして共に来てくれるように誘った。しかし様々なウマ娘たちを育ててみたいというトレーナーの意見を尊重して、互いに別れる道を選んだのだった。

 それから数年。

 アンタレスはマルゼンは勿論、最強のメンバーといわれた初代チームが彼女と同じタイミングで卒業した後、チームは凋落の一途を辿った。

 トレーナーもスランプに陥り、かつてはリギルやスピカと肩を並べたアンタレスは急激にその勢力を縮小していった。

 マルゼンが卒業後はお互いが忙しいため、会うことはほとんど無くなっていた。そんなトレーナーが、マルゼンに会いたいと言ってきたのは、チーム最後の一人が脱退した時である。

 久々に会ったトレーナーは見るからにやつれていて、全身から疲れが滲み出ているようだった。

 トロフィーリーグにおいても連戦連勝を重ね、ルドルフ・ミークと並ぶ『三強』と讃えられていたマルゼンとは対照的だった。

 

「実はな……広島に帰ろうか、悩んでいるんだ」

 

 かつて二人で夢を語り合った喫茶店。そこで青年は注文した珈琲に口も付けないで言った。

 

「……そう」

 

 マルゼンスキーは飲もうとして持ち上げたコーヒーカップをゆっくりとテーブルに置いた。

 

「あの後、知ってるかもしれんが……アンタレスはどんどん落ちていってな。もうマルゼンがいた頃みたいなチームは無いんだ」

 

「…………」

 

「きっと俺には実力が無かったんだ。だから皆、離れていった。マルゼンが凄かっただけなんだ……」

 

「……ねぇ、トレーナー君」

 

 マルゼンは静かに青年の顏をじっと見つめた。

 宝石のように美しい瞳に、彼の顔が映って揺れる。

 

「まだ、私の走る姿は好き?」

 

「…………ああ、好きだよ」

 

 青年の脳裏にかつて見た彼女の走る姿が浮かぶ。

 まだデビュー前の練習風景。レースで圧巻の走り。チームレースで走り終えた後の笑顔……様々な思い出が走馬灯のように浮かんでいく。

 

「短い間だけど色んなウマ娘を見てきた……皆、それぞれ光るモノを持っていた。でも、一番はマルゼンだった。あんな夢中になるような走りをするのは――」

 

「そう。キミが求めているのはそれだった筈よ」

 

 じっとマルゼンが青年を見ている。吸い込まれそうになる瞳に、彼は息を呑んだ。

 

「トレーナー君はチームの指導者という重圧にきっと呑まれちゃったの。そして一番大事な事を忘れた。私が楽しく走ることを一番大事にして、貴方はそれを認めてくれた。だからアンタレスは強くなれたのよ」

 

 青年の心にある重たい鎖がゆっくりと溶けていく。そんな感触を彼は感じ始めていた。

 

「思い出して。キミのトレーナーとしての原点を」

 

 彼女の言葉に心が震えた。徐々に思い出してくるのだ。彼の原点。何故、自分がトレーナーになりたいと思ったのか。

 

「そうか。俺は一緒に走りたかったんだ……」

 

 マルゼンの走りを見て、心を鷲掴みにされた。

 理屈ではない、本能で彼女の走る姿に惹かれたのだ。

 彼はそれを見失っていた。ずっと一緒にいたマルゼンはそれに気が付いた。だからこそ、彼も気付いてほしかった。

 

「……ありがとう、マルゼン」

 

「……うふふ、ようやく目が覚めた?」

 

「ああ……俺は弱気になっていた。でも、おかげで決心が着いたよ」

 

 青年は勢いよく立ち上がった。

 

「もう一度、心から夢中になる走りを。ウマ娘を探し出す。実力も成績も関係ない。昔、俺がマルゼンの走りに心惹かれたように」

 

 彼はそのまま伝票を引っ掴むと、マルゼンに昔のように笑顔を見せた。

 

「本当に……ありがとうマルゼン。俺、もう一度頑張ってみるよ。きっとマルゼンに負けない、最高のウマ娘を育ててみせる」

 

「ええ。信じているわ」

 

 青年は軽く会釈するとそのまま喫茶店を後にした。

 一人残ったマルゼンは、珈琲のマドラーを回しながら溜息をついた。

 

「……そこはまた一緒のトレーナーでも良かったんじゃないかな」

 

 そんな事を言いながらも彼女の顔には笑顔が浮かんでいた。

 三年間、苦楽を共にしたからこそどんなに離れようと、どこかで心は繋がっている。

 青年とマルゼンスキーの、目には見えない固い絆だった。

 

 

 口笛が聞こえてきた。

 その音色は風の中を裂くように鳴り、どこか物悲しい。

 まだ寒さも残る初春の空の下、一人の少女がトレセン学園に続く坂道を歩いていた。

 腰まで伸びた長い芦毛の髪と赤と青のリボンを風になびかせ、黒いセーラー服からはみ出た白い尻尾を揺らしながらゆっくりと進んでいる。

 小さな身体に少ない荷物。

 まるで流離の少女に見える彼女は、ただ一人。北風に立ち向かうようにトレセン学園の門へと向かって行く。

 襟元に縫われた白い稲妻。

 彼女の名は――

 

 …

 ……

 …………

 

 あれから数年。 

 俺はマルゼンスキーと同じように心惹かれた一人のウマ娘を、チームに誘った。 

 彼女、タマモクロスは完全に落ち目だったチーム・アンタレスに参加してくれた。そしてもう五年近く、一緒に走り抜けてくれた。

 タマ以来、俺は自分が理屈抜きに心惹かれたウマ娘だけを勧誘してきた。

 オグリもグラスも、ウララだってそうだ。

 スカーレットは自発的に来てくれた娘だったが、初めて彼女の走りを見た時は一発で気に入ってしまった。

 そして今、ようやくアンタレスはかつての栄光を取り戻し始めた。

 全てはタマを始めとする、今のメンバーの頑張りのおかげである。

 だが、あの日。

 マルゼンが俺に忘れていた気持ちを思い出させてくれなければ、アンタレスはそこで終わっていたかもしれない。

 そう思い、俺は空を見上げた。 

 この青空のどこかで、今でも最高の走りを目指しているであろう最初の相棒の顔を思い浮かべて。

 

「ありがとう、マルゼン」

 

 …

 ……

 …………

 

「おめでとう、トレーナー君」

 

 マルゼンスキーは微笑すると同じように空を見上げた。

 心地のいい風が頬を撫でる。

 もう春は訪れたらしい。




タマのシーンは某ボクシングマンガの冒頭をイメージしています。
Opの『美しき狼たち』は名曲。

あと、アンケートをします。今後の展開についてです。よろしくお願いします。


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女の魅力

 お待たせして申し訳ありません。

 アンケートご協力ありがとうございます!

 投票の結果『基本的にコメディで、時々シリアス』が一番投票数が多かったので、基本はこのスタイルで行かせて頂きます。ですが、シリアスがない方がいいという票も多かったので、たまにあるレース以外は基本コメディになる予定です。ハードな展開も無い予定・・・・・・


ちなみに今回はネタ回です。




 アンタレス復活から数日後。

 あのチームレースの直後はチームや各個人に様々な記者や、引き抜き目的のトレーナーがひっきりなしにやってきて落ち着かなかったがようやくそれも収まってきた。そんな頃だった。

 

「久々! よく来てくれたな、アンタレスのトレーナー! 先日のチームレースは見事だったぞ」

 

 俺は秋川理事長に呼び出され、理事長室へと足を踏み入れていた。

 タマモクロスと同じ位小さな身長の彼女は口では歓迎してくれているようだが、表情は険しく苦々しかった。

 そしてそれは横に控えている秘書のたづなさんも同じである。

 

「はい。ありがとうございます。これも全て理事長とたづなさんにチームの存続を認めて貰えていたらかです。本当にありがとうございます」

 

「うむ! 私もたづなもキミの才能を評価していたから鼻が高いぞ! まあそれはそれとして・・・・・・」

 

 理事長とたづなさんは零落したアンタレスの存続をずっと気にかけてくれた恩人だ。

 二人が俺を何かと庇ってくれなかったら、きっと今の俺たちは無い。

 一生をかけて恩を返さなければいけない相手。なのだが・・・・・・今日の二人は何か様子がおかしかった。

 どこか不機嫌で、なのに気まずそう。そんな不思議な感じだった。

 

「まずはコレを見て欲しい。今日発売されたという雑誌だ」

 

 そう言って理事長が差しだしたのは、いかにも三流と言った週刊誌だった。

 

「な、何ですかコレは」

 

 さすがの俺も困惑し、理事長に聞き返す。だが理事長はまずは見ろというだけだった。

 訝しみながらも俺はパラパラとページを捲っていく。内容は表紙から想像できるような低俗の内容で、男性客がメインなのか過激なエロ記事も多かった。何でこんなモノを・・・・・・と思っていた時だった。

 

《特集! 期待のエロウマ娘! 走ってるだけで興奮できるエロ娘はコレだ!》

 

 そんな最低の記事が目に入ってきた。

 簡単に言うと、この三流雑誌の記者共がそれぞれ一押しのエロいウマ娘を紹介するというクソみたいな企画である。

 様々なウマ娘が明らかに盗撮であろう練習風景の写真と共に紹介されているのであるが、俺はその中で一人のウマ娘に目が釘付けとなった。

 この記事はランキング形式で、個々の記者基準でウマ娘が紹介されているのだが、一位に輝いているウマ娘に俺は見覚えがあった。

 

 ――1位・ダイワスカーレット。

 

 エロい! とにかくエロい!

 中等部とは思えない巨乳。今後に期待。

 ムチムチボディに悩殺! 間違いなく一番の色気。

 セックスシンボルの具現化。

 

「・・・・・・なる程。つまり俺はこの出版社に焼き討ちをかければいいんですね?」

 

「落ち着け、トレーナー! 気持ちは分かるが一度冷静になるんだ!」

 

 理事長はそう言うが実際、自分の担当するウマ娘がこんな風に書かれたら怒らないトレーナーはいないと思う。

 しかもスカーレットはまだ中等部。そんなまだ子供であろう少女を盗撮してエロ目線で見るなど言語道断。処刑に値する。

 

「現在、我々が抗議してこの雑誌を回収するように手を回している。君に頼みたいのはこのようなモノが教え子たちの目に入らない様にすることだ」

 

「確かにこんな最低な雑誌を本人に見せるわけにはいかないですからね」

 

「ああ、君を呼んだのはこの雑誌でピックアップされているウマ娘達に、アンタレスのメンバーらがいたからだ。彼女たちのためにも、気をやってやってほしい」

 

「わかりました、ありがとうございます……ところで、今メンバー『ら』と仰いましたが……」

 

 俺がそう尋ねると理事長は無言で目を逸らし、たづなさんが苦しげに頷いた。色々察した俺は、ページをパラパラ捲っていく。そしてその記事はスカーレットの頁から数ページ先にあった。

 

《番外編! コイツだけは無し! 不人気ウマ娘!》

 

 ――1位・タマモクロス

 

 小五月蠅いチビ。

 背無し、胸無し、色気無しの三重苦。

 声が絶望的に汚い。

 なんとエロ一位のダイワスカーレットと同じチーム。完全に公開処刑(笑)

 

「……理事長。たずなさん。俺、多分実刑を受けると思うんで、皆の事よろしくお願いします」

 

 俺は二人に丁寧なお辞儀をすると歩き出した。

 嗚呼……今ならフラ○デーに乗り込んだ○けしさんの気持ちが分かる気がするよ……

 

「冷静! 落ち着くんだトレーナー! キミが一人で行って何とかなる問題では無い!」

 

「大丈夫ですよ理事長。俺は最悪、スカーレットとタマの記事を書いた奴を血祭りにあげられればいいんで」

 

「頭を冷やして下さい、トレーナーさん。この雑誌には私達が鉄槌を下すので、貴方は教え子達のケアをお願いします」

 

 たずなさんもこの低俗雑誌に対して怒っているのか、いつもより口調が鋭利である。そのおかげか。俺も少しだけ落ち着くことが出来た。

 

「・・・・・・分かりました。このクソ週刊誌が皆の目に触れないようにします。教えて下さり、ありがとうございます。それでは・・・・・・失礼します」

 

 俺は頭を下げて、理事長室を後にした。

 腕時計をチラリと見ると、もう時刻は16時30分を迎えていた。本来なら皆はもう練習を初めている頃だろう。

 両手で顔をパンパン叩くと、俺はチーム・アンタレスのホームであるプレハブ小屋へと向かうのであった。

 

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 

「皆、おつかれーっ。遅くなってすまなかった・・・・・・」

 

 そこまで言って俺は口を閉じた。

 場所はアンタレスのホーム、校庭の端に造られたプレハブ小屋。いつもならタマがオグリのために何か軽い食べ物を作り、皆が練習のための準備をしているハズであるが・・・・・・今日は異様な雰囲気に包まれていた。

 

「・・・・・・何かあったのか?」

 

 思わず俺がそう呟いてしまうほど、現場は混沌としていた。

 

 まず目に入ってくるのは長机に突っ伏すスカーレット。

 そんな彼女の肩や背中を擦っているオグリとウララ。

 姿の見えないタマ。

 そして部屋の奥で無言のまま薙刀の刃を研ぐグラス。

 

 一体どうしてこんな異様な状況になっているのか。

 俺がそう思っていると、机の上に置いてあるとある雑誌が目に入ってきた。

 見覚えがある。つい数分前に、理事長室で見たあの雑誌である。

 

「な、なんでコレが・・・・・・」

 

「ごめんねトレーナー、ウララが持ってきたの。ダスカちゃんが載っている聞いて・・・・・・」

 

 ウララが申し訳なさそうにそう言ってきた。きっと天真爛漫な彼女のことだ。この雑誌と中身の記事の事なんて、知らなかったんだろう。

 

「それで・・・・・・スカーレットはこの中身を読んだのか?」

 

「・・・・・・・・・・・・うん」

 

 気まずそうにウララが答えてくれた。

 いつも元気で明るいこの娘が、何とも言えない表情で言ってくるのはある意味、現状のやばさを物語っている。

 

「最初は憤慨していたダスカだったが、記事を読んであまりの生々しさに恥ずかしさの限界が来たようでな・・・・・・」

 

 オグリも困り顔で言ってくる。

 そうか・・・・・・まあしっかりしているといえ、スカーレットはまだ中等部1年生。あんなドギツイ内容じゃ、初心な彼女では耐えられないだろう。

 

「す、スカーレット・・・・・・大丈夫か?」

 

 俺は出来るだけ気を使いながら話しかける。彼女は耳まで真っ赤にしており、突っ伏しているからか表情は見えなかった。

 

「・・・・・・もう」

 

 そんな中でスカーレットは絞り出すように言葉を吐きだした。

 

「もう・・・・・・お嫁に行けない・・・・・・」

 

「・・・・・・・・・・・・そ、そんなことないぞスカーレット・・・・・・」

 

「・・・・・・見たの?」

 

「あの記事、見たの?」

 

「あ、ああ・・・・・・」

 

 俺がそう答えた瞬間、スカーレットはがばっと跳ね起きて俺の襟元を掴んだ。

 突然の乱心に俺が硬直した直後、彼女は涙目で顔を真っ赤にしながらぶんぶんと俺の体を揺り動かした。

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁんっ! 見たんだぁっ! あんたには絶対見られたくなかったのにぃぃぃぃぃっ!」

 

「おおおお落ち着けスカーレット! 確かに読んだけどあんな低俗な記事はあばばばばば!」

 

 ウマ娘のパワーで体を振り揺らされては、人間などひとたまりも無い。

 脳が揺られるような感覚に陥り、世界がぐわんぐわん回るように視界が震える。

 

「落ち着けダスカ! トレーナーが危ない!」

 

 オグリが力尽くで俺とスカーレットを引き剥がす。俺はそのまま床に突っ伏し、腹の奥からこみ上げてくる何かを必死で抑えた。ああ・・・・・・コレはきっと昼に食べたきつねうどんだ・・・・・・

 

「トレーナー大丈夫?」

 

 ウララが背中を優しく擦ってくれる。そのおかげでどうやら最悪の事態は防げそうだ。

 

「う・・・・・・うう・・・・・・」

 

 オグリの腕の中で泣くスカーレットに、俺はよろめきながらも近づいて肩を優しく擦った。

 

「いいか、スカーレット。世の中にはとんでもない馬鹿がいて、そんな馬鹿にモノを売る商売というものも存在するんだ」

 

 俺の言葉にスカーレットは顔を上げた。

 泣いていたからか両目は紅くなっており、その表情を見るだけで何か罪悪感がこみ上げてくる。

 

「そんな馬鹿の書いた記事なんて、ナンバー1を目指すお前が気にするようなことじゃない。お前とこのクソ雑誌を読む奴らなんて、一生関わることなんてないし、お前が気にするようなことじゃないんだ」

 

 彼女の頭を撫でながら、俺は言い聞かせるようにそう言った。

 

「スカーレット、お前は一番を目指すんだろう? ならこんな底辺のクソ記事なんて気にしていちゃ駄目だ」

 

「・・・・・・でも・・・・・・」

 

「スーちゃん。トレーナーさんの言う通りよ」

 

 いつの間にか白装束に着替えたグラスが、薙刀を手にしてやって来た。

 

「この先、スーちゃんが勝利を重ねて名前が売れる度にこういった輩は増えてくるわ。でも、こんな人達の事を気にしている暇は、貴方には無いでしょう?」

 

「グラス先輩・・・・・・」

 

「でも安心して。スーちゃんはきっとトレーナーさんが守ってくれる。勿論、トレーナーさんだけじゃなくて、私もチームの皆も同じ気持ちよ」

 

 ね、とグラスはこちらの方にウインクしてきたので、俺も大きく頷いた。

 

「だからもう落ち着いて。いつもの明るくて真面目なスーちゃんが皆、きっと好きだから」

 

「グラス先輩ぃ・・・・・・」

 

 スカーレットは涙を拭うと、ようやく落ち着いたようだった。

 オグリとウララがほっと肩を降ろす。

 グラスは何だかんだ言って、やはり良い先輩なんだなぁと思う。

 

「さ、トレーナーさんもコレを」

 

 すると彼女はそう言って薙刀を俺に渡してきた。

 

「行きましょうか」

 

 にっこりと微笑むグラスに俺は彼女の真意を悟って、大きく頷いた。

 

「俺が先陣を切るから、グラスは後方を頼むぞ」

 

「はい。敵将の首はトレーナーさんに任せますね。私は後顧の憂いを絶つので・・・・・・」

 

「待て待て、どこに行く気なんだ二人とも」

 

 出陣しようとする俺たちをオグリが慌てて止めた。

 

「何処って・・・・・・今からこのクソ雑誌の編集部に突撃を・・・・・・」

 

「落ち着け、トレーナー。そんなことをして何になる」

 

「オグリ先輩。私は可愛い後輩を侮辱されて黙っていられるほど、出来たウマ娘ではありません。不埒者には鉄槌を」

 

「落ち着くんだ、グラス! トレーナーも止めてくれ!」

 

 基本天然なオグリがツッコミに回るという異常事態であるが、それ程グラスがブチギレているのだからしょうがない。

 まあ俺もキレているんだから、同じなんだけど。

 

「大丈夫、二人とも。顔がとっても怖いよ?」

 

 ウララが怯えながら、顔を見上げてきたので俺は優しく彼女の頭を撫でた。

 

「ウララ、男なら戦う時が来るんだ。誇りを守るために、命を賭けて」

 

「い、命?! 駄目だよっ! トレーナーもグラスちゃんも、死んだら駄目だよ!」

 

 優しい彼女は必死でそう言ってくれるが、もはや怒りのスーパーモードになった俺たちを止める事は出来ない。

 グラスと肩を並べ、いざ出陣しようとした時であった。

 

「トレーナー、グラス先輩! アタシはもう大丈夫です! ですから落ち着いてください!」

 

 両手を拡げて俺たちの前に立ち塞がったのは、当のスカーレットだった。

 

「す、スカーレット。もう平気なのかッ?」

 

「当たり前じゃない! アタシを誰だと思ってるのよ! アンタレスの一番槍、ダイワスカーレットよ!」

 

 先程までの狼狽ぶりは消え去り、いつもの自信満々なスカーレットの姿がそこにあった。

 

「一番になるまでには、色んな人にどんなことを言われるのか分からない・・・・・・その中でたかが一雑誌の記事にいつまでも気にしてたら駄目よね」

 

「・・・・・・ああ、そうだな。それでこそダイワスカーレットだ」

 

「グラス先輩もありがとうございます。おかげさまで、自信を取り戻せました」

 

「うふふふ、良かったわスーちゃん」

 

「はい! 先輩のおかげです! ですから討ち入りは・・・・・・」

 

「ええ、貴方が大丈夫なら私もそこまでしないわ」

 

 手を取り合って喜ぶ先輩後輩の姿。

 その様子を見たオグリとウララもほっと胸を撫で下ろす。

 どうやら一件落着のようだ・・・・・・スカーレットの方は。

 俺は今日、この部室に来てずっと気になっていた事を指摘することにした。

 最初から誰もが触れてこなかった事を。

 

「・・・・・・タマはどこにいるんだ?」

 

 俺の言葉に場が一気に凍った。

 オグリもグラスもスカ-レットも、ウララまで無言で目を逸らしていく。

 先程のスカーレットを慰めている時よりも重苦しい空気が流れた。

 何せ今日俺はここに着いてからタマの顔を一度も見ていないのだ。

 気になるのは当然なのだが、あまりにも誰もタマについて言及しないので妙な不安が脳裏を過ぎった。

 

「・・・・・・トレーナー」

 

 ウララが俺の袖をクイクイと引っ張った。

 俺が彼女へ視線を向けると、ウララは気まずそうに部屋の隅を指差した。

 今の俺がいる位置からは、長机があって丁度死角になっている箇所。

 そこに俺は向かった。そして目に入ってきたのは。

 

「っ・・・・・・タマ・・・・・・」

 

 死んだような目で、床に突っ伏したタマモクロスの姿であった。

 

「だ、大丈夫かタマ?」

 

 俺の言葉にタマは顔を上げる。

 だがその瞳は濁りきっており、全身からどす黒いオーラを放っていた。

 

「ああ・・・・・・トレーナーやないか・・・・・・」

 

 いつもの明るさは何処へやら、地獄の幽鬼みたいな重い声色でタマはそう言った。

 

「た、タマ。あの雑誌を見たのか・・・・・・」

 

 そう聞かれたタマは虚空を眺め、ああ・・・・・・とだけ呟いた。

 

「・・・・・・まぁ・・・・・・確かにオグリとかクリークはよく男の人から声かけられたり、プレゼント貰ったりしとったもんな・・・・・・」

 

 タマの言う通り、同期のオグリやスーパークリークはよく男性ファンからプレゼントを貰っていた。

 勿論、タマだって人気が無いわけではないのだが、確かに異性のファンからプレゼントとか贈られた事はほとんど無かったな。

 ちびっ子とかおっさんには絶大な人気があるんだが・・・・・・

 

「それに比べてウチは・・・・・・全然人気ないなぁ・・・・・・そりゃコイツだけは無しとか言われるで・・・・・・」

 

「そ、そんなこと無いぞタマ! 自分に自信を持て!」

 

 卑屈になった親友にオグリがすぐにフォローを入れた。しかし。

 

「オグリは、ええよなぁ・・・・・・芦毛のスターウマ娘として大人気や・・・・・・ぬいぐるみまでなったもんなぁ・・・・・・ウチの方がデビュー先なのになぁ・・・・・・」

 

 オグリキャップぬいぐるみ。発売からすぐに売り切れ続出の大人気商品である。

 

「た、タマ先輩・・・・・・元気を出してください。アタシも色々書かれたけど・・・・・・」

 

 同じ被害者であるスカーレットが今度は話しかけた。

 

「ダスカは・・・・・・まだええよなぁ・・・・・・魅力ランキング一位やし・・・・・・ウチみたいな最底辺の便所コオロギとは違うわなぁ」

 

 だが最低の記事ではあるものの、褒められていたスカーレットと酷評されたタマでは受けとめ方も違うのであろう。

 ますますテンションが下がるタマに、スカーレットも困り顔だった。

 

「どうせウチにはオグリみたいな華も無ければ、ダスカみたいな胸も無い。グラスみたいな気品も、ウララみたいな愛嬌も無い、小うるさいチビなんや・・・・・・」

 

「お、落ち着いてください先輩! タマ先輩には良い所がいっぱいあります!」

 

「じゃかましいわ、ダスカ! でかい乳しよってからに!」

 

「え、ええ・・・・・・」

 

 突然の逆キレに困惑するスカーレット。タマは思った以上に精神不安定のようだ。

 

「タマ先輩、落ち着いてください。こんな低俗な雑誌の評価など・・・・・・」

 

「分かるか、グラス? ウマ娘としての実力じゃなく、女として駄目だしされたんや・・・・・・」

 

 再びダウナーモードに突入したタマにグラスも言葉を失った。

 ここまでヤバい状態のタマを見るのは初めてだろう。俺も初めてだもん。

 

「大丈夫だよ、タマ先輩! ウララだって小っちゃいけど、こんなに元気だよ!」

 

「ウララ・・・・・・」

 

 ウララのよく分からない説得に、タマはようやく顔をまともに上げた。

 しかしタマはおもむろに顔色を変えると無言でウララの胸を触った。

 

「ひゃっ! く、くすぐったいよ-」

 

 くすぐったそうに体を震わせるウララと、対照的に無言のタマ。 

 

「・・・・・・ウチよりあるやないかい!」

 

 そして暫くしてそんな叫び声をあげると、タマは泣きながら走り去っていった。

 

「タマ・・・・・・なんて悲しい現実なんだ・・・・・・」

 

「変な事言っている場合じゃないでしょ! どうするのよ!」

 

「・・・・・・俺が追いかける。タマの行きそうな所は大体分かるからな。皆は悪いが先に練習しててくれ」

 

 俺はそう言うと部室を出るのであった。

 

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 

 今でこそタマモクロスはレースで連戦連勝であるが、そんな彼女にも駆け出しの時代はあった。

 初めから強いウマ娘なんてほとんどいない。

 タマも試行錯誤して強くなっていったのだ。

 そしてレースで敗れることだって当然ある。

 その度にタマはこの場所に訪れていた。

 

「・・・・・・タマ」

 

 俺の予想通り、彼女はそこに体操座りで佇んでいた。

 学園の片隅にある、小さなベンチ。

 昔はよくそこで二人、語り合ったものだ。

 

「・・・・・・隣、座るぞ」

 

 俺の言葉にタマは何も言わなかったが、俺が横に腰を降ろした。

 

「・・・・・・今まで散々、一緒に色々言われてきたろ。今更あんな中傷なんだ」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 タマは無言のままだ。

 確かに今までレースのことなどでマスコミ達に非難されることはあった。

 だが『女性』としてこき下ろされた事は無いタマは、今回の記事に予想以上にショックを受けたようだった。

 これは不味いな・・・・・・

 俺は大きく溜息をつくと、彼女の小さな肩を叩いた。

 

「いいか、一回しか言わないから。よく聞けよ」

 

 心なしか心臓が高鳴る。

 いつの間にか体中から汗が滲みだした。

 だがタマの元気を取り戻すためには言わないといけないだろう。

 

「いくら世間の男共が、お前を低く扱ってもな――」

 

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 

「皆、ごめんなぁ。取り乱してしもうて」

 

 一時間後、タマはにこやかな顔でたこ焼きを焼いていた。

 今日の練習も終わったアンタレスの部室。そこに全員が集まって、たこ焼きの焼ける芳ばしい香りを楽しんでいる。

 

「よかったです。タマ先輩が元に戻ってくれて」

 

「ありがとなグラス。それにさっき酷い事、言ってしもうた。ほんまにごめんな」

 

「いえいえ。本当によかったです」

 

「ああ、タマが元気になって本当によかった」

 

 早速焼けたたこ焼きを頬張りながら、オグリもうんうん頷いた。

 

「そういえばあの雑誌なんだが、理事長が直々に抗議して回収して貰う。それに出版社にも何らかの措置をとる予定だ」

 

「当然よ。あんなのウマ娘を馬鹿にしてるわ!」

 

 スカーレットが怒りながらそう言った。大分元気も戻ったみたいだ。

 

「でもトレーナーもタマ先輩をよく説得できたよね」

 

 のほほんとウララがたこ焼きを食べながら言った。

 

「確かに、あんな状態のタマの機嫌を直すとは・・・・・・トレーナー、一体何をしたんだ?」

 

 オグリがゴックンとたこ焼きを飲み込んでから尋ねてきた。

 グラスもスカーレットも興味深げにこちらを見てくるので、俺は少々恐縮してしまう。

 

「何、別に特別な事は言ってないで。な、トレーナー」

 

「あ、ああ・・・・・・」

 

 思い出すと小っ恥ずかしいから、あんまり蒸し返さないで欲しい。

 だが、あの時俺が言った言葉でタマは元気を取り戻したのも事実だ。

 多少誇張もしたけど、俺の正直な思いをタマに伝えたつもりだった。

 何はともあれ、これで今回の事件は一件落着だろう。

 後は理事長達に任せよう。

 そう思いながら、俺はタマのたこ焼きを口に放り込むのだった。

 

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・

 

「いくら世間の男共が、お前を低く扱ってもな・・・・・・俺にとってタマは一番魅力のある女の子だよ」



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お出かけ作戦

作者近況

タマ。

俺がタマ貯金を崩したのは、マンハッタンカフェが欲しかったからだ。

俺がタマ貯金を使い果たしたのは、キタサンブラックのサポカを強化したかったからだ。

すまない……


 トレセン学園にある職員室は、一般的な中高一貫校のものよりも遥かに広い空間である。

 理由は簡単でトレセン学園には、普通の教師とトレーナーと二種類の教員が存在するからだ。基本的には教師は教師、トレーナーはトレーナーでハッキリと仕事を分けているが、中には教職とトレーナー両方の資格を持ち、両方の仕事をこなしている猛者も存在する。ちなみに俺はトレーナー専業だ。ウマ娘はトレーニングが一日の大半を占めるため、トレーナーも基本的に彼女たちに付きっきりになる。また専属トレーナーが就いていないウマ娘たちに、簡単な指導を行う授業も行っているため、トレーナー業だけでもいっぱいいっぱいなのだ。

 そんなトレーナーと教師であるが、職員室では分かりやすく席が左右に分かれている。入り口から入って右の方に教師たちが、左の方にトレーナー達が集まっていた。俺の席は左の奥の方にあった。

 

「最近、お前のチーム調子いいじゃないか」

 

「お陰様でな。いずれはお前のベガに追い付いてみせるさ」

 

「そう簡単にはいかないさ。こっちにはカフェやスカイがいるからな」

 

 この職員室には学園に所属するウマ娘のデータが全て記録されており、戦績や脚質などがすぐに分かるようになっている。ここでトレーナー達はお互いにウマ娘の情報を交換したり、時にはレースの予定を見て強豪がいる場合は回避させたり、あるいはわざとぶつけたりしたり……まぁ、早い話がトレーナー同士の交流の場でもあるのだ。

 俺は今日、隣の席にいる三鷹と話していた。席順は同じ年代が集まるようになっているのか、俺の右隣は三鷹が。左隣には同じく同期で桐生院門下生である鮫島が座っていた。

 

「しかしお前のアンタレスも復活。鮫島のタキオンも調子良し。ようやく俺たち桐生院門下生も、様になってきたじゃないの」

 

 三鷹の言う通り俺たち三人は桐生院先輩の一番弟子であり、唯一の教え子でもある。これは桐生院先輩が後進の指導よりも、ウマ娘の指導を優先したためである。

 また俺達三人が色々と悪目立ちしてたのも原因の一つだとも思う。

 何せ新人のくせにリギルから期待のウマ娘を引き抜いた俺に、外見はかなりチャラい三鷹。自分が見つけたダイヤの原石しか指導しないと豪語する変人・鮫島と色んな意味で個性的で、一時期は桐生院三バカ兄弟と揶揄されていた。先輩には申し訳なかったが、それももう終わりだろう。

 

「暫くは大きいレースは無いし、チームレースが中心かな」

 

「ああ、それなんだか……」

 

 三鷹はそこで少し声を潜めて言った。

 

「最近、先生の調子が悪いんだ」

 

「・・・・・・それはチームが? それとも先輩自身が?」

 

「・・・・・・両方」

 

「師匠が調子悪いときは決まってアレだ」

 

 鮫島がさらに声を潜めて話に入ってきた。

 ちなみに桐生院先輩のことを三鷹は先生、鮫島は師匠と呼んでいる。

 

「アレって・・・・・・もしかして」

 

「スピカだ」

 

 苦々しげに三鷹が言うと鮫島が大きく頷いた。

 スピカ、その単語で俺も原因を察して大きく溜息をつく。

 桐生院先輩とスピカのトレーナーとは色々と話があるのだ。

 

「うちの先生もいい加減に諦めりゃいいのにねぇ」

 

「無理な話だろう。師匠にとってスピカのトレーナーは白バに乗った王子様だ。オレがタキオンやキングに運命を感じたように、師匠にとってはあの人が運命の人だったんだ」

 

 鮫島は俺や三鷹と比べ意識が高く、それでいてロマンチストだった。

 俺みたいに授業で不確定多数のウマ娘に指導したり、三鷹のように色んなウマ娘を育てたりしない。本当に自分のメガネにかかったウマ娘しか、関わろうとしないのだ。

 まあ、それで彼の目に止まったのがあの問題児・アグネスタキオンなのだが……。

 あと最近になってグラスの同期でウララと同室のキングヘイローという娘も気に入ったらしく、専属トレーナーを買って出ていた。

 鮫島はこの二人のウマ娘を献身的にサポートしており、日頃から忙しそうだった。

 

「この前もデートに誘おうとしてスピカのウマ娘に阻止されたらしい」

 

「あそこはサイレンススズカやトウカイテイオーがいるからな・・・・・・先生じゃ荷が重いだろう」

 

 三鷹の言うとおり、スピカの先輩はとにかくモテる。

 担当するウマ娘は勿論、桐生院先輩やたづなさんもスピカの先輩に好意を抱いていると噂があった。

 桐生院先輩もあの手この手でスピカの先輩にアピールしているのだが、その度にスピカのウマ娘たちに妨害されているらしい。

 そしてナーバスになった桐生院先輩は、ウマ娘への指導も迷走しチームの調子も悪くなる。

 定期的に起こる問題であった。風物詩とも言う。

 

「ここは門下生として、俺たちが一肌脱いでやらなきゃ駄目だろう」

 

「三鷹、職員室でタバコは止めろ」

 

 ごく自然にタバコを咥えようとした三鷹を鮫島が止めた。そもそも職員室内は禁煙だ。

 

「俺たち三人でどこかへ連れ出して、気分転換をさせてあげるのはどう?」

 

「まあ、それがいいだろうな。先生もトレセン学園に缶詰じゃ気が滅入る。元々、良家のお嬢様で遊びを知らねぇしな」

 

「ふん。お前が軽薄すぎるのだ。三鷹」

 

 呆れたように鮫島は言うと腕時計で時刻を確認する。

 

「そろそろタキオンの実験が始まる時間だ。オレはもう行く。後から予定だけ教えてくれ」

 

 それだけ言うと、鮫島は足早に職員室から出て行った。

 アグネスタキオンからモルモットくんと呼ばれている奴だが、こうも献身的だと色々心配になる。

 

「お前はどうする?」

 

 三鷹が俺の顔を見て聞いていた。

 

「俺も三鷹に任せるよ。桐生院先輩以上に俺は都会に疎いからな」

 

 そう言って俺もアンタレスの部室に向かうために席を立つ。

 もう放課後のチャイムが鳴り、グラウンドにはウマ娘の影がちらほら見え始めていた。

 

「頼むよ」

 

「おう、任せときな。お前は早くタマちゃん達のトコに行ってやれ」

 

 ヒラヒラと手を振る三鷹を背に、俺は職員室を後にするのだった。

 

「しかし、そうなると外出は久しぶりだな」

 

 ふとそんな独り言が出た。

 よくオグリの食料を買いに業務用スーパーに行ったり、レースで外に出たりはするが、それ以外では俺は全く外出しなかった。

 

「あら、トレーナーさん。お疲れ様です~」

 

 すると廊下の角で丁度グラスと顔を合わせた。 

 

「おう、グラスお疲れ様。これから部室へ?」

 

「はい。トレーナーさんもですか? でしたらご一緒に参りませんか?」

 

「ああ、そうだな。行こうか」

 

 俺がそう言うとグラスは嬉しそうに微笑んで、半歩後を付いてきた。本当にお淑やかな娘である。アメリカからの帰国少女であるのに、アンタレスの中で誰よりも礼儀正しく、日本文化に精通しているし……と考えた時であった。

 

「そういえばグラスは茶道で使う道具を買うために、よく学外に出るんだよな?」

 

「ええ……そうですね。何か問題がありましたでしょうか?」

 

「いや、大丈夫だよ。ちょっと今度、街に出ようと思ってね。グラスなら何処に行きたいかなって……」

 

「えっ……」

 

 するとグラスはピタリと歩くのを止めた。

 どうしたのだろうと俺も歩みを止めてグラスを見ると、彼女は頬を紅く染めてモジモジと体を震わせ始めたのである。

 

「そ、それは……わ、私とトレーナーさんとで二人……二人で行くという事でしょうか?」

 

「いや、色々あって桐生院門下生で街に出ることになってな。桐生院先輩が最近調子悪いから気分転換にって……どうした、グラス?」

 

 俺が説明すると先程のまでのソワソワした雰囲気は何処へやら、グラスは耳をしょんぼりと垂らして明らかに落ち込んでしまったようだった。

 

「だ、大丈夫かグラス?」

 

「……はい、大丈夫です。私が先走っただけですので……」

 

 そう言って暫く落ち込んでいたグラスだったが、少し思案したのち何かを思いついた顔になった。

 

「桐生院トレーナーも女性ですので、やはり甘いものがよろしいかと思いますが……」

 

「確かに先輩は結構甘いモノがすきだったな」

 

「やはり……では、最近出来た美味しい甘味処があるんですよ~」

 

「甘味処……」

 

 随分と時代的な言い回しだな。

 

「和菓子と抹茶が楽しめる純和風のお店で、大変人気があるんですよ」

 

「それは……確かにいいかもな」

 

「トレーナーさん、桐生院トレーナーとはいつお出かけになるのですか?」

 

「うーん。多分週末だと思うけど」

 

「……でしたら視察もかねて明日にでも二人で参りませんか? 次のレースまでには時間もありますし」

 

「確かに明日は予定もないし、気分転換にもいいかもな」

 

「そ、そうですか。では二人で……」

 

「それは楽しそうですね! 折角なので皆で行きましょう!」

 

 突然、そんな言葉と共にスカーレットが俺とグラスの間に割って入ってきた。

 

「す、スカーレット。お疲れ様」

 

「ふふ、トレーナーもグラス先輩もお疲れ様です♪」

 

 楽しげに笑いながらスカーレットは俺の腕に自身の腕を絡めてくる。

 女の子特有の柔らかい感触が腕を包み、甘いお菓子のような香りが鼻孔を突いた。

 

「偶然二人の後ろ姿が見えたので追いかけてみてみたら、面白そうな話が聞こえたので……折角ですし、皆で行きませんか?」

 

 先輩であるグラスの前だからか、それとも周りに他の生徒がいるかはなのかは分からないが、スカーレットは俺にも敬語で尋ねてきた。

 しかし彼女の言うとおりチームの皆で行った方が色んな意見を聞けて良さそうだな。

 そんなことを考えていたのだが。

 

「……スーちゃん。流石にこれは失礼じゃないかしら」

 

「抜け駆け禁止は前に先輩が仰った事ですけど、何か問題でも?」

 

「……とりあえずトレーナーさんから離れなさい。歩きにくいでしょ」

 

「ふふふっ、大丈夫ですよ。ね、トレーナー?」

 

「うふふ……」

 

「あはは……」

 

 何かグラスとスカーレットの雰囲気が悪い。

 理由は分からないが、とりあえず空気が張り詰めていくのは分かる。

 不味い。非常に不味い。とりあえずスカーレットを腕から離して仲裁しようとした時だった。

 

「あーっ! トレーナー! それにグラスちゃんにダスカちゃんも!」

 

 嬉しそうな声と共にウララが元気に駆け寄ってきた。

 

「偶然だねっ! 皆も部室に行くの?」

 

 グラスとスカーレットのピリついた空気も何のその、天真爛漫なウララは俺たちの間にトテテっとやって来て嬉しそうに笑っている。

 天使や……俺はすぐさまウララの手を取って、グラスとスカーレットの方に振り返った。

 

「ああ、皆で行こう! ほら、グラスとスカーレットも行くぞ!」

 

 ウララの手を取って部室に向かって歩き出す。とりあえず部室に行こう。そうすればこの空気もどうにか収まるだろう。

 俺の後をウララは嬉しそうに、後ろの二人は慌てたように付いてくる。もうタマがたこ焼きを焼いている時間のハズだ。

 

 …

 ……

 ………

 

「なる程なぁ。確かに暫く外に出ることはレース以外で無かったもんな」

 

「外に出るならまたカフェ巡りがしたいな。ふわふわのパンケーキ……」

 

 タマの作ったたこ焼きを頬張りながら、オグリが言った。

 前にオグリがレースに勝ったお祝いにタマと三人でカフェ巡りをしたものだ。確かにあれは楽しかった。

 

「いいなー、ウララも皆と一緒にお出かけしたいなぁ」

 

「ウララはまだチームに入ったばかりだからな。親睦会をかねて行くのもいいかもしれないな」

 

 隣に座って一緒にたこ焼きを食べているウララの頭を、オグリが優しそうに撫でた。ウララは気持ちよさそうに目を細めている。こう見るとまるで姉妹みたいだ。

 

「まあ暫く目標のレースも無いし、たまにはええんやないか」

 

 タマも今回の件については肯定的なようだ。

 

「じゃあ金曜日の放課後に皆で行くか」

 

「やったぁっ! 皆でお出かけだ! うっららーんっ!」

 

 嬉しそうにはしゃぐウララにタマも、頬を緩ませた。

 桐生院先輩の慰め会は週末だし大丈夫だろう。

 

「しっかし桐生院さんの恋も長いなぁ。トレーナーが学園に来る前からやろ?」

 

「ああ、桐生院先輩とスピカのトレーナーは同期だからな」

 

「へえ、そんなに」

 

 部室に入ったからか、スカーレットの口調も砕けたモノに変わった。

 やっぱりこっちの方が落ち着くな。

 

「俺が16でトレセン学園にトレーナー候補生として上京してきた時には、もう二人はトレーナーだったからな」

 

 俺と歳はちょっとしか変わらないのに、桐生院先輩はもう専属ウマ娘を持って指導していた。

 名家出身で当時最年少ということもあって周りの目は色々厳しかったが、それでもあのハッピーミークを育てたんだから本当に凄いと思う。

 

「でもスピカのトレーナーはやけにモテるしなぁ……ウチのクラスにも何人かファンがおるし」

 

「そういえばウオッカも気に入っているっていってたわね」

 

「あのゴールドシップと長年一緒にチームをやっている人だ。器が違うさ」

 

 トレーナーとしても男としても尊敬できる先輩だ。欠点と言えば、数多くの女性やウマ娘たちから好意を向けられているのに、それに気づいていない鈍感さ位か。

 

「でもさすがにスピカの先輩も教え子のウマ娘に手を出したりしないだろうから、桐生院先輩はチャンスがあると思うんだよなぁ」

 

「え、スピカのトレーナーさんはウマ娘、好きじゃ無いの?」

 

 ウララが目をパチクリさせながら尋ねてきた。

 

「いや、そんなこと無いさ。ただ、教え子を異性としては見れないってことさ。ウララには難しいかもしれないけど……」

 

 基本、未成年の女学生に教師が手を出すわけにはいかんだろう。

 

「トレーナーが在学中のウマ娘に手を出すことなんて、あっちゃいけないからな……」

 

 俺はそこまで言ったと同時に気が付いた。

 先程のグラスとスカーレットが醸し出していた異様な空気。その何倍も重い雰囲気が突然、部室内に流れだしたのだ。

 

「ど、どうした皆」

 

 直前までの和やかな空気が一変し、妙に刺々しい空気が部屋中に充満していく。

 

「むぅ……何だかモヤモヤする……」

 

 明るいウララが何だか面白くなさそうな顔をしているのが、もうヤバい。

 彼女はまだマシな方でスカーレットは明らかに不機嫌そうだし、グラスは能面のような笑顔を向けてくるし……

 

「今のはトレーナーが悪い」

 

 オグリにバッサリと言われたが、一体何が悪かったのかよく分からない。

 でもあのオグリがジト目で言ってきたんだから、結構不味いと思う……

 

「ま、トレーナーは女心をもっと分かれってことやな……まぁウチはあと二年で卒業やけど……」

 

 タマも何か最後の方でゴニョゴニョ呟いていたが、声が小さくて聞き取れなかった。

 その後、この妙な緊張感がある空気のまま、俺は練習をすることになるのであった。

 

 ……桐生院先輩よりも先に皆の機嫌を直さないといけないかもしれない……




スピカのトレーナーはアプリの育成シナリオのトレーナーをイメージしてます


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お出かけ

クリスマスオグリに天井まで課金しました。

これで年末にタマが来たらどうしよう……

でも来てくれるなら来て欲しい……


 広島から来たカッペ。

 俺はよくそんな風に陰口を叩かれる。しかし、実際に本当のことなので俺はそこまで気にはならなかった。

 確かに初めて中央トレセン学園のある東京にやって来た時は、どこを見渡しても山が見えないことに驚愕し、建ち並ぶ高層ビル郡に圧倒され、本当に同じ日本人かと思うくらい派手で洒落気のある東京都民にカルチャーショックを受けたものだ。トレセン学園だって俺が知る今は亡き福山トレセン学園の数倍は広い敷地に、最新の設備の数々は、中央の凄まじさを実感するのに充分であった。同じように笠松から来たオグリも似たような衝撃を受けたらしく、彼女とは最初から妙にそりがあったのは余談だ。

 そんな感じだから、俺がトレセン学園の外に出ることはほとんどなかった。上京して数年間はトレーナーになるための勉学に励んでいたし、外に出る時間もなければ、行きたい場所というのもない。学園内でなら必要なものはあらかた手に入ることも、外に出ない理由の一つだった。

 寂しい状況が数年続いていた俺を、外に連れ出してくれたのがマルゼンスキーだった。

 

「美味しいナタデココのお店があるのよ!」

「最近できたオシャンティーなカフェに行ってみない?」

「いい感じの穴場な喫茶店を見つけたわ」

 

 まあ、こんな感じでよく俺を誘ってくれた。もし彼女が外に連れ出してくれなかったら、ずっとトレセン学園に籠りっきりだったかもしれない。

 閑話休題。

 本日、俺は久々に食糧買い出し以外の用件で、学園の外に出ていた。

 先日約束したウララの親睦会と桐生院先輩を慰める会に使う店の下見も兼ねて、最近オープンしたという甘味処に向かうためだ。

 マルゼンとのカフェ巡りのお陰で俺は都会に慣れ、色んな店を知ってるのだが今回行く店は初めてなので幾らか緊張する。

 同じ気持ちなのか横のオグリも、落ち着かないように肩を震わせている。

 

「大丈夫か、オグリ?」

 

「……ああ、タマもトレーナーもいる。皆もいるから安心だ」

 

 タマに心配されるも、オグリは何とか大丈夫といった風に返したのだった。

 彼女がレースで勝ったときは、よく俺とタマとの三人でカフェ巡りをするのだが、未だに都会の風景と人混みは苦手らしい。

 

「わぁーっ! 人がいっぱいだね!」

 

 それに比べウララはとても元気だった。彼女も俺やオグリと同じ地方出身なのだが、俺達と違って都会への苦手意識が皆無であり、楽しそうに周囲を眺めている。

 

「あっ! あれなんだろう?」

 

 そして気になるものがあれば、すぐに体が動いてしまう。好奇心旺盛な子供そのものだった。今も俺達から離れていこうとするウララを、スカーレットが腕を握って止めている。

 

「ウララ先輩、もう少しで美味しい和菓子屋さんに到着しますから、一緒に行きましょう」

 

「あっ! そうだった! ありがとーダスカちゃん」

 

 ペコリと頭を下げるウララに苦笑しながらも、スカーレットは彼女の手を取って戻ってきた。

 

「すまないな、スカーレット」

 

「ふふ、このくらい平気よ。ところで今から行く店ってどこなの?」

 

「もうすぐ着くわよスーちゃん。えっと……あ、あれです」

 

 グラスが指を指した先には、『天草庵』という看板が掲げられた和風喫茶店があった。

 外見は木造の日本家屋といった感じで、全体的に『和』のテイストの外観である。日本好きのグラスが好みそうなデザインだ。

 

「む、いっぱい人が並んでいるんだが……」

 

「オープンしたばかりですからね。お客さんも多いんですよ」

 

 店の前にできた行列にオグリが一歩引いていると、グラスが苦笑しながら答えていた。

 しかし何というか……若い女性とカップルが多いな……。俺大丈夫かな? かなり浮いてないかな? 立場的には引率の先生枠なんだろうか……

 そんなことを考えていると、意外と回転率がいいのか、すぐに順番は回ってきた。

 6人の大所帯ということもあり、奥のテーブル席へと案内される。

 一番奥の椅子に俺が座り、その隣にウララとオグリ。反対側にタマが座って真ん中にスカーレット、その横にグラスと続いた。

 すぐに店員さんが水とおしぼりとメニューを持ってきてくれたので、俺たちはすぐにそれに目を通してみる。

 

「メニューがいっぱいあって、楽しいな。それにどれも美味しそうだ」

 

「値段も中々お手頃やなぁ」

 

 オグリは垂れそうになっている涎を拭いながら、メニューに目を通していく。もう食べ物のことしか頭に無いって感じだ。

 彼女の言うとおり、様々な和菓子や色んな種類の飲み物が揃っており、和風パフェやお汁粉といったサイドメニューも豊富だ。

 しかもタマが言うように値段もリーズナブル。流行るわけだ。

 ……基本、ウマ娘とお出かけをするときはトレーナーが全額を負担するので、ちょっと安心したのは内緒だ。

 オグリは勿論、成長期のグラスとスカーレットも中々食べるからなぁ。

 ちなみに余談であるがタマとオグリは既に名前と顔が売れているため、一応用心して帽子とサングラスで変装している。

 ちょっと前に変な週刊誌にクソみたいな記事を書かれたばかりだから、出来るだけ隙は作らないようにしているのだ。

 皆でいくつかメニューを注文した後、俺は内装をゆっくりと眺めてみた。

 店内は思った以上に広く、天井も高く作ってあるため中々開放感がある。

 ウェイトレスさんも着物の上にフリルの着いたエプロンというスタイルで統一しており、見た目も良いし接客態度も良い。

 フロアの装飾は純和風で落ち着いた雰囲気がある、日本人ならほっと一息ついてしまうような魅力があった。

 実際にタマは頬を緩ませてリラックスしているし、こういった雰囲気が好みのグラスも居心地良さそうに微笑んでいる。

 

「ふふふ、落ち着きますね~」

 

 上品で穏やかなグラスもまたいいモノだ。彼女なら店員さんの着ている和装も似合いそうだな。

 そんなことを考えていると、頼んだメニューが運ばれてきた。

 俺が頼んだのは抹茶ケーキと温かい緑茶。

 甘すぎる物は苦手なので、これ位が丁度いい。

 

「うわぁ~、おいしそう~!」

 

「ああ……たまらないな」

 

 オグリとウララはそれぞれ和風パフェを頼んでいた。

 抹茶や黒糖の寒天の上にアイスやあんこが乗った、見た目も楽しい人気商品らしい。 

 ちなみにウララが頼んだパフェは普通サイズだが、オグリが注文したのはデラックス白玉和風カフェのトッピング全部乗せという大変ボリューミーな商品で、ぱっと見でドラム缶くらいあるんじゃ無いかと思うくらい大きかった。

 

「普段、あんまり和菓子は食べないんだけど……こう見ると本当に美味しそうね」

 

「ふふ、素朴で美味しいからお勧めよ、スーちゃん」

 

 スカーレットは白玉あんみつ、グラスは黒糖本わらび餅というメニューを頼んでいた。

 何となく二人はちょっと大人っぽいメニューだな。

 

「皆のも揃ったみたいやし、早速いただきますしようか」

 

 目の前の抹茶アイスの器をタマが持ち上げて言った。

 タマはこの中で群を抜いて小食で、頼んだのもこのアイス一個とほうじ茶だけであった。

 

「そうだな、食べようか」

 

 俺の言葉に待ってましたと言わんばかりにオグリが頷き、パフェを口へと運んだ。

 それに続いて皆も頼んだ各々の和菓子を口へ入れていく。

 

「あ、美味しい……」

 

 スカーレットが目を丸くして呟いた。

 

「ああ、こら絶品や。うまいうまい」

 

「ええ……口当たりも上品で食べやすく、甘みも中々……」

 

「美味しい。うん、美味しいな」

 

「甘ーいっ! 皆、これすっごく美味しいよ!」

 

 皆も同じ気持ちなのか、各自が美味しそうに舌鼓を打っている。

 俺も抹茶ケーキを一口。うん、美味しい。温かい緑茶がまたよく合う。

 

「トレーナー! これ、すっごく甘いよ! しかもアイスが二つも乗ってる!」

 

「そうか、よかったな。バニラアイスと抹茶アイスか」

 

 ウララが和風パフェを頬張りながら、満面の笑みで言ってくる。

 美味しそうに料理を食べる女の子って、何でこんなに可愛いんだろうな……

 俺もタマもよく部室で手料理を振る舞っているが、目的の大半は美味しそうに食べるオグリ達を見たいというのはある。

 

「うん! トレーナーも美味しい?」

 

「ああ、美味しいぞ……食べるか?」

 

 俺の抹茶ケーキをウララがじっと見てきたので、俺はそう尋ねてみた。

 

「い、いいの?」

 

「ああ。いいぞ。遠慮するな」

 

「やったぁーっ! ありがとう、トレーナー!」

 

 ウララは嬉しそうに両手を挙げると、口を大きく開いた。

 俺は苦笑しながらケーキをフォークで小さく切ってから、彼女の口元へと持って行く。

 ウララはそのまま俺が差しだしたケーキを一口で食べると、満面の笑みで咀嚼する。

 何だか雛鳥に餌を与えているみたいだ。

 そんなことを思った時だった。

 

『…………』

 

 妙な視線に気づいてふと顔を上げると、グラスとスカーレットが真顔で俺とウララの方を見つめていた。

 

「ど、どうした二人とも……」

 

 俺が尋ねても二人は何も言わず、黙ってウララと俺の手の辺りを交互に視線を向けている。

 

「と、トレーナー……今の……」

 

 スカーレットはじーっと俺の持つフォークを見つめながら言った。

 

「……トレーナーさん……その……よろしければ、私にもケーキを一口分けて貰えないでしょうか」

 

 するとグラスが同じようにじっと俺の手元を見ながらそう言ってきた。

 

「あ……あたしも! あたしも一口貰える!?」

 

 さらにスカーレットも身を乗り出してきた。二人とも目力が凄い。かかっているのかな……

 

「そ、そうか。そんなに食べたいのか……」

 

 勢いよく頷く二人。そうか……なら。

 

「すいませーん」

 

 俺はすぐに店員さんを呼んで同じケーキを二つ注文した。

 どうせなら一口と言わず、全部食べて欲しいからな。二人なら食べれられる量だろうし。

 きっと喜んでくれるだろうと思っていたが――

 

『…………』

 

 二人は無言で俯いていた。

 な、何がいけなかったんだろうか……ちゃんと二人分、ケーキを頼んだのに。

 タマも何か呆れたように溜息ついてるし。

 

「ウララ……恐ろしい子だ……素でこれなのか……」

 

 オグリもモグモグしながら何か言ってるし。

 そんなことを考えていると店員さんが追加の注文を運んできてくれた。

 グラスとスカーレットは無言でそれを黙々と食している。

 

「う、うん。料理も美味いし値段もいい。これなら桐生院先輩も満足してくれるだろう」

 

 ちょっと悪くなった雰囲気を誤魔化すために、俺は出来るだけ明るく言った。

 

「そういえば、前から思ってたけどきりゅういん先輩ってどんな人なの?」

 

ウララがモグモグしながら尋ねてきた。

 

「そう言えば、ウララとは面識無かったな。桐生院先輩は俺のトレーナーとしての先生だ」

 

「へぇー、トレーナーの先生なんだ。たしか女の人だったよね?」

 

「ああ。名門・桐生院家のご令嬢だ。でもそのことを鼻にかけることもないし、教えるのも上手だし……まぁ、とにかくいい人だぞ。あと綺麗だし」

 

「ふーん……ねぇ、トレーナー。その人の事好きなの?」

 

――ぶっ!? と勢いよく吹き出したのは黙々とケーキを食べていたスカーレットだった。

 

「だ、大丈夫かスカーレット!?」

 

「へ、平気よ! なんでもないわ」

 

咳き込むスカーレットの背中を、タマとグラスが優しく擦ってあげていた。しかし一体どうしだろうか。

 

「トレーナー。ウララの質問に答えてやってくれ」

 

 オグリがそう言い、俺はウララがこっちをじっと見ていることに気がついた。いや、彼女だけでなく他の皆も心なしか、俺の方を伺っている。

 

「好きって……そりゃあトレーナーとして尊敬してるさ」

 

「うーん、女の人としてはどうなの?」

 

「ええと……そういう目で先輩を見たことないな。スピカの先輩もいるし……」

 

 確かに年齢は近いけど、桐生院先輩を異性として意識したことはあまり無かった。先輩はあくまで俺たち三人の後輩を教え子として扱っていたし、俺たちも先生として接していた。だから俺も残りの二人も桐生院先輩を敬愛することはあっても、異性として好意を持つことは無かったのだ。

 

「それに俺にはお前たちがいるしな。恋愛なんてしてる暇ないさ」

 

 俺はウマ娘のトレーナーだ。俺の仕事は担当するウマ娘をレースで勝たせて、ウイニングライブでセンターに立たせてあげることなのだ。皆がいる限り、恋愛なんてしている暇はないだろう。しかしウララがこんなことを聞いてくるなんて珍しいな。そんなことを考えながら、ウララの頭を撫でた。彼女は安心したように息を吐き、気持ち良さそうに両目を細めている。

 

「えへへ、それならよかったぁ。もしかしたら、きりゅーいん先輩にトレーナーが盗られちゃうかもって思っちゃって」

 

「ははは、まさか。俺はお前たち一筋さ」

 

 俺がそう言うと、ウララは嬉しそうに笑った。

 

「ウララちゃん、これも食べてください」

 

「えっ! いいの?!」

 

「ウララ先輩、あたしのもどうぞ」

 

「わーいっ! ありがとう、グラスちゃんダスカちゃん!」

 

 グラスとスカーレットが何故だか自分達のスイーツを、ウララに分けてあげていた。先程までの硬い表情はどこへやら、ニコニコと嬉しそうに笑っている。

 

「ナイスだウララ。一緒にコレも食べよう」

 

 オグリもいつの間にか追加注文したお菓子をウララに分けていた。嬉しいことでもあったのだろうか。

 

「ウチはまぁ、分かっとったけど……それなりに嬉しいもんやな」

 

「何のことだタマ?」

 

 アイスを食べながらしたり顔で言うタマに、俺は尋ねたが何かはぐらかされるだけであった。

 その後、すっかり機嫌を良くした五人は仲良く談笑しながら美味しい和菓子とお茶に舌鼓を打った。

 俺の財布に入れてきたお金は全滅したが、それでも皆の機嫌が直ったから良しとしよう。

 こうして俺たちチームアンタレスのお出かけは終わった。

 そしていよいよ……次のレースが始まろうとしていた。



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碧の時代

 タマモクロス実装やったぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああっ!!

 記念に急ピッチで書き上げました。

 主人公とタマの話です。


 口笛が聞こえてきた。

 その音色は風の中を裂くように鳴り、どこか物悲しい。

 まだ寒さも残る初春の空の下、一人の少女がトレセン学園に続く坂道を歩いていた。

 腰まで伸びた長い芦毛の髪と赤と青のリボンを風になびかせ、黒いセーラー服からはみ出た白い尻尾を揺らしながらゆっくりと進んでいる。

 小さな身体に少ない荷物。

 まるで流離の少女に見える彼女は、ただ一人。北風に立ち向かうようにトレセン学園の門へと向かって行く。

 襟元に縫われた白い稲妻。

 彼女の名は――

 

「駄目だ」

 

 俺は自然と呟いた。

 トレセン学園高等部のグラウンド。目の前では様々なウマ娘が自分に合ったトレーニングを行なっている。

 

「駄目とは、手厳しいな。ここにいるのは皆、中等部から研鑽を積んできた者と、高等部から入ってきた実力組だぞ」

 

 三鷹が横で言った。

 確かにコイツの言う通り、ここで走っているのは皆選び抜かれた中央のエリート達だ。

 それは勿論、俺も理解している。

 だけど。

 

「マルゼンを初めて見たときに感じた、あの感覚は感じられないんだ」

 

「お前、またそれか……」

 

 呆れたように三鷹は溜息をつく。

 だが仕方ないのだ。

 マルゼンスキーがアンタレスを抜けた後、スランプで俺はドン底に堕ちた。

 だがそんな俺を救ったのは、他でもないマルゼンだった。

 

 一緒に走りたい――そんな気持ちになれるウマ娘を探す。

 

 初心に返った俺は、それ以来高等部で様々なウマ娘を見てきたが、マルゼンの時のような気持ちになれる少女は未だに現れなかった。

 それでもきっと見つかる。そう信じながら練習を見ているが、あの心臓を鷲掴みにされるような感覚は一度も無い。

 強いウマ娘なんていくらでもいる。才能を持っているウマ娘なんてそれこそ、全員がそうだ。

 だが、あのマルゼンの走る姿を初めて見たときに感じた、あの衝撃は俺に襲ってこなかったのである。

 

「そもそもマルゼンスキーって言ったら数百年に一人の天才だぞ? そんな逸材が、その辺に転がってるはずないだろ」

 

「確かにそうかもしれない。けど……あの感覚が無いと、俺はもう一度立てない」

 

「……贅沢なヤツだ」

 

 これだけは譲れない。俺の最後の意地だった。

 今年中に新しいウマ娘を育成しなければ、チーム・アンタレスは解体すると理事長から言われていた。

 もう後はなかった。だからこそ、妥協したくなかったのだ。

 

「だったら、中等部を見に行ってみたらどうかしら」

 

「桐生院先輩……」

 

 そう言って現れたのは師である桐生院葵先輩だった。

 今はチーム・ミークのトレーナーとして数多くのウマ娘を育てている。

 

「でも先輩、高等部じゃないと格付けのあるレースには出られませんし……」

 

「急ぐのは分かるけど……でも本当に一流のウマ娘を育てるなら、一から育てることもトレーナーとして必要じゃないかしら」

 

「……確かに……」

 

 マルゼンだって俺が初めて見たときは中等部だった。

 結果を急ぐべく高等部の生徒ばかり偵察していたが、やはり中等部の子を一から育てるのが本来のトレーナーなのかもしれない。

 

「……ありがとうございます、先輩。俺、中等部のグラウンドに行ってきます!」

 

「ええ、いってらっしゃい」

 

 桐生院先輩はにっこりと微笑んだ。

 

「やはり中等部か……私も同行する」

 

「三鷹……」

 

「今年の中等部は豊作だ。特に新入生のスーパークリークって娘は、凄まじいらしいぞ」

 

「スーパークリークねぇ……」

 

 聞いたことの無い子だった。だが三鷹が言うのなら、凄いんだろう。

 俺は先輩に見送られながら、高等部のグラウンドを後にした。

 

 …

 ……

 …………

 

「おお、壮観だな」

 

 俺の視界にはゼッケンを付けた体操服に身を包んだウマ娘達が、大勢集まっていた。

 新入生達が番号と己の名前が書かれたゼッケンを付けるのは、遠目からでもトレーナーに自分が誰であるか分かるようにするためだ。

 ここでトレーナーの目にとまったウマ娘がスカウトされ、担当あるいはチームの一員として飛躍していくのだ。

 

「クリークは今日、模擬レースに出ないらしいぞ」

 

 がっくりと三鷹が肩を落として言った。お目当てのウマ娘がいないとなると、テンションが下がるのも、やむを得ないだろう。

 

「だけどこれだけウマ娘がいるんだ、きっと何かしら光るモノを持つ娘がいるさ」

 

 そんな時だった。

 一人、とあるウマ娘が目に留まった。

 

 腰まで伸びた長い芦毛。

 小さな体躯に赤と青の長いリボン。

 大きな瞳に小ぶりな鼻、そして桜色の唇。

 

「ゼッケン7番、名前は……」

 

 俺は無意識の内に、彼女の名前を呟いていた。

 やがて彼女は簡易的なパドックに入っていく。

 これから模擬レースが始まる。

 その様子をトレーナー達は観察し、お眼鏡に適うウマ娘をスカウトするのである。

 

「ようやく、面白そうな娘が見つかったな」

 

 俺は彼女の後ろ姿を見ながら、自然に呟いた。

 そしてすぐに、模擬レースの火蓋は切って落とされた。

 コースは芝で800m。

 技量を見るにはうってつけの距離だった。

 

「さてと。肝心の走りはどうかな」

 

 いつの間にか俺の視線は、数多く走るウマ娘の中でたった一人に絞られていた。

 

 …

 ……

 …………

 

「一位のニトロアックス、いい感じだったな。だが二位のモリノアローも中々の脚を持ってる」

 

 模擬レース終了後、同じように見学していた三鷹が言った。

 確かに、今三鷹が名前を挙げた二人には既に何人かのトレーナーが声をかけている。

 

「15位、か」

 

「何の話だ」

 

「ゼッケン7番の話だよ」

 

 俺の答えに三鷹はすぐにゼッケン7番のウマ娘を探した。そして彼女の姿を確認すると、渋面を作って言った。

 

「おいおい、あの娘は辞めといたほうがいいだろ」

 

 急に横の三鷹が言ってきた。

 

「何でだ?」

 

「何でって、芦毛だ。芦毛は走らないなんて、お前なら分かっているだろうに。それにあの体格だ。中等部一年にしたって小さすぎる」

 

「芦毛は走らない……か。だったら先輩のミークはどうする」

 

「ミークは桐生院家が育てた天才だ。例外中の例外だぞ」

 

「例外中の例外、か。スターウマ娘ってヤツはみんなそうなんじゃないか?」

 

「でもあの子は惨敗している。あの小ささじゃレースは無理だ」

 

「今回のレースは走りきったじゃないか。無理なんて無い。勝てなかったのは、トレーナーがいなかったからだ」

 

「ちょっと落ち着け。焦ってるからって判断を見誤るな。冷静になれ。あの子はマルゼンとは何もかも違う」

 

 そう。何もかも違った。

 マルゼンスキーの走りは思わず見とれてしまうように優雅で、そして圧倒的な走りだった。

 居並ぶウマ娘達をぐんぐん引き離し、楽しそうに走る様は正に風。

 あの走りに俺は魅了されたのだ。

 対してあの少女の走りは全く真逆だった。

 がむしゃらで、力強い。

 必死で走る形相で何度も前に喰らいつこうともがいていた。

 そこから滲み出るのは勝利への執念。

 楽しく走るをモットーにしていたマルゼンとは、何もかもが対極だった。

 だからこそ、惹かれる。

 今の崖っぷちである俺と、姿が被ったのもあるかもしれない。

 

「そうだ、マルゼンとは何もかも違う。でもたった一つ、同じ所がある」

 

 そう言うと俺は歩き出していた。

 

「一緒に走りたい――そう思える走りだった」

 

 俺が一番、大切にしているモノであった。

 

「……なんや、アンタ」

 

 少女は不機嫌だった。

 レースに惨敗し、ただ一人乱した息を整えている最中だったのだ。目が血走っている。

 凄い気迫だ。

 俺の身長の半分も無いような体躯のこの子は、既に俺を圧倒するような負けん気を出している。

 心が震える。

 マルゼンをスカウトしたときも同じ気持ちだった。

 言わなければ。

 俺の担当ウマ娘になってくれって。

 だが緊張から上手く言葉が出なかった。

 

「……何や知らんけど、用がないならもういくで。ウチかて暇や無いねん」

 

 冷たく踵を返して彼女は去ろうとする。

 俺は慌てて、声を絞りだした。

 

「君の走り方じゃ駄目だ」

 

 ピクリ、と少女の耳が動いた。

 癇に障ったのか、凄まじい形相でこちらを睨んでくる。

 俺は一息ついて言った。

 

「ちょっと走り方を変えてみたらどうだ」

 

「…………」

 

 辛い沈黙。 

 それを打ち破ったのは、彼女の方だった。

 

「知るかい。ウチはずっとこの走り方でやってきたんや。ぽっと出の知らんおっさんに言われる筋合いは無いわ」

 

 ぷいっと顔を背け、そのまま少女は去って行った。

 その小さな背中を、見えなくなるまで眺めていた。

 

「振られちゃったな」

 

 肩を三鷹がポンと叩いた。

 

「いや、俺の担当ウマ娘はあそこにいる」

 

 絶対に口説き落とす。

 俺はそう心に誓い、彼女の名前を口に出すのだった。

 

「タマモクロス――待っていろよ」

 

 ようやく生き甲斐を見つけた…… 



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白の世界

今回はタマ視点です。

関西弁難しい


 初めて走ったレースはただの駆けっこやった。

 近所の子供達が集まって、空き地で適当に決めた距離を走ることになり、そこで男子も年上も他のウマ娘もぶっちぎりで勝ってしまったのだ。

 皆から凄い凄いと言われて、ウチ――タマモクロスは初めて自分が走るために生まれてきたウマ娘という事を自覚した。

それが多分、ウチの物語の始まりやったと思う。

 

 ウチは大家族の長女として生を受けた。

 お母ちゃんは昔ウマ娘として活躍しとった人やった。

 グリーンシャトーって言ったら、年配のおっちゃん達は目を輝かせてお母ちゃんの武勇伝を語ってくれたもんや。

 尤も本人であるお母ちゃんはその話が恥ずかしいんか、あんまり話そうとせんかったけど。

 そんなお母ちゃんは生まれつき病弱で早々に現役を引退して、トレーナーだったお父ちゃんと結婚してウチを産んだ。

 その後も何人も子供を産んで、あっという間にウチの家は大家族になったんや。

 ウチは姉弟の中でも一番速くて、お父ちゃんは地元のトレセン学園に入れて一流のウマ娘に育てたいって言っとった。

 嬉しそうなお父ちゃんを見て、ウチも乗り気になっていつか中央に入ってレースで勝って、皆に楽をさせてあげたいなぁなんて漠然と考えとった。

 さあ頑張るぞといった矢先、お父ちゃんが仕事先で倒れて息を引き取った。

 それからはお父ちゃんが残した財産と、お母ちゃんの現役時代に稼いだ賞金。そして親戚のなけなしの支援で何とか食いつないでいくんがやっとやった。

 ウチも長女だったから、下のチビ達の面倒を見ながらお母ちゃんを助けんといかんかった。

 その時に、ウチはトレセン学園行きを諦めた。

 でもお母ちゃんやチビ達は違った。

 

「タマには才能がある。絶対にトレセンに行くべきや」

 

 お母ちゃんはそう信じて疑わんと、親戚中に頭を下げてお金を作ってきた。

 お父ちゃんの兄ちゃん――伯父ちゃんも信じてウチが学園に行く間は、家族の面倒を見てくれるって言ってくれた。

 チビ達も『タマねぇが走ってほしい』ってウチの背中を押してくれた。

 

 大勢の人の期待を胸に、ウチは中央に進学する事を決めた。

 学費はとんでもなく高かったんで、推薦を貰って入学することになった。

 特待生程ではないけど、実力を示さなあかん立場やった。

 そんなウチやったけど、現実は世知辛かった。

 

 中央、トレセン学園。

 そこには全国から集まった選りすぐりのウマ娘が集まっている。

 恵まれた血統に、生まれ持った才能。そんなウマ娘達が一カ所に集結するのだ。

 ウチとは比べものにならない恵まれた環境で、切磋琢磨してきたウマ娘達。

 選ばれしウマ娘達に、ただ駆けっこが早かっただけの井の中の蛙は、ただただ蹂躙されるだけやった。

 芦毛は走らない。

 トレーナー達が言っていた言葉も、ウチを苦しめた。

 模擬レースでも連戦連敗。

 同級生にも笑われ、日に日にウチはすさんでいった。

 関西から一人で上京してきたから友達もおらんかったし、荒れてるウチにわざわざ声をかけるトレーナーなんて一人もおらんかった。

 ……あいつ以外は。

 

「君の走り方じゃ駄目だ。ちょっと走り方を変えてみたらどうだ」

 

 ある日の模擬レース。

 いつものように惨敗したウチに向かってその男は、突然話しかけてきた。

 第一印象は、なんか冴えん男やなぁって感じやった。

ここにいるということはトレーナーの資格を持っているのは間違いないけど、それにしては若いし、抜けた顔をしとる。

それに芦毛でしかも負けたウマ娘に話しかけてくるなんて、冷やかしにしか思えんかった。

 

「知るかい。ウチはずっとこの走り方でやってきたんや。ぽっと出の知らんおっさんに言われる筋合いは無いわ」

 

吐き捨てるように言って、ウチはその場を離れた。イライラが止まらんかったけど、後からふとこの学園に来て授業以外でトレーナーに話しかけられるのは初めてやなと思い出した。

 まあ、どうでもええ。どうせからかいに来ただけやし、二度と会うこともないやろうとたかをくくっていた。

 

 次の日。放課後。

 ウチは一人、自主練のためにグラウンドの方へと向かっていた。

 中等部のウマ娘は大まかに二つのグループに分かれている。

 強く才能があり、トレーナー直々にスカウトされたウマ娘とされなかったウマ娘。

 優秀なウマ娘は自然と専属のトレーナーが着いて、彼らの率いるチームの元で練習をする。トレーナーにスカウトされなかったウマ娘は、合同練習という新人トレーナーやチームを持たないトレーナーの下で練習を行う。

 ウチはどちらでもなかった。

 チームに誘われることは勿論、この他のウマ娘との環境にも馴染めず合同練習に混ざることもできない。ただ一人、寂しく自主練するだけの毎日やった。

 そう言えば隣のクラスのスーパークリークっちゅう子はもう何人もの追っかけトレーナーがいるっちゅう噂や。同じウマ娘でもここまで違うんやなぁ……ウチに話しかけてくるなんて昨日のあんちゃん位……

 

 ――ぶんぶんっ!

 

ウチは頭を降って脳裏に浮かんだ男の顔を、弾き飛ばした。なんであんなやつのことを思い出してしもうたんやろ。

 あいつは冷やかし、じゃなかったら只のバカや。

 そんなことを考えながら、下駄箱まで来たときやった。

 

「よぉ、おチビちゃん」

 

 ……嫌な奴らに出会った。

 

「今日も一人で練習? いいかげんどこかチームに入ったらどうなの?」

 

 ニヤニヤ嫌らしい笑みを浮かべて近づいてきたんは、同じクラスのウマ娘三人やった。

 名前はモブサイクロン、モブトルネード、モブノロマン。

 何かとウチに絡んでくる、うざい奴等や。

 

「あんた等には関係ない。ほっとき」

 

 しっしっと手を払って、ウチはさっさとここから離れようとする。

 

「まぁまぁそう言わないでよ。よかったら、あたし達のチームに入れたげようか? 丁度、トイレが汚れてて清掃員を探しててさ」

 

 下卑た笑い声をあげる三人に青筋が立つ。だが言い返せばますます相手を付け上がらせるだけなので、ウチは黙って上履きを脱いで靴を取り出した。

 

「あたし達のトレーナーは優しいからさ、タマちゃんみたいな落ちこぼれも面倒見てあげるってさ」

 

「よかったじゃん。どうせどこのチームにも入れないんだしさ。惨敗続きで後が無いでしょ?」

 

「しかもお家は貧乏だし、このままじゃ退学になっちゃうんじゃない? こんなのでも推薦なんだしさ」

 

 家族のことを言われ、思わず頭にカッと血が上った。ウチのことを馬鹿にするんは構わんけど、ウチを信じて送り出してくれたお母ちゃんやおっちゃん、チビ達を侮辱されるのは許せんかった。

 

「なに、やる気?」

 

 相手も構えた。そしてウチは――

 

「それは駄目だ! タマモクロスは俺のチームに入るんだっ!」

 

『…………』

 

 あまりにも場違いな声が後ろから聞こえてきた。

 振り替えると昨日の男が息を切らしながら立っている。

 

「よく聞こえはしなかったが、チームの勧誘だろう……だがタマモクロスはもう俺のチームに勧誘済ぐぶほっ!?」

 

「このドアホっ! ちっとは空気読まんかいっ!」

 

 アカン、素でつっこんでしもうた。

 さっきまでの怒りも一気にすっ飛んで、ウチは思いっきりつっこんでしもうたんや。

 絡んできたアホ三人はポカンとしとった。

 男は痛がりながらもどこか嬉しそうやった。

 ああ、コイツは冷やかしやない。只のバカやったんや。

 ウチは気が付いてしもうた。

 

「い、いくで!」

 

 咄嗟に手を取って走りだした。

 自分でも何でこんなことしとるんか分からんけど、ちょっとだけ。ほんのちょっとだけ、このあんちゃんに興味が湧いてしもうたんや。

 

 …

 ……

 …………

 

「で?」

 

 学園の片隅に置かれた小さなベンチ。

 ウチが密かに見つけた、人気のないスポット。

 そこにウチはこのあんちゃんを連れてきた。そしてそのままどっかりとベンチに腰を降ろすと、前で佇んでいるあんちゃんに尋ねた。

 

「どういうつもりなんや」

 

「……昨日はすまない。緊張で上手く伝えられなかったんだが、改めて言う。俺のチームに入ってくれないか?」

 

 すんごいド直球で言ってきおった。

 いや、もっと前置きとかあるやろ。昨日の今日やで。しかもさっきの……その……あれ……

 

「俺の担当ウマ娘になってくれ」

 

「……本気かいな」

 

 ウチがあんちゃんの目を見ると、まっすぐな目でうんと頷いた。

 今まで散々勧誘を待っとった癖に、いざ本当に勧誘されると何が何だか分からんくなってしまう。

 でも……

 

「何でウチを勧誘しようと思ったん? 昨日のレース、見とったんやろ?」

 

「ああ、見させてもらったぞ」

 

 昨日の模擬レース。ウチは散々な結果やった。あのレースを見て、ウチを誘うなんて普通は考えられないやろ。

 ……もしかしてウチの秘めたる才能を見抜いて……

 

「なんでウチなんや?」

 

 緊張しながらもウチは聞いた。

 もしかして、この人はウチの――

 

「君の走りにビビッてきた。俺のトレーナーの本能が言っている。君は――」

 

「ほなさいなら」

 

 そのままウチはベンチから降りると、そのままスタコラさっさと歩いて行く。

 やっぱりコイツは馬鹿や。

 関わらん方がええ。

 トレーナーの本能やと? そんな訳わからんもんでレースに勝てたら、トレセン学園なんていらんわい!

 

「ま、待ってくれ!」

 

 ウチは駆けだした。

 ちょっとした駆け足であるが、それでも普通の人間には追いつかれへん。

 さっさと撒いてしまおう。そう考えながらウチは逃げていくのだった。

 誘ってくるのは嬉しいけど、ウチだって人生がかかっとる。

 不確定な要素に頼るトレーナーを信用できんかった。

 

 …

 ……

 …………

 

 結局、あの後練習する気も起こらず適当にプラプラしてから寮へと戻る途中やった。

 嫌な人影を見つけた。

 三つ。こちらに気付いたのか近づいてくる。

 

「おかえりチビちゃんー。待ってたよ~」

 

 逃げるのも負けたみたいで嫌やし、適当にあしらってさっさと自室に帰ろうと考えとった時やった。

 

「あのトレーナーはどうしたの?」

 

 わざとらしく辺りを見渡してモブサイクロンが言った。

 

「さぁな。それにあの人はウチのトレーナーやないで」

 

「ええー残念。チビちゃんにお似合いだと思ったのにな」

 

「ふん。そうか、よかったな。ほなお先」

 

「だってあの『アンタレス』のトレーナーだよ? チビちゃんにぴったりじゃん」

 

 ――アンタレス。

 その単語を聞いて、ウチは思わず顔を上げた。

 

「アンタレス? あの?」

 

「知らなかったの? まあ田舎からきたんじゃしかたないか」

 

 馬鹿にするように言ったがウチはそんな事も気にならんかった。

 チーム・アンタレス。

 その名を知らんウマ娘なんてこの学園にはおらん。

 スーパーカーの異名を持つマルゼンスキー先輩を輩出したチーム。それは知っとった。

 でも……

 

「可哀そうに。エースのマルゼン先輩が抜けてチームはボロボロ。トレーナーさんはトチ狂って、あんたをチームに誘う始末」

 

「でもーあたし達のトレーナーさんはあんなのただのラッキーマンって言ってたよねー。マルゼン先輩が凄かっただけって」

 

「まあそう考えると駄目トレーナーと駄目ウマ娘同士、最高の組み合わせ何じゃないの?」

 

 嘲笑に囲まれながらもウチはハンマーで殴られたような衝撃で、固まってしもうとった。

 あのアンタレスのトレーナーがあんな若いあんちゃんなんて知らんかったし、そんな彼が何でウチを勧誘したんかも分からんかった。

 そして。

 

「言いたいことはそれだけか?」

 

 何でか知らんけど無性に腹が立った。

 ウチは悪く言われるのも慣れとる。これくらいなら腹は立てども、ここまで怒ることはなかった。

 でも何故かあんちゃんを馬鹿にされることが堪らなく癇に障ったんや。

 

「お、やる気なの?」

 

 だが相手は三人。しかもウチより背も高い。勝てる見込みは無い。

 会ったばかりの変なトレーナーに肩入れして喧嘩なんて、自分でもアホやと思う。

 でも、本当に何故か我慢出来んかったんや。

 

「前々からイラついとったんや。そろそろ〆させてもらうで」

 

「ふふ、大阪の野蛮ウマは怖いねぇ」

 

 じりっと空気がひりついた正にその時やった。

 

「ま、待て! 待ってくれ!」

 

 またこの声が聞こえてきた。

 息を切らしながら走ってきた男はうんざりするウチを相手から引き離した。

 

「け、喧嘩はいけないぜ。喧嘩はよ。キミ達は大事なウマ娘なんだ。万が一があったらどうする……」

 

 そこまで言うとあんちゃんは走って疲れたのか、息を切らしながら地面に突っ伏した。

 もしかしてあの時から走ってウチを探してたんやろうか……

 

「はぁ……はぁ……とにかく、ここは俺の顔に免じて……仲直り……」

 

 息を必死に吐きながらあんちゃんはそう言った。

 先程までの空気が一変し、何かこう……何ともいえん空気になった。

 

「あーもー! 調子狂わせてくれるなぁ、あんたは!」

 

 ボリボリ頭を掻きながらウチはトレーナーを抱え上げた。

 ちょっと前までの殺伐とした空気は一気に失せ、ウチは溜息を吐くとそのまま踵を返した。

 

「あっ! どこにいくんだ!」

 

「今日は終いやー」

 

 背中にぶつかってくる三人の罵声を受けながら、ウチは入り去っていった。

 不思議とイライラがなくなっていることに、この時のウチは気が付いてなかった。

 

「落ち着いたか?」

 

「あ、ああ……ありがとう」

 

 再びベンチに戻ってきたウチはあんちゃんを降ろして、落ち着かせてから話しはじめた。

 さっきの話が本当かどうか。それが気になったんや。

 

「アンタはマルゼンスキー先輩のトレーナーやったんやろ?」

 

「……ああ。俺はマルゼンとアンタレスを作ったんだ。よく知ってたな」

 

「まぁな。そんな凄いウマ娘を育てたトレーナーが何で……何でウチみたいなウマ娘をスカウトしたんや……」

 

「言っただろう直感だって」

 

 そう言うとあんちゃんは、空を見上げた。既に朱く染まっていた空は、段々と夕闇に呑まれていく。

 

「初めてマルゼンスキーの走りを見た時、衝撃が走ったよ。なんて美しい走り方をするんだろうっ、てな」

 

 懐かしそうにあんちゃんは言う。

 

「あの走りを間近で見ていたい。一緒に走りたいと心から思ったんだ」

 

 そう言うあんちゃんの目はとてもキラキラしとって、本当にマルゼン先輩が好きやったんやろうなって思った。

 

「……そんな走りをするウマ娘はマルゼン以降現れなかった。でも俺はそんな心から夢中になれる走りを求めていたんだ」

 

 あんちゃんがウチの方へ視線を向けた。

 

「そして君に出会った」

 

 胸が熱くなるのを感じた。

 滅茶苦茶なことを言っとるのに、この人は何か惹きつけるものがあった。

 

「タマモクロス。俺と一緒に走ってくれ! 俺は君と一番になりたいんだ!」

 

 肩をガッシリと抱いて、あんちゃんは真剣にウチの両目を見て言った。

 初めての勧誘。

 思わず心臓が高鳴った。

 けど……

 

「ごめん。ちょっと考えさせてくれへんか?」

 

 この話を素直に信じられる程、ウチは良い子ではなかった。

 

「……次のレースは何時だ?」

 

「へ?」

 

「次のレースで勝てるように、俺が指導する。そしてそのレースで勝てたら、俺を君の専属トレーナーにしてくれないか?」

 

 あまりにも唐突な提案。

 この人は出会った時からホントに滅茶苦茶な人やと思った。

 でも。

 

「面白そうな話やないか。その賭け、乗ったで!」

 

 ウチの胸の中も熱く燃えるのを感じた。

 どうせトレーナーなんかウチにはおらんかった。ならこの人に付き合ってみてもいいかもしれん。

 何もせんよりはきっと進むことが出来る。

 そう思いウチはあんちゃんの手を取ったんやった。

 

「ウチを満足させてみぃよ」

 

「……ああ、必ず君をアンタレスに引き込む」

 

 ……こうしてウチと、このトレーナーとの日々が始まったんやった。



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朱の雌伏

天井まで回してタマをゲットしました。

公式のストーリーと育成シナリオ尊い……

本家にこんな最高の出来を用意されたので、どうしようかと思いましたが自分のプロット通り、タマとトレーナーの話を書きました。


 俺とタマの期間限定なトレーナー契約が結ばれた。

 次の模擬レース、彼女を見事一位に入着させることが出来ればタマは俺を正式にトレーナーとして迎えてくれる。だが負けたら二度と彼女を誘わない。

 そういう約束だった。

 まあ既に崖っぷちの俺にしてみれば、最後のチャンスが転がり込んできたわけなので、この条件でも充分だった。

 恐らく、今のタマを超える逸材は俺の中でもう現れないであろうという予感もある。

 期間は二週間。

 時間はあまりにも少なかった。

 

「よっしゃっ。準備できたであんちゃん」

 

 ジャージに着替えたタマがグラウンドにやってきた。準備運動も終えて、今すぐにでも駆け出せそうだ。

 

「よし、始めよう」

 

 久々のトレーニング。

 俺は大きく深呼吸すると、タマに向き合って言うのであった。

 

 …

 ……

 …………

 

「ふむ……やっぱり思った通りだな」

 

 一通りのコースをタマに走って貰い、走法もいくつか試してみた。

 これで大まかではあるが、彼女の適正距離とそれに合った走法を絞ることが出来る。

 そしてその結果、今まで勝てなかったのは走り方のせいだと俺は結論づけた。

 

「逃げはオススメ出来ないな」

 

「何が逃げや。ウチは何時でも戦う気満々やで」

 

「気持ちの問題じゃない。走り方さ」

 

逃げは作戦自体がシンプルで実行しやすい反面、その走り方で勝とうと思えばかなり難しいと俺は考えている。何せ一気にスタートからゴールまで駆け抜けるのだ。短距離ならまだしも、タマの適正距離は恐らく中距離から長距離。その長さで逃げに徹するには、かなりのスピード・スタミナ。そしてパワーが必要だ。タマはどれも足りていない。地元ではこれでも勝てただろうが、ここ中央ではそうもいかないだろう。

 幸い、スピードは中々ある。あとはこの小さな身体と少ないパワーとスタミナでどこまで頑張れるかだ。

 

「差しか追込。次のレースは距離的に差しで行くほうがいいか……」

 

 そのためには温存したスタミナを一気に爆発させる力強さと、他ウマ娘のブロックを避ける足さばきと広い視野も必要だ。それはそんなに簡単に身に付くものではない。となると勝つためには先行も視野に入れるか……

 

「…………」

 

 俺がうんうん思案していると、気がつけばタマがこちらをじーっと見ていた。

 

「ど、どうした?」

 

「いや……そんな顔もするんやなと思ってな」

 

「どんな顔だそれは」

 

「いつもの気が抜けるような顔やのうて、真面目な顔もするんやなって話や」

 

「失礼な。俺は何時だって大真面目だ」

 

 俺がそう返すと、タマはナハハと笑った。

 この自然で明るい笑顔。こういう時は年相応の少女なのだ。

 

「とりあえず、今の君に足りないのはパワーとスタミナだ。この二つを重点的に二週間の間鍛えていく。それとは別に走法の訓練だ。君は差しか追込が合いそうだが、今回は勝つために先行作戦で行く」

 

 レースの位置取りやペース配分など慣れるまでに差しと追込は時間がかかる。まずは勝たないといけないので、比較的簡単な先行作戦で行くことで決めた。これなら弱点のスタミナとパワーの弱さもカバーできる。

 

「何かようわからんが……次のレースまではアンタを信じるって決めたんや。どんな練習でも付き合っちゃる。ドンとこいや!」

 

 こうして俺とタマの厳しい特訓が始まったのだ。

 

 …

 ……

 …………

 

「お前、本気であの子を育てる気かよ」

 

「ああ。だからこそお前を呼んだんだろ」

 

 一週間後、俺は三鷹をグラウンドに連れて来た。

 タマと併せウマの練習をするためだ。

 こればっかりは俺だけでは出来ない。一緒に走ってくれるウマ娘がいるのである。

 

「この一週間。ひたすら基礎体力の鍛錬に注いだ。そのおかげでタマはずっと前より良くなった」

 

「そうかもしれないが……でも彼女では限界があるぞ。あの体躯じゃ……」

 

「あの体躯が何だ。タマなら走れる。そう信じてる」

 

「分かっているのか。お前、もう後が無いんだぞ。何でこんな博打みたいなこと……」

 

「博打……そう思うか。だが俺はその博打に負けても悔いは無い。マルゼン以来、初めて心惹かれるウマ娘を見つけたんだ。彼女で失敗したって本望だ」

 

 ――まあ、負ける気はないけどな。必ずタマを最強のウマ娘に育ててみせる。

 

 そう決心した俺に対して三鷹は大きく溜息をつくと、後ろに控えてきたウマ娘を紹介した。

 

「ミヨシライガー。俺の担当するウマ娘の一人で、中等部二年。既に選抜レースでも勝利している」

 

 三鷹に紹介されたミヨシライガーはペコリと頭を下げた。俺も頭を下げて、互いに自己紹介を終える。

 そして俺はすぐにランニングをしているタマをこちらへと呼び寄せた。

 

「併せウマ?」

 

「ああ。そろそろレースを見据えた練習が必要だろう。だから併せウマ……いや、簡易的な模擬レースを行う」

 

「それはわかっとるけど……相手が……」

 

 タマはチラリとライガーの方を見た。彼女にしてみれば、既にデビューして活躍している先輩だ。委縮してしまうのも無理はないだろう。

 

「まあ、俺も勝てるとは思っていないさ。だから、ライガーにはタマの後方200mからスタートして貰う」

 

 するとタマの耳がピクリと動いた。

 

「これなら勝てるんじゃないか? 距離は予定しているレースと同じ800mだ。俺達には丁度いいだろう」

 

「……せやな。それやったらウチもええ勝負できそうや」

 

 少しだけ間を置いた後、タマはニヤリと不敵に笑ってスタート地点へと向かって行った。

 遅れてミヨシライガーもタマより後ろのスタート地点に立つ。

 そして簡易模擬レースは始まった。

  

「どりゃぁぁああああああっ!!」

 

 雄叫びを上げながらタマはスタートを切った。まずまずの出だしだ。

 

「ちょっと掛かってる気もするが、中々好調だ」

 

 やがて後方のライガーがタマへと距離を詰め始めた。

 それに気付いたタマは必死で足を動かし抜かれまいとするも、徐々にその差は縮まっていた。

 三バ身、二バ身、一バ身……そして遂に二人は並んだ。

 

「ぐぬぬぬぬぬ……」

 

 タマの顔が悔しさに歪む。

 いくらハンデを付けたとはいえ、相手は既に実績を残している先輩ウマ娘。苦しい勝負なのは明らかだった。

 

「……負けて堪るか……負けて堪るかぁッ!」

 

「むっ!?」

 

 三鷹が思わず声を上げた。

 もう抜かれてしまう寸前だったタマが一瞬、息を吹き返してライガーを差し返したのだ。

 だが、それもほんの一瞬。

 再びタマはペースを落とし、そのままずるずると後退していった。

 

「一瞬、ヒヤッとしたな……だがあの負けん気は凄い」

 

「ああ、あれが俺が彼女に惹かれた理由だ」

 

 そしてタマの強みが分かった。そして弱点も。

 俺は走り終えて息を切らすタマの方へと近づいて行った。

 

「はぁ……はぁ……くそっ……」

 

 練習のレースでも心底悔しそうに息を吐くタマの背中をさすってやる。

 彼女の小さな体は熱を帯び、陽炎のように周りが歪んでいる。

 

「お疲れ様。いいレースだったよ」

 

「……はっ、アホか……負けちゃ意味ない……」

 

「いや、十分意味はあった。見ろ」

 

 俺は握りしめていたストップウオッチの数値をタマに見せた。実はこっそり測っていたのである。

 

「タイム更新だ。今までで一番だよ」

 

「へ、どういうことや?」

 

「結果が出たってことさ」

 

 タマの頭をくしゃりと撫でる。彼女は少し戸惑いはしたが、やがて照れくさそうに笑った。

 

「特に一瞬だけ、ライガーを差し返したのは凄かったぞ。正直、驚いた」

 

「ま、まぁな。練習とはいえレースやし。負けたくなかったんや」

 

「そう。それこそタマ。君の強みだ。そして弱点である」

 

「ど、どういうことや?」

 

「…………」

 

 今の走り、俺が彼女を初めて見たレースと同じ感覚だった。

 強い闘争心。激しい負けん気の強さ。凄まじいハングリー精神。

 そのがむしゃらな勝負根性に俺は魅了された。

 強い思いはレースにおいて最大の武器である。

 どんなに厳しい状況でも、諦めずに喰らいつけば勝機は見える。

 だがそれは同時に、危険なモノでもある。

 熱くなって周りが見えなくなれば、自分の置かれている状況に気が付かず、潰されることになるのだ。

 

「タマ、君は相手のウマ娘と並べば強い。一人で走っていた時よりも、タイムが伸びたのはそのためだ。だが熱くなりペース配分を間違えて、そのまま沈んだ」

 

「…………」

 

 思い当たる節があるのか、タマは顔を下げた。

 

「タマの勝負根性は君の最大の武器で強みだ。だがそれを使いこなすには、同時に冷静さと周りを見渡す能力が必要だ」

 

「……そんな無茶な」

 

「胸の怒りは炎の如く、されど頭は氷の如く……明鏡止水の心意気。それがあれば君は大成する」

 

「無茶苦茶や! そんなことできるわけないやろ!」

 

「ああ。一朝一夕で出来るようなことじゃない。だがもし出来れば確実に強くなる」

 

「…………」

 

「あと一週間は今までの練習に加えて、精神力の鍛錬だ。どんな不利な状況でもクールな判断力さえ残っていれば、巻き返しは可能だ」

 

「……そんなこと、ウチにできるかな?」

 

「出来る!」

 

 俺はタマの肩をガッシリと掴んだ。

 

「タマなら出来る。俺は信じてる」

 

「…………」

 

 大きな瞳を見開くと、タマは頬を朱く染めて顔を背けた。

 

「……そんな力強く言われたら、ウチも本気になってしまうやろ」

 

 ボソリと呟いた一言は、紅く染まり始めた空の中へ消えていった。

 

 …

 ……

 …………

 

「お疲れ。済まなかったな。俺の同期が無茶を言って」

 

「いえ、大丈夫です。それにあの子」

 

「ん?」

 

「強くなる気がします。凄まじい気迫を感じました」

 

「ああ。あいつが本気で入れ込むのも、あながち間違ってないのかもな……」



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タマモクロス

 日刊ランキングに初めて載りました! 本当にありがとうございます!

 レースを書くのすごい難しい……

 上手く書いている作者様を心から尊敬します。

 あと、この小説はアプリ版ともアニメともシンデレラグレイとも違うパラレルワールドのつもりです。

 シングレ面白いよね……でもアプリの育成シナリオも王道で最高なんだ……


 

「よし、いいぞタマ! 仕上がりはバッチリだ!」

 

 ストップウォッチを止めて、俺は叫んだ。小さな液晶に表示された数字は、今回のタマのタイムである。

 縮まっている。確実に以前よりも速くなっている。

 それは前までただただがむしゃらに走るだけだった彼女が、勝つための走り方を憶え、それを実行できるようになった証だった。毎日のトレーニングで基礎能力が上がったこともまた事実である。

 

「お疲れ様、タマ。タオルと飲み物」

 

「おおきに」

 

 息を切らせながらタマは俺が差し出したタオルで汗を拭き、スポーツドリンクを飲んで息を整えた。

 

「今日はここまでだな」

 

 ふと空を見上げる。

 既に空は紅から漆黒に変わり始め、他のウマ娘たちも練習を切り上げつつあった。

 

「もう少し……もう少しだけ続けてもええか? まだちょっち不安なんや」

 

「本番は明日だ。今日はもう休んで、本番の体力を備えた方がいい」

 

 ただでさえ、タマは他のウマ娘よりも体力が劣る。しっかり休まなければ、本番で実力を発揮出来ずに終わる可能性もあった。それだけはトレーナーとして避けなければいけない。

 タマも分かってくれたのか、軽く会釈するとそのまま共用の更衣室へと向かっていく。簡易なシャワーもあるので着替えて汗を流してくるだろう。俺のチーム・アンタレスのホームであるバラックにはシャワーがないので、ここを使った方がいいだろう。しばらくして、タマは制服に着替えて戻ってきた。

 

「いよいよ明日やな」

 

「ああ、やれることはやった。あとは本番に臨むだけだ」

 

「……なぁ、あんちゃん」

 

今日のタマは何だかナーバスだった。声にもいつもの張りがない。二週間の付き合いであるが、俺も彼女が豪胆に見えて意外と神経質なところがあることを少しずつ分かり始めていた。

 

「どうした、タマ?」

 

「いや、なんでもあらへん。今日もあんがとな」

 

 それだけ言うとタマは踵を返した。俺はタマに礼を言われる――それくらいには彼女に信用して貰ったことを内心喜びながらも、その小さな背中に声をかけた。

 

「もう少しだけ話さないか」

 

……

…………

 

 学園の片隅にある小さなベンチ。そこに二人で腰を下ろす。

 俺は自販機で買った缶コーヒーをタマに渡した。一番甘いヤツだ。彼女は軽く会釈してから、缶を受け取って一口飲んだ。

 

「美味いな」

 

「それはよかった」

 

 暫し二人でコーヒーを啜る。

 なんとも言えない穏やかな空気が流れていた。

 

「……ありがとうな」

 

 ボソっとタマが言った。

 

「何がだ?」

 

「……二週間、ウチに付き合ってくれたことや」

 

「……おいおい。元はといえば俺がタマのトレーナーになりたくて始めたことだぞ。俺が無理矢理押し通した賭けだ」

 

「でもな……ウチのトレーナーになりたいなんて、今までアンタしかおらんかった。最初は変な奴やなって思っとったけど……」

 

 タマは顔を上げた。照れくさそうに笑う彼女の小さな顔が、夕闇の中で輝いて見えた。

 

「今はそれなりに感謝してるんやで。ウチは負けるわけにはいかんかったからな」

 

「……なぁ、タマ」

 

「なんや」

 

「……ウマ娘にとってレースに勝ちたいと思うのは当然のことだ。誰もが皆、レースに勝利してウイニングライブのセンターで踊ることを夢見る。でもタマは……」

 

 俺は彼女の宝石のような瞳を真っ直ぐ見ながら問うた。

 

「タマの勝負に対する執念は特別だ。一体何がキミをそこまで駆り立てる?」

 

 ずっと気にしていた事だった。

 タマの勝負根性、そして負けん気は度を超えている。

 トレセン学園の門を叩いた者であれば、勝ちたいという思いを持つのは当たり前である。だがタマの勝利への執念は、他とは明らかに違っていたのだ。

 

「…………」

 

 タマは俺の問いを聞いて俯いた。

 

「あ、いや、別に無理して答えることはないぞ。ただちょっと気になって――」

 

「ウチの家な、ぶっちゃけ貧乏なんや」

 

 俺の言葉を遮るように、タマは話し始めた。

 

「お父ちゃんはウチが10の時に死んでしもうてな。お母ちゃんは体が弱くて、仕事も満足に出来ん。だからウチの家はずっと金が無かったんや」

 

 ぽつりぽつりと、彼女は自身の身の上を話し始めた。

 

「親戚のおっちゃんから援助して貰うとるけど、厳しくてな。ホントならウチがトレセン学園に通える余裕なんて無かったんや」

 

「……………」

 

「ウチだって、自分がトレセンに行けるとは思っとらんかった。でも、お母ちゃんとおっちゃんがお金を出してくれたんや」

 

「……そういえば推薦入学って聞いたな」

 

「うん、お母ちゃん達が無理してお金を用意してくれたんや」

 

 タマは苦笑した。俺は今、一体どんな表情をしているだろうか。

 

「……ウチはな、昔から走るのが好きやった。お父ちゃんもお母ちゃんもチビ達も……ウチが駆けっこに勝つと喜んでくれた」

 

「愛されてたんだな」

 

「特にお父ちゃんは喜んでくれてなぁ……ウチの走る姿がまるで雷みたいって……『白い稲妻』って言ってくれたのもお父ちゃんなんや」

 

「白い稲妻か……確かに、キミにピッタリじゃないか」

 

「……ありがとな。ウチはそれが嬉しくて、走るのが大好きやった」

 

 走るのが好き――元来、ウマ娘なら誰しもが心に抱いて生まれ来る感情である。

 どんなウマ娘でも大なり小なり走りへの渇望が渦巻いている。マルゼンは特にその欲求が強かった。

 ウマ娘は走るために生まれてきた。

 俺はそう考えていた。

 

「このまま走り続けられたらなって、思っとった。でもな、そうもいかんくなった」

 

「……家族のことか」

 

 タマはコクンと頷いた。

 

「ウチの夢はな。レースで勝って。勝って勝って勝ちまくって、賞金ガッポリ稼いで……家族に、お母ちゃんやチビ達に楽させてやることなんや」

 

「…………」

 

「チビ達に美味いもんいっぱい食わせて、欲しい物何でも買ってやって、お母ちゃんもちゃんとした病院つれてって、おっちゃんたちにも恩返しして……」

 

 そこまで言ってタマはハッと顔を上げた。

 

「すまんな。急にこんな話してもうて……」

 

「いや、聞いたのは俺の方だ。こちらこそゴメンな。あんまり話したいことでもないだろうに」

 

「……そうや。こんなこと話すことなんて……こんなこと他人に話すなんて……ちょっと前までは考えられへんかった……」

 

 唇を震わせながら、タマは立ち上がった。さっき買った缶コーヒーは空っぽになっている。

 

「これ、あんがとな。もう帰るわ」

 

 それだけ言うとタマはベンチから離れていく。

 

「タマ」

 

 俺の声を聞き、タマは立ち止まった。だが振り返りはしなかった。

 

「『白い稲妻』だ。もし熱くなったときは、その言葉を思い出せ。走る楽しさと、ハングリー精神。この二つがあればキミは無敵だ」

 

「……本当に下手なべしゃりやなぁ……」

 

 それだけ言うとタマはそのまま帰って行った。

 あのタマが自分のことをあそこまで話してくれたのだ。

 絶対に勝たせてやる。

 俺は、そう心に誓うとベンチから立ち上がったのだった。

 

 …

 ……

 …………

 

 いつものような、緊張は無かった。

 毎回模擬レースに出場する時は心臓が激しく高鳴り、神経がピリピリするのが恒例やった。でも、今日はそれがない。

 ただ体が本番の勝負へ向けて熱くなっていくのを、感じるだけやった。

 これまでのレースは一人。たった一人の真剣勝負やった。でも今回は違う。ウチの背中を押してくれた人がおる。それだけでも大分、気が楽になった。

 

 簡易的に設置されたゲートに向かう。

 既に他のウマ娘が何人か揃っとって、その中に一人、見知った奴がおった。

 

「はぁい、おチビちゃん」

 

「……なんでお前がおるんや」

 

 馴れ馴れしく声をかけてきたのは、モブサイクロンの奴やった。相変わらず、人を小馬鹿にしたような態度で虫酸が走る。

 でも同時になんでこの模擬レースに出場するかが分からんかった。このレースは専属トレーナーの着いていないウマ娘たちが、同じく専属のウマ娘を持たないトレーナー、あるいはチームを持つトレーナーに自身を売り込むためのモノや。こいつにはもう、トレーナーが着いていたはずやが……

 

「あらら、折角話しかけてあげたのにつれないわね」

 

「ほっとき。冷やかしでレースに出るんなら帰れや」

 

「ふん、弱いおチビちゃんにはわからないだろうけど。模擬レースを見に来るトレーナーは毎回変わるのさ」

 

「それがなんや?」

 

「これだから……今の担当よりも能力のあるトレーナーにアピールするために決まってるじゃない」

 

 呆れたような口調で放った言葉に、ようやくウチは納得した。早い話、優れたトレーナーに引き抜いて貰うべく、自己アピールしに来たんや。

 こういう輩は珍しくない。

 そりゃ強くなるためには、腕のいいトレーナーの強いチームに所属するのが手っ取り早い。だからこそレースで勝って実力を示し、目に留りやすいようにする。特に中等部ではレースが少ないから、模擬レースや選抜レースに出なきゃならんのやろ。

 

「ここで勝ちまくって、いずれはスピカやリギルに……ふふふ」

 

 嫌らしい笑みを浮かべながら言うサイクロンの横顔を見ながら、ふとウチの頭の中に考えが浮かんだ。

 もしこのレースで勝ったら、ウチはあのあんちゃんとトレーナー契約を結ぶ。

 そしてその後のレースでもバンバン勝っていったら。

 スピカやリギルやシリウスといった名門チームからスカウトされるんやろうか。

 そん時、ウチはあんちゃんとの関係をどないするんやろうか――

 

「――何や、もうウチの中で担当は決まっとったんやな」

 

 体を縛っていた鎖がドロドロに溶けていくようやった。

 こんな清々しい気持ちでレースに出るんは、ウチがこの学園に来てから初めてや。

 火照り始めた体を押えるように両腕を振りながら、ウチは簡易ゲートに入っていった。 

 そして間もなく、乾いた金属が開く音が鳴った。

 

 出場者は16名。距離800m、芝右回り。

 前の模擬レースと全く同じ、ウチのゼッケンも奇しくも7番やった。

 ゲートが開くのと同時に飛び出す16の影。ウチは体に溜まった熱を排出するような力強さで、勢いよく飛び出した。

 今まで感じたことの無い手応え。ウチははやる気持ちを抑えながらも、周囲を確認して息を落ち着かせる。

 レース中は前方で力を貯めリードをキープし、最後の直線で一気に爆発させる……それがトレーナーの作戦やった。

 トップはあのサイクロン。その後ろに数人がぴったりとくっついとる。ウチは5番手っちゅうところか。後方のウマ娘も離れすぎない距離でこっちを窺っとる。

 ……驚くほどウチは冷静にレースの状況を観察できていた。

 今まではただゴールまで辿り着くことだけを考えとった。自分でも変わってきていると自覚できる。

 あとは勝つだけやな。

 そう考えながら第一コーナーを曲がり、そのまま第二コーナーにさしかかった。

 800mは短い。この第二が最終コーナーでもある。

 順位は相変わらずで、ウチは先頭集団のすぐ後ろに控えていた。

 ここを抜ければ、一気にぶち抜く……そう思い息を整えた時やった。

 

「っ……!」

 

 ウチの進路の前にサイクロンのヤツがスライドしてきおった。丁度、前を塞ぐような位置。斜行とか進路妨害とか色んな単語が頭に浮かんだが、どれが正解かわからん。

 ただ、一つ分かる事は。

 

 ――こんなとこでも喧嘩売ってきおったか!

 

 歯ぎしりすると、ウチはサイクロンへと肉薄した。

 

「今日は頑張るじゃん、チビ助ちゃん」

 

 ほんの少しだけ後ろを向いたサイクロンから漏れた言葉に、ますますウチの頭は熱くなる。

 今までの恨みもある、このまま思いっきり――

 

「タマーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」

 

 不意に、そんな声が聞こえた。

 耳を立てんでも分かるほど、大きな声量。

 ここんところ、ずっと近くで聞いとった声。

 

「白い稲妻だ!」

 

 まるで雷が体を貫いたようやった。

 怒りで見えなくなっていた視界が澄み渡っていく。

 ハッキリと見える。

 今まではこんな事はなかった。また背中を、押して貰うた。

 ウチを嘲笑うサイクロンとそれに併走する他のウマ娘たち。

 そしてその間に生まれた僅かな隙間。

 コーナーは曲がりきった。残るは。

 

「直線っ!」

 

 姿勢をより前に突き出すようにウチは勢いよく踏み出した。

 

「なっ!?」

 

 挑発に乗らんかったことか、それともウチが加速したことに驚いたか。

 サイクロンはそんな声を上げおった。

 ウチとあいつの距離が縮まっていく。

 3バ身、2バ身、1バ身――そしてついに並んだ。

 

「このっ……」

 

 再びサイクロンの身が迫る。

 一触即発、肩が触れるか触れないかの距離でウチはぐいっと身を乗り出した。

 風を切る音が聞こえる。

 相手の息を呑む音が真横から聞こえた。そしてそれは次第に遠ざかっていく。

 気が付くと、前には誰もおらんかった。

 嗚呼、これが先頭……本当の……

 頭が真っ白になった――

 

「レース終了。一位はゼッケン7番、タマモクロス」

 

 模擬レースには実況も解説もいなければ、掲示板も無い。

 ただゴールの前にいる上級生が淡々と結果を告げるだけや。

 それでも、ウチの耳には確かにハッキリと聞こえていた。

 勝利。勝利や。ようやく中央で一番になれた。

 緩やかに速度を落としながら、ウチはその事実をゆっくりと理解していった。

 脚がガクガクする。これは疲れか、はたまた緊張か。

 荒れる息を整えながら、ウチはぼぉーとする頭を冷やしていく。

 ようやく体が止まり、膝を両手で押えた時。

 

「タマっ!」

 

 声が聞こえた。

 レース中、ウチを救ってくれた声が。

 いや、もっと前からウチを助けてくれた。 

 誰からも見て貰えず中央で腐っていくだけやった一人のウマ娘を、見つけてくれた声が――

 

「ホント、よくやったな……」

 

 温かい感触が肩を包む。

 思った以上にゴツゴツして硬いそれは、男の人の両手やった。

 

「……ウチ、勝ったんやな?」

 

「ああ、お前の勝ちだ。お前が勝ったんだよ」

 

 いつもはキミ言うとったのに、素やと結構荒っぽい話し方なんやな。それくらい興奮しとるってことなんやろうけど……

 

「……どや? ウチの実力、見てくれたか?」

 

「見てたさ。よくやったよ、タマ」

 

「ありがとうな……」

 

 ウチは一呼吸置くと顔を上げて、あんちゃんの顔を見ながら笑った。

 

「トレーナー」

 

 …

 ……

 …………

 

 無我夢中で俺はタマを抱き上げていた。

 小さな体はレースで火照ったのか、炎のように熱い。

 恥ずかしさからか耳まで真っ赤にしながら、彼女は。俺の愛バは何やら叫んでいる。

 でもそれすら耳に入らない程、俺は興奮していた。

 最高の走りだった。

 マルゼンスキー以来、俺が求めて焦がれた走り。

 しかもこれで終わりでは無い。

 きっと修練を積めば彼女の走りはより素晴らしいモノへと変わるだろう。

 やはり俺の目は間違っていなかった。

 ようやく。

 ようやく見つけた新しい太陽。

 

「俺は今日から、お前のトレーナーだ」

 

 白い稲妻を俺は空に掲げた。 

 

「そしてお前は、アンタレスのタマモクロスだ!」

 

 透き通ったように輝く美しい芦毛が、青い空へと溶けていった。




これでタマモクロスと主人公の出会いの話はひとまず完結です。

次からはまた日常回へと戻る予定です。

でもいつかオグリとの話も書きたいと思いますのでどうかよろしくお願いします。


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太り気味

明けましておめでとうございます。

今年もゆっくりと書いていきますので、よろしくお願い致します。

一周年アニバーサリーがもうすぐなので、楽しみですね


 グラスワンダー、目標・朝日杯FS。

 ハルウララ、目標・ユニコーンS。

 ダイワスカーレット、目標・チューリップ賞。

 

 ホワイトボードに書かれた3つのレース。俺はその文字をトントンと、マジックで叩いた。

 

「見ての通り、三人にはまずこのレースを目標にしてもらう。準備期間もたっぷりとある。だが油断しては駄目だぞ。この一年で三人とも徹底的に鍛え上げて、万全の状態でレースに向かって貰う」

 

 チーム・アンタレスのホームであるプレハブ小屋。そこで俺は今後の予定を皆に説明していた。

 

「朝日杯……ジュニア級の最強を決める、大事なレースですね」

 

「ゆにこーん? なんだか分からないけど、凄いレースなのかな?」

 

「あたしの目標であるトリプルティアラの一角、桜花賞の前哨戦……チューリップ賞ね」

 

 それぞれが三者三様の反応を見せつつ、レースへの意欲を燃やしている。

 特にグラスは日頃から競い合っているエルコンドルパサーやキングヘイローと初めて戦うG1レースだ。レースに対する熱意も大きいだろう。

 

「目標レースまではチームレースで実戦の勘を鍛える。朝日杯とチューリップ賞は両方ともマイルだから、スカーレットとグラスは交代でマイルを走って貰う。ウララはダートだな」

 

 基本的に目標レースと大きな重賞レース以外にはウマ娘を出走させずに、練習で基礎を鍛えていく。桐生院先輩からの教えだった。

 

「年末の朝日杯は兎も角、ウララとダスカは本番までかなりあるな」

 

 オグリの言うことも一理あった。

 

「ああ。チームレースで物足りないようなら、スカーレットはホープフルステークス。ウララにはオープン戦を幾つか走らせることも考えている」

 

「どっちにしても、まだまだ先みたいね」

 

 スカーレットが大きく息を吐いて言った。

 若い彼女たちにとってはもどかしく感じるかもしれないが、年単位でスケジュールを組むのも俺たちトレーナーの仕事なのだ。

 

「私とタマはやはり天皇賞か?」

 

 するとオグリが俺の袖をくいくい引っ張って尋ねてきた。

 

「ああ、だが今年タマは出場しない予定だ」

 

「え……な、何故だ……」

 

 俺の言葉を聞いて、オグリはショックを受けたようだった。確かにオグリとタマは去年の天皇賞(秋)で激突し、大接戦の末タマの勝利で終わった。その後の有馬記念でリベンジしたものの、オグリはやはり天皇賞でもう一度タマと戦いたかったのだろう。

 

「オグリがそう言うてくれるんはありがたいんやけど、ウチはチームレースを主戦場にするで。これはこれで稼げるしな」

 

「しかし……」

 

「それにウチらはもう2年。チームの後進の育成とドリームトロフィーリーグの準備もせんとな。まあ、幸いドリームリーグで稼げるくらいにはG1も勝っとるし」

 

 実力のトゥインクル、人気のドリームトロフィーと言われるのが現状である。

 多くのスポンサーが付き、トレセン学園時代の倍は賞金が払われるのがドリームトロフィーリーグだ。

 そこに進めるのは、トゥインクルシリーズで活躍したウマ娘の中でも極一部のみ。

 それほど狭き門なのであった。

 

「それにレースばっか出場して体壊したら、元も子もないからな! オグリだって春に脚痛めて大阪杯と春天に出れんかったんや。何とかチームレースには出れたけど、秋までに体休めんとな」

 

 そこまで言われオグリも理屈は通じたのか、しゅんと耳を下げて頷いた。

 昨年の有馬でタマとデッドヒートを繰り広げたオグリだったが、それが祟って繋靱帯炎を発症。そのまま治療に専念したために、年始のレースには出場できなかったのだ。

 この前のチームレースは地味に久々のレースだったりする。

 

「でも有馬には出場する予定やで! 去年のオグリのリベンジは勿論、平成もとい永世三強をぶっ倒して白い稲妻が健在っちゅうことを知らしめたるで!」

 

「そうか……ならば私も完璧に仕上げて、君に挑もう。その前にクリークと春天で台頭してきたイナリを倒さないとな」

 

「よし、これで皆の目標も決まったな……じゃあ早速、練習開始だ」

 

『オーっ!』

 

 五人が拳握って、元気よく叫んだ。

 グラスとスカーレットはマイルなので二人で併走。

 ウララはパワーを重点に置いてオグリと練習。

 タマは両方の手助けという格好になった。

 皆で練習し、切磋琢磨して本番に備える。

 これがチームとしてのやり方だった。

 そして日も暮れ、練習を終えた皆がプレハブ小屋に戻ってくる。

 我がチームのホームにはシャワーが無いので、一旦校舎のシャワー室で汗を流してからの集合だった。

 

「皆、お疲れやで! 今日はこのタマモクロス特製のたこ焼きスペシャルや!」

 

 そして振る舞われる、タマのたこ焼き! 

 いつも練習前か練習後に俺とタマが交代で軽い食事(ウマ娘基準)を作る。練習がハードな時は後から作るようにしているのだ。

 

「やはりタマの作るたこ焼きは美味いな……」

 

「本当に……たまりませんわ」

 

 舌鼓を打つオグリとグラス。しかし結構動いた後に、これだけ食べられるのは本当に凄い。

 やはり人間とウマ娘は違うということを、まじまじと実感していた。

 

「しかし皆、よく食べるなぁ」

 

「成長期だからな!」

 

 もう高等部2年生のオグリがハムスターのようにたこ焼きを頬に詰めて言った。

 これで更に成長するとか、凄いな……

 

「確かにこれだけ食べて太らないのは羨ましいな。勿論、レースとかで動くのもあるだろうが……」

 

「まあそれに体を作るのに飯は必要やからな! ウチがあんまり喰えんかった分、皆には食べて欲しいからな」

 

「ありがとう、タマ……感謝するぞ」

 

「タマ先輩、おかわりをお願いします」

 

「おう、まかしときっ!」

 

 平穏な日常。 

 トレーナーである俺がこんなことを思うのはいけないかもしればいが、こんな日常が続いていけばいいな……

 そんな日常の風景だった。

 だがコレで終わるほど、人生は中々甘くない。

 意外な落とし穴がその後に待っていたのだ。

 数日後。 

 

「太り気味……だな」

 

 ふくよかになってしまったオグリとグラスを見て、俺は頭を抱えるのだった。 

 

 確かに思い当たる節は幾つもあった。

 目標となるレースまで大分、時間があること。

 その間は基本チームレースだけであること。

 練習量はそこまで変わらないこと。

 それなのに食事量を変えなかったこと……

 

「全部俺の責任だ。すまない……二人とも」

 

「いや、ウチも皆が食べて喜ぶのを見とうて作りすぎた」

 

 なんだかんだ言って、自分が作った料理を喜んで食べてくれる人を見るのは、嬉しいモノなのだ。

 

「このグラス……一生の不覚。悔やんでも悔やみきれません……」

 

 ぽっこりとなってしまったお腹を擦りながら、グラスが悔しげに俯いた。

 オグリが凄まじすぎて目立たないが、グラスワンダーも結構な健啖家なのだ。

 

「すまない二人とも……私も節操なく食べ過ぎた……ところで、今日のまかないは何だ?」

 

「食べる気なんかい! ちっとは気にせぇや!」

 

 相変わらずマイペースなオグリにツッコミいれつつ、タマはウララとスカーレットの方を見た。

 

「そう考えると二人は太ってヘンな」

 

「ウララはオグリ先輩たちほど食べてないからだよぉ」

 

 ウララもいつも通りの朗らかさで答えた。確かに、ウララは食べることは食べるがオグリ達に比べれば一般的な量であった。

 しかしそう考えるとグラス並みに食べているスカーレットはどうなんだろうか。

 

「いえ……実はあたしもちょっと……」

 

「何々? 太ったんか?」

 

 目ざとくタマが突くと、スカーレットは頬を朱くして俯いた。

 

 ――バチン!

 

 瞬間、そんな音と共にスカーレットの胸元から何かが飛んだ。

 

「やだ……またボタンが……」

 

 開けた胸元を両手で恥ずかしそうに隠しながら、スカーレットは体を縮こませた。

 なる程、彼女は胸に栄養が集中するタイプらしい。

 とはいっても未成年の少女の胸を見るわけにはいかないため、俺は咄嗟に目を逸らした。彼女がチラチラ俺の方を見てきた気がするが、あえてスルーした。

 

「……グラス……何で神様はこんな残酷なんやろうな」

 

「違いますよ、タマ先輩。残酷なのは世界なんです……」

 

 異様にテンションが落ち込んだタマとグラスの背中を擦ってあげている、ウララはいい子だと思う。

 

「と、言うわけでダイエットだ。勿論、二人だけとはいわん。俺も同じように食を減らすから、一緒に頑張ろう」

 

「あたしも参加します。勝負服が苦しくて……」

 

「スーちゃん。もしかして喧嘩を売っているのかしら~」

 

「ちょっ……そんなつもりじゃ……」

 

 予想以上に卑屈になっているグラスに、さすがのスカーレットも狼狽えていた。

 だが彼女以上に狼狽しているのは、オグリだった。

 

「だ、ダイエット……だと……」

 

 まるでこの世の終わりのような表情で、オグリは立ち上がった。

 

「本気なのか……トレーナー」

 

「ああ……」

 

「食べられないのか……君とタマの料理が……」

 

 瞳を潤ませて上目遣いで見てくる彼女に一瞬、決心が揺らぎかける。大型犬みたいで本当に可愛い……が、心を鬼にして俺は頭を立てに振った。

 

「一緒に……頑張ろう」

 

「あああ……タマ……」

 

 すがる様にオグリはタマを見た。

 

「言っとくけど、ウチは容赦せんで。痩せるまでビシバシいくで」

 

「ほんのちょっと……いつも通りの、ほんのちょっとだけでいいんだ」

 

「いつも通りだとアウトやろ」

 

「オグリ先輩。私も不退転の覚悟で挑みます。共に骨身削って、身体を搾りましょう」

 

「ぐ、グラス。顔が怖いぞ……」

 

「……私はお腹でスーちゃんは胸なんて……こんな理不尽……許されない……」

 

 かなり私怨も混じっていそうだが、グラスはやる気のようだ。

 

「摂取したカロリーよりも動けば自然と痩せていくはずだ。だからここでカロリーをよく使う、スタミナとパワーを鍛えるトレーニングを行なっていく」

 

「確かに水泳やタイヤ引きか、確かに痩せそうやな」

 

「ウララもぱわーの練習するよ! 一緒にがんばろー!」

 

 元気いっぱいのウララに絶望的な顔で連れていかれるオグリと、凄まじく強張った顔でついて行くグラス。

 こうしてチーム・アンタレスのダイエットは始まったのであった。

 しかし……

 

「オグリっ! 何、食堂でがっついとんねん!」

 

「チームのホームで何も食べられないんだ……ここで食べるしか無い……そう思った」

 

「グラス先輩! 落ち着いて下さい! あれは食べ物ではありません!」

 

「離してスーちゃん……ライスのシャワー……つまり、夢の炭水化物」

 

「ライスちゃんはご飯じゃないよ-」

 

 食堂で盗み食いしようとするオグリに、ウララの友人であるライスシャワーを食べようとするグラス。

僅か3日でこの有り様だった。

 

「オグリは兎も角、グラスもここまで追い込まれるとは思わんかった……」

 

 オグリを椅子に縛り付けたタマが、げっそりとして言った。

 

「元々、成長期であるのとアスリート

として体作りのために沢山食べてたからな」

 

生き物の三大欲求の一つを封じているのだから、その辛さも人一倍だろう。これも俺の管理能力の甘さが招いたこと。二人には申し訳ない……たまたまウララと一緒にいただけで襲撃されかかったライスシャワーにも申し訳ない。怯えてウララの影に隠れてしまっている。

 

「どないすんや? このままじゃ餓えた二人が暴れだすは時間の問題やで?」

 

「……そうなったら止められるか?」

 

「……天然のフィジカルモンスター、オグリとチーム最大の武闘派グラスを止めれると思うか?」

 

「…………」

 

 考えただけで絶句する。二人とも人智を越えたパワーを持つウマ娘。そんな彼女たちがリミッターを外して襲ってくれば、俺はミンチより酷い状態になりかねない。

 

「……仕方ない。可哀想だけど、最後の手段を使う」

 

「最後の手段?」

 

 目をパチクリとさせながら、タマは俺の顔を覗き込んで尋ねた。

 

「……週末、合宿を行う。用意しておいてくれ」




後編に続く……予定です


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ダイエット合宿

バレンタインデーのボイスよかったですね。

数人からチョコを貰えるなんて、サイゲも太っ腹だと思います。


「わぁーっ! すっごく綺麗!」

 

 ウララの楽しそうな声が車内に響いた。

 窓の外に広がっているのは青い空と、新緑に包まれた木々たち。都会のど真ん中にあるトレセン学園からでは普段見られない自然の風景に、地方生まれのウララはテンションが上がっているようだった。

 

「やっぱり、山は落ち着くな……」

 

 笠松生まれのオグリも同じような心持ちなのか、はしゃぐウララの隣で風景を眺めている。 

 現在、俺たちチーム・アンタレスは6人乗りのワンボックスカーを貸し切って、とある場所へと向かっていた。

 週末、土日。さらに月曜日が祝日なので三連休とあってチームのメンバー全員が参加している。

 俺の助手席にはタマが座り、後ろにウララとオグリ。その後ろにグラスとスカーレットが座っていた。

 

「晴れてよかったなぁ、絶好の行楽日和や」

 

 タマが朗らかに言った。

 行楽――そう、表向きに俺達はチームで行楽にやってきたことになっている。

 チーム・アンタレスでの簡単な合宿。

 だがそれは建前。

 本当の目的は今進んでいる山道の先にある。それを知っているのは俺とタマ、グラスとスカーレット。

 オグリには内緒で、隠し事が苦手なウララにも伝えていなかった。

 

「お、見えてきたぞ」

 

 そんなことを考えていると、目的地が見えてきた。

 山奥に作られた駐車場、そこに俺は車を止めた。

 

「ここは……お寺?」

 

 駐車場に建てられた大きな木造建築物を見て、ウララが言った。

 

「そう、お寺だ」

 

 俺はエンジンを切ると、外に出た。山特有の澄んだ空気が心地いい。

 

「桐生院寺……どこかで聞いたことのある名前ね」

 

 車を降りたスカーレットが駐車場に書かれているお寺の名前を目ざとく発見する。

 

「ああ、ここは桐生院先輩の親族のお寺なんだ」

 

「へえ、名家っていうだけあって色んな所におるんやな」

 

「ああ、だからこそ許可もスムーズに取れたよ」

 

「確かに景色もいいですし……もってこいの場所ですね」

 

 スカーレットの後ろを着いてきたグラスが静かにそう言った。

 彼女はここでこれから何を行なうか知っているためか、凄みのある声だ。

 

「ねぇねぇ、あそこまで行ってみようよ!」

 

 そんなグラスとは対照的にウララは楽しそうに、奥に見えるお寺を指差した。

 

「ああ、皆で行こうか」

 

 俺はウララの手を握るとお寺に向かって歩き出す。ぎゅっと握ったちっちゃな手が心地よかった。

 少し歩き、山門をくぐると目的地である桐生院寺の本殿に辿り着く。

 

「へえ、結構大きいなぁ」

 

「ええ。雰囲気も素朴でとてもいいですね」

 

 日本文化大好きなグラスはこういうの好きだろうなぁ、なんて考えているとお寺の影から人影が一つ現れた。

 穏やかな顔をした禿頭の老人――この桐生院寺の住職さんだった。

 

「ほっほっほ、そう言って貰えれば何よりですな」

 

 伸びた白い髭を擦りながら、好々爺といった雰囲気で住職さんは俺たちの前までやってきた。

 

「葵ちゃんから話は聞いております。トレセン学園の皆さんですな。ここの住職をやっております桐生院と申します」

 

「始めまして、いつも桐生院先輩にはお世話になっています。今回は急な申し出にも係わらず受け入れて下さり、ありがとうございます」

 

「いえいえ、儂らの一族は代々ウマ娘と深く関わってきた家系です。若いウマ娘のために協力するのは当然のことです」

 

 チームの皆にも軽い挨拶をしてから、住職さんは朗らかに言った。

 

「では二泊三日の『断食修行コース』、よろしくお願いします」

 

「っ!?」

 

 瞬間、オグリは最高のスタートを切った。が、

 

「逃がさへんでオグリ」

 

「先輩、申し訳ありませんがココに残って貰います」

 

 それを予測していたタマとスカーレットが両脇からオグリをガッシリと押さえ込んだ。

 そう。今回ここに来た真の目的は、太り気味になったオグリとグラスのダイエットのためであった。

 

「は、離してくれ二人とも! わ、私はそんなことをするなんて聞いてない」

 

「安心せい、オグリ。ほんまに何も食べんわけやない。少しやがお粥と山菜の漬物も出るらしいで」

 

「そ、それだけじゃお腹いっぱいにならない……」

 

「オグリ先輩。あたしも一緒の修行をしますので、どうか我慢して下さい」

 

「だ、ダスカ……後生だ。許してくれ……」

 

 後輩に必死で懇願するスターウマ娘。そんな彼女にグラスがゆっくりと近づいた。

 

「オグリ先輩。私も相当な覚悟を持って挑みます。どうかオグリ先輩も不退転のお覚悟を」

 

 修羅の形相で言う後輩にさすがのオグリも黙り込んでしまう。

 

「皆でお泊まりなんて楽しそうだねー」

 

 唯一、状況を上手く理解していないであろうウララが、楽しげに荷物を運んでいた。

 

「オグリ、俺も同じメニューで頑張る。一緒にスリムな体型を取り戻そう」

 

「あああ、トレーナー……」

 

 縋るように視線をぶつけてくるオグリに胸が痛くなるが、俺は心を鬼にして言うのだった。

 

「一緒に頑張ろう」

 

 オグリが息を呑む。

 二泊三日の合宿が始まろうとしていた。

 

 

 …

 ……

 ………

 

 合宿中は寝坊と呼ばれる宿泊施設に泊まることとなった。

 お寺よりも新しく建てられたようで外見も、綺麗に整っている。内装もちょっとした旅館のようになっており、二泊するには問題なさそうだ。

 

「しかし山で合宿なんてよく考えたなぁ」

 

「ああ。桐生院先輩から聞いてな。太り気味のウマ娘を痩せさせるために、桐生院家が代々ここで修行をしてたらしい」

 

「確かにココなら街から離れとるし、もってこいかもしれへんな」

 

 タマと一緒に荷物を運んで、皆が泊まる部屋に置いていく。

 五人はこの大人数用の部屋で、俺はそこから離れた本堂で眠ることになっていた。

 折角のお泊まりだ。俺が近くにいない方がいいだろう。

 

「・・・・・・それにここでもしオグリやグラスが暴走しても、人里離れているから被害が少ない」

 

 小声でタマの耳元で言うと、彼女も苦笑した。

 実際にあの二人が暴れ出したら俺たちじゃ止められない。

 だがお寺の人達と協力すれば何とかなるかもしれない・・・・・・まあそんなことになら無いようにするつもりだが。

 

「トレーナー、まずは何をするの?」

 

 荷物を運び終えたスカーレットが尋ねてきた。

 

「ああ。まずは僧堂で座禅だ。折角お寺に来たのだから、精神面の修行もしないとな」

 

「己の心を静かに見つめ直し、森羅万象と一つになる・・・・・・素晴らしいですね」

 

 興味津々といった様子でグラスが言う。日本文化を好む彼女には、今回の合宿は好印象なのだろう。

 

「わぁーっ、楽しそうだね!」

 

 ウララも新鮮な感じで楽しそうだ。

 この中で一人だけテンションが低いのはオグリだけである。

 それでも皆での合宿なのだから、自然と機嫌も治るであろう。そう考えながら、俺たちはジャージに着替えて僧堂へと向かうのだった。

 

 僧堂は本堂の中にあり、普段はお坊さんが仏道修行を行なう場所である。中は広く、心なしか厳粛な雰囲気で床には畳が敷かれていた。

 

「おお・・・・・・なんかえらい静謐な場所やな・・・・・・」

 

「精神を統一するには持って来いだな」

 

 俺はそう言うと、人数分の座布団を床に敷いていく。

 

「そういえ座禅って聞いたことはあるがやったことはないなぁ。ダスカはどうや?」

 

「いえ、あたしも・・・・・・トレーナー、あんたは?」

 

「俺も住職さんに簡単には教えて貰ったけど・・・・・・」

 

「うふふ、こうやるのですよ。トレーナーさんも見ていてください」

 

 するとグラスがそのまま、座布団の上に腰を降ろした。

 そして背筋を伸ばし、両足をそれぞれの太腿の上に乗せて掌を上にして両手の指を組む。最後に深く深呼吸する。

 考えられる限り、最高の座禅のふぉーむであった。

 

「グラスちゃん凄い! どこかで習ったの?」

 

「うふふ。以前興味がありまして調べてみたのです」

 

 身体を動かさず上品にグラスは続けた。

 

「とはいってもすぐには出来ませんので、各々が出来る形でやることが最善だと思います。あくまで座禅は、心が大事ですので」

 

「・・・・・・そうか。よし、俺たちもやってみるか!」

 

「せやな! 心頭滅却すれば、なんとやらってやつや!」

 

 こうして俺たちチームの修行は始まった。

 俺たちは出来るだけグラスのようなポーズで、座禅を組んで目を閉じる。

 自然と一体になり、己を見つめ直す。

 本当に出来るとは思えないが、何だか感覚は掴めそうな気がした。

 都会の喧噪から離れた自然に囲まれているからか、耳に聞こえてくるのは野鳥の囀りや虫の鳴き声。

 何とも厳かな雰囲気だ。これなら心も自然と穏やかに・・・・・・

 

 ――ぐぅううううううううっ!

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 突如、そんな音が僧堂に響いた。

 オグリの方から聞こえてきたのだ。

 とりあえず深呼吸し、もう一度乱れた精神を穏やかに・・・・・・

 

 ――ぐぅぅぅぅうううううううううううっ!!」

 

「・・・・・・オグリ」

 

 呆れたようなタマの声が聞こえてきた。

 

「・・・・・・違うんだ。私だって出そうと思って出したわけじゃ無いんだ」

 

「それはわかっとるんやが・・・・・・」

 

「朝ご飯が少なかったんだ。ご飯と味噌汁と漬物と目玉焼きと焼鮭と千切りキャベツしか食べていないのだが」

 

「しっかり食っとるやないかい!」

 

 タマの鋭い突っ込みが飛んだ。

 まあ朝はちゃんと食べないと体が動かないから、ダイエット中とはいえ多めに食べてもいいとは言ったが・・・・・・

 

「お二人とも、集中」

 

 グラスの言葉に芦毛コンビは口を閉じた。が、直後。

 

 ――ぐぅぅぅううううううっ!」

 

「がーっ! こんなん集中出来へん! オグリ! 少しは音を止められへんのかいな!」

 

「すまない、無理だ。何か食べられれば、収まると思うのだが・・・・・・」

 

「・・・・・・チラチラ俺を見ても駄目だぞ、オグリ」

 

「そんなっ・・・・・・私は・・・・・・」

 

 ――ぐぅぅぅぅぅぅぅううううっ!!

 

「オグリ、また・・・・・・」

 

「いや、今のは私ではないぞ」

 

「え?」

 

 きょとんとした顔でタマは辺りを見渡した。俺も釣られて音の方へと視線を向ける。

 すると耳まで真っ赤にしたグラスが、恥ずかしそうに俯いているのが見えた。

 ・・・・・・思わず、俺とタマは目を逸らした。

 横で必死に笑いを堪えているスカーレットも見なかったことにしよう。

 

「・・・・・・不覚です・・・・・・この不肖、グラスワンダーをどうかお裁きください・・・・・・」

 

「い、いや、大丈夫だぞグラス。ちゃんと減量している証拠だ。それに生理現象だし・・・・・・」

 

「そうだぞグラス。私達が頑張っている証しだ。堂々としよう」

 

「お前は少しくらい恥ずかしがりぃや!」

 

 本当に堂々としているオグリに、タマが突っ込んだ。

 確かにこの年頃の女の子なら、腹の虫を他人に聞かれたら恥ずかしいハズだ。

 それを恥ずかしがらないばかりか、むしろ誇らしげにしているオグリはやっぱり大物だと思う。

 

「全く、皆、全然集中出来てないじゃないですか」

 

 ようやく笑いを抑えたスカーレットが苦笑しながら言った。

 

「しゃーない。元々あんまウチらには合ってなかったんやろ。そう考えるとウララは凄いな。こんだけ騒がしくても静かに座っとる・・・・・・」

 

「・・・・・・ぐぅ・・・・・・」

 

「って、寝とんのかい!」

 

 座禅修行は数分で終了した。

 

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 

 その後、お寺の周りでパワー中心のトレーニングを行なった。

 境内は広くないので走ったりはあまり出来ない分、軽く筋トレやダンスの練習を兼任したトレーニング。

 軽い昼食を取った後、泊めて貰うお礼として寺の掃除。その後にまたトレーニング。

 たっぷり運動して汗をかいた後、寝坊の奥にあるお風呂で汗を流す。

 そして夕飯。何事もなく、合宿は進んでいた。

 ただ一人を除いて。

 

「これ・・・・・・だけか・・・・・・」

 

 お盆に乗った夕飯を見たオグリが、絶望的な声色で言った。

 今夜のメニューは少量の漬物とお吸い物のみ。昼食の時はお粥もあったが、夜だから炭水化物を抜いてくれたのかもしれない。

 

「あるだけありがたいやろ。さっさと食うで」

 

「お腹空いたよぉ~」

 

「我慢よ、ウララちゃん。これも適正体重に戻すため」

 

「確かにこれは堪えるわね・・・・・・」

 

 成長期で運動したという事もあって、皆は空腹のようだった。

 

「ああ、もう食べ終わってしまった・・・・・・トレーナー、おかわりは・・・・・・おかわりは無いのか・・・・・・」

 

「すまん、オグリ。今回は駄目だ。我慢してくれ」

 

「そんな・・・・・・タマぁ・・・・・・」

 

「痩せるための合宿や。後二日、気張りや」

 

「あああああ・・・・・・」

 

 嘆きながらオグリは崩れ落ちた。

 可哀想だが仕方が無い。

 でもこの様子ならきっと合宿が終わった時にはかなり適正体重に近くなっているはずだ。後は普段のトレーニングで搾っていけばいい。

 俺はそう思いながら、お吸い物を飲み込んでいくのだった。

 

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 

「お布団、ふかふか~。本当に旅行みたいだねっ!」

 

 夕食後、トレーナーと離れた五人は寝坊の部屋に戻ってきていた。

 これから消灯時間の九時まで、まだ時間があった。そこは自由時間となっていて、五人は各々好きな事をしていいことになっていたのだ。

 畳の上に布団を敷き、そこへウララが勢いよく倒れ込む。

 

「ねぇねぇ、トランプしようよ! あとあと、枕投げも!」

 

「ウララちゃん、本当に旅行じゃないんですよ」

 

「でもトランプくらいなら出来る時間もありますね。ウララ先輩、やりましょうか」

 

 和気藹々とする中等部三人、一方高等部の二人は・・・・・・

 

「タマ、お腹が空いた」

 

「そんなことわかっとるわ! はよ、離れんか!」

 

 色々と残念だった。

 ダウナーな状態で自身に寄りかかるオグリに、タマは困ったように言うのである。

 

「・・・・・・タマの身体はいい匂いがするな」

 

「・・・・・・オグリ?」

 

 最初はじゃれ合っていたようにも見えた二人であったが、いつの間にかオグリの瞳に妖しい光が宿り始めていた。

 

「たこ焼きの香りがする・・・・・・」

 

「そ、そんなわけあるかいっ! オグリ、きっと疲れとるんや・・・・・・はよ寝んと」

 

「お好み焼きの匂いもするぞ・・・・・・美味しそうだな・・・・・・」

 

「お、おい。おかしいでオグリ。もう横になろうか」

 

「・・・・・・ペロリ」

 

「っ!」

 

 さすがのタマも完全に動きが止まってしまう。

 中等部の三人も思わず息を呑んだ。

 

「・・・・・・甘い」

 

 ペロリと唇を舐めるとオグリは呟いた。

 

「・・・・・・あかん。正気や無い」

 

 親友の精神状態がおかしくなっていることを悟ったタマは、オグリを引き剥がそうとする。

 

「お腹が空いた・・・・・・!」

 

「ちょ、やめ、落ち着けオグリ!」

 

「タマは美味しそうだな・・・・・・」

 

「っ!」

 

 そのまま押し倒そうとしてきたオグリを、タマは本能で反射的に跳ね飛ばした。

 

「お、オグリ。落ち着け。落ち着くんや。ウチは食べ物じゃない。分かるな?」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

「それに後二日くらいの辛抱や。痩せたらまた食べていいってトレーナーも言っとったやろ?」

 

「トレーナー・・・・・・そうだ、トレーナーだ」

 

 ハッと気づいたようにオグリは言った。

 

「チームに入るとき、トレーナーは私に毎日ご飯を作ってくれると約束してくれた・・・・・・」

 

「せ、せやったな。でも今はいつもと違う状況やし」

 

「・・・・・・そうだ。トレーナーがいる。私にはトレーナーが・・・・・・」

 

 ゆらり・・・・・・とオグリは立ち上がると、そのままフラフラと部屋を出て行こうとする。

 

「あかん! 皆、止めるで!」

 

 タマの言葉ですぐにグラスとスカーレットが立ち上がった。

 遅れてウララもオロオロと立ち上がる。

 だがさすがは芦毛の怪物・オグリキャップ。

 すぐさまくるりとターンすると、部屋を開けて勢いよく飛び出していったのだった。

 

「不味い! トレーナーのとこへ急ぐでっ!」

 

 タマがすぐさま飛び出し、グラスとスカーレットがそれを追う。いまいち状況を飲み込めていないウララも、後に続いていった。

 

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 

 タマ達が泊まる寝坊から離れた本堂の一角にある小部屋で、俺は布団を敷いていた。

 明日も朝は早い。さっさと寝てしまう。

 それにしても、今日一日中オグリは辛そうだったな。お腹もずっと鳴っていたし・・・・・・

 元々は俺の管理能力の甘さが招いた事だ。彼女には申し訳ない。

 もしダイエットが終わったらいっぱい好きなモノを食べさせてあげよう。

 そんなことを考えていた時であった。

 音が聞こえた。

 遠くの方から何かを叩くような音が聞こえてくる。

 それがこちらに近づいてくる足音だと気が付いた時、部屋の襖がガラリと開いた。

 

「な、何だ・・・・・・オグリ?」

 

 そこに立っていたのは、寝坊にいるはずのオグリキャップだった。

 しかも何だか様子がおかしい。

 瞳は胡乱になっており、虚ろな表情で俺を見下ろしていた。

 

「・・・・・・トレーナー」

 

 焦点の合わない両目で、オグリはいつもよりも低い声で俺を呼んだ。

 

「ど、どうしたオグリ。もうすぐ消灯時間だぞ」

 

「・・・・・・・・・・・・トレーナー、お腹が空いたんだが?」

 

「・・・・・・修行中だ。しょうがない。山を下りたらちゃんと食べさせてあげるから、我慢しなさい」

 

「・・・・・・トレーナー、約束したはずだ。毎日ご飯を作ってくれると・・・・・・」

 

「お、オグリ・・・・・・」

 

 マズい。明らかにいつものオグリと違う。

 本能的に恐怖を感じた俺は思わず後ずさりする。

 

 ――ボタっ

 

 顔に何かが落ちてきた。

 ぬるっとした生暖かい液体が、頬を垂れる。鼻孔に香る独特の臭い。これは、

 

「よ、涎・・・・・・どうしたオグ、リ・・・・・・」

 

「トレーナー・・・・・・も、美味しそうだな」

 

「な、何をする気だオグリ・・・・・・」

 

「駄目だ、もう我慢できないっ・・・・・・」

 

「や、やめっ・・・・・・」

 

 俺がそのまま逃げようとした瞬間、オグリが俺を押し倒してきた。

 すぐ目の前に迫る彼女の整った顔。だがその表情は完全に正気を失っており、口からは唾液がだらだら垂れていた。

 

「お、オグリっ! 何をする辞めろっ!」

 

「トレーナー、約束だ。食べさせて貰うぞ・・・・・・」

 

「は、離せっ! これ以上は・・・・・・」

 

 渾身の力で振りほどこうとするも、所詮は人間。ウマ娘の力には及ばない。

 もがく俺の顔に、ゆっくりとオグリの顔が近づいてくる。

 このままじゃヤバい。

 教え子の高校生に押し倒されたなんて普通に大人としてアウトである。

 というかこのまま俺はオグリに食われるのだろうか。

 正直、オグリなら本当に俺を丸呑みしてしまいそうで怖い・・・・・・

 そんな事を考えている内にオグリの顔はますます迫り、唇が――

 

「やめんかい、ドアホ!」

 

 突然、オグリの身体が跳ねた。突然やって来たタマが、彼女にタックルをかましたのだ。

 吹っ飛んだ彼女を後から来たグラスとスカーレットが押さえ込んでいく。

 危なかった・・・・・・あと少しで捕食される所だった・・・・・・

 

「大丈夫、トレーナー?」

 

 最後にやって来たウララが心配そうな顔で俺を起こしてくれる。

 

「す、すまない・・・・・・本気で食われるかと思った・・・・・・」

 

「・・・・・・否定出来んのが凄いな」

 

 冷や汗をかきながらタマが言った。暴れるオグリは何とかグラスとスカーレットが拘束しているが、暴走した彼女のパワーが凄まじいので何時振りほどくか分からない。

 

「ごはん・・・・・・ごはん・・・・・・」

 

 譫言を言いながらもがくオグリに俺はとある事を思いだし、部屋の隅に向かった。

 お坊さんが持ってきてくれた茶菓子がまだ残っていたのだ。

 小さなお饅頭を包んでいる和紙を剥がし、暴れているオグリの口元に放り込む。

 

「ごはん・・・・・・あむ・・・・・・む、甘い」

 

 咀嚼して飲み込むとようやくオグリは落ち着きを取り戻したようだった。

 両側から彼女を押さえ込んでいたグラスとスカーレットがほっと胸を撫で下ろす。

 

「・・・・・・む、皆どうした? トレーナーもどうしてここに?」

 

「オグリ、あんなぁ・・・・・・」

 

 呆れたように言うタマを手で制して、俺はオグリの前に立って言った。

 

「ごめんな、オグリ。俺の管理能力が甘かったばっかりに、君に辛いことを味わわせてしまった」

 

「え・・・・・・」

 

「本当なら俺がもっと健康に考えたメニューで、料理を作ってやればよかった。今回オグリが太り気味になったのは、俺の責任だ。本当にすまない」

 

「い、いや・・・・・・トレーナー・・・・・・私もな・・・・・・」

 

 しゅんと耳を垂れながら、落ち込むオグリの頭を俺はゆっくりと撫でた。

 

「また減量が終わったら、前みたいに料理を作る。今度はちゃんと栄養も考えた料理だ」

 

「え・・・・・・本当か・・・・・・?」

 

「ああ。オグリに毎日料理を作る。約束だったからな」

 

「そ、そうか・・・・・・」

 

「これからもずっと。君に料理を作る。だから少しだけ我慢してくれ」

 

「・・・・・・そうか、ずっと・・・・・・か・・・・・・」

 

 オグリは噛みしめるように反芻すると、頬を少しだけ朱くしてうんうんと頷いた。

 

「皆、心配をかけてすまない。私も少々、取り乱していたようだ。だが何とか落ち着くことが出来た。もう大丈夫だ」

 

 ようやく元の冷静を取り戻したオグリは、ペコリと頭を下げる。これならもう大丈夫だろう。

 

「オグリ先輩、もういいの?」

 

「ああ、迷惑かけて申し訳ない」

 

 ウララの頭を撫でながらオグリは柔和な笑みを浮かべた。これで一件落着と胸をなでおろした時だった。

 

「ちょい、トレーナー。さっきの言葉はホンマなんか?」

 

「え?」

 

 随分と怪訝な表情でタマが脇腹を小突いてきた。

 

「さっきの話って・・・・・・」

 

「私も気になりますね」

 

 ずいっとグラスが横にやってくる。

 

「ずっと料理を作るって話、詳しく聞かせて貰うわよ」

 

 その反対側にスカーレットもやってくる。

 心なしか三人とも機嫌が悪そうに見える。

 

「トレーナーはもっと考えてモノを言った方がええな。ほら、こっち来い」

 

 三人に連行されていく俺であったが、オグリが元に戻った事にほっと安堵するのであった。

 

 その後、オグリは合宿でちゃんと自制して無事減量に成功。

 山を下りる頃には適正の体重に戻って、トレセン学園の帰路へと就いたのであった。

 しかし・・・・・・力で人間はウマ娘に勝てないな・・・・・・

 オグリに押し倒された時を思い出しながら、俺は絶対にウマ娘と対立することは辞めようと心に誓うのだった。



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オグリキャップ物語 1

アニバーサリー記念でテンションが上がって書き上げました。

オグリキャップの話になります。

ゲームともシンデレラグレイとも違う世界観ですが、よろしくお願いします。

ちなみに今回はいつもと文章構成が違います。


 ――皆さん、グラスワンダーです。

 これからお話しますのは、私の先輩。つまりチーム・アンタレスのウマ娘・オグリキャップ先輩の話でございます。

 先輩が、今より少しだけ若い頃の話なんです。

 ご存じの方も多いでしょうが、オグリ先輩の人気は凄かったんですよ。

 芦毛の怪物なんて言われて、どこへ向かってもファンも方々が着いて回って、あっちを向けばキャー、こっちを向けばキャー。

 本当にスターだったんですよ。

 マルゼン先輩やタマ先輩も、オグリ先輩の人気には霞んでしまうんです。

 私もチームレースでよくご一緒しましたが、素晴らしい華で……先輩が表に立つだけで周りの人が皆、歓声を上げるのです。

 シンプルですけど、格好いい勝負服を身につけて……美しい芦毛の髪を靡かせて・・・・・・

 ああそういえば、オグりんなんて愛称もありましたね。女性のファンがよく使っていて、本人も満更では無いようでした。

 ・・・・・・え、いつ頃の話かですって?

 それはですね、我がチーム・アンタレスが五人揃って復活する、ずっと前の話なのです――

 

 ビルの建ち並ぶ首都の街並。

 皆が皆、何かに向かって進んでいる中、一人。とある喫茶店の前でじっと佇んでいる長身のウマ娘がいた。

 

「…………」

 

 美しい芦毛の髪を靡かせながら、帽子とサングラスで顔を隠した少女は、口から涎を流しながら硝子の向こうを見つめている。

 その視線の先にはパンケーキセット。

 小麦色の生地の上に真っ白なホイップクリームが大盛りで乗せられている。

 

「おい、何こんな所で突っ立っとんや」

 

 その少女の背中を力強く、小さな少女が叩いた。

 ずっとショーケースを眺めていた少女は、そこでふっと振り向いた。

 

「タマじゃないか。一体どうしたんだ、こんな場所で」

 

「それはこっちの台詞や。何こんな街のど真ん中で立ち止まっとんや」

 

「それは……、な」

 

「……上手そうなパンケーキやな。ちょうどええ。ウチ、小腹が空いたとこやったんや。オグリ、同室のよしみで付き合えや」

 

「っ……いいのか、タマ?」

 

「いいも何もウチが誘っとんや。ほら、さっそいくで。ウチはパンケーキ食べたいのは山々なんやけど……」

 

 そこまで言ってタマはオグリの顔を見上げた。

 

「ウチじゃ食い切れん。だからオグリ、余ったもんを食べてくれんか?」

 

「……本当か?」

 

「当たり前や! ほら、着いてき!」

 

 タマに背中を押され、オグリキャップは店の先に入っていった。

 まだ都会になれていない彼女にとっては、こういった洒落た場所はまだまだ慣れなかったのだ。

 席に座り、注文してから程なくしてパンケーキと紅茶のセットが運ばれてきた。

 

「わぁ……」

 

 オグリは顔を子供のように輝かせると、大きく口を開けると一口でパクリとクリームがたっぷり乗ったケーキを平らげた。

 

「ああ……美味しいな」

 

「全く、そんな食べたいなら、さっさと店に入ればよかったやろ」

 

「うん・・・・・・そう思ってはいるんだが・・・・・・」

 

「まだ都会に慣れんのか?」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 オグリは追加のパンケーキを頬張りながらコクンと頷いた。

 

「あんなぁ・・・・・・今を煌めくスターウマ娘がそんな弱気なこと言ってどうすんねん。もっと堂々としぃや!」

 

「わかってはいるんだが・・・・・・ああ、美味しい」

 

「・・・・・・ほんまマイペースやなぁ・・・・・・」

 

 ハムスターのように頬をパンパンに膨らませながら、パンケーキを次々と平らげていくオグリにタマも苦笑しながら紅茶を啜る。

 

「・・・・・・そういえば、もう決まったんか?」

 

「ん、何がだ?」

 

「チームとトレーナーや。まだ決めて無いんやろ?」 

 

 もぐもぐ、ごっくん。残っていたパンケーキを飲み込むとオグリはああ・・・・・・といった感じで頷いた。

 

「興味なしかいな。言っとくけどな、ホントはどっかのチームに入るか専属のトレーナーがおらんとレースに出れんのやぞ! 今、オグリがレースに出走出来てんのは編入生の特別ルールだからやで?」

 

「そうなのか・・・・・・」

 

「あーもう、お前はホンマに・・・・・・ちょっと前もダービー出れんかったばっかりやろ!」

 

 ダービー。その単語を聞いた。オグリは耳をしゅんと下げた。

 

「日本ダービー、出たかったな・・・・・・」

 

「クラシック登録しとらんかったんやししゃーない。むしろあんだけ世間が動いたんやから、凄いもんや」

 

 空になったカップを置くとタマはオグリの方を真っ直ぐ見て言った。

 

「やけど、トレーナーを見つけんかったらクラシックどころか、中央のレースに一つも出れんくなる。はよ見つけた方がいいで。学園は待ってくれん。それに、勧誘はいっぱい来とんやろ?」

 

「ああ・・・・・・それはありがたいことなのだが・・・・・・」

 

「だが?」

 

「これと思える人がいないんだ。誘ってくれる皆には悪いと思うのだが・・・・・・」

 

「・・・・・・まあしゃーない。トレーナーってヤツは、ウマ娘にとって一生の問題やからな。妥協したらアカン。慎重に決めんとな。でも急いだ方がええで」

 

「ああ・・・・・・そういえばタマのトレーナーはいい人だな」

 

「っ・・・・・・」

 

「色んなトレーナーの人達に会ってきたが、タマのトレーナーは何というか・・・・・・他と違う気がするんだ」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

「なぁ、タマ。良かったら同じチームで・・・・・・」

 

「アカン! それはアカン!」

 

 突然声を荒らげて立ち上がったタマに、オグリは目をまん丸にして

 

「あ、いや・・・・・・オグリのことが嫌って訳やないで。トレーナーもきっとオグリが入るのは喜んでくれると思う」

 

「それなら・・・・・・」

 

「でも駄目なんや。今のウチのチームじゃ駄目なんや。オグリほどのスターが・・・・・・」

 

 そこまで言ったタマは頭をガリガリと掻きむしって、どっかりと腰を座席に戻したのだった。

 

 ――当時、若きタマ先輩は仲の良いオグリ先輩をチームに誘うか誘わないかでとても悩んでいたそうです。

 この年といえばURAファイナルズとアオハル杯が完全に一般市民にも定着し、後の第二次ウマ娘ブームが始まった時代でもありました。

 クラシック級だけでも皐月賞に勝ったヤエノムテキ先輩に日本ダービーを制したサクラチヨノオー先輩。函館記念で未だに破られぬレコードを持つディクタストライカ先輩に、菊花賞に優勝し後にオグリ先輩やイナリ先輩と共に讃えられるスーパークリーク先輩・・・・・・と粒ぞろい。

 まさにトレセン学園の黄金時代の始まりであった訳です。

 その中でも一際、光り輝いていたのがこのオグリキャップ先輩と、1年早くデビューしたタマモクロス先輩だったのは間違いないでしょう。

 何せ二人とも走らないと言われてきた芦毛で地方出身という共通点。

 しかしそれ以外は真逆の真逆。小柄なタマ先輩と比べ、背の高く健康的な肢体のオグリ先輩。少食のタマ先輩に対し、健啖家のオグリ先輩。性格も元気で騒がしいタマ先輩に、マイペースで口数の少ないオグリ先輩。

 似ているようで何もかも違うこの二人が重賞を勝ち続けるのですから、注目されないわけがありません。

 しかもこの二人が後に同じチームになり、何度も重賞で激突するなんて誰も知るよしは無かったわけです――




グラスの語りは某ドラマのパク・・・・・・オマージュです。

時系列がおかしいのは申し訳ありません・・・・・・


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オグリキャップ物語 2

キタちゃんもいいけどタンホイザも欲しい…

悩みますね…


 ――オグリキャップ先輩がレースの世界に足を踏み入れたのは、今から二年前。

 カサマツトレセン学園に入学したときから始まります。

 オグリ先輩が入学したカサマツトレセンは中央とは別の、ローカルシリーズというレース畑でした――

 

「オグリキャップ・・・・・・レース経験は無し・・・・・・か」

 

 カサマツトレセンの面接室で、試験官が眼下の資料に目を通して言った。

 彼が顔を上げた先には美しい芦毛の髪を持つウマ娘が、一人座っている。

 厳しい選抜基準と難解な入試の行なわれる中央とは違い、地方のトレセンはウマ娘であれば簡単な面接だけで入学できる所が多い。カサマツも同じであった。

 

「オグリ君。君はレース志望のようだが、その・・・・・・野良、所謂非公式でのレース経験も無いのかい?」

 

 その試験官の問いにオグリキャップはふるふると首を横に振った。三人いた試験官の口から同時に溜息が漏れる。

 

「確認だがねオグリ君。ここは地方とはいえ、仮にもURAの末席に係わる場所だ。その入学面接にその格好は・・・・・・」

 

 彼の視線がオグリの頭の天辺からつま先までゆっくりと移動する。試験官の言う通り、彼女の格好は面接に来ているとは思えない服装であった。

 あちこちがほつれたジャージにボロボロのシューズ。

 今正に山から下りてきたと言っても信じてしまいそうな、野暮で汚い格好だった。

 

「すまない。この服しか無かったんだ」

 

 悪びれもせず言い切る彼女に、試験官は思わず苦笑した。

 

「あーまあ、いい。で、オグリキャップ君。何故君は我が校に入学しようと思ったのか。志望動機を聞かせてくれないか?」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ごくありふれた質問にオグリは暫し考えた末。

 

「・・・・・・走れるから」

 

 それだけ言った。

 

「そ、それはどういうことだね」

 

「走るのが、楽しい。私は生まれつき膝が悪くて、小さいときは満足に走れなかった。でも、今は走れる」

 

 オグリキャップは先天性に膝に不調があり、幼い頃から母親がマッサージしていたと言われている。

 

「だから嬉しい。それにお母さんや近所の皆も、喜んでくれる。だから走りたい。そう思い・・・・・・ました?」

 

 無口でマイペース。しかし真面目で意外に頑固者。

 オグリキャップの性分は持って生まれたものだった。

 

「・・・・・・ぷっ」

 

 試験官の一人が思わず噴き出した。馬鹿にしたわけではない。あまりに青臭く、純粋なオグリの物言いに心がほぐれたからである。

 

「この娘、声がいいわね。それに体つきも綺麗」

 

 この中で唯一の女性試験官が囁いた。

 

「確かに体格はいい。それに私達ローカルシリーズは来る者は拒まずだ」

 

「ああ、それに大事なのは外見より中身。走れるかどうかだ・・・・・・」

 

 試験官は横に置いてあった合格印を、ポンとオグリの書類に押した。

 

「今日から立派な競争バに慣れるよう頑張りなさい」

 

 こうしてオグリキャップは特に何の問題も無く、競争バとしての一歩を踏み出したのであった。

 メキメキとその才能は花開き、デビュー戦こそ敗北したものの、その後は連戦連勝。

 10月に行なわれたジュニアクラウンでは快勝し、その十日後に行なわれた中京杯で後続を二バ身離しての圧勝と凄まじい戦績を挙げた。

 その1年での成績は12戦10勝。この勝ちっぷりで、オグリキャップは一気にカサマツトレセンのアイドルへと駆け上った。

 そして中京杯のレースで中央にも注目されるようになり、生徒会長のシンボリルドルフの推薦によって中央トレセン学園へと編入したのである。

 地方から中央にスカウトされることなど異例中の異例であり、当のオグリキャップも最初は困惑するほどであった。

 だが、カサマツトレセンの教師やトレーナー達。クラスメイトや地元の人達の後押しもあり、オグリキャップは中央トレセン学園へ乗り込んだのであった。

 時にデビューから1年。所謂クラシック期に彼女が突入した頃であった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 東京都、府中駅。トレセン学園の最寄りの駅であるそこに降り立ったオグリキャップは、思わず言葉を失った。

 建ち並ぶビル群に絶え間なく続く人の群れ。嫌でも耳に入ってくる人々の喧騒とエンジン音。

 彼女が生まれ育った岐阜とはまるで違っていた。

 視界に山も川も入ってこないという事は、田舎出身のオグリにとって正しく異常事態であり異界へと足を踏み入れたような感覚であった。

 

「オグリキャップさんですね?」

 

 突然、かけられた声に思わずビクリと反応してしまう。声の方向へ顔を向けると、緑色の制服を身につけた長身の女性が立っていた。

 

「お迎えにまいりました。私は日本ウマ娘トレーニングセンター学園で理事長秘書を務めています、駿川たづなと申します」

 

「あ・・・・・・どうも・・・・・・」

 

「ふふふ、どうも。では早速学園まで案内致しますね」

 

 ぺこりと頭を下げたオグリに駿川は嬉しそうに微笑むと、そのまま歩き出した。

 暫く歩いて辿り着いた中央トレセン学園は、オグリの想像を遙かに超えたものであった。

 何せカサマツトレセンの数倍はある敷地内に、ジムやプール。ダンス用のスタジオに練習用屋外ステージ。そして多種多様なコースを再現したグラウンド。

 一流のウマ娘が揃うとのことだけあって、その設備は凄まじい充実ぶりであった。

 ウマ娘に必要なモノが全てここには揃っている。

 そう言われるだけはあった。

 

「歓迎ッ! 遠路はるばるようこそ、我がトレセン学園に! 私がこの学園の理事長を務める、秋川やよいだ!」

 

 大きな扇子を派手に広げて、小さな少女が言った。

 トレセン学園、理事長室。

 最初にここへ案内されたオグリキャップはそこで、背丈に合わない豪華な椅子に座った少女と顔を合わせた。

 

「・・・・・・あなたが?」

 

 理事長と言われても信じられない位の年格好である秋川の姿に、さすがのオグリも首を傾げた。

 

「うむ! 確かに私はまだ少女といっても差し支えない年齢ではある。しかし! 君達ウマ娘を応援する気持ちは誰にも負けない自信がある!」

 

 パン! と勢いよく扇子を閉じると、秋川はそのまま後ろの壁を差した。

 そこに設置された額縁。大きな字でこう書いてあった。

 

 ――Eclipse first, the rest nowhere.

 

「唯一抜きん出て並ぶ者無し・・・・・・我が校の理念だ」

 

 突然の事でオグリはよく意味を理解出来なかった。だが、目の前の少女が伝えようとしている何かは、自ずと分かったような感じがした。

 

「常に頂点を目指せ。期待しているぞ!」

 

「・・・・・・では私がこのまま学園内を案内させていただきますね」

 

「え・・・・・・あ、はい」

 

「その後、生徒会長への挨拶。編入するクラスの担任への挨拶。その後はこの学園をルール説明や・・・・・・」

 

 オグリキャップの一日は、そのまま中央トレセン学園の案内で終わった。

 慣れない環境にヘトヘトになり日も暮れ始めた頃、オグリはこれから生活する場所となる『栗東寮』へと案内された。

 

「今日からここが君の部屋だ。二人部屋で、先客が既にいる」

 

 寮長であるフジキセキに案内され、オグリは自室へと辿り着いた。

 表札には『タマモクロス』と書かれている。

 

「たまもくろす・・・・・・」

 

「彼女はいい子だ。仲良くしてあげてくれ」

 

 そう言うと寮長は颯爽と去って行った。

 

「・・・・・・・・・・・・お腹が空いたな」

 

 早く荷物を置いて食堂に行こう。そう思い、オグリは扉を開けた。

 部屋の中はシンプルな作りであった。両側の壁にそれぞれベッドがあり、半分ずつ各自が自由に使えるスペースになっている。

 オグリはとりあえず、使われていないベッドの脇に荷物を降ろした。

 そして、ぐいと体を伸ばす。

 今日は一回も走っていないのに、妙に疲れていた。

 明日はもう授業が始まるのだという。仲良く出来る人はいるだろうか。そんなことを考えていた時だった。

 

「う゛あああああ、疲れたたぁああああ」

 

 低い唸り声を上げながら、部屋の出入り口が開いたのである。

 見れば泥だらけのジャージに身を包んだウマ娘が、足取り重く部屋に入ってきた。

 

「ん、誰やアンタ?」

 

 小さなウマ娘だった。

 背も低く、手足も細い。同じ年齢には見えなかった。

 だがそれ以上にオグリの印象に残ったのは、腰まで伸びた美しい芦毛・・・・・・自身と同じ髪の毛の色であった。

 

「あ、ああ。今日からここでお世話になる、オグリキャップだ。よろしく頼む」

 

「おー、そういや寮長がそんなこと言うとったな。ウチの名前はタマモクロス! ま、同室で同学年同士、仲良くやろうや」

 

 ずい、と差し出された手をオグリは握った。

 小さく柔らかそうな掌。しかし鍛えているからか握られると思い重心を感じるような圧力があった。

 

「そういやアンタ、飯はもう食べたか?」

 

「あ・・・・・・いや、今ここに来たばかりでまだなんだ」

 

「そりゃ丁度ええ。ウチも今から食堂に晩飯食べに行くんやけど、一緒に行かんか?」

 

「・・・・・・いいのか?」

 

「おう! モチロンや! ちょっと待っとれ!」

 

 タマモクロスは元気よくそう言うと、急いで服を着替え始めた。

 泥だらけのジャージを脱ぎ捨て、別のジャージに袖を通した、正にその瞬間だった。

 

「っ! どうした、タマモクロス!」

 

 彼女は勢いよくベッドに倒れ込んだのである。

 

「だ、大丈夫か!? だ、だれか人を・・・・・・」

 

 慌ててオグリがベッドに駆け寄ったときであった。

 

「・・・・・・くか-」

 

 タマモクロスからそんな寝息が聞こえてきた。

 

「・・・・・・疲れているみたいだな」

 

 オグリは無言でタマモクロスに布団を掛けて、そのま一人食堂へ向かった。

気持ちよさそうにねむっているのを、無理に起こすのは忍びないと思ったからである。

 

「タマモクロス、か……」

 

オグリは人知れず呟くと、食堂へ歩いていく。

会ったばかりのタマモクロスだったが、何となく仲良くなれそうだ。そんなことを考えていた。

 

 ――これが後の芦毛の怪物と、白い稲妻の出会いだったわけです。

 それから二人は同室のよしみで、よく一緒に行動するようになりました。

 天然でマイペースなオグリキャップ先輩を、騒がしくておせっかいなタマモクロス先輩がお世話をしているという感じだったそうです。

 ですがタマ先輩はオグリ先輩の事を一度も疎ましく思ったことは無く、オグリ先輩もタマ先輩に信頼を置くようになったと言います。

 同じ学年で同じクラスにはなれなかった二人ですが、誰よりも仲良く二人で行動していたと言われています。

 オグリ先輩にとって、タマ先輩は追いつけ追い越せのライバルになるのですが、これはまだ少し先の話。

 何故なら、オグリ先輩が編入したクラスには同世代のライバルと言われるウマ娘達が、大勢いたのであります……とこれはまだ少し先の話ですね――



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オグリキャップ物語3

遅くなって申し訳ありません。

アニバーサリーで追加された新シナリオとか、新しい育成とか、チャンミとか色々楽しすぎて、中々書けませんでした・・・・・・

あと長距離育成難しい。


 ――タマは最大の好敵手であり、最高の親友なんだ。

 後にオグリ先輩はよくインタビューでタマ先輩のことを尋ねられると、一貫してこう答えていたようです。オグリ先輩にとってタマ先輩がどれだけ大事な存在だったかが、よく伝わってきます。そんな二人がオグリ先輩の転入初日から出会えたのは、正に運命といって差し支えないでしょう。

さて、ここでもう一人。後にオグリ先輩の運命を左右する、重大な人物がここから登場します。その人はオグリ先輩は勿論、私たちチーム・アンタレスにとってなくてはならない存在なのでした――

 

毎朝五時に起きて自主練を行うのが、オグリキャップのカサマツ時代からの日課であった。朝になると自然に目が覚める。オグリはベッドから体を起こすと、両腕をぐいと伸ばした。

今日も快調だ。頑張ろう。そう思い、ふと横のベッドに視線を向けた。

昨日タマモクロスが目を覚ましたのはオグリが食堂から帰って来た後であった。自身がオグリを誘っておきながら寝落ちしてしまったことを彼女は謝ると、すぐに食堂に行って軽食を済ませ戻ってきた。そしてすぐに消灯時間となり、二人はほとんど会話も出来ないまま、寝床に就いたのであった。

タマモクロスのベッドは既に空になっている。この時、彼女はオグリより早く起きて朝練に向かった後であった。オグリはそこまで知らなかったが、漠然ともう走りに行ったんだろうなと考えた。ならば自身もと、ジャージに着替えてから部屋を後にするのであった。

「……むう」

 

数分後、オグリは学園の中庭で途方に暮れていた。

 

「おかしい……歩いても歩いても同じ場所に辿り着いてしまう……」

 

 辺りをキョロキョロ見渡しながら、オグリは淡々と呟いた。すでにこの道を4周は回っている。それなのに見える景色はほとんど同じに感じられた。

 

「ひょっとして中央には同じ場所がいくつもあるのか……」

 

慣れない土地とはいえ、オグリの方向音痴は度を越していた。山や森といった自然豊かな土地なら彼女は問題ないのだが、人工物多い都市部ではかなり方向感覚が狂ってしまう性分なのである。

 現在もオグリは朝練のためにグラウンドへ向かっているのだが、全く辿り着けずに同じところをウロウロしているだけであった。

 

「ううん……一体どうすれば……」

 

 困った様子で、オグリが眉をしかめた時だった。

 

「どうしたんだい?」

 背後から急に声をかけられた。

 ふと声の方向に振り返るとそこには男性が一人、立っている。

 第一印象は、特に変わったところのない人だなという感じだった。。

 目立った特徴も無い、若い青年。朝だからか、動きやすそうなジャージを身につけている。

 恐らく中央のトレーナーだろうが良くも悪くもこれといった特徴が無く、存在感の薄そうな男であった。

 

「不思議なんだ。グラウンドへ向かっているはずなのに、先程から何度も何度も同じ場所に辿り着いてしまう」

 

 何の警戒心も抱かずにオグリは答えた。

 

「この学園には全く同じ見た目の場所がいっぱいあるのか?」

 

「丁度よかった。俺もこれからグラウンドに行くんだ。一緒に行かないか?」

 

「む……それならいいな。すまないが、頼む」

 

「ああ、任せて欲しい」

 

 青年はにこやかに微笑むと歩き出した。オグリもその後をゆっくりと着いていく。

 

「……ところで、キミは誰だ? そういえば知らない顔だ」

 

「ああ、ここでトレーナーをやっているんだ」

 

 学園所属のトレーナーなら安心だろう。オグリは無邪気にそう思うと、彼の横に並んだ。

 自分より頭二つほど大きく、思った以上にガッチリとしている。

 

「君も見ない顔だな。もしかして新入生かい?」

 

「ああ……昨日編入してきたばかりだ。よろしく頼む」

 

「こちらこそ。俺は実技の教育にも出てるから、もしかしたら授業で会えるかもな……っと、着いたな」

 

 あっという間にグラウンドへ到着した。先程まで全く辿り着けなかったのが嘘のようだ。

 早朝のグラウンド。まだ寒さの残る季節であり、人影もまばらだった。

 そんなグラウンドの中にいるウマ娘の一人に、トレーナーは声をかけた。

 

「タマっ!」

 

 手を挙げて声を上げると、小さな芦毛のウマ娘がひょこっと顔を上げる。

 その顔はオグリの見知った顔だった。

 

「おう、トレーナー。待っとったで……って、お前はオグリキャップやないか。どしたん?」

 

「なんだタマ。この子と知り合いか?」

 

「知り合いも何も、昨日ウチが言うた新しいルームメイトや」

 

「そうか……君が」

 

 トレーナーはじっとオグリの顔を見た。

 彼は恐らくタマモクロスのトレーナーなのだろう。それは理解出来た。

 だが学園のトレーナーとはいえ、年上の男性に顔を凝視されるのは、オグリでも少し恥ずかしかった。

 

「ああ、すまない。改めまして、タマモクロスのトレーナーだ。ウチのタマがこれから世話になると思うけど、よろしくな」

 

「……ああ、こちらこそよろしく。オグリキャップだ」

 

 ずいっと伸びてきた右手を握る。昨日のタマモクロスを思いだして、何となくこの二人は似た者同士なんだなぁと思いながら、オグリは握手を交わした。

 

「あ、もしかしてあんたも朝練か?」

 

「ああ、毎日の日課なんだ」

 

 それだけ言うと、オグリキャップは黙々とストレッチを行ない始める。いつも行なっている簡単な柔軟体操だったが、気が付くとタマモクロスとトレーナーが彼女を注視していた。

 

「あんた、柔らかいんやなぁ」

 

「ああ、凄いな。こんなに柔軟なウマ娘は見たことがない」

 

「そ、そうか?」

 

 カサマツでもよく言われた体の柔らかさだったが、改めて言われるとやはり照れる。

 オグリは照れくささを隠すように立ち上がると、気合いを入れるように両肩をぐるんぐるんと回した。

 

「……せや、折角やから二人で走ってみんか?」

 

 何の気も無しにタマモクロスが提案してきた。

 ルームメイトとの仲を考えて、誘ったのかもしれない。

 

「いいのか?」

 

「ああ、袖振り合うも多生の縁てな。ちょっとひとっ走り付き合えや」

 

「おいおい、タマ。いくらルームメイトっていっても、相手は昨日編入してきたばかりの子だろ? さすがにいきなりお前が相手じゃ……」

 

 この頃、タマモクロスは既に重賞を幾つも制していた。

 一方のオグリキャップは実績はあるものの、中央で走ったことは皆無。

 トレーナーが心配するのも無理も無いことだった。

 

「私は構わないぞ。中央のウマ娘と一度走ってみたかったんだ」

 

 なんでもないように言うオグリに、さすがのトレーナーも苦笑した。

 

「よっしゃ、ええ度胸や! さっそく走ろか! 距離は800位でええか?」

 

 気合いを入れたようにタマモクロスはスタートラインに立った。

 それに続いてオグリキャップも横に並ぶ。

 

「む・・・・・・」

 

 トレーナーの口からそんな声が漏れた。

 若いとは言え桐生院葵の元で修行し、マルゼンスキーやタマモクロスを見てきた男である。

 ウマ娘の体つきを見て、オグリキャップが何となく他のウマ娘と違う事を朧気ながら理解したのだろう。顔色が少し変わった。

 

「位置について、よーい・・・・・・スタート」

 

 トレーナーが腕を振り下ろした瞬間だった。

 

「――っ」

 

 風が吹いた。

 綺麗なフォームで一気に飛び出したのは長身の芦毛。

 オグリキャップは好スタートを切ると、そのまま一気に加速していく。

 トレーナーは思わず自分の愛バを探した。オグリキャップの真後ろ。ピッタリ着いている。

 タマモクロスが出遅れた。いや、オグリキャップの出だしが想像以上に好調だったのだ。

 だがそれ以上にトレーナーを驚かせたのは。

 

「な、なんだあの走りは・・・・・・」

 

 オグリキャップの走法であった。

 地面に着かんばかりに頭を下げ、倒れ込むように走り進んでいく。

 体を前に出せば体も前に行く。ならば身体を傾けて前へ前へ進むように走ればいい。

 超前傾姿勢。

 そう呼ばれる走法だった。

 シンプルであるが危険な走り方。これは理論上可能だが恐らく使いこなせるウマ娘はいないだろうと、彼は師である桐生院葵に教えられた。

 当たり前だ。前のめりに体を傾ければ走るよりも先に体が倒れる。

 普通なら不可能な走法であった。

 それを。

 ごく当たり前のようにやっている。

 

「マルゼンともタマとも違う・・・・・・」

 

 思わずトレーナーはオグリキャップの走る姿に釘付けとなった。

 

「なんて走りだ・・・・・・ダートの癖が抜けてないが・・・・・・そうか、柔らかさか・・・・・・」

 

 ストレッチの時に見せた身体の柔軟さ。それがあの走り方を可能としているのだろう。

 そしてあの加速とスピードを維持するバネの強さ。

 並の才能ではない。トレーナーは思わず拳を握りしめた。

 

「何てウマ娘だ・・・凄い・・・・・・だけど」

 

 ――タマには勝てない。

 

「っ・・・・・・」

 

 オグリキャップが大きく息を呑んだ。ゴールが迫る直前で一気にタマモクロスが抜けた出したのだ。

 タマモクロス本来の走り。

 並ぶと強い勝負根性。それが爆発した。

 

「すまんが・・・・・・先いくで!」

 

「くっ・・・・・・」

 

 オグリキャップは必死に食らいついたが、それでもタマモクロスとの間は縮まらなかった。

 一歩、二歩、三歩・・・・・・タマモクロスはオグリキャップを引き離していく。

 縮まりそうで縮まらない、永遠の差。

 そして遂にタマモクロスがゴールを迎えた。

 

「・・・・・・すげぇ」

 

 トレーナーはストップウオッチのボタンを押すのも忘れて、二人の勝負に魅入っていた。

 自身が育ているタマモクロスに、彼は絶対の信頼と自身を寄せている。そして彼はトレーナーとしてそこそこ場数を踏んでいるからこそ、贔屓目抜きにウマ娘の実力を把握することが出来た。

 タマモクロスの実力は同世代の中でも抜きん出ている。

 今のトレセン学園で彼女と互角に戦えるウマ娘はほとんどいない。

 思い当たる近い世代はスーパークリークくらいだ。

 しかしこのオグリキャップはそれを遙か上を行った。

 もしも、という話はレースには無いが。もしもオグリが修練を積めばタマを刺せるかもしれない――

 

「はぁっ・・・・・・はぁっ・・・・・・くっ・・・・・・」

 

 レースを終えたオグリキャップは悔しそうに俯いている。

 

「・・・・・・・・・・・っはぁっ! あ、あんた強いなぁ! ビックリしたで!」

 

 その横で息を切らしながらタマモクロスはオグリを激励するのだった。

 

「・・・・・・中央には・・・・・・強いウマ娘がいっぱいいると聞いたが・・・・・・本当だな・・・・・・ありがとう、タマモクロス」

 

「タマでええで」

 

「・・・・・・そうか、ありがとうタマ。私の事はオグリでいい」

 

 オグリキャップはどこか嬉しそうだった。

 そしてそんな二人に近づく影が一つ。

 

「す、すごかったぞ君!」

 

 タマモクロスのトレーナーだった。

 彼は興奮を隠そうともせず、オグリキャップの手を取った。

 

「タマとここまで走れるとは・・・・・・いや、凄いのはその走り方もだ! 超前傾姿勢走法を本当にやれるウマ娘がいるなんて・・・・・・」

 

「い、いや・・・・・・」

 

「どうだい? 俺のチームに入らないか? 君ならきっとタマに匹敵するウマ娘にひでぶっ!?」

 

「いきなり何を言うとるんや! オグリが困っとるやろ!」

 

 喰い気味でオグリキャップに迫るトレーナーの頭をタマモクロスがぶっ叩いた。

 

「痛いじゃないかタマ」

 

「この阿呆! オグリが気になるんは仕方ないとして、誘い方が強引なんや!」

 

 タマモクロスは強引にトレーナーを引き剥がすと、オグリキャップにペコリと頭を下げた。

 

「すまんなオグリ。ウチのトレーナーが驚かせてしもうて」

 

「・・・・・・いや、大丈夫だ。少し驚いただけだ」

 

 オグリキャップは息を落ち着かせてから、二人の方を見た。

 

「二人はチームを組んでいるのか?」

 

「せや! チーム『アンタレス』! ウチはそのエースやで!」

 

「・・・・・・まぁ、タマしかチームにいないんだけどな・・・・・・」

 

 ずーん・・・・・・トレーナーとタマモクロスは肩を落とした。

 アンタレス・・・・・・どこかで聞いたことがあるな・・・・・・とオグリは考えたが上手く思い出せなかった。

 

「でもなオグリ。ウチらのチームは人手が少なくてな。オグリやったら大歓迎やで!」

 

「ああ! 一緒にチームで頑張らないか?」

 

 トレーナーとタマモクロスは笑顔で誘ってきた。

 

「・・・・・・うん。誘いはありがたいのだが・・・・・・少し考えさせてくれ」

 

 オグリがそう言うのも無理は無かった。

 中央では専属トレーナーかチームに所属しなければ公式のレースに出場出来ない。

 だからこそ中央トレセン学園では、どのトレーナーと組むか。どのチームに所属するかが大切になってくるのだ。

 ここでいきなりチームを決めるのは、さすがのオグリでも早いと思うのは当然であった。

 

「まぁ、そうなるな。でも、もし興味があったらウチらのチームに興味があったら何時でも見学しに来てくれや! 待っとるで!」

 

「ああ・・・・・・そうさせて貰うぞ」

 

「せや! 折角やし今日の放課後も一緒に併走せんか? オグリ位走れるウマ娘なんて中々おらんからな・・・・・・」

 

「むう、それは・・・・・・すまない。実は放課後には先約があるんだ」

 

「先約?」

 

「ああ。ルドルフと併走する約束を昨日したんだ」

 

「るどるふ・・・・・・? ルドルフって・・・・・・まさか」

 

 オグリはすっ・・・・・・とトレセン学園の校舎の方を指差した。その方角には生徒会長室があった。

 

「せ、生徒会長・・・・・・皇帝・シンボリルドルフか!?」

 

「知っているのか?」

 

「知ってるも何も・・・・・・この学園で知らんヤツなんておらんやろ・・・・・・」

 

「さすが地方から転入してきただけはあるな・・・・・・まさかあのルドルフとは」

 

「どうした、汗が凄いぞ」

 

「・・・・・・会長とは色々あってな・・・・・・」

 

 アンタレスのトレーナーはかつてマルゼンスキーをシンボリルドルフが所属するチーム・リギルから引き抜いた過去がある。

 その時以来、ルドルフは何となくアンタレスに強く当たっている気がするのである。

 

「そうか・・・・・・それはすまなかったな」

 

「いや、トレーナーがそう思い込んどるだけや。気にせんでええで」

 

 そんな時だった。

 

 ――ぐぅううううううううううううっ!

 

 オグリの腹が大きく鳴った。

 

「・・・・・・お腹が空いたな。タマ、一緒に朝食にいかないか」

 

「・・・・・・思った以上にマイペースやな」

 

 タマは苦笑すると立ち上がった。

 

「迷わないように一緒に行ってやれよ、タマ」

 

「モチロンや。ほら、オグリ。着いてき!」

 

「む、タマのトレーナーは行かないのか?」

 

「俺はまだ仕事の準備があるから・・・・・・また後でな」

 

 トレーナーはヒラヒラと手を振った。

 

「・・・・・・何だか変わった人だな」

 

「せやな。ウチのトレーナーはちょっと変わっとる。でもな・・・・・・いい兄ちゃんやで」

 

 嬉しそうにタマモクロスは言った。

 その様子がオグリキャップには何となく羨ましかった。

 

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 

 放課後。トレセン学園の校庭はにわかに盛り上がりをみせていた。

 

「・・・・・・ふぅ」

 

「併走感謝するよ、オグリキャップ」

 

 トレーニングコースを併走する二つの影。

 片方はこの学園の生徒会長、皇帝・シンボリルドルフ。そしてもう片方はオグリキャップである。

 二人は外周を一周してスタートラインに戻ってきていた。

 そんな二人の練習風景を多くのトレーナー達が注目して見守っていた。

 現トレセン学園で最強と名高いシンボリルドルフと注目の転入生であるオグリキャップが併走するのだ。

 トレーナーとしてはオグリキャップの素質を確かめるための絶好の機会である。

 だからこそトレセン学園中のトレーナーが、ここへ集まってきたのだった。

 

「おーおーいきなり会長さんと併走とは、とんでもない転入生が入ってきたな」

 

 そんなトレーナーの輪から少し離れた所にいた三鷹が、オグリキャップの方を見ながら言った。

 その隣には同期の鮫島が立っている。

 

「しかも皇帝に勝るとも劣らない体のバネと足腰の力・・・・・・間違いない。本物だ」

 

「へえ、お前がそこまで言うとはな・・・・・・なら是非ともウチに欲しいところだが・・・・・・」

 

 そこまで言って三鷹は苦笑した。

 

「東条ハナ女史か・・・・・・皇帝繋がりで勧誘に来たか」

 

「それだけじゃねぇさ。あっちにはスピカの先輩とシリウスの爺様もいるぜ」

 

「南坂先輩に師匠もいるな」

 

「ココにいるトレーナー全員がオグリキャップ狙いってわけか・・・・・・ホントに怪物がやってきたようだな」

 

「あの才能ならどんなチームでも通用するだろう。ダイヤの原石どころか、ダイヤモンドそのものだ」

 

「ああ。どんなトレーナーだって欲しいと思うさ・・・・・・しかし、なんであいつは来てないんだろな?」

 

 三鷹はそう言って誰かを探すように、周囲を見渡した。

 トレセン学園の有力チームのトレーナーがほぼ全員集まる中で、只一人このグラウンドに姿が無いトレーナーがいる。

 それは三鷹と鮫島がよく知る男であった。

 そしてその男は熱気渦巻くグラウンドから、大分離れた場所にいた。

 

「・・・・・・なぁ、トレーナー」

 

「何だタマ?」

 

「会長とオグリの併走、見に行かんでもよかったんか?」

 

 チームアンタレスのホーム。噂のトレーナーは担当バのストレッチを手伝っていた。

 

「うーん。確かに気にはなるけど・・・・・・オグリの走りはもう見せて貰ったからな」

 

 小さなタマモクロスの背をゆっくりと押しながら、トレーナーは続けていく。

 

「まあ勧誘はするつもりさ。あんな凄い走りをするウマ娘は中々いない。是非とも育ててみたい逸材だ」

 

「・・・・・・やったら」

 

「でも今はタマの方が重要だ。なんたって春の天皇賞が控えているんだからな」

 

 タマモクロスにとって天皇賞は特別なレースだった。それを知っているからこそ、トレーナーも彼女の勝利のために全力を注いでいた。

 

「何、心配するな。今日は多くのトレーナーが勧誘に行くだろうからな。俺みたいな若輩がオグリに近づける機会は無いさ」

 

 そこまで言ってトレーナーは大きく息を吐いた。

 

「だが、必ず俺も勧誘にはいく。ただ、今はタマの練習に全力出さないとな」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

「絶対に春天を獲って、白い稲妻の名前を天下に轟かせてやろうぜ」

 

「・・・・・・せやな。チビ達や、チームのためにもビシッと決めてやらんとな」

 

 タマモクロスとトレーナーはお互いの顔を見て、ニカっと笑った。

 この時のトレーナーは自身が言ったとおり、天皇賞に向かうタマモクロスが最優先であったし、オグリキャップのことは気になっていたが今のチームに入ってくれるかどうかは自信が無い状態だった。

 何せあのポテンシャルだ。他のトレーナーだって黙っていないだろう。

 そして現在のアンタレスは練習器具さえ満足に使えない貧乏チームである。そんな所にあんな才児が来てくれるとは内心、思っていなかった。

 

「・・・・・・でも折角、同じ部屋なんや。それに同年代であれだけ走れる奴はおらん・・・・・・」

 

 タマモクロスはトレーナーに聞こえるか聞こえないかの声で、人知れず呟くのだった。

 

 ――これ以降、タマモクロス先輩とオグリキャップ先輩はよく一緒に行動するようになったといいます。

 ウマが合う、というんでしょうか。

 クラスは違いましたが、休み時間や放課後は仲良く並んで走っていたそうです。

 特にオグリ先輩は方向音痴の気があったので、タマ先輩は迷子になったオグリ先輩をよく探しに行ったそうです。

 同年代でこの二人の走りについていけるウマ娘などほとんどいませんでしたし、互いにどこか変った所のある二人はまさに名コンビであったのですね。

 そしてオグリ先輩がタマ先輩と一緒に行動することで、自然とトレーナーさんともよく顔を合わせるようになりました。

 トレーナーさんはオグリ先輩をよくチームに誘ったようですが、この時のオグリ先輩はまだチームやトレーナーとの契約の仕組みについてよく分かっていないようでした。

 なので、オグリ先輩がアンタレスに入るのはまだまだずっと先の話なんですね。

 むしろオグリ先輩にとって、大きな問題がこの後に訪れます。

 クラシック登録と日本ダービー。

 オグリ先輩をトレセン学園内部から一気に世間へと有名にしたこの事件が、正に刻一刻と迫っていたのです――



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オグリキャップ物語 4

お久しぶりです。

忙しくてなかなか描けませんがよろしくお願いします。

しかし応援団の制服を着たキングは(以下略)


「おうオグリ。ちょっと話があるんやけどええか・・・・・・って、どうしたんや!?」

 

 夜。

 学生寮の部屋に戻ったタマモクロスが見たものは、ベッドに突っ伏すオグリキャップだった。

 明らかに元気が無い。

 真っ白な耳はしゅんと垂れ下がり、尻尾もだらんとベッドから溢れていた。

 

「ああ・・・・・・タマか・・・・・・」

 

 生気の無い声でオグリキャップは答えた。

 

「な、なんかあったんか? 腹が減ったんか?」

 

「・・・・・・それもあるのだが・・・・・・」

 

 オグリは疲れ切った様子で口を開いた。

 

「もしかして会長さんとの併走で何かあったか?」

 

「いや、ルドルフとの併走は楽しかった。色んなトレーナーにも会えたし・・・・・・でもそこで私はとんでもない事実を知ったんだ」

 

「とんでもない・・・・・・事実?」

 

 タマモクロスはゴクリと唾を飲み込んだ。

 

「・・・・・・実は私は日本ダービーに出場出来ないらしい」

 

 日本ダービー。その名前を聞いたタマモクロスは顔をしかめた。

 

「ダービーはウチも色々あったかんなぁ……」

 

 遠い目をしながらタマモクロスは溜息をつくと、オグリキャップの真っ正面にどっかりと腰を降ろした。

 

「で、なんでダービーに出れんのんや。オグリの実力なら、充分通用すると思うけどなぁ」

 

「……実は、クラシック登録していなかったんだ」

 

「おおうそれは……まぁ、しゃあないか。色々忙しかったしなぁ」

 

 ただでさえ地方からの転入で忙しかったオグリに、そう言った細かいことは無理だろうとタマモクロスは思ったのだ。

 

「……で、随分と落ち込んどるようやけど、そんなにダービーに出たかったんか?」

 

「ああ……私は笠松トレセンにいたんだが、そこで私は東海ダービーを目指していたんだ」

 

 懐かしむようにオグリは言った。

 

「結局、中央に来たため東海ダービーには出れなかった……だから中央のダービーに出て故郷の皆に一着をプレゼントしたかったのだが……」

 

 そこでオグリは再び深い溜息をついた。

 

「出れないって……」

 

 ずーんと落ち込んでいるオグリキャップの肩をタマモクロスはポンポンと叩いた。

 

「まぁ、クラシック三冠だけがレースやない。その分、色んなレースに出れば名前だって売れるやろ」

 

「だが……ダービーが……」

 

 それでも未練たっぷりなオグリにタマは更に深い溜息をついた。

 だがタマモクロスにとって、いや正確にはアンタレスにとって日本ダービーは、因縁深きレースだった。

 かつてマルゼンスキーは当代最強の一角とされていたが、当時のURAの規定によってダービーに出場出来なかったのだ。

 タマモクロスはダービーに出場する予定であったが、その前に落バ事故に巻き込まれた影響で回避している。

 アンタレスのトレーナーにとって日本ダービーは因縁めいた、関係があるのだ。

 

「……いい考えがあるで」

 

 だからこそタマモクロスも一発かましてやろうと思ったのであろう。

 

「……何だ?」

 

「クラシック登録出来んのんなら、せんかったらええ。その分、重賞を荒らし回ってやればええんや」

 

「重賞か……」

 

「そこで勝ちまくれば、あっちからオグリに言うてくる」

 

 オグリキャップは思わず顔を上げた。すると目の前にあったタマモクロスがニカっと白い歯を見せて笑った。

 

「お願いします。ダービーに出て下さいってな……」

 

 ――タマ先輩の作戦は見事に当たりました。

 オグリ先輩はクラシック登録できなかった腹いせと言わんばかりに、重賞を荒らし回ったのです。

 本来ウマ娘は専属トレーナーか、チームに所属していなければレースに出場出来ないという決まりがあります。ですが転入生であるオグリ先輩は数か月だけトレーナーがいなくとも、レースに出れる特権を持っていました。

 それをフルに利用したオグリ先輩は急ピッチでレースに出場しました。

 初重賞のGⅢ・ペガサスステークスに快勝し、その勢いで毎日杯も圧勝。

 クラシック未登録故に皐月賞には出場できなかったのですか、この時に皐月を制したのが毎日杯でオグリ先輩に敗れていたヤエノムテキ先輩だったので、また物議を醸しました。

 もしオグリ先輩が皐月賞に出場したら勝っていたのではないか?

 その後に控えている日本ダービーはクラシック最強を決めるレースであるのに、その候補たるオグリ先輩は出場できないのか?

 ファンの方々はオグリ先輩をダービーに出したいと声を上げ始めました。

 ダービー出場を求める署名運動や、クラシック登録制度に対する批判。

 世間を揺るがす大きな騒動に発展したのです。

 さすがのURAもこの大きな流れを無視できなくなり、公平さの観点からオグリ先輩のダービー出走は認めなかったものの、クラシック制度の方向転換を行うことを決めました。

 笠松からやってきてたった数ヶ月で、オグリキャップ先輩は中央を大きく動かしたのでありました。

 そしてダービーに先駆ける事、一ヵ月前。

 

『やった……やったな、タマ……』

 

『ああ……ありがとうな、トレーナー……』

 

 タマモクロス先輩が春の天皇賞で堂々の一位に輝いたのです――

 

「日本ダービー、出たかったな・・・・・・」

 

「クラシック登録しとらんかったんやししゃーない。むしろあんだけ世間が動いたんやから、凄いもんや」

 

 ダービーをサクラチヨノオーが制してから、少し経った頃。

 タマモクロスとオグリキャップは喫茶店で顔を合わせて、パンケーキに舌鼓を打っていた。

 

「やけど、トレーナーを見つけんかったらクラシックどころか、中央のレースに一つも出れんくなる。はよ見つけた方がいいで。学園は待ってくれん。それに、勧誘はいっぱい来とんやろ?」

 

「ああ・・・・・・それはありがたいことなのだが・・・・・・」

 

「だが?」

 

「これと思える人がいないんだ。誘ってくれる皆には悪いと思うのだが・・・・・・」

 

「・・・・・・まあしゃーない。トレーナーってヤツは、ウマ娘にとって一生の問題やからな。妥協したらアカン。慎重に決めんとな。でも急いだ方がええで」

 

「ああ・・・・・・そういえばタマのトレーナーはいい人だな」

 

「っ・・・・・・」

 

「色んなトレーナーの人達に会ってきたが、タマのトレーナーは何というか・・・・・・他と違う気がするんだ」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

「なぁ、タマ。良かったら同じチームで・・・・・・」

 

「アカン! それはアカン!」

 

 突然声を荒らげて立ち上がったタマに、オグリは目をまん丸にして

 

「あ、いや・・・・・・オグリのことが嫌って訳やないで。トレーナーもきっとオグリが入るのは喜んでくれると思う」

 

「それなら・・・・・・」

 

「でも駄目なんや。今のウチのチームじゃ駄目なんや。オグリほどのスターが・・・・・・」

 

 ――この頃、世間はいよいよオグリ先輩ブームが始まろうとしていました。

 オグリ先輩のファンやマスコミ関係者の関心は、オグリ先輩がどのチームに入るか。どんなトレーナーと組むのか。

 クラシックレースに出場できない分、チームレースならと……期待に胸を膨らませていたそうです。

 当然、多くのトレーナーがオグリ先輩を勧誘しました。

 まさにオグリ先輩の争奪戦。

 ですが当のオグリ先輩は中々所属チームやトレーナーを決めませんでした。

 それにより勧誘の勢いはますます激化し、多くのトレーナーやマスコミ関係者がオグリ先輩を追うようになりました。

 そしてオグリ先輩はそんな状況に辟易としていたといいます。

 何せ朝の練習時間や昼休み、放課後は勿論、授業の合間まで彼らはやってくるのです。 

 さすがのオグリ先輩も疲れ果てたと言っていました――

 

「すげぇな、オグリ大明神様は。今日もあんなに人がくっついてるぜ」

 

「あのオグリキャップだ。皆、喉から手が出る位欲しいだろうな」

 

 追い掛け回されるオグリキャップを遠くから眺めながら、三鷹が言った。 

 現在、アンタレスのトレーナーは同期の三鷹と鮫島の三人で、職員室から窓の外を見下ろしている。その眼下には多くの人達に纏わりつかれている、葦毛のスターウマ娘の姿があった。

 

「しかし普通に考えたら、スピカかリギルにいっちゃうと思うけど、皆健気だねぇ」

 

「いや、オグリキャップは多くのチームの勧誘を受けて、視察にも行っているが未だに所属を決めかねているらしい」

 

「へぇ、もったいないねぇ。それこそ引く手数多だろうに」

 

「オグリはちょっと天然な所があるからな。彼女に合う所じゃないと駄目だろう」

 

 トレーナーの言葉に三鷹と鮫島が彼の顔をじっ……と覗き込んだ。

 

「な、なんだ、どうした」

 

「いや、妙に親しげに言うなと思ってな」

 

「い、いや、別に他意は無いさ。ただタマの同室だから、よく彼女のことは聞くんだよ」

 

「そう言えばそうだったな。というか折角接点があるんだし、タマちゃんに口聞きしてもらえばいいのに」

 

「それも考えたが、あのオグリキャップを今のアンタレスにいれたら、世間が何ていうか……」

 

「ふん、下らん。周りの目を気にして強いウマ娘を育てられるものか」

 

 鮫島がふんと鼻を鳴らすと、立ち上がった。

 

「本当にそのウマ娘を担当したいのなら、周りの目など気にならないはずだ。貴様がタマモクロスを選んだようにな」

 

「そういうお前はどうなんだ、鮫島。お前が良く言ってた、ダイヤの原石だぞ」

 

「……オグリキャップはもはやダイヤそのものだ。俺の夢は原石を共に磨き上げる事。オグリキャップは既に完成されている」

 

 それだけ言うと、鮫島は席を立った。彼がアグネスタキオンと出会うのはこの翌年の事になる。

 

「じゃあ、俺も行くか。お前はどうする」

 

「俺もタマが待っているからな。もう出るよ」

 

 残った二人も立ち上がるとそれぞれのチームのホームへ足を進めるのだった。

 

 …

 ……

 …………

 

「タマ―、遅れてすまない。早速、今日の練習なんだが――」

 

 校庭の端に建てられたプレハブ小屋、もといチームアンタレスのホームに足を踏み入れたトレーナーはそこまで言って動きを停止した。

 現在、チーム・アンタレスに所属しているウマ娘はタマモクロスだけ。

 だが彼女以外のウマ娘がいれば驚きもしよう。 

 

「……やぁ、君か」

 

 しかもそれが今話題のオグリキャップ。さらにそんな彼女が、さも当然のように座っていれば驚きもするだろう。

 

「な、なんでオグリキャップが……」

 

「いやすまんなぁ、トレーナー。オグリの奴、ぎょうさんな数の人に追われとったんで、ここにかくまったんや」

 

 奥の方からエプロン姿のタマが現れた。

 

「そ、そうか。そうだったのか……で、タマ。お前は何をしているんだ」

 

「オグリが腹空かせてしゃーないからな。たこ焼き作っとたんや」

 

 確かに何となく芳ばしい香りが漂ってきていた。当のオグリキャップも待ち遠しいのか、そわそわしている。

 

「成程。たしかにタマのたこ焼きは絶品だからな」

 

 関西出身のタマモクロスはたこ焼き作りが妙に上手い。トレーナーもよく作って貰って食べていたので、その美味しさは折り紙つきだ。

 タマモクロスはそのまま奥に戻って、すぐに出来たてホカホカのたこ焼きを器に盛ってやってきた。

 

「さ、出来たで! タマモクロス特製、熱々ふわとろたこ焼きや!」

 

 ドン! と置かれた皿にはソースと青のり、そして鰹節がふんだんにかけられたたこ焼きがズラリ。

 それを見たオグリキャップはじゅるりと、垂れてきた涎を袖でぬぐっている。

 

「トレーナーも食いや! 出来たてが一番美味いんやで!」

 

「じゃあ御言葉に甘えるとするかな」

 

 そう言うとトレーナーは爪楊枝でたこ焼きを一つ突き刺すと、そのまま口へ放り込んだ。

 

「……うん、美味い。やっぱりタマの作る料理は美味いな」

 

「えへへへ……そうか? そら嬉しいな。どや、オグリも……」

 

 そこでタマモクロスの言葉は途絶えた。何だろうとトレーナーもオグリキャップの方を見る。

 そして絶句した。

 

「はふっ……うん、おいひぃな。タマ、おいひぃいぞ」

 

 ハムスターの如く、頬をパンパンに膨らませたオグリキャップの姿がそこにはあった。

 

「健啖家と聞いてはいたが、ここまでとは……」

 

 トレーナーもさすがに驚いたようだ。

 そんな二人に対しオグリキャップは詰め込んだたこ焼きをもぐもぐごっくんと飲み込むと、満足気に大きく息を吐いた。

 

「ああ、美味しかった……」

 

「そ、そうか。そう言ってくれると嬉しいもんやな」

 

 タマモクロスは嬉しそうに頭をポリポリと掻いた。これでオグリの空腹も収まったかに思えたが……

 

 ――ぐぅううううううっ!

 

「……嘘やろ」

 

「あのマルゼン以上の食欲か……」

 

「タマ、お代りはないのか?」

 

 戦慄するトレーナーとタマモクロスであったが、当のオグリキャップは涼しい顔でお代りを要求する。

 タマモクロスはウマ娘の中で少食であるし、トレーナーも彼女に四年も付き合っているので自然と食が細くなっていた。

 

「うー、もうタコはないで」

 

「そ、そうなのか……それは、残念だ」

 

「……よし。じゃあ今度は俺が作ろう」

 

 すると今度はトレーナーが腕まくりをすると奥へと向かっていく。

 

「む、君が作るのか?」

 

「ああ。タマほど上手くはないけどな」

 

 それだけ言うとトレーナーはホットプレートを持ち出して、電源を入れる。そのまま冷蔵庫から食料を取り出して、食材を刻み始めた。

 

「……いつも、こんな風なのか?」

 

「何がや?」

 

「タマのチームさ」

 

 それを待ちながらオグリはタマに尋ねた。

 

「……まぁ、あながち間違いやないな。こうやって時々、お互いに飯作るんや。ウチもトレーナーも粉物なら得意やからな」

 

「そうか……いいな」

 

 今までオグリが見てきたチームとは一風変った雰囲気だ。程よい緩やかさが何だか心地よい。

 やがて奥の方から芳ばしい香りとソースの匂いが漂ってきた。

 

「よっしゃ、出来たぞ! 俺流特製お好み焼きだ!」

 

 そう言ってトレーナーは皿に盛った料理を持ってきた。

 湯気の立つその料理を見て、オグリは目をまん丸に見開いた。

 

「な、なんだこれは。初めて見るものだ」

 

「おう、お好み焼きは初めてかい。これは俺の故郷のソウルフード、広島のお好み焼きだ!」

 

「広島? 確かに初めて見るな。私の知っているお好み焼きとは違うな」

 

「ああ。ボリュームならなんと言っても、広島のだ! さあ食え食え」

 

 オグリキャップは目を輝かせると、トレーナーが切り分けたお好み焼きを一つ箸で取って口の中に放り込んだ。

 

「んんっ! これは……」

 

「美味いかい?」

 

「ああ……とても美味しい……タマのたこ焼きに勝るとも劣らない……」

 

「そ、そうか……」

 

 直球に褒められて嬉しかったのか、トレーナーは耳を朱くして頭をポリポリかいた。

 

「あーホンマ美味いな! トレーナーの『モダン焼き』は!」

 

 が、タマモクロスの放った一言により、彼の笑顔は一瞬で消え失せた。

 

「タマ……貴様、今なんと言った?」

 

「いやートレーナーの『モダン焼き』は最高やな! 舌の上で蕩ける美味しさや!」

 

 言葉ではトレーナーのお好み焼きを褒めている。だがトレーナーはそう思っていないことは、オグリも空気で察した。

 

「ど、どうしたんだ二人とも。なにがあったんだ」

 

 突然の展開にオロオロするオグリだったが、肝心の二人は話を勝手に進めていく。

 

「これは広島人の魂の一つ、お好み焼きだ……モダン焼きでは無い……」

 

「モダン焼きやぁ~、本物のお好み焼きは関西風だけや」

 

 挑発するようにタマモクロスは言うと懐から金属のヘラを取り出した。

 

「……『本物』っつうモンを見せたる。覚悟しぃや」

 

「望むところだ。俺も本気の肉玉そばを見せてやる」

 

「よっしゃ、オグリ! 審査は頼むで!」

 

「え……いきなりどうした」

 

「戦争だよ……俺とタマには絶対に譲れないモノがあるんだ……」

 

 突然怒り始めたトレーナーと、それに対して何故か戦う構えを見せたルームメイトに、流石のオグリキャップも混乱する。

 だがそんな彼女を尻目に、二人は各自でお好み焼きを作り始めた。

 普通の人間、もといウマ娘ならあまりの急展開にさらに混乱を深める所であるが……

 

「待てよ。つまり私は、あと二枚お好み焼きが食べられるのか」

 

 うんうんと頷くと、オグリキャップは喉をゴクンと鳴らしながら着席する。

 冷静さを失った広島人と、悪ノリした関西児。そして天然マイペースの笠松ウマ娘しかいないこの空間。この異常事態を止める者など、存在しなかったのであった。

 そして数十分が経過した。 

 

「おお……これはどちらも美味しいな」

 

 出来上がったそれぞれのお好み焼きを、オグリはホクホク顔で頬張っていた。

 

「……認めたくは無いが流石はタマが作っただけはある……美味いな」

 

「トレーナーのもな……これは引き分けかな?」

 

 タマモクロスはそう言って不敵に笑うと、トレーナーもニヤリと笑ってガッチリ握手を交わす。どうやら決着は引き分けで落ち着いたらしい。

 

「んん……しかし、二人が羨ましいな。毎日、こんな美味しいモノを食べているのだろう?」

 

「いや、毎日っちゅう訳じゃ無いけど……でも、こんな風にお互いで作ることはあるな」

 

「オグリキャップがウチに入ってくれたら、毎日作ってあげるのになぁ」

 

 トレーナーは冗談のつもりで、何気なしに言った言葉だった。

 だが。

 

「何……それは本当か?」

 

「ん、ああ。まあな。でもそれくらいじゃ」

 

「入る」

 

「え?」

 

「私はここに入る」

 

「は……い、いきなり何を言うてんねんオグリ」

 

「私はこのアンタレスに入る。駄目か?」

 

「…………」

 

 突然の衝撃的発言に、トレーナーとタマモクロスは思わず固まってしまう。

 

「ま、待てぃオグリ。本気で言っとるんか?」

 

「ああ……本気だ」

 

 迷い無く言い切るオグリキャップにタマモクロスは頭を抱えた。

 

「ええか、オグリ。チームっていうたらウマ娘にとって一番大事な所やで? ウチのチームに入りたいってのは、嬉しいけど……そんな簡単に決めるとかはないで。もう少し真剣に考えんと」」

 

「俺はオグリが入ってくれるなら、大大大歓迎なんだが……」

 

 トレーナーとしてはオグリキャップは喉から手が出るほど欲しいウマ娘だ。

 だが大手チームに引っ張りだこな彼女が、こんなに軽くチームに入りたいと言ってくるとは思わず、困惑しているというのが今の状況だった。

 

「……いや、真剣に考えているつもりだ。タマは今の私にとって一番の目標だ。タマと一緒に競い合えば、私はきっと強くなれる」

 

「お、おお……」

 

 大真面目に言うオグリキャップに、タマモクロスは少し赤面する。純粋で真っ直ぐな評価にまだ慣れていないのだ。

 

「それに君のトレーナーとしての能力は、前のタマの併走の時に分かったつもりだ。それに他のトレーナーと違ってあんまりしつこく無かったし……」

 

 相当、迷惑な勧誘を受けたのかオグリキャップは少しだけ不満そうに顔をしかめた。

 確かにここ数日の彼女に付きまとうトレーナー達の数は以上であったので、辟易した面もあるのだろう。

 

「だからこのチームに入ろうと思ったんだ……いけないかな?」

 

「…………」

 

 正直、トレーナーはオグリキャップが自分のチームに入る可能性など微塵も考えていなかった。

 才能もあり、顔も実力も知れ渡っている彼女はきっと設備もしっかりしていて強いウマ娘のいるチームへ行ってしまうのだろうと、悟ったように思っていた。

 だがそのオグリキャップが今、自身のチームに入りたいと言ってくれている。

 トレーナー冥利につきるとしか言い様がなかった。

 

「大歓迎だ、オグリキャップ! チームに入ってくれて本当にありがとう……!」

 

「ちょいちょいトレーナー! こんな上手い話、あるわけ……」

 

「タマは……私がチームに入るのは嫌か?」

 

「……あー、もう! そんなことあるわけないやろ、もーっ!」

 

 タマモクロスも本音ではオグリキャップが同じチームに入ってくれることを喜んでいた。しかし彼女の才能と自身のチームの現状を考えて、難しいだろうと考えていたのである。

 

「これからよろしくな、タマ。トレーナー」

 

 お好み焼きをモグモグ頬張りながら、オグリキャップは柔らかく微笑んだ。

 一方、トレーナーとタマモクロスは嬉しさからか体を震わせて、興奮気味にせわしなく動き回るのであった。

 

 ――こうしてオグリキャップ先輩はアンタレスに所属することになりました。

 何というか、あっさりというか味気ないというか……それもまたオグリ先輩らしかったのかもしれません。

 ですがオグリ先輩に、そしてアンタレスに受難が訪れるのはこの後のことでした。

 弱小チームの悲哀というモノを、トレーナーさんは嫌というほど味わう事になるのです―― 



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オグリキャップ物語 5

 遅くなって申し訳ありません。
 長らく続いたオグリキャップ編もこれにて最後です。
 どうかよろしくお願いします。

 ちなみに作者はイナリワンとスイープトウショウで有り金を全て溶かしました。


 ――オグリ先輩がアンタレスを所属チームに決めた事は、その日のうちに学園中を駆け巡りました。

 これまでどこのチームにも入らなかったオグリ先輩が、ということもありますがやはり問題になったのはそのチームがアンタレスだったことでしょう。

 この頃のアンタレスに所属するウマ娘はタマモクロス先輩のみで、チームとしての体を成していない状態でした。

 そんなチームに当時、スターウマ娘だったオグリ先輩が加入したのですから当然、反発が起きます。

 今思えばこの時期が一番、チームの危機だったかもしれません。

 何故ならオグリ先輩のアンタレス入りを歓迎する者は、学園にほとんど存在しなかったのですから――

 

「アンタレスのトレーナーさんですね!? 今、お時間よろしいでしょうか!?」

 

 職員室を出た瞬間、トレーナーは大勢の記者たちに待ち伏せされた。

 何処から仕入れてきたのか。オグリキャップがアンタレスに加入したのは昨日だというのに、何人も集まっていたのだ。

 

「す、すいません。今から練習があるんで……」

 

 トレーナーはそれだけ言うと足早に、その場を去ろうとする。

 

「待って下さい! あのオグリキャップがアンタレスに加入するというのは本当ですか? トレーナーさん、答えて下さい!」

 

「極秘事項です!」

 

 あの数に絡まれたら面倒くさいので、トレーナーは全力ダッシュで部室に向かった。

 しかし。

 

「おお……」

 

 アンタレスのホームであるプレハブ小屋も、マスコミや他のトレーナーが集まってちょっとした騒動になっていた。

 

「ええい! 許可獲ってない写真はNGや! 練習に支障でるから、ちょとどいてや!」

 

 入り口付近でタマモクロスの声が飛ぶ。

 背が小さいからか周りの記者に埋もれてしまっているが、その高い声だけははっきりと響き渡っていた。

 

「タマ!」

 

 トレーナーは群がる人だかりを掻き分けて、タマモクロスの元へと向かう。

 愛バであるタマモクロスは、額に汗かきながら詰め寄る人々をいなしていた。

 

「トレーナー! これは一体何があったん?」

 

「タマの春天勝利の取材……ならよかったんだが、本当はオグリの件だ」

 

「ああ……」

 

 それだけでタマモクロスは大体の状況を察した。

 

「とりあえず今日は誤魔化して、後日改めて発表しよう」

 

「せやな。こんな状況やと何言うても……」

 

「どうしたんだ、タマ。外が騒がしいが……」

 

 奥からオグリキャップがひょいと顔を出す。

 すると周りの野次馬達は一斉に底へ群がっていった。

 

「オグリキャップさん! アンタレスに入ったというのは本当ですか!?」

 

「リギルやスピカではなく、どうしてこのチームに!?」

 

「今後のレース予定は!?」

 

 大勢の人間と熱気に囲まれ、ただでさえ人見知りの気があるオグリキャップは顔を青くして奥へ引っ込んでしまう。

 

「ちょっと! ウマ娘に過度なフラッシュや騒音は厳禁でしょ!」

 

 トレーナーはすぐに彼らとタマ達の間に割り込んで、ウマ娘二人をプレハブへと避難させる。

 

「トレーナーさん! 何か一言お願いします! 全てのウマ娘ファンが待っているんですよ!」

 

「俺たちトレーナーも納得がいっていないぞ! 説明しろ!」

 

「えーと、正当な手続きをしてからお願いします!」

 

 トレーナーはそれだけ言うと扉をピシャリと閉めて中から鍵を閉めた。

 そのまま扉を背に一息、途端に背後から大勢の声が聞こえてくる。

 

「うう・・・・・・トレーナー、何とかならんかな?」

 

 さすがのタマも疲れた様子で尋ねてきた。

 オグリに至っては耳をぐったりさせて、椅子に腰掛けている。

 

「うーん、まさかここまでとはな・・・・・・」

 

 スターウマ娘であるオグリが入るチームを決めたのだから一悶着ありそうとは思っていたが、こんな騒動になるとは思っていなかった。

 

「だがこれじゃ練習も出来んぞ・・・・・・」

 

「せやな。どうするか・・・・・・」

 

 二人がうんうん唸っていると、オグリキャップが落ち込んだ様子で尋ねてきた。

 

「もしかして、私のせい・・・・・・なのか?」

 

「・・・・・・いや、オグリが原因じゃないさ。ただちょっと俺のチームランクがな」

 

「ウチのトレーナー、甲斐性があらへんからな。しょうがないで」

 

「それをタマが言うか・・・・・・」

 

「・・・・・・ふふふ」

 

 困った様子で笑うトレーナーとタマモクロスに、オグリキャップの顔も柔らいだ。

 その直後。

 

 ――ぐぅうううううううううっ!

 

「・・・・・・とりあえず何か作ろか」

 

「ああ、タマ。頼む」

 

 大きく鳴ったオグリのお腹の虫に、タマは苦笑して厨房へと向かっていく。

 

 ――オグリの活躍は凄かったから多少の騒ぎは起こるだろう。でも、暫くすれば落ち着くだろう。

 

 似たような例は今までのトレセン学園でも多々あった。

 トレーナー自身、マルゼンスキーを引き抜いた時は世間からバッシングを受けた経験があった。その時は、彼とマルゼンが実力で周りを黙らせた。

 その経験があるからこそトレーナーは今回の問題も時が経てば解決するだろうと考えていたのである。

 

 ――ですがトレーナーさんの思惑以上に、アンタレスへのバッシングは激しくなっていきました。

 反アンタレスの中堅トレーナーとマスコミ関係者は結託し、執拗な攻撃を繰り返したのです。

 

「お前は自分が何をやっているのかわかっているのか!?」

 

 年齢もキャリアも自分よりはるか上のトレーナーに詰め寄られ、アンタレスのトレーナーは困ったように愛想笑いを浮かべた。

 

「な、何の事ですか?」

 

「オグリキャップの事に決まっているだろう!」

 

 オグリキャップ。その名を聞いてトレーナーは内心、溜息をついた。

 もう彼女の名前を本日何度も聞いている。それも全て同業者とマスコミ関係者たちからであった。

 

「お前ではオグリキャップを育てるのは無理だ! 今すぐ彼女のチーム参加を辞退しろ!」

 

「……しかし、俺のチームにオグリ……オグリキャップが入ってくれたのは彼女の意思でもあります。それを無碍にするのは……」

 

「お前から彼女に言うのがトレーナーとして、大人としての責任だろう! オグリキャップという稀代のアイドルウマ娘が、能力の低いトレーナーの下でその才能を潰そうとしているんだぞ!」

 

 よくもまぁ、本人の目の前で言えるものだ。

 トレーナーは内心で目の前の先輩に唾を吐いてやりたい気持ちに襲われた。

 だが悲しい事に世間のウマ娘に関わる者たちの大半は、彼と同じような考えだった。

 元々、アンタレスのトレーナーの評判はあまりよくない。

 かつてまだ新人だった時にあのリギルからマルゼンスキーを引き抜いたことを、快く思わない同業者は大勢いた。

 またマルゼンが卒業してからチームが凋落したことも、彼の低評価に拍車をかけていた。

 現在タマモクロスのおかげで持ち直してきたが、未だに彼の評価は『マルゼンスキーだけのラッキーボーイ』、あるいは『マルゼンスキーを口八丁で騙した男』であったのだ。

 そんな彼が今度は笠松から上京したオグリキャップをチームに引き入れた。

 他のトレーナーからすれば、田舎から出てきた無垢なオグリをアンタレスのトレーナーが言葉巧みに騙して、チームに加入させたという印象であった。

 オグリキャップが普段からマイペースで真面目で純粋な性格であることも影響した。

 悪いトレーナーに騙されそうになっている地方から来たスターウマ娘を、その毒牙から守る。

 そんな風に彼らは思っている節があったし、一部のマスコミ関係者もその考えを支持して盛んに記事を書いて世間を扇動したのであった。

 

「とにかく! さっさと身の程を弁えた行動を心掛けることだ。これ以上だと上位トレーナーも動くだろう。それより前に、オグリキャップを放逐するんだな!」

 

 大声でまくしたてると、先輩トレーナーは去っていった。

 上位トレーナー……リギルやスピカやシリウスのトレーナー達は既にオグリキャップの事を諦めていた。

 彼らはウマ娘が自分の意思で決めたのなら、それ以上は自分たちが言う事は何もないとして、この問題から手を引いていた。

 アンタレスにクレームをつけてくるトレーナーは皆、中堅以下のトレーナーばかりである。

 彼らからしてみれば、多くの上位チームに勧誘されながらどこにも所属しなかったオグリキャップなら、自分たちにもチャンスがあるのだろうと思ってしまったのであろう。

 しかしそれを若輩トレーナーに盗られたのだから、彼らの怒りも凄まじいものであった。

 

「はぁ……」

 

 トレーナーは大きな溜息をつくとそのまま自身の席にどっかりと腰を降ろした。

 

「大変だったねぇ」

 

 すると横からそんな声が聞こえてきた。見れば初老のトレーナーが同じように座席へ座っていたのである。 

 

「いえ、先輩方の言い分も一理あります。自分のチームは、チームとしての体をなしていないので」

 

「確かにねぇ・・・・・・オグリキャップは勿論、タマモクロスをチーム競技場で見たいという人は多くいます」

 

 そこまで言うと彼はキョロキョロと周りを見渡すと、声を潜めて話し始めた。

 

「そこでいい話があるのですよ・・・・・・」

 

 好々爺といった雰囲気が一転し、初老のトレーナーの眼光が蛇のように光ったように見えた。

 

「君、私のチームのサブトレーナーにならないかね」

 

 思わずアンタレスのトレーナーは息を呑んだ。

 

「勿論、タマモクロスとオグリキャップも一緒だ。チーム内では以前のようにその二人を専属で指導して貰っても構わない」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

「私のチームでなら二人もチームレースに出場出来る。君も二人を指導できる。中々良い話だと思うがね・・・・・・」

 

 オグリキャップという大器はここまで人を狂わせるのか。

 アンタレスのトレーナーは、目の前にいる初老の男にぞっとするようなおぞましさを感じて、目を背けた。

 

「まあ、考えておいてくれたまえ」

 

 ポンポンと肩を叩くと、初老のトレーナーは去って行った。

 トレーナーは自身が惚れ込んだ笠松のウマ娘が、己の力量を遙かに超える怪物であることを実感し始めていたのであった。

 

 ――オグリ先輩の事で荒れたのはトレーナーさん達の間だけではありませんでした。

 この問題を多くのマスメディアが取り上げましたが、そのほとんどがアンタレスに否定的な物だったのです。

 多くの新聞や雑誌にアンタレスに対しての批評が載りました。

 特に著名なウマ娘評論家が書いた記事は、タマ先輩を激高させたそうです。

 曰く、最近世間を賑わせているアンタレスのトレーナーだが、彼は口が上手さだけで世を渡ってきただけで、マルゼンスキーもオグリキャップもその口八丁で口説き落としただけに過ぎない。

 今までの戦績はマルゼンスキーがただ抜きん出た才能であっただけで、彼自身にトレーナーの才能は無い・・・・・・

 

「がーっ! 好き勝手書きよってからに!」

 

 持っていた雑誌をタマモクロスは引きちぎると、そのままぐちゃぐちゃに潰して床に投げ捨てた。

 その本の持ち主であるモブサイクロンからあ・・・・・・という声が漏れるが、あまりのタマモクロスの怒りにそれ以上何も言わなかった。

 

「タマちゃん。こりゃヤバいよ。大炎上だぜ」

 

 以前タマモクロスに絡んでいたモブサイクロン達だが、彼女に完敗して以降態度を改めてそれなりに仲良くなっていた。

 そんな彼女達が真面目にアンタレスを心配していたのである。

 

「中央に来てからのレースでオグリキャップにも熱狂的なファンが着いたからねぇ」

 

「それを中堅トレーナーとマスコミが焚きつけてやがる。えげつねぇな」

 

「今すぐ記者会見とか開いた方がいいんじゃない?」

 

「うー。そうかもな。トレーナーに言ってみんと・・・・・・」

 

 タマモクロス自身、大なり小なり何か騒動があるとは考えていたが、ここまで大事になるとは思っていなかった。

 仲の良いオグリキャップがアンタレスに入ってくれたのは嬉しいが、これ以上は・・・・・・

 芦毛の少女は一人歯がみした。

 

 一方、騒動の張本人であるオグリキャップにも受難は続いていた。

 元々前からマスコミや他のトレーナーに追い回されていた彼女だが、以前にも増して多くの人達から声をかけられるようになった。悪い意味でだが・・・・・・

 

「オグリ先輩! アンタレスに入るって本当ですか!?」

 

 放課後声をかけてきたのは、中等部の後輩であった。

 オグリ自身には面識が無い少女である。

 だが既に中央でデビューして華々しい戦績を飾ったオグリキャップには、多くのファンがいた。トレセン学園内でも、おっかけとも言える生徒がかなり多く存在したのである。

 

「え・・・・・・ああ、そのつもりだが・・・・・・」

 

「そ、それは止めた方がいいと思います!」

 

 真っ直ぐな瞳で、彼女は力強く言った。

 流石のオグリキャップも驚きで目をまん丸に見開いた。

 

「ど、どうしてだ・・・・・・」

 

「あ・・・・・・アンタレスは・・・・・・オグリ先輩には相応しくありません! もっといいチームがあるはずです!」

 

 彼女は純粋な厚意で言っているのだ。

 オグリキャップほどのウマ娘が、チームとしてまともに機能していないアンタレスに入るなど言語道断。

 リギルやスピカといった強豪チームにだって入れるのにどうしてそんなチームに・・・・・・

 

「・・・・・・でもトレーナーはいい人だし、料理も美味しいんだ。それにタマもいるし・・・・・・」

 

「そんな・・・・・・オグリ先輩ならどんな一流チームでも入れるんですよ! なのにあんなチームに・・・・・・」

 

 あんなチーム・・・・・・オグリは胸が詰まるような思いがした。

 目の前の少女に悪意は一切、感じられない。

 オグリキャップの事を想って言っているのである。

 だからこそオグリキャップもそれ以上、何も言えなかったのである。

 

(私は皆の期待に応えるために走ってきた。だが皆はアンタレスに入る私を歓迎しないのか・・・・・・) 

 

 オグリキャップはその現実に肩を落とす。その時だった。

 

「ッ・・・・・・」

 

 後輩の声が止まった。

 その異様な雰囲気にオグリキャップが想わず後輩の目線の先に視線を移す。

 

「た、タマ・・・・・・」

 

 タマモクロスがそこにいた。

 オグリキャップを迎えに来たのである。だが彼女はこの一連の会話を耳にしてしまったのである。 

 バツの悪そうに顔を歪め、タマモクロスは苦笑した。

 

「・・・・・・悪いオグリ。先行っとるで」

 

 片手をヒラヒラさせて踵を返すと、その場を去ろうとする。

 

「ま、待ってくれタマ・・・・・・」

 

 そう言って手を伸ばしたオグリキャップだったが、去って行くタマの後ろ姿を見て思わずその手を引っ込めた。

 今の彼女に、あのオグリキャップですらどんな言葉をかけていいのか分からなかった。

 

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 

「はぁ……」

 

 オグリキャップは珍しく深い溜息をついた。

 あの後、後輩たちから逃げるように離れた彼女はそのままトボトボと行くあてもなく彷徨っていた。

 本当ならアンタレスのホームに行く時間なのだが、先程のタマモクロスの表情を思い出すと、どうしても足が進まなかったのだ。

 毎日追いかけてくるマスコミや他のトレーナーたちに見つからない様に、あまり人気のない場所を歩いて行く。

 

「……む。ここはどこだ」

 

 気が付けば見知らぬ場所に辿り着いていた。

 いつの間にか校舎から出ていたらしく、校庭へと向かう生徒や緑の芝があちこちに見える。

 こんな時、タマかトレーナーがいれば……

 オグリキャップは肩を落とすと、そのまま近くにあったベンチに座り込んだ。

 日陰も多く、あまり人も少ない場所だった。

 

「……はぁ」

 

 いけないと思いつつも、出てくるのは乾いた溜息ばかりだった。

 オグリキャップはチームの事やウマ娘界の事情などは分からない。

 ただ親友のタマモクロスと同じチームに、そして気に入ったトレーナーのいるチームに入りたかっただけなのだ。

 しかしその事を反対する人が大勢いる……

 

「どうしたの、こんな所に一人で?」

 

 不意に頭上から声をかけられた。

 オグリキャップが咄嗟に顔を上げるとそこに一人のウマ娘が立って、こちらを覗き込んでいた。

 

「貴方は……」

 

 知らない顔だった。

 私服を身につけているためトレセン学園の学生ではないだろう。

 他校の生徒か、あるいはOGか。

 ウェーブのかかった鹿毛の長髪を靡かせ、目鼻の筋が整った美しい顔立ち。

 背は高く、プロポーションはモデルと間違えるほど均等がとれており、長い手足がより大人らしい印象を与えた。

 白地に花柄をあしらったノースリーブのワンピースと、肩に羽織った紅いカーディガンをきっちり着こなし、かけているサングラスもスマートで恰好良い。

 

「オグリキャップちゃんね。新聞で見たわ」

 

「ああ……そうだが……えーっと、貴方は……」

 

「うふふ、気にしなくていいわ。通りすがりのトレセンOGよ」

 

 そう名乗るとそのウマ娘はにっこりと微笑んだ。

 

「横、いいかしら?」

 

「……ああ、どうぞ」

 

 オグリキャップがそう言うと、彼女はそのままベンチに腰を掛ける。

 基本人見知りの気があるオグリキャップであるが、この年上のウマ娘には不思議と警戒心が湧かなかった。それどころか何となく親近感を憶える。

 包み込むような包容力をオグリキャップは彼女から感じたのだ。

 

「でもどうしたの。今を時めくスターウマ娘の貴方が、こんな所で一人だなんて」

 

「ええと・・・・・・実は・・・・・・」

 

 辿々しい言葉であるが、オグリキャップは自身の現状を語り始めた。

 地元の皆に応援され。中央でスターウマ娘になるために笠松から一人上京したこと。

 慣れないトレセン学園でトレーナーと同室のタマモクロスに助けて貰ったこと。

 そのタマモクロスと併走して、初めて中央のレベルを知ったこと。

 そして彼女と共にレースで走りたいと思ったこと。

 トレーナーと接するうちに、彼を信頼するようになったこと。

 自分はこの二人と一緒に頑張りたいと思っているが、多くの人がそれに対して否定的なこと・・・・・・

 

 胸の内に秘めていたことをオグリはゆっくりと語っていく。

 そんな彼女の言葉を鹿毛のウマ娘はうんうん頷いて聞いている。

 そしてオグリキャップが話を終えると、そのウマ娘は少しだけ間を置いた後、じっと瞳を見つめてゆっくりと口を開いた。

 

「ふふふ、相変わらずね。トレーナー君は・・・・・・」

 

「む・・・・・・トレーナーを知っているのか?」

 

「ええ、少しね。でも今重要なのはそこじゃないわ」

 

 吸い込まれるような感覚に思わずオグリキャップは息を呑んだ。

 

「貴方は皆のために走りたいって言ったわね。そしてアンタレスに入ることを皆は反対しているし、トレーナーとタマちゃんにも迷惑がかかる」

 

「・・・・・・ああ」

 

「確かに貴方を応援してくれる人のことも重要よ。でも一番重要な事をオグリちゃんは忘れているわ」

 

「む・・・・・・それは一体?」

 

「・・・・・・オグリちゃん自身のことよ」

 

 そのウマ娘は、そう言ってにこりと微笑んだ。

 

「一番大事なのは、貴方自身がどうしたいか。でしょう?」

 

「・・・・・・しかし」

 

「皆のために走りたいのは分かるわ。でもそれで自分がやりたいことを我慢していたら本末転倒よ。自分が楽しく走る。それがウマ娘にとって一番重要な事なんだから」

 

「・・・・・・確かにあのチームにいると、私は楽しい。でもそのことが原因で皆に迷惑がかかるなら・・・・・・」

 

「うふふ、真面目なのね。オグリちゃんは。だったらまずその気持ちを、皆に伝えてみたらどうかしら」

 

「皆に・・・・・・」

 

「そうよ。気持ちって言葉にしないと、人は分からないものなの。オグリちゃんの言葉で、オグリちゃん自身の気持ちを皆に伝えれば、きっと分かってくれると思うわ」

 

「自分の・・・・・・気持ち」

 

 確かに今までオグリキャプはこの問題に対して、はっきりとした答えを示していなかった。

 それは彼女が皆のことを大切にして、なかなか言葉に出来なかったという経緯がある。

 しかしそんなオグリキャップの煮え切らない態度に、周りが燃え上がったという側面も間違いなくあったのだ。

 

「そうか・・・・・・私は・・・・・・」

 

 オグリキャップの瞳に輝きが戻り始める。そんな時だった。

 

「オグリキャップ、ココにいたか!」

 

 突然かけられた声に、オグリキャップは顔を上げた。

 生徒会長のシンボリルドルフが珍しく焦ったような様子で、近づいてくる。

 

「すまないが、一緒に来てくれないか。アンタレスのホームで・・・・・・」

 

 そこまで言った時、シンボリルドルフの目線がオグリキャップの隣にいたウマ娘に移った。

 彼女のことを知っているのか、シンボリルドルフは驚きで目を見開いた。

 

「・・・・・・どうして君がここに・・・・・・いや、今はアンタレスの急変なんだ。一緒に・・・・・・」

 

「うふふ。最初はそう思ったけど、もうオグリちゃんが行くだけで大丈夫よ」

 

「ああ、ありがとう。ルドルフ、案内してくれ。すぐ行こう」

 

 スッキリした顔つきでオグリキャップは立ち上がる。

 そして振り返って、尋ねた。

 

「本当に、ありがとう。後でお礼をしたいから名前を尋ねてもいい・・・・・・いいですか?」

 

「うふふ。名乗るほどじゃないわ。ちょっとお世話好きのお姉さんよ」

 

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・

 

 その日、アンタレスのホーム前は異様な熱気に包まれていた。

 連日のように押し寄せるマスコミやトレーナー達。その数は日々日々増えていき、今日に至っては視界全てが人で埋まるような錯覚を覚えるようだ。

 

「み、皆さん静かにして下さい・・・・・・中にはウマ娘がいるんです・・・・・・」

 

 彼らの視線の先にいるトレーナーは冷や汗をかきながら、殺到する人々を抑えていた。

 ウマ娘は音や光に人一倍敏感であるため、騒音やフラッシュは避けるべきである――そんな初歩の初歩である常識すら無視した彼らの態度に、トレーナーは怒りを抑えつつも出来るだけ丁寧に接している。

 だがそんな彼の気遣いも虚しく、周りはますます白熱していくのである。

 

「聞こえるだろう! これが世間の声だ!」

 

 先頭にいた中堅トレーナーが声を張り上げた。

 

「これだけ多くの人間がオグリキャップのことを心配し、アンタレス入りを反対しているんだ! いい加減、物の分別をわきまえろ!」

 

「し、しかしオグリキャップ自身の気持ちもあります・・・・・・それにアンタレスも今は泡沫チームですが、これを機にまた復興することも・・・・・・」

 

「そんな成功するかも分からない可能性にオグリキャップを巻き込むつもりか!」

 

「全国のファンはオグリキャップさんがチームレースで活躍する姿を待ち望んでいます! ですがアンタレスでは実現できません! そのことについてどうお考えですか!」

 

 若い女性記者がマイクを突き出して尋ねてくる。

 情熱に燃えた瞳だ。きっと今の己の行動に一切の迷いがない。かつてマルゼンスキーの時によく取材して貰っていた乙名史記者をトレーナーは思い出した。

 今は『月刊トゥインクル』の副編集長だったか。そういえばこの場に、月刊トゥインクルの腕章を付けた記者はいない。トレーナーは少しだけ救われた気がした。

 

「お前にオグリキャップは相応しくない! 誰もが分かっていることだ!」

 

「で、ですが・・・・・・」

 

「いやそれだけでない! タマモクロスだってアンタレスには不相応だ! 素晴らしい才能を持つウマ娘達を、このまま弱小チームで腐らせる気か!」

 

 中堅トレーナーの言葉に、アンタレスのトレーナーの表情が変わった。

 オグリキャップは元々笠松トレセンで頭角を現し、中央に移籍してきたウマ娘である。

 皆の期待を一身に背負い、それに応え続けてきたオグリキャップは間違いなくスターウマ娘だろう。それこそ中央に編入してくる前から、ずっと。

 だがタマモクロスは違う。

 入学した当時、彼女はまだ本来の実力を全く発揮出来ていない状態だった。

 そのまま幾つもの選抜レースに出場し、連戦連敗を重ねていた。その時の彼女を、多くのトレーナーはどう扱ったのか。

 手を差し伸べようとしたのか。応援してあげたのか。

 長い努力の末、ようやく結果を出したタマモクロス。その輝かしい部分だけしか見ていない。

 トレーナーは気が付けば拳を強く握りしめていた。

 頭が沸騰するほどの怒りを憶えた彼は、目の前の中堅トレーナーへと手を伸ばした。

 

「やめろっ! タマっ!」

 

「離せトレーナー! こいつ・・・・・・ウチのチームとトレーナーを馬鹿にしくさって・・・・・・!」

 

 後ろから飛び出してきたタマモクロスを、トレーナーは必死で引き留める。

 彼女は怒り狂っているのか、青筋を立てて小さな拳で今にも中堅トレーナーに振り下ろそうとしていた。

 

「落ち着け! タマ!」

 

「くそっ! こいつは・・・・・・こいつらだけは・・・・・・今まで何もしなかったくせに・・・・・・よくも・・・・・・よくも・・・・・・」

 

 暴れるタマモクロスとそれを取り押さえるトレーナー。

 流石の中堅トレーナー達も息を呑み、一歩下がった瞬間であった。

 

「何をしているっ!」

 

 遠くから声が聞こえてきた。

 皆が一斉にそちらの方を向いた。その先にはこちらに近づいてくる、生徒会長・シンボリルドルフの姿があった。

 

「・・・・・・こっちだ!」

 

 その姿を確認したトレーナーは、その隙にタマモクロスを引っ張ってホームから離れていく。

 ココに残ってはタマモクロスが本当に暴れ出す可能性があったからだ。

 

「これは何の騒ぎだ! 学園の敷地内で勝手な事は許さんぞ!」

 

 突然の大物登場に周りの意識が、彼女に集中する。トレーナーはその間に、ホームから脱出した。

 

「あ、待てっ・・・・・・!」

 

 それに気が付いた中堅トレーナーが叫ぶも多くの者の関心は、すでにシンボリルドルフの方へと向いていた。

 さらに皇帝の後ろから現れたもう一つの人影に、皆の視線は釘付けになる。

 

「お、オグリキャップだ・・・・・・」

 

 騒動の張本人であるオグリキャップであった。

 アンタレスのトレーナーとタマモクロスは僅差でオグリキャップの姿は見なかったようだ。

 そのことに安堵しつつ、彼女はゆっくりと口を開いた。

 

「集まってくれた皆に、一つだけ伝えたいことがあるんだ・・・・・・」

 

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 

 学園の片隅にあるベンチに、トレーナーとタマモクロスは腰掛けていた。

 

「・・・・・・落ち着いたか?」

 

 ベンチの上で膝を抱えているタマモクロスに、トレーナーは声をかける。彼女は顔を上げずに、黙ったままであった。

 

「・・・・・・ありがとうな」

 

 トレーナーの言葉にタマモクロスの肩が少し動いた。

 

「嬉しかったよ。チームのことで怒ってくれて」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

「それにタマが怒らなかったらきっと俺が怒っていた。本当に・・・・・・すまないな」

 

「・・・・・・なんでトレーナーが謝るんや」

 

「自分の愛バにあそこまでさせたんだ。それはトレーナーである俺の責任さ」

 

「・・・・・・そんなことない」

 

 タマモクロスは細々といった。

 

「トレーナーが今までどれだけ頑張ってきたか知らへんくせに・・・・・・あいつら好き勝手言って・・・・・・」

 

「タマ・・・・・・」

 

「ウチがここまで強くなれたんはトレーナーのおかげや。オグリだって、トレーナーの人柄に惹かれたんや・・・・・・口八丁で騙したんやない・・・・・・なのに・・・・・・あいつら・・・・・・」

 

 タマモクロスは本気でトレーナーのことを思い、怒っていた。それだけで彼は嬉しかった。

 

「タマがそう思ってくれてるだけで、俺は救われたよ・・・・・・だからもう大丈夫・・・・・・大丈夫だよ」

 

 彼女の小さな肩をトレーナーは優しく抱いた。

 二人だけにしか分からない絆が、確かにそこにはあったのだ。

 しばし沈黙が続いた。

 やがて空は紅に染まり始め、練習を終えたウマ娘たちの喧騒が遠くから聞こえてくる。

 

「・・・・・・戻るか」

 

「・・・・・・せやな」

 

 二人は短い言葉を交わすと、おもむろに立ち上がった。

 歩を合わせてトボトボとホームに戻っていく。

 

「オグリは・・・・・・残念やったな」

 

「・・・・・・ああ、逸材だった。でもオグリならどのチームでも頑張っていけるさ」

 

 トレーナーもタマモクロスも、心の奥底では認めてしまっていた。

 もうオグリキャップをチームに入れることは無理だろうと。

 アンタレスのホームは、少し前までのことがまるで嘘のように人っ子一人おらず、静まりかえっていた。

 辺りは夕闇によって暗くなり始め、中で着けたままの電灯がぼんやりと室内を照らしている。

 タマモクロスはそのままゆっくりと扉を開けた。

 

「――っ」

 

 そこでタマモクロスの体がピタリと止まった。

 何事かと思ったトレーナーも奥を覗き込み、息を呑んだ。

 

「遅かったじゃないか、二人とも」

 

 オグリキャップがそこにいた。

 本来ならここにいないはずの彼女は、椅子に座って行儀良く二人を見上げている。

 

「お、オグリ・・・・・・お前・・・・・・何で・・・・・・」

 

 少しだけ落ち着きを取り戻したタマモクロスは、震える声でそう尋ねた。

 

「何でって・・・・・・ここは私のチームのホームなのだが・・・・・・」

 

「だ、だけどそれは皆が・・・・・・」

 

「ああ、皆が反対した。だから私も皆に分かって貰いたくて、正直に思いを伝えたんだ」

 

 ――どうか、このチームで走る私を、見て欲しい。

 私の力を、自分の目で確かめて欲しい。

 私はきっと、キミたちの期待に応える。

 このチームでタマとトレーナーと、必ず。

 何故なら私は強いから。私達は強いから。

 どのチームよりもきっと――

 

 アンタレスのホームに集まっていた人々の空気が明らかに変わっていった。

 ここまでハッキリ言ったのだ。もう彼女はテコでも動くまい。中堅トレーナー達はそれを察して、引いていった。

 このチームで戦うという宣戦布告だ。記者達はそう感じ、このままの方が盛り上がると反対から様子見へと舵を切った。

 オグリキャップの真摯な姿が、確かに人々の心を動かしたのだ。

 

「その後の色んな事はルドルフにやってもらった。だからもう大丈夫だ」

 

「ははは・・・・・・また皇帝に借りが出来てしまったな」

 

 冷や汗を掻きながらも、トレーナーはどこかほっとしたような感じだった。

 

「で、でもなオグリ・・・・・・あいつらの言うコトも一理あって、ウチのチームは――」

 

 ――ぐぅうううううううう・・・・・・

 

 タマモクロスの言葉をかき消すように、オグリキャップのお腹からそんな音が鳴った。

 

「・・・・・・お腹が空いたな」

 

「・・・・・・っ・・・・・・ぷっ・・・・・・はははははははははは!!」

 

 あまりにもマイペースなオグリキャップに、タマモクロスは大笑する。

 先程の落ち込みが嘘のように晴れた彼女の笑顔に、トレーナーもほっと胸を撫で下ろす。

 

「よっしゃ! それならウチが特製たこ焼き、山盛りに作ったる! ちょっとそこで待っとき!」

 

「俺も手伝うぞ。最高のたこ焼きを食べさせてやる」

 

「ああ・・・・・・楽しみに待ってるぞ」

 

 喜び勇んで厨房へと入っていく二人を、オグリキャップは目を輝かせながら見送った。

 トレーナーとタマモクロスの二人だけだったチーム・アンタレスに、オグリキャップが本当の意味で加入した瞬間であった。

 

「・・・・・・でも、皆が言うとったことも一理あるなぁ。ウチとオグリがいかに強くても、二人じゃチームレースには出られへんし」

 

 数十分後、熱々のたこ焼きを三人でつつきながら、ふとタマモクロスが言った。

 

「ほふほふ・・・・・・それなら私に考えがある」

 

 たこ焼きを頬張りながらオグリキャップはそう言うと、そのままゴックンと飲み込んだ。

 

「今年の大きなレース、私とタマで一位を独占するんだ」

 

 さも簡単そうに言ったオグリの言葉に、トレーナーは箸を止めた。

 確かにこの二人の実力は抜きん出ている。だからといって、一位を独占状態にする程、中央のレースは甘くは無い。

 なのに。

 

「そうすれば、あっちから私達に言ってくる」

 

 どうしてオグリキャップがそう言うと、出来ると思えてしまうのだろう。

 

「お願いします。チームに入れてくださいって・・・・・・そうだろう、タマ?」

 

「お、オグリ・・・・・・お前・・・・・・」

 

 タマモクロスは何かを思いだしたように彼女の顔を見つめた。

 その視線に、オグリキャップは優しい微笑で返す。

 

(本当に・・・・・・出来るかもしれない。タマとオグリなら、トゥインクルシリーズを二人で制覇することだって・・・・・・)

 

 走らないと言われていた芦毛。そのジンクスを覆した二人のウマ娘が揃って笑っている。

 この二人となら、どこまでも一緒に走って行ける。

 トレーナーはそう信じずにはいれなかった。

 

「勿論、私はタマには負けないぞ・・・・・・」

 

「・・・・・・当たり前や、ウチだって相手が例えオグリだろうと勝ちを譲る気は無い・・・・・・完膚なきまで叩き潰してやるさかい、覚悟しときや!」

 

「ふふふ、楽しみだ・・・・・・ははは・・・・・・」

 

 ――こうしてオグリ先輩はアンタレスに加入し、タマモクロス先輩と共に獅子奮迅の活躍をなされたのです。

 この年は正にタマモクロスとオグリキャプの年・・・・・・後にそう語られるほど、お二人は中央で大暴れしたのでした。

 そしてオグリ先輩は、アンタレスの不動のエースとして活躍することとなるのです。

 ・・・・・・最後に余談を一つ。

 オグリ先輩の仰った、チームへの勧誘ですが・・・・・・残念ながら上手くはいきませんでした。

 確かにアンタレスの二人は重賞を荒らし回りましたし、アンタレスの名も売れました。

 ですがそれを見て、アンタレスに入ろうとしたウマ娘はほとんどいませんでした。

 考えてもみてください。

 只でさえ、悪目立ちしたチーム。それに加えてタマ先輩とオグリ先輩がいるのです。入れば必ず、この二人と比較されます。そのような重圧に耐えられるウマ娘など、中々いないでしょう。

 では結局、この年にそれ以降新しいメンバーが加入しなかったかというと、そうでもありません。

 この半年後、アメリカから一人のウマ娘が編入してきます。

 その子はずっと海外にいたため、オグリ先輩のゴタゴタを全く知りません。

 それこそアンタレスと言えばマルゼンスキー先輩がいたチーム、くらいの知識しか無かったのです。

 彼女は学園でトレーナーさんに、そしてアンタレスの先輩方に出会い、チームに参加する決意を固めるのです。

 え? そんなウマ娘いるのかって?

 うふふ、それがいるんです。

 彼女の名前は・・・・・・うふふ、申し訳ありません。

 それはもうオグリ先輩の話ではなく、新しい話ですね――




次回からはまた日常的な話に戻ると思います。


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緋色の休日

暫く真面目な話が続いたので、日常回です。

しかし新シナリオ、素晴らしかったのですが中々慣れない・・・


 桐生院葵先輩は俺がトレーナー候補生としてトレセン学園へとやって来た頃からの付き合いである。

 俺、三鷹、鮫島の三人はそれぞれが悪い意味で目立っており、中々指導してくれるトレーナーが現れなかった。そんな中で俺たちを身請けしてくれたのが、桐生院先輩であった。

 もし先輩が俺たちを指導してくれなかったら、最悪の場合トレセン学園にいることは出来なくなっていたかもしれない。

 故に俺たち三人は桐生院先輩を慕い、敬愛している。

 そんな桐生院先輩が珍しく俺たち三人を呼び出したのだ。

 一体何事であろうと、俺たち三人は指定されたミーティング室に向かったのである。

 

「私はこれから、戦争をするわ」

 

 集めた三人の弟子を前に、桐生院先輩は真剣な面持ちで言った。

 

「この戦いは、ずっと前から始まっていたの。それこそ君達がトレセン学園に来る前からね・・・・・・でも私も相手も慎重・・・・・・ずっと水面下で暗闘が行なわれてきたの」

 

 いつも以上に真剣な語りに俺たち三人は息を呑む。

 

「でも遂に相手が動いた。痺れを切らしてね」

 

 桐生院先輩は一旦、目を閉じて深呼吸してから決意を込めた瞳で言った。

 

「開戦よ。私は今の自分が持てる戦力を全てぶつけるつもりよ。だから貴方達も・・・・・・」

 

 そこで俺たちは何故先輩がここに弟子三人を召集したのかを察した。

 

「・・・・・・先輩、協力させて下さい」

 

「俺たち桐生院組は一蓮托生。でしょ、先生」

 

「今のオレ達があるのは師匠のおかげです。その師匠の頼み事とあらばこの鮫島、粉骨砕身の意気込みでお供させて頂きます」

 

「・・・・・・ふふ、ありがとう皆。私はいい教え子を持ったわ」

 

 桐生院先輩はほっとしたような、満足したような表情を浮かべると立ち上がった。

 

「今週の日曜日。その日が決戦の日よ。詳しいことはまた後で伝えるから、よろしくね」

 

 先輩はそう言うと席を立って、部屋を後にした。

 

「・・・・・・しかし、戦争か・・・・・・一体、何と先輩は戦う気なんだろうか」

 

「え? お前、知らないのか?」

 

「いや・・・・・・三鷹と鮫島なら知ってると思って」

 

「これは憶測だが・・・・・・あの師匠があそこまで言う相手だ。恐らくは我々が想像する以上の巨大な勢力・・・・・・」

 

「うーん、となるとURA関係か名門たちの派閥争いか・・・・・・」

 

「・・・・・・何にせよ、あの桐生院先輩が俺たちに頼む位だ。これはとんでもない事になるな・・・・・・」

 

 俺たち桐生院門下生三人は戦々恐々としながら、とりあえず今週末は練習を休みにして、集まろうと話し合ったのであった。

 そしてやってきた日曜日。

 俺たちは桐生院先輩に指定された場所に集まっていた。

 トレセン学園の外、人通りの多いセンター街。

 そこに桐生院先輩の敵はいた。

 

「トレーナーさん、こっちですよ」

 

 緑色の制服が特徴的な大人の女性と、背の高い青年が待ち合わせをしている。

 女性は俺たちもよくお世話になっている、トレセン学園の駿川たづなさん。

 青年の方は全トレーナーの憧れであるスピカの先輩であった。

 

「待ちましたか?」

 

「いえ。今到着した所です。でも申し訳ありません。チームのお仕事もありますのに・・・・・・」

 

「いえいえ構いませんよ。丁度、予定が空いていましたので・・・・・・」

 

 仲良さげに談笑する二人。それを遠くから凄まじい形相で見つめる人物がいた。

 

「・・・・・・おのれ、たづなさん・・・・・・抜け駆けしてトレーナーさんをデートに誘うなんて・・・・・・何て卑しいんでしょう・・・・・・」

 

 我が師、桐生院葵先輩である。

 あ、その後ろに頭を抱えた成人男性が三人いるけど、その内の一人が俺です。

 

「戦争ってこういうコトだったのか・・・・・・」

 

 三鷹が疲れたような声色で言った。

 

「いや、確かに先輩にとっては戦争・・・・・・なんだろうけど」

 

「オレはもう帰ってもいいか?」

 

 一足先に逃亡を図る鮫島を止めつつ、俺たちは肩を落とした。

 貴重な休みに一体、俺たちは何をさせられるんだろう・・・・・・

 

「皆、桐生院一門は一蓮托生と言ったでしょう! このままではトレーナーさんがたづなさんの毒牙に・・・・・・」

 

「毒牙って・・・・・・」

 

「先輩、出歯亀はあんまりよくないですよ・・・・・・」

 

「師匠、タキオンが呼んでるのでお先に失礼してもよろしいでしょうか?」

 

 すっかりやる気を無くした弟子達である。だが先輩も諦めない。

 どうにかしてここから脱出できないかと各々が思案し始めた時だった。

 

「あら、トレーナー。どうしたの、こんな所で」

 

 すると背後から見知った声が聞こえてきた。

 

「スカーレット・・・・・・」

 

 そこには買い物袋を持った、ダイワスカーレットが一人で立っていた。

 そういえば今日は練習をお休みにして、皆に好きに過ごして貰うようにしたのだった。

 スカーレットはどうやら外に買い物へ行ってたらしい・・・・・・

 

「・・・・・・スカーレット・・・・・・」

 

「な、何よ」

 

 じっ・・・・・・と己を凝視する俺にスカーレットは怪訝な表情を浮かべていた。

 俺はそんな彼女の肩をガッシリと掴んで言った。

 

「すまん! スカーレット! お前との大事な約束を忘れていたなんて!」

 

「や、約束? なんのこんぐっ!?」

 

 素早くスカーレットの口元を抑えて、俺は出来るだけ早口でまくし立てるように言葉を吐いていく。

 

「先輩。実は俺、今日教え子とお出かけをする約束をしていたんです・・・・・・」

 

「え、そうなの?」

 

「はい!そうなんです!」

 

 純粋に尋ねてくる先輩に対して、俺は力強く答えた。

 

「・・・・・・すまん、少しだけいいから話を合わせてくれ」

 

 そして小声でスカーレットの耳元で、そう呟いた。

 頭のいい彼女ならきっと分かってくれるはずだ。

 スカーレットは眉を吊り上げながらも、理解はしてくれたのかコクンと頷いた。

 だが怒っているためか、顔は赤く染まり、

 

「・・・・・・それは仕方ないわね・・・・・・しょうがないわ。君は教え子との約束を優先しなさい」

 

「はい! ありがとうございます!」

 

 桐生院先輩は基本、ウマ娘ファーストの考えを持っている御方だ。

 ウマ娘との約束が先にあると言えば、きっとそちらを優先しろと言ってくれる方である。

 そして予想通り、桐生院先輩は俺がスカーレットと一緒に行くことを許してくれた。

 

「と、いうわけで行こうか、スカーレット!」

 

 俺はボロが出ないうちに急いでその場を後にする。

 

「おい、卑怯だぞテメー!」

 

「この裏切り者が・・・・・・」

 

 恨みがましい三鷹と鮫島の声が聞こえたが俺は無視してスカーレットを引っ張って、その場から離脱していった。

 桐生院先輩達が見えなくなるまで距離を稼いだ所で、俺はようやく一息ついて、スカーレットから離れた。

 

「・・・・・・ふう、ごめんスカーレット。いきなり巻き込んでしまって・・・・・・」

 

「・・・・・・もう、一体何なのよ・・・・・・」

 

 突然の三文芝居に付き合わされたからか、スカーレットは不機嫌そうだ。怒りが収まってないのか、顔も赤いままである。

 俺はまずコトの経緯を簡単に説明した。

 桐生院先輩に三人揃って呼び出された事。

 重要な案件かと思ったら、全然そんなこと無かった事など・・・・・・全てを聞き終えたスカーレットは深い溜息をついて言った。

 

「ふぅん・・・・・・災難だったわね、アンタも」

 

「ああ、まあな」

 

「・・・・・・で、これからどこに連れてってくれる気なのかしら?」

 

「え?」

 

「これから、アタシとお出かけするんでしょ? アンタからいいだしたんだから、きっちりリードして貰うわよ」

 

「あ・・・・・・いや、あくまであの場から離れるための嘘だったから、もう大丈夫だぞ。折角の休みに付き合わせてしまって、ごめんな」

 

「はぁ!? なによそれ!」

 

 スカーレットの眉が再び吊り上げる。

 

「自分からここまで連れてきておいて、放置する気?」

 

「いや、だからな。あくまで先輩から逃れるためであって・・・・・・」

 

「ふーん。そう。あーあ。戻って桐生院トレーナーに全部しゃべっちゃおうかなぁ~」

 

「う・・・・・・それは・・・・・・」

 

 どうやら俺がスカーレットをダシに使ったのが、本人は相当気にくわなかったらしい。

 先程からチラチラと、先輩達がいるであろう方向へと視線を向けている。

 

「・・・・・・わ、分かった。付き合うよ」

 

「当然でしょ。さ、デートなんだからアンタがリードしてよね」

 

「で、デート?」

 

 確かに男女二人で出かけるのでそういうことになるのだろうか。

 しかし今までマルゼンやタマと二人きりでお出かけしたことはいくらでもあるが、デートという感じでは無かったな。

 

「とりあえずお腹空いちゃった。ねえトレーナー、そこでケーキでも奢ってよ」

 

「わ、分かった・・・・・・」

 

 俺はスカーレットを連れてとりあえず、近くにあったカフェに足を運んだ。

 休日だけあって、それなりに人が多くいたが何とか待たずに座るコトが出来た。

 俺はケーキとコーヒー、スカーレットはケーキと紅茶のセットを注文した。

 暫くして、可愛らしいトレーに乗ったケーキセットが運ばれてくる。

 それを小さくフォークで切って、スカーレットは口に放り込んだ。

 

「んんっ♪ 美味しいっ!」

 

 頬を緩ませながらスカーレットはケーキを咀嚼していく。

 とりあえず満足はしているようだから、ほっと胸を撫で下ろす。

 

「で、この後はどうするの?」

 

「え?」

 

「まさかお茶して終わりって訳でもないでしょ?」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ヤバい。本当に何も考えてなかった。

 そんな情けない内情を看破したのか、スカーレットも大きく溜息をついた。

 

「あんたねぇ・・・・・・デート位、何回かしたことあるでしょうに・・・・・・」

 

「いや・・・・・・正直ほとんどやったことない・・・・・・」

 

「タマ先輩とおでかけしてたじゃない」

 

「あれはお出かけというか買い出しというか・・・・・・そう考えると、俺ってちゃんとお出かけしたことほぼ無いのかも・・・・・・」

 

 教え子とデートってあまり褒められたものでは無いのだが・・・・・・

 

「・・・・・・ふーん、そうなんだ」

 

スカーレットは少しだけ何か考えたあと、ケーキをペロリと平らげた。

 

「だったらこの際だから慣れておかないとね。一流のトレーナーになるんなら、デートの経験の一つや二つ無いと!」

 

「そ、そうかなぁ・・・・・・」

 

「そうに決まってるじゃない! さ、行くわよ!」

 

 勢いよく立ち上がったスカーレットの後を追うように、俺もケーキとコーヒーを口へ放り込んだ。

 会計を済ませ、店から二人揃って出る。

 

「・・・・・・とりあえず、行きたい場所とかはあるか?」

 

「そうねぇ・・・・・・」

 

 スカーレットは少し悩むように首を傾げると。

 

「ボーリングとかカラオケとかゲームセンターとか?」

 

 割と具体的な案をいくつか挙げてくれた。

 

「・・・・・・ゲームセンターはスピカの先輩がよく教え子を連れて行ってるらしい。ダンスの練習になるゲームがあるとか」

 

 とあるダンスゲームの筐体をトウカイテイオーがプレイして無双していたという噂を聞いたことがあった。

 

「へえ。じゃあとりあえず、行ってみましょう!」

 

 スカーレットも納得したのか大きき頷くと――

 

「っ! す、スカーレット・・・・・・」

 

 ごく自然に、俺の左腕にぎゅーっと抱きつくように腕を組んできたのだ。 

 突然、自身の半身を襲ったふくよかで柔らかい感触。流石に俺も動揺してしまう。

 落ち着け、落ち着くんだ俺。

 お前は中央トレセンのトレーナーだろう。

 教え子に対して何て邪な思いを抱いている。

 俺はふとスカーレットの顔を見たが、楽しそうに微笑んでおり下心らしきモノは皆無である。

 

「す、スカーレット。だ、大丈夫か、歩きにくくないか?」

 

「別に、平気よ。それよりも早く行きましょうよ」

 

「お、おお・・・・・・」

 

 この教え子の何と肝の据わっているコトか。

 いや、よく考えたら俺とスカーレットは言わば教師生徒の関係、年齢だって10近く離れているのだ。

 こんな風に変に意識している俺の方がおかしいんだろう。

 平常心平常心。

 俺は変に意識し待っている自身を恥じながら、繁華街を進んでいくのであった。

 

 暫く歩いて辿り着いたゲームセンターで、俺たちはとあるUFOキャッチャーの筐体を見つけた。

 

『新発売! オグリザウルスぬいぐるみ!!』

 

「・・・・・・ねえ、これって・・・・・・」

 

「ああ、大好評だったオグリキャップぬいぐるみの新バージョンだな」

 

 デフォルメされたオグリが怪獣の着ぐるみを着ているという、可愛らしいデザインのぬいぐるみである。

 

「当のオグリキャップのトレーナーが、これを持っていないのはおかしいだろう・・・・・・」

 

 俺は懐からスッと財布を取り出すと、100円玉硬貨を何枚か筐体へと入れた。

 

「こういうの、得意なの?」

 

「いや、実はあまり・・・・・・でも、オグリのトレーナーとして見過ごすわけにはいかん・・・・・・」

 

「・・・・・・そこはチョットくらい格好つけなさいよ・・・・・・」

 

 呆れたように言いつつもスカーレットは俺の隣で筐体を覗き込んだ。

 コインを入れ、クレーンを起動する。

 軽快なBGMと共にそれは動いていき、俺は一筋オグリザウルスを狙う。

 しかし。

 

「う、し、失敗・・・・・・」

 

「情けないわねぇ、ちょっと貸しなさいよ」

 

 情けない話だがスカーレットにバトンタッチ。

 だが。

 

「ああっ! 何でよ!」

 

 スカーレットも普通に失敗した。

 やはり町中のゲーセン。しかも人気商品だけあって、かなり渋めの設定をしているようだ。

 さらに熱くなったスカーレットがもう一度プレイするも、失敗に終わった。

 

「ぐぬぬぬ、結構悔しいわね」

 

 負けず嫌いなスカーレットらしく悔しそうに歯がみする。

 

「トレーナー! もう一回よ!」

 

「お、おお・・・・・・」

 

 どうやらスイッチを入れてしまったようだ。本気の顔で俺から追加料金を要求してくる。

 

「あう・・・・・・また失敗だわ! ううう、悔しい~」

 

 その後、何回も挑戦したスカーレットであったが無情にもクレーンは宙を切った。

 しかし凄まじい勢いでお金が吸い込まれていくな。

 かつて地元の友人はUFOキャッチャーを『貯金箱』と称していたが、確かにそう思えるような有様である。

 それなりにあった軍資金はあっという間に溶けていき、遂に底をついてしまう。

 

「スカーレット・・・・・・これが最後の一枚だ・・・・・・」

 

「うう・・・・・・ちょっと熱くなりすぎたわ・・・・・・ごめん」

 

 冷静さを取り戻したのか、スカーレットも肩を落とした。

 

「でもここまで頑張ったんだ。この最後の一枚に賭けよう」

 

 それにここで諦めたら、今まで先に行った硬貨が無駄死になってしまう。それは避けたかった。

 

「・・・・・・ねえ、取れるかな」

 

 珍しくスカーレットが弱気になって言った。

 これまでの失敗があるので、どうしてもそうなってしまうだろう。

 

「・・・・・・大丈夫だ。俺はスカーレットを信じる」

 

 彼女が息を呑むのを感じた。

 そしていつも以上に真剣な面持ちで、スカーレットは筐体に向かった。

 慎重にボタンを押し、絶妙なタイミングでクレーンが降りていく。

 そして・・・・・・

 

「おおっ!」

 

 見事にオグリザウルスを掴んでいた。

 

「まだよ! ちゃんと出口まで持ってかないと・・・・・・」

 

 スカーレットが冷や汗を浮かべながら、様子を見守っている。

 のろのろとクレーンは出口まで進み、吊していたオグリザウルスを真っ直ぐ落とした。

 

「やった!」

 

「やったな!」

 

 俺とスカーレットは歓声を上げて、手を取り合った。

 そして取り出し口からオグリザウルスの人形を回収する。

 

「えっと・・・・・・はい」

 

 そして照れくさそうにスカーレットは、俺に人形を渡してきた。

 

「いいよ、これを取ったのはスカーレットだ」

 

「でも、アンタのお金だし・・・・・・欲しかったんでしょう?」

 

「ああ、でも俺じゃきっと手に入らなかった。スカーレットがいたから手に入ったんだ。だからこれは君のだよ」

 

 そう言って俺はスカーレットに人形を返す。

 スカーレットは嬉しそうにきゅっとぬいぐるみを抱きしめた。

 

「えへへ・・・・・・」

 

 その笑顔は、俺の全ての資金を犠牲にしても価値があったと心から思えるモノであった。

 そして今回のデートはこれで終了の運びとなった。

 俺の資金が尽きたのだ。

 

「ふふ、意外と楽しかったわよ」

 

「それは良かった」

 

 まだ空も明るいうちに、二人でトレセン学園へと戻っていく。

 何だかんだあったが、スカーレットは上機嫌そうなので、俺もほっと肩を降ろした。

 

「でも一流とはまだまだ言えないわね!」

 

「そ、そうか・・・・・・うーむ、手厳しいな」

 

「・・・・・・だ、だからさ。またこんな風に二人で・・・・・・」

 

「あーっ! トレーナーとダスカちゃんだ!」

 

 スカーレットの言葉を遮るように、背後から元気な声が聞こえてきた。

 振り向くと私服姿のウララがこちらに向かって笑顔で手を振っている。よく見ると隣にはグラスもいた。

 

「どうしたの、二人で?」

 

「ん、ああ。ちょっと色々あってな」

 

「あらあら・・・・・・桐生院トレーナーと何か約束がある、と聞いていましたが・・・・・・」

 

 貼り付いたような笑みを浮かべながら、グラスもこちらへやって来た。

 なんだか妙な圧も感じる。

 

「あ、ああ。その予定が無くなった時に、偶然スカーレットに会ってな」

 

「あっ! それ、オグリ先輩のぬいぐるみだ!」

 

「えへへ、そうなんです。トレーナーと一緒に取って・・・・・・」

 

「スーちゃん、ちょっと詳しく話を聞かせて貰おうかしら~」

 

 ウララとグラスが合流し、和やかな雰囲気のまま俺たちは帰路についた。

 何故かグラスがスカーレットにずっと質問攻めをしていたが・・・・・・まあ、普段お出かけとかしないから気になったのだろう。

 こうして俺の休日は終わったが、かなり充実した時間を過ごせたと思う。

 少なくとも先輩の尾行に付き合うよりは、教え子と親睦を深める方が有意義なハズだ。

 

「スカーレット、今度は・・・・・・皆でどこかに行こうな」

 

「え、ああ・・・・・・そうね! 皆で行くのもきっと楽しいハズ・・・・・・」

 

 まだ少女らしいあどけなさの残る笑顔でスカーレットは言った。

 その手には、オグリの人形が握られていた。

 

 ちなみに余談だが、桐生院先輩は色々あったらしく飲めない酒を飲んで酩酊。

 三鷹と鮫島に抱えられながら深夜トレセン学園に帰還した。

 



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